セカイの扉を開く者 (愛宕夏音)
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旅立ちの前
穏やかな一幕/武偵殺し


 

「ご主人様、朝ですよ」

 

鈴を転がしたような声、甘い、優しい声。それが俺の耳を打ち、肩を揺さぶるその振動は強くはない。けれども、それらはどんなにけたたましい目覚まし時計よりも手早く確実に俺の意識を眠りの沼から引き上げるのだ。

 

「あぁ、おはよ、リサ」

 

瞼を開ければ、そこにいたのは透き通るような金髪をした美しい少女。リサ・アヴェ・デュ・アンク、俺──神代天人──をご主人様と呼ぶ奴はこの世でただ1人、彼女だけだ。俺の身の回りの世話を焼いてくれるメイドであり愛おしい恋人でもある彼女に起こされることは俺の毎朝の日課だった。

 

「おはようございます、ご主人様。今日は始業式ですね」

 

朝一番で彼女の顔を見れる幸せを噛み締めつつ、一言そうだなと返し、俺はモソモソと布団から這い出でる。まだ毛布の中に残した温もりが恋しい気温ではあるけれど、今俺の目の前には布団より愛おしい恋人がいる。そして俺の鼻には彼女の作った朝食の匂いが届いているのだ。布団には別れを告げ、俺はリビングへと向かうことにした。

 

 

「「いただきます」」

 

2人で声を揃えて食事の挨拶。

用意された食事を1口、自分の口の中に放り込めば、うん、今日も美味しい。

 

付き合っていると言ってもお互いの性分なのだろうか、食事中にはあまり会話はしない。だが、別にそれが重苦しい空気になるということもなく、ただ穏やかな時間が流れていく。何となしに電源を着けたテレビから流れてく朝のニュースはどこでどんな事件が起こっただの何とかという政治家が失言をしただのと、昨日の夜には聞いたようなニュースを賢しらに繰り返している。本来は4人部屋のこの寮の一室は俺がリサと暮らしたいが為に他に居た3人の同居人と話し合いの末に別の部屋に移ってもらっていた。おかげで2人暮しでもまだ余裕のあるこの部屋にはリピート放送のように同じ映像が繰り返されるニュースでも広さを埋めきれていない。だが俺はこの余白が好きだった。きっとリサも好きなのだろう。飯を食いながら頬が緩んでしまうと口からスクランブルエッグが零れてしまうのでどうにかそれを堪え、この空白を楽しんでいたが、やがてそれも終わる。朝食を採り終え、リサが食器の片付けをしてくれている間に俺も顔を洗ったり歯を磨いたりして学校へ行く準備を進めていく。

服以外の身嗜みを最低限整え、パジャマを洗濯カゴに放り出した俺は自室に制服を取りに行く。

 

半分物置と化している机に無造作に放り投げ置かれているゲーム機や漫画の類を横目に、クローゼットから丁寧に畳まれた黒いタンクトップと白いワイシャツを引っ張り出して袖を通す。そしてハンガーラックに掛けられた臙脂色の制服を手に取りズボンに足を通してそのボタンと窓を閉じ、ベルトを締める。そして上着のブレザーを椅子に引っかけ、机の引き出しに入っているホルスターと拳銃を取り出す。マガジンに鉛玉が装弾数最大まで込められていることを確認してそれを差し直す。その機能美を追求した黒い殺意の塊を脇のホルスターにしまい込み、ズボンのポケットに"アレ"が入っていることを確認してからブレザーに袖を通した。

元々は勉強机だったらしい物置の傍に投げ捨てられていた薄い学生鞄を手に取って部屋を出れば、そこには今日もこれ以上無いくらいに可愛らしいリサがいる。

 

「モーイ、今日も防弾制服が良くお似合いです」

 

この褒め言葉もいつも通り。朝からそんな風に手放しで褒められるのは気恥しいばかりなので、照れ隠しにリサの形の良いおでこにキスを1つ落とす。

 

「じゃあ行こうか」

 

「はい!」

 

2人揃って男子寮の部屋を出る。そして階段を降りて寮の前のバス停でバスを待つ。武偵校はクラス分けそのものは掲示板で発表されるのだが、新しいクラスの席の割り振りは早い者勝ちなのだ。そのため、俺達はいつもより早く出て、始業式すらもフケて狙いの席を確保しようというわけだ。

お互いの手を繋ぎ、取り留めもない会話をしているとその内にバスがやって来た。まだほとんど人の乗っていないそれに乗り込むと、俺達が2人掛けの座席に座ったところでバスが発車する。

 

 

校舎の前まで走るバスから降り、掲示板で今年のクラスを確認したところ、俺達は2人ともA組とのことだった。他の奴らも確認したが、知ってる名前も多い。その中でも特に馴染み深い何人かが揃っていることも確認し、俺とリサは自分らの教室へと向かった。そこにはやはりまだ誰も来ておらず、俺は窓際後ろから2番目、リサはその横に各々のカバンを置いて席を確保。1番後ろにしなかった理由は単にプリントやノートを回収する役割を担うのが面倒だったからだ。

 

「まだ誰も来ていませんね」

 

「そりゃまぁ、その為に早く来たんだしな」

 

リサと2人だけの時間が流れていく。俺が1番好きな時間。俺はリサを自分の膝の上に乗せるとそのまま後ろから抱きしめる。そうすれば彼女の髪から柔らかい香りが漂ってくる。俺の好きな香り、腕から伝わる柔らかさも俺の好きな感触。それが俺の好みなのか、リサのものだから好きなのか、その区別は付いていない。だがそんなことはどうでも良いのだ。ただ俺はこれが好き、それだけだ。だから今はこれらを目一杯堪能する。

 

その内にガラガラと教室の後ろのドアを開けて190センチ近い身長の大男が入ってきた。車輌科の武藤剛気だ。ガサツなアイツにしてはやけに早い到着だから、きっと俺達の思考は同じだろう。

 

「あーくそ、天人に先を越されたか……って言うか、朝から見せつけてくれてんなぁ。轢いてやる!」

 

額に手を当て天を仰ぐ武藤は、リサを膝の上に乗せた俺を見て更にゲンナリしたような顔になる。だが轢いてやるという過激な口癖だけは忘れていない。

 

「おはようございます、武藤様」

 

「はーい、おっはよーございまーす!リサさん!」

 

だがそんな武藤もリサに挨拶をされれば即座に絆されて手のひらを返したようなニヤケ顔になる。

まったく、お前は白雪に気があるんじゃないのか?

しかし、俺のジト目も何のその。武藤は適当な机に薄っぺらい鞄を放り投げるとそのまま俺の後ろの席に座り込んでダラダラと春休みに何があっただのどんな乗り物を運転しただのと聞いてもないのに喋り出す。リサもリサで適当に頷いたり相槌を打ったりで聞き流してはいそうだが、武藤的にはそれでも良いのか特にお喋りを止める気はなさそうだった。こうなったら俺も聞いてるだけは暇なので会話に入る。

そうして適当に時間を過ごしていると、段々と教室に人が増えていく。……やっぱりあんまり始業式には出てねぇなこいつら。

朝のSHR(ショートホームルーム)の少し前に俺とリサの昔馴染みである峰理子がテンション高めに教室に入ってきた。そして、最後尾の席に赤い、ランドセルみたいなカバンを置いて席を確保。そのままその席に座った。……やたらとニコニコ顔なのが気になるが、まぁいい。

そうしてザワザワと騒がしくなったクラスに最後に入ってきたのは遠山キンジだった。こっちは理子とは対照的に凄まじくテンションが沈んでいる。そこに武藤が、キンジの幼馴染みである白雪をネタに絡みに行くが「今の俺に女の話題を振るな」と袖にされていた。ふむ、てことはまた()()()んだなぁ。

 

その直後、教室の前の扉を開けて入ってきたのは大人の女の人。というかこのクラスの担任の先生を務めるらしい高天原ゆとり先生だ。ちなみに2つ名は血濡れ(ブラッティ)ゆとり。元傭兵で、前に頭部を撃たれた影響で今は戦うことは出来ないけれど、この学校のヤバい教師2大巨頭の蘭豹と綴梅子との3人でルームシェアをしているのに今も生きているということはそれだけこの人もとんでもない人ではある。担当科目は探偵科、今のキンジが所属している学科だ。

 

「はーい、それではホームルームを始めますよ~」

 

パンパン、と高天原先生が手を叩けばザワつきは収まりつつ皆そっちを見る。

 

「では自己紹介からお願いします。じゃあまずはぁ、3学期に転校してきた可愛い女の子からぁ」

 

と、ゆったりじっくり紹介されたソイツが席から立ち上がる。ピンクブロンドなんていう物珍しい髪色をした背の低い女子だ。ていうか知っている。神崎・H・アリアだ。強襲科のSランク武偵にして強襲成功率の高さと負傷率の低さで有名な国際的な武偵。3学期にこの東京武偵校に転校してきて強襲科に所属、即俺をパーティーに勧誘してきた奴だ。もちろん俺はアイツの勧誘は断ったが。あと、奴と同じクラスなのも知ってた。クラス名簿、名前順だったからな。神代(かみしろ)神崎(かんざき)だから近いのだ。で、その神崎がいきなり後ろを向いたかと思えば───

 

「あたし、アイツの横に座りたい」

 

と、キンジを指差して宣った。

キンジも神崎の顔を見て驚いたようで、椅子から転げ落ちそうになっている。雛壇芸人か何かか?どうやら朝のキンジの機嫌が悪かったのにはアイツが関わっているらしい。高天原先生も「あらあら、最近の若い子は積極的ねぇ」なんてポヤポヤしているし、キンジの横の席、というかキンジが武藤の横の席に座ったんだが、ともかくその武藤も「俺、転校生さんと席変わりまーす」なんて言ってキンジの腕をブンブン振り回している。

 

そしてそんな喧騒の中を神崎はツカツカとキンジの元に歩み寄り、何かを手渡した。……ベルト?

 

「これ、アンタ忘れてったでしょ」

 

そしてそれを見た理子が突然、勢い良く席から立ち上がる。

 

「理子分かった分かっちゃったぁ!これフラグバッキバキに立ってるよー!!」

 

甘ったるい声で明るい茶髪のツインテールを揺らしながら理子がまたアホなことを言い出す。

 

「キーくんベルトしてない。それを転校生さんが持ってた。つまりキーくんは転校生さんの前でベルトを外すような行為をした……。ということは、2人は熱い熱い恋愛の真っ最中なんだよー!!」

 

ドーン!!なんて擬音が聞こえてきそうだ。ビシッとキンジのベルトを指差してドヤ顔を晒しているけど、まぁ多分無いだろ……。しかしこのクラス、というか武偵校の生徒は元々専門科目での顔見知りが多く、クラス替えをしても結構知っている顔が多い。仕事でも組む時あるしな。だから新学年になった直後でも仲は良いのだが……それが発揮されるのは大抵こういう悪ノリの時ばかりなのだ。

そして今回も例に漏れずに、不潔ーだの根暗だと思ったのに、とか、陰気な奴だと信じてたのに!とか、キンジもまぁ、半分くらいは自分のせいなのだがそれにしても酷い言われようだ。で、もう1人の渦中の人物こと神崎アリアさんはと言えば……。

 

ダダンッ!

 

天井に向けてガバメント(大口径拳銃)をぶっ放した。この武偵校、確かに校舎内での発砲は禁止されていない。だが必要以上にはするなとされている。これがどうかは知らんが。だが顔を真っ赤にして弾いた神崎は俺達に向けてこう言い放った。

 

「れ、恋愛なんてくっだらない。私はそんなものに興味はないしするつもりもない……。そんなくだらないことばかり言う奴には───」

 

 

──風穴空けるわよ!!──

 

 

それが、神崎・H・アリアが高校2年生になったクラスに向けて放った、最初の言葉だった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「で、朝のミッションはクリアしたのか?」

 

昼休み、超高速でクラスの追求から逃げ出したキンジは丸っと無視して俺はリサと理子と弁当を囲んでいた。話題は午前中に学校から回ってきた周知メールの件。男子生徒が爆弾魔に襲われたという内容。

 

「んー?まぁボチボチかなぁ。取り敢えず最低限はって感じー」

 

「俺はやらんからな」

 

「まーね。天人、()()()抜けちゃったし」

 

ギルド、とは理子がやっているインターネットを利用したゲームの中で使われる組織を指す言葉だ。ネットのゲームには、ギルドと呼ばれる集団が幾つもあるらしい。今俺達はそれの話をしている振りで会話を進めている。

 

「抜けたっていうか、ありゃ半分追い出されたんだろ」

 

「まーね。……卵焼きもーらい」

 

「あっ、させるか!!」

 

理子が俺の弁当箱からリサの作った卵焼きを箸で奪い取ったのでそれが理子の口の中へ運ばれる前に、俺はその箸から卵焼きを奪い返す。……箸こと咥える形で。

 

「ギャー!?」

 

理子の叫び声が教室に響く。クラスにいた奴がこちらを見るがこの程度の騒ぎ、武偵校じゃ日常茶飯事だ。ただ俺達が遊んでいるだけと気付き、皆すぐに視線を戻す。

 

「ティッシュはやる」

 

「そういう問題!?ねぇリサ!どうなのこれぇ!?」

 

「え、えぇと……」

 

リサはリサで、女子的には反論したいが元々おかずを奪ったのは理子なのでなんとも言い難い、そんな表情をしている。

それに対し理子が「リサは天人に甘い」と文句を垂れつつ箸を拭いている。そんな風ないつも通りの光景。学年が変わっても俺達がやることは大して変わらない。この時はそんな風に思っていた、いや、思いたかったんだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

始業式から数日後、その日は生憎の雨模様で、俺とリサは学生寮から学校まで出ているバスが混雑するのを嫌っていつもより早目に出ていた。どうやらキンジはアリアに付き纏われているみたいだが俺はそっちに関わる気は無い。

だがそんな俺の携帯に1本の電話が掛かってきた。

 

「もしも───」

 

「天人!!どこにいるの!?今すぐ強襲科でC装備に着替えて女子寮の屋上まで来なさい!!」

 

携帯のマイクから鳴り響いたのはアリアの甲高いアニメ声。その声量に思わず俺は携帯を耳から離す。何なんだ一体……。

 

「……今学校だよ。何でだ」

 

「学生寮前を7:58分発のバスがジャックされたわ。被害者はそれに乗っている武偵校の生徒。仲間を信じ、仲間を助けよ、よ。分かった?」

 

ここでこれを断ろうにも俺にはその理由を話すことか出来ない。まったく、面倒なことだ。

 

「……レキは呼んどけ」

 

「当然じゃない。もう居るわ」

 

「あっそ」

 

俺はそこで電話を切り、ガシガシと頭を掻き毟る。俺はアイツからのパートナーになれという誘いは断ったが単発の事件で組むことまでは拒否していなかった。流石に、同じ学校同じ学年の強襲武偵同士でそこまでするのは割と面倒だしな。

 

「行ってらっしゃいませ」

 

そして、リサは俺のその態度で全てを察した、というかあんだけデカい声で喋りゃ横にいるリサには丸聞こえだっただろう。ともかく俺が出ることを把握したらしいリサは直ぐに俺のカバンを受け取った。

 

「悪いな。ま、すぐ戻るさ」

 

「お気を付けて」

 

「あぁ」

 

サッと周りを見て誰もいないことを確認し、俺はリサの口にキスを1つ落とす。いつも任務に行く前の俺達のお約束。拳銃と刀剣の類を確認し、俺は走り出す。雨の中、態々強襲科までの道のりを。

 

 

 

 

 

「来たわね。後は……」

 

土砂降りの中、態々C装備に着替えてまで女子寮の屋上まで行くとそこにはアリアがいた。あとドアの横にレキ。

 

レキ──狙撃科の生徒で俺たちと同学年。だがそのランクはSの超凄腕狙撃手だ──

 

で、そのレキは何やらヘッドホンで音を聞いている。前に何を聞いているのか聞いたところ、風の音だとか答えられてむしろこっちが返事に困ったことがある。何せ、ホントかよと思って俺もヘッドホンを耳に当てたのだが、そこから聞こえてきたのは本当に風の音。環境音とでも言うのだろうか。だがそれにしては寒々しい音が鳴るだけで俺は直ぐにヘッドホンを返した記憶がある。あと踵も返した。

で、今も携帯に向かって何やら叫んでいる神崎を横目に俺もボケっと突っ立っていたのだが、再びここに繋がるドアが開いた。そこから出てきたのはなんとキンジ。まぁ、キンジも強襲科で入学した時はSランク武偵だったしそもそも今の神崎の目的はキンジなのだから当たり前か。

 

「天人……レキもか」

 

「おすキンジ」

 

「揃ったわね。まぁこれだけいれば火力不足にはならないわ」

 

「待ってくれアリア。リーダーをやるなら勝手にやれ!けど状況説明(ブリーフィング)くらいはちゃんとしろ。武偵はどんな任務にも命を懸けて臨むんだぞ!」

 

「武偵校の生徒を乗せたバスが武偵殺しにジャックされたわ!任務はこのバスに仕掛けられた爆弾を解除して生徒達を救出すること、以上!」

 

「武偵殺しって……そいつはもう逮捕されたんだろ!?」

 

「……落ち着けキンジ」

 

「天人っ!」

 

「逮捕された武偵殺しは替え玉だ。本人じゃない」

 

「……へぇ、天人、アンタやけに詳しいじゃない」

 

「さてな。で、だ。武偵殺しはその凶器が爆発物である関係で基本的にはその場にはいない。だが遠隔で操作する以上は電波や何かを使う必要があるが……」

 

「……武偵殺しの使うそれにはパターンがあるの。私はそれをキャッチしたのよ」

 

そこまで話したところで空からプロペラの音が聞こえてくる。ヘリまで用意してあったのか。用意がいいな。

 

「続きは空の上でだな」

 

 

 

───────────────

 

 

 

雨の中、走るバスの上にヘリから降り立った俺達はまずキンジがバスの車内に侵入、状況把握に務めつつ神崎が爆弾の解除を試みる。俺とレキはそれのバックアップだ。しかし、というか神崎とキンジは何やらこの事件に関して約束でもあるようだ。それも、キンジに対して神崎は実力を見せてみろというような感じの……。ということは、キンジはあのチャリジャックの時にでも神崎と出会い、()()になったということだろう。そしてその時のキンジの実力に興味を持った神崎に付き纏われていると。だが今のキンジにはこの任務は荷が勝ち過ぎている。俺が上手いことやらなければならないかもしれないな。

 

「……来ます」

 

無線からのレキの声に合わせて俺は()()()()()()()()()()()()。それにより俺は自身の身体に力が漲ってくるのが分かる。

すると、土砂降りの雨の中、バスの後ろからルノーがとんでもない速度で駆け抜けてくる。よく見れば座席には人影はなく、代わりにUZI(サブマシンガン)が鎮座していた。あぁまったく、これ以上ないくらいに武偵殺しの仕業だよ。

バスの中に入ったキンジの情報に寄れば、1年の女子生徒の携帯がすり替えられたのか乗っ取られたのか、そこから流れる機械音声に減速したら爆発すると脅されているようだし。

 

俺は更に身体の中の扉を開け、全身に力を流し込む。そうして増大した知覚能力に任せて俺は引き金を引く。

 

ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!

 

俺の右手に構えられたP250(シグ)から吐き出された9ミリの弾丸がルノーのタイヤを撃つがどうやら防弾製のようでフルメタル・ジャケットの弾丸はそのゴムを穿つことなく弾かれてしまった。

ルノーが突撃して来た時にはキンジが運転手に指示を出していて、既に片側の車線に寄っているから一応射線は限定されてはいる。けれども───

 

「キンジ!神崎!左手側からだ!!」

 

いくらこっちが満員のバスで、向こうがルノーのサイズでもこのスピードで走っている時に横合いからぶつかられたらそれなりの衝撃はある。

俺が思わずたたらを踏んだ瞬間───

 

バババババババッッ!!

 

ルノーが窓ガラスを下げた途端に車内のUZIが火を吹いた。そこから放たれた9ミリの弾丸がバスの窓ガラスを叩き割り車内へ殺到する。武偵校の生徒であれば防弾制服を着ているから頭を撃たれない限りは即死は無いだろうが、それでも打ち所が悪ければ骨折や内臓破裂に至ることもある。防弾制服というのは弾丸の貫通こそ防いでくれるものの、その衝撃までは殺せない。

 

無線からキンジの苦悶の声が聞こえる。アイツは今は制服じゃなくて防弾チョッキだから多少撃たれても大丈夫だろうが、それなりの痛みと衝撃はある。だがルノーが窓を開けたおかげでこっちからの射線も通るぜ。

俺はルノーの運転席にいたUZIに弾丸を叩きつける。それによりまずは危険な火器を潰すことに成功した。そしてキンジからトンネルに入るという無線の連絡を受けて一旦姿勢を低くする。すると10秒程でトンネルの中に入った。すると、そのタイミングでメットをぶち破られたらしい神崎も上に登ってきた。

 

「ルノーにメットを叩き割られたの。助かったわ」

 

「あぁ、けどまだ来るぞ」

 

そう、俺達の乗るバスの後ろにはさらにもう1台、ルノーが来ていたのだ。それもやはりUZIが乗っている。

 

「どうせあれも防弾製だろ。横合いに付けられて撃たれるのを待つしかない」

 

「……かもね」

 

「おい!大丈夫か!?」

 

すると、今度はキンジがメット無しでこっちに登ってきた。

 

「な、何でアンタはメットをしてないのよ!危ないから中にいなさい!!」

 

「運転手が負傷した!今は武藤にヘルメットを渡して運転させている!」

 

「あぁもう!!」

 

「……喧嘩してる暇はねぇぞ」

 

トンネルを抜け、レインボーブリッジに差し掛かった所でルノーの後ろからもう1台、今度はワゴン車が見えた。そしてヘリの中にいる視力両目とも6.0のレキからとんでもない通信が……。

 

「……ワゴン車の車内に武装を確認。多少形状は違いますが、ウルティマ・ラティオ・へカートⅡと推測します」

 

12.7mmの超大口径を持つお化け火力の対物ライフル。なるほど、これが俺への対策ってワケかよ……。

 

「そんな……」

 

「はっ、ありゃあ俺への対策だ。……神崎、キンジ、俺はアレとやるからここで離脱だ。UZIは任せたぞ」

 

「無茶よ!!」

 

「舐めんな。あれくらいどうにかなる。……レキ、爆弾の方は任せたぞ」

 

「了解です」

 

レキの返事を聞き流しながら俺は神崎達の前に立ち、身体を大きく捻りながら半身で構える。当然、扉は全開だ。化け物には化け物をぶつけるってんなら相手になってやるぜ。()()()()()()()()でこの俺に勝てるつもりかよ、武偵殺し。

 

そして俺が構えたのを見計らってか狙いをつけられたのが今なのか、へカートⅡから死を内包した致命の弾丸が解き放たれた。

俺は爆発的に増大した知覚の中でそれを捉える。音を完全に置き去りにしマズルフラッシュが瞬いた時には既に腹の寸前に迫っているそのNATO弾を俺は───

 

 

──左手の人差し指と中指で挟み込んだ──

 

 

そしてその瞬間には捻った身体を腕ごと跳ね上げるようにして回転する。

俺を真っ二つにしようとした弾丸は俺の指の間を抜け、その手前で進行方向をあらぬ向きへ変えられて虚空へと飛んでいった。俺は直ぐに左拳を握り、指の調子を確かめる。うん、大丈夫そうだ。

そして俺は駆け出す。濡れたコンクリートの上へ、あの怪物兵器を載せたワゴン車の元へ。

そして強烈な2射目が飛んでくる前にへカートⅡの銃口へ俺の拳銃から弾丸をお返ししてその怪物兵器を粉砕する。そしてワゴン車が俺を轢殺しようと迫った瞬間、俺は右足で車体を蹴り上げる。そして跳ね上げた車体の下を潜るように身体を後ろに逸らしてバック宙を切りながら左足で車の下部を蹴り上げた。

反転する視界の中でワゴン車は回転しながら宙を舞い、無様な姿を晒してレインボーブリッジに横たわった。

 

 

 

 

───────────────

 

 

 

 

あの後、バスの裏に仕掛けられていた爆弾そのものは揺れるヘリの上からの狙撃という離れ業をやってのけたレキにより排除され、もう1台のルノーも神崎によって破壊された。これにより武偵校の生徒を狙ったとされるバスジャック事件は一旦の解決を見た。もっとも、犯人に繋がる手がかりは得られず終い。神崎もルノーと刺し違える形になって、戦闘に支障は無いことは不幸中の幸いとは言え、その形の良いデコに消えない傷跡を残すことになった。

 

そして入院する羽目になっていた神崎が退院する予定の前日、俺はその豪華な個室に呼び出されていた。

 

「……なんで呼ばれたかは分かってるわよね?」

 

夕暮れに照らされた神崎はその美貌と相まって中々に幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 

「確かに、俺はお前の欲しい答えを知っている。けどそれを答える気は無い」

 

「アンタ……」

 

「分かってんだろ?どういう所か」

 

「ふん、高速で突っ込んでくるワゴン車を蹴り上げるような人間の台詞とは思えないわね」

 

()()()()って言ってんだよ。お前、次は死ぬぜ?」

 

神崎が今追っているのは確かに武偵殺しだ。だがコイツの本当の目的はその延長線上にいるとある組織。だがそこは構成員の私闘を()()()()()()()。当然、俺が何か話したと勘繰られただけでも武偵殺しなんて子供の悪戯に思えるようなヤバい奴らが出てくるわけだ。

 

「死ぬのが怖くて───」

 

「お前が死んだら誰が手前の母親を出すんだよ」

 

「───っ!?な、何で……アンタが……そ、れを……」

 

神崎の目が驚愕に見開かれる。あんまりに大きく開いたもんだからその大きな瞳が零れ落ちそうだ。

 

「言ったろ、俺はお前の聞きたい答えを知ってるって。そして、これこそ俺がお前に何も話せない理由だ。……あぁそうだ、武偵殺しと()()はあっちじゃワーストの2人だ」

 

 

これくらいは別に喋っても良いだろうよ。言われた方は良い気はしないだろうが、俺にとっちゃその2人なら問題の無い相手だからな。

 

「……なら武偵殺しについてくらい教えなさいよ」

 

「悪いな神崎。俺は友達は売らない主義なんだ」

 

これが俺に出来る最大限の譲歩。そのデコの傷に見合うとは思わねぇけどな。それでもこれ以上は言えないよ。

俺は夕暮れの中に項垂れる神崎を置いて、その1人には大き過ぎる病室を後にした。

 

 

 



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粒子と白焔

結局のところ、武偵殺しはその正体をこそ神崎とキンジに露呈させたものの、逮捕されることなく見事に逃げ切ったらしい。最後はハイジャックでの直接対決だったみたいだが、理子(武偵殺し)はそこから逃げ失せ、乗っ取られた飛行機はキンジがどうにか一般の乗客を負傷者ゼロで不時着させたのだ。

そんなニュースを、いや、俺も武藤に駆り出されてキンジが飛行機を着陸させられるようにライトで滑走路を作ったのでテレビに言われなくとも知っている。

 

「……で、俺にどうしろと?」

 

「星伽白雪を()()()()へ連れて行く作戦に協力してもらいたいのだ」

 

理子がハイジャックした飛行機をキンジが着陸させたのは武偵校とレインボーブリッジを挟んで反対側に浮かぶ南北2キロ、東西500メートルほどの無人島。台場の開発だかで作ったのだが計画が頓挫して放置されたコンクリートの島だ。そこにある壊れた風車に呼び出されたと思えばコレだ。ちなみに風車が壊れた理由はキンジが飛行機を着陸させる時の制動距離を稼ぐ為に翼をこれにぶつけたから。強引な手を使ったものだと思うが、確かにこれしかなかったかもな。

 

「……ヤダよ面倒臭い」

 

「お前達武偵には仲間を信じ、仲間を助けよなんていう習わしがあるのだろう?たまには旧友のことも助けてほしいな」

 

「お前、武偵じゃないだろうが。それに、星伽も一応武偵の仲間なんだけどな」

 

「……まぁいい。天人、お前に頼んだのは駄目で元々だ。お前抜きでも作戦はあるからな」

 

……それあるんなら最初から俺は要らねぇじゃねぇかと思ったが、まぁどうせ万全を期すためとか逃げる時の殿とかそんな役割だったのだろう。後は()()に狙われているという諜報科からの情報があった星伽の護衛(キンジと神崎)を引き剥がす役割とか、多分そんなん。

 

「お前の邪魔をする気もねぇから安心しろ。あぁけど、キンジは気を付けろよ?アイツはあれで結構()()()らしいからな」

 

「……お前は」

 

「んー?」

 

「……いや、何でもない」

 

プイ、と魔剣ことジャンヌは急に不機嫌になってそっぽを向いた。後ろで束ねた美しい銀髪が夜の闇の中でも輝きながら揺れる。手伝いを断ったからって訳じゃなさそうだが、どうしたいきなり。

さて、前にリサから女子を不機嫌にさせた時にはサラリと相手のことを褒めると良いと聞いた。だが突然言い出しても効果は無く、会話の自然な流れの中で言う必要があるそうだ。……それどうしろと?

いや、だが今はむしろここで解散の流れだ。別れ際なら多少勢いで誤魔化せるかもしれない。

 

「あっそ。じゃあまぁ頑張れよ」

 

「ふん、お前に言われなくとも」

 

「そうかよ。ま、安心しろ、例えヘマこいて武偵校の預かりになってもその制服は似合ってるぞ」

 

このジャンヌ、武偵校に潜入する一環で今も武偵校の赤いセーラー服を纏っていたのだが、それが思いの外似合っていたのだ。なので皮肉混じりにはなってしまったが素直に褒めておいてご機嫌を取っておこうという作戦だ。

で、その成否と言えば……

 

「な、あ、お、お前……に、そんなこと……嘘じゃないだろうな……?」

 

その陶磁器みたいに白い肌を真っ赤に染めていた。この夜の中でも分かるってのは相当だな……。

 

「こんなことで嘘付かねぇよ」

 

「本当だな?嘘だったら氷柱にしてやるからな」

 

こっわ……。まぁ、機嫌は良くなってるみたいだから作戦は成功ということで。

 

「嘘じゃねぇから氷漬けは止めろ」

 

「ふん、それならば良い」

 

ジャンヌは自分の胸の前で腕を組み、そのままツカツカと歩いて行ってしまった。1人ポツンと残された俺は……

 

「あぁ、リサ?ちょっと聞きたいんだけど……」

 

取り敢えず対応はあれで良かったのか、リサ本人に電話越しで聞いてみることにした。

 

 

 

───────────────

 

 

 

あの後リサには電話越しにこってりと叱られた。確かに言った通りには実践できているが、相手によってはそれをすれば良いというものでもないのだそうだ。よく分からん。

 

そして今、武偵校は沸いている。アドシアードとかいうイベントがあるのだ。これは、外部から人を呼んで女子武偵がチアをやったりマーチングをやったり、男子はその後ろでバンドをやってたりする。他にも、長距離狙撃や射撃の記録会等を行ったりする。ここで良い記録を出せば武偵企業や武偵大への推薦が貰えたりするので案外気合いは入っている。

ま、基本的には世間的に乱暴者みたいな印象の強い武偵の、対外的な好感度稼ぎのイベントなのだが……。

で、俺は当然リサをそんな見世物にする気は更々無く、俺自身もバンドとか面倒なのでやる気は無い。なので実行委員からの抵抗を押し切りリサは1日受付。俺も午前中は見回りをやりつつこの日の午後には前々から仕事を入れてあった。あったりするのだが、ここで使われるチア衣装は黒字に赤いラインが入っていて、胸元が銃弾の形にくり抜かれているというもので、男子的には中々に宜しいデザインなのだ。去年はそれを知らずにフケてしまったのでこのチア衣装を着たリサを見ることが叶わなかったのだ。なので今年は割と大枚を叩いてこれを裏ルートで入手している。今度こっそり着てもらうつもりだ。

 

……リサは裁縫も出来るので作ってもらうというのも可能ではあるのだが、流石にそれはあんまりにも恥ずかしかった。いや、どっちにしろ着てもらう時に頼むのだからあんまり変わらない気もするけれど、縫ってるところを見るのも絶対恥ずいよなぁ……ということだ。

 

で、そんなことはさて置き、校内を見回りつつリサに変な虫が付かないか監視していたところ、俺の携帯がメールの着信を知らせる振動を発した。

見れば今日の仕事の依頼主で、落ち合う場所を変えてくれという指示だった。こんな直前で?と思う間もなく2通目の着信。また依頼主だ。頭に疑問符を浮かべつつメールを開けばそこには1枚の写真が添付されていた。

何かと思って開いた俺の携帯の画面に広がったのは───

 

 

──ロープで拘束されたリサが気絶して横たわってる姿だった──

 

 

「なっ───!?」

 

いや待て、落ち着け。まずは1通目だ。まだあれを確認し終えていない。

だがそのメールに記されていた新たな集合場所はレインボーブリッジを挟んで向かい側の無人島、つまりここに来いという誘いだ。

上等じゃねぇか。誰だか知らねぇけど、リサに手ぇ出したこと、死ぬ程後悔させてやるよ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「来たな」

 

キンジが飛行機の翼でへし折った風車の根元にそいつは居た。今だ気を失ったままのリサを足元に置き、不敵な笑みを浮かべているそいつは20代半ばと思われる男だった。顔付きは日本人、その造形はまぁ、美形の部類に入ると言って差し支えあるまい。背もかなり高いな、俺より10センチ程は上だろう。体格もそれなりにしっかりしているように見える。だがそんな身体的特徴よりも何よりも、奴の纏う雰囲気が異常だ。1歩近付く度に後ろに押し出されそうな圧を感じるのだ。それも薄暗く、粘り着くような気配だ。だがそんなものに気圧されている暇はない。リサが今、誰とも知らない男の手に落ちているのだ。そこから救うのが俺の使命。

 

「先月俺に届いた現金輸送の護衛、あれもお前か?」

 

「あぁ。何、簡単な事だよ。イ・ウーとか言ったか……。彼らの計画で君は邪魔なんだとさ。だからこの私に君を消してくれと依頼があった。それが3月のこと」

 

3月……ジャンヌがこっちに来る前から俺を消す計画は始まってたってことか。だがそんな前から依頼があって、何故このタイミングなんだ。リサを餌に俺を誘き出すなら今じゃなくても何度も隙はあったはずだ。特に俺が任務に出ている間ならリサを攫うことは然程難しいことではないだろう。何せアドシアードをやっていて人目の多いこのタイミングで仕掛けられるのだ、何か理由でもあるのだろう。

 

「ふん、その割に手ぇ出すのがおせぇな。ビビったのか?」

 

「まさか。君のような未開放者(ノンアプリーレ)に負ける程私の力は甘くはない」

 

今、アイツは何と言った?()()()()と言ったのか?俺のことを。その言い方を知っているということはそうか、コイツも()()なんだな。だが、だからこそコイツには色々と喋ってもらわなくちゃいけなさそうだ。

 

「はっ、なら何で2ヶ月も大人しくしてたんだ?まさかリサを攫う作戦を練るのにそんなに掛かったとか言うんじゃねぇだろうな?」

 

俺は、この会話の間にも少しずつ力を開いていく。一気に開くのは身体に負担が掛かるからな。電気のスイッチのようにパチパチと開けたり閉じたりするわけにもいかないのだ。

 

「そんなもの、依頼主からのご指定だからだ。君、というより遠山キンジと神崎・H・アリアとか言ったか。彼らに何かあるようだったが……」

 

キンジと神崎?ということは依頼主はアイツか?本当、油断ならねぇ奴だ。

 

「さて、元々この女は君を呼ぶためだけにここに連れて来たわけだが……。よくよく見れば何とも見目麗しいではないか。それに2ヶ月もあれば人1人の情報くらいそれなりに集まる。随分と気立ても良い女みたいじゃあないか。この私の伴侶に相応しい」

 

……何だと?この野郎、言うに事欠いてリサを伴手前の侶にするだと?ただ俺を呼ぶ為だけに拉致ったのだったらまだこちらにも考えがあったけどな、そりゃあ悪手だぜ。そんなことを宣った奴を俺が無事に帰す訳がねぇだろうに。

 

「ふん、怒っているな。分かりやすい奴め」

 

「……当たり前だろうが。てめぇリサに手ぇ出しといて無事に帰れると思うなよ?」

 

俺は背中から刀の柄だけを取り出す。刀身の無いそれはしかし、俺が1振りすればそこには俺の身長くらいはある闇色の刀身が現れる。

 

──雪月花──

 

それは、1度は全てを失った俺に遺された僅かばかりの遺品だった。

それは俺や、そして恐らくコイツの様な聖痕持ち(スティグマホルダー)と呼ばれるような奴らの持つ膨大な力をコントロールする役割も果たす物だ。色んな形があるそうだが、俺の家に伝わっていたのは持ち主の力に反応して様々な刀身を現す刀の柄だった。そして柄だけにも関わらず存在する銘こそが雪月花である。

俺がレインボーブリッジで対物ライフルの弾丸を受け流したり爆走するワゴン車を蹴り上げた身体機能の秘密がこの聖痕だ。

 

聖痕──スティグマとかそのまま聖痕(せいこん)とか呼ばれているもの。別に身体に文字通りの痣があるわけではない。世界とはここだけを示すものではなく、他にもパラレルワールドとか平行世界とか、そんな風に物語られている世界が幾つもあるのだ。だがこの聖痕というのはそんな風に世界が無数に枝分かれする前の唯一の原初の世界、そこからただの無形無色の力を自身の身体に流し込む"扉"のことを聖痕と呼ぶのだ。そしてその扉を持つ者は自身の肉体をフィルターにしてそれぞれの形に力を発現させる。また、その顕現させる力そのものを聖痕と呼ぶこともある──

 

ジャンヌや星伽の使う超能力(ステルス)は言わばこの聖痕の力の超劣化版。原初の力が悠久の時を経てより扱い易い形に変質したのだ。

 

そして俺の持つ聖痕には"強化"という色が付くのだ。その力が現すのは性質の強化。俺は基本的に自分の身体能力か、精々着ている服の強度程度の範囲しか強化出来ないがそれでもソニックブームを気にすることなく超音速駆動が可能だし対物ライフルの弾丸を見てから弾くことだって可能なのだ。

 

「さて、お前を傷害及び未成年者略取の容疑で逮捕する」

 

「ふん、やってみろ」

 

まずはリサの救出(セーブ)だと俺が1歩踏み込んだ瞬間、奴の頭上に光の玉のようなものが出現、嫌な予感に俺が1歩後ずさると元々右脚のあった場所にレーザー光線の様なものが突き刺さった。

 

「っ!?」

 

これが奴の聖痕の力、か。俺が身体を半身にして引き絞るように雪月花の刀身を構えると───

 

──俺の身体の周りに無数の光球が現れた──

 

「っ!?」

 

俺は慌ててその場から飛び退いた。その瞬間に光球からレーザー光線が発射された。おそらくその場にいたら全身を穴だらけにされていただろう。俺と奴の距離は最初の時点で15メートル程あった。最悪の場合、視界の範囲内全てが奴の光球の射程と考えられるな。だが奴の攻撃には微妙に時差がある。光球を出してから、発射までだ。その間は1秒と無いようだが、俺なら動きながら的を絞らせなければ致命には至らない。

 

「流石にこの程度は躱すか」

 

体力に身を任せて反復横跳びのようにステップを踏みながらジグザグに近寄ることで奴の、座標に対するピンポイント攻撃の的を絞らせない。

 

日本の武偵には武偵法という法律が適用される。そして、その中の第9条では"武偵はいかなる場合であっても殺人を禁止する"というような条文があるのだ。そして武偵は法律を破れば一般人の3倍厳しい刑罰が待っている。

だがこの武偵法、裏を返せば"最悪殺さなければだいたい許される"ということでもある。犯人を負傷させるな、なんていう決まりは無いからな。

 

そして俺は遂に殺傷圏内(キルレンジ)に奴を捉えた。そして奴の膝目掛けて雪月花を振るう。だが───

 

ガッッ!!

 

雪月花の闇色の刀身が奴の膝を両断する直前、何やら光る粒子のような物が刀身と膝の間に現れた。そしてそれは俺の一撃を受け止め、奴の身体を切創から守ったのだ。

殺気を感じた俺は直ぐにその場から飛び退いた。

するとやはり俺の頭と心臓のあった場所に光の矢が降り注いだ。

だがなるほど、防いだ粒子からあのレーザー光線が出てこないということはガード用の物では反撃出来ないのか。

もちろん、それもブラフで実は出来る可能性はある。だがあの瞬間にあの盾になった粒子からカウンターを喰らえば俺は確実に重傷を負ったはずだ。そのチャンスを逃してまでブラフを張るだろうか。そう考えれば恐らく奴の光の玉とガード用の粒子は同じ役割を担えない筈だ。

 

「さて、準備運動は終わりだ……消えろ───」

 

凍りつくような冷たい声と切り裂くような殺気を感じて咄嗟にその場を飛び退くとコンクリートの地面に無数の穴が空く。真上からのレーザー攻撃だ。

 

見上げれば飛び退いた先の座標の上空10メートル程にも光球が浮いている。当然そこからもレーザー攻撃が降り注ぐ───

 

「づっ───」

 

直撃こそ避けたものの、数本の光矢が俺の身体を掠め、皮膚を抉ったのだ。

焼け付くような痛みに負傷箇所を見れば銃創とは違う、見たことの無い傷が出来ていた。

シャーペンのケツのキャップで消しゴムを抉ればこんな風な傷ができるだろうか。俺の腕と脚に刻まれた傷はそんな子供の悪戯を思い起こさせるものだった。

 

「そうら、まだまだいくぞ?」

 

上からだけでなく四方八方から降り注ぎ俺を穿たんとする熱量攻撃に、咄嗟に雪月花の刀身を()()()()()

 

雪月花は持ち主の聖痕に反応して刀身を変える。そして俺の聖痕は強化のそれ()()()()()()

 

 

──白焔──

 

 

俺の持つもう1つの聖痕はそう呼ばれているらしい。らしい、というのも俺はこの力をまともにコントロール出来たことは無い。使うとしても雪月花の刀身として現すだけだ。

そして今俺の手元に現れた刀身は白い炎のような、揺らめき不定形の刀身。長さはだいたい日本刀と同じ程度だが今は長さよりも取り回しと僅かでも幅が欲しい。

 

青龍刀程度はある幅と、この世界の物質とも異なるその性質故に聖痕の力による攻撃にも充分に耐えうる耐久力を盾に俺は奴のレーザー攻撃を躱し、弾き、潜り抜ける。

そして奴の手前まで駆け抜け、最後に1太刀浴びせるべく更に1歩踏み込む───

 

───と見せかけて俺は真横に跳ぶ。

 

更にコンクリートを踏み込みの威力で砕きながらリサの元へ飛び込む。

そのまま腕で抱え上げ、飛び出した速度を殺すことなく奴の真後ろを駆け抜けて離脱。雪月花の刀身を仕舞い、ジグザグに飛び退きながら距離を置いていく。

 

「リサ!起きろリサ!!」

 

片手で身体を抱え、頬を手のひらで軽く叩きながらリサの名前を呼びかける。

するとその長いまつ毛が震える。ゆっくりと瞼を上げたリサは、しかし直後に俺の周りに降り注いだ閃光と熱に再び強く瞼を閉じる。

 

「キャッ!」

 

普段なら可愛らしいその声も今は楽しんでいる余裕はない。こういう時、俺は俺の力が恨めしくなる。壊すばかりで守る能のないこの力。今この手にあるのが刀ではなく盾であればどれ程良かったことか。だが後悔している時間を、奴は与えてくれない。俺は手早くリサを拘束しているロープを切り裂くとリサを立たせる。その間もレーザー攻撃が雨あられのように降り注ぐが、そもそもアイツの目的は俺を殺すことと、リサを手に入れること。俺には当たるがリサには当たらないコースばかりをその閃光は駆け抜けている。

 

「リサ!とにかくここは危険だ。アイツは俺を殺すこととリサを手に入れることが狙いだ。俺が生きてる限りお前はそうそう狙われない。だから走ってとにかく遠くへ逃げろ!」

 

近くにリサがいるおかげか、レーザーが飛んでくる方向が限定されている。おかげで捌きやすくなったそれを雪月花の白い炎の刀身で弾きながらリサの背中を押す。

頭の良いリサはそれだけで状況をある程度把握したのだろう。直ぐに頷き、無人の浮遊島の端へ向けて走り出した。

 

「ふっ!!」

 

それを確認し、俺の眼前に迫っていた、これまでのどれよりも太いレーザーを、息を吐きながら弾く。

 

「…………?」

 

しかし、さっきから段々と俺の周り砂埃のような、無味無臭の粒子状のものが漂っているのだ。だが今は正体の分からないこれに構っている暇はない。俺はまた、的を絞らせないように奴の周りを円を描くように、しかし稲妻のような軌道で奴に近付いていく。だがおかしい。先程まではこんな風に動いている間の奴の攻撃には精度はあまりなかった。というか、俺の動きを追随する形で攻撃を仕掛けていたから、常に動き続けていれば当たることはなさそうだったのだが、段々と俺の動く先に目掛けてレーザーが飛んでくるようになったのだ。攻撃速度自体は光速には遠く及ばないとは言え、おかげで余計な回避行動や弾くこと(パリィ)で凌がざるを得なくなり、中々奴に近付けない。

あの球体、拳銃と違って銃口から射線を読むことが出来ないから中々に厄介だぞ。

 

「さぁ踊れ!無様に血を撒き散らしながらなぁ!」

 

ビッ!と1発のレーザーが俺の頬を掠める。強化の聖痕でその強度を増している俺の皮膚は今や対物ライフルですら弾く強度なのだが、その上から皮膚を焼き、肉を抉る奴の火力は確かに大口を叩くだけのことはあるのだろうな。

 

だけどなぁ、その程度で俺が殺られるわきゃねぇだろうが!!

 

俺は更に聖痕の出力を上げる。それによって激増した脚力でコンクリートの地面を踏み込む。蜘蛛の巣状に砕ける地面を見ることもなく、俺は駆け抜ける。

奴のレーザーの発射よりも速く、空気の壁を突き破って桜吹雪の様なウェイバーコーンを発生させながら。

聖痕持ちと言えど、俺のように身体機能を強化しなければ身体の耐久性は普通の人間と変わらない。故に俺がこの速度のままタックルを喰らわせるだけで奴の肉体は粉々に砕けるだろう。だがそれでは当然、9条破りになってしまう。

だから俺は奴の寸前で急停止、コンクリートと踏み砕きながらも超音速駆動が持つエネルギーを全て地面に押し付ける。そして雪月花を一閃。奴の右腕を肩から切り落とすように白刃を振るう。今度こそ俺の刃は奴に防がれることなくその肉体を切り裂いた───はずだった。

 

「なっ───ん」

 

切り裂いた筈の腕は重力に従って地面に落ちるはずだった。だが現実にそれは起こらなかった。肩から離れた腕が、まるでビデオの逆再生でも見ているかのように身体に戻ったのだ。それも奴が着ていた黒いスーツの袖ごと。

 

「っ!?」

 

そして俺の腹の目の前にフットサル用ボール位の大きさをした光球が現れる。俺はその瞬間に身体を後ろに捻りながら全力で横に飛び退いた。

その直後、俺の脇腹の上をレーザー攻撃が通過する。それを俺は完全に避けきることは出来ず、脇腹を少し抉られる。焼きゴテを当てられたかのような熱い痛みがそこに走る。思わず、喰らった右の脇腹を手で抑えるがさっき掠めた傷と同様に、出血は少ない。あまりの熱量に肉が焼かれて血が止まっているのだろう。これはこれである意味幸いだったな。

 

粒子化(クアンタイズ)。君ではこの私に触れることすら叶わんのだよ」

 

そして奴の頭上にはバスケットボール程度の大きさの光球が5つ現れた。そしてそれらの全てが俺にぶっといレーザー攻撃を浴びせてくる。

 

致命傷に至るものだけは雪月花で防ぎ、時折掠める程度のものは一旦無視。傷口が焼けるため出血で動けなくなるにはまだ猶予があるからな。兎に角、奴に一撃喰らわせる方法を考えなければ……。

 

「ふん、私にどうにかして一撃を……と考えているな?」

 

どうやら俺の考えが読まれていたらしい。まぁその程度は当然か。

 

「無駄だ。未解放者である君では私に触れることは叶わんよ」

 

うるせぇな。じゃあ手前はその解放者なのかよ?

 

「そもそも、君では私に届かんからこの依頼を受けたのだ。勝てもしない勝負など請けるものか」

 

なるほど、言動の割には臆病者らしいな。

 

「口に出さなければ考えを悟られないと思ったか?甘い、既に君は私の粒子に囲まれている。この粒子の中で私は君の思考が手に取るように分かるのだよ」

 

──粒子領域(クアンタム・ワールド)──

 

技名なんて知らねぇよ。そう心の中で毒突く。考えが読めるんなら口動かさなくても言いたいこと言えるから便利だな。

 

「減らず口を!」

 

俺の心の中の呟きに奴は的確に反応する。

そして遂に奴の砲撃が俺を完全に捉える。奴のサッカーボール程の直径を持つ極太レーザーを雪月花の刀身の腹で受ける。踏ん張って動きが止まれば直ぐ様蜂の巣にされてしまう。俺は敢えて踏ん張らずにレーザーの勢いそのまま後ろに飛ばされる。

しかしそれを完璧に読まれていたのだ。飛ばされた先の左右にも大きな光球、後ろにも同じく。四方を囲まれた十字砲火(クロスファイア)

全くの同時に放たれたそれに、正面から俺を貫こうとしているレーザーを逸らして左手側のそれにぶつけ、右手側のは雪月花で受ける。しかし真後ろから放たれたそれを避けきることは出来ず───

 

「ズッ───!?ぐっ……」

 

さっき抉られた脇腹をさらに大きく削られた。

堪らず地面に落ちた俺に更に追撃の矢が放たれる。

真上から降り注ぐ細いレーザーが檻のように俺をその場に縫い付ける。そしてその内の1本を弾かされた瞬間、2本目のレーザーが俺の腹を貫く。

 

「ぶっ……」

 

主要な内臓や太い血管こそ避けたものの、腹に1センチ程の風穴が開けられた。そして、顔を上げた俺の視線の先に、確かに数瞬前までそこに居たはずの奴の姿が消えていた。

 

「……無様だな」

 

「っ!?」

 

いきなり目の前に現れたそいつに俺は9条も忘れて刃を振るう。だがその白刃が目の前の敵を斬り裂くことはなく、刃はただ奴の掌で受け止められていた。

 

「驚いたか?だが私の力はこんなものではないぞ?」

 

奴は雪月花の刀身を掴み、そのまま右手を跳ね上げた。その右腕は、まるで理子にやらされたRPGゲームに出てくるドラゴンのような形をしていた。

 

「ガッ!?」

 

一瞬動きを止められた俺はそれを躱しきることが出来ず、真上に跳ね上げられたそれにより左肩を裂かれた。それでも傷口を焼かれて血は吹き出さない。

力ずくで拘束を振り払えばまたもや奴の姿が掻き消える。殺気を感じ、咄嗟に背後へ雪月花を振り抜けば確かにそこに奴はいた。だがまたもや刀身を受け止められる。そしてその左腕も、やはりゲームに出てくるドラゴンを思い起こさせる形になっていた。

掴まれる前にその場を離脱しようとするが、その瞬間に奴の姿が消え、勢いのままに飛び退いた俺の背後にまたもや気配が現れる。今度はしゃがみながら身体を回し、恐らくあるであろう膝辺りに向けて雪月花を振り抜いた。

 

だがそこにあったのはただの粒子の塊。奴の姿はそこには無かった。俺の本能がけたたましいアラートを鳴らす。それに従って再びその場を飛び退けば、俺のいた場所に無数のレーザーが突き刺さった。

 

「粒子、それが私の聖痕の力」

 

こんだけ見て喰らえば嫌でも分かるそれをやたらと仰々しく告げたそいつ。その両手は青く透き通るように光り輝いていた。

 

「ふむ……そう言えばまだ名乗っていなかったな。……刻め!我が存在を!我が真なる名を!我が名は龍司光哉!龍を司り光り輝く者(なり)

 

芝居掛かったどころか、驚く程に仰々しく自らを龍司光哉と名乗ったそいつは、自分のその自己紹介がお気に入りなのか、両腕を広げて恍惚の表情を浮かべている。それで上手いこと言ったつもりか?

いや、そういや前に理子に見させられた変身ヒーロー物に似たような自己紹介をする奴がいたな。天の道をどうのとか言ってた気がする。流行りなのか?

 

「神の依り代たる天の人よ」

 

神の……何だって?……あ、俺か。()の依り()たる()()で神代天人。

 

「そう、君だ。神代天人。強化と白焔、世にも珍しい二重聖痕に加えてその名に相応しい絶対的な強さのそれらをその身に宿す者よ。しかしだからこそ私は悲しい、虚しい。未解放者故に、その強さの万分の1も発揮出来ずにここで君は死に絶えるのだから」

 

……俺の聖痕を知っている?雪月花の刀身だけじゃ聖痕の性質は判然としない。そして、俺の聖痕の全てを知っているのは俺とリサ以外にはこの世にたった1人、教授(プロフェシオン)だけの筈だ。いや、そもそも奴はさっき伊・Uから依頼されたと言っていた。そしてキンジと神崎がどうのとも。そうなりゃ必然的に依頼主は教授なのだから俺の聖痕のことを伝えていても不思議ではない。

 

「冥土の土産だ。未解放者の君に、解放者たる私の真の力を見せてやろう」

 

雪月花を正眼に構える俺の前で奴はフワリと浮き上がった。俺はそれに合わせて右足を1歩引き、雪月花を肩まで上げる。奴が両腕を広げると周りに青白い粒子が集まる。俺は踏み込めない、踏み込んでも弾かれると本能が告げているからだ。

 

「これが!我が真なる力、銀河鎧武(ギャラクシア・アルマドゥラ)だ」

 

それこそRPGゲームに出てくるドラゴンの、その翼の骨格だけを模したような黒い装甲のようなものが龍司の背中から生え、翼膜のように青白い粒子が噴出する。そしてその黒い装甲は奴の頭部を鎧武者の兜のように、そして更に肩、胸、腕、腰、大腿部、スネとふくらはぎを覆うように現れた。

 

「さぁ、消滅の時間だ」

 

パッと、光が弾けた。俺は瞬間的に心臓の前に雪月花をかざしていた。

だが次の瞬間、俺の身体が真後ろに吹き飛ばされた。

 

「グッ……」

 

今までより更に太いレーザー攻撃が俺を襲ったのだ。そしてその火力はさっきまでの比ではない。強化の聖痕をしてなお踏ん張りの効かないパワーなのだ。だが俺はそれをまともに受けずに雪月花の刀身を傾けることで斜め上に逸らす。そして空中で後ろに1回転して地面に着地しようとした瞬間───

 

 

──龍司が目の前に現れた──

 

 

そしてその肉食恐竜のような腕で雪月花を弾かれる。それでも俺は地面を滑りながら着地し、1歩踏み出しながら雪月花で真上に切り上げた。

 

だがそれが両断したのはただの粒子が残した奴の残像。そして本体はいつの間にやら俺の真横に回り込み───

 

 

──俺の右腕を切り落とした──

 

 

「ガッッ───」

 

その場で絶叫しなかったことは褒めてもらいたいところだ。腕斬られた腕が熱い。焼けるよう……いや、実際奴の粒子の持つ熱量で焼かれているのか。

そして間髪入れず腹に蹴りを叩き込まれて地面と水平にカッ飛ぶ。これも粒子の聖痕の力なのか、尋常な脚力ではない。30メートル程飛ばされて地面に背中を強かに打ち付け、更に10メートルほどコンクリートの上を転がりながらようやく止まる。

 

「ご主人様!!」

 

「……あ?」

 

俺の真上にいたのはリサだった。どうやらそんな方まで飛ばされたらしい。

 

「に、げろ……」

 

「あぁ、あぁ……」

 

リサは俺の腕が視界に入ったのか、目に涙を貯めている。その白く細い指を持った手が上下に揺れているのが彼女の混乱を表していた。

泣くなよリサ、まだ死んだわけじゃない。終わってねぇんだ。俺は、絶対に諦めない。武偵憲章にもあるだろ?諦めるな、武偵は決して諦めるなって。

 

「見たか。これが解放者たる私と未解放者である君の差だ。歴然だろう?」

 

はっ、何勝った気でいるんだよ。まだ終わってねぇだろうが。

 

「リサ・アヴェ・デュ・アンクよ」

 

「え……」

 

「アヴェ・デュ・アンクの家は強い男に忠誠を誓うのだろう?なら君が仕えるべきは誰か、理解出来ない訳ではあるまい?」

 

ふ、ざけんな……。リサは渡さねぇ。てめぇなんぞには絶対に……っ!

 

「わ、私の家は二君には仕えません。私は、リサはもうご主人様に仕えると決めたのです。貴方に仕えることはありません」

 

「ふむ……。その男に仕えていたこと、私は不問にしよう。君はまだ誰にも仕えていない。私が最初で最後の主になる。それで良いだろう?」

 

「リ、リサはご主人様に、天人様に一生を捧げると誓ったのです。だから……」

 

「……会話では無理、か。では神代天人を殺してその身体に理解させよう。君の主人が誰なのかを、ね」

 

「ひっ……」

 

上から下へと、舐めるようなその視線と下心を隠そうともしない台詞に、リサが思わず尻もちを付く。

そしてその言葉に、俺の思考回路が怒りで焼け付き、視界が白く塗り潰される錯覚を起こす。

てめぇが、その薄汚ぇ目でリサを視界に入れるんじゃあねぇよ!!

 

「……ふ、ざけるな。リサは、はぁ……手前なんぞに渡さねぇ。お前は……ここでぇ……潰すっ!」

 

「ご主人様!!」

 

そして俺は再び立ち上がる。リサと龍司の間に。リサをその下卑た視線から守るように。

腕を切り落とされても傷口が焼き焦げて出血しないのは本当に助かるな。そうじゃなきゃ先ずは止血からしなきゃいけなくなるところだった。

 

「まだ立つか。まぁいい。……死ね」

 

あまりに冷たい死の宣告。そして俺の眼前に迫るのは致死の粒子。

 

───死ぬ

 

俺の身体に刻まれた戦闘回路は直ぐにそう直感した。雪月花は手元になく、今の俺にはあれを防ぐ手立てがない。

 

───死にたくない

 

だがそんな直感と脳ミソは別の次元で駆動しているのか、聖痕の力でその機能が天文学的数字に強化された俺の脳が走馬灯のように過去の惨劇を俺に思い起こさせた。

 

───失いたくない

 

あの時の景色を、あの時の感情を、そして今俺の胸の中に溢れかえっている感情の色は───

 

 

──噴き出したそれは、ひたすらに白かった──

 

 

俺の眼前に迫っていた青白い粒子は白く塗り潰されていた。半分程度になっていた俺の右腕から吹き出ていたのは白い焔。

それが奴の粒子を押し戻し、かき消したのだ。

 

「な───んだとっ!?」

 

龍司の驚く声が遠くに聞こえる。

白い焔の噴出が収まるとそこには片翼を捥がれ、不格好になった龍司光哉が突っ立っていた。直ぐにその瑕疵は再生された。だがその顔は黒い龍の仮面に隠れて見えないが、恐らく憤怒で染まっているのだろう。その程度、粒子の聖痕を使わなくても分かるさ。お前も案外、分かりやすいんだぜ?

 

「……ふっ、この土壇場で白焔の聖痕を完璧に発動させたか。……だがまだ解放者には到達していないようだな」

 

何やらブツブツと言っているようだ。だがそんなことは俺には関係無いね。俺はただ、お前を潰す。それだけだよ。

もう誰も、俺から奪わせない為に。

 

短くなった右腕を奴に向け、白焔を発射する。奴はそれを俺の左手側に躱しそして背後に瞬間移動する。けれど、俺にはそれが読めていた。だいたい、パターンが単純なんだよ、お前は。

 

俺は振り向き様に左手からも白焔を噴射する。

それは身を捻った奴の翼膜が再び消滅する。その瞬間に奴は再び瞬間移動、俺の正面、だが50メートルは後ろまで距離を開けていた。

 

俺もリサを巻き込みたくはなかったので強化の聖痕で爆発的に上がった脚力で一気に踏み込み、奴の眼前まで到達。右腕から噴き出した白焔で奴の胴体を縦にかち割らんと腕を跳ね上げた。

その瞬間にまた掻き消えた奴は今度は俺の真上に移動、そこから極太の粒子レーザーを叩き込んでくる。

今のところ、出し入れ程度はある程度自由にできているがそこから先のコントロールがまだ全く出来ていない俺は正面から白焔でそれを打ち砕く。

しかし奴はまたもや瞬間移動で逃れる。まだだ、まだ足りねぇ、もっと寄越しやがれ!!

 

俺の背後に回った龍司に、雪月花の刀身程の長さになった白焔を叩きつける。奴はそれを1歩下がって躱すが俺も更に1歩踏み込んで今度は右腕で白焔の刃を振るう。それを龍司は上半身を逸らして躱し、ゼロ距離から粒子砲を放つ。それを白焔の噴射で加速させた左腕と、そこから噴き出した白焔で受け止める。

白い焔に触れた傍から消えていく粒子。だが結局のところ、俺はまだ奴に一撃も入れられていない。まだ足りないのだ、まだ奴には1歩及んでいない。だからもっとだ、もっともっと寄越せ!!

 

「……未解放者の身でここまでやるとはな。だが私には届かん!!」

 

そう叫ぶと龍司は上空に飛び上がった。そして次の瞬間───

 

 

──空から星が堕ちてきた──

 

 

そう錯覚する程の大質量大数量の粒子レーザーの嵐だったのだ。人工浮島を呑み込まんとばかりに降り注ぐそれは、いくら白焔の聖痕と言えど今の俺であれば確実に島ごと押し潰される出力。

 

「……もっとだ!!もっと!もっと寄越しやがれぇぇぇぇぇ!!!!!」

 

俺をその質量で押し潰さんと迫る粒子の爆撃に対して、それに抗うように向けられた俺の右腕から白焔が噴き出す。そして、()()()起こった。

 

「っ!?」

 

粒子の爆撃の、そのあまりの出力に()()()()()()()()であるはずの白焔ですら拮抗させられていた。その筈だった。だが僅かに振り返れば俺の背中から何やら120度程の角度の付いたパイプのようのものが生えていた。そして失われたはずの右腕の、肘から下にも感覚がある。そして白焔の勢いが伸びた───

 

───ゴッ!!

 

と、白焔が粒子を呑み込む。そして天まで突き抜けたそれが勢いを弱め、一旦その奔流が落ち着きを取り戻すと、そこには───

 

 

──俺の右腕が銀色となっていた──

 

 

「これは……」

 

「貴様……」

 

空から、聞こえたはずのその声は、まるで地面の下から聞こえてきたかのように俺の腹に響いた。

 

「これで俺も、解放者(アプリーレ)の仲間入りだな」

 

銀色の右腕。そして感覚で分かる、右肩から生えた3本のパイプ状のスラスター。

これが俺の持つ白焔の聖痕の力を真に引き出した姿。解放者とは、聖痕が持つ力を完璧に引き出せる者のことを指す。そして完璧に力を引き出させられた一部の聖痕はただ性質を持った力ではなく、質量を伴った武具や鎧のような形を取るのだ。例えばそれが奴の鎧であり、俺のこの腕と背中のパイプなのだ。

 

グッグッと、2度ほど俺は自分の右手を閉じたり開いたりして感覚を確かめた。少ししか離れていなかったのに、随分と久しぶりな気がするな。

さて、第2ラウンド開始といこうか。

 

「……舐めるなよ?解放者になったばかりの貴様では、私とは経験値の差に絶対の開きがあるのだ!!」

 

龍司は再び上空から流星群のように粒子砲を叩きつける。だが俺は今度は正面から迎え撃つことはせず、俺の周囲にとぐろをまくように白焔を噴射する。そうすればそれに触れた粒子から燃えて消えていく。そうやって周りの粒子を白焔に燃やし尽くせばもう何とかワールドを維持できず、コイツにはもう俺の心を読むことは出来ない。

砲撃が止み、俺が白焔のとぐろを解けば龍司は俺の左手側に瞬間移動しその鉤爪のように鋭い爪をした腕を振るう。だが俺はそれを左手で受け止める。そう───

 

──銀色に輝く左腕で──

 

「ガァッ!!」

 

俺の左腕に触れた瞬間に奴の右手が消え去る。直ぐに再生したものの、奴が飛び去る前に俺は奴の懐に踏み込み、その腹に拳を叩き込む。

 

「ゴッ───!?」

 

更に身体を浮かせた奴の横っ面に右手で裏拳を叩き込めば奴はその龍のような仮面を砕き散らせながらぶっ飛んだ。

俺は遂に両肩から出現したパイプ型スラスターを吹かせ、地面を転がった龍司に追いついた。

そして()()()()()()()龍司の脚を踏み砕いた。

 

「ゴアァァァァァァァ!!」

 

ボキボキという骨の碎ける音は、砕けたその感触だけは俺に伝えたものの、奴本人の絶叫にかき消されてた。

 

既に両手両足だけでなく胸にも銀色の鎧を纏った俺を見て、半分砕けた鎧の下の、鼻血で汚れた龍司の、それなりに整っていた顔が絶望に染まる。

 

「龍司光哉、お前を障害の現行犯及び未成年略取誘拐の容疑で逮捕する」

 

俺が取り出したのは聖痕持ち専用の手錠。これを嵌められた奴は聖痕の扉が閉じ、その力を封じられるのだ。今こいつの両手は粒子化しているし、取り敢えず両脚に掛けるか。

 

そうして俺が手錠を足首に掛けようとしたその時、奴が俺の顔面に向けて粒子砲を放った。

思わず俺がそれを両腕で防ぐことに意識を割かれた隙を狙って龍司は俺の足元から脱出していた。

 

「あぁぁぁぁ消ぃぃぃえぇぇ去ぁれぇぇぇぇぇぇ!!!!!」

 

最後の報復ということなのか、これまでで最大の砲撃が俺の頭上から解き放たれた。こんなもの、人工浮島に当てたら完全に沈む。故に避けるという選択肢は存在しない。俺は反射的に白焔を全力で放射。そして俺から解き放たれた白焔は粒子の砲撃を呑み込み、それを糧としてさらに勢いを増しながら龍司光哉を呑み込んだ。

 

───ゴウッ!!

 

という音と共に俺の視野から掻き消えた龍司は、しかし白焔が晴れた時にはまださっきと同じ場所に浮いていた。

 

ただその姿は五体満足とは言えず、主に左半身が完全に消し飛んでいた。

粒子化の恩恵か傷口が焼かれているだけなのか、出血はなく、しかし心臓も無いはずの龍司はどうしてかまだ息はあるようで、東京湾から太平洋の方へ向けてヨロヨロと飛んで行こうとした。俺は当然奴を逮捕すべく1歩踏み込んだのだが、俺の強化された動体視力が捉えた影。それは───

 

──龍司とすれ違うように東京湾の奥からミサイルが2発飛んで来たものだった──

 

「なっ───!?」

 

白焔の聖痕は聖痕や超能力(ステルス)には無類の強さを発揮するが物理的な手段に対してはそう火力のあるものではない。故に今俺に迫っているミサイルを掻き消すようなことは出来ない。だがぶち当てればミサイルはそこで爆発し、その爆炎を全力の白焔で囲んでしまえば、あれが核とかでさえなければ被害は抑えられる。

 

そして実際、ミサイル2基をそれで押さえ込んだ俺が見上げた空には龍司光哉の姿は見当たらなかった。

……逃がした、ということだろう。だがあれだけの重傷、そう簡単に治るとは思えん。ま、それは俺もかと思い至り、聖痕を閉じる。そうすると俺の全身が元の防弾制服姿に戻り、切り落とされたはずの右腕も制服こそ無くなっていたが綺麗に生えていた。

 

「あ……れ……?」

 

だがそこまで認識したところで、俺の視界が揺れた。色を無くし、モノクロになった世界にはノイズが入り、俺の意識は闇に沈んでいった。

 

 

 

 

 

 



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透明人間/同窓会

 

目が覚めると、視界に広がっていたのは知らない天井だった。いや冗談、多分ここは武偵病院だろう。ぶっ倒れたのは人工浮島だったからな。そして俺の腰辺りに感じる重みはもっと覚えがあるものだった。

 

「リサ……」

 

日付の見れるデジタル時計は枕元に無く、カレンダーだけを見ても今日が何日なのか全く分からない。だが空を見れば随分と暗いし少なくとも数時間は経過しただろう。

左手でリサの頭を撫でてやりながら点滴の針を刺された右手で自分の身体の状態を探る。……頭には何も巻かれていないな。毛布が被せられていて見えないけれど、感覚的には脚にもギプスは付けられていない。腕も右腕に点滴を刺されている以外は特に違和感も無いな。

 

「ご主人、様……」

 

寝言だろうか、リサの愛らしい声が漏れる。

俺はその音に至上の喜びを感じつつ、再び襲いくる睡魔に身を任せてまた瞼を降ろした。

 

 

 

───────────────

 

 

 

──秋葉原──

 

ここは武偵にとっては非常にらやりずらい街だ。何せ入り組んだ路地が多い上に人がわんさかいるから銃も使いずらければ逃げる犯人を追うのも難しい。そんなこんなでここは"武偵封じの街"とも呼ばれていたりする。

 

で、何で武偵である俺がそんな街にいるのかと言えば───

 

「おかえりなさいませ!!ご主人様ー!!」

 

と、メイドさん達にお出迎えされるためだ。いや冗談。作戦会議とかなんとかで呼び出されたのだ、理子に。

 

 

 

理子、峰理子。峰理子・リュパン四世、武偵殺し。キンジと神崎に追い詰められて最後は飛行機から逃走したらしいのだが、それが戻って来た。司法取引を済ませ、逮捕される心配をなくしてから。そしてまた犯罪を重ねようとしている。今度は殺しではなく窃盗。と言っても、元々は理子の物で、奪われたそれを再び奪い返すだけなんだけどな。

 

「で、やっぱりアンタらはそっち側ってわけ?」

 

理子、リサ、俺と並んだ席の反対側、テーブルの向こうでは神崎とキンジが並んで座っている。なのだが神崎は随分と不機嫌そうだ。さっきからその視線はチラチラとこのメイド喫茶(アキバ名物)の店員さん──その平均より大きめの一部分──に向けられている。

 

「理子のこと知っているっていうのはこっちも知ってる。なら分かんだろ?」

 

「そうね、ま、私が入院した時の話で分かってはいたわ。けどそんな風に協力する奴とも思えなかったけど」

 

「仲間を信じ、仲間を助けよだろ?俺は仲間であるこいつを助けるだけだ」

 

「リサまでそんなことするとはね。何もかも予想外ね」

 

「ご安心を、神崎様。リサは戦闘は行いません。リサは戦いたくない、傷付きたくないのです」

 

「そゆこと。リサには理子達のお世話をしてもらうだけだよー。……長期戦になりそうだからね」

 

「……ふん、まぁいいわ。早く説明しなさい」

 

神崎の強めの態度に理子の眉がピクつくが声を荒らげるのはどうにか堪えて赤いランドセルみたいなカバンからノートパソコンを取り出した。そして作戦会議が始まる。イ・ウーNo.2、無限罪のブラドの館への潜入と理子のお宝奪取の作戦だ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……なんだこれ」

 

作戦会議はどうにか完了した。そして時は進み、今俺は保健室のロッカーの中に収まっている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……こっちが聞きたい」

 

「なんだお前ら、お前らも覗きに来たんじゃないのか?」

 

「「断じて違う」」

 

武藤の失礼極まりない台詞に思わずキンジとハモる。いや、キンジは違うんだろうが、俺はそんなに強く否定はできないかな。何せ、一部の生徒のみを集めた身体測定の再計測とからしく、その中にリサもいたのだ。それだけではない、聞いたところによればその測定員は小夜鳴徹。つまり男だ。しかもアイツに呼び出された女子生徒が準備室からフラフラになって出てきたなんていう噂もある。そんな奴がリサの身体を見るというのが俺的にはもうギルティ。少しでも変なことをしようものなら記憶封印措置を施すためにここに居るのだから。

 

「ふーん。まぁいいや、キンジ。向こうの茂みにバイク隠してあるから最悪2ケツで逃げんべ」

 

「……おい、俺はどうすんだよ」

 

「天人は徒歩(カチ)な」

 

3人乗れねぇのかよ。まぁいいけど。そっちの方が速いし。

 

「まぁいい。お前ら、取り敢えずこのタオルで視界を封じろ」

 

「「何でだよ!?」」

 

「あ?これからリサも来るんだぞ。身体測定の再計測とかで。そりゃあお前らの視界に入れていいものじゃねぇ」

 

「……俺は理子に呼ばれたんだ。リサは見ないからちょっと待ってくれ」

 

「おい、誰か来たぞ」

 

確かにガヤガヤと話し声が保健室の向こうから聞こえる。この声は女子連中だろう。俺はすぐさまタオルで武藤の視界を封じた。

 

「てめっ───」

 

「……そのタオルを外したら殺す」

 

「……はい」

 

脇腹に拳銃を当てれば武藤は大人しくなった。

すると保健室に何人かの女子生徒が入ってきたようだ。声を聞けば装備科の平賀あや、諜報科の1年でキンジの戦姉妹の風魔陽菜、それから理子と神崎、リサもいるな。あとはあんまりよく知らない声だ。

だが、何やら「何で私達だけ」とか「面倒くさいよねー」とか言いつつもそんな不平不満の声に混じって衣擦れの音が聞こえてくる。……コイツら、まだ何の検査かも言われてねぇのに服脱ぎ出したぞ。流石は武偵女子(ブッキー)、羞恥心が薄いみたいだな……。だが俺達が息を潜めているロッカーの、その隙間から目を覗かせると、よしよし、リサはまだちゃんと服を着ているな。これでいきなり小夜鳴が入って来ても問題無いな。

 

しかし、俺の後ろでブーっと、携帯のバイブによる着信の知らせが耳に届いた。……俺の携帯じゃない。見ればキンジが携帯を弄っているようで、液晶の光が顔を下から照らしていた。

かと思えばいきなり「どけ天人」と、俺を押し退けてロッカーのスリットに顔を押し付け始めた。何事かと、俺はキンジの携帯の画面を覗くと、顔文字だらけで読み辛いことこの上なかったが、どうやら理子の下着の色を答えろ、さもなくばこのロッカーを開放すると書かれていた。そして数秒後、キンジの持つ雰囲気が変わった。

 

──HSS(ヒステリア・サヴァン・シンドローム)──

 

キンジの、と言うよりコイツら遠山家が持っている特殊な体質だ。

要は性的に興奮すると凄く強くなるというものなのだが、てめぇこの野郎誰でそうなりやがったと俺もスリットを覗けばキンジの視線の先にいたのは神崎だった。それも、服は脱いでいない。精々ニーソを脱いでるくらいだ。……え、それで?結構マニアックなんすね……。

神崎と理子が、貧乳の価値がどうだのこうだのくっちゃべっているのを耳にしながら、キンジの意外な性癖を見つけて辟易しつつ奥に引っ込もうとした時、目が合った。こっちをジッと見つめているレキと。郊外によくある某ショッピングモールで1セット980円くらいで売ってそうな白の木綿の下着の上下を着ていたレキと。……バレてますねこれは、確実に。

どうしたもんかなと思っていると、再び保健室の扉がガラガラと開けられた。すると───

 

「わぁ!何で皆さん服を脱いでいるんですか!?本日は血液検査なので服は着ていてください!!」

 

と、1人の男の声が聞こえた。……あぁ、小夜鳴か。

リサはまだ服は着ていた。ガーターベルトは脱いでたけどまだセーフ。命拾いしたな小夜鳴の脳みそ。リサがもう1枚脱いでいたらお前の記憶領域は俺に破壊されてたぜ。

流石に集団勘違いは恥ずかしかったらしいブッキー共はいそいそと防弾制服を着直し始めた。しかしその瞬間、俺がとある気配を感知した。

 

「だぁ!!」

 

「キンジ!?」

 

「ご主人様!?」

 

俺はロッカーの内側を蹴り、キンジごと自分をロッカーから放り出した。当然武藤も抱えて。だが同じタイミングでレキもこっちへ向かって来ていて、俺とキンジはレキと絡まってしまう。おかげで身体のデカい武藤を半端にしか出せなかった。そして───

 

「グゥッ!!」

 

ガダァン!!とデカい音を立ててロッカーが倒れた。武藤は脚をその下敷きにされてしまう。さらに、その上に白銀の毛並みをした大型の狼──俺はコイツらを知っている。コーカサスハクギンオオカミだ──が泰然とその姿を現したのだ。

今この場には防弾制服を着ていない女子共がわんさかいる。その上小夜鳴は非常勤講師。つまり戦闘力が欠片も無い一般人だ。この場での戦闘は避けなければならない。そこまで至った俺は───

 

 

「スゥ……」

 

強化の聖痕で脚力と肺活量を強化。時間が無いから普段の数倍程度だが───

 

「───アン!!」

 

オオカミに向かって特大の大声と床を踏み砕かんばかりの震脚。

だが流石と言うべきかやはりと言うべきか、このコーカサスハクギンオオカミはそんなものではビビらなかった。だが俺を見て、スっと視線を逸らし、そのまま窓際にいた小夜鳴に体当たりをかましてぶっ飛ばした。そしてそのまま窓ガラスをぶち破って外へ。

チッ……あんなもん、人里に放っていいような動物じゃねぇぞ。この学園島には一般人も大勢いるんだ。下手したら大惨事だ。

 

「キンジ!!バイクを使え!!茂みの中に隠してある!!」

 

すると、武藤が脚を挟まれながらもバイクのキーをキンジに投げ渡した。ヒステリアモード(HSS)のキンジはそれだけで直ぐに自分のやるべきことを理解したようだ。

そして俺も……

 

「レキ、これ着てキンジに着いて行け!」

 

「はい」

 

俺はレキに防弾制服のジャケットを投げ渡す。それを受け取りざまに羽織ったレキは先に窓から出ていたキンジの元へと向かって行った。

さぁ、俺も御役目を果たそうかな。

 

「出てこいよ」

 

俺が虚空に向かって話しかける。すると───

 

「っ!!」

 

ダンッ!という踏み込みの音と共にしゃがんだ俺の動きに取り残された髪が数本切り落とされた。

 

踏み込みの音は俺ではない。何も無いはずの空間から聞こえたものだ。なるほど、姿を消す能力か。こりゃあ厄介だな。けど目に映らないだけだろう?今の俺は強化の聖痕を聴力に傾けているからな。手前の心音や呼吸の音、その他諸々聞こえてんだよ。教えてやらねぇけど。

 

さっきの咆哮と震脚を放った時、俺は他にも伏兵がいないのか音響で精査したのだ。その時に引っかかった奴がいた。そして恐らくそれがコイツ。

 

「来いよ臆病者。てめぇじゃ俺は取れねぇぞ」

 

俺の一言で心音が跳ねた。ふむ、案外心が動かされやすい奴らしい。俺はそう言いつつも1歩下がる。早くこの部屋から出なければ……。ここにはまだ下着姿の女子連中や動けそうもない小夜鳴がいるからな。どうにも今は両手で刀を構えているみたいだが、いつ拳銃を取り出すか分からん。そうなったらこんな狭い部屋で超音速駆動で庇うなんて出来ねぇぞ。悔しいことに、俺の力は誰かを守ることに向いてねぇんだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

袋小路。

別に俺が追い詰められたわけじゃない。いや、確かに壁を背にしているのは俺だけれど、でもここは俺が狙って誘い込んだ場所。しかし透明化の聖痕なのか、それとも超能力か。いや、超能力は聖痕の大幅な劣化品だ。粗悪品と言ってもいい、それくらいパワーや使い勝手に差があるのだ。そして、既に保健室から10分は経過している。ここまで完璧な透明化を行いつつ戦闘もそれなりにやってこの時間保つのは至難の業だ。やはりコイツの力は聖痕と考えていいだろう。だが透明化の能力だけで俺がやられるわけはない。

俺は強化の聖痕を脚力に込めて真上に飛び上がる。そして自分の身体の奥底に命じる。

 

──来い、銀の腕(アガートラーム)!!──

 

銀の腕(アガートラーム)、俺の白焔の聖痕の力をより大きく顕現させた時の姿。俺の右腕が銀色の腕へと置き換わり、右肩からパイプ型のスラスターが3本現れる。別に、名前なんて無かったのだけれど、こういうのはイメージを明確にすることで簡単に呼び出せるものらしい。名前はそのためのもの。名付けるにあたってこれと似たビジュアルのやつがないかネットで検索したらちょうど出てきたのがこの名前だったのだ。元は何とかという神話に出てくる神様の腕らしいが、まぁイメージが沸き易ければなんでも良いのだ。

 

そして現れた銀色の腕から白い焔を放つ。そうすれば奴を透明にさせていた聖痕の力が燃え、白い焔の中から俺に斬りかかってきた奴の正体が白日の元へと晒される───。

 

「……くっ」

 

「……女?」

 

出てきたのは身体のラインがくっきりと表れる黒いボディスーツを纏った女だった。綺麗と言うより可愛い系に整ったその顔付きからすれば年齢は恐らく俺と同じくらい。いや待て、なんでこいつはこんな服を……。あぁ、なるべく音を出さないためか。コイツ、音は消せないんだったな。

 

「悪いか……」

 

「別に。だが逮捕はする」

 

白焔を上から喰らって膝を付いているそいつの肩を蹴り背中から壁に叩き付ける。

既に白焔は燃料だった透明化の聖痕の力を燃やし尽くして鎮火している。銀の腕を解き、俺は背中を壁に強打して力無く垂れているその細い腕を取って聖痕用の手錠を掛けようとした、その時───

 

「あ?」

 

手錠が、いや、腕を掴んでいた俺の手もすり抜けたのだ。こいつの能力は()()()じゃない、()()か!!

 

そして───

 

「ッ!?」

 

真横から感じた殺気に、咄嗟に頭を守りながら地面を転がった。だが防弾だけでなく防刃性能もあるはずの俺のワイシャツごと右腕が斬り裂かれる。1人だと思っていたがまさか2人だと!?

横に転がっていたおかげで右腕の両断は免れたがそれでも半分くらいは斬られ、鮮血が路地を赤く染め上げる。

 

「グゥッ!」

 

俺は銀の腕を再び発動させ下手人がいるであろう所へ白焔を叩き込もうとする。だが俺の耳に届いたのはザッ!という踏み込む音。そて目の前の空気が揺らめく風が俺の後ろ毛を逆立てる。咄嗟に後ろに飛び、急所は銀の腕で庇う。だが俺の鮮血が飛び出したのは右腕の届いていない左肩。刀を突き刺され、斬り上げられたようだ。なんつー斬れ味だよ。今の俺は強化の聖痕で狙撃銃の弾丸すら貫通しない程の強度なんだぞ。

 

──銀の腕・天墜(アガートラーム・レイジング)──

 

俺は両腕両足、それから胸にも銀色を纏う。

天墜、これが銀の腕の次の形。命名はリサだ。天を墜す程の怒り、そんな言葉をあの時の戦いを見ていて思い付いたらしい。これの負担は片腕の時とは比べ物にならないが相手のあの斬れ味はまともじゃない。こっちもこれを出さないと殺られる気がするんだよ。

そして俺はすぐさまこの袋小路を埋め尽くすように白焔を放つ。これは物質は燃やせないからな、多少派手にいっても問題あるまい。

 

だが聖痕を燃やしたにしては思いの外早く白焔は晴れ、その後には俺以外の誰もいなかった。逃げられた、ということか……。

 

「……リサ」

 

アイツらのターゲットが俺だけならまだ良い。だが俺を狙う為にリサにまで危険が及ぶ可能性もある。

そう思い至り俺が駆け出そうとしたその時───

 

「ズッ───」

 

身体に激痛が走る。発生源の腹を抑えればその掌は真っ赤に染まっていた。見れば脇腹も、白いワイシャツを赤く染めていた。

あの時の戦いの傷、正直に言えばあれはまだ癒えていない。腕や脚の傷はどうやら銀の腕の顕現と共に治ったみたいだが、腹のど真ん中や脇腹はまだまだなのだ。本当は今の俺は戦闘に参加することは叶わない程度にはまだ重傷だ。

武偵病院?ベッドを空けろと2,3日で追い出されたよ。

ていうか、今日の本来の予定はベッドでゴロゴロしながら1日リサに甘えること、だったのに再検査だとか言うから俺もこっそり着いて行ったのだ。それがこのザマだ。あん時失った血もまだ完全には戻りきってはいないし今の戦闘でもだいぶ失った。

 

「くっそ……」

 

俺は悲鳴を上げる身体に鞭打って聖痕の力を流し込む。それによりブラックアウト寸前の意識を無理矢理に引きずり起こした。そして地面を踏み割る勢いで真上に飛び上がり、ビルの屋上へと辿り着いた。とにかく今は学校へ、リサの元へ駆けつけなければ、そう思い俺はまず携帯を取り出した。

 

「……リサか?今どこにいる?」

 

 

 

───────────────

 

 

 

あの後俺は無事にリサの元へ辿り着けた。と言っても、携帯で居場所を聞き、普通に待ち合わせたのだけど。そしてその間、どういう訳かあの透明人間侍共は俺達の前に現れることはなかった。あいつらは俺だけが狙いだったのだろうか。しかし、不意打ちはするのに人質は使わないのか、よく分からん奴らだったな。

 

そしてそれから数日後、俺はとある人物から呼び出しを受けていた。今度はあの時とは違って正体のはっきりした奴だ。呼び出されたのは武偵校の音楽室。俺とリサが来た時には既にそいつは備え付けのピアノの椅子に腰掛けていた。

武偵校の赤いセーラー服に身を包んだそいつは俺達の気配に気付くとその綺麗な銀髪を揺らし、顔を上げた。

 

「よ、ジャンヌ」

 

「来たか」

 

「お久しぶりです。ジャンヌ様」

 

「あぁ、リサも久しぶりだ」

 

「で、いきなり呼び出してどうした?」

 

「別に、用という程でもない。私もここの()()()になったのでな。挨拶だ」

 

ジャンヌ、ジャンヌ・ダルク30世、フランスの聖女の末裔。銀氷の魔女、魔剣(デュランダル)。強力な超能力者である星伽白雪をイ・ウーに勧誘、拉致しようとして結局キンジと神崎、星伽のトリオに逮捕されたのだが、司法取引を経て東京武偵校に転属となったみたいだ。設定上はパリ武偵校から来た留学生だとかなんとか。専門科目は情報科。作戦立案に長けたジャンヌらしい選択だ。

 

するとジャンヌはピアノの蓋を上げ、曲を弾き始めた。それも自分らの祖先が火刑に処されたところをモチーフにした曲。もっとも、史実とされているそれは影武者で、本人は逃げ延びて力を磨いていたらしいのだが。そしてその子孫がコイツというわけだ。

 

 

 

挨拶、と言っても俺達が何か言葉を交わす必要はない。イ・ウーの同窓であり同い歳の俺達はまぁそれなりに仲も良かった。イ・ウーと一口に言っても派閥はあり、俺とリサ、ジャンヌは別の派閥だったのだが、それでもやはり同い歳というのは大きかった。リサが半ば強引に過激派に組み込まれ、俺もそれを庇うようにそっちに行っただけで別に俺達が自分らのグループに帰属意識があるわけではなかったのもあるだろうし、リサのメインの仕事が会計で、派閥の垣根を越えて接することが多々あったのもまた理由の一つではあるはずだ。

そういうわけで、再び違う場所で同窓生になったところで特段何かあるわけじゃない。連絡だってちょこちょこしてたしな。それでも、理子は今ここにはいないとは言え、この3人で同じ場所同じ学校にいるというのは中々に感慨深いものもあった。ジャンヌがピアノを演奏しだしたのも同じ感傷に浸ったからだろうし、俺達はただ何も言わずにジャンヌの奏でる音色に耳を傾けていた。

 

 

 

しばらくの間聴き入っていると、ジャンヌが窓の外に目配せした。ふと見ればそこにはキンジがいた。音に釣られてやってきたらしい。

少しすれば校舎を回ってきたキンジが音楽室に足を踏み入れる。

 

「……同窓会か?」

 

俺とリサがイ・ウーに居たことをもう知っているキンジはジャンヌまで揃っている様子を見て皮肉気味に呟いた。

 

「ま、そんなとこだ」

 

「それより遠山、お前は横浜の紅鳴館へ潜入するそうだな」

 

「……天人から聞いたのか?」

 

いいや(ノン)、理子からだ。……天人からは何も聞いていないのか?」

 

「無限罪のブラド、か?」

 

「あぁ。……天人、お前は遠山と多少仲が良いらしいが、良いのか?」

 

「直前でいいかと思ってただけだ。……まぁいいや、一応ブラドって奴のことを教えといてやる。取り敢えずここで聞いたことは今は神崎に言うなよ?」

 

「……何で」

 

「聞いたらアイツは無鉄砲に突撃するからさ。それにイ・ウーは私闘を禁止していない。自分の情報を喋られたと知ったらこっちまで襲われるからな。……今の俺はブラドを相手取れる程暇じゃない」

 

結局、今だに傷は癒えていないしあの透明コンビがいつ襲ってくるとも限らない。全快の俺ならブラドをぶっ飛ばすくらいはワケないが、逮捕となると話は別だ。アレはそういう面では意外と面倒な相手なんだよな。

 

「……なるほど。で、ブラドってのはどんな奴なんだ?」

 

「ふむ……私も日本語では何と言っていいのか分からないのだ……。天人、あれは日本語で何と言うんだ?」

 

結局俺かい……。まぁいいか。ブラド、ねぇ……。

 

「んー、まぁ吸血鬼じゃないか?前にパラッと歴史の資料集を捲ったらいたんだけどな、ブラド3世、ルーマニアの串刺し公だよ、ブラドは」

 

「……吸血鬼ってお前」

 

「別に不思議じゃないだろ。お前、ジャンヌと戦ったならジャンヌの───」

 

「あのぉ……」

 

と、そこで音楽室の扉を開ける奴がいた。見れば教科書か譜面か何かを抱えた女子生徒が申し訳なさげに立っていた。どうやらここを使いたいらしい。

 

「……場所変えるか」

 

 

 

───────────────

 

 

 

台場のファミレスにやって来た俺達はそれぞれドリンクバーだけ注文した。リサが各々の飲みたい物を持ってくると行ってマシンの方へ取りに行き、ドリンクバーが物珍しかったらしいジャンヌもそれに着いて行った。

 

「いいのか?」

 

2人がドリンクバーの機械まで行って声が届かないと判断した途端、キンジがこちらに顔を寄せて小声で聞いてくる。

 

「何が?」

 

「腹の怪我、治ってないみたいだが、そんな状態でブラドって奴から物盗る手伝いなんかして」

 

あぁ、それか。

 

「俺もブラドは嫌いだからな。それに、俺は直接紅鳴館に入るわけじゃない。理子の護衛みたいなもんだし、理子とリサを逃がすくらいなら余裕だよ」

 

「ふうん」

 

「まぁあそこにはブラドは帰って来ないみたいだしそう心配することじゃねぇよ。ただ、悲観論で備え楽観論で行動せよ、一応アイツの弱点は教えといてやる」

 

「十字架とかニンニク以外でな。あと日光もいらないぞ」

 

「はっ、んなもんとっくに克服してるよ、アイツは。そうじゃない。アイツの身体には"魔臓"って呼ばれる臓器が4つあるんだ。そして、それのどれか1つでも機能している限り、あの野郎はどんな怪我でも即座に再生する」

 

「……なんだよそれ」

 

「だから面倒なんだ。俺ならぶっ飛ばすだけならワケないが、逮捕って観点での勝ち目が薄いのはそういうことだ。何せアイツに勝つにはその魔臓を4つ同時に破壊しなけりゃいけない」

 

「そんな臓器、身体の中ってだけじゃどこを攻撃していいか分からんだろ」

 

「あぁ、けど3つまでは場所は分かる。アイツは───」

 

「昔ヴァチカンから送り込まれた聖騎士(パラディン)に秘術を掛けられたのだ」

 

すると、飲み物を注ぎ終えたのかジャンヌとリサがコップを2つずつ持って戻って来た。キンジとジャンヌはメロンソーダ、俺とリサが烏龍茶。

 

「秘術?」

 

「そうだ。奴の魔臓の位置には目玉模様が浮かび上がっている。その中心にブラドの唯一の弱点、魔臓がある」

 

「……ま、4つ目も何となく予想は着いてるけどな」

 

「……そうなのか?」

 

「確かめたことはないけどな。候補だけなら幾つかな」

 

「それって……」

 

「まず足の裏。足首の真下なら模様が見えなくても仕方ない。あとはベロだな。ここは身体の表面だけど内側にあるから、もしかしたら、な」

 

「なるほど、だが舌はともかく足の裏にあったらどうするのだ?」

 

「……知らねー。ベロにあることを願うしかないな」

 

残りの3つは肩とか脚だったはずだが、最後が足の裏にあったらわりとお手上げだな。流石に足の裏も含めての4点同時攻撃は手段が思い付かん。

 

「おいおい……」

 

「ま、基本は逃げろってことで。……この辺の情報は緊急時にだけ神崎と共有な」

 

「あぁ。……そういや、イ・ウーってどんなとこなんだ?お前らを見てると仲が良さげなんだが、天人は前にイ・ウーのボスから刺客を送られたとか言ってたし」

 

「……知りたいのか?イ・ウーのことを」

 

キンジの質問に、ジャンヌの目が鋭くなる。

 

「アリアも理子も天人もリサも教えてくれないんでな」

 

まぁ、確かにアイツらならキンジには教えたがらないか……。俺も同じだ。俺が居た時のイ・ウーのメンバー本人達はともかく、そいつらがツテを使ってあの時みたいに強力な聖痕持ちを動員しないとは限らないからな。

 

「ふむ……。イ・ウーは知ってるだけで身に危険が及ぶほどの国家機密だからな。何もかも話すわけにはいかんのだ」

 

「……誰かに話すなと言われてるのか?」

 

「違ぇよ。単に喋ったら喋られた奴が報復に来るかもってだけだ」

 

イ・ウーなんて、そんな高尚な組織じゃないからな。

 

「……狙われてもお前らくらいの戦闘力があればやり過ごせるだろ」

 

「天人なら、な。だが私は無理だ。私の戦闘能力は、イ・ウーの中で最も低いのでな……」

 

ジャンヌのその言葉に、キンジの方こそ言葉に詰まる。だがジャンヌの言う通りだ。コイツは正面切っての戦いであれば恐らくあの中じゃ1番弱い。

 

「俺も、この前みたいにリサをあんまり危ない目に合わせたくないからな。ブラドみてぇに人望の欠片も無い奴のことなら喋ってやれるが……、まぁ組織の概略くらいは良いけどよ」

 

「概略、ねぇ……」

 

「て言っても、まぁ要するに学校みたいなもんだよ、イ・ウーは。教える奴と教わる奴がいて、でもその垣根は無い、みたいな」

 

「どういうことだ?」

 

「簡単な話だ。イ・ウーは世界中から天賦の才を持った者が集まり、お互いにその技術を教え合い、高め合う。そういう場所なのだ」

 

俺の言葉をジャンヌが引き取って答える。

 

「理子がお前に変装技術を教え、作戦立案を理子に教える、っていうのもその一環か?」

 

「そういうことだな」

 

「じゃあ天人の、聖痕……とか言う力も伝わってるっていうのか?」

 

「あぁ……あれは教えてどうにかなるもんじゃないからあれは俺だけのもんだ。だからま、戦闘力はあっても伝えられる物が無い俺はあそこでも爪弾きだったんだよな」

 

「そりゃ何よりだ。人工浮島をあんな風にできるような能力が皆使えたんじゃ洒落にならん。けど、ていうことはイ・ウーってのはそんな自己啓発集団の集まりか?」

 

自己啓発集団って……。まぁ間違っちゃいない気もするが……。

 

「そこら辺は色々だな。世界征服したいような奴から何かの目標のために力が欲しい奴、それこそただただ力のみを求める奴。色々いた。組織っつってもそんなに結束力のある集団じゃねぇよ」

 

「……理子は、どんな目的でそんなとこにいたんだ?」

 

その質問に俺は答えなかった。答えを知らないわけではない。けれど、何となく答えを言うのがはばかられたのだ。だがそんな様子の俺を見て、ジャンヌが口を開く。

 

「理子は、ブラドに監禁されていたのだ。幼少のころに」

 

「監禁……だって?」

 

「そうだ。リュパン家は理子の両親の死後、没落したのだ。財宝は散り散りになり使用人達もバラバラになった。そんな理子の元へ親戚を名乗る人物が現れ、理子はそれに騙された。そいつがブラドだった」

 

「……理子様がお洋服に拘るのはその当時ボロ布しか纏う物がなかったから。お身体が小さいのはキチンとした食べ物を与えられなかったから。ですが理子様は自力でその檻から脱出なされました」

 

リサがジャンヌから言葉を引き継いだ。

 

「……そしてイ・ウーの門を叩いた。だがブラドもまた理子を追いかけてイ・ウーにやって来た。そして理子は負けた。……だが成長著しかった理子に免じて、とある約束をしたのだ」

 

「それが、シャーロック・ホームズ4世……アリア様と戦って、勝つことができれば永遠に解放するというものでした」

 

それこそが理子がアリアに拘っていた理由。そしてアリアの全力を出させるためにキンジと組ませたがっていた理由でもある。そうでないと、理子はいつまでもあの野郎から解放さないから。

その告げられた言葉に、事実に、過去にキンジは押し黙る。

そして、どこか重苦しい雰囲気を残したままこの会合はここでお開きとなった。

俺はリサと寮に戻ったのだが、ファミレスを出る際にジャンヌが何か言いたげな顔をしていたのがやけに印象に残っていた。

 

 

 

 



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トリデンテ

 

横浜ランドマークタワー。高さ296メートル。その屋上に俺は居た。何故態々こんな所にいるのか。理子が俺達に依頼した理子のお宝の奪還。その報酬をキンジ達に支払うためだ。ちなみに俺とリサへの報酬は現金で、それはもう貰っている。だが俺の仕事はもう1つだけ残っている。今からそれを実行するのだ。

 

理子の取り返してほしかったお宝はとある宝石の着いたネックレス。母親の形見だそうだ。そしてそれを自らの首に、敢えてキンジに掛けさせる。その瞬間───

 

 

──チュ──

 

 

と、理子がキンジの唇へ、口付けを落とした。それを契機にキンジの雰囲気が変わっていく。そう、ヒステリアモードへと。

 

「変わったなキンジ」

 

アリア──紅鳴館での任務中に苗字呼びはよそよそしいから止めろと言われた───が理子にヒステリックに叫んでいるがキンジはそれを放ってこっちを向く。そして───

 

「……そういうお前は変わってないな」

 

振り向き様に皮肉交じりのキツイ返しが返ってきた。

いいね、その雰囲気。腹の具合さえ良ければ俺も戦いたくなってくる。

 

「今日の主役は俺じゃない。俺はただの記録係だ」

 

「俺達と理子、どっちが勝つかか?」

 

「そうだ。だから俺のことは気にしなくていい。()()()お前らの戦いには手を出さない。何に誓ってもな」

 

「そういうことだキンジ。あたしはお前らを倒してひいお爺様を越えるんだ!」

 

理子はそう叫びながら銃を抜き、()()()()()でナイフを2本構える。二丁拳銃と二刀流、それを()()()()()双剣双銃(カドラ)の理子、その本領が、異様が、今発揮される。

アリアも観念したように両手に拳銃(ガバメント)を構える。痺れるような空気が場を支配する中、俺もビデオカメラを構える。今日の俺の得物はこれだ。このカメラの中に、理子が彼女の曾祖父を越えられたのかどうか、それを収めるのだ。

 

「……風穴開ける前に1つ教えなさいよ」

 

戦闘直前、一触即発の空気の中アリアが問う。

 

「なんでそのネックレスにそこまで拘るの?それ、ただの形見ってわけじゃあないんでしょ?」

 

「……アリアは繁殖用雌犬(ブルード・ビッチ)って呼ばれたことある?」

 

それを契機に理子の口から語られたのは過去の記憶、時間。理子がブラドに監禁されていた時の辛い記憶。俺はこの話がどうにも苦手だ。どうしても、理子のいた所にリサを置いてしまうから。そして勝手に怒りが燃えてきてしまうのだ。だからファミレスでも俺は話せなかった。

そして理子の心の叫びは続く。銃を向け、ナイフを構え、真なる双剣双銃(カドラ)の姿を現しながら。

 

「オルメス!遠山キンジ!お前達は!私の踏み台になれ!!」

 

その瞬間、響いたのは銃声ではなかった。むしろ、この空間に響いた音が静寂をすら引き連れてきた。そう───

 

──バチバチバチッというスタンガンの奏でる電撃音が──

 

 

「ガッ───!?なっ、何で……お前が……」

 

理子が後ろを振り向き、そこに現れた人間の姿を確認してそう呟く。そして俺も、()()()()()()()()()()()姿()()銀の腕・天墜をノータイムで発動。身体の奥が燃えるように熱くなるがそれは無視。即座に自身の周りへ白焔を撒き散らした。

 

「……お前、何者だ」

 

理子を真後ろから強襲した犯人は小夜鳴。武偵校の非常勤講師にして紅鳴館のハウスキーパーだった男だ。だが纏う雰囲気がどこかおかしい。あの粒子の聖痕の男程ではないが、ただのハウスキーパーと非常勤講師を務める優男の出す雰囲気ではない。

だが小夜鳴は俺の質問には答えなかった。代わりに出てきたのは保健室で俺達を強襲したあの銀狼共。……ブラドとそこまで繋がってるってわけか。

 

「……アンタが無限罪のブラドなのね!!紅鳴館では会ったことがないなんて言っておいて!全部演技だったんでしょ!!」

 

アリアの推理に、しかし小夜鳴は首を横に振った。

 

「いいえ、確かに会ったことはありません。私達は会えない運命にあるのです。……ですが、心を通わせてコミュニケーションを取ることはできる。今もそうしています」

 

そこで小夜鳴は理子の背中を踏みつけにした。

理子がその苦痛に喘ぐ。

 

「……そして、彼はもうすぐやって来ます。それを狼たちも察して昂っている」

 

昂っているかどうかは知らないが銀狼共は理子か、拳銃とナイフを取り上げた。

 

「あぁ、動かないでくださいね。この拳銃は30年も前の粗悪品なものでして、()()()()()()()()()んです。誤って()()()()4()()を殺してしまったら勿体ないでしょう?」

 

リュパン4世、なぜその呼び方をお前が知っている。お前は一体誰なんだ。

 

「分かっているとは思いますが、神代くん。君もですよ?」

 

そんなこと、言われなくても分かっている。理子を傷付けないようにあの銀狼2匹と小夜鳴の拳銃から守るのは至難の業だ。それに、あの透明人間達がどこに潜んでいるかも分からないからな。俺も下手には動けない。

 

「……さて、遠山くん。先生らしくあの時の小テストの補講といきましょうか。ええそうです、君がこの4世とふしだらな行為をしていたあの補習の時のです」

 

え……何やってんのキンジ。小夜鳴のその言葉にアリアも凄まじい勢いでキンジを睨み付けている。うん、今回ばかりは気持ちは分かる。補習のテストだろそれ?そんな時に何やってのさ。

 

「遺伝子、DNA、それらは遺伝するものだと教えましたね?両親のそれが優秀であればある程、その子は優れた遺伝子を持つことになる」

 

そこで小夜鳴は言葉を切り、俺を見る。だが直ぐに視線を戻した。

 

「けれど生物とは不思議なものです。優秀な遺伝子を持つ両親のそれが全て子に受け継がれるとは限らない。親の優秀さが発揮されないこともまた有り得るのです」

 

「そういう意味では神代くんはとても優秀ですね。まさか聖痕なんていう1つでも中々遺伝し、発現しない力を2つも発現させているのですから」

 

さっき俺を見た理由はそれか。だがそれがどうした。俺はこの力のせい1度は全部無くなっちまったんだぞ。それが優秀だなんて、本当に言えるのか?

 

「私はブラドに頼まれてこの4世の遺伝子を調べたことがありました」

 

「……お、前か。ブラドに……余計なことを吹き込んだ……のは」

 

理子が途切れ途切れになりながらも声を上げる。

 

「そして驚愕しました。あの優秀なリュパン家の人間であるこの4世は───」

 

「止め、ろ、それは……オルメス達には……関係……ない……」

 

そこから続く言葉に察しがついているのか、理子は止めようとする。だが小夜鳴は止まらない。止まろうともしない。むしろ、その理子の反応を愉しんでいるかのようだ。

 

「───両親の優秀な遺伝子が全く受け継がれていなかったのです!」

 

それは明かされた。俺も知らない理子の秘密。そんなこと、考えもしなかったからな。

だって俺からすれば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「つまりこの4世は遺伝的にはまったくの無能!」

 

小夜鳴が理子の髪を掴んで引っ張り上げる。その顔にはもう隠そうともしていない、嘲りの色が浮かんでいた。

 

「……てめぇ」

 

「ふん、1歩でもそこを動こうとすれば首を刎ねます」

 

俺はその言葉に奥歯を砕けそうになるくらいに噛み締める。

 

「1人じゃ満足に盗みも出来ない低脳の出来損ないが。4世、お前にはこれがお似合いですよ」

 

小夜鳴が取り出しのは理子が盗ませたのと同じ色形の十字架のネックレス。小夜鳴は理子の持つそれを奪い取り、偽物の方を理子の口に押し込んだ。

 

「4世、お前にはそれが大事なんでしょう?ならちゃんと持っていなさい、昔ブラドの所から逃げ出した時のように。口の中にキチンとねぇ!」

 

4世、4世と執拗に理子を虐め抜く小夜鳴。……何故そこまでする必要がある。キンジ達がやろうとしていることに気付いていながら見逃したみたいだし、報復ということもあるまい。

いや、何かがおかしい……小夜鳴の雰囲気が少しずつ変わっていっている。まるで別の何かに変質していくような……何か大きい力が流れ込んでいるような……。しかし当然、そんな光景を見せられればアリアはキレる。

 

「いい加減にしないよっ!!理子を虐めて何の意味があるの!?」

 

「絶望が必要なんです。彼を呼ぶためにはね……」

 

理子の顔を押さえつけ、背中を踏みにじり、4世4世と理子の大嫌いな呼び方を続ける。そしてその合間に俺達への言葉を繋ぐ。

 

「彼は絶望の歌を聴いてやってくる。……十字架を一旦盗ませたのもぬか喜びさせてからより深い絶望に落とす為───」

 

「よく見ていてください。私は他人に見られながらの方が()()()()()()()()()

 

そして、小夜鳴は理子を踏みにじりながら言葉を続けた。補講、と称して。イ・ウーが遂に他人の遺伝子から能力をコピー出来るということ、吸血鬼という一族が昔から吸血によって優秀な遺伝子を集めてきたこと。その時の中で人間の血を偏食したいたブラドはいつの間にか人間の(小夜鳴)に隠されることになったこと。そして小夜鳴(ブラド)からしたら人間の雌はただの加虐対象でしかないこと。そしてコイツはそれで()()()()()ということ。

 

そして、小夜鳴がついに恍惚の表情になりながら───

 

「さぁ、()()()()()

 

そう、呟いた。

 

「っ!?」

 

その瞬間、細身の小夜鳴の身体が膨れ上がった。そして綺麗な白い肌が黒く、毛むくじゃらになっていく。背もぐんぐん伸び、骨格レベルでの変質が起きている。そして終いには背中から翼が生え、顔は人間のそれではなく狼のような顔になってしまった。そう、俺のよく知る()()()()()()()だ。

HSS(ヒステリア・サヴァン・シンドローム)によって小夜鳴という人間の外殻を破って現れたのは───

 

「ブラド……」

 

「コイツが……」

 

「無限罪のブラド……」

 

「ゲハハハハハハハハハ!!グハハハハハハ!!」

 

品性を感じない薄汚い笑い声が横浜の上空に響く。無限罪のブラド、世界を股に掛ける秘密結社、イ・ウーのNo.2が俺達の目の前に現れた。

 

 

「ゲハハハハハハハハハ!!よォ、久し振りだなァ神代ォ」

 

「あ?てめぇこそ元気そうじゃねぇか」

 

「あぁ、気分は良いぜェ。……それより、お前こんな所で油売ってていいのかよ?」

 

は?お前を潰すことの方が先決だろうよ。何言ってやがるんだ?

俺が訝しんで返事に困っていると、ブラドは愉快そうに口元を歪めて嘲るように喋り出す。

 

「聖痕持ちは聖痕持ちにしか倒せないんじゃあなかったのか?」

 

その言葉で俺は気付く。さっきからずっとあの透明女共の気配を探っているのに全く気配がしない理由。それはアイツらが上手く隠れているからでも、俺がそういうのが苦手だからでもない。

 

アイツらは()()()()()()()()()()()()

 

やられた……。アイツらの存在は俺をここで足止めする為のブラフ。透明化した小夜鳴が不意打ちで現れれば俺は否が応でもアイツらの存在を疑わざるを得ない。そうやって、アイツらがいる()を装っていやがったんだ。

 

「……理子!!俺の優先順位は分かってるな?けど絶望するな!お前は俺なんぞよりよっぽど上等な人間だ!俺はこの力に振り回されっぱなしで、多分これからもずっとそうだ!けどお前は違う!抗って抗って、ここまで来れたんだ!それを俺は心から尊敬してる!!だから諦めるな!お前はそんな奴に負けない!!」

 

そこまで言って理子の返事は聞かず、俺は背中のスラスターを吹かして横浜の夜空を切り裂くように飛び出した。念の為にとジャンヌの元へ預けたリサの、俺の最愛の元へと。

 

 

 

───────────────

 

 

 

情報科の寮、ジャンヌの住むその建物の前に俺は着陸した。超音速で駆け抜けて来たからコンクリート砕けたけど、そんなものを気にする余裕は今は無い。

 

しかし俺が顔を上げた瞬間に強い殺気を感じる。俺は瞬間的に背中と腕から白焔を撒き散らした。

 

「きゃぁ!!」

 

女の叫び声が2つ。俺の前と後ろからだ。そこには夜闇に紛れる黒いボディスーツを着た栗毛の女がいた。姉妹なのだろうか、2人とも顔が似ている。俺は即座に目の前の女の懐に飛び込み、その鳩尾に拳をめり込ませる。それで呼吸が詰まり、力を再び発現させる余裕を奪ってから聖痕持ち用の手錠を填めた。この手錠、聖痕の扉を閉じる力があるのだ。欠点は力を無効にしているわけではないこと。だからコイツらの能力の方が先に発動してしまえば、学園島で逃したようにこれで捕えることが出来ないのだ。

 

「うっ……」

 

更に俺の後ろにいたもう1人は今度は姿を消すことなく俺に太刀を振りかぶって斬りかかってきた。だが前に襲われた時にも感じた違和感、それがここにきてやっと分かった。コイツら、動きが素人臭いのだ。多少は訓練を受けた痕跡はあるがまだまだ素人に毛が生えた程度。これならヒスっていないキンジの方がまだマシなレベルだ。

確かに聖痕の力は脅威だが、それでも本人の技量がこれならどうにかなる。

 

俺は唐竹割りに振り下ろされた太刀を半身になることで躱し、左の拳で顎を打ち据える。

 

ゴッという骨に響く音を鳴らし、そいつは膝から崩れ落ちた。脳震盪を起こさせたのだ。当然そいつにも聖痕用の手錠を嵌めて制圧。今だに腹を抑えて蹲っている女へ話しかける。

 

「お前ら、どうして俺を狙う?誰に言われた?」

 

「……言えない」

 

「無限罪のブラドか?」

 

「……名前は聞かされていない」

 

「あっそ。まぁ誰でもいいや。で、何て言われて俺を狙う?金か?」

 

ていうか、十中八九ブラドだろう。だって小夜鳴はこいつの聖痕の力を借りて姿を消していたんだし。

 

「……言えない」

 

「……脅されてんのか」

 

伏せたままだから表情までは分からないが、俺の言葉にビクリと肩を震わせた。本当に素人だな、コイツら。

聖痕持ちはその全員が戦闘向きの力とも限らない。そして戦闘向きの力だとしても、俺やあの粒子の野郎みたいに暴力の世界に身を置く奴ばかりとも限らない。というか、案外そういう奴は少ないのだ。理由は簡単、目立てば狙われるから。過ぎた力は排斥される。聖痕持ちは同じ聖痕持ちでなければ倒せない。確かに正面切ってのタイマンならそうだ。能力によっちゃあ、例え重火器で武装した100人の軍人相手でも圧倒できるだろう。

 

だかいくら聖痕持ちと言えど不意に2キロ先から対物ライフルでの狙撃を喰らっては致命傷だ。

それだけではない、中にはいるのだ。聖痕を使って聖痕持ちを狩ろうとする頭のイカれた連中が。

そもそも、この力はそう簡単に遺伝するものではないのだ。親が持っていたからと言ってその子が同じ力を発現させられるとは限らない。むしろ現れない可能性の方が余程高いのだ。事実、俺の両親は聖痕のことを知ってはいてもその力を使うことはできなかったし、俺に対してもその力であまり目立つことはするなと教えてきた。そして親に力が無いということは子供にとっては庇護が無いということでもある。力を上手く扱えないうちにそれは致命傷だ。

 

だから俺達聖痕持ちはその力を隠す。排斥されない為、力を持った悪意の塊に狙われないために。

 

だからコイツらのように力を持っていてもほとんど使ったことがなかったり戦闘経験が皆無なんてこともままあることなのだ。

 

「……もしお前らが誰かに脅されていて、今後聖痕の力を暴力に使うことなく生きていくと約束するのなら、助けてやってもいい」

 

俺のその言葉にやっとそいつは顔を上げた。その顔には不安と期待が入り混じっている。当然か、さっきまで自分の命を狙っていた奴らの助けになろうなんて、早々信用できるものでもあるまい。

 

「て言うか、そう約束しろ。約束するまでこっちの奴の骨を1本ずつへし折る」

 

そう言って俺は意識を失っているもう1人の頭を掴み上げた。

 

「あっ……待っ……」

 

「待たねぇ。答えろ」

 

俺は気絶している方の小指を取り、少しずつ人間が曲がらない方向に曲げていく。

 

「する!します!約束します!!だから……」

 

「なら良い」

 

俺は抱えている方の奴を丁寧に地面に横たえる。本当に素人なんだな……。ここまで起きないということはあのフックが完璧に入ったってことだろうからな。いくら何でも弱過ぎる。

 

「……お前ら、名前は?」

 

よくよく考えたら俺はコイツらの名前しか知らないからな。

 

「透華です。涼宮透華(すずみやとうか)。そっちは妹の樹里(じゅり)

 

トウカ、ねぇ。てかコイツ、名前と聖痕の力が同じなのか……。え、面倒くさ。

すると、涼宮姉は俺の方を見てそっちの名前は?というような顔をしている。

 

「俺は天人、神代天人だ」

 

「神代、さん……」

 

「あぁ。お前らの聖痕の力は透……姉の方が物を透かす透過で、妹の方が自分の持ち物を強化するでいいんだよな?」

 

「……私のはそうです。けど樹里のは違います。強化ではなく切断です。相手の強度に関係無く物質を切断できる」

 

なるほど、俺を最初に襲った時に膂力を向上させていなかったから本人以外の触れた物質の性質を強化するのかと思っていたが、切断か。

 

「しかし、透かす方はかなり離れていても使えるんだな。横浜からここまで、相当あるだろ」

 

「えぇ、基本的に1回使ってしまえば距離は関係無く解除するまで保ちます。切る時は合図を貰いました」

 

そこまで言ってしまったらもう誰から言われたか漏らした様なもんだぞ……。カマかける気もなかったんだが、本当に少しだけ剣の振り方を教えられただけで、ズブの素人なんだな。

 

「で、何をネタに脅されてんだ?」

 

「……妹です。1番下の」

 

「樹里、じゃなくてか」

 

「はい。私達1つ違いのは3姉妹なんです。……1番下の妹、彼方(かなた)を人質にされて……」

 

「そいつには聖痕は発現しなかったんだな」

 

コイツらの能力があればブラドからも逃げ切れたかもしれない。だが力は使えても本当に素人みたいだからな。あの鼻の効く銀狼も使われちゃ逃げきれなかったんだろう。特に妹に聖痕が無ければ足枷にしかならないだろうからな。

 

「いいえ、妹には……彼方には私達のどちらよりも才能がありました。神代さんと同じ二重聖痕、特に切断の聖痕は……物質だけでなく空間みたいな概念的なものにも作用させられる程でした」

 

それは、凄いな。使いこなせれば俺の白焔よりも余程戦闘向きの力だろう。いや、むしろそれだけの力があってどうしてブラドに捕まったんだ?だがその答えは透華の口から直ぐに出てきた。

 

「けれど彼方はそれを上手くコントロール出来ません。ちょっとした拍子に力が暴走してしまうのです。だから昔から彼方は聖痕を閉じるブレスレットを身に付けていました。あの時も、それで……」

 

……それは、あの時の俺と同じっていうことか。俺には雪月花があって、あの粒子の野郎との戦いの中でコントロールも身に付けられたけれど。けど彼方って子にそんなチャンスは訪れなかった。いや、訪れない方が良いはずなんだ。殺し合いの最中に力を身につけるより、例え無力でもそんなのとは縁遠い生活を送れる方がきっと幸せだ。

 

「事情は分かった。……樹里の方はブラドには何も能力を付与してねぇよな?」

 

「はい。今はもう透過も消しましたし、何も無いはずです」

 

「ならいい。……ブラドは今俺の友達が戦ってる。ブラド本人はアイツらに任せておけば大丈夫だと思う。俺達は彼方の方へ向かおう」

 

「……はい、彼方が今囚われているのは───」

 

 

 

───────────────

 

 

 

彼方が捕らえられている牢獄はなんと紅鳴館にあった。

小夜鳴の研究室の更に奥、理子すら知らない地下の最奥に彼女は居た。

道中は俺達を殺す為のトラップもブラドを呼ぶ為の警報も色々と仕掛けられていたが、物理的な罠なんぞ俺達には効果は無いし、そもそも館の主本人も今はランドマークタワーでキンジとアリア、理子と戦闘中……というより道中で既にブラド逮捕の連絡は受けている。銀狼も徘徊していたが当然それも蹴散らすだけ。思いの外労せずに人質である涼宮彼方は救出(セーブ)できた。

姉2人と同じ色の栗毛を2つ結びにした子だった。ちなみに透華はボブ、樹里はポニーテールなので似た顔で若くなるほど結び目が少なくなっていることに気付いた時には笑いそうになった。

 

「……あの、神代さん」

 

「なんだ?」

 

「妹を、私達を救ってくれて、ありがとうございます」

 

「礼ならさっき貰ったぞ?」

 

「えぇ、けれどもう1つ、お願いがあります」

 

「……なんだ?」

 

「私達を武偵にしてほしいんです」

 

「……は?」

 

透華の思わぬお願いに俺は目が点になる。

 

「私達の故郷では皆、都合が良い時はこの力を便利に、悪い時には私達を鬼子のように扱ってきました。おかげであんな奴にも目をつけられて……。私達には既に両親がいません。祖父母も私達を気味悪がっています。もうあそこには戻りたくないんです……。さっき力は使わずに生きるって約束しておいてって、私自身も思います……けど、絶対に私利私欲には使いません!!だから、お願いします……。私達を、助けて……」

 

透華が頭を90度下げる。樹里も彼方もそれを見て覚悟を決めたような顔をして、そして同じように頭を下げてきた。おいおい……。

 

「なんでもします!だからお願いします!!」

 

その勢いに、想いに、俺は折れるしかなかった。力を持っていても幸せになれるわけじゃない。力に振り回され、望んでもない戦いに巻き込まれたり、誰か大切な人を、時には自分自身も傷つけてしまうことがある。その姿はどうしたって俺自身の過去と重なってしまうのだ。

 

「……協力はしてやる。けど絶対に武偵校に通えるかは限らない。それでいいか?」

 

だから俺はこうするしかない。こうならざるを得ない。

はぁ、理子とジャンヌにいくら積めばいいのやら……。いや、でもコイツら元々裏の人間ってわけじゃないし別に平気か……?

 

「それと、もし武偵校に通えたら、の話だが、彼方、お前はその枷は付けっぱなしにしろ。外すのは俺との訓練の時だけだ」

 

「はい!」

 

あんまり元気良く返事されるとその期待が重いなぁ……。ああ、編入できるまでのコイツらの住処どうしよう……。ていうかコイツらの故郷ってかなり閉鎖的っぽいし出さしてくれんのかな……。まぁ、ブラドに連れてかれた時点でもうどうでも良くなってそうだな。酷い話だと思うけど。まぁ今回に限っては面倒が少なそうで良かったのかな……?

あ、リサになんて説明しよう……。ていうか俺、ジャンヌの部屋の目の前で暴れたんだよな。もしかしたら会話聞かれてたかもしれん。あぁもう……これにて一件落着、とはいかねぇよなぁ。

 

──勘弁してくれ──

 

思わずそんな言葉が口をついて出そうになったけれど、それを押さえ込んで頭を掻き毟る。

 

「じゃあ東京に戻るか」

 

俺の言葉に3人は揃って「はい!」と嬉しそうに答えてくる。つい数時間前まで俺の命を狙っていた奴らを引き連れて、俺は東京へととんぼ返りをするのであった。

 



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空から男の子と女の子が降ってきた

 

取り敢えず、涼宮3姉妹はジャンヌに預けることになった。俺が3人を連れて頭下げに行った時のジャンヌのジト目は多分一生忘れられないだろう。人間って、あんなに昔馴染みを見下せる顔を出来るんだなぁ……。でもなんであんな顔をされたんだろうか。命狙ってきた相手なのに助けたからかな……、多分そうかな。

まぁ、そのうち理子も帰ってくるし、そうすりゃ3人を武偵校──彼方は中等部(インターン)だけど──に入れられるだろう。ジャンヌや俺達と違って裏社会の人間じゃないのも好材料だ。

 

で、今日から武偵校も夏服だ。武偵校では夏服の期間がかなり短い。何せ半袖じゃ防弾制服の守備範囲が狭くなるからな。武偵的にはどうなの?というわけだ。ちなみに男子はネクタイせず、ジャケットも着ないだけだったりワイシャツが半袖になったりという程度で大差ないが、女子は普段の赤セーラーから夏の空模様のような水色の半袖のセーラー服に変わる。これはこれで中々に可愛らしいのだ。リサも例にならって半袖の水色セーラー、当然いつも通りスカートは長め。うーん、今日もリサが可愛い。

 

そんなリサと、いい加減に頭を垂れたくなる暑さの中登校すると、掲示板の前に人だかりができていた。そして、その中で一際目立つ銀髪が夏の陽射しに輝いている。ジャンヌだ。

向こうも俺達に気付いたのかちょいちょいと手招きしてきた。

 

「……どうした?」

 

「見てみろ」

 

つい、とジャンヌがその細長い指で指し示したそれは、単位の足りない奴らのリストだった。

 

「あ?……キンジじゃん」

 

そのリストに書かれてた名前には心当たりのある人間がいた。そう、キンジだ。ちなみに不足単位は1.9。この単位が2学期までに不足すると留年となってしまうのだ。武偵校は封建的で上下関係に厳しい。だがそれはただ闇雲に下に厳しいというものではない。上は上で、下から尊敬される行動が求められる。まぁそんな学校での留年はそこいらの学校と比べてどんな扱いになるのか……想像するのも恐ろしいな。

ていうかジャンヌ、脚を痛めたみたいでギプスを着けた上に松葉杖付いてるな。

 

「遠山様、大丈夫でしょうか……。それに、ジャンヌ様も脚の具合が……」

 

「あぁ、それどうした?」

 

「……虫がな」

 

「虫?」

 

「あぁ、コガネムシの様な虫が膝に張り付いたのだ。それに驚いた拍子で側溝に脚がハマってしまったのだ。そこにバスが来て、な……」

 

全治2週間だ……と、遠い目をするジャンヌ。いや、それで2週間で済むってお前も大概丈夫だなぁ……。

それにキンジも、アイツ、ここ最近は金にも単位にもならない仕事ばっかりだったからなぁ。探偵科のEランク武偵にゃそんなに割の良い仕事も回ってこないだろうし。

と、友人の危機に俺も頭を抱えているとまたもやジャンヌが誰かに向かって手招きをした。そちらを見れば今一緒に登校してきたらしいキンジとアリアがやって来た。アリアも青セーラーを着ている。

 

「アンタが武偵校の預りになったのは知ってるけど、制服も似合うじゃない」

 

両腰に手を当てて上から目線のアリアにジャンヌもイラッとしたように言葉を返した。

 

「私は遠山を呼んだのだ。お前は呼んでいない」

 

「そっちには用はなくても私にはあるの。……ママの裁判、アンタもちゃんと出るのよ」

 

「……分かっている」

 

「ま、怪我してるみたいだし、苛めるのは今度にしてあげる」

 

あくまでもアリアは上から目線。

だが怪我をしていてもジャンヌはジャンヌ。その気の強さは変わりはしない。

 

「私は今すぐにでも構わないぞ。脚の1本くらいはちょうど良いハンデだ」

 

いや構えよ。ていうかいくらお前でもここで片脚はアリア相手じゃ分が悪いだろ。

 

「いや構えや。……ていうかキンジ、お前ここに名前出てるぞ?」

 

「えっ!?」

 

俺の言葉に凄まじい勢いでキンジが掲示板に張り付く。

 

「なにキンジ、アンタ留年するの?馬鹿なの?」

 

ちなみにこの武偵校は授業以外でも教務科から斡旋された仕事でも単位を補填できる。俺も授業の成績は人のことを言えたものではないけれど、こっちで単位を獲得して今のところ既に卒業できるだけの単位は揃えている。

 

緊急任務(クエスト・ブースト)には何かねぇのか?」

 

緊急任務、武偵校は大概キンジみたいなのが出るので──というか今日の時点でキンジの1.9単位不足は多い方だが、それ以外にも結構単位不足者は出ている──そいつらの救済のために教務科が任務を持ってきてくれるのだ。

 

「……お?」

 

キンジの後ろから俺も緊急任務を覗けば、1番上に記載されていたのはカジノ"ピラミディオン台場"での警備、報酬の単位はちょうどキンジの不足単位と同じ1.9。しかし、帯剣もしくは帯銃と必要生徒数4人はともかく、女子推奨とは一体……。それに被服支給有り、か。……てかこのピラミディオン台場って最近お台場に出来たカジノ施設か。何でも創設者が海から流れてきた三角錐だか何だかにインスピレーションを受けて建てたのがこのカジノだとか。

だいたいこの手の建物には武偵が用心棒として雇われているのだが、大概事件なんぞ起きないから武偵の間じゃ腕の鈍る仕事としてバカにされがちだが……まぁ普段のキンジにならちょうど良い仕事かもしれんな。

 

「……アリア、お前もやれよこの仕事」

 

と、珍しくキンジからアリアへの誘い。だがキンジに誘われたアリアは随分と嬉しそうだ。パートナー同士困った時はお互い様だとか言ってるけど上機嫌でその誘いに乗っていった。

そしてそのまま校舎に歩いて行く2人をボケっと見送る。女子推奨の任務(クエスト)だからか、キンジは俺に声を掛けることはなかった。

 

「……俺達も行こうか」

 

「はい。それではジャンヌ様、ごきげんよう」

 

「あぁ、私ももう行こうか」

 

この3人でいると、何となくイ・ウー時代を思い起こさせるな。俺はそんな感慨を抱きながら校舎へと歩き出した。

 

 

 

───────────────

 

 

 

"他の武偵校から来たカナとかいう超絶美人な女子生徒が、神崎アリアと強襲科のコロシアムで戦ってるなう"

 

"あの神崎アリアが押されてる"

 

武偵校の裏ネットに書かれている書き込みだ。投稿者は誰だか知らんけどこの場にいる大勢の中の誰かだろう。

今俺は強襲科のコロシアムに来ている。カナから「今日アリアと強襲科で闘るから」とだけ連絡が来たのだ。なので来てみたらちょうど戦い始めるところだったので最前列で観戦させてもらっている。

しっかし、カナはものの見事にアリアを手玉に取っているな。強襲科のSランク武偵であるアリアが手も足も出ない、まるで子供と大人だ。

……実際、カナは19なので武偵校の赤セーラーはコスプレになってしまうんだけどな。

 

と、余計なことを考えていたら一瞬カナがこっち見たぞ。こっわ……この模擬戦終わったら即逃げよう。

 

あのアリアが聖痕持ちでもないカナに手も足も出ない理由。それがカナの得意技、不可視の銃弾(インヴィジビレ)だ。

原理はただの超絶早撃ちなのだが、銃を抜くところも、射撃の瞬間も、銃を仕舞ったところも何も見えないからそう呼ばれている。そうでなくともカナはHSSの状態なのだ。そう、HSS(ヒステリア・サヴァン・シンドローム)。カナはキンジと同じく遠山家に連なる人間、というよりキンジの兄である。キンジの兄、遠山キンイチが女装するとカナになり、それがヒステリアモードの発動に繋がるというよく分からん人物だ。だがとてつもなく強い。俺なら強化の聖痕を使えば勝てるには勝てるが、それはただ体力でゴリ押すだけ。それ無しでの戦闘技術じゃ俺はカナには遠く及ばない。

しかしカナとアリアの戦いと呼べるのかも微妙な一方的な蹂躙は終わりを迎えた。

どこかで噂を聞きつけたらしいキンジがコロシアムに乱入してきたのだ。元々カナにはアリアに対して殺気が欠片も無かったから、多分もう終わりだろう。カナの折檻も怖いし、ここら辺で俺は退散させてもらおう。

 

 

 

「そうですか、カナ様が……」

 

その日の夜、俺とリサは寮のリビングで2人で夕飯を食いながら午後の強襲科での話をしていた。

 

「うん、まぁ途中でキンジが割り込んだし、どうにかなったぽいけどな」

 

武偵校の裏ネットにはあの後、婦人警官が1人突撃してきてギャラリーを追っ払ったらしいという書き込みがなされていた。だからそれ以上のことは俺も分からない。キンジに聞いてもいないしな。

 

「そういやリサ、7月7日って空いてるか?」

 

「えと……はい。その日は予定はありません」

 

「お、ならさ、上野で夏祭りやるんだってさ。行こうぜ」

 

ここんところ、2人でいられることが少なかったからな。久しぶりのデートだ。

 

「はい!喜んで!」

 

ん、リサも嬉しそうだ。俺にはそれが1番嬉しいよ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

7月7日夕方の上野駅。

人で、と言うよりそのほとんどがカップルか家族連れか、独り身で今日この時間にここにいる奴はそういない。いたとしてもそれはその瞬間に連れがいないだけで待ち合わせの雰囲気を漂わせている人間ばかりだ。かくいう俺もその1人。念の為武偵手帳(チョウメン)と手錠、拳銃に雪月花は持ってきているが防弾制服は着ていない。普通の服だ。

 

待ち合わせの時間まであと15分。待たせる訳にもいかんだろうと早目には来たがリサはまだ到着していないようだった。

なんでも、雰囲気のためにもそれぞれバラバラに出ましょうとのことだった。同じ家に住んでるのに面倒とも思わないでもないけれど、武偵になってリサと一緒に暮らし始めてからこっち、こういう時はだいたいそう言われるのでもう慣れた。

アドシアードの前、葛西臨海公園で花火大会があった時もそんな風に言っていたしと思い出しながらボケっと突っ立っていると、何やら駅の方がザワつき始めた。もっとも、何か事件があった風ではない。どちらかと言えばお忍びで来ていた有名人が見つかったかのような騒ぎ方だが……。

 

「…………」

 

はたして、人垣を分けて、と言うよりモーゼの海割りよろしく勝手に別れたそれから出てきたのは浴衣を着たリサだった。いつもは下ろしている金髪を後ろで纏めているが、その金糸は駅の明かりを反射して眩いくらいに輝いている。

着ているものもいつものクラシカル防弾制服ではなく白地に赤や青の朝顔が咲き乱れている浴衣だ。帯は白に近いピンク色で、それらの色合いがリサの透明感をより際立たせている。

なるほど、リサのあまりの可愛さに皆驚いているんだな。分かるよ、俺も毎回その可愛さに驚かされてるからな。しかし、当のリサ本人はキョトンとした顔でこちらへ向かってくる。そして、俺の姿を認めたらしく、パァっと満開の桜よりも可憐な笑顔を咲かせた。

その瞬間に、俺は自分の胸の中から何度目とも知れぬ恋に落ちる音を聞いた。

 

しかし、普段は防弾制服が武偵であることを殊更に強調しているから不躾な声を掛けられることはあんまりなかったが、今のリサはその鎧を纏っていない。その上今この瞬間は俺も傍にはいないのだ。そんなリサには当然───

 

「ねぇねぇ、今から俺達と遊び行かない?」

 

とまぁ、街灯に誘い込まれた蛾の如き悪い虫が着くわけで……。

これが他の武偵女子なら話は違ったのだろうが、リサは星伽と並んで武偵校でもトップクラスに控え目な性格だ。まぁ、星伽の場合は半分猫被ってるのもあるが……。

ともかくこれがアリアや理子、ジャンヌであればどうにでもなったのだろうが、リサにそれは無理だ。改札を出る前に変なのに捕まってしまった為にオロオロとするばかり。ま、こんな時のために駅員のいる改札を選んだわけで、俺は武偵手帳を駅員に見せて改札の中に入れてもらう。そのまま今にも無理矢理連れて行かれそうなリサの方へ向かい───

 

「悪いんだけどさ、この子は俺と約束があんのよ」

 

リサに絡んでいた男2人の間に割って入りリサと肩を組む。

 

「あ?誰だお前……?」

 

急に現れた俺を柄の悪そうな大学生くらいの男2人が睨みつける。けどまぁ、蘭豹くらいじゃないと全く怖くないのよ。そんなんじゃ強襲科なら1年でもビビらねぇよ。

 

「こういう者なんだけど、あんまり強引だと"お話"聞かなきゃいけなくなるんだよね」

 

と、俺は武偵手帳をコイツらの目の前にかざす。それを見た2人はサッと血の気の引いた顔をして何も言わずに去っていった。

 

「ありがとうございます、天人様!」

 

ギュッと、リサが俺の腕に抱き着く。浴衣越しでも分かるその身体の柔らかさに俺も胸が高鳴るがイ・ウーと強襲科で鍛えたポーカーフェイスでやり過ごす。あぁここが天国か。

ちなみにリサには「事情を知らん人がいる所ではご主人様と呼ぶな」と言ってある。流石にそれ聞いたら変な目で見られるからな。

 

「いいって。当然だろ?……ほら、結構見られてるしもう行こう」

 

「はい!」

 

花のような笑顔とはこういうのを言うんだろうなと思いを馳せながら俺はリサの手を引いて改札を出る。一応もう1回手帳を見せながら改札を出たのだが、その時の駅員の顔には嫉妬の色が隠せていなかった。もっとも、それも俺にとっては優越感でしかないのだけれど。

 

「しかしあれだな。制服着ないで外出る時は待ち合わせは考えた方がいいな」

 

「申し訳ございません……」

 

「気にすんなよ。あぁけど、リサはもう少し自分が可愛いことを自覚した方がいいな」

 

「そんな、リサなんて」

 

顔を伏せているが耳まで赤くなっているから隠しきれていない。そんなところも可愛いのだから本当にリサはずるいと思う。

 

「じゃなきゃ声掛けらんねぇだろ」

 

ま、このレベルに声を掛けるんだからアイツらも中々に勇者だったとは思うけどな。実際、葛西の時もあっちの最寄り駅で待ち合わせしたけど誰にも絡まれなかったみたいだし。

 

「そうでしょうか……?」

 

つい、とこちらを上目遣いで見てくるリサはもう本当に可愛くて、見られてるこっちが恥ずかしくて目を逸らしてしまいそうになるくらいだ。惚れた弱みと周りは言うのだろうけど、贔屓目なしに見てもリサにこんな風に見つめられたら大概の奴はどうにかなるだろ。

当然それは俺も例外ではなく───

 

「あぁ」

 

とだけ返すのが精一杯。返答に詰まらなかっただけでも褒めてもらいたいもんだ。

それでも恥ずかしさを誤魔化したくて、繋いでいた手を一旦離してリサの腰に回す。そしてリサの右手の甲を指で撫でればリサも手に持っていた小さい巾着みたいな物を左手に持ち替える。それを横目に確認して俺はリサの右手に自分の右手を重ね、腰から抱き寄せる。

 

「……浴衣、似合ってるよ。可愛い」

 

「ありがとうございます」

 

リサの顔が赤くなりっぱなしなのは分かっている。けれど俺もきっとリサに負けないくらいに真っ赤な顔をしているのだろう。夏の風が涼しく感じるのだから。きっとお互いに林檎みたいな顔になっていそうだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

──アリアが連れて行かれた──

 

その知らせが届いたのは7月24日の夜中、時計の日付じゃもう25日になった頃だった。

 

ピラミディオン台場でのカジノ警備中に砂で出来たゴーレムだか傀儡だか、とにかく超能力(ステルス)で動く操り人形に襲撃されたキンジ達はこれを迎撃。しかし外に逃げた1匹をアリアと追い掛けたところでイ・ウー所属の魔女・パトラに襲われたらしい。そしてアリアは彼女に拉致され、キンジも彼の兄である遠山キンイチと交戦、勝利を収めるも水に落ちて武偵病院に運び込まれた。

 

また、その任務の際に星伽が脳震盪による負傷で気絶、無傷だったのはレキだけで、そこで彼女から聞いてようやく俺達は事情を知ることとなった。

そこで、アリアが敵組織に拉致されたことだけ話して車輌科の武藤と強襲科の優等生である不知火にもとある作業を手伝ってもらった。

 

とある、なんてボカシていても大したことではない。脳震盪から快復した星伽がアリアの場所を占い、そこへ到着できるだけの乗り物を作ろうというのだ。もっとも、武偵校にはジャンヌがこっちに乗り付けてきた魚雷みてぇな潜水艇がある。その部品を一部取り外してとにかく燃料を積み込めるようにしただけだ。設計、製作指揮を武藤が、力仕事や組み立てを俺と不知火、ジャンヌで手分けしてようやく完成だ。

 

そこへ、理子に連れられたキンジがやって来た。

 

「おうキンジ、やっと起きたか」

 

「天人……皆……。武藤に不知火まで、お前ら……」

 

「別に細かい事情は聞いちゃいねぇよ。武偵の書いた本にも載ってたろ。好奇心武偵を殺すって」

 

「遠山くんが最近危ない橋を渡っていたことは皆薄々勘づいてはいたんだけどね。ほら、武偵憲章には要請無き手出しは無用のことってあるし。だから仲間を信じ仲間を助けよ、やっと遠山くんの手助けが出来て嬉しいよ」

 

……不知火、お前顔だけじゃなくて心もイケメンだよな。俺は絶対そんな風には言えねぇわ。

 

「とりあえずこの潜水艇は太平洋のド真ん中まで走れるようにはした。後で迎えには行くけど、燃料は流石に往復分には足りねぇ。自力じゃ帰って来れねぇぞ」

 

「……ありがとう」

 

「ま、お前が巻き込まれたのも───」

 

「ん?」

 

「……いや、それよりお前は行くの確定として、乗れるのは全部で2人だが、どうする?俺が行きゃあ確実にあの魔女はぶっ飛ばせるが……」

 

俺が去年の3学期にアリアの誘いを断らなければキンジは巻き込まれなかった。だが今のこいつらにそれを言うのは違うだろう。

野暮なんてもんじゃあないから、これは俺が墓場まで持って行ってやらなきゃならないことだ。

 

「私に行かせて、神代くん」

 

そして、俺の言葉に強い意志を感じさせる声色で返したのは星伽だった。

 

「……仲間を信じ、仲間を助けよ。お前がその気なら俺はお前を信じる。それだけだ」

 

俺がその気にならば銀の腕で太平洋上を飛んで行って1人で制圧も可能かもしれない。もっとも、アリアという人質がいる以上は連れて行ける最大人数ほしいというのもまた本音だが。

 

「それに、ゴメンね。こんなこと言うのは間違ってると思う。けど言わせて」

 

「……あぁ」

 

「神代くんはこの戦いにこれ以上手を出さないでほしい。これは、私達の問題だから」

 

その言葉に、この場に緊張が走る。俺の力を知っているジャンヌと理子、キンジ、それから知らないはずの武藤と不知火では緊張の意味合いは違うみたいだが。

 

「……あぁ。けどな、そう言い切った以上は絶対戻って来い。んで、1発その頭にゲンコツ落とさせろ」

 

「ふふっ、頭洗って待ってるね」

 

「はっ、言うねぇ」

 

星伽のその笑みに俺も口の端を釣り上げて返す。それは自嘲染みたものでも諦観のそれでもなかった。ただ本気で俺をおちょくっただけの笑み。けれどこの場でそれが出せるだけの気概があるってことなんだから、結構なことだ。

 

「さ、ほら準備しろ」

 

俺はキンジに軽装ではあるが強襲用のB装備をくれてやる。そしてジャンヌも乗り込んだ2人、というか星伽に自分の魔剣(デュランダル)を渡していた。その時に本当は良い人だよね、的な事を言われて赤くなるジャンヌだったが、星伽はよく分かってるな。ジャンヌはなんか刺々しく振舞ってるけど実はめっちゃ良い奴だ。なんでこいつがあんな性格の悪い作戦を立てられるのか不思議なくらいにな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

空から女の子が降ってくると思うか?

物語の中じゃありふれた展開だけど、実際そんな子、普通なわけがない。普通じゃない出来事に巻き込まれて、普通じゃない世界に連れて行かれるんだ。俺はどうせなら平和が良いね。リサが空から降ってこなくて心底良かったと思うぜ。

 

それはともかく、もし仮に、その女の子が男の子と一緒に降ってきたら?きっとそいつらは普通じゃない出来事に巻き込まれて、普通じゃない世界を戦ってきたんだろうな。だからもし空から知らない男女が降ってきても俺は無視するかもな。巻き込まれたくないし。

 

だけどそれがもし、俺の知っている奴らだったら?

 

───そうだな

 

武偵憲章1条、仲間を信じ、仲間を助けよ。

これに従って受け止めてやらんこともないかな。

 

だけどさ───

 

その長いツインテールを翼みたいにして減速しながら降ってくるのはどうなんだ?お約束的にさ。

 

あぁホント、普通じゃないよ。この学校は。

 

理子はこういうお約束をテンプレとか言ってたけど、そのテンプレですらウンザリするくらいに普通じゃない。

 

そして、そんな奴らを受け止めに太平洋のド真ん中まで船を飛ばしてきた俺もきっと普通じゃない。

これからも普通じゃない出来事に巻き込まれて、普通じゃない世界で戦っていくんだろうな。

 

けどきっと、俺の横にリサがいてくれれば、その温もりさえあれば俺は絶対、どんな出来事にも立ち向かっていける。どんな世界だって乗り越えていける。そう思うよ。

 

だからさ、リサ。この手は離さないでくれ。俺も離さないからさ。約束だ。

 

 



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涼宮3姉妹の消失/サマー・バケーション・フットボール

 

8月の初旬。全盛期の蝉がその命の最期の煌めきを鳴り響かせている季節。

そんな時に俺の元へと1件の依頼が舞い込んできていた。

 

──今度転入してくる生徒2人を案内して武偵校を紹介せよ──

 

要は学校案内の任務。こんなもん、態々強襲科の2年がやるもんでもないのだけれど、案内される側の人間にはちょいとばかり、なんて言葉では嘘になりそうなくらいには関わりの深い因縁があったのだ。というか深すぎて向こうから御指名喰らった。拒否権が無い。

 

「「今日は宜しくお願いしまーす」」

 

なんて揃った声で元気よく挨拶をかましてきたのは涼宮透華とその妹の樹里。2人ともジャンヌと理子の協力を経て無事に武偵校への入学が決まったらしい。もちろん、1番下の妹である彼方も中等部への編入が決まっている。所属する専門学科は上2人が諜報科、彼方は狙撃科らしい。方や透明人間、方やどんな頑丈な扉も切り刻むコンビの諜報員とか怖すぎるだろ。しかもコイツら、お互いの聖痕の力を相手に付与できるし。……絶対に敵に回せない。

 

ちなみに彼方の方は色々試したらしいのだが、集中力の面でかなり図抜けたモノを持っていたらしい。力の制御の練習もかなり、と言うよりすこぶる順調で、今はもう感情の揺れ動きで聖痕が暴走することはなくなっているだけでなく、最近は凄く集中すれば空間どころか距離の切断も可能だから、その気になれば目標(ターゲット)を確実に仕留められる化け物スナイパーの誕生だ。

 

距離の切断が可能になった時に言われた一言が、舌舐めずりをしながらの───

 

 

──これでどこに逃げられても追いつけますね──

 

 

だったのは空恐ろしいというか実際ガチで鳥肌が立ったので気を付けたい。いや待て、その前にお前ら聖痕を私利私欲には絶対に使わんと俺に誓ったろうが。

一応そこら辺再確認させてもらったが、その瞬間にはケロッとした顔で冗談だと言われてしまった。うん、そういう冗談止めようね。

それはそれとして、極め付きが透過の聖痕だ。彼方が発現させた2つの聖痕のうち、なんとこっちも姉よりも凄まじい力を発現させたのだ。

透華の発現させる聖痕は自分に対して何かを通り抜けさせる力だけだった。だが彼方のは違う。それだけではなく、()()()()()()。例えば誰かの話が嘘か本当か、嘘ならば本当のところはどう考えているのか。やろうとすればそこまで分かるらしい。また、間に障害物があったとしても、それを自分の視界だけに透過させてその先にあるものを見据えることができるのだとか。物を透過させれば姉の透華でも似たようなことはできるが、彼方はそんな派手なことをしなくても同じ結果を得られるようだ。

 

で、俺の想像以上に才能を秘めていた彼女を姉2人はどう思っているのかと思えば、別に黒い感情を抱くとかは無いみたいだった。3人とも、力が幸せに繋がるとは限らないことを知っているからだろうか、むしろこれから彼方が変なことに巻き込まれないように自分らが守る側に回りたいといった風だった。彼方の前じゃ嘘はつけないし、これは本心だろう。

 

「あぁ、じゃあ取り敢えず順番に回ってくか」

 

ということで最初に訪れたのは俺の専門科目である強襲科の建屋。中に入るやいなや足元には空薬莢が散乱している……。夏休みだからって掃除サボってやがるな……。

ちなみにこの空薬莢の掃除は1年の担当である。というか、雑用はだいたい1年生の担当だ。武偵校は封建的だが、強襲科は特にそれが顕著だ。鬼の2年、閻魔の3年に奴隷の1年なんて言い回しもあるくらいだからな。

 

「……足元気を付けろよ。空薬莢踏むと頭から転ぶぞ」

 

「「はーい」」

 

なんて、2人揃って良い返事を返すがコイツら足下に気を付ける素振り全くねぇじゃん……と思いきや、空薬莢を踏んだと思ったらそれが足の裏にめり込んでいた。いや、これ透過させてるな……。しかも2人とも。しかし空薬莢だけ透かすとか器用なことするな。彼方と一緒にコイツらの聖痕の使い方の練習にも付き合っていたけど、成果の出し方が明後日の方向だな。いや、平和的で良いのかな……。

 

「……お前、使い方上手くなったな」

 

思わず俺がそう声を掛けると───

 

「えへへ、でしょー?」

 

と、透華は腰を曲げ、下から覗き込むような角度で笑顔を咲かせた。

 

その後は狙撃科やコイツらの所属することになる諜報科他、全部の学科は一通り回った。

一般科目棟、というか普通の校舎の方もザッと見て回った頃にはもう空は赤く染まり始めていた。

 

「今日、俺達と飯食ってくか?」

 

事前にリサには今日のことは伝えてあるから用意はしてあるはずだから聞いてみると───

 

「「はい!」」

 

と、これまた咲き誇るような笑顔で良い返事が返ってきた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

7月の半ば、この時期になるともう既に真夏の陽気だ。いや、陽気なんて生易しい言葉じゃないな。普通に酷暑だ。

 

とは言え、今は草木も眠る丑三つ時、それも標高の高い山の中の村に来ているから、むしろ羽織るものが無いと寒いくらいなのだが。

 

「……揃ったか?」

 

「うん」

 

「こっちも」

 

「私も大丈夫です」

 

俺は今、涼宮3姉妹と共に彼女らの暮らしていた家に来ていた。当然透華の聖痕の力を使って透明人間になってだ。

 

俺を襲う数日前だったらしい。ブラドの従える狼に彼方を人質に取られ、上2人も聖痕封じの手錠を掛けられて拉致されたのは。

そして俺を殺すように命じられ、それに失敗した。

1度目は折檻で済んだらしいが、2度目は無いと脅され、遂にリサを匿っていた女子寮の前で待ち伏せ。そこからのあれこれはまだ記憶に新しい。

 

透過の聖痕は掛けられた者同士は認識できるみたいだったのでお互いに透明人間になっていても把握できるのは便利だった。

 

ジャンヌと理子から武偵校に通う算段が付いたと連絡を受けた俺は車輌科の武藤に車を運転させ、長野県の山中、彼女らがブラドに拉致されるまでの居住地を訪れたのだ。……荷物を回収するために。

昼間にも透明になってこの村を見て回っていたのだが、どうにも彼女らは死んだことにされているらしい。法的にそうなっていたのはジャンヌから聞いていたが、透華に聞いた分だと彼女らが拉致された時は周りにも村人は沢山いたらしい。だがその事件からまだそう経っていないにも関わらず、涼宮3姉妹の名前を聞くことはついぞなかった。本当に、死んだこと、いや存在しなかったことにされているようだった。それも、育ての祖父母ですらそうなのだ。だが特別な力を持っていた彼女達がそんなに気味悪かったのか、離れに置かれていた部屋にあった彼女らの私物は、そのまま残されていた。

俺にはそれすらも不愉快だった。きっと、自分が排斥された気分になるからだろう。俺と彼女らの力は本質的には同等のものだからな。

 

「行こうか、武藤が寝ちまう」

 

「ふふっ、ありがと、天人くん」

 

「礼を言われるほどでもないだろ」

 

「ううん、これだけじゃなくて、これまでのこと」

 

「私を、私達をブラドから救ってくれたこと、感謝してもしきれません」

 

「それに、ここからも出してくれた」

 

透華、彼方、樹里がそれぞれ言葉を繋いだ。確かに、俺は同情で彼女らを助けた。だが打算だってあったのだ。あそこでコイツらを見捨てれば、いつかその力で復讐に来るかもしれない。それを抑えたかったのだ。

 

「武偵憲章1条、仲間を信じ、仲間を助けよ。俺達は同じ力を持って生まれたんだ。あれくらいなら助けてやるさ」

 

「……ほーんと、そういうとこだよねぇ」

 

「あ?」

 

実際、俺は彼女らと血縁ではないからか、一応どこにいて大体何してるかくらいは感じられるのだが、具体的にどんな顔しているのかとかが分かっているわけではない。なので何となく責められている風な雰囲気を感じるのだが、よく分からん。

 

「ま、いいよ。行こ、透華ちゃん、彼方ちゃん」

 

樹里に先導されて俺達はこの家を出る。村の外れには武藤が大型車をこっそりと停めているから、そこで合流するのだ。

早くしないと、眠たくなった武藤が寝ちまうからな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

涼宮彼方にとって、神代天人という人間は、文字通りの救世主だった。

 

3姉妹の他には排他的で自分達を快く思っていない人間ばかりのこの村で、彼方にとって世界はとんでもなく狭くて窮屈だった。

聖痕を持って産まれた人間はパラレルワールドの存在を認識できる。他に世界があることを何となく感じられるのだ。だからこそ、余計にここが息苦しく感じられていた。

 

そこに現れたのがブラドという異物だった。

だが彼は彼方を救うことはなかった。あの息苦しい村よりもさらに狭く暗い世界に彼方を閉じ込めた。その上最愛の姉2人に自分を人質として誰かを殺させようというのだ。

透華と樹里、彼方の親愛なる姉2人はそんなことをできる人間ではない。能力ではなく、性格的に。

彼方はそれが苦しかった。自分という存在が最愛の2人を追い詰めていることが、耐え難い苦痛だったのだ。

 

自分さえいなければ……。

 

そう思うことが何度あっただろうか。けれども舌を噛み切って自死する度胸も無く、自力で抜け出す力もなく。宙ぶらりんのまま苦しいだけの日々が続いた。

 

その後、ブラドによって姉2人が目の前で折檻された。まだ同じ仕事をさせるようで大怪我をさせるようなことはされなかったものの、"次に失敗すれば彼方を痛めつける"と告げられた時の2人の絶望に染まった顔は今だに忘れられない。

 

いっそ本当に勇気を出して死んでしまおうかとも思った。けれどそれは何よりもあの2人を傷付けることになることを分かっていた。

 

逃げ場も無くただ塞ぎ込むだけの日々が続いた。

けれどそれは長くはなかった。

光が差したのだ。

 

突如姉2人を担いでやって来た神代天人という男が、縛っていた鎖を、見張りの狼を、その尽くを引き裂き叩き潰し、彼方達を陽の光の元へと連れ出してくれた。その上自分達を気味悪がり、かと言って完全に閉じ込めるのではなく、都合の良い時だけ便利に使っていたあの忌々しい山中からも引き上げてくれた。

 

彼方にとって唯一の世界だった姉達を救い、武偵という新たな世界へ連れ出してくれた神代天人は、文字通りの救世主でありヒーローだったのだ。

 

だから彼にリサ・アヴェ・デュ・アンクという恋人がいると聞いた夜は随分と枕を濡らした。

だがチャンスはあったのだ。リサという女はどうやら天人が他に恋人を作ることを否定していないのだ。理由は言っていたが、正直半分も頭に入っていなかった。天人本人は一途を貫きたいようだったが自分にはリサには無いアドバンテージがある。聖痕という、天人も持つこの力がもたらす苦悩はリサでは共有できない。自分だけがそれを共有出来る。

いや、姉達もあれだけのことがあったのだ。当然天人を好いている。けれど関係無い。リサ曰く、天人が大勢の女性を侍らすことはむしろ自分の主への誇りだとか言っていたからだ。

確かに自分1人を強く想ってくれないことは寂しい気持ちもあるが、それよりもまず自分が彼に愛されたい。そして姉達が同じ気持ちなのであればそれもまた受け入れようと心に誓ったのだ。

 

まずは伝えよう、この気持ちを。そうでなければリサ・アヴェ・デュ・アンクという美しい女から天人の意識を向けることなど出来やしないのだから。

 

 

 

「あの、天人さん。お話があるんです」

 

「んー?」

 

「私、天人さんのことが───」

 

 

 

───────────────

 

 

 

夏休みの中頃。

 

"サッカーやろうぜ"

 

なんてメールがキンジから届いた。割と意味が分からなかったので聞けば、あのカジノの仕事は事件を未然に防げなかったので報酬の単位が半減、夏休み中に残りの単位を稼がなければならなくなったらしい。そこで理子がこんな依頼を見つけてきたらしい。

 

曰く、ダムダム弾(違法弾薬)を部室でこっそり作って活動禁止処分を喰らったサッカー部の代わりに試合に出てほしい、というものだ。……アホか。いや、理由は随分と武偵校らしいけれども。しかもサッカーは8人以上いなければ試合はできない。人数が少ないとまともな試合にならない、という話ではなく、根本的に負け扱いになるのだ。ちなみに退場者続出で7人になっても同じ。その時点で負けとなる。

なので友達の少ないキンジはあと5人は最低でも集めなければならない。というか、相手は普通にサッカー部なのでこっちもせめて人数くらいは揃えないと厳しい気がする。いくらなんでも高校のサッカー部のレベルになると体力だけじゃ勝てん。

 

で、ある程度人数が揃ったらしく今回の依頼のメンバー一同で顔合わせを行った。

 

集まったのは俺、キンジ、武藤、不知火、アリア、星伽、レキ、理子、ジャンヌ、装備科の平賀さん、風魔陽菜、俺の戦兄妹である火野ライカの12人。今回は比較的平和な任務だが、リサは体力面では話にならないので応援席、涼宮3姉妹もまだ正確には武偵校の生徒ではないのでこちらも応援席。しかしこの面子、まともな競技経験者は不知火だけ。俺は1人でしかボールを蹴ったことがない。この時点で既に不安しかねぇぞ……、大丈夫か?

その上、結局この日は大まかなポジション決めとルールの講義、その後に軽くボールを蹴るだけで終わってしまった。試合まであと数日、もしかしたら今までの任務で1番の難易度かもな……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

試合開始前、俺達は審判団を挟んで向かい合って整列していた。対面には今日の試合相手の生徒達。んー、皆身体がデカいな。体格で勝ってるのなんてこっちじゃ武藤くらいだ。しかも当然皆男子。こっちは11人中7人が女子のチーム。何だか向こうのチームの視線が非常に気に食わないし、ライカなんて露骨に嫌そうな顔をしている。まぁもう気にしても仕方ない。ここまで来たらやるしかないのだ。

しかし、向こうのチームはやたらキャピキャピした応援団だな。コイツらの彼女か?さっきからパシャパシャ写真撮ってるな。武偵的にはあんまり映りたくないんだけど……。

 

だが俺のそんな思いを他所に、挨拶もそこそこにして俺達はピッチ向かわなくてはならない。キックオフは俺達からだ。

 

「天人様ー!!頑張ってくださーい!!」

 

「天人くん!!ファイトー!!」

 

相手チームの応援団の方が人数は多いがこっちにだってリサ達がいるんだよ。格好悪いとこ見せらんねぇよな。

 

「ライカー!!アリアせんぱーい!!頑張れー!!」

 

「お姉様ファイトですわ!!」

 

ライカの方も友達が来ているようだ。あれは強襲科の1年、間宮あかりか。確かアリアの戦姉妹だったはずだ。もう1人声出してるのはライカの戦姉妹で麒麟とかいったか?それに、ライカ達と仲の良い女子が他にも来ているな。

友達達の声援を受けてライカも気恥しそうだがどことなく嬉しそうだ。

 

自陣中央で円陣を組み、一応今回の任務のリーダーでもあるキンジから激励の言葉を頂き、各々ピッチへと散らばる俺達。

 

今日のポジション、ゴールキーパーは背の低い理子だ。何かの漫画の影響らしく絶対にここをやりたいと言い出したのだ。スタメンで2番目に背が低いのに……。

ディフェンダーは右からライカ、星伽、武藤、ジャンヌ。中盤は同じく右から不知火、風魔、レキ、俺。1番ボールを蹴り慣れている俺達が中盤で攻撃を操る役割ということだ。しかもレキも蹴るボール蹴るボールやたら正確なので、フィジカルに不安はあるが中盤のセントラルを任せることにした。

で、前線で2トップを張るのがキンジとアリア。

この2人なら呼吸も合うし、何より言い出しっぺがやる気を出すためとかいう理由でキンジからフォワードを名乗り出た。

平賀さんはベンチ。なんと星伽より体力が無いからな。仕方あるまい。

俺達のフォーメーションは数字にしてしまえば4-4-2、1番何でもできる形で俺達素人チームは試合に挑むことになった。

 

センターサークルでキンジとアリアが並べば主審の笛が鳴る。試合開始だ。

アリアがチョコンと蹴り出したボールをキンジが後ろにいたレキに渡す。向こうのフォワードもレキ目掛けてプレスを掛けてくるが流石は狙撃科の寵児、巨体が迫ってきても全く動じる様子はなくそのまま横にいた俺にパスを出した。

俺はそのボールを右足の裏で受け止め、自分の前方に転がす。俺の前からも相手選手が迫ってくるが、中央に向かって斜めにドリブルをすることでボールを運んでいく。ジャンヌが俺の後ろを駆け抜けていくのを把握しながらもそのままセンターサークルより進んだあたりでディフェンダーを背負っていたキンジに縦パスを着ける。それをトラップで受け止めたキンジだったが、ボールが足から離れた瞬間に後ろにいた相手にそれをカッ攫われる。そしてその選手は俺達の自陣中央辺にいた味方に真っ直ぐ速いボールを渡した。

ゲッと思い俺も自分の空けたポジションに戻ろうとするが、その選手も直ぐにレキの脇、ジャンヌの裏のスペースに走っていた味方に斜めにパスを通した。そしてその選手がドリブルで縦に運んでいき、ペナルティエリアに入ったあたりで中央に折り返し。ドリブルに気を取られ、残りのディフェンダー3人が全員下がってしまっていたために空いたスペースを狙われたのだ。そして、そこにいた相手フォワードは冷静に武藤と星伽の間を抜き、理子の手の届かないニアサイドへボールを流し込んだ。

 

俺たちの守るネットが揺らされ、主審はセンターサークルを手で指し示しながら笛を吹く。俺達の失点だ。不味いな、開始早々に0-1にされてしまったぞ……。

 

再び俺達のキックオフから試合再開。

キンジは今度は風魔にボールを渡す。それを受けた風魔は斜め後ろのライカへボールを繋いだ。

ライカは1歩踏み込み、レキまでボールを通す。レキもそれなりに強めのボールを受けたはずだが意に介さずに吸い付くようなトラップを披露しつつ俺へとボールを寄越した。右から左へ、流れるようにボールを繋いだ俺達の前に相手チームのスライドが一瞬遅れた。向こうもこちらと同じく4-4-2の配置のようだがどうにもボールサイドに寄り過ぎるきらいがあるようだ。

俺は前方のスペースへボールを蹴り出す。プレスの間に合わなかった相手サイドハーフの脇を抜けて真っ直ぐ突き進む。更に前に出てきたサイドバックと対面するがそれもダブルタッチで外して最前線から数歩降りてきたアリアへとボールを着ける。

 

「天人!!」

 

体格(リーチ)で劣るアリアはしかし、トラップの瞬間に相手センターバックのプレスを受けるその直前でボールを止めるのではなく足の外側(アウトサイド)でボールを弾くプレーを選択。それを受けるのは当然俺しかいない。相手ペナルティエリアの端まで侵入した俺はグラウンダーのボールで折り返す。アリアの背中側を抜けたボールはペナルティアーク付近まで上がってきていた風魔の足元へ。風魔も今のプレーの流れを止めることなくダイレクトで相手ゴールへ向けてシュートを蹴り込む。

 

「むむっ……」

 

しかしこれは相手ゴールキーパーの横っ飛びのセーブによりキャッチされてしまう。

そして急いで自陣に戻る俺達とは対照的に、相手キーパーはゆっくりと起き上がり、周りを見てからそっと近くの味方にボールを転がして渡す。1点差とは言えリードしている以上はそう焦ることもないのだろうよ。

そしてボールを受けた相手の左サイドバックの選手が前にいた同サイドのハーフの選手にボールを付ける。これには不知火が強く当たりに行き、簡単には前を向かせない。だがフォローに入っていた相手セントラルハーフの選手へのボールまでは流石に不知火でもカバーしきれない。中央へ渡ったボールを今度は俺の対面の選手へとパスした。

当然これには俺もプレスに出るがそれを察知していた向こうも後ろにいるディフェンダーへとダイレクトで繋ぐ。俺もそこでボールを奪えれば大きなチャンスになるので前へ出る。しかしその選手は大きく踏み込むと少し降りてきて風魔と星伽の間にポジションを取っていた味方へと大きく蹴り出した。

 

ボンッ!という音を響かせ飛んで行ったボールは見事に味方の胸の中に収まった。

浮いたボールを素早くコントロールした彼は後ろに武藤を背負ったままボールをキープ。そしてその武藤と星伽の間を駆け抜けようとするもう1人のフォワードの1歩前へ、ヒールで武藤の股の間を通して繋いだ。

理子も前へ出たがその瞬間に相手フォワードはボールをつま先でチョイと浮かせるシュートを放った。

弧を描いて理子の肩口を抜けたボールはそのまま俺達のネットを揺らす。審判の笛が響く。これで0-2だ。

 

結局その後もチームとしての約束事はおろか個人技でも当然劣る俺達は散発的にプレスに出ては躱され、待ち構えても隙間を通されとやられたい放題。その後も前半だけで5失点を献上して40分ハーフの前半が終わっただけなのに0-7。

だいたい5,6分に1点取られている計算になる。……こんな数字出るんだな。

当然、控え室に戻る俺達の顔色は誰も彼も暗い。

 

どうする?聖痕を使ってしまえばどうにでもなるけれど、ここでそんなもの使って良いのか?試合に負けるのも嫌だけど、それはそれで負けた気もするしなぁ。どうするか……。

と、最悪の手段を頭の片隅に置きながら同サイドのジャンヌと後半の連携を話し合う。このジャンヌ、前半の途中で相手のタックルを受けてコンタクトが外れてしまったのだ。裸眼だと結構な近視のジャンヌはそれで動きが悪くなり、結構狙われることになった。もちろん俺もフォローに入るのだが、押し込まれた状態から前に出ていくにはかなりのパワーが必要になる。いくら鍛えているとはいえ、聖痕無しでそれを続けるのは体力的にはキツくなってくるし、何よりロングランをしている暇がないのだ。繋いでもゴール前まで運ぶ前にカットされて後ろに逆戻りだし。そうなると後ろが不安で中々前に出ていけず、結果チーム全体の推進力も損なわれるという悪循環に陥っていた。

 

すると、いつの間にやらロッカールームから出ていたキンジと理子が帰ってきた。しかしキンジの雰囲気が変わっている。おいおい、何でヒスってるんだよ……。十中八九原因であろう理子を睨めばドヤ顔で返されるし。

しかし、それはそれとして流石はヒステリアモードだ、キンジから伝えられた作戦はこちらのド肝を抜かされるようなものだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

後半のキックオフ。今度は相手チームからだ。

同じタイミングでロッカールームから出てきたコイツらは流石に前半が楽勝過ぎたこともあって完全に俺達を見下していた。後半も何点取れるかだの記録狙うだのと、自分達の勝利を微塵も疑っていない。けどな、サッカーは試合が終わるまで何が起きるか分かんねぇんだってこと教えてやるぜ。

 

主審の笛が鳴り、向こうの選手がボールを後ろへ流す。その瞬間、俺達は全員で今までのポジションを完全に無視して相手陣地へと突撃した。

そう、()()だ。ゴールキーパーの理子を含めた11人で相手からボールを奪うために突貫する。これで仮に向こうが自分らのキーパーを使っても人数は同じ。

サッカーに有るまじき完全なオールコートマンツーマンだ。ま、高校生の精度じゃ1人剥がした瞬間ではそう簡単にゴールマウスを捉えるなんてことはできないだろうから、チームでも個人でも力の劣る俺達にはこれくらいぶっ飛んだ手段でもいいのかもな。

そしてこの破天荒というよりやけくそ気味な作戦が功を奏したのか、中盤で安易にレキのマーカーにボールを出したところでヌルりと前に入ったレキがボールを回収。そのままサイドから中央に流れてきた俺にパスを通した。それを受けた俺はボールを運び、ゴールまでおよそ28メートルの距離まで到達、相手のセントラルミッドフィルダーが寄せに来るがコースを塞がれる前に俺は足を振り抜く。

ボールの中央、その真芯を足の甲やや上側で叩き、そのまま真っ直ぐに押し出す。

俺の右脚から放たれたボールは不規則かつ細かく左右へと揺れながら相手ゴールの上を通り過ぎる軌道で進む───かと思いきやペナルティエリアに入った辺りで急激に落下。それもファーサイドに落ちる軌道から一気にニア側へブレる。

全くの無回転で飛んで行ったそれは、蹴った本人から見ても想像以上の変化をした。当然相手ゴールキーパーも反応出来ず、1歩も動くことなく背中のネットを揺らした。主審の笛がフィールドに高らかに鳴り響く。まずは1点返したぞ、まだ1-7と6点も開きはあるけどな。千里の道も一歩からってやつだ。

笛が鳴った瞬間にはキンジがゴールマウスの中で転がっているボールを回収していた。そして走ってセンターサークルまで持ち運び、ピッチのちょうど中央にボールを置く。

 

「モーイ!!ヘールモーイです!!天人さまー!!」

 

「キャー!!天人くんナイッシュー!!」

 

と、観客席から黄色い声が響く。リサと透華達だ。俺はポジションに付きながら軽く手を振って応えてやる。

向こうも流石にあのブレ球には驚かされたらしく、こっちを強く睨みつけてくる。そんな顔すんなって。無回転なんて蹴った本人もどう動くか分からないんだから。本人でさえ同じボールは蹴れないんだ。

 

短く笛が鳴る。再び向こうのキックオフだ。

 

1点返したところで得点差がまだ6もある俺達は相も変わらず突撃ハイプレスをするしかない。

 

兎にも角にもボールを奪わなきゃ話にならない俺達はひたすらに走り回る。そりゃあもう犬みたいに走った。そして、相手が左サイドに展開したボールをライカがカット。ようやく俺達の攻撃だ。ライカからレキ、レキから不知火へ、そして不知火が丁寧に星伽にボールを渡した。それをトラップした星伽がこちらを見る。そして俺と目が合った瞬間に、大きく1歩踏み込みこちらへ向けて脚を振るった。

 

───ドウッ!

 

という明らかにボールから出る音ではないはずの音を轟かせたそれは、文字通り火を纏っていた。……どうして?

 

ともかく、その燃えるボールは前線に走り込んだ俺の胸元目掛けて飛んでくるわけで。聖痕で身体の他に着ていた体操服とビブスを強化し、その火の玉ボールを受け止める。ほぼ逆サイドからのサイドチェンジはこちらがボールサイドに寄っていたことにくわえて、それを脱するため、そしてどうやら彼らはウチらのチームの女子がやたら可愛いがためにプレー中の接触を装って身体を触りたかったらしい。それ故にやたらとボールサイドに寄っていたのだ。

そんな状態で30メートル越えのサイドチェンジに対応できるわけがない。俺の目の前には広大なスペースが広がっていた。

 

だがコイツらはさっき俺のロングレンジシュートをその目に焼き付けている。直ぐに俺の右手側からセントラルハーフの選手が、手前からはセンターバックの選手が距離を詰めてくる。

更に後ろからサイドバックの選手も素早いトランジションで追い付こうとしていた。だが───

 

「っ!?」

 

キンジに合わせて強化していた俺の神経系は彼らの動揺が手に取るように分かる。

ファーサイドにいたアリアがダイアゴナルランでエリアのニア側に勢いよく侵入。しかし彼のマーカーであるキンジもニアからファーへと流れたのだ。その瞬間、そいつの動きが一瞬止まる。そこへ俺はアリアへパスを通す───

 

 

───と見せかけて右足アウトサイドで横合いから迫っていた相手選手の股の間にボールを通す。そもそも、横合いから詰めてくる選手のせいで俺からのパスコースはアリアへのものしかなかったのだ。だから向こうも一瞬動きに気を取られたが直ぐにキンジのことは一旦捨てられた。

だが、このドリブルですれ違うように彼の後ろを周り入れ替わった俺は捨てられたおかげでマーカーの死角に入り込んだキンジへとスルーパスを通す。そしてそれを受けたキンジが相手キーパーの肩口を抜いてニアへシュートを突き刺す……振りをしてマイナス気味に折り返した。

そしてそこにいるのは当然アリア。

 

相手キーパーの空けたゴール隅へ丁寧にボールを流し込んで2点目をゲット。

審判がセンタースポットを手で指し示しながら笛を鳴らした。

 

「アリアせんぱーい!!格好良かったですー!!」

 

アリアのファンらしい間宮の声が響く。その横で無心にシャッターを切っている星伽に雰囲気の似ている女子生徒のことは見ないふりをした。何故お前はプレイヤーじゃなくて間宮をレンズに収めているんだ……。

 

そしてまた向こうのキックオフ。

しかし、まだ後半も30分程はあるとは言え点差も5点とセーフティリードなんて言葉じゃ足りないくらいのものを確保しているにも関わらず相手チームの動きが変わった。明らかに全体の重心が下がり、リスクを犯すパスをしなくなったのだ。

点差のある試合で勝っている方がこういうプレーを選択することはままあるが、それにしたって早すぎるだろう……。だが、それだけ俺達の攻撃が彼らにとって厄介だったということか。

 

それに、このやり方は俺達にとって相性最悪だ。残り時間と点差もそうだが、何より俺らの2得点は両方とも相手の守備陣形が整う前に攻め切って奪ったもの。このやり方をされると例えボールを高い位置で奪えても向こうの陣形は崩れていないから点を取ることが難しいのだ。

だがそれでも俺達のやることは変わらない、というより他にできることは無いのだ。まずは1点、もぎ取らなければならない。

 

「さて……」

 

今は俺と不知火、それからヒスったキンジの指示で少しずつ追い込みを掛けているところだ。だがそれでもリスクを犯さないプレーをされると中々奪うのも難しい。なら、こっちももう少しリスクを掛けようか。

 

「武藤!そっち行ったら任せた!」

 

「お、おう!」

 

武藤に声をかけ、ちょうど俺の対面にいたサイドハーフの選手へボールが出たところで前へ出る。後ろから来た俺を背負う形になったそいつは取り敢えずの安牌である後ろの選手へボールを渡す。俺はそれにも食い付き前へ前へと出ていく。さっきの奴にはジャンヌが付いているからボールは出し辛い。と言うより、理子まで動員してプレスを掛けているからそう簡単にパスコースは無いのだ。そう、()()()()()()()()()()

俺からの武藤への掛け声で意図を察知したキンジと不知火は敢えてキーパーへのマークは付かずにその他の選手へのパスコースを消す動きをとっていた。そしてそれに乗せられて向こうはキーパーへとボールを渡す。このボールは手では扱えないから相手も蹴るしかない。だが近くの味方へのパスコースは無い。戻そうにも俺はそっちへのコースを消しながらボールを追っている。残された手段はそう───

 

「……チッ」

 

舌打ちの音まで聞こえてきた。

そう、そうだ、お前はもう全然目掛けてハイボールを蹴るしかない。だがそれを予見していた武藤が相手に競り勝つ。高い打点で触ったボールはレキの胸元へ。レキはそれを冷静に星伽に落とす。それを受けた星伽は一息に不知火へとミドルパスを通す。それを受けた不知火が今度はキンジへ強い斜めのパスを入れる。だがキンジはそれをスルー。そしてそのボールは誰が触ることもなくアリアの1歩先へ。

キンジからのスルーを感じていたらしいアリアは既にボールの行き先に走り込んでいた。銃撃の達人のアリアはこんな場面でも冷静らしい。相手キーパーの動きを読み、その股下へとボールを蹴り込んだ。

見事にそこを通過したボールはゴールネットを揺らし、主審が今日10度目のゴールを知らせる笛を吹く。3-7、あと4点差だ。

 

「アリア先輩サイコー!!」

 

「アリアさまー!!モーイですー!!」

 

リサ達の声援にちょっと照れながら手を振り返すアリア。それを苦々しい顔で見つめるのは後半になって徐々に追い詰められつつある方だ。

 

4度目の相手のキックオフ。それと同時に怒涛のプレッシングを開始する。

一気に3点を取られ、動揺しているのか少し追い回すと向こうのパスが乱れた。それをセンターサークル付近で風魔が目敏く回収し俺達のショートカウンターだ。

風魔がキンジへと縦パスを付ければそれをキンジはアウトサイドで後ろにいたアリアへ流す。フリックだ。アリアは相手を背負いながらボールを受け、外から中に走り込んできた不知火へボールを渡す。そしてアリアは背負っていた相手と入れ替わるように反転し、ゴール前へ、キンジも不知火の後ろを回るようにしてゴール前へと向かっていった。俺も不知火と少し距離を置きながらもゴール前へと直進。相手の中盤の選手の気を引くことで不知火へのプレスを少しでも軽くする。そして左足から右足へ持ち替える余裕すらできた不知火は右脚を一閃。放たれたボールはゴール左上の隅に突き刺さった。これで4-7、3点差だ。

 

残り時間はアディショナルタイムを抜けばあと20分程。このペースなら逆転まで持っていけるはずだ。

 

何度目とも知れぬキックオフで試合再開。

しかし、自陣に引きこもっていた先程までと違って今度は向こうも少し前に出てきた。どうやら守りきるのは不利と感じたらしい。こちらの守備の隙を突いて点差を広げる作戦に切りかえたようだ。

だけどそれは悪手だぞ。俺達の得点パターンはそのほとんどがそっちの守備陣系の整う前に攻め切る速攻なんだ。前に出てきてくれるなら好都合だ。

向こうが前に出てくるのを見て理子は流石にさっきまでのように突貫するのは控えたらしい。だが前に出てくれればその分向こうもミスが増える。

 

相手がフォワードに楔を入れ、その落としを受けた中盤の選手が外へと展開する。

だが後半も更に折り返しに差し掛かっているこの時間、多少は疲れもあるのだろうがパスがズレた。味方も届かずにボールはタッチラインを割る。出たボールを俺が拾い、そこからスローイン。まずはジャンヌに渡し、それを風魔に繋げた。受けた風魔は武藤へと落とし、それを今度はレキに渡した。

レキは近寄ってきた不知火に渡すが背中に相手を背負っていた不知火はライカへとボールを預ける。受けたライカがレキにボールを出した瞬間に不知火が縦にダッシュ。

それを見ていたレキは直ぐ様反転、不知火の前方、空いているスペースへボールを転がす。

不知火がペナルティエリアのポケットに入ったところでボールをトラップする。その隙に向こうの守備陣も追い付くがそれを不知火はキックフェイントで切り返して外し、逆足でマイナス気味にグラウンダーで折り返した。

そこにいたのは中央から駆け上がってきた風魔だ。そして不知火から出されたボールをトラップすることなく風魔はダイレクトでゴールへ蹴り込む───

 

「むっ……」

 

だがそのボールは相手ゴールキーパーが横っ飛びで掻き出した。惜しくもゴールにはならなかったがコーナーキックを取れたのだ。まだ俺達の攻撃は続いている。

 

「気にすんな風魔。まだ俺達の攻撃だ」

 

「お気遣い痛み入るでござる」

 

特徴あるござる口調の風魔の肩を叩き、俺は事前に打ち合わせていたポジションに着き、インプレーを待つ。

コーナーフラッグへと寄って行ったのは不知火。コーナーキッカーを務めるからだ。そしてショートコーナーもあるぞと思わせる為にレキも近くに寄る。

ボックスの中にはキンジ、武藤、ジャンヌ、ライカの高身長組だけでなくファーサイドにアリア、ゴール正面のエリアギリギリには急にキック力の上がった星伽も構えている。それを受けて向こうは1人を残してフィールドプレイヤー9人をボックス内に配置してきた。

 

審判の笛が鳴る。両手を挙げ、長い助走を取った不知火がボールを蹴る───

 

───近くにいたレキに向けて。

 

これまでの試合でキラーパスを通していたレキのキック精度を恐れた相手の守備陣が慌ててレキにプレスを掛ける。だがレキは慌てることもなく、かと言って中に蹴り込むでもなく、ペナルティエリアの角から少し後ろにいた俺へとボールを流した。

相手の突撃組はレキに意識を向けていたから俺へのプレスが遅れている。俺は余裕を持ってそのボールへ踏み込み、再びボールの真芯を押し出すように蹴り出す。

 

前回よりも低い弾道を描いたそのシュートはそれでも再び急激にコースを変え、上から落ちるようにゴールマウスを襲った。しかし相手のレベルだって高い。2度目の無回転シュートは頭に入っていたのか、逆こそ突かれたもののどうにか手だけは残した。そして俺の放ったシュートはキーパーの手によって防がれエリアの中へと零れた。だが───

 

ピーッ!と主審の笛が鳴り響く。その手はセンタースポットを指し示していた。

キーパーの弾いたボールが目の前に転がってきた武藤が思いっ切りゴールへと蹴り込んだのだ。

 

「っしゃあ!!」

 

キンジやジャンヌ達とハイタッチを交わしながら武藤はポジションへと戻っていく。ゴールの中を転がったボールはライカがきっちりと回収して真ん中まで運んで行った。5-7、2点差まで追い縋ったぞ。

 

そしてキックオフ。

後ろへ戻されたボールへとキンジとアリアが猛追する。それに呼応するように俺達は全体のラインを高く保つ。更に俺と不知火も相手ディフィンスラインへとプレスをかけ、中盤はレキと風魔が睨みを効かせている。その上ジャンヌからの号令でライカも中央にポジションを絞った。そっちのサイドハーフはフリーになるがそもそも相手のボールホルダーは対面の俺達を外さなければパスコースは生まれない。そして相手センターバックが苦し紛れに蹴ったボールをジャンヌが回収し、俺へと渡してきた。俺の目の前には相手サイドバックが1人。センターバックはアリアにピン留めされているし、レキが常にボールホルダーと良い距離間にいるから相手の中盤も離れられない。

つまりこいつをぶち抜けばゴールまでの道筋は出来る!!

 

俺はボールを晒しながら相手へと突っかける。そしてそれに釣られて足が出てきた瞬間にその空いた股の間にボールを通し、自分は急加速しながらすれ違うように駆け抜ける。裏街道だ。

 

一気に加速した俺は斜めに切り込むようなコース取りでドリブルを図る。相手のディフェンダーは俺に突っ込むことなくアリアへのコースを消しながらズルズルと下がっていく。

俺との距離も常に一定だし、確かにスピードは落とされた。けれどここでそのディレイ守備は俺の予想通りだ。

 

遂にエリア内に入ろうかというところでようやく向こうも距離を詰め始める。正確には、進む俺と止まった向こうで俺が近付いたのだが。

だが俺はさらに深く抉ろうと左アウトでボールを蹴り出す───振りでそのボールを跨ぎ、右足アウトサイドで中へと切り返した。向こうも体重を右足に掛けてしまったからもう戻れない。相手キーパーはアリアのいるニアを警戒している。俺はインサイドで擦り上げるようなシュートを撃つ。そのボールはキンジを見ていたもう1人のディフェンダーの頭を越え、外から落ちるようにしてファーサイドへと突き刺さった。6-7、遂に1点差だ。

 

この試合何度目かのキックオフ。

しかしここで相手の動きが明確に変わった。

 

俺の裏を取った相手の選手がジャンヌのことも縦に抜き……いや、完全には抜き切れていない。そのうちに俺も追い付いた。だがサイドに流れてきた相手フォワードとワンツーを決めてさらに前進する。その先にはゴールは無い、あるのはコーナーフラッグだけだが───

 

そのままコーナーフラッグまで到達したソイツはジャンヌを背負ってコーナー付近でボールをキープする態勢に入った。……なるほど、それをやるのは後半の終わり際がメジャーだが、もうこの際なりふり構っていられないというわけか。

 

「ジャンヌ、代われ!」

 

ジャンヌに代わり俺が後ろから圧をかける。ジャンヌも回り込みボールを回収しようとするがその瞬間にヒールでボールを蹴り俺のスネにぶつけてきた。そのボールはそのままタッチラインを割り副審は俺達側のコーナーを旗で指し示す。

 

そして得たコーナーでも奴らは近くに置いた味方をボールを預けるだけだ。

しかも今度は2人がかりでボールを囲んでいるから中々奪えない。

しかも俺が少し後ろから圧をかけただけで倒れ込むものだから笛が鳴る。俺のファールを取られた形だ。

 

「……キンジ」

 

俺はキンジを近くに呼ぶ。キンジだって俺達の中じゃ背は高い方だがだからって大男って訳でもない。向こうも人数を掛けていないし、どうせ中には放ってこないんだからこっちにいたって大丈夫だろう。

 

ヒステリアモードのキンジならコイツらからボールを絡め取れるだろうと読んだが正解だったみたいだ。

 

コーナー付近でまたもやキープの姿勢に入った彼らの間に入り込み、ボールを前へ蹴り出せたのだ。俺がそれを回収するとその大外をキンジが、内側をジャンヌが駆け抜けて行く。ボールに絡んでいたキンジよりも俺達の意図を読んでいたジャンヌの方が早い。

ジャンヌの数歩前にボールを出し俺も一気にスピードを上げていく。

ジャンヌは降りてきたアリアにボールを預ける。楔を受けたアリアは即俺へとボールを落とし、それを俺がドリブルで右に流れながら持ち運ぶ。迫ってきた中盤の選手を横切るようにして躱し、上がってきたライカに預ける。

ライカは中央にいたレキへとボールを渡した。レキは後ろからプレスを受けたのでそのまま星伽へとボールを返す。星伽はそのボールをトラップして左を見る。そこにはキンジがいて、相手を背負っていたが躊躇わずにミドルパスを通した。ヒスったキンジは背負いながらでもそのボールをキープ。目の前のジャンヌへ渡し、風魔、レキ、武藤へとそれぞれダイレクトでボールを繋ぎ、武藤が俺へとボールを付ける。俺は後ろからプレスを掛けてきた相手の股の間にボールを足裏で通し反転。真ん中からやや右サイドよりをドリブルで持ち上がる。不知火も右サイドを駆け上がり相手のサイドバックをピン留めしてくれている。

そして更に迫ってきたもう1人も躱し、その勢いでピッチ中央に流れる。更にボールを持ち出した俺の前に中盤の選手が横合いからチャージを仕掛けてくるが俺はその勢いをボールに乗せて斜めに走り抜けてきたアリアへパス。さらにアリアがダイレクトで後ろへヒールパス。それを受けた俺がエリア内へスルーパス、そこへ入り込んだのがキンジだ。ファーへ流れたアリアが視界に入ったのか中途半端な位置取りをした相手キーパーを冷静に見据えたキンジがそのボールをダイレクトシュート。それがニアに刺さったと同時に主審の笛が鳴る。遂に7-7、同点にまで追い付いたぞ。

 

そしてこの試合16回目のキックオフの笛が鳴る。その時第4審が掲げたボードには"4"の数字が。残された時間はあと4分ということだ。

 

だが───

 

「……くそ」

 

ボールが奪えない。しかもコイツらは俺や不知火のいる所ではなく比較的パワーの劣る風魔やレキの近くでボールを回すのだ。中盤でボールを回すのは奪われた時のリスクが大きいはずだが奪われそうになれば即座にライカかジャンヌの方へボールを出す。俺も不知火も追い掛けるがこっちにも見なければいけない選手はいるわけで、追い付けずにまた他の方へ出されるか俺達の空けた選手へボールが渡るかで追い込みきれない。前半ならともかく、試合も最終盤だ。流石にスタミナが保たない。そして───

 

───ピッ!ピッ、ピー!

 

と、試合の終わりを告げる長い笛が吹かれた。

7-7、記録的な打ち合いになったこの試合はしかし引き分けに終わった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……悔しいなぁ」

 

学園島の寮へ帰る道すがら、思わず口をついて出た言葉がそれだった。

 

「それでも、ご主人様は大活躍でしたよ」

 

と、リサは俺の手を握りしめてそう慰めてくれる。

 

「そうだよ!前半にあんなに点取られたのに後半だけで取り返したんだもん、凄いじゃん!」

 

リサに続くように透華もフォローを入れてくれる。

 

「私もコンタクトを落としてしまったからな……。前半の不出来は私の責任でもある」

 

と、俺と一緒に肩を落としているのはジャンヌだ。だけど───

 

「そりゃしょうがねぇだろ。むしろ、後半眼鏡掛けてまで出てくれてありがとな。危ねーのに」

 

そう、コンタクトを落として視力の落ちたジャンヌは後半、ハーフタイムのうちに平賀さんの作ったバンドで眼鏡を固定してまで試合に出てくたのだ。競技用の眼鏡ならともかく、普通の眼鏡にバンドを着けただけなんて危ないにも程があるにもかかわらず、だ。こちらからは感謝こそすれど悪く言う筋合いは無い。

 

「……大したことではない。この程度の橋は何度も渡ってきている」

 

ちょっと照れてるのかそっぽを向くジャンヌ。だが頬の赤らみまでは誤魔化せていない。

しかしそれ、イ・ウーにいた奴が言うと洒落になんねぇな。ホントに。

 

「向こうも、最後は勝ちを捨ててまで守ってたよね。あれっていいの?」

 

と、樹里が疑問を口にする。

 

「……褒められはしねぇんだろうが、ルール違反ではないな。今は総当りで上のチームが勝ち抜けの段階らしいから、負けるよりはドローで終わった方が得するんだよ」

 

何チームかでの総当りで試合をして、勝ち点の多かった上位2チームが次のステージへ進めるんだそうだ。ちなみに勝てば勝ち点3、引き分けで1、負けると0。基本的に試合の結果で減ることはない。

 

「ふーん、そんな風なんだ」

 

理解はしたけど納得はしてない。そんな雰囲気を樹里は漂わせている。

 

「それでも、天人さんは格好良かったです……」

 

ボソッと、後ろで呟いたのは彼方。チラチラと、上目遣いでこちらを見ている。……何か言えってことだろうか。

 

「……ありがとな。けどま、キンジも結局単位足りてねぇし。勝ちたかったよなぁ」

 

俺達が帰る時にもキンジはグラウンドで黄昏ていた。久々に武偵とか関係無い仕事だったからか、引き分けに終わった割にはスッキリとした顔をしていたが。

 

俺の心情を察してくれたのか、リサがシュルりと俺の腕に絡みつく。その柔らかさと僅かな重みに慰められながら、俺は帰路を歩く。

後ろの影法師はまだ長い。それがまた、夏の全盛といつかの衰退を思わせるのだった。

 



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修学旅行Ⅰ/宣戦会議

 

修学旅行Ⅰ(キャラバンワン)、武偵校の修学旅行はそんなふうに呼ばれている。東京武偵校の行き先は関西方面、そこで寺社仏閣のレポートを書いて提出すればOK。引率の先生はいないしルートも自由。あまりに放任が過ぎる気もするけど武偵校だしな……。

 

で、この修学旅行で一番重要なのがチーム決め。

武偵校の生徒はこの修学旅行Ⅰで国際武偵連盟(IADA)に登録するチームを決めるのだ。一応定員は2~8人と決まっている。いや、別にここまで待たずに先に決めてしまっても良いのだけれど、基本的にここで最後の確認になるのだ。このチームは武偵校を卒業後も残り続け、何よりも優先されるのだ。故に安易に仲良しだからと組むと後で厄介なことになる。

なので組む時は馬が合うだけでなく、武偵としての能力の噛み合わせも考えなければならないのだが……。

 

「取り敢えず俺、リサ、透華の3人は決定でいいか?」

 

「異議なーし」

 

「ご主人様のお好きなように」

 

俺達は特に何も考えずにチームを決めようとしていた。

ちなみに修学旅行Ⅰ前日のことである。いや、まだ決定はしないよ?ただ取り敢えずこの3人は確定でいいよねってことで。

それに、強襲科と諜報科の相性はそう悪くない。それに衛生科もだ。透華が情報を集め、俺がそれを元に強襲する、最悪怪我してもリサが治療する。そういう組み合わせなのだ。

 

「あとはま、ジャンヌがどうするかだな」

 

「む……」

 

できるなら俺達の事情を把握している奴が良いのだが、そうなると残りはジャンヌくらいになる。アリアや理子達はどうせそっちで組むだろうしな。だが透華はやや不満気なご様子。……そんなに仲悪かったっけ?

 

「……ジャンヌとなんかあったのか?」

 

何か蟠りがあるなら解決しておきたいし、根本的に馬が合わないとかならもう仕方ないのだが、一応解決できそうな問題かもしれないので聞いておく。

 

「……何も無いけど」

 

「何も無いって顔はしてねぇな」

 

「……ジャンヌは綺麗だし可愛いし優しいし面白いけどさ」

 

おおう、聞いた傍からベタ褒め。むしろこれで何が気に入らないのか。

 

「……いやホント、それで何が駄目なんだ?」

 

「……ホントに分からない?」

 

いや、そんな寂しげに聞かれましても。

 

「分からん」

 

「…………」

 

そんな頬膨らませて睨む奴リアルでいるんだな。初めて見たわ。

 

「はぁ……」

 

あれ、リサまで溜息付いてる。しかも頭抑えて……。え、そんなに?

 

「ていうか、天人くんには言ったよね!?その……す、好き……だって……」

 

そんなに恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。透華は顔を真っ赤にして俯きながら呟くようにそう言った。

 

「いやまぁ、そりゃ聞いたけど……」

 

夏休み前に俺は透華に、というより涼宮3姉妹全員にそう言われた。その時は感謝されることはあっても惚れられるようなことはしていないと返したのだが、どうやらまだ諦めていないようなのだ。

俺はリサ以外の女を好きになるつもりはない。例えリサがそれを勧めてきたとしても、だ。

それはコイツらにも言っていることだ。しかし、リサはむしろ俺がハーレムを作るのを推していることも、それこそ本人から聞いているらしい。おかげで彼女らも踏ん切りがつかないのだと思っている。

 

「……リサちゃん、この様子だと───」

 

「えぇ、ご主人様は───」

 

何やら透華とリサが顔を寄せ合って内緒話をしている。こっちに背を向けて、口元も手で隠しているから何の話をしているのか、その具体的な内容までは分からないけれど。

 

「「はぁ……」」

 

そして2人揃って大きな溜息。一体何なんだよ……。

 

「結局、それとジャンヌに一体どんな関係があるんだよ……」

 

「いや、もういいよ……。それよりジャンヌには明日の時間伝えてあるの?」

 

「あぁ。チームの方は保留にさせてくれとも言われてるけどな。……あ、それで思い出した。ジャンヌ、俺達と動くの1日だけだってよ」

 

「どうされたのでしょう?」

 

「んー?いや、もう1個考えてるチームがあるっぽくてな。どうしようか悩んでるらしいから両方と動くつもりっぽいな」

 

「ふーん」

 

「初日に俺達と動いて、その後はもう1個の方に合流するつもりらしい」

 

「では初日はいらっしゃるのですね」

 

「そのつもりらしいな。……じゃあ取り敢えず今日は解散だな。明日早いし」

 

「そうだね。……送ってってよ。夜道に女の子1人で歩かせるつもり?」

 

お前、武偵だろうが。その制服着てればそう変な奴は寄ってこないし何より聖痕で逃げれるだろうが。

 

という言葉が喉まで出かかったけど、こういうのは言わぬが吉というのを俺は最近学んだのだ。

しょーがないなと、俺も立ち上がる。

 

「えへへ、ホント、そういうとこだよ?」

 

どういうとこだよ?と言う俺の疑問は、結局声に出ることはなかった。きっとこれも、言わない方がいいんだろうな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

まず俺達が新幹線で降りたのは京都。

東京駅でジャンヌと透華と合流して、4人でまとめて向かったのだ。

 

「レポート、ネットで調べて適当に書いちゃ駄目かな……?」

 

「駄目でしょ。バレたら蘭豹先生と綴先生に殺されるよ?」

 

新幹線を降りた瞬間の俺の怠け発言は透華に潰される。そっか……あの2人に殺されるのか……楽には死ねないな……。ちゃんと見て書こう……。

 

「いざとなればリサがご主……天人様の分まで書きます!」

 

「リサちゃんは本当ダメ男製造機だねぇ……」

 

どうやら透華の中で俺はダメ男らしい。……自覚はあったけども。

 

「レポートなんてちゃっちゃと終わらせようぜ。3つだろ?金閣寺と銀閣寺と後なんか適当でいいだろ?」

 

「せっかくの旅行なのだから風情を楽しもうという気は無いのか……」

 

「ホントにね……」

 

観光地とか特に興味も無いし、さっさと終わらせてリサと関西デートと洒落込みたかったのだが、どうやらそれは無理らしい。

ジャンヌの言葉に合わせて透華も俺をジト目で睨んできている。

 

「分かったよもう……。見て周りゃいいんだろ?」

 

着替えと携帯の充電器や諸々の入ったリュックを担ぎ直し、その視線の圧力に負けた俺は歩き出す。

 

「あの、天人様……」

 

「ん?どした?」

 

「方向が、逆です……」

 

「………………」

 

どうやらそうらしい。リサの困った顔が心にクる。そんな、困った人を見る目で見ないでおくれよ……。

 

「「はぁ……」」

 

ジャンヌと透華の溜め息が揃う。

 

「……先導を、お願いします……」

 

俺は項垂れながら手を差し出すしかないのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「そう言えばさ、ここんところずっとレキと遠山くん一緒にいるよね」

 

1日歩き回って夕方頃に俺達は京都市内のホテルにチェックインをしていた。

そしてここは俺の1人部屋。俺とリサ、透華とジャンヌで部屋を分けようとしたのだが、何故か透華が断固拒否。それに乗っかってジャンヌも拒否側に手を挙げたのだ。なのでリサは女子3人と同部屋。何故か俺は1人にされる羽目になった。

しかも女の子のお部屋に男の子は入れられませーん、なんて透華が言い出すもんだから集まるのは俺の部屋。不祥神代天人、女の子が分かりません!!

 

「キンジからは狙撃拘禁されたってきてたな」

 

「助けなくてよろしいのですか?」

 

「あのレキからどうやって逃げ続けるんだって話よ。ま、取り敢えずレキの心を開いて解放してくれるように持ってけとは言ってあるけど」

 

レキの絶対半径(キリングレンジ)は2000メートルと少し。正確には2051メートルだったか。古いドラグノフ狙撃銃(SVD)で良くやるよ。俺なんて最近の事件じゃまともに発砲してねぇよ。

 

「そういや、この前アリアから愚痴の連絡が飛んできたんだけど、どうにもレキの野郎、勝手にキンジとのチーム申請してたみたいだな」

 

ちなみにそんなことしたら特大のルール違反だ。いや、明確な決まりは無かった気もするけど、マナー的なやつだ。暗黙の了解とも言う。キンジとアリアは元々組んでたからな。それを横取りするのはまぁ、アリア的には風穴もんだろう。

 

「それはまた、レキも強引な手を使ったものだな」

 

「それでアリアの奴、キレてレキに絶交だー!なんて言っちまったみたいだぞ。ま、キンジもちょっと強く言っちまったみたいだけど」

 

「……全く、神崎も中々素直になれないな。しかし、恋愛とは難しいものだな」

 

「本当にね……」

 

アリアがキンジを好きなことなど、傍から見れば一目瞭然なのだが、本人はあんなんだしアリアも中々そっち方面では素直になれない性格だしで進展しているとは言えない状況だ。

 

「いやまぁ、好きなもんは好きだってちゃんと言わないと伝わんないだろ」

 

俺とリサだってそうやって今の仲になったのだ。気持ちはキチンと伝えなきゃ伝わらない。それに人間、いつ何時いなくなるとも限らないのだ。好きだと言える時に言えるだけ言ってしまってもきっと後悔なんてしないと思う。

 

「……それが言えないから苦労してるんじゃん」

 

「全くその通りだな……」

 

いや待て透華、お前は割と正面から言ってきていただろうに。

 

「……その顔、私は正面から言ったじゃんって顔してる」

 

……何故分かる。

 

「そりゃあ分かるよ。天人くん、分かりやすいし」

 

武偵的にそれはどうなのだろうか。感情や思っていることが顔に出やすいのはあんまりよろしくないよな……。

 

「それより、やっぱり男の子的には正面から好きって言われないと分かんないものなの?」

 

ズイっと、透華が顔を寄せてくる。その時に揺れた髪からフワリと、シャンプーの良い香りが漂ってくる。ホテルのアメニティなんだから同じ物を使っているはずなのにどうしてこう女の子の髪から香るシャンプーの香りは良い匂いがするんだろうか。これは世の中の七不思議に数えてもいいと思うんだよな。

 

「いやまぁ、分かんないと言うか、外したら恥ずかしいなぁとか自意識過剰とか思われたら嫌だなぁとか、後はまぁ、俺なんかを好きになる奴なんていないだろ、とかそういうのは思うかな」

 

透華の顔が近い。俺は思わず身体を後ろに引きながらも辛うじてそれだけ答えた。透華もそれで気付いたのか顔を赤くしながら後ろに下がった。あははー、あっつーなんて言いながら顔を手で扇いでいるけれど、その頬の赤みは中々消えそうにない。それがまた俺の心をくすぐる。贔屓目に、いや、そもそも俺がコイツをそんな風に贔屓する理由もないのだけれど。ともかく、透華は可愛いのだ。顔も、仕草も。明るくて社交的で、キチンと自分の中に芯を1本持っている。そんな子が俺のことを、それもリサという恋人がいることを知っていてなお好きでいてくれている。それはきっと男としては誇るべきことなのだと思う。けれど、だからって俺がその想いに応えてやれるかどうかと言われればそれはまた別の問題なのだ。

 

チラリと、透華が顔を扇ぎながらジャンヌの方を見やる。その視線を受け取ったジャンヌはしかし、首を横に振る。それに釣られて俺もそっちを見てしまう。するとプイと視線を逸らされる。けれどもその耳が赤くなっていることは誤魔化せていなくて……。

 

透華の言いたいことは本心では分かっているつもりだ。けれど、さっき言ったこともまた俺的には本当のことで。結局俺には自信もなければリサという存在もあって、ジャンヌの気持ちが本当にそうなのか確信に届かないのだ。きっとそうだろう、けれど違ったら?違ったら俺が恥ずかしいだけで済むけれど、もしそうであっても俺はそれに応えてやれない。だから俺は暖簾に腕押しの態度を取り続けるしかない。それがジャンヌを酷く傷付けているのかもしれないとしても、だ。

 

 

 

───ピリリリリ!ピリリリリ!

 

その時、俺の携帯から電子音が鳴り響く。発信は……星伽白雪と出ていた。

 

「……星伽?……はい」

 

「もしもし、俺だ。遠山キンジだ。今白雪の携帯から電話してる」

 

「あ?キンジ?……何でこんな時間にお前が星伽の携帯使ってんだ?」

 

「いや、それはともかく一大事なんだ───」

 

そこからキンジが語ったのは旅館でレキと一緒に敵に襲われたこと。その敵の手口が武偵殺し(理子)にそっくりだったということ。そいつとの戦いでレキが負傷、ハイマキ──ブラドの部下だった銀狼をレキが手懐けた──も敵の子飼いの闘犬を引き付けていること。今は車で星伽の分社に向かっているということだった。

 

「……なるほどな」

 

「天人、イ・ウーにレキ並の狙撃手は居なかったか?格闘も拳銃も出来るバケモンみたいな奴だ。名前はココ」

 

「ココ……?いや、イ・ウーの中で、狙撃でレキとやり合える奴なんてシャーロックくらいだ。扱うだけならパトラとかも使えたが、その程度だ」

 

俺がそれを伝えるとキンジからは「そうか」とだけ返ってくる。

 

「はぁ……、そいつの戦闘力以外の特徴は?イ・ウーにゃ組織外の人間もたまに出入りしていたからな。当然そいつらも尋常じゃあない」

 

俺は一応携帯をスピーカーモードにして全員にキンジの声が聞こえるようにする。

 

「……見た目は小柄だ。アリアと同じくらいか。俺達より2つか3つは年下だと思う。髪型も、色は黒髪だけどアリアと同じツインテールだ。あとはそう、香港からの留学生ってことになってた」

 

「中国系……小柄……一応聞くが、ツインテってことは女か?」

 

「あ、あぁ」

 

「……リサ」

 

俺は、そのビジュアルの人物に心当たりがある。というか、イ・ウー所属の奴はだいたいあるだろう。何せ───

 

「はい。……遠山様、見た目だけなら遠山様とレキ様と戦闘を行なった方に心当たりはあります。藍幇(ランパン)という組織に属していました」

 

「そして、そいつはイ・ウーに物資を卸していたんだ。……まぁ、大概リサに値切られまくって泣いて帰ってたけど……」

 

だがそいつはあくまで営業マンだ。そりゃあイ・ウーにやってくるんだからそれなりに戦闘も出来た可能性はあるがだからって狙撃戦でレキとやり合えて格闘も拳銃戦も出来るなんてこと有り得るのか?

 

「取り敢えず、俺達もそっちに向かう。京都の星伽の分社ってどこにあるんだ?」

 

「あぁ、住所は───」

 

俺達は早速出る支度を始める。

武偵憲章1条、仲間を信じ、仲間を助けよ。レキはあれでも武偵校の仲間だからな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「城かよ……」

 

星伽の京都の分社に着いて1番初めに口を付いて出た言葉がそれだった。

一体何段あるんだか数える気にもならない階段を昇ったその先、鳥居の向こうに構えるのはまるで戦国時代にでもタイムスリップしたかのような、守ることに特化した巨城。これで神社だと言うのだから星伽家のぶっ飛び具合が分かるってもんだ。

そして、気の遠くなるような段数の階段を8割ほど登った辺りで門番らしき、和弓を背中に担いだ美人2人が薙刀を向けてきた。

 

「お話は伺っています。……そちらのお2人はどうぞ通って下さい。しかしそちらの2人は通すことが許されていません」

 

通って良いのはリサとジャンヌ。駄目なのは俺と透華。

 

「あ?」

 

「星伽は男子禁制故。ここでお待ちください」

 

「……透華───こっちは何故駄目なんだ」

 

背中にいた透華を親指で指す。ていうか男子禁制なのにキンジは良いのかよ。あれか?星伽が惚れ込んでるからか?

 

「男子禁制以外にも、()()()()()()()()は入れるなというのがしきたりです」

 

貴方方、ねぇ。要は聖痕持ちってことなんだろうが、まったく嫌になるね。今時生まれで差別されるなんてさ。もう時代は平成だぞ?

 

「……ま、俺はそれでいいよ。けどこっちはいいだろ?女の子なんだし、こんなとこで待たせるのは可哀想だとは思わないのか?」

 

「……ルールですので───」

 

「───ここで俺が駄々こねてもいいんだぜ?」

 

ビクリと、2人の肩が震える。分かっているのだろう。俺がここで暴れればどうなるのか。それなりに対策もしてあるんだろうが、果たしてそれがどこまで有効なのか、それを測りかねているのだろう。そして───

 

「……ま、もう行っちまったみたいだし?俺がここに残れば星伽……あぁ、キンジの手前、白雪も嫌とは言わねぇだろ」

 

俺の言葉に2人がバッと勢いよく振り返ればもう結構上まで駆け上がっている透華の姿が現れた。俺がコイツらを威嚇し注目を集めている間に背中の影で透明になり、スルスルっと脇を駆け抜けたのだ。で、ある程度逃げたので再び姿を現した。大した手品じゃあないけど、これが出来るのは透華だけだ。

 

「貴方達……」

 

憎々しげに俺を睨む2人の顔はよく似ていた。コイツらももしかしたらほとの姉妹なのかもしれない。もしくは親戚か。

 

「……よしとけよ、俺はお前らんとこの白雪さんと青春の汗を流した仲だぜ?身内と友達の喧嘩なんて見たかねぇだろうよ」

 

本当はキンジを挟んで少し話しただけだし青春の汗ってあれ任務でサッカーやっただけだけど。何も嘘は言っていないからいいよね。

 

「……まぁ、彼女からは邪なものは感じられませんでした。貴方がここに残るというのなら白雪様もお許しになるでしょう」

 

「そゆこと。門番の仕事手伝ってやるからそれで勘弁してくれ」

 

他に今できることもないしな。

俺はドッカリと階段に腰を下ろし、眼下を見下げる。もっとも、もう俺達を乗せていたタクシーも帰ったし、見えるのは緑とコンクリで舗装された道路だけなのだが。ふむ……。

 

「なぁ」

 

俺は首だけ仰け反らせて門番2人に話しかける。なんか向こうはそれだけでちょっと嫌そうな顔だ。……ショック。

 

「……なんですか?」

 

だが一応答えてはくれた。

 

「座布団くれない?ここにずっと座ってたら尻が割れそうだ」

 

「「はぁ……」」

 

俺の切実な要求は溜息となって返ってきた。いやホント、分厚めで頼みますよ?そうじゃないとただでさえ2つに割れてる尻が4つになっちまいそうなんだから。

 

 

 

───────────────

 

 

 

あれから何時間経ったのだろうか。

何だかんだで俺にも分厚い座布団や膝掛け、水に食い物まで持ってきてくれたので星伽家は案外優しいのかもしれない。いや、本当に優しかったら最初から入れてくれるか……。

 

だがとにかく、ここまでリサからの定期連絡以外に変化の無かった俺の門番生活に大きな動きがあった。

 

「……ん?」

 

長い石段の下から何やら獣のような奴がのそのそと登ってくる。強化した視覚でそいつの姿を捉えると───

 

「ハイマキっ!」

 

下からやって来たのはコーカサスハクギンオオカミのハイマキ。今はレキの武偵犬として登録されているらしい。犬……まぁ狼も犬の仲間だけども。

 

ハイマキも一応俺がレキの知り合いだというのは把握しているからか、俺の姿を認めた途端にその場に崩れ落ちた。

 

俺はその傷だらけの身体を抱き抱えると、そのまま門番2人の元へと飛び退る。

 

「コイツはハイマキ。レキの武偵犬だ。……俺が入れないならキンジを呼んでくれ。ハイマキが帰って来たと言えば伝わる」

 

「は、はい!」

 

それを聞いて2人は慌てて城のような建物へと急いだ。俺はそれを見送りつつ俺用にと渡されていた水をハイマキの口へと持っていってやる。

 

「水だ。飲めるか?」

 

言葉が伝わったのか匂いで水だと判断したのか知らないが、ハイマキが口を開けたのでそこへペットボトルの水を少しずつ注いでやる。

それを器用にゴクリゴクリとハイマキは飲んでいく。満足したのかハイマキが口を閉じたので俺も残りを一気に飲み干した。まぁ、ハイマキにあげたから大して残っちゃいなかったけど。

 

そのうちキンジがやって来て、ハイマキを上に上げて行った。男子禁制なことを伝え忘れていた分の謝罪を残して。ちなみに遠山家は昔から星伽の家と付き合いがあるらしく、その流れで遠山家男子だけはここに入れるのだとか。

……あれ?ハイマキもオスだったと思うんだけど、いいのかな。

 

で、さらに少しばかり門番を続けていると、リサ達が降りてきた。どうやらレキも一段落着いたらしい。

 

「悪いなジャンヌ。お前、今日はもう1つのチームと回る予定だったろ」

 

「なに、気にするな。仕方のないことだ」

 

「いやー、あそこ中も広かったよー。迷子になるかと思った」

 

透華は何か変な扱いをされるかもと思ったけれど、この様子なら何もなかったのだろう。まぁ、星伽の知り合いに対して粗相をするとも思えんけども。

 

「修学旅行Ⅰ、なんだか変な終わり方になっちまったが、さっさと帰るか」

 

「そうですね。レキ様も落ち着きましたし、ハイマキも戻って来ました。モーイです」

 

重傷らしいからモーイ(素晴らしい)かどうかは分からんけど、命に別状がないのなら喜ばしいことだ。キンジはまだレキの傍にいるみたいだから、俺達は一足先に武偵校へと戻ることになる。

 

一応昨日のうちに寺社仏閣は3箇所以上見て回っているし、俺もさっさと新幹線に乗って寝てしまいたい。

俺はふと上を見上げ、その城のような威容を誇る星伽の分社の、その中にいるはずのキンジとレキに心の中でまたなと告げる。

 

あの2人とは恐らくもうすぐ始まるであろう宣戦会議(バンディーレ)で相見えるはずだ。願わくば、お互い敵対しないことを祈ろう。

 

次の世界が俺達にとって良き場所であらんことを願って。

 

 

 

───────────────

 

 

 

チーム・コンステラシオン

 

それが俺達の登録したチーム名だ。意味はフランス語で星座、らしい。決めたのはジャンヌだ。バラバラの点だった俺達がイ・ウーという線で繋がったのだと考えればまぁまぁ良い名前だと思う。

で、肝心のメンバーはリーダーにジャンヌ、サブに俺。後はリサと透華がメンバーの4人パーティーだ。

 

強襲科と諜報科、それから情報科に衛生科というバランスの良いチームだとは思う。戦闘力もリサ以外は申し分無い。大体の戦い方は俺が正面で暴れてその裏を透華が突く、それだけだ。というか、聖痕の力と相性を考えたらそれが1番強い。

 

そして俺は今、あの粒子の聖痕の男と戦った人工浮島、その無人島側に来ていた。

 

「来たか」

 

そこで待っていたのは甲冑に魔剣(デュランダル)を携えたジャンヌ。他にも何人か来ているようだ。見た顔も、知らない顔もいるけれど。どいつもこいつも一筋縄ではいかなさそうな奴らばかりだ。ふと見上げれば、動きの止まっている風車の羽の上にはレキがドラグノフを抱えて座していた。

 

俺はフラリとその風車の根元に寄り、そのまま背中を預けた。

フワフワと、ゆっくりと聖痕を開き続けている時独特の高揚感が身を包む。こんな夜更けにこんな所に集まる奴らなんて、普通じゃあないからな。警戒も込めて、だ。

 

そうしてしばらくすると霧の向こうから不安げに辺りを見渡しながらキンジがやって来た。

 

「……天人、ジャンヌ」

 

「おっすキンジ。お前、新幹線じゃ大変だったみたいだな」

 

俺達が乗った数本後の便にキンジ達も乗っていたらしいのだが、その新幹線がココ──俺達にはツァオ・ツァオと名乗っていた──がジャック。乗客乗員全員を人質に莫大な身代金を要求したのだ。だがそれはその場に居合わせた武偵、つまりはキンジ達によって解決され、犯人は皆捕まって尋問科に送られたらしい。

 

「……なんだよこの集まりは。俺はイ・ウーの同窓じゃないぞ」

 

と、ジャンヌから手紙で呼び出されたにしては的外れなことを言っているキンジに俺は上を指差した。そこにいるのはレキ。それでキンジも遂に冗談を言う隙もなくなったようだ。

 

「……間も無く0時です」

 

そして、そのレキはただ無機質に時間を告げる。

 

「……では始めるか」

 

そのジャンヌの言葉に合わせて、どこから光源を持ってきているのか、カッ!と霧にまみれた浮島を人工の光が照らす。

その光が照らすのは世界中の超人魔人怪物化生の類達。当然、その中には俺も含まれている。

藍幇から来たらしい糸目の男や、夜なのに日傘を差している金髪で背中から蝙蝠みてぇな翼を生やした女──ブラドの娘、ヒルダだ──はキンジに因縁があるからか、それぞれご挨拶をし始めた。

他にもパトラやカナまで来ているし、キンジの足元には玉藻──狐の妖怪──が寄ってきていた。もっとも、コイツは比較的キンジに友好的っぽいが。

 

「……ジャンヌ、もういいだろ」

 

俺の言葉にジャンヌはふむと1つ頷き、言葉を発する。それは宣誓の言葉。キンジとアリアによってシャーロックは倒され、イ・ウーは実質解体された。原水の高い隠遁性能と戦略ミサイル搭載による圧倒的火力によって裏社会の均衡を強引に保ってきた組織が消えたのだ。そうなれば当然、再び胎動が始まる。

 

 

──宣戦会議(バンディーレ)──

 

 

これはその開戦の狼煙だ。

師団(ディーン)眷属(グレナダ)、もしくは無所属か。そのどれに付けば生き残れるのか、はたまた黙秘を貫くのか。全てはここから、いや、もう始まっているのだ。

 

何だか眠くなりそうな口上とルール説明を行った後、今回の司会進行役であるジャンヌを含めたイ・ウー研鑽派残党(ダイオ・ノマド)は師団、イ・ウー主戦派(イグナティス)は眷属への所属を表明した。というか、ここに来てる奴らのうち悪役っぽい奴らは大概が眷属、光属性な感じの奴らは師団を選んだ。そしてウルスの代表ことレキが師団を宣言したことで自動的にキンジも師団入り。後はなんか何言ってるか分からないロボットが黙秘、サングラスを掛けたガラの悪い男が無所属等々、各々の集団の所属を決めていく。

そして最後に残された俺は───

 

「俺は個人でここに来たわけだが、俺は無所属ってことで」

 

「……まぁ、お前はそうだろうな」

 

「それで、リサはどうするの?」

 

ヒルダが俺を睨みつつそう聞いてくる。コイツ、答えなんか分かってて聞いてるだろう。

 

「当然俺の身内として……っていうかそもそもリサは戦う資格なんてねぇよ。この……極東戦役(EFW)だっけか?さっきジャンヌが言ってたろ、代表者のみの戦いで雑兵の参戦を禁止するって。リサに戦闘力は無い、だから戦闘に参加させようなら───」

 

俺はそこでこの場にいた全員を見渡す。

そう、リサを変に巻き込もうものならソイツを叩き潰すという意志を込めて。

 

「……チッ」

 

しかし、そこで舌打ちを発する奴がいた。グラサン野郎、もとい、GⅢ(ジーサード)とかいったか。コイツも俺と同じく無所属を表明していたな。

 

「俺はここに戦いに来たんだ。なのにどいつもこいつも……」

 

ここに居るのはコイツや俺のような個人でなければ大体がただの使者だ。習わしでは、好戦的でない者かうら若き乙女と決まっている、らしい。

 

「……だったら俺とやるか?」

 

個人でここに来るということはコイツは1人でも相当な力を持っているということだ。だったら面倒になる前に潰しておくのも手だろう。

 

「はっ……てめぇとはやる気はねぇよウロボロス。お前らの自滅に巻き込むなよ」

 

「……へぇ、知ってんだ」

 

ウロボロス、自分の尾っぽを食う蛇。神話上の生き物だが、確かに俺達聖痕持ちを例えるには中々ちょうど良い例えだと思うぜ。

俺をジッと睨んだGIIIはしかし何を言うでもなく紫電を纏わせるとまるで透華のように周囲と色を同化させて消えてしまった。……気配も無くなっている。どうやら帰ったらしい。

 

 

「まぁいいや、宣戦会議は終わりみたいだし。俺は帰るよ。……じゃあまたな、キンジ」

 

ジャンヌも程々にしとけよ、とだけ忠告を置いて、今だ困惑の渦の中にいるキンジの肩を軽く叩き、俺は霧の中へと歩いて行く。正直、俺にはこの戦役の行く末に興味は無い。ただリサに何かしようって奴がいるなら叩き潰すだけだ。だから無所属を表明したのだし、余計なゴタゴタに巻き込まれる前に退散するのだ。

だからそう、対岸からモーターボートの音が聞こえてこようが俺には関係が無い。その問題はそっちで解決してくれればいいさ。

俺は浮島の端に停めた借り物のモーターボートに乗り、エンジンを入れる。そしてそのまま学園島まで海の上を走り抜けるのだった。

 

 

 

 



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コスプレに半端は許されません

 

武偵校には変装食堂(リストランテ・マスケ)と呼ばれる催しがある。

要は一般人を学内に呼び、仮装して接客をするというコスプレ食堂を開くのだ。

だがそこは武偵校、生半可なコスプレは許されない。むしろ細部まで徹底して拘った衣装に、役者顔負けのキャラ作りと、かなりのクオリティを求められる。ちなみに駄目だった場合は教務科オールスターズによる地獄よりも厳しい拷問が待っているんだとか。

で、当然俺らのような衣装素人にはそんなものは作れないのでそういうのが得意な武偵(CVR)やなんかに頼むことになるのだが……。奴ら、当たり前のように足元見て吹っ掛けてきやがるのだ。

もっとも、俺と透華はリサを経由することで半値以下での購入に成功。ジャンヌは自前でどうにかするとか言ったっきり音沙汰が無い。というか、あの宣戦会議の後にヒルダを追って負傷したらしい。らしい、というのもそういう連絡だけ受けたっきりなのだ。リサ経由で同室に中空知美咲がいることまでは知っているが……。俺アイツの連絡先どころか顔も知らねぇんだよな。オペレーターとしては超優秀で、何度か仕事をしたことがあるから声だけは知っているが。しかし、その割にはBランクと格安でよく分からん奴なのだ。

 

で、それはそれとしてこの変装(コスプレ)、何をやるかはだいたい決められているのだ。決められている、というかクジ引きで決めた。各チームが体育館に集められ、そこに1年がクジ引きの箱を持って回るのだ。隣でアリアが「小学生」と書いてあったクジを引いたのを見て、大爆笑して笑い転げていたら鳩尾にガバメントぶち込まれて悶絶したのは記憶に新しい。

……あれは死ぬかと思った、本当に、息が出来なかった。色んな意味で……。

 

そして俺達のチーム・コンステラシオンはジャンヌがメイド、俺が執事、透華が巫女さんでリサが姫だった。姫ってなんだ姫って、最高かよ、最高だな。リサ以外全員何かにお仕えする立場なのが気になるけれども。

 

あとこれ、蘭豹の前で「あれこれをやります!」と、その場でそれに成りきって申請しなければならないのだが……そこでまたアリアが中々小学生やりますと言えないのを見てまた笑い転げていたら今度は背中から両方の肺を撃たれて中の空気が全部出た。やっぱり息が出来なくて死ぬこと思った。

その時の「コイツ本当に懲りねぇな……」みたいな顔の透華の顔の冷たさといったらなかったな。ホント、キンキンに冷えてやがった。

 

 

 

そんなアホなことばかりやっていた俺達は、リサに値切られたのが癪だったのか微妙に作りの荒い衣装の手直しをするために夜の教室に居残っていた。というか、クラスの奴らだいたい残っている。ま、クラスメイトと夜の教室って何か知らんがワクワクするしな。俺もほぼ(リサがやってくれたので)終わってるけどそれだけのために残ってるし。

 

「姫の膝枕は世界最高です〜」

 

「リサのお膝で喜んでいただけてモーイです」

 

まぁ、だからってやることも無いからリサの膝枕の上でゴロゴロしているだけだけども。一応執事役なので敬語は忘れない。執事に膝枕するのは姫的にキャラ崩壊な気もするけど気にしない気にしない。

 

「……もう終わったなら帰れば?」

 

その様子をイラっとした顔で見下ろしているのは白装束に赤い袴を履いた透華。透華のやる巫女のコスプレ見たさに樹里と彼方もやって来ている。

 

「なーんか、夜の教室って楽しくね?」

 

「……分かるけれども」

 

「ていうか、なんで執事がお姫様に膝枕させてるの……」

 

普通に制服姿の樹里は呆れ顔で見下ろしている。

 

「姫のお膝は最高にござる〜」

 

「それもう武士か何かじゃないですか……和と洋が逆です……」

 

彼方が何か言っている。だがもう細かいことがどうでも良くなった俺はもうコンビニで売ってるスライムのようにダラけている。それもこれも柔らかくて弾力のある最高の太ももをしているリサが悪い。

 

「ていうかさぁ、変装食堂って役になりきらなきゃいけないんでしょ?たまには執事っぽいことしてみれば?」

 

俺がリサの太ももを堪能しているのが気に食わないらしい透華がジト目でそんな提案をしてくる。執事っぽいこと、ねぇ……。

 

「た、たまには?この私をお姫様と呼んでも───」

 

「……姫」

 

「ひゃっ、ひゃい!!」

 

「明日も早い。そろそろお休みの準備をなされては?」

 

「え……あれ?」

 

何やら透華が騒いでいるが放っておこう。

 

「は、はい……」

 

今は俺の腕の中で頬を赤らめているお姫様の格好をしたリサをこの目に焼き付けることの方が重要だ。

膝枕で寝転がっていたところから身体を起こしてリサの背中と膝裏を抱えて抱き上げたのだ。要はお姫様抱っこというやつだ。リサも俺の首に腕を回して受け入れている。

 

「あー!リサちゃんだけ狡ーい!」

 

「そうですよ、私達もそれを所望します!」

 

透華、樹里が声を上げ、彼方もブンブンと首を振って頷いている。えー、これ1人用なんだけど……。

 

「……楽しそうなとこ悪いけどな、天人。お前、ジャンヌはいいのか?」

 

ニュッと現れたのはキンジ。

どうやらあの後ヒルダと戦闘になったらしいが細かいことは聞かされていない。というか、一応極東戦役の立ち位置からすれば俺達は敵ではなくても味方ではないからな。仕方のないことだ。

 

「いや、そうだな。代わりに引いたクジの結果メールしたら返事はあったから大丈夫だとは思うが……見舞いに行ってやるか」

 

ジャンヌはどうやら宣戦会議の後にヒルダを追い掛けたらしい。だがそこで返り討ちにあい負傷。それなりには元気っぽいがまだ姿を見せていないのだ。戦役での陣営は別れたが、あれでも一応俺達のリーダーだからな。副リーダーやらされている俺としては見舞いくらいは行ってやらなきゃいけないだろうな。

 

「……それでは姫、私はこれにて失礼致します。どうか姫もお身体ご自愛を」

 

「はい……ご主人様……」

 

いやそれ今は逆では?まぁいいか……。

俺は恭しく一礼すると着替えるのも面倒なので衣装のまま教室を出ていく。ま、燕尾服なら問題無いだろ。ジャンヌの部屋は前にリサを預けたから知っているし、顔だけ見て俺も帰ろう。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ふふふ……まさかこれを堂々を着れる日が来るとはな……。情報科の連中も私がこれを私物で持っているとは思うまい」

 

同室だという中空知美咲のケー番だけリサから聞き、部屋に入るアポだけ取っておいたので普通に上げてもらったのだが……。ジャンヌの個室と思われる部屋に本人はおらず、更に奥に続いていた、理子が好きそうなフリフリの洋服だらけのクローゼットと化した小部屋の最奥に彼女はいた。というか、鏡の前でセルフファッションショーでもやってるみたいだ。うん、元気そうでなによりだ。

 

「私は」

 

「こんなにも」

 

「愛らしい!」

 

一言ごとにクルリヒラリとアキバのメイド喫茶のメイドが着てそうなメイド服をはためかせ悦に浸るジャンヌは、まぁ悪く言っちゃえばナルシストっぽさがあるな……。もっとも、それが鼻に付かないのは本人の顔の良さが大きいんだろうが……。

 

だがジャンヌが己を映して悦に浸っている鏡は背の高いジャンヌのその全身を映してもまだ余るくらいには大きいのだ。当然、その後ろにいる俺の姿もその鏡は捉えていて……。

 

───ピシリ

 

そんな音が聞こえてきた、気がする。

鏡越しに目が合い、そのままギギギ……と、古びたブリキのおもちゃでももう少し滑らかに動きそうなくらいに硬い動作でこちらを振り向くジャンヌ。

もっとも、さっき部屋の本棚を拝見したら奥の方に少女漫画とかが隠れて並んでいたのを見つけていたし、そう驚きでもないのだけどな。

というか、女でも男勝りの活動を求められる武偵女子にはままこういう、少女返りとか呼ばれる形でその抑圧を発散させる奴がいるのだ。

ただ、ジャンヌは武偵になる前からイ・ウーで活動していたし、多分その頃からだろうな。身近に理子がいたことも大きかったかもしれないけれど。

 

「み、見たな……」

 

「おう、元気そうでなによりだ」

 

「ここを見られたからには生かしては帰せん……」

 

別にジャンヌの趣味がゴスロリであっても何とも思わんのだが、それは俺だけ。ジャンヌからすればここは誰にも見られたくない花園だったのだろう。だからってその格好でもデュランダルで武装しているのは中々ハードだと思うんだけど……。

 

「……まぁ落ち着け」

 

ヌラリ……と抜かれたデュランダルを手早く奪い取り武装解除……と思いきや今度は拳銃抜いたぞコイツ!

 

だがまぁ、さっきデュランダルを奪った時にも思ったが、どうにもジャンヌは今、握力が極端に弱いらしい。拳銃を抜いた瞬間にやはり俺に取られているしな。普通ならもう少しは抵抗できるはずなのに。

 

「……ここで発砲したら服に穴空くぞ」

 

「む……それもそうだな……」

 

メイド服のまま項垂れるジャンヌというのも中々に面白い絵面だが、まぁそれなりに元気そうに生きているみたいで何よりだよ。

 

「それはそれとして、お前、握力どうした?」

 

「……あの後ヒルダを追い掛けたのだが、酷く感電させられてしまってな……。まだ手足に力が入らないのだ」

 

「なるほどな。……他に怪我ないか?」

 

「いや、それだけと言えばそれだけだ。火傷も無い」

 

「ん、それならいいか。……メイド服もちゃんと揃ってるみたいだし」

 

俺が辺りを見回しながらそう言うと、ジャンヌはガシッと、弱々しい握力で俺の肩を掴む。まぁ、何となく言いたいことは分かる。

 

「別に言い触らしゃしねぇよ。隠しときたいんだろ?これ」

 

「……そうだ。恩に着る」

 

「いいよ別に。極東戦役じゃ俺は師団じゃねぇけど、俺達コンステラシオンのチームリーダーはお前だろうが」

 

「あぁ、そうだな……」

 

プイと、ジャンヌは横を向きながら身体の前で腕を組む。それが照れてるだけなのだということが分かるくらいには俺もコイツとの付き合いは長い。

 

「……あんま、無茶すんなよ」

 

ヒルダ、あの無限罪のブラドの娘。ドラキュラ一族最後の生き残り。無限に近い再生能力を持ち電撃を放つことも出来る超能力者。俺も昔、デンキウナギと蝙蝠を足して人型にしたみたいな女だなって言ったら電撃を喰らわせられたことがある。あれ以来結構嫌われていたりもするのだがまぁそれは置いておいて。

 

「……なぁ天人」

 

「んー?」

 

「お前から見て、この服は……似合っていると思うか?」

 

顔は上げたがさっきよりも頬の赤くなったジャンヌ。だから恥ずかしいなら聞かなきゃいいのに。けどまぁ、気になるんだろう。こんな風に隠れて着ているということは少なくともこの服を着ている自分が外から見た自分のイメージと一致していないと思っているということだ。まぁ、確かにゴスロリを着たジャンヌっていうのも俺のイメージとも合致はしないけれど。

 

「似合ってるよ」

 

けれどもこれは俺の本心でもある。もちろん、ジャンヌがそう言ってほしそうだったから、というのはあるけれど、それでも俺は心からそう思う。だけど───

 

「……いや、世辞はいい。分かっているのだ。こんなヒラヒラで可愛らしい服、私のような背の高い女には似合わない。こういうのは、理子やリサのような可愛らしい女子が着るものだ」

 

ジャンヌは、聞いておいてそんな返答だった。これはこれで俺が気に入らねぇな……。

これは本人に言うつもりは毛頭ないけれど、俺は案外ジャンヌの顔が好きだったりする。1番は当然リサだけど、もし"綺麗な顔を1人選べ"と言われたら多分俺はジャンヌを選ぶ。それくらいコイツはコイツでムカつくくらいに美人なんだ。

その上背も高く、線は細いが不健康でもなく膝から下も随分と長いしその綺麗な顔は小さく纏まっていて───

 

有り体に言えば顔が良くてスタイルも良いのだ。

だからゴスロリに限らず世の中の大概の衣類をコイツは着こなせる、と俺は勝手に思っているのだけども。

 

「お世辞じゃねぇよ。そもそも、背が高いからってそういう服が似合わないわけじゃあねぇだろ。んなこと関係無いよ。お前は充分それを着こなせているし似合ってるよ」

 

理子やリサみたいな可愛い系の奴が可愛い服を着ても特に驚きも面白味もなく普通に可愛いだけだ。けれどジャンヌみたいな普段男勝りでクール系とか言われる奴らがこういう服を着ると、その落差は結構クルものがある。そして、そういうのを世の中ではギャップ萌えとか言うらしい。理子がそう熱弁していた。

 

「そうか……そう言ってくれるのか……」

 

再び俯いたジャンヌはしかし項まで真っ赤になっていた。俺も、ここまで女子を褒めるのもやはり気恥しい。頬が熱くなるのを抑えきれていないみたいだ。

 

「お前は自分に自信があるのか無いのかハッキリしろよ……。……まぁいいや、取り敢えず元気そうな顔見れたし、俺は帰る」

 

「あぁ。……ありがとう」

 

「気にすんな。リーダーを支えるのは副リーダーの役目だろう?」

 

「ふふっ、そうだな」

 

「じゃあな。……お邪魔しましたー」

 

俺はそう声を掛けてジャンヌの隠し部屋から出る。すると、表のジャンヌルームのソファには制服に着替えたリサが腰掛けていた。

 

「……あれ?」

 

「来ちゃいました」

 

制服姿なのにまだお姫様の役になりきっているのか、リサはペロリと舌を出した。何それ可愛い。

 

「そうけ。……ジャンヌも元気そうだったし変装食堂の衣装も大丈夫そうだったよ」

 

「それはモーイですね」

 

「うん」

 

衣装が入っているのだろう。綺麗に折りたたまれた布が見える紙袋を俺は拾い上げ、そのままジャンヌと中空知美咲が同居する部屋を後にする。まだ暑さの残る空気にふと空を見上げると、東京の空に瞬く星はまばらだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「エル・ワトソンです。これから宜しくね」

 

それから数日後、いきなり俺達のクラスに転校生がやってきた。男子にしてはかなり小柄だが顔は可愛い系の美形。女子に囲まれながら会話しているのを聞いていたが、どうやら子爵家らしい。よく分からんけど多分貴族とかそんなんだろう。

それに、普段の授業の様子を見る限り、頭が良くてスポーツもできる。おかげで初日から女子に囲まれまくりだ。

 

だが何となく、俺はその姿に違和感を覚えた。何か確証がある訳ではない。武偵なんだからこんな変な時期に転校してくることもあるだろう。けれどそれでも、俺はこのエル・ワトソンとかいう男子生徒に何か引っかかるものがあったのだ。

それに、挨拶の時に一瞬、俺の方を見た、気がした。その目がどことなく冷たく感じたのは俺の自意識過剰であってほしいところだが……。

 

 

 

プールの授業があった日、担当の蘭豹がどっか行ったので、与えられた課題を適当に終わらせて俺はキンジや不知火、武藤とプールサイドで駄弁っていた。

すると武藤がどこからかアイドルの水着グラビア雑誌を持ってきた。4人で5票持ち寄って総選挙したいらしい。キンジも、やれやれといった風ではあるが参加するっぽい。まぁ、全年齢向けの雑誌だし普段は歌って踊るアイドルだからか、水着と言ってもそんなに過激ではないしな。どちらかと言えば可愛いが先行する格好だ。

 

「最近のアイドルとかよく知らんから見せろ」

 

「いや、天人はどうせこの子だろ」

 

と、参加するにもそもそも誰も知らんので見せろと言ったら武藤がしたり顔で1人の女の子を指差した。……ふむ、確かに俺の好みかもしれん。……うん、周りの子と比べても俺はこの子が良いな。

 

「……確かに。よく分かったな」

 

「天人、お前はどうせリサさんに似たおっとり系美人を選ぶと思ってたよ……」

 

「あ?……あぁ、そゆこと……」

 

どうやら俺が"1番リサに似ている人"を選ぶであろうことは予測されていたらしい。……そんなに分かりやすいかな、俺。

 

「あはは、神代くんは一貫してるよね」

 

俺が武藤に完璧に予測されたことに頭を抱えていると、その横で不知火が爽やかに笑う。うーん、コイツは本当に男から見てもイケメンだ。

 

「おーい、ワトソンもやろうぜ」

 

と、武藤がワトソンにも声を掛けに行く。ワトソンはと言えば、プールの授業はやる気が無いみたいで、男子にしては珍しく上まで隠れるタイプの水着を着て、プールサイドに椅子や日傘まで持ち込んで寛いでいた。だが武藤に雑誌を見せられるとさっきまでの優雅な態度が一変。そんなハレンチな物を見せるなとか何とか。武藤も別に、そこまで拒否されたら無理強いするつもりもないみたいで、じゃあいいよと引き下がる。

だが、さっきまで泳いでいた武藤が肩を組んだからか、水着とはいえワトソンの身体にも水が着いている。何故か顔の赤いワトソンを見て、体調が悪いのなら濡れて冷やしたら大変だと不知火がタオルで拭いてやろうとしてもそれを断固拒否。何やら怒った風でどこかへと行ってしまった。なんなんだ、一体。

 

 

 

バスに乗ってたら他の強襲科の生徒が車内で乱闘をおっ始め、それを聞き付けてやって来た蘭豹がブチ切れて俺達の乗ってるバスを素手で横転させた次の日、俺達の教室に1年生がやって来た。

ワトソンの変装食堂のクジ引きのためだ。

 

そしてワトソンが引いたのは「武偵校女子制服」つまりは女装だ。このクジ引き、男子と女子で中身が違うのだが、これは男子的には1番の大ハズレと言われているクジ。

実際ワトソンも、嫌だなぁ……とかボヤいている……割には何か知らんがいきなり着替えてくるとどこかへ消えていった。

 

で、教室がザワつきながらも数分が経過した。すると、ガコッと天井の板が1枚外れ───

 

「せっかくだからサプライズで登場しようかな」

 

と、上からワトソンの声が聞こえたと思ったら空いた天井から赤セーラーを着たワトソンが机の上に降り立った。拳銃構えてパチコンとウインクまで決めてな。

しかし、元々が女顔というのもあってかやたらと女子の制服が似合っている。線も細いし、まるで本当の女子みたいだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

何となく、この前から行動に違和感のあるワトソンに俺は強い疑念がある。

この日も俺はリサと共にワトソンのホームパーティに呼ばれたのだが、キンジだけは声を掛けられていないようだった。

他の全員は声を掛けられているらしいから忘れていたのか、ワザとなのか。

俺はその疑念の答えが出ることを祈って、ホームパーティは欠席とさせてもらってジャンヌの元へと向かった。

 

「……なんか分かったか?」

 

俺はジャンヌにワトソンの調査を依頼していた。学内じゃ透過の力を使うとそれはそれで面倒な透華には難しいからな。アイツ、まだ諜報科としてはそんなにランクも高くないし、場合によっちゃ俺が疑ってることがバレるやもしれんからな。学内の様子は諦めて、その外での実績や過去をジャンヌに洗ってもらっていたのだ。

 

「ふむ、私もあの転校生のことは疑っていたのだがな……。思いの外厄介そうだぞ」

 

「へぇ……どんな風に?」

 

このジャンヌがそこまで言う相手か。はてさて、何が出てくるのやら。

 

「ワトソンのいた組織はイギリスの秘密組織、リバティー・メイソン。数多くの優れた諜報員を輩出し、極東戦役では中立を表明していたところだ。本人も勲章物の活躍をしているらしいな」

 

リバティー・メイソン、ねぇ。イ・ウーに居た頃に聞いたことがあるな。確かに面倒そうな相手だ。

 

「てことは戦役絡みでこっちに来たってことか」

 

「そうだろうな。中立と謳っていたが恐らく奴らは眷属派だろう。あぁいう姑息な手段は嫌いだ。……私の情報科や女テニ部の支持者も随分と転校生に鞍替えしたようだし」

 

面倒そうな依頼だと思ったが、やけにあっさり引き受けてくれたなと思ったら本音はそっちか。

 

「なので今は中空知に盗聴させている」

 

盗聴はいいのか……。ていうか……。

 

「……あれ?中空知帰ってたのか?」

 

奥の部屋からは人の気配がしなかったし靴も1足しか出てなかったからジャンヌしかいないもんだと思っていたんだけど。

 

「いや、まだ帰ってきてはいない。帰ってきてから盗聴の続きだ」

 

「ふーん……、ん、帰ってきたか?」

 

ガチャガチャと、玄関から鍵を開ける音がしている。何だか慌てた声をしているがこれ多分中空知の声だよな……。いつもイヤホン越しに聞く声は明瞭でハキハキしているからなんか意外だ。

……ていうか、キンジの声も聞こえるんだが、どういう繋がりだ?

 

「待て天人」

 

「ん?」

 

何故かキンジの声まで聞こえるから何故かと思って俺も顔を出そうとしたのだが、ジャンヌに呼び止められる。

 

「中空知は極度のアガリ症でな。今も遠山の前でアガってしまっているみたいだし、お前か出れば確実に大混乱だ」

 

「あ、そうなの……」

 

えー?あの聴き取りやすさナンバーワンで女子アナなんて目じゃないくらいの滑舌の良さの中空知美咲がアガリ症なの……?あんまり想像つかないなぁ。

まぁ、実際キンジと2人でもはや言語の体を成していない音しか発せていない辺り本当なのだろうけど。

 

「私が行ってくる」

 

「あ、うん」

 

ジャンヌが部屋を出ていき、何やら話し声が聞こえた後、キンジとジャンヌが部屋に戻って来た。

 

「おす」

 

「おう」

 

するとジャンヌは携帯電を取り出し、どこかへ掛け始めた。

 

「……あぁ、そうだ。宜しく頼む」

 

で、その電話を切ることなく俺たちに向けてくる。

 

「この電話は中空知に繋がっている。スピーカーモードにするから、お前達はこれで話せ」

 

マジ?人前でなんか凄いことになってたのに大丈夫なのか……?

 

と思いつつ取り敢えずこんばんはーなんて挨拶から初めて見たら、なんと返ってきた返答は───

 

「こんばんは、神代くん。遠山くんも、先程は見苦しい姿をお見せして申し訳ございません」

 

えぇ……、すっげーいつも聞いてる中空知なんだけど。なにこれ……。

そう思ってジャンヌを見れば、「機械越しなら上手く話せるのだ」とだけ返ってきた。

 

「はい、ジャンヌさんの言う通りです。お恥ずかしい話ですが、なるべく電話などでの会話をお願いします」

 

と、中空知からも返答がある。……今の、ジャンヌは結構小さい声で話したと思ったんだけどな。ある程度知ってはいたけど、耳良いんだな。

 

そしてそこから俺達は中空知の拾ったアリアとワトソンの逢瀬の音を聴き続ける。途中で耳の良い中空知が、俺達には雑音どころか情報としても入ってこないような音の補足を入れてくれる。

そして、そのうちの1つに気になる情報があった。ワトソンの足音から奴の体脂肪率まで分かるらしい中空知曰く、その数値は22%くらいだとか。男にしちゃかなり多い。というか、あの細身の体型の男としては有り得ない数字だ。まるで()()()()()その数値に俺達は眉を顰める。だが、ワトソンが薬でアリアを眠らせた辺りでキンジに大きな変化が訪れる。傍から見ても分かるくらいにゾワリゾワリと切り替わっていくこの感覚。ヒステリアモードのようだが……、どこか普段とは違う感じだ。何となく、殺気立っているような……。

 

「……キンジ」

 

「あぁ」

 

変わって、いるな。初めて見る雰囲気だが。

 

「……中空知、今からキンジはワトソンを追い掛ける。ナビを頼む」

 

「承知致しました」

 

何となく、この雰囲気のキンジは危険な気がしたのだ。俺ではなく、ジャンヌが。何故かは分からないけれど、このキンジとジャンヌを一緒に居させたくない。だから俺はさっさとキンジを追い出すように動かした。

 

「ジャンヌ、携帯貸しといてくれ」

 

「あ、あぁ」

 

「天人、分かってると思うけどな───」

 

「あぁ。手前で終わらせるって言うんだろ? 行ってこいよ、俺は元々極東戦役なんて興味無ぇ」

 

それだけ聞ければ満足だったのか、キンジはさっさと部屋を出ていった。

そして残された俺達は───

 

「……ワトソンってもしかして、転装生(チェンジ)か?」

 

「転装生か、なるほどな。遠山がいる状況でホームズとワトソンを組もうとすれば()()しかないからな」

 

「あぁ。ま、あとの細かいことはキンジがどうにかするだろ。サンキューな、ジャンヌ。中空知にも宜しく言っといてくれ」

 

「あぁ」

 

俺ももうここにいる必要も無い。あとはキンジから聞けば良いのだ。もっとも、今の盗聴で知りたいことはおおよそ知れたから、そんなに聞くこともないけどな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ご主人様……」

 

ジャンヌの部屋を出て女子寮から男子寮へと戻ろうとした俺の前に現れたのはリサと、そしてその後ろで歪な形をした大鎌を構えた男だった。

 

「リサ!!」

 

俺は即座に銀の腕を発動。あんな、長さの違う刃を持った大鎌なんて普通の武装じゃあない。恐らくアイツも聖痕持ちだ。

 

「……動くな神代天人」

 

腰溜めに拳を構えた体勢のまま俺は固まる。

奴がおかしな形の──柄の先端から長さが順に短くなっている3枚の刃の付いた──大鎌を握り直したからだ。だがその刃は不思議とリサの首筋には添えられていない。ただその存在感を俺に向けてだけ誇示するように構えられていた。

 

そして奴は空いているもう片方の手でリサをこちらに押し出した。駆け寄ってきたリサを俺は左腕で抱き留める。俺に抱きしめられたその背中は震えている。可哀想に、怖かっただろう。いきなり知らん男にあんなもんを向けられて、脅されて。

 

「コイツはお前の元への案内人だ。安心しろ、今の今まで毛の1本に至るまで触れてはいない」

 

……リサには、もし俺の元へと連れて行けだとか俺に関して何か話せと言われたら聞かれたことは包み隠さず話せと言ってある。どんな聖人君子でも拷問と自白剤には耐えられない。それはリサも同じこと。ならばリサに何かあった時に余計な痛みを与える必要は無いからだ。

だからリサが丁寧に俺の元へと聖痕持ちを連れて来てもそれ自体には何も思わない。

しかもどうやらコイツは俺だけが狙いらしい。……またシャーロックの差し金か?

 

「……何の目的で俺を狙う」

 

「ふむ……いや、どうせ消えるのだから構わんか」

 

「あ?」

 

「そう粋がるな。いや何簡単なこと。お前が邪魔だから消せと、そう言われているだけだよ」

 

まぁ、そんなこったろうとは思ったぜ。俺ってばどんだけ嫌われてるんだか。

 

「……誰から言われた」

 

「さぁな。ターゲット(お前)の情報とコイツを消せという内容のメールが届いた後に金が振り込まれた。L、と名乗ってはいたがな」

 

まさか()()・ワトソンじゃねぇだろうな。いや、アイツは諜報機関の出身、やりかねないぞ。

 

「さてそれでは……さよならだ」

 

「っ!?」

 

ダンッ!と奴が踏み込んでくる。なるほど、リサを素直に返したのはこの為か。

リサを抱えたままでは俺は満足に動けない。その一瞬で殺し切ろうという作戦か。しかも、奴の鎌は俺の左腕側、つまり銀の腕となっていない方向からだ。色々調べは付いてるみたいだな。

 

リサを守りながらでは左右には俺は逃げられない。それでは奴の殺傷圏内から外れることができないのだ。だから俺は背中のスラスターを吹かせて宙返りを切ってその大鎌を躱す。そして仰向けのままリサを抱え、一気に距離を置く。そこにリサを置いて俺は銀の腕・天墜を顕現。あの大鎌は開放者とやらの証だろうから、俺の銀の腕で叩き壊してやろうと足に力を込めたその瞬間───

 

「きゃっ!?」

 

リサの声が響く。そして、()()()()()()()()()()()()()()

そこに広がっていたのは虚ろな闇だけ。完全に虚無の空間に引きずり込まれそうになる。俺は慌てて振り返り、リサの手を握る。

しかしそこに───

 

 

───ドォン!ドォン!ドォン!ドォン!

 

 

と、雷でも落としたかのような爆音と共に俺の腕と肩、それから背中に重い衝撃が叩き付けられた。

 

振り向けば大鎌の男は特徴的な鎌を仕舞っており、代わりに俺に向けられていたのは最強の自動拳銃──デザート・イーグルだった。

 

その衝撃でバランスを崩した俺達は強い重力か何かがあるらしいその暗い孔の中へと吸い込まれてしまう。しかも、聖痕の力が効かない筈の銀の腕が何故か左腕と背中のスラスターだけ解除されていた。これはそう、あの弾丸を受けた場所だ。

 

そして眼前で夜の空と繋がる扉は閉じられた。終わりがあるかどうかすら分からない闇の中で、俺ただリサを抱きしめてやることしか出来なかった。

 

 

 

 

 



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World:Infinite Stratos
ここはどこ?私は武偵


 

闇の中をただひたすらに落ちていく。それがどれだけ続いたのだろうか。長かった気もするし案外直ぐに終わりを迎えた気もする。

 

だがとにかく、今確かなことは俺の腕の中にリサがいることと、そして俺達がいるのは砂の舞うコロシアムのような場所だということだけだ。

空を見上げれば夜だ。だがここはそれなりに都会なのか、空に星は数える程しか見えない。まるで東京だ。それに、俺達がいた世界での季節はまだ早くても秋と言った感じだがここはやけに寒い。すぐに暖まらないと凍えて死ぬほどではないけれど、だからってセーラー服とブレザーでこのまま1日居れば風邪を引きそうなくらいには寒い。これもまるで東京の冬のようだった。

リサと2人、周りを見渡せば砂の地面と、それを囲うように観客席が置かれている。しかし妙なことに、ゴールやバーも無ければマウンドのようなものもなく、ただの砂地なのだ。スポーツをやる雰囲気ではない。そして、これが1番気になるのだが、何やら俺達の頭上5,6メートル程のところにこれまた長さで言えば10メートル程だろうか、何かの滑走路なのか分からないが板のようなものが張り出していた。それがこの円形のスタジアムのような空間の端に2箇所。しかしここからラジコンなんかを飛ばしとして、自分の足元の滑走路みたいな部分の裏に機体が入ったらかなりやり辛いのではなかろうか。いや、そもそもラジコンで何か競うにしてはここは大きすぎないか?半径にしたら200メートルはありそうだぞ。

 

「……ご主人様」

 

ギュッとリサが俺の腕を取る。不安なのだろう。それが痛いほど伝わってくる。だから俺は少しでもリサが安心できるようにその腰を抱く。

 

「大丈夫だ。リサは俺が絶対に守る。武偵校にも帰る。絶対にだ」

 

「はい。リサはご主人様を信じています」

 

取り敢えずここがどこなのか、調べる必要がある。恐らくは俺達がいた世界とは別の世界なのだろうが。だが、ここがこの世界でどんな立ち位置の建物なのか、この空間は何の目的で建てられたのか、それを知ればもしかしたら帰る方法が見つかるかもしれない。

 

 

──異世界──

 

 

聖痕を持つ俺はその存在を何となく把握していた。もっとも、どんな世界があってどうやって行けるのか、そんなことまでは分からなかったけれど。だが多分あの戦いの折に現れた虚空は聖痕に依るものだろう。きっと異世界への扉を開く聖痕があるのだ。そして、それをあの大鎌の男かはたまたまだ見ぬ伏兵か、誰かが使って、俺達を落としたのだ。

だから急に見知らぬ場所へ飛ばされても大きな混乱は無い。それは結構大きい。人間慌ててると注意力が落ちるからな。よく知らない場所で、誰が敵で誰が味方なのか、それどころか文化も何も分からない場所でそれは危険だ。

 

「あの上、行ってみるか」

 

「そうですね。あそこからどこかへ繋がっているかもしれません」

 

リサの同意に俺は1つ頷くと、リサを抱き抱えたまま強化の聖痕を開く。うん、ちゃんとこれは開くな。

グッと脚に力を込め、それを爆発させる。

一瞬、空いていそうなコロシアムの外から見て回ろうとも考えたが、よくよく空を見ればこのコロシアムを覆うように何かが揺らめいていたのだ。結界か何かの類だろうから、破れば外に出られるかもしれないが、それで余計な騒ぎを起こす段階でもないだろうと踏んだのだ。

 

そして、ダンッ!とリサを抱えながら飛び上がった俺はそのまま角度のある放物線を描いてその出張った板に着地する。

降り立った感触はほぼ鉄板と変わらない。そしてその板、と言うよりこれはもう滑走路か空母のカタパルトに近い。そしてやはり、ここから別の空間へと繋がっているようだった。

 

「……さてリサ。まずはお互い武装の確認かな」

 

俺はリサを床に降ろすとまずは持ち物の確認からすることにした。さっきの砂地と違ってここなら汚れなさそうだったからな。

 

「そうですね。リサはデリンジャーと折り畳みのナイフ、それからラツィオと武偵手帳くらいでしょうか」

 

「うん、俺もSIGが2挺と予備弾倉(マガジン)が4つ、それと雪月花だな」

 

ラツィオと武偵手帳は共通して持っているものだった。武装は校則で義務付けられていたから最低限はあるが……うーん、ルガーを補充出来れば良いんだけどな……。このままじゃ圧倒的に弾丸が足りないな。取り敢えず弾丸は温存で、本当なら雪月花もあまり見せたくはないのだけれど、こちらを躊躇してリサを危ない目に遭わせる方が下策である。躊躇うことはないな。

 

「で、ここはなんだ?カタパルトと……控え室みたいな雰囲気があるな」

 

「この床は、科学技術でしょうか……?」

 

「……ちょっと試すか」

 

俺は銀の腕を顕現、指先程度の白焔を床に落としてみる。だが落ちた白焔は何に反応するでもなく直ぐにその灯火を消してしまった。どうやらこれは何か超常的な力で作られたものではなく、ただの物質のようだった。

 

「……向こうにあるのは、扉か?」

 

この空間の奥には左右に開閉しそうな扉があった。俺達がゆっくりそれに近付くと───

 

──シュイン──

 

と、音を立てて扉が左右に開いた。

そして、暗がりに慣れてきた俺の目に映るのは何やら背の高いロッカー達だ。ここで高校の1クラス程の人間が一斉に着替えられてなお余裕のありそうなロッカーの数と部屋の広さ。この施設の規模はかなりものがありそうだぞ。

 

その部屋を奥へと歩いていくと、また扉が見えてきた。そのまま目の前に立てば、やはりシュインと音を立ててそれは開く。その奥にはやはり、夜の闇が広がっていた。

 

「……リサ、寒くないか?」

 

気温は2桁は無いだろう。長袖ロングスカートとは言え長時間はリサには堪えるかもしれない。

 

「正直に言えば、少し寒いです……」

 

「うん、これ着てろ。無いよりはマシだろ」

 

俺は着ていたブレザーをリサに掛けてやる。リサは素直にそれの袖に腕を通し、少し余った袖口から指を出してホウッとその白魚のような指先に息を吹き掛けた。

 

「暖かい……。ご主人様の温もりです……」

 

「あぁ……」

 

「ありがとうございます、ご主人様……」

 

「ん……」

 

俺の防弾ブレザーを羽織ったリサと共に廊下と思われる空間を歩き出す。

警戒しながらなのでペース的にはゆっくりだったからか、10分ほど歩いたところでようやく広い空間に出た。

 

「……あれ、下駄箱か?」

 

「そのように見えますね」

 

俺達の左手に見えたのは武偵校にもあったような、普通の下駄箱のような背の高い棚だった。

 

「っ!?」

 

その時、俺達の進行方向の先から光が現れた。あれは、懐中電灯の灯りのようだ。そして、コツ、コツ……と足音も聞こえてくる。この音はヒールで歩く時の音だ。向こうにいるのは女か……?

 

リサが1本下がり、俺は背中の雪月花に手を掛ける。そして、俺の目に映る影はその形を大きくする。向こうもこちらの影に気付いたみたいだ。

 

「……そこにいるのは誰だ?」

 

その声はやや低いが明らかに女の声だ。しかも、日本語を喋っている。歳も若い。だが声に込められた気迫は武偵校の先生達にも引けを取らない程だった。

 

懐中電灯の光が近付き、俺の足元から顔を下からゆっくりと照らしていく。

俺はその人工の光から目を少し逸らす。

そして、その光は今度はリサを照らした。

 

「……誰だお前達」

 

明らかに人工的な建物だったから理子のRPGゲームに出てくるようなモンスターが急に出現するとは考えていなかったが、まさか日本語がバリバリに通じるとは思わなんだ。だがこれはラッキーだぞ。言葉が通じるならこの世界のことも知りやすい。いきなり別の世界から来ました、なんて言って信じてくれるとも思えないから、たまたま迷いんだと言うのが正解だろうか。

 

「いやぁ、たまには違う道を散歩しようと思ったら迷い込んじゃいまして……」

 

「見え透いた嘘をつくな。ここはこの学園以外に施設の無い離島。散歩で迷い込めるはずがない」

 

……マジか、学園島みたいなもんだったのか。これは分が悪いな……。1回嘘を付いたもんだから次からの俺の言葉には完全に信用が無くなった。ここから本当のことを話してもこの世界の人間にとっちゃ今の嘘よりもさらに突拍子もないことの筈だ。どうする……、銀の腕でも見せればある程度は信じてもらえるか……?

 

「……こことは別の世界から来たって言ったら、信じてくれます?」

 

「お前は冗談が下手なようだ。ユーモアのある人間が偉いとは思わないが……下手なら下手なりに言葉を選べ」

 

さらにその女はこちらへ近付いてくる。そしてその姿はより鮮明に俺の目に映る。女にしては背が高い。ヒールを抜いてジャンヌと同じかもう少し高いだろうか。切れ長の目をした美人だ。肩まである黒髪で、顔の作りは日本人に見える。そして、俺達に1歩近付く毎に、分かりやすく殺気を漲らせていく。俺も腰を落とし、迎え撃つ体勢をとる。拳を構えた俺に、その女はやや意外そうな顔をした。

 

「……貴様、まさか私の顔を知らんわけではあるまい」

 

知るかよ、お前の顔なんて。こちとらこの世界に来てまだ30分も経ったかどうかだそ。俺からしたら第1異世界人発見なんだよ。

 

「……知らないね」

 

「なるほど、私も少々思い上がりがあったということか。……礼を言おう。この驕りのためにいつか恥をかくところだった」

 

何だか知らないがこの女はこの世界じゃ結構な有名人らしい。それも、構えや歩き方からしてかなりデキる奴だ。……いきなり面倒な奴とぶつかったもんだぜ。

リサが更に数歩下がったのを確認し、俺も1歩踏み出した。しかしその瞬間、目の前の女が一気に踏み込んで来た。

2歩で拳の殺傷圏内に入るとそのまま俺の顎へフックを見舞う。それを1歩下がることで躱し、こちらからも1歩踏み込んで奴の腕の上から肘を振るう。当然それは防がれるが俺はそのままもう1歩踏み込んで、逆の腕でフックのお返しをする───と見せかけてそのまま奴の足の甲を踏み抜きにかかる。

 

だがそれは読まれていたようで1歩足を引いてそれを避けた。だがその踏み込んだ足を起点にして俺はもう片方の脚を振り上げる。

俺は普段から柔軟や関節の可動域を広げるトレーニングは入念に行っている。俺の蹴りはほぼ密着した状態からでも相手の頭を蹴り抜けるんだぜ?

 

急角度で襲いかかる蹴り足をしかしそいつは腕を上げてガード。だがその衝撃で数歩下がった奴の空いた胴体に同じ足で蹴りを叩き込む。

腹に蹴りを叩き込まれたそいつと5メートル程の距離が空く。だが───

 

「……どうした」

 

俺はそこで攻める手を止めていた。別に、戦いに来たわけじゃない。散歩ってのは確かに嘘だが、迷い込んだのは本当のことだ。俺だってここにいたくているわけじゃあない。むしろ会話ができるならこの世界の情報を教えてほしいくらいだからな。

 

「……確かに散歩ってのは嘘です。けど、別の世界から来たってのは本当のことです。……証拠はまぁ、これで」

 

俺は銀の腕を発現させる。銀色に代わった俺の腕からは白い焔が吹き出し、背中からはパイプのようなスラスターが陽炎を生み出している。それを見た女の目は大きく見開かれる。

 

「……あながち嘘って訳でもないようだな。……良いだろう、事情聴取くらいはしてやる」

 

「そりゃどうも」

 

付いてこいと、黒いスーツに付いた埃を手で払った女が俺達に背を向けて歩き出す。だがその背中から発せられる強い殺気は、俺が何か不審な動きをすれば即座に戦闘行動に移ると無言の圧力を掛けてきていた。

 

「……ご主人様」

 

「大丈夫だ、行こうリサ」

 

「はい。リサはどこまでも付いて行きます」

 

「……何をしている。力ずくで引っ張られたいのか?」

 

「今行きまーす」

 

この邂逅が俺と、この世界に住む人間との、第一印象最悪の出会いだった。

 

 

 

 

───────────────

 

 

 

「改めて、私の名前は織斑千冬。このIS学園で教鞭を取っている」

 

織斑千冬、それがこの女の名前らしい。

俺達が連れてこられたのは本当に学校の教室だった。部屋のドアの上に1-Aと書いてあったからな。そして明るいところでキチンと見ればこの女、どうにも服の上からでも分かるくらいには鍛え上げられた肉体をしているみたいだ。だがさっきやり合った感覚ではまだ蘭豹の方が強い。あれが本気だったかどうかまでは分からんけどな。

 

ちなみにリサはさっき隣の教室へと連れていかれた。そっちの担当はポヤンとした雰囲気の背の低い、眼鏡をかけた女だった。まぁあれならリサに酷いことはしないだろう。

 

「……神代天人。なぁ、まず1つ聞きたいんだが」

 

「良いだろう。だがお前らは見る限り学生のようだ。教師に対する言葉遣いは教わらなかったのか?」

 

この野郎……。だが、俺達の格好を見ても"武偵"という言葉が出てこない辺り、本当に別の世界に来てしまったんだなぁ。

 

「……聞きたいことがあります」

 

「なんだ?」

 

……満足気な顔しやがって。

 

「貴女は武偵をご存じですか?武器の武に探偵の偵で武偵。正確には武装探偵」

 

「武偵……?いや、初耳だが。なるほど、その拳銃はお飾りではないようだな。提出───いや、無意味か」

 

なるほど、さっきの腕を見て腕力勝負じゃ敵わないと即気付いたわけだ。どうやらアホじゃあないらしい。

 

「助かります。俺はこれを向ける気は無いし、ならここはお互い信用し合いましょう」

 

「それで神代、お前はどうやってこのIS学園に侵入した?ここは孤島で、往き来するためのモノレールはあるが、入る際のセキュリティはそこいらの軍事施設をも凌ぐ。下手な嘘は通用しない」

 

さっきの散歩みたいな言い訳は無理ってわけか。しかしたかが学校にしてはやたらと厳重だ。VIPのご子息様達御用達のお嬢様学校って次元じゃねぇぞ。

 

「俺達は別の世界から来たって言いましたよね?俺達は元の世界で戦闘中だったんです。その時、これは推測ですが、目の前にいた敵とは別に潜んでいた伏兵が、別の世界の扉を開く力を持っていて、俺達はそこに落とされたんだと思っています。で、気付いたらコロシアムみたいな所にいて、取り敢えずどこだか探っていたら……っていう」

 

「……あの銀色の腕を見せられたらあながち嘘とも言い切れない。それに、ここのセキュリティを完全に無視して中に入ろうとすればそれくらい突拍子もない方法しかないか……」

 

何やら顎に手を当ててブツブツと独り言を漏らしながら考え込んでいる織斑千冬。俺はさっきから強化の聖痕で聴力を強化して隣の部屋の様子を探っているのだが、どうやらリサは聞かれたことに淡々と答えているらしい。しかし、リサ自身の普通さとその内容のぶっ飛び具合から中々信じられてはいないようだ。

すると、どちらかが席を立つ音がした。こちらに向かってくる足音は聞き慣れない音だった。リサではない。恐らく聴取を行っていた女の方だろう。

そして俺の予想は違わず、教室の横開きのドアを開けて入ってきたのは背の低い女だった。

 

「織斑先生、あの……」

 

そこでその人は織斑千冬の耳に口を寄せ、そしてその口元を手で隠しながら、しかしこちらをチラチラ見ているので聴力を強化しなくとも話の内容に察しは付きそうだ。

そして、強化して聞き取った内容は、やはり俺の予想と同じものだった。

つまり、リサが何言っているのか分からない、嘘っぽくて信用できない、というようなことだったわけだ。

 

そしてそれを聞いた織斑千冬は1つ頷くと、こちらも口元を隠しながら小声で返答していた。こちらもやはり、俺から聞いた内容と同じであること、裏付けになるものを見せられているから嘘とは言い切れないという内容だった。

 

それを聞いた眼鏡をかけた背の低いそいつはまた頷くと部屋を出ていった。

それを見て織斑千冬はまたこちらへ向かい合う。

 

「……向こうも同じようなことを言っていたそうだ。口裏を合わせるにしては突拍子もない内容だ。なるほど、一応信じてやろう。だが聞きたい。……武偵とは一体なんだ?それとさっきの銀色の腕、あれについても話してもらおうか」

 

「いいっすけど、それに答えたらこっちの聞きたいことも答えてくれますかね」

 

「いいだろう。約束する」

 

「どうも。それじゃあまずは武偵のことからですかね。まぁ、武偵っていうのは───」

 

 

 

───────────────

 

 

 

IS、正式名称ではインフィニット・ストラトス。

身に纏って扱うパワードスーツで、宇宙開発を主目的に作られた筈の機動兵器。製作者は篠ノ之束。今も存命。

兵器としての性能は折り紙付き。シールドエネルギーとかいうもので守られており、既存の兵器の攻撃がほぼ通用せず、その機動力は戦闘機以上。火力も当然それ以上。コイツの発明は世界の軍事を一変させた。

だがそれはそれとしてそんなISにも大きな欠点がいくつか。

1つは女性にしか扱えないこと。どうやら男にはこの兵器は反応しないらしい。理由は不明。だがそれでも世の中の潮流は男尊女卑から女尊男卑へと反転した。世界最強の兵器ISを扱える女性は優遇されるべき、ということらしい。別に女だからって全員が扱える訳でもないのにな。

2つ目に絶対数が少ないこと。ISにはコアなる物があるらしいがそれを作れるのは篠ノ之束だけ。今だその全貌はまともに分からず完全なブラックボックスと化している。しかも本人はこれ以上ISのコアを生産する気が無いのだとか。その上絶賛逃亡中で行方知れず。当然世界中が探しているが手掛かり無し。凄まじい逃走力。

 

っていう話を俺はISの実物を見せてもらいながら聞いていた。実物、そう、ここIS学園はそんなご立派な機動兵器ことインフィニット・ストラトスの操縦を学ぶための専門学校なのだとか。当然生徒は女子のみ。そしてここには訓練用の汎用ISが何機か置いてあるんだとか。お前はどうせ使えないから見せても問題ない、ということらしい。どうやらそれなりに信用もされているらしい。確かに、別の世界から来た俺はこれを盗んでも売り捌くこともできないだろうからな。

俺はその辺の話を聞いて、へぇと思いながら何の気なしに近くにあったIS──打鉄と言うらしい──に触れた。すると───

 

 

───カッ!!

 

 

と視界が光に包まれる。その上何やら情報が頭の中に潜り込んでくる。これはそう……このISの情報だ。そして俺はただ感覚的に理解した。これがどういうもので、どうやって扱うのか。理解させられたのだ。

 

「……あ?」

 

そして光が晴れると俺の目線は2メートルほど高くなっていた。急に身長が伸びた訳じゃあない。単にISの脚部が人間のそれよりも長いこと、そして少し宙に浮いているからそういう目線になっているのだ。

ていうかこれ、俺IS使えてるよね。男には使えないんじゃないの?そう思った俺は思わず自分の股間に意識を向けてしまった。

……大丈夫、ちゃんとあるぞ。指先で啄けばちゃんと感触が返ってきた。

ISを起動して1番最初にやることが自分の股間のチェックだったのが衝撃だったのか、織斑千冬はこめかみを押さえてしまっている。いやでもさ、女にしか動かせないって言われてたら、ねぇ?一応確認しとくでしょ。ちゃんと自分が生物的に男なのかどうかはさ。

 

しかし変化はそれだけでは終わらなかった。

カードキーや指紋認証等で厳重に管理されていた筈の扉が急に開くと、そこからドドドドドッ!と足音を響かせて頭にウサミミ付けた変な女が飛び込んできた。

 

「ちーーーぃちゃぁぁぁぁん!!」

 

ちーちゃん、千冬でちーちゃん、かな。

童話、不思議の国のアリスに出てきそうなファンシーな服を着た怪異・ウサミミ絶叫女はそのまま織斑千冬に飛び掛り───

 

「喧しいぞ束」

 

織斑千冬にアイアンクローで捕縛されていた。

 

メキョメキョと、人の頭蓋から鳴ってはいけない音を響かせつつも、それを振り払ったウサミミは地面に降り立つ。

 

「やぁやぁ久し振りでも相変わらず容赦の無いアイアンクローだねちーちゃん。そんな所も大好きだぜ」

 

取り敢えず頭蓋は変形していなさそうだった。背の低い眼鏡の女──山田真耶というらしい。これでも教師なんだとか──はギョッとしているが俺とリサ的にはこの程度は日常茶飯事だったために驚きはない。というか、異世界に来て数時間で既に懐かしいノリと出逢っている。類友、ではないことを願いたいものだ。

 

「……で、何しに来た、束」

 

束……篠ノ之束……か?思っていたより若い。というか、織斑千冬とほぼ変わらんだろコイツ。20代半ば、後半と言うにはやや若く思える織斑千冬と同じくらいなのだから、こちらも20代半ばと言ったところか。

 

「ちーちゃんの傍でとんでもない()()()が観測されたからね。急いで飛んできたんだよ」

 

それは恐らく俺達が世界を越えた時のものだろう。てか飛んできたって、世界中のお尋ね者、案外近くにいたんだな。

 

「……で、お前何だ?」

 

急に、さっきまでの朗らかと言えば聞こえは良い、悪く言えばガキっぽい雰囲気の篠ノ之束の雰囲気が急変。理子の本気モードみたいな冷たさだ。

 

「神代天人」

 

「名前なんて聞いていない。お前はどういう生物でどういう存在かって聞いている」

 

「……こことは別の世界から来たって言えば信じてくれるのか?」

 

「男が私のISを動かしている。信じるには充分な理由だね」

 

「あっそ。話が早くて助かるよ。他には何が聞きたい?特技?趣味?それとも前職?ちなみに俺が今1番聞きたいのは()()の脱ぎ方」

 

右腕をひょいと上げてアピール。

IS、触れたら勝手に装着されるしどうやって脱いだら良いのか分からんし。面倒極まりないな。そもそも、ISに1番肝心肝要なコアがブラックボックスでコイツにしか作れないって時点で兵器としては二流もいいとこだろうに。そんなに強いんかね、これ。

 

「……あぁそうだな。まずは───」

 

 

 

───────────────

 

 

 

"どうせ行くとこ無いでしょ?束さんの所においでよ、いや来い"

 

そんな反語あったっけ?なんて疑問符はどこかへ投げ捨てられ、俺とリサは篠ノ之束──やっぱりそうだった──のアジトへと着いていくことになった。

篠ノ之束的にはリサには興味無いらしいのだが、俺を連れて行くなら当然セットだと告げればまぁ仕方なしに同行が許された。

それから2ヶ月が経過していた。元の世界に帰る手段はまだ、目処も立っていなかった。

 

 

そして今は4月、やはり俺達が飛ばされたのは冬だったみたいだ。時間がズレているというか、多分この世界で暦が始まったタイミングからして俺達の世界とは違うのだろう。ほとんど同じ歴史を歩んできたらしいのは調べたが、所々違う部分もあったし。

ま、ここまで違う発展の仕方をしているのだからさもありなんって感じだけど。

 

そして俺は今、未曾有の危機に襲われていた。即ち───

 

 

──視線がキツい──

 

 

俺と、俺の前に座っている少年こと織斑一夏。あの織斑千冬の弟らしいのだが、今()()()()()()()全て俺達2人に注がれていると言っても良いだろう。唯一リサの視線だけは優しいが、他の視線はそのほぼ全てが好奇のそれである。武偵校じゃあってもやっかみの視線くらいだったからこういうのは慣れていないんだよな……。

 

ISは女にしか扱えないからIS学園は実質女子校。聞いてはいたが本当に女子ばっかだな。どうやら教員も全て女性らしい。キンジだったら秒で気が狂っているだろうな。

俺も、イ・ウーは結構な女所帯だったから男女比率の偏りくらいなら気にするまでもないけれど、こういうのはなぁ……という感じだ。見る限り前に座っている織斑一夏もそんな雰囲気を漂わせている。さっきチラッと顔を見たが、キンジとはまた違った、爽やか風イケメンという顔をしていた。だがそんなコイツでもこの空気は中々に耐え難いらしい。その織斑一夏がチラリと横を見る。その視線の先には篠ノ之箒──篠ノ之束の妹らしい。織斑一家とは昔からの仲なんだとか──がいたが、残念なことに救援のサインは弾き返されたようだ。

 

「「はぁ……」」

 

前後で溜息が揃ったところで───

 

「ではSHRを始めます。全員席に……着いてますね〜」

 

と、教室の前のドアを開けて入ってきたのは山田真耶。どうやら俺達の担任のようだった。

 

「えと、それではまずは自己紹介からですね。私の名前は山田真耶。このクラスの副担任を任されています。……担任の先生は用事があって遅れて来ます」

 

存外ハキハキした様子でさっぱりと挨拶を終える山田先生。しかし担任ではなかった。

 

「それでは……えぇと、じゃあ出席番号順に皆さんの自己紹介をお願いします。まずは1番の───」

 

 

 

 

「───くん、織斑くん。織斑一夏くん!」

 

「は、はい!!」

 

ガタリと、多分ろくに他の奴らの自己紹介を聞いていなかったのであろう織斑一夏が勢いよく立ち上がる。その様子にクスクスと、周りの女子から笑い声が聞こえてくる。

織斑一夏は何だか居心地悪そうにしているが、急に大きい声を出された山田先生もビックリしている。が、それはそれとして自己紹介を促された織斑一夏は名前と、それから宜しくお願いします程度の軽い挨拶をした。しかし───

 

「……それだけ、ですか?」

 

「え、はい」

 

どうやらコイツは自己紹介が苦手なようだった。まぁ俺も、いきなり趣味とか聞かれても困るかもな。あ、特技サッカーですって言えばいいか。イ・ウーで友達がボールしかいなかった時代もあったし。

しかし織斑一夏のその答えにガッカリだったのか、周りの女子生徒は雛壇芸人よろしく座席からずり落ちている。……どんだけ期待してたんだ。

 

「……お前は自己紹介もまともに出来んのか馬鹿者め」

 

「げぇ!関羽!?」

 

「誰が三国志の英雄か馬鹿者!」

 

スパァン!と織斑一夏の頭が叩かれた。そして凄まじく良い音が鳴り響いた。原因は織斑千冬。弟の様子でも見に来たのだろうか。

 

「諸君!私がこのクラスの担任の織斑千冬だ!私の仕事はお前らを1年で使い物になるようにすることだ!私の言うことには絶対に従え!返事ははいかイエスのみだ!いいな!」

 

お、このノリ懐かしいな。強襲科じゃ大概こんな感じだ。だが俺は忘れていた。コイツは俺との初対面で自分が有名人だと思っていたことを。そしてそれが通じなかったのは俺がこの世界の人間ではなかったからだということを……。

 

つまり───

 

 

 

───きゃああああああああ!!

 

 

 

織斑千冬は本来超有名人であり、こういう反応が有り得るのだ。確かに、これだけの黄色い声援を浴びせられるような奴なら、自分が有名人だと認識するのも致し方ないだろう。

というか、前に調べたら第1回目のISの世界選手権で優勝したのがこの織斑千冬らしい。

ISは宇宙開発という本来の用途を外れて軍事転用されているのだが、その悪いイメージを払拭して発展の為に予算を当てたいがためにそういう大会が開かれているっぽいのだ。ま、アドシアードみたいなものだろう。規模は段違いだけど。

 

「毎度毎度、この学園には馬鹿しかいないのか?それともわざと私のクラスに馬鹿を集めているのか?」

 

その台詞は武偵校じゃなきゃだいぶ不味い台詞だと思うが、どうやらここIS学園はそこいらの学校の常識なんて通用しないらしい。

 

IS学園の()()()にとって、織斑千冬とはアイドルか超有名スポーツ選手のようなものなのだろう。

 

そう、新入生だ。俺は今、齢17にして2度目の高校1年生を開始しようとしている。

なぜか、簡単だ。ISを動かし、篠ノ之束に目を付けられた時点で俺のIS学園入学はほぼ決定事項。元の世界に帰る手段を探すにしてもこういう後ろ盾はあった方が便利だろうと俺も同意。リサ共々ここに入学を決めたのだ。だが、織斑千冬に学校の勉強の程度を聞いたところ、リサはともかく俺は確実に付いていけないことが判明。どうせISに関しての知識もほぼ無いのだし、年齢も1つしか変わらんし勉強面ではそれでも遅れているしで1年からやれとなったのだ。あともう1人の男性操縦者である織斑一夏とも仲良くしろとのことだ。まぁお互い、男がもう1人くらいいた方が気が楽だからこれは助かったのだが。

 

 

そして、コントのようなやり取りで織斑千冬と織斑一夏が姉弟だと判明したりと賑やかを通り越して五月蝿すぎるSHRは終わりを迎えた。

 

なお俺から後ろの自己紹介は終わっていなかった。

 

 

 

 

 

 



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灰槌VS蒼弓

 

ここIS学園では普通の学校と同じようなカリキュラムの合間にISに関する授業をねじ込んでいるので非常に多忙だ。どれくらい多忙かと言えば、始業式の当日から既に授業が始まっているくらいには忙しい。

半分専門学校なんだし……と思わないでもないが、そうなっているのだから仕方ない。ISの知識に関しては春休み前に織斑先生がクソ分厚い教本を渡してきたのでそれをリサと2人で読み込んだ。後は目の前に作った張本人がいるのだから聞けば早い。取り敢えず大雑把な規則とISの基本的な理屈は頭に叩き込んで授業に臨んでいるおかげか、今のところ突っかかる部分は出てきていない。むしろ、普通の授業の方が心配なくらいだ。

だが目の前の男はそうでもないらしい。むしろISのことなんてさっぱり分からんと、後ろから見てるだけでもハッキリと分かる。てかさっき、山田先生に「分からないことがあれば何でも聞いてくださいね」と言われて、なんも分からんと答えていたし。しかもこの野郎、あの分厚い教本を電話帳と間違って捨てたのだとか。それで織斑先生に頭叩かれてりゃ世話ないな。

コイツ、ISが危険な兵器であることを欠片も自覚していないらしい。それはそれで相当に危ない。

武器の扱い方を知らないのなら自分だけでなく、周りまで危険に晒すからな。俺としては織斑一夏のこの態度はあまり好ましいものではない。

ちなみにこの織斑一夏、一応俺より先に世界初の男性IS操縦者として世に顔を晒されている。俺はその次、しかし"あの"篠ノ之束の秘蔵っ子みたいな扱いをされたせいで正直世間に出るのが怖い。ただ、俺の戸籍が無い理由は作れたので良しとしよ……いや無理か。

というか、そんなことよりも重大な問題があった。なんと、あの篠ノ之束が新たにISを作ったのだ。操縦者は俺とリサ。世界に500と無いISのコアの数が急に2つも増えるのだ。世界はてんやわんやの大騒ぎ、だったらしい。俺は基本篠ノ之束の元に引き篭ってたからネットで調べた範囲でだけだけど。

 

そして篠ノ之束のことだ。当然今までのISとは一風変わった機能を乗せている。

どうにもISのコアはそれぞれが独立しているもののお互いに通信することも可能らしい。まぁ、でなきゃ超広大な宇宙空間でなんて活動させられないだろうけど。

で、篠ノ之束的には男なのに何故かISを動かせる俺に興味を持ち、そんな俺が溺愛するリサにもついでにISを与えてそのコアの連携の実験をしたかったらしい。この実験が成功し普遍的な技術に出来れば色んな問題が解決できそうなのだとか。要は体の良いモルモットだ。もっとも、そのISの管理を本人ではなく適当に指名したIS企業にやらせるらしく、そして俺はそこの実験にも協力することでそれなりの報奨金を得られる、そういう流れなのだからこっちに関しての文句は言うまい。

 

 

 

で、ちょうど2限目の授業の区切りを伝えるチャイムが鳴り休憩時間。視線が針のように突き刺さり精神的に疲れた俺はほぼ反射的にリサの元へと向かおうと席を立った、のだが───

 

「そこのお2人、宜しくて?」

 

金髪ロングの縦ロール、まるでヒルダみてぇな女がいきなり話しかけてきた。髪の色は恐らく地毛。顔の作りも日本人のそれじゃあないな。ま、ここIS学園は世界に唯一のIS専門の学校であると同時に未来あるIS操縦者を世界中から受け入れているから、そこかしこに日本人以外の肌の色や目の色をした奴らがいる。この感じは何となくイ・ウーを思い起こさせるな。あそこまで殺伐としてねぇけど。

で、個人的にはまったくもってよろしくないのだけれど、どうにもこいつは俺達を逃す気は無さそうだった。だからと言って俺はリサの元へ向かうのを止める気は欠片もないのだが。

 

「……宜しくないからまた後で」

 

俺は軽く手を挙げて思ってもない謝罪の意を示しつつ脇を通り抜けようとしたが───

 

「宜しいようですね」

 

コイツは人の話を聞かないようだ。俺が胡乱げに振り向けば織斑一夏も「なんだコイツ」った顔でヒルダっぽい風貌のこの女を見つめている。

 

「……誰お前」

 

一瞬、本当に一瞬だけ拳銃を抜きかけたけどそれをどうにか抑え込み、俺は席に着く。だが俺の質問が気に入らなかったのかその女はわざとらしく驚愕の顔をし始めた。

 

「知らない?このわたくし、セシリア・オルコットを?イギリスの代表候補生にして入試首席であるわたくしを?」

 

お前の成績なんぞ知らねぇよ。だがまぁ、代表候補生ってのは知ってる。IS関係についてはこの世界から出るための鍵になるかと思って少し調べたからな。サッカーで言えば年代別のナショナルチーム選手みたいなもんだ。そして、そんなのが態々この学園にいるということはつまり、コイツは国からかなり期待され、国の最新式ISを渡されているということだろう。

 

このIS、兵器としての機能が高過ぎる上に製作者は日本人だ。恐れた他国が無理矢理にISの情報はどこの国も最新技術を即開示というルールを作った。その上日本に"絶対不可領域侵"としてのIS学園を作らせ、しかもそこに在籍している間にその中で採れたデータのみその期間だけは開示義務から逃れられる。という謎ルールまでも組み込んだのだ。

おかげでISは環境に優しい抑止力として世界の平和を保っております。アホか。

 

ちなみにこのセシリア・オルコットさん、織斑一夏も当然知らなかったらしい。でしょうね。

 

「お分かり頂けました?このわたくしに話しかけられるだけでも光栄なのだということが」

 

アリアの100倍くらい横柄な態度でコチラを見下げてくるオルコット。こちらとしては正直どうでも良いし1秒でも長くリサといたいのだけれど、コイツはそれを許してくれそうもない。

触らぬ神に祟りなしと、俺は適当に視線だけ向けておいて話を聞いているフリ。どうやら織斑一夏は会話する気があるみたいだからコイツに全部放り投げよう。

 

 

 

そうして10分もすれば次の授業の開始を告げるチャイムが鳴る。耳に届いた範囲だと和やかな雰囲気ではなかったがまぁ好きにやっててくれ。

 

「それでは3時限目の授業を始める」

 

と、教壇に立ったのは山田先生ではなく織斑先生。重要な話をするのか、山田先生もノートとペンを持って期待の眼差しを向けている。

 

「……だがその前にクラス代表を決めようと思う。クラス代表とは、簡単に言えばクラス長のようなものだ。自薦他薦は問わない。誰かいないか?」

 

クラス長、学級委員長みたいなもんか。俺はやる気ないし誰か勝手にやっておいてくれ。俺はそんなことよりもこの世界から出る方法を調べるのが優先なんだ。

と、興味がないからといってボケっとしていたら他薦の声が上がる上がる。それも、織斑一夏か俺か、どちらか一方をクラス代表に推薦する声だけだ。お前ら単に物珍しさで投票してるんじゃないだろうな。いや、確実にそうだろうな……。

 

この流れでリサまで俺をクラス代表に推すんじゃなかろうかと思ったが流石に俺がやりたくないことは察しているらしい。そちらに視線を向ければそれはしないと瞬きで返ってきた。良かった良かった。

 

「他にはいないか?……今のところ織斑と神代が同数だが───」

 

「───納得いきませんわ!!」

 

キンキンとよく通る声に俺と織斑一夏が振り向けば、さっきのオルコットが勢い良く席を立ち上がった。そして再び口を開けば自分が立候補するはともかく、極東の猿がどうだの男がどうだのと、口汚く俺達を罵る。そしてそれにカチンときたのか、織斑一夏も立ち上がり舌戦を繰り広げ始める。そしてついに───

 

「───決闘ですわ!!」

 

「いいぜ、四の五の言うより分かりやすい」

 

「そこの貴方も!分かりましたね!?」

 

……え、俺も?口喧嘩してたのお前らじゃん。面倒くせぇな本当。けどま……

 

「……売られた喧嘩は買わなきゃ強襲科の名折れだからな。いいよ、その喧嘩買った」

 

ちなみにオルコットが決闘とか言い出した辺りで本当は決闘罪になって俺達全員前科者になるのだが、現在進行形で銃刀法違反を犯している俺は何も言えないのであった。ていうか決闘罪なら武偵校でもやっちまってる。何も言われたことないけど。

 

「それで、ハンデはどのくらい付ける?」

 

と、織斑一夏がやけに自信満々にそんな情けないことを言い出した。……いや、コイツもしかして男と女が戦うのだから男側にハンデを与えるつもりじゃあないだろうな。

 

「あら、もうハンデの相談ですの?」

 

オルコットもやはり自分がハンデを背負う側だと確信しているようだ。

 

「……織斑、素手の喧嘩ならともかく、ISでの戦闘なら腕力の違いはあんまり意味ねぇぞ」

 

あまりにあんまりな発言に俺も思わず口を挟んでしまった。ISにはパワーアシストなんて機能があるから腕力差よりも機体の性能差の方が大きい。その上、アイツは代表候補生とか言っていたからな。確実に自分用に調整された専用機を持っている。そして俺達、というか特に織斑一夏はISに触れてから日が浅い上に訓練もまともにしていないだろう。だが代表候補生なら下手したらもう何年も訓練を積んでいるはずだ。そんなの相手にハンデとかアホだろコイツ。

 

「そ、そうだよ。流石にそれは代表候補生を舐め過ぎだよ」

 

と、織斑一夏のあまりに残念な発言に他の女子からもハンデはちょっと……というような声が挙がる。

 

「そもそも、俺達は喧嘩売られた側で、その上向こうの土俵でやってやるんだ。充分ハンデ付けてやってると思うけどな」

 

「え、お、おう……なら、ハンデはいい」

 

「でしょうね。むしろ、コチラがどれだけのハンデを与えて差し上げれば平等になるのか迷うところですわ」

 

コチラとしても言い返す言葉は無い。オルコットの言う通りだからな。ISの操縦に関しては向こうに一日の長がある。格下なのはむしろこっちなんだ。

 

「……では決まりだな。1週間後の月曜、放課後に第3アリーナで行う」

 

で、この騒ぎを普通に瞑目して聞いていた織斑先生が口を開いた。

この世界には決闘罪は無いのだろうか。あったら他のクラス連中はともかく、教師が承認するのは普通に駄目だろう。武偵校じゃねぇんだぞここ。

 

という言葉が喉まで出かかったが、俺の脇のホルスターに仕舞われている拳銃の重みがそれを抑え込んだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

昼休みはリサを連れて人気の無い所へと逃げ果せた。イ・ウーや武偵校で培った技術がこんな所で役に立つとは思わなんだ。俺はリサと2人でゆっくり落ち着いて昼飯を食って午後の授業へと臨むことができた。

 

そんな風にして俺のIS学園での初日は放課後を迎えていた。だが俺達の教室の周りには学校中から集まったのか女子連中が大勢屯している。動物園の檻に入れられた動物達はこんな感覚だったのだろうか。元の世界に帰ったら解放運動でもしようかな……。

 

で、俺の目の前には俺よりもさらにグロッキーな男が1人。織斑一夏だ。

コイツは俺と同じように好奇の視線に晒された挙句、授業内容もさっぱり分からないときた。そりゃあ疲れただろうよ。

 

「……なぁ」

 

すると、遂に俺の方を振り返った織斑一夏は今日ここにきてようやく俺と初めて会話を交わす。

これまでは休み時間の度に俺がリサの元へと逃げていたからな。まぁ今も俺の隣で帰り支度をしているけれど。

 

「んー?」

 

「えと、俺は織斑一夏。君は……」

 

「神代天人。神の依代に天の人と書いて神代天人。仰々しいだろ?」

 

「それは漢字の例えが悪いんじゃないか……?あぁいや、それはともかく、なぁ……今日の授業内容付いてこれたか?」

 

「そりゃまぁな。一応教本読み込んだし。何より織斑先生も言ってたろ。ISは兵器なんだ。それを扱うのに勉強し過ぎなんてことはねぇだろ」

 

「でもさぁ、専門用語だらけだし辞書は無いしさ。ぶっちゃけ厳しくないか?」

 

「……それで怪我するのはお前じゃなくて周りの奴なんだぞ」

 

「うぐっ……それはそうなんだけどさ。もっとこう、授業にも手心というか……」

 

「本を捨てたのは織斑、お前だろ?……どんなお題目を並べてもISは人を殺すための道具だ。そしてここはその扱いを学ぶ学園。その自覚が足りてねぇんじゃないのか?」

 

「人を殺すためなんて……。世界大会とかだって開かれてるんだぞ?兵器ってのは分かるけど、そんな悪く言う必要ないんじゃないか?」

 

「作成者の意図は知らねぇけどな。現実に今、ISは国防の要として扱われてる。けど軍縮の時代にいきなり新しい兵器に税金を注ぎ込みますなんて、国民が納得すると思うか?」

 

「む……」

 

「世界大会も、代表候補生なんてものも、全部税金を使うための方便だよ。まるでISを新しいスポーツか何かみたいに祭り上げてさ。オリンピックみたいなもんなら票も得やすいからな」

 

織斑一夏にとって、ISは最愛の姉、織斑千冬が世界大会で優勝したものなのだ。そして織斑達と篠ノ之姉妹は昔から交流があったと篠ノ之束から聞いている。そんなコイツにとってISのイメージはそれなり以上に良いものなのだろう。だからそれを貶めるような言い方は気に食わない、そんなとこか。

 

「あ、織斑くん、まだ教室にいたんですね。良かったです」

 

織斑一夏が何かを言いかけたが、言葉となる前に山田先生が夕暮れの教室へと入ってきた。何かと思えば織斑の寮の部屋が決まったのだとか。元々は1週間くらいは自宅から通学の予定だったらしいが、学園内でも既にこの騒ぎだ。外に出たらどんな目に遭うか知れたものじゃない。学園側も相当に急いだのだろう。

ちなみに俺はリサと同室を譲らなかった為に逆にすんなりと決まった。2人部屋を1つ空ければ良いだけだからな。

 

「じゃあ俺は帰るよ。織斑、お前もISがどんなもんか、もう1回考えた方が良いぞ」

 

「あぁ、分かったよ」

 

「じゃ、また明日」

 

「また明日。あぁそれと……」

 

「あん?」

 

「一夏でいいぜ。織斑だと千冬姉と被るだろ」

 

「あいよ。じゃあな、一夏」

 

「あぁ。また明日」

 

俺はリサを促して教室を出る。俺には物珍しさが込められた、俺と一緒にいるリサには羨望ややっかみの込められた視線がそれぞれ向けられる。

俺達はそれを丸っと無視して、遺恨と禍根と諍いの種を残した教室を後にしたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

それから1週間後、遂にクラス代表を決める決闘の日がやってきた。

その間に一夏も専用機が送られることが確定したり、俺は1人でアリーナを借りて訓練をしたり。そんな風に時間を過ごしたのだ。

そして第1試合、織斑一夏とセシリア・オルコットの試合が終わった。試合そのものを見ることは叶わなかったが結果はどうやらオルコットが勝ったようだ。これで次に俺とやるのはオルコット。

オルコットと一夏の戦いで機体に損傷があったらどうするのかと聞いたが、それは予備品やら何やらで修復するらしい。そして今は、その時間なんだとか。

 

「1時間くらいは掛かるかもしれませんが神代くんも準備を始めていてください」

 

「はい」

 

山田先生がピットに入ってきてそう説明する。ここ第3アリーナとこのピットは俺とリサが最初にIS学園に飛ばされた時の座標だったようだ。ここでの生活はそう不自由でもない。だがやはり、俺はどうしても自分がこの世界にとっての異物であるという感触が拭えないのだった。

 

 

──早く帰りたい──

 

 

逸る気持ちを押さえつけながら戦支度を整えていく。とは言っても、ISを扱う専用のスーツはもう着ているし、機体の調整だって済んでいるから、やることなんてそう無いのだけれど。

 

しかし、そうこうしているうちにオルコット側の準備も整ったようだった。アリーナに出ろと織斑先生からの放送がピットに入る。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

 

「はい、天人様。お気を付けて」

 

リサは目を閉じ、その唇を差し出す。俺もそれに応え、その唇にキスを1つ落とす。触れるだけの軽いキス。いつもの儀式みたいなもんだ。

だがどうやら山田先生には刺激が強かったらしく、顔を手で覆って、しかしそれでも赤くなっているのが隠せていない。

 

「……来い、鎧牙(かいが)───」

 

俺はリサの唇から俺のそれを離す。そして数歩下がり、自分のISの名前を呼ぶ。そして───

 

───カッ!

 

と、俺は光の奔流に呑み込まれる。だがそれも一瞬。次の瞬間には光は収まり───

 

 

「モーイ!とても格好良いです」

 

 

俺は濃淡入り交じった灰色、コンクリートのような色の都市迷彩柄の鎧を纏っていた。

 

これが俺のIS──鎧牙──

 

ISにより戦闘能力を上げるのではなく()()()()()()()()()()()()()()()()()IS。

 

「用意はいいか?」

 

放送で、織斑先生の声が響く。俺はそれに一言"はい"とだけ返した。

 

「宜しい。では出ろ」

 

簡潔な織斑先生の指示に従い、俺はピット内の所定の位置に着く。

 

「神代天人、出ます」

 

そう宣言し、背中のスラスターを吹かす。そうすれば一瞬でピット中の殺風景な景色は流れ、俺は戦場へと飛び出した。

 

 

 

そして俺がピットからアリーナへ飛び立つとそこには既にその身にISを纏ったオルコットが構えていた。

 

──ISの情報は開示しなくてはならない──

 

もちろんIS学園内部で得られた戦闘データなどの情報の開示義務はないがオルコットは元々代表候補生。奴が纏っているISの情報もある程度は閲覧することが出来た。それによれば奴のIS、ブルー・ティアーズはガチガチの中・遠距離狙撃型。最大の特徴は6基のビットと呼ばれる遠隔操作式砲塔で、これらを自在に操り1機で局面を制圧することが出来るのだそうだ。あの時教室では言わなかったが、俺達に与えられたハンデはこっちの方が大きい。一夏のもそうだし俺の鎧牙(IS)も篠ノ之束が作ったもので、コアの登録もまだされていない。つまり外に情報が漏れていないのだ。俺達は一方的にオルコットのISの情報を仕入れられるが向こうにはそれが出来ない。この情報アドバンテージは大きい。

 

そして、一夏とオルコットの試合は公平性のため観覧することができなかったけど、多分ブルー・ティアーズの背中に浮いている羽のようなものがそのビットなのだろう。そして右手には大型のライフル。しかもこのブルー・ティアーズ、ビット4基とあのライフルはビームを放てるらしい。で、残り2基は小型の誘導ミサイルというのが公開情報だった。

 

しかし本当に厳格な開示義務があるんだな……。ここまで自国の兵器の性能を晒さなきゃいけないとは……。しかし、そもそも俺にはビーム兵器に対する戦闘経験が無い。多少篠ノ之束の元にいた時にシュミレーターでやったくらいだが、実際に受けたことは無いから、これが初体験になる。

というか、俺にはISによるISとの戦闘経験が皆無だ。鎧牙の受け渡しの際にISの動き方などは一通り教わったがその程度。後はアリーナで適当に演習をしてたくらいだ。そこに加えて向こうは訓練とは言え戦闘経験もあるだろうし、さてどうするか……。

 

 

「ふん、来ましたのね」

 

「はっ、売られた喧嘩は買う主義なんでな」

 

「言ってなさい。もう男だからといって油断はしませんわ。まぁあ?もし降参なさるというのであれば、許してあげなくもありませんが?」

 

許す?お前に俺が何の許しを乞うというのだろう。

 

「そりゃこっちの台詞だ。赤っ恥かきたくなきゃ降参をオススメするぜ」

 

売り言葉に買い言葉。お互いの舌戦が始まりかけたところで───

 

──ビーッ!──

 

試合開始のブザーがなる。その瞬間にオルコットは右手のビームライフルことスターライトmkIIIをぶっ放つ。

それを左側、相手の右手側に回避しさらにオルコットの銃が外に向くように回り込む。当然向こうも腕だけでなく身体全体でこちらを追随する。しかもその間もビームの連射は止むことがない。言うだけあってさすがの精度だが、やはりというか当たり前というか、レキの狙撃ほどの鋭さは無いな。

 

「油断はしないと、言ったでしょう!」

 

射撃の連撃の一瞬の間と共に展開される4基のビット、なんとこれもブルー・ティアーズと言うらしい。ややこしい機体だ。そして4基のビットが三次元的に動き回り俺をビームの檻で囲むように射撃を行う。そしてその合間にはオルコットのビームライフルからの狙撃。

 

 

「踊りなさい!このセシリア・オルコットとブルー・ティアーズの奏でる円舞曲(ワルツ)で!!」

 

 

雨あられと降り注ぐ光槍を紙一重で躱し続ける。

最初の数発で分かったが、異世界のビームと言えど基本的に直進しかしないらしい。その上──どのみち障害物の無い砂地のアリーナでは起こり得ないが──実弾と違って跳弾も無い。こちらも銃弾撃ち(ビリヤード)──昔イ・ウーでカナが見せてくれた銃弾を銃弾で弾いて逸らす技だ──で返せないが、特別何か防ぐ手立てを考える必要も無いようだ。その上実弾よりは速いがそれでも光速と言うには余りに速度も遅く、ほぼ鉛玉と同じ対処方法で構わないようだった。

そうと分かれば避けるのは容易い。いくらビットが自由自在に動こうが所詮銃口は5つ。これ以上の銃口に囲まれたこともあるし、あの粒子の野郎の攻撃に比べれば断然温い。とにかく囲まれないことを意識しながら立ち回れば回避し続けるのは問題ない。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「神代くん、凄いですね……。初のIS戦闘とは思えないくらいです……」

 

「言うだけはあった、ということだろう。確かに撃たれ慣れているな。銃に対する避け方としては教科書通りだ」

 

管制室で行われる会話。真耶と千冬が眺める窓の外では天人とセシリアが戦闘を繰り広げていた。状況は硬直気味。天人がひたすらセシリアの射撃を交わし続けて数分が経っていた。

 

「天人……なんであんな簡単そうに避けられるんだ」

 

その他にこの戦闘を観ていた2人。一夏と箒であった。彼らは千冬から「この戦いは見ておけ」と言われて管制室へと招かれたのだったが、自分が苦労した5つの銃口からの正確無比な連続射撃をこうもあっさりと躱し続けているように見える天人に対し、感嘆しか出てこない様子であった。

 

「神代は避け方を知っているからだ。それは、何度も撃たれて身に付けたものだろう」

 

「それは訓練とかで……ってこと、ですか?」

 

「いいや、奴のあの避け方は訓練だけでは身に付かん。実戦だ」

 

「でも神代のISは姉さんが新たに作ったものだと……」

 

「あぁそうだ。だからシュミレーションはともかく、こうしたIS同士での戦闘経験は無いはずだ。だから奴のそれは、違う場所で違う方法で培ったものだ」

 

「違う場所って、もしかして、戦争、とか……」

 

「そこから先は本人にでも聞くんだな。私も詳しくは知らん」

 

「は、はぁ……」

 

(天人、お前……、いったい何を背負ってるんだ……)

 

神代天人は異世界から来た人間で、そこでは武偵という存在が警察と共に凶悪犯などを取り締まっている。さらに神代天人はその中でも直接犯罪者を強襲し、取り締まったり違法組織に乗り込んだりする武闘派であったらしい。などという説明を一夏や箒にしても理解されないだろうと、説明を省いた千冬であったが、それにより一夏達に余計な誤解を与えてしまったかもしれないと、思うのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

(くっ、当たらない……。どうしてこんな……)

 

その頃、セシリアは焦っていた。今だビームビットは4基全て健在。ライフルも無傷だ。けれども、撃てども撃てども当たらない。カスリもしない。上手く包囲網の中に誘導したと思ったら直前ですり抜けられてしまう。戦闘が始まって既に10分近くが経とうとしていた。なのにただの1度もビームが天人の機体を掠めることすらしなかった。しかも向こうは一切無言。これが効いていた。先の戦いでの一夏は、意味のある単語でなくとも何かしら声を上げることが多かった。気合いの声や苦悶の声、種類には様々あったが天人にはそれらしいものが一言たりともない。それが回避に専念しているからなのか、それともいつでも攻撃に転じられる余裕があるのかすら分からない。それにセシリアは焦らされていた。

 

「逃げてばかりで!」

 

そしてついに堪えきれなくなり、虎の子を解き放つ。

数えるのも億劫になるくらいの回数包囲網を抜かれた。その瞬間に腰に装備されたブルー・ティアーズ、そのミサイルビットから小型の誘導ミサイルを発射する。腰部から放たれたそれは一直線に天人へと向かう。そして彼の纏うその鎧を撃ち砕くために火を噴く。だが天人は焦らない。少なくともセシリアからは焦っているようには見えず、誘導弾の特性を上手く利用しお互いを衝突させミサイルの無効化に成功した。そしてその右手には十文字に刃の付いた巨大なメイスが一振り。

遂に神代天人が隠していた牙を剝く。

 

 

 

───────────────

 

 

 

どうやらオルコットという人間は一々顔に出る女らしい。ビットとライフルでの誘導からすり抜けてみたり射撃を躱してみたり、色々回避はしてきたがその度に驚きや悔しさやらが顔に出ている。顔に出やすいアリアでさえも戦闘中はもう少し表情がフラットだ。

というか、油断はしないとか言っておいて実はかなり見くびられていたんじゃないか?でなきゃここまで顔に出ないだろ。しかも焦れたのか、残り2基のミサイルまで使ってくれた。正直ミサイルがどこから飛んでくるか分からなかったから、この情報アドバンテージは大きい。多分、決めるならここだろう。

そう決めた俺はまずは十文字に刃の付いた大型メイスを呼び出す。コイツの射撃はそれぞれそれなりに正確だしビットが三次元的に動き回るから回避にはそこそこ程度には気を遣わなくてはならないのだが、それでもビットの操作と自分自身の移動やライフルでの狙撃を同時に行えないことはもう分かっている。それに、ビットも基本的に俺の死角に回り込むようにばかり操作するからだいたいどこにあるかは分かるのだ。それに、ISには死角はない。ただ単に人間が元々の視界の外に意識を向けることが苦手なだけであって、そっちのカメラを見ようと思えば見られるのだ。だからビットの誘導も容易い。

そうして背面に誘導したビットの、その射撃を回転して躱し、真っ直ぐ加速、すれ違いざまにメイスを叩きつけ、ビットの1基をアリーナ壁面のシールドエネルギーに叩きつけて破壊。すぐさま上空に離脱しオルコットのライフル狙撃を回避。急降下からさらにもう1基のビットをメイスで地面に叩き落とす。さらに3基目のビットに向かって急加速、メイスを突き刺して叩き潰した。

そしてラスト1基、これは逃げ回るビットをひたすら追い回して遂にメイスで粉砕。これで衛星的に動き回りオルコットを守る邪魔物は消えた。

 

「クッ……」

 

苦虫を噛み潰したような顔のオルコットだが、まだライフルとミサイルビットは残されているからか、諦めの表情は見られない。

 

「フッ……」

 

背部スラスターからエネルギーを放出。それを推進力に変える前に貯めて、再びスラスターに吸収、爆発的なエネルギーを得て瞬間的に莫大な加速力を獲得し──瞬時加速という技術らしい──その加速でもってオルコットに急接近。メイスを突き込みそのままの勢いでアリーナのバリアーへ叩きつける。

 

「ゴッ──!?」

 

もちろんこれだけではシールドエネルギーは削り切れない。だから俺はそのままバリアーにオルコットを押し付けながら引きずり回す。バチバチと背中から火花を上げさせながらシールドエネルギーを削っていく。

 

「くっ……この……っ!」

 

それでもまだオルコットは諦めておらず、ミサイルをゼロ距離からぶっ放そうとする。案外大胆な奴だな……。

それをやられるのは適わないので20メートル程引きずった辺りで力任せにオルコットを投げ飛ばす。強かに地面に打ち付けられ、それでも浮き上がろうとするオルコットの背中に、俺は上空からの位置エネルギーと運動エネルギーマシマシのメイスを振り下ろす。

 

再び叩きつけられたオルコットを今度はメイスで打ち上げる。

 

砂埃も同時に舞い上がるがISの視界には関係無い。オルコットは俺の視界に捉え続けている。

 

もう一度メイスを振るい、アリーナ外壁のバリアーにオルコットを叩きつけ、更にトドメとばかりにメイスを腹に突き刺したその瞬間、オルコットのISのシールドエネルギーがゼロになったことを告げるブザーがアリーナに鳴り響いた。

 

 

俺の初陣であり、クラス代表決定戦トーナメントは神代天人の優勝で幕を下ろした。

 



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双剣双銃の侵入者

 

クラス代表決定戦は俺の優勝で終わった。だが俺は、そんなものにはなりたくもない。なのでそそくさと織斑先生の元へと向かい、これを固辞。代わりに一夏を推薦したのだ。

俺と一夏の得票数は同数。ならば俺が一夏に入れれば必然的に一夏がクラス代表になるのだ。

そんな発表があったのがクラス代表決定戦の次の日の朝のSHR。

 

で、それからまた時は経ち、今日はグラウンドでISの飛行練習だ。ようやく座学ばかりの授業から開放されるようだ。

 

「オルコット、織斑、神代、アヴェ・デュ・アンク、試しに飛んでみろ」

 

なるほど、専用機持ちは直ぐにISを出せるからな。体の良い見本にされるわけか。

 

「はい」

 

と、返事をしないと頭をクソ硬い出席簿で叩かれるので俺は素直に返事をして前へ出る。

そしてそのまま待機形態だったIS(鎧牙)を展開。一瞬の浮遊感と光に包まれた後に色を取り戻した視界で俺は10数センチ程浮いていた。それにオルコット、リサ、一夏と続いて各々ISを展開する。

 

「神代さん、まだISに触れてから1,2ヶ月と聞いていましたが、随分と展開が早いですわね」

 

「まぁ、慣れてるからな、こういうの」

 

専用機のなったISの展開の仕方にはそれぞれスタイルがあるらしい。とは言え、とにかく集中するのが1番なのだが、俺は銀の腕を顕現させるイメージでISを出すのが1番分かりやすく、リサは耳と尻尾を出す感覚らしい。……リサ、人前でミスってISじゃなくて耳出すなよ?

 

「では飛んでみろ」

 

真上に飛ぶという行為にする際に習ったのは頭上に円錐を展開するイメージ。だが俺は銀の腕のスラスターを吹かすのと同じ感覚で鎧牙の背部ウイングスラスターを吹かせて飛翔。一瞬で200メートル上空へ辿り着きそこで急停止。確かに、この機動性は戦闘機でも出せないかもな。

そして俺とほぼ同着でオルコットが、その後に一夏、1番遅いのがリサだった。

 

「アヴェ・デュ・アンクはもう少し早く動けるようになれ。それではいい的だぞ」

 

「は、はい」

 

どうせ諍いになるだけだからこの場で言いはしないけれど、リサは俺が守るのだからISの展開だけ出来れば充分だと俺は思っている。だから俺はISのプライベート・チャンネルとかいう個別通話機能でリサに通信を飛ばす。

 

「気にすんな。何かあっても俺が守るから」

 

「はい、リサはご主人様を信じております」

 

リサも同じように個別のチャンネルでそう返してくる。

その様子を下から見ていた織斑先生の目は、俺達の会話をどこか見透かしているようにも思えた。

 

「……では次、急降下と完全停止をやってみろ。目標は地表から10センチだ」

 

「はい」

 

俺は再びパイプ型のスラスターから焔を噴き出すイメージ。そして地面ギリギリにイメージの壁を描き、そこへ着地。

 

「……12センチか。まぁまぁだな」

 

……2センチ。眉間を狙った弾丸を首を振って避けたら眼球に直撃したって感じだな。まだまだだ。すると、オルコットも降りて来て地表間際で急停止。コチラは10.5センチ。俺のISがそう測定した。やはり細かな操縦技術ではまだオルコットには敵わない。もっとも───

 

 

 

───ッッッドォォォォォォォンンン!!!

 

 

 

地面に墜落した一夏よりはマシだという自負はある。その後にはリサも、それ急降下?って言うくらいのゆったりとしたスピードで降りて停止。地表から13センチだった。

 

「織斑とアヴェ・デュ・アンクは何故そう極端なんだ……」

 

超スピードで墜落する一夏とゆっくりと降り立ったリサ。確かに両極端な2人だった。

 

「まぁいい、織斑、武装を展開してみろ」

 

「は、はぁ」

 

「返事は、はい、だ」

 

「は、はい!」

 

と、織斑先生にけしかけられて真正面に右腕を突き出し、それを左手で強く握る。そうして光の奔流を発生させながらも、一夏は雪片弐型とかいう銘の近接ブレードを呼び出した。

 

「遅い。0.5秒で出せるようになれ」

 

確かに刀1本抜くのに1秒も2秒も使っていたらその間に何発の鉛玉をぶち込まれるか分かったものじゃない。しかも一夏は武器を出す時に目も閉じているからな。撃ち放題当て放題だ。

 

「次、オルコット。やってみろ」

 

「はい」

 

オルコットは返事をするや否や右腕を外に突き出し一瞬手元を光らせたかと思えば即座にビームライフルを展開。マガジンも接続されており、目視でセーフティも外す。この間約1秒。だが───

 

「流石は代表候補生、早いな。だがそのポーズはやめろ。横に銃を展開して誰を撃つ気だ?正面に展開できるようにしろ」

 

撃たれるのは俺だと思います、とオルコットの右手側にいた俺は心の中で1人ゴチる。

長年そのルーティンでやってきたのだろう、抵抗するオルコットを圧力で黙らせ、次に近接戦闘用の武装を展開させた。

しかし基本的に中・遠距離での狙撃が戦闘の中心にあるオルコットにとって近接武装はイメージしにくいらしい。苦労して、というか武器の名前を直接呼ぶという初心者向けの方法で無理矢理呼び出したがこれだけの時間を与えればアリアやレキが相手なら全身八つ裂きか蜂の巣だ。とても実戦で使い物になる代物ではない。

 

「神代、やってみろ」

 

「はい」

 

俺はクッと手首を上に軽く動かすだけで両手に拳銃を構える。当然マガジンは挿さっているし、セーフティも外してある。光も出さずに武装を展開した俺にオルコットと一夏は目を見開いている。

 

「ほう。なら武装の即時切り替えはできるか?」

 

「はい」

 

俺はさっきとは逆に後ろ側に手首を振って拳銃を格納(クローズ)する。そしてそのまま右手を振り上げ、一夏の正面で振り下ろす。

 

「っ!?」

 

振り下ろしながらメイスを展開(オープン)、一夏のIS──白式──のシールドエネルギーに触れる直前に寸止め。そのままメイスを収納しつつオルコットの方を向きながら腰溜めにアサルトライフルを召喚。銃口をオルコットの腹に向ける。突然銃口を向けられたオルコットが身構えるが俺はそのままライフルも収納してボケっとしていた一夏の眼前に拳銃の銃口を向けた。

 

「うぉっ!?」

 

「もういいだろう。織斑、オルコット、今すぐとは言わないがこれを目標に努力しろ」

 

「「は、はい!」」

 

2人の声が揃う。ここ最近、武装の出し入れの訓練を重点的に行ってきた甲斐があったな。まぁ、戦闘中に武器の出し入れなんかでまごついたいたら確実に殺される。武偵活動で銃を持つ感覚が身体に染み込んでいるのがこんな風に役立つとは思わなかったけどな。

 

「……本日はここまでとする。織斑、グラウンドに空けた穴は埋めておけよ」

 

一夏に与えられた宿題はとんでもない重労働だが自業自得な上に流石に手伝う気も起きない。

俺とリサは織斑先生の言葉に従ってISを収納し、そそくさと校舎の中へと戻っていった。

 

 

 

そして、その日の放課後に行われたクラス代表決定のお祝いパーティも終わり、俺とリサは寮の自室に戻っていた。

 

「……なーんか、濃かったなぁ」

 

「ですね」

 

自分のベッドに大の字で横たわる俺の脇にリサも腰掛ける。透けるような薄く美しい金髪の髪を俺は指先で弄びながらもそもそと身体を動かし、リサの太ももの上に頭を乗せる。

リサが俺の髪を撫で、俺もリサの髪を梳く。そこに言葉は無かったが、ただの空白の時間を楽しむだけの余裕はある。

いきなり知らない世界に飛ばされたが、それでも変わらないものはある。俺はリサがいてくれればそれだけで全部どうにかなりそうな気がしていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺とリサが付き合っていることはIS学園では公然の事実となりつつある。

それもそうだ。何せ所構わずイチャイチャベタベタ。特に言い触らしているわけではないけれど、全く隠す気の感じられない行動を見せつけていればそうもなろう。

今朝もいつも通りリサを膝の上に抱えて駄弁っていたのだが、急に教室のドアが開けられたかと思うと、そこにいたのは小柄でやや明るい茶髪をツインテールに纏めた女子生徒だった。どうやら一夏に用があるみたいで、真ん中最前列の席に座っている一夏を目敏く見つけて呼び寄せていた。

 

だが俺がふと時計を見れば、もうすぐ朝のSHRの時間だ。チャイムが鳴るまであと1,2分。俺はリサを席に降ろすとそのまま自分の席へと向かう。それでもまだ一夏とツインテ女子は会話に花を咲かせていた。

だが時間は無情、鬼教官は非情。時間通りにやって来た織斑先生に追い出されたその子はすごすご……と言うには元気の有り余っている様子で自分の教室へと戻って行った。

 

 

 

その日の昼に食堂でリサの用意してくれた弁当を食べながら聞き耳を立てていると、どうやらあの茶髪ツインテールは隣の2組に転入してきた生徒だということ、凰鈴音(ファン・リンイン)という名前だということ、中国の代表候補生だということ、専用機も持っているということ、そして一夏と幼馴染みだというところまでは判明した。どうやら篠ノ之箒が引っ越した後に一夏と出会ったらしい。

 

「だとさ」

 

「織斑様も女性から好かれるのですね」

 

「アイツ、よく見なくてもイケメンだからな。キンジみたいに根暗って訳でもないし。そりゃ分かりやすくモテる」

 

まぁ、キンジもキンジでとんでもなくモテているが。本人はそういう話が苦手なのと、確かにキンジの暗さに1歩引いている女子もそれなりにいるからかキンジ自信にその自覚は無いだろうけど。

 

「……なんだその目は」

 

しかし、何故か俺は今リサからジト目で睨まれている。

 

「天人様はもう少し自分の行動を自覚した方が良いかと思います」

 

「……」

 

言わんとしていることは分かる。ジャンヌや透華達のことだろう。けれど俺が好きなのはリサだけで、他の奴らから好意を寄せられても、悪い気はしないけど応える気にはなれない。それは、ずっとリサには言っているし、他の奴らにも行動で示しているつもりだ。だから俺は透華達が居てもリサとベタつくのを止めたりはしないのだ。

 

「リサだけを愛してくれる。それは女性としてはとても嬉しいことです」

 

むしろ、当然のことのような気もするんだけどな。本能のままに生きる動物じゃないんだから、そんな何人もの女の子と同時に付き合うって感覚がよく分からん。俺はジャンヌや透華達を可愛いとは思えても恋愛的に好きとはどうしたって思えない気がするのだ。

 

「でもリサは知っています。本当の天人様は複数人の女性を同時に愛せるということを。ただ今は、リサの存在がそれを気付かせていないだけなのです」

 

「…………」

 

俺はリサの言葉を聞きながら無言で弁当を胃袋の中に収めていく。今日も最高に美味しい……美味しいのだけど、リサのその言葉にどうしたって引っ掛かりを覚えてしまうのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

5月。結局今になっても帰る手段は見つからない。図書館を漁ってもISの情報はそれなりに出てくるがそれも法律的な規制や技術的な部分ばかり。それも肝心肝要のコアに関してはよく分からん篠ノ之束本人しか作れんの一点張り。

この世界特有の神話の話とかも探ってみたがこれと言った手掛かりは無し。俺達の世界との相違点はその殆どが武偵とISだけのようだ。むしろ、超能力とか人外とかが存在している分元の世界の方がオカルトチックで、こっちはもっと科学技術寄りということが分かるだけだった。

 

篠ノ之束にでも聞くしかないかなと思いつつある今日は1組と2組でクラス代表同士の試合をやるのだとか。どうやら食堂でデザート1年分だか食べ放題だかの食券を賭けての試合らしく、本人達はともかくその外野は大盛り上がりだ。

 

もっとも、一夏が相変わらずの唐変木を発揮した結果、周りの思惑とは別のところでクラス代表同士はヒートアップしているらしいのだが。

 

で、俺達専用機持ちだけは管制室に集められ特別待遇での観戦。他の奴らは皆アリーナの観覧席で試合を見ている。

だがその試合はほぼ2組の代表候補生である凰鈴音のワンサイドゲーム。甲龍という名前の機体とそれに載せられた特殊な兵器──龍咆──その砲身も砲弾も見えない空気圧の弾丸を射出する衝撃砲とか呼ばれる攻撃に全く対策が出来ていないのだ。

 

「話では聞いてましたけど、実際に見るとこうもやっかいとは……」

 

「神代、お前はどう見る?」

 

オルコットの呟きに、織斑先生が俺に話を振る。

 

「はい。俺なら……オルコットのブルー・ティアーズの方がやり辛いですね」

 

「ふふふ、そうでしょうとも。何せわたくしのブルー・ティアーズはイギリスの誇る最新鋭の機体ですもの」

 

「その理由は?」

 

オルコットの高笑いは完璧無視しつつ織斑先生がさらに掘り下げてくる。……これ、俺に答えさせる風を装ってコイツらへの授業にする気だろ。

 

「砲身も砲弾も見えなくても、発射点はあの肩のデカ物です。射角に制限は無さそうですが、リーチはオルコットのビームライフルより余程短いし発射までに少しラグもある。そこまでくれば遠距離を保つか張り付きゃアレは使えないことが分かります」

 

「だろうな。だが距離を保つのはともかく、張り付くためには、そして張り付き続けるにはどうする?」

 

「そうですね、まず凰鈴音は撃つ時に狙った場所を目で追う癖があります。それに、そもそも腕や脚なんかの末端は的が小さいから基本的に狙いは真っ直ぐ胴体が多い。あれを躱して懐に入るのはそれほど難しくはないです。張り付くのも、あの青龍刀は分割しても取り回しが良いわけではなさそうですから。殺傷圏内のさらに内側に入ってしまえば……」

 

と、そこまで一息に語ったが見ればオルコットと篠ノ之がポカンと口を開けている。山田先生もこちらを驚いた顔で覗いていた。

 

「……どうした」

 

「いえ、ティアーズの包囲をあれ程躱し続けた神代さんなら確かにそれも可能かも知れませんわね」

 

「じゃあ何に驚いてんだ」

 

「あなた、思ったより喋りますのね……。リサさん以外とはろくに会話できないのかと思っていましたわ」

 

「……表出ろしばき倒す」

 

確かにこっちに来てからほとんどリサとしか会話してないかもしれない。けれどその言い草は流石の俺も怒るよ?ホントに。なんなら織斑先生に頭掴まれていなければオルコットと殴り合いになっていた筈だ。

 

「なるほど、お前ならそれが出来るだろう。では織斑ならどうすればいい?」

 

……なるほど、確かに戦っているのは一夏だもんな。そして、この質問の意図はそれだけではない。きっと織斑先生はこの質問で俺の"眼"を量っているのだ。俺がこの試合でどれだけのことが見えているのか、見ることができるのか。

 

「……一夏が張り付くにはやはり衝撃砲を掻い潜らなきゃいけません。それにはやはり、見えない砲身が今どこを向いているのかを理解できるようにならなきゃ無理でしょう。それに、一夏の刀はリーチがある分取り回しは良くない。流石に分割した青龍刀の二刀には敵いません。"俺が"白式を使えと言われたら勝ち筋は見えますが、今の一夏が凰鈴音に勝てるかと言われると、可能性は限りなく低いと思います」

 

ただ、と俺は言葉を続ける。

 

「前にオルコットと一夏のクラス代表決定戦の試合を見ました。最後、一夏が一撃を入れる寸前に何故か白式のシールドエネルギーが尽きた。あれは、シールドエネルギーを削るリスクがある大技をそうと知らずに使って自滅、と俺は読んでいますが、どうですか?」

 

「……よく見ているな。確かに織斑の白式には単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)があり、それは相手のシールドエネルギーを無視して絶対防御を発動させるものだ」

 

……シールドエネルギーを無視することで絶対防御を発動?どういう原理なんだ?エネルギーを無効化しているのなら絶対防御も貫通して操縦者に直接刃が通りそうなものなのだが……。

 

「……確かにそれがあれば───」

 

「───っ!?この反応は!?」

 

と、急に山田先生が叫ぶ。そして次の瞬間───

 

 

──ドォォォォォンン!!──

 

 

と、アリーナを覆っていたシールドエネルギーを突き破って何かがアリーナ内へ侵入した。

 

「何だ!?」

 

「な、何が起こったんですの!?」

 

「……リサ、ここで待ってろ」

 

「はい、お気を付けて」

 

「待て神代」

 

「……何ですか?」

 

アリーナのシールドエネルギーを突き破る何かが侵入、なんてろくな事態じゃない。それを今この瞬間まで戦闘していた2人に対処させるわけにもいかないからと俺が飛び出そうとした瞬間に織斑先生に呼び止められる。

 

「どこへ行く気だ?」

 

「アリーナですよ。このIS学園に喧嘩売る奴が普通の奴らなわけがない。そんなのを相手に一夏と凰鈴音だけで凌がせるつもりですか?」

 

教員や上級生の代表候補生を動員するにしても、その時間を稼がなければならない。それを一夏と凰鈴音だけにやらせるのは不安すぎる。ならばこの場でもっとも早く駆けつけられる人間がまず動くべきだろう。

 

「見ろ、遮断シールドのレベルは4、しかもアリーナへと続く通路にある隔壁は全て降ろされてロックされている。全てこの一瞬で行われたことだ」

 

「……だから?悪いですけど、壁は全部壊していきます。そうすりゃ増援も直ぐに来れるでしょう?」

 

話は終わりだと、俺は織斑先生の返事を聞くこともなく管制室を飛び出す。

チラリと見た管制室のモニターにはこの騒ぎの下手人が映っていたが、その姿は黒い異形だった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……来い、銀の腕」

 

俺はそうボソリと呟くと銀の腕を顕現させる。

管制室を飛び出し、まず1枚目の隔壁が目に入ったのだ。そして強化の聖痕も開き、5メートル程の助走を付けて、目の前の道を塞ぐ壁に超音速の拳を叩きつける。

そして立ちはだかる壁を破壊しまた通路を進む。その間に何枚もの隔壁が降りていたがそれらを全て腕力で叩き潰して進んでいく。

その間にもリサから逐一連絡が飛んできている。曰く、侵入したのはISと思われる人型兵器だが、シールドエネルギーによって分厚い装甲なんぞ要らないはずなのに全身装甲(フルスキン)という異形であること、そして開示義務のあるISのデータだが現状データベースにはヒットしない機体であるということ。

篠ノ之束が新たなISのコアを作らなくなって以来、新規にISを作ろうと思ったら現状ある機体をバラし、コアを初期化してから組み立てるしかない。しかしそれをすれば当然、その情報はすぐさま世界を駆け巡る。抜け駆けは許されないルールだからだ。しかし今俺達の目の前に現れた機体は完全な未登録。それはとりもなおさずこの機体がろくでもないところの出身であるということ、もしくは完全に新しいコアから作られたISである可能性の2択を突き付けているのだ。どこかの国がこれを仕掛けたという選択肢は除外だ。何故ならその行為が露見した際のリスクがあまりに高すぎる。世界各国から優秀な人材を集めたIS学園を、それも開示義務のある情報を開示せずに極秘裏に製作したISで襲ったなどとバレては世界中を敵に回すことになる。そんなリスクを取れるのは余程のアンダーグラウンドにいる奴らかもしくは───

 

 

──篠ノ之束──

 

 

もしかしたら俺達の世界で言えばイ・ウーみたいな存在がこの世界にもあって、そいつらが自分達もISのコアを作れるのだと世界に示す為のテロ行為なのかもしれない。

だがISのコアの研究は遅々として進んでいない筈だ。それを、いきなり完成させるなんて真似ができるのだろうか。それよりもむしろ、篠ノ之束が何らかの目的で新たに作ったISでここを襲ったと見る方がまだ実現の可能性としては高い。篠ノ之束は元々世界中からのお尋ね者だ。ここで多少暴れてもそう大した変化は無いはずだ。

もっとも、こちらの可能性は実現の可能性は高くとも理由が全くの不明になってしまうのだが……。

 

そうして思考を巡らせながら壁を破壊している内にようやく俺はアリーナまで辿り着いた。

そこで一夏と凰鈴音が戦っていたのは腕が不自然に大きく操縦者の輪郭も分からないほどに装甲に覆われた黒いIS。見る限り全身にスラスターが装備されており武装は両手からのビーム程度。だがその出力は高そうだ。

俺は鎧牙を起動、メイスを呼び出しながら一夏の使っていたピットからアリーナへと飛び出した。

そして即座に瞬時加速、謎の侵入者の背中へメイスを叩きつける。

 

 

──ゴッシャァァァ!!──

 

 

と吹き飛んだその黒いISへさらに追撃を加えようとした瞬間、俺のISのハイパーセンサーに新たな反応。これは……新たなIS!?

 

───ドォォォォォンン!!

 

と、砂煙を巻き上げてアリーナへと再びの侵入者が現れた。

そしてさらにその土埃の中から熱源反応、鎧牙が俺に伝えるのは新たな敵影にロックされたという報告。これは───

 

───バシュゥ!!

 

俺は咄嗟にメイスを身体の前に翳して即席の盾とした。そしてそこに飛び込んできたのはオルコットのスターライトmkⅢよりも高出力のビーム攻撃。舞い上がった砂煙が晴れるとそこにいたのは───

 

 

全身装甲ではあるものの先に襲いかかってきた奴とは対照的に、女性らしいフォルムをしたISだった。特徴的なのは頭部と見られる部分の斜め後ろ側、つまり側頭部か後頭部辺りから伸びた、人間でいやツインテールみたいな部分とその先に装着された切れ味のよさそうなブレード。オマケに今のビーム砲撃は腕部マニピュレーターからされたらしい。そしてそいつは俺の方を見ると、両手をこちらに向け、頭部ブレードもそれに合わせてゆらゆらと構えられる。その姿はどこからどう見ても双剣双銃(カドラ)と呼ばれる構えだった。

 

「……ちっ」

 

篠ノ之束にやらされた実験やISの調整の間に記憶でも読み込まれたか。あんなの、俺かリサの記憶でも読まねぇと思い付きゃしねぇだろう。

予想として選択肢には挙げていたが、これで今回の騒ぎの犯人は篠ノ之束で確定だろう。今だ目的が分からねぇのが薄気味悪いが、どうやらこれは俺のために用意されたんだろうな。

 

「一夏、凰鈴音、聞こえるか?」

 

「あぁ」

 

「えぇ」

 

「あの変なのは俺がやる。お前らはそっちのデカい方をやれ」

 

「……分かった」

 

「そうね、任せたわよ」

 

2人の返事を聞くが早いか俺は瞬時加速で双剣双銃のISの元へと飛び出した。

カチ上げるように繰り出した俺のメイスをそいつはブレードで軌道を逸らすことで躱した。

だが俺は勢いを殺すことなく、駆け抜けるようにしてその場を離脱。その瞬間には俺のいたはずの場所にそいつは両手からのビームを連射。俺が振り返る勢いでメイスを振り抜けばそれをしゃがむようにして躱し、即座に反転。両方のブレードで俺の肩を突き刺すように振るう。それを上体を逸らしつつ1歩下がって躱す。俺はそうしながら武装をメイスから2丁拳銃へと切り替える。

俺の腹を狙った射撃は両腕を外側に弾くことで射線を逸らし、俺は1歩踏み込む。ここから先はアル=カタの距離だぜ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「何ですか、あれは……」

 

真耶は管制室からの映像を見て驚愕した。

天人がようやく侵入者と対峙出来たと思ったらまた新たな侵入者が現れ、天人と戦い始めたのだ。それも、腕を4本にするのではなく、頭部にブレードを装備した異形のIS。あんなのを動かそうと思ったら、()()()()()()()()()感覚でも掴まなければまともに動かせなさそうだった。

 

だが現実問題として、2機目の侵入者はその異形の装備を十全に操っているようだ。

それに、天人も侵入者も戦い方が普通ではない。どちらも両手に構えているのは射撃武装なのに何故かお互いに近接格闘戦を繰り広げているのだ。それも、その中に射撃武装すらも組み込んで操っている。お互いのそれを肘で逸らし、掌底で跳ね上げることで射線を通さない。そうして弾かれた手から放たれた弾丸やビームが輝く短剣か槍かのように煌めいている。だが、両手足に加えて頭部のブレードまで動員している侵入者と手足しか戦闘に使えない天人では手数に圧倒的な差がある。そもそも、この近接格闘で2本のハンデを抱えながらこれまで数分もの間拮抗している時点で天人の接近戦の強さは尋常ではない。

 

この異様な戦いは天人の方から仕掛けた。つまり拳銃を近接格闘戦に組み込むという特異な戦闘スタイルは本来天人のもので、侵入者はそれに合わせて戦っているはず。最初に真耶はそう考えていた。だが───

 

「……順応や反応ではない、ですよね」

 

侵入者の戦い方は最初から戸惑いなんて見えなかった。見知った戦い方だとでも言うのか、まるで機械のように反応し、そしてまさしく同じような戦い方を選択しているのだ。

そう、例えるなら同じ流派の武闘家の試合のように。

 

セシリアと箒は既に管制室にはいない。いつの間にやら姿を失せていたのだ。しかし、どうせ行先は分かっているからとここまで千冬は放置していたのだ。そして、真耶の疑問に答える。

 

「おそらく、これが神代の言っていた武偵とやらの戦い方なのだろう」

 

「神代くんはともかく、それなら何故向こうも同じような戦い方を……」

 

そう、別の世界の戦闘スタイルであるアル=カタを何故こちらの世界の産物であるISで再現しているのか。そこが疑問なのだ。もっとも、世界中のデータベースに載っていない機体だということが判明した時点で千冬には犯人がおおよそ分かっていた。ただそれを真耶に伝える気が無いだけだ。

 

そして戦闘は更に混迷を極める。そう、また別の乱入者が現れたのだ。それは───

 

 

 

───────────────

 

 

 

このIS、双剣双銃のアル=カタを使いやがる。しかもその技術はアリア並。つまり理子とアリアの良いとこ取りをした戦闘力。それをISの基準でやりやがるのだ。戦闘技術じゃ俺はアリアには勝てない。つまり、ここでアル=カタでの勝負に拘っても俺に勝ち目は無い。そこまで把握し、俺が戦い方を切り替えようとしたその時───

 

 

 

「何をやっている一夏!!男なら……男ならその程度の壁は乗り越えて見せろ!!」

 

 

 

いきなり何事かと思ったらこの大声の犯人は篠ノ之箒だった。

どうやら先生をぶっ飛ばして放送席を占拠、そこのスピーカーで一夏に激励染みた事を叫んだらしい。しかしその声にいの一番に反応したのは俺達じゃない。侵入者その1だ。

そいつは篠ノ之の方へ腕を向けると躊躇いなくビームを発射する構え。俺は間に割って入ろうとするがこのアル=カタ使いの双剣双銃に阻まれて向かえない。ISも纏わずに出てきた馬鹿が死んだ───そう思った矢先だった。瞬時加速でも使ったのかとんでもない速度でそのISの腕を切り落とした。そして───

 

 

──ドォォォォォンン!!──

 

 

別方向からのビーム射撃。ハイパーセンサーで意識だけ向ければそこにいたのはブルー・ティアーズを纏ったオルコットだった。それにより大打撃を受けたその機体はしかし、油断した一夏に特大の最後っ屁を仕掛ける───!!

 

爆発。

 

一夏が相打ち覚悟で突貫したのだ。もうああなってはどちらも無事じゃあ済まないだろう。だがこちらが1対2に追い込まれないのならそれでいい。ISには搭乗者保護機能が着いているから、一夏も怪我はしても命に別状は無いはずだ。なら俺は、このアル=カタ使いを叩き潰すことに集中する。

 

俺は半身になり相手の射撃を躱しつつ右手の拳銃を刀身が黒く塗られた近接ロングブレード──黒覇──へと切り替える。刀身だけで2メートルはあるそれを逆手に持ち、肘打ちをするように斬り上げる。それを向こうも1歩下がって躱すが俺はそのまま踏み込み上から刀を突き刺す。当然それもさらに下がることで躱されるがそれでもいい。俺は地面に突き刺した黒覇を順手に持ち替え、召喚時点から働かせていた()()()()()()()()()()()()振り抜く。奴はそれも後ろに下がることで回避しようとするが───

 

 

──ドッッッバァァァァ!!──

 

 

と、()()()()()()()()()()()()がそのISの装甲を斬り裂く。

これが俺のISに積まれた唯一のエネルギー武装。

この黒覇には超圧縮したエネルギーを刀身から解き放ち、()()()()()()ことが出来る。

その威力は並のISなら一撃で破壊することが可能だが、当然フルパワーで放つには相応のエネルギーと溜める時間が必要になる。刀の柄にもそれ用のエネルギーはチャージしてあるのだが、これを全て使っても臨界時の半分程度の威力も出せない。一応、エネルギーを飛ばさずに刀身に纏わせて斬れ味を上げる使い方もできるので、こちらはほぼそれのためにあるようなものだ。

 

そして、この大飯喰らいがこの戦いで俺がこの機能を使うことを躊躇った理由。

向こうの手の内が分からないのにこんな大技を使って、それが防がれた時には俺は残り少ないエネルギーで戦わなくてはならない。別に、ISなんて無くとも俺には聖痕があるのだからコイツを倒すだけなら可能かもしれない。しかし、ここには一夏や凰鈴音がいる。コイツらの目の前でISを使わずにISを倒すなんてことをしてしまえばどんな騒ぎになるか知れたものじゃない。

また、強化の聖痕ならISのパワーアシスト以上の力で腕を振るえるから、ISを装備したままでも力押しは可能だ。

けれどいきなりカタログスペック以上の出力で戦うのもやはり人目がある以上は避けたい。まぁ、腕力には使わなかったが反応速度では強化の聖痕に頼ってはいたのだが……。でなきゃアリアと理子の良いとこ取りの双剣双銃のアル=カタ戦闘になんて着いていけないからな。しかし……。

 

「……無人機か、これ」

 

()()()()()()()()()()()()()機体を見て、俺は思わず呟いた。

想定はしていた。篠ノ之束は破天荒で無茶苦茶で他人なんてほぼどうでも良いと思っている奴だが、誰かの犠牲を強いるやり方は好まない。というか、そういうのは本人の美学に反するのだとか。それだけは数ヶ月の短い共同生活で充分に分かっていた。

だがまさか無人機でここまでの動きをやらせることが可能な程に隔絶した技術を持っているとは思わなんだ。いや、ISなんてものを1人で作り上げたのだから、さもありなん、と言うべきか。

 

兎にも角にも、世界中から人の集まるIS学園相手に喧嘩を売るなんていう馬鹿げた騒動は、これにて一旦の決着をみることになった。

この事件で確かなのは、きっとそれだけだった。

 

 

 



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お前みたいな奴はこれで2人目だ

 

あの騒動を巻き起こした謎のISのコアは未登録だったらしい。その上無人機。当然俺達には即座に箝口令が敷かれた。

 

しかし、そんなことは授業には関係無いわけで、俺達は今日も今日とてISの知識を頭に叩き込まれていく。

 

「ISスーツは肌表面の微弱な電位差を検知することで操縦者の動きをダイレクトに各部位へと伝達───」

 

うん、ISスーツの果たす機能は知っている。そこら辺は篠ノ之束に教もえこまれたからな。

 

「───また、このスーツは耐久性にも優れ、一般的な小口径拳銃の弾丸程度なら完全に受け止められます。あ、衝撃は消えませんのであしからず」

 

おや、そんな機能まであるのか。それは篠ノ之束は言ってなかったな。

スラスラと、ISスーツについて語ってくれたのは山田先生。俺達が朝の教室でISスーツの話をしていたらちょうどホームルームの時間が近づいてきたらようで、ひょっこりとやって来たのだ。

 

「あ、山田先生。ISスーツについて質問があります」

 

手を挙げて質問すれば山田先生はそれはもう嬉しそうに「何ですか、神代くん、先生何でも答えちゃいます」と満面の笑みを浮かべている。

 

「一般的な小口径拳銃を受け止められるとの事でしたが、具体的には何口径までですか?小口径と言うのだから.45ACP弾は無理だとは思いますけど、9ミリルガーまでですか?それとも32口径までですか?」

 

「え、えぇと……」

 

おや、山田先生の目が泳いでいる。どうにも具体的な口径までは知らないっぽいな。

……うーん、けどここの学校の制服は防弾性じゃないし、ボディアーマーとして着れそうなら念の為着ておきたいんだよな……。何せこのISスーツ、着心地はすこぶる良い。制服の下に着ていても違和感が無いのだ。流石に異世界じゃTNKワイヤーで縫製された布は手に入らない、ISスーツが代わりになるのなら大歓迎なのだ。

 

「衣類にも当然のように防弾性を求めるのは世界でもお前だけだ。……さて、時間だ。席に着け」

 

と、今度は織斑先生がやって来た。ということはもう本格的に朝のSHRの時間だ。仕方ない。これはまた今度だな。

 

「はい」

 

俺は大人しく返事を返して席に着く。態々出席簿で叩かれる必要もない。

他の奴らも各々席に戻ったところで山田先生が教卓に立つ。そして───

 

「今日はなんと、転校生を紹介します!それも2人!!」

 

山田先生のその言葉に教室が色めき立つ。俺としてはこんな変な時期に転校生?と思わないでもなかったが武偵校じゃ時々ある話だ。だが一気に2人か。何か、作為的なものを感じるな。

 

だがそう思ったのも束の間。俺の予想は確信へと変わる。何せ教室に入ってきた転校生2人、その内の1人はなんと、男だったのだから───

 

「シャルル・デュノアです。こちらに僕と同じ境遇の方達がいると聞いて本国から来ました。よろしくお願いします」

 

アルトボイス、とでも言えるのだろうか。高校生の男の声、というより女の声に聞こえるその自己紹介で発せられた名前に俺は少しばかり心当たりがあった。

シャルルは確かフランス語の男性名だったはずだ。そしてデュノア。この苗字はもしかして、フランスのIS企業であるデュノア社か?しかし、男、ねぇ。俺や一夏の時は世界中が大騒ぎだったみたいだが、3人目の男性操縦者が現れたにしては世間の反応は薄かった……というか、そんな話は一切出ていなかったぞ。まぁ当然、隠していたとも考えられるが……。

 

ちなみにここまでの思考は全て耳を塞ぎながら行っている。何せこのデュノア、濃く綺麗な金髪で、顔は女みたいに綺麗だし線は細いしで纏う雰囲気も紳士のそれ。つまりここの肉食系女子達は大騒ぎなのだ。

そして、この教室のドアをデュノアが潜った瞬間にはそれを予想出来た俺は即座に両耳を塞いだ。

織斑先生の一件で学んだからな。人間は学習する生き物なのだ。

 

で、そのバカ騒ぎを織斑先生が黙らせてもう1人の自己紹介へ。

 

「……挨拶しろ、ラウラ」

 

「はい、教官」

 

「教官は止めろ。私はもうお前の教官ではなくここの教師だ。織斑先生と呼べ」

 

「了解しました」

 

ラウラと呼ばれたその女は踵を揃えて背筋を伸ばし、片手で敬礼。明らかに軍人だ。

ここの制服は改造が自由だからってどう見ても軍服をイメージしたズボンを履いているしな。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」

 

それだけらしい。この銀髪赤目に片目眼帯の背の低い女はまるで氷のようだった。名前だけ告げると即瞑目。お前らとは関わりません、みたいな雰囲気を醸し出している。だが、ふと目を開け目の前の一夏の存在を認めると───

 

「お前が……」

 

小さく呟きツカツカと歩み寄ってくる。そして右手を振り上げ───

 

「───ぐぇっ!?」

 

一夏の間抜けな声と共に振り抜かれたボーデヴィッヒの平手は宙を叩くだけ。本命の一夏の顔面は赤くはなっているがそれは俺が後ろから襟首掴んで引っ張ってるから。叩かれる予定だった左頬は無事だ。

 

「……貴様」

 

空振りを俺の仕業と認めたらしいボーデヴィッヒがその燃えるように赤い瞳で冷たく睨みつける。

けどそういうの睨むのとか、蘭豹の方が怖いんだよね。

 

『ドイツ軍じゃ、初対面の人間の頬を殴るのが伝統的な挨拶なのか?』

 

俺は挨拶代わりにとドイツ語で話しかける。コイツの名前的にも、織斑先生を教官とか言ってたところからも、こいつの出身はドイツ軍だろうからな。

織斑先生がドイツ軍にいたというのは篠ノ之束から聞いていた。理由までは適当にはぐらかされたけどな。

 

『……篠ノ之束の秘蔵っ子か。私の邪魔をするようなら貴様も潰す』

 

しかし、せっかく母国語で返してやったのにボーデヴィッヒはそんな大層なご挨拶で返して後ろの方に用意された自席へと歩いていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

今日は朝からグラウンドでISの模擬戦なんだとか。なので俺達はシャルルを連れて急いでグラウンドに集まったのだが、シャルルの様子がおかしい。男子はアリーナの更衣室で着替えたのだが、取り敢えず急ぐのでそこまでシャルルの手を引いて走っていたが、手を繋ぐだけで頬を赤らめるわ着替えするだけなのに照れまくるわで、何だか男に全く免疫の無い女子と接している気分だった。というか、この反応には見覚えがあるぞ。ちょうど俺とリサがこっちに来る前に武偵校の俺達のクラスに転入してきたワトソンと同じなのだ。そしてアイツは性別を装った転装生(チェンジ)だった。このシャルルもそうなのではなかろうかという疑問がふつふつと沸いててきていた。これは一応、調べた方がいいかもな……。

 

 

そしてそんな疑問を胸中に抱えつつグラウンドに集まった俺達。しかし、上から空気を切り裂くような甲高い音が聞こえてきたと思ったら───

 

「わぁぁぁぁ!!どいてくださぁぁぁぁい!!」

 

空から女の子が降ってくると思うか?いや、山田先生を女の子扱いは失礼だ。キチンと大人の女性として扱わねば。いやいや、そうではなく今はISを纏って降ってくる山田先生を避けなければ!!

