緑谷出久と黒血 (292299)
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最初に犯した罪は、無個性を捨てたこと

僕には子供の頃、

 

「イーくん! イーくん!」

 

そんな風に僕を呼ぶ、友達がいた。

サイズの合っていない、ブカブカのワンピース。

その黒いワンピースは、よく見ると汚れで変色していた。

でも、その頃の僕は、そんなこと、気付いていなかった。

 

公園で出会った彼女と、僕は仲良しになった。

周辺にヴィランの警戒情報が流れたから、僕の家で遊ぶようになる。

僕の家まで連れてきて遊ぶ友達は、彼女が初めてだった。

 

パソコンの前に2人で並び、一緒にオールマイトの動画を見ていた。

今になって思うと僕と違って、彼女はヒーローに興味はなかったと思う。

オールマイトの動画を繰り返し見る僕を、ずっと彼女は見つめていた。

 

そして、あの日だ。

なかなか個性の現れない僕を心配して、お母さんは病院へ連れて行ってくれた。

そうして幾つも病院を回った末に、有名な医者から無個性と告げられた。

落ち込んでいる僕の下に、いつもと同じように彼女は訪れた。

 

「どうしたの、イーくん?」

 

泣き疲れて、その時の僕は放心状態だった。

何も考えられず、呆然とオールマイトの動画を見ていた。

カーテンも閉めて、暗い部屋で、オールマイトだけを見ていたかった。

オールマイトのように成りたくて、オールマイトを自分のように思っていた。

 

でも、僕は無個性だ。

そう考える度にハンマーで、心を割られるようだった。

誰も彼も個性を持つ現代で、生まれ持った障害と同じだ。

オールマイトを見て、自覚する度に心が痛む。

尖った破片が突き刺さって抜けない。

 

届かない未来、オールマイト。

失われた個性。いいや、最初から無かった個性。

今まで気付かなかったけれど、生まれた時から、そうだった。

 

損失はゼロだ。

僕は何も得ていなかったから、何も失っていない。

失っていないのならば悲しむ必要はない。

そうして僕の中で、合理化する。

 

何度も繰り返すことで少しずつ、僕は痛みに慣れていった。

そうして僕は、失った事を受容しようと試みていたのだろう。

 

「イーくんが悲しいと、私も悲しいなァ」

 

そう言って彼女は横から、椅子に座っている僕へ抱きついた。

両方の腕を体に絡み付かせ、僕に顔を寄せる。

彼女の手が体を這って、彼女の柔らかい肌と擦れ合った。

彼女の温かさが伝わって、感情を抑えていたのに泣きそうになる。

そうして僕へ近付いた彼女は耳へ口を寄せ、

 

「ねえ、イーくん。個性が欲しい?」

 

とささやいた。

 

「個性って、他人に個性を渡せる個性もあるんだよ?」

 

そういう個性を持っている、という事なのか。

今さらになって僕は、ドキドキと心臓を鳴らす。

さっきまで無個性を受容しようと試みていた、僕の心は吹っ飛んだ。

すると外側を取り除かれたように、僕の中から欲望が立ち上がる。

 

個性が欲しい。

それこそ僕の心に封じていた本当の願いだ。

忘れつつあった傷跡は、僕に意識された事で再び開く。

 

でも、他人から貰った個性で良いのだろうか?

自身の物ではない個性で、ヒーローを張れるのか。

他人の個性を受け取れば、無個性である自分自身を捨てる事になる。

その瞬間、僕は無個性を救えなくなるだろう。

 

どれほどヒーローを語っても、無個性に対する言葉は偽りで虚ろになる。

だって僕は、無個性を捨てるのだから。

 

ヒーローとなるために無個性を捨てる必要がある。

そんな当たり前の事に、今さら気付いた。

それは、とても悪い事に思えた。

それは僕にとって悪だった。

 

僕は口を押さえる。

それでも断ることはできない。

口を開けば僕は、個性を望んでしまう。

その感情は僕の内側に留められず、流れ出してしまう。

 

事実として僕は、喜んでいた。

口を隠す手の下で、笑い声を必死に抑えていた。

でも抱き付いている彼女から見れば、僕の反応は明らかだった。

そんな僕をクスクスと笑って

 

「ねえ、イーくん。個性が欲しい?」

 

と彼女は繰り返す。

 

「欲しいのなら、イーくんから言ってくれないかなァ」

 

甘い言葉に誘われる。

僕の心と体は、いつの間にか分離していた。

心は今にも、口を突き破りそうだ。

体は冷や汗を流すほど、僕を引き止めていた。

 

呼吸を止めて我慢する

でも、すぐに限界となって開いてしまった。

 

「ふふ、ふふふふ、はははは!」

 

どうしようもなく笑い声が漏れる。

そんな僕を見て、彼女も笑う。

 

「うふ、うふふふ」

 

笑いながら僕は泣いていた。

泣くほど嬉しかったのかも知れない。

それとも泣くほど嫌だったのかも知れない。

ヒーローの僕と、無個性の僕。

どちらも本当で、どちらも僕だった。

 

「ヒーローになりたい」

 

歯を食い縛って、顔を歪めて、僕は別れを告げる。

無個性の僕を、ヒーローの僕が否定した。

言ってしまった言葉は、もう取り消せない。

 

「僕は、ヒーローになりたい」

 

そう告げた僕は、良い気分だった。

不要な物を切り捨てたように体が軽い。

どうして僕は、こんな素晴らしい事に悩んでいたのだろう。

 

無個性なんて何の意味もない。

そう結論した。

 

オールマイトのようなヒーローになるんだ。

無個性だからと言って諦める必要はない。

僕をヒーローにしてくれる。

その彼女を見ると、

 

「じゃあ、私をあげるね?」

 

手から棒のような物を取り出していた。

黒くて、長くて、まるで剣のように先は尖っている。

それはスルリと僕の胸を突き刺して、スルスルと潜り込んで行った。

 

痛みはなかった。

正確に言うと、痛みを感じていなかった。

幻ではなく現実に、黒い鉄の剣が、僕を貫通している。

疑問の声を上げようと意識したものの、体は動かなかった。

それなのに彼女は、ニコニコと嬉しそうに笑っている。

 

「前世の時からね。好きだったんだ。"僕"も壊れてる人が好きだから」

 

彼女の言葉が分からない。

 

「絶望している人も好きで、だからデクくんを見たら我慢できなくなっちゃった」

 

理解できないまま記憶に焼き付けられる。

 

「1つになりたい。愛し合いたい。同じ物になりたい。私と同じものになってほしい」

 

体から力が抜けて、彼女に支えられる。

 

「好きです」

 

暗くなる視界に、彼女の顔が浮かぶ。

その表情は本当に嬉しそうで、世界で1番キレイに思った。

 

 

 

僕の気絶していた時間は、数分だ。

お母さんに呼ばれて、僕は目覚めた。

知らぬ間に点いていた電灯は、僕の目を痛いほど照らす

 

「イズク! イズク!」

「お母さん?」

 

お母さんは泣いていた。

僕を抱き締めたまま、お母さんは聞いた。

 

「どうしたの? 何があったの? 大丈夫!?」

「うん」

 

「よかった」

「どうしたの、お母さん?」

 

僕は辺りを見回す。

すると僕の胸は真っ黒に染まっていた。

着ていたはずの服が、なぜか片腕に引っ掛かっている。

同じように黒く変色していた、それはポトリと、床に落ちた。

 

「何でもないのよ」

 

そう言って僕を抱き締めたまま、お母さんは後ろ向きで歩き始める。

 

「お母さん、どうして後ろ歩きなの?」

「お母さんだって、たまには後ろ向きで歩くのよ?」

 

「お母さん、服を脱いだままだよ」

「いいの。このまま、お風呂へ入ろうね?」

 

「お母さん、下ろして。自分で歩くよ」

「お風呂から逃げようとしても、そうは行きません」

 

「お母さん、どこを見てるの?」

「お母さんは、ずっとイズクに夢中よ?」

 

僕の後ろだ。

首を回して、

 

「ダメ!」

 

大声で怒鳴られた。

 

「お母さん、こわいよ」

「ごめんね、イズク。でも、もう少し我慢してね。おねがい」

 

お母さんの笑顔は、ゆがんでいた。

 

「いや。いやだ、はなして!」

「おねがい! おねがいだから!」

 

痛いほど抱きしめる、お母さんの腕は解けない。

そのまま少しずつ、部屋の出口へ向かって行く。

どこかへ連れ去られるように思えて怖かった。

お母さんが、お母さんではないようだ。

 

「うわああああああん!!」

 

僕は暴れて、手足を振り回す。

すると何処かに当たって、お母さんは悲鳴を上げた。

その隙に抜け出した僕は、振り返る。

 

「見ないで! イズク!」

 

彼女が横になっていた。

電灯に照らされているせいか、白く見える。

変わった所はなくて、眠っているように思えた。

それ以上は、どこにも不思議な所はない。

 

「起きちゃうから、静かにしないとダメだったの?」

「ええ、そうよ。ごめんね、イズク。さあ、早く行こう?」

 

お母さんは声を震わせながら、両方の腕を広げて僕を迎える。

 

「じゃあ、一緒に入ろうよ!」

 

お母さんが、その言葉を理解した時は遅かった。

僕は彼女に触れて、その違和感に気付く。

白くて、冷たい。

 

「ねえ、お母さん。寝てるの?」

「ええ、そうよ。寝てるの」

 

まるで体から急に、温かさを抜かれてしまったようだ。

彼女は目を閉じたまま、口は半開きになっている。

でも温めれば、また動き出しそうに思えた。

 

「さあ、もう行こうね?」

 

お母さんに抱き上げられる。

静かになった僕は、お母さんに運び出される。

 

「ねえ、お母さん。寝てるだけだよね?」

「そうよ、寝てるだけ」

 

その言葉を信じるしかなかった。

だって、死体を見るのは初めてだったから。



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狂気の波長について

彼女が寝ている間に、他の家へ僕は預けられた。

その間に彼女は居なくなって、再び会うことはなかった。

お母さんが警察に事情を説明して、僕は何も知らされなかった。

僕は何も知らなかった。

そういう事になった。

お母さんが、おかしくなったのは、それからだ。

 

「お母さん! どうしたの!? 大丈夫!?」

「大丈夫よ、ちょっと切っただけだから」

 

お母さんが腕から血を流していた。

いくつも切った痕があって、すごく痛そうだった。

それから毎日のように、お母さんは腕を怪我していた。

お母さんが血を流しすぎて気絶し、僕は隣人へ助けを呼びに行く事もあった。

僕が救急車の呼び方を覚える頃になると、お母さんは入院した。

 

病院から電話が掛かってきた。

病院へ行くと、お母さんは彼女のようになっていた。

白くて冷たい、彼女のようになっていた。

まるで眠っているようだった。

その意味を僕は知っている。

 

「緑谷出久くんだね。お父さんについて聞きたい事があるんだ」

 

僕を病院まで運んでくれたのは警察の人だった。

 

「お父さんは今、どこにいるのかな?」

「分かんない。ずっと見てない」

 

「それは、いつの頃から?」

「えっと、彼女が居なくなった頃から」

 

「彼女? ああ、君の家で亡くなった子かな?」

 

ああ、やっぱり。

彼女は死んでいた。

悲しむよりも先に恐怖した。

 

彼女は個性をあげる、そう言った。

どう考えても、そのせいで死んでしまったのだろう。

僕のせいで死んでしまった。

罪を告白するのならば今しかない。

それでヒーローに成れなかったとしても構わない。

彼女の死んだ原因を隠すのは、ヒーローの行いではない。

 

本当は察していたはずだ。

おかしく思って、お母さんに聞くべきだった。

それなのに僕は目を逸らし、無知を装っていた。

だって個性を得たと言えば、誰に貰ったのか言わなければならない。

 

「僕に個性をあげたから、彼女は亡くなりました」

「それは、どういう事かな?」

 

「僕は無個性だったんです。でも今は、彼女にもらった個性があります」

「それを誰かに相談したことは?」

 

「いいえ」

「どうして言わなかったんだ?」

 

少しだけ変わる口調。

警察の人は怒っているようだった。

怖いけれど、僕は答えなければ成らない。

それは勇気なんて前向きな物ではなく、後ろから追われているようだった。

逃げるのは止めて、立ち向かわなければならない。

ヒーローとしての僕が、罪を犯した僕を見ていた。

 

いいや、違う。

他の誰でもない。

罪を犯したのは、ヒーローになりたい僕だ。

また僕は自身を切り離して、罪から逃れようとしている。

そうすれば、また気持ちいいのだろう。

そうして浮いてしまう僕を、僕は心に縛り付けた。

 

彼女について僕は話す。

僕が罪を犯した、あの日の事を話した。

すべて話し終えると、僕は児童相談所へ連れて行かれた。

警察ではなかった。

 

「僕は逮捕されないんですか?」

「刑事裁判、つまり俺たちの領分じゃない。おまえの処分を決めるのは家庭裁判所だ」

 

お葬式へ行った。

お母さんとお父さんは骨になった。

ヒーローを望んだ、その結果に思えた。

他人事のように流れる景色を掴み取り、僕の物にする。

そうして切り離した痛みを抱えて、自覚しなければ成らない。

 

痛みで心が潰れそうになる。

でも僕は被害者ではなく、加害者だ。

涙を流して同情を買うのは許されない。

 

もう死にたかった。

でも、それは痛みから逃れる行為だ。

僕は痛みを自分の物として、目を逸らしてはならない。

そうして何度も何度も繰り返して、逃げようとする僕に言い聞かせた。

 

家族を失った僕は、血縁に引き取られた。

でも、最初は優しかった人も、おかしくなっていく。

怒りっぽくなって、いつも見えない何かに追われているようだった。

 

物を投げられる。

棒で叩かれる。

首を締められる。

 

でも彼女に与えられた個性が、痛みを通さなかった。

僕の体は鉄のような強度で、素手ならば逆に怪我を負うだろう。

だから罰を与えるため、その人は車で何度も、僕の上を往復した。

もう、他人の視線に拘らないほど、正気を失っていたのだろう。

その人は逮捕されて、僕は児童相談所へ戻された。

 

僕は痛みを受け入れる。

それとは別に、ヒーローならば救わなければならない。

でも狂ってしまった、その人を救う方法は分からなかった。

何を言っても僕の言葉は、その人に届かなかった。

 

オールマイトならば、どうしたのだろう。

きっと、その人を救うまで、諦めないに違いない。

その人に僕は会いたかったけれど、お医者さんに止められた。

僕を無個性と診断した、あの有名な、お医者さんだ。

 

「君が近付けば、さらに悪化するじゃろう」

「おかしくなったのは、僕のせいですか?」

 

「どうして、そう思ったのかな?」

「最初は優しかったんです。あんな事をする人じゃなかった」

 

「君のせいではない。原因は君に与えられた個性じゃ」

「個性の?」

 

「君に与えられた個性は血液で、流体でありながら鉄のような強度を持つ。本来、このような金属流体は水銀か、あるいは君の体が蒸発するほどの高熱を宿しているはずじゃ。しかし君の体温は、タンパク質が硬化しない程度しかない。面白いじゃろう?」

「面白いんですか」

 

「いや、すまん。興味の出る話題から入ろうと思ったのじゃが、余計な事じゃった。研究者は誤解されやすが、けっして命を軽く思っている訳ではないんじゃよ?」

「お医者さんじゃないんですか?」

 

「研究によって、人を救う医者じゃ。じゃが、金の亡者とも言われておるよ、ホホ!」

「そうなんですか」

 

もしかして今のは、笑うポイントだったのかな?