 

俺は近くにいたリサを抱えながらダイブ。その背後でISが地面に墜落する爆音を聞きながら2人に付いた土埃を払う。

このISスーツ、女物は競泳水着みたいな形状をしているのでいくら俺とリサの関係とは言え多少は気を使う。男物は首から足首まですっぽり覆われているから何でもないんだけどな。

 

「ありがとうございます。天人様」

 

「気にすんな」

 

俺の手を取って握り締めるリサの、その両腕に挟まれた双丘に思わず視線が吸い込まれるがそれをどうにか振り払い。キチンと目を見る。

ISを扱う時はその長い髪を後ろで束ねているリサのあまり見られないポニーテールに付いた埃も払ってやると、どうやら理子的に言えばラッキースケベなイベントに遭遇したらしい一夏がオルコットと凰から攻撃を受けていた。しかしあの2人、まだ一夏はISを展開していないのにISでの攻撃とか、流石に駄目じゃないか?アリアもよくキンジに発砲しているけど、それだってキンジの服装はある程度考えて撃ってるぞ。

 

しかし、血気盛んなところは織斑先生の授業で発揮したって意味が無い。どちらかと言えば、お仕置きの対象になるだけだ。

模擬戦の組み合わせは結局、山田先生とオルコット・凰ペアの1VS2でやることになった。織斑先生に何を吹き込まれたのやら、渋々といった体だったのが急にやる気を出した2人。しかしその試合は結局山田先生の圧勝に終わった。

 

「IS学園の教師の実力がこれで分かっただろう。以後、教師には敬意を持って接するように」

 

それにしても山田先生の戦い方は上手だった。オルコットと凰の連携の不備や武装の特性をしっかりと把握し、派手な兵器こそ積んでいないもののしっかりと奴らの弱点に効果的な攻撃を仕掛けていた。つまり、戦い慣れしているのだ。そりゃああの2人じゃ敵わないわけだな。当然操作技術だって図抜けていたのだし。

 

「さて、では模擬戦も終わったことだし、今から操縦訓練に入る。専用機持ちは織斑先生、オルコット、ボーデヴィッヒ、デュノア、神代、アヴェ・デュ・アンク、凰だな。では4人グループに別れて実習を行う。各グループリーダーは専用機持ちがやること。では分かれろ」

 

4人グループだっつってんのに一夏とデュノアの方に女子が殺到。あと何故か俺の方にも割と人間が集まってくる。その様子を見た織斑先生は頭が痛くなったのか指でこめかみを押さえている。

気持ちは分かりますよ……。

 

「……出席番号順に分かれろ」

 

その織斑先生の声に女子達は渋々グループに別れ始めた。俺は自分のグループの奴らの顔を確認して訓練機を取りに行く。俺のグループには2組の子が多いみたいだった。

しかしこの訓練機、カートに乗せられてるんだけど重いんだよな。さすがに。

 

俺がえんやさほいやさと今日の実習用の機体──ラファール──を取って戻ってくると、さっき注意されたばっかりの女子達はまた何かに気を取られているみたいだ。何やらこちらを見てヒソヒソと話している。……何か付いてるのかな。

 

「……何か付いてる?」

 

俺がどうしたのか聞けば、グループの女子達は一斉にこちらを向き、右手を差し出して頭を下げる。……何だそれ。

 

「2番目でも良いのでお願いします!!」

 

「「「お願いします!!」」」

 

「……は?」

 

思わず頬が引き攣る。すると、一夏とデュノアの方でも同じように右手を差し出され頭を下げられていた。第一印象から決めてましただのなんだのと言われながら。……なるほど、そういうことか。別に俺はそういうのを否定する気は無い。俺だってリサのこと大好きだし隠す気も無いからな。けどこういうのはな……。少し、強く言った方が良いかもしれない。

 

俺が鎧牙の右腕を部分展開しようとした時───

 

──スパパパパァン!!──

 

と、織斑先生の出席簿アタックが炸裂した。

デュノアに頭を下げている奴らの後頭部に。

並んでいるからさぞ叩きやすかっただろうな……。

 

「……ISを担いでグラウンド100週走らされたくなければ真面目にやれ」

 

「……はい」

 

その様子を見た一夏と俺のグループの女子もサッと顔を上げて「さぁやるぞ」みたいな空気を出し始めた。……最初からそうしろよ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

その日の昼休みは1組と2組の専用機持ちで集まって屋上で食べることになった。もっとも、ボーデヴィッヒには誰も声を掛けていないらしいのだが。

俺はその昼時にもこっそりとデュノアを観察していた。リサにも頼んで女の子側の目線からも見てもらっている。デュノアが転装生だった場合、そこには何かしらの思惑があるわけで。それが俺や、特にリサを害するものだった場合には速やかに排除しなければならないからな。

 

で、俺は放課後の夕飯前の時間にデュノアを俺の部屋に呼び出してある。デュノアがどっちなのか確かめるために。もっとも、俺とリサの意見はほぼ同じ。少しデュノア社のことも調べたが結局それは俺達の結論を裏付けるものでしかなかった。

 

コンコン

 

と、控えめなノックの後にデュノアのアルトボイス、変声期前の男と言うよりはむしろ、変声期後の女のような声が聞こえてきた。

 

「天人、いる?」

 

昼くらいから俺、というか皆のことを名前で呼ぶようになったデュノアがドア越しに俺を呼ぶ。

 

「あぁ、鍵は空いてるから開けていいぞ」

 

ガチャリとドアを開けて入ってきたデュノアは紺色にオレンジのラインの入ったジャージの上下を着ていて身体のラインが分かりにくい。そもそもISスーツなんていうほぼ水着を着ているに等しい格好ですら女の身体だと分からないようになっていたのだから普通の部屋着であればそりゃあ分からないか。

 

「悪いな。ちょっと他の奴らには聞かれたくなかったんだ」

 

ポンポンと、俺の向かいのベッド、要はリサの使っている方のベッドを軽く叩いてそっちに座れと案内する。リサは俺の隣にいて、ニコニコと微笑んでいるだけだ。

 

「何かな、ISのこと?」

 

「あぁ、そうなんだよ。()()()()()()

 

デュノアが座ったことを確認して俺はデュノアのことをそう呼ぶ。すると、デュノアはビクリと肩を震わせてしまった。……マジか。

 

「な、なんの、こと……?」

 

「動揺しすぎだよ。……まさか、名前まで当たるとは思わなかったけどな」

 

シャルルは男性用の名前、そして同じ意味での女性用の名前はシャルロット。正直皮肉のつもりでそう呼んだのだが、まさかそんな安直な名前でここに来ていたとは思わなかったぜ。

 

「いや、だから───」

 

「バレないとでも思ったか?お前が()()()()()()()()()分かってんだよ」

 

「い、いやいやいや!何を根拠に───」

 

「根拠、ねぇ……」

 

「え……キャッ!?」

 

根拠と言われれば俺はコイツの服を剥くしかない。確信はあったが証拠は無い。これで外れても男同士なら悪い冗談で済ませられる。俺はデュノアを押し倒しながら着ていたジャージのジッパーを下げ、さらにその下に着ていたシャツも捲り上げる。すると露わになったのはデュノアの胸にキツく巻かれていたコルセットのようなものだった。

 

「……これを剥がされたくなけりゃ正直に話せ」

 

俺の下に組み伏せられているデュノアはもう既に涙目だ。服を剥かれた恥辱に頬を赤く染め、弱々しく俺を睨むだけ。

 

「話すから……お願い……見ないで……」

 

俺も別にこれ以上乱暴にする気は無い。パッと手を離し、捲り上げたシャツも下ろしてやる。

 

「俺もお前に何か乱暴しようってわけじゃない。……悪かったな、怖かっただろ」

 

デュノアが何で男の振りをしていたのか何となくの想像は着いていたから俺も素直に頭を下げる。

 

「……騙していた僕も悪いから」

 

「……じゃあこれは手打ちってことで。……先に言っておくが、俺はお前が女だってことは他の奴には話す気は無い。これは約束する」

 

「どうしてそこまで……」

 

「お前が男装してる理由に察しがついてるからな」

 

「そっか……何で、分かったの?僕がその……女だってこと」

 

「お前みたいな奴はこれで2人目だ。IS学園じゃない別の所で、だけどな。だから俺はお前の顔を見た時からずっと疑ってたし観察してた。お前がこの部屋に来る前にデュノア社の業績も調べた。……ま、表に出てる数字だけだけどな」

 

逆に言えば、それだけで分かるほどにデュノア社は切迫していたのだ。そんな中でいきなり世界3人目の男性操縦者なんてのが現れたらそりゃあ疑う。

 

「そう、なんだね。……うん。話すよ。全部」

 

そこからデュノアはポツリポツリと話し始めた。本当の名前はシャルロット・デュノアであること。自分は父親こそデュノア社社長だが正妻の娘ではないこと。本当の母親は既に亡くなっていること。デュノア社が業績不振により危機に陥っていたこと。そしてISに適性のあったデュノアを男と偽ってIS学園に入れ、俺や一夏、他の専用機持ちのデータを盗んでくるように言われたこと。それを命じたのは父親だということ。

 

「で、お前はこれからどうするんだ?バレましたって言って帰っても、ろくな目に遭わねぇのは分かるだろ?」

 

このまますごすごと帰ったところで消されるだけだろう。だが俺はコイツらの計画に協力してやる気は更々無い。俺やリサのISのデータくらい、渡してやってそれで全部解決するならそれでもいいが、それをすれば今度は俺達が篠ノ之束に何を言われるか分かったものではない。アイツは俺はともかくリサにはさほど興味が無いからな。俺に対してだって異世界から来て男なのにISを動かせるから実験体としての興味が出ているだけであって、最悪消すことに躊躇いはないだろう。そうなりゃかなり面倒なことになるからな。

 

「うん……」

 

「天人様……」

 

横で、それこそデュノアが剥かれ掛けた時ですら黙っていたリサが口を開く。ただ俺の名前を呼び、そしてジッと俺の目を覗き込んでくる。リサが俺に何て言ってほしいかなんてそれだけで手に取るように分かるよ。

 

「……このIS学園は周りからの干渉を受けないルールだ。それは企業だって例外じゃないし、例えそれが親だとしても、お前が嫌だと言えば戻る必要は無くなる」

 

「……天人」

 

「お前がここでどう生きるかはお前次第だ。今のまま、性別を隠していくのも俺は良いと思う。もちろん、明かしてもな。俺の目の届かない所でなら一夏や他の専用機持ちのISの情報だって持ってけばいいと思うしな」

 

別に、俺はデュノアがどうなろうが、そしてこれからどうしようかなんてものにはそれほど興味は無い。そこまでコイツと仲良くなったつもりはないし、リサに危害を加えるつもりがないのならそれでいい。だがリサはそうでもないらしい。同じ女同士何か思うところもあるのだろう。もしかしたら、イ・ウーで突撃要因として駆り出されたこともある自分と、親の都合で性別を偽らされてまでここに来させられたデュノアを重ね合わせているのかもしれない。

 

「……天人は───」

 

「あん?」

 

「天人は、怒らないの?僕は皆を騙してたんだよ?」

 

「言ったろ、理由は察してたって。それにな、武偵なら騙される方が悪い」

 

「……ブテイ?」

 

「……いや、それはこっちの話。ともかく、行く場所が無ぇって言うならここに居ろ。俺もリサもお前の味方だし、織斑先生もあれでかなり甘いからな。きっと悪いようにはしねぇよ」

 

確かに俺はコイツがどうなろうとそれほど興味もない。だけど助けてほしいと言われてすげなく断るほど嫌いでもない。だからま、こうして助け舟くらいは出してやるよ。

 

な、とリサに振ればリサも勿論ですと強く頷く。それを見たデュノアは目に涙を溜めて……。

 

「本当にいいの……?僕、ここにいて良いの?」

 

「あぁ。お前はここに居ていい」

 

「デュノア……いえ、シャルロット様……」

 

スッと、リサが両手を広げる。何でも受け止めてくれる慈愛と包容力を持った聖母のような頬笑みを浮かべれば、デュノアはそのままリサに飛び付き、今までの鬱屈を解き放つかのように泣きじゃくった。

さて、女が泣いているところを眺める趣味も無いし、俺はしばらく席を外すか。

 

 

 

───────────────

 

 

 

そういや腹減ったなと思いながらもリサを置いて行く訳にもいかずにフラフラと寮を彷徨っていると、食堂で飯でも食ったのか、向こうからボーデヴィッヒが歩いてきた。その銀髪が廊下のライトの光で輝く。もうちょい手入れすればジャンヌと良い勝負になりそうな髪の毛なんだけどな。まぁ、本人に着飾る気が無いというのなら俺から何かを言う権利も無いけどな。

 

『よぉボーデヴィッヒ。飯でも食ってきたのか?』

 

すれ違う時に、制服のズボンに、タンクトップというラフなんだかそうじゃないんだかよく分からん格好をしたボーデヴィッヒにまたドイツ語で声をかける。

 

「私は日本語も喋れる。馬鹿にしているのか?」

 

だが返ってきた答えは随分と辛辣だった。

そんなんじゃ友達出来ねぇぞ。俺も人のこと言えたもんじゃないけどさ。

 

「知ってるよ。単に話のきっかけにしようとしただけだ」

 

「ふん、貴様と話すことなど……いや、そうだな……1つ聞きたいことがある」

 

へぇ、俺はてっきり話すことなど何も無い!って言われるかと思ってたよ。ていうか、実際言われかけてるし。

 

「なんだ?」

 

だがコイツからこういう普通のコミュニケーションを取ろうという動きはかなり貴重な気がするので俺としては歓迎だけどな。

 

「お前はISを何だと思っている」

 

「何って……そうだな。俺はISを兵器だと思ってるよ。拳銃や、ミサイルと同じ。それだけだ」

 

「……そうか」

 

と、ボーデヴィッヒはそれだけ返すと踵を返し、スタスタと歩いて行ってしまう。え、本当にそれだけ……?もうちょい何かないの?聞いてきたのお前だろうに……。

 

「えぇ……」

 

長い銀髪が歩みに合わせて左右に揺れている。それをただボウっと眺めながら、ホントに1人残された俺の右手は空中を所在なさげに彷徨うのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「一夏がオルコットさんや凰さんに勝てないのは射撃武器の特性を把握してないからだよ」

 

シャルル達が転入してきて5日ほど経ったとある土曜日。IS学園の土曜日は午前中に座学、午後はフリーだ。しかし、アリーナが全面開放されるとあって基本的にはISの操縦訓練にはうってつけである。俺もその例に漏れずに一夏やシャルル達とアリーナへ集っていた。もっとも、リサはISと武装の展開を手早く行えるようになった時点であまり来てはいない。本人に戦う気は無いし、俺も戦わせる気は無い。例えISなんてものを与えられてもそれは変わらない。

 

そんな中で今日は一夏の訓練としてシャルルと模擬戦を行ったのだ。その中で今はシャルルが見つけた一夏の課題をレクチャーしている。結局シャルルはしばらくは男のままで通すことにしたらしい。まだ打ち明ける勇気が出ないんだとか。まぁ焦る必要もないだろうし、変な形でバレなきゃ大丈夫だろう。

 

「そうなのか?一応は分かってるつもりだったんだが……」

 

「……1発撃たせた方が早いんじゃねぇか?」

 

実は俺は一夏の訓練に付き合うのは初めてだったりする。それまでは基本的にはリサと2人だけでずっとやっていたからな。最近はシャルルとはやるようになったけど。

 

あの無人機襲撃事件の折、オルコットに「リサ以外とコミュニケーション取らねぇじゃんお前」的なことを言われて割と心に大怪我を負った俺はこうして少しずつ交友を広げていく努力をしているのだ。ボーデヴィッヒにちょこちょこ構うのもその一環。この前昼飯に誘ったらすげなく断られたけど。そのうちまたリベンジする予定だ。

 

「そうだね。多分一夏は知識として知ってるってだけなのかな。さっき僕とやった時もほとんど間合い詰められてなかったし」

 

「確かに、瞬時加速も完璧に読まれてたな」

 

「うっ……」

 

「お前の瞬時加速はただでさえ直線的なんだから、当てるだけなら簡単なんだよ。だからなるべくタイミングとか使い所を考えなきゃいけないんだけど……。それを考えるためにはまず銃火器がどんなもんかを知らねぇと話にならんぞ」

 

「天人も手厳しいな……」

 

「あ、でも瞬時加速中は無理に軌道を変えない方が良いよ。空気抵抗とか気圧とか、凄い負荷が掛かるから、最悪骨折したりしちゃうから」

 

確かに、瞬時加速は身体にも相当な負荷が掛かる駆動だ。だけどそこまでだったとは知らなかった。何せ───

 

「……俺、瞬時加速だけでアリーナ1周とかやってたんだけど」

 

「……え?」

 

「……神代さん、前から思っていましたが貴方、どんな鍛え方をすればそんな丈夫な身体になりますの?」

 

ちょっと遺伝的な形質のあれそれで超音速駆動には慣れてますの。なんて言えるはずもなく、俺はオルコットの質問には「気合いで」としか答えられなかった。

 

あはは……と苦笑いをするシャルルはしかし、気を取り直して一夏へのレクチャーに戻る。その際に一夏のIS白式に武装を後から追加するための容量が無いこと。既に唯一単仕様能力が発現している異常性、それも姉の織斑千冬と同じものが発現している不可思議さ等が語られた。そして、取り敢えず射撃武器の練習だけでもしようとシャルルがアサルトライフルの使用許諾(アンロック)を出した。そして、それにより人の武器を使えるようになった一夏は白式でそのライフルを構える。

 

「火薬銃だから瞬間的には大きな反動がくるけど、そのほとんどはISが自動で相殺してくれるから大丈夫。センサー・リンクは出来てる?」

 

「……待てシャルル。反動ってISが消してくれるのか?」

 

俺のISはそんなもの消してくれない。俺がこのISで銃火器を使う時は生身の肉体で人間用の銃火器を扱う時同様に自分の技量で反動を制御していたのだが……。あとセンサー・リンクなんてものも無い。存在は聞いたことがあるが、俺の鎧牙にはそんなものは働いていなかったので篠ノ之束が付けていないのだと思っている。

 

「え……天人、普通に火薬銃使ってたよね……?」

 

「うん。よく使うな」

 

「えと、反動は……?」

 

「自分で抑えてた」

 

「ちょっと待ちなさい。あんた、拳銃使いながら近接格闘してなかった?」

 

アル=カタを使ったのはあの無人機相手の時だから凰も見ていたのだろう。うん、その時も普通に自分で押えてましたよ?だって鎧牙はそんな気の利くことしてくれないし。

 

「ISのだって普通の拳銃だって反動の抑え方なんて一緒じゃんよ」

 

「それだと拳銃を撃ち慣れているように聞こえるが……」

 

「……シャルル、センサー・リンクも見当たらないんだがどれだ?」

 

これ以上の追求は色々不味いので話題を逸らさせてもらう。本当のことを話しても信じてもらえる気はしないし銀の腕を見せるのもここじゃあ余計な騒ぎになるだけだ。だからって上手い嘘が付けるとも思えないしな。

 

「え、あぁ……えっと───」

 

 

 

シャルルに教わりつつどうにかセンサー・リンクの導入には成功した。反動の自動制御の設定もあったにはあったので試しに入れてみたが、どうにもその感覚に慣れなくて結局手動で制御することにした。ま、こっちの方が慣れてるしやり易いからな。

 

そして、シャルルから借りたアサルトライフルの弾丸をワンマガジン分丸ごと一夏が撃ち尽くしたところてまアリーナがにわかに騒めき立つ。

 

「うそ、あれってドイツの第三世代型の……」

 

「まだロールアウト前って聞いてたけど……」

 

アリーナの逆側から現れたのは黒を基調に赤いラインの入ったISを纏ったボーデヴィッヒだった。長い銀髪と赤い瞳に整った顔立ちが醸し出す超然とした雰囲気は神秘的と言っても過言ではなく、何処か近寄り難い印象を俺に与える。

 

「織斑一夏だな」

 

「……なんだよ」

 

ボーデヴィッヒは真っ直ぐに一夏を見据えるが、初対面でいきなりぶん殴られそうになったからか、一夏の方は珍しく歯切れが悪い。

 

「私と戦え」

 

「嫌だ。理由が無ぇよ」

 

「お前に無くとも私にはある。……そうだな、戦わざるを得なくしてやろう」

 

その言葉を発した瞬間にはボーデヴィッヒのISの右肩に装備された大型のレールカノンが一夏に照準を合わせる。そしてそこから即座に放たれたのは殺意の込められた弾丸で───

 

 

──ッドォォォン!!──

 

 

だがその殺意は一夏に届くことはなかった。発射される寸前に俺はアサルトライフルを呼び出し、レールカノンが放たれた瞬間には既にこちらも弾丸を吐き出してボーデヴィッヒの眼前でその砲弾を炸裂させたのだ。

 

「貴様……」

 

煙が晴れ、その中から現れたボーデヴィッヒとIS──シュヴァルツェア・レーゲン──にはそれほどダメージは入っていないようだった。あの距離での爆発だったのに中々やるなぁ……。

 

「仲良くしろ、とは言わねぇし、ただの喧嘩なんて止める気も無ぇけどさ、ここでやることでもねぇだろ」

 

土曜日のアリーナは人が多い。それに加え、世にも珍しい男性IS操縦者が3人も集まっているからか、俺達のいるアリーナには人間が殺到しているのだ。いくら皆ISを纏っているとは言え、専用機持ちがISを使って喧嘩するにはここは少しばかり狭過ぎる。

 

「それはともかくさ、今日夕飯一緒に食わねぇか?もちろんリサもいるから2人じゃないぞ」

 

「断る」

 

「こらぁ!そこの生徒!!何をやっている!?学年とクラス、出席番号を言いなさい!!」

 

あえなく断られた瞬間、どうやら今日のここの担当の先生らしい人から通信で怒号が飛んでくる。それを聞いたボーデヴィッヒもやる気が削がれたのか無言のままこちらに背を向け、ピットへと帰っていった。多分向こうじゃ先生が鬼の形相で待っているんだろうが、あの性格じゃ丸っと無視してしまうんだろうな。

 

「4時……アリーナの閉館時間だな。俺達も帰ろうぜ」

 

とは言えもうすぐアリーナも閉まる時間だ。俺も、一夏達を促してピットへと帰ろうと提案する。

 

「……あぁ、シャルル。ちょっと武器のことで相談があるんだ。……一夏達は先に着替えて帰っててくれ」

 

「あぁ、分かった。お疲れ様」

 

「そうだな。私達も帰ろう。お疲れ様」

 

「そうね、お疲れ様」

 

「お疲れ様ですわ」

 

「うん分かった。お疲れ様」

 

そして俺達(表向き)男子チームとオルコット達女子チームでそれぞれ別方向のピットへと向かう。

 

「……相談って?」

 

そしてピットから更衣室へ戻ったところで少し席を外して俺達はやたら大きいロッカーの影に入る。

 

「別に、一夏と一緒じゃお前着替え辛いだろ。俺もあっち行ってるからお前ここで着替えてろ」

 

「え、あ、ありがと……」

 

すると、気遣われたことが嬉しかったのかシャルルは少し頬を染めて縮こまる。……こうして見ると小動物みたいだなコイツ。

 

「気にすんな。じゃあ先行ってる」

 

「うん、ありがとね」

 

2度目の礼には手を挙げるだけで終わらせる。まぁ俺は基本的に汗拭いて制服着ちゃえば着替え終わりなんだけどな。

 

 



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白・黒・灰色

 

シャワー浴びて、さてそろそろ夕飯でも食うかと思った矢先に話があると、俺とリサは一夏の部屋に呼ばれた。割とマジなトーンだったのでまぁ仕方ないかと夕飯は後回しにして彼とシャルルが入っている寮の部屋へと向かい、ドアをノックして声を掛ければ鍵は空いてるから入っていいぞと奥から一夏の声が聞こえた。

 

「どうした?」

 

と、俺がドアを開けて部屋に入ればこちらに背を向けてベッドに腰掛ける一夏と、その向こうでイヤに落ち込んだ雰囲気を醸し出しているシャルルがいた。というか、ジャージだから判り辛いけどあれ、コルセット外してないか?髪も解いているし、こうして見るとどう見たって女の子にしか見えない。

 

「天人、リサ……」

 

俺達が部屋にやって来たことを認めたらしいシャルルが顔を上げる。その顔は何だか泣きそうにも見えるしどこか清々しさすら感じる、色んな感情が折り重なった顔をしていた。

 

「一夏にも、バレちゃった……」

 

なるほど、さすがにこの狭い部屋で暮らす相手にずっと隠し通すのは難しかったか。

 

「シャルルが、お前達を呼んでくれって言ったんだ。事情は知っているからって」

 

ポツリと、一夏が呟くように告げた。あぁ、だから態々俺達が呼ばれたのか。

 

「織斑様、シャルロット様を責めないでください。シャルロット様も……」

 

「責めてるわけじゃねぇよ。ただちょっと、驚いただけで」

 

「ていうか、何でバレたんだ?一夏も最初から疑ってたのか?」

 

「あはは、お風呂でバッタリ、ね……」

 

……あぁ、これまた理子的に言うラッキースケベイベントとやらか。コイツも凄まじい勢いで巻き込まれていくな。

 

「……疑ってた?天人はシャルルが女だって疑ってたのか?」

 

「あぁ、見た目も、声も、仕草も全部女みたいだったからな」

 

「そっか……。それで、天人はどうやって分かったんだ?シャルルが女子だって」

 

「……話があるって部屋に呼んで、服ひん剥いた」

 

「なっ……お前、女子だって疑ってたんならもうちょいやり方が───」

 

俺のやり方が気に入らなかったらしい一夏は結構な勢いで立ち上がって俺の胸倉を掴む。その目は怒りに燃えていて、まぁ確かにこいつは俺のやり方は気に入らないだろうなぁとそんな風な考えだけが頭を巡っていた。

 

「隠してる奴に素直に聞いて答えると思うのか?」

 

「けど───っ!」

 

「そもそも、代表候補生なら性別を偽るなんてことしなくても入学できるはずのIS学園に、態々そんなことしてまで入ってくる奴がろくな事情を抱えてないことくらい分かるだろ?……理由次第じゃ相当に危険な奴かもしれねぇんだ、手早くやるに越したことはないだろうが」

 

「うっ……む……」

 

「いいんだよ一夏。天人も直ぐに服戻してくれたし。剥かれたって言っても、コルセット見られただけだからさ」

 

「シャルルがそう言うなら……」

 

シャルロットにまでそう言われたら一夏としてももう俺の胸倉は離すしかない。まだ憮然としたままだがそれでも一夏は俺の襟から手を離してベッドに座り込んだ。その重さにベッドのスプリングが軋む音が響く。

 

「……なぁシャルル、どうしてこんなこと」

 

「あぁ、うん。天人達には話したんだけどね───」

 

あまり何度もしたい話でもないだろうに、シャルロットは気丈に振る舞い、再び口を開いた。その時リサがシャルロットに寄り添い、膝の上に置かれた手を包み込むように握っていた。それに勇気を貰ったのかシャルロットの口調は、俺達に真実を打ち明けた時のそれよりも明るく思えた。

 

 

 

「───そんなこと、許していいのかよ……」

 

絞り出されるように一夏の口から漏れ出た言葉。

そこに込められた感情は純粋に怒りだった。シャルロットに対する憐れみや同情ではなかったことに俺は少し驚いた。コイツは一体、何に怒っているのだろうかと俺の中に疑問符が浮かび上がる。

 

「……一夏、お前───」

 

何に怒ってるんだ?という俺の言外の言葉を感じたのか、一夏はこちらを見ながら言葉を発する。

 

「俺は、俺と千冬姉は、親に……捨てられたから……」

 

その事実に、俺は「そうか」としか返せない。俺が誰かの親について何かを言う資格なんて無いからな。

そしてどうやら、この一夏の怒りはきっとシャルロットと自分を重ね合わせてのもののようだった。俺はそれを否定することはない。俺は、俺達がこの世界にいる間だけしかシャルロットの味方でいられないから。これからもずっと一緒にいられるコイツとは違う。

 

「で、一夏。お前はこれを知ってどうするんだ?」

 

「どうするって……?」

 

「デュノア社にでも乗り込んでコイツの父親をぶん殴りにでも行くか?」

 

「えぇ!?」

 

「……冗談だよ。まぁどうするかはおいおい考えよう。少なくともシャルロットがこの学園にいる限りは向こうも下手に手を出せない」

 

それに、身バレしましたということが向こうにバレてもやはりここにいる間は安泰だろう。何せデュノア社は社長の娘を男と偽って入学させた張本人だ。それを表沙汰にされたくなければ……と言われたらある程度は従わざるを得ない。

だから全部向こうに打ち明けたとしても、これまでと同じようにデュノア社からのISに関する支援は受けられるだろうと、懸念事項であった部分は伝えておく。

 

「天人も色々考えてくれてるんだね……」

 

「ここに居ていいって言ったのは俺だからな。一応は、な」

 

これだって別に俺が何かしたわけじゃあない。何もしなくてもそうなるだろうという予測だけだからな。言われるほどのことじゃないさ。

 

「それでも、ありがと」

 

その時にシャルロットが見せた笑みは、俺の拙い語彙力で表現するならそう、まるで花の咲くような笑顔だった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

とある休み時間、俺はフラフラと学園内を彷徨っていた。特に目的は無い。ただ周りの視線の届かない所にいたかっただけ。だがそんな俺の耳に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「どうか、我がドイツに戻って再び指導をお願いします。ここでは教か……織斑先生の力の半分も活かされません」

 

声の1人はボーデヴィッヒだった。そしてその相手は織斑先生のようだ。特に後ろめたいことも無いはずなのに、俺は何故か気配を消してその会話に耳をそばだてていた。

 

「ほう、どうしてそう思う?」

 

「ここの生徒達は皆意識も低く、ISをファッションか何かと勘違いしている。そんな者の為に織斑先生の貴重な時間と能力を割くなど……」

 

「その歳でもう選ばれた人間気取りか?偉くなった者だな、小娘」

 

スっと、織斑先生の声が冷える。そしてその迫力に、ボーデヴィッヒは肩を震わせ言葉が霞む。

 

「そんな……私はそんなこと……」

 

「そら、もうすぐ授業の時間だ。遅刻はするなよ?」

 

そしてさっきの底冷えするような声色から一変。パッといつもの声色に戻った織斑先生に急かされて、ボーデヴィッヒはその場を走り去る。そしてちょうど、俺の方へ向かって来る。

 

「よう、ボーデヴィッヒ」

 

「……なんだ」

 

なのですれ違い様に声を掛ける。だがさっきの今ではボーデヴィッヒの声にも張りがない。織斑先生にあぁ言われたからか、いつもは何者をも弾くようなその声は弱々しく聞こえた。

 

「……別に、お前は間違っちゃいないと思うぜ。俺も、ここの奴らのISに対する意識は甘いと思ってるし」

 

「貴様なんぞに言われても……」

 

織斑先生に対する執着は分からんが、少なくともこのIS学園の生徒──もっとも、俺がまともに見たことあるのは1組と2組の生徒だけだが──はISが人を殺す兵器であるということを自覚している人間はほとんどいないように思える。

それは代表候補生であるオルコットや凰も同じ。

実際、ファッションとまではいかなくても、ISを精々スポーツ感覚で考えている奴らが殆どだろう。もし武偵校で強襲科の1年があんな風な態度でいたら確実に蘭豹にボッコボコにされているだろうな。そういう意味じゃ、織斑先生もかなり対応が甘い。

 

「前に行ったろ。俺はISを兵器だって思ってる。思っているって言うか……実際そうだろ」

 

こっちに来てしばらく経つが、驚いた。代表候補生ってのはほとんどアイドルやファッションモデルみたいな扱いを受けていたのだ。そして皆それを当然のように受け入れていた。正直俺にはそれが恐ろしかった。この世界にも前の時代には核があり、というか今だってまだあるのだ。ただ、それよりもISの方が確実かつ余計な被害を出さずに殺したい奴を殺せるだけ。そしてそうやって世界の抑止力はISへと移り変わっただけだ。

 

だがISを取り巻く環境は、そんな側面をおくびにも出さずにただ新しいスポーツのように、そして搭乗者は国を代表するアイドルか何かのように扱われていた。それによって世界中の人々の目を誤魔化しているのだ。

 

別に、ISそのものには罪は無い。ISなんてのはただの道具で、この欺瞞に満ち溢れた世界を作り上げたのは人間なのだから。ISを憎むのはお門違いも良いところだ。だからこそ俺は日に日にこの世界が嫌いになっていくのだ。

 

だが、だからってその一言だけで、俺のそんな思いがボーデヴィッヒに伝わるなんてこともなく───

 

「貴様1人がどうだろうと、私の気持ちが変わることはない」

 

そう、振り返ることもなく口にしたボーデヴィッヒは遂に教室へと辿り着いた。それは即ち、俺達のコミュニケーションの断絶がやってきたということだ。

 

「そうか」

 

「あぁ」

 

ボーデヴィッヒは空いていた後ろの扉から教室の中に入る。そして俺は、前の扉から教室へ入る。俺が席に着いた瞬間、同じく前の扉から織斑先生が入ってきた。授業が、始まる。

 

 

 

───────────────

 

 

 

放課後、第3世アリーナへと俺は来ていた。1人で、ではない。シャルロットも一緒だ。今日は模擬戦でもやろうかという話になっていて、それなら急いで来て人が少ないうちに済ませようということでまだアリーナには俺達以外は来ていないようだった。

 

「じゃあ、やろうか」

 

「おう」

 

シャルロットがアサルトライフルを、俺が両手に拳銃を構えたところで───

 

「「あ」」

 

と、横合いから声が聞こえた。知っている声だ、オルコットと凰。どうやら月末に行われる学年別トーナメント向けてこちらも秘密の特訓に来ていたらしい。

 

こっちは勝手にやるから、という意思表示で俺は手をヒラヒラと振る。それを見た2人もどうやら俺の意思を汲み取ったようで、そっちはそっちでお互いの得物を構えて向かいあっていた。

 

さて気を取り直して、と思った次の瞬間───

 

 

──超音速の砲弾がアリーナの地面を深く抉った──

 

 

その砲弾を撃たれたのは俺達ではない。オルコット達の方だった。しかし、あの2人戦いではないその衝撃に何事かと見やればどうやらボーデヴィッヒがいきなり2人の間にレールカノンを叩き込んだようだ。

当のボーデヴィッヒはチラリとこちらを見たがすぐに視線を戻し、オルコット達の方へユラユラと向かって行った。

 

「ちょっと───」

 

「いや、いい」

 

こちらに向けではないにしても、クラスメイトにいきなりぶっ放したボーデヴィッヒに物申したいらしいシャルロットだったが、俺はそれを制した。

 

「天人?」

 

「ありゃアイツらが売られた喧嘩だろ」

 

「武偵憲章4条、武偵は自立せよ、要請無き手出しは無用のこと。アイツら別に俺達に助けてくれなんて言ってねぇだろ?」

 

まぁ、言われても助ける気は無い。同じ代表候補生同士なら、売られた喧嘩くらい自分らでどうにかしろとしか思えん。まぁ、最悪死にそうになったらさすがに助けてやるけども。

 

「……何それ」

 

「それに、月末のトーナメントもあるし、アイツらでも、2対1ならボーデヴィッヒの力を少しは出させられるだろ」

 

ちなみにこっちも割とマジな話。開示されてたデータじゃボーデヴィッヒの駆るIS──シュヴァルツェア・レーゲン──にはAIC(アクティブ・イナーシャル・キャンセラー)とかいう機能が乗せられていて、それは慣性停止結界とも呼ばれる防御機能なんだとか。で、武装のほぼ全てが火薬兵器と単純な近接格闘用武装である俺としてはその性能の程を実戦レベルで知っておきたいのだ。その為にアイツらには当て馬になってもらいたい、というのが本音。

 

「でも───」

 

「まぁお互いISに乗ってんだ。喧嘩したって死にゃしねぇよ。……そら、始まるぞ」

 

俺がそっちに関わる気が無いこと、そしてシャルロットも俺に止められていることをオルコット達も察したのだろう。結局ボーデヴィッヒの挑発に乗せられて2対1での模擬戦が始まった。俺はシャルロットを引き摺りながら後ろへと下がり、戦況を見物する。今のところボーデヴィッヒは右肩のレールカノンと各部から展開されるワイヤーブレードでの中距離戦を展開している。オルコットと凰もそれに合わせてそれぞれの飛び道具を駆使してアリーナを駆け回る。だがオルコット達の攻撃はほとんど躱されている。たまに届きそうになっても何か見えない壁にぶつかったかのようにしてボーデヴィッヒのISには届くことはない。どうにもあれがAICってやつらしいな。

 

その後も、多少はボーデヴィッヒにもダメージは入ったが2人の損傷に比べれば非常に軽微。何よりも凰の衝撃砲とボーデヴィッヒのAICの相性が最悪だ。近接格闘戦でもボーデヴィッヒのプラズマ手刀と凰の双天牙月の二刀流では圧倒的にボーデヴィッヒの方が上だ。

 

そして決着の時はやってきた。

 

オルコットの自爆覚悟のゼロ距離ミサイル攻撃を完全に受け止めたボーデヴィッヒが瞬時加速で地表にいた凰に接近。蹴り飛ばした。そして至近距離からの砲撃でオルコットを吹き飛ばし、その2人をワイヤーで捕らえたのだ。そこから始まったのはボーデヴィッヒによる一方的な蹂躙。

ワイヤーで手繰り寄せ、拘束した2人にボーデヴィッヒはいっぽう拳を、蹴りを、叩き込んでいく。それにより2人のISのアーマーは砕け、シールドエネルギーは一気に危険域へ。これ以上この攻撃が続けば当然ISは強制解除される。そうすれば生命にも関わる事態だ。シャルロットなんて、俺が無理矢理押さえ込んでなきゃとっくに飛び出しているだろう。

俺も、完全に決着着いたしもういいかとシャルロットを離そうとしたが───

 

「その手を離せ!!」

 

と、観客席の方から一夏が瞬時加速で突撃。どうやらアリーナのシールドエネルギーは零落白夜──一夏のIS、白式の唯一単能力だ──で斬り裂いたようだ。だが───

 

「絵に書いたような単純で直情的な攻撃。愚図め」

 

恐らくAICもエネルギーで行われているはずで、そうであればエネルギーを無効化する零落白夜であれば突き抜けられるのだろうが、その刀身に触れることなく身体や腕を捕えられれば意味が無い。一夏も拘束されてしまったので俺は仕方なくシャルロットを解放し、そのまま右手に拳銃を召喚。こちらを見てもいないボーデヴィッヒのその横っ面に弾丸を叩き込む。

 

バシィッ!!と、思いっ切り頬を叩かれたような音がシュヴァルツェア・レーゲンから響き、一夏を戒めていた拘束が解かれる。

 

「オルコットさん!凰さん!」

 

シャルロットは即座にオルコット達に駆け寄り彼女らを救出(セーブ)。しかし俺と一夏に囲まれたボーデヴィッヒは余裕の表情を崩さない。

それに加え、一夏はボーデヴィッヒではなく俺の方へ怒声を発した。

 

「天人!!何でそこに居たのに見てるだけだったんだよ!!」

 

いや、今助けようとしてたし……なんて宿題をやれと親に言われた小学生みたいな言葉が口を出かかったがそれはどうにか堪え、俺はボーデヴィッヒに向けて拳銃のトリガーから指を離してクルリと下に向ける。戦う意思は無いというサインだ。

 

「……喧嘩売られたのはオルコット達だ。俺が介入することでもねぇよ」

 

あの時みたいに周りを巻き込む程に人で溢れてる訳でもないし。俺にはコイツらの喧嘩を止める理由がない。そう思ってしまうのは、武偵校でドンパチに慣れすぎているからだろうか。

 

「けどあれは!!」

 

「……もういいか?」

 

どうやら俺達の会話をただ横で聴いてるのも飽きたらしい。ボーデヴィッヒはレールカノンの照準を一夏に合わせ直している。

 

「てめぇ……!」

 

「やれやれ、これだからガキの相手は疲れるんだ」

 

と、そこへやって来たのは織斑先生。しかもIS用の近接ブレードを肩に担いでいる。刀身だけで1.7メートル程はあるはずのそれを軽々と扱うその姿はどこか蘭豹と被って見えた。

 

「模擬戦をやるな、とは言わんがアリーナのバリアーを破壊される事態になっては教師としては黙認しかねる。この戦いの決着は学年別トーナメントで着けてもらおうか」

 

「教官がそう仰るなら」

 

と、ボーデヴィッヒは存外素直にISの展開を解き、シュヴァルツェア・レーゲンを光の粒子にして仕舞う。

 

「お前達も、それでいいな」

 

「はい」

 

俺も別に何だっていいので素直にそう返事をする。シャルロットと一夏も、一応は納得したのか、それぞれ逆らうことも不満気な様子も無く肯定の意を示した。

 

「では学年別トーナメントまでの間、一切の私闘を禁止する!解散!!」

 

織斑先生がそう宣言し、手を叩く。その乾いた音はまるで銃声のようにアリーナに響いた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

アリーナでの諍いから1時間ほどして今は保健室。オルコットと凰は全身に打撲傷があるがどうやらそう重傷ではないらしい。しかし場の空気は最悪。どうやら俺がただ見ていただけなのが一夏的には相当に気に入らないらしい。

 

「何であそこまでやられるまで黙って見てたんだよ」

 

「さっきも言ったろ。喧嘩ふっかけられたのはコイツらだ。けどま、殺されそうなら助けてもやるし、お前が来なけりゃ俺が入ったよ」

 

実際にはボーデヴィッヒのISの性能を見ておきたかったと言ったら多分一夏はもっと怒るだろうから言わないでおく。しかし、俺のそんな思惑も虚しくそれでも一夏が何か言い募ろうとしたその時───

 

──ダダダダダダ──

 

と、廊下の方が何やら騒がしい。騒がしい、というより何人もの人間の足音が響いている。何事かと思えばいきなり保健室のドアが勢いよく開かれる。

 

ッダァァン!!と、まるで銃声のような音を鳴らして叩きつけられるように開けられたドアから女子達がそう広くはない保健室に殺到する。学年で固定のリボンからすればどうやら1年生ばかり。そしてその顔はいつも教室で見た顔が多く、その殆どが1組か2組の生徒だと分かる。

 

「……何?」

 

「織斑くん!」

 

「デュノアくん!」

 

「神代くん!」

 

順番に、名前を呼ばれる俺達男子組。そして彼女達から一斉に突き出されたのはとあるA4のプリントだった。

 

そこには今度の学年別トーナメントのルール変更が記載されていた。曰く、先日の事件を鑑みて、生徒保護の観点及びより実践的な形で実力を測るために1対1ではなく2対2のタッグ戦にする、ということだった。

 

「はぁ……。で?」

 

「「「私と組んでください!!」」」

 

つまりは、完全な個人戦からコンビによる試合になったのでタッグを組んでくれというお誘いらしい。ふむ……元々このトーナメント、俺はともかくリサは体調不良ってことにしてお休みさせる予定だったのだ。何せ個人戦じゃ俺はどう足掻いてもリサを守ってやれないから、例え模擬戦でもリサに戦闘なんてさせられない。それに、元々が実力を測るためのものという建前があるので開始即時の降参が認められるとも思えない。だがこうなれば話は別だ。俺がリサと組み、実質1対2で戦えば良い。懸念すべきことは、俺が落ちてもリサの降参が認められない場合だ。これが現時点での才覚や能力を測る試合という建前がある以上その可能性は割と捨てきれないのが怖い。まぁもっとも、これは最終手段だが、リサが後ろにいる以上、俺は全力ではなく()()でやることも辞さない。

聖痕で俺の腕力を強化させればISのパワーアシストもあって実質的な出力は上げられるというのも、反射神経その他諸々も上げられるというのも訓練や実戦で確認済みだ。

それをすると、公開されてる俺のISのデータからすれば異常な数値になってしまうだろうが、そもそもISというのは根本のコアがブラックボックスと化しているのだ。最悪知らぬ存ぜぬでシラを切り通すことも可能だ。何の問題もない。

 

「あぁ、悪い。俺はシャルルと組むって決めてんだ」

 

と、一夏はシャルロットの肩に手を置く。確かに、俺か一夏のどちらかがシャルロットと組めば彼女が本当は女であることが周りに露見する可能性は下がる。そして、それを聞いた女子達も、他の女の子と組むくらいなら男同士の方が……と、引き下がる。だがこのIS学園の男子は表向き3人だ。そして、その一夏とシャルロットが組むことになれば俺は必然的にアブれる訳で……。

 

「じゃあ神代くん!!」

 

と、俺に声が向かうのは当然のこと。もっとも───

 

「あぁ悪い。俺も組む相手は決めてんだ」

 

「え!?だ、誰!?」

 

「……言わなきゃ分かんない?」

 

「う……いえ……」

 

俺が男子以外で組むとしたらリサだけだろうというのは言わずとも伝わったらしい。まぁ、1番良いのは例えタッグマッチでもリサを出さないことで、優勝するだけなら俺がボーデヴィッヒと組むのが1番確実なのだろうが。恐らくボーデヴィッヒは1年の中じゃ俺以外には確実に勝てる。そして俺もボーデヴィッヒ以外には確実に勝てるだろう。俺達がお互いを負かす可能性がある相手はそれぞれ俺達だけなのだ。そこが組めばどんな相手でも勝ち切れる。

本来なら連携なんかもあるし、一概には言えないのだけれど、俺達は別だ。何せ、別にコンビで訓練なんかしなくても相手をそれぞれタイマンで相手取ればそれだけで勝てるからな。

例えどっちかが落とされても向こうも無傷とはいかない。確実に落とされる寸前まではダメージを入れられるだろうから、やはりどっちにしろ試合的に負けはない。

 

「じゃ、そういうことで。俺も相方と打ち合わせするから失礼するよ」

 

と、俺がどいてどいてと女子達の間に割って入ればモーゼの海割りよろしく人垣が別れて道ができる。俺は、その間を抜けていく。背中に一夏達の冷たい視線を浴びながら。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「で、どうするリサ。出るなら俺が守るけど」

 

夕方、部屋に戻った俺はリサの意思を確認する。出たくないのならそれはそれ。出るなら俺が守る、それだけだ。

 

「リサはご主人様を信じています。絶対、守ってくださると」

 

「あぁ。何をしても俺はリサを守るよ。絶対」

 

そう、それだけは唯一絶対の約束。例え聖痕を使って有り得ない数値を叩き出して周りから何を追求されようが、俺はリサを守り抜く。それがどんな世界であっても俺が誓った絶対。

 

「えぇ、ですから大丈夫です。リサはご主人様と一緒に出ます」

 

「あぁ、分かった」

 

俺はリサのその意思を聞いて、職員室前に置いてあった申込用紙に自分とリサの名前、それからその他必要事項を書いていく。白い紙に黒い文字で書かれた消えないそれは、俺が絶対に守ると誓ったその意思を示しているかのようだった。

 

 

 

 



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アル=カタVSラピット・スイッチ

 

1年生の部、Aブロック1回戦初戦。つまりは、6月最終週の月曜日から始まる学年別トーナメントの1番手の試合ということだ。そしてそこに割り振られたペア、それは───

 

 

──神代天人/リサ・アヴェ・デュ・アンクVS織斑一夏/シャルル・デュノア──

 

つまり俺達と一夏達の試合ということだ。そして今日の第2試合はラウラ・ボーデヴィッヒ・篠ノ之箒ペアが割り振られていた。

また、セシリア・オルコットと凰鈴音は2人ともあの戦いで自身のISに蓄積されたダメージが規定値を越えたため不参加が確定。

それはとりもなおさず、1年生の中で最も注目度の高い日が今日と明日だということを示していた。この2試合を勝ち上がったペアが確実に優勝する。この学年に、他の専用機持ちはいないからだ。

 

俺と一夏とシャルロットしか使わないだだっ広い更衣室を1人後にし、俺はリサの待つピットへと向かった。

自動のスライドドアが軽快な音を鳴らしてその顎を開けば、その口腔内にいたのはリサ1人。

リサも、俺の姿を認めると、トテトテと駆け寄ってくる。その時に揺れた双丘に思わず目線が吸い込まれそうになるが、それは息を1つ吐いて振り切る。

 

「ご主人様」

 

「あぁ。大丈夫だ。リサは俺が守るよ」

 

何度も繰り返したこの言葉。ルールに縛られ、ISなんて重りを付けさせられてはいるけれど、そしてこれは別に負けても命が取られるようなものでもない。言ってしまえば"安全に痛い"だけなのだ。それでも俺はリサが痛い思いをすることを是とすることはできない。リサだってそれを望んでいない。それならば俺のすることはただ1つ。目の前の敵を、全て叩き潰す。それだけだ。

 

「始まったら直ぐにシールドを展開して引き篭っててくれ。後は全部俺がやる」

 

この試合、いや、全ての試合を俺は1人で戦うつもりだ。まぁ、俺とリサのISは篠ノ之束の実験機でもあるから、それなりの()()()()はあるから、問題はあるまい。俺とリサは触れるだけの軽い口付けを交わし、お互いのISを呼び出す。

 

「……来い、鎧牙」

 

「お願いします、星狼(せいろう)

 

色気なんて気にせず実用性ばかりを押し出した都市迷彩の俺のISと、白銀色が美しいリサのIS。色合いは近いハズなのにどこか正反対の印象を与える俺達のそれは、近接格闘戦を念頭に置いて全身がスリムなシルエットの鎧牙と、とにかく防御力重視でマッシブなシルエットの星狼。この世界における俺達の仮初の力。しかしそんなことはこの世界の人間には関係無い。ここの奴らは皆一様にISこそが比類無き最強の機動兵器だと信じて疑わない。それが俺の心をザワつかせるのだ。けれど、ことここに至ってはそんなことすら些事だ。俺はただリサを守る。その為に刃を振るい、引き金を引く。いつでもどこでも、それは同じこと。

 

「じゃあ行こうか」

 

「はい!」

 

飛び出した先の、シールドエネルギーに遮断された、届くことのない蒼穹と大観衆に囲まれたアリーナでは、織斑一夏とシャルロットがデュノアが、白と橙を纏って待ち構えていた。

 

「ボーデヴィッヒじゃなくて悪いな」

 

まだ戦いの始まりを告げるブザーは鳴っていない。俺達はそれに甘えて前哨戦を繰り広げ始める。

 

「別に、ここでお前達を倒せば一緒だ」

 

「分かってねぇな。お前らが戦うのは俺だけだよ。リサは一切手出ししないし、万が一にも俺がやられたらその時点で即降参する」

 

「……リサさんは戦わないの?」

 

シャルロットも俺達の舌戦に加わってくる。

 

「たりめーだ。リサは戦わない。戦えない。だから俺が守るんだ」

 

それこそが俺の誓いなのだから。

 

「守る、か。俺も、千冬姉や、関わる皆を守りたい。だから天人、お前に負けてなんてられねぇんだ!!」

 

その叫びと共に一夏が己の唯一の得物──雪片弐型──を正眼に構えた瞬間、戦いの始まりを告げるブザーが鳴り響く。その瞬間───

 

「おおおおおお!!」

 

一夏が雄叫びと共に突っ込んでくる。リサは既に下がっていて、浮遊シールドを8基全て展開済み。こうなったリサの星狼の防御力は並のISでは傷1つ付けられやしない程の堅牢を誇る。

 

俺は下から雪片で逆袈裟に斬り上げようとする一夏に向けて十文字の刃の付いたメイスを突き出してその突撃を押し留める。

そして俺の左手側から回り込んで射撃体勢に入ったシャルロットとの間に一夏を放り捨てる。それで射線を一瞬切り、俺は瞬時加速でシャルロットへ接近。

シャルロットは火薬兵器での射撃戦闘が本領───という訳ではない。訓練中の挙動を観察したり色々と開示されているデータを漁ってみたところ、どうやら近接格闘戦も高いレベルでこなせるようだった。むしろ相手に合わせて間合いを調節しながら常に自分が有利な立ち位置で振る舞う戦い方こそが本領という奴だ。

 

そして、俺のISの情報がどこまで開示されているのかも当然確認している。それは、俺の情報がどこまで伝わっているのかということだ。

 

どうやら、基本的なカタログスペックと載せられている武装についてはほぼ網羅。だが鎧牙と星狼のギミックや黒覇の本領については未記載だった。それから俺がシャルロット達との訓練や唯一公にしたオルコットとの試合で使った技能を鑑みると、シャルロットから見た俺の印象は"全距離対応可能な兵装だが操縦者の好みにより近接格闘が多い"という所だろうか。

 

だがボーデヴィッヒが一夏を襲った日に凰は、俺が拳銃で近接格闘戦を行うようなことを口走っていた。それをシャルロットがどれ程記憶しているかは知らないが、俺が()()する可能性を、シャルロットが把握していると考えておく必要はある。

 

だがそれでも、アル=カタに初見で対応するのは相当に難しいだろう。何せアル=カタは、お互いが防弾服を着ていることを前提として、拳銃を一撃必殺の刺突武器ではなく打撃武器として扱う戦い方だ。そんな戦闘スタイルはこの世界には無いようだ。

 

しかし奇しくも、アル=カタの戦い方はシールドエネルギーで守られているIS同士の戦いに符合していた。

 

だが、それでもこの世界でのISの戦闘ではアル=カタのような戦い方をする奴はいなかったのだ。ISの戦闘が基本的に3次元的に行われることでアル=カタの戦闘距離から離脱しやすいからだろう。

 

けれど俺はシャルロットを逃がさない。むしろ、ダメージを与えるよりも離されずに食い付き続ける方を念頭に置いた立ち回りを心掛ける。

この距離でやり合っている限り一夏は零落白夜を下手には使えない。

そもそも、ゼロ距離での格闘戦においては数の利はやや小さい。特に一夏みたいな大きな得物を振り回す奴は格闘戦において複数側であるメリットが小さいのだ。

理由は単純、味方を巻き込みやすいから。

 

もちろん訓練で克服できるが一朝一夕にできるものでもない。

そして一夏は思惑通りに俺とシャルロットの戦闘から追い出される。なるべく一夏を俺の右手側、つまりシャルロットの専用機、ラファール・リバイブの左腕に付けられた大盾を俺も一夏からの斬撃の盾代わりにしているのだ。

シャルロットのそれは、大きさ故にこの距離での取り回しには難があり、格闘戦の役には立たない。右手に構えた近接ブレードで俺の拳銃とやり合おうとするが剣よりも更に内側、ほぼ素手で殴るような距離での格闘戦にかなり困惑しているみたいだった。

 

「こんな……」

 

徐々に削られていくシールドエネルギーにシャルロットが顔を顰める。

 

「くっ……うぅ……」

 

このまま押し切ってまずはシャルロットを落としてしまおう。

当初の作戦通り俺は攻勢を緩めない。弾倉の弾が切れては即座に呼び出して入れ替える。そして左右の拳銃が同時に弾切れを起こさないようにすることで1番隙のできる弾切れの瞬間をなるべく少なくする。注意すべきはとにかく距離を開けないこと。人数じゃこっちが不利な以上は一夏をなるべく戦闘に参加させないことが重要だからだ。

 

そうしてシャルロットのシールドエネルギーを半分程削った時───

 

「うっ!おおぉぉぉぉぉ!!」

 

「っ!?」

 

一夏が瞬時加速で俺達へと突っ込んできた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「あのデュノアさんが距離を離せないなんて……」

 

千冬に呼ばれ、鈴と共に管制室で試合を見ていたセシリアが思わず呟く。その目には、超接近戦で天人とやり合うシャルルと、蚊帳の外に追い出された一夏が映っていた。

 

「ていうか、何であのリサって子は戦いに参加しないのよ」

 

1人で戦えてる神代も神代だけど、と鈴がボヤく。

 

「ふん、どうやらこの大会がタッグマッチにならなければアヴェ・デュ・アンクは即座に棄権するつもりだったらしいからな。それが出来なくなった以上、戦わない選択肢を取ればこうなる」

 

それを耳にした千冬は不機嫌そうに鼻を鳴らして答えた。最初からリサは戦わないというのは聞いてはいたが、まさかこれほどまでとは思わなかったのだ。しかし、これならISの訓練においてもISや武装の展開は早い割に操縦でモタつくことには納得がいく。リサは本当に戦う気がないのだ。

 

だが身を守るためにISや武装の展開だけは練習していたのだろう。

 

「それで、神代さんはリサさんを庇って……」

 

「そうだろうな。相手からすれば、手を出さずに守りを固めるだけのアヴェ・デュ・アンクよりも明らかに手強い神代を先に崩したいと考えるのが普通だ。アイツはそれを逆手にとっているんだろう」

 

「だからってそれを……」

 

「あぁ。織斑はともかく、デュノアを相手にああも自分の距離で戦えるとはな……だが───」

 

(一夏はそんな簡単に置いていける相手ではないぞ、神代)

 

そして、千冬のその想いはアリーナの中で現れる。一夏の、文字通りの特攻によって。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「うっ!おおぉぉぉぉぉ!!」

 

「っ!?」

 

シャルロットのシールドエネルギーを半分程削ったところで遂に痺れを切らしたらしい一夏が瞬時加速で突っ込んできた。零落白夜こそ使っていないが最悪シャルロットすら巻き込みかねない、本当に後先考えていない特攻。しかし一夏とシャルロットの積み上げてきた訓練が、信頼となり、そして俺とシャルロットの間を切り裂くという形でその成果を示した。

 

「まっ!だだぁぁ!!」

 

更に2度目の瞬時加速。真っ直ぐに突っ込みながら振り上げられた雪片を俺は左手に拳銃と取り替えるように召喚したトンファーで受け止める。更に顔面に向けて右手で拳銃を連射。口径こそ大きくはないものの、ゼロ距離で浴びれば衝撃だってそれなりのもの。弾倉に残っていた5発の弾丸をモロに喰らって仰け反った一夏をスラスターの加速を込めた蹴りで吹き飛ばし、その場を離脱。その瞬間に、俺と一夏のいた場所に火線が貫いた。シャルロットがアサルトライフルで俺を撃ち抜こうとしたのだ。俺は左手のトンファーを仕舞いつつ入れ違いで複合型可動ブレードを展開。大型故に取り回しは悪いがバックラーと一体になっており、こういう突貫時には役に立つ。

 

俺は左手に装備したそれを掲げ、瞬時加速を敢行。背部スラスターだけでなく、脚部のスラスターでも瞬時加速を行うことで2段階の加速を得た俺はバックラーでシャルロットの放つ弾丸を弾きながら接近。展開したブレードでシャルロットを真っ二つにするように刃を振るう。

 

「っのぉ!!」

 

だがそれはシャルロットの左腕に装備された大型のシールドで防がれる。……予定通りだ。

 

俺はISの出力差を利用してシャルロットを押し込みつつ、ブレードとシャルロットのシールドを起点にしてシャルロットの周りを旋回するようにして回り込む。更にその一瞬で超長距離狙撃銃──要は対物ライフルだ──を展開、至近距離からフルオートでぶっ放つ。

 

「あぁっ!?」

 

俺の放った6発の弾丸はシャルロットのラファールの背部スラスターを撃ち抜き、機動力を奪うと共にシールドエネルギーを大きく削る。俺は更に左腕のブレードをシャルロットの肩口に叩き付ける。ISの防御機構が肉体の切断をこそ防ぐが絶対防御が発動。アリーナ地表に叩き付けられたシャルロットのシールドエネルギーはゼロになった。

 

そしてそのシャルロットと入れ替わるように飛んできたのは一夏だ。破壊されたラファールのスラスターから出た炎と黒煙を逆にくらましに利用したしたつもりなのかは知らないが、ISのハイパーセンサーはそんなもので敵を見失うことはない。

 

その上、普通に真っ直ぐ突っ込んできたので振り抜かれた雪片もブレードで受け止めるのは容易いことだ。

 

だが雪片を止められた一夏はその場を即座に離脱。恐らく俺の右手の武装が長大なライフルから取り回しの良さそうなサブマシンガンに切り替わったからだろう。うん、さっきのカウンターを受けて学習したみたいだな。だからって、一夏の攻撃手段が雪片しかなく、俺に一撃を入れるには近付かなければならないことに変わりはないのだけれど。

 

俺は複合型可動ブレードを収納し、両腕にトンファーを呼び出す。これを見た一夏はどう思うだろうか。誘ってる?あぁそうだな。けどどっちみち俺に近寄らなきゃ攻撃できないんだから難しいこと考えなくていいだろう?あぁけど……

 

「なぁ一夏」

 

俺は、プライベートチャンネルで一夏に語り掛ける。

 

「……なんだよ」

 

戦闘中の質問に、一夏は胡乱げな表情を浮かべながらも応えてきた。

 

「お前、降参はしないのか?」

 

「なんでだよ」

 

「シャルロットはもういない。お前のシールドエネルギーも結構減ってるだろ。けど俺のシールドエネルギーはほとんど残ってる」

 

この状況でどこに勝機があるんだ?と問いかける。俺としては、これ以上手の内をボーデヴィッヒに明かしたくはないし、ここいらで諦めてくれると非常に助かるのだ。まぁ、何となく答えは分かっているけれど。

 

「お前なら諦めるのかよ……?」

 

「……まさか」

 

ほらな。そして俺の答えも決まりきっている。武偵憲章10条、諦めるな、武偵は決して諦めるな、だからな。

俺の言葉を聞いた一夏は、会話は終わりだと言わんばかりにスラスターを吹かして俺へと突っ込んで来る。馬鹿の一つ覚え……でもないようだ。

 

俺とぶつかり合う直前で一夏は真上に急上昇。俺の真上を取った一夏がそこから瞬時加速で急降下。零落白夜の放つ輝きと共に俺に迫ってくる。けれど───

 

「───なっ!?」

 

その程度のフェイントが読めないわけはない。上からの攻撃に対して身体を開き、トンファーで刃を受け流して無傷で凌ぐ。そしてシールドエネルギーの限界を迎えたのか、一夏の雪片の輝きが薄れ、手にあったのはただの近接ブレード。

 

俺は上空から一夏を強襲。

振り向いた一夏の横っ面にスラスターの勢いを乗せた蹴りを叩き込み、更に吹っ飛んだ一夏に追い付いて左のトンファーで雪片を弾き、一層深く懐に潜り込んだ。

もうこの距離は俺の独壇場だ。剣より更に内側のレンジで腹や頭など、ISの装甲の無い部分を重点的にトンファーで打撃すれば零落白夜で残り少なくなっていた一夏のシールドエネルギーは直ぐに底を突く。

 

「ぐっ……くっ……そぉ……!」

 

そして俺がトドメにと一夏の鳩尾にトンファーを叩き込んだ瞬間、俺達の勝利を告げるブザーがアリーナに鳴り響く。

学年別トーナメント1回戦第1試合は俺こと神代天人とリサ・アヴェ・デュ・アンクペアの勝利で幕引きとなった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「だぁぁぁ……負けたぁ〜」

 

ドサリと、一夏は崩れるように更衣室のベンチに腰を下ろした。ISスーツを上半身だけ脱いだ中途半端な状態で脱力したその姿を見て、シャルロットは頬を染めながら目線を逸らした。

 

「まさか、ほとんど2対1なのに負けるなんてね」

 

当のシャルロットは先にピットへと戻っていたせいか、既に制服に着替えていた。もちろん、男用のそれだ。汗も拭き、制汗スプレーも使用したシャルロットからは汗の匂いなんてものを漂わせることなく、爽やかな香りがその身を包んでいた。

 

「なんかごめんな。俺、ほとんど割って入れなかった」

 

「ううん。仕方ないよ。天人がそうなるように立ち回ってたんだし。相手が悪かったよ」

 

そもそも、一夏とシャルロットは今回の訓練の時間をほとんど連携の確認とラウラのAICへの対策に注ぎ込んでいた。2人の認識では、武装の相性を考えなければ天人とラウラの戦闘力はほぼ同じ。であるならハッキリとした特徴のあるAIC対策に時間を使いたかったのだ。もちろんそこには明確な神代天人対策が思い付かなかったというのもあるし、ラウラと天人では近接格闘においては天人の方が厄介であるにしても、AICのような特殊兵器が無い分、一夏とシャルロットのISであればやや天人の方が与しやすいという判断もあった。

 

だが実際には、一夏からもたらされた天人の"拳銃を近接格闘戦に盛り込んだ特殊な立ち回り"の想定以上の完成度の高さと機動力やパワーといったISの基本性能の図抜けた高さ、更に数的不利を覆すための立ち回りなどに翻弄され続けた。これはもう、場数が違うのだと認識せざるを得なかった。だがそれに関しては2人の間で大きな認識の差があった。一夏は千冬から、天人は過去にISとは関係の無い戦闘経験がありそうだという話を聞いていたが、シャルロットはそれを知らない。故に、シャルロットは疑問に思ったのだ。

 

(ISに触れてからまだ天人は数ヶ月のはず。篠ノ之束の元で訓練を積んでいたのだとしても、あんな立ち回りができるのかな……)

 

そもそも、天人の言動には不可思議な部分が多い。あの時は聞き流してしまったが、自分の性別を見破られた時にも、前に誰か別の人が同じようなことをしていたという節の台詞を言っていた。だがシャルロットは表向き3人目の男性操縦者で、後の2人は一夏と天人だ。つまり天人はIS学園に入学する前の時点で所属していた組織があるはずだ。普通に考えれば中学校なのだろうが、普通の中学校にそんなことをして入る必要は無い。

そうなると特殊な学校ということになるのだが……。

 

(日本には男の子しか入れない制度の男子校っていうのがあったらしいけど……けどそんな、潜入する必要のありそうな学校って、そもそもあるのかな……)

 

シャルロットが思案顔で悩んでいるのを一夏はただ漫然と、今日の試合の反省でもしているのだろうと思い、深くは気にしていない。するとそこへ、天人も更衣室へと戻ってきた。

 

「おう、お疲れ様」

 

「ん、おつかれ」

 

よっ、と手を挙げた一夏に合わせて軽く挨拶を返した天人はそのままISスーツを上半身だけ肌蹴させ、軽く汗を拭いていく。

 

「なぁ天人」

 

「んー?」

 

そこへ、一夏が声を掛ける。あまり興味の無さそうな天人とは対照的に、何やら神妙な顔付きだ。

 

「お前のさっきの、あの拳銃で格闘戦するやつ、どういう技術なんだ?」

 

どうやらこの試合で見せた天人の近接拳銃格闘戦に興味を引かれたらしい。一夏としては、前にも1度見ているため、より興味が湧いているのだろう。

 

「どういう……?どういう……」

 

しかし一夏の漠然とした問いに天人もどう答えたものかと考え込んでしまった。顎に指を当てて上を向いてしまっている。

 

「あぁ、例えば、柔術とか、ボクシングとか、そういう名前的な?」

 

と、自分の質問の意図があまり伝わっていないことを察した一夏が欲しい答えを指し示す。それによってようやく答え方を見つけたのか天人は「あぁ」と頷いた。

 

「アル=カタだよ」

 

「アルカタ?」

 

「そう。イタリア語で武器って意味のアルマと日本語の(カタ)を組み合わせた造語、らしい」

 

「それは、どんな技術なの?拳銃とゼロ距離での近接格闘戦なんて普通組み合わせないと思うけど……」

 

それは、アル=カタを正面から浴びたシャルロットならではの感想。どうやらISとは関係の無い技術を持ち込んでいるようだが、そもそも拳銃なんて生身の身体では1発喰らえばほぼ終わりだ。それに、拳銃の平均交戦距離は約7メートル。なのにそれをあんな距離で扱う理由が分からない。それも、仕方なくそうしたのではなく明らかに意図を持ってそうしているのだ。代表候補生として軍人のような訓練も積んだシャルロットにとってへ当然の疑問だった。

 

その疑問に対し、天人は一瞬、答えを迷ったように見えたが1つ息を吐いて答えはじめた。それは、シャルロットや一夏の想像とは違う回答だった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「それは、どんな技術なの?拳銃とゼロ距離での近接格闘戦なんて普通組み合わせないと思うけど……」

 

更衣室へと戻り、汗を拭いて、さぁボーデヴィッヒの試合でも見るかと思っていたところ、一夏からあのシャルロットとの格闘戦は何だったのか聞かれたので、まぁ別にいいかとアル=カタだよと返したら、今度はシャルロットからそれはどんなものかと聞かれる。シャルロットにとっては余程物珍しかったらしい。まぁ、拳銃の平均交戦距離を考えたらあんなゼロ距離で、それも殴り合うようにして弾丸を放つような戦い方はそうそう見ないのかもしれない。

教えて、それで何がどうなる訳でもないかと俺はアル=カタについて軽く教えることにした。

 

「お互いに防刃防弾服を着ていることを前提に、ナイフと拳銃で戦う近接格闘技術だよ。防弾服を着ていれば、拳銃の弾丸は一撃必殺の刺突武器じゃなくて打撃武器になるからな」

 

「そんな状況ある?」

 

「俺のいた所はよくあったんだよ。そこら辺はまぁ、織斑先生に聞いてくれ。俺は説明が面倒臭い」

 

織斑先生には武偵に関しては話してあるし、何より今はボーデヴィッヒの試合を見ておきたい。相手は専用機持ちでもなければ代表候補生でもないから、果たしてまともな勝負になるのかどうか、怪しいけどな。

次の試合までは多少時間もあったはずだが、ここでくっちゃべってたおかげであんまり余裕もなくなってしまった。

俺はそそくさと、それこそ逃げるように更衣室を後にした。

 

学年別トーナメント1年生の部、第2試合、ラウラ・ボーデヴィッヒと篠ノ之箒ペアは、試合開始から1分程で勝利を収めていた。

 



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武偵VS黒ウサギ

 

1回戦が全て終わった次の日、勝ち進んだ1年生は2回戦を戦うことになっていた。

トーナメント表の順番からしてまた俺達は今日の第1試合を務める。

 

「今日は()()()()()()()()()()()()()()から、気を付けてくれ」

 

「はい。ご主人様こそ、お気を付けて」

 

かもしれないとは言ったが、恐らく俺は今日の試合で俺とリサのISの()()()を晒すことになる。まぁ、オルコットと凰は参加出来ていないし、一夏とシャルロットのペアも倒しているから、ボーデヴィッヒ相手に使う分には問題無いとは思うけどな。

 

俺とリサは1つキスを交わすとお互いのISを展開。アリーナへと飛び立つ。

そして、そこに待ち構えていたのは漆黒のIS──シュヴァルツェア・レーゲン(黒い雨)──に身を包んだラウラ・ボーデヴィッヒと打金という日本製で防御重視の近接戦闘向け汎用ISをその身に纏った篠ノ之箒。

 

「悪いな、一夏じゃなくて」

 

「貴様に負ける、その程度だったということだ」

 

「そうかい」

 

一瞬、静寂がアリーナを包む。しかし静か空間というのは穏やかという意味ではない。むしろ重苦しいくらいの圧力がこの場を支配していると言ってもいい。それはボーデヴィッヒが放つものであり、俺が放っているものでもある。

 

そしてその間に割って入ったのは試合開始を告げるブザーの音。

それが鳴った瞬間、俺は背中のスラスターで瞬時加速を発動。更に右手に十文字刃の付いたメイスを召喚、目の前の篠ノ之箒へと叩き付ける。

アリーナ外壁まで吹っ飛ばされる篠ノ之に脚部スラスターでの2段階目の瞬時加速で追い付き更にメイスを突き刺す。開幕直後で集中しきれていなかったのか、篠ノ之は2撃目もノーガードで喰らいそのまま外壁へと叩き付けられた。

 

「ぐっ……」

 

そして俺は左手に対物ライフルを召喚。その銃身の長大さをメイスで篠ノ之を挟むことでカバーし、青ざめた顔の篠ノ之へ向かってゼロ距離で引き金を引き続ける。

2秒ほどで6発全ての弾丸を吐き出し終えたその時、俺のISが背後からの砲撃を感知した。

俺は直ぐさまその場を飛び退る。するとその刹那の後にボーデヴィッヒのレールカノンが火を吹いた。放たれた砲弾はしかし俺を破壊することなく篠ノ之へとぶつかった。

超大口径の弾丸、それも普通の弾頭ではなくISの装甲やシールドを貫くための徹甲弾(ピアス)らしい。味方からの一撃(フレンドリーファイア)で残り僅かのシールドエネルギーを散らされた篠ノ之はそのまま墜落するようにして地面へと降りていく。

 

やはり、ボーデヴィッヒは篠ノ之を数として数えてすらいないようだ。味方を攻撃してしまったのにも関わらず、表情一つ変えることはない。

 

さて、戦いはここからだぞ。今のはボーデヴィッヒを完全に置いてけぼりにして篠ノ之へ不意打ちを入れたから俺への攻撃も緩かった。けどここからは完全な1対1。一応AICへの対策も用意はしてあるけれど、それがどこまで通じるのかは分からない。あれを操縦しているのが一夏とかならいくらでも付け入る隙はあるんだけどなぁ。ボーデヴィッヒは他の代表候補生とも違って本職の軍人で、当然ISを扱う訓練だってかなり集中して行わされているだろう。それに加え、ISがどうこう以前に戦い慣れている。それは前にオルコットや凰をボコっているのを見た時に分かった。これまでみたいに機体の性能に本人の能力が追い付いていなかったり慣れない戦い方を強要して追い詰めるみたいなやり方は出来やしないだろう。

さて、どうやって崩すか……。

 

「来ないなら、こちらから行くぞ」

 

「っ!?」

 

ボーデヴィッヒがプラズマ手刀を展開しつつ一気に俺の目の前へと迫る。俺はプラズマ手刀の距離に入られる寸前にメイスでそれを弾く。そして両手にトンファーを召喚。ゼロ距離での格闘戦へと雪崩込む。だが───

 

「手数ではこちらが上だ」

 

ボーデヴィッヒのシュヴァルツェア・レーゲンにはワイヤーとその先端に刃の付いた兵器がある。そのワイヤーブレードをこの距離での戦いで使われると厄介なことこの上ない。

この高速戦闘で動員できるワイヤーは2本までらしいが、それでも単純に倍だ。蹴りまで混ぜられなくて良かったと思うしかない。俺は脚まで使ってワイヤーブレードを捌き、トンファーでプラズマ手刀とやり合う。

 

「はっ!」

 

そして、プラズマ手刀と俺のトンファーが鍔迫り合った直後、ボーデヴィッヒが力む様な仕草をした。その瞬間、俺は本能のままにその場を飛び退る。別に何かが飛んでくるわけではなかったが、ボーデヴィッヒは狙いを外したかのように眉を顰めた。恐らくAICを使ったのだろう。危うく絡め取られるところだったわけだ。

そして距離が空いたボーデヴィッヒは、その左眼に着けていた眼帯を取り払った。そこから現れたのは、燃えるような右の紅とは違う、絵に書いた財宝のように輝くような黄金の瞳。その美しさに俺は思わず引き込まれそうになる。そして、戦闘中にも関わらず、美しいと、思ってしまったのだった。

だがその瞳の美しさとは関係無く、ボーデヴィッヒの攻撃は苛烈を極める。距離が開いたことでワイヤーブレードが6本全て射出され、更に右肩のレールカノンも火を吹く。

その強烈な連携に俺は思ったように距離を詰めることが出来ない。兎にも角にも、レールカノンとワイヤーブレードの組み合わせが厄介なのだ。AIC対策をこの局面で披露してしまう訳にもいかないし、まずはワイヤーブレードとレールカノンの分断から考えるべきか……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

シャルロットの隣でこの試合を観戦していた一夏の表情はコロコロ変わっていた。

最初に箒が天人に狙われた時には心配そうな顔をしていて、ラウラのフレンドリーファイアで落とされた時には随分と憤って抑えるのが大変だった。しかし天人とラウラのハイレベルな近接格闘を間近で見ている時は憧れるような顔をしていた。

 

「相変わらず、近接格闘は圧倒的ね」

 

ボソリと、一夏達と一緒に観覧していた鈴が呟いた。天人と同じように、近接格闘戦を強みにしていた鈴にとって、あの2人の戦いがどれほどのものなのかよく分かるのだろう。

 

「それもそうですが、神代さんのISは随分と馬力がありますのね」

 

それは箒の駆るIS、打金が手も足も出ずに押し切られたこと、そして実際に鎧牙に殴り飛ばされた経験からくる言葉だった。

 

「鎧牙は、第三世代型なのにブルー・ティアーズとか衝撃砲みたいな特殊装備に使う分のエネルギーを全部スラスターとパワーアシストに回してるって、天人が言ってたよ」

 

それは訓練の中でその出力の高さが気になっていたシャルロットの言葉。その言葉を聞いて、無人機討伐戦に参加していた一夏と鈴、セシリアは疑問に思うところもあったが、一応箝口令も敷かれているために、誰も口にすることはなかった。

 

「……それはただの高性能な第二世代型なのでは?」

 

セシリアがあまりにもっともな疑問を口にする。第三世代型ISは操縦者のイメージ・インターフェースを利用した特殊兵器の実装を目標にしたISなのだ。例に挙げればセシリアのISに積まれているビーム兵器やビット兵器、鈴の衝撃砲等がこれに該当する。だが天人の鎧牙にはそんな兵器は積まれていないという。一応、セシリアは黒覇のエネルギー圧縮斬撃を見ているのでそれが第三世代型相当の兵器だと認識しているが、それを知らないシャルロットはセシリアの言う通りだと思った。

 

「ホントにね」

 

しかも、ISの情報は基本的に開示されている。それは、どの国にも帰属していなくともコアの登録だけは終わった鎧牙も同じだ。

故に、表に出されていない黒覇の機能を知らないシャルロットには鎧牙は"ただの高性能な第二世代型"にしか思えなかったのだ。

 

「……天人の弱点って、なんだろうな?」

 

一夏がポツリと呟く。その横顔を見ていたセシリアは、自分との戦いや、最近開示された鎧牙のデータを頭に思い起こしながら言葉を繋いでいく。

 

「武装としては全距離に対応できるようですが、神代さんが中・長距離に応えているところは見たことありませんわね」

 

唯一あったのは自分と戦った時。しかしセシリアが一方的に展開したその狙撃戦で、尽く攻撃を避けられ、懐に入られたセシリアとしてはそれが弱点だとは思えなかったが、精々言えるとしたらその程度だった。

 

「……距離、空いたわよ」

 

そんな会話を聞きながらも試合の方へ意識を向けていた鈴が一夏達に声を掛ける。

先程までの近接格闘戦から局面は変わり、ラウラはワイヤーブレードとレールカノンでの中距離戦闘を展開した。セシリアの雨あられと降り注ぐビーム射撃を潜り抜けた天人はしかし、中距離でのシュヴァルツェア・レーゲンの制圧力に押され始めていた。

 

「天人……」

 

その呟きは誰のものだったか、その場にいる誰にも判別されることなく戦いの轟音の中へと消えていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

キリが無い……。

レールカノンによる強烈な砲撃と縦横無尽のワイヤーブレードによる斬撃。これを躱しながら懐へ飛び込み、至近距離から黒覇によるエネルギー圧縮斬撃での決着。というのが俺の描いているプランではあるのだが、この状況ではそれも難しい。

だがアサルトライフルとナイフでこの状況を打開するというのもどうやら現実的ではなさそうだ。

まだ見せたくはないのだけれど、やるしかなさそうだ。

俺はナイフを格納し、代わりに黒覇を召喚。武装の切り替えの一瞬のタイミングで間近に迫ってきたワイヤーブレードに、エネルギーを纏わせた黒覇で斬撃を浴びせる。

圧縮エネルギーによる斬撃はまだお見せできないが、刃に纏わせることで斬れ味を補強する機能であれば大丈夫だろう。

そして、エネルギーを纏わせた黒刀でまずは1本、ワイヤーブレードを切断する。さらに左手から俺を斬り裂こうと迫ってくるワイヤーブレードにも黒覇を振り上げることでそのワイヤーを切り落とす。俺はできるだけレールカノンの射線軸上に立たないように衛星的にボーデヴィッヒの周りを回るように飛行する。時折アサルトライフルの弾をばら撒きなるべくボーデヴィッヒをその場に足止めする。それでも残り4本のワイヤーブレードは鎧牙の装甲を切り裂かんと迫りくる。俺はその内の1本をまた切り落とした。これでようやくワイヤーブレードの数は半分になった。

 

「……ふん」

 

だがそこでボーデヴィッヒはワイヤーブレードを収納しつつレールカノンを連射することで牽制。そして一気にゼロ距離まで接近してこようとする。

俺もアサルトライフルの弾丸を吐き出してそれを止めようとするも、ボーデヴィッヒはバレルロールでそれを躱し、結局至近距離まで接近。展開したプラズマ手刀で斬りかかってくる。

 

俺は左右から迫る連撃を黒覇で凌ぎつつアサルトライフルを収納。左手にトンファーを呼び出してプラズマ手刀に対処出来る手数を確保する。

だが───

 

「ふん」

 

しかし数合ほど打ち合うと、ボーデヴィッヒは不敵な笑みと共にレールカノンを構える。しかも───

 

「ご主人様!?」

 

「リサっ!?」

 

俺の真後ろにはリサが。いくら星狼の物理シールドを全部展開しているとはいえ、この距離であの火力だ。俺はレールカノンを避けるわけにはいかない。リサに衝撃が無いとも限らないし、もしかしたらシールドごとぶち抜かれるかもしれないからだ。野郎……ここまで計算して俺の位置を誘導しやがったな。そして、当然ボーデヴィッヒの攻撃はそれだけでは済まされない。

 

「……っ!?」

 

強引に黒覇を振り上げてレールカノンを逸らそうとした俺の右手と身体が急に何かに固定されたかのように動かなくなる。これは……AICかっ!!

 

「所詮貴様も有象無象の1つだったようだな。……消えろ」

 

この距離であのレールカノンの直撃を喰らえば俺のISのシールドエネルギーはほとんど持っていかれるだろう。だけどな、鎧牙にはまだ奥の手が残ってんだよ!

 

「───なっ!?」

 

俺は背中に展開したマイクロミサイルポットから急激な放物線を描くような軌道で小型のミサイルを発射する。その数は8。

 

「ちっ」

 

それを見たボーデヴィッヒはAICを解除しながらその場を離脱。目の前で粉塵が巻き上がるが、レールカノンの徹甲弾が俺を貫くことはなかった。

ボーデヴィッヒが驚いた理由は1つ。今のミサイルは()()()()()()()()()()()()()()()()()からだ。俺のISに積まれている火器は黒覇とナイフ、メイスを除けば全て手持ちで扱う銃火器に分類されるようなもの。そしてあのミサイルポットはリサのISである星狼の武装なのだ。

ボーデヴィッヒのことだ、俺達のISの情報くらいアクセスしているだろう。そして俺のISには銃火器しか積まれていないと判断した。リサの星狼にはミサイルやバルカン砲を備えているが、そのリサは一切戦闘に参加する気は無い。だからAICの弱点である多方向からの同時攻撃は無いと踏んだのだろう。だが、篠ノ之束お手製のISが、ただ基本性能が高いだけのISなわけがない。黒覇の特殊機能以外にも、俺の鎧牙には本命と言える機能があるのだ。

それが、リサのISである星狼と拡張領域(パスロット)を共有していること。

これにより、俺達のISは通常のISを遥かに大きく上回る数の武装を装備でき、なおかつお互いの装備を一切の承認無しに自由に使えるのだ。

これは、ISの当初の思想であった宇宙開発に必要な能力でもある。

これがあれば、子機が採取した宇宙空間の物質や別の惑星の物質等を一切の往復無しで親機のある地球や、衛星軌道上の研究機関本部に即座に転送できることになるのだ。輸送費やその時間を大幅に短縮できるこの機能は、完成すれば、宇宙開発や研究に相当に大きな貢献を果たせる……らしい。篠ノ之束がそう言っていた。

一応篠ノ之束は、これや黒覇の機能は伏せておくとは言っていた。だが別にそんなことを気にする必要はなく、好きに使っても良いとも言っていた。なんなら、ばかばか使ってデータ集めをしてこいくらいのことは言われている。まぁ結局、大っぴらに使うのはこれが初めてになるのだけれど。

追尾や弾道制御機能のあるミサイルポットを更にもう1基召喚し、ボーデヴィッヒへ向けて一斉に発射。16発の弾頭がボーデヴィッヒの左手側から迫る。更に俺はミサイルの発射と同時にトンファーとアサルトライフルを入れ替える。それを掃射することでボーデヴィッヒの回避先を先に潰しておく。俺の弾丸に牽制され、避けることもままならなくなったボーデヴィッヒはミサイル群へ向けてレールカノンを発射、これらを打ち落とそうとする。しかし俺は次弾を装填したミサイルポットから更にマイクロミサイルを発射。それと同時に瞬時加速で一気にボーデヴィッヒへと接近。また急角度で迫るミサイル群と黒覇を振り被った俺と、どちらにAICをぶつけるのか一瞬、迷った。そして───

 

 

──エネルギー圧縮率200%──

 

──臨界点到達、待機可能時間残り5秒──

 

 

鎧牙のハイパーセンサーに、この距離で瞬時加速をすればどのタイミングでボーデヴィッヒとぶつかるのかは算出させていた。

俺はその寸前に、しかしこの速度だ。言ってしまえば1度目の瞬時加速の次の瞬間にはスラスターを吹かせて進行の軌道を少しだけズラした。

そして俺はボーデヴィッヒの真上から───

 

 

──最大までエネルギーを圧縮した黒覇を振り抜いた──

 

 

 

───その瞬間、俺の世界から音が消えた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

(私は、負けたのか……?)

 

天人の一撃を受け、沈む機体と意識の中で、ラウラは思う。

 

(こんなところで、あんな奴に……)

 

織斑千冬の弟である織斑一夏でもなく、他の国の代表候補性でもないあの男に。あんなISに乗りたての初心者に。

確かに機体性能は高い水準だった。篠ノ之束のお手製と言うだけあってパワー、機動力、速力共にシュヴァルツェア・レーゲンを上回る性能だった。

本人の身のこなしもそこらの一般生徒どころか代表候補性達とも一線を画す、まさに戦闘慣れした動きだった。

けれども自分は正規の軍人だ。

織斑教官の指導を受けた、ドイツ軍のIS部隊トップの成績を叩き出したエースなのだ。

それが一般人に負けるなど。

 

(またか。また私は落伍者の烙印を……)

 

ラウラに親は存在しない。人工的に合成された遺伝子から産み出された、デザインベイビー。遺伝子強化試験体C-0037───それがラウラ・ボーデヴィッヒという少女の出生だった。

 

そしてラウラの輝く左目。

 

『ヴォーダン・オージェ』

 

擬似的なハイパーセンサーと呼ばれるそれは脳への信号伝達速度の爆発的な上昇や戦闘中の動体視力強化を目的とした眼球へのナノマシン移植処理のことだった。

理論上危険はなく、不適合なぞ起こりえない───筈だった。

 

結果としてラウラ・ボーデヴィッヒに移植されたそれは暴走、機能のカットができなくなり常時稼動状態で固定。

軍のトップランカーだった彼女は瞬く間に失敗作の烙印を押されるのだった。

 

けれどそこを織斑千冬は救った。いや、正確には手を差し伸べ訓練の指示を出しただけで、ラウラ・ボーデヴィッヒが勝手に登り詰めたのだが、当の本人としては織斑千冬にこそ自分は救われたのだ、引き上げられたのだという意識が強い。そして憧れた。焦がれた。その強さに、凛々しさに。一言で言えば、ラウラ・ボーデヴィッヒは織斑千冬に心酔していた。

彼女を信仰していたのだ。だからそこ彼女の2連覇を阻んだ力なきあの男が許せなかった。

知った様な口をきくあの上から目線の男が鬱陶しかった。

 

『力が欲しいか』

 

(誰だ……?)

 

闇の中から、声が響く。それはラウラの意識を、深い深淵へと引き摺り込むようだった。

 

『全てを破壊する力が欲しいか』

 

(あぁ欲しいさ。織斑一夏を、神代天人を破壊する力が)

 

『奴らが憎いか?』

 

(憎いとも!教官の夢を阻んだ力なき男が!知った様な口をきくアイツが!!)

 

憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!

 

『ならばくれてやる。憎きものを、その尽くを討ち滅ぼす力を!!』

 

 

 

Damage Level……D.

 

Mind Condition……Uplift

 

Certification……Clear

 

 

 

 

《Valkyrei Trace System》……boot.

 

 

 

 

──ヴァルキリー・トレース・システム──

 

 

それは禁断のシステムだった。

この世界におけるヴァルキリーとはつまりモンド・グロッソ、ISの世界大会での部門別優勝者のことだ。そしてそれをトレースするシステム。そしてこれに積まれたデータこそは初代モンド・グロッソの覇者織斑千冬の戦闘データ。それが指し示す事象はただ一つ。

 

 

 

 

 

 

──最強の具現化──

 

 

 

 

 

 

例え模造品でも、機械的なコピーであっても、技術は技術。世界最強は世界最強のままその業をもって敵を蹂躙する。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「あああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 

「なんだ!?」

 

「きゃあ!?」

 

爆煙を潜り抜けて地上に降り立った俺の目の前で、ボーデヴィッヒのシュヴァルツェア・レーゲンが突如として紫電を放つ。

 

「ちっ……」

 

その紫電が俺の鎧牙の装甲を砕き、ボーデヴィッヒに近付くことを許さない。

そしてボーデヴィッヒの絶叫が止まらないうちにドロドロと、どこから現れたのか知らないが何か黒いヘドロのようなものがボーデヴィッヒとシュヴァルツェア・レーゲンを包んでいく。

それに伴いボーデヴィッヒの叫び声は収束していく。

そして全身が黒い泥に包まれた。

 

そこに居たのは身の丈にしてちょうど、織斑先生程の体格をしたナニカだった。全身が漆黒で顔と思わしき部分には目が無く、鼻と口が辛うじて形状としては確認出来る。体型からして女のようだがそもそもコレに性別があるのかは不明。そして右手にはこれまた全身と同じ漆黒の長刀。その形状から恐らく雪片弍型か、それに類するものだと思われる。

 

そしてソイツは俺を──正確には俺の右手の黒覇を──見て、刀を振りかぶって襲い掛かってきた。

 

「ぐっ……!」

 

その振り下ろされた刀を黒覇で受け止める。

黒覇の最大出力を放ったせいで俺の鎧牙のエネルギーはほとんど残っていなかった。その上さっきの紫電のダメージで、鎧牙からのエネルギー切れを予告するアラームが鳴り響いた。俺は目の前の漆黒から振り下ろされた刀を振り払って距離を置く。向こうも正眼に構えてタイミングを測ってきたのでその隙にISを全身展開では無く右腕部と黒覇を残すだけの部分展開に切り替える。ISからのPICの補助が無くなった俺の着地際を見計らって奴が斬りかかってきた。それをいなし、こちらからも打ち込む。向こうもそれを受け止め、鍔迫り合う。

 

『リサ、エネルギーこっちに回せるか?』

 

俺はプライベート・チャンネルでリサへと声を掛ける。

 

『はい。直ぐに送ります』

 

通常、IS間でのエネルギーの譲渡は中々難しい接続をしなければ行えない。しかし、俺とリサのISは、お互いにだけ限れば即座にエネルギーの受け渡しが可能なのだ。その上、本来は有線でやるところを無線でも行える。当然有線よりも時間や転送効率は落ちるが、この程度なら問題無い。それに、リサのISには俺用のエネルギータンクが積まれている。そこからエネルギーを配れば黒覇の最大出力も使えるようになろう。

 

そして、エネルギーの供給を受けながら俺は、力任せにソイツを押しのけ、黒覇を振り下ろす。それは後ろに下がって躱されたがまぁいい。末端なら多少切り落としてもボーデヴィッヒには届かないだろうからな、ちょっとずつ刻んで取り出してやるよ───。

 

 

 

そうして何合と切りあっていくうちに、ソイツの動きに何か見覚えがあることに気付く。似ているのだ、一夏に、敵対した時の対策にと見たビデオの織斑千冬に。

 

そして奴の武器。1本のロングブレード。形状は雪片弍型に酷似。

織斑千冬の世界大会での使用ISは雪片弍型の基礎となった雪片1本だけ。

ボーデヴィッヒはドイツの軍人で織斑千冬は過去にドイツ軍に指導教官として従事経験アリ。そしてその期間はボーデヴィッヒがドイツ軍にいた時期と被る。

言動からしてボーデヴィッヒにとって織斑千冬は最も敬愛する教官であり最も強さの象徴であること。そしてこのタイミングで発動した謎のシステムと織斑姉弟に酷似した動き。

繋がる。俺の頭の中でこの黒いやつの正体が。

 

ったく、ボーデヴィッヒが望んだのか、それとも他の誰かがこっそり積んだのかは知らねぇが、本当につまんねぇもんを乗っけてくれたもんだな。

 

きっとこの黒いのは操縦者が"世界で1番強いと思っている奴"の動きを再現させるものなんだろう。そしてボーデヴィッヒの中でのそれは織斑千冬。だから武器が雪片っぽい刀1本で、動きがあの2人そっくりなんだ。あぁけど流石世界最強だ。刀振り回す技術なら俺より上だよ。本当に。時々掠める刃に皮膚が裂かれる。どれも深く肉を斬る程ではないがこのまま続けば出血で動きが鈍るだろうし、コレ相手にそれは致命的だ。確実に致死の一撃が叩き込まれる。聖痕で身体を強化すりゃこんな奴速攻で片付けられるのだが、何となくそれは、コイツと同じになったみたいで気が進まない。力に呑まれて暴走するその姿は、かつての俺と酷く重なった見えた。

しかし、ここにきて更に場を混沌とさせる出来事が起きた。それは───

 

「お前が、その技を使うんじゃねぇぇぇ!!」

 

一夏だ。アリーナのシールドエネルギーを零落白夜で斬り裂いて瞬時加速で突っ込んで来たのだ。織斑千冬は一夏にとっても相当に大きな存在だ。その業を、このような形で模倣されることはアイツにとっては許し難いことなのだろう。

俺は一夏の姿を認めると───

 

「がぁ!?」

 

黒覇の圧縮エネルギー斬撃を叩き付けた。

こちらのエネルギー残量も心許無いから圧縮率自体はそう高くはない。けれど相対速度が一夏の軌道を捻じ曲げて地面へと叩き落とした。

 

「天人!!何しやがる!?」

 

「……うるせぇな。お前こそ邪魔だ。隅っこで大人しく見てろ」

 

この隙を突いてこない黒いのを疑問に思いながらも俺は一夏に向き合う。

 

「そんなことできるかよ!あれは千冬姉の技だ。それを……それをあんな奴に使わせられ───」

 

俺はもう1度黒覇を振り抜く。今度は先程よりも威力のある斬撃が一夏に襲い掛かる。しかし今度は雪片で受け切れた一夏は刃を振り上げることで俺の飛ばした黒い斬撃を真上に打ち上げる。

 

「これは俺の戦いだ。一夏、お前はそこで見てろって言ってんだよ」

 

「いいや違うね。これはもう俺の戦いだ。お前こそもうろくにエネルギー残ってねぇんだから向こうで大人しくしてろ!」

 

「そうかよ……。ならまずはお前から潰すぜ」

 

リサの星狼から送られているエネルギー量は既に鎧牙を全開で動かすには十分な量に到達している。俺は全身に鎧牙を展開。シールドエネルギーの残量はそう残ってはいないけれど、一撃も喰らうことなく決め切るから問題無し。

 

俺のISの展開を見て一夏も雪片を正眼に構える。そして俺達は同時に飛び出した。

光の粒子を放出させながら煌めくその刀身は、まさしく雪片の真骨頂である零落白夜の輝き。それに相対するのは夜の闇のように深く刃に映る全てを呑み込まんとする黒。相反する2色が相克するように接近する。そして───

 

───一夏は俺と切り結ぶ瞬間、雪片を下から上へと振り上げた。それとは真逆に俺は真上から唐竹割りに黒覇を振り下ろす───

 

フリをしてそのまま両手を黒覇の柄から離した。

 

 

───カン!

 

 

と、音を立てて真上へと跳ね飛んだ黒覇を見ることもなく俺は更に深く、一夏の懐に潜り込む。

そして一夏の腹に両手による掌底を突き出し───

 

 

 

──瞬時爆発(イグニッション・バースト)──

 

 

 

「ガッ───!?」

 

瞬時爆発は、俺のIS──鎧牙──に搭載されている機能で、瞬時加速の技術を応用した近接格闘戦向けの機能だ。

瞬時加速は一旦放出したエネルギーを再び取り込むことで圧縮し、爆発的な加速力を得る技だがこれは少し違う。同じように取り込んだエネルギーを圧縮し、そしてそれを外向きに爆発させることで目標を攻撃するのだ。鎧牙はこれを、掌底と足の裏から放つことができる。もっとも、プラズマ手刀を使うボーデヴィッヒとはあまり相性が良くないし、1回戦での一夏やシャルロット相手には使うタイミングも必要もなかった。

故に一夏は初めて見る攻撃であり、完全な奇襲となってモロにその爆発を喰らうこととなった。

更に俺はリサの星狼に積まれているバルカン砲を召喚。腰から前方へと回し、重戦車すら瞬きする間に細切れにできる弾丸の暴威を至近距離から一夏の白式に叩き付ける。

 

──ッドドドドドドドドド!!──

 

と俺の腰のバルカン砲がその銃身から、降り注ぐ豪雨のように弾丸を吐き出す。

そしてそれは白式の眩く美しい白の装甲を引き裂き、その汚れ無き白を機械油の黒で穢していく。やがて大きくて正面から見てもはみ出して見えることが災いした白式のウイングスラスターが弾丸に引き裂かれ爆発、炎上。それと共に零落白夜を2度も使った白式のシールドエネルギーが尽きる。

 

「くっ……そぉ!!」

 

崩れ落ちる一夏をしかし俺はもう視界に入れることなく振り返る。

ISのハイパーセンサーで分かってはいたが、やはりボーデヴィッヒとシュヴァルツェア・レーゲンだったものは、何故か俺達の戦いをただ眺めているだけだった。

 

しかし、一夏に打ち上げられ、アリーナの砂地に突き刺さっていた黒覇を俺が引き抜くと、奴は即座に刀を構え、俺に飛び掛ってくる。けれどいい加減俺もコイツの動きには慣れてきた。前の無人機と違ってコイツの動きにはパターンがある。それは、俺の動きに合わせて最適な動きをする、というようなものなのだが、その種類はあまり多くはなく、慣れれば次の動きを誘導できるのだ。きっと、これを積み込んだ奴は束程の力は無いのだろう。だから動きが単純で、使う技術こそ織斑千冬のものだけあって最初は手こずったが、慣れれば簡単に攻略できる。

俺はそこから数合も打ち合うと、もう鍔迫り合うこともなく簡単に刀を握った両手首ごと斬り飛ばす。そして半身に体を引きながら奴の正中線に沿って切っ先で奴の胴体を切り開く。

するとその裂け目から気を失ったボーデヴィッヒが零れ落ちてきた。

 

「本当、手のかかる奴だな……」

 

思わずそう呟きながらその華奢な身体を抱き留めると急に鎧牙が光り出す。そしてボーデヴィッヒのシュヴァルツェア・レーゲンも同じく共鳴でもするかのように輝き、それに俺たちはそのどこか暖かな光に包まれた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

『ここは……?』

 

『さぁな。強いて言うなら、俺の記憶ってところか』

 

気が付くと俺達は、どこか別の空間にいた。いや、ここはきっと現実の空間ではないのだろう。何せ、お互いさっきまで纏っていたISが無いし、何故か光で包まれていてシルエットが分かりづらいけれど、多分2人とも服すら着ていない。

そして俺達の周囲には記憶が……俺の戦いの記録が、俺達を囲うように浮かんでいるのだ。

 

『負けたのか、私は……』

 

『いくら織斑先生の真似をしようが、あんな魂の入ってないパチモンじゃ、俺には勝てねぇよ』

 

『そうか……。これがお前の記憶……。まさか、そんなことが……』

 

 

『知ってるのは山田先生と織斑先生、あとは篠ノ之束くらいだ。他には言ってないし多分言っても信じねぇだろ』

 

『だろうな……。あぁ、強いわけだ。……この力、使ったのか?』

 

『誰が使うかよ。あれは守るために使うんだ。お前みたいに暴力でただ蹂躙すれば良いなんて使い方、ゴメンだぜ』

 

『強いな……。どうしたらそんなに強くなれる。戦闘力だけじゃない、どうしてそんなに強く在れるんだ……?』

 

『強くなんてないさ。本当に強かったら俺はこんな所にはいない。けどま、俺が強く見えるんだとしたら簡単だ。俺には本気で、この命に代えてでも守りたい奴がいる。そしてそのために戦ってるからな。やっぱさ、他に守るものがある奴ってのは強くなれるんだよ』

 

だからきっと、アイツも強くなれる。今は弱くても、努力さえ怠らなきゃ、な。

 

『守りたいもの、か。私は自分を守るだけで精一杯だったんだな。他の誰かのことなんて考えたこともなかった』

 

『俺だってそうさ。今だって、精々他にはリサのことしか考えられない。だからさ、これから見つけてけばいいんだよ。時間はたっぷりあるだろ』

 

『あぁけど、私にはもう分からないんだ。自分が一体何なのかさえ。力が私の全てだった。けどそれを否定されたら私は……』

 

『お前はお前だ、ラウラ・ボーデヴィッヒ。けどそっか、ならそれも探そうぜ。お前はもっと外を見ろ。世界はほらこんなに広いんだ』

 

『外、か。これでも私は、自分の視野は比較的広い方だと思っていた。ドイツ軍の軍人として、ISの国家代表候補性として、この学園に通っている奴らよりも色んなものが見えていると、そう思っていた』

 

『まだまだ狭いな。世界はお前が思ってるよりずっと広い。そして何より世界は1つですらない。お前は……、俺もだけど、この世界だけですらほんの一部しか見てねぇんだ』

 

『みたいだな。あぁけど本当のことを言うと、やはりお前の言う通り、怖いんだ……』

 

『怖い?』

 

『あぁ、私は本当の意味ではまだ外に出てないんだと気付いてから、外に出るのが怖くなってしまった。……笑うか?』

 

『笑わねぇよ。俺だって外に出るのは怖かった。今でも怖いさ。知らねぇ世界で、ISなんて物が飛んでて。リサを守り抜けるのかってな』

 

『そうか……、そうだな』

 

『だからさ、ここからだよ。ここから、お前はお前を、ラウラ・ボーデヴィッヒを始めるんだ』

 

『あぁ。それはいいな……』

 

『俺も、まぁ少しなら手伝ってやるよ』

 

『ふふっ……よろしく頼むぞ』

 

そしてラウラは微笑んだ。その顔は、俺がこれまで見てきたこいつの顔の中で1番輝いていた。

 

 

 

──これから、お前はお前自身を見つけるんだ。そうすりゃきっとあんな黒いのに惑わされることもないだろうからさ──

 

 

 

 

 

 



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逃げるは恥じゃないし役に立つ?

 

鎧牙のハイパーセンサーは、シャルロット達を押し留める織斑先生の姿を捉えていた。だから、その当の本人に事情聴取をされるというのはどこか釈然としないものがあるのだけれど、向こうも仕事だろうからと思うことにした。

 

「くぁ……」

 

眠くなりそうな尋問を終え、俺は腕と背筋を伸ばしながら欠伸をする。

 

「ねむ……」

 

目に浮かんだ生理的な涙を拭いながら学園の廊下を歩く。すると、俺の視線の先の角からシャルロット、オルコット、凰が歩いてくるのを見つけた。向こうもどうやら同じようで、ふとシャルロットと目が合う。すると、シャルロットは2人に別れを告げ、こちらに小走りでやって来た。

 

「……どうした?」

 

「うん、ちょっと、ね……。聞きたいことがあって」

 

「んー?」

 

「あの時……一夏が割って入った時、どうしてあんな無理矢理止めたの?ISのエネルギーだって白式の方が沢山あった。止めるなら、天人より一夏の方が……それに……」

 

「一夏とラウラには織斑先生っていう因縁があるから、譲れって?」

 

「譲れ……とまでは言わないけど、うん……。一夏にやらせた方が確実だったんじゃないかって」

 

どこか、怯えているのか遠慮しているのか知らないけれど、シャルロットは身体を小さくしながら俺に疑問を口にする。

 

「他に出来る奴がいたとして、それは俺がやらない理由にはならないよ。それに、あぁいう力に呑み込まれた奴を引き摺り上げるのは、やっぱり俺のやるべきことだと思う」

 

「それは、なんで……?」

 

「…………」

 

シャルロットのその質問に、俺は一瞬押し黙ってしまう。別に、不幸自慢をする趣味はない。ここで俺の昔話をしたって何になるわけでもないしな。けれど、説明しなければシャルロットは納得しないだろうというのも分かってはいる。

 

「……昔、同じように力に呑み込まれて、全部失った奴を見たことがある。だから、アイツにはあんな風にはなってほしくなかった」

 

だから俺はこんな風に誤魔化すようなことしか言えない。あとの時のことを話す気にはまだ、俺はなれなかった。

 

「そっか……。うん、やっぱり天人は優しいね」

 

「……そうけ」

 

何となく、この場に居辛くなった俺は用事があると急ぎ足でその場を去った。そんな俺の背中に、シャルロットの視線が注がれている。それは暖かくて、俺を気恥ずかしくさせる何かが籠っていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

IS学園には大浴場が併設されている。

だがこれを俺が使ったことは無い。何せここはつい去年までは実質的な女子校。明確に女子しか入学できない決まりになっていたことは無いけれど、ISは女にしか動かせないというのがこの世界の真理だったのだ。当然設備の全ては女子校同然に作られている。

 

つまり何が言いたいかと言うと、この大浴場には男湯と女湯の概念が存在しないのだ。

強いて言うなら女湯しか存在しない。だから俺はこれを使ったことはない。一応昨日から、男も使えるようにタイムテーブルを調整していたらしく、これまで我慢していたサービスとして昨日と今日は男子オンリーの日だった。それにかこつけて一夏は1人、大浴場を満喫したらしいが、兎にも角にも俺はまだ使ったことはない。

 

が、俺は幼少期をオランダとイ・ウーで過ごしたとは言え両親は日本人。家にも日本式の風呂があったし日本に来て武偵になった頃からちょくちょく大衆浴場にも足を運んでいた。

 

つまりはまぁ、湯船に浸かるという行為に関してはそれなりに好印象なわけで。

 

たまには風呂にでも入るか。

 

と、こう言ってしまうと不衛生な奴っぽいが、一応毎日シャワーは浴びている。リサはシャワーだったり大浴場だったりまちまちだったが。

 

ともかくだ。俺は今日、IS学園に来て初めて大浴場に入ろうと思ったのだ。

そう思って脱衣場まで来たのだが……。

 

「……よう」

 

「う、うん」

 

何故かシャルロットがいた。一夏はもう既に入り終えたらしく、さっき廊下でホカホカした奴とすれ違った。

 

「あぁ、じゃあ俺は部屋のシャワー浴びてくるわ」

 

さすがに本当は女子であるシャルロットと同じ風呂に入るわけにはいかない。正直今日は疲れたから湯船にゆっくりと浸かりたかったのだが仕方あるまい。部屋に戻って汗を流したらリサに甘えるとしよう。いや……別にここで風呂に入ってもリサには甘えるからあんまり変わらんか。

 

じゃあと、俺が踵を返して帰ろうとすると、後ろから制服の裾を引っ張られる感覚があった。何事かと振り向けば、そこには顔を伏せているのに耳まで真っ赤に染めて羞恥を隠しきれていないシャルロットがいた。そしてその細く白い指は、俺の、ブレザー型に改造した制服の裾をちょこんと摘んでいた。

 

「……どうした?」

 

「えと、ほら……ここのお風呂って広いからさ。脱衣場も……。お互い背中向けちゃえば見えない、から……その……入ろ?ね?」

 

シャルロットは顔を伏せたまま、さらに横を向いてなるべく俺を視界に入れないようにしているが、そこまで恥ずかしいなら自分が出ていくか、俺を止めなければ良いのに……。しかしここで俺が断るのも、何となく意識し過ぎな感じもして出て行き辛い。

 

「……はぁ。まぁお前がいいなら別に」

 

もうこうなったらどうにでもなるがいいさ。別に俺に何か損があるわけじゃない。自由に首も振れないのは面倒だが大浴場なんてそんな周り見渡して入るもんでもないだろうしな。

 

俺は適当にシャルロットから影になるようなロッカーを選んでそこに脱いだ制服を突っ込む。そして、体を洗う用のタオルだけ持ってさっさと浴場の扉を開けてその中に入る。

 

大浴場は、確かに大浴場と言うだけあってかなり広く、視界を遮るように湯気が立っていた。

 

一応のマナーとして俺は先に全身を洗う。俺がワシャワシャとシャンプーで頭を洗っている時に再び大浴場の扉が開く音がし、ペタペタと足音が聞こえた。恐らくシャルロットが入ってきたのだろう。それて俺の陣取っているシャワースペースから2つ3つ程間を空けたシャワースペースの椅子が引かれる音がする。多分これもシャルロット。目は閉じているけれど、そもそも一夏が戻った以上あと入るのはシャルロットくらいだからな。

 

俺は頭のシャンプーを熱めのシャワーで落とし、そのままタオルで身体を洗ってそのタオルもお湯で濯いで……と、全ての準備を整えて湯船へと向かった。

脇目も振らず、いや、振れずに縁へと辿り着いた俺はそのまま足先で湯船の温度を図る。うむ、ちょい熱くらいだな。多分全身浸かれば少し痛いくらいかもしれないけれど、俺はこれくらいが好きだったりする。

 

「ふはぁ……」

 

そして俺はそのまま湯船に全身を浸けた。タオルは縁に置いておく。俺の全身に、湯船の熱量がチクチクとした痛みを与えてくるが疲れた身体にはそれも心地良い。あぁ……溶けてしまいそうだ。

 

湯気に魂でも紛れて換気扇に吸い込まれてしまったのか、俺はしばらく何も考えられずにボォっとしていた。すると、チャプンと音が聞こえる。そっちに顔を向けることはなかったがシャルロットだろう。て言うか、他にいないし。

 

「ねぇ」

 

「んー?」

 

少し離れた距離からシャルロットが話しかけてくる。当然俺はそっちを見ることなく声だけで返事を返す。返した……のだが、何やらチャプチャプと水音が風呂場に響く。どうやらこっちに寄ってきているようだ。俺は仕方なしに後ろを向く。

 

「話が、あるの……」

 

「……なしてこっちに?」

 

「いいから。私ね、ここに残ろうと思うんだ」

 

いきなり話があると思ったら何かと思えばその話か。

 

「あぁ」

 

「他に行くところもないし、それに……」

 

そこでシャルロットは言葉を切った。

それに……何だ?

 

「それに、ここに居ていいって言ってくれた天人がいるから、僕もここに居たいって思えたんだよ」

 

そうか。俺が居るから、か。けれどそれは……。それなら俺はきっと言わなければならないのだろう。何も言わないというのは、きっと不義理なことだと思うから。

 

「……シャルロット」

 

「何?」

 

「少し、話があるんだ。ちゃんと話したいことが」

 

「うん、聞くよ?」

 

「あぁけど、風呂場じゃあれだから、俺の部屋に来てくれ。俺とリサと、シャルロットの3人で話さなくちゃいけないことだから」

 

「……分かった」

 

「じゃあ、先に上がってる」

 

「うん……」

 

俺はシャルロットに背を向けたまま湯船から上がる。視界の端で、シャルロットが手を伸ばしていたような気がしたが、その手は宙を彷徨うばかりで、俺に触れることはなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「それで、話って?」

 

俺が部屋に戻ってから直ぐにシャルロットは来た。照明の白い光に照らされた部屋には俺とリサ、シャルロットの3人だけが各々ベットに腰掛けている。さながら、罪の告白でもしようかという雰囲気がこの狭くも広くもない部屋を支配していた。

 

「シャルロット、お前がここに残るという決断を俺は尊重したいと思う。けど、"俺がいるから"という理由なら、話さなきゃいけないことがある」

 

「それは……?」

 

「……俺は、いや、俺とリサは……IS学園を去る」

 

去る、いや、去りたい。一刻も早く俺は元の世界に帰りたい。まだ帰る手段も、手がかりすら見つかってはいないけれど。

 

「えっ……?」

 

俺の言い回しはいつか卒業するとかそういう風ではないことくらいシャルロットは分かっている。卒業なら態々言う必要もないからな。同じタイミングでシャルロットだって卒業するわけだし。

 

「これを知っているのは、この学園じゃ織斑先生と山田先生、あとはまぁ、ラウラだけだ。だから、黙っていてほしい」

 

そう言って俺は銀の腕を出す。白い炎に包まれ、そして銀色に変わったその腕を見て、シャルロットの顔が驚愕に染まる。驚くだろうな、そりゃあ。そして分かるはずだ。これがISなんかじゃないってことも。

 

「俺は、俺とリサはこの世界の人間じゃない。住む世界が違うとか、そういう問題じゃないんだ。本当に別の、それこそ異世界から来たんだ」

 

「え……えっ……?」

 

「きっと俺がISを扱えるのは、別の世界から来たからだ。俺は元の世界でリサと一緒にこの世界に飛ばされた。なんでここだったのかは知らない。偶然かもしれないし、狙ったのかもしれない。けど兎に角、俺達は気付いたらIS学園のアリーナにいて、この建物がなんなのか調べてたら織斑先生に見つかって、何やかんやで今こうしている。確かなのはそれだけだ」

 

「待って、待ってよ。僕……何が何だか……」

 

「シャルロット様。混乱しているのも分かります。いきなりこんな話をされて、信じられない気持ちも分かります。けれどまずは、ただ話を聞いてください」

 

リサのその言葉に、シャルロットは一旦の落ち着きを見せた。すぅ、はぁと数度の深呼吸をして心と身体を落ち着ける。そして、何か覚悟を決めたような顔でこちらを見据える。

 

「分かった。まずは、話して。2人の話を」

 

「あぁ。そういう訳で俺達は元の世界に帰る方法を探している。手がかりはまだ、見つかってないけど。けど俺達は絶対に元の世界に帰る。一刻も早く、な。だからシャルロットには話しておかなきゃいけないんだ。俺を理由にIS学園に残るって言うのなら、これを話さないのは不義理だと思うから」

 

俺の話を聞いたシャルロットは少し視線を落とし、「そっか」と呟いた。そして再び顔を上げ、質問していいかなと問う。俺も当然イエスと答える。

 

「その、IS学園卒業までに帰れる確率は、どれくらいなの?」

 

「さぁな。何せ、本当に何も分かっちゃいないんだ。俺達をこっちに飛ばした方法は大雑把には分かるが、それはこの腕みたいに超常的なもので、俺達には再現できないんだ。だから別の方法を考える必要があるんだが……」

 

「……どうしてまだその段階なのに、話してくれたの?もっと、それこそバレた時にでも良かったんじゃ……?」

 

「お前のここに残るっていう決断の重さに、()()()()()()()()()()()()()()()()が、義理を通したと言えるか?」

 

「そっか……。うん、ありがと」

 

その言葉の後に少し押し黙ったシャルロットだったが、時々言っていた"ブテイ"って何?とか、そもそもなんでボーデヴィッヒさんは知ってるの?とか、いくつかの質問を俺達に投げかけて、それに俺が答えると、「話してくれてありがとう」とだけ残してシャルロットは部屋に戻って行った。

 

「ご主人様……」

 

「んー?」

 

シャルロットの出ていったドアが閉まると、リサが俺にしなだれかかってくる。その肩を抱いてやれば、リサは頭も俺の肩に預けてきた。

 

「ご主人様は優しい方です」

 

「ここに残るっていう決断が出来ない奴がか?」

 

本当に優しい奴なら、シャルロットやラウラに言った言葉の責任を取ってこの世界に残るだろう。リサも一緒にいるのだから、それは酷い決断ではないはずだ。けれど俺はそうしなかった。だから俺は優しい奴なんかじゃないよ。

 

「それはリサのことを想ってのことだと分かっています。この世界はリサ達の世界とよく似ています。けれど決定的に違う世界……。そしてリサはこのISのせいで戦いに巻き込まれている。だからご主人様はこの世界から一刻も早く出ようとしてくださっています」

 

そう、リサは篠ノ之束によってISを与えられた。与えられてしまったのだ。そして、この世界でISは超重要な戦力と考えられており、このIS学園もその扱いを学ぶ場だ。そうなればこれからも、今回の学年別トーナメントみたいに望んでもいない戦いの場にリサは巻き込まれるだろう。

 

誰もリサの意思なんて気にすることはなく、ただISがあるから、動かせるのだからという理由で彼女を戦いの場に放り込もうとする。

 

イ・ウーを潰したことから、その後に出てきた極東戦役に巻き込まれたキンジとは違う。本人には何の落ち度も責任もなく、ただ動かす才能があるからと担ぎ上げられたのだ。

 

これじゃイ・ウーにいた時と同じだ。俺はそれが嫌だからイ・ウーからリサを連れ出そうとしたのだ。あの時はシャーロックによって多少捻じ曲げられたものの、最大の目的であるイ・ウーからの脱退とリサを戦闘員として考えない組織(武偵校)への加入だけは達成された。

 

けれどIS学園は───いや、ISを取り巻く環境は否が応にもリサを戦わせようとする。ISを持っているのだから、ISを扱えるのだから、力があるのだから、だから戦えと。

 

けれど俺は、そんなことは絶対に許さない。リサは絶対に戦わせない。リサの代わりに俺が全て戦う。

あの時俺はそう誓ったのだ。

 

「言ったろリサ。お前は戦わなくていい。誰かを殴るのも、殴られるのも、全部俺の仕事だ。お前に降り掛かる火の粉は全て俺が打ち払う」

 

それが例え世界そのものであっても、俺は抗い打ち砕く。リサを戦いに駆り出そうとするその全てに俺は反逆する。

 

「あぁ愛しのご主人様……。リサは幸せです。今日はお疲れでしょう?どうかリサの胸の中でお休みください」

 

そう言ってリサは俺の頭を抱き抱える。俺もそれに逆らわずにリサの甘い香りを胸一杯に吸い込みながら布団の中へ倒れ込む。ボフリというマットレスの沈む音とギシリというベッドのスプリングが軋む音が俺の心をくすぐる。

 

俺は体操の鞍馬でもやるかのように身体を回して掛け布団の下に下半身を潜り込ませた。

リサ一旦ベッドから降りつつ布団を捲り、その中へ収まる。

 

頭上にあるスイッチを押せば、部屋の灯りは消え、更にスイッチを捻ると頭上の電球が明るい白色の光から穏やかなオレンジ色の光へと変わる。

 

光量の落ちた部屋の、俺とリサだけの花園の中、俺はリサの瞼と唇に触れるだけの軽いキスを落とす。するとリサも俺がした所と同じ場所にキスをくれる。

 

「お休み、リサ」

 

「お休みなさい、ご主人様」

 

フッと微笑みあった俺達はほぼ同時に瞼を閉じる。すぐに微睡みはやって来る。夢の世界への扉も既に開いていて、俺達は直ぐにその扉をくぐった。この手の温もりこそ最愛だという確信がそこにはあったのだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

次の日の朝、教室で一夏と大浴場の感想をぶつけ合っていたのだが、山田先生がやけに疲れたふうにして教室へ入ってきた。訝しみながらも、昨日の今日だしなと思いながら俺は席に戻った。

 

すると、開口一番、溜息を吐きながら山田先生が告げる。

 

「はぁ……おはようございます。今日は皆さんに転校生を紹介……いえ、紹介はもう済んでるんですよね……はぁ。えと、どうぞ」

 

要領を得ないとはまさにこのことだろう。

普段から自信なさげで小さくなりがちな人ではあったが今は一際小さく萎んでいる。もっとも、今のこれはただひたすらに疲れているだけのようだが。

ともかく、そんな意味不明な説明でザワつく教室へ入ってきたのは、確かに既に自己紹介なんて終えていた人物だった。

後ろで束ねた色の濃い金髪にミニスカートから覗く細くもしっかりと締まっている白く美しい太ももとふくらはぎ。その持ち主は美男子にも見紛う整った顔をした───つまり掛け値無し純度100%女子のシャルロットだった。

 

「えぇと、シャルルくんはシャルロットさんでした……。はぁ……また部屋割りを考えないと……」

 

奇想天外な今よりも1寸先の現実に打ちのめされている山田先生を放って、シャルロットの本当の姿を見たクラスは大騒ぎだ。だが……。

 

「あれ?そういえば昨日のお風呂って男子の番じゃ───」

 

「一夏ぁぁぁぁ!!」

 

ドッバァァァン!!と、我らが1年1組の教室のドアを全力で破壊せしめたのは隣のクラスの凰だった。その身体には既にマゼンダのISを纏っており、その膂力でぶん殴られたらしいドアが哀れくの字に曲がって吹き飛んでいた。

 

「死ね!!」

 

そして凰のISの特殊兵装である衝撃砲は2門とも最大出力でチャージ完了。後は凰の意識1つで一夏は名も無き肉片へと姿を変える。

 

凰的には本当は女の子だったシャルロットと一夏が風呂に入ったっぽいのが気に食わないのだろうが、シャルロットと風呂を共にしたのは俺だ。謂れのない誤解で殺されるのはあまりに可哀想だし、何よりあの出力で衝撃砲を放たれたら俺も死ぬし何なら一夏の周りの席の奴全員死ぬ。

 

凰がそれでどうなろうと知ったこっちゃないが、理不尽な大量殺戮を発生させるわけにもいかないので俺も即座に鎧牙を起動。リサの星狼から物理シールドを3枚呼び出す。これで衝撃砲を受け止めるのだ。

 

凰の殺意に満ちた剣幕と目の前にいきなり現れた巨大な金属塊に後ろから見ても分かるくらいには一夏が驚くが、俺の予想していた衝撃は中々訪れない。

 

「……?」

 

衝撃砲の発射とシールドの展開はほぼ同時の筈だ。あの凰が寸止めするとも思えないし、何よりふーふーと凰の荒い息遣いは聞こえてくる。何があったのかと俺がシールドからゆっくりと顔を出して覗き込むと───

 

「……ん?」

 

凰は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。そしてその視線はこちらではなく教室の窓側に向いていた。俺もその視線を追うとその先には───

 

「……ラウラ」

 

長い銀髪と眼帯が目立つそいつは、昨日戦った時と比べて随分とこざっぱりした黒い機体に身を包んでいた。凰の衝撃砲はAICで相殺したのだろう。相変わらず反則臭い性能だ。

 

「随分さっぱりした機体だな」

 

「壊れた部分を急ぎ予備のパーツで組み直したからな。全開とはいかない」

 

肩のレールカノンの姿が無いのはそういうわけか。確かに、よく見ればそれ以外はだいたい揃っているようにも見える。……さっぱりしたように見えたのは、あのレールカノンの存在感が大きすぎるからなんだろうな。俺は役目を果たすことなくただ鎮座しているシールドを全て星狼へと格納する。パッと粒子を瞬かせて3枚の、身の丈以上あるどデカい盾が教室から消えた。

 

「凰、ブチ切れているところ悪いが、一夏は昨日1人で風呂に入ったことは俺が証明する。俺は風呂上がりの一夏とすれ違ったし、その後に入ろうとするシャルロットとは脱衣場の前で鉢合わせになったからな」

 

実は一夏は途中からシャルロットが実は女だってこと知ってました、とは言わない方が良いだろう。言ったらほら、今の俺の言葉で落ち着き始めている凰がまた暴れだす。眠れる獅子は眠らせたままにしておこう。

 

あと俺とシャルロットが一緒に風呂に入ったことも黙っておこう。入る前に鉢合わせたのならどっちかが遠慮しただろうという想像になるだろうし。真実は語らなければ嘘を付くことにもならん。

 

「む……それならいいわ。お邪魔したわね」

 

そういうと凰はパッとISの展開を解除してそそくさと立ち去っていった。いやお前、ドアどうすんだよ。という言葉が俺の喉から出ることはなかった。何故なら───

 

「天人」

 

「ん?───んうん!?」

 

呼ばれて振り返れば眼前にはラウラの整った顔が迫っていた。しかも胸倉を捕まれ腰を曲げられるとそのまま俺の口にキスをかまされたのだ。

 

そして数秒程唇を押し当てて満足したのかラウラは俺を解放した。しかしビシッと俺の顔を指差し───

 

「お前は私の嫁にする!これは決定事項だ、異論は認めん!!」

 

と、宣ったのだ。

 

「嫁……?婿じゃなく?」

 

辺りに突然の出来事に俺は俺で的を射てるんだか射てないんだか分からない反応しか出せない。

 

「日本では気に入った相手を嫁にするという文化があると聞いた。だからお前は私の嫁にする」

 

誰だよラウラに理子みたいなこと言った奴。しかも信じちゃってるし。

 

「……その理論だと俺はもうリサに嫁に貰われてる」

 

あと俺もリサを嫁に貰ってるから。

 

「ふん、ならば奪うまで。恋とは奪うものだと聞いたぞ」

 

落ちるもの、とは聞いたことあるけどな。まさか奪うものだったとは。ていうか本当に誰なんだ、ラウラに理子的文化を教え込んでいる奴。マジで出てこい、1発殴らせろ。

 

しかしこのIS学園、実質女子校だけあってこういう話題への盛り上がり方は凄まじい。二股だの略奪愛だの刺激的な単語が飛び交っている。……ここら辺は武偵校に似てるな。嫌な似方だ……。

 

「……ねぇ天人?」

 

ゾッとした。地獄の底から響いてきた声というのはこういう声のことを言うのだろうか。

俺が振り返ればそこには目の笑っていないシャルロットがいた。

 

「……なんだ?」

 

「天人は、付き合ってる女の子がいるのに他の子とキスしちゃうような人なんだね」

 

……何故か知らんがリサではなくシャルロットがブチ切れている。なるほど、キンジはこれを味わっていたのか。……帰ったらもう少し優しくしてやろう。

 

俺は武偵校に置いてきた友人に思いを馳せつつどうやってこの場を切り抜けようかと思案していた。そして───

 

「山田先生!」

 

「はぁ」

 

疲れているのかこの騒ぎすらどうでもよさげな珍しい雰囲気の山田先生だ。だがまぁもうこれでもいい。

 

「確か1限目はグラウンドでISの実習でしたよね!?」

 

「はぁ、そうですね」

 

「男子は更衣室が遠いので先に行きますね!!では!!」

 

とりあえずこの場から逃げることにした。三十六計逃げるにしかず、ってやつだ。

 

脱兎のごとく逃げ出した俺を追おうとする動きもあったがちょっとだけ強化の聖痕も動員した俺にはさすがに付いて来れなかったようで、俺は1人、落ち着いて更衣室で着替えを済ますことができた。まぁもっとも、この後グラウンドで顔を合わせるのだからこの逃走にどれだけの意味があったのかは、分からないけれど。

 

それでも怒りは時間を置けば案外収まるものだ。

 

それ故に"逃げ"という選択もそうそう捨てたもんじゃあない。生存を諦めない、不格好でも諦めるよりは恥ずかしくない選択肢だと俺は思っている。

 

だからそう、目を逸らすんじゃなくて逃げるのはOKというのが俺の信条なのだ。

 

 

 

 



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1年で2度目の夏

 

窓の外から鳥のさえずりが聞こえる。それは、初夏の朝に漂う爽やかな空気と相まって俺を眠りの底から引き上げる。

そして、半分ほど覚醒した意識が俺の腕に伝わる感触をダイレクトに伝えてきた。ふにゃふにょとした柔らかい感触。すべすべとしていて触り心地の良い、シルクの様な感触。それは例えるなら10代の女の子の瑞々しい肌の感触で───

 

またかと、俺はそう嘆息した。

 

「ん……」

 

俺の右隣ではリサが小さく寝息を立てていた。リサが俺より遅いのも珍しいが、むしろ今日に限っては俺の方が早過ぎるのだろう。枕元に置いてある時計に目をやれば時間はまだ5時丁度だ。あと1時間は眠れる筈だったのだが、俺の左腕から伝わってくる柔肌の感触は眠気というものをどこかへやってしまったらしい。

 

だが、それで態々リサまで起こしてしまうの忍びない。俺は閉じることに抵抗を示した瞼を力ずくで下ろし、再び視界を暗闇の中へと閉じ込めた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ピピピピピピピピ───

 

俺の意識がようやく微睡み始めた頃、甲高い電子音が部屋の中に鳴り響く。仕方なしに俺がその音を止めると、リサもその音でモソモソと起きだした。

 

「ん……おはようございます、ご主人様」

 

「おはよ、リサ」

 

眠気眼を擦りながら身体を起こしたリサがスルりと身体を寄せてくる。俺は朝から指通りの良いリサの長い金糸の髪の毛に手櫛を通しつつその小さな頭を抱き寄せる。

 

「ん……」

 

「う……ん……」

 

朝一の目覚めのキスでお互い完全に意識を覚醒させる。すると───

 

「んん……」

 

と、俺の後ろ側からくぐもった声が聞こえてくる。

 

「あぁ……」

 

と、リサも何かを察したような、諦めたような顔をした。俺も苦笑いと共に溜息を吐き出すしかない。何せ───

 

()()()()()()

 

俺の上に被さっていた布団を剥げば、そこには一糸纏わぬ姿のラウラ・ボーデヴィッヒが猫のように丸まりながら寝ていたのだから。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……ん、なんだ、もう朝か?」

 

朝の日差しに美しい銀髪を輝かせながら起き上がったラウラは何故か全裸。自分の身体を全く隠す気の無いその姿勢には恐れ入るが、ジロジロと女の裸体を眺める趣味もない俺はさっきまで被っていた布団を投げて寄越す。

 

部屋に備え付けのテーブルにはラウラの制服が畳まれて置かれていたので腹いせ代わりにそれも上から被せるように投げ渡す。

何だかこれも手馴れてきている自分がいて、それがどうにも憎らしい。

 

と言うのもこのラウラ。あのSHRキス事件からこっち、毎晩のように俺達の部屋に侵入してはこうして無断で同衾を果たしているのだ。しかも寝る時に着る服を持っていないとかで常に全裸。せめて下の下着くらい穿けよとも思うが、ていうか言ったが、「夫婦とは包み隠さぬものだと聞いた」の一点張りで着用の気配が無い。その割に持ち込んだ制服の中にはしっかりと上下の下着が揃っているのだからもはや狙っているとしか思えない。

さすがに俺も何度か織斑先生に、部屋のセキュリティの強化を申し入れているのだが、それが叶う気配は今のところない。

 

俺はリサが寝癖を解いている横で顔を洗い歯を磨く。そのうち大雑把に着替えたラウラがやってくるので俺も洗面所を譲りつつ寝癖を潰していく。

 

何ならこの部屋には歯ブラシが3組ある。俺とリサのやつと、いつの間にやら持ち込んだらしいラウラの分だ。これもう住んでるだろ……。

 

しかしまぁコイツも案外図太い神経をしているらしい。何せ、好きな男が他の女と寝ている布団の中に毎晩のように潜り込んでくるのだからな。それも、お目当ての男は全く相手にする素振りがないときた。これで心折れないのだからこいつの神経はISの装甲で出来てるんじゃないかと思う時がある。

 

「……なんだ、人の顔をジロジロと」

 

と、結局面倒になってリサに寝癖を潰してもらいながらラウラの顔を鏡越しに眺めていたのに気付かれたらしい。え、今まで散々色々やっといてここで?と言いたくなるタイミングでラウラは頬を染めながらこっちを睨む。しかし歯磨きは続行中なので何だか間抜けな姿だ。

 

「いや、すげぇなぁって」

 

「何がだ?」

 

「図太さ」

 

「誰の?」

 

「お前の」

 

「そうか?」

 

そうか?じゃねぇだろ。俺は大きく溜息を吐く。

 

「終わりましたよ」

 

「ん、ありがと」

 

俺の髪の毛を梳かし終わったリサはそのままラウラの髪も梳かしに行く。ラウラもラウラでそれをそのまま受け入れてなすがままだった。

俺はそれを横目に大きな欠伸を1つ。洗面所から離脱し、ベッドの上に寝巻きを放り投げてクローゼットのハンガーから白が眩しい制服を取り出した。この制服、苦手なんだよな、色がやたら派手だし近未来チックというか、漫画の中から引っ張り出したみたいな。防弾性能も無いから着ていて心許無いのもマイナスだ。篠ノ之束に言ったら同じデザインで防弾性能のあるやつ作ってくれるかな……。いや、面倒な要求されそうだし止めておこうか。

 

ラウラの髪の手伝いまでやってくれたリサはエプロンをしてそのまま簡素なキッチンに立ち、昼の弁当を作り始めた。もっとも、ある程度は昨日の夜に作ってあるからそんなに時間のかかるものでもない。料理に関しては全く手伝えることの無い俺は朝のニュースをチェックしていく。もっとも、向こうもこっちも大したニュースは無い。それは世界共通なのだろう。どこも芸能人のスキャンダルやらドラマの宣伝やら、後は言葉の間違えた政治家の揚げ足取りとかそんなんばっかりだ。

 

俺の欲しいニュース、例えば異次元へ繋がっていそうな扉が見つかったとか、そういうのは今朝も無さそうだった。

 

制服に袖を通し、眼帯も着用したラウラがチョコんと俺の横に腰掛ける。その視線は壁に埋め込まれたテレビに向いており、俺からはその表情を窺い知ることはできない。

 

「ご主人様、お弁当の用意ができましたよ」

 

「んー。じゃあ行くか」

 

リサに呼び掛けられて俺は自分の、大して中身の入っていない薄っぺらい学生カバンと、リサのそれなりに重みのあるカバンの両方を手に取った。

 

「お前も、荷物取り行かなきゃいけないんだからそろそろ出た方が良いぞ」

 

「ふむ、それもそうだな」

 

もっとも、ここで別れても多分また朝飯を食うための食堂で顔を合わせることにはなるだろうけど。ともかく俺達は一旦別れ、食堂と自室へとそれぞれ向かっていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

週末、俺とリサは市内1の規模を誇るという駅前のショッピングモールに来ていた。リサも俺もあまり衣装持ちではないし、遊ぶよりまず調べ物を優先していたのでこういう所にはあまり来なかったのだが、今回はそうもいかない。

何せ夏休み前の7月には1年生合同で2泊3日で夏合宿が行われるのだ。

それも行き先は海、1日目は完全な自由行動ということもあり、俺達の学年は皆一様に浮き足立っていた。

 

向こう(武偵校)にいた頃は、海になんて行った日にはリサが四方八方から声を掛けられるばかりであまり良い思い出はないのだが、大海原の景色そのものはイ・ウー時代から結構好きだったし、今回はIS学園の行事として行くわけだ。そうなると当然浜辺は貸切なので変な輩もいない。

 

久しぶりに海を存分に楽しめるとあって俺も結構楽しみだったりするのだ。

しかし、俺達は着の身のままにこの世界へと飛ばされた漂流者。武偵校の寮には水着もあった気がするがIS学園の寮には残念ながらそんなものは存在しない。一応学校指定の水着はあるが、俺のはともかくリサのスク水は背徳的なのだ。こう、色々と……。

 

なのでリサには是非とも普通の夏感溢れる水着を着用してもらいたい一心で俺達はここに来ていた。俺も一応買うつもりだが、まぁ別に何でもいいだろう。ただでさえ男の水着なんてレパートリー少ないんだし。女尊男卑のこの世界ならマジで2,3種類くらいしか置いてなくても不思議ではない。

 

「水着は……あっちか」

 

「そのようですね」

 

しかしここは週末ともなると結構な量の人がいる。まぁ、人がいてもいなくても俺とリサは手ぇ繋ぐんですけどね。

指を絡めあって結ばれたリサの手を引いて歩き出す。するとリサはそのまま身体を寄せ、腕を絡めるようにしてピッタリとくっ付いてきた。俺は何も言わずにそれを受け入れる。その時にフワリと漂うリサの香りが、いつも通りに俺の鼓動を跳ねさせるのだった。

 

そうして歩いていると、視界の先に水着コーナーが見えてきた。派手な色の女性用の水着が目印となっているようだ。

 

「あっちか」

 

「やはりこの時期だと分かりやすいですね」

 

「そうだな」

 

そして水着コーナーへと辿り着く。取り敢えずチラッと見ただけだが、流石に2,3種類ということもなかったが、それでもそうイロドリミドリってわけでもなさそうな男性用水着は後回しにして、まずはリサの水着から見ていくことにした。

 

「ご主人様は、どんな水着が好きですか?」

 

装飾は派手に可愛らしいのに紐で結ぶタイプのやつが好きです。

 

とは流石に言えない。いや、言えば多分リサは何を思うこともなく普通にそれを着てくれるんだろうけど、男が俺1人ならともかく今回は一夏も同じ浜辺にいるわけだし、そういうお楽しみなやつは無しの方向でいこう。

ていうかヒモ水着なんてあんのかね。あれって結んであるように見えて実は普通に穿いたり紐は後で着けたりってやつらしいけど。

 

「……パレオのあるやつで」

 

「パレオ、ですか?」

 

どんな御要望にもお応えします!みたいな雰囲気で聞いたのに返ってきた答えはむしろ大人しいもので、リサはちょっと小首を傾げている。

 

「だって一夏もいるわけだろ?……あんまり他の男にリサの肌見せたくない」

 

最後の方は正直自分で言ってて小っ恥ずかしかったから、小声になってしまったけれど、流石に目の前で聞き漏らしてくれるわけはない。

 

リサは俺の答えにどこか嬉しそうにしている。

 

「他には、色とかの希望はありますか?」

 

「いや、特には無いかな。あ、でもフリルとか着いてる方が好き……かも……」

 

あれ、水着の好みを伝えるのってこんなに恥ずかしかったっけ?ちなみにフリル付きを希望した理由もやはり他の男の目(一夏)が気になったから。アイツ、前に聞いたら大人っぽい感じとか好きみたいだし。なるべく奴の好みからは外していこうと思う。

 

「では、こういうのはいかがでしょう?」

 

と、リサが取ってきたのはハイビスカスやなんかの南国っぽい雰囲気の花柄が散りばめられた水着だった。同じ柄のパレオ付き、バスト用の方にもヒラヒラとしたフリルが付いていて派手さの中にも可愛らしがある。うん、好き。

 

「あ、あぁ。いいと思うよ」

 

「では、試着してみますね」

 

と、水着を持って近くにあった試着室にリサは入っていく。カーテンで区切られたその部屋の目の前に置かれたリサの、踵の低いミュールが俺の心をザワつかせる。

ストンと落とされたリサのノースリーブのワンピースが、フワリと持ち上げられるのが隙間から見えた。2本見えていた脚が片方ずつカーテンに消えては現れる。着替えどころかその柔肌だって何度も見ているはずなのに、この布切れ1枚向こうじゃ今はリサが何も身に纏っていないんだよなと思うだけで俺の心拍数が上がっていく。

思わず俺はリサがその衣類を脱いでいく様を、カーテンに幻視してしまった。

 

普通に洋服を買いに来て入った試着室じゃあこんなこと思いもしなかったのに、不思議な感覚だった。俺はただ一心不乱に、いや、一心に乱れまくった心で、俺とリサを区切るカーテンを見つめ続けた。

 

だがそんな時間も長くは続かない。サッとカーテンが引かれ、その中からさっきの花柄バカンスチックな水着を纏ったリサが現れたのだ。

 

「どう、でしょうか……?」

 

「結婚してください」

 

「喜んでお受け致します。ご主人様」

 

その可憐さに思わず求婚してしまったがリサも受けてくれたので問題無し。俺の差し出した手をリサが取ってくれたのでその手の甲にキスを落とした。式はいつにしようかな?いや待て、まずは俺が18にならないと駄目だ。

……あれ?そういや俺もう18歳と言っていいのでは?誕生日はもう迎えたし。

 

「どう思う?」

 

「まずは、向こうに帰ってから考えましょう」

 

「うす」

 

冷静なリサに諭されて俺も正気に戻った。戻ったついでに俺も水着探さなきゃなということで、リサの水着カゴに入れ、男性用水着の一角へ。と言っても、俺は特にこだわりが無い。1番最初に目に付いた、黒地に赤いラインの入った短パン型のこれでいいや。

 

「それになさるのですか?」

 

「うん。まぁパッと見他に目ぼしいのも無いし、これでいいや」

 

「かしこまりました」

 

その後は2人でお泊まりに必要な物を探したり昼飯を食ったりと、久々に普通のデートを楽しんだ。こういう、普通の日常ってやつを過ごせば過ごす程に、俺の中で違和感が膨らんでゆくのだった。リサさえいれば他には何も要らないと誓ったはずなのに、どうしたって俺の心はあの日常(武偵校)に引き込まれていくのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「それでは、よろしくお願いしますね」

 

「はい」

 

遂に夏合宿が始まった。とは言え、初日の今日は完全自由行動な訳だが。そして俺とリサも当然海に来ている。そして、水に入る前にまずはということでリサから渡されたのは日焼け止め用のサンオイル。今俺の足元で水着のトップを外し、シートにうつ伏せで寝そべっているのがリサだ。

 

俺は渡されたサンオイルのボトルを手でコネ回し、中のオイルを人肌程度に温めていく。夏の陽射しも手伝ってか直ぐにそれは温まった。

 

「じゃあ塗るぞ」

 

「はい」

 

一応予告だけ入れて、俺は手に垂らしたサンオイルをリサの背中に塗っていく。リサの背中は白く滑らかで、柔らかな感触が手に心地よい。それでいて無駄な脂肪が付いているわけではないから折れてしまいそうな程に細く、丸く、小さかった。

 

「んっ……」

 

少しくすぐったいのかリサの口から声が漏れる。それはどこか艶やかで俺の心を撫で上げる。

だからと言って手を止められるわけはなく、その魅惑の柔肌を堪能しつつ、俺はリサの腕や首にもサンオイルを塗っていく。しかしその度にリサが短く息を吐くものだからこちらとしてもたまったものではない。脇の下や脇腹にも塗れと言われてしまったので仕方なしに──いや、正直かなり喜び勇んではいたが──塗っている時のリサの艶やかな声はもうこのまま旅館に連れて帰ろうかと思ったほどだ。

 

「ふふっ……ご主人様?下もお願いしますね」

 

俺が背中側を塗り終えたと思ったら、リサはこれ絶対分かって言ってるよね?って言うくらいのわざとらしい微笑みで脚も塗れとの御要望。

 

「はぁ……」

 

心臓に悪い、だからと言ってここで止めるのはご主人様の名折れ。神代天人、いきます!!

 

ふっと一息吐いて気合いを入れ直した俺は再びサンオイルを手に垂らす。そしてそれをリサのモモ裏に塗っていく。モモに塗っている時に内モモにも当然触れるのだが、その時のリサの吐息は多分一生忘れない。そしてふくらはぎ、足と下半身にも大概サンオイルを塗り終えたところでリサに声を掛ける。

 

「終わったぞ」

 

「いいえ、ご主人様。まだお尻に塗ってもらえてません」

 

……マジですか?いいんですか?

リサの誘うような視線俺は当然1発KO。覚悟を決めてリサのその柔らかく形の良い臀部に手を伸ばした。

 

……触るの、別に初めてじゃないんだけどな。

しかし海辺で水着の間に手を突っ込んでサンオイルを塗るというのはこうも扇情的な行為だっただろうか。それに、さっきからずっと視界の中にチラついているあれ。そう、リサの身体に押し潰されてはみ出した胸が俺の視線を吸い寄せるのだ。しかもなんか、水着に手ぇ突っ込んで塗ってるからか、まるで揉みしだいているようにも見えるこの光景。何だかこれだけで俺は疲れてきたよ……。

 

「はい終わり。前は自分でやってくれ……」

 

「ありがとうございます、ご主人様。……そういうのはまた別の機会に」

 

最後の言葉は俺の耳に顔を寄せて小声で呟いたリサ。それに俺は思わず崩れ落ちてしまった。

……おかしい、主は俺のはずなのに何で俺の方がこんなに翻弄されてるんだ……?惚れた弱み?それなら仕方ない。

 

「終わったー?」

 

と、崩れ落ちた俺の頭上から声が掛かる。寝返りを打って仰向けになった俺が目を開けるとそこにはクラスの女子が何人かいた。ビーチボールを持っているからこれから遊びに行くのだろう。

 

「あぁ」

 

「えぇ、終わりましたよ」

 

「じゃあさぁ、あっちでビーチバレーしない?どうせなら織斑くんとの男子対決見してよ」

 

「ん、あぁ、一夏もういるんか?」

 

「いるよー。さっきまで凰さんと泳いでたみたいだけど」

 

「うい」

 

じゃあ行ってくるよとリサに声を掛けて俺は着ていた半袖のパーカーを脱いで渡した。

しかし、俺に声を掛けてきた女子──多分岸本さんとかそんな名前だった気がする──は俺の身体を、というかとある一点を見て固まっていた。

 

「あ?どしたの?」

 

「それ……」

 

と、岸本(仮)が指差したのは俺の腹、そこに出来た大きな傷だった。あぁ、前に粒子の聖痕の奴にやられたやつか。

 

銀の腕を出すと、腕や脚は新たに作りかえられるからか、そこに付けられた傷はその度に消えて無くなるのだが、他の部位に関してはそうもいかない。別にそうそう見られるところでもないので特に気にしていなかったし、武偵校にいる奴らは身体に傷があることなんて日常茶飯事。別に一々聞いてもこなけりゃ誰も気にしちゃいなかったから忘れていたが、ここはそんな傷を負うことが日常の世界ではないのだ。

 

だからと言って不幸自慢をする気にもなれないし、俺自身はこれを負い目だとは思っていない。強いて言うなら己の未熟さを戒めるためのものだから、ここであえてまたパーカーで隠す気にもなれないのは事実だった。

 

「昔ちょっとな」

 

「そ、そう」

 

しかしその子は明らかに引いてしまった雰囲気だ。俺がいいから行こうぜと言って歩き出した時なんて後ろから「ヒッ」ていう悲鳴すら聞こえたよ。そりゃそうか。さっきの傷、貫通してるからな。背中の同じ場所にも似たような痕がありゃそうもなるか。

 

だがまぁ、そんなのことを気にしても仕方ない。俺はそんな反応を丸っと無視して波打ち際まで歩いていく。その間にも何人かの女子が「お、鍛えてるねー」みたいな声をかけてくるが、近寄る度に俺の傷跡を見て少し引いていく。

 

そして一夏達の元へと着くと、やはり一夏も俺の腹や身体に付いた切り傷の痕なんかに目線がいったが、コイツは何も言ってはこなかった。まぁ気にされてもどうしようもないものだからこの反応の方が俺としたは助かるのだが───

 

「……この妖怪タオルまみれは何だ?」

 

俺の目の前には上背が140~150センチくらいのタオルのお化けがいた。しかも、それを連れているのはシャルロット。何やら「大丈夫だから」とか、「似合ってるから」とか声を掛けている。しかしそのタオルから聞こえてくるのはうーうーという唸り声だけ。というかこの唸り声、聞いたことあるぞ。

 

「それ、ラウラか?」

 

「……そうだ」

 

と、タオルお化けからくぐもったラウラの声が聞こえてくる。

 

「何してんの?」

 

まさか日焼けが怖いとかではあるまい。それなら最初から浜辺になんて出てこないはずだしな。

 

「大丈夫だってラウラ。変じゃないよ?」

 

と、中々タオルのシールドを解こうとしないラウラにシャルロットも声を掛けるがどうにも苦戦しているようだった。

 

「前髪でも切りすぎたのか?」

 

「あぁ、そうじゃなくてね……」

 

変じゃないだの似合ってるだのとシャルロットが言っていたので、髪の毛でも切りすぎたのかと思って聞いたが、違うみたいだ。

 

「まぁいいや。俺あっちでバレーやってるからタオル取れたら来いよ」

 

ラウラも最初は誰も寄せつけないような、冷たい雰囲気を纏っていたのがだいぶ変わった。今の同部屋はシャルロットらしいから、アイツがその氷を溶かしてくれたのだろう。

次は寝る時にパジャマを着るまでに成長してほしいものだ。

 

「ほら、天人行っちゃうよ?……あーあ、じゃあ僕も先行っちゃおうかなぁ」

 

「ま、待て!……ええい、脱げばいいのだろう?脱げば!」

 

それだと何だか違う風に聞こえるような……とは言わぬが仏。振り返って黙って見てると、ババッと、ラウラはその身を覆っていたタオルを砂浜にぶちまけた。

 

「うう……」

 

そして中から現れたのは黒い水着を着たラウラだった。

その水着は大人用のセクシーランジェリーのような布面積でありながらも腰やバストの正面にあしらわれたリボンが可愛らしさを演出しており、小柄ながらも綺麗な顔立ちをしているラウラの美貌と、珍しく結われた銀髪のツーサイドアップと相まってさながら妖精のような愛らしさを醸し出していた。

 

「隠すようなもんじゃないだろ。似合ってるぞ」

 

女が新しい服を着ていたら取り敢えず褒めろとのリサとジャンヌからの教えに従い俺は思った通りに褒めておく。服を褒められて嫌な女はいないのは世界共通だと言っていたジャンヌの言葉通り、どうやらラウラもそれなりに嬉しかったようで、普段さっぱりハキハキとしている姿からは想像もできないほどにモジモジとしている。

 

「シャルロットも、水着似合ってるぞ」

 

「あ、うん。ありがと、天人」

 

と、一応シャルロットにも言っておかないと後で不機嫌になられても面倒だからな。

だが幸い俺の打算はシャルロットには伝わらなかったようで、シャルロットも心から喜んでいる風だった。

 

「あぁ、で、何だっけ?男子対決だっけ?」

 

と、既にポールやネットまで準備されていた即席のコートには一夏と(確か)櫛灘さん、それから布仏さん(だったかな……?)がいた。

 

「おう、そうらしいぜ」

 

「ではリサは審判を務めさせていただきます」

 

「チーム分けはどうする?俺と一夏は別れるとして……」

 

「じゃあそっち代表候補生2人いるしこっち4人でいいよね?」

 

と、岸本さん(仮)が一夏のいるコートへ入った。まぁ、それくらいで調度良いかな。

 

「どうせ男の子同士の対決なら派手にいきたいよね。10点先取でスパイクとかありでいこうよ」

 

「ん」

 

「分かった」

 

こっちのチームはどうやら俺とシャルロットとラウラで決定のようだ。そしてボールを上に投げた櫛灘さんは───

 

「7月のサマーデビルと呼ばれた実力を見よ!」

 

謎の異名を叫びつつ勢いのあるジャンピングサーブを放つ。それは俺の守備範囲を越えて後ろに流れるが───

 

「任せて!」

 

後ろはシャルロットとラウラで半分づつに分かれて守っている。自分の方にボールが飛んできたシャルロットはしっかりと落下地点に入り両腕でポンと跳ね上げる。

 

「ラウラ!」

 

「あぁ」

 

そしてそれを受けたラウラもパン!とボールをネット前の上空に打ち上げた。かなりの高さまで打ち上げたみたいだが問題無い。

 

俺は助走をつけながらボールの落下点に寄ると落ちてくるタイミングに合わせて両足で地面を踏み締めてジャンプ。

それに合わせて一夏も跳ぶが、俺の方が高い。一夏の伸ばされた腕の上からボールを叩き付け、俺に弾かれたボールは誰の手に触れられることもなく砂浜に丸い跡を刻んだ。

 

「まずは1点、ですね」

 

つい、と右手の人差し指を上に伸ばしたリサが点数をカウントする。試合も夏も、始まったばかりだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ビーチバレーはあの後織斑先生まで加わっての大混戦だった。布仏さんが実質戦力外の一夏チームに織斑先生が加わり、一時同点まで迫られた俺達だったが、俺かシャルロットがボールを空高くに打ち上げ、さらにスパイクを打つラウラを俺が空に跳ね上げるという荒業を用いることでどうにか勝利を引き寄せたのだった。

俺の腕力とラウラの猫みたいな運動神経を組み合わせた大技で、決めきったから良いが、もし拾われたら滞空時間の長さから向こうの反撃に対応できない場合があるのが弱点ではあったのだが……。ま、勝てば官軍なのだ。

 

そして、そんな風に過ごした1日目も時は流れ夜の帳も降りた頃、風呂も夕食も済ませた俺は旅館のロビーでリサと寛いでいた。

男子は他の女子が消灯時間を無視して部屋に遊びに行かないように織斑先生と同室になっていたのだが、正直織斑姉弟の間に入るのは肩身が狭いし、消灯直前にでも戻ればいいかとフラフラしていたのだ。

最近は皆俺とリサの関係に理解を示してきたようで俺達が2人の時にはあまり人は寄ってこない。

 

例外はシャルロットとラウラだが、あの2人からは告白紛い、というかそのものを受けているのであんまり気にならない。だからと言って、それに応える気も無いのだけれど。

 

「なんか、久々に目一杯遊んだ気がする」

 

「はい。こちらに来てからは色々調べることが多かったですから」

 

俺の右半身とリサの左半身はピッタリと、それこそ隙間無くくっ付いている。薄い浴衣の布を通してリサから伝わる温度は暖かく、その肢体は柔らかい。リサの膝の上で固く結ばれた俺達の両手は閉じられた貝のようだった。

 

海抜がゼロメートル以下のオランダや、そもそも潜水艦であるイ・ウーにいた頃はあまりビーチで遊ぶなんていうことはなかった。日本にいても面倒な輩にリサがナンパされるだけだったから直ぐに行かなくなった。

 

「……楽しかったな」

 

「えぇ……」

 

楽しかった、楽しかったのだけれど、どうしたって武偵校の奴らと行ったらもっと楽しかったかもな、なんて思ってしまうのだ。理子が、ジャンヌが、透華や樹里、彼方が、キンジが、武藤が、不知火が、武偵校の奴らの顔が頭をよぎるのだ。そして、その度に俺の胸に去来するのはどうしようもない疎外感。どれだけ仲良く遊んでいようと、俺はこいつらとは違ってしまっているのだという思いが拭いきれない。

 

「……ご主人様?」

 

思わず、リサの手を握っていた俺の手にも力が入ってしまったようだ。

リサが心配そうにこちらを見ている。

 

「……リサ、お前は……帰りたいか?武偵校に、あの世界に」

 

俺は、問い掛ける。リサの希望を、想いを。意思を。

 

「リサは、帰りたいです。あの世界に。皆のいるあそこに……。どうしても消えないのです。自分のいるべきところはここじゃない、あそこだという思いが。誰もそんなことを考えていないはずなのに、どうしても疎外感が胸につっかえて取れないのです」

 

リサが一言言う度に、握られた手に力が込められていく。それは、リサの心がどれだけ追い詰められていたのかという証なのだろう。

 

「あぁ、なら帰ろう……あの世界に。武偵校に」

 

だから俺は誓う。何があろうと、何をしようとも帰るのだと。

 

「はい、リサはどこまでもご主人様に着いて行きます」

 

この手の中にリサの温もりがある限り、俺は戦える。絶対にあの世界へ帰るのだと、何度目とも知らぬ誓いを、リサの瞳に、掌に、俺達の間に立てるのだった。

 

 

 



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それは突然の再会と別離

注意です。この話では原作キャラの死亡があります。基本的に原作で死亡してないキャラの死亡はここだけになるはずですので……。


 

IS学園の夏合宿も2日目となれば本格的にISに触れることになる。

そんなわけで俺達は全員ISスーツを着させられて浜辺に集まっていた。珍しくラウラが遅刻してきたがまぁそれ以外は特に何かあるわけでもなく、ようやく"らしく"なってきたかなというところだ。いや、だった、と言うべきか。何せ───

 

「じゃっじゃじゃーん!これが箒ちゃん専用機こと『紅椿』!全スペックが現行ISを上回る束さんお手製のISだよー!」

 

完全に貸切で関係者以外立ち入り禁止となっている浜辺に突如乱入した篠ノ之束が妹である篠ノ之箒へ新たなISを手渡したからだ。

しかも、全スペックが現行ISを上回る、か。本当、なんて物を作ってくれてんだろうね、このお姉ちゃんは。

そして、その場にいたほとんどの人間が呆気に取られている間に、篠ノ之束は紅椿を篠ノ之箒用にセッティングしいていく。

さらに、ついでとばかりに一夏の白式にも触れていく。

 

「あ、そうそう、天人も鎧牙見せてね。あとリサも」

 

「ん、はい」

 

「はい。分かりました」

 

と、一夏とアホな会話を繰り広げていたと思ったらここで俺達にも声が掛けられたので大人しく各々のISを展開していく。それを見た篠ノ之束がいきなりパチンと指を鳴らした。すると───

 

「あ?」

 

───ズドォォォォンン!!

 

と、空から何かが降ってきた。舞い上がった砂煙が晴れればそこにあったのはグレーのコンテナ。それが篠ノ之束の指の動きに従って展開されていく。

 

「ん?」

 

そして中からは2挺の大きなライフルが現れた。しかし形状がどこかおかしい。何せ普通の銃火器にあるような弾倉が無く、オルコットのビームライフルみたいな形状をしているのにリボルバー式なのだ。

 

「超大出力ビームキャノン『星墜』、限界までエネルギーを圧縮した弾丸をリボルバー式で放つ火力全振りの武装だよ」

 

なるほど。基本的に俺の鎧牙は継戦能力の高さと引替えに黒覇の特殊機能に頼らなければ火力のあるISではない。しかも、継戦能力を最重視した期待にも関わらずその機能を使う莫大なエネルギーを消費してしまうという設計思想の矛盾。その隙間を埋める武装というわけだ。

 

「桜木研に予備弾薬送ってあるから後で受け取ってね」

 

新たに渡された武装をISにインストールしながらその声を聞く。

桜木研、俺とリサのISの管理や調整を任されている日本のIS企業だ。メールやなんかでやり取りはしているが、俺はまだ顔を出したことはない。

 

「あ、はい」

 

「あ、それとほい」

 

「え?」

 

と、武装のインストールが終わるや否や、篠ノ之束が俺とリサのISをコードで繋いだ。そして何やらコンソールを指で叩いくと───

 

「っ!?」

 

急にリサのIS──星狼──の姿が掻き消えた。

 

「リサ!」

 

いきなりISを失ったリサが地面に落ちる。俺がリサが落ち切る前にその身体を支えることで事なきを得たが、どうしていきなり星狼が消えたんだ……。

 

「ぐっ……何だ、これ……」

 

いきなり俺の頭に情報が流れ込んでくる。これは、鎧牙からか……?

 

「リサの、というか私のなんだけどね〜。星狼は回収して天人の鎧牙と混ぜ合わせまーす。こねこね」

 

「……は?」

 

「こねこねー」

 

と、篠ノ之束は俺の視線も何処吹く風。全く気にする素振りもなく、コンソールを叩き続けている。すると今度は俺のISまで光の粒子となって消えてしまった。

 

「これは……」

 

「鎧牙と星狼はコア同士を完璧に近い形で同調させて拡張領域すら共有したISだからね。今度の実験は"そんなISを融合させたらどうなるのか"だよ」

 

ま、リサからはISを取り上げる形にはなるけどね、と篠ノ之束は続けた。

 

まぁ、実験はともかく、リサからISが無くなるというのは俺としては願ってもない。ISが無ければリサがこれ以上面倒な戦いに巻き込まれることはなくなるだろう。何せ、リサはISへの適性もそんなに高くはないし、操縦技術だって3流だ。リサの価値は篠ノ之束お手製のISを持っていることの1点限りなのだから、それが無くなれば誰もリサに興味は示さない。

 

「デュアルコアシステムってやってみたかったんだよねー」

 

待機形態として俺の右足首のミサンガになっていた筈の鎧牙が今度はパーソナライズ前の甲冑染みた置物のような形で現れた。

 

「はいじゃあ天人はこっちね」

 

と、篠ノ之束の言葉に従い鎧牙に乗せられた俺はもうなすがままにISのセッティングをさせられていた。

その間にパーソナライズの終わった篠ノ之箒と紅椿は武装の確認へと移っていた。どうやら俺の黒覇を元に作ったように思える武装もあったが、そもそも俺のISは根本的に篠ノ之束の実験の為に作られたISである以上、今後篠ノ之束が作るISには俺の機体のデータが参考にされるのだろう。

そんなことを、うねうねと形を変えていく鎧牙の中で考えながら紅椿の浮いている空を眺めていると、さっきまでどこかへ行っていた山田先生がタブレット片手にドタドタと走ってくる。

その顔には焦燥が浮かんでいて、どうやら何かトラブルがあったのだと察せられた。

まぁ、あの人は大概慌てているから、そのトラブルの程度がどれ程のものなのかまでは分からないけれど。

 

「た、大変です織斑先生!!」

 

「どうした?」

 

「こっこれを……」

 

しかし、渡された端末の液晶画面を見た織斑先生の顔が曇ることで、何かろくでもない事態が起きたのだろうということが分かる。まったくこの学園はトラブルに見舞われすぎだろう。

そろそろお祓いでもしてもらった方が良いんじゃないか?

 

そして何やら最初はこちらには届かないくらいの小声で喋っていた織斑先生達だったが、近くの生徒の視線に気付いて今度は手話で会話を始めた。それも、普通のやつじゃないな。何か暗号の様な手話だ。流石に俺にも内容が掴めん。

 

「───了解した。……全員注目!!」

 

と、話し終えたのか山田先生がどこかえ走り去った瞬間、今度は織斑先生が手を叩いて皆の意識をそちらに向けさせる。

 

「現時刻よりIS学園教員は特殊任務行動に移る。今日のテスト稼働は中止だ。各班、ISを片付けて旅館に戻れ。その後は連絡あるまで各自自室内で待機すること。以上だ!」

 

だが、殆どの生徒にとってこんな異常事態は初体験なわけで。これまで謎の機体がアリーナに侵入したりラウラのISが暴走したり、目の前で起きた分かりやすい危機にはそれなりに対処もできたようだが、まるで何が起きたか分からない今の状況に、生徒達はザワつくばかりで誰も動けない。

それも織斑先生の2度目の怒号でどうにか動き始めたが、皆一様に、声の大きさに怯えているようだった。

 

「専用機持ちは全員集合しろ!織斑、神代、オルコット、ボーデヴィッヒ、デュノア、凰!それと……篠ノ之も来い」

 

今しがたISを失ったばかりのリサは当然除外されていた。だがこれこそ俺の望んでいた状況でもある。とにかく戦いからリサを遠ざけること、それが1つ叶ったわけだ。

 

「はい!」

 

しかし、その篠ノ之箒の妙に気合いの入った声に俺は一抹の不安を覚える。無人機がアリーナに侵入した時に、ただの声援のためにISも纏わずに敵機体に姿を晒したことが俺の頭をよぎる。

 

「あ、天人はまだここから動かないでね。フィッティング終わってないから」

 

「え……」

 

その声は誰のものか。多分俺は言った。けれど他にも何人か同じように声を漏らしただろう。

数字上はこの学年のトップは俺とラウラだった。その一角が欠けるのだから。

 

「───なら他の専用機持ちだけでいい。早く集まれ!神代も終わり次第すぐに来い!」

 

「はい」

 

返事はしたものの、俺は篠ノ之束の笑顔の下に隠された何か得体の知れないものに、背中から冷たい汗が流れるのを感じていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

何故か途中で篠ノ之束までどこかへ行ってしまい、俺は1人砂浜に取り残されていた。

いや待て待ってくれ。なんで俺はISの中に仕舞われたまま放置されているんだ。

しかも、フィッティングとか言って中々終わる気配ないし、その間にもISの情報は俺の中に流れ込んでくるし。

 

「ん……」

 

だがそれもようやく一区切り付きそうだ。

サクサクと、砂浜を踏み締めて現れたのは篠ノ之束。

 

「あっちはいいのか?」

 

「箒ちゃんの紅椿の調整は終わったよん。後は他の準備が整えば出るよ」

 

「結局何だったんだ?」

 

「なんかねー、どっかの軍用ISが暴走したんだって。で、その進行方向がこっちだからIS学園で対処してねって話」

 

「それは……」

 

非常事態、なんてものじゃあない。そんな大事件を学生に対処させようと言うのか。

 

「まぁ箒ちゃんだけじゃなくていっくんも行くから平気でしょ」

 

一夏と篠ノ之箒が……?2人だけってことか?むしろ、かなり不安な人選なんだが……。

 

「不安だって顔をしているねー。大丈夫だよ。箒ちゃんがいっくんを運んで、いっくんが零落白夜を使って一撃で沈める。そういう作戦だから」

 

「一夏が行くより、訓練機でも織斑先生と山田先生が出た方がいいんじゃないのか?」

 

篠ノ之箒に任せた役割が例え輸送役だけなのだとしても、機体性能で劣っていようと元世界最強と元日本代表候補生。しかも山田先生だって凰とオルコット2人を相手にして尚歯牙にもかけない実力を誇っている。それなら素人の一夏よりも確実ではなかろうか。

 

「ノンノン。これは箒ちゃんのデビュー戦であり紅椿のお披露目なんだよ。だから例えちーちゃんでも邪魔しちゃだーめ」

 

「……変わんねぇな、そういうとこ」

 

「君が私の何を知っているって言うんだい?」

 

篠ノ之束は、しかしその手を止めることなく俺に問う。冷たい、絶対零度の声色で。

 

「"白騎士事件"だって、アンタのマッチポンプなんだろ」

 

 

──白騎士事件──

 

 

これを知らない奴は恐らくこの世界にはいないだろうと言われるほどの大事件。

篠ノ之束がISを世に発表してから1ヶ月、それは起こった。

当時日本を攻撃可能な各国のミサイル2341発が全て一斉にハッキングされ、そして日本に向けて発射されたのだ。

世界中が直後に訪れる地獄絵図を想像して絶望したその時、()()は現れた。

顔は初期型のフルフェイスのヘルメットタイプのハイパーセンサーに覆われて分からなかった。けれどそれは確実にISで。

そしてそれは飛んできたミサイルの約半数を斬り捨て、残りの半数近くを空中に召喚した荷電粒子砲で撃ち落としたのだ。

さらに、その謎の兵器を調査ないしは捕獲、撃墜するために世界各国からやってきた戦闘機や船や衛星の尽くを無力化、しかも一切の人命を奪うことなく行われたその蹂躙は、世界を敗北の底へ叩き落とすには充分だったらしい。

 

しかし、ミサイルがいきなり全てハッキングされて日本に放たれるなんてことが有り得るわけがない。その上それを突如現れたISが全て打ち落とすなど……。

 

そんなこと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

まぁ、ISを認められなかった篠ノ之束が癇癪でミサイルを放ち、それを事前に知っていた誰か、これも多分篠ノ之束と旧知の中である織斑千冬以外には考えられないが……、ともかくコイツらの共謀ないしは篠ノ之束の尻拭いを織斑千冬がやったと考えるべきだろう。と言うか、他に出来そうな奴はいない。

 

「知ってて言わないんだから共犯だよね?」

 

「アホ言え。物理的な証拠も無いし誰も信じねぇだろ」

 

「……まぁね。ほら、だいたい終わったよ。後は待機形態でも大丈夫」

 

スッと、普段のおちゃらけた雰囲気に戻った篠ノ之束が鎧牙を指先でコツコツと叩く。俺は鎧牙に命じて足首のミサンガというコイツの待機形態に戻しておく。

 

「ま、あと2時間は使えないから。ここで大人しく見ててなよ」

 

「……そうさせてもらうよ」

 

俺は篠ノ之束にも、今回の作戦の内容と人選にも不安を覚えながら作戦会議室となっている旅館へと駆け足で戻っていく。背中に感じたのはただの視線か殺気か、今の俺には区別が着かなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

結局のところ、一夏達は作戦に失敗した。

篠ノ之箒がぽつりぽつりと報告したところによれば、どうやら最後の零落白夜をアメリカ・イスラエル共同製作のIS──シルバリオ・ゴスペル──を粉砕するためではなく、ソイツの広範囲攻撃に巻き込まれそうになった密漁船を庇うために使ったそうだ。そして一夏の白式と同時に紅椿のエネルギーの切れた篠ノ之箒を守るために飛び出した一夏はシルバリオ・ゴスペルの一撃を受けて今は意識を失っている。その身体はどうにか回収出来たが全身に包帯を巻かれて旅館の一室で寝かされている。

 

 

 

時刻は17時を回る少し前、俺は旅館の目の前に立っていた。そして、俺の前には1年の専用機持ち5人が並んで立っていた。

 

「ま、当然アンタも行くわよね」

 

両肩を竦める凰は、俺がここにいる理由を少し誤解しているようだった。

 

「いいや、俺は行かない」

 

「……何ですって?」

 

「俺はお前らと銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)の相手をする気はねぇよ」

 

「アンタ……友達がやられたっていうのに何怖気付いてんのよ!!」

 

「怖気……?アホか。俺なら1人で勝てる。ISも、いけるようになってるしな。俺がここにいる理由は違うよ。……お前らを、止めるためにここにいるんだ」

 

そう言って俺は脇のホルスターから拳銃(SIG)を抜く。篠ノ之箒には伝わらなかったが、他の専用機持ち、特にラウラはこれが実銃だと直ぐに気付き、その反応で他の奴らも俺の持つこれが玩具なんかじゃないと把握したようだ。

 

「……何の真似よ」

 

「そ、そうだよ天人。何で銃なんて……」

 

「俺は、織斑先生からお前らを止めろと命令を受けている。……例え、()()()()()ってな」

 

だから俺はコイツらに発砲してでも止めるつもりだ。既にセーフティーは外されていて撃鉄も落ちている。後は引き金に掛けられたこの人差し指を数センチ動かせばそれで、音速の弾丸がコイツらの肉を穿つ。

 

「この距離だ。狙いは外さないし、お前らのISの展開より弾丸の方が速い。そして、誰か1人でも撃たれりゃお前らの作戦は使えない」

 

俺は当然、コイツらの作戦を盗聴している。先回りするために最後までは聞いていないが、そして仮に盗聴がバレていて、聞いていた作戦と違っていたとしても、コイツらの実力と織斑先生から渡されたシルバリオ・ゴスペルのスペックからして5人が揃っていても勝てる可能性は100%じゃあない。

そうなればどんな形であれ5人がそれぞれ重要な役回りを果たすフォーメーションで挑むのは確実だ。そして俺の銃口は、この中で1番ISの展開が遅く、そして最も近接戦闘で火力のある紅椿を持つ、篠ノ之箒を向いていた。

……その隣にオルコットがいるのは運が良いな。残る4人じゃ1番時間のかかるやつがオルコットだ。場合によっちゃ即座にオルコットを潰してしまってもいい。

いや、リサのことを考えれば真っ先に潰すべきは篠ノ之箒ではなくオルコットか。

 

俺はそのまま銃口をズラし、オルコットへとその矢印を向ける。

 

「1人でも欠けりゃお前らに勝機は無い。そして銃創を抱えてまともに戦える相手でもない。分かったら全員ISを俺に渡して部屋に帰れ。……特別に、一夏の部屋で待機できるように織斑先生に掛け合ってやる」

 

「いや、僕それはいいかな……」

 

「私もだ。むしろ天人と同じ部屋が良いぞ」

 

……シャルロットとラウラにはこの交渉は通じないようだった。まぁ、こっちは別にどうだっていいのだ。とにかく、コイツらを向かわせなければそれで済む。

 

「はっ、例え撃たれようが私は行くわよ。一夏をあんなにした奴を許せるもんですか」

 

「そうですわ。わたくし達の覚悟を甘く見ないでくださいまし」

 

「……ラウラ、お前はそうまでして行く理由があるのか?」

 

「私だって変わるさ。確かに私には箒達ほどに一夏に対して強い想いがあるわけではない。だが同じクラスの仲間を傷付けられてそれで黙っていられる程大人ではない」

 

あぁ……コイツはもう一夏を恨んでなんかいないのか。ラウラにとっちゃ、一夏はもうクラスの仲間として見られるくらいの存在になったというわけか。

 

「……たく」

 

コイツらの覚悟は硬い。俺が言葉でどうこうできるような柔らかいものではなさそうだ。ならば俺のやることは1つ───。

 

 

──ダンッ!!──

 

 

夕方の海辺に、似つかわない銃声が響く。

チリンと、石の上に空の薬莢が落ちる音が鳴る。

 

俺は、()()()()()()()()()()()()溜息を付く。

 

「拳銃を使っても止められないのなら、俺は何をしてもお前らを止められないよ。まったく……武偵憲章2条、依頼人との約束は絶対守れ、か。約束を反故にさせた分の結果は出せよ?」

 

「そうね」

 

「ありがとう」

 

「気にするな嫁よ。受けた任務は()()()だろう?お前は充分に止めた。ただ私達が留まらなかったというだけだ」

 

「そういうの、屁理屈って言うんだぜ?」

 

「物は言いよう、とも言うのだろう?」

 

俺の両脇を5人の女子達が駆け抜けていく。好きな男のため、友達のため、それぞれが胸に覚悟を秘めて走り抜けていく。俺はそれを止める術をついぞ持たなかった。それだけだ。

 

「……どうにも止められませんでした」

 

「ふん……まぁいい。帰ってきたら問答無用で懲罰だ」

 

旅館の玄関から現れたのは織斑先生。どうやら俺の話を聞いていたようだ。俺は砂利の上に落ちた空の薬莢を拾い上げるとそれを制服のポッケに仕舞い込んだ。

 

「お前は行かないのか?」

 

「今の話を聞いて行く気になると思います?……俺はここに残りますよ。慣れない連携よりも、()()()使()()()1人の方が楽でいいですし」

 

「そうか。なら戻れ。……嫌な仕事をさせて悪かったな」

 

「いえ。武偵は金さえ貰えればなんでもやる便利屋ですから」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「いきなり別の世界に飛ばされて少しは焦ってるかと思いましたが、中々どうして馴染んでますね」

 

作戦会議室に戻った直後、背後から聞き馴染みのない男の声が聞こえてくる。それも随分と流暢な英語だった。しかもその英語はアメリカのそれではなくイギリスのもの。俺に英語を叩き込んだシャーロックの使う英語によく似ていた。

 

「……お前、誰だ?」

 

俺もそいつに合わせて英語で返す。

振り向けばそこにいたのはブロンドの髪をした爽やかな風体の男。背はやや低いがシャルロット程ではなく、喉仏も完全に出ているから多分本当に男なのだろう。"別の世界"という言葉が出た瞬間には俺は携帯でリサを呼び出してある。そのうち来るだろう。

 

「名乗る程の者じゃあないですよ。ただ、あの時あなた達を飛ばしたのは私ですとだけ言っておきましょうか」

 

俺は予測はしていたその言葉に、しかし即座に拳銃を抜いてその銃口を奴に向ける。

同室にいた織斑先生からも殺気が立ち込め、山田先生もいつものオロオロは身を潜め、突然の侵入者を睨みつけている。

 

「……何しに来た」

 

「様子見ですよ。あの時は取り敢えず1番近い世界に放り出しましたが、その後どうなったのか、個人的に気になりまして」

 

「律儀な奴だな」

 

「いえ……。それにもう1つありまして。本題はこっちなんですよ」

 

「……なんだ?」

 

「いえ、用があるのは私ではないのですが、彼だけではあそことは別世界であるコチラには来れませんからね」

 

「……誰だよそれ」

 

「あなたもよくご存知のはずです。何せ彼は───」

 

目の前の男がそこまで喋った瞬間───

 

 

───ドオォォォォォォンンン!!!!!

 

 

と、海の方から爆発音が響く。

 

「随分と苛立っているようだ。早く行ってあげてください。……彼の名は───」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「かぁみぃぃぃしぃぃろぉぉぉぉ!!」

 

浜辺にいたのは左半身を()()()()()で構築した背の高い男だった。そう、俺の世界で俺と殺し合った男。その末に俺が打ち倒し、しかし止めを刺し損ねた男。その名を龍司光哉。

今奴は空中に浮いている。その背中には片翼の光の翼が生えていた。

 

「龍司……。生きて……」

 

あの傷じゃそう長くはないと思っていたのだが、まさかまだ生きて、しかも戦えるまでに戻っていたとはな。まぁ、飛ばされてからもう5ヶ月近くは経っているけど、それでも怪我の具合からして復活が早すぎる。その証拠に、吹き飛ばされた身体がまだ戻りきっていない。

 

「ご主人様……これは……」

 

「リサ、下がってろ。アイツ、生きていやがった」

 

駆け付けてきたリサを下がらせる。アイツとの戦闘に巻き込むわけにはいかない。いくら1度は勝った相手とはいえ、俺達をこの世界に飛ばした野郎もいるから油断ならねぇしな。

 

「生きて?当たり前だろう!この俺をこんなにした貴様を殺すまで俺は死ねるものか!!」

 

「はっ!強がんなよ半死人風情が!!お前の聖痕じゃ俺の聖痕には勝てねぇのが分かんねぇのか!?」

 

「舐めるなよ?俺があの時のままだと思うな!!」

 

その瞬間、奴の周りに光球が5つ発生した。俺はそれに合わせて銀の腕を顕現、その銀色に変わった腕から白い焔を龍司に叩き付ける。

また粒子で出来た半身を燃やして終わりだと確信した俺はしかし、その光景に圧倒される。

 

「はっ!」

 

1つ叫んだ龍司の足元の砂や海水が一瞬にして1部消滅したのだ。そして───

 

───ゴッッッ!!

 

と、俺の白焔を阻むようにして壁が現れた。それは物理現象ではありえない光景の筈なのに、俺の白焔を完全に防ぎきったのだ。

ならばと俺は銀の腕・天墜を発動。両腕を銀色の腕として奴の生み出したであろうその壁に超音速の拳を叩き付ける。

俺の体重と超音速駆動の速力を余すことなく乗せたその拳は確かに壁を打ち砕いた。だがそれだけ。奴の身体には傷1つ付いてはいない。

 

今の感触……。岩石の塊を叩いたような感覚だった。

しかし次の瞬間龍司の姿が掻き消えた。

 

そして───

 

「ッ!?」

 

俺は背中のスラスターを吹かせて上空へ飛び退る。その刹那の後には俺のいた場所を一条の閃光が貫いた。しかし俺を穿つことはなかったその閃光は旅館前の道路を穿ち、コンクリートを溶かした。

くそ……ここで戦うのは駄目だ。リサもいるし、一夏も今は動けない。他の生徒達だって、ISの数には限りがある。

 

「どうした!?お得意の白焔はもう品切れか?」

 

相変わらず戦闘中にも関わらずうるさい奴だ。

しかし、上手くすればあの岩壁の秘密を引き出せるか……?

 

「あぁ?手前も新商品入荷したみたいじゃねぇか」

 

「はっ!こんなもの、我が聖痕の力の延長線上でしかないわ」

 

つまり、ISや他の世界の力を持ってきたのではなく、粒子の聖痕の応用ってことか。

どういう理屈かは知らないが、聖痕の粒子で周囲の物質を作り替えているのか。なら俺の白焔じゃ打ち破れない。だけどまだ手はある。俺の拳で砕けたのだから、ISの火力なら撃ち砕ける。

 

「逃がすか!!」

 

まず俺はIS学園の奴らを巻き込まないようにここから離脱する。そして当然の如く龍司は俺を追いかける。その背に生やした身体に悪そうな青い翼から加速用の粒子でも噴出しているのだろう。やはり俺を殺すことにばかり意識が向いていてリサのことなんて完全に頭から抜けているようだ。

 

それもあってか俺は追いつかれることなく1キロほど海上に飛び出した。

そして反転、両腕に白焔を纏いながら急加速で奴の眼前に接近。白い焔の拳を叩きつける。

 

しかし奴は全身を粒子化させることで躱す。そして俺の真上に現れた龍司は健康に悪そうな青白い爪を振るう。

俺はその爪を銀の腕で掻き消し、そのまま白焔を噴出する。だが奴の眼前にまたもや分厚い岩盤が現れ白焔を阻む。

 

「……暴れろ、エクスシア」

 

俺の鎧牙とリサの星狼のコアが1つのISに搭載され、全く別の機体と生まれ変わったIS──エクスシア──。篠ノ之束はこの機体のことを神威と呼んでいたがコイツはその名前は気に入らなかったようだ。全てのISの産みの母のはずが名付け親(ゴッドファーザー)になるのは断られたみたいだった。

 

そして、俺の呼び掛けに応じて現れたのは鎧牙と同じ斑な灰色をした鎧───ではない。

俺はただエクスシアを起動しただけ。PICの浮遊機能とIS用の武装を使いたかっただけなのだ。なので展開は最小限に抑えた。展開された部分は頭のハイパーセンサーだけだ。

 

俺は左手にアサルトライフルを召喚し、目の前の壁を撃ち砕く。そして右手には白焔の剣。それで龍司を両断せんと刃を振り上げる。だが───

 

「甘い!!」

 

俺の白刃は新たに現れた岩石に防がれる。さらに奴の頭上には粒子の光球ではなく、幾つかのつぶてが浮かんでいた。そして───

 

「ぐっ……」

 

そしてそれは放たれた。装甲は出てないとは言えISを展開していたおかげでシールドエネルギーがその弾丸を相殺してくれた。

 

「……鬱陶しいな」

 

しかし龍司はさらに海水を弾丸に変換するとマシンガンの様に礫を放ってくる。白焔で相殺できないところを見るに、やはり壁と同じく物質で構成されているのだろう。だが、その推進力は粒子の聖痕を使っているようだ。弾丸の背中から青白い光が見える。

 

俺はその礫を躱しながら白焔をぶつけていく。だがそれは奴の生み出す壁に阻まれて届くことはない。その上奴の礫はISのシールドエネルギーを削るには十分な威力を秘めているらしく、掠める度に徐々にではあるが、数値が減っていっている。

 

このままじゃ埒が明かない。

 

そう思った俺は一息にあの壁を破壊すべく、アサルトライフルを頂いたばかりのビームキャノンへと取り替える。そして左手に構えたそれの引き金を引く。

 

──バシュウッ!!──

 

という音と共に閃光が龍司へと迫る。それは奴の生み出した壁を瞬時に溶解させ、奴の肉体を滅ぼすべく直進する。だが───

 

「甘いと言っている!!」

 

俺の左手に現れた龍司の振るう粒子の熱爪でビームキャノンが切り裂かれる。

爆発する前にそれを投げ捨てた俺はそのまま白焔をぶつける。一瞬、粒子で構成された半身を消し飛ばすことは出来たが即座に再生。致命的なダメージを与えるには至らなかった。

 

俺は奴のその動きに何となく違和感を覚える。

 

確かコイツは粒子の聖痕の力で身体の一部を己が生み出す粒子に変換することで膂力や反応速度を爆発的に向上できたはずだ。それによって、強化の聖痕で強化された俺の駆動にも着いて来れていた。そして、前は俺が白焔を撒き散らすことで無効化していたが、アイツは戦闘領域に粒子を撒くことで相手の思考を読み取ることも可能だと言っていた。……確かにこの戦いで俺はあまり白焔を撒き散らしてはいない。やはり、動きを読まれているようだ。

 

「今頃気付いたか!!」

 

だから、それ言ったらお前が俺の思考を読んでいるのが丸分かりじゃねぇか。

 

「バレたところで!」

 

まぁ本人が良いならいいか。

 

「何やらバリアの様な物を張っているようだが……これは受け切れるかな?」

 

一旦俺から距離を取った龍司がさらに海面を別の物質へと変換していく。そして現れたのは"槍"だった。

巨大な槍が3本、奴の頭上に現れる。それは俺の目線からでも分かるくらいに多量の粒子を柄に蓄えていて───

 

──それが一斉に俺の顔面目掛けて飛翔してきた──

 

「ッ!?」

 

俺は槍が現れた瞬間には左手に黒覇を構えていた。そして既にエネルギー充填は完了。篠ノ之束が手を加えたのか、いつもより早い。

俺は黒いエネルギーを纏ったその黒刀を超音速で飛んでくる槍と斬撃の軌跡が重なるように振り抜いた。

 

しかし、俺の黒い斬撃を突き抜けて粒子のレーザーがエクスシアのシールドエネルギーを削る。

どうやらあの槍の後ろから放たれたようだ。

 

「ッ!?」

 

俺がシールドエネルギーの減りを確認しようとした瞬間、眼前に龍司が現れる。しかもその掌にはあの光球が構えられていた。

 

あれは、不味い───!!

 

俺の直感が告げている。あれはこれまで放たれたどのレーザーよりも出力のある決め技だ。感じる力が今までとは段違いなのだ。恐らく極限まで圧縮した粒子の塊。あんなものを喰らったらシールドエネルギーや絶対防御なんて容易く貫通して身体に風穴を空けられる。しかもこのタイミング、白焔の噴射は間に合わない───!!

 

死んだ?

 

───いや違う。

 

───俺は、こんな所で……死ぬ訳にはいかないんだよ!!

 

「何っ!?」

 

龍司の手にあった光球が消え去る。しかしそれは白焔によって焼失させられたのではない。

 

銀の腕、銀の腕・天墜とその力の解放に段階のあった俺の白焔の聖痕。その最後の姿が今ここに花開く!!

 

 

──銀の腕・煌星(アガートラーム・セイリオス)──

 

 

 

 

───────────────

 

 

 

───ゴウッ!!

 

と、音を立てて白焔が撒き散らされる。それを受けて龍司が俺との距離を空ける。そしてその目が驚愕に見開かれる。

 

「何だそれは……何だその姿は!!」

 

「……言う義理はねぇよ」

 

これを発動する時に俺の周りの粒子も()()()()()()()()。俺の思考は読まれていない。

 

背中に円盤状のスラスター、腰周りにもまるでISの様なスラスターが。胸部の銀の装甲は無くなったが両手脚には天墜よりもややスッキリとした銀の装甲がある。これが俺の白焔の聖痕の最後の姿。

 

──銀の腕・煌星──

 

取り込んだ聖痕の力を俺の力として変換し、発現させる姿。アイツが粒子の聖痕の新たな使い方を模索したように、俺だって自分の力の研鑽くらいする。

 

───それがこれだ。

 

発動させるだけで莫大な力を要求されるが効果は絶大。俺は自分が取り込んだ力の程を確認する。

円盤状のスラスターには白い焔の翼が3本、か。

最大で3対6本の白焔の翼が現れるこの姿において、しかし一撃で3本もの翼を発現させた今の一撃は、防御力に優れたISであっても絶対防御を貫き操縦者を重傷に至らしめる火力であっただろう。

 

俺は翼の1本を完全に速力に変換、空気の壁を突き破り、音より速く、白焔の剣ですれ違い様に奴の胴体を切り裂く。

さらにもう1本の翼を消費、巨大な白焔の球を作り出し、それを龍司に叩き付ける。

 

「あっ───!?」

 

──ゴウッ!!──

 

と、龍司は周囲の粒子ごと白焔に包まれた。

浮遊する力も全て燃やされたのか、直ぐに白い焔ごと海中へと落下を始めた。そこで俺は即座にビームキャノンを取り出し、海面へ落ちる白焔目掛けて引き金を引く。

 

極太の閃光が白焔を穿ち、海面をその熱量で蒸発させる。粒子も肉体も完全に消し去られた龍司は、死体すら残さずこの世から消え去ったのだった。終わってみれば呆気ない最期。

俺は白焔の聖痕を閉じ、代わりにエクスシアを完全に展開。名前も姿も変わったが唯一灰色は変わらないその鎧を身に纏い、俺は浜辺へとスラスターを吹かした。

 

 

 

───────────────

 

 

 

何故俺まで……、と思ったけどよく考えたら無断で出ていった挙句にIS使ったからこの仕打ちは当たり前だった。

 

現在俺達専用機持ちは全員織斑先生の御前で正座させられてお説教を頂いている。

一夏も、俺が戦っている間にこっそり抜け出して銀の福音の相手をしに行ったらしい。

 

結局、学園に帰ったら反省文の提出ということになった。……悪い事をした自覚はあるが悪いとは思っていないのでどんな文章を書くか今から迷うな。

 

そして俺達はようやく解放され、痺れた足を引き摺りながら各々解散した。俺の戦った相手はボカして伝えたが一応この場では追求無し。ただし後で深掘りされるらしいが、それで許された。

 

「ご主人様……」

 

「んー?」

 

今回は身体に風穴空けられる事態は避けられたがそれでもダメージはある。そもそも白焔の聖痕の使用がまず身体に悪いのだからそれを全力全開で使えば尚のことだ。

俺は織斑先生の部屋に素直に戻って気を張るよりもまずは落ち着きたいと、リサとエントランスに向かったのだが、そこでリサが俺の制服の裾を引っ張った。

 

「あの、この世界を出る条件が、分かったかもしれません……」

 

 

 

───────────────

 

 

 

どうやらリサは俺が粒子の聖痕の野郎と戦っている間に、異世界への扉を開く聖痕持ちに接触されたらしい。

そして、そいつから俺に伝えろと言われたのだとか。それは世界を渡る条件、俺が欲して止まない情報。何でそんなに話をするのかとも思ったが、奴としては俺を消せとの要求を受けているのにこの世界じゃ俺を殺すには力が足りないんだとか。

だから態々"現状俺と戦える人間で最も強い"聖痕持ちであるあの男をけしかけたのに、その頼みの綱すら俺は退けそうだった。

だから聖痕持ちですら殺されかねない世界へ俺を飛ばすためにリサに世界を飛ぶ方法を教えたらしい。

不意打ちで飛ばせよとも思ったが、どうにもあの野郎、色んな可能性をリサに話しているらしい。

曰く、不意打ちでやった最初の転移は、それでも尚あの相方がいなければ成功しなかった。

リサを人質に取るやり方では、戦闘力の無い自分では強化の聖痕まで持っている俺相手にはやや分が悪い。先にリサを別の世界に飛ばして、俺自ら扉をくぐるように命じたとしても、自身が殺されてしまえば意味が無いから却下なんだとか。

 

なので戦闘力が無く、脅迫されないリサ経由で俺に情報を与え、ランダムではあるが世界の数を考えれば俺達が武偵校のあるあの世界に帰るよりも俺すらも殺し得る世界に飛ぶ可能性に賭けたということらしい。

まぁ、確かに合理的ではある。

 

「なるほどな……。しかも当の本人は言うだけ言って自分の能力でトンズラか……」

 

「はい。しかし、その条件というのが───」

 

リサが語る。別世界への扉を開けることなく世界を渡るための条件を───。

 

1つ、異世界への転移はランダムに起こり得る。つまり、俺達も待っていれば勝手に飛ぶ可能性がある。しかし、そうそうあることでもない。だが、異世界転移を繰り返す程に起こりやすくなる。関節の捻り癖のようなものらしい。

 

2つ、世界には運命と言うべきものが定められており、基本的にそれに逆らう手段は無い。しかし、別の世界から来た者だけはそれに囚われることがない。異世界人はその世界にとっては気道に入った水、身体の中の細菌のようなもので、悪さをすれば世界の防衛機能が働き吐き出される。つまり世界の運命を捻じ曲げて、その世界から強制排出されることで別の世界に飛ぶことができる。

 

しかし、世界の運命を捻じ曲げるための決まった方法は無い。その世界に最も強い影響を与える人間を殺すか、もしくは死ぬべきところで死なせなければそうなる可能性は高くなるとのこと。

ただ、世界の運命とやらは結構大雑把らしく、極端な話、世界にさして影響を与えない人類ばかりであれば、世界人口の過半数を殺しても世界の運命は変わらない場合があるのだそうだ。

 

そもそも世界の運命と個人の運命は全くの別物。

決定的な1人の行く末を捻じ曲げなければ世界は変わらない。多少の変化はあったとしても、その歪みが世界にとって許容範囲内であれば何も起こらないのだそうだ。

 

「世界を歪める決定的な1人……」

 

「はい、そしてそれはおそらく……」

 

 

──篠ノ之束──

 

 

この世界は今やISを中心に回っている。そして篠ノ之束はそれを唯一生み出すことの出来る人間だ。他にも織斑一夏、織斑千冬、それから篠ノ之束に大きく影響を与えられるであろう篠ノ之箒。

 

この辺りの奴らをどうにかすれば確かにこの世界は大きく歪むかもしれない。

 

「篠ノ之束を、殺す……?」

 

しかし果たしてそれだけで足りるか?もう世界はIS中心に動いている。なら篠ノ之束1人を殺しても大きくは変わらないかもしれない。なら専用機持ち……いや、ISそのものを破壊していくべきか?

 

「……あれは」

 

さてどうするかと頭を悩ませていた俺の視界に入ったのは織斑先生。

裏から回ってきたのだろうか、でなければ俺に気付かれずに旅館の正面入口に立てるわけもない。

 

しかし、厳格なあの人がこの時間に外を出歩くというのも気になる。そう言えばこっちには篠ノ之束も来ていたし、もしかしたら旧友に会うのかもしれない。……どっちにしたって、篠ノ之束は殺らなければならないだろう。

あの神出鬼没な女と確実に会えるのなら織斑先生を付けるというのも手だ。

 

「……行ってくる」

 

「ご主人様……」

 

しかし立ち上がった俺の裾をリサが指先で掴む。

 

「リサは……」

 

「大丈夫だよリサ。俺が、リサを武偵校に帰してやるから」

 

リサの目に浮かんでいたのは不安の色。篠ノ之束と俺が戦闘になった場合の心配でもしているのだろうか。それとも、自分の利益のために人を殺すことで俺が決定的に歪んでしまうのを気にしてくれているのか。

けどな、リサ。俺にとってお前以上の奴はいないんだよ。この世界の人間がどうなろうと、お前1人の方が優先なんだ、俺にとってはな。

 

「せめて、リサも行きます。目を背けることは、したくないから……」

 

「……分かった」

 

尾行の素人であるリサを連れて行くのはリスクがあるが、覚悟を持ったリサの目に負けてしまった。まぁ、たかが人間1人、リサを抱えてでも問題あるまい。

 

 

 

───────────────

 

 

 

その夜、この世界から1人の天才にして天災が消えた。完全な失踪、しかしそれは世間の多くの人間にとっては当たり前のことで、気にする人間はほとんどいなかった。

 

しかしもう1人、とある海辺の旅館近くの林の奥、崖の傍で肉体が縦に泣き別れしている人間が見つかった。

それはあまりにショッキングなニュースとなって世界中を駆け巡った。

その人物がかつて、ISの世界大会モンド・グロッソの初代王者でありIS学園の教師だったからだ。

 

そして、世界で2番目のISを動かせる男と、篠ノ之束からISを頂戴した女もこの世界からその姿を消した。

一切の痕跡を残すことなく、しかし防犯カメラの捉えた映像や、ISのネットワークの履歴から、彼らこそが初代ブリュンヒルデ殺害の最重要参考人であることは確かだった。

 

 

 



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荒ぶる神を喰らう者
辿り着いた先の世界


割とアバウトですが、基本的にはアニメ版の世界線です。


 

あれから様々な世界を渡り歩いた。どこの世界にも、世界を渡る手段なんて無くて、結局は誰かを殺して飛んで、まぁ、たまには助けることで飛ぶ時もあったけど。それでも俺はいったい何人もの人間を殺したのか、数人だった気もするし、数10人だった気もする。もうそんな感覚すら無くなるほどに俺は屍を築き上げていたのだ。

 

そんな生活を繰り返していたある時、新たな世界に渡ってから3日程でその世界を飛んだ。あの時はまだ誰も手に掛けていなかったから、あれが偶然による異世界転移なのだろう。

 

これまで繰り返してきた血生臭い繰り返しの中で拳銃を無くし、ISも破壊され、ネックレスの待機モードからその灰色の鎧を現すことはなくなってしまった。

修理なんて出来ないし、聖痕と雪月花があれば戦闘にはそう苦労しなかったから、気にするようなことでもないけど。

 

あれからどれ程の月日が流れたのだろうか。1ヶ月程度のような気もするし、数年のようにも思える。元の世界で使っていた携帯も、ISのある世界で使っていた携帯も、もうどこかへいってしまった。

 

今俺の手にあるのは雪月花と、リサの温もりだけ。けれどこれがあれば俺は大丈夫だ。武器も、戦う理由も、全てここに揃っているから。きっと、大丈夫な、ハズだ───

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……しかし、多分ここが1番荒れてるな」

 

「はい……。ほとんど廃墟……文明の跡はありますが」

 

俺達が今いる世界は見渡す限りの荒野。

 

ただ、あちらこちらに建物の残骸はあるから、元々は俺達の世界と同じくらいの文明レベルにはあったはずだ。それに、まだ完全には崩れていない建物に入ると、日本語が書かれてることが分かる物もあり、ここが俺達の知る日本に近い土地だったということだけは把握出来た。

 

ただ、まだ生き物とは出会えていない。精々細かい虫が飛んでいたりいなかったり。人間を含め、掌サイズ以上の大きさの動物は、カラスすら見当たらなかった。

 

まぁまだ転移から1時間も経っていない。そんなに焦ることもないか……。

 

と、俺とリサは何か情報がないかとその建物の中を物色していく。

どうやらここはマンションの名残りだったようで、所々にここで誰かが生活をしていたであろう痕跡が見て取れた。だがそれも随分と前、それも、忍び込んでのものではなく、恐らく正式な形でここに居住していたと思われるものだけだった。

こんな廃墟じゃまずは水や食べ物の確保もしておきたかったからそれも探しているのだが、どうやら全く残されていなかった。この状態では当然蛇口を捻っても水は1滴も滴ることもない。

 

「ご主人様、これを……」

 

「ん?」

 

それは新聞だった。日付は俺からしたら未来の数字だったけれど、どうやらこの世界ではそれなりに古いようで、窓ガラスの砕けたここじゃあ風通しが良くなり過ぎで少し風化していたが、辛うじて文字は読めた。

 

「オラクル細胞?」

 

そこには"オラクル細胞"なる存在がいかにこの世界にとって危険であるかが書かれていた。

若干、陰謀論や思い込みが強く出ているようにも思えたが、他にもリサが持ってきた写真週刊誌のような雑誌によればオラクル細胞は動物の姿をとり有機物無機物問わず捕食しているんだとか、その証拠がこれだとか書かれていた。

さらに日付が新しい新聞には、オラクル細胞からなる新たな生態を持つ生物が完全に世間に認知され、そして荒ぶる神──アラガミ──なんて呼ばれていると書かれていた。

 

「アラガミ……」

 

「これが、この世界の中心でしょうか?」

 

「多分、な」

 

最近ロクな生活をさせてあげられていないからか、パサついているリサの髪を指で梳く。

だがいくつもの新聞や週刊誌を読むに、この世界にはアラガミなる新たな生態系に立ち向かう人間の集団がいるらしい。その組織の名を"フェンリル"そしてそこに属し神機と呼ばれる武器を振るう奴らの名をゴッドイーター。

 

 

──神を喰らう者──

 

 

どうやら今アラガミは、銃火器やミサイルすら受け付けない程の肉体強度を誇っているが、オラクル細胞で作られた神機と呼ばれる武器であれば殺せるらしい。

 

まるでISのあった世界みたいだが、この世界の人間の生活圏はかなり狭まっており、見ての通り文明も崩壊に近い状態だった。

しかもまたオカルティックな要素の無い世界。1度だけ魔法だか超能力だかのある世界にも飛ばされたことがあったが、魔力だなんだと呼ばれている力は、その全てが聖痕の力が劣化ないしは変質したものなのだ。全ての根源たる聖痕の力が長い時の中で枝分かれし、その有り様を変えていった力。それが魔力だのなんだのと呼ばれている力の正体。それらであれば俺の白焔の聖痕で燃やせるし、銀の腕・煌星の燃料にすることも出来る。

 

だがこの世界にはそんなものは存在しないようだった。

そうなれば頼りになるのは強化の聖痕。だがアラガミには物理攻撃も効かないという。そうすると今度は神機を手に入れるしかない。そして、神機を手に入れるには───

 

「フェンリル、か」

 

「ご主人様……」

 

「大丈夫だリサ。絶対、何をしても俺は神機を手に入れる。誰を殺すことになっても、俺はお前をあの世界に帰すから」

 

俺はただリサを抱き締める。リサは恐れているのだ。俺がまたこの旅で何人もの人間を葬り、屍の山を築き上げ、手を血に汚して、変わっていってしまうのが。だから大丈夫だと、俺は何があっても大きくは変わらない。少なくともお前の前だけでは、リサの知っている神代天人のままでいるよと、伝わるように抱き締める。

 

「行こう。フェンリルは、南だ」

 

「はい。リサも、何があってもご主人様のお傍に」

 

 

 

───────────────

 

 

 

ゴッドイーター達の基地であるフェンリル極東支部があるのは地図の上で神奈川県は藤沢市の辺りだった。

俺はともかくリサが歩くには少し遠すぎる距離だと思ったが、どうやらゴッドイーターになりたい奴らの一団が車で一緒に乗っけて行ってくれるらしいので今は便乗している。強化の聖痕を使って手早く進んでも良かったのだが、この世界のことをもう少し聞きたかったのだ。

 

そして、聞く限りではこのゴッドイーターなるもの、誰でもなれるわけではなく、神機への適性検査を受けてそれに合格しなければならないらしい。一応、ゴッドイーターの適性がある奴の親族はフェンリルの防護区域の中に住まわせてもらえるらしく、そこならある程度安定した配給や防壁など、最低限もいいとこではあるらしいが衣食住は保証されるのだとか。まぁ、こんな荒野で、いつアラガミなんてものが現れるか分からない外よりはマシなのだろう。

 

「あれは……?」

 

俺たちの進行方向、その前方から何やら軽自動車くらいの大きさの影が3つ、こちらに向かってやって来ている。

 

「あれは……アラガミだ!!」

 

それは二足歩行の恐竜のような化け物だった。灰色の肌に鋭い牙、長いしっぽは先端が太く、鋭くなっていてこれも大きな武器なのだろう。

大きさこそそれほどではないが、ティラノサウルスみたいな骨格をしたそれは確かにただの人間では手に負えないだろう。

 

しかも運の悪いことに周りを瓦礫に囲まれたここはほぼ一本道。左右に逃げ場は無い。

 

「なぁ、アラガミってのに兵器は効かないけど、例えばこの自動車で横っ腹に思いっ切りぶつかれば吹き飛ばせたりはするのか?」

 

俺は運転席で顔を真っ青にしているオッサンに話しかける。物理攻撃が効かない。それは銃弾が貫通しないという程度なのか、衝撃すら完全に無効化してしまうのか。

ただ銃弾やミサイルで傷が付かないという程度なら、とりあえずここを凌ぐくらいなら何とかなるのだが……。

 

「あ、あぁ……そんな都合の良いことができればな!!」

 

「OKだ。なら殺せはしないけどアイツら退かしてやるからこのまま進め!!」

 

「は、はぁ!?アンタ何言って───っ!?」

 

もうこの際だ、聖痕の力を見せたっていいさ。そうでもしなけりゃあのアラガミなんて奴らには敵わない。

俺は強化の聖痕を開きながら乗せてもらっている車の荷台から飛び降りる。

そしてそのまま地面を砕くように踏み込み、一気にアラガミの集団へと突っ込んでいく。

そして右手側のアラガミを下から思いっ切り蹴り上げる。蹴りの速度が音速を上回り、大気が悲鳴を上げている。

俺はさらに真ん中のアラガミの尻尾を掴み、回転しながら投げ捨てる。砲弾のように吹っ飛んだそいつは直ぐに視界から消えていった。

 

次の1匹、コイツには顎を打ち上げるように蹴りをくれてやる。そして浮いた身体の、その尻尾を掴み、2匹目と同じように思いっ切り遥か彼方へ向けて投げ捨てる。

そしてドン!と、さっき蹴り上げた1匹目が上から落ちてきたのでそれもハンマー投げのように放り捨てる。

すると、俺達の乗っていた車もようやく追いついてきた。

 

「アンタ……一体?ゴッドイーターじゃないみたいだが……」

 

「俺のことはいいんだよ。とにかくフェンリルまで行こう」

 

明らかに人間業ではない剛力を見せつけられて訝しまれたようだが、俺の有無を言わさぬ態度に「とりあえずアラガミに邪魔されることなくフェンリルに着けそうだ」という判断を下したらしいその人達は俺達との間にさっきよりも広めに心の距離を取りながらも再び乗っけてくれる。

そうしてしばらく進んでいくとフェンリル極東支部の外壁が見えてきた。その間にも時折さっきの小さめの恐竜みたいなアラガミが散発的に襲いかかってきたがその度に俺がブン投げて道を作る。

 

「……アンタのおかげで誰も怪我せずに辿り着けたよ」

 

「乗せてくれたお礼だよ。本当は息の根を止められたら良かったんだが……。何せゴッドイーターじゃないと神機は貰えないからな」

 

「アンタならなれるだろうさ。それより、そっちの嬢ちゃんの方に適性があるかどうか……」

 

「最悪俺にあれば配偶者くらい入れてくれねぇのか?」

 

「どうだろうな。親族ってのが直接血の繋がりのある奴だけなのかどうなのか。細かいことは俺達も知らんからな」

 

「へぇ。まぁ、どうにかするさ」

 

駄目っぽくても、俺が戦力として特例を認める程の価値があると思わせれば良い。どんな手を使ってでもリサはあの中に入れなくてはならないのだ。外じゃ絶対に生きてはいけないだろうからな。

 

そうこうしているうちに壁が目の前に迫ってきた。勇壮な狼の顔の紋章の描かれた壁にある門の前にはアサルトライフルと思われる銃火器を携えた門番がいる。どうやらアイツらが検査を行うらしい。

 

「そこの車、止まれ」

 

態々銃口を向ける必要も無いと思うが、とにかく奴らは俺達の乗っている車に銃口を向けて止まらせる。

どうにも緊張しているらしい彼らの代わりに俺が前に出ていく。

 

「ゴッドイーターに志願しに来た。ここで検査を受けられるんだろう?」

 

「あぁ。まずはパッチテストを受けてもらう。……そっちもか?」

 

「そうだ」

 

すると、門番達はいそいそと何やら道具を取り出し始めた。そして俺達に腕を出せと命じてきたので大人しくそれに従う。

何やらアルコールテストのように腕にシールを貼られ、少しするとそれを剥がされる。

俺とリサの腕には、何やらシールの形に丸い跡が付いていた。だが俺達と一緒にいた奴らには───

 

「お前達2人は合格だ。中に入れ。他の奴らは駄目だ。適性が無い。許可出来ない」

 

俺だけでなくリサまで適性があるのには驚いたが、おかげで中に入るのに揉めなくて済みそうだ。だけど彼らは───

 

「ご主……天人様……」

 

「あぁ……。けど、どうしようもない」

 

彼らは適性が無いからとこの、荒ぶる神が闊歩する地獄のような荒野に再び放り出されるのだ。

俺だってここまで乗せてきてもらって、言葉を交わして、彼らに対して何も思うところがないわけではない。できるなら、戦えなくとも壁の中の居住区には入れてやりたい。しかしそれは叶わないのだ。例えここで俺が暴れたところでそれは許されないだろう。

 

ここの門番の2人だって好き好んで放り出すわけでもないだろう。それは、この世界では仕方のないことなのだ。恐らくここで俺がこの門番達を殺害したところでこの世界からは出られない。彼らは世界の命運なんてものは握っていないのだから。

だから俺がやるべきはそう、例えそれが嘘に塗り固められた言葉だったとしても───

 

「ここまで乗せてもらって、俺らだけ入るのは心苦しいけど、俺が、アンタらがアラガミに怯えなくて済むような世界にしてやる。だからそれまで生きてくれ。そして、変わった世界でまた会おう」

 

「……あぁ。悔しいが仕方あるまい。元々、俺達ゃアンタがいなきゃここまで来ることすらできなかったんだ。じゃあな、また会おう」

 

きっと、変わった世界に俺達はいない。そうなったらきっと俺達は別の世界に飛ぶだろうから。

だからこれはどこまでも嘘。きっと彼らと会うことはもう2度とあるまい。それでも、彼らにはこう言ってやらなければならない気がしたのだ。例えこの手が血に汚れていようとも、それを彼らに隠していようとも、だ。

 

「……ではこっちへ」

 

彼らが去ったのを確認した門番に連れられ、俺達はフェンリル極東支部の門をくぐる。さぁ、まずは第1関門突破だ。後は神機を手に入れ、この世界から出ていく方法を探すのだ。この、荒ぶる神に食い散らかされた世界から───

 

 

 

───────────────

 

 

 

「そんなことは許されない」

 

「許す許さねぇじゃねぇんだよ。どーせ無駄になるんだからやらねぇ方がいいっつってんだ」

 

パッチテストに合格した俺達は次は神機の適合テストらしい。どうやら今は新型と旧型の2種類の神機があるらしく、俺は新型の適性アリ。

で、次はリサが試す番らしいが、そもそもリサに戦闘なんてこれっぽっちも出来やしない。

それは、幾多の異世界転移を経験してきた今でも同じだし、俺もやらせる気は無い。それも、アラガミ討伐なんていう危険極まりない仕事に就かせるなんて真っ平だ。神機は貴重なものらしいから、それをリサに任せたところでただ無駄に資源を使うだけだと俺が主張しているのだが……。

 

「フェンリルからの配給を受ける以上、ゴッドイーターの適性がある人間はこれを拒むことは出来ない」

 

危険な仕事故に常に人手不足のゴッドイーターは、適性のある奴に対しては結構強引にならせるらしいな。

 

「あぁ?んなもん、俺が2人分働きゃいいんだよ。ここだって救護室とか飯炊く所くらいあんだろ?リサはそっちの方が向いてんだ」

 

「2人分だと……?新人未満が一端の口をきくな」

 

「あぁ?なら試そうぜ?俺に神機を寄越せば2人分なんてケチなこと言わねぇ……。3,4人分はアラガミをぶっ殺してやんよ」

 

「貴様……いいだろう。まずはお前にハーネスの装着を行ってもらう。……そのマシンに腕を置け」

 

俺のいる部屋の上、ガラスの向こうで雨宮ツバキとか言う気の強そうな女が俺と言い争っている人間の1人だ。後は眼鏡をかけた糸目の男、ペイラー・榊とか言う奴も俺を睥睨していた。

 

俺はフンと鼻を1つ鳴らし、示された機械の上に左腕を置いた。右利きの俺が態々左手を置いた理由。単に銀の腕を使うためだ。どうにもここで取り付ける腕輪とやらは神機を扱うのに必須らしく、また付けたら死ぬまで外せないんだとか。

 

俺は最低限銀の腕を使えるように右腕は残しておくことにしたのだ。どうせ両腕で振るうのだから腕輪くらい逆手に着けていても問題あるまい。

 

「その前に1つ」

 

と、ペイラー・榊が俺を見下ろしながら質問をしてくる。

 

「君は、何のためにゴッドイーターになる?」

 

「そんなの、生きるためだ。俺は俺とリサが生きるためなら神だって殺す。リサを傷付けようとする奴も戦わせようとする奴も、全員潰す。俺はそのためにゴッドイーターになる」

 

「……いいだろう。守るべきものがある人間は強くなれるものだからね。では、始めようか」

 

すると、上から何やらプレス機みたいなのが降りてきて、俺が左腕を置いている窪みとちょうど合うように凹んだ場所が重なる。そして───

 

「───っ!?」

 

腕に激痛が走る。神機を扱うための腕輪とやらが俺の腕に癒着されていくのだろう。そして、オラクル細胞なるものが俺の体内に流し込まれていく感覚。異物が侵入する感触に思わず眉根を顰めるが、それだけだ。けどなぁ、腹にビームで風穴開けられた時よりゃあマシな痛みだぜ。

 

暫くすればその痛みも収まり、機械の上半分が巻取られて上がっていく。

 

「……成功だ。ようこそフェンリルへ。君のこれからに幸あらん事を祈っているよ」

 

祈るって、誰にだよ。とは言わなかった。神が地上を食い散らかす世界で何に縋れっていうんだか知らないけどな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ではまずはオウガテイルを討伐してみろ」

 

訓練場なる場所に連れてこられた俺は若干ハリボテ感のある神機を渡された。その部屋は訓練場と言うにはやや殺風景で、ただだだっ広いだけの部屋だった。

 

しかし、そう思ったのも束の間、いきなり部屋の風景が変わり、俺達がさっきまで渡ってきた荒野と廃墟のような景色になった。そして、俺を取り囲むように3匹のアラガミ──これがオウガテイルと言うらしい。俺が投げ飛ばしたアラガミと同じアラガミだった──が現れた。

 

これは映像か何か何だろうが、すげぇリアルだな。だがまぁ、デカい口をきいた分はやらなきゃな。

 

俺は、右手にいたオウガテイル目掛けて神機を振り上げる。その刃がアラガミの喉を搔き切る。

さらに俺目掛けて飛び込んできたもう1匹の頭に神機を叩きつけて頭をかち割る。

所詮頭は良くないのか、3匹目も飛び掛ってきたのでその腹に神機を突き刺して薙ぎ払う。

 

終わった、そう思った俺の頭上に影が差す。

俺は咄嗟にその場を飛び退ったが、さっきまで俺がいた場所に何やら巨体が飛び降りてきた。

 

それもアラガミなのだろう。超巨大な獅子のような姿をした、赤黒い獣だった。ジェヴォーダンの獣よりも大きいそいつは俺のことを殺意の篭った目で睥睨している。

どうにも、さっきまでの奴らとは1つ2つは格の違うアラガミのようだった。

 

「グルルル……」

 

獅子のようなアラガミがその喉を震わせて唸るような声を上げる。……そんな威嚇までリアルに作り込まんでも、とも思うが訓練なんだし現実に忠実な方がいいのかな。

 

俺はさっきまで片手で振るっていた神機を両手に構え、聖痕を少しずつ開いていく。

すると、アラガミの背中から生えていたマントのようなものから紫電が湧き上がった。そして、それは爆ぜる───

 

 

───バチバチバチッッ!!

 

 

俺はその雷撃をバックステップで躱す。……イ・ウーにいたころにあった、ヒルダとの喧嘩の経験が役に立ったな。もしあいつと戦ってなけりゃ今の攻撃は喰らっていたかもだ。

 

そして、そいつは雷撃を終えた途端に俺に飛び掛ってくる。それを俺は奴の身体の下を潜るようにして転がり避ける。そして起き上がり様に奴の後ろ脚に刃を振るう。

鮮血が舞い、そいつはバランスを崩した。俺はさらにもう片方の後ろ脚にも神機を振るい両足の腱をぶった切る。さらに脇腹に刃を突き立て、そのまま顔の方向へ走り抜ける。俺の進行方向に合わせてその巨躯から血が吹き上がる。俺は神機を振り抜き、さらに振り返るように反転して刃を顔面に叩きつけた。頭をかち割られたそいつは地面に倒れ付し、その動きを停止させた。

 

すると、そいつも、廃墟の景色も消え、現れたのはさっきまでの殺風景なコンクリート打ちっ放しの広い部屋。

 

「なるほど、その神機でヴァジュラ種を1人で討伐できるのか。言うだけはあるようだな」

 

上の部屋から雨宮ツバキが納得したような声を飛ばしてくる。

 

「たりめーだ。いいか?リサには戦闘力も無けりゃ戦う覚悟も無い。外に出したって足引っ張るだけだからな。だったら俺を憂いなく使った方が余程人類の為になるぜ」

 

「……どうにもそのようだな。まったく……。リサ・アヴェ・デュ・アンクのパッチテストの結果は見なかったことにしよう。ゴッドイーターの配偶者であればフェンリルの中へも受け入れが可能だ」

 

「あぁ。そうだな」

 

俺がその殺風景な部屋を出ると、そこにはリサがいた。その顔は緊張が強く浮かんでいて、もしかしたら自分も神機を扱うための腕輪を付けられて戦いに駆り出されるのではないかという不安に塗れていた。

 

「大丈夫だよリサ。お前は外で戦わなくていい。そういうのは全部、俺がやるから」

 

俺の言葉にホッとしたのか、リサがポスりと胸に飛び込んでくる。それを抱き留め、頭を撫でてやれば「ありがとうございます」と小さな声で返ってきた。

 

「あぁ。リサは俺が守るから。絶対に」

 

「はい。信じております、愛しのご主人様」

 

そうしてしばらく頭を撫でてやり、落ち着いた頃に俺はリサの腰を抱きながら指定された部屋へと歩き出す。途中、何やら緊張した面持ちの男とすれ違ったが向こうはコチラに気付いてもいない風で訓練室の方へ歩いて行った。ハリボテっぽい神機を持っていたから、彼も新しくゴッドイーターになったのだろう。

 

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺がフェンリル極東支部に着任して数日が経った。あの時にすれ違った男の子は藤木コウタという名前らしく、俺の同期になるんだとか。ノリは少し軽いが人格的にはそれなりに信用の置けそうな人物ではあった。

そんな彼と何度か訓練をし、今日も訓練を一通り終えて部屋にでも戻ろうかというところでいつも受付にいる赤毛の女の子が随分と急いだ様子で廊下を走っていた。

 

「っと……」

 

ぶつかりそうになった俺は思わず避けるが、その子はこっちに目もくれずに走っていった。

確かそっちには司令室があったはずだ。気になった俺はその子の後を付け、司令室に入る。すると───

 

「A地点より小型のアラガミが多数居住区に侵入!!防御壁を破られたようです!!」

 

「防衛班を回せ!!」

 

「あっ……!?B地点の隔壁も破られました!!」

 

B地点……A地点のちょうど反対側じゃないか。そして、そこで繰り広げられていたのはただ地獄のような現実だった。どうやらアラガミを避ける構造になっていた防御壁が破られ、一般市民の住む区域に侵入されたようだった。

 

「雨宮三佐」

 

「神代……。竹田、神代天人の神機は?」

 

「整備終わっています!出せます!」

 

「神代、命令だ。B地点に赴き住民の保護及び侵入したアラガミを殲滅しろ!」

 

「はい!」

 

この世界の人間に情が移ったわけじゃない。だが、リサを守るためだけの理由とは言え自らの意思で神機を手にした以上、俺は彼らを守らなければならない。それに、放っておけばアラガミ共がここに来るやもしれん。そうなったらリサにも危険が及ぶ。だからこれは、必要な戦いなんだ。

 

俺は雨宮さんの命令を受けた瞬間には身を翻して神機の収められている部屋へと走り出した。

そして、部屋の手前でリサの姿を視界に収める。

 

「ご主人様」

 

「リサ」

 

「……出られるのですね」

 

「あぁ。初任務だ。……行ってくる」

 

「はい。お気を付けて」

 

こういう時のルーティンでもあるキスを交わすと俺は神機の保管されている部屋に入り、認証デバイスに腕輪を嵌める。

すると、コンピューターが俺の情報を読み取り、俺の神機を箱から取り出した。

これが俺の神機……。新型神機は刀剣(ブレード)形態と射撃(ガン)形態を行ったり来たりできるらしいが、俺はそのやり方はよく知らない。何せ、ついさっき整備が終わったのだと神機整備係の楠リッカから聞いたばかりなのだ。

まぁ取り敢えずはブレードモードが使えるのだから問題はあるまい。

 

俺はケースから出されたエメラルドグリーンの神機を手に取り、雨の打ち付ける外へと飛び出した。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ゴッドイーターは身体にオラクル細胞を取り込んでいる。そのため、ゴッドイーターの身体能力は普通の人間のそれを遥かに凌駕する。

 

だから機関銃みたいな重さの神機を抱えていてもオリンピック選手より速く走れるし、ただの跳躍でも棒高跳びの世界記録みたいな高さまで届く。

 

俺はコンクリートを踏み割る勢いで走り抜け、建物の壁を使ってフェンリルの壁を飛び越える。

 

そうして住居区画へと入った俺の視界には想像通りのクソッタレな光景が映っていた。

住民は逃げ惑い、俺を見ることもなくすれ違っていく。きっと彼らは早くに逃げ出せたのだろう。まだアラガミはこちらには来ていない。

だがさらに200メートルも先にはきっとろくな景色にはなっていないだろう。飛行型のアラガミの姿も見える。幸い、降り注ぐ雨のおかげで大きな火事にはなっていない。煙や炎で逃げ場が失われないのは僥倖だった。

 

俺はオラクル細胞だけでなく強化の聖痕をも開いて身体能力を強化。数秒で1匹目のアラガミ──ゴリラみたいな姿をしたコンゴウという奴だ──と接敵、神機の1振りでそいつを切って捨てる。

 

そうして騒ぎの中心地に行くまでに数えるのも面倒なくらいの数のアラガミを切り捨て、ようやく区画の中心に辿り着くと、そこには既に1人のゴッドイーターがいた。

 

「一般兵は下がっていろ!!」

 

旧式と呼ばれる、剣型と銃型のどちらか一方のみの形態しか持たない神機の、その銃型神機を手にしたゴッドイーターだ。その神機から放たれる砲撃で何匹かのアラガミを戦闘不能に追い込むが───

 

「あっ……ガァッッ!!」

 

背後から現れたコンゴウに思いっ切り殴り飛ばされ、瓦礫の中へと勢いよく突っ込んだ。

 

「チッ……」

 

ただでさえ少ない人手だ。守んなきゃいけない市民は多いしアラガミはやたらと多い。神機使いは生きていてもらわなくちゃ現状こっちが困る。

 

ぶっ飛ばされた彼の周りにはもう既に何匹ものアラガミが集まりつつある。俺は跳躍し、その内の1匹の背中に神機を突き刺し、さらにそいつを足場に再び飛び上がり、飛ばされたゴッドイーターとアラガミの間に割って入る。

 

「生きてるか?」

 

「あ、あぁ……。済まない」

 

「コイツら片したら、1人で逃げられるか?」

 

「悪いが、難しそうだ……」

 

「そうか……」

 

にじり寄ってくるアラガミ共に神機の刃を向け牽制しつつ俺は思考を巡らせる。

今ここに集っているアラガミはオウガテイルが3匹、コンゴウが2匹。1匹単位であればそう強いアラガミじゃあないが、動けない負傷者を庇いつつこの距離でやり合うには面倒な数だ。

だがやるしかないだろう。こいつらも一応生物だ。それも、交戦意識高めの、な。なら俺が暴れることで一旦後ろの奴から意識を逸らさせるしかないだろう。

 

俺は左手にいたオウガテイルの首筋に神機の白刃を振るう。アラガミの鮮血が飛び散るが恐らく致命傷には至らないだろう。だが取り敢えずはそれでいい。一瞬動きの止まったオウガテイルの脇にいたコンゴウにも神機を叩きつける。それは奴の両腕をクロスすることで頭をかち割られるのを防がれるが、叩きつけた刃を起点にして俺は真上に飛び上がる。

そして一番端、さっき首筋を裂いたオウガテイルの背中に神機を突き立てる。そしてこいつの背中を踏み台にして右端から2番目にいたコンゴウの所まで跳躍。上から叩きつけるように、顔面に向けて神機を振るった。

顔面を割られながら吹っ飛んだコンゴウには目もくれず、真ん中と右端のオウガテイルを斬り殺す。そして残ったコンゴウも袈裟斬りに神機を振るい、俺達を囲んでいた5匹のアラガミを殺し尽くした。しかしその瞬間───

 

 

──キャァァァァァ!!──

 

 

つんざくような悲鳴が響き渡る。声の方を見れば、別のコンゴウに追い立てられ、瓦礫まで追い詰められた女性の姿があった。

 

俺は急いでそちらへと走り出す。だがさすがにここで聖痕を全開にするわけにもいかない。……脚じゃ間に合わない。なら───

 

「っせい!!」

 

俺はコンゴウに向けて神機を思いっ切り投げつける。白刃を煌めかせ、回転しながら向かっていったそれは、狙い違わずにアラガミの脇腹に突き刺さる。その重さにアラガミが体勢を崩した隙に俺は一気に駆け寄り、ドロップキックを喰らわせてやりながら神機を引き抜く。そして地面に転がったコンゴウの土手っ腹に神機を突き刺し、動けなくしてやる。

 

「大丈夫ですか?早く逃げて」

 

「は、はい!ありがとうございます!」

 

神機を肩に担ぎ上げた俺は、もう1人のゴッドイーターをまずは安全な場所に運ぼうと再び戻ろうとする。するとそこに今度は小型の飛行能力のあるアラガミが襲い掛かったきた。鳥の卵と女の上半身を足したような不気味な風体。大口を開けて突っ込んで来たそいつの顎門をしゃがんで躱し、続けて突っ込んできた2匹目の顎をすれ違い様に切り裂く。振り返り、そいつの背中を神機で切り裂くとそいつの影から1匹目が飛び出してきた。だが───

 

───グシャアッ!!

 

と、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()そいつは潰されて殺される。

パーカーのフードを被った浅黒い肌のそいつは俺のより2回りは大きい神機を携えた男だった。

 

「……クソッタレな職場にようこそ」

 

「全てに満足出来る仕事なんてないさ」

 

「言ってろ」

 

アラガミの死体から神機を引っ張り上げたその男はそれをそのまま肩に担ぎ、後ろを振り返る。

集い始めたアラガミの真上からサーチライトが人工の光を照らす。

 

すると、上空を旋回するヘリコプターの中から、1人の人間が飛び降りてきた。

そいつはパラシュートも持たずに降下すると銃型の神機で飛行するアラガミと着地点にいたアラガミを瞬く間に蹴散らした。

 

「エリック!生きてる!?」

 

降りてきたのは女のゴッドイーターらしい。

そして、1人目のゴッドイーターはエリックと言うらしい。

呼ばれたエリックは「あぁ」とだけ返す。すると、ヘリからはもう1人、今度は黒い肌のゴッドイーターと同じように大きな大刀の神機を構えた男が降りてきた。

 

「おーおー、新入りの割に派手にやったなぁ」

 

降りてきたのはタバコを咥えた、緩そうな雰囲気の優男だった。だがそいつの纏う空気で分かる。コイツがこの中で1番強い。

 

「まったく、任務帰りだってのに人使いが荒いぜ」

 

その男はそんな風にゴチると、周りに集まってきたオウガテイルやコンゴウを1匹1振りで殺していく。それはまるで、庭に伸びてきた雑草を狩るかのようだった。それほどにアラガミとコイツの力は隔絶しているのだろう。荒ぶる神がまるで障害にもなりはしない。

 

「……アンタは?」

 

「ん、俺か?俺はリンドウ。雨宮リンドウだ。こっちは橘サクヤ、さっきお前さんを助けたのはソーマだ」

 

「あぁ。さっきはありがとう」

 

「礼を言われるほどでもない。それに、お前なら別に助けなくても平気だっただろう?」

 

「あら、よくご存知で」

 

「ふん」

 

と、ソーマとやらはプイと顔を背ける。別に照れているわけでもなさそうだ。多分単純に、俺に興味が無い。

しかし、戦力的に余裕が出来たと思ったのも束の間……。

 

──グルルルル……──

 

腹の底に響く唸り声と共にオウガテイルやコンゴウを踏み潰しながら現れたのは獅子のようなアラガミ、俺の実力を図るために雨宮ツバキが使い、後にフェンリルのデータベースで見た大型種。その名を───

 

「ヴァジュラ……」

 

 

 

───雷を纏う獅子の神が現れた───

 

 

 

 

 

 

 



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アリサ・イリーニチナ・アミエーラ

 

──ロシア支部からやって来る新型神機使いを保護しろ──

 

アラガミの壁内侵入事件から数日後、俺とリンドウ、サクヤさんに与えられた任務がそれだった。

 

結局のところ、突如現れたヴァジュラはリンドウ達が倒したらしい。あの後A地点から送られてきた分隊も合流し、数で押し潰したのだとか。

 

俺はその間、エリックや逃げ遅れた住民を避難させ、救急ヘリを要請しと、ゴッドイーターと言うよりは自衛隊みたいなことばかりやっていた。

まぁ、人類を守るためのゴッドイーターなのだから、やることとしちゃあ、あながち間違ってはいないと思うけど。

 

そして今回の任務。

 

正規の手順でやってくるゴッドイーターを何故保護しなければならないのかと言えば、輸送機及び護衛の戦闘機がアラガミに襲われているかららしい。

そういう訳で俺達は今、ヘリに乗ってその輸送機に近付いていた。

 

「ありゃあ……輸送機が保たねぇぞ」

 

リンドウ──歳上だしと思ったが本人から"さん"はいらねぇと言われた──がその惨状を見て呟く。

 

極東支部2人目の新型神機使いことアリサ・イリーニチナ・アミエーラを乗せた輸送機は飛行するアラガミ、ザイゴートの群れに襲われていた。既に護衛の戦闘機は落とされたようで、その姿は見当たらない。輸送機も、その質量の大きさ故に持ち堪えてはいるが、この数のアラガミ相手にそれがどこまで……といったところか。

 

「……あれは」

 

すると、アラガミ共の隙間の機上からマズルフラッシュが瞬くのが見えた。まさかアラガミ相手に銃火器で立ち向かうわけもないから、恐らくあれは銃型の神機だろう。

乗っているゴッドイーターは新型使い1人ということだから、多分あれがアリサ・イリーニチナ・アミエーラだ。

 

「おい!あいつと周波数を合わせろ!」

 

すると、同じものを見たらしいリンドウがヘリの操縦士にそう命令を出す。

それを受け取った彼が何やらチャンネルを回すと、リンドウが無線で彼女に話し掛ける。

 

「極東支部第1部隊雨宮リンドウだ。お前を保護しろとの命令を受けて来た。ヘリを寄せるからこっちに来い」

 

簡潔に、かつ過不足なく俺達の目的を伝えるリンドウだったが、それに対する新型の反応はといえば───。

 

「……そうですか。いいえ、結構です」

 

と、まさかの拒否。そしてそいつはそのまま戦闘を再開してしまう。

 

「なっ……保護を拒否なんて……。そんなに自信があるの?」

 

と、サクヤさんも驚きの表情を隠せない。

 

「……どっちにしろ、あれじゃあ回収も出来やしない。回収は拒否られたけど増援は否定されてないからな」

 

「……それもそうだな」

 

100や200じゃきかないくらいの数のアラガミがあの輸送機には集っているのだ。いくらゴッドイーターが3人乗っているとはいえ、他には申し訳程度で通常の火器しか積んでいないこのヘリじゃあそこから人を回収するのは無理がある。

だったら俺達も乗り込んであのアラガミ共を蹴散らすしかない。

 

「新入り、まずは任せたぞ。サクヤ、お前は新入りのフォローに回れ」

 

「まったく、しょうがないわね」

 

パラシュート無しで飛行中の輸送機にエア・ボーンとかマジの自殺行為なはずだが、ゴッドイーターの超人的な身体能力に身を任せた俺は、限界までヘリを寄せてもらい、即座に空に身を投げる。

 

「アリサ・イリーニチナ・アミエーラだな」

 

「……誰ですか?」

 

「神代天人。さっきの雨宮リンドウと共にお前を保護しに来たんだが……、どっちにしろこれをどうにかしないとな」

 

アリサ・イリーニチナ・アミエーラ、一応写真は見せられたが、本物はそれに輪をかけて美人だった。空のように蒼い瞳に肩甲骨に届くか届かないか程度に伸ばした銀色の髪。赤と黒を基調にした服、なのだがアラガミに重たい鎧は意味が無いからとゴッドイーターは軽装が多い。それはそれで合理的ではあるが、こいつはへそ出しな上に着ているノースリーブのそれはチャックが半開きで、リサほどじゃないが、それなりに実った果実の下側がチラチラと目に優しい。

 

腕も細く締まっており、オラクル細胞の効果で見た目通りの腕力ではないと分かっていても本当にその細腕でこの重たい神機を振るえるのかと不安になる。

そしてその脚線は残念ながらロングブーツでその殆どが秘されているが、赤いチェックのミニスカートとの僅かな隙間から見える大腿部は黒いタイツで覆われながらも、筋肉と女性らしい柔らかさが同居しているのが見て取れる。

 

「何ですか?人のことジロジロと」

 

と、胡乱げにこちらを睨みつけるその瞳はしっかりとこちらを見据えており、意志の強さも垣間見得る。

有り体に言えば滅茶苦茶可愛いのだ。個人的にはリサとジャンヌの次くらいには。

 

ISのあるあの世界を出て以降、これ程の美少女を見る機会は中々なかった。サクヤさんも相当な美人だがこいつとはまた少しタイプが違う。

だがこの状況でそんなことばかり考えてもいられない。俺はそんな邪な考えを神機と共に振り払っていく。

 

「ただの本人確認だよ。悪かったな」

 

「いえ、別に」

 

その間にも飛んでくるアラガミを切り払い、撃ち落とす。

 

「……貴方も」

 

「あぁ。新型ってやつだ」

 

「そうですか」

 

切り裂き、撃ち落とし、喰らい尽くす。神を喰らう者(ゴッドイーター)の名の通り、俺達は荒ぶる神を喰い千切っていく。

 

そうして100かそこらのアラガミを倒した頃、輸送機上にアリサの姿が見えないことに気が付く。

 

「アリサの姿が見えない。そっちで把握してるか?」

 

「えぇ、彼女は一旦機内に戻ったわ。後部ハッチが空いているの。そこからよ」

 

「了解です」

 

これまでの戦いの中で、1部のザイゴートが進化したのを確認している。

しかもそいつは他のザイゴートをどこからか呼び集め、その大軍が今こちらに向かっているのだ。目視できる範囲でも空を覆うほどのアラガミの群れ。しかしそれを前にして貴重な戦力が一旦離脱しやがったのだ。

一応進化した個体は潰したが、俺は何があるのかとアリサの後を追う。

解放されている後部ハッチから機内に入ると、そこは随分と静かだった。まるで息を潜め、隙を伺っている生き物かのような───っ!?

 

タンッ!と足音と共に視界の端で影が動く。俺が咄嗟にそちらを向けばアリサが素手で俺に掴みかかってきた。

腰を落としたタックルに対して俺も重心を落として転がされないように堪える。接触際に両足を前後に開くことで衝撃も逃がしたのだ。

 

数多のアラガミが迫って来ている中でコイツをボコって戦闘不能にするわけにもいかず、俺が判断を迷った瞬間、アリサは膝を振り上げ、俺の股間を狙ってきた。脚をズラして金的を防ぎ、アリサの両腕を引っ剥がしながら機内の奥へと力ずくで投げ飛ばす。

 

「はっ、悪いが俺はアラガミ相手より対人格闘の方が得意だぞ?諦めて訳を話せ」

 

今の攻防で、自分では俺を打倒し得ないと分かったのか、アリサは不機嫌そうにこちらに背を向け、機内へと戻っていく。

俺も、また不意打ちされかねないから警戒しながらアリサの入っていったドアを開け、中に入る。するとそこには───

 

「これは……怪我人?こんなにいたのか」

 

恐らくこれがアリサが俺達の救助を拒んだ理由。あのヘリではこの人数は入りきらないし何より───

 

「貴方達の要救助者リストに彼らの名前はありますか?」

 

そういう事だ。俺達はこのアリサ・イリーニチナ・アミエーラを救助しろとの命令しか受けていない。そして、そこには彼らのような技術者達は含まれていなかったのだ。だがアリサは彼らを見捨てる気は更々無く、だから俺達を拒んだ。

 

「なるほど。お前の信頼を勝ち得なかったのはこちらの不手際だ。……リンドウ、聞こえるか?」

 

俺は無線の周波数をリンドウに合わせる。

 

「どうした?」

 

「この輸送機に負傷者がいる。具体的な人数は数えてはいないが、少なくともそっちのヘリには入り切らない。……アリサ、この中で今すぐ命に関わるような奴は?」

 

「いえ、そこまでの重傷者はいません」

 

「……リンドウ、死にそうな顔をしている奴は多いが、死にそうな奴はいないらしい。……俺はこの輸送船で極東支部まで行く」

 

「なるほど……。分かった。俺もそっちへ行く。作戦を立てよう」

 

 

 

───────────────

 

 

 

リンドウの立てた作戦は至って単純。

俺とアリサで進化する個体を優先的に撃破、サクヤさんはそれのフォロー、リンドウは普通に目の前のアラガミを撃破していく、それだけ。

そうご立派な作戦でもないがまぁやることはっきりさせた方が動きやすいからな。俺も納得し、再び機上へと舞い戻る。

 

「狼煙を上げろぉ!!」

 

と、リンドウがサクヤさんに命令。するとサクヤさんはオリジナルで作り出したらしいオラクルバレットをぶちまける。

 

炸裂したオラクルバレットが輸送機を覆っていたアラガミ共をまとめて吹き飛ばす。

 

それに合わせて俺とアリサも散開。

飛んでくるザイゴートを切っては捨て、切っては捨てていく。

すると、俺の前後から同時にザイゴートが大口を開けて襲いかかってきた。その挟撃に対し、俺は後ろのザイゴートに神機の白刃を突き立てる。そして前方から迫ってくるザイゴートには突き刺した神機を起点に飛び上がり、頭に蹴りを入れて跳ね返す。そして背筋と腕力で神機を振り上げ、アラガミの肉体から引き抜いたそれを蹴り飛ばしたザイゴートに叩き付ける。さらに神機を銃型に切り替えて引き金を引く。俺の銃型神機は機関銃のように連射性に優れているから、こういう個体は弱くて数だけは多い相手には都合が良い。

 

そうして時折現れるザイゴートの進化した個体や追いついてきた大量のザイゴートも含め粗方のアラガミを駆逐し終えた頃、太陽は半分沈みかけていた。

アラガミの血液で赤黒く染った機体の上で俺達は空を焦がすように煌めく夕日を眺めていた。

リンドウは既に機内で休んでいる。

 

「終わった、か」

 

「えぇ、きっと」

 

「……さすがに冷えてきた。中入ろうぜ」

 

「ですね」

 

もう夕方だしこの高度だ。機上は風もあるし結構冷える。オラクル細胞を注入されてからこっち、ある程度劣悪な環境にも耐えられるのだろうがこういうのは気分の問題なのだ。

 

そうして結局ずっと開きっぱなしだった後部ハッチから機内へ戻ると物陰で風を凌いでいたらしいリンドウがひょいと顔を出して手を振ってくる。

 

「よう、お疲れさん」

 

「うす」

 

「お疲れ様です」

 

ハァと俺は一息つき、神機を脇に置いて手を枕に後ろに寝転がったのだが───

 

「……これ邪魔」

 

腕輪が微妙に邪魔で再び起き上がる。頭の後ろに手をやって寝転がると、これが床に当たるのだ。おかげで寝転がり辛い。

 

「子供ですか……。仕方がないでしょう?」

 

そうは言われても、邪魔なものは邪魔なのだ。はぁ、膝枕が欲しい……。

 

「……しませんよ」

 

「声出てた?」

 

「はい。ドン引きです……」

 

そりゃあお見苦しとこを晒してしまったな。

 

「俺ので良ければ貸すぞ?」

 

「冗談でしょ?」

 

「ははは、そりゃあそうか」

 

「ったく……」

 

「気を付けて!大きなオラクル反応があるわ!!」

 

「っ!?」

 

と、俺が再び寝転がりベストポジションを探そうとしていた時、無線から急にサクヤさんの慌てた声が響いてきた。

 

「サクヤ、ダミーを最大にしろ!!」

 

リンドウがそう命令を出し、少しするとサクヤさんがヘリの運転手を背中に括りつけて輸送機に降りてきた。どうやら、とんでもなく大きいアラガミが現れたらしい。

 

「これで保つといいが……」

 

タバコを咥えながら不安げにリンドウが呟く。すると、夕焼けに染まる雲海の向こうから、まるで山1つ分位はありそうな巨大な影が降りてきた。

 

「あれも、アラガミ……」

 

それは、高層ビルくらいありそうな触手を揺らしながら雲海を突っ切り、下へと降りていく。山に触角でも生えたかのような化け物。その、巨大という言葉ですら生易しい大きな身体で俺達が乗っていたヘリの方へとゆったり、歩くように降りていく。あれを……あんなのをこんなちっぽけな神機で倒さなくちゃいけないのか……?

俺は思わず手に握り込んだ己の神機を見やる。それは、あのまさしく神と呼ぶに相応しい巨躯を誇るアラガミに相対するには、どうしたって小さく貧弱で、これじゃ刃の根元まで突き刺してもアイツの薄皮1枚くらいにしかならないんじゃないかと思わざるを得ない、それくらいに頼りなく思えてしまったのだ。

 

けど、それでも───

 

──殺してやる──

 

──俺を、リサを喰らおうってなら相手になってやる──

 

──俺がお前らを喰らい尽くす──

 

そのために俺は、この神機を手にしたのだから。

 

 

 

───────────────

 

 

 

アリサ・イリーニチナ・アミエーラの護送任務から帰ってきた次の日、俺とアリサは雨宮三佐に連れられてブリーフィングルームへと来ていた。

そこには先客がいて、コウタが緊張の面持ちで突っ立っていた。

 

「コウタ?」

 

「天人」

 

俺の顔を見たコウタの表情が少し和らぐ。どうやら呼び出されたのが自分だけでなくて安心したらしい。

 

「藤木コウタ、アリサ・イリーニチナ・アミエーラ、神代天人。この3名を現時刻を持って第1部隊配属とする!」

 

「はい!」

 

雨宮三佐のその発言に俺達は同時に返事を返す。横を覗き見れば2人とも敬礼をしていたので俺も慌てて敬礼で合わせた。それを見て満足したのか雨宮三佐はすぐにその場を退席した。俺がその後ろ姿を目で追いかければブリーフィングルームの座席にはリンドウやサクヤさん、ソーマが座っていた。

 

「第1部隊隊長、雨宮リンドウだ。リンドウでいい」

 

「はい、リンドウさん!」

 

「副隊長の橘サクヤよ、宜しく」

 

「はい、サクヤさん!」

 

「……お前の番だ、ソーマ。自己紹介しろ」

 

黙りを決め込んでいたフードの男、ソーマがリンドウの言葉を受けて不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「ソーマだ、覚えなくていい」

 

「はい、ソーマさん!」

 

ちなみにさっきから律儀に返事を返しているのはコウタだけだ。俺とアリサも話は聞いているが、そもそも自己紹介は既に済ませているし一緒にアラガミとも戦っている。今更何も言うことは無いのだ。

 

「任務は明日からだ。今日はゆっくり休め。……早く背中を預けられるくらいになってくれよ?」

 

と、向こうも別にそれ以上何も言うことは無いのか自己紹介もそこそこに帰っていく。

それを見送ったアリサもスっと歩き出した。

 

「あ、ちょっと」

 

しかし、コウタはアリサを呼び止めた。「なんでしょう」とアリサは振り返るがその顔は微妙に不機嫌そうに見える。

 

「折角だしさ、飯でも行かない?親睦会ってことで」

 

「すみませんが、用事がありますので」

 

しかしコウタのその誘いはすげなく断られる。そして言うことはもう言ったとアリサはスタスタと、早足でこの場を後にした。

 

「あぁ、天人はどう?街行かない?」

 

ふむ、今日は特に予定は無いし、リサも昼はシフトが入っているとかでデートには出られない。折角組むのだ。アラガミには白焔の聖痕が通じない以上はしばらくこいつらとは付き合っていかなくてはならないし、いいか。

 

「あぁ、行こうぜ。……あ、その前に医務室だけ寄っていい?」

 

それはそれとしてリサの顔を拝んでおきたい。

 

「うん。あ、最近医務室とか食堂にリサさんっていう超可愛い子入ったんだけど知ってる?」

 

……まだこっちに来て数日だと言うのにもうリサの顔は広まっているのか。まぁ、狭い世界だし何よりリサは可愛いからな。気持ちは分からんでもない、けど───

 

「知ってる。けど手ぇ出すなよ?」

 

「なんだよー、いくら高嶺の花とはいえチャレンジくらいいいだろ?」

 

「違ぇよ、リサは俺と付き合ってるから人の女に手ぇ出すなってこと」

 

「え……」

 

その直後、コウタの絶叫がフェンリル極東支部中に木霊した。

 

 

 

───────────────

 

 

 

医務室にいたリサに顔見せに行くと、そこで俺とリサの関係にようやく確信を持てたらしいコウタの魂が抜けそうになった。

 

それを無理くり口の中に押し戻してようやく俺達は外の空気を吸うことができた。

 

「へぇ、じゃあ天人は外から来たのか」

 

「まぁな」

 

「すげぇんだな。……あ、こっちだよ」

 

今俺達がいるのは市街地から出た壁の内縁。この前アラガミ共が侵入したエリアの方だ。そこは掘っ建て小屋のような家が乱立し、食料も配給制の場所だ。ここは、フェンリル極東支部の中に入れなかった人達が暮らす町なのだ。

 

「ただいまー」

 

と、コウタはとある家の玄関を無遠慮に開けた。どうやらここがコウタの実家らしい。

すると、奥から1人の女性が顔を出す。顔や髪の色はコウタによく似ていて、親子なのだろうということが察せられる。

 

「コウタ!?」

 

「ただいま、母さん」

 

コウタにはノゾミという妹がいると聞いていたが、どうやら今は不在のようだった。

 

「まぁいいや、これお土産。こっちは神代天人。俺の同期で同じく第1部隊に配属になったんだ」

 

しかし、コウタの言葉に、俺を見て、そしてコウタの顔を再び見据えたその人の表情は、第1部隊に配属、という言葉で一気に暗いものに変わる。

 

「……外に、出るのかい?」

 

どうやらこの人はコウタがゴッドイーターになることをあまり快く思っていないらしい。分からないでもない。ゴッドイーターはあまりに危険な仕事だ。確かに稼ぎは良いが、常に命の危険が付き纏う。母親からすれば、貧しくとも家族一緒に安寧した生活を求めたいという思いがあっても不思議ではない。

コウタもそれを感じ取ったのか、どこか居心地が悪そうだ。そして、逃げ出すようにこの家を後にする。俺もコウタに手を引かれ、会釈もする間もなく立ち去った。

 

「コウタ……」

 

「分かってるよ、母さんは本当は俺がゴッドイーターになるのを望んじゃいないってことくらい。……けどさ、俺は母さん達にもっと良い暮らしをさせてやりたいんだ。そして、ここじゃなくてさ、もっと安全な場所で暮らしてほしいんだよ」

 

少ししてコウタは立ち止まり、吐き出すように想いを漏らした。

 

「……なら迷うな」

 

「え……?」

 

「そうと決めたなら迷うな。それを達成するまで一直線に進め。そして死ぬな。……いいか?お前がアラガミに殺されたら、死ぬのはお前だけじゃない。お前の家族も死ぬんだ。……それくらいの覚悟で戦え」

 

「天人……」

 

「俺はその覚悟でここにいる。神だろうがなんだろうが、俺とリサを殺そうって言うのなら、神様だって喰らい潰してやる」

 

荒ぶる神だろうがなんだろうが、俺達の前に立ち塞がるのなら容赦はしない。

 

「天人、俺、やるよ。絶対エイジス計画を俺の代で達成してみせる」

 

と、どうやらコウタも随分とやる気になったみたいだ。なのだが1つ気になる単語が……。

 

「エイジス計画?」

 

「あぁ、天人は外から来たから知らないのか。見せてやるよ、こっちこっち」

 

と、コウタの後を付いてしばらく歩く。すると、海の向こうに何やら大きな島のようなものが浮かんでいた。

 

「あれがエイジス計画の要、エイジス島だ。アラガミに襲われる心配のない、理想郷」

 

それは人工の浮島なのだろう。ドームのような形をしている要塞。

 

「あの中に、今生きている全人類が入れるんだ」

 

「……全人類を、あそこに?」

 

「あぁ。そのためにはすげー沢山のアラガミのコアが必要みたいなんだけどな」

 

「へぇ……」

 

全人類を、あの島に、ねぇ。

 

「どうした、天人。やっぱ想像も付かねぇよな。全人類なんてさ」

 

「いや、むしろ、これだけデカい地球の中で、たったあそこだけが人類の領域なのかと思ったら、やるせないなって」

 

そう、この世界の人口は知らないが、西暦からしたらアラガミの現れる前は相当な人数の人間が生きていたはずだ。それも世界中に。それが、今じゃたったあの程度の島1つに収まりきってしまうなんてな。この惑星全てが活動領域だった筈の人類が、今じゃあの中に閉じ込められそうになっているということか……。

 

「それは、仕方ないよ。だって外にはアラガミが───」

 

「そうか……。ま、これは俺の勝手な感想だから気にすんな。……家族には豊かで安全に暮らしてほしいって想いが悪いなんてことは絶対にないからさ」

 

コウタの気持ちは至極当然のことだと思う。ただ俺は、人類としてはアラガミから逃げて引き篭るんじゃなくて、もっと自由を求めてほしいと思っただけなのだから。

 

「どっちにしたって、しこたまアラガミをぶっ殺すことには変わんねぇんだよな。よろしくな、コウタ」

 

「あぁ、よろしくな、天人」

 

俺とコウタは握手を交わす。いつか俺はこの世界を離れるとしても、できるならこの明るくて家族思いの男の願いは叶ってほしいと思う。

俺のこれまでの所業を知ったら、例えこいつでもこの手を振り払うだろうとしても、だ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

次の日、俺達はハマーのような装甲車に揺られて任務地へと向かっていた。

コウタはこれが初のアラガミとの戦いになる。そのせいか、随分と緊張した顔をしている。まぁ、浮かれているよりはマシだろうか。

 

今日のターゲットはグボロ・グボロとかいうアラガミ6体。地を這う魚みたいな奴で、頭に砲台がついているらしい。……なんじゃそりゃ。

アラガミってのは案外動物と人間の文化や文明と結び付いたビジュアルをしている奴が多いみたいだ。

 

「今回はツーマンセルだ。新入りはサクヤと、コウタはソーマと。アリサは俺とだ」

 

「は、はい!……よろしくお願いします。ソーマさん」

 

「あぁ」

 

相変わらずソーマの態度は素っ気ない。聞いたところによると、コウタとアリサはまだ15歳らしい。俺は一応17歳ということにしている。別の世界に飛ぶ度に日付の概念が滅茶苦茶になるから、もうあれからどれ程経ったのか正確なところは分からないのだ。

 

「倒したら捕食を忘れないでね」

 

「うす」

 

──捕食──

 

新型神機の剣形態及び旧型の剣型神機には捕食と言われる機能が付いている。これは、神機もオラクル細胞で作られていることを利用してアラガミと同じように神機にアラガミを喰わせるのだ。それにより旧型の神機であればアラガミのコアを、新型であればそれに加えて相手のオラクル細胞を取り込み銃型の弾薬にすることが出来る。

 

そして、エイジス計画の達成にはこのアラガミのコアが大量に必要なのだとか。

そのため、俺達ゴッドイーターはこういう任務ではアラガミを捕食し、コアを回収することが求められている。

 

とまぁそんな説明をリンドウがコウタにつらつらと述べている間に、サクヤさんの運転する装甲車は任務開始地点へと辿り着いた。

 

どうにもここは昔団地だった場所のようだ。もぬけの殻になったマンションの影にはアラガミの姿も見える。

 

「それじゃあ俺から出す命令は3つ。死ぬな、死にそうになったら逃げろ、そんで隠れろ。運が良ければ不意を突いてぶっ倒せ」

 

一言ずつ指折って数えていくリンドウだったが、それじゃあ4つだろう。

 

「……これじゃ4つだな。まぁいいか」

 

何とも締まらない解散となったが、取り敢えず俺達は各々ターゲットを狩る為に散っていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

5分もすると、俺達の視界にグボロ・グボロが1匹現れた。だが面倒なことに隣にはコンゴウも1匹。

 

「どうする?」

 

「俺がコンゴウを派手に潰すんで、グボロの横っ面にキツいの入れちゃってください」

 

「了解」

 

俺はまずサクヤさんから離れるようにして走り出し、彼女と90度程角度を付けるようにしてコンゴウの後ろに回り、そこから助走をつけて跳躍。真上からコンゴウに神機の刃を叩き付ける。

 

コンゴウの脳天に白刃を突き刺し、押し潰されるコンゴウによって砂煙が舞う。それと落下の音とでグボロもこちらを認識。ズイっと身体をこちらに向けた瞬間───

 

───ドォン!!

 

と、意識を俺に向けたグボロの横っ面にレーザービームのような砲撃が直撃。サクヤさんの狙撃で大ダメージを負ったグボロに対し、俺はコンゴウの死体に突き刺さった神機を引っこ抜きつつ再び跳躍。動けないグボロ・グボロを捕食する。

 

まるでアラガミのような黒い顎門がグボロの脇腹を食い破り、その身体の中のコアを引き摺りだした。コアを無くしたアラガミは少しすると霧散し、跡形もなく消え去る。

 

まずは1匹目、討伐だ。俺達のノルマは最低後1匹、コイツは背中の砲塔にさえ気を付ければそう強いアラガミでもなさそうだな。

 

「ナイス狙撃です、サクヤさん」

 

「貴方も、3度目とは思えない程動けるわね」

 

「まぁ、訓練したんで」

 

俺の答えに納得したのか、そもそも答えなんて別に期待していないのか、サクヤさんは「そうなの」とだけ返して団地の中へと入っていく。俺もそれに合わせて歩き出す。四方から感じるのはきっと、アラガミの視線なのだろう。

 

 

 

───────────────

 

 

 

時折、パパパパパ、と、乾いた音が連続する。恐らくこれはアリサの神機の射撃音だ。

アイツもどこかこの近くで戦っているのだろう。

 

俺達の銃型神機は一撃こそ軽いものの、連続して弾丸を放てる上、反動も軽いので動きながらの射撃がやりやすいのが特徴だ。

 

基本的にターゲットはグボロ・グボロだけなのだが、こちらに襲いかかってくるアラガミまでも無視するわけにもいかない。俺とサクヤさんも2匹目のグボロ・グボロと対面する前に何匹かのオウガテイルやコンゴウとやりあっていた。

 

すると、マンションの中庭のような場所に出たあたりで、俺がふと上を見ると、上階でオウガテイルが闊歩しているのが見えた。

こちらには気付いていないのか、直ぐに奥に引っ込んでしまう。

 

「サクヤさん、上にオウガテイルがいました。一応、上に行くなら気を付けて」

 

「えぇ、私も見えたわ。……それより、2匹目よ」

 

と、俺がサクヤさんの指先に視線を誘導されるとその先には俺達に背を向けて上へと上がっていくグボロ・グボロの姿があった。

 

「行きましょう」

 

盾もある剣型神機の扱える俺が前に出て、銃型オンリーのサクヤさんが後ろ。そんな基本に忠実な陣形でグボロの後を付いて行くと、マンションの屋上のような場所へ出た。

 

物陰から様子を伺っていると、どうやらそこには先客がいたらしい。

アリサだ。動けなくしたらしい他のグボロを捕食している。俺達の追ってきたグボロもアリサの方へ近寄っていく。アリサは捕食に集中しているのか、近寄ってくる2匹目に気付く様子がない。

 

それを見たサクヤさんが2匹目のグボロ・グボロに弾丸を撃ち込む。その音にこちらを見るアリサだったが───

 

「アリサ、止めを刺しなさい!」

 

ほぼ死んでいるグボロよりもまだ一撃受けただけのグボロの方が元気だ。硬い部分に当たったのか、まだ割と動けるらしいグボロがノソノソとアリサに寄っていく。だがアリサは興味無さげに視線を捕食中のアラガミへと戻してしまう。

 

「ったく」

 

なんであんなにやる気が無いのかは知らないが、だからと言って放っておけるわけもなく、俺は飛び出していく。

 

俺の足音に気付いたそいつは案外機敏な動きでこちらを振り返った。そして背中の砲塔から水を固めたらしい砲弾を発射。だが遅い、もうここは俺の距離だ。

 

俺はその砲撃の射線を見切ると身体を捻るだけでそれを回避。返す力で白刃を振るい、グボロの魚っ面を真一文字に切り裂く。そのまま口の中に神機を突っ込み捕食。コアを引き摺り出して終わらせた。

 

そのうちアリサも捕食を終えたのかこちらにやってきた。

 

「おう、そっちは?」

 

「私達はノルマを終えました」

 

と、つまらなさそうな答えが返ってきた。

まぁ、終わったならいいけどさ。

 

取り敢えずこっちもノルマ分は狩り終えているので、周囲を警戒しつつ各々休むことにした。……したかったのだが、どうにもサクヤさんの腹の虫は治まっていないようで、アリサを連れて少し離れた場所へ、肩を怒らせながら行ってしまった。

 

それから少しして日も陰ってきた頃、リンドウとコウタ・ソーマペアもこちらにやって来た。

そしてサクヤさんがアリサにお説教しているのをBGMに座り込んでいる。

 

「……お前ら、何匹倒した?」

 

「2匹」

 

「……コウタ」

 

「2匹です!……ソーマさんが」

 

最後は小さくなったコウタ。どうやら戦闘のほとんどをソーマがやったようだ。

 

「で、俺とアリサが1匹ずつ。……帰るか」

 

計6匹のグボロ・グボロを討伐した俺達だった。

サクヤさんのお説教を聞いている限りアリサがさっき2匹目のグボロ・グボロに興味なさげだったのは、あの捕食していたグボロ・グボロが既にチーム2匹目だったかららしい。自分のノルマは達成したのだからもうやることはないと、そういう理屈だ。

とは言え、負傷していたり弾切れだったりでもないのに、あの場面で自分の分は終わったからと何もしないのは部隊を危険に晒す可能性もある。

そもそも、1組2匹というのは3チームで均等に割ったらそうなるというだけで、別にかっちりと決まったノルマというわけでもない。

 

やる気とか常識とか以前に、理論的にはあそこはアリサが行くべきだと俺も思う。

 

まぁ当のアリサはサクヤさんのお話なんてまるで耳に入っていないような態度なせいで、よりサクヤさんの神経を逆撫でしているのだが。

そしてそのせいで余計にサクヤさんのお小言が長引いてもいるのだけれど、それを本人が把握しているかは別の話だ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

帰りの装甲車の雰囲気は最悪だ。そもそもこの部隊は静かな奴が多い上にサクヤさんとアリサの間には亀裂が入っている。唯一お喋り大好きなコウタも今日は芳しい成果を挙げられなかったからか、落ち込んでしまっているのだ。

リンドウはタバコを吹かしているし俺はこういう時なんて言ったらいいか全く分からないし、とにかく車の振動とエンジン音のみがこの空間を支配していた。

 

しかし、その痛いくらいの沈黙にも終わりが訪れた。俺達の進路上に数人の集団が現れたのだ。

こちらに手を振り、「おーい」と声を掛けてくる。……俺はその姿に既視感を覚える。それは、いつだかの俺達だった。きっと彼らも一縷の望みを掛けてフェンリルへ行こうというのだろう。車の荷台には余裕がある。彼らを乗せても問題はあるまい。

 

と、俺の思った通り、数人の大人と1人の子供を乗せてもまだ少し余裕のある装甲車は彼らを乗せて走り出した。

そして、再び沈黙が降りてくる。彼らも疲れているのだろう。ゴッドイーターの乗る車に乗れたことで道中はかなり安心のはずだが口を開く者はいない。

しかし、身内ならいざ知らず。特に関わりもない彼ら相手であれば逆にこういう時話しかけやすい。

俺は、隣で膝を抱えている女の子にペットボトルに入った水を差し出す。

 

「飲むか?」

 

それを受け取った女の子は横に座っている保護者の大人の顔色を伺うが、その人も「先に飲んでいいよ」と微笑んだ。

それを受けてパァっと顔の華やいだ彼女は蓋を開けてゴクゴクと水を飲んでいく。どうやらかなり喉が乾いていたようだ。まぁ、砂漠のような所を歩いていたのだから仕方あるまいて。

 

だが、情を移してはいけない。彼らが無事にフェンリルに入れるかはまだ分からないのだ。むしろ、入れない可能性の方が高いはずだ。

ゴッドイーターになれなければあの中には入れないし、1人がなれても親族以外は入ることができない。この中の全員が血の繋がりがあるとは思えないから、おそらく誰か、多分全員、再びあの砂漠を彷徨うことになるのは想像に難くないのだ。

 

だから俺は目を逸らす。俺達と一般人用のゲートは違う。だがアナグラに戻る時にはどうしたってその傍を通るのだ。だから逸らさなければ見てしまう。

 

彼らの中に適合者がおらず、全員があの地獄のような砂漠とアラガミの世界へと再び放り出される後ろ姿が───

 

あの、ただの水をこれ以上なく美味しそうに飲んでいた女の子の、失望したような瞳を───

 

 

 

 



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ディアウス・ピター

 

ある日、俺達のチームが受注した任務はアラガミの大型種の複数討伐。それもメインのターゲットはヴァジュラだ。ただし、参加者はサクヤさん、俺、コウタ、アリサの4人。リンドウとソーマは別の任務に出ていていない。それでも、エイジス計画とやらをなるべく早く完成させるには大型のアラガミのコアがあればある程良いのだという。なら、それに越したことはない。

 

雨の中、俺達はとある川の傍に来ていた。そこは岩に囲まれた荒野で、グボロ・グボロと戦ったあの砂漠よりも人工物の残っていない場所だった。

 

そうして俺達はヴァジュラを狩り始めた。だがここはヴァジュラの生息域として有名な場所らしく、任務上のノルマは2匹なのだが、辺りには結構な数のヴァジュラが闊歩していた。

俺とコウタでそれぞれ1匹ずつに止めを刺した瞬間───

 

「うわぁぁぁぁ!!」

 

と、この辺り唯一の人工物だった丸い塔から大勢の一般人が走りながら出てきた。

どうやら、この近辺に隠れ潜んでいたらしい。だが、ヴァジュラに見つかり追い立てられ、今そいつを連れて俺達の目の前に───

 

 

──ガッシャァァァン!!──

 

 

と、今度は俺達の後ろからその塔の窓を突き破ってアリサが飛び出してきた。それも、後ろにヴァジュラを連れて───。

 

更に岩場の上から数匹のヴァジュラが降りてくる。……完全に囲まれた。どうする?アリサかサクヤさんとの連携でどっちかに穴を開けて突破するか?いや、それだと一般人が巻き添えになる。それにこの距離だ。コウタと2人のどちらかだけじゃ俺達が突破口を開くまでにこの数のヴァジュラを相手に凌ぎ切れない……。

 

───どうする?

 

俺が逡巡したその時───

 

「ガルオォォォ!!」

 

と、獣のような叫び声と共に大きな影がこちらに降ってくる。

それは、降りてきたヴァジュラを踏み潰し、喰らい、俺達を取り囲んでいたヴァジュラ共を全て叩き潰した。

 

「なっ、ん───」

 

それは、黒いヴァジュラだった。いや、ヴァジュラと言うには身体が大きすぎる。それに、ヴァジュラ種特有のマントではなく背中からは刀のような翼が生えていた。そいつがこちらを振り向くと───

 

「ピィィィタァァァァァ!!」

 

いきなりアリサが飛び出した。銃形態に切り替えた神機でオラクル細胞の弾丸を乱射する。それを、サイズの割に軽やかな身のこなしで跳び退り躱すと、アリサはそれを追いかけるように神機の引き金を引き続け、遂には1人で奴目掛けて飛び出した。

 

「あぁクソっ!」

 

どうやらアリサ自身はあのアラガミに見覚えがありそうだが、ヴァジュラ数匹を瞬殺するようなアラガミが尋常な相手のはずがない。1人じゃ危険だと俺も慌てて飛び出す。

 

「サクヤさん、コウタ!俺達のフォローは任せます!」

 

俺に先んじて飛び出したアリサは一息で剣型神機の殺傷圏内に持ち込み、その白刃を振るう。だがピターと呼ばれたそいつもまた尋常ではない。それをクルリと回りながら躱し、強靭そうな尻尾の一撃をアリサに叩き込む。

 

「ガッ───」

 

砲弾のように吹き飛ばされたアリサに、俺は強化の聖痕も解放する。それによりオラクル細胞ですら到達しえない膂力を生み出した俺は地面を砕く勢いで踏み抜き、アリサの元へ跳躍。その瞬間、ピターと俺がすれ違う。その刹那、俺の脇腹を刃が撫でる。しかし俺は鮮血の跡を引きながらもスピードを緩めることはない。そして───

 

「ふっ───」

 

アリサの細身が地面へと叩きつけられる前にその身体を抱き留める。

 

「大丈夫か!?」

 

「神代さん……。平気です、このくらい」

 

「きゃあぁぁぁぁ!!」

 

「がぁぁぁっ!」

 

だが、俺がアリサを優先した代償はサクヤさんとコウタだった。奴から放たれた紫電が2人を直撃。

高圧の電流を浴びたショックで2人はしばらく動けそうにない。

そして、その隙を逃すようなアラガミではない。奴の背中から生える刃のような翼がその場で動けずにいた一般人を切り刻む。鮮血が舞い、悲鳴が巻き上がる。

 

「クソっ!」

 

アリサを降ろした俺はその刃が1人の男性の首を刎ねる寸前で神機を割り込ませる。

 

「とにかく逃げろ!ここから離れるんだ!」

 

強化の聖痕を開きつつある俺と拮抗するこの力。今まで見てきたどんなアラガミよりも強い……。だが、こっから先は負けらんねぇんだよ!

 

俺は、まるで人間のオッサンみたいな顔をしたその黒いアラガミの振るう刃を押し戻し始めるが、しかしそいつもそれで殺られるような奴ではないらしい。再びそいつは紫電を纏い始める。あの雷撃を喰らえば多分俺だってヤバい。一旦距離を置こうとした瞬間、俺の退路を塞ぐように何本もの刃が突き刺さる。……逃がす気はねぇってか?なら───

 

「グルフフ……」

 

まるで、人間のような感情でもあるかのように口を三日月に開いたそいつは、笑うような唸り声と共に紫電を放つ。俺もそれに合わせて強化の聖痕を全開にする。

 

「グッ……ううぅぅぅっ!!」

 

それにより肉体強度を増したことでどうにかブラックアウトも麻痺も逃れる。だが、確実に動きは止められた───っ!?

 

───バキィッ!!

 

と、奴の刃翼が俺の剣型神機の側面に叩きつけられた。そして、それは刃を砕き、真ん中辺りから破断させられた───

 

「がっ───」

 

俺が目を見開き、砕かれた神機に意識を取られた瞬間、上から何かが突き刺さった。どうやらそれは奴の刃翼のようだ。それが、俺の背中から腹を突き破り、俺を地面に縫い付けているのだ。

 

内臓を損傷し、口から血反吐が吐き出される。そして、それを良い気味だとでも思ったのか、再びニヤリと口を開いたそいつは逃げ遅れた市民を蹂躙する。アリサも駆けつけるが刃翼に殴り飛ばされ、岩場に叩き付けられて動かなくなる。……意識を刈り取られたのだ。

 

「舐め……んなぁっ!!」

 

次はサクヤさんとコウタの番だとでも言わんばかりにゆっくりとその黒い刃を伸ばしていくピターとやらだが、俺は最後の切り札(ジョーカー)を切る。

 

体内のオラクル細胞ごと強化の聖痕で全力強化。そしてそれは、腕輪を通して接続された神機にも多大な影響を及ぼす。

俺は強化の聖痕を半分暴走させたまま神機の捕食機能を発動させた。

そして現れた巨大な顎門が、俺を縛める刃翼を喰らい、そのままの勢いで黒いヴァジュラに喰らいつく。

 

「グルオォォォッ!?」

 

驚きと苦悶のような声を上げその場から跳び退さろうとするそいつを、しかし俺の神機は逃がさない。肩口から刃翼の一部を食い破り、その上暴走した神機は腕輪ごと俺の左腕を喰らう。神機もアラガミの1種なのだ。無理矢理に引き出されたオラクル細胞は僅かに、だが確実に腕輪の制御を離れ、俺の身体をも侵食したのだ。

 

「ッダァァァ!!」

 

俺の腕を喰い千切られる痛みが襲う。

顎門に肩近くまで飲み込まれる。だがそこまでだ。侵食は止まり、あるのはただ俺の左腕だけ。腕輪も神機も消えたが俺には分かる。あれら全てがこの左腕に収まったのだということが。

 

ピターがのたうち回ったおかげで俺も拘束から逃れられた。相変わらず腹には風穴が空いているが、そんなもの、戦えない理由になんてなりはしない。

 

ピターとか呼ばれていた黒いヴァジュラは重傷を負っているからか、すぐさま逃げ出そうとする。

 

「待ちやがれ!!」

 

「天、人……」

 

だが俺を引き止めたのは呻くようなコウタの呼び声だ。

 

「まずは、この人達を……」

 

振り返るとそこには、まだアイツに殺されていなかった人達が何人かいた。

だがピターの向かった先はアリサが倒れている方だ。もし見つかれば即殺されてしまう。

 

どうする……俺はどっちを優先すればいいんだ?

 

しかし、迷った俺の耳に待望の声が聞こえてくる。

 

「あぁぁぁぁ!!」

 

アリサの咆号だ。悲鳴ではない、どうやら意識を取り戻し、ピターへと立ち向かっているようだ。

 

それなら───

 

「あんた達はこっちだ。この2人と一緒に向こうにある装甲車に乗れ!!」

 

「待って、天人はどうするの?」

 

と、どうにか立ち上がりつつあるサクヤさんが俺を睨みつける。

 

「俺はアリサを回収する!今の戦力じゃアイツには勝てねぇ!」

 

俺の左腕に消えた神機。それがどこまで信用できるのか分からない以上、ここはまず撤退して体勢を整えるべきだ。

俺のその判断を聞いてサクヤさんは安心したように「なら早く行ってあげて」と返してくれた。

 

「はい!」

 

と、俺は返事をして、岩場の向こうに駆け出す。そこからは、断続的に乾いた発砲音が聞こえるのだ。あれはアリサの神機の、銃型形態の音だ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「アリサ!!」

 

ピターがアリサの首に刃翼を振るう。俺はその刃が彼女の首を刎ねる寸前でアリサをその場から引き離す。

 

「神代さん!?」

 

「一旦フェンリルへ戻るぞ!サクヤさんとコウタも負傷してまともに戦えない!」

 

「……嫌です」

 

「何……」

 

「コイツは、私1人でも倒します!!」

 

だがアリサは人の話を聞き入れる気は無いようで、神機を構えて突撃していく。

だがいくら気合いを入れようと熱意があろうとも、勝てないものは勝てない。

アリサの神機の一振は奴の刃翼に阻まれ届くことはない。そして、再び振るわれるのは荒ぶる神の刃。それがアリサの細い首を両断しようと迫る───

 

───ガッ!!

 

と、俺は強化の聖痕を開けて細胞の結合力を強化し、その一撃を受け止める。

当然、ただの皮膚では強化したところでアラガミの刃に立ち向かえるかは分からない。だからこその左腕だ。オラクル細胞をたっぷりと含んだこっちなら強化すれば或いはと思ったが、予想通りピターの刃翼も受け止めることができるようだ。

 

だが、ヴァジュラすら戯れのように屠るアラガミが、この程度でどうにかなるような尋常な奴ではないことは、当然のことだった───

 

 

───バリバリバリバリ!!

 

 

と、降り注ぐ槍のように放たれた紫電が、俺達を襲う。それは地面を抉り、電圧で俺達を吹き飛ばす。

身体を駆け巡る電流が筋肉を痙攣させ脳みその命令を阻害する。

 

「ごっ……べあっ……」

 

さっき貫かれた腹から再び血が溢れ出す。筋肉を締めることで出血や、内臓がまろび出ることを防いでいたが、今の一撃でそれも緩んでいる。

刀傷なのが幸いして臓物が零れ落ちる程には広がらなかったが、それもいつまで保つか……。

 

しかし、ぶっ飛ばされたアリサの方は完全に気を失っている。2度目の失神だ。多分もう、しばらくは戦えないだろう。……逃げなければ。幸い奴も手負いだ、アリサ1人を抱えて逃げるくらいならどうにかなる……ハズだ。

 

俺は再び聖痕を全開にして、痺れる身体に鞭打って立ち上がる。振るわれる刃翼を掻い潜り、アリサの身体を背負い、地面を爆発させるように跳び退った。だが俺の希望的観測も虚しく、向こうも俺達が重傷なのは把握しているのか、手前だってそれなりに大怪我を負わされているはずなのにしつこく追い立ててくる。

このままサクヤさん達の方へ逃げても被害が大きくなるだけだ。なら、俺達は別の方向へ逃げるべきだ。こいつ1人抱えるくらいなら皆で装甲車に乗って逃げるよりは小回りもスピードも俺の方が効くし速い。

 

だが、あの雷槍の一撃がまだ残っているのか、強化しているはずなのに思ったように脚が動かない。

腹の傷もあるし、このままだと追いつかれる。そう思って俺は一瞬後ろを振り返った。すると───

 

「ぐうっ───!!」

 

ピターが刃翼を振るってきた。俺はアリサを庇うように反転。しかし左腕を出すのは間に合わず、逆袈裟斬りにされる。その勢いも利用して後ろに跳んだ俺達の足元には、谷と、雨で氾濫した河川が伸びていた。そしてその間には1本の石橋が。

 

しかしこれは人工物ではなさそうで、強度としては心許ない。だが行くしかないと俺がそこに足を踏み入れた時、なんとあのピターが俺に飛び掛ってきたのだ。俺は真後ろに逃げるしかないが、俺の跳躍とピターの着地を受けて橋──というより石のクレバスだ──は崩落。俺達は荒れ狂う激流に飲み込まれていった───

 

 

 

───────────────

 

 

 

「うっ……」

 

あれからどれくらい経ったのだろうか。冷たい雨に意識を取り戻した俺は周りを確認する。どうやらアラガミの姿は無く、俺の身体も一応五体満足のようだ。

オラクル細胞の影響か、出血も収まりつつある。

落ちる瞬間に僅かな時間だけ銀の腕を発動させ、衝撃を和らげたことが命を繋げたか、とにかく俺はまだ生きている。脇腹や胸を斬られ、腹には風穴が空けられているが、それでもまだ俺の心臓は止まっちゃいない。なら、戦えるはずだ。

どうやら骨も無事な様だし、俺はゆっくりと立ち上がる。

この雨でも水かさは随分と浅い。かなり下流に流されたようだ。

 

「アリサは……」

 

周りを見渡すと、アリサも岩に引っかかっていた。まずはその身体を引き揚げ、気道を確保する。心臓は辛うじて動いているが、呼吸は止まってしまっていた。

直ぐに俺は心臓マッサージを始める。アリサの大きく柔らかな胸部を押し潰すように心臓に刺激を与えていく。何度目とも知らぬ胸部圧迫の後、アリサはガハゴホと水を吐き出し、息を吹き返した。

 

「あ……神代さん……」

 

「良かった……怪我ぁないか?」

 

「……えぇ、大丈夫なようです。それより、ここは……?」

 

「……随分流されたみたいだな。兎に角、一旦上に上がろう」

 

こんな左右を壁に囲まれた川じゃアラガミに襲われた時に戦い辛い。俺はアリサを抱え上げると、非難がましい視線を無視して一気に跳び上がった。だが───

 

「……多いな」

 

アリサを降ろしながら周りを見渡せば、この辺りにはどうにもオウガテイルが大量にいるらしい。まだこちらは気付かれていないが、何匹もの姿だけは見える。

 

とにかく今は逃げるしかない。俺の左腕は信用ならないし、アリサは神機が無い。武器が無い以上はアラガミとの交戦はなるたけ避けるべきだろう。幸いアリサには腕輪が残っているから、フェンリルの支部でもこれの反応を手掛かりに捜索隊も出されるはずだ。それまでは、一旦大人しくしているのが吉のはずだ。

 

「冷えるだろ、着とけ」

 

とにかくまずは隠れる場所へ行こうと、住宅街だったらしい廃墟を歩き出す。だがアリサは相変わらずのノースリーブの格好だった。どうやら戦闘中に上着を無くしたらしい。この雨の中肩出しは流石に寒いだろうし、寒さは筋肉を強ばらせ、冷える体温を補おうとカロリーも消費する。

長期戦が必至のこの状況ではなるべく体力は温存しておきたいからな。

 

やはり寒かったのか、アリサにしては大人しく俺の差し出した上着を身に纏う。そして、俺達はどうやら元はホテルだったらしい建物へと身を隠した。

ここならベッドもあるだろうし、建物で目線も切れるからアラガミにも見つかり辛いはずだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ピター!!」

 

「うおっ……」

 

ホテルの一室に身を隠して少しすると、アリサは疲れからかそのままベッドで寝てしまっていたのだ。俺も壁際に背中を預けてウトウトしつつも番をしていたのだが、アリサのくそデカい寝言と起き上がる音に、思わず驚いて目が覚める。

 

「あ……神代さん……私……」

 

「起きたなら番を変わってくれ。俺も少し寝たい」

 

シッシッと、ベッドから追い出す手振りをしてアリサを追い立てる。

もそもそと布団から出たアリサと入れ替わるように布団に潜り込もうとするが、何やらものっ凄い勢いで睨まれているのを感じる。

 

「何……?」

 

「いえ、ベッドならこちらにも同じものがありますよ?」

 

確かにここはツインの部屋で、ベッドは2つある。態々女の子が使ったばかりの布団に寝なくてもよいというのは合理的な判断だ。

ただ単に俺が僅かでも歩くのを面倒臭がっただけなのだが、まぁ確かに俺もデリカシーがなかったな。

 

「あぁうん」

 

歩くのがそこまで億劫な理由は1つ。腹を貫かれ、逆袈裟に切り裂かれ、俺の身体は出血多量なのだ。挙句感電のダメージもある。ここまでは聖痕の力で無理矢理歩いてきたが、そろそろ身体に強いた無理も限界。

とは言えあんなに冷たい目で睨まれたら動かないわけにもいかず、ノソノソと、這うようにして入口側のベッドへ辿り着いた俺は、これまた転がるように布団の中へ潜り込む。

かなり砂っぽいが無いよりはマシとシーツを被り目を閉じる。疲労の溜まった身体は即座に意識を放り捨て、俺は眠りの中へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

「いやぁぁぁぁぁ!!」

 

「っ!?」

 

突然の金切り声に俺は飛び起きた。

周りを見渡せば、暗い部屋にオウガテイルが1匹。そしてそいつの視線の先にはアリサがいた。どうやらこの建物の中に入ったアラガミが人間の匂いを嗅ぎ付けたらしいな。

 

俺は直ぐに聖痕を開くと、床が抜けそうだから本気では暴れられないがそれでもオウガテイル1匹を抑え込む程度なら余裕だ。

いくらゴッドイーターの超人的な身体能力と言えど、流石にオウガテイルを窓の外に蹴り出すのは中々見られる光景でもないので、俺はアラガミの脳天にカカト落としを決め、一瞬怯んだ隙にタックルを当てて壁際に挟み込む。

 

「アリサ!立て!外へ出ろ!」

 

だがアリサは今までの強気な雰囲気がどこえへ消えてしまったのか、布団の上でガタガタと震えてばかりだ。しかも、赤ちゃんかのように指を口に咥えて怯えている。

 

俺が寝ている間に何があったのかは知らないが、精神的に幼児退行しているのか……?

 

だがとにかく逃げるしかない。俺の左腕はアラガミに噛まれる程度なら盾代わりになるが、攻撃手段として使って良いのかはまだ未知数だ。

 

俺は最後っ屁とばかりにオウガテイルを蹴りつける。壁に少しばかりの穴が空くが、気にしている場合ではない。

アリサは自分じゃまともに走れそうもないから抱え上げると、俺は背中で窓ガラスをぶち破り外へ飛び出した。俺達が寝ていた部屋は3階にあったため、ゴッドイーターの体力なら人を1人抱えても飛び降りるのにはそう支障は無い。

 

ダンッ!と着地すると、俺は聖痕を開きっぱなしのまま走り出す。雨はまだ冷たく降り注ぎ、夜の闇が俺達の視界を遮る。それでも俺はアリサを抱え走り続けた。そして、今はもう使われてはいないらしい公民館のような建物へと足を踏み入れた。

適当な広さの部屋に入り、腰掛ける。この部屋は何やら手前側が1段高くなっている構造で、学校の教室を思い起こさせる。

俺はその段差に腰掛け、アリサを横に座らせる。

ここに来るまでこっち、アリサはずっと俺にしがみついて震えていた。あれだけ嫌悪し刃を振るい、弾丸を叩き込んできたアラガミに、ただ恐怖し怯えていたのだ。

 

「……落ち着いたか?」

 

「はい……すみません」

 

「気にすんな。さて……」

 

ここからどうするか、川伝いに上流へ進めばそのうち元の場所へ辿り着けるだろうが……。

 

「……私の神機は?それに、神代さんの神機も……」

 

「あぁ。俺のはよく分からん。どっかいった。アリサのは……多分上流の途中に引っ掛かってると思うが……。気付いた時にはもう無かったんだよな」

 

「そう、ですか……」

 

「取り敢えず、上流に戻りながら探そうか」

 

 

───アラガミもここを察知したみたいだしな。

 

 

俺の視線の先にはオウガテイルがいた。まだこちらには気付いていないがそれも時間の問題。

俺の視線を追いかけたアリサもオウガテイルに気付いたようだ。無言で頷くと立ち上がり、別の出入口へと向かっていった。

 

外へ出ると、俺達は河川を伝いながら上流の方へ歩いて行く。途中でアラガミに追い立てられもしたがそれもどうにかこうにか逃げて隠れてやり過ごしていく。

そうして数時間は歩いただろうか。ようやく川の中の岩に突っかかっている神機を見つけた。

その赤い神機は正しくアリサのもの。戻るにしろどうするにしろ、アラガミに対抗できる神機があるのは頼もしい。

 

アリサが神機を拾っている間、俺が周りを警戒していると───

 

「アリサ!逃げろ!」

 

上からオウガテイルが数匹アリサを狙って降りてきた。アリサも直ぐにそれに気付き、神機を拾いつつ飛び込んできたオウガテイルを躱した。

 

だが───

 

「ひっ……」

 

やはり、何かトラウマでも刺激されたのか、アリサは直ぐに神機を落としてしまう。その上、腰が抜けたのかその場にへたりこんでしまった。

 

「くそっ……」

 

俺は聖痕を開けてアリサとアラガミの間に割り込む。まだ傷はろくに塞がっちゃいない。オラクル細胞に任せて暴れても出血が増えるだけだし、これ以上血を失うと俺まで戦闘が行えなくなりそうだった。

 

ただ、神機というのは適合した持ち主以外は使えない。下手に触れれば、それだけで触れた者を喰らい尽くしてしまうのだとか。

やはり、神機はアラガミと同種の存在なのだということを強く思い起こさせる。

 

「アリサ、神機を持て!」

 

「嫌……いやぁ……」

 

しかし、アリサは伏せたまま首を横に振るだけでどうにもなりはしない。本来なら神機をアリサに持たせて、それを俺が抱えて逃げようと思っていたのだが、アリサがこれじゃあ神機を持つこともままならない。

 

ならもうやるしかない。一体何がどうなってこうなったかなんて知りはしないし、これを使うリスクだってよく分からん。だから使いたくはなかったのだけれど、ここを突破するには使うしかない。今を逃せばアリサの神機を回収する余裕は無くなる。

それに、俺は知っておかなくちゃいけないんだ。()()が、何を意味するのか、どこまで何ができるのかを。

 

だから俺はイメージする。()()()()()()()()()()()イメージ。ISの武装を展開するように、強く、強くイメージする。

 

そこにあるのは分かってるんだ。だから───

 

 

 

 

 

───来やがれ!!

 

 

 

 

 

「はっ!」

 

果たして、俺の左腕から現れたのは正しく神機だった。ただ、いつも使っていた明るい色の神機ではない。黒い、暗い色の神機。ブレードは前の物より細く長くなっていた。おそらく、あのピターとかいうアラガミを捕食した影響だろう。折れた部分をそれで補ったから、奴の色が強く出ているんだ。だが、これがあれば───

 

 

───俺は5匹いたオウガテイルを即座に斬って捨てた。

 

 

「アリサ、もう大丈夫だ」

 

ISの武装を格納するイメージで神機を仕舞うと、俺の左腕は元の人間のそれに戻った。どうやら、自由に出し入れが出来るらしい。便利なもんだな。

 

 

「え……」

 

俺が肩を揺すると、アリサは何が起きたのか分かっていない風で顔を上げる。そして、周りを見渡し、オウガテイルの死体が転がっていることに一瞬驚き、そして俺を見た。

 

「大丈夫だアリサ。俺が守ってやる」

 

「あれ……?」

 

「まぁ、取り敢えずその神機だけ拾っといてくれ。他人の神機には触れないからさ」

 

「私、何を……」

 

アリサは茫然自失になりながらも取り敢えず転がっている神機は拾ってくれた。

 

「乗れ。上まで一気に運ぶ」

 

俺はアリサに背中を向けしゃがみ込む。そして「あぁ、はい」とただただ俺の言うことに従うだけのアリサを背負い、聖痕の力も借りて一気にコンクリートの地面まで戻った。そこでアリサを降ろすと、俺達は再び上流へ向けて歩き出した。しかし今回は川に目を向けることはない。今俺達がやるべきはフェンリル極東支部への帰還だ。アリサの腕輪の信号を目指してフェンリルからも救助隊がそのうち来るだろうから、俺達も出来るだけそっちの方に近寄っておこうということだ。

 

そしてそこから数分も歩くと───

 

「お、思ったより元気そうじゃねぇか」

 

俺達の目の前に、リンドウが1人で現れた。

 

 

 

───────────────

 

 

「リンドウ?どうして……?」

 

「何、お前らを探せってご命令だよ。しかし新入り、お前、腕輪はどうした?アリサの腕輪の反応だけでお前の腕輪の反応は無かったから、てっきり死んじまったもんかと」

 

「あぁ。神機の捕食機能を暴走させたら腕輪ごと喰われてな。今じゃ神機と人間の腕を行ったり来たりできるようになった」

 

「へぇ、便利なもんだなぁ。まぁ、怪我までは治せないらしいけど」

 

リンドウは軽い口調の割にはよく見ていて、俺の腹を睨む。着ていたフェンリルの制服は、その白色を俺の血で赤黒く染め上げていた。

それに、服に付いた血はピターとの戦闘で吹き出した鮮血が隠してくれているが、俺はこれまでの戦闘でもかなり無茶をしたせいか、実は何度も傷口が開いては血を流していた。

 

おかげで正直そろそろ限界だ。水と、食い物がほしい。何か補給しなければいくら俺でもこれ以上は保たない。

 

「……アンタが来たってことは救援のヘリか何かも近くまで来てるんだろう?」

 

「あぁ、だが回収ポイントまでは少しあるし、何よりアラガミが多い。まずは休める所へ向かう」

 

「分かった」

 

そうして俺達はリンドウの後ろに着いて歩いて行く。道中のアラガミはどうにかやり過ごしながら少しずつ歩みを進めていく。

相変わらずアリサは戦闘不能で俺は無闇に神機を使っていいのか不明。いくらオウガテイルばかりとは言え、リンドウ1人で俺達2人を庇いながら進むというのはそう簡単でもない。

 

しばらく進んだところで随分とアラガミが多くなってきた。俺達は手頃な廃墟の中に入り様子を伺う。適当に座り込むと、やはりアリサは自分の肩を抱いて縮こまってしまう。

 

リンドウが外の様子を伺いながら何やら支部と連絡を取っている間、アリサに声を掛けておく。

 

「落ち着け、大丈夫だから」

 

「私……私……」

 

「大丈夫だ。お前は俺が守るから」

 

「……さて、そろそろ出るぞ」

 

「……あぁ」

 

そのうち、リンドウの報告も終わったのだろう。出発の合図がかかる。

そして、またしばらくアラガミを避けつつ歩いた俺達の前に現れたのは───

 

「……森?」

 

ほとんどの資源がアラガミに喰らい尽くされ、緑も花も無くなった荒廃した世界だと聞いていたが、なんと俺達の目の前には青々とした森が広がっていた。

木なんて、こっちに来てから初めて見た気がするな……。

そして、その森に入っていくリンドウ。俺達もその後ろに着いていく。

 

「……?」

 

しかし、周囲に生えている木に、俺は何となく違和感を覚えたのだ。そして思わずそれに触れようとした時───

 

「それに触れるな」

 

と、リンドウが俺の手と木の間に神機を差し込んできた。

 

「あ、あぁ」

 

リンドウのそのただならない様子に気圧された俺はそのまま手を引っ込めて、理由を深く聞くことはなかった。

そしてその森を抜けると───

 

「……町?集落……?」

 

そこにあったのは人間の住む集落だった。この荒れ果てた世界では随分と清潔な町に見える。それに、随分と施設が整っているみたいだった。これまで見てきたような廃墟と言ってしまえる場所ではない。

 

どうやらここは、ゴッドイーターの適性が無く、フェンリルから見捨てられた人々をリンドウが集めて匿っている場所らしい。

 

しかも、リンドウが勝手に支部から物資を持ち出していたらしく、それもあってか最低限の暮らしは出来ているらしい。

 

というような話を俺は、フェンリルの補給食を貪りながら聞いていた。

紛いなりにもカロリーと水分を摂取できた俺はそれなりに回復してきたようだった。ゴッドイーターの身体は随分と頑丈に作られているみたいだな……。

 

そしてあの森、どうやらアラガミをこの町から遠ざける役目を担っているようだ。だが、その守りもそう完璧なものではないらしく、時々死者も出しているようだ。

 

そして俺はリンドウと見回りに出ることになった。アリサは、落ち着きこそ取り戻したけれどもまだ手の震えが収まっていなかった。

 

「その手で神機を握れるか?」

 

「え……」

 

「雲を眺めるんだ。……落ち着くぞ?」

 

「雲……?」

 

リンドウの言葉に、アリサは頭に疑問符を浮かべていた。

 

「ま、大丈夫だ。お前はゆっくり休んでろ」

 

俺はアリサの被っている赤いベレー帽を目深に被せると、リンドウに着いて再び森へと向かった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺が違和感を感じた木々の正体。それはなんとアラガミだったのだ。アラガミは人間よりも食い物の好き嫌いが激しい。偏食因子とも呼ばれるその趣好を利用して、このアラガミの木であの町を他のアラガミから守っていたのだ。

 

だが───

 

「突破されたか……」

 

この木々の守りを突破したアラガミが現れたらしい。町から聞こえるのは爆発音。どうやらろくな事態になっていないらしい。

しかも運の悪いことに、この森にヴァジュラまで侵入してきたのだ。

 

「新入り、お前は町に行け。そしてアイツらを救うんだ。……分かってると思うが───」

 

「あぁ。俺は死なない。誰も死なせやしない」

 

それだけ返すと俺は即座に反転、町へと急いだ。徐々に聖痕も開いていき、どんどん加速していく。そして───

 

「ふっ───」

 

盾を構えたサソリのようなアラガミの振るう、槍のように鋭い尾の一撃から、町の住民を抱き抱えて躱す。そいつはどうやら殿を務めていたようで、効きもしないボウガンを抱えていた。

 

「あんたは……」

 

「他の皆は!?」

 

「あぁ、皆避難所に隠れているけど、いつまで保つか……」

 

「森から来た奴はリンドウが相手している。こいつは俺がやる」

 

「けどアンタ、神機は?」

 

「……神機を持ってる奴がゴッドイーターなんじゃあない。神を喰らう奴がゴッドイーターなんだよ」

 

「なんだよそれ……」

 

そこで、俺達の会話は聞く気がないのかアラガミが再び尻尾を振るう。俺はボウガンを持ったその男を抱えながら跳び退る。

 

「とにかく逃げろ。こいつは俺がやる」

 

「信じていいのか……?」

 

「あぁ。俺ぁ受けた任務はやり遂げる」

 

「……なら、任せたぞ!」

 

俺はそいつが走って行くのを横目に見ながらそのサソリのようなアラガミに向かい合う。……神機はあれしかない。幸いにもここはダムの傍で、電気も通っていると言う。ならばあの神機を使わずともこいつを追い出す算段は着いている。

 

着いてはいる、けれどもそれは強化の聖痕でダムにぶん投げて貯まった水の放水に合わせて下流に流すというものだ。だがこの手段ではこのデカいアラガミを殺せない。

 

あんなのを放っておくのは流石にゴッドイーターとしてどうかと思うので、奴はこの場で殺す。

 

そのためには左腕の神機を使うしかない。

 

俺は左腕から黒く変わった神機を生やす。そして、俺の頭目掛けて突き出された槍を右手で掴み取る。それを放り出し飛び上がると奴の尾っぽを神機で切り裂く。さらに着地した瞬間にもう一度刃を振るい、後ろ足を1本奪う。それでもそいつは残った脚で無理矢理にこちらをに振り向いた。だが俺はその間に神機を銃形態に切り替え、開いたそいつの口の中に銃口を突っ込んだ。

 

そして、引き金を引く───

 

 

──ドゴゴゴゴゴッ!!──

 

 

と、回転式の銃身が火を噴いた。そこから放たれたオラクル細胞の弾丸はサソリの贓物を打ち砕き、身体をその内側から引き裂いた。

 

そして完全に沈黙したそいつはそのまま粒子となって消えてしまう。いつものことだ。死んだアラガミは少しするとオラクル細胞が霧散し、跡形もなく消える。

 

「……終わりだ」

 

俺はふととある建屋を見やる。それは俺達が最初に案内された建物。そこにはアリサがいたはずだが、1番近かったアイツはついぞ姿を見せることはなかった。

 

「はぁ……」

 

確か、アリサは風呂に入っていたはずだ。俺達が出る前にここの施設の女の人に入浴を勧められていたからな。

 

「アリサ、いるか?」

 

もしかしたら一緒に避難所へ逃げていたかもしれないが、オウガテイルに襲われた時の様子からすれば、もしかしたら怯えて動けなくなっていたかもしれない。

 

声を掛け、ドアをノックするが返事はない。一応空けて確認しようと扉を開けると、部屋の真ん中辺りに置いてあった浴槽がひっくり返ってお湯が床に零れていた。その温度も随分と冷めており、ここ数分で零れたわけではなさそうだった。すると、部屋の端から何やらゴソゴソと音が聞こえた。

 

俺がそっちに目線をやると、部屋の脇にポツンと置いてあったクローゼットの扉が少し空いていた。俺がそっちに近寄ると、中から人の声がする。

 

「あっ……ちょ、ちょっと待ってください。今服、服着れてないのでっ!」

 

その声の主はアリサだった。何故風呂上がりにクローゼットに入っているのか疑問符があるが、まぁ多分、アラガミにビビってそこに隠れたんだろう。で、戦闘音が消え、俺が入ってきて正気に戻った、というところか。

 

「あ、あぁ悪い。……こっちに入ってきたアラガミは倒したからもう大丈夫だ。外出てるから、ゆっくり着替えていてくれ」

 

「……すみません、ありがとうございます」

 

それだけ声を掛けると俺はそのまま部屋の外に出る。そのうちリンドウも戻ってくるだろうから、これで一件落着、かな。

 

 

 

 

 

 



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荒ぶる神を喰らう者

 

あの後俺達は救助ヘリとの合流ポイントで無事に救出された。

そしてアリサは精神的に不安定な状態だったためにオオグルマとかいう医師の元へ預けられた。どうやらロシアにいる時から彼女のメンタルケアを請け負っていたらしい。

そして俺も左腕の検査のために当然入院。

 

「驚いたね。まさか人体と神機が完全に一体化しているとは」

 

ペイラー・榊博士。フェンリル極東支部の技術部の長だ。

どうやら俺の左腕は今や神機、アラガミ、人間の腕のどれにもなれるらしい。……質量保存の法則はどこへ消えた?

 

だが1番の問題はその安全性だ。神機でさえ完璧な安全性を担保できているわけではないらしい。その上大量のオラクル細胞を取り込んで平気なのか、というのが目下のところの課題らしい。

 

調べたところ、発信機としての役割は死んでいるみたいだが、一応は腕輪としての最低限の機能は残っているらしく、その姿は見えないがいつも通りに偏食因子を注入することで他のゴッドイーターと同じくオラクル細胞の暴走を抑えることは出来そうだ、という話だった。

 

「……大丈夫そうなら任務出ていいですか?」

 

「いやいや、流石にこれは初めて見る現象だからね。検査し過ぎるということはないよ。だからもう少し様子を見させてくれないかな?」

 

多分この人は研究者としての興味が湧いているだけなのだろう。目の奥の輝きがあまりに純粋だ。

 

まるで、新しい玩具を与えられた子供みたいな顔をしている。

 

「まぁ、仕方ないですね……」

 

俺は諦めて用意されたベッドに横たわる。検査は鬱陶しいが、実は俺が検査入院している間、俺の生活の面倒を見てくれるのはリサだったりする。

 

精神的にも安定するだろうから、という配慮だそうだが、これなら面倒な検査でも乗り切れそうだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ゴッドイーターというのは慢性的な人手不足だ。まずなりたくても簡単になれるものではないし、あまりにも過酷で危険な仕事故、途中で命を落とす奴も多い。

 

だからなのか、しばらくすると俺にも退院してさっさとアラガミを狩りに行けという指令が下る。

 

ペイラー博士は折角の研究材料が出ていってしまうことで悲しそうな顔をしていたが、いくらリサと長い時間いられるのだとしても検査ばかりというのも中々に辛いものがあったので渡りに船だったのだ。

 

そうして呼び出しに応じてノコノコとやって来た俺に参加が求められた作戦は"メテオライト作戦"。特定の種族のアラガミを呼び寄せる装置を使ってアラガミを1箇所に誘導。それを一網打尽にしてエイジス計画の足掛かりにしようというものだ。

そしてそれを数箇所で同時に行うことで紛れも減らそうというのが趣旨。

俺はアリサも復帰した第1部隊に戻り、ヴァジュラ種のアラガミ担当となった。

 

『メテオライト作戦、発動!!』

 

インカムから届く雨宮三佐の号令に合わせ、俺達のヘリに乗っていた銃型神機使いがオラクルバレットを放つ。それは今回の作戦のために調整された特殊弾で、打ち上がった弾丸が弾け、花火かクラスター爆弾かのように散り散りとなって地上を襲う。当然眼下にいるのは、群れとなり1箇所を目指す数千匹ものヴァジュラ達。それらの頭上に死をもたらす豪雨が降り注ぐ。

 

───轟!!

 

と、地面を轟音と砂埃、爆炎が覆う。

 

それが晴れた時にはあれだけいたヴァジュラの数は激減していた。だが全滅ではない。あれだけの数だ。打ち漏らしはそれなりに出る。そして俺達の役割は───

 

「残りは各個撃破だ!行くぞ!」

 

リンドウの号令に合わせて俺達はヘリから飛び降りる。着地地点周辺のアラガミは上からの砲撃で潰していく。

 

そうして安全に降り立った俺達は各々神機を構え、近くのヴァジュラに肉薄、切り伏せていく。当然、捕食によるコアの回収も忘れない。……のだが今回俺は捕食を行うなと厳命が下されている。ただでさえ腕が神機とアラガミを取り込んでいるのだ。これ以上オラクル細胞を増やして変な反応を起こされては困る、というわけだ。なので銃型の弾薬にも限りがある俺は剣型神機を中心に戦っているのに捕食は出来ないというアンバランスを抱えて戦いに挑むことになっていた。

 

まぁ、俺はアリサ程は銃型を使わないからそんなに問題も出ないだろう。何せ、かなり減らしてもまだ数百はヴァジュラがいるのだ。距離をとって戦うなんていうのは困難だろうしな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「これは……」

 

俺達が地表に降り立ってからしばらくして、ヴァジュラ達の動きが急に変わった。さっきまではただひたすらにマシンのある一点を目指していたこいつらが、急に進行方向を変えたのだ。

 

目指している方向は北西、だがこの先には───

 

「極東支部、ヴァジュラ達の進行方向が変わった。そっちの先には何がある!?」

 

「確認します。───ヴァジュラ種の進行方向の先、北には大きなダムがあります、けど……」

 

けど他には何も無い、そう言いたいのだろう。俺は「分かった」とだけ返してリンドウに声をかける。

 

「リンドウ」

 

「分かってる。この先には───」

 

この先には、リンドウが匿っているあの人達の集落がある。

何故奴らがあっちに向かっているのかは知らない。だが確実に、何かがある───。

 

「……言うか?」

 

「あぁ。それしかねぇだろ」

 

「……雨宮三佐」

 

「どうした?神代」

 

「ヴァジュラの向かってる先、ダムの辺りには人の住む集落があります。数百人規模です。この異変の調査も兼ねて俺達はそっちへ向かいます」

 

「……何故お前がそんなことを知っている」

 

「……ディアウス・ピターとの交戦後、一旦俺達がそこに身を寄せていたからです」

 

俺達が回収された地点は森の外だ。元々の合流ポイントが俺達が彷徨っていた都市部だったというのもあるし、あそこにヘリを寄越されたら面倒なことになるだろうというリンドウの判断もあった。だがことここにきて、あそこを隠し通すのは無理がある。

 

「なるほど。……分かった。だが無理はするなよ」

 

「ありがとうございます」

 

「……うし、じゃあ行くか」

 

この辺りのヴァジュラの討伐は他の奴らに任せ、俺とリンドウはこの戦線を一時離脱。ヴァジュラ共は俺達には一瞥もくれずに皆同じ方向を目指して歩いていく。一応、俺達も隠れながらそれを追い掛けていく。そしてついにあの森の目の前へと辿り着いた───

 

「……関係無く入っていきそうだな」

 

「あぁ。止めるぞ」

 

ダンッ!と俺達はヴァジュラ共を飛び越えて先頭に割り込む。俺達の姿に一瞬ヴァジュラ共が怯んだ隙にリンドウが閃光手榴弾を投げた。

 

視界を塗り潰すような白い光が晴れ、目を眩ませたヴァジュラ共に俺達は神機を振るう。

 

だがヴァジュラ共はやたらと数が多い。切り捨てても切り捨てても、ワラワラと湧いて出てくる。

 

その数にうんざりし、キリがないと辟易しながらもこの後ろに通すわけにもいかない俺達はただ無心で神機を振るい、刃を突き立てていった。

 

しかし、再びヴァジュラ共の動きに異変が出る。

 

奴らが急に動きを止めたのだ。そして、何やらモーゼの海割りのように群れが真ん中から左右に別れた。左右に分かれ、跪くように伏せたヴァジュラ共の間から現れたのは───

 

「……ディアウス・ピター」

 

あの黒いアラガミだった。

 

 

──ディアウス・ピター──

 

 

最初に目撃されたのはロシアらしい。そして、アリサの両親はこのアラガミに殺されたと聞いた。それを聞いてようやく納得がいったのだった。あの時アイツが、普段の様子からは考えられない程に激昴し、拘った理由が。

 

同時に思い起こされるのは俺達が復隊した時の「もう私に恐怖はありません」と語っていたアリサの濁ったような、もしくは無機質な瞳。

PTSDと呼んでも差し支えないくらいには取り乱していたアリサがそんな風に変われるものなのだろうか。それとも、この世界のメンタルケアは俺が知っているそれよりも大幅に進歩していて、精神安定剤的な薬の効果も強いものがあるのかもしれない。だがどうしてもあの瞳に俺は違和感を覚えてしまった。

 

しかし、なにはともかくまずは目の前のコイツだ。コイツは俺が出会ったどのアラガミよりも強い。俺が捕食した刃翼はまだ回復していないようだが、見る限りでは胴体の傷はほぼ完治していそうだ。

 

「……新入り、お前は先に行ってアイツらを避難させろ。それまでコイツは俺が引き受ける」

 

「……分かった」

 

リンドウがそれを知る由もないが、この場で役割を2つに分けるとしたら確かに足の速い俺がダムの集落へ行ってあそこの人達を避難させるのが効率的だ。もっとも、それはとりもなおさずリンドウがあの化け物を1人で相手取るということに他ならないわけで。この作戦の要はリンドウがどれだけ生き長らえられるかという1点に集約される。

 

まぁ今はそんなことを考えていても仕方がない。俺はディアウス・ピターに背を向け、森の中へと駆けていく。そして、木々に俺の姿が紛れた辺りで聖痕を開放、反射神経と脚力を強化し、どんどんと加速していく。

アラガミの木に触れないように気を付けながらその森を駆け抜けていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

住民の避難誘導は比較的手早く終わった。何せ、彼らからしたらアラガミがあの森を抜けて来るのは想定内の事態だし経験もある。

俺の顔も知っているということもあってか皆素直に避難を始めてくれたのだ。

 

おかげで俺も直ぐにリンドウの元へと戻ることができた。

そして、やはり急いで森を引き返した俺の目の前に現れたのは───

 

「ピター……」

 

リンドウと戦うピターだった。しかも、どうやらこの森のアラガミの木をも操れるらしく、触れてもいないのに幹からオラクル細胞の槍が突き出てくる。

 

「リンドウ!」

 

「来たか新入り。向こうで第1部隊の皆が足止めされている。先にあっちを助けてくれ」

 

「分かった」

 

この状況ではさしものリンドウも、いつも通り圧勝とはいかないようだが、まだ保ちそうだった。俺はリンドウの指示通り、さらに森を戻っていく。すると、道中で木のアラガミに拘束された第1部隊の皆がいた。

 

「みんな!」

 

「天人!?」

 

「神代さん!?」

 

俺は左腕の神機で皆を縛めている木の槍を切り落としていく。そうして全員を解放するが、何故かアリサだけはその場に蹲ってしまう。

 

「アリサ?」

 

「ごめんなさい……私……私、全然強くなんてなくて……」

 

「何が……?」

 

アリサに何があったのか聞けば、サクヤさんが答えてくれた。曰く、ピター目掛けて引き金を引こうとした瞬間、何やら錯乱したように銃を乱射したのだそうだ。それによりアラガミの木が反応し、全員磔にされてしまい、さらにピターもリンドウ1人で追い掛ける羽目になったのだとか。

 

「お父さん……お母さん……助けて……」

 

そして、その話の間もアリサはずっと、何かに祈るように両手を結び、ガタガタと震えていた。

 

「アリサ」

 

「ごめんなさい……助けて……」

 

「アリサっ!」

 

俺は、アリサの頭を引っ掴んで無理矢理に顔を上げさせる。その顔は、恐怖と絶望に歪んでいた。

 

「祈るな。神に祈ったところで、何にも助けちゃくれない」

 

「───っ!?」

 

「強くあれ。ただし、その前に正しくあれ。ここでガタガタ震えながら祈ることが正解だと思うか?」

 

「いえ……」

 

「お前は、何のために神機を手にした」

 

「……ピターを殺すため、両親の仇を取るため……人を、守るためです」

 

「なら今お前がすべきことはなんだ?ここで座ってることか?」

 

「いいえ……私は戦います!アイツを、ピターを倒します!」

 

そう言って立ち上がったアリサの瞳には、もうあの時のような濁りは見られない。そこにあったのは決意と、燃えるような信念だけだった。

 

「行こう、ディアウス・ピターを駆逐する」

 

「はい!」

 

「おう!」

 

「ええ!」

 

アラガミの木々で構成された森に、声が木霊する。決意の声だ。それは、人を喰らうクソッタレな神々への反乱の産声だった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「あれは、リンドウの腕輪!?」

 

逢魔が時を過ぎ、日が沈めば夜が世界を支配する。月と星だけが地上を照らす中、俺達はディアウス・ピターと向かい合っていた。だが、奴の老け顔の口から見えたものがそれだった。サクヤさんが驚いた反応を示したことで気を良くしたのか、そいつは意地の悪い人間のようにニタニタと嗤うような顔をする。

 

人の腕と、その赤い腕輪。コイツと戦っていたのはリンドウだけだ。つまり、リンドウはコイツに殺されたということになる。

 

俺は殺気を隠すことなく左腕の神機を露わにする。ピターはそれを、何やら嫌なものでも見たかのように睨み付ける。ふん、どうやらコイツも、自分の身体を喰われて俺に扱われるのは気に食わないらしいな。

既に俺は強化の聖痕も開ききっている。この前みたいな出し惜しみはしない。全力全開で叩き潰す。

 

グッ、と俺が両足に力を込めた瞬間にピターも四肢に力を込める。その瞬間───

 

───ドォォォン!!

 

と、俺の後ろと奴の真横からオラクル細胞の砲撃が襲いかかった。俺の後ろから放たれた弾丸をこそ奴は横っ飛びで躱すが、真横から放たれたそれには反応出来ず、思わずバランスを崩した。

その瞬間、俺は大地を踏み割り、空気の壁をも瞬時に突破してピターの顔面に神機の刃を突き立てる。しかしそれは読まれていたのか、アラガミと言えどとんでもない反応速度で俺の刃が届く前に奴の刃翼が白刃を防ぐ。

 

さらに、左右から挟撃してくるソーマとアリサにも雷撃を放つことで牽制。その雷槍は俺をも巻き込もうとした。

だが当然、こちらもピターの動きは見ている。俺は紫電が迸る寸前で跳び退り感電を回避。

 

雷撃の範囲外に出た瞬間に、俺は再び地面を踏みしめる。もう一度眼前に現れ、神機を振り下ろそうとする俺に、ピターは刃翼でそれを弾こうとする。だが俺は防がれるのを前提に、むしろその刃を神機で押さえつける。そして、この攻防の間にピターの斜め後ろに回り込んだサクヤさんとコウタ、距離を置いたまま神機を銃型に切り替えたアリサの3人による銃撃が炸裂した。

 

「グルルルァ……」

 

だが、それを受けてもなおピターは健在で、刃翼のうち数本が俺の拘束から逃れ、首を刎ねんと襲い掛かる。

俺は左手側の刃を神機で受けつつ後ろに跳ぶことでそれを躱す。

だがピターの視線が俺に釘付けになった瞬間、奴の背後からソーマが神機を振り抜いた。

どういう仕組みか、ソーマの神機は振り被って()()を作ると黒覇のエネルギー圧縮斬撃のような攻撃ができるのだ。それを背後からまともに喰らったピターが思わず体勢を崩した。

 

その隙に俺は体内のオラクル細胞と神機の捕食機能を限界まで強化。ピターを丸呑みするかの如く膨れ上がった顎門でオッサン顔のアラガミを刃翼ごと頭から呑み込む。

 

絶叫しながら暴れ、どうにか顎門の拘束から逃れようとするディアウス・ピターに、アリサ、サクヤさん、コウタの3人がそれぞれ別方向からオラクルバレットを連射する。普段防御にも用いていた刃翼を俺に飲まれ、無防備な身体を晒しているピターに情け容赦無く弾丸が降り注ぐ。

さらに、ソーマも再び神機を振り被り、あのタメ技を解き放った。

 

そうしていくうちにピターの動きが鈍くなり、俺の神機もピターの刃翼を完全に噛み砕き、遂にその頭すら飲み込んだ。

 

限界を超えるくらいに強化されたオラクル細胞がさらにピターの黒い身体を噛み砕く。

それが決定打になったのか、ピターの四肢の動きが止まり、ダラりと垂れ下がった。俺は捕食機能を一旦戻すと、今度はコアを回収するために神機の顎門を体内に突っ込んだ。

 

ブチブチと肉を引き裂く音を立てながら俺の神機はディアウス・ピターのコアを肉体から引き剥がした。そこで俺は普通の神機使いがやるように捕食形態を解いたのだが───

 

「がっ!?───ぐうぅぅぅっ!!」

 

俺の左腕に強烈な違和感。そして、左肩からは焼け付くような痛みが発せられた。バキバキと、骨が砕け別の何かが組みあがっていくような不快感が俺の左上半身を襲う。

 

「た、天人……それ……」

 

すると、コウタが俺を怯えた目で見ている。正確には、俺の左肩の上を、だ。

 

何が起こったのかと、俺も自分の左肩の後ろを見上げる。するとそこには───

 

「ピターの、刃翼……?」

 

ディアウス・ピターの振るう刃のような翼が生えていた。

 

「ぐぅっ!」

 

ドクン!と、左腕が脈打つ。神機の姿をしていたはずのそれは、今度は黒い獅子のそれのような腕に変わっていた。

 

ドクン!さらに脈打つと、俺の腕は元の人間のそれに戻り、背中の刃翼も消えていた。だが、背中に手をやれば、俺の着ていた服は肩甲骨の辺りで破け、肌が露出していた。

 

まさか、俺の身体はアラガミに変質していっているのか……?それも、ディアウス・ピターのあの身体に近付いているように思える。

 

気付けばディアウス・ピターの肉体は塵となって消え去った。これまでで1番の強敵に勝ったというのに、リンドウを喪った俺達に喜びは無かった。あるのはただ、これから先への不安だけだった───

 

 

 

───────────────

 

 

 

「まったく、君という人間には驚かれてばかりだ」

 

帰還した俺を待ち構えていたのはペイラー博士だった。あのヴァジュラ達の謎の行動は仕組まれたものだったらしく、あのダムの水底からアラガミを引き寄せる別の装置が発見され、そして俺達の手によって破壊された。

また、俺達が最初に守っていた装置にもハッキングが仕掛けられており、その発信源はフェンリル極東支部。つまり内部犯というわけだ。

 

武偵としてはそれの調査もしたいが、残念ながら俺は強襲科でもさらに輪をかけて腕力担当。

俺の頭蓋に収められている小さじ1杯程度の脳みそで解決できるほど相手も甘くはないだろう。

 

おかげで俺は犯人探しを早々に諦め、そしてペイラー博士のモルモット(玩具)にされることも早々に認めざるを得なかった。

 

しかし、ペイラー博士の頭脳と技術は本物だった。俺の、質量保存の法則を捨て去った肉体の変質の正体も遂に見破ったのだ。

 

どうやら、俺の体内のオラクル細胞が俺の意思で瞬間的に凄まじい速度で細胞分裂を繰り返し、あの変質をもたらしていたらしい。

元に戻る時は逆に細胞が細胞をとんでもない勢いで捕食しているのだとか。

難しいことはよく分からないとゴネたら、とにかく出すにも仕舞うにも結構な体力を消費するから栄養は一杯摂ってね、ということらしく、固形の栄養食を渡された。

 

また、ペイラー博士の許可の元、難易度の低い任務でその性能を試したところ、サイズ感以外はほぼ本物のディアウス・ピターと同じレベルだった。刃翼の鋭さも、雷槍の破壊力もだ。ただ、あのディアウス・ピターの雷撃は紫色だったのに、俺の雷撃は赤い色だった。

 

何故かはペイラー博士もよく分からないと言っていたのだが、それも直ぐに解決した。

再びディアウス・ピターが現れたのだ。だが、今度のピターは雷の色が赤色で、それも何匹も目撃されたようだ。つまりあの紫電のピターだけが特別だったらしい。

赤い雷のピターが、あの紫電のピターよりも弱かったこともその説を後押しした。また、俺は刃翼だけでなくマントのような物も出せるようになっていた。どうやら、ディアウス・ピターには刃翼を持つ個体よりもマントを持つ個体の方が多く、むしろそれが一般的のようだった。有り体に言えば、刃翼ごと捕食したからこその刃で、あれが無ければもしかしたら刃翼は出せなかったかもしれないのだとか。

 

そして当然、俺は、他のゴッドイーターよりも念入りな点検が求められるようになった。そらそうだ。これ程までに大量のオラクル細胞を取り込んだ人間はこれまでいないのだ。

しかも、コアまで身体に溶けて消えてしまったらしいから、本来ならフェンリル本部をすら右に左に揺るがす大騒ぎになる事態でもおかしくない。

 

それを、この支部長であるヨハネス・フォン・シックザールが情報を抑えてくれているのだ。ペイラー博士が担当だから俺の人権も保証されたモルモット生活なのだ。本部になんて送られたらマジで頭に電極貼られて死ぬまで実験動物(奴隷)生活だ。足を向けて寝られないよ。

 

しかし、そんな生活にもいつしか終止符が打たれる。この日雨宮三佐が告げた一言は、俺のゴッドイーター生活が終わろうとするカウントダウンの、その第一声だったのだと、この時は気付きもしなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「新種のアラガミが発見された」

 

それが、雨宮三佐の告げた一言。

 

極東支部の北、あのダムのさらに向こう側で、見たことも無いアラガミが見つかったとのことだ。

この頃にはリンドウの捜索もほぼ打ち切られており、既に二階級特進も決まっていた。

 

サクヤさんはまだ諦めきれていないようで、任務にかこつけて探しているみたいだが手掛かりもなし。そもそも、ゴッドイーターの捜索には腕輪の反応を探すのが一般的で、今のリンドウにはそれが無いのだから、難航するのも当たり前だ。

 

その上、その腕輪はディアウス・ピターが咥えていたため、オラクル細胞を抑えきれないリンドウは既に亡くなっていると考えられていてもおかしくはない。

 

だが、そんな理屈を通り越してでも探し出そうと血眼なのが今のサクヤさんであり、なまじ俺のような特殊な事例を見てしまったためか、そのアラガミがリンドウの手掛かりになるやもと、そいつの調査、可能ならば討伐の任務を請け負ってきた。

 

まぁ、俺としてもあの任務の終わりは寝覚めの良いものではないから、気持ちは分からないでもない。リンドウが抜けたとは言え、実績も実力もある俺達第1部隊ということもあり、案外すんなり任務へ出る許可も降りたようだ。俺も、ディアウス・ピターの赤雷や刃翼が大型のアラガミすら屠る威力を誇っていることは実証済みで、難易度の高い任務にも再び何度か出ていたことが大きいのだろう。

 

「……写真で見る限り、大きさとしてはヴァジュラ種程度か?」

 

「そのようね」

 

とある廃墟、最初にそのアラガミが見つかった辺りのエリアだ。このアラガミ──ハンニバルと呼称されることになった──は俺達が前に見た山のようなアラガミとは違い、割と戦える現実的なサイズであろうというのが事前情報だった。

 

「静か、ですね……」

 

アリサが周囲を警戒しながら呟く。確かに、静かすぎる。他の小型のアラガミの姿すら見えないのだ。まるで、何かに怯えて影で縮こまっているような、そんな薄気味悪い静寂を感じる。

 

シン───と静まり返る廃墟の中で砂を踏む俺達の足音だけがこの空間に響いている。

 

ザッザッと、砂を踏みしめ歩いている俺達だったが、中が空洞になっている廃墟の脇に通り掛かったその時、頭上に影が差した。

 

「っ!?」

 

俺が反射的に見上げると、上から何やら黒い影が降ってきた。俺は即座に左腕を神機に変え、タワーシールドを呼び出す。その分厚い盾に何かがぶつかる。

 

───ドンッ!!

 

と、凄まじい衝撃が俺を襲う。しかも何やら非常に熱い。これは空から照りつける太陽の熱じゃあない。まるで、目の前で炎が燃え盛るような熱さだった。

 

俺は力ずくでそいつを振り払い、神機を剣形態に変形させる。それに合わせてコウタとサクヤさんが距離を取り、俺の両翼にアリサとソーマが構える。そんな俺達の眼前で姿勢を低くし唸るような声を出して威嚇しているのは───

 

「……ハンニバル?」

 

雨宮三佐から告げられた新種のアラガミ、ハンニバルだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

発達した両の前脚、黒い体躯。そして何より特徴的な右腕の篭手。そのほとんどが動物の趣きをしていたアラガミとは思えないほどに人工的な髑髏の意匠はそれだけでこのアラガミの特殊性を物語っているようだった。

 

俺は徐々に強化の聖痕を開いていく。少しずつ身体に力が漲っていくのが感じられる。

それと同時に左腕──ペイラー博士からは雷皇の左腕(ディアウス・イスキエルド)と名付けられた──の神機にも強化の聖痕の力を流していく。すると、ハンニバルの身体が強張り、足元を爆発させるような勢いでこちらに突っ込んでくる。その右腕には、炎の槍が構築されていた。

 

俺達は跳び退って串刺しを回避。砂煙が舞い上がる中へ、サクヤさんとコウタの神機が火を噴いた。火線がハンニバルの元へと殺到する。

 

しかし、その砂煙の中からハンニバルは真っ直ぐ俺に向かって再び飛び込んできた。その右手に構えられた炎槍が眼前に迫る。

 

「───っ!!」

 

俺は左腕の神機を跳ね上げ、その槍を弾く。さらにそのまま後ろに倒れ込むことで身体ごとぶつかられるのを避けた。

そして、勢いのまま俺達と距離の開いたそいつに、アリサも加わった3人で一斉射撃を加える。その弾幕に思わず足の止まったハンニバルに、ソーマが神機を振り被って近付く。それを見た俺も神機を銃形態に変形させ、さらに弾幕を厚くする。両腕で頭を守るようにしたそいつの脇腹に、ソーマがタメに溜めた一撃を解き放つ。

 

 

───ズドォォォォン!!

 

 

と、脇腹を抉るように放たれたその一撃は、大型種のハンニバルをして致命的だったようだ。砂煙が晴れれば、そこには横たわる黒い体躯が。

俺がトドメとばかりに奴の眼前に踏み込もうとしたその時───

 

「───がぁッ!?」

 

俺の右手側から何かが飛んできた。視界の端に一瞬移ったそれに、強化された反射神経が身体を動かし、致命傷を避けることに成功した。

だが───

 

「……また腕かよ」

 

俺の右腕、その肘から下が砂にまみれていた。俺の肘からは出血は無い。傷口が燃えるように熱い。きっと、肉が焼けて血が出ないのだ。

そして、それを為した奴は───

 

「ハンニバル……もう1匹!?」

 

最初に戦っていた奴とは違い、白い巨躯を誇るハンニバルだった。

 

「邪、魔……だぁ!」

 

俺は強化の聖痕を全開にしてオラクル細胞と神機を強化。ディアウス・ピターを相手にした時のように巨大な顎門でハンニバルの右半身に喰らいつく。当然、白いハンニバルも抵抗し、力の限り暴れ回り顎門の拘束から逃れようとする。

その上、そういう特性を持っているらしい。背中から急に炎を噴き出して俺の神機から逃れようともがいている。

左右に暴れ回り逃れようとする様はまるで魚釣りでもしているかのような気分になる。だが神機の牙は奴の細胞の結合を喰い破り、しっかりと組み付いて離しはしない。

そして俺は十分に牙が喰い込んだところで奴の身体を捕食。その腕から背中にかけてを喰らい尽くす。ブチブチと肉を引き裂く音が辺りに木霊し、神機の顎門は俺の中へと吸い込まれていく。

 

「グルオォォォ!!」

 

と、白いハンニバルは叫び声を上げ、倒れ伏した。そして、俺の身体に再び異変が起きたのだった。

 

「あっ……がぁっ……つい……」

 

身体が、腕が、背中が熱い。燃えるように熱いのだ。だがこの感覚、覚えがある。あの時、神機の適合試験として体内にオラクル細胞を注入された時、ディアウス・ピターをコアごと取り込んだ時。あの時と同じような感覚と痛み方だ。

 

そして───

 

───轟!!

 

切り落とされた俺の右腕が再び現れる。しかし、その肘から下はまるであのハンニバルの右腕のようだった。さらに、背中からも制服を突き破り何やら炎が噴き出す。しかしそれも束の間。

 

背中の炎山は直ぐに収まり、右腕も気付けば元の人間のそれだ。どうやら俺の身体はアラガミを捕食すればする程にその特性を取り込んでいく肉体へと変質してしまったらしい。そして───

 

「うわっ───!?」

 

一旦収まったと思った右腕から再び火が噴き出す。……コントロール出来ていないのか?

 

いや、まさかコアを取り込んでいないからか?確かにピターの時は、最初は刃翼と脇腹の一部だけ。大量に捕食した時はコアごと取り込んだからな。コアはアラガミの中心だ。あれがオラクル細胞をコントロールしているとも言えるらしい。

 

ならば、それを取り込むしかあるまい。

俺はもう一度神機の捕食機能を発動。倒れ伏すハンニバルの身体に顎門を突っ込む。そして───

 

「……収まった?」

 

コアを摘出し、それを取り込んだ瞬間に俺の右腕から噴き出していた炎は鳴りを潜めた。やはりコアが必要だったらしい。

 

「……天人」

 

と、コウタが心配そうに話しかけてくる。俺はその声に周りを見渡すと、どうやら黒い方のハンニバルはどこかへ行ってしまったようだった。

 

「大丈夫なのか……?その、アラガミを……」

 

「あぁ。どうやらコアさえ取り込めば大丈夫みたいだ。……まぁ、帰ったらペイラー博士の元に直行だろうけど」

 

「そうね……。黒いハンニバルもどこかへ行ってしまったし、帰りましょう」

 

ソーマも何を言うわけではないがこちらを一瞥だけした。怒っている、というような雰囲気はしないが、よく分からん。

白い方のハンニバルも霧散して消えてしまったため、俺達は特に何を得るでもなく手ぶらのまま帰ることになった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「君という人間は軽率が服を着ているのかい?」

 

フェンリル極東支部に戻った俺達だったが、俺は即座にペイラー博士に連れられて研究室へと叩き込まれた。その上でこの辛辣極まりない評価だ。まぁ、俺も同じことを思わないではないのだけれど……。

 

「いや……腕を切り落とされてるむしゃくしゃしてまして……」

 

というのは嘘で、本当は腕を生やすためだ。銀の腕を使えば腕だけならどうにかなるのだが、まさかあれだけの人間の前で腕を焼き落とされておいて、いつの間にか戻りましたは通じないだろう。だが、どうやら俺はアラガミの身体と人間の身体のちゃんぽんに近くなっているらしいからな。それに、左腕も人間のそれだったり神機だったり色々と変えられるわけだし、もう少しオラクル細胞があれば出来るだろうという算段はあったのだ。だがそれを言っても怒られるだけな気がするので言わないでおく。

 

「だからってアラガミを喰らうやつがあるかい?いいか?君のその神機はもはや人間の口と同じなんだ。それで捕食するということはアラガミのオラクル細胞を体内に取り込むのと同義なんだよ」

 

えぇ、重々承知していますとも、なんて返そう日にはきっと烈火の如くお説教が始まるだろう。

俺はとにかく平身低頭、ペイラー博士の言うままに頷き、されるがままに実験体となった。

 

しばらく任務も禁止にされ、俺はただただモルモットとしての日々を過ごすことになった。

ディアウス・ピターの力やハンニバルの力がどれだけ出せるのか、オラクル細胞が今どうなっているのかetc…etc…調べることは山のようにあった。

 

そして、そんな生活が何日か続いたある日、ペイラー博士が何やら神妙な顔つきで俺の身体をペタペタと触りだした。

 

「……何か?」

 

「ふむ……。いやなに、君の体内で奇跡的なバランスで均衡を保っている多量のオラクル細胞。何故そんな風に大人しくしているのかという話さ」

 

「はぁ」

 

「今や君の細胞は半分近くがオラクル細胞だ。それでこれだけ普通に人の色形を保っているのだから適合率が高いとかそういう問題ではないのだよ。しかし、細胞の動きを調べれば調べるほど1つの仮説が浮かんでくるんだ」

 

それは?と返せばペイラー博士はこれまた神妙な顔で大きく頷く。

 

「何か、別の大きな力がオラクル細胞の働きを抑制している気がするんだ。……心当たりはないかい?何せ君自身の身体のことだからね」

 

心当たりは、ある。多分聖痕の働きだろう。あれにそんな力があるとは思わなかったが、聖痕の力は原初のセカイから俺という肉体を通して外の世界に放出されるものだ。きっとその力が防波堤のような役割を担っているのだろう。だが───

 

「さぁ……。ただ、最近頭の中に声が響くんです」

 

「言っていたね。喰らえ、喰らえと声がすると」

 

「えぇ。だから、その抑え込んでいる何かがどこまで保つのか……」

 

「……できるなら君はもう戦いには出ない方が良い。これまでの戦いで天人くん、君は充分にゴッドイーターとしての務めを果たしたと僕は思っているからね」

 

それは、俺がリサに神機の腕輪を付けることを徹底的に拒んだ時のことを言っているのだろう。

その上で、俺は当初言っていた通りの結果を出したとこの人は言っているのだ。

 

「それに、いざ何かあって周りを巻き込むくらいならここで僕の実験を手伝ってくれる方が余程人類の役に立つと思うよ?」

 

それは1つの真実だろう。俺としても、これ以上この世界でアラガミと戦っていても世界を渡れるとは思えなくなっていた。それに、ディアウス・ピターを取り込んだ時からペイラー博士には言われている。"調整を続けなければそれでもいつかは───"と。当たり前の話ではある。

 

ここだっていつアラガミに襲われるのか分からないのだ。そうなった時に俺がここに居れば真っ先にリサの元へ駆け付けられる。確かにその選択肢はアリだ。けど───

 

「……少し、考えさせてください。どっちにしろ任務はもうしばらく休みますけど、その先は、まだ……」

 

リンドウがいなくなったのには俺の責任だってある。俺がもう少し早く駆け付けていれば、リンドウは居なくならなかったかもしれない。俺がもっと強いところを見せていればもしかしたらリンドウは自分がダムの集落の人達の所へ向かったかもしれない。そうすればもっと確実に彼は生きていたはずだ。

愛する人を失う辛さは俺には想像が付かない。けれど、想像がつかない程に痛いことだと分かるから、俺はそれに恐怖している。もし俺がリサを失うことになったらと思うと、震えが止まらなくなりそうなのだ。だからサクヤさんにも同情しているのだろう。そして、その責任を取らなければいけないと感じているのかもしれない。それが、俺がこの世界での戦いを辞められない理由……。

 

だが、俺は決めているのだ。絶対にリサを最優先にすると。その優先順位に従うのなら、俺はきっとこの戦いから降りるべきなのかもしれない。

 

自分が何をすれば良いのか分からなくなるのは多分初めてだ。その日俺は布団にくるまり、ただただ思考の渦の中へと沈んでいった。

 

 

 



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転移したらスライムが首領だった件
転移したらスライムが首領だった件


漫画版準拠ですが途中からなろう版メインになります。


 

脈打つ右手を眺める。先日の任務の際に現れたアラガミ"ハンニバル"の強襲で切断された右腕。

そこを、聖痕の力で限界まで強化された左手に宿る神機の力でハンニバルをコアごと捕食することにより再生とアラガミの力の吸収を果たした。ペイラー博士はそれによって再び生えたこの右腕に宿る力を焔龍の右腕(デルトラ・フィアンマ)と名付けることにしたらしい。俺のイメージで呼び出すのだから名前があった方が良いということらしい。

 

実は隠れてこっそりと何度か試した結果、どうやら同時にこそ発現出来なかったが、それぞれであれば銀の腕の力の発揮も可能のようだった。

 

だが2体ものアラガミをコアごと吸収したことによって俺の身体は半分近くがオラクル細胞に置き換わっていた。それにより俺の身体はそのほとんどがアラガミと変わらない存在へと変質しようとしていた。そしてそれが分かるからこその恐怖。自分が自分でなくなっていく恐怖、ここの奴ら、そしてなによりリサを傷付けてしまうのではないかという恐怖に俺は支配されていた。戦いを続けるべきか降りるべきか、あの問答の答えもいまだに出やしない。

 

そうして恐怖に震える身体をリサに抱きしめられながら、アナグラの自室で右手を眺めている時にそれは起きた。

 

視界が、まるで壊れたテレビのようにチラつきを認識する。前にも経験した、聖痕の力やその他の要因によって現れた世界の扉を介さずに別の世界へと渡る時に起きる現象。思わずリサの手を握る。

次はそう、世界がモノクロになる。割れる。歪む。揺れる。ブツっと、それこそテレビの電源でも落としたかのように暗転する世界。リサの手を握ったまま振り返り、触覚を頼りにリサを抱きしめる。

 

「リサ……」

 

「ご主人様……、リサはここに……」

 

「あぁ、分かってる」

 

そう、それは分かっている。だけどこの身体は?アラガミと混ざりあった中途半端な身体。今はどうにか聖痕が抑え込んでいるみたいだが、ペイラー博士からは調整を続けなければいずれアラガミに飲み込まれてしまうと言われたこの身体。次の世界でもその調整ができるとは限らない。いや、できない公算のほうが高いだろう。何故ならオラクル細胞もアラガミもあの世界特有のものなのだから。

 

 

──確認しました。神代天人はユニークスキル「変質者」を獲得……成功しました──

 

声が響く。誰だ、お前は……。

 

──ドクン

 

また身体が脈打つ。奥底から響く声。

 

──喰らえ……喰らえ……──

 

こんな時でもそれかよ。本当に嫌になるぜ、アラガミの本能ってやつは

 

 

──確認しました。神代天人はユニークスキル「捕食者」を獲得……成功しました──

 

 

響く言葉、そう言葉だ。こうなった以上はまた次の世界へ渡ることは覚悟しよう。けれど言葉はどうなる?今までは最悪でも言葉だけは通じた。文字が読めないことはあってもそれだけはどうにかなったのだ。けれど次の世界は?今までは運良く俺の知ってる言語が通じたからどうにか生活できたものの、次の世界でも通じる保証なんてのは無い訳で。

 

 

──確認しました。神代天人はスキル「思念伝達」を獲得……成功しました──

 

──確認しました。リサ・アヴェ・デュ・アンクはスキル「思念伝達」を獲得……成功しました──

 

変質者だの捕食者だの思念伝達だの、訳の分からない言葉ばかり頭に響く。理子の持ってるボーカロイドの自動音声をもう少し流暢にしたような、けれどレキより起伏のないこの喋り方、一体どこから……。

 

しかし、そんな風に思案している間に、視界は変わる。世界は移る。

真っ暗闇だった視界に一筋の光が届く。やがてそれは俺の視界のすべてを覆う。一瞬目に入ったリサの、心細そうな表情すら覆い尽くしてしまう。

けらど、それでも俺はリサを抱きしめる。

 

「ご主人様、リサは、リサは次の世界でも……」

 

「あぁ、分かってる。どこへ行ったって俺とお前はずっと一緒だ……」

 

視界を覆う光がいっそう強くなる。俺は思わずリサを強く抱きしめる。

 

 

 

そして───

 

 

 

────────────

 

 

 

「うっ……」

 

目を開けると飛び込んできたのは眩しい太陽の光。それに思わず目を細めるが、少しずつ光に目を慣らすと見えてきたのは青い空、そして深緑の木々。ここは、どこかの森のようだった。だがどこだ?いや、分かるはずもないか。何故ならココは俺の知らない異世界だろうからな。

 

「リサ、は……?」

 

グッと身体を起こし、左右を見やると俺の左側にリサも気を失って倒れていた。近付き呼吸と脈を確かめる──良かった、正常だ。今はただ気を失っているだけか。

 

「リサ、リサ……」

 

頭を揺すらないように肩を叩き、名前を呼ぶ。すると……

 

「ん……あっ……」

 

うっすらとリサは目を開け、その目に飛び込んできた陽の眩しさにまた目を細める。

 

「リサ、気付いたか」

 

「ご主人、様……?」

 

「あぁ、俺だ。怪我は無いか?」

 

「ん……」

 

そう聞くとリサはとりあえず脚や腕を上げたり上体を起こしてあちこち自分の体を触ってみたりして異常がないか確認する。俺も、触れたり目視でリサの身体に特段の異常や怪我がないか確かめる。

 

「大丈夫そうです」

 

「あぁ、そうみたいだな、良かった」

 

「はい。けれどここは……?」

 

「それは俺にも分からん。俺も今さっき起きたばっかだからな。どうにも森っぽいが……」

 

「また、違う世界に……」

 

「かもな……。ま、ここでじっとしててもどうにもならねぇ。適当に行くか」

 

「はい。リサはどこまでも着いていきます」

 

リサの手を取り引っ張り起こすとそのまま俺達は手を握り合って歩きだす。進むべき方角すら分からないけれど俺はきっとこの温もりさえあれば大丈夫だ。

 

 

 

──────────

 

 

 

ジュラの大森林に2人の異世界人が現れてから数時間、その森の少し開けた所で向き合う炎の上位精霊ことイフリートと、同じく異世界からこの世界へと渡ってきた元人間の現スライムことリムルとその配下にある狼の魔物、ランガ。

さらにその後方で武器を構えるのはこの世界の冒険者3人組、カバル、ギド、エレン。

 

「ま、間違いありやせん!彼女は爆炎の支配者、シズエ・イザワ!イフリートを宿す最強の精霊使役者でやす……!!」

 

「イフリートぉ!?めっちゃ上位の精霊じゃねぇか!!」

 

「冗談でしょ!?伝説的英雄じゃない!!」

 

そう騒ぐ3人に対してリムルはただうるさいとだけ思う。

しかしその3人もただ驚き騒ぐだけではない。今まで世話になった恩人が苦しんでいる。例え相手が強力無比な上位精霊だったとしても、武器を取り戦う選択をする理由としてそれは充分すぎるものだった。

そして、それを感じ取れないほどリムルは無粋ではない。だからこそ、シズさんを救う、この3人と共に。そう決めるのだった。

 

「勝利条件はイフリートの制圧とシズさんの救出だ。……行くぞ」

 

リムルの声を狼煙にイフリートとの戦いが始まった。

つい、と空を指さすイフリートにリムルたちの視線が釣られる。するとイフリートの頭の周りに紅蓮の玉がいくつも浮かび上がる。それを腕を振り下ろすことでイフリートはリムルたちへ向けて殺到させる。

イフリートの放つ火炎弾をランガに騎乗したリムルは躱すことに専念する。ランガほどの機動力のないカバル達はカバルの持つ幅広の太刀を盾に、その雨あられと降り注ぐ炎弾を防いでいる。

 

ランガに接近するように指示を出すリムル。それに従い、イフリートの攻撃を掻い潜りながら炎の化身へ近付くランガ。

 

(くらいやがれ)

 

──水刃──

 

リムルが捕食者の胃袋に溜め込んだ水を圧縮。刃にして飛ばすスキル水刃。

しかしそれはイフリートの本体に届く前に蒸発して消えてしまう。

 

「我が主よ!精霊種に牙や爪などの攻撃は通用しません」

 

ランガの忠告を胸に刻み、攻撃手段を思案しながらイフリートの周りをランガ駆っているとイフリートの身体から炎が伸び、そこから複数のイフリートが姿を現す。

まだ有効な攻撃手段すら見つかっていない中での分裂。さらに苛烈に激烈に強烈になっていく火炎弾の嵐。しかしそこにエレンの愛らしい声が響く。

 

「水氷大魔槍!!」

 

エレンがイフリートに向けた杖の先から現れる魔法陣と、そこから飛び出す鋭い氷の礫。

それがイフリートの分身体の内の1体の肩を抉る。明確にダメージのある一撃。それはイフリートの分身体を消滅させるのには効果的な一撃だった。

 

──魔法なら効く──

 

リムルがそれに思い至り、彼女の氷結魔法を捕食しようとランガを氷の礫の射線軸に飛び出させようとした瞬間──

 

 

「赤雷よ……」

 

 

───バリバリバリ!!

 

 

突如として現れた赤い雷撃が空を引き裂くような音を立てながらイフリートの分身体を襲う。

けれどその赤雷は炎の精霊に対しては如何程の効果も影響も無くイフリートたちをすり抜ける。だがリムルが驚いたのはそこではなかった。

 

「に、日本語……!?」

 

そう、リムルの元に届いた言語。それは最近聞きなれた魔力感知でのこの世界での言葉でも世界の言葉でも大賢者の言葉でもなく、懐かしい、まだリムルが三上悟だった頃に使っていた言語。地球という星の、日本国という地域で使われる言語、日本語だったのだ。

 

リムルが雷撃の来た方向へ意識をやると、そこにいたのは左肩から爪のような翼を携えた異形の黒髪の人間の青年と、その背後で薄く透けるような美しい金髪を湛えた白人の美少女だった。

 

 

 

──────────

 

 

 

「なん、だ、あれは……」

 

リサと2人、森の中を歩いていると向こうの方でどデカい火柱が上がっていくのが見えた。この世界に来てからの唯一と言っていいこの世界を知るための手がかり。これを逃してはいけないと、俺の中の何かが告げる。

 

「リサ、飛ばしてくぞ」

 

「はい、ご主人様」

 

リサを背負い、俺は地面を蹴る。

前の世界でアラガミと戦うためにゴッドイーターとなった際、俺の身体には一定量のオラクル細胞が取り込まれていた。これのおかげでわざわざ聖痕を開かなくても常人には到達しえない身体能力を俺は手に入れていた。さらに左肩からディアウス・ピターのマントを展開、リサを覆うようにして風圧から守る。

グッ、と大地を蹴る脚に力を込める。聖痕を開ける。全身に力が漲っていくのを感じる。

 

──ダンッ──

 

さらに大地を蹴る。地面に蜘蛛の巣のようなヒビが入る。景色が流れる。オラクル細胞によって何倍にも引き上げられた身体能力をさらに強化の聖痕の力で激増させる。

 

そうして森を疾駆していくとすぐにいくつもの爆発音が耳に届く。そこで俺は地面を削りながら減速し、聖痕を閉じる。そうしてからまた駆け足で音のする方向へ向かっていくと、遂に森の開ける場所へ辿り着いた。そしてそこでは世にも奇妙な光景が繰り広げられていた。

 

そこにいたのは人型をした複数の炎の塊とそれが放つ炎の弾丸を躱しているどデカい黒い狼。と、その背中には何か水色の物体が乗っているのが見える。

 

また、その奥には炎の弾丸をガードするのに精一杯の男とその背後にそいつに守られている男女が1組。戦っているようだが、さてどちらに付くか、それとも静観すべきだろうか。どちらかと言えば、どっちかに肩入れしてそちらの信用を得、そいつからこの世界のことを聞く方が早そうだ。となると問題はどちらに付くか、なのだが……。

 

「ま、考えるまでもないか」

 

明らかに話の通じなさそうな化け物と背中の水色と何やら会話してる狼、さらにそいつらの敵ではなさそうな人間3人組。どちらに味方するかと言われたらまぁまずこちら側だろう。

 

「リサ」

 

「はい。お気を付けて」

 

リサを背中から降ろし、左肩のマントを刃翼へと変化させる。

そしてそれをつい今しがた分裂し複数に増えた炎の化け物へ向けると、同じタイミングで奥にいた女が持っていた杖から何やら氷の礫のような物を生成、射出。分身体の内の一体を貫き消失させた。

それに驚きつつも俺はそのまま雷皇の左腕を構える。

 

「赤雷よ……」

 

そしていつものように言葉に出すことでイメージを具現化。

並程度ならアラガミですら一撃の元に屠る神撃、赤い雷撃を炎の怪物へと叩きつける。

 

……が、向こうの世界では何であろうと貫き、破壊し、蹂躙し尽くした神の如き一撃は、炎の体を持つ化け物には全く効果が無く、ただただ空間を貫くだけだった。

 

「な、に……?」

 

まさかディアウス・ピターの赤雷が全く効果がないとは思わなかった。あれには物理攻撃は効かないということだろうか。

すると、先程氷の礫を放った金髪の女がもう一度杖を構える。その頭から、理子にやらされたゲームに出てきそうな所謂魔法陣的なそれが出現。ならばと俺は左腕を捕食形態に切り替え、一息に炎の化け物の頭を飛び越え、ちょうどその瞬間に発射された氷の礫を捕食。

 

「──……?」

 

着地際に左腕からタワーシールドを展開。炎の怪物が放つ炎弾から俺と氷を放つ女を含めた3人組を守る。

見やれば驚愕に染まった顔の3人。男2人の年齢は20~30代ずつだろうか。女の方はむしろ10代半ば、高校生くらいに見える。

それにしてもこいつらの服装、やけに既視感というか、見慣れた感じがするのは気のせいだろうか。

 

「……あ、れ?」

 

が、ここで問題が1つ。

さっき神機で捕食した氷の礫の魔法?が出ない。というか、完全には俺の中に捕食しきれていないのが分かる。胃袋には入っているけど消化しきれてないみたいな、そんな感じ。

 

「──、──!!」

 

すると、空中から水色の物体が飛び出してきて何やら音を発している。というか、何言ってるか分からんが言語っぽい。

そして何より、その水色、どうにもゲームに出てくる雑魚モンスターの代表格"スライム"のようなビジュアルをしていた。

 

「──!」

 

すると、金髪の女がその呼びかけ?に答えたのか、ただの迎撃か知らんが、もう一度杖から魔法陣を展開、そのスライムに向けて氷の礫を発射した。

 

実は三つ巴の戦いだったのだろうか。

しかしスライムは全身を大きく展開。自分に向かって放たれた氷の礫を取り込んでしまう。

 

「──!!」

 

そして(非常に分かりづらいが)反転。なにか叫びながら今度はそのスライムが自身の周囲にさっきの魔法陣を複数展開。そこからいくつもの氷の礫を射出し、分裂していた炎の体を持つ怪物を打ち消した。

 

「────。──」

 

スライムが何か言ったのは分かる。だがそれが何を言っているのかが今だに分からない。一体何語なんだ……?

 

「……───」

 

コイツは何を言っているのか分かるらしく、それに反応するようにしゃがれ声で炎の化け物が何かを告げる。

その瞬間スライムの足元から魔法陣が出現。そのままそこから火柱が上がり、スライムを業火で包み込む。

 

「──!!」

 

脇で見ていた狼が何やら叫ぶ。

が、それも束の間、炎は効かないらしいスライムが炎の檻からスルりと現れ、糸を出し炎の化け物を捕らえる。どうやらあの糸もスライムと同じく炎では燃えたり溶けたりしないらしい。

 

「────。──────、─────。」

 

何かを、告げる。これは多分「俺に炎は効かないぜ」とかそんなんだろう。後は「覚悟しな」とか多分そんな感じ。

すると、スライムはまた先程氷の礫を飲み込んだように全身を伸長し、炎の化け物を呑み込む。

 

そして炎が消え、陽炎の中から現れたのは明らかに日本人と思われる黒髪の美少女だった……。

 

「スライムさん、ありがとう……」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「で、お前らは一体何者なんだ?」

 

「あ?」

 

爆炎の中から現れた美少女を受け止めたスライムが日本語で俺に問い質す。そして、木の影に隠れていたはずのリサにも気付いていたようだ。

後ろの3人はこのスライムの発する言語が分からず頭に疑問符を浮かべているが、どうにもこのスライムにそれを気にする素振りは無い。

 

「別の世界から来たって言ったら、信じるか?」

 

「……あぁ。実は俺もだ」

 

「……は?」

 

「いやな、実は俺、この世界に来る前は人間だったんだけど、その世界で通り魔に刺されて死んで、気付いたらこの世界に転生してたんだ」

 

「……へぇ、死んでも世界って渡れるのか……」

 

割と衝撃的な答えが返ってきている気もするが、それはさておき。

なるほど、この世界はいろんな世界に通じているようだ。そして、このスライムのような渡り方があるということは俺たちのような横紙破りの世界転移では無く、ルールに則った世界の渡り方がこの世界にはあるという可能性が出てきた。つまり今までのように世界を壊したり偶然を待つ以外にも帰る方法がある。それは俺たちにとっては大きな希望だ。

 

「異世界からの転生は珍しいみたいだけどな。けど異世界人は時々来るらしい。このシズさんもそのうちの1人だ」

 

「そりゃいい。俺達は帰る方法を探してるんだ。来れるなら帰れる可能性もあるだろ」

 

「かもな。俺は向こうで死んじゃったから帰る気も無いけど。……さて、行こう。シズさんが心配だ」

 

「俺らもいいのか……?」

 

「当たり前だろ。色々話も聞きたいしな」

 

「助かる」

 

「困った時はお互い様だ」

 

スっとこのスライムに従っていた狼が主を守るように寄ってくる。スライムは糸でシズさんなる人物を固定しながら自分もその背に乗る。

 

「足の速さには?」

 

「連れを乗せながらでもそれなりに」

 

「じゃ、少し急ごう」

 

 

 

────────────

 

 

 

あれから1週間ほど経った。

その間に俺はあのスライムのリムルからこの世界のことを教わった。

 

曰く、世界を渡る時に聴こえた声は「世界の声」という代物らしく、この世界が何らかの成長を認めた時とかにそれを告げるんだそうだ。

また、この世界には魔素と呼ばれるものが空気中に漂っていること、それを感じ取れば「魔力感知」とかいうスキルなるものが体得出来るらしい。というか、やったら出来た。世界の声も耳に届いた。ちなみにリサも「魔力感知」を獲得した。

また、俺が世界を渡る時に聴こえた「世界の声」をリムルに伝えると、スキルとかいう能力群についてもそれなりにレクチャーしてもらった。また、俺とリサの持っているスキルに関してはリムルも同じものを獲得しているらしく、(リムルのスキルであるらしい大賢者に)使い方や効果に関しても教わった。

 

まず俺の持つ「変質者」とかいう名前が既にヤバいスキル。これの機能は統合と分離。これを使い俺と俺の中のオラクル細胞を統合。結果的に俺の身体はほぼ完璧にアラガミとなったがまぁもう仕方ない。

 

また、イフリートというらしい炎の化け物との戦いの時に俺が神機の捕食機能で喰ったと思っていた氷の礫の魔法だが、実はあの時既に俺の持つスキル「捕食者」で捕食していたらしい。その「捕食者」に備わっている解析の機能が遂にあの魔法の解析を終え、俺のものとなった。

ただし、俺には魔素というものが全く無いため、魔法なんぞあっても使えないかと思いきや、これも「変質者」の力で解決した。

 

そもそも俺の持つ聖痕の力はあらゆるパラレルワールドが誕生するその前、世界がまだ分岐していない時の力を流入させる扉のような力で、そこに俺らのような聖痕持ちの身体をフィルターにすることで個々人様々な力を発現させているのだ。

それ故に、この世界の魔素なる力の大元は俺の持つ聖痕から流れてくる力なわけで、それが数多の分岐を経て変質したのが魔素なのだ。そして俺は「変質者」で解析した魔法と聖痕から流れてくる力、さらにオラクル細胞をも纏めて統合することにより、俺はほぼ無限の魔素量を手に入れたも等しかった。

 

また、元々この世界を渡る時に獲得していた「思念伝達」は、新たに獲得した「魔力感知」との組み合わせによって俺とリサのこの世界における言葉の問題はほぼほぼ解決したと言って良いだろう。

 

「いったのか」

 

魔法の訓練の為に篭っていた洞窟から帰ってくると、リムルの小屋から出てきたのは中性という言葉が良く似合う銀髪で小柄な人間だった。

しかし、その顔はシズさんに非常に似ていて、俺はそれで大概のことは把握した。

 

「それは、どっちがだ?」

 

「どっちもだよ。皆それぞれ、な」

 

「あぁ、逝ったし、行った。それでお前たちはどうするんだ?」

 

「お前らが良いなら、俺とリサはここに残りたいと思ってる。しばらく居て分かったよ。ここの奴らは信用できる。それに、帰り道を探すにしろ、拠点は欲しい」

 

「リサには話したのか?」

 

「あぁ。リサも同じ意見だった」

 

「そうか。なら歓迎するよ。神代天人、いや、タカト・カミシロとリサ・アヴェ・デュ・アンク」

 

「ありがとう。……俺達もこの町を発展させるのに協力しよう。俺は力仕事と戦闘力を、リサは対人交渉と金回りに家事全般を提供できる」

 

「そりゃ頼もしいな。何せこの世界は力で決まることも多そうだし。……リサは交渉事が得意なのか?」

 

「……少しだけだが俺の世界の事も話したと思うが」──

 

「武偵、か……」

 

「リサは俺たちの世界にいた頃は、金額交渉が出来るなら大概の物は7割引くらいで買ってきてた。おかげで銃弾には困らなかったな。ま、ここじゃ常識も違うだろうからそう簡単じゃねぇだろうけどな。それでも役に立つ時は来るだろうぜ」

 

今でこそこの町は森の魔物だけの閉じた世界だが、もっと外との交流や外交なんてものをやっていくならリサの力は必ず役に立つだろう。それこそ、俺の武力なんてもんは必要なくなる可能性もあるわけだ。

 

「ま、役割は後々決めてけば良いさ。とりあえず天人は狩猟班だな。魔法を使う練習にもなるしな」

 

「あぁ。そうさせてもらうよ」

 

そうして、俺とリサが元の世界へ帰るための足掛かりとなる拠点が決まった。

けれど俺達はまだ知らなかった。この選択が、いや、俺とリムルがこの世界にやってきたことそのもそのがこの世界を大きく揺り動かす要因になるということを……。

 

 

 

────────────

 

 

 

「で、結局オーガさん達も連れてきちゃったと」

 

「テヘペロ」

 

「まぁ良いけどな。何せ今日は食い切れねぇ程肉がある。問題は無い」

 

今日の俺の警邏任務と食料調達のシフトはお休みだったため、急遽行うことになった宴会の準備を手伝っていた頃、洞窟に行くと言っていたリムルがその任務に出ていたゴブタやリグル、ランガらと共に戻ってきた。

戻ってきたのだが、面子がリムル以外に6人ほど増えている。

今日の宴会はリムルがシズさんを喰ったことで得た人間の姿、その人間に備わっている味覚の機能でもって普段は食べなくても良い食事を摂りたいと言い出したところから始まった。

それを聞いたゴブリン達はてんやわんやの大騒ぎ。リムルに如何に美味しいものを食べてもらうかでお祭りのようだった。

普段は貯めている肉等も放出するつもりだったため、今回の狩りで獲ってきた分も含めると、いくら森中のゴブリン達が集うこの町と言えどそう簡単に食いきれる量ではないから、中々食えそうな奴らの加入は歓迎するところでもあった。

 

「人間もいるのか」

 

俺の姿を見た赤髪長身のオーガが呟く。

後ろの色とりどりのオーガ達も一様に俺の姿に驚いているようだ。

 

「人間っていうならもう1人いるけどな。ま、そっちは後で紹介する」

 

「コイツは神し──あぁ……タカト・カミシロ。人間だけどここじゃ俺と並ぶ強さだ。縁あってここで暮らしてる」

 

「よろしく。えと……」

 

「俺達に名前持ちはいないよ」

 

「そんなこともあるのか」

 

「むしろこの町の魔物は全員名前持ちなんだろ?俺達からしたら、そっちの方がおかしい」

 

この町の魔物は一人残らず名前持ちなので、それが普通だと思っていたが、実はそんなことはないらしい。何だか本当にゲームの世界のようだ。

 

「ま、それはともかく今日は宴会だ。楽しもうぜ」

 

スっと割って入ってきたリムルの一声で、宴会が始まる。俺もリサの所へ向かうかな。

 

 

 

────────────

 

 

 

「オークがオーガに仕掛けたって!?そんな馬鹿な!!」

 

宴会の最中、ドワーフの国を追放されたらしい鍛治職人のカイジンの絶叫が響く。

俺達は今オーガ達がここに流れてきた理由を聞いていたところだった。

オークっていうと、二足歩行で槍を持った豚というイメージだが……。

ちなみにリムルはどっかで肉を頬張っている。

 

「事実だ。武装したブタ共数千に襲撃され、里は蹂躙され尽くした。300人いた同胞はもう6人しかいない」

 

「信じられん……。そんなことが有り得るのか」

 

「そんなにおかしいことなんすか?」

 

カイジンが赤鬼の話に驚愕していると、ゴブタが肉を頬張りながら顔を覗かせる。

 

「当たり前だ。オークとオーガじゃ強さの桁が違う。格下のオークが仕掛けるとは思えんし、何より……」

 

「──襲われる理由に心当たりはあるのか?」

 

カイジンの言葉を遮り口を挟む。

オーガ達からしたら全滅、なんて言葉は聞きたくないだろうしな。

 

「さぁな。俺達はオークとはそんなに関わりが無かったはずだが。だが仮面を被った魔人がブタ共の指揮を執っていた」

 

「魔人、ねぇ……」

 

魔人とやらがどんなものなのかは知らないが、つまりオークは誰かに唆されたってことなんだろか。しかし……。

 

「強さの格が違うなら例え数で圧倒されてたってそれなりの損害は向こうにもある筈だ。そんなミツバチみたいな戦法取るってことは、それなりにオークの中で目的がありそうなもんだけどな」

 

関わりが少ないということは恨みの線は薄いだろう。ということはそれ以外に何か、犠牲を出しても達成したい、オークの一族にとって大きな目的があるはずだ。

 

「それは……」

 

「───そりゃあ悔しいわなぁ」

 

「……リムル殿。肉はもうよろしいので?」

 

空気が重くなってきたところでリムルが乱入。

食休みだと言っているが、ここいらで一旦空気の入れ替えってことか。

そこでひとしきりオーガ一族の姫君、桃色の鬼の娘を褒めたところで話題転換。オーガ一族の今後の方針に話が及ぶが、こっちはどうにもノープランっぽい。そこでリムルから「この町を拠点にしないか」との提案。

実際、数千のオークが個体単位の実力差を無視してオーガの里に攻め込んだのだ。いずれこの町に来ないともしれない。その際にはこちらも戦力は多い方が良い。何せ戦いの基本は数なのだ。いくら俺でも数千か、下手したら万に上るやもしれない魔物の軍勢に対して、町そのものを守れる自信はない。

 

「悪いが少し考えさせてくれ」

 

「おう、じっくり考えてくれ」

 

悩んだ表情を見せたオーガの若長は、フラっと森の中へ歩いて行った。

 



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ジュラの大森林とオークの群れ

 

 

「豚頭帝?」

 

オーガの6人にリムルの名付けが終わり、彼らに持っていかれた多量の魔素が回復したため再起動を果たしたリムルとゴブリン数名、それから紅丸の名を受けたオーガ(だったのが進化して鬼人になったらしい。それも6人全員)の若長と白老を名を貰った爺鬼、それから俺という面子での戦闘訓練。

リムルが剣を習いたいというから始まったこの訓練は基本の指南役を俺と白老が担っているのだが、基本は俺VS白老VSその他という大乱戦。そんな鬼のスパルタコーチに耐えきれなくなったのか、リムル達は早々に休憩に入ってしまった。

 

「俺も〜」

 

特注で削ってもらった刀身1.7mの木刀を肩に担ぎ、気になる単語の聞こえたリムルと紅丸の方へ赴く。

曰く、オークロードなる伝説のユニークモンスターは味方のオーク共の恐怖の感情すら喰らってしまい、高い統率力を持つ。

曰く、里が襲われる直前に魔人がやって来て名付けしてくれようとしたがオーガ達はこれを固辞。ゲリュミュッドなる魔人は悪態付いて帰っていったとか。

 

「ゲリュミュッドとかいうのがお前らに拒まれた腹いせにオークロードをけしかけて、オーガの里を襲わせたってのが1番筋が通りそうだな」

 

「だがオークロードってのは数百年に1度しか現れないような奴だ。それが都合良く……」

 

「都合良くいたからけしかけたんじゃないのか?」

 

「それは……」

 

「──リムル様、ご報告が」

 

シュタって感じに影から現れた青鬼こと蒼影。オーガの生き残りの1人で、現在鬼人。リムルからは隠密任務やら偵察監視を任されている。

 

「ソウエイか。どうした?」

 

「リザードマンの一行を確認しました。湿地帯を拠点とする彼らがこんな遠くまで来るのは異常なことですので。取り急ぎご報告をと」

 

「オークじゃなく?」

 

「そうだ。……どうやら近くのゴブリン村で何やら交渉に及んでいるようでした。いずれここにも来るかもしれません」

 

「リザードマンとオークの本来の力関係によっては、オークロードが現実味を帯びてきてるな……」

 

「そこの所、実際どうなんだ?」

 

「リザードマンとオークであれば、地形にも依りますが、基本的にはリザードマンの方が強いですね。特に湿地帯であればオークに遅れを取ることはないでしょう」

 

「それがこのタイミングでわざわざゴブリン村まで出向いて交渉、か……」

 

「リムル様ー!!」

 

俺が蒼影の報告からオークロードとやらの存在に確信を持ちつつあると、同じく鬼人となった紫の鬼の紫苑が駆け寄ってくる。

 

『ご主人様、本日の昼食はリサと2人で摂りましょう!!絶対です!!』

 

と、同じタイミングでリサから思念伝達。

どういうことかは分からんが、最近は皆で飯を食うことが多く、あまりリサと2人で飯を食っていないなと思い至った。ちょうど良いか。

 

「お昼ご飯の用意が整いました。今日は私も手伝ったんですよ」

 

二パーと、花が咲くような笑顔で告げる紫苑。

この紫苑は基本的にはリムルの秘書的な役割を担っている。理由は何となく見た目が仕事できそうだから。

 

「お、そうか。お前らも行こう」

 

と、リムルはこちらに話を振ってくるが、蒼影は一瞬で姿を消し、紅丸も珍しくリムルの誘いを断る。白老は気配を絶って存在ごとリムルの意識から消え去った。あぁなるほどな……。いやぁまさか、そういうことか……。

 

「俺もリサからお呼び出しだ。悪いな」

 

「そ、そうか……」

 

不思議そうなリムルを嬉しげに抱えた紫苑を見送る。

しばらくすると、ゴブタが「毒耐性」を獲得したという世界の声が響いた。

 

 

 

────────────

 

 

 

「──で、魔素を通して……」

 

「そうなると素材が……」

 

「それに、普通の鍛造じゃ──」

 

リサと昼食を採った後、俺は工房へと足を運んだ。ここでは鍛治職人のドワーフ、カイジンと黒兵衛が俺たちの町の戦闘要員の武装やらを打ってくれているのだ。武偵校で言えば、装備科のような所だ。

そして俺はここで2人に新たな武器の相談を持ち掛けていた。

というのも、俺の拳銃はいくつかの世界転移を経て無くなってしまっていて、手持ちの武器は雪月花だけなのだ。一応神機や取り込んだアラガミの力もあるし、聖痕の力もこの世界でも充分に通用することは分かっている。それに、この世界で新たに魔素を利用した魔法もあの氷の魔法だけとはいえ獲得している。

しかし、魔法はともかく、今後この世界にいる間は俺はこの世界での武器を使って戦おうと思っている。もちろん、いざとなったら俺の持てる力全てでもって戦うことに躊躇は無い。

 

ただ、リムルや他の奴らから聞き及んだ話を統合すると、この世界は他の世界よりも情報というものが大きな価値を持つ世界なのだ。つまり、俺が持ち込んだこの世界の物ではない力というのはおそらく現状この世界の住人の誰も対策や対応は難しい力であるはずだ。

 

また、オークロードなる存在がいると俺はほぼ確信に近いものを持っているが、例えそうでなくともオーク共を指揮する魔人なる存在。また、リムルから聞いた、シズさんをこの世界に呼び出しイフリートを与えた魔王という存在。単語から類推すれば、魔人より魔王の方がより強いと考えられる。ということは目的を持って自分より下位の存在を操る奴がいるということで、おそらくそいつらは魔法なのか肉眼かは知らないが、何がしかの方法で自分らの傀儡の目標の進捗率を確認しているだろう。そしてリザードマンがこの近辺でわざわざゴブリン達を何かに勧誘しているという蒼影からの偵察報告。俺達がオークの軍勢と戦う可能性は無視できないレベルまで跳ね上がっているだろう。

こうなると俺の力、特に聖痕の方はそういうこの世界で強大な力を持つ存在からはなるべく隠しておきたい。そうすれば、いつかそんな奴らと戦うことになった時に切り札として機能させられる筈だ。

その為に俺はこの町が誇る二大巨匠に話を持ち掛けたのだが、どうやら俺のアイディアはこの2人をもってしても様々な問題が待ち構えているようだった。

ちなみにさっきまでリムルもいたのだが、どうやらリザードマンとやらが「この町の主に会わせろ」と町の入口に来ているという伝令をリグルドから伝えられ、そちらへ向かった。俺としてはリザードマンの思惑は半分推測が付いているし、魔物同士の話し合いに下手に人間が顔を出すと向こうにも舐められるかもしれないので結果報告だけ待つ形にした。

 

「どっちにしろ、オークの進軍には間に合わなさそうだな……」

 

「あぁ。悪ぃが、お前さんの要求するレベルだと素材から何から普通のもんじゃなくなっちまう」

 

「それに、打つならかなり魔素の濃度の高い所で打つことになりそうだべ。そうなると場所も用意しなきゃなんねぇ。とてもじゃねぇが1週間やそこらじゃ間に合わねぇよ」

 

「なるほど……。分かった。それはまた後でだな。ならまず今出来る範囲で1番良いやつを頼みたい。こっちはさっきみたいな仕掛けは無くていい。長さはそうだな──」

 

結局、俺の武器を巡る相談は日が傾くまで続いた。

 

 

 

────────────

 

 

 

「はぁ!?20万────!?」

 

リムルの叫びがリビングに響き渡る。

結局リザードマンは俺たちを勧誘しに来たことに違いはなかったらしい。理由も攻めてくるオークの軍勢と戦うため。ただ、どうにも高圧的な態度が気に入らなかったのは良いのだが、話の流れで何故かゴブタがリザードマンのネゴシエーターをボコッたのだとか。

その上で夕食を済ませた後に俺達はリムル亭で蒼影の報告を聞いていた。それによると、約20万ものオークの軍勢が大河に沿って北上しているらしい。また、その中で別働隊も幾つかあり、そのうちの1つがオーガの里を襲ったと推測できるとのこと。また、その別働隊と本隊の動きから推測するに、合流地点は湿地帯──つまり、リザードマンの領土──になる公算が高い。

そうなると俺たちの町はオークの進路には入っていないが、それは本来オーガの里も同じこと。ということは奴らはわざわざ別働隊を派遣してまでこの森の中で強い魔物の集団を喰らい潰しながら進んでいるということになる。

 

「……オークの目的って、なんだろうな」

 

リムルの口から零れたのは至極当然の疑問。俺もそこが気になっていた。森の支配、と言うより完全に他の強い魔物を排斥するような動き。リザードマンの領土まで襲うとなると、俺が昼に紅丸たちと話した「腹いせ」の線ではなく、何やら別の目的もありそうだ。

 

「目的は分からんが、何やら目的自体はありそうだな。となるとやっぱり後ろ盾があるのは確定か?」

 

「あぁ、俺もそう思うぜ。何せオークは元々知能の高い魔物じゃねぇからよ」

 

「例えば魔王、とかか?」

 

カイジンの言葉を受けてリムルが一つの可能性を示唆する。そしてそれを受けてリビングが静まりかえる。

 

「なんてな。まぁ、なんの根拠も無い話だ。忘れてくれ」

 

場の空気を察してか、そうつけ加えてリムルはポテトチップス擬きの揚げた芋をパリパリと頬張る。

 

「魔王とは違うんだが……」

 

と、紅丸が話しだす。

 

「豚頭帝が出現した可能性は高まったと思う。20万もの軍勢を普通のオークが纏められるとは思えん」

 

「俺はいると思ってるぜ。そしてそのオークロードも誰か、魔王とやらがこの世界でどんなもんなのかは知らねぇが、それこそゲリュミュッド?とかいう奴が魔王への手土産としてオーガの里や湿地帯のリザードマンすら物ともしない大量の兵隊として差し出すためにオーク共を仕切ってるって線だな」

 

「オークの目的やバックに関してはともかく、豚頭帝はいないよりいると仮定するべきだと思います」

 

リグルドの言葉にリムルも頷く。すると蒼影が頭の後ろに手をやる。

 

「偵察中の分身体に接触してきたものがいます。リムル様に取り次いでもらいたいとのことですが、いかが致しましょう?」

 

「俺に?……誰だ?変な奴はガビルでお腹いっぱいだし、これ以上変な奴とは会いたくないんだけど」

 

「変……ではありませんが、大変珍しい相手でして。その、樹妖精なのです」

 

ドライアド……。またゲームやなんかで聞いたことあるな。何か木の精霊とかそんなんだったような……。

 

「ほ、ほほう。お呼びしたまえ」

 

で、リムルも似たようなことを思いついたらしく、変に緊張しながら蒼影に頼んでいる。

 

すると、ぶわっと、俺達が囲っていたテーブルに光と風が巻き起こる。それを受けて、鬼人達はリムルを真っ先に守るように囲う。

その光と風の中から──

 

「──初めまして。"魔物を統べる者"及びその従者たる皆様。突然の来訪ですみません。わたくしは樹妖精のトレイニーと申します。どうぞお見知りおきください」

 

ドライアドのトレイニーと名乗る、身体から蔓やなんかを生やした姉ちゃんが現れた。

 

「俺はリムル=テンペストです。初めまして、トレイニーさん」

 

恭しいトレイニーの挨拶にリムルもそれなりに丁寧には返す。

それにザワつくゴブリンの町を治める重鎮たち。どうやらドライアドというのはこの世界ではそこそこ名の通った存在らしい。

 

「そのドライアドさんが何でここに」

 

「タカト・カミシロですね。そしてそちらがリサ・アヴェ・デュ・アンク。2人とも異世界からの漂流者」

 

俺と、俺の背中に隠れていたリサを見やりそう言う随分と物知りなトレイニー。

 

「あぁ、そうだ。アンタも、随分な物知りみたいで」

 

「樹妖精ですから。わたくしにはこの森で起きたことの大概は手に取るように分かります。その上でリムル=テンペスト……。"魔物を統べる者"そしてタカト・カミシロ……。"異世界からの漂流者"よ。貴方がたに豚頭帝の討伐を依頼したいのです」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「森で起きたことなら、ねぇ……。てことはやっぱりオークロードは実在し、森を食い散らかしていると。その上でオーガの里が壊滅し、対策を立てていそうなリザードマンはともかく、周りのゴブリン村の奴らを吸収し、オーガの上位種を何人も揃えてさらにそれより上位の力を持つリムルの治めるこの町へってことか」

 

「ふふっ。貴方は話が早くて助かります。それに、貴方の力も期待していますよ?異世界の力とこの世界の力を併せ持つ貴方には断れない理由もありますしね?」

 

流し目でリサに視線をやるトレイニー。本当に、この森の出来事なら把握してるんだな。

"異世界の力"に鬼人組やカイジンは目を見張らせていたがそれは後で説明するとして。

 

「しかも、リサがいる限り俺は危険なオーク共を放ってはおけない。最悪単独でも迎え撃つだろうことは把握していると」

 

「えぇ。ですが単独で戦いに出て食われようものなら大変なことになります。ですのでこうしてリムル=テンペスト様にもご依頼をと」

 

「俺が単独だと負けると?」

 

「可能性の話です。ただし、そうなった場合はこの森の壊滅を意味しますので、万全に万全をと思いまして。むしろ、本命はリムル=テンペスト様とその従者の皆様でして」

 

なるほどね、そしてそう言えば単独ででも打って出るであろう俺よりも、動くか分からないリムルとそれに心酔している鬼人たちを動かせるという算段か。

 

「樹人の集落か豚頭帝に狙われれば樹妖精だけでは対抗できませんの。ですからこうして強き者に助力を願いに来たのです」

 

トレイニーは喋りながらテーブルに置いてあったポテチ擬きを摘みながら話を続ける。

 

「タカト様は既に確信していたようですが、豚頭帝はいますよ?」

 

トレイニーのその突然の報告にザワつく部屋。だがリムルは比較的冷静に返す。

 

「……トレイニーさん。とりあえず返事は保留にさせてくれ。こう見えてもここの主なんでな。鬼人たちの援護はするが率先して薮をつつくつもりは無いんだ。情報を整理してから答えさせてくれ」

 

「……承知致しました」

 

即答、ではないが、リムルその答えにそれなりに満足したのか、思いの外あっさりと引き下がるトレイニー。ただ、会議には居座るつもりらしく、ちゃっかりリグルドとカイジンの間の椅子に陣取っている。

 

「……豚頭帝の存在が確定したのなら思い当たることが1つあります」

 

ここで朱菜、桃色の髪をした鬼人の姫様で紅丸の妹である彼女が口を開く。

 

「ソウエイ、わたくし達の里の跡地は確認してきましたか?」

 

「……はい」

 

苦々しく返答する蒼影。

その様子に確信を得たように続ける朱菜。

 

「その様子ではやはり無かったのですね……?」

 

無かった?何が……。

 

「はい、同胞のものも、オーク共のものもただの1つも……」

 

「無かったって、何が……?」

 

リムルの疑問。俺も同じことが気になっている。

 

「死体です」

 

──っ!?死体が無い?どういうことだ?まさかオーク共の中に「捕食者」でも持ってる奴がいるってのか?

 

「なるほどな……。20万もの兵隊の食料をどう補っているのか疑問だったんだ」

 

おい、それって──

 

「奴らには兵站の概念はありませんからな」

 

まさか、死体を──

 

「ユニークスキル「飢餓者」。豚頭帝が生まれる時必ず所持しているスキルです。食べた魔物の性質を自分のものとする。リムル様の持つ「捕食者」と似ていますわね。もっとも、1度で必ず奪取出来るとは限らないのですけど」

 

「……だから数を喰らう必要があると?」

 

「えぇ、その通りです」

 

「てことはオークの狙いはこの森の上位種を滅ぼすことじゃなく……」

 

──その上位種の力を奪うことか……。

 

「なるほど。俺が喰われることをやたら気にしていたのはそれか」

 

「そうです。わたくし達でもいまだに底が見えない力。そんなものが奪われてしまったら……」

 

確かに俺が洞窟で魔法の訓練をしているところまで把握しているのであれば、俺が喰われることをやたら気にする理由も分かる。が、なるほどそれが彼女らの限界か。

 

「……となるとウチも安全とは言い難いな。嵐牙狼族にホブゴブリンに鬼人。オークたちの欲しがりそうな餌だらけだ」

 

リムルが肘をテーブルに付きながらポテチ擬きをポリポリ摘む。

 

「1番奴らが食いつきそうなエサを忘れてやしませんか」

 

その妙に気楽そうな姿を見て、紅丸も半分呆れながら言葉を投げる。

それにリムルは「んー?」と興味なさげにポテチでアヒル口。多分それ通じるの俺とリサだけだぞ。

 

「いるでしょ。最強のスライムが」

 

「スライムなんて無視されるよ」

 

「他人事ではなくなったのでは?」

 

まるで他人事のリムルに牽制を入れるトレイニー。

 

「この豚頭帝の出現の折、魔人の存在を確認しております。魔人はいずれかの魔王の手の者ですので」

 

なるほどな。リムルに対するカードはそれか。それを言えばリムルは動かざるを得ない。この姉ちゃんは、それぞれに対するカードを握ってからここに来てるってことかよ。

 

「改めてリムル=テンペスト様とタカト・カミシロ様に豚頭帝の討伐を依頼します。暴風竜の加護を受け、牙狼族を下し、鬼人を庇護するリムル様と、異世界の力とこの世界の力を併せ持つタカト様たちなら豚頭帝に遅れをとることはないと思われます」

 

「当然です!!」

 

と、トレイニーの言葉に紫苑が割り込む。

 

「リムル様なら豚頭帝など敵ではありません!」

 

と、リムルを後ろから抱き抱える。それに合わせてリムルも人間態からスライムに戻り、紫苑の腕から抜け出す。

 

「……分かったよ。豚頭帝の件は俺達が引き受ける。皆もそのつもりでいてくれ。天人もいいな?」

 

「当たり前だ」

 

この町が襲われるのなら、俺は1人ででも戦う覚悟だからな。

……さて、戦うと決まったのならまずはアレだな。

 

「結局、リザードマンとの同盟はどうすんだ?」

 

「前向きに検討したいんだが、使者がなぁ……」

 

「随分な上から目線なんだって?」

 

「それもあるが……、ぶっちゃけアホだ」

 

「あー……」

 

「リムル様。自分がリザードマンの首領と直接話して参ります。よろしいでしょうか?」

 

と、ここで蒼影の申し出。使者は駄目だったみたいだけどボスはどうなんだろうな。

 

「出来るのか?」

 

「はい」

 

即答ですよ。さすがイケメンは違うね。

 

「よし。じゃあリザードマンと合流しオークを叩く。決戦はリザードマンの支配領域の湿地帯になるだろう。けど、これはリザードマンとの共同戦線が前提になる。蒼影、くれぐれも舐められるなよ?」

 

「はっ。お任せを」

 

それを最後に蒼影は一瞬にして姿を消す。

おそらく、「影移動」を使って一気にリザードマンの首領の元へと赴くのだろう。

 

ふと、リムルが石と木の板の盤面を見て何かに気付いたようだ。

 

「これ、ソウエイが置いた駒か?」

 

石の駒を指指してリムルが紅丸に尋ねると、どうやらそうらしい。気絶したガビルなる名前のリザードマンの使者を囲んで落ち込んでいたんだとか。というか、リザードマンの使者は名前持ちなのか……。ということはボスも名前持ちか?案外リザードマンも強いんだろうか。

それはそれとして、リムルとしてはそのガビルの隊がオークと挟撃すればリザードマンの本隊を簡単に落とせる布陣に見えるのが気になるらしい。確かに、自分が首領となってオーク共を打ち払えば仲間内での名声どころか、この辺り一帯にガビルの名前が轟くことにはなろうが、いくらなんでもそれは……。

 

 

 

────────────

 

 

 

「お待ちしておりましたリムル様」

 

7日後、無事リザードマンの首領とも話をつけられ、こちらの準備も整ったところで湿地帯へ向かう日となった。

朱菜や黒兵衛、その他非戦闘員ではあるがそのサポートを担う者達が集う。

 

「タカト、これが今打てる最高の刀だ」

 

俺も、カイジンと黒兵衛の運んできた長刀を受け取る。刃渡りだけで1.7mもあるそれは、鞘から少し抜いただけで業物のそれと分かる輝きを放っていた。

 

「これだけで分かる。カイジンさん、黒兵衛。アンタらは最高の鍛治職人だよ」

 

「その刀の銘は──」

 

──夜天──

 

「夜の天、か」

 

「あぁ、お前さんならきっとソイツを夜の空より輝かせられる」

 

「期待に応えてみせるよ」

 

「……準備はいいか?」

 

俺たちの会話に痺れを切らしたリムルが割り込む。そのリムルも人間の姿で刀を授かっていた。

 

「あぁ、最後にリサ」

 

「はい、ご主人様」

 

俺の呼びかけにスっとリサが寄ってくる。そのリサの腰を抱き寄せ、俺はリサの唇にキスを落とす。リサもそれに応え自分から唇を押し付ける。それを数秒続ける。

 

「っは……」

 

「いってらっしゃいませ、ご主人様。必ず、無事に戻ってきてください」

 

「あぁ、約束だ……」

 

「──じゃあ、行くとするか」

 

リムルの声に端を発し、俺達は三々五々歩き出す。出撃メンバーは俺とリムル、鬼人からは紅丸、蒼影、白老、紫苑、ランガ、それにゴブリンライダーが100組。

別に、俺達はオークの殲滅が目的ではない。オークロードさえ倒してしまえば勝ちなのだ。向こうへ着けばリザードマン達もいるし、そう遅れをとることはない。

とはいえ、戦いの基本は数、というのもまた事実なのではあるが……。

だが数で劣っていても戦いようはある。それに俺以外にも鬼人やリムル、ランガは一騎当千かそれ以上の猛者だ。実際のところ俺はそこまで心配はしていなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……中々遠いんだな」

 

リザードマンの待つ湿地帯へ向かうこと3日。いい加減ゴブリンライダー部隊の脚に合わせるのも退屈してきた頃、周囲の偵察に向かっていた蒼影からリムルへメッセージが入っていた。

それによると、どうやらリザードマンの幹部と思わしき個体がオーク50体からなる集団と戦っているらしい。ただ、実際戦っているのはオークの中でも上位種と思われる個体のみで、他の取り巻きはただ見ているだけらしい。やる気が無い、というより上位種がただ自分の力の誇示のためにそのリザードマンをいたぶっているようにも見えるとのこと。

そしてリムルはそのリザードマンを威力偵察の駒として扱い、死なない程度で助けてやるつもりのようだ。その役はもちろん蒼影が担う。

 

「ランガ、ソウエイの元まで「影移動」を頼む」

 

「御意!!」

 

俺達もランガに掴まり「影移動」で蒼影の近くまで相乗りさせてもらう。

 

ニュっと蒼影とリザードマンの幹部らしき個体の近くの木陰に現れた俺達。蒼影がオークの上位個体を瞬殺している間に、まずリムルが瀕死のリザードマンの元へ向かい回復薬を飲ませる。

そうしてリムルとリザードマン、蒼影の3人が事情やら何やらを話そうとしていると、一応急所は外してあったらしく、オークの方も血みどろながら立ち上がった……のだが。

 

「リムル様の前で不敬ですよ!!」

 

と、大口を叩いていたオークに紫苑がブチ切れ、情報を聞き出すために生かしておいたオークを真っ二つに叩き切ってしまった。なお本人は良いことをしたと思っているのでニッコニコ。「愚か者を罰してやりました」と褒めてほしそうなのだが、どちらかと言えば愚か者はお前だろう……。

 

「で、俺らはこっちか……」

 

ボケっとそんなやり取りを眺めている間にも俺達は他の取り巻きオーク達に囲まれていた。まぁ、さっきのやり取りを見てる限り……。

 

「……うっとおしい」

 

「夜天」を抜くまでもない。「水氷大魔槍(アイシクル・ランス)」をオークの顔面に叩き込めばそれで終わりだ。

そうして俺が数体のオークを叩き潰しているうちに紅丸や白老、ゴブタ達も取り囲んでいたオーク共を瞬殺し、全滅させていた。

振り返ってその惨状を目にしたリムルが呟く。

 

「え、もう終わったの?君たち強すぎない?」

 

「コイツらが弱すぎるんだ(ですよ)」

 

俺と紅丸が見事同時に同じことをボヤく。

 

「……お願いがございます!!」

 

すると、それを見ていたリザードマンが土下座し始める。ていうか、魔物にも土下座文化あるんだな。俺が妙な部分に興味を惹かれているうちに、リザードマンが話し始める。

 

それによると、ガビルとかいうこのリザードマンの兄がリザードマン首領に謀反を起こし、彼と近衛部隊を地下牢に幽閉。自らが陣頭指揮を採り、オークの軍勢と戦っている模様。だが、そのガビルは豚頭帝を見くびっている節があり、このままだとリザードマンの全滅は避けられそうもないとのこと。それを受けて、このリザードマンは俺たちに助けを乞うてきた。

 

どうにもオーク共を歯牙にもかけない戦いぶりから、俺たちならリザードマンを救ってくれると期待しているみたいだ。まぁ元々俺達はそのために動いているのだから、断る理由もないのだが。

そしてもちろんリムルも即断。リザードマンの首領の娘だというソイツをリザードマンの代表代理として半ば出来レースの盟約を結ぶ。そして蒼影には首領を救うように指示。リザードマン首領の娘と蒼影は首領の元へ、俺達はそのままオーク共と戦うために湿地帯を目指すことになった。

 

 

 

────────────

 

 

 

「で、どうすんだこれ?」

 

湿地帯へ着くとリザードマンの姿が見当たらない……というか、20万程いるというオークの軍勢に完全に囲まれてしまっているようだ。リムルが空を飛び、上空から様子を伺っていると、団子になっている中心でガビルとオークの上位種が一騎打ちをしているとのこと。だがもちろんガビルは劣勢。踏ん張ってはいるが殺られるのも時間の問題に見えるらしい。

 

「ったく、そっちは任せるぞ」

 

「お前はどうすんだ?天人」

 

「あ?戦いの基本は数だぜ?んなもん減らすに決まってんだろ」

 

見せてやるよ。俺がこの世界で身に付けた力ってやつをな。

 

俺は様子を伺っていた岩場の影から飛び出すと、オークの群れに突っ込む。それを見てオーク共は慌てて武器を構えるがそのまま俺はオークの頭上に飛び上がる。そして空中に魔方陣を形成、そこから氷の足場を作り出し、それを足がかりにさらに上へ跳ぶ。それを数度繰り返しオークの軍勢の上数十メートルまで移動。腕を天に掲げ、イメージを描く。俺の頭に浮かぶそれは粒子の聖痕を持つあの男の姿。

 

 

───穿て

 

 

上空に大型の魔法陣を展開

 

 

───砕け!

 

 

紋章は増え続け、遂にその数は30を越す

 

 

───叩き潰せ!!

 

 

それは、大地を穿ち敵を殲滅する氷の神槍

 

 

──水氷大魔豪槍雨(アイシクル・レイン)──

 

 

ッドドドドドド───

 

 

空を覆う魔法陣から放たれた無数の魔氷の槍。それは地上にて天を見上げていたオークの軍勢を飲み込み、叩き潰した。一撃毎に剛毛で覆われた皮膚を裂き、肉を潰し内蔵を貫く。自らが頼りにしていた数の暴力に晒されるオーク共は断末魔の悲鳴すら湿地帯の泥濘を抉る音に掻き消されてしまう。

 

「さぁ、行こうか」

 

「夜天」の鞘を地上に落とすようにして刃を抜く。

そして抜き身の「夜天」を構えながら氷の足場を崩壊させ、俺も鞘を追うように落下。数千から万に届こうかというオーク共の死体の上に落ちた「夜天」の鞘を拾い、背中に背負い直す。先の爆撃を見て警戒しているつもりなのか、俺のことを遠巻きに囲むオーク共。

その時、そいつらの背後で爆炎が発生する。それは黒いドームとなり中にいたオーク共を焼き尽くす。骨すら残らないその地獄の業火の発生源は紅丸。オーク共に滅ぼされたオーガの里の生き残りにして若頭。リムルに名前を授かり鬼人となった魔人である。

 

余所見してる余裕があるのか?こいつら。

 

一息で俺を囲むオークの軍勢の中で、一際身体が大きくご立派な鎧を纏ったオークへと肉薄。

 

──イメージしろ──

 

 

雪月花に刃を生む時の感覚

 

 

──確認しました。神代天人はエクストラスキル「魔法闘気」を獲得……成功しました──

 

そりゃ結構なことだ。

 

魔素を纏わせた「夜天」を振り上げる。

 

「ガッ──!?」

 

鎧ごと上半身を引き裂かれ、悲鳴をあげる間も無く滑り落ちる上半身と、崩れ落ちる下半身。

さらに1歩踏み込み「夜天」を一閃、脇のオークを叩き斬る。手首を返しさらに刀を外に振り抜くように一閃、斧を振り上げていたオークの腹を引き裂く。夜色に輝く刀身を斬り上げてまた1匹。

 

左足を後ろへ引き、半身に構える。そのまま自分の周囲を取り囲むように魔法陣を展開。

 

 

───撃ち抜け

 

 

魔法陣から無数の氷の槍の穂先が現れる

 

 

───薙ぎ払え

 

 

──水氷大魔散弾──

 

 

魔法陣から飛び出した氷の魔槍が俺を取り囲んでいたオーク共を貫く。

さらに俺は自分の頭上に魔法陣を展開、その数は15。

 

 

───突き崩せ

 

 

──水氷大魔裂破(アイシクル・ブラスター)──

 

 

魔法陣から続々と射出される絶対零度の魔槍がオーク共のドテっ腹を、頭を、次々に貫き叩き潰していく。

俺の視界の前方180°から生きて戦えるオークがみるみるうちに減っていく。

泥の飛沫が晴れ、槍の射出角度がどんどん水平に近づいていく毎に視界を埋め尽くしていたオークがいなくなっていく。

その間にも視界の端では黒い炎のドームが何度も発生し、黒い竜巻と雷がオークの軍勢を巻き上げ、貫いていた。紅丸とランガの技だろう。確かに戦いの基本は数だ。だがここまでお互いの頭数に差が出ると実際に戦闘になる人数は限られてくる。そうなれば個体のレベルの高い俺たちにも勝ち筋は見えてくる。何せこっちには空を飛べるリムルがいるが、向こうにはおそらく対空能力を持った個体はいない。さらに、俺たちの目的はオーク共の全滅ではなく、オークロード一体の撃破なのだ。つまり、誰かがオークロードを倒すまでの間その他の雑兵共を抑えられればそれで問題ない。

 

『オークロードは見つかったのか?』

 

『あぁ。紅丸たちのおかげで後続とも分断できそうだし、お前もこっちに来──おぉい!?』

 

あ?何が起こったんだ?

 

『……何か変なのが空から飛んできて喚いてる。来れるか?』

 

『あぁ?……すぐ行くよ』

 

あれだけ叩き潰したのにも関わらずまだ俺をとり囲もうとする学習能力の無いオーク共を「水氷大魔散弾」で蹴散らし、氷の足場を伝ってオーク共の頭上を駆け抜ける。

向かう先でポッカリと空いた空間、その上にリムルが飛んでいたのでその空間に着地。

 

すると、そこにはオークロードと思わしき、一際どデカいオークと、烏のような仮面を着けた奴がいた。そして確かにそいつが何か喚いてもいる。

それによると、どうにもそいつは「上位魔人」とかいう存在で、オークロードを「魔王」に進化させたかったようだがそれが遅々として進まないことに腹を立てているようだ。ということは、コイツがトレイニーの言っていた魔人という奴か。

がしかし、どうやらその計画自体はオークロードは把握していないっぽい。するとそこへ──

 

「ゲルミュッド様!!」

 

と、一体のリザードマンがやってきた。コイツがガビルとかいうリザードマンの使者だろうか。

 

「我輩を助けに来てくれたのですか?申し訳ない、ラプラス様から警告は聞いていたというのに……」

 

「……ガビルか。ちょうど良いところに来た」

 

が、どうやら助けに来たわけではなさそうだ。持っていた杖からそこそこの量の魔素が発生、唖然とするガビル目掛けてそれを叩きつけてきた。

 

「───死者之行進演舞!!」

 

杖を振り下ろし、その技の名前を叫ぶゲルミュッド。そして幾数もの魔弾がガビルに降り注ぐ。

巻上がる土砂を指差し、オークロードにアレを食えと命令するゲルミュッド。どうやらその力を取り込ませ、魔王へ進化させる源にさせたいようだ、が───

 

「お前、複数の魔物に名付けしてんのか。それも計画の一端か?」

 

放たれた魔弾は残らずリムルの「捕食者」によってガビルを肉片にする前に喰らわれていた。

 

「なっ──!?き、貴様!!」

 

「どぉでもいいんだけどよぉ、俺のこと見えてねぇみたいだな?」

 

小物臭のするゲルミュッドとかいう魔人が驚いているが、そろそろ俺もこの茶番は見飽きた。入らせてもらおうか。

 

「は?人間!?……ふっ、人間風情が何を──」

 

「その人間風情に足元凍らされてる"上位魔人"様でいいんですかねぇ?」

 

「あ?……な、何を──!?」

 

ゲルミュッドがオークロードに対して愚鈍な奴だのなんだのとうだうだ喚いている間に俺は氷結魔法でゲルミュッドの足回りを固めていたのだが、本当に愚鈍なのはどっちなんだろうな……。

 

「よう、ゲレ……じゃなくてゲルミュッドか。オーガの里で見事に突っぱねられた名付けは順調のようだな」

 

そこへリザードマンの首領の元へ行っていた蒼影を除く鬼人の御一行も合流。ゴブタたちも揃い、遂に俺たちの全戦力のほぼ全てがこの場に集結した。

さて、上位魔人様の実力とオークロードの恐ろしさはどんなものなのかね。

 

それぞれ殺る気満々の鬼人たちに囲まれ、足元を凍らされてなお強気なゲルミュッド「舐めるな!!」と一喝。また「死者之行進演舞」を鬼人たちに放つ。だがそんな程度の攻撃───

 

「お前こそ鬼人を舐めすぎだ」

 

あっさり躱され紅丸に耳を切り落とされる魔人様。俺がもういいだろうと氷結魔法の拘束を解いた矢先に痛みで転げまわるゲルミュッドがぶつかったのは、復讐相手を見つけた喜びで凄惨な笑みを浮かべる紫苑。俺はと言えば、コイツらの戦いに手を出す気はない。この復讐はコイツらのものだ。俺がこれ以上何かしていいものじゃない。

名付けてもらった恩義からか、まだガビルはゲルミュッドを信じているようだが、それもランガの一言で諌められる。

遂に四面楚歌と相成ったゲルミュッドが鬼人たちに追い詰められていく。それにたまらず逃げ出そうとしたゲルミュッドの動きが止まる。リザードマン首領の元から帰還した蒼影の技に絡め取られたのだ。

しかし、どこまでも足掻くゲルミュッドはオークロードへ命令を下す。

 

「俺を助けろ!!豚頭帝……いや、ゲルド!!」

 

ゲルド、それがあのオークロードの名前か。

そして、その声に反応し、遂に動き出すオークロード。リムルもその動向を見守る。俺も、魔法陣を展開し、オークロードの攻撃に備える。

 

「そうだ、恩を返せ!!行き倒れていたお前に肉をやったのはこの俺なんだぞ!!」

 

その声にゲルドなるオークロードは答える。

 

「俺ハ……ゲルミュッド様ノ、願イヲ……叶エル」

 

頭が回っていないのか、かなり言葉が曖昧だ。だが、どうやら恩義に報いる気概はあるらしいが、紅丸たち鬼人に勝てるのだろうか。紅丸たちだって、実際指示を出していた黒幕はゲルミュッドでも直接的に里を滅ぼしたのはオーク共だ。手心なんて加えるとは思えない。

 

「は……?」

 

「……え?」

 

俺とゲルミュッドの間の抜けた声が重なる。鬼人たちに襲いかかるために振り上げた斧だと思っていたそれを、ゲルドはあろう事か助けるはずのゲルミュッドへと振り下ろし、その首を両断したのだ。さらに、即死へと至ったゲルミュッドをゴリゴリグチャグチャと喰い始めた。俺たちは唖然としてしまい、動きが止まる。

 

 

──確認しました。個体名ゲルドが魔王種へと進化します──

 

 

今のは世界の声だ。つまり、奴は──

 

「ちっ……」

 

俺はゲルドへ向けていた魔法陣を解き、足元へ展開。氷の壁を張る。

ゲルドから放たれていると思われる妖気がこちらへ流れてきたためだ。

 

「なに……?」

 

だが、その妖気に触れた途端、魔氷の壁が溶け始める。おいおい、妖気にもそんな効果があるのかよ。さらに、それが触れたオークの死体が溶けていく。触れたものを「腐食」させる妖気。なるほど、面倒な野郎だ。

そして、黒いオーラに包まれていたゲルドが食事を終えて立ち上がる。

 

 

──……成功しました。個体名ゲルドは豚頭魔王へと進化しました──

 

 



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魔王

 

 

「俺の名はゲルド──豚頭魔王・ゲルドと呼ぶがいい!!」

 

先程までの混濁とした様子からうって変わって流暢な喋り方になったゲルド。

それを見た周りのオーク共も「父王よ」「我らが父王よ」と跪く。

魔王種と魔王の違いはよく分からんが、コイツがさらに規格外の力を得たのは間違いなさそうだ。

 

「シオン!!」

 

「承知しています!!」

 

すると、紅丸の声に紫苑が答え、2人ともリムルを守るような立ち位置をとる。

そして紫苑が一直線にゲルドへ駆け、その手に握られた大太刀をゲルドへ向けて振り下ろす。が、それを片手で構えた肉切り包丁のような斧で受け止めるゲルド。そしてそれを振り抜き、紫苑を投げ飛ばす。

 

紫苑は空中で身を捻り着地する。それに追撃を入れようと斧を振りかぶるゲルドの背後から白老が太刀を一閃、ゲルドの首を切り飛ばした。

 

なのだが、ゲルドは首がない状態にも関わらず白へ刃を振り下ろす。それを白老は寸でのところで躱すが、その間にゲルドは首を拾い上げ、元の位置に戻すと、それだけで離れていた首がくっ付いてしまった。

 

さて次はと品定めをするゲルドに無数の糸が絡みつく。蒼影の技だ。

 

「繰糸妖縛陣」

 

そしてその糸がドーム状の繭を作り、ゲルドを閉じ込める。そこへ紅丸の追撃。

 

「黒獄炎!」

 

漆黒の炎が繭を包む。

さらにその炎が晴れた瞬間、ランガが間髪入れずに黒い稲妻を叩き込む。

鬼人たちとランガの連続攻撃。これに耐えうる奴はそうはいないはずだか……。

 

──リムルの半笑いが聴こえる。

 

ランガが魔素切れで影に戻る中、ゲルドは深手を負いながらもその場に立っていた。しかも、回復するためなのか自分の腕を喰らっていた。

さらに、その魔王の元へ一体のオークが跪く。

ゲルドはそのオークの首を切り飛ばし、肉を喰らう。なるほど、そうやって回復するのか……。

 

「まだ足りぬ!!もっとだ、もっと喰わせろ!!」

 

先程のダメージから完全回復を果たすゲルド。

なら、これでどうだ……!!

 

俺はゲルドの足元へ魔法陣を展開。そこから氷の槍生み出しゲルドの腹を貫き空中へ浮かせる。さらに「水氷大魔槍」で首を刎ね、腹を貫いていた氷を崩す。地に落ちるゲルドの身体は、それでもなお立ち上がり、首を拾おうとする。

だが俺はその首目掛けてもう一度「水氷大魔槍」を放ち、その頭を潰す。

頭を失い、胃袋を潰されてこれで自慢の回復もままなるまいと考えていたのだが──。

 

「マジかよ……」

 

潰されたのなら生やせば良い、ということなのか、切り飛ばされた傷口から首が生えてきた。さらに腹の傷もいつの間にやらほとんど塞がり、手近にいたオークをまた喰らって回復。おそらく全身氷漬けにしてもあの腐食性の妖気ででてくるのだろう。さてあと残りの俺のカードで効果のありそうなものと言えば……。

 

「いや、俺がいく」

 

だがここでリムルが前に出る。そう、残すは「捕食者」での吸収。だが懸念は向こうの持つ「飢餓者」のスキル。こちらも「捕食者」と同系統の能力な上、奴には腐食の力もある。さてどうするのかと思うが、まずは普通にゲルドと切り結ぶ。それを数度繰り返し距離を取ると急にリムルの雰囲気が変わる。ゲルミュッドを喰った際に獲得したと思われる「死者之行進演舞」をゲルドが放つ。舞い上がる土煙が晴れると、ゲルドの腕が宙を舞う。その傷口には黒い炎が燻っていた。

 

 

「──了。「大賢者」へ主導権の一任を確認。自動戦闘モードへ移行します」

 

 

 

────────────

 

 

 

その瞬間からリムルの動きに無駄がなくなった。これまでは戦闘時も訓練の時も、そりゃあ元々素人なんだから仕方ないのだけど、剣を振るのも体捌きもまだまだ動きに無駄が多く隙だらけの戦いをしていた。

それが、何か妙なことを口走ったかと思えばこの変わりようだ。

さらにゲルドと切り結んだリムルだが、その刀にも黒炎を纏わせゲルドの持つ刃をその熱で溶かそうとする。それを見たゲルドは力任せにリムルを振り払う。空中へ放り出されたリムルへ向けてゲルドは「混沌喰」なる技名を叫び、実体化したオーラにてリムルを喰らいにかかる。だが、ゲルドの腕が再生していなかった。おそらく燻っている黒炎が再生を阻んでいるのだろうが、あれは瞬間的な大火力なんぞより繊細な魔素の制御が求められるはずだ。魔素の細かな制御がまだ出来ていないリムルにあんな芸当が可能なのだろうか。

幾つもの顎が襲いかかる「混沌喰」を身を切って躱すリムル。ゲルドはさらに着地際を狙って「死者之行進演舞」で追撃を掛けるはそれもリムルは躱す。普段のリムルならおそらく躱せずに「捕食者」で誤魔化すであろうコンボを今は無駄なく躱していく。

しかし砂埃が晴れるとリムルはゲルドの右腕に捕えられていた。どうやら炎ごと喰らって再生させたようだ。

 

「悪食が……」

 

紅丸の呟く声が聞こえる。

だが、リムルはその握力に抵抗する素振りを見せない。何か考えがあって、あえて捕まったのだろう。

 

「残念だったな。貴様はここで喰われる。「飢餓者」で腐食させたものはそのまま我らの糧になるのだ」

 

リムルの身体が溶けだす。……いや、あれは──

 

「……否。──「炎化爆獄陣」」

 

ゲルドの足元から現れた魔法陣から炎が吹き出し、リムル共々獄炎に包まれる。

なるほど、部分的に人の擬態を解いてスライムの粘性でゲルドを捕え、自身の耐性を頼みに相手を炎で焼き尽くす作戦か。腹と頭を同時に潰しても再生するだけの再生能力のある相手なら、細胞の一片たりとも残さずに灰にするというわけか。

 

 

──確認しました。豚頭魔王ゲルドは「炎熱攻撃耐性」を獲得しました──

 

 

が、ここで無常にも響く世界の言葉。これでゲルドには炎はもう効かない。別の手段を講ずる必要が出てきた。

リムルも世界の言葉を受けて別の作戦に変えるつもりか、「炎化爆獄陣」を解く。

陽炎の向こうから現れたリムルは先程ゲルドを捕らえていた時よりも更にドロドロに溶けていた。

 

「言ってなかったっけ?俺はスライムなんだよ」

 

ゲルドの側頭部を回り込むようにリムルが頭を模した形状で話しかける。

遂に「捕食者」と「飢餓者」の喰い合い合戦だ。

お互い、溶かし溶かされ喰らい喰らわれる。その泥沼の戦いは───

 

 

 

────────────

 

 

 

その場に集ったのはリムルに俺、戦闘に参加した鬼人組にリザードマン首領と親衛隊長にその副長。ガビルは反逆罪でどっかに連れてかれていったらしい。後はそのガビルに連れてこられていたゴブリン数名にオークから代表が10名、そしてトレイニー。

オーク軍とその他ジュラの森連合の戦いはリムルがゲルドを喰らったことで俺たちの勝利と相成ったわけだが、そこへトレイニーが現れ、戦後処理ということで代表者を集めての話し合いをやることに。そして、その議長はトレイニーの権限でリムルに押し付けられた。ま、勝った俺たちの代表はリムルなわけだし、別におかしくはないんだけどな。

そして、皆が集まったところでリムルが話し出す。まずリムルはオークを罪に問う気が無いこと、武装蜂起に至った理由が飢饉であり、彼らに賠償の蓄えが無いこと、裏で糸を引いていたゲルミュッドなる魔人の存在を話す。

そしてなにより、そんな建前よりも自分がゲルドを喰った際にその罪も全て自分が喰らったのだから文句は俺に言え、とのことだった。

そしてそれが魔王ゲルドとの約束でもあるのだとか。

そしてそこに紅丸が前へ出る。

 

「魔物に共通する唯一普遍のルールがある。──弱肉強食──戦うとなった時点で覚悟は出来ていたはずだ」

 

なるほど、弱肉強食ね。分かりやすくて助かるよ。

結局、この一言でリザードマンもオーク側も双方納得。全ては勝者たるリムルが決める流れに。

 

「まぁお前がそう言うならそれでいいんだけどよ。実際問題どうするつもりだ?オーク共はほっときゃ全員飢え死にするみたいだが、まさかまだ14万近くいるオーク全員をあの町に受け入れるってのか?さすがにキャパオーバーだぜ」

 

「あぁ、それなんだけどな。……夢物語と思うかもしれないが、俺はこの森に住む各種族間で大同盟を結べたらと思う。……オーク達にはまずは各地に散ってもらってそこで労働力を提供してもらいたい」

 

「なるほど、そこで我らは衣食住を提供するという訳ですな?」

 

と、これはリザードマン首領、さすがに物分りが良い。

 

「そうだ。そこら辺の技術支援は俺たちの町の職人に頼む。もちろんウチらだって人手不足だからな。オークの労働力には期待してるぞ。で、技術を身につけたらそのうちに自分らの街を作ればいい。いつかは各地に散った仲間とも一緒に住めるようになるだろう」

 

なるほどね、それが敗戦者への処罰というわけか。これなら変に罪悪感を持たせることもなく皆殺しにもせずに生かせるということか。俺には無い発想だよ。本当に。

 

「最終的には多種族共生国家とか出来たら面白いんだけどな」

 

「わ、我らがその同名に参加しても宜しいのでしょうか……?」

 

既に感涙しかけている様子でオークが質問する。

 

「ちゃんと働けよ?サボるのは許さないからな」

 

「も、もちろん!もちろんです!!」

 

と、その一言でオーク共は恭順の姿勢。

リザードマン達も異存は無いようでこれまた恭順の姿勢。鬼人達も同じ姿勢をとるが、リムルは何が何やらという風だ。まったく、何となく流れで分かるだろうに。

 

「宜しいでしょうか。森の管理者として樹妖精たるわたくしトレイニーが宣言致します。リムル=テンペスト様を新たなジュラの大森林の盟主として認め、その名の元に"ジュラの森大同盟"の成立をここに宣言致します」

 

冷や汗の止まらないリムルを差し置いて森の大同盟はここに結ばれた。

後にこの同盟が大きく世界を揺るがしていくのだが、俺達はまだその重要性に気付いていなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「落とすか?」

 

「待て待て待て。それはいくらなんでも気が早すぎる」

 

リムル曰く「地獄のような」名付けを受けてオークからハイオークへ進化した元オーク一族の割振りを終え、彼らの労働力のおかげで街もだいぶ発展してきた。遂に上下水道を完備し建て替えたリムル邸には温泉すら整備する充実ぶり。そんな建設ラッシュな3か月を過ごしていた俺たちに蒼影から空に500程の空を飛ぶ武装集団が街に向かっているという報告があったので誰かと迎えに行ったら、確かに羽の生えた馬に乗った奴らが沢山いた。なので俺はぶつかり合う前に全部撃墜してやろうかと思ったのだが、それはリムルに止められた。

こちらに向かって下降してきた奴らを遅れてやってきたカイジンが双眼鏡で覗くと、どうやら奴らに心当たりのある様子。

カイジン曰くドワーフ族の国には王様直属の極秘部隊が存在するらしい。そしてそいつらの名は───

 

 

──天翔騎士団──

 

 

 

そして降り立つ羽の生えた馬とそれに乗るいかにもな騎士様達。

そして、そのうちの一人の姿をカイジンが認めた瞬間、カイジンは膝を付く。

 

「……お久しぶりでございます。ガゼル王よ」

 

 

 

────────────

 

 

 

ガゼル王、リムルから聞いた話じゃ力が強いだけじゃなく公正公明な人格者であるらしいが、確かに見てくれだけでも強そうなのは伝わるな。

が、どうにも戦闘マニアの気もあるみたいで、何やかんやでリムルと一戦交えることになり、何やかんやでリムルが邪悪ではないと判断したらしく、話し合いをしたいと申し入れてきた。ていうか、剣を交えればそいつの本性が分かるって、今日日少年漫画でも中々聞かなくなった台詞だと思うんだが。

 

 

で、結局その夜。

ガゼル王や天翔騎士団の皆様も交えた宴会の折、ガゼル王から正式に国交の申入れ。

国家の危機に際しての相互協力と相互技術の提供の確約、この2つが条件とのことだがリムルはこれを即決で受け入れた。まぁこの街を大きくしていくなら当然とも言える判断だろうな。だがここで問題が起こる。

 

「で、お主らの国の名前は何と言うのだ?」

 

「「「あ……」」」

 

この場においておおよそ「国」というものを把握している奴らの声が重なる。そう名前、名前だ。

名前とは自己と他者を区別する単純にして明快な記号であり、その存在を決定づける大事なものなのだ。なのだが───

 

なんとこのゴブリンの町、上下水道まで完備しているという時点で下手な中世のヨーロッパ諸国より発展していると言っても過言ではない(やっぱり過言かもしれない。貨幣経済成り立ってないし)のにも関わらず国名というものが存在していなかったのだ。いや、俺も完全に失念していた。

 

というか、俺の認識だとここは魔物が寄り集まって出来た集落、それが無駄に発展してるだけ程度の認識だったのだ。それに、周りからの認識も「スライムが治めてるゴブリン村」程度のものであったし俺たちの側もそんなんで充分だった。

 

そして国が国足り得る条件、「国民、主権、領土」の3つの問題がある。国民はいる、主権もまぁあると言って差し支えない。……が、領土。これが微妙だ。何せ俺らは今ジュラの大森林全土で同盟を結んでいる。だがトレントやリザードマンらは各々の支配領域があり、彼らは(トレントとかいう奴らのことはよく知らないが)各々である種国としても成り立っているのだ。だからといって彼らは俺らとは無関係ですよ、と言う訳にもいかないことは、この前の戦後処理会議で固まってしまっている。何せあそこにいた魔物全員がリムルに傅いたのだ。そしてリムルもあの場で「多種族共生国家」を目指したいと言ってしまっている。つまり俺たちの町はどこまでが領土なのかが非常に曖昧なのだ。限度はジュラの大森林とされる部分だろうが、じゃあその最大限度まででいいの?という問題がある。その上、果たしてこの森のゴブリン達は全員ここに合流しているのだろうか。だがそんなものは誰も調査していない。

 

まぁこれまで不便はなかったし何より他の国との交流というのもほぼ無かったみたいなのだから当然と言えば当然なのかもしれないが……。

 

「……いや、まだ国という段階でもなかったからな。俺はジュラの森の盟主だけど国主というわけでもなかったし……」

 

「リムル様を王と認めぬ者がいるならこのシオンが───」

 

「待て待て待て」

 

あまりに短絡的かつ暴力的過ぎる紫苑を抑え込む。

 

「けど実際、国民と主権はともかく、領土はどうするんだ?トレント族とかリザードマン達は自分たちの支配領域ってもんがあるんだろ?それに、この森の全てのゴブリンが俺らの元にいるのかっていう調査だって誰もしてないし。俺たちを国とするにはあんまりにも曖昧な部分が多すぎるぞ」

 

あの宣誓、森の管理者というドライアドのトレイニーが行った為に妙な強制力がありそうだが、果たしてそれを全て鵜呑みにして良いのだろうか。

 

「ふむ。タカトと言ったか。お前は若い人間の割に知識と考えがあるのだな」

 

「「国民・主権・領土」なんてさすがに義務教育の範囲だろ」

 

まぁ俺はその義務教育すらまともに受けちゃいないし高校も偏差値低すぎる上にまだ卒業出来てないけどな。……いや、これ以上は悲しくなるから止めよう。

 

「……細かい話は分からんが、国の主を決めるってならそれはリムル様で決まりだと思うぜ?強者に従うのは魔物の本能だが、少なくとも俺達はそれだけで配下になったわけじゃないしな」

 

と、紅丸も会話に加わる。

 

「おい、あんまり俺を持ち上げるんじゃない。ここには森の管理──」

 

「いいと思います。リムル陛下」

 

何やら反論しかけたリムルに割ってはいる形でトレイニーがお茶をすすりながら現れる。この人、前々から思ってたけどかなりマイペースだよな……。

 

「それに、この森のゴブリン達はほとんどがリムル陛下の元へ集っております。そうでないのはゴロツキ崩れの追い剥ぎゴブリン共程度。気にする程ではございません」

 

と、俺の疑問にも答える。

 

「さらに言うなら、リザードマンの一族もトレント族もジュラの大森林が一つの国となり、それをリムル様が治めるのであれば文句は無いでしょう」

 

「だとよ」

 

「うむ。ここの王はお前以外おらんようだな」

 

諦めろ、とリムルの肩を叩くガゼル王。

ま、そもそもここはリムル、お前が興した町なんだぜ。トップはお前で決まりだろうよ。

 

「では明日の朝までに国名を考えておけ。そして今夜は酒に付き合え」

 

「考える時間くれないのかよ!!」

 

結局この宴会は明け方まで続いた。

予測出来ていた事態ではあったので、リムルに耳打ちして、俺とリサで幾つか国名の候補を打ち出すことになった。

 

 

 

────────────

 

 

 

「ではこれより、ドワルゴンとジュラ・テンペスト連邦国における協定の証として、両国の代表による調印式を行います」

 

結局、俺たちの国名は「ジュラ・テンペスト連邦国」となった。ジュラの大森林を治めるリムル=テンペストからジュラ・テンペスト、リザードマンら自分たちの支配領域を持つ魔物もいるので連邦国。ジュラ・テンペストの部分は色々意見が出たが連邦国はリサの一言で決まった。曰く「支配領域を持つ種族も加わるのならドイツ等の様に「連邦国」が良いのでは?」と。

流石リサだよ。俺なんかより頭も回るし知識もある。ジュラ・テンペストは俺とリサがやいのやいのと盛り上がっている所に紅丸や紫苑らも加わってあーでもないこーでもないと意見を交わしあったが何だかんだで収まりの良いものになったと思う。ちなみにリムルや俺らがいる辺りは中央都市「リムル」となった。これを聞いた時リムルはあまりの小っ恥ずかしさから止めてくれと嘆願したが忠誠心の無駄に高い鬼人組やホブゴブリン、そして面白がった俺らに押し切られてしまった。

 

ちなみにこれは後で聞いた話だが、ドワーフの国ドワルゴンでは俺たちの街の区分は「災禍級」、つまり、基本的に3段階しかない評価とは言え最上級に危険なクラス分けをされていたらしい上に、ドワルゴンとの協定を蹴っていたら討伐対象にされていただろうとのこと。どうやら、多種族の魔物が街を作るなんてのは前代未聞らしい。

 

また、この「災禍級」というクラス、魔王もここに入るらしい。そして、規格外のクラスとして「天災級」というものもあるらしい。そんな区分に入れられる奴はほぼおらず、それこそリムルの中に封印されているらしい「暴風竜ヴェルドラ」や極一部の魔王が該当するらしい。コイツらは怒らせると世界の崩壊すら覚悟しなければならないんだとか。しかし、よく勇者なんて奴はそんなヴェルドラを封印できたもんだよな。それも、リムルが捕食するまでは封印され続けていたらしいし、その封印だっていまだに大賢者が解析中で出てこれないクラスの堅牢にも程があるときた。

リムルの探しているシズさんの仇とかいう魔王が「天災級」じゃなければいいんだけどな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

何だあれは……。

空から感じる強大な気配。とんでもない魔素を持った何かがこちらへ凄まじいスピードで近付いてくる。

 

「ご主人様……」

 

リサもその気配を感じとったのか不安げにこちらを見つめてくる。そんな顔するなって。大丈夫だよ、何とかする。

 

「街の外れの方だな……。行ってくる」

 

「どうかご無事で……」

 

「大丈夫だよ」

 

それでも不安そうなリサを抱き寄せ、頭を撫でてやる。すると、リサも安心したような顔になる。

 

「じゃあ行ってくる」

 

「はい、行ってらっしゃいませ。ご主人様」

 

リサの声を背に俺は駆け出す。

森へ入ると前方ではリムルもスライムの身体をぽよぽよさせながらダッシュで俺と同じ方向へ向かっているのを見つける。

 

「リムル!」

 

「天人か!……お前も───」

 

「そりゃあな!!」

 

ったく、何なんだあれは。規格外にも程がある。前にやってきたガゼル王御一行なんかより余程デカい気配だ。

走りながら会話をしていると、森が一瞬開く場所へ出る。そこで俺達は急停止。すると、空を飛んでいたそれもこちらへ向かって急降下してくる。

 

 

ッドオォォォォォン───

 

 

地面を抉り、大量の土煙を巻き上げながら俺らの目の前に着陸した大物。

そしてその煙が晴れるとそこに居たのは───

 

「初めまして」

 

堂々と胸を張り

 

「ワタシは魔王ミリム・ナーヴァだぞ」

 

水着みたいな服を着たピンクツインテールの

 

「お前らがこの街で1番強そうだったからか会いに来てやったのだ」

 

ちんまい女の子だった

 

 

 

────────────

 

 

 

魔王、魔王と言ったかこの子。

だが確かに魔王と名乗るだけの力はあるのやもしれない。何せ俺がこの世界に来てこの子が最も力を感じる存在だ。豚頭魔王ゲルドなんぞ敵じゃないし、アイツが赤ん坊に思えるくらいにはこの「魔王」ミリム・ナーヴァの力は抜きん出ている。

そして俺の経験が警告している。ちんまい系ツインテール女子は総じて自分が小さく見られるとデンジャラス。多分この子もその例に漏れないだろうと。

 

「初めまして、リムルと申します」

 

「あぁ……、タカト・カミシロです」

 

リムルもミリム・ナーヴァの実力の程は感じ取れているのだろう。初めて見る畏まりっぷりだ。

 

「何故私たちが1番強いと思ったのでしょうか」

 

ぷにぷにとミリム・ナーヴァにつつかれ、冷や汗をかきながらもリムルは続ける。それに対しミリム・ナーヴァはよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに立ち上がって胸を張る。

 

「ふふん。それで妖気を隠したつもりか?この「竜眼」にかかれば相手の隠している魔素量何ぞお見通しなのだ。ワタシの前では弱者のフリなぞ出来ぬと思うがいい」

 

わはは、とリムルを抱え上げて高笑いをするミリム・ナーヴァ。だがそれも長くは続かず、リムルを降ろすとこちらを見やる。

 

「だがタカトと言ったか。お前はそれなりに上手く隠しているようだな。だが「隠しているという事実」は見て取れるぞ。どうだ?見せてみないか?」

 

げっ……バレてるよ。確かに聖痕の力はそれを開いていないとそうそう観測できるものではないが、なるほどな。ミリム・ナーヴァであれば少なくとも「蓋をしている」ということは見て取れるというわけか。

 

「あぁ……」

 

俺が言葉を繋ごうとしていると───

 

「それに、リムルとやらはこの姿が本性なのか?ゲルミュッドの残した水晶では銀髪の人型をしていたが」

 

ミリム・ナーヴァは今度はリムルの姿に興味を移したようだ。こーゆーところは子供っぽいんだけどな。

 

「……この姿のことですかね」

 

ポヨンと、リムルが人の形をとる。ゲルドを喰ったことにより前よりも髪と背が伸びたその姿。ミリム・ナーヴァもやはりそこに気付いたらしい。が、「さては」という言い回しからしてゲルミュッドが死んだ後からは見れていないらしいな。とは言え、そこはさして重要ではなかったらしい。

そして、リムルが本当の目的を問いただそうとしたが本当の本当に、ただ挨拶に来ただけとのこと。……マジで嵐みたいな奴だな。

 

だがここで俺は大きなミスを犯していた。魔王に気を取られていて背後の気配に気付けなかったのだ。そして俺の背中から飛び出したのは紫苑。

その紫苑は問答無用でミリムに大太刀を叩き付ける。ただそれは片手で受け止められていた。

俺がおいおい……と思ったのも束の間、ランガがリムルを掻っ攫って逃走。さらに鬼人組が合流し蒼影の糸でミリムを拘束、紅丸が黒炎で追撃。けれど、オークロードにも打撃を与えたそのコンボを受けてなおミリムは無傷。

 

笑いながら他の魔王ならあるいは倒せたかもなどと嘯く余裕すらある。そしてミリムのカウンター、と言ってもただ覇気とでも言うのだろうか。突如巻き起こした暴風で辺り一面を吹き飛ばした。

 

「っ!?」

 

俺は思わず強化の聖痕を開きその理不尽な暴力を耐え忍ぶ。

数秒の暴虐の後、土煙が晴れると周囲一帯は破壊の限りを尽くされクレーターのようになっていた。

そしてこちらを見るなりニヤリとほくそ笑むミリム。

 

「ようやく見せたな」

 

どうやら聖痕を開いたことはミリムアイとやらで見透かされてしまったようだ。

 

「これが狙いか……」

 

「どうかな?だがお前とは遊びたくなったぞ」

 

激突は避けられない。そう悟った俺は強化の聖痕を全開にして構える。それを見たミリムは「おぉ!」と嬉しそうな声を上げ、そのまま一息に俺の前へ───

 

「──っ!?」

 

放たれた拳を背後へ逸らしミリムの脚を刈り取る為に蹴り抜く。これをミリムはさらに前へ出ることで躱し、こちらに振り向く。相対した状態からお互いに踏み込み拳を振るう───と見せかけて俺は反転、ミリムの振るう腕を右手で掴み左の肘をミリムの胸部へ叩き込む。そのまま連続して脚を刈り取りミリムを地面へ叩き付ける。そして背中から落ちたミリムを踏み付けで追撃するが、それはミリムに抑えられ、そのままミリムに空中へ投げ飛ばされる。空で体制を整えた瞬間にはミリムが飛び上がり俺の目前まで迫っていた。振るわれた拳を腕でガードするも、その衝撃で地上まで叩き落とされる。着地した俺の頭上へミリムは踵落としを仕掛ける。それも両腕で頭を守り耐えるが地面はその重さに耐えきれずさらに砕ける。

 

完全に地盤が崩落する前にミリムの脚を跳ね飛ばし俺もミリムの眼前へ。そしてボレーシュートのようにミリムの側頭部を蹴り抜く。これはミリムに防がれるが構わず振り抜いてミリムを地上に叩き落す。

 

土煙の向こう側からミリムが飛んでる。

それに合わせて俺も拳を振りかぶる。

 

激突する拳と拳。

 

その衝撃の余波が空気を震わせる。

 

「このワタシとここまで張り合えるのか!!」

 

「張り合う?俺の方が当ててるぜ」

 

「わはは!それもそうだ、な!!」

 

お互いにお互いの拳を振り払う。そこからはさっきまでの強打合戦とはうって変わってゼロ距離でのインファイト。

だがミリムは特大の魔素を、俺はこれまでに修得してきた体術を活かして、結局は先程とほぼ変わらない威力の殴打をぶつけ合う。

そして吐息すら触れ合いそうなこの距離だ。どうしたってお互いの攻撃が偶発的に掠める。

ミリムの拳に込められた魔素がほぼアラガミと化した俺の頬の薄皮を引き裂けばミリムは俺の拳圧で腕から血を流す。打つ躱す逸らす打つ打つ打つ躱す打つ逸らす打つ、ただひたすらアトランダムにそれらを繰り返していく。

それが続いていくうちにミリムの頬が上がっていることに気付く。

 

「ふふっ、わはははは」

 

ミリムは笑いながら距離を開ける。

 

「面白い。面白いぞ。このワタシとここまで打ち合える奴がいたなんてな」

 

あーあ、何となく気付いてはいたけども、コイツも理子と近いタイプの戦闘狂か……。

紫苑も比較的その気があるし、俺の近くの女の子はそんなんばっかりなのねぇ。

 

「ふふん。……だが、お前はどうしてそんなにつまらなさそうなのだ?」

 

「……」

 

「返事はなし、か」

 

「……」

 

それにも俺は特に返す言葉は無い。戦っている最中にベラベラと喋る趣味も無いし、そんな余裕のある相手でもない。

 

「ふふふ……。お前はまだ戦いの楽しさを知らないのだな。勿体ない」

 

そう言い残してミリムが空へ飛び立つ。そして空中でその両手にこれまでとは比べ物にならないくらいの濃密でとんでもない量の魔素を込める。……不味いな、あれは決め技の類だぞ。

 

「見せてやろう。これが、魔王ミリム・ナーヴァの力だ!!」

 

そこから放たれたのはただ単純な死の宣告。

理不尽と破壊と死だけが満ちた力の権化。

それが一目散に俺目がけて殺到する。

 

 

 

──竜星拡散爆──

 

 

 

────────────

 

 

 

リムルはただその戦いから逃れることしかできなかった。もはやその目では2人の戦いの趨勢なぞ追えず、魔力感知も役に立たない。何せ察知したそばから別の所へ行ってしまうのだ。いくらリムルと「大賢者」と言えどその戦いを完全に観測することは不可能だった。

その中でリムルが出来たのはミリムの暴虐によって重傷を負った紫苑と蒼影、紅丸に回復薬を与えて怪我を癒しつつミリムと天人の戦いによる余波の暴力から逃れることだけだった。

 

「何なんだあれは……」

 

「大賢者」でも測定不能な2人の戦い。

1度ぶつかり合うだけで大地は砕け、空気は破裂する。

確かに聞いていた。神代天人という人間が持つ「聖痕」という力について。彼は自身のそれについて、特に自身の身体能力の強化に特化した力であるという説明もしていたし、「変質者」のスキルでその力と魔素とを統合させて絶大な魔素量を誇っていることも聞き及んではいた。だがそれがここまでの破壊をもたらすものなのか。

 

彼はこうも言っていた。自分とリサは様々な世界を巡っていて、ここに来る前の世界で「アラガミ」なる存在の力を取り込んでいたと。確かにその力は人間のそれを遥かに超える身体能力を獲得するに至るのだろう。だが、それでも、リムルにとってこの光景は信じられないものだった。

 

「……有り得ないだろ」

 

「これが、タカトの本気……」

 

「オーク共との戦いでも凄まじい魔素量だと思いましたが、まさか魔王とやりあえるなんて……」

 

リムルの呟きに鬼人達も続く。

だがどんなにリムル達が信じられなくとも、現実に戦いは進んでいく。

 

そして遂に決着の時が近付く。

 

ミリムが空へと上がり、その掌にありったけの魔素を込めてゆく。それはリムルの持つ全ての魔素をかき集めても到底届くものではなく、鬼人達全員のそれを加えても尚届かない遥かなる頂。この世界の頂点に君臨する魔王たるミリム・ナーヴァの全力全開。それは地上にいるもの達にとっては「死」以外の何物でもない。

 

そしてそれは放たれた。

リムルと近い世界から来た友人に向かって。

「死」が、明確な形と力を持って襲い掛かる。

 

「竜星拡散爆!!」

 

その瞬間、世界から音が掻き消えた───

 

 

1発でも上位魔人程度なら即死に至らしめる程の破壊と理不尽を内包したそれが無数に拡がり、そしてたった一人の人間の元へと殺到する。

その余波だけで世界が悲鳴を上げる。吹き飛ぶ音と莫大な光に上塗りされる色彩。

地上にあった何もかもが蹂躙された世界において、唯一破壊を免れたその空で佇むのはたった一人だけ。魔王ミリム・ナーヴァ以外に有り得ない。その筈だった。

 

 

リムルの世界に色と音が帰ってきた。

 

 

──その瞬間、リムル達の目の前の空間が切り裂かれた──

 

 

遅れて音がやってくる。それと共に引き裂かれた空気が元に戻ろうとする。

物理法則による世界の悲鳴をやり過ごし、空を見上げる。

 

「え……?」

 

先程までミリム・ナーヴァが君臨していた空にいたのは、その背に6枚の翼を背負った神代天人だった。

 

 

 

────────────

 

 

 

「───銀の腕!!」

 

目前に迫る死を孕んだ流星に対して俺が放つのは俺の中に眠る白い焔の力。

この世界に来て初めて誰かの前で開く「白焔」の聖痕。その力は聖痕の焼却と吸収。実際、炎を噴き出してはいるがこの力は聖痕などの超常的な力に対してのみ効果があり、ただの物理現象に対しては炎圧で押し潰す程度の効果しか持たない。本気で圧縮すれば人間程度なら斬り裂いたり貫いたりもできるが、その程度。逆に、その性質を使って推進力代わりに使ったりもするから、案外使い道はあったりするのだが。

 

粒子の聖痕を持つ男との戦いの末にようやく俺のコントロール下に置けるようになったこの力。顕現させれば俺の右腕がその聖痕を扱うに相応しい形質に変質する。

 

どうやらこの聖痕の持つ聖痕の力の焼却と吸収はこの世界に蔓延している魔素に対しても有効だというのは実験の結果判明している。

そして目の前には特大の魔素。これに対して俺が持つカードの内、あの圧倒的な破壊の前に対抗できるのは恐らくこの力だけだ。

そして俺は右腕を掲げる。銀の腕となったその腕、その手の甲に「竜星拡散爆」なるミリムの大技が取り込まれていく。刹那の前までそこにあった圧倒的な死の気配が霧散していく。そしてその力を銀の腕の中に取り込んだ俺の身体にさらなる変質が訪れる。

 

「───銀の腕・煌星」

 

一定以上のエネルギーを吸収すると現れる銀の腕の真の姿。

両の腕が銀の腕となり、右肩にあったパイプのような翼は背中のリングと白焔の翼をへと変わり、腰にはスラスターが現れる。

凄まじい魔素量。流石は魔王と言ったところか。未だかつてこの形態を呼び起こした時に一撃で翼6枚を顕現させられた攻撃を放った者はいなかった。粒子の聖痕を持つ男ですら、だ。それがいくら全力とは言え1発で煌星の全開の出力を発揮させるのだから凄まじいの一言だ。

けどなミリム、こうなったらもうお前に勝ち目は無いぜ。本当はお前は肉弾戦で俺と決着を着けるべきだったんだ。魔素やらのぶつけ合いなら"これ"のある俺に対して勝ち目は無いぞ。

 

空に佇むミリムに対し、俺は煌星の出力で一旦さらに上空へ、そこから急降下してミリムの胸部へ拳を叩き込み吹き飛ばす。

 

音より早くミリムの小柄な身体が吹き飛び、まだ「竜星拡散爆」の巻き起こした土煙の中に俺がいると思いこんでいるリムル達の視界の端をかっ飛んでいった。

 

「どうする?」

 

地上に降り立ち、俺の引き起こした破壊の後を辿ってミリムの方へ足を進める。

その終着点にはミリムが横たわっている。魔力感知で感じる魔素からすると死んではいないようだが。というか、今ので平気なこいつの身体はまさしく魔王。恐らくゲルミュッド等の上位魔人程度の存在であれば原型すら留めること無く肉片となるはずの一撃を受けてなお息をしているのだから。

 

「ふふっ、ふはははははは!わはははははは!!」

 

大きな笑い声を上げ、魔王ミリムはなお立ち上がる。内臓にもダメージがあったのか、口から血を吐き捨ててでもまだ戦う力は残っているらしい。

 

「いいぞ!最高だ!!このワタシにここまでのことができるなんて!!」

 

それなりにダメージはあるだろうにかなりハイになっているミリム。これまでその圧倒的な力で敵無しだったのであろうミリムは随分と溜まっていたようだな。そしてミリムに変化が起こる。額から紅色の角のようなものが生えてきた。なるほど、まだ本気は出しちゃいなかったというわけか。だが、いくら本気を出そうがこれ以上はもう───

 

「2人とも待て!!」

 

だが俺たちの間に割って入るように黒い稲妻が落ち、リムルが割り込んでくる。

 

「……なんなのだ?お前は確かに強者だがワタシには───」

 

「───いいや、勝てるさ」

 

「ほう?」

 

リムルが、ミリムに?

いや、リムルの魔素量は角の生える前のミリムの10分の1以下だ。たとえ「捕食者」でも喰らえないレベルの実力差がある。

 

「だがそれが通じなかった時、これだけ楽しい戦いを邪魔した罰だ。お前はワタシの部下にでもなってもらうぞ?」

 

へぇ、殺さないなんてお優しいねぇ。そこはまた意外な一面だな。

 

「分かった」

 

リムルは何やら覚悟を決めた様子。そしてミリムへ向かって駆け出す。

 

「では喰らえ」

 

そして角を引っ込めたミリムの顔面へ右手を突き出す。

そして掌底をミリムの顔面へ放ち、微動だにしないミリムから数歩の距離をとる。

 

「……」

 

「───な、な、なんなのだこれは!?今までこんな美味しい物は食べたことがないのだ!!」

 

「どうした魔王ミリムよ。"これ"の正体が気になるか?」

 

くっくっく、とリムルが余裕綽々といった体で取り出したのは何やらドロりとした液体のようなものを体内で形が崩れないように固めた物っぽい。

 

「俺の勝ちだと認めるならコレをくれてやってもいいんだがな」

 

と、わざとらしくその美味しいらしいそれを食べるリムル。それをミリムは恨めしそうに見つめ、この戦いの勝敗とどっちが重いか葛藤しているようだ。いや、食べ物にカッ攫われる俺の全力とは一体……。

なおも食べ続け、無くなりそうだとわざとらしーい振りでミリムを煽っていくリムル。その手口は詐欺師のそれだぞ……。

 

「ま、待て!!提案がある!今回は引き分け、こっちの奴との戦いはまた決着を着けるとして、お前らとの戦いは引き分け、引き分けでどうだ!?」

 

「ほほう?」

 

「勿論それだけではないぞ。今後ワタシからお前たちに手出しはしないと誓おうではないか」

 

俺との決着はどこいったどこへ。

 

「あ、でもコイツとはまた戦うが、それはお前達を巻き込まないということも誓おう」

 

ミリムは俺を指さしそれも付け足す。ちなみにそれ、俺との再戦も同時に誓うことになるので俺はまた戦うことになりますね。

 

「ま、いいだろ。ところでお前らも回復薬いるか?」

 

「あぁ」

 

俺も殺気の消えたミリムに危険はもう無さそうだと思い、銀の腕を閉じる。

 

「おぉ!そんなものもあるのか」

 

と、こちらは回復薬に興味津々のミリム。

2人して回復薬を頭からぶっかけられ、即座にそれまでの死闘の傷を癒す。

 

「じゃ、街に戻るか」

 

 



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ミリム・ナーヴァ

 

後ろからの視線が非常に痛い。

多分ミリムの打撃より効いているから、頼むから止めてほしい。

 

「むふふー」

 

原因はコイツ、魔王ミリム。

先程までは俺にあれやこれやと質問してきて、色々喋る羽目になった。主に異世界から来たことや俺の力の源泉について。そして帰り道を探しているということも。

 

リムルからも聞いていたが、どうやらこの世界は異世界から来る人間というのは比較的多いらしい。一般人がそれを知ってるかは別にして、上位の魔物や後ろめたい人間等の間では常識に近いのだとか。その上気になることも聞いた。どうやらその異世界転移、渡る時におおよその人間は強力なスキルを身に纏うのだという。そして、それを利用して異世界から強いスキルを持った人間を呼び出し、魔物に対する強力な兵器として利用する計画がそこかしこで行われている、という噂だ。ミリムはそこら辺あんまり興味無いらしく、あくまで噂レベルでしか知らないようだが。まぁそれは一旦置いておくとしよう。あくまで噂で、確定情報じゃないしな。てかそれやってたら国ぐるみの誘拐だ。逮捕しちゃうぞ?

 

で、質問攻めが落ち着くと今度は何か知らないが俺の腕に絡みついて上機嫌なのだ。背の割には思ったよりある膨らみとか当たってるの気付いてるのだろうか。コイツ、そういうの疎そうだからなぁ。多分気付いてないだろうなぁ。

 

「当ててるのだぞ?嬉しいだろう」

 

あ、気付いてました。見た目の割に中身も大人なんすね。え、マジで?そんなフラグありました?俺たちバトって半分俺の勝利だったのを、森が滅茶苦茶に破壊されるのをいい加減嫌ったリムルが無理矢理割って入って何か食い物で収めただけじゃないの?ていうか今の一言で鬼人達の視線がさらに鋭くなってるから。マジで!針!針だよこれは!!

 

「なぁなぁ、お前達は魔王になろうとしないのか?」

 

「……しねーよ」

 

と、リムル。俺も同じように答える。

 

「え、だって魔王だぞ?格好良いだろう?憧れるだろう?」

 

……そうか?魔王って基本最後にはやられるイメージなんだが。

 

「えええーー!?じゃあ何を楽しみに生きてるんだ!?」

 

「そりゃあ色々だよ。やること多くて大変なんだぞ」

 

お、会話の主導権がリムルに移ったな。相変わらず俺の手は握られたままだが意識はリムルの方へ移ったようだ。俺はこのまま気配を消していよう。そしてあわよくば鬼人さん達の視線も緩くなりますように……。

 

「でも、魔王は魔人や人間に威張れるのだぞ?」

 

それ楽しい?

 

「───それ、退屈なんじゃないか?」

 

リムルも俺と同じ意見のようだが、どうやらミリムにとってその意見は割と衝撃だったらしい。「ガーン!!」みたいな感じにショックを受けている。

 

「おま!?お前ら!魔王になるより面白いことしてるんだろ!ズルいぞズルいぞ!ズルいズルいズルい!ワタシも仲間に入れるのだ!!」

 

俺からようやく手を離し、ランガに身軽に飛び乗ったかと思えばリムルの肩を激しく揺さぶる。揺られすぎたリムルは残像が出来て阿修羅みたいになっている。

 

「分かった分かった。俺たちの街を案内してやる」

 

あーあ、魔王ミリムさん、中央都市リムルに御来場でーす。

 

 

 

────────────

 

 

 

結局あの後流れで俺達はそれぞれ呼び捨ての名前で呼び合うことになった。俺とリムル、そしてミリムは親友と書いてマブダチと読むあれになるということらしい。まずリムルとミリムがマブダチになり、リムル曰くそのリムルと元々マブダチ(?)な俺ともミリムはマブダチなんだとか。

 

ちなみにミリムさん、俺とマブダチになるのはちょっと不満げ。別に嫌だってわけじゃなくてどうにもその先へ、ということらしい。だから何でさ。キンジみたいな臭いセリフを吐いた覚えも無いんだけどなぁ……。いつどこで立ったフラグなの……。

 

だがそうしている間にも時間は流れ歩みは進んでいる。

俺たちの眼前には整備された街並みが広がっていた。

 

「ようこそ魔国連邦へ」

 

ようやく俺たちの街へ帰ってきた。

あーあ、リサに何て言おうか。いや、どっちかと言えばフラグ立っちゃったミリムの方をどう抑えるかだよなぁ。白雪タイプだったらどうしよ……。「竜星拡散爆」使ってくれないとまた(今度は主に周りが)血みどろの肉弾戦だし……。

 

「とりあえずこれだけは約束しくれ。ウロチョロしないこと、それから俺の許可無く暴れないこと」

 

「うむ」

 

と、多分半分もリムルの話を聞いていないミリムは即座に俺の手を取ってダッシュ。「なんなのだこれはー!面白いのだ!」と街に置いてある井戸をガシャコガシャコと凄まじい勢いでやっている。

すると、間の悪いのか良いのか分からんがガビルの姿が。ガビルもこちらに気付きやってくる。んー、嫌な予感。

 

「おお!龍人族ではないか。珍しいな!」

 

とてとてと、そこだけ切り取れば可愛らしくガビルに歩み寄る。引っ張られるこっちのことも考えてはくれませんか?無理か……。暇を持て余した好奇心の塊だし。

 

「ん?我輩はガビルと申す。この街は初めてかチビッ子よ」

 

あっ……。

 

「チビッ子?」

 

ミリムの顔がやばいことになる。んー、これはガビルさんが悪いですね。レディを見た目で判断すると痛い目みるので、今回は授業料ということで……。

 

「それはまさかワタシの事か?」

 

「え?」

 

と、ガビルは俺に助けを求める視線を寄越すが多分ここで貰っとかないとガビルは別の所で似たようなことをやらかす可能性が高いので仕方ない。多分殺されはしないと思うから……。南無。

 

「おい待っ……」

 

後ろから追っかけて来たリムルの声が聞こえるが、時すでに遅し。ミリムの右ストレートが物の見事に地雷を踏み抜いたガビルのボディへ、躊躇無く吸い込まれる。

 

吹き飛ぶガビル。舗装された石畳を数十メートル程削ってようやく止まった。死んで、ないよね?多分平気だろう。ガビルも何やかんやで頑丈そうだし。

 

「いいか?リムルとの約束があるから今回はこれで許してやるのだ。次はないから気をつけるのだぞ?」

 

パチン、と可愛らしくウインクを決めるミリム。ガビルクラスの魔物がワンパンで彼方まで吹き飛ぶ威力の右ストレートを叩き込む女の子のウインクは中々の破壊力だぜ。

 

 

 

────────────

 

 

 

「何をしているのだ?」

 

遂に恐れていた事態がやってきてしまった。触れるのが面ど……怖くて後回し後回しにしていたあの問題が遂に勃発。

それはリムルがミリムの入国のアナウンスを行った後、リムル邸で昼食を摂りながら蜂蜜の紹介をされ、何やかんやで鬼人ガールズとミリムの間にスウィーツ同盟が結成された直後だった。

リサが部屋にやって来て俺の姿を認めるやいなや───

 

「ご主人様、お帰りになられたのですね!!」

 

と、泣きながら抱き着いてきたので俺も立ち上がりそれを受け止める。いつもなら嬉しい以外に何もなくそのまま自室へGOするところなのだが、残念なことに今日はやべーゲストがお1人。それもフラグは立ってるわリサのことは何も伝えてないわで大変に大変な修羅場。

リサにもミリムのことは特に伝えてないから何も気にせずに抱き着いてくるわけで、それを見たミリムはブチ切れ寸前、というわけである。

 

 

「ご主人様、ミリム様は一体……」

 

リサもどうやら広場での話は聞き及んでいるのかミリムの存在は把握している様子。

ちなみにリサはどっかのHSS(ヒス)持ちの朴念仁と違って人の機微には敏いので勿論ミリムがブチ切れてるのは把握出来てる。だが(俺にすら何故フラグ立ったのか分からんのに)その理由が自分にあることは察することができないようだ。

 

「あー、話すと長くは……ならないな……」

 

なってほしかったな、話……。

なんせ一言で終わるもんね。「分かりません」って。多分それ言ったらミリムがやべーことになるけど。

 

「え?」

 

「タカト、その女は何なのだ!!」

 

やっぱりそうなりますよね!!

大丈夫かな、説明しても暴れないかな?暴れられたらこの家どころか街が吹き飛ぶんですけど!けどここは腹を括るしか───待て待て待て、リムル達がいなくなってるぞ!?

 

「リム───」

 

「リムルではない!そ!の!お!ん!な!は!誰で!タカトの!何なのかと聞いている!」

 

「はい……」

 

「で?」

 

圧が凄いですミリムさん……。

ガビルの時にもそんな圧でてなかったでしょ……。

 

「えー、この方はリサ・アヴェ・デュ・アンクさんです。リサと呼んでやってください。ちなみに俺の恋人です。付き合ってます」

 

余すことなく、そして誇張もせずに真実を報告し、恐る恐るミリムを見ると、どうやら暴れ回るのは回避出来たっぽいけど、目を潤ませて俺とリサを睨んでいる。ミリムアイとやらを持つミリムのことだ。リサに戦闘力が無いことは即座に見抜いたであろうし、その顔には「そんな戦えない女のどこが、胸か?胸なのか?」みたいなのが書いてある、ように見えた。

 

「あの、ご主人様、もしや……」

 

「うん……」

 

リサはどうやら勘づいたらしく、俺に耳打ちを一つ。俺も出来もしない否定はせず、潔く認める。

 

そしてリサは大きくため息。その顔には「またか」と書いてある、気がする。

えー、えー、そうですよまたですよ…。

 

「ミリム様」

 

「なんだ」

 

リサが恐る恐るミリムに近付く。なおミリムから放たれた殺気にビビって俺の影に隠れるもミリムの殺気が増す結果に終わった。

けれどそれじゃあ話が進まないので仕方なしにリサはもう一度ミリムへと接近。対話を試みる。

 

「天人様と何があったのか、リサは分かりません。けれどミリム様が天人様をどう思っているのかは分かります。ですから、ここはリサと半分こ致しませんか?」

 

「半分こ?」

 

半分?え、俺真っ二つ?縦?横?

 

「えぇ、リサはご主人様を愛し、ご主人様もリサを愛してくれています。ですが、ご主人様の愛が他の誰かにも向いてはならない、ということはないのです。英雄色を好む。むしろリサのご主人様にはそれくらいの甲斐性があればこそです」

 

出た、リサの愛人許容宣言。というかリサは本質的には愛人気質なのだ。俺は断じて最初からそのつもりではないのだが、俺が元の世界や巡ってきた幾つかの世界で女の子から好かれると、それをいち早く察知したリサはこういうことを言う。俺としてはあんまり好ましくないんだけどなぁ。

 

別に好ましく思われるのが煩わしい訳ではないし、最終的にはリサと添い遂げる覚悟とはいえ、こちとら(いい加減月日の感覚がおかしくなってきたがまだ恐らく)年頃の男の子。リサ本人からお許しが出てるのなら……と思わないこともない。けれども武偵高ならいざ知らず、異世界でフラグ立てても結局は別れるのだから寂しいだけだと思うのだ。特に、出逢いが劇的だからこそ、別れる時の悲しみもまた大きい、と思う。

 

だから俺は深く関わった世界でも、現地の女の子とはできるだけ深すぎる仲にはならないようにしていた。知ってしまうと辛いというのはISのあった世界で学んだからな。

 

が、今回のお相手は魔王ミリム・ナーヴァ。肉弾戦なら聖痕全開の俺と同等に戦える1人戦略兵器ガール。下手に拒んでいざバトルとなったら街ごと壊滅だ。リサももしかしたら、そこら辺を察知したのかもしれない。

 

「タカト……」

 

俺がそれでも逡巡していると、ミリムに袖を引っ張られる。……そんな目で見るなよ。「やっぱり合わなかった」で別れるならともかく、別れたくなくても別れなきゃいけないなんて、悲しすぎるだろ。だったら最初からそんな付き合いしなければいいんだ。

 

「やはりお前は元の世界が良いのか……?」

 

「そりゃあ、な」

 

帰れる可能性を俺は知ってしまっている。知ってしまったら俺はどうしたってそこへ向けて動かなきゃならなくなる。俺にとっちゃここはあくまで異世界であり、あの世界こそが俺とリサが暮らすべき世界なんだって思っているから。

 

「ワタシはもうこの気持ちを知ってしまった。たとえタカトが帰る道を選ぶのだとしても、今だけはお前と一緒にいたい」

 

それに、ワタシは魔王で長生きだから別れるのは慣れているのだ、と無理矢理に笑みを浮かべるミリム。

けどそれは、そんなのを俺は……、背負いきれ───

 

「───ご主人様」

 

「リサ……」

 

「ご主人様は本当にお優しい方です。けれどとても臆病……」

 

「は?何言って……」

 

「だって、怖いんですよね?ミリム様を悲しませるのが、自分が悲しくなるのが。別れが決まっているのなら最初から深く繋がらなければいいと。そうすればいざという時に誰も悲しまなくて済むからです」

 

「待て待て待ってくれ。どうしたんだよリサ。お前そんなこと言うキャラだったか?それに、ミリムだって今まで知らなかったから───」

 

「ご主人様、それは駄目です。それだけは、言わないであげてください……」

 

「リサ……」

 

ミリムもリサの言動に驚いているようだ。

 

「ワタシだって最初はそう思ったのだ。けど違った。さっきリサがタカトに抱きついた時、この女を殺したくなったし、タカトがそれを当然のように受け止めた時は泣きそうになった。ワタシだって「恋」がどういうものか聞き及んではいる。だからきっとこれは恋だ」

 

途中デンジャラスなセリフ挟まりましたけど大丈夫です?けれど、そうか。そうなのか……。

 

「いずれお前とは決着を付けたいと思っているぞ。けど今は、今だけは違う形でワタシを受け入れてほしいと思っている」

 

「ご主人様はミリム様の想いが嫌ですか?」

 

「そんなわけない。けど俺は───」

 

「───ならワタシがそっちへ行けば良いのではないか?」

 

「……は?」

 

「タカト達が元の世界へ帰れるのならワタシもそれに着いていけば良いのだ。その時にもまだワタシがタカトを好きで、タカトが受け入れてくれるのなら。そうすればタカトと離れなくて済むしな」

 

ミリムは妙案見つけたりって顔をしている。だけどそれには色々問題が……。

 

「え、いや、でもそれは───」

 

この世界の仲間や知り合い達と離れ離れになるってことだぞ……?

 

「確かにマブダチや他の魔王達と離れるのは寂しい。だがワタシはそれよりこの初恋とやらを大事にしたいのだ」

 

「そんなこと言ったって、お互い気持ちが離れたらどうするんだ?帰り道は無いんだぞ」

 

「その時はそうだな……。また魔王として君臨するのだ。それに、そっちにはタカトと同質の力を持つ者もいるのだろう?しばらくは退屈しなさそうだしな」

 

「モーイ!!ミリム様、素敵な提案ですね。……ご主人様、ミリム様が───女の子がここまで言っているんですよ?どうします?」

 

リサの挑発するような視線。……俺初めて見たぞ。主人を煽るとは悪いメイドだ。

 

「あぁもう!分かった!分かったよ!俺の負けだ!今からミリムも俺の女だ!」

 

「ふふっ、モーイです。英雄色を好む。ご主人様の甲斐性見せてくださいね?」

 

「おおう。こう堂々と宣言されると流石に恥ずかしいな……」

 

リサは相変わらず挑発してくるしミリムはミリムで今までそんな扱いされてこなかったのだろう。初めての感覚に戸惑い照れているようだ。

 

「あぁ……もういいか?」

 

ガチャりと、ドアが開けられリムルと紫苑に朱菜、紅丸白老蒼影がゾロゾロニマニマと入ってくる。この野郎共……巻き添えから逃げるフリして聞き耳立てていやがったな……。

 

「うむ!これからワタシとタカトは「恋人同士」と言うやつなのだ!!」

 

独り占めではないのは少し癪だがな、と付け足すミリム。

 

「はぁ、天人も程々にな……?」

 

前世から含めて恋人がいなかったらしいリムルの恨めしそうな視線と、鬼人達のケダモノを見るような目線が痛い……。ちゃんとリサを見てくださいよ、たわわに実ってるでしょ?別に俺はロリ趣味じゃあないんですよ。

というか、ミリム程の美少女にあそこまで迫られて断れる男がいるだろうか、いやいない。

 

「もう今日は疲れた……」

 

フラリと、自分でも分かるくらいに足取り覚束ずに自室に戻ろうとすると、ミリムが俺の左腕に飛びつき、リサが慣れた風に俺の右手を取る。2人分の重さをいつもより辛く感じながら、そして背中から刺すような視線を感じながら、俺は部屋に戻っていく───。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「魔王ミリムはタカトに任せるとしてよ、旦那。俺は他の魔王の動向にも気を付けた方が良いと思うぜ」

 

結局夕飯時に叩き起されてリサ達の手料理を食べ、ゆったりと女子組が風呂に入っている間に俺達は今後の方針会議。勿論主な議題は突風の様にやって来て嵐の様に場を引っ掻き回した魔王ミリムちゃんとそれが引き起こしそうなさらなる嵐に関して。なお魔国連邦への滞在中の世話係は問答無用で俺に決まりました。

 

「どういう意味だ?」

 

「魔王ってのは何名かいるんだが、別に仲間同士ってわけじゃねぇ。お互い牽制し合ってるんだよ」

 

「いかにも」

 

と、カイジンの言葉に白老と紅丸も続く。

魔国連邦の王様たるリムルとミリムが友好を宣言したということは、見方によってはミリムとリムルの間で同盟が結ばれたということでもあり、元々配下のいなかったミリムにジュラの大森林という大きな勢力が増えたということになる。そしてそれを快く思わない魔王がいないとは言えない、ということらしい。

 

「でもよ、それ言って帰ると思うか?」

 

質問しといて何だが、俺は帰らないと思うね。もし帰ることがあっても俺は確実に拉致られる。

 

「……」

 

全員無言。まぁ誰も帰ってくれるなんて思わないよなぁ。ミリムの事だ。なんなら笑って「他の魔王に睨まれる?大丈夫なのだー」って言いそう。

 

「飽きるか天人を拉致りたいと思ってくれるのを待つしかないか」

 

待てリムル。それはおかしい。

 

「はい」

 

はいじゃないが、おい蒼影。

 

「仮に敵対すのなら他の魔王の方がマシです。魔王ミリムはまさに天災ですので」

 

なるほど、ミリムが「天災級」なのか。

蒼影の言葉に俺はガゼル王と一緒にいたドワーフ族の1人の言葉を思い出す。

 

「ま、敵対は無さそうで助かりましたがね」

 

紅丸の熱い視線が痛い。何なら他の連中もカイジン含めて皆こっちを見る。

コイツら、俺が不貞寝してる間に情報共有しやがったな。

 

「何なら天人次第でミリムの行動自体は抑えられそうだな」

 

と、リムル。それに対し全員うんうんと頷く。

 

「お前らなぁ……」

 

俺が呆れた風に釘を刺そうとした時───

 

「タカト!リムル!ここの風呂は泳げるのだな!凄いのだ!!」

 

バァーン!!と扉を開けて出てきたのはタオルで上と下を隠したミリムちゃん。貴女には恥じらいはないのですか?いや、自信満々な彼女のことだから例え俺に対しても見せて恥じる身体ではないとか思ってそう。てかよく思い出したらあのタオルの布量だと普段の服とそんな変わらないわ。腕の部分だけ少ないけど。

 

「ミリム様!まだ御髪を洗えていないでしょう」

 

と、こちらはミリムよりはタオルで身体を隠せている朱菜。けどこっちは普段が露出少なめな分よりえっちぃ気がする。ちなみに紅丸さんは目がまん丸になってます。コイツのこんな顔初めて見たな。面白い顔だぜ。

 

「おお、済まぬ。感動して思わずマブダチと恋人に真っ先に伝えたくなったのだ」

 

と、奥へ引っ込みかけたミリム。

 

「じゃあなリムル、タカト。次は一緒に入るのだ」

 

どうやら恥じらいというものが少しはあったらしいミリムはタオルを抑えながら撤収。

あと次お風呂入るとしてもリムルは連れていきませんよ。このスライム、現状身体に性別は無いし見た目は可愛らしいけど中身オッサンだからな?多分ミリムは知らないからああ言ったんだろうけど。

 

「リムル、駄目だからな?」

 

「お、早速芽生えてるな?」

 

「しまいには焼くぞお前」

 

 

 

───────────────

 

 

 

そういやリムルは炎に耐性があったな、ということを思い出しながら次の日の朝食。リサの作ってくれたそれをミリムも含め3人で頂いていると、ミリムがその野菜の美味しさに感動していた。

さて、今後どうするか。世話係とか言われても、魔王の価値観なんて分からんしなぁ……。そういやジャンヌが前に言ってたな。「服が嫌いな女はいない。これは世界共通の鉄則だ」とかなんとか。その「世界」とやらがどこまで含まれているのか知らないけど、一応ミリムも女の子なわけで。それに今も朱菜から渡された服を着ているし、全く服に頓着しないというわけでもなさそうだ。

そして幸いにもこの街には服が大量にある。何せ、シズさんの姿を借りたリムルを着せ替え人形にするため、また著しく増えた人口に「お洒落」という文化をリムルが少しずつ植え付けているため、衣類をまとめて扱っている工房があるのだ。

 

「ミリム」

 

「ん?」

 

シチューに軽く漬けたパンを頬張りながらミリムがこちらを見やる。

 

「飯食ったら服でも見に行くか?」

 

「おぉ!」

 

決まりだな。

 

 

 

────────────

 

 

 

「おおーー!!」

 

主に朱菜とリサの管理する工房。そこでは大量の服が掛けられていた。

それを目を輝かせて見回るミリム。こうしていると(見た目の)年相応って感じがするんだけどな。

 

「意外とちゃんとしてるんですね」

 

リサと一緒にミリムの様子を見ていた朱菜が寄ってくる。意外とってなんだ意外とって。これでもリサとの付き合いだって長いんだ。これくらい分かってるさ。

 

「凄いのだ!!服だらけなのだー!」

 

「選んであげないんですか?」

 

どうやら服に興味津々なミリムを優しげに見つめながら朱菜がせっつく。

 

「俺はセンス無いんだよ……」

 

これは昔理子やジャンヌにも指摘されたことがある。基本的に自分の服はリサに選んでもらってるし、リサは基本的に何着ても似合うから俺はどれを見せられても全肯定していた。ちなみにそれを見た理子とジャンヌには「いい加減にしろ」と怒られたことがある。そんなこと言われたってなぁ……。

 

「ここにセンスの無い服があると思っているんですか?」

 

いやそんなことは言ってないだろう。というか朱菜の顔が怖い。笑ってるように見えて目だけが笑っていないぞ。

 

「なぁタカト、どっちが良いと思う?」

 

ミリムが2着ほど服を掲げてこちらに呼びかけてくる。柄物のTシャツとワンピース。ミリムならどっちでも似合いそうなもんだけどな。

 

「ほらほら、呼んでますよ?あ、「どっちも」なんてのは駄目ですからね?」

 

……読まれてるし。

本当はリサに丸投げしようと思っていたのだが、俺の水溜まりより浅い考えはリサには秒で見破られていたらしく、「ご主人様が選んでくれるそうですよ」と、釘を刺されてしまっている。リサさん?貴女俺が服選びのセンス無いの知ってるでしょ?

なお後でこっそり文句をつけたところ、「選んだことがないだけでセンスが無いとは限りません」と一蹴された。割と誰か助けてほしい。

 

「あぁ、そうだな……」

 

 

 

────────────

 

 

 

「ん?」

 

「あ?」

 

服をあれやこれや見ながら試着しては次のを試しと繰り返していたミリムだったが、何やら急に顔を上げると脱兎のごとく駆け出した。

 

「あ、おい!」

 

「侵入者というやつだぞ!」

 

「はぁ?」

 

とにかく、ミリムを1人にしたらどうなることか分かったもんじゃないので俺も着いて行く。

後ろから朱菜とリサも追いかけようとしているが、さすがに俺達のペースには追いつけない。というか、ミリムはさらにスピードを上げ、もはや地に足を付けることなく飛行の体勢に入っている。俺も強化の聖痕を開き、陸路でミリムに追随する。すると、街の中央広場に着いたところで、複数人の魔人と思われる集団がいた。

 

「誰だあれ」

 

「ここはいい街だな。魔王カリオン様が支配するに相応しい。……そう思うだろ、そこのお前も」

 

魔王の手下なのか何だか知らんがやたらと偉そうでガラの悪い奴がたまたまその場にいたらしいリグルドに絡んでいく。だがそこは流石リグルド。笑顔で「ご冗談を」と流す。しかしそう返したは良かったが、それが気に食わなかったのかガラの悪いそいつに思いっきり顔面をぶん殴られる。

 

「っ!大丈夫か?」

 

まさかいきなり殴ってくるとは思わなくてフォローが遅れてしまった俺が駆け寄ると「タカト様」と顔を上げるリグルド。だが言葉とは裏腹にその顔は───

 

「いや何、この程度どうってことはありません」

 

───顔の半分が焼け爛れ肉が見えていた。

 

「……。お前は」

 

「あ?人間風情が獣人に盾突こうってのか?」

 

「はっ。俺がテメェの知る人間かどうか───」

 

「───おい貴様」

 

「ん?───ッ!?魔王ミリム!?───豹牙爆炎掌!!」

 

その横暴さに俺が半分キレて叩き潰してやろうかと思った瞬間、ミリムが間に入ってきた。さらにその姿を見て瞬時にそのツインテールガールが魔王ミリムだと気付いたその男が技を放つが───

 

「はっ」

 

ミリムはそれを鼻で笑い、妖気だけで炎ごとその自称獣人様を空へ巻き上げ、落ち際にそいつの顔面に拳を叩き込んで地面へと叩きつけた。

 

「貴様、この街やタカトをそれ以上愚弄するなら今すぐ殺すぞ?」

 

ミリムさんや、そいつもう気絶してて聞こえてませんぜ。

 

「タカト。これは……」

 

すると、街の周りの警邏に当たっていた蒼影もようやこちらへやってくる。どうやら、警備網を抜けた奴らがいたらしくそれを追ってきたのだとか。まぁその下手人は今しがたミリムにボコられて寝てるけどな。

 

「あぁ、まぁだいたいあそこで落ちてる奴が悪い」

 

俺も仲間を殴られた挙句自分のことも悪く言われてる手前、とくに庇おうとも思えなかった。恐らくリムル辺りはミリムを叱るんだろうが、今回はミリムの味方をしてやんなきゃな。

 

「ソウエイ!……何だこの騒ぎは」

 

「リムル様。はい、どうやら……」

 

と、カイジンとベスター(前にリムルと一悶着あったらしくドワーフ王国を追放された優秀な研究者らしい。ガゼル王が唐突に拉致って簀巻きにして連れてきた。俺は何も知らなかったのでまるで意味が分からなかった)の工房から帰ってきたリムルも騒ぎを聞きつけたらしくやって来た。

それに対し状況の説明をする蒼影。

 

「リグルドは大丈夫か!?」

 

「リムル様。えぇ、何のこれしき」

 

いや、それは大丈夫ではないと思う。ターミネーターみたいになってるぞ。

 

「私達を庇ってくださったのです。叱らないであげてください」

 

と、騒ぎの中心にいたリグルドはリムルに回復してもらいながらも出来た発言。

 

「天人、お前が止めろよ……」

 

と、リムルは頭を抱えながら俺に振る。まぁ、確かに俺の管理不行き届きと言えばそうなんだが……。

 

「いやまぁミリムがやらなきゃ俺がやってたしミリムは叱らないでやってくれ」

 

「タカト……」

 

ガビルのやらかした時ならまだしも、今回はどう考えても向こうが悪いのだから今回はミリムの側に立つ。しかしどうやらミリムにとってはそれはそれで意外だったらしく、思いがけないという顔をしていた。

 

「リムル様」

 

と、今度は朱菜とリサが追いつく。

 

「申し訳ございません。侵入者に気付いたミリム様が飛び出してしまい、止める間もなく」

 

「まぁ、そもそも止めるのは天人の役割だしな」

 

「俺だって侵入者が来たら行く役目だからな?」

 

「しかし、先に手を出したのが向こうとはいえ、奴は魔王カリオンの部下だと言っていたようです。報告次第では……」

 

「部下を魔物の街の偵察に出して、殴られて泣きながら帰ってきた程度で目くじら立ててるような奴と仲良くする義理はねぇだろ」

 

「天人、お前なぁ……。……あぁもう、お前ら2人とも今日の昼抜きな!」

 

「あ!横暴だぞ!」

 

「そうだぞ!侵入者をやっつけたのだぞ!酷いのだ!」

 

俺とミリムが判決に納得いかず駄々をこねるがリムルはうるさいうるさいとでも言いたげに耳を塞ぐ。まったく、甘いったらないぜ。

 

「しかしまぁ場所を移そう。一応向こうさんの言い分も気になる」

 

と、争いには参加しなかった他の獣人達を見てリムルはそう言う。問題は俺たちの昼飯だな……。そろそろ腹が減ってくる時間だ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「で、君達は何しに来たんだ?」

 

結局リムル邸に場所を移した俺達は、意識を取り戻したフォビオとか言うらしい獣人から話を聞くことにした。なお俺とミリムのお昼ご飯はサンドウィッチがそれぞれ用意された。ただし、席ではなく端のソファーに。反省席だそうだ。

だがフォビオはプイとそっぽを向いて「スライム風情に答える気は無いね」といまだに強気な対応。これには鬼人たちも殺気立つがこれはリムルが抑える。

 

「はっ!こんな下等な魔物に従うのか。雑魚ばかりだと大変だな!」

 

と、あくまでこちらを見下す姿勢は変わらない。コイツ、マジで1回シめた方が良いんじゃないか?だがリムルもイラついてはいるようだがあくまで口調は冷静さを保つ。

 

「そこまで言うんだからお前の主はさぞかし大物なんだろうな」

 

あぁけどやっぱりイラついてるわ。

言葉にいつもより刺がある。

 

「あぁん?当たり前だろ。お前、魔王カリオン様を知らないのか?」

 

知らねぇよ。ミリムや鬼人達ならともなく、俺や恐らくリムルも魔王なんて一々知るか。

 

「では言葉に気をつけろ。そもそも先に手を出したのはそっちだ。こちらはお前しだいでいつでも臨戦態勢になる。このジュラの大森林全てを敵に回す判断を、カリオンではなくお前が下すのか?」

 

「ちっ……。スライム風情が吹かしやがって」

 

流石にそこまで豪胆ではないらしく、さしものフォビオもやや引き気味になる。

 

「なんなら樹妖精を呼んで俺の支配領域を証明しようか?」

 

リムルが立て続けにカードを切る。

 

「フォビオ様……」

 

と、後ろに控えていた猿っぽい獣人がフォビオに耳打ち。どうやら話し合いに応じる気になったらしい。

 

「……ここへはカリオン様の命令で来た」

 

「おいフォビオとやら。スライム風情と言ったな。ワタシの友人をそれ以上見下すよな発言は許さ───」

 

「ミリムお前次何かしたらマジで晩飯抜くからな」

 

サンドウィッチを食べ終えたミリムが割って入るがそれはリムルにカットされる。ミリムは飯を人質に取られてシュンとしながらソファーに戻り俺にしなだれかかる。

 

「遮って悪かったな。続けてくれ」

 

フォビオの話によると、俺たちとオークロードの戦いで生き残った方をスカウトして配下に加える、というのが魔王カリオンとやらの狙いらしい。そして生き残った方である俺たちの街へ来た、ということだ。なるほど、結構色んな奴があの戦いを見ていたんだな。ということはやっぱりあそこでは力を隠しておいて正解だったかもな。あそこで全開を出してオーク軍皆殺し、なんてやってみろ、今以上に魔王だの魔人だのが押し寄せてきていたかもしれない。

 

「魔王カリオンに伝えてくれ。日を改めて連絡をくれれば交渉には応じる、と」

 

配下、にはならなくとも友好を結ぶ程度なら特に損は無いかもしれないというリムルの判断なのだろう。まぁわざわざ敵対する必要も無いのは確かだが……。

すると、フォビオは雑に立ち上がり───

 

「きっと後悔させてやる……」

 

と、歯痒そうに捨て台詞を残しながら(そして部下らしき奴らもその場に残しながら)帰って行った。あーあ、これ絶対面倒事になるやつだ。俺は詳しいんだ。

 

「……天人」

 

「あいよ……」

 

で、ミリムからの情報収集は俺の出番なのね。

 

「いくらタカトと言えど教えられないぞ。邪魔はしないという約束なのだ」

 

はい、秘密があることの自白は頂きました。ちなみにこのミリム、(言ったらキレそうなので言わないけど)流石年の功と言うべきか、達成したい目的とそれに対して妥協しても良い部分の見極めが非常に上手い。だが逆に言えばその約束を反故にしようと思えるだけの物を提示できればいくらでも聞き出せるというわけだ。ま、そんなの他の魔王を歯牙にもかけない実力があればこそ成し得る技なんだけどな。そしてさらに逆を言えば、ミリムの戦闘力を増す手段以外で聞き出せたのなら、それは俺たちを監視していた魔王達全員を相手取ってもミリムは勝てるというわけなのだろう。俺としてはあんまりミリムを最前線には出したくないがな。

 

「それはカリオンとだけの約束か?それとも他の魔王とも関係しているのか?」

 

「うっ……それは……」

 

言えない、ということは他に最低1人は魔王がいるわけだな。そもそも魔王が何人いるのかは知らないが、これでミリム、カリオン、そして最低もう1人の3人は確定。それがシズさんの仇のレオン何とかさんかどうかは知らんけど。ま、魔王が10人も20人もいるのかは分からないし、何よりその全員が今回の覗き見に加担しているとも限らないが。さて次のカードはどうするかね。

 

「ミリム……」

 

「うっ……」

 

つい、指先でミリムの顎をこちらに向け、ミリムの目を見つめる。あーあ、こんなんしてると俺まともな死に方できないな。多分馬に蹴られて死ぬ。

 

「ミリム、教えてくれないか?なぁミリム、俺だってミリム達の邪魔をしたくはないんだ、ミリム。そうだな、今度ミリムが欲しいものを何か上げるよ。物じゃなくてしてあげるでも良い。ミリム、ミリムは彼らとどんな話になっていたんだ?」

 

わざとらしくしつこいくらいにミリムの名前を呼びながら聞き出す。それも耳元で、わざと低音で囁くように。これ、ちゃんとした理由があるのだ。これは「呼蕩」とかいう技で、人間は異性のある一定(というかやや低め)の声で名前を呼ばれるのに弱いらしい。それを利用し耳元でこのように囁いて催眠術のように言う事を聞かせる技術なのだとか。ちなみにこれ、後でアリアから愚痴られて聞いた話なのだが、キンジが新幹線をジャックされた際に白雪にやっていたらしい。俺は聞いた話からそれを真似してみたのだ。もちろん悪用は禁止。というかフラグ立つやつなのであんまりやりたくないしミリムにこれやるのは卑怯以外の何物でもないのだけれど、一応他の釣り針もあるから許してほしい。え、周りの視線?すっげー冷たい目で見られてますよ?「うっわコイツさいてー」って顔されてます。

 

「うん……」

 

なおミリムは顔どころか耳まで真っ赤にして顔を伏せてしまっている。不味い、効きすぎたかもしれない。

 

「約束、なのだぞ……?」

 

「あぁ、もちろん」

 

我ながら俺は馬に蹴られ死んだ方が良いな。それが全世界のためだと思う。

で、俺が罪悪感に苛まれながらも聞き出した情報によると(あと武器と書いておもちゃと読むやつも作ることも約束させられた)どうやら今回の計画には4人の魔王が関わっている。そしてその4人で新たな(傀儡の)魔王を作り出すことが目的だったのだとか。で、何故傀儡の魔王が欲しいのかと言えば、どうやら魔王間での拘束力のある協定はそれを提案した魔王以外に2人の魔王の賛同が必要となるらしい。また、現状の魔王は10人であることも聞き出せた。どうやら今回はオークロードを傀儡魔王にするという計画でスタートしたのだが、それを持ち込んだのはあの小物魔人ゲルミュッドなんだとか。それに魔王クレイマンと魔王フレイという2人の魔王、あとはカリオンとミリムが乗っかり動き出したらしい。だがオークロードは俺達に倒され、トドメを刺したリムルと明らかに人間ながらオーク共を薙ぎ払った俺にそれぞれ興味を示した魔王4人がそれぞれの手段で俺たちに接触を図っているらしい。つまり、この先クレイマンとフレイなる魔王からの干渉も有り得るという訳だ。

 

「なるほどな、ありがとう、ミリム」

 

「あぁ。約束の方も忘れるでないぞ」

 

「分かってるさ」

 

それはまぁ大丈夫として、問題は……。

 

「俺達が魔王たちの計画を邪魔したってこと、だよな……」

 

と、リムルが呟く。それに紅丸も「ですね」と頷くしかない。

 

「想定していた状況とは違いますが、他の魔王もここへ干渉しに来るでしょうね」

 

と、紅丸。

 

「大変なことですよ。トレイニー様にも相談しなければ」

 

リグルドも頭を抱える。

 

「問題ありません!リムル様なら他の魔王なぞ恐れるに足りません!」

 

なお紫苑はこれ以上ないくらい楽観的。

まぁ紫苑はいつものペースなので放っておくとしても、ミリム襲来から巻き起こされた魔王旋風に、俺たちの魔国連邦は否応無く巻き込まれ飲み込まれていくのだった……。

 

 

 



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英雄とカリュブディス

 

 

「───というわけで、お客さんっす」

 

どういう訳かはよく知らんが、ゴブタがお客さんとして人間の集団を連れてきた。知ってる顔は3人。前にシズさんと一緒にいた冒険者パーティのカバル、ギド、エレンだけだ。この3人の中に加えて、前はシズさんのいた枠に強面のおっさんが代わりに入っている。部屋に入れたのはその4人と剣士の(ただし今は剣は折れてしまったらしい。そこをゴブタに助けられたんだとか)青年とその連れらしい若い魔法使い(?)が1人。ちなみに知ってる方の冒険者パーティは4人だったが、こっちの知らない方の青年の仲間内は他にも結構な人数がいて、そいつらは外で待ってもらってる。しかしまぁコイツら、やたらガラが悪い集団なのだが、こいつら本当に冒険者なのか?それともこの世界の冒険者とはああいう風なのもそこそこいるものなのだろうか。

 

「で、何の用だって?」

 

「知らないっすー」

 

リムルのごもっともな質問に軽く答えるゴブタ。

いやいや、それ連れてきちゃ駄目だろ……。なんで目的も分からん人間達を魔物の国へ連れてきちゃうかな……。

 

「……失礼」

 

コホン、と咳払いをして話し始めたのは強面のおっさん冒険者。こっちはカバル達の連れ、というよりこの人の連れがカバル達って雰囲気もあるな。

 

「私はフューズと申す者。ブルムンド王国の自由組合支部長をしています。私の目的は貴方に会うことですので、ゴブタ殿に案内を頼んだのです」

 

「俺に用?」

 

リムルに用、か。またオークロードの余波かな。

 

「今から10ヶ月程前になりますか。森の調査をしていた彼らから報告を受けました」

 

その彼らはポテチ擬きをうめーうめー言いながらバリボリ摘んでいる。確かにそりゃ来客用に出したものだけど、人が話してる時に少しは遠慮とか無いのかね。ま、ドライアドの姉ちゃんことトレイニーもやたら気に入ってボリボリ食ってたからそんなもんなのかもしれんが。

 

で、色々聞いたところ、結局彼らの用事とはシズさんの弔いに関してではなく、やはりオークロードに関して。

オークロードの出現の噂が流れ、調査の結果事実だと判明したのが数ヶ月前。その後その対策に浮き足立っていた頃に蒼影がその場に現れ、オークロードは片付いたというリムルからの伝言(かなり言うのが遅いが本人も忘れていたらしい。もちろんオークロードの噂もリムルが人間側も対策を取れるようにわざと流させたものなのだが)を伝えたっきりどっかへ行ってしまった。リムルの名前は噂では聞いていたが、森の魔物を統べる魔物の国の王。そんなものがいたんじゃオークロードがいなくなろうが人間からしたら脅威の度合いとしてはそんなに変わらない。そのためそのリムルがどんなもんなのか調べに来たんだとか。ガゼル王が来た時とほぼ同じ目的だった故、リムルがその名前を出し、本来この時間に打ち合わせの予定だったために入室してきたベスターを見てウチとドワルゴンの盟約というリムルの話に確信を持ちつつさらにカイジンの名前まで出されて完全にフリーズ。彼らドワーフ達は人間の社会の中でもかなり有名らしいな。

 

「で、そっちの兄ちゃん達は何しにに来たんだ?」

 

固まっちまったフューズはしばらく放っておいて、次はガラの悪い方の集団だ。

 

「君らもブルムンドの自由組合から来たのか?」

 

と、リムルが聞くと、

 

「その前に聞かせてくれ」

 

青年剣士の方からまずは質問が。

 

「───なんでスライムが喋ってんだよ」

 

そこかよ。てかこの世界のスライムって喋らんのね。リムルがペラペラ喋るから気にしたこと無かったな。というか、基本的にウチの魔物は皆喋る。そりゃ個人個人で口数に差はあるが、確かによく考えたらリムルに口無いな。言われるまで忘れてたぜ。

 

「だっておかしいだろ!何で誰も突っ込まないんだよ!!スライムだぞ!?後ろの強そうな奴らを差し置いてなんでこんなプルップルなのが偉そうなんだよ!?」

 

言われてみればごもっともすぎて返す言葉もねぇ……。そうか、そうだよな……。やっぱどこの世界でもスライムは雑魚モンスターの典型だもんな……。鬼人とか魔王とかいるのに真ん中にいるのスライムだもんな……。多分この人ミリムが魔王だって気付いてなさそうだけど。

 

「リムル様に無礼ですよ?」

 

「うるさい黙ってろおっぱい!!」

 

───ゴンッ!!ガンッ!!

 

「あ、つい……」

 

「ついじゃねーよ」

 

捲し立てた青年に対し、紫苑が文句を付けた瞬間に恐らくは反射的になんだろうがセクハラ紛いの発言で返してしまったのが運の尽き。短気が服着て刀振り回してるタイプの紫苑はこれまた反射的に鞘に仕舞ったままの大刀で青年の頭をぶん殴り、彼の頭が思いっきり机にたたきつけられた。うわぁ、痛そ……。半分は自業自得だけど……。ちなみにミリムはそれを見て「シオンは短気すぎるのだ」とわははーって笑っていた。さしもの紫苑もミリムにだけは言われたくないだろうなぁ……。

で、リムルに回復薬で治してもらいながら話してもらったところ、彼の名前はヨウム、横の少年はロンメルと言い、ロンメルはヨウムと外のガラの悪い連中のお目付け役らしい。彼らはファムルス王国という所から来た調査団で、オークロードの調査を任されていたらしい。だが目に見えて危険なこの任務。ファムルス王国は正規の軍隊を派遣せず、国の中でも下層に位置する人間達を寄せ集めてそれをヨウムに纏めさせて派遣することにしたらしい。どうりでガラ悪いと思ったぜ。また、もちろん装備も整える気は更々無い上に成功報酬を弾むタイプとも思えないのに、なぜ彼らはそれに従ってるのかと思いきや、どうやらロンメルが言うことに従わせる強制魔法とやらを掛けていたらしい。凄まじいなこの世界。

が、どうにもそれは既に解いてしまったのだとか。ロンメルは自分たちを使い捨てる気満々の国よりこのヨウムという男に着いていくと決めたらしい。ちなみに、ロンメル以外は全滅したことにしてロンメルは1度国へ帰り報酬を受け取る。その後ヨウムたちと合流して別の国へ流れ、そこで冒険者パーティとして食っていくつもりだったらしい。このクソみたいな任務を請け負ったのも、実際にオークロードがいたならば国の奴らが危ないから、という理由だとか。なるほどねぇ、まさしく正義の味方って感じだ。ちょっと態度は悪いけどな。

 

「ちょっといいか、フューズさん」

 

「……はっ!?」

 

フューズもようやく気付いたようだ。で、このリムル、何やら企んでいる顔をしている。そしてコイツがこういう雰囲気の時は大抵周りは否応無く巻き込まれていくんだよな……。

 

「豚頭帝が倒されたっていう情報は既に知れ渡っているのか?」

 

「あ、いえ。使者殿が来た時に居合わせたのはそこの3人と私だけですので……。知らせたのはブルムンド王国の国王と1部の大臣のみ。一般には公表されていません」

 

ま、いきなり知らん魔人がやって来て流した情報だしな。確定情報として国中へ流すのはあまりに情報に対する意識が低すぎるか。

フューズもそのような理由でまだ公表されていないと続ける。

 

「なるほどな、なら好都合だ。……よし決めたぞヨウム君」

 

ポテチを1皿分平らげてまだ食い足りないらしいエレンがヨウムからポテチを笑顔でせしめているうちにリムルから話が振られる

 

「君、英雄になる気はないかね?」

 

 

 

────────────

 

 

 

リムルとしては、人間から見たらオークロードがいなくなってもそれを潰したのが魔物の国となると脅威が去ったとは言えないこの状況。

だが、そのオークロードの調査に人間様御一行が乗り出している今、その功績を全部そいつらに押し付けた上で自分らはただそれを支援した良い魔物って立ち位置を確立するのがリムルの狙い。また、こちらの国の状況をある程度は把握しているフューズも協力してくれるそうだ。もちろんヨウムは大反対だったが、この国の魔物の住民1万人余りが全員残らず名前持ちの魔物だと聞いて押し黙ってしまった。そしてどうやら俺はこの世界の魔物と人間の力関係を正確には把握出来ていなかったが、俺たちの国は人間の国1つ滅ぼすことは比較的容易いらしい。いやね、だからそういう反応を避けたくてリムルはこの計画を進めようとてるんだってば。

 

「この計画の要は君だ。良い返事を貰えたなら嬉しいけど無理強いするつもりはない」

 

「……ガラじゃねぇよ。それに、そんなのそっちの人間にでもやらせりゃいいじゃないか」

 

と、ヨウムは俺を指さす。けどそりゃ無理な相談だ。何故なら───

 

「そりゃ無理だぜ。なにせ俺は世間的には住所不定無職だからな。というか、俺はこの世界に生まれ落ちた記録が無い。世間的には俺という人間は存在してないんだ。そんな奴、誰が信用する?」

 

「何だよそりゃ……」

 

「そもそも俺は異世界から転移してきた人間だ。確かに俺の力ならオークロードを倒しても不思議じゃねぇ。けど、それを信用させるための身分が無い。だけどお前なら少なくともお前の故郷の人間がお前を知っている。そこに俺たちの力でちょっとばかし箔を付けるっていう話だ」

 

「異世界ってそんな馬鹿な話が───」

 

「あるのだぞ。この世界には時々他の世界から迷い込んでやってくる人間がいるのだ」

 

「あ?何だガキ、子供が大人の話に口出し───」

 

 

───ゴッ!!

 

 

「あっ……」

 

またもや不用意な発言でヨウムが殴られた。今度はせっかく良いことを言ってたミリムに。それに俺たちの声が重なる。

 

「ミリム様……」

 

「お前、このタイミングで暴力とか……」

 

「ち、違うのだ!アイツがガキとか言うからつい……」

 

必死に弁明するミリムだったけど、さすがに今回は俺もあんまり弁護できないな……。いやまぁ確かにヨウムも不注意だったんだけど。

 

「……で、俺に勇者の真似事でもさせようってのかよ」

 

「勇者はダメだぞ」

 

と、またもやミリムが会話に割って入る。しかし、さっきとはまた違った雰囲気だ。

 

「勇者は魔王と同じく特別なものなのだ。勇者を自称すれば因果が回る。長生きしたければ精々英雄を名乗ることだ」

 

あ?魔王とか勇者ってそんなルールあんの?前に軽い気持ちでミリムの誘いに乗ってたらヤバかったんじゃねぇかそれ?

 

「まぁ、勇者になれとは言わない。ただオークロードを倒した英雄になる話、本当に無理強いするつもりはないんだ。考えてくれないか?」

 

「……外に出ても良いか?」

 

「もちろんだ」

 

 

 

────────────

 

 

 

結局、ヨウムはリムルの提案の下に英雄になる決断を下した。その後ほ数週間ほど黒兵衛が武器を作り朱菜達が衣類を整え、白老が鍛え上げて、体裁を整えていく。

そしてようやく出立の日、ヨウムとその一団は英雄と名乗るに相応しい男共へと成長していた。ま、20万の軍勢だとか最後には魔王種へ進化したとかそこら辺のヤバさは知れ渡ってないみたいだし、大丈夫だろうよ。

 

「なんだ、もう行くのか?」

 

とてとてと、ヨウムを達お見送りをしている俺達を見つけたミリムが寄ってくる。

 

「あ、ああ。ミリムさん」

 

なおヨウムはミリムにぶん殴られた後から彼女には及び腰だ。

 

「しっかり頑張るのだぞ」

 

と、背中をぽすっと軽く叩かれただけで緊張しまくってる。

 

「良かったなヨウム君。魔王の激励なんてそうそう受けられるものじゃないぞ」

 

「え?魔王?」

 

あら?ヨウムはミリムが魔王だって知らなかったのか。それもいまだに。一緒にカレー掻き込んだりしてたのにな。

 

「そういえばちゃんと紹介してなかったな。こちらは魔王ミリム・ナーヴァ」

 

「なのだぞ!」

 

と、俺の紹介に可愛らしくピースで応えるミリム。なおヨウムは「えーーー!!?!?」と、大変に驚いていた。

最後はグダグダになってしまったが、そんな風にヨウム一行は旅立って行った。

 

 

 

────────────

 

 

 

「あっちにいるのだ」

 

「あいよ」

 

「こっちなのだ」

 

「了解ですぅ」

 

「お、あそこにもいるのだ」

 

「はいでやす!」

 

ヨウムが旅立った後、何故かフューズ御一行は魔国連邦にお泊まりしていた。なので飯と宿を提供する代わりにカバル達には俺達の食料調達という名の魔物狩りを手伝ってもらっている。そしたらミリムも着いてくると言うので、まぁ戦力的には最強なので特に文句も無く連れてきたが、やたらと魔物の発見が早い。おかげで不意打ちも決めやすく、狩り自体は非常にスムーズに進んでいた。

 

「こんなもんか?」

 

「これ以上は持ち帰りきれないですよぅ」

 

「そうだな。じゃあ俺達はコイツらを纏めて縛っておくから、ミリムとエレンはリムル達を呼んできてくれ」

 

「おう!」

 

「はーい」

 

まだまだ元気そうなミリムとそれに着いて行くエレンを見送る。さて、俺達も狩りに狩った魔物共を纏めておかないとな。

 

「あの氷の魔法、前にエレンのを喰ったやつっすか?」

 

と、ギドが聞いてくる。

 

「んー?あぁそうだよ。あれからずっと使わせてもらってる」

 

オークロードとの戦いの際も使ったが、今の俺の元素魔法は「変質者」で聖痕の力と魔素を統合したことにより1つ上の段階へと上っていた。そしてそれを使いこなす訓練も自分なりにはキチンとやっているつもりだ。前は俺一人か、良くてリムルや鬼人の誰かが手伝ってくれたが、今はミリムがそれに付き合ってくれている。最強魔王の特訓は、それはそれはハードなのだ。そのおかげで俺の魔法はさらにバリエーションや速射性も備わってきた。

 

「今じゃ姉さんより上手いっすよ」

 

「まぁそれなりに特訓してるしな」

 

「それに、その剣も流石カイジンさんと黒兵衛さんの打った刀って感じだな。すげぇ斬れ味だったし」

 

「これな。俺の魔素を通して斬れ味とか上げてるんだよ。もちろん魔素を通しやすくするために色々あの人らには無茶言ったけどな」

 

今の俺のこの世界での得物は「天星牙」という銘を持つ片刃の大刀だ。

これは、オークロードとの戦いの時に使った「夜天」を素材に、さらにリムルから魔鉱を提供してもらって打ったものだ。それも、ヴェルドラが封印されていたという洞窟の中、その奥の魔素濃度の高い所でだ。もちろん、そんな所カイジンさんでも難しいので鬼人である黒兵衛と俺だけでやることになった。そこで俺の魔素すら注ぎながら打ち込んだそれは、俺の魔素によく馴染み、斬れ味良く射程距離も自在に操れる魔剣と化した。その上込めた魔素を斬撃として飛ばすことや、俺の中にあるアラガミとしての力、ディアウス・ピターの赤雷やハンニバルの炎を纏わせることもできる。

 

「へぇ……。しかし、そんなデカい刀振り回すのもそうっすけど、何よりその刀とあれだけの魔法を連発してよく魔素が保つっすね」

 

「あぁ、まぁそこはほれ、異世界から来た人間は魔素量も多いんだと」

 

ちなみにコイツらは俺が異世界から来たことを知っている。言いふらすなとは言ってあるし、そもそも異世界人は珍しいとは言えそもそもシズさんもその1人だったのだ。コイツらの中に収まるなら問題はあるまいて。

 

「それより、俺はミリムさんとリサさんとの関係の方が気になるね」

 

と、魔物の死骸を纏めながらも話を進めていたところでカバルが話題転換。さっきまでの比較的真面目な話から急に恋バナに話が流れる。

 

「あ、それはあっしも気になってやした。前に会った時はそんなに話せなかったっすけど、リサさんとはそんな感じなのは分かりましたけど、今はミリムさんとも仲良いっすもんね」

 

「実際、今はどっちと付き合ってるんだ?」

 

「はぁ……」

 

ま、恋バナの方が盛り上がるのはどの世界も共通か……。別に、隠してるわけじゃないし、いいか。

 

「どっちともだよ」

 

「え?」

 

「は?」

 

「だから、どっちとも付き合ってる。元々俺はリサと付き合ってたけど、リサはちょっと特殊でな……。自分が愛されるのなら自分の男が他にも恋人作るの許容できる……っていうか英雄色を好む、とか言ってそれくらい甲斐性見せろとかで積極的に推してくる」

 

「え、えぇ……」

 

「で、前にミリムが俺達の街に来た時に戦ってな。どうにもその時に気に入られたらしいんだが」

 

あの後、実は俺はミリムに「どうして俺を好きになったのか」ということを聞いたことがある。だってそうだろう?ただ1度戦っただけの、それも人間の男。どうして魔王ミリム・ナーヴァが惚れる要素がある。別に顔が凄くイケメンって訳でもない。武偵高にいた時も「なんでアイツがリサさんと」とそれこそ女子から言われていたのは知っている。だからこそ気になるのだ。何故俺なんだ?と。

そうしたらミリムの返答はこうだ。

 

「さあな。本当のところはワタシにも分からないのだ。けど戦って、強い奴、面白い奴だと思って、話している内に、な……」

 

───話している内に?

 

「トキめいてしまったのだ。自分でもよく分からないのだ。けどリサがタカトに抱きついた時にワタシは確かに嫉妬したのだ。それに、お前は割と最初からワタシを女の子として扱ってくれている。他の男からそんな風に扱われたのは初めてだだ」

 

───それだけ、か?

 

「それだけで充分だったのだろう。それに今もこうしてタカトはワタシを女として扱ってくれるじゃないか。だからどんどんお前のことが好きになっていくのだぞ?」

 

───そうか。

 

「そうだ!」

 

 

 

その時のミリムの笑顔はいまだに瞼に焼き付いている。俺が思っていたより薄い理由だったと思う。けど、人が、いやたとえ魔王であっても誰かが誰かに恋をするというのは案外そんなもんなのかもしれない。

そして俺はそれに応えた。確かに外堀を埋められて、半ば強引に頷かされたと思わないでもない。けど、それでもそれは俺が出した答えなのだ。だって、俺にはリサがいるから応えられない、俺は1人しか愛せないと言えばそれで何も問題はなかったはずだ。戦うにしたって、あそこではなくもっと誰にも被害の出ない場所を選ぶくらいの猶予はあったはずだ。それでも俺はミリムの想いに応えることを選んだのだ。ミリムの、拙くて曖昧だったけど、確かにそこにあった想い。だけど俺は、ミリムに同じように恋を出来るだろうか……。

 

「……ま、それはともかく、さっさと纏めちまおうぜ。早くしないとリムル達が来ちまうよ」

 

「あ、誤魔化した」

 

「うっさいよ」

 

「へーへー」

 

「ん?来たか」

 

「あ、おーい!こっちでやすよー」

 

そんな話をしているうちに魔物の死骸は纏め終わり、ちょうどよくリムルと紫苑、ミリムにランガがやってきた。が───

 

「あ?」

 

背後から何者かの気配がする。

 

「ミリム様!!」

 

「うむ!」

 

「何者です!?」

 

紫苑がリムルをミリムに預け、刀を抜き警戒モード。俺も地面に突き刺して置いてある「天星牙」を抜き払う。

 

「いや、その人は敵じゃない」

 

が、リムルはいち早くそいつが誰か気付いたようだ。魔物を纏めた麻袋の影から現れたのはどうやらドライアドのようだ。だがトレイニーじゃあない。見たことはあるような気がするんだけどな。

 

「……私は樹妖精のトライア」

 

「覚えてるよ、ガゼル王が来た時にトレイニーさんと一緒にいた」

 

あぁ、あの時にいたのか。

 

「で、その殺気はどうした?」

 

ドライアドならまさか襲いにきたって訳じゃないだろうが、やたらと殺気を纏っているのが気になる。まさかそれで獲物狩りすぎだなんて言うつもりじゃないだろうし。

 

「ご報告申し上げます。暴風大妖渦(カリュブディス)が復活致しました。そして、かの大妖はこの地を目指しております」

 

 

 

───────────────

 

 

 

『困ったな』

 

『あぁ、非常に困ったことになった』

 

目の前では白老やリグルド、その他ゴブリンの重鎮たちがてんやわんやの大騒ぎ。そして俺と俺に抱えられたリムルは思念伝達でこっそりこの非常事態に困惑していた。そう、俺たちの思いは共通だった。

 

 

───カリュブディスって何?───

 

 

 

────────────

 

 

 

カリュブディス、暴風大妖渦(カリュブディス)

「大賢者」によると、そいつは知性も理性もなくただ破壊を繰り返す災厄級の魔物。しかも、死亡後一定期間で復活を果たす性質を持っていたために勇者により封印されていたと。

しかも肉体を持たない精神生命体とかいうものらしく、顕現には死体やらの依代となるものが必要なんだとか。何でそんなもんが復活出来たのか、そして何故こっちへ向かっているのかは不明。だがそいつを堕とさなければ俺たちの街が潰される。それだけは確定のようだ。ならやるしかねぇだろう。

 

リムルも俺と同じ意見。そしてフューズによるとカリュブディスはその能無し故に災厄級止まりらしいが、パワーだけなら天災級、つまり魔王にも匹敵する化け物らしい。そして魔王と聞いてリムルが退けるわけがない。魔王レオンをぶん殴るのがリムルの目標なのだ。その程度の相手に臆している場合じゃない。

 

「ご主人様」

 

「あぁ、行ってくるよ」

 

「はい、ご武運を」

 

「ああ」

 

そっと、リサに口付ける。俺達のいつものルーティン。戦いに出る時はなるべくこうするようにしている。こうすると俺も絶対に帰ってくるという気持ちがより強くなるからな。

 

「あぁ!?」

 

なおミリムはそれを見て「ワタシもワタシも」とキスをせがむ。まぁ、ここでミリムにはしないってのも悪いよな……。

なおその瞬間には周りの皆さんからは凄まじく刺々しい視線を頂きました。

 

で、カリュブディスを迎え撃つのはドワーフ王国へと伸びる街道。せっかく整備してくれたゲルド達には悪いが、街中でやらかすよりはマシだろう。もちろん非戦闘員は皆避難してもらっている。

 

「ヴェルドラの申し子?」

 

ドライアドからもたらされた情報によれば、カリュブディスはヴェルドラから漏れ出た魔素溜まりから発生した魔物らしい。つまり、本能的にリムルの中のヴェルドラを目指している可能性がある。また、カリュブディスはエクストラスキルである「魔力妨害」を持っていて、魔素を媒介とする攻撃はほぼ効かないらしい。さらに「超速再生」すら持ち合わせ、物理攻撃も当てた傍から回復されるらしい。……頭おかしいのでは?

しかもしかもその上で異世界から召喚した魔物、空泳巨大鮫(メガトロン)を複数従わせているんだとか。で、そいつらも「魔力妨害」を持ち合わせているらしい。アホか。

 

「ふっふっふ。何か忘れているのではないかね?」

 

「ミリム!!」

 

リサにやったのはあれはお見送りのキスだったのに、何故か着いてきてしまったミリム。まぁミリムなら戦闘に巻き込まれようと足手まといにはならないからマシなんだけど。ていうか戦ってくれるならこれ以上の戦力はない。

 

「デカいだけの魚などワタシの敵ではない」

 

だろうな。けど、俺は───

 

「そのような訳には参りません。ミリム様」

 

と、その魅惑の誘いをお断りする紫苑と朱菜。彼女ら的には俺たちの街の問題であって、何でもかんでもミリムには頼れないんだとか。本当に困ったら相談しますとは言っているが、リムルは本当に思案顔してますよ……?ま、ミリムに頼らないってのは俺も同意見だがな。

 

なおミリムも「そっか……」としょんぼりしながらチラリとこっちへ助け舟を求めてくる。

 

「……あー、まぁ今回は俺もいるから大丈夫だろ。それになミリム。……俺は自分の女はなるべく守りたい質なんだよ。だから今回は俺に守られてくれ」

 

「うぅ……」

 

最後に小声で付け足し「な、リムル」とリムルの肩を叩けば、リムルも半ばやけクソで「俺を信じろ」と胸を張る。

 

「……来たぜ」

 

その直後に感じた気配に俺とリムルが一斉に顔を上げる。すると、空の彼方から黒い影が数十個。おでましだぜ、カリュブディスとメガトロンとやらがな。

 

「腹括るしかないな」

 

「ミリムじゃないけどな。デカい魚なんぞ3枚に下ろして終わりにしてやるよ」

 

カリュブディスと奴が従えるデカい鮫が30匹程。

 

 

───さぁ、開戦だ。

 

 

 

────────────

 

 

 

───ボオッ!!

 

 

開戦の狼煙は紅丸から。

紅丸の放った黒炎獄がカリュブディスを中心にお供ごと焼き尽くす。

だが堕ちてきたのはメガトロンとかいうでかい鮫が1匹だけ。そもそも、あの技はまともに喰らえば炭化すら許さずその結界内のモノを消滅させるような火力の技だ。それを食らってなお焼け焦げただけの時点で「魔力妨害」ってのがどれだけ厄介かはすぐに把握出来る。しかも、本命のカリュブディスはもはや痛みすら感じていないようだ。

 

 

──グギョオオオオオオッッッ!!──

 

 

カリュブディスが吠える。耳を塞ぎたくなるその高音に呼応するように、メガトロン達が一斉にこちらに向かって飛び掛ってきた。コイツら、どうやって飛んでんだ?翼もなく推進力も無いのに飛べるもんかね。まあ、それはそれ。細かいことは後でリムルが調べるだろう。俺のやることなんてただ1つ、つまり───

 

──目の前の敵を切り裂く──

 

俺に向かってきた1匹に対し、俺は「天星牙」を抜き放つ。そしてメガトロンとすれ違うようにその刃を叩きつける。「天星牙」の斬れ味は流石のもので、メガトロンの硬い鱗と分厚い肉とをメガトロン自身の重さと速度によって容易く切り裂く。

 

流石に顎から頬を切り裂かれた程度では死なないらしいが、これで終わりだ。

 

俺はメガトロンの頭部へ跳び上がると、そのまま「天星牙」を叩きつける。そして刃を食い込ませたところでその刀身から魔素を放出。脳ミソまで破壊する。それにより流石に完全に沈黙するメガトロン。俺は学校のプール位はありそうなその巨体を左腕で「捕食」。少し時間が掛かったが丸呑みにした。さて、コイツは後でじっくり解析だな。

 

「先に空泳巨大鮫を片付ける!各隊引き付けて各個撃破しろ!」

 

と、リムルの命令を受けたらしい紅丸からの指示。見るとカリュブディスには動きはなく、あくまでメガトロンに俺達を相手取らせる腹のようだ。知能は無いって触れ込みだったんだが、これも習性とかなのかねぇ。

 

俺は、ちょうど目の合ったっぽいメガトロンの周囲に魔法陣を展開。「水氷大魔裂破」による氷の槍で滅多刺しにしていく。しかし、どうにも魔法のキレが悪い。魔法陣の維持も何やら揺らいでいるし、なるほどね。これが「魔力妨害」ってやつか。

 

「……2匹目」

 

されど俺は物量で押し込み、魔氷の槍を100程打ち込んだ辺りでメガトロンは墜落していく。そいつを氷の足場を伝って頭をかち割り確実に息の根を止めておく。

 

……気になるのは、何故ヴェルドラすら封印し続けられた勇者の封印を破ってコイツが出てこれたのか、だ。俺の見立てでは恐らく第三者が封印を解き、コイツを解放したんだと思っている。だがそれが誰かまでは流石に分からない。オークロードとの戦いを見ていた他の魔王、クレイマンとフレイとか言ったか。アイツらのどちらか、もしくは両方が結託している可能性はある。また、そいつらじゃななくとも少なくともカリュブディスを解き放った奴はこの戦いを見ているだろう。ならば俺はあくまで白焔の聖痕に頼らず、かつ強化の聖痕にもあまり頼らずに戦い抜いた方が良いだろう。もちろんアラガミの力もあまり使いたくはない。さっきは「捕食者」を使うために左腕を使ったが、もうあれは使わない方が良い。

 

そうしている間にさらに数匹のメガトロンがゲルドとガビルのタッグや蒼影ら鬼人組の活躍によって撃墜されていく。

 

 

残り22匹───

 

 

さらに俺の元へ1匹のメガトロンがやってくる。

なら試してみようか、俺の大技を───

 

 

───絶対零度(アブソリュート・ゼロ)───

 

 

ありったけの魔素を練り上げて生み出した氷の元素魔法による絶対零度の世界。その中ではあらゆる物質の分子運動は停止に近付く。たとえ「魔力妨害」とかいうスキルで魔素の動きを乱されようが、それすら上回る魔素量とコントロール、密度で押し潰すだけだ。

 

コイツらには確かに魔法は効き辛い。けどな、無効にしてるわけじゃねぇのは紅丸の先制攻撃で分かってんだよっ!

 

 

──ドオォォォン──

 

 

と、メガトロンが氷漬けにされて地に落ちる。

 

「天人!!」

 

リムルの叫び声が聞こえる。

安心しろよ、何の問題もねぇから。

 

俺は振り向き様に天星牙を振り抜く。その切っ先からは圧縮された魔素が斬撃となって飛び出した。やってることは鎧牙に積まれてた黒覇と同じだ。だが単純故に扱いやすく火力も出る。

 

俺が凍らせたメガトロンのさらに背後から別のメガトロンが突進してきたのだ。だが来るのは分かっていた。だから俺も誘わせてもらったんだよ。

 

──裂空天衝──

 

これは、天星牙に込めた魔素を斬撃として飛ばす技。この機能こそ俺が求めた力。もちろん、それだけに留まるわけじゃねぇがミリム以外には初お披露目になるな。

 

圧倒的な密度の魔素の刃を受けて、「魔力妨害」を備えたメガトロンを真っ二つに引き裂く。その間にも少しずつメガトロンは減っていき、これで残り15匹。

 

俺は空を見上げると天星牙から魔素を放出。それもさっきのように斬撃として飛ばすのではなく、推進力として地面へ向けて放出。それにより俺は空へと跳び上がる。さらに狙いを定めたメガトロンの頭上まで高度を上げると今度は刃に魔素を溜めながら足元に氷の足場を作り、それを蹴ってメガトロンへ向かう。

 

そしてすれ違いざまに一閃。

魔素によりリーチの伸びた天星牙の一撃でメガトロンの首を落とす。

 

「ゴアァッ!!」

 

と、俺を囲み食い千切ろうと突撃してくるメガトロン達が4匹程。考えたつもりかもしれねぇけどな……。

 

 

──水氷大魔裂破──

 

 

俺の周囲に20程の魔法陣を展開。そこからありったけの氷の槍を射出。喉や眼球、果ては頭蓋までも貫く魔槍。さらに自然落下している俺はすぐにメガトロン達の腹へともう一度10の魔法陣から「水氷大魔裂破」を叩き込む。目や頭や内蔵を貫かれて俺と共に地面に落ちていくメガトロン達。けれど俺は寸前で氷の足場を展開。地面に降りることなくメガトロン共を見送る。残り数匹。鬼人だけじゃない、ゲルドやガビル達も獅子奮迅の活躍だ。さて、じゃあ俺も魅せてやりますかね。

 

俺がこの戦闘で見せて良いのは最初の捕食に加え、氷の元素魔法と天星牙の通常機能。それと、それらの合わせ技まで。つまり、あと1枚まで俺は伏せたカードを切ることができる、というのが俺が「カリュブディスをけしかけた奴がいて、そいつが見ている」前提で自分に課した制限だ。

そしてその最後のカード、元素魔法と天星牙の合わせ技、拝ませてやるよ。

 

「ミリム!!」

 

空でリムルと一緒に戦況を見つめているミリムに声を掛ける。

 

「何だ?」

 

「俺からお前に華をプレゼントしてやる!」

 

「おぉ!それは楽しみなのだ!」

 

「よく見てろ!!」

 

 

──さぁジャンヌ、お前の技、借りさせてもらうぜ──

 

 

俺は、天星牙に魔法陣を展開。そのまま氷の足場を作りながらメガトロンへ向かっていく。向こうも俺に狙いを定めて突撃してくる。

 

「これが!俺がお前に贈る氷の華だ!!」

 

 

──オルレアンの氷華!!──

 

 

振り切られた天星牙から溢れ出る魔力の奔流。それは魔氷となりメガトロンを貫く。そして腹から背中側へと突き抜けた氷の槍は、その穂先から大輪の華を咲かせる。

元はイ・ウーの参謀役であったジャンヌ・ダルク30世の必殺技。それを俺が元素魔法と聖痕と統合させた魔素により大規模に再現したものだ。

巨大な氷の華を咲かせ、敵を貫く。別に華なんて咲かせなくても良いのだけど、そこはそれ。必殺技感を大事にした。あとは理子的に言えば原作再現ってやつだ。理子曰く、これが大事らしい。

 

「凄い!凄いのだ!!」

 

と、巨大な氷花にミリムも大喜びの様子。

そして、同時に他のメガトロンも狩り尽くしたようで、空に浮く巨大な影は残り1つ。さて、残るはお前だけだぜ。カリュブディス。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ギギ……キィィ……

 

最後のメガトロンを倒されたカリュブディスから高音域のやたら耳障りな音が響く……。

ようやくカリュブディス様直々に動き出すってことか?

 

「来るぞ……」

 

ギギギ……ギギ……キイィィィ……

 

 

──パッ──

 

 

それは鱗なのだろうか、カリュブディスの身体から放たれた無数の刃のようなものが俺達を切り裂こうと迫ってくる。

 

「地上は任せろ!」

 

「おう!」

 

リムルは空へ、俺は地上で、それぞれカリュブディスから放たれたそれを迎え撃つ。

俺は頭上5m程の位置に大量かつ大型の魔法陣を複層展開。

 

 

──水氷大魔防壁(アイシクル・スヒルトゥ)──

 

 

ガガガガガッ──

 

俺の作りだした氷の壁に鱗が激突していく。それにより氷の壁は多少削れるが、問題はなさそうだ。

 

「かたじけない」

 

「こ、これ大丈夫でありますか!?」

 

「あ?今は仲間だろ。気にすんな」

 

地上のガビルやハイオーク達、それからゴブリンライダー部隊を守るように壁を展開していく。

そして、空中ではリムルの新技がお披露目されているようだ。一瞬にして無数の鱗の刃を消し去る大技。そして、そのままカリュブディスに張り付き、捕食を試みるリムル。だが流石に本体の捕食は難しかったようで、弾かれてしまった。さらに目からビームを放つカリュブディス。

 

「全員持てる手段を尽くしてカリュブディスを攻撃しろ!効きが悪くても構うな。奴に回復する隙を与えるな!!」

 

そのビームをリムルが躱したところで紅丸から号令。とにかく一斉攻撃とのこと。

その声に合わせ

朱菜やドライアドらが魔法での負傷者治療に回り、攻撃部隊はひたすら攻撃に転じる。さらにドワーフのペガサスナイツも応援に来てくれた。

 

「水氷大魔豪槍雨!!」

 

カリュブディスの頭上にその全身を覆うほどの魔法陣を展開、氷の槍をその巨体に叩きつける。

が、それに如何程の効果があったのか。引き裂いたその肉体は壊した傍からスキルの効果によってか回復していく。さらに、放って消費したと思っていた鱗も「超速再生」によって復元されつつあった。まったくもってキリがない。、

 

カリュブディスは精神生命体と言っていた。その「精神生命体」ってのが具体的には何なのかよく分からないが、俺の白焔の聖痕でなら消し去れるかもしれないだろう。

ただ、この戦闘は恐らく魔王の誰かに監視されている。その中で異世界の力であり切り札でもあるカードの1枚を、それも俺がこの世界で最も決定力があると思っているそれを見せてしまうのは憚られた。それにより、俺の戦略はかなり制限されている。それによりカリュブディスの持つ「超速再生」に対して決定打の欠けた俺達の戦いはそこから8時間にも及んだ。

 

「で、大見え切った割にこれだよ。どうする?」

 

リムルとミリムは自力で空に浮き、俺は氷の足場に立つ。「大賢者」のない俺はメガトロンの解析には至らずメガトロンが翼もなく空を移動できていた理由を得られずにいたからだ。

 

「どうするったってなぁ……」

 

皆の消耗が激しい。

魔素もそうだがリムルの腹にある回復薬もそろそろ底を尽きそうだという話だ。

高出力のビームに定期的に放たれる鱗の散弾。さらに強烈な「魔力妨害」と「超速再生」により、俺達はジリ貧の様相を呈している。

一応、それなりには削れてきているが、俺とリムルはともかく他が保たないだろう。

 

「天人、前にミリムとやった時の───」

 

「あれはダメだ。おそらくこの戦いはどっかの魔王に監視されている。あのカードは切れない」

 

「けどこのままじゃ……」

 

そんなことは分かってはいるんだけどな。どうしてもって時になったら次はアラガミの方を解禁するしかなさそうだ。

 

「……リム」

 

「ん?」

 

「ミリム……」

 

「お……の、れ……」

 

「ミリ、ムめ……」

 

途切れ途切れではあるが、確実にカリュブディスが言葉を発した。コイツ、知能なんてものは無いっていう話だったが……。

 

「ふむ。この感じには覚えがあるのだ」

 

と、ミリムが俺の背中からカリュブディスを覗き込む。どうやらミリムアイとやらでその深層を見抜いているようだ。

 

「確かフォビオとかいう魔人だ」

 

フォビオ?あぁ、魔王カリオンの配下だったあのガラと態度の悪い三下魔人か。「大賢者」の見立てでは紅丸よりは強そうだという話だったが、第一印象からしてミリムに瞬殺されたり、その割に態度がデカかったりで強そうには見えなかったんだよなぁ……。

 

ん?ていうことはもしかして……。

リムルと顔を見合わせる。どうやらリムルも俺と同じ考えに至っていたらしい。

 

「なぁなぁ」

 

と、ミリムが上から俺の顔を覗き込む。

 

「あー、ありゃあお前の客だな……」

 

「あぁ」

 

ニンマリ、と笑みを浮かべるミリム。今まで余程暇だったらしい。

リムルが全員に退避命令を出す。ドワーフからの応援組は「まだやれる」と息巻いていたが巻き込まれるから退いてくれと押し切る。

 

「ミリム、こっちの退避は終わった。あとはやっていいぞ」

 

「うむ!」

 

カリュブディスの周囲を撹乱するように飛び回るミリム。俺とリムルはミリムの攻撃の余波から皆を守れる位置に着く。

また、リムルからミリムへはカリュブディスだけ吹っ飛ばしてフォビオは残しておいてほしいとお願いが出ていて、ミリムはこれを快諾。どうやら手加減してくれるらしい。

 

「これが、手加減というものだ」

 

 

──竜星拡散爆──

 

 

前に俺とやった時よりもやや出力の低い竜星拡散爆がカリュブディスに向けて放たれる。それでもフォビオごといったかな?と思わずにはいられない辺りが流石の魔王ミリムなのだが。

すると、土煙の向こうで地面に落ちていく人影があった。おそらくフォビオだろう。リムルもそれを見つけると即座に飛び込み、それをキャッチ。

 

空からこっちにピースをしてきたので俺達も同じように返す。

 

「で、どうすんだ、そいつ?」

 

落ちてきたフォビオは気を失っていた。しかしその胸にはグロテスクな心臓のような物が脈打っていた。おそらくこれがカリュブディスなのだろう。たが聞いた話じゃカリュブディスは放っておけばまた復活するらしい。そうしたら元の木阿弥だ。

 

「「変質者」で分離させた傍から「暴食者」で喰らい尽くす」

 

なるほどね。そういや「変質者」は統合以外に分離の能力もあったな。俺は今までそっちは使ったことがないからこの瞬間まで忘れてたが。

 

 

 

────────────

 

 

 

「スマン!いや、すみませんでした!!」

 

潔いフォビオの土下座。

結局リムルの手術は成功。リムルはカリュブディスを喰らい、フォビオは一命を取りとめ、俺達の街は一時の安寧を取り戻した。

 

「今回のことは俺の一存でしたこと。カリオン様は関係無い。だからどうか俺の命1つで……」

 

いやいや、それじゃあ何のために助けたのか分からなくなるでしょ。

 

「それより質問に答えてくれ。……トレイニーさん」

 

「はい」

 

リムルに呼ばれ、トレイニーが前へ出る。そう、俺達は色々聞かなきゃならないことがある。というか、コイツのこの態度からすると、全部聞いたら殺す、なんてことにはならなさそうだ。

 

「貴方はなぜ暴風大妖渦の封印された場所を知っていたのですか?あそこは封印した勇者とそれを託された樹妖精以外には知らないはず。偶然見つけた、とはいきません」

 

……ということは何らかの秘匿術のようなものも働いていたはずなのか。そしてそれを見破り封印を解いた奴がいる。

 

「……教えられた」

 

と、フォビオは頭すら上げずに答える。

 

「仮面を被った2人組の道化だった……」

 

道化、ピエロ……?

 

「それはもしや、こんな仮面でしたか?」

 

と、トレイニーは地面に自分が心当たりのあるらしい仮面を書いていく。

 

「いや、俺の前に現れたのは涙目の仮面の女と怒った仮面の太った男だった……」

 

「……っ!太った仮面の男だと……」

 

と、そこで紅丸が反応する。そう言えば、オーガの里を襲ったオーク共は魔人に率いられていたとか言ってたな。へぇ、結構な暗躍っぷりじゃないの。

 

「怒った仮面の太った男……。確かゲルミュッドの使者でフットマンとか名乗っていました。中庸何とかとかいう組織の者だとか」

 

「中庸道化連だ。奴らは何でも屋だと言っていた」

 

何でも屋、ねぇ。その単語は一応武偵の身である俺としては気になるな。

 

「そのトレイニー殿の描いた仮面、見覚えがありますぞ。ゲルミュッドの使者でラプラスと名乗っておりました。確か……」

 

と、今度はガビルからの目撃情報。そして、トレイニーの書いた仮面に何やら書き足してゆく。

 

「こんな感じの頭巾を被っていました。」

 

仮面の上に頭巾ってまた珍妙な……。

各々因縁のある相手の名前を刻んでいると、ミリムもそれを覗き込んで思案顔。どうやらオークロードの計画はゲルミュッドの持ち込みらしいが、こんなピエロ共は知らないらしい。もしかするとクレイマンとか言う魔王の采配かもだとか。奴はそういう悪巧みが大好きらしい。

 

「じゃあ次は俺からだな。……フォビオ、あんたは何て言われてこいつらの話に乗ったんだ?」

 

「それは……」

 

「この力を制御できればミリムへやり返せる、とかか」

 

「うっ……」

 

なるほど、図星らしい。

 

「貴方ならカリュブディスも操れる。けどあまり時間が無い、俺がやらないなら他に当たるとも言っていた」

 

「そりゃ典型的な詐欺師のやり口だな……。じゃあミリム」

 

「ん?」

 

「もしカリュブディスがお前を狙わなかったとして、つまり魔国連邦に来ないで普通に暴れ回ったら1番困るのは誰だ?」

 

本来、わざわざフォビオを依り代にする意味が無いのだ。「大賢者」曰く、依り代は死体でも良いと言っていた。つまり必要なのは肉。依り代にフォビオを選ぶというならそれなりに理由がいるのだ。それも、恐らくミリムへの復讐では無い別の理由。

 

「んー、困るとしたらフレイだな。アイツは魔王の中でも空を支配しているからな。それに、フレイではカリュブディスを完全に封じ込めるのは難しいだろうな」

 

フレイ……。クレイマンと共に俺達とオークロードの戦いを覗き見ていた奴か。

 

「マッチポンプ……」

 

「どういうことだ、天人」

 

「並大抵の奴じゃカリュブディスの封印されてる場所を見つけることも、ましてやそれを解くなんてこと出来ない。けど魔王なら?そういう奴らなら可能かもしれない」

 

「それは……」

 

「そして魔王は何か魔王同士の約束事をする時は提案者と他2人の賛同がいるんだったな」

 

「うむ。そうでなければ拘束力はないのだ」

 

「つまり、カリュブディスをこっそり復活させたクレイマン一行はフレイにこう持ちかける「私の策略で、封印の解けたカリュブディスを再び封じましょう」と。そうすれば奴は大きな1票を手に入れられる」

 

「そしてフォビオを選んだのか」

 

「そうだ。魔王ならミリムが魔国連邦にいること、フォビオとミリムの因縁。そしてミリムならカリュブディスも瞬殺出来るくらいは把握していたはずだ。というか、把握していたのはフォビオから言質を取ってるわけだしな」

 

「つまりアイツらは俺とカリュブディスを倒させるつもりで……」

 

「恐らくな。……というのが俺の推理だ。ま、聞いた話を纏めただけだから証拠出せとか言われても無いからな」

 

そもそも肝心寛容なクレイマンとピエロ共の繋がりが既にミリムの予想だけが頼りなのだ。確証とか言われても困る。

それに、俺は元々推理は苦手なんだ。そういうのは探偵科辺りに任せっきりだったから。武偵とは言え、俺は専ら"武"専門なのだ。

 

「ま、それは保留にするとして……。今は変な仮面の奴らに気を付けるってことで。とりあえず今日はお開きだ!皆ゆっくり身体を休めてくれ」

 

リムルの一声で皆一斉に武器やらを放り出す。

あーあ、最初からミリム狙いだって分かってればこんな苦労しなくて済んだんだけどな。

 

「じゃ、そういうことで。フォビオも気をつけて帰れよ」

 

「はっ!?いやいや、俺は許されないだろ!?」

 

「あ?いいんだよお前は。利用されてただけみたいだし、ダッセー利用のされ方も白状しもらったんで、それでチャラだ。な、カリオン様」

 

「……何だよ、バレてたのか」

 

俺が呼びかけると奥の茂みからカリオンが出てくる。ま、カリオンとか顔初めて見たけど雰囲気で分かるもんなんだな。

 

「まぁ見てるの気付いたのはリムルが手術始めた辺りからだけどな。何となくミリムが誰かがいるのに気付いてたっぽいから探してみたんだよ」

 

「うむ!ワタシは最初から気付いていたぞ」

 

「はっ。まぁいいや。そいつを殺さないでくれてありがとな」

 

「アンタが魔王カリオンか。……わざわざ出向いてくるとはな」

 

スライムの姿に戻り紫苑の腕の中に戻ったリムル。

 

「俺はリムル=テンペスト。この森の魔物達で作った魔国連邦の盟主だ」

 

それを聞いたカリオンはズイっとリムルを睨め付ける。だがリムルがあまりオーラを隠していないからか、オークロードを喰ったことはもろ分かりのようだ。だがそれに対し「何が悪いのか」とリムルも人型になりながら返す。しかし、最近リムルも強がるのが板に付いてきたな。

 

が、どうにもカリオンはその胆力が気に入ったらしい。今回の件は自分の監督不行届で許せとのこと。まぁこちらとしてもこの件はそこまで突っ込む気はないのだが。また、この件は1つ貸しにしてくれるとのこと。それをリムルは早速使い、カリオンの治める獣王国と不可侵協定をその場で結んだ。しかしこのカリオンとかいう男も中々に豪胆な奴だ。お互いに戦いません、程度とはいえ国の方針をその場で決めてしまうんだからな。俺がいた日本でそれやったら次の日には非難轟々だと思うよ。

で、俺らがその器のデカさというか胆力に感心していると───

 

 

───ドガァァァァン!!───

 

 

と、凄まじい音が鳴り響いた。

どうやらフォビオがカリオンにぶん殴られたようだ。そしてカリオンは自分でぶっ飛ばして気絶させたフォビオを担ぎ、のっしのっしと帰ろうとしている。いや、フォビオさん血塗れっすよ?まぁ、生きてはいそうだが、体育会系と言うかなんというか。こう、野性味あるし蘭豹を思い出すな。あの素手でコンクリートのプールを叩き壊しバスを横転させる化け物。

 

「後日使者を送る。今度は礼節は守らせるさ。また会おう、リムル」

 

と、カリオンは流石に徒歩ではなく魔法か何かで転移して行く。

こうして俺達の街を盛大に巻き込んだカリュブディス襲撃事件は幕を下ろしたのだった。

 

 

 

────────────

 

 

 

「そう言えば天人」

 

「なんだ?」

 

「お前ってあんなに色々考えられたんだな。もっとバトル一直線の脳筋だと思ってた」

 

「うむ。ワタシも思ったのだ。意外と頭も使えるのだな」

 

「お前達は俺を何だと思っていたんだ!?」

 

そもそも、リムルも含めてお前ら魔物勢が全員直情的だから俺が無い頭捻って苦手な推理しなきゃいけないんだよ!

だがその場の全員が「何を言わんや」というような雰囲気でケタケタ笑いだしたので俺はその言葉を飲み込まざるを得ない。

 

「あぁもう!帰る!!」

 



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交流、交渉、国交

 

結局ミリムに武器を作ってあげたり(ただし武器と言っても加減がやりやすくなるような攻撃力減退の物。それでいいのか……)フォビオが今度はやらた丁寧な物腰で使者としてやってきたり、色々あるにはあるが魔国連邦は数日で落ち着きを取り戻した。

 

その日は俺とリムルがミリムと共に戦闘訓練を行っていた。ミリムは最近貰ったお気に入りの武具を身に着け、俺は聖痕は開けずに、リムルは流石に「暴食者」等は使わずに主に魔法と剣で戦う。そういう訓練。が、基本的に皆さん実践重視の超脳筋達なので流石に立ち回りでは俺が優勢でミリムは持ち前のパワーでゴリ押す……かと思いきやミリムは案外そこら辺もしっかりしていて、結局はリムルの1人負けっていうパターンが続いていた。

 

そしてミリムはことある事に俺らを魔王へと勧誘してくるのだが、確か魔王って勇者と同じで変な因果が着いて回るとか言ってませんでした?あんまりなりたくはないなぁ……。

 

で、話はミリムが何故魔王になったのか。なのだが本人曰く何かムシャクシャしたことがあった気はするが覚えていないと言う。最古の魔王とか何とか言われてたミリムの事だ。俺達が想像もつかないくらい永い時の中を生きてきたんだろう。

 

そんな風に模擬戦したり昔話に花を咲かせたり時折見せるミリムの貌に少し胸が高鳴ったり、リサと連れ立って街を歩いたりと過ごす日々が数日続いた。

 

いまだに元の世界へ帰る目処は立たない。というか、俺もここでの生活に慣れすぎている気がする。帰る、という最初の目的を忘れかけるほどに。だがそんな折、ミリムが魔王の仕事だとか言って唐突に帰ることになった。どうやら他の魔王に会いに行くらしい。他の奴らにもここには手出しするなと言ってくれるのだとか。

 

「随分いきなりだな」

 

「うむ。まぁどうせすぐに帰ってくるのだ」

 

「それより───」

 

「ん?」

 

「いや、なんでもないのだ。タカト、ちょっと……」

 

「ん?」

 

つつっとミリムが顔を寄せてくるので俺も視線を合わせようとする。

 

「んっ」

 

と、俺の唇にミリムの柔らかなそれが触れる。

だがそれも一瞬のこと。すぐにミリムは俺から顔を離す。

 

「タカト、ワタシはお前を愛している」

 

「あぁ」

 

「では行ってくる」

 

そのまますぐにミリムは空へと飛んでいく。瞬く間に視界からミリムがいなくなる。結局俺はついぞミリムに「愛している」の一言が言えなかったな。あの瞬間のミリムの顔が残像のようにチラつく。俺はそれを振り払うように頭を振って幻影を追い出す。

 

来た時も唐突だったが帰る時も唐突だったな。すぐに帰ってくるとは言っていたが、ふと胸に寂しさが去来するのを感じる。

 

「俺も意外と───」

 

「ん?どうした?」

 

「なんでもねぇよ」

 

そっか、とリムルも俺の答えを流す。そう、なんでもないのだ。これは俺の問題。俺が抱えて俺が答えを出さなきゃいけない問題だからな。

 

 

 

────────────

 

 

 

魔国連邦はユーラザニアへと使節団を送ることになった。もちろん向こうからも送られてくるので交換というやつだ。で、こっちから送るのは幹部候補のゴブリン数名とその取りまとめ役がリグル、また使節団長には紅丸が指名された。俺は人間だし性格があまりにバトル向き過ぎるので駄目らしい。ま、頼まれても行かないけど。そういう場には俺は似合わんだろ。得意でもないしな。なのでこの選出には比較的好意的である。

 

そして出立の日、リムルのなんか微妙に締まらない挨拶でも魔物達のテンションは結構上がる。何だかんだで信頼されてる王様なのがこのスライムなのだ。

 

で、残った俺達は街の掃除やら出迎えの支度やらでてんやわんや。俺は主に体力仕事。リサは食事や給仕関連に携わっている。スーパーメイドの本領発揮と息巻いていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

数日後、街の入口で待つ俺らの前にユーラザニアの使節団が到着した。

馬車を引くのは馬ではなく大きな虎。まぁウチらも牙狼族が引いていたからおあいこかな。

 

「お初にお目にかかります。ジュラの大森林の盟主殿」

 

馬車ならぬ虎車から降りてきたのは槍を携えた長身の美女。胸元ぱっくりの大胆衣装に身を包んだそいつは「黄蛇角のアルビス」と名乗った。そしてもう1人、「スライムとかいう雑魚が盟主とかふざけんな」的なことを言いながら現れたのは何となく虎っぽい雰囲気で気の強そうな女。アルビスからはスフィアと呼ばれていた。ちなみにスフィア基準では人間は矮小で小賢しくて卑怯らしい。随分な物言いだ。イキってた時のフォビオかよ。

 

が、どうにもコイツらいちいち雰囲気が演技臭い。何となく言葉の節々や顔から茶番の雰囲気を感じているとリムルも向こうに合わせてやや喧嘩腰。こっちは分かってんのか分かってないのかよく分からん。スライムだから表情よく見えないし。

 

だがここで真に受けちゃうのが我らが脳筋短気の権化たる紫苑。

そして何故かヨウムまで巻き込まれてそれぞれ紫苑がスフィアと、ヨウムは虎車を操っていたグルージスとかいう名前らしい男と戦う羽目になる。

 

「ふわぁ……」

 

もうなんかスフィアとアルビスから茶番の匂いがプンプン漂ってきた俺は欠伸を1つ。

結局白熱してきたスフィアと紫苑の戦いにアルビスが割って入り仲裁。グルージスもそれを見てちゃっちゃと矛を収めた。

ちなみにガチギレしてた紫苑さんはガチの魔力弾を放とうとしていたのが中断されたのはいいんだが、それを収めることが出来ずに結局リムルの「暴食者」で辺り一面が更地になるのを防ぐ羽目になった。

 

で、ノリなのかそうでないのか分からなかったリムルは本人曰く、乗っただけらしい。それも含めてリムルの印象ははわりと良いものになったみたいだな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

また新たに建て直し、「平安貴族のお家かな?」となりそうな豪奢なリムル邸にてユーラザニアの使節団を迎える宴をしているのだが、やたらとお酒のウケが良い。特に蛇の姉ちゃんは樽ごと抱え込んでガブ飲みしている。……蛇にお酒って縁起悪くない?大丈夫?首切り落とされない?

だがここは日本神話なんて無い異世界。蛇にお酒も大丈夫なようだ。虎の化身らしいスフィアも虎モードでぺろぺろ酒を飲んでいる。人前でそれはどうなのとも思うが特に見せてはいけない姿ではないらしい。なお、油断しすぎで恥ずかしいとは配下の弁。

 

俺は基本的に酒を飲まない……というか未成年です。多分。いや、違うかも。まぁどっちにしろ"武偵は常在戦場"。酔拳の使い手でもないし、俺は隅っこで食い物だけつつきながらその宴会を眺めていることにしていた。とは言っても、体裁上最初少し飲んだ"フリ"はした。俺の持つ「捕食者」というスキル、これ別に神機の捕食形態じゃなくても使えるのだ。別になんてことはない、ただ普通に飲み食いしても「捕食者」の機能は使えるのでそれで酒を飲んだフリをして実際は「捕食者」の方へアルコールを丸投げしたというわけだ。

 

「くわぁ……」

 

つまらん話ばかりだが食べ物で腹は脹れた。だんだん眠くなってきたところで、気付いたらコボルド族とかいう二足歩行の犬みたいな見た目の種族の魔物さんが呼ばれていた。確かコビーという名前の奴だ。彼は商人の代表らしく、リムルが名付けた訳ではないがこの街の商人の詰所で働いている。リサも会話に加わらせて、サポートをさせることにした。何やら商談に入るらしいからな。中身は多分こっちで作れる蒸留酒とその素材の果物関連だろう。魔国連邦は森はあるが果実は恵みに頼っているだけで栽培もしていないしな。リムルだけじゃなく、リサも流石に果物の栽培の仕方は詳しくないし。

 

「寝よ」

 

今ここで俺に出来ることは無い。魔国連邦が国としてある程度独り立ちした今、この国がやるべきは他国との関係性の強化である以上、戦うしか脳のない俺のような奴の出番はそうそうないだろう。足掛かりは出来た。あとはあの世界に戻る道筋を探す方に力を入れたい。

俺はリムル達に気取られないように寝床へと向かい、頭から布団を被るのであった。

 

 

 

────────────

 

 

 

「ツッコミ不足だ」

 

「どうしました?ご主人様」

 

とある日の昼下がり。

ユーラザニアの連中が帰った後、今度はリムルが朱菜と紫苑を連れてガゼル王の収めるドワルゴンへと向かっていった。随分と国らしくなってきた魔国連邦ではあるが、おかげで俺のような奴の出番も自ずと減ってきた。

が、それはそれとして、基本的に俺のツッコミ担当だったリムル(含む大賢者)に紫苑、朱菜がまとめてお出掛け中の今、俺は深刻なツッコミ不足に陥っていた。リサはツッコミ向かないし、ミリムもいない。蒼影はそこら辺微妙に冷たいし紅丸と白老もツッコミは得意ではないのだ。

 

「暇」

 

「平和で素晴らしいですね、モーイです」

 

うだぁ……とリサの膝の上で悶える。イ・ウーや武偵高にいた時はジャンヌとキンジ、アリア辺りがツッコミ担当だったなぁ、と昔を思い出す。キンジはあれで意外とツッコミにキレがあって面白いし、アリアはボケさえ間違えなければそこそこの切れ味あるツッコミをくれる。ただし地雷を踏むとハリセンどころかガバメント(大口径拳銃)が火を噴くので要注意。まぁキンジじゃないので俺がやらかすことはほぼ無かったが。ちなみにジャンヌは自分がかなりの天然さんというのを把握しておらず、ツッコんだつもりが実は盛大にボケを重ねている時がまぁまぁある。あれはあれで面白いので結構好きなのだが、どちらにせよ今は会えない人間達だ。

 

「……リサがいてくれて良かった」

 

「ふふっ、ありがとうございます」

 

「いなかったら今頃俺は死んでいる」

 

「そんなことはないと思いますよ?」

 

「いいか?ウサギは寂しいと死んでしまうんだぞ」

 

「ご主人様はウサギだったのですか?」

 

「もうそれでいい……」

 

「甘えん坊なウサギさんですねー」

 

もはや脈絡も何もあったもんじゃない気の抜けまくった会話。常在戦場はどこへ行ったんだ?と自分に問いかけないでもないが、俺の頭を撫でるリサの手の心地良さにそんなものはどこかへ吹っ飛んでいった。そしてこういう時にやってくるのは眠気と相場が決まっているのだろう。

俺の元にも例に漏れずそいつはやって来た。そしてもちろん俺は眠気に身を任せ意識を彼方へ放り投げるのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「───という訳で」

 

どういう訳か知らんがリムルがドワルゴンから帰ってきて数日後、魔国連邦の主だった連中が会議室に集められた。で、リムルさん今度は何を仰るのですか?え?人間の国へ行く?俺も行きます。ちなみにランガと蒼影の分身体がこっそり護衛に着くとのこと。あとリサ。リサを連れて行くのは俺の使命だ。急に元の世界へ帰ることになってもリサがいないんじゃ話にならないからな。

それに、リムルは案内役もとある奴らに頼んでいるらしい。今はゴブタが迎えに行っているとか。まぁこいつの人脈からすると案内役の人間はあの3人なわけだが。

と、そんな風に思案を巡らせていると影からゴブタがニュっと現れた。「大船に乗ったつもりで任せてほしい」とのこと。ちなみに紫苑は話を聞いていないので「何なら私が着いて行きます」とか言い出した。……さっき朱菜が言ってたでしょ、人間の国へ魔物が大勢で押しかけたら警戒されるって。だから人間の案内役に人間の姿になったリムルと一応人間の俺とリサだけが行くって。蒼影とランガだって人前に姿を現すわけじゃないからな。

 

「あ、天人」

 

「あん?」

 

「行く前にちょっとリサを借りるぞ」

 

「どうした?」

 

「今回の旅で商談もしようと思ってるからな。得意なんだろ?」

 

「あぁ、そっちの戦いならリサは人類最強だ」

 

「じゃあよろしくな、リサ」

 

「はい。承知致しました」

 

実際のところ、リサの得意技は値切りではあるのだが、その根底は相手の足元を見ることにある。こういうと意地が悪いように取られるが、要は頭が良くて洞察力や観察力に優れ、話術も得意なのだ。ちなみに核弾頭を7割引で買ってきた時は物を売れたはずの商人の方が泣いていた。それを見ていた俺は笑い泣きした。もちろん経理の分野にも秀でているからリムルが売りたい物を高値で売るのもそう問題ないはずだ。

 

「じゃあ俺は旅支度してくるから」

 

「おう、多分明日の朝には出られると思う」

 

「あいよ」

 

 

 

────────────

 

 

 

カバル、ギド、エレンの3人と合流し、人間の国、ブルムンドへと向かう俺達。最終的にはイングラシアという所へ向かうらしいが、そこへ行くにはまずブルムンドを経由する必要があるのだとか。

だが歩き出して数時間も経たないうちに俺の中にある違和感が。リサもそれを感じたようだ。

 

「なぁ」

 

「ん?なんでやす?」

 

「ここさっきも通ったぞ?」

 

「えっ!?」

 

「……迷ったのか?」

 

「そ、そんな……」

 

この辺には何度も来ているはずの冒険者パーティであるコイツらが迷うとは思えないんだが、さっきと同じところを通っているのもまた事実。何せ俺は時折森の木々に印を付けて歩いているのだ。そして同じ印を見つけてしまった以上、見過ごす理由はないわけで。

 

「まあいーよ。少し行けば道路の工事作業員のための施設があるから、そこで休もう」

 

と、リムルの案内でゲルド達のいる宿舎に立ち寄ることになった。しかしギドはかなりのショックを受けているな。道に関してはプロとのことで、そんな自分が地図を持っているのに道に迷いかけたのが堪えたのだろう。

 

「ふむ、迷ったのはこれが原因ではないか?」

 

 

と、宿舎に立ち寄った俺達へゲルドが持ってきたのは幻妖花というらしい植物。どうやら周囲に幻覚作用をもたらす植物で、それのせいでゲルド達の工期にも遅れが出たらしい。エレン曰く薬の原料にもなる貴重な植物らしいが生憎俺達にとっては無用の長物というかあっても邪魔なだけ。大量に刈り取ったらしく、欲しがったエレン達に適当に分けてやった。

で、結局一晩そこへ泊り翌朝。

リムルはもう迷わされるのが面倒とのことで、道中の森は喰らっていくとのこと。なお適当に伐採するので後始末はゲルドに丸投げする。喰うというのはもちろん「暴食者」を使うということ。で、リムルはそれを使い道中を真っさらにして直線的にブルムンドへ向かうことになった。オーラで捕食できる「暴食者」は一々捕食器官を必要とする「捕食者」より雑に便利だ。

で、何故か奴らが魔物の巣をつついて魔物に襲われたり野宿したりしながら歩みを進めていく。

 

ようやくブルムンドが見えてきたようだ。

そう言えば俺がこの世界に来てからもう1年半か2年近くか、そのくらいにはなったはずだが人間の国へ入るのはこれが初めてだ。知り合いも人間なんて数える程でこの世界で出会った奴らはほぼほぼ魔物なんだよな……。

 

 

 

────────────

 

 

 

ブルムンドへ入国した昼下がり、レストラン的な店で飯を食っているとやはり話のタネは何故リムルが人間の国へ行こうとするのか、というところへ飛ぶ。リムルは夢で見たシズさんの忘れ形見を探しに行くつもりらしい。そして、シズさんは「イングラシア」という言葉も遺したとのこと。「大賢者」に聞いた分だとイングラシアとはこの世界の国の名前らしい。

 

それを聞いたエレンはフューズに紹介状を書いてもらうことをオススメしてきた。イングラシアにはギルドの総本山があり、そこのトップはシズさんの弟子だという話だ。その名も「ユウキ・カグラザカ」。カグラザカ、神楽坂。もろに日本人な訳だが、そいつも異世界転移者なのだろう。

 

午後にはフューズの元へと案内してもらうとして、どうやらここで冒険者としての登録をしておくことをオススメされた。どうにもこの冒険者とやらは公的な身分証明になるらしい。なるほど、リムルも俺もリサも異世界から流れ着いてきた奴なわけで戸籍すら無いのだ。フューズに口利きしてもらえば簡単に貰えそうな身分証明書だ。もらっておくことに損は無いだろう。

 

「それ、どうやって登録するんだ?」

 

「基本は実地試験よ。それぞれ採取か戦闘か、どっちかをこなしてその点数でランク分けされるの」

 

「ふぅん、じゃあリサはフューズに口利いてもらえ。俺らは適当に終わらせる」

 

「裏口もいいところじゃない……」

 

良いんだよ、使えるコネは使うもんだ。幸いフューズはリムルを信用しているからな。リサ1人ならどうとでもなるだろ。別に高ランクである必要もないだろうし。そっちは俺とリムルが担当すれば良いのだ。

 

で、そう言っている間にギルドとやらの窓口に辿り着く。だがここで軽く問題発生。リムルはここまで身バレ防止と漏れでる魔物のオーラを隠すためにシズさんの使っていた仮面を被っているのだが、それを見た受付の姉ちゃんに「英雄に憧れるのは分かるがまだ子供でしょ」みたいな捉えられ方をしてしまった。俺の予想では多分あと何度か同じ流れが起きるだろうな……。

 

その場はどうにかカバル達の信用で乗り切ったが、ここでさらに発覚したのはカバル達の不正。いや、不正って言うか、正確にはアイツらが俺達の街に来る度に何かしらお土産と称して持って帰っていた魔物から剥ぎ取った余りや植物等をここで自分らの冒険の戦果として計上していたことが判明。まぁ、そんなだからあながち嘘でもないというのがミソなのだが……。

 

そして、俺達が申請した試験は当然討伐部門。採取だと無駄に時間がかかるし討伐なら秒で終わるからだ。で、出てきた試験官は片脚が義足で無精髭を生やした不機嫌そうな男。ジーギスという名前らしいそいつはカバル達のこともあんまり好いていないようである。まぁ、あの不正ギリギリの行為を何となく見抜いているんだろうな……。

アイツらが持って帰ってきた物品の出処が目の前のちんまい仮面野郎だとは夢にも思うまいが。

 

 

 

────────────

 

 

 

で、冒険者になるための討伐部門試験というのは魔法陣の中でジーギスの呼び出した魔物と戦うというものだった。もちろんリムルにとってそんなものは朝飯前で、即座に連続して2体の魔物を瞬殺。飛び級でBランクの魔物と戦うことになった。だがこれも結局はリムルがエクストラスキル「魔法闘気」を獲得して終わり。ジーギスは精神力の限界だわフューズはやってきてブチ切れるわで結局俺は試験を受けられなかった。

 

まぁ、結局はフューズの権限で俺とリサにもBランクの冒険者としての資格を得ることが出来たわけだが。

 

で、そこでフューズからでは話では、ブルムンドの国王とやらがリムルの入国を知り、ぜひ極秘に会談したいとのこと。けど俺は───

 

「リサを同席させろ」

 

と、条件を出した。ここで国王なんてもんがが出てくるということは十中八九ただ仲良くしましょうでは済まない。確実に金が絡む。ならばここはリムルではなくリサの出番だ。人間相手の交渉事でリサの右に出るものはいない。少なくとも、俺ら側の面子ではリサがトップだ。

 

「分かってるよ」

 

「リムルに言ってるんじゃない。フューズ、あんただ。国王とリムルの1対1の対談は認められない。そちらも代理を立てることは構わんがこちらはリサを同席……いや、むしろリムルには後ろで黙って座っててもらう」

 

「え"?」

 

「……なるほど了解した。こちらもまずは大臣が出てくる予定らしいからな。3日後、まずはこちらの大臣との対談だ」

 

「それでいい」

 

そう、それでいい。ドワルゴンの時は俺達がまだ国として未熟も良いとこな上にガゼル王は樹妖精や白老を前にしていたこともあって正直にならざるを得なかった。またユーラザニアとはまず不可侵条約程度であったし、酒と果実の貿易に関しても彼女らは万全の用意をしておらず、そもそもアイツらは美味い酒がそこそこの値段で飲めればそれで良かったのだ。しかしそれでさえもリサを控えさせて余り変な偏りが無いようにしたのだ。これが人間、それもこのような申し出の仕方であればこちらは警戒するのが当然。しかもリムルから聞いた彼の生前の話では正直コイツが人間相手の国交を上手くこなせるとは思えないのだ。多分騙されてカモられるだけ。

 

だがリサなら一方的に有利とまではいかなくても不平等ではない程度で終えられるだろう。というか、現在の魔国連邦においてリサで無理なら誰がやっても無理だ。残される手段は侵略戦争くらい。だがそれは人間をまとめて敵に回すということで、これまでフューズ達に築いてきた信用を一気に投げ捨てることにもなる。

 

そのために時々リムルを呼び出しては「大賢者」モードに切り替えさせてリサにこの世界のことを学ばせていたのだ。呼び出された挙句「お前じゃない「大賢者」出せ」と言われたリムルは不機嫌そうになるが、仕方ない。コイツが人間とも仲良くしようとするならリサの力は必須になってくるだろうからな。

 

「しかし、リサ様は給仕が仕事だと思っていたのだが」

 

「本当よぅ。リサちゃんにそんな大変そうなことやらせていいのぉ?」

 

と、フューズとエレンが疑問を投げてくる。そういやコイツらにはリサのことほとんど説明してないな。

 

「あぁ。リサはイ・ウーにいた時に核弾……もとい、戦略へ……じゃないな……。あぁ、なんだ……。あれだ。普段は俺のメイドだったり彼女だったりだけど魔国連邦の外交官でもある」

 

多分この世界に核弾頭無いよね?だからって戦略兵器は不味い。戦略兵器っていう名前というか役割はこの世界にもあるらしく、前にミリムがカリュブディスを吹き飛ばした時にガゼル王の親衛隊に魔法でのそれを疑われたとリムルは言っていたからな。

 

「ふむ。そうだったのか」

 

『お前リサに何やらせてたんだ……?』

 

『前にいたところじゃ会計係だったんだよ』

 

『武偵怖い』

 

ま、核弾頭買ってたのは武偵の時じゃないけど、それは言わなくていいな。こっちの世界じゃどうだっていいことだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

──3日後──

 

「ブルムンドの大臣を努めさせて頂いているベルヤードです。以後お見知りおきを」

 

差し出されたの手をリムルも握り返す。

身なりの整ったその壮年の男性がブルムンドの大臣の1人らしい。ちなみに俺も魔国連邦の重要な大臣の1人、ということになっている。実際はリムルの近衛部隊兼遊撃手で時々食料調達役という区分らしいのだから、まぁ嘘ではないかなというところだ。ただ、そのうち俺だけ完全独立部隊の傭兵みたいな形にするかも、とは言われている。俺もその方が気楽で助かる。

 

その後、リムルに続いてリサと俺も名乗ってから握手。魔国連邦は魔物の国だというのが基本的な周りからの認識であり、それはこの人も変わらなかったらしく、もろに人間の俺とリサを見てベルヤードはやや困惑していた。

 

「魔物の国に人間がいることは驚きですか?」

 

と、会談のために用意された部屋へ通される途中、リサがベルヤードに話を振る。

 

「失礼ながら、まぁ。魔国連邦殿は魔物の国と聞いておりましたので」

 

「えぇ、基本的にはそうです。けれど、人間とも共生していきたいというのがリムル様の目指す国でもあります」

 

ちなみにこっちの世界、敬語と言っても俺やリムルの世界程の厳格さは無いようだ。また、向こうでは外向けには身内は呼び捨てにするが、こちらは特にそのような決まりもないらしい。

リムルが討伐部門の試験で大立ち回りした話などもしている間に部屋に着く。

 

「では早速」

 

お互いが席に着き、何やら書かれた紙が配られる。俺はまだこの世界の文字を読むのは得意ではないが、「大賢者」のあるリムルと勉強したリサは読めるようなので、俺は後ろに立ち「大臣とは言えメインはこの会談の護衛ですよ」感を振りまいて誤魔化す。後は任せたぜ、リサ。

 

 

 

────────────

 

 

 

魔国連邦とブルムンドの開国に際して向こうから提示された条件は2つ。相互安全保障と相互通行許可だ。ちなみにリムルが気を利かせてくれ、「大賢者」と「思念伝達」を応用して書かれた文書の要約した内容を送ってくれた。アホには有難いぜこれ。

 

で、まず話は相互安全保障から。

これはギルドから保証された冒険者達の補給を魔国連邦で認めてほしいというもの。要は魔国連邦を拠点にして冒険活動を行わせろというものだ。というのも、ブルムンドの国防はギルドと連携して行っているらしく、ジュラの大森林に拠点ができれば活動範囲が大きく広がるのだ。これはリサも快諾。彼らが拠点として魔国連邦を使えばそれなりに経済も回っていくだろうし、ヨウムの件も含め、俺達のスタンスは人間に力を貸す魔物という立ち位置。簡易宿や武具の整備ができる施設を整えるという条件で合意。だが、相互安全保障に含まれる"可能な限り"お互いの国家の危機に対して協力するという部分。これにはリサが反対した。当たり前といえば当たり前だ。そもそも魔国連邦は俺とリムル抜きでもブルムンド位なら今すぐ潰せる軍事力を持つ。その俺らが力を借りたい時なんて、それこそミリムの力を借りるくらいの事態になるわけだ。そこにブルムンドなんぞの出る幕はない。だがブルムンドは違う。リサ曰く、彼らは東の大国とも火種を抱えているらしい。つまり人間VS人間の戦い。確かに俺らが出張って行けば簡単に勝てる戦いだ。だが軍事費というのは莫大だ。

 

むしろベルヤードの方がこの判断に驚いているようだ。彼からしたら後に控えた相互通行許可で魔国連邦が得られる関税を餌にこちらを通そうとしたのだろうが、俺ですら気付ける釣り針にリサが気付かないわけがない。ここが主題らしいベルヤードは「ここは一旦後にしましょう」と、相互通行許可の方へ話を移そうとするが───

 

「いえ、まずはこちらを決めてしまいましょう」

 

と、リサは離さない。

 

そして、ここから会談は3時間にも及んだ。時折休憩も挟みつつ丁々発止の舌戦を繰り広げるリサとベルヤード。わざわざブルムンドに戦力を派遣したくない魔国連邦と魔物以外にも人間との争いにも備えなければならないブルムンド側の思惑がぶつかり合う。

 

結局、関税の額を安くする代わりに魔国連邦がブルムンドと人間の争いに戦力の派遣をすることは無いという決着になった。魔物が押し寄せてきた場合であっても災害級であればこちらは戦力の派遣をしない。ただし、それより上の区分だと認められる場合には魔国連邦から相応の戦力の派遣をする、という形になった。もちろん、向こうからの派遣は一切無いが、俺達としては特に問題は無い。むしろ、カリュブディスとかオークロードとかが出てきたら人間の冒険者なぞいたところで死人が増えるだけだからな。

 

とは言え、ブルムンドとしては安全保障が最重要であり、相互通行許可なぞオマケに近いつもりだったらしく、やや不満そうではあったのだが……。

 

 

───────────────

 

 

 

そして更に2日後。

馬車にて連れて行かれた先はまさしく王宮。ここにブルムンドの国王がおり、俺達はここにて一昨日にベルヤードと確約したお互いの開国の条件に正式に調印することになるらしい。

 

そこにいたのはブルムンドの国王と思われる王冠を被った小太りの男とこれまた王妃と思われるドレスを見に纏った美人で寡黙そうな女性。もっと国のお偉いさんとかが大挙して待ち構えているのかと思ったが、存外に大仰ではないらしい。

 

結局、そこでは前にベルヤードと話し合ったことの繰り返しであった。ベルヤードがあそこで決めた盟約を読み上げ、俺達や国王側が頷く。それだけ。リサや「大賢者」も特に反応しないということは、流石にここで2日前の約束を勝手に書き換えるという暴挙には出ていないらしい。まぁそこまでやったら国の信用に関わるからな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「交渉は奴の得意分野だったのですがね……」

 

「リサは交渉事じゃ敵無しだったからな」

 

盟約の締結が終わり、王宮を出るとフューズが意外そうに呟く。その気になればもっと有利に進められただろうが、今回は人間の国にも俺達が悪い魔物じゃないと認めさせなきゃいけないからな。やりすぎても今後警戒されてしまう。結果としては五分五分ってところだろうか。向こうの思惑を考えるとこっち寄りになったと言えなくもないが、まぁ周りから見てそう不平等な形ではないだろう。

 

だがそれはそれとして───

 

 

「やぁ男爵。ちょっと話があって来たんだ」

 

と、召使いに連れられ俺達はベルヤードの邸宅にやってきた。面子は俺とリムルにフューズと、そして冒険者ギルドの討伐部門担当者のジーギス。彼には俺達の実演販売に協力してもらうために同行してもらった。

 

「実演販売?協力?」

 

「あぁ。ジーギスさん、これを飲んでくれ」

 

と、頭にはてなマークを浮かべるフューズとベルヤードを尻目にリムルはジーギスに、ガラスの瓶に入れたとある液体を飲ませる。

 

「彼に何を飲ませたのですか?」

 

「フルポーションだよ」

 

「フル……?からかっているのですか?完全回復薬など、ドワルゴンですら……」

 

リムルの言葉が信じられないといった風のベルヤードをリムルが制していると、カランと、金属が転がる音。

それにベルヤードが視線を移すとそこには驚きのあまり両足を踏ん張って硬直しているジーギスの姿。その足元には先程まで彼が脚代わりにしていた金属の義足が転がっていた。

 

「あ、あああああ脚が……は、生えた……」

 

──えええええええっ!?──

 

と、おっさん2人の絶叫が邸宅内に木霊する。

リムルの腹に貯めてある回復薬はこの世界の基準ではフルポーションというらしく、飲ませるか被せるかすると欠損した部位さえも再生させる回復力を持つ。そしてそれを1/20に薄めるとハイポーションというものになり、欠損した部位の回復は望めないが大概の重傷は即座に回復する。で、フルポーションを1/100だか1/200だか忘れたが、そんくらいに薄めたのがポーションという物で、一般的に回復薬というとこれを指すらしい。

 

フルポーションは妥当な値段を付けるとまともな冒険者では手が出ず、ハイポーションだと金持ちの上級冒険者が御守りで持つらしい。これらは全部道中でリムルに聞いた。そう考えるとリムルはぽんぽこ回復薬(フルポーション)を使っていたが、分かる奴が見たら卒倒しかねない光景だったんだろうな……。

 

で、このフルポーション、リムルの腹のは文字通り別腹として、魔国連邦ではある程度の供給を果たせる目処があるのだ。これは技術大国のドワルゴンですら成しえていないもので、リムルはこれとハイポーションを、特に人間に対して魔国連邦の特産品として売り出そうという腹らしい。

そして今回はそれのためにブルムンドへやってきたと言っても過言ではない。

しかしあれだな、オッサンが2人して真剣な顔でオッサンの脚を観察している姿は非常にシュールだ。

 

そしてこれは政治や戦争の概念を覆しかねないとベイルヤードやフューズは驚愕している。そらそうだ。戦闘において殺すより重症で止めておいた方が相手の戦力を削ぐことが出来る場合が多い。なぜなら重傷者の他にそいつを運ぶ者、それを護衛する者と1人に対して複数人の人間を戦線から離脱させられるのだ。まぁ、場合によっちゃ見捨てられる時もあるから一概には言えないけど。

 

で、それはともかく、これは商談である以上はこちらも相応の準備をして交渉に臨むわけで、具体的には交渉の席にはリサが着く。ベルヤードはリサの顔を見て苦虫を噛み潰したような顔をしたが、ハイポーションは中々に魅力的な商品らしく、渋々といった体ではあるが彼も席に着いたのだった。

 



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人間の国、異世界の子供たち

 

西方諸国評議会とはジュラの大森林周辺にある人間の国で形成された集団で、対魔物の互助組織として立ち上がったらしいが、今ではそれ以上の権力を持つのだとか。要は国連みたいなものだろう、多分。

そしてそんな強そうな組織の中心こそが俺とリムルの目的地であるイングラシアというわけなのだとか。

 

で、ブルムンドで取得した身分証明書の威力ここに極まれり。俺やリムルのような流れ者であっても冒険者ギルドに登録してあるというだけで関所はほぼ素通り。リムルは見た目とランクのギャップで驚かれたがその程度。この世界では冒険者というのは存外に信頼度の高い職業らしい。

そして入国したイングラシア、これが想像以上に都会だった。ビル群から成る摩天楼にショーウィンドウ。建物の作りも相まってアメリカか欧州の大都会と見紛う程だ。

 

ただ、治安の方はあまりよろしいとは言えないようだった。お揃いの鎧で身を包みご立派な鞘に収められた剣を腰に携えている警備員、というか兵士達がそこかしこで目を光らせている。昼間はともかく、夜に彼らの目が届かなくなる頃はあまり出歩かない方が良さそうだな。

 

ギド曰く、彼らは西方聖教会所属の兵士とのこと。で、その西方聖教会とは「唯一神ルミナス」とかいうのを信仰している集団で、魔物を討伐することに特化した集団らしい。ちなみに魔物の討伐に特化とは、魔物が人を襲った時にだけ出てくるヒーローという訳ではなく、魔物の殲滅こそを教義としているとのこと。リムルはもちろんのこと、下手したら俺やリサまで討伐対象にされそうだから、なるべくなら関わり合いになりたくはないな。そしてエレンの口からさらに重要な情報が漏れる。どうにもそいつらの団長の名前は「ヒナタ・サカグチ」というらしい。どの世界から来たのかは知らんが確実に日本人。そいつも異世界からの流れ者だろう。

 

 

 

────────────

 

 

 

その日はホテルに宿泊し翌日。

俺達はギルドの総本山へと乗り込んだ。

乗り込んだと言っても普通に自動ドアをくぐって建物の中へお邪魔しただけだが。というか、自動ドアとかあるのね。随分と都会───というか俺達のいた世界に近い街並みだと思っていたがまさかこんな文明の利器に出会うとは思わなかった。

 

で、俺達は受付のお姉さんにフューズから書いてもらった紹介状──ユウキ・カグラザカが見込み通りなら彼にだけ伝わるように、ちょっとした仕掛けをしておいた──を渡し、ここのボスに取り次いでもらうように頼んだ。

 

仕掛けと言っても別に大したことじゃあない。ただ簡単に俺とリサの名前をもう一度添えただけ。ただそれを見たフューズは「この記号はなんですか?」と疑問符を浮かべていたので伝わらなかったようだが、リムルは見てニヤリとしていたのでおそらくユウキ・カグラザカには俺の意図が伝わるだろう。

 

「あれ見て向こうはどう出るかね」

 

「右から読んだりしてな」

 

「その可能性は考えていなかった……」

 

「おい……。まぁ文字自体はそう変わらないから最悪意図だけは伝わるだろう」

 

と、俺とリムルが微妙にアホな会話を繰り広げているとさっきの受付嬢とは違い、耳が長く尖った──リムルが「思念伝達」で「エルフだ……」と伝えてきたから多分それ──の姉ちゃんこと専属の秘書が俺達を呼び出した。どうやら俺とリムルとリサの3人はここのボスにお目通りが叶ったらしい。

 

必要事項以外は一切喋らず、有無を言わさぬ雰囲気の彼女に着いて行くと、総帥さんのお部屋に通された。どうやらここの主はまだ到着していないようで「少々お待ちください」と待機を命じられたが、部屋を見渡す限りユウキ・カグラザカという人物は俺の見込んだ通りの人物のようだ。棚には向こうの世界で見たことのあるようなキャラクターの置物やバイクの模型なんかが置いてあり、明らかに俺かリムルの世界、しかも比較的近い時代に生きていたであろうことが推察された。

 

「お待たせ致しました。僕が自由組合総帥の神楽坂優樹です。僕のことは気軽にユウキと呼んで───うわスライム!?」

 

はたして、ドアを開けて入ってきたその男は中学生か高校生か、そのくらいに見えるほど若い風体だった。

ちなみにリムルは下手に隠し事をするより包み隠さないことで信頼を得たいとのことで人型を止めて本来のスライムモードになっていたため、ユウキは部屋に入った途端に驚愕する羽目になった。

 

「初めまして。魔国連邦の盟主でリムル=テンペストという。俺の事はリムルと呼んでくれ」

 

つい、とスライムのまん丸ボディからちょっとだけ手のような形状を出して握手を求めるリムル。ユウキも少しビクつきながらも律儀に握手で返す。

 

「えと、そちらの方達は……」

 

「あぁ。俺は神代天人。天人でいいよ」

 

「私はリサ・アヴェ・デュ・アンクと申します」

 

「紹介状を読みました。天人さんとリサさんは向こうの……」

 

「うん。けど正確にはユウキと俺らのいた世界は違うかもしれない。そうだな……「武偵」って知ってるか?」

 

彼が俺の世界なのかリムルの世界なのかを見分ける質問。とは言え、もしかしたらリムルの世界ともまた違う世界かもしれないが。

 

「ブテイ……?いいえ、初めて聞きました」

 

「なるほど、だとすると俺とリサのいた世界とユウキのいた世界は違うんだな……。と言ってももしリムルの方と同じ世界だったならそうは変わらないから、ほぼ同郷みたいなもんだけどな」

 

「なるほど……リムルさんも」

 

「あぁ。ただ俺向こうで死んで、それでこっちに転生したんだ。だから身体はスライムだけど中身は人間、っていうところかな」

 

「にわかには信じ難い話ですが、紹介状の日本語を見てしまったら信じるしかありませんね」

 

と、どうやら俺とリサの書いた記号こと日本語の威力は中々に大きかったようで、話がスムーズに進む。

 

「しかし驚きました。魔物の国を興した者がまさか───」

 

「スライムだとは思わなかったって?でも俺の方も驚いたよ。その若さでここの総帥なんだろ?」

 

「いえ、実際には20代の後半です。どうやらお気付きのようですが、僕も異世界からの転移者なんですけど、この世界に来る時にスキルを獲得できなかったんです。ただ、その代わりなのか身体能力は以上に発達していまして、その影響か身体の成長はその時に止まってしまったんです」

 

なるほど、立場の割にはやたら若い見た目だと思っていたが、そういうカラクリか。

 

「そのせいにするのもなんですが、大人の男としては中々見てもらえず……。お恥ずかしながらいまだ女性とお付き合いもしたことなくて」

 

と、照れながらユウキが打ち明けると仲間を見つけたリムルはやたら嬉しそうにやたらぽよぽよしている。スライムスマイルって何だそれは……。

 

「ところでリムルさんはどうやってここに入ったんですか?入口のドアは魔物用の結界が張ってあるのでここには入れないはずですが……」

 

あの自動ドアそんな仕掛けになっていたのか……。なるほど、ここは対魔物の仕掛けが色々揃っていそうだな。

 

「あぁ、あの自動ドアのセンサーか。まず1つはこの仮面。これで妖気を抑えることができる」

 

リムルが取り出したシズさんの形見の仮面。だがそれを見たユウキの顔に驚愕が広がる。

 

「それは───!?シズ先生の!?」

 

「それから───」

 

だがリムルは話を止めない。人間の姿に擬態し、真実を告げる。

 

「その仮面の持ち主の姿と遺志を継いだ。俺は喰った相手に擬態できるんだよ」

 

「喰った、相手……」

 

 

──バチィッッッッ!!──

 

 

ユウキはその言葉を聞いた瞬間に躊躇うこと無くリムルの頭へ向けて上段蹴りを放つ。身体能力が異常発達したと言うだけあり、その蹴りは常人であれば頭蓋骨が砕ける程のパワーを秘めていた。

 

 

───けれどその蹴りはリムルへは届かない。

 

 

「一応俺はコイツの護衛でもあるんでな」

 

放たれた蹴り脚は最高速度へと到達する前に俺の足によって抑え込まれる。

 

「落ち着けよグランドマスターさん」

 

悔しげに顔をしかめるユウキに語りかける。

 

「話は最後まで聞くもんだぜ。いきなり殺したとあっちゃ、立場的にも不味いんじゃねぇか?」

 

「貴方は……」

 

本当に人間なのか?とユウキの目が問い掛ける。

 

「俺の素性なんぞどうだっていい。……リムル、ちゃんと話してやれ。今のはお前の言葉選びも悪かったぞ」

 

「分かったよ……。けどなユウキ、先生を敬愛していると言うなら形見は大事にしろよ?今の蹴りで壊れるところだったぞ?」

 

「はい……」

 

渋々、といった体でユウキはソファーに腰を下ろす。その間に、いつの間にやらお茶を届けに来てくれていたエルフの秘書さんが吹っ飛ばされたテーブルを元に戻していた。その時も何も驚いたような表情を見せることはなくただ機械的に淡々と片付けをこなしていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

リムルが話すシズさんとの出会いと別れをユウキは噛み締めるように聞き入っていた。特にシズさんの最期は一言たりとも聞き漏らさないように、という気概を感じた。

 

結果的には俺とリサ、それからリムルのことはそれなりに信用に値する人物ということになったようだ。また、リムルも日本人であるという証としてリムルの記憶の中から日本の漫画を布に転写して吐き出すとこれがユウキには大ウケ。棚に飾られていたグッズやらで何となくそうかもとは思っていたが彼は漫画やなんかが好きなようだった。リムルもそれを把握しての作品チョイスらしく、特にユウキがこっちへ来てから完結したりまだ続いていたりするやつを選んで取り出したのだとか。

 

で、ユウキの漫画鑑賞も一旦落ち着いたようで、本題を切り出しにかかった。

 

「そう言えばまだ要件を聞いていませんでしたね。わざわざいらしたのには何か理由があるんですよね?……やはり帰還方法を探している、とか?」

 

「あるのか!?」

 

"帰還方法"という言葉に反応の遅れるリムルだったが、俺からしたらこれがこの世界で1番知りたい情報だ。死んでこちらに来たリムルと違い、俺とリサは様々な世界を転移させられてここへ流れ着いた。どこか特定の世界を選んで転移できる方法があるのなら是が非でも知りたい情報だ。

だがユウキの表情は暗い。それは暗にその方法は存在しないと告げているようだった。

 

「可能性が無いとは思っていません。喚ぶことが出来るのなら還すことが出来たっておかしくない」

 

リムルの話ではシズさんは魔王レオン・クロムウェルとかいう奴に召喚されたという話だった。

だから俺もユウキと同じような考えは持っていたが……。

 

「喚ぶ?」

 

リムルはそこが気になったらしい。だがユウキはそこははぐらかした。

 

「さっき言ったろ。シズさんの遺志を継いだって。もし知っていたら教えてくれ。イングラシアにいる彼女の心残りだ。5人の子供たちの現状を教えてくれ」

 

俺の本題が帰還の方法ならリムルの本題はこっち。

 

「シズさんに代わってあの子達を助けるために俺はこの国へ来たんだ」

 

「……確かにボクはそれを知っています。ですがそれは簡単なことではありません」

 

「分かってるよ。シズが成し遂げられなかったんだ。覚悟している」

 

「……そうですか。あの子達のことを話す前に先程の話をキチンと伝えなければなりません。それがシズ先生の遺志だというのなら、僕も貴方に託してみます」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「皆さんの魔物と人間の力関係の認識はどのようなものですか?」

 

シズさんの遺志を継ぐなら先生という役割を担うのが1番早い。シズさんの心残りの子供たちは今学校にいるが彼らを教え導く先生はシズさんのいなくなった後には誰もいない。

そんな話をユウキから聞かされた後に彼からのこの質問。それに対する答えは───

 

「まぁ、魔物の方が強いんじゃないか」

 

と、リムル。

 

「圧倒的に魔物だろう」

 

俺はこっち。ジュラの大森林の中には人間はほとんど寄り付かないしな。

 

「……そうです。人間からすれば強靭な肉体と数多のスキルを持つ魔物は脅威以外の何物でもない」

 

だから、とユウキは続ける。

 

「人々は希望となる勇者の存在を求めています。しかし、人間は生来スキルを持ちません」

 

「けど異世界からやって来た奴はその時にスキルを───」

 

なるほど、"喚ぶ"ってのはそういう事か。

 

「天人さんは察したようですね」

 

「おい……まさかそれって」

 

「ええ。この世界の人間はスキルを持ちません。厳しい修練の上で稀に獲得できることはありますが、それでも強力な魔物に対抗出来る程では……」

 

「だから喚ぶのですね……。異世界から強力なスキルを身に付けた人間を……」

 

リサが呟く。この世界の人間の、その行いを。

 

「そうです。彼らは決断した。万の犠牲を覚悟しても1人の英雄を生み出すことを」

 

それは、国レベルで行う誘拐だ。それも、絶対に足の付かない方法で行う最悪の手法。呼ばれた奴のことなんて微塵も考えていない所業。

 

だが、それよりも俺には気になることがあった。

 

「そういや異世界人がスキルを獲得する仕組みってのはどうなってるんだ?」

 

「それですか……。どうやら、世界を渡る時に1度肉体が滅び、再構成される際に大量の魔素を取り込むのです。そしてその膨大なエネルギーが本人の望む形で定着したのかスキルになるようです」

 

望み、か。あの時の俺はアラガミの本能とそれを抑え込めるのかという不安の中にあった。

だからこその「捕食者」と「変質者」なのだろう。それと言語の不安から獲得した「思念伝達」。こっちはそもそも使い方が分からずにこの世界の住人とのファーストコンタクトには役に立たなかったが。……ていうか、俺の身体、本当に滅んだのか?俺の肉体は聖痕の力である程度保護のようなものをされているらしい。それがオラクル細胞の侵食を抑え込んでいたっぽいのだから。しかも、スキルは獲得できたが俺がここに来た時は魔素なんて身体には流れていなかった。リサはあったようだから、きっとそうなったのだろうが。

 

まぁ、俺の場合は魔素が無くともどうにかなるのだから問題は無いけれど。

 

「ですが偶発的にやってくる異世界人を待つだけでは人々の不安は解消されません。だから各国は秘密裏に召喚の儀式を執り行っているのです」

 

「けどそんなの、国家ぐるみの誘拐じゃねぇか。しかも無理矢理に呼ばれた方はわけも分からずに魔物なんぞと戦わされる」

 

けどそれだけで上手くいくのか?いくらスキルを持っていようが戦う気のない奴や、下手したら俺みたいにスキルなんぞ無くてもそこらの冒険者レベルの人間なら瞬殺できる奴だって呼ばれかねない。まぁ、呼ぶ奴を選べるというのなら話は別だが。

 

「はい。……兵器として期待される彼らは逃げ出したり反抗したりしないように魔法で制限を受けます。殆どが護衛として王族や貴族に仕えているでしょう」

 

そう言えば、ヨウム達のお目付け役だったロンメルが言ってたな。なんでも、言うことを聞かせる強制魔法があるとか。おそらくそれの類か。

 

「はっ、胸糞悪い話だ。しかもせっかく呼び出せた勇者様の卵を、怖い怖い魔物の殲滅に使わずに手元で飼い慣らすのかよ」

 

寒い話だ。しかも人間側の理屈であれば多少は筋の通る「人間にとっては強くて怖い魔物を排除する」役目として呼び出した勇者の卵を結局それに使わずに自分らの保身にのみ費やす意地汚さには反吐が出るね。

俺が吐き捨てるように告げるとユウキも「返す言葉もありません」と、溜め息。そして後ろに控えていた秘書さんにとある資料を要求。

渡された資料とやらはクラス名簿のようなもので、リムルがそれを受け取り「大賢者」に読んでもらう。

 

「は?」

 

「これ……」

 

「ちっ……」

 

リムルとリサが勢いよくユウキの方を見る。俺も、思わず舌打ちが出る。

そこに書かれていたのは5人の名前と年齢、それから───

 

 

「おいユウキ!どういうことだ!?」

 

リムルはユウキに食ってかかる。そらそうだ。シズさんの心残りとやらは全員10歳になるかならないか程度の子供でありながらも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

───全員推定余命1,2年───

 

 

それがシズさんの心残りの子供たちに残された時間であり、俺達が彼らのために行動を起こせるタイムリミットでもあるのだ。

 

「召喚の儀式には膨大な手間と費用が掛かります。そこで簡略化された召喚術が編み出されたのですが……。その方式では失敗が多く、スキルを獲得していない子供たちが喚ばれてしまうのです。そして本来はスキルに還元されるべき大量のエネルギーは行き場を無くし、やがてその身を焼き尽くす……」

 

「そんな……」

 

「不完全に召喚された子供はその殆どが5年以内に命を落としてしまう」

 

理不尽と言う他ない。勝手な都合で呼び出され、戦う力が備わってないと分かれば失敗作だと異世界に放り出される。しかも5年と生きられない身体にされているのに、だ。俺だって明るい世界ばかり見てきたわけじゃないから人間が皆性善説で動いているなんて思っている訳じゃあないけれど、ここまで腐った奴らもそうそういない。

 

「シズ先生の後任がいない理由がお分かりでしょう」

 

ユウキも、自分の力不足は痛感しているのかソファーに沈むように続ける。

 

「皆責任が持てないのです。あの子達は───理不尽に喚び出されて死を目前に控えた、勇者のなり損ないなのですから───」

 

 

 

────────────

 

 

 

「理事長の紹介であれば信用したいのは山々なのですが……。あの子達の面倒は難しいですよ……?」

 

ユウキが名誉理事長を務めるこの学園は「自由学園」というらしい。そしてここにシズさんの残した5人の子供たちがいるんだとか。

で、彼らのいる教室まで案内してくれているこのおじさんはどうにも俺達のことをあまり信用はしていないようだ。まぁそうか、方やパッと見子供、方や20に届くか届かないか位の若い男女だ。先生と言うには違和感がある。精々ボランティアの先輩が良いところだろう。けどまぁ……

 

「分かってるよ」

 

「いやぁ、まして君たちもまだ若いじゃないですか……」

 

「見た目よりは歳いってるので大丈夫ですよ」

 

と、リムル。まぁ俺とリサは見た目相応の歳だから何も言えないけど。

 

「はぁ……。あぁ、ここです」

 

と、指し示されたのは他の教室のそれと何ら変わらない扉……かと思いきやドアには黒板消しが挟んである。そのイタズラはどの世界でも共通なのね……。ちなみにそれを見たおじさんはまたかと呆れ、リムルは「可愛らしいイタズラ」と笑い飛ばす。まぁ、無視されるよりはマシだろう。

 

「ちーっす。今日から君たちの担任に───」

 

と、リムルは普通に扉を開けて教室に入る。わざと当たるのか避けるのかは知らんが、つっかえを外された黒板消しがリムルの頭へ向かって落ちて───

 

「どぉぉりゃあぁぁぁ!!」

 

叫び声と共にリムルの脳天へ向かって炎を纏った刃が振り下ろされる。だがリムルはこれを素早く回避。その炎剣が斬ったのは黒板消しだけだった。……おいおい。

 

「派手にやってんなぁ……」

 

「ん?」

 

絶賛学級崩壊中の教室に俺が顔を覗かせると向こうも新たな来客に気付いたようでこっちを見やる。

 

「あんた達が新しいせんせー?」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「えー、先生の名前はリムル=テンペスト」

 

「俺はタカト・カミシロ。副担任です。よろしく」

 

「リサ・アヴェ・デュ・アンクと申します。同じく副担任となります。よろしくお願いします」

 

「というわけで、先生達も君たちの顔と名前を早く覚えたいので呼ばれたら返事をするように」

 

5人を席に着かせて自己紹介。

金髪で気の強そうな女の子がアリス・ロンド。背の高く真面目そうな雰囲気の男の子がゲイル・ギブスン。長い黒髪の女の子がクロエ・オベール。同じく黒髪の男の子がリョウタ・セキグチ。

 

そして───

 

「ケンヤ・ミサキ」

 

唯一名前を呼ばれても返事のない男子。

 

「ケンヤ・ミサキくん?呼ばれたら返事しなさい」

 

役に入ってるのかやたら先生ぶるリムル。しかしケンヤの方はぷるぷる震えるだけで返事が返ってこない。

 

「お、おーぼーだ……」

 

反応があったかと思えばこれだ。まぁ仕方ないと言えば仕方ない。

 

「ん?先生の奥の手がどうかしたか?」

 

何せケンヤの頭には───

 

「こんなのおーぼーだ!ちょっと強い犬を従えてるからって!!」

 

リムルの影の中で待機していたランガが本来の大きさに戻ってケンヤの頭を背後から咥えているのだから───

 

「ふっ……くくく……」

 

ちなみに俺はそれを見ながらずっと笑いを堪えている。いや、これでも堪えてるんですよ?本当なら今すぐ腹抱えて笑い転げたいところなのだから。

 

「卑怯だぞ!!」

 

「着任初日の先生をいきなり斬りつけるのは横暴とは言わないのか?」

 

「うぐっ……」

 

「くっ……ふふっ……」

 

いまだに笑いが収まらん。

 

「シズ先生なら簡単に躱してるし……」

 

と、ケンヤが呟く。

 

「なるほど、一理ある」

 

一理は無いと思います。躱せるなら斬りつけても良いわけはないでしょうよ。ここは武偵校じゃないんですよ。

 

「よし、予定変更だ。今からテストを行う。運動場に行くぞ」

 

テストという単語にえー!という分かりやすい反応を返されるもそれには取り合わないリムル。ちゃっちゃと5人を運動場へ移動させると、体育か休み時間なのか知らんが他のクラスと思われる子供や先生──おそらく元からこの世界の住人──がヒソヒソと声を潜めながら驚きを示し、何やらこちらを注目している。

 

「テストって、何をするんですか?」

 

と、机で筆記のテストでも想像していたらしいゲイルがリムルに問い質す。

 

「模擬戦だよ」

 

と、リムルは上着を脱ぎながら答える。

 

「全員いっぺんに来てもいいぞ」

 

と、煽るのを忘れないリムルさん。

 

「信頼を得るのは難しそうだしな。シズさんに劣らないところを見せてやる」

 

それを聞いた子供たちはムッとした雰囲気。彼らの中でもシズさんは英雄で憧れなのだろう。

 

「別に相手はリムルじゃなくてもいいぞ。そうだな……俺をこの中から出してもお前らの勝ちだ」

 

と、俺も彼らの信頼は得なくてはいけないのでこれに参加。脚を大きく広げ、コンパスのように使って自分の周りに円を描き、そこから俺を出せたら勝ちにしてやると告げる。

 

「どっちかだけに挑んでも良いしどっちに挑んでも良い。誰か一人でもリムルに勝つか、俺をここから出せればお前らの勝ちだ」

 

もちろん俺に全員で掛かっても良いぞ、と付け足す。

 

「自分たちがシズ先生に並ぶと?」

 

1番年長に思えたゲイルが真っ先に反応。

 

「随分と大口を叩くんですね」

 

イラついた様子で手を上に掲げ、魔素を集中させ、大きな魔力の塊を生み出した。

 

「大怪我しても知りませんからね!」

 

と、その魔力弾をリムルに向けて放つ。

だがこれはリムルの「暴食者」で喰われて終わり。

 

「なっ!」

 

なにそれ汚い、とゲイルは叫ぶが「大人は汚いのだよ」と大人気ないリムルは何処吹く風。

 

「なら!」

 

と、ゲイルはこちらに狙いを切り替える。

同じく放つのは魔力弾。異世界から来た時に大量の魔素を取り込みそれがスキルに昇華されなかっただけあって、2発目でも威力は変わらず。けどまぁ……

 

「まだまだ」

 

俺はそれをサマーソルトキックで真上に蹴り上げる。多少は威力があろうが、俺の身体にダメージを負わせる程ではない。これならミリムの拳の方が余程威力があるな。

 

「えぇ……」

 

口を広げて驚くゲイルを余所に、ケンヤとクロエ、アリスはリムルの方へ、そして───

 

「ぐるおぉぉ!!」

 

と、獣のような唸り声を上げてリョウタは俺の方へ向かってくる。

振り抜かれる拳を受け止めるがそのパワーは10やそこらの子供のものではない。どうやら理性と引き換えに暴走し、戦闘力を得るのがリョウタの技能のようだ。

 

「ふっ」

 

けどそれじゃあ足りない。俺は拳を掴まれた状態から振り上げられたリョウタの脚を掴んで振り回し、砲丸投げの様に投げ飛ばす。

すると、円の外周より少し広い範囲を水が取り囲む。

 

「流れる水流よ、我が敵を捕らえよ」

 

と、呪文のようなものを唱えたのはクロエ。彼女は水を操るのが得意らしい。

すると、その水の檻の内側が変形。水圧の刃のようなものが現れる。

 

「切り刻まれたくなかったらその円から出てください」

 

クロエ……大人しそうな雰囲気の割に恐ろしいことを考えるな……。

別に受けてもこの程度の魔素量の刃ならダメージは無いだろうが、受けてばかりも芸が無いな。

 

 

───絶対零度───

 

 

俺が(最近その気が自分でもしてるが)身体能力だけの奴と思われても癪なので、ここいらで1つ大技を見せてやろうと、俺がクロエの水の檻を完全に凍らせ、停止させる。

 

「あ、あれ……?」

 

と、機能不全に陥った檻に困惑するクロエを余所に、ウォータージェイルなる水と刃の監獄は銀氷となって砕け散った。

 

「っりゃああぁぁぁ!!」

 

気合一閃と言うべきか、せっかく俺の背後を取ったのに大声で刀を振りかぶり突撃してくるケンヤ。炎を纏い、横一文字に振り払われた短めの日本刀を鷲掴みにして受け止める。

 

「なっ……素手!?」

 

「悪いな。その程度の魔素じゃ痛くも痒くもないんだ」

 

嘘、本当はさっきの魔力弾を蹴り上げた時も身体に魔素を纏わせてガードしてたんだよね。念の為。オラクル細胞と言えど、魔素みたいな超常の力にはその細胞の結合力も絶対じゃないらしい。

まぁ言ってやらないけど。

で、俺は掴んだままの刀をグイッと引っ張りケンヤを引き寄せるとそのデコを指で弾く。

 

「ってぇ!」

 

と、デコピンされて悶絶するケンヤを放って周りを見渡すとだいたい皆リムルと俺にやられたようだった。

 

「先生、その仮面……、シズ先生の……?」

 

と、クロエがリムルに問い掛ける。それにリムルも肯定で返す。

すると、クロエは俺達のことを信じても良いと言ってくれた。そしてそれにリョウタやゲイルも続く。それによりアリスもやたら上から目線ではあったが俺達のことは信用してくれるようだ。

けれどケンヤは───

 

「シズ先生だって俺達を見捨ててどっか行っちゃったじゃんか……。今更新しい先生が来たからってなんだって言うんだよ!俺達皆もうすぐ死んじゃうんだぞ!!」

 

その叫びに込められた悲しみも痛みもきっと5人の中で同じものだったのだろう。ケンヤのそれを聞いて皆押し黙ってしまう。もちろん俺達はそれを否定するために、定められた筈の結末を変えるためにここに来たのだ。だから───

 

「それは───」

 

「……2つ、間違いを正してやる」

 

俺が言いかけたところでリムルがケンヤに寄り添う。俺よりもよりシズさんのことを知っていてその遺志を引き継いだというリムルの言葉だ。俺はそこで言葉を切って任せることにする。

 

リムルの言葉に耳を傾ける5人。

 

「俺達を信じろ。絶対に助けてやる。約束だ」

 

その"約束"は誰に向けた言葉か。けれど子供たちには届いたようだ。皆、目の色が変わる。

 

「───ではその前に、少し早いですがお昼にしましょう」

 

と、校舎の方からリサがバスケットを抱えてやって来た。俺達が外でドンパチやっている間にリサは食堂で昼飯の用意をしてくれていたのだ。

 

「だな……。リサの飯は美味いからな。驚くぞ?」

 

と、俺の言葉に釣られて子供たちがリサに駆け寄っていく。

 

「こうしてると本当に年相応なんだけどな……」

 

と、リムルが寄ってきて向こうに聞こえないように囁く。

 

「だからこそ、それを守るのが俺たちの役目なんだろ」

 

「そうだな……」

 

晴天の下に俺達は絶対にこの子達の、空の太陽にも負けない笑顔を守り抜こうと誓いを立てたのだった。そして、この選択が俺の行先を大きく捻じ曲げてしまうことになると、この時は思いもしなかった。

 

 



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きっかけ

 

 

「おーい、そろそろ昼にするぞ」

 

リムルの声に、5人が揃って「はーい」と答える。そして我先にとリムルの持つバスケットに駆け寄る。今日は校庭ではなく、校外学習と称しての街の外れでの模擬戦だ。リムル(というか大賢者)の見立てでは子供たちの体内を駆け巡る魔素を安定させるには上位精霊なる奴らを彼らの身体に宿し、そいつらに魔素を制御させるのが良さそう、とのことらしい。

当面の間はリムルが上位精霊を探しつつ彼らとの模擬戦やらを行い、少しでも魔素を発散させる。そして俺は、例え気休め程度にしか効果がなかろうとも彼らに自分らでも魔素をコントロール出来るように指導を行う役目。「大賢者」はともかく、リムルは魔素の扱いはそれほど上手くはないが、俺に関しては聖痕のおかげで「体内を自分の肉体以外の力が駆け巡る」状態でそれをコントロールする術に関しては一日の長があるからだ。というか、俺がこの世界に来て割とすぐに魔法を体得出来たのはこれのおかげだ。

 

学内で飯を食う時はリサが作ってくれるのだが、こうして課外授業をやる時はランガが普通の犬のフリをして買ってきてくれている。だが今回はやたら張り切ったのか弁当の中身がぐっちゃぐちゃに片寄っている。

シュンと小さくなっているランガやそれでも美味そうに飯を頬張る生徒達を眺めながら飯を食っているとリサが何やら反応する。

 

「ご主人様……」

 

「あぁ、殺気だ……」

 

リサは巨大な生き物の気配に。俺はそれが放っているのであろう殺気に、それぞれ反応する。

すると───

 

 

──グギャアァァァァ!!──

 

 

と、耳をつんざくような獣か何かの叫び声。

 

「あれは……」

 

立ち上がり声のする方を見ると晴れ晴れと広がっている爽やかな蒼天にはデカい竜が飛んでいた。

 

「まずい……」

 

あれだけの殺気だ。あの竜が王都へ入ろうと並んでいる人々を襲う気なのはすぐに分かった。

だが間に合うか……?距離も遠い、今までほぼ隠し通せているはずの銀の腕をまさかここで使うわけにもいかない。となると取れる手段はこの瞬間には一つだけ。

 

 

──水氷大魔多重壁(アイシクル・カステール)──

 

 

竜が何やら雷と炎の中間みたいな攻撃を口から放つ瞬間、竜の叫び声に気付き逃げ惑う人々と竜の攻撃の射線のちょうど合間に魔法陣を形成。そこからなるべく大きくかつ複数枚の氷の壁を生み出す。

 

俺はそれで竜の攻撃を防ごうとしたが───

 

「遠いっ!」

 

竜の吐き出した攻撃により氷の壁が砕け散る。いくらなんでも距離がありすぎる上にあの竜、かなりの魔素を持っていやがる。

それでも多少は軌道をズラす程度のことは叶ったようで、集団のど真ん中への直撃は避けられた。ただ、直撃は避けられたと言っても砕かれた地面から巻き上げられた石や土砂に潰される人も大勢いた。さらに竜の2発目。さすがに間に合わず、さらに大勢の人間へと蹂躙が到来する。

 

「ランガ、リサとそいつら任せたぞ!」

 

「あぁ!」

 

ランガの返事が届くのを待つまでもなく俺は竜目掛けて空へ飛び出す。カリュブディスとの戦いで捕食した、奴のお供たるメガトロンとかいう巨大な鮫の持つスキル、「重力操作」の解析と獲得、修練は終わっている。それを応用すれば翼なぞ持たなくてもミリムのように空を自在に飛行することも可能なのだ。

 

「ふっ───」

 

俺が奴に到達するまでに既にもう一撃が放たれている。そしてさらに4発目を放とうとする黒い竜。

これ以上は撃たせてはならないと俺はその竜の顎を下から蹴り上げる。

 

「ギッ───ガアァァァ!!」

 

だがその竜は喉元に溜めたエネルギーをそのまま至近距離で俺に放つ。

 

けどなぁ、この距離なら割らせねぇよ。

 

俺の眼前には巨大な氷の壁。

さっきはあまりに距離がありすぎな上に広く張ったから砕かれたが、このゼロ距離で数メートル程度の大きさならお前の攻撃なんぞ通さねぇよ。

 

「ギギッ……」

 

殺気の込められたその両眼を睨み返すとその巨躯を翻し空へ昇っていく。だが感じる気配からすると、まだアイツはヤル気のようだな。

そうして予想通り奴は地上へ向けて急降下。だが俺はそれをわざわざ追いかけはしない。なぜなら地上には既にリムルが構えているからだ。

 

「はっ!」

 

リムルがその腰に携えた刀を一閃。竜を肩口から切り裂く。

それでも立ち上がるしぶとさを備えた竜に対し、リムルは「暴食者」でそいつを消し去る。

 

「終わったな」

 

竜が喰われたのを確認していると、何やらリムルと助けられたらしいオッサンが話し始めたので適当なところで地上に降りると───

 

「天人、お前やるならちゃんと仕留めろよ?」

 

と、リムルに半眼で睨まれる。

 

「いや、お前いたの見えてたしいいかなぁって……」

 

良かぁないだろ、とこちらを睨むリムルのその眼は語っているようだが、それよりも───

 

「そっちは平気か?」

 

と、リムルの後ろでこちらを窺うように覗くオッサンに話を振る。

 

「ええ、おかげさまで。貴方が先程氷の魔法で竜のブレスを逸らしてくださった……」

 

「あぁいや、防ぎきれなくて悪かったな。タカト・カミシロだ」

 

「いえ、あれがなければさらに犠牲者が増えていた。貴方のおかげで助かった者がいます」

 

「そう言ってくれると助かるよ」

 

ミョルマイルとかいう名前らしいそのおじ様、どうやら魔国連邦で回復薬を大量購入したお客様らしく、リムルの名前も実はスライムだということも把握していた。

 

「おい、そこの3人」

 

と、そうこうしている内に王国外壁周りの警備部隊と思われる、鎧を着た男に呼び止められる。

この状況、実は少し不味い。リムルは正体が魔物だということはこの国では公にはできないし、俺もあまり辿られるとそれがリムルの正体に繋がってしまう。何より人命の為とはいえ割と大技を使ってしまっているので追求されるのも面倒なのだ。

どうやら向こうは俺達の素性よりも知性のあるはずの竜がやたら滅多に人を襲った部分が気になるらしく、それについて聞きたいらしいのだが、俺とリムルが渋い顔をしていると───

 

「聴取かね?私をミョルマイルと知ってのことか?」

 

と、やたら自信満々にミョルマイルさんが前に出てくる。魔国連邦の回復薬、性能が良い分大量購入は安い買い物ではないはずだが、それが出来るだけの地位にあるということか。

 

「おい!その人はいいんだ!」

 

と、そのやり取りを見ていたらしい別の騎士様が駆け寄ってくる。

 

「失礼しました。奴はまだ新人で……」

 

と、先輩騎士らしい彼が後輩くんを押しやってミョルマイルさんとの会話を引き継ぐ。

それは良いのだがこのオッサン、イヤに慣れた手つきでその騎士に金を握らせやがった。しかも、受け取る方も受け取る方でそれを隠す動きが無駄にスムーズだ。なるほどねぇ。ちょこちょここうして賄賂を渡して見逃してもらっているのだろう。本当にこの国の治安は信用ならないな……。

 

 

 

────────────

 

 

 

その日の夜、俺達はミョルマイルさんによってとある店に招待された。

とある……といっても要は高級キャバクラなのだが。

今夜はミョルマイルさんの口利きで貸切ということらしいが、どんだけ金持ってんだこのオッサン……。

 

で、リムルは憧れだったらしくいきなりシャンパンタワー。店の人も「凄いねぇこれ。先生の故郷で流行ってんの?」なんて言われてた。流行ってはない、かな……?俺とリムルの世界じゃ西暦的には8年かそこら違うみたいだから分からんが。

また、店員達が声を潜めて会話していたのが「魔力感知」で丸聞こえだったのだが、ミョルマイルさん、実はここの店長だったらしい。商人にキャバクラの店長とか、手広くやってんだなぁ……。やはり向こうとしてはどう見てもまだ10代の女の子であるリムルの外見について気になるらしい。俺の方は若いがまぁ酒が飲めなくはなさそうな歳に見えたのか、それほど気にはしていないようだったが。

 

だがこのミョルマイルという人間、自分の体裁よりもリムルの事情の方を汲んでくれたらしく、店員の方も下がらせてくれた。確かに誰もいない方が話しやすいからな。

 

で、こっからまずは真面目な話。

どうやら昼に襲ってきた竜、「大賢者」曰くスカイドラゴンとかいうらしいが、そいつの襲撃で瓶自体が割れたり──なんとミョルマイルさんが他の怪我人にも使ったりして──少なくない数の回復薬が売りに出されずに消費されたことになる。

で、リムルとしては宣伝も兼ねてあそこで消費してしまった分に関しては補填すると申し出たのだが、向こうがこれを固辞。ミョルマイルさんとしてはむしろ今後この世界で交易の中心地となるであろう魔国連邦への投資、またそこの盟主とお近付きになれたというのが理由らしい。

 

なるほど、せっかくの高級商品を関係の無い他人に使える優しさ、警備の騎士に賄賂を渡す狡猾さ、そして上がると見極めた相手には投資を惜しまない度胸。まぁ、信用してもいいんじゃないかね。

 

 

 

────────────

 

 

 

「ご主人様から他の女性の匂いがします」

 

リムルが「精霊の棲家」とかいう所へ寄ると言うので1人でイングラシアの寮の一室へ戻った瞬間、リサからヤンデレ臭漂う怖めのセリフを吐かれた。

 

「え?あ、あぁ。接待受けててな……」

 

そういやリサに言うの忘れてたな……。夜に出掛けるとは言っていたが、そもそもあのオッサンの招待した店がどんなところなのかは向こうに着いて初めて知ったのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが……。

 

「香水とアルコールの匂い……。接待……。キャバクラ、ですか?」

 

花丸満点。ていうかそこまで匂い着いてたのか。歩いて帰ってきたからある程度は取れていたと思ったのだけど、リサは思いの外鼻も利くらしい。

 

「あぁ。俺も店に着いて初めて知ったんだ」

 

「なるほど。いえ、リサもそのようなお店に行くな、とは言いませんけど……」

 

俺の裾の端をキュッと掴むリサ。こっちに来てからは子供たちに掛かりきりだったせいか、寂しい思いもさせていただろう。武偵校にいた頃は俺が仕事で数日空けていてもそんな素振りは見せなかったリサだが、世界を渡ってこっち、やはりリサも不安なのだろう。怖いと思うこともあるだろう。俺だってそうなのだ、リサが思わないわけがない。

 

「俺は言ってほしいんだけどな」

 

と、リサの手を取りそのまま巻き込むようにしてベッドに倒れ込む。

 

「久しぶりですね。こういうの」

 

「あぁ」

 

手は絡めたまま至近距離でお互いに見つめ合う。俺はリサの頭に反対の手を回し、抱き寄せる。

そしてリサの柔らかい唇に自分のそれを付ける。

 

「ん」

 

「ふっ」

 

けれどこれから、というところでドアを拳で鳴らす音がする。

気配からして数人。多分あの子達だろう。

 

「……行ってあげてください」

 

少し、いや、かなり寂しそうなリサの声。

そんな顔をされたら俺は逆に全てを投げ打ってリサだけに尽くしたくなってしまう。けれど、リサの言葉がそれを許さない。

 

「……あぁ」

 

リサに促されてドアを開けるとはたしてそこにいたのはリョウタ、ケンヤ、ゲイルの3人だった。

 

「どうした?」

 

何事も無かったかのように尋ねる。ここに彼らが来た理由は実際のところ、察しはついているのだが。

 

「先生……俺達……」

 

明日も大丈夫だよね?とその6つの眼は不安そうに尋ねてくるのだった。

意味は分かっている。彼らだって異世界に放り出され、挙句自分らが後数年の命だと知っている。それがたまらなく不安なのだ。きっとそれは俺達の比ではないものがあるだろう。それに、彼らは今日のお昼にも何人もの人間が傷付くのを見ていた。それが今まで溜まっていた不安を刺激したのかもしれない。

 

「あぁ。大丈夫だ。……そうだな、食堂へ行こうか。リサも、な?」

 

と、ベッドに腰掛けていたリサも呼ぶ。

俺はリサとゲイル、リサは俺とリョウタとそれぞれ手を繋ぎ、ケンヤは俺の肩に乗って食堂へ5人で向かうことにした。

 

 

食堂へ着くと、入口のドアが少し開いており、そこから光が漏れていた。

行儀は悪いが両手が塞がっているので足先でドアを開くとそこではリムルとクロエ、アリスの3人が何やら飲み物を飲んでいた。

 

「おう、お前らもいるか?ホットチョコレート」

 

「あぁ、頼む」

 

リムルから渡されたホットチョコレートを飲んで少し落ち着いているとリムルから明日の課外授業に関して話があるとのこと。

 

「……行くのか?」

 

「あぁ」

 

「行くって、どこへ?」

 

ゲイルが尋ねる。

 

「ウルグレイシア共和国ウルグ自然公園」

 

リムルが、今だに俺はつっかえて上手く1発で言えないその名前をスラスラと口に出す。

 

「ウル……外国ですか?」

 

「精霊の棲家だ」

 

 

 

───────────────

 

 

 

リムルが設置していたワープ用の魔方陣を抜けると、目の前に現れたのは天に届こうかという程に巨大な樹木とその根の間で閉ざされたこれまたどデカい扉だった。

だが、その開かずの扉と思われたそれも、俺達が近寄ると誘い込むようにその口を開く。今回ここへ来たのは俺とリムルにランガ、それと5人の子供たち。リサは危険があるかもしれないので学園に残してきた。

もちろんここへ来る前に出発のキスは済ませてきたので俺は確実に帰ると覚悟を決めている。

 

「行くぞ」

 

リムルがまず「精霊の棲家」へ1歩入る。その後ろに俺達が続く。

誰が何もせずとも勝手に閉まる扉を無視して奥へ奥へと歩みを進めていくが、これまで特に変わったところはない。リムルの話ではここに入って帰ってきた奴はいないらしいが、とてもそうは思えないくらい大人しいもので、道も特に別れておらず、ただ真っ直ぐに石畳の回廊が続いているだけだ。

 

と、思ったのも束の間。壁の向こうとでも言うのだろうか、方向や距離感を感じさせずただクスクスと笑い声だけが空間に響く。

これが精霊とかいう奴らなのだろうか。リムルが敵意は無い、用が済めばすぐに立ち去ると言ってもあまり聞く気は無いようだ。その証拠に───

 

──上位精霊?教えてあげてもいいよ。ただし、試練に打ち勝ったらね──

 

と、しち面倒臭いセリフと共に背後から突然足音を立てて現れたのは───

 

「ゴ……魔人形(ゴーレム)!?」

 

ゴーレムとかいう巨大な戦闘兵器だったのだから───

 

そのゴーレムの1つ目が俺達を捉える。すぐさまリムルの後ろへ逃げる子供たち。振り下ろされるのは大の大人が丸まった位はあろうかという巨大なゴーレムの拳。石の回廊が蜘蛛の巣状に砕ける。だがただの人間であれば一撃の元に圧殺される一撃が、再び振るわれることは無かった。なぜなら───

 

「これじゃあ足んねぇよ」

 

リムルはランガと共に子供たちを守るように後ろへ下がる。それと入れ替わるように俺が前に出てその拳を受け止めたからだ。その拳の重さに地面は耐えきれずに悲鳴を上げていたがそれだけ。俺に掴まれたその拳は再び振り上げることすら叶わずにゴーレムは硬直を強いられていた。

 

「しかし、随分食い気味に潰しにくるじゃあねぇか。試練ってのはコイツを壊せばいいのか?」

 

──そうだよ、できるならね──

 

「天人、時間が無いし子供たちに怪我させたくない。俺がやる」

 

「あ?俺がそんなヘマ……あぁ、分かったよ」

 

俺が後ろを振り向くとリムルの手には既に黒炎が現れていた。あれは紅丸の技の元になったやつだ。俺はそれを見て後ろへ跳び退がる。もちろん、ゴーレムの足元を凍らせて動きを止めておくのを忘れてはいない。

 

俺が安全圏へ退避したのを確認するが早いかバッとリムルが両腕を突き出すと、リムルから放たれた黒炎がドームとなりゴーレムを包み込む。数瞬の後に黒炎が消えるとそこにはゴーレムの姿は跡形もなく消えていた。

 

──うそぉ!?アタシの聖霊の守護巨像が一撃で!?──

 

リムルの本気の一端を初めて見た子供たちは唖然とした様子で大口を開けている。だがそれをリムルは意に返さずにあのゴーレムを操っていた黒幕に出てこいと命令する。リムルにしては珍しくやらた強い口調でゴーレムのように燃やし尽くしてもいいんだぞと、脅しもかけている。すると、観念したのか岩陰から何やら光り輝く小さい奴が飛び出てきた。よく見るとそいつは薄い4枚の羽を背中から生やして耳はエルフみたいにとんがっている。正しくゲームで見る妖精のような姿をしていた。で、本人曰く「我こそは偉大なる十大魔王が一柱。"迷宮妖精(ラビリンス)"のラミリスである!!」とのこと。やたら自信満々で周りの妖精?に持て囃さてれいるあたり、誰かを思い出す。

 

というか、コイツを見ていると無性に腹が立つのは何故なのか。別に普段ガビルと話していてもそうイラつくこともないのだけど。

 

まぁいい、細かいことはリムルに任せよう。俺の目的は上位精霊とやらを子供たちに憑かせることによって彼らの魔素が安定させられるまで無事に守りきることだからだ。

 

「ええぇぇ!?」

 

と、ラミリスが何かに驚愕したらしい叫び声が耳障りに響く。

 

「あ、あんたあのミリムと付き合ってるの!?」

 

「あ?あぁ、一応な」

 

「えぇ!?リサ先生は!?」

 

ラミリスの言葉に今度はケンヤが反応する。ちなみにクロエとアリスはめっちゃ冷めた目でこっちを睨んでいる。もう慣れたよそういうの。

 

「そらリサも公認だ」

 

「ど、どういうこと……?」

 

「これが大人ってことなの……!?」

 

ヒソヒソと、5人は頭を寄せあって何やら会議を開催している。うん、その大人像は間違ってると思うんだ。

 

「いや、別に───」

 

俺が5人の将来を案じて間違った大人像を正してやろうとすると、フッと今まで心を占めていたイラつきが消えた。リムル曰く、ラミリスが「精神支配」とやらを試みていて、俺達はそれに抵抗していたためにやたらイライラしていたらしい。ちなみにこのラミリス、今までこの迷宮にやってきた奴らは軒並みどっか遠い異国の地へ送っていたらしい。なるほど、それで誰も帰ってこないわけだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「はぁ、なるほどねぇ。この子達も苦労してんのねぇ……」

 

と、俺が懸命に彼らの将来を導いていると、ラミリスがフワフワと漂ってきた。なんとこの魔王様、リムルがお会いしたかった精霊女王でもあるらしい。属性詰め込みすぎでは……?

 

なお魔王というのはこういう凄い奴が堕落してもなれるらしい。堕落って何だよとは思うがラミリスのダラダラっぷりを見ていると確かに精霊女王なんて威厳のありそうな奴が堕落していそうではある。そうなると生活力ゼロの俺も下手したら魔王堕ちがあるかもしれない……。気を付けよう……。あぁそういや武偵は闇・毒・女に落ちるとも言うからな。リサに落ちっぱなしの俺はもう堕落してるかもだ。

 

で、結局ラミリスは上位精霊を呼び出すことには協力してくれるらしい。そんなラミリスに着いて行く道すがら、周りに漂っていたフェアリーちゃん達から聞くところによると、ラミリスは転生と成長を繰り返しているらしい。しかも前世の記憶をも引き継ぐのだとか。おかげで唯一世襲制を許されている魔王とのことだが、それ世襲って言っていいの?

 

俺が世襲制とはいったい何ぞやという所に頭を悩ませているといつの間にやら精霊を呼び出す場所まで着いたらしい。そこにあったのは大きな岩とその周りを囲む光の螺旋。

 

精霊を呼び出し憑依させるだけ、ラミリスに聞く分には危険も無さそうだと俺は奥で欠伸をしている間に4人の憑依が終わった。その内ケンヤだけは本物の上位精霊。しかも勇者の素質が無いと現れてくれない超レア物らしい。ケンヤ、あれで実は凄い奴だったんだな……。ちなみにゲイル、リョウタ、アリスの3人には上位精霊は現れてくれなかった……のだが現れた下位の精霊共をリムルが「暴食者」で引っ捕らえ、それを「変質者」で何やら統合。擬似的な上位精霊を作り出しそれを彼らに憑依させることで無理矢理に儀式を成功させていた。

 

だが順調なのはここまでだった。最後にクロエの番が回ってきたが彼女の呼び掛けに応じた奴、何かがおかしい。あれは今までの精霊とは違う。あまりに感じる存在強度が桁違いだ。

あれは、駄目だ……。

 

 

──来い、銀の腕!!──

 

 

俺はすぐさま銀の腕を発現させ、背中のスラスターを吹かせる。そのまま一直線にクロエの頭上に在るその存在へ向けて拳を振るう……が───

 

「ッ!?」

 

フッと、あの存在感の塊のような奴が視界から消える。銀の腕の白い焔であいつを焼却せしめるつもりで放った拳が空を切る。勢い余って大岩に背中から激突。超音速駆動はクロエや周りを巻き込みかねないために元々速度は制限した状態で突っ込んだのが幸いして大破壊には至らなかったが、そいつはいつの間にやら、一歩下がってクロエを見守っていたリムルの眼前に現れていて、何やら口付けでもしているかのようだった。

 

「リムル!そこ動くな!」

 

今度こそと俺が飛び出した瞬間には、奴はクロエの元へと戻っていた。

俺が身体を無理矢理に捻ってそちらへ振り向くと、その刹那に奴はクロエの中へと消えてくのであった……。

 

「クロエ、何ともないか?どこか痛かったりしないか?」

 

と、クロエの身体を案じるリムルに対し、クロエは何ともない、平気だと返す。確かに、先程までの圧倒的な存在感は不思議な程に雲散霧消している。ラミリスもあれが何なのか、正確なところは分からないようだが、唯一時間軸のズレを感じた、おそらく未来から来たのだろうという推論だけは出てきた。そして目的は多分クロエに宿ること、らしい。

だが幸いなことに、クロエも含めて全員の魔素が安定しているのは感じ取れる。つまり、色々あったがここへ来た目的は果たせたという訳だ。

 

「一件落着、でいいのか?」

 

「そうだな」

 

頷くリムルを見て思い出す。そう言えばキンジも一件落着という言葉は時々使うが、その度に新しい一件に巻き込まている気がするなぁと。というか、本人もそれを自覚していてボヤいていた記憶も蘇る。まぁ、もう今更何を言っても仕方がないのだ。その時に出来うる最善を尽くしていく他ないのだろう。

 

 

 

───────────────

 

 

 

魔王で精霊王なラビリスの元で子供たちに精霊を宿らせ魔素の安定化を図ってから1ヶ月程が経った。

その間彼らの魔素は安定しており、もう暴走や崩壊の心配も要らなさそうだった。この頃にはリサはもう魔国連邦へと戻っていた。

そこで俺とリムルは5人と別れを済ませ、リムルが新たに習得した空間移動のスキルで魔国連邦へと帰ろうとするのだが……。

 

「あれ?」

 

「どうした?」

 

「スキルが発動しない……」

 

「は?」

 

「リムル様!!」

 

リムルのスキルが発動しないことに戸惑っていると、蒼影が慌てた様子で影から現れた。それだけではない、あれだけの機動力と戦闘力を持つ蒼影が傷だらけなのだ。一体何が……。

 

「その傷、どうしたんだ!?」

 

「これは分身体ですので本体は無事です……。それよりリムル様……、敵です。それも、想像を絶する強さの……。どうか、お逃げ───」

 

と、そこまで言いかけて蒼影の分身体が消滅する。あの蒼影をしてここまで言わしめる敵、か……。そりゃあ───

 

「そこのアンタか?」

 

「───っ!?」

 

「あら、バレてたの」

 

俺が背後に声を掛けると現れたのは短髪で切れ長の目をした女とその後ろからさらに数名、武装した男共。

 

「ま、もうすぐサヨナラだけど」

 

「はっ、本気で隠れる気もねぇクセによく言うよ」

 

「ふん。君にはあまり興味が無いの。……ねぇ、魔物の国の盟主さん?君達の国が邪魔なのよ。だから潰すことにした」

 

「魔国連邦を……?てめぇまさか───」

 

「気になるなら確かめたら?まぁもっとも、今頃どうなってるかなんて知らないけれど」

 

「あぁけど───」

 

グッと脚に力を込める俺を遮るように刀を抜き放つその女。

 

「今君たちに帰られるのは都合が悪いの」

 

ザワりと、目の前の女から溢れ出る殺気が肌を撫でつける。ついさっきは俺には興味が無いと吐き捨てたわりに俺のことも簡単に帰す気も無いようだ。

 

「……初めまして。西方教会聖騎士団長、ヒナタ・サカグチ」

 

女から無遠慮に放たれる殺気を無視してリムルはそいつに挨拶をする。ヒナタ・サカグチ……コイツがか……。確かシズさんの教え子の1人だったはずだ。

 

「リムル、雑魚は適当に狩ってやる。俺は先に行くぜ」

 

不味い、不味すぎる……。いや本当に不味いことになった。何をしたのか知らないが思念伝達が使えないだけじゃない。聖痕の力まで封じられている。シャーロックの元で嫌になるほど経験した、聖痕の扉そのものに鍵が掛けられて開けなくなる感覚。偶然の産物なのだろうが、俺には効果絶大にも程がある。まさか聖痕持ちや向こうの世界の人間がもたらしたものでは無いと思いたい。

まさかこんな所で人目に晒す羽目になるとは思わなかったが……、だがこんな所で時間を潰してるわけにもいかないんでな。使わせてもらうぞ、聖痕とも違う、異世界の力をな。

 

俺がターゲットに視線を移すと、やはり雑魚呼ばわりされた後ろの男共がこちらを睨みつけている。おいおい、あんまりそんな目で見ないでくれよ。

 

左肩から刃翼を広げる。その異様に、所詮は人間の騎士ということだ、動揺が走る。けどそれはこの場では致命だぜ。

 

「シッ───」

 

オラクル細胞により強化された脚力で飛び上がりサカグチの護衛なのか保険なのか着いて来ていた騎士共にディアウス・ピターの刃翼を振るう。

 

「ゴッ!?」

 

その気になればこいつらをまとめて両断も出来るのだが、一応リムルはまだコイツらと本気で事を構える気ではないみたいだから峰打ちで留めておく。だが10メートル以上は吹き飛ばされて確実に戦闘不能だろう。

そして俺は騎士共を吹き飛ばしながら巻き上げた砂埃の中へ着地する。

 

「リムル!後は任せた!!」

 

おう!というリムルの声を背中で聞きながら俺は草原を駆け抜けていく。

無事でいてくれよ、リサ───!

 

 

 

───────────────

 

 

 

刃が振るわれる。冷たい感触が肌を撫で、鮮血を散らす。切られた場所が熱い。向けられた冷たい殺意と相反するように傷口は燃えているかのように熱く疼く。そうして幾度かの殺意の刃をやり過ごすもそこが限界。嘲るように口元を歪ませた目の前の人間の手にある刃、死を意味するそれが彼女の身に降り注ぐ。次の瞬間にやってくるはずの結果を受け入れた彼女は強く目を瞑る。だが、数秒経っても確定されたはずの結末が自身の元へ訪れることはなかった。変わりに届いたのは金属のぶつかる音だけ。それを不思議に思い、閉ざしていた目を開けるとそこには───

 

「タカト様!!」

 

「あぁ」

 

背中から生えた刃のような翼で騎士の剣を受け止めている男がいた。タカト・カミシロ。この国の盟主であるリムル・テンペストという名のスライムが戦闘面に於いて最も信用しているというこの国の最高戦力。

しばらくリムルと共にこの国を空けていたがその彼が土壇場で戻ってきた。

 

──助かる──

 

その確信が彼女の中へ広がる。

取り返しのつかない惨状に見舞われた魔国連邦にあって、これ以上の惨劇は起こりえないと、そう思わせる程の何かが目の前の男から発せられていた。

 

「楽しいかよ……」

 

天人の口から漏れる呟き。

それと同時に溢れ出る殺気がこの空間を包む。

魔国連邦の住人の一人に刃を振るおうとした騎士の背中を冷や汗が伝う。

 

しかし、それ以上タカト・カミシロが何か言葉を紡ぐことはなく刃翼が振るわれる。騎士の持つ剣がその手を離れ宙を舞う。そして再び一閃。天人のディアウス・ピターから簒奪した刃翼がその騎士の胴体を中程から真っ二つに別れさせる。

 

「リサは……」

 

既に天人の目には息絶えた騎士など写ってはいなかった。いや、最早助けた国民すらも意識の外だ。その目が探すのは彼の最愛ただ一人だけだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「なんだよ、これ……」

 

ハンニバルの炎の噴射によってさらに加速し聖痕に蓋をする結界を抜け、そこからさらに銀の腕のスラスターを噴かせ、超音速で魔国連邦つ辿り着いた俺は、リサを探しながらもここの国の連中をいたぶっていた人間の騎士達を切り伏せていった。

そして、国の中央にある広場に辿り着いた俺を迎えた光景。それは───

 

 

 

───死屍累々、という程ではない。湿地帯でのオークとの戦闘時の方が余程それに相応しかった。けど、けれど、そこにあったのは紛れもなく死体だった。

この街の、この国の住人。男も女も子供も何も関係無い。何人かの顔には見覚えもある。だがそこには戦闘を受け持つような奴らは一人もいなかった。彼ら彼女らはその全員が非戦闘員なのだ。それがこれだけの数死んでいる。その傷を見ればすぐに分かる。これは事故でも災害でもない。確実に、誰かが悪意と敵意を持って魔法か武器かのいずれか、もしくはその両方で持ってコイツらを死に至らしめたのだ。思えばここに戻った直後に遭遇した騎士も、襲っていたのは戦闘員ではなかった。

 

何故、と疑問が湧き出る。そして───

 

「リサは!?」

 

この場に姿を見せない最愛の女の名前を叫ぶ。焦燥が胸を焼く。呼吸が浅く短くなる。ここへ来るまでも姿を見せなかったリサ。しかもいまだ魔国連邦には何やら出入りを制限する結界が貼ってあった。もっとも、移動を制限されるのは魔物だけらしく、この世界ではギリギリ人間の扱いらしい俺はそれに干渉されることなく突破することは出来たが。だがいまだ消えない結界の気配と、姿を見せてくれないリサが俺と焦りを増長させていく。

 

「───タカト」

 

その時、俺を呼ぶ声がした。だがその声は俺の求めていた声ではなかった。

 

「紅丸!!リサは!リサはどうした!?」

 

後ろから現れた紅丸に思わず詰寄り、その襟首を握り締める。

俺に掴まれて少し苦しそうにしている紅丸の、その呼吸の苦しさとは別の苦々しい表情が物語る。リサに何かあったのだと……。

 

「リサ……」

 

「タカト、落ち着いて聞いてくれ。リサはまだ生きている」

 

「───ッ!?本当か!?」

 

「あぁ。だが奴らに連れていかれた。ファムルスから来たと言っていたからきっと───お、おい!どこへ───」

 

紅丸を放り、俺がどこかへ行こうとしたのを見て紅丸が静止に入ろうとする。だがそれを俺は殺気だけで黙らせる。

 

「決まってる。───俺の女に手ぇ出して無事に帰れると思うなよ……」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ねぇ、こんな奴攫ってきちゃってよかったわけ?」

 

揺れる馬車の荷台に乗り国へ帰る道すがら、面倒くさそうに問いかけたのは水谷希星、仲間内からはキララと呼ばれる女であり自分の言葉を聞いた者の意識を誘導するスキルを持った異世界人であった。

 

「へっへっへ。魔物の国への潜入とかっていう超危険なお仕事を見事に完遂したんだ。これくらいの役得はあっても良いだろう?」

 

と、黒髪を、付けすぎた整髪料で逆立てた柄の悪そうな男が答える。その腕にはロープや魔素の働きを阻害する手錠で拘束された、透けるような金髪を湛えた美しい女が1人。その女の顔には心を許していない男に触れられている不快感とそんな男達に縛られどこかへ連れられて行く恐怖感とが浮かんでいた。

 

「確かに、あんな国には勿体ないくらいだよね、この子さ」

 

と、細身細目の男がその女──リサ・アヴェ・デュ・アンク──の顎を指で持ち上げる。その男の目の奥に浮かぶ下卑た濁りに思わず目を逸らす。

 

「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないか。大丈夫だよ、優しくするからさ」

 

もちろんそんな言葉でリサの恐怖や不安が和らぐわけがない。むしろ、これから起こることが簡単に予想できてしまい、より気持ちが暗く沈んでいく。だがリサの抱えるその薄暗い未来への恐怖は長くは続かなかった。

 

「えっ!?」

 

突然荷台の天井が消えたのだ。4人の視界には森の木々と夕暮れの薄暗い空が映る。するとそこに現れる影。それはよく見ると人の姿をしてこの荷台へと迫ってくる。

 

「なっ、だ───」

 

キララの声が本人の意思を最後まで伝えることはなかった。上空から現れた人間の背中から、それこそ冗談のように生えてきた刃が馬車の荷台の壁ごと彼女の首を切り裂いたからだ。

飛び散る鮮血からリサを庇うように降り立ったのは異形の、噴き上がる鮮血で血濡れた翼を持つ青年。その背に、刃のような翼に、頭に、今しがた命を刈り取った女の身体から吹き出る赤い生命を浴びながらも、そんなものは些事ですら無さそうな雰囲気を纏い、ショウゴ・タグチ──髪を逆立てリサの肩を抱く男──の左腕、つまりはリサに触れている汚物をその翼で切り飛ばす。

 

「あっ───?ぎゃああああああああああ!!!!」

 

その叫び声が既に不愉快だとでも言うように、文字通り降って湧いたその死神は、命の温かみを頭を無くした首から吹き出し続けるキララの方へショウゴを蹴り飛ばす。

その頃になってようやく馬車が急停止。それにより細身の男──キョウヤ・タチバナ──もバランスを崩しそうになり、思わず床へ着いていた手をさらに大きく広げて身体を転倒から支えようとした。しかし───

 

「う、うわぁぁぁ!?」

 

その手が着いた場所にあったのは床ではなく数瞬前に胴体と強制的に物別れさせられていたキララの首から上だった。ゴリッという生理的な嫌悪を抱きそうな音を響かせキョウヤの体重を支えるその顔面に浮かぶのは苦悶ですらなかった。そんなものを感じる間も無く彼女はその生涯をこの異世界で終えたのだから。

 

「ご主人様!!」

 

その地獄絵図もかくやという惨劇の中にあって、リサという女がその美しい顔に浮かべるのは恐怖でも嫌悪でもなくただただ弾けるような笑顔。その輝く花のような笑顔に降り立った死神も同じく笑顔で答える。

 

「リサ!」

 

「はい、はい!リサですご主人様。リサは信じていました。ご主人様が必ず助けに来てくれると」

 

「当たり前だろう。それより、平気か?さっき触られていたみたいだけど、あれだけか?」

 

「えぇ、えぇ。腕や肩を触れられはしましたがそれ以上はまだ」

 

「そうか。あぁ良かった。もしそれ以じょ───」

 

「てめぇ!!」

 

リサと青年の余りに周りを無視した会話に割り込んだのはショウゴだった。その顔をキララの鮮血で濡らした男は自分の腕を無造作に切り飛ばし顔面を蹴りつけた不届き者に強烈な殺気を叩き付ける。

 

「リサ」

 

だが目の前の男はそんな鬼の形相をしているショウゴに一瞬視線を動かすが何事も無かったかのように無視して自分が捕らえた女の名前を呼び、そのまま女を抱えて荷台から飛び退った。そうしてショウゴ達から距離を取り、リサを拘束する枷を全て取り払ってから彼らと相対した。

 

「さて、手前ら。何の断りもなくその薄汚ねぇ手で俺の女に触れやがった訳だが。俺は優しいからな。希望は聞いてやる」

 

「あ"ぁ"!?」

 

ショウゴが血走った目で目の前の男を睨みつける。だがそいつはそんなものはそよ風よりも些細なものだとでも言いたげに肩をすくめる。それがショウゴの精神を余計に逆撫でする。

 

「まぁ聞け。で、お前らどうやって死にたい?あぁ、馬車の運転手、お前も考えるんだぞ?まさか自分は運んでいただけだから助かる、なんて思ってないだろうな?そんなわけないだろうが。お前もここで俺に殺される。いいな?」

 

良いわけがない。そう言うかのように馬を走らせていた騎士も馬から降りて腰の刀の柄に手を添える。周りにいた数台の馬車からも何人もの騎士がその手に刀剣を構えて降り立つ。だが、美しい女の腰を抱いたその男はもはやそれらに目線を向けることも無く言葉を続けた。

 

「だからそんな殺気立つなよ。……聞け、殴殺斬殺撲殺滅殺焼死水死感電死、他にもあるぞ?引き裂かれて死にたいか?身体に風穴空けられて?さぁどれがいい?何がいい?今なら好きな死に方で殺してやるよ」

 

両手を広げ、指折り数えて殺し方の希望を募る目の前の男に、ショウゴは怒りの臨界点を超えて肩を震わせる。そして───

 

「ふ───」

 

「ん?ふ?……腐乱死体がお好みか?」

 

「巫山戯るなぁ!!!!!」

 

あまりの屈辱に腕や顔の痛みすら吹き飛び、味方を死に追いやり今も悠然と自分達に死に方の希望を募るその男にその爆発した感情を全て殺意に換えて襲いかかる。だが───

 

「なるほど。では鏖殺に決まりだな」

 

背中に大鎌を携えた死神の──神代天人の──蹂躙が始まった。

 

 



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魔王降臨

 

紫苑が死んだ。それを知ったのは魔国連邦に戻ってからだった。

連れ出されたリサを救出し、あの場にいた奴らを皆殺しにして戻ってきた俺が聞かされたのはそんな最悪な知らせ。

 

だがまだ可能性はあるらしい。死者蘇生、そんな今だどこの世界でも見たことの無い御伽噺がこの世界にはあるのだとか。

 

──魔王──

 

ミリムが言っていた。魔王になると変な因果が付き纏うと。だがリムルが魔王になれば紫苑や、他の死んだ奴らも蘇る可能性があるらしい。

 

そして、リムルが魔王になれさえすれば、紫苑が再び蘇る条件は揃っていた。あとはなるだけ。

 

そして───

 

「俺は魔王になる」

 

リムルはそう宣言した。

 

 

 

───────────────

 

 

 

惨劇の日から数日後、魔国連邦の幹部連中に加え、俺とリサもその会議に参加していた。

そこでリムルは告げたのだ、魔王になると。

 

今回の事件の引き金を引いたのは魔王の1柱たるクレイマンという男らしい。狙いは魔国連邦とファルムス王国が戦争になること。ただし理由までは不明。これは、クレイマンの傀儡にされていたミュウランとかいう魔女から聞いた話だ。彼女はクレイマンに生殺与奪を握られていたがこの話をする際にリムルが手を打ち、今では自由の身だ。

 

そして、彼女ら聞いた話、そして、ここによく出入りしている冒険者の1人エレンから聞いた魔王の御伽噺。

リムルは自らが魔王になることで紫苑達の命を繋げるつもりなのだ。

 

「……その前に1つ言っておくことがある」

 

「天人?」

 

「今回この国を襲ったのは人間で、今も奴らはここを滅ぼそうと向かってきてる。で、俺とリサは見ての通り人間なわけだが……俺はお前らが人間を嫌いだと言うのならリサと共にここを出て行く」

 

「それは……」

 

「お前達には感謝しているよ。人間である俺達を誰とも分け隔てなく接してくれた。だから、お前らの敵になる気は無い。ただ出て行くだけだ。……結論は、お前らで決めてくれて構わない」

 

魔国連邦という拠点が無くなるのは痛いが、今の俺には冒険者の身分もある。ドワルゴンでもどこでも、居着くだけなら可能だろうし、そこからまた世界を渡る手段を探せばいい。

 

「……天人がそれを言うのなら俺も皆には言わなくちゃいけないことがあるんだ───」

 

そしてリムルは話し始めた。自分が元人間であること、死んで、この世界にスライムとして転生したのだということ。人間を襲うなというここのルールの真意を。それから、俺との関係も。

 

と言っても、俺とリムルの関係なんて、ただ俺が異世界人で、リムルの元いた世界と近い発展の仕方をしていたから同郷に近い関係性だったというだけなのだが。

 

そして、それを聞いた魔物連中の答えは───

 

「それでも、です。私達の主はリムル様以外におられません」

 

絶対的な服従だった。そして、この惨劇を招いたのはリムルに甘えすぎていた自分達の過失でもあると。リムル1人で抱えるものではないのだと、この場にいた全員がそう言った。

 

そして俺に対しても───

 

「天人さんもリサさんも同じ釜の飯を食った仲間っす。アイツらとは違うって断言できるっす。それはヨウムさん達も同じっす」

 

「俺もゴブタに同意します。カバル殿や天人殿達は信頼できる友だと思ってます」

 

と、皆、俺達のことを信じてくれているみたいだった。結局、コイツらにとって憎いのはあのファルムスの奴らであり、人間そのものではないということだ。

 

だが問題は残っている。

 

いくら人間の全員が魔物にとって悪い奴とは限らないにしても、またいつか、今回のように戦わなければならない時が来るだろう。その時、この国はどういう対応をするのか、ということだ。そして、それに対してリムルは1つの結論を出した。

 

「俺達の在り方はまだ人間達にはあまり知られていない。だから、今の段階で人間達と手を結ぶのは時期尚早だ」

 

そうだ、俺達が奴らに喧嘩を売られたのは、俺達がまだその程度の認識だからだ。そして、もし俺がコイツらに受け入れられた時はどうするか、それはもうリムルと話し合ってあった。

 

「俺達は人間からしたら、ちょっと怖いから消えてもらおう、っていう程度にしか認識されていない」

 

過ぎた力は排斥される。そんなの、俺が1番分かってなきゃいけなかったんだ。

何せ、そうやって俺達聖痕持ちは表でも裏でも世界の鼻つまみ者だったんだから。

なのに俺はこの国を発展させる手伝いをしていた。半端に力を誇示すれば世の中がどういう反応をするのか、俺が1番よく知っていたはずなのに。

 

「……そして、俺達みたいに半端に力を見せたら人間はそれに恐怖して、俺達を潰そうとする。それが今回の発端だ。だから───」

 

「魔王の力で箔を付ける、ってことか?」

 

と、さすが戦いに関しては勘の鋭い紅丸が続いた。

 

「そうだ。だが、俺はリムル1人じゃ足りないと思ってる。……実際のところがどうあれ、新たな魔王が支配する魔物の国なんて、西方聖教会の風当たりが強くなるだけだ」

 

「それだと、どうするんだ?」

 

「……これは俺が皆に受け入れられたら、ってことでリムルと話してたんだけどな」

 

 

──俺も魔王になる──

 

 

「それはっ───!?」

 

紅丸の顔が驚愕に染まる。だが、俺は自分のこの考えを改める気は無い。

 

「魔王が2人もいる国なら他の奴らも手出しはしてこないはずだ。喧嘩を売る気にもならないくらい圧倒的な力を見せつける。まずはそうやってこの世界での地位を築こうってことだ」

 

「人間ってのは、魔王になれるもんなのかい?」

 

「リムルのスキルに聞いたら、俺は条件を満たしてるらしいからな。後は生贄があればなれるだろうって話だ」

 

魔王になるためには、スキルや魔素量等の条件があるらしい。そして俺には聖痕がある。スキルの方はともかく、この聖痕による魔素量が俺を魔王たらしめるのだとか。そして生贄に必要なのは人間の命約1万。これはリムルもほぼ同条件であり、報告によれば向こうの軍隊の数は約3万。

俺達2人が魔王になるには十分な数だった。

 

「まずは連合軍は叩き潰す。そして、他の人間達とは鏡のように接したい。友好的な者とは手を取り合い、悪意ある接触をしてくる奴には相応の報いを」

 

2人の魔王がいれば誰も戦う気は起こさないだろう。それでも俺達が人間とも手を取り合う姿を見せることが出来れば、例え時間は掛かっても、それなりに友好的な関係を築けるだろうということだ。

 

まぁ、利害関係としての友好であっても平和には変わりない。そんなもの、俺達の世界でも同じことだからな。

 

「……甘い考えだ。けど、旦那らしくていいと思うぜ」

 

と、カイジンはニヤリと笑う。

 

「それなら、さしあたってはこっちに攻めてきている連合軍への布陣ですね……」

 

「いや、連合軍の相手は俺達に任せてほしい」

 

「え?」

 

「俺と天人が魔王になるために必要なのプロセスなんだ」

 

「安心しろ、俺もいるし、ただの人間になんぞ遅れはとらねぇ」

 

「……タカトはいいのか?」

 

「何が?」

 

「人間と、自分と同じ種族と戦うってことだろ?」

 

「……人を殺すのは何も初めてのことじゃあない。俺はこの世界に来る前にも何人も人を殺してる。……今更何も変わらねぇよ」

 

1度に万もの人間を殺すことは初めてだが、俺は自分の都合で人を殺し過ぎている。そんな奴が、今更人殺しに忌避感なんて覚えていいはずがないのだ。

それに、ここでファルムスを潰すだけじゃまたどっか他の国がここを攻めてくるかもしれない。そうしたらまたリサが戦いに巻き込まれる。

今度は拉致なんてせずに、魔物の国にいたのだからと即座に殺されるかもしれないのだ。そんな可能性を、俺が誰かを殺すだけで下げられるのであれば、俺がそれを避ける道理は無いのだ。

 

「分かった。頼んだぞ」

 

「任せろ」

 

紅丸の言葉に俺はただ頷く。そのまま会議は具体的な連合軍への対策に移っていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

リムルと共に連合軍の真上に立つ。目下のところ、俺達の存在に奴らが気付いている雰囲気は無い。まぁ、あろうがなかろうが関係無い。全滅させる前に贄は足りるだろうが、コイツらはリサを傷付ける可能性が1%でもあるのだから、その存在の1%足りとも存在させてはならないのだ。

 

「行くか」

 

「あぁ」

 

リムルは無数の水のレンズを、俺は刃翼と赤雷球を呼び出す。この世界の行軍では、不意の魔法攻撃による備えとして常に魔素の侵入を防ぐ結界が張られているらしい。だがリムルが今から行う攻撃は、物理法則が根本にある攻撃だから効果は無い。俺の銀の腕はまだ見せる必要も無い。人間だけならまだしも、この先クレイマンやら他の魔王とも戦う可能性があるのだから、必要の無いうちは俺の攻撃手段は隠しておいた方が良いだろう。

 

そして───

 

「死ね!神の怒りに焼き貫かれて!!神之怒(メギド)!!」

 

リムルが魔法を解き放つ。それは水のレンズに太陽光を収束させ、束ねた熱量で目標を焼き貫くというものだ。これなら結界なんて関係ない。そして俺も、赤雷球を行軍中の奴らの頭上に落とす。

 

オラクル細胞の雷に貫かれて数百の騎士がまとめて叩き伏せられた。

俺は重力操作を解き、その屍の上に降り立つと、再び赤雷でまだ微かに息のあった騎士達を完全に果てさせる。

 

……リムルの方は順調そうだな。俺も、手早く終わらせないと。

 

別に、結界の中だからと言って魔法が使えないわけではない。結界の力より大きな魔素をぶつけて壊してしまえば良いのだ。そして、俺にはそれを可能にするだけの魔素が───聖痕がある。

 

地面に降り立ち、周りの騎士達を刃翼で真っ二つにしながら俺は空に魔法陣を発生させていく。それが空を覆う頃、ようやくコイツらはそれに気付く。それまでに、豪奢な鎧を着込んだ騎士や皮の防具を纏った奴らは数百人単位で上半身と下半身、もしくは身体と首が泣き別れしていた。

 

『見つけた。もう好きにしていいぞ』

 

と、リムルから解放の許可が降りる。そして、時を同じくして魔法陣が空を覆い尽くし、俺はそれを解き放つ。

 

───落ちろ

 

ただそれだけを念じ、空から氷の魔槍を降らせる。それは結界の外から加えられた俺の魔素だけでなく、重力加速度も得たことで超音速で飛翔する。そんな魔素の塊を受ければ結界なんて簡単に砕け散る。そしてそれは、この戦場において俺とリムル以外の存在を許さないこととほぼ同義なのだ。

結界の守りを失えば、そいつらにはウェイバーコーンを発生させながら落下してくる氷の魔槍を防ぐ手だてなど無く、ただ蹂躙させるのみ。

 

一応リムルとは狙うのは半分半分にしようと約束しているから、俺の狙いは行軍中の奴らの真ん中から右手側だけ。俺の左手側の奴らはリムル担当なのだ。

 

上から力技で結界を破壊した俺は、更に地面にも魔法陣を展開。そのまま下から氷の槍を射出し、上下2方向から連合軍を撃ち貫いた。

舞い上がった砂煙がこちらまで飛んでくる。その中に紛れて刃も向かってくるが、そんなもの、ディアウス・ピターの刃翼の前では発泡スチロールと変わらなく脆い。俺の周りの奴らには赤雷と刃翼、遠い奴には氷の魔法を叩き付け、俺は視界に映る騎士達を蹂躙し尽くしていく。そして───

 

 

『告。進化条件(タネノハツガ)に必要な人間の魂を確認しました。……規定条件が満たされました。これより、魔王への進化(ハーヴェストフェスティバル)が開始されます』

 

 

世界の声が聞こえる。そして、それと同時に抗えない程の強烈な眠気。だが血と臓物の臭いに塗れたこの戦場跡で眠りたくは無い。眠剤でも盛られたのかと思う程に抗い難い眠気に抵抗しながら俺は血塗れの草原を離脱する。そして、落ちてくる瞼を抑えていた体力も尽き果て、森の中、俺は1本の木に背中を預けた。それと同時に瞳が閉じられる。意識が闇に沈んでいく。

 

 

 

人間だったはずの俺の身体はいつの間にやらアラガミになり、そして今度は魔王へと変貌を遂げようとしていた───

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……終わったのか?」

 

目が覚めと、俺はまだ森の中にいた。世界の声が聞こえると同時に訪れた抗い難い睡魔に、最後の抵抗と戦場跡から少し離れた森の中へと移動したところまでは覚えている。

 

どうやら俺は無事に魔王へとなれたらしい、らしい、がだ。見た目的には特に変化は無い。だが体内を駆け巡る魔素の量はこれまでの比ではない。

 

正直比べようがないくらいに魔素量が増えたように感じられる。だがそれだけだ。俺にはリムルの大賢者みたいな便利スキルが無いから自分の持っているスキルを確認するのが難しいのだ。今までは世界の声が獲得を教えてくれていたからどうにかなったが、流石に意識の無い間に獲得したものまではよく分からん。

 

「……まずは帰ろう」

 

取り敢えず魔国連邦に戻ろう。それからリムルの大賢者にでも聞いてみよう。アレなら、俺よりも俺の持つスキルを把握しているからな。

 

脚に力を込めて立ち上がる。魔国連邦へ向かう足取りは、寝起きの割には軽やかだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

結論から言えば、紫苑他、あの襲撃で命を落としたはずの者達は全員息を吹き返した。

で、魔国連邦に戻った俺はリムルの大賢者を呼び出して俺の今の状態を分析してもらおうと思ったのだが、大賢者はリムルの魔王化の折に消失。今は智慧之王(ラファエル)と名前を変えているらしい。まぁ同じことができるっぽいのでそれでいいやと解析を頼んだ。すると───

 

「告。個体名:神代天人は究極能力(アルティメットスキル)相当の能力(スキル)氷焔之皇(ルフス・クラウディウス)及び能力・魔王覇気を獲得しています」

 

という回答が返ってきた。しかし、"相当"という言葉に俺は引っ掛狩りを覚えた。

どうやら、この世界のスキルというのはだいたいが既に用意されたもので、それを何やかんやで習得するという法則らしい。……マジでゲームみたいだなと思う。

 

だが、ラファエルさん曰く、俺の習得した能力、氷焔之皇は本来この世界には存在しない能力らしい。

恐らく、それは俺の聖痕が原因だろう。この世界に来る奴で多分俺だけが、この世界に無い法則の力を持ち込んでしまったのだ。

どうやら俺の聖痕とここに来て取り込んだ氷の元素魔法を元に生み出された究極能力らしいな。

 

そして、その効果は───

 

「解。氷焔之皇の効果は魔素による攻撃や究極能力を含むあらゆる能力(スキル)や耐性の凍結、燃焼及び魔素への変換です。他者の能力を封印し、燃焼させることで己の魔素へと変換できます。また、任意の対象にこの加護を与えることが可能です。加えて、付随する技能として100万倍の思考加速、熱変動無効を獲得しています」

 

とのことらしい。どうやら攻撃力は微塵も無いが、防御能力だけならこれ以上無いほどの性能を誇るだろう。で、この能力は常時展開型の能力らしく、基本的に俺と、加護を与えた奴らに飛んできたスキルや魔法を全て自動で凍結、燃焼させられるらしい。そしてその魔素は全て俺の中へと取り込まれる。やってることはほぼ銀の腕と変わらない。だが銀の腕は精神への攻撃も含めて現れた現象にのみ作用させられるが、これは先制で相手の所持する能力をも凍り付かせることができる。

 

しかも防御機能だけなら俺だけではなく他の誰かにもの恩恵を与えられるというのだから流石は魔王の持つ究極能力と言ったところか。

 

「しかし、何でまたそんな極端な守りの力が俺に……」

 

俺の力はその全てが攻撃的で暴力的だ。多分根っからそういう性分なのだろうと思って諦めていたのだが……。

 

「解。これまでの戦闘経験及び根底に眠る願望と意思が表出したものと推測できます』

 

願望、か。俺の願いはリサを守ること。次点で一緒に元の世界へ帰ること。だがまぁ、俺が魔王になろうと思ったのはリサを守るためだ。魔王の威光でもって俺達に手出ししようとする奴がいなくなればそれで良かったのだ。だから魔王化に際して発現した能力が守りの能力なのだろう。それも、離れていてもその力が発揮されるのだからまさしく、だな。

 

大体のところは掴めた俺は、自分の中に眠るスキルを意識する。そうして見つけたそれを発動。……確かに、何となく何かに覆われている気がするな。

 

「後は……」

 

それを今度はリサにも与えてみる。フッと、確かにスキルが起動した感覚があった。

 

「……どうだ、リサ」

 

ここまで黙ってやり取りを聞いていたリサは自分の身体を見渡し───

 

「はい、確かにご主人様を感じます」

 

なるほど、成功のようだ。聞いた分だと加護を与えられる対象は1人とも限らなさそうだ。

全員はここにはいないが、俺はリムルの元へと集っていた幹部連中へ同じ力を使う。だが───

 

「……あれ?」

 

何となくだが、スキルが発動した気がしない。いや、ここにいるカイジンには効いているっぽいんだが、他の魔物───要はリムルに名付けられた魔物達には一切加護が働いていない気がする。

 

『告。既に別の者からの祝福を受けている者及び個体名:タカト・カミシロが守りたいと想う相手以外には氷焔之皇の加護は適用されません。この場においては、個体名:リムル・テンペストが名付けた者がそれに該当します』

 

「なるほどね……。まぁ、コイツらは別に俺が守ってやらなくてもどうにかなりそうだからいいか……」

 

カイジンに与えられた理由は多分この国の人間だからだろう。俺の立場からして、この国の奴らは俺が守るべき対象になる。その上でリムルから名付けをされていない奴はこの場ではカイジンしかいない。

まぁ、カイジンも戦闘要員ではないからそんなにこの加護必要か?と問われれば多分要らないだろうが、無いよりはマシの保険だと思えばいいか。

 

自分の得た力を何となく把握しつつ俺は席を立つ。

 

「どっか行くのか?」

 

「他の能力の具合を確かめてくる」

 

『告。体内の魔素量が1000倍以上に増大したことと氷焔之皇及び魔王覇気獲得以外に能力には変化がありません。ただし、真なる魔王に覚醒しても肉体的に変化が訪れていないのことの方が異常です』

 

と、ラファエルが告げた。

 

「そりゃあ俺の身体に原因があるな。俺の身体は人間の細胞以外に、別の世界の法則で成り立った細胞が多く含まれてるんだよ。だからまぁ、俺の身体は最初から人間ともかけ離れてたってことだ」

 

『了。大賢者をして解析の及ばない部分のあったことへの解答を得られました』

 

と、ラファエルが告げたその時、リムルがいきなり分身を生み出した。そして───

 

「あ?」

 

それは上背が2メートルはある美丈夫へと姿を変えた。リムルの人間形態の時の面を、男に寄せたらこんな感じだろうか。そしてその謎の物体は───

 

「究極の力を手に入れたぞ!逆らうものは皆殺しだぁ!」

 

などと宣った。なので取り敢えず氷焔之皇の効果も試したかったことだしそいつのスキルを丸ごと凍結してみた。

 

「むぅっ!?」

 

「お、効いたみたいだな」

 

1回ぶつけてみて分かったが、この究極能力は能力だけでなくそれに付随する耐性も何もかもを凍結によって封印できるみたいだ。不意打ちによる攻撃も効かないし向かい合えば相手の能力を即座に全滅させられる。魔王に相応しい能力だな、これ。

 

「で、リムルさんや、コイツ何なの?」

 

と、出現した瞬間に無力化されて項垂れている美丈夫を指差し問い掛ける。すると、魔王化して何故か物理的に輝いているリムルが告げたのは、とんでもない事実だった。

 

「あぁ、コイツがあのヴェルドラだよ、"暴風竜"ヴェルドラ。悪い奴じゃないから許してやってくれ」

 

まぁ、リムルがそう言うならと俺は氷焔之皇の封印を解く。自分のスキルが解凍されたのを感じたのか、ヴェルドラとやらはスクっと立ち上がり、俺を睨む。

 

「貴様が神代天人だな」

 

「あぁ」

 

「なるほど、確かに我が究極能力"究明之王(ファウスト)"でもその力の深淵は見通せなんだ」

 

そりゃそうだ。聖痕の力はこの世界の魔素やら何やらの力の根本であり最も原初の力だ。聖痕に比べたら、他の全ての力は新参もいいところなのだから。

 

「そうけ。ま、仲良くやろうや」

 

と、俺が手を差し出すと、向こうも手を差し出し返してくるのでお互いに握手を交わす。それを見たリムルも納得したのか1つ頷くと「じゃあちょっとみんな集めなきゃな」と能力の解析も終わったらしく外へ出た。

 

しかし外にいた連中全員、ヴェルドラの復活を感じ取っていたらしく、緊張に震えるか平伏しているかの2択だった……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

その後、魔国連邦と関係の深いいくつかの国とリモートで会談を行なった。

結果、そいつらは皆、魔王2人が戦力として君臨する魔国連邦に手出しとかありえない。何ならヴェルドラすら控えている以上本当にありえない、ということで決着。更にドワーフ王国と魔導王朝サリオンは魔国連邦と正式に国交を結ぶと明言した。で、それに乗せられてブルムンドもそれに続くと、そう上層部を説得してやるとフューズはキレ散らかしていた。

 

まぁ、聞いている限りの難しい話は俺にはよく分からなかったが、リサがこっそり思念伝達で噛み砕いた内容を教えてくれていたのでそんな理解。

 

で、そんな話し合いもだいたい終わり、後は皆国元で纏めようとなった時、いきなりこの部屋に侵入者が。

 

ババーン!!と飛び込んできたのはちっこい成りして実際は魔王のラミリス。それが飛び込んできたと思ったら───

 

「話は聞かせてもらったわ!!この国(テンペスト)は滅亡する!!」

 

正直、厄介事の匂いしかしない……。が、そんな騒がしい奴もディアブロとか言う、リムルが召喚して名付けた悪魔に捕らえられては逃れようもない。まぁ、それでも五月蝿いことには変わりないのだけれど。

 

しかし、復活したヴェルドラを見て即気絶。ようやく静かになった会議室で、最後の纏めを行った俺達は三々五々解散の流れとなっていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「もう一度言うわ、この国は滅亡する!!」

 

な、なんだってー、とリムルが棒読みで返した。そらそうだ、いきなりやって来て滅亡するとか、意味分からん。これがミリムとかなら「あぁ、今から喧嘩かな?」とも思うが、これがラミリスだと大した説得力が無い。

 

しかし、悪戯でこんなことを言いに来るような奴でもないので一応話は聞いてやる。どうやら、魔王を僭称する俺とリムルが魔王カリオンを殺害。それに対する報復を話し合うために魔王達の宴(ワルプルギス)なるものが発動されたらしい。

 

で、問題はこれを発案したのが魔王クレイマン、賛同者は魔王フレイと魔王ミリム。

 

で、ワルプルギスって何?と思ったら自由気ままな魔王達に対して唯一に近いくらいに強制力のある魔王全員集合の会議らしい。

 

で、この議題的に、場合によっちゃ俺達2人は残りの魔王全員を相手取らなきゃいけない可能性もあるのだとか。

 

まぁけど、それ自体には問題はあるまい。俺も議題の1つだと言うのなら乗り込んで全員ぶっ飛ばせばいいのだ。だが、ミリムが賛同しているのいうのが気になるな……。どうにも───

 

「……きな臭いな」

 

リムルも同じ考えのようだ。俺の究極能力があれば魔王そのものは問題無い。ミリムが人質にされるのだとしても、それすらも全部凍結させてしまえばこちらのものだ。

 

「ラミリス、その何とかって会議、俺達も参加できるんだよな?」

 

「そうだな、天人が行くなら戦力的には問題無いし、俺も行くぞ」

 

「えぇ!?まぁ、魔王になったって言うんなら大丈夫なんじゃない?」

 

俺達を殺そうっていう会議に出て大丈夫もあるかよとは思うが、本人不在の裁判なんぞお巫山戯もいいとこだ。ラミリスであれば魔王達に連絡が取れるということでそこら辺の都合を付けるのは全部任せる。

会議には2,3人までの配下を連れて行くことが許されているらしい。だが、それすらも実力の無いものを連れて行くことは許されないらしい。……面倒なことだ。リムルはヴェルドラと紫苑、それから影の中のランガを、ラミリスはリムルに貰った人形のベレッタを連れて行くらしい。

そんな配下のいない俺は当然1人で乗り込む。まぁ、配下を連れて来なかったりそもそもいない魔王もいるにはいるらしいからそれ自体は問題ないとのこと。

 

魔王クレイマン……オークロードの黒幕の疑惑もあるし、ここいらで1つ白黒ハッキリさせるのも良いのかもしれないな……。

 

 

 



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魔王達の宴

 

宴に参加する現魔王は9名。それに加えて俺とリムルの2人を合わせた11人が今のところの魔王ということだ。

 

もっとも、彼らにとって俺達はまだ魔王と認められていないらしいが。

 

会場に着き、用意された席に座った俺達は円卓を囲みながらその時が来るのを待つ。すると、開始時間直前になって今回の宴の発起人である3名の魔王が部屋へと通された。魔王クレイマン、魔王フレイ、そして魔王ミリム。だが、そこで驚くべきことが起きた。

 

「さっさと歩けウスノロ!」

 

と、クレイマンがミリムを殴りつけたのだ。本来ならその場でぶっ殺されても文句は言えない所業。だがミリムは何を言うでもなく、ただ黙って自分の席に座ったのだ。

 

操られでもしているのか、弱味でも握られているのか。多分弱味でも握られているのだろう。操られているのなら、氷焔之皇を使って解除しようと思ったのだが、どうにもミリムにはそんな能力は掛けられていないようだったからな。

 

だが、あのミリムがこんなに従順になる程の弱味ってなんだ?

しかし兎も角、不用意な手出しは出来なくなったと考えるべきだろう。……と思ったのだが、もう訳が分からん。何せ、魔王フレイの従者として連れて来られた魔人、顔は鷹の仮面で隠しているがあれカリオンじゃん。普通に生きている。

 

今はクレイマンが得意気に、俺達がいかに悪辣で品の無い方法でカリオンを貶め殺したのかを語っている。んー、でも本人死んでねぇんだよなぁ。それとも、「ですから私が復活させました凄いでしょう!!」とやりたいのだろうか?

 

いい加減こいつの話にも飽きてきたし、乗ってやるか。

 

「……魔王フレイ。アンタの従者として連れて来たそこの鷹の仮面の男、魔王カリオンと見受けるけどどうだ?」

 

と、俺が問えば───

 

「……そうねぇ、まぁいいかしら。ね?」

 

と、魔王フレイは何やらミリムと後ろに控えていたその鷹の面を着けていた男に目配せをする。すると、その男は「あぁもう、滅茶苦茶だな」と仮面を捨て去る。そこから現れたのは───

 

「な……馬鹿な!?何故お前が生きている!?」

 

瞬時に服装までも入れ替わり、カリュブディスの騒乱の時に俺達の前に現れた時と同じ格好をした魔王カリオンその人だった。

 

……ていうか、なんでクレイマンはそんなに驚いているのよ。しかも、生きていることが信じられない上に自分にさも不都合な雰囲気醸し出してるし……。俺達に殺されたからっつって魔王を集めたのお前だろうが。

 

「さては……裏切ったな、フレイ!!」

 

「あら?いつ私が貴方の味方をするなんて言ったの?」

 

と、クレイマンの怒号を気にするでもなく、柳に風といった風に受け流している。

 

「……ミリムも、お前がどんな弱味を握られてんのか知らねぇが、らしくねぇな。お前ならこんな奴、それでも瞬殺して人質でもなんでも、取り返しそうなもんだけどな」

 

と、黙って俯いたままのミリムにも問い掛ける。……よく見りゃ、肩が震えているのだが、それ程の脅迫をされているのか?だとしたら、このクレイマンとかいう奴にはキツめにやっちまわなきゃいけないかもな。

 

「はっ、人間風情が何を言うかっ!魔王ミリムは今や私の能力で完全なる操り人形なのだ!弱味を握るなんていう下劣な手段なぞ使わんさ!」

 

人間風情、ねぇ。そういや前にコイツの手下にも似たようなこと言われたなぁ。ゲルミュッド、だったっけか。

 

「あぁ?だから、操られたまんまじゃ可哀想だから解除してやろーとしたんじゃねぇか。そしたら、何にも能力掛けられてねぇし、じゃあ脅されてるくらいしか思い付かねぇだろ」

 

「何を言っている?魔王ミリムは既に私の操魔王支配(デモンマリオネット)で我が傀儡と成り果てているのだ。……人間風情では感知することすら出来ないみたいだがな」

 

コイツ、そんなに手段に拘りたいのだろうか。それとも、本当にミリムを能力で支配していると思っているのか?じゃあミリムが素直に従っている理由は?……分からん、何か思惑があるのだろうか。もうこうなりゃミリムにでも聞くか。本人に聞くのが1番早そうだ。

 

「……ミリム、お前、何を種に脅されてんだ?言っとくが、俺やリムルはこんな奴には負けねぇぞ?」

 

もしや俺達を盾に脅されているのだろうか。だとしたら少し心外だ。俺達は、こんなのに負けるとでも思われているのだから。リムルから念話で伝えられた情報によれば、クレイマンの魔素量は今の紫苑以下。そんな奴に俺達が負けようはずがないのだ。

 

さっきから肩を震わせているだけのミリムの方へツカツカと歩いていくと、クレイマンが何やら切れたように叫び出す。

 

「ミリム!ここにいる者を全て皆殺しにしろ!!」

 

……いやいや、それは焦りすぎだろう。それに、いくらミリムでも他の魔王全てを屠るなんてことができるのだろうか。いやまぁ、コイツなら出来たとしてもおかしくはないのだけれど。俺は他の魔王の実力なんて知らないし。

 

だが当のミリムは───

 

「……ふっ、クックックッ……くふ……あはははははははは!!」

 

と、肩を震わせているだけだったのだが、遂に堪えきれなくなったかのように大声で笑いだした。クレイマンだけじゃない、俺も俺で何事かと目を点にしていたのだが、ひとしきり笑いきったらしいミリムがこちらに笑顔でピースサイン。どうやら元気は元気なようだった。

 

「天人よ、確かに私は操られてはいない。それに、脅されてもいないのだぞ?ただ、操られていた振りをしていただけだ」

 

と、目に浮かんだ生理的な涙を拭いながら笑顔で飛び付いてきた。それを受け止めるとミリムは俺の首にぶら下がったままクレイマンを見据えた。

 

「本当ならクレイマンの精神をもっと弱体化させて、その裏の黒幕を吐かせたかったのだがな。……天人の深読みで折角立てた計画が全部パァなのだ。だがまぁいい、フレイ、ちゃんとアレ、大切に持ってきているんだろうな?」

 

と、俺から離れたミリムはフレイの元へと向かう。すると、フレイが投げて寄こしたのはリムルが作らせたドラゴンナックル。どうやら、手加減しつつクレイマンを痛ぶる腹積もりらしい。だがその流れに待ったを掛けようとする人物が現れた。魔王カリオンだ。

 

「ちょい待てぇ!え、ミリム、お前操られてなかったの?ってことは俺をノリノリで痛ぶったのも、俺達の霊峰を吹き飛ばしたのも全部お前の意思だったわけ!?」

 

あぁ、ぶっ飛ばされたのも国を吹き飛ばされたのも本当は本当なのね。と、俺が真に可哀想なカリオンに心の中で両手を合わせていると、ミリムはミリムで「そんな細かいことはどうでもいいだろう」と無理矢理にカリオンを押し切っていた。

 

「馬鹿な……。操魔王支配は完璧に成功していた……。何故支配を受けていない!?そんなことは有り得んだろうが!」

 

「うむ、だからこそ苦労したのだぞ。私はそういうのは簡単に弾いてしまうからな」

 

と、まずは結界の類を解除し、素の抵抗を無理矢理に押さえつけ……そして一旦掛けられてから解除したのだと言い出すミリム。もう本当コイツ、何でもありだな。ミリムがそんな手の込んだことをして、殴られるのを耐えてまで操られていた振りをした理由、それは俺達にあったようだ。どうやら、魔国連邦を人の敵に仕立て上げ、魔物と人間の戦争を起こさせようとしたらしい。

そしてミリム的にそれはつまらないので邪魔をしようとしたのだとか。

 

なるほどな、俺達のために、か。俺はリムルと目配せする。当然、考えていることは同じだ。

 

「ええと、お集まりの魔王の皆さん、俺とリムルはこれからこのクレイマンなる卑怯者を処刑しようと思いますが、反対の奴はいますか?」

 

と、一応は会議なので確認を取る。だが、誰も反対意見の者はいない。それを見た赤髪の魔王、ギィとか言う奴が「好きにしていいよ」と、お許しをくれる。俺はそれを受けて、じゃあ遠慮なく、とクレイマンに向き合う。

 

「くっ……だが、たかが人間風情がこの私に何ができると?喰らえ、操魔王支配!!」

 

と、クレイマンは最後の抵抗と俺に能力をぶつけてくる。だが───

 

「……な、何故効いていない!?」

 

そんなもの、俺の究極能力である氷焔之皇の前には何の役にも立たない。ただ俺の魔素に変わるだけ。しかし、それしかできることがないのか何度も俺に同じ技をぶつけてきている。……ふむ、流石は腐っても魔王を名乗れるだけはあるな。一撃一撃がそれなりの魔素量だ。

 

「なら、これで───」

 

と、クレイマンは懐から何やら玉を取り出した。そして、それに魔素を注ぐと一気に輝きだし、閃光がこの場を包み込んだ。

 

「……あ、あれ」

 

だがそれだけ。むしろ、あの閃光はリムルが放ったもので、どうやらあの玉をリムルが回収したようだ。クレイマンの方も一瞬意識を飛ばしていたようだし、アイツが何かしたのだろう。

 

「さて、さっきのミリムへの1発……けどお前、操ってると思ってた間、何発か殴ってそうだし、リムル、3秒くれ」

 

「分かった」

 

リムルはそれだけで俺の意図を察してくれたようだ。俺は氷焔之皇でクレイマンの能力を全て凍結。それが本人も感じ取れたのだろう。顔色が真っ青だ。だが当然、俺は止める気は無い。そのまま氷でクレイマンの両手足を拘束。動けないクレイマンに向けて拳を振り上げた。

 

 

 

 

 

 

「……あとは好きにしろ」

 

きっかり3秒、俺はクレイマンの顔面を殴り続けた。しかしその間、リムルがコイツに思考加速100万倍を掛けたから、奴にはとんでもなく長い間殴られ続けたようにも感じられただろう。俺が氷の拘束を解けば、立つ力も無いのかクレイマンは蹲ったままだ。しかし、俺が殴っていた間、紫苑も随分とやりたそうにしていた。というか、今も俺とリムルを交互に見て、「同じことしたいです」って顔に書いてある。はぁ……。

 

俺とリムルは再び顔を見合わせ、俺は蹲っているクレイマンを無理矢理に引き上げる。

 

「おらウスノロ、早く立て。お前のせいで魔国連邦の奴らは何人も死んだんだぞ。その落とし前、この程度で付けられると思うなよ?」

 

と、さっきミリムに言っていたような言葉をぶつけ返す。能力を封じられ、精神的にも肉体的にもボコボコにされたクレイマンは、随分と干からびたような顔をしていた。まぁとは言え、全く同情心は起きないのだけれど。

 

「シオン、30秒いいぞ」

 

と、紫苑には俺の10倍程の時間がリムルから与えられた。まぁこいつのせいで1度殺されたのだからむべなるかな。

そして訪れるのは紫苑の拳の雨あられ。俺は再びクレイマンを氷で拘束してクレイマンをサンドバックのようにしておく。

 

それが終われば、今度はリムルの番だ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

クレイマンは結局、リムルにその存在を丸ごと喰われてこの世界から消え去った。

クレイマンの後ろにいる黒幕、呪術王(カースロード)カザリームとかいう存在も聞けた。

 

そして、俺達2人も無事魔王として承認された。しかし、ここでフレイとカリオンが魔王を降りると言い出したのだ。どうやらフレイは今の戦いで自分の実力不足を感じ取り、カリオンはミリムに負けたのにいつまでも魔王なんて名乗っていられないとのこと。これで10人いた魔王から3人消え、2人増え、都合9人となった当代の魔王。

 

これまでは人間が勝手に呼び出した"十大魔王"を名乗っていたらしいのだが、どうやらそれも使えないらしい。……呼び方とかどうでも良くね?と思ったが威厳の問題らしい。魔王とやらも案外大変な世界のようだ。

 

で、早速名前を考えろ、その仕事は魔王の数を変動させたリムルに任せる、という流れになった。ネーミングセンスに自信の無い俺は誰に気付かれることもなくホッと一息吐いたのだった。

 

「分かったよ……、そうだな……九星魔王(エニアグラム)ってのはどうだ?9つの図って意味合いなんだが……」

 

と言うリムルの言葉に、魔王達は大喜び。どうやらお気に召したようだ。しかも、前回の十大魔王はそれだけで3か月掛かったらしい。しかも、その間に人間に付けられたのを仕方なく呼称していたのだというのだから、コイツら暇なのだろうか。そして与えられる2つ名。その後の行動次第で別のものになったりもするらしいが、取り敢えずリムルは新星(ニュービー)、俺は異分子(イレギュラー)、どうやら本当に人間族のまま魔王になった奴はこれが初めてらしい。人から魔王になったレオンも、今は人魔属とかいう種族になっているのだとか。後はまぁ、今回のクレイマンの策謀の暴き方があまりにも滅茶苦茶だったから、というのも含まれているらしいが……。

 

2つ名とか、止めてほしいんだけどな。武偵の時もそんな文化あったけど……。正直小っ恥ずかしいだけだと思う。そんな風に呼ばれても。

 

その後は支配領域の確認。今回変更があったのはミリムの支配領域にカリオンとフレイの元支配していた領域が加わったくらい。ジュラの大森林はそのまま全域をリムルの支配領域として認めるのだとか。で、俺は当然領域無し。これまでも実質支配していた領域なんて無かったからな。

 

そして魔王の指輪(デモン・リング)なる魔王間での通話と宴会場までの門を開く機能のある道具を渡された。

……ここに来るまでに、俺達はラミリスの先導の元、最終的には他の魔王を迎えに来た奴に相乗りさせてここに来たのだが、これがあるならあの手間は要らなかったのではなかろうか。まぁ、ラミリスの一挙手一投足に対して一々突っ込んでいたらキリが無い。疲れるだけなので俺は忘れることにした。

 

これで宴は終わりだ。だが俺の胸の中に去来したのは安堵ではなく焦り。

ここ2年くらい、ずっとリムルと一緒に魔国連邦の発展やら何やらを手伝ってきたけれど、俺の目的はそれじゃあない。あそこが快適で忘れそうになるが、俺とリサは自分達のいた世界へと帰るのが目的なのだ。魔国連邦はそのための拠点に過ぎなかったはずで、俺もそろそろ動き出した方が良いのかもしれないな。

 

もっとも、どうすればいいのか検討も付かないのだ。リムルも異世界から来た人間な以上、リムルを殺してもきっと俺とリサはこの世界から弾き出されない。じゃあ誰だ?ミリムか?他の魔王か?それとも、人間だろうか。

 

俺は胸の中に凝りを抱えたまま、魔王達の宴の席を後にするのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

切っ掛けは些細な一言だった。

 

「ところでリムルさん。リムルさん以外で、この国で最強なのは誰なんですか?」

 

アルノーとかいう聖騎士が発したこの一言が、この国どころかこの世界を大きく動かす一言になってしまったのだ。

 

アルノー、坂口日向に次ぐ実力者。何故そんな奴が魔国連邦にとも思うが、ヒナタが聖騎士100名を連れて魔国連邦へ進軍。それをリムル達が迎撃し、仲直りの印にと魔国連邦へと招待。そこで酒を酌み交わしている時のことだったのだ。

俺はその戦いには直接は参加していない。最後の守りの要として後ろに控えていたからだ。結局、俺の"魔王が2人もいる国に喧嘩ふっかける奴はいないだろう作戦"は完全に無駄足に終わっている気がする。まぁ、全軍を率いてやってこなかっただけマシなのかもしれないが……。

 

だがまぁ、そんな中に含まれていた彼の一言で宴の席は紛糾。どうやら先の戦いでも序列決定戦なんてやっていたみたいで、じゃあいっちょお互いに戦ってみるかという話の流れになってしまった。

 

俺はそれを眺めていただけなのだが、ヴェルドラの野郎が「ついでに魔王の実力も見てみたい」なんてことまで言い出したのだ。それに加え、他の幹部連中までもが俺とは本気で戦ったことないな、などと言い出す始末。紅丸辺りは俺とミリムの戦いを間近で見ただろうと言い返してはみたものの、あの時からどれだけ力を付けられたのか試したいんだとか。

 

「アホか、俺の力は腕試しにはこれっぽっちも向かないだろう」

 

白焔の聖痕も、究極能力も、どちらもこういう真っ向勝負や力試しには向かないのだが───

 

「能力が使えなくても白兵戦での実力も試したいんだよ」

 

と返されてしまった。

 

「……そう言えば、カミシロさんは人間なんですよね?」

 

と、年齢だけなら俺より歳上のはずのアルノーは、しかし俺にも敬語だ。一応、リムルが最初に俺のことも魔王だと紹介したからだ。

 

「あぁ、はい」

 

「それなのに何故?魔物の国にいて、しかも魔王にまでなるなんて」

 

と、ヒナタも俺の素性が気になるようでその切れ長の瞳でこちらを見据える。

 

「大したことじゃない。……ただこっちに来て初めて会った奴がリムルで、俺はここの発展を手伝う代わりに元の世界へ帰る方法を探してる」

 

「……名前で何となく分かってたけど、貴方もなのね」

 

「あぁそうだ、坂口日向。俺はタカト・カミシロじゃあない。神代天人だ」

 

この世界でも異世界人は珍しいが、いないこともない。ヒナタはその本人だし、他の聖騎士だってそういう存在を知っている奴は知っているのだろう。そこまで驚きの反応は出なかった。

 

「まだ、諦めていないのね」

 

「当たり前だ。石に齧り付こうが泥水を啜ろうが、俺はリサと一緒に元の世界へ帰る。絶対に」

 

 

俺の決意を聞いて、この場にいた皆が押し黙ってしまう。ただヒナタだけが「そう……」と呟くのみ。

 

「ま、それだけだからさ。俺は俺とリサ、それからこの国に危害を加える気の無い奴まで一々相手をする気もねぇ。手を取り合いたいと思うなら俺達も手を差し伸べるよ」

 

これは、リムルの方針だ。相手の鏡のように接する。拳を振り上げる奴には拳を、握手を求める奴には同じく握手を。離れる奴を追うことも無い。それだけだ。

 

俺の言葉に少し安心したのか気が抜けたのか、俺達の宴はまた元の騒がしさを取り戻した。

 

 

 

───────────────

 

 

 

どうせなら6万人くらい収容できる大きさのスタジアムが良い。という俺の提案はあっさり却下された。そんなものを作っている時間もノウハウも無いのだとか。いやいや、だからって1万人程度の収容じゃ少ねぇだろと言ったのだが、増築もできるようにするから今はお試しで1万人だとリムルに押し切られたのだった。

 

何の話か、俺が今いるのは魔国連邦に作られた闘技場(スタジアム)。ここで数日掛けて行われたのは魔国連邦の腕自慢の幹部連中と一般公募から募り、実力を示した奴らによるトーナメント戦の武闘大会。そして今、その決勝戦が終わったのだ。優勝は紅丸。相手はリムルの呼んだ悪魔ことディアブロ。これを僅差で紅丸が下して見事リムルの臣下最強の称号を手に入れたのだ。

 

そして明日に予定されているのはこの大会の優勝者と俺とのエキシビジョンマッチ。魔国連邦にいる幹部連中の実力を見れるとあって、この大会は大盛況。しかも明日にはこの国に居を構える魔王が1柱の戦いも見れるとあって会場は既に大盛り上がりだ。

 

だが、そんな観客の思いは全く斜め上に裏切られることになる。

 

 

 

「魔王ミリムが魔王タカト・カミシロにこの場で決闘を申し込む!!」

 

 

 

と、この大会の最後の方で実況を務めていたミリムがいきなりマイクを通してそんな言葉を叫んだのだ。しかも───

 

「よもや魔王ともあろう男がこの挑戦から逃げるなんてことがあるまいな?体調不良なんて許さん、リムルに回復させてもらうのだ」

 

と、逃げ場を塞がれてしまった。そんなことをされては俺も前に出るしかない。このスタジアム、観客席の周りには様々な結界が張られており、安全性は世界一だ。多分核ミサイルを落とされても問題ないだろうってレベルで。

 

当然、俺とミリムが暴れても多分平気。……白焔の聖痕を使うと結界が問答無用に壊れてしまうから使えないけれど、どっちにしろ魔素による攻撃は全部氷焔之皇で凍結、燃焼できるから問題はあるまい。

 

そしてこの大会、魔国連邦の示威行為でもあるのだ。幹部連中の強さを各国のお偉いさん方に見せつけ、喧嘩を売りたくなくなるように仕向ける。それがリムルの計画だった。

 

俺は、前はともかく現状においては魔国連邦の軍へ組み込まれているわけではない。元の世界へ帰るための手段を探す拠点としてここに住まわせてもらう代わりにこの国に(主に軍事的に)貢献する。というのが俺とリムルの本来の関係性。まぁ、なので実際のところはほぼ魔国連邦の1戦力として数えられているし俺もそれに思うところは無い。

 

そんなわけで、俺だって仮にも魔王を名乗るのだからいくら相手がミリムとは言え、この場で引くことは許されないのだ。

 

「分かってるよ。相手してやる」

 

と、俺もスタジアムへ降りてミリムと向かい合う。ミリムは「それでこそ」と口角を上げて拳を構えた。

本当はこのエキシビジョンマッチは予定には無かったのだがちょうど良いだろう。この国の最大戦力である"魔王"の力を誇示してやろう。

 

「リムルも、いいか?」

 

一応、リムルにお伺いは立てておく。実はこの後は魔国連邦周辺の地下にリムルとラミリスが作ったアトラクションのような大迷宮をお披露目する予定なのだ。

そっちの方は俺はそんなに関わっていないから詳しくは知らないけどな。時間的にどうなのだろうか。

 

「あぁ、いいぞ。天人、お前の力を見せてやれ」

 

「……じゃ、許可も降りたし───」

 

「あぁ、やろう」

 

俺達が拳を構える。すると、さっきまでミリムと一緒に実況をやっていたソーカが再びマイクを構えた。

 

「突然決まったエキシビジョンマッチ!!しかし!方や最古の魔王が1人、破壊の暴君(デストロイ)ミリム・ナーヴァ!そして相対するは魔国連邦が誇る最高戦力にして新たなる魔王が1柱、タカト・カミシロ!!古き時代より君臨する魔王に、人の身ながら世界の頂点へと登り詰めた彼は果たしてどんな戦いを見せるのか!!……試合、開始です!!」

 

ソーカの声と同時にミリムが俺に突貫してくる。俺も既に聖痕は全開だ。思考加速も併せて解放し、振るわれた拳を後ろに受け流す。

 

 

───ドォォォォォンン!!

 

 

と、スタジアム壁面へとぶつかるミリム。その音だけで空気が大きく揺れた。初手から超音速の一撃に、観客も凍り付いたように静まり返っている。だが俺達の戦闘は始まったばかり。ミリムは即座に俺の懐に入り込み、インファイトを仕掛けてくる。前に1度戦った時の経験から、魔素を用いた大技では俺を倒せないと分かっているのだろう。常に氷焔之皇で探っているが、そういう能力を使おうとする反応は見られない。

 

ミリムの、姿勢を落として俺の足首を刈り取ろうとする蹴りを、その蹴り足を踏みつけることで押さえ込む。しかしミリムはその踏まれた足を振り上げて俺を空中に放り出す。そして俺の目線の高さまで飛び上がったミリムは裏拳で俺の頭を打ち砕こうとする。

 

俺はそれを同じく裏拳で迎え撃つ。バチィッ!!とお互いの拳がぶつかり合い、そして2人共反対側の壁面へと吹き飛ばされた。

 

だが次の瞬間には俺達はスタジアムの中央で再び拳をぶつけ合う。その衝撃波がこの空間に伝播するがそんなものはリムルが抑え込むべきもので、俺達はそれを意識すらしない。

 

俺はミリムの振るった右腕を左手で掴み、右腕で肘打ちを放つ。それはミリムの左手で受け止められるが俺は掴んだ右腕を投げながらその腹に蹴りを叩き込む。

 

当然ながら俺達の打撃はその全てが音速を遥かに超えている。空気の壁を切り裂き、大気がソニックブームを発生させる形で悲鳴を上げ、ウェイバーコーンが涙のように散る。

 

俺の蹴りを受け吹き飛んだミリム。しかし次の瞬間には紅色の角が頭から生え、漆黒の鎧に身を包んだミリムが現れる。

それは、あの時の戦いで見せようとした姿。あの時はリムルが間に割って入ったからその力を見ることは無かったが、今日はそれも無い。少なくとも、何合かは打ち合えるだろう。

 

俺はミリムの拳を受け流すとそのまま返す力で頭に肘打ちを叩き込む。しかしミリムはそれを角の根元で受け止め、力技で押し返す。

俺は前蹴りを入れてミリムを押し返そうとするがそれはミリムも読んでいたのか、脚で腹への一撃を防がれる。

 

左のフックも腕でガードされ、ミリムの、俺の顎を狙った蹴り上げは身体を逸らして躱す。しかしミリムはその蹴り上げた脚で今度はカカト落としを狙ってきた。それを後ろに跳び退り躱すがミリムの追撃の拳が眼前に迫る。

 

俺はそれを後ろに仰け反りながらも空振りさせると、そのままの勢いでサマーソルトキックを放つ。それがミリムの顎をカチ上げた。さらに俺は両手を床に付いた体勢から重力操作のスキルで無理矢理に体勢を動かし、ジャンピングボレーのような形でミリムの頭を横から蹴り抜く。

 

壁面に叩き付けられたミリムはそれでも俺の眼前へと瞬間移動みたいな速さで迫る。しかし、振るわれる拳を避けながら俺は、その顔面に掌底を入れて地面に叩き落とす。

 

リムルの結界により崩壊を免れた床の石はミリムの身体を跳ね上げる。俺は浮いたミリムを蹴り上げると自分も急上昇、裏拳でミリムを地面へと再び叩き返す。その一撃は腕をクロスすることで防がれたが地面へと激突するミリム。

 

俺は自由落下に任せて地上へと降りるが、着地した瞬間に、姿勢を落としたミリムが再び俺の足首を刈り取ろうと脚を振るう。それを軽く飛びながら避け、そのまま頭にもう一度蹴りを叩き込む。

 

それでもミリムはその闘志を萎えさせることなく俺へと向かって来ようとするが───

 

 

───バリバリバリバリバリ!!