 

「君の個性は、ある電磁波を放っておる。1から3ヘルツのデルタ波じゃ。これが他人の脳へ届くと自殺衝動を喚起する。これをワシは、狂気の波長と名付けた」

「じゃあ、みんなが、おかしくなったのは」

 

お医者さんは肯定した。

 

「脳の神経発達によって、この電磁波を受けた結果は異なる。未熟な神経回路網であるほどデルタ波の干渉は大きくなり、この狂気の波長に対する抵抗力は弱まるのじゃ。これをワシは4のステージへ分類した」

 

嬉々として語るお医者さんに対して、僕の意識は遠くなる。

それでも僕は、この話を受け止めようと意識を強く持った。

無知から、僕が殺してしまった人々を知るために。

 

「ステージ1、自殺衝動を他者へ転換する」

 

僕を引き取った人は、僕を痛め付けた。

それは自殺衝動に耐え切れず、他人に押し付けたからだ。

 

「ステージ2、自殺衝動に耐え切れずに自害する」

 

お母さんは自身を傷つけていた。

自殺衝動を他人に押し付ける事はなかったけれど、自身に向かってしまった。

 

「ステージ3、」

 

お母さんの精神は未熟だったと、そう言うのだろうか。

そうは思えなかった。

 

「でも、大人です。大人なら子供よりも、心は発達しているでしょう?」

「子供が思っているほど、大人は大人ではないんじゃよ? 他者を傷付け、その他者を傷付けたという事実から目を逸らし、自身を正当化する。他人から受けた痛みを、また他人へ押し付け、自分に都合のいい真実しか見えん」

 

「お母さんは、そうじゃなかった! 僕が無個性と分かった時も優しくて!」

 

ーーごめんね、イズク

 

傷だらけの赤い腕。

白くて冷たい。

死体。

 

「お母さんは優しかったんです」

「ステージ2、少なくとも君を傷付ける事はなかった。しかし自殺衝動に抗うこともできなかった。狂気の波長を相殺するほど、神経は発達していなかった。これは心という曖昧な概念ではなく、物理的な神経の問題じゃ」

 

「お母さんは強かったんです」

「それでも足りなかったという事じゃよ」

 

「あなたは、どうなんですか?」

「もちろん対策を施しておるよ」

 

「対策があるんですか!?」

「波長である以上、その法則に縛られる。障害物に強く、理論上は惑星を射程に収める。しかし混線という性質は変えられん。もっとも、核爆発どころか大地震を超える出力じゃ。同じ波長を打つけない限り、現実的ではないのう」

 

「惑星って、地球全土!?」

「理論上の話じゃ。現実には、そうなっておらん。不思議じゃのう」

 

いつ起動するのかも分からない終末装置と同じ話だ。

もしも狂気の波長が世界に広まったら、どのくらい人は生き残るのだろう。

 

「他に対策はないんですか?」

「脳神経を発達させ、狂気の波長に干渉する余地を与えない事じゃ」

 

「神経の発達?」

「要するに自殺衝動を受け止め、目を逸らさず、それでも生きようとする事じゃよ」

 

生きている、それだけで狂気を振り撒く。

死ななければ僕は、また誰かを殺してしまう。

世界のために僕は死ぬべきなのか。

 

「僕は死ぬべきでしょうか」

「彼の個性を解き明かす前に死なれては困る」

 

愚問だった。

生きる事は正しいのか。死ぬ事は正しいのか。

その答えを他人に求めるのは、責任を逃れようとしているに過ぎない。

尋ねながら僕は密かに、生を与えられる事を期待していたに違いない。

僕の命の責任を、他人に負わせてはならない。

決めるのは僕だ。

 

「ヒーローに成りたいんです。オールマイトのようになりたい。他人に迷惑をかける僕は死ぬべきなのかも知れない。でも、まだ死にたくない。お願いします。狂気の波長を抑える方法を調べてもらえませんか」

 

もしも他人に死ねと言われたら、どうするのか。

生死の問いに、死ねと言われたら僕は、どうしていたのか。

その意思に従って死ぬのだろうか。

僕が死ぬことは決して、悪いことではない。

 

でも、僕はヒーローになりたい。

恋に焼けるように、愛に溶けるように、想い続けている。

ヒーローになりたいと望み、彼女に与えられた。

それが僕に残された全てだ。

 

「僕はヒーローになって死にたい」

 

どんな形で死ぬのかを選びたい。

 

「どちらにしても君を安楽死させる権利は、どこの誰にも許されてはいない。ある日、突然ヒーローがヴィランとなって君を殺さない限りはの。もちろん、君が自殺する権利も与えられておらぬ」

「そう言ってくれて、ありがとうございます」

 

僕は死を背負った上で、ヒーローへ進み続ける。

もしも他人に死ねと言われたら、なんとか説得するしかない。

僕に対して、そう言うのは当然のことで、間違ってはいない。

 

「では、まずは引っ越しじゃ。私の病院へ来てもらう。君の個性を治療するという名目で、後見人に代わる家庭裁判所の許可は取ってある。保護者の件で、ずいぶんと時間は掛かったがのう。あとは君に同意してもらうだけじゃ。子供を働かせるのは違法だから給料は払えんが、その代わりに生活費は掛からんぞ。ホホ!」

「ハハハー」

 

僕を笑わせようとする、この人なりの冗談なのだろう。

僕は空笑いしつつ、そう思った。

 

「あの、さっき僕が遮ってしまったステージ3を聞かせてもらえませんか?」

「ステージ3、自殺衝動を留めるものの受け止め切れん。自害は自制できるとしても、動くこともできないじゃろう」

 

ようやく狂気と拮抗できる、という事か。

 

「ステージ4、自殺衝動を受け入れ、それでも生きたいと願う」

「僕は、それが出来ているのでしょうか?」

 

「家族を失った子供の脳神経が、刺激によって急速に発達するのは前例としてあるじゃろう。むしろ子供であるほど、神経は著しく発育する。もっとも大人になってから、その反動として精神が不安定になるものじゃ。子供の頃は天才だった、という奴じゃよ」

 

僕は今、未来を前借りしている状態なのか。

 

「周囲の環境に求められて大人になる事と、自ら大人になろうと成長する事は、同じように見えて神経回路の発達が異なるのじゃ。歪な環境によって構築されるのは、歪な神経回路網じゃよ」

 

このままでは、いずれ代償を支払う時がやってくる。

環境に追われて大人になるのではなく、自ら大人になる意思を持たなければ成らない。

 

僕はヒーローになりたい。

それは僕の自己顕示欲から来るものなのか。

それとも人を救いたいからヒーローになりたいのか。

あるいはヒーローへ近付くために、ヒーローとなるのか。

 

「ステージ4に、どうすれば成れますか?」

「自殺衝動という過大なストレスを受容できる神経回路の発達じゃ。嫌な感情や記憶から目を逸らせば、その部分の神経は衰え、君の個性が放つデルタ波の干渉を受けやすくなる。このステージ4を言葉として表すならば、受容、感謝、慈悲、忍耐、ユーモア」

 

受容、感謝、慈悲、忍耐、ユーモア

 

「そして死が待っているとしても、希望を持って未来へ進むーー勇気じゃ」



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あなた以外、触れる事はできない

児童相談所から出た僕は、ドクターに引き取られる。

周囲に悪影響を与える狂気の波長、その治療を理由とされた。

許可を下したのは家庭裁判所で、有名な医師であるドクターの存在が大きい。

血縁のないドクターを、家庭裁判所は後見人と認めてくれたのだ。

 

「ワシは大切な子供のように、君を思っておるよ」

 

ドクター優しい人で、そう言ってくれる。

僕は個室を与えられ、まずは体を検査される。

今の僕は鉄の強度で、注射器も刺さらない体だ。

でも大きな病院だから、小さな診療所に無いような検査器具もあった。

 

「君の心臓は止まっておる。君が言うところの"彼女"に刺されたのじゃったな」

 

でも、痛みも苦しみも感じない。

心臓の止まったまま僕は動いていた。

 

「君の血管を流れ、そして肉体に浸透しておるのは、彼女の個性じゃ。君の停止した心臓、その機能は彼女の個性によって補われておる」

「彼女の個性は、僕を生かしてくれているんですね」

 

嬉しいと思って良いのかな。

少なくとも僕は嬉しく思った。

そう思うことは正しいのだろうか。

 

「そして狂気の波長、その発信源は心臓の位置にある。デルタ波の発せられる脳ではなく、心臓じゃ。狂気の波長は、心臓の鼓動のように発せられておるのじゃよ」

「じゃあ、狂気の波長を止める方法は、僕の心臓を止める事ですか?」

 

口に出すのも恐ろしいけれど。

狂気の波長を止めるために、僕を殺さない理由はない。

 

「いいや。君の心臓は無いも同然。その位置を抉ったとしても、狂気の波長は止まらぬじゃろう。血液を完全に除去したとしても止まるとは思えん。なぜならば実体がない。狂気の波長を止めるとすれば、同じ波長で相殺することじゃ」

「それは前に言っていた、同じ波長を打つけるという事ですか」

 

「注意するべきは指向性じゃな。同一の波長を、同一の方向へ向ければ、狂気の波長は増幅されるじゃろう。その場合は異なる人物を主とする波長じゃから、レゾナンスというべきか」

「レゾナンス?」

 

「共振、あるいは共鳴という意味じゃよ」

「それは、もしかして、僕と彼女でも起こるのでしょうか?」

 

「起こっていないのが、不思議なくらいじゃ」

「やっぱり、そうなんですか」

 

もしも狂気の波長が増幅されれば、もっと危険な物となるに違いない。

僕が狂気の波長に汚染される事は避けなければならない。

そのために必要なのは、自殺衝動に耐え切れる神経回路の発達だ。

 

いいや、そうじゃなかった。

耐え切るのではなく、受け入れて進むことだ。

目を逸らして、頭を抱えて、過ぎ去るのを待ってはいけない。

 

そうして言うのは簡単だった。

少しの間ならば自殺衝動に耐える事はできるだろう。

でも、思わず目を逸らしてしまうほどの苦痛が、ずっと生きている限り続くのだ。

 

死にたくなるほど、ずっと。

その時、人は世界を地獄と錯覚するだろう。

見えている世界が、人と違ってしまう。

それが狂気の波長だ。

 

「狂気の波長は、脳波の一種じゃ。その波長が発せられているという事は、逆説的に言えば、そこに脳があるという事になる」

「もしかして彼女の? でも彼女は亡くなっています。遺体も」

 

どうなったのだろうか?

でも普通ならば、もう火葬されているはずだ。

 

「どう見ても、そこに脳はないじゃろう。しかし、そこに脳があると仮定できる」

「彼女の魂、なのでしょうか」

 

僕の中で、彼女は鼓動を鳴らしている。

でも、その鼓動は世界へ流れ出して、狂気を呼び覚ます。

 

1つになりたい。

愛し合いたい。

同じ物になりたい。

私と同じものになってほしい。

 

忘れるはずもない心に焼き付いた、彼女の願いを思い出す。

でも、そうすれば僕と彼女は共鳴し、狂気の波長は増すだろう。

そうする事はできない。

 

そうする事はできない。けれど、

そうして諦める事は、目を逸らしている事と同じではないか。

無理と投げ出して、本当は楽になりたいだけで、考えないようにしている。

だから彼女の願いを叶える別の方法はないか、僕は探したい。

 

「同じ物になってほしい、と彼女は言っていました。周囲に害を与えず、その願いを叶える方法はないのでしょうか?」

「あれもこれもと手を出すのは良くない。とは言え、それも結果として狂気の波長を治療する方法と考えられる」

 

ドクターは少し考えると、脳のイラストを取り出した。

 

「狂気の波長から身を守る現実的な方法は、ステージ4の神経発達じゃ。現実的ではない方法として異なる狂気の波長を用い、大地震を超える出力によって相殺する。ここにヒントがある」

 

波長は波長によって相殺できる?

彼女と同じ個性を探し、それを用いて相殺する。

でも、狂気の波長を打つけても、周囲へ与える被害は変わらない。

そもそも彼女の個性は、通常では見られない希少な個性だろう。

彼女の個性を複製する方法はあるのだろうか?

そう思っていたけれど、ドクターの答えは僕と違った。

 

「脳の波長は当然、狂気の波長となるデルタ波だけではないのじゃ。安静時に確認されるアルファ波を、狂気の波長と同じように出力すれば、何らかの変化が現れるかも知れん」

「そうすればデルタ波を上書きできる!?」

 

「デルタ波は1から3ヘルツ、アルファ波は8から13ヘルツじゃ。異なる周波数じゃから干渉はせん。つまりデルタ波とアルファ波は相殺する事なく混入し、その影響を脳は同時に受ける事となる」

「それは、どうなるんですか?」

 

「そもそも脳波は発せられる物であり、与えられる物ではない。自身の意思と関係なく、異常な反応を引き起こされる。さらにデルタ波はアルファ波の変化した物で、同時に存在するはずもない。その結果、非常にリラックスした状態と、自殺衝動に襲われる状態を、短時間で急激に繰り返すじゃろう。血管は異常な収縮と拡大を引き起こし、正常な鼓動を維持できなくなった心臓は停止する」

 

もっと酷いのではないか。

そもそも出力の問題を解決できない。

これは別の問題に対する参考程度に考えた方が良いだろう。

 

「さて、現在の問題となっておるには狂気の波長じゃ。これまでの話は覚えておるか?」

「心臓の位置に、彼女の脳波があると聞きました」

 

するとドクターは、空中に映像を投影する装置を取り出す。

普通の家庭にはない、高度な教育機関で使われる物だ。

もちろん普通の病院にも必ずあるとも言えない。

維持費を考えれば、そこまで高度な装置は持てないからだ。

 

スイッチを入れると、色の着いた水玉模様が並んだ、

ドクターは、それを2つ並べる。

 

「これは君の遺伝子発現を解析した結果じゃ。左は以前の結果で、右は最近の結果。これは個性遺伝子を調べる際に使われる。今では無個性のデータが希少になって、比較のために最新情報は重宝されておる。なにしろ遺伝子的に純粋な人類は少なくなっておるからの。もちろんRAWデータを処理した君のマイクロアレイデータも、データバンクにアップロードしていた」

「マイクロアレイ?」

 

「要するに、これを見れば、どのような個性が発現しているのか分かるのじゃ。いわゆる異形型の個性から、人ではない遺伝子が同定される事もある」

 

さらにドクターは、また違う水玉模様を映し出した。

 

「こちらは最近の君の血液の結果じゃ。前の2つとは、まるで違うじゃろう?」

 

単純に色が違うのだろうか。

それにしても長すぎて、どこを見れば良いのか分からない。

 

「これから分かる事は、君に個性遺伝子は発現していないこと。しかし、君の血液は個性遺伝子が発現していることじゃ」

「僕は無個性のままで、彼女の血液と個性が、僕の中にある」

 