 

 

と、俺とミリムの間に黒い雷が落ちる。どうやらリムルの合図のようだ。それを受けたソーカも───

 

 

「け、決着です!!勝者は……タカト・カミシロ!!」

 

 

ミリムが俺に一撃も当てられなくなってきたことで、決着ということにするらしい。それはミリムも分かっていてるのか、ソーカの声を無視することなく角と鎧を引っ込める。

 

「……大丈夫か?」

 

と、仮にも女の子の顔を殴ったり蹴ったりしてしまったので声を掛ける。殴り合いなんてしたけれども、俺は一応はコイツの恋人ってことになっているからな。

 

だが、当のミリムはと言えば───

 

「むぅ……」

 

決着に、というより俺に心配の声を掛けられたことが納得いかないようだった。ただ「大丈夫だ」とだけ返してスタジアムの中へと消えていった。戦闘の時間は実際のところ、数分と経過していないらしい。それでも肉弾戦だけで人知を超えた戦いを披露した俺達には観客席から惜しげも無く拍手が贈られてきた。

 

こうして、幹部連中の自己アピールから端を発した魔国連邦の戦力お披露目会は幕を閉じることになった。観客達はこの国の脅威と興奮を、俺とミリムの間にはちょっとした亀裂を生んだ武闘会はしかし対外的には大成功に終わったのだった。

 

その裏で、ひっそりと紅丸と俺の試合がお流れになったことは、多分紅丸本人も気付いていない。

 

 

 



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東の帝国/天魔大戦

 

ユウキ・カグラザカこそが諸悪の根源である、らしい。俺は元武偵ではあるがそういう諜報には疎い。基本的に、持ち込まれた情報を元に強襲を掛けるタイプの武偵だったからだ。本音はまぁ、細かい仕事は苦手ということに尽きるのだけれど。

 

そして、ヒナタ率いる西方聖教会──から今は名前を変えて自由調停委員会、とか言ったか──や魔王レオン、更には魔王ルミナスともいつの間にやら協力関係が構築されていた。俺はそんな風に世界が魔国連邦とリムルを中心に動いている中、1年丸々異世界へ渡る手段の研究や土木工事に汗を流していた。

 

何でも、鉄道を引くとのことで人手が欲しかったらしい。俺と一応雇われの身なので嫌とも言えずに手伝っていたのだ。

そしてその合間での研究。と言ってもこちらはあまり成果は芳しくない。やはり、元の世界へ戻るのは相当に難しそうだ。

 

俺の手に入れた究極能力もそういう移動系では無いし、リサも特に俺の魔王化に際して能力を得たりはしていない。

 

リムルが名付けた魔物達は大なり小なり能力や力を手に入れているのだが、俺とリサにはそれは無い。何せ、いくら将来を誓い合おうが肉体関係にあろうが、言ってしまえばそれだけなのだ。俺とリサは、肉体的にも魔法的にも完全に他人同士でしかないのだから。

 

だが別にそれを俺達は悲観していない。リサは戦う人間ではないのだから、それで何も問題は無いのだ。

 

そんなことよりも大きな問題が目下に1つ。

それは、俺達が評議会に招集されたのだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ジュラの大森林周辺の諸国は寄り集まって評議会なるものを立てている。そして、その集まりはいつもイングラシア王国で開かれているとのこと。そして、魔王リムル、というか魔国連邦に対してもお呼びが掛かったのだ。

 

目的は東の帝国。どうやらブルムンドが火種を抱えていたジュラの大森林の向こう側の帝国に動きがあるようなのだ。結局のところ、魔王が2人になったからと言って、そもそも魔王の存在そのものが人間に舐められていては意味が無い。帝国が進軍してくるというのはそういうことなのだろう。

だがそれはそれとして、評議会としては俺達の戦力を利用したいらしい。

 

魔国連邦としては、どちらにしろ帝国とは戦争になるのだからこっちのやりたいようにやらせてくれるのなら利用されるのも悪くない。

むしろ、奴らを上手く利用して今後魔国連邦の利益になるように誘導したいというのがリムルの考えだった。

そういう細かい話は俺には分からんので今回は不参加。護衛は紅丸、朱菜、蒼影だ。今更俺が人間の国へ行ったところで有益な情報は得られまい。むしろ、今や魔国連邦の方が魔法やら何やらの研究は進んでいるのだから。

 

そして、リムル達が帰ってきた。一応事の顛末は蒼影の配下みたいな影から伝え聞いていた。どうやら人間側は俺の思ってた以上に随分とリムルを舐めていたようだ。結局、腕力に屈して魔国連邦に超有利な条件を無理矢理に嚥下させられたようだった。

 

そうして俺達が準備を整えている間に───戦争が始まった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺の前には100隻の飛行船。

この世界にも航空兵器があるのかと驚いた。

 

俺が氷の上に立ってそれを眺めていると、飛竜(ワイバーン)に乗ったガビルが俺の横に並び立った。

 

「まさか普通の人間達も空を飛べるとは思わなんですな」

 

「どうせ原理は魔法だろうし、大したもんじゃねぇだろうが……リムルが幾つか捕獲してきてくれってさ」

 

気持ちは分からなくもないが、また面倒な依頼だ。全部ぶっ壊して沈めるだけならわけないが、鹵獲となると中の奴らを退かさなきゃならない。すると必然、侵入の必要も出てくるのだ。

 

「まぁいいや、取り敢えず俺が2,3隻残してあと全部潰すから、中制圧してとっ捕まえようぜ」

 

「承知」

 

ガビルからの返答があった瞬間には俺は氷の槍を雨あられと飛行船団に叩き付け、キッチリ3隻残して残りを海の藻屑に変える。

 

何やら防御手段を用意していたみたいだが、そんなのものは俺の氷焔之皇を纏わせた氷の魔槍には効果が無い。氷焔之皇からもたらされた魔素も大したことはなかったし、これも所詮俺達の敵ではない。

 

「じゃ、後は残ったヤツの中に侵入。船はなるべく壊さないように鎮圧だな」

 

と、横で呆れ顔を晒しているガビルにそう声を掛け、俺は適当に真ん中の船へと近付いた。

リムル的には多分1隻あれば十分なのだろうが、制圧戦なんてものはガビル達はやったことないだろうし、飛行船なんて見たこともないから間違って船を沈めてしまうかもしれない。もちろん俺だってジャックは解決する側であってする側じゃなかったからな。トチる可能性も無くはない。2,3隻残したのはその保険程度の気持ちではある。

 

そして、俺は楽々と1隻の船の内部に侵入し、迎え撃とうとする兵士達を氷の槍で串刺しにしながら中を探索していく。途中リムルから「全員本気出して敵を潰せ」的な放送が入ったが多分その全員に俺は含まれていないので無視。

 

少し船内を歩くと、何やら騒がしい部屋が1つ。俺がその部屋の扉を開けると───

 

──ベシャアッ!!──

 

と、いきなり何かが飛んできたのでそれをしゃがんで避けた。見れば、首の無い男の死体だった。

 

「……何の嫌がらせだよコレ」

 

と、俺がその部屋に入るとそこはまさに地獄絵図。紫紺の長いポニーテールをした美少女が血塗られた部屋の真ん中に佇んでいたのだ。

 

確か、ディアブロが連れてきた悪魔の1人で、ウルティマとかいう名前をリムルに付けられていた筈だ。

 

「あぁ、タカト・カミシロ、だっけ?リムル様の御友人の」

 

興味無さげに振り返ったそいつは手に持っていた頭を適当に放り投げた。どうやらこの部屋はウルティマによって完全に皆殺しにされてしまったらしい。

 

「かわい子ちゃんの覚えが良くて何よりだよ。……あぁ一応、そのリムル様のご命令でこの船何隻かパクってくから、あんま物壊すなよ」

 

「はーい」

 

と、随分と気だるげだがやることはやっているらしい。どうやらこの部屋にいた奴らの頭から記憶や知識だけを抜き取って情報を仕入れていたのだとか。しかし、これどうやって鹵獲するか……。俺、流石にこんなの運転できないし、神機使って捕食するか?いや、流石にそんなに大口開けるのもなぁ。あぁそうだ。

 

「お前、この船動かせるならリムル様の元へ持って帰ってくれるか?」

 

「……あんたに言われなくとも、リムル様のためならやるよ」

 

コイツらがリムルに従順で助かったぜ。おかげで俺も楽できそうだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

特に被害も無く俺達は帝国の第1陣を殲滅した。どうやら24万人がこの戦いに動員されていたらしいがその全てが死んだのだとか。リムルの元へは24万もの魂が捧げられたから間違いないとのこと。その代わりに、魔国連邦側の死者はゼロ。負傷者は出たがそれも全員回復薬で治療済み。幾つかの戦車の残骸とウルティマの持ち帰った飛行船が戦利品だ。

ガビル達はどうやら鹵獲には失敗したらしい。失敗したと言っても、やられたわけではない。ただ単に加減を間違えて船を沈めてしまったのだ。まぁ、船内で戦いながらの鹵獲なんて難しいにも程があるし、仕方あるまい。

 

そしてその1週間後、帝国の本隊が魔国連邦近郊へと到着した。しかしそこにいた70万の兵士もその命の尽くを散らし、リムルの元には合計で94万もの魂が捧げられることになった。

 

しかも、この本隊との戦いに俺は参加していない。というか、俺が出るとそれだけでほぼ戦いが終わるので、他の奴らに経験を積ませる為という名目で俺は後ろに控えさせられたのだ。

 

そして、戦争は一旦小康状態へ。残る300隻の飛行船団こそが帝国の真の力なのだとか。

しかし、それらがこちらにやって来るには多少時間が掛かる。その間、リムルは配下の魔物達を強化させる腹積もりらしい。

 

先の戦いへの報奨として捕まえた魂を代償に特に戦果の大きい魔物達へと更なる力を授けるリムル。一応俺にも褒賞はあったのだが、俺への褒美は魂を捧げることによる強化ではなく、世界を渡る研究を進め、その成果があれば俺とリサを元の世界に返す約束をするというものだった。

 

あと紅丸とテングのモミジって奴が結婚した。

 

まぁ、それはともかくとして、第2陣の動きをリムルの構築した遠距離監視システムで眺めていた時、リムルが急に叫ぶ。何かと思えば、さっき何やら慌てた様子で出ていったヴェルドラの進行方向にその帝国の第2陣があるのだ。つまり、あと小一時間でこの世界最強たる竜種と最強の軍事国家である東の帝国とが激突する。だが───

 

「……竜?」

 

ヴェルドラと帝国軍飛行船団の間に現れたのは真紅のオーラを纏った巨大な竜だった。その体格は、ヴェルドラとほぼ同じ。そして、帝国軍の飛行船が後ろへ退避したことを確認した紅の竜はヴェルドラと向かい合う。この時はこの竜がヴェルドラの姉でありコイツもまた世界最強の竜種であるなどとは知る由もなかった。

 

だがそれは俺の事情。アイツらにはそんなことは関係なく、今ここに、世界最悪の姉弟喧嘩が勃発したのだった。

そして、それをただボケっと眺めていたのは失敗だったのだろう。何せ、後ろに控えていたと思っていた100隻の飛行船が再び戦域に入り、あまつさえ甲板に人間共が現れるなんて考えもしなかったのだ。そして、光り輝く鎧を纏った男がヴェルドラに向けて両手を翳すと───

 

「お待ちくださいリムル様!!今出向くのは危険です!!」

 

いきなりリムルが静止を振り切り、ヴェルドラの元へとワープしていってしまったのだ。

 

「あぁもう!先行くぞ!」

 

俺は他の幹部連中を置いて外へ飛び出す。

強化の聖痕を開く、対象は俺の肉体と重力操作の能力。爆発的に強化されたそれをもって俺は大空へと飛び出した。俺にはリムルみたいに色んな便利能力は無い。魔王へと至ろうがそれは変わらない。

 

そして、そんな俺の移動速度はそんなに早くはない。ていうか、それでも超音速で移動しているのだ。瞬間移動だのなんだのと、この世界の上位に位置する奴らが異常なのだ。

 

いくら聖痕があらゆる世界の力の源になっているとは言っても、使うのは所詮俺のような人間ということだ。

 

そして、俺が戦場に辿り着いた時には───

 

「誰もいねぇじゃねぇか!?」

 

リムルはおろか、帝国兵すらもいなくなっていたのだ。だが、どうやら訳分からんくらいに激しい戦闘があった痕跡はある。一応、ここで戦ったらしい。

 

「あぁ、タカト様」

 

と、せっかく着いたのに置いてけぼりを喰らって頭を抱えている俺に話しかける奴が1人。誰かと思えばよく知らん悪魔だった。またぞろディアブロの奴か、アイツが連れて来た強い悪魔共の誰かが更に連れてきたのか召喚したんだろう。

 

「どうせそのうち来るだろうから伝令役を仰せつかりました。リムル様達は帝国へと向かったようです。如何します?」

 

「……もう、どうでもいいです。帰ろ……」

 

どうせ何かあればまた呼び出されるだろう。

そうして俺がトボトボと、と言ってもひとっ飛びで傍から見たら何事かと思われるような速度を出してはいたのだけれど、そんな風に魔国連邦へと戻った俺は、そのまま大迷宮の管制室へと戻った。そこには紅丸が控えていて、俺が戦場に到達した時には既にそこがもぬけの殻になっていたことも把握していたらしく、俺の顔を見るなり苦笑いだった。

 

「……あぁ、俺が出た後何かあった?」

 

「あぁ、色々あったぞ。魔王ディーノが裏切ったり天使が何人か攻めてきたりな」

 

「……めっちゃ色々あるじゃん───」

 

「まぁ、どれもリムル様の予測の範囲内だったけどな。おかげで俺達の被害はほぼゼロだ」

 

「そりゃ良かった……」

 

全部予測してたってのは凄いけど、多分リムルじゃなくてラファエルさんの予測なんだろうな。まぁ、あれもリムルの能力だからどっちでもいいんだけど。

 

と、一息付いた俺達に知らされた新たな動き。それは───1ヶ月後に天使達が攻めてくるというものだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

戦争は思ったよりあっさりと始まった。

ヴェルダとか名乗る神楽坂の肉体を使った奴がこの世界を滅ぼすと宣言し、そして天使達が一斉に攻めてきたのだ。目標は各魔王の居城。当然、俺達は情報共有を行っており、しかもリムルが各魔王の城に転移用の門を作ってあるのでわりかし簡単に手助けにも出られる。

当然、人間側にも手を貸すように言ってある。というか、協力しなきゃどっち道全員滅ぶのだ。四の五の言っていられる状況ではない。

 

だが、戦争が始まって少しすると、問題が発生した。なんと、魔王ダグリュールが裏切り、魔王ルミナスへと軍を差し向けたのだ。

 

いくら魔王ルミナスと言えどダグリュール達とまで戦ってはいられない。しかし、なんとミリム達の方でも問題が発生。なんと、ミリムを上回る力を持つ奴が現れたのだ。しかも、個々人だけでなく、元々カリオンやフレイの手駒だったミリム軍すらも押され始めている。どうやら敵は相当に力を付けているらしいな。

 

「……天人、紫苑、ルミナスの方へ向かってくれ。ミリムの方は俺が行く」

 

ミリムは何やら怒り狂っていて敵の思う壷らしい。急に現れた銀髪の女、どうやら攻撃力は無いらしいがその防御性能はミリムの本気パンチすら凌ぐほど。どっち道、俺かリムルのどちらかでしか対処できまい。

 

そして、ルミナスの構えるあの地点は防衛上、絶対に落とされてはならないのだ。あそこが陥落すれば天使軍は即座に西方諸国へと乗り込むだろう。そうなると俺達はともかく人類は絶滅を免れない。であるならば防御性能だけならリムルをも凌ぐ俺がそっちへ向かうべきという判断だ。

 

そして、それには俺も同意する。ミリムの元へ行けないことに思うところがないわけではない。けれども今は私情を挟んでいる場合でもない。俺はリサと1つキスを交わし、生きて帰ると誓う。そして、紫苑と一緒に転移門を潜る。俺達は吸血姫にして夜の帝王たる魔王ルミナス・バレンタインの元へと馳せ参じたのだった。

 

だがそこにいたのは、長椅子にしなだれかかる戦時中とは思えない程に気の抜けたルミナスだった。

 

「たかが天使との戦いで応援を寄越すとは」

 

「……魔王ダグリュールが裏切ってここへ来る。俺達はそれを迎え撃つ為に来たんだ」

 

と、俺達が突如やって来た目的を告げるとルミナスは余裕そうだった表情を一瞬で凍り付かせた。そして、ちょうど時刻も夜になり、暗いのは嫌いなのか天使達も一旦引き上げたこともあってか、ルミナスは7大貴族や七曜の老師や聖騎士アルノー等の幹部をまとめて呼び出した。

 

そして、紫苑が皆にリムルの予測を伝える。当然、人間側は混乱する。空と地上から挟み撃ちにされ、ここが落ちれば一気に中央まで崩されるのだから。魔物達からすれば、最悪人間が滅びても問題は無いので落ち着いたものなのだが……。

 

だが───

 

「静まれ」

 

と、ルミナスの低く冷たい声が響く。この地はさっさと捨てて、新たなる土地を探そうという者とここを死守しようとするもので意見が割れていたのだ。だがルミナスの思いは1つ。誇りにかけて、この地を捨て人類を贄としてまでも逃げることは許されないと。生きるために生きるのではない。誇り高く生きるために天使達に背は向けられないというのだ。

 

「当たり前だ。そのために俺達が来たんだ」

 

「……タカト、我儘だと分かってはいる。けれど、私を魔王ダグリュールと戦わせてはくれないか」

 

と、紫苑が俺に問う。

 

「分かった。天使の方は俺と、あと数人いればここに来る奴らは全部潰す。残りは全員ダグリュールの軍団を相手してくれ。紫苑とダグリュールの戦いを邪魔させるな」

 

ダグリュールがここへ到着するのは戦争開始から3日目、明日は全軍でもって天使達の迎撃だ。ここに来る天使達は数こそいれど個々人の能力も連携も大したことはないらしい。その上、今この瞬間にも紫苑の親衛隊達が続々とこの城へ転移してきている。勝負の時は3日目だろう。

 

そして2日目、俺の先制攻撃である氷焔之皇を纏わせた氷の魔槍の雨で一息の間にルミナスの城に攻めてきた天使はその数を6割程減らした。

だが、普通これだけ減れば撤退も止む無し、どころか逃げ帰って当たり前の状況なはずなのに、天使共はその歩みを止めない。

 

だが、止めないならそれでも構わない。むしろ、魔王になってから発動速度も威力も段違いに上がった氷の槍を試す良い機会だ。

 

しかも、最近は聖痕の最大出力が随分と上がっているように感じる。いくらこの力の根源に限りがないと言ってもそれをコントロールするのは人間の肉体。つまりはまぁ最大出力ってのは存在するわけで……。まぁ既に細胞単位で昔の俺とは別人なのだが……。それはそれとしてここ最近は限界値がかなり上昇しているようだった。

 

肉体強度そのものはオラクル細胞を取り込んでからはそう変わっていないはずだが強くなる分には構わない。俺は自身の性能実験を無数の天使共を相手に行わせてもらうことにしたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「また随分滅茶苦茶したな」

 

と、まだ太陽が空の頂点に来る前にやって来た天使達全てを撃滅した俺の元へ、ルミナスが呆れ顔でやって来る。

 

「これでも一応、魔王なんでね」

 

「ふん。種族は人間のまま、それ程の力を振るうなんて、そうそう聞いたことがないな。まるで……」

 

「勇者、みたいか?」

 

「……あぁ」

 

「はっ、俺はそんなご立派なもんじゃないさ───」

 

「今の状況を教えてあげるよ───」

 

と、俺が更に言葉を続けようとしたところで再び世界にヴェルダが姿を現す。そして告げたのは、リムルの消失と、それを成したのがミリムだということ。そして7日後に世界に神の雷を落として滅ぼすということだった。

 

ヴェルダがその姿を再びどこかへ消した瞬間、紫苑やルミナスが色めき立つ。だが、敵の言葉をそこまで信用していない俺は2人を押えた。どうやら紫苑はリムルとの繋がりが絶たれたことを感じ、奴の言葉をすんなりと受け入れたようだった。

 

「待て待て。そうだな……紫苑、お前確か、リムルから何か加護みたいなの受けてただろ?あれは残ってるか?」

 

と聞けば、リムルから受けた加護はまだ働いているみたいだった。つまり、リムルは姿を消しただけでまだ生きているはずだ。死ねば、加護も消えるだろうからな。後は他の奴らがどれだけそれに気付けるのかだが、まぁ蒼影達もいるしどうにかなるだろう。

 

「本当に手酷い傷を負って隠れたのか、何か作戦があるのかどうかまでは知らないけどな。ともかくリムルはまだ生きている。生きてるなら……まぁアイツのことだ。どうにかするだろ」

 

「……そうだな。私としたことが、取り乱してしまったようだ」

 

いや、お前はいつも取り乱してるだろう、とは言わぬが花。言って無駄に殴られたくはないしな。

 

とは言え最近は紫苑もだいぶ落ち着いてきた。親衛隊とか言う部下を預かる身になったからなのかな。まぁ落ち着いているのは良いことだ。

 

そして迎えた3日目、遂にダグリュールの軍勢10万が俺達の視界に入った。だが天使達は来る気配を見せない。警戒は怠れないが、昨日のあれでこっちに回す予定だった天使共が全滅したというのならそれはそれで良い。挟み撃ちになる心配が無いのなら俺も思いっ切り暴れられる。

 

「じゃあ紫苑、先制攻撃は俺からだ」

 

「あぁ」

 

もはや定番となりつつある俺の先制氷槍。相も変わらず上空から氷焔之皇を纏わせた氷の槍を降らせるだけなのだが、単純にして明快なこの技を防ぐには物理的な防御しかない。だがそれも、1本が2,3トンはあろうかという鋭い槍が雲の上から音速を遥かに超えて降り注ぐのだ。これで生き残れる生命体は、そうは存在しない。

 

そして天空より乱れ落ちる氷の魔槍。それは巨人達の持つ能力や防御魔法を貫き、全て俺の力へと還元し、その肉体を穿ち砕く。

 

しかし、それで6割程の巨人を屠ったものの、それ以外は仲間の死にも空から降り注ぐ槍にもその足を止めることなくこちらへと走り続ける。どうやら防御手段は貫通したものの、凄まじい勢いで身体が再生しているらしく、即死した巨人以外は次々に起き上がって向かって来ているのだ。

それに、こう何度も同じやり方をやっていればそろそろ作戦も読まれようもので、巨人軍の中でも上位に位置すると思われる奴らはそもそも槍を避けて無傷に近い。

 

紫苑とその配下の魔物達はルミナスの張った結界の外に構えている。何せ彼女の結界は魔物達を弱めるような仕組みになっているのだ。そして、おかげで紫苑達と巨人共はもうすぐぶつかる。

 

入り乱れてしまえば俺の槍の雨は使い辛い。撃てる内に撃ちまくって1人でも多く削ろうと、俺は槍を撃ちまくる。

 

だが、数が減り、更に避けやすくなったらしい俺の槍は次々に躱されている。これ以上はどうにも無駄らしい。後は各個撃破するしかないか。

 

俺は紫苑の横に並び立つ。上背のある紫苑と俺の目線はほぼ同じ。

 

「ダグリュールはお前がやるんだろ?」

 

「任せてくれるのか」

 

「死にそうになったら嫌でも割って入るさ」

 

「分かってる。私は死ぬわけにはいかんからな」

 

きっと紫苑が死ねばリムルの心は再び荒れ狂うだろう。ヴェルダや、それに操られているらしいミリムに、その他にも強い天使もいるかもしれない。それに、イングラシアでユウキの元にいたクロエという少女は実は勇者らしい。そして、彼女も今、呪いのような制約を受けてヴェルダの元にいる。ギィ・クリムゾンにぶつけるつもりらしいが果たしてどうなるのやら。

 

そんな強敵達が控えている中で平静を失ってしまうのは自殺行為だ。アイツが今何をしているのかは俺にも分からないがここで紫苑を失うことだけはあってはならない。だが、この数を前にすればどうしたって紫苑にも戦ってもらわなくちゃいけない。なら俺に出来ることは1つ。

紫苑がダグリュールとの戦いだけに集中できるように、露払いをしてやることだ。

 

「有象無象は任せろ。お前はダグリュールを倒すことだけ考えればいい」

 

「承知した」

 

俺は捕食者の胃袋から剣を取り出す。俺の体内の魔素を馴染ませた鋼で鍛えた剣だ。当然、天星牙もその素材に含まれている。魔鋼──俺の魔素を注ぎ込み続けた結果ヒヒイロカネとかいう鉱石に変質していたのだが──と天星牙を溶かし打ち直した刀剣──覇終(はつい)──に、更に俺は魔素を注ぎ込み、振り抜いた。

 

 

───ゴッッッ!!

 

 

と俺の視界が一瞬黒く染まる。この覇終は俺の魔素を圧縮、剣戟と共に刀身から放出する機能がある。やってることはISの兵装であった黒覇と変わらない。ただ、その火力が段違いであるだけだ。

 

視界に色が戻ると、大地は真っ二つに割れていたが巨人の死体はそれ程生まれていない。威力はあるが単純な攻撃故、避けられたのだろう。

 

降らせた氷の槍で俺の攻撃は防御系の能力を貫通すると悟っただろうから、まさか普通に受けようとした奴はいないはずだからな。

 

「……思ったより減らねぇ。てかおい、ダグリュールジュニア共。お前らの父親以外でヤバい奴はいるか?」

 

と、紫苑の親衛隊に所属し、しかも普通に奴らと戦う気満々らしいダグリュールの息子3人に問う。そいつらは俺が相手すべきだからだ。

 

「へい、あの両手大剣を持ったグラソードさんとあっちで鎖に縛られてるのがフェンの叔父貴です。あの2人は父の弟で、多分親父以外じゃ1番強いっす」

 

「分かった。あの2人は俺が行く。後はお前ら任せたぞ」

 

へい、と3人の調子の良い返事を聞いて俺は飛び出す。まずはデカい剣を構えている奴からだとそっちへ向かおうとする俺に、一陣の風が迫る。

 

「っ!?」

 

さっきまで鎖に縛られていたフェンとかいう奴だ。随分な快足のようで、瞬く間に距離を詰めて俺に拳を放ってくる。

100万倍に引き伸ばされた思考速度がそれを躱させた。アラガミの肉体を手に入れても、究極能力でどんな魔法や能力を無効化出来ようが、多分この挙動はどうにもならないだろう。身に刻まれた癖なのだ。

 

フェンとかいう巨人は、巨人と言うには背が低く、そして拳で戦うには少し痩せすぎのようにも思える。だが今の素早さは、こいつの体力が見た目通りのそれではないということを如実に語っている。

 

けれど───

 

「───っ!?」

 

フェンがなにか言葉を発することはなかった。その前に、俺の氷焔之皇と絶対零度にてその存在の全てを凍結されたからだ。能力も耐性も、その肉体を構成する全ての物質や魔素の働きを文字通りの"ゼロ"にされたその痩せすぎの巨人は、銀氷となってこの世界に散った。

もう1人のダグリュールの弟はアルノーが抑えていた。その戦いは拮抗しているように見えて完全にアルノーが不利。

なので俺は即座に大剣を振り回す巨人を凍結、完全に破壊した。

 

「……大丈夫か?」

 

「あぁ、助かった。こっちは任せろ。お前は、ダグリュールの方へ行け」

 

「あぁ、分かった」

 

どうやら、俺がフェンと大剣の巨人を屠る間にダグリュールは紫苑達の方へ行ったらしい。見れば、結界の傍で紫苑と3メートル以上ありそうな巨漢が戦っている。

その後ろには魔王ルミナスが控えて傷付く紫苑を回復させてやっているが、どうにもそれすらも上回る速度でダメージを受けているようだった。さて、どうするか。

 

俺は向かってくる巨人達を剣の1振りで纏めて屠る。だが直ぐ様別の巨人達が襲いかかってくる。どうやら、お互いに向こうの戦いを邪魔させたくはないらしい。

まぁ、紫苑の方はルミナスがいるから今しばらくは大丈夫だろう。なら俺は、コイツらを纏めて叩き潰すとしようか。

 

俺は、巨大な牙のような刀身を持つ大太刀──覇終──に魔素を込めて振り抜く。その斬撃に合わせて切っ先から放たれる凝縮された魔素が巨人達の強靭な肉体を切り裂き、死をもたらす。

 

しかし、重傷を負いつつも死を免れた奴らはその回復力に身を任せて再び俺を殺さんと向かってくる。そんな奴らの頭と胸に氷の槍を突き刺し、更に背後からくる敵には赤雷を叩き付けて動きを止めて、覇終でその首を空に飛ばす。

 

更に左肩から刃翼を生やし、手数を確保する。そうして俺に群がる巨人共を引き裂き、突き殺し、凍てつかせ、砕く。

 

そうして立ち回っている内に、手練の兵士達はその殆どが地に伏してしまったようだ。後はルミナスの配下達でどうにかなるだろうと、俺は一旦紫苑の方へ戻ることにした。見れば、やはり苦戦しているようで、今この瞬間にも紫苑は地面に叩き付けられ、次はルミナスがその暴威に晒されそうになっていた。

 

そろそろ、選手交代の時間だ。俺は地面を砕く勢いで踏み込み、駆け出した。そして、ルミナスの小さい頭を叩き割らんと迫るダグリュールの拳に、俺が覇終の刃を突き立てようとしたその瞬間───

 

 

───世界が停止した───

 

 

未知のその感覚に、しかし俺は刃を止めることなくダグリュールの腕に突き刺した。そして時を同じくしてヴェルドラが現れ、ルミナスの眼前でその拳を受け止めた。

 

「む、お前は停止世界ですら動けるのか?」

 

と、呑気そうに問うヴェルドラ。俺はダグリュールの腕を切り飛ばしながらルミナスを庇うような位置に立つ。

 

「停止……あぁこれか。何か、水の中にいるみたいだな」

 

周りを見ればルミナスも含め俺とヴェルドラ、それからダグリュールと紫苑以外はその動きを完全に停止させていた。それどころか、空気も何もかもが停止しているようで、色彩も無く、何やら身体も重い。

 

そして、紫苑が刀を杖代わりにフラフラと立ち上がった。

 

「ヴェ、ヴェルドラ様……タカト……その者はら私の獲物です……譲ってはもらえない、でしょう……か……?」

 

俺としては倒せるのなら誰が倒しても良いので問題無い。ヴェルドラも、傷付きながらも諦めることなく闘志を燃やす紫苑に満足なのか「我の力を貸してやる。思う存分に戦うがよい」と、快くそれを受け入れた。そして、ヴェルドラから気前よく魔素を受け取った紫苑は───

 

『個体名:紫苑が能力進化を行い、究極能力『暴虐之王(スサノオ)』を獲得しました』

 

と、停止したこの世界においても相変わらずの世界の声が響き、紫苑は究極能力を手にした。

 

そして、再び戦いは始まる。

 

どうやら、時間の停止した世界においては通常の物理法則は通じないようだ。当たり前といえば当たり前だ。空気すらその動きを止め、光も何かに吸収されたり反射されることは無いのだ。俺の目には何も映らない。だが、俺の感知系統の能力がその戦いを無理矢理に理解させてくる。

停止した世界において紫苑とダグリュールはほぼ互角。だがそう、あくまでも互角なのだ。そして、恐らくそれはこの停止世界の中だけでのこと、ヴェルドラは再びこの世界の時間は動き出すと言っていた。それも、止めたのは姉であり、多分そう長くは止まっていないと。

 

そして時は来た。文字通り、時間が動き出したのだ───

 

 

 

───────────────

 

 

 

紫苑とダグリュールの戦いは紫苑の勝ちだった。ダグリュールが地に膝を付いたのだ。

それも、時間の動きだした世界の中で、だ。まぁ、死なば諸共の特攻で、最後はルミナスに蘇生させてもらったおかげで掴んだ勝利なのだが、そもそも別にこれは1対1の決闘ではない。そこまで考慮した紫苑の作戦勝ちだ。だが、どうやら魔王というのはそうそう甘いものでもないらしい。

 

「ふはははは、千数百年振りだぞ、地に膝を付いたのは!!ましてワシに血を流させたのもヴェルダナーヴァ以降誰もおらぬ!誇るが良いぞ、シオンよ!!」

 

と、紫苑の一撃を受けてなお立ち上がるダグリュール。いくらルミナスから蘇生してもらったとは言え、紫苑はもう満身創痍だ。

 

俺は何を言うでもなく氷焔之皇でダグリュールの全ての能力を凍結し、その肉体をも絶対零度で停止させる。近くで見てハッキリ感じられたが、どうにもこいつの身体は全身エネルギーで構成されているようだ。つまり、ここで肉体を砕くのはそんなに意味のある行為ではないということ。

ならば、俺は左腕の神機の捕食形態でもってダグリュールを飲み込む。そのうちリムルが出てきた時にでもコイツはくれてやれば良い。俺は別にこいつの力なんて要らないからな。

 

こうして、リムル軍とルミナス軍の混成勢力は西方都市の防衛に成功したのだ。

 

 



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最終決戦

 

ルミナスの城での戦いが一段落付き、俺は一先ず魔国連邦の本部である大迷宮へと戻った。

そこにはリムルやディアブロも姿を現しており、どうやらこれから最後の戦いへと赴く勢いのようだ。魔王の中の裏切り者の1人であった魔王ディーノも、どういう訳かここにいた。だが寛いでいる様子を見るに、もう1回こちら側に寝返ったようだ。

 

「天人、ダグリュールも倒したんだな」

 

「あぁ。一応、捕食者で捕らえてある。喰うか?」

 

「……そうだな、いや、やっぱいいや。ただ、気になることもあるから渡してくれ」

 

気になることが何なのか俺にはよく分からんが、まぁ裏切った理由とかそんなだろうと、深くは考えずに凍結されたダグリュールをリムルに渡す。それをリムルは手早く体内に取り込んだ。

 

「で、どうするんだ?もう乗り込むか?」

 

俺の消耗度合いは氷焔之皇で魔素に変えた分と戦闘で使用した分でトントンと言ったところだ。だが、聖痕でいくらでも補填は効くので実質的にはほぼ消耗無し。精々が、戦ったから精神的に多少の疲労が無きにしも非ず、と言った所か。

だがリムルの方はそれなりに消耗もあるようで、エネルギーを回復させてから向かいたいとのこと。そのためにここいらの天使の死体を取り込んで力に変換したかったらしい。らしいのだが、取り込もうと思った瞬間には天使のエネルギーが全部消えてしまったのだとか。おかげで、どうやってエネルギーを得ようかと思案中と言っていた。

 

そして、今迷宮の外で戦っている唯一の天使、というより人間に見える。それも、俺と同じ東洋系の顔立ち。しかもそいつは、帝国からこっちへ寝返った異世界人──シンジと言うらしい──の知り合いのようだった。

シンジからはアイツが敵対しないのなら助けてやってくれ、と頼まれているとのこと。

 

「……リムル、俺が行っていいか?」

 

俺ならアイツがどんな力を持っていようが生きたまま連れてくることもできる。異世界人だと言うのなら、天使の力も与えられたものだろう。リムルがそれを喰らえば多少はエネルギーの足しになる筈だ。

 

「……人間の相手は人間に任せるよ」

 

「あぁ、とりあえず連れてくるよ」

 

と、俺は大迷宮から再び外へ出て、天使の力を得た異世界人、古城舞衣(ふるきまい)と対峙するのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……古城舞衣、だな」

 

「……その呼び方をするということは貴方も別の世界から?」

 

「あぁ」

 

古城舞衣、シンジ曰く帝国の兵士だったようだがここまでの力は無かったはずだとのこと。恐らく、天使の力でも授けられたのだろう。

 

「……ユウキはもういない。お前がそちらにいる理由は無いはずだ」

 

ユウキ・カグラザカはヴェルダの隠れ蓑だったのだ。帝国にいたということはユウキの信者なのだろうが、面はともかく肝心の中身という面では当の本人はもういない。コイツが天使の側に付く理由は無いはずなのだが……。

 

「それでも、魔王リムルを倒せば落ち着いて研究ができます。そして、私は元の世界に帰るのです」

 

「……なら余計にお前はそっちにいるべきじゃない。俺も帰る方法を探している。そして、恐らく今この世界でそれに1番近いのがリムルだ」

 

ここに来る前にリムル、というか奴の能力であるシエルが言っていた。旅行者(トラベラー)とかいう古城の能力、もしかしたらあれがあれば異世界へ渡る方法が手に入るかも、と。ならばその可能性は俺自身が掴みたいのだ。最後の扉を開くのはリムルに頼るのだとしても、その鍵を入手するのは自分でありたいのだ。

 

「……敵の言葉よ」

 

静かにそう呟いた古城は弓を引き、矢を放つ。だがそれは俺の氷焔之皇の前では何の効果も無い。ただ消え去り、俺の魔素となるだけ。そして俺は氷焔之皇を古城の能力にも使い、その力を全て封じる。そして、自分の能力が封じられたことに気付き驚いた古城に抵抗する隙も与えることなく捕食者でもって一旦格納。そのままリムルの元へと戻っていくのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

古城舞衣から得られたエネルギーは微々たるものだったらしい。そこで、俺を中に格納することで電池代わりにする案もあったのだが、シエル曰く、ヴェルドラとヴェルグリンドが大飯喰らいらしく、アイツらを収納してしまえばある程度は解決するだろうとのこと。だがどっちみち俺には転移の魔法が無いのでリムルの中に入って一緒に転移することになった。

 

そして、どうやらヴェルダの元へと辿り着いたらしいリムルの、その腹の中に広がる虚無空間から吐き出された俺はリムルと一緒にヴェルダに向かい合う。というか、リムルの奴、着いた瞬間に俺を吐き出すことを忘れていたらしく、明らかに転移してから状況が動いている風だった。

 

何より、いきなり虚無空間に莫大なエネルギーが流れ込んできた時には驚いた。どうやらヴェルダの攻撃をリムルが喰らったようなのだが、危うく俺にぶつかるところだったのだ。

リムルのエネルギーになるハズのそれを俺が氷焔之皇で吸収してしまっては具合が悪い。慌ててそれを避けた俺はシエル経由でさっさとここから出せと要求していたのだが、何分リムルも忙しいらしく、中々出られなかったのだ。

 

で、出たはいいがリムルからは控えていろとの御命令。この世界の命運は、この世界で生きる者達で着けたいのだとか。まぁ、俺も似たような理由で古城舞衣と対峙したわけで、人のことを言える立場でもない。

 

そして、配下の悪魔達や他の魔王、それにヴェルドラの姉2人からの声援を受けつつヴェルダとリムルの戦いが始まった。ヴェルドラはどうやら今はリムルの剣になって振るわれているらしい。

しかし、それは既に戦いと呼べるものではなかった。どうやら持っている武器の性能は互角らしいが単純にリムルの方が強いのだ。

 

だが、リムルの剣戟の勢いに吹き飛ばされたヴェルダが立ち上がる。その顔は……何やら憑き物が落ちたかのように笑顔だった。

 

「……お前、まさかユウキなのか?」

 

と、リムルが問う。すると、ヴェルダはさっきまでのプライドの高そうな雰囲気はどこへやら。今度は快活に、朗らかに笑い声を上げた。

 

そして───

 

「お久しぶりです。やはり思った通り、ヴェルダでは貴方に勝てなかったようですね。ですが問題はありません。充分に時間は稼げましたから。……さぁ、始めましょう。僕と貴方の、最後の戦いを」

 

ユウキ・カグラザカ、おそらくこの世界で唯一リムルと双璧を成す力を持ったその男が、悪意に塗れた笑顔で告げる。この世界中を巻き込んだ戦いの、終幕が始まる───。

 

 

 

───────────────

 

 

 

リムルが苦虫を噛み潰したような顔でヴェルドラの剣を振るえばユウキはドス黒い笑顔でヴェルダナーヴァの剣を振るう。

振るう武器にはややユウキに分があるか、だが振るう技術に差は無いし、武器の差は恐らく強度の差がある程度。そこまで勝負には影響を与えないだろう。だが、ユウキの言葉はリムルの精神を蝕む。何やら言葉に思念誘導とかいうのを乗せているようだが、それよりも何よりもその言葉の内容がリムルに響くのだ。そして、再び世界の時間が止まる───

 

 

「……今更」

 

俺は小さく呟く。リムルも同じ思いに辿り着いたらしい。だがユウキの目的は時間を止めることによりリムルの得意技を封じることにあるようだ。

 

リムルの能力は、その殆どを魔素を放出する系統に偏っていた。特に攻撃に使われる能力はそれが顕著だ。だが止まった時の中ではそれらの技は使えない。しかし、ユウキは何か種があるのかその限りではないようだ。

 

だがリムルにもシエルとかいう反則級の解析能力がある。それの権能でもってリムルは短時間で原理を解析、ユウキの使う炎の魔法に対して相克するように氷の魔法でもってそれを凍らせた。それは、ユウキと言うよりも俺に対する当て付けかのようだった。この戦いに勝てば俺はこの世界からいなくなるだろう。リムルは恐らく、既に世界を越える能力を持ち合わせている。もしくは、もう素材は揃っていて、後は生み出すだけ、そんな段階だろうから。だからもう、この世界に俺は要らないと、あの氷は俺にそう言っているかのようだった。これでこの戦いはリムルの勝ち、そう俺が確信した瞬間───

 

──ユウキが薄く笑った──

 

それは、繊月のように薄く引き伸ばした笑みだった。だがそこで起こされた事象は、まさしくこの世界を塗り替えるような衝撃───

 

 

──その瞬間、リムルの存在はどこかへ消え去った──

 

 

そして停止していた時は動き出す。凄まじい衝撃の後、そこに立っていたのはユウキだけだった。俺は刹那の時間で雪月花を抜き放ち、その黒い刀身を現した。ミリムとの2度に渡る戦い、この戦争で戦った巨人共や天使達、そいつらとの戦いが俺の聖痕の力をさらに引き出したのだろう。

できることは今までと変わらない。ただ俺の身体能力が強くなるだけ。けれど、その規模はこれまでの比ではない。

 

───音は無かった

 

いや、空気を切り裂くソニックブームの炸裂音が鳴る頃には既に俺の黒刀は別の軌道を通っているのだ。しかし、それすらもユウキは追い付いた。

 

「へぇ……今更貴方の究極能力が効くとは思わないけど、まさかこんな力まであるなんてね」

 

俺はそれに答えることはない。返事は剣速の増加で終わらせる。氷焔之皇が奴に効くかどうかは知らない。効くかもしれないし、アイツの言う通り効果が無いのかもしれない。けれど俺には関係が無い。どこへ消えたのか知らないが、リムルはここに帰ってくると、俺は信じるしかないのだから。

 

俺はそれまで剣を振るい続け、コイツをここに足止めする。リムルを消し飛ばしたあの魔法はリムルとユウキの魔法が発動した直後に起こされた。であるならば単純な物理エネルギーであればアレで俺が消されることはないだろう。もしかしたら普通に発動もできるのかもしれないが、その時は銀の腕で全部燃やしてやるよ。

 

だがどっちにしろ、リムルがいなきゃ俺はこの世界から出るのは難しいのだ。ならばリムルが帰るまで戦い続ける、というのが俺の出した結論。もちろん、コイツをこの場で殺っちまっても構わない。だが恐らくそれは叶わないだろうと、俺の直感が告げていた。だから俺は意地でもコイツに喰らいつき続けてコイツをこの場に留める。リムルが戻る、その瞬間まで───

 

 

───そして俺のこの意地が正しいかったのかどうかは直ぐに証明される。

 

後ろから莫大なエネルギーを感じた。操られた振りだったのか洗脳が解けたのか、とにかくこちら側に戻ったミリムや他の魔王にヴェルドラの姉2人等、ここにいる実力者達の力が1つになり超高密度のエネルギーが放たれたのだ。それを把握していた俺はそれが放たれる瞬間に雪月花をユウキに叩き付けその勢いのまま上空に退避。

 

特大のエネルギー弾がユウキに迫ったその瞬間───

 

「……リムル、なの?」

 

と、何故か髪の毛が虹色に輝いている大人サイズのラミリスが呟く。

放たれた巨大なエネルギーは全て消え去った。どうやら突然虚空から現れた、この美しい顔をした奴がその全てを取り込んだようだ。そして、この世界でそんなことが出来る奴は限られている。

 

「よう。またデカくなったな、リムル」

 

「ん?あぁ、みたいだな。……あれからどれくらいだ?」

 

「1分と経ってねぇよ」

 

「そっか」

 

魔王ギィ・クリムゾンやクロエも揃ってリムルに声を掛ける。そして、2人共剣を収めた。全てをリムルに託すという意思表示だ。

しかし、何やらユウキが喚いている。どうやら、時空の果て、なんて所に飛ばしたらしいが、そこからリムルが戻ってきたことが信じられないらしい。だが結局、リムルに蹴り飛ばされ、頼みの剣も落としてしまった。そして、俺達を包み込むのは眩くも暖かい光。それはリムルから発せられるものであり、同じくリムルから放射されるドス黒い闇色の妖気から俺達を守っていた。そして、それに守られていないユウキは当然───

 

「や、止めろ!来るな!やめろーーー!!!」

 

と、絶叫しながらその中へと飲み込まれていった。こうして、この世界全土を巻き込んだ天魔大戦はその傷跡を世界各地に残しながらも、最後は拍子抜けする程にあっさりと決着が着いたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

世界を震撼させた魔物と天使達の戦いは終わりを告げた。そうなれば俺とリサは後は帰るだけ、なのだが1つ精算しておかなければならないことがある。

 

それは、ミリムのことだ。アイツはこっちとあっちを行き来できないのであれば俺達の世界に留まると行っていたが、今やアイツは天使達の世界すらも支配領域にする魔王だ。そう簡単に許されることでもなかろう。それに、やはり俺はミリムにはリサと同じような恋愛感情は抱けなかった。

 

こういうことは、ハッキリさせておいた方がいいと、俺とミリムは今、ルミナスが昔納めていた領土らしい荒野で向かい合っていた。

 

「タカト、私達の関係は、これで終わりにしないか?」

 

と、俺が告げようと思っていたことを、ミリムから伝えられた。俺はそれに驚きを持ちつつも「あぁ」とだけ返す。

 

「私は、自分と対等に殴り合いのできるお前が好きだった。けど、今のお前はもう私とは喧嘩もしてくれないのだろう?」

 

それはきっと、あの武闘会でのことだ。

あの時俺は手を抜いていた。いや、ミリムも本当の力は使っていなかったけれど、少なくとも徒手格闘の技術においては手を抜くなんてことはしていなかっただろう。

だが俺は、それでもミリムを本気では殴れなかった。それに、氷焔之皇がある限り俺はミリムに対して負けることはない。コイツがどんな究極能力を持っていようが、それは全て凍結できるからだ。

 

俺の能力のことはミリムがちょくちょく魔国連邦に遊びに来ていた時に話してあったから、それはコイツも知っているのだ。

 

「そうだな……俺はきっと、今のままならお前と本気では殴り合えない」

 

武闘会で俺は、自分の中の何かが開かれているのを感じた。それは、聖痕の力をより引き出せるということであり、俺はやろうと思えばあの場でミリムを殴り殺せただろう。仮に途中で止められたのだとしても、あんな半端な決着ではなく、完膚無きまで叩き潰すことはできた。

 

けれど、それをして何になると言うのだろうか。ミリムは敵ではない。そんな女の子を殴りいたぶって、それにどんな意味があるというのだ。

 

「それに、あの戦いの時、ヴェルダと私の前に現れたのはリムルだった。例えリムルの作戦で他の所へ向かうように言われていたのだとしても、私はお前に来てほしかった」

 

「そうだな、俺は……お前よりも作戦全体の確実性を優先したんだ」

 

ミリムを抑え込むのは俺でも出来ただろうし、ダグリュールもリムルであれば勝てた可能性は高い。だが、相手を"視て"しまうリムルは、もしかしたらダグリュールに隙を突かれてあそこを突破される可能性もあったのだ。

それに加え、リムル達がミリムと立てた作戦は、一旦ミリムが操られてリムルを消し飛ばしたフリをするというもの。そして、ヴェルダの位置をミリムが探り、そこへリムルが転移で強襲するというもの。俺の究極能力がどれくらいヴェルダ達に知られていたのかはあの時点では分からないが、俺は消し飛ばされたフリをして隠れ潜む能力は持ち合わせていないのだ。

俺が行けばあの作戦は成立どころか議論されることもなく、ヴェルダの元へと行くには随分と時間がかかったかもしれない。

 

つまりはまぁ、器用なリムルがミリムを担当し、正面切った戦闘能力以外が著しく劣る俺がダグリュールの方へ向かうのは理に適ってはいるのだ。

 

ただ1つ、ミリムの心情を無視すれば、だが。もっとも、ミリムはリムルのことも大親友だと思っているのでそれで何か支障が出る程でもないのではあるが……。

 

「あの時思ったのだ。あぁ、タカトが私に振り向いてくれることはないのだろう、とな」

 

だからここで終わりにしようと、ミリムは言った。俺もそれに頷く。一方通行の世界である以上、きっとこれが正解なのだ。

態々しなくてもいい辛い思いをしてまで初恋を叶える努力をする必要はないだろう。

 

「じゃあ、俺達はここでお別れだ」

 

「そうだな。……ありがとう、タカト。お前と過ごした日々は、それなりに楽しいものだった」

 

「あぁ、俺もだよ、ミリム」

 

別に、これで俺達の仲が険悪になるわけではない。嫌いあってしまったのではなく、ただそう、想いが繋がらなかっただけなのだ。だから俺達は握手を交わす。

 

「これからは、友達だな」

 

「そうだな、よろしく。そして───」

 

「「───さようなら」」

 

俺達は別々の方向へと飛び立った。俺は長らく過ごした魔国連邦へ向けて、ミリムは新たなる領地、天使の領域へ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

リムルからは、戦後処理が一区切り着いたら元の世界へ連れて行くと言われていた。

そして、その間に俺も何人かに挨拶回りをしていたのだ。その最後がミリム。そしてそれも終え、俺は魔国連邦へと戻った。

 

「天人には世話になったな」

 

目の前のスライムは最初見た時よりもだいぶ大きくなっている。それに、色も違う。水色だった身体は今や光り輝いているのだ。

 

「そうかぁ?あんまり役に立った気はしねぇ。……というか、ここまで俺がこの世界にいるってことは、俺の行動はこの世界にゃ大した影響は無かったったとこだろ」

 

「そんなことないだろ」

 

「……そういや、世界を越える条件ってのはリムルには話したことなかったっけか」

 

「条件……?」

 

「あぁ。世界を渡るためには、その世界にある方法で渡る、そういう聖痕の力で渡る、偶然飛ぶ、そして、世界を変える。このうちどれかで世界を渡れるんだ」

 

「世界を、変える……?それなら俺だって結構変えちゃった気がするんだけどな」

 

「いいや、世界にはある程度決まった運命ってもんがあるらしいんだよ。けど、そこには個人の生き死には関係無い。そして、その世界に生きる人間には自分の運命は変えられても世界の運命は変えられないんだ。けど、別の世界から来た奴は違う。そいつらだけは、その世界の運命に流されずに行動できる」

 

俺が何だかんだでリムルの傍にいた理由も実はここにある。リムルは自分が異世界から来た人間だったと言っていた。ならば、もしかしたらコイツを手伝えばこの世界の運命を変えられるのではないかと思ったのだ。俺は、それを正直に告白した。

 

「なるほどな……。あれ?ってことはユウキは何をしても───」

 

「かもなぁ。ていうか、多分お前はこの世界の生物として確定されてるんだろうよ。よく考えたら転移じゃなくて転生だし。だから、俺が飛ぼうと思ったら、本当ならユウキじゃなくてお前を殺す必要があったんだ」

 

多分ユウキを殺しても何も変わらない。どっちにしろこの世界はリムルによって大幅な進化を遂げただろうから。

 

そして、俺の言葉に配下の魔物達がザワつくのをリムルが抑える。別に、俺に敵意があるわけじゃないからな。

それにこれは、今になって思えば、ということ。あの時はこんなことになるとは思わなかったし、そもそも異世界人であるリムルをどうこうしても意味が無いと思っていたのだ。

 

「この世界は滅びることなく魔王リムルの元繁栄する、って言うのが取り敢えずのこの世界の運命らしい。まぁ、もしかしたらリムルである必要はないのかもしれないが……」

 

だが、ユウキでは無理だろう。この世界は、リムルのような発想をする奴が、常軌を逸した行動力とカリスマで世界を栄えさせる必要があるのだろうから。

 

「ふぅん。まぁそれはどうでもいいや。俺は、俺のやりたいようにやるだけだよ」

 

それこそがまさしくこの世界の意思であろうが、俺はそれを言うことはなかった。その必要がないからだ。もうこの世界は、俺が介入する必要はない。だから俺は短く「あぁ」とだけ返すのだ。

 

「……覇終はいいのか?」

 

俺が天使共との戦いで使った剣──覇終──しかし俺はそれをこの世界に置いておこうと思っていた。こんなの、武偵法で殺人を禁止されている向こうじゃ火力が異常すぎて使えやしない。

 

リムルが世界だけじゃなく時間すら遡れるというので俺とリサは、俺達が飛ばされたあの日から何日か後ろに飛ぶことにしていた。直後に飛んで、またあの聖痕持ち2人に出くわしたら面倒だしな。

 

だから俺は戻っても武偵として活動できるだろう。武偵なんて、何日か音信不通になった程度じゃ誰も騒がねぇからな。ある意味便利な職業だよ。

 

「あぁ、それはあっちじゃ使い勝手が悪すぎるからな」

 

「そっか。ま、取っておくから、必要になったら取りに来いよ」

 

「それは俺に時間も世界も越えろと?」

 

「だってお前ならそのうちできそうだし」

 

リムルのそんな無茶な期待に俺は頭を抱えるしかない。けどまぁ、本当にそれができるようになったら、またここに遊びに来るのもいいかもな。なんせ、偶然の転移に頼らずに初めて円満に立ち去ることになる世界なのだし。

 

「分かったよ。そん時ゃ遊びに来てやる」

 

「おう、天人ならいつでも歓迎だ」

 

何だかいつまでもこうやってくだらない話を続けそうになっている。何だかんだでこの世界で過ごした時間は楽しいものだった。別世界から来た奴が俺達だけでないのも大きいのかもしれない。そのせいか、これまでの世界程俺は孤独を感じなかった。だから少しだけ、名残惜しさがあるのだろう。それでも、俺達は帰らなくてはいけない。そのために今までやってきたのだ。俺のやってきたことはきっと許されることではない。楽には死ねないだろうし、死んでも天国になんて行けやしない。俺は誰かを泣かせすぎたし傷付け過ぎた。そして、何よりも殺しすぎたのだ。最初に飛ばされたあの世界で篠ノ之束と織斑千冬を殺してから、いや、きっともっと前から俺はもう後戻り出来なくなっていた。だから俺は、この世界を去る。

 

リサはこの血に汚れた俺の手をも握ってくれる。俺はそれを頼りに、また戦い続けるのだろう。リサがいる限り、ずっと、引き金を引き、刃を振るうのだ。それが俺への罰なのだと、誰かへ(今まで殺してきた人達へ)言い訳するように……。

 

 

 

そして俺とリサは一旦リムルの中へと取り込まれる。世界を越えるにはリムルの中に入るしかないからだ。リムルの能力であるシエルによって、俺の記憶と望みをまさぐられる。そして気が付けば、俺達は武偵校の男子寮、俺達2人が暮らしていたあの部屋に戻っていた。

 

 



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ランバージャック

 

「帰ってきた……のか?」

 

俺は思わず辺りを見渡した。視界に映るのは見慣れたリビング。テレビもテーブルも椅子も、何もかも記憶の通りだ。リムルの姿はもう既にない。俺達をここに届けて直ぐに帰ったのだろうか。

俺は隣にいたリサの手を握る。帰ってきた握力は思いの外強くて、それが本当に帰ってきたのだという実感に変わる。

 

「帰って、きたんだな……」

 

「はい、帰って……きました」

 

リサの声が震えている。俺の視界も何やら滲んでいるみたいだった。遂に、帰ってきたんだ、俺達の世界に。武偵校に……。

 

「リサ!!」

 

「ご主人様!!」

 

俺は思わずリサに抱き着く。リサも俺の背中に手を回し、肩に顔を埋める。密着したその身体が小刻みに震えていた。そして、グスッ……グスッ……と鼻をすする音も聞こえてくる。俺はリサの柔らかな長い髪に自分の指を通し、ゆっくりと撫でるように梳いていく。長かった。リムルの世界が1番滞在時間が長かったが、あそこを入れなくても数年の間は異世界を彷徨っていたのだ。リムルの世界も含めたら5年かそれ以上はここを空けていたことになる。

 

リムルの力で世界を時間軸ごと斜めに横断できなければきっと俺達はこの世界ですら居場所を失っていたのかもしれない。

けれど、結局そうなることもなく、テレビ棚の脇に置いてある電波時計に表示されている日付は 秋頃。流石のリムルも初めての異世界転移、それも俺とリサの記憶から世界を探して、その上で時間軸すらも遡るのはちょっと難しかったらしい。

 

本来は変装食堂が終わった後くらいに戻れれば良かったのだが、これでは体育祭の方が近い。まぁ戻れただけマシだと、リサが落ち着くのを待ってから俺はPCを立ち上げた。携帯はこれまでの異世界転移の中でどこかへいってしまっていたから無い。

 

パソコンを起動させた俺はメーラーとインターネットを開き、近況を確認していく。どうやら俺達は謎の失踪を遂げたことになっているようで、透華やジャンヌ、キンジ達からも心配のメールが入っていた。……取り敢えず、コイツらに顔見せてやんなきゃな。

幸いにも、財布やクレジットカードはまだこの部屋にあったからまずは透華達に顔見せてから、携帯と拳銃だな。

 

「……取り敢えず、皆に顔見せてやんなきゃな」

 

「はい……」

 

まだ瞳に涙を浮かべているリサのその雫を指で掬ってやる。時計を見ればもう夕方だった。この時間ならアイツらも寮の部屋に戻っているだろうか。

 

「……携帯で思い出した。リサは携帯とか残ってるか?」

 

「はい。ただ、充電が……」

 

「あぁ……」

 

そりゃそうか。1ヶ月以上も充電せずに放っておけば流石に空にもなるか。まずはリサの携帯を充電器に接続して、俺達は部屋を出た。

約1ヶ月分の埃が積もった部屋から外に出て、その空気を堪能する。数年ぶりに味わう懐かしい味に、俺はまた涙が出そうになった。だがそれを押さえ込んで俺達は女子寮の透華の部屋へと向かう。

 

そして、透華の部屋のチャイムを押した。ピンポーン、と呼び出しの電子音が響く。こんな何気ない音でも懐かしさを感じてしまう。何せ、最後にいたリムルの世界にはこんなものは無かったからな。魔法が普通に存在する便利なようでちょっと不便なファンタジー世界。そこには電子的な道具はほぼ無かったんだよな。

 

そして、ドアの向こうに人の気配がする。多分透華がドアスコープでこちらを覗いているのだろう。そして───

 

「天人くん!?」

 

ガチャリという鍵を開ける音とドアを思いっ切り開く音がほぼ同時に、さらに透華の叫び声も同じタイミングで響き渡った。

 

「リサちゃんも……」

 

そして、俺とリサが揃ってこの場にいることを認識した透華は目に涙を浮かべ、その顔を両手で覆った。

 

「……ただいま」

 

「───っ!?」

 

思わず俺がそう呟くと、透華は俺に抱き着いてくる。それに抱き締め返すことは出来なくても、ただ俺はそれを受け入れた。

 

「今まで、どこ行ってたのよぉ……」

 

「後で、話すよ……。長い旅だったんだ……」

 

「天人さん……」

 

そしてもう1人、部屋の奥から出てきたのは栗毛色の髪の毛を後ろでポニーテールにした女の子、樹里だった。その樹里もまた、俺に飛び付いてくる。それを俺は受け止め、その頭を撫でてやる。そして、リサはそんな2人にそっと寄り添った。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「そんなことが……」

 

あの夜の出来事から、俺達が別の世界へ飛ばされたこと、何度も異世界転移を繰り返しながらも最後は時間軸ごとぶった切ってこっちへ戻ってきたことを2人には話した。彼方も、携帯のスピーカーモードで話を聞いていた。

 

「何となく感覚だけでは感じていましたけど、本当にあるんですね……」

 

聖痕持ちはパラレルワールドの存在を認識している。とは言え、本当に何となくの感覚だけであり、実感としてはそうそう持てるものでもない。だから俺達の話を冗談だろと思うことは無いのだろうが、まぁこんな反応になるのは仕方ない。俺だって実際に飛ばされた時には少しは驚いたもんだからな。

 

「取り敢えず拳銃と、後は携帯だな。あ、制服もねぇや」

 

とにかく今は物が何も無い。金は大丈夫なのだが、異世界転移で消耗した物が多すぎるな。これは何日か学校には出られないかもな。学校と言えば……。

 

「透華達は何にもなかったか?変な奴に襲われたとか」

 

もしかしたら極東戦役に巻き込まれたりしていないだろうか。それに、あの異世界への扉を開く奴と、もう1人、あの鎌の男に狙われたりしてないかなと俺が聞くと、そんなことは何もなく、俺達がいない以外はほとんど変わらない日常だったようだ。けれど───

 

「遠山くんに、妹ができた───」

 

らしい。意味が分からないが、1年生に遠山かなめと名乗る栗毛色の女の子が転校してきたらしい。そしてそいつは遠山キンジの妹を名乗り、実際四六時中キンジと一緒にいるのだとか。

 

「へ、へぇ……」

 

正直反応に困るな、それは……。樹里によれば、遠山かなめは随分とカリスマ性のある人物のようで、転校してきて瞬く間に学年の女子連中を纏め上げたらしい。もっとも、全員とはいかず、何人かは彼女のグループには入っていないようだ。具体的には間宮あかりとその周辺人物、それから樹里がそれに属するようだった。だがそれで樹里自身が何かされるということもないようなのだが……。

 

「まぁ、遠山かなめに関してはよく分からんが、向こうから手出ししてこない限りは放っておくか。……俺達も今日は帰るよ」

 

じゃあまた明日と俺が立ち上がり、帰ろうとしたその時、透華に手を掴まれる。

 

「どうした?」

 

「……今日は、泊まってって」

 

「え?」

 

「お願い……」

 

見れば透華と樹里の目にはまた涙が浮かんでいる。急に俺達が消えてしまったことが随分とショックだったのかもしれない。

 

「分かったよ」

 

と、リサをチラリと見ればリサも頷いているし、今日はここで寝よう。随分と埃の溜まってしまった部屋の掃除に携帯の契約と拳銃の購入……。やることはあるけれど別に今すぐ必要なものでもない。

 

ジャンヌも極東戦役のことがあるだろうし、顔見せは後ででも良いだろう。明日にはリサの携帯の充電だって回復しているだろうしな。

 

結局、異世界から帰ってきた初日は、中学の寮から駆け付けてきた彼方も含めた5人、同じ屋根の下で眠ることになった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

その後俺は携帯を買い替え、拳銃も購入した。

俺が普段使用している拳銃はSIG Sauer P250、そのフルサイズで、9ミリルガーを17発装填できるダブルアクション拳銃だ。安い拳銃じゃないので正直これを無くしたのは痛いのだが、だからって今更他の拳銃を試す気にもならない。

やはり命を預ける拳銃なのだから手に馴染むものの方が良いし、あれは信頼性も高いからな。

 

数日後、リサ経由で平賀さんを通し、銃検を通してもらったそれが俺の手元にやってきた。イ・ウー時代にシャーロックのツテでザウエル&ゾーンと繋がりを作れていたのも大きかった。

 

「モーイ!ご主人様にはやはりその拳銃が1番似合います」

 

拳銃に似合うも似合わないもないだろうと思ったが、確かにリサには拳銃は似合わんからやはりそういうのもあるのかもしれない。なんて、コロコロと変わる俺の思考を放って、自分の装備を点検していく。時間はもう夜と言って差し支えない頃だ。

 

「はぁ……今日日流行らんぞ、()()()()

 

と、俺はこれから向かう先で行われるらしい出来事に思いを馳せ、そして溜息しか出ない。

 

昨日、俺はジャンヌから連絡を受けたのだ。夜に、グラウンドで()()するから見に来いと。

 

一応、決闘は犯罪なのだがそこは武偵校、普通に黙認されているし、誰も訴訟沙汰にしようとはしない。そんなことをしても、皆の笑いものにされるだけだからだ。

 

俺はこっちに戻って来た次の日に顔見せに行ったジャンヌのしおらしい顔と、昨日の電話越しに幻視した勇ましい顔が上手く結びつかない。

アイツがあんなに大泣きしたの、初めて見たんだがなぁ……。数日もしたら今度は決闘するから見に来い、か。本当、どこの世界よりも1番ここが普通じゃない。なのに、何故かここが1番居心地が良いんだから不思議なもんだ。

 

「行ってくる」

 

「はい、ご主人様。お気を付けて」

 

「あぁ」

 

別に、俺が戦うわけじゃないんだけどな、という言葉は飲み込んだ。どうやらバスカービルの面子は全員揃っているようだし、何より相手は"遠山かなめ"だとか。ジャンヌまで参加してる意味は分からんが、どうせバスカービルはキンジ周りのいざこざだろう。何があればキンジの妹とバスカービルが戦うことになるのかは皆目見当がつかないんだけどな。

 

ともかく、呼ばれたしまぁ見るだけ見に行くかと俺が月明かりに照らされた第2グラウンドへ行くと、既にキンジを含めたバスカービルとジャンヌ、それから見たことのない女子生徒が1人。栗毛色のボブっていうのは透華に似ているが、もう少し小柄だ。多分あれが、遠山かなめなのだろう。レキの姿だけ見えないがどうにも視線を感じるから、どっかからドラグノフで狙っているのだろう。

 

「来たか」

 

と、俺に気付いたジャンヌが声を掛けてくる。

 

「あら、天人。アンタまで来たの?」

 

「ジャンヌに呼ばれたんだよ。何か知らんが決闘するから見に来いって。……そっちの栗毛が遠山かなめか?」

 

「そうだけど……あぁ、お前が神代天人か。へぇ……戻って来たとは聞いてたけど」

 

と、遠山かなめは武偵校の制服を着ている割には学年が上の俺にも敬語を使う雰囲気は無い。まぁ、俺も歳が上だからってだけで敬語を使われるのは苦手なので別に構わんが。

ともかく見飽きたのか遠山かなめは俺から目線を切り、バスカービルの女子面子を順に睨みつける。

 

「1度負けた私にまた挑むなんて非合理的だと思ったけど、聖痕持ちのアテがあったんだね」

 

俺には全く話が見えないが、どうにも遠山かなめは俺がバスカービルの助っ人だと思っているようだ。そして、コイツも俺の力について知っているらしい。

 

「……俺にはマジで何がどうしてこうなったのか分からねぇけどな。1つ言っておけば、俺はバスカービルの味方じゃねぇぞ」

 

ていうか、これだけの面子が集まっていて、決闘なんて聞かされたら否が応にも分かってしまった、決闘の方法が。

 

──ランバージャック──

 

武偵校じゃポピュラーではあるが、最も辛くて血なまぐさい決闘の方式だ。俺も1度、()()()()()のこれに巻き込まれて壁をやったことがあるし、この決闘の方式は俺にとっちゃ随分と馴染み深いから分かる。しかも相手は遠山かなめ、つまり1年の女子だ。それを相手に武偵ランクで言えばAとSばかりの超エリートチームのバスカービルが、更にジャンヌまで加えて袋叩きにしようと言うのだから大人気ないことこの上ない。

 

「……へぇ」

 

「キンジはどうすんだ?」

 

「……俺はかなめの幇助者(カメラート)をやる」

 

「そうけ。なら遠山かなめ、俺ぁお前の味方側の壁やってやる」

 

どんな恨みがあってランバージャックなんてやろうとしてるのかは知らないが、流石に1年の女子捕まえて袋にしようっていうのは気が乗らない。1人くらい味方の壁がいてもいいだろう。

 

説明もろくにしないで呼び出したんだから恨みっこ無しだぜとジャンヌを見れば、アイツもどこか満足気だ。……あの野郎、俺がこうすると分かっててここに呼びやがったな。てこたぁジャンヌは遠山かなめには何も思うところはないのか……?

 

「ふん、好きにすればいいよ。……それにさ、どっちにしろこんな大きなリングは要らないんだよ。非合理的ぃ」

 

と、遠山かなめはケンケンパでもするかのように地面に足で円を描いていく。直径にして10メートル程のそれには俺やキンジ、星伽にジャンヌまでが入っていた。

 

「ここから1歩でも出たら私の負けでいいよ?」

 

遠山かなめはこの戦いに余程の自信があるらしい。確かに近接戦闘の鬼であるアリアが壁役なのであれば分からなくはないが、星伽も何かあればM60機関銃をぶっ放つ危険人物だ。それをコイツは知っているのだろうか。

 

「……じゃあ俺はこの辺にいる。こっちに飛ばされたら優しく戻してやるよ」

 

幇助者はキンジお兄ちゃんが自らやると言うので俺は遠山かなめの描いた円の外周に陣取る。一応、アリアと理子の射線からは外れている位置だ。遠山かなめはこちらを見やり、フンと鼻を鳴らして星伽達に向かい合った。キンジがルールの再確認をし、理子がウィンチェスターのポンプアクションを、まるで見せつけるかのように鳴らす。ホント、あの音は嫌いだ。自分で使ったこともあるが、やっぱりショットガンなんてのは相手したくねぇんだよな。しかもあれ、ソードオフに改造されてるし……。ていうかあのウィンチェスター、俺がイ・ウー出る時に理子にやったやつじゃんか。あの銃まだ使えるんだな。

 

このランバージャックにおいて、実際にリングで戦うのは星伽と遠山かなめ、星伽の幇助者はジャンヌらしい。

 

キンジもやはり乗り気ではないのか、もう一度バスカービル達の説得を試みるが、やはり駄目らしい。どうにも、極東戦役の戦略としてこの遠山かなめを師団側に引き入れるのが目標の1つのようだ。それもこれも、遠山かなめというこの1年、不意打ちらしいがバスカービルの面々を相手にして、各々タイマンで勝利したらしい。……そりゃあすげぇな。確かに1度勝った相手だ、遠山かなめの余裕の態度も一応理屈があるようだ。

 

けどな、不意打ちでの戦闘と入念に準備を整えてからの戦いじゃ、人間は何倍も戦闘力が違うもんだぜ。そこら辺読み間違えると、コイツらを相手じゃ致命的なんだ。

 

そんな俺の心配を他所に、ランバージャックが始まる。アメリカ生まれのイカれた決闘の火蓋が今、切って落とされたのだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

先手を取ったのは遠山かなめ。木の葉が舞い落ち、それが星伽の視界を遮った瞬間に動き出したのだ。振るわれるのは近未来チックな遠山かなめの刀剣。そのデザインは、どうにもISの武装に似ていた。そして星伽はそれを刀で受けようとはせずにただ纏わせた炎で炙るだけ。

 

さらに星伽は返す力で炎を撒き散らす。本来なら危険な温度の輻射熱が俺に叩きつけられるが、どうやら熱変動無効はこっちでも正常に機能しているらしい。

 

普通なら息もし辛い筈の熱量を受けても俺の身体には何の差し障りも無いようだ。どうやら今日は超能力者(ステルス)にとってはコンディションの良い日らしく、人間火炎放射器と化した星伽は、その焔で遠山かなめの刀剣を焼いていく。全く切り結ぶ気が無いのはおそらく何かの作戦なのだろうが、遠山かなめが気にする素振りはない。

 

星伽の戦い方でやりたいことは読んでいるようだが、随分と自信があるみたいだった。だが、それも直ぐに崩れた。星伽の幇助者であるジャンヌが、1度だけの介入権を使って動いたのだ。

 

星伽が刀を鞘に仕舞い、何やら力を貯め始めた瞬間、それと入れ替わるように前へ出たジャンヌが放つのは彼女の必殺技。

 

「オルレアンの氷花!!」

 

本家本元のオルレアンの氷花だ。地面から絶対零度の氷が遠山かなめに迫る。アイツは自分で自分の戦闘範囲を決めてしまったから、赤熱化したその刀剣で氷の侵食を止めようとする。地面に刀を突き刺し、猫みたいな運動神経を発揮して「んっ……」とその柄の上に逆立ちしたのだ。

 

そして見事にそれは成功し、星伽の焔で熱せられた刀の温度も下げられ、迫る魔氷も抑え込んだ。

だが刀から降りた遠山かなめに星伽の居合い一閃が迫る。それも、先程までとは比べ物にならないくらいの大きさの炎を纏って、だ。しかもこれまでと違って、星伽の剣筋は切り結ぶことを恐れていない。当然、遠山かなめはそれを自身の刀で受け止める。だが───

 

 

───パキン

 

 

と、遠山かなめの持っていた刀が砕け散った。恐らく、熱膨張と収縮を繰り返したために金属が劣化したのだろう。そして今の衝撃に耐えられずに刀が折れたのだ。物理現象としてはありふれたものだが、遠山かなめはこれを想定していなかったらしく、慌ててその破片を手に取ろうとして、あまりの熱量に手を引っ込めた。

 

それを見たキンジが遠山かなめの前に立ち、星伽達に向けてデザート・イーグルを構え、そのトリガーガードに指をかけて銃を指先に吊るした。

 

──降参の合図だ──

 

見れば、遠山かなめの片足が最初に本人の描いた円から出ていた。さっき、星伽は刀を折ったついでに峰打ちで遠山かなめを押し出したのだ。だから、今回は遠山かなめの負け。自分で言い出したことだしな。守らないわけにもいかない。

 

「はぁ……」

 

溜息を付くと幸せが逃げるなんて言っていたのは誰だったか。敗北したことを受け入れられないのか泣き出してしまった遠山かなめと、それをネタに星伽を煽る理子は放って、仕方なしに熱に強い俺が燃えるように真っ赤に染まった遠山かなめの刀剣の破片を拾い集め始めると、横で驚いたような顔をされた。まぁ、こんなもん確かに人の触れられる温度じゃないよな。

 

「……色々あって熱には強いんだよ」

 

だからそれだけ答えてやる。実は異世界で身に付けた能力で熱変動無効ってやつなんです、なんて言ってもどうにもならないからな。俺だってよく分からんと思うし。そもそも、コイツは俺がどっかに行っていたことは知っていたが、異世界に飛ばされたことまで把握しているのかは分からん。どうにも極東戦役も絡んでいたらしいこの戦い、余計なことを言ってまた巻き込まれたくはない。

 

バスカービルの面々にも細かくは説明していないしな。この中で異世界の話をしたのはジャンヌだけだ。

 

で、何やら驚愕の顔で眺めてくるバスカービルの面々も放っておいて、俺は散らばった刀剣の破片をあらかた集め終えた。とは言え、星伽の焔で焼かれたそれらは今だに人が触れるには熱すぎる熱量を持っていた。その気になれば冷やせるが、多分それをやるとただでさえ温度変化で脆くなったこれらは決定的に崩れそうだったから自然に冷えるのを待つしかないな。幸いにも季節は秋だから、この時間なら冷めるのにそう時間は掛からないだろう。

 

「ジャンヌ、これ着とけ」

 

なので俺は着ていた防弾ジャケットをジャンヌに投げて寄越す。先の一瞬の攻防の際に、ジャンヌの防弾制服の背中が切られ、肌や下着が見えていたからだ。防弾制服を切り裂くとかどんな斬れ味なんだよと思うが、それを知っていたから星伽は最後の一撃以外は切り結ぶのを避けていたんだな。

 

「あ、あぁ。済まない」

 

ジャンヌも、自分の背中が見えているのは分かっていたのか、少し照れながらも俺のジャケットを羽織った。

 

すると、拳銃を腿のホルスターに仕舞ってスタスタとこちらへやって来たアリアは流石の切り替えの速さでキンジにコーヒーを要求しだした。

どうやら、このままお月見と洒落込むらしい。

 

コーヒーなんて持ってきていないキンジは武藤に、ろくなコーヒーがないことを悟ったアリアは戦姉妹の間宮あかりに、俺はリサに、それぞれ連絡を取ってこの場に呼ぶ。

 

5分もすれば、武藤の運転する車からリサと間宮が現れた。女子がいると聞いて「5分で行く」と即答した武藤は宣言通り、きっかり5分で到着したのだから凄まじい執念だ。

 

「……お前、どこ行ってたんだ?」

 

と、女子連中から省かれたキンジが聞いてくる。どうやら、任務ではないらしいことは把握しているらしいな。

 

「涼宮が俺にまで聞いてきたぞ。お前が急にどこかへ消えたって」

 

透華か。まぁ、透華は武偵になりたてだから、あまりこういうのは慣れていないのだろう。バスカービルの奴らはあそこまでの心配はしてこなかった。武偵なんだし急な任務もあるだろうと、メールで連絡を寄越してくれた奴らは皆そんな感じだったのだ。

唯一理子とジャンヌだけは、リサまでいないことで強烈な違和感を覚えたようだが。

 

「んー、なんて言うか、別の世界……漫画的な異世界に行ってた」

 

「は……?」

 

正直に話したらキンジが呆れ顔になってしまった。まぁ当たり前の反応だと思うけれども。

 

「いやマジで」

 

「……武偵なら証拠を出せ」

 

「じゃあ……異世界の魔法」

 

と、俺は手の平サイズとは言え、わざとらしく魔法陣を出し、そこから氷の塊を生み出していく。魔王になってからこっち、この程度であれば魔法陣なんか展開する必要もなく氷の槍を放てるのだが、今回は見せるのが目的だ。分かりやすいそれに、キンジも頭を抱えてしまった。

 

「マジかよ……」

 

「マジだ」

 

武藤も会話には入ってこなかったが、口をあんぐりと開けて驚いている。俺が出していた魔法陣を仕舞うと、生み出した氷もダイヤモンドダストになって散っていった。

 

「……超能力って本当にあるんだな」

 

武藤だって武偵の端くれ。超能力の存在くらいは知っている。東京武偵校にだってSSRがあるしな。まぁ、この反応を見る限り、自分の目で見たのは初めてらしいけどな。なので俺は「あぁ」とだけ返す。

 

それっきり血生臭い話題は終わり、俺達は3人でどうでも良い無駄話に花を咲かせた。そうして夜も更けてきた頃、俺達は三々五々自分の部屋へと帰っていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

それは、ランバージャックから数日したある日、週末に喧嘩祭り(ラ・リッサ)とも称される体育祭を控えた俺はリサと放課後の買い物を済ませて寮の部屋への帰路を歩いていた。

 

この場にいるのはどうやら俺達だけで、少しの高揚感と穏やかな空気の入り交じった少しの非日常を味わっていた俺達の足元に現れたのはこれ以上ないくらいの"非日常"

 

それは光る魔法陣のようで、そんなものが氷焔之皇のある俺の足元に現れたことに驚きを隠せない。けれども俺の脳みそのどこかはどうやら乱れることなく機能していたらしい。

 

咄嗟にリサを突き飛ばし、その光の円の外へと弾き出したのだ。

 

「ご主人様!!」

 

リサの叫び声が聞こえる。

 

「来るなリサ!!」

 

「でも!!」

 

「俺は帰ってくる!絶対に!!……だから待っててく───」

 

最後まで言い切れたのかは分からない。だが、その瞬間に目も開けていられないほどの光に包まれた俺の意識は、白く冷たい光の中へと溶けていった。

 

 

 

 

 

 



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ありふれた武偵で世界最強
ありふれた異世界転移とありふれてない世界


水曜日にも1つ更新しています。


ここは……?

 

視界を覆い潰す光の奔流が収まり、世界に色を取り戻す。それと同時に、閉じていた瞼を開けると目の前には何10人もの人間、それも比較的年齢層の高い奴らが祈るように手を合わせていた。

 

さらに周りを見渡すとそこにいたのは30人以上はいるだろう。ブレザーを着た高校生くらいの集団が俺と同じように辺りを見渡していた。どうやら今度は集団での異世界転移に巻き込まれたようだった。

 

だが、こんな奴ら武偵高にいたか?いや、いないはずだ。同じブレザーとは言え武偵高の臙脂色の防弾・防刃制服とはデザインからして全く違うし、何よりあの時俺の傍にいたのはリサだけだったはずだ。もしかしたら、本来呼ばれるはずだったのはコイツらだけで、俺は何かのイレギュラーによって巻き込まれたという可能性もあるかもしれない。もしくは、度重なる異世界への転移で俺の身体が捻り癖よろしく異世界転移癖が着いていて、おかげで召喚の際に混ざってしまったのかもしれないな。というか、多分そうだろう。

 

けれども、何にせよ俺はこの世界の情報を集めなければならない。そうして帰る方法に目星をつけなければ。

 

そんな風に今後の方針について思考を巡らせながら両脇のホルスターに収めた拳銃と背中側の腰に収めてある雪月花の柄の存在を確かめながらさらに見渡すと、まず視界に飛び込んでくるのは大きな壁画だった。その絵の中心に描かれていたのは男とも女ともつかない中性的な顔と体つきの人間。その背景には川や山、草原などの雄大な自然が描かれており、それらを中心の人間が抱きしめているかのような構図のものだった。

 

また、どうやら俺達は巨大なホールのような場所の中心、そこにある舞台のような場所にいるようだ。そして、やや高い位置にいる俺達を下から見上げているのは先程まで祈るような格好をとっていたご年配共だ。皆揃いも揃って白い装束に身を包み錫杖のようなものを抱えている。まるで理子にやらされたRPGのゲームに出てくる神官様みたいだった。そういえば、リムルのいた世界でも似たような格好の奴を見たことがあったな……。

 

……今回はコイツらが俺達を召喚でもしたのだろうか?

 

すると、その中で先頭に座って祈っていた男が俺達の前へ進み出る。

 

「ようこそトータスへ。勇者様とそのご同胞の皆様。異世界からこの世界へ渡って来た皆様を歓迎致しますぞ。私は聖教教会教皇のイシュタル・ランゴバルドと申します。以後、宜しくお願い申します」

 

 

 

───────────────

 

 

 

イシュタルと名乗った老人に連れられて俺達がやってきたのはやたらと縦に長いテーブルのある部屋だった。ドラマやなんかで偉い奴が食事を摂るような雰囲気のそこの上座付近へ、天之河光輝というらしい彼らのクラスの中心人物とその仲間連中が集まり、後は適当に席に着く。ここに案内されるまでの間、明らかに身内ではない俺のことを遠巻きに見ながら何やら話しているのを聞いていくうちに、コイツらが同じクラスの人間であるということ、お昼時に急にその時教室にいた人間がまとめてここに呼ばれたらしいということ、このクラスの奴らのなんとなくの力関係は分かった。そして俺はその輪には当然入れていないために、端っこに席を取らざるを得なかった……。

 

そうして各々が着席したあたりでこの異世界にも概念が存在しているらしい、メイドさんと呼ぶべきお揃いの給仕服を身に纏った若い女達が、紅茶のような飲み物を全員に配り始めた。個人的にはリサという完璧なメイドさんを知っているために彼女らにはあまり興味が湧かなかったのだが、他の男連中は皆このメイドさんたちに目が吸い寄せられていた。まぁ、他の女子組はそんな単純な男共を氷河期もかくやという冷たい目で眺めていたのだけれど。

 

「さて、貴方がたはさぞかし混乱されているでありましょうから、私が一から説明致します。まずは私の話を最後までお聞きくだされ」

 

イシュタルなる人物が話し始めた内容は、思いの外面倒な事情を抱えていたこの世界のことについてだった。

 

どうやら、この世界は「トータス」という名前の世界らしい。そしてこの世界には大きく分けて3つの人種があるようだ。それが彼らを含めた人間族、魔力なるものを一切持たないが人と獣の特徴を併せ持つ亜人族、人間族よりも数は少ないものの圧倒的な魔法の技量を持つ魔人族だ。

そして人間族はこの魔人族と数100年の間、戦争状態にあるという。個人技の差を数で埋めているおかげで拮抗状態にあった戦いだったが、最近魔人族が魔物の呼ばれる生物を支配下に置き始めたためそのバランスが崩れた。それにより人間族はかなり追い詰められているというのだ。

 

「そこで貴方方を召喚したのがエヒト様です。エヒト様は聖教教会の唯一神であり、我ら人間族が崇める守護者でもあります。そのエヒト様から御神託があったのです。貴方方という救いを人間族に寄越すと。貴方方の世界は例外なくこの世界の上位に位置し皆様は全員この世界の人間を上回る能力と素質を持つと。皆様にはぜひその力を発揮し我ら人間族をお救い下さいませ」

 

どうにも狂信者の気があるらしいイシュタルは語りが進むにつれて恍惚とした表情となっていった。その上、俺達が別の世界からやってきたのにも関わらずこの世界の神様の言うことを一字一句信じることに疑いを持っていないようだった。

 

「ふざけないでください!!」

 

だが、そこでイシュタルに待ったをかけたのが彼らの中で唯一の大人である彼女だ。小柄でやたら童顔なため、下手したら生徒たちより年下にも見える程だが、これでも立派に教師らしい。

 

「それって、この子達に戦争をさせようってことでしょう!?そんなの先生は許しません!えぇ、絶対に許しませんよ!この子達の親御さんたちも心配しているはずです!早く彼らを帰してください!喚べるのなら返すことも出来るはずでしょう!?」

 

イシュタルのあまりに自分勝手な物言いに、我慢がならなかったらしい。生徒達がまだ状況を呑み込めずに混乱している中で、まずは生徒達の心配をしているあたり、人が良さそうな先生だ。

 

だが、その先生の言葉もイシュタルにはさほどの影響も無いようだった。彼はただただ残念そうに首を横に振る。それがどこか胡散臭さを感じさせた。

 

「残念ですがそれは出来ませぬ。……何故なら貴方たちをここへ喚んだのはエヒト様であり、我々ではありません。我々人間族には世界を超えるような魔法は使えないのです。ですから、元の世界へ帰れるかどうかはエヒト様のご意思次第、ということです」

 

なるほど……。やはりリムルのいた世界と同じように、向こうからは喚び出せるけれど元の世界に帰すことはできないらしい。

 

しかしそれを聞いた向こうの生徒達は大混乱だ。それも当然だろう。何せ訳も分からず知らない異世界とやらに召喚されたと思ったら今度は勇者一行として戦争をしろときた。これで混乱しない方がおかしい。

 

だがその様子を静かに眺めているイシュタルの目には侮蔑が込められているように見える。どうやら俺達がエヒト様とやらの意思に従わないことが気に入らないらしいな。しかし、そこで1人の生徒がテーブルを叩き立ち上がった。

 

「皆、ここでイシュタルさんに当たっても仕方ない。イシュタルさんにもどうしようも出来ないことなんだと思う。だから俺は……、俺は戦おうと思う。この世界の人達が危機にあるのは事実なんだ。それを知って見て見ぬふりをすることは、俺にはできないから」

 

この天之河光輝という男、クラスのリーダーのような存在だとは思っていたが、それはそれとして無駄に正義感が強いらしい。彼らの歩き方や話している内容からして、この学校の生徒達は戦う人間ではないのはずだ。確かに彼を含めて何人かは武道をやっている風ではあったが、それでもそれだけでは足りない。何せ魔法なんてものがある世界で戦争をするのだ。いくらなんでも考え無しでどうにかなるような問題ではない。

 

「それに、戦って人間族を救うために召喚されたのなら、戦いを終わらせればエヒト様も俺達を返してくれるかもしれない。そうですよね、イシュタルさん」

 

「そうですな。人間族を救った救世主の言葉であればエヒト様も無下にはしますまい」

 

「それに、俺達には大きな力があるんですよね?確かにこちらへ来てから身体中に力が漲っているように感じる」

 

へぇ、いやむしろ俺はそれを聞いてエヒト様とやらがどうにもきな臭い存在に思えてしまう。彼らはどうやら大きな力を与えられたようだが、俺は逆だ。ここへ来る前に何か俺という存在の深い部部をまさぐられる感覚があったものだからさっきからあれやこれやと試していたのだが、どうにも聖痕の力が閉じられているのだ。それだけではない。リムル達の世界に来る時に与えられた能力群に加え、向こうで手に入れた魔法やスキルがまとめて使えなくなっているのだ。

 

どうにも無くなっている訳ではなく力を引き出そうとしても何かに蓋をされていて引き出せないのだ。これはシャーロックに聖痕を閉じられていた時と似たような感覚だ。幸い、「変質者」で統合したオラクル細胞には違和感は感じないから、キチンと確認の必要はあるとはいえ、今後この力が俺の切り札になるだろう。しかし、本当にエヒト様が人間族と魔人族の戦争で人間族を勝たせたいのであれば俺の力をわざわざ封印する筈がない。そうなるとエヒト様とやらには他の目的があるということになるのだが……。

 

だが力を封じられて戦力ダウンも良いところな俺と違い、彼らはそれはそれは自分の中に力を感じているらしい。そして天之河の声に触発されたのか、さっきまで不安や恐怖に狼狽えていた筈の彼らの中では戦うことが決まってしまったらしい。先生だけはまだ不満げではあるが、どうにもこの流れは変えられない。

 

しかもイシュタルという男、どうにもここへ来るまでの彼らの会話、そして自分の話への反応を観察し、誰がこの中の中心なのか、そしてその人物はどんな性格をしていてどんな話に興味があるのかをつぶさに確認していた節がある。そしてやはり天之河という人間はこの世界の人間たちが他種族と戦争をしていて、滅亡の危機だと聞いた時の反応は顕著だった。探偵科でない俺でも分かるのだ。世界最大宗派のトップがそれに気付かないわけはない、ということか。イシュタルはそれを把握した上で話を構成していったのだろう。上手いやり口だ。向こうの世界なら詐欺師としてもやっていけるかもな。

 

「そこの君も、協力してくれるよな?」

 

と、そこで天之河から俺に話が振られた。さっきから誰も彼もがチラチラとこっちを見ていたのは気付いていたし、全員が「誰だこいつ……」と思っているのも把握していたので黙って聞いていたのだが、そういうわけにもいかなくなったようだ。

 

「あぁ、そうだね。まずは自己紹介からさせてもらうよ。俺の名前は神代天人。君達も高校生だよね?」

 

俺のその質問に天之河くんは頷いて答える。

 

「そうか……俺もだ。……うん。戦うしかないのなら俺も戦おう。けれどその前にイシュタルさん。あなたに幾つか聞きたいことがあります」

 

どうにもイシュタルは俺のことはあまり信用していないようだ。つぶさに観察していたのがバレていたのだろうか。

 

「……何ですかな?」

 

「まず先程、この世界を「トータス」と呼びましたが、それは誰が名付けたのでしょう。いえ、俺のいた世界では自分らの世界に名前なんて無かったものですから」

 

「ふむ、それはエヒト様です」

 

「なるほど、それともう1つ。過去にもこのような、つまり、人間族が魔人族や亜人族と戦争をしていて危機に陥ったとかで異世界から助っ人を召喚した記録などはありますか?もし文献などがあれば戦う際に参考にしたいのです」

 

これ以上の不信感や疑惑を持たれたくはないのであくまで戦うことは前提としていますよ?という風に質問をしていく。

 

「いえ、このようなことは今回が初めてですな。我々も突然のことで些か驚いているところです」

 

「なるほど……。いえ、無いのなら仕方ないです。ありがとうございます」

 

納得した風に俺は席に着く。だがなるほどな。トータス()なんて名前のある世界、前例の無い異世界召喚、召喚に際して閉じられた俺の力。創造主であり守護者であり、何より俺達をこの世界に喚んだエヒト様という存在。今回の異世界転移、ただ魔人族とやらと戦うだけじゃあないかもしれないな……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

まさか聖教教会が標高8000mの山の頂きにあるとは思わなんだ……。

 

いくら潜在的に凄まじい力を持っていようが、戦う意思を決めようが、この世界での戦い方なんて知るわけもない俺達のことは流石に向こうも把握しているらしく、この神山と呼ばれる標高にして8000mもの高さを誇る山の麓にある王国、「ハイリヒ王国」にて俺達の受け入れ準備が整えられているらしい。そしてまさかいきなり8000メートルも下山させられるのかと思いきや、魔法で移動するロープウェイのようなものが用意されていた。それを使って瞬く間に下山を終える。

 

雲海に突っ込んだ時には生徒たちは大騒ぎだった。やはり彼らは普通の学生で、部活や何かで武道をやっている奴はいても戦う環境になんてなかった人間達なのだろう。そんな彼らがいきなり大きな力を得てどうなるかは心配ではある。聖痕とスキル群がまとめて差し押さえ中である以上は俺も彼らと一緒に戦わなくてはならないだろうし。

 

もし全開が出せるのであれば今すぐにでも魔人族の本拠地に乗り込んで殲滅の上、エヒト様とやらにさっさと帰すように迫れたのだが……。

 

だがエヒト様にどんな思惑があろうと俺は帰るのだ。武偵高に、リサの元へ、必ず。その邪魔をするなら人間族だろうが魔人族だろうが、例え神が相手だったとしても叩き潰すだけだ。

ハイリヒ王国の宮殿で国王やらなんやらから有難いお話を賜っている間、俺は心の中で燃えるような殺意と決意を抱えていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

訓練は早速翌日から始まった。とは言っても、まずは俺達が手に入れた才覚の確認からということらしく、全員にステータスプレートなるのもが配られた。これは、この世界で最も信用のある身分証明書でもあるらしいのだ。どうやら原理は不明なれど少量の血液で個人登録を行い、今後は好きに自分のステータスを確認できるのだとか。

そんな説明を王国お抱えの騎士団団長たるメルドという人物から説明を受けた。また、どうやら彼は今後俺たちの指南役も務めるらしい。子守りご苦労様です。

 

で、俺も渡された針(を使った振りをして自分の歯で指先を切ったが。俺の全身で特にオラクル細胞の数が多い腕から先は普通の針じゃ傷つかないからな)で血を1滴垂らし、ステータスプレートに俺という存在を登録する。するとそこに浮かび上がったのは───

 

 

────────────

神代天人 17才 男 レベル1

天職:錬成師

筋力:500

体力:500

耐性:──

敏捷:550

魔力:10

魔耐:10

技能:錬成・言語理解

────────────

 

 

メルド団長の説明によれば、レベルはそいつがどれだけの潜在能力を発揮しているかの基準であり、レベル100というのが最大値であり極地であるとのこと。また、(絶対オラクル細胞のおかげで俺だけおかしな基準になっているのだろうが)本来は肉体的なステータスは魔力が高ければ高いほどそちらも高いらしい。どうにも魔力が身体能力を補強しているのだとか。詳しいところは分かっていないらしいが……。

 

あとこれ大事。どうやらステータスにおけるレベル1の段階のこの世界の平均値はどれもだいたい10前後らしい。……どうやら俺はただの筋肉ゴリラのようだ。いやこれ絶対オラクル細胞のせいですよね……。多分物理攻撃に対するって意味だろう耐性に至っては数字出ないし……。あと魔耐っていうのは魔法に対する耐性だろうか、これも魔力量と同じようにとんでもなく低い。どうにもオラクル細胞は物理的な力には強いが魔法のような超常の力にはかなり弱いらしい。それは、リムルのいた世界でも何となく感じていたことだが、この世界では、殊更にそれが顕著のようだ。

 

ていうか、この訳の分からない耐性の数値からすると天職は錬成師ではなく肉壁ではなかろうか?

ただまぁ、こうやって体力を明確な数字として出る世界ということはあまりに残酷だ。何故なら1でも数字が上回ればそれでそこに関しては押し切れるということだからだ。そこに気合いやら何やらの不確定要素は存在し得ない。

 

俺がそんな風に色々と空恐ろしさを感じながらも最後になってメルド団長にステータスの報告へ行った。で、俺のステータスプレートを見たメルド団長は───

 

「君だけ別の場所から呼ばれたんだってな?皆に馴染むところからで大変だろうがよろしく頼む。で、ステータスプレートは……んん?ん?ええ……?」

 

何やらかざしたり振ったりしているが俺のイカれた数値に変動は無い。どうやら俺以外のステータスの最高値はレベル1の時点での天之河がオール100、天職も勇者で技能欄にも技能なるものがかなりの数があるらしかった。で、鍛え上げたメルド団長はレベル68時点でステータスは平均どれも300前後。成長具合によっては天之河にあっさり抜かれかねない数値ではあるが現状人間族ではトップレベルとのこと。まぁ白崎香織というらしいクラスのマドンナっぽい女子生徒の魔力量は天之河のそれを上回っているようで、一点に限れば天之河より上の奴もいるにはいるらしい。だがそれでも俺の数値は異常だ。何せ魔力量はそこらの一般人程度か下手したらそれ以下にも関わらず身体的ステータスは既にメルド団長を大きく上回り耐性に至っては表記すらされていない。

 

なのに天職は錬成師とかいう明らかに戦闘向けではないそれ。技能も錬成と言語理解しかなく、言語理解に至ってはこちらの世界に転移した全員が持っているため実質1つ。なんならあらゆる言語を把握出来る言語理解が俺の中で1番強い技能かもしれない。

 

「あぁ、うん。まぁこんなこともある、よな……?」

 

いえ、ないと思います。筋肉ゴリラでごめんなさい。

 

「あの、錬成師と技能の錬成っていうのは……?」

 

だがそれはそれとして気になったことを聞いておく。字面からして何となく想像はつくが……。

 

「あぁ、錬成師ってのは鍛冶職の人達がよく持っている天職で、錬成ってのは鉱物とかの錬成、つまり加工が魔法で行えるっていう技能なんだが……」

 

なるほど、ステータスはやたら戦闘向けだし何なら世界一の肉壁なのに技能は裏方、それも戦闘時の後方支援どころか武器やら道具やらを作る側っていうあべこべも良いところな状態なわけですね……。ちなみに他の全員は先生を除き皆戦闘向け天職らしい。なお先生は先生で作農師とかいう天職で、どうやら食物の育成に大きく寄与する天職と技能を持っているとかで、これはこれで、下手したら勇者何かより戦争の行方に関わりかねない能力のようだった。

 

「あぁ、まぁはい。数字だけならそれなり以上には戦えそうなのでもうそれでいいです……」

 

半分投げやりだが、もう決まってしまったものはしょうがない。何人かが様子のおかしいメルド団長が気になって俺のステータスプレートを覗き見していたが、その全員がギョッとした顔をして戻っていくものだから、武偵的にはこういうのはあまり晒したくはなかったのだが、もうメルド団長に俺の数字を全部言ってもらった。

で、やはり全員数字の大きさ以前に表示されない耐性の欄に疑問があるらしいが、オラクル細胞の話なんてできない以上は適当に誤魔化すしかない。ちなみに魔法の適性もほぼ無かったために、この日から俺は裏でこのクラスの連中に筋肉ゴリラと呼ばれることになった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

初めての1人での異世界転移から2週間程がすぎた。その間、座学や戦闘訓練等を行っていたが、実際のところ俺は戦闘訓練よりも、錬成の練習と、図書館に通いつめてこの世界のことを勉強していることの方が多かった。そのおかげか錬成の範囲や錬成速度は少しずつではあるが広がったり早くなっていった。そしてどうやらこの技能、割と色々な物に適用できるみたいで、直接触れなければならないが訓練場の砂地でも出っ張りや穴を作ることができるため、最初に貰った錬成の魔法陣の刻まれた手袋以外にメルド団長経由で靴にも魔法陣を刻んだ物を用意してもらった。ちなみに渡された武器は、他の連中はアーティファクトなる国宝級の武具を支給されたのに対して、技能欄が終わっている俺は普通の剣が一振。一応鎧やら何やらも用意されていたらしいが個人的には身軽な方が良いので断ってある。ただし、高いステータスのおかげか、剣は特殊な機能は無いものの、中々の業物を賜ることができた。

 

雪月花の柄はともかく、拳銃と予備の弾倉(マガジン)はこの世界の人間であればよく分からない物にしか見えないだろうが、どうやら俺の世界と近い常識を持ち合わせているらしい生徒達や畑山先生に見つかると確実に不味いので、普段は用意された部屋に隠してある。防弾制服も訓練やなんかでは使わずに、こちらも用意されたものを着ている。そうでもしないと一々面倒なことになりそうだからな。ただでさえステータスがよく分からないことになってるのだ。これ以上悪目立ちはしたくない。

 

で、そんな風に過ごしている中で訪れた、ここ最近のいつも通りの戦闘訓練の時間。だがここで珍しく天之河から話しかけてきた。

 

「ちょっといいかな、神代。確かに君は凄いステータスだ。けれど俺もそれなりにレベルも数値も上がっているし、何より真面目に訓練もしている。数字に胡座をかいている君にはもう負けないつもりだ」

 

この天之河、訓練2日目にして俺の実力が見たいとかで模擬刀を使っての練習試合を申し込んできたのだ。こっちも実力を見るついでに相手をしたのだが、どうやら本人は元の世界で剣道をやっていたらしく剣の扱いにはそれなりに自信があったらしい。だが武偵として訓練を積んでいた上にステータスも圧倒している俺には手も足も出ず完敗。それ以降割と避けられていたのだが、俺が図書館に篭もるか錬成の練習ばかりやっているのを尻目にかなり本気で頑張っていたらしく、俺のレベルがまだ2な上に魔力以外の数値の上昇が無いなのに対して天之河は既にレベルは10だしステータスも倍に伸びている。確かにそう簡単には負けないと思えるだけのものはあるだろう。

 

「あぁ、分かった、良いよ」

 

と、また模擬戦を受ける意を伝える。

 

「そうこなくちゃな。前はステータスの差が大きすぎてやられたが、今度はそうはいかない」

 

さて、負けたのがステータスの数字によるものだと思っている以上は結果は変わらない気がするがそれは言わないでおいてこちらも準備を始める。だがまた模擬用の木刀でやるのかと思いきや、天之河は真剣での勝負を申し入れてきた。まぁ何かある前にメルド団長が止めるだろうし、多少怪我をしても治癒師とかいう天職を持つ白崎香織という天之河の幼馴染もいるからそう大したことにはならないだろうと思い、俺も了承する。さて、やりますかね……。

 

「始め」

 

メルド団長の声と共に天之河が一瞬にして10メートルの間合いを詰めて突っ込んでくる。縮地とかいう技能で、今の天之河のように瞬時に間合いを詰める技能なのだが……。

 

「っ!」

 

寸止めでもするつもりなのか、思いっ切り上段に振りかぶっての唐竹割りを右手の剣で弾き、バックステップで天之河と距離を置く。すると今度は真っ直ぐ向かってくるのではなく左右や斜めに動いたり背後に回ったりと、撹乱する動きをしながら俺の隙を窺う天之河。なるほど、初手で突っ込んできて先と同じように躱され、次手も同じように突っ込んできたところを逆に1本踏み込んで喉元に突きを入れられてKOされたのから学んだらしい。それに、縮地も前よりさらに速くなっていた。どうやら訓練の成果は現れているようだった。けどまぁ───

 

「うおっ!?」

 

天之河が俺に一撃を入れようと背後から1歩踏み込んだそこは、俺が既に錬成で地中に穴を開けていた部分だ。そこに片足を突っ込みバランスを崩したところに素早く詰め寄り天之河の手を捻り、聖剣と呼ばれる彼に用意されたアーティファクトを奪い取る。そしてその刀身を天之河の首筋に当てて───

 

「これで俺の勝ちってことで」

 

「そこまで!」

 

そこでメルド団長から止めの声が入る。天之河には悪いが流石に戦闘に関しては経験値が違うんでな。

 

「クソ……。落とし穴なんて、卑怯だぞ!」

 

だが、天之河は俺のやり方が納得いかないようだ。いやいや、それ魔人族とかにも言うのか?

 

「背後から一刀両断しようとするのは卑怯とは言わないのか?」

 

「う……それは……」

 

「人質を使ったわけでも、寝首を搔いた訳でもなしに、卑怯なんて言われる筋合いはないな」

 

まぁもういいさ。俺は俺で錬成の練習に入らせてもらおう。俺は背中に天之河の重苦しい視線を受けながら、自主練へと戻っていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「明日からは実践訓練の一環としてオルクス大迷宮へ遠征へ向かう。必要なものはこちらで用意するが、王国外縁の魔物との戦闘訓練とは一線を画すものになるからな。覚悟しておくように」

 

訓練終わりに集められた俺たちはメルド団長から明日以降の予定について聞かされている。とは言え、オルクス大迷宮へ向かうなんてことは初耳であったため、皆驚きの反応を示していた。

 

オルクス大迷宮、この世界に7つあると言われている大迷宮の1つで、オルクスは全100階層あると言われている。今のところは65階層まで踏破実績が確認されているが、そこまで行けたのもだいぶ昔の話で、今はもうそんなに深くに潜れるような奴らはいないらしい。どうにも潜れば潜るほどに出てくる魔物は強力になるという話だ。

また、態々そんなに深い所まで行かなくとも浅い階層でも良質な鉱石や魔物の核たる魔石が採れるらしく、専ら冒険者の稼ぎ口となっているらしい。

 

何かの拍子に下層の魔物が上がってきたら不味いんじゃないのかとも思うが、どうにもそこの魔物たちは上にも下にも行かず、常に同じ階層に留まる習性があるのだとか。都合の良いことだ。リムルの作った迷宮だってそこら辺には結構気を遣っていたというのに。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「はぁ……」

 

オルクス大迷宮のあるホアルドという宿場町のとある宿屋。ここでも俺に用意されたのは一人部屋。完全にあのクラスの中で俺という異物は浮いていた。というか、いきなり天之河を圧倒した時から既にクラスの奴等からは避けられ気味になってしまったため、コミュニケーションには苦労した。本来は全員の天職と技能を聞き出したかったのだが、あれの印象があまり良くなかったらしく、割と警戒されてしまったのだ。それでも訓練の合間にちょっとずつ聞き出していき、それなりの人数の情報は集まった。

 

何故情報をかき集めたか、簡単だ。このクラスの連中と俺の世界は別の世界だということは分かっていた。初日の内にさりげなく「武偵」という存在について何人かに聞いていたのだがそいつらの誰も武偵を知らなかった。というか武偵高の制服を見れば武偵だと分かるはずなので、確認程度だったのだがやはり誰も知らない。つまり彼らは俺のいた世界とはまた違う世界にいたということだ。そして、もし帰るにしてもエヒト様経由で世界を渡るのが1度だけだった場合、俺か奴等かのどちらかは元の世界に帰れないということになる。そうなった場合俺は確実に彼らを皆殺しにするだろう。情報を集めているのはそれに備えてのことだ。

 

もちろんそんな本心は隠しているからか、警戒されていたとは言え何人かは俺に気を許してくれたらしく、世間話や元の世界の話をするくらいには打ち解けた奴もたまにはいた。そいつらの話を聞く限り、どうやら俺と彼らの世界は武偵の存在以外はほぼ同じ世界のようだ。もしかしたらリムルの元いた世界と同じかもしれない。

 

そうして思考を回しているうちに眠気が来るかと思いきや、思いの外目は覚めたままだった。

 

「少し歩こう」

 

最近また増えた気がする独り言は声に出してから気付いた。というか、こっちに来てから眠りが浅くなっている。

多分、というか確実にリサがいないからだ。俺は、不安なのだろう。リサがおらず、頼みの綱の聖痕とスキル群が差し押さえられている上での再びの異世界転移だ。しかも俺をここへ引っ張りこんだ元凶はきな臭いときている。せめて、せめてここにリサが居てくれたのならと思わずにはいられない。

 

「はぁ」

 

と、溜息をひとつ。不意に右手を見ると所在なさげに宙を漂っていた。あぁ、リサの温もりが欲しい。

 

そんな風にリサを思い起こし、帰還への決意を新たに外を歩いていると、不意に風切り音が耳に届く。どうにも誰かが素振りでもしているようだ。気になった俺はそちらへ足を向けると、そこにいたのは艶やかな黒髪を頭の後ろで縛った、所謂ポニーテールを作った女が1人、片刃の剣を虚空に向かって振るっていた。彼女も剣道をやっていたらしくその素振りは俺から見ても美しいフォームでしかも安定していた。

 

俺がそれをただ黙って眺めていると、規定の回数に届いたのか満足したのか知らないが、その女──八重樫雫という名前で天之河と白崎香織の幼馴染らしい──は素振りを止め、こちらを見ずに声だけで話しかけてくる。

 

「覗き見とは感心しないわね」

 

「いや、邪魔しちゃ悪いかなと思ってさ」

 

「ふぅん?」

 

「なんだよ」

 

「別に」

 

と、ようやくこちらを振り返った八重樫。そこにいたのがクラスの連中ではなく俺であることにもあまり驚きはないようだった。

 

「……それで、神代くんはどうしてここに?」

 

ちなみにこの八重樫、俺と話をする数少ない異世界転移組の1人である。

 

「こっちに来てから眠りが浅くてな。今も寝れずに、な」

 

「そう。私も似たようなものよ」

 

納得したのか、八重樫は剣を腰にぶら下げた鞘に納刀しながらこちらへ歩いてくる。そして石段に腰掛け、自分の横を手のひらで叩いてくる。座れ、ということだろう。

 

「なぁ八重樫」

 

俺は誘いに乗って八重樫の横に腰掛けた。

 

「何?」

 

「お前、元の世界へ帰りたいか?」

 

「そりゃそうよ。貴方は違うの?」

 

「いいや、違わない。むしろ、きっと俺は誰よりも元の世界へ帰りたい。あそこに、俺は絶対に帰るんだ」

 

「へぇ……」

 

「なんだよ?」

 

「いえ、神代くん、あんまり自分のこと話したがらない雰囲気だったから。こうして本心を話してくれるのが意外だっただけよ」

 

「あぁ。そういやそうかもな。そうだな……。ちょっと愚痴でも聞いてくれるか?」

 

「あら珍しい。いいわ、聞かせてちょうだい」

 

「ありがとな。俺さ、向こうに付き合ってた奴がいたんだ───」

 

そうして俺は語りだした。何故俺がここまで強く帰郷を望むのか、そのための覚悟──魔人族を皆殺しにしてでもというそれ──を、この世界にいることの不安を。それを八重樫はただ黙って聞いてくれていた。

 

「……ありがとな。聞いてくれて」

 

「ふふっ、神代くんの新しい一面が見れて楽しかったわ。貴方、意外と寂しがり屋なのね」

 

「みたいだな。俺も初めて知ったよ。──もう夜も遅そうだ。じゃあな、また明日。お互い気を付けようぜ」

 

「えぇ、本当に。……おやすみなさい」

 

「あぁ、おやすみ」

 

 

そうして八重樫と別れ、自分の部屋へ戻ってきた。もう寝るかと、寝巻きに着替えようとしたその時、部屋のドアをノックする音が響く。

 

「ん?……はーい?」

 

と、この時間だ。流石にいきなりドアは開けずにドア越しに声を掛ける。すると向こうからの返事があった。

 

「あの、白崎です。神代くんにお話があって……」

 

白崎、白崎香織。さっき俺が愚痴を零した八重樫の幼馴染で実は2人とも付き合ってんじゃないかって思う程に距離が近い奴だ。しかし、八重樫と違って白崎とはそんなに話した記憶は無いが……。まぁ変に天之河が来るよりはマシなのでドアを開けてやる。

 

するとそこに立っていたのは薄い寝間着、ようはネグリジェの上にカーディガンを1枚羽織っただけの白崎が1人で立っていた。

 

「あの、あんまり聞かれたくないことだから、上がっても良いかな?」

 

「え、あぁ」

 

話の内容よりお前のその格好の方が男の一人部屋に上がるのには宜しくないと思うのだが、まぁ本人が気にしていないなら今言うことでもないか。

 

そうして白崎を部屋に通し、部屋に備え付けてあった不味い紅茶のような何かを淹れてやる。

 

「俺の部屋、このくそ不味い紅茶っぽい何かしかなくてな」

 

「ううん。ありがと」

 

月明かりの中で白崎香織という人間はよく映える。元々がかなり整った顔立ちとスタイルを誇っている上に今はその格好も中々に扇情的だ。部屋に2人きりという雰囲気も相まって、柄にもなく少し緊張してしまう。

 

「で、話って?」

 

立ち話では出来ないような内容の話って、一体なんだ?それもこのタイミングで、だ。

 

「あのね、さっき夢を見たの」

 

「夢?」

 

「うん、夢。その夢の中で神代くんは私たちの前から消えちゃうの。待ってって叫んでも届かなくて、追いかけてもどんどん先へ行っちゃって、そして───消えちゃうの。明日からオルクス大迷宮に行くでしょ?だから、もしかしたらそこで神代くんに何かあるのかもって思ったら伝えなきゃって」

 

「……心配してくれるのか、俺のこと」

 

ろくに話したこともないような俺のことを。

 

「うん。だって私たち、確かに同じ学校の生徒じゃなかったけど、それでもこうやって今は同じ時間を過ごしてきたから」

 

「……そうか。ははっ」

 

「……どうして笑うの?」

 

「いや悪い。心配されたのなんて久し振りでな。つい」

 

「そう、なの……?」

 

「あぁ。で、まぁさっきの話だけど、夢なんだろ?ただの」

 

「うん、だけど何故か凄く真に迫ったような夢で、だから……」

 

──だから私が君を守る──

 

そう告げた白崎の瞳には強くその意志が燃え盛っていた。コイツ、こんなに強い目をできる奴だったんだな。

 

「ありがとな。……けど大丈夫だ。俺ぁお前らより強いからな。それに、絶対に帰るよ。元の世界に。絶対に生きて帰る。だから俺は明日にゃ死なない。それは絶対だ」

 

あぁそうだ。俺はこんな所で死ぬわけにはいかないんだ。絶対に、絶対にリサの元へ帰るんだ。何があっても、誰を何人殺すことになってもだ。

 

「神代くんは、強いね。私ね、帰ったらやりたいことがあるんだ」

 

「やりたいこと?」

 

その台詞はどことなく死亡フラグのような気がしないでもないが。

 

「私ね、向こうの世界に好きな人がいるの。でもそれ、こっちに来てから、会えなくなってから気付いたんだ。それまでは、自分がこんなにあの人のことを好きだなんて気付かなかった……」

 

「それは、あの時教室にいなかった奴か?」

 

「ううん。いたよ。あの時あの人はあそこにいたの。でも彼だけはこっちに来なかった。何でだろうね……」

 

「それは……」

 

まさか俺か?俺という存在がそいつと入れ替わったということだろうか。

 

「でも良かった。その人は別に喧嘩が強いわけでもないし、こういう戦うのとか絶対苦手だろうから、だから安全な向こうにいてくれて良かったなって思うんだ」

 

「そっか。俺も同じだ……。俺も向こうに付き合ってた奴を置いて来ちまったんだ……」

 

「神代くんも?」

 

「あぁ。だけど俺はアイツにもこっちに来てほしいと思った。寂しいし、不安なんだ。確かに俺ぁ喧嘩は強いかもしれないけれど、……白崎から見たらきっと精神的にも強く見えるんだろうな。けどな、それはそいつが、リサがいてくれてたからなんだ。俺はリサの為に強くなった。俺の力は全部アイツのもんだ。……あぁ、何言ってんだろうな、俺は」

 

本当に、何を語っているんだ俺は。白崎にこんな話したって何にもならないだろうに。

 

「ううん。話すだけで楽になることってあると思う。それに神代くんっていつも自分のことは喋らないみたいだから聞けてよかった」

 

「そっか」

 

「うん。……私もう戻るね?おやすみなさい。そして、気を付けて……」

 

「あぁ。肝に銘じておく。お互い、好きな人にもう一度会えるまで」

 

「うん。それまで私たちは絶対に生き残ろうね。……それじゃあ、また明日」

 

そうして白崎をドアまで送る。

 

「あぁ。おやすみ。けど白崎。男の部屋に来るならもう少し格好は考えた方が良いぞ」

 

「えっ……?あっ……。ご、ごめんなさい!」

 

「いや、まぁ目の保養ということで……」

 

「もう!神代くんの変態!せっかく人が……」

 

「悪かったって。ほら、もう遅いしあんま大声出すな。じゃあ明日な。おやすみ」

 

放っておくと周りの部屋の奴らの迷惑になりそうだったのでさっさと白崎を追い返す。そうして白崎も渋々戻っていったのを確認して俺も部屋に戻った。どうにもその瞬間に、粘つくような殺気を感じたのだけれどそれはきっと俺の中の不安が作り出したものだろうと結論づけて、眠りに意識を委ねることにしたのだった。

 



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オルクス大迷宮その深層へ

 

次の日、俺達はオルクス大迷宮の入口までやってきた。どうにもオルクス大迷宮は冒険者達の稼ぎ口にされているせいか入口は夏祭りでもやってるのかと思う程に露店等も出ていて非常に人気(ひとけ)が多く、ステータスプレートを用いた出入りの管理までなされている様子。

 

どうやら戦争中であるために、余計な人死を出さないための工夫なんだとか。

 

しかし、露店等も開かれていた外の華やかさとは打って変わって、足を踏み入れた迷宮の内部は薄暗く、外の喧騒からも切り離されていた。

 

ただ、緑光石というらしい光る鉱石が迷宮の壁や地面には大量に埋まっているらしく、それらが洞窟内を照らしているために、薄暗くはあるものの真っ暗で懐中電灯必須なんてことにはならないだけありがたかった。

 

そして皆が練習した陣形を組みながらでこぼことした狭い道を進んでいくと、俺は前方からいくつかの殺気を感じた。それをメルド団長も感じたのか、全員の足を一旦止めて、向こうに見える赤い光を指差した。

 

「あれはラットマンという魔物だ。素早さはあるが強い魔物じゃあない。まずは光輝達からだ。落ち着いていけ」

 

メルド団長が何ともないような雰囲気で指示を出す。前方には妖しく光る赤い目。本来なら人間の恐怖心を煽るようなそれ。だがここに揃ったのは規格外の才能を与えられた転移者達。ハイリヒの外とは一線を画す強さの魔物が住んでおり、しかも階段を降りる毎に強くなる大迷宮。とは言え所詮は第1階層の魔物だ。そんな雑兵は相手にもならず、まず最初に戦闘を任された天之河達に軽く粉砕されていった。魔物が散らす血飛沫にも皆それなりに慣れてきたようで、目の前で幾つもの命が散ったのだが、それに動揺する奴はいなかった。

 

それから俺達は持ち前の頭抜けたステータスを存分に振りかざして階層を降っていった。

その間は俺も時折他のパーティーのフォローという形で戦闘には参加したが、俺自身はクラスの面子をさらに小分けしたそれぞれのパーティーメンバーには入っていない。

 

何故か?基本的に仲の良い連中が集まって組まれたパーティーに、余所者の俺の居場所なんて無かったからだ。それに加え、メルド団長からは直々に単独での戦闘を許可されてもいる。ステータスプレートに記された技能が錬成しかないわりに、この中の誰よりも高いステータスと、訓練で示した戦闘技術。それを活かしつつ他の連中の訓練も行うとなると、俺はこの立ち位置の方が適役だということになったのだ。他の奴らが平和な国で生きていて、俺も多少違う所から来たとは言えやはり平和な国で生きていたはずなのに何故そこまで持っている技術に差があるのか聞かれもしたが、そこは"家庭の事情でより実戦的な訓練をさせられていた"で通してある。そう言えば周りは勝手に「警察か自衛官が目標だったのかな?」と勘違いしてくれた。ま、あながち間違ってもないけどな。武偵は治安維持も仕事の1つだし。

 

そして遂に訪れた本日のゴール地点こと第20階層。今日は21階層へ繋がる階段を見つけて終了という話だった。だがそうは異世界の問屋が卸さない。

 

このフロアに入って最初に現れた魔物が思いの外キモくてそれに白崎がビビり、天之河が何を勘違いしたのかそれにブチ切れて「天翔閃」なる光属性の魔法を叩きつけ、そしてその明らかな過剰火力によって天井の一部が崩壊してしまったのだ。

 

そして崩れたそこから顔を見せたのは───

 

「綺麗……」

 

白崎が思わずといった風に呟く。

グランツ鉱石という、ダイヤモンドよりも美しく輝く鉱石だった。その飛び抜けた美しさから、理想の婚約指輪とかにも選ばれるほどらしい。そして、白崎は仲の良い八重樫と「あんな宝石で出来た指輪とか欲しいよね」みたいな女子女子した会話を交わしていた。すると───

 

「───なら俺が取ってきてやるよ!」

 

と言って飛び出したのは檜山とかいう男子生徒。どうにも彼はグランツ鉱石を見て綺麗だと呟いた白崎に気があるらしく、良い格好を見せたかったようだ。それ故に、この大迷宮に潜る時、最初に警告されていた未発見のトラップのことも忘れ、まだ確認の取れていないそこへ馬鹿正直に飛び込んでいった。

 

「───っ!?トラップです!!」

 

「っ!?」

 

そして案の定大迷宮のトラップが発動。

大迷宮内のトラップを探査、発見する道具を使ったメルド団長の部下である騎士団員の男が慌てて声を上げるが時すでに遅し。

 

俺たちの足元には明らかに罠だと分かる魔法陣が現れた。視界が光に塗り潰されると同時に訪れる一瞬の浮遊感。まるでこの世界に飛ばされてきた時の再現だ。

 

「───ってぇ……」

 

視界を塗り潰していた光が消え、俺の目の前に現れたのは、100メートルはあろうかという石造りの巨大な一本橋だった。だが、横幅こそ10メートル程はあるものの手すりや柵なんてものはなく、下手に足を滑らせたらその下の奈落に真っ逆さまだろう。俺が橋の向こう側のホールを警戒しているとメルド団長を筆頭に段々と全員が目を覚まし始めた。

 

だが、ただの転移が大迷宮の罠なわけはない。

直ぐに俺達の背後から魔法陣が出現。そこから大量の骸骨の魔物が武器を手に現れた始めた。さらに最悪なことに橋の向こう側にも一際大きい魔法陣が出現。そこから巨大な牛のような魔物が現れたのだ。

 

全員に背後の魔物を押し退けて撤退しろとの指示を出していたメルド団長がその姿を見て声を漏らした。

 

──まさか、ベヒモス、なのか……?──

 

 

 

───────────────

 

 

 

「天之河組!!団長!!アンタらはあのデカブツを抑えろ!俺と他の連中はあっちの骸骨共を退かして道を作るぞ!」

 

「だが!」

 

「全員生き残りたいなら俺の言うことを聞け!天之河のパーティと団長と騎士さん数名でデカいのを抑えている間に他で退路を作る!!逃げ道が確保でき次第俺もそっちへ向かう!!」

 

「ぐっ……むぅ!あぁ分かった!皆、天人の言うことに従え!」

 

そうして俺が指示を出したが、急に現れた100を超える魔物の集団に加え、背後からは明らかに今までの魔物とは一線を画すであろう巨体を誇る魔物。元々が平和な国で平和に過ごしていた生徒たちが混乱の真っ只中にあるのは仕方のないことだった。

 

だが魔物にはそんなことは関係ない。ただひたすらに目の前の人間を屠ることしか頭にない連中なのだ。訓練で散々やった陣形なぞ構築する間もなく魔物に取り囲まれる生徒たち。与えられた強力な力が即殺されることを防いではいるものの、それすら崩れ去るのは時間の問題。

 

そしてやはり、その時はやってきた。1人の女子生徒が遂に骸骨の魔物──トラウムソルジャー──によって地面に伏されたのだ。そしてその骸骨は手持ちの刀を振りかぶる。だがその凶刃が彼女の肌を傷付けることはない。トラウムソルジャーが刀を振り下ろすより一瞬早く、俺がその骸骨の胴体を腕ごとぶった切ったからだ。

 

「訓練を思い出せ。陣形を組め!慌てずに1匹ずつ捌いていけば良い!道は俺が作る!」

 

その言葉のままに俺は剣を薙ぎ払い、かち上げ、骸骨を蹴り飛ばしてでもその剥き出しの骨を断ち、砕き、錬成で奴らの足元を崩して奈落へ落としていった。

 

そうして俺が10程のトラウムソルジャーを砕いた頃にはこっち側にいた生徒たちもだいぶ陣形を整えることが出来ていた。こうなれば数だけ多くても1匹1匹は大したことのないトラウムソルジャーでは彼ら異世界組を押し切ることは難しい。

 

それに加え、俺が恵まれた身体能力とこれまでの戦いで培ってきた技で骨共を蹴散らしていく。そしてやはり、異世界組に与えられた能力はこの世界基準でも異常だった。整えた陣形の奥から魔法の弾丸が乱れ飛び、魔弾がトラウムソルジャーの身体を打ち砕く。その内に上の階層へ続く階段も見えてきた。

 

こうなればもう俺がいなくともこっちは平気だろう。だが向こうのベヒモスとかいう牛の化け物はどうだろうか。メルド団長の口ぶりからすると相当にヤバい魔物のようだったが……。

 

「お前ら!この調子で頼んだ!俺はあっちに行かなきゃならない!いいか!訓練を忘れるな!陣形を乱さずに少しずつで良いから進むんだ!」

 

そうして彼らに声をかけ、俺は最後っ屁とばかりに周りの骨共を薙ぎ払う。そして一息で生徒達と骸骨の集団を抜け、ベヒモスと天之河たちの方へ向かう。そこでは───

 

「ええい!もう持たん!天之河!お前達だけでも先に撤退しろ!」

 

「けど!!」

 

聖絶と言ったか、最高レベルの障壁魔法を展開していたメルド団長たちであったがその守りもベヒモスの巨体に押し破られそうだった。

 

駆け寄りながら聞こえてくる声は、撤退を促すメルド団長と八重樫、自分の力を過信しているのか前へ出ようとする天之河と坂上で別れていた。

 

「もういい下がれ天之河!道ならもうすぐできる!後はお前らが最後を開け!」

 

「神代!?向こうは!?」

 

「退路が出来たのか!?」

 

「メルド団長!向こうに天之河達を連れて行ってくれ!ここは俺が抑えるから!」

 

「だが1人では!」

 

「やりようはある!それより向こうで退路を確保してからコイツに魔法をぶつけるんだ。俺もそれに合わせて戻る!」

 

こういう時、あえて強い言葉で指示を出すことによって味方の迷いを消すのは強襲科のやり方だが、こっちでもこれはやはり効くらしい。メルド団長は一瞬にも満たない逡巡の後、天之河達を連れて撤退を開始した。そしてそれに合わせてベヒモスの突進を遮る障壁は消える。俺は迫り来る巨体に剣を正眼に構え───

 

「錬成」

 

俺がこの世界で唯一手に入れた力。ただ鉱物を加工できるだけのそれを、靴に仕込まれた魔法陣を起点に発動させた。

 

ズズズッと迫り上がる壁は橋を素材に生み出された物。それがベヒモスの突進を阻む。

とは言え、その程度の強度では完全に止めることなど出来はしない。ベヒモスがもう一度壁の向こうで頭を振る気配。そしてその頭に生えた大きな角が石の壁を打ち砕く。だが───

 

「錬成」

 

もう一度、壁を生み出す。そしてさらに1歩踏み込む。それはまた角によって打ち払われたが、俺が狙うのはそこだ!

 

握りしめた剣をベヒモスの頭に叩き付ける。石造りの橋に顔面から叩き付けられたベヒモスは頭を振り上げようとするが俺の錬成がそれを許さない。

 

「錬成」

 

橋を素材にベヒモスの頭を押さえつける。そしてさらに上から剣で頭を床に押し付ける。支給された魔力回復薬を飲みながらさらに自分の足元も錬成でつっかえを作りだし、身体を支える。

 

ベヒモスがそのパワーで錬成の檻を砕く度に錬成を連発して決定的な拘束からの解放を許さない。その内剣が折れたが今度は足で頭を押さえつける。しかし、いくら俺の筋力値が異常でもベヒモスのそれには恐らく敵わないのだろう。何度も何度も拘束を抜け出すベヒモス。俺はその度に拳とかかと落としと錬成を駆使してベヒモスの頭を橋から離さない。だがそれも限界だ。錬成の拘束具の素材は橋の石なのだ。それを何度も何度も使っていればいつかは決定的に強度を失う。しかもその上では俺とベヒモスが人間では有り得ないパワーで暴れ回っているのだ。当然、その崩壊へのカウントダウンは時間と共に加速していく。

 

「天人!!戻れ!!」

 

だがそこへ届いたのがメルド団長の声。ベヒモスを押さえつけながら首だけで振り返ればそこでは遠距離魔法の準備を整えた生徒たち。俺の作戦の最後には魔法で足止めしつつ俺が走って戻るという単純なものなのだ。

 

「はい!!」

 

そして飛び出す色とりどりの魔法達。俺はそれを確認して最後の一撃をベヒモスの頭に叩き込み、急ぎ皆の元へ走り出す。

だが俺はここで感じ取れなければならなかったのだ。この大迷宮を攻略中、時折背中に感じた粘りつくような視線に。

あの夜自分の不安が生み出した幻想だと断じた殺気に。

 

そしてその殺気が今、俺に牙を向く───

 

「なっ───」

 

俺が走り出した直後、俺の頭を飛び越えていこうとする魔法の弾丸のうち1つが、俺の手前に急カーブを描いて落ちてきたのだ。もちろん俺はそれを手前で急停止して回避。だがその一瞬の時間で背後のベヒモスが俺に追い縋る。

 

──グガアァァァァ!!──

 

と、殺気を迸らせて叫ぶベヒモス。

その角は赫灼と燃え上がり、俺を殺そうとする。

 

あぁもう!邪魔なんだよっ!!

 

だが俺もその角の間に身体をねじ込み、その眉間に拳を叩き込む。

だがそれが不味かった。俺とベヒモスの踏み込む力に、さっきまで散々アーチを支えていた石を砕かれたこの橋が、ついに限界を迎えたのだ。一瞬の気持ちの悪い浮遊感が俺を襲う。そうして次の瞬間には、嫌という程押さえつけたベヒモスと共に、大迷宮の奈落の底へ堕ちていくのであった。

 

──神代くん!!──

 

俺の名前を呼ぶ女の声。白崎の声だ。

 

「俺は生きる!!絶対に!!」

 

ただあの夜の約束を繰り返す。たとえこの声が届かなくとも、俺はあの約束を違えることは絶対にないのだと己に誓うように───

 

 

 

───────────────

 

 

 

「っと……」

 

鉄砲水のように吹き出していた水にぶち当たって横方向へ流されたりまた奈落の底へ落ちたりとを繰り返し、着地したのはやはり洞窟のようだった。ただし、上の方の階層と比べて人の手が全く入っていないように見えるのだけれど。

 

あの時アラガミ──ハンニバル──の力を使えば皆の元へ戻れたのだが、橋の崩落と軌道を変えた魔法。ベヒモスとの激突を見られていると思うとアラガミの力で戻るのは俺の力を世に晒すリスクが高すぎる。挙句の果てに、ここから戻るにはちょっと脇道を通りまくったおかげで帰り道も真っ直ぐ上でないことしか分からないのだ。それ故に俺はここを進む他にないというのが現状だろう。

 

「石しかねぇな……」

 

現代の拳銃は水没した程度で壊れはしない。銃身の中に入った水を吐息で吹き飛ばし、濡れた服をハンニバルの炎の熱で乾かしてから、緑光石だらけの代わり映えのしない景色にうんざりしながら歩いていく。すると、目の前に四辻が現れた。さて、どの道を行くか……。

 

と、その時、視界の端で何かが動いた。そちらに目をやると中型犬くらいはあろうかという二足歩行のウサギがいた。しかもその身体には赤黒い血管のようなものが走っていて、時折脈打っているのだ。見たことも聞いたことも無い魔物だ。だがここなら恐らく人目には付かない。最悪アラガミの力を存分に振るわせてもらおう。

 

とは言え、態々見えている危険に突っ込む必要もない。あのグロテスクなウサギの死角になりそうな方へ進ませてもらおうかと思ったその時だ。

ウサギが急に耳を立て周囲を警戒し始めたのだ。気付かれたかとも思ったがどうやら違う理由らしい。

 

それはすぐに現れた。

 

こちらは犬で言えば大型犬くらいはありそうな大きさをした、体毛の白いオオカミが数匹飛び出してきたのだ。しかしコイツも身体には赤黒い血管のようなものが脈打っている。複数匹の狩人にウサギがあわや捕食されるのかと思ったその瞬間───

 

──ウサギの蹴りがオオカミの身体を吹き飛ばした──

 

おいおい、嘘だろ。あのウサギの脚力、尋常じゃない。さらに首を蹴られたオオカミはその脛骨をあらぬ方向に曲げられ、蹴り飛ばされ壁に叩きつけられたオオカミは頭や身体が潰れ、即死していた。それだけじゃあない。その魔物の固有魔法らしい赤い雷のようなものを纏わせたオオカミの突進を躱すと、空中を踏みしめ、そのオオカミに致死の蹴りを叩き込んだのだ。

 

ま、マジか……。あのウサギ、尋常じゃなく強いぞ。多分アラガミの力を使わなきゃ今の俺じゃ勝てない程だ。

 

だが赤い雷を纏うオオカミを瞬殺した蹴りウサギに戦慄している場合ではない。あのウサギの魔物があいつ1匹だとは限らないのだ。いつでもアラガミの力を解放できるように俺は羽織っていた上着を腰に巻き付け、背中のシャツは諦めることにした。刃翼を展開したら肩甲骨周りの衣類は破けちゃうからな。

 

だが、俺の衣擦れの音すら聞き取ったのか、蹴りウサギはこちらを視界に捉えたようだ。そして、ダンッ!と踏み込み、天之河の縮地もかくやという速度で迫ってくる。

 

「くっ……」

 

俺もバックステップで距離を調整しつつ左の背中から刃翼を展開。それを振るう。

しかしそれをウサギはバック宙を切って躱す。どうやら反応速度も尋常ではないようだ。

 

俺はそのまま1歩踏み込み振り抜いた刃をさっきとは逆の外側へ振り抜く。しかし蹴りウサギはそれも空へ躱すとそのまま宙を踏みしめ、俺に飛び蹴りを放ってくる。

 

俺はそれを両腕をクロスさせて直撃を防ぐ。オラクル細胞の結合力が腕を粉砕から救う。だが思いっきり後ろへと押し下げられる。

 

「こっんのぉ!」

 

俺は無理矢理腕を振り払い、ウサギを弾き飛ばすがまたも空中で身を切り宙を踏み締め俺へと蹴りを浴びせようとする。

俺はその瞬間を狙って刃翼を叩きつけようとしたが、ウサギはそれを読んでいたかのように寸前でもう一度宙を踏みしめ、真上に飛び上がる。一瞬にしてウサギが視界から消えたことに危機感を感じて両腕で頭を守る体勢になった瞬間───

 

「ぐっ!」

 

その腕へとウサギの蹴りが降り注いだ。

 

俺は頭上のそいつ目掛けて刃翼を振るうがそれも飛び上がって避けられる。だが距離が空いたことでディアウス・ピターの本領が発揮出来る。

 

「赤雷よ!」

 

俺の周りに発生させた赤い雷の球4つがウサギへと殺到する。

 

「嘘だろ……」

 

だがそのウサギは空中でもジグザグにバックステップを踏むことで赤雷を躱していく。

 

「なら!」

 

俺はさらに赤雷を飛ばす。今度は球体じゃなくて直線的かつ放射状に広がる雷槍だ。だがそれも奴は地を這い事も無げに躱すだけだった。

 

俺は、次に来るであろう一撃を奴が放ったその脚をオラクル細胞の結合力にものを言わせて捕まえてやろうと意識を切り替えるが、そのウサギは急に耳を震わせ、周囲を警戒するように視線を動かす。……何なんだ?

 

すると、俺が行こうとしていた道から現れたのは巨大なクマのような魔物だった。こいつも例に漏れず身体には赤黒い血管のようなものが脈打っている。そして両手にはふつうのクマでは考えられないくらい長い爪。恐らく30センチ程はあろう。

 

すると、蹴りウサギの方はまるで怯えるように身体を震わせ、文字通り脱兎のごとくその場から逃げ出そうとした、が───

 

───ザンッ!

 

とその巨体に似合わず俊敏な動きでウサギを殺傷圏内に捉えたクマはその長く鋭い爪を一閃。俺があれだけ苦労させられた蹴りウサギを瞬殺してのけたのだ。

しかし奇妙なことが1つ。殺傷圏内に捉えられたウサギはあの空中を踏みしめる固有魔法か何かを使って瞬時に爪の範囲外に離脱したように見えたのだ。だが実際には振るわれた爪の軌道と重なるように真っ二つにされていた。それの理由はおそらくリーチを瞬時に伸ばす類の固有魔法なのだろう。

そしてウサギの首を事も無げに刎ねたクマは頭と泣き別れたウサギの胴体を掴み上げ、そのまま貪り食う。

 

洞窟内に肉が引き裂かれ骨が噛み砕かれる音だけが響く。

 

俺はその場を動けなかった。本能が告げるのだ。ここで奴に背を向けては次に首を刎ねられるのは俺だと。

しかし死神のカウントダウンは待ってはくれない。

クマは食事を終えるとまだ食い足りないのか、次は俺を見据える。

俺もクマが相対するのに合わせて右腕から焔龍の右腕を顕現させる。するとその瞬間───

 

「ッ!」

 

ダンッ!という踏み込み音と共に爪のクマが目の前に迫って来た。そうして振るわれる爪をしゃがんで躱し、炎の剣を吹き出した右腕を跳ね上げる。

だがクマの方はそれを上体を後ろに反らすことで躱し、そのまま返す力で爪を上から振り抜く。

俺はそれを後ろに飛び退きつつ刃翼で頭部をガードしながら躱す。だがオラクル細胞の塊であるはずのそれが触れられてもいないのに切り裂かれた。いや、触れてはいたのだろう。恐らく魔力で爪の攻撃範囲を伸ばすのがあのクマの固有魔法なのだ。赤雷で牽制しつつ切り落とされた刃翼を左腕の神機の捕食機能で回収する。しかしその瞬間、クマが赤雷を掻い潜り俺の元へ殺到。その致死の爪を振るってくる。

 

「チッ!」

 

俺はそれを神機のブレード形態で受け止め鍔迫り合う。だがクマの膂力もまた尋常のそれではないようだ。俺の筋力値を持ってしても敵わないそれを誇っているらしいクマはブレードごと俺の左腕を弾く。そして思わずたたらを踏んだ俺目掛けて奴の左の爪が襲いかかってくる───

 

「ぐう───っ」

 

必死に飛び退いて躱そうとするものの右肩から血が噴き出す。爪そのものは避けた筈だがあのリーチを伸ばす固有魔法の殺傷圏内からは逃れられなかったようだ。だが俺もカウンターで赤雷を放つ。

 

しかしそれをクマは上に飛び上がって躱すと、そのまま天井を蹴り両手に携えた死神の鎌を振り下ろす───

 

「グルゥワァァァッッ!!」

 

鮮血が飛び散る。

 

俺の胸が真一文字に切り裂かれたからだ。

だが飛び散る赤い滴は俺のものだけではない。

剛爪を誇るあのクマの右腕が宙を舞う。

突き出されたのは神機形態のままの左腕。

それがクマの右腕を奪ったのだ。

 

「れ、錬成……」

 

俺はそのまま左手を壁に付き、この世界に渡ってきて与えられた力を発動する。すると迷宮の壁に奥行2メートル、四方1メートル程の穴が現れる。俺はそこへ身体を滑り込ませ、さらに穴の出口を錬成で塞ぐ。そして再び錬成で穴を掘り進めていく。

すると高さ1メートル半、広さで言えば2畳程の空間に辿り着いた。しかしそこで終わり。俺のなけなしの魔力はそこで尽きてしまった。

 

「ぐっ……てぇ……」

 

しかし傷が深い。ギリギリ内臓までは届かなかったものの出血が酷く、視界が揺れる。

だが遠のく意識の中で俺はあることに気付いた。輝いているのだ、この空間が。緑光石の光ではない。もっと神秘的とでも言うのだろうか、どこか暖かい光だった。

そして見つけた。空洞にあった窪みに水が溜まっているのだ。そしてそこには今も上から水滴が滴り落ちている。俺が目線を上にやるとそこには───

 

 

───神結晶───

 

 

そう、座学ついでに図書館などでこの世界のことについて色々読み漁っていた時にとある文献に記されていたもの。魔力が一定の場所に長いこと溜まり続けると神結晶になる。さらにそれが飽和状態になるまで魔力を溜め続けるとそこから神水と呼ばれる水が滴り始めるのだとか。だがそんなものは失われた過去の遺物だとされていたのだが……。

まぁいい。これには大概の傷を癒す力があると言われていた。ダメで元々。俺のアラガミの身体であれば毒もそこまで通るわけではないしその伝説の力、試させてもらおう。

 

「……これは」

 

窪みに溜まった神水を舌で掬い取り喉へ流し込む。するとそれだけで胸の傷が癒え、魔力が回復していく感覚を覚えた。凄まじいなこれは……。

その回復力は、リムルの腹に溜められていたポーションを思い起こさせるものだった。

 

それから俺はここを拠点にすることにした。神結晶の真下の窪みを錬成で掘り広げ、より神水を溜めやすくする。そして溜めた神水はそこらから鉱石を錬成で作り出した試験管程度の大きさの入れ物に入れて小分けにしていった。

 

「腹減ったな……」

 

この神水、傷を癒し魔力すら回復させる力を持ってはいても、空腹感を埋めてくれるわけではないようだ。だが薄暗いオルクス大迷宮には鉱石以外に何も無い。……いや、肉ならある。ウサギやクマやオオカミの肉ならあるのだ。だが魔物の肉は人間にとっては猛毒という言葉ですら生易しいと聞いた。魔物の体内に流れている魔力、これが人間にとって猛毒となり内側から肉体を崩壊させられるのだとか。だがここではたと気付く。俺の肉体と、目の前にあるあらゆる傷を癒す神水という遺物の存在に。

 

「オラクル細胞と神水なら……?」

 

やれるはずだ。肉体が内側から崩壊する傍から癒していく行為にどれだけの苦痛が伴うのか分からないが、それと飢餓感に耐えることとどちらが辛いのかなんて試してみないことには分からない。

 

そして、それをするならまずはオオカミからだろう。複数体でもあのウサギに瞬殺されたのだ。今まで見たこの階層の魔物の中では最弱に違いない。幸いにも火と刃物は出せるから毛皮ごと生肉で貪るなんてことにはならない。

 

「やるか……」

 

そう決意した俺は、回復した魔力で錬成を繰り返し、獲物を探しに大迷宮の壁の中を進むのだった。

 

 

───────────────

 

 

 

「ゴッ!?ガアァァァァァ!!」

 

オルクス大迷宮の底で絶叫が響き渡る。

俺は錬成で壁内を進み、そこに外を覗くための穴を錬成で開け、赤い雷を纏うオオカミを待った。しばらくすると数匹のオオカミの群れが現れ、開けた穴から漂うのだろう俺の匂いを嗅ぎ当て探し始めた。そして奴らが俺の直線上に並んだ瞬間に壁を錬成で解放、そこからディアウス・ピターの刃翼を振るい4匹いたオオカミの首を全て切り飛ばしたのだ。そしてある程度血を抜き神結晶のある俺の巣穴まで胴体を引き摺りそこでハンニバルの炎で肉を焼き、食らったのだが……。

 

「グッ───!ゴアァァァ……」

 

凄まじい痛みだった。ブチブチと肉の引き千切れる音、そして骨の砕ける音が体内から聞こえてくる。だがそれをただ受け入れるわけにはいかない。すぐに神水を喉に流し込み回復を図る。

破壊と再生。それが俺の体内で行われているのを感じる。永遠のように感じられたそれがやがて終わりを迎える。

 

「グッ……ふぅ、ふぅ……」

 

思わず身体を確認する。結果、顔までは確認出来なかったが身体の服で隠れる部分には数本の赤黒い血管のようなものが脈打っていた。まるであのウサギやクマのようだった。いや、まるでではないのだろう。この瞬間、俺の肉体は人間のそれではなく魔物のそれへと成ったのだ。

 

「ま、元々オラクル細胞なんて取り込んでアラガミになってたし、今更か……」

 

だがしばらくすると身体に走っていた薄気味悪い線は消えていた。恐らくオラクル細胞の働きなのだろう。「変質者」で俺の元々の細胞と統合され、異常な学習意欲やら食欲やらは鳴りを潜めていた奴らではあったが、まだこの程度の働きはするようだった。

 

ふと、ステータスプレートを確認する。すると、そこに表示された記述に俺は目を剥くことになる。

 

 

────────────

神代天人 17才 男 レベル8

天職:錬成師

筋力:500

体力:500

耐性:──

敏捷:550

魔力:300

魔耐:300

技能:錬成・纏雷・魔力操作・胃酸強化・言語理解

────────────

 

 

魔力の上昇量が凄まじい。さっきまでは30程度だった筈だが今や多少他のステータスと比べると少ないとはいえ3桁の大台に余裕で乗せている。

しかも技能は先天性のもので増えることはないと思う聞かされていたがいきなり3つ程増えている。纏雷……、これはあのオオカミの赤い雷だろうか。次の魔力操作。文字通りでいけば魔力を操作できるのだろう。そしてさっきから身体の中に感じている違和感。これがこの世界の魔力なのだろうか。魔法とはイメージ。普通なら魔力のイメージなんて付かないだろうが俺は違う。リムルのいた世界で似たようなことはやっているし、体内を別の力が駆け巡る感覚は慣れ親しんだものだ。

 

俺は体内に感じる魔力を錬成の魔法陣の刻まれている手袋へ移動させる。体内を魔力が駆け巡る感覚を感じながら壁を10センチ程盛り上げるイメージ。すると、触れたところが10センチ程盛り上がった。

 

「なるほど……。詠唱が要らなくなるって訳か。というか魔物の固有魔法の正体はこれかもな」

 

そして同じ感覚で手の平に赤い雷を纏わせるイメージ。するとバチバチと音を響かせながら俺の手に赤い雷が纏わる。

 

「これが纏雷……。最後の胃酸強化って……これ何?」

 

いや、冷静に考えれば俺の胃酸が強化されたのだろう。もしかしたらあの激痛無しで魔物の肉を喰らえるかもしれない。

とりあえず試そうとまだ残っているオオカミの肉を、練習がてら纏雷で焼き、喰らってみる。

 

……

 

………

 

…………

 

体感で数分は待っただろうか、俺の身体には何も起こらない。同じ種類の魔物だったからか胃酸強化の産物か。だがとりあえずこのオオカミ共を喰らう分にはあの痛みを気にする必要はないようだった。それだけでもだいぶ有難い。

 

「けどなぁ……」

 

喰った魔物の能力は奪える。それが分かったのは大きい。その上他の魔物は試さなくてはならないが、胃酸強化の技能あれば苦痛無くそれが出来るかもしれない。

 

だが問題が1つ。オオカミはこれ以上食べたところで大きな変化は望めまいし、そうなるとウサギやクマなのだが、俺の得た技能で攻撃的なものは纏雷のみ。どうにも纏わせるだけでディアウス・ピターの赤雷のようには飛ばせないらしく、これではスタンガンと変わらないし纏雷を当てられるような距離なら他の手段の方が威力が高い。つまり、現状では魔力量が増えた程度で俺の戦力は大きくは上がっていないのだ。このままではまたウサギに苦戦し、クマに痛み分けで終わる可能性が高い。

 

……拳銃を使えばその限りでは無いのだろうが、弾薬の補充が無い以上、約60発の弾丸をそうそう使って良いものなのだろうかと躊躇ってしまう。神機の弾丸も、オラクル細胞の供給の無いこの世界じゃ直ぐに弾切れを起こしてしまうからあまり使いたくはないのだ。そうなると派生技能の方に力を入れるべきか。

 

──派生技能──

 

本来技能そのものは先天性で増えるものではないが派生技能というものは別だという。

 

派生技能とは、1つの技能を極め抜いた先にある発展系、所謂壁を越えたということだとか。

 

拳銃は弾丸の補充が無いために使いずらい、オオカミから得た技能ではウサギやクマには及ばない。そうなると残された俺の武器はオラクル細胞と錬成。特に錬成はまだ伸び代がある。今後はオオカミで腹を満たしつつこの錬成の修練に励むべきだろう。特に派生技能の獲得が目標だ。

 

「……錬成」

 

オルクス大迷宮の鉱石が加工されてゆく───

 

 

 

───────────────

 

 

 

錬成や纏雷の修練を初めてからしばらく経った。オルクス大迷宮の中では時間の感覚が無いからあれからどれくらい経ったのかは正確には分からない。けれどその中で俺の得た技能は中々の成長を遂げた。まず纏雷。これは遂に赤雷を飛ばせるようになった。あのオオカミ共が飛ばせていたので頑張ればいけると踏んだが正しかったらしい。とは言え、これはディアウス・ピターの赤雷の下位互換なのであまり使わないだろうが……。

そして錬成の方は大きな前進が見られた。遂に目標にしていた派生技能が付いたのだ。その名も「鉱物系鑑定」。あらゆる鉱物を解析できる能力のようだ。そして俺はオルクス大迷宮を構築している鉱石を片っ端から鑑定していった。そしてそこには驚くような発見があったのだ。

 

例えばこの大迷宮を淡く照らしている緑光石。これがどう光っていたのかと言うと、魔力を光量に変換していたのだ。そしてただ光るだけではなく、魔力を溜めた状態で割ると溜め込んだ魔力を瞬時に光として放出するというのだ。俺の脳裏に浮かんだのは閃光手榴弾。上手く使えばあのウサギやクマの視界を奪えるかもしれない。

 

また、もう1つ発見した鉱石、これは俺の中で大きな喜びをもたらした。

 

──燃焼石──

 

可燃性の鉱物で火を付けるとそこから燃えるのだ。さらに密閉空間でそれをすると爆発を起こし、その量は量や圧縮率に依存する上、場合によっては上位の火属性魔法にも匹敵する。

 

これを発見した時に俺は思わず自分の脇のホルスターに意識が向いた。懸念していた弾薬不足の解消に役立つかもしれないからだ。

更に都合の良いことに「タウル鉱石」なる鉱石も発見できた。これは高い強度と耐熱性を誇る鉱石だ。思わず頬が吊り上がる。

 

「オーバーホールは自分でやっていて正解だったかもな……」

 

そろそろアリの巣のようになってきたオルクス大迷宮の壁内。その中心地で俺は異世界製現代兵器の作成の期待に胸を膨らませていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……やっぱり不味い」

 

巣穴へ引っ込んだ俺は今しがた狩った蹴りウサギの肉を頬張っている。

錬成を使いながら手持ちのP250を分解し、それを手本に作り上げたオートマチック拳銃。デザートイーグル並の口径を誇りダブルカラム式で装弾数は10発。さらにチェンバーに予め1発入れておけば最大で11発でそれを2挺。さらにロングマガジンも作成しこれは弾倉1本につき17発放てる。しかも、この拳銃のパワーは異世界であるトータスの火薬と鋼鉄より硬い鉱石で作られたボディによってデザートイーグルの.50AE弾を上回る火力を誇っている。

 

また、デザートイーグルよりも更に長めに作られたバレルでは俺の得た纏雷を応用して出来る限りの電磁加速を行っている。着想は篠ノ之束の所にいた時。あの時俺のISに乗せる武装の案としてレールガンが上がっていたのだが、手持ちではなく腰部に取り付けるとのことだったので動き辛さを懸念した俺が却下したのだった。

だがそれを思い出した俺が纏雷で試したところ、詳しい理論は知らないがともかく弾丸を加速させることに成功。それにより現代兵器でも中々見られない貫通力と破壊力を得たのだ。

 

そして、その化け物兵器から音速を遥かに超える速度で放たれるフルメタル・ジャケットの弾丸がウサギの脳天を貫き、そこに詰められていた脳漿を炸裂させたのだ。

 

また、胃酸強化の技能はこのウサギにも有効なようだ。肉は不味いがあの身体をバラバラに砕き引き裂くような痛みは感じない。

とりあえず腹の空腹感が満たされると俺はステータスプレートを開いてみた。

 

 

────────────

神代天人 17才 男 レベル15

天職:錬成師

筋力:500

体力:500

耐性:──

敏捷:550

魔力:350

魔耐:350

技能:錬成[+鉱物系鑑定][+精密錬成][+鉱物系探査]・纏雷・天歩[+空力][+縮地]・魔力操作・胃酸強化・言語理解

────────────

 

 

ようやく少しだけ魔力以外の数値が上がった。と言っても魔耐しか上がっていないが。拳銃、と言うより弾丸を作っている間に花開いた派生技能精密錬成、さらに色々な鉱石を探している間に増えた鉱物系探査以外に、ウサギを食ったことで増えた技能が天歩か……。しかも最初から派生技能2つ付きだ。

 

「縮地……。天之河が使ってたやつか。空力ってのは何だ……?あの空中を踏みしめるやつか……?」

 

俺は巣穴を這い出でると天歩の修練を始める。

まずは空力、これがあの空中に足場があるような動きを可能にした技能であるなら、俺の封印されたスキル群の中の、氷の元素魔法をイメージすれば良さそうだ。向こうにいる時はあの魔法で足場を作り出して機動力を確保していたことがあるからな。

 

「ん……」

 

やはり俺の想像は当たりだったようだ。階段を登るような体勢で上げた足元に壁があるのを感じる。俺はそのままグッと伸び上がるとその足場に両足を着いた。

 

「ふむ……」

 

俺はそのまま斜め上に跳躍。さらに足場を作って空中を踏みしめる。そしてまた跳躍。それを何度も繰り返して感覚を掴んでいく。

 

「やっぱあれと同じ感じだな……。次は……縮地か……」

 

まるで瞬間移動のような移動速度を出せる技能、縮地。まずは魔力を足元に集めてみる。

そしてそれを爆発させるように前へ踏み込む。

 

──ダンッ──

 

と、凄まじい音と共に視界が流れていく。

着地に苦労したがこれも中々に使えそうな技能だ。

あのウサギの機動力に加えて電磁加速拳銃の破壊力があればあのクマにも勝てるだろう。

 

「そろそろ行かせてもらうか……」

 

もはや一種の迷路のようになった巣穴に戻り、新たに増えた荷物を取りに向かう。さて、ここから先は進むだけだ。

 



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ユエ

 

最初に落ちてきた階層から恐らく50くらいは階段を降りただろう。

 

最初に落ちた階層をいくら探そうが上への階段が見当たらず、仕方なく錬成で上への道を作ろうともしたのだが、上へも下へもある一定の段階で錬成が反応しなくなるのだ。

 

そこで諦めて俺は下へ続く階段を降り、出る魔物を撃ち殺し貪り食い、そうしてここまで降りてきた。その内に固有魔法も増え、錬成の派生技能も花開いていった。即席で作った巣穴で腰を落ち着けると、俺は確認のためにステータスプレートを開く。そこに現れた文字列は───

 

 

────────────

神代天人 17才 男 レベル52

天職:錬成師

筋力:900

体力:1000

耐性:──

敏捷:1040

魔力:800

魔耐:760

技能:錬成[+鉱物系鑑定][+精密錬成][+鉱物系探査][+鉱物分離][+鉱物融合][+複製錬成]・纏雷・天歩[+空力][+縮地][+豪脚]・風爪・夜目・遠見・気配感知・魔力感知・気配遮断・毒耐性・麻痺耐性・石化耐性・魔力操作・胃酸強化・言語理解

────────────

 

 

いつの間にやら魔力量が魔耐性を上回っていた。

相変わらず耐性の数値は現れないのだがこれはもう諦めるしかない。しかし、前から気になっていたのだが、俺の年齢は17でいいのだろうか。確かに初めて異世界転移をした時は17だったのだが、その後何度も異世界転移を繰り返しているうちに確実に数年は経過していたはずだ。実際、リムルの世界には数年は滞在していたのだから俺の実際の年齢的には20台前半位のはずだ。

 

確かに明確な誕生日は迎えてはいないしリムルの世界から元の世界に帰った時には時間軸を斜めにぶった切ったので消えてから1ヶ月ほどということになっているのだが。

 

「まぁ俺の寿命とか気にしてたらキリがないしな……」

 

いつの間にやらアラガミと化し、今じゃ魔物だ。もはや細胞レベルで人間やめている。

 

「後見てないのはあそこなんだよな……」

 

この階層を降りる階段自体はすぐに見つけられたのだが、どうにも1箇所だけきな臭い場所があるのだ。天井まである大きな門とその両脇に掘られた一つ目の巨大な魔物のような像。ここへ挑む前の準備として、俺は装備を整えていたのだ。

 

「行くか……」

 

銃を構えながら門の前まで歩みを進めるがその間特に何も起こらなかった。だが閉じられた門に刻まれていた魔法陣は初めて見る類のものだった。

 

「なんだこれ……。初めて見るな。まぁいいか……錬せ───」

 

鍵が掛けられていようが俺の技能なら問題ないだろうと錬成でこじ開けようとした瞬間、電撃でも流されたかのように手が弾き飛ばされた。そして次の瞬間、ゴゴゴ……と音を立てて門の脇に突っ立っていた一つ目の石像が動き始めたのだ。

 

「門番……か」

 

1人ごちて、そのまま拳銃を右手側の門番へ向ける。そしてそのままそいつの一つ目目掛けて引き金を引く。

 

───ドパァッ!!

 

と、普通の拳銃とは違う、何かを吐き出すような音が鳴り響き、タウル鉱石で作られた弾丸がターゲットの眼球とその奥にあった脳漿をブチ撒けた。

 

そいつはそのまま膝から崩れ落ち、轟音と埃を巻き上げて地面に倒れ伏した。

そして左手にいた門番の、これまた1つしかない眼球へ電磁加速拳銃の銃口を向ける。そして間髪入れずにそのまま発砲。

 

同じように目ん玉と脳みそを破裂させるかと思いきやそいつは俺が引き金を引く前に両腕をクロスさせ頭部をガード。だがその程度ならこのまま貫けるだろうと俺は纏雷を利用した超音速の弾丸を2体目の門番相手に放ったのだが───

 

「あ?」

 

これまでも散々魔物の硬い毛皮ごと内臓や脳みそを砕き貫いてきた弾丸が弾かれたのだ。

たが奴はただ両腕の強度のみで弾丸を防いだのではなさそうだ。その証拠に奴の身体が魔力か何かで光っている。恐らくそれは奴の固有魔法なのだろう。

 

「面倒な……」

 

そして俺の一撃を防いだそいつはそのまま頭部を守りつつ俺の直上へ足を振り上げる。このまま押し潰す腹積もりなのだろう。だがあまりに動きが遅い。

 

「シッ───」

 

俺は縮地で奴の軸足の傍まで寄るとそのまま固有魔法である豪脚を使い外側から足首を蹴り抜く。思わずバランスを崩し両腕が眼球から離れた瞬間───

 

───ドパァッ!!

 

と、電磁加速拳銃が超音速の弾丸を吐き出した。

火薬の爆発力と電磁的な加速を経て吐き出されたそれは、狙い違わずもう1体の門番の脳天まで貫き奥の壁まで打ち砕いた。

 

「さて……」

 

門番と思わしき魔物は倒した。後はこの扉の開け方だ。よく見ると真ん中にはデカい南京錠のようなものがあり、そこには鍵穴は無い代わりに2つほど丸い窪みがある。大きさとしては俺の拳よりは大きいだろうか。そしてふと後ろを見やると頭を炸裂させ倒れ込んでいる図体のデカい魔物が2体。確か、魔物には1匹につき1個ずつ魔石がある筈だ。

 

「まぁ、試してみるか……」

 

俺は肩からディアウス・ピターの刃翼を展開。そのまま一つ目門番共の身体を切り裂いていく。すると腹の中から俺の拳より一回り大きい魔石が転がり出た。

 

「さてさて……」

 

それを掴みあげ、門の鍵となっているかのようなそこへと魔石を当てがう。

 

どうにもそれが正解だったらしく、魔石から魔力が門へと流れ込み、眩いばかりに光輝いたかと思えば門はこれまたゴゴゴ……と鈍重な音を立てて開いていく。

 

奥に隠されていた部屋は真っ暗で明かりが無ければ何も見えなさそうだった。だが俺には夜目の技能がある。これのおかげで新月の夜のように暗かろうが視界に困ることはない。

 

「……誰」

 

俺がこの部屋の内装を見渡し、中央にある何かに意識を向けたその時、どこからか声が響いてきた。いや、どこからか、ではない。ちょうどこの部屋の中央にある赤い立方体の何かに下半身と両手を埋めたまま頭を垂れている何者か。夜空に浮かぶ満月のように美しい金髪を湛えたそいつが声を発したのだ。そしてその金髪の隙間から紅色をした瞳が俺を覗く。

 

下半身は赤い立方体のようなものに埋もれていたが、見えている範囲だけでも相当に痩せ細っているのが分かる。しかしそれでもその女は非常に美しい容姿をしている。

 

「お前が誰だ」

 

その美しさに思わず見蕩れそうになったが、その誘惑を振り払うように質問を投げ返す。

 

「……」

 

答えが返ってこない。

 

「……じゃあな」

 

この部屋にあるのはあの囚われの女1人。わざわざ助けたところでこの化け物共が蠢く大迷宮を抜けられるとは思えないし、俺も足手まといを連れて行く余裕はない。それゆえに俺はこの部屋を出ていこうとする。

 

「ま、待って……!!助けて……お願い……」

 

もう長いこと声を出していないのかきっと本来なら美しく響いたであろうその声は掠れすぎていて今にも消えてしまいそうだった。

 

「断る」

 

だがそれは俺がコイツを助ける理由にはならない。助けて得られるメリットが思いつかない代わりにデメリットだけはポンポン浮かんでくるのだから。

 

「どうして……何でもするから……だから……」

 

それでも彼女は必死に懇願する。ろくに動かせない身体で出来る限り頭を垂れながら……。

 

「助けて、どうする?態々こんな所に閉じ込められている奴をここから出してろくなことになると思うのか?それに、何でもする?お前に何が出来るって言うんだ」

 

「違う……!ケホッ……わ、私は裏切られただけ……。私は悪くない……」

 

"裏切られた"その言葉が俺の脳裏にあの時の光景を思い起こさせる。俺に向けて放たれたあの魔弾。だが俺だって打算で奴らに近付いていたのだし最悪奴らを背中から撃つ覚悟でいたのだ。俺に文句を言う筋合いは無い。それに俺は───

 

「それを信じろと?」

 

囚われの女の目を見る。

確かにコイツが嘘をついているようには思えない。だが……。

 

「……私、先祖返りの吸血鬼。凄い力を持ってる。だから国のため、皆のために頑張った。でも……いきなり家臣にお前は必要ないって……おじ様もこれからは自分が王だって……私、それでも良かった……けど私の力が危険だからって……ここに……」

 

「尚更危ねぇじゃねぇか。……いや待て、なら何で封印された。何でお前が生きてる?封印出来たのなら殺せても良いはずだ」

 

「……私、自動再生の力持ってる……魔力があれば怪我も勝手に治る……歳も取らない……」

 

「なるほど。で、お前はここを出られたら復讐でもするのか?」

 

「……しない。……それに、もう死んでると思う……あれからどれくらいかは分からないけど」

 

「そうかよ。で、お前の力はそれだけか?」

 

「……魔力を直接操れる。魔法陣も詠唱も要らない」

 

「……再生の力はどうなってる?無限に再生し続けるのか?」

 

 

「……魔力量次第。……魔力が無くなれば再生もできなくなる」

 

「……へぇ。……俺はこの大迷宮を出るのが当面の目標だ。精々役に立てよ?」

 

「……それって」

 

「錬成」

 

再生の力が魔力量次第と言うならばここで裏切られても魔力が尽きるまで引き裂き続ければいいだけだし、最悪錬成で生き埋めにでもしてしまえばいい。ま、そもそもそれならここに封印した後に死ぬまで殺し続ければ良いだけなのだし、それをせずに帰ったということはコイツが封印なんてされた裏には何かがあるのだろうよ。

 

だが、それなりに利用は出来そうだしまぁいいかと、改めてそう考えた俺はコイツを戒めている何かに手を触れ、錬成を発動させる。

だがこの立方体は俺の魔力に抗って変形を許さない。まったく、面倒なことだ。

 

だがそれでも俺は強引に魔力を注いでいく。俺の視界が紅色に変色した俺自身の魔力光で埋まっていく。だがそれでもと俺は魔力を押し込み、立方体を侵食していく。

 

「ぜあぁっ!」

 

俺がさらに魔力を注ぎ込んだ直後、この立方体がドロりと形を変え、その中に半分埋められていた女は戒めから解放されペタリと地面へ座り込む。

 

やはり全身痩せ衰えていたがそれでも神秘的な雰囲気を纏ったこの女はどこまでも美しかった。

 

「はっ……はぁ……」

 

ここまで一気に魔力を消費したのは初めての経験だったので思わず息が切れてしまう。また、おかげで空っぽになってしまった魔力のせいで酷い倦怠感が全身を襲う。

まだこの女が信用できるのか疑っている俺は失った魔力を回復させようと神水を取り出すがその手を金髪の女が両手で包む。

 

「……ありがとう」

 

その時の彼女の顔を俺は一生忘れないだろう。

全てを薙ぎ払ってでも帰るのだと決意したその心に、何か別の光が灯ったような気がした。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……名前、何?」

 

「……天人。神代天人だ」

 

「天人……天人……」

 

そう言えばお互いに名乗ってもいなかったなと苦笑いしながら名乗る。すると目の前の女はまるで抱きしめるように俺の名前を囁く。

 

「お前は?」

 

「……天人が付けて」

 

「は?」

 

まさか長いこと封印され続けて忘れでもしたのだろうか。そういえば吸血鬼の一族は数百年前に滅びたと記されていたはずだ。

 

「……前の名前、もういらない。天人が付けた名前がいい」

 

「はぁ……。そうは言ってもなぁ……」

 

コイツはきっと生まれ変わりたいのだ。話が本当なら信用していた奴らに手酷く裏切られ、あまりにも長いことここに1人で幽閉されていた。この世界の吸血鬼一族は300年前に滅びた。ならばコイツは少なくともそれくらいはここに閉じ込められていたことになる。この何も無い真っ暗な部屋で、1人、気が狂わなかっただけでも僥倖という他ない長い長い時間を───。

 

それに、名前ってのは大事だ。名前とはそいつを表す言葉。定義付けと言っても良い。だからこそ俺はトータス()という名前のついたこの世界に疑問を持ったのだし。

 

そして今はこいつの名前だ。俺は精巧に作られた人形のような顔を見つめる。紅の瞳。月のような金髪。それを見て俺はふと理子やキンジと話していた雑談を思い出した。

 

 

 

───────────────

 

『ツモ〜』

 

『げ……』

 

あの時俺と理子はイカサマ防止とか言ってわざわざ全自動卓を買ってきて麻雀を打っていた。他のメンツはリサとキンジ。リサは俺の手牌を読んで的確にアシストしてくれていたが、今日の理子は絶好調。今も6巡目にしてツモ和了したのだ。

 

『風牌にトイトイ、赤もあってツモりで三暗刻もか……』

 

『そう言えば知ってる?一筒って麻雀だとよく月に例えられるけど、中国語だと月はユエって言うんだって〜。なんかさ、響き可愛いよねぇ〜』

 

『海底撈月の月だろ?』

 

『可愛いって……理子の言うことはよく分からん』

 

『あぁ〜!キーくんってばまたそういうこと言う〜。ほら、早く16000点寄越せ〜』

 

『花鳥風月が役満なのはローカルルールだろうが!』

 

───────────────

 

 

 

「……ユエ、ってのはどうだ?」

 

「ユエ……」

 

「あぁ。月っていう意味を持つ言葉だ」

 

「……ユエ……ユエ……んっ。私はユエ。ありがとう、天人」

 

そう言った時のユエの顔に俺は思わず見蕩れてしまった。それほどユエの笑った顔というのがどこまでも綺麗で、俺を惹き付けるのだ。

 

「……あぁ。……まぁとりあえずこれ着とけ。いつまでもそれじゃあ寒いだろ」

 

俺が着ていた外套を差し出すとユエはようやく自分の今の格好を顧みたようだ。一糸纏わぬ己のその姿を。

 

ボンッと音が聞こえてきそうなほど勢いよくユエの顔が赤く染まる。

 

「……天人のエッチ」

 

別に俺が脱がせたわけでも意地悪で服を着せなかった訳でもないだろうが、基本的にこれは言われたら負けのやつだ。なので俺は喉から出かかった文句を神水で流し込む。そして戻った魔力で発動した魔力感知と気配感知が俺の頭の上のそれにレッドアラートを鳴らす!!

 

「───ッ!?」

 

ユエを抱えて縮地でその場から飛び退る。

それと同時に俺達がいた場所に魔物が降り立つ。

その魔物は巨大なサソリだった。だが本来なら毒を持つはずの尾が2本もある。

 

それに、そいつの放つ気配は尋常ではない。明らかにこれまでの魔物とは一線を画す強さだ。しかし、こんな魔物がいたら俺が部屋に入った時に気付かない何てことがあるだろうか。それに、俺がユエを錬成で掘り出している時ならあまりにも無防備だったはずだ。ということはユエをここから解放することで奴はこの部屋のどこからか現れるという仕組みなのだろう。そんな仕掛けを作った理由はただ一つ。

 

──ユエをここから出さないため──

 

「面倒な……」

 

チラリとユエを見るとユエも俺を見つめていた。

その瞳は俺に全てを託すと、そう物語っていた。

そして俺はもう1本、神水を入れた容器を取り出し、ユエの小さな口に突っ込む。んむっと驚くユエだったが吐き出すことなく神水を飲み干した。そして飲んだだけで活力を取り戻した自分の身体に驚いているのだろう。さらに目を見開いている。

 

「ユエ、柱の影に隠れてろ。アレは俺が殺る」

 

抱えていたユエを降ろし、両手に電磁加速式拳銃を構える。そしてそのまま発砲。

 

独特の発砲音を轟かせながら2発の超音速の弾丸がサソリの脳天を打ち砕こうと殺到する。だがサソリの反応速度を上回り頭部に直撃したはずのそれは奴の硬い外殻に阻まれてその中身を叩き潰すには至らなかった。

 

「かったいな……」

 

電磁加速式拳銃で撃ち抜けないならアラガミの力でもあの甲羅は簡単にはブチ抜けない。まさか一撃で火力不足が露呈するとは思わなかった。

 

「けどまだ……」

 

やりようはあるかもしれない。

一撃の元にあの硬い殻を抜けなくともハンニバルの炎とディアウス・ピターの赤雷があの外殻の1部でも溶かしてくれればそれでいい。

俺は右手の拳銃を錬成で作ったレッグホルスターに仕舞い込み焔龍の右腕を、左肩から刃翼を顕現させる。

 

そして縮地でサソリの目の前に飛び出し、空力と縮地の合わせ技で真上に急上昇。鋭角の動きにサソリが一瞬俺を見失う。その瞬間に炎の槍を生成した俺はさらに空力と縮地を発動。

サソリの背中目掛けて高速落下しつつ右手に構えた炎の槍を外殻に突き立てる。

 

「ぐっ……」

 

だがそれでもやつの甲羅を貫くには足りない。威力だけではない。炎の熱で溶かそうにも温度も足りないようだ。

 

「まっ───だぁ!」

 

俺はそのままディアウス・ピターの赤雷を展開。刃翼を突き立てて赤雷を叩き込む。サソリは甲高い悲鳴を上げるが鎧自体は健在だ。

そしてそこに影が迫る。俺が目線を上げるとサソリの持つ2本の尾が俺の脳天を狙っていた。

 

「ちっ……」

 

俺がその場を縮地で離脱した瞬間に奴の尻尾の先端から散弾のように針が飛び出した。己の外殻に当たってこちらに跳ねてきた針を弾きながら着地する。

 

「まさか火力不足とは……」

 

そうなるとは思わなかった。

ここにきて俺の火力を凌ぐ防御力を誇る魔物がいるとは思わなんだ。とりあえず作戦を練り直そうと俺が飛ばされてくる針の散弾を弾き、躱しながら柱の影に入るとユエもそこにいた。

 

そして───

 

「……逃げないの?」

 

「は?何で?」

 

ユエから疑問を投げかけられる。

確かに、アレはユエがここから出ないために置かれた魔物なのだろう。だとすると、ユエを置いてこの部屋を出ていく分には奴は何もしないかもしれない。けどそれがどうした。

 

「武偵憲章2条、依頼人との約束は絶対守れ。俺は、お前をここから出すという約束をした。だからそれを守る。俺だけがここから出られたところで意味がねぇんだよ」

 

だから俺はユエを守る。武偵憲章は所詮ただの心得でしかない。けれど、これこそ俺が本当の意味で化け物になりきらないための一線だ。きっと、この世界でこれを1度でも超えてしまったら俺は胸を張ってリサの元へ帰れなくなる。だからこれだけは守ろうと決めたのだ。

……まぁこの魔物を倒す必要は無いから最悪ユエを連れて逃げることはあるかもしれないけどな。

 

「……そう。……なら、私も戦える。信じて……」

 

「あ?」

 

と、何やら俺の言葉に覚悟を決めたっぽい表情をしたユエがいきなり俺に抱き着きながら首筋に噛み付いてきた……が───

 

「……歯が通らない」

 

「ったく。……歯に魔力を通せ。それで刺さる」

 

……折角の良い雰囲気が台無しである。

 

にじり寄ってくる巨大サソリから縮地で距離を取りつつユエにアドバイス。俺のオラクル細胞混じりの身体には普通に歯を立てたくらいじゃ傷は付かないのだが……そういやユエはさっき自分のことを吸血鬼だとか言ってたな。血を吸うと力が増すのか?それならそれで俺のオラクル細胞入りの血液を吸わせて良いものなのか?

だがもうユエは魔力操作で自分の歯に魔力を通し、それで俺の首筋の皮膚を破って血液を吸っている。今更遅いか……。自動再生とやらに頑張ってもらう他ない。

 

「……んっ」

 

血を吸っているユエから時折艶かしい声が聞こえるがそれは無視。というか、今はそれどころではない。サソリの野郎が甲高い声で叫んだかと思ったらいきなり部屋の床が隆起し始めたのだ。どうにも奴の仕業なのだろがこちとら錬成師の端くれ。その勝負で負けるわけにはいかないのでこちらも錬成で床の隆起を抑え込んでいるのだ。

 

そうしていると、ようやくユエが俺の首筋から口を離した。……最後にペロリと一舐めしてから。

 

「……ごちそうさま」

 

「……お粗末さまでした。早速で悪いが───」

 

「……ん。あの甲羅を溶かす」

 

そしてサソリに向かって片手を掲げるユエ。するとその小さな体のどこに貯め込んでいるのか莫大な魔力が唸りをあげる。そしてそれは──それこそが彼女の魔力光なのだろう──黄金色となって薄暗い部屋の闇を打ち払い、その全てを輝き照らす。

 

「蒼天」

 

その名は炎属性の最上級魔法。それが魔法陣も詠唱も無く発動された。ユエがその魔法名を呟くとサソリの直上に7メートルほどの蒼い炎の球体が浮かぶ。それが触れていないにもかかわらずサソリは毎度の甲高い声を上げるが、それは今までのものとは違ってどこか奴自身の感じている恐怖が声色に乗せられているようだった。

 

慌ててその場を離れようとするサソリだが、それは力を取り戻した吸血鬼の姫が許さない。

ただ機械的に、残酷なまでにあっさりと振り下ろされた指先に合わせ、尽くを焼き尽くす蒼い炎がサソリを覆い尽くす。

 

──キシャアァァァァァ──

 

サソリの絶叫が響き渡る。だがそれを飲み込まんとばかりに蒼炎がその熱量でもってサソリの化け物を死の淵へと導く。

だがそれも長くは続かなかった。やがて魔法の効果時間が切れたのか炎が収まるとそこには俺の攻撃の尽くを防いできた厄介極まりない鎧をドロドロに溶かして悶え苦しむサソリの姿があった。俺は空力を使っていまだ蠢くそいつの真上へと降り立つと、拳銃を2発発砲。腹側も硬いのか貫通こそしなかったものの俺の放った超音速の弾丸は奴の中身をズタズタにしたようで、そのままサソリはその巨体を力なく地に伏せさせる。

 

「とっ……」

 

俺は動かなくなったそいつにそれでもまだ油断はせずに近付き、その口腔内に向けてまた2発ほど撃ち込む。これで完全に息の根は止めた。やたらと苦労させられたがユエの力は想像以上だった。

俺がユエを労おうと振り向くとそこには肩で息をしながら座り込んでいるユエの姿があった。

 

「大丈夫か?」

 

「……んっ、……最上級、疲れる」

 

「お疲れさん。助かったよ」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「へぇ。って言うことはやっぱユエは300歳以上ってことか」

 

「……天人、マナー違反」

 

古今東西、というかどこの世界に行っても女性に年齢を聞いたりするのはNGらしい。

 

はたして俺達はどうにかサソリを倒したわけだが、ユエはさすがに自分が数百年も封印されていた部屋はなるべく早く出たかったらしい。なので一旦部屋の外へ出て錬成で簡単な拠点を設置したのだった。

 

巨大なサソリの死骸をここまで運ぶのは苦労したが魔力による身体能力の強化も行えるユエにも手伝ってもらってあの部屋から運び出すことに成功した。そして俺は門番共とサソリの肉を焼きながらユエの身の上話や魔法の能力について聞いていたのだった。しかし、ユエには時間の感覚なんぞ当に無くなっているだろうが、伝聞によれば吸血鬼の一族は約300年前に滅びたとされている。ユエが封印されたのが20歳かそこらの時らしいので最低でもそれくらいは生きているだろうということだ。

 

ただ、裏切られたショックで封印された当時の記憶はあまり無いらしく、ここからの脱出方法やあのサソリの正体等については分からないらしい。

 

「……帰り方は分からないけど、この大迷宮は"反逆者"が作ったものらしい」

 

「……反逆者?」

 

「……反逆者、神代に神に挑んだ神の眷属だった者たち。……世界を滅ぼそうとしていたらしい」

 

「神、ねぇ……」

 

「……どうしたの?」

 

「いや、その辺のことに関してはちょっと気になることがあってな。まぁ今はこの大迷宮から出るのが最優先だ」

 

「……それなら、最深部に反逆者の住む場所があるらしい。……そこなら、地上への移動手段があるかも」

 

なるほどな。確かに一々上まで登ってたんじゃ途轍もない苦労になるだろうからな。ショートカットの手段くらいは存在するかもだ。

 

「なるほどなぁ。じゃあ当面はそこが目標だな。……お、焼けたぞ?食う……いや、流石にやめておこうか?」

 

何せ魔物の肉は食っただけで人間は死ぬのだ。俺だって神水が無ければ危うかった。そういえば、吸血鬼ってのは腹が減るものなのだろうかと思ったがどうやら吸血行為自体で栄養も空腹感も抑えられるらしい。それはそれとして食事を楽しむこともできるらしいのだが。

 

ちなみに、俺の血は極上らしい。そこら辺はグルメリポーターよろしく熱く事細かに語られたが正直自分の血の味にはあんまり興味が無い。俺が自分の血を吸ったところで鉄の味しかしないしな。

 

「門番は金剛……あのサソリは魔力操作からの派生技能の魔力放射と魔力圧縮か……。使ってんの見れなかったけど……」

 

門番とサソリの肉を喰って得た技能をステータスプレートで確認していく。ちなみにあのサソリの外殻、やたら硬いので何か秘密があるんじゃないかとまずは鉱物系鑑定をかけたところ、まさかで引っかかった。シュタル鉱石とかいう、流し込んだ魔力量によって強度を増していくという性質を持つ鉱石だったのだ。

 

なので俺は新たな兵器の製作に着手することにした。何分俺もまだ聖痕とスキル群が無いと火力不足に陥ることが発覚したためだ。今度はとにかく火力だ。だが持ち運べる物量にも限界があるからな。そこは考えなくてはならない。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「そんなに面白いか?」

 

コクコク、と無言でユエが頷く。

俺が新たな武器を錬成を駆使して作っている間、ユエはじっと俺の手元を覗いているのだ。まぁ、ユエには物珍しい物ばかりかもしれないが……。

 

「……天人、何でここにいる?」

 

すると、ユエから質問が飛ぶ。

独り言が増えるくらいには会話に飢えていたらしい俺も、別に隠すこともないかとこの世界に来てからのことをユエに話す。すると、さらに矢継ぎ早に質問が飛ぶ。俺の能力、使った道具、人間なのに魔力を直接操って固有魔法が使えていること、俺がサソリ戦で使った炎と雷、変質したように見えた腕と翼。俺はそれらの質問にもつらつらと答えていく。元々俺はこことは別の世界から来たこと。幾つもの世界を回った時に手に入れたアラガミの力のこと。すると───

 

「……グスッ……グスッ……」

 

「何故ユエが泣く……」

 

「……天人、辛かった。……天人辛いと、私も辛い……」

 

「……別に、辛いわけじゃない。慣れちまったよ。痛いのも、怖いのも全部……」

 

そう言って俺は思わずユエの頭を撫でる。その行動に自分自身が驚いていた。最初に会った瞬間はあれだけ警戒して、疑っていたというのに。今じゃこの世界に来てから会った奴らの中で誰よりも俺はユエに心を許していたことに気付いた。

 

「……んっ」

 

ユエは気持ち良さそうにさらに頭を差し出す。それに合わせて頭頂部だけでなく頭全体を撫でていく。するとユエは甘えているのか、頭を俺の肩に擦り寄せてきた。

 

「……天人は、この大迷宮から出たらどうするの?」

 

「帰るよ。元の世界に。まぁまずは方法を探さなきゃいけないけどな……」

 

「……私には、帰る場所……無い……」

 

そう言って縋るような目で俺を見るユエ。分かっている、コイツの気持ちは。俺のことをどう思っているのかも。けど、だからこそ俺は言わねばならないのだ。

 

「……ユエ」

 

「?」

 

可愛らしく小首を傾げるその仕草に俺は思わず言葉に詰まる。けど、それでも俺はコイツに嘘はつけない。ついてはならないのだ。

 

「聞いてくれ。俺は……俺には向こうの世界に置いてきた恋人がいるんだ……」

 

「……っ!?……そう……」

 

「だから、俺を居場所にしていいなんて、軽々しくは言えない。けど、それでもとユエが言うなら、俺が向こうへ帰る時にユエにも着いてきてほしいと思ってる」

 

我ながら最低なことを言っている自覚はある。何せ言い繕いようのない二股宣言だ。ここで物別れになっても文句は言えない。

 

「……天人は、ズルい……。……んっ」

 

だがユエはボソッと呟くと、そのまま桜色が美しい小ぶりで柔らかな唇を俺のそれに当ててきた。

その接触は数秒ほどだったが、俺には数時間にも感じられた。

 

「……これが、私の気持ち。……私の居場所はあの時から天人の傍だけ。……天人に他の女がいても構わない。……今ここにいるのは私。……その人じゃないから、私が天人を惚れさせれば良いだけ」

 

そう言ってペロリと舌舐めずりをするユエ。その仕草が見た目の割にあまりにも扇情的だったもんだから、俺は返す言葉が見つからない。

見つからないもんだから俺は新兵器の作製へ意識を向ける。すると、さっきよりも近い距離、どころか色々当たってるような感覚があるくらいにユエは俺に密着しながら作業を覗き込んでいる。

 

「……これは何?」

 

「んー?あぁ、さっき俺が使った武器は見せたろ?あれの強力なやつを作ってんだ」

 

ふうんと、ユエは分かったような分からなかったような顔で、しかし興味はあるらしく俺の作業している手先に目線を戻した。

俺が今作っているのはセミオートのライフル銃だ。装弾数は6発だが口径は拳銃のそれよりもかなり大きく、炸薬量も増量。それにバレルを拳銃のそれより遥かに長くすることで纏雷での電磁加速距離を延長。拳銃の約10倍程は威力が出るだろうと思っている。拳銃を作った時の経験が活きているのか、あの時よりもスムーズに銃そのものは完成した。弾丸も、1発作れてしまえば後は複製錬成で素材がある限りいくらでも量産できる。

 

「おし」

 

そうしている間に1挺の大型ライフル銃が完成した。拳銃と同じく黒に赤いラインの入ったボディ。あくまでメインで使うのは拳銃なのであまり弾丸は携行していけないから使うにしても奥の手になるだろうが、いつ何時必要になるかもわからない。それがこの大迷宮の恐ろしいところなのだ。

 

「……おっきぃ」

 

「あぁ。けどその分火力は増し増しだからな。あのサソリみたいなのが出てきたってこれでぶち抜いてやる」

 

「……ふふっ、楽しみ」

 

舌舐めずりをするその仕草は、やはり本来の歳相応の妖艶さを秘めていて、どうしたって俺はたじろいでしまうのだった。

 



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奈落の底での決意

 

 

「遂に、か……」

 

紆余曲折はあったものの、俺とユエは遂に大迷宮の最下層と言われている第100階層まで降りてきた。いや、正確には違うのかもしれない。何故なら俺がこの奈落の底に落とされてから数えて100の階層を降りたからだ。20階層からどこか──これまで見たことない階層だったから20階層よりは下だと考えられる──へ転移して、そしてそこから更に落ちた上での100階層。ユエはここが大迷宮だと言っていたが、なら本当は何回層あるのだろうか。

 

だがまぁ、ここがあのウサギやクマのいた階層から数えて100階層目ということには変わりない。用心も込めて、降りる直前に自分のステータスプレートを確認するとそこに浮かんだ文字列───

 

 

────────────

神代天人 17才 男 レベル78

天職:錬成師

筋力:2000

体力:2090

耐性:──

敏捷:2450

魔力:1800

魔耐:1780

技能:錬成[+鉱物系鑑定][+精密錬成][+鉱物系探査][+鉱物分離][+鉱物融合][+複製錬成]・魔力操作[+魔力放射][+魔力圧縮][+遠隔操作]・胃酸強化・纏雷・天歩[+空力][+縮地][+豪脚]・風爪・夜目・遠見・気配感知・魔力感知・熱源感知・気配遮断・毒耐性・麻痺耐性・石化耐性・金剛・威圧・念話・言語理解

────────────

 

 

使う度に補充しなければならない銃弾を作り出すために数え切れないほどの錬成を行ってきた結果、錬成技能の派生が飛び抜けている。だが途中からは魔物を喰らってもステータスの数字はともかくあまり技能は増えなくなっていった。

 

「天人、いつもより慎重……」

 

「そりゃあな。上で言われてた大迷宮は全部で100層って話だったわけだし。ここには何があるのか……」

 

だが俺の予想に反して100階層には何も無さそうだった。あるのはただ高くて太い柱が左右にそれぞれ1列。部屋の奥の方までズラっと並んでいるだけ。だが俺たちが1歩踏み込んだ瞬間、全ての柱が淡く輝きだし部屋に明かりを灯す。

 

「ありゃあ……」

 

「……反逆者の住処?」

 

第100階層はただのただっ広い部屋のようだったがその奥には大きくてご立派な装飾の施された"いかにも"な扉があった。ユエの言う通り、あの奥には反逆者共の住処があるのかもな。

 

「行こう」

 

「……んっ」

 

この奈落の底で数多の魔物を屠ってきた電磁加速式拳銃を抜き、感知系の技能もフルに起動させ、部屋の奥へ向かってユエと2人並んで歩き出す。そうして最後の柱の脇を通り抜けたその瞬間───

 

「……あぁ?」

 

「……何が来る?」

 

扉から見たこともないくらいに大きな魔法陣が出現。どうにも、あのベヒモスやトラウムソルジャーが現れた魔法陣にも似ている気がする……。

 

「ここの門番ってわけか。……ユエ、やるぞ」

 

「……んっ!」

 

俺が両手に拳銃を構え、ユエは数歩俺の後ろに下がりいつでも魔法を放てるように身構える。そして俺達がいつもの陣形を組んだタイミングで扉の前のドデカい魔法陣から出てきたのは、体長30メートル程はあろうかという6つの首を持つ巨大なヘビだった。

 

──クルゥワァァァァァン!!──

 

そいつが全身を現した瞬間に俺は両手の拳銃を発砲。それぞれが致死の破壊力を持って全ての首に殺到する。しかし───

 

──カアァァァン!──

 

と、一際高い音を響かせ、白い色をした首を狙った弾丸が弾かれた。だが弾いたのは白い首の強度ではない。俺の銃撃の際の殺気に、真っ先に反応した黄色い首が白い首の前に自らを投げ出したのだ。その巨大さに似合わない鋭敏な動きで守られた白い首が大きく一声鳴く。すると俺の銃撃の元、一撃で頭部を炸裂させていた筈の4つの首がまるで銃撃なぞ無かったかのように元の姿へ戻っていく。そして、そのうち3つの首から炎、水、風属性魔法が飛び出す。

 

『面倒だ!あの白い首を吹き飛ばす。ユエは赤と青と緑の頭を抑えてくれ!』

 

『了解』

 

この大迷宮を攻略中に手に入れた魔物の固有魔法、念話でユエに指示を送る。そして俺は拳銃を両腿のホルスターに仕舞い、代わりに背中に抱えていたライフルを取り出す。

 

そしてそれの狙いはもちろんあの回復魔法を使う白い頭だ。悪いがあぁいう役回りの奴は先に潰しておくのが1番なんでな。

 

俺の構えたライフルが明らかに危険と判断したのか奴らの攻撃が明らかに俺へと集中する。だがその攻撃はユエが同じく魔法を連発することで相殺していく。

そして俺は妨害を気にすることなく縮地と空力で射線を確保。

 

最大威力のライフル弾で白い頭を吹き飛ばす───

 

「いやぁぁぁぁ!!」

 

───ために俺がライフルの引き金を引く直前、ユエの絶叫が響く。何事かと視線を寄越すと戦闘中にも関わらずユエが頭を抱えてしゃがみこんでしまっている。そしてそこへ殺到する赤青緑の3色の首。

 

ヘビ如きの好きにやらせてなるものかと、縮地と空力で瞬間移動の如き速度を出してユエの前に立ちはだかる。そして、ユエの封印されていた部屋を守っていた1つ目の門番から奪った金剛すら纏わせた俺の身体にヘビの鋭い牙が叩き付けられる。

 

けどなぁ、俺の身体はオラクル細胞なんだぞ?たかが牙で傷付くわけねぇだろ。俺はそのままヘビに噛みつかせた体勢から刃翼を展開。その刃で俺に噛み付いた首を切り裂く。

 

断末魔の悲鳴を上げ咬合力が失われたそれを力任せに振り払い、緑光石を素材に作った閃光手榴弾を投げてヘビの視界を奪いつつ縮地でユエを抱えながらその場を離脱。柱の影に入る。

 

「ユエ!ユエ!!」

 

だがユエは俺の呼びかけにも反応せずただ青白い顔で震えているだけだ。俺がユエに駆け寄る直前、今まで唯一何もしていなかった黒い色の首がユエを睨んでいたような気がしたが、アイツが何かしたのだろうか。

 

声と念話で大声で名前を呼びながら頬をペチペチと叩いていると、ようやくユエの目がこちらを向く。

 

「……天人?」

 

虚ろだった瞳の焦点が合い、紅の瞳が俺を認識した。

 

「あぁそうだ。どうした?」

 

「……良かった……良かった……」

 

「あぁ?」

 

するとユエは目に涙を浮かべて俺の頬に手を触れ、そのまま首に回して俺のことを抱きしめる。

 

「……また、捨てられたかと……暗闇に1人で……」

 

「捨て……?何の話だ?」

 

俺の疑問にユエが答えてゆく。どうにもあの黒い首に睨まれた瞬間、俺がユエをどこか闇の中に捨てて彼方へ消えて行く映像が頭に浮かんだとのこと。しかもその時俺の脇には見たことの無い女が1人いたとのこと。

 

「ふん。黒いのはそういう幻覚を見せるのか」

 

だがここでそれはただの幻覚だと、そして今後も起こり得ないものだと口で言っても大した効果は無いだろう。なぜならユエが見た光景はあまりにも、ユエにとって起こり得ると思われる光景だからだ。だから俺は───

 

「……んっ!?……んぅ」

 

ユエの唇に自分のそれを重ねる。

俺はお前をどこにも置いてなんか行かない。俺とお前はずっと一緒にいるんだと伝えるために───

 

「……リサのことは後でちゃんと話をしよう。だけど大丈夫だ。俺とお前が離れ離れになるなんてことは絶対にない。だから安心しろ?」

 

「……んっ!」

 

ユエの返事を聞き、俺達は再び蛇の前に立つ。

すると黒いヘビが俺たちを睨みつける。その瞬間───

 

「───っ!?」

 

あの日、あの時の光景がまるでその場にいるかの如く、あまりに鮮明に頭に浮かぶ。血の匂い、両親と咲那の絶叫と呻き声。男共の汚い笑い声、俺の恐怖。そして暴走した力。吹き飛ぶ上半身と下半身。頭にかかった血と肉と臓物。けど───

 

──俺は……俺ぁこれを越えるためにこれまで鍛えてきたんだ──

 

その忘れたくて、けれどいつまでも忘れられない記憶を振り払う。そして俺はそのままライフルを発射。また黄色い頭が先んじて白い頭との射線軸に入り込むが、その防御ごと目標である白い頭の脳漿をぶちまけ、その奥の天井まで打ち砕いた。

 

取り回しの悪いライフルを床に置くと再び両手に拳銃を構え、残った頭をユエの魔法とでぶち抜いていく。

 

そしてユエの炎属性魔法である緋槍が緑色の頭を貫いた時、そのヘビは土埃を巻き上げて地面に倒れ伏した。

 

「……ふぅ」

 

「……終わった」

 

「あぁ」

 

俺達はそれぞれ神水を飲んで失った魔力を回復していく。だがそこで俺の直感と感知系技能が一斉に警鐘を鳴らす。

 

「ッ!?」

 

俺は反射的に左腕の神機のタワーシールドを起動。更に防御力を上げる固有魔法である金剛を使い、魔力的な防御力も引き上げる。

 

そうしながら俺が後ろを振り向いた瞬間───

 

「天人!!」

 

ユエの絶叫が響く。そしてそこには確実に全ての頭を砕いたはずのでかいヘビが、銀色に輝く7つ目の頭を現し縦に割れた爬虫類独特の目でこちらを睥睨していた。そして───

 

 

 

──極光が放たれた──

 

 

 

───────────────

 

 

 

振動と爆発音が体を揺らす。

 

新たに現れた白銀の頭から放たれた極光に対して俺は神機のタワーシールドと固有魔法である"金剛"を使って対抗した。だが俺はその光に飲み込まれ、どうやら意識を飛ばして倒れていたようだ。

 

しかし、どうにも視界がおかしい。右側の視界が極端に狭いし、左腕が燃え盛るように熱い。見れば左腕は焼き爛れて骨まで見えている。その気になればオラクル細胞の力で即座に戻せるのだろうが、傷口が焼けていることで新たな出血はほとんど無いし、ここで必要以上に体力を削られるのは避けたいな。

 

俺は両足と右腕で地面を這い、あのヘビとユエを探す。探す、とは言っても遮蔽物は柱しかない上にヘビはあのデカさだ。すぐに見つかる。そしてユエが奴の光弾に撃たれ吹き飛ばされる姿もだ。俺の中に声が響く。

 

 

──また、失うのか──

 

──また力に屈するのか──

 

──また目の前で奪われるのか──

 

──目の前で女が傷付く。これで何度目だ?──

 

うるさいと、声を振り払う。

だが声は止まない。同じことを繰り返す。

 

 

──許すのか?この理不尽を──

 

───許せるものか

 

──ならどうする。いつまでそうして伏している──

 

 

───俺は……

 

───俺はこんな所で……

 

───もう二度と……

 

───俺の大切な何かが奪われるのは!!

 

───目の前で大切な女が死ぬのは!!

 

───絶対に許さない!!

 

 

その瞬間、俺は縮地を発動し、俺の拳銃を抱えたユエの元へと駆け寄る。しかし、いつも縮地を使う時は周りの景色が流れていくのに今はやけにハッキリと見える。砕けた瓦礫や柱のヒビまで丸分かりなのだ。

 

「泣くなよユエ。お前の勝ちだ」

 

「天人!」

 

泣きべそかいてるユエを抱えてまた縮地でその場から離脱。

 

「血を吸え、ユエ」

 

「でも、今の天人は……」

 

「大丈夫だ。それより蒼天の火力が欲しい。……俺を信じろユエ。俺もお前を信じてる」

 

「天人……。んっ!」

 

カプりと、魔力操作で歯に魔力を通して、俺の首筋へそのちっさい犬歯を通すユエ。俺はユエに血を分けながら縮地でライフルを取りに行く。その間も白銀のヘビから雨あられと魔力弾が放たれるが狭い視界の割にこの目に映る範囲はいやにクリアでスローに脳ミソがその動きを捉えるので最小限の動きで避けていくことが出来ていた。

 

その内にライフルの回収とユエの吸血が終わる。だが予定に反してライフルの方はあの極光の初撃で溶けて原型を留めていなかった。これでは使い物にならない。だが問題は無い。ライフルが無いなら別の手段で奴を叩き潰す。

 

「ユエ、俺が合図をしたら蒼天を頼む。それまでは奴の気を引いていてくれ」

 

「んっ」

 

「じゃあ行くぞ」

 

俺は魔弾の雨の中へ飛び出すがただ真っ直ぐ飛ぶだけのそれなんぞ今の俺には単純にして遅すぎる。そのまま縮地と空力で奴の頭の上を取り、そこから拳銃を撃ち込む。案外素早い動きを見せ、いくつかの弾丸は躱される。しかし回避しきれなかった弾丸が頭を掠めた。だがそれは奴の鱗を多少削った程度でダメージという程ではない。やっぱり硬いな……。

 

けれどそんなことは予測済みだ。俺は奴の頭上の天井に向けて拳銃弾を等間隔で撃ち込んでいく。

そして錬成も加えて天井の強度を落としていく。そうして銃弾を撃ち込みながら錬成をしていくと、遂に天井の一部が崩落。ヘビ野郎を上から質量で押し潰した。

 

「グウァワァァァン!!」

 

とヘビはその質量の拘束具から抜け出そうと暴れるが数10トンはくだらないその重さに簡単にはいかないようだった。さらにその上から俺が錬成で形を整えさらに出られないようにしていく。そこに───

 

「今だ!ユエ!」

 

「んっ!……蒼天!!」

 

ユエの最上級魔法が降り注いだ。

 

「グガァァァァァ!!」

 

叫びながらさらに強くのたうち回るがそれも段々と勢いが失せていく。

そしてユエの魔法の効果時間が終わる頃にはその白銀のヘビもほとんど動かなくなる。そこに俺がだらしなく開かれた口腔内へ向けて拳銃を3発放つと、一瞬の痙攣の後、完全に動かなくなり、感知系技能からも奴の反応が消えていく。……ようやくこの図体のデカい蛇は死んだ、ということだ。

 

「天人!!」

 

ユエが満面の笑みで駆け寄ってくる。が、俺はユエが辿り着く前に視界が……いや、身体が揺れる。

 

「あぁ、もう無理……」

 

そこで俺の意識は闇へと沈んでいった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

暗闇に沈んでいた筈の意識が覚醒していく。

目が覚めると視界に飛び込んできたのは見知らぬ天蓋だった……。さらに言うなら俺は今何やら柔らかな感触に包まれながらベッドの上に横たわっているということも分かった。というか、この右腕に伝わる感覚は確実に女の子の身体なわけで、そして俺の記憶では現状俺にそれを伝えてくる人物の心当たりは1人しかいないのだからそれは必然───

 

「……ユエ、何してんの?」

 

身体に掛けられた布団を剥ぐと俺も俺の腕に絡まって寝ていたユエも何故か真っ裸だった……。いや本当に何してるの……?いや、俺は分かる。服を着ていないとはいえ身体中に包帯を巻かれているからな。きっとユエがやってくれたのだろう。だがユエが脱ぐ必要性は特に無い筈だ。いや、彼女は寝る時はいつもこうなのかも……なわけないか。迷宮を攻略中にそんなことしてなかったし。

 

「えい」

 

腕を抜こうにもやたら密着して絡み付いてるし動かしたら動かしたで何やら悩ましい声を上げるので、面倒になった俺は軽く纏雷を発動。強めの静電気程度の衝撃だが確実に起きるであろう電流を流す。

 

「ひゃわっ……!」

 

「おはよう」

 

俺の電撃は狙い違わずユエを起こすことに成功。

 

「……天人?」

 

ユエは小首を傾げている。あざと可愛い。

 

「おう」

 

「天人!!」

 

と、寝ぼけ眼を擦っていたかと思えば俺を認識した途端にいきなり抱き着いてくる。

 

「悪いな、心配かけた」

 

「……ん。心配した」

 

とは言え看病してもらって、挙句泣きながら抱きつかれたらこちらとしても頭の1つも撫でてやらなければならないだろう。そうしてユエの頭を撫でながらあの後何があったのか聞いていく。その話からすれば、やはりユエが態々服を脱いで俺の傍で寝る理由は特になさそうだったのだが……。それはそれとして、そしてどうやらここが反逆者の隠れ家のようだった。

 

「これは……神水でも治らなかったか」

 

俺は狭まった視界の中で右の瞼を擦る。どうにも俺の右目は神水の回復力を持ってしても元には戻らないようだった。あのヘビの一撃はそれ程までに強烈だったのだろう。アラガミの再生力でも、眼球なんてものを再生できるのかはよく分からない。と言うか、アラガミそのものならともかく一応人間であった俺には多分無理。まぁ失ったものをいつまでも嘆いていても仕方ない。

 

俺がぶっ倒れて意識を失っている間、ユエがこのベッドルームに隣接されている屋敷の中から見繕ってきた服を適当に着る。いつまでも真っ裸のミイラじゃいられないからな。それから俺達はこの反逆者のアジトをくまなく漁ってみることにした。

 

 

 

───────────────

 

 

 

地下深くのはずなのに空を思わせる天井には輝く太陽があり、草木が完璧に手入れされた状態で生い茂り、更には小川すら流れているこの不思議な空間に佇む建造物。どうにも欧州の屋敷のように見えるそこに足を踏み入れるとやはり絵に書いたような時代掛った欧州的建築様式。細かいことはよく知らんが異世界と言うより漫画か何かのファンタジー世界に来たような雰囲気がある。

 

1階と2階を色々見て回ったが、特に何も無いような部屋と封印された部屋くらいしかなかった。何故か温泉のようなものはあったのだが……。そして3階。ここには一部屋しかなかった。だが問題はその1つしかない部屋にある様々な物体だ。まず床に敷設された魔法陣があり、さらにその奥には豪奢な椅子に腰掛けた白骨死体が眠っていた。

 

着ている服や綺麗に残っている骨格から男だろうとは推測が付く。それも肉が一切付いていない綺麗なまでに骨だけの死体なのだが、この家からは腐敗臭は全くしなかった。

 

いや、それ以前にこの空間は謎が多すぎる。擬似的だとは思われるが地下奥深くに太陽が存在し、誰も手入れをするわけもない無人の家の周りに花や草木が生えているにも関わらず、それらが全く荒れている様子が無いのもおかしい。お風呂場も綺麗に磨かれていて水垢なんぞどこにもない。そしてこの家、どこにも埃が溜まっていないのだ。人が1人骨になるまでの間に、これだけ使われていない家や土地がこんな風に綺麗に保たれるだろうか。

 

「……怪しい」

 

「明らかにな……」

 

だがこの部屋も調べないわけにもいかない。何せ地上への帰り方も分かっていないのだ。明らかに怪しかろうがここも見ておかなくてはならない。そういう訳で俺は拳銃を抜き、構えながら白骨へと近付き、魔法陣の中へ踏み込んだ。

 

その瞬間俺の視界は白い光に塗り潰され、それが消えたと思ったらそこには───

 

 

──1人の青年が目の前に立っていた──

 

 

 

───────────────

 

 

 

「試練を乗り越えよく辿り着いた。私の名前はオスカー・オルクス。"反逆者"と言えば分かるかな?」

 

魔法陣が淡く輝き、目の前に現れた青年がいきなり語り出す。しかも妙なことに、奥の白骨死体とこの青年が全く同じ服を着ているのだ。体格からすれば、もしかしたらこの白骨死体と同一人物なのかもしれないな。しかしオルクス、か。ここもオルクス大迷宮とかって名前だったな……。

 

「あぁ、質問は許してほしい。これは記録映像のようなものでね。生憎と質問には答えられない。ただ、ここに辿り着いた者に世界の真実を知っておいてほしいと思っただけなんだ。……そしてどうか信じてほしい。我々は世に言う"反逆者"ではないのだということを」

 

やはりあの骸骨と目の前の立体映像の青年は同一人物のようだ。

 

そして映像のオスカー・オルクスが話し始めた内容はそれこそ聖教教会の奴らが聞いたら卒倒するか怒り狂って頭の血管がブチ切れそうなものだった。

 

曰く、神代の少し後の時代。まだ世界は戦争が絶えず様々な種族が入り乱れて争っていた。その時代はまだ国々や種族が今より細かく別れていてそれぞれに信仰する神様が違っていた、それが戦争の理由だったらしい。

 

だがその騒乱の時代に終止符を打とうとした存在がいた。それが"解放者"と呼ばれる集団だ。しかし彼らは知ってしまった。この戦争がただの宗教戦争でも何でもないのだと。ただ神が自分らの暇潰しのためだけに地上の生き物たちを戦い争わせていたということを。それを知った解放者たち、その中でも先祖返りとして特に強力な力を持ったグループの中心の7人はそのイカれた神共の住む神域を探し出し、遂に乗り込もうとした。

 

 

───だが神はそれを許さなかった。

 

 

なんと人々の認識を操ったのか彼ら解放者を神に逆らう神敵として本来解放者たちが守ろうとした人間たちと戦うように仕向けたのだ。その結果、解放者たちは中心の7人を除いて全滅。その7人もこの世界の各地にそれぞれ迷宮を作り隠れ潜み、自分たちの力を受け継ぎその狂った神を打倒しうる存在を待ち望んでいるのだとか。

 

そして話の結びに入ったのだろか。映像としてのオスカーが人好きのしそうな優しい笑みを作る。

 

「君達が何者でどんな目的があってここへ辿り着いたのかは分からない。神殺しを強要するつもりも無い。ただ願わくばこの力が悪しき心を満たすために使われないことを祈る。そしてまた君のこれからが自由な意志の元にあらんことを」

 

そう締めくくってオスカーの映像は消えていった。それと同時に頭の中をまさぐられるような感覚と、何かを無理矢理記憶に刷り込まれていく感覚。だがこれは……なるほど……。

 

魔法陣の光が収まり違和感も抜けていった俺は思わず息を吐く。

 

「……大丈夫?」

 

溜息をついた俺の袖を、ユエが心配そうな顔をして掴む。

 

「あぁ。けどまぁいきなりえらいことを聞いちまったな」

 

「……ん。どうする?」

 

どうする、とは神殺しについてだろうか。だがそれに関しては答えは決まっている。

 

「別に?俺が帰るのを邪魔するなら潰す。何もしないなら放っておく。それだけだよ」

 

もっとも、態々呼び出された俺達を、あんなことをしでかす神がそう簡単に手放すとも思えないのだが。

 

「……ユエは、どうするんだ?」

 

俺にとってこの世界は牢獄以外の何物でもない。だがユエは違う。この世界で生まれ育ってきたのだ。もしそのユエがこの世界を見捨てられないのだろしたら俺は……。

 

「……私の居場所はここだけ。他は知らない」

 

と、俺の腕に自分の腕を絡める。……と、その拍子に思わずユエも魔法陣の中に踏み込んでしまったため、またそれが起動。オスカーさん退場から数秒で再びのご登場と相成った……。

 

「試練を乗り越え───」

 

 

 

───────────────

 

 

 

手に入れた神代魔法は「生成魔法」というもので、鉱石に魔法の力を付与できるというものだった。これがあればアーティファクトなる便利道具を色々作れるらしい。なるほど、錬成師たる俺には非常にありがたい力だ。もっとも、神代魔法にも相性や適正というものがあるようで、ユエには中々難しいとのことだった。

 

また、休息と武器弾薬の補給がてらこの屋敷にしばらく居座ろうということになった。だがそんな家の中に白骨死体があるのは正直嫌だったのでオスカーのご遺体は丁重に埋葬させていただいたのだが、彼が骨になっても着けていた指輪、これが凄まじい物だった。

 

宝物庫と呼ばれるアーティファクトのようで、中には無限とも思える空間が広がっており、魔力を流せばどんなものも半径1メートルの範囲内で出し入れが可能という優れものだった。銃弾やライフルは嵩張って仕方ないのでこれがあると非常に助かる。それに、弾薬補充用の鉱石等の持ち運びもこれで全て解決だった。

 

「……なぁユエ」

 

「なに?」

 

「しばらくここに留まらないか?宝物庫が手に入ったおかげで武器弾薬の持ち運びに制限が無くなったからな。色々と装備を整えたいんだ」

 

この大迷宮はユエが数百年は閉じ込められていた文字通りの監獄だ。ユエとしたらさっさと出たいかもしれない。そう思って俺はユエに確認を取る。だが彼女の答えは───

 

「んっ。……天人と一緒ならどこでもいい」

 

「そうかい」

 

そう言ってユエは俺の指に自分の白く細いそれを絡めてくる。しかし、ここまで好意を前面に押し出されると中々に気恥しいものがあるな……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

大迷宮の最深部、奈落の奥底で、別の世界からやってきた化け物と300年間封印されていた吸血姫が同じ布団に包まっていた。

 

月のように輝く金髪をした美しい吸血鬼の姫、その少女が愛おしげに見つめるのは自分をあの牢獄から救い出してくれたとある男。しかしその男は今宵、悪夢に魘されているようだった。

 

それは今に始まったことではない。かつて解放者の住んでいたこの安全な寝床で寝るようになって以来、この男の夜の夢は悪夢か、彼が自分の世界に残してきたという女が出てくるか、その2択だったのだ。そしてどうやら今日は悪夢の日みたいだ。

 

ずっと何かに謝罪の言葉を述べるだけ。ごめんなさい、ごめんなさい、殺したのは俺だ、ごめんなさい、と。ずっとそれだけを繰り返しているのだ。彼の過去に何があったのか、詳しくは知らない。何故ならこの男は自分の過去を語りたがらなかったし、この少女もそれを深く聞こうとはしなかった。聞いたのはほんの一部。幾つもの世界を渡り歩いたということ、彼の世界のことと、残してきたという女のこと、それだけ。

 

美しき吸血姫の横で悪夢に魘されているこの神代天人という男の戦闘力は、かつてこの世界にその名を轟かせていた彼女から見ても比類無きものだった。そんな男が、誰かに懺悔するように言葉を重ねているのだ。まるで怖いものなんて何も無いかのように振る舞う彼が、怯えるように、悔いるように……。何も話さないということは何か後ろめたいことでもあるのだろう。きっと、悪夢に出てくること自体は自分に関係の無いことだと吸血姫は思う。けれどもそれはこの男と自分との関係に何かヒビを入れかねないことでもあるのだろうというのは察せられた。

 

最初から、彼の心の中に大きな瑕疵があることは分かっていた。燃えるような決意の色の中に、どこか自分を卑下するような色がいつもその瞳に浮かんでいたからだ。いつもはその傷を癒していた女が傍に居たのだろう。けれどもそいつは今この場にはいない。いるのは自分だけだ。ならばその役割を今は自分が貰ってしまおう。そして欠けた心の隙間に自分という存在を、ユエという名を嵌め込んでしまおうと思った。決して逃がさぬように、愛しいこの男の中に自分(ユエ)という存在を永遠に刻み込むのだ。

 

そのためにはまず、彼が起きたらめいいっぱい甘えさせてやろう。最初は代償行為でも良い。彼は自分のことも好きだと言ってくれた。愛していると伝えてくれた。その愛はまだ見ぬ"リサ"に対するそれよりは小さいのかもしれない。けれどもいつかは凌駕させてみせると、小柄な吸血姫は溢れんばかりの愛を己が心に誓ったのだった。

 

「……天人、愛している。……もう逃がさない」

 

男の瞼に口付けが落とされた後に吐き出されたその呟きは誰に聞かれることもなく夜の闇に消えていった。その夜、男の懺悔の声は聞こえてこなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

この奈落の底の最奥に辿り着いてからどれだけの時間が流れただろうか。記録している限りでは2ヶ月程だったが、俺達はオスカーの部屋を起点にしてこの屋敷でも調達できない素材があれば態々大迷宮まで出向いてそれらを集めたりもしたから正確なところは分からない。

 

それにしても、あのヘビの肉は中々に凄まじかった。何せ何度食ってもあの地獄の様な激痛が身体を襲うのだ。おかげで残り少ない神水にも手を出してしまった。まぁ、そのおかげもあってかステータスの数値もとんでもない数になってしまったのだが。

 

 

────────────

神代天人 17才 男 レベル──

天職:錬成師

筋力:12000

体力:13500

耐性:──

敏捷:13500

魔力:15000

魔耐:14780

技能:錬成[+鉱物系鑑定][+精密錬成][+鉱物系探査][+鉱物分離][+鉱物融合][+複製錬成][+圧縮錬成]・魔力操作[+魔力放射][+魔力圧縮][+遠隔操作]・胃酸強化・纏雷・天歩[+空力][+縮地][+豪脚][+瞬光]・風爪・夜目・遠見・気配感知[+特定感知]・魔力感知[+特定感知]・熱源感知[+特定感知]・気配遮断[+幻踏]・毒耐性・麻痺耐性・石化耐性・恐慌耐性・全属性耐性・先読・金剛・豪腕・威圧・念話・追跡・高速魔力回復・魔力変換[+体力][+治癒力]・限界突破・生成魔法・言語理解

────────────

 

 

遂にはレベルまで表示されなくなった。もっともこのステータスプレート。冒険者にとっては命の次くらいには重要な情報が書き込まれるため、ある程度非表示にする機能が付いている。そのため外で誰かに提示を求められた時には名前と年齢、天職の表示だけにするつもりだ。

そうでもしなければ身分証明書なのに見せた瞬間に身分を疑われてしまう。

 

というか、見た目は既に怪しさが増してしまっているのでこれ以上怪しさを出しては不味い。何せ無くした右眼を補うために、遂に神水を出せなくなった神結晶の一部を用いて義眼を作ったのだが、神結晶の魔力を蓄える性質と生成魔法により2つの魔法の付与が可能だったこの目には魔力感知と先読の技能を生成することで、通常の視界は得られないものの逆に普通では見えないものが見えるようになった。

 

それも、例え何かで視界を潰されていても機能するのが便利だ。だがしかし、なんと神結晶で作ったためにこの義眼、常に淡く光っているのだ。さすがに右眼の常時発光は絵面が面白すぎるので眼帯で遮光することにしたのだ。おかげでビジュアルの怪しさは中々のもの。せめてステータスプレートの怪しさだけは隠し通しておきたいのだ。

 

そうして装備が整い色んな技能や銃技の鍛錬もしっかり行えた頃、俺達は遂にこのオスカーの隠れ家を出て地上へ戻ることにした。

 

もちろんその間にユエとはリサのことについてしっかり話し合っている。とは言え基本的にリサの方は問題が無い。あるとすればユエの方だったが、出会ったばかりの頃の50階層で話しておいたおかげか、スムーズに話は進んだ。

 

というか、ユエとしては前にも自身で言っていたように、俺が元の世界に恋人がいようが今俺の横にいるのは自分であり、向こうの世界に帰る前に自分が籠絡してみせるとのことだった。全く、敵わないよな。

 

それともう1つ。オスカーの言っていた狂った神のことだ。これもユエには俺の仮説を話した。解放者達の頃のようにこの魔人族との戦いもエヒトが仕組んだことなのだとしたらもしかしたらエヒトは神という存在ではないのかもしれないということだ。あの日オスカーの話を聞いて俺の中に浮かんだ仮説。名前のある世界、前例の無い意図的な異世界召喚、人を駒のように扱い自分の愉悦を満たす神。だがもちろん仮説は仮説に過ぎないし、何よりどうでも良いのだ、そんなことは。

 

俺にとって大事なのはユエと共にあの世界に戻ること。この世界のことなど知ったことではないし、この世界の問題はこの世界の人間で片すことが、1番世界にとって健全なのだということを、俺はいくつもの異世界転移で学んだ。

 

「ユエ、俺達の力は異端だ。きっと面倒に巻き込まれるだろう」

 

既に失われたはずの神代の魔法、この、俺達の世界からすれば時代遅れの世界にあって、有り得ざる現代兵器の数々。

 

「んっ」

 

今や魔物しか扱えない筈の魔力の直接操作に固有魔法。それに加えて無詠唱無陣で発現させられる魔法の数々。

 

「けどそんなものは関係無い。俺がユエを守る」

 

「私が天人を守る」

 

「邪魔する奴は潰す。俺達2人で世界を越えよう」

 

「んっ!」

 

地上への転移の為の魔法陣に2人で足を踏み入れる。淡く輝く魔法陣の中で、俺達は手を繋ぐ。決して離れ離れにならぬように。その意志と決意を示すように……固く、硬く、堅く───

 

 

 

──幾つもの世界を渡ってきた異世界の化け物と数百年封印されていた吸血姫が奈落の底で出逢い、今同じ道を歩き出す。その歩みと絆を阻む一切を灰燼にするという決意を胸に──

 

 



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シア・ハウリア

 

魔法陣の輝きが収まり閉じていた目を開くとそこはありふれた洞窟だった。

 

「あれ……」

 

思わず疑問符を呟くとユエがクイクイっと俺の袖を引っ張る。

 

「……大迷宮は解放者の隠れ家。普通、入口、隠されてる」

 

それもそうだ。神から追われている身だったのだから出入口は隠されていても普通かと思い直し、俺達はそのまま歩みを進める。道中には様々な罠が仕掛けてあったが、その尽くにオスカーの指輪が反応し、解除していった。おかげでそう身構えずとも、罠に対して顔パスで進むことが出来た。そうしてしばらく歩みを進めると遂に洞窟の向こうに光が見えてきた。外の光だ。俺達が目標としてきたそれを見つけ、俺とユエは思わず顔を見合わせた。そしてその暖かそうな光目掛けて一斉に駆け出した。

 

「やっとだ……」

 

「んっ……」

 

本物の陽の光を浴びたのはいつ以来か。ユエに至っては数百年振りの空の下。俺達は手を取り合い抱き合い笑いあった。

 

「あはははははは、はぁ……」

 

「……無粋」

 

しかしその間に俺達はこのライセン大渓谷に潜む魔物に取り囲まれていた。上から見下ろすようにして俺達を睨むその目は殺意に濡れていた。

 

「……ここじゃあ魔法は使えないんだっけ?」

 

「……分解される。けどその前に殺る」

 

「……効率は?」

 

「……10倍くらい?」

 

「いいよ、ここは俺がやる」

 

「……ん」

 

渋々、といった体でユエが1歩引く。どうにもこのライセン大渓谷という場所は空気中に出た魔力を尽く分解してしまう場所なのだとか。そのおかげで魔法は全くと言っていいほど使えないらしい。それは魔法の技能と魔力量において反則クラスの能力を誇るユエであっても同じことのようだ。

 

その上ここの魔物は地上のそれと比べても凶悪で魔法の使えない人間では落ちたら最後、生きて出てくることが不可能と言うことから、過去には処刑場としても使われていたらしい。

 

だが俺の持つ兵器はその限りではない。そもそもが魔法などと言うオンリーワンの才能に頼らずとも人が人を殺すための道具なのだ。纏雷が使えない以上はアーティファクトとしての本来の性能は発揮出来まいが、炸薬兵器としてここいらの魔物の頭を吹き飛ばすだけなら問題は無いはずだ。

 

「ふっ……」

 

俺は指を僅かに動かしただけ。魔物にはそう見えただろう。だがその瞬間に瞬いたマズルフラッシュと共に、2体の魔物の頭が吹き飛ぶ。遅れて、電磁加速式拳銃独特の発砲音ではなくただ火薬の炸裂する、俺にとっては何より聞き慣れた音が渓谷に響き渡った。

 

──不可視の銃弾(インビジヴィレ)──

 

カナやシャーロックがやる曲芸撃ちの極みのような銃技。理屈はただの早撃ちなので、リボルバー式のピースメーカーではない俺の自動拳銃ではあれよりは一瞬遅いだろうが弾速ならこちらの方が上だ。

 

そこからは戦いとすら呼べなかった。ただの蹂躙。オルクス大迷宮深層の魔物の強さはやはり異常だったのだろう。このライセン大渓谷の魔物の強さも耳にする限りでは凶悪極まりないという話だったのだが、この有様だ。正直1番最初の階層にいたあのウサギやクマ共の方が強いだろう。

 

5分と経たずに俺達を囲んでいた魔物は全滅した。その死屍累々の中で俺は宝物庫から魔力駆動で動く二輪車を取り出す。纏雷を使って測ったここの魔力効率では重量のある四輪は流石に魔力の消費が重すぎる。だからと言って、どちら側に抜けるにしろ歩いて行くには少々面倒どころでは済まない距離だ。この二輪のタイヤにも錬成を生成魔法で付与した整地機能は付いているし、暫くはこれで進もう。

 

「取り敢えず、いきなり砂漠の横断は勘弁願いたいからな。まずは樹海側に行こうと思う」

 

「んっ。……そっちなら町もあるかも」

 

「あぁ。じゃあ行こうか」

 

「んっ」

 

まず俺がバイクに跨り、ユエが俺の後ろに乗る。本来はヘルメットを被って然るべきなのだが、この世界に自動二輪に関する道交法とか無さそうだし、俺は魔力を込められた攻撃以外は効かない上にユエも自動再生がある。正直被るのが面倒なのだ。

 

ユエが俺の腰に手を回したことを確認し、車体に魔力を流す。エンジンの構造までは流石に把握していないのでこれの動力は魔力だけだ。魔力を直接操作できる奴なら誰でも動かせるし、実はハンドルも魔力で動かせるのだが、操作が複雑になるのであんまりやらない。

 

だがおかげでこのバイクの中は結構な部分が空洞になっており、見た目程の重量は無い。苦労したのはサスペンション周りだったが苦労しただけの甲斐はあり、乗り心地は非常に良いものが出来上がった。

 

しかし俺達が樹海側に向けて進みつつ大迷宮もあるというこの大渓谷を探っている間にも魔物はワラワラと出てくる。それを拳銃で撃ち倒しながら進んでいると向こうの方から魔物の咆哮が聞こえてくる。そう遠くない距離だ。30秒もあれば視界に捉えられるだろうか。

 

するとやはりそれくらいで魔物の姿が現れた。どうにも頭の2つあるティラノサウルスのような見た目の魔物だ。身体もそれなりに大きい。だがそんな見た目よりもその足元、何やら人間大の大きさの何者かがピョンピョコ跳ねながら頭2つティラノから逃げ回っているようで、俺はそちらの方に意識が向く。そしてよく見ると半泣きで逃げ惑うそいつの頭には立派なウサミミが生えていた。

 

亜人族、という奴だろう。聖教教会のお膝元であるハイリヒではその余りに強すぎる差別意識と潔癖さから奴隷としてすら見かけなかったが、帝国のような場所ではよく愛玩奴隷として飼われていると聞いたことがある。だが奴らは樹海の中が住処でこんな所にいるって話は聞いたことないが……。

 

「……兎人族?」

 

「なんでこんなとこに?……まさか処刑されたとか?」

 

「……悪ウサギ?」

 

アホな会話をしながらも進むことを止めていなかったため、もうすぐそこまで半泣きウサギとティラノサウルスっぽい魔物が来ていた。というか、ウサギの方は先程からこちらへ向けて助けてくれと騒がしい。

 

「だずげでぐだざーい"!!じんじゃう"ー!!」

 

兎人族の女がティラノサウルスっぽい魔物を引き連れてこっちまでやってくる。もちろんここの魔物が俺達を見逃してくれるはずもなく、こちらも獲物として狙いを定めたような眼を向けてくる。

 

「……面倒連れてきやがって」

 

どいつもこいつもギャーギャー五月蝿い。

取り敢えず会話の成立しないことが確定の魔物の方を撃ち殺して黙らせる。すると兎人族の女は何があったのか分からないような、キョトンとした顔をしていた。

 

「何をアホ面晒してんだ。お前が助けろって言ったんだろうが」

 

「あ、あ、あ、ありがとうございまずぅぅぅ!!ようやく会えまじだぁぁ!!」

 

だが俺の一言でトリップから戻ってきたらしい。せっかく助けたのにまた泣きわめきながら俺に縋り付く。あ、止めろ、鼻水を付けるな。

 

「んで、お前の耳ぃ兎人族だろ?なんでこんなとこにいるんだ?」

 

取り敢えず引き剥がして座らせる。

ようやく落ち着いたようでポツポツと俺の聞かれたことに対して答え始める。別に、こんな奴放っておいてもよかったのだが、最初に助けた時に少し気になる言動があったので仕方無しに話を聞くことにした。

 

で、泣き虫ウサギの話によればコイツらは今、樹海の亜人族だけでなく、帝国の奴隷調達係の兵隊の双方からも追われているらしく、今も樹海側の渓谷ではコイツらの一族が身を潜めているらしい。

 

何故そんな状態でこいつ1人が渓谷の中を魔物に追われながら爆走していたのかと聞くと、どうにもコイツの持つ固有魔法、未来視の能力でこっちに来れば俺という存在が助けてくれる、そういう未来が見えたらしい。

 

ただ、そこで命を救ってくれた固有魔法こそがコイツらが追われていた原因。本来亜人族は魔力も固有魔法も持たない。それが、見た目が良いと人間の中で評判の兎人族の中でも一際目立つ青みがかった白髪碧眼の見た目、そして本来亜人族が持ち得ないはずの魔力と固有魔法。それらを持つこのウサギの存在がバレれば当然、樹海の他の亜人族からも排斥されるのだろう。

 

だが兎人族というのは他の亜人族に比べて身体能力が低い代わりに一族の絆はとんでもなく強いのだとか。その強い絆がこのシア・ハウリアという異端の兎人を庇い、これまで外から匿ってきた。だがそれが遂にバレて樹海から追放。今に至るということだ。

 

「なるほどねぇ……」

 

「天人さん、ユエさん!私たちハウリアを助けてください!お願いします!」

 

あれだけ泣き喚いてまだ涙が出るらしい。本来なら随分と整った顔立ちのはずが涙と鼻水と土埃で普通に小汚い。あと民族衣装なのか個人の趣味なのか、元々露出度高めと思われる服も千切れて目に優し……哀れなことになっている。

 

「まぁいいけどな。タダで、とはいかない」

 

「っ!!はい!はい!!何でもします!!」

 

「俺達は樹海に用がある。だがハルツィナ樹海の霧は亜人族以外の感覚を狂わせるんだろ?だから俺達の目的地までお前らが案内しろ。それを約束するならお前もお前の家族も、そこまでの命は保証してやる」

 

ハルツィナ樹海は常に濃霧に包まれている。そしてその霧は亜人族とそこに住む魔物以外の全ての者の感覚を狂わせる。故に安易に足を踏み入れたが最後、2度と出てこれないというのは有名な話のようだった。だから俺としては友好的に道案内をしてくれる亜人族を雇いたかったのだ。そして、このままいけばどうにも面倒事を抱えてはいるものの、これ以上なく好意的な案内人を引き入れることが出来そうだった。

 

そう、それだけ。コイツの境遇を透華達に重ねたわけじゃあないと俺は自分に言い聞かせる。

 

「あ"、あ"り"がどう"ございまずぅぅぅ!」

 

だが俺の打算的な考えは気にせずただ感激しているだけのシアはこの有様。

 

「だから抱き着くな。鼻水をつけるな涙を拭くな!」

 

「アババババババ」

 

だがそれはそれ、何度言っても鼻水を付けてくるような聞き分けのないウサギにいい加減纏雷を浴びせて無理矢理引き剥がす。

 

「ほら、もうそれやるから顔拭いて服を着ろ」

 

大の字にぶっ倒れたウサギにオスカーの邸宅から押収したハンカチと俺が着るために拝借していた外套を投げて寄越す。

それをシアはやたら感激したような目で見ているが、ユエの方は何やらジットリとした目で俺を睨んでくる。

 

「……何だよ?」

 

「……天人、甘い」

 

「コイツらに恩を売っておけば樹海の探索が楽になるからな。ただの取引の一環だよ」

 

「……私の時は疑ってた」

 

「だって怪しかったし……」

 

むぅ、と頬を膨らませてシアと俺を交互に見やるユエ。すると何かに気付いたのかシアの一部と自分の同じそこを凝視する。俺とシアが揃ってキョトン顔をしていると───

 

「……大きい方が好き?」

 

と、ユエが自分の胸に手を当てながら爆弾を投げ込んでくる。シアはシアで興味津々といったふうにこちらに寄ってきては殊更に大きいその果実を腕で寄せ上げ、見せつけてくる。俺はその魅惑の果実からしっかりと目を逸らす。

 

「どうなんですか天人さん!」

 

だが尚もそれは俺の目の前に寄せられてくる。

 

「……ユエ、大きさじゃない。誰のものかが重要なんだ」

 

まだリサの容姿に関しては細かいことまではユエには話していない。なので俺は何とも曖昧な答えを返すに留まった。ユエとしては満足、とはいかないまでも及第点の答えだったのか、溜息1つで許された。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……未来が見えるって言っても実はその未来は確定したものではないんです」

 

バイクのシートの一番手前にユエ、それを後ろから抱くように俺がハンドルを握りさらにその後ろにシアが乗る。シアは初めて見る乗り物に恐る恐るといった体だったが段々と風を切る感覚の虜になっていったようで、出発からしばらく経った今では俺の肩に手を置きウサミミをパタつかせながらそのスピードを堪能している。

 

……俺が運転しながらも魔物のド頭に弾丸を叩き込んでいるのにコイツは1人で風を楽しんでいた……のだが急に真面目な声で話し始めた。

 

「あぁ?……あぁ、まぁそりゃそうだろ。未来なんて選択の果ての結果だ。……予定調和だって言われてもそんな簡単なもんじゃない。それだって、最後まで間違えられないんだからな」

 

「はい、そうなんです。あそこに行けば助かる未来が見えました。けどそれだって途中で逃げ方を間違えれば魔物に殺されたり、頼み方を間違えて断られたり……」

 

文字通り、必死だったのだろう。このウサギは。死ぬ思いで、そしてやはり死にそうになりながら、それでも自分を想い匿ってくれていた家族達に報いたくて、助けたくて。それは、あの頼み様を見れば伝わってくる。だが、だからと言って───

 

「……分かってるとは思うが、俺がお前らを守ってやるのは樹海の案内が終わるまでだ。逆に言えば、そっから先お前らはまた帝国と他の亜人族に追い回される。それを忘れるな」

 

流石に俺達もそこまでの面倒は見きれない。

今コイツらの家族は減っていなければ40人ほどだと言う。だが戦力外のお荷物を40人も抱えてどうにかなる程甘い旅ではないはずなのだ。だからコイツのしたことはほんの数時間か、長くて数日の延命。どちらにしろそれが過ぎれば奴隷か死か。ユエがいてくれるとはいえ、今の俺にそこまでの余裕は無い。結局何かを捨てなければ大切な何かを守れないのであれば、俺は迷い無く切り捨てる。

 

「分かっています。それでも───」

 

「ふん……。……あれは」

 

ライセン大渓谷に誰かの絶叫が響き渡る。魔物ではなく人の声だ。俺の見上げる天空には、遥か過去の地球に生きていたらしい翼竜こと、プテラノドンのような魔物が何匹も旋回し、地上の獲物を品定めしているようだ。

 

そして見えている範囲でもウサミミが20組に届かない程度。隠れている分を含めればなるほど、40人くらいにはなるかもしれない。

 

「ハイベリア……」

 

シアが声を震わせ呟く。ハイベリア、それがあの空の魔物の名前か。ふっと一息付くと、俺は宝物庫から電磁加速式アサルトライフルを取り出す。そして今兎人族の塊に狙いを付けて急降下したそいつの頭へ超音速の弾丸を叩き込む。

 

───ドパァッ!

 

と独特の音を渓谷に響かせるより早くハイベリアの頭が消し飛ぶ。更に空にいたハイベリアにも弾丸をぶち込んで半身を千切って墜落させる。

 

「みなさーん!!助けに来ましたよー!!」

 

──ばよんばよん──

 

シアが俺の頭の上で大声を上げながら跳ねる。

だがその体重は全部俺の肩に乗せた手に乗っかっている。それはつまり───

 

「……シア」

 

「はい?……え?何で私の胸倉を掴むんです?そして何故振りかぶるんですかぁあぁぁぁぁ───!?」

 

「骨は拾ってやらぁ!!」

 

頭の上でスイカが跳ねる感触は見事だったがそれはそれとして戦闘中は普通に邪魔だ。おかげで頭ぁ吹き飛ばすつもりの奴も仕留め損ねた。

 

なので随分と元気が有り余っているらしいシアにもこの戦闘を手伝ってもらうことにしたのだ。主に囮となってハイベリアの意識を釣る役目として───

 

目の前をカッ飛んでいく兎人族に思わずハイベリアの視線も釘付けになる。その隙にそいつの頭にアサルトライフルの弾丸を叩き込む。

 

「……少しは落ち着いたか?」

 

そのままバイクを突進させ落ちてきたシアをキャッチ。それを地面に放って他のハイベリア達を潰していく。いくら空を飛べるとはいえ弾速に比べたら遅すぎる。先読の技能もある俺にとっては止まっている目標を撃つのとさして変わらない。

結局、数分と経たずに6匹いたハイベリアを殲滅させた俺を兎人族達が遠巻きに見つめている。

 

「……シア!無事だったのか!」

 

と、俺にポイ捨てされ地面に座り込んでいたシアに寄ってきたのはナイスミドルのウサミミ。

 

「父様!!」

 

どうにもシアの父親らしい。俺はアサルトライフルを宝物庫に仕舞い込み親子感動の再会的な瞬間を遠巻きに眺めているだけだ。しかもそこに他の兎人族まで加わって中々の大騒ぎ。だがそれもすぐに落ち着き、シアの父親らしいウサミミがこちらに気付いたようだ。

 

「天人殿、で宜しいか。私はカム。カム・ハウリアと申します。シアの父親にしてハウリア一族の族長を務めている者です。この度はシアだけでなく我々ハウリア一族の窮地も救っていただきなんとお礼を言っていいか……。その上ここからの脱出まで助力くださるとのこと……。族長として、深く感謝致します……」

 

そう言って深々と頭を下げるカム・ハウリア。

 

「善意で助けたんじゃない。お礼ならキチンと報酬を支払ってくれればそれでいい」

 

と、俺は手を振って答える。

 

「ええ、ええ。もちろんですとも。我々に出来ることなら何だって致します。シアから聞きました。樹海に用事があると」

 

「あぁそうだ。その案内を頼みたい。……俺が言うのもあれだけどさ……亜人族は人間にいい思い出はないから、簡単に信用しないって聞いたことがあるが、随分簡単に俺達のことは信用するんだな」

 

「もちろん、シアの信頼する方達ですから」

 

「そうです。天人さんは女の子にも容赦ないし対価無しじゃ動かないし人を簡単に囮にするような人ですけど、裏切ったりするような人じゃないです!」

 

「なるほど、照れ屋なんですな。それなら安心だ」

 

今のシアの話のどこをどう受け取れば照れ屋になるのか……。周りのハウリアもやたらと生暖かい眼差しを向けてくる。

 

「……んっ。確かに天人は照れ屋。あと意外と寂しがり屋」

 

「……ユエさんは誰の味方なんです?」

 

俺はまさかのフレンドリーファイアに肩を落とすしかない。それを見てまた朗らかに笑うハウリアの面々は、確かにこの中で育てられたらシアもこうなるのだろうなと確信を抱かせるものであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ウサミミ42人を連れて随分と歩いた。その間にも数えるのが面倒な程魔物が襲いかかって来たがその尽くを射殺し、ようやくライセン大渓谷の出口に辿り着いた。どうにもここからは長い九十九折りの階段になっており、遠見の技能で見やれば樹海も微かに視界に入る。

 

「……帝国兵はまだいるでしょうか?」

 

「さぁな。いたらいたで暇なんだなぁと思ってやればいいよ」

 

ていうか確実に暇なんだろ。この上でずっと待機とか、左遷された奴らでもないのならただ単に帝国兵は暇なんだとしか思えん。力仕事に向かない兎人族の為に長時間人員を割けるんだからな。

 

「天人さんはその、帝国兵の人がいたら……」

 

と、シアが不安そうに聞いてくる。まさかこれまでの魔物との戦闘を見て戦力として不安がある訳では無いだろう。そう、これは単に───

 

「人殺しには慣れてる。奴らが引き下がらないなら、引金を引くことに躊躇いなんぞあるものか」

 

俺のような奴が、今更忌避感なんて持てるはずがないし、持ってはいけないのだ。それくらい俺は、人を殺し過ぎた……。

 

「って言うかシア、お前は見えたんじゃないのか?俺と帝国兵が戦う未来」

 

湧き上がりかけた仄暗い感情を押し込めるために俺は話題を変える。

 

「はい、見えましたよ。天人さんと帝国兵が戦う未来。なのでこれは確認です。帝国兵と戦うということは人間族と戦うということと同じです。同族と敵対して、本当に良いのかと」

 

それは、一族内での結束が強い亜人族故の疑問なのだろう。本来同族殺しなぞ忌むべきものに他ならない。ましてや今後も敵対し続ける覚悟はあるのか、そういうことなのだろう。

 

「お前らはそもそもが間違ってる」

 

「そもそも?」

 

「あぁ。俺ぁ人間族の味方なんかじゃない。俺ぁ俺の味方だ。それにな、俺はお前らに樹海の案内を依頼した。そしてその報酬として案内が終わるまでのお前ら命を保証した。ただそれだけだ。それが終わるでハウリアには死なれちゃ困るんだよ」

 

ハウリアを守るのはただの仕事。それだけだ。そこに正義感も義理も人情も何も無い。俺は機械的にコイツらを守りハウリアには樹海の案内をしてもらう。たったそれだけの関係性なのだ。

 

「なるほど、仕事という訳ですか。分かりやすくて助かる。樹海の案内はお任せくだされ」

 

カムも下手に感情論を持ってこられるよりも俺のギブアンドテイクの考えの方がしっくりくるようだ。

 

そして、お互い考え方も把握したところで長い階段を上っていく。そこいらの人間なら途中で何度か休みを入れた方が良いのだろうが、そこは腐っても亜人族。ここまでろくに飲まず食わずに逃げ回っていたはずのハウリアは誰も、音を上げるどころかこの階段もそこまで苦ではないようだった。

 

そうして階段を登り終えるとそこには帝国兵と思われる30人程の集団がいた。全員お揃いのカーキ色の服を着てそこらに剣やら鎧やら盾やらが転がっていた。するとそいつらも俺達に気付いたようで、ジロジロと──特にユエに──不躾な視線を投げてくる。

 

「お……?おぉ?おぉ!マジか生き残りやがったのか。隊長の命令なもんで仕方無く残ってたが調度良い土産ができそうだ」

 

「しかも白髪の兎人族もいますよ!隊長が欲しがってた奴ですよね」

 

「おぉ!益々ツイてるな!おい、年寄りはいいが、あれは絶対殺すなよ?」

 

「小隊長ぉ、女も結構いますし少しくらい味見しても───」

 

───ドパァッ!!

 

ここまで絵に書いたような小悪党が存在するのかと唖然となっていたがいい加減聞くに耐えない。そのゲスな口を閉じさせてもらおうと拳銃弾を放つが、電磁加速されたそれは最初に狙った奴だけでなくその後ろにいた兵隊5人の上半身を纏めて打ち砕いた。今までは奈落の底の魔物か電磁加速無しでの銃撃だったが、これはアレを用意しておいて正解だったかもしれない。

 

「───なっ!?……てめぇ!!」

 

小隊長と呼ばれていた男が最も早く味方の腰から上が消え去った事実から立ち直った。

そしてトップが立ち直れば流石は鍛えられた帝国兵。その場の全員がお揃いの武具を構え、魔法の詠唱の準備に入った。だがやはり、頭の方は少しばかり足りていないようだ。俺は宝物庫から今までより一回り小さい拳銃を取り出し、左手でそのまま3発発砲。

 

ダンッ!ダンッ!ダンッ!

 

と、それぞれの弾丸が誤たず手前3人の帝国兵の胸元に着弾。それを喰らった奴らは胸の鎧を突き抜けた弾丸の空けた穴から血を吹き出しながら真後ろに倒れる。さらに俺は右手の電磁加速式拳銃を宝物庫に仕舞い、両手とも見慣れた大きさの拳銃を構える。

 

「……お前、何者だ?兎人族じゃねぇだろ」

 

小隊長とやらが精一杯ドスの利かせた声で凄んでくるが残念。そういうの、蘭豹や綴の方が余程怖いんだよ。

 

「あぁ。人間族だ」

 

「……今ならまだ命は許してやる。その兎人族共と横の金髪の女を置いてけ」

 

俺の、何も気にしていなさそうな答え方が気に障ったのか、益々鋭い視線を向けてくる帝国の兵士。

 

「本当に頭が足りねぇようだな」

 

だがここまできて出るセリフがそれか。本当にガッカリだ。よく考えてくれよ。

 

「足りねぇのはどっちだ!てめぇ!帝国に逆らうってのがどういうことか教えてやろうか!」

 

「……俺が帝国に逆らったって、誰が認識する?」

 

本当に、少しは頭を回せば分かるだろう?ここに兎人族がいる意味を───

 

「あ"ぁ"!?」

 

「兎人族を追ってきた帝国兵の皆さんは上司の命令を無視してライセン大渓谷までウサギ達を深追いしてしまいました」

 

魔物の強さと魔力を分解してしまう性質故に、処刑場としても使われたこのライセン大渓谷を、本来ろくな力の無い兎人族が出られたということの意味を───

 

「……何言って───」

 

「しばらくして様子を見に来た上司はライセン大渓谷で発見するのでした」

 

渓谷の奥に入り込んだ兎人族が見知らぬ人間を連れて脱出してきたということ───

 

「ライセン大渓谷の魔物に食い殺された部下たちの姿を───」

 

その人間が、帝国兵ですら入ることを躊躇うライセン大渓谷を、足でまといを連れながらでも脱出できる用心棒かもしれないという可能性───

 

ダンッ!ダンッ!

 

炸薬が破裂する。その勢いを一身に受けた弾丸が銃口から飛び出す。それは小隊長の腹と胸を突き破り、9ミリ程の致命の穴を空けた。

 

「分かれよ、コイツらがここを出られた理由を。そこに俺がいる意味を」

 

戦い、と言えるのだろうか。アル=カタは拳銃が刺突武器にならない防弾服を着ていること前提に組み立てられた近接拳銃格闘技術だ。だが別に防弾性能の無い相手とのゼロ距離戦闘で使えないという訳では無い。ただ相手が致命傷を負うだけ。それに加えて俺は拳銃に生成魔法で風爪を付与している。普通のアル=カタのように銃を逸らそうとしても、腕や手が地面に滑り落ちるだけ。

 

それ故俺がこの集団戦において遅れをとることはない。それに加えてユエが、ライセン大渓谷ではろくに使えなかった魔法をこれ幸いとばかりに帝国兵に叩きつけていく。俺たちの連撃にみるみるうちに戦闘可能な数を減らしていく帝国兵。その数が尽きるのもそう時間は掛からなかった。

 

やがて意識のある兵士1人だけとなった。だがその兵士も肩と脚を撃たれもはや戦闘不能。ただ兎人族を狩りに来ただけのはずだった帝国兵の部隊は全滅の憂き目にあったことになる。

 

「た、助け……」

 

「あぁ?それはお前次第だけど……。そうだな、他にも兎人族がいただろ。そいつらはどうした?」

 

「い、言えば助けてくれるのか……?」

 

可哀想に。痛みと出血と恐怖でガタガタ震えている。言葉もたどたどしい。

答えるのも億劫になった俺はただ拳銃でそいつの頭を小突く。これがどんな威力を持って何を成すのかをこの短い時間でキッチリ把握しているその男はそれだけで「ひっ……」と短く悲鳴を上げる。

 

「話す!話すから!……多分、全部輸送済みだと思う……。人数は絞ったから……」

 

人数は絞った。その意味を正確に把握している兎人族達は思わず顔をしかめる。身内の身に何が起きたかを想像してしまったのだ。

 

「そうか……」

 

「は、話しただろ!?ほ、他にもか?何でも喋るから───」

 

「いいや。もういいよ。お前はもう黙れ」

 

「ひっ───!?い、嫌だ!!離して───あっ───いや……」

 

 

俺はそいつの頭を掴むとそのまま崖の向こうへ投げ飛ばす。絶叫が響く。これで向こうへ投げ飛ばした人間は10人目だ。もちろんその中にはただ人の形をしただけの肉もカウントされているが……。

 

さて、他の奴らもさっさと捨ててしまおうと振り向くとシア達ハウリア一行は随分と怯えた目をしていた。どうせ、俺のやったことに動揺しているのだろう。だがそんなことに一々拘っている暇も無い。俺は残る20人を崖の下へ投げ捨て、血と臓物とそれらの跡、それと散らばった野営セットを錬成で埋めてパッと見はただ暇を持て余した挙句に調子に乗ってライセン大渓谷へ踏み込んだように見せかけた。これで帝国兵の上の奴らが来ても態々ここの地面を掘り返さない限りはしばらく誤魔化せるだろう。もっとも、アイツらが態々兎人族にどれほど固執するのか知らないし、たとえ俺のところへ殴り込みに来ても叩き潰すだけなのだが……。

 

「……あの───」

 

「……ただ守られていただけのあなた達がそんな目を天人に向けることがお門違い」

 

何かを言いかけたシアに対してユエがピシャリと言い放つ。それを受けてシア達は押し黙ってしまった。正直空気は最悪だ。だがそれを破る者がいた。カムだ。

 

「ふむ……。申し訳ない、天人殿。別にあなた達に含むところがあるのではない。ただ我々はこのようなことに慣れておらなんだ。少々、驚いただけなのだ」

 

「天人さん、すみません」

 

と、カムに合わせてシアも謝罪の言葉を述べる。別にそんなものが欲しいわけでもないのだが、くれると言うのなら貰っておこう。俺は「そうかい」とだけ返して帝国兵の使っていた大きな馬車の荷台を宝物庫から呼び出した魔力駆動の四輪車と繋げていく。樹海までまだ距離がある。魔力を分解するライセン大渓谷は抜けたことだし、手っ取り早く歩みを進ませてもらおう。

 

 

 

───────────────

 

 

 

この世界は俺を閉じ込める牢獄だ。そして、俺が帰る邪魔をする奴には容赦しない。いくらそう言ったってこの世界の全人類を喜んで敵に回す気にもなれない。多少の労力で避けられる面倒があるならたまには人の手伝いをする時もあるだろう。

 

そこで人員輸送の可能性も考え、宝物庫があるのにも関わらず敢えて車に荷台を作っておいて正解だった。馬は殺すのも面倒なので、生活出来るのかは知らないが野生に返し、荷台だけ貰った。乗り心地はあまり良くないだろうが、オスカーの邸宅からパク……借りたまま返していないだけの布団類は敷いたのでそれで我慢してもらおう。物盗りによる殺人を疑われる線も考えたが、争った形跡は無いし一部は残してあること、そもそもあそこに荷物を放置していたのが悪いと考えられるだろうと、荷台だけは使わせてもらっている。

 

魔力駆動四輪車には現代の車に必要な要素の殆どが存在しない。そもそも魔力操作によって全ての動作を行えるので、運転席には操縦の簡略化の為のハンドル位しか必要無いのだ。

 

おかげで座席は各列余裕のある3人乗り3列シート。更に荷台付き。正直大きさはかなりのものだが、小回りを効かせたい時には二輪があるのでそう問題も無いだろう。

その3列シートの最前列。一応の運転席には俺が、その横にユエ、シアと座っている。

すると、しばらく無言だったシアが口を開く。

 

「あ、あの!お2人の……天人さんとユエさんのこと、もっと教えてくれませんか?能力とかではなくて、旅の目的とか、これまでのこととか……」

 

最初こそ勢いのよかったシアだが恥ずかしかったのか段々と尻すぼみになっていく。

 

「……聞いてどうするの?」

 

と、ユエは面倒臭そうに返す。シアはユエのジト目に一瞬言葉に詰まったものの、それでも言葉を続ける。

 

「どう、というよりただ知りたいだけです。……私、この体質のせいで家族には沢山の迷惑を掛けました。それが、すごく嫌で……。皆はそんなことないと言ってくれていましたし、今はそこまで自分のことも嫌いではないです。ですがそれでもやっぱり私は世界のはみ出しもののような気がして……。だから私、嬉しかったんです。お2人に出会えて、私と同じ体質で……。私は世界に1人きりじゃないんだって思えて……。その、勝手ながら仲間、みたいに思えて……。だからもっと天人さんとユエさんのこと、知りたいんです」

 

まぁコイツらに特段隠すほどの事も無いし、道中は距離もあり暇だ。それを潰すくらいにはなるだろうと各々話し始める。もちろん俺はこっちに来てからのことだけだが……。

 

だがそれを聞いたシアは───

 

「うぇ……ぐずっ……酷ずぎまずぅぅ……天人さんもユエさんもかわいそうでずぅ……。ぞ、ぞれにぐらべでわだじはなんて恵まれてて……」

 

大号泣だった。俺としてはそこまで感情移入されても困るところはあるのだが……。

 

「決めました!天人さん!ユエさん!私、お2人の旅に着いていきます!これからはシア・ハウリアが影に日向にお2人を助けて差し上げます!遠慮はいりません!私達は世界でたった3人の仲間!共に困難を乗り越え望みを叶えましょう!!」

 

何故か決然とした表情になったと思ったら急にトンチキなことを言い出した。

 

ていうか───

 

「現在進行形で守られてる足でまといが何言ってんだ……」

 

「……さり気なく「仲間みたい」から「仲間」に格上げされてる。面の皮厚ウサギ」

 

大迷宮攻略にこいつのような戦力にならない奴を連れていく気はない。いくら未来視があろうがそれでどうにかなるほど甘いところではないのだ。

 

というか───

 

「お前、旅の仲間が欲しいだけだろう?」

 

「っ!?」

 

ウサミミがビクッと反応する。……分かりやすい奴め。

 

「大方、自分が家族から離れればコイツらは樹海に戻れるかも。けど自分のような目立つ奴は一人旅なんて出来ない。だから俺達に引っ付こうとか思ったんだろ?」

 

「う……で、でもそれだけじゃなく本当に私はお2人に……」

 

図星だったらしいシアはしどろもどろになってしまう。まぁ本当に俺達に仲間意識を感じてはいるのだろうが、それだけで同行を許す気にはなれない。

 

「別に責めてるわけじゃないけどな。どっちにしたって大迷宮の攻略にはお前じゃ足でまといだ。未来視程度の力しか持たないお前を庇っている余裕は無い」

 

会話は終わりだとばかりにぶった切ると、シアも落ち込んだ様子で俯いてしまう。言い過ぎた、とは思わない。言わずに着いてこさせて死にました、ではこちらも寝覚めが悪いからな。

そうして少し経つと樹海の姿がハッキリと見えてきた。いや、霧に覆われているからハッキリと見えたと言っていいのかは議論の余地がありそうだが……。

 

俺は濃霧に包まれたハルツィナ樹海とまだ視界の利く平原の境界線ギリギリまで車で寄せると、そこで全員を降ろした。

 

「では、ここからは我々の円の中から出られないように。はぐれてしまうと危険ですから。行き先は樹海の深部、大樹の元でよろしいかな?」

 

「あぁ。そこに真のハルツィナ大迷宮があると聞いたんでな。俺も最大限警戒はするけど魔物がいそうなら確信がなくても遠慮無く言ってくれ。そっからは俺ん仕事だ」

 

ハルツィナ樹海の霧が俺の感知系技能を上回るのなら俺より亜人族であるコイツらの方が察知は正確かもしれないからな。

 

「頼もしい限りです。天人殿は……気配の消し方が上手いですね。ユエ殿も気配の方お願いします。大樹自体は神聖視こそされているものの重要視はされていない為に近寄ることも禁止されてはいません。観光地のようなものです。ですが我々はお尋ね者なもんですから……」

 

「分かってる。それも承知で俺達はお前らに頼んでる」

 

「……ありがとうございます。では、行きましょうか」

 

カムの言葉に続き、俺達はウサミミ達に周りを囲まれながら第2の大迷宮があるというハルツィナ樹海の霧の中へと足を踏み入れた……。

 

 



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ハウリア×強襲科

 

 

「お前達……なぜ人間族といる!種族と族名を名乗れ!!」

 

現れる魔物を蹴散らし進んでいると、目の前に現れたのはガタイの良い虎柄の亜人族。

 

その姿にカムやシアを初め、ハウリアは全員怯えている。そしてカムが何かを弁明でもしようとしたのか口を開きかけるが、何かを言う前に虎柄がシアの髪色に気付いた。

 

「白髪の兎人族……。貴様らハウリアだな!忌み子を隠し続けただけでなく樹海に人間族まで招き入れるとは!!反逆罪だ!弁明の余地なぞない!!全員この場で処刑する!総員、掛か───」

 

ダンッ───!

 

と虎柄亜人族部隊のリーダっぽい奴の足元へ俺は銃弾を放つ。その音と、地面に1センチに満たない穴が空けられたことを視認し、その音の発生源へと視線が動く。当然その先には俺と、銃口から白煙を上げる拳銃があるわけだが。

 

そして俺は奈落の底で手に入れた固有魔法"威圧"を使う。魔力で圧力を掛けて相手を脅すだけの魔法で、魔王覇気程の威力は無いのだがコイツらには効果は抜群のようで、虎柄の亜人族の目線が一気にこちらに集まる。そして宝物庫から電磁加速式拳銃を召喚。リーダーっぽい奴の顔の傍に加速させた銃弾を放つ。虚空を切り裂く一条の閃光。その弾丸の速度に空気が引き裂かれ、発生したソニックブームだけでそいつの頬が浅く切られ、風圧にたたらを踏む。そして通常の威力の拳銃を引っ込め、宝物庫から取り出したもう1挺の電磁加速式拳銃も構える。

 

「お前らの位置は全部把握している。これには魔法みたいな詠唱も無い。死にたくないなら今すぐ帰れ。背中からは撃たないでやる」

 

つい、と左手の拳銃を霧の向こうに隠れている奴に向ける。それに動揺する気配が伝わる。

 

「コイツらの命は俺が保障した。ハウリアに手を出すっつうことは俺と戦うということだ」

 

「……1つ聞きたい」

 

虎の男が分かりやすく冷や汗をかきながら尋ねる。

 

「あん?」

 

「この樹海へ来た目的を教えろ」

 

「この樹海の奥にある大樹、その元に大迷宮があると聞いた。俺達の目的地はそこだ」

 

簡潔に俺たちの目的地を伝える。態々コイツらとことを構える必要も無いからな。

 

「……大迷宮、だと?」

 

「あぁ。俺達は七大迷宮を攻略するために旅をしている。その中でハルツィナ樹海の深部、そこにある大樹の下に本当の大迷宮が存在すると聞いた。そこまでの案内にハウリアを雇っただけだ」

 

「……何を言っている。大迷宮とはこのハルツィナ樹海そのものだ!亜人族以外が足を踏み入れたが最期、決して出てこれない!」

 

なるほど、だがな……。

 

「いや、それはおかしい。大迷宮は"解放者"……叛逆者とかいう奴らが作った試練だ。亜人族なら簡単に行けます、じゃあ試練にならないんだよ」

 

虎の亜人族は何が何だか分からないといった風だ。人間族とは隔絶された生活を送っているからか、人間族にはそれなりに伝わっている程度の話でもこっちには届いていないのかもしれない。

だがここで俺が嘘をつく必要も無いというのは奴にも分かるはずだ。こちらには最悪でも無理矢理に押し通る力があるというのは見せつけているからだ。

 

「……お前が同胞や国に危害を加えないと言うのなら、大樹の下へ行くくらいは許しても良いと思っている。部下の命を無駄に散らさせる訳にもいかないからな」

 

虎男のその判断にハウリアだけでなく周りに潜んでいる亜人族も驚いている気配が伝わってくる。

 

「……だが一警備部隊の隊長程度である私が軽々しく下して良い判断でもない。本国へ指示を仰ぐ。お前の話も、長老方なら知っている者がいるかもしれない。お前に本当に含むところが無いと言うのなら伝令を見逃し、ここで俺達と待機しろ」

 

ふむ……待つ必要性も無いが、大樹が外れた時にこのハルツィナ樹海を、コイツら亜人族を丸々敵に回したままハウリアを守りつつ探索するのも面倒だ。

 

「あぁ。それで良い。こちらの意思を正確に伝えてくれるならここで待つよ」

 

すると、この場から立ち去る気配が1つ。恐らくその伝令役だろう。俺はそれを確認すると両手の拳銃をトリガーガードに指を掛けてぶら下げ……ここじゃあその動作の意味が伝わらないことを思い出して威圧を解きながら両脇のホルスターに仕舞う。それを見た亜人族の誰かがこれを好機と見たか殺気立つ気配がする。

 

「……そこからここまで何秒かかる?」

 

と、俺が問えば虎の隊長も───

 

「……止めろ。我々では勝てん。だがお前も下手な動きはするなよ?」

 

と味方を止めつつこちらにも釘を刺してくる。

 

「分かってるよ」

 

なのでこちらも肩を竦めて何もしませんよのアピール。ついでにユエを抱き寄せその柔らかい髪を弄ぶ。するとユエも俺の胸に頭を擦りつけてくるのでそのまま2人で腰を下ろして時間を潰していく。何だか呆れたような視線が飛んでくるがまぁ放っておくのが楽だ。

 

1時間ほどだろうか。シアも俺の方へちょっかいを掛けてきたので適当に相手をしていたら、あんまり調子に乗るのでユエに関節を極められ、それを周りの亜人族はただ眺めていた。

そうしているうちに何者かがこちらへやって来る。この場に緊張が走る。シアの関節には痛みが走ったままだ。

 

「ふむ。お前が件の人間族か。名は何という?」

 

綺麗な金髪に碧眼。何より尖った耳が特徴の男だった。顔に刻まれた皺がその年齢を想起させるがその顔に"年老いた"という言葉は似合わない。威厳、という言葉が似合うそいつは、きっと長老とかいう存在なのだろう。

 

「天人。神代天人。あんたは?」

 

俺の物言いに周りの亜人族からは非難どころか殺意すら混ざった視線が向けられる。確かにコイツは俺より圧倒的に歳上なのだろう。だが俺はここで誰かの下に自分を置いてはならないと思った。だから俺はそれが当然だとでも言うように堂々と胸を張る。

 

「ふん。……私はアルフレリック・ハイピスト。このフェアベルゲンの長老の座の1つを預からせてもらっている。さて、話は聞かせてもらっている。解放者とはどこで知った?」

 

「俗に言うオルクス大迷宮の更に深層。本当のオルクス大迷宮の1番底、オスカー・オルクスの根城だ」

 

「ふむ……。更に深層、か。証明できるか?」

 

「……天人、奈落の底の魔石とかオルクスの遺品は?」

 

「あぁ、それなら……」

 

奈落の底の証明なんぞどうするかと思ったがユエのアドバイスに従う。確かに奈落の魔物の魔石やオスカー・オルクスの遺品なら証明になるだろう。俺は宝物庫から奈落の魔物の魔石とオスカーのしていた指輪を見せる。

 

「この紋章は……。なるほど、確かにお前さんは確かにオスカー・オルクスの隠れ家に辿り着いたようだ。……よかろう。私の名前でフェアベルゲンへの滞在を許す。もちろん、そこなハウリアも一緒にな」

 

と、アルフレリックの言葉にハウリア達が驚きザワつく。処刑か追放しかないと思っていたのにまさかまた故郷に招かれるとは思ってなかったのだろう。

だが亜人族のハウリアはともかく、人間族である俺や(奴等からはそう見えているであろう)ユエを招き入れるというのには虎の亜人族を筆頭に抗議の声が上がる。それもむべなるかな。今まで人間族がフェアベルゲンに足を踏み入れたことなぞ無かったのだろうな。だが───

 

「待て待て。何で俺達の予定が勝手に決まってんだ。俺達は大樹の下の大迷宮を攻略しに来たんだ。問題無いんなら態々フェアベルゲンにまで行く気は無い」

 

「いやお前さん、それは無理だ」

 

無理?無理ときたか。駄目ではなく。つまりコイツらにもどうしようもない理由があるのか?

 

「大樹の周りは特に霧が濃くてな。たとえ亜人族でも方向を見失う。一定の周期で霧が少し収まるからその時でないといかん。次に行けるようになるのは10日後なのだが……亜人族なら誰でも知っているはずだが?」

 

お前ら今から行ってどうするんだ?というアルフレリックの顔。それが俺からカムへと移っていく。それに合わせて俺とユエもカムへと目線を向ける。で、問題のカムはと言えば……。

 

「あっ」

 

今思い出しましたっていう顔をしている。てか今「あっ」って言ったな。この野郎、マジで忘れていたらしい。

 

「おい」

 

低くカムへ問う。するとカムはしどろもどろとなり目線もあっちこっちへ……。

 

「あっ、いやぁその……なんと言いますか……。色々あって抜けてたと言いますか……。私も小さい頃1度行ったっきりで周期のことは頭に無かったと言いますか……」

 

マジでただのウッカリらしいカムは周りのハウリア達を見渡すと───

 

「ええい!シア!それにお前たちも!なぜ途中で教えてくれなかったのだ!お前たちも周期については把握していただろう!?」

 

遂に逆ギレした……。いやお前……それは……。

いくら何でも雑なキレ方をしたカムに呆れていると、シア含めハウリア中からカムへ非難の嵐。

全員が全員責任の擦り付けあい。強い絆は何処へ……。

 

「……ユエ、任せた」

 

「……ん」

 

あまりに面倒になってハウリアはユエに一任。ユエはユエで面倒くさそうだが、いまだに誰が俺の折檻を受けるべきかで白熱の議論を交わしているハウリア達を冷たい目で一瞥。風属性の魔法でまとめて全員吹き飛ばした。

 

叫びながら落ちてくるハウリアを、他の亜人族も冷めた目で見ている辺り、ハウリアの亜人族内での元々の評価を示しているようだ……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

フェアベルゲンとハルツィナ樹海を隔てる門。荘厳なそれを潜ると向こうにあったのは別世界だった。

 

「ふふ、どうやら我らが故郷、フェアベルゲンを気に入ってくれたようだな」

 

俺とユエがポカンとしているのを見てアルフレリックが嬉しそうに呟く。実際、ここまで人工と自然の調和した街並みは初めて見た。

イングラシアは完全に人工の街並みだったし、魔国連邦もリムルの政策により、文明を現代に向けて駆け上がっていったからな。異世界とは言え、ここまでの光景は中々お目にかかれない。

 

しかも、年中濃霧に覆われているハルツィナ樹海において、ここフェアベルゲンだけは霧が薄かった。10日程過ごす場所が霧に覆われていなくてよかった。

 

その理由やその他フェアベルゲンについて様々レクチャーを受けつつ周りからの視線にも晒されながら、俺達はアルフレリックが用意した場所へ通された。そこで俺達がオスカー・オルクスの隠れ家で得た情報、俺が異世界から無理矢理召喚されたことなどを掻い摘んで話していく。いくら魔法というものが存在する世界でも滑稽無糖が過ぎる展開だと思っていたのだが、意外にもアルフレリックはすんなりと信用した。特に、狂った神の話はエヒトが絶対的に神聖視されているこの世界の住人には信じ難い話だと思っていたのだが……。それについてアルフレリックは……

 

「神がどのような存在であろうとこの世界は亜人族には優しくない。神への信仰なんぞ元から無い。あるのは自然への感謝のみだ」

 

とのことだった。ま、神の教えとやらで被差別の立場にやられているんだからそれもそうか。

 

そして、フェアベルゲンの長老にのみ代々伝わる口伝の掟によれば、大迷宮の紋章を持つ者が現れたら、それがどのような者であろうと敵対せず、また自分たちが気に入ればそいつらが望む場所へと案内するように取り決められているとのこと。

そしてその紋章とはつまり、俺たちの持ってきたオスカー・オルクスの指輪に刻まれたそれだったというわけだ。

 

だがそれが伝わっているのはあくまでも長老衆のみ。他の者にも説明する必要はある、ということだった。さて早速細部を詰めようかという所で階下に控えていたハウリアたちの部屋がにわかに騒がしくなる。どうにも誰かと言い争いをしているようだった。

 

何事かと俺達が下に降りると、そこにはクマやキツネ、その他様々な種族の亜人族が集まっていた。そして彼らの目線の先にはハウリア達。カムとシアの頬が赤く腫れていることから、誰かに打たれたようだ。

 

向こうも俺達が降りてきたことに気付いたようで、皆一様に鋭い視線を投げかけてくる。

 

「……アルフレリック、どういうことだ?何故人間を招き入れた。それにコイツらもだ。忌み子にこの地を踏ませるなど……。返答次第では貴様も長老会議にて処分を下すことになるぞ」

 

クマのように大柄な亜人族がアルフレリックに詰め寄る。それでも激情を抑え込んでいるようで、クマ耳と握り締められた拳がブルブルと震えている。だがアルフレリックはどこ吹く風といった体で───

 

「なに、口伝に従ったまでよ。お前たちも長老衆の座にあるのだ。事情は知っているはずだが?」

 

「口伝だと!?あんなもの、眉唾物ではないか!このフェアベルゲンが建国されて以来1度も起きたことがない!」

 

「だから今回が最初になるのだろう?お前たちも長老衆なら口伝に従え。それが掟だ。我々が掟を蔑ろにしてどうする」

 

「ほう?こんな人間の小僧が資格者だとでも言うのか!?」

 

「そうだ」

 

どうやら一口に口伝や長老衆と言っても一枚岩でもなければその考えや浸透の仕方については様々なようだ。雰囲気からして、長生きな奴ほど口伝を素直に信用しているみたいだが。

 

「なら俺が試してやる。資格者たる実力があるのかどうかをな!」

 

クマの亜人族が血走った目でこちらを睨みつけたと思ったら今度は俺に詰め寄り、その拳を振りかぶる。そして───

 

「───っ!?」

 

振りかぶった岩みたいな拳を俺目掛けて振り下ろしたのだ。だがその拳が俺の顔面を打ち砕くことはない。その程度の拳なら今の俺でも簡単に受け止められるからな。

 

それなりに全力だったのだろう。自分の拳を受け止められたクマの亜人族の顔が驚愕に染まる。

 

俺はお返しとばかりにそのクマの腹に掌底による発勁を放つ。オルクス深層の魔物の固有魔法"豪腕"を込めたその一撃に込められた衝撃が内臓をシェイクし、クマの亜人の巨躯を彼方へ吹き飛ばした。

 

そして周りに集った亜人族を見渡し───

 

「次は誰が試す?」

 

と聞けば、答えを返す者は誰もいなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺とユエ、カムとシアが並び、その後ろにハウリア達が、長老衆とやらは俺達と向かい合うように座っている。

 

「結局、お前らは俺を潰したいのか大樹まで案内したいのかどっちなんだ。悪いが亜人族でそこら辺きっちりまとめておいてもらわないと、流石に(たま)ん取り合いになった時まで区別してる余裕はないぞ」

 

「……貴様、こちらの同胞を再起不能にしておいてその言い草……。それで仲良くなれるとでも……?」

 

虎の亜人族が震える声を絞り出す。どうやらさっきの熊の亜人族は一命は取り留めたもののもう2度と戦闘へは復帰できないらしい。

 

「先に殴りかかってきたのは向こうで、俺ぁあくまでも正当防衛だと思うけどね」

 

「きっ……貴様……っ!」

 

「止めろグゼ。彼の言い分は正当だ」

 

アルフレリックの言葉にグゼは怒りに震えながらも上げかけた腰を下ろした。それでもその目には誤魔化す気のない殺気が込められていた。

 

「僕は彼を口伝の資格者として認めるよ。紋章も、実力的にも、ね」

 

そう発したのは狐の亜人族だった。まるで糸のように細いその目で周りを見渡す。お前らはどうだ?という風だ。

 

「神代天人。我ら長老衆はお前を口伝の資格者と認める。故にお前さんとは敵対する気は無い。だが……」

 

「若いのがどう出るのかが不安か?」

 

「あぁ……」

 

「あっそ……。死なせたくないのならお前らが死ぬ気で止めろよ?さっきの野郎は随分と頑丈だったみたいだが、他の奴らが全員あぁじゃねぇだろ?」

 

俺とユエだけなら亜人族が何人で来ようと殺さないように加減することは可能だろう。だがハウリアをこの数抱えて亜人族に数で攻められたらいくら何でも誰も殺さないように収めるのは無理がある。今の俺にそこまでの戦力的余裕はおそらく無い。

 

「ならば我々は貴様を大樹の下へと案内することを拒否させてもらおう。口伝でも、気に入らない相手を案内する必要は無いとあるからな」

 

だから何なのだろうか。別に俺はフェアベルゲンの長老衆に案内してもらう気なぞ更々無い。元々はハウリア達に案内してもらう予定だったのだ。

 

この分だと霧が薄くなるまでフェアベルゲンに滞在、というのは無理だろうがそれでも樹海の中で待っていればいいだけだ。だが、虎の亜人族であるゼルとかいう奴がそう啖呵を切った理由はすぐに明らかになった。

 

「ハウリアに案内してもらえると思うなよ?奴らは罪人。フェアベルゲンの掟に従って処刑する。はっ、どうする?それとも偶然にも辿り着ける可能性に賭けるか?」

 

ゼルの言葉にシアは涙を堪えて震え、カム達も一様に俯いている。まるで生存を諦めてしまったかのようだ。それでもシアは土下座をしてでも一族の助命を懇願する。だが勿論そんなもの、他の亜人族は取り合わない。処刑は決定事項。シアの存在そのものよりも、それをフェアベルゲンに隠し通そうとしたことの方が重いようだ。だけどな───

 

「アホかお前ら」

 

「何だと!?」

 

俺は溜息1つで立ち上がる。ユエもだ。

 

「それは結局、俺と喧嘩することに変わりねぇだろうが」

 

「なに……?」

 

「俺は大樹へ行きたい。けどお前らはその道標を奪う。これが敵対じゃなけりゃ何なんだよ?」

 

ただそれだけ。コイツらは結局口伝には従わないと言っているようなものだ。もちろん、俺が彼らに従うのならコイツらは俺を大樹までは連れて行ってくれるのだろうが……。大迷宮攻略後にどこに出るか分からない以上、俺と仲の拗れかけているコイツらよりはハウリア達に連れて行ってもらった方がその後も含めて確実だ。

 

「ハウリアをこの場で処刑するというなら、俺はお前らを潰す。それだけだ」

 

「天人さん……」

 

シアが俺を見上げる。俺はその頭に手を置き安心しろと伝える。その時のシアの瞳には、熱が込められていた気がした。

 

「本気かね?」

 

アルフレリックが俺に問う。その目には強い殺気が込められている。

 

「当然」

 

俺も左脇のホルスターに分かりやすく右手を伸ばしつつ短く答える。宝物庫はあっても不可視の弾丸を放つなら最初なら出しておかなければならないからな。こういう時は宝物庫には仕舞わずにホルスターに入れてある。

 

「フェアベルゲンから案内を出すと言っても?」

 

先のゼルの発言はまだ会議で決まったものではない。故にこのタイミングなら覆せる。だがハウリアの処刑は決定事項のようだ。

 

「武偵憲章2条、依頼人との約束は絶対守れ。俺とハウリアの取り交わした契約は、大樹の元までの案内をハウリアが行う、その報酬として俺はコイツらのそこまでの命を保証する。いいか?シアを含めたハウリアの命、そしてコイツらによる大樹までの案内。これが約束なんだ」

 

「……大樹に行きたいのなら案内は誰でもよかろう」

 

「お前は人の話をきちんと聞いていないな?武偵は交わした約束は反故にしない。それにな───」

 

俺は一旦言葉を切り、ユエを見る。ユエもいつもの無表情を少し崩し俺に微笑みを見せる。俺もそれに口角を上げることで応え、またアルフレリックに向かい合う。

 

「───それに、ここで面倒を避けてコイツらを見殺しにするなんざ、格好悪りぃじゃねぇか」

 

武偵憲章なんてただの心得だ。別に決まりでも法律でも何でもない。だからこそ俺は、この異世界で武偵憲章だけは守ろうと決めた。それはユエの前で格好付けたいというのもあるし、何より俺が胸を張ってリサの元へと帰るためだ。命の酷く軽いこの世界、武偵法の無いここでそんなものを遵守する気は無い。だからこその一線。ここで俺がハウリア達を見捨ててリサの元へと帰ったところで俺はアイツに2度と顔向け出来ないだろう。そのためにも俺はハウリアを守る。それだけだ。

 

「はぁ……。ならばハウリアはお前さんの奴隷ということにでもしておこう。フェアベルゲンの掟では、奴隷となったものは死んだこととみなす。深追いしても樹海の外では我らは魔法を使う人間族には太刀打ちできないからだ」

 

しばしの静寂の後、アルフレリックから告げられた言葉に他の長老衆は騒然とする。それは明らかに詭弁とでも言うべきものだったからだ。

 

「アルフレリック!それは!!」

 

「ゼル、分かっているだろう。彼の力の大きさも、絶対に引かないという意思も。なればハウリアを処刑しようとすることは我らの滅びを意味する。長老衆の1人として、そんな決断は下せん」

 

「だが!それでは我ら長老衆が力に屈したということになる!それこそ示しがつかん!!」

 

忌み子と呼ばれる者を隠した罪。既に下された決断を覆すという悪しき前例の成立、長老衆達の威厳の失墜。しかしそれに抗えば待つのは最悪の惨劇。様々な思惑が重なりこの場が騒然となる。

 

「……どっちの掟を選んだところで何かの掟に背く。ならお前らが守りたいものは何だ?手前らの格好か?それともフェアベルゲンやここの民か?」

 

俺の問いかけに押し黙る長老衆達。だがそれも一瞬のことで、すぐさま頭を突合せて何やら話し込む。そうし数分後、アルフレリックがこちらに向き、口を開く。

 

「……フェアベルゲンは忌み子、シア・ハウリアを筆頭にハウリア族を神代天人の奴隷と見なす。掟に従い奴隷となったものは死んだものと扱う。また、神代天人の今後一切のフェアベルゲンと周辺集落への侵入を認めず、また本日中にフェアベルゲンを出ることを命ずる。そして今後神代天人一行への手出しは完全な自己責任とする」

 

俺とユエ、そしてハウリア達はこの時を持ってフェアベルゲンからの永久追放となった。この美しい国をじっくり見て回れないのは残念だが仕方ない。態々自分でぶっ壊してしまうよりはマシだと思う他ない。

 

「懸命な判断だと思うよ。……ほら行くぞ?俺達は今すぐ出てけってよ」

 

惚けているシアやハウリア達に声を掛けると彼女らはいまだに現状を理解出来ていない様子。

 

「……祖国から死んだ者扱いされたんだ。もう少し死体らしい顔でもしたらどうだ?」

 

ぼうっとしたままのシアの頬をペチペチ叩くとようやく認識が追いついてきたらしい。え、だとかあの、だとか口を開きかける。面倒なのでシアの手を取って引っ張るようにして立たせると、そこまでしてようやくハッとした顔になった。

 

「あの、私達……死ななくていいんですか……?」

 

「話聞いてなかったのか?」

 

「いえ、あの、トントン拍子に進んでいって、何が何だか……。実感が湧かないと言いますか、信じられないと言いますか……」

 

「……素直に喜べば良い」

 

「ユエさん?」

 

「……天人に命を救われた。それが事実。受け入れて喜べばいい」

 

ユエの言葉にシアはこちらを上目遣いで見やる。俺はそれに応えるように肩を竦めて───

 

「それが約束だ」

 

とだけ答えた。するとシアが肩を震わせて俯く。涙を堪えているようだが今は感動している暇はない。何せ後ろから「早く出ていけ今すぐに」という視線が突き刺さっているのだ。

 

「ほら、さっさと行くぞ。一応お前らは死んだことになってんだから、死人らしく静かにな」

 

シアの肩を掴んで反転させる。そのまま背中を押して無理矢理歩き出させれば、他のハウリア達も惚けたまま着いてきた。すると───

 

「天人ざぁん!!ありがとうございまずぅ!!」

 

と、シアが泣きながら俺の腕に飛びついてきた。そのまま俺の肩にグリグリと顔を押し当ててくる。それを見たユエが不満そうに唸るが、シアに触発されて喜びを爆発させたハウリア達を見て、俺の空いてる右手を握るだけで落ち着いた。

 

背中から色んな感情が綯い交ぜになった視線を受け取りながら、俺はこの後の道程に思いを馳せるのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「で、お前らこれからどうするんだ?」

 

俺達はフェアベルゲンから追い出され、樹海の中の少し開けた広場に(たむろ)していた。そこで俺から吐き出された言葉にキョトン顔のハウリア達。それを見たユエが溜息を1つ。

 

「……10日後、案内が終わればお前たちは天人の庇護から外れる。その後は考えてるの?」

 

ユエの言葉にハッとするでもなくただ項垂れるハウリア達。結局のところ、延命こそ達成したもののこいつらを取り巻く状況はあまり変わっていないのだ。

 

「フェアベルゲンっていう拠り所を無くした以上は常に魔物や人間族共の脅威に晒される。誰も守ってくれない以上はこのままならお前らは一族郎党全滅だぞ」

 

戦う力の無いコイツらではこの森の魔物達から逃げながら生き延びることは難しいだろうし、外に出れば当然人間──というか帝国──に捕まるのは火を見るより明らかだ。

 

「……でも、どうすれば」

 

カムが呟く。だが答えは1つしかない。

 

「戦うしかない。戦えるようなるしかない。でなきゃせっかく拾った命、すぐに放り捨てる他なくなるぞ。……聞くが、お前らはそれでいいのか?」

 

俺はハウリア達を見渡す。ユエは肩を竦めるだけだが、言いたいことは分かる。甘いって?許してくれよ。

 

「……良いわけがない」

 

誰かが呟く。それをウサミミにしたシアも決然とした表情を浮かべる。

 

「そうです!良いわけがない!私達は戦わなくちゃいけないんです!」

 

「……ですが、私達は兎人族です。強靭な肉体も、誇れる武器技能も無い。どうやって……」

 

1人の兎人族が呟く。

 

「兎人族は戦えないって?……シアを見ていなかったのか?コイツは兎人族だが戦ったぞ。だから俺達がここにいる」

 

「ですがシアには───」

 

「魔力があり、未来が視えていたって?……はっ、魔力なんざあったって魔法が使えなきゃ意味が無い。未来が視れる?だからなんだ。足を踏み出したのはシアが戦う意志を持っていたからだ。コイツとお前らの違いはただ一つ。未来視によって自分の戦い方を知っていたに過ぎない。肉体(フィジカル)はお前らと同じように兎人族のそれなんだ。お前らにその意志があるのなら、戦い方は俺が教えてやる。武器も寄越そう。死にたくねぇなら、理不尽を叩き潰して生きる気概があるのなら、これを手に取れ!」

 

 

そう言って俺は宝物庫から大量の武器を放り出す。どれも俺が錬成の訓練で作成した刃物だ。素材はオルクス大迷宮の深層のそれ。強度はそこら辺の刀鍛冶の作ったそれを軽く凌駕するだろう。

 

「やります!私に戦い方を教えてください!」

 

手近にあった寸詰まりのポン刀を拾ったのはシアだ。それを見たハウリア達も続々と武器を手に取る。温厚で平和的。戦いを嫌う兎人族のハウリア達だったが、遂にこの時、自分たちの殻を破る決意をしたのだ。そしてカムが1歩前に、俺の前へ出てくる。

 

「天人殿、宜しくお願いします」

 

「あぁ。だが10日しかない。厳しくいくからな」

 

 

 

───────────────

 

 

 

魔力のあるシアだけがユエと1対1の指導を受けている間、俺は他のハウリア達を受け持っていた。

まずコイツらに必要なのは戦う度胸。とにかく敵を傷付けることにある程度慣れなければならない。だが……

 

「あぁ!罪深い私を許してぇ!」

 

だとか───

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい───」

 

だのと一々魔物を倒す度に寸劇が繰り広げられている。向こうから反撃を食らっても同じ。三文芝居が喧しい。

 

「……いい加減にしろ」

 

ダンッ!

 

と俺は上に向けて拳銃を放つ。その音に驚いたハウリア達は一斉にこちらを見る。

 

「お前ら魔物くらい黙って倒せねぇのか!!一々一々三文芝居がうるせぇんだよ!!」

 

と俺が遂に叫べばでもだのだってだの、魔物でも可哀想だのと言い張る。コイツら……。

 

俺がなおも言い募ろうとするとハウリアの少年がこちらに歩いて来る。だが途中で一瞬足を引っ込め、後ろに飛び退く。

 

「……あ?何してんの?」

 

「あ、うん。このお花さんを踏みそうになって。こんなに綺麗に咲いているのに、潰しちゃったら可哀想だもんね」

 

「……お花、さん……?」

 

思わず頬がピクついた。

 

「うん、天人兄ちゃん。ここら辺はお花さんが多くて訓練中も踏みそうになって大変なんだ」

 

と、ニコニコ顔で少年が驚愕の真実を話す。やたら魔物との戦闘中に不自然な動きが多いと思っていたのだが……。

 

「まさか、戦闘中に不自然に飛び退いたりさてたのはそのお花さんが原因か?」

 

「まさかぁ。お花さんだけじゃなくて虫さんも気を付けてるよ」

 

とのこと……。しかもこの場の全員がそうだと言うのだから遂に俺の堪忍袋の緒がブチ切れた。

 

「あぁ!?天人兄ちゃん!なんてことするの!?」

 

なので俺は先程パルというハウリアの少年が避けたお花さんを踏み躙る。

 

「お花さぁぁぁぁん!?」

 

俺が足を上げた後に現れた潰されたお花さんを見てパル少年が悲痛な叫び声を上げる。それを無視して俺は宝物庫から拳銃を取り出す。その弾倉に入っている弾を確認してから、パルに駆け寄ってきたカムに向けて引き金を引く。

 

ダンッ!

 

と音が響きカムが後ろに倒れる。白目を向いて気絶するがその腹に向けてもう1発放つ。

この弾倉に入っているのは魔物の皮で弾丸を作り、炸薬量を調整した非殺傷のゴム弾だ。本来は街中で絡まれた時の為に作ったのだが、まさかこんな風に使うとはな……。

 

ゴフウッと叩き起されたカムにハウリア達が駆け寄る。そして、「なんで!?」みたいな顔で見てくるハウリア達に───

 

ダンッ!

 

と俺は真上に掲げた拳銃による威嚇射撃で返答。

再び弾倉を入れ替えたので数瞬後にはチリン……と鈴の音のような音が静まりかえったハルツィナ樹海に響く。

 

「……次お花"さん"だの虫"さん"だのに意識を取られて変な動きをするようなら実弾でお前らを撃つ。……分かったらさっさと魔物を狩ってこいこのカス共が!!」

 

ダンッ!ダンッ!ダンッ!───

 

俺はハウリアの足元へ目掛けて銃を乱射。ハウリア達は蜘蛛の子を散らすように各々の訓練に戻っていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

10日後、切り株に腰掛けていると向こうからユエとシアが並んでこちらに歩いて来るのが見えた。何やら纏う雰囲気が正反対なのが気になるが取り敢えず手を挙げて声を掛ける。

 

「よぅ。勝負とやらは終わったのか?」

 

どうにも彼女らはこの10日間で勝負なるものをしていたようだ。何がどうしてそうなったのかは知らないが、雰囲気からしてユエが負けたのだろうか。確かにシアが今引き摺っている戦鎚を用意したのは俺だ。だがまさか武器1つでシアがユエを凌駕するとは思わなかった。

 

「天人さん!天人さん!私、やりましたよ!!遂にユエさんに大勝利しました!!いやぁ、天人さんにも見せたかったですねぇ。私の華麗な戦いぶり!!ふっ、負けたと分かった時のユエさんの悔し───ぶべらっ!?」

 

身振り手振り交えて大騒ぎのシアの頬にユエのジャンピングビンタが炸裂した。随分な威力で叩き込まれたらしく、錐揉み回転しながら地面に頭からめり込んだシア。それを見てユエは不機嫌そうに鼻を1つ鳴らしてそっぽを向く。

 

「……んで、どうだった?」

 

むしろデカいトンカチ1つでどうやったらユエに勝てるのか。確かにシアに武器をやったのは俺だが、だからこそ知っている。あれには特にギミックなどは仕込んでいないのだ。それで魔法の使えないシアがどのようにしてユエに勝ったというのだろう。

 

「……魔法の才能は天人と同じくらい」

 

やはり、シアには魔法は無い。

 

「けど、それだけじゃあないんだろ?」

 

俺が渡した戦鎚の大きさはシアが希望したものだ。そしてその大きさに俺は驚いたのだった。

 

「……ん。身体強化に特化してる。正直、化物レベル」

 

「……具体的には?」

 

「……天人の6割くらい」

 

「なるほど……。全力でか?」

 

「……ん。けど訓練すればもっと上がるかも」

 

「なるほどねぇ……」

 

今もユエに打たれた所を抑えながらメソメソと泣きべそをかいている姿からは想像もできないレベルだ。その数値なら奈落の魔物すら圧殺する膂力を誇っていることになるわけだ。確かにユエに土をつけることも可能かもしれない。

すると、俺がシアを眺めていたことに気付いたのか、シアがいそいそと立ち上がり、何かを決意した瞳をしながらこちらへ向かってくる。そして目線を合わせ、その胸に秘めた想いを口にする───

 

「天人さん、私をあなた達の旅に連れて行ってください!お願いします!」

 

「嫌だ」

 

「即答!?」

 

いやそんな驚かれても……。しかもその話、前にも断ったろ……。

 

「酷いですよ天人さん……。こんなに必死に頼み込んでるのに……」

 

「いやいや、その話は前にも拒否ったろ。だいたい、カム達はどうするんだ?まさかカム達も連れてけって言うんじゃないだろうな?」

 

「違いますよ。これは私だけの話です。父様達にはこの修行が始まる前に話しました。……私自身が本当に着いて行きたいのなら良いって」

 

「……なんでそんなに俺達に着いて来たがる?今のお前ならもう迷惑にはならないだろう?」

 

前のシアは家族の迷惑になりたくないという気持ちがあって俺達に同行したがった。だが今は違う。フェアベルゲンとは決別したが、おかげで奴らからは追われることも無くなった。その上今のシアの力ならこの辺の魔物に遅れを取る事も無い。帝国兵だって樹海の奥までは来れないだろうし、来ても殲滅できるだけの力がある。

つまり、もうシアには俺達に着いてくる理由が薄いのだ。

 

「ですからぁ……それは、そのぉ……」

 

俺が問い詰めるとシアは急にモジモジし始めた。まるで、本当の理由を話すことが恥ずかしいみたいに……。だが意を決したように俺を見上げる。その頬は赤く染まっていた。

 

「天人さんの傍に居たいからです!しゅきなのでぇ!!」

 

「は?」

 

……何となく、察せていなかったわけではない。フェアベルゲンから俺達と一緒に追放された時、シアの瞳に熱が灯っていたようにも見えたし、その後も何となく態度がこれまでと違っていた。俺はキンジや一夏みたいな鈍感朴念仁野郎ではない……と思う。だけども、だ。俺には今ユエがいる。それはシアも承知している筈だし、コイツがミリム程ゴリ押ししてくる性格だとも思っていなかった。だからその理由で着いてくるなんてことは無いと思っていたのだ。故に、俺は今物凄く驚いている。おかげで間の抜けた返事しか出てこなかった。

 

「……シア、俺にはな───」

 

「リサさん、ですよね?」

 

……話したのはユエ、か。俺はシアから出てきた名前に思わずユエを見るが、ユエは珍しく目を逸らすだけ。リサのことは、誰かに話すなとは言っていない。隠すことでもないしな。だからユエが目を逸らしたのは勝手にリサのことを話したこと以外に何か後ろめたいことがあるのだろう。例えば、ユエとしてはリサの名前を出してライバルを減らそうとしたとか。

 

「……そうだ。それに今はユエもいる。正直、俺ぁ自分が誠実な人間だとは思えない。元の世界に女1人で残して、手前は異世界で他に女作ってって。……自分で言っててよくユエも一緒にいてくれるな……」

 

こんな俺を好きになっても、気持ちに応えてやれるのか、そもそも応えて良いのかすらよく分かっていない人間なんだぞ。そんな奴に今好きだからと、危険しかないような旅路に着いてこようとして良いのか?そもそも連れて行って良いのか?

 

「……前にも言った。私の居場所は天人の傍だけ。天人に他に好きな人がいても関係無い」

 

「いや、ユエのことはちゃんと好きだよ。けどさ、それでも俺は今でもリサが好きで、そんな奴なんだぞ?シアも、そりゃあ劇的だったかもしれないけどよく考えてくれ」

 

「……はぁ。天人さんって、意外とこういうのは臆病なんですねぇ。私もユエさんと同じです。私の居場所は天人さんのお側だけ。それに、リサさんがどれだけ魅力的な方でも、ユエさんがいたとしても、絶対に私のことを好きにさせてみせます!」

 

「……ユエ、お前からも何か言ってやってくれ」

 

堂々のライバル宣言。もう俺は誠実さなんて欠片も無い以上はユエがいるから、という理由は使えないし多分他の理由も何を言っても押し切られる。だからこそもう"ユエが駄目って言ったから"しか残されていないのだが───

 

「……」

 

プイ、とユエが顔を逸らす。そして───

 

「………………………………………………………………連れて行こう」

 

「いやいやいやいや!?待て待て待てなんだその間は!滅茶苦茶嫌そうじゃねぇか───はっ!?まさか勝負の賭けって……」

 

 

「……無念」

 

なるほど、つまり俺は最初から詰んでいたというわけだ。リサの話を出された時点で俺には誠実さという武器が無くなり、シアの家族の事情という理由も俺が自ら消してしまった。そして最後の頼みのユエもシアに陥落させられた。つまり俺はもうシアを断る理由が無くて……。

 

「……私を連れて行ってください」

 

項垂れる俺にシアがもう一度、強い意志の篭った瞳で向かい合ってくる。それに俺は───

 

「分かったよ、俺の負けだ。……好きにしろ」

 

敗北宣言をする他ないのであった……。

 

 

 



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ブルックでの夜

 

 

「貸し1つ。それと、お前らの醜聞もキチンと伝えておけよ?亜人族最強のはずの熊さんが最弱のはずの兎ちゃんに負けたってな」

 

シアとユエが戻ってきてから少しすると、今度は最後の試験として小グループで一体ずつ魔物を狩ってこいと命じておいたカム達が戻ってきたのだ。まぁその、戦うことなぞ知らないへっぴり腰達だったので割と手荒に戦える精神性を身に付けさせようとしたらやり過ぎてヤバめの集団になってしまったのだが……。

 

そしてその軍人もかくやという兎人族達が見つけてきたのが大樹の元へと進む熊人族達。どうやら俺達の目的地へと先回りして俺達の目的を潰そうという腹らしかった。で、カム達が奴らを潰してくると言うのでフェアベルゲンが今後変な気を起こしてハウリア達を再び襲撃することがないように、見せしめの為に許可したのだ。

 

だが俺も武偵校では戦姉妹(アミカ)を持っていたがそいつは元々戦える奴。つまり俺は戦闘技術を教えることは出来ても1から戦闘者を育てることは初めてだったのだ。なので取り敢えず武偵高、特に強襲科での訓練を参考にしたのだがこれが不味かった。

 

この世界で見敵必殺くらいはまだ良かったのだが、急に強い力を手に入れてしまったものだから精神的に暴走。熊共を必要以上に弄び苦痛を与えるような戦い方をしていたのだ。

 

で、その現場にシアと到着。熊のボスにトドメを刺そうとするハウリアの一斉攻撃をシアがその膂力と戦鎚で薙ぎ払い、言葉による説得でカム達の驕りを正したのだ。

 

そして俺はどさくさに紛れて逃げようとした熊をとっ捕まえてフェアベルゲンへと釘を刺したのだった。

 

「で、どうする?態々邪魔しに来たんだ。ここでぶっ飛ばしてもいい訳だが?」

 

「わ、分かった!全部伝える!」

 

「是非そうしてくれ。勿論、後で惚けでもしたら……」

 

分かってるよな?と固有魔法の1つでたる威圧を使い心に刻み込む。

さて、とほうほうの体でフェアベルゲンへ帰っていく熊共を後目に俺はカム達へ向き合う。

 

「まぁ、今回は俺が戦うことしか教えなかったからだ。けどな、さっきシアも言ってたろ。弱い奴をあんな風に追い詰めていくのはお前らを奴隷としてしか見てない帝国兵と同じだ。強くなってはしゃぎたくなるのは分からんでもないがな……」

 

「ボス……」

 

カム達が落ち込み気味に呟く。

ボス呼びは止めろと何度言っても聞かないのでもう放置することにしている。

 

「武偵憲章3条、強くあれ、その前に正しくあれ。……何が正しいのかなんてのは俺もよく分からんけどな。まぁでも、その力は何のために求めたのか。それを考えれば多少は身の振り方も見えてくるんじゃねぇの?」

 

はい、この話はここでお終い。と、らしくもないお説教をかましたせいでしんみりした空気になってしまった。なので俺は手を叩いて空気を変える。

 

「ほら、今日が霧の薄くなる日なんだろ?さっさと行こうぜ」

 

しっしっ、と追い出すようにしてハウリア達を歩かせる。そうすればやっとハウリア達も歩き出し、俺達もそれに先導されながら大樹を目指すのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……なんじゃこりゃあ」

 

15分くらいだろうか。亜人族であるハウリアの先導のおかげて迷うことなく大樹まで辿り着いた俺達。だが直径で50メートルはあろうかという威容の木は、その枝葉を枯れさせていたのだった。

 

「大樹はフェアベルゲン建国前からここに在ったそうです。ですがその時から既に枯れていたとか。しかし枯れていても朽ちることはない。この霧と相まって神聖視され観光名所のような扱いになっています」

 

俺はカムの説明を聞きながら根元をペチペチ叩いたりするが当然変化は無い。フェアベルゲンに伝わる口伝も聞いてはいたが入り方に関しては特に聞かされていなかった。これは謀られたかな、と思っているとユエが俺の袖を引く。

 

「……これ、オルクスの扉の」

 

「あぁ……同じだな」

 

ユエの指さす所を見やれば大樹の根元には石碑が立てられており、そこにはオスカー・オルクスの部屋の扉に刻まれていた物と同じ文様が刻まれていた。七角形とその頂点に同じ文様。つまり、ここがハルツィナ樹海に隠された大迷宮というわけだ。しかしどうしたって入口が見当たらない。しかし、ユエは何かを見つけたようでこちらに手招きしてくる。

 

「……天人、これ見て」

 

「んー?これは……」

 

石碑の裏側、そこには表側の紋様に対応するかのように窪みがある。しかもその窪みにもご丁寧に文様が刻まれていた。大きさもちょうど良さそうだしと試しに俺はその窪みにオスカー・オルクスの指輪を嵌めてみる。すると、石碑が淡く輝きだした。しかしそれも束の間。光はやがて収まり代わりに何やら文字が浮かび上がる。言語理解がもたらすのはリスニング(聞き取り)能力とスピーキング(話す)能力だけではない。リーディング(読み取る)能力までも俺に与えていたのだった。

 

───4つの証

 

───再生の力

 

───紡がれた絆の道標

 

───その全てを持つ物に新たな試練の道は開かれるだろう

 

「……あんだこれ。暗号か……?」

 

そういうのは苦手なので止めてほしいのだが……。

 

「4つ証は、多分他の迷宮の証?」

 

「……他は?」

 

「紡がれた絆の道標は私、というか亜人族のことじゃないですかね?亜人族は基本樹海から出ませんし、ここまで案内してくれる亜人族がいる人は珍しいですから」

 

確かに、実際に関わってみて分かったが、亜人族はかなり排他的な種族のようだった。同じ亜人族同士ならともかく、人間族や恐らく魔人族にも良い思いは持っていないだろうから、仕方ない面もあると思うが。

 

「……再生は、私?」

 

と、ユエは自分の指先を軽く切り出血させる。そして自動再生の固有魔法を発動させながら大樹に触れる、が───

 

「何も起きないな……」

 

「……ん。もしかしたら再生に関わる神代魔法を手に入れるのかも」

 

「はぁ、どっちにしろここは後回しってことか」

 

完全に無駄足を踏んだ、という訳でもないか。あそこでシアを助けなければハウリア達による案内は得られず、紡がれ絆とやらは示せなかったのだから。

 

「そういうことだ」

 

と、俺は振り返り後ろに控えていたカム達と向かい合う。

 

「大樹への案内ありがとう。確かにここが俺達が目指していた大迷宮だということも分かった。けど俺達はまだ挑戦権を得られてないみたいでな。まぁそのうち戻ってくるけど、今はここでお別れだ。……シア」

 

俺達に着いてくると言うならここでカム達とはお別れだ。最後の挨拶を済ませておけとシアを前に出すが……。

 

「とうさ「ボス!お話があります!」ま……?」

 

愛娘の挨拶をぶった切ってカムが割り込んできた。え……怖……何……?

 

「ボス!我々もボスのお供に連れて行ってください」

 

父様父様と呼びかけるシアを完全に無視して話を続けるカム。可哀想だが一先ずシアは置いておこう。今はこっちの方が面倒臭そうだ。

 

何か知らんが俺の特訓のせいで変な自信と俺への従属感を付けちゃったらしいハウリア達は、シアがいない間に一族の意見を纏めて俺達に着いてくることにしたらしい。あとシアが羨ましいとか。けどまぁ……

 

「断る」

 

「何故です!?」

 

答えは決まっている。そして理由は簡単───

 

「足でまといだからだよ」

 

これから人間族の街にも行くだろうにウサミミ40人以上とか無駄に目立ち過ぎるし大迷宮攻略の戦力としてはまだまだハウリアじゃ不安だ。シアならいざ知らず、こいつらレベルじゃまだ無理だろう。

 

「しかしっ!」

 

「しつけーよ。お前らじゃ大迷宮攻略の邪魔だ。だからまぁ……精々大樹でも守ってろ」

 

「……っ!?ボスっ!それは───」

 

「手前らが使えると言うならそれくらいはやって見せろよ?」

 

「Sir!Yes!Sir!」

 

お前ら軍人かよと思うくらいに揃えられた見事な敬礼。てか英語教えたっけ?

 

シアはもうそれを見ても俺を白い目で見たりはしない。というか、既にこっちを見てもおらず、ひたすらいじけて地面にのの字を書いている。あぁうん、悪かったって、ほら行くぞ。と、シアを引っ張り上げキッチリ決まった敬礼と特大の掛け声が木霊する中、俺達はハルツィナ樹海を抜けていった。だから止めろって……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

私、不満ですぅ!と言わんばかりにプリプリとした態度を振り撒くシアさん。ハルツィナ樹海を抜け、一旦食い物やら何やらの補給へと立ち寄った町ブルックの、その楽しげな喧騒とは真逆の雰囲気にユエも胡乱げな目線を向ける。まぁ、シアの気持ちも分からんでもないけどな……。

 

何せこの町に入る前の門で俺がシアに渡したのは無骨な首輪。しかも物理的には簡単には外れない仕組みになっていて、兎人族であること、シアが女であることも併せ、それらが余計に彼女を"奴隷"だと周囲に認識させている。ていうか直接そうとは言わなくともそう思わせるようにさせたのだから。

 

「天人さん酷いですぅ!私は皆さんの仲間じゃなかったんですか!?」

 

「……俺だってくだらないとは思うけどな。けどしょうがないだろう。お前みたいに見栄えの良い兎人族は、そうでもしないと余計なトラブルに巻き込まれるの確定なんだから」

 

亜人族は奴隷にしてもいいなんて決まり、くだらないにも程があるとは俺も思う。だがそれがこの世界の常識である以上、いくら俺達がそれの埒外に存在する奴らであろうと無用な騒ぎを起こしたくないのなら従うしかない。

ただ一応奴隷にも決まりはあるようで、他人の奴隷には基本的に手出し無用。欲しいならキチンと交渉しなさいということらしい。もっとも、ここトータスは俺の世界よりも更に"力ずく"が横行する世界でもあるのだが……。

 

「……えへへぇ、ユエさんユエさん、聞きました?天人さんったら、私のこと、世界一可愛くてスタイルが良いだっデンベルグッ───!?」

 

「……調子に乗っちゃダメ」

 

クネクネと気持ち悪い動きをしだしたシアにユエの黄金色の右ストレートが炸裂した。それをモロに受けたシアは謎の奇声を発しながら地面に叩きつけられる。周りの目線がその奇行に吸い寄せられるが誰もが皆、シアの首元を見て目線を逸らす。それを見て──自分で叩きのめしたわけだが──ユエがシアに手を差し伸べる。

 

「……有象無象の評価なんて気にしちゃダメ」

 

「ユエさん……」

 

「……大切な事は大切な人が知ってくれていればいい。違う?」

 

「……そう、ですね。そうですよね!」

 

「……ん。シアは不本意ながら私が認めた相手。小さいことなんて気にしちゃダメ」

 

「ユエさん……。えへへ、ありがとうございます」

 

なんやかんやで仲の良い2人を見ていると、俺も"これくらい"なら、と思わないではないわけで……。

 

「……シア」

 

「何ですか?」

 

「アゴ上げろ」

 

つい、とシアのアゴを指で持ち上げる。途端に顔を赤く染めるシアだが残念ながらそういう意図ではない。俺は宝物庫から適当な鉱石を少量取り出してシアの首輪に錬成していく。

俺にはあんまりデザインのセンスとかがないからありふれた十字架のモチーフしか作れないけど、何も無いただの奴隷の印です!よりはマシだろうと付けてやった。

 

「これ……」

 

「何も無いよりはマシかなって」

 

「天人さん……」

 

ほわわぁっていうような音が聞こえてきそうな程に幸せそうなシアの表情。大したもんでもないのに、それほどまでに喜んでくれるならこっちとしても嬉しいけどな。まぁ、こういうことしてるからユエからとんでもなく冷たい目で見られるんだろうな……というのは俺でも想像が付く。

 

「……はぁ」

 

というユエの溜息は頭を撫でてやってお相子にしてもらう。俺達はそのまま門番に教えてもらったブルックのギルドへと足を向ける。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「冒険者ギルド、ブルック支部へようこそ。両手に花なのにまだ何かお求めかい?」

 

思っていたより清潔なギルドの奥、そこにあった受付にいたのはユエ2人分はありそうな横幅をした人好きのしそうな笑みを浮かべたおばちゃんだった。そして何故か初手で煽られる。あとユエさんシアさんは「私達お花でーす」みたいな雰囲気で俺の両腕に抱き着くのは止めましょうね?周りの男連中の殺意がマッハで背中に突き刺さってるので。

 

「……素材の買取を」

 

「はいよ。ステータスプレートを見せてね」

 

「はい」

 

すると、俺のステータスプレートを見たおばちゃんが怪訝な顔をする。ステータスは隠匿しているから問題ないはずだが……。

 

「おや、あんた冒険者じゃなかったのかい?」

 

「冒険者だと何かあるんすか?」

 

「冒険者登録しておけば買取額が1割増になるんだよ。それに高ランクの冒険者なら色々特典も受けられるからね。……どうする?登録するかい?登録には1000ルタ掛かるけど」

 

ルタ、このトータス世界における貨幣単位だ。感覚的には1ルタが1円程度だろう。分かりやすくて助かる。でも向こうに帰っても両替できないんだよね。残念。

 

「あぁ……そういや今文無しなんだよな。……買取額はそのままで良いからそっから差っ引いてくれません?」

 

「そんな綺麗どころ連れて何やってんだい。冒険者価格で査定してやるから不便させんじゃあないよ?」

 

何このおばちゃん格好良い。そして初対面のおばちゃんにこんな風に怒られてる俺は多分相当に格好悪い。

 

「ありがとうございます……」

 

もうこうなると俺も項垂れるしかなくなる。

それを見ておばちゃんはケタケタ笑い、ユエとシアもクスクスと笑みを零す。

おばちゃんにはユエとシアも登録するか聞かれたが断っておいた。2人はステータスプレートを持っていないし、発行するにしてもコイツらの技能欄が異様なことになっているだろうことは想像に難くない。隠匿が間に合わないうちにはそれは控えた方が良いだろう。少なくともまだ、この2人の存在を公にする時ではない。

 

で、俺に渡されたステータスプレートには職業:冒険者が追記された。ちなみにランクは青と最低ランク。天職持ちであっても非戦闘系天職での最高ランクは黒、上から3番目だ。最高は金ランクらしいがこれは戦闘系の天職持ちに限られるらしい。結果を出しゃ問題無いだろとも思うが、そもそも非戦闘系天職の戦闘力はそう高くはなれない。それが無茶をして命を散らさないようにでもしているのだろう。

 

「男なら頑張って黒を目指しなよ」

 

と、おばちゃんに肩を叩かれる。ま、ランクなんぞ何でもいいけどコイツらには格好悪いところ見せたくないからな。

 

「そうします。……で、買取はここでいいんだっけ?」

 

「あぁ。あたしは査定資格も持ってるからね。見せてみな」

 

このおばちゃんはそこらの青ランクの冒険者なんぞよりも有能なのではなかろうか。そう思いつつ事前に袋に移しておいた樹海の魔物から剥ぎ取った皮や爪、牙に魔石をゴロゴロと買取専用のカゴに入れていく。宝物庫なんて見せたら大変な騒ぎになるからな。そして、袋から転がり出たそれらを見たおばちゃんは目を丸くした。

 

「これは……樹海の魔物だね」

 

あぁ、と俺が頷くとおばちゃんはシアの方を見る。樹海に行って魔物をこれだけ狩って帰って来れるのは亜人族を連れていなければ不可能に近い。だが樹海以外にいる亜人族はその大概が奴隷だ。シアもそうなのかとその目は勘繰るがそれにしては綺麗な身なりをしているシアを見て不思議そうな顔をしている。

 

「長いこと一緒にいるんだから、仲良い方が良いだろ?」

 

と、小声で伝えれば直ぐにおばちゃんも納得顔になる。まぁ、そもそも奴隷じゃないけど、そこはこの世界の常識とやらに合わさせてもらう。

 

結局、査定自体は滞りなく終わり、全部で48万7千ルタ。結構な額になったし、しばらくは食う寝るには困らないだろう。服も、シアの分はサイズが無いから買い足さなくてはならなかったがこれだけあれば充分以上だろう。どうせこっちにゃ防弾繊維の服とか無いし。

 

「……そう言えば、門のところで聞いたんだけど───」

 

と、ここでこの町の地図が貰えると聞いたと伝えれば渡されたのはもはやガイドブックに等しい代物。これお金取れるだろ……と思ったがおばちゃん、書士の天職を持っているらしく、趣味の延長線上なのだとか。それにしても宿屋や店の情報まである程度記されており、こんなのタダで良いの?むしろ怖いんだけど……とビビってしまう。ていうかなんでこの人こんな田舎町でギルドの受付とかやってんだろ?

 

「……なるほど。助かるよ」

 

だがまぁ、ここは色々飲み込んでお礼を言ってお暇する。俺達が出た後に残されたおばちゃんの呟きは俺達の耳には届かなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「いらっしゃいませ!マサカの宿へ!本日はお泊まりですか?お食事だけですか?」

 

ブルックのギルドで貰った地図を頼りに見つけた宿はマサカの宿。何がどうマサカなのかは知らないが、できることなら落ち着いて泊まりたいところだ。

 

「1泊食事付き。風呂は……どの時間が空いてる?」

 

対応に出てきたのはここの宿屋のバイトだろうか。元気が良くハキハキと対応してくれている。

 

「お風呂は……この時間が空いています。15分100ルタですが、いかが致しますか?」

 

「じゃあ2時間で」

 

男女で分けたとしても1時間くらいは欲しかったので2時間と伝えたが、どうにもこのトータス世界、普通は風呂はあまり長いこと入らないようだ。宿屋の看板娘?みたいな奴は随分と驚いた顔をした。

 

「2時間ですか!?……あぁいえ、了解しました。えと、お部屋は2人部屋と3人部屋がありますけどどうしますか?」

 

チラチラと、俺とユエとシアを見比べる女の子。どうしたものかと思ったがとりあえず───

 

「2人部───」

 

「3人部屋で」

 

聞き耳を立てていたらしいロビーの客がザワつく。俺が2人部屋を2つ取ろうとしたらユエが3人部屋と割り込んできたのだ。何故……。

 

「……シアには、知っておかなきゃいけないことがある」

 

「私ですか?」

 

「……何かあったか?」

 

俺もシアも心当たりが無い。俺の出自も、旅の目的もリサのことも俺は話したはずだから、特に隠していることも無いと思うんだが……。

 

「……天人は知らなくていい」

 

えぇ……。じゃあ俺1人で部屋借りて良くない?そう言ったらそれはそれで駄目らしい。なるほど分からん。

 

「……えと」

 

「……3人部屋で」

 

「了解しましたー」

 

俺は諦めてユエに従う。マサカの宿の受付の女の子の声には少しの畏れが含まれているように聞こえた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……なんだその目は」

 

「えぇ?何がですかー?」

 

「そのやたらと生易しい目の理由を聞いているんだ」

 

朝起きたらシアがやたらと生易しい目をしてこちらを見ている。睨んで返したら休んでていいんですよーとか言って頭を撫でられた。全くもって意味が分からん。いや、そう言えば前にもこんなことがあったな……。

 

「……ユエ」

 

「……シア、買い物に行こう。天人、宝物庫貸して」

 

言うが早いかユエは俺から宝物庫を奪っていく。

だが俺もタダで持っていかれるわけにはいかない。宝物庫を強奪したユエの腕を掴み、捕らえる。

 

「待て待て待て」

 

「……シア」

 

「あいあいさぁですぅ」

 

だがユエのご命令に従ってシアがユエを捕らえている俺の指を力ずくで開かせようとする。それも全力の身体強化まで使って……。君達、案外仲良いね……。そしてシアに羽交い締めにされた挙句ユエと2人がかりで頭を撫でられる。……何故?

 

「……天人さん」

 

「……何?」

 

「寂しかったり、甘えたかったらいつでも私達に甘えていいんですかね?私達はいつでも準備万端ですぅ」

 

「……訳が分からん」

 

俺の呟きは風のように町中へと姿を消したユエ達が残した、部屋の扉を閉める音によって掻き消された。1人宿屋に残された俺は、ただ黙々と自分の作業に移るのだった……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「リサ……」

 

ブルックのとある宿屋の一室。夜の帳も降りた深夜に漏れた声は眼帯を着けた、少年と青年の中間のような顔立ちをした男のものだった。その声が呼ぶのは愛おしき女の名前。だがその名前の人物はここにはいない。それが彼の心を常にざわつかせていたのだ。

 

そしてそれを、これもまた愛おしげに見つめるのは2人の美しい少女。1人は輝く月のような金髪を湛え、幼さを残しながらも精巧に作られたビスクドールのような美貌を持つ女。もう1人は青みがかった白髪にウサミミを携えた女。老若男女問わず世の人間の目を惹き付ける2人が愛する男の見るその夢の中に、彼女達が登場することは少ない。代わりにいつも彼の夢を占めているのが"リサ"という女だった。

 

「……これが、ユエさんが言っていた」

 

「……そう。大迷宮の中での野営の時とかは、寝ていても張り詰めてるからか、こうなることは無いけど、今日みたいに安全な場所で寝る時はいつもこう。天人が呼ぶのは自分の生まれた世界で愛していた女……ううん、天人は今も何よりもこの"リサ"を愛してる」

 

「敵は強大ですね」

 

「……ん。でも天人は私のことも愛してるって言ってくれた。向こうに帰ってもリサの説得をしてくれるって」

 

「むむむ、私はまだ天人さんにそんな風に言われたことないですぅ……」

 

「……本当に私達と一緒にいたいならシアも天人に愛されないと駄目」

 

「みたいですねぇ。……でも天人さん、案外寂しがり屋なんですねぇ」

 

「……そう。それに甘えん坊」

 

「でも普段はそれを出そうとしないんですよね」

 

「……ん、でも天人は自分に甘えてくれて甘えさせてもくれる人が好き。可愛いでしょ?」

 

「はい、とっても」

 

シアのその言葉を聞いているのかいないのか、ユエは返事もせずそのまま天人の左目の瞼に溜まった滴をすくい取り、愛おしい男の瞼へとキスを落とす。それを見たシアは自分もと天人の顔へと迫るがそれはユエによって阻止される。自分の顔を押し退けるユエの、自分と比べてもまだ小さな手を外しながらシアは不満を露わにする。

 

「……なんでですかぁ」

 

「……シアにはまだ早い」

 

それに、とユエは続ける。

 

「……私達はもっと強くならないといけない」

 

「……はい、それは分かってます。狂った神とかそういう問題ではないですよね。私達は───」

 

──天人さんの心を守るためにも強くならなければ──

 

シアが零した言葉にユエも頷く。

 

「……帝国兵とぶつかった時、天人は容赦無く殺したように思えるけど」

 

「はい。天人さん、本当はあんまり人を殺すの得意じゃないですよね」

 

うん、とユエはまた1つ頷く。

 

「……天人は本当は誰も殺したくない。全部慣れたって言って飲み込んではいるけど、ただの強がり」

 

「基本的に良い格好しぃなんですよね」

 

「……残念ウサギのくせによく見てる」

 

「もう……。だって、私はお2人のこと大好きですから……」

 

「……ん、きっと、天人は殺さなければ自分や大切な誰かが殺されるっていうことが何度もあった。そしてその度に相手を殺してきた」

 

「その経験が、"自分は必要なら容赦無く誰かを殺せる人間だ"っていう自分像を作ってるんですよね」

 

「……ん、けれどそれは天人の望みでもある。なのに"自分はこういう人間である、こうありたい"という天人の願いと、本当の天人が乖離している」

 

「いつもはその歪みとか痛みをリサさんが癒していたんでしょうけど……」

 

「……ん、ここにリサはいない。そもそも、私達が天人に願ってしまったから……」

 

「……私はあの時、天人さんに願ってはいけなかったんでしょうか」

 

「……それは違う。天人の願いは"敵ならば情け容赦無く殺せる人間"であること。だから天人はシアの前でそう在れて良かったと思っているはず」

 

ユエのその言葉にシアは優しく微笑み、男の黒髪を優しく梳いた。

 

「あぁ、本当に難儀な性格してますよね、天人さんって」

 

敵を殺せる人間になりたくて、その力も充分に持っていて、でも誰かを殺すことは嫌いで。矛盾と葛藤ばかりを抱えている。なんて、なんて───

 

「───愛おしい」

 

ユエの唇から零れた言葉は、別に自分に向けられた言葉でないと分かっていながらもシアの頬を赤く染めるだけの破壊力があった。

 

「……はふぅ。本当に、可愛らしくて愛おしくて……。大好きですよ、天人さん」

 

「……ん、だから私達が強くならなきゃいけない」

 

「えぇ。天人さんにばかり戦わせては駄目です。天人さんを守れるくらいに強くなりましょう。それで目一杯甘えさせてあげましょうね」

 

「……ん」

 

それはシアへの返答か、それともただ愛する男の唇に自分のそれを触れさせた時に漏れた吐息か。

ユエはただ天人の唇にキスを落とすとそのまま天人の右手側の布団に潜り込む。シアも天人の左腕に自分の腕を絡ませながら同じく布団へ潜り込む。少しすればユエの静かな寝息が聞こえてくる。その夜、シアが自分の唇を天人に触れさせたかどうかは、本人しか知らないことであったが、この後この夜、2人の美しい女が愛する男の吐息に他の女の名前が混ざることは無かった。

 



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ライセン大迷宮

 

 

「殺ルですよぉ……絶対住処を見つけて滅茶苦茶に荒らして殺ルですよぉ……」

 

ライセン大迷宮。シアのたまたまファインプレーが炸裂しライセン大渓谷に隠されていたそれを発見、攻略を開始したは良いのだが、初手で罠に嵌められ、その後も性格の悪い物理的なトラップの数々が俺達を襲ってくる。しかもその度にミレディ・ライセンと思わしき人物からの置き手紙よろしく壁に掘られたウザさ爆発のメッセージが視界に入るのだ。そしてそれを1番受け取っているのがシアだった。

 

おかげで目が座っているし口調もおかしなことになっている。完全にマズイ方向にブチ切れてしまったシアなのだがこのライセン大迷宮、外の大渓谷よりも更に強い魔力の分解作用が働いており、ユエは上級魔法以上は完全に封じられ、中級であっても凄まじい魔力の消費と短い射程を強いられていて機能不全。

 

俺も体外に魔力を出す系統の技能は殆ど使えない。おかげで銃火器に纏雷が使えずにこちらも火力不足。加えて空力も縮地も使い物にならず機動力も半減以下。

 

辛うじてオラクル細胞は機能するため、既に外套はユエに預け、いつでも刃翼を展開出来るようにしている。

 

だがそれでもやはり身体強化に全振りのシアのパワーは頼もしいの一言なのと、嫌がらせ方向に振り切った罠とそれを置いた奴の性格の悪辣さに関してはよく分かるので声を掛けづらい。

 

が、しばらくそうして物理トラップを破壊しながら進んでいくと、ゴロゴロと、あまりにも嫌な予感を漂わせる音が通路の向こうから響いてくる。

 

「……これって」

 

「……だろうな」

 

俺は思わずユエと目を見合せた。そして───

 

 

───ゴロゴロゴロゴロ!!

 

 

やはりと言うべきか、向こうから転がってきたのは通路を埋め尽くす程の大きさの球体の岩だった。だけど───

 

「邪魔、だぁ!!」

 

オラクル細胞を持つ俺に物理トラップは効かない。やたら俺を避けてシアばかりに発動するものだから、あまり盾になれてやれていなかったが、本来ここは俺の独壇場の筈なのだ。いい加減に溜まった鬱憤を晴らすべく、俺は背中からハンニバルの逆鱗を、右腕からはその腕を顕現。炎の噴射で加速し、回転しながら遠心力も加えてその大岩拳を叩きつける。

 

「っらぁぁぁぁっ!!」

 

俺にしては珍しく気合一閃。拳を振り抜くと大岩もまた砕け散る。残心を解き振り返ればユエとシアがパチパチと拍手をしている。が───

 

ゴゴゴゴゴ───

 

ここでの罠はまだ終わっていなかったようだ。振り返れば向こうから更に転がってきたのは液体のような何かを吹き出しながら回転する鉄球。吹き出た液体が通路の壁を溶かしながら鉄球がこちらへとやってくる。

 

「ひぃっ!?」

 

「……溶けてる」

 

ユエとシアは既に逃げる体勢。だが俺は左肩からディアウス・ピターの刃翼を展開。迎え撃つ。

 

「……はっ!アラガミを舐めんなぁ!!」

 

ぶつかり合う拳と鉄球。炎の噴射による加速と豪腕の技能を乗せたそれでも鉄球を粉砕することは叶わなかったが受け止めることはできた。噴出する強酸が俺を溶かそうと降り注ぐが、オラクル細胞にそんなものは効果が無い。そのまま赤雷を放ち壁に大きな穴を開ける。そして熱で指を食い込ませたまま鉄球をその穴に嵌め込む。ここで爆炎を放ってこの強烈な酸が蒸発したらヤバいかもだからな。こうやって封じておこう。

 

「おし!」

 

ボヘェと眺めている2人を起こし、俺達は先へと進んでいった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「っ!?逃げてぇ!!」

 

シアの叫び声に合わせて俺達はその場から飛び退る。恐らく数日以上は経ったであろう大迷宮探索だったが、遂にそれも終わりが近付いてきたようだった。2度目の対面となった無限に再生しつつ変な駆動をもする50体ものゴーレム騎士の群れに追い立てられ、辿り着いたのは石のブロックが浮遊する部屋。そこへシアの叫び声の直後に俺達の頭上から落下してきたのはさらに巨大な、ゲーム的に言えば"ボス"と思わしき騎士のような風体のゴーレム。全長は20メートル近くあり、右手は赤熱化していて、左手にはフレイル型のモーニングスターまでも装備している。そんなゴツイ武装で身を固めた巨躯が───

 

「やっほー。初めましてぇー。みんな大好きミレディ・ライセンちゃんだよぉ!」

 

───アニメ声でやたらと軽い挨拶を発してきた。

 

「「「……は?」」」

 

3人の声が重なる。当たり前だ。空中に浮遊するクソデカゴーレムがゴリゴリのアニメ声で話しかけてきたのだ。一体なんの冗談だと言うのだ。だが、色々謎はあるが俺には関係が無い。こいつがミレディ・ライセンだと言うのならやることは1つだ。

 

バシュウゥゥゥゥ!

 

と、気の抜けるような音を立てて飛翔体が12発飛び出した。俺がオルクスの屋敷にいる間に作り出した12連装ロケットランチャーだ。それが1発残さずミレディ・ライセンを名乗るゴーレムに直撃する。

 

だが───

 

「……やっぱりか」

 

流石に一筋縄ではいかないようだ。確かに外装はかなり砕いたのだが、それでも周りの鉱石等を寄せ集めて瞬く間に身体を再構成してしまう。こうなると一息で塵も残さず消し飛ばすか、核となる部分を砕くしかない。

 

「まったく、最近の子は挨拶もまともに返せないの?」

 

やれやれだぜと、やたら癇に障る動きまでしてこちらを煽るゴーレム。しかしなるほどな……。

 

「……最初のはそういう設定かと思ったけど、なるほどな。どういう仕組みか知らねぇがキチンと本人の意識があるのか」

 

「最初からそう名乗ってるじゃん?」

 

「ふん……。神代天人だ。ミレディ・ライセン、お前が態々そんな姿になっている理由、どうせ神代魔法なんだろうけどよ。それはここで手に入るやつか?」

 

「そんな姿って、ミレディちゃんは元々───」

 

「オスカー・オルクスの手記にお前は人間の女として出てきていた。悪いがお前の無駄話に付き合っている暇はない」

 

両手に電磁加速式拳銃を構えそう言う俺に、珍しくミレディがまともな反応を示した。

 

「オスカー……。オーくんの迷宮を攻略したの?」

 

「あぁ。……さて、俺の目的は神代魔法だけ。話す気が無いなら再開といこうか」

 

俺が拳銃の照準をゴーレムの関節に向ける。だがミレディと名乗るゴーレムはまだ話し足りないようだった。

 

「神代魔法ねぇ……。ていうことはあのクソ野郎をぶっ殺してくれるのかな?オーくんの迷宮の攻略者なら事情は理解してるよね?」

 

「……ふん。エヒトとやらが生きるか死ぬかはあいつ次第だ。俺達の前に立ち塞がるなら潰す。そうでないならどうでもいい。それだけだ」

 

もっとも、アイツが俺達の前に出てこないなんてこと、ある訳がないと思ってもいるがな。

 

「んで、それで?ここの神代魔法はお前がゴーレムとして生きてる理由でいいのか?」

 

「んふふー。ミレディちゃんの神代魔法は別だよぉー。これはラーくんにやってもらったしー」

 

ラーくんがどなたかは存じ上げないがなるほど。それならそれで構わない。どっちにしろここまで来た以上はここの神代魔法は貰うのだ。樹海の大迷宮に挑む為の4つの証。残りの3つの内1つはここで手に入れさせてもらう、戦闘再開だ。

 

「……最後にこれだけ聞かせて」

 

「……なんだ」

 

「目的は何?何のために神代魔法を求める」

 

誤魔化しは許さないというような圧力のある声色。これまでとは違った雰囲気に俺は思わず引き金を弾くことを躊躇ってしまった。

 

「……世界を越え、故郷に……愛する女の元へ帰るため。それだけだ」

 

「へぇ。その後ろにいる子達は違うんだ」

 

あくまでもミレディを視界に収めたまま、半身になってユエとシアを見やる。そしてまたミレディへ振り返る。

 

「英雄色を好む……。リサがよく俺に言ってた言葉だ。ちょっと前まではあんまり良い気はしなかったけどな。案外俺はサイテーで気の多い男らしい」

 

俺はそこで言葉を切り、銃口をミレディへと向ける。

 

「ユエもシアも連れて帰る。リサは愛人OK……どころか自分が愛人になろうとするタイプだからな。問題ねぇよ」

 

「最近の子はよく分かんないなぁ」

 

「あぁ?そりゃお互い様だろ、オ・バ・サン?」

 

「殺す」

 

俺の煽りで感情の消えた声と共に横薙ぎに振るわれたモーニングスターをその場でバク宙を切って躱し、左の肘と肩の関節を狙い銃弾を放つ。それをミレディは投げつけたモーニングスターの遠心力で身体を振り回し、関節部ではなく硬い外装に当てさせることにより破壊を免れる。

 

さらに驚いたことに、俺の左手側に抜けていったはずのモーニングスターが一切の予備動作無しにこちらへと戻ってきたのだ。

 

「っ!?」

 

俺のいるブロックに叩きつけられるそれを別のブロックへ飛び移ることで躱す。今の動き、まるでさっきまで俺達を追い立てていた騎士のゴーレムのような……。

 

「───ユエ!シア!やるぞ!」

 

だが謎解きは戦いながらやればいい。まずはコイツを叩き潰す。

 

「んっ」

 

「はいですぅ!」

 

俺の声に合わせ、ユエとシアも散開する。そしてミレディの周りに控えていた騎士ゴーレム達も行動を開始する。ミレディのモーニングスターを俺が拳銃弾で弾き飛ばし、シアが巨大な戦鎚の一撃でミレディを押し込めば、その隙に俺が作ったボトル2本にたんまり蓄えた水を破断のウォーターカッターで放ち周りの騎士を切り裂いていく。その間に武装を換装した俺は6砲身ガトリングレールガンを2門、腰ダメに構え、その暴威を撒き散らす。

独特の回転音と発砲音を放ちながら凄まじい量の死を撒き散らす死神は、その鎌で瞬く間に騎士ゴーレム達を打ち砕き地の底へ落としていく。

 

「ちょっ!?何それ何それ何それぇ!?そんなの見たことも聞いたこともないんですけどぉ!?」

 

そりゃそうだ。トータスの人間がM61を模した手持ち兵器なんぞ知らんだろう。だがこれこそが近代兵器。誰が使おうと同じだけの結果をもたらす死と破壊の申し子。その火線がファンタジーとオカルトの結晶たる宙に浮くゴーレムの群れを破壊し尽くしていく。そして───

 

「奴の核は心臓と同じ位置だ!」

 

俺の義眼が奴の核の位置を捉える。

 

「!?何で分かるのぉ!?」

 

相当に驚いたようだが、ISか何かかと思う程に、この魔力の分解される大迷宮を縦横無尽に動き続けて決定的な被弾は回避しているミレディ。

 

……いや待て、そもそもなんでミレディを含め、コイツらは浮いているんだ?

 

この大迷宮は俺の空力を完全に発動不能にするほどの魔力の分解作用を誇っている。それなのにアイツらは一切の物理的な推進力も無しに浮いたり空中駆動をしているわけだ。だが外に放出される魔力はその尽くを分解されて効果を発揮することが叶わない。ユエ程の魔力と技量を持ってしても中級魔法を瞬間的に発動させるのが関の山なのだ。

 

仮に奴がユエと同じだけの、天賦の才と言えるレベルの技量を持っていたとしても、あれだけの数と質量のゴーレムを、空を飛ばすレベルで操ることなぞ不可能な筈だ。

 

ここに来る前に鉱物鑑定を行って、コイツらには感応石とかいう遠隔操作の為の鉱石が仕込まれていることまでは分かっている。だがそれだけではここでは空を飛ぶことは出来ない。何かカラクリがある筈だ。それを暴かせてもらおうか。

 

俺は粗方の騎士ゴーレムを撃墜した後、砲身が赤熱化したガトリング砲を仕舞い、マシンガンに切り替える。それを撃ちながらユエの破断と合わせてミレディを追い詰めようとするが、ミレディのゴーレムには重力や慣性の法則なんてものが存在しないかのような挙動で俺達の攻撃を掻い潜っていく。

 

その間にも俺は思考を回していく。挙動の秘密は物理的な力学では無いはずだ。この世界はなまじ魔法なんて便利なものがあるせいか科学技術の発展が遅い。そもそもあんな挙動ができる物理って何?って話だし。そしてこの世界にゃ火や雷は起こせても長時間の飛行に適した魔法は無い。しかも魔法無しで空を飛ぶにも飛行可能な魔物の存在がその技術の発展を邪魔をしているのだ。

 

つまりミレディの挙動の秘密は魔法。それも、シアが身体強化を十全に発揮できていることから体内に作用するタイプのもの。ここまでくれば少しは検討もつく。奴の魔法は自分の身体にかかる何らかの物理法則を捻じ曲げる類のもののはずだ。

 

そこまで考えが至った瞬間、とある光景が思い浮かんだ。

 

『重力さんが仕事してないですぅ!』

 

『……真横に落ちてるみたい』

 

騎士ゴーレムの軍団に追われている時のシアとユエの言葉だ。あの時は文字通りの上下左右から甲冑を纏ったゴーレムが襲いかかってきていたのだ。

 

更に浮かぶのは初撃を俺に躱された後の、あの不自然な軌道を描いたモーニングスター。あれも思い返せば"真横に落ちた"ように見えなかったか?そして俺のこれまでの異世界での記憶がフラッシュバックする……初めて飛ばされた別世界にあった機動兵器IS……魔法……重力操作……。

 

……なるほどな。読めたぜ、ミレディの神代魔法の正体。

 

「ユエ!シア!ミレディの使ってる神代魔法は重力を操る魔法だ!コイツの機動力と武装の不規則変化、それに取り巻きの変な動きも全部それだ!」

 

「なっ───んで……」

 

どうやらピンズドだったらしい俺の指摘によりミレディの動きが瞬間的に、けれど決定的に止まる。その隙を見逃すユエとシアではない。

 

「でっすうぅぅぅ!!」

 

「んっ」

 

シアの戦鎚がミレディをブロックに叩きつければユエが破断で比較的脆い関節部を狙って四肢を切断。俺もそれに合わせて左手側に呼び出した電磁加速式対物ライフルを1マガジン分撃ち続けゴーレムの核周りの外装を砕く。更に右腕に新たな兵器を召喚しながらダルマとなったミレディの胸に飛び乗ろうとするが……。

 

「操れるのはゴーレムだけとは言ってないよ?」

 

と、ミレディの眼が赤く輝いたかと思えば俺の足場にしていたブロックが急に落下。更にシアが頭を潰そうとするが切り裂かれたミレディの右腕が赤熱しながらシアを殴り飛ばす。シアは辛うじて戦鎚を盾代わりにして赤く染った拳の直撃は避けたものの膂力の差は圧倒的で、壁まで叩きつけられた。ユエも復活してきたゴーレム達の対処で手一杯だ。

 

俺は足場を落とされた瞬間に背中からハンニバルの逆鱗を顕現。落下を免れたが足止めは避けられない。

 

決定機を逸した俺達は示し合わせたわけではないが、近くにあった大きめのブロックへと集まる。

 

その間にミレディも切り飛ばされた四肢を取り戻し、元通りの姿へとなった。

 

「さて、第2ラウンドといこうか」

 

軽い調子でミレディが指を振れば俺達の立っている足場が急に回転する。唐突な足場の駆動に俺達は思わずバランスを崩す。さらに───

 

「───っ!?避けてください!降ってきますぅ!!」

 

シアの叫び声。それはシアの固有魔法である未来視、それが映すのは差し迫る死の気配───!!

 

けどなぁ……そんなもので!!

 

俺はすぐさま両手の武装を切り替える。貫通力重視のそれらから、より小回りの効くアサルトライフルとロングマガジンを差し込んだ拳銃。左肩からは刃翼を展開。ユエとシアを引き寄せ赤雷球も展開する。

 

「ユエ!シア!俺から離れるな!」

 

「んっ」

 

「はいですぅ!」

 

上からやってきたのは夥しい量の岩石。それらが明確な殺意を持って俺たちの元へと殺到する。

考えたくもない総重量の岩石を落下させようとしたために起きた、空間そのものが軋んでいるのではないかと思う程の振動を合図に俺は瞬光を発動させた。引き伸ばされ、色褪せる世界。その中で俺は引き金を弾く。弾丸が岩石を砕きその破片と衝撃がさらに別の岩を巻き込み、落下の軌道を逸らす。同時に撃ち出された赤雷球も遅れて俺たちの頭上の岩を砕いていく。だかミレディも俺達をここに足止めしている間に落下させる岩石を操縦下に置き始めたのか、明らかに落ちてくるそれらの密度が増す。これを切り抜けるには瞬光だけじゃあ足りない。もっとだ、もっと寄越せ!!

 

──限界突破──

 

俺の持つ固有魔法の1つ。膨大な魔力と引き換えに能力値を数倍に引き上げるそれは使用後のデメリットが大きい。さらにここでは体外に放出される魔力は分解されてしまうために身体能力は強化されない。だが瞬光で引き上げられた知覚をさらに爆発的に上昇させることなら可能だった。

 

俺は、俺以外の全てが静止しているのではないかと錯覚する程に遅延する世界の中で、3人が生き残るための空間を生み出すため、弾丸と赤雷球を配置していく。それでも莫大な質量の前では俺たちの周りが埋め立てられていくことを避けられない。もっとだ、もっと限界を超えた力を───!!

 

 

──ッッッドドドドドドドドッッ──

 

 

遂に焼き切れ色を取り戻した世界の中で俺達は再び視界を失う。降り注ぐ岩石と巻き上がる土埃が埋め尽くしたのだ。だが間に合った。完成したのだ。極少の空間と刹那の時間で俺達が生き残るための聖域が───

 

 

───ゴパァッ!!

 

 

俺が赤雷で周りの岩を吹き飛ばすとミレディは数瞬前と同じ様に佇んでいた。

 

「ど、どうやって……」

 

だがミレディの驚愕に答えをくれてやる気は無い。岩の飛散と同時に飛び出したユエの破断がミレディの両腕を切り裂く。

 

「───っ!?」

 

その隙間に俺は対物ライフルを取り出し、奴の心臓目掛けて超音速の弾丸を叩き付ける。

だがそれは外装を砕き奴の核へと刺さるがそこまで。これを防ぐというなら奴の核はこの世界最高硬度を誇るアザンチウム鉱石でできているのだろう。

 

「残念でしたー」

 

だが俺の狙いはそれを砕くことではない。

銃はそれを持たないものにとっては脅威だ。それはこれが存在しないこの世界の住人であるミレディにもこの戦いで身に染みただろう。魔法無しでも周りの兵隊を粉々にし、奴の外装を砕き一撃でその芯に迫る殺戮の為の武器。それは奴の注意をこの1点に引き付ける!

 

「うっらぁぁぁぁ!!ですぅぅぅ!!」

 

取って付けたようなですぅを響かせたシアがその戦鎚でミレディの巨躯をびしょ濡れのブロックへと叩き付ける。ユエの破断と俺の銃撃は奴の注意をこちらに引き付けるには充分以上の火力だ。

そして奴がこちらを注視している間にシアは兎人族特有の気配操作の技術も駆使して死角へと入り込んだのだ。

 

「ユエ!」

 

「凍柩!」

 

珍しく力の込められ叫ばれたユエの魔法名。

それが起こすのは上級魔法。ここで上級魔法を使うためにはそれなりの準備が必要だ。莫大な魔力、それのコントロール。そして物を凍らせるなら最初から水濡れの方が楽だ。

だからこその破断。水溜まりができるほど濡れたブロックと水滴が滴る身体。

本来なら俺から幾らでも炎を補給することで火属性魔法を使えたはずのユエが態々荷物を抱えてでも水属性魔法に拘った理由。周りの岩を操り不規則な駆動を可能にする奴を決定的に拘束する為の布石。

 

「上級魔法っ!?どうやって───!?」

 

「ナイスユエ!」

 

背中から凍りつき拘束されたミレディの声に驚愕の色が含まれる。俺の右腕に装備されたそれが、明らかに自分のアザンチウム製の核を貫く為の物だと把握できたからだろう。

 

俺はミレディの胸の上に立ち、それを構える。魔力操作により伸ばされたアームが照準を固定し、俺の背中から生える刃翼がミレディのゴーレムとなった身体に刃を突き立て俺自身をもそこに固定した。

 

──キイィィィィ──

 

俺がそれに魔力を注ぎ込むと独特の駆動音が響く。それは俺が最初に転移したISのある世界。そこで出会ったシャルロット・デュノアの駆るIS──ラファール・リバイブ──の持つ兵器、グレースケールを参考に錬成した兵器。

 

──電磁加速式パイルバンカー──

 

錬成の派生技能である圧縮錬成により4トン分の質量を直径20センチ、長さ1.2メートルまで閉じ込め、表面をアザンチウム鉱石でコーティングした杭を炸薬と纏雷の電磁加速により射出する。

 

 

──ドッッッッッッ──

 

 

射出された大杭は炸薬の破裂音すら引き裂きミレディのゴーレムの核を穿かんとする。しかしその進軍が止まってもなおミレディのゴーレムの目からは光が消えていなかった。魔力の分解作用によって纏雷が十全に発揮できなかった為にこれでも威力不足だったようだ。

 

「は、ははは……。残念だったねー。それでも───」

 

「釘は1発で打ち込む物じゃないだろ?───シア!終わらせろ!!」

 

「はいですぅぅぅぅぅ!!」

 

俺が宝物庫へと杭以外のパイルバンカーを収納すると同時に現れたのはウサミミをなびかせたシアだ。戦鎚を大きく振りかぶったその姿にミレディから何度目とも知れない驚愕の声が漏れる。ミレディは己が拘束されているブロックを操り高速で落下させようとするが俺も右腕を焔龍の右腕としてハンニバルの炎を逆噴射。その推進力で落下を食い止める。

 

そして遂に追い付いたシアが、例え相手がシアから距離を置いて戦おうとしても近付けるようにとその戦鎚に仕込まれたスラッグ弾の反動すら利用した一撃を杭の真上に叩き込む。

 

──ゴンッッッ!!

 

だがまだ足りない。さらにシアは戦鎚を振りかぶり───

 

──ゴンッッッ!!

 

──ゴンッッッ!!

 

「あぁぁぁぁぁ!!」

 

──ゴンッッッ!!

 

──ゴンッッッ!!

 

──ゴンッッッ!!

 

全身全霊を賭けて、杭を打ち込んでいく。そのあまりの衝撃にブロックはヒビ割れ、高度を落としていく。

 

「しゃおらぁぁぁぁ!!ですぅぅ!!」

 

もうそれですぅ要らないんじゃない?とは思うが言わぬが花。シアの全力のカカト落としが寸でのところで貫通を果たせていなかった杭に叩きつけられた。

 

──ゴンッッッッ!!

 

しかしそれもこの一撃により果たされる。

遂にアザンチウム鉱石の硬度を上回ったパイルバンカーの杭がミレディの核を貫く。そしてミレディの目から光が消え、それを確認したシアが大きく息を吐く。

 

ライセン大迷宮が攻略された瞬間だった───

 

 

 

───────────────

 

 

 

「君達の望みを叶えたいなら全ての神代魔法を手に入れること」

 

「君が君である限り、君は必ず神殺しを為す」

 

「君の選択がこの世界にとっての最良だから……」

 

「君達のこれからが、自由な意思の下にあらんことを……」

 

今俺達はミレディが残りの大迷宮の場所と一緒に核の欠片に残った最後の力で振り絞って伝えてきた言葉を反芻しながら、動く浮遊ブロックに乗っている。そしてそれが紋章の描かれた壁の前まで辿り着くとそれが左右にスライドして先へと導く。それを数度繰り返して辿り着いた壁の向こうには───

 

「やっほー。さっきぶりー!ミレディ・ライセンちゃんだよぉ!」

 

手足の生えたてるてる坊主みたいな人形からミレディの声が発せられていた。

 

「……んなこったろうと思ったよ」

 

こっちから何かしたわけじゃないのに俺達をここまで運んだブロック。加えて既に肉体に囚われていないミレディならこの可能性もあろうとは思っていた。とりあえず殺意が溢れ出ている2人を抑え込み、まずはここの神代魔法を吐き出させる。そしてやはり、ここの神代魔法は重力魔法だった。

 

「……何で私の神代魔法が重力魔法だって分かったの?それに、さっきの戦いで君の身体は変質していたよね?まさかシュネー雪原の大迷宮も?」

 

ちみっこくなったミレディが真面目な声色で俺に尋ねる。

 

「……それか。まぁさっきは大迷宮の場所を教えてもらったからな。それの答えも色々含めて喋ってやるよ。それに、身体が無いとはいえ、意識のある解放者には1つ話しておきたいことがある」

 

「それは……?」

 

「お前らの言う狂った神のこと。俺ん考察で悪いけど、奴の正体についてだ」

 

「───っ!?それは……」

 

「ユエには少し話したっけな。……シアも聞け。神なんぞとは向こうが立ち塞がらない限りは事を構えるつもりは無いと言っているが、恐らく俺達ゃ奴とやり合うことになる」

 

「それは、神様とやらが私達の前に現れるってことですか?」

 

「あぁ。本人が出てくるかまでは分からんが、確実に何らかの干渉はしてくるはずだ」

 

「なんでそこまで分かるの?」

 

てるてる坊主みたいな姿のミレディもその短い足を折り畳んで傾聴の姿勢。

 

「……まず第1に、今この世界は人間族と魔人族で戦争をしている。……現状、とは言っても俺が奈落に落とされる前までのことだが、一応は小康状態って感じだった。だが実際のところ、俺達が呼ばれる少し前には数で上回ってた人間族の強みを魔人族が魔物を操る術を手に入れたとかで拮抗が崩れたらしい。そして追い詰められた人間族の祈りだか何だかで俺を含め3,40人程の人間をこことは違う世界から呼んだ。だが俺はそいつらとも別の世界にいたはずなんだ。……筈なんだけどな、俺の体質からか、どうにも俺まで巻き込まれたみたいでな。で、呼んだ張本人はエヒト様ってわけだ」

 

「……なるほどね、今外はそんな風になってるんだ」

 

いつからか分からないが長いことこの地下に潜っているミレディは久々の外の様子の情報だったわけだが、正直その時から根本的なところは何も変わっていないのだろう。声からも悔しさが滲み出ていた。

 

「前例の無い異世界召喚の表向きの理由は窮地に陥った人間族を救うためだ。ここより上位の世界から助っ人を呼んで、こっちに来た時に発現する大きな力で魔人族を倒す勇者になってほしいんだとよ。実際、そいつらは十代後半に差し掛かったばかりの男女で、戦争なんてしばらくやったことない平和な国に住んでいた子供達だ。だがそれでも与えられた巨大な力はそこらの魔物なんて歯牙にもかけない強さだった」

 

「……あの野郎がそんなに素直だとは思えないけどね」

 

ミレディが呟く。だがその通りだ。

 

「そうだ。……俺は奴らとも違う世界から来たと言ったろ?俺は持ち前の力とその他にも色々ある世界を彷徨っている間に手に入れた力でその日の内にでもこの戦争を終わらせようとした。実際、俺の力が全て振るえればそれも可能な筈だ。……魔人族の完全な根絶と言われれば1人1人探すのに時間が掛かるから難しいだろうが」

 

白焔の聖痕があれば魔法なんて全て燃やせるのだ。リムルの世界の能力(スキル)に効果のある氷焔之皇がどれ程通じるのかは分からないが、それでも氷の元素魔法もあるし、戦争を終わらせるだけならその日のうちにでも可能なのだ。

 

「だが俺の力は殆ど封じられた。この世界に来る時に俺という存在の一番深いところをまさぐられる感覚があった。恐らくエヒトの野郎が俺の力を恐れて対策したんだろう」

 

「……あの赤い雷とか炎は奈落の魔物のものです?」

 

シアが尋ねるとミレディもそれが気になるとばかりに首を縦に振っている。

 

「違う。赤い雷のうち、銃火器に使ってる纏雷は奈落の魔物の固有魔法だけどな。背中の刃とかそっから出してる雷の球とか炎の方は魔物の固有魔法とかじゃない。あれも異世界の力だ。他の世界にはアラガミっていう生物がいてな。そいつらの力を取り込んだんだ。この世界の魔法には相性が悪いが、物理的な力には強くてな。ここのトラップじゃ俺に傷を負わせることは不可能だ」

 

「……意味が分からないよ」

 

アラガミのオラクル細胞が秘める力にミレディは理解が追いつかないと言った風だった。

 

「……まぁ、ここら辺は神の考察には関係無いから一旦飛ばすぞ?ともかく、魔法や何かじゃなくて俺の身体的特徴みたいなのだから、エヒトも(さわ)れなかったんだろう。だがまぁこの時点で俺はエヒトが表向きの理由で呼んだわけじゃないと分かったわけだ。ここまでは大丈夫か?」

 

一応確認をとる。一度にかなりの量を話したからな。シアとか着いていけてるのだろうか。

そう思いシアを見るがまぁあんまり細かいところは理解していなさそうな顔だった。ま、亜人族のシアにとっちゃ神がどうだろうと元々関係無いんだろうな。一度大まかに話を聞いているユエも、どっちにしろエヒトを敵視しているミレディも大丈夫そうだった。それを確認して俺は話を続ける。

 

「第2にこの世界の名前だ。"トータス"と聞いたがこれを付けたのはエヒトだということだ。だがこれがおかしい。ミレディ、なぜだか分かるか?」

 

長くなりそうなので俺はそこら辺に腰を下ろし、ユエを自分の足の間に招いて後ろから抱き締めるような格好となる。それを見てシアが物欲しそうな顔をするが、ミレディは呆れた雰囲気を出しながらも俺の言葉に続いた。

 

「……考えたこともなかったよ。この世界はトータス、そういうものだと思ってたからね」

 

「……名前ってのはどうして付けると思う?シア」

 

「えっ?私ですか?……えぇと……示すため、でしょうか?例えば私がシア・ハウリアであると、周りに示すため」

 

「そうだ。もっと機械的に言えば区別するためだ。これやそれやあれ、だけじゃ不便極まりないからな。武器だの石だの魔法だのと、それぞれに名前があれば会話が円滑になる。だから俺の武器には特別名前が無い。拳銃だのアサルトライフルだのと機能や特徴を示してはいるが、固有の名前は無い。別に無くて困らなからな。他に同じような武器は無いわけだし」

 

「だから天人さんは私にくれたこの戦鎚にも名前付けてないんですね」

 

「あぁ、シアの戦鎚。これで俺には充分だからな。もちろん、欲しいなら考えてもやるし、シアが付けても良いぞ」

 

「……名前は大事」

 

ボソリとユエが呟く。俺の袖を掴む指に力が篭る。俺に名付けられた少女。いや、封印されてたとはいえそれを差し引いても20年以上は生きているのだ。少女と呼ぶのは相応しくないかもな。けれど、ユエが"ユエ"として生まれてからはまだ数ヶ月。そしてそんなユエだからこそ名前の重さはよく知っているのだろう。俺はユエをより強く抱き締める。もちろんユエの言うことも大事だと言外に伝えるために。

 

「あぁ、名前は区別以外にも意味や価値を与える時もあるしその存在を認める、もしくは規定したりもする。だがここで大事なのはこの世界に名前があるということだ」

 

"ユエ"も大事だが今回の本題はそこではない。

 

「世界には普通名前なんて必要無い。何故なら世界という概念が名前としてある以上、ここをこれ以上区別する必要は無いからだ。本来、世界は1つしかないとされているからな。これ以上区別する必要が無いんだよ。武器なら拳銃という括りがあってそこから自動拳銃だのリボルバー式だのあって、さらにそこからデザート・イーグルだのP250だのあるが、世界には"世界"しかないからな。ここで終わりだ」

 

実際に俺が幾つも彷徨った世界には名前なんてないしな。便宜上何これがあった世界とか言うことはあるけど。

 

「でもこの世界にはトータスという名前がある」

 

「あぁ。つまりこの世界に名前を付けた奴には区別する必要があったんだ。この世界を他の何か、いや、世界を区別するのは他の世界だけだ。だが世界が2つ以上あることを認識している奴なんてのは限られてくる。例えばここに呼ばれた召喚組みたいに、他の世界から来た奴とかな」

 

「……それって」

 

「あぁ。俺の予測ではエヒトは他の世界から来た存在だよ。神様でも何でもない。それが人間と規定できるような奴かどうかは知らないけどな」

 

1番最悪な可能性としては、エヒトなる奴が様々な世界を生み出してきた創造者であることだが、それにしてはオスカーの告げた内容の悪辣さが際立つ。まるで、人間の嫌がることを完璧に把握しているようで、逆に人間臭いのだ。本当に世界なんてものを作り出せるほどの力を持った奴なら態々人々の認識をどうこうせずとも、1度世界をリセットでもしてしまえばいいのにと思わずにはいられないのだ。

 

「……そんな、それじゃあ私達は───」

 

「あぁ。ただ強い力を持っただけの人間と争っていたかもしれないな。もっとも、自分を神だと認識させて他の奴らを弄ぶような奴は潰されて当然だと思うけどな」

 

これまで散々煮え湯を飲まされてきた相手が神ではないかもしれないと聞かされて、さしものミレディも混乱しているようだった。

 

「……ま、これはあくまで俺が得た情報から考えた推察に過ぎない。本当のところは本人に聞くしかねぇな」

 

さて、話しておきたいことも話し終えたし、シリアスな時間はここで終わりにしようか。

 

「というわけだ、ミレディ。俺がお前の魔法を看破したのは異世界での経験のおかげ。固有魔法に見えたのは魔法じゃなくてこことは違う世界の物理現象。……じゃあ、全部話したしさっさと攻略の証を出してもらおうか。それに、アーティファクトの類と感応石みたいな珍しい鉱石も全部だ」

 

こっから先は略奪のお時間です。ようやく大迷宮を攻略したんだ。コイツらが死んでも殺したい神とやらのお話もしてやったんだし、それくらい寄越してくれても良いだろう。

 

「……言ってることが強盗のそれだよね」

 

「武偵でそこら辺身綺麗な奴の方が珍しいけどな」

 

「……ブテイ?」

 

「気にすんな。それよりほら、攻略者の証だけ渡して終わりはないだろう?折角お前らの気になってる神とやらの話もしてやったんだ。お礼に色々寄越しやがれ」

 

「あぁもう!なんで最初の攻略者がこんなキワモノなのかな!?」

 

随分な物言いだが文句の割には素直にジャラジャラと鉱石やらをお出ししてくるミレディ。だがその量は明らかにゴーレムが纏っている布の量とは釣り合わない。恐らく宝物庫を隠し持っているのだろう。なのでそれごと渡せと迫ったのだが……。

 

「これは迷宮修復にしか使えない物なの!君達が持ってても意味が無いんだよ」

 

とのこと。だが散々大迷宮では物理的にも精神的にも苦痛を味合わされたユエとシアも宝物庫強奪戦へと参戦。ジリジリとミレディを追い詰めていく。

 

「あぁもう!強制排出!!」

 

と、ミレディが浮いて動くブロックに乗って天井際まで上昇すると、上から紐がぶら下がってきた。頭に疑問符を浮かべている俺達を見下ろしながらそれを引っ張り───

 

「嫌なものは水に流すに限るね」

 

語尾にハートマークが付きそうな甘ったるい口調と共に「ガゴンッ」というこの大迷宮では聞き慣れた嫌な音。すると俺達のいる床の真ん中から穴が開き、周りの壁や天井から水が一気に流れてくる。それは穴に向かって渦を作りながら流れ落ち───

 

「てめぇ!これは───」

 

俺が巫山戯んなと叫ぼうとし、ユエが魔法で脱出を試みようとしたところ、上から強く押し付けられるような力がかかり、3人とも水流の中へ押し込まれる。ミレディの野郎、これは───

 

「いつかぶっ飛ばす!!」

 

俺の捨て台詞はまるで水洗トイレに流されたトイレットペーパーのように掻き消えていくのであった……。

 



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再開と決別/懺悔と赦し

 

 

「ゲホッ……ゴホッ……クソ……ユエ、シア、大丈夫か?」

 

「……ん」

 

ミレディに汚物よろしく水に流された後、俺達はどこかの川に吐き出された。俺は水中から這い出て2人の様子を確認しようとするが、ユエの声は聞こえたがシアの声が聞こえない。まさか……

 

「……シア?どこ?」

 

俺とユエが慌てて周りを探すと戦鎚の重さによって再び川に沈んでいこうとするシアが見えた。

 

「シア!」

 

宝物庫から圧縮錬成の練習の結果出来た、重量の重い鉱石を取り出しそれを重り代わりにして水底へと沈むシアに一気に追いつく。そのまま重りと戦鎚を俺の宝物庫に仕舞い、水を蹴って浮上。河川敷に横たえて呼吸を確認するが───

 

「……くそ」

 

水を飲んでしまったのかシアは呼吸をしていなかった。俺はユエに人工呼吸をしてもらおうと呼びかけるがユエは人工呼吸というものを知らないようだった。封印されていたからか、自動再生の賜物か。それともこの世界にゃ元々そんなもんは存在しないのか、とにかくそれは俺がやるしかないようだった。

 

まずはシアの耳元で名前を呼び掛けながら少し顎を上げて気道を確保。それでも反応が無いのでシアのたわわに実った果実の上から胸部を圧迫。それを1分間に100回程のペースで繰り返す。そして、これは救命措置だと誰かに言い訳をしながらその唇に自分のそれを添える。そしてシアのその小振りな鼻を抑えながら呼気を数回吹き込みまた胸部の圧迫に戻る。その間、特に呼気の吹き込みの際にはユエがとんでもなく冷たい目で眺めていたがこれは仕方のないことだと心の中でごちる。

そうやって繰り返していくとようやくシアが水を吐き出して意識を取り戻した。

 

「……天人、さん?」

 

まだ朦朧とする意識の中、俺の姿を認めたのか名前を呼ぶシア。それに対して俺も「そうだ」と答えた矢先───

 

「───天人さん!!」

 

───ぶっちゅうぅぅ!!

 

と、シアが急に俺に抱き着きながらキスをしてきた。流石にこのタイミングは予想できなかったし、俺も覗き込みながらの体勢だったので上手いこと引き剥がせない。しかもシアは両脚を俺の腰に回し、両腕は俺の首に回してがっちりホールド。絶対に逃がさないという強い意志を感じる。

 

「んぐ───!?んんん───」

 

しかもシアの問いかけに返事をした瞬間だったのが災いし、口が開いたままだった俺のそこへシアは自分の舌まで入れてきた。

 

俺の舌をシアの舌が絡めて捕らえる。その、リサともユエとも違う唇とベロの感触。シアの髪から漂う女の子の香りと密着しているが故に俺の身体に触れる、溶けそうになるくらいに暖かく混ざり合ってしまいそうな程に柔らかな感触。肉感的でありながらだらしなさを感じさせることのない太ももが俺の脇腹を捕らえて離さない。シアを構成する全てに俺は一瞬絆されそうになる。

 

───それはそれとして、いい加減ユエの目線もヤバいし引き剥がそうと、俺はシアを抱えたまま立ち上がる。そしてシアの、間近で見ると思っていたより小さく感じるその顔を両手で引き離す。

 

「あぁ!?」

 

「……はぁ、はぁ……。いい加減離せ……」

 

それでもまだ唇を迫らせるシアの顔面を片手で抑えつつもう片方の手でシアが絡めてきた長い脚を解いていく……解いて……

 

「だぁもう離せ!!」

 

お互い水に濡れている状態で纏雷は不味いからと腕力で剥がそうとするがシアの抵抗が無駄に強い。全身で絡み付いてくるシアが中々引き剥がせないのだ。ユエはユエで何やら「今だけ、ご褒美……」とか何とかブツブツ言いながらこちらを見ていないので役に立たなさそうだ。

 

「ちょっとくらい良いじゃないですかぁ!減るもんじゃあるまいし!」

 

「どこがちょっとだ!いきなり舌まで入れやがって!だいたい、ここは外で人も見てるんだぞ!」

 

と、俺が先程から目を逸らしてはいたが存在には気付いていた冒険者と思われる集団とブルックの町で泊まった宿の娘達がいる方を指差す。するとようやくシアも「仕方ないですぅ……」と俺の拘束を解いて自分の足で地面に降り立った。仕方なくはないでしょ……。

 

宿屋の娘の方は気付かれていたことに気付き、お邪魔しましたーと逃げ出そうとしたので手早く確保。しかし、宿屋の娘の横に仁王立ちしていてやたら目立つ筋骨隆々の男──の顔をしているが着ている服や身に着けているリボンは女性向けのデザインだった──はどうやらユエとシアと知り合いのようだった。シアが店長と呼ぶので買い物に出た際に知り合ったのだろうか。

 

「あぁ……ブルックってどっち?」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「彼の者、常闇に紅き光をもたらさん、古の牢獄を打ち砕き、障碍の尽くを退けん、最強の片割れたるこの力、彼の者と共にありて、天すら呑み込む光となれ、"雷龍"」

 

空から現れたのは雷でその身を構成した竜。それもこの世界で一般的に知られている竜──おおよそデカいトカゲに翼の生えた欧米のドラゴン──とは違い、日本や中国での伝承に出てくる竜──翼や手足が無い龍──に近い形をしている。それが顎門を広げ、100以上いる魔物の群れに突っ込んで───否、その顎門に魔物の群れが自らその身を投げ出しているように見える。

 

──雷龍──

 

ライセン大迷宮で手に入れた重力魔法と雷魔法の複合魔法。顎門に構成された重力場に敵は吸い込まれ、その身を雷に焼かれ引き裂かれるというユエの完全オリジナル魔法である。本来は詠唱も要らないのだが、今俺達はブルックの町を出る前に商隊の護衛任務を請け負っていた。その道程の終わり際に現れた魔物の群れ。流石に衆人環視の中、無詠唱で魔法を使うわけにもいかないので適当に詠唱っぽい何かをしてもらったのだ。

 

しかし、それでも見たことのない魔法が魔物の群れを一掃していく光景は一介の冒険者達には刺激が強かったらしい。雷龍よりも大き開いた顎は閉じることができるのか心配になるくらいだ。

 

とは言え雷龍の暴威もそう長くは続かない。とぐろを巻いて残りの魔物を消し去ったユエの魔法。使用者たるユエがそれを確認すると同時にその雷の龍が威容を消すとそこにあったのは炭化した大地だけ。

 

混乱して訳の分からん事を口走る冒険者達をやり過ごし、俺達は再びモットー・ユンケル氏の商隊のフューレンまでの護衛を再開する。道中、一悶着ありながらもユンケル氏から「龍の尻を蹴飛ばす」というこの世界の諺──俺の世界で言えば「虎の尾を踏む」とか「竜の逆鱗に触れる」とかそんな意味の諺──を聞いたりしながら、ようやく俺達はフューレンの街中へ足を踏み入れた。……のだが───

 

 

 

───────────────

 

 

 

「断る」

 

フューレンに入ってから紆余曲折あり、今俺達はフューレンのギルド支部長の前に座っている。広い街を案内人に案内されすがら入った食堂で、金だけは持ってる馬鹿に絡まれた結果ここまでしょっぴかれたのだ。

 

仕方なしに俺はブルックを出る前にキャサリンという名前の例のおばちゃんギルド職員から貰った手記を彼に渡したのだ。どうやら彼女はこの辺りのギルドでは相当に顔の効く人間らしく、何が書かれていたかは俺も読んではいないが、その紙1枚で素性の怪しい上に初っ端から騒ぎを起こした俺たちの身分証明が成されたのだった。そして今はフューレンのギルド支部長から直々に依頼の申し出をされたところ。だが俺達にはそんなことをしている暇はないのだ。ここで飯や水なんかの物資や装備を整えたら次の大迷宮の探索へと移りたい。

 

「ふむ……。とりあえず話を聞いてくれれば今回の件は不問にするのだが……」

 

だがそれは、聞かなければ正当な手続きに則って俺達の起こした騒ぎの処遇を決める、ということだ。非は俺達に半殺しにされた向こうにあるのだが、それを一々決まりに則って当事者双方の意見を聞いて云々とやっていたらいつまでこの街に拘束されるか分かったものではない。確実に俺達の正当防衛は認められるだろうが、結果の分かっている判決にそこまで時間を割いてはいられない。

 

「……いい性格してるぜ」

 

結局俺はフューレンのギルド支部長こと、イルワの話を聞くことにした。別に、依頼を受ければ、とは言われていないかならな。

 

「話が早くて助かるよ。それで本題だが───」

 

イルワによれば、ウィルという貴族階級のお坊ちゃまがとあるランクの高い冒険者のパーティーと一緒に北の山脈地帯に出掛けたところ、誰も戻って来ないというのだ。しかも最近はあちらの方でも強力な魔物の出現報告もあり、その生死を確認してきてほしいとのこと。やけに拘ると思って深く聞けば、そのウィルとイルワは個人的に中々懇意にしていたらしい。癒着、と言うよりは個人的な友情という雰囲気ではあったけれど。

 

だが武偵は金で動く。金、と言えば聞こえは悪いが結局は任務の難易度と報酬が釣り合っているかどうかだ。後は個人のやる気。だがこちらとしては旅の目的がある以上は一々余計な寄り道はしていられない。それも北の山脈地帯には特に用も無いのだ。そんな面倒には構っていられない、ので、断ろうとするがそれでもイルワは食い下がる。報酬に金だけでなく冒険者ランクの"金"、つまり最高ランクの冒険者ランクに格上げしてやる。更に金も上乗せし今後何かあったら口利きもしてやろうというのだ。

 

どうやら本当に彼のことが心配らしい。ふむ、だがそこまで出せるのなら───

 

「……いや、金は適正のもので良い。けど代わりにこの2人にステータスプレートを発行してくれ。それと冒険者ランクの金への格上げと口利きだっけ?いいよ、だがアンタは全てのコネクションを使ってでも俺達の要望に応えてもらいたい」

 

「ステータスプレートと冒険者ランクの件は了解した。……だがもちろん犯罪行為や倫理に悖るようなことは出来ない。逐一内容は話してもらって、こちらで判断するがいいね?もちろん、なるべく私個人は君達の味方でいると約束しよう」

 

「あぁ。それで構わないよ。別に変なことをしてもらおうってんじゃない。これから先、教会に目をつけられたり指名手配?とかになった時にも施設を使わせてもらうとかそんなんだ」

 

「教会に指名手配されることが確実なのかい……?なるほど、そう言えばユエくんは見たことのない魔法を……シアくんは種族に似合わない怪力だと……」

 

と、イルワは何やらぶつくさと独り言を漏らしながら思案中となってしまった。だがふと顔を上げる。

 

「なるほど、承知した。その条件を飲もう」

 

「話が早くて助かるな。じゃあウィルって奴の遺品があれば見つけてくるよ」

 

「……ありがとう」

 

「俺ぁ報酬さえキチンと支払われるのなら構わない。ユエ、シア、寄り道になっちゃったけどな。行こうか」

 

「……ん」

 

「はいですぅ」

 

俺としてはこの世界でやたらと提出を求められるステータスプレートを手に入れられればそれで構わなかった。行く先々で一々この2人が持っていない理由を説明するのが面倒だからだ。シアは奴隷と言ってしまえば問題ないのかもしれないが、そもそもシアのことをそんな風には思っていないし例え嘘でもそんな扱いはしたくないからその言い訳は使いたくはないのだ。

 

だが俺達の力が教会の教えから逸脱すること、そして奴らに迎合する気が無い以上はそのうち世界中のお尋ね者になる可能性も高い。別に俺1人であれば野宿だっていいが、町で宿泊できるのであればコイツらにそんな不便もさせたくはない。

 

さて、どうせならウィルとやらが生きていた方がイルワの印象も良いだろう。しかし災害時の生存リミットは基本的に72時間が限度と言われている。それを過ぎると人間は急激に生存確率が下がるのだ。人間、何も食えなくても2週間程度はギリ生きていける。だが水を飲めなければ3日で死ぬ。これが72時間のおよその理由。まぁ、魔物や獣に襲われればその場で死ぬが。

 

仮にウィルが魔物から逃げきれてどこかへ隠れているとして、冒険の途中なら水や食料も少しはあるかもしれない。だがその最中に怪我をしていたら結局は生存の確率は大幅に下がってしまう。それ故に俺としてはそれなりに急いでこの任務に取り掛かりたかったのだ。そんなわけで、俺はユエ達を連れ立ってさっさと支部長室を後にする。

そんな俺の背中には、イルワの秘書の疑いの目線だけが残された。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「天人さんって、時々ユエさんと2人きりの空間作りますよねぇ。あれ結構寂しいんですよぉ?」

 

「んなこと言われたってなぁ……」

 

「……シアも天人が欲しいならもっと積極的に来なきゃ駄目。まだ見ぬライバルは強い」

 

「ユエさん……。天人さん!今夜は寝かせませんぶへっ!?」

 

シアがこの場に相応しくない発言をしようとしたのでデコピンで潰しておく。いくら日も沈んだとは言えまだその手の話には早すぎる時間だ。何よりここは食堂。知らん奴らの目もあるのだからそういう話は控えてもらいたい。

 

「……時と場所を考えて発言しような?」

 

夕飯時、俺達は湖畔の町ウルで食事を摂ろうと宿舎のレストランへと降りていった。こういう作りは俺の世界とあんまり変わらんな。どいつもこいつも考えることは同じってことかな。

 

日の入り前にこの町へ着いた俺達は、稲作の活発なここを中継地点として翌明朝に北の山脈地帯にウィル一行の捜索を本格的に開始することにしたのだ。そしてレストランのあるフロアに降りたその時───

 

「……神代、くん?」

 

記憶の片隅に引っかかる声が聞こえてきた。

 

「………………畑山先生?」

 

俺が記憶の奥底からその声の主を引っ張り出すと同時にカーテンで区切られた個室から現れたのは俺と一緒にこの世界に呼び出された一団の先生、畑山愛子先生だった───

 

「神代くん、なんですね……?」

 

畑山先生のその小柄な体躯はしばらく見ないうちに少しだけ逞しくなっているように感じた。太ったわけじゃない。多分、平和な日本にいる時よりも運動量が増えたからだろう。

 

「あぁ、畑山先生。久しぶりっす」

 

「やっぱり……。生きていたならどうして戻ってきてくれなかったんですか!?」

 

畑山先生は俺が神代天人だと認めた瞬間に掴みかからんばかりの勢いで俺に迫ってくる。それに俺がどう対応するか苦慮していると、流石こういう場面では頼りになる女、ユエ様がご登場なすった。

 

「……離れて。天人が困ってる」

 

だが、そのユエの冷静さも今の半分混乱している畑山先生には燃料としかならないようだった。

 

「何ですあなたは!?今私は神代くんと大事なお話があるんです!」

 

「……なら、少しは落ち着いて」

 

しかしさらに燃え上がりそうだった畑山先生をユエはその冷たい声色と瞳で押し潰す。ユエの迫力に気圧されたのか、畑山先生も大人しく俺の襟を離してくれた。

 

「……すみません、取り乱しました。それで、聞かせてくれますか?あの後、神代くんの身に何があったのかを。生きていて、これまで戻ってこなかった訳を」

 

「あぁ、うん。そうっすね。ちょうど、俺も聞きたいことがあるんで」

 

と、俺はユエとシア、それから畑山先生を連れて大人数用の個室へと通された。……何故か一緒に異世界転移した生徒達以外にも、やたらと顔面偏差値の高い、こんな食堂には似合わない騎士甲冑を身に付けた男も着いてきたのだが───

 

「とりあえず食べながら話しましょう。俺達も腹減ったんで」

 

「えぇ。私達も自分のお皿持ってきますね」

 

トテトテ、と音が鳴りそうな雰囲気で自分らのお皿を取りに戻った先生を見送り、俺達はメニューへと目を通した。

 

「おぉ、これだこれ」

 

そこで俺がお目当てのメニューを見つけた。それは、俺達の世界ではカレーと呼ばれていた料理によく似ている。異世界でもあった稲作から生み出された米と辛味の効いたスパイスを組み合わせたそれは、俺に郷愁をすら抱かせた。

 

「天人さんが言っていた故郷の料理に近いやつですか?」

 

「うん。折角だし俺はこれにする」

 

「……じゃあ私も。天人の故郷の味、知りたい」

 

「では私もそれにしますぅ」

 

ササッと3人分の注文も決まり、店員にオーダーを伝えたところで先生達も自分の皿を手に戻ってきた。

 

「先に聞かせてもらいますけど、白崎と八重樫はまだ生きてるんですか?」

 

畑山先生が席に着いたのを見計らって俺から先に質問をぶつける。

 

「……えぇ。手紙のやり取りだけですが、彼女達は生きています。特に白崎さんは貴方の生存を諦めていませんでしたよ」

 

「……そうか。……いやまぁ、俺が聞きたかったのはそれだけなんですけど……」

 

「……では神代くん、貴方の話をしてもらえますか?君があの後何をしていたのかを、そして何故私たちの元へ戻ってこなかったのかを」

 

その目付きは真剣そのもので、冗談や誤魔化しは許さないと、そう語っているようだった。

やはり俺も、覚悟を決めなければならないようだ。きっとこれは俺に対する罰なのかもしれない。ここで畑山先生と再会してしまったこと、そしてそれでも俺はこの人とは話さなくてはならないのだろう。きっと俺は逃げられなかった。それはユエやシアの前で見せていい格好じゃないのに、誤魔化しなんて効くわけがないからだ。だから俺は俺の罪を、ユエの前で話さなくてはならないのだ───

 

「……と言っても大まかにはそんな語る程のことも無いですよ。落ちた後、俺ぁ出口を探して奈落の底を彷徨った。そして途中でユエと出逢い、一緒にオルクス大迷宮を抜け出した。で、その直後にこっちのシアと出逢って一緒に旅をすることになって今ここに至るってだけです」

 

そりゃオルクス大迷宮での魔物との命のやり取りやライセン大迷宮のウザさやら、ここまでの道すがら何があったかは細かく語ればキリがないけれど、要点で言えばこんなもんだ。それに、魔物を喰っただのなんだのは飯の時間にする話でもないしな。

 

「……なるほど、本当に大雑把には分かりました。まぁ、眼帯の理由とか、もっと細かい部分は今は聞くのは止めておきます。ですが、どうして戻って来なかったのですか?私達仲間の元へ」

 

それか……。俺はチラリとユエを見る。ユエはジッと俺を見つめ返してくるだけだ。何も言わない。俺は思わずその目に気圧されるように畑山先生の方へ視線を戻し、話を再開した。まるで、懺悔をするように───

 

「……そもそも、そっちは俺の戻る場所じゃあない。俺はアンタらとは仲間じゃないから」

 

俺の言葉に騎士の1人が殺意の籠った目で俺を睨む。だが俺はそれを無視して話を続ける。

 

「そんな馬鹿なって顔されてもね。畑山先生、アンタ考えなかったんですか?自分達の世界とこの世界、既に2つの世界が存在することを知った上で、世界がこの2つだけだと何故思うんです?しかも傍らには明らかに自分の学校の生徒じゃない奴がいたわけで……3つ目の可能性は考えなかったんですか?」

 

「……3つ目……まさか、神代くんは……?」

 

「その通り、俺はここともアンタらとも違う世界からやってきた人間です。だから俺はアンタらの仲間じゃないし今後も戻る気は無い。むしろ敵になるかもしれない」

 

「敵って……どういうことですか?例え私達とも違う世界から来たのだとしても、目的は同じでしょう?」

 

「……もし、帰りの異世界転移がどちらか一方の世界にだけだと言われたら?有り得ない話じゃないでしょう。そもそも白崎に聞いたけど、ここに召喚されたのは貴女のクラス全員ではなく召喚された時に教室にいた人間だけ。まぁ、南雲ハジメ君だけは呼ばれなかったみたいだけど……。けどま、だからこそ本来ここに呼ばれるべきは弾かれた南雲ハジメであって俺はアンタらの召喚に巻き込まれただけ。俺の存在は根本からしてイレギュラーということになる。そうなると俺が自分の世界へ帰れる可能性ってのは低くなるんじゃないですか?……例えば、世界を跨いだ移動には非常に労力が掛かるからどちらか一方の世界にしか飛ばせません。もう片方の世界へ繋ぐには100年かかります、とか」

 

ただでさえ俺は異世界転移に巻き込まれやすい体質になっていそうなのだ。今回だって本当に呼ばれるべきはこの人達だけの可能性が非常に高い。そうなると、この人達を元の世界に返した上で俺が元の世界に帰れる確率は低いかもと思わざるを得ないのだ。

 

「……だとしたら、どうするつもりですか?」

 

「そりゃあ、俺ぁアンタら全員を皆殺しにしてでも俺を元の世界に返せと要求するつもりだったよ、最初にイシュタルさんに話を聞いた時から。もっとも、あくまで可能性の話だからこそ俺は、積極気には敵対していませんでしたけど」

 

「そんな───じゃあなんで貴方はクラスの皆とあんなに積極的に関わっていたんですか?私は聞いていますよ、神代くんがクラスの皆に馴染もうと色んな人と交流をしようとしていたと」

 

「それか……。そりゃ単純にアイツらの天職や持ってる技能を聞き出そうと思ってただけ。味方になるならもちろん、敵になった時にも情報は多ければ多い程良いから」

 

「なっ───」

 

やはり畑山先生はショックを受けているようだった。そりゃそうだ。たとえ自分の生徒でなくともこの人は俺のことも他の生徒と同じように扱ってくれていた。だから俺も畑山"さん"ではなく"先生"と呼んでいたのだし。だが俺の裏切りとも取れる発言により反応を示したのは生徒ですらなく───

 

「……貴様」

 

バンッ!とテーブルを叩き大きな音を立てて立ち上がったのは何故だか最初から席にいた騎士さんの1人。そいつの顔には俺への殺意で溢れていた。

 

「愛子を殺すと、そう言ったのか……?」

 

あまりの怒りに声が震えてしまっている。どうやら彼は畑山先生に随分とご執心のようだ。俺は運ばれてきた食事を受け取りながら言葉を続ける。

 

「可能性の話と言ったろうが。……ていうか貴方誰ですか?呼んでもないのに我が物顔で席に座ってるけどな、俺はお前らの同席を認めた覚えは無い。さっさと向こうの席に戻れ」

 

他に畑山先生の後ろに控えている何人かの生徒ならともかく、見ず知らずの騎士が堂々と席に着いている違和感に俺が触れ、さっきまで自分らがいた席に戻れと指差すと、どうやらそれも奴のカンに障ったようで、さらに青筋を立てて喚き始める。

 

「貴様ぁ……、我らが神殿騎士と知っての狼藉か……?そもそも自分が師と仰ぐ者への口の利き方だけじゃあなく、そこの獣風情と人間を同席させている時点で無礼なんだ!……せめてその耳を切り落としたらどうだ?少しは人間らしく見えるだろう?」

 

と、今度は俺だけでなくシアにもその矛先を向ける。ブルックでは出会う奴らは阿呆と変態ばかりだったが基本的に俺達を害してやろうというような奴はいなかったせいで忘れていたが、本来この世界でシア達亜人族は人間族からしたら差別の対象。しかもコイツは自分らを神殿騎士と言っていた。ならばその差別意識もまた格別なのだろう。別にこれはこの世界では普通のことで、俺がどうこうできるものではないのだし、シアにも今後旅を続けていくのなら少しは慣れてもらわなければならないのだ。だからそんな風にシュンとするなと、俺はシアにはそう言わなければならない筈だ。なのに、何故俺はこの口から糞以下の言葉しか出せない三下の首を締め上げているのだろうか。

 

「ガッ……ぎ、ざま……」

 

「もういい。もうお前は喋るな」

 

俺は自分が何故こんなことをしているのかも分からぬまま、目の前の薄汚れた男の首を握力で握り潰そうとしたその時───

 

「……天人」

 

俺の名前を呼ぶ声。愛おしいその声に俺の握力は決定的に緩んだ。

 

ゴドリと、俺の背後で何か重いものが床に落ちる音が聞こえたがもう何が落ちたかなんて一々気にならない。今俺の視界には愛おしくて美しい1人の女しか視界に映っていないのだ。

 

「……そんな小さい男、天人が殺す価値すら無い。早く食べないと折角の食事が冷める」

 

俺はその言葉にふと自分の中の熱が冷めていくのを感じた。そして、それもそうだと俺はユエに頷きながら、席に着くとようやく食事を開始した。すると、シアが恐る恐るといった雰囲気で俺とユエに質問を投げかける。

 

「……やはりこの耳は人間にとっては気味が悪いのでしょうか」

 

ふよふよと、シアのウサミミが所在無さげに揺れている。

 

「……そんなことない。シアのウサミミは可愛い」

 

と、ユエが答えれば、シアは今度は俺の方へそのウサミミを向けてくる。ユエも最近とんとシアには甘くなっているようで、はよ答えろと言う風に無言の圧力をかけてくる。

 

「……前にユエが言ってたろ。有象無象の言うことなんて気にするな。大事な事は大事な人が知っていれば良いって」

 

正直に話すのは気恥しいので前にユエの言っていた言葉を引用させてもらう。だがユエ的にはそれは許されないようだった。

 

「……シアのウサミミは天人も大好き。シアが寝てる時によくモフモフしてる」

 

「ユエ!?それは秘密だって───」

 

「天人、……メッ」

 

こういうことはちゃんと伝えないと駄目だぞと、ユエ様に叱られてしまった。そしてシアには秘密にしてね、と言っておいた筈のそれを聞いたシアは両手を頬に当ててクネクネしながらもウサミミがバッサバサしている。……だいぶ嬉しかったようだった。周りの、特に男連中からの視線が痛い。

 

「……とにかく、俺はアンタらに大した興味は無いし仲間意識も無い。ここへも仕事で立ち寄っただけだ。明朝にはここを出るからそれでお別れだよ」

 

俺は何かを誤魔化すようにここでの本題をまとめて話題を切る。そしてもう話すことは何もないのだという風に食事を再開するのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

畑山先生達と別れ、俺達は自分らの部屋に戻っていた。月明かりが部屋を照らす中で、俺はユエに語りかける。いや、これは懺悔だ。そしてユエに許しを乞うものではない。ただ己の罪を告白するだけ。

 

「……なぁユエ」

 

「……ん」

 

まるで言いたいことは分かっている、とでも言いたげにベッドの上で膝立ちになって両手を広げるユエ。それは全てを慈悲により赦す女神の様にも思える。だけど俺は、その腕の中に飛び込む資格なんて無くて───

 

「……分かってるだろ、ユエ。俺は───」

 

自分の目的の為なら簡単に誰かを後ろから撃てる人間なんだと、そう言おうとした瞬間、俺はユエの胸の中に収められていた。

 

「……何も言わないで。天人の気持ちは分かってるつもり」

 

「……離してくれ。俺はユエ、お前にだけはこうやって抱かれる資格なんて───」

 

そんなものは無いと、ユエの腕を解き、そう言おうとした。けれども俺が決定的なそれを言う前に再びユエの胸の中へ押し込められてしまう。

 

「……天人は私を裏切らない。違う?」

 

ギュッと、ユエのその言葉は俺の心臓を強く締めつける。胸が痛くて、息も出来ないくらい苦しくて、それなのに俺はユエから離れられない。

 

「違くない……違くないけど、俺は───」

 

「……なら大丈夫。私だけ……じゃないのは悔しいけど、それでも天人は私を大切にしてくれる。愛してくれる。ずっと一緒に居てくれる。だから大丈夫」

 

「ユエ……」

 

それでも俺には、お前にだけは言っておかなくちゃいけないことがあるんだ───

 

「……天人」

 

「ユエ、世界を渡るためには幾つか方法があるんだ……」

 

「……方法?」

 

「あぁ……」

 

これは、これこそが俺の罪。これをユエに言わないでおくことは本当の意味で彼女を裏切ることになる。これだけは、ユエには言っておかなくちゃいけないことなんだ。

 

「世界を渡る方法は能力や何かで越える以外に2つある。1つは偶然飛ばされること。何度も異世界転移を繰り返すと飛ばされやすくなるらしいけど……これは俺にもいつ起こるか分かんねぇんだ。そしてもう1つ……」

 

───それは、世界の運命を決定的に捻じ曲げること。そうすると、その世界の運命に縛られない俺のような存在はその世界から排斥される形で別の世界へと飛ぶことになる。

 

「……世界の、運命?」

 

「あぁ。世界にはある程度決まった運命があるらしい。そして、それに逆らえるのはその世界の奴じゃない奴。……要は、俺みたいな別の世界から来た人間だけなんだ……」

 

「……それは、どうやるの?」

 

「……大概は、その世界の中心になってる、もしくはこれからなる奴を消す。……それが1人とも限らないけど」

 

俺の言葉に、ユエは「……この世界だと?」と問う。だが俺はその問いへの明確な答えは持ち合わせていない。

 

「……それは俺もまだ分からない。……ともかくユエ、俺はその方法で何度も世界を渡ったんだ。隠しててごめん……これから話すことは、きっとユエには許せないことだと思うから……シアも、その時はユエに付いて行ってくれ……」

 

「……天人さん」

 

そこから俺は話し始めた。俺が1番最初に飛ばされた世界のこと。ISなんていう兵器のある世界で俺が何をしてきたのか、特に、その最後に何をして俺が別の世界へと渡ったのかを。織斑千冬と、篠ノ之束を殺したことを。

 

そして、全てを話し終えた俺が顔を上げると、そこには優しく微笑むユエの顔があった。人類の技術の粋を集めて作られた精巧なビスクドールの如き美貌を備える少女。300年の時を封印されながらも過ごした彼女は、今だって人を信じることが難しいのに……。それでもユエは───

 

「……さっきも言った。天人は私達を裏切らない。……それに、オスカーの屋敷で天人はよく魘されてた。……だから何かまだ言ってないことがあるのは知ってた。……それでもいつか話してくれるって信じてた」

 

「ユエ……俺は……」

 

「……大丈夫。私は天人を信じてる。だから天人も、私を信じて?」

 

ユエの白く細い指が俺の目元を拭う。それは俺が流したことにも気付けなかった涙。そしてユエは俺の頬に手を当て、ただ俺が愛おしいと微笑むのだ。俺の罪を受け入れ──それは本来彼女からすれば耐え難いトラウマの筈なのに──それを俺が彼女に向けることだけはないと信じている。信じてくれているのだ。だからこそ俺は───

 

「誓うよユエ。俺はお前と離れることは無い。何があっても、誰を敵に回しても。俺はお前とずっと一緒だ。愛してる、ユエ」

 

俺はユエの手を取り、その甲にキスを落とす。

そしてそのまま今度はユエの柔らかな唇へ。決して今の言葉を違える気は無いと伝えるために。俺は自分の熱をユエに送っていく。

 

「……んっ……はっ……天人……」

 

「ユエ……ユエ……」

 

もう今の俺にはユエしか映っていなかった。ユエから伝えられる熱と自分の奥底から煮え滾るそれに浮かされるようにユエを求めて───

 

「ゴッホンゲッホンふんるぬらばっしゃぁぁん!」

 

謎の奇声によって現実に引き戻された。

 

「折角盛り上がってるところ悪いんですけどね、いい加減私の存在も思い出してほしいですぅ」

 

「……シア」

 

「ていうか、天人さんも天人さんですよ?さっきはわけも分からなくなるくらい私のことで怒ってくれたのに。すぅぐユエさんの方に流れるんですから」

 

「そんなん言われたってなぁ……」

 

「天人さんはもっと私にも甘えてください。天人さんの過去に何があろうが、それでも天人さんは私達を救ってくれました。天人さんの昔の罪が変わらないように、私達にしてくれたこともまた、不変なんですよ?」

 

「……んっ。天人、おいで」

 

誘われるがまま、ユエを抱き留めればそのままユエは後ろに身体を傾けて俺共々ベッドへ飛び込む。それを見たシアが「私もですぅ」とさらに上から飛び乗ってきた。

 

「……重しウサギ」

 

「ユエさん?」

 

シアの圧力が怖い。自分で言ったくせにユエも目を逸らしている。俺は1つ溜息を付いて2人の間から抜け出し、そのまま2人をまとめて抱き締める。

 

「……天人」

 

「た、天人さん!?」

 

落ち着くユエと慌てふためくシアとで反応は対照的だ。けれどどちらの反応も俺にとってはどうしようもなく愛おしい。だから俺は何も言わずに眠りに落ちるまで2人を抱きしめ続けた。

 



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ティオ・クラルス

 

夜明け頃、俺達は宿泊していた「水妖精の宿」のすぐ外にいた。ここから北の山脈地帯に向かい、ウィル達を捜索するのだ。

 

既に消息を絶って5日が経過している。タイムリミットからは大幅に時間が経過してしまったため正直なところ生存の可能性は厳しいものであると言わざるを得ない。だがまぁ、それはあくまで災害に巻き込まれ身動きの取れない人間であれば、という前提だ。実際、人間は2週間は食わなくてもギリ生きていける。だが水を飲めなきゃ3日で枯れて死ぬ。これが72時間の理由なのだから。冒険者と一緒に森の中で襲われたのなら、上手く逃げられれば水だけは確保できるかもしれないし、食う物も少しはあるやもしれない。

 

それに、俺には夜目の固有魔法があるから夜通しの調査も出来なくはないが、その分ユエとシアの目──特にユエの探査能力はそれほど高くない──には期待できなくなる。その上、元々が死んでしまっている可能性の非常に高い人物だ。そのため、できるだけ急ぎはするけれども、だからと言ってそこまでの無理をする必要性も感じなかった、というのが一旦宿泊を挟んだ理由だ。

 

そして、まだ日の昇っていない薄暗さの中、俺達が町を出る門まで歩いて行くと、そこには畑山先生と、彼女が昨日連れていた生徒達が待ち構えていた。後ろに人数分の馬が控えているところを見ると、どうやら同行するつもりのようだが……。

 

「……何してんの?」

 

「私達も行きます。行方不明者の捜索だとお聞きしました。人数は多い方が良いですよね」

 

やっぱりな。けど───

 

「……別に、そっちが勝手に動く分には構わないっすよ。だけど一緒にってなら断らせてもらいます」

 

「何故ですか?」

 

「単純に移動速度が違うんで。そっちに合わせてチンタラ進む気は無いです」

 

俺は宝物庫からバイクを取り出した。本当は車で行くつもりだが、あれは席が多いので乗せろと言われても面倒だからだ。

 

「それ、バイクか!?神代が作ったのか!?」

 

確か相川と言ったか。その男子生徒は俺が虚空からこの大きさの物質を取り出したことよりバイクの存在そのものに興味を惹かれているようだった。

 

「あぁ、うん。……じゃあ俺達はもう行くから。そこ退いてくれ」

 

まさか轢いて行くわけにもいかないので退くように促すが、畑山先生はまだ諦めていないようで、退く気配を見せない。その行為でジッとユエに睨まれるが、畑山先生はそれを無視して俺に顔を寄せてくる。どうやら生徒達には聞かせたくない話のようだ。

 

「私はまだ神代くんから聞かなければならないことがあります。それを聞くまでは神代くんがいくら逃げようと確実に追い掛けます。これでも私、結構顔が効くんですよ?……いいんですか?それよりも今日1日、移動や捜索の合間に私の質問に答えた方が楽だと思いますけど」

 

この人、いい性格してるな。ここでこの人を放っておいたらそれこそ昨夜の熱狂的な神殿騎士達すら使うのだろう。それを一々叩き潰すのも面倒だ。別に今更この人から出てくる質問程度、話してどうなるわけでもあるまいし、それでこの先の面倒が減るのならここは我慢もしようか。

 

「……ちっ」

 

舌打ち1つで俺はバイクを仕舞い、四輪を宝物庫から取り出す。造作もなく大質量の物を出したり仕舞ったりする様を見て生徒達は驚きに硬直しているが一々構うのも面倒だ。適当に放り込んでしまおうか。

 

「……天人、連れてくの?」

 

「あぁ。ここで放っておいて後でウダウダと絡まれても面倒だからな」

 

ユエはやや不満げだが、仕方あるまい。

というか、多分ユエが不満なのはこの人を連れて行くことそのものよりも先生が俺の横に陣取ることなんだろうけど。

 

実際、道中の車内では先生は俺の真横、ユエは俺との間に先生を挟んだ位置に座っていた。時折ジトっと先生を睨んでいたから、俺の読みは当たったんだろうな。シアはシアで女子連中に挟まれて恋バナの標的にされて居心地が悪そうだし。なんかこっち側誰も得してねぇな……。

 

「……車じゃここまでかな」

 

畑山先生からは俺のこと、旅の目的について根掘り葉掘り聞かれた。当然"武偵"に関してもだ。もっとも、武偵なんて職業の1つでしかないからそんなに聞かれても……とは思わんでもなかったけどな。

 

そして、俺達はようやく北の山脈地帯の麓に辿り着いた。ここから先は木の根もあるし車では難しい。徒歩での移動になるだろう。紅葉が見事だったが残念なことに今はゆっくり見上げている時間もない。

 

俺は宝物庫から、感応石含めミレディから強だ……もとい、譲り受けた幾つかの鉱石と、重力魔法を付与した重力石を組み合わせて作り上げた無人偵察機を4機程飛ばし、上空からも探査を掛ける。

 

「何ポカンとしてんの。置いてくぞ」

 

まさか異世界で無人偵察機を見ることになるとは思わなかったのだろう。顎が外れんばかりに口を開けてる生徒達を起こして、俺達は山の中へと足を踏み入れた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

北の山脈地帯、一直線に抉り取られた河原、そこの源である滝の裏側にはたしてウィルはいた。今は疲れて寝ているようだが近くにはカバンがあることから多少の食料は携行していたと思われる。

 

幸い、服の中までは分からないが外から見る限りは大きな怪我もしていなさそうで、ここまでの道中で見つけた武器や荷物を鑑みると彼を連れた冒険者一行は彼を逃がすために殿(しんがり)を務めたのかもしれない。それでやっとほうほうの体で逃げ出した彼はここに辿り着いたのだろう。ここの水質までは分からないが見る限りは綺麗そうではあるし、ここに隠れていたのなら5日もの間命を繋げたのも納得だ。

 

さてと、俺は寝ているウィルの頬をペチペチと叩いて起こす。するとモゾモゾと起きだしたウィルは俺を見て一瞬ギョッとしたがすぐに魔物ではないと気付いたのか目を瞬かせた。

 

「確認だ。お前がウィル・クデタか?クデタ伯爵家三男、ウィル・クデタ」

 

「……え?……あぁ、はい。そうです。私がウィル・クデタです。えと、あなた方は……」

 

「俺は天人。神代天人だ。フューレンギルド支部長のイルワからの依頼によりお前達の捜索に来た。本人から身元の確認が取れて幸いだ」

 

「イルワさんからの……。そうですか、私はまたあの人に大きな借りを……。あの、貴方も。ありがとうございます。あの人から直々の依頼だなんて余程の凄腕なんですね」

 

ウィルの目には俺への憧れの念が混ざっているように見える。元々が冒険者として旅立ちたいというような奴らしいから、腕の立つ冒険者の人間は憧れなのだろう。

 

「あぁ、まぁな。で、何でこんな所で寝ていた?魔物に襲われたのは分かるが、外の戦闘痕は半端じゃなかった。アレを作れるような奴はここいらにはいない筈だが……」

 

「あぁ……そう、そうなんです。実は───」

 

ブルりと、追われる恐怖を思い出したのかウィルは震えながら語りだした。恐怖の記憶を。ここに来るまでに何があったのかを……。

 

「わ、わだじは、ざいでいでず……。皆じんでじまっだ……何のやぐにもだだないのに……いぎのごっだごどをよろごんでいる……」

 

それなりに整った顔をそれはもう涙と鼻水とでぐっちゃぐちゃに汚しながらウィルは後悔と懺悔を繰り返す。何故自分が生き残ってしまったのかと、そして何故尊敬する人たちを犠牲にしてまで生き延びて、あまつさえそれを喜んでしまっているのかと。俺はそんなウィルを見て、思わず彼の胸ぐらを掴んでしまう。

 

「生き残ったことを喜ぶことの何が悪い。何故お前が生きているかって?決まってる。他の奴らがそれを望んだからだ。だからお前を助けた。お前は喜ぶべきだ。手前の尊敬する冒険者達が命を賭して繋いだ生存の道を、お前は掴み取ったんだ。だから死んだ奴らのことを想うのなら、お前は生きろ。これからも何があっても、意地汚くてもいいから生きるんだ。そうすりゃいつか、生きてて良かったと思える日も来るはずだ……」

 

そこまで語って、何やってんだかと我に返った俺はウィルを適当に放る。溜息を付く俺の袖をユエが軽く引っ張り、そっちを向かせる。

 

「……ユエ」

 

「……天人は間違ってない。……生きて、全力で。一緒に……」

 

「あぁ、俺は生きるよ。絶対に。ユエを1人にはしない」

 

「……んっ」

 

そうしてしばらくユエと見つめあった後、俺達は下山を開始することにした。存外早く結果を得られたこと。そして得られた結果は最高、とまではいかないが最優先だったウィルの生存により上々と言って良いだろう。もちろん、死んだ冒険者のことを考えれば俺達が大喜びするのも違うのだけれど。

 

そして滝の裏側から出てきた俺たちを迎えたのは───

 

 

───漆黒の鱗を纏った竜だった───

 

 

 

───────────────

 

 

 

上空数メートルから俺達を黄金の瞳で睥睨するのは全長にして7メートルはあろうかという黒い竜だった。爬虫類を思い起こさせる縦に割れた黄金の瞳は、なるほどウィルが先程己に刻まれた恐怖と共に語った死神のそれなのだろう。そしてその鎌首は今俺達に向けられている。

 

低い唸り声が奴の喉から漏れ出ている。そこに宿る殺意と全身から溢れ出る圧力はかつてライセン大渓谷で会敵したハイベリアとかいう魔物とは比べ物にならない。奴らがまるで赤子のように思える程の圧倒的存在感。それに畑山先生達は身体を硬直させ、ウィルに至っては腰を抜かしてガクガクと震えてしまっている。そのウィルの方へ黒竜が視線を移すと、その地獄へと誘う顎門が大きく開かれる。

 

「ユエ!シア!」

 

「んっ!」

 

「はいですぅ!」

 

あぁなってしまったら畑山先生達やウィルはろくに動けないだろう。ならば動ける俺達が守るしかない。ユエが聖絶を展開、シアはドイツ語で"押す"というような意味を持つドリュッケンと俺が名付けた戦鎚──名前が欲しいと言うので態々考えた──を構える。

 

そして俺は縮地でさらに前へ出るとウィルと奴の射線上に入り込み、そこで大盾を宝物庫から展開。ギリギリのところで骨は繋がり、そこに神水の効力が追いついて欠損こそ免れたが、奈落の底の100層であの白銀色の蛇野郎にぶち抜かれた神機のタワーシールドではこの世界の魔力相手には分が悪い。故に俺はオラクル細胞に頼らない防御手段が必要だったのだ。

 

それがこの大盾。タウル鉱石をメインに、シュタル鉱石を挟んで表面をアザンチウム鉱石でコーティングしたもの。そしてその大盾を魔力操作でさらに展開、杭を地面に突き刺し固定。俺の踵にも錬成で土を盛り上げて吊っかえを作った上で鉄板を仕込んだ靴の裏からも錬成でスパイクを出して足元を固定した。

 

その瞬間に放たれた漆黒の殺意が俺の盾に叩き付けられる。

 

「ぐっ……」

 

思わず俺の喉奥から呻き声が漏れた。金剛すら付与して絶大な防御力を誇る大盾、しかもアザンチウムが仮に突破されても錬成師である俺ならばすぐに修復が可能だ。その上シュタル鉱石は魔力を注げば注いだだけ硬度を増す。それ故この盾が貫通されることなぞほぼ無いだろうが、それでも黒竜はその顎門から放たれた黒いブレスの圧力で盾ごと俺を吹っ飛ばそうという算段なのだろう。だが後数秒耐えれば俺の勝ちだ───

 

「禍天」

 

そしてやってきた待望の声。

その声が響いた瞬間、黒竜の頭上に直径にして4メートル程の渦を巻く黒い球体が現れた。そして見る者を吸い込まんとするかのような闇色のそれが、黒竜を叩き落とそうと落下した。

 

「グルヴァァァァ!?」

 

凄まじい音を立てて地面へと墜落させられる黒竜。それと同時に俺に掛かっていた圧力も消え去る。ユエの放った重力魔法───禍天。

 

消費した魔力量に比例した超重力の塊を作り出しそれによって敵を叩き潰す魔法。ユエの魔法の才覚を持ってしてもいまだ発動には10秒程時間を要し、効率もあまり良くはないとのことだが、それでも威力は絶大の一言。さらに───

 

「しゃおらぁぁぁぁ!!ですぅ!!」

 

雄叫びを上げたシアが空中へ飛び上がり、ドリュッケンに仕込まれた撃発の反動も利用した一撃を、黒竜の頭に叩きつけた。

 

───ドッガァァァァァンンン!!

 

と、轟音を立てて大地をも砕く一撃はこれまでの比では無い。あのドリュッケンには重力魔法を付与してあり、重さ軽さがシアの思うがままなのだ。シアの膂力と相まって破滅的な威力を誇る一撃を受けた黒竜は───

 

「グルワァァ!!」

 

咆哮と共に舞い上げられた粉塵の中から炎の砲弾が打ち上げられる。どうやら無理矢理首を振ってシアの致命的な一撃を回避したらしい。そして撒き散らされる炎弾を重力魔法によって横に落ちることで回避したユエだが、それによって禍天の拘束も外れてしまう。解き放たれた黒竜がその長大な尾を振るい、シアを叩き飛ばす。ドリュッケンを間に挟むことで直撃そのものは避けたものの、森林の奥まで飛ばされたシアはしばらく戦線復帰は叶わない。ならばと俺は拳銃を2挺抜き、黒竜へ向けて構える。

 

「ユエはそいつらの守りを頼む。コイツは俺が叩き潰す」

 

荘厳さよりも狂気を感じさせるその黄金の瞳を睨み、俺はロングマガジンを差した拳銃の引き金を引く。

 

ドパァッ!と、拳銃が独特の発砲音を響かせそれを置き去りにした弾丸は空気の壁を突き破り、黒竜の肩の辺りに着弾し奴を水面へ叩き落とした。だが弾丸は貫通せず、俺の放った銃弾はその黒い鱗を僅かに欠けさせただけで決定打にはなり得ないようだった。

 

「またか……」

 

本来ならここで両腕をもいでしまいたかったのだがどうやらそれは叶わないようだ。そしてウィルが奴と俺の一直線上にいるのは不味いから、さらに回り込んで奴を這いつくばらせようとするも、黒竜は俺には興味が無いような雰囲気で炎弾をウィルへと吐き出す。

 

「ユエ!」

 

「んっ、波城」

 

ユエの生み出した水の壁にぶつかり、炎弾は消え去る。さらにここまできてようやく異世界から来た生徒達も我を取り戻したようで、一斉に魔法の詠唱を開始する。

 

次々と放たれる炎や風の魔法。しかし異世界からやって来て途方も無い才を与えられた彼らでも、根本的に戦闘から離れていたことは致命的だった。いくら才能があろうと、鍛えられていないそれではあの黒竜には届かない。放たれた魔法は尽く黒竜の咆哮の1つで掻き消されてしまう。

 

「お前ら邪魔だ!こっから離れてろ!」

 

しかし、さっきから俺も何度も弾丸を放ってはいるのだが一向に奴の注意を引けない。確かに拳銃では火力不足のようで奴の鱗を薄く砕くに留まってはいるが、それにしても異常だ。まるで、ウィルを狙うことだけしか頭にないようだ。

 

なら───

 

「ユエはウィルの守りに専念してくれ!」

 

「んっ」

 

そして俺は拳銃を宝物庫に仕舞い、対物ライフルを取り出す。こいつの貫通力ならどうだ?

炎弾ではユエの城壁を破れないと悟ったのか、再び顎門を開き、例の黒いブレスの準備をする黒竜。だが俺の対物ライフルの気配を感じ取り流石に無視出来ないものと判断したらしく、その矛先を俺へと移す。対物ライフルへの纏雷の充填とブレスの充填の完了はほぼ同時。時を同じくして放たれた2つの殺意は漆黒と真紅の閃光となりぶつかり合う。だが俺の放つ対物ライフルの弾丸が持つ貫通力は莫大だ。ブレスの真っ只中を突き破り、多少軌道は逸れたがそれでも奴の顎門を掠め、歯を砕きブレスの軌道の根本を逸らしたことでその黒の暴威が俺へと降り注ぐことは無かった。ただの熱量であれば、オラクル細胞の結合を破ることは出来ない。さらに歯を砕いた程度では運動エネルギーをまだまだ残している俺の弾丸は、奴の背中の方へ抜けて片翼を突き破る。

 

その衝撃で黒竜は錐揉みしながら地上へ落下する。その隙に俺は対物ライフルを仕舞い、拳銃を左手に、右腕は焔龍の右腕を顕現。一気にゼロ距離戦闘を仕掛ける。

 

俺は縮地と炎の加速で一瞬にして近付き、地に伏した黒竜の腹に炎の推進力で速度を増した拳に豪腕の固有魔法を乗せて叩き込む。地面が蜘蛛の巣状にヒビ割れ、黒竜が苦悶の声を漏らす。更に豪脚を入れた蹴りで黒竜を浮かせると、そのまま腹に拳銃弾をばら撒いていく。

 

「ゴッガァァァ!!」

 

浮き上がった黒竜はその体勢のまま純粋な魔力の塊を放出。その圧力で俺を押し潰そうとする。だがその瞬間に俺は縮地で黒竜の真下を脱出し、拳銃弾で翼膜を撃ち抜き飛行能力を奪っておく。そして空力で奴の頭上を旋回するように動き回りながら拳銃で後頭部、牙、翼や後脚の付け根等を中心に狙い撃ちしていく。そうして射撃によって黒竜がバランスを崩せばまた接近して豪腕や豪脚を使って顎や眉間、腹を打ち、地面を転がしていく。

 

対物ライフルやガトリング砲を使わずに黒竜を痛めつける理由は1つ。畑山先生達から俺のことがハイリヒ王国へ伝わった際に無闇矢鱈とちょっかいをかけられないようにするためだ。勇者一行や神殿騎士共に俺達の討伐任務を請け負わせるような愚行をさせない為、この黒竜には俺の力を存分に見せつける的になってもらっている。

 

また縮地と空力で近付き豪脚を乗せたカカト落としを奴の眉間に叩き込む。さらに頭が下がったところに炎の推進力と豪腕を乗せた裏拳とアッパーカットを連続で入れて奴の視界から俺の姿を切る。その隙に身体の下へ潜り込み、腹へ拳を叩き込み、少し浮かせた後に力任せに引っくり返す。見せしめももうこれくらいでいいだろう。

 

と、俺はライセン大迷宮では威力が十全に発揮できなかったパイルバンカーを取り出す。そしてアームで照準を固定。総重量4トン、世界最高硬度の鉱石すら撃ち砕く魔杭の準備を整えていく。だが───

 

「グルグゥワァァァァ!!」

 

窮鼠猫を噛む、と言うよりは手負いの獅子の方が相応しいだろう。

2度目の魔力の爆発だ。それに加え、身体強化を全開で使ったのか、パンプアップなんて言葉じゃ到底収まらない程に筋肉が膨張し、パイルバンカーのアームを振りほどく。俺はその衝撃とパイルバンカーの自重によってたたらを踏み、思わず杭の先端を上に向けてしまった。そして発射直前のタイミングだったこともあり杭の射出は止められない。そのまま虚空を突き破っていく魔杭を見ることもなく俺は黒竜の腹の上から振り落とされる。杭が無ければ無用の長物である発射機構を宝物庫へ仕舞う隙に黒竜は最後の足掻きだろうか、ウィルの方へと爆進する。

 

「シア!」

 

「はいですぅ!!」

 

だがその前には先程ようやく戦線復帰したシアがいる。シアは戦鎚・ドリュッケンを大きく振りかぶり、空中へ跳躍。己の持つ身体強化と撃発の反動、更にドリュッケンへと魔力を注ぎ重量を増すそれを、全力で猛進する黒竜の頭に、轟音と共に叩きつけた。その威力に黒竜は地面へと頭をめり込ませ、慣性の法則に従って下半身はほぼ垂直に起き上がってから地へ落ちた。あれを喰らってもまだ頭部は鱗をやや砕かれた程度で原型を留めているのだから空恐ろしい耐久力だ。

 

そしてタイミング良く俺と黒竜との間に降ってきたのは先程空へと打ち上げてしまったパイルバンカーの杭。俺はフューレンに来る前まで同行していた商人の言葉を思い出しながらその杭を掴みあげる。その重量故に振り回すのも一苦労だが、豪腕の固有魔法も使ってそれを持ち上げ、まるで野球のバッターの様に構える。もちろん狙うのは奴のケツだ。俺の狙いを察したのかウィルや畑山先生、生徒達も頬を引き攣らせる中、俺は4トンの杭を黒竜のそこの中心部へ向かってフルスイング。そしてその門を行儀良くノックした杭はゴッ!というような鈍い音を立ててその衝撃を全身に伝えていく。その瞬間───

 

──アッーーーーなのじゃぁぁぁぁ!!──

 

どこからともなく女の声が響き渡った。

 

──お尻がぁ……妾のお尻がぁぁ……──

 

諺の通りならもう一暴れくらいあるかと思ったのだが、思いの外普通の反応をされてしまった。いや、竜から女の声が響く現状は意味が分からないのだが……。それはそれとして予測とは違ってあんまり面白い反応とは言えなかったので、もう一度杭を振りかぶり、叩きつける。

 

──ヒイィィィン!!──

 

これでもビクビク震えるだけであまり期待していたものは見れそうもない。だがそれはそれ。人の言葉を解す竜なぞこの世界では見たことがない。その上さっきまでの執拗、というより何かに取り憑かれたかのようにウィルだけを狙い続けたこともよく考えなくても異常ではある。気になることは多いので聞き出すならこの状態で進める方が良さそうだ。まぁ、こいつの正体に関しては人の言葉を話した時点で当たりは付いているのだけれど……。

 

「お前、竜人族か?」

 

更に杭を振りかぶり、もう一度ケツのド真ん中に向けて金属バットよろしく振り抜く。

 

──アッ───!?……ふぐ……うぅ……い、いかにも……妾は誇り高き竜人族の1人じゃ。偉いんじゃぞ?凄いんじゃぞ?だからお尻を執拗に叩くのは止めてたもぉぉぉん!?──

 

「妾って面かてめぇ」

 

竜人族であると言うだけで何が偉いのかさっぱりだったのでとりあえず杭でもう一度ドツく。だが思っていた程の効果は無いかもしれないな……。しかし竜人族か……確か500年前に滅びたとか書かれていた記憶があるが、こいつの言いぶりからすると、一族皆でどこかへ隠れ潜んでいるのかもしれない。

 

「……なぜ、こんな所に?」

 

俺が誇り高いことで有名だったらしい竜人族の、残念で駄目駄目な姿に呆れているとユエが黒竜へと質問をする。その目には珍しく好奇心が溢れて輝いている。

 

──こ、答えるから……尻を叩くのを止めてたもう……魔力残量がもうほとんど……あっ!?止めるのじゃ、グリグリ刺激するでない!振動がっ!──

 

「止めてほしいなら質問に答えろ」

 

とは言えグリグリしていても話は続けられなさそうなのでそれは止めておく。黒竜も振動が止まったことにホッとしたようで、質問に答えてゆく。その声に若干の艶が感じられる気がするのだが、気のせいということにしておく。

そしてコイツから飛び出た情報は、俺達をウルの町へ帰らせるのには充分以上のものだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「武偵である神代天人さんに依頼します。魔物の侵攻からこの町を救ってください」

 

竜人族の女はティオ・クラルスという名前だった。そしてそのティオが言うには彼女はその昔、竜人一族とともに世界の果てへ姿を隠した。そしてしばらくの時が経ち、膨大な魔力と共に何者かがこの世界へやって来たことを察する。それの正体を確かめるためにここへやって来たというのだ。

 

だが世界の果てからここへ来るまでの間に消耗した体力を回復させるために森の中で竜の姿で寝ていたら人間族と思われる若い男に丸一日掛けて洗脳され、ウィル一行を襲ったということらしい。いや、一日中洗脳されて起きないってどういうこと?とは思うが割とコイツは駄目な奴っぽいので気にするだけ無駄かもしれない。そしてティオ曰く、自分を操っていた人間はさらに数千の魔物を支配下に置き、軍勢を作っているらしい。

 

その話を聞いた直後に俺の無人偵察機が捉えた情報では、数千どころか数万の魔物の大軍がウルの町に迫ろうとしていた。そして俺達は可及的速やかにウルの町に戻って来てそれを伝えたのだが、その直後の畑山先生の言葉がこれだったのだ。確かに畑山先生には武偵という存在についても話をした。だから俺達を引き留めたのだろう。確かに今すぐ訪れる数万という数の魔物の侵略からこの町を守るにはこれしかない。だけどな───

 

「……車ん中でも話しましたけど、武偵は金で動く。別に金である必要は無いけど、要は報酬を払えるのかということです。畑山先生に払えますか?数万の魔物と戦うという仕事に見合う報酬を。強襲科のSランクは安かぁないですよ」

 

こうやって脅してみてはいるが、正直魔物と戦うなんていう任務の相場なんて知らないから適正金額も分からないのだが。それでも万の大軍と戦えというのだ。100万や200万では代えられないのは確かだろう。

 

「……お金でなくてもいいのなら、私は神代くんに生き方を支払います」

 

「……生き方?」

 

「はい。今の神代くんは何か見返りが無ければ動かず、かつ自分の大切なもの以外は全て切り捨てようとしています。違いますか?」

 

「……そう、ですね」

 

耳に痛いがそれは頷くしかない。俺はこの世界ではそのように生きようとしていたからな。

 

「ですが、それはあまりに寂しい生き方だと思うのです。それはきっと貴方の大切な人にも幸せをもたらさない。貴方が彼女達の幸せも願うのなら、出来る範囲で良いです……、もっと周りの人を思い遣る気持ちをもってください。そして、まずは手始めにここでウルの町を魔物から救ってください。そこから見える景色はきっといつもと違って見えるはずです」

 

畑山先生の言葉はきっと正しい。けれど……

 

「なるほど。言いたいことは分かりました。……けど駄目だ。それじゃあ俺は動かない」

 

「……っ!」

 

「畑山先生の言っていることが間違ってるとは思いません。けど、俺は前にそれで大切な人を失いそうになったことがある。だから俺は───」

 

「……天人」

 

優先順位は動かさない、あの時調子に乗っていた阿呆な自分を何度目とも知れず殴りつけながらそう続けようとした時、ユエが俺の袖を引っ張って呼びかける。

 

「……私達を失うのが怖いの?」

 

「当たり前だろ」

 

俺はもう大切な女を失いたくない。目の前でコイツらを失うようなことがあれば俺はもう……。

 

「……なら大丈夫。私達はどこへも行かない。万を超える魔物が来ようが何が来ようが───」

 

「私達はずっと天人さんのお傍にいます!それを邪魔するような奴は全員叩き潰してやります!」

 

ユエとシアが、決意の籠った瞳でこちらを見る。私達を舐めるなと、たかだか数万の魔物程度ではどうにかされてやるものかという強い想い。俺の恐怖なんて力ずくで吹き飛ばしてやるんだという決意がその目からは溢れていた。

 

「……ユエ、シア……」

 

「……武偵憲章3条、強くあれ。ただしその前に正しくあれ」

 

ユエが唱えたのは武偵憲章。前に俺が教えたのを覚えていたみたいだ。

 

「天人さんの守るべき矜恃、なんですよね?……何が正しいのかは私にも分かりません。大切な人を失ってしまうくらいなら、いっその事その他全てを切り捨ててもその人を優先することが間違ってるとも思えないです」

 

「……けど私達は天人から離れない。天人が私達を失うことは絶対に無い」

 

ユエがその小さな両手で俺の手を握る。その手は暖かく、俺の指先はその温度に包み込まれた。

 

「ですから、天人さんは天人さん自身が正しいと思ったことをしてください。それでも私達を失うことが怖いのなら私達はそれに従います」

 

俺はリサを失いそうになったあの時、気が狂うかと思った。いや、実際に狂いかけていたのだろう。いくら異世界とは言え、普段ならあんな必要以上に恐怖を煽るやり方で誰かを殺すようなことはしない筈だ。

 

その上、他の奴らが殺られたこともあったにしても、態々他の国に戦争なんて仕掛けた。いつもの俺ならリムルを止めた筈だ。だがあの時俺はそれをせず、むしろリムルの中の炎を煽っていた。結果的に俺は魔王へと覚醒し究極能力を得ることになったわけだが、それはとりも直さず1万の命を消し飛ばしたという事に他ならない。それだけあの時の俺は心に余裕が無かった。リサを失いかけた、それが俺の中に影を落とすのだ。ただそれでも、ユエ、シア……お前らにそんなことを言われたら俺は……。

 

「ここでウィルを引き摺ってでもフューレンに戻ったら、俺ぁお前らを信頼していないことになるだろうが……」

 

「いえいえ、ただ天人さんはとても臆病で怖がりなんだなぁと思うだけです。それで幻滅したり失望したりなんてしませんよ?」

 

シアがわざと煽るような顔をして俺の反応を伺う。まったくコイツは……。

 

「アホか、大して変わらんわ。ったく……いいよ、畑山先生。やってやるよ、魔物風情が何匹来たって纏めて叩き潰してやる」

 

「神代くん……!」

 

「それはそれとして、戦えない奴はフューレンの方へ逃がしておいてください。頼みました」

 

「はい!」

 

さて、有象無象とは言え数が数だ。戦いの基本は頭数だからな。こっちもそれなりに準備を整えなくちゃ町単位での防衛戦なんてやってられない。……あまり時間も無い。人目はこの際気にしないでやっていくしかないな。

 



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6万もの軍勢

 

 

「それが、神代くん達が旅を続けている本当の理由……」

 

夜明け前、町の外周に錬成で高さ4メートル程の外壁を作り終えた俺は、武器弾薬の確認をしながら澄んだ空気の中で畑山先生と向かい合っていた。俺は畑山先生とオスカー・オルクスやミレディ・ライセンから聞いた、この世界の狂った神の秘密について情報を共有しておいたのだ。

 

「今聞いた話をどう使うかは畑山先生に任せます。誰に喋っても良いし、誰にも言わなくても良い」

 

「……分かりました。でも何故今この話を……?」

 

神に人間の認識を操作する力がある以上、この話をしたところで大した意味は無い。だがそもそも奴はこの地上で起きたことを全て把握出来る程に万能なのか、という疑問はある。何せ奴は神ではない可能性すらあるのだ。だから俺はあくまでも役に立てば上々という程度の楔だという認識だった。そしてそれを過不足無く伝えれば畑山先生はまた俯いてしまう。結局のところ、俺はこの人達を仲間として見れないのだということが伝わったらしい。

 

「……神代くん」

 

「んー?」

 

「ティオさんの仰っていた黒ローブの男ですが……」

 

「あぁ、清水だっけか……。いいよ、連れてきます」

 

「まだそうと決まったわけではっ……!……でもそうですね、ありがとうございます」

 

先生としては生徒のことを信用したいのだろうが、ティオによれば他の生徒達と同い年位の人間族の男。そして丸一日掛けたとは言え伝説の竜人族を洗脳出来、かつ数千から数万の魔物を操る術を持つ奴なんてのは限られてくる。そして俺の記憶では確か、清水の天職と持っていた技能は魔物を操ることに長けていたものだった。それに加えこのタイミングでの本人の失踪。しかも今だ行方知れず。確実な物証こそ無いものの、状況証拠が物語るこの件の犯人は十中八九清水なのだろう。もっとも、いきなり人間族を裏切って魔物を操るとなると清水の奥にはまた別の黒幕がいるのかもしれないが……。

 

だが確かに先生の言うことにも一理ある。状況証拠は揃いに揃っているものの、確実な物証は現状では手元に無い。ならばここでとっ捕まえて白黒はっきりさせるのも1つの手だ。

 

「ふむ、話もまとまったところで少しいいかの?」

 

そのうち集まってきた生徒達や神殿騎士の間から俺の耳に届いた聞き慣れない声に振り向けば、そこには金と赤の刺繍の入った黒い着物を艶やかに着崩した、背が高く長い黒髪の女が立っていた。

 

「……ティオか」

 

正直存在を忘れていたので「お前居たの?」というような顔でティオを見れば、それすら快感のようでティオは己の身体を掻き抱くような仕草をする。

 

「えっとじゃな、お主はこの戦いが終わればウィル坊を届けてまた旅を再開するのじゃろ? 」

 

おっほん、なんてわざとらしい咳払いでユエ達の冷ややかな視線を誤魔化すと、ティオは話を続けた。

 

「でじゃ、その旅に妾も同行させてほしいのじゃ」

 

「嫌だが?」

 

シア以上にややこしい事情を抱えているコイツを連れていく気は無いのでそう即答してやる。

 

「……ハァハァ、予想通りの即答。流石ご主……ではなく、もちろんタダでとは言わん。これよりお主をご主人様と呼び、妾の全てを捧げよう!身も心も!全てじゃ!」

 

「今すぐ帰ってくれねぇかな……」

 

この際勇者周りの話を一通り全部話してやるから帰ってほしい。ていうか、畑山先生に話した神のくだり聞いてたのならもう良くない?任務達成でしょ。あと、他人の性癖に文句付ける気は無いけど、それを俺に向けるのは勘弁してほしい。俺にそっちの気は無いのだ。

 

「そんな……酷いのじゃ……妾をこんな身体にしたのはご主人様じゃろうに……責任取ってほしいのじゃ」

 

その台詞にギョッとする畑山先生とやたら冷ややかな目線を俺に向けるユエとシア。待て待て待ってくれ、俺は何にもしてないだろうが。

 

ヨヨヨ、とティオがしなだれたのでそれに「どういうことだ」という目線をくれてやればコイツはそれもまた甘美なようで喜ぶだけ。もう本当勘弁してくれよ……。

 

仕方ないのでちゃんと語弊の無いように伝えろと言えばティオ曰く、里でも一二を争うくらいには強く、頑強だった自分の鱗の防御を抜いてダメージを与え、あまつさえそれを連続でしかも大量に叩き込まれたことで新しい扉を開いてしまったらしい。え?これ俺のせい?とユエとシアの方を振り向けば、彼女達は彼女達で溜息を付きながら首を横に振る。両肩を竦め、やれやれだぜ、みたいなお揃いのポーズをとりながら。どうやら俺のせいらしい。

 

「それにな、妾、自分より強い男しか伴侶と認めておらなんだのじゃ……。じゃが里にはそんな奴はおらん。それがここへ来て初めての敗北……いきなり組み伏せられ……初めてじゃったのに……いきなりお尻になんて……もうお嫁に行けないのじゃ……責任取ってほしいのじゃ……」

 

このティオ、なまじ見栄えが良い上に確かに嘘は付いていないからか、一々言葉に真実味がある。しかも案外演技派のようだ。こっちとしては洒落にならないが……。ていうか畑山先生達もユエ達も、全部知ってるんだから何か言ってくれ。騎士たちなんて、完全に俺を見る目が犯罪者を見るそれになっているじゃないか。

 

だがユエ達も「あれはない」というような顔で味方をしてくれる素振りすら見せてはくれない。ケツに杭バットを何度も叩き込むのは流石に駄目らしかった。ていうかさ───

 

「……お前、語弊の無いようにって言ったろうが。完全におかしなことになってるじゃねぇかよ……。ちゃんと言わねぇならここでバラすぞ」

 

お前が竜人族だということも秘密の任務とやらも全部白日の元に晒されたくなければ誤解を解けと迫ったのだが、何がいけなかったのか周りのざわめきがより一層大きくなる。

 

何故?と思ったがどうやら「バラすぞ」が良くなかったらしい。今までの誤解も積み重なり、俺がこの場でこの女を裸にひん剥くと脅しているように取られたらしい。ユエさん、シアさん、冷たい目で眺めてないで助けてください、社会的地位が無いのと社会的に死ぬのは全くの別物なので……魔物の大軍が来る前から既に四面楚歌です……。

 

だがそこで俺の無人偵察機の視界に待望(?)の影が映った。

 

「……来たぞ」

 

アホ極まる会話劇を繰り広げていたらいつの間にやら黎明の輝きが到来。空が白み始めるのと対照的に地上を黒く染めながら地響きを立てて有象無象の大群がやって来た。万を超える魔物の侵攻だ。まだ肉眼で捉えられる距離ではないがもう30分もすれば俺の殺傷圏内に入るだろう。というか、俺が北の山脈地帯で確認した時より数が増えている。既に6万に届こうかという数の魔物共だ。あの野郎、流石は異世界転移組ということか?

 

「……天人」

 

「……天人さん」

 

想定よりかなり多い数の魔物にユエとシアがこちらを見る。だが関係無い。たかが数万増えただけだ。俺はこの2人を信じている。

 

「私達を信じろと言ったのはお前らだろ?俺は信じてるぞ。武偵憲章第1条、仲間を信じ、仲間を助けよ。だからお前らも俺を信じろ。大丈夫だ」

 

俺の言葉に強く頷く2人に俺も頷き返し、畑山先生の方へと目線をやる。こちらはその顔に不安が浮かんでいた。

 

「そんな顔しなくても、依頼人との約束は絶対に守る。武偵憲章にもそうしろとあるからな」

 

武偵憲章の第2条は依頼人との約束は絶対守れ、だからな。

 

「はい、神代くんを信じます」

 

畑山先生の言葉に俺は「そうか」とだけ返し、魔物の群れをもう一度見れば、もう肉眼でもその暴威が確認出来るほどに近付いてきていた。そして後ろを振り返る。彼らにも夥しい数の魔物が見えたのか、町のために戦うと残った奴らの顔にも不安が浮かんでいた。

 

「聴け!」

 

俺はそんな彼らと相対し、錬成で壁を更に少し盛り上げて1歩登り、そこで語りかける。何事かと俺に注目が集まる中、夜通し考えていた口上を述べていく。

 

「我らの勝利は既に確定している!!」

 

なんだなんだと下に控えていた人達だけでなく神殿騎士達も顔を見合わせている。

 

「何故なら!我らには勝利を運ぶ女神がついているからだ!!そう!皆も知っている!豊穣の女神、愛子様だ!!」

 

そうして畑山先生を指し示せばいきなり話を振られた畑山先生もギョッとしている。だが関係無いとばかりに演説を進める。

 

「彼女は我ら人間族の為に神が遣わせた御使いである!豊穣と勝利を司る彼女がいる限り敗北は有り得ない!!私は彼女の剣にして盾!彼女の皆を守りたいという思いに応えやって来た!見よ!これが彼女に導かれた力だ!!」

 

そこまで言い終えると俺は宝物庫から対物ライフルを呼び出し、空を飛びこちらに向かってきている翼竜の様な魔物に向けて、込められた弾丸を撃ち放つ。空気の壁を容易く切り裂き、大気が悲鳴を上げるより早く一条の紅の閃光が魔物の肉体を砕き去る。もちろん全力で放たれたこれがたったの一体のみしか貫けぬ訳が無い。更に数匹の魔物の肉体を、翼を打ち砕き、地面へと叩き落とす。更に二射目、清水と思われる黒いローブを被った男の乗っている魔物の翼を砕き、彼ごと地面へと叩き落とした。流石にこの数を相手にしながら気遣っている余裕は無い。最悪生きて喋ることが出来てさえいれば良いのだ。怪我くらいは勘弁願おう。異世界召喚組は普通の人間よりも余程頑丈だからな。どうせ魔物が拾うだろうしそう大怪我もしないだろうよ。

 

そして俺は対物ライフルに差した弾倉に残っている弾丸を全て撃ち尽くし、空を駆る魔物の尽くを叩き潰したところで民衆の方へ振り向く。

 

「愛子様!万歳!!」

 

俺のその声に合わせて響く皆の「愛子様万歳」のコール。当の本人は口パクでどういうことだとブチ切れているがこれも依頼料だと思ってもらおう。

 

過ぎた力は振るう本人の意思に関係無くそれを見た周りに恐怖を与える。そしてそれは時に排斥の方向へと動くのだ。それを俺はリムルのいた世界で嫌という程思い知った。だからこれは弾除けだ。俺達がここで力を振るったとしてもそれは愛子様のお力。俺達のような住所不定無しょ……今は冒険者か。けどまぁそれでも一介の冒険者風情が強大な力を持っていたとしたら不安に思う人間も多いだろう。だが、元々が高い知名度と信頼を兼ねていた畑山先生が持つ力というふうにすればしばらくは誰も俺達の邪魔に入らないだろうという算段だ。そしてそれは今のところは上手くいっているようだった。

 

「ティオ」

 

鳴り止まない万歳コールは放っておいて俺はティオに神結晶の欠片で作った指輪の魔力タンクを投げて寄越す。それを受け取ったティオはそれが何だか分かったのか、パチクリとこちらを見やる。

 

「ここで頑張ればウィルも許してくれるんだろ?ならそれ貸してやるから役に立てよ?」

 

ティオの洗脳が解けた時、尊敬していた冒険者一行を殺されたウィルはティオを許す気は無いと言っていたのだが、どうやらもしここで町を救うことが出来たのなら、それを贖罪として受け入れる気になったらしい。俺としても、完全に洗脳されていた奴を殺すのは気が乗らないのでその方が助かるのだ。

 

「それで渡すのが指輪とな……。もしや公開プロポーズ!?」

 

「……ユエ」

 

「……これが黒歴史」

 

俺が指輪の形をした神結晶を渡した時に奈落の底でも同じような反応を示したユエだが、傍から見るとそれがどれだけアホっぽいかが分かったようだ。俺は溜息1つでロケットランチャーをシアに渡し、自分はガトリング砲2門を構える。

 

「それじゃあいくぞ」

 

任務開始だ。あの魔物の群れを叩き潰し、この町を守る。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ティオの放つ黒いブレスが魔物を薙ぎ払えばシアに渡したロケットランチャーが火を噴き敵を焼き滅ぼす。そして右の弾幕が薄いと見るや飛び出して来た魔物は尽くユエの重力魔法の餌食となった。

 

俺も2門のガトリング砲を限界まで撃ち尽くすと今度はアサルトライフルでの射撃へと切り替えた。そうして迫り来る魔物の数を8割ほど削っていくうちにまずティオの魔力が尽きた。それでも当初のノルマ以上は1人で駆逐しているから伝説の竜人族の面目躍如というところだろう。だがこのままではまだ魔力効率の悪い重力魔法を連発したユエの魔力が保たないだろう。そうなれば俺のガトリング砲の冷却が間に合わないと数で勝る魔物達に町ごと飲み込まれる可能性が出てくる。

 

「シア、魔物の違いは分かるか?」

 

もう少しで俺の渡したロケットランチャーの残弾を撃ち尽くすシアはこれ以上の遠距離攻撃を持たない為、局地戦へと突入する。だから狙いを定めなくてはならない。

 

「はい。操られていた時のティオさんの様な魔物とへっぴり腰の魔物ですよね?」

 

「へっぴり……まぁうん。多分、敵は群れのボスを操って間接的にその支配下にある魔物を動員しているんだと思う。だから俺とお前で群れのボスをピンポイントで叩いていく。……行くぞ。町の守りはユエに任せろ」

 

「はいですぅ!」

 

セレクターでフルオートに切り替えたアサルトライフルの今差している弾倉の残りを全て吐き出し、ちょうどロケットランチャーを撃ち終えたシアと共に、だいぶ数を減らした魔物の軍団の中へ飛び込んでいく。ここまでの損壊を出しておきながら撤退する気が無いのは、それでも数で押し切れると思っているのか、ただのやけクソか。どちらなんだろうな。

 

だがそんなことは俺には関係が無い。向かってくるというのならその尽くを叩き潰すだけなのだから。

 

俺は外壁を飛び降り、バイクの後ろにシアを乗せながら魔物の群れへと突撃。瞬光を発動しながら宝物庫から新兵器を展開する。

 

──BT兵器──

 

ISの存在する世界で出会ったクラスメイト、セシリア・オルコットの駆るIS、ブルーティアーズに搭載されていた遠隔操縦兵装──ブルーティアーズ──

 

ビット兵器とかBT兵器とか呼ばれていたそれを参考に重力魔法を付与した重力石と感応石を組み合わせて俺が製造した武装だ。

 

俺の腕輪に付けられた感応石とリンクしており、瞬光発動状態でなら7機まで同時に操作可能となっているそれは、強度の高い鉱石で造られた十字架を模した外観に実弾兵器を載せたものだ。これにより手数や遠距離にいる味方のサポートまで行える。

 

俺は地上を魔物共目掛けて駆けるバイクをわざと急制動で前輪のブレーキだけを掛けてジャックナイフを起こす。シアはそれに合わせて宙を舞いながら魔物の群れへ飛び込む。俺も車体の浮き上がったバイクを宝物庫に仕舞いつつ空力で空中でもって前宙を切り、体勢を整えながら2丁拳銃とビット兵器で群れのど真ん中に風穴を空ける。そしてそこから縮地で群れの中心部へと飛び込んだ。

 

ここからは単純だ。とにかくリーダー格と思われる振る舞いの魔物を潰していくだけ。現在展開しているビット兵器は4機でその中からシアに2機付けている。それに加え、上空には無人偵察機を飛ばしてそこからの情報でボスを索敵。見つけ次第空力と縮地で急行し撃ち砕く。それを繰り返していると俺の前に現れたのは他の魔物とは一線を画す気配を持った4つ目の狼の魔物だった。

 

「……」

 

だがそんなことは関係無いとばかりに俺は無言でそいつらの頭を撃ち砕きにかかる。しかし俺の射撃はたかが10メートル程の距離しかなかったはずなのに全て躱される。まるで俺がそこへ弾を放つことが分かっていたかのように。

 

もしかしたら、先読かそれに類する固有魔法が使えるのかもしれない。だがそうなるとこの魔物は下手したら奈落の底、真のオルクス大迷宮に存在する魔物クラスの力を持っていることになる訳だが、そんな奴がこの辺りにいるのか……?それともまだ誰も知らないだけであそこ以外にもとんでもない魔物は結構潜んでいるのだろうか……。

 

「ふぅ……」

 

息を吐き、もういい加減必要なくなった無人偵察機を回収しながらシアの方へ更にもう1機ビット兵器を飛ばす。どうやら向こうにも4つ目の狼が現れたようだ。

 

──どうにもソイツらは誰かの配下って感じじゃないな。気を付けろ──

 

シアのチョーカーに着けてある念話石を通じて通信を飛ばす。そこから威勢の良い返事が返ってきたのを確認して通信を切る。さて、俺もいい加減こっちに集中しなければ。

 

俺の周囲には黒い体毛と4つ目を持った狼が12匹ほど居た。どいつもこいつも俺を引き裂こうと殺意に濡れた瞳でこちらを睨んでいる。先程までガンガン襲いかかってきていたのだがビット兵器でそれを凌いでいると作戦を変えたのか俺をじっくりと取り囲むような仕草を見せたのだ。

 

この数の割に連携もスムーズ、攻撃位置か何かを読む固有魔法まで持っている、しかし火力を上げるような固有魔法は無いとなると真のオルクス大迷宮の低層くらいの強さだろうか。それでもこのレベルの魔物が外にいるとなると、新種の魔物を魔人族は発見したかもしくは───

 

 

───魔物を作れる魔法か。

 

 

そう言えばミレディが俺のアラガミの力を見てシュネー雪原の大迷宮がどうだの言っていたな。あそこにも大迷宮はあるみたいだし、何より魔人族の領土から1番近い……。まぁ、今考えても詮無いことだ。この瞬間にやらなくてはならないのはコイツらを潰すこと。それだけに頭を回さなければ。

 

とは言っても、思考の間に襲ってきた奴らのうち既に2匹は肉片だ。先読系の固有魔法を持っているらしいが、連続した第2射までは読めないらしく、ビット兵器と拳銃の連携で簡単に潰せた。

清水の件もあるし、さっさと終わらさせてもらおうか。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「畑山先生、連れてきました」

 

ウルの町の外れに集まっていた畑山先生や生徒達、それに護衛の神殿騎士達の目の前にこの襲撃事件の主犯でありティオを洗脳した張本人である黒ローブの男だった奴を転がす。もっとも、今はもう正体を隠していたローブなど身に纏っておらず、それに隠されていた素顔を存分に晒しているのであるが……。

 

両腕を後ろ手に拘束され、暗器や魔法陣の類も俺に剥奪されたソイツはやはり生徒の1人、清水幸利だった。暗く濁った瞳で周りをギョロギョロと見渡す清水だったが、畑山先生の姿を認めた瞬間、彼女を強く睨んだ。

 

「……神代くん、清水くんの拘束を解いてください」

 

それでも彼女はあくまで教師と生徒として清水と接するつもりなのだろう。だが俺の立場では素直に奴の拘束を解くことはできない。武器や魔法陣の類はもう無いとは言え、万が一を考えれば両脚も地面に固定したいくらいなのだ。両腕を石の枷で縛るに留めている時点で感謝してほしいくらいだ。だが、それを伝えても畑山先生は頑なに拘束を解けの一点張りで譲らない。神殿騎士も流石に先生を諌めるがそれも聞く気は無いようだ。この分だと俺が後ろで銃を構えることにも反対するだろう。幸い、こちらは神殿騎士や俺とシアがいる。ユエとティオは魔力が枯渇しかけているからあまり当てにはならないが、どちらにしろこの清水は直接的な戦闘がこなせるような天職ではなかったはずだし、何より丸腰だ。俺が仕方なしに錬成で拘束を解き、それを畑山先生が確認してから、ようやく彼女は清水へと語りかけ始めた。

 

 

だが───

 

 

「……畑山先生、アンタを殺すことだよ」

 

清水の口から溢れた慟哭と共に語られた事実。それは彼のコンプレックスや不平不満が詰まったものであり、人間族への明確な裏切りを示すものだった。まぁ、人間族への裏切りがどうとかなんてのは、俺が言えた義理じゃないのかもしれないけどな。

 

更に叫ぶように語り始めた清水の言うところでは魔人族の最初の狙いはまず戦時下の食料問題を一気に解決するだけの力を持つ畑山先生の殺害。そのために魔物を操ることに長けた清水に声を掛けた。彼の力に加えて貸し与えられた強力無比な魔物達があればそれも成せるたはずだろう。

 

「なのに……なのに何でだよ!?何で6万の軍勢がたった4人に全滅させられるんだ!?魔人族から超強い魔物も貸してもらえた!!なのに!なんであんな兵器がこの世界にあるんだよ!?お前は一体何なんだよっ!!死んだんじゃないのかよ!?」

 

だが現実はこれだ。魔人族が清水に持ちかけた作戦は失敗し、そして清水の叫びは俺へと向けられる。魔法なんて非科学が跋扈するこの世界には似合わない現代兵器を模した武器の数々。清水最大の誤算は俺の存在なのだろう。死んだはずの人間。一緒にこの世界に飛ばされてきたクラスメイトではない誰か。それがここに来て清水の目的を阻む壁となって立ちはだかったのだ。だが俺にはそんなことは関係無い。ただ己の仕事を、成すべきことを成すだけだ。

 

「……俺が何者なのかお前に教える義理はない。お前は今から俺の聞くことに嘘偽り無く答えろ」

 

俺が拳銃を抜き、清水の頭へその銃口を添える。だが───

 

「止めてください!!」

 

そこへ畑山先生が割り込んできた。俺が清水へ向けた銃口を逸らすように俺の腕に飛び掛り、無理矢理俺と清水の間に身体を入れ込む。

 

「……先生、そこ退いてください」

 

「退きません!!私の生徒を傷付けさせませんから!先生は許しませんよ!えぇ、絶対に清水くんをこれ以上傷付けさせません!」

 

そして畑山先生は俺を強く睨むとそのまま清水の方へと向かい合う。

 

「……清水くん、先生達と戻りましょう?今ならまだ引き返せます。"特別になりたい"それは誰しもが持っている当たり前の気持ちです。今回は少しやり方を間違えてしまったかもしれません。ですが、使い方さえ間違えなければ清水くんの力は素晴らしいものです。だって、これだけのことが出来たんですから、天之河くん達と一緒に戦えばきっとこの世界を救えます。それに、清水くんはとっくに私の"特別"ですよ?」

 

確かに現状今回の襲撃の主犯が清水であるということを知っているのはここにいる俺達と畑山先生達、それに畑山先生大好きクラブ会員の神殿騎士くらいだ。ここで口止めさえ出来れば清水が行方不明だったことなんていくらでも言い訳が出来る。それこそ、魔人族に拉致られていたところをどうにか逃げ出してその時にようやく保護できた、とかな。ウルの町襲撃の罪は全て魔人族におっ被せてしまえばいい。実行犯が清水なだけで提案は向こうからなのだし、嘘ではないからな。

 

だが"特別"か。……それはきっと畑山先生にとっては生徒全員がそうなのだろう。この人はどこまでいっても教師なのだ。だがそんなことは清水にも分かっている。その"特別"が自分だけ向けられたものではないということくらい理解している。それだけではない。きっと清水が天之河達と一緒に戦っても、もうこれ程のことは出来ない。そもそも魔物を洗脳する清水の魔法は準備に時間が掛かりすぎるのだ。その上今回の6万という軍勢はティオを一時的にとは言え支配下に置けていたこと、魔人族からの強力な魔物の提供があったことが大きな要因だ。それ無しにこれだけのことは出来ないということは本人が最もよく分かっている。だから畑山先生の言葉は清水の心には届かない。

 

「ふっ……ふざけんな!俺が欲しいのはそんなんじゃない!!」

 

そうして清水は激昴する。だからといってこの人数の前では武器も何もかも剥ぎ取られた清水は何も出来ない。それが分かっているからこそコイツはここで叫ぶしか出来ない。

 

「清水くん、落ち着いて───」

 

「もういいか?」

 

もう清水が人間族に戻ってくることは無いだろう。人間族の側では清水の欲望を満たしてやることは出来ないのだ。清水からすれば、それが出来るのは魔人族だけ。だが、どうせコイツも利用されるだけされて捨てられる可能性の方が高い。なら精々ここで情報を吐き出して俺達や、ついでに少しは人間族側の役に立てば多少の免罪にはなるだろう。

 

「……良くないですよ!神代くんもそれを仕舞ってください!!」

 

「断る。……清水、魔人族について知ってることを話せ」

 

俺は畑山先生を押し退け、清水に魔人族のことを問う。しかし畑山先生もそれに抵抗してくる。面倒になった俺は畑山先生を突き飛ばす。

 

「きゃっ───」

 

だがそれでもこの人は怯まない。諦めない。突き飛ばされてなお俺の前に立ちはだかろうとする。

 

「……シア───」

 

この人に退いてもらえと、そう言おうとしたその時───

 

「駄目です!避けてぇ!!」

 

シアが急に叫びながら飛び込んできたと思ったら畑山先生を抱き抱えその勢いで清水も突き飛ばそうとする。そして飛来したのは青色の水流。それが通過した箇所は畑山先生の頭があったはずの場所。だがシアがその身を捻って畑山先生を庇う。

 

「クソっ!」

 

即座にシアの守りに入ってくれたユエに感謝しながら俺は拳銃で恐らく破断と思われるその魔法を打ち払い、遠見の固有魔法で射線を辿ってその射手を探し出す。はたしてそこにいたのは空を飛ぶ魔物に乗って既に退避し始めた尖った長い耳を持った男だった。俺はそいつ目掛けて電磁加速式拳銃の弾丸を、その弾倉の中身が尽きるまで撃ち続ける。

 

ドッッッッパァァン!!

 

と7連発された銃弾が、俺の反撃と攻撃方法を予測してバレルロールで回避を試みた魔物の片脚と魔人族と思われる奴の片腕を引き千切る。だがそこまで。流石にこの距離だ。拳銃の銃身と弾丸のサイズでは精密射撃には期待できない。魔人族を仕留めるまではいかず、取り逃してしまう。だがそんなことは今はどうだっていい。今は───

 

「シア!!」

 

俺は真っ先にシアに駆け寄り傷の具合を確かめる。

 

「うっ……ぐっ……」

 

シアの怪我は重傷だった。見たところ、運良く主要な内臓こそ傷付いていないものの、腹部に1センチ程の風穴が空けられていた。

 

「神水だ、飲めるか?」

 

「先生を……先に……」

 

「あ……?あぁ……」

 

傍で倒れていた先生の方も確認すれば、シアよりも確かに先生の方が重傷だ。こちらは生命維持に重要な臓器まで穴が開けられていて、このまま放っておけば数分かそこらで命を落とすだろう。俺は仕方なしにシアの言う通り先生を優先することにした。まずは試験管のような容器に入れられた神水を半分ほど傷口に掛け、残りをその容器ごと先生の口へ突っ込む。

 

「飲め、助かる」

 

「はっ……んぐっ……!……んく……ん……はぁ……っ!?」

 

畑山先生の容態が落ち着いたことを確認してからシアへも同じように神水を与える。

 

「……神代くん、清水くんも……」

 

シアの傷も塞がり一先ず安心したところで畑山先生が清水も診ろと急かす。見遣れば清水もかなりの重傷だった。こちらは胸に穴が空いており、それこそ今すぐに神水を与えなければ確実に死ぬだろう。

 

「カホッ……カヒュッ……いやだ……死にたく……ない……なんで、俺が……」

 

だが俺は正直清水を助ける気は毛頭ない。そもそも、ティオと違ってコイツは自分の意思で俺の敵に回ったのだ。完全に洗脳されていたというのならまだ情状酌量の余地もあろうが、自分の意思で敵に回ったコイツに貴重な神水を使ってやる気は無い。だが仮にも依頼人の言葉だ。そう無下にもできまい。

 

「清水、俺にはお前を助ける事が出来る。……聞くが、お前は俺の敵か?」

 

だから俺は形だけの質問をする。けれどこいつがこの場面でどんな答えをするか、だいたい想像はついている。そして俺の答えも───

 

「違っ……敵じゃない……俺、俺どうかしてたんだ……ゴホッ……あんたの為なら何だってする……魔物の軍隊だって……女だって……何でも操るから……」

 

やはり清水は俺の想像通りの答えを返してきた。濁った目で、卑屈な笑みを浮かべて。その瞳は欲望と嫉妬と憎しみと怒りと……およそ考えつく限りのあらゆる負の感情が混ざりあって、底の見えない汚れた沼の様だった。

 

「違うよ清水……。俺が欲しかったのは、例えそれが嘘でもそんな言葉じゃない……」

 

だから俺は神水の代わりに弾丸をくれてやる。電磁加速もしていないそれであっても、現代の拳銃とは炸薬の質も量も違うそれで一撃の元に胸を吹き飛ばすことは容易だった。それは致命傷となって清水の命を決定的に吹き飛ばす。誰が見ても死亡は確実だった。俺の気配感知の固有魔法も、目の前の人間の死を明確に伝える。

 

「なんで……っ!!神代くん……っ!!」

 

「……清水はもう戻れないよ。戻れないのなら俺の敵だ。敵は、殺す」

 

「そんな……」

 

「畑山先生からの依頼はウルの町をこの魔物の侵攻から守ること、そしてその主犯をアンタの前に連れてくること。依頼は完了し、報酬も既に貰っている。これでお別れだ」

 

「待って!待ってください!別に殺すことはなかったはずです!」

 

「……一緒にいれば、ハイリヒに帰ればって?悪いがそれを信じられるほど俺は優しい世界は生きてこれなかったよ。それにな、これだけのことを出来たんだ。またいつ魔人族が清水と接触してくるか分かったもんじゃないでしょう?その時はアンタらだけじゃない、確実に俺達もターゲットだ。つまりこいつはもうずっと俺の敵になるんだよ」

 

だから殺したのだと、畑山先生に伝える。清水の能力は、確かに準備に時間が掛かる。だが言い換えれば、その時間さえあれば今回みたいな結果をもたらせるのだ。もしもっとコイツに時間があれば、もっと魔法の腕が上がれば、そして魔人族から更に強い魔物の貸与があれば……それはきっと俺達をして無視できない脅威になり得るだろう。例え最後には捨てられるだけであっても、魔人族からすれば清水にはまだ利用価値がある。そんな奴を野放しにはできないのだ。

 

「別に恨んでくれても構いません。何にせよ俺はアンタの教え子を殺したんだ。だがそれで俺の敵になるというのなら、アンタも殺す」

 

そして絶対に俺達が相入れることもないのだと、明確にする。じゃあなと、俺は四輪車を宝物庫から呼び出し、ウィルも引き連れてそれに乗り込む。崩れ落ちる畑山先生達を捨て置いて、俺達はフューレンへの帰路を急いだ。残されたのは畑山先生の怨嗟の籠った眼差しと、喉の奥につっかえた後味の悪さだった。

 

 

 



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デート時々幼子

 

 

────────────

ユエ 323歳 女 レベル:75

天職:神子

筋力:120

体力:300

耐性:60

敏捷:120

魔力:6980

魔耐:7120

技能:自動再生[+痛覚操作]・全属性適性・複合魔法・魔力操作[+魔力放射][+魔力圧縮][+遠隔操作][+効率上昇][+魔素吸収]・想像構成[+イメージ補強力上昇][+複数同時構成][+遅延発動]・血力変換[+身体強化][+魔力変換][+体力変換][+魔力強化][+血盟契約]・高速魔力回復・生成魔法・重力魔法

───────────────

 

───────────────

シア・ハウリア 16歳 女 レベル:40

天職:占術師

筋力:60[+最大6100]

体力:80[+最大6120]

耐性:60[+最大6100]

敏捷:85[+最大6125]

魔力:3020

魔耐:3180

技能:未来視[+自動発動][+仮定未来]・魔力操作[+身体強化][+部分強化][+変換効率上昇Ⅱ] [+集中強化]・重力魔法

───────────────

 

───────────────

ティオ・クラルス 563歳 女 レベル:89

天職:守護者

筋力:770[+竜化状態4620]

体力:1100[+竜化状態6600]

耐性:1100[+竜化状態6600]

敏捷:580[+竜化状態3480]

魔力:4590

魔耐:4220

技能:竜化[+竜鱗硬化][+魔力効率上昇][+身体能力上昇][+咆哮][+風纏][+痛覚変換]・魔力操作[+魔力放射][+魔力圧縮]・火属性適性[+魔力消費減少][+効果上昇][+持続時間上昇]・風属性適性[+魔力消費減少][+効果上昇][+持続時間上昇]・複合魔法

───────────────

 

 

フューレンで待つイルワの元へウィルを届けた俺達はこの任務の報酬を頂いていた。ついでに勝手に着いてきたティオの分のステータスプレートも仕方なしに発行してもらい、早速そこに表示された項目を眺める俺達。イルワには絶対に他言無用という条件ではあるが、俺たちの言葉の説得力の為に中身を見せてやったのだがその瞬間顎の骨が外れるんじゃないかと思うくらいにあんぐりと口を開けていた。……人間、あんなに口を開けるものなんだな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「あ?」

 

「どうしました?」

 

畑山先生を身を呈して救ったご褒美が欲しいというシアに付き合い、今俺達は2人でフューレンの観光区を歩いている。歩き食いに舌づつみを打つシアを眺めながら歩いていると、俺が常時展開している気配感知の固有魔法に妙な反応があった。雑踏の中で人の気配なんぞ腐るほどあるのだが、それがあった場所はなんと地下。それも小さく微弱で弱った子供のようだった。しかしどういう訳かそこそこの速さで移動している。フューレンは下水設備も整っていることから、もしかしたら下水道を流されているのかもしれない。そんなことをシアに伝えれば、どうするか聞くまでもなく彼女は即座に走り出したので俺もそれに追随する。

 

そして、まず俺達は下の気配を追い抜き、その進行方向上で錬成を使い、道に穴を開ける。そしての穴の側面から梯子を錬成していき、それを使い降りていく。

 

すると降りたのはやはり下水道だった。鼻につくアンモニア臭に顔をしかめながら元来た方向を睨めば直ぐにそれは流れてきた。錬成でスロープを作ってそれを下水道から掬い上げると、そこにいたのは3,4歳かそこらの海人族の子供だった。海人族も耳が特徴的だから見ればすぐに分かる。

 

「この子は……」

 

「……まだ息はある。けどここじゃ臭いも酷い。一旦出よう」

 

その子の呼吸を確認した俺は宝物庫から毛布を取り出し海人族の子供を包むと、街の構造を頭に浮かべながら臭いの激しい地下水路を駆け抜け、袋小路で人の気配も無い場所まで辿り着くとそこで錬成を発動。地上までの縦穴を開け、シアと共に下水道を脱出。数分振りとは言え、地上の綺麗な空気に感謝して深呼吸をする。

 

「さて……」

 

エメラルドグリーンの肩まである髪と幼い上に薄汚れた状態でも分かる程に整った可愛らしい顔。そもそもがこんな小さな……て言うか年齢とかサイズに限らず人が下水道を流れている時点でただ事ではない。

 

しかも、この子は海人族───海人族は亜人族にも関わらず彼らから輸出される海産物目当てで手厚く保護されているのだ。そうなると余計にきな臭さも増してくる。

 

保護と言ったが実際には人間族と同じ様に扱う、と言った方が正しいか。宗教上の理由で亜人族を差別していたと思ったら自分らに利があると見ればこれだ。とにかくこの世界の聖光教会の奴らは胡散臭いし信用ならない。

 

「この子……海人族、ですよね」

 

「だろうな……。それがこんな所を流されているってことは……」

 

正直犯罪臭しかしない。だがこれはあくまでもこの世界の問題だ。多少なりとも関わってしまった以上は最低限の責任は果たすつもりだが、それ以上関わるのは止めておきたい。

 

すると、海人族の子の鼻がヒクヒクと動き、閉じられていた瞼が開く。そしてそのまん丸で大きな瞳で俺の顔をジーッと見つめる。その眼力に俺も思わず目を離さず見つめ返してしまった。何となく止めるタイミングが掴めずにいたのだが、不意に海人族の子供の方が目を逸らし、シアの持っていた串焼き肉を視界に収めた。するとシアが「これ?」という風に串焼きを掲げるとフンフンと鼻をひくつかせながら頷く。そしてシアがそれを左右に振るとその子の顔も右へ左へ揺れ動く。どうにも相当に腹が減っているようだった。

 

「お前、名前は?」

 

「……ミュウ」

 

「そうか。ミュウ、あれが食いたいならまずは身体を綺麗にしてからだな。……シア、頼んだぞ」

 

「はいですぅ」

 

だが流石に下水道を流されていた奴にそのまま何かを食わせるのは不味い。なので錬成と生成魔法を使って作り出した温石で即席のお風呂を作りシアにはタオルや石鹸、薬等を渡しておいて自分はミュウが着るための服を取り揃えに向かう。流石に今纏っている布は不衛生極まりない。だからといって脱がせてバスタオルに包んで運ぶわけにもいかない。赤ん坊のお包みじゃないのだから。いくら何でもそんな年齢じゃ無さそうだしな。本当は俺と同じような髪色をしたティオ辺りがいれば下の妹へのプレゼント選んでますよ感が出せて不審者レベルを下げられたのだが、今ここにいない以上は仕方ない。最後にラッピングでもしてもらって帳尻を合わせよう。

 

 

 

───────────────

 

 

 

結局不審者レベルを下げられなかった俺が店員や客の目線に突き刺されながらもどうにかミュウ用の服を買い揃えて戻ると、ミュウはシアに身体を拭かれているところだった。どうやら身体の方は洗い終わったらしい。シアが服を着せている間に俺はドライヤーのアーティファクトを宝物庫から取り出してまだ湿っているミュウの髪を乾かしてやる。最初は緊張気味だったミュウだが、段々髪を撫でる温風の気持ちよさに目を細めていった。

 

「……で、だ」

 

「ミュウちゃんをどうするか、ですよね?」

 

串焼肉をもしゃもしゃと頬張るミュウを眺めながら俺達は今後の方針について話を始める。ミュウは一応は自分の話をしているのが分かっているのか、口に入った肉を噛みながらこちらを眺めている。

 

「とにかく事情を聞かなきゃ始まらんか……」

 

「ですね……」

 

と、まずはミュウがなぜなんな所を流される羽目になったのか、というところからだろう。その辺りをミュウに尋ねれば、思いの外分かりやすく話してくれた。辛い記憶だろうと思ったが、存外気丈に振舞っている。

 

それによれば、ある日海辺を母と歩いていたところを襲われ、ミュウだけが攫われたらしい。そして連れてこられた先には他にも人間族の子供が何人かいて、時折何人かずつどこかへ連れて行かれていた。その中ではやや年長者と思われる子ども曰く、そこにいる奴らは呼ばれると値段を付けられて売られるらしい。だがある時下水道へ続く穴が空いており、海人族であるミュウはそこへ飛び込んだのだとか。幼いとはいえ海人族の泳ぐ速さには人間族も適わずどうにか逃げ果せた辺りで気絶。気付いたら俺達に拾われていたということだ。

 

おおよそ予想通りの展開ではあるな……。

 

「……値段、ね」

 

この世界で戸籍の管理がどうなっているのかはよく知らないが、俺の世界のそれよりは穴だらけなのだろう。人攫いをしても場合によっては中々足が付かないだろうことは想像に難くない。

 

「保安署に預けるのがベターだな」

 

保安署、このトータスにおける警察署の様な役割を担っているところだ。海人族のミュウなら手厚く保護してくれるし親の元へも送り届けてくれるだろう。それに他の囚われた子供に関しても調査が始まるかもしれない。だがシアはどうにもミュウに強く情が沸いてしまったようで、ギュッと抱き締めて離そうとしない。ミュウもミュウでシアに抱かれるがまま、離れる気は無さそうだった。

 

「シア……」

 

「えぇ、分かってます。それが1番普通の選択です。大迷宮にミュウちゃんを連れて行く訳にはいかないことも分かっています……」

 

別に、シアの願望を100%叶える手段が無い訳では無い。まず保安署へ行き、事情を説明。イルワに貰った金ランク冒険者の後光でミュウを攫った組織の壊滅の依頼とミュウの親への引渡しの任務を受ければ良い。そして敵を潰した後は海人族の故郷である海の町、エリセンへとミュウを連れて行く。そうすればミュウの親もいるだろうから、そこで引き渡して依頼完了だ。ただしその代わり、グリューエン大火山の大迷宮攻略は後回し、もしくは誰か1人をミュウのお守りに残す為、戦力の欠けた状態で大火山の大迷宮に挑むことになるが。

 

シアもそれは分かっているからこその反応なのだろう。出来れば最後まで自分達で面倒を見たい。ただしそれには俺達の旅の最大の目的を一旦放ることになる。そして俺の提示した案はこのトータスにおいても社会通念上間違った選択ではないのだ。むしろ安牌と言える。だからシアも強く反対する事が出来ない。

 

「シア」

 

「うぅ……はい」

 

渋々、といった体でシアが頷く。そこで俺はミュウにも分かるように、ゆっくりと語りかける。

 

「ミュウ、これからお前をお家に返してくれる人達の所に連れて行く。そこの人達もお前に優しくしてくれるだろうから大丈夫だ。時間は掛かるだろうが、ちゃんとお家に帰れるぞ」

 

「……お姉ちゃんとお兄ちゃんは?」

 

「俺達とはそこでお別れだ」

 

「やっ!」

 

「いや、やっ、じゃなくてな……」

 

「やっ!お姉ちゃんとお兄ちゃんと一緒がいいの!」

 

ミュウが駄々っ子のようにシアの膝の上でバタバタと暴れ始める。そんなことを言われたってどうにかできる訳でもない。ミュウは然るべき機関を通して故郷に帰すのだ。こうなった以上はもう強制的に連れて行くしかない。俺はシアを立たせるとそのまま保安署の方へと足を向ける。

 

途中、散々引っ掻かれたし義眼石が光ってしょうがないのを隠すための眼帯も剥ぎ取られたので片目は閉じっぱなしを強いられたがどうにか保安署まで辿り着いた。

 

保安署で状況説明をしている間も散々喚かれたし挙句「ミュウのことが嫌いなの……?」と目に涙を溜めて訴えられもしたが、保安署のお兄さんの協力もありどうにかミュウとは別れられた。シアは相変わらず落ち込んでいるが、もう諦めてもらうしかない。と思っていたのだが……。

 

 

───ドオォォォォォン!!

 

 

「これは……」

 

「保安署の方です!」

 

俺達が保安署から離れて直ぐにそちらの方から大きな爆発音が響いてきた。奴ら、どうやら思いの外ミュウにご執心のようだ。て言うか、気配感知も使ってんのに尾行に気付かないとか。鈍ってんのかな。こっちじゃ付けられることなんて無かったから。……悲しそうなシアに気を取られてただけっていうのは、癪だから認めてやんない。

 

そして俺達が保安署へ着くとそこはやはり大きな爆発があったようで、建物の崩壊は大丈夫そうだが、それでも中はめちゃくちゃだった。死者や急を要する怪我人こそいないものの、何人もの保安員が重傷な上、探してもミュウは居らず、代わりに壁には1文だけ短く刻まれていた。

 

──海人族のガキを死なせたくなかったら白髪の兎人族を連れて観光区3-6-1へ来い──

 

「天人さん、これ……」

 

「あぁ、言わなくても分かってるよ。奴らはもう俺の敵だ。敵は、潰す」

 

コイツらはシアの心を踏み躙ったのだ。シアが、自分の気持ちを押し殺して旅を優先した。あんなに悲しそうな顔をしたシアはフェアベルゲンを追放されてから初めて見た。その想いを奴らは踏みつけにし、そして今その身体すらも傷付けようとしている。そんな奴ら、その存在の1%足りとも残してはおけない。今すぐ完膚無きまでに叩き潰す。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……これは何?」

 

あの後、俺とシアで指定された場所へ向かうと、そこには暴力で飯を食ってる匂いがプンプンする奴らがうじゃうじゃと待ち構えていた。そいつらをその場で殲滅し、数人からミュウの居場所を吐かせようと思ったのだが、どうにも何奴も此奴も場所を知らないようだった。しかもシアとミュウだけでなく、ユエとティオまで標的にしようとしていたらしい。

 

なので俺は別のアジトの場所を喋ってもらい、そこから次の場所を、というようにわらしべ長者よろしくミュウの居場所を探ろうとしていた。その流れでとある建物の壁をぶっ壊しながらその組織の奴らを叩き潰していたら建物の外にちょうどユエとティオがいたのだった。2人でデートに出掛けたはずの奴らがいきなり壁を突き破ってチンピラを殴り飛ばしたのだ。そりゃあ訳も分からん顔になろう。なので大雑把な事情を話して協力してもらう。こういう捜索には手数は多い方が良いからな。ミュウの顔を知っている俺とシアは一旦別れ、俺はユエと、シアはティオとミュウの捜索を開始する。

 

 

 

───────────────

 

 

 

──天人さん達は今観光区ですよね?──

 

4人でミュウを探し始めてしばらくした頃、シアから念話石で通信が飛んでくる。どうやら俺達の担当エリアの近くにミュウはいるらしい。俺はシアから場所を聴き、ユエとそこへ急行する。ミュウは裏のオークションに出されるようだから命の危険は無いだろう。それでも幼子に掛かるストレスは想像も出来ないもののはずだ。1秒でも早く救出してやりたい。

 

そうして俺達が駆け込んだ場所にはかなりの数の檻があり、そこには何人もの子供達が囚われていた。

 

俺はその檻の1つに近付くと、中にいた男の子に海人族の女の子はいなかったか聞いてみる。すると、どうやらミュウは既に運び出された後だったらしい。このようなオークションで買われて持ち出されたら後を追うのは難しくなる。早いところ向かわなければならない俺は錬成でその檻の柵を破壊し、後はユエに任せることにした。その内イルワに頼まれた奴らも来るだろうから、子供達はそっちに預けてしまおう。その辺りをユエに伝えればユエはユエでギルド支部がある方に同情を込めた目線を送っていた。

 

イルワにはここに来る前に冒険者経由で事の次第を伝えてある。まぁただの言伝だと正確に伝わるか怪しいので念話石を届けさせ、ほぼ一方的な伝言として耳に届けさせているのだけれど。

 

「お兄ちゃん!助けてくれてありがとう!あの子も絶対に助けてやってよ!すげぇ震えてたんだ……けど俺、何も出来なくて……」

 

檻から出てきた少年が俺の袖を掴んでミュウの救出を懇願してくる。もちろん言われなくともそのつもりだが、まずはこの子の気持ちを汲んでやらねばなるまい。

 

「その悔しさを忘れるな。そしていつか、君がもっと強くなって誰かを助けてやれ。けどまぁ、今回は俺がやってやる」

 

「お兄ちゃん……」

 

その少年の輝く目を見て、俺は頭を撫でてやる。今はまだ子供だけど、いつか強くなって誰かを守れるようになればそれで良いのだ。守られた者が次に誰かを守る。そうやって繋がっていくのだ、気持ちってやつは。だから今は俺の番だ。俺も、自覚は無くともきっと色んな人に守られてきたからな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

舞台袖から天井に回り、下の舞台の様子を確認すると、ちょうど今ミュウがオークションに掛けられているところだった。何奴も此奴も仮面を被って指で金額を指し示し、薄汚い金でミュウを買おうと必死だ。

 

ミュウは小さな水槽に入れられており、恐怖からかギュッとその身を縮こまらせている。しかしその様子に売り手はミュウの値段が吊り上がらない可能性を考えたのか、棒で水槽を小突いて脅しながら悪態をつく。

 

「まったく、辛気臭いガキですね。人様の手を煩わせるんじゃないよ、この能無しの半端者如きが!」

 

と、ミュウが動きを見せないことにイラついたのか、直接その棒でミュウを突こうとしたので俺は身を隠していた天井から空力で勢いをつけて飛び降りた。

 

「その言葉、熨斗つけて返すぞクソ野郎」

 

──グシャアッ!!

 

と、骨が折れ肉が潰れる音を響かせてミュウを小突こうとした男は乗っていた脚立ごと舞台に叩き付けられた。肩から床に叩き付けたから肩の骨は折れただろう。骨折の感触も伝わってきたし。

 

人が床に叩きつけられる音にミュウが驚き水槽越しにこちらを見る。俺も、よっ、という風に手を挙げて返す。そしてそのまま水槽を叩き割り、流れ出た水と一緒に外に落ちそうになるミュウを、硝子の破片で傷付けないようにタオルで包みながら掬い上げる。

 

「ミュウお前、会う度にズブ濡れだな」

 

「お兄ちゃん!」

 

するとミュウはぎゅうっと俺の首に手を回して抱き着き、嗚咽を漏らし始めた。そんなミュウの背中にポンポンと手をやり慰める。その内にドタドタと足音が響き、俺達を囲い込むようにしてお揃いの黒い服を着込んだ男達が殺気立った顔で立ち並ぶ。

 

「おいクソガキ、フリートホーフに手を出すたぁ余程頭が悪いようだな……。その商品を大人しく置けば苦しまずに殺してやる」

 

俺は黙ったままその男には目もくれずに、煩くなるから目を閉じて耳を塞いでいろと囁き、ミュウのまだ幼さ全開のプクプクとした手を耳に当ててやる。するとミュウは素直に両手で自分の見間を塞ぎ、目をギュッと閉じて俺の胸元に顔を押し当てる。

 

俺のその態度が余裕ぶっているようで気に入らないのか、男は殺せ!商品は傷付けるな!とダミ声が響いてくる。

 

俺は片手でミュウを抱き留めながらもう片手にアサルトライフルを宝物庫から召喚。セレクターをフルオートに入れ、先に声のした方へ向けてその弾丸を乱射する。引き金を引いたまま腕を払えばそれでそちらにいた人間は全滅だ。俺はそのまま銃を広げたままスルリと時計回りに回転。そうすれば俺を取り囲んでいた男達は俺が1周する間に頭や上半身を爆ぜさせている。さらにマガジンを差し替えて俺の殺意を逃れた奴らに向けて引き金を弾いていく。そうして取り囲んでいた奴らを皆殺しにすれば、残ったのは目の前で人間が爆ぜた恐怖から錯乱しこの場から逃げようとする買い物客達。だがコイツらも当然逃すつもりは無い。人身売買──それもこの世界じゃ奴隷として認められた亜人族だけでなく人間族や海人族まで扱う完全にアンダーグラウンド──のオークション会場にいる奴らが一般人(カタギ)な訳がないのだ。根本から潰してしまおう。

 

ホールからの唯一の出入口には事前に飛ばしておいたビット兵器がその銃口を烏合の衆に向けている。

 

───ヒッ……

 

短い悲鳴が聞こえたような気がしたが、実は俺はコイツらは殺す気は無い。情けをかけるわけではなく、ここでフリートホーフやコイツらを殺したとしてもそれだけじゃこの事件がここだけで終わってしまうからな。こういう闇がフューレンだけの問題だとは思わない。他の大都市でも似たようなことがあるのかもしれない。幸いにも道中で顧客リストのようなものは手に入れているし、ここでコイツらを纏めてとっ捕まえてイルワに引き渡し、もっと根掘り葉掘りドブさらいをしてもらおう。

 

「手前ら、逃げられると思うなよ?全員ここでブタ箱送りだ」

 

俺はステージ上でそう宣言する。さっきの惨劇で、コイツらも見たことのないビット兵器が自分に何を成すことができるのかは想像できたのだろう。俺の「全員席に着け」という言葉に素直に従ったように見えたのだが……

 

「な、舐めるなよクソガキぃ!!」

 

最前列にいた1人が思いの外機敏な挙動でステージ上に上がり、フリートホーフの構成員の1人が俺に撃たれた時に落とした短剣を拾い、それを俺に向けながら駆けてきた。確かに俺は左手でミュウを抱え、アサルトライフルは右手に持っている。態々席に着かせたということは殺す気はなくこの場の全員を逮捕するという算段だろうと考えつくのは分かる。けど甘いんだよ。

 

俺は奴が駆け出した時点で宝物庫を使ってアサルトライフルをナイフと取り替えてある。そしてミュウを床に降ろしながら姿勢を低くした俺は向かってくるそいつの短剣を捌きながら右の肘鉄を鳩尾に叩き込む。

 

「ゴッ───!?」

 

さらに脚を掴んで逆さに吊り上げ、手にしたナイフでアキレス腱を斬り裂いた。

 

「ギッ───」

 

鳩尾を殴られて悲鳴を上げることすら叶わないそいつをステージ上から蹴り落とし俺はまた客席で震えている奴らを見渡す。

 

「怪我したくなけりゃ大人しくしてな。もうすぐ冒険者ギルドから手前らを捕まえる為に人が来る。そうすりゃ俺も帰るからよ」

 

俺の言葉に誰かが反応を示すことはなかった。ただ全員、突然現れた理不尽に屈するだけだった。けどお前らも理不尽にミュウや子供達を攫っては奴隷にしようとしてたんだ。文句は言わせねぇ。

 

『ユエ、手が空いたらこっち手伝ってくれ。オークションの客は全員逮捕する』

 

『……いいけど、殺さないの?』

 

『ここで殺したってコイツらの汚ぇ金の出処が分からん。ただの金持ちが悪い奴らとつるんでるだけならいいけど、もしかしたらコイツらも悪いことしてっかもしれねぇ。せっかくだからそういう奴らは一網打尽にしてやろう』

 

ちなみに、シアとティオにも組織の偉い奴らだと判断が付いた奴に限っては殺すなと伝えてある。捕まえてイルワに諸々吐かせるつもりだからだ。ま、あくまでも殺さないだけで怪我させるなとは言っていないし、そもそも喋れれば問題無いとも言ってあるけどな。

 

『……んっ、分かった』

 

と、そうしているうちにドタドタと何人かがここへ駆け込んでくる足音が響いてきた。そしてやって来たのはいかにも冒険者って風体の奴らだった。そいつらは裏のオークションの客達が全員大人しく席に着いて、ステージ上に1人いる俺と見比べて、イルワから聞かされた情報をようやく信じられたようだ。

 

「あぁ、見ての通り人数が多い。手錠かけるの手伝ってくれ」

 

と、俺が片手間で作った手錠を指先で回しながらそう言えば、冒険者達も揃って無言で頷いていた。そして仮面を被った客達にそれぞれ木や鋼鉄でできた手枷を嵌めていく。こうしてフューレンの裏で蔓延っていたドブネズミ達は壊滅の憂き目を見たのだった。

 

さてと、俺は念話石でシアとティオにもミュウは無事確保したこととまずは殲滅次第イルワの所へ集合とだけ伝えておく。そうして俺も手伝いながら全員の手に枷が嵌められたころ……

 

「ミュウ」

 

「みゅ?」

 

「良いもん見せてやる」

 

と、俺はステージ上の自分が入れられていた水槽を乗せた台の影にいたミュウを抱き上げながらそのプクプクした手を取り、もう一度耳を塞がせた。そして宝物庫から取り出したアサルトライフルを真上に向けて引き金を引く。

 

──ドパァッ!!──

 

と、何かを吐き出すような発砲音を置き去りにした超音速の弾丸がステージの天井を突き破り、この薄暗いオークション会場にオレンジ色の光を取り入れた。そして俺は空力も使ってその穴から外へと飛び出し、ミュウの耳を塞いでいた彼女の両手を外してやる。するとミュウは顔を上げ、俺の目線に釣られて目下に顔を向ける。すると、「わぁ」と声を漏らして目を輝かせ、こちらを見上げた。

 

「お兄ちゃん凄いの!お空を飛んでるの!」

 

正確には飛行ではなくただ跳躍の延長線上なのだが、夕陽が赤く照らす街並みを上から眺めて感動しているミュウにそれを言ってもそれはただ野暮なだけだろうから黙っておく。その頃にはユエが残ったフリートホーフのアジトに雷龍を叩き込みまくって阿鼻叫喚の通信がシアやティオから伝わってくるけどそれは無視。こっちもどんどん冒険者達がイルワから送られてくるからもう大丈夫だ。

 

「さて、それじゃあミュウ、行こうか」

 

「行くって、どこに……?」

 

ミュウが俺の顔を不安気に見上げる。それを払拭してやるようにミュウの頬を撫でて俺は告げる。

 

「んー?シアお姉ちゃん達のところだ。その後は皆でお母さんの所へ行こうな」

 

「……お兄ちゃんは一緒に来てくれるの?」

 

「あぁ、俺とシア、それから俺達の仲間と一緒にな」

 

「うん!一緒に行くの!」

 

俺の言葉に顔を綻ばせたミュウの笑顔の輝きはフューレンの街並みを赤く照らす夕焼けよりも煌めいて見えた。

 



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勇者達との再開

 

 

「ノーヘル、危険運転、速度超過、無免許運転……。そもそも車体が違法……は俺のせいか」

 

目の前で繰り広げられている道路交通法違反のオンパレード。飲酒運転と過失致死傷が無いのは救いか言い訳か……。きっと交通警察が見たら卒倒しかけた後、パトカーや白バイが唸りを上げるに違いない。

 

イルワから正式にミュウをエリセンまで送り届ける任務を受諾した後、俺達は四輪に乗って移動していたのだが、シアが二輪に乗りたいというので操作方法──と言っても魔力操作で動かすのでそう難しくもないのだが──をレクチャーし、渡したところ、元々バイクの風を切って走る感覚が好きだったらしいシアはどハマりして草原とライセン大渓谷の狭間を爆走している。やろうと思えばハンドル操作も魔力で行えるため、シートの上に立ってポーズを決めてみたり、どこで覚えたのかやたらと派手なドライビングテクニックを俺の動かす四輪車の眼前で披露している。フリフリと煽るように揺れるウサミミと尻尾が小憎たらしい。元の世界に帰ったら真っ先にシアには道交法を叩き込まねばなるまい。まさか異世界ウサギがハンドルを握ると性格が変わるタイプだとは思わなんだ。

 

しかもミュウがそれを見て自分もやるから乗せろと騒ぐので、俺の運転するバイクに乗るのは良いけどシアの運転するバイクにだけは絶対に乗るな注意しておく。もちろん、隠れて勝手に乗せてもらうのも駄目だと釘を指すことは忘れない。あの調子乗りウサギ……遂にはバイクに乗らずに自身を牽引させて滑りだしたぞ……。

 

「主の世界には面白い乗り物が多いのじゃな。しかも本当は誰でも動かせるのじゃろ?そういうのは作れんかったのか?」

 

このティオ、もう着いてくるのは諦めたのだが最初は俺のことを"ご主人様"と呼ぼうとしたのでそれだけは全力で却下した。コイツがどんなに俺を慕ってくれていようがその呼び方は他でもない、リサだけのものだからだ。まぁ、今の呼び方も意味合い的には変わらんのだけど、こればっかりは気分の問題なのだ。

 

「無理。あれだって俺の世界の動力の再現が出来なかったから妥協して作ったんだ。本物は魔力無しで同じように動かせるけど今手に入るこの世界の物質と技術じゃ不可能だな」

 

まずガソリン無いし。地面を深く掘ればもしかしたら原油くらい出てくるかもしれないけど、それをガソリンやらに精製する技術が無い上にエンジンの開発も俺には無理だ。電気だって必要になるから発電機も必要だし……。

 

もっとも、そういった現代技術で作られた機械駆動のバイクや車を今のシアように操縦するには途轍もない修練が必要になるだろうが。そういう意味では魔力駆動も悪いところばかりではない。

 

「ふむ……。妾も後であのバイク?というやつの後ろに乗っけてほしいのじゃ。シアのあの風を切る姿は気持ちよさそうなのじゃ」

 

「えぇ……、面ど……分かったよ、そのうちな」

 

ぶっちゃけ面倒臭かったのだがそれを見せた時のティオの顔があんまり寂しそうだったから思わず甘さを見せてしまった。すると俺の後ろでティオがニマニマと意地の悪い笑みを浮かべていた。

 

「んんー、打たれるのも良いがこういう主も良いものじゃのぉ」

 

「……お前、乗せてやんねぇぞ」

 

「あぁん、乗りたいのじゃ乗りたいのじゃ意地悪は止めてたもぉ!」

 

俺の反撃に肩を掴んでガクガクと揺さぶりながら乗せろと懇願するティオ。こら、前見えねぇだろうが。

 

ティオの手を振り払って運転に意識を戻そうとすると今度は横から冷たい目線が突き刺さるのを感じる。犯人はユエだ。

 

「……何だよ」

 

「……天人は甘い」

 

ジトーっと音が聞こえてきそうな程の半眼で俺を睨むユエ。言われなくても分かっている。最近の俺は甘すぎる。例え同じように召喚された高校生共を皆殺しにしてもリサの元へと帰る決意を固めていたあの時から比べたら胸焼けと吐き気がするレベルだ。けどま───

 

「そりゃあ、ユエのせいだろ」

 

「……私?」

 

「あそこからユエを出したあの時からだ。俺ん中でまた誰かを助けようなんて思えたのは。……とは言え、感謝はしてるよ。お前と出逢えたから俺は本当の化物にならずに済んだんだ。きっと独りだったら……俺ぁアイツに顔向け出来ねぇまま帰ることになってた」

 

きっとあそこにユエがいなければ、いや、あの部屋に入らなければ俺はあの奈落の底を出た後にもフェアベルゲンでシアを助けることも無くティオをその場で殺していただろう。リサと再び会う道を行くためにお前らは邪魔だと。きっと何の躊躇いもなく引き金を引いていたに違いない。だからあの出逢いは俺が俺であるために最も必要な出逢いだったのだ。

 

「……天人」

 

ミュウの頭越しにユエの頭を撫でる。するとユエは「……ん」と気持ち良さそうに頭を出来るだけ寄せてくる。

俺はミュウを膝の上に乗せてユエが俺に寄り掛かれるようにしてやると、ユエは俺に身体を預けてくれる。その腰に手を回し、ギュッと引き寄せるてそのまま頭を撫でてやる。

 

「あぁ!まーた天人さんとユエさんで世界を作ってますぅ!」

 

するとバイクを乗り回していたシアが、開けていた車の窓からウサミミを突っ込んできてきた。俺は仕方なしに車の操作を魔力操作に任せてシアのウサミミをもふもふと撫でる。するとシアもニヘラと頬を緩ませ気持ち良さそうに頭を擦り寄せる。自分で撫でておいて何だが、運転に集中してくれ……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

宿場町ホルアド。オルクス大迷宮への入口があり血気盛んな冒険者や傭兵に加えて国お抱えの兵士たちで溢れるここは本当の意味で俺のトータスでの旅の始まりの地であるとも言える。

 

そんな町のギルド支部はブルックにあるそれよりも薄汚れていた。中で屯している奴らもあまり友好的とは言えない雰囲気……というより何かに怯えているのかやたらとピリついている。俺はその妙な雰囲気を感じたまま奥のカウンターへと向かう。建屋の中に足を踏み入れた瞬間に俺達へと向けられた殺気に肩車をしていたミュウがビビってしまったので抱き抱えて周りの景色を見せないようにしてやった。それでも向けられる気配は何ら変わらなかったので威圧の固有魔法でそれらを押さえつけ、ただの数メートルにやたらと気疲れしながら目的の場所へ辿り着いた。

 

「……ここの支部長はいるかな?フューレンのギルド支部長から手紙を預かってきたんだけど、直接渡せと言われてるんだ」

 

俺は出そうになる溜息を抑えつけながら手紙とステータスプレートを受付のお姉さんに渡す。

すると、ギルド支部長からの直々の依頼というのは珍しいのか、訝しみながら手紙とステータスプレートを受け取った受付は俺のそれを見て目を見開いた。

 

「き、金ランク!?」

 

冒険者において金ランクというのは余程のことなのだろう。武偵で言えばSランクのようなものか。そう考えればイルワやこの人が金ランクを特別視する理由も納得いこう。

 

「しょ、少々お待ちください!!」

 

思わずランクを口走ってしまったことを顔面蒼白になりながら謝り倒そうとする彼女を宥め、取り次いでもらおうと促すと、奈落の魔物もかくやという素早さで奥へと消えていった。

 

だが受付の人がここの支部長を連れてくる前に誰かがこちらに駆け寄ってくる音がする。何事かと思ってそちらを見れば、駆けてくるのは黒い装束を身に纏った若い男が1人。その前髪で隠れがちな印象の薄い顔には、それでも俺は見覚えがあった。

 

「……遠藤?」

 

「神代!?」

 

俺の呟きが耳に届いたらしい遠藤は俺を見て幽霊でも見てしまったかのような顔をしている。そう言えば遠藤は畑山先生達とは一緒にいなかったな。つまり、今もオルクス大迷宮の表で修行しているという天之河達と一緒にいたというわけか。

だがその遠藤が1人でこんな所を大慌てで駆け回っている理由が分からん。だがその理由もすぐに本人から明かされる。

 

「お前……神代……生きてたのか……」

 

「あぁ。どうにかな」

 

「あぁ……良かった……それよりお前、金ランクって……」

 

「それが?」

 

「つまり、あの奈落の底から自力で脱出できて、冒険者の最高ランクを貰えるくらいには強いって事だよな?」

 

「さっきからどうしたお前」

 

「頼むよ!一緒に迷宮に潜ってくれ!早くしないと皆死んじまう!健太郎も重吾も皆!頼むよ神代!」

 

「待て待て待て。死ぬ?アイツらがオルクスでか?天之河やメルド団長はどうした?あの辺が居ればどうにか───」

 

普段あまり目立つ様子の無かった遠藤が、少なくとも俺の前では初めて見せる剣幕に思わずたじろぎながらもどうにかそう返す。

 

「……死んじまったよ」

 

「あ?」

 

「だから!皆死んじまったんだ!団長も!アランさんも他の皆も!迷宮に俺達と潜ってた騎士の人達は皆死んじまったんだ!俺を逃がすために!俺のせいで……俺のせいで皆死んじまったんだんだよぉ!!」

 

俺はその叫びに「そうか」としか返せなかった。調子に乗って1度大迷宮の罠に殺されかけたアイツらが、メルド団長がいる中で深く潜りすぎたなんてことは考えにくい。そうなると探知を掻い潜った未知の罠か、何者かの襲撃か。そして、殺された、逃がすために、という言葉で俺の脳裏に浮かぶのはウルの町を襲った魔物共。あれを操っていたのは他でもない異世界召喚組の1人、清水だったがそれを更に影で操っていたのは魔人族だった。今回もその可能性があるということか。俺がそれを確かめようとすると、後ろから声が聞こえる。

 

「続きは奥でしてもらおうか。そっちは俺の客らしいな」

 

ここの支部長なのだろう。見たところ歳は60程だろうが、鍛えられた筋肉で膨れ上がった肉体と左目に入った大きな傷が特徴的な人物だった。ハリがあり覇気をも感じさせる声に項垂れていた遠藤の顔も上がる。

 

「いや、もう話はついた。悪いがアンタは後回しだ。……遠藤、八重樫と白崎は生きてるのか?」

 

「え?……あ、あぁ。あの二人がいなかったら今頃本当に───」

 

「天之河なんぞどうだっていいがあの2人には借りがあるんだよな……。……ティオ、ミュウを頼んだぞ。ユエ、シア、悪いが手伝ってくれ」

 

「……ん。天人のやりたいように」

 

「はい、天人さんにお任せします」

 

俺は抱き抱えていたミュウをティオに預ける。ミュウはそれで俺達がどこか遠いところへ行ってしまうのではないかと思ったのか、涙目でこちらを見つめてくる。

 

「ミュウ、ティオお姉ちゃんと良い子でお留守番してるんだぞ?大丈夫だ、絶対戻ってくるから」

 

俺がそう言って頭を撫でてやればミュウも納得したようで目を細める。この変態に預けっぱなしも心配だからな。早く戻るに越したことはない。

 

「さて遠藤。お前らを襲ったのは魔人族か?」

 

「っ!?……そ、そうだけど、何で……」

 

「それは後でな。ギルド支部長、アンタは俺に依頼するんだ。オルクス大迷宮で魔人族に襲われた勇者一行を救出しろと」

 

「あ、あぁ……。イルワからの手紙は読んだ。信じられんがお前達なら───」

 

「手付け金で100万、魔人族を殺す、もしくは捕縛して連れて来たら300万、勇者である天之河光輝を救出したら500万ルタ、それ以外の勇者一行は1人につき10万。俺達が戻るまでに即金で用意しろ。それが報酬だ」

 

八重樫と白崎にはあの夜の義理は果たすつもりだ。だがここで安請け合いして後から後から面倒な仕事を押し付けられるのも癪だ。俺は簡単には動かないぞ、ということを知らしめてやらなくてはならない。

 

「っ……」

 

「困ったらイルワにでも泣きつくんだな。もしイルワが用意するというのなら金の回収はそっちからやらせてもらう」

 

もっとも、イルワも金だけで人類の希望たる勇者が助かるなら文句は無いだろう。例え俺達が行った時に既に死んでいたとしても、そんな勇者を殺せる魔人族の奴を潰せるのだ。問題はあるまい。

 

「遠藤、道案内は任せるぞ。担いでってやるからな」

 

俺は遠藤を肩に担ぐと足早にギルドを出て行く。早くしないとアイツらが死んじまったら俺の報酬が減るからな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「そう言えば借りって何ですか?」

 

オルクス大迷宮を駆けながらシアが問いかける。俺が思い切り良く誰かを助けに行こうとしたのが不思議らしい。失礼な奴だと思わんでもないが、日頃の行いだろうなぁ……。

 

「んー、奈落の底に落ちる前の夜にな、2人にはちょっと愚痴聞いてもらったことがあってな。それに、白崎って奴と俺は色々と似ててな。まぁそれだけなんだが……」

 

白崎の言っていた南雲ハジメという生徒。本当ならこの世界に呼ばれるのは俺ではなく彼だった筈だ。そんな彼に白崎は再び会いたいと、そして自らの秘めた想いを告げたいと言っていた。それは奇しくもリサにもう一度会うんだ、また抱き締めるのだと誓った俺とよく似ていた。だからまぁ、白崎がこの世界で死にそうなら助けてやらんこともない。それだけの話。

 

へぇ、とシアは自分から聞いた割には興味が無さそうだった。ユエも特に白崎に興味があるわけではないらしい。だが別のことが気になっていたようで、会話を続けてくる。

 

「……天人、やっぱり素直じゃない」

 

「……何が?」

 

実際、俺が奴らを助けようとする理由なんて本当に今言った通りなのだが……。

 

「……態々大勢の前で助けに行くと宣言した。勇者が危機にあると聞いて皆不安だったから」

 

「……奥まで行ってる時間が勿体無いと思っただけだ」

 

「……天人、照れてる」

 

「照れてないやい」

 

「あの、魔物を屠るかイチャつくかハッキリしてくれませんかね……?」

 

遠藤が割り込んできてこの俺を辱めるだけの会話は終わりを迎えてくれた。ユエとシアのニヤケ顔がムカつくな……。

 

そうしてしばらく無言で迷宮を突き進んで行くと、ようやく89階層まで辿り着いた。遠藤の話ではこの階層に天之河達は隠れて休んでいたらしい。だが魔人族の配下の魔物が襲ってきていたということはどうやら彼らも見つかったみたいだな。

 

「……あれか」

 

俺が遠見の固有魔法で行く先を睨むとそこには4本腕の魔物に吹き飛ばされる八重樫がいた。この階層に踏み入れた瞬間に感じた天之河のものと思われる魔力の奔流は既に潰えていた。あれだけの魔力量があってまだ八重樫が危機に陥っているということは、時間切れでなければ甘さを見せたのだろうな……。

 

「飛ばすぞ」

 

俺は縮地と空力を使って加速していく。ユエとシアは流石にこれには着いては来れないがもう真っ直ぐ進むだけなので問題あるまい。

途中で遠藤も捨て置き、俺は更に加速していく。遂に俺は己の殺傷圏内にその魔物捉えた。

 

「ルゥオオオオ!!」

 

俺の胴体よりも太い腕を振りかぶり、八重樫と白崎を叩き潰そうとする魔物。俺は縮地で最後の一歩を踏み出すと宝物庫から呼び出した金剛を付与したトンファーでその剛腕をかち上げようとする。

 

 

───バゴッッッ!!!

 

 

と、明らかに肉とトンファーがぶつかったとは思えない音が響く。俺のトンファーと奴の腕が衝突したその瞬間、この4本腕のゴリラ野郎の固有魔法だろうか、打撃面から衝撃の波が発生したのだ。俺は空力を使って足を空中で踏ん張り、腕力に物を言わせて左腕を跳ね上げる。そしてそのまま右手に電磁加速式拳銃を召喚。4本腕ゴリラの頭、胸、腹を目掛けて引き金を弾く。

 

 

───ドパァン!ドパァン!ドパァン!

 

 

と、何かを吐き出すかのような独特の発砲音が迷宮の中の大気を震わせる前に、既に巨躯の魔物は超音速の弾丸によってその生命を肉と血と臓物とを共に散らせていた。

 

「……神代、くん……?」

 

俺の方に降り掛かるそれらを魔力放射で押し退けながら地面に降りた俺の耳に届いた声は久々過ぎて忘れかけていた白崎の声。その白崎の呼び掛けに驚いた声を漏らす八重樫。

 

「相変わらず仲良いな、お前ら」

 

死の直前まで寄り添う2人を見て思わず呟く。

 

「え……?あれ……え……?」

 

八重樫の方はいまだに混乱から抜け出せていないらしい。まぁ、死を覚悟したその瞬間に、死んだと思っていた奴が助けに入ったのだからその気持ちも分からないではないけど。

 

「……少しは落ち着けよ八重樫」

 

時間が止まってしまったのかと思うくらいに静寂に包まれていた空間だったが、ゴロゴロと人が転がってくる音が割り込んでくる。見ればユエを抱えながらも俺に追いついたシアが遠藤も引っ掴んでいて、追い付いたからと投げ捨てたのだ。

 

「ってぇ……っておい神代!置いてくなよ!てか捨てんな!」

 

俺に捨てられシアに捨てられ、文字通りゴミのように扱われた遠藤が憤っている。だが正直もう遠藤に構っている暇は無い。

 

「……シア、あっちで倒れている騎士甲冑の男を診てやってくれ。ユエはコイツらとあっちで固まってる奴らの守りを頼むよ」

 

「はい!」

 

「……んっ」

 

とてとてと、軽い足取りでメルド団長の方へ向かうシアと八重樫と白崎を立たせて身体強化を使って他の生徒達の方へ担いで行くユエ。どうやら天之河も生きているようだし、依頼料はMAXで貰えそうだ。

 

俺はトンファーを仕舞い両手に電磁加速式の拳銃を構え、そのままユエとシアの周囲の虚空へ向けて引き金を弾く。発砲音がこの空間を占領するより早く、何も無いように見えたそこから血飛沫と肉片が撒き散らされた。ゴトリと音を立てて倒れたそれは獅子の身体に翼を持ち蛇の頭の形をした尻尾を持った魔物達だった。姿を消す固有魔法を使っていたようだが、あまりにお粗末な上に魔力の気配そのものは消せていなかったので俺の義眼に付与された魔力感知には丸裸も同然だった。

 

「……お前か?この魔物共を仕切って勇者達を襲ったのは」

 

俺は奥にいた赤毛の魔人族と思われる女に話しかける。姿を消していたはずの魔物が瞬殺されたからか、そいつは俺を強く睨みながら返す。

 

「……だったら何だって言うんだい。どっちにしろ人間族は殺すんだ。……殺れ」

 

魔人族の女がその言葉を発した瞬間、俺の真横の空間が揺らぐ。だがそこに魔物がいることは魔力感知で分かっていたことだ。俺は縮地でその場を真上に離脱するとそのままそこへ発砲。混ざりものの魔物を撃ち砕く。それを戦いの狼煙として大型犬くらいある猫のような魔物、ブルタールとかいう力自慢の魔物に似た奴、ウルの町を襲った中にもいた4つ目の狼の魔物達が一斉に俺やユエ、シアに襲いかかった。だがそもそも奴らの隠匿の固有魔法は動いていない時しか十全に発揮されない中途半端なものだ。しかもその固有魔法を持っていたのはデカい尻尾の伸びる猫の魔物が持っているものだったらしく、奴が触れている間だけ効果を発揮するのだろう。一斉に魔物が動き出した今、殆どの魔物がその姿を現している。猫だけは姿を消しながら上手いこと俺の死角に回り込もうとするのだが、他の魔物はユエの魔法に消し飛ばされるか串刺しにされ、シアのドリュッケンに叩き潰されるほか無い。俺は、自分に向かってくる奴のその尽くを拳銃弾で砕いていく。すると───

 

──キュワァアアア──

 

と、甲高い鳴き声がしたかと思えば魔人族の影に鎮座していたデカい亀の姿をした魔物が大口を開けてそこに大きな魔力を蓄えていた。……あれは決め技の類だな。

 

そして次の瞬間、それは発射された。吐き出されたのは口元で圧縮された魔力の塊だった。俺はそれに合わせてティオとの戦いでも使った大盾を召喚、それを受け止める。あのティオの破滅的な黒色(こくしょく)の攻撃に比べればこの程度そよ風程にも感じないな。

 

俺は盾を跳ね上げてその攻撃を斜め上へ逸らす。そしてそのまま奴の顔面へ向けて発砲。

 

いくら硬い甲羅を持っていようが所詮は亀。攻撃の射線をなぞるように射撃をすれば頭を引っ込めようがその頭ごと内臓まで弾けさせることが出来る。

 

さらに俺は大盾を仕舞い、左手に拳銃を呼び戻すと魔人族の女の肩に乗っていた白い鳩の様な魔物も撃ち殺す。とはいえ、弾丸を直撃させては余波で魔人族の女まで一撃の元に殺してしまうのであえて撃ち砕かずに射線を逸らし、超音速の弾丸によって引き裂かれた大気から発生するソニックブームでその鳩を切り裂いて絶命させた。俺は残りの魔物共も叩き潰していきながら少しずつ魔人族の女に寄っていく。そうしてユエやシアの攻撃もあり、奴が連れていた魔物共を全部片付けた後、それでもなお魔法の詠唱をしていた魔人族に縮地で距離を詰め、その鳩尾に宝物庫から拳銃と取り換えたトンファーを叩き込む。

 

「ゴッ───」

 

一瞬身体を浮かせた後、崩れ落ちるように倒れ込んだ魔人族の足の指を踏み抜き、骨を砕く。痛みで魔人族の女は叫び声を上げようとするが鳩尾に一撃喰らったおかげで息が詰まっているのだ。声を上げることすら出来ない。

 

「……さて、あの魔物共はどこで手に入れた?」

 

「……言うと、思うのかい……?」

 

やっと出てきた答えは俺の想像通りのものだった。息も絶え絶えながら強気に振る舞うそいつに、俺は返事の代わりにもう片方の足の指の骨を踏み砕く。今度は聞きたくもない絶叫が響く。

 

「あの魔物共はどこで手に入れた?」

 

「……私がっ……人間族の、有利になるようなことを……ベラベラとぉ……喋ると、思った……のかい……?」

 

再び同じ問いをするが、思っていたよりコイツの口は固いようだ。俺はその口をこじ開けるべく、潰された彼女の右足の指をさらに踏み躙る。再び響く声を無視して俺は質問を続ける。

 

「俺は人間族として聞いているんじゃない。俺個人として興味があるから聞いているんだ」

 

「はっ……」

 

だがそれでも俺を睨むだけで喋ろうとはしない。まぁこれくらいならまだ喋らない奴も多かったからな。そう珍しくもない。

 

「ま、大方予想は付く。ここに来たのは勇者の勧誘以外にも、本当の大迷宮を攻略するため、だろう?」

 

遠藤から、コイツがまず最初にしたのは勇者の魔人族側への勧誘だというのは聞き及んでいた。まぁ、どっちにしたってコイツはここで殺すのだ。オルクス大迷宮の裏を話して予想が外れていても問題はあるまい。

 

「……アンタもあの方と同じって訳か。この化け物じみた強さも納得だね」

 

あの方、ねぇ。そう言えば清水は清水で何やら強い魔物を貸し与えられたとか言ってたな。ということは魔人族の誰かがどこかの大迷宮を攻略し、それは魔物を強くするのか新しく作り出せるのか、その類の神代魔法だったということか。そういや、俺達がこっちに呼ばれたのも魔人族が魔物を操り始めたことが切っ掛けだったな。

 

……なるほど、もう充分だ。俺は拳銃の銃口を奴に向ける。

 

「……いつかあたしの恋人がお前を殺す」

 

そんなことはどうでも良いことだ。もう既に2回も大きな計画を邪魔されているのだから魔人族からしたら俺は殺害の最有力候補だろう。そのうちまた魔人族とは大きなぶつかり合いになるのは承知の上だ。奴の言うことは放っておいて、俺はそのまま引き金を引こうとするのだが───

 

「待て!」

 

と、後ろから天之河の声が響く。……久々にその声を聞いたな。

 

「待つんだ神代、彼女はもう戦えない。殺す必要は無いだろ!」

 

だが奴の言葉に一々耳を傾けてやる必要は無い。いくら肋と足を砕かれようとまだ魔人族には強力な魔法がある。それは詠唱さえ行えれば発動できるのだ。そして俺のオラクル細胞を貫く致命の一撃は例え裸にひん剥いても血でも何ででも魔法陣を描けてしまえば俺の背後から放たれる。俺は天之河の方を振り返ることもなくただ機械的に引き金を引き、胸と頭を弾く。奴が死んだことを確認してから俺はそのままシアの方へ歩いて行く。

 

完璧に絶命した彼女を見て、天之河が叫びながら俺に飛び掛ってくる。だがいくら勇者様とは言え、既に魔力切れの身体だ。せいぜい俺の胸ぐらを掴むのが精一杯。俺はそれを振り払い天之河を放り捨てる。

 

「なぜ、何故殺した……。捕虜……そうだ捕虜にすれば良かったじゃないか!!」

 

だがこの男の正義感は留まることを知らないらしい。地面に転がりながらもそんな訳の分からない妄言まで出始めた。正直、相手にするのは面倒なのだが、どっちにしろ上まで連れて帰らなければならない以上はここで黙らせるのも一つの手か……。

 

「……捕虜にして、その後はどうする?見てなかったのか?アイツは足を砕かれても喋ろうとはしなかった。喋る奴は1枚でも話すからな。あぁいう手合いは中々話さないぞ?」

 

「そ、それは……」

 

「それとも連れてって話すまで剥がし続けるか?それを誰がやる?お前がやるってのか?それとも自分じゃやりたくない事は他人に押し付けるか?」

 

「いや、いや……。ていうか剥がす?何のこと───」

 

「爪だよ爪。喋る奴は目の前にペンチを置くだけでも口ぃ回るけどな。ま、そもそも捕虜1人捕まえての拷問なんて効率悪いぞ?助かりたくて適当に喋る奴もいるからな。何人か別々に捕まえてそれぞれ話させて裏取らないと駄目な場合も多い。……それに、話した後はどうする?戦争法なんてこの世界には無いだろうから確かに捕虜に拷問しても後で問題になることはないだろうけどな。捕虜だって生きてるんだぜ?情報聞き出すなら生きてないとな。で、生かすなら水と食べ物は必要だろう。で、それはどうやって用意する?」

 

「そんなの、普通に用意してやれば……」

 

「誰が?どうやって?言っとくが、ハイリヒ王国も国民の税金で動いていることを忘れるなよ?捕虜の飲み食いだって税金から出すんだ。それを国のトップが納得するかな?それに、聖教教会の上の方は随分とエヒト様にご心酔だったからな。魔人族の捕虜なんて連れてってもお前らの見てないところでどんな殺され方をされるかな。一思いに殺してくれれば楽だろうけどなぁ」

 

俺の事情以外にもアイツをこの場で殺す理由はいくらでもあるのだ。そもそも俺がこの場に来た以上、奴はこの場で俺に殺られるのが最も楽で戦士としての尊厳を踏み躙られない死に方なのだし。天之河の様な甘ちゃんに何を言われる筋合いも無い。

 

「それは……。お前だって、彼女に拷問してただろう!?」

 

「俺のはただの答え合わせだからな」

 

もう話は終わりだとばかりに俺はシアの方へ向かう。ユエももうお守りは必要なくなったと判断したのか、こちらへ向かって歩いて来る。

 

「シア、メルド団長の方はどうだ?」

 

「あと少し遅かったら分からなかったです。……けど良いんですか?言われた通り神水を使いましたけど……」

 

「うん、その人にはそれなりに世話になったからな。それに、ここでこの人がいなくなってアイツらに変な教育係を付けられても困るし」

 

実際、1人だけ素性の違う俺がクラスの連中と上手くやれるように気を回してくれたのはメルド団長だったのだ。天之河の甘さまでは矯正出来なかったようだが、それでもここで亡くすには惜しい人だからな。

 

「……天人」

 

「ユエ、ありがとうな。頼み聞いてくれて」

 

「……んっ」

 

ユエ様は頭を差し出し、撫でろとの御用名だ。手伝ったご褒美ということらしい。俺は思わず苦笑しながらもそれに応える。するとユエも頬を綻ばせて喜びを表す。そうして2人で見つめ合っていると、間からシアが冷たい目をしながら割り込んでくる。

 

「……まったく、空気読んでくださいよぉ。ほら、皆さん集まってきましたよ?」

 

シアに言われて周りを見渡せば、確かに生徒達が足取り重く俺たちの周りに集まってくる。

 

「……神代、なぜ彼女を殺した───」

 

「神代くん、色々聞きたいことはあるのだけれど、メルドさんはどうなってるの?見たところ、傷も塞がっているし呼吸も安定してる。致命傷だった筈なのに……」

 

俺を問い詰めようとした天之河を押し退け、八重樫がメルド団長の傍に膝をつき、厳しい顔付きで彼の容態を確認してくる。

 

「あぁ……。まぁ死んでなきゃどうにかなる薬だ」

 

「そんなの……聞いた事……」

 

「俺も、前に本で読んだっきりだったけどな。ま、そんだけ貴重な物だからな、お前らは治癒魔法で対応してくれ」

 

魔力を回復させる薬を投げて寄越しながら俺は最初に撃ち殺した4本腕の魔物の肉を回収しに行く。俺のその行動の意味が分からない生徒達はただそれを見ているだけだったが、俺が戻ってくると再び天之河が俺に詰め寄ってくるのだが……。

 

「おい神代、メルドさんを助けてくれたことには礼を言う。だけどなんで───」

 

「ありがとう神代くん。メルドさんのことも、私達のことも、助けてくれて」

 

またもや割り込まれている。今度は白崎だ。天之河くん、不憫な子……。

 

「別に、タダで助けたわけじゃない。キチンと報酬の用意された仕事だ。ほら帰るぞ。お前らを連れて帰らないと金が貰えない」

 

ほら帰った帰ったと、手を下から扇ぐようにして生徒達を帰路へと赴かせる。……何となく、引率の先生みたいだな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……待てよ、何で彼女を殺す必要があった?捕虜に出来ないというのならあそこに置いていけば良かったじゃないか!そうすれば、戻って来ない彼女を心配して仲間が来たはずだ」

 

大勢を連れて帰り道を歩いているとやはり天之河が俺に絡んできた。もはや言ってることが滅茶苦茶だ。だが本人はその事に気付いていないのか目を逸らしているのか。どっちにしてももう相手をしてやる気は無いのだが……。

 

「……くだらない奴。天人、行こ?」

 

俺に再三絡んでくる天之河をユエはくだらないと切って捨てて俺の手を引く。俺もそれに応えてさっさと帰り道を行く。

 

「待て、待ってくれ。俺の話は終わっていない。神代の本音を聞かないことには仲間とは認められない。捕虜に出来ないにしても、殺す理由にはならない筈だからな。それに、君は一体誰なんだ……?助けてくれたことには感謝するけど、初対面の相手にくだらないなんて失礼じゃないか?」

 

あぁもう本当に煩いな。この際宝物庫に押し込んでやろうか……?もう既にユエは天之河には完全に興味を無くし視線も合わせようとしない。だが天之河はそれでも優しげな笑みを浮かべてユエに話しかけようとしている。まぁあの顔だ。これまでここまで女の子に無視されたことなんて無いのだろうが……。

 

「……天之河、お前が何を勘違いしてるのか知らないが俺ぁお前らの仲間じゃない。これまでも、そしてこれからもだ。それに、あの場でアイツを放っておけばその内仲間が助けに来る?あの怪我だ。その前に出てきた魔物に喰われて終わりだ。それにな、オルクス大迷宮に仲間が来るってことは人間族の町に魔人族が入り込むって事だぞ?それも戦争の真っ只中にある相手だ。そんなこと許していいわけねぇだろ。連れて帰れない以上はあそこで殺すしかない。いい加減分かれよ」

 

ここで天之河如きのせいでユエの機嫌を悪くするのも癪に障るからな。言わせてもらおう。そもそもあそこに魔人族の奴が大勢の魔物を引き連れているだけでも本来は大問題なのだ。オルクス大迷宮に入る入口は1箇所しかないはずで出入りの管理もしている筈なのに魔人族が魔物を引き連れて入り込んでいたんだからな。

 

「うっ……」

 

俺に言い負かされた天之河はそのまま黙り込んでしまう。おかげで静寂が俺達を包み込む。もっとも、俺達にしてみれば五月蝿い奴を相手にしなくて済む分、マシとも言えるが。

 

そうして歩いていきあともう少しでオルクス大迷宮の出入口だという所で天之河がポツリと漏らした。

 

「……それでも、殺人は悪いことだと思う」

 

もう俺は構う気も無いので無視して進もうとしたが、ここで意外な人物が天之河に食って掛かった。

 

「……貴方は天人さんの敵ですか?」

 

シアだ。既にドリュッケンを構え、天之河を叩き潰す気でいるようだ。殺気がダダ漏れ。気配の操作に長けた兎人族とは思えない程だ。……いや、これはわざと分からせているのか。

 

「待てシア、ソイツは───」

 

「ゴメンなさい天人さん、待てません。こんな、ただ逃げた人に天人さんのことを否定されるのは許せません」

 

だがシアは珍しく殺る気だ。敵でも無い天之河を本気で殺そうとしている。

 

「……んっ。勇者がいないと満額貰えないけど、こいつが生きているよりはマシ」

 

なんとユエまで殺意が溢れている。天之河には興味を無くしたものと思っていたのだが、既に身体から黄金の魔力光が漏れ出していてこのままだと天之河はマジで死ぬ。

 

「待て待て、待ってくれ!逃げた?俺がいつ逃げたって言うんだ!?」

 

「……あのフロアに入った時に感じた魔力量なら魔人族か天人が最初に殺した4本腕の魔物のどっちかは倒せたはず。なのにどっちも生きていたということは、お前が躊躇ったから。違う?」

 

「……それは」

 

恐らく図星だろう。俺もユエと同じことを考えていた。恐らく限界突破の類だろうがあれだけの魔力量なら例え時間切れで打ち漏らしが出ても魔人族くらいは殺れただろう。それが出来なかったということはそういうことだ。

 

「助けられただけの上にそんな腑抜けた奴が天人さんの事を否定するのは許しません。これ以上何か言うのなら、この場で貴方の存在そのものを終わらせます」

 

もう完全にその気になっているシア。ドリュッケンを握る手や踏み込む脚にも力が込められていて今すぐにでも飛び出してしまいそうだ。そんな一触即発の空気に触れ、他の生徒達が震えている。それだけシアとユエの殺気は凄まじいのだ。

 

「……ユエ、シア。お前らの気持ちは嬉しいよ。けどな、コイツはそこらの下衆でもなければ兵士でも戦士でもない一般人だ。お前らが殺す価値も意味も無い。コイツをこの場で殺るってことはお前らが下衆以下まで落ちるってことだ。いいか?俺はそんなことは絶対に許さない」

 

だけど俺はそんな2人を抱き締める。天之河はこの2人が手を下す必要なんて無い。これだけ俺のことを想ってくれていることは嬉しい。だけどここで天之河を殺すことは違うと思うのだ。絡んできた雑魚共をぶっ飛ばすのとは訳が違う。コイツらをそんな底辺まで下げるのは俺が許せない。

 

「……天人」

 

「……天人さん」

 

「……ほら行くぞ。早くしないと日が暮れちまう」

 

俺は2人への抱擁を解くとそのまま2人の腰を抱いて前に歩き出す。後ろから着いて来ていた生徒達もどうにか歩き出せたようだった。

 

「……天人」

 

「はい?」

 

掛けられた声に俺が振り向くとそこに居たのはメルド団長だった。遠藤に肩を借りながらどうにか着いてきていたこの人だったが、何か言いたいことがあるようだった。

 

「それに光輝もだ」

 

「……なんですか?」

 

「まず天人には礼を言う。生きてくれていたこと、助けてくれたこと。助けたのは仕事と言っていたが、それでも俺は嬉しく思う」

 

「……そうすか」

 

「あぁ。それに、光輝達に覚悟を持たせられなかったのは俺の責任だ。責めるなら俺を責めてくれ」

 

「……そんな」

 

「俺は教官には向いていなかったのかもな。本来ならもっと早くに教えるべきだったのだ。戦争をするということの意味を。魔人族とは言え、人を殺す覚悟を」

 

「そんなの、持たないで済む方がきっと幸せだ」

 

だから俺には責任があるのだ。ユエとシア、それからティオに対する、人を殺めさせてしまった、その人生への責任が。

 

「かもな。……だが光輝達は持たなければならないのだ。そのために、どこかのタイミングでそこらの賊でもけしかけて光輝達にそれを教えようと思っていたのだが……。平和なところで育ったコイツらを見ているとな、まだその時じゃあないんじゃないかと、な……。だがその半端な覚悟のせいでお前たちを殺しかけてしまった。本当に申し訳ない」

 

天之河達も、信頼していたメルド団長が自分達に人を殺させようとしていたことにショックを受けていたようだった。だが今にも土下座しそうな勢いのメルド団長をどうにか留め、顔を上げさせる。そしてまた俺は2人と連れ立って歩き出す。後ろから様々な情念渦巻く視線が突き刺さるがそれは無視していくと、ようやくオルクス大迷宮の出口だ。俺が数時間ぶりの光に目を細めていると───

 

「あ!お兄ちゃん!」

 

「お、ミュウか」

 

太陽の輝きを背にミュウが駆け寄ってきた。

 



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砂漠の国

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


 

 

「神代くん……ううん、天人くん、私、もっと強くなりたい。だから私も天人くんの旅に着いて行くね!」

 

「え、面ど───」

 

「よろしくね!!」

 

俺の言葉は一瞬たりとも聞いていないらしい。ミュウとティオとオルクス大迷宮の出入口で合流し、ギルドまで勇者御一行を送り届け報酬のうち手付金──残りの成功報酬と成果報酬はイルワから貰ってほしいとのこと──をキチンと受け取った後、さぁ旅の続きに行こうかという所で白崎が唐突に同行を宣言してきた。本人に許可を取るという発想は欠片も無いらしい。もうユエ達にもキチンとした自己紹介をし始めている。

 

これは完全に俺の意見が無視される流れだ。だがこの潮流に待ったをかける人物がいた。そう、"勇者"だ。

 

「待ってくれ香織!いきなりどういうことなんだ!?」

 

珍しいな天之河、俺も全く同じことを思っていたよ。

 

「私ね、思ったの。王国の皆からは凄い凄いって持て囃されてたけど、実は全然そんなことないんだなぁって。私がもっと強ければ今回だってどうにか切り抜けられたかもしれないのに。だから私、皆を守れるくらい強くなりたいの。その為には天人くんに着いて行くのが1番かなって。だから……」

 

「だからって、俺達の所にいたって強くなれるさ。もっともっと修行して強くなれば良い」

 

天之河が、だからこっちへおいで、とでも言うかのように手を差し出す。だが白崎は明確な否定を込めて首を横に振る。

 

「ううん。きっと魔人族はそれを待ってくれない。それにね、私、日本に好きな人がいるの。その人に想いを伝えるためには絶対にここじゃ死ねない。だから生き残る力を付けるため、皆を守れるくらい強くなるために、私は天人くん達に着いて行く」

 

どうやら白崎の決意は固いらしい。しれっと俺の呼び方が下の名前になっているとか、どう考えても俺に着いてくる方が危険度高いとか、そもそも守るためにどっか行くってどないやねん、とか色々言いたいことはあるのだが、多分俺が言っても聞いてくれない……これはそういう流れのやつだ……。

 

「……好きな人?何を言ってるんだ?そもそも香織は俺と幼馴染なんだからずっと俺と一緒にいるんだろう?」

 

いや待てその理屈はおかしい。実際、白崎にもそれは無いとバッサリ切り捨てられている。そして白崎の好きな人が南雲ハジメと聞いてやはり天之河は憤っていた。何やら、やる気がなくてオタクな南雲を〜とか何とか。コイツ、爽やかな顔しておいて結構酷いこと言ってるぞ……。

 

しかし、白崎の気持ちに気付いていないのは天之河だけだったらしい。他の奴らは白崎の気持ちにだいたい気付いていたようだった。

 

だがここで天之河の矛先が何故か俺を向く。この人、学習能力無いのかしら……。

 

俺がミュウも含め何人もの女性を侍らせていること、ティオが俺のことを"主"と呼んでいたことを根拠に俺が女をコレクションか何かと思っているのだと非難し、そんな奴の元へ行くなと、危ない目に遭うだけだと言う。ミュウは数に含めないでほしいと思ったけど多分コイツに言っても聞かない。あと俺に女をコレクションする趣味は無いし、基本そーゆーのは嫌いなんだけどな……。

 

そして、そんな天之河物言いにユエとシアだけでなくティオまで目線が冷たくなっていく。

 

その上今度はユエ達にまで俺の傍に居るな自分達と来るんだと言い出す。どうにも俺が何やら非道な手段で彼女達と一緒にいるのだと解釈し始めたようだ。え、何故……?当然それを受けた彼女達は───

 

「………………」

 

無言である。しかも全員俺の後ろに隠れた挙句グイグイと俺だけ押し出していく。アイツを早く黙らせてほしいということか。見れば3人とも腕に粟立つように鳥肌がたっている。……そんなに気持ち悪かったのかな……キモかったな……。いきなり呼び捨てだったもんな……。

 

しかし今までその端正なマスクで女性からそんな扱いを受けたことがないっぽい天之河はショックを隠せていない。

 

「あぁ……、まぁその、何だ───」

 

「───神代!俺と決闘しろ!!」

 

誰か俺の話を聞いてほしい。オルクスの迷宮から出てきてこっち、今のところまともに俺の話を聞いてくれたのはギルドの支部長くらいだ。あとミュウとティオ。でもこの2人も普通に俺を押し出してるので駄目です。

 

「武器を捨てて素手での勝負だ!俺が勝ったら2度と香織には近付かないでもらう。そして、その子達も解放してもらうぞ!」

 

俺と天之河が戦うとなると素手での戦いが1番天之河の勝率が低い───と言うよりオラクル細胞を持っている俺に勝てる道理が無いのだが、それを知らない周りからすれば強力な武器を持っている俺がそれを使ったら天之河的には勝ち目が無いとみて素手での勝負に挑んだ風に見えるだろう。おかげで全員ドン引きだ。だが態々訂正するのも面倒だ。もうこれで俺に突っかかって来なくなるというならここで終わらせるのも良いかな……。

 

「あ、もうそれで良いです。はいどうぞ」

 

余りにぞんざいに受けたもんだから天之河は天之河で顔を真っ赤にして怒っている。そしてユエ達が後ろへ下がったのを見て、何度繰り返せば分かるのか直情的に真っ直ぐ殴りかかってくる。

 

相も変わらず直情的な攻撃、フェイントを入れようという気配の欠片も感じられない。だが、結果論だとは思うが天之河は身体に鎧を纏っている為に胴体へのカウンターは確かに通しずらい。だがまぁ、それだけだ。

 

俺は天之河の右ストレートを右手で受けると、その拳を流しながらそのまま反転。脚を払い背負い投げのように地面へと叩きつける。そのまま天之河の下腹部を踏みつける。そこはちょうど腰の可動域な為に鎧の防御の無い箇所だ。そこを踏みつけられた天之河は「ゲハァッ」と苦悶の声を吐き出す。俺は仰向けに倒れている天之河の豪奢な鎧の首元を掴んで持ち上げ、顔面を殴り飛ばす。地面をバウンドして数メートルほど転がった天之河にはもう俺は目もくれずにいた。

 

「……八重樫、俺ぁお守りで白崎と一緒に行くわけじゃねぇ。それは本人も分かってるだろうが……」

 

「えぇ、言ったら聞かないのは昔からだから、諦めてるわ。だから危険な目に遭わせるな、とは言わない。だけど私の親友なんだから、せめて仲間としてはちゃんと扱ってよね?」

 

「任せろ、勇者も真っ青な戦闘民族に育て上げてやる。……じゃああっち(天之河)は任せた。……白崎、明日の早朝に出る。お別れは済ませておけ」

 

「え?……うん?ありがとう……?天人くん」

 

「待って待って待ちなさい!今の───」

 

「あぁそうだ八重樫。さっき得物折れてたろ。これやるよ」

 

「話を聞きなさい!!……まったく……で、これは?」

 

俺は宝物庫から黒刀を一振り八重樫に渡す。それは俺が錬成の修行のために作成した物だ。

 

戦闘民族は冗談だ、白崎のレンタル代だと言えば最初は憮然としていた八重樫も受け取ってくれる。強度と斬れ味は折り紙付きだし生成魔法の修練も兼ねていたので纏雷と、風爪の派生技能である飛爪が出せる優れ物ではある。

 

八重樫の扱う剣術は剣道を基礎にしたものだから、日本刀と同じような形状のこれなら違和感も無いだろう。王国支給のアーティファクト無しでこの先八重樫が死んだと知ったら白崎が悲しむだろうし、一応仲間として受け入れるのだからこれくらいの配慮はしてやる。

 

男から刃物を贈られて笑顔の八重樫も中々絵面としてはヤバいものがあるのだが、それには誰も触れられず、俺達はそれぞれの道を行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……と思いきやそうは問屋が卸さない。まず真っ先に声を上げたのは檜山だ。曰く、ここで白崎に抜けられたら次は本当に死んでしまうとか。

 

なるほど、一理あるな。むしろ正直天之河の言うことよりも筋が通っている。そしてそれに釣られて他の男子達も同じように白崎を引き留めようとする。実際、白崎の回復魔法はオルクスからの帰路で見られたものだけでもそれなりの度量があることは分かっていた。確かに彼らのパーティーには欠かせないのだろう。

 

けれども白崎はそんな彼らを見ても決心は揺らがないようだった。頭を下げてこそいるが、結局それはこいつらの元を離れる選択をすることは変わらないという意思表示に他ならない。

 

しかし、先の戦いで天之河達への戦闘力への信頼が薄れたのかと思っていたが、それにしては、特に檜山の反応がおかしい。あの時だって白崎がいようがいまいが、どっちにせよ俺達が来なければ全員死んでいるか魔人族の元へ連れ去られていたのだ。それを今更白崎1人が抜けるだけでここまで騒ぐだろうか。居ないなら居ないで迷宮攻略のペースを落とすとかあるだろうに……。

 

そしてその時、俺の脳裏を過ぎったのは奈落に落ちるその数瞬前、俺目掛けて放たれた火属性の魔法だった。確か檜山は魔法の適正は風属性の方が高かったはずだが、今白崎を映しているその瞳の濁りは、かつての清水を思い起こさせるものだ。正直興味も無いし今更気にもしていなかったのだが、あの魔弾の射手、もしやコイツじゃないだろうな……。適当にカマかけてやろうかとも思ったが一々相手するのも面倒臭いなぁ、どうしようかなぁと悩んでいたところにスっと白崎と檜山の間に割って入る人物がいた。八重樫だ。

 

「檜山くん、香織が抜ける穴は私達がもっともっと強くなって埋めるわ。神代くんに凄い武器も頂いたことだしね。……だから私の幼馴染の決意を、尊重してくれないかしら」

 

言葉は優しいが八重樫の放つ迫力に気圧されたのか檜山達は思わず押し黙る。

 

「それに香織も。帰って来るのよね?」

 

「うん、帰って来るよ、必ず。皆を守れるくらいに強くなれたと思ったら、絶対に帰ってくる」

 

「ほら、香織もこう言っていることだし、私達は信じて見送りましょう?」

 

八重樫の言葉が檜山達を黙らせる。何となく解散の雰囲気になったことで俺は白崎に集合場所と時間をもう一度伝え、ユエ達を連れてその場を後にするのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

そこは赤銅色の世界だった。

熱と大気により酸化した砂。それが常に吹き荒ぶ風によって巻き上げられ、太陽に虐められた砂の熱が生み出す蜃気楼すらもかき消してしまう。その中を俺達は冷暖房完備の四輪に乗って騒がしく突き抜けて行く。むしろこれ無くしてよくミュウは衰弱死しなかったものだ。何せ彼女は4歳の海人族なのだ。生まれ故郷であるエリセンとは真逆の環境は心身共に想像を絶する負荷を与えた筈だ。

 

だがそれも今は昔、全部の動力を魔力で補っているため普通に車を運転するよりも疲れるのだがそれでもこの快適さには変え難い。快適を維持するにはコストが掛かるのだ。

 

「そう言えば天人くん」

 

「んー?」

 

「これってどうやって動かしてるの?エンジンの音とかしなくて凄い静かだよね」

 

「あぁ。魔力の直接操作でタイヤを回してる。だから俺とユエとシアとティオしかこれは動かせないんだよな」

 

要はこれは白崎には動かせない。勿論魔力を全く持っていないミュウもだけど。

 

「へ、へぇ……。天人くんって車の免許持ってるの……?」

 

「そりゃもちろん───」

 

「だ、だよね……」

 

「無免許運転だ」

 

「やっぱりね!!」

 

いや、取ろうかなぁとは思ってるんだよ?今持ってないだけで。車輌科の奴らはもうとっくに持ってるし、俺も時々バイクや車があれば便利かなぁと思うこともあるのだ。

 

「エンジンとかガソリンとかバッテリーとかこの世界に無いからな。流石にあんなもん作れないし。もちろん減速機もギヤも無い。足周りのパーツはほぼ車輪と軸だけだ。だがあらゆる動力を魔力に依存する代わりに圧倒的な静音性と軽量化に成功したんだぞ?」

 

「もしやプラモデルより部品が少ない!?……ブレーキは!?ブレーキはあるよね!?」

 

「当たり前だ。前後輪にディスクブレーキが着いてる。もちろんこれも魔力操作だ。……もし魔力が切れたら暫くは惰性で走るな」

 

「やっぱりこの車、人を乗せて走るには欠陥が多すぎるんじゃないかな!?かな!?」

 

「仕方ないだろ。油圧ブレーキとか電磁ブレーキとか作れないし」

 

「それにしたって、もっとこう……」

 

「魔力全開なら500キロも夢じゃないドラッグマシーンだ。スピード違反以外にもありとあらゆる道交法をぶっちぎるぜ」

 

「地球に帰ったら絶対に乗らないでよね!?」

 

まぁ乗っても白崎にはバレないけど。俺達はもし全員が帰れれば違う世界に分かれるのだし。

 

「安心しろ、まだ飲酒運転と過失致死傷はやってない」

 

「当たり前だよ!?」

 

「ちなみにこの車は原動機が付いていないからな。理論上は軽車両……つまりチャリンコと同じ扱いのはずだ」

 

「そんな法律間違ってるよ!!」

 

後ろのシートで頭を抱えて叫んでいる香織さん、思いの外ノリと勢いのある奴だったみたいだ。意外な一面を発見したぞ。

 

「のう主よ、楽しんでいるところ悪いのじゃが、右前方の方向で何やら騒ぎじゃ」

 

自動車も自転車も道路交通法も無い世界の人達からしたら白崎が何にブチ切れているのか分からないのか、皆ポカンとしていた中でティオが何やら異変を見つけたらしい。俺も言われた方向へ目線をやれば確かにおかしな光景が目に入った。この砂漠に生息するサンドワームとか言う異世界魔物なのに何故か名前が完全に英語な巨大肉食ミミズが数匹、グルグルと一点を中心に回っていたのだ。

 

「……何やってんだあいつら」

 

「さぁのぅ。じゃが何やら獲物を前に食うべきか食わざるべきか迷っているようにも見えるの」

 

「アイツらがんなことするのか?」

 

「奴らは悪食で有名じゃからのぉ……。妾は聞いたことがないのじゃ」

 

500年以上を生きるティオが知らないというのならそうそうあることではないのだろう。だがそうなると逆に気になるな、あの悪食で有名な魔物が獲物を喰らうことを迷うような事態。とは言え好奇心猫を殺す。どうせろくなもんじゃないのだろうしここは無視して先へ行こうと思ったその時───

 

「───っ!?掴まれ!」

 

魔力感知に反応のあった俺は一気に四輪を加速させその場から離脱。その瞬間に車の後部をカスりながら現れたのは牙の生え揃った大口を開けたサンドワームだった。どうやら運悪く間近を通ってしまったようだ。しかも2匹3匹と次々にサンドワームが現れる。俺はS字に車体を振り回しながらその顎門を躱していく。遠心力に振り回されてミュウや白崎、シアの叫び声が聞こえるがまぁ声が出せるだけの余裕はあるのだろうと放っておく。今はコイツらを振り切る方が先だ。だがいくら魔力駆動で速度制限の緩いこの四輪であってもこれだけ柔らかい砂地だと錬成をしながらの走行となる。おかげでサンドワームの追撃を振り切る速度が出せないでいる。このままだと埒が明かないな……。

 

「ユエ、ハンドル任せた」

 

「……んっ」

 

俺はユエにハンドル操作を預け、自身は錬成で天井をこじ開けて外に躍り出る。この車は窓が開かないからな。そんな細かい仕組みまでは作りこんでないのだ。吹き荒ぶ砂が俺の視界を塞ぐが魔力感知の固有魔法を付与した義眼は別だ。その視界には奴らの魔石がハッキリくっきり映っている。俺は宝物庫から拳銃を召喚すると赤黒く光るそこへ銃弾を叩き込んでいく。サンドワームの肉体が砕け散り、吐き出すような発砲音が砂漠に響く。だがそれも直ぐに砂と風の中に掻き消えていく。

 

しかし俺の発砲音に気付いたらしい砂丘の下に屯っていたサンドワーム達がこちらへ向かって来た。またもう1戦かと溜息を付かずにはいられない。俺ははっと一息吐くと拳銃からアサルトライフルへと持ち替える。そして遠見を付与したスコープを覗くとそこから見えるミミズ共の頭を端から順に撃ち砕いていく。

 

全ての敵を撃ち砕き、俺は車内へと戻った。

 

「ハンドルありがとな」

 

「……んっ、お疲れ」

 

錬成と動力の魔力は射撃しながらも送っていたがハンドルの操作までは意識が回らなくなるからそちらをユエに任せていたのだ。キッチリと足元の安定性を確保してくれた彼女の頭を撫でていると、白崎が前方……先程変な動きをしていたサンドワーム達がいた辺りに何かを見つけたようだ。

 

「……ありゃあ……白い……人間?」

 

「お願い天人くん。私は"治癒師"だから……」

 

治癒師は白崎に与えられた天職。それを司る白崎からすれば砂漠で倒れている人を見捨てることは出来ないのだろう。俺としてもここで倒れている理由や、あの不可思議なサンドワームも気になることだしと、その望み通り倒れている白い人間の方へ向かう。

 

「……これって」

 

地球で言うところのエジプトの民族衣装に酷似した白い装束を纏ったそいつのフードを取り払うと現れたのは20代前半くらいの若い男性の顔。だが普段は端正に整っているように思えたその顔は今は苦痛に歪んでいた。目や鼻といった粘膜から出血が見られ、脂汗が顔中を覆っている。呼吸は荒く脈も異常に早い。服をまくれば血管が浮き出ており高熱も出ているようだ。明らかに熱中症や脱水等ではないその症状に俺は異世界の見知らぬ伝染病か何かを連想し、車外に出ようとしていたユエ達を留める。

 

その間に白崎は浸透看破という魔力を対象の全身に浸透させ診断。その結果をステータスプレートに表示する技能の準備を整え、実行していた。

 

「……魔力暴走?」

 

「どうした?」

 

「これなんだけど……」

 

と、白崎から見せられたステータスプレートに表示されたそれに俺も目を見張る。

 

 

───────────────

状態:魔力の過剰活性、体外への排出不可

症状:発熱、意識混濁、全身の疼痛、毛細血管の破裂とそれに伴う出血

原因:体内の水分に異常あり

───────────────

 

 

医療にはそれほど詳しくはないがそんな俺でもこれが命に関わること、そして一刻を争うことは理解出来る。体外に排出できない魔力の圧力が原因ならこれから先は毛細血管なんて言わずに主要な血管が破裂したり筋肉や骨、内臓の圧壊に繋がる恐れもある。

 

「……まずは魔力の強制排出だな」

 

「分かった。……光の恩寵を以て宣言する。ここは聖域にして我が領域、全ての魔は我が意に降れ、廻聖」

 

それは他者の魔力を奪い自分のモノとする魔法。と言うと聞こえが悪いが要は誰かの魔力を誰かに回す魔法だ。流石に悪さをしていた魔法を自身に収めるわけにもいかないので俺が旅立ちに際して渡していた神結晶の腕輪に魔力を貯蔵しておく。

しかし、本来なら12節は詠唱の必要なこの光属性の上級魔法をこれだけの詠唱の短さで出せるのはかなりの修練が必要だと思うのだが、遠藤や八重樫からこいつは俺が落ちた後も誰よりも、それこそ勇者よりも努力していたと聞いた。その努力は裏切らなかったようだな。

 

自然な排出こそ叶わなかったが、魔法により強制的に魔力を手放させられたその男の容態は取り敢えずは落ち着いたと言えるだろう。荒かった呼吸も少しは落ち着き、粘膜からの出血も一旦は止まったようだ。だがこれは対処療法に過ぎない。抜本的な治療が必要になるのだが、さてどうするか……。白崎はまず彼の外傷を魔法で癒し、その後状態異常回復の魔法を掛けたがそれも効果無し。どうやら深く身体に染み付いた病魔かウイルスか、ということらしい。

 

「……魔力の暴走だけを引き起こして他の症状がそれによるものなのだとしたらミュウはともかく俺達は診てくれ。水からの感染なら呼気の中の水分から空気感染の可能性もある」

 

「うん」

 

魔力暴走を引き起こす病であれば亜人族であり魔力を一切持たないミュウならば発症の心配はいらないが俺達は別だ。そういう訳で白崎に全員診てもらったのだが、今のところ俺達には感染していないらしい。その直後に意識を取り戻した青年に大雑把な事情を説明。この衣装は確かこの先のアンカジ公国の民族衣装だった筈だ。グリューエンの火山へ向かう途中に寄るはずだったオアシスのある国が未知のウイルスによるバイオハザードなんてのはゴメンだからな。話を聞かせてもらうことにした。

 

 

 

───────────────

 

 

 

倒れていた男はビィズという名前らしい。そしてこの男、俺達の目的地であったアンカジ公国の領主の息子という大物でもあった。

 

しかし何故そんな奴が1人砂漠のど真ん中で病にぶっ倒れていたのかと思えば、そもそもアンカジ公国は4日前からビィズが伏したのと同じ病に国中が侵されているらしい。そして水から感染するこの病、なんと命の源たるオアシスが汚染されて始まったものなのだとか。

 

オアシスが使えないとなれば砂漠のど真ん中にある国が干上がるのは必定。その為他国へ助けを求めようと、強権の発動出来るビィズが護衛と共に出発したらしい。しかし彼もまた病魔に侵されていた。潜伏期間を過ぎ、そのウイルスが本領を発揮した為にあそこで行き倒れていたようだ。しかしこの病魔を抑える鉱石が火山にはあるらしい。静因石と呼ばれるそれは魔力の働きを阻害する効果を持っているため、それを細かく砕き服用することで一時的に魔力の暴走を抑えられる。だが火山の奥へ行ける実力者は既に病に倒れた。外から呼び寄せる前に恐らく国は干上がる。しかも頼みの綱のビィズがこれだ。だが───

 

「……貴殿らにアンカジ公国領主代理として正式に依頼したい。どうか、私達に力を貸してくれ」

 

だが彼の目の前には表向き神の使徒である白崎に加えステータスプレートだけなら金ランク冒険者の俺達がいる。こっちからしても、ちょうどミュウを預けようと思っていた国の人達が皆病に倒れそれどころではないときた。それに、強くなりたいと言って着いてきた白崎をミュウのお守りに残していく訳にもいかない。かと言ってユエ、シア、ティオの内誰かを欠いた状態で大迷宮攻略に挑みたくもない。こうなると必然───

 

「……はぁ、やるしかないか」

 

こうなる。

 

「本当か!?」

 

「あぁ。……ユエ、水頼める?」

 

「……んっ」

 

よし、まず水の問題はどうにかなりそうだな。後はオアシスの異変の調査と静因石の確保か。

だがビィズとしてはいきなり水はどうにかなると言われても信用できないようだ。

 

それもそうだとユエが魔法に関しては当代随一の腕前であること、魔力の回復手段についても幾つかあることを掻い摘んで説明した。それに加え神の使徒たる白崎の言葉もあり、一応の納得は得られたようだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

特命を帯びて公国を出たはずの息子が見知らぬ集団に担がれて戻ってきたことは領主にとって大きな驚きだったようだが、ビィズの口から語られた事情を聴いて領主も一旦は俺達に任せてみようということになった。

 

そしてまずは水の確保だ。白崎とシアはビィズにやったのと同じ方法で公国の住民への治療とユエが水を確保するための魔力補充を行ってもらっている。

 

領主に案内させた土地は俺の指定した200メートル四方の空間があと何個かは収まりそうな程に広大だったそこへユエが一言唱える。神代魔法を発動するキーだ。

 

その瞬間、空中に丸い黒塊が出現。引き伸ばされちょうど200メートル四方程になったその時それは墜ちた。だだっ広い土地に引き伸ばされた重力魔法と同じ大きさで深さ5メートルの大穴が空く。

 

「……ふぅ」

 

と、魔力が枯渇する程ではないが大量の魔力を一気に消費したことによる倦怠感でユエが溜息をつく。そしてそのまま後ろに倒れ込むように身体を倒した。もちろんそこには俺がいて、ユエは俺が受け止めてくれることを確信しているし、俺も端からそのつもりだ。背中からこちらに倒れてきたユエを抱き抱え、こちらを向かせてからダンスでも踊っているかのように反転し座り込む。そのまま首筋を差し出せばユエの犬歯が俺のそこへ突き刺さる。

 

 

───あむ……むちゅ……ん……ちゅ……ふ……ん……

 

 

微かな喘ぎ声と共に淫靡な水音が鳴り渡る。最後に首筋を一舐めしたユエの唇に俺がそのまま口付けを落とし立ち上がると何やら周りの目線がいやに冷たいことに気付いた。

 

だがまぁ俺は首を傾げるだけでそのままユエの作った貯水池を四輪に仕込んだ錬成とその派生技能である鉱物分離を活用しコーティングしていく。

 

そうして砂で出来ていた貯水池に金属コーティングを施して崩れたり染み出したりというようなことが無いようにして上に戻った俺はそのままユエを抱き抱えたまま池に背を向け腰を下ろした。

 

「ユエ、頼んだ」

 

「……んっ。虚波」

 

ユエがその魔法の名を唱える。身体を首ごと反って後ろを見やると虚空から現れたのは横幅150メートル高さ100メートルの大災害。本来は10メートルから20メートル程の高さの波を発生させる上級魔法なのだが、そんな範疇には到底収まりきらない莫大な水量が全て大穴へ落ちていく。反らした身体を戻した俺の目線からはユエの起こした強烈極まりない魔法により顎が外れるんじゃないかと思う程に大口をあけた領主達がよく見える。それを無視して俺はユエの頭を撫でる。艶やかで指通りの良い絹糸のような髪を梳いてやれば、ユエがより一層俺を強く抱き締めるのが伝わってくる。

 

そしてユエが俺の血液から魔力を補充しては大波を起こしてを繰り返す。そのうちに俺の出血量が危うくなってきたところでシアが大量の魔晶石を抱えてやって来た。公国中から掻き集めてきた魔力だ。1人1人の魔力量は少なかろうがここの人口27万人だ。その全員からは集められなくとも充分に過ぎるくらいの魔力は確保できる。そしてユエが再び大波を起こせばようやく貯水池は満タンになった。

 

「……こんな、ことが……」

 

アンカジ公国の領主であるランズィから思わず盛れた言葉。だがまだ安心はできない。これは所詮水を貯めるだけの物。使えば減るし使わなくても勝手に蒸発して減っていく。オアシスと違って水源から水が流れ込んでくることも無い。稼いだ時間で本格的な救援を得るかオアシスの問題を解決しなくては国中が干からびる運命からは逃げられない。

 

「……まだだ。オアシスへ行くぞ」

 

そしてやってきたオアシス。太陽の光を反射して煌びやかに水面は輝いている。だがその水底に俺の義眼が赤黒いモノを捉えた。

 

「……あれは?……ねぇ、このオアシスにはアーティファクトでも沈めているんすか?」

 

「いや?このオアシスを守る結界のアーティファクトは周りに敷設されているが水の中には何も沈めてはいない」

 

なるほどな、じゃああれは何なんだろうな……。

 

俺は宝物庫から500mlのペットボトル程の大きさの物体を取り出し魔力を流し込む。そしてそれをそのままオアシスへと投げ込んだ。

 

数秒もすればくぐもった爆発音が鳴り響きオアシスの水面が盛り上がり中で泳いでいたらしい魚が腹を見せて浮かび上がる。

 

「なっ!?何を!?」

 

俺はランズィの言葉を無視してさらに数個のそれを投げ込む。それは手投げ式の魚雷だ。大迷宮の1つが海底にあることはミレディから聞き及んでいたので水中でも使える火器を製造していたのだ。だが桟橋も水中で泳いでいた魚も破壊し尽くしオアシスが血に染ってもまだ水中の赤黒いそれは消えていなかった。そして次の瞬間、血濡れて赤黒くなった水が無数の触手となって俺達に襲いかかった。ユエはそれを凍らせ、ティオは炎で蒸発させた。俺はと言えばそれをトンファーで打ち払うともう片手に拳銃を呼び出し水中の赤黒く光るそれに向けて発砲。だが水中へ撃った弾丸はその本来の威力を発揮できずに魔石を砕くことは叶わない。弾丸っていうのは水ん中に撃てば即座に威力を減衰させてしまうからな。

 

そして次の瞬間、水面が10メートル程はせり上がり、小さな丘のようになった。

 

「……なんだ、これは……」

 

ランズィの声がいやに明瞭に響き渡った───

 

 

 

───────────────

 

 

 

現れたそいつは理子のやってたRPGゲームやリムルの世界で言えばスライムといったところか。だがそれにしてはサイズが桁違いに大きい。

 

「……まさか、バチュラム、なのか……?」

 

バチュラム。リムルの世界で言えばスライムの魔物と同義だ。だが本来のバチュラムは1メートル程のサイズ感だったはずだがコイツはその10倍はありそうだ。

 

だがまぁ、こいつが何者かなんてことはどうでも良い。とにかくこのオアシスに潜んでいた魔物を倒さなければ始まらないのだ。そう思って俺は拳銃で奴の魔石を狙って弾丸を撃っているのだがまるで意思でもあるかのように体内を動き回り弾丸を躱していく。

 

いくら電磁加速された弾丸がバチュラムの肉体を砕いたところで所詮は水だ。そしてここはオアシス。奴の身体を構成する水はいくらでもある。俺も触手を躱しながらペチペチ撃っていくのにもいい加減飽きた。俺は宝物庫を使って拳銃をガトリング砲に取り換えるとそのまま掃射。弾丸を躱す隙間なんぞ与えずに魔石を叩き砕いた。

 

その瞬間、オアシスの水で構成されていたバチュラムの身体が崩壊。とは言えガトリング砲から放たれた弾丸の火薬の燃焼と纏雷が伝える熱量でその身体のほとんどを蒸発させてしまったので大した高波も起こせずにただ飛沫を上げてオアシスは平面へと戻っていった。

 

「終わった、のか……?」

 

「えぇ。魔力反応はもう無いです。とは言え、これでオアシスが浄化されたのかどうかまでは分かんないけど」

 

その場で行われた簡易検査の結果はやはり汚染されたまま。もっとも、これ以上の汚染もないし時間が経てばゆっくりと浄化されていくのだろうが、それには何年何十年、下手したら数百年は掛かるかもな。

 

「……それにしても、あのバチュラムは何だったのだろうか」

 

「……推測でいいなら、もしかしたら魔人族の仕業かも」

 

「っ!?魔人族だと……っ!神代殿、心当たりがおありで?」

 

「まぁね」

 

ウルの町で食料問題を解決出来る畑山先生を狙い、オルクスでは勇者一行を狙った魔人族。恐らくここにきて奴らの軍備は整いつつあるのだろう。これまでは数の差を埋めるべく様々な下準備を行ってきたのだろうがそれが芽吹き始めたのだ。だからこそまずゲリラ的に厄介なところから潰していく作戦を発動しているのだと思う。そして今のターゲットは豊富な果実や食糧生産量を誇り水産資源の一大産地であるエリセンへと繋がるここアンカジ公国を潰す算段だったのだろう。しかもここは1度潰せば地理上簡単に孤立してしまう。お生憎様、その尽くを俺に叩き潰されてしまっているのだが……。

 

それをランズィに伝えれば彼は低く唸り、絞り出すように言葉を繋ぐ。

 

「魔人族のことは聞き及んでいた……。こちらでも独自に調査を進めていたのだが、まさかあんなものまで使役出来るようになっていたとは……。見通しが甘かったか……」

 

「未知の魔物なんてのはまだハイリヒ王国も知らないはずです。何せ勇者一行が襲われたのもついこの間のことなんで」

 

「いよいよ本格的に動き出したということか……。神代殿、貴方は冒険者と言っていたがあのアーティファクトといいその実力と言い、やはり香織殿と同じ……」

 

「違うよ。俺は神の使徒じゃない。それだけは言っておきます」

 

明言する必要は無かった。けれども俺はどうしてもそれだけは曖昧にできなかった。俺は呼ばれるべくして呼ばれた人間ではない。ただ召喚されたという結果でしかない。まぁ、当の神様自体が眉唾物だから神の使徒に何か拘りがあるわけでもないのだけれど。ただ俺は、この世界の人間が期待するような奴ではないのだ。

 

「……そうですか。いや、そんなことはどうでもよいのです。ただ我々は貴方方に救われた。ただその事実があるのみなのですから」

 

そう言ってランズィは頭を垂れる。それに続いて周りの奴らも一斉に俺達に向かって頭を下げた。だが俺は形だけのお礼が欲しいわけでもない。

 

「……まだ終わってない。後は大量の静因石です。……シア達と合流しよう」

 

大迷宮を前にしてやることはまだまだあるのだ。

手早く済ませていこうか。

 



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肉とテストと大迷宮

 

「白崎、お前には大迷宮攻略前にやっておくことがある」

 

白崎がアンカジ公国で病に伏した人達を治療している間に俺達はグリューエン火山へと赴き静因石を集めて来た。かなり深部まで潜る羽目になったが、相当な量の静因石が必要らしく、それなりに奥まで潜る必要もあった上に、白崎を連れての大迷宮攻略を楽にするためでもあるから仕方あるまい。

 

そしてかなり強引ではあったが、数時間で火山とアンカジを往復した俺達は数人の医療関係者を癒すと即白崎を連れて公国の外れまでやってきた。俺が白崎を連れて大迷宮を攻略すると決めた時から考えていたことがあるのだ。そして、今それを実行する。

 

「武偵には戦姉妹(アミカ)っていう制度がある。これはまぁ師弟関係みたいなもんだ。上が下を導くっていうな。お前には俺とそうなってもらう」

 

「うん」

 

「人によってはここで何らかのテストをする奴もいるんだけど今は時間が無い。天之河達から離れて態々俺達に着いてこようとするその度胸でクリアってことで良いとして。……そこでだ白崎。お前には選んでもらう」

 

「選ぶ……?何を?」

 

「そう緊張するな、たいしたことじゃない。ただの修行のコースをどっちにするかってだけだ。お前が選べ白崎」

 

───1つはお手軽簡単比較的安全に実力をメキメキ伸ばせるAコース

 

───もう1つは効果の程は保証出来ないし効果どころか命の保証もできない地獄の鬼も裸足で逃げ出すBコース

 

「さぁ、お前はどっちを選ぶ?どっちを選んでも俺達はお前に対する印象は変わらないし俺も手は抜かない。好きな方を───」

 

「もちろん、Bコース」

 

即答、か。まぁ、実はどっちを選んでもやることは変わらなかったりする。この世界で最も簡単に力を手に入れる方法は1つだからな。だからこれは単にコイツの度胸試しだ。

 

「……そうかい」

 

俺の出した選択肢に間髪入れずに答えた白崎に俺は宝物庫からある物を取り出して白崎に投げて寄こした。

 

「……え、何、これ……?」

 

俺が投げて寄越したもの、それはユエに凍らせてもらっておいた魔物の肉だ。それもオルクス大迷宮で八重樫と白崎を殺しかけたあの4本腕の魔物だ。天之河のあの魔力量でも倒しきれなかったっていうことは奈落の底基準でもそれなりに強いと踏んで俺も前にこっそりその肉を食ってみたのだが見立て通り新たな固有魔法を手に入れることができた。

 

「魔物の肉だ。焼いてはやるからこれを食え」

 

俺も纏雷を持っている狼を喰らった時は焼いてから喰ったからな。それくらいはしてやる。

 

「ちゃんと神水もやる。ユエ、シア、ティオ、飲ませるの手伝ってやってくれ」

 

「……んっ」

 

「えと……」

 

「うむ……」

 

ユエ以外の反応が悪い。シアのウサミミはペタンと垂れ下がり、ティオも浮かない顔をしている。そりゃそうか。人間に魔物の肉は劇薬なんて言葉じゃ生温いくらいに危険なものだってことは周知の事実。それを仲間に食わせようなんてこと進んでやりたいわけないか。

 

「……シア、ティオ。私やるよ。強くなるって決めたんだ。その為に皆に着いて行くって決めたの。だから、ね?」

 

「香織さんがそう言うなら……」

 

「うむ……覚悟はできておるのじゃな……」

 

渋々、といった体でシアとティオも神水を受け取る。俺はそれを確認すると肉を纏雷で手早く焼き、それを再び白崎に手渡した。そして4人を錬成で檻を作り周りから見えないようにした。

 

「先に少し神水を飲んでおいた方が良いかもな」

 

壁越しにそう伝え、俺はそれを背もたれに腰かける。少しの間を置いて中から白崎の絶叫と人がのた打ち回る音が背中を叩く。恐らくあの肉を食い、そして身体が内側から引き裂かれると同時に神水で無理矢理治癒されているのだ。

 

───アアアアァァァァァァッッッ!!!

 

「香織さん!」

 

「香織!」

 

シアとティオの声も聞こえる。その内に白崎の叫び声が数瞬程途絶え、檻の壁にぶつかる音もしなくなった。恐らくシアやティオ辺りに抑え込まれているのだろう。だが声が途絶えたのも数秒のこと。またすぐに痛々しい声がくぐもって響く。さっきの間は神水を飲まされたのだろう。俺も体験した地獄のようなそれは、俺の世界よりもさらに平和な日本という国で暮らしてきた白崎にとっては感じたこともないようなものなのだろう。俺だって腕を切り飛ばされたり身体に風穴空けられた経験があったからこそ耐えられたようなものだ。

 

それでもそれらよりも苦しく辛い。全身の筋肉が引き剥がされ骨を砕かれて四肢を引き裂かれるような痛みなのだ。魔物の肉を喰らい、肉体の崩壊を神水で無理矢理押し留めるというのは。

 

だがこの世界で強くなるために最も手っ取り早いのが魔物の肉を喰らうこと。そしてその地獄の苦しみから生き残ること、これしかない。俺達に着いてこようと思うのならちまちま努力なんてしていられないのだ。

 

「……収まったな」

 

しばらくして俺が背中に感じていた声や音が無くなったことに気付き錬成で檻を崩すと、シアに羽交い締めにさせられたままぐったりと動かなくなった白崎がいた。だが俺の義眼には白崎の魔力反応がきっちりと出ている。死んでしまったわけではないらしい。もっとも、身体は無事でも心がどうかは分からないけれど。

 

「天人さん……」

 

シアが白崎を抱えながら心配そうに呟く。

 

「白崎」

 

「天、人……くん……?」

 

俺が呼びかければ虚ろな目をして顔を上げる白崎。涙すら禄に出す余裕も無く痛みに耐えていたようだ。

 

「おう。よく頑張ったな、白崎」

 

「私、やった、のかな……」

 

「ステータスプレートを見てみろ。それで分かる」

 

ノロノロとした動きで自分のステータスプレートを取り出し自らのそれを確認する白崎は、そこに表示されたであろう技能欄を見て目を見開いた。

 

「天人くん……これ……」

 

俺に見せられたそれには予想通り、魔力操作と胃酸強化、さらにあの魔物の固有魔法である魔力変換とその派生技能である衝撃変換が刻まれていた。

 

「魔物の肉を喰らえばそいつの力を奪えるんだ。そして魔力操作、それがあれば魔法を使うのに詠唱が要らなくなる。恐らく魔物の固有魔法の正体はこれだ」

 

俺は四輪を宝物庫から召喚すると、荷台へ乗り込み、白崎へ手招きをする。

 

「ユエ、火山まで運転頼めるか?俺は白崎に魔力操作の使い方を教えなきゃいけない」

 

「……んっ、任せて」

 

俺達は各々車へ乗り込み、それぞれのやるべき準備を整えていく。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ゴアァァァァァ!!」

 

1度ある程度まで潜った経験から俺達は手早く大迷宮の最深部へと辿り着いた。即席とは言え白崎に渡したアーティファクトやシアのドリュッケンに追加した新機能等も上々の働きをしてくれているし白崎本人も魔力操作のコツを掴むのが上手く、元々適正の高かった光属性魔法と合わせて上手く立ち回ってくれている。

 

そして最深部に辿り着き何やら怪しげな小島があったのでそこへ上陸しようと宙に浮く不思議なマグマの川から飛び降りたその時、そいつは現れた。

 

例えるならマグマで構成された水蛇だ。この大迷宮に生息していた魔物は皆マグマを纏っていたり溶岩を発射したりはしていたのだが、身体そのものがマグマでできた魔物は初めてだった。

しかもこの場所、空間がマグマとそれの持つ高熱で満たされている上にそれらにも魔力が通っているらしく、俺の持つあらゆる探査に引っ掛からないのだ。俺は即座に拳銃を展開。空中で身を切って奴の顎門を躱すとその頭へ発砲。一撃でもって頭を撃ち砕くが……

 

「あ?」

 

オアシスにいたバチュラムと同じ原理なのか、頭の無いまま身を翻して俺の方へ再び向かってくる。俺は空力でその突進を躱しながらその全身へ弾丸を浴びせ、奴のマグマを剥ぎ取っていく。そしてようやく露出した魔石に狙いすました一撃を叩き込み、ようやくそいつはマグマの肉体を下のマグマ溜りへ落としていった。

 

俺が足場になりそうな岩石の上に降り立つとユエ達も追い付いてきた。そしてその瞬間、さらに8つのマグマ蛇が現れる。

 

「あそこに行きたきゃコイツらを倒せってことか」

 

「ふむ、こういう手合いには妾の出番じゃな」

 

背中から竜の翼を生やしたティオがその両手を組んで身体の前へかざす。するとそこから漆黒のブレスが放射される。さらに腕を薙げば瞬く間にマグマで出来た蛇はその魔石ごと存在を消滅させていく。

 

だが消し飛ばしたと思ったのも束の間、再びマグマの蛇が下から現れ俺たちを睥睨する。その数なんと20。

 

「キリがないよ……」

 

白崎が呟き俺もどうしたもんかと頭を捻る。するとシアが周りを見渡し何かを見つけたようだ。ウサミミがピンとしている。

 

「天人さん、周りの岩壁を見てください!光ってます!」

 

シアのその声に俺が遠見で見渡せば確かに岩壁とマグマが保護色になっていて見分けづらいが岩壁に沿うようにズラリと石か何かが埋め込まれている。そしてその一部、具体的には9つの石が光っていた。そしてそれはちょうど俺達が砕いた魔石の数と合致する。なるほど、そして光っていないものも合わせると100個の石。つまりコイツらを100匹倒すのがここの大迷宮の最終試練って言うわけか。

 

「……コイツらを100匹倒せってことらしいな。白崎、お前は俺とだ。魔石は俺が砕く。白崎はあのマグマ蛇の身体を砕け。他はそれぞれ各個撃破ということで」

 

「……うん、分かった。任せて」

 

「……んっ」

 

「はい!」

 

「了解なのじゃ」

 

返事と共に白崎が構えたのは王国から支給されたアーティファクトである錫杖ではなく俺が道中で錬成と生成魔法によって作成したロッドだ。両の先端には纏雷と飛爪、衝撃変換が付与されており元々勇者よりも高い魔力量を誇っていた白崎ならそれなりに使いこなせるであろう。彼女の回復魔法の補助に使われていた錫杖は俺の錬成により彼女の首飾りへと姿を変えて身に着けられている。更に彼女の履いている靴と巻いている腕輪には空力の固有魔法も仕込まれており、機動力と近・中距離戦闘力を確保している。空力の使い方と感覚はこの大迷宮を進む際に教え込んであるので後はあれに近付く胆力があるかどうかだ。

 

だが強くなりたい、生きて帰りたいからと態々俺達に着いて来ようとする覚悟は本物のようだ。触れれば灰も残らない高熱の敵に対して白崎は臆することなく接近、そのアーティファクトに込められた固有魔法でマグマの身体を打ち砕いていく。そして露わになる魔石を俺が拳銃で破壊すればそのマグマ蛇は力なく堕ちていく。

 

白崎の棒術も中々のものだ。俺は棒術はあまり触れないがそれでも基礎くらいは教えられる。大迷宮の中で一通り教えたきりだったがそれでも短い時間で飲み込んだ白崎は教えた通りの動きで魔物を討ち果たしたのだ。本当に俺達に着いて来られるのか不安だったのだが、本当の意味で認めなければならないだろうな、彼女の覚悟を。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「はぁ!」

 

「……終わりだ」

 

白崎が残すマグマ蛇のラスト1匹の身体を打ち砕き、その場から飛び退る。それを確認しつつ視界の端でユエの満足気な表情を捉えながら俺は義眼に捕捉した奴の魔石に対して纏雷を付与した大太刀を叩きつける。そしてその瞬間───

 

 

 

───俺は極大の魔光にマグマ蛇ごと飲み込まれた───

 

 

 

───────────────

 

 

 

白く塗り潰された世界が再び茶色と赤の色を取り戻した瞬間、俺は自身をその場に留めていた空力を保つ集中が途切れ、重力に従う。

 

「天人ぉ!!」

 

ユエの叫び声が聞こえる。俺の身体を包む浮遊感。そして柔らかな感触が俺を抱き留めると降ろされたのは硬い岩盤のような所。恐らく足場にしていた岩のどれかに降ろされたのだろう。そのまま口に突っ込まれたのは神水を入れている試験管の容器。2本もそれを突っ込まれつつそれぞれを飲み干すと今にも泣きそうなユエの顔が迫っている。俺は右腕の感覚が戻らないため、左手でユエの金糸の髪を撫でてやる。

 

「そんな顔すんな、俺は生きてるよ」

 

「天人!天人ぉ!!」

 

見れば俺の右腕は千切れてはいないものの肉は消滅し骨まで露出している。腹も見てはいないがろくなことになっていないのだろうというのが感覚で分かる。何せ赤熱化した焼きごてでも当てられているのかと思う程に腹が熱い。力もほとんど入らないし、これは下手したら表面は炭化してるかもな。

 

そしてユエの顔の向こう側ではまだ誰かの攻撃が上から降り注いでいた。それをティオが逸らし、攻撃に一瞬の隙間が出来た瞬間───

 

「聖絶」

 

ユエの魔法が発動し俺達は結界で守られる。

しかしその守りへ容赦なく降り注ぐ光がユエのそれを軋ませる。

 

「天人さぁん!!天人さぁん!!」

 

「待つのじゃシア!今妾の守りから出たらお主でも死ぬぞ!」

 

「でも天人さんが!天人さんが!!」

 

シアの、聞いてるこっちまで泣きそうになる叫び声と、今にも死の渦中へ飛び出しそうな彼女を押し留めるティオの声が聞こえる。

 

白崎も聖絶を貼りどうにか堪えているようだった。俺は今最も精神的に不安定になっていたシアの方へ手を振り、無事だと伝える。

 

そしてティオやユエ、白崎の魔力が遂に尽きかけたその時、向こうの雨あられと降り注いだ死の光が止んだ。そしてそこに残されたのは少しの足場となる岩石と白煙ばかりだった。ユエ達が肩で息をしながらどうにか魔力を貯めた魔晶石から魔力を補充するとそれに被せるように上から声が響く。男の声だ。

 

「……看過できない力だ。やはりここで待ち伏せていて正解だったな。お前達は危険過ぎる。特にその男は……」

 

俺達が見上げるとそこにはいつの間にやら無数の竜がいた。夥しい数の灰色の竜と男の乗る白く大きな、勇壮な竜だ。そしてその男は魔人族なのだろう。赤い髪に浅黒い肌、それに長い耳を持っていた。

 

「まさか我が白竜がその全力の一撃をもってしても殺しきれんとは。それに周りの女共もだ。灰竜50の掃射を受けてなお傷一つ付いておらんとはな……。貴様ら何者だ、一体幾つの神代魔法を習得している」

 

奴の質問に律儀に答える必要は無い。俺の答えなんぞ決まっている。

 

「はっ……魔人族は礼儀も知らねぇのか。まずはてめぇが名乗れよ」

 

俺の安い挑発には乗らずに魔人族の男はフンと鼻を鳴らして言葉を返してくる。

 

「これから死にゆく者に名乗りが必要とは思えんのだが」

 

「同感だ。だからてめぇも俺の名前なんぞ知る必要はねぇだろう?」

 

「ほざけ……」

 

俺はユエに支えられながら身体を起こしていく。そしてそれを見たシアとティオ、白崎も俺の周りに集まってくる。

 

「ところで、お友達の腕の調子はどうだ?」

 

ウルの町で、俺が片腕を吹き飛ばしたものの取り逃した奴もまた魔人族だった。さてコイツは奴とどの程度の繋がりがあるのかと聞いてみるが、どうやらビンゴに近かったらしい。奴は眉をピクリと動かすと口を開いた。

 

「貴様……。気が変わった。貴様は私の名前を骨身に刻み沈め。我が名はフリード・バグアー。異教徒共に神罰を降す神の使徒である」

 

「ふん、神の使徒、ねぇ。大仰だねぇ……。魔物を作るのか改造するのか、手前の神代魔法はその類いだろう?たったそれだけで随分と伸びやすい鼻をしてるんだな」

 

俺は1歩前へ出ながら奴と話を続ける。そして後ろ手に事前に決めておいたハンドサインでユエ達にメッセージを伝える。

 

「舐めるなよ小僧。この神代の力を手に入れた私にアルヴ様は直接語り掛けてくれたのだ、"我が使徒"と!!故に私は!己の全てを賭けて我が主の望みを叶える!!その為に貴様は邪魔なのだ!消えてもらう!!」

 

ハイリヒのイシュタルを思い起こさせる程に恍惚とした表情で"アルヴ様"を語り、狂気に飲まれた表情で俺への殺意を滾らせるバグアーを睨みながら俺は魔力を治癒力に変換し止血を終えた。そして即座に攻撃へ移る。まずは宝物庫から拳銃を召喚するがもちろん右腕は筋繊維が消失してしまったから使えない。銃撃は左手でやるしかない───

 

「っ!?」

 

 

───なんてことは無い。俺の右手から放たれた弾丸に奴の顔が驚愕に染まる。舐めるなよ?俺はてめぇの世界の常識で生きてねぇんだよ。

 

俺の右腕から炎が噴出する。俺の内に眠るハンニバルのオラクル細胞が文字通り火を噴き俺の右腕となる。太さはそれほど変わらないが明らかに人間のものではない形状をしたそれを支えに奴の顔面を撃ち抜こうとするがそれは灰竜の持つ固有魔法なのか知らないが三角形の結界のようなもので阻まれる。

 

「馬鹿なっ!?右腕が───っ!?まさか貴様も変成魔法を……っ!?」

 

「はっ!足りねぇんだよてめぇは!俺をお前の常識で測るな!俺ぁなぁ!そんなもんの内側にはいねぇんだよ!雑魚が!!」

 

俺は大太刀と拳銃を宝物庫に仕舞うと両手にガトリング砲を展開する。魔物ごとフリード・バグアーと名乗った魔人族を挽肉に変えるべく死の概念が形を得たかのようなそれの引き金を弾く。深紅を纏った死が無数に飛び出していく。

 

だが俺がガトリング砲を構えた瞬間に前へと躍り出た数匹の灰竜とか呼ばれていた体長数メートル程の竜が再び結界を張る。そんなもの、俺の兵器の前では数秒と保たないのだが即座に貼り直し、かつ多重に展開される為中々弾丸が奴まで到達しない。ユエも雷龍を召喚し、シアも炸裂弾を放つがそれでも防御は破られない。よく見れば竜の背中には亀の姿をした魔物が居座っていた。この結界は奴の固有魔法か。

 

「私が連れている魔物が竜だけだと思ったか!」

 

だが白崎の回復魔法も徐々に効果を表して来たおかげで腹部の激痛も段々と収まってきた。近接戦闘まであと少しか……。

 

「はっ!有象無象が何匹居たってなぁ!」

 

「威勢ばかり良くてもな!……見せてやろう。私が手にしたもう1つの神代の力を!」

 

やはりコイツはここの神代魔法を手に入れていたか。さて、どうせ手に入れる魔法だ。態々使わせる必要もねぇな。

 

俺はガトリング砲の掃射を止め、それらを宝物庫に仕舞って今度は対物ライフルを呼び出した。これで結界ごとぶち抜く!

 

だがそれも多重に展開された結界を全て抜くには足りず、ガトリング砲程の連射力も無い為に奴の詠唱の完了を許してしまう。

 

「っ!?」

 

そしてその瞬間、バグアーの姿が白竜ごと消えた。正確には何か光る膜のような物が出現しそれに飛び込んだのだ。俺は膜が現れた瞬間には大盾を召喚し殺気を感じた瞬間には後ろに控えていた白崎を脚で転がしながら盾を構える。

 

果たしてそこにいたのは大口を開けてあの極大のブレスを吐こうとしている白竜とそれに乗っているバグアーだった。

そして再び放たれる純白の殺意。俺はそれを盾で受け止めるが、奈落の最深にいたあの蛇を凌ぐ威力のそれに、まだ回復しきっていない体力では堪えきれずに盾ごと吹っ飛ばさせる。空力で踏ん張ろうとするがそれごと押し出されていく。

 

身体から血が噴き出す。この類のブレスはやはり神水の効力にすら対抗しうる毒素が含まれているのだろう。白崎の回復魔法と合わせてもまだ完全には治癒しきれていないのだ。

 

このままでは押し切られると判断した俺は限界突破と瞬光を発動。そして逆に空力を解き、極光の勢いのままに後ろへ吹っ飛ばされることで足場から身を投げ出し、瞬光の反射神経で盾を上に跳ね上げて、敢えて自ら眼下の灼熱の海に落ちるようにそのブレスから逃れる。そして再び発動させた空力で宙に着地。

 

「何というしぶとさ!紙一重で決定打を放てないとは!!」

 

俺からすれば攻撃の一つ一つが力任せで雑なのが原因なのだが、それを教えてやる義理もない。敗因に気付けないまま終わらせてやるよ。

 

だが今の俺の身体では縮地を使った高速近接戦闘は出来ない。しかもビット兵器と取り回しの良い拳銃の火力では奴の下僕の作り出す結界を抜けない。そしてその隙に奴は白竜で逃げ回りながら詠唱を唱えていく。またあの空間を飛び越える神代魔法を使うつもりなのだろう。

 

だが───

 

──そうはさせんよ──

 

空間に直接響くような不思議な聴こえ方をする声が響く。その瞬間にバグアーの乗っている白竜が何者かにタックルを喰らって吹き飛ばされる。

 

「黒竜だと!?」

 

そしてそこにいたのは勇壮荘厳な黒竜、ティオだ。竜人族という存在は隠しておきたいはずだが見せてくれるのか……。

 

──紛い物風情が調子に乗りおって。もう我が主は傷付けやさせんぞ。見せてやろう……これが本物の竜のブレスじゃ!──

 

そしてティオが放つのは全力で構えた俺をして押し戻される程の威力を持つ漆黒の一閃。

それに白竜も超絶的な技巧で反転、純白の一閃を放つ。

 

拮抗しているかに見えた黒と白の衝突はしかしティオのそれが上回っている。徐々に押し返され始めた白竜のブレスを見てバグアーがまたもや空間に働きかける魔法を唱えようとするが……。

 

「───ッ!?」

 

背後に回った俺の銃撃に咄嗟に亀が結界を貼るがこの距離だ。全く同じ場所に釘打ちのように連続して放たれた6発の弾丸にそれは喰い破られた。

そして一気にゼロ距離へ接近。風爪を纏わせた拳銃を振り抜く。バグアーは寸でのところで後ろへ下がることで胴体を両断されることを避け、胸に一文字の切創を刻まれるが致命傷には至らない。俺は左手に構えたトンファーを反転させながら振り抜きそこに付与された衝撃変換も加えてバグアーを白竜の上から叩き出す。

 

俺の次手も左腕でガードすることで辛うじて直撃は避けられたがそれでも片腕を砕き内臓までダメージは届いたようだ。更に主がぶっ飛ばされたことに気を取られた白竜にティオの極黒のブレスが直撃。腹を大きく抉られたそいつはそれでも火口の出口付近まで飛び退る。そしていつの間にやら灰竜に乗ったバグアーも合流していた。

 

俺は空力で1歩踏み出そうとするが───

 

「ゴホッ……!」

 

重傷の上に限界突破を重ねたおかげでリミットが早くきてしまったようだ。空力が解け落ちそうになる俺を飛んできたティオが拾う。そしてユエとシアを抑えていた灰竜達もバグアーの元へと集っていく。

 

「天人!」

 

「天人さん!!」

 

ユエ達には隙をついて奴の背後を取れと指示していたのだが灰竜に抑えられ、俺も奴の隙を作り出せなかったせいで作戦は失敗に終わってしまった。挙句俺は限界突破のリミットで動けない。だがまだ詰んだわけじゃねぇ。コイツは俺の敵だ。敵は、潰す。

 

この状態じゃティオの高速空中機動には着いて来れない為に残っていた僅かな足場に俺は降ろされる。そしてそこに集うのはユエとシア、そして白崎。白崎もあの灰竜共をどうにか凌ぎ切ったようだ。

 

「……恐るべき戦闘力だ。侍らせている女共も尋常ではない。無詠唱無陣の魔法の使い手に竜人族の生き残り、有り得ない膂力と未来予知に近しい能力を持つ兎人族、そして異教の呼んだ神の使徒が1人、か。よもや神代の力を使ってここまで追い詰められるとはな……。最初の一撃を当てられなければ蹴散らされていたのは私の方か……」

 

「あぁ?てめぇと俺なんてなぁ、分かりきった不意打ち決めさせてやってやっとトントンなんだよ、舐めてんじゃねぇぞ三下ぁ!」

 

俺はそれでも奴を挑発し続ける。だが奴は奴で自分の傷が痛むらしい。あまり戦いを続ける気は無さそうだ。

 

「ふん、相も変わらず安い挑発だ。……だが貴様の1番恐ろしいのはその精神力か。齧り付いてでも生を勝ち取るという気概、意志の強さ……執念……」

 

何かを勝手に納得したらしいバグアーは1度目を伏せると決心の着いた顔をしていた。……野郎、何をする気だ。

 

「この手は使いたくはなかったのだがな。貴様を殺せるのなら必要な対価だと思おう」

 

「あぁ?死ぬのはてめぇ───」

 

だが俺が言い終える前に火山が揺れる。そして───

 

「天人さん!水位が!!」

 

果たしてこれは水位という言い回しで良いのか知らないがとにかくマグマがせり上がってくる。てことはまさかあの野郎……っ!

 

「てめぇ!まさか静因石を!?」

 

「貴様は常に理解が早いな!一体何を経験すればその判断の速さと正確さが身に付くのやら」

 

このグリューエン火山、記録上今まで噴火したことが無いらしい。この世界の噴火の基準は知らないが少なくともマグマが火口から噴き出したことがないのは確実らしい。それだけならただ活火山でないだけのことかと思ったがどうやら活火山ではあるらしいのだ。そしてこの火山の奥にある大量の静因石、そして不自然な軌道を描き、時に空中すら流れるマグマ。ここまでくればこの火山の活動が静因石でコントロールされていることくらい簡単に想像が着く。そして今の振動、奴がこの火山の噴火を抑え込んでいた大質量なのか配置が良いだけなのか知らんが、ともかく要となっている静因石を何らかの方法で退かしたのだ。そして静因石に抑え込まれていたマグマが一気に噴き出す───!

 

 

 

───────────────

 

 

 

「はぁ……」

 

あの後バグアーが逃げる時間を稼ぐためか確実に俺達を殺しきるためか知らんが居残った灰竜の掃射を掻い潜りつつ中央の小島から大迷宮の主の部屋へと入った俺達は空間魔法の神代魔法を手に入れた。そしてメルジーネ海底遺跡を捜索するために必要となるであろうから作成しておいた潜水艦を利用してマグマからの脱出を測ったのだが、何故か海底火山に流されそこから射出。今は大海原のど真ん中なのだ。

 

ミュウをアンカジに置いてきている以上さっさと陸地に辿り着きたいのだが見渡す限り海海海。景色が全く変わらないのもストレスだった。辛うじて夜の星で方角だけはどうにかなっているのだが、この潜水艦、勿論動力が魔力操作なのだ。

 

香織が車に乗ってる際に危惧していたことが現実になりつつある。

 

つまり、操作可能な搭乗員全員の魔力切れによる操縦不可能状態。

 

俺達は大迷宮攻略と壮絶な戦闘をこなした直後なのだ。俺に至っては重傷を負いその回復に香織の魔力すら割いてしまっている。空を飛べるティオの魔力はなるべく使いたくないため、現在はユエとシアの魔力が当座の要なのだ。しかも、火山から噴き出す際に色々とぶつかったもんだからほぼ大破。辛うじて一部のスクリューは動くのでどうにかなっているが高速航行は不可能、どころかそのスクリューにも無理はさせられないからちょこちょこしか動かせていない。

 

更に具合が悪いことに、海に放り出された直後から海の魔物と連戦だったのだ。おかげで潜水艦に仕込んだ武装は弾切れ。ユエも魔法を沢山使わされたせいで魔力切れ。オラクル細胞の働きからか毒素は抜けており、ユエに吸血させる分には問題ない。ないが、だからって俺の血量にも限界はある。

 

「仕方ない……。ティオに頭を下げよう」

 

このままではアンカジに置いてきたミュウが心配過ぎて夜も眠れない。まずはそっちの心配を解消するかと、俺はティオだけを甲板に連れ出した。

 

「どうしたのじゃ、主よ」

 

「……ティオ、お前に頼みがあるんだ」

 

「ほう、主からの頼みとは。申してみよ」

 

「……陸地までの方角は分かるよな?俺達は今エリセンに向かってる訳だが……ティオにはアンカジまで飛んで行ってミュウと合流、エリセンまで2人で来てほしいんだ」

 

この中で今1番長距離移動能力があるのはティオだ。というかこれができるのはティオしかいない。そのためにティオの魔力や血液は一旦使わないで温存しておいたのだから。

 

けれどこれをするということはティオが竜人族であることを晒してしまう危険がある。というか確実にバレる。竜人族は本来滅びた種族なのだ。今は隠れ里に潜むことで人の目から逃れているだけだ。それを俺の都合で……。

 

「妾には主が何に悩んでいるのか手に取るように分かるよ。しかし嬉しいのじゃ、主がそれ程までに妾のことを想ってくれておるのがな」

 

「当たり前だろ……。バグアーとの戦いだって悪かったと思ってるんだ。魔人族なんぞにお前の正体を晒させて……」

 

「ふふっ……」

 

「……何だよ」

 

「いやの、この人を好きになって良かったなぁと思っただけじゃ」

 

「お前……」

 

ティオが俺をそれなりに慕っているのは言動から分かっている。だがそれはある意味性的趣向とか、調査ついでの興味対象とか、その程度だと思っていた。実際、シア程積極的なアピールがあった訳でもなく、彼女本人も苛めてもらえればそれで良いというようなことも言っていた。だけど今のティオはそうじゃない。本気で、俺に恋をしていると、そういう顔をしているのだ。

 

「調査対象に恋心を抱くのは不自然かの?」

 

「いや、たまに聞く話だ。珍しいことじゃない」

 

何なら監禁されてた側が監禁した側に好意を寄せる場合だってあるんだ。恨みも何も無いただの調査対象なら()()()()感情を抱いたところで不思議じゃない。

 

「そうじゃの……。請け負ってやるから何かご褒美が欲しいのぉ。あのマグマの蛇も妾が1番倒したのじゃぞ?」

 

「……何がいい?」

 

「それは主が決めておくれ。……そうじゃのぉ、では今妾が1番欲しい物をくれ」

 

そう言ってティオは目を閉じ顎を少し上げる。それだけでティオが何を欲しいのかなんて丸分かりなのだが……。

 

「……今はこれで許せ」

 

俺はティオの前髪をかき上げるとそこに自分の唇を落とす。まだ、俺にはそこまでの覚悟を決められない。きっとこれは狡いのだろうよ。だから俺は謝るしかない。

 

「……主は狡いのじゃ」

 

ほらな……。

 

ティオはそう言って俺の肩に顔を埋める。その時に舞った髪から漂う香りが俺の鼻腔をくすぐる。俺はそれに思わず顔を赤らめてしまったのが自分でも分かる。ティオは顔を伏せているから彼女にはバレてないと願いたい。

 

「……ティオ、頼めるか?」

 

俺はティオの肩を押してその顔を見やる。分かってはいたがティオの顔は真っ赤に染っていて、その朱は耳まで届いていた。そして言葉も無くコクリとティオは頷く。

 

「……ありがとう」

 

そう言って俺は幾つかの魔力の回復薬と電磁加速式の拳銃を一丁、そして予備の弾倉を2つ、レッグホルスターと共に渡す。

 

「一応渡しておく。使い方は何となくは分かるな?」

 

「うん……」

 

うん、て。ティオよ、それは反則だろう。いつも飄々としていて掴みどころの無い奴だと思っていたのに、ここでそんな反応をされたらなぁ……。

 

「じゃあ、任せたぞ」

 

レッグホルスターを装着し、拳銃と弾倉を装備したことを確認して俺は頷く。

 

「任せるのじゃ。妾もミュウのことは心配だからの。必ずミュウを連れてエリセンへと向かうのじゃ」

 

そう言ってティオは勇壮な黒竜の姿へと成るとそのまま蒼穹へと飛び立っていった。俺はそれの姿が見えなくなるまで見送ると、船内へ戻ろうと振り返る。しかしそこには───

 

「……見てたのか?」

 

梅雨よりジットリとした目で俺を睨むユエとシア、それから顔を赤くした白崎もいた。どうやらさっきのやり取りを見られていたらしい。

 

「……天人、メッ」

 

「ティオさん狡いです。私もまだ天人さんにデコチューしてもらったことないのに……」

 

「…………」

 

ユエ的にはシアより先にティオにあれをしたことがお怒りポイントらしい。そして香織は完全に硬直している。……まだ刺激が強すぎたかな?

 

「んんっ……。とにかく、俺達もさっさとエリセンへと向かうぞ」

 

「……ん」

 

「……はぁい」

 

「…………」

 

どうしたらいいんでしょうかね、この空気。

リサがいたら教え……てくれないだろうなぁ。あのメイド、普段は従順なくせにこういう時だけは意地悪なのだ。

 

「はぁ……」

 

俺は思わず溜息が出てしまう。この航海、全速前進ヨーソロー、とはいかないようだった。

 

 



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空から女の子が降ってくると思うか?

 

あの後シアどころかユエまで斜めになってしまったご機嫌をどうにか宥めすかしてようやく船内の空気は平穏を取り戻した。結局ユエにもシアにもデコチューをする必要があったのだがそれはもう仕方ない。

 

「そう言えば天人さん、あの時アイツの不意打ちを予測してたようなこと言ってましたけど、あれってただのブラフですか?」

 

と、シアが問えば香織も

 

「あっ、そうそう。それは私も気になってた。最初はやたら煽ってたからその続きかなぁとは思ってたんだけどね」

 

と、バグアーとの戦闘の時の俺の言動が気になる様子。

 

「んー?あれか。まぁ簡単な話、アンカジのオアシスに魔物が仕込まれたのが4日かもう少し前だろ?で、その前にはまずウルの町を清水が襲撃した時に奴は強い魔物を借りたって言ってたわけだ」

 

清水の話は前に香織にも話してあるからこちらに関して驚きは無いようだった。

 

「で、オルクス大迷宮で香織達を襲った奴も強い魔物を上から貰ったって言ってたんだよ。んで、アンカジのオアシスにいた魔物も恐らく新種。でだ、魔人族はここまで2つの大規模作戦を俺に潰された。ウルの件で俺の存在は魔人族側に伝わってるだろうからオルクス大迷宮の方も俺に潰されたと考えるのが妥当だろう。そうなるとそろそろ直接俺を叩こうとするだろうなぁとな」

 

ちょうど数日前には魔人族は大迷宮に程近いアンカジ公国にも新種の魔物をオアシスに棲み付かせる形でちょっかいを出していた。その足で大迷宮を攻略し、1歩先で俺達を待ち構えていても不思議ではないのだ。だから俺はあのマグマ溜りに着いた時点で気配を走査していたのだ。だが反応は無かったからとりあえず大迷宮の攻略に集中しつついつ攻撃をされても良いようにと、途中から防御にも攻撃にも使える幅広の大太刀を使ってマグマ蛇を討伐していたのだ。

 

と、ここまでをユエ達に伝えれば何故か彼女達の目が点になっている。

 

「……なんだその意外そうな顔は」

 

「いえ、天人さんって基本的に戦うこと以外は何にも考えていなさそうな雰囲気があるので……」

 

「うん、絶対天人くんは推理とか苦手だと思ってた……」

 

「君達結構言うよね……」

 

前にリムルの世界でも同じようなことを言われたなぁと、悲しい思い出に涙がちょちょ切れそうになる。俺はどの世界に行ってもこんな扱いを受けるようだった。

 

「……ともかく、俺は傷と魔力がある程度戻ってきたからな。これから使い切ったこの船の武装を補給していく。しばらく船の操縦は任せたからな」

 

と、俺は自分が居た堪れなくなり、船の個室で次の大迷宮攻略に必要になりそうな物資の作成に取り掛かるのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

───空から女の子が降ってくると思うか?

 

 

 

「妾も受け止めてたもぉぉぉぉぉ!!」

 

「うっそだろお前!?」

 

あの後数日大海原を彷徨っていたら何やら剣呑な雰囲気の魚人族に絡まれたので、お話して仲良くなった後、エリセンまで着いて行ったら今度は向こうの警備団に絡まれて仕方なく宝物庫からイルワの手紙を見せてやったらようやく納得してこれで穏便に入国……かと思ったらその直後に上空からミュウが笑顔でフリーウォールを敢行。

 

それを空力と縮地で怪我のないようにどうにか地上に降ろして、さてこれはお説教が必要かなと思ったその時、今度は同じくらいの高さからティオがミュウの真似をしてフリーウォールを実行しやがったのだ。しかもアイツなら魔法でも何でも使って普通に着地できるはずなのに何故かその気配は無し。

 

仕方なしに受け止めてやるがそのまま流れるように桟橋に正座の体勢で降ろす。あまりに後先考えない2人にはちょっとキツめのお説教が必要なようだからな……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「お兄ちゃん!お兄ちゃん!お家に帰るの!ママが待ってるの!!」

 

「あ、あぁ。分かってるよ、早く会いに行こう」

 

で、お説教も終わり、誘拐犯の謗りを免れた俺達はまずミュウを母親の元へ届けることにする。途中で聞いたところによれば、ミュウの母親は脚に酷い怪我を負っているどのことだが、今の俺達には香織がいるし、最悪神水もある。精神的にかなり参っているようでもあるが、それはミュウが帰ってくれば一先ずは解決できるだろうから、こちらを最優先にした方が良いという判断だった。

 

そうしてミュウに手を引っ張られながら着いていくとその先の方から何やら騒ぎが起きていた。どうやら誰かが暴れでもしていてそれを周りが押し止めているようだった。

 

「レミアさん!その脚じゃ無理だ!落ち着け!」

 

「そうだよ!ミュウちゃんならちゃんと連れて来るから!」

 

「嫌よ!ミュウが帰ってきたのでしょう!?私が迎えに行かなきゃ!」

 

……どうやら暴れているのはミュウの母親のようだった。誰かがミュウが帰ってきた事を伝えたらしいな。誘拐された娘が帰ってきたことで興奮から取り乱しているようだ。

 

「ママーーー!!」

 

「ミュウ!!」

 

そして自分の母親の姿を認めたミュウが掴んでいた俺の手を離して、玄関先で、包帯でぐるぐる巻きにされた両足を投げ出して座り込んでいた女性に──恐らく彼女がミュウの母親なのだろう──に駆け寄り、その胸元に飛び込んだ。

 

もう二度と離さないと言うように固く抱きしめ合った2人だが、母親の方が何度も何度もごめんなさいと囁く。

 

だがミュウは母親の、包帯に包まれたその両足を見つけ、どうしたのかと叫ぶ。そして俺を呼び、ママが足を怪我している、治してくれと懇願しに来る。もちろん俺もそのつもりだったから、シアに頼んで彼女を自宅のベッドまで運んでもらう。その後は香織の出番だ。

 

そして、香織の診断の結果から言えば、治療に3日、その後リハビリをすれば、現状の、神経までやられてしまい歩くことはおろか、2度と自分の脚で立てる日は来ないと言われていたらしい両足は完全に元の機能を取り戻せるとの事だった。

 

ミュウの帰還からこっち、あまりに怒涛の展開が続いてレミアさんは頭が追いつききっていないようだったが、徐々に状況を飲み込んでいき、とうとう感情が追いついたのか再び泣き出してしまった。どうにかレミアさんを泣き止ませて一息付く。すると今度はミュウが超弩級の爆弾を投下した。

 

「やっぱりお兄ちゃんはミュウのパパなの!」

 

と───

 

「パ、パパァ!?」

 

ユエ、シア、ティオ、香織、そして俺の声が重なる。レミアさんの旦那、つまりミュウの本当の父親はミュウが産まれる前後辺りで亡くなったと聞いていた。だからミュウに父親の記憶は無い。というか、そもそもこの言い方は本当の父親の記憶と俺が混同されたものでは無い。

 

「うん!ママとかお隣のおじちゃんとか色んな人が言ってたの!パパはママや子供を守って助けるものだって、パパはミュウのこと守って助けてくれたの!ママの足の痛いのも治してくれたの!だからパパはパパなの!」

 

ということらしい。一瞬背中からとんでもなく冷たい視線が突き刺さったのだが、続くミュウの言葉でそれは和らいだ……ハズだったのに───

 

「あらあら、どうしましょう、あ・な・た?」

 

などとレミアさんが乗っかってくるものだから再びユエ達の視線が凄まじいことになっている。悪いことなんて1つもしていないのに四面楚歌というのも中々に辛いものがあるな……。あれ、前にも似たようなことが……。

 

レミアさんはレミアさんで中々の強者のようで、ユエ達の「お?なんだその言い回しは?」というような視線も柳に風。ふわふわと躱しきっている。

 

「それに、ミュウを救った上に脚まで治してくださって……。この御恩は一生掛けても返さなければと思っているのですよ?」

 

「……パパはミュウのパパじゃないの?」

 

俺はそれにうんともすんとも返せない。確かにミュウの定義で言えば俺はミュウ達のパパ足り得るのだろう。だが"お兄ちゃん"はともかく"パパ"呼びはちょっと待ってほしい。そもそもレミアさんには1度は生涯を共にすると心に決めた人がいたわけで、そこに俺が収まるのは……。

 

「ミュウ?大丈夫、パパはパパよ」

 

レミアさんよ、何も大丈夫じゃないよ?その言葉が喉まで出かかったが、俺は溜息にして吐き出してしまった。

 

結局、レミアさんの足の治療が一段落付くまで滞在しようとどこかの宿に泊まろうとしていたのもレミア邸にお泊まりする羽目になってしまったし。少しずつ距離を置こうと思っていたのに余計に距離が縮まってしまった……。

 

それから3日、本気の色こそ見えないが俺を旦那として扱おうとするレミアさんと一々それに反応するユエ達の相手に気疲れしつつ脚の治療も落ち着いてきたところで、俺達はエリセン周辺の海域に眠る大迷宮──メルジーネ海底遺跡──に挑む準備が整った。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……っ!?何だ!?」

 

メルジーネ海底遺跡、その名の通り海底に沈んだ大迷宮はまずその入口からして複雑なギミックを作動させなければ挑戦すらままならないものだった。だが大迷宮の名に相応しい難易度だったのはそこまで。その後に現れた魔物はそこらの魔物と同程度が良いとこの強さしかない。火山の魔物もその能力よりも状況による鬱陶しさの方が勝っていたがここのそれはそれすらないただの雑魚だ。

 

これはおかしいと皆して首を捻っていたのだが、続いていた通路を抜け、開けた空間に俺達が足を踏み入れた瞬間、その出口が大質量のゼリーのようなもので覆われ塞がれてしまったのだ。最後尾にいたシアがドリュッケンでそれを叩き砕こうとするが、幾つかの飛沫がシアの衣類に付着しただけだった。

 

「ひゃわ!なんですかこれ!?」

 

だがそれはただ柔らかいだけではなかった。シアの服を溶かし、その柔肌まで溶かそうとする。

それを見たティオは───

 

「シア!動くでない!」

 

と、火属性の魔法でそのゼリーだけを綺麗に焼き尽くす。しかしどうやら少し肌にもゼリーが届いてしまったようで、シアの双丘が軽く火傷のように赤く腫れてしまっていた。

 

「っ!また来るぞ!」

 

俺が叫んだ瞬間、ユエが聖絶を展開。そしてその堅固な守護の背後からティオが炎を撒き散らす。

その炎は壁から飛び出してきたゼリーのような触手を焼き払っていく。それを安泰と見てか、シアが胸を両腕で寄せ上げて俺に寄ってくる。

 

「天人さぁん、火傷しちゃったのでお薬塗ってくれませんか?」

 

「……お前、状況分かってんの?」

 

アホ言ってないで自分で塗れと薬を渡そうとするがシアは受け取ろうとする素振りが無い。聖絶による防御を展開しながらユエの目が冷たくなっていくし、ティオすらも呆れ顔で触手を燃やしている。俺が面倒になって香織にアイコンタクトを送れば───

 

「はぁ……。天恵」

 

と、ため息混じりに香織の回復魔法が発動。即座に火傷を治してくれる。

 

「あぁ!?」

 

と叫びながら唱えられた残念ウサギのアホな主張は無視していると、ユエがピクリと眉を動かす。

 

「……コイツ、魔力ごと溶かしてる」

 

「ふむ、そういうことか。どうにもさっきから魔法の通りが悪いのじゃ」

 

確かに見れば聖絶が少しずつ溶かされている。その度にユエが魔力を重ねがけして補強しているが早くここを抜けないと魔力をごっそりと持っていかれそうだ。

 

ようやく大迷宮らしくなってきたな……。

 

「ユエも攻撃に参加して!防御は私が!聖絶」

 

壁から染み出してきたゼリーが徐々に形を取り全長10メートルはあろうかというクリオネのような姿を現した瞬間に香織の聖絶が発動。ユエとティオの炎の魔法、シアのドリュッケンから放たれた炸裂弾が全て奴に直撃する。

 

だが、ユエ達のしてやったりの顔は爆炎と煙が晴れると驚愕に染まる。奴の姿がそのまま健在だったからだ。

 

「……あぁ?あの野郎魔石持ってねぇぞ。しかも、この部屋全体がコイツの魔力で赤黒く染まってやがるな。……俺達はこいつの腹ん中ってことらしい」

 

だがなぁ、いつだって喰らうのは俺だ。お前じゃなく、俺が喰らう側(捕食者)なんだよ。

 

俺は焔龍の右腕を展開。ハンニバルの炎を壁中に振り撒く。そしてそれを浴びてボロボロと剥がれ落ちるゼリー。だがそれでも奴には僅かな痛痒すらも与えられていないようだ。しかもユエ達の魔法を受けた傍から周りの魔物を喰らっては欠けた身体を取り戻していた。再生能力まであるのか……。しかし、奴の餌切れを狙っての籠城もまず不可能だ。奴は魔力すら溶かす。聖絶での守りでは足りないのだ。どうしたものかと俺が周りを見渡すと、既に俺の腰程に水位を増した中で壁の一部から気泡が湧き出ているのが見えた。向こうに空間がある!

 

「面倒くせぇ、コイツぁ後回しだ。あの穴から一旦ここを離脱するぞ!」

 

そう言って俺は渦を巻いている亀裂へ向けて錬成を行い、穴を掘り広げていく。

 

「どこへ繋がってるか分かんねぇ。覚悟決めろよ!」

 

「んっ」

 

「はい」

 

「了解なのじゃ」

 

「分かったよ!」

 

全員の返事を耳にしながら俺は更に錬成で穴を押し広げていく。そして宝物庫からシュノーケルのマウスピースのようなものを取り出した。生成魔法で空間魔法を付与した酸素ボンベだ。小型だが30分位は持つ。それを咥えて水中に潜り、宝物庫から呼び出したパイルバンカーを最大出力で叩きつける。

 

その瞬間、凄まじい勢いで海水が穴へと流れ込み、俺達も引きづられるように流されていく。

そこは球体状の空間で、無数の穴から海水が流れ込み、また流れ出してもいて滅茶苦茶な潮流を形成していたのだ。視界の端でティオとシアが合流出来たことは確認できた。俺はユエと香織を探すが、運悪くユエは誰とも離れてしまっていて合流は不可能に思えた。そしてユエと目が合う。俺達は一瞬のアイコンタクトだけで会話を終えた。

 

そして香織の方と俺は近く重量のある鉱石を錘に使いながら合流を果たせた。だがある程度動けたのはそこまで。俺達は各々凄まじい勢いで流れる潮流に乗せられて3手に別れて別々の穴へと流されていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「天人くんって優しいよね」

 

俺達は流れ着いた砂浜で濡れた服を手早く着替えると、茂みの方へ向けて歩き出した。すると香織はそんなことを言う。

 

「……俺は基本ろくな奴じゃないと思うが」

 

「んー、見てれば分かるけど、具体的にはティオを送り出す時とか。あとティオが降ってきた時に受け止めてあげてたよね。別に、ティオなら落ちても大丈夫なのに」

 

「別に、それくらいは……」

 

「ううん。やらない人はきっとやらない。だからユエもシアも天人くんのこと今でも好きなんだと思うよ。きっと天人くんは出来るからやってるだけだって言うんだろうけど、天人くんは強いからやるんじゃない、やりたいからやってるんだろうなって思う」

 

「……そうかい」

 

俺は、香織のその言葉に何と返したら良いのかも分からない。周りの奴は皆俺のことを優しいと言うけれど、俺は自分が優しい人間だなんて思えないからだ。きっと、本当に優しい人間っていうのは、これまで俺が迎えた選択肢で俺の選ばなかった方法で物事を解決できるだろうから。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……ここは、船の墓場、か?」

 

あの問答の後に無言の中で進んで行き、鬱蒼とした茂みを抜けた先にあったのは大量の船。それも、どれもこれも大きくしかも明らかに戦闘によって付いたと思われる傷があちこちにあり、恐らく戦艦と思われた。それぞれの船の帆には何やら模様が描かれていて、彼らの組織を主張しているかのようだった。

 

「でも、あれは客船っぽいよね、装飾も豪華だし」

 

香織が指差したその1隻だけは、他の無骨で機能性だけを追求した戦艦共と違って豪華さを優先した作りに見えた。

 

そして俺達がその船の墓場の中腹辺りに差し掛かった時───

 

 

───ウオォォォォォッッ!!

 

───ワァァァォァァッッ!!

 

 

「っ!?何だ!?」

 

「何これ!?」

 

いきなり墓場に響き渡る叫び声。それも、明らかに悲鳴ではなく雄叫びだ。続いて空間が歪む。一瞬異世界への転移かと思ったがそれだとさっきの叫び声の説明がつかない。そして気付けば俺達は───

 

 

──大海原に浮かぶ巨船の上にいた──

 

 

直ぐに周りを見渡せばそこにはさっきまで転がっていた沈んだ船なぞ無く、何百という帆船が2組に別れ相対し、乗組員達が武器を片手に雄叫びを上げていたのだった。

 

「何だこれ……」

 

「た、天人くん、私達本当にここにいるよね?ねっ?」

 

「あぁ、いるから落ち着け。……来るぞ」

 

そしてどこからか花火が打ち上がり、それを合図にしていたのか双方の船が衝突も辞さないような勢いで突っ込み、そのまま乗組員達は魔法を発動した。

 

 

───ドォォォォォンン!

 

 

炎の魔法が帆を焼き風の魔法がロープを切り裂く。水の槍が乗組員を突き刺せば降り注ぐ灰が触れた物を石へと変えていく。

 

文字通りの戦場。つい数瞬前まで船の墓場だった場所が血で血を洗う戦場へと姿を変えたのだ。さして炎弾水槍風刃入り乱れる中、炎弾の1つが俺に向かって飛んできた。

 

「…………」

 

俺は拳銃を抜くと魔法の核に弾丸を叩き込む。

魔法にはそれぞれ小さな核が存在し、それを破壊することで雲散霧消に出来るのだ。もちろん普通はそんなものは見えない。俺の義眼に仕込まれた魔力感知が見せるそれは、魔法の才において当時は、そして恐らく当代も比肩する者がいないユエすら知り得なかった魔法の秘密の1つなのだろう。だが確実にそれを撃ち抜かれた筈の炎弾はそれでも勢いそのままに俺へと向かってくる。

 

「……あん?」

 

思わずそう呟きながら俺はそれを躱すと射線の向こうへと再び発砲。射手を撃ち砕こうとする。だがその弾丸も空振り。当たっているはずなのに弾がすり抜けるのだ。

 

更に飛んでくる炎弾。今度は香織が結界魔法で弾く。霧散していく魔法に、俺は違和感を覚えると共に1つの仮説を立てる。

 

飛来してくる炎の弾を弾こうとする香織を抑え、俺はすれ違うように風爪で核を切り裂く。すると今度はきっちりと炎弾は消え去った。なるほど、物理攻撃はすり抜けるけど魔力が込められているのなら通用するのか。

 

「天人くん、今のって……」

 

「あぁ。どうやら魔力があれば触れられるみたいだな」

 

面倒な事だ。ここからの脱出条件は恐らく全員の殲滅なのだろうが、それを全て魔力で行わなければならないとなると魔力消費が半端ではない。普通の手段でここに挑んだ奴はそれだけでもかなりの量の魔力を使っている筈だ。それに追い打ちをかけるような殲滅戦とは、さすが大迷宮、趣味が悪辣極まりないな。

 

しかし悪辣だろうと何だろうとようやく攻略の手掛かりを俺が得たその時、近くにいた男が苦悶の声を上げてカトラスを落としてうずくまる。どうやら氷の槍を受けたらしい。思わず香織が駆け寄り回復魔法をその男に掛けたのだが……。

 

「……消えた?」

 

「え……なんで、私……」

 

「落ち着け香織。どうにもこれは現実じゃないらしい。幻覚か何か知らないが、回復魔法を掛けられて消滅するような奴ぁ人間じゃあない」

 

人を殺してしまったのかと顔を青くしていた香織だったが、俺の言葉に落ち着きを取り戻したようだ。そして今ので俺たちの攻撃のバリエーションは大きく増えた。とにかく魔力を当てれば良いのならむしろ香織の独壇場だ。

 

「……まずは上だ。飛ぶぞ」

 

「うん」

 

俺と香織は空力で今いる船のマストの見晴台まで一息で飛び上がる。そこにいた男を纏雷で消滅させ、陣取るとこの戦場が一望できた。船は全部で600程はあろうか。あちこちで怒号が響いている。耳を澄ませばそこには聞いたことのある名前も混じっていた。つまり───

 

「死ねぇ異教徒共!!」

 

「全てはエヒト様の為にぃ!!」

 

なるほどこれは宗教戦争らしい。他の聞き覚えのない名前も恐らく別の神様なのだろう。そしてよく見れば、一部の帆船の帆に描かれた紋章に何やら見覚えがあるような……。

 

「香織、あの模様って……」

 

「もしかして、さっきの船のお墓にあった船……?」

 

まさか、これは過去の戦争の再現なのだろうか。そしてそこに大迷宮から少しのアレンジが加わったということか……?

 

しかし、俺が思案していると戦場の空気が変わった。今まではそこら中に溢れていただけの殺気が、明確に俺達を撫でているのだ。下を見ればそれに合わせてグルりと勢いよく回る首首首。どうやらアレンジは魔法が届くだけではないらしいな。

 

「香織、広範囲の回復魔法をやってくれ。とにかく範囲優先だ」

 

「うん。……聖典」

 

香織の発動した魔法は広範囲の人間をまとめて癒す治癒の光。しかしそれはこの場においては何よりも強烈な殲滅兵器と化す。

 

香織を中心に放射円状に広がった波動はそれに触れた狂気の尽くを消し去っていく。一息に1キロほど広がったそれの効果で目に見えて海の兵士達が減っていく。

 

「さて、ここからの脱出条件は何だと思う?」

 

「んー、この戦争を終わらせる、とか?」

 

「殲滅戦だなんて香織さん、過っ激ぃ。短い間で随分と染まってきたじゃないの」

 

「そこまで物騒なことは言ってないんじゃないかな!?かな!?」

 

「ま、俺も殲滅戦には同意だ。……やるぞ」

 

「はぁ……聞いてないし……。分かったよ……」

 

俺はマストから飛び降りながら着地地点を纏雷で綺麗にしてしまう。そして甲板に降り立った瞬間にも纏雷を放射。周りに集ってきた気の触れそうなくらいに血走った目をした水兵達を消滅させる。

 

 

───さぁ、戦闘開始だ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「うっ……ごぉ……げぇ……ごめ……」

 

「気にすんな。我慢しないで吐けるだけ吐いちまえ」

 

小一時間程で狂気に満ちていた空間から水兵達が消え去った後、直ぐに空間が歪み、俺達は再び船の墓場へと戻っていた。しかし香織の方はどうやらあまりに多くの狂気と殺気に触れたことで精神的なバランスを崩してしまったらしく胃の中から内容物を吐き出している。

 

俺だって気分の悪くなりそうな程だったのだ。こっちに来てからそれなりに荒っぽい事にも慣れてはいるのだろうが、香織は元々は蝶よ花よと愛でられていたのだろうし、こうなることも致し方ない。

 

「ほら」

 

と、水の入った容器を手渡せば香織はそれを素直に受け取り口の中を濯いでいく。

 

「くちゅくちゅ……ぺっ……。うぅ……天人くんは平気なの……?」

 

「平気って程でもないけどな。死ねと言われる度に100円貰ってれば今頃豪邸が建てられる」

 

これは俺に限らず強襲科の2年ともなれば大体の奴がそうなので、強襲科武偵定番のジョークだ。まず挨拶が死ねだし。

 

「円……っことは元の世界にいた頃から……」

 

「そんなに深刻なもんじゃないさ。俺のところ、まず挨拶が死ねから入るし」

 

そこまで話すと何やら香織が可哀想な人を見る目で俺のことを見てくる。いやホント、そんな大層なもんじゃないっすよ?これはあれだな、1回強襲科を見せるべきだな。

 

「……まぁいい。とりあえずしばらく休もう。俺もかなり魔力を持っていかれた」

 

物理無しであれだけの数の人間を倒すのだ。2人で分担したとは言え俺もかなりの消耗を強いられていた。

 

「……うん。……ねぇ天人くん、あれは何だっのかな?この船のお墓と関係あるよね?」

 

「さっき戦ってる時、何隻かのマストに描かれてた模様がこの墓場にある船のと同じのがあったんだ。多分、昔あった戦闘を再生してたん……」

 

「何?どうしたの?」

 

俺が言葉に詰まると香織が何事かと聞いてくる。

 

「いやな、ハルツィナ樹海にも大迷宮があるんだけど、そこには挑戦条件があって、それの1つに再生に関する神代魔法を手に入れることってのがあるんだよ。で、さっきの過去の再生でもしかしたらここの神代魔法が再生の魔法かもなぁって」

 

「あぁ、なるほど」

 

「まぁそれだけだ。……そういやティオがグリューエンの大迷宮で言ってたこと覚えてるか?」

 

「大迷宮のコンセプト、だっけ?」

 

そう、火山の中の大迷宮に挑んでいる時にティオが言っていたのだ。大迷宮にはそれぞれ解放者が設計したコンセプトがあるんじゃないかと。そして恐らくそれはあるのだろう。何せ大迷宮は解放者が狂った神に対抗出来る奴を選別する為のものなのだ。オルクス大迷宮は数多の魔物との戦いで戦闘力を、ライセン大迷宮では魔法を封じられた状態から不意に訪れる物理的な殺意高めの罠への対応力を、グリューエン大迷宮では過酷な環境下での極限の集中力を、そしてここは……。

 

「まだ始まったばかりだから分からないけどな。まぁあぁいうのを見せてくるってことは、狂気に飲まれない精神力を示せ、とかかな」

 

「うん、私もそう思う……」

 

 

 

───────────────

 

 

 

しばしの休息を経て俺達の魔力が回復したため再び行動を開始する。次に調べるのは地球でも中々お目にかかれないような大きさ()()()()()の豪華客船だ。そして案の定、俺達がそこへ足を踏み入れると周囲の空間が歪み始める。はてさて、今度はどんな映像が流れ出すのやら……。

 

 

 

空間の歪みが収まると俺達がいたのは満天の星空の下、大きな客船と思われる船の上で煌びやかに盛り上がりを見せているパーティ会場だった。それもただバカ騒ぎをしているのではない。その場の全員が高そうな服を着てお行儀良く立食パーティーに臨んでいる。

 

「これ、パーティー、だよね?」

 

「あぁ、多分な」

 

よく見ればここにいたのは人間族だけでなく亜人族や魔人族の奴も大勢いて、それぞれが種族の垣根無く楽しげに談笑していた。これが過去の再生だと言うのなら何があれば今のトータスになってしまうのか。俺はむしろこの光景に薄ら寒いものを感じてしまった。

 

しかもこのパーティー、聞き耳を立てて聞いてみれば終戦を祝うものなのだとか。それも、3種族の内どこかが降伏したとか完全に征服したとかではなく、対話による和平が結ばれての終結を迎えたらしい。ここまでくるとむしろ先程の俺達の考察の方が間違っているのかもしれないと思い始めた。

 

それでも急に襲われやしないかと俺は警戒しつつその穏やかな喧騒を眺めていると、壇上に数人の人間族が上がってきた。

 

このパーティーの主催だろうか、立派な身なりをした初老の男性とその側近と思われる人間数人。そして何故か1人だけ場違いなコートを着てフードで顔を隠している。この場でそれはドレスコードとか大丈夫なのかと思うがそれを言う奴はいなかった。

 

そして彼がステージの中央に来れば自然と話し声も収まる。そしてそれを見渡した男が話し始める。この和平の意義、ここに至るまでの決して平坦ではなかったという道程、そして───

 

 

「───こうして和平を結んで1年、私は心からこう思っているよ。……実に愚かだったと」

 

 

急に、急にだ。男の纏う雰囲気が変わった。キンジがヒステリアモード(HSS)になる所は何度か見たことがあるが、あれとは全く違う変化だ。キンジのように徐々に切り替わっていくのではない。電気のスイッチを入切りするみたいにパチッと切り替わったのだ。俺は思わず両手の指から魔力による赤雷を散らす。いつここの奴らが俺達に襲いかかってきても良いように。周囲を見渡せば上手く隠れてはいるもののこのパーティー会場を包むように上から狙っている奴らがいた。つまり、このパーティーの本来の狙いは各種族の長を一堂に集めて皆殺しにする為……っ!

 

さっきとは全く違う雰囲気の喧騒の中から一人の魔人族が歩み出て、彼を問い詰めようとする。しかしその問いへの返答は、彼の胸に刃を生やすことで返された。そしてその魔人族が倒れ伏すのを合図に四方八方から魔法や風を切って飛来する矢がその会場にいた魔人族と亜人族を襲う。

 

それをエヒト様に捧げているのだと、恍惚とした表情で叫ぶ壇上の男。ヨダレが口の端から垂れ、一言発する度に唾が飛ぶ。明らかにイッちゃった顔をしている。

 

俺達はいつ魔法や矢が飛んできても良いように構えるが今度はこの映像を見せることそのものが目的だったのか、俺と香織に殺気が向けられることはなく、会場が血の海に染まり人間族以外が全てそこに沈んだ後に景色は元の死んだ客船へと戻っていった。

 

最後に見えたのはフードを着た1人がその場から立ち去る時、その隙間から一筋の銀髪が露になったところだった……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「あれを見た上でこの船を探索しろってのは、この世界の人間にとっちゃ果てしなく気分が悪いんだろうな」

 

「やっぱりこの大迷宮のコンセプトって……」

 

「多分当たりなんだろうな……。香織、少し休もう。俺も準備したいものがあるし」

 

顔を真っ青にして口を押さえている香織を座らせて、俺も宝物庫から鉱石をバラバラと取り出す。

いくら地獄の苦痛を経験し、乗り越えられたとしても凄惨な光景に対する抵抗力にはならないからな。こういうのは大なり小なりこれから旅をしていけば遭遇するだろうから、徐々に慣れていくしかない。

 

「……それは?」

 

「あぁ、最初に出てきたあのデカいクリオネみたいなのいたろ。どうにもあれが引っかかってな……」

 

俺は浴槽くらいは容積のありそうな樽を錬成で作っていた。とにかく中身が入れば良いので強度はあまり考えていない。寧ろ目的の為には多少ヤワな方が都合が良いのだ。それを見た香織が不思議そうにこれらを窺っていた。

 

「確かにあれはヤバかったよね。魔力まで溶かしちゃうし……。けど引っ掛かったって何がなの?」

 

「あぁ。アイツだけこの大迷宮のコンセプトに合わない気がしてな……。もしアイツがこの大迷宮に関係無いただのヤベー奴だったら、この大迷宮を出た途端にまた襲われるかもと思ってな。それの対策だ」

 

それに、俺の仮説が外れていて、奴がこの大迷宮の仕掛けの1つだったとしても、やはり道中で鉢合わせになる可能性がある以上、今のうちに対策を立てておこうという訳だ。奴の弱点はさっきの戦闘で想像がついている。後はそれを突けるだけの装備を整えるだけだ。武偵憲章7条、悲観論で備え、楽観論で行動せよ、だ。

 

「それ、石油……?」

 

俺が樽の他に更なる兵装を作成し終え、最初に作った樽に並々とフラム鉱石を溶かしたタールを注いでいるとそれを見た香織がまさかと言った顔で聞いてくる。

 

「んー?違うよ。石油は俺も欲しいけどな。これはフラム鉱石ってのを溶かしたタールで、火をつけると摂氏3000度で燃え上がる」

 

「……太陽って何度くらいだっけ?」

 

「表面で6000とかだったかな」

 

「太陽の半分!?ていうかそれどう使うつもりなのかな!?かな!?」

 

「んー、見た通りアイツ何でも溶かすだろ?しかもめっちゃ再生するし。でも炎で燃やした時だけはそれが弱かったんだ。だから樽ごと投げ込んで、体内にこれを浸透させたらそのまま俺の炎で内側から爆発させる」

 

「それ天人くんも巻き込まれるよね!?」

 

「オラクル細胞は物理攻撃には無敵に近いからな。衝撃でぶっ飛ばされるだろうけど五体満足でそこら辺に転がってるから拾ってくれ。悲観論で備え、楽観論で行動せよ、だぞ」

 

「楽観が過ぎるよ!!」

 

まぁ大丈夫だろと元気になった香織を立たせて俺達はこの客船の探索を始める。渋々といった様子で香織も着いてきたが、異変は直ぐに起きた……。

 

「あ、ああああああああれって……」

 

「だろうなぁ」

 

「ひうっ!」

 

緑光石で作ったライトで暗い船内を照らしながら歩いていると、通路の先に白い服を着た女が立っていた。長い髪を顔の前に下ろしているから顔そのものは見えないが、あまりにお決まりの展開だ。何だかなんて考えるまでもない。

 

そして予想通り、そいつは両手足が変な方向に曲がるとそのままケタケタと笑い声を上げながら俺達の方へ突っ走って来た。香織が叫びながら俺にしがみつくので拳銃からの魔力放射は諦めて纏雷でその女を掻き消した。

 

「お前、ホラーとか苦手か」

 

「……こんなの得意な人いるの?」

 

「……悪いが何人か心当たりがある」

 

「うそぉ……」

 

お化け屋敷とか超楽しみそうな理子、全く動じなさそうなレキ。あとは武装巫女の星伽とかな。アリアは何やかんやで駄目そうだがキンジはどうだろうな。強襲科にいたことあるしお化け屋敷なら平気かな。透華達の中なら1番平気そうなのは彼方だな、透華は三姉妹じゃ1番こういうの苦手そう。ジャンヌはどうだろうな。アイツなら案外平気そうな気もするが。

 

「ほら、行くぞ」

 

「うぅ……」

 

どうにか俺に抱き着くのは解いてくれたが俺の服の裾は掴んだまま離さなかった。背後からは絶対に離さないという強い意志を感じる。俺達に着いてくると宣言したあの時のような強さが瞳に宿っていた……。

 

その後も船内を進めば進むほどに激しくなる怪奇現象もとい、お化け屋敷。しかし実際手の込んだお化け屋敷以上にリアルで底意地の悪い仕掛けに香織は完全に心が死んでいた。今じゃもう俺の背中に張り付いて「雫ちゃんに会いたいよぉ……」と、完全に幼児退行してしまっている。俺の背中が南雲ハジメ君じゃなくてごめんね……。

 

それでも香織はどうにか回復魔法をぶつけて怪奇現象を消し飛ばしていく。そしてようやく俺達は船倉まで辿り着いた。残されたままの荷物の間を縫って奥まで歩いて行くが、少し歩いたところでバンッ!と音がして開けておいた扉が勢いよく閉じた。

 

「ぴっ!」

 

香織が奇っ怪な声を上げて背中が伸びる。そして室内の筈なのに濃い霧が立ち込めてきて、あっという間に視界が完全に潰されてしまった。

 

「た、たたたたたたた天人くん!?」

 

「落ち着けって。今まで通り魔力でぶっ飛ばせば良い」

 

だが、ヒュンと風切り音がし、咄嗟に掲げた俺の腕に細いワイヤーのようのものが絡まっていた。さらに風切り音が矢の飛来を知らせる。ここにきて物理トラップか。本当に趣味の悪いことで……。

 

だが俺には物理攻撃は一切と言って良いほど効果が無いため香織の防御に専念する。しかし突然凄まじい突風が吹き荒れる。

 

「きゃあ!?」

 

俺は錬成で靴裏からスパイクを突き出して堪え、香織の腕を掴もうとするが一瞬遅く指が空を切った。しかもこの霧、ハルツィナ樹海と同じような効力があるらしく、俺は視界の悪さも相まって一瞬で香織を見失ってしまった。

 

「くそ……そこ動くなよ!」

 

俺は背中側の方を探そうと振り返るがそこから現れたのは白刃だけだった。俺はそれを叩き折り、それを振るった騎士のような格好をした男を纏雷で葬る。相も変わらず魔力による攻撃で泡と消える大迷宮の亡霊共が次々に襲いかかってくる。香織がどこに倒れているかすら分からない以上は纏雷を全方位に展開する訳にもいかず、纏雷を付与したトンファーでもって、続々と現れるやたらと戦闘技術の高い幽霊共を屠っていく。そうして50程の亡霊を消し飛ばしたところで俺は香織の名前を呼ぶ。すると───

 

「ここだよ天人くん……」

 

「……無事だったか」

 

香織がふらっと霧の中から現れた。だが───

 

「凄く怖かった……」

 

「そうか……」

 

「だから、慰めてほしいな」

 

フッと香織が俺の首に腕を回す。鼻がくっつきそうなくらいに顔を寄せた香織に俺は───

 

「きゃっ!?」

 

魔力放射で返答した。

 

俺の不意打ちにバランスを崩し、手からナイフを零れ落とした香織は俺を信じられないものでも見たかのような目で睨んでくる。……だから効かないってば。

 

「そんな顔すんなよ亡霊。見えてんだよ、お前の薄汚ぇ魂が香織の身体ん中に巣食ってるのがな」

 

「天人くん……?一体何を───」

 

「何を?じゃねぇよ。お前がその声で喋るな、その身体を勝手に動かすな。それはてめぇなんぞが触れていい女じゃねぇんだよ」

 

俺に正体がバテいることに気付いたのか、香織に取り憑いた亡霊はその整った香織の顔を醜く歪めて笑いだす。だが俺はそんなことは許さない。再び魔力放射で魔力の弾丸を放ち黙らせる。奴が大声で喚いてバラしてくれたが、どうやら奴の魂ごと吹き消せば香織の魂まで傷付くらしいが関係無い。ならばコイツが自主的に出て行きたくなるように生かさず殺さず痛めつけ続ければ良いのだから。そしてコイツ相手なら殴る必要なんてない。魔力をぶつければそれだけで肉体を傷付けることなくこの幽霊風情を痛めつけられるのだから。

 

「お前の未練だの想いだのは関係無い。ただお前は俺の身内()に手を出した。だから消える。それだけだ」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……天人、くん?」

 

「おう、起きたか香織」

 

数分撃ち続けただけで亡霊もどこかへと消えてしまった。魂ごと消滅したのかどっかに飛んで行ったのかは知らないがともかく香織の身体は香織の手元に戻ったのだ。

 

「ありがと……」

 

「気にすんな。兄は妹を守るもんだ。それが例え契約上のものであってもな」

 

「そっか……」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ありゃあ魔法陣か……?え、もう終わりか?」

 

あの後転移用と思われる魔法陣に乗って飛ばされた部屋には1つの魔法陣があった。恐らくあれが大迷宮攻略の合否を判定し、神代魔法を脳みそに刻むのだろう。見渡せばユエとシア、ティオももう辿り着いていたようだ。

 

「……んっ、天人、遅かった」

 

「主がいなかったからまだ続きがあるのかと思ってたのじゃ」

 

「今回の試練ならむしろ天人さんが一番最初にゴールしそうでしたけどね。何があったんですか?」

 

「あぁ。念の為の準備をしてたんだよ。……使わないことを祈るがな」

 

「……まさか、最初の?」

 

と、ユエは直ぐに俺の考えを当ててきた。

 

「あぁ。武偵憲章7条、悲観論で備え、楽観論で行動せよってな」

 

「ふむ。じゃが主がそう言うのなら心構えだけはしておこうかの。……さて、では今回の大迷宮の目的といこうか」

 

うん、と俺達はティオの言葉に頷き、皆揃って魔法陣の上に乗る。その瞬間脳ミソをまさぐられる感覚と頭に流れ込んでくる映像。これは……まさかユエ達が見てきた光景か。

 

その凄惨極まりない光景により香織やシアが思わずといった様子で口元を押さえ、ユエとティオも顔が青ざめている。俺だって何度見ても気分が悪くなる光景だ。本当、最後まで趣味が悪いな、再生魔法の大迷宮は……。

 

「ったく、大陸の端と端じゃねぇかよ」

 

「……ん。けどようやく見つけた、再生の力」

 

ようやく見つけた再生の力。これで4つ目の神代魔法と再生の力を備えたことになる。これでハルツィナ樹海の大迷宮への挑戦権を得たのだ。

 

そして、魔法陣の輝きが薄れるのに合わせてか俺たちの目の前の床から直方体の物体がせり出してくる。それは淡く輝いたかと思うと人の形をとった。どうやらオスカーと同じくここの奴もメッセージを残したらしい。

 

そいつは海人族だった。スタイルの良い美人で、どことなくレミアさんに似ている気がする。そしてそいつは自分の込めたメッセージを発する。

 

「……どうか、神に縋らないで。頼らないで。与えられる事に慣れないで。掴み取る為に足掻いて。己の意志で決めて、己の足で前へ進んで。どんな難題でも答えは常に貴方の中にある。貴方の中にしかない。神が魅せる甘い答えに惑わされないで。自由な意志の下にこそ幸福はある。貴方に幸福の雨が降り注ぐことを祈っています」

 

メイル・メルジーネ、この海底遺跡を大迷宮として構え、再生の神代魔法を遺した解放者の1人。

彼女の遺した最後の言葉が俺達の耳へと消えるとメルジーネ自身も淡い光となって消えていく。そして残されたのは攻略者の証としてのコイン。それが人数分。

 

「これで証も4つですねー。ようやく樹海の大迷宮にも挑戦できます。父様達、どうしてるでしょうか」

 

俺の脳裏に浮かんだのは軍人染みた規律で樹海を跳び回るウサギ共だったがそのイメージは首を振って振り払う。それを見たユエとシアはジト目になるがそれは無視。

 

「天人さん、1ついいですか?」

 

シアの目が据わっている。これは良くない。

 

「いや、ここにずっと居てもあれだからな!さっさと出ようか!」

 

「駄目です!逃がしません───っ!?」

 

俺の言葉に応えてくれたのかは知らないが急に部屋が揺れる。地震かと思ったがそう言えばこの世界に地震なんてあっただろうか。いや違う。周りの水位が急に上昇し始めたのだ、これは───

 

「あぁ、ここでもこれか……。全員掴み合え!」

 

「……んっ」

 

「ら、乱暴過ぎるよ!」

 

「もうライセン大迷宮みたいなのは嫌ですよぉ!」

 

「水責めとは、やりおるのぉ……」

 

1人だけ感想がおかしい気がするがともかく俺達は潜水艦に乗り込む暇もなく一気に水没する。どうにかお互いの服を掴んで酸素ボンベだけは取り出し口に填められた。

 

そして俺達は大迷宮から広い海中へと放り出された。メイル・メルジーネ、見た目に反して絶対に大雑把で乱暴者だったに違いない。オスカー・オルクスが几帳面な性格だったのに同じ解放者でもここまで違うもんなのか……。

 

そして放り出された海中では俺の悲観論通り、そして最も出会いたくない奴がお出迎えだ。つまり───

 

──ユエ!──

 

──んっ!凍柩!──

 

あの巨大クリオネだ。俺は念話でユエに先制攻撃を指示し、即座に半球状のカプセルを宝物庫から取り出す。

 

──全員入れ!ユエは界穿を頼む!──

 

──んっ、でも40秒はかかる──

 

──それは俺が稼ぐ!──

 

──んっ、任せて──

 

ユエの張った氷の障壁ごと奴の触手でぶっ飛ばされるが俺達はどうにかカプセルの中に収まった。それを確認して俺は更にこれの片割れとなる半球状のカプセルをとりだし、錬成で繋ぎ合わせる。そして奴の身体に捕まって溶かされ始めるがとにかく俺は錬成で凌いでいく。そしてその間に口頭で全員に俺の作戦を伝える。流石に全員反対のようだがここで奴が現れた以上はこれしか手は無い。───そして時は来た。

 

 

──界穿──

 

 

ユエの言葉と共に球体の障壁の中に光の膜が現れる。これは点と点を結ぶワープホールだ。これに飛び込めばユエの設定したもう1つの出口に俺達は飛び出ることになる。そして俺達は躊躇いなくそこへ飛び込む。

 

俺達が現れたのは海面から上空100メートルの地点だった。ユエがあの短時間でここまで距離を跳べる魔法を作ってくれたのだ。そして即座に竜化したティオの背中に乗り込む。

 

「流石だユエ。ありがとな」

 

習熟の難しい空間魔法をこの短期間でここまでの練度に仕上げられたのは流石魔法に関しては天賦の才を備えたユエだ。だがおかげで魔力が枯渇したようで、急いで魔晶石から魔力を補充していく。そして香織やシア、ティオからの賞賛に頬を赤らめている。だが今はその愛らしい反応を愛でている場合ではない。俺はすぐさまシアの宝物庫からドリュッケンを召喚し、肩に担ぐ。

 

その瞬間、俺達の背後から津波が発生。それも高さ100メートルを超える大津波、いや、ここまでくると最早水圧の壁だ。それが俺達へ向けて倒れてくる。だが俺は空力で水の壁へと1歩踏み出す。義眼にはその水の中で赤く光る反応を捉えている。あの巨大クリオネだ。

 

「ティオ!行け!」

 

──承知したのじゃ!──

 

バン!とティオの翼が空気を叩く。俺はドリュッケンを構え、そこにありったけの魔力を注ぎ込んだ。そして───

 

 

 

───俺達を呑み込まんと唸りを上げる津波とクリオネに対してドリュッケンを振り上げ、それに付与された衝撃変換の固有魔法を叩きつける。

 

 

───ッッッッドッッッッンンン!!───

 

 

と、凄まじい衝撃波で津波の一部が割れる。そして凹んだ津波は俺を避け、同一直線上にいたティオ達も潜り抜けるように水圧の暴威から逃れられた。

 

だがまだだ。クリオネは砕けた身体を即座に修復。その毒手でもって俺達を拘束、融解しようと襲いかかる。俺はそれを空力と縮地、ドリュッケンの衝撃変換で躱していく。ティオ達の方は流石に庇っている余裕は無いからあっちはあっちを信じるしかない。

 

そして俺は宝物庫からドリュッケンと取り替えるようにあの樽を召喚。それに魔力を込めていく。

この樽、ただタールを詰め込んだだけじゃない。底には生成魔法でとある固有魔法を付与してあるのだ。

 

──ダンッ!──

 

と、上面を奴の方へ向けた樽がクリオネのその身体へ向けて吹っ飛んでいった。何故か?俺が付与した固有魔法は縮地。縮地は脚力を強化する固有魔法ではない。溜めた魔力を爆発させてそれを推進力にする固有魔法なのだ。であれば樽に付与されたそれが効果を発揮すれば、凄まじい勢いで飛んでいくだけだ。こんなもの、そこらの魔物に使っても当てるだけでも面倒だし普段なら使いやしないのだが、ことここに至ってはこれが切り札足り得るのだ。

 

どうせ奴は避けないのだから真っ直ぐ飛べばそれで充分。樽ごと喰わせて中のタールを奴の体内に行き渡らせることが出来れば良いのだ。

 

そして俺は縮地のパワーで砲弾と化したタール入りの鉱石の樽を5個全て奴の体内に叩き込んだ。そして外殻が溶かされタールが奴の体内を黒く染める。俺は自分も縮地を使い奴の懐へ飛び込む。そして右腕からハンニバルのそれを顕現し、奴の真っ黒になった体内へ自ら突っ込む。魔力すら込められているその身体が俺のオラクル細胞ごと溶かし始める。だが俺はその場でハンニバルの炎を噴射。勿論その焔は火が点けば摂氏3000度で燃え上がるタールに触れ───

 

 

──俺の世界から音が消えた──

 

 

 



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神の使徒との戦い

俺達が再び赤銅色の世界に足を踏み入れて1日半ほどが経っていた。

 

タールの大爆発に呑まれた俺はその衝撃に意識を失って彼方までぶっ飛ばされたが、それもユエ達に拾われてエリセンで休息と武装の調整も兼ねて6日ほど滞在していた。そして出立の前に俺達はミュウに誓ったのだ。絶対にまたミュウの元へ戻ってくると、その時は俺の生まれた世界、国を見せてやると。もちろんレミアさんも一緒だ。

 

そして俺達は旅立った。その道中、手に入れた再生魔法でアンカジ公国のオアシスを元に戻せないかと香織が提案したのだ。ハルツィナ樹海へ行くには通る道でもあるしあそこのフルーツは絶品だと有名であるから、今後の旅のお供にも欲しいところだったので試してみることにしたのだ。

 

そして遂にアンカジ公国が見えるところまで車を進めてた頃───

 

「……やたら人が多いな」

 

「……ん、時間がかかりそう」

 

「物資や水を入れてるんですかねぇ」

 

どうやらユエの用意した水と俺たちの届けた静因石で稼いだ時間でハイリヒ王国へ救援を出せたようだ。おかげで入場門から長蛇の列となっていて、普通に並んでいたら国に入るだけで日が暮れそうだった。

 

だがまぁ入場門まで行けば俺達の顔を知っている奴もいるだろう。シアなんかは特に派手に街中を駆け回っていたみたいだし、香織は公国の領民を大多数直接癒した本人だからな、コネはキッチリと使わせてもらおうか。

 

俺達は商人や何かと思われる並んでいる集団の脇を四輪で通り抜け、守衛のいる門の傍まで寄せる。するとそれを見た守衛の1人が何事かと俺達の方へ走って来た。

 

そして中にいるのが香織だと認めるやいなや即座に同僚と思われる他の人間を走らせ、こちらに声を掛けてくる。

 

「あぁ、やはり使徒様達でしたか。戻ってこられたのですね」

 

ここでの知名度は俺達よりも香織の方が高い。相手は全部任せよう。

 

「はい。実はオアシスを浄化出来るかもしれない術を手に入れたので試しに来ました。領主様にお話を通しておきたいのですが……」

 

香織のその言葉を聞き守衛の顔色が変わる。

 

「オアシスを!?それは本当ですか!?」

 

「は、はい。まだ可能性が高いというだけですが……」

 

「いえ、流石は使徒様です。……こんな所で失礼致しました。既に領主様へは伝令を送ってあります。入れ違いになってはいけませんから待合室でお待ち下さい。使徒様が来たと聞けば直ぐにやって来るでしょうから」

 

と、俺達は待合室へ通される。門をくぐる前には相変わらずの好奇の目に晒されるが今更慣れたものだ。気にすることもなく素通りして、俺達は再びアンカジ公国へと足を踏み入れた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ゼンゲン公、こちらへ、彼らは危険だ」

 

香織が再生魔法でオアシスとその周辺の土壌の毒素を消し去り、さて後は他の土壌と果実の類だと次の場所へと向かおうとした時だった。

 

何やら不穏当な雰囲気を纏って甲冑を着込んだ奴らと豪奢な法衣を着た男が俺たちを取り囲んだのだ。

 

「フォルビン司教?これは一体何事かね。彼らが危険?2度に渡って我等公国を救ってくださった英雄ですぞ?彼らへの無礼はアンカジの領主として見逃せませんな」

 

「ふん……英雄?言葉を慎みたまえ。彼らは異端者認定を受けている。不用意な言葉は貴公自身の首を絞めることになりますぞ」

 

俺達の話をどこかで聞いたのだろう。今のところ目立つところではそう悪いことはしていなかったはずだが、神に従う姿勢を見せなかったことが癪に触ったのか、もしくは既に接触が始まったのか───

 

さて、コイツら全員ぶっ飛ばすにしてもここじゃアンカジに迷惑が掛かるだろうからどうするかと俺が頭を捻っている間に話は進んでいたらしい。

 

というか、いつの間にやら集まった野次馬たちが神殿騎士達に石ころを投げている。どうやらここの人々は神は信じていても人は別らしい。どんどんと大きくなる司教達への批判の声。遂にそれは屈強であるはずの神殿騎士達の心を折るに至った。

 

そして、出直すと言って司教なる人物と周りの騎士達が去っていく。俺達のことは放っておいても良かったのだが、ランズィとしては俺達を敵に回すような真似は絶対に出来ないとのことだ。それは心理的にも戦力的にも。

 

俺はそれに「そうかい」とだけ返す。いつかは教会とぶつかることがあるとは思っていたが、まさかその初戦が全く別の人達の手で終わらせられるとは思わなかったな。これも畑山先生の言っていた"寂しい生き方"を選ばなかったからかな……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「帰っても絶対運転させないだからぁぁぁぁ!!」

 

アクセル全開、と言うより魔力全開で四輪をぶん回す車が1台、正面のとある集団に向かって直進する。もちろん俺の運転する魔力駆動車だ。

 

俺達はアンカジで土壌や回収した果物を再生した後数日ほどアンカジに滞在しており、その後、さてようやくハルツィナ樹海へ向かうぞという道中で、俺はとある集団目掛けて四輪をぶん回しているのだ。

 

目の前には、今まさに奴らからしたら謎の高速移動物体に対して魔法をぶつけているのが明らかに盗賊か山賊の類と分かる40人ほどの集団。そして元々彼らに襲われていた商隊と思われる、元は15人ほどと思われる集団。これを香織が助けたいというので、仕方無く道交法をぶち破ってボンネット下部の左右から短いブレードと風爪を、屋根とボンネットの突起からも風爪を展開した魔力駆動車で突撃する。

 

で、もちろん奴らの低級魔法なんぞ俺の車に効果があるわけが無いので普通に突っ切り普通に賊の後ろ4分の1くらいを吹っ飛ばした。

 

そして香織が勢い良く飛び出し、キレて襲いかかってきた賊共を衝撃変換と纏雷でぶっ飛ばして、傷付いた商隊の人間を癒していく。俺達はもちろんその援護だ。と言ってもユエが商隊を聖絶で包み、俺とティオが銃撃や魔法で山賊を潰していく、それだけの単純な作業だ。こっちは車体を盾にしてしまえば向こうの魔法なんて通らないし。

 

そして、苦もなく賊を叩き潰し、その場でまだ息のあった商隊や護衛の冒険者を纏めて癒した香織に1人のフードを被った奴が飛びついた。もっとも、俺達が彼らを見つけた時に結界の魔法を使ってどうにか持ち堪えていた奴だというのは分かっていたので問題は無い。そいつはフードを脱ぐとその金髪碧眼とまだ幼さを残しながらもその美貌を露わにして香織に抱き着く。

 

「香織!!」

 

「リリィ!?なんでリリィがこんな所に!?」

 

どうやら香織の知り合いのようだ。純日本人で構成された香織達のクラスにこんな見事な地毛の金髪は居なかったはずだからこちらの世界に来てから出来た友人だろう。2人の様子から、それなりに仲が良かったことが窺える。

 

「あの結界、見覚えがあると思っていたからもしかしてとは思ったんだけど……」

 

「私も、こんな所で香織とまた会えるとは思っていませんでした。……僥倖です。私の運もまだまだ尽きてはいなかったのですね」

 

「リリィ……?それはどういう……」

 

と、そこでリリィなる人物は周りを見渡し、フードを再び真深に被り、口元に指先を当てて自分の名前をそれ以上呼ぶなと伝える。治療も終わったみたいだし、いい加減死屍累々のここにいるのもあれなので俺も声を掛ける。

 

「香織、話は進みながらにしよう。ここじゃ臭いが酷い」

 

ふと俺が歩み出るとそのフードの女が俺を見て何やら発見したような顔になる。

 

「……神代くん、ですよね。生存は雫から聞いていました。生きていて何よりです」

 

「……雫、八重樫か?……いや待て、まずお前誰だ?」

 

いや、見たことはある気がするんだよな。こう、喉までは出かかってるんだけど……。んー、でもやっぱり思い出せねぇな。

 

「へっ?」

 

「いや待て。ここまで、ここまで出てるんだよ……」

 

と、俺は自分の喉元に手を置いて"あと少しっ!"というのをアピールしておく。

 

「た、天人くん!王女!王女様だよ!!天人くんも話したことあるでしょ!!」

 

「……………………………………あぁ!」

 

香織の言葉でようやく思い出せた。そうだそうだ。言われてみればハイリヒの王女様はこんな顔だった。あんまり興味もなかったんで中々記憶の引き出しから掘り返せなかったな。

 

だが忘れられていたというのは王女様とっては非常に辛いことだったようで、それだけで泣きそうになってしまっている。しかも何故か……いや、忘れていた俺が悪いのだけれど、香織から俺は普通じゃないから気にするな的な罵倒が飛んできた。

 

しかし微妙な空気になっていた俺たちの間に意外な人物が割って入ってきた。

 

「お久しぶりですな、神代殿」

 

「……ユンケルさんか」

 

この商隊の主は俺にこの世界の商人がどんなものなものなのかを学ばせてくれた人だった。そしてやはりと言うべきか、俺と握手するその指は俺の宝物庫をさすっていた。

 

どうやら、アンカジ公国での商売が上手くいっているようで、彼も一旦は商品を売り終え、今はホアルド経由でアンカジ公国へと、再び仕入れた商品を売りに行くところだったらしい。そして、今しがた賊に襲われたばかりのユンケルさんは俺達にアンカジ公国までの護衛を依頼してきた。しかし、それに待ったをかけた人物がいた。リリィこと、リリアーナだ。

 

「すみませんが、彼らの時間は私が頂きたいのです。ホアルドまでの同乗を許可して頂いたにも関わらず身勝手だとは分かっているのですが……」

 

「おや、もうホアルドまで行かなくてよろしいので?」

 

「はい。ここまでで結構です。もちろん、ホアルドまでの料金は支払わせていただきます」

 

俺達は逆にホアルドを経由してフューレンへ行き、そこでイルワにミュウの護送が完了したことを伝えてからハルツィナ樹海へ行くという話をユンケルさんと話していたのを聞いていたのだろう。

 

「そうですか……。いえ、お代は結構ですよ」

 

「えっ?そ、そんな訳には……」

 

「……2度とこういうことをなさるな、とは言いませんが、本来相乗りの料金は前払いが基本。それを請求されないということは向こうが良からぬことを企んでいるか、もしくはお金を取れない相手だということです」

 

バレていた、ということなのだろう。当たり前だ。商隊を組むような奴の知識の中に一国の王女様の顔が無いなんてことは有り得ない。いくらフードで顔を隠そうと少し見れば分かることだ。むしろ俺に忘れられていたことに泣くほどショックを受ける程の知名度を自覚しておいて何故あれで隠し通せていると思ったのか……。案外ポンコツなのかもしれない。

 

ユンケルさんとしてはお金よりも王国からの信頼の方が大事だと運賃の受け取りを固辞。目先の端金よりこれからの信用とそれがもたらす利益の方が優先だとリリアーナを説き伏せた。それが俺に、どことなくリムルの世界で出会ったミョルニルさんを思い起こさせた。

 

そして先を急ぐユンケルさん達を見送り、こちらを振り返ったリリアーナから告げられた報告は、俺が想像していたことの数倍最低だった。

 

 

 

「愛子さんが、攫われました……」

 

 

 

───────────────

 

 

 

最近、王国内、特に宮内の様子がおかしいことにリリアーナは気付いていた。元々国王は聖光教会に熱心ではあったがここのところそれに輪をかけて熱に浮かされたように信心深くなっていったらしい。そしてそれに感化されるように周りの大臣達も以前より深く信仰していった。だがそれだけでは無い。それと反比例するように宮殿内の騎士達の雰囲気が暗くなっていくのだ。ただ、落ち込んでいるのではなく、何処と無く覇気がなくボゥっとしていることが多いようで、話しかけても少し反応が鈍いのだとか。

 

その上頼みの綱のメルド団長も何故か姿を見せず、リリアーナは誰にも相談できない時期が続いた。

 

そしてその内畑山先生がウルの町から帰還。そこで起きたことの仔細を報告した。その場にはリリアーナもいたらしいがその場でなされた決定は強引の一言。どうやらそのタイミングで俺の異端者認定が確定したらしい。豊穣の女神の御意見や俺達のお仕事の功績も何もかも一切合切無視。

 

流石にリリアーナもこれには抗議したらしいが国王リヒドの考えは変わらず。

 

逆にリリアーナのことを信仰心が足りないだの何だのと言い出し、終いには親の仇でも見るかのような目で睨みだしたのだとか。そしてリリアーナはその場では理解した振りをして撤退。自分の意見があまりに理不尽に退けられて憮然とした雰囲気でその場を立ち去っていた畑山先生へと相談を持ちかければ、俺から畑山先生へ話した神の正体について多少聞き及んだとのことだ。そして畑山先生が夕食の時間にそれを詳しく生徒達へ話すと言うのでリリアーナも同席してくれ頼まれたらしい。

 

それに頷き畑山先生と別れたリリアーナだったが、夕食の時間となり食事を摂る部屋へ向かっていたところ、向こうから畑山先生と誰かが口論するような声が聞こえ、覗いて見ると、銀髪の修道服を着た女が畑山先生を気絶させ担いだ瞬間を目撃したのだ。リリアーナは咄嗟に、王宮に張り巡らされている隠し通路に逃げ込み彼女を撒いたのだが、畑山先生は夕食の時間になっても現れず、あのまま銀髪の修道女に拉致られてしまったのだろうということだ。

 

俺の脳裏にはメルジーネの大迷宮で見せられた光景が浮かぶ。神に心酔し、狂気を宿し、そして例え同じ人間族であっても殺し合う。もっとも、人間同士の殺し合いに関しては俺の世界も人のこと言えないのではあるが……。だが気になるのは銀髪の修道服を着た女だ。確かメルジーネの見せた過去の映像にも銀髪の女がいた。もっとも時代が大きく違うから流石に同一人物とは思えない。

 

だが、あの時も今も共通しているのは銀髪の修道女は神の教えから外れた者の傍に現れているということだ。畑山先生然り、人間族、魔人族、亜人族の融和に取り組んだあの男然り。

 

俺の直感はこれをただの偶然で片付けてはいけない気がしている。3倍の法則もあるし聖教教会の総本山に乗り込むのは正直気が乗らないのも事実。だが畑山先生が攫われた原因に俺が伝えた事柄が絡んでいるのもまた事実なのだろう。

 

どっちにしろもう聖教教会は俺達を敵と認識している。ならば遅かれ早かれぶつかることは必定。そうなったら武偵憲章5条、行動に疾くあれ。先手必勝を旨とすべし、だ。神山に眠る神代魔法を回収するついでに畑山先生の救出と、敵対するようなら聖光教会の壊滅を果たしてしまっても良いだろう。

 

「……いいよ。畑山先生の救出は請け負った。今も生きていれば、だけどな」

 

人を殺すのは案外面倒なのだ。さっきの俺達のように証拠が残ろうが気にせずぶっ殺すだけならいざ知らず、ライセン大渓谷の時のように殺された事実自体を露見しないようにするにはそれなりに用意や手間がかかる。宮殿のど真ん中で人1人殺そうものなら暴れられて声を上げられても面倒だし血痕の処理だって一苦労だ。証拠を消したという事実すら誤魔化そうというのなら特に。だったらむしろ本当に誘拐してしまってからゆっくり時間と手間をかけて消せば良いのだ。ハイリヒ王国の中枢に入り込めているのならそれが1番容易だろう。そこら辺をリリアーナ達に伝えれば香織も一緒になって泣きそうになりながら唇を噛み締めている。

 

「……攫ったってことは何かに利用するつもりかもしれないし、単に俺の話した事実が向こうの都合の悪いタイミングで露見しないよう時間を稼いでいるだけかもしれないからな。とにかく行くだけ行くぞ」

 

だからそんな顔すんなと肩を叩けば香織からはデリカシーが無いだのもうちょい空気を読めだの散々に言われる。しょーがねーだろ。助けに来ましたけど既に死んでましたとかなったら2人ともショックデカいだろうから予防線張っとかなきゃなんだし。まぁそれを言っても言い方が悪いだの言われるんだろうなぁと思うので言わないけど。

 

「……宜しいのですか?」

 

リリアーナとしては八重樫辺りから俺が彼らに興味の欠片も無いことは聞いているのだろう。その俺が思いの外すんなりと畑山先生を助けに行く決定を下したことに驚きがあるらしい。

 

「あぁ。畑山先生が拉致られたのには俺にも責任がありそうだしな。それに、さっき話に出た銀髪の女だ。俺としちゃあそいつの正体は知っておきたい」

 

最悪神山を吹き飛ばす気があることは伏せておく。それを言ったら多分本当に泣かれる。

 

「ありがとうございます……」

 

俺は四輪に付着した血と肉と臓物を落とすとその車輪をハイリヒ王国の方へ向けて回転させていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

空に月が鎮座し星が夜空を彩る中、俺はこの世界で最も空に近い場所にティオと連れ立って駆け上がっていく。

 

そして魔力感知で畑山先生のおおよその居場所に当たりをつけるとティオを抱えたまま一気に飛び上がる。

 

「……なぁティオ、お前さ───」

 

「ん?いいのかの?」

 

「てめぇ本当に良い性格してるよな……」

 

ティオは俺に抱き抱えられたまま一緒に空を昇っているのだけど、そもそもティオは人の姿をしていても背中から翼を出せるしそれでそのまま飛行もできるのだ。どうせ神山じゃ人目につかないしそうしろと言ったのだが抱き抱えて行かなきゃ後であることないこと言い触らすと脅されてしまった。背中に乗せるのも駄目だとか言い出すおかげで仕方なくこうして運んでいるのだが正直邪魔だ。いつ聖光教会の奴らが襲ってくるともしれないのだ。なるべく両手は空けておきたい。

 

「ったく。先生拾ったら任せたからな」

 

「了解しておるのじゃ」

 

「……お、ここだ」

 

俺は神山に建てられた建物からさらに100メートル程昇った塔の上の一室に先生を発見した。そしてそこに付けられた格子から中を覗けば畑山先生が三角座りで1人項垂れているのが見えた。

 

俺は義眼を通して部屋に罠の類がないかを確認していく。少なくとも俺の感知系固有魔法に引っ掛かるものは無いようだと判断し、錬成で壁に穴を開ける。

 

すると錬成の音と光に気付いた先生が顔を上げる。その顔は標高8000メートルの神山、更にそこから上空100メートルにあるこの部屋に外から人間が現れたことにより驚愕に染っていた。そしてそれが俺だと認識した途端に押し殺しきれていない嫌悪も浮かぶ。いいさ、俺はそれくらいのことをしたのだから。

 

俺はティオを空へ残して部屋に足を踏み入れる。

 

「……神代くん」

 

「リリアーナに聞いて来た。外に俺の仲間を待たせてる。天之河達と合流したら後は好きにすればいい」

 

一々細やかなコミュニケーションを交わしている暇も無いし、俺は当然として、向こうにもその気は無いだろう。俺は畑山先生を立たせるとそのまま部屋に入って来ていたティオに先生を預ける。

 

「任せたぞ」

 

「よいのかの?」

 

「あぁ。話は後でも出来る。まずは色々落ち着いてからだな」

 

竜の翼をはためかせ先生を抱えるティオと一緒に俺は空力で地上へ降りようとする。しかしその瞬間俺の首筋を殺気がヒリつかせた。

 

「っ!?」

 

俺はティオを引っ掴んで縮地でその場を離脱。

その瞬間、俺の背後を白銀の光が通過。さっきまで先生が幽閉されていた塔を音も無く消滅させた。

 

パラパラと牢獄を形作っていた石の破片が落ちていく。消し飛んだと言うよりこれは───

 

「……分解?」

 

「ご名答です。異常存在(イレギュラー)

 

鈴を転がしたような愛らしい、けれども無機質で抑揚の無い冷えた鉄のような声色に俺が振り返るとそこには───

 

 

 

──銀髪碧眼に黄金比の肉体を備えた女が浮いていた──

 

 

 

───────────────

 

 

 

遠くで爆発と何か、硝子のような物が砕け散る音がする

 

 

 

──……天人、火山で戦った白い竜の魔物が結界を破った。そこから大量の魔物が飛び込んでくる──

 

全体の連絡役として配置していたユエからの念話が届く。リリアーナの元を離れたがらなかった香織に加えて念の為シアを彼女の護衛に、ティオは先生を回収したら直ぐに離脱できるように俺に着いてきてもらっていたのだ。そしてどうやら万が一の備えとしてこの配置にしたのは大正解だったらしい。魔物の集団はユエとシアが向かえる。リリアーナの護衛なら香織がいれば充分。そして俺は目の前の銀髪の女と足でまとい無しで(タマ)の取り合いに集中できる。

 

──りょーかい。そっちは全部任せた。俺ぁしばらく足止めみたいだ──

 

──……んっ。……あの魔人族も見つけた。泣くまでボコる──

 

ユエが物騒極まりない捨て台詞を残して念話を切った。俺はと言えば前方に浮かぶ戦装束を身に纏った銀髪の女を視界に収めながらティオにここから離脱するように指示を出す。一緒に戦うにしろ畑山先生が邪魔だからな。

 

「ノイントと申します。神の使徒として主の盤上に不要な駒を排除します」

 

背中から銀翼をはためかせ、ガントレットが同じ色に光る。するといつの間にやら彼女の両手には2メートル近い大剣が握られていた。

 

「……表情筋の鍛え方が足りねぇな。てめぇらの身内は皆そうなのか?」

 

どんなに均整の取れた肉体をしていようと、顔の大きさから各パーツから黄金比と思われる程の完璧なサイズと配置をしていようとも、全ては氷より冷たそうな無表情で台無しだ。

 

「私達に感情はありません。ただ機械的に主の理想の盤上を作り出すだけ」

 

グッと、ノイントの大剣を握る手に力が込められた瞬間───

 

──ダンッ!!

 

「っ!?」

 

奴のほっそりとした右腕、その肘から下が俺の身の丈より大きい大剣と共に夜の闇に消える。そして空に瞬く星のように鮮やかに散るのは奴の鮮血───かと思ったがあの肉体は血が通っていないようだ。腕を捥ぎ肩を抉ったのだが血の一滴も滴りやしない。まぁ元から失血死による決着なんて狙っていない。失血による機能の低下が図れないのであれば四肢を捥いででも殺し切るだけだ。そしてその目的は既にある程度達せられた。

 

──不可視の銃弾(インヴィジビレ)──

 

カナの得意としていた拳銃技の1つだ。普通はHSSでなければ出来ようもない絶技だが俺には瞬光がある。これならば遠山家に伝わるHSSに匹敵するかそれ以上の思考能力反射速度肉体駆動を可能にする。だが本来なら土手っ腹にぶち込んで初手で終わらせようとしたところを二丁拳銃で1発ずつ放った不可視の銃弾は紙一重のところで躱されてしまった。一応片腕は奪えたがまさか初見でこれを躱すとはな……。超速の早撃ちというのがタネである以上、不可視の銃弾では纏雷による電磁加速が行えなかったとは言えそれでも音速は軽く超えているのだ。中々どうして侮れない相手だ……。

 

そしてどうやら反射速度だけでなく判断も早いらしい。今の俺とノイントの距離はおよそ7メートル。モロに拳銃の平均交戦距離だ。もちろん奴がそんなことを知っているわけはないがそれでも今の一撃がこの距離で俺と戦うことを避けさせたのだろう。銀に輝く翼を広げるとノイントはそこから雨あられのように銀の羽を弾丸のようにして撒き散らしながら俺と距離を置きにかかった。

 

俺も空力で空を蹴ってその銀雨から逃れる。そして左手にガトリング砲を召喚し、弾切れなんて概念が存在しないかのように撒き散らされるそれを撃ち砕いていく。面を埋めるように放たれる銀羽の弾丸のうち、俺に撃ち落とされることなく後ろに飛んでいったそれを目線で追うと、やはりと言うべきかそれが当たった物は尽く分解されているようだ。俺の電磁加速式ガトリング砲ほどの威力があればその分解の作用が効ききる前にそれを打ち払いさらに数発の銀羽を迎撃できるようだが、あれは攻撃にも防御にも応用できる力だ。それに加えて空中での機動力に初見で不可視の銃弾を躱す反応速度。確かに神の使徒として君臨するに相応しい戦闘力だな。けれど、それだけじゃあ俺には届かないぜ。

 

俺は右手にロングマガジンを挿した電磁加速式のサブマシンガンを召喚。これまで中々使う機会が無くて、本格的な戦闘ではお蔵入りしていたがちょうど良い機会だ、天日干しといこうか。

 

俺は瞬光も発動し縮地で降り注ぐ銀羽の魔弾の隙間を縫うようにノイントへ接近していく。

 

奴も近付かれまいと俺と違って曲線を描けるその機動力を存分に活かして交戦距離を一定に保とうとする。俺は奴の進行方向へガトリング砲の弾丸を撒き散らして牽制、誘導していく。そしてもう一手というところまでいくのだが───

 

「却火狼」

 

直前で奴の銀羽が俺と奴を隔てるように魔法陣を描く。そして現れたのは神山上空から世界を飲み込まんとする業火の津波。

 

属性魔法の欠点として魔法の核を破壊されればその瞬間に魔法は霧散するのだがこれだけの大きさだ。それを見つけている時間が無い。そしてタイムリミットは数瞬後に訪れた。

 

ゴウッ!と音を立てて炎が俺に迫る。それはただでさえ薄い酸素を奪い、その熱量でもって俺を死に至らしめようと牙を向く。そして瞬きする間も無く俺をその顎門で飲み込んでいく───

 

「……これも凌ぐのですか」

 

見上げた視界で奴がそう唇を動かした。ビット兵器に仕込まれたワイヤーが収納されていく。空間魔法を付与したワイヤーと鉱石をビット兵器に搭載し、それを4基で連動。ビット兵器の内側を空間ごと遮断することによってあらゆる攻撃をシャットアウトする防御兵器だ。まだ試作段階といったところだったのだが、上手く機能したようだ。もっとも、空間ごと遮断する欠点としてこちらからも攻撃が出来ない為、俺は直ぐにビット兵器を宝物庫に収納し、反撃を再開する。

 

ノイントも銀羽の弾丸を放ちながらさらに魔法陣を展開し、属性魔法と連携させて俺を襲う。俺は片腕の無いノイントなら分解の魔力を考慮に入れても近接戦闘が有利と踏んでむしろ奴の懐に飛び込もうとする。しかしその瞬間、神山を揺るがすような大きな歌声が響き渡る。そしてそれは俺の身体に看過できない変化をもたらした。

 

「なん……」

 

俺は思わずノイントとの距離を取り声のするほうを見やる。するとそこには法衣を纏った男達が大勢身体の前で祈るように手を組み何やら歌を歌っていたのだ。

 

そしてそれは俺の身体から魔力を搾り出しまとわりつく光の粒子のようなものが動きを阻害する。面倒な魔法だ……。

 

「イシュタルですか……。あれは自分の役割というものを理解している。良い駒です」

 

イシュタル……聖光教会のボスか。確かにあのオッサンもいるな。本当の神の使徒であるノイントの戦闘に貢献できることが何よりも嬉しいらしい。随分と恍惚の貌をしているよ。今にも涙が溢れそうだぜ。確かにあれは神の思惑通りに動く、便利で都合の良い駒だろうよ。

 

しかしいくらノイントの片腕が無かろうとイシュタル達の魔法の効果は絶大。俺は抜けていく魔力と堪えきれない虚脱感を膨大な魔力量で無理矢理補ってはノイントの銀羽と致死の魔法の連撃を躱していく。今の状態じゃ瞬光を使っても、詰めきれなければ逆に俺が詰む。しかしそうして思案している間に奴の魔法が俺を捉える。

 

ノイントの放つ、不規則な軌道を描く雷撃を放つ魔法の核を近接戦闘に備えて右手に構えた拳銃で撃ち抜いていたのだが、遂にそれが間に合わなくなったのだ。左手はガトリング砲で銀羽を吹き飛ばすので手一杯。右手の拳銃だけでは今のコンディションでは手数が足りない。寸でのところで直撃こそ躱したものの俺の身体を掠めたそれが全身の動きを一瞬止める。そしてその隙はノイントを前にしては致命的だった。

 

「ッ!?」

 

ノイントは残された左腕を振り上げ、直後には銀に輝く大剣を唐竹割りに振り下ろす。俺はそれを拳銃に付与し風爪で逸らし自分も硬直から抜け出した瞬間に縮地で飛び退る。それでも左肩を切り裂かれる。

 

「グッ……」

 

足元で魔力を爆発させて距離を取りつつ俺はディアウス・ピターの赤雷を放つがそれはノイントの銀翼に掻き消される。だが俺は翼が一旦左右に開ききった瞬間に纏雷で最大まで加速した弾丸を放つ。

 

しかしそれすらもノイントは首を振ることで直撃を躱す。さらに身体を流すことで超音速の弾丸が突き抜けた空気の発生させるソニックブームの刃を頬を浅く切る程度で受けきった。

 

「イレギュラー、お前の戦い方は学びました。確かにアーテイファクトの威力も絶大。ですがお前の戦い方は全て基礎を積み重ねただけのもの。端的に言えば驚きがない」

 

銀羽と最上級クラスの魔法の連撃を辛うじて躱しながらノイントの言葉を聞く。確かに奴の言う通りだ。俺の技術は全て基礎を極めただけのもの。単純な戦闘力だけならともかく、戦闘時の瞬間的なアイディアという面では俺はキンジやアリアには遠く及ばない。確かに力任せにアイツらの絶技を真似することは出来る。だけど俺はそれを発明できないのだ。見たものを真似する、それだけ。だから俺の戦い方には目新しさが無い。不可視の銃弾だって元は俺の技術ではなくカナのものだ。

 

「そのアーテイファクトの特性も既に掴みました。礫を最速で真っ直ぐ飛ばすだけ。イレギュラー、お前の持つアーテイファクトの攻撃は全てそれだけ」

 

どうやら俺の銃火器の特性も見抜かれてしまったらしい。ま、こんだけ撃ってりゃ嫌でも分かろうものだけど。

 

「先制攻撃もただの早撃ちでしかない」

 

魔法を避けきれずにバランスを崩した俺に大剣が横薙ぎに振るわれる。それは俺の胸を真一文字に切り裂く。その傷に俺は思わず奈落の底で戦ったあのクマを思い出す。

 

さらに至近距離から放たれる銀羽を金剛と風爪を使って捌いていく。しかしノイントはその近距離で銀翼をカッと輝かせる。その閃光に俺の視界は白く塗り潰される。

 

それでも俺の感知系技能は十全に働き、奴の気配が背後にあると警告してくる。俺は後ろなんて確認せず振り向きざまに右手に構えた拳銃をマガジンの残弾が許す限り連射する。

 

何かを吐き出すかのような発砲音が炸裂する。しかし俺の放ったフルメタル・ジャケットの弾丸が穿いたのは銀羽で出来た木偶の坊。つまりこれは奴の置いたトラップ───ッ!?

 

俺の本能がけたたましく警鐘を鳴らす。ノイントは後ろだ。奴は動いてなどいなかったのだと。

だが反転は間に合わない。ならば振り返らずに刃を振るうしかない───!!

 

俺は少しでも傷を浅くしようと固有魔法である金剛とその派生技能である集中強化を背面に施しながら縮地で足元へ魔力を集め、爆発させる。そしてそれと同時にディアウス・ピターの刃翼を生やしながら振るっていく。だが刃翼の一撃はノイントの左手で構えた大剣の分解の力で寸断、その勢いのまま俺の背中に刃が振るわれる。

 

「がっ───」

 

俺は切り裂かれる威力も利用してその場を離脱。骨まで絶たれることは免れた。そしてようやく色彩を取り戻す視界にあったのは銀に輝く女が1人。そしてその背後斜め下で殺意の籠った眼でノイントを睨む漆黒の竜───!!

 

「グルワァァァァ!!」

 

咆哮と共に放たれたのはノイントの分解の魔力にも勝るとも劣らない破壊力を持った闇色のブレス。それは殺気に瞬時に反応したノイントの片翼を捥ぎ、その熱量でもって奴の体勢を崩した。

 

 

──ティオ!あっちのオッサン共を頼む!!──

 

──承知しておるのじゃ!!──

 

聖光教会の奴らのクソやかましい合唱をどうにかしてくれと念話でティオに伝える。ティオもそれに応えて、ノイントの脇を抜けて一気に上空まで飛翔。その背中に小さい人影が乗っていた気がしたがそれが誰かを俺が判別することは出来なかった。

 

そして今俺にはそれよりもやらなくてはならないことがある。せっかくティオが奴の猛攻に穴を開けてくれたのだ。それに応えてやらねばなるまい。

 

──限界突破──

 

このコンディション、今の魔力残量で使うには効果切れのタイムリミットが気になるがここで決めきれなければどっちにしろジリ貧だ。

 

理由は簡単、戦闘が開始してからしばらく経つが奴の魔力が減っている様子がないのだ。それもただ莫大な魔力を有しているというのではない。俺の義眼にははっきりと写っている。奴の、人間であれば心臓がある位置に内蔵された輝く何か。それはどこからか魔力の供給を受けているようでそれが奴の超高威力の魔法と銀羽を惜しみなく使い続ける秘密なのだろうと察することができる。

 

かたや俺は魔力のリソースに制限がある。そうである以上は奴の戦闘のペースに付き合ってはならないのだ。むしろ瞬間の火力で上回り手早い決着をこそ臨まなくてはならない。

 

それ故の限界突破。俺は紅の奔流となって立ち上る魔力光すら自身の身体能力に変換していく。この戦いに余剰魔力なんて有り得ない。血の一滴、魔力の一滴たりとも無駄にはできないのだ。

 

そして重ねて瞬光も発動する。瞬間、世界が色褪せ動くもの全てのスピードがスローに感じる。左手に召喚したのは電磁加速式のマシンガン。それが放つ超高速の魔弾がノイントに襲いかかる。それをノイントは紙一重で躱しながらお返しにとばかりに銀羽や魔法を次々と放っていく。俺は宝物庫を利用して右手に持った拳銃のマガジンを空中で差し替える。そして俺に牙を向く魔法の、その核を撃ち抜くことでそれを霧散させていく。さらにビット兵器も召喚して四方を取り囲むようにして逃げ場を消していく。不思議な感覚だった。限界突破に加え、瞬光により俺の知覚能力はかつてないほどに引き上げられている。だがそれはこれ程までだっただろうか。今ではノイントの僅かな身体の震えや予備動作から次の動きまで手に取るように分かる。そうだ、もっと、もっと寄越せ、限界を超えた力を!!

 

 

俺はノイントを正面に捉えて向かい合うと宝物庫を使って武装を入れ替える。右手にトンファー、左手に拳銃を構えて縮地で足元へ集めた魔力を爆発、奴の左手に握られ、カウンター気味に振り抜かれる大剣に、金剛を付与したトンファーを叩きつける。そこから魔力で編み出された衝撃波が発生。その威力に奴の身体が外へ開き、俺はノイントの鳩尾に銃口を差し向ける。だが俺が引き金を引くと同時に奴は弾かれた勢いに任せてさらに大きく身体を振り回し放たれた弾丸を躱す。そしてその勢いのまま分解の魔力を込めた銀翼で俺の胴体を両断にかかる。俺は拳銃で首と頭を守りながら右手側手前に飛び込むようにしてそれを躱す。拳銃の側面が少し削られるがこの程度なら機能に支障は無い。俺は振り向きざまに右手の武器をトンファーからロケットランチャーへと取り換える。そしてその引き金を引く。飛び出した12発のロケット弾に対してノイントは下がりながらも銀羽を飛ばして撃ち落としていく。だが轟音と共に爆発するそれは俺の狙い通り───

 

 

───ドオォォォォォンン!!

 

 

イシュタル達の方へ向かったティオへの意識を逸らすことに成功した。

 

爆発はノイントの背後から。

 

奴は殺気にも敏感に反応するがそれも自分に向けられたものまで。流石に別の誰かに向けられたそれにまでは反応できない。そして直撃すれば無視出来ない損害を被ることになる俺の火器に対して放置は出来ない。そうなれば完全にマークの外れたティオから全力で放たれる漆黒のブレスがイシュタル達を結界ごと死に至らしめる。

 

それに、たとえ全滅していなくとももうティオがあの合唱の魔法を使っている余裕は与える訳がない。

 

俺はと言えばティオの砲撃で崩れ去った合唱魔法から解放された瞬間に右手に電磁加速式対物ライフルを召喚。ノイントへ向けてその火力を叩きつける。その貫通力にノイントは分解より前に貫かれると判断したのか翼による防御ではなく回避を選択。斜め下から銀羽の弾丸を放とうとするがその周囲には追加で召喚されたビット兵器が2機。衝撃変換を付与された炸裂弾の十字砲火をノイントに叩きつける。銀翼で直撃こそ防ぎ全身をバラバラに砕かれることは回避したがノイントの体勢が決定的に崩れる。さらに限界突破による爆発的な魔力の向上と瞬光状態による引き伸ばされた知覚により俺は縮地によって刹那の間にノイントへ肉薄する。

 

「───っ!?」

 

瞬きするよりも素早く武装を切り替えた俺は右手のトンファーを裏拳気味に振り上げ奴の顎を強かに打ち付ける。衝撃変換の付与されたそれがその身に備えた機能を十全に発揮した結果、ノイントの完璧に整えられた顔面の下半分が吹き飛ぶ。それでもノイントは死なない。逆手に持ち替えた大剣を俺の胴体へ向けて横薙ぎに振るう。だが瞬光で引き伸ばされた俺の知覚はそれをスローモーションに捉える。いや、それどころか止まっているようにすら思えるそれに俺は左手で空力を発動。バク宙の体勢を左手だけで支え、金剛の集中強化で固めた両膝でノイントの振るう大剣の腹を強く打つ。それだけではない。極限まで引き伸ばされた俺の知覚と集中力はその瞬間に膨大な魔力量を爆発的な衝撃波に変換。ノイントの大剣を爆裂させる。刹那、時間が停止したかのようにすら思える程引き伸ばされた知覚は、飛び散る刃の破片1枚1枚すら鮮明に俺の視界に映した。さらに身体を捻りながら俺を空に支えている左手で縮地を発動。跳ね上がる腕に握られているのは電磁加速式の拳銃。その銃口からマズルフラッシュを瞬かせ飛び出した弾丸は、引き絞られた視界の中で確かに、ノイントの胸の中央を貫いていた。

 

 

 



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手に入れた力、取り戻した力

 

 

──……また派手にやったな──

 

──うむ……いや、まずは来てくれないかの──

 

──あぁ──

 

完全に崩壊した神山の聖光教会本部。いくらティオのブレスや魔法が強烈とはいえこれは中々派手にぶっ壊したものだ。そう言えばさっきティオが空を抜けていく時に背中に誰かが乗っていた気がする。まぁあのタイミングでティオの傍にいた人間なんて1人しかいないのだから十中八九あの人なのだろうが。

 

予想通り、俺が崩壊した教会総本山へ踏み入るとそこにいたのはティオともう1人、畑山先生だった。

 

「……逃げなかったんですか?」

 

俺が問うと畑山先生は気丈に俺を睨み、言葉を返してきた。

 

「逃げたくありませんでしから。私達は私達の未熟のせいで神代くんの手を汚させてしまいました。今回だってティオさんが……。ですからせめて、目を逸らすことだけはしたくなかった。貴方達には出来るだけ負い目を作りたくないから」

 

「……俺らはアンタ達の為に誰かを殺したこたぁないよ」

 

これは紛れもない事実。俺はこの人達のために行動したことなんて1度もない。全部俺と俺の仲間のため。香織だって今は俺の仲間なのだから。

 

「清水くんを殺す必要はなかったでしょう?あの状況ならいくらでも言い訳は立ちましたから。でもそれでは私のせいで生徒が1人殺されかけたことになる。それなら神代くんが最期を担うことでその事実から目を逸らさせた」

 

「……買い被りすぎだ」

 

ただ、どうせ死ぬのならなるべく苦しまずに死なせてやろうとは思っただけだ。あの時の俺は畑山先生のことなんて考えてない。精々、ちゃんとこの人が俺を恨めるようにしたくらいだ。

 

「私はそうは思いません」

 

「だからって先生が手を出すことはなかったでしょう」

 

この破壊痕、明らかにティオだけのものではない。いくらティオが容赦しなかろうとブレスで結界を突破して聖光教会の奴らを皆殺しにするだけでここまで建屋が崩壊するとは思えない。爆撃機からミサイルでも落とされたのかと思う程の大破壊をティオの持つ魔法だけでそう簡単に起こせるとは思えないし。となれば当然この人が手伝ったことは明白。攻撃的な魔法を持たないこの人がどうやって手伝ったのかは疑問だが、それを聞く気は更々無かった。

 

「───っ」

 

それに先程から畑山先生の手が震えている。目を逸らすことだけは、なんて言っておいて、実際のところは彼女もこの大破壊に加担していたのだろうからな。それを誤魔化そうとしたのは俺達とは違うと言いたいのかただ自分のやったことが恐ろしくなったのか。

 

「別に、先生がどうティオを手伝ったのかなんてどうでもいいんですよ。もっと言えば何で手伝う気になったのかもね。だから吐きたいなら見ないでやるんでさっさと向こうで吐いてきてください」

 

俺は顎で瓦礫の奥をしゃくる。顔と唇を真っ青にして歯で噛み締めて堪えてはいるが自分が明らかに人を殺してしまったことに小さくない衝撃を受けているのだろう。どうせ降りる時はティオに運んでもらうのだ。そこでゲロぶちまけられてティオの着物が汚れるのは勘弁願いたい。

 

俺のその言葉を気遣いと受け取ったのか嫌味と受け取ったのかは知らないが畑山先生は俺を一睨みしてから散らばっている瓦礫の向こうへと消える。僅かに俺の耳に届く嘔吐きが彼女の心の悲鳴のように感じられた。

 

「あの人は───」

 

「何も言わなくていい。俺ぁそれだけのことをしてきた。誰かを殺すってことはあぁいうのも受け入れなきゃいけないんだ、本当はな……。どうにもこの世界は命が軽すぎる。俺もよく流されるけどな。本当はあれが正解なんだろうよ」

 

俺達の間に沈黙が降りる。ふぅと俺が一息付くと、そこで畑山先生が戻ってきた。俺は宝物庫から水の入った水筒とタオルを投げて寄越す。

畑山先生はそれを受け取り中の水で口を濯いだ。

 

「……主よ」

 

するとティオが何かを見つけたようだった。

 

「ん?」

 

「人……といって良いのかの。あっちじゃ」

 

ティオが指さす方を見れば確かにそこには人らしき何かがいた。いや、正確には人間ではないだろう。何せ奴の姿は半透明な挙句にユラユラと揺らめいているのだ。香織がいたらまた騒がしくなるなと思うが、その間にその半透明の禿頭にイシュタルのような法衣を着た幽霊は俺と目が合うとツイと顎で奥を指した。そしてそのまま本人も奥へと移動していく。途中で俺達を振り返りながら。

 

「……着いてこい、ということかの」

 

「だろうな……。どうせここには神代魔法を取りに来たんだ。先に貰っておこうか」

 

背中から翼を生やしたティオが畑山先生を抱き抱え、俺は空力で瓦礫の向こうの山へ飛び移る。そして揺らめく禿頭に先導されるように奥へ奥へと歩みを進めていくのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

神山に隠されていた神代魔法は魂魄魔法と呼ばれるものだった。ラウス・バーンという解放者の残したそれは恐らくミレディ・ライセンがその魂をゴーレムに移したタネなのだろう。やはり俺には適性が欠片も無かったがいつの間にやらここの大迷宮の攻略が認められた畑山先生とティオには適性があったらしい。特にティオは魂魄魔法に対してかなり強い適性を示していた。

 

挑戦の条件は大迷宮2つを攻略していること。もしくは神を信仰しておらずまた神の被造物を倒していることだったようだが、異世界人である俺や畑山先生、実質世捨て人みたいなティオにとっては特に難しい条件でもなかった。本来はそれを試すあれやこれやがあるようだったがあの禿頭ことラウス・バーンの映像が現れた時点で攻略はほぼ確約されていたらしい。

 

そして俺とティオが畑山先生を天之河達の元へ送り返そうとまずは中央の広場へ辿り着いた時、そこに広がっていた光景は───

 

 

「……どういう、ことだよ……」

 

 

───香織が胸から刃を生やして息絶えている姿だった───

 

 

 

───────────────

 

 

 

「雫ちゃん!!」

 

白崎香織がその場に到着した時、自分の大親友である八重樫雫の首に白刃が迫っていた。それを結界の魔法で防ぎ、結界に流している魔力そのものを暴発させ、それにより爆ぜた結界の破片で白刃の主を弾き飛ばす。そして周りを見渡せば何故かクラスメイトのほとんどがハイリヒを守るべき騎士達に刃を突き立てられ、拘束されていた。

 

治癒師たる彼女は即座に回復魔法を発動。それも、死ぬより辛いあの痛みを経て手に入れた魔力の直接操作による無詠唱での魔法──聖典──の発動。それは光属性の最上級回復魔法であり、香織の首に掛けられているネックレスに刻まれた魔法陣に魔力を注ぐことで発動できるものだった。

 

そして、その回復魔法の癒しの光に導かれるように1人の男が現れた。檜山大介だ。

 

彼は香織に斬り掛かろうとしていた騎士の1人を後ろから斬り伏せる。そして、その身を返り血と、そして恐らく自分の身体から流したのだと香織達が推測した血に汚しながらも、息も絶え絶えといった風で彼女と、そして今も身綺麗なまま立っている中村恵里に状況の説明を求めているリリアーナへと近寄る。

 

「檜山くん!?」

 

「白崎、大丈夫か!?」

 

と、自分の怪我よりもまずは香織第一、といったような雰囲気で檜山が香織に近寄る。その様子に、全てを察した雫が声を上げようとするが、それよりも早く彼女を拘束していたニアというメイドが彼女の顔面を地面へと押し付ける。

 

そして、やはり白崎香織という人間は戦いの中に生きる人間ではなかったのだ。そして、リリアーナもそれは同じこと。リリアーナの戦う舞台はあくまでも陰謀渦巻く政治の世界。そのような世界での駆け引きはともかく、このような血で血を洗う惨状を経験したことはなかった。故に、気付くことができなかったのだろう。偽られた善意に、隠された殺意に。

 

この場にいたのがユエであれば、そもそもが人間不信の彼女であれば疑えたかもしれない。シアであれば、その冴え渡る直感が告げたかもしれない。ティオであれば、その聡明さが違和感に気付けたかもしれない。白崎香織の戦いの師匠であり兄代わりとなった神代天人であれば、戦いの中ででしか生きられなかった彼であれば、その経験則が警鐘を鳴らしたかもしれない。かもしれない、かもしれない。全てはたらればであり可能性の話。そして今、その可能性は尽く存在していなかった。この場にいたのはリリアーナと白崎香織だけ。全てを知った雫は声を封じられている。

 

故に───

 

「ごっ……あぁ……」

 

香織の背中に凶刃が突き刺さり、その血濡れた刃が彼女の胸の真ん中やや左から突き出ることになった。文字通りの致命傷。それも刃を横向きに差し込むことで見事に骨と骨の間をすり抜けて心臓を穿ち死に至る風穴を空けた。それは恐らく誰かの入れ知恵だったのだろう。いくら魔物との戦いに慣れている勇者組であろうと人を刺すことに関しては素人なのだ。確実に人間の心臓を貫き一刺しで殺すための手法を、彼は本来知る由もないはずだった。

 

だが結果として、檜山大介の突き入れた白刃は彼女の心臓を突き破り白崎香織を死へと至らしめる。そして、殺意に濡れた刃に破られる直前に鼓動した心臓が送り出した血液が、身体を巡る最期の1周の間に彼女の脳が見せたのは───

 

──ユエ、あの子は自分には最愛の人がすぐ側に居るからって、好きな人がすぐ側にいない私のことをそれをネタにしていつもからかってきていた。それでも彼女と話すたわいない雑談は楽しかったしユエのイタズラも、からかいも、本当はそんなに嫌とは思えなかったんだよね。それにやり返すのも、何だかんだで楽しかったなぁ──

 

──シア、自分の好きな男の子が目の前で他の女の子とイチャイチャしていて、それでもめげず諦めず、元気一杯天真爛漫って感じで、見ていて飽きなかったなぁ。私も、元の世界へ帰れたらあれくらいハジメくんにアピールしなきゃね──

 

──ティオ、最初会った時は"なんて残念な人なんだろう"って思ったけど、それで、やっぱり残念なところは残念なんだけど、とても優しくて周りが見れてて頭が良くて……憧れる部分も多かったなぁ。いつか私も、残念部分以外はあんな風になりたいなぁ──

 

──ミュウちゃん、あの歳であれだけ辛い経験をしてきたのに、いつも楽しそうで、明るくて可愛くて、もし私に妹がいたとしたら、あんな子がいいなぁ──

 

──天人くん、私と同じく好きな子を元の世界に残してこっちに来た男の子。誰よりも強くて、けれど弱い人。あの夜の約束を君は守ってくれたね。生きるって、絶対に死なないって。そして、私を強くしてくれた。守るための力を与えてくれた。スパルタだし彼女いるって言ってたのにこっちでユエと付き合っちゃうくらいには意志が弱いけど、私は君の強さに憧れたし、その優しさに勇気を貰えたんだよ?──

 

──雫ちゃん。私、絶対に諦めないよ。絶対に私は皆を守って、生きてあの世界へ帰るんだ。だから大丈夫。それに、私の新しい仲間は皆凄い人達だからね──

 

──ハジメくん、私、あなたが好きです。優しくて、腕力も喧嘩も弱いのに戦うべき時とやり方をちゃんと分かっている人。こんな暴力だらけの世界で生きた私を好きになってくれるかは分からないけど……絶対に好きにしてみせるからね、だから待ってて、ハジメくん──

 

それは記憶と決意。走馬灯ではない。諦めたのではなく、信じているのだ。自らの師でありこの世界での兄であるあの男を。神代天人という人間は絶対に諦めない。地獄の底から這い上がってきた彼ならば、この状況を変えてくれる。なればこそ、自分がやるべきはこの場の人間を1人でも多く癒すこと。彼は言っていた。抗うということはただ我武者羅に拳を振るうのではないと。逃げることすらも、時には抗うことになるのだと。

 

それだけではない。これはそんな可能性の低い賭けではない。彼は予想していた。このハイリヒ王国の神山に眠る神代魔法を。既に4つの神代魔法を手に入れていた天人は、それに加えて魔物を作り出すか改造する神代魔法、人の魂を別の物へ移せる魔法があると言っていた。もう1つの神代魔法は分からないが、魔物に関する神代魔法は魔人族が使っていたから高い確率で魔人族の領地のすぐ隣にある雪原に眠っている可能性が高い。とすると神山にはまだ見ぬ新たな神代魔法か、もしくは魂に関する魔法だと。つまり、2分の1に近い確率でここには魂に関する神代魔法が眠っているのだ。ならば仮にこの肉体が死に絶えてもその魂を移すことで"白崎香織の死"は避けられるのではないかと、香織は踏んでいたのだ。

 

だからこそ香織は選ぶ、己がこの場で使う最後の魔法を。治癒師としての誇りにかけて───

 

香織はきっと頭ではなく直感で分かっていた。突き立てられた刃が自分の命を奪うこと、そしてこの場で魔力の衝撃変換を使って檜山大介を吹き飛ばしてもそれで終わり、いくら魔物を喰らい強靭な肉体を得ても、心臓を突き破られた自分ではもう1度"聖典"を使う力は残されていない。当然、ただの最上級魔法とは一線を画す消耗を要する再生魔法もだ。

 

だから香織は最後に呟く、魔力を動かす。その矛先は自分の首に掛けられたアーティファクトでありそこに刻まれた魔法陣が示すのは───

 

「……聖……典───」

 

その言葉と共に癒しの波動がその場を駆け抜ける。放たれた治癒の魔力は組み伏せられた生徒達の肉体の細胞分裂を促し、突き立てられた刃すら押し退けて傷を癒そうとする。それは術者本人も例外ではない。もし例外があるとすればそれは物言わぬ死体の肉体であり、そして白崎香織の肉体は今、その命の灯火を完全に消していた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

まだ瞬光は使っていないはずだった。

だがそれでも俺の身体は一瞬で香織を背後から抱いている気持ちの悪い存在の腕を切り飛ばしその腹に衝撃変換を叩きつけていた。

 

声すら上げる暇もなく壁に叩きつけられるそれは人の形をしていた。確かあれは檜山とかいう名前の存在だったはずだ。

 

「ティオ!!」

 

「分かっておるのじゃ!!」

 

「し、白崎さん!!」

 

俺達の備えている神代魔法は今や死をすら超越する。魂魄魔法は、肉体的に死を迎えた人間の魂が身体から抜けて取り返しようのない死を迎える前に、それを捕らえておくことで短い時間であればそれに抗うことが出来るのだ。

 

俺の声にティオが駆け寄り畑山先生も事態の深刻さを察して香織に駆け寄る。俺は周りを見渡して、倒れ伏す天之河とこの国を守っているはずの騎士に拘束されて押さえつけられている他の生徒たちを見やる。そして何故か王国の騎士達に拘束されていない生徒が2人。中村とかいう眼鏡を掛けた女子生徒と近藤という名前の男子生徒だった。だが近藤の方は何やら様子がおかしい。どこか目が朧気で足元もふらついている。しかし、反対に中村は俺の存在に驚いてはいるものの意識も足もはっきりしているようだ。

 

それだけで俺はだいたいの事情は察することができた。中村もまた魔人族側に着いたのだろう。条件や動機までは知らないし興味も無いが、リリアーナが言っていたやけに無気力な騎士達、そして今目の前にいる、話に聞いたような状態の近藤。

 

中村が彼らを操り勇者共を不意打ちにしたのだろう。そして香織もまたその不意打ちを受けて凶刃に倒れた。天之河だけ拘束されていないのは彼だけは何らかの方法で拘束を逃れたのだろうが、それでも今は戦闘不能。なら俺のやることは1つしかない。

 

「あはは。無駄だよ?もう死んじゃってるしぃ。まさか君達がここに来るなんて……いや、香織が来た時点で予測しておくべきだったかな。……うん、檜山はもう駄目みたいだし香織は君にあげ───」

 

「───るっせぇな」

 

「……何?」

 

だがもう俺には会話なぞする気は無い。そんなものは邪魔な兵隊を潰して中村からじっくり聞き出せば良い。香織はティオを信じる。それだけ。

 

だから俺の背後に回った近藤が俺の心臓に槍を突き出してきてもただ纏雷をぶつける。それだけ。念の為胴体と両手脚を斬り裂いて完全に機能を停止させておく。そしてそのまま中村方へ振り返り───

 

「───殺れ」

 

中村の声と共に四方八方から俺を殺さんと殺到する傀儡達へ向けるのは銃口だけ。俺は宝物庫からガトリング砲を取り出しそれを両腰に構えて引き金を弾く。

 

「皆!伏せなさい!!」

 

八重樫の声がイヤに遠く響く。

 

吐き出される死を齎す破壊の権化が、俺の首を、心臓を、腹を、脚を貫き引き裂かんと得物を構える人形共の五臓六腑を、脳漿を、手足を、血と肉と共に辺り一面にぶちまける。人の形を失っていく人形の中には見知った顔もあったような気がしたが俺の意識にそれが強く残ることはなかった。

 

そして唯一俺の敵として生き残っていた中村の元へ歩み寄る。右手に構えるのは普段の物より一回り小さい電磁加速式では無い方の拳銃。それを中村へ突き付けながら目前へと迫る。だが───

 

「がぁぁぁみぃぃぃぃしろぉぉぉぉぉ!!」

 

何やら音が聞こえる。それは突き刺すような殺意を持って俺に向けられた怨嗟の声のようだ。そして放たれたのは炎の塊。だがそんなものが俺に届くわけがない。即座に左手に構えた電磁加速式拳銃でその魔法の核を撃ち抜き霧散させる。そしてそのまま引き金を弾き続け音の発生源を完全に破壊する。さて、と雑務を終えて中村から今度の魔人族のお話を聞いてやろうと振り返ればその瞬間に俺の真上が光り輝いた。

 

反射的にその場から飛び退ると直前まで俺のいた座標に純白の光が降り注いだ。それが示す事実はただ1つ。

 

「そこまでだ少年。大切な同胞達と王都の民達をこれ以上失いたくないなら大人しくすることだ」

 

火山で俺達と合間見えた魔人族のフリード・バグアーの登場だ。相も変わらず白竜に騎乗し、周りには灰色の竜をワラワラと連れている。

 

だがこいつと一々会話してやる暇もない。俺は宝物庫から拳大の感応石を取り出すとそこに魔力を注ぐ。もちろんバグアーだってただ見ているわけじゃないが俺の拳銃での牽制によって白竜からの一撃を繰り出せないでいた。そしてその時は直ぐに訪れる───

 

 

───キュワァァァァァ!!

 

 

独特な音を響かせ地上に舞い降りたのは同じく白い光の柱。しかしそれは俺達ではなく王都外縁に構えていた魔物や魔人族の尽くを焼き滅ぼさんと殺到した。それを目の当たりにして一目散に王都内へ逃げ込めた奴らは助かったみたいだが、そうでない者はその命と肉体を文字通り塵も残さずに焼失させていった。

 

俺が操ったのはこの星の衛星軌道上に打ち上げた衛星兵器。重力魔法と空間魔法を応用して太陽光が持つ熱量を圧縮。空から照射して敵を滅ぼす殲滅兵器だ。それだけではない。オスカーの隠れ家にあったあの擬似太陽を模して作られたエネルギー源を使ってのチャージも可能なのだ。というかそうでなければ意味が無い。そしてその暴威が粗方の魔物と魔人族を消し飛ばすと同時に消える。奴らに教える義理はないが単に耐久の限界値を越えて壊れたのだ。

 

リムルのメギドなる技を模倣して作ったアーティファクトであり、まだ試作段階で威力は上々だが課題も多いな。だがそれを知らない奴らからしたらこれ以上はない絶望だったのだろう。バグアーも歯を食いしばっている。

 

「……悪いがお前らみたいな三下に構っている暇はない。さっさと失せろ」

 

「……ぐっ……この借りは必ず返す……覚えていろ……っ!」

 

この際中村もどうだって良い。コイツを逃がすのは業腹だが香織の命には変えられないからな。

 

バグアーはいくら自分らが頭数を揃えてもアレには勝てないと察したのだろう。捨て台詞を残しながらバグアーが3色の煙を打ち上げると魔人族や魔物達が続々と王国から去っていく。そして中村もだ。何やら天之河に未練でもあるかのような視線を送りつつ竜に乗り込み、飛び退っていった。そしてそれらと入れ違うように空からユエとシアが降ってきた。

 

「……んっ、天人、あのブ男は?」

 

「あの野郎はどこですか?次こそぶっ潰してやります!」

 

降ってきた2人の第1声、ユエはもう驚く程罵倒100%だしシアはシアで物騒極まりない。怖いよ怖い。しかし、どうやらこの2人をして取り逃したらしいな。まぁ奴には空間魔法があるし、不可能ではないか。だが今は奴を追いかけている暇はない。それを説明しようとした瞬間───

 

「主よ、どうにか固定は出来たのじゃ!じゃがそれも半端な状態では長くは持たんぞ!ユエ!シア!手伝ってくれたもう!」

 

ユエとシアは倒れた香織に何かしているティオを見て香織に何かあったと素早く察してくれた。

 

「俺も後で行く。ユエ達は神山で大迷宮を攻略してその神代魔法でティオと協力して香織を助けてくれ」

 

「んっ!」

 

「はいですぅ!」

 

ティオも香織を抱えて3人は即座に神山に向かって飛び出していく。俺は直ぐに振り返り、八重樫に神水を手渡す。

 

「天之河に使ってやれ。あんまり良かぁなさそうだからな。……それと、飲ませてからでいい。……何があった?」

 

「それより!香織は!?香織は大丈夫なの!?」

 

幼馴染みが重傷なんだからそれよりってことはないだろうと思うが言わぬが花かな。

 

「あぁ。香織は絶対に俺達がどうにかする。信じてくれ」

 

俺の言葉に八重樫は小さく頷く。もう後は自分に出来ることなど無いことは悟っているのだろう。天之河に神水を飲ませると今度は俺の質問に答え始めた。

 

八重樫から聞かされたのはやはり俺の予測通りだったようだ。裏切っていた中村か騎士を操り、皆を捕らえた。そして手を組んでいた檜山は香織を手に入れる為に彼女を手に掛けた。

 

そして操られておらずに唯一拘束されていなかった天之河は、自力で抜け出したらしい。元々アイツも不意打ちで捕まるも、そこへ香織がやってきて発動させた回復魔法の効果で力を取り戻した天之河だけは、勇者としての力を存分に発揮して無理くり拘束から脱出。香織の仇を討つべく、自分に襲いかかる操られた騎士達を切り伏せていった。だが操られたメルド団長の発した言葉──それも中村が操っていただけなのだが──に動揺。その隙を突かれて遂に倒されてしまったようだ。そして俺が現れたのが丁度その直後だったらしい。他の生徒達は、香織が2度放った回復魔法の力と、俺を殺すために騎士達が拘束を止めたことで皆無事なようだった。

 

「そうか。ありがとな。俺も行く。あとは任せた」

 

「うん、香織を香織をお願いね!」

 

「言われなくとも」

 

兄は妹を守るもんだ。もう2度と俺の前で死なせるものか。絶対に、何をしてでも俺は香織の命を繋ぐ。その決意を胸に俺も神山にある大迷宮へと飛び出して行った。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ほれ、この身体ならちょうど良いだろ。……って、なんだお前らその顔は」

 

宝探しから帰還したら女性陣全員から非常に冷たい目で睨まれた。どうして……?