彼女の個性によって、僕の血液が変化したのではない。

彼女の血液は、そのまま僕の中を流れている。

これが彼女にとって、僕と1つになるという事だったのか。

 

「血液型は一定せず、常に変化しておる」

「それは危険なんですか?」

 

「幼少期は血液型が変化する事もある。個性によって、血液型が変化する事もある。とは言え、普通の人間ならば限度を超えて不安定と言える。しかし、これで安定していれば正常な状態とも言える」

「正常な状態なんですか?」

 

「肉体に異常は見られん」

「ええ? それで良いんですか?」

 

「たとえ炎上している個性であっても、肉体に異常がなければ問題ないのじゃよ」

「個性の影響で、人とよって正常な状態が違うんですね」

 

人という枠から外れてしまう。

個性によって基準を修正しなければならない。

無個性の僕は、人としての指標でもあったのだ。

 

「ともかく君と個性は別物で、だから君は個性を制御できない」

「どうすれば良いのでしょう?」

 

しかし、自分で考えるようにドクターは促す。

 

「その方法は、もう話しておるよ」

 

不可視の脳、それに干渉する方法だ。

たとえ僕の胸を抉っても、虚空の心臓は鼓動を止めない。

でも、脳に干渉する方法ならば、すでにある。

 

「僕の脳波ですか? でも、出力の問題は解決していません」

「彼女の波長と合わせれば、その出力を君の物とできる。もっとも彼女と近く、同一と言える君だから取れる方法じゃ」

 

しかし彼女と同一になるという事は、

 

「そのためには狂気の波長と同調する必要があるのでしょう?」

「それを受け入れる方法も、すでに君は知っておる」

 

狂気から逃げるのではなく、

狂気と戦うのでもなく、

狂気から身を守るのでもなく、

 

彼女の魂を受け入れる。

 

しかし、その出力は地球全土を射程に収める。

高速で回転する星へ、速度を合わせて着地するような物だ。

速くても遅くても、速度の差はエネルギーとなって体を引き千切る。

 

「僕に、できるのでしょうか」

「君は、やりたくないのかな?」

 

彼女が待っている。

手を伸ばす必要もないくらい、すぐ側だ。

 

僕は胸に手を当てる。

虚空の心臓を握り締めて、彼女に誓う。

 

「やらせてください」

 

これはヒーローになりたいからじゃない。

この時は、ただ彼女に会いたいと願った。



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死から逃れる者はいない

狂気の波長は、当然ながら波長の一種だ。

電圧の測定によって、その波長は数値化できる。

僕も自身の脳波を測定することで、その結果は脳波計へ出力された。

 

脳波は安定しない。

脳波計で線として見れば、先の読めない動きだ。

この波形にリアルタイムでタイミングを合わせるのは無謀に過ぎる。

そもそも僕は、まず自身の脳波を操作しなければ成らなかった。

 

通常、デルタ波は覚醒時に検出されない。

でも僕の年齢ならば、まだ覚醒時に検出される事もある。

今の内に感覚を掴まなければ、やがて睡眠中にしか現れなくなる。

そうなれば薬物によって、脳波を操作しなければ成らない。

 

デルタ波は、いつでも現れる訳ではない。

まずデルタ波を、いつでも出せるようにする。

正確な脳波を知るため穴を開け、電極を埋め込む試みもあった。

でも体に浸透した彼女の個性は異物を認めず、穴を開ける事も叶わなかった。

 

2年目。

小学校の通信教育を受けるために勉強も行う。

雄英高校へ入学するのならば、普通の学校では難しい。

僕の場合、狂気の波長を考えれば通信教育しか選択できない。

雄英高校へ入学する前提の通信教育なんて、人数は限られる。

デルタ波を訓練する時間を削っても、小学校の受験勉強は行う必要があった。

 

しかしヒーローになる選択を捨てれば、デルタ波の訓練に集中できる。

僕がデルタ波の訓練を受けているのは、狂気の波長を抑えるためだ。

彼女に会うという理由もあるけれど、それは僕の個人的な理由に過ぎない。

でもヒーローになる事と、狂気の波長を抑える事は、別件だ。

 

ヒーローを諦めて、デルタ波の制御に専念するべきだ。

ヒーローを目指せば勉強する時間も、肉体を鍛える時間も必要になってしまう。

そう思ってドクターに相談した。

 

「ならば研究者を目指すといいじゃろう。ワシの力を借りられなくなっても、君の力で目的を達成するために資格と財力は必要じゃ。あるいはヒーローとなって、ワシに恩を返してくれると嬉しいぞ、ホホ!」

 

ドクターは僕を治療してくれている。

そのために大きな負担を負っている。

狂気の波長を制御して終わりではない。

 

ヒーローは目的ではなく手段だ。

目的は波長の制御、そのための手段が勉強だ。

ヒーローになる事も手段の1つに過ぎない。

 

3年目。

小学校へ合格し、通信教育が始まった。

勉強に時間を取られ、デルタ波を訓練する時間を削られる。

 

4年目。

デルタ波を意識して出せるようになったものの、気絶する事が多くなった。

何の前触れもなく意識が絶たれ、いつの間にか気絶している状態だ。

これはデルタ波を出せるようになったものの、制御できていないからだ。

食事している途中で皿に顔を突っ込み、物を落として片付け、階段から落ちる。

彼女の個性に体を守られていなかったら、死んでも不思議ではなかった。

こうした意識障害によって、全体の作業速度が低下している。

 

5年目。

デルタ波による意識障害の回数は減りつつある。

デルタ波の制御は安定し、テスト波形と同調する訓練を始めた。

しかしデルタ波の周波数を下げると、意識障害によって先へ進めない。

何度も繰り返し、少しずつ慣れて行くしかないのか。

意識障害の度に訓練が止まるので時間が足りない。

 

6年目、

アルファ波の訓練も始まった。

デルタ波という前例のおかげで、修得は早い。

それにデルタ波と比べれば、アルファ波は安全だ。

デルタ波とアルファ波は、まだ別々に訓練している。

 

7年目。

テスト波形におけるデルタ波の同調は上手くできている。

デルタ波の同調と共に、アルファ波における同調の完成度を高めよう。

 

8年目。

デルタ波からアルファ波へ変化させる訓練が始まった。

中学校の受験にも備えなければならない。

 

9年目。

中学校も通信教育だ。

雄英高校を受験するのならば、肉体を鍛える時間も増やす必要がある。

筆記試験に加えて実技試験もあるからだ。

テスト波形を用いた変化の訓練も始まった。

デルタ波を引っ張るようにアルファ波へ変化させる。

 

10年目。

テスト波形を用いて熟練する。

本番で失敗は死を意味する。

来年は高校受験だ。

でも、オールマイトの母校である雄英高校、そのヒーロー科に通信教育の制度はない。

僕は登校するために、狂気の波長を抑えなければ成らない。

来年に本番を行っても安定させる時間は必要で、他に問題が起こる可能性もある。

雄英高校を受験するのならば、余裕のある今年中に本番を行う必要があった。

 

 

実験の参加者は、僕とドクターだ。

外部から完全に隔離された部屋で行う。

僕も来たのは始めてだけど、病院の地下は専門の施設があるらしい。

電極を脳のある頭と、彼女の脳である心臓の位置へ設置する。

人口呼吸器を装着し、目を閉じた。

 

《10ヘルツ》

 

僕は開始時の脳波から、意識して周波数を下げる。

脳波は電気活動を現し、完全に起きている時はベータ波だ。

しかし、僕の脳波10ヘルツはアルファ波となる。

日常生活の間も脳波を制御するために、アルファ波の波長を意識していた。

言うまでもなく意識障害の恐れがあるデルタ波に比べれば、アルファ波は安全だ。

現在の波形に揺れは少なく、非常に安定していると言えた。

 

《5ヘルツ》

 

デルタ波は1から3ヘルツと言われている。

とは言え絶対ではなく、1ヘルツ程度の誤差はある。

そもそも電極を介している時点で、誤差はあるものだ。

 

《4ヘルツ》

 

とても眠くなり、何もする気が起きなくなる。

しかし、そうすれば意識を失うので、僕の行うべき事を考える。

肉体から意識が剥離するような感覚に陥った。

肉体を自分の物でないように感じ、今は何をしているのか分からなくなる。

僕という部品を感じ取る機能は停まり、意識も解体される。

最後まで残るのは、余分な機能を削り落とされた、最小単位の僕だ。

 

《3ヘルツ》

 

彼女の波長も脳波計に出力されている。

しかし僕は、それを目視できない。

単純に見えていなかった。

外から刺激を受ければ、すぐに僕の波長は変わる。

だから僕は今、ほぼ外界と断絶している状態だ

 

《2ヘルツ》

 

僕の波長を変化させ、彼女の波長と重ねる。

問題は、どうやっても波長を感じ取れないことだ。

僕に波長を感じ取る個性はない。

当然ながら20ヘルツ以下は可聴域の外にあり、音として聞き取れない。

 

見えず、聞こえず、何も感じない。

頼りになるのは、これまで受けたテスト波形による訓練だ。

 

《1ヘルツ》

 

まずは様々なパターンを試し、彼女の波長へ接触を計る。

彼女の波形へ近づくほど、狂気の波長は大きく感じた。

彼女へ近づくという事は、狂気の波長へ近づくという事だ。

 

直接に向かうのではなく、わざと遠回りをする。

これは近づくほど、狂気の波長へ引っ張られるからだ。

遠回りをしていれば引っ張られても、狂気の波長へ突っ込む恐れはない。

円を描くようにグルグルと回りながら、彼女の波長へ接近する

じつは僕からも狂気の波長を引っ張っているけれど、相手が大きすぎる。

例えるならば、星の引力に捕まったようなものだ。

 

少しずつ速度を落とす。

狂気の波長は、僕の意識を絡め取っていく。

速すぎれば意識は耐えきれず、遅すぎれば捕まってしまう。

そうなれば狂気の波長ヘ突っ込み、僕は脳死する。

最終的に波長の相対速度を、ゼロにするのだ。

しかし、

 

《0.5ヘルツ》

 

周波数が、さらに下がった。

狂気の波長に絡め取られ、もう離脱は叶わない。

すでに彼女と僕は共鳴を起こし始めている。

彼女の波長が、僕を誘っていた。

 

1つになりたい。

愛し合いたい。

同じ物になりたい。

私と同じものになってほしい。

 

《0ヘルツ》

 

 

ーーーーーーーーーー

ーーーーーーーー

ーーーーーー

ーーーー

ーー

 

 

お母さんが僕の首を絞めている。

見たこともないくらい怒って、歯を剥き出していた。

僕は口をパクパクと開けて、涙を流していた。

 

「おまえなんて、うまなければよかった」

 

こんな記憶はない。

お母さんに首を絞められた事なんてない。

お母さんは、そんな人ではなかった。

こんな事は起こらなかった。

 

重要なのは、目を逸らさない事だ。

その光景を否定して、見えない物にしてはならない。

その光景を受け入れて、その光景の意味を考える。

そうして分かった。

 

「ああ、そっか」

 

これは僕の自殺衝動だ。

お母さんが死ぬのではなく、僕が死ねばよかった。

僕の首を絞めているのはお母さんではなく、僕なのだ。

 

床に倒れた僕を、お母さんは蹴る。

蹴られた所は青くなり、僕の体は変色していく。

まるで他人事のように、それを見ていた。

 

「どうして僕を蹴るのだろう」

「おまえが悪いことをしたからよ」

 

「そうすれば僕は悪いことを止めるのかな」

「こうして痛めつければ、もう悪いことをしなくなる」

 

「どんな悪いことを僕はしたのだろう」

「生きていること」

 

「生きることは悪なのかな」

「生きているだけで迷惑なの」

 

「じゃあ、どうすれば僕は生きる事を許されるのだろう」

「死ね」

 

斬死

 

圧死

 

絞死

 

毒死

 

水死

 

死、死、死、死、死。

辺りを見回せば、僕の死体が積んである。

どれほど殺されたのか分からないくらい山となっていた。

 

でも、不思議と安心感があった。

こうして死ねば、もう痛いことはなくなる。

苦しんで生きる事もなく、もう何も考えなくて済むのだ。

 

それが自殺衝動。

苦しみから逃れるための行い。

死んでしまった僕の目は虚ろで、なにも見ていなかった。

 

「死ねと言われても仕方ない。でも、まだ、やることがある」

 

受け入れて、前へ進む。

忘れるのでもなく、目を逸らすのでもなく、誤魔化すのでもない。

心の痛みは消えず、それを抱えたまま、生きるのだ。

 

行こう。

 

ーー

ーーーー

ーーーーーー

ーーーーーーーー

ーーーーーーーーーー

 

 

目を覚ますと、ドクターの顔が見えた。

ベッドで横になっている僕を、上から覗き込んでいる。

 

「おお、目が覚めたか、どうじゃ? 体に違和感はないか?」

 

とても楽しそうにドクターは言う。

僕は、

 

「だれ?」

 

と不思議そうに言った。

僕の意思と関係なく体は動き、ベッドから起き上がる。

おかしい。視点が低すぎる。まるで子供だ。

 

「君の名はラグちゃん、ワシの子じゃ!」

「えー?」

 

すごく嫌そうだ。

これは僕ではない。

誰かの体に入り込んでいる。

 

おそらく、ここは病院の地下だろう。

窓はなく、ガラスもなく、ドアは1つだ。

換気用の小さな穴が2つ、部屋の端から風が流れていた。

 

「まずは知能テスト、その後は体力テストじゃ」

「えー?」

 

嫌そうにしつつも、ドクターに大人しく従う。

不思議とドクターの声を聞いていると従いたくなる。

移動の途中で、お手洗いの鏡に映し、今の姿を知った。

 

「子供はかわいいなー」

 

そんな事を言いながら、自分の髪をいじる子供。

彼女の姿を見るのは10年ぶりだった。



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魂の共鳴

あいかわらず、体は自由にならない。

彼女の思うように動き、僕は見ているに過ぎない。

これは僕の脳が、彼女の波長に干渉されているのだろう。

僕の脳が乗っ取られて、彼女の脳として機能しているのだ。

彼女の記憶に僕が入ったのではなく、彼女が僕の脳に侵入している。

 

彼女は個性を自由に扱い、体内の血液から剣を作り出していた。

それは体積は明らかに、子供の血液量を超えている。

しかし、どこかへ血液を蓄積している様子もない。

彼女の個性は体積を変えないまま、血液を圧縮しているのか。

 

ドクターは死体を、原形すら残らないほど改造する。

僕の見たことのないドクターの姿だ。

悪意もなく殺意もなく、ただ楽しそうだった。

これは僕の妄想という訳でもないだろう。

 

ドクターは作品に愛着を持って愛称を付けている。

彼女も死体から作り出された、その1体らしい。

そんなドクターに対して、彼女は嫌う訳でも怒っている訳でもない。

 

「ボクも他人のことは言えない性癖だからなァ」

 

それは共感ではなく、後ろ向きな同情だった。

他人の性癖を悪く言えば、自分の性癖も悪く言われて仕方ない。

彼女にとって重要なのは、他人の命よりも同族のドクターだった。

 

そういう彼女の性癖は、壊れている人間だ。

死体を見ると抱きしめたくなって、胸から溢れ出る感情がある。

それは冷たい感情ではなく、温かくなるもので、それこそ彼女の愛だった。

 

病院の地下に彼女は軟禁されている。

軟禁と言っても彼女の意思に近く、強引に脱出する事は可能だ。

ドクターに言われたから地下に留まっている、その程度の理由だった。

 

そんな彼女は叶えたい夢を持っている。

愛を知らないまま死にたくない、という願望だ。

なぜか彼女は理由もなく、生き急いでいた。

与えられた命が短い訳でも、死体から作られた体が弱い訳でもない。

いつも死ぬ可能性を捨て切れず、その前に願いを叶えたい様子だった。

もしかすると死んだ時の記憶を覚えていて、それに急かされているのかも知れない。

 

「ドクター、ボクは恋をしたい。だから外に出して」

「ラグちゃんの頼みでも、それは無理じゃ。繁殖機能は付けておらん」

 

すると呆れたよう彼女は言う。

 

「ドクター、人と愛し合う方法は繁殖だけじゃないよ」

「女の子の死体なら用意できるんじゃが、それではダメか?」

 

「おねがい、ドクター。ボクは武器だから、使い手がいないとダメなんだ」

「ううむ、まだ次の製造まで時間が掛かるからのう」

 

「波長の合う相手じゃないとダメだよ。誰でも良い訳じゃない」

「知能が高すぎるのも問題じゃな。次は、ほどほどにしておいた方が良いかも知れん」

 

「ボクは恋を探しに行きたいんだ」

 

ドクターは折れて、彼女を外出させる。

その代わりとして、彼女に発信機を埋め込んだ。

ワープの個性によって、病院から離れた所へ送られる。

身元の分かる病院服は脱がされ、男の子の服を着ていた。

 

彼女は男女も構わず声をかけ、そして愛す。

彼女にとって愛すという事は、他人にとって殺すという事だ。

だからと言って殺したい訳ではなく、愛したいから殺すのだった。

でも、彼女の求める相手ではなかったらしい。

殺して、殺して、殺して、死体の中身を覗くように探し続ける。

 

そんな事をしていたものだからヴィランとして周知された。

何も知らないまま店に入った彼女は、警察官に取り押さえられる。

不利と悟って狂気の波長を解放し、人々を発狂させた。

ヒーローが駆け付けた時、すでに彼女は姿を消していた。

そうして逃走に成功した彼女は隠れ潜むようになる。

 

そんな彼女は気の向くままに移動する。

でも、僕の知っている風景へ近付いていると僕は分かった。

彼女に自覚はなくても、まるで最初から僕を目指しているようだった。

その途中で会った人を、勘違いで殺しているのかも知れない。

 

そうして彼女は誘われるように、子供の頃の僕を見つけてしまった。

その時に感じた衝撃こそ、恋なのだろう。

彼女は一目で、運命の相手と分かった。

 

でも、同性という問題がある。

だから彼女はワンピースに着替えた。

名も知らない少女の首を切断して、その服を奪った。

泣き叫ぶ保護者も同じように殺して、無感動のまま捨て置いた。

愛すために殺すのではなく、奪うために殺した。

 

そうして彼女は、僕の前に現れた。

彼女の起こした事件について僕は知らなかったのか。

きっとヒーローが絡まなかったから、見逃してしまったのだろう。

僕はオールマイトの動画ばかり見ていたから、彼女と一緒に、ずっと。

 

そして、あの日だ。

無個性と告げられて、ヒーローになりたいと願った。

彼女から見ると歪んでいた僕の笑顔も、彼女にとっては嬉しい物だった。

 

彼女の見ている世界は、僕の見ている世界と違った。

他人にとって疎ましい死体を、彼女は美しいと感じる。

他人にとって歪んだ笑顔を、彼女は好ましいと感じる。

彼女の壊れた神経回路は、視覚から入った情報を変質させている。

 

でも彼女は正常な部分によって、他人と見える世界が異なる事を知っていた。

彼女の半分は人間で、彼女の半分は人間ではない。

だから彼女は願うのだ。

 

1つになりたい。 (1つになれない)

愛し合いたい。 (愛し合えない)

同じ物になりたい。 (同じ物になれない)

私と同じものになってほしい。 (君と同じものになりたい)

 

「ーー好きです。 ("ボク"を好きになってほしい)」

 

そう言い逃げして、彼女は去ってしまった。

僕の答えを聞きたくなかったのだ。

 

愛してほしいけれど、愛されることを信じていなかった。

愛されるまでは死にたくないけれど、愛されるのならば死んでもいい。

全力で見当違いの方向へ投げつけた、投げやりな愛だった。

ここに残っているのは、彼女の亡骸に過ぎない。

 

彼女は人殺しだった。

彼女はヴィランだった。

彼女は彼女ではなかった。

 

 

君が何であっても、

それでも僕は、君を受け入れる。

君に悪い所があっても、良い所もあると知っている。

だから10年も待たせてしまった答えを返そう。

 

「君を愛している」

 

彼の波長は、僕の波長と重なった。

完全に一致した波長は、その出力を跳ね上げる。

彼の力を借りて、彼の波長を引き上げ、僕は上を目指した。

 

僕の脳内は、真っ暗だった。

上下左右も分からないけれど、とにかく上だ。

そうして脳波を上げれば、意識は起き上がって何とかなる。

 

しかし進んでいるのか、止まっているのかも分からない。

頼りになるのは、この10年で磨いた脳波を操作する感覚だ。

進んでいることを信じて、上がっていることを信じて、全力で突破を試みる。

 

「君を救いたい! それが僕のヒーローとしての在り方だ! 誰かの借り物じゃなくて、それが僕自身から湧き上がった願いだ!」

 

それは胸から溢れ出るように、自然と零れ落ちた。

 

「ーー僕は、君を愛している!」

 

僕と君は互いに愛し合って、もう永遠に交わることはない。

 

「届け! 届け! 届け! 届けぇ!!」

 

君を失ったことを受け入れ、それでも君を愛し続けよう。

君を失った痛みを、永遠に感じ続けよう。

僕は死んでも、君を忘れない。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

泣き叫ぶように心の声を上げる。

焼けるように恋をして、溶けるように愛をした。

すでに終わってしまった恋に焦がれ、過ぎ去ってしまった愛に溺れている。

 

脳内の暗闇に、光が差し込んだ。

まるで星空のように、あちこちへ光が灯る。

電気活動の活発化は、周波数の上昇を示していた。

 

ドクターの示した。

そうだ、これが、

 

「ーー魂の共鳴!!」

 

もっと早く、早くと星空へ駆ける。

駆け抜けた後の光は、流星のように過ぎて行った。

やがて世界は光に満ちて、すべての闇を打ち払っていく。

 

 

 

目を覚ますと、病院の一室だった。

閉ざされたカーテンの向こうから、淡い光が差し込んでいる。

全身に取り付けられた電極は、どこかへ情報を送信していた。

 

長い夢を見ていたようだ。

それを現実とするために、僕は手を動かそうと試みる。

しかし脳死している間に障害を負ってしまったのか、まったく動かない。

 

だから彼に頼んで、腕を持ち上げてもらった。

そうして彼の使っていた剣を出してもらう。

僕の手から涌き出た黒血は、その剣を形作った。

 

彼が遺した個性で、彼の遺した愛情だ。

これこそ彼の、終末を告げる剣だ。

 

彼の銘はーー魔剣ラグナロク



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君にとっての善人は、私にとっての悪人

ドクターの非道な研究を、僕は知っている

とは言え、それは彼の記録であり、まだ証拠はない。

ドクターの仕事が終わるまで、僕は怪しまれないように検査を受けた。

 

「おお、目が覚めたか、どうじゃ? 体に違和感はないか?」

 

ドクターの笑顔が、今は恐ろしい。

死体を加工していた事を、僕は知っている。

でも、それは僕の思い込みに過ぎないのかも知れない。

恐怖という感情を外して見れば、いつものドクターと笑顔は変わらないのだ。

 

「1年前、君の脳波は沈黙した。瞳孔観察・顔面刺激・気管刺激・眼球刺激・呼吸テスト・血圧と体温の測定を行い、6時間後に再検査した結果、脳死と判定した。しかし、君の個性は正常に肉体を維持していた事から例外として、生命維持が行われておった」

 

そもそも僕の血圧は一定で、短時間の測定に差は出ない。

僕の心臓は停止し、彼によって補われているからだ。

血液は送り出されるのではなく、自発的に移動している。

 

「血液として機能していた君の個性は、脳が沈黙している間に神経を侵食した。それは当然、脳も例外ではない。個性は神経の機能を代行し、一見すると正常に情報を伝達しておる。しかし全身の電圧を測定した結果、電圧の変化は脳しか起こっておらん。つまり脳から発せられた信号は、末端に届かないままーー見ての通り、それでも正常に肉体を動かしておる」

 

彼に頼んで、僕は体を動かしてもらっている。

と言っても彼の意識は、彼の肉体と共に失われた。

正確に言うと脳波の共鳴によって、彼の脳波に干渉し、個性を使っている。

だから僕の体を動かしているのは僕ではなく、彼の個性なのだ。

 

「そもそも君の脳は活動を停止しているのじゃろう。君の頭部から検出されている脳波は、実際に脳から検出されているのではない。狂気の波長と同じなのじゃよ。彼女の波長と共鳴した君の波長は、その際に同じ物になってしまったのじゃ。その仮説を裏付ける証拠として君の波長の出力は、心臓の位置から放たれる彼女と同じ出力になっておる。同調した今は、君と彼女の波長を見分ける事はできん」

 

さっき言われた通り、僕は1年も眠っていたらしい。

雄英高校の受験まで、あと半年もない。

おまけに僕の勉強は1年も遅れている

そういう訳で、さっそく勉強を始めた。

 

ひたすら僕は3月ほど、大人しく勉強した。

そして秘密の通路へ忍び込み、その先の地下施設を視認する。

ドクターの忙しい昼間に決行したけれど、代わりに黒い怪人が待ち構えていた。

彼の記憶で見た、あれもドクターの造った死体だ。

たしか正式名称は、改人脳無。

 

「同胞カ。ダガ、誰モ通スナ ト言ワレテイル」

 

問答無用で殴りかかってくる。

あまりにも速く、反応はできなかった。

壁に押さえつけられ、体を潰されそうだ。

しかし僕の体は、彼の黒血で補強されている。

僕が思っている以上に、黒血の強度は高かったらしい。

 

そうしている間にドクターが、やってくる。

 

「ようやく彼女は彼だった、という事に気付いたのかな。うっかり呼び方を間違える心配はなくなった訳じゃ」

 

僕は彼と共鳴した。

その際、彼の波長によって、脳を乗っ取られている。

逆に今の状態は彼の波長を、僕が乗っ取っている。

そうして何らかの方法で情報が漏れる可能性をドクターは考えていたはずだ。

 

「今も研究は続けているのですね」

「もちろんじゃよ。あれはワシの人生の全てじゃ」

 

「警察に捕まれば研究はできなくなります。だから法に触れない方法にしましょう。今からでも間に合います」

「それは無理じゃな。ワシは悪意をもって研究しているのではない。人を傷付けるためでも、人を憎んでいる訳でもない。研究するために研究しておるのじゃ。その研究に人を使うのは必要だからじゃよ」

 

「他の生物ではダメなんですか?」

「たしかに人ではない生物に個性が発現した事もある。しかし、やはり個性が発現するのは人類じゃ。そうでなければヒーローの仕事は、個性の発現した害獣の駆除になっていたじゃろう」

 

ドクターは僕にとって善い人だ。

でも、ドクターにとって研究は他人に譲れない物なのだろう。

 

「ドクターに捕まって欲しくありません。だから罪を犯さないで欲しい」

「君が黙っていれば、これまで通りに過ごせるな」

 

「分かりました。でも、僕をドクターの側に置いてくれませんか」

「おお、そうか。では色々と手伝ってもらおうか」

 

まずはドクターの研究について知るべきだろう。

そうして変えられる部分を探して行きたい。

人を傷付けなくても、ドクターが生きて行けるようにしたかった。

 

「雄英高校の受験は止めた方が良いですか?」

「いいや、ワシは止めんよ」

 

「良いんですか?」

「ワシが捕まったら無駄になるじゃろう。それでも行くと言うのなら止めはせん」

 

なんだろう。

まるで捕まる事が前提のようだ。

ドクターは捕まりたくないはずだろう。

 

「ありがとうございます。ちゃんとヒーローになって恩は返します」

「あちらも仕上がっておるじゃろう」

 

「あちら?」

「ワシの協力者の事じゃよ」

 

死体の出所か。

地下施設は霊安室に通じている。

しかしドクターの求める個性を持つ、死体が見つかる可能性は低い。

だから死体や個性を集めている協力者がいるはずだった。

 

「おや、その子は?」

「ラグちゃんの職人じゃよ」

 

ドクターの研究施設を訪れた、その人は黒い霧のようだった。

しかし、ドクターの改人脳無も似たような個性を持っている。

もしかすると個性を増やして、他人に移植できるのか。

当然、僕の中にいる彼の個性も量産されている可能性がある。

 

ーーううむ、まだ次の製造まで時間が掛かるからのう

ーー知能が高すぎるのも問題じゃな。次は、ほどほどにしておいた方が良いかも知れん

 

彼の記憶にあったドクターの言葉だ。

どこかで彼のような武器が、量産されているのかも知れない。

この研究施設ではない所に、別の製造施設があるのだろう。

 

ドクターは研究に執着している。

昼は病院を経営し、夜は地下で人体実験だ。

ドクターの側に付いてから、いつ寝ているかと心配になる。

 

「ドクター、寝てください! 死んだら研究できませんよ!」

「寝るくらいなら研究するわ! 対策は施しておるから健康に問題はない!」

 

夜は寝ていると思ったら地下にいるのだ。

まさか、こんな生活を繰り返していたのか。

こうして側に居て、初めて気づく事もあった。

 

製造した物に愛称を付け、自分の子供のように言う。

ドクターが好奇心や探究心のために研究しているのならば、それは余分な要素だ。

その愛情は人ではなく、製造物に向けられている。

 

「どうしてドクターは、作品を子供のように思っているのですか?」

「もちろん大切に思っておるからじゃよ」

 

それは素晴らしい物を造り出し、それを所有しているという欲なのか。

例えば子供に対して向けられ、親は子と同一化することで満足を得る。

しかし、その子の価値が下がれば、同時に親の価値も下がったと感じてしまう。

その時、親は自身の価値を保全するために、子を切り捨てるのだ。

そうして子を叱ったり、あるいは無関心を装う。

それなのに成功すると人が変わったように喜ぶから、子は混乱する。

どちらにしても自身の痛みから目を逸らし、他人に押し付けているに過ぎない。

 

「ドクターは人が嫌いですか?」

「必要があるから人を使っているだけじゃ。他に有用な材料があれば、そっちを使うに決まっておる」

 

あるいは人に向けるべき愛情を、物に向けているのかも知れない。

人に対する無関心は、そもそも見たくないという感情から生まれる。

その人の嫌いなものこそ、その人が求めているもの、という事もある。

例えば極端に犯罪を嫌う人こそ、本当は犯罪を犯したいと思っている事がある。

これも自身の痛みから目を逸らし、他の物に押し付けていると言えた。

 