 

俺が宝物庫から取り出したのは先程破壊したノイントの残骸だ。作り物のように整った顔面は下半分が無くなってるし右腕も肘から下が付いていないけど。あと左肩も抉れてる。勿論身体のど真ん中にも俺が撃ち抜いたために出来た穴が空いてしまっているけれど、欠損は全部再生魔法でどうにかなるのだ。問題あるまい。

 

なぜこうなったのか、それは取り急ぎユエとシアに大迷宮を攻略させて魂魄魔法を入手。何故か死体、というか魂だけの香織も攻略を認められたと聞いた時には色々放り投げたくなったけど……。

 

そして何はともあれ香織の身体を再生魔法で戻していざ魂魄魔法で死者蘇生!というところでまさかの香織本人から待ったがかけられた。

 

曰く、今回不意打ちとはいえ殺られてしまったこと、メルジーネの大迷宮でもあんまり役に立てなかったことからもっともっと強くなりたいらしい。そしてそのために俺に超強いゴーレムを作って魂はそっちに入れてくれと、魂魄魔法で魂だけになっても会話ができた香織さん(幽霊)からお願いされたのだ。で、それを聞いて強い肉体が欲しいならと俺が高所落下の衝撃でボロボロにひしゃげた上に俺が顔面の下半分を吹き飛ばした絶世の美女の身体を持ってきたのだ。そしたらあの顔。皆ドン引きだよ。顔の良い奴の顔と肉体は粉砕してはいけなかったらしい。

 

「……こんなでも俺と殺り合えるくらいには肉体強度は折り紙付きだ。魔力の直接操作もできるから俺が1から作るよりよっぽど良い。それにほら、ゴーレムよりも見栄えも良いだろ?」

 

「……見た目だけならどうにでもなるのでは?」

 

「ユエ、そうなったら俺は確実に顔面を自分好みの顔にする。それは人として色々駄目だろう」

 

だが多分リサじゃない。リサはリサでなければならないので香織の魂の入ったリサとか俺が認められない。けど当然この中の誰かの顔でもない。

 

「……むぅ、私じゃないの?」

 

「それなら私でもよいですよね!?ねっ?」

 

「いやいや、そこは妾にすべきじゃろう。ほら元々の香織と同じ黒髪じゃし?香織も違和感は少ない方が良かろう?」

 

「いくらなんでも同じ顔2人はないだろ……」

 

「私も出来ればそれは止めてほしいかな……」

 

ということで効率的にも性能的にもノイントが相応しいということで香織の魂はノイントの身体に移すことになった。ユエが再生魔法を使って、俺に破壊され尽くしたノイントの身体を元に戻し、空っぽのそれにティオと協力して香織の魂を定着させていく。それにはどうやら時間がかかるようで、俺は消耗した武器弾薬の整備と補充。それからぶっ壊れていてここに来るまでに回収しておいた衛星兵器の改良に専念することにした。

 

───そして5日の時が過ぎた。

 

「……ん」

 

「ふぅ……」

 

「おぉ!!」

 

ユエとティオの溜息。そしてあの鈴を転がしたような声。どうやら成功したようだな、香織のノイント憑依実験。

 

「お疲れ様。ありがとな。香織も身体に違和感は……あるだろうが不調はあるか?」

 

「……んっ」

 

「妾も褒美を所望するのじゃ」

 

「ううん、それは大丈夫。いきなりこの身体の機能を使いこなすのは難しいかもしれないけどね」

 

「それはまぁおいおいだな。……それと、ユエとティオには悪いがもう1つ付き合ってくれ。次に魂魄魔法を掛けられるのは俺だ。香織も魂魄魔法に適性がありそうだし手伝ってくれ」

 

「……天人、鬼畜」

 

「んんっ……5日も限界まで集中させられた直後にこの追加要求……。優しくされるのも良いがこういうのもやはり良いのぉ……」

 

「うん、この身体に馴染む訓練だと思ってやってみる」

 

「悪いなユエ。けどこれは俺ん力を取り戻せるかもしれないんだ。そうすりゃ残った大迷宮の攻略だって瞬殺だ」

 

リムルの世界で手に入れたスキル群と聖痕の力、これらさえ手に入れば大迷宮の攻略なんてそう難しいものじゃなくなるはずだ。まぁ、力押しが通じないことが多いのもまた大迷宮の嫌らしさではあるのだれけど。

 

「ということは、天人さんがこの世界に来る時に封印されたっていう……」

 

「そうだ、手に入れて分かったけどあの封印は魂魄魔法の類みたいだ。それなら似たような力の魂魄魔法で無理やり引き剥せるかもしれない」

 

「……ん、やってみる」

 

「承知したのじゃ」

 

「うん、やってみるね」

 

そして、今度は俺の施術が始まった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

───パキ

 

水が固体になってくような音が聞こえる

 

───パキッ

 

そう、これは氷だ

 

流れ込んでくる

 

魔素が身体中を駆け巡る感触

 

肉が凍る

 

血が巡る

 

───パキ

 

凍った肉が溶ける

 

あぁ、戻ってきた

 

魔素が

 

力が

 

覚醒する

 

意識が

 

魔王として君臨した俺という存在が

 

 

 

 

───氷焔之皇(世界を統べる力)が今、世界を越えて、トータスへと君臨する───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……天人?」

 

 

 

───────────────

 

 

 

まず目に飛び込んできたのは輝くような金髪をした愛おしい女の美しい顔。それから長い黒髪を湛えたこれまた整った女の顔。そしてもう1人、銀髪に作り物のような綺麗な顔をした女。その奥にはウサミミを震わせた可愛らしい白髪の女。俺の手には無意識のうちに4本の薔薇が産み出されていた。

 

「……これは?」

 

「氷の薔薇。オルレアンの氷華だ」

 

ちっさいけどな。

 

「……天人さんって氷の固有魔法持ってましたっけ?」

 

「違うよシア。これは魔物の固有魔法じゃない。人間の使う魔法だ」

 

「天人くんってそういう魔法使えたの?」

 

「いや、主よ。妾には分かる。これはこの世界の魔法ではないのじゃ」

 

「……ん、これ、見たことない」

 

「あぁ。戻ってきたんだ。俺の力の一部。ここへ来る前の世界で手に入れた力。この世界と同じようで違う魔法の力だ」

 

「……それじゃあ」

 

「あぁ。本当にありがとうな!!」

 

俺は思わずユエとティオを抱き締める。そのまま身体を回して自分の上に乗せたまま2人を掻き抱く。

 

「……んっ」

 

「うむっ」

 

「あぁ!ユエさんティオさんずるいですぅ!」

 

「香織も、ありがとな。いきなりで大変だっただろうけど」

 

「ううん、むしろこの身体に馴染めてきた気がするよ」

 

「俺の全部、っていうわけにはいかなかったがこれが戻ってきただけでだいぶ変わる。とりあえずは色々確かめてみるよ」

 

俺は重力操作を使ってフワフワと空中に浮きながら魔法やスキルを色々試して調子を確かめてみる。どうやらほとんどキチンと機能するようだ。そうなると最後に試みたいことが1つ……。

 

「………………」

 

俺は心の中でスキル・変質者を発動する。統合するのは魔素とこの世界での魔力。俺はあの世界で魔王として覚醒した時に莫大な魔素量を獲得していた。今の俺の魔力と魔素を統合して共有出来れば戦闘時における選択肢が膨大になる。特に氷の元素魔法が選択肢に加わるのは非常に大きい。とは言え、あの時みたいに無限にある魔素に物を言わせて出鱈目に力を振るうことは出来ないだろうがそれでも充分以上に使えるだろう。

 

そして、魔素と魔力の統合が完了した。その瞬間、俺の身体に莫大な魔力が身体を駆け巡っていくのを感じた。そして、その中に混ざる懐かしい感覚。これは……まさか……。

 

「聖痕の力……?」

 

俺に対して掛けられた魂魄魔法はエヒトが俺に施した封印の一部を破って俺にスキル群を取り戻させることに成功した。だがあの封印は実際のところそこまで強いものではなかったのだ。急いでいたのかかなり粗が目立っていたらしい。だが聖痕に施された封印は違う。むしろこっちに全力を注いだ結果スキルへの対応が疎かになったのだろうと類推出来るほどに強固なものだったのだ。おかげでまだ魂魄魔法を完璧に掌握しきれたと言いきれないユエ達ではこれを破ることが出来なかった。

 

だが俺のスキルに使う魔素は変質者によって聖痕と繋がっている。スキルそのものは封じられていても前に使った効果そのものが無効になった訳ではないことはオラクル細胞が完全に俺のコントロール下にあったことで証明されていた。

 

そしてその変質者のスキルが解放されたことで、それにより繋がれていた聖痕の力が俺の中に再び流れ込んできているのだ。もっとも、今はこじ開けようとして開かなかった封印の隙間から漏れ出ているに過ぎず、強化も白焔も使えそうにはないけれど、それでもそこから引き出される力は膨大にして無限。俺は慌てて自分のステータスプレートを取り出してそこに記載されている魔力の欄を覗く。するとそこに書かれていた数値は───

 

 

魔力:──

 

 

オラクル細胞により物理攻撃に対して絶対的な強度を誇る耐久の欄と同じ表記。それはつまり魔力量に関してはほぼリソースの制限が無くなったということだろう。もっとも、聖痕の力が完全に戻ってきたわけではないから瞬間的に莫大な魔力を使えば少しの間すっからかんにはなるかもだが。

というか、感覚的には無限と言うより魔力の回復速度が通常考えられるそれより異常に早い、と言うべきだろう。つまり表記に騙されていくらでも使えるとは考えない方が良いということだ。

 

だがそれでも充分。戦闘中に使った魔力がその間にも回復していけるというのなら大迷宮攻略のペースも上げられるかもしれない。魔晶石への補充も即座に行えるのならユエ達の総魔力量も上がると考えられるからな。これは大きいぞ……。

 

「……天人、悪い顔してる」

 

「天人さんのその顔、久々に見ました」

 

「まったく、子供みたいじゃのぉ」

 

俺は3人の頭を撫でてやりながら、遂に取り戻した力の一端を噛み締めながらさてそろそろ地上に戻ってやらねばと地に足をつけるのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ノイントの身体を手に入れた香織と共にハイリヒに待機していた八重樫達の元へ戻ってからも身体が違うことの説明に一悶着あったがそれは香織本人の決断ということで納得してもらった。

 

しかし、その流れで俺達の旅の目的、狂った神のことを説明することになり、畑山先生の補足、というかノイントに捕まった辺りの説明を混ぜてもらったのだが、ここでまた天之河が食ってかかってきた。

 

「な、なんだよそれ……。ということは俺達はずっと手のひらの上で踊らされてたっていうのか……。ならどうしてもっと早く教えてくれなかったんだ!オルクスで再開した時に伝えられただろう!?」

 

まぁ、こうなるだろうなとは思っていたよ。けどさ……。

 

「お前は俺があの時これを言っても信じやしなかっただろうよ。今だって畑山先生の言葉や香織のこの身体が無けりゃ信じる気にはなれてないだろうし」

 

「だからって……。何度もキチンと説明してくれれば俺だって───」

 

「俺だって、何だ?お前が何を勘違いしてるか知らないけど、俺とお前らは仲間じゃない。態々そんな時間と労力を割いてやる義理はねぇよ」

 

そう。こいつらの世界の人間で、香織以外は誰一人として俺は仲間だとは思っていない。そんな奴らのために何故俺が苦労してやらねばならんのか。もちろん、これが言って聞いてくれるような奴なら別だろうが、天之河は俺の話なんぞ聞かなかったろうしな。

 

「でも、これから一緒に神と戦うなら……」

 

「待て待て待て。言っておくが俺ぁ神なんぞと殺り合う気は無いぞ。向こうから突っかかって来ない限りはな」

 

「なっ───、それじゃあ神代はこの世界の人達がどうなっても良いってのか!?」

 

「あぁ。悪いけどな、俺にゃこの世界のことなんてどうだっていいんだよ。ここにいない2人ほど一緒に元の世界に連れていく約束してるけどな。ただ、それ以外がどうなろうが知ったことじゃあない」

 

「お前は!大勢の人の命が危ないっていうのにそれを見捨てるのか!?」

 

「俺は命に優先順位を付けてる。明確にな」

 

「お前っ!!」

 

「なら天之河、お前は付けていないのか?」

 

「当たり前だろっ!?誰がそんなこと───」

 

「なら何故迷った。オルクスでお前は魔人族を手に掛けることに躊躇い、結果香織と八重樫は殺されかけた。少なくとも俺達があそこに来なければ2人は確実に死んでいた。命に貴賤が無いと言うなら、お前はあそこで魔人族を殺して2人の命を優先すべきだった。何故なら人数が多いからな。それに、それなら尚更お前は人間族と魔人族の戦争に積極的になるべきだ。……理由?簡単だよ。魔人族より人間族の方が数が多い。命に優先順位を付けないっていうこたぁそういうことだぜ」

 

「そんなっ───」

 

「……じゃあな」

 

もう話は終わりだ。俺が席を立つとユエ達も特に何を言うでもなく立ち上がる。唯一香織だけは一瞬迷ったような顔をしたが、それでも八重樫と視線を交わすだけで何か言葉を発することはなかった。しかし───

 

「待てよ……」

 

「……」

 

天之河のその言葉を俺は無視して行こうとする。

 

「なんで、何でだよ……。なんでそれだけの力があって……。それだけの力があればなんでも出来るじゃないかっ!力があるなら!それは正しいことに使うべきじゃないのか……っ!」

 

俺は天之河のその言葉に思わず足を止めて振り返ってしまう。そこにいたのは項垂れる勇者が1人。俺はコイツに何も言う必要はなかったはずだ。けど、俺にはどうしてもその言葉を肯定も無視もできなかった。

 

「……強くあれ、ただしその前に正しくあれ」

 

「は……?」

 

「強いから正しいんじゃない。正しくある為に強くなるんだ。それに俺はな、大切な1人を犠牲にしても見ず知らずの大勢を助けることがそんなに正しいとは思えない」

 

けどまぁ、より大勢の人間を救える道を選ぶ、という選択がそれほど間違ってるとも思わないけれど。言ってしまえば、俺と天之河では正義に対する基準が違うのだろう、だから絶対に相容れることはない。ただそれだけ。だが俺はきっとそれを天之河に伝えることは無いだろう。

 

「そんなのあんまりにも───」

 

「自己中だって?そうだな。その通りだ。ま、確かに俺に絶対的な正義があるたぁ思わねぇけどな、手前みたいにフラフラ迷ってるよか余程マシだとは思うぜ」

 

実際にそれで仲間を死に晒しかけた記憶が俺への反論の力を奪ったのだろう。天之河がそれ以上何かを言うことはなかった。けれども別の人物が立ち上がる。

 

「どうしても残ってはいただけないのでしょうか。せめて、王国の防衛体制が整うまでは……」

 

リリアーナだ。王国の防衛機構たる3枚の大結界を張るアーティファクトが破壊されたのだ。当然国としては対応に追われている。天之河とのような不毛な議論でもないだけマシだな。けど……。

 

「6日もここに留まっちまったからな。明日にはここを出る」

 

「せめてっ……、あの光の柱……あれも神代さんのアーティファクトですよね?あれを貸していただけないのでしょうか?」

 

「ありゃあまだ実験段階だったからな。あの一撃で壊れたよ。まだ直しきれてもないし、悪いが出来ない相談だ」

 

俺の言葉に香織や八重樫、畑山先生の目線が突き刺さる。その目は「お前なら何か残しておいてやれるだろう?」と、雄弁に語っていた。

 

「……出る前に大結界は直しておいてやる。それでいいか?」

 

あんまり3人の目線がしつこいんで仕方なく折れてしまったが、俺の言葉に3人の溜飲は降りたようで、リリアーナも目を輝かせている。

 

「ありがとうございます!!」

 

「それで、神代くん達は次はどこの大迷宮へ行くの?西から帰って来たなら、樹海かしら?」

 

と、八重樫が聞いてくる。俺がそれに頷くとリリアーナがふと何かを思いついたような顔になる。

 

「でしたら帝国領の傍を通りますよね?」

 

「んー?……あぁ、そうだな」

 

「それなら私も着いて行ってよろしいでしょうか?」

 

「は……?何でまた?」

 

「今回の襲撃でハイリヒ王国は甚大な被害を被りました。それに加えてこの王国侵略という事態で帝国と話し合うことが沢山出てきました。既に使者は向かわせていますが会談は早い方が良い。神代さんの移動用のアーティファクトなら帝国まで直ぐでしょう?だったら私が直接乗り込んでしまおうと思いまして」

 

この王女様、香織を探すために商隊にお忍びで潜り込んだり今回のこれだったりと、どうやらとんでもなくフットワークの軽い奴らしい。一国の主がそんなポンポコ飛び回って良いものなのだろうか……?

 

まぁ、途中まで乗せていくくらいならいいかとその申し出を受けるとさっきまで項垂れていた筈の天之河がガバりと顔を上げる。

 

「それなら俺も着いていくぞ!この世界のことをどうでもいいと思ってる奴になんかリリィを任せられるか!」

 

俺の移動手段はその全てが魔力駆動である。そしてガソリン等で動く現代の乗り物と同様に積載物の重量によって消費する魔力も増えるのだ。なので俺としてはあまり余計な荷物は乗せたくはない。……本当は人間が数人増えたところで増える消費魔力より回復する魔力量の方が多いから特に問題は無いのだけど、それはコイツらには言わないでおく。……つもりだったのだけれど───

 

「天人くん、今なら重さの分増える使用魔力より回復する魔力量の方が多いんじゃないの?」

 

香織だ。だが空気が読めないが故の発言ではない。このちょっとニヤついた顔、確実に分かってて言ってやがるな……。強くなりたいとは言っていて、実際この身体にもう少し慣れれば勇者なんぞ歯牙にも掛けないくらいには強くなれそうなのだが、こういう強かさも身に付けているらしい。

 

「香織……」

 

香織の発言に何やら天之河は感激しているし八重樫は何かを悟ったように諦めの表情だ。

 

「……後で死ぬ程キツい特訓だからな」

 

「はーい」

 

と、俺の嫌味も柳に風。まったく意に介してない。誰だよこんな風に育てたの。……俺か。

 

「ねぇ神代くん」

 

「嫌だ」

 

八重樫が何かを申し出るような雰囲気で話し掛けてくる。俺は何だか嫌な予感がするので即答で拒否。

 

「大迷宮の攻略、1箇所で良いの。一緒にやってくれない?私達だって元の世界に帰りたいの。神代魔法が1つでもあればきっと他の大迷宮の攻略にも大きな差が出るわ。だから……」

 

八重樫は俺の話を聞いてはくれないようだ。

 

「場所なら教えるから勝手に行ってきてくんねぇかな……」

 

「天人くん、雫ちゃん達は私が責任を持つから……駄目、かな?」

 

「鈴からも!お願いします!もっと強くなって、もう一度恵里と話がしたいの。だからお願い!このお礼は必ずするから鈴達も連れてって!!」

 

と、俺に頭を下げたのは谷口鈴。小柄な女子生徒だ。確か自分らを裏切った中村と仲が良かったはずだが。お友達に裏切られて谷口も思うところがあるらしい。八重樫も不退転の決意で挑むからと続けて頭を下げる。その光景に天之河の眉がピクリと動くがそれ以上何かを言うことはなかった。

 

この時俺の頭に浮かんだのは神山で殺り合った神の使徒ことノイントだ。その身体は今は香織が扱っているが、あいつの発言から神の使徒は複数いることは分かっている。そうなるとあんな化物を何匹相手にすることになるのか分かったものではない。あんまり数がいなくて小出しにしかできないと考えるのは楽観的過ぎるだろう。武貞憲章7条・悲観論で備え、楽観論で行動せよ、だ。

 

であれば俺の持つスキル群がどれだけ効果があるのか分からない以上はこの世界で確実に通用する力である神代魔法を勇者達に与えて神の使徒迎撃に当たらせるのも良いかもしれない。どうやら彼らも神と戦う腹積もりではいるようだし、問題はないだろう。

 

「着いてくるだけじゃ神代魔法は手に入らない。ちゃんと大迷宮を攻略したんだと言えるだけの結果が必要になる」

 

何せゴール地点でそこまでの記憶を読み取られるからな、と付け足す。俺のその返事を肯定と受け取ったようで八重樫と谷口の上げた顔が明るくなる。そこに天之河とその親友である坂上が同じく大迷宮攻略に挑戦すると名乗りを上げ、俺達は思いの外大人数での行動を開始することになった。

 

残された大迷宮はあと2つ。長かった旅もようやく終わりが見えてきた。俺はこの世界で手に入れたかけがえのない人達と、共にリサの元へと帰るのだという決意をもう一度胸に灯すのであった。

 

 

 



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帝国

 

とある渓谷の上空。俺達はそこにいた。そう、お空の上にいるのだ。

 

重力魔法と感応石を使って物を動かす時はそれに掛る重力によって操作の難易度や魔力消費量が変わってくる。

 

俺はちまちまと重量魔法の修練を積みながら巨大な質量を持ち空を飛ぶ移動手段を作っていたのだ。つまり今俺達が足として使っているのは車ではなく飛行機というわけだ。

 

もっとも、俺には航空力学の知識なんてろくに無いわけであるから、地球の飛行機を真似しようとも中途半端で効率の悪そうなものしかできなさそうだった。なのでこの際ビジュアルは諦めて、とりあえず真っ直ぐ飛ぶ時に空気抵抗の少なそうな形状を考えたのだ。

 

そして今トータス世界上空を飛行する鉱石の塊こと魔力飛行機は傍から見たらやたらデカい鉛筆の芯かシャー芯かが空を飛んでいるように感じられるだろう。……この世界に鉛筆無かったけど。

 

とりあえず着陸の時にコロコロと転がらないための足は付けたが結局重力魔法と魔力で動かすので垂直に離着陸ができる上に揚力とか考えていないから翼の類は一切無い、綺麗な円錐状をしている。

 

ちなみに初お披露目の際にはユエすら冷たい目で見てきた。本物の飛行機を知っている異世界組からは「コイツ、原理が違うからってこの形はセンス無さすぎだろう……」という顔をしていた。もちろんその中には香織も含まれる。その際に「航空力学なんて知るか!!魔法があるんだから鉛筆の芯が空飛んでも良いだろうが!!」と逆ギレして色んな文句の出そうな異世界組を黙らせた。

 

ちなみにお披露目した時に「名付けてロケットエンピツだ!」と言ったところ香織にそれは止めろとマジ顔で詰め寄られた為にこの飛行機に名前はまだ無い。多分これから付けることも無い。あと香織の背中から般若が見えた。ポン刀担いでた。どうやらロケットエンピツには死んでも乗りたくないらしい。

 

で、そんな中俺達は生成魔法で作ったディスプレイを覗いていた。そこに映るのはこの飛行機の下、地上の景色だ。そしてそこには帝国の兵士と思われる集団に追い立てられている兎人族の女2人が映されていた。

 

俺とシアがたまたまそれを発見し、シアは同じ兎人族がまた酷い目に合わされているのかと酷く気にしていたので一旦移動速度を落として確認していたのだ。すると減速に気付いたのか天之河と八重樫、谷口と坂上もやってきた。そして俺達と同じ映像を見て、やはり天之河が声を上げる。

 

「不味いじゃないか!早く助けに行かないと!」

 

今俺達がいるここが高度何メートルなのか把握しているのかしていないのかまでは知らないが、天之河が飛び出そうとする。だがコイツは放っておいて俺はシアに確認を取る。

 

「シア、こいつらって……」

 

「……はい、この2人は───」

 

「2人共、何をのんびりしているんだ!シアさんは同じ種族だろう!?何とも思わないのかっ!」

 

「ちょっとうるさいんで静かにしてもらえますか?……はい、やっぱりラナさんとミナさんです」

 

「やっぱりか。見た顔だなぁとは思ったが……。しかしなんでまた……」

 

シアにバッサリと切り捨てられた天之河は思わず口を噤んでしまう。ちなみに同行する時にキチンと自己紹介をしたのだがその時にシアを呼び捨てで呼ぼうとした天之河に対してシアは、気安く呼び捨てにするなと静かに怒気を発していたので天之河と、それを聞いてビビった坂上はシアのことは最初から"さん"付けだ。天之河に凄んだ際に後ろ手に回されていた手が、小さく畳まれたドリュッケンを握っていたのは気のせいだと思いたい。

 

なお八重樫と谷口は呼び捨てが許されている。2人も最初はビビってさん付けで呼んだのだが、「お2人は好きに呼んでいただいて構わないですぅ」とキラキラの笑顔で言われたので各々好きに呼んでいるみたいだ。

 

そして、俺達が眺めている間に開けた場所まで逃げてきた2人がバランスを崩して転倒した。そしてそこに追いついた帝国兵。天之河はその次に起こるであろう状況に察しが付いたのか無理矢理にでも飛行機から出ていきそうだったがそれは首根っこ掴んで抑えてもらう。八重樫に。

 

「まぁ待て。……そういやハウリアのこたぁユエとシアしか知らないんだったな。ま、とにかくアイツらなら大丈夫だ」

 

最悪駄目そうなら直上から帝国兵を狙い撃ちにするけど。とにかく奴らが他の兎人族ならともかくハウリアであるなら恐らく平気だろう。て言うか、逃げてる顔に余裕がありすぎるんだよ。逃げるふりならもうちょい必死な顔しとけって。

 

そしてやはりと言うべきか、2人に近付いた帝国兵2人の内の片割れがどこからともなく飛来した矢に撃たれて倒れる。そしてそちらに気を取られた帝国兵も追い詰められていたはずのラナに首を斬り飛ばされていた。天之河達が唖然とする中惨劇は続いていき、結局後から追いついた馬車から出てきた帝国兵も含めてまとめてあっという間に最弱の亜人族であるはずの兎人族に狩られてしまっていた。

 

何事だとシアを見やる異世界組に、シアがハウリアがこうなったのは全部俺のせいだとしてしまったので天之河達に睨まれたのだが、これに関してはあんまり言い訳できないのが辛いところだ。

 

「……ま、70点かな。詰めが甘いけど」

 

俺はハウリア達に知らせる目的も含めて鉛筆飛行機の下部ハッチを開ける。そして宝物庫から対物ライフルを取り出して帝国兵の馬車の荷台を撃ち砕いてそこに隠れ潜んでいた魔法使いをぶっ飛ばす。今まさに魔法での奇襲を仕掛けようとしていたのだがそれは俺の魔力感知で丸見えだった。

 

そして俺のその一撃により発生した紅の閃光を見たハウリア達は物陰に隠れ潜んでいた奴も皆出てきては空を見上げ、そこにいる飛行体に敬礼をかましてくる。おかげで戻った時にはリリアーナやその近衛隊、異世界組とティオから非常に冷たい目で見られる羽目になった。

 

「天人さん天人さん。早く降りましょうよ。樹海の外でこんなことをして……。もしかしてまた暴力に呑まれてるんじゃ……」

 

殺しに無駄(あそび)が無かった以上それはないとは思ったが、俺もハウリア達が態々外で作戦を立ててまで帝国兵を襲っている理由は気になるのでシアの言葉に頷き、飛行機を着陸させる。

 

すると谷底にいたのはハウリア達だけではなかった。様々な種族の亜人族が100人以上はいたのだ。特に女子供が多く、帝国兵が運ぼうとしていたのが何であるかはすぐに察せられた。

 

空から降りてきた巨大な物体とそこから出てきた人間達に亜人族の大半は目が点になるか大きく見開くかのどちらかだった。そして混乱を通り越してただただ圧倒されていた亜人族を掻き分けて現れたのは兎人族であるハウリア達だった。

 

そしてクロスボウを担いだ少年ハウリアがビシィッと音の鳴りそうな敬礼をかましつつこれまたバッチリ決めてきたっぽい挨拶をすれば後ろからの視線が痛いのなんの。

 

「あぁ、うん。で、お前らいつの間に奴隷解放軍なんてやってんの?」

 

捕らえられていた亜人族の中には同じ兎人族もいるがコイツらはそれを理由に帝国兵とやり合っていたのだろうか。

 

それならそれで変な具合に暴走する前に釘を刺しておいた方が良さそうだ。下手にやりあって人死にが出ればシアが悲しむ。

 

「えぇ、実は───」

 

だが、ふと暗い顔になった少年ハウリアことパル君の表情でそれよりもろくなことになっていないのは察せられた。だがその口から語られたハルツィナ樹海の今は想像よりもずっと最悪なものだった。つまり───

 

 

 

「樹海が燃やされました。魔人族と人間族の襲撃を受けて」

 

 

 

───────────────

 

 

 

まず最初に樹海に来たのは魔人族とその配下の魔物だったらしい。その上、魔人族はともかく魔物の方は見たことのない昆虫のような魔物で、樹海の濃霧による感覚の狂いをものともしなかったのだとか。それにより甚大な被害を被ったフェアベルゲンは隙を突いてハウリア達へ救援を依頼。他の非力な兎人族を助けたいという思いもありカム達ハウリアは未知の魔物と戦ったらしい。

 

そしてどうにか奴らを撃退し、ハウリアも集落の奥へ引っ込んでいた頃、今度樹海に攻め入ったのは帝国兵。どうやら帝国も魔人族の襲撃にあい、その復興の為の労働力や自分達の慰労に使()()亜人族を捕まえに来たらしい。ただでさえボロボロのフェアベルゲンに帝国兵とやり合えるだけの力は残されておらず、頼みの綱のハウリア達も奥へ引っ込んでいた為に気付くのが遅れてしまったようだ。騒乱に気付いたカム達が遅れて兎人族達を救うために出てきたものの時既に遅し。

 

そこで彼らは半数を里に残して残りの半数で帝国へと忍び込むことにしたらしい。しかし途中でカム達侵入組からの連絡が途絶え、そこで更に選抜隊を組んで帝国へと向かう途中にあの帝国兵達を見つけ、そこで更にそれを俺達が見つけた、という構図のようだ。

 

「なるほどね、大体は把握した。で、お前らはこれから帝国へ潜入してカム達の情報収集を続けるのか?」

 

「肯定です。それで、ボスには悪いのですが……」

 

「あぁ。捕まってた奴らはフェアベルゲンに帰しといてやる。どうせ道中だしな」

 

「ありがとうございます!!」

 

パル達が一斉に頭を下げる。横でシアが何かを言いたげにしていたし、何を思っているのかも手に取るように分かるが俺もユエも何も言わないでいた。武偵憲章4条、武偵は自立せよ。要請無き手出しは無用のこと、だからな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺達は帝国近くでリリアーナとパル達ハウリアの潜入組を降ろすとそのまま樹海へと足を踏み入れた。相変わらずの濃霧が俺達の感覚を狂わせる。燃やされた、と言っていたが完全に焦土にされたわけではないようで、この濃霧なら多少の誤魔化しは効くのだろう。そしてシアの先導の元、少し進んだ俺たちの前に現れたのは───

 

「お前達は……あの時の……」

 

数瞬前にシアが警告した通り、武装した亜人族が現れた。虎の亜人族で、見覚えのある顔だ。確か俺達がここへ最初に踏み入った時に哨戒の任務で出ていた奴だ。

 

「今度は一体何の……って、アルテナ様!?ご無事だったのですか!?」

 

と、俺の後ろを歩いていた亜人族の女に気付き、驚いた様子のそいつ。名前は確かギルとか言ったか。アルテナは亜人族の長老衆の1人の孫娘と言っていたので彼女が攫われたことは特に大きなニュースだったのだろう。ギルからは、ここに来る前に亜人族を救うポリシーでもあるのかと聞かれたが、俺にそんなものは無いとだけ返す。

 

聞けば、どうやらフェアベルゲンにハウリアが数名常駐しているようなので、そちらへと案内してもらうことにする。前と違ってすんなりと話が進むのは長老衆から何か聞いているのかハウリアに助けられたからか、とにかく揉めずに済むならその方が楽なので助かるな。

 

 

 

そうして案内されたフェアベルゲンは酷い有様だった。本来ここに辿り着いた者に威容を示す筈の巨大な門は崩れ落ち、その残骸も放置されたままだった。更に、中へ入れば美しさと荘厳さを兼ね備えていた木の幹で作られた空中回廊や水路もボロボロとなっており、所々途切れてもいて用をなしてなかった。

 

しかし、俺達に連れられてフェアベルゲンへと戻ってきたアルテナの顔を見るなり寒々しかったフェアベルゲンの空気が一変。俺達はどんどんと取り囲まれていき、お祭り騒ぎのようになっていった。

 

 

 

それをどうにかやり過ごし、ハウリア達と合流したらしたで今度は奴らの軍人かと見紛うような敬礼や挨拶に天之河達が噴き出したりとただ伝言を伝えるだけでも大騒ぎだった。

 

しかもハウリアはいつの間にやら勢力を拡大しているようで、俺と出会った頃は40人程度しかいなかったのが今では120人を超える大所帯と化していた。どうやら志願してきた他の兎人族を吸収しているらしい。

 

で、ようやくイオという名前のハウリアにパル達からの伝言──自分達もカム達の情報を掴むために帝国へと侵入すること、そして救援が欲しい旨──を伝える。

 

そして俺はそわそわと落ち着きのないシアに話を振る。本当に分かりやすい奴だよ。

 

「シア」

 

「は、はい?」

 

「武偵憲章の4条にはこうある。武偵は自立せよ。要請無き手出しは無用のこと、ってな」

 

「はい……」

 

目に見えてシアの雰囲気が沈んでいく。ウサミミが垂れてるからな、すぐ分かる。だが俺はそれを放って言葉を続ける。

 

「そして武偵憲章1条にはこうある。仲間を信じ、仲間を助けよ、ってな。俺は武偵で、お前は俺の仲間だ。そんなお前は、誰に何と言えばいいんだ?」

 

「───っ!……私、父様が心配ですぅ。一目でいいから無事な姿を見たいです……」

 

「言うのが遅い。シア、お前が俺に何遠慮してんだ」

 

「私、遠慮なんて……」

 

「してなかったらあんなにそわそわそわそわとしねぇだろうが。いいか?俺だけじゃない、ユエもティオも香織もお前のことが大切なんだ。お前の為なら俺ぁ俺の持てる全部を使うことを躊躇わない」

 

だからもっと甘えろと柔らかい髪に包まれた頭を撫でてやればさっきまでとは違った風にそわそわ、もじもじ。顔を伏せてはいるがその頬が赤くなっていることは隠せていない。俺達のその様子を八重樫や谷口が何か言いたげに見ているがそれは放っておく。俺だっていい加減ケリつけなきゃいけないってのは分かってんだから。

 

「そういうわけだ。さっさと行く奴決めろ。まとめて乗っけて行く」

 

「了解であります!直ちに!」

 

シュバッ!なんて音の聞こえてきそうな素早さでどこかへ消えていくイオ達。かと思いきや数分後には用意が出来たとイオがやって来る。元々こうなった場合の想定はしていたのだろう。

 

ほら行くぞと、いまだに固まっているシアの背中を押してやれば顔を伏せたまま俺の服の袖を指先で摘んでそのまま俺にピッタリとくっつきながらシアも歩き出した。そのいじらしさに俺達は苦笑いするしかないのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

──雑多──

 

それこそがこのヘルシャー帝国の首都を最も言い表す言葉だろう。街並みは区画整備なんてされておらず蜘蛛の巣よりもあちこちに路地が伸びているし露店の店主も本当に客商売をしているのか疑わしくなるほどに客の扱いが雑だ。その上阿呆がよく絡んでくること。それを適当にド突いてぶっ飛ばしても誰も見向きもしない。この程度の諍いは日常茶飯事なのだろう。力こそ正義、何もかも自己責任。そんな帝国の風景は女性陣には大変不評のようだった。

 

だが俺にとっては───

 

「……懐かしいな」

 

「……天人、来たことあるの?」

 

「いや、帝国に来たのは初めてだけどな。雰囲気が武偵高に似てんだよな」

 

東京武偵高校に入学した最初の頃はリサと連れ立っているだけで先輩や中学から実績のある同輩からよく絡まれたもんだ。その度にそいつらをのしてたからその内そんな面倒事も無くなったが、それはそれとして、この粗野で雑多な感じや、所構わず喧嘩してる風景は俺のよく知る武偵高───て言うか強襲科とよく似ていた。

 

「私、向こうに行ったら天人さんと同じ学校に通うの夢だったんですけど……」

 

「……んっ、それは私も。けどここと似てるのは……」

 

「いや、結構良い奴ばっかりなんだぞ?ちょっと阿呆でトンチキな奴が多いだけで……。それに、誰かを奴隷にしようなんて奴もいない」

 

俺は頭からとあるピンクツインテールの顔を振り払うように周りを見渡す。そこには帝国の使えるものはなんでも使う主義の犠牲こと亜人族の奴隷達が働かされていて、それを見た天之河も歯軋りをしている。確かに見ていて気持ちの良いものでもないけれど、だからと言って今ここで突撃されても困るのでそこは八重樫の出番だ。今もどうにか突撃勇者ボーイを宥めすかしている。ハイリヒは亜人族への差別意識があまりにも強く、逆に王都にこうした奴隷はいなかったのだ。どうやら目に入れるのも嫌だったらしい。だがおかげでここの光景に慣れていない天之河の正義感が暴走しそうでそれはそれで恐ろしいのだから困った話だ。八重樫さん、頼みますよ、マジで。

 

そして当然シアも、扱き使われている亜人族の奴隷を見て表情を曇らせている。兎人族でないとは言え、やはり同じ亜人族としては思うところもあるのだろう。

 

「気にするな、とは言わねぇ。けど、見ていてどうにかなるもんでもねぇだろ?」

 

「……はい。分かってます……」

 

「……そうだ坂上。ちょっと出来る限り悪そうな顔してくれ」

 

「は?何でさ」

 

俺の思いつきに訳が分からないという顔の坂上。だが俺はまぁまぁと、とにかく顔を作らせる。するとニヒルっぽい笑みを浮かべ目を細めた坂上はその筋骨隆々の肉体と相まって中々に悪そうな奴になったと思う。んー、これならちょうど良さげだ。

 

「とりあえず坂上はその顔を維持して付いてきてくれ。他は先にここの冒険者ギルドに向かっててくれ。……絡んでくるゴロツキをぶっ飛ばすくらいなら良いけど、くれぐれも、憲兵やなんかと余計な騒ぎは起こすなよ?帝国のルールには従え」

 

主に天之河への牽制だ。ここならユエ達が絡まれたとして、そんな阿呆をぶっ飛ばしても特に騒ぎにはならないようだが見回りの帝国兵はそうはいかない。特に今は、だ。先に受けた魔物の襲撃のせいで厳戒態勢が敷かれているのだ。そんな所で無計画に奴隷解放運動なんてしてみろ、ろくなことにならないのは想像に難くない。

 

全員が横目で天之河を見ながら頷くのを確認して俺は自称悪い顔をした坂上だけを連れてフラフラと集団を離れる。

 

「……アイツでいいか」

 

と、俺が路地を抜けた通りで見つけたのは道端で亜人族の奴隷を売っている商人だ。

 

「なぁ」

 

「なんだ?冷やかしならゴメンだぜ?」

 

奴隷を買うには少しばかり俺達は若すぎたか、胡乱気な眼差しを向けられてしまう。

 

「なに、最近ここいらで大捕物があったって聞いてな。帝国兵と殺りあえる兎人族なら是非飼ってみたいと思ってね。……今どこにいるか知ってるかい?」

 

俺はわざと上着のポケットからルタ札をチラつかせる。それを見た奴隷商がつまらなさそうに鼻を鳴らすと適当に取り出した札をその少し油っこい手に握らせる。

 

そうすると奴隷商は俺と俺の背後にいる悪い顔をした坂上を交互に見やり、そして俺と自分の掌の間にあるルタ札を見る。少しの逡巡の後、ペラペラ、とまではいかなくても知っていることは大概話してくれた。彼から得られたのは10数名の兎人族が帝国兵と殺りあった結果帝国兵を何人も殺したこと、その後100を超える帝国兵に囲まれ捕らわれたこと。どこにいるか知っていそうな奴を知っていると思われる人物のこと、ここまでだった。俺は彼にそのまま札を握らせてお礼を言って立ち去る。すると、路地を入ったところで坂上が疑問顔で話しかけてくる。

 

「喋るなと釘を刺されたから黙っていたが、あんな奴に金を渡してよかったのか?」

 

「今のところアイツはこの世界のルールに従っているだけだ。俺ん敵になったわけじゃあない。一々暗がりに引き摺り込んで絞り出すのも面倒だろ」

 

こっちもそんなに時間の余裕があるわけじゃないからな。適当に金握らせて解決できるならその方が早いことも多い。どうせ奴隷商が知っている情報なんてたかが知れている。ゴールまであと数手に迫れる情報まで引き出せたのだ、むしろ首尾は上々と言ったところだろう。

 

「ギルドはこっちか……あ、もう顔は崩していいからな」

 

「結局俺は何のために……」

 

「んー?まぁ、単に脅しだよ。向こうがお前を見てどう思ったかは知らないが、ろくな想像はできねぇだろ?」

 

金を握らせてくる若い男とその後ろに付き従っている様子の、怖い顔のマッチョな兄ちゃんだ。素直に喋らなかったらどうなるかなんて馬鹿じゃなきゃ何となく想像が着く。他の奴に喋ったらどうなるかも、な。その為にあの中で一番ガタイの良い坂上を連れて来たのだ。天之河じゃ顔が綺麗すぎるし、何よりこういう手段は大嫌いだろうから、黙ってろと釘を刺していても多分聞かない。

 

今は一緒にいるのが坂上1人だからか、先程とはうって変わって誰かに絡まれることもなく真っ直ぐにギルドまで辿り着けた。しかしその入口から入ろうとした瞬間、俺の義眼が魔力のうねりを察知。反射的に1歩下がった瞬間、扉を突き破って何かが飛んで来た。俺は咄嗟に金剛を発動させつつそれを打ち払うが、腕に感じる感触は思いの外柔らかく、例えるならそう、人の身体のようだった。

 

「あ?……誰?」

 

ようだった、と言うか本当に人間だった。ちなみに男。だが面識はないと思う。ピンボールのように弾かれてうつ伏せに地面に沈んでいるから顔は見えないけれど、見た覚えのない背中だ。念の為坂上にも確認するがやっぱり知らないようだった。しかし先程感知した魔力の色は俺のよく知っている色だった。なので俺はまた同じように人間が飛んできても良いように構えながら、空いた時と同じくらいの勢いで閉まっていったギルドの扉を再び開けた。すると───

 

「うわぁぁ!」

 

と、男が数名俺と坂上の脇を駆け抜けていった。あぁ、うん。こういうことね……。と、1人で納得してギルドの中を見遣れば───

 

「「どうしてこうなった!?」」

 

思わず坂上と声が揃う。何せ天之河が猿轡を噛まされた挙句に香織が前の身体で戦闘に使っていた棒に縛られて吊るされていたのだから。天之河も何かを悟っているのか諦めたのか、ぐったりとしていて動く様子がない。何があればそうなるの……。

 

「……私は何も知らない」

 

容疑者ユエは目を逸らした。

 

「さっきの男連中はまぁいい……。で、天之河君はどうして豚の丸焼きみたいになってるんだ……?」

 

目が死んでるので豚より魚っぽいけどそれはそれ。まぁ、予想がつかないと言えば嘘にはなるのだが……。

 

「ぷはっ……はぁ……香織や雫まで協力するなんて酷いじゃないか……」

 

猿轡をしたままじゃモゴモゴ言うだけで仕方がないので、とりあえず坂上と2人で拘束を解いてやると、思いの外元気に周りの女性陣を睨む天之河。どうやらさっきの死んだ目は信頼する幼馴染み達にまでやられたのがショックだったらしい。

 

「仕方ないでしょ?貴方こうでもしないと収まらないじゃない」

 

「……どうせ働かされてるか酷い目に合わされてる亜人族を見て突撃しようとしたんだろ?」

 

「……なんで分かるんだよ」

 

「ここでお前が縛られる原因なんてそれしかないだろ……」

 

俺の予想は奴の図星だったらしい。天之河は俺の指摘に言葉を詰まらせていた。

 

「さて、とりあえずあっちだ」

 

と、俺が顎で指したのはギルドに併設されている酒場だ。あそこのマスターなら何か知っているだろうということはさっき金を握らせた奴隷商から聞き及んでいる。

 

そして俺は既にピカピカに輝いているグラスを何故かまだ磨き続けているマスターの前のカウンター席に座る。

 

「これでボトルごと飲めるやつをくれ」

 

と、まずは酒を注文する。メニューなんて見ずに適当に5千ルタほど出したがまぁこれだけあれば安酒の1本はボトルでも買えるだろう。

マスターはふんとつまらなさそうに鼻を鳴らして適当なボトルを持ってきて俺の前に寄越した。俺はそのボトルの首を風爪で切り飛ばし、そのまま中身を口の中に注ぎ込む。ラッパ飲みどころか被るように酒を飲み始めた俺に周りが驚愕するのが感じられた。とは言え俺は毒耐性で酔わないし、そもそも今は捕食者のスキルを使ってそちら側に酒を注いでいるので実質口を開けているだけなのだ。胃袋に液体を入れている感覚すらなくただ注いでいるだけ。それも直ぐに瓶が空になることで終わりを告げる。俺は酒瓶をカウンターに置くと身を乗り出してマスターに話し掛ける。

 

「そういや最近帝国じゃあ兎人族が暴れ回って兵隊に連れてかれたって聞いたんだが……アンタそいつらがどこへ連れてかれたか知ってるか?」

 

「さぁな。だが兵隊に連れてかれたんなら城だろうよ」

 

やはりカム達は生きていそうだ。帝国に牙を向く兎人族なんぞその場で処刑してしまった方が安全に決まっている。だがそれでも連れて行ったということは奴らに何らかの価値を感じたのだろう。

 

腕っぷしの強さこそが正義の帝国のことだ。兎人族とは言えその強さの秘密でも探ろうというのだろうか。もしくは首輪でも付けて子飼いの兵隊にするか、だ。どっちにしろ生きている可能性が大きくなったことでシアの心配も少しは和らいだのだろうか、カウンターの下で手を握ってやればシアも力強く握り返してくる。

 

「城、ねぇ……。金なら言い値で払ってやる。城の情報はどこまで出せる?」

 

俺は固有魔法の威圧を使い、マスターに徐々に圧力をかけていく。それを感じたのだろう、マスターの額に冷や汗が浮かぶがまだ思案顔だ。まぁそれも無理はない。何せそれを話したことが帝国側に伝われば彼は確実に消されるだろう。だがもちろん俺に出し渋っても碌な目には合わないことも俺の固有魔法が彼に想像させる。

 

「……これは独り言だ」

 

と、マスターは再び鏡のように磨かれていたグラスを手に取りまたそれを拭き始めた。

 

「警邏隊の4番隊にネディルという元牢屋番の男がいたなぁ……」

 

「酒は美味かったよ」

 

と、本当はろくに味わってもいない感想だけ残して俺は威圧の固有魔法を解き、全員を連れて酒場を去る。俺がマスターに背を向けた時に漏れた溜息は聞かなかったことにしていた。

 

 

 

「で、だ。俺はユエとネディルって奴に話を聞きに行く。他は適当に飯でも食って時間潰しててくれ。……香織はどうする?着いてきても良いけど、これを見てもお前の欲しい強さは多分手に入らない」

 

ユエには再生魔法だけでなく、魂魄魔法による嘘発見のお仕事も行ってもらうつもりだ。前にオルクスで天之河にも話したが、拷問で得られる情報は案外嘘が混ざるもんだからな。

 

「ううん、私はちゃんと見るよ。気分の良いものじゃないだろうなっては分かるけど。でもそれでも私は知っておいた方が良いと思う」

 

「……そうか。なら来い。ついでに再生魔法も使ってもらうからな」

 

「うん」

 

香織が頷くの確認して俺達は歩き出す。

……結局ネディルの我慢が足りずに、小一時間探し回った割にはものの5分で全部聞き出せてしまったのだが……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ネディルは困惑していた。魔人族の襲撃に遭い混乱の真っ只中にある帝国の街中を見て周り怪しい影がないか隅々まで確認するのが自分の任務だったはずなのだから。なのに何故、何故自分は気付けば暗い部屋で拘束されているのだろうか。

 

ここに来た記憶が無い。仕事中に何やら視界の端に金髪の人間を見た気がしてとある路地に入り込んだところまでは覚えている。そして誰かに話しかけられたのだ。だがそこからの記憶が無い。そして今は視界を闇が覆い、街中の喧騒が遠く聞こえる。風を感じないし部屋にいることは分かる。何やら頭に被せられているのも分かる。光すら透けてこないからきっとここが薄暗い部屋なのだろうというのも分かる。だが何故だ。何故自分がこんな目に遭っているのか、それだけが分からないのだった。

 

すると、急に誰かに肩を叩かれる。強くはない。街中で知り合いに声を掛ける時のような気安さだった。だがあまりにも人の気配が感じられなかったから思わずネディルの身体がビクリと跳ね上がる。

 

その瞬間、ガツッ、と手首と足首に固い何かが当たる感触が鈍い痛みを与える。どうやら両手足に石枷を嵌められているようだ。肩に感じる手の大きさからネディルは自分の後ろにいるらしい人間は男だと予想する。そしてその予想は的中したようで、何か袋越しに聞こえる声は若い男のそれだった。

 

「気付いたか。……これじゃあ何にも分からないよな」

 

と、男の声が聞こえたと思ったら自分の視界を遮っていた何かが取り除かれる。ネディルが意識を失う寸前、話しかけてきた声とそっくりだったと記憶が語りかける。確かそう、自分が元牢屋番だと確認してきた声だと、ネディルは思い出していた。だがそんなネディルの目を明るい光が襲うことはなかった。やはりここは室内で、外の光は遮断されていた。隙間から僅かに光が漏れているから、今は夜ではないのだろう。ということは意識を失ってからそんなに時間は経っていないのか。

しかし、パキパキという音と共に自分の周りに何かが現れた。段々と闇に目が慣れてきたネディルにはそれが氷のように見えた。詠唱は聞こえなかったが魔法の類いだろうというのは予想が着いた。そして足音と共に誰か──先程自身の方を叩いた男だろうか。ただ鼻から下を布で隠していてよく分からない──がネディルの正面へと立つ。その手には何かが握られているように思えた。声でなんとなく気付いていたがネディルよりも若い。恐らく10台後半か20代でも前半だろう。そしてその男がネディルの足元にしゃがむと何か硬いもので足の指を挟まれる感覚。そして次の瞬間───彼の足の指に激痛が走った。

 

「ア───ッ!?ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!」

 

想像もしたくないことだが自分の左足の親指が引き千切られたような痛みがネディルを襲ったのだ。しかもそれは1度ではない。何度も何度も、足の指10本全ての感覚が消え去るまでその痛みは断続的に襲いかかってきたのだった。

 

だが両足の10本目こと右足の小指が引き千切られる痛みの直後、まるでそれまでの苦しみが無かったかのような感覚と共に足の指全てに感触が戻ってきた。

 

「はっ……あっ、え……?」

 

だがネディルの困惑の声に答える者はいなかった。代わりに質問だけが飛んでくる。

 

「帝国城の牢屋までの道程を教えてもらおうか」

 

再び自らの足の指を挟む硬い感触にネディルの心は潰されてしまった。

 

その口から漏れ出た機密事項に男は満足したのか、ネディルが全てを話し終えた時には音も無くどこかへ消えていった。足元には人間1人分のの足の指だけが残されていた。

 



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忍び寄る兎

 

帝国城に忍び込みカム達と合流した後に、俺達は帝国の外の岩場に集まっていた。向こうから出る時には空間魔法を利用した新製のアーティファクトを使わせてもらった。

 

そして助け出したカムから話を聞けば、どうやらハウリア達は帝国に誘い込まれていたらしい。樹海で相当数の帝国兵を諜報科……どころか完全にプロの殺し屋(スイーパー)さながらのやり口で殺していったことが強さ至上主義の帝国の興味を強く引いてしまったのだとか。それも帝国の襲撃の動機に繋がったらしい。

 

帝国側の襲撃のやり方やタイミングもあり冷静になりきれなかったハウリアはその隙を突かれて帝国内で包囲、捕縛されたのだとか。しかも捕らえてみれば樹海最大の脅威と謎を呼んでいた暗殺者の正体は温厚の代名詞であり亜人族最弱と思われていた兎人族だったのだ。それが精度の高いクロスボウや斬れ味鋭い刃物で武装していたのだから帝国としてもその武器の出処や鍛錬の手法などに興味が湧くのも当然だろう。

 

そして今日に至るまで尋問、と言うより拷問を受け続けてきていたのだ。それでも何も漏らさなかったどころか帝国兵を煽るは罵倒するわでどっちがどっちを追い詰める立場なのか分からなくなるような事態に陥っていたのは誰の育て方が悪かったのか……。俺か……。

 

「ま、これまでの流れはだいたい分かったよ。んで、それだけじゃあないんだろ?」

 

カムから彼らが捕まった流れを聞き及ぶが、恐らくこいつの本題はここではない。

 

「肯定です。……我々、ハウリア族は新たに家族に加わった者達と共に新生ハウリアとして帝国に戦争を挑みます」

 

その言葉に俺たちの間に漂っていた空気が凍りつく。だが痛いくらいの静寂に包まれたそれを溶かす奴が現れた。シアだ。既にその身体から彼女の淡い青色の魔力光が噴き出している。

 

「何を……何を言っているんですか父様───」

 

「シア」

 

「すみません天人さん、私は───」

 

「シア」

 

再び名前を呼び、グッと、俺はシアの腰を抱き寄せる。そのまま頭とウサミミを撫でてやれば膨れ上がった怒気も少しは落ち着いたようで、巻き上がる魔力光はその細身の身体に収まっていった。

 

「やり方は聞かない。だいたい分かってるからな。だから理由を言え」

 

そしてカムの口から語られたのは今回のハウリアの1件で帝国が兎人族そのものに興味を抱いてしまったということ。つまりハウリアだけでなくその他全ての、ハウリアの傘下に収まっておらず今まで通りの戦う力を持たない兎人族まで捕まえて戦力になるのかどうか見極めるつもりなのだとか。そうなれば戦闘力の欠片もないハウリア以外は愛玩奴隷か殺処分の2択だろう。そして帝国は非道だろうが強硬だろうがどんな手段であろうと躊躇わない。ならば戦うしかない、ということらしい。

 

「……今のお前らが皇帝に勝てないとは思わない。闇討ちなら獲れるだろうよ。けどな……」

 

そこで俺は言葉を切りもう一度シアの頭を撫でる。

 

「けどお前らは絶対に"帝国"には勝てない。意味は分かるか?」

 

「もちろん我々も戦争が今の皇帝を討ち取って終わるとは思っていません。その後こそが最も長く苦しい戦いだということも把握しているつもりです」

 

「いいや、分かってないよ。お前らはいつか負ける。たとえカムが生きている間に負けなかったとしてもだ。そのうち兎人族は帝国に狩られるだけの存在になるよ」

 

俺は、それだけは断言出来る。

 

「……ボス、いくらボスの言うことでもそれは承服できかねます。そこまで言い切る根拠を示してもらいたい」

 

「根拠、ね……。簡単だよ。単純に数が足りないんだ、ハウリアや兎人族には」

 

カムが何か言いたげにしているがそれを無視して俺は話を続ける。

 

「前よりは随分と増えたみたいだけど、それでも戦える奴の数を考えてみろ、帝国とどれだけの差がある?それに金も人脈も無いから武器や装備を揃えるのにも一苦労だ。そして、帝国の奴らはその気になれば樹海を丸ごと火の海にしたっていい。それだけじゃあない、帝国は人間族だ。つまり他から手を借りることもできるんだよ。これだけの数が揃えば相当色んな戦い方があるぞ?いくらお前らが戦えるようになろうと覆しようのない絶対的な差があるんだ」

 

戦いの基本は数だ。そして、帝国及び人間族とハウリアや兎人族、亜人族にはその数に決定的な差がある。例えハウリアがフェアベルゲンの亜人族と徒党を組もうとも、な。

 

「……そんなことは分かっています。それでも我らは立ち上がらなくてはならないのです。これは我々が始めたこと。我々が責任を持って兎人族を守らねばならないのです」

 

「そうだな……。だけど俺としてもハウリアを見殺しには出来ないんだよ」

 

「シアのため、ですな?」

 

「あぁ」

 

カムの問いに正直に俺は答える。そしてより強くシアを抱き留める。その柔らかさを糧に俺はさらに言葉を繋げる。

 

「分かっちゃいるだろうが兎人族じゃ帝国を火の海にすることは出来ねぇ。精々1度だけ大将首を狩れるくらいだ。だが帝国もアホじゃあない。ただでさえお前らを警戒してるんだからな、今の皇帝を殺ればもう2度目は来ない」

 

そしてそんな帝国にハウリアが勝つには1度の戦闘で帝国から反抗の可能性を完全に摘むしかない。だが奴らの火力ではそれは望めない。今のシアがいればそれも不可能ではないのかもしれないが、きっとそれは、例え俺やユエが望んだとしても承諾しないだろう。

 

「……ボスと言えど、我々を侮ってもらっては困ります。だからこそ、警備の比較的薄くなるであろう側近や近親の者から狙っていくつもりです」

 

「それで恐怖を煽って皇帝を交渉のテーブルに座らせようって?俺が皇帝ならそれを口実に樹海を焼くね」

 

ハウリアにとって痛いのは、諜報は出来てもスパイができないところだ。闇には紛れられてもそのウサミミが人に紛れることを許さない。

 

「だが我々には───っ」

 

「戦うしか残されていないって?あぁそうだな。だから聞くけどな、お前らの敵は帝国だけか?」

 

「それは、どういう……?」

 

「兎人族を、亜人族を蔑み見下してる奴は帝国の奴らだけかって聞いている。お前らはどう感じてるんだ?」

 

「……ほとんどの人間族は我ら兎人族と亜人族を下に見ているでしょう。そうでないのはボスや異世界から来たという勇者達くらいです」

 

「あぁ、お前らが不利な理由はそれだ。だからこそやるなら1度の戦闘で完全に終わらせる必要がある」

 

まぁ、それが出来ないからあぁしたゲリラ戦術に頼らざるを得ないんだけどな。だがそれに頼るのも限界がある。

 

「……我々にどうしろと」

 

「俺は亜人族の奴隷解放運動なんぞやる気もない。けどお前らを見殺しにする選択肢は当然無い」

 

俺にはシアが悲しむようなことはできない。だからこいつらを見殺しにする選択は有り得ない。

 

「今お前らにある選択肢は4つ。結末の分かっている泥沼の戦いをする、諦めて帝国の言いなりになる、自分達だけでもと逃げ続ける───」

 

「4つ目は?」

 

「兎人族の兎人族による兎人族のための革命を成功させること。この4つだ」

 

「それは───」

 

「俺は逃げることがそこまで悪いとは思わないよ。逃げは諦めじゃない。生存するために最後まで足掻き続ける手段の1つだ。そして俺は、元の世界に帰る手段が手に入ればハウリアなら一緒に連れて行ってもいいと思っている。そうすれば帝国の追手も届かない」

 

「それは、我々に他の戦えない兎人族を見捨てて自分達だけ安穏と生きろと?」

 

「それもありだってだけだ。まだ4つ目があるだろう?」

 

俺が懇切丁寧に可能性を潰した4つ目の選択肢。

この革命を成功させること、つまり帝国に打ち勝つという結末。

 

「お前らだけじゃ絶対に無理だと言ったのは俺だ。いいか?お前らに4つの選択肢があったように俺にも2つの選択肢がある」

 

俺は人差し指と中指を立ててその数を示す。そしてまず1つ目だと中指を折る。

 

「1つ目、ハウリアに革命は無理だとお前らをここで畳んじまうことだ。そして樹海に送り返す」

 

俺の言葉にハウリア達がザワつく。俺には勝てないことは悟っているのだろう。誰もが歯噛みしている。俺はそれを見渡して人差し指も折り、言葉を続ける。

 

「そして2つ目、お前達に首輪を渡す。皇帝の首に嵌めるやつをだ。それによってお前らはハウリアの力を示し、その上で帝国から反抗の芽を詰むんだ」

 

俺の言葉にまるで時が止まったかのようにハウリア達は静まり返る。

 

「それは……」

 

ポツリと、カムが声を漏らす。

 

「シアが不安に思うような稚拙な作戦なんて全部却下だ却下。俺が手伝ってやるからお前らがシアを悲しませるようなことをしようとするんじゃねぇ!やるなら完膚無きまでに叩き潰せ!てめぇらの手で帝国を完全にぶっ壊すんだ!」

 

俺のその声に反応したのはカムだけではない。その場にいたハウリア達は皆雄叫びを上げる。ウサギ達の天まで届かんとする咆哮こそがシアの不安を吹き飛ばす何よりの手段であり彼らの心からの叫びなのだ。

 

「お膳立てはしてやる。だがこの戦いはお前らの手で完遂しなきゃならねぇ!じゃなきゃ阿呆な人間共はまた兎人族を奪いに来る!いいか!兎人族にハウリア在り!兎人族に手を出した奴は文字通り首が空を舞うって人間族の骨身に刻んでやれ!!」

 

俺の命令にハウリア達も咆哮で返す。

 

空気が揺れる、数十の手が空へと掲げられる。それは兎人族は弱くなどない、狩られる側ではなく狩る側なのだとこの世界に挑戦状を叩きつけているかのようだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

本来帝国城への侵入は至難を極める。

 

まず魔法すら併用した入城許可書を門番に提示しなければならない。その上で1つ1つの荷物を丁寧に検査されるのだから隠れ潜んで中に入ることはほぼ無理だと言っていいだろう。そしてもちろん俺達は正規の入城ルールに則ることは出来そうもない。だがここで天之河達の肩書きが役に立った。実態の伴わないポンコツ勇者であってもそれを知る奴はそう多くない。帝国の人間からすれば天之河達は破竹の勢いでオルクス大迷宮を攻略していっている上に、神から人間族を守るために遣わされた文字通りの勇者様なのだ。故に許可書なぞ無くとも彼の言うことを無下にはできず、結果俺達は悠然と待合室までは入ることが出来た。

 

だがその待合室で───

 

「よぉウサギちゃん。ちょっと聞きてぇんだが……俺の部下をどこへやった?おかしいよなぁ……俺の部下は誰一人として戻ってこなかったのになんでお前だけが生きていて、こんな場所にいるんだ?あぁ?」

 

リリアーナにも確認が取れたとメッセージを伝えてきた何番隊かの隊長という男が、シアを見た途端にこの有様だ。こっちからは今のところ何もしていないのに既に額に青筋が浮かんでいる。

 

しかしシアと帝国兵の接点なんぞ限られている。大方ライセン大渓谷で俺が全滅させた奴らの上司なのだろう。そしてシアにとってその頃の記憶はトラウマもいいところだ。何せ家族が目の前で次々に嬲られ捕えられ殺され……だからシアにはここに来る前に伝えてある。胸を張れ、相手が誰であっても堂々と顔を上げて睨みつけてやれと。それでも尚、辛く忘れ難い記憶が蘇ってそれに囚われそうになっているシアの肩に俺は手を置く。

 

ユエもシアの手を握ってその瞳を見つめる。"この程度の相手に臆するな"それが俺達からの言外のメッセージ。そしてそれが伝わったようでシアの目に輝きが戻ってきた。そのまま帝国兵を睨みつけ、余裕たっぷりの嘲るような笑顔で言葉を返す。

 

「知りませんよそんなの。随分と頭の悪そうな人達でしたし、魔物にでも食べられたんじゃないですか?」

 

そこまで言えとは言ってないけど……まぁでもそれでいいんだシア。あの記憶がお前にとって辛いものだってのは分かっている。だけどもうお前はあの頃のお前じゃあない。あの時よりも何100倍も強くなっているんだ。家族の死を悼んでも、帝国兵に臆することなんてないんだからな。

 

「随分と調子に乗ってるじゃねぇか……。勇者殿達と一緒にいるから大丈夫だとでも思ってんのか?奴隷ですらないのなら───」

 

「なぁおい、ちょっといいですかい?」

 

「は?なんです?」

 

天之河と一緒にいるからか、俺も勇者一行と思われているらしい。まぁ元々はそんなだったのであながち間違いでもないのだけれど。

 

「リリアーナ姫には確認が取れたんでしょう?あっちだって暇じゃあないんだから早く連れて行ってくれませんかねぇ」

 

だがこいつの答えは半ば分かっている。俺がこんな風に言ったってどうせ聞きやしないんだろう。

 

「……申し訳ありませんがね、使徒様。そこな兎人族は2ヶ月前に行方不明になった俺の部下に関して何か知っているようでして。御引渡し願えませんかね?兎人族が必要なら別に用意させますんで」

 

ほらな?どうせこんなだと思ったから俺の返す答えだって決まっている。

 

「うるせぇな三下」

 

だいたい、シアはシアだからここにいるんだ。亜人族……兎人族だからここにいるんじゃない。兎人族の女と見れば卑しい視線を向けやがって。街の喧騒こそ俺にノスタルジックな感傷を覚えさせてくれたけどな、こういうのは反吐が出る。

 

「は?」

 

「お前の部下なんぞこっちは誰も、何も知らねぇよ。それよりさっさとリリアーナ姫の所へ連れて行けって言ってんだよ。こっちはお前ら雑魚に拘っている暇はない」

 

俺の物言いにそいつの顔が怒りで真っ赤に染まるがそれでも一応は神の使徒様に切り掛るような愚行は残った理性で抑え込んだらしい。今にも俺を殺しにかかりそうな目をしながら後ろに控えていた部下に目配せして俺達を案内する。俺の背中には刺すような殺気が纏わり付くがそんなものに構っている暇はない。今はただ、必要な作業をこなしていくだけだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

トラウマを乗り越え、そして反動とばかりに後からきた激烈な殺意を無理矢理押さえ込んでいるシアをユエと2人で撫でたり甘えさせたりで宥めながら、アポも無しにいきなりやって来た俺達に向けて青筋をバリバリ浮かべたリリアーナから話を聞く限り、どうやら皇帝には聖光教会がぶっ潰れたことや今の神がろくなもんじゃないことは伝えてあるようだった。

 

とは言えここはやはり帝国。だからって何が変わるわけでもなく、いつも通りに強い奴が正義だというのだ。だが皇帝ことガハルドが気にしていたのは王国襲撃からあまりに早くここへ辿り着いたリリアーナの移動手段と10万の魔物の軍勢を蹴散らしたその方法だったらしい。

 

もっとも、王国と帝国が手を組む協議をするのだからそこら辺は全部説明して良いとは言ってある。おかげでガハルドは俺の持つ力についてもそれなりには知っているようだ。

 

そして、適当に口裏を合わせる算段だけ付けた時には時間切れ。ガハルドが待つ部屋へと案内するための人間が部屋の扉をノックしたのだった。

 

 

そいつに通された部屋にいたのはガハルドとその後ろに護衛と思われる男が2人。そして隠れてはいるが物陰や天井裏、部屋の外にも数人ずつ配置されている。あえて知らせているのかそれとも隠しきれていないのか、とにかく俺の気配感知の固有魔法にはバッチリと反応がある。

 

そしてその部屋のど真ん中にいる男、この帝国の皇帝であり荒くれ者共を力で支配する人間、ガハルド・D・ヘルシャー。トータスに召喚された時も思ったけど、ミドルネームをアルファベットで略す文化なんてトータスにあるのかね?それともこれは言語理解の技能が俺に日本語として見せているだけで本当は別の形なのだろうか。

 

「お前が神代天人か?」

 

バンッ!と、叩きつけるような重圧が俺達を襲う。リリアーナはそれを直接受けた訳でもないのに既に顔が青い。天之河達もビビってしまっている。だが香織はもちろん俺達大迷宮を攻略してきた奴らからしたらそんなものはそよ風ほどの圧にすら感じられない。ていうか、そういう凄むのとか、俺からしたら蘭豹や綴にやられるのに比べたらなぁ……。アイツらの方がこんなのより万倍怖い。

 

ボケっとしている俺達に皇帝陛下も満足したのか直ぐにそれも止めてしまった。そして何が面白いのか口の端が釣り上がるガハルドに対して俺も返事をしてやる。

 

「あぁそうだ。そういうアンタは帝国の皇帝様ってことでいいんだよな?」

 

俺の物言いににわかに後ろの2人から殺気が溢れ出る。そして、それは当然歳下のガキに初対面でタメ口をきかれた目の前の男も同じだ。

 

「ふん、口のきき方のなってねぇガキだ」

 

「あぁ?ここは強い奴が正義だって聞いていたんだがな。だから俺もお前らのやり方に合わせて答えてやったんだろうが」

 

「……どういう意味だ?」

 

帝国の弱肉強食主義と俺のタメ口に繋がりが見えなかったらしい。ガハルドもその圧を上げながら俺を睨みつける。だから、そんな風に凄んでも武偵高の先生達に比べたら可愛いもんなんだよ、本当に。

 

「帝国より俺の方が強い。ならこの場において俺がへりくだる必要がどこにある?」

 

そう、ただそれだけ。強い奴が正しいというのならこの場で1番の正義は俺だ。なら例え相手が皇帝であっても俺が下る必要はどこにもない。

 

「……この場でこの俺にそれだけの大口を叩けるんだ。なるほどリリアーナ姫の言っていたことにも説得力が増すな」

 

だが皇帝の台詞とは裏腹に彼の背後に控えた2人の男の殺気が増す。そしてそれに呼応するように隠れ潜んでいた奴らの気配が薄くなっていく。けどそれは───

 

「おっせぇよ」

 

俺の呟いた一言で消えかけていた気配が揺れる。バレていることにようやく気付いたようだ。そもそも最初にあった気配がこうも分かりやすく消えていけば警戒するに決まっている。消すなら最初から消しておかなければ大した意味は無いだろうに。それから目線を逸らすための後ろの2人なのだろうが、そんな見え透いたミスディレクションに引っ掛かるほど阿呆ではないつもりだ。

 

「はははっ!きっちりバレていやがる!止めだ止め!こんなのと今殺りあったら皆殺しにされちまう!」

 

何がおかしいのかカラカラと笑いながらガハルドは腹を抱えている。無駄話しないのなら帰っていいかな……。

 

「ふむ……で、聞くがお前は10万の魔人族と魔物の軍勢を退けるアーティファクトを持っているらしいな」

 

リリアーナから聞いたことの確認か、それとも何か別の意図があるのか。だが何であれ、今更隠すほどのことでもないか。

 

「あぁ」

 

「王国からここまでを2日で踏破できるアーティファクトも持っていると」

 

「そうだな」

 

「そしてそれらを俺達に提供する気も開発に協力する気も更々無いと?」

 

「当たり前だろ」

 

「そんな力、1個人が独占することが許されるとでも?」

 

「……過ぎた力はむしろ排斥される、当然のことだ」

 

それは魔国連邦にいて痛いほどに分からされたことだ。

 

「……へぇ、その割にはよく分かってるじゃねぇか」

 

「で、だからってどうするつもりなんだ?」

 

言外にお前らに何が出来る?と問いかける。だが何も出来やしないだろう。コイツらには衛星兵器を撃ち落とすことはできないし今この場で俺達を始末することも出来やしないのだから。この世界はあの世界の奴ら程には強くないのだ。だから例えここでコイツらが俺達を殺そうとしても何の問題も無い。

 

「……ふん、食えないガキだ。……さて、話は変わるがね。俺としてはお前のアーティファクトもだが、お前が侍らしているその兎人族が気になるな。白髪の兎人族なんて聞いたことがないし、その強気な目付き、前に拾った玩具を思い起こさせる」

 

"玩具"という言い草にシアの目元がピクつくがユエがテーブルの下で手を握ってやることですぐに落ち着く。

 

「いや、いきなり玩具だの言われても知らんが……」

 

「心当たりが無いってか?なら後で見るか?まだ生きの良い女子供が何匹かいてな……」

 

「興味ねぇよ」

 

そもそもがハッタリだ。捕まった奴は全員解放してあるしそれはカムにも確認してもらっている。

 

「ほぉ、そいつらはとんでもねぇ業物のショートソードやナイフを揃えていたんだがなぁ、そこん所、錬成師としてどう思うよ?」

 

「別にどうとも」

 

こっちで俺が作った武器って基本重いんだよね。ジュラルミンの大盾とかなら欲しかったけど。

 

「そうかい……。ところでなぁ、昨夜地下の牢屋から脱獄した奴らがいるんだが……この城に侵入して易々と脱出できるアーティファクトとか魔法なんてものは知らねぇかい?」

 

「知らねー」

 

「はぁ……ならいい。で、お前さんは神についてどう思う?」

 

「心底興味が無い」

 

俺が素っ気なく答えてやればガハルドはガリガリと頭を掻きながら何やら悪態を付く。まぁ、どうせ俺がやったことだと分かってはいるのだろうが。だからってそれに律儀に答えてやる義理もないけど。

 

そしてタイムリミットは訪れた。後ろに控えていた男の1人が何やらガハルドに耳打ちをした。するとそれを聞いたガハルドが立ち上がり聞きたいことは聞けたと俺達も席を立たせる。

 

「あぁそうだ、今夜リリアーナ姫と我が息子の婚約パーティーを開く。良ければ来てくれ。なに、例え真実でなくとも勇者や神の使徒の祝福は外聞が良いからな。頼んだぞ」

 

予測できていないわけではなかった。王国と帝国、どちらも魔物や魔人族の襲撃に遭ったとは言え被害は雲泥の差だ。国の建て直しと今後の争乱に備えての対策を協議するというのなら、これも当然あってもおかしくない。何せ俺たちの世界じゃカビの生えた政略結婚なんていう文化だって残っていそうなほどに古風な世界だからな、ここは。

 

だが天之河達にとっては唐突でありとんでもないことであったらしい。バタンとガハルドが部屋から出ていき扉を閉めると、その音で正気に返った彼らはリリアーナに詰め寄る。だがリリアーナから聞かされる言葉は俺の予想した通りのことばかり。国王も急逝し、王妃は表に出ることが得意ではない人柄らしく、次に年長なのがリリアーナらしい。リリアーナの弟であり、本来正当な王位継承者であるランデルはまだ国を治め、魔人族達と戦う指揮を執るにはあまりに幼い。自然、帝国を頼らざるを得なくなる。そしてそうなれば当然帝国は足下を見る。これはそういう流れだ。

 

しかし、俺がハウリア達を焚き付けた時に傍に天之河達もいたはずだが、細かい内容はともかくその目的すら失念していそうなところを見るとむしろ全く話を聞いていなかったのだろうか。いや、聞いていなければ態々皇帝への謁見に利用されるはずもないと思うのだが……。まぁ突然明かされた事実に色々ぶっ飛んだのだろうと思う他ないか。

 

 

 

───────────────

 

 

 

その夜、俺は新造したアーティファクトを瞬光も利用していくつも同時操作していく。途中、あまり気分の宜しくないものを見てしまったので仕方なくこれを排除したが、それ以外は滞りなく進んでいって、全体の6割程度を完遂した所で時間が来た。残りは適当に誤魔化しながらやるしかないと、俺達はパーティー会場に足を踏み入れた。そうすれば流石は表向き神の使徒御一行にしてオルクス大迷宮を破竹の勢いで踏破していっている実力者集団。

 

主に帝国の中でも武官を務めている奴らから話しかけられる。俺はあまりに生返事にならないようにも気を配りながら作業を進めていく。

 

 

───こちらラビット1、ポイントH4制圧完了

 

───こちらラビット2、ポイントJ全て制圧完了

 

───こちらラビット3、皇子、皇太孫並びに皇女2名確保

 

 

そのうちにハウリア達からの通信が届く。改良した念話石で、トランシーバーのように扱えるのだ。だがハウリアには魔力を扱う術が無い。なので俺は魔力を貯められる鉱石に魔力を貯めつつそれに高速魔力回復を付与、さらに魔力放射も付与して魔力操作の代替としている。それだけではない、魔法発動用の魔法陣を敢えて欠けた状態にしておき、スイッチを入れればそれが完成するという方式をとることで誰でもアーティファクトの機能を使えるようにしたのだ。無線機以外にも幾つかハウリアには渡してあるが、この方法を使ったアーティファクトは他にも色々と使えそうなのでそのうちハウリアに与えたのとは別に試してみるつもりでもある。

 

そうしているうちに今度は真っ黒なドレスを身に纏ったリリアーナが出てきた。その表情もこの晴れの日に相応しい明るさとは無縁の、不機嫌そうな顔。ドレスの色と言い仕事ですからと言わんばかりの表情と言い、本当に晴れの舞台なんですか?と問いたくなるような姿だった。まぁ、原因は分かっているのだけど……。その頃には俺の仕込みも終わり、過重労働を強いられた俺の脳みそは甘味を寄越せと大合唱だ。

 

その声に従って俺も適当に菓子の類を皿から拾ってきては口に運んでいった。3つ4つも食えば脳みそからの指令も落ち着きを取り戻したようで、俺はまた会場の隅へと戻っていく。しかしそこにはジトッとした目線を俺に向けてくる八重樫と香織がいた。しかも戻ってくるなり「リリィに何かしたんでしょ」とまるで容疑者だ。

 

俺が誓ってリリアーナには何もしていないと言っても信じる様子は無い。いやいや、本当だって。

俺はその視線から逃れるために思わずユエをダンスに誘う。ユエも理由はともかく、誘ってくれたことが嬉しいのか喜んで俺の手を握ってくれた。そしてユエを連れ立ってダンスホールへと抜け出し、元姫様でありこういう場でのダンスも経験のあるユエにリードされながら再び瞬光を利用してその踊りに合わせる。俺自身はダンスの経験なんぞろくにないのだが、瞬光の知覚拡大によってユエの全身の筋肉の動きを把握することで次の動きを予測、それに合わせることで辛うじて形にはなっているだろう。

 

やがてユエとのダンスの時間も終わりを告げる。俺は恭しくというかわざとらしくというか、ユエの手の甲にキスを1つ落とす───フリで実際には口を付けないイギリス式で締めた。気付けば周りの奴らから拍手が贈られているのが気恥しい。

 

周りからの視線を感じながら香織達の元へ戻れば次は自分だと言わんばかりに期待に満ち溢れた目をしてティオが手を差し出していた。瞬光の連続使用は疲れるので少し時間を空けたかったがまぁいいかと思ったその時、俺たちの間にスっと1人入り込んできた。月も星も見えない潰れた夜空のような漆黒のドレスを纏ったリリアーナだ。

 

「神代さん、私と1曲踊っていただけませんか?」

 

まさか今日の主役からのお誘いを断るわけにもいかないし、ティオには悪いが次はお姫様だな……と、俺は溜息を1つ入れて差し出されたリリアーナの手を取る。

 

「……ヒメノオサソイトアラバ」

 

それはそれとして正直面倒だなぁと思ってしまうのは許してほしいものだ。

 

「……心底面倒臭そうなのはこの際気にしません。えぇ、何せ私心の広いお姫様ですからっ!」

 

微妙に冷たい目線を向けられるがそれは放っておいて再びダンスホールでの社交ダンス。2回目ともなれば少しずつ感覚は掴んでくるもののようで、先程ユエと踊った時よりは瞬光で脳みそを酷使せずに踊れている。

 

その踊りの合間を縫ってリリアーナが俺の肩口に顔を寄せて話しかけてくる。

 

「……先程はありがとうございました」

 

「やっぱりそれか……」

 

俺がアーティファクト越しに見た気分の良くない光景。それは、リリアーナが婚姻関係を結ぶはずの皇太子に乱暴されている光景だった。どうにか最後の一線は越えさせずに皇太子を落としたのだが、恐らくそれもあってリリアーナのあのつまらなさそうな表情と真っ黒なドレスなのだろう。

 

「えぇ。まぁ、遅かれ早かれ……だとは思いますが」

 

「だろうな。あれじゃあ根本をどうにかしないとその場凌ぎにしかならねぇ」

 

それに対してリリアーナはあれを見られたらもうお嫁に行けないっ!なんて言ってわざとらしくしなだれかかるように俺に引っ付く。それも、ダンスの流れに合わせてごく自然に。

 

「……香織や雫から貴方に助けられた時のことを聞いて、正直少し憧れていたのです」

 

精神的に元々早熟なのか環境がそうさせたのか、リリアーナは歳の割には大人びた言動が多い。ていうか、多分俺より余程大人だと言えるだろう。だが本来の彼女は俺達の世界で言えばまだ中学生くらいであり、本来蝶よ花よと愛でられたり、恋に恋する乙女だとか言われていてもおかしくはないのだ。

 

であれば自分のピンチに王子様のような奴が助けてくれる!というシュチュエーションに憧れるのも無理はない。それをしたのが俺であり、しかも蜘蛛型の小型遠隔操作アーティファクトで行ってしまったところは申し訳ないが……。

 

「そりゃ悪かったな。助けたのが俺で、しかもあんなんで」

 

「いえ、それでも私は嬉しかったです。……もし私が、あんな人と結婚したくない、助けて、と言ったら、助けてくれますか……?」

 

きっと、リリアーナは断ってほしいのだろう。ここで完全に退路を断ち、そしてあの暴力的な男と否が応でも結ばれる。今後の大多数の人間の幸福のために、自分の幸福をかなぐり捨ててでも。そして、この言葉はそれでも彼女の本心なのだろう。誰かのために自分を殺せる女の子の、最期の叫び。

 

「……武偵憲章1条、仲間を信じ、仲間を助けよ」

 

「それは……」

 

「俺ぁアンタを仲間だとは思ったことはねぇが、良かったな。どっちにしろ今の帝国は今夜で終わる。そうすりゃまたあの皇太子と結婚することになっても今度はお前の方が立場は上だよ」

 

「………………はい?」

 

何のことだと完全なキョトン顔になったリリアーナを尻目に俺の耳にはハウリアからの言葉が入り込む。

 

───こちらラビット8、Sポイント制圧完了

 

───こちらラビット10、ポイントYの制圧完了

 

「気にすんな。それより、アンタぁ年の割に甘えんのが下手だな。言葉通りに受け取られたらどうするつもりなんだ?」

 

「───っ!?それは……」

 

俺はそれ以上には言葉を紡がずにダンスに意識を戻す。そうして睨まれつつもどうにかダンスタイムを終え、拍手に囲まれながら僅かながらの余韻に浸っていると、リリアーナと繋いだままだった手が軽く引っ張られる。そちらを見れば何か言いたげなリリアーナがいたが俺はそういえばと手を離そうとした。だがそれはリリアーナが手に力を入れて拒否。ん?と疑問符が浮かぶが俺が何か言う前にリリアーナの方から口を開いた。

 

「ありがとう」

 

そう呟いたリリアーナは咲き誇るような笑顔で、きっとそれは14歳の少女の持つ本来の魅力なのだろう。俺は「あぁ」とだけ返して、他の人とも踊る必要があるらしいリリアーナと別れて身内の元へと戻っていった。

 

 

 

「天人くんは意外と女ったらしだよね」

 

だが俺を迎えたのは香織のそんな酷い一言だった……。だから別に誑してねぇってば。

 

 



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ハルツィナ樹海再び/理想の夢世界

 

大迷宮で手に入れた神代魔法は俺にとってほとんどが適性のないものだった。だが適性というものが無くともその使い方や効果の程は脳みそに書き込まれている。だからそこ俺はそれらを今のところ唯一適性のある生成魔法を使って鉱石に付与、限定的であってもその強力な魔法を扱うことができるのだ。

 

そしてつい最近手に入れた神代魔法こと魂魄魔法も俺にはやはり適性が無かったのだが、それを鉱石に付与することで本人と連なる魂、つまり血縁関係のあるものに同じ誓約を課すアーティファクトを作り出していた。

 

そしてそれは過たずヘルシャー帝国皇帝の首に架けられた。亜人族や樹海への不干渉と奴隷の解放、迫害の禁止の誓約と共に。そしてそれらを法で制定することとそれの遵守も誓約には盛り込まれている。これによって当座の時間を稼ぐことができるだろう。

 

解放された元奴隷の亜人族達をフェアベルゲンに帰し、帝城で誓わせた亜人族への不干渉を長老衆達へと目の前でガハルドにもう一度宣誓させては即送り返し、俺達は大樹の周りの濃霧が多少晴れる周期までここに居座ることとなった。

 

で、カムがフェアベルゲン長老衆達から自分らの望む要求を突き付け割と強引にそれを取り付けたのを見てシアは顔を覆い、俺は俺で香織に念話で「あぁはならないでくれ」と頼んだのだが、その時の香織の返答が「それは今後の天人くん次第だよ?」と返されてしまい1人膝を付いていた。

 

なので俺は腹いせ代わり……ではなくキチンと香織を鍛えるために彼女を修行へと連れ出していた。ユエやティオも一緒だ。2人がいればそれなりに無茶ができるからな。見学したいとかで勇者一行も着いてきたが、何かあればシアに止めてもらおう。

 

そして俺と香織は町から外れた開けた空間で向かい合う。

 

「再生魔法だけじゃなくて魂魄魔法まであるからな。前より強度を上げてくぞ」

 

「分かってるよ。この身体ももっと上手く動かせるようになりたいし」

 

俺が両手にトンファーを構えれば香織も大剣を2本両手に構える。あの身体には双剣を操る技能が備わっていたのだが、元々ノイントが持っていた大剣はどっかにいったり砕いたりしてしまったので俺が錬成で新たに作り直したのだ。

 

「じゃあいくぞ」

 

一応事前に天之河達には見てるのは良いけど干渉はしてくるなよと釘を刺してはいる。それがどこまで通じるのかは知らないけどな。

 

俺が1歩踏み出そうとした瞬間、香織が銀翼を展開して爆発的な速度でこちらへ飛び込んで来た。俺は機先を制される形となり思わず受けに回ってしまう。袈裟斬りに振り降ろされる右手の大剣を左のトンファーで受ける。金属のぶつかり合う音と共に今度は逆手に構えられた大剣が俺の胴体を両断しようと薙ぎ払われる。それを右手のトンファーで押さえながら俺は爪先で香織の鳩尾を蹴り上げようと脚を振るう。だが香織はそれを後ろへ跳ぶことで回避、その上至近の距離から銀羽の弾丸を放ってくる。俺はそれに対して敢えて転び、地面を転がることで初撃を回避、腰を落とした状態からクラウチングスタートのように駆け出して香織の周囲を、円を描くように走りながら次々に放たれる銀羽の雨から逃れていく。ちょうど香織の周りを1周しようかというところで香織が銀羽の弾丸を放つことを止め、走る俺と線で交わるように大剣を振り被って直進してくる。

 

1秒にも満たない刹那の合間に俺達は激突する。だが俺は次こそ下がることなく香織の大剣を迎え撃つ。

 

下から交差するように掬い上げられた双剣をトンファーで弾き、踏み込みを止めずに膝蹴りを香織の鳩尾に叩き込む。下がった側頭部にトンファーの右フックを当てて香織の視界を揺らす。そして返す力で裏拳のように顎を強かに打ち据える。そこからはもう香織に反撃させる隙なんて与えない。双大剣の殺傷圏内の更に内側に入り込んだ俺はレバー、鳩尾、ストマック、顎を中心に鎖骨や大腿部等をトンファーと膝で打ち込んでいく。香織は即座に後ろへ逃げようとするがそれを俺は香織の足を踏み抜いて逃がさない。俺はトンファーを肩に叩きつけてその骨を叩き折る。そしてトドメとばかりに香織を蹴り飛ばして終わり。地面に転がされた香織は頭部は潰れ顎が砕けて胴体も歪な凹み方をしている。

 

「ユエ、ティオ」

 

「……んっ」

 

「容赦ないのじゃ……」

 

ティオの魂魄魔法とユエの再生魔法で元の黄金比の身体を取り戻す香織。息も戻り咳き込むことすらなく意識を覚醒させられるのはこれが回復魔法ではなく時間を巻き戻すことで実質的な負傷からの回復を図る再生魔法だからだろう。

 

香織には元々こうなることは言ってある。魂魄魔法と再生魔法で死んでも直ぐなら蘇生できる以上はノイントの身体を乗りこなす訓練も極限までやると。実際王都に戻ってくるなりバタバタとしていた上に移動手段が空路であったためにこれまでその機会は無かったけれど、今は時間があるのだから追い込めるだけ追い込むつもりだ。

 

「……上げてくぞ」

 

「うん……」

 

それは今の戦闘が準備運動であった印にして次はもっと強度の高い戦闘を行うという合図。先の戦いで俺は固有魔法を使わなかったけれど今からのそれでは使っていく。それを3本。

これがいつもやっていた俺と香織の戦闘訓練。香織の身体がノイントのそれになる前でも行っていたメニューで、実際死ぬまではやらなかったが、これまでも、特に再生魔法を手に入れてからは相当な強度で行っていたから香織も慣れたものだ。本人曰く、魔物の肉を喰った時よりは痛くないらしい。

 

俺と香織はお互いに10メートル程の距離を取って獲物を構える。香織は双大剣、俺はトンファーではなく1本の、細身の大太刀。纏雷と空間魔法の仕込まれた刀だ。俺は腰を落とし、やや半身になって刀を構えると、縮地で一息に眼前に踏み込む。

 

──その後30分程、フェアベルゲンの奥では金属がぶつかり合う音と土の地面が爆ぜる音が鳴り響いた──

 

 

 

───────────────

 

 

 

あの後、俺にボッコボコにされた香織はいつも通り自主練と称してユエやシア、ティオとも戦闘訓練を行っていた。それを見た天之河達は、文字通り死ぬ程頑張る香織に触発されたのか、俺に訓練を付けてくれと頼み込んできた。どうせ香織の気が済むまで俺も手持ち無沙汰になるのでまぁいいかと天之河、坂上、八重樫と谷口の4人組をまとめて相手取っていた。もちろんユエが香織と模擬戦をやっているので死ぬまでは追い詰めずに精々半殺しが良いところだが……。

 

そうして血の滲む様な修行をしつつ、霧の晴れる周期を迎えた俺達は大樹の前へとやってきたのであった。

 

「悪いけど、本当の大迷宮ってやつぁお前らがいたオルクスの表面とは何もかも違う。俺だってお前らをいちいち庇ってる余裕はねぇ。死にたくなけりゃ石橋を叩いて砕く位の用心をしろ」

 

天之河達勇者パーティーを見渡せば皆一様に緊張した面持ちで頷く。そしてユエ達を見ればこっちも多少の緊張は見られるものの、香織でさえこれで3度目の大迷宮だ。メンタル的には問題なさそうだった。

 

「……行くぞ」

 

そして俺達は大迷宮へと足を踏み入れた。

 

「……行き止まり、なのか?」

 

天之河がそう呟いた。確かに大樹に空いた空洞に足を踏み入れた俺達だったがそこはただ真っ暗なだけで何も無かった。だがその瞬間に俺達の入ってきた入口は音も無く閉じ、完全に閉ざされてしまった。すると足元が急に輝きだし、魔法陣が現れた。

 

「どっかに飛ばされるタイプの魔法陣だ。飛ばされた先で呆けるなよ」

 

かつて俺も含めた異世界組が痛い目を見たあれだ。天之河達も同じことを思い出したのか「分かっている」と短く一言。そして俺達の視界は光に塗り潰された。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ここは……」

 

俺達の視界に色彩が戻った頃に広がっていた光景、それは樹海だった。だがハルツィナ樹海のように霧に覆われたいやに薄暗い所ではない、のだがそれが逆に不気味だ。まずデカい木の中にさらに樹海が広がっているのがよく分からん。さすがは大迷宮と言えば良いのだろうか。

 

「神代、ここからどこへ向かえばいいんだ?」

 

と、天之河が問いかける。どこ、って言われてもなぁ……。

 

「それを探るところから始まるのが大迷宮なんだよな……」

 

とは言え360度見渡す限りただの樹海だ。俺達はどうやら開けたサークル状の空き地にいるようだが、アマゾンのような熱帯雨林気候でないことは救いだろう。俺は取り敢えず手頃な木に追跡の固有魔法で矢印のマーキングを残した。それを見て天之河達も取り敢えず歩くしかないのだと悟り、そして神代魔法を手に入れるためには大迷宮にそれを攻略したと認められなきゃいけないからと率先して歩き出した。なのだが……。

 

───ドパァッ!

 

と、吐き出すような音と、それを置き去りにした弾丸が俺の構えた拳銃から放たれ、それは狙い違わずにユエの左腕を撃ち砕いた。その場にいた全員が俺の方を振り向く。何せ攻略開始数秒での発砲だ。そりゃ驚くだろう。新学期初日の挨拶で発砲したピンクツインテールもいたけどな。

 

「な、何を……」

 

それは天之河の呟きだっただろうか。シアも俺とユエを見比べ、掴みかからん勢いで詰め寄ってくる。そうしてもう一度ユエの吹っ飛ばされた腕を見て───

 

「偽、者……?」

 

そう、ユエの欠損した細く白い腕から滴っているのは明らかに血液ではなかった。だからと言って肉でもない。ただ赤いドロッとした半固体の、言ってみればスライムのような何かだった。

 

「お前は何だ?」

 

俺はそう問いかけながら再び拳銃を構える。照準は頭。だがユエの姿をした何かは答えない。ただ俯くだけ。ならばと俺は周りを見渡し、ティオと坂上の頭を同じく拳銃で撃ち砕く。

 

パァン!と破裂して飛び散ったのは薄ピンクの脳漿ではなくこちらも赤くドロリとした何かだった。そして頭を撃ち抜かれた2人と同じ姿をした何かはそのまま崩れるようにしてその姿を赤い液体と固体の狭間のようなものに変えていった。ユエの姿をした何かも、俺の問に答える気は欠片も無いようなので、頭を撃ち砕く。そして今後の襲撃に備え、俺は不可視の銃弾を選択肢に残す為に両脇のホルスターに拳銃を仕舞い込んだまま告げる。

 

「今見た通りコイツらは偽物だ。本物は転移の瞬間に別のどこかに飛ばされたんだろう。ここに飛ぶ直前に頭ん中を探られる感触があった。これからはこうやって俺達の偽物が後ろから狙ってると思え」

 

「……えぇ、肝に銘じておくわ。……でもなんでユエ達が偽物だって分かったの?」

 

と、神妙な顔をした八重樫が問い掛ける。俺はフッと肩を竦め、当然だろうと切り出した。

 

「姿形だけ本物っぽく作ったって俺ぁユエを見間違えねぇよ。それに、1人偽物がいるって分かれば後は俺ん義眼で見抜けるからな」

 

それで坂上も偽物だと分かったんだよと言えば勇者組は皆目が点になっている。……そんなに変な事言ったかな。

 

するとシアがちょいちょいと俺の服の裾を引っ張ってきた。それに振り向けばウサミミをヘタらせたシアが上目遣いでこちらを見ている。

 

「……もし私が偽物だったら、天人さんは見た瞬間に見抜いてくれますか?」

 

シアのその問いかけに全員の視線が一気に俺に集まる。香織なんか滅茶苦茶に興味津々といった風だ。その好奇の光に輝く瞳は溢れ出る好奇心を隠そうともしていない。

 

「……まぁ、多分」

 

思わずそっぽを向いて答えてしまったが腕にはしっかりとシアが組み付いている感触が伝わってくる。あとウサミミが俺の頬を啄きまくっている。モニュモニュ、モフモフと俺の五感がだいぶ大忙しだ。特に触覚が混乱しそう。

 

「ほら、もう行くぞ!」

 

と、どうにかシアの魅惑の柔らかさを振り切って歩き出すも背中に突き刺さる視線の生暖かさだけはどうにもならなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

樹海を奥へと進み、諸事情あり奪った天之河の視力を香織に回復させたところで俺の気配感知に小さな気配が1つ引っ掛かった。シアも気付いたようで2人同時に後ろを振り返るとそこには1匹の小柄なゴブリンがいた。体格的にはゴブタくらいだろうか。だが魔国連邦でそこそこ良い暮らしをしているアイツよりかなり見窄らしい。そいつは俺たちを見て一瞬嬉しそうな顔をし、「グギャッ!」と声を上げたものの、自分の声に驚いたのか、一瞬自分の口元を押さえて無表情になった。俺が声を掛けようとしたその瞬間、天之河が聖剣を大上段に振り上げてそのゴブリンを一刀両断にせんと襲いかかった、なので───

 

「待てぇ!」

 

と、縮地で即天之河とそのゴブリンの間に入り込んで振り降ろされる天之河の両腕を掴み取った。

 

「なっ!?どうしてだ!!」

 

「コイツはユエだ」

 

「……は?」

 

全員、どっからどう見ても大迷宮の魔物だろう、声も聞いたし、完全にゴブリンじゃん。みたいな顔をしている。だが当のユエゴブリンはそれを聞いて嬉しそうに声を上げるだけ。しかしさすがはシア。シアだけは気付いたようで「あぁ!」と手を叩いた。

 

「だろ、ユエ」

 

と、俺が天之河を離しながら振り向けばユエゴブリンもまた嬉しそうに鳴き声を上げた。

 

「取り敢えず香織、再生魔法を頼む」

 

「え?天人くんの頭に?」

 

「ユエにだっ!」

 

「えぇ、それ本当かなぁ……。まぁいいや、……絶象」

 

香織の再生魔法が発動する。銀色の魔力がユエゴブリンに降り注ぐ。だが変化は無し。これも何かの神代魔法なのだろうか、どうやら時間を巻き戻す再生魔法であってもユエのこの変質は戻せないらしい。まぁここに挑戦できる時点で再生魔法があるのは明らかなので何か仕掛けがしてあるのだろう。「ほらぁ」と俺を訝しむ香織達を放っておいて、俺は取り敢えず他の奴らとも意思疎通ができるようにと念話石のネックレスをユエに渡す。魔法も使えないゴブリンの姿ではあるけれどどうやら魔力は通せるようでそれを身に着けたユエは直ぐにそれを通して言葉を発する。

 

「……天人、天人。聞こえる?」

 

竜化したティオよろしく、辺りの空間に響くようにユエの可愛らしい声が聞こえる。別れてからまだそんなに経っていないはずなのに無性に懐かしい声に思わず頬が緩む。

 

「あぁ、聞こえるよユエ。……無事で良かった」

 

「……んっ。天人なら気付くと思ってた」

 

「当たり前だろ。俺がユエを見失うなんてことがあるもんかよ」

 

「……嬉しい。大好き」

 

「あぁ、俺も大好きだよ、ユエ」

 

「……ふふっ……ティオは?」

 

キチンと切り替えはできるユエ様、しかし無情にも坂上をスルー。

 

「あぁ、多分ユエと似たようなもんだと思う。何の魔物にされたかまでは分からないけど。まぁどうにかするさ」

 

「……んっ」

 

さて行こうかと振り返ると、そこにはシア以外の全員がポカンとした顔を浮かべていた。

 

「……だから言ったろ?俺がユエを見紛うことなんて有り得ないって。ほら、さっさと次行くぞ」

 

 

 

───────────────

 

 

 

途中でこれまたゴブリンに変えられていたティオと2足歩行の狼っぽい奴に変えられていた坂上を回収して歩みを進めていた俺達の前に現れたのはデカい木の化け物だった。何やら枝や根っこを突き刺したり生い茂った枝葉でわしゃわしゃやったりという攻撃手段しか取れない割に、パワーや手数がやたら多く、ここいらでいっちょう戦果を挙げるぞと勇んで挑んでいった天之河達は大苦戦を強いられている。というか、天之河の必殺技こと神威を防がれてしまい、今は谷口の作った聖絶に引き篭って耐えているだけだ。それも香織の再生魔法である刻永のおかげで一秒ごとに再生する聖絶だからこそだ。

 

俺達はと言えばビット兵器の空間遮断結界の中に引き篭ってそれを後ろから見ていた。香織も支援こそしていたが基本こっち側にいる。あの木の化け物、次々に樹木を発生させてさらにそれを操る能力を持っているらしく、俺達までド派手に巻き込まれているのだ。おかげで辺り一面が完全に木に覆われてしまっている。

 

「ありゃあ無理そうかな……」

 

「勇者さんが限界突破すればいけそうじゃないですか?」

 

「んー、それのさらに上を使えば抜けそうだけど、時間切れになると疲労感がすげぇんだよな。回復魔法じゃ抜けないし、再生魔法は割に合わん」

 

「ふむ、しかしことここの大迷宮であればこんな単純な戦闘の成果は気にしなくても良いのではないかの」

 

「前に言ってた"大迷宮のコンセプト"のことか?」

 

「そうじゃ。恐らくハルツィナ樹海の大迷宮は絆を試しておるのではないかの」

 

「そういや入口にもそんなこと書いてあったな」

 

俺はティオの言葉にふと大樹の傍に置かれていた石碑を思い出した。

 

「うむ。あれは単に亜人族の助けを借りられるかというだけでなく大迷宮攻略の時にも絆を試すということなのじゃろう。仲間の偽者を見分けられるか、姿の変わってしまった上に戦闘力も失った仲間を受け入れられるのか、そういうのを試しておったのじゃろう」

 

「なるほど、確かに紡がれた絆ってやつを試されてそうだな。ということは最悪あれは俺達が倒しちまっても天之河達も攻略は認められるかもな」

 

偽物はまったく見分けられなかったけど。まぁ魔物の姿になった坂上と一緒に今も引き篭ってるし大丈夫だろう。しかしなるほど、そういうことなら……。

 

「谷口、今からここら辺全部焼き払うから聖絶は解くなよ?解いたら死ぬぞ」

 

と、取り敢えず谷口には念話で注意喚起しておく。まぁ最悪香織がキープしてくれるだろうから大丈夫だ。

 

俺は結界の外に感応石を仕込んだ円月輪(チャクラム)を召喚する。それの刃には風爪が付与されており樹木を切り裂きながら上空へと上っていく。そして俺はもう1つの円月輪を手元に召喚し、そこの空洞に異世界タールをドバドバと流し込んでいく。その穴は空間魔法でさっき飛ばした円月輪の穴と繋がっていて、木の化け物やその周りをタールが黒く染めていく。本来は拳銃と併用して背後から銃撃するための道具なのだが、案外こういう使い方もあるのだ。

 

目的に対しておおよそ充分な量を撒き散らしたところで俺はハンニバルの炎を僅かに投げ込む。そうすればその炎はタールに引火して外の世界は灼熱に包まれた。断末魔でも聞こえてきそうな程に木の化け物が暴れ回り、それが余計に延焼を手伝う。摂氏3000度の獄炎が木の化け物を包み込み焼き払う。燃焼時間の極端に短いタールの性質も相まって割と直ぐに火はある程度までは収まった。

 

しかし、タールは無くなっても木はよく燃える。延焼に延焼を重ねて森林火災のようになっていたがそれは香織が水属性の魔法で鎮火。随分と見晴らしの良くなった大迷宮を見渡し、さっきの化け物の残骸が作り出した次の試練への入口と思われる穴へと俺達は足を踏み入れた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ご主人様、朝ですよ」

 

鈴の音を転がしたような声が耳をくすぐる。瞼を照らす光と愛おしいその声、肩を揺すられる感触に意識が覚醒していくと共に左腕に何やらマシュマロの如く柔らかな感触が伝わる。態々見なくてもそれが何だかは分かっている。

 

「ユエ様も、朝ですよー」

 

そう、ユエだ。どうせ夜のうちに俺の布団の中に潜り込んだのだろう。俺は天国のように心地の良い空間に納まっている左腕はそのままに顔だけを愛する女の方へ向ける。

 

「おはよ、リサ」

 

「はい、おはようございます、ご主人様」

 

「……ん」

 

そうするとユエも意識を引きずり出されたのか、その瞳を開き始めた。

 

「おはよ、ユエ」

 

「……んっ、おはよう天人、リサ」

 

「はい、おはようございます。ユエ様」

 

俺とユエは2人して両腕を真上に伸ばしながらクワッと大きな欠伸をしてから眠気眼を擦り洗面所へと向かう。途中、リビングの脇を通った時には配膳をしていたシアとコーヒーを啜りつつ新聞を読んでいたティオにも「はよ……」と声だけ掛ける。シアのウサミミのような大きなカチューシャが揺れるくらいに元気良く「おはようですぅ!」と返せば、ティオも落ち着いた笑みで「おはようなのじゃ」と返してくれる。いつも通りの光景、いつも通りの朝。洗面所への扉を開ければちょうど今しがた顔を洗い終えた咲那とすれ違う。

 

「はよ」

 

「んー」

 

そう、この気の抜けた返事、これもいつも通り。

 

───目を覚ませ

 

朝飯を5人で食べ終え、先に出るティオとは出かける前恒例のキスを交わし、ティオは満足気に自分の職場へ向かっていく。それを見送った俺達はそれぞれ武偵校へ行く支度をしていく。

 

リサから受け取った拳銃を脇のホルスターに差し、臙脂色のブレザーに袖を通す。そうすればリサはいつも通り「モーイ、よくお似合いですよ」と聞いているこっちが恥ずかしくなるくらいに褒めてくれる。そう、いつも通りだ。俺が守りたくて、守り続けてきた光景がここにはある。

 

そうして台場にある俺達の住むマンションの一室、そこから4人で出れば俺達の2つ隣に住む、まだ幼稚園に通うミュウという女の子とその母親のレミアさんとばったり出会う。父を余りに早くに亡くし、本当の父を知らないミュウは俺をパパだと慕ってくれるし、ミュウの母親であるレミアさんもそれを咎めることはしない。彼女らと知り合ってからそんなに日は経っていないけれど、前に1度レミアさんから依頼としてミュウの子守りの仕事を請け負ったことがあり、それからは結構深い付き合いだ。時たまお互いの家に呼びあって飯を食ったりミュウを連れて遊びに行ったり。ミュウもリサやユエ達のことをお姉ちゃんと呼んで懐いている。そんな親子と朝の挨拶を交わして俺達は晴れやかな気分で武偵校へと向かうのであった。

 

───起きろ

 

 

 

───────────────

 

 

 

今日は1日調子がおかしいようだった。朝だけではない。学校に着いて、ジャンヌや透華、樹里と顔を合わせた時、午前の授業をフケて理子や透華、咲那とでゲーセンに篭っていた時、ユエとシアが午前中から任務に行ったのでリサと咲那と昼飯を食っていた時、授業フケたのがどっかから伝わったのか放課後に電話で彼方にお説教されてる時、帰りにその3人で夕飯の買出しに行った時、常にどこからか声が響くような気がするのだ。

 

───目を覚ませ、起きろ、気付け。

 

まただ。何だ、誰が俺を呼ぶんだ。

 

夕飯を食べ、風呂も入り終えた俺はその違和感を振り払うようにベッドの中に飛び込んだ。ボフリという布団を叩く音がするがそれでも違和感は消えない。布団は俺の心までは包み込んではくれないらしい。ゴロりと俺が仰向けになると、ユエが寝室の扉を空けて入ってくる。薄いネグリジェ姿が扇情的だ。その後ろからはリサ達、というか、この家に住む全員が入ってきた、俺が愛している女達だ。

 

「……どうした?」

 

俺の質問に答えるより先にリサが俺の後ろに回り込んで包み込むように抱き締める。

 

「大丈夫ですよ、ご主人様」

 

「……何も不安に思わなくていい。私達はずっと天人の傍にいる」

 

ユエが俺の唇に白魚のような指を這わす。シアとティオがそれぞれ俺の両腕に自分の身体を絡ませ咲那は俺にのしかかるように身体を預けてきた。俺はシアに取られた右腕の肘から先だけを動かしてそれを受け止める。

 

「大丈夫、大丈夫だから……」

 

そうして俺の頬へ手を伸ばす。ゆっくり、指先を震わせながら伸ばされたそれは例えるならそう、まるで今際の際かのように、()()()のように───っ!?

 

「きゃっ!?」

 

急に立ち上がった俺に押し退けさせられたようで、可愛らしい悲鳴が上がる。その声を上げたのは誰だっただろうか。だが俺の頭にはそんなものは入ってこない。今俺の頭に鳴り響くのはパチ、パチと思考の繋がっていく音だけだからだ。

 

「まったく、自分が嫌になるね……」

 

「ご主人様……」

 

「なぁ、リサお前は俺が死ねと言えば死んでくれるのか?」

 

「……ご主人様がそれを望むのなら」

 

「ユエ、ユエは俺が俺以外の全てを切り捨ててくれと言ったら捨ててくれるか?例えそれがシアやティオ、ミュウ達でも」

 

「……んっ、天人がそう望むのなら」

 

「そうかよ……」

 

「ご主人様、私達は───」

 

「お前がその声で喋るな。その顔で俺を見るな。偽者風情がリサやユエを騙ってんじゃあねぇ!!」

 

リサがそんなことを言われて素直に死ぬわけがない。ユエがシア達を切り捨てられるわけがない。だから、お前らは偽者だ───!

 

「……天人、私達は偽者なんかじゃない───」

 

「俺の記憶を読み取ってその理想を体現した存在だってか?馬鹿じゃねぇのか?」

 

 

そんなもの、偽者以外になんだって言うんだ。

 

 

──ユエ、俺達の力は異端だ。きっと面倒に巻き込まれるだろう

 

んっ

 

けどそんなものは関係無い。俺がユエを守る

 

私は天人を守る

 

邪魔する奴は潰す。俺たち2人で世界を越えよう──

 

 

蘇るのはあの時の誓い。

 

「ここは天人にとって痛みも無く苦しみもないとっても理想の世界なんだよ?」

 

……咲那、か。

 

「お前は一体何なんだ?咲那はなぁ、あの時俺が殺したんだよ。俺の記憶から未来の姿でも想像したのか?……はっ、大迷宮のくせに手が込んでいやがる」

 

あの時の絶望を、悲しみを、怒りを、痛みを、苦しみを、俺は忘れない。あの時俺が手に掛けた両親と咲那の、人の形を成していない肉片となった亡骸を、俺は死ぬまで記憶の中に引き摺るだろう。俺の未熟が招いた地獄は俺の物だ。他の誰のものでもないし、ましてやそれを無かったことになんて絶対にさせない。これは俺が背負わなきゃいけない十字架なんだから。

 

バチッ!と魔力が紅の雷となって放出された。それを皮切りに俺は真紅の魔力光を迸らせながら空間を飲み込むように魔力を放出していく。

 

「……何故」

 

ユエのような何かが呟く。何故、か。んなもん決まってんだろうが。

 

「痛みも苦しみもなく幸せだけの時間、か。……はっ、そんなもんクソ喰らえだ。あの絶望があったから俺はリサと愛し合えた!あの痛みがあったから俺はユエ達と出逢えた!記憶は時間だ。確かに!俺の時間は苦しみだらけだったよ……。けどなぁ、それがなきゃ手に入らねぇもんだってあったんだ!それを解放者だかなんだか知らねぇが、勝手に奪ってんじゃねぇよ!!」

 

俺はさらに魔力を放出していく。

バキッ……バキッ……と、何かがひび割れる音が鳴る。まだだ、まだこんなもんじゃねぇだろ!

 

──限界突破──

 

この薄汚い冒涜に塗れた世界を砕かんとばかりに魔力が迸る。甘くて生温いだけの夢、確かに蕩けるくらいに最高で幸せな(胸くそ悪くて最低な)気分だったよ。

 

そして俺の魔力光によって紅蓮に染め上がる世界。塗り潰され、内側から風船のように膨れ上がる苦しみから悲鳴を上げるように、ガラスが割れるような音がそこかしこで響く。そして───

 

 

───バリィィィィィィンン!!

 

 

───世界が砕け散った───

 

 

"合格だよ。甘くて優しい、与えられるだけのものになんて価値は無い。痛みと苦しみを伴っても現実で積み重ねて紡いだものこそが君を幸せにするんだ。忘れないでね"

 

その声を俺が最後まで聞き届けることは無かった。それよりも早く、意識が闇の中へと沈んでいったのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……ここは」

 

目が覚めるとそこは灯りの無い空間だった。だが夜目の固有魔法のおかげで不自由は無い。

周りを見渡せば、あるのは棺のような琥珀色の物体だけ。それが8つ、円を描くように配置されていた。手近な琥珀の棺を覗けばそこにいたのはユエだった。意識は無さそうだが眠っているかのように胸が上下しているから、生死の心配は無さそうだ。他の琥珀も見て回るとやはりそれぞれの棺に1人ずつが収められていた。恐らくあの夢から覚めればこの棺から出られるのだろう。個人的には一刻も早く本物のユエに会いたかったけれど、それで棺を壊してユエが大迷宮の試練に不合格になるような事態は避けたいから我慢することにした。俺はユエの棺に背中を預けて腰掛ける。すると腰掛けた瞬間背中を支えているものが無くなり、後ろに手を着いて身体を支えたが、俺は危うく後ろにひっくり返るところだった。

 

「……ユエ」

 

「……んっ、天人」

 

目を開けたユエの瞳を覗き込む。あぁ、これはユエだ。正真正銘本物のユエ。俺が愛した女。

 

「……天人?」

 

俺は思わずユエを抱き締めていた。もう絶対に離すもんか、ユエの居場所は俺の腕の中だと言うように。

 

「あぁユエ。会いたかった」

 

「……天人、本物」

 

「あぁ、ユエも本物だ」

 

俺達はお互いの目を見つめ合い、唇を貪るように重ね合わせる。水音とリップ音が大迷宮に響く。

一旦唇を離して銀糸の橋を掛けた後、また唇を重ねようとした時───

 

「はいはいまだ大迷宮は終わっていませんからねぇ!」

 

と、俺達は引き離された。

 

「……シア」

 

「はいそうですよシアですよー!なんで変な夢から覚めたと思ったらお2人の濃厚なキスシーンを見せられなきゃいせないんですか!?むしろこっちが夢かと思いましたよ!」

 

「いやぁ、何か長いこと離れ離れになってた気がしてなぁ……」

 

「……んっ」

 

「シア」

 

「はい、なんでしょ……おぉぉぉぉ!?」

 

シアを見ていたら急に抱き締めたくなってしまった。いや、理由は分かっているけれど。分かってはいるけれどそれを誤魔化したくて、ギュウッとシアを抱き締める。その柔らかな感触に心地良さを覚えながらもう片方の手でユエもまた抱き締める。あの夢の偽物なんかじゃない、本物の2人だった。

 

「えっ?あの天人さん?確かに嬉しいんですけど急にどうしたんですかていうか心の準備がまだ───」

 

「……天人、寂しがり屋」

 

「あぁ、そういうことですか。それならそうと言ってくれれば良いのに」

 

ユエ達が何か勝手に言っているけれどそんなことよりも今はこの2人を抱きしめていたかった。そうして俺はユエとシアを抱きしめながら頭を撫で、ユエ達は俺の頭を撫で、静寂が辺りを包んでいたところで───

 

「何か違うのじゃぁぁぁぁ!!」

 

ユエが魔法で作っていた光源の光量を上げればそこではティオが叫びながら目を覚ましていた……。

 

割と静かに目覚めるものだと思っていたのにこれは訳が分からない……。

 

「お、主たちよ、おはようなのじゃ」

 

「え、あ、はい。おはようございます」

 

余りに色々唐突すぎて思わず敬語になってしまった。抱き締められていたユエとシアを見てティオが仲間に入りたそうにこちらを見ていた。というか既にこっちまで四つん這いでやって来ている。

だが眼前まで迫ったティオの顔を見て俺は……

 

「ん?どうしたのじゃ主よ」

 

思わず目を逸らしてしまった。記憶が蘇ったのだ。あの夢の中で、朝に2人でキスを交わしたあの瞬間を。その時の唇の柔らかな感触を。

 

「何でもない」

 

取り敢えず俺はユエとシアの後ろに隠れる。多分暫くはティオの顔を見れない気がする。

 

「何でもなくはなかろうに……」

 

「……天人、夢にティオが出てきた」

 

「うっ……」

 

「ほう!そうなのか主よ!で?どんな夢で妾は主と何をしていたのじゃ!?」

 

「別に、皆いて、平和に暮らしてたよ。それだけ」

 

「むぅ、つれないのじゃ……」

 

「悪かったな普通の夢で。……そういやユエとかはどんな夢だったんだ?」

 

「……私が吸血鬼のお姫様で、天人が王様」

 

「ふむ」

 

「……子供は18人いた」

 

「ベンチメンバーまでぎっしり!?」

 

スタメンどころかベンチメンバーまで埋めてくるのは頑張りすぎでは……。しかも18人もいればベテランから若手まで一揃いだ。年齢構成もバランス良さそう……。

 

それから俺達はお互いが見た夢を報告しあう。シアの夢にもティオの夢にも俺が旦那的な立ち位置で出てきているのは喜べばいいのかどうなのか……。そうこうしているうちに今度は香織がお目覚めだ。香織は断固として夢の中身を語らなかったものの、どうせ南雲ハジメ君とよろしくやっている夢なのだろう。本人は隠しているつもりでも実は香織がむっつりなのはみんな知っている。

 

「こっちは全員揃いましたけど、彼らはどうします?」

 

と、シアが天之河達の収められた琥珀を見ながら言う。

 

「んー、取り敢えず俺は夢の中で限界突破使ったからしばらく休みたい」

 

魔力は回復したがあれの倦怠感はしつこくて、それだけでは抜けないのだ。

 

「何があったんですか……」

 

「なーんか、夢だって気付いたらなんかめっちゃ腹立ってなぁ」

 

ユエに膝枕をしてもらいながらゴロゴロと雑談を交わしていく。適当に腹ごしらえもしながら時間を潰していくと今度は八重樫が夢から覚めたようだ。やっぱりあの中じゃ1番に出てくるよな……。まぁ時間はだいぶかかったがそれでも出れたことには出れたので声をかけたのだが、何故だか八重樫から距離を置かれてしまった。何故……?

 

すると、それを見たユエとシアが夢の内容を八重樫に尋ねる。皆が出てた普通の夢だとか、随分とフワッとした答えに逃げた八重樫だが、ユエとシアはその八重樫をジィっと、それこそ穴が空くんじゃないかという程に見つめている。思わず八重樫も後ずさるくらいの圧力だ。だが八重樫がそれ以上何も語らなさそうなのを悟ったか2人とも諦めてこちらに戻ってきた。

 

それからしばらく待つが残りの3人が中々出てこない。リムルの世界の魔法が戻ってきたとはいえ、それかどれだけノイントのような存在に効果があるのかは分からない以上は天之河達にも神代魔法を習得してもらいたいのだが、さて彼らは出てこられるのか……?

 

その後、アーティファクト作りも一区切り付き、八重樫も回復したところでいい加減天之河達のタイムリミットとすることにした。これ以上は流石に大迷宮の攻略を先延ばしにはできない。

 

「香織、頼んだ」

 

「うん」

 

力技でこじ開けるよりも香織の分解で削った方が確実だろうということで、彼女の分解の魔力が琥珀の棺をバラバラにしていく。すると、ものの3分で3人とも夢の世界から強制離脱。坂上は悔しそうではあるがそう気にしていない様子。だが天之河は自分がクリアできなかったことが相当に悔しかったようで、奥歯を噛み締めている。また、一番深刻なのが谷口だ。どうやら中村と仲良くしている夢を見たようで、クリアできなかったことよりも夢の内容そのものを引き摺っている感じだ。だが大迷宮は反省している時間なんて与えてはくれない。全員が琥珀から出たことで次の道が開くのか、辺りが光に包まれる。

 

「天之河、谷口、反省する前に今は立ち上がれ。武器を取れ。迷っている間にお前らが死ぬぞ」

 

「あぁ、分かってる」

 

「う、うん……!」

 

その瞬間、光が爆ぜる。次の試練が始まる。

 

 



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最低最悪の試練

 

再び転移した場所はまたもや樹海の只中だった。だが今度の場所は天井も見えているし、明らかに目標と分かるくらいの大きな大木が奥にそびえている。一先ずはあそこを目指すのが早いだろう。

 

俺はぐるりと周りを見渡し、全員が揃っていること、その中に偽物が紛れていないことを確認して歩き出す。後ろで落ち込んでいる天之河と谷口には「死にたくなきゃまずは切り替えて集中しろ」とだけ伝える。大迷宮は自分の力の無さに打ちひしがれてる時間なんて無い。オラクル細胞を持つ俺でさえそうだったのだから、コイツらは自分の人生で最高の集中力を発揮しなけりゃ攻略なんて夢のまた夢なのだ。

 

それで一旦は皆が前を向いて、俺達は鬱蒼とした木々や草、蔓の間を掻き分けて進んでいく。

 

「……あっ」

 

と、そこで俺はふとあることを思いつき声を上げる。

 

「何か現れたのかっ!?」

 

俺の声に天之河達は思わず聖剣やアーティファクトを構えるけど、そうじゃないからとそれを納めさせる。

 

「いや、普通にこんな森の中通るの面倒だなぁって思ったんだけど、そう言えば楽に通り抜けられる手段があったなぁと」

 

と、俺が言えば勇者組は皆目が点になっている。そういえばコイツらの前ではまだ見せてなかったか。ユエ達はそれを聞いてあぁあれかと思い出したようだ。

 

「……そんな方法があるならもっと最初から使えたんじゃないのか?」

 

ごもっともです……。本当、忘れてたんです。

トータスに来てこっち、中々使えなかったから……。それを伝えれば皆呆れ顔だ。まぁ立場が逆なら俺も同じ顔をするしな。

 

「あぁでも……あれ使ったらここのエリアでの試練とかどうなるんだろ……」

 

と、俺が懸念を思い出せば皆も「あぁ……」というような顔をする。特にあの夢の世界を抜けられなかった3人はそれが顕著だ。試練をショートカットしてしまって神代魔法が手に入りませんでしたは洒落にならないからな。

 

「一応聞くけど、神代くんの思い出した手段ってどんなのなのよ?」

 

まさかまた全部焼き払う気じゃないでしょうね、と八重樫に釘を刺される。

 

「んー?あぁ、俺が取り戻した氷の魔法でここの樹海の上に道を作る。んで、一直線に向こうの大樹まで歩くってだけだ」

 

一応は非破壊ですよ。そんな俺が何でもかんでもぶっ壊す人に見えます?……見えてるんだろうなぁ。

 

「魔法……?取り戻す……?」

 

だが天之河達は疑問顔。方法よりも俺の言葉の方がよく分かっていない感じだが、あれ、話してなかったっけ?

 

「あぁ……まぁ、トータスがあるなら他の世界もあるよね?ということで」

 

詳しい説明は後でするからと俺は樹海の少し上に直径にして5メートル程の大きさで、氷の足場を作り出す。そして自力で上まで飛べる奴と飛べない奴を振り分ける。

 

「じゃあ八重樫と谷口は香織担当で。シアはユエ、天之河と坂上は俺が連れてく」

 

早速俺は2人を肩に抱えて縮地で跳び上がる。

 

俺が足場に2人を下ろすとちょうどそこへユエと香織がそれぞれ担当を抱えて、ティオも1人で身軽に上がってきた。そこで天之河から詰め寄られた俺は渋々この魔法の出処を話した。俺が天之河達とも違う世界から来たこと、異世界は他にも沢山あってこの氷の魔法はそこで手に入れたものだということ。そしてこの間までそれはエヒトと思われる奴に封印されていたということ。一応、俺が天之河達とも別の世界から来ているということは畑山先生からは聞いていたらしいが、それでもトータスとも違う世界の魔法を目の当たりにして天之河達は目を白黒させている。

 

「取り敢えず向こうまで道を作ってその上を歩いていくのが作戦なわけだが……」

 

どうする?と問う。俺としてはそもそもショートカットできる仕組みなのが悪いと思うんだが、捻くれ者だらけの解放者のことだからどういう判断を下すのかは正直よく分からない。特にここまで良い所無しの天之河達はここで乗るのは危ういかもしれない。もっとも、草木をかけ分けなくても結局大迷宮の試練が襲いかかってくる可能性は充分にある。そもそもここは戦闘力を測る試練ではないのだ。樹海の上を歩いたところでその上から何やら絆を試さんと試練が降って湧いてくることも考えられるのだ。……それすら屋根を作ってしまえば終わりなのだけど。

 

と、難しい顔をして天之河達が何やら思案していると、俺の頬に何やらポツポツと水滴のようなものが落ちてきた。何事かと上を見上げれば天井からそれこそ雨のようなものが降ってきた。だがここは大樹の中に敷設された大迷宮だ。雨なんかが降ってくるわけがない───!

 

「チッ……」

 

俺は思わず舌打ちをして頭上にも魔法陣を展開。足場と同じ大きさの氷の塊を出現させる。

 

そして俺が氷を見やればそこに溜まっていくのは水ではなかった。乳白色のドロリとした半固体、スライムやなにかだろうか。だが俺の気配感知や義眼の魔力感知を通り抜けるということは相当なレベルで気配や魔力を遮断していなければできないことだ。流石は大迷宮の罠ということだろうか。しかも、下を見れば地面だけでなく木の幹や枝葉からもその乳白色の何かは絞り出されている。あのまま下にいたら埋もれていたかもな……。だが安心するのはまだ早いようだった。

 

 

───ドバァッ!

 

 

と、俺達の眼下の樹木からその白く濁ったスライムが噴き出し屋根の内側にぶち当たって跳ね返り、俺達に降り注いだ。俺は纏雷を発動してそれを弾き、坂上とシアがそれぞれの武器に仕込まれた衝撃変換で大きな塊をまとめて吹き飛ばした。

だがそれが不味かった。

 

俺の纏雷はともかく、シア達の弾き方では周りに飛び散ってしまうのだ。おかげで2人を含めて俺以外の全員がその乳白色を被ってしまった。

 

「……何これ」

 

「俺に聞くな……」

 

ユエの呟きにもそう答える他ない。いや、本当に何これ……。何かをする訳でもなくただひたすら湧き出るだけ。下にいたら面倒だったが上にいる今では囲いを作ってしまえば何のことはない。そもそも下にいたところで聖絶とか何か、これらを弾く方法があれば埋もれずに済むだろう。

 

意味は分からないが取り敢えずこれが試練だというのなら俺達はそれを回避する手段を持ち合わせていることになる。俺は1つ溜息を付きながら今度は四角い筒のような通路を氷で生み出しながら先へ進むことにした。

 

──あぁ、香織、皆に付いたやつを分解で消してくれ。特に女子優先で──

 

と、俺が香織にこっそりと念話で伝えれば周りを見渡した香織も直ぐに理解したようで、手早く乳白色のスライムを分解しにかかってくれた。

 

そうして全員を綺麗にしながら数分ほど歩いた時───

 

「……はぁ、はぁ……天人、何か変……天人が欲しくて堪らない……」

 

「は……?」

 

急にユエが抱き着いてきたかと思えば赤く火照った顔と濡れた瞳でそんなことを宣う。チロチロと誘うように出し入れされる舌や、官能的な台詞も合わさってまるで発情でもしているかのようだ。だがさっきまで普通にしていたのに急にそんな風に変わることなぞ有り得ない。そうなると原因は自ずとあのスライムのような何かだろう。大きな変化と言えばそれしかないからな。俺はしなだれかかってくるユエを抱き留めながら周りを見渡す。するとユエだけじゃなく、ティオ以外は男も女も関係なく皆一様に堪え難い衝動に襲われているようだった。

 

俺に抱き締められてさらに大きく身体を震わせたユエ。さらにシアも、ユエと同じように明らかに自分の性衝動が我慢できない様子で俺に抱きついてくる。香織は流石に俺に抱きついてくるようなことはなさそうだったが自分の身体を掻き抱きへたり込んでしまっている。谷口も同じような感じだ。

 

八重樫は何か精神統一の心得でもあるのか1度大きく身体を震わせるとそのまま座禅を組み目を閉じた。残る男2人もそれぞれ堪えようとはしているみたいだが、それも直ぐに限界を迎えたらしく、坂上は谷口へ、天之河は八重樫へと手を伸ばしていた。谷口は谷口でそれを受け入れようとしてしまっていて、八重樫は迫る天之河に気付いていない。俺は足場から更に氷を出現させて3人をバラバラに離しながら拘束する。もちろん逃れようと暴れるが俺の氷がそんなことで砕けるわけはなく、ただただ体力を浪費するだけに終わる。

 

「……むぅ、主よ無事かの?どうにもあの粘液が強力な媚薬のような効果を持っておるようじゃな」

 

「……ティオ」

 

さっきはどこかぼぅっとしていた様子のティオだったが、今は多少頬の赤みはあるものの他の奴らとは違ってかなり落ち着いている。俺の記憶が確かならあの時飛び散った粘液を1番浴びたのはティオだった筈だ。竜人族というのはこういう毒のようなものにも強いのだろうか。

 

「ふむ、妾にも効果がない訳ではないのじゃ。実際今も強烈な快楽に襲われていて魔法もろくに使えん」

 

「そうなのか……」

 

やはりあれはそういう効果か。

 

「そしてあの量じゃ。全く浴びないというのは不可能に近かろう。……特にこうして空中を歩く術を持たぬ者はの。そして恐らくそれがここの狙いじゃろうな。襲いかかる快楽と衝動を仲間との絆で耐え切るか、もしくはその絆を頼りに"例え関係を持ってしまっても"元の関係に戻れるのか、と言ったところかの」

 

なるほどな。確かにそれは俺達はともかく、天之河達や他の奴らにはかなり厳しいものかもしれない。武偵だって護衛対象とは深い関係にはなるなというのが鉄則だ。そうなってしまったらなぁなぁになっていざと言う時に適切な判断が下せない場合があるからだ。

 

「まぁ、それは俺にも分かる。だけどなティオ、何でお前は抑えられてるんだ?確かあれを1番浴びたのはティオだったはずだけど……」

 

「ふむ、主と言えど舐めてくれるなよ?妾は誇り高き竜人族じゃ。確かに湧き上がる快楽で魔法は使えんが、この程度の衝動に呑まれるほどヤワではない」

 

「かっけぇ……」

 

ティオさんが格好良いです。出会いからしてポンコツっぷりを晒したりちょいちょい駄目ドラゴンさんな部分があるティオだけれど、こうしていると頭も良いし長生きしているだけあって知見もある。その上ユエですら呑み込まれそうな程の情動にも泰然としている。しかもこうも美人とくれば───

 

「あれ……俺にはあの粘液効いてない筈なんだけどな……」

 

浴びた量も少なければ毒耐性で弾かれているはずなのに俺が呑み込まれそう。あ、ちょっとドヤ顔してる。あぁもう畜生、そういうの可愛いなぁ……。

 

「ともかく!……ユエ、シア、香織、お前らがこんな試練程度に負けるのか?そんな訳ないだろう?」

 

と、ティオに見惚れてしまったことを誤魔化すように俺が問えば

 

「……んっ、当たり前」

 

「当然ですぅ〜」

 

「大丈夫だよ……っ!こんなの、天人くんのシゴキに比べたら……!」

 

これと俺のとは比較しないでもらいたいのだが、まぁ大丈夫そうだ。3人とも唇を噛み締め、香織は勝手に八重樫の肩を借りて再び耐えようとしている。ユエとシアも逆に俺にギュッと掴まる。辛くないのかと聞けばこの方が落ち着くとのこと。それを聞いた俺はまずは腰を下ろし、2人を抱きしめ直す。それを見たティオも俺の背中に背中を合わせるようにもたれ掛かると、そのまま深く数度呼吸を繰り返すとそのままいつものリズムで呼吸に戻った。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ん?」

 

「あら?」

 

「ふむ……」

 

そうしてしばらく経つと、ユエ達がコテりと首を傾げる。何かと思ったが、どうやら襲いかかる快楽と衝動が無くなったようだ。度を過ぎる快楽は苦痛と何ら変わらないから、それが去ったようで何よりだ。

 

「終わったみたいだな」

 

「ですね〜」

 

完全に呑まれてしまっていたようで、途中から気を失っていた3人を氷の拘束から解放すると、ドサリと音を立てて氷の床に落ちたがその衝撃で目も覚めたようだ。八重樫にも香織が声を掛け、深く潜っていた集中状態から引き摺り上げてやる。

流石だと声を掛けて腕を離そうとしたが、逆に2人はより強く俺を抱き締めてきた。どうやらもっと褒めてということらしい。

 

「皆、よく頑張ったな。お前らなら絶対大丈夫だと思ってたけど、それでもよくやった」

 

多分、俺達なら快楽に飲まれたとしても問題は無いのだろう。けれどもそうなってしまえば何となくこの大迷宮に負けた気がするのだ。だからこそ俺達は耐える道を選んだんだから。そうしてお望み通りに褒めて頭を撫でてやれば2人とも嬉しそうに俺の掌に頭を擦りつけてくる。ティオもティオで「妾も褒めてほしいのじゃあ」と背中から抱きついてきたので撫でてやれば気持ち良さそうに声を上げる。

 

「さて、皆1回汗拭いた方がいいかもな。……そっちのお前らも、汗で匂いが酷いぞ?着替えとタオルはやるから着替えてこい」

 

氷で足場を拡張し、大きなタオルと氷で簡易的な更衣室を作る。俺がタオルと服をそれぞれに投げて寄越してやり、皆が魔法で作り出した水を使って汚れを落とすのを待つ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

記憶はきっちり残るようで、大迷宮の思惑通りに雰囲気の暗くなった勇者組。それを八重樫が身を切るフォローでまず谷口を多少立ち直らせ、天之河と坂上もそのまま暗いと鬱陶しいだけなので仕方なく前を向けるようにしてやり、俺達は次の試練の場へと足を踏み入れた。

 

そこはまるでフェアベルゲンのようだった。あまりにも巨大な木の枝が通路となり、それがそこかしこで入り組み繋がり、空中回廊を形成しているのだ。そしておそらく目標となるであろう洞も最初からその顎門を開けて待ち構えており、俺達は警戒しながら歩き出した。

 

「あれは……」

 

俺が上を見上げればそこには石壁があり、ここが地下空間であることは分かる。だが俺たちの背後にある馬鹿でかい木とそこから生えるこれまたドデカい枝。まさかこの世界にそう何本も大樹のような存在があるとは思えないのだが……。

 

「やっぱりここは大樹なのか……?」

 

「そういうことになりますよね。ここは大樹の真下の空間……」

 

「でも、そうだとすると地上に見えてた大樹って……」

 

「ふむ……地下の幹からも枝が生えていると言うことは本当の木の根はもっと下にあるということじゃ。大樹の存在は知っておったがまさかここまでとは……」

 

「……待て、そう言えば前に帝国からフェアベルゲンに亜人族を帰しに飛行機で行った時には見えなかったぞ。それこそ雲を突き抜ける高さのはずだったのに」

 

この世界では亜人族の奴隷というのはあまりに一般的過ぎたため、混乱を和らげるために奴隷の解放はエヒト様の御意思である、という建前の元に亜人族の解放を行ったのだ。その時に人間族の奴らの印象に強く残らせるために俺達は態々空間魔法を利用したゲートではなく飛行機で亜人族の運搬を行ったのだ。だがその時にフェアベルゲンを訪れた際には大樹なんて見えなかったはずだ……。いや、本当ならそれがおかしい。何故あれだけ巨大な大樹が空から見えない……?

 

「神代魔法の類で姿を隠したか認識をズラしたか……?」

 

「……んっ、けどそれをするには途轍もない……」

 

「あぁ。理論だけなら出てくるが全部机上だな。……まぁ、今は考えても詮無いことだ」

 

ここの仕組みがどうであれ、俺達には試練を攻略していくしか道はないのだと、俺は歩を進めた。

だが───

 

「……これ、何の音です?」

 

と、シアがウサミミをヒクつかせながら枝の淵まで行って下を覗き込んだ。どうやら暗くて見えないようだったが、何かが這い回るような音で気色悪いのだとか。シアの腕には不快感の具合を示すように鳥肌が立っていた。シアに確認してくれと頼まれたので俺は同じように深淵を覗き込んだ。

 

「んー?………………」

 

夜目の固有魔法で暗闇も問題のない俺が遠見の固有魔法も使って代わりに覗き込む。だが俺の視界が捉えた光景は、即座に巨大な魔法陣を展開し、眼下に広がる深淵を氷で蓋をする決断を下すことを躊躇わせなかった。広さ故にそれなりの魔力を持っていかれたが、魔王に覚醒している俺の魔力量であればそう問題は無い。……と思ったのだが、この世界の魔力であの世界の能力や魔法を使うのは相当に効率が悪いらしい。ここまで大規模に使ったのは初めてだから驚いたが、想像以上の魔力量を持っていかれた。

 

「か、神代、いきなりどうした?何を見たんだ?」

 

いきなり氷に包まれた光景を受けて狼狽える天之河達に俺はただ首を横に振る。

 

「……奴だ、奴が出た……」

 

「奴?」

 

天之河がキョトンと首を傾げる。

 

「トータスやお前達の日本でどういう風に遠回しに言うのかは分からないから単刀直入に言う。……下に、ゴキブリの大群がいた」

 

「───っ!?」

 

その場にいた全員が震え上がる。下にいたのは100や200では到底効かない数の奴らがいたのだ。万でもまだ足りないだろうか。それを聞いてさらに全員の顔が真っ青になる。

 

「ど、どどどどどどどうするんだっ!?」

 

「落ち着け天之河。見ての通り穴は塞いだ。恐らく飛んできても破られることはないだろうが……精神安定上の観点から急いで抜けるに限るな」

 

俺の提案に全員が深く深く首を振る。それを受けて俺はさっさと前を歩き出した。……走らないのは大きな音を立てて奴らが飛び立つのを恐れたからだ。でも下からゴキブリ達がゴツゴツ床にぶつかってくるのは非常に辛いからなるべく早く抜けてしまいたい……。

 

そして忍び足かつ急ぎ足で木の枝を進んでいく俺達の耳に、絶対に聞きたくなかった音が伝わってきた。

 

──ブブブブブブブブブ──

 

奴らの羽ばたく音だ。ここにきて一斉に飛び立ったらしい。思わずギョッとしてしまう俺達だが、蓋はしてあるんだと落ち着きを取り戻し、また行軍……というか逃げの体勢に入った、のだが───

 

「これは───っ!?」

 

下から魔力反応があった。それもかなり大きい。まさか氷を魔法か何かで突き破るつもりか?ゴキブリが……?

 

「下から魔力反応だ、走れ!」

 

一斉に駆け出し、一目散に退散しようとする俺達だったが、そこに大きな絶望が立ちはだかる……。

 

「うっそだろ……」

 

ゴバァッ!と音を立ててゴキブリ共が氷の壁を突き破ったのだ。それも、体当たりによる威力でぶち破ったのではない。恐らく奴らの纏っている黒い霧が氷を溶かしたのだろう。戦慄のGが俺達の前に壁となって立ちはだかった。

 

「───っ!?……聖絶っ!」

 

すかさずユエが聖絶を展開した。

 

「谷口っ!これを覆うようにもう1枚聖絶を張れ!」

 

「う、うんっ!───聖絶ぅ!」

 

さらに重ねるように聖絶が展開された。取り敢えずはこれでどうにかなるだろう。後は……

 

 

──ッドドドドドドド!!

 

氷で包んでもあの霧に溶かされ突破されると踏んだ俺は聖絶の外に魔法陣を展開。水氷大魔槍を連射。溶かされる前に押し切るっ!

 

だが───

 

「……くそっ」

 

すぐさま散開したゴキブリ共は氷の槍を躱していく。元々が小さい目標ということもあって俺の魔法では捉えきれない。その上魔力消費が深刻だ。さっき展開した蓋の分も合わせると俺の残存魔力のほとんどを持っていかれたことになる。

 

というか、もしかしてこれ、魔素はあんまり戻っていないのか?いくら効率が悪いとは言え、魔王に覚醒した時点で俺は莫大な量の魔素を獲得していたはずだ。それがこの程度でガス欠になりそうだなんて……。俺の魔素は聖痕と繋がっているから、もしかしたら大部分はまだ封印されたままなのかもな……。

 

しかも俺が緊急用にと取っておいた魔力を貯めた鉱石から魔力を補充した瞬間───

 

 

───世界が光に包まれた───

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……ん?」

 

色を取り戻した世界で目の前に現れていたのは全長3メートルはあろうかというやたらと胴長で足が10本もあるゴキブリっぽい何か。

俺は即座に拳銃を構えて銃口を向ける。

 

───己が愛する(憎悪する)女の頭へ向けて

 

「ユエ」

 

「天人」

 

お互いの名前を呼び合う。そして───

 

「お前を殺したいくらい憎い」

 

「……あなたのことが堪らなく憎い」

 

ユエは蒼い炎を、俺は銃口を、殺意と共にお互いの頭へ突き付ける。頭ではこれが異常事態だと分かっている。記憶が、時間が覚えているからだ。俺がこの女を心から愛していたことを。けれども……。

 

「何してるんですか、2人とも。……2人を殺すのは私なんですから勝手なことをしないでください」

 

シアがドリュッケンを肩に担いで、いや、振りかぶった体勢でこちらを睨む。シアも見るからに殺意に溢れているし、俺もシアのことを殺してしまいたい程に憎悪しているのが分かる。

 

思わず引き金を弾きかねない衝動を抑えながら見渡せば、ティオや香織も俺達を殺したそうな目で睨んでいる。俺も、ティオを殺したいくらいに憎んでいるし香織のことも今すぐに叩き潰して半殺しにしてやりたいくらいだ。他の奴らもそれぞれに思い思いの眼差しを向けている。そうまるで、先程まで抱いていた感情を綺麗にひっくり返されたかのような。

 

「……感情の反転か」

 

「……ん、癪だけどお前と同意見」

 

「なるほどの、例えお互いに殺意を抱こうともこれまで紡いできた絆を信じて戦えるのか、ということじゃな」

 

「記憶は時間だ。……俺の記憶はユエを愛していた時間を覚えている。そもそもなぁ、武偵なんてやってりゃ昨日の敵とだって手を組むことがあるんだ。今更こんなので鈍ると思うなよ、ゴキブリ野郎!!」

 

俺は憎らしい(愛らしい)黒光りの虫野郎に向けて引き金を引く。その瞬間にユエが聖絶を解く。谷口の聖絶をぶち破った超音速の弾丸は巨大ゴキブリの土手っ腹を貫いた。だがトータスのゴキブリもまた俺のいた地球のそれと同じように無駄に高い生命力を宿しているらしい。腹に風穴を空けられてもそいつは平然としている。そのうちに地球でもよく見るサイズのゴキブリが集まりその穴を埋めてしまった。

 

俺は腸が煮えくり返るなんて言葉じゃ収まらないくらいの殺意をコイツには抱いている。それは周りの奴らも同じようだ。そりゃそうだ、お互いを思い合う気持ちを好きなように弄ばれ利用されているんだからな。俺は失った魔力を補うべく、さっき出した魔力を込めた鉱石から魔力を取り出した。漏れ出た聖痕の力も相まって戦闘をするには充分な量の魔力が身体に満ちる。俺は、刀身が身の丈ほどはある大太刀を召喚、それを足場と水平に構え、そのまま身体を後ろに捻る。そしてスキル・魔法闘気によってその切れ味とリーチをさらに激増、加えて豪脚と縮地を同時に発動し、爆発的な速度を得た俺はすれ違いざまに奴の首を切り落とした。

 

例えバラバラに刻んでもまだ収まらないくらいの怒りを抱えていようと、ここが大迷宮であり奴がそこの魔物である以上は余計な遊びは入れずに即殺するべきだと俺の戦闘回路が告げている。そしてそれは感情をひっくり返されている今であっても正常に機能していたようだ。

 

1番デカいのを殺したのにも関わらずまだ俺のユエ達に対する殺意は収まらない。あの大きいのを殺すだけでなくここいらのゴキブリを纏めて殺し尽くすくらいやらないと試練は終わらないらしい。それを悟ったのか襲いくるゴキブリ達にユエが放った魔法は"震天"という空間魔法だ。これはたわめた空間を弾き周囲一帯を纏めて吹き飛ばす回避はほぼ不可能な大技だ。それによりユエの放つ衝撃波によって"俺も含めて"小さなゴキブリ共は纏めて吹き飛ばされた。

 

地震の理屈にも似た回避不能の大技によって強かに内臓まで打ち据えられた俺だが、ゴキブリ共と違って肉体が細切れになることはなかった。

 

「プッ……」

 

と、口腔内を自分の歯で切ってしまった俺は口から血を吐き出して魔力を治癒力に充てる。

 

「……優柔不断のダメ男の癖にしぶとい」

 

「……うっせぇぞドチビ、俺がこの程度じゃ死なねぇのはお前が1番分かってんだろうが」

 

もちろんユエの魔力のうねりを把握してた俺は金剛の固有魔法で全身を固めていたのだ。その上で衝撃変換の固有魔法も同時に震天にぶち当てて致死の破壊力をある程度相殺したのだった。

 

「……ふん。……五天龍」

 

ユエの発動したそれは重力魔法と属性魔法の複合技。雷龍達を一気に召喚し操る大技だ。それぞれの龍が顎門を広げ、そこにゴキブリ共を吸い込み滅殺していく。……ついでに俺も飲み込もうとするがそれは縮地で逃げさせてもらおう。

 

そうしているうちにゴキブリ共がまた集まり今度は先の大型よりもやや小ぶりなゴキブリへと相成った。それが約200ほど。だが特に大きな感情を弄ばれたユエ、シア、ティオ、香織にとってはそんなもの、ただ殺意をぶつける的でしかない。

 

消しきれないお互いへの殺意が狙いを大雑把にするがそれでも凄まじい火力と勢いでゴキブリ共を消し飛ばしていく俺達。しかし、中型のゴキブリをアサルトライフルで撃ち砕いた俺の背後に影が迫る。振り向きざまにライフルの引き金を引いてその影を砕くがそこにいたのはさっき真っ二つにしたはずの大型ゴキブリだった。しかも砕かれた傍から小型のゴキブリが集まって傷を修復していく。……なるほど、集合体だけあって簡単には殺せないわけか。本当に、気持ちの悪い奴だな───っ!!

 

俺は瞬光を発動し、宝物庫からビット兵器を2機取り出す。さらに両手には拳銃が2挺。計4個の銃口で奴に狙いを定めると、俺は引き金を弾いた。セルフ十字砲火だ、しかもビット兵器の方には衝撃変換を付与した弾丸が込められている。ゴキブリの方はそれを斜め上後方に飛ぶことで初撃を回避するが俺の拳銃の照準は奴の姿を捉えて離さない。縮地で俺も飛び上がり意識が俺に集中した瞬間に下からビット兵器で奴の羽を捥ぎ、バランスを崩した瞬間にマガジンに込められた計20発の弾丸を奴の頭、首、胴体に叩きつける。羽を捥がれてゴキブリ特有の機動力を発揮することもなく近距離で電磁加速式拳銃の弾丸を受けたそいつは今度は全身をバラバラに撃ち砕かれて肉片へと変わっていった。

 

さらに俺の背中に迫った中型2匹にもビット兵器からの弾丸を叩き込んで粉々にする。しかし、それでもまだまだ湧いてくる小型が集まり直ぐに中型を生み出していくからキリがないな……。

 

「……なぁユエ」

 

「……ん?」

 

俺はユエと背中を合わせてお互いの死角を消すように立ち回り、ゴキブリ共を殲滅していく。多数の敵に囲まれた時に2人1組(ツーマンセル)の武偵がよくやるフォーメーションだ。

 

「なんだかさっき程お前に対して憎しみを抱いていない気がするんだよ」

 

「……ん、私も同じ」

 

どうやら段々と感情の反転の魔法の効果が切れたのか俺達が乗り越えつつあるのか、今はもう即座に銃口を向けるような激情には駆られていない。

 

「ユエ、コイツら纏めて殺れるか?」

 

「……んっ。けど少し時間が欲しい」

 

「OKだ。いくらでも稼いでやる」

 

俺は拳銃ではなくサブマシンガンを構える。そこにロングマガジンを差し込み引き金を引く。吐き出された弾丸は小型のも中型のも関係なくひたすら触れたものを砕き、すれ違った個体を超音速の飛翔体が生み出すソニックブームで切り裂いていく。だが奴らとて腐っても大迷宮の魔物、ただ黙って殺られていくだけではないのだ。ゴキブリ共が再び寄り集まり大きな塊を作り出す。それを俺が一網打尽に殺し尽くそうとしてもその前に守るように黒い、触れればそこから腐っていく煙を纏ったゴキブリ共が肉の壁となって立ちはだかる。そうして3度現れたの大型のゴキブリ。そいつはどんな理屈か他のゴキブリを操る力があるようで、腐食の煙を纏ったゴキブリ共が俺とユエを挟み込むように襲いかかってくる。だが俺も再び魔力を貯めた鉱石から魔力を補充。大技を放つだけの魔力を得た俺はサブマシンガンを宝物庫に仕舞い、両腕を広げる。

 

 

──絶対零度(アブソリュート・ゼロ)──

 

 

俺が取り戻した力の1つ。究極スキルには届かないけれど氷焔之皇はこの世界の魔法には全く効果が無いことは試していた。あれはあらゆるスキルと魔素を氷漬けにし、その力を全て俺の火力に変換するのだが、その絶大な効力もあの世界の魔素に対してしか効果が無いようだった。だがこの絶対零度は違う。スキルではなく物質そのものに効果を及ぼす魔法である以上、例えあの世界のものではなくとも実体のある煙や魔物には効果があるのだ。

 

そうして数多のゴキブリと漂う腐食の煙がその動きを止め、煙はダイヤモンドダストと散り、俺達に迫ろうとしていたゴキブリ共は空中に停止したままその命を終えた。そして───

 

 

「……剪定」

 

ユエの呟きが耳に届く。遂に奴らの元に俺達の心を弄った罰を与える時間が訪れる。

 

「神罰之焔」

 

それは重力魔法と魂魄魔法に炎属性の最上級魔法である蒼炎を合わせた必滅の技。

 

魂魄魔法により、ユエの選択した魂、もしくは選ばれなかった魂を選別、重力魔法により10発分を手の平サイズに超圧縮した蒼炎がそれらを内側から焼き滅ぼすのだ。1度発動されれば逃げ場もその術も存在し得ない正しく神の与える天罰。

 

頭上に掲げた蒼の宝玉に照らされるユエはどこまでも神々しく、美しいという概念そのもののようにも感じられる。そしてその愛らしい唇から溢れた可憐な音に乗せた言葉は何よりも冷たく己が敵を焼滅させた。

 

ドクンッと大きく蒼炎の玉が脈打てば、地下空間一帯に波紋のように煌めく蒼光が広がる。音も無く、空間を支配したそれに触れた敵は断末魔の悲鳴すら上げることなくただ燃え尽きて灰も残さずに消え去るのみ。それは一際大きい体躯を誇った大型ゴキブリにも平等に訪れる。

 

神敵の尽くを焼殺したユエは、大技の反動か俺にもたれかかるように倒れ込んだ。俺は当然それを受け止め抱き抱える。

 

「流石ユエだよ」

 

「……んっ、もっと褒めて」

 

カプリ、チュー。

 

俺に抱き止められたユエはそのまま俺の首筋に犬歯を立てて血を吸う。俺も黙ってそれを受け入れ、ただユエの髪を梳いてやる。そうしてしばらく血を吸って満足したのか最後にペロリと俺の首筋を舐めたユエが俺の頬に手を当てて目を合わせる。

 

「……天人、ごめんなさい、私酷いことを言った」

 

「そりゃお互い様だ。気にすんな」

 

優柔不断なの本当のことだし。それに今は───

 

「そんなことより今は───」

 

俺はユエを抱き上げるとそのまま唇にキスを落とす。今はただユエと抱きしめ合いこうしてキスをしていたかった。

 

「……んっ、んん……あむ……んちゅ……んむ……」

 

唇を重ね合わせ舌と舌でせめぎ合い、ただユエの存在を確かめていく。

 

「はっ……はぁ……」

 

一旦お互いに唇を離せばそこには銀糸の橋が架かる。それがプツリと途切れればそれはまた唇を重ね合わせる合図。俺とユエは目を閉じてそのままお互いの唇を───

 

「だぁもういつまでやっているんですかぁぁぁぁ!!」

 

下からシアの怒号が響く。下を見れば両腕を振り上げてはよ降りてこいと言いたげな目線が突き刺さる。まぁ仕方ないかと俺はユエを抱えたまま下に降りた。そうすると俺の右腕にはシアが、左腕にはティオが何も言わずにピッタリと寄り添ってきて離そうとしない。勇者組の奴らは開放感を感じている奴と落ち込んでいる奴が両方いて、自力で乗り越えられたかそうでないかがくっきりと別れていた。だが俺が何かを言う前にどうやら時間が来たようで、天井付近が光り輝いたかと思えば新たな枝が生え始め、それが階段のような通路となりその奥には洞が見えた。

 

「……あれか」

 

俺は小さく呟くと香織に勇者組を回復させながらそれを登り始めた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

"昇華魔法"

 

 

それがここハルツィナ樹海にそびえ立つ大樹の中に作られた大迷宮を攻略した者に与えられる神代魔法だった。その効果はあらゆるものを最低限1段階上へと昇華させるというもの。

 

そしてここの主、リューティリス・ハルツィナの残した記録から聞かされた"概念魔法"という存在。全ての神代魔法を手に入れた者が、さらに究極の意志を用いて生み出す魔法。それがあれば恐らくこの世界からの脱出も可能なのだろう。奴も別の世界に行くことも可能だと言っていた。もっとも、リューティリスの想定しているのはエヒトのいる世界のことなのだろうが、それがあればあの武偵校まで帰ることもできるはずだ。そしてリューティリスはそれを可能にするための道具を1つ俺達に与えた。

 

 

──導越の羅針盤──

 

 

概念魔法の付与されたアーティファクトでありその効果は"望んだ場所を指し示す"

 

そして、今までの大迷宮の殆どと違うことがもう1つ。

 

「……この昇華魔法、俺に随分と馴染むみたいだ」

 

そう、俺、ユエ、シア、ティオ、香織、八重樫という昇華魔法を手に入れた奴らの中でそれに最も適性を示したのが俺だったのだ。錬成師の天職によってようやく生成魔法だけは適性のあった俺に2つ目の適性のある神代魔法。それも、生成魔法よりもより高い適性を示したのだ。

 

残る1つの神代魔法さえ手に入れればリサの元へ帰る力が手に入る。俺はその高揚感に思わず荒くなった呼吸を無理矢理に落ち着かせると、宝物庫から適当な鉱石を取り出し、パパっと椅子を錬成しそこへ腰を下ろした。

 

「……少し試したいことがあるんだ。ちょっと待っててくれ」

 

俺はそう告げて目を閉じ自分の中へと意識を集中させる。使うのは昇華魔法でその対象は俺の持つ究極スキルだ。それを昇華させ、この世界の魔法に対してもその絶対的な権能を発動させられるようにしたかったのだ。

 

 

───そしてそれは上手くいった。

 

 

「ユエ、何か簡単でいいから魔法を使ってみてくれ」

 

「……んっ」

 

ユエが発動したのは光属性魔法の1つで単に周りを照らすだけの魔法だ。俺はその光に手をかざすと究極スキル──氷焔之皇(ルフス・クラウディウス)──を発動した。

 

それによりユエの頭上に掲げられ彼女を神秘的に照らしていた光は即座に消滅し、俺の体内に僅かな魔力の吸収が感じられた。

 

「……?」

 

ユエが首を傾げているが大丈夫だからと声を掛け、次に最上級魔法を発動してくれと頼む。

 

「……んっ、蒼炎」

 

するとユエの頭上に蒼い炎が現れる。だが俺はそれに対しても手を掲げ、氷焔之焔を発動することで消滅させ、その魔力を俺の中へ吸収した。

 

「よし、次はティオ、真上でいいからブレスを頼む」

 

「了解なのじゃ」

 

今度はティオの漆黒のブレスが天を突こうかと発射される。だがその暗闇が大樹をぶち抜く前に俺はまた究極スキルでそれを吸収。自身の魔力へと変換していく。

 

「さて、香織、分解の砲撃をやってくれ。上向きで大丈夫だ」

 

「う、うん。……はっ!」

 

香織の放った銀色の魔力はしかしそれもティオのブレスと同じように何かを分解する前にその魔力を俺のそれへと変換吸収され即座にその輝きは消えてなくなった。

 

「最後だ、ユエ、何か神代魔法……渦天を使ってみてくれ」

 

「……んっ、渦天」

 

そして今度はかざされたユエの手の前に可視化された黒い重力の塊が発生。俺はそれにも氷焔之皇を発動するが、今度はその漆黒は消えることなくその場に鎮座したままだった。

 

「……なるほど、今はここまでか。……ありがとな、もう大丈夫だ」

 

「……ん」

 

「今の何だったんですか?」

 

「んー?神山で俺がスキルを取り戻した時にもユエに魔法使ってもらっただろ?あの時は俺のスキルの1つがこことは別の世界の魔法とかにしか効果がなかったからな。さっき手に入れた昇華魔法を使ってそれを昇華させてみたんだよ。おかげで神代魔法以外のこの世界の魔法全てにも効果が発揮できそうだ」

 

「……その効果って?」

 

「簡単に言えばあらゆる魔法の効果を全て停止、その魔力を俺の魔力に変換するっていう能力だ。攻撃力は無いけど魔法はこれでどうにでもなる」

 

しかも常に展開しておくことで不意打ちにも強い。まぁ、魔王の持つ究極スキルとしてはある意味当然の性能とも言えるか。

 

「そんなものが……」

 

「……なぁ天之河」

 

「……なんだ?」

 

「お前って多分剣道かなんかやってるよな。動き見りゃ分かるけど」

 

「え?あ、あぁ。向こうでは雫と同じ道場に通ってたよ」

 

「なら想像しやすいと思うんだけどさ。例えばこっちに来る前のお前が、それこそ大学生や社会人とか、お前よりずっと剣道やってるような奴と試合して負けたとして、そん時に自分が弱いから負けたと思うのか、相手が強かったから負けたと思うか、どっちだ?」

 

「そりゃあ……それだけ経験のある相手なら向こうが強かったと思うよ。もちろん、次は負けないように努力しようとだって思うさ」

 

「ならお前さ、俺との時もそうだよ。俺は色んな世界を回ってきたし、そうでなくてもガキん頃からずっと命の取り合いになるような戦い方を仕込まれてきたんだ。スポーツとしての剣道の試合ならともかく、生きるか死ぬかの戦闘なら俺はお前よりずっと経験がある。その上で俺はこの世界に来たんだ」

 

もっともそれは、天之河が俺に勝てない理由であっても大迷宮を攻略できない理由にはならないのだが。とは言えこうも薄暗い雰囲気を撒き散らされるとこちらとしても鬱陶しいからな。ちったぁ顔上げてもらわないと。

 

「……慰めてくれるのか?」

 

「アホか。お前がそんな湿気たツラしてるとせっかく大迷宮攻略したってのに雰囲気悪くなんだよ」

 

「天人さん、戻るためのショートカットも出てきたみたいですし、行きましょう?」

 

と、シアが指指せば確かにそこには魔法陣が現れていた。俺は「そうだな」とだけ返してそちらへ向かう。俺の言葉が天之河にどう伝わるかはともかく、今回の大迷宮はまた変な方向に疲れた。早くフェアベルゲンに戻って一旦休みたい。

 

俺はユエを抱き抱え、その両脇をシアとティオに挟まれながら転移の魔法陣の光に包まれた。

 



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告白と氷の大迷宮

 

昇華魔法が俺に与えたものは氷焔之皇(ルフス・クラウディウス)だけではない。天職として与えられた錬成魔法やこれまで唯一適正のあった生成魔法も1段階上へと昇華されたのだ。

 

そして俺は次なる目標へ向けて昇華魔法を完全に自分のものにするためのトレーニングとして、色々構想を巡らせていたものを1つ形にすることにしたのだ。

 

そしてターゲットに選ばれたのは八重樫の持つ黒刀。元々これには風爪と纏雷を付与していたのだが昇華魔法により1つの鉱石に2つの魔法を付与できるようになったため、色々と付け足してみようと思ったのだ。そこで俺は風爪と纏雷に加え、重力魔法、空間魔法、魂魄魔法、さらに衝撃変換も追加した。さらに俺はステータスプレートの血に反応する機能を解析、それを付与することで1度登録してしまえば後は一言の詠唱でそれぞれの機能を使えるようにしておいた。おかげで今の八重樫の黒刀は七つ道具並に色々できる便利アイテムと化していた。なんかもう色々付け足しすぎて逆に混乱せずに扱えるのか疑問だけどそれはまぁ八重樫なら大丈夫だろう。付与した魔法の1つ1つは独立しているし、最悪訳分かんなくなったら普通に切れる剣として使えば問題無い。

 

そんなことよりも今の俺には重要な問題がある。

分かってはいたことだけれど、もうこれを誤魔化したり隠したりなんてできはしないのだ。ならばただぶつかるしかあるまい。

 

そう思い立った俺は夕方、シアと共にフェアベルゲンのとある公園に来ていた。そして、その敷地内に置いてあるテーブル席に座っている。

 

お友達、と言うにはちょっとシゲキテキな関係性をご所望のアルテラナに追い回されてお疲れのシアはそのウサミミをペタリと萎えさせて机に突っ伏していた。そのモフモフのウサミミを弄びながらシアの隣の椅子に腰掛けた俺はチョイチョイと肩をつついて顔を上げさせる。

 

「なんですか?」

 

「んー、大事な話?」

 

「……なんで疑問形なんですか?」

 

シアが呆れ顔だ。……よく考えたら、俺からこういう話をするのは実はほとんど無かったと思う。リサの時は何だか勢いだった気がするしユエの時もミリムの時も向こうからだった。つまり、普段偉ぶってる割にこういう経験はあんまり無いわけで……。

 

「天人さん、なんか変ですよ?」

 

「うるさいなぁ……分かってるよ……」

 

ふぅと息を吐き、改めてシアの顔を見る。するとこれまでの旅では感じたことのない……いや、もうずっと前から分かっていた。ただ俺は自分を誤魔化していただけだ。けれどあの時から明確に、誤魔化しきれる量を遥かに超えて感じるようになったある思いが胸の中に去来する。

 

すなわち───

 

「好きだ」

 

「ふぇ?」

 

「シア、俺はお前のことが好きだ」

 

「……え?……あ?……え?」

 

突然のことに頭がついていっていない様子のシアだったがそれに合わせられる程俺にも余裕は無い。明確に言葉にして、その想いが自分の胸の内から溢れ出るのを止められないのだ。

 

「リサを残していて、ユエもいるのに本当はこんなの間違ってるって思うけどさ。でも俺はシアのことも本当に好きなんだよ」

 

「ちょ……ちょっと待ってください天人さん」

 

と、そこまで言ったあたりでシアに肩を掴まれて制止させられる。シアも顔は伏せているけれど顔が真っ赤に染まっているのを隠しきれていない。

 

「あの……、え、本当に、ですか?」

 

「冗談でこんなこと言うわけないだろ……」

 

「ですよね……。あの、天人さん」

 

「なんだ?」

 

「私も天人さんのことが大好きです。だから、その……」

 

「シア」

 

「はい……」

 

「愛してる」

 

俺は言葉のままにシアを抱きしめる。シアもそれに応えてくれて、俺の背中に腕を回す。シアの身体の柔らかさと、熱変動無効はこういう熱には効きやしないのだろうか。内に秘めた熱さが心臓の鼓動を通して伝わってきた。きっと俺のそれもシアに伝わっているのだろう。

 

俺達は同時に抱擁を解きあうとお互いの瞳を見つめ合う。そして俺達を隔てていた距離はもう一度完全にゼロになる。

 

……熱い。シアの唇から俺のそれにダイレクトに伝わる熱は抱き合った時にぶつけ合った心臓の鼓動を通して送りあった熱よりも遥かに高温で俺の脳みそを焼いていく。シアの息遣いが、鼓動が、体温が、シアを構成する全てが俺を昂らせていくのが分かる。1度俺達はお互いの唇を離し、銀糸の橋をプツリと途切れさせながらオーバーヒートしそうな熱を放出する。そうして一呼吸置いてからシアの「もっと」という視線に応えるようにシアの柔らかな花弁に指を這わせたところで───

 

「ふひゃっ……あの2人こんなお外でまた……」

 

「ちょっと鈴声が大きい!聞こえちゃうでしょ」

 

「そういう雫ちゃんも大きいよ!天人くんにバレちゃう」

 

「……全員うるさい。シアの邪魔するな」

 

と、何やら聞き覚えのある声がいっぱい聞こえてきた。真っ赤に染ったシアの顔を自分の身体で隠しながら俺が後ろを振り向くと、ドサドサッと音を立てて谷口、八重樫、香織、ユエが崩れ落ちてきた。そしてその奥からは天之河と坂上、ティオも現れた。……全員集合してるじゃねぇか。

 

「で、どうだったんじゃ?主からの情熱的なキッスの味はどうだったんじゃ?先抜けしたシアちゃんの嬉し恥ずかし体験談を妾にちょっと語ってぶへっ───」

 

「……自重しろ」

 

なんかウザい感じでシアの肩を組みつつ絡みに行ったティオだったが後頭部にユエの氷が叩き落とされていた。潰されたカエルのように倒れ伏すティオだが指で地面に「犯人はユエ」と書いているあたり実は余裕そうだ。

 

「ユエさん……」

 

「……シア……おいで」

 

ティオを見つめる絶対零度の視線から一変、シアには聖母のような微笑みを見せて両腕を広げる。

 

「ユエさぁ〜ん!」

 

と、それにシアが抱きつけばユエもシアをしっかり抱き留める。そしてそのまま優しい笑みを浮かべたままシアの紙を撫でてやっていた。

 

「ユエざんわだじ……わだじぃ……」

 

「ん、よく頑張りました……いい子いい子」

 

「ふぇぇぇぇん!ユエさん大好きですぅ!ずっと一緒ですぅ!!」

 

なんかもう君俺の時より喜んでない?ってくらいにシアは大号泣。ユエにとってもシアは大切な親友で妹で弟子で、ユエ以外のこの世界の全てに興味をなくしていた俺の心を解した存在であり、それは俺だけでなくユエの世界も広げたということだ。だからそんな大切な人であるシアを抱きしめその頭を撫でる手つきは何よりも優しく見つめる顔は慈愛に溢れていた。

 

だがこの弛緩した空気の中で1人だけ、張り詰めた様子で俺に話しかけてくる奴がいた。谷口だ。

 

「あの、神代くん……」

 

「ん、どした?」

 

「神代くん達は、神代魔法を全部手に入れて、帰る手段を見つけたら自分の世界に戻るんだよね?」

 

「そりゃあ当たり前だ。……あぁ、もしそれが色んな世界を何度も行き来できるような代物なら、お前らを先に送り届けてからでもいいぞ」

 

「───っ!?本当に!?」

 

「回数制限とか無ければな。当然、1度きりなら俺はそれを俺たちのためだけに使うけど」

 

その代わりに大迷宮の在処くらいは教えてやっても構わないけどな、と付け足す。それだけなら特に不都合は無いし。

 

「それでも、ありがとうございます!」

 

ペコり、と勢い良く谷口が頭を下げる。まぁ、無条件に連れて帰ってくれると信じているよりは余程良いか。

 

「あの、それでですね……お願いばかりであれなんですけど……」

 

と、頭を下げたまま首だけでこちらを見て何やら言い辛そうにしている谷口。まぁ、こいつが言いたいことは何となく想像がつくけどな。次の大迷宮は魔人族の領地の真隣にあるから、その時に一緒に行きたいとかそんなだろう。

 

「次の大迷宮にも私を連れて行ってください!お願いします!!」

 

と、やはり予想通りのお願いが飛び出してきた。

 

「……中村、か?」

 

谷口は中村の裏切りにかなりのショックを受けていたからな。シュネー雪原での大迷宮攻略に挑んで、それから中村の元へ向かいたいのだろう。何せ俺は態々中村のことまで手助けしてやる気は無いしそれは谷口も重々承知だろうしな。どっちかと言うと、強くなりたいと言うよりは自分に自信を持ちたいのだろう。強くなるだけなら俺がアーティファクトでも何でも作れば良いのだから。

 

「……神代くんは何でも分かるんだね」

 

「お前らが単純なんだよ」

 

「そうかな……そうかも。鈴は、強くなりたいっていうのもあるけど、自信を付けたいんだ。大迷宮なら多少神代くん達に助けられても自分の力で試練を乗り越えなきゃ神代魔法は手に入らない。なら神代魔法を手に出来ればそれはそれだけ鈴自身が強くなったってことだと思うから」

 

だからお願いしますと、谷口は俺に願う。天之河や八重樫は谷口が単身でも魔人族の領地に乗り込む計画を聞いて引き留めようとしたが、それは谷口自身に払い退けられる。

 

「それでね、もし神代くん達の前に恵里が現れても殺さないでほしいんだ」

 

「……お前が説得でもするのか?」

 

蘇生できたとはいえ香織を殺した主犯を目の前にして俺も引き金を引かない自信は、正直に言えば無い。

 

「うん、それでもし恵里を説得できたら、恵里も一緒に連れて帰ってほしいんだ……」

 

「……中村が本当に抵抗の意思がないのなら帰してやる。けど形だけの恭順なら即殺す。アイツの力は俺にとっても油断できるものじゃあない。……説得が無理そうなら両手足縛って口も塞いで魔法陣も全て引っペがしてから連れて来い。そしたらお前らの日本に中村も帰してやる」

 

「ありがとう、それでも充分だよ」

 

俺とコイツらの世界は違う。一旦別れてしまえば中村が何をしようが俺達に影響が出ることは無いからな。もっとも、ターゲットにされているらしい天之河がどうなるかは知ったことじゃないけど、それは香織や八重樫がどうにかするだろう。

 

「神代、俺も行かせてくれ。恵里の狙いは俺なんだ。俺こそ恵里と話をしなくちゃいけないんだ」

 

そして、天之河が同じく同行を願えば坂上や八重樫も行くと言い出す。結局全員じゃないか……。

 

「それに、このままじゃ終われないんだ。雫だって神代魔法を手に入れられたのに……。俺だってあんな精神攻撃ばかりの卑劣な試練じゃなきゃ……。それに次の大迷宮はあの魔人族も攻略できた所なんだろ?なら俺だって必ず……」

 

「……必ず、何だ?必ず攻略出来るって?」

 

天之河の言葉に思わず俺の返す言葉も冷たくなってしまう。だがオルクス大迷宮で何度も死にそうな目にあった俺からすれば、天之河の言葉はあまりにも甘いと言わざるを得なかった。

 

「神代……?」

 

「甘ぇんだよ、お前は。お前がそのままで変わらないなら、例え次の大迷宮に挑んだって神代魔法は手に入らねぇ」

 

「なんで……なんでそんなことがお前に分かるんだ!?」

 

「そりゃ俺がこれまで6つの大迷宮を攻略してきたからだ」

 

「だからって……じゃあ俺はどうすれば良かったんだよ!!」

 

「迷うな」

 

「───っ!?」

 

「お前は一々自分と他人を比較し過ぎなんだよ。八重樫だって手に入れられた?あの魔人族でも攻略できた?だからなんだ、お前はお前だ、天之川。大迷宮を攻略したいならそんなことに拘るな。いいか天之河、お前はお前が思ってる以上に強いよ。だからやるべきこと、やりたいことを決めたならそれに向けて迷わずに力を振るえ」

 

言うことは言ったと、俺はシア達を連れて立ち去る。その時に香織に声を掛けてやってもらうことがあるからと香織も連れて行く。そう、俺も色々と昇華魔法を使いながら武装を整えていったので遂にあれを試そうと思ったのだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

結論から言って、聖痕の力は完全には戻らなかった。俺の昇華魔法を使ってユエ達の魂魄魔法を1段階上へと昇華させ、それによって前は破れなかった封印を引き剥がそうと思ったのだが、相当に頑丈に作り込まれているらしく、多少緩ませることはできたようだが、完全復活とはいかなかった。ユエ達が習熟した魂魄魔法と昇華魔法を使っても、いまだ完全には破れない封印を施したのはさすがと言う他ないな。おかげでスキル群の方の封印は破ることができたのだけど。

 

しかし、確かに完全には戻らなかったのだが、確実に封印は緩み、そこから溢れ出る力は前よりも大きい。おかげで「白焔」の力はまだ全くと言っていいほどに使えないけれど、魔素はさらに戻り、「強化」の聖痕の力は少しだけ使えるようになっていた。

 

そして今、俺達はシュネー雪原にある大迷宮へと挑み、その迷路の真っ只中にいた。

 

「ん?上が空いてんじゃねぇか」

 

と、坂上が上を見遣れば確かに迷路を仕切る壁は天井には程遠く、俺達であれば余裕で飛び越えられそうだ。それに今は全員に空力を仕込んだ靴やブーツを支給しているから、それが可能であれば壁の上を超えていくことも可能だろう。

 

「おっしゃ、こんな所でちまちましてるより上を超えればい───」

 

「いいわけあるかアホ」

 

ブヘェッ!と無警戒に上へと飛び上がろうとしたところを俺が脚を掴んで引き摺り落とし、顔面から硬い氷に落下した為に坂上は無様な声を上げて沈んだ。

 

「試すならこうしろ」

 

と、俺は魔法陣を展開、そこから人型の氷を生み出し、宝物庫から取り出したタオルを頭に巻いてやる。

 

「いいか坂上、この氷の像はお前だ。そうだよく見ろ、これは何にも警戒せずに大迷宮の中に飛び出した阿呆だ」

 

俺は坂上の顔を掴んで氷像に目線を向けさせる。そして作りかけの氷像を完成させ、そのまま上へと射出。だが坂上(氷)が数メートルも飛んだところで急に上の空間がたわみ、氷像が消え去った。俺はその瞬間に発生した魔力反応を目線で追いかけて、少し先に先程俺が巻いたタオルを発見した。どうやら氷の壁の中に埋もれているようだ。そして、その上にさらに氷柱が出現。氷の坂上を串刺しにせんとしているようだった。

 

「……香織、分解で氷の坂上を取り出してみてくれ」

 

「ん、分かったよ」

 

と、香織がその氷柱を分解し始めたところで上に控えていた氷柱が凄まじい速度で落下。香織の分解の羽にぶつかっては消滅していった。つまり、下手なショートカットをしようものなら氷の壁の中に封じ込められ、挙句に取り出そうと力技で壁を壊せば中に閉じ込められた奴は脳天に風穴を開けることになるという仕組みだ。

 

「……氷の柱に閉じ込められた挙句に氷柱で串刺しにされた坂上、何か言うことは?」

 

「……全面的に俺が悪かった」

 

「分かれば良し。……さて、あと試したいのはこっちだな」

 

と、俺は宝物庫から対物ライフルを取り出す。昇華魔法の入手により作り直されたそれはこれまでの同型品とは一線を画す火力を誇っている。赤雷を纏い、銃口を向けた先にあるもの全てを貫かんと放たれた超音速の弾丸は迷路を仕切っていた壁を纏めてぶち破る。だが砕かれた壁は即座に修復されてしまった。どうやら迷路をキチンと進まなければならないらしい。

 

「……さて、羅針盤はどうにか機能するみたいだな」

 

おかげで左手の法則とかやらずに済んだのは幸いだ。あんな方法でやっていたら何日かかるか分かったもんじゃないからな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

鏡のようになった氷が俺達の虚像を映し出している迷路を随分と歩いた。その間には壁の中から魔物や罠やらがわんさかと飛び出してきたがそれは俺の感知系の固有魔法とシアのウサミミで事前に察知することで即座に対応していた。

 

すると、開けた場所に出たかと思えば目の前には荘厳で巨大な扉が現れた。そしてそこには4つの窪み。そう言えば似たような仕掛けをユエの封印された部屋でも見たことがあったな。

 

恐らくこれに対応する何かを嵌め込めば扉が開く仕掛けなのだろう。だがそれらを探し出すには羅針盤があるとは言っても、この罠だらけの迷路を再び歩き通さなければならないわけで、それは正直今の精神状況では御免蒙りたいのも事実だった。

 

「……真ん中に寄れ。端は何が出てくるか分からん。とりあえず休憩だ」

 

勇者組は歩き疲れたと顔に書いてあるし、俺も代わり映えのしない景色にいい加減飽き飽きしている。オルクスでも階層を下ればもう少し風景に変化があったな……。

 

俺は宝物庫から野宿用に作ったアーティファクトを召喚。それは外界の冷気や熱気等をカットし、地面にはモフモフの絨毯と日本が生んだ人類殲滅兵器たる炬燵を備えたものだ。しかも、外での活動を前提としているために、絨毯の毛などはその裏地に再生魔法等を付与した鉱石によって汚れても即座に綺麗に戻す効果があり、その効能はその上にいる人間にも及ぶ優れものだ。大迷宮の攻略は長丁場になることもあるしと、せっせと拵えておいて正解だったな。

 

足を伸ばしたかったというのもあり、元々大きめに作ってあるおかげで全員が炬燵に入ることが叶い、特に勇者組の顔が完全に寝落ちしそうだ。

俺の両隣にはユエとシアがそれぞれ陣取っていたのだが、ウサミミをしなだらせて、テーブルに上半身を倒れこませながらも顔だけでこちらを見ていたシアがふと何かを思い出したかのような顔となる。

 

「そう言えば天人さん」

 

「んー?」

 

シアの間の抜けた声で掛けられた声に俺も同じように抜けた声で返す。流石にそろそろ眠い。

 

「リサさんってどんな人なんですかー?」

 

「んー?」

 

……何だか勇者組の空気が嫌に冷たい気がする。特に天之河と坂上、谷口辺りは誰それって感じの顔をしている。香織と八重樫は一瞬考える素振りをしたが、直ぐに思い至ったようだ。

 

「……えと、神代。その、リサさんって人は誰なんだ?」

 

堪らずに天之河が俺に質問する。シアに聞き返す勇気は無かったようだ。そう言えばコイツらには話してなかったっけな。

 

「……俺がお前らともまた別の世界から来たことは話したと思うけど、その世界での俺の恋人だよ」

 

「……?……っ!?───待て待て待て!!あれ?何か?神代は元々付き合ってる人がいるのにこっちでも恋人を作ったのか!?」

 

「え?うん」

 

「悪びれもせず!?」

 

思わずといった様子で天之河は炬燵から起き上がっていた。んー、そこら辺をコイツらに説明すんの面倒臭い……。ユエやシア達ならともかく、天之河にまでするのかよ……。

 

「……そこら辺後ででもいいよな」

 

天之河には全く関係無いし。これに関しては何か言われる筋合いは無いからな。俺には説明する気が無いというのは何となく察せたらしい天之河は形だけは「それなら」と納得したう風に元の場所へと戻った。で、どんな人か、だっけか。

 

「……意外と説明が難しい。もうちょい絞って」

 

「んと、では性格的にはこの中の方達だと誰に近いですか?」

 

ふむ。この中からリサに近い人、か……。

 

まずユエと谷口、それから八重樫ではないなと、俺は残されたシア、ティオ、香織の顔を順番に見ていく。その時に何やらユエが俺の服の裾を引っ張ってこっちを見ろと催促してくるが、残念なことにユエとリサは性格の面で言えば似ているところはあんまりない。なので頭を撫でてやりつつやはり視線は向けない。

 

「んー、性格、だと香織、かなぁ……」

 

そう言えばユエからのこっちを見ろ攻撃が止む。ユエが今どんな顔をしているのかは見なくても分かるので置いておく。

 

「え、私?」

 

「最近は特に俺への弄り方がよく似てきてる」

 

「そっち!?」

 

リサ、一応メイドなのにな。ひどいもんだ。

 

「なるほど、物腰が丁寧で優しくて気を遣えるけど時々天人さんに毒を吐く、と」

 

「だいたいそんな感じだ」

 

「あ、フォローありがと……」

 

シアのフォローが優しい。……優しいか?

 

「それは置いておいて、あれだな、大人しいシアと言ってもいいかもな」

 

「じゃあ見た目の雰囲気は誰なの?」

 

と、八重樫からの質問。けどこれの答えは決まっているよな。

 

「シアだな」

 

「即答なんですね。えへへ……でも嬉しいですぅ。天人さんがこうまで惚れている人と似ていると言われるの」

 

シアのごく一部に目が行ってしまったのは誰にも気付かれていないはずだ。そう、例えユエが凄まじく冷たい目で俺を見ていても誰も気付いていないのだ。

 

「具体的にはどんな所が似てるの?」

 

と、これは香織から。

 

「む……耳と尻尾」

 

香織の質問にガバりとこっちを向いた時に揺れた山脈からは決死の覚悟で目を逸らしましたよ。なので皆さん俺をそんなジトッとした目で見ないで……。

 

「……天人」

 

ユエの声がヤバい。具体的にはその絶対零度の声色に俺の全身の細胞が凍りつきそうなくらいにはヤバい。

 

「……なんざましょ」

 

「……天人は言った。大きさよりも誰の物かが重要だと」

 

「……言いました」

 

「……こっちを見て」

 

「……はい」

 

無理矢理ユエの方を向かせられる。そこにいたのは何だか悲しげな顔をしたユエで、その瞳が少し潤んでいるようにも見えて……。

 

「……んっ」

 

だから俺はユエのその華奢な、ちょっと力を込めれば直ぐに折れてしまいそうな嫋やかな身体を抱きしめる。

 

「ユエはユエで、シアはシア。リサはリサだよ。皆それぞれに良い所があるんだから、誰も誰の代わりにもなりゃしないんだ。ユエだってそのままでもこれ以上無いくらいに魅力的だよ」

 

「……んっ、許す」

 

「ありがとな……」

 

「……あのぉ、私のウサミミとウサ尻尾が似てる所って言うのは?」

 

「ん?あぁ、リサはまぁ、こっちで言えば亜人族?みたいな感じでな。だから普段は普通の人間の身体だけどその気になれば狼の耳と尻尾も生やせるんだ」

 

リサの血の力の、本当のところは言わないでおく。リサがあれを嫌うのなら俺もそれを嫌おうと決めているからだ。もちろん、あれを使わせる気も更々無いし。

 

「……神代の世界はほとんど俺達の世界と一緒って聞いてたけど、結構ファンタジーなんだな。てことはその、リサさん?もトータスで言う亜人族、みたいな呼ばれ方をするのか?」

 

「あ?……んー、特にそういうのは無いな。基本秘密にしてるし。一般人はやっぱりお前らのとこと変わらないよ。むしろ、今まで天之河達が気付いてないだけでそっちにも結構いるかもよ?」

 

「……私達の地球のことは置いておいて、リサさんってフルネームだとなんていうのかな?」

 

再び香織の質問。

 

「リサ・アヴェ・デュ・アンク。オランダ人だよ」

 

「オランダ!?神代くんオランダ語とか話せるの?」

 

グローバルなところに反応したのは谷口だった。

 

「まぁな。両親は日本人だけど産まれはオランダで小さい頃はそっちに住んでたからオランダ語と日本語がネイティブで、その後に住んでた所がドイツ語と日本語が公用語だったからドイツ語、あとそこで俺に色々叩き込んだ奴がイギリス人だったから英語も少し。ついでに知り合いにフランスに縁のある奴が何人かいるからフランス語も少し聞き取れる」

 

よくよく考えたら4ヶ国語話せるのは結構頑張ったと思う。ドイツ語はリサが勉強してたからってだけで俺も覚えたけど。

 

「よ、4ヶ国語……。実は神代くんって頭良いキャラだったのか……」

 

「おい待て谷口、それは俺んこと頭悪い奴だと思ってたのか?」

 

確かに偏差値40位の武偵校でも偏差値40位だったから勉強はできないと言っていいけれども。英語とドイツ語の勉強以外はあんまりやる気なかったのをシャーロックも察してて、俺に無理強いしなかったというのもある。そして俺はそれに胡座をかいてろくすっぽお勉強をしてこなかったのだ。

 

「え……いやそんなことは……あっ!じゃあ特技!リサさんの特技とかは?」

 

明らかに谷口は誤魔化そうとしているがまぁいい。俺が学校の勉強はろくに出来ないのは事実だしな。

 

「んー、家事と呼ばれること全般。それから値切り」

 

「値切り?」

 

「うん。金額交渉ができる所ならだいたいは7割引位で買ってこれる」

 

「な、7割!?」

 

「前に核弾頭を7割引で買い叩いてた時は笑ったな。売った側が泣いて帰っていった」

 

「核弾頭!?」

 

俺以外の奴らの声が揃う。とは言えその顔に浮かぶ表情はそれぞれだ。トータス組は「核弾頭とはなんぞや」という顔、召喚組は「核弾頭って売り買いできんの?」みたいな顔になっている。

 

「え、神代くんは世界征服でもするつもりだったの?」

 

「するか馬鹿。リサは俺らのいた組織の調達とか経理とか担当してたからな。使うのは俺じゃねぇ」

 

「待て待て待て待ってくれ!核を買う!?武偵って治安維持を生業にしてるって聞いたぞ!?」

 

「……核弾頭って何?」

 

ちょいちょい、と俺の袖を引っ張る感触。振り向けばユエが疑問顔だ。シアとティオも。そりゃそうだ。こっちの世界に核ミサイルなんて無いからな。その上異世界組は聞いた途端に目の色変えてるし。

 

「んー、まず核弾頭ってのは核と弾頭に別れててな。俺が時々使うミサイルあるだろ?ウルの時にシアに貸したやつ。まずあれの先っぽの、要は爆発する所が弾頭って言うんだよ。で、核弾頭ってのはその弾頭に核を仕込んだやつって意味だ」

 

相当簡単に言えばな、と付け足す。

 

「で、その核ってのはまぁ、超ヤバイやつで、俺達の世界ではエネルギー源としても使われてるんだけど……」

 

そこら辺は置いておこう。

 

「それを兵器として使うと、まぁ多分帝国くらいなら1発で更地になる」

 

トータス組の顔がポカンとなる。そりゃそうか。あの帝国を一撃で滅ぼす兵器なんてこの世界には無いはずだからな。

 

「俺の持つアーティファクトのどれよりも、というかユエの神罰之焔よりも破壊力があるな」

 

「……そんなに?」

 

「あぁ。あれはそれだけの力がある。ま、おかげで持ってる国はあっても使えやしないんだけどな」

 

それによる報復攻撃が怖すぎる故に。

 

「……むしろ、そんなのを買ったりすることってできるんですか?」

 

「あぁ、オランダを諸事情で出た後に俺とリサがいたのはイ・ウーっていう組織でな。まぁ言ってしまえば秘密結社みたいなとこだ。……ていうか、これほとんど俺の話になるな。リサの話はどこいった」

 

だが、ユエ達はリサのことそのものよりも、俺とリサの馴れ初めやイ・ウーについて聞きたそうだった。トータス組と香織は馴れ初めを、勇者組は俺の過去やイ・ウーについて、というふうに別れている。

 

「はぁ……」

 

俺は宝物庫から2機のビット兵器を召喚。導越の羅針盤を使って目の前の荘厳な扉を開く鍵の在処を検索した。

 

「とりあえず鍵を探しながらだな」

 

瞬光を習得してからこっち、俺の知覚能力はこれを使っていなくても普段よりも高いものになっていた。今の俺の知覚能力は2機を探索に出す程度なら瞬光を使うまでもないところまで到達していた。

 

「で、リサとの馴れ初めとイ・ウーってなんぞや、だっけか……」

 

うんうん、と全員が同じ様に頷いている。そんなに気になりますかね……。

 

「まぁそうだな。イ・ウーってのは第二次世界大戦、ユエ達に分かりやすく言うならまぁ……ハイリヒと帝国が戦争するようなもんかな。俺達の世界には表向きはこっちで言う魔人族とか亜人族はいなくて、人間族しかいないからな」

 

この説明はさっきのリサの話でも少ししたけどな。

 

「で、伊・Uのイはイタリア……あぁ、俺達の世界はトータスよりもっと色んな国とそれぞれに言語があってな。で、そのイタリアって国の名前を日本語……ってか漢字で書いたあの伊だ。で、ウーってはアルファベットでU、こっちはドイツ語なんだよ」

 

そして勇者組の顔を見渡せばだいたい察した顔をしていた。まぁ、コイツらの世界と俺の世界の歴史はかなり近いみたいだからな。同じような戦争が同じように起きているんだろう。

 

「ふむ、そこら辺の主達の世界の常識というのは今は妾達にまで解説しなくてもよいのじゃ。話が進まなさそうじゃからな」

 

と、ティオが言えばユエやシアもそれに頷く。

 

「あぁ、そりゃ助かる。……えと、伊・Uってのは元々その三国が作った潜水艦の名前でそれをそのまま組織名としててな。ま、その潜水艦もゴタゴタに乗じて盗んだやつなんだけどな」

 

と言えば異世界組は全員が再びのポカン顔だ。まぁ、普通に枢軸国から潜水艦パクったとか言われたらそうなるよな。俺も後でこんな顔になったし。

 

「で、そのイ・ウーって組織は色んな方面から才能のある奴を集めててな。俺とリサはオランダにいた頃からの幼馴染みなんだけど、そこで色々あって2人ともイ・ウーに入ったんだ」

 

「その、色々、というのは……?」

 

「強盗に襲われて、俺達のもう1人の幼馴染みと俺の両親が死んだ」

 

「え、……あ……あの……すみません……」

 

「気にすんな、シア。その強盗も俺が始末したから」

 

と、選んじゃ駄目な話題だったかもという顔をしたシアの頭を撫でてやる。大丈夫だよ、これはもう終わった話だから。

 

「……でだ、その時リサを勧誘しに来ていたイ・ウーのボス、俺達は"教授"って呼んでたが、そいつに俺も連れて行ってもらったわけだ。身寄りも無かったしな」

 

「……始末って、殺したのか……?」

 

絞り出すような天之河の声。こっちの世界での殺し合いならともかく、法治国家である向こうの世界の国での個人的な報復による殺人まではそう看過できるものではないのだろう。

 

「その場で殺らなきゃこっちが殺られていた。向こうも超常の力を使ってたからな。逃げて警察へ、なんて暇はなかったんだよ」

 

「そんな……」

 

「……今そんな話をする気は無いし、聞きたいのはイ・ウーだろ?言っておくが、イ・ウーもろくな所じゃない。俺だけじゃなくて、戦闘力の無いリサまでそういう手合いと戦わせようとしてたからな。だから俺は鍛えたんだよ。リサが戦わなくてもその分俺が戦えるように。戦闘なんて出来なくて、そんなのが大嫌いなリサを守りたかった。あの時の俺はリサまでいなくなっちまったらどうにかなってしまいそうだったからな」

 

ふぅ、と一呼吸置く。まさか勇者組にまでこんな話をすることになるとはな……。

 

「その中でお互い惹かれあって、ということですね」

 

「そんな感じだ」

 

「そんな裏組織なのに、核弾頭なんて派手な物を買うのね」

 

「まぁICBM持ってるしな。潜水艦で移動するから居場所も掴めず、どこから核を放つのかも分からない、そんな組織相手にどこの誰が事を構えようってんだって話よ。ま、そこももう潰れたけどな」

 

「え……?」

 

「ボスが倒されたんだよ。で、そこは腕っ節が正義みたいなところがあったから、トップが倒されりゃそりゃ皆散り散りだ。元々そんな結束力のある組織じゃない。ただそれぞれの目的の為にお互いの力を高め合う場所だったからな」

 

「……そのボスは神代が?」

 

「いや、倒したのは俺じゃない。まぁ倒したっていっても、逮捕直前で教授はそのICBMに乗ってどっか消えたみたいだし、実は生きてそうな気もするけどな」

 

「なんていうか……」

 

「聞けば聞くほどに分からなくなるわね……」

 

「俺もよく分からんしな。ま、そういう訳で、俺は10歳くらいから戦闘訓練も経験も積んできた訳で、そりゃスポーツとしての武道しかやってこなかった奴らにはそうそう負けんよ、ということだ」

 

「ふむ……しかし妾としてはもう1つ気になることがあるんじゃが……」

 

今まであまり声を出していなかったティオがゆったりと炬燵から抜け出して、しゅるりと俺を背中から抱きしめる。

 

「ん?」

 

「なに、主がシアに想いを告げた時のことじゃ。リサやユエとそれなりの経験を積んでるはずなのに随分と初々しい告白だと思ったのじゃ」

 

「……あぁ、そりゃあぁやって普通に告るのとか初めてだったからな」

 

「ほぉ?」

 

「リサとは成り行きだったし、後は全員向こうからだったからなぁ」

 

「ん?」

 

「あ?」

 

「いえ、リサさんとユエだけの割には"全員"って変な言い回しだと思っただけよ」

 

「あっ……」

 

あぁ、これは不味い。今の八重樫の発言にユエとシアが凄まじい勢いでこちらを振り向き睨んでくる。しかもその目がとんでもなく怖い。

 

「……どういうこと?」

 

「天人さん!?私、聞いてませんよ!?」

 

「いや待て違う!大丈夫だから!」

 

「何が大丈夫なんですか!?」

 

「ミリムには振られたしもう別れたから!今俺が付き合ってるのはリサとユエとシアだけだから!」

 

「……その子だけ?」

 

「告……られたのはあと3人いるけどそれだけで何も無いよ」

 

元の世界はともかく他の世界の話はノーカンにさせてもらった俺の弁明──と言っても本当のことだけど──を一応2人は聞き入れてくれたみたいで、直ぐに引き下がってくれる。

 

「……信じる」

 

「天人さんがそう言うなら……」

 

が、それはそれとして何やら天之河と坂上の顔がニヤついている。

 

「……そこの男2人、何ニヤついてんだ」

 

「いやぁ、あの神代も振られることがあるだなぁって」

 

「意外と人間味があるじゃないか」

 

「お前ら俺のこと何だと思ってんだ……」

 

俺の呟きは2人の小憎たらしい笑みに押し潰されてしまっていた。

 



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自分の裏側

 

俺がビット兵器で2つ、ユエ達と勇者組でそれぞれ1つずつの鍵を回収し、精緻な絵画を描き込まれた荘厳な扉を開けば、その先に広がっていたのはまたもや迷路だった。だが、これまでの迷路よりも壁の氷がより鏡のようになっていた、というよりは完全に鏡と言っていいほどに光を反射して俺達の姿を映し出していた。

 

そして、そんなミラーハウスのような迷路を進んでいくと急に天之河が声を上げた。

 

「……今なにか、人の声みたいなのが聞こえなかったか?」

 

「ちょっと止めてよ光輝くん。そういうのはメルジーネで充分だよ」

 

ホラーの苦手な香織が即座に抗議の声を上げた。それに、俺もだがシアのウサミミにも謎の声は届いていないようだった。だが足音しか響かず俺達以外の奴らの気配もない状態で人の声と足音を聞き間違えるだろうか。

 

「……シア、頼んだぞ」

 

「はいですぅ」

 

天之河の気のせいで片付けるには大迷宮はあまりに底意地が悪い。むしろ、このフロアに入った辺りで一瞬あった頭の中をまさぐられる感触。あれが天之河の言葉を気のせいと思えなくさせていたのだ。

 

「……天之河、また聞こえたらとりあえず言ってくれ」

 

「分かった……」

 

そうして幾つかの分かれ道も羅針盤に従って歩いて行くと、また天之河に声が聞こえたようだった。今度は明確に"このままでいいのか?"と聞こえたそうだ。

 

「このままで、ねぇ……」

 

「本当なんだ!確かに───」

 

「別に疑ってねぇよ。むしろ大迷宮のことだ。お前にだけ聞かせて疑心暗鬼、なんて狙ってそうだし」

 

周りの氷から魔力反応は感じ取れない。と言うより、何だか反射する光に合わせて魔力反応すら攪拌でもされているようだった。

 

「もしかしたらそのうち俺達にも聞こえてくるかもしれねぇ。そん時ゃ報告な」

 

俺達には聞こえない上に魔力も感じとれないのであればどうしようもない。受け身に回るのは好きではないけれど、だからって氷焔之皇を使って試練未達なんて洒落にならないからな。とにかく声の主を探すことに躍起になっている天之河を宥めて俺達はまた歩き始めた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

その内八重樫や坂上、谷口にも声は聞こえるようになっていった。しかし、八重樫と谷口は女の声、坂上と天之河は男の声で、しかも全員内容が異なるのだ。その上その言葉も嫌に抽象的。とても迷路で人を惑わすような言葉とは思えなかった。だが、4人に共通しているのはどうにも聞き覚えがある気がする声だということだ。ただ、何となく聞き覚えがあるだけでいつどこで聞いたのかまでは分からないということだった。

 

──どうせいなくなる

 

……俺にも聞こえた。男の声だ。確かに聞き覚えがある声だ。そしてどうやらユエやシア、ティオもそれぞれ嫌な言葉が聞こえてきたようだ。

 

「聞き覚え……いや、これ俺の声か」

 

前に理子やなんかとカラオケに行った時に自分の声を聞くことがあった。その時の声と今俺の耳に響く声はほぼ同じものだ。

 

「ということは、これは或いは己の心の声というところかの。確かに色々と嫌な記憶ばかり蘇ってくるのじゃ」

 

「なんだか、心の中を土足で踏み荒らされているようで気持ち悪いです」

 

「……神代くんはあまり気にしていなさそうだけど、スキルか何かを使ってるの?」

 

「いや、あれを使って試練未達とか言われたくないから使ってないよ。俺は単に無視してるだけだ」

 

「そう……例えばどんなことを言われてるのかしら?」

 

「んー?"どうせいなくなる""人殺しが人並みの幸せを掴めると思ってるのか?""また殺す""強い人ごっこは楽しいか?"とかそんなんだ」

 

「……天人」

 

「天人さん」

 

後は"能無し"とか、そんな感じ。思い当たる節が多すぎるな。

 

「それは……」

 

「ま、確かにその通りだと思うけどな。今気にしたってどうにもならん」

 

「……どうしてそう簡単に割り切れるんだ?」

 

すると、絞り出すような天之河の声。コイツはコイツで随分とここの声にやられていたから、俺が声を気にしていなさそうなことが不思議なのだろうか。

 

「事実過ぎて反論できねぇしな。ま、鬱陶しいのは確かだけど……。それに、俺ぁコイツらを信じるって決めたからな。俺がどうにかした程度で揺らいでくれるほど可愛い性格してねぇし」

 

と、俺はユエとシアを抱き寄せる。

 

「……それは褒めてるの?」

 

「半々な気がしますぅ……」

 

「それだけで───っ」

 

「仲間を信じ、仲間を助けよ」

 

「……は?」

 

「武偵憲章の第1条だよ。別に俺を信じろとは言わねぇけどさ、お前も自分の仲間くらいは信じてみたらどうだ?」

 

「そんなことっ!言われなくても───っ!」

 

「出来てないですよね」

 

シン、と場の空気が凍った。シアの発した声が氷で覆われた大迷宮の気温よりも更に冷たく感じられたからだ。

 

「勇者さん貴方、雫さんや香織さん、鈴さんやお友達の方にどれだけのことを話しました?随分と天人さんに突っかかってきますけど、自分のことなんてこれっぽっちも話してないんじゃないですか?」

 

「……シア」

 

ユエがシアの手を握る。俺はそれよりも坂上が名前どころか天職ですら呼ばれていないことの方が気になって仕方ないのだが……。

 

「なんでそんなことを……」

 

「天人さんが私達にどれだけのことを話してくれたか……。前に言いましたよね?貴方のような人が天人さんを否定するのは許さないって」

 

「まぁ待てってシア」

 

オルクスの続きといきそうだったシアを後ろから抱き留める。そうすればシアも噴き出しかけていた殺気を引っ込めてくれる。

 

「天之河、確かにシアの言う通りだ。お前はもうちょい周りを見てみろ。お前が助けてくれと言えばそいつらはきっとお前を助けてくれるよ。それだけじゃない、お前が道を間違えそうになったならそいつらはぶん殴ってでも正しい道に引き摺り込んでくれるさ。それに、お前は決めたんだろ?この大迷宮を攻略するって。なら、こんな声に惑わされるな、迷わされるな。お前はただ、仲間を信じて、大迷宮を攻略する為に全力を振るえばそれでいい」

 

俺がそう言えば坂上と八重樫が天之河の肩に手を置き頷く。香織と谷口も、天之河の前に回り込んで、その目をしっかりと見据えて大きく頷いた。

 

そこに声は無かった。けれど4人の心は天之河に充分伝わったようだ。天之河は大きく1つ息を吐くと目を閉じ、そして数瞬後に開けた瞳は俺が見てきたこれまでのどれよりも強く輝いていた。

 

「じゃあ行くか」

 

「……ありがとう神代、大事なことに気付かされたよ」

 

「そうかい」

 

俺はそう短く返すだけにして、大迷宮を先へと歩き始めた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

時折襲い掛かってくる魔物や散発的に仕掛けられた罠の数々をくぐり抜けて辿り着いたのは大きな広間だった。その先にはこれまた大きな扉が見えるが、大迷宮で広い空間に出て何も無かった試しが無い。どうせここでも何かあるのだろうと思って身構えていたが、やはりと言うべきか、広場の中央辺りまで歩みを進めた途端、周りにダイヤモンドダストが立ち込め始めた。しかし、ダイヤモンドダストと称するには少し輝き過ぎているような気もする。俺が警戒を伝えようとしたところ───

 

「っ!?」

 

俺の目の前を熱源が通り過ぎる。まるでレーザー光線だ。しかもそれは無差別かつ八方から飛んでくる。どんどんと悪くなる視界、それに、まだ扉まで距離があることを考え、俺は即座に氷の元素魔法を発動。扉の目の前までを氷のトンネルで一本道にすることでレーザーから守りつつ視界の悪さも克服させた。そして今度は扉まで一気に駆け抜けようとしたところ───

 

──ズドンッ!──

 

と、上から降ってきたのはハルバードと大盾を構えた5メートル程の体長の氷のゴーレムが9体。ちょうど俺達と同じ数だ。……こっちが本命か。

 

そして降ってきたゴーレム達はその手に持つ巨大なハルバードで俺の作った氷の道を叩き壊してしまう。レーザー光線の火力もそこそこあったので氷も厚めに展開していたのだが、流石に巨体ゆえのパワーには持ち堪えられなかったようだ。ま、今の俺じゃこんなもんか。これに全力で魔力や魔素を注ぐのもアホらしいし。

 

それに、俺としてはもう一度作り直せばいいだけなのでこの破壊にそれほど意味は無いのだけれど。

 

「……どうする?一応これも試練の1つみたいだし、1人1体ずつ担当するか?」

 

と俺が問えば返ってきた答えは───

 

「当然!!」

 

勇者組4人からのそんな即答だった。それなら───

 

──パリィン──

 

と音を立てて俺達を囲い残っていた氷のトンネルが崩れて消えていく。その直後、再びレーザー光線が俺たちに襲いかかる。

 

「じゃ、そゆことで」

 

俺達が壁を取り去ったことでゴーレム達もコチラへ狙いを定めてくる。俺は即座に拳銃を召喚。義眼に付与された魔力感知が捉えた奴の魔石に向けて超音速の弾丸を解き放つ。

 

───ドパァン!ドパァン!

 

と、吐き出すような発砲音を置き去りにして銃口から飛び出した弾丸は、しかしゴーレムの魔石を撃ち砕くことなく奴の手にした大盾に阻まれる。とは言え、その大盾も今の銃撃で粉砕されている。コイツらの機動力なら次は砕けるだろう。ユエや、ティオ、シアも己の得物や魔法を解き放ちゴーレム達へ反撃を開始する。

 

そして天之河もその手に握られた聖剣から輝く斬撃を、坂上が正拳突きから魔力を変換した衝撃波を、香織が分解の魔力を込めた銀色の砲撃を、八重樫が飛翔する斬撃をそれぞれ───

 

 

──俺達の方へと解き放つ──

 

 

「っ!?」

 

氷焔之皇はこの大迷宮が主に精神に作用する試練を用意している都合上切っていた。思考加速も瞬光がある以上はそう使うこともない。というか、強化の聖痕が無ければ100万倍の思考加速には俺の身体の方がついてこれない。

 

この世界はリムルの世界ほど強い奴はいないからな。100万倍とか倍率高すぎて聖痕が使えない今は逆に使い辛いのだ。

 

だから俺は咄嗟に向かってきた輝く斬撃と分解の砲撃を身を捻り躱し、衝撃波には氷の壁を張って弾く。シアの方に飛んでいった斬撃は彼女の持つドリュッケンにより打ち払われる。

 

「おいっ!」

 

「あの、雫さん……?私何か気に触ることをしてしまいました……?」

 

だが俺が奴らの方を振り向けば攻撃を俺達の方へと撃ち放った彼らも自分が何をしたのか分かっていない様子だった。そこへ漆黒のブレスを放ちゴーレムを牽制しながらも、ティオが咄嗟に組みたてたであろう推論を語る。

 

「主よ、奴らに攻撃する直前、何か囁き声が聞こえた気がするのじゃがあるいは……」

 

「……そういうことか」

 

法則性があるのがないのかは知らないが、どうにもここの試練ではこのクソ視界の悪い中、しかも四方八方からレーザー光線が飛んでくる状況下でいつ自分の攻撃が味方に飛ぶかも知れず、それでもあの巨大ゴーレムを倒せ、というものらしい。本当にクソ性格の悪い大迷宮だよ。

 

「主やユエ、シアに妾があまり影響を受けていないことを考えれば、無意識に干渉するのではないかの」

 

「……厄介。無意識に干渉する類のものは解除が難しい」

 

「まぁそれも試練だ。……おい!とにかく気にせず奴らぁぶっ潰せ!こっちはこっちでどうにかするから!」

 

「あ、あぁ……」

 

「すまねぇ……」

 

「本当にゴメンなさい……」

 

「ご、ゴメンね……」

 

とは言え俺も影響を受ける可能性がある以上は飛び道具は使い辛い。しかも、上から白い煙のようなものが降りてきていて、視界は刻一刻と悪化するばかり。だが熱源感知の固有魔法を備えている俺にとってはレーザー光線なぞ視界に関係なく見えている攻撃だ。その上今はもう瞬光も発動させているから、躱すことなぞ造作もない。……熱変動無効があればレーザーで焼き貫かれることもなさそうだが、こっちの世界(トータス)の魔力が込められた攻撃にそれがどれだけ効果があるのか分からんから避けるけれど。

 

俺はレーザー光線を躱し、振り下ろされたハルバードを半身になるだけで避けると宝物庫から刀身に空間魔法を付与した長刀を召喚。縮地を用いてすれ違い様に奴の魔石を胴体ごと真っ二つにする。さて、俺にとってのここでの試練は終わりだ。後は先に行って皆を待つとしようか。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺が扉の前へ辿り着き少しするとユエとシア、ティオに香織も直ぐにやってきた。そしてそこから少しすれば八重樫もやってくる。八重樫は負傷を抱えているようだったが、それも香織が直ぐに治癒させてやっていた。

 

仲睦まじい2人の様子を見ていたユエがまるで恋人のようだとからかえば香織も八重樫もそんなことはないと否定に走る。その姿がユエのSっ気を刺激していることにはまだまだ気付かなさそうだ。

 

「まぁ肩の力抜けよ八重樫」

 

「何よ……」

 

「面倒見の鬼なのも良いけど、たまには力抜かないと疲れねぇか?」

 

「そんなに面倒見てばっかじゃ……」

 

「痛いとか辛いとか疲れたとか、お前言わねぇだろ」

 

「そんなこと……」

 

「ううん、私も雫ちゃんからそんな言葉、聞いたことないよ」

 

「そんな、香織まで……」

 

「そら、八重樫を大好きな香織が甘えてほしそうにしてるぞ?」

 

「ふふっ、おいで、雫ちゃん」

 

おいで、と言っている割には香織はむしろ自分の方から八重樫を抱きしめに行っている。その細腕に抱き締められ、肩の力を抜く八重樫と、それを微笑みながら見つめ、愛おしそうに頭を撫でてやる香織の姿は確かに恋人通しに見られてもおかしくない光景だった。

 

「……ん」

 

ゴウッ!と俺の元へと飛んできたのは輝く魔力の奔流。天之河の神威だろうか。俺はそれを瞬間的に展開した氷焔之皇で全て自分の魔力へと変換していく。さっきまでは大技は使っていなかったようだがどうやらどんどんと追い詰められていってるらしいな。

 

「光輝くん……」

 

「光輝……」

 

「ま、しょうがないだろ。アイツの聖剣は他の奴らのと違ってあんまり強化出来てないし」

 

「そうなの?」

 

「あの聖剣とかいうアーティファクト、あれでかなり完成度が高くてなぁ……。微調整とプラスアルファくらいはしたけど機能の拡張っていう意味じゃ魔力の衝撃変換くらいしか増やせなかったんだよ」

 

ていうか、弄ってみて何となく感じたが、あのアーティファクト、まだまだ何かあるな。それが何なのかまでは分からなかったけれど。あと追加するなら衝撃変換じゃなくて空間魔法の方が良かったかな。でもあれ神代魔法だから消耗激しいんだよね。

 

「この手の試練だと、どちらかと言えば谷口の火力不足が気になるな……」

 

俺はビット兵器を2機召喚し、それ羅針盤でそれぞれ谷口と坂上の位置をさぐりだす。そしてそれを頼りに2人の様子を確認したのだが───

 

谷口は聖絶で自分とゴーレムにそれぞれを覆っていた。自分の方をそこら中から飛んでくるレーザー光線から守り、ゴーレムの方には炎属性魔法と重ね掛けした聖絶で囲い込むことで逃げ場の無い溶融炉に閉じ込めたような格好だ。もちろんゴーレムの方も聖絶を叩き割ろうとするのだが、ヒビでも入ろうものなら即座に谷口が修復。魔力の消費もとんでもないことになっているみたいだが、その襲い来る虚脱感や苦痛すら意志の力でねじ伏せようとしていた。

 

谷口の方は、思いの外それで問題無さそうだったが、色々とヤバいのは坂上の方だ。何せゴーレム共々お互いにステゴロで殴り合っている。意味が分からない。

 

あまりに両極端な光景に頭を抱えているうちに天之河が聖剣を杖代わりして俺達の所まで辿り着いた。

 

「神代、済まない……。俺の攻撃が……」

 

「あぁ、さっきのあれなら中々良い魔力の補充になったぞ」

 

「そ、そうか……」

 

実際、長ったらしい詠唱を経ないと全開が出せないはずの神威なんて、味方のサポートが得られない今回の試練ではまともに撃てる筈もないのだが、それを省略した形で放たれたであろうそれが内包していた魔力量は、限界突破を使ったことを加味しても相当の、それこそオルクス大迷宮深層の魔物をすら貫けそうな程だった。

 

「……そんな落ち込むなよ。あの火力ならオルクス大迷宮深層の魔物にだって届く」

 

そもそもが、天之河光輝という人間が持つ戦闘力はこの世界随一なのだ。恐らく俺達を除けば人間族、魔人族、亜人族の中でも個人で最も戦闘力が高いのは天之河だろう。

 

あのフリードとかいう魔人族の強みは従えている魔物に寄るところが大きい。アイツ1人なら空間魔法にさえ気を付ければ、天之河であれば限界突破を使わずとも勝てる相手だと俺は踏んでいる。

 

で、香織と八重樫は沈んでいる幼馴染を放っておけず、俺はこの試練の性質を鑑みて、それぞれ天之河にフォローを入れ、その顔色がまた少し良くなってきたころ、白霧の一部が晴れて一本道となり、その奥から谷口が歩いてきた。足元も覚束無い様子だったので八重樫が飛び出して谷口に肩を貸してやっている。

 

その直後にはもう1本の道が現れたのだが、坂上のものと思われるそれからは坂上は現れなかった。どうやらゴーレムとほぼ相打ちになったようである。仕方なしに香織が足首を引っ掴んでガタゴトと頭蓋が氷の床に叩き付けられる音を響かせながらこちらまで引き摺って来た。扱いが悪すぎる……。

 

しかしこちら側に全員が揃ったことを大迷宮も、感知したのか、視界を潰していた白霧は晴れてゆき、光の膜が現れた。どうにも転移の仕掛けのようだ。

 

「行くか……」

 

全員の治療と魂魄魔法による一時的なケアを終わった段階で俺達はシュネー雪原に眠る大迷宮の、さらなる深層へと足を踏み入れた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

光で覆われた視界が色彩を取り戻すとそこには俺1人だった。どうやら今度は1人でどうにかしろって試練らしい。周りは2メートル四方の狭い通路。しかも全面鏡張り。後ろにはただ壁があるのみで退路はなし。仕方なしに俺はその通路を進んでいく。そうしてしばらく歩くと俺は広い空間に飛び出した。そして、その空間の中心にはやたらと直径の大きい鏡でできた円柱状の柱。そこに映るのは俺の姿だけだ。

 

俺はその柱の10メートル程手前で歩みを止めると宝物庫から電磁加速式の拳銃を召喚。それを鏡となっている氷の柱へと向ければ鏡に映った俺の虚像も同じく黒い拳銃をこちらへと向ける。そのまま俺は引き金を引く。

 

───ドパァン!

 

音すら置き去りにした弾丸はしかし氷の柱を砕くことなく柱から5メートル手前の空中で弾かれる。そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

無言のまま右脇のホルスターに納めた拳銃から不可視の銃弾を放つがこれも俺と虚像の中間地点で弾かれる。

 

「この状況で即銃撃とかどういう神経してんだよ」

 

聞き慣れた、というよりこの大迷宮に挑んでからこっち、散々っぱら聞かさた俺の声だ。そして、声に合わせて鏡の中の虚像が勝手に歩みだし、遂には柱の中から出てきてしまった。やはりここはそういう試練か。だが鏡から出てきた俺の虚像は、さっきまでの鏡写しの俺とは少し違っていた。まず髪が白いのだ。そして肌は浅黒く、服も同じ形をしているけれど色は俺の臙脂色のそれと違い真っ白なブレザーで、どこかIS学園の制服を思い起こさせる。

 

このシュネー雪原の大迷宮のコンセプト、それは恐らく己の心の弱さに打ち勝つこと。そしてその……恐らく最後の試練に出てくるのは鏡から出てきた自分だというのだから、趣味の悪さでは解放者もエヒトもさして違いないのではないかと最近の俺は思いつつある。

 

こいつが俺をどこまで模しているのか、例えばオラクル細胞や究極能力まで持っているのだとすれば面倒極まりない。いや、オラクル細胞や氷の元素魔法程度ならトータスにあるものでも似たようなことは可能か……。であるなら再現が難しそうなのは氷焔之皇だけだ。

 

俺はそれを確かめる為に俺の持つ究極スキルを虚像に叩きつけたのだが───

 

「出来てるに決まってるだろ?」

 

弾かれた。オンリーワンのスキルたる氷焔之皇同士がぶつかった時にどうなるのか、試したことはなかったし出来ようもなかったのだが、なるほど、どちらも吸収されることなくただ弾かれるだけの結果に終わるのか。ならばと、俺は再び氷焔之皇を展開。ぶつけるのではなく自身の守りに限定して発動させる。そしてそれは恐らく奴もなのだろう。纏う雰囲気が少し変わった。そして俺達は同時に得物たる大太刀を構えた。付与されているのは当然空間魔法。俺がまだ氷焔之皇で神代魔法を吸収できないことが逆に俺を助けた形だ。もし出来ていたら、俺達は確実に千日手に陥るからな。

 

俺達は上段に太刀を振りかぶった状態で、これまた同時に1歩踏み込んだ───

 

 

───ッッッッッドンッッ!!

 

 

大気を軋ませる程の踏み込みと共に振り抜かれた太刀はしかし敵の身体を両断することなく全く同じ姿をした太刀と鍔迫り合っていた。そしてお互いに全く同じスピード、タイミングで刃翼を展開、魔力ではなくオラクル細胞で構成された赤雷を纏わせたそれをお互いの首に向けて叩き付ける。

 

───ダンッ!

 

と、その瞬間に俺と虚像は縮地を使って弾かれるように後ろへ飛び退った。その中間地点、先程まで俺達がいた地面に赤い雷が叩き付けられた。この戦いでは相手に向けて放つ魔力を込めた攻撃は神代魔法以外は全てお互いのスキルにより相手の魔力となる。

 

だがアラガミとしての攻撃や拳銃等の物理攻撃ならばそれを抜くことができる。もっとも、オラクル細胞のおかげでただの物理攻撃では決定打になり得ないのだから厄介極まりない。本当、相手にしたくない奴だ。

 

俺達は再びお互いの懐に、己の殺傷圏内に飛び込んで自分の上背に近い刀身を持つ大太刀を振るい合う。空間魔法同士が相殺され、金属がぶつかり合う甲高い音が空間に木霊する。

 

「あぁ、強ぇ強ぇ。本当にお前()は強ぇよなぁ」

 

何やら戦闘中にも話しかけてくるがこれは無視。

 

「そしてまたその力で大事な人を殺す」

 

「…………」

 

俺は奴の言葉には乗らずにただ刃を振るう。足を動かす。

 

「あの時と同じように、ただ感情に任せて力を振るう。なにせ、あの時から何も成長しちゃいねぇもんなぁ?」

 

横薙ぎに振るわれた長刀を刃で受け止め、奴の刃を跳ね上げつつ俺はその下を潜るようにしゃがみ込みながらその脚を刈り取るように蹴りを見舞う。しかしそれは奴も読んでいるから、その場でバック宙を切って躱していく。

 

そう、耳が痛いが確かに俺はあの時からきっと何も変わっていないのだろう。自分の力に脅え、いつかその力でまた大切な誰かを傷付けてしまう。それがたまらなく怖い。

 

「分かってるだろう?聖痕の力が行き着く先は。だからいつまでも封印を解かない!」

 

そう、俺達聖痕持ちは確かに到底人類とは思えない力を振ることができる。それも、周りからしたらほぼ無制限に使えているように見えるだろう。実際、力のリソースはほぼ無限だしその力に適応した肉体を持つ俺達は力の割にはかなり軽い負担でそれらを振るうことができている。ジャンヌや白雪の様な()()()超能力者(ステルス)達から見れば理不尽の権化みたいな力だ。だが俺には、と言うより聖痕持ちとしてこの世に産まれた奴らは皆把握しているのだろう。その絶大な力を使い続けた末路を。

 

 

───消える。

 

 

そう、消えるのだ。肉体が、精神が、完全にセカイの根源へと繋がる孔の中へと。

 

聖痕とはまだ世界が別れる前の唯一の"セカイ"と繋がる窓。俺達はそこからただ無色透明の力を引き出し、それを己の肉体というフィルターを通して色や形をつけてからこの世にブチ撒けているだけだ。それが俺達の聖痕の力の正体。

 

だが川の流れが永い時を掛けて岸や岩を削るように、その窓やフィルターである肉体だって徐々に削られていくのだ。

 

そしてそれらが限界を超えれば当然、決壊した川から濁流が溢れるように、無遠慮にただ原初の理が溢れ出す。そしてその放出に巻き込まれるように俺達、聖痕持ちの肉体は周囲諸共ブラックホールのような孔に飲み込まれて消え去り、それによって当代で世界が丸ごと飲ま込まれることを防ぐ。それがこの"セカイ"が聖痕持ちに課した防衛機構であり、絶大な力を振るうことに対する枷。

 

しかも問題はそれがいつ起こるかが本人達にも正確には把握できないのだ。何となくの予感はあるらしいがそれだけ。そして聖痕持ちはそのいつ訪れるか分からない終わりに対する恐怖を抱えていかなければならない。

 

聖痕持ちに徒に力を振り回す奴が少ないのは目立って同じ聖痕持ちに狙われたくないことが1つ、そしてもう1つがこれだ。結局、力を使わなければそこらの奴らと同じくらいには生きられるのだから、余計なリスクを抱えたくはないと考える奴が多いのも分かる話だ。そもそも力を使わずに持ってることも隠しちまえば確かめる術も無いからバレないし。

 

そして俺はこれまでにだいぶ力を使ってきていると思う。強化の聖痕は量の大小をかなり細かくコントロールできるからまだしも、白焔の方はかなり消耗が激しいと思う。が、ここら辺の感覚が掴めないのも怖いところなのだ。

 

「見ちまったもんなぁ!最期は力に飲み込まれた人を!シズさんを!」

 

何合目とも知らない得物同士のぶつかり合い。鳴り響く金属音を振り払うように俺は色違いの俺を力任せに吹き飛ばす。

 

シズさん……リムルの世界に飛ばされた直後に出会った人。もっとも、俺の中のその人の記憶はその殆どが炎の精霊の姿をしていたのだが。

 

だが彼女の迎えた結末は俺の迎えるそれとよく似ていた。決定的に違うのは、あの時はその場にリムルがいたこと。そして溢れ出た力が所詮あの程度だったこと。しかし俺の場合は違う。暴発する力の質も、量も、決定的に俺の周りにいた奴を皆殺しにするに足る力なのだ。そしてそれを抑え込める奴もまたいない……。

 

「……無言、というのは俺の言っていることに耳を塞いでるのかと思ったが、その割には……」

 

俺が奴の言うことに何も返事を返さないことが何かに繋がるのだろうか。だが考えても詮無いことのような気もするので俺はただひたすらに大太刀を打ち込んでいく。既に俺達はその両腕と両脚に装着型の刃を纏っている。これらにも当然のように空間魔法が付与されているから、氷焔之皇もオラクル細胞も諸共突き破って致命傷を与えることが可能なのだ。

 

錬成で奴の刃を崩すことはスキルによって防がれてしまうから俺達はとにかく向こうの刃を掻い潜って一撃を入れなくてはならない。しかしお互いの力はピタリと同じ、拮抗しているのだ。

 

「ふむ……どうにもならない結末の話では動かないか。なら……」

 

打ち合いながらも何かをボソボソと呟く俺の影。

 

「なぁ、お前()よ、こっちに来て最初はリサがいなくて寂しかったなぁ。けど良かったなぁ。ユエと逢えて。依存させてくれるもんなぁ」

 

…………なるほど、今度はそういう方向性か。

 

「分かってんだろう?お前()がリサやユエ達に抱いている気持ちは恋心なんて可愛らしいもんじゃない。ただの依存心だってなぁ!……リサは都合が良かったよなぁ、アイツも強い奴に自分の全てを委ねる質だからなぁ。お前の理想の共依存関係の出来上がりだぁ!」

 

コイツはひたすらに俺の心の不安や醜い部分を見せつけてくる試練らしい。だがそれがなんだと言うのだ。そんなこと、コイツに言われるまでもなくとっくに分かっていることだ。

 

俺はあの時自分の両親と咲那を失ってからずっと、リサに依存している。アイツを守って頼られることで俺は自分の心を守っているのだ。俺はあの時の俺とは違うのだ、今の俺は大切な人を守れるくらいに強くなったのだと自分に言い聞かせる為に。痛みや寂しさや悲しみをリサに甘えて癒してもらうために。

 

「こっちに飛ばされてお前がしたことはなんだ?結局何も変わっちゃいない。香織と八重樫に自分のことを話したのだって、愚痴を零したくなったんじゃないだろ?本当はアイツらに依存したかったんだ。弱音を吐いてみせて、縋ったんだ。強い所も弱い所も見せてやって手前に気を向かせたかった。そうだろう?」

 

唐竹割りに振り下ろされる長刀を半身になって躱し、首を落とそうと一文字に振り抜く俺の太刀はバックステップで躱される。

 

「ま、結局その後にユエと出逢い、ぜーんぶ解決しちまったけどなぁ?"私の居場所はここだけ"ってのは効いたなぁ。ユエならきっと自分をズブズブに依存させてくれる。そしてユエもドロッドロに寄りかかってくれそうだったもんなぁ」

 

───そして今やシアもそうだしティオにも同じように感じているんだろう?───

 

と、影に問われれば俺は無言を貫くしかない。それでも俺の心は影の言うことを肯定している。

 

「だからこそ(お前)は手前の力でアイツらを亡くしたくない。だからもう本当は力ずくで解ける筈の封印を塞いだままにしているんだよ」

 

奴の言うことは正しい。もうここまで封印が緩めば後は内側から無理矢理にこじ開けることは可能なのだというのは感じていた。だが俺はそうはしていない。何故か。それはこの封印を力ずくで破れば恐らく聖痕の決壊が大きく早まるからだ。ただでさえ使い倒している聖痕を、しかもここまで破るのにもかなり力技で開けたから更に少し広がっているのだ。それが感覚的に分かってしまったが故に俺はここから先はもっと丁寧に封印を破ろうと思っていたのだ。時間がかかろうが、魂魄魔法と昇華魔法を頼りに。

 

「……本当、ブレねぇな」

 

ブレードの着いた中段の回し蹴りを腕部のブレードで受け、その膝を叩き折ろうと脚を振り上げるがそれは縮地を利用した回避術で逃げられる。

 

「なぁおい、殺したくもねぇ人間を何人も殺してきた気分はどうだ?」

 

距離が開けばまた口を開く影。こっちはこっちでそれが仕事なんだろうけど……。

 

「あの時あの3人を、親を、咲那を殺しちまった時からもう戻れなくなっちまったもんなぁ!お前()、イ・ウーに入ってからだけでも何人殺したっけなぁ?昔はその度にゲロ吐いたりなんなりと大変だったなぁ。最近じゃあ慣れちまったもんなぁ?今だってユエ達が傍にいてくれるからどうにか普通に振る舞えてるけどよぉ、本当はライセンで帝国兵を殺した時も心ん中じゃあ大泣きだもんなぁ!」

 

本当にコイツは……。だから何だと言うのだ。依存していて何が悪い。独りになるのはもうゴメンだ。もう大切な誰かが居なくなるのは嫌なんだよ。死ぬことが怖くて何が悪い。しかも、それが己の最愛の女達を巻き込むかもしれないなら尚更だ。人を殺すことが怖くて何が悪い。喜び勇んで人を殺すような狂人なんてそうそういてたまるかよ。

 

「リリアーナと再開した時も本当は山賊だって殺したくはなかったもんなぁ。けどユエやシア達の手前、殺らざるを得なかったんだろう?」

 

本当なら俺のような奴が今更人殺しを忌避してはならないのだ。だからこれは俺に対する罰なんだ。俺は、いつだって奪いたくもない命を奪い続けなければならない、それが血で手を汚してしまった、そして汚させてしまった俺の背負った十字架なのだ。

 

「なぁおい、あの時、最初に飛んだ世界で殺した奴らを覚えているよなぁ?篠ノ之束と織斑千冬。どうだ?他人の家族を奪った感想は?織斑一夏を天涯孤独に追い込んだ時の気分はどうだったかって聞いてんだよ」

 

それが俺が選んだ道だ。例え俺と同じような奴を生み出そうと、それでも俺は利己的に生きる。

 

きっと俺はろくな死に方をしないだろう。それでも、俺は愛する女のために生きると決めてんだ。その愛が歪んでいようと知ったことか。

 

「織斑千冬と篠ノ之束がお前に何をした?リサに何をした?確かに篠ノ之束は褒められた人間じゃなかったが、殺されるような奴でもなかっただろう?織斑千冬なんてもっとそうだ。アイツは人殺しでもなけりゃ兵士でもない。それをお前は、自分が帰りたいからってだけで殺したんだ」

 

影の攻勢は言葉だけじゃない。振るわれる刃も苛烈を極めている。俺と同じ力を持つだけあって、どうにか凌ぎきれてはいるのが救いだった。

 

あぁそうだな、あの2人は本来死ぬべき人間じゃなかった。けれど俺は、自分の都合だけであの2人を手に掛けた。まるであの時のアイツらと全く同じだ。帰郷も快楽も、どちらも他人からしたら勝手な願望でしかない。俺は、自分の力をそんな風に使ってしまったのだ。

 

けれど、そんなことは言われなくたって分かってるんだよ。俺は決めてんだ。そんな誹りも恐怖も痛みも全部一切合切飲み込んでやるって。リサやユエ達の前では精一杯粋がってやる、それを貫き通してやるってな。それでも辛くなったら、そん時ゃこっそり甘えるさ。そんなのただの共依存だって?あぁそうだな、でもまぁ、俺は俺がそんなに強くできてねぇってことくらい分かってんだよ。それに、リサもユエ達もきっとそんなことは全部全部承知してるんだろうなってのは伝わってるんでな。俺は俺の信じたい奴を信じたいように信じるだけさ。そんなのただの盲信だって?……はっ、言うだろ?恋は盲目ってさぁ。

 

「───っ!?これは……」

 

ガクリと、俺と鍔迫り合っていた奴から力が抜けた。俺は力技で影を大きく吹き飛ばす。そして付与された空間魔法によって奴の存在する座標に、距離を無視した斬撃を配置する。奴も当然それは読んでいたが、それでも先程に比べて反応速度や身体の駆動速度が遅い。回避しきれずに、切断された空間に巻き込まれて両脚を切り落とされていた。

 

さらに俺は地に落ちた奴に向けてその場で大太刀を2度振り回す。そうすればまたも奴のいる空間が切り裂かれ、俺の影は首と上半身と下半身がそれぞれ泣き別れた。

 

「…………」

 

俺は部屋の奥から現れた、先へと進むためと思われる通路へと歩み出す。すると、その途中ですれ違った色違いの俺の生首が話しかけてくる。……まだ意識があるのか。

 

「……どうやって克服した」

 

「仲間を信じ、仲間を助けよ。俺はリサやユエ達を信じてる。俺が多少情けない姿を見せてもアイツらなら受け入れてくれるさ」

 

それにな、と続ける。

 

「お前に言われて決心が付いたのさ。俺は、世界を渡る概念魔法を手に入れたらアイツらの元へ行こうってな。許されるつもりはない。それでも、俺は俺の罪に向き合おうと思ってる」

 

「はっ……」

 

奴は呆れたように息を吐き、そのまま塵となって消えていった。俺は戦闘の中で所々千切られたり引き裂かれた服を宝物庫にしまって新たな服に着替え直しながら大迷宮を奥へと進んでいった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「助、けて……誰か……助けてよ……」

 

───助けを求める声が聞こえた。

 

八重樫の首に白刃が振り下ろされる寸前、温もりのある柔肌と冷たい刃の間に俺の氷が差し込まれる。それはガキン!と音を立てて刃の侵攻を押し止めた。

 

「……有り得ないでしょう」

 

呟く白い八重樫へ向けて氷の壁が膨れ上がる。それは槍となり白い八重樫の身体を穿かんとするが、奴も咄嗟に真後ろに飛び退くことで串刺しを免れた。

 

「神……代……くん?」

 

「よぉ八重樫。……まさか繋がってるとはな」

 

飛び退いた白い八重樫の周りに氷を出現させ、両手脚を捕らえる。拘束から逃れようと暴れるが無駄だ。そんな程度の膂力で壊れるほど安く作っちゃいねぇ。

 

「まったく……どっちも同じ力なんだから気を抜かなきゃそんなに一方的にやられねぇだろうに」

 

「え……?……えっ?」

 

「あら、今はもう私の方が上よ?何せその子()、私の言うことを否定するんですもの」

 

「あ?」

 

「……知らないの?」

 

「何が」

 

「ここでは自分の影の言うことを否定すればする程に影は強くなる。そしてそれを克服すればその分だけ弱くなる。貴方も自分の試練を攻略したんだから当然分かっていると思ってたのだけれど」

 

「勝手に向こうが力ぁ抜いたからその隙にぶった斬っただけだが……。なるほど、そういう仕組みだったのか」

 

だから俺がこうするんだと心の中で再び決意した瞬間に力が抜けたのか。そう言えば最期に克服がどうのとか言ってたな……。

 

つまり八重樫は自分の影の言うことを受け入れられなかったということか。ま、確かに突き付けられる事実には俺も耳が痛かったけどな。

 

「とりあえずこれ飲め。怪我だけは治る」

 

と、俺は八重樫に神水を押し付けて飲ませる。失った血液は再生魔法でも使わなければ直ぐには戻らないが傷が塞がるだけでもマシだろう。

 

「本当に神代くんなの……?」

 

「それ以外の何に見えるんだ?」

 

「で、でもどうしてここに……何で……私……」

 

「落ち着け。俺は俺の試練を終わらせて歩いてきたらここに出たんだ。まさか八重樫の所に出るとは思わなかったけどな」

 

「じゃあ、私、本当に神代くんに……」

 

安心したのか、神水を使えば痛みもすぐさま引くはずなのにホロホロと涙を零す八重樫。しかしこれは随分とまぁ大迷宮の仕掛けに凹まされたらしいな。

 

「傷も治ったみたいだし、リベンジマッチだな。ほれ、さっさと倒してこい」

 

「でも私……アイツに勝てなくて……」

 

「アイツに何言われたか知らないけど、それは嘘じゃないだけで真実とも限らない。なにせ、じゃあここからどうするのか、ってのが抜けてるからな」

 

で、お前は何をどうしたいんだ、と問えば───

 

「分かんない……分かんないのよ……ねぇ神代くん、私はどうしたらいいの……?」

 

「俺が知るかよ……。けど、お前もたまには我儘の1つくらい言っても良いんじゃねぇの?」

 

「我…儘……?」

 

「あぁ。八重樫、お前さ、多分俺とお前はよく似てるよ。本当の自分を押し殺してでも必要な仮面を被っちまうところ。だからさ───」

 

───たまにはやりたい放題やってもバチは当たらねぇよ。

 

「それにさ、被った仮面って言ってもよ、結局それは手前のなりたい姿でもあるんだよな……」

 

「……分かるの?」

 

「あぁ。本当の自分じゃないって言ったって、結局理想の1つでもあるもんな。きっと、俺達は本当の自分となりたい自分が一直線上にいないんだよ。だから質が悪い」

 

「私……本当は道着や着物よりも可愛いお洋服が着たかったの。子供の頃は竹刀よりもお人形さんを持っていたかった。けどね……それでも剣道が上手くなったり試合で勝てたら皆が褒めてくれた、それは心から嬉しかったのよ?だから……」

 

「あぁ、分かるよ。別にいいだろ、お前には両手があるんだから、両方持ってたっていいんだ。服なんて、着たい時に着たいものを着りゃいい。……そうだな、身だしなみとお洒落の違い、分かるか?」

 

俺が問えば八重樫は「あんまり……」と返す。

 

「身だしなみってのはまぁ、他の誰かにするもんだ。だからスーツとか色んなルールあるだろ?で、お洒落は徹頭徹尾自分の為にするもんだ。手前が着たいものを着たいように着る、それがお洒落。身だしなみばっか整えんのも良いけど、お洒落だって楽しもうぜ?」

 

「いいの……?」

 

それでも八重樫はまだ不安そうだ。だから俺がそれを吹き飛ばしてやるよ。ここでお前が死んだら、お前のことが大大大好きな俺の戦姉妹が俺を死ぬまで殺しにきそうだからな。

 

「当たり前だろ?……ほら、その為にもあの白いのをぶっ倒してこい。ま、死なない程度には助けてやるよ」

 

「……それは殺し文句よ」

 

アホか、生かしてやるんだよ、とは口に出さなかった。代わりに「そうかい」とだけ返す。八重樫は鞘を杖にして立ち上がり、黒刀を構える。それを見て俺も白い八重樫の拘束を解く。

 

「あら、お話は終わりかしら?」

 

「えぇ、もう貴女()には負けない」

 

「ふふっ……それはどうかしら?」

 

───ダンッ!

 

と、向かい合った2人の八重樫が同時に残像すら残す勢いですれ違う。そして、ハラリ、と八重樫のリボンが外れて黒髪が舞う。そして俺の目の前ではボトリ、と白い八重樫の上半身が下半身から滑り落ち、下半身も氷の床に崩れ落ちた。

 

チン、と軽やかな金属音を響かせ八重樫が黒刀を鞘へと仕舞った。達成感からか、こちらを振り返った八重樫は見たことない程に晴れやかな顔をしていた。

 

「ねぇ神代くん」

 

「ん?」

 

「髪、解けちゃったんだけど」

 

「俺は予備のヘアゴムなんて持ってねぇよ」

 

「作ってよ、どうせなら再生魔法入りの。疲れちゃったし」

 

「あぁ?……まぁいいや、待ってろ」

 

俺は宝物庫から良い感じの鉱石を取り出すと錬成と生成魔法で金属製のバレッタを作り出した。もちろん御要望にお応えして再生魔法入りだ。

 

「あいよ」

 

「ありがと。……ねぇ、どうかしら」

 

「再生魔法は効いてるみたいだな」

 

「はぁ……そうじゃないんだけど。まぁいいわっ……と」

 

そこでついに緊張の糸でも切れたのか体力の限界か、八重樫がフラリと倒れそうになったので思わず俺はそれを受け止める。

 

「……ありがと」

 

「失血が酷かったからな」

 

「そうね、ねぇ……私今歩けそうにないわ。抱っこしていってくれる?」

 

「……どうしたお前。……はぁ、まぁ甘えていいって言ったのは俺か……」

 

「そうよ?自分で言ったことくらい責任持ってよね?」

 

「お前……まぁいいや。背中なら貸してやる」

 

と、俺はしゃがんで背中を差し出す。すると八重樫はやや不満を口にしたが俺の背中におぶさった。背中に重さと柔らかさを感じながら俺は立ち上がり、新たに現れた道を歩き出す。

 

「ねぇ神代くん……」

 

「んー?」

 

「もう1人の私との話、聞いてた?」

 

「いや、全く」

 

俺がここに来て最初に聞いた声は八重樫が助けを求める声だったからな。それまでにコイツが何と言われてたかなんて知らない。

 

「そう……。ねぇ、私のこの手、剣ダコだらけなんだけど、やっぱり女の子らしくないと思うかしら」

 

「女の子らしい手っていうのが細くて柔らかくて傷一つない手を言うならまぁそうだろうけど」

 

「やっぱり……」

 

「まぁけど、良い手だよ。箸より重い物は持てません、とか言い出す手よりよっぽど綺麗だ」

 

それは八重樫が必死に頑張った証だからな。

 

「……」

 

だが八重樫はそれを聞いて押し黙ってしまう。えぇ、何か言ってよ。

 

「神代くん……助けに来てくれてありがとう……」

 

「偶然だよ。たまたまあそこに出ただけだ」

 

「ふふっ……もう1人の私も言ってたわ。オルクスの時といい、王国の時といい今回といい、タイミングが良すぎるのよ。もしかして狙ってる?」

 

「アホ言うな。全部全部いつだってギリギリだよ。それにな、俺が助けたんじゃない。お前らが勝手に助かったんだよ」

 

「そんなこと……」

 

「今回だって最後に自分の影を乗り越えたのはお前だ。オルクスやハイリヒの時だってお前らが足掻いたから間に合えたんだからな」

 

「そう、言ってくれるのね……」

 

事実そうだからな。俺だってもう少しくらいは余裕が欲しいところだ。

 

「神代くん、私、少し疲れたわ。早く香織やユエ達に会いたい。それでね、皆に神代くんを好きになったって言うわ……。だから、ちゃんと……守ってね……」

 

背中から寝息が聞こえ始めた。いや、寝息はまぁともかくその前にとんでもねぇ爆弾を落としやがった……。

 

「どうすんだよこれ……」

 

俺の呟きは鏡に反射することなく吸い込まれて消えてしまった。

 

 



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過去の記憶

 

 

「またか……」

 

俺がスヤスヤと寝息を立てている八重樫をおぶさりながら通路を抜けるとそこはまた中央に氷柱のある大部屋だった。そして、その鏡のようになった氷柱の目の前で豪奢な鎧を身に纏った茶髪が倒れ込んでいた。───天之河だ。

 

「……生きてはいるみたいだな」

 

俺が天之河の傍まで歩き寄って上から顔を覗き込めば、閉じられていた天之河の瞼が開き、その端正な顔が全貌を見せた。

 

「神代……と、雫か……大丈夫なのか?」

 

「八重樫も自分の影は倒した。今は疲れて寝てるだけだ。お前も、勝てたのか」

 

「あぁ、色々言われたけどな。本当、耳が痛かったよ。確かに俺も間違えることがあると思う。けど俺には信じられる仲間がいる、俺が間違えても龍太郎達が引き戻してくれるって思えたから、俺はあれに勝てたんだ」

 

「そうかい」

 

勝てたのなら、俺も態々柄にもないことを言った甲斐があったってもんだな。ま、周りが見えてるのは良いことだ。

 

「ほら、乗ってけ」

 

勝てたとはいえ完全に魔力が枯渇しているのか、天之河は口以外はろくに動かせない様子だったのでビット兵器を1機呼び出す。天之河もそれに転がるようにして乗っかるのを確認して俺はそれを従えつつまた天之河の開いた通路を歩き出した。

 

 

 

───────────────

 

 

 

奥へ着いたと思ったら更に転移させられ、俺達3人がようやく辿り着いたのは幾本もの水晶のように透き通る柱で支えられた巨大で四角い空間だった。しかもここには何故か湖があり、氷の足場が奥にそびえる神殿のような建物まで続いていた。どうやらここがゴールのようだな。

 

俺がフラフラとその美しさを眺めながら散策していると、背後の方で転移してくる気配がした。振り向けばユエ達が全員揃ってこちらへやって来たようだった。

 

「雫ちゃん!……と、光輝くんも、大丈夫?」

 

おまけのように扱われた天之河は苦笑いをしながらビット兵器の上で手を挙げてそれに応える。

 

「ほら八重樫、そろそろ起きろ」

 

と、背中を揺すれば寝坊助の八重樫もようやく眠りから目覚めたようだ。

 

「あれ……香織……皆……」

 

一瞬足元の天之河にも目線がいったはずだが八重樫さんは華麗にこれをスルー。天之河もそろそろ立って歩けるくらいには回復したらしく、モソモソとビット兵器から降り立った。俺も八重樫を降ろすと香織が凄まじい勢いでこちらへ駆けてきて八重樫に抱きつく。そのままゼロ距離で再生魔法を使ってやれば瞬く間に八重樫も全快だ。

 

天之河にも再生魔法を掛けてやり、俺達は湖の向こうに佇む洋館へと足を踏み入れた。

 

どうやら、ここは涼しくはあるけれど大迷宮の真っ只中と違って凍えるほどではないらしい。

 

俺達は氷で作られた屋敷の中を探索していく。中の造形は家具の1つ1つが細部に至るまで美しく、それが俺達に溜息すら付かせるのだ。

 

そして遂に、見るからに重厚そうで明らかに他とは違うディテールの扉へと行き当たった。恐らくこの奥に神代魔法の魔法陣があるのだろうという俺の予測は外れることなく、扉を開けばその部屋の床には魔法陣が刻まれていた。

 

そして、俺達は全員でその中に入り、俺とユエにとっては最後の神代魔法となる"変成魔法"を脳ミソに刻まれた、その瞬間───

 

「がぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「あぁぁぁぁぁぁ!!」

 

俺とユエは絶叫した。そしてそのまま、意識が闇の中へと沈んでいく───

 

 

 

───────────────

 

 

 

唇に何やら極上と呼べるくらいに柔らかで甘美な感触がある。それが触れられている俺の唇はその刺激を寸分の狂いもなく脳ミソへと伝えているようだ。あまりに甘ったるい目覚まし時計の合図に俺の意識も暗闇から引き摺り出される。

 

「……ユエ」

 

「……んっ、天人、おはよ」

 

愛おしいユエの顔が目の前にある。その幸せを噛み締めながら周りを見渡せば、布団のめくれた、ユエが寝ていたであろうベッドこそあるが、この部屋には他に誰もいないようだった。運び込まれたみたいだがどうやら他の奴らは別室にいるのだろう。俺はユエを自分の胸元に抱き寄せてそのまま布団を被り直す。

 

「知ってるか?2度寝ってのは世界最高レベルの贅沢なんだぜ?」

 

愛する人と同じ布団で2度寝……人類よ、布団という奇跡を発明してくれたことに感謝を……。

 

と、俺がユエを抱き込んでもう一度眠りに入ろうとした瞬間、俺達の天地がひっくり返った。

 

「ほらほら、起きたなら早く来てくださいよー」

 

ユエを抱きしめたまま見やれば、俺達の寝転がっていたベッドを担ぎ上げたシアが呆れたようにこちらを睨んでいた。どうやらベッドごとひっくり返されたらしい。

 

「……はぁ」

 

「ほら、溜息付いてないで」

 

仕方なしに俺達はシアに連れられて皆の集まっている部屋に案内される。そこでもどうやら事情を察したらしい香織や八重樫に呆れ顔でこちらを睨まれる。すると、ティオも部屋に戻ってきた。どうやら俺とユエが急に倒れた原因を探る為に屋敷の中を探索していたらしい。

 

「それで、天人くんとユエはどうしていきなり」

 

「そうね、2人がいきなりあぁなるなんて、余程のことがなくちゃ……」

 

「あぁ、まぁ何と言うか……、神代魔法以外の情報も一遍に脳ミソに書き込まれてキャパオーバーしたんだよ」

 

と言えば香織は「あぁ、天人くん脳みその容量少なそうだもんね……」と宣うし八重樫も「でもそれならユエも一緒に倒れたことに説明が……」と香織に囁いている。この野郎……っ。

 

「んんっ、俺達に強制的に書き込まれた情報は概念魔法に関してだ」

 

と、俺が言えば場の空気が一気に締まる。それはハルツィナ樹海の大迷宮で手に入れた羅針盤にも使われている魔法。そして、俺達がそれぞれの世界へと帰る為の道標となる魔法。

 

「概念魔法……それがあれば世界を越えられるんだよね?もう使えるようになったの?」

 

「いや、それはまだだ。リューティリスの言ってたみたいに、あれは知識があればとか教えれば使えるみたいな代物じゃないみたいだ。それに、俺達に書き込まれたのもその概念魔法をどうのみたいな具体性のあるもんじゃなくてな」

 

「……どちらかと言えば、前提知識みたいなもの」

 

と、俺の言葉にユエが続ける。

 

「前提知識?」

 

「そうだ。……例えば、俺達が今回手に入れた変成魔法、これはどんな風に捉えてる?」

 

と、俺が視線で八重樫と香織に話を振る。

 

「えと、普通の生き物を魔物に作り替えてしまう魔法かしら。術者の魔力を使って魔石を作って、それを核にして肉体を再構成する、みたいな」

 

「あとは、既にいる魔物の魔石に干渉してより強い肉体や新たな力を与えたり、かな」

 

「あぁ、まぁだいたいその通りだ。グリューエンやハイリヒで俺達と殺りあった魔人族が使ってたのもこれだ。けど……今の説明は極表面的なものだったんだ。本来の変成魔法ってのはそうだな……有機的な物質に干渉する魔法、みたいに言えばいいかな」

 

つまり、理論上は生き物や魔物だけではなく、植物やそれこそ人間に対しても行使が可能ということだ。

 

「多分、ティオの竜化の起源はこれだ。それにもしかしたら……」

 

俺はふとシアのウサミミを見る。それに気付いたシアが疑問顔でそのウサミミをフサフサと動かす。

 

「ふむ、まさか竜人族の起源が神代魔法とは……」

 

他の神代魔法もそれぞれ世界の根本とも言える法則や何かに干渉する類のものだった。例えば───

 

「例えば再生魔法は時間に干渉する魔法だし、空間魔法は境界に干渉する魔法ということ……らしい」

 

そんな知識を頭に叩き込まれたけど境界に干渉って何?とは思うけど。

 

「……さっきの前提知識というのはそういうこと。……神代魔法はこの世の理に干渉する魔法だけどそれを私達は理解しきれていなかった。だから普段は私達の理解できる範囲の行使しか出来なかったし名前もそういうふうになってた」

 

「ユエの言う通りだ。そして、それを理解するには中身が深すぎて大迷宮を全部攻略できるレベルでないと心身が負荷に耐えられない」

 

と言うか俺の頭は大迷宮全部攻略したけど耐えられていない気がする。

 

「……なるほどね、聞く限り、人の触れて良い領域から逸脱しているようにも思えるわ……。そうすると、帰る為の概念魔法はまだ生み出せそうにはないってこと?随分と難易度の高いもののように思えるし……」

 

「んー、確かに難しくはあるな。リューティリスが極限の意思とかいうフワッとした説明で終わらせやがったが、実際そんな感じだ。魂魄魔法と昇華魔法で望みを概念レベルまで引き上げてそれに魔力を通して現象を無理矢理顕現させる、みたいなやり方なんだ」

 

だが普通はそんなもの、昇華魔法を使っても成功しないし、そもそも生成魔法で何かに付与して定着させなければ普通は1回こっきりになってしまう。

 

「俺としては帰る為の概念魔法よりも、帰ってまた直ぐにエヒトに呼び出されないようにする魔法の方が難しい気がするよ」

 

「……確かに、せっかく帰れてもまた召喚されたんじゃ」

 

「それに、2度目は俺が呼ばれないかもしれない。そうしたらお前らは帰るのに相当苦労するだろうし」

 

しかし、俺としても再召喚は防ぎたいがそれを概念魔法レベルまでは引き上げられる気がしない。だったらもうエヒトを直接ぶっ潰そうという思考に移りそうだからな。

 

「……私達のことも考えてくれるのね」

 

「……お前ら俺のこと血も涙もない冷酷非道男だと思ってるよな」

 

周りを見渡せば、勇者組は皆ブンブンと首を横に振り回している。確かに普段の言動からしたらそうなるのかもしれない。いい加減考え直すべきか……?

 

「まぁとにかく、俺とユエは早速帰る為の概念魔法を作ろうと思う。話しながら整理も出来てきたし」

 

そして、俺達が概念魔法を作っている間に、谷口達は手に入れた変成魔法で戦力の拡充を図りたいようだった。ま、これから魔人族の総本山に乗り込もうというのなら、それも必要だろうと俺は樹海に繋がる鍵を渡した。とはいえ、シュネー雪原の大迷宮を攻略したダメージは割と深刻で、とりあえず俺とユエが帰る為の概念魔法を生み出すくらいまでは休息に充てることになった。

 

そして俺達はまた変成魔法を刻む為の魔法陣がある部屋への扉を開けるのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

別部屋で団欒しながらも今後の方針について話し合っていたシア達が激烈な魔力の波動を感じて飛び込んだのは、天人とユエが概念魔法を生み出す為に篭った部屋だった。そこでは2人が両手の指を絡めて向かい合い、目を閉じて脂汗を滲ませていた。紅と黄金色の魔力の奔流が組まれた指と同じように絡み合い、二重螺旋を描きかながら渦となって脈打っている。

 

問題が発生したという訳ではなさそうだと判断し、邪魔になるくらいならと部屋を出ようとした彼女らの眼前に突如、どこかの風景と思わしき映像が浮かび上がった。

 

「これは……」

 

そこはまるで洞窟のようだった。光輝や雫などはオルクス大迷宮を想起した。だが自分らの知っているオルクスの洞窟とは趣こそ近しいが、ある程度は人工的に整備されていたオルクスの洞窟と比べると、どうにも手付かずの自然のままといった風であり、いまいち確信が持てないでいたのだが。

 

「これはもしや、本当のオルクス大迷宮というところではないかの」

 

だがティオの言う通り、そこはオルクス大迷宮を100層下った更にその下、奈落の底の更に奥底にある大迷宮の1つであった。そしてその部屋にいる者に伝わる感情、それは───

 

「これは、不安……?」

 

「それと、恐怖……」

 

「もしや、これは主の記憶、というやつかもしれないのじゃ」

 

これもティオの言う通り、この映像は天人の記憶だった。ベヒモスの部屋から奈落の底へと落ち転げた先で天人の見た風景。それが今、全員の目の前に広がっているのだ。

 

そして風景は動き出す。不安や恐怖を抱えていようが、未知の場所だろうが、慎重に、だがしっかりと歩みを進めているのは確かに天人らしいと言えた。そして襲いかかってくる白いウサギの魔物。特異な動きに翻弄されていた天人だが突破口を見つけ、そこに踏み込んだ瞬間───

 

───ウサギが別の魔物に殺された。

 

長い爪を持つクマの魔物だった。明らかにウサギの魔物とは一線を画す雰囲気を漂わせたそいつにも天人はまた挑んでいった。例え未知の敵に対しても、慎重ではあっても背を向けることなく挑む姿はやはり今の神代天人という青年と何ら変わりはない。そして腕を変化させ赤雷を放ちながらもどうにかクマと痛み分けに終わった天人が次に見つけたのが輝く水という奈落の底に転がっていた希望だった。それを見つけた時の天人の感情が伝わってくる。だがそれは希望だけではない、消しきれない不安もまた同居していたのだ。だが男は進む。魔物を喰らい、地獄と言うにも生温い激痛を飲み込み、再び立ち上がった。

 

そして、遂に試行錯誤をしながらもこの魔法が戦いの中心だったトータスに拳銃という現代兵器を生み出した男は進軍を開始した。

 

「これが……神代の言っていた……」

 

光輝が呟く。

 

「そうだよ、これが魔物を食べるっていうこと」

 

この中で唯一同じ経験をした香織が告げる。

 

「でも、天人さんはこの後も何度も同じような痛みを……」

 

そう、シアは前に聞いたことがあった。より強い魔物を喰らえば再び同じ痛みに襲われると。そして実際大迷宮の攻略中は幾度となくその激痛に襲われたということを。ウサミミで聞き、実際に香織がその苦痛に悶え苦しむ姿を目撃したこともあったけれど、こうして直に伝わる痛みと苦しみは自分の理解が万分の一にも届いていなかったのだと痛感する。

 

───そしてまた風景が切り替わる。

 

そこは、どうやらどこかの家のようだった。目線はやや低い。まるで子供の目線のようだ。実際、目の前に映る人間の男女は夫婦のようであり、またこの目線の主の親のようでもあった。また、目の前に映る女の子へと感じるこれは……。

 

「これもしかして……」

 

「天人さんの、子供の時……?」

 

「そう言えば、幼馴染がいると言っておったがもしや……」

 

この氷の大迷宮を攻略中に少しだけ彼の幼少期の頃の話を聞いていた。確か両親と幼馴染が強盗に襲われるという───

 

「ッ!?」

 

その時それは起こった。

 

突如その家に押し入って来たのは3人の若い男。そして勢い良く天人の目線が下に落ちる。どうやら何か強い力で床に縫い付けられたようだ。その間にも惨劇は進む。1人の男の仕業なのだろうか、そいつの目線の先にいた天人の父親と思われる男性の腕がまるで雑巾でも絞っているかのように捻れていくのだ。腕がねじ切れそうになる痛みに絶叫する男性と、それを見てゲラゲラと下品な笑い声を上げる男達。

 

その映像からは怒り、痛み、悔しさ、悲しさ、絶望が痛い程に伝わってくる。既にシアやティオなどは膨れ上がる激情に息を荒くして自分の腕が食い込んだ爪で血が流れる程に押さえつけている。

 

しかしそれでも映像は続く。蹴り飛ばされ、汚い脚で壁に肩を縫い付けられたのは天人の母親だろうか。苦悶の表情を浮かべていたが、直ぐにその顔が更なる痛みで歪む。今度は脚が捻られていく。そしてそのまま千切り捥がれた脚が父親の方へと投げ捨てられた。そして、既に失血で意識の朦朧としている父親の頭を掴んで天人の前に放り投げた。

 

そして2人の目の前で母親の身体が宙に浮き、腹を起点に身体が冗談みたいに捻れていく。ブチブチと肉が裂ける音と共に映像から伝わる感情も膨れ上がる。だがそれだけではない、天人の前に女の子が1人蹴り転がされてきたのだ。それは先程天人が淡い恋心を抱いていた子供だった。まだ幼さが目立つがそれでも造形の整っていた美貌は、大人の男にしこたま殴られた結果、今や見る影もなく赤く腫れ、瞼や鼻から出た鮮血でその顔を覆っていた。

 

「こんな───っ!!」

 

シアが声を震わせる。その両腕に雫と香織が寄り添い、後ろからティオが3人を包み込む。だが、それでも映像は続く。

 

1人の男が天人の目の前で女の子の首を掴んで持ち上げたのだ。そしてそのまま両手でその細い首を締め上げる。女の子は抵抗を見せるが当然、力で敵うはずもなく徐々に動きは小さくなり口からはただ唾液が垂れていくだけになる。そしてその細い両手がダラりと下に下がった瞬間───

 

怒り、憎しみ、悔恨、その全てが人間1人が抱えるにはあまりに大きく膨れ上がり、遂に極限まで膨れ上がったそれが弾けた。

 

「あああぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」

 

喉が引き裂けんばかりに叫んだ少年の視界が白く染まる。突き出した腕から白い炎のようなものが噴き出して男の脇腹を貫いたのだ。鮮血が噴き出す間もなく一切のコントロールを失った白い炎は絶叫のままに、そのまま彼が大切に想っていた全てを押し潰し、引き裂いた。

 

白以外の色を失った視界が晴れればそこにあったのは瓦礫と肉片と血と臓物が撒き散らされた異臭だけだった。他には何も、一切の思い出も愛も何もかもがただ破片となって散らばっているだけだった。

 

場面が変わり、別の家の中と思われるそこで天人の目の前にいたのは背の高い整った顔の若い男と、天人と同い年くらいの、透けるように薄い金髪を湛えた愛らしい女の子だった。シアは直感的にこの子がリサなのだろうと思った。

 

天人はまた自分の大切なものが奪われる恐怖のままに、その男に飛びかかるが一瞬で抑え込まれる。その直後、天人の中からまた先程の白い炎とは違った力が湧き上がるが、何があったのか、即座にそれが抑え込まれるようにして消えていく。

 

恐らく何らかの手段で天人の力が封印されたのだとティオは推察する。そしてまた場面は移り変わる。今度はそのほとんどがリサといる場面だった。そして、先程までとは違って、場面の切り替わりが激しい。何やら勉強している時、ただ雑談を交わしている時、リサを背にして自分より大きな誰かに立ち向かっている時。だが、常にそこから伝わる天人の感情には独占欲と失うことへの恐怖心と、そしてそこには確かに恋が、愛があったと、これを見た全員がそう確信した。

 

場面は移り変わっていく。その中で神代天人という少年は常に戦い続け、傷付いていた。心も身体も。そしてそれをずっと傍で癒し続けていたのがリサ・アヴェ・デュ・アンクという少女だった。文字通り世界が飛んでも常に隣に寄り添い自らが愛する男に尽くしていた。そして少年もまたその少女の献身に応えるように拳を、刃を振るい引き金を引き続けた。そしてまた映像は切り替わる。

 

映し出されたのは地球からトータスにやってきた光輝達には見慣れた光景、ハイリヒ王国で勇者一行に割り振られた個室の、ベッドから眺める天井だった。夜なのだろう、星の光と月明かりだけが室内を照らす薄暗い中で男は心に誓う。

 

 

 

───帰るんだ

 

───武偵高に

 

───リサの元に

 

 

 

映像が途切れた時、シアはまだ自分が涙を流していることに気付いていなかった。だが隣の雫や香織までもが涙している姿を見てようやく自分も同じような感情の発露に気付いた。

 

「そんな……こんなのって……」

 

それは、誰の言葉だったか。きっと呟いたのは1人でもこの場の全員が同じ言葉を抱えていたのだろう。天人は自分の過去をあまり語っていなかった。シアでさえこの世界に来てからのことはともかくそれよりも前のことはあまり聞いたことがなかった。"武偵"という概念に関しては愛子がしつこく天人に聞いていたので何となく知ってはいたがそれだけ。後はその世界にリサという女がいて自分の恋した男はその人に心奪われているということくらい。最初に飛んだ異世界での話やその後の異世界を巡る旅の話はしてくれたが、イ・ウーのことや幼少期の話だって氷結洞窟で初めて聞いたのだ。

 

その隠されていた過去がこれほどのものだったなんて……。自分の産まれ持った力が一族郎党を皆殺しにしかけた自分と、同じように持って産まれたであろう力で家族を、好きだった女の子を殺してしまった天人。比べずにはいられなかった。だがシアが何か言葉を口にする間もなく変化は訪れた。天人とユエの間に置かれた鉱石達が混ざり合い形を変えていく。それは紅と黄金色の魔力を取り込みアンティーク調の鍵のような形を得た。

 

「あれは……鍵?」

 

そして、その鍵が完全に形を安定させた瞬間、今までずっと瞑目していた2人が目を開く。その視界にはお互いしか映っていないかのように見つめ合っている。そして二人の唇が同時に震え、言葉を紡ぎ出す───

 

「「───望んだ場所への扉を開く」」

 

 

 

───────────────

 

 

 

"望んだ場所への扉を開く"

 

そう俺とユエが言葉にした瞬間に俺達の意識は闇へと落ちていた。魔力枯渇だ。だが即座に魔力が身体に入り込む感覚があり、目を覚ませば周りにはシアやティオ、香織や勇者組が全員揃っていた。

 

「あ……」

 

「天人さん!!」

 

むぎゅうっ!という音がなりそうなくらいにシアが倒れ込んでいる俺のことを力一杯抱きしめてくる。

 

「シア……今のはただの魔力の枯渇だから……」

 

だからそんなに心配するなと言おうとしたのだが───

 

「そうじゃないんです……そうじゃないんですぅ……」

 

と、目に涙を貯めながらも俺のことを離そうとしない。一体どうしたというのだろうか。

 

「ありがとうございます……ありがとうございます……」

 

「は……?あぁ、アーティファクト、出来たっぽいな」

 

俺が足元に転がっている鍵に目線をやればそれをユエが拾い上げた。うん、あの羅針盤に勝るとも劣らない力を感じる。多分完成したんだろうな。

 

「そっちじゃないんですぅ……そっちじゃなくて……」

 

「なぁシア、本当にどうしたんだ?」

 

「あのね、天人くん」

 

嫌なわけじゃない。むしろシアに抱き着かれるのは好きな方だがそれはそれとしてシアの情緒が不安定すぎてまず疑問符しか浮かばなかった俺に香織が話しかける。どうやら、このアーティファクトを作成している時に凄まじい魔力の奔流を受けてこの部屋に飛び込んできたコイツらは皆、その時に俺の記憶を見たらしい。それも、異世界を巡る中での戦いの記憶だけじゃなく、"あの時"の記憶もだそうだ。なるほど、シアがこうなっているのはそういうことか。そう言われて見れば何かティオや香織や八重樫、というか全員泣いた跡が残ってる……。

 

「だから、だから……あの時助けてくれて……来てくれて、ありがとうございます……。もしかしたらあの時の天人さんは本当はとても……」

 

「別に、辛くなんてなかったし、後悔だってしてない。むしろ、あの時ハウリアを、シアを見捨てなくて良かったと思ってるよ」

 

だから泣くなとシアを抱きしめ返し、頭を撫でてやる。それでもまだ泣きじゃくるシアにユエも後ろから抱きしめてやっている。そうしていると今度はティオが俺にしなだれかかってくるわ八重樫も何やら恥ずかしそうに俺の服の袖を摘むわで段々と身動きが取れなくなってくる。

 

そのままじゃキリがないので、シアが少し落ち着いた辺りでこの世に新たに生み出された概念魔法の付与されたアーティファクトの試用に移らせてもらう。

 

まずは羅針盤を使って門を開きたい座標を探し出す。この鍵型のアーティファクトは汎用性があまりに高すぎてこうしてキチンと指定してやらないと逆にどこにも行けないのだ。

 

そして、俺は羅針盤で適当な座標を探し出すと鍵に魔力を通しながら空間に突き刺した。すると、ズプリと空中に波紋を広げながら先端が突き刺さった。ガリガリと魔力を削られる感覚に眉を顰めてしまうが構わずそれを注ぐ。そしてそのまま家の鍵を開けるかのように鍵を回せば───

 

 

「この恥知らずのメス豚がぁ!昇天させてやる!!」

 

俺は無言のまま、そこにいた暴言を吐きながら鞭を振るっているウサミミの男に向けて、宝物庫から取り出した鉱石を投げつけた。

 

「ゴフゥッ!?何事───ってボスゥ!?」

 

そこにいたのは恍惚の表情のアルテナとそれに何故か鞭を振るっていたカムだった。

 

「カム」

 

「はい……」

 

「俺ん後ろで今にもお前らを殺害しそうなシアはどうにかしてやるから、今から言うことを覚えておけ」

 

「はい……」

 

「いいか?後で俺が"山"と言ったら"川"と答えろ。忘れてたら……」

 

俺はそこで言葉を切ってそのまま門を閉じていく。向こうからカムの恐怖の叫びが聞こえてくるが無視だ無視。

 

「さてシア。1回お前は後ろを向いてそのウサミミを塞いでてくれ」

 

多分もう1回あれを見ることになるからな……。流石に自分の父親と自分と同い年くらいの友人の野外SMプレイの現場は辛すぎる。

 

「はいですぅ……」

 

多分シアもそこを察したのか素直に後ろを向いてペタリとウサミミを閉じた。うん、それが正解だ。

 

さてと、俺はもう1度、今度は先程よりも更に輪をかけてとんでもない量の魔力が鍵に注ぎ込まれていく。

 

そして───

 

「本当に反省してんのかぁ!?」

 

俺はもう1度鉱石を投げつけた。

 

「ゴフゥッ!?───何事……ってボスゥ!?」

 

「山」

 

「は?」

 

「山」

 

「え、ここはどちらかと言えば森───」

 

「いや、もういい」

 

俺はフッと笑いながら門を閉じていく。カムの「待って!ボスのその笑い方は怖すぎます!説明を!説め───」という叫びは多分幻聴だ。

 

後ろを振り向けばあまりに刺激の強すぎる光景に唖然としつつも今のやり取りが疑問だという顔が並んでいた。

 

「あの、神代くん……?今のは……」

 

「あぁ、何せ初めてだらけで色々と不手際が目立ったが───」

 

というか、ほぼ不手際しかなかったけど。あれならもう少し遠くてもイルワとかにすれば良かったかなぁ……。でもあの人だと周りに他に事情を話せない人もいそうだしなぁ。

 

「元の世界に帰る手段を手に入れた」

 

「それよりさっきのは何?」

 

香織が即座に背後に般若を召喚して俺に迫る。いくらなんでも気が短すぎる。ちなみにさっき聞いた話だがこの香織さん、「恋人を置いてきているから早く帰りたいって言ってたのにちゃっかりこっちでも作ってんじゃねぇよ」という理由で俺に砲撃が誘導されていたらしい。それが発覚したからなのか、俺への当たりが強くなった気がする。

 

「再生魔法は時間に干渉する魔法ってのが正確なところな訳だが。それはそれとして天之河よ、俺達がこっちの世界に来てどんくらい経った?」

 

「え、あ、あぁ……えと、だいたい1年くらいかな」

 

「はぁ……結局そんなに経ってたのか。いや何、俺とユエは奈落暮しが長かったからな。正直時間の感覚があんまりな……。ただまぁ、確かに少なくとも1年近くは経ったかなぁという感じはある」

 

オスカーの邸宅に着いてからは一応日付は数えてはいたしな。あそこ、洞窟の奥の奥のくせに昼と夜の概念があったからな。毎日石に日付を刻んでいたのだ。

 

それで?と香織も般若を引っ込めつつ先を促す。とは言え、まだ完全には消えていないので多分すぐに出てくる。気が短すぎる……。

 

「そっちは多分集団失踪事件だろ。現代の神隠しとか何とか言われてんじゃねぇか?」

 

「確かに、その可能性は高いわね」

 

「で、俺だ。俺の時は周りにはリサしかいなかったし何より俺は武偵だ。1年もいなかったら確実に死亡扱いされるだろうよ。そうしたらたとえ帰ってきても武偵の職を失うかもしれない」

 

と、見渡せばそりゃ確かに深刻だわな、という顔が揃っている。だが同時にそれとさっきの謎のプレイを2度も見せつけられた意味は?という表情も混ざっている。

 

「あとこれは完全に私情なんだけど、リサを1年近くも待たせてられるか、というのが大きい」

 

と言えば、即座に香織の背後にポン刀を構えた般若さんがスタンバイ。だから早いって。そういや遠山金一は1回失踪した割にまた武偵やってるから、俺ももしかしたら大丈夫かもだけどそれはそれとしてリサを放ってはおけない。

 

「んんっ、で、最初に戻るぞ。再生魔法は本来時間に干渉する魔法、この鍵に込められた概念は望んだ場所への扉を開く、だ」

 

「……つまり、その鍵は世界だけじゃなくて時間も越えられるってこと?」

 

「八重樫の言う通りだ。まだ試しちゃいないが多分未来へも跳べる。勿論、それにはそれだけの魔力が必要だが……」

 

「あっ……」

 

と、谷口が膝を着く。どうやら力が抜けてしまったららしい。それを八重樫に支えてもらっている。

 

「で、だ。これは相談なんだが、いつ頃に戻る?」

 

「いつ頃、というのは勿論、あの日から何日後か、ということよね?」

 

「うん。中村がどうなるかは別にして、それ以外にもお前らのクラスメイトは何人も死んでいる。転移直後に戻ったとしてもそいつらがいない説明が出来ないし、転移前跳んでに死んだ奴らをこっちに拉致ってきて後で皆で戻っての帳尻も止めた方が良い」

 

それをしたら未来が分岐してしまう可能性があるからな。特に檜山がいなくなると言うことは俺が奈落の底に落ちないということで、それはとりもなおさず俺とユエが……そして言い換えればシアやティオとも出逢わないということでもある。今のこの世界は今までの選択の積み重ねなのだということをこうして考えると強く実感するよ。

 

「つまり、クラスの大半が失踪したことと、その中で数人が戻ってこない説明のつく期間を空けなければ、ってこと?」

 

「八重樫の言う通りだ」

 

「なら、それこそ王都に戻って全員で話し合わないと……」

 

「んー、まぁそれでもいいんだけど、こんなの人数がいたってどうにかなるもんでもないだろ」

 

俺は今すぐにでもリサの顔が見たいからさっさと決めてほしいのもあるにはあるが。というか、そっちが本命だけども。ただまぁ……

 

「どうするにしろ、まずは中村か……」

 

俺は谷口にハルツィナ樹海に繋がる鍵とこちらに戻るための鍵を渡す。

 

「とりあえずハルツィナ樹海にでも行って、変成魔法でも練習してこい。俺達は休憩してるから」

 

俺は話しているうちにある程度魔力も戻ってきたけど、ユエはそういうわけにもいかないからな。またあの魔人族に襲撃されても面倒だし、とりあえず補給と補充は行なっておきたい。

 

変成魔法習熟と魔人族の領地に乗り込むための戦力拡充を図りにハルツィナ樹海へと乗り込んだ谷口達とそれに着いて行った香織を見送り、俺は魔力タンクへと魔力の補充を行いながらこの大迷宮でも指摘された"あれ"について話しておこうと思い立つ。

 

「なぁ、ちょっといいか?」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……それで、あとどれくらい保つの?」

 

俺は聖痕の力のこと、そしてそれを持つ者が迎える結末を、全てユエ達にぶちまけた。それを聞いたユエは俺の頬に手を当てながら心配そうな顔で見つめてくるし、シアに至ってはもう俺の腕に絡みついて離れようとしない。ティオも俺の背中に抱きついたままだし。

 

「さぁな。少しずつ広がってる感じはするけど、まだ今すぐにどうこうってのは無いとは思う。ただ───」

 

「封印を無理矢理剥がした時、じゃな」

 

「あぁ。て言っても実際どれくらい広がって、それがどれだけ猶予を縮めるのか分からないんだよなぁ……。結局、そこの不安も含めてのリスクっぽいし」

 

分からないものを怖がっても仕方ないとは思うが、分からないからこそ怖いというのもまた真理だと思う。

 

「なら、私達がもっと強くなります。天人さんがそんなものに頼らなくても良いくらいに」

 

ギュッと、シアがさらに強く俺に抱き着く。

 

「……ありがとな」

 

フルフルと、シアは首を振るだけで何も言おうとしない。ただウサミミは正直にフサフサと俺の首に巻きついてきているのだけれど。

 

結局、この問題に答えなど出ないのかもしれない。俺は俺が戦える人間である為にも武偵であることを捨てられないし、そうでなくとも聖痕持ちと戦うなら神代魔法やアーティファクトだけでは力不足なのだ。当然、究極能力だってどの程度役に立つのか……。

 

その時になれば俺はコイツらと一緒にいる為にも躊躇いなく力を使うはずだ。俺達に出来ることはきっと、もう聖痕持ちと戦わないことを祈るくらいなのだろうよ。

 

そうしている内に、谷口達が帰ってきた。残念ながら天之河達には変成魔法の適性が無く、魔物を従えることは出来なかったらしいが、谷口だけはそれなりのものがあったようでユエとティオの指導の元、連れてきた魔物を強化、俺のアーティファクトでいつでも呼び出せるようにして一旦は樹海へと返した。

 

「ふむ、では主にユエよ、これを渡しておくのじゃ」

 

と、ではそろそろここも出ようかというところでティオから水滴のような形のペンダントを渡された。大迷宮攻略の証だろう。すっかり忘れてたけど、一応これがないと面倒だったりするんだよな。

 

攻略者の証も受け取り、ここの大迷宮にはもう用もなくなったからな。俺達は大迷宮を出て地上に戻るためのショートカットとなる魔法陣へと足を踏み入れた。

 

 

 



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開かれた聖痕

いつの間にか連載を始めて1年が経っていました。


シュネーという解放者が残したショートカットで俺達が辿り着いたのは雪原とその他の境界線、その北西側だった。

 

そして雪原から出た俺たちを出迎えてくれたのは───

 

「やはりここに出たか。……それで、全員攻略出来たのか?少年」

 

「やっほー、光輝くん、久しぶり。元気だったー?」

 

2回りは大きくなっただろうか、巨体の白竜に乗った魔人族のフリードと、その配下と思われる灰色の竜共や有象無象の魔物達。更には灰色の魔力で編まれた翼を広げた中村、そして全員が全く同じ顔と姿をしている銀色の神の使徒ことノイントが……数百人はいるだろうか。随分とVIP待遇なこった。

 

「んー?お前程度の三下が攻略出来るんだから解放者の試練も緩いもんだよ」

 

「ふん、相変わらずの減らず口を……。だが挑発には乗らん。私が───」

 

フリードが手前の要件を言い切ることはなかった。肉が引き裂け血飛沫が舞う音を耳にして、後ろを振り返り、そしてグラついた足元を見て、相棒が息絶える瞬間を目の当たりにしたからだ。

 

「な、にが……」

 

崩れ落ちる足元から飛び降りながらフリードが呟く。何が?簡単だよ、そこに死骸になって転がっている魔物も神の使徒共もお前の相棒も全部、俺が即座に発動した氷の元素魔法による氷槍で串刺しにしただけだ。コイツら相手にいちいち会話なんてしている暇は無い。武偵憲章第5条、行動に疾くあれ、先手必勝を旨とすべし、だ。魔素はかなり消耗したがコイツらを纏めて仕留められたのだから収支じゃプラスだ。ちなみに今はもう魔素とトータスの魔力は別々に運用している。あれ混ぜても大した効率アップにはならなかったからな。一応、非効率ではあるが魔素でトータスの魔法を、トータスの魔力であっちの魔法も、それぞれ発動できることは確認しているし、魔素も少しは戻ってきているからな。

 

「木偶を並べて悦に浸ってたところ悪いけどな、生殺与奪の権利はこっちにあるぞ」

 

一応フリードも残したのはコイツらの目的が俺の殺害でなかった場合に備えてだ。中村が奴らにどこまで信用されているのかは分からないからな。

 

「貴様……後悔するがいい……」

 

フリードが歯を食いしばりながらそう呟く。すると、フッと、俺達の前に空間魔法である仙鏡──遠くの映像を映し出す魔法だ──が現れた。そして、そこに映っていたのは───

 

「あぁ……?」

 

「先生!!皆!!」

 

「そんな……リリィまで!」

 

そこに映し出されていたのは地球から呼び出された奴らだった。全員1つの檻に入れられている。人質、というわけか。

 

「ふっ……これだけだと思うなよ?」

 

「………………」

 

そこに映し出された光景に俺の中から感情という感情が一旦ストンと消えた気がした。

 

 

何故なら───

 

 

「ミュウちゃん!!」

 

「レミア!!」

 

映像が切り替わって映し出されていたのは、別の檻に入れられたミュウとレミアさんだったからだ。

 

「……本物か」

 

俺は即座に羅針盤を使って彼女達の位置を把握。それが確かにエリセンではなくもっと近く、つまり魔人族の領地にいることが確かになった。

 

「今度は居場所を探知できるアーティファクトか……。ふん……これで分かったろう?今どちらの立場が上なのかがな。……貴様を今ここで這いつくばらせたいのは山々だかな。我が神アルヴ様が貴様らを城に招待してくださるとのこと。この寛大な御心に応えるのなら貴様の大切な半端者共は傷付けんでおいてやる」

 

フリードは人質を確保しているという優越感からか余裕綽々な態度。

 

「卑怯だぞ!!皆を人質に取っておいて何が招待だ!今すぐ皆を解放しろ!!」

 

そして当然、正義感の強い天之河はこの手を見せられれば怒り出す。だがそんなものはコイツらには何の意味も無い。

 

「あははぁ!光輝くんやっさしぃ。あんなクズどもの為に必死になれるんだから。惚れ直しちゃったよー」

 

甲高い声が耳に煩い中村の戯言は無視。

 

「……いいよ。招かれてやるからさっさと案内しろ」

 

アルヴ様とやらがどんな奴かは知らんが、フリードが後ろに銀色の使徒を連れて来ていた時点でエヒトとはそれなりの仲であることはほぼ確定。こっちも、それなりに構えておかなくちゃあな。

 

「ここまできてその傲岸不遜な物言い……。いつか後悔するがいい。……さてまずは武装を解除してもらおうか。それに、この魔力を封印する枷も嵌めてもらおう」

 

つい、とフリードが手錠を取り出す。だが───

 

「断る」

 

「何……?仲間やあの魚モドキ共がどうなってもよいのか?」

 

「……まず言っておくが、お前らが捕まえてる人間族は俺の仲間じゃねぇよ。それにな、これ以上ミュウやレミアさんの髪の一房にでも触れてみろ。テメェら魔人族を老若男女の区別無く1人残らず殺し尽くしてやる」

 

思わず全力で魔王覇気を使ってしまおうかと思ったが、ここでこいつを発狂させてもなんの意味も無いと思い止まる。

 

一応、エリセンを立つ時には彼女らに万が一が無いように備えはしていた。アーティファクトの類を作りながら町中や彼女らの家に設置したり記念にと言ってアクセサリーの振りをして渡したり。だがそれらを全て掻い潜ってコイツらは彼女達を捕らえたのだ。当然、その発想に至るには俺のアーティファクト作成能力を知っていなければならない。奴らの中でそれが出来るのは───

 

「っ!」

 

中村が俺の視線を受けて身体を強ばらせる。当然、全ての情報源はこいつになるのだから。

 

「ぐっ……貴様……」

 

「ほら、手前もそこらに転がってる雑魚共みてぇに胸に風穴空けられたくなけりゃ黙って俺達を連れていけよ」

 

もっとも、羅針盤で座標を特定できたために、俺はもう2人には氷焔之皇を掛けている。物理的な手段に出られたら効果は無いが、魔法による害意であればこれで問題ない。

 

「このっ……調子に───」

 

「調子に乗ってんのはどっちだ?いいか?俺は今ここでお前を肉片に変えてもいいんだ。その上で俺があっちに着いた時にあの2人に少しでも怪我がありゃその瞬間にお前ら魔人族は絶滅だ。それを理解しろ」

 

数百人の神の使徒が刹那の間に全滅したことで俺の言葉に説得力が増す。実際、彼我の実力差も俺がそれを実行できそうなことも分かっているのか、フリードは奥歯を噛み締めたまま空間魔法で魔王の城まで続く門を開いた。何か転移を阻害する仕掛けでもあるのか、どうやら魔法による転移は魔王様の目の前までは行えないらしい。俺達はそこに続く廊下に飛んだのだった。そして、中村は中村で、わざとらしく天之河に抱き着き八重樫達を完全に無視して甘えるかのようにその腕に縋り付いている。

 

そしてやたらと長い廊下をダラダラ歩いて抜け、魔王の謁見の間と思われる部屋に通された。同じ顔をした銀色の使徒が10人程構えているその部屋のレッドカーペットの引いてある先には豪奢な玉座が鎮座しており、その手前には檻に囚われた畑山先生筆頭に異世界召喚された生徒たちとリリアーナ、それから───

 

「パパぁ!」

 

「あなた!!」

 

その横の少し小さな檻に閉じ込められたミュウとレミアさんがいた。

 

「巻き込んじまって悪かった。けどもう大丈夫だ。絶対に助けてやるから」

 

「パパ、ミュウは大丈夫なの。信じて待ってたの……。だから悪者に負けないで!」

 

「あらあらミュウってば……天人さん、私達は大丈夫です。だからどうかお気を付けて」

 

レミアさんがミュウを抱きしめつつそう訴える。それを見たフリードは不愉快そうに眉を顰め、何かを言おうと口を開こうとしたが……

 

「ふむ、いつの時代も親子の絆とは良いものだね。私にも経験があるから分かるよ。もっとも、父と子ではなくて叔父と姪という関係だったけどね」

 

ご立派な玉座にいないと思ったらそこ開くんかい。そんな俺のツッコミは喉までで収める。

 

どこからともなく渋い声がしたかと思えば玉座の後ろの壁が左右に開き、そこから金髪に紅の瞳を持った美丈夫が現れたのだ。年齢は初老といったところか。オールバックの髪型だが何筋か前に垂れた金髪や、少しはだけた胸元が男の色気を醸し出している。そちらを見て何かを言おうとした俺とフリード。だがそのどちらも何かを言う前に口を噤んだ。震えた声で、驚きを隠しきれない言葉が俺の傍から放たれたからだ。

 

「……うそ……どう、して……?」

 

「……ユエ?」

 

俺の声が聞こえていないかのようにただじっと現れた男を見つめているユエ。そしてユエと同じ金髪紅瞳を持つその男が再び口を開く。

 

「やぁアレーティア、久しぶりだね。君は相変わらず小さく可愛らしい」

 

「……叔父……様……?」

 

クソッタレ……という俺の呟きは外に発せられることはなく俺の胸の内に積み上がるだけだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

アルヴと呼ばれていた魔人族の王の姿はユエの叔父さんだった。アレーティア、それがユエの昔の名前なのだろう。そして金髪紅瞳の優男が使徒やフリード達に手をかざすと、ユエに似た金色の魔力光が弾け、俺達の視界を1色に塗り潰した。

 

「っ!?」

 

俺は即座に拳銃を構えるがその光が晴れた時には周りにはただ倒れ伏すだけの使徒やフリード、中村の姿があった。そして奴はユエに、俺達に語り掛ける。

 

「盗聴や監視を誤魔化すための結界だよ。私が事前に用意したものを見せるものだ」

 

「……何のつもりだ」

 

「神代天人くんと言ったね。君の警戒心はもっともだ。だから私も単刀直入に言おう。私は元吸血鬼の国のアヴィタール王国の宰相にしてガーランド魔国の現王───ディンリード・ガルディア・ウィスペリテオ・アヴァタールは、神に反逆するものだ」

 

中村の容態を確かめようとした谷口を天之河が制し、脈拍を確認する。どうやら気絶しているだけで生きているらしい。使徒も機能を停止させただけらしいが。

 

「……アルヴって名前じゃねぇのか?」

 

「確かに。今の私はアルヴでありディンリードでもある。……ふむ、そう睨まないでくれ。キチンと説明する。元々のこの身体の持ち主であるディンリードは変成魔法と生成魔法を修得していてね。特に変成魔法の才能は図抜けていた。そうなれば今のアレーティアには分かるね?」

 

と、その煌びやかな顔でユエに質問を投げかける。ユエも「……変成魔法による肉体の強化と寿命の延長」と答える。それに満足したのかにこやかに微笑んだアルヴは「そうだね」と頷いた。

 

「そして、アルヴという存在はエヒトの眷属神だった。最初は忠誠を誓っていたアルヴだがある時疑問に思ってしまったんだ。下界に対して行っているこの非道を許してよいのか?とね」

 

俺以外の、驚愕に固まる皆を置いて、アルヴの話は進む。

 

「数千年の年月を掛けて膨らんだ疑念は遂に形になった。エヒトの駒として魔人族と人間族の戦争を激化させる役目としての魔王として地上に降り立つことになったんだ。そこで私は戦いを扇動する傍ら、エヒトに対抗できる戦力を探したんだ」

 

「……そしてディンリードが選ばれた」

 

「その通り。神と言えど地上では肉体を持たない。そして肉体が無ければ力を十全には発揮できない。だからアルヴはその魂をディンリードの肉体に宿らせたんだ。ディンリードも大迷宮の攻略者だからね。真実を知っていたから快く受け容れてくれたよ。何せ自分自身が消えるわけではないからね。だから私はディンリードであってアルヴでもあるんだ。今でもお互いにコミュニケーションが取れるんだよ」

 

それはまるで、小夜鳴とブラドのような関係性。いや、小夜鳴はブラドが作り出した殼だから、微妙に違うのかもしれないけど……。

 

「……いつから」

 

ユエが震える声で尋ねる。

 

「ふむ……君が王位に着く少し前だね。真実を知っても出来ることがないと諦念を抱いていた私にも使命が出来たと喜んだものだ」

 

「……使命?」

 

「神を打倒するという使命さ。おかげで、本意ではないことも多々やらされたけどね」

 

「……どうして祖国を裏切ったの!?……どうして私を……」

 

「……済まなかった」

 

「謝罪なんて要らない!理由を───」

 

「君は天才過ぎたんだ。魔法の分野において、他の追随を許さない程に。目立ちすぎて、そして目をつけられた。今君の傍らにいる神代天人のように」

 

「……異常存在(イレギュラー)

 

「そうだよ。そして、真実を知っていて神を深く信仰しなかった私は君もそれから遠ざけた。まだ幼い君に、強い信仰心を植え付けるのは危険だと思ったからだ。だがそれが仇になった」

 

「……思い通りに動かない駒は邪魔?」

 

「うん、そして君の不死性も絶対ではなかった。特に神の前では。だから君が殺される前に君を隠したんだ。神の知覚も及ばない地下深くに。いつか、反逆の狼煙を上げるその時まで」

 

「……人質は?ディン叔父様が裏切ってないといならどうして」

 

アルヴは「あぁ、そうだったね」と指を鳴らし、檻を崩した。中にいた奴らはあまりの展開に頭や心が着いていかないのか、その場から動けずにいた。

 

「使徒達の手前、手荒にならざるを得なかった。それに、まだ私は神代くんにも信用されていなかったろうからね。こうでもしないも来てくれないと思ったんだよ」

 

怪我に関しては使徒に拉致らせたから許してくれ、死なすなとは言ってあったと、弁明を口にするアルヴ。そして、時は来たと、ユエはさらに強くなり神代魔法の使い手もこれだけいるのなら神にだって届く。一緒にエヒトを打倒しよう。と言ってユエに近寄り抱擁の構えをする。

 

「さぁ、共に行こう、アレーティア───」

 

ここまでの話を聞いて、俺の答えなんて決まりきっている。つまり───

 

 

───ドパァッ!

 

 

俺はアルヴの脳天に弾丸をくれてやった。

 

「人の女に気安く触れようとするんじゃねぇよ。叩き潰すぞ」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……天、人?」

 

ユエが、信じられないものを見たかのような顔でこちらを見る。その瞳は震えていた。だが俺はここでは止まらない。さらに言葉を続ける。

 

「やり方が雑なんだよ。こんな典型的な詐欺の手口、武偵が騙されるわけねぇだろ」

 

こんなの、俺みたいな死ね死ね団(アサルト)の奴らでも見抜けるぜ。

 

「……詐欺?」

 

「そうだ。衝撃的な情報で脳みそをいっぱいにして、時間が無いだの何だのと思考と選択の余裕を与えない。分っかりやすい手口だ」

 

リムルのいた世界で、ピエロ野郎共がフォビオに使ったのと似た手口だ。単純ではあるが確かに人の心理を考えれば理に適ってはいるのだ。だから余計にタチが悪い。

 

「……え……え……?」

 

「こっそり封印出来たならこっそり会いに行ってもいいだろう?オルクスは強い魔物がいくらでもいる。戦力の補充と言えば誰も怪しまない」

 

戦力の拡充が目的にあるのなら、ディンリードから大迷宮の知識が渡るはずであるし、そうなればフリードしかシュネー雪原の大迷宮を攻略できていないのは不自然だ。

 

「それになぁ、見えてるんだよ。テメェの薄汚ぇ魂がその身体に巣食ってるのがなぁ!」

 

そう、俺は奴の話を聞きながらずっと観察していたのだ。昇華魔法により多くの魔法を付与できるようになった義眼に込めた魂魄魔法で。奴の身体に入っている魂は空き家に巣食う蜘蛛の巣のように張り巡らされ、家の柱を食い荒らすシロアリのようにその肉体を侵食していたのだ。そんな奴がユエに触れることを、俺が許すわけがない。

 

「仮にその身体の奥にディンリードの魂が眠らされてたとしても、テメェの魂を追い出してから肉体と魂魄を元に戻せば良い。こっちにはその能力があるんだからな」

 

俺に脳天を撃たれて後ろにぶっ倒れたアルヴは動かない。俺はそれを良いことにユエを後ろから抱きしめる。

 

「そもそも、お前が誰であっても理由がなんであっても、もうユエは俺と来るんだよ。アレーティアだぁ?んな奴はとっくに死んでんだよ、ディンリードがコイツをあの部屋に閉じ込めた時点でな。もうコイツはユエとして生まれ変わったんだ。他の誰でもねぇ、ユエはユエだ」

 

それを昔の男が出てきてかっ攫おうなんざ、俺が許可するわけがない。俺のユエに対する感情は、そんな生優しいもんじゃない。

 

「共に行こうだと?巫山戯んな。手前みてぇにユエを駒としか見てねぇ奴の元になんかなぁ、"俺の大切なユエ"を行かせるわきゃねぇんだよ!!」

 

「結局嫉妬じゃないですかっ!」

 

シアの叫びに俺はそうだよ当たり前だろとだけ返す。ちなみにシアに同じことを言ったら例えカムでもぶっ飛ばす。

 

「……天人が私に嫉妬……んっ、嬉しい」

 

ユエが頬を染めて俺の腕に自分の手を重ねる。そしてそのまま俺を見上げて言葉を紡ぐ。

 

「……天人、格好悪いところを見せた。けどもう大丈夫」

 

ユエはもう俺しか見えていないかのように視線を固定させる。俺ももちろんユエしか視界に入れていない。

 

「あぁ、仕方ねぇよ。あの奈落の部屋がユエにとってどれ程のものだったか俺ぁ知ってるから」

 

「……んっ、天人、好き……大好き」

 

「あぁ。俺もユエが大好きだ、愛してる」

 

だが、もう唇を重ねようかというところでパチパチと、柏手の音が鳴り響く。まぁ、頭砕いた筈なのに出血も無かった時点で分かってたけどな。むしろ今までの話はアイツに聞かせてやってたくらいだし。

 

「いやいや、まったく人間の矮小さには恐れ入るよ。溺愛する恋人の父親代わりの存在ともなれば多少は鈍ると思ったんだけどね」

 

そこには傷どころか塵一つない綺麗なアルヴが立っていた。まぁ、俺にとってはだからどうという訳でもないのだが。

 

「……叔父様じゃない」

 

「叔父様だとも。少なくともこの肉体は」

 

「……それは、乗っ取ったということ?」

 

ユエが殺気を漲らせながら蒼炎を構える。美しき蒼の炎が空間を照らし、陽炎がディンリードの姿を曖昧に揺らす。

 

「ユエ、奴の言葉に一々取り合うな。こっちには再生魔法も魂魄魔法もあるんだ。全部後で良い」

 

こちらに後出しジャンケンが可能な手札がある以上は、七面倒臭いブラフ合戦になんて付き合う必要性は無い。

 

「……んっ、まずはアイツを殺す」

 

ユエの右手に構えられた蒼炎の輝きが増す。これは神罰之焔だ。ユエが選んだ魂を、もしくは選ばれなかった魂を持つ肉体を消し滅ぼす魔法。

 

「ふむ……ならディンリードの最期の言葉をお前に伝えてやる。奴がお前に残した言葉は───」

 

───ドパァッ!

 

俺は奴に二の句を告げさせなかった。弾丸を受けたアルヴは防御に意識を回すために口を閉じたのだ。だが次の瞬間、いくつかの事が全くの同時に起こった。

 

まず天から明らかに不健康な白い光がユエに向かって降り注いだ。

 

次に───

 

「堕識ぃ!」

 

倒れた中村とは全く別の方向から闇属性魔法が放たれ、明滅する黒い色の球体がユエの眼前に現れた。

 

「震天!!」

 

そして倒れたままのフリードの身体とは全く別の方向から空間魔法である震天が放たれ、空間ごと爆砕する衝撃波が発生し、ミュウとレミアさんを砕かんと迫る。

 

さらに───

 

「お返しだ、イレギュラー」

 

アルヴのフィンガースナップに合わせて灰色の魔弾が俺へと迫る。トドメとばかりに───

 

「駆逐します」

 

10体程の使徒が銀色の魔力を纏わせて俺や人質にされていた召喚組へと斬り掛かる。それに合わせて俺は即座に瞬光を発動。刹那の時間を引き延ばす。その引き伸ばされた時間が俺にユエからの視線を感じさせる。つまり───ミュウとレミアさんを最優先に守れ、と。大丈夫だよ、こんな不意打ちなんて、全部分かってたことだ。

 

震天は発動そのものは神代魔法で行われており俺はこの場で昇華魔法を使っても氷焔之皇ではあの衝撃波の発生そのものを防げない。そして生み出された爆砕の波は物理現象だ。こちらも当然、俺の究極能力では防げない。だから───

 

 

───バゴンッ!!

 

 

俺は縮地による魔力の爆発で足下を粉砕しながらミュウとレミアさんの眼前、空間爆砕の目の前へと繰り出す。そして俺はミュウとレミアさんを氷の壁で覆つつありったけの魔素を込めて更に俺の眼前にも氷の壁を生み出した。俺の眼前1メートルで氷の壁と空気の波がぶつかり合う。俺は更に同時に氷焔之皇を発動、中村の魔法とアルヴの魔弾を凍結、燃焼、俺の魔力へと変えていく。更にその魔力を使ってノイント達銀の使徒共にも同じく発動、その分解の魔力と魔力の無限供給機関を凍結させ、その身体のド真ん中を氷の魔槍で刺し貫く。当然の如くフリードの胸と頭からも氷の槍が突き出ている。もちろん中村の手持ちの魔法もその尽くを凍結させて使用不可にしておくことも忘れていない。文字通り瞬く間に、そしてほぼ同時に放った2手で俺はこの場を制圧する。

 

「……なんだその力は」

 

アルヴが低い声で俺に問う。だが当然、俺は答えない。問答をして情報をくれてやる気は無いし、何よりユエの方が心配だからだ。だから俺は、そのまま絶対零度(アブソリュート・ゼロ)を発動、アルヴの肉体を構築する細胞の活動を停止させ、頭、心臓、両方の肺、両腿の内側を氷の魔槍で貫き、更に肩、肘、膝の関節も同じように貫き破壊する。当然氷焔之皇も同時発動して、魔法の使用も許さない。

 

「なっ……なんで光輝くんに僕の魔法が効いてないの……っ!」

 

中村が叫ぶ。今は八重樫に取り押さえられ、関節を極められて地面に押し付けられている。何故か?奴に説明する気は更々無いけど、もちろんフリードの空間魔法でこちらに来る直前に俺達全員に氷焔之皇を発動させてあるからだ。どうやら俺はコイツらを守るべき対象と見ているらしい。多分、保護とか監督とかそんな目線なんだろうけど。

 

おかげでここに来るまでの間、中村が常に天之河に洗脳する魔法を掛け続けていることも分かっていたし、その魔力は全て俺に還元されているのだ。だがユエに降り注いだ不健全な光の柱、これだけは俺の氷焔之皇をすり抜けているのが分かる。どうにも神代魔法かそれ以上の力の純度を誇るらしい。

 

「……う……あ?」

 

「くそっ……」

 

更に襲いかかってくる魔物共は全てシアやティオ、香織達に任せて俺は昇華魔法も合わせて氷焔之皇でユエに降り注ぐ光を押し退けようとする。

 

だが───

 

「ッ!?」

 

俺の意識が思わず外れ、光の柱に向けていた氷焔之皇が解かれる。そしてその場から俺は飛び退った。俺の究極能力を抜けて魔力の塊が飛んできたからだ。……瞬光を使ってなきゃヤバかったな。

 

「ふん……」

 

つまらなさそうに吐き捨てた奴は、腐っても神を名乗るだけあるらしい。アルヴはあれだけの連撃を喰らってもなお無傷で立ち上がっていた。しかも今放ったあの一撃、神代魔法レベルの破壊力ということか。

 

「やはり貴様は邪魔だな、イレギュラー。だが───っ!?」

 

俺はもう一度同じスキルの組み合わせで攻撃を仕掛けた。そして今度はそれだけではなく、凍った身体に衝撃変換を叩きつけて全身を粉々に砕く。さて、これで死んでくれればいいんだけど……。

 

「……なるほどな、相手の魔力や魔法を自分のそれに変換する力か。だが異世界の力と言えど神たる私には通用せんようだな」

 

やはりダメか。再生魔法の類なのか、アルヴの肉体は砕いた傍から元に戻っていく。

 

そして、さらなる変化が。ユエを囲っていた光の柱が割れ、中から肩で息をしながらユエが現れたのだ。

 

だが───

 

「───お前、誰だ?」

 

だがその美しい肉体に収められた魂はユエではないと、俺の本能が告げる。

 

「……鬱陶しいまでの直感だな」

 

俺は頭に鳴り響くけたたましい警報に逆らうことなくその場を飛び退ろうとする。だがそれをアルヴの魔弾が許さない。神代魔法に匹敵するそれが俺を囲ってユエの腕の殺傷圏内(キルレンジ)に留められる。そして───

 

「ブッ───ゴッ……」

 

ユエの細腕が俺の腹を貫いた。魔力の纏わされたその腕は俺のオラクル細胞を容易に突破したのだ。ということは、奴の魔力の純度は常に神代魔法と同格以上なのだろう。氷焔之皇すら貫くのは尋常ではない。これがエヒトという存在なのか……。

 

さらに───

 

「……エヒトの名において命ずる。動くな」

 

「っ!?」

 

衝撃変換で無理矢理ユエ、いやエヒトを引き剥がそうとした俺の身体が硬直する。これは、魂魄魔法のようなものか……。そして俺の動きを止めたエヒトはユエの細腕を俺の腹から力ずくで引っこ抜く。内臓が引っ張られる感触と神経を直に逆撫でされる痛みに声を上げそうになるがそれを無理矢理に抑え込む。というか、動けないのでろくに声も上げられない。エヒトは俺の鮮血で赤く染ったユエの指を舐め上げ、ニタリと、嫌らしく笑う。

 

「ほう、これが吸血鬼の感じる甘味か。なるほど、貴様は殺そうと思っていたのだが、これなら家畜として飼ってやってもいいぞ?うん?」

 

「……お前が、その薄汚ぇ魂が、ユエの声で喋るな、その身体に触れるな、動かすな」

 

「……うん?」

 

 

───限界突破

 

 

俺の身体から真紅の魔力光が迸り、そして収束していく。それでも俺から漏れでる魔力光の輝きは刹那の間に増し続ける。

 

「づっっ!!ああぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

バギン!と俺の中から音が響き、身体の自由を取り戻す。俺はその場から飛び退き、肉体の損傷は後でどうにでもなると拳銃を抜き、ユエの美しい顔面を砕かんと引き金を引く。だが音を置き去りにして飛び出したフルメタル・ジャケットの弾丸はその眼前で完全に停止していた。

 

「自力で我が神言を解くか。流石だな、イレギュラー。だが、天灼」

 

エヒトがそう呟いた直後、俺の周りに雷の球が現れる。数は12、それが雷の壁を作る。本来は雷属性の最上級魔法のはずだが、それも俺の氷焔之皇では己の魔力には変換出来ず、文字通りの神の雷が俺を貫く。随分と長く感じられた数秒が明け、即座に纏っていた金剛も突破された俺は身体から白煙を上げながらも、膝をつくことは気合いで耐える。だが筋肉や神経にもだいぶダメージがきていて今すぐには動けそうにもない。

 

「耐えるだろうな、貴様なら。だがそれだけの電撃を浴びた直後にこれは避けられまい?」

 

──四方の震天──

 

──螺旋描く禍天──

 

氷焔之皇だけでなく、金剛すらも突破し俺の内臓をシェイクし骨や筋肉ごと押し潰そうとする衝撃と、肉を引き千切り骨格をひしゃげさせようとする渦巻く重力からの暴力。だがそれらは神代魔法と言えど起こしたものは魔力の通わない物理現象ゆえに、俺のオラクル細胞が誇るその結合力によって俺の身体が肉片になることだけはどうにか避けられた。

 

「それ以上はやらせんぞ!!」

 

「天人さんに何しやがるですぅぅ!!」

 

「ユエを返して!!」

 

肉と骨が千切れなかっただけで俺の全身を強かに打ち据えた衝撃波と重力の嵐から解放された瞬間、シア達がアルヴとエヒトに向かってそれぞれ攻撃を放つ。だが───

 

「エヒトの名において命ずる。……ひれ伏せ」

 

ダンッ!と3人ともが顔面から地面に叩きつけられた。そしてそれはこの場において致命の隙になる。

 

「喰らい尽くす変成の獣」

 

その言葉と共に、シア達の周りの床が盛り上がり、鋭い爪と牙を備えた石造りの狼が現れた。それを香織が分解するよりも早く───

 

「エヒトの名において命ずる。機能を停止せよ」

 

「ぁ───」

 

神の使徒の身体である香織が停められた。俺は即座に氷の槍を狼共に突き刺して頭と身体を砕く。

 

「余所見とは余裕だな。捻れる界の聖痕」

 

「ゴッ───」

 

俺の背中に何かが突き立った。それは俺を押し潰し、地面へと縫い付けたのだ。さらに───

 

「捕らえる悪夢の顕現」

 

八重樫に谷口、天之河と坂上の短い悲鳴が聞こえる。奴らも何かされたようだ。その尽くが俺の氷焔之皇を無視して彼らに損害を与えている。

 

「……ふむ、まぁこんなものか。我が現界すれば全ては塵芥と同じ。もっとも、この優秀な肉体が無ければ力の行使などままならなかったがな。聞いているか?イレギュラー」

 

悠然と話しかけてくるエヒトは、俺が会話をする気が更々無いことを悟ったか、つまらなさそうに鼻を鳴らすと、そのまま指を鳴らす。違和感に俺が顔を上げれば奴の周りには幾つもの宝物庫である指輪と俺の電磁加速式拳銃、その他俺の作ったアーティファクトが浮いていた。

 

「良いアーティファクトだ。中に収められている武具も中々に興味深い。イレギュラーの世界はそれなりに愉快な所のようだな。……ふむ、折角器たる肉体を手に入れたのだ。この世界での戯れにも飽いてきたところよ。肉体が手に入ったことで異世界への転移も可能になったしな。次はイレギュラーの世界で遊んでみるか」

 

次、ねぇ……。

 

「エヒト、お前やっぱり人間か」

 

「はっ!何を言うかと思えば……。人間なんぞとうの昔に越えておるわ!」

 

「へっ……てめぇこそその程度の存在強度で俺の世界で遊ぶだと?……舐めんなよ、俺の聖痕にビビって慌てて封印した程度のチキン野郎がよぉ!」

 

「ふん、貴様の減らず口は死んでも治らなさそうだな」

 

その瞬間、宝物庫や俺のアーティファクトが全て粉となって消えた。奴が武器と認識していないのか、俺の義眼は残ったが、武器の類はほぼ消え去った。だがそれでも俺は限界突破の魔力で俺を押さえ込んでいる楔を押し退けようと出力を上げ続ける。内臓をグチャグチャに掻き回され、肉や神経もいくつも焼き切れているおかげで身体が痛みという形で警告(アラート)を発する。だが俺はその尽くを無視して魔力光を噴出させていく。

 

「ほぉ、その状態でよく足掻くな。あの忌々しい扉さえなければお前を……いや、魔法の才能が比べ物にならんな」

 

俺の足掻きは取るに足らないと判断しているのだろう。エヒトはユエの身体を舐め回すように検分していく。指先、腕、脚、そして───

 

「お前がぁ!!ユエの身体を見てんじゃあねぇぇぇぇ!!」

 

俺の怒りが、魔力が、爆発する。

 

 

───限界突破・覇墜

 

 

限界突破の技能の最終派生。それが遂に俺に目覚めた。その爆発的な魔力によって俺の背中を押さえつけている楔を軋ませ、押し退けていく。

 

「我が主!!」

 

アルヴの声が響く。

 

「よい、アルヴヘイト。……エヒトルジュエの名において命ずる。……鎮まれ」

 

その言葉が耳に届いた途端、俺の身体から力が抜けていこうとする。まるで自分の意思で限界突破を解こうとしているかのように。

 

「こんなっ……もんでぇぇぇぇぇ!!」

 

それでも俺は抗う。高々言葉1つになんて負けてやるかと。お前は神なんかじゃなく、そこいらの人間なんだと突き付けるように。

 

「ほう、真名を用いた神言にすら抗うか。……ではこれで貴様を完膚無きまでにへし折ってやろう」

 

満面の、と言うよりは凄惨な笑みを浮かべたエヒトはユエのオリジナル魔法を発動させる。

 

「───五天龍、中々に気品のある魔法だ。我は気に入ったぞ」

 

5色の龍の顎門が向く先は俺ではなくシア達。俺の目の前で、ユエのオリジナル魔法で仲間を殺し、そして最後に俺を、という催しなのだろう。まったく、どこまで行っても悪趣味な奴だ。

 

「……ユエっ!目を覚ませ!!」

 

「ふん、ここにきて恋人頼みか?無駄なことよ。これは既に我のもの。時間稼ぎなぞ───」

 

「ユエっ!俺ん声が聞こえているはずだ!!ユエっ!!」

 

「……だから無駄だと……何っ!?これは……」

 

たおやかなユエの指を振り下ろし、この場を凄惨な鮮血で染めようとしたエヒトの動きが止まる。そして五天龍を維持していた魔力も揺らぎ───

 

"させない"

 

待ち望んだ、愛らしい声が響く。

 

「ユエっ!!」

 

「ユエさん!!」

 

俺とシアの声が重なる。俺は更に魔力を噴き上げ、楔を打ち砕かんと立ち上がろうとする。

 

「図に乗るなよ、人間如きがっ!エヒトルジュエの名において命ずる。苦しめ!」

 

その瞬間、俺の肉体に痛みが駆け巡る。一瞬、力が抜けそうになるが、だが堪える。この程度で、俺が止まると思うなよっ!!

 

ビキビキと俺の頭上から音が聞こえる。もうすぐで楔を打ち破れそうだ。俺は更に魔力を吹かすが───

 

「アルヴヘイトよ、我は1度神域に戻る。いくら開心していないとはいえ、我を相手に抵抗するとは。……調整が必要だ」

 

「……はっ、申し訳ございません」

 

「よい。……フリード、は死んだか。恵里よ、共に来るが良い。お前の望みを叶えてやる」

 

「はいはぁい。光輝くんとの2人っきりの世界をくれるんでしょ?なんでもするよぉ」

 

八重樫は既にエヒトによって行動をほぼ封じられている。故に中村は何の障害もなくエヒトの元へと駆けてきた。

 

そしてエヒトが天に腕をかざすとそこから光の柱が降りてきて2人を包む。そのままフワりと浮き上がると天井付近まで辿り着いたエヒトは俺達を睥睨しながら告げる。

 

「ではイレギュラー諸君、我はここで失礼させてもらうよ。いまだ可愛らしい抵抗を続けている魂に身の程を教えてやらねばならないのでね。そして3日後、そうだな、君達が神山と呼んでいるあそこの空からこの世界に鮮血の花びらを咲かせようと思う。それではその時までさよならだ」

 

「待、ち……やがれぇぇ……」

 

俺は魔力で無理矢理に俺を押さえ込んでいたものを押し退けて立ち上がる。だがアルヴから何かされたようで、また身体が硬直してしまう。

 

そして、光の中にエヒトと中村が消えていく───

 

「ユエェェェェェェ!!」

 

俺の叫びは、届かない───

 

 

 

───────────────

 

 

 

……俺は、また奪われるのか?

 

また、俺の力が足りなかったせいで女が奪われる。俺の大切な奴が目の前から消える。俺が弱かったから、聖痕を開くことを躊躇っていたから。だからあんな奴に遅れをとって、ユエを連れて行かれたんだ。何が死ぬのが怖いだ、何が寿命が縮むのが怖いだ、巻き込むのが怖いだ、そんなの、そんなのユエを奪われちまったら何の意味もねぇだろうが。

 

……天之河に迷うな、なんて格好付けたって結局1番迷ってたのは俺じゃねぇか。その結果がこのザマだ。……いいぜ決めたよ、ここで何もかも奪われるくらいなら、俺は俺の全てをこの手で引き裂いてでも、全部取り戻してやる!!だから、だからよぉ───

 

「来やがれ!!───銀の腕・煌星(アガートラーム・セイリオス)!!」

 

俺の内側から力が膨れ上がる。それはエヒトの施した封印を内側から撃ち破り、俺の肉体を通してこの世に顕現する。俺の腕が、脚が、銀色の装甲に置き換わっていく。背中には円環が現れ、俺の魂ともう1つの聖痕の力を燃料に、白い焔の翼を3対生やす。

 

「これは……イィィレギュラァァァ!!」

 

叫び、俺を抑えようと立ち塞がるアルヴをその翼の一撃で叩き伏せ、俺は空中へと飛び上がる。魔人族の国だけあって、あの光に導かれたのか魔人族や魔物が数多くエヒトの開けた神域とやらに続く道を昇っていた。今ならまだ間に合うかもしれない。

 

俺は魔物も魔人族も一切合切を無視して上昇を続ける。途中、魔人族の兵士と思わしき奴らが魔法で俺の歩みを邪魔しようとするがそんなもの、俺の聖痕の前には塵ほどの役にも立たない。その尽くを貫き、引き裂き、地面へと叩き落として俺はその門へと辿り着く。

 

だが───

 

「開ぁぁぁけぇぇぇろぉぉぉぉぉ!!」

 

「人間如きがこの神門を通れるわけがなかろう!ここは魔人族と魔物のみが通れるのだ!!」

 

後ろから追随してきた門番と思わしき奴の言う通り、その門は白焔の聖痕の力でも俺に門戸を開けることはなかった。恐らくこれは燃やしても意味の無いものだ。壊すのではなく、通れる手段を持たなければならない。そして───

 

「グッ……ゴホッ……」

 

ふっ、と、俺の身体から力が抜けていく。限界突破のタイムリミットなのだろう。腹に風穴を開け、内臓をシャッフルされて神経も筋肉も焼き切られて、その上で魂すら燃やして銀の腕・煌星を全開で使ったのだ。俺の身体が遂に限界を迎えたとしてもおかしくはない。二重聖痕の同時全開開放の負担は1種類の聖痕持ちの全開開放の負担とは比較にならない。しかも、俺のそれはただでさえ負担の大きな使い方になるのだからそりゃあ長持ちするわけもない。けどなぁ……

 

──けど、俺の身体のクセに俺の邪魔すんじゃあねぇよ──

 

「主よ!!」

 

地面に落ちながらもボロ雑巾のようになった身体に鞭打ってもう一度聖痕を全開にしようとした俺を、黒竜の姿を顕現させたティオがその広い背中で拾う。

 

「ぐっ……ティオ、俺を上に……」

 

「バカを言うでない!!そんな身体で何が出来るというのじゃ!!」

 

「……でもユエがっ!……いや、策を思いついた。俺を下に降ろしてくれ」

 

俺に開けられないとしても、この場にはもう1人扉を開けられそうな奴がいる。ならそいつに開かせれば良いのだと思い立ったのだが……。

 

「……嫌じゃ」

 

どこまで察しているのか、ティオは珍しく俺の提案を拒否。まさかお前まで、俺の邪魔をするのか……?

 

「……何だと?」

 

「……今降ろしたら主は絶対に無理をするのじゃ。今そんなことをすれば今度こそ本当に身体も魂も壊れてしまう!!妾はそんな主を見たくないのじゃ!!」

 

ティオのその言葉に、俺の中で浮かんではいけない黒い感情が浮上してきた。

 

───ティオも、俺の邪魔者なのか?

 

「……そうかい。なら俺ぁ1人ででも降りるさ」

 

何せ身体はボロボロでも魔力だけは掃いて捨てるほどあるからな。治癒力に変換する魔力も今は全部高所落下で死なない為に注いでやる。その後のことは降りてからだ。

 

俺はティオの背中から転がるように落ちると、そのまま縮地を発動、追い縋るティオから逃れるように縮地と重力加速によって速度を増していき、最後は衝撃変換で衝撃を相殺して無理矢理に地面に降り立つ。

 

「ゴボッ……はっ……。よう、アルヴ、手前にはやってもらわなきゃなんねぇことがあんだ」

 

俺が降り立つと、そこには無理矢理に拘束を振り解いたシアにぶっ飛ばされたらしいアルヴと、アルヴが生み出したもののまた砕かれたらしい石造りの狼の残骸が転がっていた。

 

「はっ……そんなボロボロの身体で何ができると言うのだ」

 

舐めるなよ?治癒力変換と高速魔力回復を強化の聖痕で強化しているからな。もう怪我はほとんど治ってんだよ。俺の腹からの出血が治まっていること、俺の動きに怪我人特有のぎこちなさが無いことを見抜いたのか、アルヴは苦々しそうな顔になる。俺は床の石材を錬成で削り出し、生成魔法でとある魔法を付与した1振りの刀を作り出す。だが石造りの刀を見てアルヴは鼻で笑う。

 

「……貴様……舐めるなよ、イレギュラー!!」

 

アルヴから飛ばされた灰色の魔弾。それは先程までなら俺の氷焔之皇を抜いて俺の身体を叩きのめしたのだろう。けれど───

 

「何っ!?」

 

その魔弾は俺の錬成した石造りの刀に切り払われる。そして唖然とした隙を突いて、奴の足元を凍らせて動きも封じる。俺は呆然としたままのレミアさんに目配せをする。それに気付いた彼女はそこで俺の意図を汲み取り、ミュウを胸元に抱き寄せ目と耳を塞いでくれた。これからの事はミュウには刺激が強いからな。

 

「なぁアルヴ、お前ならエヒトのいる所までの道を開けるだろ?……今すぐ開け」

 

俺は手に持った刀を振り、氷ごと奴のアキレス腱を片方断ち、今度は大腿部に氷を突き刺す。その痛みでアルヴは叫ぶが無視して詰問を続ける。

 

「叫ばなくていい。お前は道を開けばいいんだ」

 

「イレギュラァァァァ!!この私がエヒト様の不利益になるようなこ───」

 

だがアルヴの言葉は途中で絶叫に変わる。俺が奴の腕を切り飛ばしたからだ。エヒトに次ぐ権能を持っていたこいつにとっては痛みという感覚は今までほとんど感じたことのないものだったのだろう。そんな温室育ちのこいつが感じる苦痛は想像を絶するものであるようだ。

 

「ほら、早くしろよ」

 

「ガァァァァッッ!この私が貴様なんぞに───ッ!?」

 

「……お前も、俺の邪魔をするのか?」

 

「何を───ッ!?ガァァァァッッッ!!」

 

錬成した石造りの刀に更に魔力を通し、形状を糸のように細い鎖状に作り替えた俺は、そこに生成魔法で付与された"概念魔法"によってアルヴの足を粉微塵にしてやる。

 

──我が道を阻むものを排除する(俺の邪魔をするな)──

 

それが俺が生み出し、この石に付与した概念魔法だ。その効果は──俺に害を成すもの、殺意や敵意、悪意を持っているものを粉微塵に破壊する──ただそれだけ。

 

「粉末になって風に流されたくなけりゃ今すぐに神域へと俺を連れて行け」

 

「あ……あぁ……待て、待ってくれ……。そうだ、私からエヒト様へ直々にお前を取り立てるように言ってやる。私の言葉ならエヒト様も無碍には───っあァァァァ!?」

 

その瞬間、アルヴの右手が消えた。

 

「……違ぇよ」

 

「待ってくれ、お願いだから───」

 

「待たねぇ。いいか?お前が死のうがエヒトは3日後にまた門を開く。俺はその時に乗り込んだっていいんだ。死にたくなけりゃ、どうすればいいか分かるだろう?」

 

「……これは……ぐぅっ……概念、魔法だな?お、お前がいくら概念魔法を……生み出したところで、主にはっ、はぁ……届かない。なら……お前こそどっちが正しいか、分か───」

 

アルヴは最後まで言葉を言い切ることはなかった。これ以上奴からは何も引き出せないと悟った俺がその全身を余さず細切れにして、消し去ったからだ。

 

「主よ!」

 

そして、アルヴを細切れにして消滅させた俺の背に竜化を解いたティオが飛びつく。俺はそれでふっと、力を抜いた。俺は……ティオすらも邪魔者だと思ってしまった。ユエを取り戻すのにコイツも俺の邪魔をするのだと……そんなわけがないのに。ティオがそんなことを考えるわけがない。さっきの言葉だって俺を想って、ユエを助けるためには俺が万全である必要があると思ったからこその言葉のはずなのに。だがあの黒い、2度と抱いてはいけない感情が、俺に概念魔法の一端を掴ませたのだった。

 

「……悪かったな。けど本当にもう大丈夫だ。力は全部取り戻した。あとはユエだけだ」

 

「天人さんっ!!」

 

更にシアも俺に飛びつく。血で汚れるぞと言っても聞く気は無さそうだ。

 

「……本当に、本当に大丈夫なんですよねっ!?身体には何もないんですよねっ!?」

 

「あぁ。とりあえず近々で何かありそうな感覚は無い。今はそれよりもユエのことだ。……少し落ち着いて話したい」

 

「はい……。では皆さんを集めてきます」

 

シアは皆が固まっている方へトテトテと駆け出して行ったがティオは一向に俺から離れようとしない。背中に柔らかさを感じながら首だけ振り向くと、ティオは俺の肩に顔を埋めていた。

 

「……どうした?」

 

「妾は魂魄魔法が使えるからの。主の魂がどれだけ磨り減っているのかも分かっておるのじゃ。先の大迷宮では試練で消耗した分は癒せもしたのじゃが、昔の分は癒せんかった。あの時は聞かなかったのじゃが、主とユエで帰る為の概念魔法を作っている時に見た映像……あれでハッキリしたのじゃ」

 

そう、俺も自分の魂なんぞ細かく把握してないが、ティオが魂魄魔法で感じた俺の魂の摩耗。それは恐らく白焔の聖痕が原因だ。あれは発動するだけでも俺に負担がかかる。何せあれの発動は全て魔力とかそういうものを燃料にしているのだ。エンジンをかける時には何も無い以上は俺の中から捻出するしかない。そして、ミリムと初めて戦った時とは違って外からの供給が無い状況で白焔を使おうとすれば当然その燃料は俺の聖痕や魂といったところから燃やしていくことになる。

 

そんなことをすれば当然俺の魂とか何とか呼ばれていくものは摩耗していくわけで。

 

「……けど、そんなのを気にしていたからユエは奪われた。ま、安心しろ。あんな奴、聖痕の力さえあれば瞬殺だよ」

 

問題はどうやってユエの身体からエヒトの魂を引き摺りだすか、その1点だけなのだ。だがそれも、あの瞬間土壇場で概念魔法を生み出せたことで目処は立ったのだ。

 

「ほら行くぞティオ。こっから先は反撃の時間だ」

 

俺はそれでも背中から離れないティオを背負って歩き出す。諦めるな、武偵は決して諦めるな。今回は受けに回っちまったけどな、俺は絶対にユエを諦めない。こっから先はこっちから攻め入る番だぜ。

 

 

 

 



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戦争の支度

エヒトの消えた神門なる扉から神域入れるのは魔人族や魔物だけらしい。やはりというかさもありなんというか、白焔で燃やしても繋がらなさそうだった。香織もティオの再生魔法で復活した為、俺達はこれからの方針を話し合うことになった。

 

「さて……まずは情報の整理だな。……エヒトはユエの身体を掌握するのに3日掛かると言っていた。んで、3日後に神山から攻めて来ると。アイツの性格から言ってこれに嘘は無い。ここまではいいな?」

 

俺は集まった異世界召喚組とシア達を見渡す。召喚組の中でも天之河達はともかく、俺がオルクスに落ちてからほとんど外に出ていなかったらしい奴らはまだ意識が現実に追いついていなさそうだったが……。

 

「アイツはまずこの世界を滅ぼす気だ。その為に魔物や銀色の使徒共を大量に放ってくるだろうことは想像に難くない。そして、俺ん目的は奪われたユエの奪還だ。奴らが襲ってくるのと入れ替わるように俺ぁ神域、エヒトのいる領域へ踏み込む」

 

「私達も行くわ。あっちには恵里もいるもの」

 

「そうだよ、鈴達はえりりんを取り返す為に来たんだから」

 

と、八重樫と谷口が決意に満ちた瞳で俺を見る。

 

「……でも、あの門は天人さんを通さなかった。もしエヒトの意思で通れる者を選べるのなら───」

 

「ていうか、多分そうだろう。だからまずは概念魔法に近いレベルのアーティファクトを作る必要がある」

 

シアの予測はその通りだろう。アイツの性格的に、逆に通してくれる可能性もあるが、それに賭けるのは些か以上に分が悪い。

 

「ふむ。主よ、あの鍵は……」

 

「宝物庫ごとイカれた。ホントはあれで離脱するつもりだったからな。まぁもう無いもんは無い。……一応、羅針盤とかホントに1つしかない物は下の雪原の雪の中に隠してある。鍵さえ作り直せば問題無い」

 

「用意が良いですね……」

 

悲観論で備え、楽観論で行動せよ、だからな。神の使徒を連れてフリードが出てきた時点で魔人族のトップとエヒトが繋がってることは予想できたから念の為、だ。

 

「ちなみにその埋めた中には香織の元の身体も入ってるからな。早く戻らないと文字通り土に還る」

 

「ちょっとぉぉぉぉ!?早く!早く戻ろう!!ねっ!?ねっ!?」

 

自分の肉体の危機を聞いた香織が俺の両肩を掴んでブンブン揺すってくる。

 

「まぁ落ち着け。凍らせてあるから数日単位で大丈夫だ。ほら、作戦会議(ブリーフィング)続けるぞ」

 

それを聞いて渋々、といった体で香織は俺の肩を揺さぶるのを止めて席に戻った。心の中の「多分」は声に出さないでおこう。言ったら俺の内臓が上下左右綺麗にひっくり返るまで揺すられそうだ。

 

他の奴らがティオの言っていた鍵がなんのことやら、という顔をしていたので八重樫が簡単ではあるが代わりに説明してくれた。それを聞いたら人質にされていた方の召喚組はもう一度作れだの何だのと言ってくるが───

 

「……畑山先生に聞いてないのか?俺はお前らとも違う世界から来たんだ。お前らの帰還なんぞよりユエの方が大事に決まってるだろうが。……そんなに帰りてぇなら今から全部の大迷宮を攻略して自分らで概念魔法を作ればいいだろ」

 

大迷宮の場所くらいは教えてやるからと言えば、騒がしくしていた奴らも口を閉じる。……それとも、黙ったのは俺が威圧の固有魔法で脅したからかな?

 

「ともかく、俺はどうにかして武装を整えつつあの神域とかいう所に入るアーティファクトを作る。俺に着いてあっちに向かう奴は?」

 

スッと手を挙げたのはシアとティオ、香織に八重樫に谷口に天之河に坂上。他の奴らは顔を見合わせてオロオロするばかりだ。ま、そんなもんだろう。

 

「じゃあ今手を挙げた中で、香織、お前は残れ」

 

「っ!?なんで───」

 

「お前、その身体じゃまたいつエヒトに機能停止させられるか分からんだろうが。悪いがそれがある以上は連れて行けない。だがエヒトの野郎も地上までは手が届かねぇだろうからな。香織はこっちに残って、攻めてくるであろう使徒や魔物から他の奴らを守るんだ。天之河達が中村の方へ行く以上はお前が頼りだ」

 

「……うん。分かったよ。リリィやミュウちゃんにレミアさん、それに愛ちゃん先生や皆を守らなきゃね」

 

そういうことだ。今の香織ならむしろ天之河達よりも強いし、そういう奴が下にいてくれた方がこちらとしても助かる。

 

「あとは他の奴らだ。お前らはどうする?」

 

俺は、他の召喚組を見渡した。そしてその殆どの奴が俺から目を逸らす。

 

「……どうするって」

 

「お前らはこの世界の人間じゃあない。むしろ勝手に呼び出されたんだ、戦う義理は無いと思うし、あの銀色の使徒は1人でも天之河の10倍は強い。そしてその天之河には引きこもってたお前らじゃ束になっても勝てない。……その上で、だ。戦うというのなら用意はしてやる。やりたくないのならそれも止めない。俺ぁその判断を悪くは思わないし、ユエを取り戻して帰る手段をもう一度作ったら、そん時ゃ全員帰してもやる」

 

「そもそも、勝てるのかよ……。さっきは手も足も出なかったじゃないか」

 

「勝てる。いや、勝つさ。さっき見せたあの銀の腕があればエヒトにも届く。ユエとエヒトを引き剥がす算段は付いてるからこっちの戦いは問題無い」

 

「……それ、信用できるのかよ」

 

さっきからボヤいているのは全員が違う奴だ。それだけ、さっきの戦いは奴らにとって衝撃的であり、俺の戦力を不安視するに至るのには充分だったのだろう。

 

「どっちだっていいが、俺が負ければお前らは死ぬ。それだけだ」

 

俺の言葉に再び全員が黙り込む。自分らでは大迷宮を攻略できないであろうことも、ましてや使徒になんて勝てっこないことも分かっているのだろう。だから何も言えない。コイツらの生殺与奪を握っているのは俺なのだから。

 

「使徒が攻めて来る時にこの世界の奴らが抗えるようには焚き付けてやる。で、お前らがどうするかはお前らが好きに決めていい。……それで、戦う奴はいるか?」

 

この中で手を挙げたのは4人。ミュウとレミアさん、そして畑山先生と遠藤だ。

 

「ミュウもたたかうの。パパやお姉ちゃん達だけにたたかわせないの」

 

「私も戦います。もちろん戦闘なんてできないけれど、それ以外にも出来ることはある筈ですから」

 

「……ミュウとレミアには前線に出るよりもやってもらいたいことがある。そっちに専念してもらっていいか?」

 

俺の言葉に2人は強く頷く。

 

「……畑山先生、アンタが戦うっつうならこの戦争の旗頭になってもらいたい。まぁ、やることはウルの時と同じだけど」

 

「分かっています。この世界の人達にもお世話になりましたし、何より生徒達の為ですから」

 

「……で、遠藤、お前も戦うのか?」

 

以外にも手を挙げた遠藤。コイツは確かに天之河達とオルクスに潜っていたが、大迷宮の攻略には着いてこなかったからここで手が挙がるとは思わなんだ。

 

「あぁ。もうあの時みたいな思いはしたくないんだ」

 

あの時ってのはきっと、魔人族と魔物に追い立てられたあのオルクス大迷宮の話だろう。

 

「……その気があるならそれでいい。……他にいないなら次は具体的な手段に移る」

 

まずハイリヒとフェアベルゲン、帝国だけでなく、俺はイルワの所やアンカジ公国にも転移用の門を置いてあること、そしてその鍵が纏めて雪原に埋めてあることを明かす。他にもオルクス大迷宮の最深部にあるオスカーの邸宅にも置いてあるのだが、こっちは多分俺しか使わないだろう。その上で、エヒトがこの世界を滅ぼす気でいるということを再生魔法を使ってさっきの映像を見せて、トータスの奴らの戦力を募ることにした。その勧誘の役目を担うのは帝国が八重樫、ハイリヒ周辺を畑山先生とリリアーナ、その他は香織と天之河だ。

 

「そこで、そいつらには俺のアーティファクトで武装を行ってもらう。俺ぁオルクス大迷宮の奥に潜って諸々を作る。レミアとミュウにはその時に物の搬送を手伝ってもらいたい」

 

「わかったの!」

 

「分かりました」

 

「香織も、再生魔法で人を集めたら後はこっちに回って素材集めをやってきてくれ」

 

「分かったよ」

 

「シアはフェアベルゲン行ってハウリアと、後はライセン大迷宮に行ってもらいたい」

 

「分かりました。ミレディの協力を仰ぐんですね?」

 

「あぁ。攻略の証も一応渡しておく。シアも終わったら俺の素材集めと兵装の運搬を手伝ってもらう」

 

「はい。多分通してくれるとは思いますが、駄目でも半日で突破します」

 

「頼んだ。ティオは……」

 

「言わんでも分かっておるのじゃ。里帰り、じゃろ?」

 

「あぁ。使徒共は飛べるからな。出来れば竜人族の協力は欲しいな。行きの魔力は俺がどうにかする」

 

ティオが頷くのを見て、次に谷口と坂上を見やる。2人とも決意に溢れた瞳をしている。やる気は充分のようだ。

 

「谷口と坂上はオルクスの魔物を変成魔法で戦力にするもよし、俺を手伝うも良し、だ」

 

「なぁ、神代、俺は……」

 

と、ここまで指示を出した辺りでまだ何の指示も受けていなかった遠藤が不安そうに尋ねる。

 

「遠藤は……そうだな。近代兵器……まぁ結局は銃火器の類だけど、その大雑把な使い方をこっち(トータス)の奴らに教えてやってくれ。お前にも俺から後で軽く教える」

 

とは言っても、俺の作るアーティファクトは実際の銃火器程複雑なものではない。何せ作るのを面倒臭がって安全装置の類がほとんどオミットされてるからな。普段は宝物庫の中に入れてあるから暴発とかしないし。使い方なんて基本的には弾を入れて引き金を引けば銃口から真っ直ぐ弾丸が飛んでいく、それだけだ。そしてその利便性と誰が使っても同じだけの破壊力を持つというのが近代兵器の特徴でもあるのだ。

 

「な、なぁ……俺達は……」

 

だいたい話が纏まり始めた辺りで召喚組の1人が声を上げる。何かと思いきや、自分らは何をすればいいのか、とのことだった。

 

「戦わないのは構わないしそれでその後に不利益を被らせることもしない。けど逃げ場くらいは自分で確保しろよ。ま、ハイリヒの王宮なら匿ってくれるんじゃないの?」

 

リリアーナを見やれば彼女も「まぁそのくらいなら」というような顔だ。それを見た彼らは皆で顔を見合わせた。

 

「あ、あのさ……俺達、戦えないけど、その……武器とか運んだりするのだったら手伝えると、思う……」

 

「私も、あんなのと戦うなんてきっと出来ないけど、でもそれくらいなら……」

 

「……人手は大いに越したことはない。やる気があるなら頼んだ」

 

俺の言葉に皆一様にホッとしたような表情になる。遠藤や先生、それに戦闘力なんて欠片もないレミアさんやミュウすらも戦うと言っているのに自分達は手も挙げられなかったことに、それなりに焦りや後ろめたさがあったのだろう。

 

「話は纏まったな。荷物を拾ったら運搬組はとりあえずハイリヒで待機。後は全員各々の行くべき場所へ向かおう」

 

俺の声に合わせて全員が立ち上がる。まずは下に降りて荷物を拾ってこなくちゃな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

再生魔法には刹破という魔法がある。これは一定の空間内の時間を引き伸ばす魔法なのだが、これに聖痕で強化に強化を重ねた昇華魔法を組み合わせて生成魔法で鉱石に付与すれば、今の俺ならば効果範囲内の時間を100倍まで引き伸ばすことが出来る。結果、外での5分はオルクス大迷宮深層のオスカー邸での8時間以上に相当することになった。俺はこの刹破の鉱石を幾つか作り、オスカーの家やその周辺の時間と、鉱石などの素材の採取に出掛けた香織の周りの空間の時間を圧倒的に引き伸ばした。3日は300日に、1週間のさらに半分に満たない日数が実に10ヶ月程度まで猶予が出来た計算になる。

 

俺はその時間でひたすらにアーティファクトを量産していった。外の奴らからしたら運ぶのに苦労するだろうが、そこは運搬用のアーティファクトも作成した。感応石を使うことで使用者の意思に従って動くマシンで人手を確保したのだ。

 

それも、変成魔法との合わせ技により生物のような構造になっているので「ここにある荷物をあそこまで何往復しても運び続けろ」のような単純な命令であれば口頭で伝え、感応石を使わずとも勝手に仕事をこなしてくれる。後で回収して武装させ、地上での戦闘を可能にさせようとも思っている。ともかくそれをミュウにはペットのようなものだと説明して貸与。とにかく手数が欲しいので1体と言わずに数体程作成してミュウとレミアさんの手足とした。

 

そして俺は無限に湧く魔力にものを言わせて、複製錬成や自動錬成を駆使してひたすらにアーティファクトや弾丸を量産。余った時間を使ってエヒトに対する切り札も組み上げていった。その頃になると、フェアベルゲンとライセン大迷宮に出ていたシアが戻ってきた。

 

「天人さん、ただいまですぅ!」

 

「おう、お疲れ。簡単に入れたか?」

 

「はいですぅ。さすがにブルックの泉では反応しませんでしたが、表の入口から入って直ぐに証が反応してあの部屋まで連れて行ってくれました。……もちろん、動く部屋はゴロゴロ転がりまくってましたが、そんなの今の私ならへっちゃらですぅ」

 

「あぁ、うん。アイツまだそんななのね……」

 

流石は筋金入りの性格の悪さだ。

 

「生憎、ミレディさんはあそこからは簡単には出られないらしく、本番までは力を蓄えているそうです。ただ、その代わりに幾つか役立ちそうな物を頂きました」

 

シアの出発に宝物庫までは間に合わなかったので普通に袋を持たせたのだが、そこに入っているであろうお宝をシアはパンパンと叩く。その顔からすれば、かなりの物が入っていそうだ。

 

「へぇ、そりゃ楽しみだ」

 

「……そう言えば、天人さんは今何を作っているんですか?」

 

俺が明らかに兵器の製造ではなさそうなことをしているのにシアは気付いているようだ。まぁ、そりゃあデカい鉱石に魔力を注いでいるだけだからなぁ。

 

「ん、神結晶作ってる」

 

「あれって、私は天人さんが前から持ってた物しか知りませんけど、人の手で作れましたっけ……?」

 

「あれって要は長いこと魔力が溜まることによって起きる現象だからな。今は時間を魔力量で補ってる」

 

兵器の製造もほぼ一段落。エヒトに対する切り札も作り終わった。だが神結晶は便利だからな。エヒトや使徒との戦いでもまた使えるかもしれない。

 

「あ、シア。ドリュッケン壊されたからな。新しいのだ」

 

つい、と俺が顎でしゃくればそこには俺が新たに手掛けたドリュッケンがある。シアはそれを拾い上げ、持ち手に頬擦りしている。ちなみにここを出る前に念の為適当に拾った鉱石でトンファーだけは作って渡してある。付与した魔法は金剛だけだったし、多分使ってなさそうだけどな。

 

「はうぅぅぅ、やっぱりこれですぅぅぅ。この重くて冷たい、固い感触じゃないと駄目ですぅぅ……」

 

と、ドリュッケンを握って持ち上げたシアがうっとりとした顔で頬擦りしていた。

 

いや怖……。「これで敵をグシャッとするのが堪らないんですぅ」とか呟いてるよ。向こう帰ったら9条破りしないだろうな……。

 

「……で、貰ってきたのってどんななんだ?」

 

シアの闇が案外深くて怖いので思わず話題を逸らしてしまう。いや、こっちも重要だからね?

 

「あぁ、そうでした。えと……」

 

ゴソゴソと皮の袋を漁ったシアが取り出したのは灰色のビー玉程度の大きさのものだった。何これ……?

 

「それは、エヒトの神言を防いでくれるものだそうです。今はまだ未完成だそうですけど、天人さんが手を加えれば完成するだろうって」

 

「あぁ、そしたら完成させるからシアが持っててくれ。俺はもうあれは効かん」

 

「……聖痕、ですね?」

 

「うん。白焔の聖痕が開いた以上はあの手の攻撃は俺にゃ効かない。ちなみにあの神言とか言うやつ、魂魄魔法の延長だろうよ」

 

「魂魄魔法、ですか」

 

「あぁ。魂に直接命令してるんだよ。だから否応なしに従わされた。で、それは魂に対する干渉を防いでくれるものっぽい」

 

それが俺が鉱物鑑定と義眼で確かめた灰色の正体。もっとも、今の俺には必要のないものだったのだが。

 

「次はこれですぅ」

 

次にシアが取り出したのは短剣だった。だがただの短剣ではないだろう。やたらと大きな力を感じるのだ。

 

「……短剣」

 

「ミレディさん曰く、神越の短剣だそうです。込められているのは概念魔法。その概念は───神殺し」

 

「へぇ。ま、解放者共ならその概念魔法にも辿り着けるだろうな」

 

曰く、全員でベロンベロンに酒に酔った状態でエヒトの悪口をぶちまけ合いながら作ったものだそうで、少なくともエヒト以外の誰かに効果が届くことは無い、とのことらしい。ユエにまで届いてしまうことだけが心配だったからそれならありがたいな。

 

「さてシア、神結晶の方が上手くいきそうなんで見せてやる。もうちょいこっち」

 

ちょいちょい、とシアを手招きして隣に座らせる。

 

「この鉱石の中は錬成で空洞になっててな。今そこにひたすら魔力を溜めてるんだ。それが一定量まで溜まれば神結晶になる。そんで、そっから更に溜めると神水が出来るっていう理屈だ」

 

「でもそれ、そんなに簡単に溜まるものですか?」

 

「そこはそれ。俺の魔力は今や無限に等しいからな。後は出力量を増やすだけだ。───こうやってな」

 

 

──限界突破・覇潰───

 

 

ゴウッ!と音を立てながら俺から紅色の魔力が噴き出す。俺はその魔力光すらも余さず鉱石の中に作った空洞に注いでいく。いくら俺の魔力量に限りが無いと言っても、実際のところ時間単位に出力できる魔力量には限界がある。蛇口と同じで、捻れば幾らでも出てくるが蛇口1箇所から出せる時間当たりの量は決まっているのだ。

 

だから出力量を増やすには蛇口を大きくするか増やすしかない。そして限界突破はその蛇口を増やす能力だ。その最終派生である覇潰を、さらに昇華魔法と強化の聖痕の組み合わせで引き上げていく。魔力を注ぐ、注いでいく。刹那を引き伸ばした時間の檻の中で、俺はただそれだけに集中していく。聖痕はもう全開だ。そして、セカイの根源から溢れ出る力が時間を凌駕し、遂にその最奥へと辿り着いた。

 

「……これは───」

 

鉱石の厚みの薄い天頂部分を突き破って現れたのは光り輝く美しい鉱石。───神結晶だ。

 

「出来たな……」

 

バタリと、俺は限界突破の副作用である倦怠感に負けて後ろへ倒れ込む。シアは初めて見る大きさの神結晶にしばらく目を奪われていたが、満足したのか大の字に寝転がってある俺に寄り添うように身体を倒した。俺はそんなシアのウサミミをモフりながら頭を撫でる。

 

「あぁ……思ったより疲れた。ちょっと膝貸してくれ」

 

モゾモゾ、と、俺はシアの太ももまで頭を移動させてそこに乗っけて目を閉じる。

 

「その内香織達が戻ってくるからその時にでも起こしてくれ」

 

ミュウとレミアさんは今は兵器を外に運び出し、集まった兵士に持って行かせているところだろう。量が量だけに、全員分を運び出すのにも中々時間がかかっているようだ。

 

「どうぞ、天人さん。おやすみなさいですぅ」

 

シアは身体だけ起こして俺の髪を優しい手つきで梳いていく。超重量の戦鎚を握っているとは思えない程にたおやかな指が俺の頭皮に柔らかい刺激を与えてくる。それは赤子が眠るための揺り籠のようで、シアの指から伝わる感触は限界突破の副作用で倦怠感に襲われている俺を即座に眠りへと誘っていくのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

武装の量産ノルマは達成したし奥の手も作成し終えた。というより、外と100倍の時差がある工房内の基準だけで言えば時間はむしろ有り余ったくらいだったのだ。俺は当然その時間もそれ以上の武装や兵器の充実に当てていた。だがそれすら終えて今はもう期限の前日の夜。ミュウとレミアさんも明日に備えて寝ている。

 

そして今だに引き伸ばされた時間の中で、俺とシアは最後の戦いへ向けての確認をしていたのだった。

 

「シア」

 

「嫌です」

 

俺が何かを言う前からシアは被せ気味に即答。まぁ、シアは分かっているのだろうよ、俺の言いたいこと、言おうとしていたこと。

 

「下で待っていろと、そう言いたいんですよね?……巫山戯ないでください」

 

シアの瞳には親友を奪われたことによる怒り、敵に対する殺意、そしてユエを必ず取り戻すのだという強い決意に溢れていた。そして今その瞳の中で燃える炎の燃料には、俺に対する怒りも、含まれていた。

 

「シア、俺ぁ───」

 

「天人さんは何も分かっていません。ユエさんは

今ここにはいませんが……それでも言わせてもらいます。私達は……私とユエさんは、いえ、恐らくティオさんも、本当は天人さんに戦ってほしくない。それが私達の本意であり願いです」

 

「……なんで。聖痕の力は戻った。後はユエをアイツから取り戻せば終わりだ。この世界で神を気取ってるだけの奴に今の俺は負けないし、使徒が幾らいたって物の数には入らなっ───!?」

 

俺が言い終わらないうちに、俺はシアに抱き締められていた。どうした?と問うまでもなくシアは言葉を続ける。

 

「そんなのっ!!……そんなの、天人さんと1秒でも長く一緒にいたいからに決まっているじゃないですか……」

 

当たり前じゃないですか、とシアが続ける。

 

「けど、それでも私の生死はユエさんと共にあります。だからもしユエさんを生きて助け出せないとなれば、私は1人でも多くの敵を倒して、そして果てます。それには、天人さんにも着いてきてほしい」

 

それは、きっとシアの心からの言葉であり、ユエもまた、同じ心境であったのだろう。心中してくれとの誘い。本当ならそんなものは重すぎる、無理だと突っぱねるのだろうが、俺からすればこれ程甘い誘いは無い。俺は俺の全てを今すぐコイツらに捧げてしまいたい衝動に駆られる。

 

きっと俺の知らないところで2人は話し合っていたのだ。シュネーの大迷宮では2人が一世一代の大喧嘩をしたとも聞いているし、そこで想いをぶつけ合ったんだろうよ。

 

「でも、どうせならいっぱいいっぱい、一緒にいたいじゃないですか。それでも、きっと天人さんはユエさんの為なら躊躇わずに聖痕の力を使います。それが例え天人さん自身の寿命を縮めることになっても。アイツは強いです。天人さんでも聖痕が無ければ敵わないくらいに。そんな所に使徒まで加わったらきっと天人さんは聖痕を全開にしてしまいます」

 

そんなの当然だろう。むしろ1秒でもお前らといる時間を伸ばすために力を使うのだから。だが俺がそれを口に出す隙間を与えずにシアは言葉を紡いでいく。

 

「だから私達も行くんです。天人さんの負担を少しでも減らせるように。本当は私があの野郎をぶっ潰せれば良かったんですけど……それは叶いそうにないので、悔しいですけど天人さんに任せてしまいます」

 

──それに、ユエさんが大変な時に私だけ指を加えてみているなんてこと、出来る訳がないですぅ──

 

そう言って微笑んだ、その時のシアの顔は、これまで見てきたシアのどんな貌よりも美しかった。

その貌に見蕩れたのか決意に気圧されたのか、俺はシア達のその言葉に、ただ抱き締めて返すことしかできなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

最後の戦いが始まる夜明け前、俺達はオスカー邸とハイリヒ王国を繋ぐ門が設置された広場から歩みを進め、突貫工事で作られたのが丸分かりの、無骨で不格好な要塞へと辿り着いた。

 

それでも3日という工期を考えたら充分すぎるものだ。道中で雫──さっき、自分も俺のことを名前で呼ぶから俺もそう呼べと言われた──に聞いたところ、どうやら召喚組は兵器の搬送だけでなく陣地の作成や、遠藤に聞いて銃火器の簡単な取扱いについてもトータス組に教えていたらしい。どうにも必死で作業をするこっちの世界の奴らの姿に当てられたようだ。

 

そして、要塞の中にある広間へ行けば、そこにはカムやアルフレリック、ガハルドにリリアーナに畑山先生にイルワにビィズにと、各国や各組織のトップが座っている。何故かウルの町の服屋の店長が堂々と座っているのだがまぁいいや。ユエ達の友達っぽいし。

 

「……さて、残すは兵器の割り振り、だっけ?」

 

俺は席に着くと即話を切り出す。だがどうやら俺が来る前にほとんど話し合うことは終わっていたようだ。俺の生み出した生体ゴーレム達はおおよそがガハルドの元、帝国の指揮下に入るらしい。一部レミアさんとミュウがオスカー邸から指示する奴らもいるが、奴らは奴らで無理に組み込まない方が良さそうだ。何せオスカー邸じゃあ谷口が連れて来た魔物にちょっかいを出されてその挑発に乗ってたからな。ミュウ曰く、喋るし意思疎通も普通に図れるらしい。そんな複雑な機能付けたかな……?