とは言え、1つの予想に固執するのは良くない。

複数の予想を同時に考えるべきだ。

そうしてドクターの事を調べ回っていると、職員から話を聞けた。

 

「ドクターって無個性なんですか?」

「院長の事だから下手に言えないけどね。もちろん無個性だからと言って、院長が劣っている訳ではないよ」

 

これなのかも知れない。

その夜、僕は予想をドクターに話してみた。

 

「どうしてドクターが研究に執着しているのか分かったのかも知れません」

「どうしても何も、飽くなき好奇心と探究心じゃよ」

 

「それはドクターが心の痛みから目を逸らした結果、そう思い込んでいる可能性があります」

「そうかそうか、それで?」

 

ドクターは左から右へ、話を聞き流し始めた。

 

「ドクターも痛みを受け入れましょう。そうすれば、もう研究に執着する必要はなくなります」

 

そうすれば、わざわざ非道な研究をする必要はなくなる。

その執着は、痛みから目を逸らした結果に過ぎないからだ。

痛みを自覚すれば、甘い夢から覚める。

 

「まず、同一化。ドクターは創造物と自分を重ねる事で、それを自分の事のように感じています。創造物の価値は、そのままドクターの価値です」

 

「次に、人間嫌い。ドクターは人を嫌っているものの、その感情を自覚できない無自覚の状態にあります。死体を加工して罪悪感を抱かないのは無関心なのではなく、そもそも人を嫌っているからです」

 

「最後に、無個性。ドクターが無個性と聞いて、思い出したのは僕の診察です。あの時、ドクターは突き放すような言い方をしました。単に調子が悪かったという可能性もあるけれど、同じ無個性ならば思う所もあったでしょう。"諦めた方がいいね"、それは自身に向けた言葉だったように思います」

 

「この事から、ドクターは好奇心や探究心から研究をしているのではないのでしょう。人から与えられた無個性という痛みから目を逸らし、その痛みを創造物に押し付ける事で、個性の研究に執着しています。そうして優れた研究成果と自分を同一に視て、無個性だった自分に満足を得ているのではありませんか?」

 

自分の痛みについて考える切っ掛けになってほしい。

人は痛みと向き合わなければ成らない。

そうしなければ歪みとなって現れてしまう。

 

「まさか無個性を捨てた君に、そう言われるとは思わなかったよ」

「そうですね。無個性を捨てた僕は、無個性に対して説得力に欠けます」

 

そう言う自分は何なのか、という問題になる。

僕が最初に犯した、消えない罪だ。

 

「それにワシは無個性ではないよ」

 

そう言ってドクターは、肌を薄く傷付ける。

すると、その傷は見る間に治ってしまった。

 

「あの子らに与えた超回復の元となったのは、ワシの個性じゃ」

 

それは、どうだろう。

超回復を自身に移植した可能性もある。

しかし、僕の目的はドクターを追い詰める事ではない。

ただ、自身の痛みについて考えてほしいのだ。

 

「もう雄英高校の受験まで時間もないじゃろう。ワシに時間を割く余裕はあるのか?」

「僕にとってはドクターの方が大事です」

 

「誰が受験料を払うと思っておる。ワシのためを思うのならば無駄に時間を使うでない」

 

そういう訳で僕は、ドクターの側に居られなくなった。

しかし雄英高校の受験を終えると、またドクターの側へ付くようになる。

 

狂気の波長は治ったけれど、僕は入院した扱いのままだ。

これを機会にドクターから退院を勧められ、共同住宅の部屋を借りた。

 

初めての入学式が終わったら、さっそく個性把握テストだ。

対人戦闘訓練の相手は、爆豪さんと飯田さんだった。

そうして初めて行う学生としての生活が始まって数日後、僕は夢を見る。

 

それは授業中にヴィランの襲撃を受ける夢だ。

単なる夢ではなく、彼から伝わっている。

まるで彼に忠告されているようだった。

彼の事なので、きっと何か意味はあると思う。

なので僕は夢の内容を、先生へ伝える事にした。

 

「その彼とやらを信じる合理的な理由はないな」

「そうでしょうね」

 

「緑谷。予知の個性は、どうやって、その存在を確かめると思う?」

「予知の結果を積み重ねる事で、その証拠とするのでしょう」

 

「そういう事だ。その予知を信じるに足る証拠が不足している」

「人に対する信用と同じですね」

 

僕に対する信用もないという事だ。

入学から間もなく、それは当然の事だろう。

これから証拠を積み重ねるとしても、もう残された時間はなかった。

 

でも僕は、彼を信じている。

彼の予知で、襲撃するヴィランの中に知っている姿があった。

それはドクター製造物であり、ドクターは事情を知っているはずだ。

 

「ああ、ワシの子を貸し出しておるよ」

「その事をヒーローに証言してもらえませんか?」

 

「お断りじゃ」

 

ドクターを警察へ突き出そうか。

でも、研究ではない生き方をドクターに見つけてほしい。

ドクターにも良い所はあると僕は知っている。

昼の間に限れば、尊敬される医院長なのだ。

 

「それに貸し出してしまった子は、仕事が終わるまで戻らぬよ」

「その子は、どの子だったんですか?」

 

「最近まで、ここの警備を担当していた子じゃよ」

 

あの速くて、強くてーー

 

「同胞カ。ダガ、誰モ通スナ ト言ワレテイル」

 

ーー喋る改人脳無だ。



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鬼が来たりて笛を吹く

雄英高校の広大な敷地にある、嘘の災害や事故ルーム。

そこまでバスで移動した僕らは、ヴィランの襲撃を受ける。

見覚えのある黒い霧から現れたのは、たったの3人だ。

 

全身に手を貼り付けた変な人、この人は知らない。

黒い霧の人、ドクターへ会いに来た人だ。

改人脳無、ドクターの製造物だ。

 

「ーー起きろ、ギャラルホルン」

 

僕に狂気の波長を感じ取る機能はない。

でも彼を通して、それを僕は感じ取った。

止める間もなく狂気の波長は、空間に波動となって広がる。

そうして、みんなの脳に叩き込まれた。

 

「あああああああああああ!?」「いってーんだよ、クソ!!」「死ね! 死ね! 死ね!」「痛い! 止めて!」「死んでくれよぉ!」「助けてー!」「ぎゃああああああああ!!」「苦しい」「やめろー!」「気持ち悪い」「僕は違う!」「うわああああああ!」「うぜえええ!!」「死にたい」「消えろ! 消えろ!」「オレは悪くねえ!」「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」「おまえのせいだ!」「ひいいいいい!!」「死にたくない!」「やだあ!!」

 

互いに傷つけ合い、あるいは自傷を試みる。

一瞬にしてクラスは崩壊し、どうしようもなくなった。

あっちこっちで個性が暴発し、とても危険な状態だ。

 

「先生! 動けますか!」

 

相澤先生の個性は、視覚を通して個性を打ち消す。

それはヴィランではなく生徒に向かって使われ、最悪の事態を防いでいた。

優先して消すべき個性もあり、すべては救えない。

最も警戒すべき、炎と氷の広範囲攻撃は行われていないようだった。

 

相澤先生も動けないのか、地面に座り込んでいる。

先生も痛みを受け入れる事はできなかったのか。

過去に僕が抱えていた狂気の波長よりも、影響は強いのかも知れない。

 

「これは何だ、緑谷」

 

僕は襲いかかる生徒を、遠くへ投げ飛ばす。

今のは、たしか峰田さんか。

 

「狂気の波長という、自殺衝動の現れです!」

 

止める方法はドクターに示されている。

自殺衝動を受け止め、それでも生きること。

あるいは、あの頃は現実的ではなかったけれど同じ波長で相殺する。

彼と共鳴している今ならば、それは可能なはずだ。

 

「僕の個性で相殺します!」

「待て、緑谷。その波長が電磁波の事ならば適任がいる」

 

たしかに、移動できる僕まで足を止めるのは厳しい。

 

「相澤先生! 生徒に戦闘を強いるつもりですか! 撲のブラックホールで防衛し、彼の個性で相殺するという方法もあるでしょう。相澤先生の案では、緑谷くんが僕達を防衛する事になります」

 

どうしようもなく抗戦する事と、積極的に戦わせる事は違う。

しかし、

 

「いいえ、13号先生。あのモヤモヤしたヴィランの個性はワープゲートです。13号先生のブラックホールは逆に利用される恐れが高い」

 

そう言ったのは相澤先生だった。

当然ながら霧のヴィランと、改人脳無の個性は伝えてある。

でも、全身に手を貼り付けた変なヴィランは知らなかった。

狂気の波長を放っているのは、あの手のヴィランだ。

 

「やれ、脳無」

「了解」

 

動けない先生へ、その巨体が迫る。

僕は黒血から黒剣を作り出し、尖った刃を向けた。

 

「おっと、よそ見をしていいのかい? 君の相手は私だろう!」

 

そこへオールマイトが横から殴りかかる。

すると鉄を殴ったような重い音と共に、改人脳無は吹っ飛ばされた。

 

オールマイトは、やはりすごい。

オールマイトは自殺衝動と向き合えているらしい。

そういえば彼の予知に、なぜかオールマイトは出ていなかった。

先生に相談した事で、未来は変わったのだろうか。

 

「オールマイト、助かりました!」

「こっちは任せたまえ!」

 

先生を守らなければ成らない。

手と霧のヴィランが、やってくる。

そして手のヴィランは、生徒を掴んで言った。

 

「下手に動けば、お友達がチリになるかもなぁ」

 

たしか生徒の名は、轟さんだ。

まるで爆破されたような有り様で、気絶している。

誰かに殴られたようで、頬は腫れ上がり、目の下の骨が折れているようだ。

自殺衝動に襲われた生徒は手加減も期待できず、殺す気で殴り倒されたのだろう。

 

人質のせいで、13号先生のブラックホールを展開できない。

ブラックホールを展開できないから、狂気の波長も吸い込めない。

狂気に追われた生徒の状態は、時間と共に悪化する。

5分も経てば、死人だって出るだろう。

 

「くやしいよなぁ。ヒーローは人質がいたら、なーんにもできないもんな?」

「先生!」

 

僕は飛び出し、黒剣を振る。

相澤先生によって個性を消されている間に、轟さんの片腕を斬り飛ばした。

切断面を黒血で固めたものの、片腕を斬り落としてしまった事に違いはない。

切断したのは心臓から遠い右腕で、切断と同時に止血できたのは幸いか。

斬り落とした右腕はヴィランの個性に侵食され、完全に崩壊してチリと化した。

ヴィランの個性は、崩壊と言った所か。

 

突き出されたヴィランの手を避ける。

避けたと思って、その手から生えたのは大きな鎌だ。

気絶したままの轟さんを掴み、先生の方へ投げ飛ばす。

するとヴィランの大鎌に横から薙ぎ払われ、僕の胴体は両断された。

肉から血管・神経・臓器・骨に至るまで切断された。

 

激痛で意識が飛びそうになる。

しかし、痛みを受け止め、耐えるのだ。

ここで意識を手放してはならない。

 

僕の大半は黒血で構成されている。

血液と神経は言うまでもなく、臓器と骨も黒血で代用できる。

大鎌に断たれた僕は、彼によって繋ぎ合わされ、元の形に戻った。

 

「やはり黒血か」

 

ヴィランの大鎌と、僕の黒剣。

彼の個性が量産されている可能性に気づいた時点で、警戒するべきだった。

 

「おい、チートだろ。そこまでやったら人として死ねよ」

「貴方たちは、そうではないのですか?」

 

僕のように黒血で肉体を代用できないのか。

それはヴィランの脳が、正常な事を示している。

僕のように生きているふりの、なんちゃって脳ではないのだ。

もしかすると超回復の個性も積んでいないのか?

超回復を積めるのならば、積まない理由はない。

ならば個性の付与に制限でもあるのか。

 

「しまった!」

「13号先生!」

 

いつに間にか13号先生が、自滅している。

ワープゲートでブラックホールを返され、防護服ごと半身を引き千切られた。

13号先生でなかったら死んでいたほどの重傷だ。

もう狂気の波長を相殺する余裕はない。

 

「あなた方には退場していただきましょう」

 

ワープゲートのモヤモヤが、相澤先生を飲み込み、消える。

相澤先生の側に投げた轟さんも、ついでに巻き込まれた。

ヴィランの大鎌は付近の生徒に降り下ろされ、それを僕は防ぐしかない。

自由に動けない僕も、モヤモヤに包まれようとしていた。

 

「待てよ、黒霧。お友達が殺される所を、こいつに特等席で見せてやろう」

「ノーライフ・ホルダーは厄介ですよ。手足が取れても噛みついてくるものです」

 

「斬ってダメなら、壊しても復活するか試してやるさ」

 

ヴィランに手を掴まれ、僕の腕は崩壊する。

仕方なく切断すると黒血が生え、失った腕の代わりとなった。

 

「おい、死ね」

「お断りします」

 

黒霧と呼ばれたヴィランは横から言う。

 

「だから言ったではありませんか」

「ムカついた。こいつは殺す」

 

あとはオールマイトと僕しかいない。

狂気に囚われた生徒を人質に使われると弱い。

おまけに暴れ回っている生徒も、襲いかかってくる。

だからと言って、見捨てる事もできない。

せめてヴィランの足を止めるために口を開いた。

 

「どうして、こんな事をするのですか?」

「あれを、どう思う?」

 

ヴィランに指し示されたのは、オールマイトだ。

改人脳無と殴り合っている。

 

「オールマイトの攻撃は効いていませんね?」

「そうじゃない。もっと広い視点から、暴力についての話だ」

 

「あの殴り合いのことですか?」

「ヴィランに対する暴力は許されるのに、なぜヒーローに対する暴力は許されない」

 

それは法で、そう決まっているからだ。

人を裁くのは法であって、人であってはならない。

あらゆる暴力に罪があり、しかし法によって免責されているに過ぎない。

法によらない罰は、人による罰であり、私刑という。

 

「ヴィランに対する暴力の一部は、法によって免責されるからでしょう」

「おかしいだろ? 同じ暴力でも、ヒーローとヴィランにカテゴライズされ、善し悪しを決める」

 

法に人という要素を混ぜるほど、公正ではなくなる。

法に人という要素を混ぜるほど、私刑に近づくのだ。

法は善でも悪でもなく、ましてや正義でもなく、心ない鋼鉄の歯車に過ぎない。

 

「たしかにヒーローは職種で、ヴィランは人物ですから、警官と犯罪者を善悪に分けるようなものですね」

「なにが平和の象徴だ! しょせん抑圧のための暴力装置だ! 暴力は暴力しか生まないのだと、オールマイトを殺すことで世に知らしめる!」

 

そうだったのか。

 

「あなたは暴力を向けられたくなくて、その痛みを他人に押し付けたいのですね」

 

この"人"も苦しんでいるのだ。

 

「あなたは、どうして、そうなったのでしょう。あなたに暴力を与えたのは誰だったのですか?」

 

「おい、黒霧。こいつ頭おかしーんじゃねーか?」

「そうでしょう、そうでしょう。やはり目の届かない所へ行ってもらいましょうか?」

 

すさまじい音と共に、改人脳無は殴られる。

改人脳無は天井を突き破り、どこかへ飛んで行った。

勝ったのはオールマイトだ。

 

「さてとヴィラン。お互い早めに決着つけたいね」

「チートが!」

 

オールマイトに気を取られている、今だ。

アルファ波からデルタ波へ波長を下げる。

それは再び彼を、狂気の波長へ戻すことを意味していた。

 

波長の低下と共に、肉体から意識は剥離する。

でも以前のように、感覚を切り離す必要はなかった。

すでに僕の脳は機能を停止し、不可視の脳となっている。

脳波の存在によって実在を証明される脳は、正常な生体の活動を必要としなかった。

 

肉体から剥離した意識は拡大する。

まるで機械を操るように肉体を操作する。

まるで神の視点のように、自分自身を見下ろした。

 

「ぜんぜん弱ってないじゃないか。あいつ俺にウソを教えたのか?」

 

狂気の波長を放つ。

向かい合う波長は干渉し、相殺される。

しかし、それは無効化ではなく軽減に過ぎない。

耐えられる程度に落ちた、という程度だ。

暴れていた生徒も大人しくなる。

当然に気付かれるだろう。

 

「動ける人は、他の人を連れて避難してください!」

 

僕は声を上げて、黒剣を構えた。

フラフラと起き上がる皆の動きは、あまりにも遅い。

重傷を負っている生徒も居て、床に擦り切れた血の跡が残った。

 

「ねえ、あなた。あなたに暴力という痛みを押し付けたのは誰ですか?」

「は? ああ、さっきの理由は思いつきで作った話だ。まさか真に受けたのか?」

 

偽りの理由は、本心を隠したいという思いの現れだ。

もしかすると本人も、その痛みから目を背けているのかも知れない。

 

「もしかして自身でも理由の分からない衝動に、突き動かされていませんか?」

 

手の人は僕へ視線を向け、またオールマイトへ戻した。

黒霧という人も、オールマイトから目を離せない。

オールマイトは、なにを見ている?

 

「おい、黒霧。どうしてオールマイトは動かない」

「生徒が避難するまで待っているのではないでしょうか?」

 

その生徒に手を出したら許さないと。

 

「ふーん」

 

降り下ろされた大鎌を、僕は受け止める。

これまでの攻撃に比べれば、なぜか軽い。

それは手加減ではなく、オールマイトを警戒しているからだ。

 

「ひでぇな、オールマイト。生徒の危機なのに、なんで動かなかった? こんな気持ちの悪い奴、死んでも良いと思ったのか? それでもヒーロー様は助けなくちゃダメだろ?」

 

オールマイトと、手の人は、視線を交わらせる。

 

「ーーそれとも、もう動けないのか?」

 

次の瞬間、天井から勢いよく、黒い巨体が落ちる。

外から戻ってきた改人脳無に、オールマイトは踏み潰された。

あっさりと、終わってしまった

 

「待タセタナ」

「いいや、バッチリだ」

 

みんなは足を止めて、振り向いてしまう。

 

「うそだろ」

「オールマイトが!」

「負けた?」

 

巨人の手に掴み上げられたのは、枯れ木のような男性だった。

 

「まさかオールマイト? どうして、あんな姿に?」

「だましてたのさ! あれがオールマイトの真実だ! なにが希望の象徴だ! どこがナンバーワンヒーローだ! なんて酷いやつなんだ! これまで民衆の気持ちを、ずっと裏切ってきたんだ! 俺達は今、怒りに震えている!」

 

逃げるのならば今しかない。

それなのに、みんな足を止めてしまう。

 

「己の過ちを思い知らせるために、ゆっくりと真っ二つにしてやれ!」

「ぐっ、うわあああああああああ!!」

 

今の内に、どうにかするべきだ。

今こそ僕達にとって、望ましい展開だ。

それなのに誰れも彼れも足を止め、オールマイトに注目していた。

相殺している狂気の波長に、体を絡め取られる。

 

オールマイトの体が折れ曲がっていくーーこの間に考えよう。

手掛かりとして僕の中にある違和感を探し、1つ見つけた。

あの人達はドクターを通して、僕を知っていると思った。

しかし、どうやら僕を知らないらしい。

 

狂気の波長を相殺できる僕を、放って置くものか。

13号先生は倒され、相澤先生は何処かへ飛ばされた。

あの人達の目的は、狂気の波長を相殺できる僕ではない。

あの人達は先生を目的として、そこに僕がいたのだ。

 

先生のように何処かへ飛ばされる所で、手の人に止められた。

狂気の波長を相殺できると知っていれば、黒霧という人を止めるはずもない。

 

狂気の波長を相殺した時、あの人達は僕を見逃したのか?

いいや、そもそも相殺に気づいていなかったのだろう。

僕が声を上げたから、あの人達は気づいた。

 

原因として考えられるのは波長だ。

そもそも僕に波長を感じ取る能力はない。

僕の中にいる彼を通して、僕は波長を感じ取っている。

あの人達は、その波長を感じ取っていないのだろう。

僕が波長を操作できる事を、あの人達は知らない。

 

「これがヒーローの末路だ! ハハハハハハ!!」

 

ミチミチと折れ曲がり、ボキッと折れた。

掲げられた血袋は割り裂かれ、千切れた内臓が零れ落ちる。

オールマイトの死に酔って、他の事は見えていない。

僕は黒剣を捨てて、その背中に抱きついた。

そうして心臓の鼓動が聞こえるほど密着する。

 

「あ?」

 

相殺に向けていた波長を、ここに重ねる。

 

「ーー魂の共鳴!」

 

僕は一方的に、手の人と共鳴した。

 

ーーーーーーーーーー

ーーーーーーーー

ーーーーーー

ーーーー

ーー

 

どこまでも荒れ果てた大地の中心に、独り。

この世の全ては崩れ去り、もはや何も残っていない。

もはや彼を不快に思わせる何者も存在しなかった。

しかし、

 

ボリボリ ボリボリ

 

言い知れない、不快な感情が湧き上がる。

天を裂くほどに絶叫し、地を割るほどに憤怒する。

すべてを破壊し尽くしても、燃え尽きない激情だ。

 

ボリボリ ボリボリ ボリボリ ボリボリ

 

両手で顔をかく。

皮は剥げ、肉は腐り、白い骨を露出させる。

とっくの昔に目玉は引きずり出され、その手で朽ち果てた。

 

あれは誰だ?

 

ーー■■■■

 

世界を破壊し尽くして、あとは何を壊せば良いのか。

行き先のない怒りを向ける相手は、もう存在しない。

暴れ狂っても破壊できるものはなく、崩壊の指先は空を切った。

 

我慢できない。

耐え切れない。

もう何もない。

 

この終わりに行き着いた、小さな世界。

小さな世界で、たった独りの小さな王。

何も統べる事はできず、ただ君臨する。

 

「かゆい かゆい かゆい かゆい」

 

なにかを壊せば、苦しみから解放されると思った。

■を苦しめているものが、その中にあるはずだ。

だから■以外の全てを思うままに壊した。

それは正しいと思っていた。

 

だが、

すべてを壊しても、苦しみから解放される事はなかった。

この苦しみは■の中にあったのだから。

最初から■は間違えていた。

 

ああ、そうだ。

最後に残ったものを破壊すればいい。

そうすれば■は、やっと、この苦しみから解放される。

 

そうして■は、手を顔に近づけーー心からの幸福を知った。

 

ーーーーーーーーーー

ーーーーーーーー

ーーーーーー

ーーーー

ーー

 

「俺の中に入ってくるなァァァァアアアアアアア!!」

 

黒血はトゲとなって生え、僕を突き飛ばす。

僕の共鳴によって、その波長は乱された。

両手で顔を抑え、絶叫している。

 

「いけません、死柄木!」

 

暴れる死柄木さんの両手を、黒霧さんが抑える。

死柄木さんの顔に張り付いていた手が、崩れ去る。

そこからボロボロと落ちるのは、死柄木さんの顔だったものだ。

皮や肉は乾いた土のように割れ、目玉も抜け落ちる。

薄い膜のような脂肪に続いて、肉を繋いでいた繊維が垂れ下がった。

その赤い血の、流れ落ちる顔は、まるで鬼の形相だ。

 

「ああああああ! あああああああああああ!!」

「死柄木弔! 気を確かに! あなたは、こんな所で死んではいけません!」

 

黒霧さんのモヤモヤに包まれ、死柄木は消える。

オールマイトの死を笑っていた死柄木は、次の瞬間に壊れて去った。

その理由を知っている者は、他にいない。

 

あとに残された改人脳無は、僕らと見つめ合う。

その剥き出した目を前に、動ける者はいなかった。

あれはオールマイトに無傷で勝利した怪物だ。

しかし改人脳無は両手に持った、千切れた死体を投げ捨てる。

すると真上へ跳び上がって、天井に開いた穴から去って行った。

 

後に残されたのは血だらけの生徒と、枯れ木のような千切れた死体。

それで全てだ。



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健全なる魂は、健全なる精神と、健全なる肉体に宿る

リカバリーガールの個性によって生徒は治され、肉体の傷は塞がった。

しかし、狂気の波長を浴びた脳は、それによって神経接続を生ずる。

そうして繰り返して思い出すほど神経接続は成長し、症状は悪化する。

時間の解決してくれる問題ではなく、時間の経つほど悪化するものだ。

思い出したように自殺衝動に襲われる生徒は、心の治療を受けていた。

 

しかし、その必要のない僕も入院している。

入院と言っても、個室の必要がなくなった生徒を集めた大部屋だ。

借りて間もない共同住宅に帰る事も叶わず、宿題を積まれていた。

 

最初は僕しか居なかったけれど、次に来たのは轟さんだった。

相澤先生と共にワープゲートで飛ばされ、轟さんは狂気の波長から距離を置いた。

だから狂気の波長よりも問題なのは、僕が斬り落とした片腕だろう。

 

「ごめんなさい、轟さん」

 

リカバリーガールの個性で治る範囲を超えていた。

超回復と違って、欠損は戻らなかった。

斬り落とした片腕は、崩壊してチリとなっている。

 

「片腕を失うくらいなら死んだ方がよかった」

 

轟さんの片腕を斬り落とした僕に、その言葉を否定する資格はない。

その命の価値を証明するのは、きっと、他の人の役目だ。

 

「うん」

「と思った事もある。だが、今は思っていない。そうだなーー悪いと思っているのなら、俺の話を聞いてくれるか?」

 

それは家族の話だった。

幼い頃から厳しい修行を受け、兄弟と遊ぶ事も許されなかった。

行き過ぎた修行を止めようとする母親は、父親を良く思っていない。

ある時、轟さんの半分が父親の物に見えた母親は、轟さんに煮え湯をかけてしまった。

母親は入院して、轟さんは父親を憎むようになった。

 

「おまえに切断されたのは母さんーーいや、母親の方だ」

 

病院服の右袖はフラフラと浮いている。

よく見れば轟さんの体は、重い左に傾いていた。

右腕を失った事で、体のバランスが合っていないのだ。

 

「どうせなら親父の方が無くなれば良かったのに、よりにもよって右腕だ。死ぬほど落ち込むと思ったが、そうでもなかった」

 

まるで他人事のように落ち着いて、轟さんは言った。

 

「母は、かわいそうな人だ。母を追い詰めたのは親父で、俺の顔に傷を付けたのは母のせいじゃない」

 

鏡を見るたびに、そう思っていたのだろう。

 

「だが、腕が無くなって、俺はスッキリした。きっと俺は、ずっと、こうしたかったんだろう」

 

轟さんの自殺衝動は、自身に向けられていたのか。

そうして死ぬはずだった所で、誰かに殴られて気絶した。

気絶していた所を、死柄木さんに拾われた。

 

「母を追い詰めたのは親父だ。でも、俺を傷つけたのは母だ。母に嫌われるはずはない。親父のせいで母は、おかしくなったんだ。だから親父のせいだ。母は俺を嫌っていないと、そう思いたかった」

 

轟くんの言葉に、感情が混じり始める。

それは恐怖だった。

 

「俺は怖かった。優しい母に嫌われるのが怖くて、優しい母に傷つけられるのが怖かった。その感情を全て、親父の責任として投げつけたんだ」

 

轟さんは残った左腕を握り締める。

それは痛みを耐えているようだった。

轟さんは今、自分の痛みと戦っているのだ。

 

「俺の半分は親父のもので、俺の半分は母のものだ。生まれてから一度も、この体は俺のものじゃなかった。だから俺は自分の体に愛着なんて持ってない。俺は、こんな体、嫌いだった」

 

自分の体が、自分の物と思えなかった。

自分の体が、他人の物でしかなかった。

 

「俺は親父も母も、どっちも嫌いだ」

 

轟さんは自分の体が嫌いだ。

 

「母は、かわいそうな人かも知れない。だが、俺を傷つけた時から、かわいそうなだけの被害者じゃなくなったんだ」

 

轟くん対しては加害者となってしまった。

父親に熱湯をかけるのではなく、子供に熱湯をかけてしまった。

 

「こんな悪口は親父にも、母にも、他の家族にも聞かせたくない」

「それなら、どうして僕に?」

 

「こんな話をできたのは緑谷、おまえが俺に負い目を感じているからだ」

 

そう言ってカラカラと笑う轟さんは可愛らしくて、綺麗だなと思った。

 

 

次に大部屋へ入ったのは、峰田さんだ。

自殺衝動は治まったものの、思い出したように発狂するようだ。

奇声を上げたり、両手で頭を抱えたり、突然に怒ったりする。

轟さんは普通だったから、峰田さんの様子に僕は驚いた。

 

「おまえらが、おかしいんだよ! 思い出したくない事を百倍にして叩き返されるようなもんだぞ! こんなの耐えられるか!」

 

「峰田さん、忘れちゃダメだよ。死を受け入れて、それを抱えたまま生きるんだ」

「俺の経験から言えば、体の一部を切断すれば上手く行くかも知れない」

 

僕と轟さんは真面目に答えた。

 

「だれか、おいらを助けてくれー! こんな頭のおかしい奴らと一緒にいたくねー!」

 

 

そんな峰田さんの次は、上鳴さんだった。

 

「スマホ返してもらったけど充電きれてら」

 

そう言った上鳴さんは何気なく、スマートフォンへ充電を始める。

電源アダプタの先にあるのはコンセントではなく素手だ。

思わず、目を疑った。

 

「上鳴さんの個性って電気?」

「いんや、帯電」

 

電圧と電流を、人力で調整しているのか。

それぞれの値を感覚的に把握しているという事だろう。

職人技だろうか。

 

「すごいね」

「えっ、そう?」

 

「電気を流しすぎたりしないの?」

「ゆっくり流す量を変えれば問題ないって。複雑なことはしてねーよ」

 

電源の起動時に過負荷がかかるという話は聞いた事がある。

主となる電源を落とした後、すぐに再起動すると壊れるのは、そのせいだ。

電気回路に静電気が溜まって、自然放電が終わるまで直らない事もある。

電流や電圧を自由に可変できるのは、手間はかかるけれど人力の利点だろう。

 

「俺の個性って細かい操作はできねーんだ。周波数とかな」

「だから電源プラグの片方だけ摘まんでるんだね」

 

コンセントの電流は、直流ではなく交流だ。

流れの向きが変わるため、片方は0ボルト用となっている。

もしも電源プラグの両方から電流を流したらショートするだろう。

 

「僕も3ヘルツくらいの波長は扱うんだけど、そういうのも分かる?」

「そりゃー電磁波でも磁波だな。電子を動かさないから分かんねー」

 

その個性で、狂気の波長から身を守ることはできなかった訳だ。

 

 

轟さん、峰田さん、上鳴さん。

その次は爆豪さんだった。

でも、すごく苛立っている。

 

「爆豪さん、大丈夫?」

「はぁ!? 雑魚のくせして誰に物言ってんだ!?」

 

訂正しよう、爆豪さんは荒ぶっている。

でも事件の前から、こんな感じだったような気はする。

たしか入学式の日は、初対面の飯田さんと言い争っていた。

 

「ごめん。すごく苦しそうだったから」

「喧嘩売ってんのか!? 買うぞ、おら!」

 

自殺衝動が強く残っているのかも知れない。

自殺衝動の苦痛に耐えきれず、それを他人に押しつけるものだ。

 

「爆豪さん何が怖いの?」

 

BOOM!!