 

また、カム達亜人族は人間族の指揮下には入らずに独自の遊撃隊を組織して、人間族の穴埋めに回るとのことだ。即席の混成軍である以上はそれが1番効率的だろう。特にここは現代の戦争とは違う。いくら俺の武装で個々人の能力を平準化しようがこれまでの遺恨もある。ハウリア達も人間に指示を出されるのは気に食わないだろうしな。そして人間族1番の旗頭は当然ハイリヒ王国王女のリリアーナと"豊穣の女神・畑山愛子"だ。

 

どうにもこの2人の迫真の煽り?演技?に引っ掛かって人間族の士気は最高潮だったらしい。それがこの短時間での要塞の建設と戦場での地形形成、慣れない近代兵器の運用の練度向上に一役買っているらしい。今も外から断続的に、何よりも聞き慣れた、乾いた発砲音が届いてくる。

 

すると、ドタドタと騒がしい足音と共に兵士の1人が首からアサルトライフルを提げて部屋に飛び込んできた。

 

「た、大変です!広場の転移陣から多数の竜が出現!助太刀に現れた竜人族と名乗っています!!」

 

「……来たか」

 

最後のカードのお出ました。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「主よ!!妾が帰ってきたのじゃぁぁぁ!!」

 

俺の姿を確認すると、荘厳な黒竜の姿から一瞬で人の姿に戻ったティオは凄まじい勢いでダイブしてきた。それを受け止めてふと周りを見れば他の竜や人間達は皆呆気に取られている。

 

「おうお帰り。随分とド派手に帰ってきたな」

 

「ふふ、そうじゃろう?500年引き篭っておった伝説の竜人のご登場なのじゃ。派手に魅せつけてやろうと思ったのじゃ」

 

地上組はあの使徒共と殺り合う以上、何よりメンタル面が大事になるはずだ。負ける意識があると人間は案外動きが悪くなるもんだからな。奴らと戦うにあたってそれは致命的だ。そして、伝説の竜人族の助勢は彼らのモチベーションを上げる一助となるはずだ。

 

すると、広場にいた6体の竜が一斉に輝き、その光が収まるとそこには和装と思わしき服を身に纏った6人の人間──まぁ全員竜人族だろう──がいた。皆一様にイケメン揃いなのは竜人族の特徴なのだろうか。ティオと違って髪の色も皆随分とカラフルだ。

 

そして、その中から1人、悠然と歩いてくる者がいた。緋色の髪をした美丈夫だ。彼の醸し出す威厳と重みのある雰囲気はそのまま彼が真に"王"であることを俺達に理解させた。

 

「ハイリヒ王国、リリアーナ・S・B・ハイリヒ殿、ヘルシャー帝国、ガハルド・D・ヘルシャー殿、フェアベルゲンの長老、アルフレリック・ハイピスト殿、お初にお目にかかる。私は竜人族族長、アドゥル・クラルスと申します。此度の戦い、我らが竜人族も参加させていただく」

 

門の向こうにはまだ同胞達が控えているのだと言うアドゥル。ていうか今この人自分のことクラルスって名乗ったような……。

 

「……ティオってもしかして偉い?」

 

俺が恐る恐る、まだ俺の胸の中に収まっているティオに問う。

 

「うん?族長の孫娘が偉いのなら偉いのじゃ」

 

と、事も無げに言いやがる。マジかコイツ……。元々様子見でこっちに来てたって聞いていたからまさかそんな重要人物だったとは。

 

「おい貴様」

 

俺がシア達と顔を見合わせていると、藍色の髪をした竜人族が何やら怒気を発しながら俺に突っかかってくるきた。

 

「あん?」

 

いきなりそんなもんをぶつけられて平気な顔をしていられる程俺も大人ではなかったようで、ついイラッとした声を出してしまう。

 

「姫に馴れ馴れしく回されたその腕を退かせ」

 

「いやアンタ誰だよ」

 

「これリスタス。妾の主にあまり失礼なことを言うでない。それ以上はいくら弟分と言えど妾は黙っておれぬぞ」

 

「───っ!?貴女は騙されているのです!竜人族の姫君ともあろう御方がよもやこんな坊主を主と呼ぶなど!!」

 

「リスタス、2度は言わ───」

 

「───ティオ、いい。これは俺の問題だ」

 

ティオとリスタスとか言う奴の間で口論になりそうだったので俺が割って入る。

 

「じゃが主よ」

 

「いいから。……リスタス、って言ったっけ?前にティオから聞いたんだけどさ。コイツは自分の伴侶には自分より強い奴じゃなきゃ認めねーんだってさ」

 

俺は絡んできたリスタスと正面から向き合う。その顔には苛立ちが隠れる素振りも見せずに現れていた。

 

「ふん、それくらい知っておるわ。そのために私は修行を怠ることなく己を鍛え上げながら日々を過ごしているのだ」

 

「だからティオが今こうして俺を好いてくれているってことは俺がティオより強いってことで、お前は俺よりも弱い。……けどま、それでもアンタが認められねぇって言うなら何時でも俺ぁ受けて立つぜ」

 

ティオを腕に抱いたまま、俺はリスタスという竜人族を真正面から見据える。顔立ちじゃあ勝てる気がしないけど、こと戦闘において俺は誰にも負けてやる気はない。それもティオが懸かっているんなら余計にな。

 

「貴様……」

 

「リスタス、いい加減にしなさい」

 

と、俺達の口論にアドゥルが割って入る。

 

「しかし!」

 

「あの者はティオが自ら選んだ男だ。それにほれ、ティオを見るがいい。あれ程に幸せそうに笑うティオを、私は里ではついぞ見ることがなかった。それだけで十分ではないか」

 

「ぐっ……」

 

竜人族族長の言葉にリスタスは押し黙る。それでも歯を食いしばり俺を睨む気概を見せているのだから、里ではティオがどれだけ慕われていたのか分かるってものだ。

 

「では改めて。初めまして神代天人君。君のことはティオから聞いている。魔王の城での戦いぶりも見せてもらった。神を屠るとは見事だった。我々では束になっても敵わないだろう」

 

「初めまして、アドゥルさん。……いえ、俺は下っ端1人殺っただけ。エヒトには倒され、大切な女は奪われました。だから取り返しに行くんです。そして、今度こそあの自称神様を葬る」

 

俺がそう口にした途端、周囲がザワつく。何かと思えば俺が丁寧な物腰で喋ったことがあまりに意外らしい。待て待て待て、今までのは結構意図的なんだぞ。て言うか、今まで俺が強い口調で話したのってフェアベルゲンの長老達と帝国の皇帝くらいだろうが。しかしそんな俺の思惑は周りには全く伝わっていないみたいで───

 

 

──ペカー!!──

 

 

と、いきなり俺の身体が輝いたかと思えば香織が俺に回復魔法を掛けていた。それも解毒とかそっち系の。シアは後ろでドリュッケンを構えている。明らかに俺の頭に狙いを定めて……振り抜く気だ。けど俺の頭は平成生まれなので昭和の理論は通じないと思うんですよね。あと俺の腕の中でティオもちょっと引いている。あのね……。

 

「ふむ、聞いていた話と随分と違う印象を受けた。周りの反応も、普段の君とは違うと言っているようだし……」

 

「……ティオのお祖父さんにはそんな態度取りませんよ。俺だって言葉くらい選びます」

 

「ふはは、ティオの祖父だから、か。ははっ、なるほどな。……では折角だ。私も天人くんと呼ばせてもらおう」

 

そしてアドゥルはそこで言葉を切り、今さっき見せた穏やかな雰囲気から一変した。

 

「あの城での映像は見たと言ったね。あの幼い吸血姫が生きていたとは驚きだ。そして孫娘と同じ人間を愛するとは……縁とは数奇なものだと思う。けれど、君はアレーティア……今はユエと言ったか。彼女を愛していると言いながら今はそうやって我が最愛の孫娘の腰を抱いている。祖父の心境として、やはり孫娘をこそ最愛だと言う者に預けたいと思うのが、当然だとは思わんかね?」

 

「えぇ、それが当然だと思います。そして、貴方には嘘は付きたくないから本当のことを言います。俺はユエだけじゃなく後ろにいる兎人族のシアも愛しています。それに、俺には故郷に残してきた女もいます」

 

俺の言葉にアドゥルや他の竜人族は目を細める。リスタスに至っては顔を真っ赤にして今にも俺に掴みかかって来そうだ。

 

「それでも俺はティオを愛おしいと思っています」

 

俺の言葉に周りがザワつく。ティオもいつもの図々しさは鳴りを潜め、今は顔を真っ赤にして俯いてしまっている。

 

「俺からティオを奪おうとする奴は誰であろうと叩き潰しますし、俺が気に食わないというのなら力ずくで排除すればいい。何時でも何処でも俺は受けて立ちます」

 

俺はさらに強くティオを抱き寄せてアドゥルに、いや、この場にいる全員に向けて宣言する。俺からティオを奪おうものならその一切合切を捻り潰すのだと、知ら示すように。そして、俺から漏れ出た魔王覇気がこの場にいる奴らの口を噤ませる。だが、数秒の沈黙の後にそれを破る者が現れた。───アドゥルだ。

 

「くくくっ……ははははっ!なるほど、我が最愛の孫娘はどうやら真に魔王の手に落ちたようだな!それも、神を屠り世界を救おうとする魔王だ!」

 

そして一頻り大笑いした後、アドゥルはまたこちらを、ティオを見据える。その顔は、1部族の長の顔ではなく、ただ愛おしい孫を送り出す祖父の顔だった。

 

「良い顔をしている。里ではついぞ見ることの出来なかった顔だ。里で言っていた通り、お前は皆を愛し、そして皆に愛されているのだな」

 

「爺様……。その通りじゃ。妾は主だけでなく、ユエ達のことも愛しておる。そして今確信したのじゃ。妾はまた皆にも愛されておるとな」

 

「そうか……。それならば良い。……魔王殿、我が最愛の孫娘を、ティオを頼んだ」

 

魔王……リムルの世界で俺はそれになった。そして、あそことは違う世界でまた俺はそう呼ばれることになるらしい。けどいいさ、魔王でも何でもなってやる。

 

「えぇ、任されました。この命尽き果てても彼女を愛し、この肉体から血の最期の1滴が滴り落ち、魂の最期の1片が燃え尽きるまで彼女を守り抜くと誓います」

 

俺の言葉に満足したのか、アドゥルはまた「かかかっ!」と笑うと振り返り、時間を取らせて悪かったと謝罪を口にしながらこちらの陣営のお偉いさんを連れて会議室の方へと歩き出した。

 

「主よ、1ついいかの」

 

その後ろ姿を眺めながら身体を離したティオが俺の正面に回って問いかける。

 

「先程の言葉、表現しきれんくらいに嬉しかったのじゃ。じゃが、あれは万に1つも最期の可能性を考慮したわけではあるまいな?」

 

ティオのその顔は、誤魔化しなんて許さないという強さに溢れていた。本当、俺の周りの女は強い奴ばっかりだ。

 

「死ぬ迄一緒だと誓うことと、死を覚悟することは違うもんだ。俺ぁ死なねぇし、俺の女は誰も死なせない。この戦いで消えるのはあの野郎だけだ」

 

ティオはそれが聞きたかったのか、「ならば良いのじゃ」と再び俺に擦り寄る。それを見ていたシアも俺の腕に絡み付き、俺はその全身で2人の柔らかさに包まれることになった。

 

これ以上の見世物はゴメンだと、俺は神域突入組を集めて最後の作戦会議を始める。その中で新たなアーティファクトを支給したり使い方の練習をしたりと、最後の戦いに向けて準備を整えていくのだった。それは当然、転移用の鍵を使ってここと繋げてあるオスカー邸、その引き伸ばされた時間の中で、だ。時間は有効活用しなきゃな。

 

 

───そして、夜明けの時が来た。

 

 

黎明の空の向こうから大きな魔力の反応が現れた。その直後───

 

 

──世界は赤黒く染まり、鳴動する──

 

 

──空に亀裂が入り砕けるように割れていく──

 

 

──このトータスにおいて、1つの歴史が終わり、新たな世界に生まれ変わる──

 

 

その瞬間がやって来たのだった。

 

 

 

 

 

 



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開戦

 

朝日が照らすはずの黎明の空は、今や魔物の軍勢によって赤黒く染められていた。空の虚ろからドロリと垂れ落ちるようにやって来たのは数千万にも及ぶかという魔物の大軍。地獄の釜は空に開いた、そう思わずにはいられない程の光景が俺達の視界には広がっていたのだ。

 

「───ッ!?総員!戦闘態勢!!」

 

ほぼ全ての奴らが呆気に取られているなか、いち早く立ち直り、大声で指示を出したのはガハルド。流石はこの世界最大の軍事国家を腕っ節で束ねている男だ。この程度で腰が抜けてしまうような、文字通りの腰抜け男じゃあないらしい。

 

そして人間族側が急いで戦闘態勢に移行しようとしている間にも空はさらにヒビ割れ、魔物の群れは累乗的に数を増していく。そしてその中には点々と、銀色に輝く何かが散見されている。事ここに来て、それが何かなんて当然決まっている───

 

「……使徒の数も半端ではない、か」

 

ガハルドが忌々しげにそう呟いた。

 

全く同じ顔同じ体格同じ装備をした、黄金比を備えた美しい女、氷より冷たい無表情と完璧に等しく調整された武装が近代兵器の趣きをすら漂わせるエヒトの被造物。それが数千数万と、赤黒い魔物の中で夜空に瞬く星のように己の存在を誇示しながら空の亀裂から降り注いでくるのだ。そしてその暴力の権化に対抗するように立ち上がったのは───

 

「勇敢なる戦士の皆さん!!恐れることはありません!!貴方方にはこの豊穣の女神がついています!!神の名を騙り、この世を滅ぼさんと牙を向いた邪神から人類を、隣人を!友人を!家族を!愛する人達を守るのです!!私達1人1人が勇者であり神の戦士なのです!!私達は悪意になんて負けはしない!!私達が掴み取るのは勝利のみです!!」

 

俺が渡した原稿通りに人間族達を煽る畑山先生。そのちっこい身体で精一杯に声を張り上げ、ここに集まった兵士達の士気を上げようとする。そしてその声に応えるのは───

 

「勝利を!!勝利を!!勝利を!!」

 

当然、ここに集まった奴ら全員だ。

 

「さぁ我が剣よ!かの邪神魔物達に我らの約束された勝利の証を見せるのです!!」

 

「……仰せのままに、女神よ」

 

畑山先生に促され、仰々しく返した俺は、空を埋め尽くさんと溢れ出る魔物共に向き合う。まだ随分と距離はあるものの、今の俺にとってはもうそこは射程範囲内だ。

 

片腕を空に掲げ、俺は裂けた空の更に上に巨大な──大型サッカースタジアムくらいの──魔法陣を幾つも作り出す。その陣は大きさも刻まれた紋様も、何から何までこの世界には存在しないものであり、動揺の声を聞かせる主はきっとこの場に集まった、この世界でも有数の魔法使い達なのだろう。さぁ、最後の戦いの開幕を告げる狼煙だ。派手にいかせてもらおうか!!

 

 

──水氷大魔流星群(アイシクル・メテオ)──

 

 

その魔法陣から飛び出すのは1つ1つが長さにして5メートル、1番太い中心部分の直径で2メートル程はある巨槍。それが数千発、空気の壁を突き破り、ソニックブームを発生させながら天の彼方より魔物や使徒を串刺しにし、引き裂き、破壊していく。使徒は分解の魔力での防御が可能ではあるが、そんなもの、完全に分解される前に速度と質量で押し切れる。

 

超音速の初速で俺の突き落とした氷の魔槍は魔物や使徒だけではなく、当然その真下の神山すらも撃ち砕く。土煙と血と臓物が混じり合い、赤茶色の嵐がこちらへと吹いてくる。だがそれすら押し返すような歓声が轟き、歓喜の渦が沸き上がる。

 

だが魔物はともかく、掃いて捨てる程いる使徒共をこれだけで殺し切るのはさすがに難しい。けれど、そんなことは当然こちらも承知である以上、別の手段も持ち合わせている。それでも俺はそれをこのタイミングで使うことは無い。1つ、眼下に見下げるコイツらに見せつけなければならないことがあるからだ。

 

「おい、誰が呼び始めたのか知らねぇけどなぁ、いつの間にか俺ぁ"魔王"なんて呼ばれ始めてんだよ」

 

俺の不意の演説に人間族達の視線が集まる。

 

「どうせこっちに呼ばれた奴らの誰かが態々広めやがったんだろうけどなぁ。俺の戦いぶりを見て魔王だなんて言ってんだったらそりゃあ甘ぇぜ」

 

俺の言葉に何人かがビクリと肩を震わせた。それはやはり異世界召喚組の奴らだった。あとはまぁ、ティオの爺ちゃんがそう呼んだのも大きいのだろう。このトータスでも俺に付けられた魔王の称号は瞬く間に人間族の間に広がっていたのだ。

 

「さて話は変わるが、アンタらも何となく分かりかけてきてる通り、世界っていうの数え切れないくらいあってな。俺ぁ実際いくつかの世界を回ったんだ。そして、とある1つの世界で俺は真に"魔王"の称号を得た」

 

俺はこの間にも常に氷の槍を空から降らせ続けている。それが使徒共や魔物を刺し貫き穿ち切り裂き破壊していく。

 

「これが、本当の魔王だ。1つの世界に魔王と認められた力───」

 

俺はその言葉の瞬間に全力の魔王覇気を発動させた。こっちで手に入れた固有魔法である威圧と使い勝手の似ているそれに指向性を持たせ、空の孔から湧いて出てくる魔物や使徒共にぶつける。そして今のこれはただ覇気を受けた奴の頭と精神を狂わせるだけでない、昇華魔法で1つ引き上げられたそれは、俺の放つ気配に強い恐怖を感じたものの心臓を止めてそいつに死を齎す、破滅的な力へと変貌していた。

 

そして、俺はそれを今も空に空いた孔から溢れてくる魔物や使徒へ向けて叩きつけたのだ。

 

 

───結果は墜落となって現れた。

 

 

空から放たれる氷の魔槍の雨は止んだ筈なのに上空の孔から出てくる魔物達が揃ってそのまま地面へと墜落していくのだ。それは明らかに生物の死で、そしてそれを齎しているのは俺だというのが直ぐに人間達に伝わったようだ。もっとも、使徒共にはそれ程効果が無い辺りは、確かに奴らには感情というものが希薄なのだろうなと思わせる。もしくは根本からして生物とは構造がことなるのか、だな。だが俺はそこには触れずに言葉を続けた。

 

「これが魔王だ。俺がその槍を降らせれば魔物風情が死滅するのは当然。けどなぁ、真なる魔王ともなりゃあただこの場に在るだけで魔物程度ならその呼吸を止める。いいか、今落ちてる魔物共は俺の女に手ぇ出したクソ野郎の末路だ。だからこの戦い……俺達の勝ちだ!!」

 

俺は人間族達の歓声を耳に入れることもなく新造した宝物庫から感応石を幾つも埋め込んだコントローラーを取り出した。そしてそれに魔力を注ぎ、先の魔法陣が占めていた空の更に上、成層圏へと控えさせていたアーティファクトを機動させる。

 

俺の手にあるコントローラーが光り輝いた瞬間───

 

 

───空から莫大な熱量を秘めた光が降り注いだ。

 

 

前にハイリヒで10万の魔物を蹂躙した太陽光集束レーザー兵器だ。それは俺と視覚が共有されており、義眼で空からの俯瞰映像を見ることができる。そしてそれが7機、今トータスの雲の遥か彼方上空に浮かんでいるのだ。

 

大規模な魔法陣を使わないために魔力反応すら希薄な太陽光の熱線は恵みの光ではなくただ熱量による殺意となって使徒共の不意を突いてその尽くを焼き滅ぼしていく。

 

だが空の亀裂は完全に孔となり、そこから使徒共がワラワラと湧いて出てきている。そいつらは上手いことレーザーの暴威から逃れ、一直線に天空の向こうにある光の柱の発生源へと銀色の翼をはためかせる。もちろん、それにも対策はしてあるわけだが……。

 

俺は更にコントローラーに魔力を注ぎ、レーザー兵器から二等辺三角形をした無数の、鏡のような物を散らした。まるでチャフのように使徒の周囲に漂うそれを訝しみながらも先ずは大口を開けている本体からだと高度を上げる使徒に対し、レーザーの照射を一旦停止、今度は集束させた極太レーザーではなく面制圧に優れた拡散性のレーザーを解き放つ。さらに瞬光を発動させている俺は散らばった小型兵器を操り使徒共を取り囲んでいく。そして使徒が一条の光を躱した瞬間───

 

 

───真後ろからその使徒の後頭部が消し飛んだ───

 

 

俺が展開したのは何もチャフなんかじゃない。そもそもそんなものが効果のある敵ではないからな。これは空間魔法と重力魔法で無理矢理レーザーの軌道を変え、奴らを太陽光線の檻の中で焼き貫き、切り刻むための兵器なのだ。だが光線というのは束ねなければあまり火力は出ない。拡散させた分だけ貫通力の弱まったレーザーでは使徒の銀翼による防御を貫けなくなった。動きこそ止められるものの、それはこちらも同じ。そこにピン留めするために新たに出てきた使徒に手を回せなくなるのだ。もっとも、こういう手詰まりを解消するための手段を用意する時間はあったのだが。

 

俺はコントローラーにまた魔力を注ぎ、太陽光レーザーの各親機からとある物を使徒達のド真ん中に落とす。それは太陽光レーザーのエネルギーを限界まで圧縮した熱量爆弾だ。宝物庫の原理を利用しており、自壊と共に溜め込んだエネルギーを発散させる。そして───

 

 

───空に太陽が7つ産まれた───

 

 

そう錯覚する程の光量と熱量が瞬時に発生し、その破壊力によって、拡散性レーザーに銀翼による防御を試みていた使徒や後続の使徒共を纏めて消し飛ばした。その破滅的な火力によって新たに出てきた使徒共も含めて討ち果たすと、俺はコントローラーを畑山先生へと渡す。こっから先は地上組で奴らと戦ってもらわなきゃいけないからな。太陽の兵器は豊穣の女神が操るに相応しいだろう。

 

当然と言えば当然だが、その爆発によってこちらに流れてきていた神山崩壊による粉塵はまた吹き飛ばされる。あまりの火力故にこちらまで熱量が迫る。ハイリヒ王国に展開されている3重の結界がたわむほどの衝撃をぶつけられたみたいだが、辛うじてハイリヒを焼け野原から救った。

 

「香織」

 

「うん、こっちは任せて。ミュウちゃんもレミアさんも、他の皆も、天人くんや雫ちゃん達が帰ってくる場所は私が守る」

 

「あぁ。頼んだ」

 

こっちに残って戦う以上、全く同じ顔の使徒共と間違われないように魔力光から髪の色から衣装から何から何まで黒を基調にした香織。俺はただ頷くと、重力操作のスキルでフワリと浮き上がる。今の先制攻撃でこちら側の士気は最大限まで高まっている。フワリと、何のアーティファクトもなく浮かび上がった俺にまたトータスの奴らの歓声が上がる。

 

俺は後ろを振り返る。そこには決意を漲らせたシア、ティオ、八重樫、谷口、天之河、坂上がしっかりとこちらを見据えていた。

 

「じゃあ行くか」

 

ちょっとコンビニへ、みたいな気安さで手を上げる。それに合わせて皆「あぁ」だの「はい」だの軽く返事を返してくる。この前は随分と好き勝手にやってくれやがったからな。今度はこっちが暴れ回る番だぜ、エヒト。

 

俺以外の全員は重力魔法で空を飛ぶサーフボードのようなアーティファクトを取り出し、一斉に飛び出した。俺も重力操作のスキルで合わせて飛び出し、先陣を切る。そうして空の亀裂に近寄ろうとすれば直ぐに使徒共が割り込んでくる。だがそんなもの、今の俺には道端の石ころ程の邪魔にすらなれない。

 

奴らの分解の魔力を氷焔之皇によって凍結し氷の魔槍で胸のど真ん中を貫く。それを俺達を止めようと取り囲んだ20の使徒全員に同時に行う。さらに現れた使徒が今度は相対すると見せかけて即残像を残しながら側面に回り込む。不意を打とうとしたのだろうが───

 

──使徒の背後から飛んできた紅の閃光に頭を吹き飛ばされた──

 

「ふぇ?」

 

「何じゃ?」

 

既にここは地上から5000メートル程は上空だ。そこへ下から狙撃するなぞ尋常ではない。シアとティオに疑問顔が浮かぶ中、俺は遠見の固有魔法で下を覗いた。するとそこには俺が配った電磁加速式アンチマテリアルライフルを携えたハウリア一族の若き狙撃手、パルがいた。確か今は必滅のバルトフェルトとか名乗っていた気がしたが多分気のせいだ。レキは古臭いドラグノフでの絶対半径が2000メートル以上あったし、それなりに訓練を積んだハウリア達なら、俺のアーティファクトを使えば5000メートル級の狙撃も可能だろう。

 

更に他のハウリアの狙撃手も同じアーティファクトを構えていた。なるほど、なら露払いは任せたぞ。ちなみにハウリアや人間族に渡した銃火器は全て電磁加速式だ。固有魔法や魔力操作がなくともそれを行えるようにした。要は帝国を潰す時にハウリアに渡したアーティファクトの応用だ。

 

身体強化で視力も強化したシアも自分の一族の姿を確認したようで、「どんどん人間離れしていきますぅ」と嘆いている。だが使徒共に意識を取られることが減ったおかげで俺たちは更に加速、遂にドス黒い煙を撒き散らす空間の裂け目に辿り着いた。そこで俺は宝物庫からとあるアーティファクトを取り出した。それは俺が作り出した神結晶に概念魔法を付与したものだ。そして付与された概念は───

 

──愛する女の元へ──

 

オルクス大迷宮で試したところ、シアと、あとこっそりティオにも使ってみたが2人共成功だった。ちょうどティオは空を飛んでいたおかげでバレずに済んだのだ。だが残念なことにリサの元へは行けなかった。恐らく、俺が1人で作った概念魔法では意志の強さはともかく魔法の精緻なコントロールに欠けるのだろう。どうやら俺1人ではやはり世界を越えることは難しいみたいだ。だが距離は無視できる以上は神域に乗り込む為にあの亀裂まで近付き、そこにこの鍵をぶっ刺せばまだ可能性はあるはずだ。そして実際、亀裂の中に鍵は刺さった。後は魔力を込めて回すだけだ。俺は即座に限界突破を発動。一気に魔力を注ぎ込む。もちろん、亀裂からは銀色の剣が俺を刺し貫き引き裂かんと次々に現れ、()()()()()()()()()()()。だがそれらの処理は他の奴らに任せる。分解の魔力は俺の氷焔之皇で無効化できるが今の俺にはただの剣であっても凶器になっているのだ。

 

何せ今は地上の守りの為に俺の中のアラガミのオラクル細胞を変質者で分離させ、生成魔法や昇華魔法程ではないが、それなりに適性のあった変性魔法でハンニバルとディアウス・ピターを1体ずつ作り直して配備しているのだ。おかげで神機を取り込んだ左腕以外のオラクル細胞は殆ど体内から消えてしまっている。どうやら元々完全にオラクル細胞はコントロール下にあった上に変性魔法で手を加えたおかげで、放っておいてもこの世界にアラガミが大量発生するということはなさそうだったのは助かった。

 

そんな訳で、今の俺は物理攻撃への絶対的な耐性を無くしているのだが大した問題ではない。エヒトの攻撃は魔法の類ばかりだったし使徒も、今この瞬間以外は近付けさせることなく殲滅できるからな。

 

 

───そしてその時はやって来た。

 

 

魔力を込めた鍵が遂に時計回りに回り始めた。神域(ユエ)地上()を繋ぐ扉が開く───

 

 

 

───────────────

 

 

 

そこはただただ極彩色だった。

 

俺達が辿り着いた場所は魔物や使徒共が出入りに使っている場所とはまた別の空間のようだった。概念魔法という横紙破りの方法で突入したからなのか、エヒトの妨害があったからなのかそれともこういうものなのか、それは分からないがともかく転移した瞬間に魔物や使徒が殺到、なんてことはなくて良かったと思うべきか。そして今俺達が立っているのはそんな極彩色に包まれた、果ての無さそうな、永遠や無限を思わせる空間に1本だけ伸びた純白の通路だった。だが下を覗けばそこにも極彩色の無間地獄。ここは通路というよりも、壁の上、という表現の方が正しい気もする。

 

ともかく俺は羅針盤を取り出し、ユエのいる場所を探し当てる。どっちにしろこの白亜の通路を通り抜けなければならないようで一先ずは羅針盤に従って歩き始める。そして数十分程だろうか。伸びた通路を真っ直ぐに歩き続けていると突如四方八方から銀色の魔力光が目に痛い砲撃が飛んできた。それは俺以外の全員をターゲットにしたものだったのだが───

 

「……これ、本当に凄いわね」

 

八重樫が感心したように呟く。本来必殺のハズの分解の魔力を込められた魔力の塊による砲撃は俺達を撃ち砕くことなくダイヤモンドダストとなって雲散霧消したのだ。そして、その魔力の全ては俺の中へと還元されている。

 

 

 

──氷焔之皇(ルフス・クラウディウス)──

 

 

 

この究極能力の本質は魔力やスキル、魔法の凍結、燃焼、変換ではない。それらは確かにこのスキルの根幹たる権能ではあるのだけれど、このスキルの本質は俺ではなく、他者を守ることにあるのだ。そもそも俺はこんなスキルでわざわざ守ってもらう必要は無いのだから、俺がこれを持つ意味は殆ど無い。

 

だがリサは違う。リサは戦う術も身を守る術もない。だからこそ俺にはこのスキルが発現したのだ。守りたい者を守る。それがこのスキルの本質。奴らは前の戦いでこのスキルの本質を誤ったのだ。だからこうして完璧なハズの不意打ちを無駄にした。

 

喰らえば確実に死ぬ筈の分解の砲撃を前にシアの未来視が発動しなかったのはそういうわけだ。今この場にいる全員には俺の氷焔之皇が掛けられていて、魔法に対する絶対的な防御力を備えているのだ。

 

完全なる不意打ちによる分解の砲撃すら無傷で凌がれたことで次の手に移行しようとするのか極彩色の空間から波紋を広げながら、迫り出すように使徒共が現れた。その数は50以上。既に全員が銀色の魔力光を纏っておりその殺気は完全に引き絞られている。

 

エヒトから情報の共有がされていないのか、何か秘策でもあるのか。態々姿を見せた使徒共に俺が警戒のレベルを上げた瞬間、使徒共も一斉に襲いかかってきた。

 

───俺以外の全員に。

 

なるほど、自分らでは俺には勝てないと考えてそれ以外を徹底的に狙う作戦なのだろう。しかもただ勢いに任せて突っ込んでくるのではなく、フェイントを入れながらどれが誰を狙うのか分かり難くしている。けれど、それでもまだ足りないんだよ。

 

──氷焔之皇──

 

──絶対零度──

 

仮に魔力を凍結されてもその刃で首を刎ねようとしたのだろうが、お生憎様、俺の魔法は氷焔之皇と氷槍だけじゃないんでな。使徒共はその尽くがその全身を凍てつかせ、全身を砕け散らばらせながら無限の色彩の中へと墜落していく。何か対策でもあるのかと思ったが、拍子抜けだな……。

 

「……ここって一体どこなんだろうな」

 

ド派手な色の中へと消え去った使徒共を見て感じた違和感に思わず零れた俺の呟きに反応したのはシアだった。

 

「それはこの神域がどこにあるのか、ということですよね」

 

「あぁ。使徒共の残骸は下に向かって落ちていった。それに、今も俺達ゃしっかりと身体に重力を感じてる」

 

それこそが俺の感じる違和感。

 

「……それは、普通じゃないのか?」

 

天之河が頭にはてなマークを浮かべている。他の召喚組も似たような顔だ。

 

「いやいや。ここはトータスでも地球でもないはずだろ?ていうか、どっかの惑星ではないだろうよ」

 

「まぁ、それは分かるけど。多分、エヒトが作った世界というか空間なんだろ?」

 

と、天之河が続けた。

 

「だろうな。……でだ、重力なんてもんはただの自然現象だ。まぁ細かい理屈はよく知らないから置いておいて……。ともかく、ここが完全にエヒトの作った世界だと言うなら別に重力なんて要らないだろ」

 

「それはそうだけど、そういうのってあった方が何となく安心しない?」

 

と、雫が首を傾げながら疑問を口にする。

 

「あぁ。だからあの城で俺がエヒトに言ったろ?」

 

「エヒトは元々人間、という話ですか?」

 

「そう言えば、あの城でも前は人間であったようなことを言っておったのじゃ」

 

「そういうことだ。ま、今が人間かどうかは怪しいけどな」

 

あの台詞で言質は取れたが、エヒトの野郎は結局どこまでも人間臭さが抜けていないようだ。

 

「俺達は、神様なんかじゃなくて、人間の手のひらの上で転がされてたってことなのか……?」

 

「ま、あの底意地の悪さは神より人間って感じだろ。あとセンスも悪い」

 

「……センス?何の?」

 

と、雫が頭に疑問符を浮かべている。

 

「ほら、使徒共だよ。アイツらの、見た目だけ見た時にどう思った?」

 

「そうね、こんな綺麗な人間がいるのかしら、っていう感じかしら」

 

「だろうな。アイツらさ、前に香織の身体に使う為に拾った時にさ、ちょっと気になったから測ったんだよ」

 

「……何を?」

 

「……そう警戒すんなよ、雫。何って、普通に身体とか顔のパーツの大きさの比率だよ。定規とか無いから、目測の部分は大きいけどな」

 

「主よ、それは……」

 

「そうよ、女の人の身体になんてことしてるのよ……」

 

ティオと雫、谷口がドン引きしている。シアは「へぇ」と、あまり興味無さそうな顔だ。まぁ、正直非難されるかなとは思ったけどね。顔面の下半分をぶっ飛ばした使徒の死骸持ってった時もかなり反応悪かったし。でも気になるじゃん、あんなに完璧に作られてたら。

 

「まぁ作りもんだし……。で、だ。結果、アイツら完璧な黄金比率で作られてたんだよ」

 

「黄金比率って、黒目と白目の割合がどうだとか、そういう?」

 

雫が日本のテレビCMで聞いたような言葉を並べる。

 

「そうそれ。アイツら、全身隈無く"最も人体が美しいとされる割合"で構成されてたんだ。で、それ作ったのがエヒト。センス悪すぎにも程があんだろ」

 

「それは、綺麗に作られてるんだから良いんじゃないのか?」

 

「あ?分かってねぇな天之河。人間、過不足があるから魅力的なんじゃねぇか。背が高いだの低いだのなんだの、な。それが人の好みってやつだろう?で、黄金比率ってのは基本的には誰が見ても美しく見えるっていう数字の問題なんだよ。だから綺麗なだけなら知識だけあれば誰でも作れるわけだ」

 

ある意味、そこだけは神様っぽいけどな。

 

「多分黄金比率をそんな風に言うのは貴方だけよ」

 

ボソリと呟かれた雫の嘆きは誰に拾われることも無く、俺達はこの白亜の通路を更に羅針盤に従って歩き続ける。すると、極彩色に囲まれた空間を抜けた先にあったのは廃墟と化した街並みだった。それも、トータスのような中世ヨーロッパを思わせる風景ではない。むしろ俺のいた地球の、それも都心部を思わせる高層ビル群が建ち並んでいた。とは言え廃墟は廃墟、摩天楼の輝きは失われ、ガラスは全て砕け散っていた。

 

「これはいったい……」

 

「ふん、どうせエヒトの野郎が滅亡記念にでもしたんだろうさ」

 

舗装されていたと思われるアスファルトのような地面も砕けたり盛り上がっていたりとまるで地震と水害が一遍にやってきたみたいな有様だ。

 

俺達は廃墟となった都市を眺めながらも羅針盤の導きに従って歩みを進めていく。だがその途中、シアがドリュッケンを肩にトントンと当てながら周りを見渡していた。ポツ、ポツ、と視線を止めながら、だ。どうやらそこに敵が隠れ潜んでいるらしいな。

 

「囲まれてますけど、どうします?」

 

「どうするって、こう?」

 

取り敢えず俺はシアが視線を止めた場所の真上の空中と真下の地面に魔法陣を展開。そこから氷の槍を射出する。上下から挟み込むような氷の槍の雨に既に廃墟と化していた建物は完全に崩壊。その砂煙に混じって血と臓物の臭いが漂ってくる。

 

「ちょっ!?恵里は大丈夫なのっ!?」

 

「えりりーん!?」

 

俺のノータイムの攻撃に雫と谷口が慌てふためいてる。ま、そんなに焦んなって。

 

「あ?そりゃあ愛しの光輝くんを手に入れるまでは中村も死ねねぇだろうよ」

 

「そういう問題じゃないでしょ!?」

 

「じゃあどういう問題なのか、本人に聞いてみろ」

 

ポカンと、大口を開けている女子2人を放っておいて俺は瓦礫の中へ拳銃を発砲する。だが俺の超音速の銃弾は何を破壊するでもなく土煙の中へと消え去った。代わりに出てきたのは背中から灰色の翼をはためかせ、同じ色の魔力光を纏わせた中村本人だった。

 

「よう中村」

 

「えりりん!!」

 

「恵里!!」

 

「恵里っ!!」

 

俺の呼び掛けに、谷口、雫、天之河が続く。だが天之河以外の呼び掛けは、中村にとっては不快極まりないようで、眉根を顰めていた。そして、奴の目線には絶対的な脅威である俺と、愛しの光輝くんしか映っていないようだった。

 

「……本当に、邪魔な化物だよね」

 

「……お前が俺の(香織)を巻き込まなけりゃ、俺は天之河を羽交い締めにして洗脳に協力してやってもよかったんだぜ?」

 

俺の言葉にギョッとした顔で勇者組がこっちを見る。だってなぁ、そっちの世界のことは俺には関係無いし。

 

「ま、それももう言っても詮無いことだ。お前は巻き込んじゃいけねぇ奴を巻き込んじまったんだ」

 

やはり俺の掛けた究極能力はエヒトによって解除されているようなので、再び氷焔之皇を奴に行使しようとする。だが───

 

「……待って神代くん。こっからは鈴達だけでやらせて」

 

それは谷口に待ったを掛けられた。ま、確かにそれが筋ってもんだろうよ。

 

「それと、今鈴達に掛けてもらってるスキルっていうのも外してほしいんだ。なるべく、えりりんとは私達の力だけでやりたいから」

 

俺から受ける協力はアーティファクトまで、ということらしい。

 

「……武偵憲章4条、武偵は自立せよ、要請なき手出しは無用のこと。……うん、一応アイツには効くみたいだし、いいよ。好きにやれ。……ただし天之河、アイツの目的はお前だ。洗脳なんてされんなよ?」

 

という、俺の挑発的な言葉に天之河はしっかりと落ち着き払った顔で言葉を返す。

 

「あぁ。分かってる」

 

「つー訳だ、中村。俺はここでお前の邪魔をする気は無い。こっちだけ先に行かせてもらう」

 

「……ふん、いくら光輝くんが居たってお前がいないのなら何の問題もないからねぇ。行っちゃえばいいさ」

 

と、中村はつい、と目線で自分の後ろを指し示した。そうかよ、なら遠慮なく通らせてもらうぞ。

 

俺はシアとティオに目配せして、一応奇襲には警戒しながらもその場を通り過ぎる。結局、次の空間へ移るまで後ろから冷たい殺気を浴びせられることはあっても何かその敵意が形になって俺達の元へ向かってくることはなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

中村の居た廃墟の空間を通り抜けた後、俺達は更に幾つかの空間を通り抜けた。その間にも散発的に魔物に襲われたりはしたのだが、シアもティオも、世が明けるまで刹波を付与された鉱石で引き伸ばされた時間の中で修行と調整をしていたため、奴らはその成果の実地確認程度の働きにしかならなかった。

 

そうして、辺り一面海のような景色だった空間の中にポツンと浮かんでいた小島から別の空間へと跳ぶとそこには───

 

 

「久しぶりだな、神代天人」

 

 

あの魔王の城で俺に殺された筈の魔人族(フリード・バグアー)が銀の翼と髪を靡かせ、巨大な白竜と、数えるのも馬鹿らしい程に大量の灰色の竜や魔物を侍らせながら待ち構えていた。

 

「……落ち着けお前ら。死体の処理を忘れたのは俺のミスだった」

 

死んだと思っていた男が目の前に現れたことでシアとティオに動揺が走る。だから2人の肩に手を置き、呼吸を落ち着かせる。恐らく俺が消滅させるのを忘れていた奴の死体を、エヒトが使徒に持ってこさせたのだろう。奴は神代魔法の様なものが使えるようだし、それで擬似的に甦らせただけだろうよ。だったらここでもう1度殺し尽くすだけだ。俺は強化の聖痕で引き上げられた昇華魔法を用いれば今や神代魔法すら無効にできる氷焔之皇をフリードに仕掛ける。だが───

 

「……ふ、ふははははははは!!どうした?虎の子の封印魔法なのだろう?それが効果を現さなかった気分はどうだ!イレギュラーよ!!」

 

「……」

 

俺は無言のまま奴の全身を串刺しにすべく氷の槍をアイアンメイデンよろしく奴を囲うように撃ち放つ。だが流石にこう何度も使っていれば俺の手の内も読めてくるようで、先んじて展開していたらしい空間魔法により作り出された障壁に阻まれて魔槍が弾かれ、底の見えない奈落へ落ちていく。……今はまだ、他の手を見せる時ではない。

 

「何度貴様と戦ったと思っているのだ、イレギュラー!手の内なぞ既にお見通しなのだよ!!」

 

フリードは随分と得意気に胸を張っているが、奴は俺の聖痕の力は知らない筈だ。例えエヒトから教えられていたとしても、その真髄までは知りはすまい。ならば神代魔法なんて一瞬で打ち砕いてやろうかと拳を構えるが、その瞬間にシアとティオが前に出た。

 

「天人さん、コイツらは私達に任せてユエさんを」

 

「こんな奴ら、妾達だけで充分じゃ」

 

と、それぞれが得物を構えて交戦へと備えている。だがそれを見たフリードはつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

「……ふん、確かに私は主よりイレギュラー達がここへ来たらイレギュラー"だけ"はそのまま通せと仰せつかっている。貴様をこの手で嬲り殺せないのは口惜しいが神命とあらば仕方あるまい。だが───」

 

フリードがパチンと指を鳴らすと、大小幾つもの島が浮いているこの空間で、まるで世界を支えているかのようにそびえ立っていた支柱が輝き出した。俺の義眼には照度なんて関係無くこの空間に大量の魔物が呼び出されているのが映っている。そして、光が晴れた時、そこには最初にいた魔物に加えて更に数えるのが馬鹿らしくなる数の魔物が現れていた。当然俺はそいつらにも先制攻撃を仕掛けるが、それも空間魔法か何かで防がれてしまう。一応俺への対策はしてきているらしいな。

 

「言っただろう?貴様のやり口は把握していると」

 

別に、フリードが俺を通せと言われていからといって俺がそれに従う必要性はどこにもない。むしろ全員でここを突破して3人揃ってエヒトの元へと向かった方が良い。だが俺の思惑なんて軽く吹き飛ばしてくれるのがここにいる奴らなわけで……。

 

「天人さん、ここは任せてください。天人さんはなるべく万全の状態でユエさんの元に」

 

「そうじゃ、この程度の奴ら、妾達2人で充分じゃと言っておろう?」

 

再び、任せろという彼女達に俺が口を開こうとした瞬間───

 

「っ!?」

 

俺に光の柱が舞い降りた。

 

これはエヒトがユエを乗っ取る時に使ったやつか。俺が即座に白焔の聖痕を開こうとすると、それを制するようにフリードが口を開く。

 

「その光の柱は貴様の最愛の元へと繋がっている」

 

……なるほどな、俺がみすみすシアとティオを魔物の群れの中に残して1人でエヒトに挑み、そして散れ。そう言いたいのだろう。いいさ、俺も2人を信じるって決めてるからな。武偵憲章1条、仲間を信じ、仲間を助けよ、だ。

 

「シア、ティオ。俺はお前達を信じてる。だから思う存分暴れてやれ」

 

「はいですぅ!」

 

「承知しておるのじゃ!」

 

俺の身体が光の中へ溶けていく。待ってろユエ、お前は俺が絶対に助け出してやるからな。

 

 



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シアとティオ、その戦い

 

オスカー邸での神代天人との訓練はシア・ハウリアにとって彼という存在の見方が大きく変わるものであった。

 

元々彼女の戦闘の師匠はユエであり、時たま彼が修行に加わることもあったが、彼は射撃の感覚を鈍らせないようにと1人、もしくは多少の負傷であれば直ぐに回復するユエと訓練を行うことがほとんどだった。それに、香織が仲間に加わった後は彼は香織に付きっきりで訓練を施していた為、余計にその傾向が顕著だったのだ。

 

そのせいかシアは勘違いをしていたのだ。実際に魔物達と戦う時に求められるような、総合的な戦闘力では敵わないにしても、アーティファクトの性能や固有魔法に依らない近接戦闘技術に限った話であれば既に自分は神代天人よりも強いはずだと。

 

だがその幻想は引き伸ばされた時間の中での、オスカー邸で行われた近接戦に限定された模擬戦であっさりと砕かれた。

 

 

 

 

 

 

「はっ……はっ……あ、あれ……?」

 

「どうした、意外そうな顔して」

 

こちらの攻め手が全く当たらないのだ。躱されたり弾かれたりする程度ならまだマシだ。そもそもドリュッケンや蹴り脚を振ろうにも、まず振るわせてすらもらえなかった。こちらが攻勢に出る前にその出足を先回りされ尽く潰される。文字通り手も足も出なかった。そしてそのまま身体強化に回した魔力が時間と共に延々と削られていき、遂には未来視どころか他の神代魔法を1度たりとも使ってすらいないのに魔力切れを起こしてしまったのだ。

 

「使徒共と殺り合おうってんだ。これくらいやらせてもらうさ」

 

「……もしかして、今まで香織さんとやってた時も手加減してました?」

 

「ある程度は合わせないとトレーニングにならんだろうが」

 

今まで、シュネー雪原の大迷宮で彼の記憶を垣間見た時ですら神代天人の戦闘は力押しの大味なものが多かった。魔物との戦いでも強力なアーティファクトで一網打尽にする方法を多く採っていたから、シアの中で天人はてっきりそういう戦闘しか出来ないのだと思っていたのだ。だがこれこそ神代天人の本気。少なくともその戦闘技術の粋がここにあるはずだ。

 

「でも、今の私なら天人さんでも全力を出せるくらいには強くなったということですよね?」

 

「全力……?はっ、そういうのは俺に聖痕を使わせてから言ってくれ」

 

「……上等っ!!です───ぅっ!?」

 

シアがドリュッケンを手に跳ね上がり、天人へ1本踏み込もうとしたその瞬間、顎を強かに打ち抜かれる痛みと舌を喰い千切られた痛みが走った。それと同時にシアの視界が揺れながら真上に跳ね上がり、その先に何やら薄ピンク色の肉のようなものが舞っている光景が見えた。

 

(あれ……私のベロです?)

 

シアの思考がそこに思い至った瞬間、暖かな光が彼女を包み、後ろに倒れると共にその光が晴れた。思わず自分のベロを確認したところ、さっきの痛みと光景は悪い夢だったかのように飛んだと思っていたベロはキチンと元々の長さを保っていた。

 

「戦闘中にベラベラ喋るな。舌千切れるぞ」

 

天人が両手に握った長刀のうち、左手側の刀で指し示した所には、小振りなベロの、その先の方と思われる肉片が落ちていた。どうやら柄で顎を強かに打ち据えられて自分の歯でベロを噛みちぎったようだ。

 

さっきの光は再生魔法を付与したアーティファクトで即座に傷を再生されたのだろう。おかげでシアは今、残されたベロが喉に詰まって窒息せずに済んでいるのだと気付いた。

 

──まだ圧倒的に足りない──

 

今のも固有魔法である縮地ではないのだろう。そんな魔力は感じられなかった。単に歩法でシアの虚を突いて、まるで目にも止まらぬ早さだと錯覚させられただけ。だがこれが今の自分と天人の差なのだろうと、シアは心の中でゴチた。

 

「さて、トレーニングの基本は反復練習だ。今の模擬戦で何が足りなかったのかイメージしながらまた掛かってこい」

 

天人が長刀を手に持ちながら指先でチョイチョイと挑発する。シアはドリュッケンを握り締めながらも、脚に力を入れて、今度は無言で立ち上がる。次に戦闘中に口開こうものならベロを己の顎で噛み千切されられながら喉笛を掻き切られかねない。使徒との戦闘では気合いの咆号すら隙になるということだ。

 

大好きな、それこそ愛していると言っても過言ではないユエを取り戻すためなら、シアは何だってやってやると誓ったのだ。ただでさえエヒトとの戦闘を天人に押し付ける形になる可能性があるのだ、使徒の100や1000くらい、1人で片付けられずにどうするのだと、自分に強く言い聞かせた。シアはその意思を込めた相棒を握り締め、また長刀を構えた愛する男へと飛びかかっていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

白金色の魔力光を纏った使徒共をドリュッケンに仕込まれたスラッグ弾で振り払いながらシアは彼女らとの距離を取る。直ぐに別の角度からも分解の魔力を込めた砲撃が飛んでくるがそれもブーツに仕込まれた空力を利用して躱す。そのまま浮遊島の1つに降り立てばまずは下方からの攻撃は制限できる。だが当然、そうなれば使徒共も下方以外からシアを囲むように同じ島に降り立つ。下からの攻撃が出来ないということは、シアも重力魔法を使っての下方への回避は出来ないのだから。

 

使徒の1人──確かエーアストと名乗っていた奴だ──が何やら呆れたような眼差しを送ってくる。天人曰く、彼女らは自称で感情が無いと言っていたようだが、どうにも彼女らはそう言う割には表情が豊かに感じる。発する言葉の節々にも所謂"感情"というものが感じられるのだ。だがそんなもの、事ここに於いてはシアには関係の無いことだ。シアはただ、奴らを叩き潰し彼女の愛する男と大好きなあの子の元へと馳せ参じなければならないのだ。その為にコイツらは邪魔だ。そして邪魔者は潰す、ただそれだけ。

 

そして、シアの怒りの理由はそれだけではない。先程から彼女らの纏っている白金色の魔力光、色こそ変わっているがシアが見間違えるはずがない。感じられないはずがない。それは自分が敬愛し、親愛し、溺愛している同類にして師匠にして姉にして───

 

──同じ男を愛した女、ユエのものなのだから──

 

それがシアの怒りを青天井に突き上げていく。余りにも余りある殺意で()()()()()()()()アーティファクトが砕け散りそうだった。だからその怒りを握力に、殺意を膂力に昇華させて目の前の敵を打ち砕く。

 

シアは天人が新調した宝物庫から試験管のようなものを虚空に取り出し、口で直接捕まえると中身を一気に飲み干した。だがこれが経口摂取である以上、いくら即効性があると言っても浸透には多少の時間がかかる。故にシアはその時間を稼ぐ。

 

「……それ、ユエさんの魔力ですよね」

 

そのシアの声は恐らくこの世界の誰も聞いたことがないくらいに冷たかった。当然だ。こんな冷徹で冷え切った感情なんてこれまでの旅で抱いたことはなかったからだ。それにこんな声、天人やユエ達にはとてもじゃないが聞かせられないし、聞かせたくもない。

 

「正確には、我が主たるエヒトルジュエ様のものでしょう?今や───」

 

「───クソッタレ共、よく聞きやがれですぅ。ユエさんの身体も、魔力も、髪の毛1本から魔力の1滴に至るまで、その全てはユエさんと天人さんのものです。お前らのものなんて何1つとして存在しないんですよ」

 

「ふん、戯言を。主に手も足も出なかった雑魚共が何を───」

 

「───レベルⅤ!!」

 

エーアストの言葉はシアにより遮られる。大声でそれを唱えたのは単にそこから先を言わせたくなかったからだ。そしてその言葉は身体強化の固有魔法を昇華魔法でさらに引き上げるものだ。本来シアは魔力1に対して身体能力への変換は3が限界だった。だがそれを昇華魔法でさらに引き上げる。それでも4。だが今のシアは魔力1に対して身体能力への変換効率は5だ。

 

今さっき飲んだ液体こそがそんな無茶を可能にし、シアに更なる限界を越えさせるものだった。天人が人体に無害な鉱物に昇華魔法を付与し、それを細かく細かく分解して水に溶かしたもの。大地を踏み割り、天人の作ったアーティファクトによって引き伸ばされた膂力によってドリュッケンをエーアストに叩き付ける。

 

これまでよりもさらに突き抜けたシアのパワーに一瞬戸惑うエーアストだったがそれでもまだパワーでは彼女の方が上だ。だが───

 

──レベルVI──

 

シアが喉の奥でそう呟いたのがエーアストにだけは聴こえた。そしてシアは重力魔法を乗せたドリュッケンを思いっ切り振り回し、迫って来ていた他の使徒達を弾き飛ばす。さらにその吹き飛ばされた使徒の1人──ツヴァイトと名乗っていた──の眼前に鉛色の巨躯が迫る。それは淡い青色の魔力光を纏っており、強化された白金の使徒をして、本来刃で受けなければ簡単に折れてしまうはずの剣という武器の特性をかなぐり捨てでも、面積の大きい腹で受けることを選択させた。

 

だが当然、この選択にも意図はある。使徒の剣である以上は分解の魔力を纏わせているし、何より剣の強度自体も業物なんて言葉では言い表せないくらいのレベルにある。それであるならば、兎人族の一撃くらいは受け止めてやるという判断だった。しかしツヴァイトは思い出すべきだったのだ、シアが誰の元で修行していたのか、誰がこの鉛色のアーティファクトを作成したのか。そして何故、このアーティファクトはさっきまでの戦鎚ではなく十字に刃の付いたメイスなのかということを───。

 

 

───ゴォォォォォンン!!

 

 

シアが新たに手にした大質量の十字刃のメイスに魔力を注げばその機能は轟音と共に炸裂した。

 

メイスの先端から飛び出たのはシアの魔力光である淡青を纏いながら高速回転した鉄杭だった。付与された纏雷による電磁加速だけではない、そもそも杭を射出するのにも縮地が利用されており一瞬で爆発的な加速が可能なのだ。そして、炸薬による発射機構を使わずに魔力でもって杭を射出するこれは、単純な構造故に強度にも優れる。

 

それが破滅的な速さでツヴァイトの構えた1対の大剣の腹を突き破り、そのまま顔面ごと撃ち砕かんと迫ったのだ。だがツヴァイトもその瞬間に首を捻り、端正な顔に大きな切り傷を、絹糸のような髪の毛を1束持っていかれる程度で致命傷を避ける。

 

そしてシアの放った魔杭が通り過ぎた瞬間には正面に構えたツヴァイトは白金色の砲撃を放ち、上空からドリットと名乗った使徒が、左右からはフィーアトとフュンフトという使徒が白金色の羽をガトリング砲のように乱れ撃つ。さらにツヴァイトの射線を避けるように背後からエーアストが両の大剣でシアを斬り裂こうと迫る。その3次元的な攻撃に逃げ場なぞない。武器を盾にするには手が足りない。使徒達が取ったと確信したその時───

 

「───ッ!?」

 

全ての攻撃がシアを素通りしたのだ。

 

──半転移──

 

3次元的に逃げ場が無いのであれば自分の存在する位相をズラしてしまえばいい。そうすれば他からの干渉を受け付けないで済む。本来であれば空間魔法の出来損ないであるこの手段は、魔法の適性がないシアが天人からもらった昇華魔法の水を飲み干してやっと発動ができる代物であった。

 

だがそれだけに魔力消費も膨大……ではあったが消費の激しい神代魔法を使うのであれば当然その補填も考えられていた。シアの両手首と両足首には神結晶で作られた魔力タンクが巻かれている。

リストバンドの中に埋め込まれたこれらはそれ1つで半転移4回分の魔力が込められているのだ。それが片方の手首と足首に8つずつ埋め込まれている。さらにシアのブーツには空力と縮地が付与されているが、このブーツにも当然魔力タンクが外付けされている。その他にも天人は有り余る時間で神水すらも発生させており、当然それを詰めた試験管もシアは渡されていた。故に未来視や半転移のような魔力消費の激しい神代魔法も躊躇無く使えるのだ。

 

だがシアの益にしかならない情報であったとしても敵に悟られるなかれ。手札は隠してあれば隠してあるだけ良いというのが天人の考え方だった。だからこそシアはここぞというタイミングになってようやくこれを使ったのだ。本来ならもっと使える場面はあったのだ。だが多少の手傷を負ってでもこれが奥の手だと思わせた。もう伏せ札は無いと思わせてその裏を搔く、シアはこの時確かに天人の教えを守っていた。

 

そして、使ったままではこちらからも動けない半転移を解きながら瞬時にメイスとドリュッケンを取り替えるとそのまま衝撃変換を仕込んだ炸裂スラッグ弾を撒き散らしながらドリュッケンを振り回す。周りの使徒をそれで牽制し、その隙に大剣を失ったツヴァイトの顔面をその白魚のように白く細い指がまるで万力のように捕らえ、締め付ける。

 

──レベルⅦ──

 

シアの喉の奥で響いた言葉は果たしてツヴァイトには届いたのか。

 

だがそんな仔細なことはシアには関係無い。そのまま再び大地を踏み割らんとする勢いで踏み込み、駆け出し、空気の壁を突き破った勢いで地面から隆起していた大きな岩にその端正な頭から叩き付けた。流石に強化された使徒だけあって砕かれたのは頭蓋骨ではなく岩の方だったが、シアもこんなことで使徒を倒せるとは思っていない。そのままドリュッケンから炸裂スラッグ弾を撃ち続け、その壮絶な衝撃波の嵐の中に閉じ込めて磔にする。そうしている内に背後から他の使徒達が向かってくることを察したシアは宝物庫から巨大な金属塊を取り出し、そこに空いた穴に柄を伸ばしたドリュッケンを填め込む。そうして超巨大な1つの戦鎚を作り出すとそれを振り上げ、戦闘前に填めたマウスピース──天人が贈ったものだがこれはただ頑丈である以外に()()()()特殊な機能は無い。本当にただのマウスピースに近いものであった──が砕けんばかりに歯を食いしばり、ツヴァイトに向けて振り降ろす。

 

当然ツヴァイトも白金の翼で分解による防御を試みるがこの打撃面には奈落の底でユエを戒めていた封印石が使われており、その効果とシアの膂力、金属塊の持つ重量により分解する間もなく逆に魔力が分散され、翼ごと消されてしまった。だがシアの目線からそんなものは見えておらず、また、仮に見えていても手心なんて加える気は更々無い。

 

シアはそのままその外付けのドリュッケンの打撃部に魔力を送り込み、そこに仕込まれたギミックを作動させた。

 

この超大型の外付け戦鎚は打撃面が回転するようになっており、その形状はトンネルや何かを掘る際のシールド工法で使われる削岩機を模しているのだ。

 

硬い岩盤を削り進むことを前提とされた形状で人体を抉ればどうなるのか、考えるまでもなくツヴァイトはその全身を引き千切られて、死体と地面の区別なく果てるのみであった。

 

だが同胞の命なぞどうでも良いかのように他の使徒達はシアに殺到する。少なくとも使徒共の視界には、膨大な魔力が込められた両手首のリストバンドが見えていた。であるならばあの半端な空間魔法による緊急回避術もあと何度かは使用可能だろうと踏んだ彼女らは魔力消費以外の弱点も見抜いていた。つまり、あれで透けている間は向こうからも攻撃や移動が出来ないという点。

 

エーアストとドリットがシアの逃げ場を塞ぐようにその4本の大剣を振り抜く。他の2人は時間差でかつ逃げ場のない高低差を付けた分解の魔力による十字砲火(クロスファイア)の構え。だがシアがその致死の斬撃に対して行うのは多少のダメージ覚悟での回避でも半転移による瞬間的なすり抜けでもない。

 

───ただ己の肉体によってその斬撃を受け止める!!

 

 

──鋼纏衣──

 

 

技に名前を付けることにあまり積極的ではない天人に代わり、シアがそう名付けたこれは己の肉体を文字通り鋼鉄のように硬質化させる変成魔法。分解の魔力に完全に抗うことは出来ずに薄皮が切れる程度には刃が食い込むがだがそこまで。シアの肉体を使徒の刃が斬り裂くことはない。その代わり、使徒にとって忌まわしきあの形に、シアの唇が動く。

 

──レベルⅧ──

 

驚愕する使徒には目もくれず、シアは全身の回転運動によって使徒の大剣を振り払い、両腕を跳ね上げられ無防備な胴体を晒したエーアストの細い腹に回転の勢いそのままにドリュッケンを叩き付ける。

 

吹き飛ばしたエーアストには目もくれず、回転しながらドリュッケンを十字刃メイスに取り替えたシアは空間魔法を纏わせたその刃でドリットの肉体を逆袈裟斬りに引き裂いた。さらに一瞬タイミングを遅らせて放たれた分解の十字砲火をブーツに仕込まれた縮地と空力、天啓視によって全て躱していく。

 

他の浮島に降り立ったシアに対し、フュンフトが重力加速の力をも利用して迫る。だが───

 

──レベルⅨ──

 

ステータスプレート上での数値でも遂にシアが白金の使徒を凌駕した。そして激突するシアとフュンフト。だが上空からという位置エネルギーを得た一撃でさえもシアは受けきってしまう。その衝撃に地面の方が悲鳴を上げ、クレーターを生み出すが、それでもシアは膝を付きはしない。この程度では決して屈してなどしてやるものかと、その瞳は語っていた。そして、その瞳の輝きを見てフュンフトの胸に───本来あるはずのないものが去来した。それは、言葉の音色になって現れた。

 

「神の使徒に並ぶなどっ!!不遜というものです!!シア・ハウリアァァァ!!」

 

だがフュンフトのその叫びにシアが答えることはない。そんなことは知ったことかと、シアは力を抜きながら身体を半身に逸らす。

 

急に支えを失ったフュンフトは自身の勢いのまま地面に叩き付けられる。そしてシアの、衝撃変換を付与されたブーツによるサッカーボールキックがフュンフトの胴体に突き刺さり、シアの真後ろに迫っていたフィーアトを巻き込んで吹き飛ばされる。今のシアの蹴りを受けて胴体が両断されないという時点で確かにフュンフトは神の使徒と名乗るに相応しい肉体強度を誇っている。だが、それはただそれだけ。シア・ハウリアには到底届かない。そして、絡み合い錐揉みしながら飛ばされた2人が捉えた光景は───

 

打撃面に刃の付いた巨大な金属塊が眼前に迫る瞬間だった───

 

 

 

───────────────

 

 

 

「はぁ……流石は天人さんですぅ。まさか強化された使徒にレベルⅩを使わずに勝てるとは……」

 

シアはそう呟きながら回復薬を飲み干す。補給のない強襲である以上、神水とて無限にあるわけではないので余裕のある時はこちらを優先して使うべきだからだ。実際、シアはレベルⅩ以外にもまだ奥の手は残されていた。だが天人が作り出したアーティファクトとシアに教え込んだ戦闘技術がそのカードを切らせることなく、強化された白金色の使徒5人をシア1人で屠ることを可能にしたのだ。よりコンパクトで効率的な戦鎚の振り回し方等であればユエとの訓練だけでも十分に身に付けられていたが、天人はそれだけでなく、宝物庫のより戦闘向けの使い方、相手の力を出させないこと、逆に上手く相手の力を利用すること等をシアに教え込んだのだ。

 

「さて、ティオさんの方は、と……」

 

上空を見れば天人のアーティファクトで武装した黒竜達が数多の魔物とぶつかり合っていた。白線と黒線がぶつかり合い、入り乱れるその様子は、地球から来た人間が見ればSF映画のようにも見えただろう。

 

あまりにも数多くの魔物や竜が入り乱れているが故にティオの姿は確認できないが、それでも黒竜達が統制を失っていないところを見れば彼女もまた健在なのだろうと分かる。

 

さて、と、シアも回復した魔力を確認しつつドリュッケンを担ぎ直すのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ティオ・クラルスにとって神代天人はどんな人物か、と問われれば愛する男と答える他ないだろう。もし他に答えるならば、本人は嫌がるだろうが、新しい扉を見せてくれた人、になるだろうか。

 

出会いが劇的だったかと言えば何とも言えない。戦いの果てに、もしかしたら彼こそはとも思ったがどうにも彼の周りには他の女もいるようだったから。

 

それでも本来の任務を思い返せば彼の傍にいることはそう間違いではないだろうと半ば強引に連れ添った。当然、その打算の中には竜人族を世界の果てに追いやった神への憎しみと復讐心も含まれていた。

 

そうして彼を注視しているうちに、神代天人という人間の強さ、弱さ、優しさに触れていくうちにどうにも絆されてしまったらしい。

 

おかげで、あの火山の中の大迷宮では目の前で小憎たらしい笑みを浮かべている魔人族にも、自分が500年も前に滅びたとされている竜人族の生き残りであることを晒してしまった。そして極めつけはその後だった。どうせ断られるだろうと、半ば冗談のつもりでキスを迫ったら、額にではあったものの本当にしてくれた。その直後に見せた、頬を染めて自分から目を逸らした彼の照れた顔をティオは一生忘れないだろう。

 

そしてそんな男の元へと馳せ参じることを阻む目の前の銀色に色を変えた魔人族のこの男を排除するため、ティオは新たなアーティファクトを振るう。極大のブレスを回避しながら右手で黒い鞭を振るう。そうすれば付与された空間魔法が魔物の厚い皮を抉り裂いて致命傷を与える。

 

魔弾を避けて左手の刀を振るえばこちらも付与された別の空間魔法が数10もの魔物を空間ごと切断する。

 

ティオと、彼のアーティファクトで武装した黒竜の群れの前に、最初は数千から数万に昇っていた数の魔物はその数を減らしていった。

 

その上、ティオの持つ黒い鞭で打たれた魔物はその姿を黒竜へと変え、ティオの支配下に置かれていく。それにより徐々に形勢は逆転していくかに思われたその時───

 

「ふん、魔物の群れがこれで終わりだと、誰が言った?」

 

その瞬間、この空間に浮かんでいた巨大な柱が輝き出す。そして視界を覆うほどの光が収まるとそこにはさらに数万数10万の魔物の群れが現れていた。

 

「さぁ、数の暴力の再開といこうか」

 

そう、嫌らしく嗤うフリードに対しティオは───

 

「………」

 

ただ無言であった。フリードはそれを諦めと取ったか挑発と取ったか。ティオにとっては天人の教え通りただ感情を見せることなく言葉も交わすこともなく、静かに集中しているだけなのだがフリードにとっては戦いの中でも言葉は交わすものらしい。それが例え憎き敵同士であってもだ。

 

だがそんな哲学なんて持ち合わせていないティオにとって、フリードに何を思われようとも気になるところではない。無言のままに刀を振るえばその刃の向けられた先にあった空間がズレ、その線上にいた魔物達の身体が2つに泣き別れた。神代魔法の連発は看過できない魔力消費の筈だがティオにも当然、シアと同じだけの魔力タンクは渡されている。

 

だがその一振りで殺せた魔物は100にも届かない。当然その他の魔物からの攻撃が殺到する。

爪が、牙が、魔弾が、極光のブレスが、ティオの肉体を引き裂き斬り裂き砕き貫き消し去らんと襲いかかってくる。当然同士討ちなどという甘い可能性はゼロだ。

 

しかも、爪と牙の隙間から魔弾と極光が時間差で飛び込んでくるのだ。だが、そこにこそティオの勝機があるのだった。襲い来る魔物の中を刀と鞭で風穴を空け、そこへ飛び込めば待ってましたとばかりに殺意を込めた魔力がティオと交差するようにその死神の鎌を振り回す。しかしその鎌がティオの首を刎ねる寸前───

 

「これはっ!?」

 

フリードの驚きの声が響く。

 

魔弾と極光がティオに死を運ぶ直前にその全てがダイヤモンドダストとなって霧散したのだ。そして、フリードには確認のしようもないがその魔力は全てここにはいないあの男の中へ還元されている。

 

──氷焔之皇──

 

神代天人がトータスではない異世界にて手に入れた魔王の証。聖痕と昇華魔法で極限まで強度の増したそれは聖痕やエヒトの扱う魔法等、極々一部の超常以外の全ての超常の力を凍結、燃焼し己の力へと変換する力。

 

万の屍を築き上げた果てに手に入れたその力は、どれ程に強化されようと所詮魔物の域を出ていないフリードの下っ端程度では突き破ることなど不可能。天人が大切な人間を守りたいという意志の元に顕現した最果ての力(究極能力)はあの世界から遠く離れたこのトータスにおいても彼の愛する女を守り抜く。

 

先程までの乱戦でティオは少なくない手傷を負っていた。それも爪や牙といった物理的な攻撃ではなく魔力に拠る攻撃でだ。それにより、フリードは氷焔之皇の可能性を自ら消してしまっていたのだ。

 

何故その時にこのスキルが発動しなかったのか、その理由は、昇華魔法と強化の聖痕によりさらに突き抜けた力を得たこのスキルは、その守護下に入った対象自身によってもオンとオフを切り替えられるようにもなっていたからなのだ。故にティオはこれまで、シアも使徒戦ではこれを敢えて隠して戦っている。切り札の1つとして持ってはいたがそれ以上に天人との戦闘訓練とその他のアーティファクトによってついぞ使う機会が訪れなかったのだ。

 

それに加え、最初にここでフリードと対面した天人が使ったのは聖痕を使わずに使用した言わば簡易版。流石にそれであればエヒトからの恩恵を賜っていたフリード達には効果が無かったがそれで良いのだ。あれはこの時の為の布石。天人達にとっては最も"良い嘘"を付けるタイミングだったというわけだ。

 

(あぁ、妾はこれほどまでに主に愛されておる……)

 

ティオはその守りに愛する男からの寵愛を痛い程に感じ、それを噛み締めながらも動きを止めることなく次手を繰り出した。背中に広げた竜翼を空気に叩きつけ、ブーツに仕込まれた縮地の勢いと共に凄まじい加速でもってフリードへと接近する。空間魔法での座標の断裂は同じく空間魔法の使い手であるフリードには発動前に潰されるか効果範囲から逃れられてしまうためにこれまで決定打にはならなかった。だが鞭に付与された空間魔法は座標に対する攻撃ではなくそこに触れたものを抉り取る空間魔法である。それならば効果も期待できようというものだ。

 

「だがそんな直情的な突進ではな!!」

 

しかし、当然の如くフリードへの道筋を閉ざすように魔物の群れがティオの前に現れる。氷焔之皇では魔力による攻撃は防げても爪や牙といった魔力の通わない攻撃は防げないし、何より天人本人でなければ魔力や魔法を直接凍結させて使用不可能にすることができない。

 

だからと言って、魔物を肉壁にすればティオを止められるかと言えばそうでもないのだが……。

 

「……何?」

 

ティオの首筋目掛けて狼型の魔物が爪を振るった瞬間、さっきよりもさらに早くティオが身を翻しその凶爪を躱す。鞭のようにしなりながら襲い掛かる槍のように鋭い尾が飛んできたが爪を躱した時よりも更に早く身を捻って躱していく。その後も魔物の合間を縫うように前進しながらも速度を緩めるどころかティオはどんどんと加速していく。

 

この加速にも理由はある。ティオには再生魔法──つまりは時間に干渉する神代魔法──によって自身の時間を加速させる魔法を付与された鉱石が渡されている。竜人族であり、身体強度が人間族の比ではないティオのそれは、天人が地上で戦う人間達にむけて渡したものよりもさらに最高加速度の高いものだ。

 

ティオと同じものがシアにも渡されている。だが使徒の数が5体と少なかったこともあり、シアには使う機会が訪れなかった。しかし、ティオの相手は余りにも数が多い。だが、使徒と違って頭を獲れば途端に統制を失う集団だからこその時間加速による一点突破。そこに氷焔之皇による魔力の凍結が加わればティオの進撃を阻める者などここにはいない。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「なぁティオ……」

 

オスカーの邸宅で天人がティオに問おうとする。だが天人が最後まで言い切ることなくティオはその質問を理解していた。

 

「主よ、どうせその質問はシアにもしたのじゃろ?そして断られた」

 

「何で知って……」

 

「主は案外単純なのじゃ。……よいか?それでも、じゃ。あの神に対して主を1人で行かせたくはないしユエを救おうと言うのに妾だけ下に残って雑魚掃除なんて真っ平なのじゃ」

 

ティオの目を見据えた天人は溜息を付きながら頭を搔く。リサは戦える人間ではなかったと聞いているし、天人はどうにも失うことを極端に恐れている節がある。これもシアやティオを見くびっているのではなく、本当に、万が一、億が一を考えて戦いには出したくないのだろう。だが例え天人が望まなかろうがシアもティオも、そして今は囚われているユエも、天人と肩を並べて戦うことをこそ至上としている。と言うより、天人だけを戦わせて自分達が安全地帯から見守るだけ、なんてのは真っ平なのだ。そしてその覚悟は天人にも伝わったようで……。

 

「……まぁ、こうなるだろうなっていうのは何となくあったからな」

 

「ふふっ……まったく主は心配性なのじゃ」

 

そう、ティオは冗談めかして笑いかけた。それを天人は「あぁ」とだけ返して、また真剣な眼差しをティオに向ける。そして、その瞳の中に罪悪感の光が灯っているのを見逃すティオではない。

 

「どうしたのじゃ?」

 

「ティオ、俺ぁお前に謝らなくちゃいけねぇことがある」

 

と、天人が何やら姿勢を正してこちらを見やる。

 

「ふむ……心当たりはないがの。申してみよ」

 

「……俺ぁあの時、あの魔王城の空でお前に止められた時……『コイツまで俺の邪魔をするのか』って、思っちまったんだ」

 

それは、何となく察していたことではあった。あの時の天人は明らかにティオから逃げるようにして地面に降りていったから。だがその後は普段と変わらない様子だったし、何より竜人族とこちらに戻ってきてアドゥル達へと堂々と愛の告白をしてくれたから気にもしていなかったのだ。

 

「本当は……ティオがそんな奴じゃないって分かってた筈なのに。……でも、お前を愛すると決めたんだから、これだけは話しておかなくちゃいけねぇ」

 

すると、その言葉と共に天人が自分の元へと頭を差し出した。

 

「1発、馬鹿な男を殴ってくれ。でないと俺ぁ……」

 

そして、そんなことを言い出した愛する男へと向けてティオは……

 

「お断りなのじゃ」

 

と、まるでツーンという音が聞こえそうな程にわざとらしく胸の下で腕を組んで視線を逸らした。

 

「えっ……」

 

思わず、といった風に頭を上げた天人の頬を、ティオはその両手で掴み、額同士を当てる。

 

「主はそれで許されたいのじゃろ?……なら妾はそれを許さぬ。そして、罪悪感を感じ続けるのじゃ。……それこそ妾が主に与える罰じゃ」

 

そうして微笑んだティオの首に、天人は腕を回す。愛する男の腕に抱かれたティオは、ただただ幸せそうに微笑むのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

横薙ぎに振るった刀はしゃがむことで躱される。

ピキリ、と身体の奥から小さな呻き声が聞こえる。フリードの元へ辿り着くまでに5倍程に加速したティオだったがそれでもフリードからすればただ素早いだけのものではあったのだ。最初こそ虚を突いて優位に進軍したものの慣れられればそこまで。魔物程度であれば両手に持ったアーティファクトの性能も併せて問題無く蹴散らすことも出来たがエヒトの力で死から蘇ったフリードと白竜が相手ではまだ足りないようだった。

 

「ふん、その程度ではなぁ!」

 

至近距離でのフリードの駆る白竜の爪による攻撃を紙一重で躱す。身に纏っていた衣類の端が切り裂かれて宙を舞う。

 

(ふむ……)

 

天人から渡された魔力タンクにはまだ余裕がある。ティオはこの戦いの中でフリードに対し、幾つかの嘘を付いている。その1つが氷焔之皇であるし胸に提げた時間加速のアーティファクトの存在だ。そして天人から与えられたアーティファクトをふんだんに使うことにより、ティオはもう1つの嘘を付くことが出来た。

 

(そろそろ、じゃな)

 

時間加速のアーティファクトにはそれなりにデメリットもある。特に顕著なのが、その効果が途切れた時の時間の振り戻しだ。

 

空間そのものに働きかけた刹破と違いこれは自身の内側にだけ効果を及ぼすもののために、世界からの修正を受けてしまうのだ。その為、地上に残された人間族であれば3倍速まで、ティオやシアのような強靭な肉体を持つ者であっても5倍速までが戦闘中に効果切れを起こした際の肉体的負担のリスクを看過出来る範囲となる。それを超えた速度を出せば時間の振り戻しによって毛細血管の破裂や酷いと筋肉の断裂や骨折、内臓破裂に至る場合もあると天人からは言われていた。そしてティオは今や6倍速にまで至っている。ここまで速度を上げても尚対応してくるフリードには驚愕の一言であり、これで仕留められないのなら"あれ"を使うのも止む無しだと決めていた。

 

魔力による攻撃の驚異が無くなったのにも関わらず近接戦闘を続けている理由は1つ。この距離ならば流石に他の魔物も同士討ちを恐れて手を出しずらくなるはずだったからだ。だがこの白竜、図体の割には細かい挙動も機敏でその上に乗ったフリードの操る双大剣も中々の切れ味だ。空間魔法による斬撃も上手く座標から逃げられてしまっている上に一瞬でも距離が開けばその隙間に魔物が入り込んでくる。それを切って捨てては近付きを繰り返しているのだが中々有効打が与えられない。

 

実はここでティオはミスを犯していた。フリードが双大剣を扱えるのならむしろ先の場面で氷焔之皇は使わずに、最初に時間加速のアーティファクトを見せるべきだったのだ。しかしそれに気付いたのはフリードとの近接格闘戦に入ってからだった。

 

(これは向こうが上手、いや……妾もまだまだ甘いということじゃな)

 

恐らく天人であればフリードが銀色になっていた時点で双大剣の可能性を考慮していただろうとティオは思う。だが今更、過ぎた時間は戻せない。そんな大規模な再生魔法は扱えない。ならば今この場で出来る最善を尽くすまで。

 

リスクは承知、だがお互いに有効打が無い以上は長期戦になれば数で劣るこちらが不利。それを覆すためには覚悟を決めなければならないのだから。

 

(ではいくのじゃ。───10倍速!!)

 

ティオは手にした長刀にも魔力を注ぐ。そしてその場で1回転しながら周囲の空間を切断する。そうすればティオを囲い込もうとしていた魔物達はそれに巻き込まれて真っ二つになる。直ぐにその隙間を埋めようと魔物が殺到するが、必要な時間は確保出来た。そしてその時間でティオは神代魔法を組み立てる。

 

時間加速のアーティファクトの効果により、身体の動きだけではなく魔力操作の速度や展開までもが速くなるのだ。そしてティオが展開したのは光の膜。そしてそこに圧縮した漆黒のブレスを叩き込む。その瞬間───

 

 

──音も無くフリードの上半身が消失した──

 

 

この光の膜はA地点とB地点を繋ぐ空間魔法による転移ゲートである。フリードもかつてグリューエンの火山で天人に使用したことのある魔法だ。

 

それをティオが使い、ブレスのみをフリードの斜め後方に転移させたのだ。当然出口がこちら側を向くように展開しているので殺意のブレスは空間を越え、フリードの肉体を消し滅ぼす。

 

ティオが最初からこの手を使わなかった理由は幾つかある。まず、この手は1度しか使えない。2度目以降は警戒されるから決められる可能性は著しく下がる。それ故に一撃で決めなければならないわけだが、その為にまずフリードにはティオがこの手を"使えない"と思わせなくてはならない。

 

そう思わせる為に空間魔法は全て天人のアーティファクトを経由して使っていたのだ。何故なら、フリードはティオが空間魔法の大迷宮を攻略したことを知っているからだ。

 

だが当然、フリードはティオが空間魔法にどれだけの適性があるかは知らないのだ。この情報不足がここで響いてくる。フリードはこれまでの戦いでティオが全くそれを使わないことで、彼女には空間魔法の適性が無いと思い込み、ゲートの可能性を自ら消してしまったのだ。否、そうするようにティオはこの戦闘を丸々使って意識を誘導していた、と言うのが正しい。

 

そして2つ目、近接戦闘というのは存外連携が難しい。特に1人を相手に多数で戦う時はお互いの得物がぶつかり合ったり同士討ちをしないように立ち回るためにはそれなり以上の訓練が必要になる。白竜とフリードだけならまだしも他の魔物との連携にそう多くは望めない。だが向こうはこの数だ。例え連携が難しくともティオの魔法やブレス攻撃から身を呈してフリードを守る肉壁程度にはなる。

 

それに、氷焔之皇では単純な物理攻撃に対応出来ない以上はなるべくそれを使えない状況に持ち込む必要があった。そのための時間加速のアーティファクトと接近戦。

 

そして一瞬の隙を突いた死角からの一撃。この戦いにおける最善手ではなかったが、充分に、ティオこそがこの戦局をコントロールしていたと言えるだろう。

 

「……さて」

 

だがまだ敵は残っている。主を失ったとはいえこれまで見てきたどんな魔物や怪物よりも力を感じる目の前の白竜、ティオの周りを取り囲む数多の魔物達。だが天人から、数で囲まれたらこれを使えと渡されているアーティファクトが宝物庫には眠っている。ティオは宝物庫からそれを取り出すと腰溜めに構える。そして、眼前で殺意を剥き出しにして隙を窺っている白竜に向けて、その()()()を引いた。

 

それは6砲身のガトリング砲。当然纏雷の固有魔法が付与されている電磁加速式。しかもその弾帯は外付けではなく内部に作られた簡易の宝物庫の中に繋がっている。ティオには射撃の才能は無かったし、大した練習も積んではいないが下手な鉄砲も数を撃てば当たる、装弾数なんて数えるのが馬鹿らしくなる死神の鎌が主を失った白竜へと殺到する───

 

 

 

───────────────

 

 

 

ティオはシアとも協力しながら、その後程なくしてこの空間にいた魔物を全て殺し尽くした。

 

途中からは雫や天之河、坂上に鈴とその配下の魔物達も加わっての大乱戦だったがティオの扱う変成魔法と魂魄魔法の融合技で自らの竜鱗や血潮を媒介にして殺した魔物の死体から新たな黒竜を生み出すなどして数の差は直ぐに解決されたのだった。

 

だが本当の問題はこの後、急に地震のような振動が発生したかと思えば周り中の空間が歪み、地上と思われる景色が表出したは良いがどうにもそれはこの空間そのものが不安定になっているだけのようなのだ。その上、先程までは確かに繋がっていた筈の支柱による転移も発動せず、"鍵"のないシア達はこの崩れゆく空間の中に閉じ込められてしまったのだ。

 

恐らく天人がエヒトを追い詰めているからなのだろうと推測こそ立てられたものの、この状況ではそれ自体にはそれ程意味も無い。一か八か時折見える地上の風景の中へ飛び込むか否か……そこまで思考が至ったその時───

 

 

──光が爆発した──

 

 

ハイリヒ王国近くのあの戦場と思われる風景の中から1本の矢が飛来してきたのだ。そしてそれがこちらとの境界に突き刺さり光が爆ぜた。そして白1色に染った視界に色が戻った時───

 

「やっほー!みんな大好き世界のアイドル!ミレディ・ライセンちゃんだよー!!」

 

シア達の目の前には甘ったるいアニメ声で騒ぎ立てている手足の生えたてるてる坊主が、ポーズとウインクを決めていた。

 

 



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紅と白と黄金と

 

 

俺を囲っていた光が晴れると、そこは真っ白な通路とその先へ続く同じ色の階段、そして真っ暗な闇が広がるだけの空間だった。対照的な2つの存在の中で俺だけがまるで異物のように感じられた。だがここで立ち止まっていてもなんの意味も無い。俺は白焔の聖痕を開き銀の腕を顕現させ、ただ1本だけ伸びる白亜の通路を歩き出した。まるで周りの闇の中へと吸い込まれていくように足音は消え、ただ俺の心音と呼吸の音だけが耳に煩く響く。

 

そうして歩いて行くと俺は階段まで辿り着いた。どうやら転移させるもののようで、仕方なしに俺は1度銀の腕を戻す。もっとも、念の為白焔の聖痕は開いたままで直ぐに銀の腕を出せるようにしておく。そして警戒心を解くことなく淡く輝くそこへ足を乗せれば再び俺の身体は光に包まれる。どこかへ飛んだ感覚の後、そんな大仰が過ぎる出迎えを振り切った先にはただ真っ白な空間が広がっていた。まるで、監禁して気が狂いそうになるまでそこに閉じ込めておく拷問専用の部屋のようだ。

 

「ようこそ、我が領域の深奥へ」

 

すると、どこからともなく声が聞こえてきた。耳慣れた、愛らしくどれだけ聞いても飽きることはないはずのその声は、今は少し違って聞こえる。その声に感じるのは愛おしさではなくただ嫌悪のみ。その声質との違和感はまるで出来の悪いコラージュ画像を見た時のようで、俺は思わず眉根を顰めた。

 

だがそんな俺を放って視線の先では空間が揺らぐ。舞台の幕が上がるように、揺らいだ空間が落ち着きを取り戻すと、そこには満月のように輝く金髪を湛え、鮮血より赫い紅の瞳をした美しい女が玉座に座っていた。漆黒のドレスから剥き出しにされた陶磁器のように白く滑らかな両肩、大胆に開かれた胸元から覗くのは豊かな双丘、深いスリットの入ったスカートから伸びた、細く形の良い脚は、その太ももの生々しい肉感を見せつけるように組まれていた。

 

「……今度はセンスの無い黄金比には拘らないんだな」

 

その姿は確かに美しいの一言だ。だが数字の上では恐らく完璧ではない。俺の言葉の意味を理解したのか、エヒトはユエの喉で「はっ」と笑い声を上げる。

 

「だがどうだ、この身体も中々に美しいだろう?完璧な配列も良いが、このような肉体もまた趣があって良い」

 

ふん、思ったより分かってんじゃねぇか。しかし、コイツは喋れば喋る程に人間臭さが露呈してやがるな。

 

「たりめーだろ、けど中身がお前って時点で生ゴミ以下だな。薄汚ぇ臭いがプンプンするんだよ」

 

「減らず口を……。いくら貴様が強い言葉を使おうと、内心では腸が煮えくり返っているのが手に取るように分かるわ」

 

「なーに当たり前のことを大発見かのように喋ってんだ?お前はそれ以上馬鹿晒す前に黙った方が良いぜ」

 

「……エヒトルジュエの名において命ずる。───平伏せ」

 

俺の言葉にエヒトは苛立ちを感じたのか眉根を寄せてそう呟く。だが───

 

「───はっ、お断りだよ。バーカ」

 

奴の神言とか言ったか。魂魄に干渉して強制的に言うことを聞かせる魔法。だが今の俺には白焔の聖痕がある。これが奴の魔法を全て燃やし尽くし、その魔力は須く俺の力となるんだ。今の神言だって中々のパワーになったぞ。流石は長生きしてるだけあって魔力も純度が良いな。かなり聖痕の力に近いから変換の効率が段違いだ。

 

俺の返しに更に苛立ったのか予想通りなのか、エヒトはそのまま無言で指を振るう。その瞬間、俺の宝物庫や両脇のホルスターに収められている拳銃がフルフルと震えるが、直ぐに弾けるような音と共にそれも収まる。当然、アーティファクトに対する干渉も対策してきているのだ。

 

「……よかろう。少しばかり遊んでやる」

 

エヒトを中心に白金色の魔力光が吹き荒れる。だがそれもすぐに収まり、エヒトの背後で3重の輪を描いて固定された。まるで俺の銀の腕・煌星のようだが奴の背中から生えてくるのは翼ではなく魔力塊の弾丸だ。それが星の数程、それこそ無数に現れ奴の周囲を浮遊している。対して俺は───

 

「……銀の腕・天墜(アガートラーム・レイジング)

 

両腕が銀色に輝き、纏った鎧は更に大きく膨らみ、右肩だけにあったパイプ型スラスターは両肩へ。胸部と両脚部も銀色の装甲が纏わる。両手首から白焔が噴き出し、それの燃料にされたエヒトの神言の魔力がガリガリと目減りしていくのを感じる。

 

「……ほう、それが」

 

「……エヒトルジュエ、テメェを"俺の女に手ぇ出した罪"で逮捕……いや、鏖殺する。そのヘドロみてぇに濁った魂の1滴まで燃やし尽くしてやるよ」

 

俺達の始動は同時。

 

俺が背中のパイプから白焔を噴き出し奴へと肉薄する。当然、奴も魔力の弾丸で俺を撃ち落とそうと周囲に漂わせたそれを飛ばしてくるのだが、魔力じゃあ今の俺は殺せない。その全てを推進力に変え、俺は一瞬で空気の壁を突き破る。強化の聖痕で補強された皮膚が俺をソニックブームの刃から守る。それを頼りにエヒトの……いや、ユエの美しい顔面に向けて拳を振るう。

 

だがそんな力任せで単純な攻撃はカスることもなく躱され、エヒトに触れることは叶わないらしい。目にも止まらぬ早さ、まるで瞬間移動でもしたかのようにエヒトの姿が俺の視界から掻き消える。だが俺にとっちゃ瞬間移動なんて文字通り死ぬ程見た光景なんだよ。そういう能力を使う奴が次にどこへ跳ぶかなんて手に取るように分かるぜ。

 

俺は脚部と背中のスラスターを吹かして殴り壊された玉座から倒立をするように飛び上がり、そのまま両手首から焔を噴き出し更に飛び退る。するとその一瞬の後に玉座がバラバラに切り刻まれた。俺の背後に回り込んだエヒトが両手に構えた大剣を振り抜いたらしい。さらに奴の背後で輝く輪から光輝く使徒のような奴らが大量に現れた。

 

「まったく忌々しい焔だ。我の魔力を吸収するのか。だがあの氷の封印技が通じない以上、貴様の今の弱点は"これ"であろう?」

 

エヒトがかざしたのは黄金に輝く剣。

 

「使徒から報告は受けているのだ。今の貴様は物理攻撃が通じるとな」

 

正しくその通り。俺の中のオラクル細胞は今、神機を取り込んだ左腕を除けば体内にはほとんど残されていない。そして奴の魔力には氷焔之皇による凍結、燃焼による変換が効かない以上、俺の天墜の鎧の間を通すような物理攻撃は致命傷になり得る。だがまぁ、それこそ当たらなければ何とやらってやつなんだけどな。

 

「慰みついでに覚えた我の剣術、見せてやろう。……なに、使徒共の双大剣術も元を辿れば我のものだからな。見慣れたものだろう?」

 

エヒトの姿が掻き消える。知覚能力の拡大をもたらす瞬光。その固有魔法に強化の聖痕と昇華魔法を重ね掛けすることで限界まで引き上げられたそれによりもたらされた動体視力が、変成魔法の類で大人びた姿となったユエの肉体の美しい造形を捕える。今はまだ100万倍の思考加速は使っていない。いざとなれば躊躇いなく使うつもりだが、正直そこまでする程の相手だとも思えないのだ。

 

横薙ぎに振るわれた右の剣をしゃがんで躱すと振り上げられた左の剣は仰け反りながら拳を剣の側面に当てて軌道を逸らす。

 

さらに背後から斬りかかってきた金色の使徒には手首から噴き出した白焔の推進力で無理矢理に反転してその焔で存在ごと掻き消した。

 

「まだまだゆくぞ、イレギュラー」

 

だがエヒトの背負った光輪からどんどんと使徒が溢れ出てくる。俺は縮地で距離を置きながら宝物庫を起動、その中から多脚多腕だったり戦闘機を模した飛行可能な個体だったりとバリエーション豊かな生体ゴーレムを多数召喚。数には数で対抗することにした。

 

「ふん、物量には物量というわけか」

 

ユエが稼いだ3日という時間は俺に、俺自身が魔力を一滴も使わなくとも帝国程度なら数時間で滅ぼせる程の戦力を与えた。それどころか地球の基準でも相手が小国であれば、この軍団だけでも戦争したって勝てる程だ。俺の生み出した生体ゴーレム兵器軍団はサイズは小さくとも圧倒的な戦闘力を誇る。それがまるで、最初に訪れた世界にあった機動兵器を思わせた。

 

「……やれ、奴らを殺し尽くせ」

 

俺からの命令に従い、ゴーレム軍団から火線が迸る。それと同時に使徒からも魔力による砲撃が飛び出した。そして俺達も───

 

「端から切り刻んでやるぞ、イレギュラー」

 

奴の輝く剣と俺の白焔の刃が斬り結ばれる。末端が見えない程に薄く研ぎ澄まされたエヒトの刃と、波打ち不定形の俺の炎のような白刃がぶつかり合い、弾き合い、神域に黄金と白色で描く剣戟の軌跡の華を咲かせる。

 

「……ところでイレギュラー、アルヴをどう仕留めた?あれでも一応は神性を持つ我の眷属だ。簡単に死ぬとは思えんのだが」

 

お互いの持つ刃を交えながらエヒトが問いかけてくる。アルヴ……俺に粉末にされて消え去った邪魔者。だがどうやって奴を殺したのか、それを俺が態々この場で教えてやる義理もない。戦闘中に余計なお喋りをする趣味もないからな。

 

だが俺が無言のまま剣戟で返事を返せばエヒトはつまらなさそうに鼻を鳴らす。これも奴の力の一端なのだろう。振るわれた刃とは全く別の方向から斬撃が飛んできた。それを俺は即時発動した氷結魔法で受け止め───ようとしたがその斬撃は俺の氷を通過し首筋まで迫る。

 

だがその斬撃は当然魔力で編まれたもの。であるなら俺は肘から白焔を噴き出してそれを焼滅させることで防ぐ。

 

「……ふん、聞いてはいたがつまらぬ奴よ」

 

それを聞かせたのはフリードではないだろう。俺は奴の前では作戦上とはいえ必要以上に煽っていたからな。奴から聞いたのなら俺はお喋りな奴ということになるはずだ。ということはノイントだろう。奴の記憶か視界か、どれを覗き見たのか知らないが、俺が戦闘中に問答を返すことを殆どしないというのはそっちから耳に入れていたと考えていいだろうな。

 

「だが……ふふっ……大方の想像はつく。神殺しの概念魔法でも創造したのだろう?それでアルヴを殺し、これならば我にも……と、ここに乗り込んできた。可愛らしいなイレギュラー」

 

その予想がどうなのか、当然俺は答えない。だがもう奴も理解しているのだろう。エヒトは既に鼻を鳴らすこともなくそのまま言葉を続けた。

 

「貴様の最愛の吸血姫の最期を聞かせてやろう。……肉体の主導権を奪われ、最早魂魄だけとなった状態でよく抗ったのだがなぁ……。だが抗えば抗う程にその魂には激痛が走っていたのだろう。最初は我慢していたようだが、クックック……我にはよく見えていたぞ?必死に歯を食いしばり耐えている吸血姫の姿がなぁ。だがそれも限界のようでな、遂には悲鳴を上げだしたぞ。自分の魂が端から消えていく様に恐怖し、震えておったわ。最期の言葉はなんだったか……。あぁそうだ「……天人、ゴメンなさい」だったかな」

 

ふふふ、とゼロ距離で剣をぶつけ合っている最中にも関わらず、エヒトは何が楽しいのかそんな風に気色の悪い笑みを零した。

 

「そうやって消えていったのだ、貴様の最愛は。イレギュラー!お前が追ってきた希望などとうにありはしないのだよ!ふふっ……ふははははは!」

 

確かに俺の義眼にもユエの魂は欠片も見当たらない。見れば見る程にユエの肉体に住み着いた魂はエヒトのものであるかのようだった。俺は零れそうになる溜め息を己の剣戟に変えて吐き出す。

 

そしてまた数合程打ち合い、鍔迫り合った瞬間、エヒトが指を振るう。その瞬間、俺の四方の空間が歪み、今にも弾け飛びそうになる。城でも使った空間爆砕による不可避の攻撃だ。間に合うか───っ!?

 

 

──ゴッッッッッッ!!!──

 

 

と、無理矢理に歪められた俺の周囲の空間がそれに反発するように弾け、その結果として不可視かつ不可避の衝撃波を撒き散らす。だがその衝撃波が俺の身体を強かに打ちのめす直前に、俺は自分周りに氷の壁を作り出した。空間爆砕による爆撃が魔法陣に固定された魔氷を砕かんと殺到する。

だが俺の魔素を湯水の如く注ぎ込んだその氷はその破壊の嵐を耐え抜いた。

 

「……本当に、お前という存在はイレギュラー(異常)だ。フリードの出現で傾きかけたバランスを拮抗させる為に態々外から呼んだというのに。そこに紛れ込んだお前という存在には驚愕したよ」

 

俺が氷の壁を崩しながらその破片をエヒトの方へ飛ばす。だがエヒトは何やら楽しげに語りながらも俺のその攻撃を超高速の剣戟で全て打ち落とした。だがこっちもその話には興味の欠片もない。さっさと終わらせてもらおうか。

 

「……まぁそう急くな。肉体が無ければ上位の世界への干渉は我をもってしても難しいのだ。なのにお前のような人間がどうして紛れ込んだのかは興味があるのだ。貴様、あの勇者とは別の世界の人間であろう?」

 

それは恐らく俺の体質が原因だ。人間、関節の脱臼や捻挫は繰り返せば癖になり再発しやすくなる。俺はそれと同じように他の世界に飛ばされやすくなってしまったのだろう。あの時咄嗟にリサを突き飛ばしたのは幸か不幸か……。寂しい思いもしたし心細いったらなかったが、それでもこんな奴のいる世界に連れて来るよりは良かったのかもしれない。それに、聖痕も究極能力もない状態じゃ大迷宮だってリサを連れていたらマトモに攻略出来ていたかどうかも分からない。

 

「……まったく、この我とここまで拮抗できるというのは中々新しくもあるが、そうまで無言だと面白みに欠けるな」

 

そもそも俺は娯楽の為に戦っているわけではないし、無言を貫くことが奴の不興を買うというのならそれはそれで願ったり叶ったりなわけで。そう言われれば俺はむしろ無言を貫き通すことを徹底してやろうという気になる。当然、この会話の間にもお互いに得物を振るい合い、不定形の刃と輝く刃のぶつかり合う音が神域に木霊している。

 

「まぁいい。300年前に失ったと思っていたこの肉体も貴様のおかげで手に入れられたのだからな。その点はイレギュラー、貴様に感謝もしているのだ」

 

エヒトが刃を振るう。それは初速と最速の差が異常に大きい1振りだった。奴が何度か見せた、徐々に加速していくのではなく、途中から急に、まるで何かに引っ張られるように剣速を増すその太刀筋はそう、奴の腕だけ時間が加速しているようだ。

 

だが遂には瞬光と限界突破を併用しそれらを強化の聖痕と昇華魔法で補強している俺にとってはそんなもの見えている攻撃だ。首筋を目掛けて振るわれた殺意を焔の刃で弾き、返す力でその小煩い喉を掻き斬ろうと腕を跳ね上げる。奴は身体を仰け反らせることで俺の刃を躱す。そして体勢を戻す勢いで突き出された右の剣を左腕で逸らす。

 

それから一瞬遅れて、しかし途中で加速した左の突きも右の刃で逸らすと俺はそのまま1歩踏み込んだ。エヒトは俺に掴まれると察知し、さらに3メートル程後ろに瞬間移動する。だがこれまでの打ち合いでこうなったら奴がこう出るのは分かっている。俺は踏み込みと同時に背中と脚のスラスターを吹かし、正面と側面、背後からも迫る剣閃を焼却しつつ、奴が出現した瞬間にその眼前に飛び出す。エヒトの、本来はユエの物である紅玉が驚愕に見開かれる。俺は嫋やかな首に手を掛けるとそのまま体重差で無理矢理にエヒト(ユエ)の身体を押し倒す。そして宝物庫から取り出したのはシアがミレディから託された神殺しの短剣。

 

「……ぐっ。我に触れるとは不遜な……」

 

俺の左手に掴まれているせいでお得意の瞬間移動も出来ず、両腕は俺の膝に抑え込まれているから刃も振るえない。魔力弾や、剣戟とは無関係に俺を切り刻もうとする斬撃は俺が撒き散らす白焔に燃やし尽くされ届かない。完全に動きを封じられたエヒトが悔しげに呻く。

 

「……お前は言っていたな。俺が神殺しの概念魔法を生み出したのではないかと。……あぁそうだ、今俺ん手にある短剣こそ神殺しの概念、それが形になった刃だ。この刃が今からお前を殺す。……じゃあな、エヒト」

 

俺はわざとゆっくりとそう喋り、見せびらかすように翳したその短剣を奴の胸元に突き刺す。刃がユエの体内深くに刺さると同時にエヒトの背後で輝いていた輪と両手に握られていた剣は風化し、砂煙となって散り消えた。さぁ、目覚めの時間だ、ユエ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は突き立てられた短剣から手を離し、馬乗りになっていたユエの身体の上から退く。少しすると、閉じられていたユエの瞳がフルフルと震え、再び開かれた。その紅の宝玉が映すのは銀の鎧に身を包んだ俺の姿。そしてその小さく柔らかい唇が言葉を紡ぐ。

 

「……残念だったな、イレギュラー!!」

 

その瞬間、ユエの身体は俺の懐に入り込み、その細腕を俺の腹へと突き刺した。そしてカランと音を立てて神殺しの短剣が床を転がる。瞬間移動の際に振り落としたらしい。だが奴がユエの細腕を引き抜く直前に俺は両手でその腕をがっちりと掴まえる。見つけたよ、ユエ。態々腕を突き刺してくれてありがとよ、エヒト。これで手間が省けるぜ。

 

「ぶっ……ゴッ……はっ……あぁっ……ふっ……捕まえた」

 

「……何?」

 

俺は掴まれた腕を力ずくで引き抜きながらもその手を離すことはしない。そのままエヒトを……いや、ちょっと見ぬ間に大きく成長したユエの身体を抱きしめる。そしてその体勢のまま───

 

「錬成!!」

 

「なっ───がぁッ!?」

 

俺の持つ技能を発動させる。その技能により加工された鉱石があるのは俺の胃袋。そしてそこを突き破り、魔力を纏った1振りの刃が抱きしめられたままのユエの鳩尾を突き破りその体内へと侵入する。その刃には細かい溝が沢山掘られており、血液は毛細管現象を利用して瞬く間にユエの体内へと殺到する。そう───

 

──体内に取り込んだ血液を己の力に変換する吸血鬼たるユエの体内へ──

 

 

──唯一と定めた相手の血液ならば更にその効果を増す技能"血盟契約"を持つ彼女の肉体へ──

 

 

俺の銀の腕に掴まれている以上奴はお得意の瞬間移動が出来ない。それは俺に力ずくで腕を引き抜かれた後も変わらない。当然、ユエの細腕を掴んで、その身体を抱きしめているからな。もうこの手は離さねぇよ、絶対にな。

 

「ガァァァァッッッ!?」

 

エヒトが絶叫する。ただ腹を貫かれただけの痛みではない。ユエの技能が、俺の血が、ユエに力を与えたのだ。はるか昔に生み出された神殺しの概念なんて俺は端から信用していない。だが解放者達の意志の強さもまた本物だ。それならずっと引き篭っていたエヒトの魂魄に少なくない衝撃と動揺を与える程度の力はあるだろう。そしてそれで十分だ。その隙にユエの魂魄は覚醒し、再びエヒトの魂魄に抗う。

 

そしてこれも当然、俺の腹に収められていた鉱石がただユエの体内へ俺の血液を送るだけの訳がない。そこには1つの概念が込められている。その概念は───

 

 

──汝の接触を禁ずる(俺ん女に触れるな)──

 

 

それがもたらす現象は魂魄への干渉の排除と保護。それがユエとエヒトの魂を引き剥がし今後一切の接触を許さない。ユエの魂魄に直接当てないと効果が発揮されないのは面倒だがそれももう見つけた。ユエの中で蜘蛛の巣のように張り巡らされたエヒトの魂のその裏側、ユエの最奥にそれはあったのだ。目印は俺の発動した氷焔之皇。その存在が俺の義眼に捉えられユエの魂を見つけ出すことが出来た。

 

俺の腕の中でエヒト(ユエ)の身体がドクンドクンと心臓の鼓動のように脈打つのを感じる。

 

「馬鹿な!吸血姫の魂は完全に消滅したはず……っ!」

 

「そう思わされていただけだろうよ」

 

「だがっ!?だが何故だ!!」

 

「はっ!説明してやる義理はねぇよ。訳も分らず果てろ!!」

 

「ぐっ……!ゴオォアァ!舐めるなよ!!この肉体は我のものだ!貴様の魂!今度こそ捻り潰してくれる!!」

 

「いいや、その肉体は髪の1本から血の1滴に至るまで全部ユエと俺ん物だ」

 

腹を刃で繋ぎ、その身体を左腕で抱き寄せたまま俺が右手に召喚したのはP250(SIG)とそのマガジン。当然魔法なんてものとは縁遠い科学技術の果てに生み出されたただの拳銃だ。だがただの拳銃故に奴の感知から逃れ、態々奴のアーティファクト破壊の魔法に対する防御も必要無い。そしてそこに装填さ(込めら)れた弾丸には俺が生み出した概念魔法が付与されている。その概念は───

 

 

──汝の全ては我と共に(お前は俺ん女だ)───

 

 

ユエと俺の魂魄を同調させその力を爆発的に増大、その圧力で他の異物を排除する概念魔法。そして銃口を奴の腹へと向け、この世界で生み出されたアーティファクトではない、ただの科学技術の粋を集めただけの拳銃の引き金を引く。火薬の乾いた炸裂音と共にマズルフラッシュは血潮に紛れ、その弾丸はユエの肉体へと滑り込み、その魂魄へと概念魔法の効果を届ける。そして───

 

 

──黄金の光が爆ぜた──

 

 

それは魂を引きずり出される痛みによるエヒトが激痛に苛まれる絶叫かユエの気合いの叫びか。

 

放たれたその光はエヒトの放つ白金の光よりも暖かく俺を包み込むような光だった。その太陽のような輝きの中で影が一筋どこかへ飛び出す。そしてそれを境にして俺の視界に様々な色が戻ってくる。

 

鮮血で赤く染められた黒かったドレスと陶磁器のような白い肌のコントラストはただ艶やかに、黄金の髪がそこに刺激的なアクセントを加える。そして見開かれた瞼奥から覗くのは光に当てられたルビーよりもなお眩い真紅の瞳。その宝石がただ1点、俺だけを見据えている。そして老若男女問わず、それを見た者全てを蕩けさせる美しき貌が天を照らす太陽よりも強く輝き、満開の花よりもなお美しく笑みを咲かせた。

 

そう、帰ってきたのだ。俺の腕の中に、ユエが。

 

俺達の腹を刺し貫いている血濡れた刃を宝物庫へと仕舞い、先程よりもなお強くその細身の体躯を抱きしめる。

 

「おはよう。迎えに来たよ、ユエ」

 

「……ん、信じてた。天人」

 

フッと、見つめ合い微笑み合い、俺達は流れるように口付けを交わす。お互いに内臓を損傷したせいで血の味がするがそれはご愛嬌。ユエの小さな舌が俺の唇に付いた血液を舐め取る。

 

だがその瞬間、俺達を再び引き裂こうと極大の魔力が暴れ狂う気配が現れる。そちらに視線をやれば、壮絶な殺気と共に莫大な魔力で編まれた輝く魔弾が俺達の元へ殺到する。だがそんなもの、俺の白い焔の前では豆鉄砲程の脅威にもならない。俺とユエを取り巻くように展開された白焔の渦が致死の光弾の尽くを燃やし尽くしていく。

 

「……ユエ、これを」

 

「……これは、神結晶?」

 

俺が宝物庫から取り出しユエに渡した拳大の輝く鉱石。それは俺が作り出した神結晶の1部、それに魔力を貯めただけの無骨な魔力タンクだ。

 

「ビジュアル度外視で悪いが、その分大量に魔力は溜め込んであるから、今のうちに補給しとけ」

 

「……んっ」

 

指輪やなんかのアクセサリー程綺麗なもんじゃないけどその分大ぶりだからな。容量はとんでもない。そして、そんな効率最重視の魔力タンクからユエが魔力を補充する傍ら、エヒトはエヒトで意味の無い攻撃を行いつつ俺達に呪詛の言葉を投げかけてきている。

 

「殺すっ!殺す殺す殺す殺す殺す殺すっ!殺してやるぞイレギュラァァァァァ!!」

 

例え姿形が変わろうと声が変わろうと、薄汚い性根を体現するようなその声色を聞き間違えるはずがない。その怨念の声の主は光でできた人型。それが今のエヒトルジュエの姿だった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「殺してやるぞイレギュラー!!端から磨り潰して踏みにじって嬲って消し飛ばして殺してやる!!」

 

ゴチャゴチャと、小煩く喚き立てているエヒト。あれだけ高慢チキに振舞っていた自称神のその末路に、しかし俺は哀れみをすら抱くことはない。俺の胸にあるのはただ純粋な殺意のみ。俺の女に手を出して、あまつさえその心を、身体を弄ぼうとした不逞の輩への強烈な敵意が今の俺を動かしている。

 

「……ユエ、折角だから見せてやる。この白焔の聖痕の力……その最強を」

 

「……んっ、けど無理はしないで」

 

「分かってる、大丈夫だよ」

 

この会話の間にも続々とエヒトの放つ凶弾が俺達を滅殺せんと迫ってきているが、それらは全て俺の放出している白い焔に阻まれ、燃やされ、その僅か足りともこちら側に届くことはない。だが俺は敢えてその白い檻を解く。その瞬間、不健康に輝く光弾が俺の元へと殺到する。しかし俺はそこに両手をかざし銀の腕の手の甲を開く。来やがれ───

 

 

──銀の腕・煌星(アガートラーム・セイリオス)──

 

 

俺に迫るエヒトの魔弾。しかしその尽くは俺の両腕に吸収されていく。そして数発を吸収した辺りから俺の身体に大きな変化が訪れ始める。

 

まず俺の背中のパイプ型のスラスターが消え、新たに銀色の円環が現れる。更に両腰にISで言えばスカートアーマーのような形状のスラスターが出現。

 

肉体が無いと思考能力まで落ちるのかそれとも他に出来ることがないのか、エヒトはただ俺の力となる魔力を放ち続けている。そして俺の円環型スラスターから白い焔の翼が1枚、また1枚と噴出する───

 

「……じゃあな、クソ野郎」

 

俺は右手を奴の方へ向け、そこから白い焔を放出する。それは奴の魔弾を喰らって溜め込んだエネルギーを燃料に、まだ俺へと無駄な攻撃を続ける魔弾をも燃焼のためのエネルギー源に換えて肉体を失い、今や魂魄だけとなったエヒトを飲み込んだ。

 

「ギャアァァァァァァァァァァ───!!」

 

エヒトの甲高い絶叫が響く。その魂が白い焔に包まれて燃やされ消し去られていく、激痛という言葉も生温いほどの地獄の責苦。

 

「有り得ない……有り得ない有り得ない有り得ないィィィィ!!」

 

エヒトはただ一言、「有り得ない」とだけ繰り返すもその声の大きさもどんどんと小さくなっていく。俺の白焔に包まれてしまってはエヒトの持つ力では最早抵抗すらできないようで、数十秒程経ち、白焔が燃やすことのできるものが無くなり、その白い焔も消え去った後には火種すらも残ってはいなかった。

 

「終わりだ」

 

「……んっ、そうみたい」

 

さらなる抵抗も覚悟していたが、流石にエヒト程度では俺の白焔の聖痕を打ち破ることはできないようだ。一応ユエの魂魄も義眼で確認するがそこにエヒトの存在は破片程も確認できなかった。

 

だが、エヒトがいなくなって万事解決めでたしめでたし、というわけにはいかないみたいだった。

 

どうやらエヒトがいなくなったことでこの神域そのものが崩壊を始めたみたいだ。バキバキと音を立てて周りの景色がヒビ割れ、砕け、そして虚空へと崩れ去っていく。

 

「……さて帰り道だが、ここが崩壊する前にもう1度"あの"概念魔法を作らなきゃならない。あんな汎用性の高い概念魔法は俺1人じゃどうしても組み上がらなかったから、ユエの力が必要なんだ」

 

一応俺もオスカーの邸宅で異世界転移用の概念魔法を再び作り出そうとしたのだが、どうしても安定しなかったのだ。その為俺の執着心とか依存心を利用してユエ達──俺の惚れた女達──の元へ転移する概念魔法に手を出してみたのだ。こちらはそれなりには上手くいったのだったが、リサの元へは届かなかったのだ。要は、世界を越える程の力は得られなかったわけだ。

 

「……んっ、今回は天人に助けられてばかりだった」

 

「武偵憲章8条、依頼は裏の裏まで完遂せよ。お前をあの牢獄から助ける約束の裏にエヒトがいた。て言うか、囚われた愛する女を救い出すのに貸しも借りもねぇよ」

 

「……ありがとう」

 

「ん、ほら、早くしないとここも崩れて消えそうだ」

 

俺は宝物庫から神結晶を含めた様々な鉱石を取り出して並べていく。そしてお互いに向かい合い両手を絡ませ見つめ合う。数秒程そうしてお互いの呼吸を合わせていく。それが揃ったところで目を閉じて───

 

──帰るんだ

 

──リサの元へ

 

──皆の元へ

 

──ユエと、皆と一緒に

 

──帰るんだ!!

 

 

「「───望んだ場所への扉を開く!!」」

 

 

フラりと、魔力の枯渇によって身体から力の抜けて倒れ込んでくるユエを支える。そして魔力を溜め込んだ神結晶を渡せば直ぐにそこから魔力を補充して体勢を立て直す。

 

「……ん、ありがと」

 

「あぁ、多分成功だ」

 

俺が足元へ目をやるとそこには前に作った鍵よりも一回り大きな輝く鍵が転がっていた。それを手に取れば概念魔法に相応しい力を感じ取ることができた。

 

「じゃあこれで───」

 

「あのぉ……」

 

シア達を拾って帰ろうか、と言おうとした瞬間、何やら聞き覚えのあるアニメ声が足元の方から聞こえてきた。何事かと見れば、そこにはてるてる坊主に手足の生えたような小さめのゴーレムがいた。お前、まさか……。

 

「ミレディ……?」

 

「やっと気付いたか!!2人で仲睦まじく手なんて繋いで見せつけてくれちゃってぇ!!」

 

「……そういや崩れんのが止まってるな。もしかして───」

 

「大正解ー!!この天才美少女ミレディさんがこの空間の崩壊を押し留めてあげてるのだ!!」

 

と、語尾に星マークが付きそうなくらいにはテンションアゲアゲのミレディ。

 

「まぁ、それには礼を言っておく……けど───」

 

「……んっ、意気揚々と出てきてもらったところ悪いけど───」

 

「脱出方法、あるみたいだね……」

 

四つん這いに崩れ落ちたミニミレディから差し出されたアーティファクトと思われる矢からはかなり大きな力を感じる。おそらくここから出るための概念魔法なのだろうが……。

 

「そっちはそっちで使え。こっちはこっちでシア達を回収してから出るから」

 

「その心配はご無用だよー。ウサギちゃん達はこのミレディちゃんが先に地上に降ろしたからねー」

 

「なるほど、そりゃあ助かる。じゃあお前も一緒に出るか?」

 

「ううん、お姉さんは残るよ。こんなものを残したら地上まで巻き込まれて潰されちゃう。だから私が片付ける」

 

「……それは」

 

「うん、私の超奥義の魔法で神域の崩壊を誘導して圧縮してポン!しちゃう予定だから。崩壊寸前だし、私のこの身体と魂魄を媒介に魔力を増大させれば十分。だから私は───」

 

「魔力が必要なら蓄えはある。それなら───」

 

それなら自分を生贄にする必要なんかないと、そう言おうとした俺の言葉は最後まで発せられることはなかった。ミレディが真剣な雰囲気でそれを遮ったからだ。

 

「ううん、もう大丈夫」

 

と、その言葉に合わせてミレディの今の肉体であるゴーレムから14,5歳くらいの金髪の女の子の姿がその鉱石の肉体と重なるように映し出された。

 

「仲間との、大切な人達との約束。悪い神を倒して世界を変えよう!!なんていう御伽噺。馬鹿げてるけど本気で交わしあったあの約束を守る時が来たんだよ」

 

それなら尚更お前がここで消える必要は無い、俺とユエがそう言おうと思った時、機先を制するようにミレディが言葉を続けた。

 

「それに、ここに来る前に少しだけだけど地上の様子も見れたよ。きっともうこの世界に私は必要ない。それでもあれは私が、私達が望んだ世界の姿だったよ。だから私は皆の所へ行こうと思う」

 

ミレディ、ミレディ・ライセン。この世界をイカれた神から解放しようと戦った戦士の1人。この人はきっと、俺なんかよりもずっと大きなものを背負って戦ってきたのだろう。自分と、精々自分の惚れた女のことしか考えられない俺と違って。

 

それは悪神エヒトを打ち倒した俺なんかよりもきっとずっと立派なことだと思う。絶対に俺にはできないこと、それをこの人は長い長い、気の遠くなるような時間の中で続けてきたのだ。自分の肉体も滅び、もはや力と意志を誰かに託すことしかできなくなっても。それでも諦めることなくあの谷底の大迷宮の更に奥で待ち続けたのだ。そういう奴に対して、俺の取る態度なんて決まっている。

 

「……ミレディ・ライセン。貴女と貴女の大切な仲間達へ最大限の敬意と尊敬を。世界の守護者たる解放者達の宿敵はここに倒され、守りたかった世界は無事守られた。……これも全て貴女方がここまで意志を繋いでくれたからだ。解放者達の残した意志と力がなければ俺達はエヒトを打倒することは叶わなかっただろう。世界を救ったのは正しく解放者達だ」

 

「……ん、何1つとして貴女達が足掻いたことは無駄ではなかった。その軌跡は必ず、後世に伝える」

 

「な、なんだよぉー、2人にそんなこと言われたら何も言えないでしょぉ。ほら、もう本当に限界だからさっさと帰れ!!」

 

「あぁ、さようなら、世界の守護者」

 

「……さよなら」

 

ミレディに追い出されるように俺達は神域を後にする。右手に握られた"世界を越える鍵"によって。左手に握られた温もりを2度と離しはしないと心に誓って。

 

 

 



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帰りの会

俺達の戦いは"神話大戦"なんて大仰な名前を付けられて後世に残すことになったらしい。

 

越境鍵(えっきょうけん)──世界を渡る鍵型のアーティファクトのことだ。転移用の鍵型アーティファクトは幾つかあるので、それらと区別するために仕方なく名前をつけてやった──がある以上、今すぐにでも元の世界に帰りたかったのだが、そうは問屋が卸さない。

 

俺とユエが地上に戻ってから、それはそれは色々あったのだ。こっちはさっさと帰りたいっていうのに、あれやこれやと引き止められやること押し付けられ、てんやわんやだった。

 

まずは俺とティオが崩壊させた聖光教会に加え、使徒や魔物相手への先制攻撃でぶっ壊した神山だ。山は叩き潰す形で消してしまったのでもう戻せやしないのだが、いくらなんでもここまで宗教の根付いた世界で、総本山が壊れて総大将も死んだので無くなりましたは通じない。なので俺は何か詭弁を用意してやる必要が出てきたのだ。

 

で、思い付いたのが、元々この世界で崇められていたエヒトルジュエというのは本物の神であるリエヒトの名前と権能を奪い取った簒奪者であり、この世に敷かれた人間族、魔人族、亜人族の対立構造は彼が作り出した虚構である、という設定だ。そしてリエヒト──エヒトの名前をそのまま使うのは癪なのでメールの返信に使われてるRe:を頭に付けただけだが──がこの状況を打破するために呼び込んだのが豊穣の女神愛子様と勇者である天之河光輝を中心とした俺達である、という筋書き。

 

また、これまで反逆者と呼ばれていた者たちは、かの悪神エヒトルジュエの本性を知って立ち向かったのだけれども、奴の卑劣な策略により夢破れて各地に散り散りになった。だがそこに大迷宮を作り、彼らの力を受け継ぐに相応しい者たちが来るのを待ったのだ。ということにした。まぁこれは本当に本当のことなので、改めて知らしめた形になった。ミレディとの約束もあるしな。

 

そして真の神たるリエヒトに呼ばれた豊穣の女神とその家臣達の中で1番力を付けたのが俺こと"女神の剣"である。反逆者は解放者であり、彼らの諦めない意思こそが悪神エヒトルジュエを打倒したのだ。

 

そして、エヒトルジュエは最期の際にこの世界を道連れにしようとしたが、それを食い止めたのは最後に魂をゴーレムに移してでもこの世の行く末を見守っていた世界の守護者たる解放者のリーダー、ミレディ・ライセンであり、彼女の最期の力でこの世界を崩壊から救った。というストーリーだ。

 

嘘はあんまり言っていない。この戦争の大義自体も悪神エヒトルジュエの打倒だからな。ちょっと付け足しただけ。

 

それに、こうしとけばこの世界の奴らはまだ神を信じられるし真の神の復活によってそれなりにマシな方向へは進むだろうからな。

 

そんな風に色々あった中で特に大きい変化があったのは亜人族達だ。彼ら───特にハウリアは使徒や魔物との戦いでとんでもない功績を挙げたらしいのだが、それに加えてやはり命を預け合うというのは何よりも差別感情を無くす大きな要因になったようだ。ま、元々彼らを差別していたのも教義に悖るからってだけだし、それが実は嘘っぱちだと分かれば亜人族を悪く言う理由も無くなる。

 

いきなりこれまでのアレコレを水に流すことは出来なかろうが、それでももう彼らを半端者だのなんだのと誹る奴はいない。そして、その証として彼ら亜人族は獣人族と人間からの呼称を改めることになった。

 

そうして俺自身も否応無く祭り上げられながらも、そしてそれを渋々受け入れながらもこの戦争で配りまくったアーティファクトの回収に励んでいた。

 

とりあえず帝国の支配下に置いていた生体ゴーレム達は全員廃棄、というか回収した。ガハルドが玩具を取り上げられた子供みたいに恨めしそうな顔をしていたが当然無視だ。

 

その他人間族に配ったアーティファクトも各々に全部持ってこさせた。魂魄魔法で虚偽の申告をしていないか確認もしたので多分大丈夫だろう。

 

回収したアーティファクトの中にはガハルド達皇帝とその一族の首に掛けられたあれも含まれている。折角友好的にいこうじゃないかという雰囲気の中で生殺与奪の権利を握られているのは具合が悪いからだ。ガハルドなんかは「俺達がもう1度獣人族を奴隷にしないとは限らないだろ?」とか言い出したのだが、ハウリアには俺のアーティファクトを持たせてあるからと伝えた瞬間に黙りこくったのでこっちは平気だろう。持たせたのなんて精々が纏雷のスタンガンとか警棒、あとは纏雷のテーザー銃とかそんなものばかりだけど。それを知らないガハルドには効果抜群のようだった。て言うか気付いたら纏雷ばっかりだな。まぁあれ便利だしな。

 

リムルとオークロードを討伐した時や人間の国を叩き潰した時なんかより余程色々と手を回さなきゃいけないことが多くて非常に面倒臭い。……いや、あの時は俺は面倒なことはだいたい放り投げていたと言うか責任を負おうとはしなかったから、もしかしたらリルム達はこんな面倒を抱えていたのかもしれない。

 

しかしこれらは越境鍵があるのに俺が態々トータスにしばらく残っていた理由の一部でしかない。

 

別に義務感に駆られて、なんて訳がない。アーティファクトさえ回収してしまえばこの世界のことなんて放っておいてもよかったのだが、なんと香織までもがしばらく残るとか言い出したのだ。

 

どうやら、俺がユエとエヒトを切り離した時や神域に乗り込んだ時に概念魔法を使ったのだと知ると、途端に自分も概念魔法が欲しくなったらしい。曰く、南雲くんに悪い虫が付かないようにしないと、ということらしいがそもそも南雲くんはまだお前のもんじゃねぇだろ。

 

だがそんな俺のお気持ちが届くわけもなく、俺達がこっちに戻ってから直ぐに香織は1番近くにある大迷宮ことオルクス大迷宮にシアとティオを引っ掴んで行ってしまったのだ。慌てて雫や天之河達も追い掛けて行ったが大丈夫なのだろうか?まぁ、シアとティオもいるし天之河には直ぐにこっちに戻って来れるように転移用のアーティファクトを渡したからあまり心配はしていなかったのだが。

 

で、数日でオルクス大迷宮の最奥まで踏破してシアは無事(?)に概念魔法に手が届き、適性はどいつもこいつも大して無かったらしい──一応ティオには多少の適性があったらしいけど──が、取り敢えず生成魔法は取得。

 

今度はライセン大迷宮に挑もうとしていたのだが、これは俺がどうにかストップを掛けた。あそこだけは主のミレディがいなくなってしまって最後の試練が受けられないのでこのままでは恐らく大迷宮から攻略は認められないだろうからだ。

 

で、香織から早う代わりのゴーレムを作れと言われたので仕方なく似た感じのゴーレムを作成。大迷宮の最奥に置いてきたところまた香織はティオを引きずって突撃。これまた慌てて雫や天之河達も着いて行った。しかし、あそこは魔力の分解作用があるから魔法主体のティオや、香織の肉体である使徒の分解の力は使い辛いから相性が悪いと思っていたから、それでも5日で帰ってきた時は驚いた。実は便利そうだから欲しかったらしい重力魔法を手に入れて皆さんホクホク顔だった。どうやら全員多少なりとも適性があったらしいな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺はそんな喧騒から逃れたいのもあって、ユエと一緒にハルツィナ樹海の大樹の元へと転移してきた。そこでユエに再生魔法を使ってもらい、大迷宮への入口を閉じてまた枯れ木になっていた大樹に青々とした枝葉を取り戻させる。そこで俺はその根元に腰を下ろし、脚の間にユエを座らせて後ろから抱くような体勢になった。

 

「ユエ、見せたいものがあるんだ」

 

「……ん?」

 

俺は宝物庫からとあるアーティファクトを取り出す。それは、オルクス大迷宮で香織と一緒に素材集めをしていた時、ユエが封印されていたあの部屋に残してきた魔力の通りの悪い石を集めていたところで見つけたのだ。

 

それは記録映像を記したアーティファクト。オスカーが大迷宮最深部の邸宅に残したものと原理的にはほぼ同じものと思われる。そして俺が注いだ魔力を燃料にそのアーティファクトが映し出したのは───

 

「……おじ、様?」

 

ユエの叔父、ディンリードその人だった。それを見たユエは自分の腹に回された俺の手を強く握り締めた。そして、映像の中のディンリードがその口を開く。

 

「……アレーティア、久しい……と言うのは違うかな。君は私を恨んでいるだろうか。いや、きっとそうだろうし、恨むという言葉では足りないかもしれない。私のしたことは……あぁいや、本当に言いたいことはこんなことではない。……いざ言葉を残すとなると中々上手くは話せないものだな」

 

まるで自嘲するような苦々しい笑みを浮かべながらもディンリードは仕切り直すような咳払いと共に言葉を続けた。

 

「そうだ……まずは礼を言おう。……アレーティア、今君の隣には君が信頼する者が居るはずだ。少なくとも、変成魔法を手に入れ、オルクス大迷宮に挑戦できる強者が。そして、君を見捨てることなく私の用意したガーディアンを退けることの出来る者だ」

 

俺は目を閉じる。ただその言葉にのみ意識を集中させる。

 

「……君、アレーティアに寄り添う君よ。君は男性かな?女性かな?アレーティアにとってはどんな存在だろうか。恋人か、親友か、家族か、もしくは何かの仲間だろうか。直接会って礼を言えないことは申し訳ないが、ここからでも言わせてほしい。……ありがとう、その子を救ってくれて。寄り添ってくれて。ありがとう……我が生涯で最大の感謝を捧げる」

 

ユエはその言葉にも微動だにしない。俺は目を閉じているから分からないが、きっと映し出された映像を食い入るように見ているのだろう。

 

「アレーティア、君はもう知っているのだろうか。それとも胸中を疑問で溢れさせているのだろうか。私が何故君をあの日、あの暗闇の中へ沈めたのか、何故傷付けたのか。君がどういう存在で真の敵は誰なのか……」

 

そこから語られたのはあの城でアルヴから語られたこととほぼ同じだった。ユエの完全な封印や、1度足りとも顔を見せなかったのは僅かであってもユエの気配をエヒトルジュエに悟らせない為だったということ。

 

真実を話さなかったことも、封印の部屋に長くいなかったことも同じような理由だった。そして、その中で自身を憎ませてでも、それをユエに生き長らえる活力にさせたのだと。いつか誰かが彼女を、自らの最愛を救い出すことを祈って。

 

「それでも……それでも君を傷付けたことには変わりない。赦してくれとは言わない。憎んでくれて構わない。ただ、これだけは知っていてほしい……」

 

「愛してる、アレーティア。君を心から愛している。ただの1度だって煩わしいなんて思ったことはないよ。───娘のように思っていたんだ」

 

それは、ディンリードの心からの言葉。ユエを想う父親としてのもの。

 

「……叔父……様……。ディン、叔父様……私はっ……私は……」

 

ユエの想いは言葉ではなく俺の指に落ちる雫となって、ユエが俺の手を握る握力となって、伝わってくる。熱い、熱い想いだ。

 

「守ってやれなくて済まなかった……誰かに託すことしかできなくて済まなかった……。情けない父親役で済まなかった……」

 

「……そんな、そんなことっ……」

 

「傍に居たかった。そして、いつか君が自分の幸せを掴むところを見たかった。君の隣に立つ男を1発殴ってやるのが密かな夢だったんだ。その後で酒でも酌み交わしながら、どうか娘をよろしくお願いします、と、そう言うのが夢だったんだ。アレーティアが選んだ相手だ。きっと真剣な顔で確約してくれるに違いない」

 

一瞬の間の後に、ディンリードは最後の言葉を綴る。

 

「そろそろ時間だ。もっと話したいことはあったのだけれど、私の生成魔法ではこれくらいのアーティファクトしか作れない」

 

「……嫌っ……嫌ですっ!……叔父様っ!!」

 

俺はユエを更に強く抱き締める。このままではユエが向こうに行ってしまいそうだったから。ここに繋ぎ止めるように強く、抱き締めた。

 

「私はもう君の傍にはいられないが、ずっと祈っている。いや、たとえこの命が尽き果てようとも祈り続ける。君に無限の幸福が降り注がんことを……陽の光よりも暖かく、月の光よりも優しい、そんな光で照らされた道を歩めることを……」

 

「お父様っ!」

 

俺は目を開く。そこに居たのは涙ながらに父を希う娘と、そんな娘を想う父親の姿だった。

 

「私の最愛に寄り添う君よ、お願いだ。どんな形でも良い……アレーティアを、世界で1番幸せな女の子にしてやってほしい」

 

「任せてください、お義父さん」

 

俺の言葉が届いたわけではない。言葉は過去には飛ばせない。だがそれでも彼はこの映像を見た誰かがどう答えるのか分かっているかのように微笑んだ。そして、まるでその魂が成仏でもするかのように、徐々に薄れゆく映像の中で彼は最期の言葉を遺した。

 

「……さようなら、アレーティア。君を取り巻く世界が全て、幸せでありますように」

 

映像は消え、泣き声が森の中に木霊する。だがそれは悲しみではない。喜びと、愛に満ち溢れた涙だった。ユエは身体を回して俺の方を向くと、そのまま俺の胸にその感情を吐き出した。俺はそれをただ黙って受け入れる。そしてどれ程経っただろうか。溜まった感情を吐き出したユエの頬を撫で、その涙の跡を拭う。そして顔を上げたユエの紅玉の瞳に誓いを立てる。

 

「ユエ、お前だけを、と言えないのは心苦しいけど、それでも俺はお前を幸せにすると誓うよ」

 

「……んっ、私も天人と、皆と一緒に幸せになる」

 

「……ユエ、愛してる」

 

「……私も、天人を愛してる」

 

その口付けはどちらからだっただろうか。きっと100年後も俺達は思い出せないだろう。それだけ自然と求めあったのだ。

 

そうして何度目とも分からぬ口付けを交わし合い、ふと銀糸の橋を途切れさせてお互いの顔を見やる。

 

「……帰ろう、俺達の世界(居場所)へ」

 

「……んっ!」

 

ユエがその時に見せた微笑みは、今まで見たどんな貌よりも美しかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「で、どうするかは決まったのか?」

 

ユエと共にハイリヒに戻ると俺は召喚組を集めた。最終的に、召喚組の中で死者は3人。清水、檜山、近藤だ。中村は結局、神域から谷口が生きて連れて帰ってきた。今も俺の氷焔之皇で魔法を封印された上で猿轡も噛まされて拘束されてはいるが、一応この会議にも参加している。この会議の議題はトータスに飛ばさてから何日後の時間に戻るのか、戻った時の言い訳、そして結局谷口達が連れて帰ってきた裏切り者(中村)の処遇だった。

 

「戻るのはこっちに飛ばされた時から2週間後の夜、学校の屋上がいいと思うの」

 

こういう時に頼りになる雫が今は議長を務めている。どうやらある程度話し合いは進んでいたようだ。

 

「2週間……まぁそれならいいか。で、言い訳なんだけど、正直俺も何も浮かばなかった。もうこの際全部正直に話してもいいんじゃねぇかと思うんだよな」

 

言い訳に関しては俺も考えておくと言っておいたのだが、結局何も思い付かなかった。と言うより、下手な言い訳なら無い方が良いんじゃないかと思ったのだ。

 

「……そうね、ただ───」

 

「誰がこんな話を信じてくれるのか、だよね」

 

雫の言葉を香織が引き取る。確かに、それは大きな問題として存在する。だがそれに関して俺には1つ考えがあった。

 

「いや、信じてもらう必要は無ぇと思ってる。ありのまま、お前らの世界の人間からしたらあまりに荒唐無稽な話だ。だからこそ全員が同じ話をすれば周りには1個だけ言い訳が立つんだ」

 

──集団催眠──

 

全員でそれに掛かった振りをすること。いや、振りという訳でもない。実際にあったことをただそのままに話すだけで周りは"彼らは自分達を誘拐した犯人にそう思わされている"と思わせることができる。本当のことしか言わないからこそ、どんな言い訳よりもボロの出ないやり方が恐らくこれだ。本当に本当のことしか言っていないから誰も罪悪感を覚える必要もないしな。

 

「ま、それでも信じてもらいたいなら、本当に信用出来る人間にだけはお前らの力を見せてやれ。あっちの人間は普通、タネも仕掛けもなしに火の玉を出したり光の玉を浮かび上がらせたりは出来ないんだからな。言葉の説得力は増すだろ」

 

「それは……」

 

「実際、真っ昼間の学校で、ほぼ1クラス分の人間を誰にも気付かれずに誘拐するなんて魔法か超能力でも使わねぇと不可能だ。しかも校舎を誰かが出ていくところを見た人間もいないだろう。何せ事実がこれだからな」

 

それに、南雲ハジメという生徒だけがその場に残されたことも、超常の現象によって引き起こされた何事かという説得力になるだろう。

 

「そうね……皆はどう?」

 

雫の振りに、だが実際のところ明確に答えを返せる奴はいなかった。確かにこれといった正解も思いつかないし、おそらく、何を言ったところで何かを追求されるのだ。それなら嘘を付かないで済むならそれで……というような消極的な反応だった。だが、そんな反応になるのも止む無しだろう。

 

「……そう言えば、天人くんはどうしてたの?異世界への転移は初めてじゃないんでしょ?」

 

と、香織からある意味今更な質問。そう言えばその辺のことは言ってなかったか。

 

「んー?俺は正直に話したな。そうでなくても俺の世界にはステルスって呼ばれてる超能力があって、それは一部の武偵の間じゃ常識だからな。武偵高にもそれを研究する学科はあるし。しかも、ただでさえ武偵なんて事件に巻き込まれやすいんだ。ちょっといなくなったくらいじゃ世間もそう騒がねぇよ」

 

なので俺の経験は参考にはならんのだ。こういう時、武偵って特殊だなぁと実感するよ。

 

「そ、そうなの……。えと、じゃあ次は……」

 

呆れ顔でこっちから目を逸らした雫の目線の先には拘束されている中村の姿があった。独占欲と嫉妬に濁っていた目は今は虚ろで何を映しているのかも判別が付かない。ただそこに在るだけの存在となっていた。

 

実際、帰るタイミングや言い訳はともかく、1番意見が分かれたのが中村の処遇だった。谷口と天之河、坂上は一緒に帰る派、その他は殺す、もしくはここに置いていく派が多かった。殺すと言っても、実際はこっちの世界の法律に則って裁判を行う、ということだ。まぁ、リリアーナに聞いたら確実に死刑になるとは言っていたけど。そして、ここに置いていくということはつまりそうなるということで……。

 

ちなみに香織と雫はまだ答えを保留していた。実際、何にせよ距離を置きたい奴らの意見は皆同じだった。つまり──いつまた天之河を独占する為にこちらに悪意を向けるか分からない奴と一緒にはいられない──それだけ。自分らを裏切って殺そうとした恨み辛みもあろうが、何よりもまずこれから先の自分の安心が先立っていたのだった。

 

まぁ、神域突入組からしたら一緒に帰る為に連れ帰ったのだから生きて一緒に帰るのは当たり前のことだ。だがその他の奴らは違う。事実、中村の計画でクラスの全員が重傷を負わされ、挙句殺されかけた……いや、実際に香織以外にも1人、近藤が殺されているのだ。

 

あの騒動の中で1度は殺された香織が中立にいること、手酷い裏切りを受けた谷口が救出側にいることで均衡は保たれているけれど、それがいつまで続くのかは怪しい。実際、今までクラスの中心だった天之河が生かす側にいるからどうにかまだ結論が先延ばしになっている程なのだ。中村としては死刑宣告を待っている気分だろう。

 

それに、ここまで連れ帰るのに反対派が多い理由の1つは俺だ。誰だって人を、クラスメイトを殺したくはない。けれど俺ならそんなしがらみも無くやってくれるだろうという期待。また、氷焔之皇で中村の力を封印すれば?という意見も出たのだ。だが世界を越えてこの力がどれだけの効力を発揮し続けられるのか、それは俺にも分からないのだ。そしてそんなあやふやなものに命は預けられない。

 

何せ向こうではこっちと違ってド派手にアーティファクトや魔法なんてものを振り回すのは難しいのだから。その点、他者を洗脳して好きに操れる中村の能力であれば目立たずに魔法を行使できるし、現代社会で自分の手を汚さずに誰かの命を狙うのは比較的容易い。それが中村がここまで拒否されている理由でもある。実は、異世界召喚組には教えていないが、俺の氷焔之皇で中村の能力を全て燃焼させて、金輪際使えなくする方法もあるにはあるのだ。

 

だが、俺としてはコイツらにはもっと色々と考えてほしかった。俺はもう手を汚し過ぎたがコイツらは違う。まだ誰も殺しちゃいないから、こっから先に踏み込む必要はないのだ。

 

だから、氷焔之皇の権能では固有魔法や技能は封印しか出来ないと伝えてあった。そして──これは事実ではあるが──それがどれだけの間効力を発揮するのかも分からない、ということも。それが、国外追放、人間の住む町への居住を許さないという島流しを許さない理由。こっちの世界(トータス)であっても中村の魔法が何らかの理由で解き放たれた場合にはそれに対抗する労力が必要になるからだ。

 

「……天之河は中村の想いに応える気は無いんだよな」

 

「……あぁ、少なくとも今は、ね。でも俺はもうこれ以上誰にも死んでほしくないし、恵里ともまた友達に戻れたらと思ってるんだ」

 

だが天之河のその気持ちは神域でも中村に拒否されたと聞いている。あくまでも中村は自分だけの天之河が欲しいのだと。そうして天之河を手に入れようと襲いかかった。だが中村と、彼女に用意された魔物の軍団では天之河達に歯が立たず返り討ちにされ、封印石の手錠で拘束されてこっちに引き摺ってこられたのだ。

 

「……それに、これ以上神代に悪役をやらせる気は無い」

 

天之河の目線の先は俺の脇だ。そこにはホルスターに収められている銃が出番を待っていたのだ。ここで俺が中村を撃ってしまえば何もかも簡単に終わる。俺はきっと天之河達から恨まれるだろうが、もう関わることのない世界の人間なのだから気にする必要も無い、のだが……。

 

「……なら決めろよ。分かってるだろうけど、こっちの世界の出来事は向こうの法律じゃあ裁きようがない。こっちの法律じゃあ確実に死罪になるだろうが……」

 

そして俺はふと中村を見る。この会話の中でも彼女に特に反応は無い聞いているのかいないのか、きっと心から耳を塞いでいるのだろう。

 

「殺すにしろこの世界に置いていくにしろ、面倒なことは俺がやってやるから気にするな」

 

「神代、だから俺はお前に悪役は───」

 

「天之河、お前は例えば……包丁で人が刺し殺されたからって包丁が悪りぃんだと叫ぶのか?」

 

「いや、それは……」

 

「だろ?悪いのは全部それを使う奴だ。だから俺んことも気にするな。俺ぁただの道具になってやる。中村を殺すにせよ捨て置くにせよ、責任はお前らのもんだ」

 

天之河は強い言葉で喋っていたが、実際に人を、それも知り合いを手に掛けるのはきっとまだコイツらには酷なことだろう。ならそれくらいは俺がやってやる。平和な日本で生きていたコイツらが態々自分の手を血で汚す必要はない。それは、俺のような奴の役割だと思うからな。

 

「……皆聞いて」

 

と、静かに、けれど強い意志を感じさせる声色で香織が声を上げた。注目がそちらに集まる。

 

「前に私達がオルクス大迷宮で魔人族に殺されそうになって、天人くん達に助けられた時、メルドさんが言ってたの。本当は魔人族との戦争に備えて私達にも人殺しを経験させるつもりだったって。魔人族だって私達人間と変わらないんだから必要な覚悟だったって」

 

メルド団長……彼がそんなことを考えていたと知ったあの時、オルクス大迷宮に潜っていなかった召喚組がザワつく。だがそれも直ぐに香織の続けた言葉で静まることになった。

 

「でも、その時に天人くんは言ったよね?そんな覚悟、持たない方が幸せだって」

 

言った、確かに言った。まぁ確かにあれは俺の本心だ。人が誰かを殺す覚悟なんて持たないで済む世界の方がきっと良い世界な筈だから。

 

「それに、私が天人くん達に着いて行ってから、天人くんは私に誰も殺させなかった。天人くんは私に人を殺す経験なんてしてほしくなかったんだよね?」

 

俺は香織の言葉に頷くことはない。それは意識してやったことではないからだ。俺だって今言われて気付いたくらいだ。香織はそんな俺の無言をどう受取ったのか、再び言葉を紡ぐ。

 

「それに、実際に1度殺された私が"皆が恵里ちゃんとは仲良く出来なかったとしても、人殺しは良くないことだから"って言ったらきっと皆は何も考えずにその通りにするのかなって思っちゃったんだ」

 

それを否定する言葉は出てこない。当然だ、クラスの殆どの人間が香織の言葉を待っていたのだから。誰も人殺しの責任なんて負いたくはない。けれどあれ程のことをされて、しかも反省の色も見えない以上は許す気にもなれないし、またいつ爆発するともしれない危険人物と同じ教室になんていられない。だからこそ"白崎香織がそう言ったから"という免罪符が欲しかったのだ。突入組と、極一部を除いて。

 

「けどね、これってそんな簡単に決めていいものなのかなぁって。きっと、もっと全員がちゃんと考えなきゃいけない問題なんだよ。」

 

だが香織はそんなクラスの雰囲気を全て察していた。これまでクラスの中心だった天之河の意見でさえも少数派として追いやられてしまう程に傾き掛けた天秤。それを今の言葉で真ん中に戻した。

 

「だからね、もし皆が絶対に恵里ちゃんを許せないと言うなら、最後は私がやる。天人くんにも、これだけは譲れない」

 

「香織……」

 

香織は強くなった、確かにそう思う。けれど、その強さは本来要らなかったものだ。例えこの、命が酷く軽いトータスであっても、平和な世界に生きてきた香織が身に付けてはいけない強さだと思う。

 

「……ちょっといいか?」

 

その中で手を挙げたのは遠藤浩介。突入組と中立以外で唯一中村と共に帰ろうという意見の側の奴だった。

 

「俺は、さ、最後の戦いの時に兎人族の人達とも一緒に戦ったんだよ。それで、戦いが終わって、亜じ……今は獣人族か……。とにかく、その人達はこの前まで色んな理由で差別されてたけど、一緒に戦って今はお互い対等な立場なわけじゃん?それでさ、思ったんだよ。怖いからとか、知らないからとかで誰かを除け者にしてたら、そのうち周りから誰もいなくなっちまうんじゃないかって」

 

遠藤の言葉を遮る奴はいない。遠藤はそのまま言葉を続ける。

 

「中村のこともさ、きっとここで置いてったり、殺しちゃうのは簡単だよ。でもそれをやったらきっと俺達は戻れなくなる。今だけじゃない、地球に戻った後も俺達は誰かを除け者にし続ける。だから俺は中村も一緒に地球に戻りたいと思う」

 

シンとその場が静まり返る。遠藤の言葉に反対する者は出てこなかった。本当にそれで納得したのか、それとも何かあっても遠藤や香織があぁ言っていたからとするつもりなのか、それは俺にも分からない。ただ少なくとも、ここで中村をクラスから排除しようとする声は上がらなかった。それだけが唯一の事実だった。

 

「……理由はどうあれ、決めたならそれでいい。けど、1番最初に決めたルールは覚えてるよな?」

 

この話し合いにおいて、1人でも別の意見があれば話し合いを続ける。多数決にはしない。

 

それがこの話し合いの最重要の決め事だった。

そして今、中村と帰るという意見に反対の意見は出てきていない。つまり中村の帰還は決定、ということだ。

 

「……今なら反対意見も出せるわ。……いいのね?」

 

雫が周りを見渡すが何か声を上げる者はいない。思惑はどうあれ、全員が連れて帰ることに合意したということだ。

 

「なら俺から畑山先生に報告してくる」

 

畑山先生はこの話し合いを俺達に全面的に任せると言って部屋を出ていった。その結果に対して絶対に何も言わないこと、例えそれで中村が死ぬことになっても彼らを悪く思うことだけは絶対にしないと誓っていた。しかも、その証に俺にアーティファクトまで作らせたのだった。なので一応決定だけは伝えておこうというわけだ。

 

部屋を出て少し歩けば畑山先生が壁に寄りかかっているのを見つける。

 

「……先生」

 

「……神代くん。決まりましたか?」

 

「えぇ。転移の日から2週間後の夜、学校の屋上です。……そこには、中村も一緒にいます」

 

「そう、ですか……。良かったです」

 

畑山先生は俺の報告を聞いてまた生徒が死ぬことも、ここに置いていかれることもないと知ってホッとする表情を見せた。

 

「畑山先生、アンタも参加しなくてよかったんですか?子供達だけで、あんなこと決めさせて」

 

「……少し、酷だったかなとは思います。けど、きっと考えなくてはいけないことなんだと思いましたから。それに、神代くんがいれば大丈夫でしょう?」

 

中村が死なないのならアーティファクトも要らないだろうと俺は畑山先生の首に掛けられていたそれを宝物庫に仕舞った。

 

「……どうしてそんな」

 

「清水くんのことも檜山くんのことも許した訳ではありません。それでも、神代くんは命を軽々に考えている人ではないことは知っています。それに、白崎さんから聞きましたから」

 

それは、どうだろうか……。俺は明確に命に優先順位を付けているのだから。あの子達の願いは、時にその他大勢の人命すら上回ってしまう俺に、その言葉を貰う資格はあるのだろうか。

 

「何を……」

 

「人を殺す覚悟、そんなものしないで済む方がきっと幸せだ、私もそう思います」

 

「それは……」

 

「だから神代くんに任せたんです。私がいたらきっと、皆さんが考えることは命の責任ではなく、私の顔色を伺うことになってしまうでしょうし。神代くんならきっと上手く誘導してくれるでしょう?」

 

「買い被りすぎですよ。結局、アイツらの殆どは責任を負いたくはないだけみたいでしたし」

 

「それでも、人の命というものの重さを知るには良い機会だったと思います。それが具体的にどれ程重いのか分からなくても、少なくとも自分の手に負える重さではないと知ることは無意味ではないはずですから」

 

それは、学校の教師としての言葉。生命倫理なんて本当に正解があるのかどうかすら俺には分からない。自分や大切な人の命とその他大勢の命、どっちを優先すべきかなんてきっと畑山先生にも分からないだろう。けれど、それでも考えることを止めない、その機会を逃さないというのはきっと良い先生なのだろうと思う。

 

「……アンタはきっと良い先生だよ」

 

「……そうありたいものです」

 

この人はきっとどこまでいっても先生であるのだろう。俺が今まで見てきた教師達とは全く別の存在のように感じる。けどきっと、こんな先生だからこそ、異世界転移なんていう摩訶不思議な体験を積んでしまった彼らの導き手としてこれ以上ないくらいに相応しいのだろうと思う。

 

俺はふっ、何か肩が軽くなったように感じるが、それを表に出すことなく、ユエ達の元へと歩き出した。それは、彼女達との明確な決別を示唆するようだった。

 

 

 

やがて夜がくる。その時がこの世界とのお別れの時間だ───

 

 

 

───────────────

 

 

 

その扉の向こうに拡がっていたのはどこかで見たことのあるような夜景。だがしかし、似ているだけでここが俺の知らない日本なのは確かだ。

 

「……ここか」

 

魔力のある香織と雫、天之河の3人が羅針盤で座標を指定。それに従い、俺が越境鍵を使ってこの世界への扉を開いたのだ。別に、その気になれば俺が座標の指定も全部できるのだが、どうやら最後は自分達の手で、ってことらしい。

 

「帰って、きたのね……」

 

雫が小さく呟く。だがこの場の殆どの人間がまだ現実を受け止めきれておらず、キョロキョロと周囲を見渡している。ユエ達も初めて見る光景に目を瞬かせているようだ。

 

だが街に広がる生活の明かりが、自分たちの暮らしていた日常の文明だということが胸中に広がれば、彼らはお互いの手を合わせ、肩を組み、抱き合いながら帰還と生存を喜びあった。

 

「ありがとう、天人くん。私達を、ここまで連れて来てくれて」

 

香織が──使徒の身体から元の自分の身体に戻っている。ただし、ユエがエヒトに乗っ取られた影響でエヒトの使える秘術のようなものは大概使える。その為使徒を作り出す魔法を用いて今の香織でも使徒の力を扱うことができる──俺に頭を下げる。そして他の奴らも口々に礼を言葉にしていく。

 

「別に、これくらい寄り道にもならないからな」

 

世界を越える手段は俺にも必要なものだ。ちょっと別の世界に寄る程度なら構いやしない。

 

「……天人」

 

「んー?」

 

雫だ。その顔は真剣で、だからこそ次に何を言おうとしているのか手に取るように分かる。雫は俺の手を取り屋上に置いてある貯水槽の裏手まで回った。人気のない所、ということだろう。

 

「もう1度言わせてちょうだい。私は貴方が好き。だから私も貴方の世界へ連れて行って」

 

「……それでも俺の答えは変わらない。悪いが雫、お前は連れて行けない。ただ、お前とは良い友達でいたいと思う」

 

「───っ!……そう、ありがとう。キチンと向き合ってくれて。それだけでも充分よ」

 

「雫……」

 

「なんで振った側の貴方がそんな顔をするのよ。そんな顔されたら、諦め切れないじゃない……」

 

「あぁ、そうだったな。……じゃあな、雫、これでお別れだ」

 

俺は一足先に皆の元に戻る。後ろ髪を引かれるようなことはない。俺はこの結論に後悔も未練もないのだから。戻れば、香織が俺に何か言いたげな顔をしていた。けれど、言うべき言葉は結局見つからなかったのだろう。何を言うでもなく、ふうと溜息を1つ付くだけに留まった。

 

「取り敢えず、俺は南雲くんの顔だけ拝んだら帰る。一応、遠藤に天之河、雫と香織には世界を越えて通信の出来るアーティファクトは渡してある。ま、本当にどうしようもなくなったら有償で助けてやるよ」

 

有償かよ、という顔を召喚組全員がしていたがそこはそれ。こっちも武偵なんだし慈善事業じゃやってられないのだ。

 

───じゃあ解散!!

 

俺のその言葉に召喚組は各々屋上から降りようとして……そして階段へと続く扉の前で立ち止まった。

 

「……どうした?」

 

「確か、夜はセキュリティが働いてるからこの時間に降りたら警報なるかも……」

 

「……校庭に降りるか」

 

本当に、最後まで締まらない帰還になってしまった……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

トータスでの最後は色々あった。ハウリア族のラナに惚れた遠藤が彼女に告白し、付き合う条件に1人で大迷宮を攻略すること、そして俺に一撃でも入れることを出されて単身ライセン大迷宮に挑んだり俺とタイマンしたり……。かぐや姫バリの無理難題を、しかし気合と根性と愛で乗り越えて無事交際に辿り着いたり、神域から放り出された強力な魔物共を天之河が倒しに行きたいと言い出すので仕方なくトータスと俺達を繋ぐ通信機器のアーティファクトを作ったり、それはそれは慌ただしい日々だった。当然、戦いの中で破壊されたハイリヒの結界の修復も俺の仕事だったのだ。正直エヒトとの戦いの方がまだ楽だったかもしれない。

 

そんな思い出に浸りながら、俺は最後のお別れをしようとしていた。

 

「じゃあな。これで俺達の戦姉妹契約も解消だ」

 

「うん、ありがとう、天人くん。私に戦い方を、教えてくれて。戦う力をくれて。守れなかった命もあったけど、それでも確かに守りたいものをたくさん守れた」

 

「あぁ。お前はもう俺が守ってやる必要のある人間じゃない。香織、お前はもう大丈夫だ」

 

今は香織の家の近く。ここに来る前に俺達は香織に先導されて南雲くんの家を訪れていたのだ。訪れていたと言っても、実際に顔を見せたのは香織だけだが。俺はこっそりと南雲くんの顔を拝み、香織の家の近くまで移動してきた。

 

「それじゃあね、天人くん、ユエ、シア、ティオ」

 

「あぁ。じゃあな、香織」

 

「……さようなら、香織」

 

「さよならです、香織さん」

 

「うむ、さよならじゃ、香織」

 

ただいま!!家のチャイムを鳴らした香織のその言葉を背中で聞きながら、俺達は世界を越える扉を開いた。そうしてこの世界とも別れを告げる。さぁ帰ろう。俺達の家に。

 

 



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幕間の物語:オルクス大迷宮にて/射撃の才能

幕間1:オルクス大迷宮にて

 

俺はオルクス大迷宮の地獄の底で出逢ったユエと行動を共にしている。俺達はこの縦に続く大迷宮を下へ下へ向かって進んでいた。この地獄のような大迷宮の底には反逆者と呼ばれていた奴らの寝ぐらがあり、そこから地上へ出られるかもしれないからだ。

 

そしてあの閉じられた部屋での出逢いからいくつかの階段を降りて、何故か今、頭から花を咲かせたテイラノサウルスみたいな魔物の群れに追い回されていた。

 

「何なんだコイツら……」

 

「……何かに操られてる?」

 

と、俺の背負った、魔物の骨と毛皮で作ったランドセルの上に乗ったユエがそんな予想を呟く。

 

そう言えば、さっき1匹だけ頭に似たような花を咲かせたティラノサウルスがいたのだが、ふよふよと揺れるそれを何の気なしに撃ち落としたところ、何やら腹いせのようにその花をゲシゲシと踏み潰してその魔物はどっかに行ってしまったのだ。

 

もしかしたらあの花はどこかへ別の所にいる魔物の物で、あれを生やされた奴はそいつに操られてしまうのかもしれない。

 

そして俺ははたと気付く。このティラノサウルスの魔物、さっきからある一定の場所から俺達を引き離すような追い回し方をしているのだ。つまり、コイツらには行ってほしくない場所があるのだろう。そうと決まれば……。

 

「ユエ、コイツらの包囲の1番厚い所を抜ける。援護頼んだ」

 

「……んっ、任せて」

 

俺が右手に電磁加速式の拳銃を構えればユエも左手に魔法を展開。真紅と緋色の槍が魔物の頭を撃ち砕く。更に俺は空力で上へと跳躍。魔物の頭上に躍り出た瞬間に空力と縮地で包囲網を突破しつつ空中で反転。追いかけてくる文字通りの頭お花畑の魔物共の顔面を俺とユエの放つ超音速の弾丸と緋色の炎槍で次々に貫く。

 

そうして大迷宮を走り回っていると、何やら大木の根と岩陰の間に人が入れそうな隙間を見つけた。そこへ寄れば隙間からは空気が漏れてきていて、奥にまだ空間が続いていることが分かる。さらに分かりやすいことに、ティラノサウルスみたいな魔物がここ一番の勢いで俺達に迫ってくるのだ。この奥には確実に何かあると感じた俺はその隙間に入り込む。そして錬成で入口を塞ぎ、奴らが入って来れないようにしてしまう。

 

「ユエ、何かあるぞ」

 

「……んっ」

 

と、ユエを背中から降ろし、俺達は並んで奥へと歩みを進める。すると狭い通路から一転、急に広い空間へと出た。

 

そこは何やら緑色の、大きな埃の玉のようなものが沢山浮かんでいて、それが時々顔や身体に当たってうっとおしい。

 

「なんだここ……」

 

と、俺が呟くと───

 

「……天人、ごめん!!」

 

と、ユエが急に大きな声を出したかと思えばいきなり風属性の魔法を俺目掛けて放ってきた───!!

 

「───ッ!?」

 

俺は前方に転がることでそれを避ける。風の刃は周りの壁に当たり、大岩を容易く砕くユエの魔法の威力に冷や汗を流しつつも正面を向いてユエに相対する。

 

すると、ユエの美しい金髪の上から、何やらニョロニョロと植物の茎のようなものが生え、そしてそれは花を咲かせた。そう、あのティラノサウルス共の頭に咲いていたのと同じような、しかしユエの瞳の色に合わせたかのような紅の花弁を開かせたのだ。

 

「……そういうことか」

 

思わず呟いた直後、奥から緑色をした人型の魔物が姿を現した。そいつは人間の女に似た顔と身体付きをしていたが、その醜く薄汚れた性根が全て顔に出ているのかと思うくらいに醜悪な面構えをしていた。

 

さっきからバシバシ俺の顔に当たるこの緑色の埃も、本来は俺の頭にあの花を根付かせる為の種か何かなのだろう。だが、恐らく俺の毒への耐性がそれを拒んでいるのだ。……まったく、これが無ければ今頃俺もアイツの操り人形にされてたってわけだ。本当に、どこまでいっても油断ならねぇ場所だよ、ここは。

 

「……天人、ごめんなさい」

 

声だけはある程度好きに出せるらしいユエが今にも泣きそうな顔で俺を見ている。安心しろよユエ、俺はお前を見捨てたりはしねぇからよ。

 

身体が植物でできてるかのような見た目のその魔物はユエの身体を盾にするような位置取りを保ちつつユエの真後ろに立つ。そしてニタニタと気色の悪い笑みを浮かべ、まるで人質ごと撃ち抜いてみろとでも言わんばかりだ。

 

しかもユエを操り上下に動かすから小柄なユエの頭上を抜いて奥の魔物を撃ち砕くことは難しそうだ。下手にタイミングを外せばユエの端正な顔ごと吹き飛ばしかねない。

 

態々封印されてた辺り、頭を吹き飛ばしたり首を切り落とす程度じゃ問題はなさそうだが、操られている肉体にどこまで自動再生が発動するのかは分からない。何より幾らまた生えてくるからと言ってユエの頭を吹き飛ばすのはどうしても憚られた。

 

すると植物の魔物は再びユエを操り風の刃を飛ばしてきた。それを避ければ後ろの岩盤が綺麗な切り口で切り裂かれていた。寒気すら感じる斬れ味である。

 

オラクル細胞はこの世界の魔法とは極端に相性が悪いからこの手の攻撃への防御力は期待できない。しかも、俺がユエの魔法を避け続けていると今度はユエの右手をユエ自身の頭へ向けたのだ。

 

なるほど、避けるならユエを殺すと言いたいのか。しかもユエは自身の肉体を一瞬で塵にする程の火力を持ち合わせているし、その魔法だってほとんど溜め無しで放てるのだ。人質としても砲台としてもこれ以上の存在はあるまい。まぁ、それでも助け出す手段が無いわけではないのだが。

 

俺は構えていた拳銃のトリガーガードに指を掛けそのまま銃口を下向きにぶら下げる。そして、その意味がコイツらには伝わらないと思い至り、拳銃を地面に置く。そして左腕を大きく広げて、右手の指先でチョイチョイと挑発する。いつでも魔法をぶつけてこいという俺の合図が伝わったらしい魔物はユエの両手に風属性の魔法を展開。

 

「……逃げて、天人!!」

 

ユエのその悲痛極まりない声と共に無数の不可視の刃が放たれる。だがいくら姑息な手段を使おうと所詮は魔物。刃の動きは魔力感知で追えているし、何よりその刃は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

俺はユエの両手から魔法が放たれた瞬間に右足を起点に一回転、身体を1歩右手側に動かす。そして左半身が多少切り刻まれるのを無視して縮地を発動、瞬きする間もなくユエの眼前に接近し、抱きしめるようにしてその突き出された細い両腕を自分の両脇で挟む。

 

そして金剛の固有魔法を発動させながら、さっきから腕で隠しながらも左肩から生やしていた刃翼を最大展開、醜い面をした魔物の身体を逆袈裟に切り裂く。更にダメ押しとばかりに右腕から焔龍の右腕(デルトラ・フィアンマ)を展開。宙を舞う上半身と膝から崩れ落ちる下半身───その緑色の肉片をハンニバルの炎槍で焼き滅ぼした。

 

すると、ユエの頭に咲いていた紅の花が色を失い、直ぐに枯れてユエの頭から剥がれ落ちた。どうやら固有魔法の持ち主が死んだためにその魔法の効果も切れたらしい。

 

「ユエ、大丈夫か?」

 

刃翼を仕舞いつつユエを抱きしめた体勢のままそう話しかける。

 

「……ありがとう、天人」

 

「おう」

 

キュッと、ユエは俺の背中に腕を回す。そのままグリグリと俺の胸に顔を押し当ててきたのでその小さな頭を撫でてやる。

 

「……天人はズルい」

 

「んー?」

 

と、そこで動きの止まったユエが呟く。

 

「……こんな風に助けられたらもっと好きになる」

 

「……」

 

俺は、何も返せない。ストレートにそんなことを言われて恥ずかしいというのもあるし、何よりまだユエに対して"好き"だと、確実な言葉にして返せていない自分から何か言っていいものなのかも分からない。

 

「……行こう」

 

「……ん」

 

だから俺は、こうやって誤魔化して先延ばしにするしかなかった。答えなんてもう、自分自身の中じゃ出ているはずなのにな

 

 

 

───────────────

 

 

 

あれからまた幾つもの階段を降りた。その度に魔物を殺し、喰らい、固有魔法やステータスプレートの数字を増やしてきた。

 

そして、とある階層にて使った弾薬を補充するために一旦錬成で壁に穴を開けてその中に篭っている時だ。

 

束の間の安息が俺の思考に戦闘以外の回路を開かせたのだ。複製錬成により同じ形同じサイズの弾丸が次々に生み出されているのをぼうっと眺めているユエを見やる。今は俺のことを好いてくれているコイツが、もし他の誰かを好きになったら。俺に他に女がいることを知っているユエが、明確な答えを出せていない俺に幻滅し、他の誰かに気を取られたら……俺の頭に浮かぶのはキンジだった。多分、誰でも良かったのだろうが、こういう時頭に浮かぶのは何となくキンジのような気がしていた。

 

そして、ユエが俺の手を離し駆け足でキンジの横に並ぶ。キンジの腕を取り、一緒に歩き始め、向き合い笑い合い、唇が重なる───

 

「……天人?」

 

「っ!?」

 

ユエの声でハッと気付く。どうやら俺は無意識のうちにユエの肩を抱いていたようだ。ユエの紅に輝く宝玉のような瞳が「どうしたの?」と訊ねてくる。その瞳に促されるように、俺の口が言葉を紡ぐ。

 

「ユエ、俺を…ユエに惚れさせてくれ。ユエのこと、好きになりたいんだ」

 

思わず口から出た言葉はしかし違和感なく俺の中に落ちた。あぁそうだ。俺はユエを好きになりたい。俺のことを好きなこの美しい女に心の底から惚れ込みたい。そして、ずっと一緒にいたい、天国だろうと地獄の底だろうと変わらずに。そう、思えていたのだ。

 

そして、俺の言葉を聞いたユエは───

 

「……んっ、任せて。天人が私から離れられなくなるくらいに惚れさせてあげる」

 

と、妖艶な、なんて俺の持つ貧弱なボキャブラリーじゃそうとしか表現できない顔でそう告げた。そして、ユエの唇の端からチロりと出された赤い舌が、もう俺はとっくに絡め取られていて、既にその上に乗せられているのかもしれないと思わさせた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

幕間2:射撃の才能

 

オルクス大迷宮で魔人族に襲われた勇者一行を助け出し、白崎が旅の仲間に加わった。強くなりたいという本人の強い意志と()の話を一切聞かない強引さで無理矢理に加わったのだが、残念なことにそれを気にする奴はやはり俺だけなので女子連中とは仲良くやっている。ティオ曰く、同担じゃないから何のしがらみもないのだそうだが、同担なんて言葉どこで覚えたの……。

 

いや、別に俺も白崎のことが嫌いな訳ではないのだけれど、随分とまぁ無理矢理着いてきたもんだと思わざるを得ない。まぁ、無理矢理さならティオも似たようなものなのでもう今更なのかもしれないが。

 

そうして増えた面子と共に俺達は歩いていた。道幅が狭く魔物も出てくるから四輪が使い辛いのだ。そのおかげで俺は魔物が現れる度に拳銃のマズルフラッシュを瞬かせていた。

 

「相変わらず、その辺の魔物相手じゃ天人さんがアーティファクト使ったら私達の出番がないですぅ」

 

と、シアがボヤく。まぁ、ここら辺の魔物程度なら俺が拳銃で1発撃てば避けることすら叶わず脳漿を飛び散らせるからな。

 

「仕方あるまい。こと中・遠距離での戦いでは魔法すら大道芸に見えるほどの、主謹製の神代級のアーティファクトじゃからなぁ」

 

なんて、ティオも半分呆れ顔だ。神代級って言うか現代級なんだけどな、これ(拳銃)

 

「アーティファクトって言うか、ここまで来るともうSFだよね」

 

多少なりとも現代兵器(拳銃)の知識のある白崎の言葉に、ユエは「……エスエフ?」と聞き返している。

 

空想科学(サイエンス・フィクション)の略だよ。要は机上の空論ってやつだ。普通なら拳銃の弾丸を電磁加速なんてできやしないんだけど、それを魔法でどうにかしているから科学と言っていいかは知らん」

 

俺も出てきた魔物を全部屠り終えたので会話に参加する。

 

「けどま、そんなに良い物じゃねぇよ、拳銃なんてな。……所詮、人が人を如何に効率良く殺すかを考えて作った兵器だ」

 

そんな風に言って俺はふと自分の右手にある拳銃を見やる。デザート・イーグルよりも大きいそれは俺の手によく馴染んでいる。その事実に一瞬眉根を寄せてしまう。すると───

 

「ミュウもお兄ちゃんのそれつかいたいの」

 

と、俺に肩車されながらさっきまで魔物が頭を飛び散らせる様を眺めていたミュウ(推定3,4才)からまさかのご希望が。

 

「……え?」

 

俺は思わず聞き返す。

 

「ミュウもまものさんドパッ!ってやりたいの」

 

魔物"さん"と言うのならドパッ!ってするのは遠慮してあげてほしい。ていうか、こんな幼女に拳銃撃たせてやれるわけがない。多分反動だって制御できないし。

 

「実は私も1回使ってみたかったんですぅ」

 

と、ここでシアがまさかの参戦。それに合わせてユエやティオ、白崎まで撃ちたい撃ちたいの大合唱。まぁ、ユエとシアはこの世界から戻ったら武偵高に通うだろうし、1回くらい試しに撃つ分には構わないかと、俺は宝物庫から電磁加速式ではない方の拳銃を2挺取り出した。白崎に至ってはアメリカやなんかで拳銃撃つ体験をしたい日本人旅行客程度の雰囲気だし。

 

「今普通のやつはこれしかないから4人で回してくれ」

 

と、俺はユエとシアに拳銃を渡し、宝物庫からさらにいくつかの鉱石を取り出して錬成する。

 

作るのは武偵高にもあるマンシルエットターゲットの模造品。プラスチックなんてないから、跳弾を避けるために弾丸を貫通させる必要がある。そのため薄さ数ミリ程度のマンシルエットターゲットを錬成。さらに錬成で溝を掘り、右肩から同心円状に広がる模様を付けた。そしてそれを4枚錬成して7メートル先に並べる。そしてその奥には弾丸を受け止める壁としてまた鉱石を錬成して立て掛けておく。地面に杭を突き刺すようにして固定したから、こっちの火力ならそうそう倒れまい。

 

「ミュウのはどれなの?」

 

と、ミュウちゃんはお姉ちゃん達が拳銃を渡してもらえたのに自分のが無いと不満げ。ユエ達からも小さいの作ってやれば?みたいな目線が飛んでくる。

 

「あぁ……分かったよ。ミュウの手に収まるの作るからちょっと待っててな」

 

と、さらにタウル鉱石やらを宝物庫から取り出して錬成。口径小さいし弾丸も1マガジンにつき5発しか撃てないけど威力だけなら22口径拳銃程度はあるから一応ホントに人も殺せる拳銃を錬成した。……本当はデリンジャー辺りで誤魔化したかったのだが、ミュウの目が「ちゃんとしたのを作るの!!」って言っているみたいで、誤魔化しが許されなさそうで怖かったのだ。

 

「はいよ。その代わり、今から言うことを絶対に守るんだぞ?」

 

「はいなの!」

 

と、俺に拳銃を渡されたミュウは咲くような笑顔。んー、この歳で拳銃渡されてこの笑顔は先が思いやられる。

 

「お前らもだぞ。いいか、まず1つ目、絶対に何があっても銃口は覗くな。2つ目、撃つ時以外はトリガーに指を掛けるな。3つ目、人に銃口を向けるな。4つ目、拳銃を投げるな。渡す時は手渡しか地面を転がせ。いいな?」

 

と、俺が指折り注意事項を伝える。すると皆「はーい」なんて気の良い返事が返ってきた。

 

「ミュウも、もし撃った時にこれが跳ね上がっても、銃は投げちゃダメだぞ?」

 

「はいなの!」

 

下手に投げ捨てるとまた暴発の危険がある。どっちも危ないし手放さないのは怪我のリスクはあるが、弾丸が飛んでくるより銃身が跳ね上がって頭にぶつかる方がまだマシだからな。一応、銃身には衝撃をかなり吸収してくれる魔物の皮を巻いてクッション代わりにはしてあるが。

 

「んじゃあ、あのマンシルエットがターゲットだ。狙うのは肩だ。顔や胸は最悪だからな」

 

「……肩じゃ死なない」

 

と、俺の説明を聞いたユエがキョトンとした顔で恐ろしいことを呟く。なんと、シアもティオも同じ顔をしている。唯一拳銃のある世界から来た白崎だけはさすがに俺の言うことが分かっているようだが……。

 

「死なすな死なすな。普通、犯人を確保する時ゃ殺さねぇで肩とか腕とか……まぁ脚でもいいんだけど、そういう末端を狙うんだ」

 

武偵高でも顔や胸、首なんかに当てるくらいなら脚にでも当てた方がまだ評価は高い。実践じゃあよく動く脚を狙うのは難しいが、肩からは遠くても、死なせずに犯人を確保するなら顔や胸に当てちゃ駄目だからな。向こうは魔法とか基本的には無いから肩や手足潰せばだいたい抵抗できない。

 

「……ふむ」

 

と、納得したんだかしてないんだかよく分からん雰囲気を出しつつも取り敢えずユエがマンシルエットへ向けて銃を構える。この中じゃ俺の銃撃を1番見てきたユエだが、だからこそなのだろうか、いきなり片手で構えてしまったのは。

 

「ユエ、本来は両手で構えるんだ。……取り敢えずミュウに正しいフォーム教えるから見てろ」

 

と、俺はミュウの方を振り返る。ミュウも今まさに拳銃を撃てるんだ!!みたいな感じでお顔をキラッキラさせていた。マジで空恐ろしい。

 

「まず銃を前に向けて……トリガーにはまだ触るなよ?……そう、脇は閉めるんだ。右の肘は真っ直ぐな……左手はこっちから添えるように……んで、脚は───」

 

俺はミュウの身体を後ろから抱くようにして体勢を指導する。一応、拳銃を固定しやすいウィーバースタンスだ。そして、形だけならそれっぽいものが出来上がった。

 

「肩の力は抜いていいよ。……うん、それでトリガーを引いてみ?」

 

と、俺の言う通りそれまで一切引き金に指を掛けなかったミュウがトリガーに触れ、そしてその小さな人差し指でそれを引く。

 

──パンッ!──

 

という乾いた火薬の炸裂音と共にギギン!と音を立ててマンシルエットの肩の中心に穴が空き、その後ろの壁に弾丸がぶつかった。タウル鉱石の壁に当たって弾丸は跳ねるがこちらへ向かってくることはない。宙を舞い、鈴を転がしたような音色を立てて弾丸は地面を転がった。ていうか、1発目からド真ん中命中かよ。

 

「おぉ……」

 

と、ミュウはお目目をキラキラさせて穴の空いたマンシルエットを見つめている。すると───

 

「……天人天人」

 

と、ユエが俺の袖を引いて早くフォームを教えろと催促してくる。

 

「あぁ。……ミュウ、さっき教えた通りにやってみろ。弾はあと4発残ってる」

 

「はいなの!」

 

と、元気の良い返事が返ってきたところでユエの番。俺はさっきミュウにやったみたいにユエを後ろから抱くようにしてフォームを整える。

 

「───んで、こっちの手を……そう、そんな感じ」

 

ふむと頷いたユエから1歩下がる。そしてユエの目が細められ、その白くたおやかな指が拳銃の引き金を引く───

 

──ダンッ!──

 

──カンッ!──

 

マンシルエットには傷1つ付かず、奥の壁に弾丸がぶつかった。ユエさん再び引き金を引く。

 

──ダンッ!──

 

──ギギンッ!──

 

今度はマンシルエットに当たった。まぁ、肩ではなく胸に当たってしまったので褒められはしないけどな。それも、()()()()()()()()()()()()()()()()()の胸だし。

 

「…………」

 

ユエが無言でこちらを見る。というか全員俺を見る。非常に居た堪れない。だがこれは心を鬼にしても言わなくてはならない。

 

「……ユエ」

 

「……狙いとは違うけど敵を1人倒した」

 

「もしこれが犯人と人質だったら?」

 

「…………」

 

ユエさん俺からスッと目を逸らす。他は全員ユエさんを見る。

 

「もしかしたらユエは、犯人じゃなくて被害者を射殺したかもしれなかったんだよな」

 

「……うっ」

 

言葉に詰まるユエ。まぁ、本人も重々分かってはいるだろうからこれ以上は言わないけどさ。

 

「そういう訳だ。銃を扱う奴にはそれ相応の重い責任がある。ちゃんとそれは理解してくれ」

 

はーい、と、全員揃って良い返事が返ってきた。……人の話分かってる?

 

俺は取り敢えずシアにも同じようにしてフォームを教え、ユエとシアが撃っている間にミュウ用のマガジンと弾丸、それともう2挺の拳銃を錬成していった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

結論から言えば、4人には驚く程に射撃の才能が無かった。まぁ一朝一夕で扱えるようになる代物でもないし、俺も使いこなせるまでにはそれなりに時間を要したが、ここまで下手ではなかったと思う。

 

どうにもこの4人、なまじ膂力だけはあるので力で反動を捻じ伏せようとしているっぽいのだ。本来反動は体重で抑え込むもの。そういう意味では同じ拳銃を使えばティオが1番楽なはずだがティオもやっぱりダメ。まぁ4人の中じゃ比較的マシだけども。

 

逆に、ミュウはそこら辺凄まじく上手だった。確かに小口径ではあるが亜音速の弾丸を放つ程度にはパワーのある拳銃のはずだが、力と体重の使い方が上手く、完璧に銃を制御している。これに関しては多分俺より余程上手だろうと思う。

 

ていうか、他の奴らは滅茶苦茶上手なミュウを見て焦って余計に変な力が入っている。ちなみにミュウ、当初置いた拳銃の平均交戦距離である7メートルから大きく逸脱して既に15メートル程の距離から撃っていて、それすら全弾マンシルエットの肩に命中。というかもう継ぎ矢みたいに最初に空けた穴にまた弾丸を通している。……レキじゃねぇんだぞ。

 

「………………」

 

それを見て全員無言になる。ミュウ以外の全員の目線が俺に集まり、その瞳は一様に同じ思いを語っていた。つまり───

 

『あれ、本当にお前の子供じゃないんだよな?』

 

と。俺は無言で首を横に振る。俺だって拳銃を握ったばかりの頃にはあんなことは出来なかったのだ。むしろレキの血を継いでんじゃねぇかな。俺以外の全員レキ知らねぇけど。

 

「みゅ?お兄ちゃん、お姉ちゃん達もどうしたの?なの」

 

と、皆に見られていることに気付いたミュウが頭に疑問符を浮かべている。俺達は皆、その純真さと唯一のトンネルとなっているマンシルエットの肩のド真ん中とのギャップに苦笑いをする他なかった。

 

 



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異世界から初めまして


 

鍵で開いた先ではまだ夜は明けていなかった。香織達の世界と俺達の世界では数時間のズレがあるのは分かっていたから特に驚きはない。向こうを出たのが日付の変わる少し前だから、あと少しもすればこっちの空も白み始めるだろう。

 

「……ここが、天人の世界」

 

「確かに、香織さん達の世界と空気が似てます」

 

ユエとシアが周りを見渡して何やら頷いている。ミュウとレミアさんはまだ連れて来ていない。あっちで暮らすのか、こっちに来てしまうのかも決めていないし、1度滞在して住み心地を確かめるにしてもその用意もしなければならないからだ。

 

まずはこっちでユエ達の生活基盤を整える。あの2人を連れて来るのはそれからだと決めていた。

 

「それで、あの建物が主達の住んでいた家なのじゃろ?」

 

とティオが指差すのは道路を挟んだ向かい側にある男子寮。トータスにはマンションなんて無かったが、香織達の世界を少し見たおかげでそこまでの驚きはないようだった。

 

「あぁ。男女別に住まなきゃいけないから、リサがいるのも本当は駄目なんだけどな」

 

まぁ、キンジの部屋にもアリア達が住み着いているし、そもそもそんなことで態々チクるような奴も武偵高にはほぼいないのだけれど。

 

「……意外と不便?」

 

「なんか、私達には今更なきがしますぅ」

 

「まぁそう言うな。……どっちにしろ、あの部屋は4人までしか寝られないからなぁ。引っ越しの必要はある」

 

ユエ、シア、ティオ、それから俺とリサで5人になってしまったからな。ベッドルームには4人までしか寝られないし、個室も4人分しかないからここじゃ手狭なのだ。

 

とにかく、まずは部屋へ戻ろうと俺達は寮の部屋の前まで来た。そこで俺は宝物庫から鍵を取り出そうとしてはたと気付く。

 

「……部屋の鍵、最初にエヒトに宝物庫壊された時に一緒に消えてたわ」

 

「えぇ……」

 

後ろで3人共がガッカリしている。何なら防弾制服も無いからな。むしろよくあの時の俺は拳銃だけ雪原の中に埋めたな。

 

「ま、まぁこっちの鍵はあるし……」

 

と、俺が取り出したのは世界や時間すら渡れる超高性能アーティファクトである越境鍵。たかが玄関の扉を1枚隔てた部屋に入るためだけに使うのは明らかに役不足なのだが、他に鍵も無いしこの際入れれば何でもいいだろう。それに、時間も今になってようやく空が白み始めた頃なのだ。チャイムを押してリサを起こしてしまうのも忍びないからな。

 

俺は鍵に僅かな魔力を通して扉を開ける。本当に玄関の扉1枚飛び越えただけなので、さしたる魔力は使わなかった。先にユエ達を通し、靴を脱いで上がってもらう。俺もその後に続いて玄関で靴を脱いで寮の部屋へと上がり込んだ。

 

……体感じゃあ2年近く振りになるんだよな。戻って来て数日でまたトータスなんて所に飛ばされて。1年程あの世界を旅して、んで引き伸ばされた時間の中で戦争の用意なんてものをして……そしてまた俺はここに帰ってきたのだ。

 

「……ここが」

 

「あぁ。……そのうちリサが起きてくると思うから、しばらく向こうの部屋で待っててくれ」

 

どうせなら俺もサプライズで登場してやろうと、ユエ達をリビングに隠す。彼女らも俺の意図を察したようで、呆れたように溜息を付きながら通されたリビングで各々寛ぎ始めた。

 

そんな俺はと言えばこっそりと寝室へと忍び込んだ。2段ベッドが2つ並んだ部屋の、入って左手のベッドの下段にリサはいた。……そっちはいつも俺が寝ていた方なのだが、リサがどういう想いでこの2週間を過ごしてきたのかがそれだけで分かってしまう。俺はベッドの傍に腰掛けると、そのままリサの寝顔を見つめる。小さい顔に生えた翼のように長いまつ毛。陶磁器のように白い頬にはほんのりと赤みが差している。だが目の下には擦ったような跡があり、手元には何やら俺の物と思われるシャツが握られていて、リサには辛い思いをさせてしまったのだと胸に鈍い痛みがきた。

 

そうして俺がただ黙ってリサの寝顔を眺めていると、カーテンの隙間から朝日が入り始めた。そして、聞き慣れたはずの、しかし久方振りに聞く細かい電子音が部屋に鳴り響いた。時間は6時ちょうど。いつも通りの生活リズムだ。

 

リサの瞼が震え、その大きな瞳が姿を現す。そして、フラリと手を伸ばして頭上で鳴り響く目覚まし時計のスイッチを切る───

 

 

───その手に自分の手を重ねた

 

 

「───っ!?」

 

リサは当然驚き、自分の手を引っ込めつつこちらを見る。そして───

 

「あ……え……ご主、人様……?」

 

「ただいま、リサ」

 

「あぁ……あぁ……ご主人様……」

 

ようやく認識が現実に追い付いてきたのか、リサはその両目に涙を貯めていく。俺は身を乗り出し、リサの頭を抱き留めた。

 

「行ったろ?帰ってくるって」

 

「はい……はい……おかえりなさいませ、ご主人様……っ!!」

 

俺の背中に両手を回すリサの、寝起きなのにほんの少ししか指に引っ掛からない絹糸のような髪の毛を梳いていく。頭を撫でてやるように、俺はここにいるのだとリサに示すように、リサの背中にもう片方の手を回してポンポンと、叩いてやりながら俺はしばらくそうやってリサの長い髪の感触とほのかに漂うシロップのような甘い香りを堪能していた。

 

そうしてリサも少しは落ち着いてきた頃───

 

「リサに、紹介しなきゃいけない奴らがいるんだ。そのままでいいから、リビングに来てくれ」

 

と、俺はリサの手を取ってリビングまで連れて行く。そしてその扉を開けると、そこにはユエ、シア、ティオが、各々ソファーや椅子に腰掛けていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「改めまして、リサ・アヴェ・デュ・アンクと申します。ご主人様のメイドであり恋人でもあります。以後お見知りおきを」

 

「……ユエ」

 

「シア・ハウリアですぅ」

 

「ティオ・クラルスじゃ」

 

さっき1度お互いに少しだけ紹介をしたのだが、リサはどうしても身嗜みを整えてから自己紹介をしたかったらしい。まぁいいかと、俺も一旦リサの手を離し、そして少しして顔を洗って寝癖を潰して、武偵校の防弾制服をメイド風に改造した制服を纏ったリサが改めて頭を下げた。

 

「それで、御三方はご主人様の……」

 

「……嫁(ですぅ)(じゃ)」

 

3人の声がピタリ揃った。というか、さっきからリサの後ろにいる俺への視線が冷たい。

 

「モーイ!英雄色を好む。ご主人様がこれ程に美しい女性を3人も連れて来てリサは誇らしい気持ちです」

 

いきなり美しいと言われて3人とも面食らっている。ま、普通はそうなる。しかし、言語理解を付与したアーティファクトはきちんと機能しているようで何よりだ。そのうちシアのウサミミを誤魔化すアーティファクトも作らなきゃなぁ。

 

「リサ……」

 

「えぇ、分かっています。ご主人様は此度の異世界転移でこのユエ様達と出逢い、そして愛した」

 

「あぁ。そしてそれを、リサにも認めてほしいと思っている」

 

「当然です。むしろ、リサはご主人様にはこのような欲求が足りないと思っていました。なのでリサはむしろ大歓迎ですよ」

 

……何故だろうか、そんな風に言われるとむしろ自分が凄く悪いことをした気がしてくるんだよな。リサは意識していないんだろうけど。

 

「それで、皆さんは武偵高に?」

 

「あぁ、取り敢えずユエとシアはな。ティオは……制服がコスプレ臭くなかったらかな……」

 

「妾だけ酷くないかの!?というか主よ、気になっておったんじゃが……」

 

「んー?」

 

「前にあれだけ妾のご主人様呼びを拒否した割にはリサにはそう呼ばせておるんじゃな」

 

「……呼ばせてるわけじゃねぇよ。けどまぁ、だからこそっていうか、リサがそう呼んでるから。その呼び方はリサだけの特別な気がしたからな」

 

俺が明かした真意に、しかしティオは微妙に不満げだ。というか……

 

「俺もそろそろ言おうと思ってたんだけどな。あん時ゃどうでもよかったからある程度好きに呼ばせてたけど、俺はお前のご主人様になんてなる気はない」

 

「……どういうことじゃ?」

 

「だからさ、普通に名前で呼んでくれよ、ティオ。それでお前が悦ぶんだとしても、叩いたりとかは、したくないんだよ……」

 

こっちが俺の本心。ティオのそういう扉を開けてしまったのは俺とはいえ、敵でもない女を殴ったりだとか苛めたりするような趣味はないんだ。ましてやそれが惚れた女なんだとしたら余計に、な。

 

「何と言うか、改めて言われると凄くこそばゆいのじゃ……。妾ってこんなに大切にされとるんじゃなぁ……」

 

何やらティオが感激しているみたいだが、そんなの当たり前だろうに。大切に想えるから態々世界を越えさせてんだ。家族に会うにも一々俺に扉を開けてもらわにゃいけないような不便な環境。だから俺は雫やリリアーナを連れて来なかったんだ。多分俺はアイツらにそこまで本気になれないと思ったから。

 

けれどこの3人は違う。俺が本気で好きになった女達。例え家族と引き離してでも一緒に居たいと思えた奴らなんだ。いくら本人の希望でも、どうしたって不必要に叩いたりだとか苛めたりだとかはきっと俺は出来ない。だから呼び方も"主"じゃなくて普通に呼んでほしいのだ。リサみたいに、俺のメイドとしての役割を持っているわけでもないんだからな。

 

「ほれティオ、呼んでみ」

 

と、リサを抱えながら俺はティオを煽ってみる。ティオもふむと顎に指を当て、少し考える雰囲気を出してからこちらを見やる。どうやら呼び方を決めたらしい。

 

「……た、た───」

 

だが"た"から先が出てこない。顔を真っ赤にして視線があっちこっちに泳いでいる。……普通に名前で呼ぶだけだろうに。

 

「た?」

 

と、俺はわざとらしく聞き返す。ユエもシアも、ティオの中々見れない仕草にニマニマと意地の悪そうな笑みを浮かべている。

 

「た……た……たか……と……。ほ、ほら、もうよかろう!?」

 

名前1つ呼ぶだけで随分とまぁ初々しい反応だこと。ユエ達じゃあないが、俺も少し悪戯心が湧いてきたのでリサをソファーに置き、今だに頬を赤くしているティオの元へ寄る。そして、その耳に口を寄せ───

 

「ティオ、名前で呼んでくれて嬉しいよ、ティオ。でもティオにはもっと俺のことを名前で呼んでほしいな。慣れるまで練習しなきゃな、ティオ」

 

乱用NGの呼蕩を使ってみる。耳元で少し低い声を出してしつこいくらいに名前を呼ぶ、ほぼ催眠術みたいな技術だ。そんなものを俺に使われたティオは───

 

「はにゃあ……」

 

と、腰が抜けてしまったようで俺にしなだれかかってきた。やはり効果は抜群みたいだな。

だが、これを見たユエとシアは頬を膨らませてわざとらしいくらいに随分と不満げな顔をしていた。

 

「……何だよ」

 

「それ、あとで私達にもやってくださいよ?」

 

「これそういうんじゃないから……」

 

根本的には言うことを聞かせる為の暗示とか催眠術の類なのだ。そんな場の雰囲気を盛り上げるための技術ではないし、あまり使い過ぎると洒落にならない事態を引き起こしかねないので頼まれたからって使うようなものでもないのだ。

 

というのを説明しても、2人はあまり納得していないようだった。なので、まぁそのうちと言って適当に御為倒(おためごか)しておくしかない。

 

「はぁ……あぁリサ、ジャンヌと理子と、あと透華達呼んどいてくれ」

 

まずはユエとシアが武偵高に通えるように2人に依頼しなきゃならん。理子は問題無いと思うのだが、ジャンヌは透華達の時も何故か渋られたからまた拝み倒す羽目になりそうなのだが、他に頼れる人もいないし仕方無い。

 

「承知しました、ご主人様」

 

リサが皆にメールで連絡を入れているのを見ながら俺は3人に振り返る。その顔には一様に「誰その人達?」という疑問が浮かんでいた。

 

「まぁ、俺の友人達だよ。シアもティオも、アイツらなら耳隠さなくて大丈夫だ」

 

理子の場合は、隠さなくても良いかと言えば、違う意味で若干怪しいが。たがまぁ少なくとも気味悪がることはないだろう。透華達3姉妹は呼ぶ必要は無いのだが、まぁここで呼ばないと後で絶対に面倒臭いことになるので先に呼んでおく作戦だ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「で、これはどういうことだ?」

 

来て早々に不機嫌になったのはジャンヌだ。透華達は、流石に彼方が今すぐには来れないと言うのでそれに合わせるとのこと。多分午前中には来るだろうが。で、どうやら理子も昼前くらいには来るらしい。朝から来たのはジャンヌだけだ。

 

「ええと、まずは2週間前にまた異世界に転移しましてですね───」

 

「流れは分かっている。そうではない」

 

ユエ達を見て即座に説明しろという雰囲気になったジャンヌに、これまでの経緯を説明してやろうとすると話をぶった切られた。

 

「何故3人も別の世界から連れて来たのかと聞いているんだ!!」

 

と、どうやらジャンヌ的には俺が3人もの女を連れてきてしまったことの方が重要らしい。何もしていないのに何故かもうジャンヌが泣きそうだ。

 

「……愛しちゃったから?」

 

理由としてはこれ以上ない。各々向こうの世界では複雑な事情を抱えてはいたが、正直ユエ以外は全部解決しているし、ユエのもどうにかなるものでもない。それに、こっちに連れて来た理由なんて俺が彼女らのことを好きになってしまったから以外には無いのだ。

 

「お前は!今まで!散々!リサだけと!言って!おきながら!いざ!いなくなれば!この様か!!」

 

胸ぐらを掴まれた俺は"!"1回につき1振りの勢いで首を揺らされていた。しかもトドメとばかりに最後はガックンガックン揺らされる。

 

「……嫌だからな」

 

「うえぇ……え?」

 

三半規管の心配をしていた俺は、まぁあるだろうなとは思っていた答えだったが、それでも思わず聞き返す。

 

「どうせこの3人を武偵高に通わせる手続きをしてくれと言うんだろう?私は手を貸さんぞ」

 

通うのは多分2人だし武偵高どころか諸々書類やら何やら、彼女らがこの世界の人間であるという証明をしてもらおうと思っていたのだが、おそらくこれを言っても何も変わらない。

 

「そこをなんとか……」

 

なので俺はとにかく下手(したて)に出るしかない。「お願いっ」と、頭の上で手を合わせる。だがジャンヌはツンとそっぽを向いてしまった。

 

「断る。透華達はまだ彼女達にも事情があったから手伝ったが、今回は完全にそちらの事情だろう」

 

「……リサ、もしかして───」

 

と、俺が頭を下げ続けても頑なにお断りし続けるジャンヌの様子を見て、何やら思うところがあるのかユエがリサに何やら耳打ちをしている。

 

「……はい、実は───」

 

リサも頷き、ユエの耳元で何かを囁いていた。

それを聞いたユエは「はぁ……」と1つ溜息。呆れ顔で俺のことを睨んでいた。「何なに?」みたいな感じでそんなユエに寄って行ったシアとティオにもユエは何やら耳打ち。ふむふむと頷いた2人はやはり俺を見て溜息を1つ。一体何を吹き込まれているんだ……。

 

「……駄目?」

 

「嫌だ」

 

どうしても嫌らしい。んー、理子だけじゃ多分手が回らないと思うんだよなぁ。しかし他にこういうの得意そうな知り合いもいないしなぁ。

 

と、ここからどうやってジャンヌを丸め込もうかと頭を悩ませる俺に、更なる災いが降り注ぐ。玄関から来客を告げるチャイムが鳴り、それを迎えに行ったリサが連れて来たのは───

 

「えぇ!?誰か増えてる!?」

 

俺が呼んでいた涼宮3姉妹だったのだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……天人くん、またどっかで女の子引っ掛けてきたんだ?」

 

断じてそんな軽いものではなかったと言いたいが、実際こうして連れ帰って来ちゃった以上は言い訳のしようもない。俺は項垂れながら「はい……」と答えるしかなかった。

 

「えと、この方達は?」

 

と、シアが聞いてくる。なので俺は「俺と同じ聖痕持ちの3姉妹です」とだけ紹介する。すると、透華から順にお互いにしっかりと自己紹介の時間が始まった。で、ユエがまたリサに何か囁けば、リサも大きくうんと頷く。それでユエ達は何かを察したらしく再びの溜息。そして、何やらリサが更に3人に耳打ちをしていた。するとそれを聞き終えたらしいシアが何やら呆れた顔で俺の方へ寄ってきた。

 

既にほぼ土下座の体勢に移っていた俺の肩に手を置き───

 

「いい加減気軽に女の子を救うのは止めません?」

 

「……そんな軽い気持ちで助けたこたぁねぇよ」

 

俺はそこまでお人好しじゃあない。透華達だけじゃない。ユエやシアだって最初は打算で助けたのだ。それが何故か、今やこんな風になってしまっているのだけれど。

 

「えと、シア……さん?達も?」

 

「シアでいいですぅ。……えと、はい、ではユエさんから」

 

「……ん、親族に裏切られて300年間封印されてたところを天人に解放してもらった」

 

「一族郎党皆殺しか奴隷にされそうなところを全員纏めて助けてもらいました」

 

「催眠術で操られ殺しに掛かったのに命は取らないでくれたのじゃ」

 

と、3人が3人とも俺との激重な出会いを告白。……ティオだけはちょっと微妙だが、まぁ確かにあそこで殺っちまう選択肢もあったわけだからな。ウィルも最初はそれを望んでいたのだし。

 

ユエ達の異世界ファンタジー丸出しなその発言を聞いて、透華達は「本当に異世界から来たんだぁ……」みたいな顔をしている。まぁ、シアのウサミミやティオの尖った耳を見ればコイツらが人間ではないだろうことは分かっていたのだろうが。

 

「……そっちは、どんな風に?」

 

と、ユエが透華に問いかける。

 

「私達は3姉妹なんですけど、私が悪い奴に人質に取られて……」

 

「彼方を返してほしくば天人くんを殺してこいって脅されたんだよね」

 

「けど結局、天人くんには勝てず……。なのに、命を狙ったのに天人くんは私達のことも、彼方のことも救ってくれました」

 

「それに、私達は元いた村ではあまり良い扱いではなく……」

 

「そこからも出してくれたんだよね。武偵高っていう居場所までくれた」

 

彼方、透華、樹里がそれぞれ俺との出会いを語る。確かにそれは真実ではある。けれど、3人をブラドから解放したのは逆恨みの挙句コイツらの能力で寝首を搔かれたくなかったからなのだ。あとはせいぜい、ブラドの思い通りにさせるのが気に食わなかったくらい。武偵高に来させたのだって、コイツらが頼んできたからだ。俺はその依頼に応えただけ。だから俺はコイツらに感謝されることはあっても好意なんて抱かれる理由は無いと思っていたのだ。しかし実際には俺はこうやって3人からも好意を寄せられている。嫌、というわけではないけれど、どうしたものかと頭を悩ませるのもまた確かなのだ。

 

「結局天人さんて……」

 

「……ん、どこに行ってもやることは変わらない」

 

「そのようじゃな」

 

と、トータス3人組からは呆れ顔を頂戴してしまう。その、どこか"分かっている"雰囲気にジャンヌや透華達は何か思うところがあるのかコチラをジト目で睨んでくる。……そう言えば、ジャンヌはともかく透華達よりもユエ達の方が長いこと一緒にいることになるんだよな。オスカーの邸宅で引き伸ばしたあの時間を除いても、俺はあっちに1年ほどいたのだから。

 

「そう言えばご主人様、今回は時間通りの転移なのですか?」

 

と、流石に2週間で3人は手が早すぎると思ったのか、リサがそんな疑問を口にする。リサは実際俺と一緒に時間も巻き戻ってコチラへ戻って来たからな。そういう発想も出るのだろう。

 

「いや、今回は1年くらいかな。向こうで時間も世界も移動出来る道具を作って、それで戻って来た」

 

「モーイ!遂にご主人様もそんなことまでできるようになったんですね」

 

「……もう何でもありなのだな」

 

「色々あってな。……生活基盤整えたらいくつか世界回って挨拶しようと思ってるけど。……だからさぁジャンヌ、頼まれてくんない?」

 

異世界転移には金が掛かる。いや、これからはともかく、これまでの2回では行く度に装備やら何やらを無くしてきたから案外出費が大きかったのだ。今回もまた防弾制服と携帯買わなきゃいけないし。何が悲しくて1ヶ月の内に何度も制服や携帯を買い換えなければならないのか。

 

なので、なるべくならユエ達にも学校に通ってもらい、というかこの世界の人間として登録してもらって今後手に職付け易くなってほしいのだ。この世界であれば、聖痕持ち以外であればそうそうユエ達がどうにかなるわけもないし。もしかしたらミュウやレミアさん達もこっちに来るかもだし、先立つものはあった方が良いだろう。

 

だがジャンヌはそれでも首を縦には振ってくれない。むむ、どうしたものか……。

 

「でもさぁ、実際天人くんも酷いよねぇ」

 

と、透華が割り込んでくる。酷い、とは?

 

「実際、もう気付いてるんでしょ?ジャンヌの気持ち」

 

その透華の言葉に慌てて口を塞ぎに行くジャンヌは樹里と彼方に抑え込まれる。

 

「……まぁ」

 

「それでまたこんなに心配させといて、フラっと戻ってきたと思ったらやたら女の子侍らせて。それでこの子達のために手ぇ貸してくれってさ。そりゃあジャンヌも嫌だよねぇ」

 

……それは、思わないではなかった。けれども、やはり俺が好きなのはこの子達であり、ジャンヌは俺の中では友人だったのだ。だからどうしたって優先順位が先に来てしまうのだ。

 

「けどなぁ、俺はともかくコイツらはどうなんだ?……リサの話はしてたけど。こっちに来たら急にもう1人増えたら───」

 

「……"俺はともかく"だってよ、ジャンヌ。良かったじゃん。今好きかどうかはともかく、恋愛対象にはなるってさ」

 

「え……あっ」

 

完全に揚げ足取りだと思うが、言質を取られてしまった。ジャンヌはそれを聞いて顔を真っ赤にして固まってしまっている。

 

「だいたいさぁ、天人くんってば酷いんだよねぇ。私達が告った後も見せつけるようにリサちゃんとイチャコライチャコラ……」

 

「あ、それ私もですぅ。私、ユエさんより後に天人さんとは知り合ったんですけど、好きですって告白した後の旅でもずっと2人の世界作ったりされてました!」

 

と、透華の愚痴にシアが反応。そのまま樹里と彼方にジャンヌ、ユエやティオも混ざって如何に俺が"ロクデナシ"なのかという大変不名誉な話題で盛り上がり始めた。

 

「あれ……?」

 

何故だか本人が置いていかれている。リサに助けを求めようと探すが、いつの間にやらリサもあの女子会に混ざってしまっている。前にもこんなことがあったな……。あの時は確か香織が俺達の旅に着いて行くとかって言い出した時だ。結局俺のことは放っておいて先に外堀から埋められたんだよな。これはあれだ、今回もそうなるパターンのやつだ。

 

俺はそんな理不尽に気付くが、しかしどうしようもないという不条理にも気付き、「はぁ」と溜息と同時に肩を落とすしかないのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「天人さん、上から誰か来ます」

 

恋バナというか惚気というか愚痴というか、何だか色んなものが混ざり合った混沌の井戸端会議の最中、シアがそのウサミミをヒクつかせて警告を発する。すると、俺の気配感知の固有魔法にも反応があった。どうやら天井裏から誰かが来るようだ。誰か、というかこんな所から来ようとする人間は1人しかいないのだが……。

 

どうせ犯人は分かっているので俺はいいよいいよと身振りで伝えた。すると、その直後に天井板が外れ、「とぅっ!」と、空いた穴から()()()()()()()()()()()を着た明るい茶髪に背の低い女が飛び降りてきた。何故か鼻っ面に絆創膏を付けているが、ボケっとして電柱に顔面でもぶつけたのだろうか。

 

「……理子」

 

「呼ばれて飛び出てりこりん参上!!」

 

確かに呼んだが普通に玄関から来いよ、とは言わない。言っても聞かないからな。

 

で、登場の前から既に騒がしい理子は更に姦しいこの部屋を見渡し、そしてとある1点で目線が固定される。

 

「ふおぉぉぉぉぉ!?」

 

その理子の奇声にシアのウサミミがピクピクと動く。それを見てそのウサミミが本物だと確信したらしい理子は───

 

「ウサミミだあぁぁぁぁぁ!!しかも本物ぉぉぉぉぉ!?」

 

と、絶叫しながらシアへと飛び掛かった。

 

「え?え?」

 

と、混乱するシアを余所にそのウサミミへと飛び付いた理子はモフモフと耳を触る。

 

「うわぁぁぁぁあったかぁぁぁぁい!!」

 

「落ち着け理子」

 

悪意は感じられないけど知らん奴からやたらモフられて困惑気味のシアから、首根っこ掴んで理子を力ずくで引き剥がす。ジタバタと暴れて面倒だが、取り敢えず落ち着いてくれないと話もろくにできんからな。

 

「説明してやるから落ち着け。あぁ、シアも、後で少しコイツに触らせてやってくれ」

 

「は、はいですぅ……」

 

ゲーム好きの理子に本物の異世界ウサミミは刺激が強過ぎたようだ。もう少しタイミングを考えるべきだっただろうか。いや、どうせコイツはこうなっただろうから、あまり関係ないか……。

 

「で、だな理子。お前を呼んだのは───」

 

「この子達を武偵高に通わせたいから準備しろってことでしょ?」

 

さすがは理子だ。理解と話が早くて助かる。

 

「そうそう。……あぁでも通うのは金髪と白髪の方だけだ。和服っぽいの着てる方は身分証明書の類だけあれば大丈夫だよ」

 

チラりと理子がティオを見る。すると直ぐに「あぁ」というような顔をした。この中で1番大人っぽいからな。高校生は無理があると察したのだ。

 

「本当はジャンヌと協力してほしいんだけど……」

 

当のジャンヌはやはりやりたくはなさそう。

 

「理子、ハーレムルートは嫌いなんだよねぇ」

 

……おや、雲行きが怪しいぞ?

 

「マジでお願いします。ジャンヌがあんなだし、本当にもう頼れるの理子パイセンしかいないんすよ」

 

ここで理子に見捨てられると友達の少ない俺は本当に打つ手が無くなるので割と必死だ。魂魄魔法や何かを付与したアーティファクトでも多分この世界での公文書偽装は簡単ではない。むしろ、普通に理子やジャンヌのような奴らが偽装するより難しいかもしれない。俺はそういうの得意じゃないし、リサだっていくらなんでもそっち方面は専門外だ。ここはどうしてもコイツらの力が必要なのだ。

 

「……じゃあねぇ、理子の欲しいゲーム買ってくれたらいいよ?」

 

「買う買う。買うからよろしくお願いします!」

 

多分エロゲ(大人専用)だろうが、まぁその程度なら俺1人でもどうにかなるだろう。そんなんでこの問題が解決するなら安いもんだ。

 

「じゃあ後でリストアップして送るね」

 

ゲームソフトって確か1本5000円か6000円程度だったよな、とタカをくくっていた俺の悲鳴が響き渡るのは、その日の夜のことだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「それで、お2人はどういう関係なんですか?」

 

と、ジャンヌや透華達よりも、さらに気安い雰囲気で接する俺と理子を見て、シアが頭にはてなを浮かべている。

 

「ここは完全に友達だな」

 

「だよー」

 

「……つまり、理子は天人を好きになることはないということで良いの?」

 

ユエがズイと理子に迫る。この2人にはあまり身長差が無いから今にも鼻先がくっ付きそうだ。理子も、ユエの綺麗すぎる顔が目の前に来てちょっと慌てた雰囲気で後ろに下がっている。

 

「まぁ、それはないよねぇ」

 

「ないな。ていうか理子、ちゃんと好きな奴いるしな?」

 

理子はキンジが好きだ。もちろん恋愛的な意味で。俺としては1番の友達を応援したくはあるが、キンジはキンジで友人だと思っているので無理強いもしたくはない。俺の立ち位置はそんな中途半端なものなのだ。

 

俺の言葉にウッと言葉を詰まらせて顔を赤らめる理子を見てトータス組は皆察したようだ。

 

「そんなわけで、理子はホントに友達だ」

 

俺の言葉に、3人はふむと頷いた。

 

「まぁ、そんなことはどうだっていいんだよ」

 

と、透華がぶった切る。いや、どうでもよくはないでしょう。だがその言葉を、やはり俺は飲み込んだ。確かに、今俺にとってはそれ以上に重要な案件があるのだから。透華は理子からのグルグルパンチをあしらいつつジャンヌに何やら耳打ちしている。それを聞いて今日何度目とも知らない赤面を見せたジャンヌだが、何やら覚悟を決めたような顔をし俺を睨み付けてくる。それで、俺も何となくこの後の展開が予想できた。

 

「……天人」

 

「あぁ」

 

ジャンヌが、俺の名前を呼ぶ。俺はこの部屋にいた全員を見渡す。それだけで皆俺の言いたいことが伝わったのか、それとも最初からそのつもりだったのか、誰が何を言うでもなくジャンヌ以外の全員がこの部屋から出ていく。リビングと廊下を繋ぐ扉の向こうにも人の気配は無い。多分どっかの部屋にでも入ってくれたのだろう。

 

「天人、私はお前のことが好きだ」

 

何となく、それは悟っていた。というか、あの反応で分からないはずがない。ただ俺が、自分にそこまでの自信を持てなかっただけ。

 

「……あぁ」

 

「今まではリサがいるからとこの気持ちに蓋をしてきたし、透華達のことも、まぁお前にその気がないならと手伝ってやった」

 

「……」

 

「だがあの3人は違う。あの3人をお前が連れて来て、しかもその理由が愛しているからだと言われた時……勝手だとは思っている。それでも私は、お前に裏切られたような気分になったのだ」

 

「……ジャンヌには悪いことをしたとは思ってる」

 

「だから、私はあの子達の件に関して力を貸すのは嫌だ」

 

「……分かってる」

 

それは俺にだって分かる。けれど、それでも、俺は───

 

「1つ、聞いていいか?」

 

「……何?」

 

「天人、お前はリサがいなければ誰の告白でも受け入れるのか?」

 

「……そんなことはないよ。現に───」

 

……いや、これ言っていいのだろうか。特に、今のジャンヌに。まぁでもこれに関しては俺には後ろめたいことはないから、言うしかないか。

 

「……現に、俺は向こうで他に2人から告白を受けた」

 

雫と、そして最後の戦いが終わった後にはリリアーナからも俺は想いを告げられていた。そして、俺はそれらを受け入れることはなかった。ミリムのことで学んだのだ。その人を愛している自分の姿を想像も出来ないのならきっと俺はその人を心から好きになることはできないのだと。ならば、中途半端な気持ちで受け入れるべきではないのだ。特に、その相手が別の世界の人間であるならば。

 

「でもそいつらはここにはいない。付き合うことはできないって断ったからだ」

 

「……なら、ここで私があの輪の中に入れてくれと言っても無駄、ということか……」

 

「それは……」

 

ジャンヌのその言葉に、俺は思わず幻視する。自分がジャンヌと仲睦まじく街中を歩いている光景を。手を繋ぎ、腕を組み、時折見つめ合っては微笑み合うその光景を。ジャンヌのその薄い唇に自分のそれが近付く光景が目に浮かぶ。

 

そして、白昼夢は切り替わる。ジャンヌの横にいるのが俺ではなく、キンジの姿になる。キンジがジャンヌの腰を抱き、俺から遠ざかるように歩いて行く。微笑み合い、キンジの指がジャンヌの美しい銀髪を梳くように撫でる。その光景に俺は───心の中に、黒い感情が沸き起こるのを自覚した。けれど───

 

「それは、俺だけじゃ決められない。もう、俺だけの問題じゃないんだ……。だから───」

 

「───だから、あの3人に伺いを立てなければ、か?」

 

「……あぁ。あの3人の誰かが嫌だと言うのなら、俺はお前を受け入れられない」

 

1番言いそうなのはユエだ。多分、あの中で1番厭世的なのはアイツだろう。前に、奈落から出てきた直後くらいには俺と自分以外の人類皆滅びればいいとか思ってたと言ってたし。今だって身内以外の奴らにはほとんど心を開かないからな。それに多分、1番独占欲も強い。

 

「あの3人を説得してくれるほどの想いはまだないと、そういうことか……」

 

「悪いけど、俺の最優先はやっぱりリサとユエとシアとティオなんだよ」

 

男として、ジャンヌに魅力を感じないわけではない。だが、トータスで過ごした時間が、どうしたって俺にこう選択させるのだ。それに、ここでジャンヌの協力を取り付けるためだけに付き合う、というのも何か違う気がするし。

 

「……私はな、昔からお前がリサと仲良くしているところを見るだけでも心が痛かったのだ。きっと、あの3人までその中に加わったら私は耐えられない……」

 

そこで一旦ジャンヌは言葉を切り、顔を伏せた。けれど、数秒もすれば再び顔を上げて、泣きそうになりながらも言葉を紡いだ。

 

「……あの3人が納得すれば、お前は私のことも愛してくれるのか?」

 

その顔はきっと、"切なそう"という言葉が合うのだろう。俺にはそんな風に思えた。だからなのだろうか、俺も思わず言葉に詰まる。そしてようやく返せたのは───

 

「……あぁ」

 

この一言だけ。そして、多分それは可能だ。もしユエ達がジャンヌのことも認めてくれるのなら、俺はきっとこの美しい女を愛することを躊躇わないだろう。

 

「……分かった、今はそれでいい。……仕方ない、私もアイツらの件手伝うとしよう」

 

「……いいのか?」

 

ジャンヌのその意外な答えに、思わず俺は聞き返してしまう。

 

「あぁ。だからもう、私は気持ちを隠したりはしない」

 

腕を組み、こちらを睨み付けるジャンヌはしかし顔が真っ赤だった。恥ずかしいことを言っている自覚はあるのだろう。言われてる側の俺だって顔が赤くなってるのが自分でも分かるのだ。

 

「お、お手柔らかに」

 

おかげで俺の返しはまったく締まらないものになってしまった。いや本当、こういうところで締まらねぇんだよなぁ。

 



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ジェヴォーダンの獣

 

教授(プロフェシオン)とか名乗る背と鼻の高いイケメンに連れられて来たここは、どうやら潜水艦か何からしい。ほとんど人の来ない桟橋に止められた、ミサイルみたいな大きさの、潜水艦としては小さい気がするそれに乗せられて辿り着いたのは海中で待機する巨大な船だったのだ。

 

「ようこそイ・ウーへ。歓迎するよ、神代天人くん、リサ・アヴェ・デュ・アンクくん」

 

芝居掛かった身振りで俺達へ一礼したのがその教授だ。古めかしいスーツに身を包み、ステッキを手にする姿は小憎たらしいがよく似合っている。有り体に言えば自然なのだ、まるでそうあることが当然かのように振る舞うコイツの仕草の1つ1つが。

 

「そう警戒しなくていい。ここは学校のようなものでね。君達のように天賦の才に恵まれた者達が、その力を更なる高みへと押し上げるには絶好の場所だよ」

 

「……」

 

俺に何の才能があるというのだろう。聖痕なんて力を持っていてもろくにコントロールもできず、多少は使えそうな強化の聖痕だって、さっきコイツに封殺されたばかりなのだ。

 

それに心配なのは俺の横にいるリサだ。心細いのか俺の服の袖を握って離さないコイツには戦う才能なんて無いはずだ。そもそもがメイド学校なんて所に通うくらいには戦闘をする気が無いのだから。運動神経だって良いとは言えないし、どっちかと言えば普段から鈍臭い方なのに。

 

「天賦の才とは、武力や暴力のことだけではないのだよ」

 

まるで俺の思考を読んだかのように教授が喋り出した。

 

「そうかよ……」

 

確かに、身体を動かすことが苦手だった代わりにリサは昔から口が上手かったが、そういうのも天賦の才とやらに含まれているのだろうか。

 

「ふむ、まぁともかく皆に紹介しよう。着いておいで」

 

胡乱気に見つめる俺の目線に何を思ったのか、教授はクルリと、スーツの裾を翻しながら俺達に背を向けて歩き出す。俺とリサもそれに仕方なしに着いて行った。

 

そして───

 

「やぁ皆、新しい仲間が来てくれたよ」

 

仲間、なんてここにいる誰もそんな風には思っていなさそうなくらいにはピリついた雰囲気。おカッパ頭の美人、銀髪の綺麗な髪をした俺と同い年くらいの女の子。明るい茶髪をした暗そうな雰囲気の、年下っぽい女の子までいる。……やたら女が多いなここ。見渡す限りで男は教授と俺くらいだ……。

 

「ふむ、今日は女性が多いね。けれど安心したまえ神代天人くん、ここには本来もう少し男性もいるんだ。リサ・アヴェ・デュ・アンクくんも安心したまえ、今代のイ・ウーには女性の方が多いのだよ」

 

別に男女比なんてどうだっていいのだ、俺にとっては。大事のは、もうこれ以上俺から何も奪われないということ。そして、奪おうとする奴がいるなら今度こそ叩き潰す。俺の仄暗い決意に気付いたのかただ俺が暗いと思われただけなのかは知らないが、何人かはつまらなさそうに鼻を鳴らしてどこかへ行ってしまった。

 

「さて、ジャンヌくん。彼ら2人の案内を頼めるかな?」

 

ジャンヌ、そう呼ばれたソイツは俺と同い年くらいの銀髪の女の子だった。そいつは俺とリサを一瞥すると一言───

 

付いてこい(フォローミー)

 

とだけ言ってスタスタを先を行こうとする。俺は思わず舌打ちをしてしまうが、とにかくこんな所でいきなり迷子はゴメンだとリサの手を取りそいつに付いていく。

 

「あの……」

 

「んー?」

 

そのまま少し早足で歩いてジャンヌとやらに追いついた辺りでリサが声を出す。

 

「手……」

 

その視線の先には俺に握られたリサの白くて小さい手があった。オランダ人ってのは世界的にも背が高いって聞いたことがあったが、リサは俺よりも背が低い。"へーきんち"ってやつは、高いのと低いのと両方の間をとるらしいから、リサはきっと低い方なのだろうと勝手に納得していた。

 

「あぁ」

 

俺はリサに指摘された手を離す。すると一瞬だけリサが寂しそうな顔をした……気がした。

 

「チッ」

 

と、舌打ちが聞こえたと思ったらジャンヌがこっちを睨んでいた。クイ、と顎で早くこちらに来いと示される。俺は今度はリサの手を取ることなくジャンヌの方へと歩いていった。

 

そうしてしばらくはジャンヌの後についてこのイ・ウーとかいう船の中を見て回っていった。ジャンヌの説明はやる気の欠片も感じられない説明で、精々が「食堂だ」とか「教会だ」だとかそんな程度。お前らどこで寝てるんだと聞けばそれぞれに個室が与えられているらしい。俺達のもあるだろうとのことだが、それはジャンヌも知らないようだ。……本当に知らないのかは怪しいところだがな。コイツ、面倒だからって適当にやっている節があるし。

 

「だいたいこんなものだ。後は教授にでも聞くんだな」

 

と、そう言い残したジャンヌは不機嫌そうなままどこかへ行ってしまった。付いてくるなと言わんばかりのその後ろ姿を追う気にもなれず、俺はリサと共にその場に佇んでいた。すると、背中に誰かの気配が現れた。

 

振り向けばそこにいたのは自らを教授と名乗ったあの男だった。なんだよ、と、目だけで訴えれば「おいで」と手招きされたので取り敢えず付いていく。すると、案内されたのはとある船室。どうにもここが今日から俺達が寝る部屋らしい。俺とリサは隣同士の部屋らしい。部屋の中は殺風景で、辛うじて机と椅子、それから布団の敷かれたベッドがあるくらい。欲しいものがあれば、時々行商人が来るからその時に頼め、もしくはどっかから奪ってこい、ということらしい。

 

「奪えって……ドロボーじゃないか」

 

「そうだね。だけどここはイ・ウー。世界のどこにも属さない無法者の集団なのだよ」

 

と、自信満々に返されてしまう。改めて俺は、自分がとんでもない所へ飛び込んでしまったのだと気付いた。だがもう遅い。何もかも全部失って、最後に僅かに残ってくれたリサまで失ったら俺にはもう───

 

だから俺は強くならなければならないんだ。もう俺から何も奪わせないために。降り掛かる火の粉を全て打ち払えるように。そのために───

 

「神代天人くん。君の思っていることは分かるよ。簡単なことだからね。だけど今日はもうおやすみ。まずはその溢れんばかりの感情を落ち着けることだ。そのためには眠ることが1番だからね」

 

教授にそう諭された俺は部屋に押し込められた。俺と繋いだ手を離されても服の裾だけは掴んで離さなかったリサの小さな手が離れる。俺はそれに一抹の不安と寂しさを覚えながらも、きっとそれを顔に出すことは抑えられたに違いないと思った。そして、叩きつけるように自分の身体をベッドに投げ出して、シーツに包まって瞼を落とした。眠りの闇は、直ぐにやって来た。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ゴア……ッ……ゲェ……」

 

嘔吐(えづ)くのは今日何度目だろうか。そして、ここに来て何度目なのだろうか。もう数を数えるのも馬鹿らしくなるほどには嘔吐いた気がする。

 

強くなりたい、そう願った俺の言葉を教授(シャーロック)は叶えた。いや、叶えようとしてくれた。聖痕と呼ばれているらしい俺の力の根源は手に嵌められた鎖の無い手錠で封じられている。イ・ウーの船内にいる時だけじゃない。外に出る時も許可無く外すことは許されていないし、鍵もシャーロックが持って隠している。

 

その状態でのシャーロックとの戦闘訓練。殴られ、蹴られ、ステッキで打たれ、投げられ転がされ、銃で撃たれた。与えられた服は防弾と防刃の性能があるらしいが、それがなければ俺はもう100や200じゃ足りないくらいには死んでいただろう。

 

「今日は終わりにしよう」

 

と、シャーロックが適当なところで切り上げてようやくその地獄のような時間は終わる。だが俺はまだ何も得られてはいない。この程度の強さじゃ何も守れやしない。俺はふと周りを見渡す。そこにはたまたま通り掛かったのか峰理子がいた。俺は峰理子に手招きし、手合わせを願った。

 

最近知ったことだが、この小柄な女は俺と同い年らしい。そして、並々ならない向上心も持ち合わせていた。だから俺との戦闘訓練も結構快く受け入れてくれる。

 

そして意外なことに、コイツは喋ってみると結構明るい奴だった。俺にはその底抜けの明るさが少し眩しく感じられていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

イ・ウーに()()()()から何ヶ月かの月日が流れた。その間俺はずっと戦闘訓練と座学ばかりをやらされていた。座学と言っても戦闘技術に関わることばかりではない。所謂学校のお勉強とやらもやらされた。

 

だがどうにも俺にはそれが合わず、また、さっさと戦えるようになりたいというのもあって、あまりやる気は出なかった。それをシャーロックも察したのか、ここでの公用語らしいドイツ語と日本語以外には英語の勉強だけはやらされたが、それ以外は基本的に戦い方の勉強ばかりになった。銃の種類、扱い方、刃物の種類や毒物に関してとか、俺はそんな血生臭いことばかりを学んでいった。

 

その間にリサはイ・ウーの家事全般や会計も任されるようになっていた。語学の勉強はリサも一緒だったが俺より頭の出来が良かったリサとはやる内容も少しずつ変わっていった。

 

「……リサ、どうしたんだよその怪我」

 

イ・ウーに来てから1年が過ぎようとしていた。リサが包帯を巻いて帰ってきたのはそんなある日だった。どうやらリサは外でも活動もしているらしいとは聞いていたが、戦う力の無いリサが怪我をするような状況なんて俺には想像がつかなかったのだ。

 

「天人様……」

 

けれど、リサはその包帯を隠すようにして部屋に入ってしまった。

 

最近、リサはイ・ウーでも主戦派(イグナチス)とか呼ばれている派閥に入っているようだった。どんなとこかとジャンヌに聞けば、自分らの力で世界征服を企むようなぶっ飛んだ奴らの集まりらしい。

 

……なんでリサがそんなところにいるのか知らないが、どうにも見逃していい奴らじゃなさそうだ。

 

その次の日には包帯も取れ、傷跡なんてどこにもなさそうなリサがいた。リサは昔から怪我の治りが早かった。転んで膝を擦りむいても次の日には傷跡なんて綺麗さっぱり無くなっていた。そういう形質を持つ家系だとは聞いていたが、どうにも俺の思っていたそれよりもさらに早いらしい。

 

そしてまたしばらくした後、再びリサが怪我をして戻ってきた───

 

「リサ!」

 

「……天人様。いえ、リサは大丈夫です」

 

だがやはりリサは自分の怪我を俺から隠そうとするのだった。だけど俺はもうこれを見逃してやるつもりはない。

 

「大丈夫なわけあるか。何でお前がそんな怪我をしてるんだよ。リサが戦う必要なんて───」

 

「あるのよ、それがね」

 

急に現れた気配と声に振り向けば、そこには黒いヒラヒラの──理子曰くゴスロリと言うらしい──服に身を包んだヒルダとかいう金髪縦ロールの女がいた。この前コイツに「蝙蝠とデンキウナギを足して人型にしたみたいだな」と言ったら電撃を喰らわされた挙句随分と鞭で打たれたものだ。

 

「あ?」

 

「ふん……まったく野蛮な目ね。鎖に繋がれて、本当に檻の中の獣みたい」

 

「なんだお前」

 

俺はヒルダを睨むがコイツはそれを意に介さずに不機嫌そうに鼻を鳴らす。そして、話す気も失せたとばかりに、コツコツと踵の高いヒールの音を艦内に響かせてどこかへ行ってしまった。

 

「……リサ、お前、アイツらに何やらされてるんだ?」

 

「リサは……」

 

「話してくれ。俺はお前の力になりたいんだよ」

 

両親を、咲那を失った俺にはもうリサしか残されていないのだ。この上リサまで失ったら、俺はもう耐えられない。だからアイツらがリサを傷付けようっていうのなら、俺は何に替えてもリサを守る。そう決めてここに来たんだから。

 

「リサは───」

 

 

 

───────────────

 

 

 

リサの口から語られたこと。それに俺は思わずリサを抱きしめそうになった。どうにかそれは思い留まれた。さすがに付き合ってもない女の子を抱き締めようものならビンタの1発くらいは覚悟しなきゃだからな。リサに嫌われるのは、きっと死ぬより辛い。

 

「爆弾抱えさせられて特攻とか……」

 

その代わり、俺は唸るように呟いた。どうやらリサはヒルダ達の仕事に一緒に駆り出され、そして怪我の治りが早いからって理由で無茶な鉄砲玉みたいなことをやらされていたらしい。

 

「リサ、次にアイツらに呼ばれたら俺を呼べ。お前の代わりに俺が同じことをやる」

 

「そんな……天人様は……」

 

「リサ、お前のこと守らせてくれ……。俺じゃあまだ頼りないかもしれないけどさ。これでもシャーロックに鍛えられてんだ。俺は、リサが怪我するところなんて見たくねぇんだよ……」

 

リサは俺の言葉を聞いて俯いてしまう。小声で何やら呟いているようだが声が曇っていてよく聞こえない。よく耳をすませば、「もしかして……もしかして……」と言っているようにも聞こえるけど、よく分からん。表情も、前髪に隠れてよく見えないし。

 

「ありがとうございます。もし次にヒルダ様達に同じことを命じられそうなら天人様をお呼びします」

 

「あぁ」

 

リサは立ち上がり、俺に一礼をした。その時、重力に従って下に弛んだブラウスの奥から、年の割に発育の良い肌色が少し見えてしまい、俺は思わず目線が吸い込まれてしまう。

 

だが直ぐにリサは頭を上げたから、俺も目線を上──顔の方へ──動かした。バレてないと思いたい。

 

結局その日はそれで2人とも自分の部屋に戻り、顔を合わせることはなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「俺が代わりにそれやるよ」

 

あれからしばらく経ったある日、リサから「ヒルダ様達からお呼びがかかりました」という声を聞いて俺はヒルダ達の元へと来ていた。そして、爆発物を抱えて敵の建物へ突貫。爆発させて陽動を行うという捨て駒作戦に自分がリサの代わりに出ると申し出た。

 

「ほほほ、お主が出てどうなると?」

 

答えたのはヒルダじゃなくてパトラとかいうおかっぱ頭の美人だった。

 

「陽動くらい俺だって出来る。それに、リサは爆弾抱えて突っこみゃそこで戦闘不能だ。けど俺なら爆弾投げ込んでからも戦える。俺を使う方が得だぜ」

 

俺とリサの差別化。それがないとコイツらには態々気に食わない俺を使うメリットが無いからな。リサはいくら怪我の治りが早いと言っても鉄砲玉1発こなしたらもう戦闘不能だ。だが俺なら爆弾を投げ込んで陽動を行いつつ寄ってきた敵を相手することも出来る。連れて行くなら当然俺の方が手駒として都合がいいのだと、そこを押し出す。

 

「分かってないようね。そこのリサには死の淵(アゴニサント)に血の力が覚醒するのよ。それが出せれば手錠の掛けられたお前なんて目じゃないのよ」

 

だが、俺の意見はヒルダに蹴落とされる。でもなぁ、俺だって自分が肉弾戦だけでそこまでやるつもりはない。まだ手札はあるのだ。

 

「そりゃあショットガンより使えるのかよ」

 

俺が背中に抱えていたのはウィンチェスターのショットガンだ。それもソードオフモデル。

 

「私、それ嫌いなの」

 

「そうかよ。別にお前に使うわけじゃねぇけどな」

 

まぁ、見たくないというのなら見せびらかす物でもないと俺はショットガンを背中に仕舞った。

 

「まぁよい。そこまで言うのなら貴様の価値を示してみせるのじゃ」

 

と、パトラは意地悪そうな笑みを浮かべながらそう言った。だからあ 俺もただ頷くしかない。例えコイツらに何か裏があるのだとしても、俺はリサを守らなくちゃいけないんだから。

 

「あぁ……」

 

 

───その日、俺は初めて自分の意思で人を殺した

 

 

 

───────────────

 

 

 

「天人様!!」

 

久々に欧州の地を踏み、そしてその土と自分の手を知らない誰かの血で汚した日、イ・ウーの母艦に戻った俺を迎えてくれたのはリサだった。

 

「リサ……」

 

まだショットガンの反動の感触の残る俺の手をリサが握る。白くて細く、ひんやり冷たいリサの手は、火照った俺の身体からすっと熱を奪っていくようだった。

 

「俺……出来たよ……お前の代わりに……爆弾投げ込んで、ショットガンで人を撃てたんだ……1人目は腹が弾け飛んだ。2人目は……脚が吹っ飛んで……それで……」

 

「あぁ……天人様……私の()()()()……」

 

俺が殺した2人の最期の姿を思い出し、思わず背骨から震えた俺の身体をリサが抱きしめてくれる。俺より少しだけ背の高くなったリサの身体の熱量に包まれ、俺は膝から力が抜けてしまう。崩れ落ちる俺を支えるようにリサも一緒に座り込む。

 

「感動の報告会の最中で悪いのだけれど、貴方、目立った怪我もなさそうだしまた直ぐに呼ぶからね」

 

「ヒルダ様……」

 

薄暗い船内の通路に現れたのはヒルダだった。俺はヒルダが何のためにあそこを襲ったのかは知らない。興味も無いから聞いてもいない。どうせろくな理由じゃないことだけはハッキリしているのだ。ここは無法者の集団イ・ウー。それだけで充分だ。

 

「分かってるよ」

 

「それならいいのよ。鎖に繋がれた醜い駄犬、鞭で打たれたくなければ精々言うことを聞くのね」

 

打つのは俺じゃなくてリサなのだろう。それが分かっているから俺はこの仕事を投げることはできない。従順に、犬のように働き続けるしかないのだ。

 

「天人様、今日はもう休みましょう」

 

「……あぁ」

 

あれだけ震えていた身体も、ヒルダの人を見下したようなあの面を見て少しは落ち着いたようだ。俺はリサに手を引かれ、自分の部屋に戻った。

 

「おやすみなさい、天人様……」

 

シャワーを浴びて寝間着に着替えた俺をベッドに寝かせ、自分は椅子を引っ張ってきてベッドの脇に腰掛けたリサはそのまま俺のまだ少し濡れた髪の毛を撫でる。そのたおやかな指先から与えられる刺激が俺の瞼を落とし、意識を眠りの中へと引きずり込んでいった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「なんでリサがいるんだ!!」

 

あれから何度目とも知れぬ程に俺は主戦派の奴らと様々な所を襲った。その中で人を殺したこともあったし撃たれたこともあった。シャーロックからは手錠を外す許可は出ず、その弾丸は俺の身体を貫くこともあった。それでも、泥を啜ってでも俺はイ・ウーに戻り、ヒルダに罵られ、リサに手当され、また戦いの中に身を投じていた。

 

合間にはシャーロックとの修行や理子やジャンヌとの手合わせもこなし、俺とリサはもうすぐ14になる。俺の声が掠れ気味になってきた頃に、また仕事だと呼び出された俺の前にいたのはヒルダ達だけではなかった。リサもいたのだ。あれからこれまで、リサがコイツらに使われたことは無い、と思う。なのに何故今また……。

 

「前に言ったでしょ?リサは死に際に血の力を発揮する。今回の相手は数が多いから、お前だけじゃ足りないのよ」

 

「なら、この手錠をシャーロックに外させる。そうすりゃたかが普通の人間なんて物の数じゃあない」

 

「残念、教授はいないのよね。今日はお出掛け」

 

ヒルダはとても楽しそうに声を弾ませていた。シャーロックがいないことそのものよりも、俺の心を甚振ることに快感を覚えているのだ。

 

「ぐっ……」

 

「そんなにそこの女が怪我するのを見たくないのなら、お前が守ってやりなさい。忠犬のように、身を呈してね」

 

「んなこたぁ言われなくても分かってんだよ……」

 

その程度、当たり前のことだ。リサに降り掛かる火の粉は俺が全部振り払う。そう決めてんだよ。

 

「ならいいじゃない。キャンキャン騒ぐんじゃないわよこの駄犬。……リサも、飼い主なら犬の躾くらいちゃんとしときなさい。無駄吠えが過ぎるわ」

 

ヒルダのいつもの罵倒なんて頭に入れるだけ損だ。俺もリサもそれは分かっているから一々突っかかったりはしない。ヒルダも言ってる割に言い返されるのは嫌いなので、黙っている俺達を見て多少の溜飲は降りたようだ。

 

もっとも、コイツは一方的に痛めつけて相手の泣き顔を見るのが好きな生粋のサディストだから、反抗の火が消えない俺を相手にする気がないだけという可能性もあるけど。

 

 

 

───────────────

 

 

 

そして俺達が夜の闇に紛れてやって来たのはとある洋館。ここにヒルダのお目当てがあるらしい。

 

「さて、お前達は正面で思いっ切り暴れなさい。その間に私達は勝手にやらせてもらうから」

 

コイツの回収はパトラが、俺とリサのそれは夾竹桃とかいう俺と同じ日本人の女がやることになっていた。満月の明かりに照らされたヒルダはそれを見上げると、光から逃げるように木陰へと姿を消した。

 

「……リサは俺の後ろにいてくれ。大丈夫、全部俺がやるから」

 

「はい、天人様……」

 

背中にショットガンを担ぎ、腰には拳銃、両手にはリサと俺の分の小型の爆弾。

 

「……時間です」

 

リサはその声と共に洋館の門の鍵を渡された解錠用の汎用キーで開ける。いつの間にやら抜かされていた身長も最近では同じくらいになっていた。けれども後ろから見るその背中は、なんだかとても小さく見えた。

 

そして俺達は正面から豪奢な庭の中に入り、玄関の扉をショットガンでぶっ壊した。それだけの音を響かせれば玄関ホールには続々と人が集まってくる。リサが1歩下がったのを確認し、俺はポンプアクションで弾丸をリロードしてもう一度その引き金を引く。

 

銃口から飛び出し拡散した鉛玉がワラワラと出てきた黒いスーツ姿の男共に襲いかかった。スーツまで防弾仕様だったらどうしようかと思ったが幸いにも普通の生地で縫製されていたようで、俺の放った鉛玉は彼らの着ていたスーツを突き破り、肉を抉った。

 

ガシャコと弾丸を装填し直した俺は更に引き金を引く。散乱するショットガンの鉛玉に、奴らの統制は乱れていた。俺は玄関ホールからあまり奥には入らず、出入り口を塞ぐようにしてショットガンを撃ち続ける。これは陽動なのだ。コイツらをここにピン留めし続けられればいいのだから、態々懐に飛び込む必要はない。

 

だが当然、数では向こうが圧倒的に有利だ。室内での制圧力が高いショットガンを持っていても向こうだって拳銃やサブマシンガンくらいはある。

 

大仰な玄関の影からショットガンを撃つもジリジリと向こうもにじり寄ってくる。残りの人数は5人、全員が拳銃かサブマシンガンで武装している。

 

俺は最後の1発をばら撒くと扉の影に入った。そしてショットガンを背負い、拳銃を抜く。やがて警戒しながらも俺を追って出てきた1人目の腹に弾丸を叩きつけた。俺は、夜に襲撃すると聞いて全身を防刃性の黒い服で包んでいる。この月と星の明かりの下では思った程の迷彩効果は期待できなさそうだが、それでも一瞬姿を眩ませる程度はできるだろう。

 

2人目が出てくる直前に姿勢を低くし、腹を撃たれた奴の身体を影にして正面に回り込み、2人目も土手っ腹に弾丸を叩き込む。残り3人。

 

銃口から射線を見切り、一息に手前の男の懐に飛び込む。ゼロ距離で引き金を引いて腹をぶち抜く。そして崩れ落ちてきた───俺よりも一回りは大きい身体を盾にしてさらにもう1人。

 

そして5人目───と思ったがいつの間にやら屋敷の奥へと駆けて行ってしまった。どうやら逃げるつもりのようだ。逃げるというのなら深追いする気もない俺は盾にした男を投げ捨てて振り返る。後ろでドサリと肉が地面に落ちる音を聞きながらリサを探せば庭に置かれた石造りの置物の裏からひょっこりと顔を出していた。

 

「リサ」

 

「モーイです、天人様!」

 

と、リサも俺達の作戦は終わりだと悟ったのか笑顔でこちらに掛けてくる。

 

「───っ!?()()()()!!」

 

だが、急に血相を変えたリサが俺を突き飛ばした。そして───

 

 

───タァン!!

 

 

響く銃声。リサの身体が後ろに仰け反り、最近は随分と育ってきていて目のやり場に困るその大きな胸から鮮血が弾けた。

 

「リサ……?リサッ!?」

 

俺は咄嗟に射線を遡り、その弾丸を放った奴を探し出す。それは先程俺が投げ捨てた男だった。俺はそいつの頭目掛けて、拳銃のスライドが開き切るまで弾丸を吐き尽くす。脳漿が飛び散ったその男の末路を見るのももどかしいくらいに慌てて俺は振り返った。そこには───

 

 

───胸から血を流して仰向けに倒れたリサがいた

 

「リサ!リサぁ!!」

 

俺はリサに駆け寄り、その細い身体を抱き上げる。弾丸が貫通したのは良かったのか悪かったのか、とにかく俺の掌はベッタリとリサから流れ出た血によって真っ赤に染められた。

 

「あぁ……リサ……どうして……どうすれば……」

 

「……ご主、人様……」

 

「喋るなリサ!あぁそうだ、パトラだ、アイツなら……」

 

アイツもこの辺りに来ていたのだ。アイツの超能力ならあるいはこの致命傷も───

 

「離、れてください……」

 

「そんなの、出来るわけ───」

 

「リサは、嫌い……なのです。あの姿が……でももう、抑え……きれ、ない……」

 

 

───リサ……?

 

 

俺の呟きは、夜の闇に消えてしまう。代わりに現れたのは───

 

「───私は、神を呪う……」

 

リサの細い肢体がバキバキと音を立てて膨らんでいく。まさか、これが───

 

「この力を与えた、神を……」

 

イ・ウーでシャーロックに見させられた図鑑にはこんな姿の獣は載っていなかった。白い、巨大な獣───

 

「ご主人様……リサから、離れて、ください……!私は……」

 

リサの姿は今や狼と人間の間と言ってもいいかもしれない。けれど、狼はこんなに大きいものだっただろうか。

 

「……ジェヴォーダンの……獣……っ!」

 

まるで、内側から別の生き物に変わっていくように身体を変化(へんげ)させていくリサ。その目は、俺の肩越しに空に浮かぶ満月を見ていた。これが、ヒルダの言っていたリサの血の力ってやつか───

 

「リサは、嬉しかったのです。高い階梯に置かれてたとは言え、それはこの力があってのこと……。でもご主人様は、リサを守ると言ってくれました……戦って、くれました……。この人なら、もしかしてと、そう思えました……」

 

あぁ、リサ、リサ。なんでそんな、今際の際みたいなことを言うんだ。まだだ、まだ終わってねぇだろ。俺はまだ何もしてやれてない。お前に、何もしてやれてねぇんだよ……。

 

「……主戦派は知らない……リサを獣に変えるには2つの鍵が必要だということ……」

 

既にリサの身体は5メートルを超えるほどに大きくなっている。

 

「死の淵ともう1つ……満月……。月から反射される、赤外線を減衰させたスペクトルの太陽光を……網膜に感受させること……それが、最後の鍵、なのです……」

 

「お逃げください……その手錠をされたままのご主人様では……獣となったリサには……殺されてしまう……例え理性が無くとも……ご主人様を、この爪で引き裂くのは……何よりも……辛い……」

 

俺の着ている服は防刃性。トレーニングで使っていた防弾性能のある服は身体のサイズに合わなくなり、また防弾性能があるからと油断しないため、とかいう理由でシャーロックからは新しいのは与えられなかったのだ。

 

だが、その防刃性だって絶対じゃない。顔や首などの皮膚の出ている所をあの爪で突き刺されたら俺は確実に死ぬ。嵌められた手錠には聖痕の力に蓋をする機能があるから、俺の体は見た目通りの性能しか発揮できないのだ。

 

「……お祖母様にもお母様にも主がいました。……リサにも、最期にはご主人様ができました……。リサはそれだけで、幸せ……でした……」

 

その言葉を最後にリサの肉体は決定的な変化を遂げた。滑らかで柔らかでムダ毛なんて概念からして存在しなさそうだった皮膚は金色の体毛に覆われ、俺と同じくらいしかなかったはずの身長──もはや体長と言っても過言ではない──は、5メートルを優に越えていた。あの誰のそれよりも可愛らしい顔は今や雄々しい狼のようなそれになり、そして最後に翡翠色(エメラルド)の瞳から涙を1滴だけ流して、その顔から表情が全て掻き消えた───

 

 

 

───────────────

 

 

 

「グッ……」

 

リサの、ジェヴォーダンの獣とやらに成り果てたその体躯に俺は弾き飛ばされて地面を転がった。だが距離が空いたその瞬間に俺は拳銃のマガジンを差し変える。

 

リサ、俺は諦めねぇぞ。俺はもう絶対に諦めない。2度と失ってなるものかよ。ジェヴォーダンの獣、リサの中に眠っていた獣よ、お前が俺からリサを奪おうってなら俺はお前を潰す。そしてリサを取り返す。

 

ジェヴォーダンの獣、オランダにいた頃に伝承じゃあ聞いたことあるぜ。百獣を統べる獣の王。まさかそれが実在していて、しかもリサの中に眠っていたなんてな。噂じゃあジェヴォーダンの獣が男なら清らかな乙女を、女なら男を生け贄にすりゃあいいって話だったな。ならリサは女だ。男の俺を捧げりゃあいいってことだろう?それでいいさ。俺の全部はリサに捧げてやるよ。当たり前だ、俺はリサのご主人様なんだからな。だからよぉリサ───

 

「帰ってこいリサ!!俺の元へ!」

 

俺の叫びを契機にリサは俺に飛び掛ってくる。振るわれるその爪を俺は防刃性能に任せて腕で弾く。すると、ぶつかり合った箇所からバキッ!と音が鳴る。骨でも折れたかと思ったがそこまでの痛みはなかった。……どうやら、俺の手首に嵌められた手錠に爪が当たったみたいだ。バックステップで距離を取りながら、月明かりに照らされたそれを見れば、少しだけ手錠にヒビが入っている。これは……。

 

見つけだぜリサ。お前をジェヴォーダンの獣から取り返す方法がな。

 

俺は右手に拳銃を握り、リサの左前脚の爪を狙って弾丸を放つ。獣も人間と同じで指先には神経が集中しているからそこを攻撃されるとダメージ以上の痛みが走るんだ。リサを傷つけたくはないが、まずはジェヴォーダンの獣から取り戻さなきゃなんねぇんだ。やるしかない。

 

しかし、ジェヴォーダンの獣は射線を読み切っていたようで、足を引っ込めて弾丸を回避。そして俺の左手側から回り込むようにして再び爪を振るう。俺はそれを再び手錠で受け、その衝撃も利用してまた距離を空ける。今度は正面から飛び込んで来たジェヴォーダンの獣の、その身体の下を潜るように俺は懐に飛び込む。そして転がり起きてまた左前脚の爪を狙う。

 

放った弾丸は当たり前のように躱された。しかし俺の右手側から攻め辛いジェヴォーダンの獣はまた俺の左手側から、今度は大きな顎を開き、その牙で俺を砕こうとする。その歯の間に手錠を挟み腕の骨を噛み砕かれるのを防ぐ。

 

しかし、ジェヴォーダンの獣の咬合力は凄まじく、手錠からバキバキと音が響き出した。さらに俺は体重差でジェヴォーダンに押し倒されてしまう。左の前脚からも爪が振るわれるが、これをどうにか右手1本で弾き、凌いでいく。そして噛まれた左手の手錠は───

 

 

───バキィッ!!

 

 

ジェヴォーダンの獣の顎の力により遂に砕けた。そしてその勢いのまま俺の左腕にも鋭い牙が突き刺さる。防刃性能のある袖が貫通こそ防ぐものの、凄まじい咬合力により骨が悲鳴を上げている。手錠を嵌めたまま生活しなけりゃならないからって袖口に余裕のある服で良かった。でなけりゃ今頃あの鋭い牙で手首の太い血管を貫かれてたな。そして、手錠が半分になったことで俺の中の聖痕の蓋が半開きになる感覚があった。

 

俺はそのまま力づくで聖痕を開き、全身の強度と膂力を強化していく。

 

最近はシャーロックの監視の元、聖痕の力のコントロールの訓練も行っていたのだ。今だもう1つの方こそ制御できそうにないものの、強化の方はほとんど俺の意のままに操れる。

 

俺は増した力のままにジェヴォーダンの獣を押し返していく。ビキリと、噛まれたままの左前腕から嫌な音がする。骨にヒビでも入ったか。だがもう押し負けねぇぞ。いくらまだほとんど閉じてるとは言え、聖痕の力はこの世界の理とは一線を画すんだ。リサの中のジェヴォーダンの獣がいくらこの世界で百獣を統べようと、そんなのはこの力の前じゃ何の意味もありゃしねぇんだ。

 

物の見事にジェヴォーダンの獣は押し返される。それでも、立ち上がった俺に左前脚で爪を振るう。俺はそれを右手の手錠で受ける。当然、手錠にはヒビが入る。

 

ジェヴォーダンの獣は俺の腕から顎門を離すと俺を突き飛ばすようにして距離を置いた。俺は機能こそしてないものの腕に引っ掛かっている手錠を投げ捨てる。俺の膂力はもうあの巨大な獣とほぼ同じだ。神経系の働きも強化されているから、膂力に目が追いつかないなんてこともない。俺は拳銃をホルスターに仕舞い、拳を構える。それに合わせてジェヴォーダンの獣も姿勢を低くし、飛び掛る体勢を取った。

 

 

一瞬の空白の後、俺達は同時にぶつかり合う。

 

 

俺達の持つ膂力はほぼ変わらないにしても、人間と大型の獣の持つ体重差は覆らない。重量勝負に負けた俺は再び背中から地面に叩き付けられた。そして俺の頭を噛み潰そうと迫る牙に、今度は右手の手錠を咬ませて逃れる。

 

噛みつかれた手錠がバキバキと悲鳴を上げる。犬に噛まれた時は噛まれた腕を押し込むのが良いらしいと聞いていた俺は力任せに腕ごと押し込む。それを受けてかジェヴォーダンの獣の咬合力が一瞬緩んだ。俺はその隙に腕を引き抜く。手の甲に鋭い牙が掠め、薄皮が裂かれるが無視。

 

俺はジェヴォーダンの獣の頭を腕で抑えるとそのまま跳び箱でも飛ぶかのようにしてその大きな背中へと飛び乗った。そして首に腕を回し胴体を脚で挟んで絡みつく。そして奴の耳元で叫ぶ。

 

「リサ!起きろリサ!!」

 

リサを呼ぶ。ジェヴォーダンの獣は俺を振り払おうと暴れるが俺は毛に指を絡ませて振り落とされないようにしがみつく。

 

「大丈夫だから!リサ!守るから!俺がお前のことを守るから!だから戻ってこい、リサ!!」

 

だが俺の声はリサに届いていないのか、ジェヴォーダンの獣は暴れる。俺を振り落とそうと、遂には背中から地面へと落ちた。その体重によって潰された俺の肺から空気が抜ける。更に洋館の壁に俺をぶつける。それにより一瞬指先が緩む。その隙に身体を大きく揺すったジェヴォーダンの獣からついに俺は振り落とされる。

 

「リサ……!!」

 

ジェヴォーダンの獣の顎門が迫る。体勢を崩していた俺はその牙の林の中へ拳を突き出した。

 

──バキィッ!!──

 

と、腕を喰い千切らんとばかりに閉じられた顎門によって、俺の聖痕を縛めていた手錠が遂に砕ける。───全身に力が漲る。

 

俺は噛まれた腕を振り回し、ジェヴォーダンの獣を投げ飛ばす。そして放物線を描き、落下を始めた奴の巨躯に飛び付いた。両の前脚を腕で掴み、胴体を脚で挟んで拘束。そのままジェヴォーダンの獣は背中から地面へと落下した。

 

「戻ってこいリサ!」

 

ジェヴォーダンの獣の顎門が俺の頭へと迫る。

 

「リサ!」

 

視界が肉色と群生しているかのような白い牙で染まる。

 

「リサァァァァァ!!」

 

俺の頭を噛み潰さんとその顎門が閉じ───

 

 

───ることはなかった

 

 

 

───────────────

 

 

 

シュウ───と、まるで煙のようにジェヴォーダンの獣が消えていく。元々着ていた衣類は1式無くなってしまったようだ。お尻の辺りから生えたフサフサの尻尾と頭頂部にある1組の犬っぽい耳だけが残っている。他は全て、いつもの愛らしく美しいリサに戻ったのだ。

 

「リサ……」

 

見ようによっては、と言うよりどこからどう見ても俺が女の子を裸にひん剥いて組み伏せているようにしか見えないこの絵面は不味いと、俺はリサの上から退いた。

 

「天人様……ご主人様……」

 

腕でその大きな果実を隠し脚を閉じながらリサも起き上がった。数分振り程度の筈なのに、リサの声がどうしても懐かしく感じてしまう。獣の唸り声ではなく女の子の声。甘ったるくて耳触りの良いリサの声。

 

「リサ!」

 

「ひゃあ!?」

 

思わず俺はリサを抱きしめる。リサも、俺を押し退けようとはせずに、受け入れてくれた。胸の前で組まれていた腕を解いてその細い腕が俺の背中に回る。リサの胸が俺の胸板で形を変えるのが伝わる。ドク、ドク、という心臓の鼓動も伝わってきた。そのペースが結構早くて、リサが少し緊張しているのが分かった。

 

それでもリサは俺の耳元に口を寄せ───

 

「ありがとうございます。ご主人様。リサはご主人様を、愛しています」

 

そう、言ってくれるのだった。

 

「俺も、リサのこと───」

 

愛している、そう言おうとした俺の唇に、リサの人差し指が当てられた。そのほっそりとした柔らかな指の感触に、俺は思わず押し黙る。

 

「待ってください、ご主人様。リサの話を、聞いていただけますか?」

 

「……あぁ」

 

リサの、決意を固めたような顔に俺はただ頷く。そしてリサは話し始めた。リサの家系のこと、イ・ウーに誘われた理由と誘いに乗った理由を。俺はただ黙ってそれを聞いていた。リサからすれば、昔馴染みの俺にすらずっと黙っていたことを今更話す、というのは結構覚悟のいることだったようだ。時折俺の方をチラリと見やり、反応を窺っているような仕草をしていた。俺はその度に「続けて?」というような目線を送り、リサはそれを受けて話し続けた。そして、全てを語り終え───

 

「……こんな私でも、ご主人様はリサを愛してくださいますか?」

 

と、聞いてきた。けれどそんなの、答えなんて決まりきっている。俺は全てを失ったあの時、リサがシャーロックと行きそうになったあの瞬間から全部決めてんだ。

 

「当たり前だ。俺はリサを愛している。お前に降り掛かる火の粉は全部俺が振り払う。だからリサ、俺と一緒に生きてくれ。リサのことは、俺が絶対に守ると誓うよ」

 

「ご主人様……あぁ、リサの愛しのご主人様……。遂に、遂にリサにもご主人様が見つかりました……リサの勇者様……」

 

感極まり、涙を流すリサを俺は抱きしめる。もう絶対にコイツを誰かに傷付けさせやしない。リサは俺が一生守り通すのだと己に誓う。そしてどれ程の時間抱擁していただろうか。どちらからともなくそれを少しだけ解き、顔を見合せた俺達は、これもどちらからともなくただお互いの唇を重ね合わせた。熱が伝わる。リサの熱い体温が、想いが、愛が伝わる。俺も、同じだけのそれを返す。何度も何度も重ねては少し離し、また重ねる。感じるのはただ愛おしさだけだった。この女が、リサが愛おしい。それだけがこの瞬間に俺の胸を埋め尽くしていたのだった。

 

 

 



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副業探し、お家探し

 

あの後、リサには俺の着ていた服を着せてやり、俺はそこら辺に転がっている男共の服を剥ぎ取ってそれを身に纏うことで露出魔の謗りを免れた。

 

ただ、そのままではだいぶサイズが合わなかったから適当に布地を裂いて、どうにか動きに支障のないような処理だけはしたけど。

 

そしてそんなボロボロの格好ではあったが、俺とリサはどうにか夾竹桃の手引きもあってイ・ウーへと戻れた。

 

そして、どこからか帰ってきていたシャーロックに開口一番───

 

「俺達はもうここにはいられない」

 

と、イ・ウーとの決別を宣言したのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「こうなることは推理していたよ」

 

俺の話を聞いたシャーロックはそう言って、いくつかの書類を持ってきた。それは、埼玉にある武偵中学への転入書類だった。それが2式───つまり俺とリサの分。これに必要事項を記入して、中学2年生として9月から、オランダの武偵中からの転校生の扱いでここへ通えというのがシャーロックの言い分だった。咲那の両親が武偵だったから、俺も武偵というものには多少の知識はある。武偵なんて言っても戦うだけではなく、後方支援専門の武偵もいるのだ。

 

つまり、リサはもう戦わなくて済む。俺はシャーロックの提案に直ぐ頷いた。それを合図にそのままあれよあれよという間に話は進み、書類は埋まり、俺とリサはまるで追い立てられるようにイ・ウーを出ていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……ご主人様」

 

「んー?」

 

日本へ着いたら峰理子が案内をすると聞いていた俺達は今、イ・ウーから発射された小型の潜水艦で太平洋を横断していた。

 

「ご主人様は、ジェヴォーダンの獣を見た時、どう思いました?」

 

「……別に。ただ、綺麗だなとは思ったよ」

 

あの金色の毛並みはこれまで見たどんな動物のそれよりも美しかった。まるでリサの流れるような金髪がそのまま現れたかのようだったのだ。

 

「そう、ですか……」

 

照れるように耳を赤くし、顔を伏せるリサ。俺はそれを横目で見ながら言葉を続けた。

 

「もしあの姿を、リサが憎むというのなら俺も憎もう。あの姿も愛してほしいなら俺も愛するし、なりたくないというのならもう絶対にならせない。ただ俺は、どんなリサでも愛している。それだけは確かだよ」

 

俺から言えるのはそれだけ。そして、それが全てだった。

 

「ご主人様……ありがとうございます……。リサはあの姿にはなりたくない。この力を与えた神も呪います。けれどご主人様があの姿も愛していると言ってくれるなら……少しは好きになれるかもしれません」

 

そう言ってリサが俺に向けてくれた笑顔を、俺は一生忘れないだろう。ありきたりな言葉で言えば、花が咲くような笑顔、と表現されるのだろうか。ともかく、そんな眩い笑顔を向けられた俺はそれを直視できなかった。だが、顔が赤く染まるのを防ぐこともできず、横で楽しそうにリサが笑っているのをただ聞いていたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「さてまぁ、色々とやらなくちゃいけないことはあるんだが……」

 

昼過ぎ、皆でリサの作った昼飯に舌づつみを打ったあと、理子とジャンヌ、透華達も学校へと戻った。今この部屋にいるのは俺とリサ、トータス組だけだ。

 

「大前提として、この部屋には布団が4組しかない」

 

この部屋は元々4人部屋。布団を洗った時用に2組余分に持ってはいるが、それでも5人分は無い。1日2日程度なら別にソファーで寝てもいいが、これからずっとはさすがに辛い。何よりティオは武偵高には通わないのでそれも問題だ。

 

「……んっ、私が天人と同じ布団に入る」

 

「いえいえ、それなら私が天人さんと入りますぅ」

 

「ここは妾がある……天人と入るべきではないかの」

 

「えっと……」

 

「リサはこれに染まらなくていいからな……。そしてそこの異世界3人組、俺ん話はまだ終わってないぞ」

 

むしろ本題はここからなのだ。いきなり話の腰をへし折らないでほしいものだ。

 

「そもそもこの寮は4人部屋だったからな。5人が生活するには狭いんだよ。だからお引越しを検討してる」

 

「引越し、ですか?」

 

「あぁ。5人が暮らせてかつレミアさんとミュウも傍に住める、そんな所を探さなくちゃいけない」

 

……言ってて気付いたが俺、もしかしてジャンヌ達にレミアさん一家の話してないかも。まぁ、どうにかなるさ、きっとな。

 

「というわけでリサ。明日からは物件探しだ」

 

あとはコイツらに携帯も与えなくちゃいけない。名義は……俺でいいか。携帯ショップの人に変な顔されないかな……。一月に2度も買い換えたと思ったら何か後から女3人も連れてきてそいつらの分まで契約してくってどうなんだろ……。

 

「……ミュウ達とは一緒に住まないの?」

 

と、ユエが寂しそうに聞いてくる。……ユエにそんな顔をされると、何だか俺が悪いことしたみたいに思えてくるから不思議だ。

 

「……まだレミアさんとミュウがこっちに住みたいと思うか分からないし」

 

「……2人はこっちに住みたいって言うと思う」

 

「私もそう思いますぅ」

 

「妾も、レミアとミュウが一緒に住む未来が今から目に浮かぶのじゃ」

 

「あの、ミュウ様とレミア様というのは……?」

 

……あぁそうだ。あの2人のことはリサにも説明してなかったな。

 

「えっと……シア、頼んだ」

 

もう俺には考えることが多すぎて無理だ。コイツらのこと、ミュウ達のこと、ジャンヌのこと、透華達のこと、これからのこと。1つ1つ、絡まった靴紐を解くように解決していかなきゃいけないのだろう。だけど俺の脳みそはそれらを纏めて解いて解決出来るくらい上等にはできていないのだ。精々1つずつ、ゆっくりと解決していくのが関の山だろう。だから俺は今の問題はリサやユエ達に任せて、これからのことに意識を飛ばしていくことにしたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

その日の携帯ショップはたまたま空いていた。そこで俺達は一気に4台の携帯を購入するのだった。取り敢えずの24回払い。ユエ達の携帯は、本人達も機種にそんなに拘りがないらしいから、3人とも同じ機種の色違いで揃えた。契約関係はリサの出番だ。俺達の考えうる使い方で最も値段の安くなる契約形態を選んできた。

 

そうして手に入れた文明の利器の使い方を指導し、次の日には俺の防弾制服を買いに行き、ついでに理子とジャンヌにあと2人分の追加を頼んでおいた。

 

後は今後俺達が住む場所なのだが……、7人が住めてかつミュウが大きくなることも見越したら全員の個室があるようなマンションなんて普通に存在しなかった。いや、探しゃあるのだろうが、多分というか確実に予算オーバーだ。しかも俺の職業は武偵。割と賃貸も入居を渋られがちなのだった。

 

もちろんローンなんて以ての外。利子とか取り立てがヤバめのところなら貸してくれるんだろうが、さすがにそういうところには手を出したくはない。そうなるとゼロがいっぱいの通帳を見せて現金一括払いしかないのだが、台場に通学するのに便利な都心部に7人で住めるような家を買うほどの貯金は無い。リサに値引きさせて不動産屋の営業を泣かせるにしたって限度ってものがあるしな。

 

そうなるとちょっと武偵校 高は遠くなるが埼玉とかも選択肢に入るか……?でもなぁ、遠いよなぁ……。

 

これは、本格的に副業を考えなくちゃ駄目だろうな。

 

「どう思う?リサ」

 

当面の間は俺と誰かがローテーションで一緒の布団で寝ることで解決した寝床問題。だがミュウとレミアさんが来るなら話は変わる。まぁまだ空き部屋があるからそっちにベッド置いてもいいんだけど。けどそれも俺が武偵高にいる間しか使えないのだから、早急に住居の問題は解決しなくちゃいけないのだ。

 

「はい、当面の間はこの寮と同じくらいのマンションでやり過ごして、通学の楔から逃れた際に引っ越す、というのはどうでしょう」

 

「あぁ、そりゃあアリかもなぁ……。ええと、卒業までがあと1年と少しだろ?ミュウが幼稚園に通えそうな歳になるのもそれくらいか……」

 

まぁ最悪1年待つか、もしくは年中組から入ったって問題はあるまい。多分誤差はその程度のはずだ。ファミリー向けのマンションであれば、今の貯金と想定される今後の収入を考えたら2部屋程度なら借りられる。名義やら何やらの細かいことはリサ達に投げよう。俺に頭脳労働はまったく向いていないのだから。

 

 

 

───────────────

 

 

 

副業:ギャンブラー

 

 

 

俺がトータスでユエと作り上げたアーティファクト、越境鍵。これは物理的な距離だけでなく別の世界へと繋がる扉をも開くことができる。これにより俺は今後不意に異世界に飛ばされても直ぐに帰還することができるようになったのだ。

 

そして、このアーティファクトの真価はこれに留まらない。再生(時間に干渉する)魔法を組み込むことによって、過去や未来にまで行き来することができるようになっているのだ。

 

それなりの魔力を注げば未来にも行けることは、トータスで香織がオルクス大迷宮やライセン大迷宮に挑んでいる間、変成魔法で俺の身体から取り出したディアウス・ピターとハンニバルをアラガミの世界に帰した際に試している。

 

だが、魔力量次第でどこまででも遡れそうな過去への移動と違って未来には若干の制限が掛けられていた。

 

その制限とは、飛べる未来は()()()()()()()()()飛べるということ。だが、未来なんてものはハッキリと確定したものではない。シアの未来視の固有魔法だって見てから行動を変えれば未来そのものを変えてしまえるのだから。

 

だから確定した未来とはつまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という矛盾したものしか有り得ないということだ。

 

そんなもんあるかい!と、俺は匙を投げそうになったのだが、俺はふと思い出したのだ。あるじゃん、確定したこれから先の時間軸が。

 

俺は最初の異世界転移から始まり、リムルの世界から出てこの世界に帰ってくるまでには数年を要している。その上で最初の異世界転移から1ヶ月かそこら後の時間に戻ってきたのだ。トータスに行った後も、コチラに戻ってきたのは召喚から2週間後。

 

まぁ何が言いたいかと言うと───

 

───()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だということだ。

 

っていう話を競馬や宝くじとはなんぞやというところから含めてユエ達に話したら「頼むからそんな駄目人間にはならないでくれ」とせがまれた。

 

一挙に大金を稼ぐのは簡単ではない。大きなリターンには大きなリスクがある。それは1つ世界の常識と言ってもいいかもしれない。けれど俺はもうそんな理には縛られないのだ!

 

と、大仰に語ったら凄く凄く冷たい、駄目な奴を見る目で見られた。ちなみにトータスではトータスの未来には行けなかった。何故かと考えてみたが、どうにも原因は俺の存在そのものかもしれないと思い至った。

 

世界には運命というものがある。しかし別の世界の人間はこれを変えられる。つまり俺がその時点で存在している世界の未来は確定していないのだ。

 

あの時は特に何も考えずにアラガミを野生に帰したが、あれができたのはつまりこういう仕組みの元の結果だったらしい。

 

そして、いくら冷たい目で見られても1度気になったら試したくなるのが人間の性。ほんのちょっと先の未来を覗くつもりで、俺は何も無い空間に鍵を差し込んだのだが、その結果は芳しくなかった。

 

と言うより、一切鍵が反応しなかったのだ。これはトータスでも見られた現象。つまり、この世界の未来は再び未確定になったということだ。

 

またもや何故と思ったが、多分これの原因はユエ達だろう。後はまぁ、さっきまでいなかったはずの俺という存在が現れたことで大きな部分では変わらなくとも、宝くじや競馬の結果なんかは変わる可能性が出てきた、ということか。

 

ユエ達もこっちから見たら異世界から来た人間であり、この世界の運命には縛られない。だが、それはとりもなおさず彼女達があまりにこの世界の運命に干渉しすぎると3人ともどこか別の世界へと飛ばされてしまうということだ。

 

まぁ、この世界生まれの人間である俺には何をどうすればいいのかは分からない。多分、普通に生きていく分には大丈夫だろうけど。

 

兎にも角にも、そんな様々な発見を得られたのは良かったが、結局副業にギャンブラーを選んでも根本的な問題を解決することはできなさそうだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

副業:ジュエリー職人

 

 

 

改めて俺は、自分に何ができるのかを見つめ直すことにした。俺はこれまでの異世界転移の中で幾つかの魔法と呼べる力を手にしている。ほとんどは戦闘向けの力だが、その中にはもしかしたらこの世界でも武偵活動以外に応用できる力があるかもしれない。まずはリムルのいた世界で得た力から考えてみよう。

 

俺が持ってる能力(スキル)は捕食者、変質者、思念伝達、魔力感知、重力操作、魔力妨害、魔法闘気、100万倍の思考加速、魔王覇気、氷焔之皇、それに加えて耐性として熱変動無効と、氷を生み出し射出する元素魔法、それの応用で物質の働きをゼロにする絶対零度があるわけだが……駄目だ、マトモなのが無い。戦闘や自分らの生活を便利にする程度には使えてもそれ以外にゃろくな使い道が無いぞこれ……。

 

ゴッドイーターとして戦い、その果てに手に入れたオラクル細胞と左腕と混ざり合った神機も戦闘にしか使いようがないしな……。後はトータスで手に入れた魔法か……。

 

大迷宮を攻略していく旅の中で手に入れた神代魔法の中で、俺に適性があって扱えるのは生成魔法と昇華魔法、それから変成魔法だけだ。

 

昇華魔法は日常生活じゃどうにも使い道が無いし、生成魔法もアーティファクトを作り出すしかない。変成魔法も、それでこの世界で飯を食っていけそうなやつはない。まさかこっちで異世界製のアーティファクトを売り捌くわけにもいくまいし。

 

それに、オルクス大迷宮で手に入れた固有魔法は案外耐性の類が多い。風爪や纏雷は攻撃的だがじゃあ戦闘以外で何か使い道あるのかと問われると正直そんなに思い付かない。言語理解があれば通訳や翻訳家にはなれそうだが、通訳は副業には向かないし、翻訳家は残念なことに俺の語彙力というか、表現力がないから多分売れない。何を言っているか分かっても、それを上手に詩的に表現できなきゃだからな。俺の頭の悪さがここで響いてくる。

 

後は天職である錬成師として手に入れた錬成か。鉱石を加工するだけの魔法だったが、結局これには命を救われたし、これがあったからこそユエも救い出せた。多分トータス世界において俺が1番お世話になった魔法だろう。

 

さて、派生技能も色々あるこの魔法、基本的には鉱物や鉱石の加工に特化した魔法なわけだが……もしやこれ、結構使えるのでは?鑑定もあるし分離もさせられる。その上で形は俺のイメージ通りに加工できる。宝石の加工なんて本来はどうやるのかよく知らないが、機械でやるにしろ、何か匠の技的なそれでやるにしろ、費用や労力は莫大なはずだ。それを俺は指先1つ、イメージ1つで終わらせられる。その上素材さえあれば複製錬成で大量生産も可能なわけだ……。

 

「どう思う?リサ」

 

「モーイ!ジュエリー職人までこなせるとは。ご主人様は多芸でいらっしゃるんですね」

 

未来視ギャンブラーの時と比べたら雲泥の差の反応だ。まぁ、リサの場合は悪い反応する時の方が珍しいからこういう時はあんまりアテになんないけど。

 

「ただ、こっちの宝石とか貴金属に俺の錬成が通るのかどうかってところは残るな……」

 

さてと、物は試しだ。安くてもいいし何か色々混ざっててもいい。むしろ、色んなのが混ざってた方が分離できるのかを試せるからいいかもな。

 

「というわけでリサ、安くていいし質も悪くていい。取り敢えず色んな種類の鉱石とか鉱物とか集められるか?」

 

リサなら値切って安く仕入れてくれるだろうという期待も込めて頼めば、二つ返事で立ち上がってくれた。

 

「はい!早速集めてきます」

 

「あぁユエ。リサが騙されることはねぇだろうけど、一応付いて行ってくれ。その制服着てりゃあ変に絡まれることもないだろうけど、何かあったらまぁ……大怪我しない程度にならぶっ飛ばして平気だ」

 

「……んっ」

 

取り敢えず俺、ユエ、シアの防弾制服は届いていたのだ。俺の見立て通り赤いセーラー服が死ぬ程似合っているユエと、改造したクラシカルメイド防弾制服のリサであればそうそう変なのを掴まされることもないだろうし、武偵高の制服が弾除けになってトータス程は阿呆に絡まれることもないはずだ。そもそもこっちは向こうより治安良いし……良い、ハズだ……。

 

俺は一抹の不安を抱えつつも、案外仲良さげに出かけていった2人を見送る。どっちも金髪で驚くほど可愛い顔してるから、姉妹みたいに見えるんだよな。優しそうで人の良さげなお姉ちゃんと、クールで歳の割にはしっかりしてそうな妹、みたいな。本当の年齢で言えばリサが妹でユエが姉なのだけれど。

 

そんな仲良し姉妹に見える2人が部屋を出ると、この一室には俺とティオだけが残る。シアは今はジャンヌとどっかに遊びに行っている。スタイルが良くて背の丈も同じくらいのシアとジャンヌは服を見に行ったらしい。

 

ジャンヌの趣味っていうと、ゴスロリ系のヒラヒラしたやつだったはずだが、露出第一みたいなシアと意見は合うのだろうか……。むしろ、ジャンヌはユエとこそ服の趣味は合いそうな気もするんだよな。ま、皆と仲良くやれるならそれに越したこともないか。

 

「ふむ、これは2人きり、というやつじゃの」

 

ソロりと、ティオが背中にしなだれかかってくる。女子連中の中では1番背の高いティオはリサの服もサイズが合わず、リサのお下がりで急場を凌いでいるシアと違ってこちらの世界で新たに購入した洋服を着ている。向こうの服は素材やデザインの基本がこっちと結構違うからか、こっちで着ると浮いてしまうのだ。まぁ、逆に小さすぎて着れる服の無かったユエもだから、むしろ自分だけお下がりのシアが膨れウサギになってしまったのだが。

 

なのでまぁ、ここいらでジャンヌと一緒に服を見に行けたのは良かったのだろう。多少はお金も渡してあるし、こっちの雰囲気にも慣れてもらいたいからな。ジャンヌも日本の暮らしには慣れてきているからそう変なことにはなるまいて。

 

「悪いけど、そんな色っぽいことばっかしてられねぇのよ」

 

背中に当たる柔らかさは名残惜しいが、俺はそれを振り払ってソファーから立つ。俺もリサ達にばっかり働かせてられないのだ。

 

「むぅ……そっけないのじゃ」

 

「そら、ティオも出る準備してくれ」

 

「お?どこか行くのかの?」

 

「おう。楽しく街歩きってわけにゃあいかないけど、一緒に見てもらいたいんだよ」

 

「待っておれ、直ぐに支度するのじゃ!」

 

と、ティオは随分と勢いよく自室へと駆け込んだ。4人分の個室を俺、ユエ、ティオ、リサとシアの組み合わせで分けたのだ。リサとシアは服が共有できるという理由で一部屋にしてしまって正直申し訳ないと思う。なのでこれから探すのはそう、次の住処だ。つまり俺の行き先は、不動産屋なのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「取り敢えずこんなところか」

 

その日の夕方、俺はティオと寮への道を歩いていた。季節はもう冬に近い。日が沈むのが早く、既に周りは暗くなっている。

 

「そうじゃなぁ。……のう天人よ、武偵は……」

 

「言うな……」

 

武偵はよく死ぬ。基本的に命張って戦うからな。だからこういう場面での信用はあまり無い。そんなのは分かっていたはずだが、こうまざまざと見せつけられると思ったよりショックだったな。

 

「まさか職業を答えただけであそこまで露骨な顔をされるとはの」

 

「貯金あってよかったぜ」

 

ティオは元々大人っぽいから未成年には見られない。俺も、日付だけ指折り数えればもう20歳はとうに超えている。武偵高の制服を着て初っ端から警戒されたくなかったから私服で不動産屋へ行ったのだが、探している物件の条件を聞かれ、職業を聞かれ、そこで誤魔化すわけにもいかずに普通に武偵と答えたのが不味かった。しかもよくよく聞けば俺はまだ高校生だし連れのティオは名前が日本人じゃない上に無職。俺が自分の通帳とそこに記されてる預金額を見せてようやく物件の案内が始まったのだ。

 

「ホント、錬成が使えるといいなぁ……」

 

確か日本は資本金1円から会社が設立できたはずだ。ともかくそれで宝石加工会社を興して、武偵以上の社会的信用を得なければならない。

 

思ったより未来へ飛ぶ条件が厳しかったから賭け事でズルをして大儲けとならなかったのだ。ならば堅実にいくしかあるまい。

 

「ふむ、天人よ」

 

「んー?」

 

「そんなに大きな家でなくとも、空間魔法を用いたアーティファクトでこっそり広い家とかは作れんのかの?例えば宝物庫みたいな」

 

「……あぁ。まぁ、そりゃ俺の拘りというか……。結局、魔法はこの世界じゃ本来無いものなわけじゃん?特に神代魔法なんてのはこの世界の原理じゃない。明らかに住んでる人数と部屋の大きさが釣り合わなかったら疑問に思う奴も出るだろ」

 

アーティファクトで部屋を拡張したとして、3,4人程度が住む前提の部屋に7人も8人も住んでたら不審に思う奴も出るだろう。それに気付かれる度に魂魄魔法で暗示を掛けるとかしてたらキリがないと思うのだ。

 

部屋そのものに魂魄魔法を付与して意識を逸らす、なんて方法もないではないが、命がかかっているわけでもないのにそこまでするのか?という疑問が俺の中にはある。

 

もっとも、必要ならそういう措置を講じることに躊躇いはない。実際、シアもティオも、人間とは違うその耳を、他人の意識から外すアーティファクトを渡してあるのだ。

 

イ・ウーやなんかじゃウサミミだろうが何だろうが気味悪がられることもないだろうが、表の世界は別だ。まぁよく見なきゃコスプレ程度にしか思われないだろうが、それでも目立つことこの上ないからな。そこら辺は考えねばならない。

 

「なるほどのぉ」

 

「そういうことよ」

 

手を繋ぎながら俺に肩を寄せてくるティオの腰に腕を回す。武偵的には動き辛いのであまり褒められたものじゃあないのだが、俺もティオも、魂魄魔法と再生魔法を付与したアーティファクトによって即死からも復活できるからか……いや、多分完全に雰囲気に流されているだけだけど、とにかくそんなことを気にすることはなかった。

 

そして、俺達は寄り添ったまま玄関の扉を開けた。すると、どうやら皆帰ってきているようで部屋の奥からワタワタと気配がする。

 

靴を脱ぎ、廊下を歩いてリビングへと繋がる扉を開けるとそこには───

 

「どうです天人さん、似合ってますか?」

 

「超クソ可愛い」

 

甘々のヒラヒラなお洋服に身を包んだシアがロングスカートの端をちょんと持ち上げて俺達を出迎えてくれていた。

 

 



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例え贖罪にならなくとも───

 

家に帰ったら彼女が甘々ファッションでお出迎えしてくれました。なんて言えば超贅沢な風景に見えるだろう。実際そうだ。

 

「……んっ、シア可愛い」

 

「よくお似合いですよ、シア様」

 

ユエとリサも絶賛のロリータファッションに身を包んだシア。ウサミミがぴょこぴょこ動いていてご機嫌らしい。

 

「ジャンヌと買いに行ったのか?」

 

「はい、ジャンヌさんが選んでくれました。これなら尻尾もキツくないですぅ」

 

あぁ、シアが今着ている服は装飾過多だが基本はワンピースみたいな形だからか、尾てい骨の辺りには余裕があるのか。しかし───

 

「普段水着みてぇな服しか着てないのに意外だな」

 

「兎人族の民族衣装を露出魔みたいに言うのはやめてほしいですぅ!」

 

シアの叫びにしかし俺達は顔を見合わせるばかりだ。何せあんな……下手したら水着より肌の出ている服を着て旅をしてたんだからなぁ。

 

しかしシア的には俺達の反応が気に食わないらしく、「大変遺憾ですぅ」というような雰囲気を醸し出している。

 

んー、シアには名古屋武偵女子(ナゴジョ)の制服は見せられねぇな。確実に「私もこれにしますぅ」とか言い出しそうだ。あんな股下数センチ&へそ出し上等な、防弾制服は短ければ短いほど自分の強さの証明になる!なんていうトチ狂った校風丸出しの格好は流石にさせられない。

 

しばらく着たら取り敢えずは満足したのか、結局部屋着のキャミとショートパンツとかいう超薄手スタイルに戻ったシアを眺めながら、俺はそんなことを心に誓うのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「えぇと、これから俺ぁ異世界を回ってこようと思う」

 

リサが仕入れてきた鉱石や鉱物に錬成を試し、それらがトータスの時と同じように機能することを確かめた次の日のこと。俺は皆の前でこう宣言したのだ。

 

「……それは、これまで回ってきた世界ってこと?」

 

ユエの質問に俺は「そうだ」と頷く。

 

「……私も行く」

 

すると、ユエが立ち上がり、シアも「私も行きますぅ」と手を挙げた。

 

「……いや、今回は俺1人で行かせてくれ。特に───」

 

「……最初の世界」

 

俺の言葉を遮ってユエが告げる。そう、俺とリサが最初に飛んだ世界。ISのあるあの世界へ俺は行こうと思っていたのだ。

 

「……そうだ。トータス以外で俺とリサが特に深く入り込んだ世界が幾つかある。その、1番最初の世界だ……」

 

それと同時に、多分最も最悪な形で出た世界でもある。あの後から俺はなるべくその世界に深く関わることを止めたのだ。深く知らなければ、何も考えることなく刃を振るえる気がしたから……。

 

「ユエ、シア。これは俺が受けなきゃいけない罰なんだよ。俺が向けられなきゃいけない感情なんだ。俺には、それを受け止める義務があるんだ……」

 

「……天人」

 

「天人さん……」

 

「……ご主人様、それには、リサも行っていいでしょうか?」

 

「リサ……?」

 

ユエとシアが、俺の罪を知っている2人が俺を見据える中、リサがおずおずと手を挙げた。

 

「あれは、リサがあの時世界を渡る方法を伝えたから……リサが、またこの世界に戻りたいと願ったから……。ならご主人様の罪はリサの罪でもあります。償うのなら、リサも一緒に……」

 

「違う、違うよリサ。リサの願いを叶えることが俺の望みだ。リサに降かかる火の粉は全部俺が払う。それで被る罪も罰も全部、俺の物だ」

 

俺の全部はそのためにあるんだ。今でこそ俺はリサ以外の女も愛しているけれど、あの時の最愛は確かにリサ1人で、俺の全てはリサのためにと決めていたのだから。

 

「だから、行ってくるよ」

 

俺は羅針盤で座標を指定する。それだけでけして少なくない量の魔力を持っていかれる感覚。そして、宝物庫から越境鍵を取り出し、そこに魔力を注ぎ込む。俺はISのあった世界からさらに数年間時間軸を進めていた。だからISあったあの世界へ、それも俺達があそこを出た後の世界へも行けるのだ。とは言え、例え数ヶ月程度でも現時点からの未来への跳躍は凄まじく魔力を必要とする。俺は聖痕を開き、限界突破をも使って鍵に魔力を注ぎ込んだ。

 

そして───

 

「ご主人様!……絶対に、帰ってきてください」

 

「……んっ、待ってる」

 

「戻ったらめいいっぱい甘えさせてあげますぅ」

 

「天人よ、待っておるのじゃ」

 

「あぁ。また後でな」

 

───再びあの世界への扉が開く。今度は、自分の意思でそこに足を踏み入れた───

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺の目の前に現れたのはもう記憶の中じゃ何年も前に見たっきりの、懐かしさすら感じる階段の踊り場だった。時間は多分朝。それくらいに着くように指定したからな。俺は拙い記憶を頼りに校内を歩き出した。いくつかの教室の前を通り過ぎたが、窓から見えないように隠れ潜んで移動したからか、誰に見つかることもなかった。ただ、どの教室も重苦しい雰囲気に支配されていた。

 

そして、俺はようやくお目当ての教室を見つけた。

 

───1-1

 

そう書かれた札の掛けられた教室。織斑千冬が担任を任されていて、その弟の織斑一夏や俺とリサも授業を受けていた教室。

 

しかし中から感じる空気は他のどの教室よりも更に重たい。そりゃあそうだ。何せ尊敬する担任の先生が殺されたのだ。しかもその最重要参考人達は完全な行方不明。その上どこに行ったのかの手掛かりすら掴めていないはずだ。

 

俺は、そんな沈んだ教室のドアを開く。ガラガラと、不意に音を立てた空いたそこに、教室自由の視線が集まった。

 

「……え」

 

「嘘……」

 

「神代……くん……?」

 

その呟きは誰のものだっか。俺にはもうよく分からない。クラスの奴らの顔すらも俺にはもうあんまり思い出せなくなっていたのだ。辛うじて、専用機持ちの面と名前だけは思い出せるけれど、他はもう難しい奴の方が多かった。

 

「……山田先生」

 

俺は、生徒以外じゃかろうじて思い出せるその名前を呼ぶ。暗い顔で、ボソボソと何かを喋っていた山田先生の視線に、光が戻った気がした。ただ、その光が灯っていい光なのかどうかは、俺には分からなかったけど。

 

「神代くん、今まで、どこへ……」

 

山田先生のその質問を俺は目線だけで制した。

 

「……一夏」

 

「なんだよ……」

 

「それと篠ノ之箒」

 

「……なんだ」

 

名前を呼んだ2人から帰ってきたのは、奈落の底から這い出てきたような濁った声だけ。その目には、明らかな敵意が混ざっていた。

 

「聞け、篠ノ之束と織斑千冬を殺したのは俺だ」

 

俺のその言葉に教室中がザワつく。その中で1人、ゆらりと立ち上がる奴がいた。一夏だ。

 

「何を、言ってるんだよ……お前は、何を……」

 

「事実だ。シャルロットやラウラからは何も聞いてないのか?」

 

「シャル……ラウラ……?」

 

「あぁ。俺がこれまで全く姿を見せなかった理由。……お前らなら想像付いてたんじゃないのか?」

 

話を振られた2人はビクリと肩を震わせた。どうやら、この2人は俺とリサのことに関して誰にも何も言っていないらしい。

 

「……何も聞いてないんだな」

 

「あぁ。それどころか、あの2人は必死になってお前のことを探してたんだ!皆が、俺だってお前を疑った!!けど、あの2人だけはお前のことを信じていたんだぞ!!」

 

「それでも、俺が織斑千冬と篠ノ之束を殺した事実に変わりはない」

 

どれだけあの2人が俺のことを信じてくれていようとも事実は変わらない。だから俺は淡々と真実だけを告げた。俺の、裏切りの事実を。

 

「……お前が!お前がその名前を呼ぶんじゃあねぇぇぇ!!」

 

幽鬼のように足元が覚束なかった一夏の軸が定まった。そして溢れる激昴のままに俺の胸倉を掴む。その目に明確には敵意と殺意が入り交じっていた。姉を、昔馴染みの知り合いを殺された怒りが彼を支配していたのだ。

 

「……貴様が」

 

ふわりと、声が響く。一夏の声ではない。そういえば久々に聞いたけどこの声、ティオに似ているなと、俺はふと思った。その声の持ち主は篠ノ之箒。束は年がら年中行方不明で常に世界中を捜索されているような人間だったから、それほど騒ぎにはなっていないかもしれないと思っていたのを思い出した。だが、篠ノ之箒には彼女の身に何かがあったことは分かったのだろう。もしかしたら、織斑千冬に悲劇が起こったことで束に連絡を入れたのかもしれない。そして、連絡がつかないことを不審に思った。もしくは彼女の死体でも見つかったのか。篠ノ之束の遺体は海に沈んだからどうなるかと思っていたのだが。

 

そして、俺が明後日の方向に思考を飛ばしている間に篠ノ之箒のISの展開が行われていた。1度見たきりだったあの紅色の機体。その腕部が篠ノ之箒の右腕に展開され、手には日本刀のような武装が握られていた。

 

それが俺目掛けて振るわれる。一夏がそれを止めることはない。むしろ、俺を突き飛ばして自分は篠ノ之箒の殺傷圏内から離れたのだった。

 

白刃が俺の頭上へと迫る。唐竹割りに振るわれたその刃を俺は左手で掴み取る。

 

今の俺の筋力と左腕のオラクル細胞があればISの武装とパワーを受け止める程度は造作もないのだ。だがそんなことを知る由もない篠ノ之箒達にとっては俺の動きは予想外の出来事であり、もたらした結果は有り得ないものなのだった。

 

押しても引いてもビクともしない刃に、篠ノ之箒の顔には焦りが見えてきた。

 

「皆には悪いことをしたとは思ってる。けど、あれは俺にとって必要なことだったんだ」

 

「……本当にお前なんだな」

 

俺を見殺しにしようとした一夏が、最後の確認をしてくる。俺はそれにただ頷く。あぁそうだ、俺がやったのだと。

 

「なんで……」

 

ポツリと、呟くように一夏が問う。

 

「こんな風にISの武装を素手で掴める奴はこの世界にゃいない。もっと確実な証拠を出せと言われたら出せるが……言ってしまえば俺はこの世界の人間じゃあない。別の世界から来た人間だ」

 

「そんなこと……」

 

「……本当だよ、一夏」

 

目の前の光景と、俺の言葉がまだ信じられない様子の一夏に、シャルロットが追い打ちをかける。

 

「あぁ、一夏。私は学年別トーナメントの時にアイツの記憶を垣間見た。あれが言っていることは本当だ」

 

そこに、ラウラも加わる。その声は俺への怨嗟で満ち満ちていた。まぁ、織斑千冬はラウラにとっちゃ恩師であり崇拝の対象でもあったわけだから、好意が殺意に変わったとしても、何ら不思議ではない。

 

「そうかよ……でもそれと、千冬姉達を殺したことと何の関係があるって言うんだ!」

 

2人の言葉と目の前の光景、それらを合わせて一応は信じる気になったらしい。

 

「世界には決まった運命がある。そこには基本的に個人の命運なんてものは含まれていないけど、個人で世界を変えうるような奴は別だ。生きるべき時に死んでいたり、死ぬべき時に生き残ったりすると世界の運命が大きく捻じ曲がる。もしそうなったら、世界は異物である異世界人を別の世界へと吐き出す形で排除するんだ。そして、多分この世界の中心は篠ノ之束と織斑千冬だ」

 

多分、というよりはそうだったのだ。実際に、俺とリサは、俺があの2人を手に掛けたその時、この世界から排除されたのだから。

 

「だから……?」

 

「俺ぁ元の世界に帰りたかった。だけどこの世界にゃ別の世界に渡る手段が無い。ならその手段のある世界か、もしくは天文学的確率に掛けて元の世界に戻るためにも、俺ぁこの世界から強制的に排出される必要があったんだ」

 

「それで……そんな理由で千冬姉と束さんを殺したのか……?」

 

「あぁそうだ。俺ぁ俺が帰るためだけに2人を殺した」

 

「そんなこと……」

 

「許されるとは思ってない。俺んやったことは絶対的に悪だと思う。けど、それでも俺には、帰りたい世界があったんだよ」

 

「ねぇ天人……」

 

シャルロットが、フラフラとこちらに向かってくる。その頬は薄らと残る記憶よりやつれているように見えた。

 

「ここじゃ、駄目だったの?ここでだって天人もリサも暮らせてたのに……」

 

「さぁな。ただ、俺のどっか深い所が叫ぶんだよ。俺の居場所はここじゃない、あの世界なんだって」

 

「……もういい」

 

ボソリと、今の今まで黙って会話を聞いていた篠ノ之箒が呟いた。

 

「どんな理由があろうと、私は姉さんと千冬さんを殺した貴様を許さない……2人の仇だ……っ!」

 

篠ノ之箒の左手にもISが部分展開される。そのマニピュレータに握られたもう1振りの刀。それが俺の首を狙って振るわれた。だが───

 

「なっ───!?」

 

その白刃が俺に届くことはない。その刃は俺の生み出した氷の壁に阻まれ動きを止めていた。

 

「……お前らになら殺されても仕方ないとは思うけど、俺ぁここじゃ死ねねぇんだよ」

 

「じゃあ、何しに来たんだよ……」

 

一夏が、何かを堪えるように呟く。

 

「俺にできる罪滅ぼしは、せめてお前らがちゃんと俺を恨めるようにすることくらいだ。俺は死んでやれないし、この世界の法律に則って裁かれてもやれない。だからせめてこのくらいはな……」

 

俺は俺が罪を犯した世界を1つ1つ回って裁きを受けてやることはできない。俺はリサやユエ達と共に、あの世界で生きなければならないからだ。

 

だからせめて、深く裏切ってしまった彼らに対しては、しっかりと怒りの矛先にならなきゃいけないんだ。そして、俺は一生コイツらに恨まれていることを自覚して生きていく。それが俺にできる唯一のことだと思う。

 

「そんな勝手な───」

 

「───箒」

 

だが当然、篠ノ之箒はそんなことでは足りないとばかりに俺に言い募ろうとする。しかし、それを一夏が押し留めた。

 

「一夏!!」

 

「箒、ここでコイツを殺して何になる?それじゃあ千冬姉も束さんも帰ってこない。それに、ここでこんな奴を手に掛けたところで俺達がコイツと同じ所に堕ちるだけだよ」

 

一夏の、侮蔑や軽蔑の込められたその目が俺に向けられる。コイツがこんな顔をするとは思わなかった。いや、変えてしまったのは俺か……。

 

「けどなぁ、俺だってお前を許したわけじゃない。ただもう……お前の顔は見たくないんだよ……」

 

 

───だから目の前から消えてくれ、そして2度と現れないでくれ

 

 

それが一夏が俺に投げた言葉だった。俺はそれにただ無言で頷くばかり。

 

「……あぁ、でもあれだ。最後に1発殴らせろ」

 

「……分かった」

 

例えISの力であろうが今の俺の体力であれば死にはしないだろう。左腕以外からはオラクル細胞による細胞の結合力は無くなったが、それでもトータスで魔物を大量に喰らった影響で、俺の身体の頑丈さは人間のそれを遥かに超えているのだから。

 

だが一夏の構えた拳は機械に覆われたそれではなく、ただ生身の拳だった。そしてそれを振りかぶり───

 

 

───俺の左頬に衝撃が走った

 

 

「……私にも1発殴らせろ」

 

ISの部分展開を解除した篠ノ之箒も拳を構える。そしてその右の拳を俺の左頬に叩きつけた。

 

「わたくしもよろしいかしら。一夏さんや箒さん、それにわたくしの友人達を悲しませた貴方をわたくしは許せませんの」

 

そして、今までずっと言葉を発しなかったオルコットが立ち上がる。俺は当然黙って頷く。それを見たオルコットも拳を握り、俺の頬を打つ。

 

「……じゃあね、天人」

 

シャルロットも同じ所を殴り、そしてラウラも拳を構えた。

 

「……あの時私がお前に抱いた感情はきっと間違いだったのだろうな」

 

ラウラの拳が振るわれる。そして───

 

「何よ、面白そうなことやってるじゃない」

 

いつの間にやら現れた凰が、1組の教室の前側の扉を開けて仁王立ちしている。

 

「私にも殴らせなさいよ」

 

言うが早いか凰が俺の左頬を殴る。

 

「……じゃあな」

 

その言葉を最後に、一夏の目にはもう俺は写ってはいない。完全に俺という存在から興味を無くした顔だ。

 

最後まで俺の名前を呼ぶことがなかった一夏に俺は背を向ける。いや、ここにいる全員、そしてこの世界そのものに背を向け俺はこの世界を後にした……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

隣のクラスの鈴も含めた専用機持ちにひとしきり殴られた後、神代天人はどこからか鍵のようなものを取り出してそれを空中に差し、そして現れた扉のようなものの中へ消えていった。それが、一夏の中に殊更"異世界"というものを意識させた。

 

「あぁ……」

 

言葉にもならない呟きは誰に拾われるでもなく虚空へと消えていった。

 

「一夏……」

 

箒が、一夏の肩に手を置く。その顔には「なぜあれで行かせたのか」というような疑問が浮かんでいた。

 

「……なんかさ、可哀想になったんだよ、急に。アイツは、あんなことしか思い付けなくて、そして実行しちまえた。きっと俺達が何を言ってもアイツは変われないんだって思ったら、アイツのことで悩むのが無駄に思えてきたんだよ……」

 

それが、一夏の本心。許したわけではない。ただ、このまま彼のことで頭を使うことの方が馬鹿らしいと、そう思ったのだ。それは明確な軽蔑と侮蔑。そしてその対象と同じ場所に自分が堕ちてなるものかという誇り。一夏の中にあったのはそれだった。

 

「……でも、良かったんですか?山田先生だって……」

 

専用機持ちがそれぞれ神代天人を殴りつけた中、真耶だけは彼を殴らなかった。それが一夏には不思議だったのだ。

 

「えぇ……。仮にも、私は教師で、彼は短い間でしたが私の生徒だったんです。だから……。それよりもすみません、彼とリサさんがこの世界の人間でないことは、実は私も知ってたんです。私と、織斑先生と、篠ノ之束女史はそのことを知っていました」

 

「じゃあ、世界を渡る条件、ってやつもですか?」

 

「いいえ、そこまでは……。それに、神代くん達も、こちらに来たばかりの頃は知らなかったはずです。IS学園に留まっていたのも、それを調べることが目的にありましたから」

 

そして、真耶には予想が付いていた。彼らがそれを知ったタイミングを。それを誰がもたらしたのかも。

 

「これを言ってどうにかなるものでもありませんが、きっと、彼らがその情報を得たのはあの林間学校の時だと思います」

 

そして真耶は語った。一夏が意識を失っている間、他の専用機持ち組が銀の福音に立ち向かっている時に現れた青年のこと、神代天人と戦っていた謎の男のことも。

 

「……きっと、計画的なものではないのでしょう。あの時に聞き、そして直ぐに思い立った」

 

「そう、ですか……」

 

しかし、その話を聞いても一夏の胸にある彼への感情は何ら変化はなかった。神代天人への憎しみが無くなることはきっと一生ない。だが、それに囚われて生きるのは止めようと思ったのだ。

 

忘れることはできない、許すことはもっとできない。けれどもそれに囚われてしまっては自分も、そして周りもきっと幸せにはならない。復讐を果たしたところでそれは彼のような存在が新たに生まれるだけだ。そして、その暴力の化身になるのは一夏自身であることも、自分で分かっていた。

 

だから自分はもう前を向いて生きよう。下や、後ろを向いて生きるのではない。そうやって、強く生きるのだ。それがきっと、千冬と束への1番の手向けになると信じて───

 

 

 

───────────────

 

 

 

扉を潜り、俺の世界、武偵校の寮の部屋に戻るとそこにはリサ達だけでなくジャンヌまでもが揃っていた。一応、出てから30分後に戻ってくるようにはしたのだが、その間に呼ばれて来たのか。

 

「……私が呼んだ」

 

と、ユエが明かす。理由は分からないがともかくそういうことらしい。

 

「ここで呼ばないのはきっと卑怯ですからね」

 

ユエに続けてシアがそう言う。何がどう卑怯なのかはきっと俺には一生かけても分からないのだろう。

 

「天人、全部リサやユエ達から聞いた。お前がこれまで何をやってきて、そして今何をしてきたのかも」

 

ジャンヌが今にも泣きそうな顔をしている。……どうしてお前がそんな顔をするんだよ。

 

「全部って……」

 

「そんなに私は頼りないか?私は、お前の苦しみを分かち合うにはそんなに弱そうに見えるか?」

 

ジャンヌが、泣きそうになりながら、それでも意地でもその目元に溜まった雫を零すまいと堪えながら俺に歩み寄る。

 

「ジャンヌ……?」

 

「私は、もっと天人が知りたい。天人がこれまでの旅で何と戦い、どんな風に傷付いたのか、誰を傷付けたのかも……その罪も、何もかも全部だ。そして、その痛みを分け合いたい……」

 

その言葉と共にジャンヌの両手が俺の頬を挟む。殴られた左頬には端から痛みは無い。それが、俺がどれだけ人間から掛け離れてしまったのかということを無理矢理に解らせてくる。

 

「俺は……」

 

ジャンヌの端正な顔が近付いてくる。その桜色をした薄い唇に目が吸い込まれる。ジャンヌがアイスブルーの瞳を閉じ、そして───

 

「……今日はここまで」

 

ユエに羽交い締めにされて俺から引き剥がされた。

 

「……天人は雰囲気に流されすぎ」

 

「そうですよ天人さん、まだこういうのは早いですぅ」

 

ユエとシアが不満そうな顔で文句を言ってくる。ティオはニマニマと意地の悪そうな笑みを浮かべてばかりだしリサはニコニコと無言の笑みだ。割とこれが1番怖い。

 

「……さて」

 

ジャンヌを退けたユエが仕切り直すようにこちらを見る。

 

「……言われなくても、天人が向こうで何をしてきたのか分かる。天人はちょっと自罰的すぎる。……言ったでしょ?天人が私達にしてくれたことは何も変わらない」

 

「そうですよ、天人さん。私達は天人さんと分け合いたいんです。喜びだけじゃない、痛みも、苦しみも全部です」

 

ユエとシアが、それこそ天使のような頬笑みを浮かべて俺を受け入れようとしてくれる。この2人には俺の過去の罪を全て話している。それでもなおと、そう言ってくれるのだ。

 

「ジャンヌも言っておったがの、そんなに妾達は弱そうに見えるか?天人が痛みを全て引き受けないと駄目になると、そういう風に見えるのかの?」

 

ティオが俺の背中に寄りかかり、腹の前に手を回す。

 

「妾達はお主の全てを受け入れる。その覚悟でこの世界に来ておるのじゃ。あまり舐めてもらっては困るのじゃ」

 

「ご主人様、ご主人様はいつもリサを守ってくれました。こう言ってもご主人様はきっと首を横に振るのでしょうが……あの世界でご主人様がしたこと、いいえ、あの後の世界でも同じです。リサがあの時、帰りたいとご主人様に願ったから、ご主人様は……。だからご主人様の痛みはリサも引き受けます。これまで、どれほどご主人様がリサのために戦い、傷付き、痛みを背負ってきたのかリサは知っています。リサはご主人様やユエ様達のようには戦えません。それでも心の痛みはリサにも分けてください。ご主人様はもうこれ以上ないほど傷付きました。それはリサのために……。ですから、リサもご主人様と一緒に……」

 

リサが俺の胸に寄り添う。言葉が、俺の中に染み込んでくる。俺の罪が許されることはきっと永遠にない。何をしても、何にも変えられないものを奪ったのだから。

 

だけど、俺はあの時それを選んだんだ。例え誰から何を奪ってでもリサと帰る道を。そして今はコイツら達と生きる道を選んだのだ。

 

あぁ、俺はなんて恵まれているのだろう。俺の罪を一緒に背負うと、痛みも苦しみも分け合いたいと言ってくれる女達がこんなにいるのだ。俺は寄ってきたユエとシア、それからジャンヌ共々リサを抱き締める。そしてその背中にティオが寄り添ってくれる。全身で愛おしい女達の温もりを感じる。

 

「ありがとう……」

 

ただ俺はそう呟いた。それこそ俺の飾りも偽りもしない本心だった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……そう言えば」

 

と、ユエが俺の腕の中で顔を上げた。

 

「……1つ思い付いたことがある」

 

「んー?」

 

「……魂魄魔法と再生魔法があれば死んでから直ぐなら蘇生できる」

 

確かに15分が限度のようだが、魂魄魔法と再生魔法の組み合わせで俺達は死者を蘇生させることができる。エヒトルジュエ達との戦いの折り、地上では香織がそれで戦線を維持していたらしい。実際、香織もハイリヒでは魂魄魔法のその力で命を拾ったのだ。

 

「え、うん」

 

「……天人が飛ばされた直後に飛べば、さっきの世界で殺した2人を蘇生できるかも」

 

それは、俺も考えないではなかった。俺とリサは織斑千冬殺害の瞬間に次の世界へと飛んだのだ。越境鍵の力でその直後に飛び、彼女ら2人を蘇生させることは、できないものではないだろう。

 

だけど───

 

「あの2人だけならそれもできるけど……俺は他の世界でも……」

 

そして、俺はその全てを完璧に覚えている訳ではない。それに、色んな所にいる何人もの人間を手に掛けてようやく別の世界へ飛ぶことの方が多かったのだ。この方法で俺が殺した全員を蘇らせることは不可能なのだ。

 

それに、俺にとって思い出深い人だけを救うなんてことをして良いのだろうか……。

 

「……天人は前に言ってた。命に明確に順位を付けてるって。その2人と他の人、天人にとってどっちが上?」

 

「それは……」

 

そんなの……織斑千冬は異世界から来た俺を受け入れてくれた。あの人がいなければ俺はあの世界で今も彷徨うことになってたかもしれない。篠ノ之束は確かに褒められた人間性ではなかったし、実際俺も好印象かと問われればそうでもない。

 

だが、あの後の世界で手に掛けた名前も思い出せないような人達と比べたら、確かに俺は篠ノ之束を選ぶだろう。それは、彼女のことを僅かでも知ってしまったからだ。

 

「……その人達をどうしたって、天人のやったことは天人の記憶に残り続ける。事実は変わっても、真実は変わらない。……私は……私達は天人のしたことを見て、受け入れたい。例えそれが罪だとしても」

 

ユエの白く小さな手が俺左頬を撫ぜる。

 

「そうですよ、天人さん。何を見ても、私達はどこにも行きません。ずっと天人さんの傍にいます」

 

シアの柔らかい手が俺の手の甲を擦る。

 

「天人は怖がりすぎなのじゃ。これでは妾達が信頼されていないかのようじゃ」

 

ティオが肉感的なその身体を俺の背中に預ける。

 

「リサはこれまでも、これからも変わらずご主人様について行きますよ」

 

リサの瞳が俺を捕らえて離さない。

 

「あぁ……ありがとう……」

 

安心したからなのか、不意に膝から力が抜けてしまう。崩れ落ちる俺を皆が支えてくれる。俺は、きっともうコイツらなしでは生きられないのだ。それくらい、もうどうしようもなく彼女達は俺の中に入り込んでいるんだからな。

 

俺は覚悟を決める。言葉だけじゃなく、キチンと見せよう。俺の過去を、あの旅の中で俺が何をしてきたのかを。俺自身ですらもう全てを把握しきれていないけれど、道は羅針盤が指し示してくれるだろう。あとは鍵を回すだけだ。

 

 

 



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挨拶回り

 

何日か掛けて幾つもの世界を渡り、思い出せる限りの話をして、俺達は寮の一室へと戻ってきた。だが、全ての世界を巡ったわけではない。俺は明確に、2つの世界には寄らなかった。

 

「あと2つ、俺とリサが行った世界があるんだけど……」

 

「1つの世界では誰も殺すことなく、もう1つの世界でも、手に掛けたのは私達の住んでいた国と戦争となった、もしくは宣戦布告も無く襲ってきた国の兵士だけでした。そして、その世界から出る時にはご主人様は、その世界を救うために尽力した1人としてそこを去ったのです」

 

戦争という状況下において俺が敵国の兵士を殺害したことまで攻める奴は向こうにもいなかった。別に、俺がやらんでも誰かがやっただろうことだからな。あれに関しては俺も特に思うことは無い。紅丸達には最初心配されたが、アイツらはまたリサに危害を加える可能性の高い奴らだったのだ。そもそもが先に仕掛けたのも向こうだし、誇ることでもないけれど悔やむことではないと思っている。

 

なので、リムル達の世界に行く時には普通に挨拶というか顔見せとして行くつもりだったのだ。そして、向こうを出る時には半分夢物語だと思っていた自由な異世界転移と時間移動の手段も手に入っていた。

 

アラガミのいた世界でも、俺達は不意の転移だったし、それまであそこでは悪いことはしていない。ただ、急にいなくなってしまったのは悪かったと思うからそういう意味での謝罪は必要だろうか。

 

「取り敢えず、残り2つはまた明日な。今日はもう、疲れた」

 

そうして俺達は明日以降の予定を確認して、風呂に入ったり歯を磨いたりしてから各々布団に潜り込む。今日俺と同じ布団に入るのはユエらしい。

 

ユエと同じ布団で眠るのはいつ以来だろうか。トータスでの旅の中でも、段々と人が増えてからはいつの間にか布団は分かれて寝ていた気がする。俺は布団の中で久々に腕に抱く、華奢なユエの身体にノスタルジーを感じながら眠りへと落ちていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺達は、俺が飛んでから何日か経った後のフェンリル極東支部へと渡った。そうしないと、顔見せする意味が無いからな。最近、異世界転移の度に聖痕を使っているが、強化の聖痕は使い慣れているからかあまり身体に負担がかかっている感じはしないな。

 

そうして俺の部屋へと飛んだのだが、そこは多少埃こそ被っているがそれ以外はほとんどそのままのように思えた。ここも、去ってから何年か経過しているので記憶が朧気なんだけどな。

 

ここに関しては本当にユエ達が来る必要は無かったのだが、本人達が来たがったのと、態々武偵高に戻って3人を拾ってからリムルの世界に行くのも面倒だったので皆連れて来た。

 

「……ここが?」

 

「うん。……さて、アイツらはいるかな」

 

来たはいいが第1部隊が任務に出てていない可能性もある。ていうか、リンドウに加えて俺まで抜けて第1部隊はどうなったのだろうか。まぁ、まだ飛んで数日のはずだし、何より4人も残ってるから解散なんてことにはなっていないだろうけど。

 

俺は俺がいなくなった後のこの世界のことに思いを馳せながらフラフラと支部の中を歩き回る。基地の中は俺の朧気な記憶とそう変わってはいなかった。まぁ、こっちの時間軸で言えば俺がいなくなってから数日だから、そんなに変わるわけもないのだが。

 

「……あ」

 

すると、廊下の先から見知った顔が歩いてくる。沈痛な面持ちで視線が下がっているが、あれはコウタだ。向こうも、俺の声に気付いたのかフッと顔を上げ、そして固まった。

 

「よう、コウタ」

 

久しぶり、と言いかけたがやめておく。俺からしたら何年かぶりだが彼からしたらまだ数日の話だからな。

 

「……え、嘘……だろ……?」

 

「嘘なもんかよ」

 

今俺は武偵高の制服を着ているけれど、コウタには俺だと直ぐに分かったようだ。もっとも、いきなり支部から姿を消した奴が唐突に戻っていたらあぁもなろうものだが。

 

「え……どうして……今まで、どこに……」

 

「あぁ……色々あったんだよ。……第1部隊の皆は?」

 

「あ、あぁ……今日は皆、いるよ……えと……」

 

「呼んできてくれるかな、俺ぁ……そうだな……作戦指令室にでもいるよ」

 

「あ、あぁ……分かった!」

 

コウタは俺の後ろにいる女子達に目線を向けるが、兎にも角にも振り返り走って第1部隊の皆を呼びに行った。

 

「……今のは?」

 

「こっちでの……仲間、かな」

 

その後リサがこの世界がどんなところだったのか、そしてここで俺が何をしていたのかを語る。ユエ達はそれを無言で聴きながら俺の後ろをついてきた。そして、いつも雨宮三佐のいる作戦指令室へと入る。そこには見知った面々がいて、俺の登場に全員目を丸くしていた。

 

「あぁ……お久しぶり?……です」

 

数日振りの相手に久し振りもないだろうとは思うがコウタの時と違って何も思いつかなかったのだ。まぁ別にいいだろう。

 

「……貴様……今までどこに、それに、リサ・アヴェ・デュ・アンクはともかく他の女達は誰だ?」

 

雨宮三佐が俺の後ろのユエ達を睨む。相変わらず眼光の鋭い人だ。

 

「あぁ、……そこら辺は説明するんで、えと、今コウタが第1部隊の皆を呼んで回ってると思います」

 

すると雨宮三佐は「そうか」とだけ呟き、直ぐに館内放送で第1部隊に召集をかけた。本当に仕事の早い人だよ。

 

そして、その声に従ってソーマを含めた現第1部隊が全員集まった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「それで?何から何まで説明してもらおうか、神代天人」

 

この場に全員が揃ったことを確認した雨宮三佐が睨み付けるように俺に説明を求める。

 

俺は、自分の出自のこと、色んな世界を回る中でここに辿り着いたこと、ここから急にいなくなった理由、そしてここにはもう居られないことを、包み隠さず言葉にした。そして、別の世界の証拠としてリムルの世界の魔法も見せた。それらの効果によって、俺の体内のオラクル細胞の心配もいらないことも話した。それでようやくこの場のほとんどの者が理解した。別の世界の存在と、俺がもうここにはいられないということを。

 

だが───

 

「……嘘、ですよね」

 

絞り出すように呟いたのはアリサだった。

 

「……見ただろ?俺ぁ……俺達はこの世界の人間じゃない。この世界の人間は、あんなことは出来やしないだろ?」

 

「……でも、いいじゃないですか、この世界にいても。天人さんにはまだ左腕の神機が残っているんでしょう?それにほら、他の皆さんだって何か魔法みたいなのがあって、それならアラガミとも戦え───」

 

「アリサ」

 

俺は、アリサに最後まで言わせることはなかった。この世界に、そう悪い印象は無い。特段悪いこともしてはいない。けれど俺はこの世界に居着くつもりは毛頭なかった。リサやユエ達だけじゃない。俺には、向こうに仲間や友人を残してきているのだ。それに、ミュウやレミアさんをまたこんな過酷な世界に置きたくはない。俺は、この世界では生きられないのだ。

 

「ここに来たのは、世話になった皆にお別れを言うためだ。……今までお世話になりました、ありがとうございます。そして、さようなら……」

 

「そんな……」

 

雨宮三佐や第1部隊の皆に俺は頭を下げる。

 

「それと、これを……」

 

俺は変質者の能力で左腕から神機を分離させた。体内に巡らせたオラクル細胞も神機に纏めて排出したから、これで俺の細胞からはオラクル細胞は消え去った。そして、最後まで諦めの悪かったアリサも、これで俺が完全にいなくなるのだということを理解したみたいだった。

 

「この神機はどう扱ってもらっても構いません。もう俺には必要の無いものだから……」

 

「分かった。扱いはペイラー博士に一任するとしよう」

 

「えぇ、それがいいと思います」

 

変成魔法の効果で、触れても暴走はしないと思うが念の為ペイラー博士に取り扱ってもらった方が良いだろう。俺は取り出した黒い神機を置くと、宝物庫から越境鍵を取り出す。

 

「これで、本当にお別れです。さようなら……」

 

鍵を空間に差し込む。虚空が脈打ち扉が現れる。俺が飛ぶのはここより先の未来。

 

「天人!!」

 

背中に、コウタの声が掛けられる。

 

「じゃあな!」

 

俺が振り向けば、コウタとサクヤさんが手を振っている。そしてソーマもこちらを見据えていた。アリサも、泣きそうな顔をしていたがそれでも俺から目を逸らすことはなかった。

 

「あぁ、じゃあな」

 

そうして俺は扉を潜る。その先の、リムルのいる世界へ向けて───

 

 

 

───────────────

 

 

 

「っと……」

 

俺が扉を開けたのは魔国連邦の中央都市リムルの、さらに中央にある広場。時間軸で言えば多分リムルが俺を抱えて飛んだ日から数日後くらい。急にゾロゾロと俺達が現れたもんだから周りのざわめきが凄い。

 

この世界にも異世界人は沢山いるからリムルと入れ違いくらいじゃないと来れないかと思ったが、どうやらこの世界に限ってはそうでもないようだ。もしかしたらこの世界は異世界人が来ることも含めての世界なのかもしれない。ようは、ここに来る異世界人はこの世界によってある程度選ばれているか、この世界の人間が呼ぶからこの世界の運命には深く干渉できないのかもしれないな。

 

だから、俺がいなくなってから先の時間であるこのタイミングに飛べたのだという推論が成り立つ。

 

「……なんと言うか、凄いですね」

 

シアがふと言葉を漏らす。まぁ、この国には魔物も人間も入り乱れて生活しているからな。トータスじゃ考えられない光景だろう。

 

「……んっ、魔物と人間が一緒に生活してる」

 

「ま、ここはそういう国なんだよ。……さて、蒼影、いるか?」

 

どうせどっかにいるだろう男を適当に呼び出す。すると、背後にヌルりとした気配が漂う。あぁ、出てきた出てきた。

 

「……大きな力を感じて来てみれば、まさかお前だとはな」

 

不意に現れた色黒のイケメンに俺とリサ以外がギョッとする。特に気配を探ることに長けたシアなんかは自分の探知を掻い潜って現れたそいつを敵かのように睨んでいる。

 

「よぉ、こっちだと何日か振りだよな?リムルいる?」

 

だがまぁ俺にとっちゃ想定内なので気にすることなく要件を告げる。シアも、俺の軽い調子を受けて滾らせかけていた殺気を収めたみたいだ。

 

「あぁ、取り次ごう」

 

そう言った蒼影が側頭部に手を当て何やら思案に耽るような雰囲気を出す。どうせ念話か何かでリムルにメッセージを送っているのだろう。少しすれば、着いてこいとこちらに背を向けて歩き出した。

 

俺達は黙ってその先導に着いていく。時々俺やリサの顔を知っている奴らが声を掛けてくるので適当にそれに応えながら歩いていけば、15分ほどでリムルの屋敷に辿り着いた。そのまま俺はリムルの執務室に通される。

 

そこには、相も変わらずやたらと輝いているスライムが1匹鎮座していた。

 

「おすリムル」

 

「天人、まさか来るとは思わなかったぞ」

 

スライムが喋ったことでユエ達に驚きが走る。と言うかお前さん、あんなこと言っておいて来るとは思っていなかったのかよ。

 

「……これ、念話?」

 

ユエがリムル特有の会話方法に疑問符を浮かべている。

 

「あぁ、そっか。リムル、人間体……っていうか喉で喋ってもらえるか?」

 

「ん?あぁそうだな」

 

(心で)頷いたリムルは10代後半くらいの人間体になる。それにもやはりジャンヌやトータス組は驚きっぱなしだ。

 

「では改めて、このスライム───あぁ、トータス的にはバチュラムだけど、兎も角コイツこそがここ魔国連邦の主でありこの世界の頂点に君臨する魔王が1柱、リムル・テンペストだ」

 

「宜しく。天人にはこの国の最高戦力として、リサにはこの国の会計や外交で助けられたよ」

 

軽い調子で手を挙げるリムル。そのまままぁ座れよとソファーを指したリムルに従い、俺達はふんわり柔らかで座り心地の良いそこに腰を下ろした。

 

「まさか本当に世界も時間も越える力を身に付けてくるとはな」

 

「あぁ。戻ってからまた別の世界に飛ばされてなぁ……。そこで世界と時間を越えられる道具を手に入れたんだよ」

 

お前も大変だな、というリムルの台詞には呆れも含まれていた気がしたがそこはまぁ許そう。俺もトータスに飛ばされた時はまたかよと思ったしな。

 

「ここに来た理由は……まぁ正直ただの顔見せなんだけど、取り敢えずコイツら紹介するよ」

 

リムルにとっちゃ、リサ以外は初見だからな。

 

「ええと、こっちの銀髪がジャンヌ、ジャンヌ・ダルク30世」

 

「……ジャンヌ・ダルク?」

 

あぁ、もしかしたらリムルの世界じゃジャンヌ・ダルクは史実の通り火刑で死んだのかな、と思いそこら辺の説明をしようとした時、コンコンと、ドアがノックされた。リムルは誰が来たのか分かっているようで、「どうぞー」と入室を促した。すると入ってきたのは───

 

「お茶が入りました」

 

お盆にお茶を乗せた朱菜だった。しかし、朱菜は部屋を見渡し、そして俺を見ると何やらゴミでも見るかのような冷徹な目付きになった。どうして……?

 

「え、朱菜、さん……?どうしたのその目付き……まるで溢れた生ゴミでも見るかのような……」

 

俺が恐る恐る聞くと、朱菜は不機嫌そうに鼻を鳴らす。本来ならリムルへの来客にこんな態度を取るような奴ではないのだが、まぁ俺が相手なら別に、ということだろう。

 

「いえ、ミリム様と別れたのに随分とまぁ……お楽しみのようで」

 

と、朱菜はリサ以外の女子面子に目線をやる。どうにも、俺がミリムと別れたのにも関わらずこんなハーレムを築いているのが気に食わなかったらしい。そういや、コイツはミリムとスイーツ同盟?みたいなのを結んでいたくらいには仲が良い。このあからさまな態度は多分そこから来ているのだろう。

 

「申し開きのしようもございません……」

 

結局あれだけ言っておいて一途を貫けなかったのは俺なのでここは平身低頭謝るしかない。それを見て多少は溜飲も降りたのか、朱菜はお盆に載せたお茶をそれぞれに配り始めた。俺のお茶だけ、置く時の力がちょっとばかし強かったのだけれど……。

 

「……あぁ、まぁあっちのリムルの世界と俺達の世界とじゃ色々違う部分があるんだよ」

 

と、朱菜が出ていき、微妙な空気になったこの部屋で話を続ける。とは言え、気勢が削がれてジャンヌの出自を細かく言ってやる気にもなれなかったけど。そして、次にユエを紹介しようとした時、それは起きた───

 

「んで、こっちの金髪の子は俺とリサ、ジャンヌとは違う世界から来たんだ。名前はユエ───っ!?」

 

ガクンっと、身体から力──というより魔素と魔力──がごっそり抜けていく。初めてのその感覚に俺は前のめりに倒れそうになる。それをシアが支えてくれたが、何なんだこれ……。

 

「……んっ、力が、沸いてくる……?」

 

そして、ユエからはさっきまでとは比べ物にならないくらいの力を感じる。見た目は変わっていないがその存在強度というのだろうか、とにかく、そういう概念的なものが強くなっているのだ。

 

「……名付け?」

 

と、リムルが呟く。俺もそれで思い出した。この世界には名付け制度が存在する。上位者が下位の者に名前を付けてやると、上位者の魔素を使って下位の奴がパワーアップするのだ。リムルはそれで魔国連邦を強く纏めあげたのだ。

 

そしてユエという名前は俺があの奈落の底で彼女に付けた名だ。それが、この名付け制度のある世界で改めて名前を呼んだことで適用されたのだろう。おかげでごっそりと魔素も魔力も持っていかれたが。まぁ俺なら聖痕もあるし問題はあるまいて。

 

「……あぁ、ユエってのはユエの世界で俺が彼女に付けた名前なんだよ。だから多分、この世界の名付けがここで働いたんだと思う……」

 

俺はこっそり聖痕を開きつつそんな話をしてやる。

 

「おおう……大丈夫か?初めてだろ、それ」

 

「あぁ、まぁどうにか。ビックリしただけだ」

 

魔素は抜けても俺の身体にはトータスの魔力も流れているからそう大事には至らなかった。それに、聖痕も開いたから直ぐに力は戻ったし。それよりユエの方は大丈夫なのか?

 

「それより、ユエは……?」

 

「……んっ、大丈夫、問題無い。……むしろ、天人に包まれてる安心感が凄い」

 

らしい。よく分からんがどうやらユエは大丈夫のようだ。

 

「……あれ?」

 

だが、リムルには何やら引っかかることがあるようだ。

 

「……どうした?」

 

「いや、昔ガビルの名前を呼んだ時、名付けの上書きがされたんだよ。けど、ジャンヌ……さん?は特に何も無いみたいなんだよな」

 

「あぁ……」

 

それは、ジャンヌが人間で、ユエが吸血鬼だからだろうか。

 

「ユエはまぁ、向こうの世界で言えば吸血鬼族ってやつでな、見た目通りの人間じゃないんだよ。この世界の基準で言えば……まぁ魔物に近い。……そうだ、それでも思い出した。2人とも、ここなら外していいぞ」

 

俺がそう言うと、「それもそうだ」とシアとティオがそれぞれのアーティファクトを外す。あれは魂魄魔法を利用した認識阻害のアーティファクトで、2人の人間とは形の違う耳を周りから隠すための物だ。

 

「おぉ!!」

 

ティオのトンガリ耳よりもシアのウサミミに興味津々と言った体のリムル。だが理子と違って、リムルは中身がガチで人間のオッサンだということは知っているので触らせたくはない。見た目はこんなでも実際はアラフォーの男だからな。

 

というのをシアには先に念話で伝えたのでシアも「興味あるなら触ります?」なんてことは言い出さない。むしろ、男だか女だか分からんはずの見た目と声の筈なのにシアがやや引き気味なことで、俺がシアにリムルの出自を軽く話してあることを察したのだろう。俺に「話したのか?」とこれも念話で伝えてくる。なので俺も「そりゃそうだ」とだけ返しておいた。

 

「で、こっちのウサミミが……」

 

シアだ、と言いかけて俺は言い淀む。シアも兎人族ということで純粋な人間族ではない。つまり、ここで俺がフルネームを発しようものなら名付けの上書きでまた魔素と魔力を持っていかれる可能性がある。別にシアが強くなる分には何も構いやしないのだが、あの感覚に俺はちょっと及び腰になっていた。

 

「……シア、シア・ハウリアだぁぁぁぁん……」

 

だがここで黙っててもどうにもならないと、意を決してシアの名前を呼んだ瞬間、また魔素と魔力を抜かれた。そして俺の中から抜けたそれらはシアへと還元される。シアも「おぉ!?」と何やら驚いている。

 

「……上書きされたんだな」

 

「……あぁ」

 

ていうか、よくこっちにいる間にリサに名付けの上書きされなかったな。あらか、ジェヴォーダンの獣の血は魔物認定されなかったんだろうな。獣人族は魔物枠に入れられたっぽいが、ジェヴォーダンは出すのに条件があるからだろうか。しかし、この分だとティオも魔物枠だろうなぁ……。

 

「……で、こっちで唯一洋服着てるのがティオ、ティオ・クラルスだぁぁぁぁ……」

 

そしてまた抜かれる俺の魔素と魔力。ティオもまた存在の根本からして強くなっているような気がする。何がどう変わったのかは……リムルの能力に任せよう……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

──今ならエヒトもワンパンできる気がする──

 

というのは名付けでパワーアップしたっぽいユエ様の談。エヒトの能力を纏めて簒奪したユエ様が言うと何も洒落に聞こえないから怖い。

 

「それよりリムル、お前の能力の、えぇと、今名前なんだっけ?あの分析担当のやつ」

 

「シエル先生か?……あぁそうだ、シエル先生から天人がもしまたこっちに来るようなら伝えてくれって言われてたんだよ」

 

「何を?」

 

「んー、何かな、お前の究極能力のことで隠してたことがあるとかで、本当のところを話したいんだとさ」

 

「あ?何それ……まぁいいや、聞くよ。俺も、コイツらが今どんな状態なのかシエル先生に聞きたいし」

 

世界の声は聞こえなかった。ということは新たにこの世界基準の能力(スキル)や何やらを手に入れたわけではないのだろう。だが3人の強度は明らかに上がっている。ここは専門家に任せるべきだ。

 

「じゃあ、一旦入れるぞ」

 

「おう」

 

と、答えるが早いか俺達はリムルの能力によってコイツの中に広がる虚空へと取り込まれた。

 

「……相変わらずここは何もねぇな」

 

虚空の中は1度経験済みの俺は特に慌てることなく周りを見渡す。ちゃんとユエ達もいるようだ。キョロキョロと興味深気に辺りを見ている。

 

そして、しばらくすると俺達の視界が真っ黒な虚空から元の色彩を取り戻す。どうやらリムルの中から吐き出されたようだ。

 

「……おう、何だって?」

 

「あぁ、そっちの3人は、何か新しいことができるようになったと言うよりは全体的なパワーアップが成されたみたいだぞ。……で、天人なんだが……」

 

「あぁ。氷焔之皇がどうのってやつか?」

 

「あぁ。えっと、シエル先生曰く、あの時天人に伝えた氷焔之皇の権能ってのは真実じゃないらしい」

 

「あ?でも実際、言われた通りのことは出来てたぞ」

 

「それがなぁ……あぁ、よく分からんからシエル先生、お願いします」

 

あ、リムルが放り投げた。と俺が呆れた瞬間、リムルの雰囲気が変わる。多分身体の主導権をシエル先生に渡したのだろう。

 

「了。これより個体名:タカト・カミシロへの説明を行います」

 

「おう、頼む」

 

「告。魔王になった折に個体名:タカト・カミシロが習得した究極能力は氷焔之皇ではありません」

 

「……は?」

 

いやいや、お前が言ったんだろうが。それを獲得したって。

 

「解。正確には個体名:タカト・カミシロが獲得した能力の権能の一部が氷焔之皇となります。そして、個体名:タカト・カミシロの願いに最も強く応えられる能力が氷焔之皇ということです」

 

「……なんだそれ」

 

「解。個体名:タカト・カミシロが獲得した能力は破壊と再生を司る原初源流の力。個体名:ユウキ・カグラザカの発現させた源流能力(オリジンスキル)である情報之王(アカシックレコード)よりもさらに根源たる力です。故に名前はありません。その権能は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というものです」

 

シエル先生より告げられたそれは、俺にとっては信じ難いことだった。そりゃそうだ。自分の中にそんな力が眠っているなんて誰が信じられるってんだよ。けれど、今更シエル先生が俺に嘘をつく必要は無いし、コイツが間違えるとも考えられない。だからそれはきっと事実なのだろう。

 

「……つまり、何でもかんでも思い通りってことか?」

 

「解。その通りです。例えば水を石にすることや土くれを黄金に変えることも可能です」

 

それは……まさしく神の如き力だ。だが、言われてみれば確かにそれは氷焔之皇のやることと似ている。そして、恐らくその元になったのは俺の聖痕の力。特に白焔は魔力や魔素みたいな力を自分の力に変換する力だ。究極的にはそういうことに繋がるのだろう。

 

「告。ですが能力は使う者の想像力に依ります。そのため、個体名:タカト・カミシロではその全てを扱い切れない、また、あの時点ではまだ我が主(マイマスター)と対立する可能性がありましたので、真実は伏せさせてもらいました」

 

それはまぁ、多分そうだろう。リムルと戦ったかどうかは知らないが、言われた今だって氷焔之皇の権能以上の力は扱えそうにない。

 

「告。ですが、その能力の力は確実に個体名:タカト・カミシロの戦闘に現れています。例えば、時間の停止した中でも動けたこと、別の世界において鉱石や鉱物を加工する力を得たことがそれに当たります」

 

あの時間停止の中で動けたことも、俺がトータスで錬成師の天職を得たこともそれが原因だったって言うのか。

 

「……けど、あの時俺がここで獲得した力や聖痕の力は別の奴に封印されたんだぞ。錬成はそん時に得た力だ。……たまたまじゃないのか?」

 

「解。その問いを否定します。個体名:タカト・カミシロの獲得した原初の能力は本人の本質に拠るもの。例え能力を封印されてもそれは変わりません。そして、その萌芽はこの世界に来てから直ぐに現れていました。例として、元素魔法を詠唱破棄の能力なく無詠唱で発動していたことが挙げられます」

 

あれもこれも、全部繋がってたのか。そして得るべくして錬成師の天職と錬成の技能を得たというわけなのね。

 

「告。氷焔之皇の権能の内、能力の凍結と燃焼はこの原初の能力に拠るもので、本質ではありません」

 

そうだ、この能力の本質は()()()()()()()()()()()()()()()。俺の守りが他の誰かも守るのだ。それは、俺がリサをもっと確実に守りたいと思ったから。ただ敵を壊すだけでは守りきれない場合もあるのだと、リサが拉致されたことで分かったから。

 

「それは知ってる。氷焔之皇はその守りの力を他の奴にも与えられるってのがキモだ」

 

「解。肯定します。告。しかし、それでも氷焔之皇の本来の力はそれだけではありません」

 

「あぁ?」

 

「告。前に告げた氷焔之皇の権能と、それに付随する能力として、個体名:タカト・カミシロが本来は獲得していた能力が幾つかあります」

 

「……何それ」

 

「解。常時発動型の多重結界と並列演算です。その他にも様々ありますが個体名:タカト・カミシロが扱えるのはこの2つになると思われます」

 

……この野郎、ただの能力のくせにちょいちょい俺のこと馬鹿にしている節がある。まぁ確かに色々言われても分からんし能力は想像力や認識によって働かせるものだから、俺の足りない頭じゃ大それたことは出来やしないのだろうが。それでもお前、結界とかなら教えてくれても……あぁ、コイツは俺とリムルが敵対する可能性も考えてたんだよな。それで俺の力をわざと制限して、最悪の場合に備えたんだ。

 

引っかかる部分はあったんだ。俺の氷焔之皇はリサを守りたいっていう意志が生み出したハズのもの。なのに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってな。あの時ゃ俺の体内にはオラクル細胞があるから物理的防御手段は要らないってことだと思っていたけど、まさか意図的に隠されてたなんてな。本当、食えない野郎だぜ。能力だけども。

 

「多重結界ねぇ……。……これかぁ?」

 

空間魔法による空間断絶魔法を思い起こす。空間魔法には適性の無い俺だが、使い方だけは脳みそに無理矢理に刻まれているからな。すると、俺の周りを何かが包む気配。これが結界ってやつか?