と目前で爆発が起きる。

爆豪さんは拳を突き出していた。

 

「訳わかんねぇこと言ってると、潰すぞ!」

「何かに追われてるみたいに余裕がないよね。爆豪さんは何から逃げているの?」

 

「そういう、てめぇの怖い物はなんだよ」

 

僕の怖いもの。

無個性だろうか?

いいや、きっと僕が他人に言いたくないものだ。

友達を殺してしまった事でもない。

もっと、おぞましい物に違いない。

 

「例えば僕なら、お母さんを殺した事かな」

「はぁ!?」

 

「子供の頃、個性を制御できなくて、僕が殺してしまったんだ」

 

僕の責任ではないのかも知れない。

でも僕は、そう認識している。

それを仕方ないと諦めてはいけない。

その痛みを忘れてはならない。

痛みを感じなくなってはいけない。

 

「自分語りかよ。うぜぇ!」

「自分の痛みを受け入れるんだよ。爆豪さんは、他人に知られたくない事ってある?」

 

「ねぇよ!」

「じゃあ自分でも分からなくなってるんだね」

 

「ああ言えば、こう言いやがって! さえずってんじゃねーよ、クソが!」

「でも僕には、君が助けを求めているように見えるんだ」

 

「その、ふざけた口を吹っ飛ばすぞ!」

 

爆豪さんに首を掴まれ、絞められる。

でも黒血によって、僕の肉体は鉄のような強度だ。

僕に触れている手を、僕は優しく握り返した。

 

「他人に痛みを与えるのは、自分の痛みを押し付けるため。そして自分の痛みを分かってほしいからでもある。爆豪さんは大きな声で、泣き叫んでいるように見えるよ」

 

BOOM!!

 

爆豪さんは個性を使った。

体表で起きた衝撃は体を震わせる。

しかし、そもそも僕は中身のない人形のようなものだ。

肌に浸透した黒血は、膨張した空気の衝撃を防いでくれる。

 

「ねえ、爆豪さん。君は何を怖れているのか、君は知らなければならない。そうしなければ、それはずっと、君の後ろを追いかけ続けるんだ」

「クソみてーな戯れ言は聞き飽きた。雑魚ごときが俺を語るなんぞ百年早ぇ」

 

ヒタヒタ、ヒタヒタ、と。

その足音が聞こえないのだろうか?

いつか振り返った時、そこに在るのは、君にとって最も恐ろしいものだ。

 

 

勉強しか、やる事がない。

上鳴さんはスマートフォンを見ていた。

 

「上鳴さん、一緒に見ていい?」

「スマホ、充電してやろっか?」

 

「持ってないんだ、スマートフォン」

「げっ、マジか。家の方針?」

 

やべっ、という顔をする上鳴さん。

 

「ずっと個性の治療だったから通信教育で、スマートフォンも必要なかったんだ」

「そんなにヤバかったのか。よく雄英に通ったなーーいや、良い意味で」

 

「うん、僕を後見してくれた人のおかげだね。ドクターなんだけど、蛇腔総合病院の理事長でーー」

「え? それって、これ?」

 

「うん?」

「現在、蛇腔総合病院にヒーローが突入し、激しい戦闘が起きています。関係者からの情報によると、蛇腔総合病院の理事長が雄英高校襲撃事件に関わっているという疑いがあるとの事です」

 

映像を通してみると、まったく違う建物に見える。

でも、それは僕の家だった。

 

「今、大きな爆発音が聞こえました! 見てください! オールマイトの意思を継いだ、多くのヒーローが作戦に参加しています!」

 

そうか。

家に帰れなかったのは、これか。

ここは僕を監視するための箱でもあった。

 

「帰らなくちゃ」

「いや待てよ、緑谷。どこに、帰るんだ」

 

「家だよ」

「先生に怒られるぞ!」

 

「それでも僕は帰らなくちゃならない」

 

学生として生活する。

楽しくなって来たけれど時間切れだ。

親しくなって来たけれど別れの時だ。

 

覚悟は一瞬だった。

その境界を越えると共に歩み出す。

引き裂かれそうになる心を、千切れないように留めた。

 

「さよなら!」

 

病院服のまま駆け出した。

悲しいけれど、やるべき事がある。

無駄ではなかった、意味があった、価値があった。

その全てを踏み潰すのは、僕なのだ。

 

 

ネットニュースの生放送を見た緑谷出久は、そのまま飛び出して行った。緑谷出久の言った"家"は、多数のヒーローに突入されている病院だ。同時に避難も行われている。緑谷出久を後見していたという病院の理事長は、オールマイトの殉職した雄英襲撃事件に関わっているらしい。

 

「俺、先生に言ってくる!」

 

緑谷出久と別の方向へ、上鳴電気は走って行った

 

「偉そうなこと言っておいて、ヴィランのガキかよ」

 

爆豪勝己は汚い物を、吐き捨てるように言った。

すると突然、轟焦凍は聞いた。

 

「なあ、爆豪。おまえは何でヒーローになりたいんだ?」

「決まってんだろ、金だ! 俺はトップヒーローになって、高額納税者ランキングに名を刻むのだ!」

 

「そのために、やりたくもない事をやってるのか?」

「ああ!? てめーも説教か!? 十年早ぇよ!」

 

「いや、やりたくもない事を嫌々やってーーもしも、その先が、おまえの望むものじゃなかったら、どうする?」

 

思い浮かぶのは、ナンバーワンヒーローの悲惨な結末だ。

 

「はっ、知るかよ。俺は、オールマイトを超える!」

 

栄光の象徴だったヒーローの最後は、まるで絞り捨てられたゴミだった。目標としたヒーローの姿は、もう無い。耳を塞ぎ、後ろを振り向かなければ、その足音を聞くことも、その姿を見ることはない。しかし、いつか追いつかれてしまうのだ。ヒタヒタと、その姿が後ろから迫ってくる。

 

 

僕は走る。

その通路を塞ぐように立ち塞がった。

それは、

 

「先生」

「どこへ行く、緑谷。外出禁止だ」

 

「狂気の波長を治療するのならば、ドクターの助力は必要でした」

「そうだな。学友もなく旅行に行った事もない。おまえの情報源は限られていた」

 

「予言を信じてはくれなかったのですね」

「そうだな。日本にある数多くの病院から早期に特定できたのは、おまえの功績だ」

 

「先生、僕は高校を中退しようと思います」

「止めておけ。おまえが行っても、なにも変わらない」

 

「きっとドクターは誰にとっても敵となるでしょう。だから僕が、ドクターの良い所を教えてあげないと行けません」

「それは無駄だ。何の意味もない。どうしようもなく、あのヴィランは裁かれる」

 

「分かっています。だからこそ僕は行かなければ成りません」

「緑谷、おまえは洗脳されている疑いがある」

 

「僕が、そう望みました」

「子供の責任を負うのは、保護者の役目だ」

 

「少なくとも成長した、今は違います」

「法律上は、まだ未成年だ」

 

「僕の意思です」

「その意思の追認は、してやれない」

 

僕はドクターと関係がある。

自身の意思を表明するために、ここから出るのだ。

相澤先生の個性は、他者の個性を打ち消す

しかし、

 

「ドクターによると僕の遺伝子は無個性を示しているそうです。そして彼の個性は、血液を不可逆に作り変えること」

 

いわゆる異形型だ。

相澤先生の個性は、黒血を封じられない。

さらに、

 

「合理化によって理性と感情を切り離し、自殺衝動から身を守ることは有効です。でも、それでは耐える事しかできません。人は死を受け入れ、それでも希望を持って未来へ進まなければ成りません」

 

だから狂気の波長に絡み取られる。

先生は床に座り込み、動けなくなっていた。

 

「精神と肉体を切り離すから、肉体に裏切られます。健全なる魂は、健全なる精神と、健全なる肉体に宿ります。そうする事で肉体を完全に支配し、死を受け止める事ができるのです」

「狂気の波長が付け入るのは、人の認識できない無意識の領域ということか」

 

「いいえ、違います。嫌なことから意識して目を逸らし、嫌なことを意識して忘れるのです。そうするのは本人です。そうして忘れた事さえ、自分で忘れています。最初に肉体を裏切ったのは、他でもない自分自身です」

 

無意識という、自分ではないものに責任を押しつける。

無意識とは、人が目を逸らした結果として生まれた盲点だ。

 

「緑谷、聞くぞ。おまえは奴が罪を犯していると知っていながら見逃した。その犠牲者に対しては、どう思っていた。おまえは奴を殴っても止めるべきだったんじゃないか?」

「僕はドクターを優先して、他を切り捨てました」

 

ドクターと戦う事を選ばなかった。

 

「それは奴が、おまえにとって親のような存在だからか?」

「僕の親というよりもーー僕が好きな人の、産みの親だからでしょうか」

 

座り込む先生の横を、僕は通り抜ける。

すべてを振り切って、外へ飛び出した。



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鬼神

病院へ着いた時、戦いは終わっていた。

病院は封鎖され、ドクターは警察に引き渡されていた。

僕は退学の書類を提出し、学校から荷物を引き払う。

 

僕はドクターの弁護人に会ってもらった。

でも、僕が証人として法廷に立っても、逆に不利となる。

証言しても検察側に追求されるデメリットの方が大きかった。

ドクターにとって都合の悪いことを僕は知りすぎていた。

 

「彼は医療に貢献してきました! その全てをヴィランという理由で無かった事にして良いのでしょうか! 僕は個性の影響で、学校にも通えない状態でした! そんな僕に通信教育の環境を提供し、個性の治療も行って、10年の歳月をかけて人前へ出られるようにしてくれたのは、巨悪として取り上げられているドクターです!」

 

僕は町中に立って、声を上げる。

当然の事ながら、耳を貸してくれる人はいなかった。

早々に共同住宅は契約の解除を迫られ、荷物を背負って外で生活する。

と言っても黒血のおかげで、体は丈夫だった。

 

疲れないし、眠らなくていい。

物を食べる必要もないと気づいた。

これを機会に、体の大部分を黒血で置き換える。

外にいると服も汚れるので、黒血で構成した。

そうすると血は黒いので、全身が黒く染まってしまう。

まるで脳無のようだ。

 

ドクターの裁判は異常なほど早く進んだ。

オールマイトを殺した元凶を、世間は望んでいた。

多発するヴィランの犯罪に対する不満を、解消する相手を求めていた。

 

「ーーよって被告人を死刑に処する」

 

裁判官は安心する。

 

「これで翌日の朝刊で批判される事はないだろう」

 

裁判員は同意する。

 

「死刑になって当然だった」

 

傍聴人は称賛する。

 

「正義の勝利だ!」

 

誰れも彼れも、ドクターを死刑にしたかったのだ。

ベルトコンベアへ流すように、最初から結末は決まっていた。

この裁判は公正と言えるのか。

 

恐怖、不安、憎悪、不満。

人は都合のいい的に、痛みを押し付けている。

自分にとって都合のいい真実を見て、無責任に他者を批判する。

それで良いのだろうか。

 

僕は、どうしたいのか。

この裁判に納得できるのか。

このままドクターの死刑を見逃していいのか。

そう思ったから僕は、

 

「力を貸してほしいーー魔剣ラグナロク」

 

彼に頼んだ。

そうして黒剣を作り出し、裁判所の天井を破壊する。

法廷へ入れなかった僕は、裁判所に忍び込んでいたのだ。

 

「おお、ラグちゃん! 指示せずとも助けに来てくれたんじゃな!」

 

しかし急にドクターの体が吹っ飛び、ヒーローの下へ収まった。

 

「私の個性が反応しない。あの少年ーー全裸だ!」

 

ヒーローから生えた木の根が、一気に視界を埋め尽くす。

その瞬間、それとは別に凄まじい衝撃を受けだ。

 

「先制必縛 ウルシ鎖牢!」

「忍法 千枚通し!」

 

服を操る個性、木の根を生やす個性、そしてーー何だろう。

昔はヒーローに詳しかったけど、今は分からない。

今の僕にとってヒーローは目的ではなく、手段に過ぎなかった。

 

「ずいぶんと外見は変わっているが、緑谷出久だね。個性は黒血。聞いていた通り、なるほど硬いーーしかし!」

 

木の根に体を絡め取られる。

黒剣を握った腕も固定された。

でも、ここで狂気の波長を使えば市民を巻き込むだろう。

警察官によって避難誘導されているものの、まだ市民は近い。

ならば、そう、たしか、こうだったか。

 

「ブラッディー・スパイク」

 

死柄木さんの使っていたように、全身から黒血のトゲを突き出す。

それによって木の根は抉り取られ、僕の体は自由になった。

障害物の消えて通った視界に、ドクターの姿はない。

さっきの服を操る個性のヒーローに連れ去られたのか。

追わなければ!

 

「待て、少年!」

「ここは通さん!」

 

木の根と衝撃によって、ヒーローの妨害を受ける。

衝撃の方は、なにか細い物が高速で当たっているようだ。

僕は黒血を針のように射出する。

 

「ブラッディー・ニードル」

 

一方は木の根で防ぎ、一方は薄くなって避け切る。

このままではドクターを連行したヒーローに逃げ切られてしまう。

ヒーローは強く、今の僕では倒せない。

 

僕は黒剣を伸ばし、壁を貫通させる。

そのまま黒剣を振り回し、建物の構造を破壊した。

柱や壁は切断され、斬り刻まれた天井と共に崩落する。

それらを支えようと、木の根は広がった。

その隙に法廷から通路へ飛び込み、ドクターを連行したヒーローを追う。

 

おそらく服を操る個性だろう。

ドクターを抱えたまま、凄まじい速度で横へ吹っ飛んでいる。

通路の曲がり角を直角に転回する様は、何かの冗談としか思えなかった。

さっきのように黒剣で建物を破壊すれば、ドクターに当たってしまう。

いや、待てよ?

 

ーーそれにワシは無個性ではないよ

 

ドクターは超回復の個性を持っている。

僕は黒剣を伸ばし、前方の天井を斬り刻んだ。

裁判所の天井は崩落し、見通しも良くなる。

ヒーローの姿を見つけると、僕は真っ直ぐ跳んだ。

 

「周囲に与える被害も見境なしか。まさしく非道なヴィランよ」

「最後の手段は使っていませんよ」

 

「狂気の波長とやらか」

「イレイザーヘッドは来ていないのですね」

 

「教職を疎かにする訳にはいかぬだろう」

「それも、そうですね」

 

伸ばした黒剣を、軽く振る。

大地を切断しても、その勢いは衰えない。

ヒーローはドクターを抱えた状態で、それでも避け切っている。

いや、そうか。

 

ドクターの体を、僕は黒剣で貫いた。

ドクターを地面に突き刺して、ヒーローを追い払う。

 

「いだだだだだだ!?」

「ごめんなさい、ドクター。服を剥ぎますね」

 

全裸のドクターへ、僕と同じ黒血の服を構成した。

黒血によってドクターを背中へ接着する。

しかし襲いかかるヒーローに蹴り飛ばされ、僕とドクターは転がった。

ドクターを連れて、ここから逃げるのは難しいようだ。

 

「ベストジーニスト!」

 

ヒーローに追い付かれてしまった。

建物を破壊したから、すぐに分かったのだろう。

ドクターを抱えて逃げるのは無理そうだ。

 

「ドクター、超回復は半分になっても治りますか?」

「無理じゃよ。ワシ人間じゃもの」

 

ドクターの手足を切断する。

 

「ぎゃあああああああ!?」

 

心苦しいけれど、死刑と比べれば良いだろう。

しかし体の半分は無理らしいので、四肢の切断に留めた。

黒血で傷口を覆って、回復を阻害する。

これで少しは運びやすくなった。

僕は逃走を開始する。

 

「エッジショット、良いか?」

「うむ、任せた」

 

2人のヒーローは空中を吹っ飛びながら迫る。

服を操る個性で、片方も吹っ飛ばしているのだろう。

厄介な事に速いのはヒーローの方だ。

このままでは逃げ着れない。

 

しかし、もう十分に市民から離れたはずだ。

 

「ーー狂気の波長」

 

そうして止まったヒーローを置き去りにして、逃げ切る。

都市から離れ、林道を登った。

 

 

超回復によって、ドクターの四肢は生えた。

これから、どうするのかドクターに相談する。

 

「神奈川県神野区にアジトがある。まずは、そこに向かうのじゃ」

「では、急ぎましょう。夜明けを待たず、すでに追跡されているはずです」

 

明かりはなくとも、個性で追跡されているだろう。

森の中は真っ暗で、斜面も多く足場も悪い。

月明かりに照らされる林道を、僕とドクターは進んだ。

 

「来た? もう追い付かれたのか?」

 

後ろから聞こえるのは、大きな足音だ。

姿も見えないのに、足音だけ届いている。

 

「改人脳無?」

 

僕らの前に現れたのは改人脳無だった。

それと一緒にいるのは、雄英を襲撃した黒霧さんだ。

 

「お迎えに上がりましたよ、ドクター」

「おお、黒霧。よく来てくれた!」

 

黒霧さんへ駆け寄るドクターを、僕は捕まえる。

 

「ダメですよ、ドクター。また研究を始める気でしょう。いい機会だから研究は止めてください」

「それはできん。あれはワシの人生の全てじゃ」

 

「そちらは緑谷出久ですね。こちらの死柄木弔が、あなたに用があるそうです」

 

モヤモヤは何処かへ通じ、そこから出てきたのは死柄木さんだ。

マスクで頭部を覆っているけれど、放たれる狂気の波長で分かる。

自身の個性によって顔面は崩壊し、感覚の大部分を失っているはずだ。

死柄木さんの黒血で作られた大鎌を見て、それに対して僕も黒剣を作り出した。

 

「どうしても貴方を殺したいそうです」

「なぜでしょう?」

 

「死柄木弔の心に、貴方が土足で踏み入ったからですよ」

「なるほど」

 

「では先にドクターを、お連れします」

 

戦闘に巻き込む事を考えれば、ここに残しておけない。

改人脳無もモヤモヤに包まれ、僕と死柄木さんの2人になった。

狂気の波長を死柄木さんに合わせようとすると、逃げるように変化する。

少しだけ混じり合った波長の一部から、死柄木さんの心を覗き込んだ。

すると、

 

「死ね」

 

死柄木さんの波長を読み取り、死柄木さんの動きを読む。

その攻撃が来る前に、僕は攻撃が来ると分かった。

薙ぎ払われた大鎌を、黒剣で受け流す。

 

「あなたの苦しみは、すべて自身から生まれています。僕を消し去ったとしても、すぐに次の苦しみが生まれますよ」

 

自身の自殺衝動を見たはずだ。

痛みを他人に押し付けている限り、その痛みに追われ続ける。

痛みから逃れる術はなく、痛みを受け入れるしかない。

 

「あなたは何が苦しいのですか?」

 

死柄木さんも分かっていないのだろう。

波長を重ね合わせる事で、死柄木さんの脳波を読み取る。

死柄木さんが目を背けている事も、他人の僕から見れば分かった。

 

「あなたは忘れています。それを思い出してください」

 

そこに在るのは不自然に断たれた脳神経の接続だ。

でも壊されている訳でも、死んでいる訳でもない。

何度も繰り返して刺激すれば神経は発達し、やがて繋がる。

 

「あなたを苦しめている、それは何ですか?」

 

逃げ回る死柄木さんの波長を捕まえた。

そうして波長を重ね、死柄木さんの脳へ侵入する。

死柄木さんの脳を使って、僕は代わりに考えた。

 

ーー魂の共鳴

 

脳の波長を上げる。

つまり、脳の電気活動を活発化させる。

奇妙に衰弱していた脳神経へ、閃光のような一撃を与えた。

 

「ああーーおかげで思い出した」

 

死柄木さんの持っていた大鎌が崩れ去る。

 

それに続いて黒剣も崩壊する。

黒剣を握っていた腕も、崩壊に飲み込まれた。

すぐに死柄木さんから離れるものの、崩壊の拡大する速度から逃げ切れない。

 

「痛い。痛い。痛い。与えられた苦痛を忘れないーーだから、すべて壊す」

 

その感情は波動となって流れ出す。

木々は崩れ、岩々も崩れ、山々が崩壊する。

崩壊という現象は流れ出すように広がって、世界を侵食した。

 

 

 

その光景をドクターは、モニター越しに見ていた。

カメラマンとして現地にいた改人脳無と共に、映像は切れる。

また別のモニター映っているのは、椅子に背を預けた人物だった。

 

「ドクター、神でも作る気かい?」

「ワシは、どちらでもいい」

 

狂気の波長は際限なく広がり、世界を覆う。

この小さな星を包み込み、狂気の渦に沈めるだろう。

顔のない王は魔剣の出力を解放し、単体で世界を滅ぼせる領域に至った。

 

「人の世は乱れ、天地は鳴動する」

 

魔剣ギャラルホルンによって、到来は告げられた。

 

「ーー終末の刻きたれり」



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新世界へ

最後の瞬間、死柄木さんは脳波の出力を増大させた。

死柄木さんと共鳴していた僕も、同等に出力を増大させる。

しかし、僕は押し負けて、体も完全に崩壊した。

 

目覚めると、何もなかった。

手も足も頭もなく、感覚すらない無の世界だ。

まず僕は自身の波長を調整し、彼の波長を探す。

彼の波長と共鳴していないから、他の波長を感じ取る事もできない。

初めて彼の波長と共鳴した時のように、自身の感覚を頼りに進んだ。

 

電波の周波数を合わせるように、少しずつ一致する。

すると波長が重なる度に肉体と繋がり、感覚が戻ったり消えたりする。

まるで肉体を繋ぎ合わせているようだ。

やがて波長を完全に一致させると、僕は目覚めた。

 

なぜか緑色の液体に浸かっている。

自身の手を見ると明らかに小さくなっていた。

円筒系のガラスケースに入れられ、チューブを接続されている。

これは見覚えのある、ドクターの研究施設にあった培養槽だ。

チューブを差し入れるために開口していた上部から、外へ出る。

左右に並んでいる培養槽に入っているのは、多数の改人脳無だった。

 

ここは病院の地下ではない。

窓から差し込む光が、地上と教えてくれる。

使われなくなった廃工場を利用した、脳無の生産施設だろう。

僕は通路に沿って移動し、突き当たった扉を開けた。

 

「おお、目が覚めたか、どうじゃ? 体に違和感はないか?」

 

そのセリフを聞くのは、これで3回目だ。

1回目は彼として、2回目は僕として。

今回は、どちらなのだろう。

 

「ドクター、彼の肉体を保存していたのですね」

「うむ、黒血の母体としてな。それらは脳無へ注入され、黒血の装甲として役立っておった。緑谷出久と黒血ーー君と脳無は、同じ血を分けた兄弟と言える」

 

今の僕に肉体はない。

波長によって存在を証明される脳だ。

そこから彼の脳波と共鳴し、彼の脳を通して肉体を操作している。

死柄木さんの個性によって、僕の肉体は崩壊した。

しかし、彼の肉体へ宿ったのは、どういう訳なのか。

 

「彼の肉体へ僕を移したのはドクターですか?」

「いいや、ワシではない。器の崩壊と共に、君と彼の波長は、波動となって拡散した。限りなく薄く広がり、そのまま消え去っていた事じゃろう。しかし、ここに、もう1つの器があった。いくつかの波動は重なって、その肉体へ収束したのじゃろう」

 

「そうなんですか」

「しかし目覚めるまで、ずいぶんと時間が掛かっておった」

 

世界は今、狂気の波長に侵されている。

人類の大半は自殺か、他殺によって亡くなっているだろう。

だから死柄木さんを倒さなければならない。

 

そう思って疑問に思う。

本当に死柄木さんを倒す必要はあるのだろうか?

死柄木さんは痛みを自覚し、その上で全てを壊そうとしている。

死柄木さんも苦しんでいるのだ。

だから救おう。

それは波長を扱える僕しかできない事だ。

 

黒血で服を形作る。

それは最後に彼の着ていた黒いワンピースだ。

もっとも黒血なので、黒の他に色はないけれど。

触れた感触も、鉄のように固かった。

 

「行ってきます」

 

そう、ドクターへ伝えた。

 

「武器を喰らった職人、職人を喰らった武器。あとは職人と武器の相性次第じゃ」

 

ドクターは独り言のように呟く。

でも、それは僕へ向けた助言だった。

僕と彼の相性ならば、誰にも負けられない。

 

深く深く、誰よりも深く。

僕と彼の波長を同一に近づける。

彼と僕を区別できないほどに、彼と1つになりたい。

 

ーー魂の共鳴

 

ボクは廃工場を出る。

人の住んでいた街は荒廃し、火災の起きた跡もある。

でも、すべては終わってしまったかのように静かだった。

 

道路に死体が転がっていた。

コンビニに死体が転がっていた。

住宅の前に死体が転がっていた。

あっちこっちで止まった車が、道を塞いでいる。

 

鳥の鳴き声もない。

すべての生物は狂気に侵され、殺し合った。

もしかすると生き残っている生物は、他に居ないのかも知れない。

 

やがて爆心地のような、そこに着いた。

あまりにも平らで、世界の果てのような光景だ。

その中心に独り、この星を侵す、狂気の根源があった。

 

ーーーーーーーーーー

ーーーーーーーー

ーーーーーー

ーーーー

ーー

 

どこまでも荒れ果てた大地の中心に、独り。

この世の全ては崩れ去り、もはや何も残っていない。

もはや彼を不快に思わせる何者も存在しなかった。

 

この終わりに行き着いた、小さな世界。

小さな世界で、たった独りの小さな王。

何も統べる事はできず、ただ君臨する。

 

ーー

ーーーー

ーーーーーー

ーーーーーーーー

ーーーーーーーーーー

 

狂気の波長に干渉する。

こちらに気づいた死柄木は、ゆっくりと立ち上がった。

死柄木の世界を歪めたボクという異物に、やっと意識を向けたのだ。

 

死柄木の一歩で、核爆発のような衝撃波が発生する。

発生した熱で地面は溶解し、灼熱した大地は蒸気を噴き上げた。

さらに一歩を進むほど地形を作り替え、この星を震わせる。

 

しかし、それはボクも同じだ。

死柄木の波長と共鳴し、ボクは出力を増大させた。

死柄木を中心として無差別に拡大する崩壊を、同じ出力で相殺する。

 

僕と死柄木は向き合った。

死柄木は片手を広げ、ボクも片手を広げる。

膨大な力を込めた素手を、互いに押し付け合った。

 

空にあった太陽が、大きく動く。

力の衝突によって、星の地軸は回転した。

破滅的な遠心力が働き、浮遊感と共に地上を一掃する。

 

ボクは上へ、死柄木は下へ。

共鳴する波長を引っ張り合って、互いに引きずり込む。

波長に共鳴した天地は鳴動し、ねじれた空間が引き千切られそうだった。

 

しかし、個性の差は大きかった。

同等の出力に、死柄木は個性を加算している。

完全に1つとなったボクでも、死柄木に届かない。

 

でも、ドクターは助言してくれた。

問題は、死柄木の力を借りているボクにある。

死柄木と同じように出力を解放し、自身の力で立つのだ。

 

1つになりたい。 (1つになれた)

愛し合いたい。 (愛し合えた)

同じ物になりたい。 (同じ物になれた)

私と同じものになってほしい。 (君と同じものになれた)

 

「君を愛している」 (あなたを愛しています)

 

死は終わりではない、永遠に君を想う。

 

「ーーその銘は魔剣ラグナロク」

 

ここ告げる。

 

「この魂に救済をーー!」

 

意識は剥離し、意識は拡大する。

極まった波長は果てを知らず、無限に高まっていく。

そこに存在するだけで、星を傾かせるほどの力だった。

 

ただし、器が耐え切れない。

ピシピシと音を立てて、ボクの表面は割れて行く。

高まる内圧は人としての限界を超えて、その力を発揮していた。

 

死までの、わずかな時間だ。

死柄木の波長を、その間に引っ張り上げる。

狂気の波長を打ち払い、闇から光へ放り投げた。

 

それを最後に、ボクは自壊する。

膨大なエネルギーと共に内側から吹っ飛んだ。

肉体から解放されたボクの意識は、世界へ果てしなく広がって行く。

 

 

 

その人物は、椅子に背を預けていた。

生命維持装置に身を繋がなければ、生きて行けない体だ。

狂気の波長から引き上げられた死柄木も、そこにいた。

 

「彼は人の身から解放され、この世界へ広がった。彼の波動を受けた人々は、あらゆる苦痛を我が物として生きる事ができる」

 

不幸な事故で死んでも、その痛みを受け入れ、希望をもって未来へ進む。

大切な人を奪われても、その痛みを受け入れ、希望をもって未来へ進む。

無情な死を前にしても、その痛みを受け入れ、希望をもって未来へ進む。

 

「最も新しい世界の法則であり、不可視の神と言える。心ない鋼鉄の歯車として今も、この世界に存在している。ここは彼の腹の内と言えるだろう」

 

この星に限らず、あるいは宇宙にも広がっているかも知れない。

この法から逃れる方法は、同等の力を以て相殺するしかなかった。

 

「どうする、弔?」

 

分かりきった問いを投げる。

たとえ人にとって、この世界が幸福であっても、その答えは変わらない。

 

「決まってるだろ、先生」

 

顔のない王は立ち上がり、決意と共に歩み出した。

 

 

 

 

 

「ーーこの世界をぶっこわす」

 

 

 

 

 

END




SPECIAL THANKS
蜜柑ブタ さん
烏瑠 さん


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