 

「……これ、誰かと手ぇ……握手する時はどうすんの?」

 

多分これ、使ってる間は他人と触れ合うとか無理だろう。なんなら人混みの中でも使えるのか微妙だ。肩がぶつかっただけで相手の身体を破壊するなんて俺は嫌だぞ。

 

「解。常時発動型の結界ですが、使用者の意思で切り替えが可能です」

 

そりゃ良かった。けどもうちょい使い勝手の良いやつはないのかな……。こう、一定以上の力とかを弾くような……。

 

「告。また、氷焔之皇の他者へと加護を与える権能ですが、本来は個体名:タカト・カミシロの持つ能力全てに適応されます。加え、被加護者へ個体名:タカト・カミシロから魔素や魔力といったものを共有することも可能です」

 

「……それを先に言え」

 

それがあれば態々言語理解のアーティファクトなんて作らなくてよかったのに。だがまぁ、コイツに今更何を言ってももうどうしようもない。

 

「……こうか?」

 

俺はリサ、ジャンヌ、ユエにシア、ティオに氷焔之皇を掛ける。そして魔力を変換する守り以外にも多重結界と言語理解を渡す。

 

「あぁユエ、言語理解のアーティファクト外してリサとジャンヌに何か喋ってみてくれ」

 

「……んっ、リサ、ジャンヌ、聞こえる?……私が何を言ってるか分かる?」

 

「はい、分かりますよ、ユエ様」

 

「あぁ、分かるぞ」

 

どうやら無事に効果は現れているようだ。

 

「多重結界?とか言うのは分かるか?」

 

と聞けば皆、俺に包まれてる気がするとのこと。まぁ掛かってるならいいや。

 

「……いや待て、完全に遮断するなら声も聞こえないはずだ。シエル先生よぉ、これ、実は弾く条件とかあるだろ」

 

「解。本人に害を成すものと判断されるもの以外は結界を通過します。そのため、発声による会話などは可能です」

 

コイツ、本当に俺のことおちょくってるだろ。それさっきの質問で答えてもいいやつじゃないか。どうせ、俺の質問の意図は切り替え可能かどうかっていうところにあったから、それを汲み取ったんだろうが。

 

「……はぁ、もういいや。……あぁリムル、もう戻ってきていいぞ」

 

聞けたいことは聞けた。なんかよく分からんが、多分俺の本当の能力ってやつは俺には扱い切れないんだろう。そんな力、あったって危ないだけだから制限が掛かっているくらいで丁度良い。

 

「おう、ただいま」

 

「おかえり。んで、これお土産」

 

と、俺は宝物庫からトータスで採れる鉱石を適当に取り出し、それをテーブルの上に置いた。それを見てリムルは目を輝かせている。

 

「こりゃあ……」

 

「別の世界の鉱石や鉱物だよ。異世界の魔法はどうせ俺を腹ん中に収めた時にシエル先生が覗き見てそうだからな」

 

「うおぉぉぉ……。でも、いいのか……?」

 

「幾らでもあるからな。それくらい別にどってこたぁねぇよ」

 

オルクス大迷宮に潜れば幾らでもあるからな。俺が出したのはそれほど貴重でもないタウル鉱石とか緑光石だし。

 

「ありがとな。……あぁそうだ、覇終、取ってあるけどどうする?」

 

「あぁ……あれなぁ……向こうじゃ火力あり過ぎて武偵法に引っかかりそうで使い辛いんだけど……まぁ受け取っとくよ。究極能力以外にも、俺がこっちにいた印ってことで」

 

「ん」

 

と、リムルが胃袋の虚空の中から一振の大太刀、覇終を取り出した。それは俺がこの世界を出る前と何ら変わることのない輝きをその刀身から放っていた。

 

俺はそれを宝物庫へと仕舞う。多分これも、シエル先生が既に解析を終えて仕組みをリムルに伝えてるだろう。リムルも物の出し入れに驚いていないし。

 

「……さて、俺もそろそろお(いとま)するよ」

 

「ん?もう帰るのか?皆に挨拶してけばいいのに」

 

「そりゃあリムルからよろしく言っておいてくれ。ま、ほっといても蒼影と朱菜が勝手に広めるだろ」

 

リムルもその気になれば俺の所へ遊びに来れるし、俺ももう好きに移動出来るからな。

 

「それもそうだな」

 

「今日はまぁ、俺も別の世界に行けるようになったっていう報せと久しぶりだなっていう挨拶だけだよ。……ていうか、異世界から3人……いや、今後あと2人増える予定だから5人なんだけど……ともかく、異世界人があっちで生活できるようにしなきゃだから俺も割としばらくは向こうで忙しいんだ」

 

この巡回は必要なことだと思うから時間を割いたが、割と俺はこれから忙しくなるはずだ。彼女達を養うための基盤を作ったりなんなりと、な。

 

「……大変そうだな」

 

「こっちと違ってあんまり好き勝手できねぇからな」

 

そういうわけだから、と俺は宝物庫から羅針盤と鍵を取り出し、鍵を空間に差し込む。魔力をごっそり持っていかれるがそれは聖痕の力で補い、俺は虚空に突き刺した鍵を回す。そして現れた扉を潜り───

 

「また時間が出来たら遊びに来るよ」

 

「おう、待ってるぞ」

 

と、旧友への挨拶もそこそこに俺達は武偵高の寮へと帰っていった。

 



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新生活

 

 

「……天人」

 

「んー?」

 

リムルの世界から帰ってきた次の日、俺が錬成でこの世界の鉱石を弄っていると、それを遠目に眺めていたハズのユエが袖を引いてくる。

 

「……もしかしたら、時間と世界を越えて狙った人間を異世界召喚ができるかも」

 

「……は?」

 

ユエは今、エヒトに出来たことはだいたい何でもできる。だから異世界召喚もやろうと思えばできるのだろう。だが時間軸まで越えた召喚はエヒトにだって出来ないはずだ。いや、実際にどうなのかは知らんけれども。

 

「……あっちから帰ってきてから身体に力が溢れてる。今なら……」

 

「出来て、誰を呼ぶんだよ」

 

香織辺りを強制召喚するのだろうか。いや、あっちの世界とは時間軸は揃えているから態々時間を超える必要も無いし、普通に鍵で渡ればいいだけだ。嫌がらせ以外で態々いきなり召喚する理由は無い。

 

「……トータスに行って、向こうからリサとジャンヌを呼ぶ」

 

トータスの世界はどうやらこっちの世界より下位に位置するとか何とかで、向こうに召喚されると強い力を発揮できるようになる。そして、その体力はこっちでも変わらない。トータスの世界の奴らがこちらと比べて相対的に筋力が弱いわけではなく、ただこっちから来た奴らが強くなるというだけだからな。

 

だからジャンヌとリサを向こうから呼べば2人は強い力を手に入れられるだろう。氷焔之皇の権能では魔力や俺の持ってる能力や固有魔法を共有できるが、体力はまた別だからな。確かにジャンヌが向こうに行く意味はあろう。

 

「……けどリサは駄目だ。アイツがあっちに行って、中途半端に強い力を持ったって余計な火種になるだけだ。……力ってのはあっても常に幸せになれるわけじゃない。中途半端なそれなら最初から無い方がマシって時もある」

 

もしリサが多少強くなったとして、それをこっちの力ある奴らに察知されたらリサが何らかの戦いに巻き込まれる場合もある。ただでさえイ・ウーではジェヴォーダンの獣の血の力を狙われていたのだ。ならば最初から戦闘力なんて無い方がいい。守りの力なら、俺が与えられるのだから。

 

「……んっ、分かった。じゃあジャンヌだけにする」

 

「そうしてくれ。夕方には情報科の授業も終わるだろうし。……今日はどこも行かないのか?」

 

ユエ達はこっちに来てからちょこちょここの世界の色んな所を見て回っている。文化や何やらを学ぶためだ。基本的にはそれにリサかジャンヌが着いていっていた。ただ、今日はシアとティオが2人で出掛けていった。案内されてばかりじゃいられないとのことだ。

 

まぁ、人混みの苦手なユエは比較的家にいることが多いのだが……。今日もいるし……。

 

んー、大丈夫なのかな、引き籠もり姫になったりしないだろうか……。と、そこはかとない不安を抱えた俺だが、錬成による宝石加工は上手くいっている。これならどうにか先立つものができそうだ。

 

「……んっ、こっちは人が多いから……」

 

「あぁ、トータスとかと比べちゃうとなぁ……。まぁそこはおいおいだな」

 

俺も鉱石の錬成は一旦終わりにする。適当にそれっぽい物を幾つか作ってみたが、やっぱり俺にはこういうセンス無いな。これはデザインは持ち込みか、他に頼るしかないな。

 

「やっぱ台場近くは高ぇな……」

 

俺は不動産屋のチラシを眺めながらゴチる。やはり武偵校の寮と比べると普通のマンションは家賃も馬鹿高い。それで気付いたのだが、俺は今まで台場に通うことばかりを考えていたが、そもそも台場に行くのはともかく、台場からどこかへ行くのは割と交通の便が悪い。しかも拳銃を持った高校生(武偵高生)が彷徨いてるから最近は不人気なここ台場、案外安いのだった。

 

ユエもシアももうそろそろ武偵免許が発行される。シアは強襲科で決めているらしいしユエはやはり超能力捜査研究科(SSR)に行くらしい。Sランクは人数制限あるから充てられるか知らないが、2人の実力ならいくら隠しててもAランクは余裕だろう。

 

体感で2年も前に見た記憶だから曖昧だが、星伽の全力はユエの中級魔法程度か、良くて上級魔法には届かないくらい。それがこの世界じゃ相当に強い超能力者らしいのだからユエには授業で蒼天なんて使わないでほしいものだ。例え属性魔法であっとも、ユエが本気で最上級魔法を使えば校舎が消し飛ぶ恐れがある。

 

「ただいま戻ったですぅ」

 

「ただいまなのじゃ」

 

と、そのうちにシアとティオが戻ってきた。シアには外に出る時は武偵高の制服を着とけと言ってある。コイツらが私服で歩いてたら面倒なのに絡まれること必至だからな。

 

「おう、おかえり」

 

武偵高の赤いセーラー服をはためかせるシアとライダージャケットが似合いまくりのティオを迎える。

 

「……そういや、できるにしたってなんでジャンヌを態々呼ぼうと思ったんだ?」

 

「何の話ですか?」

 

俺がふと気になったことをユエに尋ねる。疑問顔のシアにさっきまでの会話を伝えると、シアは「あぁ」と、何か得心のいった顔をした。

 

「……昨日、ジャンヌから聞いた」

 

「あん?何を?」

 

「こっちでジャンヌさん達、何とかって戦いをやってるんですよね?」

 

と、シアの口から意外な言葉が飛び出した。

 

「……あぁ、そういやあったな。極東戦役……だっけか」

 

リムル達の世界から帰ってきて、トータスに飛ばされる前にそこら辺の話は少しだけジャンヌから聞かされていた。俺はその戦いにはあんまり興味は無かったが、一応俺も当事者の1人だったしな。

 

「……天人のアルティメットスキル?とかがあれば死ぬことはないけど……」

 

確かに、多重結界と氷焔之皇の氷結があれば物理攻撃だろうが超能力による攻撃だろうがジャンヌに通じるわけがない。だから態々ジャンヌをそんな無理矢理な方法で強くする必要は無いのだ。だから俺にはユエの言いたいことがよく分からない。

 

「……せめて、戦いの土俵には上げてあげる」

 

「……魔力も魔素も俺から供給できるのにか?」

 

「ふむ、天人よ、それなのじゃが……」

 

「んー?」

 

ティオが何か言い出し難そうにしている。

 

「……私達は言語理解以外の加護は基本的に切ってる」

 

「……何故?」

 

ユエ達ならそう下手な目に遭うこたぁないだろうが、結界も何もかも無いよりあった方がいいはずだが……。

 

「私達は天人さんと共に戦いたい。守られるばかりじゃ嫌なんですぅ」

 

「……結界や魔力の凍結を切ってるのはその証」

 

「……そうか」

 

それは、エヒトとの最後の戦いの前にも言われたこと。コイツらは俺に守られるのではなく、俺を守り戦いたいのだと、そう強く決めているのだ。

 

「それで、それとジャンヌに何の関係が?」

 

「……ジャンヌも戦う側の人間。なら、私達と対等の条件で争うべき」

 

何と、とは聞かない。多分それは、俺のことだからだ。ユエ達は俺の氷焔之皇の加護がなくても戦えるがジャンヌは微妙だ。この世界じゃ強い方だけれど、それはそこら辺のチンピラみたいなのも含めた話。聖痕持ちは除いたとしても、こっちの世界にもまだいるであろう強者達とどれほど戦えるのかと言われたら……。

 

実際、ジャンヌは1対3と不利な人数とはいえアリア、星伽、キンジのトリオに負けたから武偵高の預かりになっているのだ。極東戦役なんていう超人怪人入り乱れる戦いで、イ・ウーでも最弱だったジャンヌが戦力になるのかどうか。

 

「……その上で稽古もつけてあげる」

 

「至れり尽くせりだな」

 

「ユエさん、こんな風に言ってますけど何だかんだでジャンヌさんのこと気に入ってますよね」

 

と、シアがユエの頬を突つきながらそんなことを言った。

 

「……そんなことない」

 

そうは言っても、シアに指摘されてちょっと照れたように目を逸らしたユエ様じゃあ説得力は無い。赤くなった頬も隠せていないし。

 

実際、ユエとジャンヌは異世界を回る中でよく会話をしていた。何の話をしてたかまでは聞いちゃいないが、元々王族なユエと前時代的な部分はあるが騎士然としたジャンヌは比較的性格的な部分では相性が良いようだった。お互い服の趣味も近いこともあるのだろう。普段はローテンションなユエにしては珍しく会話も盛り上がっていたみたいだった。

 

「ちょっと天然さんですけど、良い人ですもんね、ジャンヌさん」

 

ジャンヌの天然具合が本当に"ちょっと"かどうかは置いておいて、少なくとも2人はジャンヌのことを比較的気に入っているようだった。

 

「……ティオ的にはどうなんだ?」

 

「妾か?そうじゃな……。妾もジャンヌのことは気に入ってるよ。真面目ではあるがどこか抜けておって、愛らしいのじゃ」

 

「そりゃよかったよ。アイツはそういう、人に気に入られるようにするのとか苦手だからな」

 

別にジャンヌの性格が悪いってんじゃない。ただリサのように相手に合わせて人の心の中に潜り込むような器用なやり方が出来ないのだ。そこら辺はリサが1番上手くできる。だから少し心配してたんだよな。ジャンヌとコイツらがぶつかり合わないか。まぁ、それも杞憂に終わったみたいだが。

 

「まぁ、ジャンヌとは武偵のチーム組んでるからな。アイツが強くなる分には俺も助かる」

 

「……何それ?」

 

「んー?……あぁ、武偵は今年の秋くらいにチーム組んで役所に登録してるんだよ。んで、それは一生モノになる。基本的に誰かが武偵を辞めてもその繋がりは続くしチームは他の何よりも優先されるっていうのがあるんだよ」

 

そういや武偵のチームのこと話してなかったな。俺達はジャンヌとリサ、透華の4人でチーム・コンステラシオンを組んでいる。リサを戦いに出すことはないが、ジャンヌは前に出る可能性もあるし、ジャンヌに火力が出るならそれに越したことはない。

 

「……それ、私達も入れない?」

 

「いやぁ……難しいんじゃねぇかな……。まぁ、チームがあるからって他の武偵と組んじゃいけねぇ決まりは無いし、俺達んチームは俺とリサとジャンヌと透華だから、ユエ達のことも知ってる面子だよ」

 

「……むむ」

 

それを聞いたユエが何やら複雑そうな顔をしている。とは言え、いくら人数の上限にはまだ余裕があるとは言っても、戸籍ならともかく武偵のチームを後からどうこうするのはいくら理子とジャンヌでも難しいだろう。どうせ事情は知ってる奴らなのでここは諦めてもらう他ない。

 

「それより、あっちでジャンヌ呼んだら、そのままミュウとレミアさんもこっちに呼ぼうと思うんだけど……」

 

次の家の目星は何となく付いている。まだユエ達の私物が少ないうちに彼女らをこっちに呼んで、しばらく仮住まいとしてもらおう。引っ越しはその後にすればいい。理子とジャンヌに2人の書類作ってもらわなきゃだし、こっちも早めに済ませないとなのだ。

 

「……んっ、ようやく」

 

「こっちに来てから、何日か経っちゃいましたねぇ」

 

「それも仕方なかろう。天人達の準備だけでなく妾達がこっちに慣れる必要もあったのじゃから」

 

「つーわけで、ジャンヌ呼んどいてくれ。リサには俺から言っとく。とりあえず、リサは待機で、ミュウ達を迎える用意をしてもらうから」

 

「……んっ」

 

「了解ですぅ」

 

「ミュウとも久しぶりなのじゃ」

 

それは多分、色んな世界を回る時に何日かかけたからだろう。戻ってくる時には時間を遡ったから時計の針としてはそんなに進んではいないのだが、感覚的には10日程度は経過しただろうか。

 

俺はまずリサにメールを入れておく。その後、一応透華達にも"野暮用で異世界に行ってきます"とだけ入れておいた。まぁ今回は直ぐに戻って来れるんだけどな。

 

あとはジャンヌ達の授業が終わるのを待つだけだな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……来て」

 

ハイリヒの外れにある森の中───人の来ないそこに転移した俺とユエ。補助的に羅針盤でジャンヌの位置を補足し、そしてユエがありったけの魔力を込めて呼ぶ。ゴウッ!とユエの小さな身体から莫大な量の魔力が吹き上がる。それは黄金色の魔力光となって可視化される。

 

そして、どこからか強い力がこちらへ向かってくるのが感じられる。これは───

 

「……んっ、成功」

 

目の前が急に光り輝き、塗り潰された視界が開けると、そこにはキョロキョロと辺りを見渡すジャンヌがいた。両手をグッパと開いたり閉じたりして感覚を確かめているようだ。

 

「マジでか……」

 

ユエ様、マジのマジで時間も世界も越えて異世界転移を成功させた。

 

「……どう?」

 

「いや……特に何か変わったような感じはしないな」

 

ユエの問いに、ジャンヌはそう答えた。そして俺達の頭には疑問符が。ただ、俺には1つ思い当たる節があった。確か、より正確に言うのならばこの世界より上位にあるのは香織達の世界の話だったはずだ。イシュタル達は俺の出自を細かく把握していなかったから一括りにされたが、もしかしたら俺の世界とトータスは特に上下関係にはないのかもしれない。俺の体力だって、エヒトがそこを封印した訳でもないのに元の──オラクル細胞分は込だったが──ままだったからな。

 

「……とりあえず、ステータスプレートでも貰いに行くか」

 

羅針盤で示す先はイルワのところ。別に悪いことしたわけじゃないからまぁくれるでしょ。と、俺は越境鍵で空間を飛び越える扉を開く。行き先はイルワの傍。扉から顔を覗かせると、急に現れた扉と俺の顔にイルワの顔が凄まじいことになっていた。あぁ……そりゃ驚くよね……。

 

「あぁ……えっと……ステータスプレートを発行してもらいたい人がいるんですが……」

 

一応丁寧に要件を伝えたのだが、イルワはムスッとした顔になり───

 

「心臓に悪い」

 

とだけ俺に告げるのだった。

 

ごめんなさい……。返す言葉もございません。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ここがパパ達のおうちなの!」

 

イルワにステータスプレートを発行してもらっている間に俺達はミュウとレミアさんの元へと向かった。そしてイルワからステータスプレートを貰ったジャンヌと一緒に武偵高の寮の部屋へと舞い戻ったのだった。俺とユエがトータスに行ってから1時間後の時間に戻ったので、帰る頃にはもうリサもある程度支度ができているようだった。

 

ちなみに透華達もいる。俺が異世界に行くとメールを残したら即座に携帯の着信音が鳴り響いたのだ。曰く、「またどこかへ消えちゃうのかと思った」とのこと。だからもう大丈夫だってば。

 

「向こうと似ているようで違うのですね」

 

ミュウもレミアさんも、トータスが中世の欧州に近い様式だったおかげかこっちとあっちで似ている部分を見つけてはそこに指を這わせ、そして違う所には驚き興奮している。

 

「あぁ……2人とも、ちょっといいか?」

 

「みゅ?」

 

「はい」

 

それぞれテレビやキッチンに興味津々といった風だったが取り敢えずこっちを向いてくれた。

 

「ここ、実は4人が住むのが限界でさ。ジャンヌと涼宮3姉妹は抜いても実際7人が住むにはだいぶ狭いんだよ。で、ここには次の家が見つかるまでの仮住まいってことで……引っ越しする予定なんだ」

 

「あらあら。……確かにここは皆さんで住むには少し手狭かなと思っていたのですが」

 

「一応、行き先の目星は付いてるんだけど。レミアとミュウ、それから俺達5人で別々の家に一旦移って、大きな家に住めるくらい金銭的に余裕が出来たらそっちに、っていう計画なんだ」

 

もちろん、一旦の引っ越し先では俺達とレミアさん一家が隣同士になるように選んであるけどと伝える。

 

「直ぐに一緒に、というのが叶わないのは少し寂しいですが、仕方ないですね……」

 

「……悪いな。こっちは、向こうより色々高くてさ」

 

まぁ、俺も向こうで大金持ちだったわけじゃないけれど。そもそもがその日暮らしの旅人だったわけだし。金は道中で狩った魔物の爪やら牙やらを換金していたからそう困ってもなかったが、こっちじゃ獣を勝手に狩るのは違法だからな。

 

「いいえ、それでも一刻も早く私達がこっちで生活できるように考えてくれたことに感謝していますよ?」

 

「そう言ってもらえると助かるよ。……それで、これからの具体的な話なんだけど───」

 

 

 

───────────────

 

 

 

そこから先は慌ただしかった。善は急げ、ということでまずは目を付けていたお台場にあるファミリー向けのマンションを2部屋借りた。流石に2部屋分の賃料は中々だが、ユエとシアには頑張ってもらおう。まぁ、最後はリサを動員して安く済ませたけど。

 

そして、やはり細かい部分はリサに放り投げたが俺は会社を設立した。やることは結局宝石加工にした。まずはリサに鉱石を仕入れてもらって、そしてそれ俺が錬成の魔法で加工。原材料費もリサを経由することでケチれるし、技術代も格安にできる上に道具代が掛からないからかなり安く仕上げられる筈だ。まぁ、相場感とかあるだろうから、やっぱり細かい所は全部リサに投げよう。ていうか、リサがいなきゃ何も成り立ってねぇなこれ。

 

まずは売り込みから初めて、食いついたら好きな形にできるという所をウリにしようという作戦だ。

 

その頃にはユエ達だけでなくミュウとレミアさんもこの世界への登録、というかまぁ有り体に言えば公文書偽造なのだけど、とにかくこの世界に存在する証を揃えることができた。

 

俺はしばらく武偵としての仕事を入れ込み、ユエとシアは理子とジャンヌを通じ、アリアや星伽と交流を持っていたようだった。ティオもその中には入っていたが、あれやこれやと忙しそうにしている俺やリサを見て、自分だけ何もやることがないと気付いたらしい。そこでティオは俺の興した会社を手伝うために会計やPCの操作の勉強を、こっちは独学で始めた。

 

レミアさんやミュウにはリサの家事の手伝いをやってもらっている。隣同士とは言え、住居が分かれているからせめて夕飯くらいは一緒にということで俺達はなるべくレミアさんの部屋に行くかこっちに集まって一緒に飯を食うことになった。

 

そんな風にして年内は過ぎ、俺達は新しい年を迎えた。その間にあったユエとシアの武偵高デビューは上々。見た目の愛らしさや実力も相まって結構直ぐに馴染んでいたと思う。そして、俺は1つ決めたことがあった。

 

「どうしたのだ急に」

 

「1つ、話しとこうと思ってな。……極東戦役のことだ」

 

極東戦役。裏の世界で開かれた超人怪人入り乱れる人や物を巡る争い。本来俺のような聖痕持ちはこれに呼ばれることはない。強力な力を持つが故に表でも裏でもあらゆる世界から排斥されてきたからだ。特にそんなルールがあるわけじゃないのだろうが、それが暗黙の了解とされていた。

 

だが、俺はジャンヌやバスカービルの連中の何人かとはそれなりに仲が良く、しかも俺はイ・ウー時代にこの戦役の存在そのものは把握していた。それ故に彼女らがピンチになった時に助太刀に入られる可能性があった。そうなると明らかに戦いのパワーバランスは崩れる。ならばむしろ俺を戦いの渦中に最初から引き込んでしまえばいい。

 

そして、俺はイ・ウー時代から仲の悪い奴らの多い眷属(グレナダ)に肩入れすることはない。だが師団(ディーン)に入れば眷属側からリサが戦いの景品として狙われる。そうすると俺は自ずと無所属に入らざるを得なくなり、そうなってしまえば大手を振っては師団に協力できない。

 

さらに、いくら無所属とは言え聖痕持ちがいる以上は聖痕持ちに対抗するために別の陣営も端から別の聖痕持ちを用意することに誰も文句を言えなくなる。

 

その結果が俺の異世界転移の始まりであり俺をどうにか排除しようとした眷属の奴らの考えらしい。

 

俺を倒すことは難しい。それはイ・ウーにいた奴らの共通認識なのだ。リサ曰く俺をISのある世界に飛ばした男が言っていたらしいかな。

 

──粒子の聖痕の男こそが用意できた聖痕持ちの中で最も強いと──

 

だがこっちの世界で俺はアイツを倒した。だから俺とリサを異世界に送ったコンビなのだろう。倒すことは無理でもこの世界から退けることで実質的な排除を図る。なんで異世界の扉を開く聖痕を持ったアイツが態々5ヶ月も経ってから俺達の様子を見に来たのかは知らないが、俺達はアイツのもたらした情報によってこの世界へ戻ることができた。それまでには、色んなことがあったけどな……。

 

「俺ぁこの極東戦役で師団に付く。俺は個人での参加だけど、トータス組の3人は強ぇぞ」

 

ユエとシアとティオ。彼女達3人がいて倒せない相手なんてそれこそ聖痕持ちくらいしか有り得ないだろう。

 

「そうか……。実際、ヒルダやリバティ・メイソン、香港の藍幇がこちらに下ったとは言え、今だ欧州の戦線は現在眷属が有利なのだ。だが天人達が参加してくれるのならそれも巻き返せるだろう」

 

何やら知らぬ間に戦局は移り変わっていたようだ。ヒルダは聞いていたが、リバティ・メイソン……ワトソンまで師団の側に付いていたとはな。それに藍幇も師団となれば、まぁ確かにアジアはこっちのもんなのだろう。

 

「ま、フットワークの軽さなら任せとけ。俺なら世界中どこでも一瞬で向かえるからな」

 

越境鍵があれば距離なんてあってないようなものだ。俺はしばらく日本から離れられない……わけではないのだ。呼ばれたらその場に飛んで、その場で適当にシバいてまた直ぐ帰ればいいのだから。

 

「……本当に、戦局だのなんだのと考えるのが馬鹿らしくなるな。……しかし、何故また急に師団に……いや、この戦いに加わろうと思ったのだ?」

 

「……俺とリサだけなら別にこの世界がどんな風に動こうがどってこたぁなかった。けど、ユエ達がいて、ミュウやレミアさん達もいて……。そうなった時に世界の有り様に俺達が関われねぇんじゃアイツらに余計な不便をさせちまいそうでな……」

 

極東戦役は裏世界の奴らがやるアングラな戦い……確かにそうだ。だがその影響は絶対にあちこちに出てくる。

 

ユエ達はこの世界で生きていく。この世界の奴らが俺達の仲を引き裂けるとは思えないし、アイツらは俺といられればそれで幸せだと言ってくれるだろう。でも俺は彼女達にはできる限り幸せになってほしいし、俺にはそうする義務があると思ってる。

 

「はぁ……結局彼女達、か……」

 

「仕方ねぇだろ、俺ぁ……」

 

「分かっている。あの子達と天人の間には私が立ち入ることのできない絆がある。だからそれはもういいのだ」

 

ジャンヌはどこか諦めたかのような顔でそう言った。

 

「ジャンヌ……」

 

「それより、師団に入るのなら一応バスカービルには伝えておけ。その他の組織には私から伝えておく」

 

そして、それを振り切るように事務的な言葉を返してくるのであった。

 

「あぁ、頼んだ」

 

俺は長期の任務に出ていたらしいキンジに連絡を入れる。バスカービルの奴らにもちゃんと紹介するから改めて集めてくれ、という文も添えて。

 

女比率が高くなるからキンジは嫌がりそうかな?と思ったけど俺もいるから平気だろう。

 

……一応、俺の横の席は空けておくようにしよう。キンジの心の安寧のためにも、な。

 



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極東戦役欧州戦線
ジャンヌ・ダルク30世


 

 

「では改めまして、これより師団に加わります神代天人です」

 

個室のある台場のカフェに集まった面子は俺とリサ、トータス3人組、バスカービル達、それからワトソンとジャンヌだった。12人も集まって男は2人。凄まじいまでの偏り具合だった。当然そんな中に放り込まれたキンジは俺の横を死守。それも端っこの席に座り、俺と壁に挟まれている。

 

「んで、こっちから……」

 

「……んっ、ユエ」

 

「シア・ハウリアですぅ」

 

「ティオ・クラルスと申すのじゃ」

 

と、各々一応自己紹介。ユエとシアはレキ以外のバスカービルとは面識があるが、ティオはジャンヌと理子しか知り合いがいないしな。

 

「俺含めたこの4人が、極東戦役での俺陣営の代表戦士だ。んじゃあ、一応バスカービルも……」

 

「……遠山キンジだ」

 

俺の横からキンジが小さく自己紹介。

 

「神崎アリアよ。ティオ以外は知ってると思うけど」

 

と、アリアが続く。そして───

 

「峰理子でーす」

 

「星伽白雪といいます。よろしくお願いします」

 

と、星伽が行儀よく挨拶をすれば───

 

「レキです」

 

と、ユエよりも言葉数の少ない挨拶をかますレキ。

 

「じゃあ僕も。リバティ・メイソン所属のエル・ワトソンだよ。よろしく」

 

と、男子の制服を着たワトソンがご挨拶。そう言えば、コイツは転装生だから表向きは男扱いなんだったけか。

 

「……天人」

 

「んー?」

 

「……ワトソンはどうして女の子なのに男の制服を着てるの?」

 

「えっ……」

 

ユエのその一言はこの場の空気を一変させた。俺達は台場の個室付きのカフェの、その個室を占領しているのだが、ユエの今の発言で俺やジャンヌ、ワトソンにキンジ、それにアリアがその発言で一気に凍りついた。

 

「ユ、ユエさんは何を言っているのかな?かな?」

 

と、慌て過ぎたワトソンはまるで香織のような言い回しになっている。

 

「……どうしたの?」

 

と、状況を分かっていないユエが可愛らしく小首を傾げる。可愛いは正義だが今はそれを発揮する場面ではない。

 

さてどうする……。転装生というのは基本的にバレちゃ駄目なやつだ。大概が何かしらの任務でそういうことをしているので、バレたとなると潜り込んだ組織にはいられなくなる場合がほとんどなのだ。まぁ、ワトソンが狙っていたアリアや、その障害となるキンジ、俺やジャンヌには既にバレていたわけだが……。

 

「……ま、まぁ服装のことはこの際置いておこう。うん、そうだそれがいい」

 

「……天人、どうしたの?」

 

「んんっ、ユエよ、それよりも、妾達の戦い方は武偵から見たら少しばかり特異じゃからの。味方と言うのなら手の内を見せておいた方が良いかもしれんな」

 

ティオ様ナイス!俺や周りの空気でユエの触れた話題は地雷だと気付いて有耶無耶にしにかかってくれた。こういう時は年の功だな。……言ったら怒られそうだから言わないけど。

 

「あぁ、まぁそうだな。武偵は本来手の内は味方にもあんまり見せなかったりするんだが……。まぁ俺達はちょいとばかし特殊だからなぁ。ユエ達の力はある程度知ってた方が戦役はやりやすいだろうな」

 

と、俺もティオに乗っかった。まぁ、この誤魔化し方じゃバスカービルにはモロ分かりだろうが、コイツらがそれでどうこうはしないだろう。

 

「確かユエがSSRでシアが強襲科なのよね」

 

と、アリアが続ける。まだちょっと顔が引き攣っているが、アリアもこの作戦に乗ったらしい。

 

「……んっ」

 

「そうですぅ」

 

「ユエさんは風を操る超能力を使えるんだよね」

 

と、分かってだか分かってないんだか知らないが星伽もそのまま会話の流れに乗ってきた。まぁ、これはこれで重畳。完全に話の流れはワトソンから逸れた。

 

「あぁ、星伽、これはここだけの話にしておいてほしいんだが……」

 

「……学校で使ったのが風属性魔法なだけで全属性の魔法が使える」

 

「魔法……?全属性……?」

 

「そりゃ異世界人だからな。魔法くらい使えても不思議じゃないだろ」

 

混乱する星伽を余所に俺は言葉を繋げた。そして、こういう話題にいち早く飛び付くのが───

 

「見せて見せてー!魔法見せてー!!」

 

当然峰理子という奴だ。むしろここで飛びつかなきゃ体調不良か偽者だろう。

 

「……良いけど、ここじゃ狭い」

 

「ていうかこの辺じゃ外で使っても狭いわ」

 

理子が喜びそうなのだと雷龍とかだろうか。あんなの街中で使ったら辺り一面消し飛ぶから止めてくれ。

 

「……んっ、でもこれなら」

 

と、ユエがテーブルの上に空間魔法のゲートを開いた。そしてそこにストローを包んでいた紙屑を投げ入れると……。

 

「……何これ?」

 

アリアの頭の上にもゲートが出現しており、そこからさっきユエが投げ入れたゴミが降ってきた。

 

「……こんな風に、物を瞬間移動させたりできる」

 

「ふおおぉぉぉぉぉ!!」

 

で、それを見た理子は大興奮。狭い個室でブンブン腕を振り回すもんだからキレたアリアに拳骨食らって黙らせられていた。ゴグシャア!って音したけど、それは人の頭蓋骨から鳴り響いても大丈夫な音なの……?

 

「あぁまぁ、魔法っぽいことならだいたい何でもできる。火ぃ出したり雷出したり……」

 

「……んっ」

 

と、自慢気なユエさん。無い胸張って……いや、俺の目測ではアリアよりはサイズ感あるし、上背も考えたらそれなりにある方だろう。

 

「風穴」

 

だが俺は何も言っていないのにアリアから拳銃(ガバ)を向けられた。んー、口からは何の音も出していなかったんだけどな……。

 

「……で、シアはまぁ、うん……物理最強?」

 

「私の説明が雑ですぅ!」

 

でも君、魔法とかほぼ使えないじゃん。攻撃手段も殴る蹴るだけだし。

 

「……超クソデカいハンマーで敵を殴り潰す。ほんの少し先の未来が見えるから自分が死にそうな攻撃は即座に回避。そしてまた敵を殴り潰す、それだけだ」

 

シアの戦闘スタイルなんて言ってしまえばそれだけなので俺が簡潔にまとめて説明してやれば、シアはまだご不満らしく「私もっと色々できますぅ!」と唸っている。色々って、半転移とか鋼纏衣の回避や防御手段でしょ?しかもその辺使うのも未来視込みだし。

 

「ちなみにマックスで100tくらいのハンマーをぶん回すから、加減ミスって9条破りしないように注意が必要だ」

 

「こっち帰ってきてから何でもあり具合に拍車が掛かってるわね……」

 

強化された神の使徒をぶっ潰したあれの話を出したらアリアは呆れ顔だし、他の奴らもどんな顔をしていいか分からないって顔をしている。俺も分からん。

 

「で、最後はティオ……ティオ……」

 

あれ、ティオは何て言えばいいんだろうか……。ビーム撃てます?いや違う。炎と風の魔法が得意です、かな。よしこれでいこう。竜になれますは言わない方がいいはずだ。

 

「妾もユエと同じように魔法での戦闘が得意じゃな」

 

と、俺が言い淀むと見るや直ぐに言葉を引き継いでくれた。しかもほぼ満点の回答。

 

「ユエほど色々なことはできんが、火属性と風属性の魔法はそれなりのものがあると自負しておるよ」

 

と、少しドヤ顔のティオさん。けど───

 

「……まぁ、ティオ多分お留守番だけど」

 

「何でじゃ!?」

 

俺の一言でドヤ顔は何処へやら。凄い勢いでこっちを振り向いたその顔には、「妾だけ仲間外れ!?」みたいな文字が浮かんでいる気がする。

 

「武偵は遠征する時ゃ誰か殿を置いとくんだよ。不在中に拠点荒らされたらやべぇ。いくら俺達が移動距離を無視できるとしても、戦ってる最中は完全に空くからな」

 

リサは当然だし、ミュウやレミアさんが狙われないとも限らない。そういうことを考えれば誰か1人は残しておくべきなのだ。

 

「言っとくが、これを頼めるのは実力に信用のある奴だけだ。何せそこにいるってこたぁ()()()()()()ってことだからな」

 

と、俺がちょっと持ち上げるような言い回し──実際拠点防衛の戦力にはそれ相応のものが求められるのだが──をすれば、ティオは直ぐに機嫌が良くなったようでニッコニコ顔になっている。

 

「ほほう、まぁ、それなら仕方ないのじゃ」

 

と、それを見たアリア達は人を詐欺師でも見るかのような顔で見てくる。いやいや、俺はそんな間違ったこと言ってねぇだろうに。

 

「魔法というのは確かに強力そうだけれど、璃璃色金の影響下ではどれほど使えるのかな?」

 

と、ワトソンが疑問顔で問う。だが俺は───

 

「璃璃色金……?」

 

シャーロックが緋緋色金なる物の研究をしていたことは聞いたことあるが、璃璃色金なんて物は聞いたことがない。緋緋色金の親戚か何かだろうか。

 

「ユエ、なんかこっちで魔法の調子が悪いとかあったか?」

 

1番魔法を使うユエに聞いてみよう。魔法が使えないとなると、ユエとティオがほぼ戦力にならない可能性がある。

 

「……ううん、全く無い」

 

だがユエは首を横に振る。どうやら特に何か影響を受けた節は無いようだ。さっきも何の違和感もなく空間魔法を使ってたしな。

 

「それは……」

 

と、今度は白雪が驚き、と言うよりは険しい、それこそ親の仇でも見るかのような顔をしている。俺はそっち方面は詳しくないんだが、何かあるんだろうな。

 

「別に不思議じゃあないだろ。ワトソンが言ってた何とかってやつぁこの世界の理論で、ユエ達は別の世界の理論で成り立ってる魔法を使う。ならそれの影響を受けないってのは有り得そうな話だぜ」

 

「……まぁそうだね。……今は、彼女達の力が借りられる、そしてそれがこの極東戦役で師団にとって有益であるということが分かればいいよ」

 

と、ワトソンはこの話題を無理矢理に終わらせた。ジャンヌに聞いた話、現状の極東戦役はアジアは師団が優勢。香港にある藍幇が師団側に着き、日本はバスカービルが抑えている。ただ、これは本人から聞かされたのだが、問題はキンジがバスカービルから外されたらしいのだ。どうにもこの戦役やそれ以前に巻き込まれた事件での大立ち回りが世界各国、特にイギリス、アメリカ、中国の……特に上海藍幇の気に障ったらしい。しかもまだバスカービルには伝えられていないのだとか。それが、俺がトータスからこっちに帰ってきて、諸々やっているうちに起こった出来事。

 

どうやら抜けたキンジは中空知のチームに加わるとのこと。どうにもそこも問題のあるチームらしいが……。

 

しかし、師団優勢なアジアに比べ、欧州の戦線は眷属が押しているらしい。どうにも、リバティ・メイソンやバチカンの連携が甘いらしく、ドイツの魔女連隊(レギメント・へクセ)に苦戦しているのだとか。どうやら今はドイツやスペインは取られ、ベルギーやフランス、オランダ辺りまで撤退しているみたいだ。

 

「欧州の方は俺達でどうにかする。聖痕持ちがいたら俺が、それ以外はユエとシアに任せときゃ大丈夫だ」

 

「……分かった。だが、欧州には俺も行く」

 

と、キンジは何やら決意を固めたような顔をしていた。

 

「別に来てもいいけど、何しに?」

 

「俺が移されたチームが色々あってな……。3年の修学旅行Ⅴ(キャラバンファイブ)に合わせてそっちに行かなきゃいけないんだよ……」

 

「ん。分かった。まぁティオも残ってもらうし、こっちの守りは問題無い」

 

「決まり、だね」

 

と、ワトソンがパンと軽く両手を合わせた。

 

「あぁ、暴れん坊の囮(ランペイジ・デコイ)だ」

 

それはまるで味方の支援があるかのように敵の目の前で大暴れして、こちら側の陣地が手薄であると思わせる。そして相手がその隙を突こうとこっちの陣地に入ってきたところをガチガチに固めた本隊が叩く、そういう作戦だ。俺とユエにシア、キンジと、囮には明らかに過剰な火力ではあるが、それはむしろ本命を欧州にぶつけていると思わせるには有効だろう。

 

ま、囮と言いつつも俺、ユエ、シアが赴く時点で完結してしまいそうだけどな。今の俺達ならトータスの大迷宮だって余裕で攻略できるだろうからな。

 

「あぁそれと、ジャンヌも頼む。こっちに来てくれ」

 

俺はオランダなら多少は土地勘も働くがそれ以外の欧州地域はよく分からん。フランスに土地勘の働くジャンヌがいてくれれば向こうでの拠点作りも楽に進められるだろう。

 

「分かった。フランスは私の生まれ故郷だ。任せておけ」

 

「リバティ・メイソンは欧州中にネットワークがあるから、それも使っていいよ」

 

「それもあるか。……あぁ、助かるよ」

 

羅針盤と越境鍵であちこち飛ぶにしてもそもそも何を潰せば良いのかも分からんからな。そういう情報があれば直ぐにそこに向かえる。

 

「移動は……俺達も飛行機でいいよな」

 

先にジャンヌ達に拠点を作ってもらって、そこに飛んでもいいのだけど、この際だからユエ達にも本物の飛行機なるものを体験しておいてもらおう。

 

「……んっ」

 

「はいですぅ!」

 

2人の返事を聞いたところで今日は一旦お開きとなった。店を出て武偵校とは違う方向へ向かう俺達へ向けられた星伽の視線が、どこか鋭く感じた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

中空知達のチームはワトソンが引率してくれることになった。おかげで彼女らをこのアンダーグラウンドな戦いに巻き込まずに済みそうだった。

 

羽田空港から出る飛行機に乗った俺達はビジネスクラスのゆとりある席に腰を下ろしていた。

 

「天人さんが向こうで使ってたのとは外も中も全然違いますぅ」

 

「そりゃそうだ。あれと違ってこっちはちゃんと飛べるように考えられた形だからな。それに、不特定多数の人間を輸送するのが目的で作られてるから、俺のあれとは根本の設計思想からして違ぇんだよな」

 

「……やっぱりあれの形は適当」

 

「っていうか、航空力学とかよく分からんから何となく空気抵抗が少なさそうな形にしただけ。動力もエンジンじゃなくて重力魔法と魔力だったからな。こういう、本当の飛行機は俺とは頭のデキが違う奴らが必死こいて頭ぁ回して設計してるからちゃんと翼があるんだよ」

 

膨大な魔力量と重力魔法のパワーに任せて強引に空を飛ばしていたあのロケット鉛筆擬きと本当に世界中の頭良い奴が効率良く空を飛べるように考えた飛行機とじゃそりゃあ姿形が違って当然だろう。内装も、俺達が快適に過ごせるようにとだけ考えたあれと、色んな奴を乗せて運ぶことを念頭に置いて考えられたこれとじゃ諸々違って当たり前なのだ。

 

「はぁ……。あ、そう言えばこっちのバイクも乗って───」

 

「───駄目」

 

ハンドル握ったら性格変わる奴にバイクなんか乗せられるか。こっちはトータスと違って道路交通法ってもんがあるんだからな。あんな危険運転しかしないような暴走ウサギに免許なんて取らせてたまるか。

 

俺がトータスでの数々の暴走運転を思い起こしながらシアを睨めば、シアはシアで「酷いですぅ」と膨れっ面をしている。

 

「まぁ、もう貴希さんに頼んで乗せてもらったんですけどね」

 

「何ぃ!?」

 

貴希って武藤貴希か。武藤剛気の妹の。そういや空港で島苺とかいう、クソちんまい上に改造しすぎて原型留めていない防弾制服着た車輌科の女子と仲良さそうにしてたな。アイツもその流れで知り合ったのか……。

 

迂闊だった……。免許取らせなけりゃ運転もできねぇと思ってたけど、車輌科でハンドル握らせてもらえたのか……。

 

「いやぁ、やっぱり風を切って走るバイクは良い物ですぅ」

 

「……どうすんだユエ、シアの運転はこっちじゃ非合法レベルなんだぞ」

 

「……ん、今のところは外では走れない。免許の取得は阻止しないと」

 

「聞こえてますよぉ、お2人とも。もう、私だってルールくらいは守りますぅ」

 

トータスでの暴走っぷりを見るとそれが信用ならねぇんだよ、と思わずにはいられない。トータスじゃ天職が占術師だったが、こっちでの天職はオフロードバイクのレーサーなんじゃねぇかな。

 

「……そう言えば、オランダには行くの?」

 

と、これ以上バイクの話題でシアが面倒なことになるのは御免だったのかユエが話題を変える。

 

「んー、どうだろうな。基本はフランスに拠点を置いてそっから眷属の欧州組を押していくつもりだから、そっちまで下がる気はねぇな」

 

とは言え、フランスはスペインとドイツに挟まれているから、地理的には挟み撃ちの格好になる。だがまぁ、聖痕持ちがまた現れない限りは大丈夫だろう。こっちの超能力の出力じゃユエやシアには歯が立たないはずだ。ジャンヌ曰く、星伽の超能力のランクを表すG(グレード)とかいう単位での強さは17。多分遠山かなめに放ったあの最後の焔が1番強そうだった。あの程度でこっちの超能力基準で世界でも有数のパワーだと言うのだから、ユエとシアなら敵ではない。

 

「……そう」

 

と、ユエは何やら残念そうだ。……どうした?

 

「天人さんが生まれ育った国、見てみたかったですぅ」

 

と、シアも少し残念そうにそう言う。あぁ、そういうことか。

 

「……暇がありゃ連れてってやるよ」

 

あそこには辛い記憶もあるが楽しい思い出だってあった。最後は辛い記憶だけれど、楽しかった思い出も、まだ探せば残っているはずだ。

 

「……んっ、約束」

 

「約束ですぅ」

 

「あぁ」

 

そうだ、約束だ。俺の、俺とリサの始まりの場所。そこは、彼女達に見せてやらなきゃいけない場所だからな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

フランスの地に降り立った俺達は早速2手に別れる。3年の修学旅行Ⅴは、チームを更に2組に分けて欧州を自由に見て回る。そこで監査役のキンジは俺達と、ワトソンは中空知と島苺を引率する形で通常通りに修学旅行Ⅴを行う。

 

「……アリア連れてくりゃよかったかな」

 

と、ボケっとフランスの地を眺めるキンジを見て、俺がそう呟く。

 

「何でだよ……」

 

それを聞きつけたキンジは不機嫌そうにこちらを睨む。何でってそりゃあ……。

 

「HSS、なれなきゃやべぇだろお前」

 

まさかユエ達でならせるわけにもいかないからな。だがあれはキンジの生命線だ。あれになれないとキンジはまともに戦えやしない。だけどあれは1人じゃなれねぇからな。特にキンジは。

 

「……どうにかするさ」

 

「じゃあ取り敢えず、これやるよ」

 

と、俺は氷焔之皇の加護をキンジにも与える。魔力──こっちじゃ超能力──の凍結と燃焼、それから多重結界と言語理解の基本3点セットだ。これで欧州での戦いも安心……と思ったのだが───

 

「……あれ」

 

「どうした?」

 

氷焔之皇の加護が現れない。あぁこれは……。

 

「悪いキンジ。俺はお前を守る気にはなれないみたいだ」

 

「意味が分からん……」

 

「まぁ、こっちの事情だ……。悪いけど、今はお前にやれるもんは無いみたいだ」

 

「そうかい……」

 

「……どうしたの?」

 

と、俺がやろうとしたことをすぐに理解し、そしてそれが成されなかったことも分かったらしいユエが俺の袖を引いた。

 

「んー、俺の究極能力の加護は"俺が守りたいと思った奴"にしか効果が出ないんだよ」

 

キンジはHSSさえあれば自分で戦えるからかな。武偵は自立せよ、とも言うし。

 

「……勇者には出来たのに?」

 

「ありゃ保護対象だ」

 

「……あぁ」

 

ユエがどこか遠い目をしていた。その視線の先には、別の日本で暮らす天之河がいる、といいなぁ……。でも多分ユエのことだから顔も浮かんでなさそう。

 

俺達のそのやり取りをチラリと振り返って見ていたのがジャンヌだった。だが1つ息を吐くと直ぐに前を向いてしまう。

 

「そういや、どこに拠点置くんだ?」

 

と、ジャンヌへキンジが聞いている。そう言えば俺も知らないな。その辺は全部任せっきりにしていたし。

 

「あぁ、我が一族が資産として持っているマンションがある。そこに部屋を借りたのだ」

 

「へぇ」

 

敵方からすれば真っ先に調べる所にはなろうが、こっちも別にセーフティハウスとして使うわけじゃあない。ジャンヌの息の掛かった場所って言うなら手早く確保出来たのだろうし、かつ眷属が先回りして罠を仕掛けるなんてこともやり辛いだろうから、読まれていたとしても入る分には安心だろう。

 

「細かい打ち合わせはそこに着いてからでいいか」

 

「そうだな。時差ボケもあるし……」

 

と、やたら眠そうなキンジが頷く。トータスは案外狭いのか何なのか知らないが、向こうじゃ時差なんて分からなかったな。こういうのは久々の感覚だ。ユエとシアも、初めての時差ボケってやつに困惑しているみたいだ。こっちもこっちで歩きながらうつらうつらしている。まぁ、多分にして飛行機の中ではしゃぎすぎってのもあるだろうけど。それを見かねたジャンヌと俺は空港から高速鉄道に乗り、パリへと向かうことにしたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ジャンヌとキンジは色々荷物を用意していたらしいが、俺達は基本宝物庫に放り投げてしまうから手ぶらだ。武偵なので金属探知機もスルーできるので航空機内にも宝物庫を持ち込めるから武装の必要も無かった。

 

やけに荷物の少ない俺達が疑問だったのかキンジが聞いてきたのでそんな風に答えたのだ。それに、最悪何か日本から持ってくる必要があれば鍵で扉を開けてしまえばいいので、実際パスポートや航空券くらいしか手に持っていく必要のあるものはなかった。

 

そんなこんなで眠い目をこすりつつ、寝る前に腹に入れる用の食い物も買った俺達はパリにあるジャンヌの一族の所有物件という賃貸のマンションの、それぞれの部屋に分かれる……ところで問題が起きた。

 

ジャンヌの用意した部屋は本人が元々借りている部屋を含めて3部屋。キンジが1人で1部屋独占、ユエとシアが2人で1部屋らしい。そして俺はジャンヌの部屋に来い、とのことだった。

 

キンジ以外はその意味が分からないわけがない。だから当然ユエとシアは大反対を起こす。間をとって俺がキンジの部屋に泊まれば?と思ったがそれは女性陣が却下。いや、喧嘩するくらいならそれでいいじゃん……。ていうかシアさん「遠山さんの部屋で寝るなら夜中に遠山さんを外に投げ捨てた上で夜這いします」って、キンジがギョッとした顔でこっち睨むじゃん。

 

「……天人、あっちは駄目。あんな肉食獣と同じ部屋にいたら天人か食べられる」

 

と、肉食系女子代表の吸血姫様が仰れば───

 

「そうですよ、天人さんみたいにチョロい人は直ぐにぱっくりいかれますぅ」

 

と、人工呼吸を初チューと強引にカウントした上に、不意打ちでベロねじ込んできた肉食ウサギが宣う。

 

「……お前らだけは人のこと言えないからな?」

 

俺はユエ達のトータスにおける様々な行動を思い起こしながらこめかみに指を当てる。ただでさえ眠い上にこんなアホな会話してたら頭痛くなってきたぞ……。

 

「ていうか、ジャンヌの部屋は布団2つあるのかよ」

 

「あるわけないだろ?普段は1人で暮らしている部屋だぞ」

 

「ねぇのかよ!!」

 

いや、正直そんな気はしていた。ていうかそうだろうとは思っていたけれども。

 

「この野郎……それで男を部屋に呼ぶとはいい度胸だ。……いいぜ、俺の鉄壁の理性を見せてやる」

 

むしろ、ここまで言われたら絶対に何もしてやらんという気持ちが湧いてきた。こちとら強襲科の端くれ。売られた喧嘩は買う主義なんだ。

 

「あぁ!?天人さんやっぱりチョロすぎますぅ!」

 

「……天人、単純すぎる」

 

と、後ろからガヤが五月蝿い。それがむしろ俺の心に火を付ける。

 

「言ってろ。俺ぁ絶対に手を出さねぇ。健全に一夜を終えてやらぁ!」

 

絶対に趣旨が変わっている。そんなことには気付いていたがもうことここに来ては止められやしないのだ。俺といえばそれはもう決死の覚悟でジャンヌの部屋へと足を踏み入れたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

腹に回された腕は細く、ちょっと力を入れれば折れてしまいそうだった。なのに背中に当たる感触はマシュマロなんかより余程しっとり柔らかく、暖かくて肌の触れ合った箇所から溶けてしまいそうだ。そして耳元ではジャンヌが普段より少し低い、吐息のように俺の名前を囁くのだ。その声が俺の耳に心地よく、ザワりと心を擽る。

 

 

───どうしてこうなった?

 

 

いや、途中までは何も無かったのだ。確かに、飛行機や鉄道ではしゃいでは寝落ちしそうになったユエとシアはともかく、ちょこちょこ仮眠を挟んだ俺や時差に慣れているジャンヌはまだしばらくは起きていられるし、そもそもまだ夕方の5時だったこともあって、小洒落たレストランで夕飯を食べたり屋外の簡易なスケート場で遊び、何事も無く帰ってきたのだ。

 

そして汗を流そうとシャワーを浴びて浴室から出た俺の目の前に服を全部脱いだジャンヌが立っていたり、どうにも入浴前後の、確かにそのタイミングなら服きてなくても普通だよね、というような時なら肌を見られても恥ずかしくないらしいジャンヌがやたらうっすい下着で部屋をウロウロしてたり。

 

だがその程度、心を鬼にした俺ならば何事も無く乗り越えられたのだ。パリの市街地を歩いている時やスケート場で遊んでいる時の雰囲気は傍から見たら恋人同士のそれに見えるくらいだったが、それでも俺は自分を押えられた。

 

だが、やっぱり1つしかなかったベッドに俺も入り、ジャンヌがオルゴールと部屋の照明を消したその直後だ。

 

幸いにして洗濯した時のために枕はもう1つあったから、俺はそれに頭を乗せて横になっていたのだ。すると背中の方からシュルりと衣擦れの音が聴こえてきた。俺はその時点で割と冷や汗ものだったのだが、ここまでは耐えられた。だが、ジャンヌが縋り付くように俺の背中へと身体を寄せてきたのだ。

 

しかも、背中に当たる柔らかさには心当たりがある。いや、実際に触れたことはないけれどこの状況で2つの暖かくて溶けて消えそうなくらいの柔らかさを誇る物体なんて世界広しと言えど限られているわけで。

 

「……言ったろ、俺ぁ何もしねぇし、それ以上何かしようとしとも受け入れやしない」

 

「それは、天人の理性が保てば、の話で、それも今夜限りのことだろう?」

 

まぁ、この勝負は1晩だけの話だからな。確かに次の朝が来れば別の話ではある。だがそれはそれ。俺には1つ気になることがあった。

 

「……なぁ、今更ジャンヌの気持ちを疑ったりはしねぇよ。けどさ、何で俺だったんだ?」

 

透華達と違って、ジャンヌは俺に命を救われたとか家族を助けられたとか、そういうのは無い。イ・ウーじゃ仲の良い方だったとは思うがそれだけ。なんなら俺より理子と(つる)んでることの方が多かったくらいだ。だから友人としてならともかく、こういう感情を持たれるようなことは何も無かったはずだ。

 

「……私は家では騎士として、まるで男のように育てられてきた」

 

「あぁ……」

 

それは知っている。ジャンヌの家は女系の一族でありながらそういう風に育てられるのだと、本人から聞き及んでいた。

 

「だからだろうか。最初に天人を、お前とリサを見た時激しく苛立ったのを覚えている。リサが、絵本の中にいるような女の子だったからかな」

 

俺とコイツの初対面。俺達がイ・ウーに来て、シャーロックからコイツが船内の案内を任せられた時のことだろう。あの時の俺はリサのことと、それから自分が強くなることしか考えられていなかった。それ以外は、本当にどうでも良いと思っていたんだ。

 

「リサを守るように立つお前と、まるで男に守られるために生まれてきたかのようなリサに、きっと私は嫉妬していたんだ……」

 

そう言うジャンヌも、まるで俺の背中に縋り付くかのように俺の寝間着を握り締めている。

 

「……天人、お前はいつか私に言ってくれただろう。"可愛い"と」

 

……そうだったか?ジャンヌには悪いが、正直記憶に無い。それは俺が何も意識せずに言ったからなのか、それともジャンヌには数年前ほどのことでも俺にとっちゃ10年近く前のことになるからなのか、それは分からないけれど。

 

「俺は……」

 

「やはり、お前は覚えていないのだな……」

 

「悪い……」

 

「いや、いい。あれは本当に何気ない会話の中の一言で、確か服の話をしていた時だ。私が、自分にはリサが着ているような可愛らしい服は似合わないと言った時のことだ。お前はそれを否定し、私に可愛いと言ってくれたのだ」

 

……お前は、全部覚えてんじゃねぇかよ。俺にはそんな会話をした記憶なんてない。だがそれは俺が覚えていないだけだ。俺の中じゃジャンヌは会った時から今までずっと女の子で、超が付くほどの美人で、頭は良いのにどっか抜けてるところが可愛らしい、そんな女だった。

 

「いつか私が自分の背が高いことを気にしている風に言えばそんなことはないと、私より低い目線から言っていたな。……私が下から言うなと返せば、いつか見下ろしてやるから覚悟しとけよと吠えていたのも覚えている。……そしてお前は、いつしか私よりも背が高くなった」

 

ジャンヌの指が、俺の身体をなぞる。俺の身体の大きさを確かめるように、ゆっくりと、背を、脇腹を、脚を這う。

 

「けどそれは、お前にとっては全て何気ない一言なのだろう?……だからだ。だから私の心に響くのだ。コイツは、天人は男同然に育てられた私のことを、当然のように女扱いしてくれる」

 

それらは全て俺の中では当然のことだった。コイツが可愛いのも美人なのも、気にしているほどには背が高くないことも、そして女であることも……。何もかも俺には当たり前のことで、それを否定しようとするジャンヌ本人が俺にとっちゃ1番不自然だった。

 

「それからだ。リサを見ていて、あぁ、私もこんな風に守られてみたいと思ったのは。リサのように、私も天人に守られてみたい。あの腕に抱かれて眠りたいと思ったのは……」

 

ジャンヌの指が、俺の腕をくすぐる。ゆっくりと這うように進む指が、一緒に俺の心も擽る。

 

「お前がユエ達を連れて帰ってきた時には私の心は本当に氷のように冷たくなったのだぞ?人形よりも可愛らしいユエ、そう振舞っている時の理子のように明るいシア、美しく聡明なティオ。……あぁ、私では敵わないと、そう思った」

 

「そんなこと……」

 

「あるのだ。だが同時にチャンスだとも思えた。……それは、透華達が背中を押してくれたのだがな……。だが、今まではリサ1人だけを愛すると言っていたお前が複数人の女を侍らせている。ならば私にもチャンスがあってもいいんじゃないかと、そう思えたのだ」

 

今まで自分の気持ちにどうにか蓋をしようとしていたジャンヌ。だがその蓋を、俺がトータスで3人もの女を愛し、連れて来たことでこじ開けてしまったのか。

 

「……どうだ?褒められて、女扱いされただけで落ちる女だと笑うか?」

 

「笑わねぇよ。俺ぁ笑わねぇ。……できるなら、ユエ達にもお前のことを認めてほしいと思ってるし」

 

「天人……」

 

我ながら簡単な男だと思う。好きだと言われ、こうやって縋り付かれて、それでコロッといってしまうのだから。ユエ達に呆れられても文句は言えないだろう。でもこれが俺の本音。昔からそうだ。初めて見た時からどうしても目を引く女の子がジャンヌだった。きっと、俺は最初からジャンヌのことが気になっていたのだ。それを、リサがいるからと誤魔化していただけ。異世界じゃあリサを守ることに必死でどうにか目を逸らせていたけれど、自分が同時に複数人の女を愛せることを自覚した上でこっちに帰ってきたら、もうそうはいかない。俺は昔っからコイツにやられていたのだろうから。

 

「天人、私は必ずユエ達に認めさせてみせる」

 

「あぁ」

 

「その時にもう一度言おう、私はお前を愛していると」

 

「あぁ……」

 

腹に回された腕は細く、ちょっと力を入れれば折れてしまいそうだった。なのに背中に当たる感触はマシュマロなんかより余程しっとり柔らかく、暖かくて肌の触れ合った箇所から溶けてしまいそうだ。そして耳元ではジャンヌが普段より少し低い、吐息のように俺の名前を囁くのだ。その声が俺の耳に心地よく、ザワりと心を擽る。

 

パリの夜は更けていく。暗闇の帳が降り、世界は暮れ塞がる。俺は後ろを振り返ることなく、眠りに落ちていった。

 

 



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欧州無双

 

 

「……こうなると思ってたですぅ」

 

シアがジト目で俺を睨む。朝は買ってきたパンを食べ、これからの作戦会議だと全員でジャンヌの部屋に集まったのだ。そして、俺の腕に自分のそれを絡めるジャンヌと、それを振り解こうとしない俺を見たユエとシア。2人の目線はこれ以上なく冷たいものになっていた。

 

「いいや、シア。俺は一切ジャンヌには手を出していない。嘘だと思うなら魂魄魔法を使って確認してもいいぞ」

 

俺がそう言えば、ユエが何の躊躇いもなく俺に魂魄魔法をかける。欠片も俺の言葉を信じていない辺りが悲しい限りだった。

 

「……んっ、天人は嘘ついてない。確かに2人には何も無かった」

 

だがまぁ、何も嘘はついていないし、真実を伝えていない訳でもない。俺は実際、誘惑に打ち勝ったのだ。

 

「いやいや、この変わり様は何かありましたよね!?」

 

「……俺は、ユエ達にもジャンヌのことを認めてほしいと思ってる。それだけだよ」

 

と、俺が告げれば2人は「やっぱり……」と頭を抱えていた。キンジは俺のことを化け物でも見るかのような目で見ている。病気(ヒス)持ちのキンジからしたら、確かに考えられないような状態だろうけれども。それは友人に向けていい目線ではないと思うぞ。

 

「ふむ……」

 

何を思い付いたのかジャンヌがボソッと呟き、そのままシュルりと俺から離れる。

 

「この欧州戦線では私が先鋒として戦おう。そして、ユエ達にも私のことを認めさせる」

 

と、そう宣言した。

 

「……んっ、見せて」

 

「お手並み拝見ですぅ」

 

それを聞いたユエとシアも何故かやたらと好戦的な目をしている。バチバチと、3人の間で火花が散っている幻覚が見えそうだ。

 

「まぁ、それはそれとして、実際どうすんだ?この辺は魔女連隊の奴らが押してるんだろ?」

 

「あぁ。ドイツとスペインは既に奴らの手中だ。バチカンもそう長くは保つまい」

 

うむ、とジャンヌは両手を組んで頷きながら今の状況を説明してくれる。実際、バチカンからも応援要請があったらしいからな。俺達はそれを受けてこっちに来ているというのもあるのだから。

 

「あぁそれとな、気合い入ってるとこ悪いが、ユエとシアにも出てもらいたいんだよ。……ジャンヌには前話したけど、俺がこの戦役に参加した理由だ」

 

「あぁ」

 

と、ジャンヌが頷く。キンジから何の話だと目線が飛ぶので、俺は言葉を続けた。

 

「俺がこの戦役に本格的に絡もうと思ったのは、この戦いの影響が色んな所に出るだろうと思ったからだ。師団が勝とうが眷属が勝とうが、な。今まではんなもん放っておいてもよかったんだが……今はそうも言ってられなくなった」

 

「……天人はこの戦いで私達を皆に認めさせるのが目的?」

 

と、ユエが質問を飛ばす。

 

「そうだな。つっても、表の奴らじゃなくて裏の奴らにだけどな。そして2人には大いに暴れてもらって、俺達に手ぇ出すなんて馬鹿らしいと思わせてもらいたいんだよ」

 

「……それは、どちらにですか?」

 

「どっちかと言えば師団側だな。ジャンヌやキンジ、バスカービルの奴らは良い奴らだよ。お前らとも仲良くやってくれる。けど俺ぁ他の奴らは信用してねぇ。眷属側は負かしゃあそれで終わりかもしれねぇけどな。一応は味方の師団はそうもいかない。だからここで俺達の力を見せつけて黙らせる、それが俺の目的だ」

 

それは、結局2つの世界で果たされなかった俺の計画。喧嘩売ろうなんて気になれないくらいの力の差を見せつけて安寧を得ようとするそれは、東の帝国やエヒトによって尽く邪魔をされ、その度に戦う羽目になっていた。それもいい加減終わりにしたい。力を手放すことができない以上、中途半端に見せびらかして敵を増やすのではなく、誰も逆らう気が起きないくらいのものを見せつけてやろう。俺はそう決めていた。

 

その上で師団側に付いたのは単にジャンヌやキンジ、バスカービルの奴らがいるからだ。眷属側に付いたってやること変わらないしな。だったら気心の知れた奴らのいる方に付くさ。

 

「……んっ、分かった」

 

「そこまで言われたら暴れないわけにはいかないですね。やったるですぅ」

 

俺の言葉で2人は随分と気合いを漲らせているようだが……

 

「……あ、一応この世界じゃ人殺しは無しな。特に武偵は」

 

今更俺が言ったところで説得力なんて無いけれど、それでも一応言わなきゃな。この2人、放っておいたらマジで魔女連隊皆殺しとかやりそうだし。

 

「……分かってる」

 

「了解ですぅ」

 

「ん、というわけでジャンヌ、眷属の魔女連隊を潰そう。まずは誰からだ?」

 

この戦いは総力戦ではない。その団体の中の強い奴だけが戦いの場に出られるというルールだ。だからまずは魔女連隊のエースを潰してしまおう。

 

「いや、バチカンからはどこかにある魔女連隊の武器庫を探してほしいと言われている。どうにもそれが───」

 

「───あったぞ」

 

「はぁ?」

 

と、俺は羅針盤で魔女連隊の武器庫を探し出した。だが数秒で行われたそれにジャンヌは理解が追い付いていないようだった。

 

「あぁこれ、探してる場所がどこにあるのか探る道具なんだよ。魔力を注げばコイツが教えてくれる。んで、探したら……こうだ」

 

俺は越境鍵で扉を開く。魔女連隊の武器庫の正面に繋がるそこからは、冷たい冷気が流れ込んできた。

 

「ユエ、シア、やっちまえ」

 

「……んっ」

 

「はいですぅ!」

 

開いた扉から外の世界へと飛び出していくユエとシア。じゃあちょいと行ってくると、軽い調子で俺もそこへ向かう。見れば、どうやらここは確かに兵器庫なのだが、どうや博物館としての機能もあるらしい。というか、博物館をカモフラージュに使っているんだろうな。お見えになってるティーガーⅠとか、本物だし。しかもこれ、多分動くぞ。他にも第二次世界大戦で使われた世界各国の戦車がゴロゴロ停められている。なるほどねぇ。これなら確かにバレ辛い上に堂々と武器弾薬を置いておけるってわけか。

 

シア達は、普通に正面から入ったようだ。入場料は8ユーロらしい。まぁシアの索敵能力なら隠し通路とかも簡単に見付けそうだから大丈夫かな。

 

こっちに来て、シアに新たに渡した戦闘用アーティファクトがある。それはタウル鉱石をシュタル鉱石で包んだトンファーだ。付与したのは重力魔法と衝撃変換。さらに空間魔法を用いて内部に鎖を仕込んである。最初は軽いだの小さいだのと文句ばかりだったが武偵活動中にドリュッケンなんて振り回すタイミングもそんなには訪れないだろうと無理矢理押し付けた。

 

シア……というかユエにも校則上仕方なく拳銃は持たせてあるが、それはベレッタM92F、キンジが使ってるのと同じものだ。理由は単純、ルガーなら流通量も多いし俺の拳銃とも兼用できるから。それに加え、銃自体も米軍が制式採用するくらいには信頼性もあるし、そこから払い下げられたりもするから性能の割にかなり安いのだ。聞けば、キンジもほぼ同じ理由で選んだらしいからまぁ問題無いだろう。

 

だがこの2人、トータスで判明したけどビックリするくらいに拳銃を扱うセンスが無い。撃つ弾撃つ弾、まぁ外れるのだ。ユエは魔法があるからいいけど、シアはドリュッケンや神域で使った大振りの打撃武器は基本的に使えない。あんなもの振り回したら犯人死ぬし。そんなわけで、シアが武偵活動中に扱える武器ということで打撃武器の1つであるトンファーを渡したのだ。あれは俺も使えるからレクチャーもやりやすかったし。

 

と、熱変動無効で寒さに強い俺はボケっと、流石にこの雪山はキツいジャンヌとキンジはそれぞれ防寒具を着込んでユエ達を待つ。10分くらいして、そろそろ誰かほうほうの体で逃げ出してくるかな、と思ったがしばらくしても誰も出てこない。音も聞こえてこないから、もしかして裏口みたいな所から何人か逃げ出しているのだろうか。

 

まぁ、そもそもここの目的は魔女連隊の殲滅ではなく彼女らの倉庫を破壊して戦力を削ぐことが目的なので深追いする必要も無い。そして、しばらくすると中からガチャガチャという金属の擦れる様な音と何やら口喧しい女の声が沢山聞こえてきた。どうやらシアに纏めて捕まったらしい。音が段々近付いてくる。そして───

 

「大漁ですぅ」

 

「……んっ、結構居た」

 

手錠での拘束に加え、トンファーから出された鎖でぐるぐる巻きにされた10代から20代くらいと思われる、カラフルな頭にタイスカートの女達がシアとユエに担がれて運ばれてきた。さっきからガチャガチャ五月蝿いのは手錠と鎖の当たる音か。

 

「……それで全員か?」

 

「んー、どうでしょう?もしかしたら何人か逃がしたかもしれないですぅ」

 

「……んっ、目的はここの破壊だから敢えて深追いはしなかったけど」

 

「あぁ、それでいいよ。殲滅戦じゃないからな。ソイツらだって殺しゃしないわけだし」

 

それを聞いたユエとシアは、抱え上げていた魔女連隊の奴らを雪原に放り投げた。「ぐえっ」と、カエルの潰れたような音を出してうら若き乙女達が雪にまみれている。何人かは大股おっ広げて雪の中に転がっている有様だ。ご開帳となった布の花園から、キンジは全力で目を逸らした。

 

「……天人」

 

俺が他にもこういう拠点があるのかと問い詰めようとしたその時、キンジが俺の肩を叩く。

 

「んー?」

 

「先に1つ、俺もコイツらに聞きたいことがある」

 

「ん、りょーかい」

 

俺はキンジに先を譲る。キンジは視線を上……タイスカートの内側から逸らしながら適当な奴に声を掛ける。

 

「お前らの持っている殻金はどこだ?」

 

 

 

───────────────

 

 

 

殻金なる物を持っているのはカツェという魔女だと判明した。だが、羅針盤で探る限りどうにも周りに人が多そうな所にいるみたいで、これが全員魔女連隊の奴らなら何も気にせずに飛ぶのだが、一般人までいるとなると話は変わる。いくらなんでも衆人環視の中転移するのは後々面倒臭い。

 

そのため俺達は一旦パリの街に戻り、改めて作戦会議を行うことにした。

 

とっ捕まえた魔女連隊と差し押さえた武器庫はバチカンとリバティ・メイソンに連絡して彼らに一任することにしてある。

 

「まさか数分で欧州での趨勢が傾くとはな……」

 

キンジがボヤくように呟いた。その目線の先には昼飯として市場で買ってきたパンや果物を頬張っているユエとシアの姿があった。

 

「聖痕持ち以外でこの2人に勝てる奴なんていねぇからな」

 

それはHSS持ちを含めての話だ。条件によっては逃げおおせる程度は出来るかもしれないが、正面から戦闘して勝つというのはユエとシアが相手ではまぁ難しいだろう。

 

「……天人、分かってると思うが───」

 

「油断大敵、だろ?分かってるよ。誰だって不死身じゃあない。向こうだって俺がいると分かれば聖痕持ちを拾ってくるかもだしな」

 

そして恐らく、俺の持つ氷焔之皇も多重結界も聖痕の力の前ではそれほど役に立たないだろう。まず樹里の切断の聖痕だけでも俺に通るだろうし、熱変動無効があっても爆弾や何かで周りの酸素を一気に奪われたら結界も何も関係無く普通に死ぬ。リムルや魔国連邦の上位陣ならどうかは知らないが俺は無理。そんなに色々できるようにはなっていないのだ。

 

「分かってるならいいけどな」

 

「そういや、武偵高はどうだ?まだそんなに通ってねぇだろうけどさ」

 

日本では、親戚のおじさんは久しぶりにあった甥っ子姪っ子に学校はどうだ?と聞く風習があるらしい。それに習って──いや別に2人とも親戚じゃねぇけど──コイツらが学校で楽しく過ごせているのか聞いてみる。俺はトータスから帰ってきてからこっち、ほとんど顔出せてないからな。

 

「思ったより普通で安心しました」

 

「……んっ、もっとヤバいところだと思ってた」

 

「嘘だろ!?あれで!?」

 

ユエとシアの感想にキンジが驚いている。それはもう大きく驚いている。目ん玉ひん剥くらいにはビックリしたらしい。

 

「帝国みたいって聞いていたのでもっとそこら中で喧嘩してるイメージがありました」

 

「……実際は一部だけだった」

 

あぁ、多分それ強襲科(死ね死ね団)の奴らです。俺も同じ穴のムジナだけど。

 

「あそこより治安の悪い場所があるのか……」

 

キンジはキンジで明後日の方向に慄いている。まぁ実際、治安の悪さで言えば強襲科程劣悪な所も異世界多しと言えどそうそう見当たらなかったけど。

 

「シアは強襲科だろ?変なのに絡まれてないか?」

 

「来るには来ますけど、天人さんの名前出すと直ぐ引っ込むのでそれ程でもないですぅ」

 

「……んっ。私もそう。天人の名前を出すと皆怖がって逃げてく。……天人、何したの?」

 

「あぁ……」

 

俺がどう答えたものかと言い淀んでいると、キンジはキンジで頭を抱えている。俺達の頭をよぎったのはきっと同じ文字列だ。

 

──ランバージャック100人抜き──

 

1年の2学期が終わる頃だったか中頃だったか。ともかくまだキンジがギリギリ強襲科にいた頃だった。男子から……いや女子も含めて学年で絶大な人気を誇るリサと日がなベタベタしている俺にブチ切れた男子生徒が学年も学科も問わず集まり、俺にランバージャックを挑んだのだ。

 

売られた喧嘩は買わなきゃならない強襲科の俺は当然それを受けたわけで。しかも一々相手にするのも面倒だったので壁役決めて後は全員1列に並んで掛かってこいやと挑発。100人程の男が順番にリングに入っては気ぃ失って蹴り出されるという2学期始業式の日や体育祭を凌ぐ、文字通りの喧嘩祭り(ラ・リッサ)と化したのだ。一応幇助者でキンジが俺のセコンドに着いてはいたけど全く介入する余地もなく、後ろでハラハラした顔で見ていたリサ目当てで俺に挑んだ男共は薙ぎ倒されたのだった。まぁ俺も途中からは強化の聖痕開いて戦ってたけど。当たり前だ、いくらなんでもランバージャックのルールで100人抜きは無理がある。あの時の俺は聖痕が無ければ人間の枠に収まっていたから普通にやって体力が保つわけがない。

 

ちなみに、途中からは蘭豹もリング脇から酒を煽りつつ俺達のことも煽っていたのだが、この決闘が特に問題になることも無かった。普通に学内の決闘は黙認されているしその方法でランバージャックを選ぶことも特に何も言われない。やはりあそこは最高にトチ狂っていると思うよ。

 

そしてそれ以来、流石のバカの巣窟強襲科も俺に喧嘩を吹っ掛けてくる奴は減った。減っただけであれを知らない上勝ち狙いの血気盛んな1年坊主を中心にそういう奴はまだいるし、挨拶は相変わらず死ねから始まるんだけれども。

 

と、俺がそんな在りし日の記憶に思いを馳せていると、情報科だけあって情報は掴んでいたらしいジャンヌが「あぁ、あれか」という顔をした。

 

「ランバージャック100人抜きとかいうやつだろう?」

 

「ランバ……なんです、それ?」

 

どうにかして誤魔化そうと思ったのにジャンヌの一言にシアが食いついてしまった。

 

「武偵にはランバージャックという決闘方法があってな。本当は1対1でやるものなのだが、天人はそれを100人連続でやったらしいのだ」

 

と、その頃はまだ武偵高にはいなかったジャンヌが伝聞系で話している。

 

「……ランバージャックってどうやるの?」

 

既に馬鹿を見るような目で俺を見ていたユエ様のご質問。その湿度高めの視線、一旦止めてもらっていいですか……?その、心がとても辛いんですよ……。

 

「……基本的には壁に囲まれてその中でタイマンだよ。ただし1度だけ戦闘に介入できる幇助者ってのがいるんだ。俺のそれはキンジにやってもらった」

 

あの時のランバージャックには理子もいたのだが、リング役でしかもバリバリ俺にワルサーを向けていた。あのお祭り大好き戦闘狂(ガンモンガー)女、あん時はすげぇ楽しそうだったな……。

 

「で、壁役をやる奴は、自分の目の前に決闘してる奴が転がってきたらそいつを中に押し戻すんだが……そん時ゃ攻撃してもいい、っていうルールだ」

 

そしてあいつら、金出してまで何人かの助っ人を呼んでいたのだ。壁役にレキ、中の決闘者に不知火がいた時はマジでイカれてると思ったね。不知火も断らないで笑顔で参加してるし。武藤も決闘者の中にいたけど、あいつは普通に無料(ロハ)で私怨半分ノリ半分って感じで参加してた。

 

「……攻撃?」

 

「あぁ。拳銃で背中撃とうが空間爆砕だろうが重力魔法で叩き潰そうがドリュッケンでぶっ飛ばそうが何してもOKの、実質集団リンチだよ」

 

「……しかもあの時、お前の味方役の壁いなかったよな」

 

「流れ弾の危険があるからなぁ……。リサは置けねぇよ」

 

そして理子が裏切ったために、ただでさえ友人の少ない俺に味方してくれる者は幇助者のキンジを除いて誰もおらず、完全に四面楚歌でやる羽目になったのだ。

 

「しかも本来のルールでは壁役は1桁までの筈だが、天人が人数無制限でいいと言ったらしく、20人くらい集まったと聞いたぞ」

 

「何してるんですか天人さん……」

 

「……というかなぜそこまで恨まれたの?」

 

「集まったのはほぼ男だったんだが、要はリサと俺が一緒にいるのが気に食わねぇんだと」

 

普通それでそこまでやるか?という顔をユエとシアはしていたが、あそこは普通じゃないからな。俺含めて馬鹿共の集まりだから、そういう時もあるのだ。

 

「んで、コイツは金で雇われた奴も含めて100人ぶっ飛ばしたんだよ」

 

「100人で終わった理由は集まった奴らがちょうどそんくらいだったからで、もっといたらもっとやる羽目になってたな」

 

流石に当時の3年はいなかったけど、当時の1年中心に2年まで集まったからな。おかげで今の強襲科の3年は結構な人数が下負けを経験していたりする。

 

「改めて思い出すと、やっぱ普通じゃねぇなあそこ……」

 

「武偵高で普通なところってどっかあるか?」

 

ボヤくキンジと諦めている俺。それを見てユエとシアは溜息しか出てこない様子だった。

 

「んんっ、昼からの予定だが……」

 

と、アホすぎる会話に空気の沈んだ俺達を引き揚げるようにジャンヌが話題を提供する。

 

「オペラ座で仮面舞踏会とのことだ」

 

 

 

───────────────

 

 

 

歌劇場はだいたいオペラ座というらしい。そんなフランス豆知識をジャンヌからご教示いただき、俺達は各々仮面を被ってとある歌劇場へと足を運んだ。

 

そこでは他の奴らも全員仮面を被って顔を隠し、何やら談笑していた。談笑と言えば聞こえは良いけれど、芸能人っぽい奴らのお忍びデートくらいならまだ可愛い方で、見るからにカタギじゃない奴や危ない薬やってる感じの奴も結構いるし、ここはそういう事情を抱えた奴らが外じゃ出来ないような話をするための場所らしい。

 

「メーヤだっけ?」

 

ここに俺達を呼び出したのはメーヤとかいうバチカンの修道女らしい。何でも師団の新戦力である俺達との顔合わせをしたいのだとか。……仮面被ってたら顔見えねぇじゃん、とは思うが要は信頼に足る人物なのかどうか見定めたいのだろうよ。仮面は被るけど。

 

「そうだにゃ」

 

目印らしいぬいぐるみを抱えたジャンヌは仮面だけでなく、日本の空港で理子に貰ったネコミミ集音器を頭に着けている。この場じゃただの飾りにしか見えないんだけどな。

 

ネコミミジャンヌことニャンヌさんを見たユエとシアからはあざといだの狙いすぎだの言われていたが、正直可愛いと思う。まぁ、あざといし狙いすぎなのは否定しないけれども。

 

ネコミミだけに語尾も猫っぽくしている辺りニャンヌさんは楽しそうだった。

 

「……会うならこんなとこじゃなくてバチカンでもどこでも、言ってくれりゃ飛ぶんだけどな」

 

「世界中どこでも瞬間移動ができるなんて向こうも把握していないにゃ」

 

「……気ぃ抜けるからその語尾どうにかなんねぇ?」

 

「今の私はニャンヌだにゃ。猫といえばにゃにゃんだにゃ」

 

にゃあにゃあうるせぇ……。最初は良かったけどここまで徹底されるとそれはそれで面倒臭いな……。

 

「……で、そのメーヤは?」

 

ユエがやや不機嫌そうにニャンヌを睨む。ユエさん的にもにゃあにゃあ煩いらしい。

 

「……あぁ、あっちだ」

 

俺も手早く見つけたかったのでジャケットの裏側で羅針盤に頼る。魔力を注げば、メーヤなる人物のいる先を指し示すそれに従い、俺達は仮面共の間を縫って歩いていく。

 

少し歩くと、前方でやたらと酒を煽っているドレスを着た女がいた。どうにもあれがメーヤらしいが……。

 

「……修道女って酒飲んでいいのか?」

 

「メーヤはアルコールで超能力のパワーを貯めるらしいから、あれは戦闘準備らしいぞ」

 

と、俺の疑問にはキンジが答えてくれた。……アルコールで超能力のパワーを貯めるとか、それ大丈夫なのか?戦闘準備終わる頃には酔い潰れてたりしない?

 

「しかもいくら飲んでも酔わないとか言ってたな」

 

「便利なこって……」

 

俺も毒耐性の力でアルコールに酔うことはない。が、それは俺の体質と言うより喰らった魔物の耐性を簒奪したものだ。あぁいう特異体質みたいなのはやっぱ見るとビックリするな。

 

「ぷはぁ!美味しい(ヴォーノ)!」

 

と、良い飲みっぷりでギャラリーを集めつつあったメーヤもコチラに気付いたみたいで、トコトコとその大きな胸を揺らしてコチラに歩いてくる。あれ……シアよりデカいぞ……。

 

「……アンタがメーヤか?」

 

仮面をしたままだが俺が誰だか分かったらしいメーヤが、さっきまでのポヤンとした雰囲気から少しだけ鋭い気配を放つ。俺を疑っている、と言うよりは端から味方だとカウントしていない感じだ。……久しぶりだな、これ。最近じゃ俺の素性なんかどうでも良い奴か別の世界の奴らとばかり交流があったから無かったんだよな、こういうの。星伽とかコイツみたいな神や仏に仕えてます系の奴らは大概俺のことをこういう風に見てくる。

 

「……ユエ、シア、いい」

 

そして、そういうのを1番敏感に感じ取るのがこの2人だ。特にシアなんて元々トータスで似たような扱いを受けていたからかユエ以上に感情を押えられていないみたいだな。

 

まぁ、ティオがいたらティオも似たような反応をするだろう。だがいちいちそんなのを相手していたらキリがないので俺は後ろで殺気を放った2人を抑える。ユエもシアも渋々俺の言葉に従って殺気を収めてくれた。

 

「別に、俺のことを信用する必要は無い。俺は俺で眷属を潰すからな」

 

「……どうやって兵器庫の場所を突き止めたのですか?」

 

こっちの方針を先に出すと、メーヤもそれに習って余計な御託は省き、核心だけを聞いてくる。

 

「俺の持ってる道具にゃ望んだ場所を指し示す羅針盤があり、望んだ場所への扉を開く鍵がある。兵器庫を潰したのは後ろの2人だ」

 

俺は敢えて、羅針盤と越境鍵の力を明かす。一応この戦いじゃ味方のコイツ相手にブラフ合戦なんてする気は無いのと、これがある以上は俺の敵に回ったところで即座に大将首を獲れるぞという脅しも兼ねて、だ。

 

「ジャンヌ様から貴方の力の一端は聞き及んでいます。そうですか……。ではそのように」

 

メーヤはそれだけ言って俺から目線を切り、ユエとシアの後ろに隠れていたキンジを見つけるとそっちに話しかけにいった。年上系おっとり美女の接近にキンジが一瞬嫌そうな顔をしたが間に入ればメーヤからも睨まれそうだったので放っておこう。キンジはすげぇ情けない目でこっちに救援を求めているけど。あぁもう……仕方ないなぁ。

 

「……カツェ・グラッセを捕まえに行く。キンジも来い」

 

ジャンヌに確認させたところ、ユエとシアで潰した兵器庫には魔女連隊の代表戦士であるカツェ・グラッセの姿はなかった。あそこから立て直されても面倒だし欧州にいる間に魔女連隊は完全に潰しておきたいのだ。それに、アイツはどうにも人気(ひとけ)のある所にいるらしく、越境鍵で強襲するには人目に付きすぎるから羅針盤で探しつつ足で尾行したい。そうして人気の無い所へ奴が移動した時にとっ捕まえるのが今回の作戦。あってないようなもんな作戦だがリカバリーはいくらでも効くからな。問題無し。

 

「あ、あぁ。そういうわけだ、メーヤ、俺は行くよ」

 

と、腕を絡められてそのたわわに実ったメロンを押し当てられて死にそうな顔をしていたキンジの表情が喜色に染まる。メーヤの腕を振り解いて俺の後ろに隠れるようにして地雷源(メロン畑)から脱出したキンジを、メーヤが残念そうに見ている。これでキンジも一端は安泰かと思いきや───

 

「……あ」

 

と、メーヤが何かを思いついたように手のひらに握り拳をポンと下ろした。

 

「なら私もキンジ様達に着いていきますね。あれはバチカンの宿敵でもありますから」

 

キンジ、一難去ってまた一難。せっかくメロンヶ丘から逃げられたのに、数秒でまた囚われてしまった。

 

「好きにしろ」

 

「はい」

 

と、メーヤは仮面さえ被っていなければきっと爽やかな笑顔が見えたであろう声色で返してきた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……あれか」

 

俺が羅針盤でカツェを探し、それに皆が着いてくる。だが尾行に6人は多すぎるからユエとシアは一旦お留守番を任せてある。まぁ2人の力が必要になれば越境鍵で直ぐに呼んでこれるからな。そういう訳で今は俺とジャンヌ、キンジとメーヤペアで厄水の魔女を捜索、そして発見したところだ。

 

どうにも学校の授業で社会科見学をしているらしいそいつは、しかし広いルーブル美術館の中でクラスメイトの輪から離れ1人で佇んでいた。

 

羅針盤があるから迷うことなくカツェまで辿り着いたのだが、ここじゃあ流石に手が出し辛いな。

 

「……お前らの魔法か何かで手っ取り早く捕まえられないのか?カエルにするとか」

 

と、キンジが微妙に抜けたことを言い出した。

 

「足りない知識で物を言うな。聞き苦しいぞ。……今は璃璃が濃く、超能力を使うには適さないのだ」

 

「俺も、そんな便利な魔法は持ってねぇぜ。騒ぎになってもいいなら、どうとでもできるが」

 

「……いや、俺が悪かった」

 

そもそもカツェの周りには人目があり、そこで転移なんてしたら派手に目立つからこうやって足で追いかけたのだ。ここでド派手に魔法を使うのなら最初から転移している。

 

「取り敢えず、アイツが人目につかないとこに行くまでは俺達も距離開けて待機だな」

 

と、俺の方針に異を唱える奴は出なかった。俺達はそのまま二手に別れてカツェを監視しつつここを見て回ることにした。

 

そこで、羅針盤のある俺とジャンヌペアはフラりとカツェから離れ、展示されている美術品やら何やらを眺めることにした。

 

「……動きはあったか?」

 

「いや、まだそんなに。ていうかアイツ、兵器庫が潰されたこと知らねぇのかな」

 

何人もの魔女連隊の仲間がバチカンとリバティ・メイソンに捕らわれたのだから、アイツもあんな風に社会科見学してる場合ではない気がするんだけどな。

 

「もしくは、待機命令が出されているのかもしれない。何せ向こうからしたら急な襲撃だったはずだ。それも、実際に強襲したのは魔女連隊も把握していない相手だ。それが極東戦役における師団の戦力なのか、公安関係なのか、はたまたまったく関係の無い勢力からの攻撃なのか。上層部としてもまずはそこの把握から努めねばならないだろう」

 

「なるほどね……」

 

直接的に強襲をしたのがユエとシアだけだったから向こうもあの2人がどこのどいつなのか把握するところから始めているってわけか。じゃあカツェはそういう情報や頭脳担当じゃねぇってことかな。それはそれとして───

 

「ジャンヌ、お前香水付けてきたのか?」

 

ジャンヌはお洒落さんなので普段から香水だかトワレだかを付けたりしている。だが今回は尾行の任務なのに香水は如何なものかと思い指摘すると、俺の腕に自分の腕を絡ませていたジャンヌが俺を見上げながら膨れっ面をしていた。

 

「男はいつ女にチャンスをくれるか分からない。だから常に完璧な準備をするのがフランスの女なのだ」

 

「……今回の任務のこと分かってる?」

 

「当然だ。だがお前には()()があるだろう。それに、これはそこまで香りの強いものではない。距離を取って追うのだから問題無い」

 

「いやまぁ、そう言われるとそうかもなんだけどさ……」

 

ただこう、だからってなぁ……という思いは拭えないのだ。

 

「……それとも、天人はこの香りは嫌いか?」

 

「え……いや、そういうわけじゃないけど……」

 

横にいるジャンヌから漂う香りはとても良い香りだと思う。ジャンヌ本人の香りと相まって、俺の胸をくすぐるような香りだと感じる。

 

「では好きか?」

 

ズイ、と、ジャンヌがその端正な顔を近付けてくる。相変わらずジャンヌの美人顔に弱い俺は、それだけで耳が熱くなるのを自覚した。

 

「まぁ……好き、だよ……」

 

半分言わされた感があるけれど、実際好きな香りだとは思うのでそう答える。するとジャンヌは俺に顔を近付けたまま得意げな笑顔になる。それがまた綺麗で、そしてその中に可愛らしさもあり、それを直視できなかった俺は目を逸らした。

 

ていうか、今のでこの話題は終わった感があるというか、誤魔化されたなこれ。まぁもういいや、舌戦でジャンヌに勝てる気しないし。いや、そもそも俺が口で勝てる相手がいないって話は置いておいて。

 

 

 

───────────────

 

 

 

数時間後、カツェが美術館から出たため、俺達も外へ出た。どうやらカツェは学校の奴らの元へは戻らないらしい。1人で別の方向へと歩いていっていき、魔女連隊の仲間と思われる奴らに用意させたらしいバイク──ケッテンクラートだ──に乗った。そのため俺達もメーヤに用意させた車に乗り込み、その後ろを着いていく。

 

「……ありゃあ」

 

「あぁ」

 

メーヤが用意した車も、尾行だっつってんのにそれはそれは派手な車だったが、カツェの乗ってるケッテンクラートはそれ以上に目立つやつだったので追いかけるのには苦労しなかった。そして、カツェが次に乗り込んだのは飛行船。どうやら空路でどこかへ向かうようだ。

 

「なぁ天人」

 

「んー?」

 

「こっからは俺1人で行きたい」

 

「あぁ?」

 

「頼む」

 

カツェ、というか魔女連隊も殻金を所持しているらしい。どうやらそれはアリアに関わる物のようで、キンジはやけにそれに拘っている。

 

「……武偵憲章4条・武偵は自立せよ。要請なき手出しは無用のこと、お前がそう言うなら好きにすればいいさ。死ななきゃ助けてやる」

 

「……ありがとう」

 

「おう」

 

俺個人としてはカツェにも殻金にもそれほど興味は無い。カツェ1人で戦局がそう大きく動くとも考えにくいしな。だから俺は素直にキンジを1人で送り出すことにした。最悪越境鍵で駆けつければ問題あるまい。

 

と、俺が飛行船にこっそり乗り込んだキンジを見送ると───

 

「遠山とは言え、今のアイツを1人で乗せて大丈夫なのか?」

 

HSSの存在を知っているジャンヌがそんなことを聞いてくる。

 

「こっそり()()も付けたし大丈夫だろ。アイツ、何だかんだでしぶといし」

 

「クモ?」

 

クモ、蜘蛛型で感応石で操れる遠隔操作式のアーティファクトだ。しかも、帝国で使ったやつと違って変成魔法を組み込んであるからある程度自律行動も起こせる。ちなみに今はキンジの見張りにのみ専念させている。

 

他にも色々機能はあるが小型で見つかり辛く、俺とも視界を共有できるからキンジに何かあれば直ぐに分かるしコイツを起点に越境鍵を使えば即座に助っ人に向かえる。そこら辺掻い摘んで、というか"小さい監視用ゴーレムを付けた"とだけ伝えればそれで何となく伝わったのかジャンヌも頷いた。

 

「俺達も帰ろうぜ。キンジが魔女連隊のアジトを見つけたら直ぐに乗り込むけど、まぁ今は待ちだからな」

 

 



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突撃隣の異世界娘

 

 

それは、あまりに突然の出来事だった。

 

「ちょっと来て色々大変なの!!」

 

そう叫びながら現れたのは長い黒髪を湛えた可憐な雰囲気を纏った女だった。歳の頃はシアと同じくらいだろうか。純和風といった感じのその子は、何やら涙目で男の同情を誘う表情をしながら切迫を訴えていた。そして、触れればそれだけで折れてしまいそうな細腕に似合わぬ凄まじい握力で俺の腕を掴み、パリの賃貸マンションの、ジャンヌの借りていた部屋に開いた()()()()()()()()()()の中に、カバの首すらへし折れそうな膂力で俺を引き摺り込んだのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「異世界転移は何度もやったけどこのパターンは初めてだよ」

 

室内なので靴を脱いで足裏を床に付けないように気を遣いながら横向きに置いた俺が、ユエもかくやというジト目を繰り出した先には()()()()がいた。彼女は顎に自分の右手人差し指を当てて先程の自分の行動を振り返り、そしてそれがまるで当然かのようにふんぞり返っていた。……何故?

 

「いや、もう俺にとっちゃ大概どうでもいいんだが……お前、どうやってあの扉開いた?」

 

俺と香織の住む場所は文字通り世界が違う。空間魔法だけで距離をぶち抜いたところでどうにかなるようなものではないのだ。それこそ、概念魔法による世界の超越が必要になるのだから。確かにコイツはエヒト共との最後の戦いの後、トータスにある大迷宮の、まだ彼女が挑んでいなかったそれら全て攻略して概念魔法の足掛かりを手に入れていた。だが概念魔法は神代魔法を全て手に入れただけで扱えるようになるものではない。

 

そこから更に自らの意志や想い、願いを具現化するために莫大な魔力と意志の強さが求められる。俺だってユエの助けがなければ世界を越えるような概念魔法は生み出せないのだ。それを、香織が1人で成したというのだろうか。

 

「そりゃあ、概念魔法を生成魔法で天人くんのくれた鉱石に付与して、ちゃんとした鍵を作ったんだよ?」

 

天人くんも同じようにしてたよね?と、さも当然のように香織は告げた。確かに俺はトータスを出る前に香織に世界を渡るための鍵を渡してある。だがそれは()()だけで中身の無い、ただのアンティーク調のアクセサリーみたいなものだったはずだ。そりゃあ素材自体は概念魔法の付与にも耐えうるものだったし香織の生成魔法の適性は高くもなく、かと言って低くはない。魔法を1つ付与する程度であれば可能ではあろう。

 

「私の、ハジメくんを想う気持ちを甘く見てもらっちゃ困るよ?」

 

どうやらそういうことらしい。だが今や同じ世界に住む南雲くん目当てで世界を渡る概念魔法なんて作れるのだろうか。香織の魔法の適性であればユエの補助がなくとも、その意志さえあればどうにかなろうが、そもそもその意志はどこから……?

 

「まぁこれ、天人くんの越境鍵と違ってどこでも、とはいかないんだけどね」

 

と、香織はその白魚のような指先で概念魔法の付与された鍵を弄ぶ。

 

「あぁ、そうなの?」

 

「うん、これは()()()()()()()()()()()()()繋がる概念魔法だから」

 

「あぁ、それで……」

 

当初は即座に南雲くんの元へと駆け付けられる概念魔法のはずだ。南雲くんにもう一度会うためだけに、仲間の元を離れたり、死ぬより辛い苦痛を味わうことを躊躇わなかったり、一旦は人の身体を捨てたりという選択を選べたコイツならではの概念魔法だ。そして、その意志の強さは遂に世界を越えるまでに至ったのだろ。

 

「で、そこまでして俺を呼び出した理由は?」

 

まさか2週間に及ぶ完全な神隠しと帰ってきた奴らのまるで妄言としか思えないような発言の数々が何か厄介事を呼び寄せてしまったのだろうか。

 

俺が思わず眉を顰めると香織は首を横に振る。

 

「あ、今は腕力が必要なわけじゃないの。ただ……」

 

「んー?」

 

「ただ、ハジメくんと違うクラスになっちゃっただけなの!!」

 

「帰る」

 

トータスとこの世界は案外近い。いや、この世界と俺の世界との距離が遠すぎるのだ。こっちと俺の世界の距離がまるで地球の反対側に行くくらい離れているとすれば、こことトータスなんてちょっと飛行機で隣の国へ、くらいの程度の感覚で渡れる。ちなみに、ここと俺の世界の距離よりトータスと俺の世界の方が少しだけ距離が近いのだが、理由は正直謎だ。

 

異世界への扉を開くには世界間の距離に応じて魔力が必要になる。これほどの魔力量をどうやって用意したのかは知らないが、香織の呼び出した理由があまりにあんまりだったので、俺はさっさと宝物庫から越境鍵を取り出した。

 

「あぁ!待って待って!」

 

「待たんわ。てかお前そんなどうでもいい理由で世界渡ったのか。逆にすげぇよ」

 

どうやらここは香織の部屋らしい。本人の雰囲気によく似合う女の子女の子した部屋だ。俺はそのパステルカラーな部屋の虚空に既に鍵を突き刺したところだ。

 

「これは真剣な話なの!!」

 

「どこがだっ!!」

 

「香織!!今男の声が聞こえたぞ!!」

 

と、俺が思わず大声でツッコミを入れた瞬間に何やら階下から男性の声が聞こえてくる。そして、ドタドタと慌ただしく階段を駆け上がる足音。そして気配がこの部屋の前で止まり、直後にドバーン!!と香織の部屋のドアを開けたのは、まだ20代半ばにも見える、香織に似た雰囲気を持つ線の細い男性だった。

 

「あ、お邪魔してます、お兄さん」

 

香織の歳の離れた兄だろうと思い、俺が挨拶を返すと───

 

「誰がお兄さんだ!私は香織の父だ!!」

 

なんかもう初手でキレながら驚きの事実を明かしてきた。

 

「て言うか君は誰だ!いつの間に我が家に入ってきたんだ!!」

 

そりゃそうか。香織は概念魔法で俺をこの部屋に引っ張りこんだのだから俺は玄関からは入っていない。当然この人が俺の出入りに気付くはずもないか。

 

「香織の兄貴です。急に香織に部屋に連れ込まれました。個人的には今すぐにお(いとま)したいです」

 

「香織は一人っ子だ!!私は君のような男を産んだ覚えはないよ!!───て言うか香織ぃ!?いつの間に男を部屋に連れ込むようになったんだい!?」

 

「全員話をややこしくしないで!!」

 

「どうしたんですか?」

 

と、香織が半ギレで突っ込みを入れた直後に今度はこれまた20代半ばくらいの女の人が現れた。

 

今度は香織の姉のようにも思える。だがさっき香織の父と名乗る人は香織は一人っ子だと言っていたから多分この人が香織の母なのだろう。

 

「あぁ香織のお母さん、僕は香織に───」

 

「天人くんは一旦黙ってて」

 

ジャキィン!と俺の喉元に突き付けられたのは銀色の魔力光を纏った大剣が一振り。纏う魔力光が、その刃には分解の魔力が込められていることを示し、そしてそれは香織のご機嫌が最悪なことを意味していた。

 

からかい過ぎたかなと俺は俺は両手を上げて降参のポーズ。そして、愛娘がいきなり、しかも明らかな凶器を他人に突き付けた驚きで香織の両親も放心状態になってしまっていた。

 

「お父さん、お母さん、この人は神代天人くん。私が向こうに行っていた間の師匠みたいな人で、こことはまた別の日本から来たの」

 

と、分解の砲撃も放てる大剣を宝物庫に仕舞いつつ簡潔に俺のことを両親に説明した。どうやら、香織はトータスに行っていたことを両親にきちんと伝え、かつ2人もそれを信じてくれたようだった。

 

「……つまり、香織(マイエンジェル)が物騒な物を他人に向けるようになった張本人という訳だな?」

 

おっと?どうやらここで問題が発生したようだぞ。だがまぁ正直その通りなので弁明のしようがない。

 

「お父さん、天人くんを責めないであげて。これは、私が望んだことで、そうしないと生き残れない世界だったの」

 

「……それでも、私は父親として、娘に武器を握らせるような奴を責められずにはいられない」

 

あとさっきの兄貴ってなんだよ、という香織の父に香織はそれでも、と食い下がろうとする。だから俺はそれを制した。

 

「……香織、お前のお父さんの言う通りだよ。……香織のお父さん、俺の元いた所では上級生が下級生の兄ないしは姉となって教え導くっていう風習があります。さっきの兄貴ってのはそういう意味です。俺は高2で、香織達は高1でしたから……。それに、本当なら香織……いや、この子のクラスメイト達の誰も、武器なんて握る必要の無い人生を送るべきだったんです。異世界に無理矢理呼び出されて、戦わされて……でも───」

 

「でもそれは、天人くんのせいじゃない。呼んだのも、戦わせたのも、全部エヒトの仕組んだことだよね」

 

香織が俺の言葉に割って入る。

 

「……それでも、だ。それでも、俺は武偵として、本当ならお前らを戦わせることなく帰さなきゃいけなかったはずなんだ。けど俺は、最初に自分が帰ることを優先して、お前らが戦うことを止めなかったんだ」

 

そして止めなかった結果、その先で2人の生徒を俺は殺すことになり、また1人はクラスメイトの裏切りにより死んだ。

 

「全ては俺の実力不足から始まったことです。香織だって、本当は人を癒す力しかなかったはずなのに、俺がこの子に人を傷つけられる力を与えました。俺がもっと強ければ、香織に"自分も戦わなければ"と思わせる必要もなかったのに……」

 

「……神代くんと言ったね」

 

「はい」

 

「君のことは、香織から聞いている。誰よりも強く、そして誰よりも力を振るう責任を知っている人だと」

 

「いえ、俺は……」

 

「今の言葉を聞いて、それは間違いではなかったと知ったよ。私は見ての通り喧嘩なんてしたこともなければしたいとも思わないけどね。それでも大人として、親として、香織のいた先に君がいてくれて良かったと思うよ。ありがとう、香織を、香織だけでなく、香織の友達も守ってくれて……」

 

と、香織の父親が俺に頭を下げる。俺は……そんなことをされる程立派なもんじゃないのに。

 

「いえ、そんな……俺は……」

 

香織の父の言葉に、俺は何か否定の言葉を返さなければと語彙を探す。だが俺が何か言うことを見つける前に香織の母親と思われる女の人も俺に向けて頭を下げてきた。

 

「私からも、ありがとうございます。香織から聞いたお話のような経験をして、それでも尚この子が笑っていられるのは貴方のおかげだと思います。実際、塞ぎ込んでしまった子や、本当に亡くなってしまった子がいるみたいで、香織だってそうなってもおかしくない出来事だったと思うわ。それを、貴方は救ってくれた。母親として、これ以上に嬉しいことはありませんから」

 

「俺は……」

 

「天人くんは自罰的過ぎるんだよ。それに1人で背負い込み過ぎ。シアやティオにあんなに言われたのにまだ同じこと言ってるの?私達は与えられるだけじゃ嫌なの。守られているだけのお姫様なんてお断り。私は皆と戦えたこと、戦えるようになったこと、後悔なんてしてない」

 

「けどその強さは、本当はお前らには必要無かったもので……」

 

俺の世界やトータスならともかく、こっちじゃ腕っ節の強さなんてさしたるステータスにはならないはずだ。それなのにコイツらはそんな強さを身に付けてしまったのだ。そしてそれは、俺が身に付けさせたものなのだ。

 

「はぁ……。あのね、私達が天人くんから教わった強さは喧嘩の強さじゃないよ?私達は、心の強さを教わったの。それは、諦めない心、奈落に落ちても這い上がろうとする心、地面に叩きつけられても自分の足で立ち上がる心、ただ周りや大人に流されるだけじゃない、自分で考えて、自分で立ち向かう強さ。そういうのを、天人くんの背中に教わったの。だから最後の戦いで皆戦えた。私だって、それが無ければ概念魔法なんて生み出せなかったよ?」

 

なんで当の本人が気付かないかな?と香織が溜息をついている。すると、香織の父が俺の肩に手を置いた。そして、穏やかな口調で語り始める。

 

「君、ご両親は?」

 

「いません。俺が10になる前に亡くなりました」

 

「その後は?」

 

「ずっと、戦うために生きてきました。俺には、それしかなかったから……」

 

そう、俺はイ・ウーに堕ちて、そこから先はただ戦うしかなかった。リサを失わないためにはそれしかなかったから。

 

「お父さん、天人くんはね、たった1人の女の子を守りたくてずっと強くなろうと戦ってたの。ずっと、ずっと……トータスに来る前からずっと……」

 

「あぁ、神代くん。君はもう少し自分の助けたものの大きさを見た方が良い。人の命は、その人のものだけではないんだよ。人は1人では生きられない。それはね、誰かを救うということはその人の周りも一緒に救われるということなんだよ。香織が帰ってきてくれた、私達のようにね」

 

でもそれは、俺が奪ってきた命にも言えることだ。だから俺は、そう簡単に許されるべきではないのだ。

 

「天人くんが今考えてること、分かるよ?だって戦兄妹(アミカ)だったんだから。それでも、天人くんはたくさんの人を救った。そして、それに感謝している人は本人だけじゃないんだよ。比喩でも誇張でもなく天人くんはあの世界の人々全員を……そして私達と私達の家族も救ったの。だからもう、天人くんも許されていいんじゃないかな?」

 

「俺は……」

 

「神代くんが何に悩んでいるのか、私達には分からない。けれどこれだけは言えるよ。君はもっと自分の成したことに自信を持っていい」

 

「あぁ……あぁ……ありがとう、ございます……」

 

香織の父親から掛けられた言葉。それはユエ達から言われたことと同じだと思う。けれど、完全に身内だったユエ達からではなく、その外の人から言われた言葉というのが、存外良かったのかもしれない。その言葉は、俺の心の中にすぅっと入り込んで、染み渡った。

 

「あ、あれ……?」

 

そして、その言葉は思わず俺の涙を、涙腺から溢れ出させた。予期せぬそれに、俺自身も戸惑ってしまう。

 

「え、ちょ……天人くん!?……はぁ……もう……」

 

「ははは、いいじゃないか香織。結局彼もまだ子供なんだ。たまには大人の前で泣いたって誰も責めやしないさ」

 

どれ、これが父親というものだよ、と俺は香織の父親に頭を抱かれる。俺はなされるがままにその腕の中に収まる。その腕は、最初見た時には細っこくて頼りなく見えたけど、実際のところ、結構たくましく感じられたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「さて、天人くんも落ち着き、お父さん達も戻ったところで本題だよ」

 

そう言えばそうだった。俺はここに懺悔しに来たわけではなく、香織に強制招集されて来たのだった。

 

「で、なんだっけ?南雲くんとクラスが離れた、だっけ?」

 

やっぱり帰っていいかな。これ態々俺が呼び出される必要ある?愚痴なら雫にでも零してくれ。

 

「そうなの!せっかく帰ったきたのに私達が変なことばっかり言うからって特別教室になっちゃったんだよ!?酷くない!?」

 

そこから始まる香織の愚痴愚痴、そして愚痴。どうやら、帰ってきたは良いがやはり2週間の間一切の音沙汰なく行方知れずというのはこちらの世界の、しかも普通の学生だった香織達にとっては大きなことだったらしい。随分とマスコミ達にも追い回され、こっちにヘルプを求める隙間も無かったらしい。その上こっちと俺達の世界の隔たりも大きく、俺が念の為にと与えた神結晶に溜め込んだ魔力を使っても尚足りない魔力を香織や雫、天之河といった魔力のある奴らが1ヶ月以上かけて溜め込み、ようやく片道分の魔力を用意できたらしい。

 

「で、もうそこまで来たら俺の出番なさそうなんだが?ていうかそもそもお前南雲くんとどうなったんだよ?」

 

そんなわけであるから、俺は南雲くんと香織があの後どうなったのかすら知らないのだ。

 

「そ、それは……まずはお友達からって……」

 

つまり、告白したはいいが一旦保留されたということか。

 

「ふっ……」

 

「あぁ!?今笑ったでしょ!!」

 

「あぁ?そんなの笑うだろ。お前……概念魔法レベルの重い愛ぶつけて保留って……ふふっ……」

 

「ち、違っ……ハジメくんはただちょっとまだ照れてるだけなんだからぁ!」

 

ここにユエがいればもっと弄られたのだろうが、残念ながらここにユエはいない……いや、待てよ?

 

「……よいしょぉ!!……お、ユエ」

 

俺は越境鍵で世界の隔たりを越える扉を開く。そしてその先にはキョトンとした顔でこちらを見つめるユエとシアがいた。

 

「……天人、香織にいきなり拉致られたと思ったら。どうしたの?」

 

「ユエ、今こっち面白いことになってるから来てくれ」

 

「……んっ」

 

「えぇ!?ユエも呼ぶの!?」

 

と、香織が止めてよーと泣きついてくるがそれを無視してユエとシアをこちらに呼び寄せる。

 

「……それで、どうしたの?」

 

香織は言わないで言わないでと俺の肩を揺らしているがそれを押し退け、俺はさっきの話をユエ達にもしてやる。すると───

 

「……ぷぷっ、香織、概念魔法レベルの愛をぶつけて保留にされた女」

 

「……天人さん、やることが大人気ないですぅ」

 

「……天人くんだってさっき私の目の前で号泣してたくせに」

 

「……天人、どういうこと?」

 

「天人さん!?香織さんとは何も無いんじゃないんですか!?」

 

「あっ!香織てめぇ!」

 

「天人」

 

「天人さん?」

 

ユエとシアのジト目が怖い。しかもどんどんとこちらに迫ってくるのだから恐怖は増し増しだ。

 

「うっ……いや、本当に香織とは何も無かったぞ?」

 

「天人くん、色んな人を殺したことまだ抱えてたみたいで。さっきまで私のお父さんに頭抱かれて泣いてたんだから」

 

と、これまでの反撃なのか、香織が全部暴露し始めた。しかもめちゃくちゃに良い笑顔をしている。この野郎……やっぱイイ性格してやがるぜ。

 

「あぁ!?この口、封じて───」

 

「『……少し黙ってて』」

 

ユエ様渾身の神言発動。俺の氷焔之皇はユエ達の魔法は通すようにしてあるからこの不意打ちには対応できず、聖痕も開いていなかった俺は黙らざるを得ない。そして、ユエの神言が解ける頃には、さっきの俺の痴態は全て白日の元へも晒されてしまっていたのだった。

 

「天人さん、これは自業自得です……」

 

早くも2回目の泣きをみた俺にシアがトドメを刺してきた。深く項垂れる俺に誰も優しい言葉をかけることはなかった。

 

「……天人、遠山のこと見なくていいの?」

 

と、ここでユエ様からのナイスアシスト。そうだよ、キンジどうなったんだよ。さすがに世界を越えちゃったので映像も届いていないし。

 

「遠山?」

 

香織は新たに出てきた名前に疑問符を浮かべている。

 

「あぁ、今俺らまた戦いになっててな。本当はここで遊んでる暇はねぇ」

 

「いや、私も結構深刻だからね?」

 

片思いな上に返事保留中の相手とクラスが別れたとかどこが深刻なのだろうか。いやまぁ本人は真剣なのだろうけど、こっちと比べるとそれ後で良くない?となってしまうのだ。

 

「ていうか、異世界通信用のアーティファクト渡してあるだろうが。先にそれで用事伝えろよ。そしたらそっちの魔力使わずにこっちから行けたのに」

 

まぁこの理由聞いたら多分行かないけど。

 

「だって理由先に伝えたら天人くん来ないでしょ?」

 

よくお分かりで。

 

「まぁな。……ほら、取り敢えずそれにまた魔力溜めといてやるから。また今度な」

 

と、俺は香織から鍵を受け取り、そこに魔力を注いでいく。だがこっちから俺達の世界へ行くにはまた膨大な魔力が必要になる。面倒になった俺は昇華魔法と限界突破の組み合わせで一気に魔力を溜めていく。

 

「おし、これでいいか」

 

「あ、ありがと」

 

「あっちが落ち着いたらまた来るから、そん時な」

 

俺は限界突破のままに自分の越境鍵に魔力を注ぐ。そしてまたジャンヌの部屋への扉を開いた。

 

「じゃあな、また今度」

 

「あ、うん、またね」

 

取り敢えず次の約束をしたからか、執拗に引き止められることもなく俺達はまた元の世界へと戻ることになった。……なんだったんだあの時間。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「で、何だったのだ?」

 

帰るやいなや、ジャンヌにジト目で睨まれる。

 

「トータスで戦兄妹だった奴に呼び出されたんだよ。なんか、そいつの好きな人と学校のクラスが別れたとかなんとか」

 

「アミ……はぁ……。でそれは解決したのか?」

 

「んなもん、解決できねぇよ。取り敢えず極東戦役終わらせたらまた行くけど、どうにもならんわな」

 

クラス決めとか俺が行ってどうにかなる問題じゃないだろうに。

 

「……南雲って人だけなら魂魄魔法を使ってクラスを動かせる、かも?」

 

「そりゃあ洗脳したり書類改竄出来ればな。クラス名簿程度ならそう難しい話でもないんだろうけど、そこまですんの……?」

 

クラス編成程度なら魂魄魔法でどうにかできないこともない、だろうけれども、そこまでして同じクラスになりたいのか?

 

今すぐにどうこうってより、来年度以降のクラス編成であの2人を同じクラスにする方が簡単な気もするが……。

 

「……ん、確かにそこまでは」

 

「でも香織さん、態々天人さんを呼んだってことはそうしてほしいってことですよね?」

 

「育て方間違えたよなぁ、これ……」

 

「……んっ、シアの家族といい、天人の育てた人はぶっ飛びがち」

 

「……マジか。いやまだだ、まだライカが残ってる」

 

そうだ、俺にはまだ戦兄妹の火野ライカが残っているのだ。アイツは人柄的には比較的普通だ。普通って言っても武偵高基準だけど、外に出してもそんなにおかしな行動をするやつじゃないだろう。

 

「あぁ、確かにライカさんは良い子っぽいですよね。天人さんの戦兄妹とは思えないですぅ」

 

強襲科で話したことでもあるらしいシアはしかし、ライカがハウリア軍人化の前科のある俺の妹とは思えないという。まぁそれは俺の自業自得だろうな……。

 

「……ていうかそれよりキンジだ。今アイツ……あぁ、大丈夫そうかな」

 

今は何やら布かシートを被って隠れ潜んでいる。どうにもさっきカツェの乗っていたケッテンクラートに被せられていたやつみたいで、確かにあの中なら着陸するまでは見つからないだろう。周りは何やら鍵のかかったロッカーが並んでいる。……更衣室か?だがまぁ、どっちにしろケッテンクラートのビニールシートの中なら大丈夫か。

 

そう思い俺は皆にキンジの状況を伝える。そうすればジャンヌもメーヤも安心したようで、場の空気が弛緩した。

 

俺も視界共有はそれなりに頭が疲れるから他で極力体力使わないように目を閉じた。すると真横にユエが座る気配。薄目を開ければやはりそこにいたのはユエで、俺の頭を優しく撫で始めた。俺はそれを合図に倒れ込み、ユエの太ももに頭を乗せ、また目を閉じた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……アイツ、何やってんだ?」

 

「どうした、遠山に何かあったのか?」

 

あれから数時間後、いつの間にやらメーヤはどこかへ行き、ユエとシアがお昼寝中、俺の右目の中ではキンジはカツェの着替えを覗き、それがバレて飛行船の外に追いやられ、そして今度は飛行船からどこかの山中へと落下しやがったのだ。移動中の飛行船には扉は開き辛いから中々手出し出来そうもなかったが、だからって下に落ちられたら今度は助ける前に死んじまうぞ。

 

「あの野郎、飛行船から叩き落とされやがった。……一応、生きてはいる。大怪我もしてなさそうだ」

 

クモは落ちる時にキンジの服の中に忍ばせておいたおかげで雪の中に放り出されずに済んだみたいだ。

 

「救出に行くのか?」

 

「あぁ。カツェも一緒だけど……まぁ捕虜でいいだろう」

 

キンジはパラシュートの布を寝袋みたいにして寒さを凌ごうとしているようだが、雪山の寒さの中ではそれもどれほど役に立つのだろうか。

 

俺は虚空に鍵を差し込み、魔力を込めながらそれを捻る。するとまた室内に寒気が吹き込んでくる。扉の向こうは吹雪いていないのを幸いに、俺はどこかの雪山へと足を踏み入れた。

 

「キンジぃ、生きてるかぁ?」

 

俺が派手な色の布に向けて声を掛ければそれが中からモゾモゾと動き出し、隙間からキンジが顔を出した。

 

「天人!?」

 

「おう、元気そうだな」

 

と、クモで見ていたがやはりまだそれなりに体力は残っているらしいキンジの顔が、直ぐに引き攣った。

 

「ケケケ、態々救援ご苦労だったな」

 

と、パラシュートの布を剥ぎ、キンジの後頭部に金色の拳銃を突き付けたまま出てきたのはカツェだった。

 

「……それ、使えないぞ」

 

だが、たかがルガーP08の1挺で何ができると言うのだろうか。そんなもの、俺の目の前に出した時点で凍らせて終わりなのだ。分っかりやすく氷に包まれ凍結していく自分の拳銃を見てカツェの顔が驚愕に染まる。

 

けれども───ガッ!と俺の側頭部を何かが掠める。しかしそこで力尽きて雪に落ちたのは1羽のカラスだった。どうやら爪に塗った毒で俺を殺そうとしたらしいがそもそもその程度の爪が俺の多重結界を抜けるわけもなく、俺は完全に無傷のままだった。

 

「エドガー!?」

 

どうやらカツェのペットらしいそいつは、ご主人様を守ろうと甲斐甲斐しくも寒さを堪えて戦ったみたいだが、戦力の差は歴然。

 

「魔女連隊のカツェ・グラッツェ、お前は師団側の捕虜にする。……んで、取り敢えず暖かい部屋に戻ろう。ここは景色からして寒すぎる」

 

熱変動無効のスキルで寒さそのものは平気だが、景色が寒々しい。殼金を出させるにしろ他の魔女連隊の基地がどれだけあるのか吐かせるにしろ、ここじゃあ尋問をする気にもなれない。

 

「へっ、誰が言うかよ」

 

「お好きに」

 

俺は鍵でジャンヌの部屋への扉を開くと手足を氷で拘束したカツェを投げ入れる。それと寒そうに凍えているカラスも、毒を塗ってある足だけ氷で拘束しつつ部屋に入れてやる。

 

「ほれキンジ、行くぞ」

 

「あ、あぁ……」

 

俺に手を引かれ、キンジもジャンヌの部屋に戻る。最後に俺も扉を潜り、雪山に繋げた扉は姿を消した。

 

 

 

────────────

 

 

 

「ジャンヌ、包帯か何かあるか?」

 

「あぁ。遠山が怪我でもしたのか?」

 

「いや、このカラス。足の爪に毒が塗られてる。危ねぇから一旦巻いておくんだよ」

 

「分かった」

 

ジャンヌが救急箱を探している間に俺はカツェの氷を解き、代わりに事前にジャンヌから渡されていた超能力者用の手錠を嵌めた。

 

「さてキンジ、俺ぁカラスの方やっとくからお前がカツェから聞いといてくれ。……ユエ、頼んだ」

 

「あぁ」

 

「……んっ」

 

ユエは魂魄魔法で相手の言っていることが嘘か本当かが分かる。1番面倒なのは黙秘されることだが、そこはキンジの話術に期待するか、最悪の場合には、あまりやりたくはないけどこのカラスを人質にして何かしら喋らせるしかない。

 

『……天人』

 

『んー?』

 

と、急にユエから念話が飛んできた。……これ使うの久しぶりだな。

 

『……再生魔法と魂魄魔法の組み合わせで少しならこの子の記憶を読み取れる』

 

『マジか……。あぁじゃあ黙秘されたらそれ使ってくれ』

 

『……んっ』

 

そうして俺は、キンジがユエの力を借りつつ尋問を進めている間にカラスの足に包帯を巻いて毒爪を無力化しようとしていた。

 

まず羽ばたかれちゃ面倒なので両翼を氷で固定し、脚にも氷を纏わせて動けなくしておく。そして爪に塗られた毒を拭き取りながら両足それぞれに包帯をグルグル巻いていく。それらを医療用のテープで留め、無事に毒爪の無力化が完了した。俺は氷で檻を作るとその中にカラスを入れ、奴の身体を拘束していた氷だけ消してやる。

 

中に入れても少しは暴れるかなと思ったが、爪に毒を塗られて戦闘用に調教されただけあって、無闇に暴れることはなかった。どうやら自分の置かれた状況をキチンと把握しているようだ。

 

「こっちは終わったぞ。……そっちはどうだ?」

 

「……んっ、カラガネ?っていうのはこの子は持ってないみたい。別の誰かに渡したらしい」

 

「天人、探せるか?」

 

どうやら、あの兵器庫でとっ捕まえた奴らの持っていた情報は古かったらしい。魂魄魔法ではそいつが嘘をついているのかどうか程度しか分からない。だから本人からしたら本当のことでも、それが事実と異なる場合だってあるのだ。偽の情報をそうとは知らずに信じてしまえば、そいつの中で嘘を言ったことにはならないからな。

 

「あぁ」

 

俺は羅針盤を取り出し、カツェの持っていた殼金を探す。すると、羅針盤からはオランダ方面にあると反応が返ってきた。

 

「……まったく、逃げ足の早ぇ奴らだ」

 

兵器庫を襲われ、そこからどうにか逃げ出した奴らは一目散にここへ向かったのだろう。

 

「カツェ、お前らが山の中に構えていた兵器庫は俺達が潰した。お前はそれを知ってたのか?」

 

「あぁ?当たり前だろ。だからあの飛行船だって兵器庫は素通りする予定だったんだ」

 

「……キンジ、コイツが持ち出した殼金のある所には随分と敵が多いみたいだ。どうする?」

 

「どうするって、乗り込むしかないんじゃないのか?」

 

まぁ、それはその通りなのだが……。

 

「そりゃあ、俺達はそれでいいけどよ、お前はどうすんだ?HSS無しで戦うのか?」

 

そもそも、キンジが自分で戦って殼金を持って帰りたいと言ったから態々キンジが飛行船に乗り込んだのだ。それなら魔女連隊の偉い奴らが集っていそうなそこへもコイツは乗り込むのが道理だろう。だが俺達はともかく作戦も無くキンジが来たところでHSSを発動させなければ足でまといにしかならないだろう。

 

「ま、まぁそうだが……」

 

「つーわけでジャンヌ、コイツが生き残れる作戦考えてやってくれ。俺ぁコイツをワトソンに引き渡してくる」

 

メーヤに渡したら普通に首切り落としそうだし。そうなるとせっかく捕虜にした意味が無くなる。ワトソン、というかリバティ・メイソンならもうちょい丁寧に扱ってくれるはずだ。

 

「へっ、いいのかよ、殺さなくて」

 

「あ?手前は人質だよ。あと何かの時の情報源。……あぁ、超能力で逃げられると思うなよ?もうそれは凍らせた」

 

コイツの持っている超能力は水を操るものらしいがそれは俺の氷焔之皇で凍結させてある。念の為掛けた手錠も対超能力者専用の物だし、コイツはもう何もできない。

 

「……チッ」

 

舌打ちをしてこちらを睨むカツェは無視して俺は電話でワトソンを呼ぶ。傍で待機していたらしく、直ぐに来るとのことだ。

 

「じゃあな、厄水の魔女」

 

「はっ、2度とその面ぁ拝みたくねぇな化け物」

 

言葉通り直ぐにやって来たワトソンにカツェを引き渡す。俺達の間にあった言葉はこれだけだった。

 

 

 



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極東戦役欧州戦線

 

 

「天人、HSS無しで遠山が殼金を取り戻すのは難しそうだぞ」

 

と、しばらく頭を捻っていたジャンヌが諦めたように俺に告げる。まぁ、そりゃあそうだよなぁ。何せ、殼金を持った魔女連隊のイヴェルタとかいう奴はのいる場所は眷属連中の溜まり場らしく、魔女連隊の奴らの他に、砂礫の魔女ことパトラや何人もの眷属の代表戦士がいるようだったのだ。

 

「あぁ……じゃああれだ。俺らが乗り込むから、混乱に乗じてイヴェルタって奴から殼金をぶん獲るしかねぇな」

 

「……分かった」

 

最初はHSSの名前を出されるだけで嫌そうな顔をしていたキンジだったが、ユエやシアにはその詳細が伝わっていないと知ったあたりで変な顔をする方が怪しいと悟ったらしい。今じゃ平然としている。

 

それに、キンジも自分の実力は分かっている。HSS無しじゃ眷属共の根城に飛び込んで暴れ回ることなんてできやしないことだって把握しているからな。

 

「んじゃ、いつ行く?」

 

俺としてはちゃっちゃと強襲して手早く終わらせたいのだが、キンジは割と命懸けになるだろうからそれなりに準備もいるだろうからな。特に、さっきまでクソ寒い雪山で遭難してたわけだし、体力を回復させた方が良いだろう。

 

「……取り敢えず、今日は休ませてくれ」

 

「分かってるよ。お前に合わせる」

 

「助かる」

 

そこで一旦作戦会議は終わり、キンジは女子比率の高いこの部屋が嫌だったらしくそそくさと自分の部屋に戻り、俺達はダラダラと駄弁りながら時間を潰していった。

 

そしてその夜、皆が寝静まった頃にジャンヌがこっそり部屋から出ていくのを俺は見逃さなかった。

 

「…………」

 

だが俺はジャンヌの後をこっそりと追跡するだけで態々声を掛けることはしなかった。雰囲気からしてこっそりと買い物ってわけでもなさそうだし、何かそれなりの理由があるのだろう。

 

それこそ、敵方の誰かから接触があったとか、そんな感じの。まぁ、今更ジャンヌが裏切るとは思わないけれど、誰かに1対1の決闘でも申し込まれてそれを受けたのかもしれない。

 

それならそれで、ジャンヌの力をユエとシアにも見せて彼女達にジャンヌのことを認めてもらえるかもだから、俺が手出しする必要は無いだろう。寝てるかもな、とは思いつつも一応念話でゆとシアに声を掛けておく。

 

『ユエ、シア、寝てるところ悪いな』

 

『……んっ、平気』

 

『大丈夫ですぅ。……どうしたんですか?』

 

2人とも念話で届く声がまだ半分寝ている。やはり寝ていたところを起こしてしまったらしい。

 

『ジャンヌがこっそり出掛けた。一応、バレないように追いかけるぞ』

 

『……ん』

 

『了解ですぅ』

 

ジャンヌには、彼女が外へ出る直前にこっそりクモを付けてある。そこから得られる視界からは、ジャンヌは徒歩でどこかへ向かっていることが伝わってきている。どうにもそこまで遠出をする気配は無いが、どうにもただでさえ人気の無い時間にさらに裏通りばかりを通るその経路に俺は疑問を覚えた。やはり、夜食や明日の朝飯の買い物程度ではなさそうだった。

 

「悪かったな、寝てたろ」

 

俺はユエとシアと合流し、気配を消しながらこっそり後を着け始めた。

 

「……大丈夫。それよりジャンヌは?」

 

俺にはクモもあれば羅針盤もあるから、態々見つかるリスクを冒してまでジャンヌを視界に入れ続ける必要は無い。おかげで距離を置けるから夜の帳の降りた静寂の中であっても多少の会話は特に問題は無い。

 

「……今のところはただ歩いてるだけだ」

 

「ただ、ジャンヌさんがもし敵からの呼び出しに応じていたら、ということですよね?」

 

シアはさすがの勘の良さを発揮している。

 

「あぁ。クモは付けてるが何かあった時にゃ鍵じゃ1歩遅いからな」

 

それが、俺が態々鍵を使わずに足で追いかけている理由。越境鍵は便利だがコンマ1秒を争うような戦闘時に使うには発動まで時間が掛かりすぎるのだ。ジャンヌならば最悪は俺の多重結界や氷焔之皇を使うだろうが、相手がもし聖痕持ちだった場合にはそれも貫かれる。

 

眷属側も俺の参加を知れば、というか魔女連隊の兵器庫をあんな滅茶苦茶な形で強襲すれば嫌でも俺の存在か、もしくは聖痕持ちの存在を勘繰るだろう。そこで向こうも聖痕持ちの傭兵を出されたらジャンヌ1人じゃ不味いからな。

 

「……お、止まったな」

 

と、俺の右目の義眼と視界を共有しているクモから、ジャンヌの動きが止まったことが伝わる。人気の無い、表通りから1本入った通り。行き止まりでもなく、街灯もあるから真っ暗ではないが、叫んでも助けは来ないだろう。そして、ジャンヌは周りを見渡し、腕時計を確認した。

 

「……来たぞ、妖刕」

 

と、ジャンヌはどこかへと呼びかける。妖刕……ね。するとコイツが───

 

 

───バゴンッ!!

 

 

と、ジャンヌの足元のコンクリートが砕けた。どうやらさっきの呼び掛けへの返答らしい。……随分とまぁ乱暴なご挨拶だ。

 

「……遠山はどこだ?」

 

声の主はおそらく男。発信源は背後から。ジャンヌが身体ごと振り向けば肩に乗ったクモの視界もグルンと回る。

 

そしてクモが上を見上げればチロチロと明滅を繰り返す街灯の上に立っていたのは黒いロングコートを纏った男。身長はキンジとそれほど変わらない。中肉中背と言ったところか。顔はマフラーか何かで下半分が隠されている。両手には明らかに違法物と分かる銃火器──タウラス・レイジングブルとウィンチェスターM1887のソードオフモデルだ──を携え、背中には2本の刀を差していた。コイツが妖刕って奴か。随分と───理子的に言えば中二病臭い格好をした奴だな。

 

ジャンヌが言っていたな。眷属は妖刕とか言う男を傭兵として雇っていて、それが凄まじい戦闘力で欧州戦線を支えているって。

 

"魔剱"とか言うコードネームの彼女がいて、最悪どっちかを人質に取れればどっちも獲れるかも、という情報と共に、な。

 

「遠山は来ない。そして、貴様はここで私が潰す」

 

どうやら、ジャンヌは妖刕からキンジを連れてくるように言われていたらしい。だがジャンヌはこれを拒否。自分がコイツを倒すつもりで乗り込んだようだ。

 

「お前が俺に勝てると……いや、なるほどな。勝算はある、ということか」

 

他の誰かや物を人質に取られたというより、キンジを連れて来なきゃお前を殺す、というような脅しだったのだろう。そうでなきゃ俺に話が来たはずだからな。それも無しにこうしてジャンヌと妖刕が戦うということはジャンヌにとって不利になるような人質は無いということか。それならこの戦い、見させてもらうぜ。

 

俺は状況をユエとシアに念話で伝え、念のため直ぐに飛び出せる用意だけはさせておく。クモも、夜の闇に紛れ込ませながらジャンヌから離脱させ、道の端っこに隠れさせる。そして、それを見計らったわけではなかろうが、クモがジャンヌの方を振り返った丁度そのタイミングで2人はぶつかり合った。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺の氷焔之皇の加護下にある者は俺が与えた、俺の持つスキルや固有魔法を使える。実際、ユエ達には全員氷焔之皇の凍結と燃焼、それから多重結界に言語理解を加護として付与している。これが俺の氷焔之皇の権能の大きな特徴だ。だが、リムルのいた世界の魔法はともかく、トータスの魔法には各々適性があり、それがなければ俺から貸与されても扱えるかどうかは別の話なのだ。

 

だからジャンヌも俺の持つ神代魔法は大して扱えない可能性もある。適性があるかどうかまでは俺にも分からないからな。もっとも、魔素や魔力すらも共有出来る以上はジャンヌの持つ魔剣デュランダルに生成魔法で仕込んだ神代魔法であれば扱えるはずだ。

 

とは言え、しかしというかやはりというか、ジャンヌもユエ達と同じく言語理解以外の俺の力を使うことを拒んでいる。氷焔之皇や多重結界ですら普段から発動させる気が無いのだ。どうにも俺におんぶにだっこで戦うのではなく、アーティファクトを受け取るくらいで後は自分の力で戦いたいという想いが強いのだろう。

 

そんなジャンヌが妖刕を相手にどう戦うのか、答えは直ぐに現れた。

 

ジャンヌにはデュランダルの改造以外にも幾つかのアーティファクトを与えてある。それは空力と縮地を仕込んだシューズだったり、エヒトの根城に乗り込んだ時にシアやティオに渡したやつと同じ、神結晶に魔力を溜め込んだ魔力バッテリーだったり。ちなみにアーティファクトにも内蔵の魔力バッテリーがある。これが無いと、ジャンヌには魔法陣に注ぐ魔力を持っていないからな。

 

しかも、魔力操作の固有魔法を俺から借りるのを嫌がったジャンヌに合わせて、雫に渡した黒刀と同じような機能を盛り込み、詠唱で魔力タンクから魔力を取り出せるように錬成を使って魔法陣を書き込んだのだ。おかげで今のジャンヌはデュランダルに仕込まれた神代魔法を連発することすら可能なのである。

 

そして当然、ジャンヌは俺の渡したシューズを履き、両の手首には魔力タンクを仕込んだリストバンドを身に付けていた。

 

「飛爪!!」

 

そしてジャンヌがデュランダルを振るう。数メートル離れた間合いで振られたそれは、本来なら虚空を裂くだけで妖刕には何の痛痒も与えられない、()()()()()

 

だがデュランダルには風爪の派生技能である飛爪が付与されている。魔力によって編まれた爪が、妖刕の右腕を引き裂かんと迫る。

 

「───っ!?」

 

その刃は目に見えるはずもないが、本能で危険な匂いを嗅ぎ取ったのか、妖刕はその場から跳び退ることで躱すが、ジャンヌはダッシュで距離を詰めると、妖刕の着地際に合わせてデュランダルを奴の肩口に向け突き刺した。それを身を捻ることで躱し、バックステップで距離をとる妖刕。そして、その身体に異変が起きる。

 

バキバキと、音を立てて奴の身体が膨らんでいくのだ。あそこまで大きな変化ではないものの、まるで小夜鳴の身体からブラドが現れた時を思い起こさせるような変身だった。変化は一回り大きくなった身体。さらに変化はそれだけには留まらない。

 

何やら身体から黒い炎のようなオーラが現れ始めたのだ。そして、クモの視界が捉えたのは緋色の右目。

 

怪人、という言葉が相応しいだろうか。それでもなおユエやシアの方が圧倒的に強いだろうが、果たして今のジャンヌでどこまで渡り合えるのか……。

 

そして妖刕が一瞬、何か考え込むかのように虚空を見つめる。そして右手に構えたタウラス・レイジングブルを発砲。そこから放たれた弾丸をジャンヌは身体の前で構えたデュランダルで受ける。

 

刀剣は側面からの衝撃に弱い。だが、あのデュランダルは昔のそれではない。前に星伽に真っ二つにされて短くなったと言っていたから俺がタウル鉱石とアザンチウムで錬成した刀身を使っているのだ。当然、その強度はライフル弾すら弾く。幾らレイジングブル(怒れる牡牛)の一撃だろうが貫くことは不可能だろう。もっとも、ジャンヌの膂力ではそのパワーを抑えきることは難しく、後ろへ押し下げられてしまったが。

 

そして───

 

 

「……禁域解放」

 

 

───ゴウッ!!

 

 

と、ジャンヌの呟いた一言で魔力の奔流が起こる。ジャンヌに渡したアーティファクト(デュランダル)には昇華魔法が仕込まれている。今の一言はそれを発動させるためのキーワードだ。その効果によりジャンヌはワンランク上の存在へと昇華される。

 

「……炸牙!」

 

しかし、それを見た妖刕は両手に構えたリボルバー拳銃(レイジングブル)ショットガン(ウィンチェスター)を仕舞い、背中から2本の刀を抜いた。そして数歩踏み込み両手に構えたそれを扇状に振り抜いたのだ。すると───

 

 

───ズバァァァァンン!!

 

 

と、衝撃波が炸裂した。だがジャンヌも妖刕が刀を振り抜くに合わせてデュランダルに付与された固有魔法を発動させていた。

 

「天衝!」

 

デュランダルから放たれた魔力の衝撃変換が妖刕の放つ衝撃波を相殺し、さらに上回った余剰エネルギーが妖刕を襲う。

 

だが、魔力を変換した衝撃波は奴の黒い外套から発せられる炎のような黒いオーラに相殺され、奴にそれほどのダメージを与えることはできなかった。だがジャンヌのデュランダルはさらに空中を煌めく。

 

「飛爪!!」

 

再び魔力の爪が妖刕を引き裂かんと虚空を裂く。異世界の魔熊から簒奪した固有魔法は妖刕が何か抵抗する隙すら与えずに奴の身体を袈裟斬りに引き裂いた。

 

しかし、あの黒いコートから漂うオーラも尋常なものではないらしく、爪に裂かれた妖刕の身体が泣き別れすることはなかった。奴の身体から血飛沫が舞うだけに留まる。だが、デュランダルの煌めきはこれで止まることはなく───

 

「オルレアンの氷花!!」

 

ジャンヌの得意技が炸裂した。だが、丸ごと敵を氷漬けにもできるはずのそれがもたらしたのは妖刕の傷口の凍結。まぁ、あのまま放っておいたら多分妖刕死ぬし、そうなりゃいくら元イ・ウーの策士とは言え今は武偵高預かりの身になっている以上は9条破りで法廷行きだ。

 

妖刕が2本の刀を地面に落とし、自身もコンクリートの地面に沈む。完全に決着の着いたところで俺は念話でユエとシアに伝え、ジャンヌの前に姿を現す。

 

「……見てたのか」

 

「あぁ。見させてもらった」

 

「……ぐぅ……お前達……一体……」

 

妖刕はそれなりに頑丈らしく、まだ意識があるようだ。顔だけ上げてこちらを睨んでいる。

 

「さてな。ま、取り敢えずこのウィンチェスターは銃検通ってねぇだろうからな。傷害の現行犯も含めて逮捕だ逮捕」

 

俺は宝物庫から手錠を取り出し、妖刕の両手首に掛ける。ショットガンの銃検なんて武偵でも中々通らないのだ。それをこんな得体の知れない奴が通せるとも思えない。

 

俺が妖刕を担ぎ上げようとすると───

 

静刃(せいじ)くん!!」

 

上から声が降ってきた。気配感知で誰かが近くに来ていたのは分かっていた。だがまぁ明確に向かって来ていたというより何かを探す雰囲気であり、ジャンヌと妖刕の決着の方が早そうだったから放っておいたのだが、コイツに手錠を嵌める間に追いついたようだ。

 

荷電粒子砲(メビウス)!!」

 

そして、俺と、氷漬けにされて倒れている妖刕を見てそいつは即座にフラフープみたいな輪っかの形をした刀剣(?)を取り出した。そしてそこから光弾が現れ、俺達に向かって放たれた。だが───

 

「天衝!!」

 

再びジャンヌの魔力の衝撃変換が放たれる。俺達へ放たれていた数発の光弾は物理的な衝撃波とぶつかりその全てが相殺され掻き消された。

 

「なっ───!?」

 

そしてユエとシアが分かりやすく魔力光を噴き出し、突然現れたその黒髪ツインテールの女を威嚇する。黄金と淡青色の魔力光を見たそいつは遠目からでも分かるくらいに歯噛みする。どうやら、彼我の実力差が把握できたようだ。

 

俺は這い蹲る妖刕の髪を掴んで顔を上げさせる。

 

「おう、彼女が迎えに来たぞ?」

 

妖刕は一瞬何の話だとでも言いたげに眉根を顰めたが自分の視界に写った女を見て表情が変わる。

 

「アリスベル……来るな……コイツらは……っ!」

 

「でもっ!」

 

セイジにアリスベル、ね。見た目的にあのツインテール女は日本人かと思ったが実は違うのかもな。

 

妖刕はアリスベルを遠ざけたかったみたいだが、こいつのことが心底心配らしいアリスベルは地面に降りてきてしまう。それでも一定の距離を保っている辺りはまだ冷静なようだが……。

 

「アリスベル、だっけか、アンタが魔剱って奴なのか?」

 

「……だったら何だって言うんですか?静刃くんを返してください」

 

やはりアリスベルが魔剱とか呼ばれている妖刕の彼女らしい。強気な目でこちらを睨んでいる。俺の極東戦役における目的は俺達の力をアンダーグラウンドな世界に住む奴らに見せつけ、手出しさせる気を無くすことだ。妖刕を逮捕することじゃあない。

 

ならば別に、ここでコイツらを見逃したところでさしたる問題はないし、むしろコイツらが眷属側に帰って俺達には手も足も出なかったという話を流してくれれば万々歳なわけだ。

 

何せ恐らくは眷属の切り札であり、師団側が今最も警戒している2人組なのだ。それに圧勝したとなれば余程のアホでない限りは手を出しては来ないだろう。

 

仲間に引き入れるようとする動きはあるかもしれないが、それだってあまり強引な手を使おうとは思えないはずだ。精々金を積むとか、そんな程度だろうよ。

 

「コイツを返してほしけりゃ、魔剱も妖刕も俺達にゃ手も足も出ませんでしたって眷属の奴らにきっちり宣伝しろ。それを約束するならこのセイジくんは返してやる」

 

「……私が貴方達に勝てないって言うんですか?」

 

最初から勝ち気な目付きをしていたから何となく分かっちゃいたが、やはりこの子も負けん気が強いタイプみたいだ。さすがにあれで引いてくれるわけもないよな。だがまぁ、それならそれでいいさ。俺達の力を見せつける良い機会だ。

 

「……ユエ」

 

「……んっ」

 

ユエが1歩前に出る。既に黄金の魔力光は噴き出てはいないが、スっと目を細めたユエからは独特の迫力が滲み出ている。

 

「───荷電粒子砲!!」

 

魔剱ことアリスベルはそれを感じたのか先手必勝とばかりにあの光弾をこちらに放つ。

 

「……絶禍」

 

ユエが一言呟く。それだけで即座に現れた黒い球体は重力魔法により構成された擬似的なブラックホール。宇宙に広がるそれよりも小さいものの、こちらに飛んでくる荷電粒子砲なる光弾を吸収する程度のことは些事と言ってもいいだろう。

 

「そんな……」

 

魔剱の嘆きの通り、彼女の放った荷電粒子砲はユエの目の前に展開された絶禍に全て吸い込まれてその莫大な重力により圧縮、消滅させられた。

 

「……風花」

 

つい、とユエが魔剱へ指を向けた。それに合わせて魔剱の身体が空中へと浮かび上がる。

 

「な、何ですか!?」

 

そして───

 

「ガッ───!?」

 

空気を圧縮して作られた砲弾が魔剱の鳩尾に入った。それを皮切りに彼女の全身に風の砲弾が全方位から叩き付けられた。

 

ボッ!ゴッ!と、肉を叩く鈍い音が響く。その音に合わせて、まるで(こがらし)に巻き上げられた木の葉が舞うように魔剱の身体が空で踊る。

 

受け身を取って打撃のダメージを逃すこともできずにただひたすらに嬲られ続けた魔剱はやがて地面に落ちる。ユエが風花の暴力を終えたのだ。

 

数十発の風弾をその身に受けた魔剱は受身を取ることもできずにただドサリと横たわるだけ。妖刕は俺の足元で魔剱の名を呼び喚いているがそれだけ。ジャンヌに受けた傷のダメージが深く、それ以上は動けないのだ。

 

「……これでいい?」

 

振り返ったユエはあまり面白そうな顔ではない。まぁ、ユエに女の子をいたぶる趣味は無いからな。つまらないことをやらせてしまったと俺はユエの頭に手を置く。

 

「悪かった、損な役回りをさせた」

 

「……大丈夫。天人の考えは分かってるから」

 

そう言ってくれると助かるよ、と俺が頭を撫でてやれば、ユエは何も言わずに妖刕に再生魔法を掛ける。時間が巻き戻り、ジャンヌに与えられた身体の傷が消えた妖刕は何のつもりだと俺達を睨む。

 

「さっき言ったろ。お前らは俺達には勝てない。それを眷属の奴らにもしっかり伝えろって。このまま放っておいたらお前らが帰れないだろうが」

 

俺は妖刕の胸倉を掴み、ピクリともしないけど気配感知で生きてることは分かってる魔剱の方へ妖刕を蹴り飛ばした。

 

「じゃあな」

 

妖刕も魔剱も倒した。もう俺としてはここに用事は無い。背を向けた俺に妖刕の視線が突き刺さるが、結局俺達がその場を去るまで奴は何をするでもなくただ黙って睨み付けていただけだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

妖刕達のせいで夜更かしを強いられた俺達は次日の朝はゆっくりとした目覚めだった。キンジとも夜中のことは共有し、さて残る殼金をどうするかという話になる。

 

「もう今から乗り込んじまうか?」

 

「あぁ、俺も準備はできてる」

 

キンジも1晩ぐっすりと寝れたらしく、体力は大丈夫そうだった。

 

「ユエとシアは?大丈夫か?」

 

「……んっ、いつでも」

 

「私も大丈夫ですぅ」

 

2人とも特に問題はないらしい。ユエも、こっちに来てから実践での神代魔法の使用は初めてだったらしいが、通常の属性魔法やそれとの複合魔法共々違和感無く使えたとのこと。それならば敵地に乗り込んでも問題あるまい。

 

「ジャンヌは大丈夫か?結構アーティファクト使ったろ」

 

ジャンヌに渡した魔力タンクはそれほど減ってはいなかったが、一応使った分は補充してある。それに、アーティファクトを介したとは言え、慣れない昇華魔法やトータスの魔法を連発したのだから何か違和感があってもおかしくはない。

 

「いや、私も大丈夫だ。今は疲労感も無い」

 

だが俺の心配を他所にジャンヌもコンディション面は問題ないとのこと。

 

「じゃあ、行くか」

 

時間はお昼少し前、俺は羅針盤で眷属達の根城を特定した。そして、虚空に越境鍵を突き刺すと魔力を注ぐ。時間も世界も越えないただの長距離移動のため、それほどの魔力を持っていかれることもなく扉は開かれた。

 

「……着いたな」

 

念の為にシア、ユエ、ジャンヌ、キンジの順に扉を潜り、最後に俺が外へ出た。扉は閉じられ、奴らが根城にしていた船の甲板には気持ちの良い汐風が吹いていた。

 

だが、爽やかな風とは裏腹に周りは騒がしい。黒い軍服を身に纏っていた10代くらいの女の子達が騒いでいるのだ。どうやら魔女連隊の奴ららしい。"イヴェルタ様"という名前がそこかしこから聞こえてくる。

 

「さて、殼金は……ん?」

 

俺が羅針盤で殼金の在り処を探すと、僅かな魔力消費と共に反応があった。だが───

 

「どうした?」

 

と、キンジが疑問顔で尋ねる。

 

「あぁ。この船、殼金が3もつある」

 

「恐らく、1つはハビのものだろう。ハビも宣戦会議の時に殼金を持って行ったからな。確か腹の中に収めていたはずだ」

 

と、ジャンヌが俺の疑問に答える。

 

「腹ん中?食ったのか?」

 

「食べた、と言うよりは呑み込んだ、という方が正しいだろうな。だが胃袋の中に収めたのは確かだ」

 

「……食いしん坊?」

 

「いやぁ、殼金がどんなもんか知らねぇけど消化できねぇだろ、多分」

 

(かね)って言うくらいだから金属か何かだと思うんだが、流石にそんなもんを消化できる胃袋を持つ生物がこの世界にいるとは思えん。

 

と、俺とユエが微妙に頭悪そうな会話を繰り広げている間に、甲板に新たな人影が現れた。金髪で今はなきナチス・ドイツみたいな軍服姿をしたそいつは、周りの声からするとどうやらイヴェルタとやらのようだった。

 

「……遠山キンジ、まるで呪いの男(フルヒマン)ね」

 

「俺達の要求は分かってるよな」

 

イヴェルタの言葉を無視して俺は話を始める。殼金さえ取り戻せばこの船に用は無いのだから。

 

「まさか、文字通りの別世界から帰ってこられるなんてね」

 

やはり、あの2人は眷属に雇われた奴らか。

 

「何ならお前も試してみるか?」

 

「お断りね」

 

「そうけ。まぁそれはそれだ。俺達はお前の持ってる殼金を貰いに来た」

 

俺は改めて要求を突き付ける。それを受けたイヴェルタはフンと鼻を鳴らす。

 

「……妖刕と魔剱を倒した程度で調子に乗らないことね」

 

と、イヴェルタは随分と自信ありげに振る舞う。アイツらが眷属の切り札だと思っていたが、どうやらまだ隠し札があるようだ。

 

すると、シアのウサミミと俺の気配感知の固有魔法に引っ掛かる気配が2つ。俺とシアが2人同時に拳を構え、それを見たジャンヌがデュランダルに手を掛け、ユエが油断無く周囲を見渡す。キンジを真ん中に収め、その周りを俺達が守るように囲う。

 

そして次の瞬間───

 

 

───パアァァァン!!

 

 

と、破裂音を炸裂させながらシアがサマーソルトを放つ。いきなりシアが虚空に向けてド派手な技を繰り広げて何のデモンストレーションかと思いきや、上から影が降ってくる。どうやらそいつの攻撃にカウンターを合わせようとしたらしい。

 

そして、シアに突っ込んで来たそれが甲板に降り立ち、姿を現す。セーラー服を来た髪の長い女だ。だが頭には見過ごせない物が生えている。デコの辺りから1本伸びたそれは先端が尖っており、殺傷能力さえ備えていそうだった。そう、それは明らかに角と呼称されるに相応しい形状をしており、その女の放つ気配は尋常ではなく、こちらの世界じゃ中々味わえないだろうそれだった。

 

「……鬼?」

 

俺が思わず呟く。それは、日本の2月初旬に家から追い出される役割筆頭、来年の話をする奴がいれば笑い、洗濯はコイツらのいない間にと言われる程日本には馴染み深い存在、()と言われてイメージされるそれにそっくりだったのだ。

 

そして───

 

「いかにも、我らは人間の言葉では鬼と呼ばれる者なり」

 

と、甲板に現れたもう1人の鬼。さっきシアとぶつかり合った鬼はそれほど背は高くなかったがコイツはデカい。俺よりも遥かに上背があり、おそらく坂上と並んでも良い勝負か、もしかしたら勝つかもしれない。それほどの身長に加えて鍛え上げられた鋼を思わせる筋骨隆々の肉体。

 

イケメン系の顔をした女の鬼で声も顔の通りやや低めだ。そして右手には無数に棘の生えた鉄塊。正しく金棒ってやつだ。これ以上ない程テンプレな"鬼"はその後ろには、3つ目の殼金所持者と思われるパトラを引き連れ、そしてマストの上には銀髪の長い髪をした背の低めな女が弓を番えていた。

 

「我らは覇美様より()()()()()()()()との命を受けている。悪いがここで潰されてもらおうか」

 

その言葉と共に───

 

「───っ!?」

 

俺の身体に異変が起こる。これは……聖痕封じか。

 

「お分かり?聖痕持ちがいることが分かっていて対策をしていないわけがないでしょう?」

 

どの程度の範囲まで効果があるのか知らないが、どうやら聖痕を閉じる仕掛けを用意していたらしい。なるほど、確かに俺の存在は妖刕や魔剱から伝わっているだろうし、そもそも、そうでなくともコイツらは中立だった俺を真っ先に排除したのだ。それも、同じ聖痕持ちを使って。ならば裏切り防止も兼ねてこういうのも持っているってわけか。

 

「……天人」

 

「天人さん」

 

俺の身体に異変があったことを即座に見抜いた2人が一瞬不安気な顔をする。俺は、そんな心配は杞憂だと、堂々と胸を張り顔に笑みを浮かべる。

 

「はっ、問題あるかよ。聖痕が閉じられたってこたぁ()()()()()()()()()()()ってことだろ?」

 

「……んっ、なら問題ない」

 

「それなら大丈夫ですぅ」

 

俺の聖痕を封じたのに何故こちらが余裕を崩さないのか、どうやらイヴェルタにはそれが不思議らしい。

 

「で、お前らどっちが誰をやる?」

 

と、俺がユエとシアがそれぞれどっちの鬼と戦うのか聞けば───

 

「「どっちも1人で余裕(ですぅ)」」

 

とだけ返ってくる。それを聞いた背の高い方の鬼の顔が険しくなる。初手で突っ込んで来た方は姿勢を低くし、まるで土下座でもしているかのようだ。だが気配で分かる。あれはアイツなりの攻撃に移る体勢なんだ。

 

「……けど、今回はシアに譲る。()()()()()()フォローする」

 

「ありがとうございます、ユエさん。ではでは鬼のお2人さん、貴女達の相手は私ですぅ」

 

スっとシアが両拳を構える。強襲科に入る前から───トータスでの最後の戦いを終えてからシアは本格的に俺に近接格闘を教わり始めていた。今のシアはドリュッケンが無くとも絶大な戦闘能力を発揮する肉体言語派ウサギさんなのだ。

 

「ジャンヌ、お前はどうする?パトラか、あの銀髪か」

 

俺は振り向き、パトラと銀髪少女をそれぞれ見やる。

 

「……私がパトラとやろう。砂礫の魔女と今の私がどれだけ戦えるのか試したい」

 

「りょーかい。じゃあ俺はあの弓女だな」

 

と、俺は左手を弓女の足元に向けて構える。そして───

 

「シア、()()()()()()()()!」

 

俺は宝物庫から()()()()()()()を召喚。纏雷による加速をもって銀髪少女の立つ船のマストに弾丸を叩きつける。

 

 

───ドパァン!!

 

 

何かを吐き出すような独特の発砲音を置き去りにして放たれたタウル鉱石の弾丸が樽木(オーク)製のマストどころか奥の岩壁までを撃ち砕く。中頃からへし折れたマストがこちらに向かって倒れ込んでくる中、俺の耳に入ってきたのは───

 

「───あはっ」

 

という、聞いたことがないほどに冷たく、けれどもどこか艶めいたシアの笑い声だった。その声は俺の脊椎を直に舐め上げるような音色を奏でた。これは快感と言えば良いのだろうか、ゾワゾワと、これまで感じたことのない感覚が俺を襲う。

 

俺は倒れてくる木柱に魔力の衝撃変換をぶつけて軌道を逸らして脇に下ろすと、思わずシアを見やる。そこにいたのは久々にドリュッケンを構え、口元が引き裂けるような凄惨な笑顔を浮かべたシアだった。

 

俺がシアに伝えた言葉とこの世界でトータス製のアーティファクトである電磁加速式の銃火器を抜くということは、ユエや、特にシアに対して俺が掛けていた制限──魔法の大技やドリュッケンの様な大振りのアーティファクト、身体強化の後半レベルの使用禁止──を解き放つものなのだ。

 

「───レベルⅤ」

 

そしていきなりの後半レベル。巻き上がるシアの魔力光に鬼達の顔付きが変わる。それは、目の前のシアが尋常な奴ではないと分かったからだろう。

 

俺は先程から飛んできている矢を纏雷で弾きながらも目線はシアの方に釘付けになっていた。

 

そして姿勢を低くしていた鬼の姿が掻き消える。否、凄まじい速度でシアに向かって駆けたのだ。

 

シアは自分に向かって行われた亜音速の突進を、ドリュッケンを起点にして跳ぶことで躱す。だがそこへ大柄の鬼が金棒を振るう。明らかに届かないはずのリーチはしかし、トゲに巻き上げられた風圧で補われ、砲弾並の威力を持ってシアに襲いかかる。

 

だがシアと、その手に握られたドリュッケンはこの世界の規格にそうそう収まるものではない。

 

ドリュッケンを跳ね上げ、魔力の衝撃変換で竜巻のようなそれを相殺したのだった。さらに突撃を躱されたセーラー服の鬼が空中にいるシアに向けて2度目の突進を繰り出す。そこで───

 

「天人!!」

 

「んー?……あぁ」

 

ジャンヌが俺を大声で呼ぶもんだからふと振り返ると眼前には妖刕が2本の刀を振りかぶって俺へと突っ込んで来ていた。

 

俺の首を斬り飛ばそうと挟むように振るわれたそれは両腕の多重結界で受け止める。そして、どうせ今も纏っている黒い炎のようなオーラで威力が減衰するからとあまり加減せずに前蹴りを妖刕の腹に叩き込む。

 

バゴンッ!という、本当に人の腹に蹴りを入れたのか疑わしくなるような音を立てて妖刕が後ろへ飛んでいく。その瞬間に俺の眉間を狙って放たれた矢はしかし俺の多重結界を貫くことはできずに弾かれて落ちた。

 

俺は縮地を使ってノーモーションでさっきから矢を放ってきている銀髪少女の眼前に飛び込み、これまた妖刕と同じように、ただし今度は死なないように加減しつつ前蹴りを入れて吹っ飛ばした。

 

どうせ魔剱はしばらく戦えないだろうから、これでパトラはジャンヌが抑えれば俺がシアの戦いを見るのを邪魔する奴はいなくなったはずだ。

 

俺がそちらを振り返ればその瞬間に背の高い鬼がシアのドリュッケンにぶっ飛ばされ、甲板に叩き付けられた……だけでなく、甲板を突き破って船内へと叩き落とされていた。さらに背後からシアの頚椎を狙って振るわれたセーラー服鬼の日本刀の横薙ぎは、足の爪先から発動させた縮地で逆立ちするような形でヒールキックを放ち刀を叩き折ることで回避。

 

さらに魔力の衝撃変換を使って跳ね上げたドリュッケンにてシアがそいつをぶん殴る。身体の軽いそいつはシアの膂力プラス衝撃変換の加速の加わったドリュッケンの一撃を、しかし致命的な直撃を避けて衝撃を逃がすことで身体をバラバラに砕かれることだけは回避していた。

 

だが空中で死に体となっている相手こそ追撃のチャンス。シアはドリュッケンを砲撃モードへと切り替え炸裂スラッグ弾を放つ。直撃すりゃあ鬼の身体なんて粉々に砕け散るそれは、ユエが再生魔法と魂魄魔法で蘇生させてくれるという信頼の元に放たれた一撃だった。

 

そしてその狙い違わず、セーラー服の鬼の肉体は炸裂スラッグ弾の現実離れした火力により粉砕された。

 

そしてその瞬間に飛び散った肉片が輝き、元の姿に戻る。ユエの再生魔法と魂魄魔法だ。奴が空中にその身を投げ出している隙を見逃さずにユエは氷棺を発動。そいつを氷漬けにして拘束した。

 

直後、下からあの体格の良い鬼が飛び出してくる。その目は緋色に輝いており、先程俺達の目の前に現れた時よりも大きな存在感を放っていた。

 

「───レベルⅦ」

 

シアが呟く。それはシアの身体能力を激増させる言霊。10段階中の7段階目を解放したのだ。果たしてあれにそこまでする必要があるのかは知らないが、この世界に来てからこっち、シアには随分と窮屈な思いをさせたと思う。

 

元々が元気一杯天真爛漫を絵に書いたような奴で、戦闘スタイルも戦場を所狭しと駆け回り超重量の戦鎚を振り回すスタイルなのだ。それが軽い軽いと不満タラタラなトンファーに武器を縛られ、()()()()()()まともに戦闘と呼ばれるような戦いはなく、精々が兵器庫での魔女連隊狩りを1度だけ。それも当然ドリュッケンは使っていないだろう。妖刕や魔剱との戦いも後ろで見ているだけだったからな。ここいらでちょいとガス抜きも必要なんだろうよ。

 

背の高い鬼とシアはお互い向かい合う。そして、シアが駆ける。爆発的な脚力で一瞬にしてドリュッケンの殺傷圏内に持ち込んだシアがドリュッケンを振り抜く。空気の壁を突き破り、円錐水蒸気(ヴェイパー・コーン)を発生させながら迫る戦鎚に鬼は金棒で迎え撃つ。

 

カァァァァァンン!!と、一際甲高い音が鳴り響き、ドリュッケンと金棒が鎬を削る。そして鬼はシアの打撃の威力を受けて吹き飛ぶ───かと思いきやそのパワーを──瞬光を使うことで何となく理解出来た──体内で巡らせてそのまま自分の脚力を乗せてシアに返そうとしているらしい。

 

砕かれた金棒は捨て、回転扉のように全身を駆動させてシアへ跳び後ろ回し蹴りを放つ。

だがシアも尋常の存在ではない。自分の側頭部に向けて放たれたそれを受け、()()()()()()()()()サマーソルトキックを放ったのだ。シアの、細く白い、美しい脚から放たれた莫大な威力を込められた蹴りは───

 

 

──ッッッパァァァァァンン──!!

 

 

と、破裂音を発生させながら鬼の顎を蹴り抜いた。そしてその蹴りの威力は鬼の顔面をそのまま炸裂させてしまうに十分なそれを持っていたらしい。脳漿を飛び散らせた鬼は、ユエの魂魄魔法と再生魔法の合わせ技で即座に蘇生されるも氷棺により拘束される。

 

決着は着いた。キンジもイヴェルタを拘束しており、今の攻防は見ていたようだ。その目の鋭さが、どうやらキンジが()()()らしいというのを伝えてくるが、お前……こんな時にどうやって……。

 

 

 

 



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戦いの後

 

 

「眷属は師団に降伏します」

 

それが、魔女連隊のイヴェルタの下した決断だった。傭兵として雇った妖刕と魔剱は惨敗。覇美とかいう奴を中心にした鬼の一族の代表戦士2人もシア1人に手も足も出ず。

 

こうなれば降伏は妥当な判断だと思う。極東戦役は殺し合いをする戦争じゃない。欲しいものを手に入れ、次の世界に進むための戦いなのだから。本当に全滅するまでやる必要はどこにもないのだ。

 

「ただ、眷属側の意見を纏めたいから少し時間を下さる?」

 

「あぁ。けど担保代わりにお前と鬼共の持っている殼金を渡せ。今この場でだ」

 

俺が手を差し出しながらイヴェルタにそう要求すると、彼女はフンと不機嫌そうに鼻で笑った。

 

「魔女連隊とパトラの持つ殼金は既に遠山キンジに渡してあります」

 

つい、とイヴェルタが後ろのキンジを見やる。俺も視線を移すとキンジは無言で頷いた。となると後はあの鬼共の持っている殼金か。

 

「……で、後はお前らのボスの持ってる殼金だ」

 

「……我らの殼金を渡すことは出来ぬ」

 

背の高い鬼── (えん)と言うらしい。もう1人の髪の長い鬼は津羽鬼(つばき)と名乗っていた──がハスキーボイスでそう答える。ユエに氷漬けにされて生殺与奪を握られているのに強気な奴だ。

 

「……そういや、もう1つの殼金は───」

 

と、覇美とかいう鬼のボスが握っているらしい最後の殼金を羅針盤で探すと───

 

「……やりやがったな」

 

俺は覇美の気配をよく知らない。この船に転移してから顔を見ていないし、宣戦会議では顔は見たけれど、ぶっちゃけ体感時間で何年も前なのでうろ覚え……どころかなんかちんまい奴が居た程度の記憶しか残っていない。その上その時は気配感知の固有魔法も無かったからアイツの気配なんてものも当然覚えちゃいない。

 

滝で隠されたこの船から、他の魔女連隊の奴らに混じられたらどれが誰だかよく分からんのだ。そして、覇美はどうやら戦わずにこの場を離脱することを選んだらしい。既にそれなりに遠くへ行ってしまっていた。まさか一般人が見ている中で越境鍵を使うわけにもいかないから、追い掛けるにしてもしばらくは足で追うしかなくなる。

 

コイツらがそこまで考えて逃走しているとは思えないが……。いや、どうだろうな。イヴェルタはカツェが捕まったことを知っているはずだ。それも、キンジが態々飛行船に乗り込むという形で強襲したことも伝わっている可能性が高い。

 

なら、その理由を考えるはずだ。兵器庫は何の前触れも無く、かつユエとシアという魔剱や鬼すら圧倒する強者が戦ったのにも関わらず、飛行船はキンジが足で追跡の上乗り込むという普通の方法で行われた。そして今度はまた甲板の上に突如現れた俺達。その法則に、交互に方法が変わっているということはあまり連続では使えないのかも、もしくは他の条件があるのかも、と。

 

本当の理由に行き着いたかは知らないが、移動中や連続では使えないのなら兎に角今は移動すれば大丈夫だと分かればこの場で逃走という一手を打つことも考えられるだろう。

 

「覇美様はちょうどお昼寝のお時間であった故」

 

……え、そんな理由?思ったよりふざけた理由に俺は思わずズッコケそうになる。

 

「……まぁいい。今は殼金が2枚戻った。後はそっちで打ち合わせておけよ。ま、やっぱ止めました戦いますって言うならまた叩き潰すだけだ」

 

「……でしょうね」

 

と、イヴェルタは苦虫を噛み潰したような顔をしてこちらを睨む。

 

「打ち合わせはそっちで任せるよ」

 

と、別に殺戮が目的ではないし、仮に襲われたとしても俺達ならば問題無く排除できるということで鬼の拘束をユエが解く。

 

俺は越境鍵を空間に突き刺し、魔力を込めて捻ればジャンヌの部屋に繋がる扉が開いた。先にユエ達を通し、俺はさっきこの船のマストをぶっ壊したトータス製の拳銃を突き付けながら扉を最後に潜り、これを閉じた。そして俺達はフランスに帰ってきたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……暴れん坊の囮って作戦じゃなかったか?」

 

と、キンジが1人ボヤく。それもそうだろう。結局、俺が予想した通りに俺達だけで欧州戦線を押し戻す、どこか降伏の言葉まで引き出したのだから当初の囮作戦は完全に意味をなさなくなっていたのだった。

 

「あぁ言っとけばバスカービルも納得しやすいと思って暴れん坊の囮なんて作戦出したけどな、俺ぁ実際俺達だけで完結すると思ってたぜ」

 

部屋のソファにドカッと腰を掛けて俺はそう告げる。

 

「……まぁ殼金も2枚手に入ったからいいけどな」

 

「取り敢えず、俺とユエとシアは先に帰る。交渉はジャンヌと……後、玉藻ってのがやるらしい」

 

殼金と、ついでに俺達の帰りの旅費も魔女連隊には請求している。キンジも帰るそうだから4人分の、ビジネスクラスの金額だけは先に貰ったのだ。

 

「あぁ、後は覇美って奴が持ってる殼金か」

 

「まぁ羅針盤で居場所探して、転移しても大丈夫そうなら乗り込んで、最悪腹ぁかっ捌いてでも取り出せばいいさ」

 

アイツらがどこへ逃げようと、少しでも腰を落ち着けようものなら俺がそこまでの扉を開き、そして潰すだけだ。

 

「……あまり物騒なこと言うな。9条は守れよ?」

 

あれが人なのかは知らないけど、とキンジは付け足す。

 

「そこら辺は大丈夫だよ。死んでも生き返れば問題無し」

 

こっちには再生魔法と魂魄魔法があるのだから、多少無茶しても取り返しはつく。キンジはそれを聞いて何とも言えない顔をしている。何かが喉につっかえているみたいな、そんな顔。

 

「覇美って奴がどんだけ強いのかは知らないけどさ。お前もシアの強さは見たろ?……言っとくがシアにはまだ上がある。殼金を取り戻すくらいならワケないさ」

 

今、俺達はキンジの部屋で2人っきりだ。ジャンヌ達は3人で観光に出掛けた。何やら考えたいことがあるらしいキンジは俺と拠点に残っていたのだ。

 

「……ていうかさ、その殼金って何なんだ?なんかアリアに関係するやつらしいけど」

 

と、俺がずっと疑問に思っていたことを口にすると、キンジは"マジかコイツ……"って顔をした。

 

「お前、知らないで戦ってたのかよ……」

 

「俺の目的は殼金じゃねぇからな。何かお前が欲しいっつうからあぁやって集めたけど」

 

と、俺が正直なところを口にすると、やはりキンジは驚いた顔になる。

 

「……これが7枚ないとアリアが緋緋神になっちまうんだよ」

 

と、キンジが重たそうな口を開く。だが───

 

「緋緋神……?」

 

ヒヒガミ……緋緋?緋色?アリアの持つ自然に産まれる訳はない緋色の髪の毛と、シャーロックの行っていた()()の研究、それらと何か関係があるのだろうか。

 

「俺も詳しいことはよく分かってないんだけどな……。"恋"と"戦"を好み、世界中で戦争を起こすんだって。それに、アリアがなっちまうんだ……」

 

そりゃあ、穏やかじゃないな。けど、それを聞いて俺には1つ引っ掛かることがあった。

 

「……戦争って、どうやるんだよ」

 

「え……?」

 

恋が好きなのはまぁいい。戦……戦いが好きだってのもまぁいい。けど、世界中で戦争……世界大戦でもするつもりか?この現代で?ここはリムルのいた世界やトータスじゃあないんだ。そんな簡単に戦争なんて出来やしない。それも、世界中を巻き込むような、大きな戦争なんて。

 

「だから、緋緋神がアリアの身体使って、どうやって戦争なんて起こすんだろうなって」

 

「いや……それは俺にも……。なんか、超能力的な力で洗脳して……とか?」

 

どうやら、キンジにもよく分かっていないらしい。まぁ、独裁国家的な所のトップを操って、そっから少しずつ……なら可能性はなくはないのかもしれないけど、とは言っても起こせる規模なんてたかが知れている。キンジの言い方だともっと直ぐ様に世界中を巻き込んだ大きな戦争が起こりそうなのだが……。

 

「まぁ、そう言う難しい話は俺には分からん。緋色の研究も超能力も、俺が詳しいわけじゃないし」

 

と、俺が放り投げればキンジも───

 

「俺だってそうだよ」

 

と、溜息を1つ。

 

「……考えたいことってそれのことか?」

 

1つ、俺が気になっていたことをキンジに問う。

 

「それもある。……けどそれだけじゃない。……なぁ天人、お前はなんでいきなりこんな極東戦役なんてもんに加わろうって思ったんだよ。お前、最初は我関せずって雰囲気だっただろ」

 

まぁ、それは疑問に思われているとは思っていた。顔合わせの時にはバスカービルの奴らは詮索してこなかったけど、それは下手打って俺の戦力が無くなることを考慮したからだろう。アリアや理子なんかは俺と眷属の奴らの仲があまり良くないことを知っているから、少なくとも眷属の奴らをぶっ倒す時であれば協力できると踏んでいたのかもしれないけど。

 

「んー?」

 

俺は、少し答えに迷う。キンジに、どこまで俺の───俺達のことを話すか。けどキンジは俺の友人、だと思う。少なくとも俺はそう思っている。だから、話せる限りのことは話そうと、そう思った。

 

「……俺さ、あっちから……トータスから帰ってくるまでは、この世界にはリサだけがいればいいと思ってた。……いや、お前とか理子とか、なるべくならいてほしい人はいっぱいいるけど。……けど、最悪の最悪、全人類を皆殺しにすることがあっても、それでもリサが残ってくれればそれでいいって、本気で思ってた」

 

キンジは俺のことをチラリと横目で見やるだけで何も言わない。先を言えと、そう促されているようだった。俺は、それに甘えて言葉を続ける。

 

「けどさ、トータスから帰ってきて、もっと守りたい人が出来たんだよ。……実は、キンジ達には紹介してないけどあと2人、向こうから連れて来てる。彼女達はユエ達と違って戦闘力とか無いからこの戦役には関わらせないけど……。とにかく、俺には大切な人が増えたんだ。意味は色々あるけど、皆それぞれ大切で特別な奴らでさ。俺ぁこんなロクデナシだけど、それでもあの子達に不便な思いはさせたくない。きっと、皆は俺といられるだけで幸せだって言ってくれるんだろうけど、俺ぁそれだけじゃ足んねぇんだ」

 

フッと、俺は一旦言葉を切り、コップに水を汲みにいく。水道水じゃなくて、ペットボトルのミネラルウォーターだけど。俺はそれに口を付けて、喉を少し潤す。

 

「この戦いは確かに裏の世界の超人達が戦うもんだ。けどよ、その結果は絶対表にも出てくる。特に俺らみたいな表と裏を反復横跳びしてるような奴らの周りは、な。……そん時にさ、次の世界の結果に俺が関われねぇんじゃアイツらに不便な思いをさせるかもしれねぇ。もしかしたらもっと悪いことになるかもしれない。……そう思ったら俺ぁこの戦いで自分の要求を貫き通さなきゃってな」

 

俺が一旦言葉を切ると、キンジがこちらを見ていた。その目は、俺の言葉にどこか意外そうな色を含んでいた。

 

「天人、お前の要求って……?」

 

「別に大したことじゃないよ。ただ、俺達には手ぇ出すなってだけさ。だから俺達は見せつけるんだ。ちょっくら喧嘩売ろうなんて考える馬鹿も出さないくらいの圧倒的な力を、この戦いで。裏の世界にいる奴らにな」

 

2度あることは3度あるとは言うが、3度目の正直って言葉もあるんでな。

 

「それは……」

 

いつの間にか、武偵高を辞めるとは言わなくなったキンジ。いつ何があってそう心変わりしたのかは、その理由も含めて俺は何も知らないけど、今はどうやら普通の武偵になるのが目標らしい。そんなキンジからすればきっと俺の目標は馬鹿らしいのかもしれない。

 

「……寂しく、ないのか?」

 

と、キンジは俺の予想とは少し違う反応をした。寂しい……?俺が、か?

 

「……どうしてそう思うんだよ」

 

俺は、思わず唸るように声を絞り出す。まさか、これが寂しいと思われるなんて考えもしなかった。否定されるにしても、もっと違う形だと思っていたのだ。

 

「だってそうじゃないのか?……誰からも喧嘩売られないようにするなんて、全員から無視されてるみたいなもんじゃないのか?アイツはヤバいから近付かないでおこう、距離を置いておけば何もしないから触れないでおこうって、触る神に何とやら……みたいな」

 

「……力があれば、それを欲しがる奴だっているだろう」

 

武偵なんて傭兵や用心棒みたいなことをするのだ。実際、武偵にはRランク武偵なんてのがいて、そいつらはロイヤル(Royal)の名に相応しく王様やなんかの護衛をしていると聞くしな。

 

「天人は、そういう奴らが嫌なんじゃないのか?もっと普通の武偵になりたいからあぁ言ったんじゃないのか……?」

 

と、キンジはどこか呆れを含んだ声色で話す。

 

「……まぁ、そうだけど」

 

アングラな戦いはもうそろそろ終わりにしたい。そのための極東戦役、俺はそう願ったはずだ。それは、キンジの言う通りだ。けど───

 

「けど、じゃあどうすりゃ良かったんだよ……。力を持てば変なのが寄ってくる。力が無けりゃ大事な奴らを守れない。この世界だって、最後にゃ腕力がものを言うんだから……」

 

「それは……俺にも分かんねぇよ」

 

俺の吐き出した疑問に、キンジも答える言葉を持たない。ここに、それに答えてくれる奴はいなかった。ここには、今は俺とキンジしかいなかったから。

 

「……俺も、自分が武偵以外にはなれないって知ったばかりだからな」

 

キンジは3学期に入る前に長期で武偵高から離れていた。これはきっと、その時のことを言っているのだろう。行った先で何をしていたのかは、多分決まりで話してくれはしないだろうから、態々詳しく聞きはしないけど。

 

「けどさ、それを話し合うのが友達……ってやつじゃないのか?それに……お前の恋人……も、お前の話くらい聞いてくれるだろ?」

 

「あぁ……。けどさ、アイツらはきっと俺のことは何だって許してくれるんだよ……。皆、それぞれ色々あって、俺と居られるだけで幸せだって言ってくれるから……。それに、そもそも皆暴力がものを言う世界で生きてきた奴らばかりだ。……自分の欲しいもんは腕っ節で奪う……そう言う世界しか知らねぇんだ」

 

そして、それは俺もだ。欲しいもんは奪う。居場所は力づくで手に入れる。俺はそういう世界で生きてきた。喧嘩が強くなきゃどこの世界でも俺は生き残れなかった。リサと、ユエ達といることができなかったのだ。

 

「けどさ、そんなの……そのうち消えてなくなるだろ」

 

キンジが呟くように吐き出した言葉は、俺の胸の奥に棘のように突き刺さる。リムルのいた世界じゃ敵は全部叩き潰して魔国連邦を守った。トータスじゃエヒトを魂の1滴まで全て消し去ってようやく全部取り戻した。

 

その時俺の胸の内に、あの時の畑山さんの言葉が蘇る。"寂しい生き方はしないでください"

 

それは、自分と自分の周りの奴以外のことは全て放って先へ進もうとした俺への言葉だった。今は……?今俺はどうしようとしている?

 

俺が考えているのは誰のことだ?俺のこと?あぁそうだ。それと、リサやユエ達のこと。それ以外は……?それ以外の奴らことは……何も考えちゃいない。キンジやアリアのことだって、結局は身内みたいなもんだ。それ以外の……あの時畑山さんが考えてほしがったウルの町の人々のように……俺はもっと広い視野で誰かのことを考えていただろうか……。

 

まただ、また俺はあの時のように自分達のことだけを考えている。だから行き詰まる。

 

「けど……俺には腕力しかない。それで勝ち取るしかやり方を知らねぇんだよ……。俺は絶対に力を捨てられない……。だから───」

 

「───俺も、結局自分は戦いの中でしか生きられないって分かって、でもそれでいいって思った。……俺は、今後何があってもアリアの味方でいるつもりだ。……将来は、もっと普通の武偵になる予定だけどな。それに、俺はそういうことは分かんないけど、あの子達は、お前の喧嘩が強いから一緒にいてくれてるのか?」

 

「それは……」

 

それは、どうなのだろうか。ユエ達が俺を好きになってくれたきっかけは聞いてはいる。だが、それは俺の喧嘩の強さと無関係ではなかった。というか、俺の戦闘力の結果、彼女達を救うに至り、そしてあの子達から好意を寄せられているのだから。俺がもっと弱ければあんな怪しい状況のユエを助けてやろうとは思えなかっただろうし、そもそもあの橋から落ちた時点で死んでいた……いや、そもそもあのベヒモスとかいう魔物と戦うことすらしなかったかもしれない。そしたらそもそもユエとは出逢わなかっただろう。それに、シアもティオも、俺があの世界じゃそれなり以上に強かったから助けられたのだから。

 

だけど、それとこれまでずっと一緒にいてくれたことはまた別だろうと思いたい。それは単に俺の自己満足でしかないけれど、それでも、それ以外の理由があってほしい。これは、俺の希望だ。

 

「きっかけはそうでも……今はそうじゃないと、思いたいな……」

 

と、俺は吐き出すように呟いた。

 

「武偵憲章1条、仲間を信じ、仲間を助けよ。きっとあの子達はお前を助けてくれるよ。だから天人もあの子達に話してみろよ」

 

それに、とキンジは言葉を繋げる。

 

「確かに俺達の周りは暴力で解決できることが多いし、実際俺もそうしてきた。けどさ、別にそれだけが世界の全てじゃないんじゃないのか?俺は、人の繋がりも自分の居場所ってやつも、それ以外の方法でも手に入ると思うんだよ」

 

「……あぁ」

 

「天人が戦う力を捨てられないってのは分かる。それに、多分俺達は戦いの中じゃないと生きられないんだろうな。……けど、そうする理由ってのは、色々あるんじゃないか?」

 

キンジがこちらを見やる。俺も、その目を見据えた。

 

「……前に、トータスにいる時だ。ある人に言われたんだよ。"大切な人のことだけじゃなくて、もう少しだけでいいから他の人のことも考えてみろ"って」

 

俺は、畑山さんに言われた言葉を思い返す。結局、俺はまた同じところに戻ってきてしまっていたのだ。これまでずっと、別の世界に飛ぶ前から俺は自分とリサのことだけを考えて生きてきた。戦うしか能がないからずっとそれに縛られて、力で奪うしか知らないからそれしかできなくて。

 

「それで、少しはユエ達以外のことも考えるようになって……そのおかげで見ず知らずの人達から助けられることもあってさ……。でも少し不安になれば俺はまたこうやって暴力で全部黙らせる方法しか取れなくて……」

 

「……前に出来たんならまた出来るさ」

 

と、キンジはそれだけを口にした。

 

「出来るかな……?」

 

俺の疑問に、キンジはただ頷く。

 

「諦めるな、武偵は決して諦めるな。だろ?」

 

武偵憲章を引用したキンジはそう言って俺に笑いかける。俺も、キンジのその言葉を信じることにした。仲間を信じ、仲間を助けよ。だからな。

 

「あぁ。やってやるよ。そうだ、俺は誓ったんだ。ユエを世界で一番幸せな女の子にするって。リサも、シアもティオもジャンヌもいるけど、俺は全員幸せにする。全員、世界一幸せな奴にする。俺ぁ戦う力を捨てられない。けど、それでもって、俺ぁ言い続けてやる」

 

それが、俺の決意。絶対にリサとこの世界に戻ってくると誓ったあの海辺の旅館から始まった異世界の旅、そして奈落の底でユエと誓い始まったトータスでの旅。そして、これから始まる愛と恋と戦いの日々に向けて、俺は新たな決意を固めたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

師団と眷属は条件付きではあるものの停戦状態になった。俺はその報告を日本でジャンヌから聞き及んでいた。

 

取り敢えず帰りの飛行機もビジネスクラスの座席に座ってゆったりと帰国。もちろん費用は眷属持ち。キンジと俺達はそれで落ち着いて帰国の徒に着いたのだった。

 

それから俺はリサに興してもらった宝石加工の会社での実務──と言ってもリサやティオ、レミアさんから送られてきた仕様書通りに錬成するだけだが──や武偵としての本業にしばらくかかりきりだった。

 

短納期にも対応出来て形状も正確ということで評判は中々。値切り交渉に強い上に商才もあるリサの売り込みもあってか、それなりの利益が出ているらしい。最近はオリジナルデザインの物もちょこちょこ注文が入っているようで、順調な滑り出しと言えそうだった。

 

そんな風にしてしばらく過ごしていたある日、キンジからとある連絡が入った。アリアが入院したというのだ。しかも、どうにも病室に軟禁されているに近い状況で、連絡すら取れないらしい。それも、アリアを見張ってるのはお上らしく、キンジでもそう簡単には手を出せないのだとか。そのため、俺の越境鍵を使って連れ出せないか、という旨の依頼だった。

 

だが、羅針盤とクモを使ってアリアの病室を何日か調べたが、どうにもアリアを出すだけなら可能だろうが、それも割と直ぐにバレてしまいそうだ。それに、連絡が取れないんじゃ鍵で扉を開けた時にアリアに声を上げられて即座にバレる可能性もある。アリアは俺のクモを知らないから目の前にいきなり金属のクモが現れても驚くだけだろうしな。

 

キンジも、潜入捜査とかでアリアの入れられている病院に出店しているコンビニでバイトをしながら隙を伺っていたが、やはり連れ出すのは簡単ではなさそう、とのことだ。

 

そうなるともう騒ぎになるのは諦めて強行突破をしてしまうかという話にもなったが、キンジが決断を下せないうちになんとアリアが自力で出てきてしまったらしい。どうにも、外への警戒は厳重だったらしいが内側から外へ出る部分への警戒は薄く、スルッと抜けられたとのこと。……俺達の苦労を返してほしいと言ったらグズグズしてる方が悪いとアリアは一刀両断。それに対しては俺達も返す言葉が無かった。

 

そして、そんな頃に俺にとある人物から連絡が入った。()()()()()()()()()()と、俺に送られてきたメールには書かれていた。差出人はジーサード。キンジの弟で実家じゃキンゾーって呼ばれてるらしい。

 

しかし、思い返せばジーサードは極東戦役の宣戦会議じゃ俺のことを半ば無視するような態度だった。それが今じゃ武偵として依頼を出してまで俺の力を借りようってんだから人間変わるもんだな。

 

俺としても、ジーサードからの申し出はありがたい。しかも俺以外にもユエとシアを戦力としての所望のようで、提示された金額も中々のものだ。入り用ではあるし、細かい内容は会って直接とのことだが俺としてはこの依頼、受けようと思っていた。

 

「ユエ、シア、アメリカへ行くぞ」

 

「……んっ」

 

「はいですぅ」

 

荷造りはリサに任せる。俺達はまず詳細を聞こうとジーサードに指定された品川にあるホテルへと向かった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「来たか」

 

俺達がホテルへと向かうとそこには既に遠山かなめがいて、俺達をジーサードの待つラウンジの一角へと案内された。

 

「……まさかお前から仕事の話があるとは思わなかったぞ」

 

俺の正直な感想にジーサードは苦笑いを浮かべるが、直ぐに真面目な顔に戻る。

 

「それくらい強ぇ相手だってことだ」

 

だろうな。だが俺には1つ解せないことがある。

 

「……お前、俺はともかくユエとシアのことはどこまで把握してる?」

 

コイツは態々ユエとシアまで指名してきた。それはつまり、()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを知っているということだ。まだ2人の実力は極東戦役でしか発揮していないはずだ。多少学内で目立ったところでジーサードが目を付けるようなことは起きないだろうに。

 

「兄貴は今アメリカからもマークされてっからな。その傍で暴れりゃ目にも着くぜ」

 

それは嘘だろう。確かにユエは魔剱を歯牙にもかけずに倒したし、シアも鬼共を圧倒した。だがそれはどれも人目に付かないところでの戦闘だ。ユエと魔剱の戦いの際にはキンジは傍にはいなかったし、シアに至っては滝の裏に隠された船の上での戦闘だったのだ。例え衛星軌道上から見ていたところでそこは死角なのだ。

 

「はっ、極東戦役に出てた奴らから聞いたんだろ?」

 

眷属の前でド派手に暴れたシアはともかく、ユエの力をどうやって把握したのかも何となく想像は付く。ユエと魔剱のアリスベルの戦いを見ていたのは俺とシア、ジャンヌに加えて魔剱と妖刕だけだし、その2人は傭兵で、極東戦役の決着が着いたらさっさとどっかに消えたと聞いている。大方ジャンヌが師団の誰かに聞かれ、ポロッと答えたのがそこからジーサードまで繋がったのだろうよ。

 

ジャンヌは最近ユエから指導を受けているみたいだし、それなら多少はユエの力を知っていても不思議じゃあないからな。

 

もしくは、魔剱と妖刕が言いふらしているのか、だな。まぁジャンヌのことを疑う気も無いから何でもいいか。

 

「当然秘密だ」

 

情報源は秘匿するのが鉄則だ。ジーサードのこの回答も分かりきっていることではある。

 

「まぁ別にいいけどな。で、態々俺達をご指名ってこたぁろくな……いや、9()()()()()()()()()()()ってことか?」

 

だがそんな俺達を使おうって言うのならそれは相当の相手なのだろう。

 

「……相手は……米軍だ」

 

ジーサードが1拍置いて答える。米軍……米軍ねぇ……っておい!

 

「……何させる気だお前」

 

俺はジーサードを睨むがコイツはコイツでケロッとした顔をしている。何を考えてんだコイツは……。それに、見ればそれなりに負傷も負っているようだ。傷自体は少し前に付けられたもののようで今はギプスやサージカルテープで加療中って感じだな。テーブルには酸素吸入器まで置いているし、随分と手酷くやられたもんだな。

 

「エリア51だ」

 

と、ジーサードが呟くように目的地を告げる。エリア51……アメリカはネバダ州南部にあるアメリカ空軍基地だ。コイツはそこに挑んだのだろうか。

 

「へぇ……お前、そこに挑んで逆にやられたのか?」

 

俺はジーサードの怪我の原因を探る。

 

「……あぁ。だからお前らの力を借りたい」

 

と、ジーサードは思いの外素直に白状した。どうやらエリア51には随分と大事なものがあるらしい。

 

「で、そこにゃ何があって、俺達に何をしてほしいんだ?」

 

さっきは微妙にはぐらかされたけど、そこはいい加減はっきりさせておかなきゃいけないところだからな。吐いてもらうぞ。と、俺が睨むとジーサードも観念したように口を開いた。そして、そこから吐き出された言葉は、俺を……俺達を再び戦いの渦へと巻き込んでいくのだった。

 

「……色金だ。色は瑠瑠。そいつをエリア51から獲りに行く」

 

 



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ラナ・ハウリアと中村恵里について

 

 

「ではボス。私達はここで。……シアも、幸せにね。また、いつか」

 

「おう」

 

「はい、ラナさんもお幸せにですぅ」

 

ラナ・ハウリア。遠藤から愛の告白を受けて、大迷宮をどこか1箇所、1人で攻略することと俺とのタイマン勝負で1発でも攻撃を当てることを交際の条件に出したトータスのかぐや姫。

 

そんなお姫様から出された無理難題を、しかし遠藤浩介という人間は見事成し遂げたのだ。そして、ラナはトータスから遠藤のいる地球に着いてくると言い出した。ま、俺がいなけりゃ遠距離恋愛なんてもんじゃなく、文字通り違う世界で暮らさなきゃならなくなるわけだから、そりゃあ理解できる選択だった。

 

「じゃあなラナ、遠藤」

 

「あぁ」

 

「はい、ボス」

 

ボスは止めろと何度も何度も言っているのだが、このハウリア共はろくに人の話を聞きゃしねぇのでもう諦めたのだった。

 

「こっちはトータスとは勝手が違う。ちゃんと遠藤の言うこと聞いとけよ?」

 

「えぇ。分かってますとも。……折角こうくんと暮らせるのですから」

 

一瞬、ラナが遠い目をした。その瞳の奥に映るのはトータスでの記憶だろうか。それとも俺が設けた地球の常識講座(特別講師は畑山さんと雫)遠藤がライセン大迷宮を攻略してから俺とのタイマン勝負。勝利条件を達成させてしまったって意味では俺の負けってことで、こっちとしてはあまり思い出したくない記憶でもあるんだよな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……仕方ねぇな。やってやるよ」

 

最後の戦場の跡地で俺は遠藤と向かい合っていた。ラナが勝手に"自分と付き合いたければ大迷宮を1箇所、自力で攻略すること、そして俺との戦いで一撃を当てること"なんて条件を勝手に出しやがったもんだから、俺もこの戦いを受けてやらざるを得ない。

 

「恩に着るよ」

 

「気にすんな。……悪いのはラナだし。……それと、俺が使う魔法とアーティファクトはトータスで手に入れたものだけだ」

 

氷焔之皇とか氷の元素魔法とか使っていたら勝負にはならないからな。一応、遠藤と俺が同じ戦いの土俵に上がるにはその条件を付けなきゃならん。

 

「他の……まぁあとはここに来る前の世界の魔法しかねぇけど、それを使っても俺の反則負けだ。……ラナも、それでいいか?」

 

「え、えぇ……」

 

ちなみにこのラナさん、告白された時は普通に袖にしたのだが、遠藤が簡単に諦めずに、何度もアプローチを繰り返すウチにだんだん絆されていた。そこで照れ隠しに変な条件を付けてしまったようだ。ただ、自分から出した条件を今更撤回もできず、しかも遠藤がガチでライセン大迷宮を攻略してきたことでもう結構真面目に遠藤のことを好きになっている雰囲気なのだ。

 

「んじゃ……好きに来い」

 

戦いの用意は出来たと、俺が両手に仕込みトンファーを構えた瞬間───

 

「ふっ……」

 

何やら遠藤は不敵に笑いながらどこから拾ってきたのか黒いサングラスを掛けた。そしてクルッとターン、華麗なステップとやらを踏む。……その儀式要る?

 

この戦い、ユエとティオ、香織が再生魔法と魂魄魔法のために、シアは自分の一族の1人が人間族と一緒になるかどうかということで見に来ている。俺としても嫁達の前であまり無様な姿は見せられないのだ。

 

「では行かせてもらうぞ!」

 

と、遠藤がいきなり俺に真っ直ぐ突っ込んでくる。その手には光を吸収し夜に刀身を紛れさせる黒色の短刀が握られていた。

 

装束も真っ黒な遠藤はまるで人の形をした影だ。そして実際、俺に突っ込んできたのはアイツの固有技能か何かで現れた分身体に過ぎない。それに対して俺はその場を動くことなく纏雷を放った。

 

バチバチッ!と言う放電音と共に赤雷がその影を打ち消す。だがそれは所詮影。本体は───

 

「その首貰い受けるぞ、魔王よ!」

 

折角俺の真後ろを取ったのにそんな大声で喋んなや、と思うが俺はそれを口に出すことはなく、ただ魔力を衝撃波に変換して周囲に撒き散らす。そして、それで吹き飛ばされたのもまた影。どうやら本体はどこかに紛れているらしい。いつの間にやら分身の数は10を超え……20を超え……俺の視界が段々と遠藤で埋まってきた。

 

さて、と俺はトンファーを宝物庫に仕舞い込み、右手に片刃の直剣を構える。その間にも遠藤の分身は増える増える。元々遠藤は分身から分身は生み出せなかったのだが、どうにも痛々しい言動(中二病)を繰り出すことによってそれすら可能になるらしい。

 

「───限界突破ッ!!」

 

さらに、決戦の折に俺が渡した限界突破用のアーティファクトを起動。魔力の絶対量では俺に勝てないのなら瞬間火力での短期決戦───俺が前に神の使徒とやりあった時に使った手を遠藤も使うようだ。

 

俺は遠藤に囲まれる前にと空力も使って上空へと離脱。分身達から忍者刀が雨あられと投げつけられるがそれは左手に召喚したアサルトライフルをフルオートでぶっ放して弾いていく。

 

今の俺の銃火器のアーティファクト類は弾倉の中を空間魔法で広げているので1弾倉(マガジン)につき数十発なんていう制限は存在しない。アサルトライフルであっても数百発の弾丸を吐き出すことが可能なのだ。

 

だが俺のあげたアーティファクトはそもそもが多数の神の使徒と戦うために作ったもの。当然限界突破もその先の覇墜まで発動させられるわけで……。

 

そんなものを使われたら当然、分身の出る速度も、靴に仕込んでやった空力と縮地の性能も、それはそれなりのものになるわけであるからして……。

 

「魔王の首、獲ったり!!」

 

俺は大勢の遠藤に囲まれる。全員その手には忍者刀が握られていて、その光の反射を抑えた夜色の刃の切っ先は俺に向けられていた。

 

だがその刃が俺に突き立てられ肉を引き裂かれるその前に───

 

「グウッ───!?」

 

俺は全方位に纏雷と魔力の衝撃変換により生み出された空気の波をぶつける。そして吹き飛ばされる遠藤達。だがそいつらは皆分身体のようで、吹き飛ばされながらその姿を霞と消していく。だが流石にこの手はそう何度も何度も連発は出来ないぞ。これだって結構な魔力を喰うのだ。神代魔法のアーティファクトも使おうと思ったら魔力は節約しなけりゃならない。

 

遠藤は俺に一撃───正確には傷を付ければ勝ち。だが俺だって遠藤に1発入れられれば戦闘不能にするだけの火力はある。この場には再生魔法と魂魄魔法を扱える奴が何人もいるのだから。最悪首と身体が泣き別れたって平気なんだし銃火器の使用も問題無し。

 

なのに俺は今追い詰められている。確かに傷を受けるなという条件はキツい。だからってこちらの攻撃は氷の元素魔法以外は制限されていないのにも関わらずこのザマだ。確かに最近は氷の元素魔法に頼り過ぎていたからそのせいだろうか。

 

……いや違うな。これは遠藤の努力だ。物量で押し込め、火力と手数はあるがゼロ距離戦闘になれば取り回しの悪い銃火器の使用を封じ、自分の得意な距離での戦闘に持ち込んだのは(ひとえ)にアイツの実力だ。今の俺にそれを覆す力が無いだけのこと。

 

まったく、こんなんじゃ格好つかねぇよな。

 

───ダン!と、俺は空力と縮地、豪脚で一気に地面へと舞い戻る。そしてワラワラと寄ってくる遠藤の分身達は刃に付与した空間魔法による空間そのものへの切断でもって消しきる。そして再び両手にトンファーを構えながら遠藤本人の目の前へと縮地と豪脚でまた飛び出す。

 

そして、奴の顎を砕くどころか首を捥ぐ勢いでトンファーを打ち据える。それを上体を逸らし、紙一重で躱した遠藤が何やら難しい言葉でごちゃごちゃ言っているがそれは無視。纏雷を敢えて遠藤のすぐ真横に飛ばして動きを牽制しつつ、奴の忍者刀と俺のトンファーでの至近距離格闘戦に持ち込む。

 

トンファーと忍者刀のぶつかり合う金属音が鳴り響く。その間にも遠藤は分身を生み出しては俺の左右真後ろ真上から強襲させているのだが、それを俺は纏雷で打ち消していく。

 

いくら遠藤が1人でライセン大迷宮を攻略出来ようと、俺との体力差や戦闘技術の差は歴然だ。実際、遠藤は俺の攻撃をどうにか捌いてはいるものの、どんどんと押し込まれている。このまま押し切ろうとさらに1歩踏み込んだその瞬間───

 

「───ッ!?」

 

咄嗟に感じ取れた殺気に俺が右手を頭の横に掲げれば、ダンッ!という乾いた発砲音と共に重い衝撃。それと同時にトンファーから火花と金属音が発生した。これは……発砲されたのか!

 

俺が射線の方向へ意識を向ければそこには俺が渡した拳銃のアーティファクトを構えた分身体が1人。どうやら、さっきの物量戦の時か俺を忍者刀で襲う分身体に紛れさせてか、この不意打ちのために潜ませていたようだ。

 

両手にトンファーを構えている都合上俺は右手側の分身体を今すぐどうこうする手立ては無い。勿論、拳銃を召喚して消し飛ばせなくはないがそれだけ。目の前の遠藤本体をどうにかしなけりゃならないことに変わりはないのだ。

 

さらに俺の背後と左手側からも殺気が。どうやれさっきの分身体からさらに分身を生み出して俺を取り囲んでいたようだ。さっきみたいに大量の分身体で押し潰してこないのは恐らく俺に気取られないため。手数で押し切れればそれで良し、ただし銃火器を使う俺に手数勝負で勝てなければ暗殺者らしく俺の死角から一撃を入れる作戦に切り替えるっていう、2段構えの戦略らしいな。

 

遠藤がバッステップで俺から距離を取るのと同時に俺はその場でしゃがみこむように姿勢を低くする。そして、それと時を同じくして分身体から十字砲火(クロスファイア)の発砲音が鳴る。だが俺の身体を狙って放たれたそれは、姿勢を落とした俺の頭を越え弾丸は空を切る。そして俺はトンファーから鎖を射出。空間魔法が付与されたトンファー内部から重力魔法と纏雷の電磁加速で飛び出したそれが遠藤の脚に絡みつく。

 

そして今度は鎖を巻き取りながら俺も地面を蹴る。遠藤と俺の距離が一気に近付く。遠藤の分身体が泡を食ったように拳銃を撃ち放つが遠藤の銃撃精度じゃあこの速度で動く的を捉えることはできない。一息の間に遠藤に肉薄した俺は付与された纏雷によりバチバチと赤雷を発生させているトンファーを遠藤の腹に叩き込むために左手を振り上げ───

 

 

 

───そのまま身体を外に大きく捻った

 

 

 

「あーあ……」

 

思わず呟いた俺の頬からは赤い血が一筋流れる。遠藤の作戦は2段構えではなく3段構え。銃撃での不意打ちすらもブラフで本当の狙いは分身体による空中からの強襲。けれどその最後の一撃も、直前で察知した俺はギリギリ躱せるくらいには動いたハズだった。けれど、どうしてかその瞬間に身体が奴の忍者刀に引き付けられたのだ。そして、奴の刃が俺の頬を薄く斬った。

 

まぁそのカラクリも分かっている。

 

理由は遠藤の武装に付与された重力魔法。さらに遠藤本体もライセン大迷宮で手に入れた重力魔法で俺を拘束。二重に動きを縛られた俺は最後の一突きを躱しきれずに1発もらってしまった、というわけだ。

 

俺のトンファーから放たれた纏雷を受けた分身体が消える。だがそいつは刺し違えるように俺の頬に一筋の傷跡を残したのだ。つまりはこの勝負、遠藤の勝ちだ。

 

「なっさけねぇ……」

 

俺はそのままバタリと後ろに倒れ込む。ギャラリーからの歓声は無い。そもそも見に来てるのはユエ達くらいだ。まぁ他の奴らに来られても危なくて銃火器なんて振り回していられないからそれでいいのだけど。

 

「行ってこいよ」

 

俺は仰向けに倒れたまま遠藤にそう声を掛ける。それを掛けた意味があるのか俺にはよく分からないサングラスを外した遠藤は「あぁ」とだけ返して立ち上がる。その後遠藤がラナに何て言って、ラナがどう返したのかは聞いていない。人の告白を盗み聞きする趣味もないしな。

 

ただ結果として、遠藤はウサミミお姉さんの恋人が出来た、というのがこの戦いの結末なのであった。

 

「……天人」

 

仰向けにぶっ倒れている俺の視界に影が差す。フワリと、柔らかな香りと共に俺の視界を覆ったのは金色のカーテン。

 

「こんな情けない俺を見ないで……」

 

しかし俺はユエの視線から隠れるように顔を両手で覆って丸くなる。あぁ、穴があったら入りたい。

 

「錬成……」

 

──入る穴が無ければ作ればいいじゃない──

 

そう言わんばかりに俺は錬成で地面に穴を作り、そこに転がり込むようにして収まった。けれどそんなことで逃がしてくれるユエ様ではない。その場でしゃがみ込んだままユエは重力魔法を発動。俺を穴から引っ張り上げてしまう。

 

ダラりと、首の後ろを掴まれた猫のように伸びた俺はそれでも手で顔を覆って見えない素ぶり。

 

「……加減した?」

 

ユエ様の容赦ない追撃。冷たい声が心に痛い。しかも、俺はそれから逃げることを許されてはいない。

 

「してない……」

 

そう、俺は手加減なんてしていない。ただ、そこには確実に油断も慢心もあった。いくら1人でライセン大迷宮を攻略したとしても、所詮遠藤になら手札をそれほど使わなくても勝てるだろう。近接戦闘に持ち込めば、武偵である自分なら押し切れるだろう。重力魔法だって、仮に適性があってもそれほど習熟はしていないだろう、という幾つも空いた心の隙。

 

「少なくとも、俺があの時遠藤に出せる全力は出したよ……」

 

ただその全力が、限りなく程度の低いものであっただけ。

 

それでも遠藤は俺に対して作戦を練り、自分が警戒されていないことをキチンと把握した上でそれを利用したのだ。だからこの敗北は俺の実力であり、遠藤の勝利は彼の努力によるものだ。

 

「あの、もう離して……」

 

反省はします。だからこの、文字通りの宙ぶらりんの拘束は解いてくれると助かります。マジでティオと香織の視線が痛いの……。シアに至ってはラナの方に夢中でこっちを見てもいないし……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺は神域で中村と谷口の間にどんな会話がなされて、どんな戦いの果てに、谷口がどういう意思をもって中村を連れて帰ってきたのかはよく知らない。と言うよりも、知る気が無いので敢えて知らないようにしているのだ。

 

だから魔法の使用を封じる枷でガチガチに固められた中村を担いで帰ってきたらしい谷口に掛ける言葉は何もなかった。

 

ただ、中村の、天之河に対する依存心はいくら何でも常軌を逸していたように思う。別にそれそのものを否定する気はないし、俺自身も人のことを言えたもんじゃあないからそれはいいのだ。

 

だから俺が気になったのはそれ程までに天之河に依存する理由。ただ初恋拗らせた程度の可愛らしい独占欲とは掛け離れた中村の行動の理由を掴まなければ、コイツはきっとトータスから帰らない方が長生きできたかも、なんて事態になりかねない。

 

「で、何か心当たりないの?」

 

という訳で俺は天之河を問い詰めることにした。香織と雫曰く、このイケメンはそれはまぁ人当たりが良いらしく、その顔の良さも相まってコロッといってしまう女の子が多いんだとか。ちなみに雫はそんな天之河の、悪く言えば八方美人なところが恋愛対象から外れる理由なんだとか。

 

「うーん……。そう言われてもな……」

 

「昔、困ってた中村に「助けてやるよ」とか「守ってやるよ」とか言った?」

 

中村は天之河の優しいところが好きっぽかったのでそういう方向性の声の掛け方をしたのだろうか。

 

「うーん……あ、あれかもしれない」

 

どうやら、思い当たる節があるようだ。

 

「小学生の頃だったかな。早朝にランニングをしてたら恵里が橋の上にいて……自殺しようとしていたんだ」

 

それは、相当に彼女のプライベートに踏み込んだ話なのだが、一応俺も中村に関して生きて帰れるのなら()()()の協力もしてやるという雰囲気を察して天之河も口にする気になってくれた。

 

「それで、俺が君を守ってやる、みたいなことを言った……と思う」

 

「お前……その台詞が曖昧ってこたぁ相当な数の奴に似たようなこと言ってんだろ……」

 

このイケメン王子様は女を引っ掛け続けなけりゃ呼吸が止まる病にでも罹ってるんじゃねぇのか?

 

「いや、でも男が女の子を守るのは当たり前だろ?」

 

「んー?……んー、どうだろ。俺ぁ男だからユエ達を守りたいんじゃないしなぁ」

 

きっと俺は自分が女でも、リサやユエ達に惚れていただろう。きっと俺のこれは男とか女とかそういう次元の話ではないからな。

 

「ま、それはそれとしてだな。……多分そこだろ、中村があぁなった発端は。んで、橋の上で自殺って……理由は聞いたのか?」

 

「あぁ。流石に橋の上から飛び降りようなんて普通じゃないからな。理由は確か……親との不仲って言ってたよ」

 

「不仲ぁ?……喧嘩したくらいで小学生が自殺とか考えるかぁ?」

 

「いや、不仲って言ってもそうだな……今思えば、虐待されてた……とか?」

 

天之河のその言葉に俺は思わず答えに詰まる。正確な部分はどうあれ、恐らく中村は両親から酷く扱われていて、そこに天之河がやって来て守ってやる発言。親から否定された子供心を思えばきっと、格好良くてスポーツも出来て皆の人気者の天之河くんが自分にそんな言葉をくれた、なんてのはそれなりに大きいことだったのだろう。

 

「んー、そうなると俺の手に負えるのかな……。しかし、アイツはこっちに来た直後も顔色は悪くなかったし、パッと見は変に痩せてるって訳でもない。……小学生の頃からそんななのに随分と健康的な身体してる気がするんだよな」

 

親から虐待……直接殴られたりしていなくともネグレクトのようになっていたのだとして、その割には食事はそれなりにキチンと摂れている雰囲気があった。何となく、俺のイメージする虐待被害に遭っている子供と中村の様子が上手く結びつかない。

 

「神代……お前どこを見てるんだ……」

 

と、何故か天之河が引いている。それはもうドン引き。変質者を見るような目をしているよ。

 

「その顔には1発拳骨をくれてやりたいが……まぁもういいよ。聞き出しといて悪いけど、そうなると俺ぁ手出しが難しそうだよ。……発端はお前の撒いた種っぽいし、お前が様子見てやれよ?……多分谷口も協力してくれんじゃねぇの?」

 

俺がたまたまそっちに行くことがあればその時に少し協力はしてやる、とも付け加えておいてやる。すると天之河はそれはそれは意外そうな顔を晒していた。

 

「あんだよ……?」

 

「いや、悪いけど、意外だなってさ。神代は、俺達のこと興味ないんじゃないのか?住む世界だって、物理的に違うんだし」

 

「あぁ?……実際、興味ねぇよ。中村だって香織を1度は殺した主犯だし。けど……似てんだよ、俺と中村は。色々とな」

 

惚れた相手と自分だけの世界が欲しい。それは俺も思ったことがないわけではない。それにあの依存心と独占欲。それはあまりに心当たりがあるもので、確かに中村のことは嫌いだけれど、どうにも心から憎むことができていないのだ。

 

「そうなのか……?」

 

頭に疑問符を浮かべた天之河の目には、「お前は一途を貫けていないのに?」という言葉がありありと見て取れた。

 

「……んなことはどうでもよくて。とにかく!……任せたぞ」

 

「あぁ。分かってる。……けどまずは───」

 

「───ま、それもお前らの仕事だろ?中村をどうするのかは、お前らが決めろ」

 

そして結局、中村は天之河達と一緒に彼らの地球へと帰還し、その後のことは天之河達に任せっきりとなる。どうやら生きているらしいことは、香織に強制的にあっちに引っ張り込まれた時に把握したけれど。

 

俺はきっと、アイツらからの声を貰わなければ中村に何か干渉することはないだろう。俺は暴力で解決出来ることは大概片付けられるが、そうじゃない問題にはとんと無力なのだから。

 

 

 



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色金騒乱編
USAにて


 

元イ・ウーのパトラから俺に連絡が入った。アリアが緋緋神とかいうのに身体を乗っ取られたのだとか。そして、それを俺に助けに来いということらしい。イ・ウーじゃ俺やリサを散々ぱらこき使ってくれやがったパトラの言うことを聞くのは癪に障るのだが、アリアを助けろと言うのなら仕方がない。あれは俺の数少ない友人だし、武偵憲章1条、仲間を信じ、仲間を助けよってな。

 

そして、俺が現着したその瞬間、アリアの身体なのにアリアとは違う雰囲気を纏った、恐らく緋緋神とかいう奴がキンジとカナに向けて、その緋色の瞳から何やら攻撃を放とうという気配があり───

 

「───天人!?」

 

俺が緋緋神とキンジの間に割って入った瞬間、それは放たれた。

 

──パァッ!!──

 

夜の闇を引き裂くような緋色の光線が、俺の知覚を遥かに上回る速度──文字通りの光速──で俺が割り込む時に翳していた右手にぶつかる。それはなんと驚くことに、昇華魔法で強度を高められている氷焔之皇を貫き、しかし熱変動無効が働いてそれを受け止めた。

 

「……神代天人か」

 

ボソリとアリアのアニメ声で緋緋神が俺の名前を呟く。苦々しそうに零れた言葉と嫌なものを見たかのようにクシャりと歪められた小ぶりで可愛らしい顔が、奴にとっての俺という存在の意味を示しているようだった。

 

「緋緋神よぉ、その身体は俺んダチのもんなんだよ。だからお前にやるわけにゃあいかねぇんだ」

 

いかに超能力(ステルス)的な能力が高かろうがその身体はアリアのものだ。脳震盪で一旦意識を奪ってしまおうと、俺は両手にトンファーを構える。当然これもトータス製のアーティファクト。俺が昇華魔法を使って強度を上げた生成魔法で1つの鉱石に付与できる魔法の数は通常の鉱石で4つ。神結晶ならもっと多くの魔法が付与できる。

 

そんな俺が作り直したこのトンファーに付与された魔法は纏雷に金剛と魔力の衝撃変換、それから中には空間魔法で鎖を収納してあるし、それにも──この場では使わないだろうが──空間魔法が付与されており、刃のように振るうこともできる。さらに、鎖には纏雷も仕込まれているから殺傷能力だけで言えばかなりのものだ。まぁ、これもアリアの身体相手にゃ使えないけどな。

 

だがこれだけあれば向こうの超能力にも対応できるだろう。光速のビームは、避けられそうにはないけれど効きもしないことは今分かったしな。

 

「気を付けろ天人、あの浮いてるブロックは───」

 

「───触れちゃヤバいもんだってのは見りゃ分かる」

 

俺はキンジよりこういう手合いは慣れてるんでね。俺の右目はティオとユエの変成魔法に俺の生成魔法を組み合わせて普通の視界にプラスアルファでトータスでの義眼に仕込んでいた先読と魔力感知に魂魄魔法まで併せた特別製だからな。

 

それでいて見た目は普通の眼球だから、もう光ったりはしないし眼帯も必要ないのだ。そして、その義眼は、アリアの中に他にもう1つの魂があることを映し出していた。それは、ユエの身体を簒奪しようとしたエヒトのように、蜘蛛の巣の如く巣食う薄汚い魂ではなく、むしろ燃えるように赫く、鮮血のように赤い、紅に輝く美しい魂だった。だが、それは明確にアリアのものとは違っていた。

 

「私はお前らが嫌いだ」

 

と、緋緋神が吐き捨てるように呟く。それだけで、コイツらがどんな存在なのかはともかく、その力は聖痕のそれには及ばないのだろうと分かる。だがそれでも緋緋神は俺から逃げる気はないようで、小さな身体から感じる闘気が萎える様子は見られない。そして、周りに緋色の粒子を身に纏い……

 

──パッ!!──

 

と、緋緋神の姿が消えた。そして気配感知の固有魔法が、そいつが俺の背後に現れたことを知らせる。俺は反射的に頭を下げながら前方に転がるようにして緋緋神と距離をとる。その瞬間に俺の頭上をアリアの細い脚が凄まじい速度で通過した。風を切る音が俺の耳に伝わる。そして振り返った俺の視界では、両手に持ったガバメントの銃口を俺に向けた緋緋神がいた。

 

───そしてマズルフラッシュが瞬く。

 

音を置き去りにして放たれた.45ACP弾が俺の頭を撃ち砕かんと迫る。それを俺は両手のトンファーで弾き飛ばす。瞬光は既に発動させている。この程度なら反応できない速度じゃあない。マッハ3~4の、ガバメントではありえない速度を叩き出した鉛玉は──バシュウウウウウ!!──という音を、俺に弾き飛ばされてからようやく俺の耳に届けてきた。

 

俺が人の身に余る脚力で目の前に踏み込むと、緋緋神も人知を超えた反応速度でそれに呼応するようにバックステップで距離を置こうとする。だがその瞬間、緋緋神は躓くように後ろにバランスを崩した。その辺りには俺が錬成で床を少しだけ隆起させているからな。アイツはそれに引っ掛かったのだ。

 

さらに俺がそこへ魔力の衝撃変換の固有魔法で緋緋神の身体を反転させ、今の俺達の攻防の間に奴の後ろに回り込んだカナの方へ向ける。カナは両手で構えた大鎌──スコルピオ──を振るい、それが緋緋神の顎を掠める。

 

「おっ……?おぉ……?」

 

と、思いの外緩い攻撃だと思ったのか、バランスを立て直そうとしながら疑問符を浮かべる緋緋神。だがその身体は本人の意思とは裏腹に、カクンと膝から崩れ落ちた。今のはカナが緋緋神……というかアリアの脳みそを揺らして脳震盪を起こさせたのだ。そして人間の身体の脆弱性を突かれた緋緋神はその場で意識を失う。

 

「おっと……」

 

と、俺が受け止める前にキンジが素早くアリアの身体を抱き留めていた。すると、ガサガサと草木を掻き分ける音を立てながらパトラが草陰から姿を現した。どうやら自分は隠れて様子を伺っていたらしい。

 

「念の為、呼んでおいて正解ぢゃったな」

 

「……後で請求するからな」

 

俺が半眼で睨むがパトラはどこ吹く風。いつの間にやらカナに寄り添っている。

 

「じゃあ、俺ぁ帰る。後はそっちでできるだろ?」

 

義眼で見れば、緋緋神の魂は今はアリアの中の、俺に見える範囲にはいないようだった。だがこれで消えたわけでもあるまい。今は身体のコントロールが効かなくなったから引っ込んだだけだろうから、また何かあればアレは出てくると、俺の直感がそう告げていた。

 

「えぇ。お疲れ様、ありがとうね」

 

と、カナはその綺麗すぎる顔でにこやかにお礼の言葉を告げた。

 

「気にすんな。これも仕事だ。……キンジ、殻金の残り1枚、取り返すなら手ぇ貸すぜ。あれをあそこで取り逃したのは俺ん責任でもあるしな」

 

「……あぁ、何かあれば頼む」

 

キンジは他にも色々聞きたそうな顔をしていたが、きっとそれを堪えてそう言った。俺もただ「おう」とだけ返して、戦場となった神社を後にした。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「何でお前らまでいるんだ……」

 

と、羽田空港の出国ゲートでキンジがボヤいている。キンジが来る前からレキもいたが、コイツはコイツで無表情のまま俺達を見渡して、そのまま視線をどっかにやっている。あまり興味がなさそうだ。

 

「俺達もジーサードに呼ばれたんだ。ちゃんとした仕事だよ」

 

と、俺も正直に答える。

 

「おう、こっちだ兄貴」

 

すると、ジーサードが手を挙げてキンジを呼ぶ。やたらと細かい金糸の刺繍の入ったパンタロンスーツとかいうイカれた服装のジーサードだったが、他の連中もまぁ目立つ目立つ。白い学ランみたいな服を着た背の高い白人のアトラス、虹色のスーツっていうそれどこで売ってんの?と疑問になる格好の黒人のコリンズ、ケモ耳のツクモ等々、ただ名前を紹介されただけでもキャラの濃さが際立つ奴らばかりだった。

 

そんな奴らと連れ立って歩けばそりゃあ周りの視線は独り占めだ。独り占めってか、俺達全員注目の的な訳だが……。

 

だがまぁ、そんなの気にするほどのものではない。実際、トータスじゃどこへ行っても皆こっちを見てきたからな。ユエもシアも慣れたもんで落ち着きがないのはキンジくらいだ。

 

そして、通学路じゃないだろうに何故か食パン咥えた平賀あやとすれ違い、自家用機でアメリカへ向かうと言うジーサードの後を着いて行くとそこにあったのは旅客機のような飛行機ではなく軍用のテイルローター機。それも、オスプレイの倍ぐらいデカいサジタリウスだった。

 

「前に乗ったのとはだいぶ形が違うんですね」

 

と、シアが頭に疑問符を浮かべながらユエの両肩に手を置いた。ユエも、そのシアの手に自分の手を重ねながら頷いている。

 

「あぁ。前に乗ったのは最初、地面走ってから飛んだろ?これはあの羽を回して、ほとんど真上に上昇してから飛び立つんだ」

 

と、俺も航空機には明るくないので大雑把に説明する。

 

「……向こうで天人が作ったような感じ?」

 

「まぁ、上がる感覚は近いかもな」

 

飛ぶ原理が全く違うので何とも言えないけど。トータスで使っていたあれは、中身の作りは旅客機に近い思想だしな。

 

ジーサードリーグとか言うらしいジーサードのお仲間達から「何の話だ?」というような視線を向けられながら俺達もサジタリウスの中に乗り込む。

 

……ジーサードの趣味なのだろうが、中は軍用機とは思えない程煌びやかな内装が施されていた。ローマの闘技場を描いた油彩画やワインレッドの地に金糸で施した刺繍が輝くソファー。足元はペルシャ絨毯が敷かれており、ふかふかだ。

 

「……凄い」

 

「……意味が分からん」

 

呟く俺とユエ。シアはボケっと周りを見渡している。これ本当にXプレーン(元は軍用)ですよね……?

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……寝れないのか?」

 

ジーサードの命令でサジタリウスを運転する奴以外は寝ろとのご命令が下り、俺達はそれぞれ布団や簡易ベッドを出して床に入っていた。ユエとシアは一緒に寝たいとか言い出して2人で同じ布団に入っている。俺は仲睦まじく寝入っている2人の寝顔をこっそり携帯のカメラに収め隣で横になっていたのだが、何やら服を仕舞っていたコリンズと、あとキンジが寝れていないようだった。

 

「……悪い」

 

「……気になるのか?アリアのこと」

 

コリンズがチラリとこちらを見やるが、俺と目が合うとパチッとウインクを決めて自分の寝床へと移動していった。あの人も何か言いたかったのだろうが、どうやら俺に任せるということらしい。

 

「別に、そういうわけじゃ……」

 

キンジとアリアは、一旦別れて捜査することにしたらしい。アリアがイギリスへ、キンジがアメリカへ向かい色金に関して調べるのだとか。

 

だが、俺のいなかった合計でだいたい1ヶ月半と、俺の知らないところでのコイツらの活動。その辺はちょいちょいアリアから愚痴の形で聞いてはいたが、そのほとんどでコイツら2人は一緒にいた。ここまで大きく2手に分かれての戦いは初めてなのだろう。そりゃあ、不安にもなる。

 

「俺もそうだったからな」

 

「……何がだ?」

 

「こっちにリサを残したまま向こうに飛ばされて、辛かったし、寂しかった。不安でもあった。怖くもあった……」

 

思わず、俺は言葉を漏らした。きっとそれは、ユエとシアが寝ているからこその言葉。この2人には、なるべく見せたくはない、俺の中にあるもの。

 

「怖い……?お前がか?」

 

と、キンジはよく分からないという風に眉根を顰めた。失礼なヤツめ。俺をなんだと思ってんだ。

 

「訳の分からん世界に飛ばされて、これまで俺ん命を繋いできた力もほとんど失ったんだ、一時的にな。……でも、それでも俺ぁリサも元へと帰るんだって決めた。それで……」

 

「それで……?」

 

「俺ぁ帰ってきた。コイツらも連れてな」

 

俺は、ユエの絹のように指通り滑らかな金色の髪を撫でる。

 

「……だから、まぁ俺も、リサと離れ離れになったことがあるからさ。お前が不安に思うのも分かるよ」

 

「……」

 

しかし俺の言葉にキンジは何を言うでもなく押し黙った。まぁ、コイツもHSSのおかげで女や恋愛とは距離を置いていた奴だからまだよく分からないのかもしれない。

 

「キンジ、お前はHSSもあるからこういう話は苦手なんだろうけどな。それでも、自分の気持ちは伝えられるうちに伝えた方がいいと思ってる。……いつまでも、アリアがお前の近くにいるとは限らないぞ」

 

「……どういう、ことだよ」

 

キンジは絞り出すように言葉を発した。

 

「そのままの意味だよ。緋緋神からは取り返せても、アイツもお前も武偵なんだからその辺の奴より死ぬ確率は(たけ)ぇし、他に人生のパートナーを見つけるかもしれねぇ」

 

まぁ、生き死にはともかく、アイツが今更キンジ以外を好きになるとも思えないけどな。

 

「……そもそも、俺とアリアじゃ身分違いだろ」

 

吐き捨てるように、つまらなさそうにキンジは鼻を鳴らす。

 

「それがどうしたよ。そんなもん、惚れた相手を諦める理由になるのか?」

 

と、俺は敢えて煽るような言葉を使う。本当にキンジがアリアを好きなのかどうかは俺も知らない。どうせなら理子が結ばれてほしいという思いもある。だが、キンジが本当にアリアが好きなのなら、俺はこの2人がくっつくべきだとも思うのだ。

 

「だから、そんなんじゃねぇってば」

 

まぁ、この答えも予想通りだけどな。

 

「……そうかい」

 

「もう寝るぞ。時差ボケは辛いんだからな」

 

「……そうだな」

 

キンジはそう言って布団を被る。俺もその音を聞きながら瞼を下ろした。アメリカには、まだ着かない。

 

 

 

───────────────

 

 

 

明らかに見た目が日本人じゃないユエとシアは言語理解の技能がもたらす完璧な英語で、俺は逆にシャーロックに習ったやや古臭い英語で入国審査をパスした。

 

そして、空港から出た俺達はそれぞれジーサードリーグの奴らが運転する車──俺とユエ、シアはアンガスの車だ──に乗り込み、辿り着いたのはマンハッタン。ゴシック様式のエントランスの入口上部にはアルファベットのGとローマ数字のⅢを組み合わせた独特かつ分っかりやすい巨大なロゴマークのあるビルの前に俺達は止まった。

 

「ジーサードビル久しぶり〜」

 

と、やはりそんな名前だったらしいマンハッタンの摩天楼の中においても一際目立つこの建物へかなめは入っていく。俺達もゾロゾロと車から降りてこのド派手なビルを見上げていた。すると、中から銀髪で左右の瞳の色の違う、中高生くらいの女が出てきた。

 

「守衛役お疲れ様、ロカ」

 

と、キツネ耳のツクモに声をかけられたそいつはロカというらしい。するとそいつはキンジをふと見やり───

 

「ネクラなのはあんたでしょ」

 

と、不機嫌そうにキンジに吐き捨てる。何やらキンジは図星を喰らったような顔をしているが、考えが読まれたのだろうか。

 

「……あんたは……何?」

 

誰?ではなく何、ときたか。不思議なものを見るかのように下から俺のことを見上げるそいつは直ぐに警戒心剥き出しで俺と物理的に距離を置く。

 

俺に()()があったから直ぐに思い至ったが、恐らくこいつは自分の超能力で人の思考を読み取れるのだろう。キンジは多分、コイツを見て根暗そうだとか思ったんだろうな。そして、それを読まれて言い返された。だが今の俺にはその手の類は効かない。だから俺の思考が全く見えずにコイツは不思議がったんだ。

 

「俺に超能力は効かねぇぞ。大方思考を読み取るような能力なんだろうが……」

 

「……何それ」

 

俺の究極能力に関しては、誰かに話したとしても不都合になるようなものは無い。超常の力が効かないのなら物理的な手段に切り替えようとしても、多重結界はライフル弾でも弾く。オラクル細胞こそ失ったが、それでも今の俺を正攻法で殺すのは不可能に近いだろう。

 

「んなことより、中入ろうぜ。立ち話でするような話でもねぇだろ」

 

と、俺が促せばジーサードも「それもそうだな」とそそくさと中へ入ってく。俺達もそれを追いかけるようにビルへと立ち入り、閉じられたドアが外の寒気を遮断してくれた。まぁ、熱変動無効のおかげで寒さも感じられていないのだけれど。

 

そして、招かれたジーサードビルは、そのほとんどの階をどっかの企業やなんかに賃貸で貸し出していて、実際に俺達が使えるのは上の方の階だけらしい。確か113階から115階まで。まぁ、それでも52部屋とかいう馬鹿みたいな数の部屋数があり、それがどれもスイートルームみたいな豪奢さと広さを誇っているのだからコイツがどれだけ金持ちなのかを実感させられる。

 

そして3つあるうちのダイニングルームの1つへと通された俺たちを出迎えたのは大量のマクドナルド。ポテトやコーラやチーズバーガーやビックマックが並べられていて、ツクモやかなめは嬉しそうにそれに飛びついている。

 

俺も適当なハンバーガーを手に取り口に運ぶが……うん、味は日本のと変わらないな。当たり前っちゃ当たり前だけど。ただ、海外の飯は舌に合わないこともあるからこういう世界共通の味ってのは案外便利なものなのだ。

 

ただ、ユエは無表情かつ無言でパクついてるが、シアはこの大量のファストフードを見て一瞬嫌そうな顔をした。

 

どうやらシアはファストフードがあまり好みではないらしいのだ。理由は味がどことなく雑だから、とのこと。料理に関しては一過言あるシアにとっては極端に規格化されたこの味はお気に召さないらしい。とは言え、生来良い子なのと実際腹は減っていること、それから樹海暮らしと旅の中で食べ物の貴重さを知っているシアはジャンクフードの山に表情を変えたのも一瞬だけで、直ぐに手近にあったポテトとハンバーガーを口にしていた。

 

それに釣られるようにしてキンジやジーサード、他の面子もそれぞれこのファストフードの群れに飛び込み各々食事を摂っている。

 

「そういや、色金はいつ取りに行くんだ?」

 

と、行き先と目的しか聞いていなかったので俺はジーサードにその確認を取ろうとする。

 

「全員の武装の調整と休息、コンディション調整、それからサジタリウスの整備に3日だ。兄貴のプロテクターの調整も3日ありゃできるだろ。それが終わり次第エリア51に向かう」

 

ジーサードはポテトを口に運びながらそんな風に今後の予定を伝える。

 

「あぁそうだ、一応確認なんだけどさ。目的は色金の奪取とリベンジマッチってことでいいんだよな?」

 

サジタリウスに乗ってから思い出したのだが、色金を奪うだけなら最悪俺が羅針盤で座標を割り出してから越境鍵で乗り込んでしまえばいいのだ。この羅針盤と鍵、便利は便利なのだがこれまでこんな便利道具持ってなかったから時々存在を忘れる。

 

「あぁ?当たり前だろ。マッシュの野郎をぶっ飛ばして、色金も貰う。それだけだ」

 

「あいよ、じゃあ俺もそれに合わせる」

 

というわけで今回は羅針盤と越境鍵は温存だ。ユエとシア、それからキンジも俺の質問の本当の意味を理解しているようで、ユエシアコンビは「へぇ」というような顔を、キンジは「しょうがねぇなぁ」みたいな顔をしている。その3人の顔に、ジーサード達は逆に頭にはてなマークを浮かべていた。

 

「なんだよ兄貴」

 

「別に。まぁ俺も弟が手酷くやられてるからな。マッシュって奴はぶっ飛ばしてやりたいし」

 

「ケッ、こんなのカスリ傷だって言ったろうが」

 

と、兄弟仲睦まじい様子でしかしデンジャラスな会話をしている遠山兄弟なのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

今俺はロカの部屋の前で壁に背中を預けて座っている。部屋の中では何人もの気配がしていて、何やら楽しそうな雰囲気も伝わってくる。

 

飯を食い終わったと思ったらロカが「仕事の用意がある」とかでここの女子連中を、ユエとシアも含めて連れ込み、レキが「風が、キンジさんがこの部屋に来ると言っています」と俺を見張り番に立たせたのだ。まぁ突っ立っているのもダルかったから今は座ってるけど。

 

なんでキンジが態々女子が何人もいる部屋に1人で来るのか分からなかったので俺はあまりやる気も出ず、かと言ってユエとシアまで着替えているらしいこの部屋にキンジを入れるわけにもいかず、レキの妙な圧に気圧されて気配感知の固有魔法を使いながら退屈な時間を過ごしているのだった。

 

だが、しばらくすると気配感知に本当にキンジの気配が引っ掛かり、直ぐに俺の視界にキンジの姿が現れた。……マジか。レキの言う風様の言うことも当たるもんなんだなぁ。

 

「おう」

 

「天人、何してんだ?」

 

ロシア語でロカの部屋と示されている部屋の前で俺が座り込んでいるのを見てキンジは胡乱気な眼差しを向けてくる。

 

「見張り。レキが、お前がここに来るから見張れって」

 

と、俺がキンジを見上げながら答えると、キンジも自分の行動が読まれていたことに驚いたのか、眉根を顰めている。

 

「何も後ろめたいことはない。ただ命を預け合う奴らと交流しようと思っただけだ。さっきもコリンズやアトラス達の所へ行ってたんだ」

 

と、キンジはここに来た用向きを説明してくれた。俺もそれには納得できるので携帯を取り出すと、ロカの番号を呼び出してコール。3コール目で「何よ」とお出になられたロカ様に「キンジが来た。挨拶らしい」とだけ伝える。すると「待たせておけ」とのご命令が下された。

 

「ちょっと待ってろって。今女子達はお着替え中だ」

 

「げっ……入らなくてよかったぜ」

 

と、HSS(ヒス)持ちのキンジは胸を撫で下ろしている。

 

「今はユエとシアもいるからな。入ったら脳みそを抉り出していた」

 

「……洒落になってねぇ」

 

実際やるとしたら、部屋から叩き出して再生魔法で記憶を消す処理を施す程度にはするつもりだけど。ヒスって何かやらかしたら分からんが。

 

そんな風に部屋の前でこれまた頭の悪そうな会話をしていると急に俺の真横にあるロカの部屋へ続く扉が開いた。

 

「何?」

 

開いたドアから胡乱気な顔をしたロカが顔を覗かせた。どうやらキンジのことはあまり信用していないらしい。

 

「別に、ただ短い間とはいえ一緒に戦うんだ。もう少し皆のことを知っておこうと思ったんだ」

 

というキンジの言葉にロカは「ふうん」とだけ返し、そのまま部屋へと戻ってしまう。ただ、扉は半分開いたままだから、入っていいということなのだろう。キンジはそのまま部屋へと入り、俺も続いて中へとお邪魔させてもらった。

 

そこは所狭しとドレスや洋服が掛けられ並んでいる部屋だった。キンジもその様相に一瞬面食らった顔をしていたが、まぁ数が多いだけでただ単に服が並んでいるだけではあったからか、特に嫌がる素振りもなく奥へと足を運ぶ。

 

するとそこにはかなめ、レキ、ロカ、ツクモ、ユエ、シアとここにいる女子連中がそれぞれパーティーにでも参加するかのようなドレスを身に纏っていた。どいつもこいつも肩を出し胸元まで露出させており、背中側も大胆に開いている。スカートが長いのがキンジにとっては幸いか。

 

とは言えキンジはそれを見てかなり嫌そうな顔をしている。肌色面積大きいしな。するとかなめは「お兄ちゃんお兄ちゃん」とキンジに寄り付く。

 

俺の姿を認めたユエとシアも、トコトコと俺の方へ寄ってきた。

 

「……どう?」

 

「ロカさんに選んでいただいたんですけど、似合ってますか?」

 

スカートの端を摘んでその場でくるり。2人ともが揃って同じ動きをしている。

 

「2人とも最高に似合ってるよ」

 

と、俺は正直な気持ちを伝える。

 

ユエのドレスはその瞳の色と同じ真紅。薔薇のように紅く、ルビーのように赫く、精巧なビスクドールさながらに輝くユエの美貌を彩ってた。また、裾から腰辺りまでに施された金糸の刺繍がユエの輝くような金髪と合わさり、まだ幼さを残すはずのユエに、しかしそれを思わせない妖艶な雰囲気を上品に与えていた。

 

シアの着ているドレスは、ロカがそれを知るはずはないが確かに彼女の魔力光と同じ淡い青色。雲1つ無い晴天の青空のように蒼く、凪いだ南国の海のように碧く澄み渡ったそれは、胸元がVの字に割れていて彼女の持つ至宝の如き果実が作り出した渓谷を見せつけるように晒していた。また、足元から膝上まで入ったスリットが、まるで誘うかのようにシアの脚線美を魅せてくる。

 

「2人共、これ以上ないくらいに綺麗だ」

 

と、俺は2人の腰を抱き寄せる。それに合わせてユエとシアも俺に体を擦り寄せてくる。

 

「……ふふっ。ありがと、天人」

 

「天人さんに褒められるのが1番嬉しいですぅ」

 

が、俺達にとっては割といつもの光景なのだが、他の奴らにとっては衝撃的な光景らしく、常に無表情のレキを除けばその他キンジも含めて全員が唖然とした顔をしていた。ロカに至っては何か嫌なものを見たかのような顔をしている。

 

「どうした?」

 

「人の部屋で何見せつけてくれてんのよ」

 

と、ロカが舌打ちでもしそうな雰囲気で俺達に詰め寄る。仕方がないのでユエとシアには一旦離れてもらう。2人とも不満げな様子だから後で構ってやらないとな。

 

「はいはい。……じゃあ俺は戻るわ。後でな」

 

「……んっ」

 

「はいですぅ」

 

俺はユエとシアのイブニングドレス姿も拝めたことだし、ここいらで退散することにした。ドレス姿はトータスにいた時も、帝国でハウリアの革命を手伝った時に見たが、華やかで煌びやかなドレスってのは着る奴の魅力を極限まで引き出す効果があるんだよな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

キンジも直ぐに戻ってきて、ユエ達も一旦普通の服に着替えてリビングへと帰ってきた。どうやら明日また使うらしく、衣装合わせを行っていたのだとか。……明日、パーティーにでも行くのか?

 

詳しいことはユエとシアも知らないらしいが、まぁジーサードが引率らしいのでそう怪しいこともないだろうと俺も深くは聞かなかった。

 

そして、時差ボケで眠くなるのをダーツをやって堪える。キンジ達もかなめとレキと3人で投げているし、俺もユエとシアとやることにした。簡単なルールと投げ方だけ教えて始めたそれは、流石に最初は俺の圧勝だった。

 

だが次のゲームからはユエがこっそり風属性魔法とか重力魔法を使い出して最短の9投で501(ゼロワン)を終わらせやがり、挙句に「私はユエ。例え遊びでも手は抜かない女」とか言い出したのでこちらも手加減せず瞬光を使い最短で同着とした。

 

だがそれでつまらないのはシアだ。シアには魔法なんていう便利技が無いのでダーツの矢の軌道を操作することは出来ず、瞬光もないから自分の思った通りの投擲も勿論素人なので難しい。

 

そんな状況で魔法全開の俺達に勝てるはずもなく、しかも負けた理由がダーツで魔法を使うという大人気無さの極みみたいな方法だったので当然拗ねる。

 

ぶっすぅ……と音が聞こえてきそうなくらいの見事な拗ねっぷりを発揮したシアに、俺はもっとちゃんとした投げ方を教えてやる。とは言っても、俺もプロじゃあないし理子に付き合わされてちょっと齧った程度だが、まぁどっちかと言えばシアを構うのが主題だから別にいいだろう。

 

と、俺は敢えてシアの身体に触れるようにして綺麗な投擲フォームを指導してやる。

 

「そう、脇を締めて……肘から先を───」

 

と、シアを背中から抱くようにしてシアの右手を後ろから手に取り、二人羽織のようにして身体に動きを覚え込ませる。左手はこれもシアの左手に重ねてお腹の前に回す。こんな接触はシアもいい加減慣れているからこれだけで顔を朱に染めることはないけれど、俺達には見えるようにしているウサミミがピョコピョコと機嫌良さそうに揺れているのが分かる。

 

キンジやかなめ、ロカにツクモは顔に「うわぁ……」って書いてあるし、何なら声も出ている。

 

すると、チョイチョイと俺の裾が引かれ、そちらを見ればユエが「私も私も」というような顔をして待っていた。しかし───

 

「……ユエさんは魔法使えばいいじゃないですか」

 

と、シアにボソッと一言言われて返り討ち。どうやらまだこっそり魔法を使ったのを根に持っていたらしい。仕方がないのでユエにも一言かけてやる。

 

「あぁ……次は魔法無しでも投げられるように教えてやるからさ」

 

「……んっ」

 

と、いつも通りの言葉数だが、少ししょんぼりと落ち込んだ様子で返ってきた。それを見たシアも少し冷たかったかと思ったのか「一緒に教えてもらいましょう、ユエさん」と優しく微笑んでいた。ユエもコクコクとそれに頷き、この件はこれで解決となったらしい。

 

で、ニューヨーク時間で21時になった瞬間、レキが窓際でドラグノフを抱えて体育座りで寝始めた。それを合図に俺達も何となくダーツは終わり、寝ている奴がすぐそこにいるから騒ぐのもはばかられ、キンジはベレッタの整備に、俺も自分のシグと、ユエ達のベレッタの整備をして時間を潰すことにした。

 

そうして時間を潰していると、フェイスペイントを洗い流したジーサードがやってきて、俺たちの寝床を告げる。部屋数の割にはゲストルームが無いようで、ユエとシアは女子連中の部屋、俺とキンジはジーサードの部屋らしい。

 

で、そのジーサードの部屋にあるベッドは、マジで象でも寝られそうな程に大きく、ジーサードにキンジ、俺までが寝ても多少の余裕があるほどの巨大なベッドだった。

 

寝心地もよく、時差ボケもあった俺は直ぐに瞼が落ちて───

 

 



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エリア51

 

いきなり鳴り響いた金属音の甲高くけたたましい騒音で目が覚めた。どうやらかなめがフライパンをフライ返しでカンカン叩き、俺達をその音で叩き起したようだ。

 

だがまぁ、携帯電話の時計を見ればこの時点で今は朝の10時。寝坊と言われても仕方ない時間ではあった。どうやらジーサードはもう起きているようで、部屋の端で逆立ちしながら指立て伏せをしていた。

 

「俺達はもう行ったが、兄貴達は教会に行かなくていいのか?」

 

と、パンイチで指立て伏せをやってたジーサードが地に足着けながら俺達に尋ねる。

 

「教会?」

 

と、キンジが聞き返せば、どうにもジーサードリーグの奴らは皆ミサに行ってきたらしい。皆それぞれ別の宗教らしいが。かなめ曰く、ユエとシアも無宗教と言っていたらしくさっきも部屋にいたそうだ。まぁアイツらは神様とか嫌いなタイプだしな。トータスじゃ盛大に嫌がらせを受けたわけだし。

 

「俺は神道と仏教のチャンポンだが、まぁ無宗教みたいなもんだな」

 

と、キンジ。

 

「そこが日本人の不思議なとこだよなぁ。神代は?」

 

すると、今度はジーサードが俺に話を振ってきた。

 

「俺ぁここんところ"神"と呼ばれてきた奴らにゃ酷い目に合わされてきたからなぁ……。神って奴ぁゼッテー信じねぇ」

 

世界を食い貪るのとか粘着変態クソ野郎とか、俺の目の前に現れる神様はそんなんばっかりだったからな。今まで会った神様で1番まともなのが緋緋神なのが悲しい限りだ。

 

「お、おう……」

 

「兄貴もクレイジーだがコイツもかなりクレイジーだな……」

 

在りし日のあれこれを思い出して思わず遠くを見つめてしまった。そしてそれを見たキンジとジーサードが憐れむような目を俺に向けてくる。かなめも無言で「あーあ……」みたいな顔をしていた。

 

「まぁいい。とにかく兄貴達よぉ、これから仕事だ。用意しろ」

 

と、ジーサードが言い出した。色金を取りに行くのは今日ではないのでは?と思ったがどうやらそれとは別件らしい。

 

そして用意されたのは目に眩しい純白のスーツ。これを着ろと……?と目線でジーサードに訴えるがそうらしい。こんなド派手なの嫌だなぁ……ていうか、いつの間にやらかなめにパンタロンスーツを着せられたキンジもほぼお揃じゃん。ジーサードも似たようなトンチキスーツ着てるし……。

 

だがまぁクライアントの(めい)とあらば是非も無し。俺は仕方なく渡された、何故か怖いくらいにサイズが俺の身体にピッタリのスーツを着込む。

 

男3人で似たような格好をして部屋を出ると、ユエとシアも含めた女子連中も何やら派手な柄のジャンパーやらを着ている。

 

「……天人、よく似合ってる」

 

「格好良いですよ、天人さん」

 

と、2人とも俺の格好を褒めるが、その顔はこちらを向いていないし、肩が震えているのを隠せていない。かなめに至ってはキンジの格好を見て最終的には「ププッ」と軽く吹き出してるし。ていうか、笑うならもっと堂々と笑ってほしい。そうやって誤魔化そうとしているのを見ると余計に悲しくなるから。

 

という俺の心の声は届かず、終始笑いを堪えているコイツらと一緒にジーサードの車に乗る。アトラス達も一緒に来たが、コイツらもなんかやたらと派手な格好をしていた。……仮装パーティーにでも行くのだろうか。

 

かと思えばやって来たのはジーサードビルから車で5分の公園。いや、歩けたでしょ、と思ったがこんなトンチキな格好でマンハッタンのド真ん中を歩きたくはないし、いいのかな?……いや、そもそもこんなトンチキスーツを着なきゃ歩けたわけだからやっぱ駄目だわ。

 

んで、何しにこんなとこに来たのかと思えば、ジーサードが車から降りるとそこにいたのは子供達。どうやら野球をして遊んでいるらしいその子達はジーサードの姿を認めると皆で駆け寄ってきた。その子供達の顔は喜色満面。サードサード、と、ジーサードがその厳つい見た目とは裏腹に随分と子供達に好かれているのが手に取るように分かった。どうにもこの子達、近くの学校の生徒のようなのだが、その学校は国の予算の都合で支援が無くなり、潰れそうだったのだとか。それをジーサードが多額の寄付をすることで存続させ、恩を感じた学校側も学校名にジーサードの名前を入れているらしい。

 

そして始まったのがジーサードによる自慢話……と言うと聞こえが悪いけど、要はジーサードがここ最近解決してきた事件とその中でジーサードが果たした活躍を子供達に聞かせてやっているのだ。それも、ただの自慢ではなく、環境問題や麻薬の危険性などについても話の中に上手く折り混ぜられていた。

 

そしてそれを聞く子供達も瞳を輝かせ、オーバーリアクション気味ではあるが楽しそうに聞き入っていた。なるほど、ジーサードはこうやって子供達を導いているんだな。

 

そして、ようやくその子供達がキンジや俺に気付く。ジーサードと同じような格好をしているけど新しい部下なの?みたいな質問に、キンジの方は自分の兄貴で俺は今度の事件(ヤマ)の助っ人だと紹介される。

 

キンジが日本でアリアに虐げられているのをさも強敵と戦っている風に話し、俺も最近解決したいくつかの事件の話をしてやると、子供達は大喜びだった。そして、そのまま何故か俺達もこの子達に混ざって野球をやることに。

 

子供チームに入りシアとバッテリーを組んだユエが、キャッチャーの位置から重力魔法を使ってシアの時速200キロの豪速球に変化を加えたりアトラスがわざとらしい大振りで子供に三振を取らせてあげたり、キンジが子供チームの4番をやらされたりレキが外野でボケっとしていたり……日中はそんな風に慌ただしくも楽しい時間を過ごした。

 

そうしてひとしきり遊んだ後、一旦俺達はジーサードビルへと戻り、そしてまた今度はベスト付きの黒いスーツに、ちょっと格好付け過ぎじゃない?と思うような黒い中折帽子も被らされてジーサード達に連れ出された。

 

その時は女子連中も皆、前にロカの部屋で着ていたイブニングドレスを身に纏っており、あの時はそれだけだったものの、今はロカにやってもらったのか、皆髪型もセットしてあり化粧までしていた。

 

トータスにも多少は化粧用品があったものの、それは簡単な(べに)を除けばあまり市井には出回っていなかった。だからか帝国の城でもユエとシアの化粧した姿を見ることはなく、今回が初めてとなるのだが───

 

「……天人?」

 

「天人さん?」

 

今の2人が着ているようなドレス姿も、いつもとは違う髪型も、あれだけ長い間一緒に旅をしていれば見ることもあった。けれど、化粧でより美しく彩られた彼女達を見るのは俺にとっても初めてのことで───

 

「あ、あぁ……悪い」

 

俺のことを下から覗き込む2人の声で俺はようやく我に返る。

 

「……ちょっと見蕩れてた。2人がその……あんまり綺麗だったから」

 

俺は、自分の思いの丈をそのまま口にする。

 

「……んっ、ありがと、天人。嬉しい」

 

「ありがとうございます。ロカさんにやってもらった甲斐がありました」

 

と、スルりと2人が俺の両手をそれぞれを取る。

 

「いつまでイチャイチャしてんの?置いてくよ!」

 

だがそんな至福の時間も直ぐに時間切れのようだ。俺達は仕方なしにジーサード達の運転する車に乗り込む。それでもなお、2人の身体は俺に押し当てられていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

肩出し胸元まで開いた前面と、背中はお尻の少し上くらいまでバッサリと露出したイブニングドレスに、キンジが文句を付けたのだが、ロカ曰く、夕方6時以降のパーティーでの女性の正装はこれなのだと言われ、俺に助け舟を求めたものの、俺としてもそれが正装なのであれば特に文句を付ける気はなかった。それに、他の奴らも皆同じ格好だしな。俺にそう言われたキンジは肩を落としていたが。

 

そうしてやって来た、ホテルを貸し切ったパーティー会場の入り口は下から空気が吹き出す仕掛けになっていた。それは恐らくマリリン・モンローの映画「7年目の浮気」のオマージュだと思われ、かなめ達はスカートを抑え赤面しつつも拍手で迎えられていた。ちなみにレキは完全な無表情でめくれ上がるスカートを抑える気もなし。ユエとシアは1歩後ろにいたため、仕掛けを即座に看破、ユエは風属性の魔法で、自分とシアのめくれるスカートを抑えた。とは言え、多少はめくれないと不自然なので前は手で押えた振りをしつつ膝くらいまで、後ろは膝上くらいまではめくれるような調整をしたようだった。

 

ただ、この場にいる奴らは見渡して直ぐに分かるくらいには強い奴らばかりだ。その身に纏う雰囲気が違う。だからもしかしたらユエが何かしたことは見抜かれたかもな。まぁ、一応かなめ達と同じように拍手で迎えてくれたから睨まれる程のことではないようだけど。

 

で、この集まり、何かと思えばヒーロー組合(ユニオン)とか言うらしい。どうにも世界中でドンパチ活躍している超人達が集まっての立食パーティーのようだ。多分、ジーサードは自分の部下達がコネクションを作れるようにこの場に呼んだんだろうな。俺達は多分おまけ。

 

まぁ俺も下手したら日本でお尋ね者になりかねないのでここいらで知り合いを増やしておくのも良いだろうとジーサードに乗っかることにした。

 

ユエも流石は元王族。こういう場での身の振り方は身体が覚えているらしい。先に念話でユエとシアには"一旦解散"とだけ伝えてあったが随分と自然にこの場に馴染んでいた。

 

俺は、手始めにたまたまいたヒノ・バット──火野ライカの父親だ──に声を掛けに行く。その前にチラリと見たが、シアは勝手がよく分からないようでユエの後ろにちょこちょこと着いて行って、話しかけられたら対応する、みたいな雰囲気だった。ユエもそんなシアを気に掛けながら周りに寄ってくる奴らの対応をしていた。

 

で、俺も自分の戦兄妹の父親に挨拶を済ませ、ついでに武偵手帳にサインも貰ってフラフラと会場内を彷徨く。手に持った皿にトングでサラダを取り、食べてみるがこれが美味いのなんの。ユエとシアは目に付いた物を適当に食べているが、他のヒーローさん達はあまり食べ物に手を付けていない。これは別に毒を警戒しているのではない。彼らはこういう場であっても食う物に気を付け栄養バランスを考えているからなのだ。

 

まぁ肉体がほぼ人間のそれとはかけ離れてしまった俺にはあまり関係の無いことだが、実は最近あまり肉々しい物を食べてはいないのだ。

 

何せトータスじゃ一生分以上肉を食ったからな。それもマジで"肉"って感じのやつばっかり。要は食べ飽きたのだ。なので帰ってきてからこっち、リサに頼んで献立は比較的和食系を多く出してもらっていた。

 

それでも最近ようやく肉も食べてみようかな、みたいな心持ちになってきたので時々肉をリクエストすることも増えてきた。ここには随分と肉々しいメニューも置いてあるしちょっと食べてみようかな。

 

と、俺が肉に手を出している間に、ユエとシアの方には少しずつ人が集まってきている。そしてそれがまた人を呼ぶ。とは言え2人の顔を見れば何か変な言い寄られ方をしているわけでもなさそうで安心だ。というか、ここはそういう奴らは来ないのだろう。能力や実績だけじゃなくて、ある程度人格的にも評価されている人達しか呼ばれないだろうし。

 

俺もヒノ・バットのサインを貰うだけじゃ料理を合わせてもまだ勿体ないなと感じるのでそこら辺にいた奴に適当に話しかける。向こうも、俺のことを極東のガキんちょ扱いすることはなく、フランクに接してくれたのだった。

 

そのうち何やらキンジが荒れ狂ってかなめやツクモをボコボコにし始め、それを余興と思ったか周りの奴らは笑いながらそれを眺めていたりと、愉快な時間を過ごしていた。

 

しかし、そのうちキンジがフラッとどこかへ消えていた。ジーサードもいないし。ま、兄弟水入らずにしてやろうと俺も放っておくことにした。何かあれば連絡が入るだろうし。

 

と、俺は残り少なくなってきた料理へと再び意識を移すのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

サジタリウスの整備が終わった。俺達も休養をたっぷり取って体力満点。唯一ジーサードの負傷だけが治りきらずにいたのだが、それを補って余りあるくらいの戦力をコイツはかき集めたのだ。

 

キンジにレキ、俺とユエとシア。それに元々ジーサードリーグの奴らだって米軍の特殊部隊出身だったりと精鋭揃いだ。アメリカ空軍とやり合うのは俺も初めてだが、目的は戦争に勝つことじゃあないから問題無い。

 

キンジ曰く、今回の大きな障害となりうるであろう男、マッシュが俺達が昼間に遊んでた野球を見ていて、シアの馬鹿みたいな豪速球も確認していたらしいが、あれだってまだまだ本気じゃないからな。問題無いさ。

 

「───今からネバダ州グレーム・レイク空軍基地───通称エリア51、その第89A管理区を再び強襲する。目的は瑠瑠色金の奪取、理由は俺の私利私欲。あとはまぁ、オマケに神崎・H・アリアの緋緋神化を潰して世界戦争を未然に防ぐ」

 

とまぁ何とも唯我独尊的だが、コイツもまた分かりやすいツンデレだな。こういう所はアリアによく似ている。

 

「空路は新俺派の州と地域を辿るがどうしてもユタ州とネバダ州では反俺派の勢力圏を飛ばざるを得ない。そこには前回同様にNSAのマッシュ=ルーズヴェルトの妨害があると予測される。マッシュは与党には可愛がられちゃいるが他国の自由をも冒涜する者。それがどこの国であろうと人民の自由を冒涜する奴ぁアメリカの国賊だ。心置きなく、んで腹ぁ括ってかかれっ!───以上!質問はあるか?」

 

と、ジーサードがあまりにも簡単な作戦の説明(ブリーフィング)を始めた。しかしジーサードはまだ怪我が癒えていない。しかもユエの再生魔法も意地とか何とか言って拒否しているのだ。当然、部下達からは不安の声が上がる。だが、そんな部下達に、キンジや俺達がいるから大丈夫だと、普通には無理だがこれだけのオカルトがいれば大丈夫だと強い言葉で奴らを鼓舞していた。そんなジーサードの命により、サジタリウスは空へ飛び立つ。

 

ジーサードが連れて来たということで俺達も戦闘力に関しては一応の信頼を得ているようで、それに対しては疑いの目を向けてくる奴もおらず、サジタリウスは静かに夜を迎え、いくつもの州を越えて飛行を続ける。

 

そして夜明け前、工程の9割を越えたあたりで日の出を迎えた。だがその瞬間───

 

「……後ろから何か来ます」

 

シアがウサミミをヒクつかせて警告を出した。まだレーダーには映っていないが、どうやらサジタリウスのローター音に混じって別の音が耳に入ったらしい。

 

シアの声色に何かを感じたのか、ジーサードも直ぐに俺達に警戒態勢を取らせる。

 

「……2機、だと思います。後ろと、上から近付いてくるですぅ」

 

更にウサミミを澄ませたシアがサジタリウスに接近してくる奴らの数と場所を察知した。

 

「……レーダーは!?」

 

と、ジーサードがコクピットに向けて叫ぶ。

 

「いえ、まだ何も……」

 

「───っ!?今一瞬ノイズが!6時方向にノイズ・レベルの捕捉反応が明滅(ブリンク)……っ!」

 

と、アンガスとアトラスから声が上がる。ジーサードも真上と後ろから来る敵の音に気付いたようだ。

 

「ジーサード、俺を出せ!!」

 

ミサイルでも撃ち込まれたら面倒だと俺が出撃を提案する。コイツは俺が聖痕持ちだと知っている。白焔の聖痕についてジーサードがどこまで知っているのかは知らないが、この場で俺を出す判断を躊躇う必要は無いはずだ。だが───

 

「いつミサイル撃たれるか分からん!この状況じゃハッチは開けらんねぇ!」

 

「あぁ!?」

 

だがジーサードの言う通りでもある。ハッチを開けた瞬間にスティンガーでも撃たれたらサジタリウスが沈む。それも、爆炎を機内に持ち込んだ上で、だ。俺の氷の元素魔法の存在を知らないのならこの判断も致し方ない。

 

「天人、前にお前氷の槍?みたいなの出してただろ、あれでミサイル防げないのか?」

 

と、キンジが、ランバージャックの時に見せた俺のそれを思い出したのか確認してくる。

 

「余裕だ。……おいジーサード、俺ならミサイルを防ぐ手立てがある。開けた瞬間の隙なら問だ───」

 

だがそこまで言いかけた瞬間───

 

「来ます!スティンガー!!」

 

「全員、対ショック体勢!!」

 

直ぐさま敵さんから砲火が放たれた。ユエとシアが「対ショック体勢とは何!?」という顔をしたので俺は何かに掴まれと伝える。そして機内の手摺に掴まった俺に、ユエとシアがしがみつく。それは対ショック体勢じゃない!!と叫ぼうとした瞬間に甚大な衝撃がサジタリウスを襲う。ロカやツクモ、引っ掴み方が甘かったユエも機内をゴロゴロと転がっていた。

 

後ろと真上からミサイルを喰らったのだ。右の翼から火の手が上がり、外は地獄絵図だ。だが直ぐに墜落する感じではない。どうにか片肺飛行は出来ている。もっとも、機体の傾きを抑えられていないからそう長くは飛べないだろうが。

 

「ジーサード、サジタリウスを一旦落とせ!足なら俺が確保する!」

 

「チッ……任せたぞ。アンガス!」

 

「承知!」

 

俺の提案にジーサードが乗る。それに合わせてアンガス達の超人的な運転でサジタリウスは追撃と墜落は免れたものの、半分不時着みたいな感じで砂漠のド真ん中へと降りた。しかし、真上から右翼への攻撃はレーダーにも一切掛からなかった。俺の義眼に何も反応が無かったということは魔法の類ではないはずだから科学技術なんだろうが……。

 

「で、どうすんだ?」

 

と、一旦外に出て確認すればほぼ全員軽傷。さらに俺とシアは完全無傷な上に、擦りむいたりちょっとぶつけた程度とは言え、ユエも自動再生で直ぐに怪我を治癒。そんな中サジタリウスから色々荷物を引っ張り出しながら出てきたジーサードが俺を睨む。

 

「さっきお前、オカルトに頼るって言ってたろ。だからオカルトの出番だ」

 

と、俺は宝物庫から魔力駆動の二輪と四輪をそれぞれ取り出した。虚空からいきなり大質量の物質が現れたことで、唯一レキだけは無表情のままだったが、キンジやジーサードリーグの奴らが全員目を見開いていた。

 

「コイツらには砂漠の柔らかい砂でも整地して進める機能がある。陸路にはなるが、これで行くぞ」

 

今の魔力駆動二輪はシートも改造してあり、ちゃんと3人まで乗れるだけのシートサイズにしてある。また、四輪車の方はハマーではなくマイクロバスのような風体になっており、運転席の後ろの席は中央のテーブルを囲む様な座席の作りになっているのだ。

 

これから先、また襲われた時のためにユエとシアには二輪で先導と護衛をしてもらう。俺達は車の方で後から着いていく形にするつもりだ。

 

かなめとツクモがGPSで現在地を確認し、アトラス達がサジタリウスから無事な物資を運び出している間にこちらも準備を整えてしまおう。

 

「シア、バイクの運転頼む。ユエもシアと一緒に乗ってくれ」

 

ユエもシアも車の中にいては持ち味を発揮し辛い。ならば2人は外に出しておき迎撃に出やすくしてもらいたいのだ。

 

「砂漠地帯だからな。ゴーグル渡しておくよ」

 

と、俺はまた宝物庫からゴーグルを取り出した。大して特別な機能は付いていないが、砂の舞い上がる中ではこういうのが無いとバイクになんて乗っていられないだろうからな。

 

「……んっ、でもここじゃ髪にも砂が着く」

 

と、何やら言いたげな風にユエが俺を見上げてくる。

 

「んー?あぁ……悪いな。けど───」

 

「……だから、天人が洗って?」

 

ユエが両手を胸の前で組んで小首を傾げる。キュルン、なんて音が聞こえてきそうなくらいにあざといユエ様がそこにはいた。

 

「あ、私も洗ってほしいですぅ!」

 

と、シアもそれに便乗してくる。しかし周りの目線が非常に痛い。しかもユエは多分この場でこう言えば俺が絶対に逃げられないことを分かってこう言っているのだからタチが悪い。

 

「あぁ、分かったよ」

 

で、そこまで分かっててやはりノーと言えない俺も、やっぱりどうしようもないんだろうな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

バイクと車に仕込まれた錬成の魔法陣は例え錬成の魔法に適正の無い奴でも魔力さえ注げば整地してくれる仕組みになっている。元々ユエと2人で始めた大迷宮攻略の旅だったから、ユエが乗っても大丈夫なように作っていたのだ。だから同じく魔力の直接操作が出来るシアであれば、砂地の上でバイクを乗り回すことが可能なのだ。

 

かなめ達がGPSで現在地を特定。それでようやく目的地の方角が分かった。そして、サジタリウスに積まれていた物資の中でまだ使えそうなものや水と食料の残りを、そちらは彼らの判断で直ぐに使えるようにと宝物庫には仕舞わずにアトラスの持っていたバックパックの中にアンガスが仕舞い込んだ。

 

「……で、神代のそれは何なんだ?」

 

と、ジーサードが宝物庫を見て詰め寄る。まぁそうなるよな。傍から見たら質量保存の法則とか消え去ってるし。

 

「企業秘密だ。ただ言えるのは、俺達には兵站の概念がほぼ無い。こん中にゃ武器も弾薬も食い物も水もある」

 

とは言え、宝物庫の中に入っているのはレーションみたいな日持ちするやつばかりだけど。だから実際のところ、食事の楽しみは期待できない。

 

「かなめから多少は聞いていたがここまでクレイジーな野郎だったとはな」

 

と、ジーサードがチラリとかなめを見る。かなめもまだ驚きが抜けていない様子だった。

 

「そういう意味じゃ、多分俺はかなめの予想よりもだいぶクレイジーだぞ。ユエとシアもな」

 

身体強化をまだ全力では発揮していないシアと、まだあまり魔法を使っていないユエの全力が、この任務で見られるかどうかは分からないけどな。

 

「そりゃあ楽しみだ」

 

そう言いながらジーサードは素早く四輪の後部座席へと乗り込んだ。それにジーサードリーグの面々が続き、最後にレキとキンジが乗り込む。

 

「レキ、お前は後ろの監視頼む」

 

「はい」

 

相変わらずの無表情で後ろの窓を見つめるレキ。あとの奴らはそれぞれが適当にシートに腰掛けた。このシートはトータスにいる時にハイリヒで集めたもので、誰かが要らなくなったソファーとかをこれに使うために探していたのだが、世界を救った魔王様のお願いとあらば!!みたいな感じであれよあれよと高級そうなのがバカスカ集まってしまったのだ。なのでその中からあんまり派手すぎないのを選んで取り付けたんだが、どうやら異世界製ソファーと言えど座り心地は抜群らしく皆気持ちよさそうに座っている。

 

『ユエ、シア、行くぞ』

 

と、俺が念話で2人に声を掛け、まずシアが柔らかい砂地を錬成で舗装しながら走り出す。俺もそれに合わせて四輪に魔力を流し、車軸を回し錬成の魔法陣を働かせて地面をならしていく。

 

「本当に整地できてんだな」

 

と、再出発からしばらくしてジーサードが後ろ覗き込みながら呟く。

 

「言ったろ?」

 

とだけ俺は返す。今は時速で言えば120キロくらいは出ている。外の景色は流れるように後ろへ消えていく。エリア51まではあと1時間と掛からずに到着する。

 

俺達が不時着したのを見て攻撃を止めたのかと思ったその時、レキが何かの接近を知らせてきた。今はネバダ州のリンカーン郡西部、ジーサード曰く、"反俺派(アンチ・ジーサード)"の地域とのことだ。

 

「蛇行しながら加速してこちらへ向かって来ます」

 

「天人、クジラとエイの間みたいなやつだ。空から来る」

 

と、双眼鏡で覗いたらしいキンジも接敵?を伝えてくる。クジラとエイの間ってのは皆目検討が付かないけどな。

 

「分かった。俺が出るよ。一応、俺ん足がコイツに触れてる間は動くから安心しろ」

 

と、俺は砂から目を守るためのゴーグルを掛けてから魔力操作で天井を開き、そこから外へと這い出でる。前は錬成で無理矢理こじ開けたが、実際この方が楽でいいな。

 

「この速度だ。俺のアクセルが無くても惰性でしばらく走るが整地機能は無くなる。誰かハンドルだけ握っとけ」

 

相も変わらずアクセルもブレーキも魔力の直接操作頼みのこれは、ただし操作の簡便性のためにハンドルだけは付いているのだ。

 

「では私めが」

 

と、どうやらアンガスがハンドルを握るらしい。まぁ、この人はサジタリウスも操縦してたし任せられるだろう。

 

俺は四輪の上に立ち、遠見の固有魔法で接近してくるそれを見やる。

 

そいつは、白いスクール水着に武偵校女子の特徴的な赤い襟とネクタイを身に纏った小柄な女だった。髪は水色で何やら機械の翼や頭にはウサミミっぽいのまで付いていて、まるでIS操縦者のようだった。

 

苦い思い出が蘇り、思わず顔を顰めるが、直ぐに俺の義眼に映るはずのそれが見当たらないことに気付いた。

 

「おいジーサード、あの女ぁ知ってるか?」

 

「あぁ?LOO(ルウ)だろ、ガイノノイドだ!」

 

「ガイ……何だそれ!?」

 

聞いたのは俺なのだが訳の分からん横文字が飛び出してきた。もっと共通言語を使ってほしい。言語理解はこういう専門用語だけは範囲外なのだ。

 

「知らねぇのかよ、要はそいつはラジコン女で、遠隔操作のロボットってことだ!」

 

「つまり、人間じゃねぇんだな?」

 

俺がLOOなる奴は人間なのかどうかを聞き返している間に、向こうは何やら青い光弾を乱射してこちらに攻撃を仕掛けている。だがまだ射程圏外なのかただの牽制のつもりなのか、集弾性は低く、四輪の周りにバスバス着弾して砂煙を巻き上げているだけに終始する。かなめが車内から上げた声によれば「重イオン弩発銃(バリスタ)」とかいう武器らしい。かなめも似たような武器を持っているらしいが何それ?

 

「あぁ、少なくとも9条破りにはならねぇぜ」

 

「それだけ聞ければ充分!」

 

もう遠見の固有魔法を使わなくてもよく見えるくらいに近付いてきたそいつは、今からぶっ壊すのが惜しいくらいには可愛らしい面をしていた。まぁ、そうやってこっちの攻撃が僅かでも躊躇えばって作戦なんだろうけどな。だがそんなもん、人じゃねぇって分かれば効かねぇんだよ。

 

俺は宝物庫から電磁加速式の対物ライフルを取り出す。そしてユエとシアに念話を繋ぐ。

 

『こっちに1匹敵が現れた。そっちも見え次第()()()()()()()()()

 

『了解ですぅ!』

 

『……んっ』

 

それぞれの反応を聞き、俺はライフルのスコープからLOOを覗く。そしてスコープが見せる奴の未来位置に超音速の弾丸を置くように放つ。

 

──ドパァッ!!──

 

と、トータス製の拳銃と同じように何かを吐き出すかのような発砲音を出し、しかし放たれた弾丸はそんな空気の振動なんてものは後ろに捨ておいて自身は空気の壁を突き破った。そして真紅の軌跡を残しながら飛翔する弾丸はLOOの、やたらリアルに作られた柔らかそうな腹をぶち破り、その背中を突き抜けて彼方へと消えた。

 

エンジン音のしない車の上において、チリン……と空の薬莢が落ちる音だけがこの場に残された唯一の音だった。

 

しかし静寂は一瞬。ロボットらしくオイルで動いていたらしいそいつは俺の異世界製対物ライフルの生み出した熱量により爆発、炎上。砂漠の中に陽炎を発生させ地面へと墜落して果てた。

 

『シア、そっちはどうだ?』

 

と、念話でシアに前方の状況を確認する。シアは今、俺達より100メートル程先へ進んでいる。

 

『相変わらず何の音かは分かりませんが、何かが来ます』

 

まだこっちのことには少し疎いシアが、しかし何者かの接近だけは把握し伝えてくる。そして、シアがそう言うということは歩兵ではない。まず間違いなく米軍の何らかの機械的な兵器だ。それに人が乗っているかどうかは分からないけどな。

 

と、そこまで思考を回したところで俺にも敵の姿が見えてきた。あれは、MQ-1───プレデターか。昔っから中東やなんかで偵察やピンポイント爆撃を繰り返し暗殺をしまくっている無人航空機(UAV)、それが空に20機以上……いや、これ30くらいいないか?

 

しかし、俺の義眼に仕込まれた魂魄魔法には人の魂が映らない。つまり、ここにはマジでプレデターしか来ていないことになる。そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

確かに無人航空機は破壊されても人的損失が一切無い。それがあれらの利点だ。だが、俺達を相手にするならむしろそれこそが欠点。人命を一切気にすることなく振るわれる異世界の力、見せてやるよ。

 

「ジーサード、向こうからプレデターが30以上来る。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あぁ!?」

 

俺の言い回しにジーサードがガラの悪い声を上げる。しかも、それに合わせてジーサードリーグの奴らも自分らも迎撃に出るだのなんだのと言い出した。だが───

 

「ジーサード、お前は俺達を、キンジと同じくらいには戦える奴らだと思ってるんだろうがそれは違ぇ」

 

そこまで口にした俺の身体に異変が起こる。どうやらこの辺りには聖痕を塞ぐ仕掛けが施してあるらしい。プツリと繋がりの切れる感覚があった。

 

……最近はいつもこれだ。どいつもこいつもこれを塞げばどうにかなると思っていやがるな。けどなぁ、そんなもんでどうにかなるほど俺ぁ楽な世界には行けなかったんでな。

 

「……確かにここにゃ聖痕封じの仕掛けもあるし、お前は自分の負傷分とプラスアルファ程度に俺達3人を考えてたんだろうけどな、悪いが俺達を雇った時点でほぼお前の勝ちだよ」

 

別に、米軍全てと喧嘩するわけじゃあない。米軍の基地の1つ、それも親ジーサード派の敷地に入れればそれで勝ちだと言うなら俺とユエとシアがいれば戦力としては十二分なのだ。

 

今からそれを証明してやる(ユエ、シア、見せつけてやれ)

 

『……んっ』

 

『はいですぅ』

 

その念話と共にユエとシアがバイクと共にフワリと空へ浮く。ユエの重力魔法だろう。そして、シアから淡い青色の魔力光が噴き上がり、俺を目掛けて乗っていたバイクを放り投げた。凄まじい勢いでこっちへかっ飛んでくるそれを宝物庫へと仕舞い込み、俺は電磁加速式の対物ライフルを構える。

 

 

───そして戦い(蹂躙)が始まる。

 

 

俺達の後ろからもプレデターが現れた。どうやらLOOを乗せていた親機から放たれたらしい。数は12。だが俺の対物ライフルの弾数は昔と違い6発なんてケチ臭いことは言わない。弾倉(マガジン)の内部を空間魔法で広げてあるから100発程連発できるのだ。拳銃とアサルトライフルも同じ大きさに広げてあり、マシンガンとガトリング砲はさらに大きくどちらも12000発ほど1つの弾倉に弾が込められている。だからこの程度、物の数ではないのだ。

 

それを証明するように俺は未来位置に弾丸を置くようにして12機のプレデターを即座に撃墜。必要ならばユエ達の援護射撃に回れるようにすぐに前を振り向いた。そこでは───

 

 

───蒼炎の龍がいた

 

───轟雷の龍がいた

 

───氷鱗の龍がいた

 

───鎌鼬の龍がいた

 

───灰煙の龍がいた

 

 

ユエの指のタクトに合わせて空を駆け巡る5色の龍がプレデターを喰らい滅ぼさんと蹂躙の限りを尽くしていた。

 

所詮は遠隔操作の無人航空機(UAV)。ユエの魔法のように完全に未知の攻撃にはろくに対応も出来ず、龍の顎門から発生する重力の網に捕らえられ抵抗もまともに許されずに破壊されていく。今の数瞬で消えたプレデターは10。

 

抵抗するように、まだ五天龍に喰われていない奴らはAGM-114(ヘルファイア)らしき空対地ミサイルを放つ。とは言え、今のユエの魔法の技術は文字通り神の領域に達しつつある。ユエは五天龍を生み出したまま絶禍を2つ起こし、そこに40発のミサイルが全て吸収され、爆発すらも重力の渦の中に押し込められた。

 

そして俺達にはまだコイツがいる。淡い薄青色の魔力光が迸るウサミミ美少女ことシア・ハウリア。

 

シアが、そのスニーカーに仕込まれた空力で空を踏み締める。そこから淡い青色の波紋が広がりシアが砲弾のように飛び出した。そして両手で構えた黒く無骨で巨大な戦鎚───ドリュッケンを振り抜く。

 

───ゴガンッッッ!!───

 

という金属同士がぶつかり合う音と共にプレデターが真横へと冗談みたいに吹き飛ぶ。それは他のプレデターをも巻き込み、戦鎚の1振りで3機のプレデターを撃墜。他のプレデターから機銃が放たれるがマズルフラッシュが瞬く数瞬前にはシアはその場を跳び退っており、空振った弾丸が俺達の車の横にビスビスと砂を巻き上げつつ着弾した。

 

今俺の四輪は停車していて、ただ彼女達の蹂躙劇を後ろから見ているだけだ。もっとも、もう既にプレデターの数は1桁に突入しており、そして今、5機のプレデターをユエの五天龍が喰らい潰し、4機がシアのドリュッケンにより叩き潰された。

 

それを見た俺は四輪を再び動かして彼女達の方へ向かう。

 

「おす、派手にやったな」

 

と、運転席に戻り魔力操作で反対側のドアをタクシーよろしく開いた俺に───

 

「……んっ、久々に思いっ切り魔法使えて楽しかった」

 

「機械相手っていうのは、思ったより味気なかったですぅ」

 

と、ユエもシアも当然のように助手席に乗り込み、そしてそれぞれの感想が飛んでくる。

 

「まぁ取り敢えずお疲れさん。あともうちょいで着くみたいだぞ」

 

「……んっ、それより、約束」

 

「帰ったら一緒にお風呂ですぅ。綺麗にしてくださいね?」

 

「はいはい、分かってますよ」

 

リサに投げるのは通じなさそうな雰囲気の2人だが、まぁユエとシアであれば俺も何も文句は無い。喜んでお受けさせてもらいますよ、その約束。武偵憲章2条、依頼人との約束は絶対守れ、だからな。

 

と、俺はユエと、そして差し出されたシアの頭を撫でてやりながら、見えてきたエリア51へと四輪のタイヤを回すのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

あの後、後ろからLOOとプレデターを乗せていたらしいX-48E・グローバルシャトルが特攻してきたが、それはそれで対物ライフルでぶち抜いて沈めておいた。

 

そうして砂漠を渡り、ようやく着いたエリア51では、向こうからジープが沢山やってきては中からアメリカ軍の人達がわらわら降りてきた。それに対してジーサードもガッツポーズで応えている。

 

それに対して向こうからは──USA!!──USA!!──USA!!との大合唱が返ってくる。俺JPNだけど。もしくはNLD(オランダ)

 

それだけでない、迷彩服を着た体格の良い男2人が何やらマッシュルームカットの小男を1人抱えて持ってきたのだ。恐らくこれがマッシュ=ルーズヴェルト。ここから先は俺達には関係の無いことだ。俺はこいつとは何の因縁も無い。あるのはジーサードとその仲間達、どうやらキンジも面識があるようだが、俺はユエとシアと共に数歩下がり、彼らのやり取りをただ眺める。

 

しかしいくら俺が無関係を決め込もうとしても向こうにはそのつもりが無いようで、何やら俺の名前まで聞こえてきた。ジーサードがこちらを見て指先でクイクイと俺を呼ぶので仕方なく俺もそちらへ向かう。

 

「……何だよ」

 

「ボクの計算は完璧だった。聖痕持ちに対する対策だって用意していた」

 

と、呟くようにマッシュが言葉を吐き出す。

 

「そうだな。あれは確かに俺ん聖痕を塞いだ」

 

だが、それだけだ。今の俺の力は聖痕だけじゃない。あれがなくとも俺は既に人の領域から外れた化け物なのだから。

 

「あの戦いは米軍の監視衛星にもしっかり記録されているだろう。例えボクを蹴落としたとしても君はアメリカから狙われるだろうね」

 

「……敵は潰す。それだけだ」

 

あの戦いで俺達は誰も全力を出しちゃいない。そしてあれが俺達の全力……とまでは言わなくとも、自分らの兵力を過信した結果、俺達がそれなりに真面目にやった成果だと思い喧嘩を売るならきっとアメリカは後悔する……いや、させてやるさ。

 

短く終わった俺の返事に、マッシュはフンと目を逸らす。俺も、もう言うことはないと再びユエ達の元へ戻る。

 

 

 

───────────────

 

 

 

あの後アイツらがどんな会話をしたのか、俺は敢えて耳に入れないようにしていたから知らない。ただ確かなのは、マッシュが俺達を色金の元へと案内する気になったということだけだ。

 

そして、何やら厳重に厳重を重ねたようなやたらと厳格に閉じられた扉の向こうに、それはあった。

 

──T型フォード──

 

100年くらい前にフォード・モーター社が発売した世界初の量産車で、販売台数は1500万台越え。特に珍しくとなんともない大衆車。それが約20台、綺麗に並べられていて、他には何も無かった。だが俺の持つ羅針盤──マッシュが嘘を付いてもすぐに分かるようにこっそり使っていた──が伝える。これが、この並べられたただの車達が全て瑠瑠色金だと。ここにあるこれらこそが俺達が探していたお宝であると。

 

「……瑠瑠色金はどこだ?……ここに、大質量の瑠瑠色金がある筈なのに……」

 

「やられたぜマッシュ。……お前も担がれてたんだ。……瑠瑠色金は……誰かがどっかに逃がしてやがったんだ……チクショウ……」

 

だが、羅針盤の針の行先を知らないマッシュとジーサードは奥歯を噛み締めていた。しかし超能力者であるロカとツクモは直ぐに分かったようだ。これが、T型フォードの塗装の下は全て色金であるということが。

 

「2人の言うことは本当だぜ。……これは全部色金だ。総質量は……お前らで計算しろ。だがまぁトン単位であるのは間違いないな」

 

俺がそう言うとキンジはハッと気付いた。欧州で見せた俺の羅針盤。解放者から受け継いだそれの効果をキンジは知っているからな。

 

そしてその直後、いきなりレキがキンジにキスをした。それも深いやつを。レキとキンジが舌と舌を絡め合う。あまりに脈絡の無いそれに俺もボケっとその情事を眺めてしまう。そして、レキとキンジの唇が離れ、その間の空間に銀糸の橋が架かる。それがプツリと切れると───

 

「ルル、そこにいるのですね」

 

日本語で話し出したのはレキ……ではない。義眼に付与された魂魄魔法の見せるその魂は今やレキのそれではない。きっとそれは色金の魂───

 

「───リリ」

 

その声に導かれるように現れた蒼い光。淡く、蒼い、光が空中を漂い人の形を作る。手を組み現れたそいつは人間の女の姿を象った。そして組んでいた手を解き、レキ(リリ)と指先を触れ合わせ、数秒の静寂の後───

 

「……お許しください」

 

声を発した。日本語で。

 

「貴方方の愛するこの姿をお借りしたことを。貴方方はとても好戦的な命なので……貴方方の脳にあったこの姿をお借りしました……。私たちには定まった姿がありませんので……」

 

「……ルル、私は、この璃巫女の感覚を借りて物語のあらましを見てきました。……もう()()ましょう。人間たちの命と心のために止めなければなりません。ヒヒを……」

 

「……私は、争う時を、殺める時を、止める時を恐れていました。たった3つしかない私たちが、また孤独に1歩近付く時を。ですが、もうリリの言う通りなのでしょう……」

 

2人の(意志)が、何やら決意を固めたかのような雰囲気で語り出していた。

 

「……どうか、止めてください。ヒヒを……ヒヒイロカネを、私たちの姉を───」

 

 

 

───────────────

 

 

 

ルルとか呼ばれていた色金から語られたのは、自分達がどういう存在でこれまで何をしてきてこれから何を望むのかと、そういう話だった。まぁ、自分らは意識を持つ金属で人とは関わりたくないけど自分達の姉であるヒヒロイカネが人の恋心とか闘争心みたいなのに魅せられて人間に強く干渉するようになったから止めたいということ、それと自分らがヒヒロイカネに近寄れば"殺す"ことができるということ。あとこれはオマケみたいな情報だったが、どうやらジーサードは誰か特定の人物を生き返らせたくて色金を欲しがったらしい。まぁ、それも無理って断られてたけど。

 

そして、ヒヒロイカネを殺す依頼を俺とキンジに頼んできた。キンジであればヒヒロイカネに近寄ること、俺であれば力ずくで殺せる力を持っていそう、という理由でだ。だが俺達はどちらもそれを断る。キンジも俺も、家族殺しの片棒なんて担ぎたくないんだよ。

 

で、キンジには何やら作戦があるのか無いのかよく分からんがとにかくヒヒロイカネは逮捕するとか言い出したのでもうこの件はある程度は任せようと思う。

 

そして、ルルもそれを受けてまた後で相談しますとか言い出したので俺達はここにある大質量の瑠瑠色金(フォード)を持ち帰ることになった。

 

「で、どうすんだ?これ全部持って帰るか?」

 

俺がジーサードとキンジに問い掛ける。ジーサードであればたかだか20台の普通車を保管するだけなら問題は無い。持ち運びも、俺が宝物庫を使えば解決だ。だから俺はここにある20台の車全部持って帰るのかと聞いてみる。

 

「……持って帰れるのか?」

 

ジーサードも一応俺が四輪と二輪を出し入れしているところを見ているから端から否定したりはしていない。

 

「あぁ、問題無い。お前なら車の20台やそこらなら保管にも困らねぇだろ?」

 

「本当クレイジーな野郎だぜ。……2,3台あれば研究含めて充分だろ」

 

と、ジーサードが言うので俺は適当に手前から3台を宝物庫に仕舞う。いつの間にやらルルちゃんはどっかに消えており、レキに乗り移っていたリリちゃんも雲散霧消して今はただのボケっとしているレキに戻っていた。

 

で、米軍を実質クビになったマッシュがジーサードの仲間内に加わったり米軍が機密扱いで俺達をヘリに乗せて送り出してくれ、キンジがイギリスへ行くつもりであると話し、その目的がアリアの妹のメヌエットであるということを俺達に伝えて、翌日。

 

ジーサードビルに戻ったジーサードは、部下達に休暇を与えた。んで、その日の夜、ジーサードから俺はとある相談を受けた。

 

曰く、キンジはイギリス当局から危険武偵リストのB上位等級(ビープラスランク)に格付けされており、入国が難しいらしい。

 

で、まだイギリスからは()()()マークされていない俺がキンジの密入国を手伝ってやれないかということだった。具体的には俺の宝物庫の中にキンジを突っ込んでそのまま俺は普通にイギリスへ入り、ホテルの部屋とか人目に付かない所ででキンジを放出するという作戦だ。

 

「……いや、人はまだ入れたことないからなぁ。中がどうなってるのかは俺もよく分からねぇんだよな」

 

自分で作っておいて情けない話なのだが、空間魔法で鉱石の内部にどデカい空間を作って魔力操作で物を出し入れしているシステムの宝物庫、その中が実際どんな感じなのかは俺もよく知らない。明るいのか暗いのかもだし、何よりこの中にはトータスの可燃性タールとかも入っているから人が入って大丈夫なのかはよく分からない。基本的に取り出した物がタール塗れ、なんてことは起きたことがないからそれは大丈夫なんだろうけど……。

 

ていうかジーサードに言ったら「それあればもっと楽に色金取れただろ」と言われそうなので言わないでおくが、それこそ俺か誰かがイギリスで寝床を確保して、そこに越境鍵でキンジを取り寄せた方が早いし確実なのだ。なので───

 

「具体的なやり方は企業秘密で明かせないけど、 取り敢えずキンジを不法入国させる手段はある」

 

と伝える。そして当然これは当初の契約の範囲外なのでジーサードからはまた正式な依頼ということでキンジがイギリスにいる間に泊まる宿泊施設等の必要経費と武偵としての俺の使用料が支払われることになった。

 

まぁ、今回の戦闘行為と違って秒で終わる仕事なので俺を使う部分の依頼料より必要経費の方が高そうだけど。

 

そんなわけで俺はワトソンに連絡を取り、キンジがメヌエットに会えるように取り計らう手続きと、あとキンジがイギリスで泊まる部屋の確保を頼む。面倒だし部屋のグレードはそう高くなくていいか。ただこれは念の為、俺も泊まれるようにダブルの部屋にしてもらう。

 

もしキンジがイギリス当局から追われて、寝床がバレた場合、そこに俺がいればどうにかなるし、手早くどっかにキンジだけ越境鍵で逃がしてそこにリサか誰かを呼んでおけば、ワトソンが連れて来て部屋を取ってやったのは日本で交流のある俺とリサ、ということになりワトソンが上から怒られる可能性も少しは減らせる、という理屈だ。

 

で、俺は早速用意されたホテルにキンジを放り込んだ。キンジもヨーロッパでの生活は初めてじゃないし、多少はワトソンも力を貸してくれるだろうから取り敢えずは放っておいても大丈夫だろう。俺も、一旦日本に帰って色々やらなきゃいけないことがあるんでな。

 



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レミア

 

ジーサードが手配した飛行機で俺達は日本へと帰ってきた。まだ冬真っ只中のため、羽田と言えど多少は澄んだ空気をしていた。

 

こっちの世界だと男女が一緒に入っておかしくない場所でかつ人目に付かない所を探すのは面倒なので俺達は普通に公共交通機関を使って羽田から台場の家へと戻った。

 

「お帰りなさいませ、ご主人様、ユエ様、シア様」

 

「お帰りなさい、あなた」

 

と、玄関を開ければ直ぐにリサとレミアさんが出迎えてくれる。そして奥からはティオもひょっこりと顔を出し「お帰りなのじゃ」と笑っている。ミュウも出てきて「お帰りなさいなのー」と飛び込んできた。それを受け止めて頭を撫でてやりミュウは一旦レミアさんへ戻した。

 

「変わりなかったか?」

 

と、宝物庫のおかげで荷物の少ない俺は季節感の為だけに着ていたコートをリサに渡す。それを受け取りながらリサも───

 

「こちらは特に変わったことはありませんでした」

 

と報告してくる。会社経営の方も、まぁまぁ上手くいっているみたいで、当座の心配は無さそうだとのことだった。

 

「なら良かったよ」

 

と、俺はそのまま脱衣所へと向かう。移動が長かったから一旦シャワーを浴びようと思ったのだ。そして、洗濯機の上に武偵高の防弾制服を投げ置く。下着を洗濯カゴに突っ込んで浴室へ。

 

シャワーの温度を指先でジャバジャバと確認して充分に温まったあたりで頭からお湯を被る。シャワーヘッドから噴出するお湯が今回の旅の疲れを全部洗い流してくれるかのようだった。

 

「ふぅ……」

 

と、1つ息を吐きながら顔や身体にも42度の温水を掛けていく。すると、何やらドタドタとこちらへ走ってくる音が聞こえる。この気配はティオと、リサ……?

 

何事?と思ったのも束の間、ガシャァ!と風呂場の片側観音開きの扉が開けられ───

 

「妾達も洗ってたもぉ!!」

 

一糸纏わぬ姿のティオとリサがそこにいた。

 

「…………」

 

俺は無言で後ろ回し蹴りを風呂場のドアにぶちかまして勢いよくこれを閉じる。そしてそのまま足の指先を鍵に引っ掛けて踵落としのように脚を振り下ろして扉の鍵をかける。だが諦めない2人はその扉をドンドンと叩き───

 

「ユエから聞いたのじゃ。狡いのじゃ狡いのじゃ!妾達だってこっちで色々努力しておるんじゃぞ」

 

「ご主人様、いけないメイドにお情けを!」

 

狡いのじゃー、お情けをーと、昼間っからやかましさが全開だ。こんな訳の分からん騒音でご近所トラブルとかも御免な俺は仕方なく一旦シャワーを止める。

 

「2人いっぺんには洗えねぇだろ。お湯貯めるから待ってろ」

 

と、放っておいたら無限に騒ぎ続けそうなのでここいらで白旗を上げる。俺は蛇口を浴槽へと傾け、栓を捻りその箱の中へとお湯を貯めていく。20分もすれば充分に貯まるだろうと俺は鍵を開けて脱衣場へと出る。そこにはいそいそと下着を身に着けていくリサとティオがいた。今更下着姿を見てもお互い驚きも何もない。俺も特に何も言うでもなく取り敢えず濡れた身体をバスタオルで拭き、パンツだけ履いて出る。なんでシャワー浴びようとしただけでこんなに気疲れしなきゃならんのだと、俺はリビングにいた元凶にジト目を向ける。だがユエはそんなものは柳に風。ペロリと舌を出して全部誤魔化された。

 

俺も「まぁもういいや」と椅子に座り込み湯船にお湯が張るのを待つ。その間にティオとリサがソワソワと周りを彷徨くが取り敢えずは放っておく。

 

そして、そろそろ頃合だと俺が風呂場へと向かうと、2人もワクワクを隠し切れていない顔で付いてくる。……リサさんはメイドなのにご主人様にお背中流してもらうのは良いのでしょうか?

 

「ほら、取り敢えずリサから洗ってやる」

 

と、浴室に入った俺はまずリサを椅子に座らせ、ティオは湯船へと浸かる。張ったお湯の水位がティオの体積分上昇してザバリと音を立てて溢れる。

 

「あぁ、ご主人様に背中を流させるなんていけないメイド……」

 

分かってんのかよ。と、俺はリサの呟きに心の中だけでツッコミを入れておく。

 

長い髪を纏め上げうなじを晒すリサの首筋は相変わらず綺麗で思わず視線が吸われる。

 

「……髪、洗うから下ろすぞ」

 

「はい、よろしくお願いします、ご主人様」

 

取り敢えずその長い髪からだと俺はリサの透き通るような薄い金髪を下ろす。そしてシャワーからお湯を出してリサの髪を濡らしていく。その時にもリサの髪に指を通し、梳いていく。

 

「痒い所はございませんか?」

 

なんておどけて聞いてみれば

 

「いいえ、ご主人様の指が気持ち良いです」

 

なんて返ってきた。俺はリサの髪をひとしきり堪能した後、シャンプーの液を手に落とす。その時、シャンプーの置いてある籠まで手を伸ばした時に俺の胸板がリサの華奢な背中に触れ、抱き抱えるような格好になる。何日か振りに触れるリサの肌の柔らかさに思わず心臓が跳ねた。

 

それをどうにか表には出さず、手のひらに乗せたやや粘性のあるそれを手で泡立て、再びリサの髪に指を通した。そのまま力を入れ過ぎないように気を付けながらも指を立ててリサの髪と頭皮を洗っていく。

 

リサは髪が長い……というか俺の周りの女子はだいたい髪が長いのだが、とにかく長髪の奴の髪は短髪が多い男のそれと違って櫛で梳くようにして洗ってやらなければならない。

 

俺はリサの髪の毛の1本1本を洗うようにして指を通していく。そうして全体に泡が行き渡ったところで再びシャワーを出す。シャワーヘッドから出てくるお湯をリサの頭に掛け、泡が完全に流れ落ちるようにとまた髪に指を通して梳いていく。

 

「ほい、終わり」

 

と、粗方流し終えた俺は終了を宣言。

 

「ありがとうございます、ご主人様」

 

と、リサも満足気な顔をしている。

 

「できれば、身体の方も……」

 

しかしリサさん、まさかの追加要求。

 

「それはアイツらにもやってねぇ」

 

まぁ当然要求はされたが、そんなことまで始めたら確実にそれだけでは終わらなくなるし、ジーサードの持ちビルでそんなことをおっ始めたら叩き出されそうだったのでキチンとノーを突き付けたのだ。俺はしっかりとノーを言える日本人だからな。だがリサ的には全身洗っていただきたいらしく、ちょっと口を尖らせてみたりしている。

 

「可愛く強請(ねだ)っても駄目だからな」

 

はい次、と、俺はリサを抱え上げて湯船へと投入する。それと入れ替わるようにティオが俺の前で背中を向けて座った。

 

「では妾も頼むのじゃ」

 

はいはい、とだけ返して俺はシャワーからお湯を出す。さっきのリサと同じように、ティオの髪も洗っていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「レミア、今日この後空いてる?」

 

リサとティオの髪を洗ってやり、何故か今度は2人に全身洗われた後、俺はレミアさんに声をかける。俺はこの人との関係をキチンと見つめ直さねばならないからな。今日はちょうど土曜日だから、会社も一旦お休みらしい。

 

「はい、大丈夫です」

 

「じゃちょっと、2人で外に行こう」

 

「ミュウも行くの!」

 

と、レミアさんと約束を取り付けたところを聞いていたミュウがピョンピョンジャンプしてアピールしてくる。まぁこの歳の子ならこうなるよな。

 

「ミュウ、悪いけどママちょっと借りるぞ。これから大人のデートなんだ」

 

なのでお姉ちゃん達と遊んでてくれとミュウを抱き上げ、シアに渡す。ミュウはちょっとむくれていたけど「今度3人で遊び行こうな」と、次の約束を取り付けてやると嬉しそうにしていたから大丈夫だろう。

 

俺も着替えたり用意したりと1回部屋へ戻る。まさかレミアさんと武偵高の防弾制服でデートはないしな。普通の服を着ていこう。

 

「じゃあ行こうか」

 

と、用意のできたらしいレミアさんと玄関へと向かう。すると───

 

「あの……折角なので待ち合わせしませんか?」

 

レミアさんがそんな提案をしてきた。この態々別々に出て待ち合わせるのは時々リサともやったことがあるが、まぁ確かに雰囲気は出るものだ。

 

「ん、分かった。……じゃあ俺が先に行ってるよ」

 

まさか女性を先に行かせて待たせる訳にもいくまいと、俺は先に家を出る。場所は駅前でいいだろう。実際のところ、特にプランとか考えていなかったから、時間ができるのは有り難い。

 

そうして待つこと数分、事前にメールで入れておいた待ち合わせ場所にレミアさんはやってきた。

 

「お待たせしました」

 

と、レミアさんがやや小走りにこちらへやって来る。ファーの付いたショートブーツにスキニーパンツを合わせ、上はタートルネックのセーターとロングコート。スラリとしていて、でも出るところはきっちり出ているスタイルの良いレミアさんは大概の服を着こなす。本人はまだまだ勉強中とは言うがファッションやデザインのセンスは俺達の中でも図抜けて高く我が社のオリジナルデザインの宝石は大概レミアさんの発案だ。

 

「俺も今来たとこだよ」

 

なんて、お決まりの台詞を吐く。レミアさんもそれは分かっているのか「ふふふ」と品良く笑い、スルりと俺の腕を取る。そのまま俺の指に自分の指を絡めて固く繋ぐ。それを珍しく全く拒否しなかった俺に少し驚いた雰囲気を出したがそれも一瞬、これ以上ないくらいに幸せそうに微笑んだ彼女は身体を寄せてくる。……多分、分かっているんだろうな、俺が何のために出掛けようとしているのか。

 

 

 

───────────────

 

 

 

時間はお昼を少し回ったところだった。

 

そもそも俺達が帰ってきた時間が朝を過ぎて午前中なんて呼ばれやすい時間帯だったのだ。そこから実質2度も風呂に入ればそりゃあ直ぐにそんな時間にもなろう。

 

俺達は駅前で適当に腹を満たせそうなお店を見繕って店へと入る。そこは洋食店で、音量控えめのジャズが流れる雰囲気の良い店だった。

 

何となく外から眺めて良さげな店に入ったのだが、取り敢えず雰囲気は当たりを引いたと言えるだろう。俺達はそれぞれカルボナーラとボンゴレのパスタを注文した。それを待つ間に運ばれてきた水に口を付け、一息つく。

 

「良い雰囲気ですね」

 

「えぇ、とても」

 

最近治安の悪い台場とは思えない静けさだ。それとも土曜日だから武偵高の奴らもどっかに行っているのだろうか。

 

「食べたら、少し電車に乗ろう」

 

「はい」

 

と、その後はあまり会話も無く、ただ時間だけが過ぎる。とは言え、15分もすれば俺達の注文したパスタがテーブルに運ばれてくる。それにフォークを刺し口に運んでいく。

 

モグモグ……と、無言で俺達はパスタを頬張った。もっとも、この無言の時間はそう苦痛ではない。トータスにいた時も、ユエ達がどっかに行っている間に2人きりになる時はあったし、ミュウが昼寝をしている時もこうやって俺達は無言の時間を過ごしてきた。けれどそれを気まずいと感じたことはなかった。レミアさんがこの時間をどう思っているのかは知らないけれど、見る限りでは所在無さげに振舞っているところは見たことがなかった。だから俺も安心して食事に集中できる。

 

そして、2人ともそれぞれの料理を食べ終えると、ふうと息を吐いた。

 

「ボンゴレどうでした?」

 

ちなみにカルボナーラはそれなりに美味しかった。量もまぁまぁで、メニューを見る限りは値段もこなれていたから個人的には満足だった。

 

「えぇ、美味しかったですよ」

 

「良かった。初めて入ったけど当たり引きましたね」

 

「ですね」

 

ふふふ、と、レミアさんが微笑む。俺達には見えるようにしているが、海人族特有の耳は今はアーティファクトで隠している。だから傍から見たらこの人はただの外人美女ということになるのだろう。レミアさんの微笑みに、周りの視線が集まった。まぁ、リサと飯を食っててもこういうことはよくあるし、トータスにいた時なんてユエとシアにティオもいたからいい加減慣れた。

 

腹も膨れたしと俺達はその店を出る。熱変動無効のスキルが働いていると言っても、外の気温が空調の効いている室内より冷たいのは流石を分かる。それは日の出ている2時頃になっていた今でも変わらない。

 

「じゃあ、行きましょうか」

 

と、俺はレミアさんの手を取る。「はい」と返したレミアさんの声はどこか熱を持っていて、それが彼女の感情をダイレクトに伝えてくる。俺はそれに対して何を言うでもなく歩みを進めた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

夕飯頃には帰るとは皆に伝えてあった。

 

その間に俺とレミアさんは服を見たり小物や生活雑貨を見て回ったりと、まぁおおよそデートと呼べるような行動をしていたと思う。

 

その間に俺はずっと考えていた。この人は、少なくとも俺達が最初にエリセンで会った時は俺に恋愛感情という意味での好意は持ってはいなかった。執拗に「あなた」なんて呼んできていたが、それは俺を「パパ」と呼ぶようになってしまったミュウを気遣ってのこと。もしかしたら俺をそう呼ぶ度に百面相をするユエ達が面白かったというのもあるかもしれないけど。

 

そもそもこの人は元々は結婚していて、ミュウが産まれる前に旦那を亡くしてしまったとは言え、本来一生を共にすると誓った相手がいたのだ。それを、いくら愛娘を救い出し自分の脚の治療すら行える人物を連れて来てくれたと言ってもいきなりそこで一目惚れ、なんてあるわけがない。……いや、無くはないのか。透華なんかはそういう風に言っているし。けれど、アイツはそもそも他に好きな人がいたわけじゃないからな。

 

ただ、エリセンでミュウ達と、七不思議だか噂だかを探して冒険をしていた最後の日、寝落ちでもしたかのように皆の記憶が揃いも揃って曖昧で、恐らくあの時だけは噂の真実に辿り着いたのだと思うあの日から、レミアさんの態度が少し変わったと思う。

 

それは、エヒト共との最後の決戦の準備の時には明確だった。ミュウがいてもいなくても俺との距離を詰めようとしてきたのだ。それまではミュウのいない所ではキチンと1本引いていたというのに、だ。多分、あの冒険の日を境にレミアさんの感情に何らかの変化が訪れたのだろうとは思う。

 

俺とミュウの約束は俺の世界を見せることであり、ここに永住させてやることではない。だが、ミュウはまだしもレミアさんまでこっちに住むと言い出したのはきっとミュウのためだけではない。いくら本当の父親を知らないミュウが「パパ」と呼ぶ人間のいる世界であっても、大人の彼女がそこまでするわけがないのだ。普通なら。

 

だが普通じゃない感情を俺に持ってくれたレミアさんは、だからこそこの世界へやってきた。それならば俺も、彼女に対してキチンと答えを出さなければならない。トータスにいる時もミュウのいる前ではともかく、いない時は何となくはぐらかしてしまっていたし、こっちに呼んでからもあれやこれやと答えを出すことを保留にしてきていた。

 

だから、極東戦役が一区切りついて、色金のことがキンジ待ちになったこのタイミングを逃すわけにはいかないのだ。ここを逃せば、きっと俺はまた答えを出すことから逃げてしまうから。

 

そして俺はここで答えを出す。もう俺たちの住むマンションは見えている。これ以上向こうへ行けば俺はまた逃げてしまう。だからここまで。ここがボーダーライン。周りに人はいない。今、この瞬間こそが───

 

「……レミアさん」

 

「はい」

 

ふと立ち止まった俺の方へレミアさんが振り向く。トータスと違い、星空ではなく街灯に照らされた彼女の顔は、それでもやはり美しかった。

 

「俺は───」

 

 

 

───────────────

 

 

 

本当に神代天人という男に一目惚れしたわけではなかった。当たり前だ。自分には生涯を共にすると誓った相手がいたのだから。確かにその相手とは不幸な別れ方をした。けれどそれは気持ちのすれ違いがあったわけではなかったのだから。

 

確かに彼には感謝してもし切れない。たった1人の宝物。何よりも大事な、それこそ目に入れても痛くないくらいに大切な愛娘を、非道な人達の元から連れ出して、自分の元まで帰してくれた。しかも、もう一生歩けないと言われた脚も、元通りに治せる人を連れてきてくれ、そして実際に数日の後には傷痕すら残らないほど完璧な治療をしてくれたのだから。

 

けれどそれは恩であって恋心ではない。ミュウが、本当の"パパ"を知らないミュウがパパと呼ぶ人物。ミュウが傷付かないようにミュウの前では彼を"あなた"などと呼んでみたり仲睦まじそうな雰囲気を出してみたりもした。

 

彼も、恐らく全て分かった上でミュウの前では"ママの旦那"を演じてくれていた。彼のことを愛しているという女性達からは胡乱な瞳を向けられもしたが、多分彼女達も薄々勘着いているのだろうと思う。ただ、本気で彼を愛している女の子達の前で本心を出すのは躊躇われた。だからこそ彼女らの前ではわざとらしい笑顔の中に答えを押し込め、曖昧にして煙に巻くように誤魔化してきた。

 

だけど、それがいつ今の感情に変わったのだろうか。きっかけはあの夜、ミュウの希望で不思議な噂の真実を探っていた数日間の最後の夜だ。皆で海に出たことまでは覚えている。彼の作ったという船に乗り、沖へ出て、そしていつの間にやら全員が眠っていたようなのだ。勿論それは自分もそうで、自分自身ほとんど記憶が無い。ただ、起きた時にはミュウと一緒に彼の腕に抱かれていた。

 

そしてそれを嫌だとは思わなかった。いいや、嫌ではないどころか、むしろあのたくましい腕にずっと抱かれていたいとすら思ってしまっていたのだ。

 

あの場の全員が急に寝落ちして、しかもそれを誰も覚えていないなんてことは有り得ないだろう。きっとあの時は探していた噂の真実に辿り着き、そこで何かが起こったのだ。それが何だったのかは全く分からないが、まぁ全員無傷だったのだからきっとそれなりに幸せな終わりだったのだろうけど。

 

そしてその後遂に彼らは再び旅立った。その時に彼と約束したのだ、いつかミュウと一緒に彼の生まれ育った世界を見せてもらうと、そして、その約束は遂に果たされた。

 

その約束を経て、今は彼と同じ世界に生きている。ミュウだけではない、自分自身も望んだのだ。神代天人と同じ世界で生きていきたいと。それを伝えたら彼は一言「分かった」とだけ口にした。そして、ミュウと私の為に住居と職を与えてくれた。そして、彼は今、答えを出そうとしてくれている。私の気持ちをもう彼は知っているのだろう。それは、あの夜に抱いた熱い感情。

 

そして、オスカー・オルクスという人物の遺した邸宅の中で、あの世界の神と戦う準備を整えている間に確信に至った私の熱情。

 

あの大迷宮の奥底で過ごした外の時間にして3日、体感にして1年近い時間の中、彼のことをずっと見てきた。戦う支度を整える彼の代わりに身の回りの世話を焼いてきた。彼は案外ズボラなところがあり、生活力は著しく低かった。いつだったか、彼を愛する女性の1人がそのことを言っていたが、まさかこれ程とは思わなかった記憶がある。本当に、この人は私がいなければ生きていけないのではと思う時もあったほどだ。もっとも、彼の傍には本来なら他にも何人もの女の子がいて、甲斐甲斐しいという言葉が良く似合うほどに彼の世話を焼いているのだから有り得ないことのはずなのだが……。

 

しかし、それであの人の印象が悪くなることはなかった。彼はどこまでも優しかったのだ。家事はからっきしではあったが、自分やミュウへの気遣いは忘れない。これが本当にこれから神を名乗る怪物を殺しにいく人なのかと思う程だった。そして、何もかもを包み込んでくれるような包容力があった。彼であれば自分と自分の愛娘を守ってくれるだろうという安心感があった。

 

それに気付いてからは、奈落の奥底でただひたすらに自らの愛する女の子を取り戻すことを考え、あらゆる状況を想定し、手札を整えていくその後ろ姿。己が持てる全ての手段を講じて様々な武器を作り出している時の横顔。一旦の休息のために眠りに着いた時の寝顔。それら全てが愛おしく思えてならなかった。

 

だから戦いの支度を整えている日々だとは分かっていても自分を1人の女性と見てくれるように願い、そしてそのように働きかけた。

 

結果がどうだったのかはあの時はよく分からなかった。あの時は彼自身がそれどころではなかったからだ。ただ、神との戦いが終わった後もアピールは続けた。彼の寵愛を受けている女の子達からのアドバイス通り、彼にのらりくらりと躱され続けても諦めることはしなかった。

 

きっとそれは今この状況に繋がっている。この世界で自分とミュウの住むマンションという建物、隣の部屋では彼と彼の愛する女性達が一緒に住んでいる。それがもう見えている冬の夜。彼は立ち止まり、私の名前を呼ぶ。

 

「……レミアさん」

 

「はい」

 

その声に答える。ミュウがいない時、彼は私をこう呼ぶ。きっと、それは彼の中の区切り。ミュウがいる時には仲睦まじい夫婦を演じるけれど、そうでない時には彼は私とは少し距離を置こうとする。

 

そんな彼の顔には緊張の色が見える。あれだけ沢山の美しい女の子達と関係を持っているのに、そうとは思えない程に初々しく、まるで初恋の成就を希う少年のようだった。

 

「俺は───」

 

と、彼の言葉が一瞬途切れる。だが、一拍の後、直ぐに彼の口が言葉を紡いだ。

 

「俺は、貴女とミュウを絶対に幸せにする。どんな火の粉からも守ってみせる。だから、俺と一緒に生きてくれませんか?」

 

あぁ……あぁ……その言葉をどれほど待ち望んだのだろう。この言葉が聞きたくて私はずっと彼の傍にいたのだ。そんな私が出す答えなんて───

 

「よろしくお願いします。天人さん。……いえ、あなた」

 

これ以外にあるまい。そして、答えと共に彼が私の身体を抱き締める。暖かく、大きく包み込むような、文字通りの抱擁。その大きな背中に手を回す。そして、顔を上げればすぐ側には愛おしい彼の顔があり───

 

「愛してる、レミア」

 

「私も、愛しています」

 

私達の距離は、ゼロになった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

帰ってきた俺達を出迎えたのは意地悪そうにニヤついた顔が3つと逆に感情の読めないニコニコ顔が1つ。あとは素直で天真爛漫を絵に書いたような笑顔が1つ。

 

「おうコラそのニヤついた顔を止めろ」

 

と、「おかえりなさいなのー」と駆け寄ってきたミュウを抱き抱えた俺が半眼で睨むがユエとシアとティオには効果無し。しかも───

 

「……天人はいつも気付くのが遅い」

 

なんて、ユエからお小言を頂戴する始末。俺なんか悪いことしたのかな……。

 

「不束者ですが、お世話になります」

 

と、レミアが俺の横で皆にお辞儀。お辞儀文化は日本独特のものでトータスには勿論存在しなかった筈だけど、頭を下げるってのは万国共通で意味が伝わるっぽいな。

 

そんなレミアを皆笑顔で迎え入れ、祝福している。ミュウだけはよく分かっていない様子で首を傾げていたが、直ぐにその輪の中に飛び入った。

 

それを俺は後ろから眺める。この光景を、ずっと守り抜こうと1人心に誓って。

 

 

 

───────────────

 

 

 

レミアを受け入れてから……いや、この言い方は少し違うな。俺の心はもうとっくにレミアに絆されていたのだから。けれど、それを自分自身が受け止める覚悟ができていなかったのだ。だから、昨日はその覚悟を決めるためのデートという意味合いが強い。だけど俺はもう覚悟は決めた。俺は彼女のことも、ミュウのことも背負って生きていく。そう決めたのだ。

 

そして、その想いを伝えた次の日には俺はミュウとレミアと一緒に1日遊んで過ごした。武偵高の奴らにはあまり見つかりたくはないので台場からは少し離れた場所でショッピングをしたり、飯を食ったりと束の間の休日ってやつを楽しんでいたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

その夜、俺達の部屋にある俺の個室。そこにいるのは俺とレミアさんの2人だけ。他の皆はもう寝ているだろう。寝落ちしたミュウを抱えたシアと、シアの腕の中で幸せそうに眠るミュウを愛おしげに見つめながら2人はシアの寝室へと入っていったし、ティオも「妾も休むのじゃ」と言って自身の寝室へと入っていったからな。

 

「レミア……」

 

「天人さん……」

 

レミアの名前を呼ぶ。こういう時は「あなた」ではなく名前で呼んでくれと言ったらレミアもそう呼んでくれるようになった。これは、俺の些細な嫉妬。"あなた"と呼ばれると、どうしても元々レミアと結ばれた誰かの面影を思い起こしてしまう。それがどうにも嫌で、今ここにいるレミアを独占したくて。そういう俺の醜い心の表れ。シュネー雪原の大迷宮では嫌というほどもう1人の俺から指摘された黒い感情。だけど、これはどうしようもなく俺の中に存在していて、俺はこれを否定することはできないのだ。ならばもう、俺はこれと一生付き合っていくしかない。

 

そして、見つめ合う俺達の距離がゼロになった。レミアの腰を抱き寄せ、その唇に自分のそれを重ねる。柔らかなそれはやはり今までの誰とも違う感触。レミアの身体は多分俺が知っている誰よりも柔らかい。それはレミアが戦闘に携わる者ではないことの証。その沈むような柔らかさに溺れそうになりながらも、俺はただひたすらにレミアと口付けを交わす。最初は触れるだけだったそれはそのうち貪るようなものに変わり、そしていつしかお互いの口腔内で舌が絡み合う。

 

ミュウには見せられない秘密の営み。お互いの愛を交換し合う儀式。俺の熱がレミアへと渡り、レミアの熱が俺に伝わる。そうしてお互いの熱量は冪乗的に跳ね上がっていく。

 

冬の夜、いくら室内とはいえ暖房も付けないのは如何なものかと思ったが、本当なら熱変動無効を持つはずの俺をして熱く感じるのだからきっとそんなものは必要ないのだろう。

 

今はただ、この湧き上がる熱量に身を任せていたい。俺達の夜はそんな、逆上せそうな熱量の中に溶けていった。

 

 




レミアさんってフルネーム出てましたっけ……


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イギリス

24話:イギリス

ワトソンから連絡が入った。どうやらアリアの妹であるメヌエットへのお目通りが叶うらしい。だがそれには1つの条件が課せられた。それは───

 

「メヌエットはカミシロ、君もトオヤマと一緒に来るのならという条件を出てきた。……君、彼女と何か関わりがあるのかい?」

 

とのことだ。メヌエットとやらに会うのは構わないのだが、俺としてはよく分からない条件だった。何せ俺はアリアの妹(メヌエット)となんて何の関わりもない。そもそも姿形すら見たことがないのだ。だから俺は───

 

「了解。けど面識もなけりゃメールもしたことがない」

 

とだけワトソンには返した。

 

「……というわけで、何故か知らんがアリアの妹に呼び出された。イギリスに行ってくる」

 

「お気を付けて行ってらっしゃいませ、ご主人様」

 

「んっ、まぁ戦闘しに行くわけじゃないから平気だ」

 

と、最近あまり構ってあげられていないリサのおでこに自分のそれをコツと当てる。リサの、鼻と鼻が付くくらいに近付いた顔が赤くなっている。

 

「ふふっ」

 

「んっ」

 

へにゃりと笑ったリサの唇に自分のそれを押し当てる。

 

「ふっ……じゃあ、行ってくるよ。飛行機のチケットはワトソンが確保してくれてるみたいだ」

 

触れるだけの口付け。何日かぶりに味わったそれは変わらず至極の果実で、俺はもっともっと味わいたい衝動に駆られるもそれを押え付ける。……リサ、イギリスに連れて行けないかな?

 

何となく離れたくなくて、思わずリサの髪を撫でる。絹糸のように指通りの良いそれを梳いていると時間の流れを忘れそうになる。けれど、あまりゆっくりもしていられない。時間にあまり余裕は無いし、何より武偵は時間厳守だからな。

 

俺は名残惜しくもリサの髪から手を離すとパスポートや財布を宝物庫から取り出し、それを手頃な手提げのバッグに仕舞う。着替えやら何やらは大概宝物庫に入っている俺は忘れずに携帯を手に取る。すると、背中に柔らかく暖かい感触が触れる。

 

「リサ……」

 

「申し訳ございません、ご主人様。リサも、できる限りお傍にいてよろしいでしょうか」

 

後ろから抱き着いてきたリサが零すように呟いた。俺はお腹に回されたリサの白磁器のように白い手を取りその甲を指で(さす)る。

 

「あぁ、俺もリサと少しでも長くいたいよ」

 

そう言って振り返った俺とリサはどちらからともなく再び口付けを交わす。2度、3度と交わるリサの花弁と俺の唇の間からチュ、チュ、とリップ音が響く。

 

「……はっ、じゃあ、行こうか」

 

「はい、リサの愛しのご主人様」

 

リサは一瞬だけ自分の部屋に戻り、そして直ぐに外行き用のカバンを手に出てきた。俺は空いている方の手を取り、そしてたまたま全員が外に出ていたマンションの一室を後にした。

 

 

 

───────────────

 

 

 

リサとは電車内でもずっとくっ付いていた。車内の席に座ればリサは俺に寄りかかるようにして頭を預けてきた。そこに言葉は無かったけどそれでいい。今は、何か言葉を交わすよりこうやって体温を重ね合わせたかったから俺も手を繋いだままそれを受け入れていた。そして、空港でも別れ難くなりギリギリまでロビーの椅子に腰掛けていたのだ。最後には、もう一度軽い口付けを交わして俺は飛行機へと乗り込んだのだった。

 

そして、イギリスに着くとワトソンが空港まで迎えに来てくれていた。オープンカーの助手席には既にキンジも乗っている。

 

「悪いね」

 

「いや、仕方ないさ」

 

と、ワトソンと言葉を交わし、そのまま後部座席へと乗り込む。

 

「……キンジお前、もう誰かと喧嘩したのか?」

 

隠しちゃいるがキンジの顔には青アザや擦過傷が見られる。誰かに殴られたのだろうか。

 

「あぁ、ちょっとな」

 

と、言葉少なめにキンジが呟く。どうやら、殴り合いの結末はあまり芳しいものではなかったらしい。

 

「それより、君はちゃんと来たんだね」

 

その"ちゃんと"というのは約束通りの時間に、みたいな分かりやすい話ではないのだろう。ワトソンは俺がフランスで越境鍵を使ったのを知っている。今のはボヤかしてはいたけどつまりあれを使わずに正規のルートで入ったんだなという質問だ。

 

「そりゃあ、ちゃんと入った方が何かと便利だからな」

 

キンジのような不法入国だと現地で何か揉めた時にも面倒だし宿泊施設も確保し辛い。あれはあれで便利なのだが、こういう時は面倒でもキチンとしたプロセスを踏んでしまった方が融通が効くのだ。

 

「……ただ、気を付けた方がいい。君ももしかしたらリストに上るかもしれないんだ」

 

「……おい、俺ぁまだ何もしてねぇぞ」

 

アメリカじゃ少しは暴れたけど俺はイギリスじゃまだ悪いことは何もしていないのに。だが、その理由は直ぐにワトソンから明かされる。

 

「君はエリア51で随分と派手に暴れたようだからね。その情報がこっち(イギリス)へも流れてきたんだよ」

 

……米軍め、あの戦いの映像を横流ししやがったな。横流すのは拳銃だけにしとけよ。

 

「……それだとユエとシアも危ねぇんじゃないのか?」

 

あの戦いで俺はただ電磁加速式対物ライフルをぶっ放しただけだ。どちらかと言えば五天龍出したり空を駆け回り無人航空機(UAV)をドリュッケンで撃墜したりと暴れ放題だったのはあの2人だと思うのだが……。

 

「そうだね、彼女達もマークされることになると思うよ。もっとも、君達がこの国にとって危険人物になるのかどうか、今はそこの判断を迷っているみたいだけど」

 

武偵活動だけ見れば品行方正で良かったね、とワトソンから褒められてんだか皮肉られてんだか分からないお言葉をいただく。

 

「それに、君が()()()()()ことは公然の事実だからね。カミシロ、君に関してはそれも評価に含まれているようだよ」

 

「はっ……どうせどいつもこいつも閉じるやつ持ってんだろ?」

 

最近はどこに行っても聖痕を封じられている俺は吐き捨てるようにしてそう言った。ここのところ俺に使われるやつは、俺も時々使う手錠みたいなのじゃなくて、もっと広範囲の聖痕を閉じられる高性能品のようだし、どうせイギリスも持ってんだろうな。

 

「……だろうね。けどそれは仕方の無いことで……」

 

「まぁ今更どうこう言うつもりもねぇよ。こういうのにももう慣れたし」

 

どれもこれもワトソンが悪いわけじゃない。だからコイツに当たっても仕方の無いことだ。だが、それを最後に車内の会話が途切れる。ワトソンは何か言いたげにしていたが結局口を開かず。キンジもお喋りな方じゃないし俺も黙りを決め込んでしまっていた。基本沈黙が苦にならない性格とはいえ、さっきまでの会話が会話だ。やや気まずい雰囲気の漂う車内で俺は外の景色を眺める他ない。だが、それもいつの間にか終わりを迎える。

 

どうやら着いたらしいのだ、俺までも呼び出したホームズ家の才女、メヌエットの住む邸宅に。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ベーカー街221番地、随分と歴史的な趣を残していて、ここだけ19世紀にタイムスリップしたんじゃないかと思えるこの家。敷地に足を踏み入れた瞬間に繋がりの途切れる感覚。どうやらここにもこんな仕掛けがあるようだった。

 

そして、ここのメイドに通されて邸宅に入れば、家の中は改装されてバリアフリーとなっていた。実際にシャーロックも住んでいたらしいここは、室内にはメヌエットが集めたらしい恐竜や虫やら何やらの化石や標本が集められ、まるでイ・ウーのエントランスのようになっていた。

 

約束の時間までまだ少しあるから待ってろと応接室で少し待たされた後、メヌエットのメイドらしいサシェとエンドラとかいう双子に案内されたのは2階の奥の部屋。どうやらメイド達は上へ昇る許可を得ていないらしく、室内に設置されたエスカレーターを使うのは俺達だけだ。

 

そして辿り着いたメヌエットの部屋。その扉を俺が開ける。すると部屋の奥、窓辺に居たのは車椅子に乗った金髪の女。あれがアリアの妹のメヌエットか。

 

「ようこそ、遠山キンジ、神代天人」

 

すると、メヌエットはこちらを振り返ることもなくそう挨拶をしてきた。

 

「どうも、神代天人だ。アンタがメヌエット・ホームズか?」

 

俺の問いにメヌエットは「えぇ」と答える。

 

「遠山キンジだ」

 

と、キンジも振り返りもしないメヌエットに一瞬イラッとした顔を見せたが直ぐに引っ込め、名前を名乗った。

 

「イヤな臭い」

 

と、メヌエットがいきなりそんなことを言い出した。何だお前、人のこと呼んどいて。あぁまぁ……イギリスに来てここに直行したからかな。飛行機の中はそれなりに快適だったがフライトは長かったからな。多少は汗もかいたかもだ。

 

「……あぁ悪い。イギリスに来てそのままこっちへ来たんだ。シャワーを浴びる時間もなくてね」

 

ていうか、お前が急に日時指定で俺まで呼ぶからなのだが、それは言わないでおこう。キンジ曰く、メヌエットは色金に関してはシャーロックよりも詳しいらしいし。

 

「そうではないわ。火薬の匂いよ。日常的に銃を撃つ人間のそれよ。お姉様の知り合いなのだから武装職にあると推理出来ていたけれど、これで確定したと言っていい」

 

今だこちらを振り向きもしないメヌエット。

 

「……ていうか、いい加減こっち向けよ。失礼だろ」

 

で、キンジが遂にそれを指摘した。それにメヌエットは「ふう」と1つ溜息。そしてその車椅子をきこっとゆっくり回転させ、こちらを向いた。

 

まぁ、アリアの妹だって時点で面が良いのは分かっちゃいたけどな。だが、白人特有の肌の白さ、と言うよりはあまり日光を浴びない不健康な青白さがあるか、メヌエットには。あと目付きが暗い。そして、これは武偵高生の俺達へのサービスなのか、葡萄酒色のゴシックロリヰタには武偵高のセーラーカラーを混ぜている。

 

が、別にそんなものはどうでもよくて。振り向いた彼女の姿で1番目を引くのはイギリスの古い軍用ライフル銃(リー・エンフィールド)をその小さな手に持っていて、こちらを向いた瞬間にキンジの頭に照準を合わせているところだ。キンジはそれを見て一瞬の硬直。完全に先手を取られている。

 

「初めまして。そして、さようなら。私はメヌエット・ホームズ。ホームズ4世ですわ」

 

──ナイス・トゥー・ミート・ユー、アンド、グッド・バイ──

 

英語がそれほど堪能ではないキンジに合わせたのか1単語ごとに丁寧に区切った挨拶を告げ、そしてライフルであればどんな素人──例えユエやシアでも──命中させられる7メートル半の距離で、更に必中を期してスコープを片目にあてがい……

 

──パウッ!──

 

撃ってきた。なので俺は───

 

「───うおっ!?」

 

キンジの後ろ襟を引っ掴み足を後ろから蹴り抜くと同時に引っ張ってキンジの身体が浮くくらいの勢いで引き倒した。今の発砲音で分かったがあのリー・エンフィールドは空気銃。それも殺傷能力は無い。……もっとも、それは今現時点での話で、もしあれが空気圧を変えられるやつだった場合、空気圧次第じゃ22口径拳銃程度の威力は出せる。つまり()()()()()()のだ。そうでなくともあれが本物だったなら、キンジは死んでいた。殺気を感じなかったから俺もあんな防ぎ方だったが……。

 

「……はぁ」

 

俺は思わず溜息。メヌエットも今ので何か納得したようにかのように銃口を上に向けた。

 

「お姉様が見初めた方ですから、あなたには何か特殊な能力があるのでしょう。しかし彼がいなければ今の弾を受けてしまう辺り、それを自らの意思では制御できていない」

 

そして、今の一瞬でキンジのHSSのことを殆ど見抜いてきた。なるほど、アリアと違ってメヌエットにはシャーロックの推理力が受け継がれているんだな。

 

「逆に、神代天人はそれなりにデキるようですね。今のも眉一つ動かさずに行う辺り、まだ実力を隠している」

 

スッと俺にその勿忘草色(セルリアン)の瞳を向けくる。それに俺は肩を竦めるだけに留めた。この子には何を言っても情報になりそうだ。

 

「私は通常、自身の半径5メートル以内に男性を近付けません。……恐怖症、という程ではありませんが男性は臭くて汚い……大嫌いですから」

 

「……俺達は喧嘩をしに来たんじゃない。色金のことを教えてもらいたいんだ」

 

メヌエットが嫌だ近寄りたくないと言うのならそれでも別にいい。俺達の目的は情報で、それはコイツからしか聞けないのなら大人しく言うことを聞くことも吝かではない。……魂魄魔法を付与したアーティファクトでも作ればそんなことは関係無く吐き出させられるのだろうが、アリアの妹にそんな手荒な手段は使いたくない。それに、色金の秘密という"情報"が目的である以上は物を探す羅針盤は役に立たないし。

 

「それはそれとしてメヌエット、アンタは何で俺まで呼んだんだ?」

 

色金の情報が欲しいのはキンジだ。そもそも、メヌエットに会いたいと申し出たのもキンジだし、これに関して俺は関係の無い人物の筈なのだ。それが何故、俺も居るのならば会う、なんてことになるのだろうか。

 

「私はあなたにも興味があります。お姉様が"友達"と呼ぶ男性。まさかあのお姉様が男の友人を作るなんて……一体どんな魔法を使ったのかしら?」

 

そのジトッとした碧眼で俺を捕えるメヌエット。それにはどこか、嫉妬の色が浮かんでいるように思えたのは、俺の考え過ぎだろうか。

 

「俺がアリアと友達になった時ゃ俺ぁ魔法なんて使えなかったよ。だがま、()()()()()で盛り上がってな」

 

チラリと俺はキンジを横目で見やる。キンジは頭にハテナマークを浮かべ、メヌエットは何か合点がいったような顔をした。

 

「……まるで、今なら魔法を使えるかのような言い回しですね」

 

だが、それをメヌエットは脇に置き、俺の言葉尻を捕らえる。

 

「見る?」

 

「あら、見せてくれるのですか?」

 

メヌエットのジト目からやや興味の色が現れた。

 

「あぁ。どんな魔法がいい?」

 

俺の宝物庫には神代魔法を付与したアーティファクトが幾つも眠っている。あとは錬成や纏雷なんかも見た目だけで分かりやすい魔法だ。他にも重力操作のスキルや氷の元素魔法なんてのも目に見えて分かりやすい魔法だろう。これだけあれば何かしらメヌエットのおメガネに叶う魔法もあると思われる。

 

「なんて、見せるなら色金のことを教えろ、でしょう?」

 

けれど、メヌエットは俺の水溜まりより浅い考えは余裕で推理できているようだった。さすがに頭を使った勝負じゃ俺には勝ち目は無さそうだな。

 

「バレてら……」

 

「でしたら教えません。魔法も見せてくれなくて結構です」

 

と、メヌエットは言い放つ。

 

「何……っ!?」

 

だが、キンジはそれにビクリと身体を震わせる。そりゃそうか、キンジにとっちゃこれこそイギリスまで来た本命なのだから。結局、瑠瑠色金だけじゃあ解決方法は分からない。緋緋色金を殺さないのならまず緋緋色金のことを知らなくちゃあいけないのだ。

 

「……まず第1に、お姉様は緋緋神になりたがっていない。でしたら闘争と恋から遠ざかる……警察や武偵高、闘争に関わる組織は辞めて、私と一緒に探偵になればいい。そして、恋も一生避けて修道女(シスター)のような生活を送ればよろしい。むしろ、私にとっては緋弾という首輪がお姉様に掛けられている事は歓迎すべきことなのです」

 

だが、そんなことはメヌエットには関係無い。そして、メヌエットからは自分がキンジの欲しい情報を話さない理由をこれ以上なく明確に突き付けられた。

 

「……お前、アリア大好きなんだな」

 

と、今の話を聞いてコイツが随分なお姉ちゃん子に聞こえた俺がつい口を挟む。

 

「えぇ、私はお姉様が大好きです。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

……随分と重い愛だな。だが、キンジはこの程度では諦めない。心はそう簡単に思い通りにはならない、もし戦争になったらどうなるのか、という点からメヌエットの口を割ろうとする。だがそれすらもメヌエットに否定される。

 

キンジは第二次世界大戦のような総力戦を想像しているようだが、メヌエットの考えは違う。現代の戦争には莫大な金がかかる。そんなことを実現できるわけはないだろうと言うのだ。そして、それには俺も賛成だ。

 

「……そりゃあ俺も賛成だね。俺も緋緋神が本当に戦争を起こすならどうするのかは考えてたんだ」

 

と言えばメヌエットは「その理由は?」なんて、徒然草色の瞳で先を促してくる。

 

「……俺ならテロを起こす。理由はなんでもいい。俺も1回緋緋神と戦ったからな、何となくアイツの性格は分かる。アイツは戦いで勝つことが好きだ。だから俺みたいな奴ら───絶対に勝ち目の無い奴との戦いはむしろ嫌いだ。……キンジ、お前個人に喧嘩売ったってこたぁもうちょい原始的な……それこそ決闘みたいな戦いが好きなんじゃないか?……なら、世界中でそういう戦いを起こしてお前やイ・ウーにいたようなバカ強い個人を引き摺り出して戦う……そんなやり方じゃねぇかな」

 

お前はどう思う?という目線をメヌエットにやれば、メヌエットもふむと1つ頷く。

 

「私も似たような推理です、天人。どうやらあなたとは気が合いそうですね」

 

戦いを起こすための火種は世界中にありますから、とメヌエットは続けた。

 

「ところで、この付け襟は東京武偵高の女子制服に揃えたのですが、あなたたちから見て色形に違和感はありませんかしら?お姉様のご帰国を祝って誂えたものの、私はこの襟の実物を見たことがありませんので」

 

と、まるでテロリズムの応酬の世界が他人事かのようにメヌエットは話題を変えた。まぁ、見るからに外には出る質じゃなさそうだし、テレビのニュースを見る時間が増える程度にしか思っていないのだろう。

 

「あぁ、全くない。そのゴシックロリヰタに合わせても、むしろ明るい赤色がアクセントになっていて個人的にはファッションとしても良いと思う。メヌエットの雰囲気にも似合ってるよ」

 

取り敢えず、思っていたことを正直に言う。俺はコイツのこの服に悪い印象は持っていないし、コイツにはある程度は好かれる必要もあるから丁度良い。

 

「あら90点。もう少しボキャブラリーがあれば満点でしたわ」

 

と、頼みもしていないのに俺の褒め言葉の採点が行われていた。

 

「言葉の中にお世辞が感じられないのも高得点です」

 

ということらしい。お褒めに預かり光栄です。

 

「……そんなことより、お前今アリアを祝うようなことを言ってたがもう出来んぞ。あいつは今頃バッキンガム宮殿かどこかで王子のボディーガードでもやってる頃だ」

 

何それ聞いてない、と思ったがメヌエットがその疑問に答えた。どうやらアリアは運悪くイギリス王子と引き合わされた……と思わせおいて実はメヌエットがそれを仕込んだらしい。そして、アリアは今やRランク武偵に取り立てられそうなのだとか。どうやらメヌエットはロイヤルファミリーの一員へと食い込みたいらしいな。

 

そしてそれを聞いたキンジは───

 

「このっ……」

 

遂にキレてメヌエットに掴みかかろうとした。だがその結果は───

 

「───あっ……ぐぅ……!」

 

胸ぐらを掴もうとしたその指を逆にメヌエットの小指に絡め取られ捻られる。そして、その動きに連動するようにキンジは肩や肘が捻られ、どんどんと地面へと這いつくばるような体勢へと変わっていく。おそらく、それにはメヌエットの力はほとんど加わっていない。全てキンジ自身の筋力で行われている。

 

「……キンジ、バリツには座ったまま、合気道みたいに使える技がある。今お前が喰らってるのはそれだ」

 

と、四つん這いにさせられたキンジの目線に合わせてしゃがみながらそう言った。

 

俺も昔シャーロックに似たようなことをやられたことがある。これは喰らった側の筋力で腕や背中を曲げる技で、1度ハマると基本的には抜け出せない。俺みたいに聖痕があれば無理矢理にでも外せるかもだが……聖痕アリの状態でやられたことは無いから分からんな。

 

「メヌエット、それを解いてやってくれないか?」

 

で、喰らうと分かるのだがこれ、下手に動くと自身の筋肉で全身の骨を折りそうになるのだ。だからキンジは痛みも相まって完全に動けない。

 

「……あなたも彼が私に掴み掛かろうとするのを止めませんでしたよね?」

 

「俺もそれはやられたことがある。だから()()があることは予想していたし、もしメヌエットが持っていなければキンジの手を止めた」

 

シャーロックが使えたのなら同じホームズ家のメヌエットもバリツを使えるかもしれない。特にコイツはアリアと違って殴る蹴るは難しいから、こういう、座ったままでも扱える護身術に精通しているかもと思ったのだ。

 

「なるほど。……天人は多少は礼儀があり、頭もキンジよりは回るようで女性の扱いもそれなりに心得ている様子、あなたの頼みであれば仕方ありませんね」

 

すると、俺の頭がキンジより回るかはさて置き、メヌエットはフッとキンジを戒めていた拘束を解いてくれた。だが、これは悪い流れだ。この上まだ色金のことを教えてくれと言っても、そうは教えてくれないだろう。俺達はまだそこまでの加点を得ていない。にも関わらず、減点は結構喰らってるっぽいからな。

 

「……天人、お前予想出来たんなら止めろよ……」

 

痛みでまだ身体の上げられないキンジが下から俺を睨む。

 

「いやぁ、言われるより実際やられた方が身に染みるだろ?」

 

と、俺が返せばキンジは唸るだけで言葉を返してこない。まぁまだ痛むんだろうな。突っ込みに回す気力も無いらしい。

 

「キンジも、言葉は私を恫喝しているようで態度はずっと変わらない。ただお姉様を救いたいという心の焦りの現れ」

 

キンジを見下ろすような体勢のメヌエットは相変わらずフラットな表情をしている。だがそれが一瞬フワッと緩んだ。

 

「いいでしょう、あなた達のことはそれなりに気に入りました。なので、私を喜ばせられたら色金のことをお教えします」

 

どうやら気に入られたらしいが何やら条件を出された。「喜ばせるっ……どういうことだ?」と、キンジも、痛みに顔を歪めながらもメヌエットを見上げている。

 

「ここで私が教えないとなれば、頑なになって居座られても面倒なので(スター)システムを導入します」

 

と、メヌエットが俺に渡したのは無記名のネームカード。

 

「天人かキンジが私が喜ぶことをすればそこに星を書いて差し上げます。そしてそれが10個貯まれば色金のことを話します。もちろん私が不快になれば減点にしますので」

 

……なるほどね、おそらく全部メヌエットの胸先三寸なんだろうが、チャンスをくれるってわけか。……ていうか、何か知らんがいつの間にか俺も巻き込まれてるな。

 

「喜ぶことって具体的に何だよ、何をすればいいの───」

 

「───分かった。それでいい」

 

と、俺はキンジの言葉を遮る。おそらくこのシステムに具体的な答えなんて無いからな。

 

「天人は理解が早いですね。いいですよ、利口なことは良いことです」

 

コイツ……アリアの妹ってこたぁ俺より歳下だろうに。まぁいい。コイツは俺より余程頭が良いからな。口で勝てる気はしない。

 

「……さてメヌエット、お前の星システムだが、俺のメイドをここに呼んでいいか?そいつもこの星システムに加えろ」

 

俺はこの戦いにリサを呼ぶことにした。ドンパチやるのではなく、コイツを喜ばせる、そういう戦いなら男の俺達よりも、女で、しかも人に仕える能力値が俺の知ってる奴らの中で最強のリサなら有利に進められるだろうという打算だった。

 

「ふむ……いいでしょう。天人のメイドというのには興味もあります。ですが、お姉様から天人とメイドとの関係は聞き及んでいます。……不埒なことをすれば減点ですので」

 

「時と場所は選ぶよ」

 

「それならばよろしい」

 

俺とリサの関係は多少はアリアから漏れてるってわけか。まぁここにいる間は()()()()()()は無しで、っていうのはリサなら分かっているだろうから平気だ。

 

「キンジ、俺はリサを呼ぶ支度をする。ちょっとそっちは任せたぞ」

 

「あ、あぁ……」

 

家の女比率が増えるとあってキンジはかなり及び腰だ。それも、ここに来るのがリサということなら、もし何か事故でも起こそうものなら俺にぶっ飛ばされるというのも頭にあるはずだから余計にな。

 

俺はそんなキンジを横目に一旦部屋を出る。そしてあの色々ある博物館みたいな所でリサに電話を掛ける。

 

「もしもし、リサです」

 

「リサ。日本だと今変な時間かもな、悪い」

 

「いえ、リサはまだ起きていました」

 

「そうか……これからそっちに扉を開けるからイギリスまで来てくれ。……大丈夫か?」

 

「えと……はい、リサは大丈夫です」

 

「そうか、準備出来たらまた電話くれ。直ぐに扉を開く」

 

「承知致しました。ご主人様」

 

そこで一旦俺達は通話を切る。そのまま俺はワトソンへと連絡を入れ、リサを1日預かってもらうようにお願いした。ワトソンも、リサを直ぐに日本からイギリスに呼ぶってことに関してはトータスの魔法は少しばかり見ているから直ぐに納得してくれた。

 

そして、メヌエットとキンジが下に降りたのを見計らい、準備のできたらしいリサを越境鍵でイギリスに召喚する。完全に不法入国なのだがまぁそんなに長いこと居るわけじゃないから大丈夫だろう。リサなら戦闘することもないしな。

 

そして、ワトソンが指定した場所へとリサをもう一度鍵で移動させる。日本は夜遅かったみたいだからな。一旦時差を調整させてもらうのだ。

 

「じゃあリサ、明日、メヌエットの家に来てくれ」

 

と、星システムのことをリサに説明し、メヌエットのご機嫌を取ってもらうことをリサに頼む。

 

「はい、リサも精一杯頑張らせていただきます」

 

メイドの本領発揮とあってリサも気合十分。むん、と気合いを入れたリサの頭を撫で、キスを1つ交わして俺達は一旦別れた。さて、明日から本格的に星を稼がなくちゃな。……稼ぐのはリサだけど。

 

 

 

───────────────

 

 

 

その日の夕食の時間、メヌエット達はもう席に着いていた。待たされたというのに随分と期限の良さそうなメヌエットだが、俺がテーブルに着くとサシェとエンドラがまるで"有り得ないものを見た"かのような表情で俺とメヌエットを交互に見やり、時々隣にいたキンジにも視線が移る。

 

「どうした?」

 

と、流石に気になった俺が2人に問うと、2人は答えることすらメヌエットに許しを得て、そして答え始めた。どうやら、2人ともメヌエットが笑うところを初めて見たのだとか。メヌエットもそういや最近笑ってないなぁ、みたいなことを何でも無さげに言っている。お前も表情筋の鍛え方が足りてないんじゃない?

 

そして出された食事が凄まじかった。俺とキンジに出された料理は質素ではあるが栄養のバランスも考えられ、量もそれなり。特に文句の出るような食事ではなかったのだが、メヌエットに出されたのはパフェだの何だのと、カロリー計算を放り捨てたかのような数字の暴力。て言うか、量も多いからとてもこの小柄な体格の胃袋に入るとは思えないんだが……。

 

「……その栄養バランス、ワザとか?」

 

俺も瞬光を使って脳みそを酷使した後には甘いものを食べたくなるから、クソほど頭の良いメヌエットならさもありなんと思い聞いてみる。

 

「えぇ。私は1食で3300キロカロリーを摂取しないと低血糖症で失神してしまいますから」

 

マジか……。俺そんなに頭使ったこと無いかも……。瞬光全力で使ったらどれくらいだろ?それでも失神した経験ないぞ……?

 

「……ならもう少し馬鹿になってもいいからもっと栄養バランスを考えろ。俺は欧米人の食の大雑把さにはうんざりなんだ。医食同源って言ってな、食い物が悪いと身体中あちこち悪くなるんだぞ」

 

と、キンジがチクり。俺も、野菜とか肉とかもう少し食った方が良いかなとは思うよ。その方が背も伸びるだろうし。けどまぁ、メヌエットの言うこともそれなりに正しいのだ。

 

「まぁ待てキンジ。実際、人間頭使うと甘い物が食べたくなる。メヌエットは推理でとんでもなく頭使うんだろうからな。これは超能力者が特定の物質を大量に摂取するのと変わらないんだろ。使った分を食事で補充する……変にサプリメントやなんかに頼るより余程健康的だ」

 

ついでにこれは個人的な話だが、一時期マジで肉しか食えなかった時期のある俺からすれば、好きに食える時は好きに食っていいと思うのだ。贅沢はできるに越したことはない、というのが俺の持論。

 

「あら、天人は随分と物分りが良いですね」

 

「天人お前、やけにコイツの肩持つよな」

 

メヌエットは笑顔で、キンジは睨むように俺を見る。確かに、キンジの言う通り俺は随分とメヌエットの肩を持っていると思う。

 

「そうだな……俺ぁ頭悪いからな、頭ん良い奴はそれだけで尊敬するぜ。それにキンジ、お前はメヌエットが体力のある奴じゃないからって喧嘩になれば勝てると踏んでたろ?……でも実際はあぁなった。……んで、この飯の話だけどな、俺は一時期本当に肉以外を食えなかった時がある。理由は単純、周りに他に食える物質が一切なかったからだ。本気で雑草すら生えていないんだぜ?あの時期は俺ん人生の中でもトップクラスに地獄だった。どこを見ても石と魔物(どーぶつ)しかいない洞窟を、日付の感覚がぶっ飛ぶくらい長いこと彷徨ったからな」

 

おかげで武偵高に帰ってきても最近まで肉は避けてたくらいだ、と言葉を繋ぐ。

 

「んでな、俺ぁ最近思うんだよ、贅沢はできるうちにしとけってな。無理にする必要はねぇけど、余裕があるならしてもいい。そもそもコイツの仕事は頭使うことで、それにアホほどカロリーが必要ならこの食事も理由があるんだしな」

 

トータスでの、というよりあのオルクス大迷宮での日々、特にユエと出逢う前の日々は俺にとっちゃ地獄以外の何物でもない。ユエと一緒だった後半の階層での日々ですらユエと語らった時間以外はあまり思い出したくないのだ。

 

「お姉様は、天人は2度どこかへ消えていた時期があると言っていましたが……」

 

「今の話はその2度目の時の話だな」

 

メヌエットはそれを聞いてふむと黙りこくる。そしてそのまま自分の前に出されたパフェやアイスに手を出し始めた。俺も席に着き、出された食事を黙って口に運んでいった。

 

 



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メヌエット・ホームズ

 

夕食を食い終わり、俺達はまたメヌエットの部屋へと戻ってきた。帰り際に見せられたが、どうやらキンジは星を1つ獲得しているらしい。

 

そして、何でか知らないが車椅子からベッドへと自分を座り直させたメヌエットが俺にとあるお願いをしてきた。それは───

 

「天人、ブーツを脱がせて。私は自分では出来ませんから」

 

と言ってきた。まぁそれくらいならと俺も躊躇わずにベッドの前で片膝付いて、茶色の編み上げブーツから靴紐を外していく。

 

「このブーツは脚を締め上げているの。お医者様がそうするようにと言っていました。夜は外していいそうなので、左足も脱がせなさい」

 

と、自分の左足を持っていたアンティークのパイプ──チェリーの精油をスプレーした綿を入れて香りを楽しむものらしい──で指し示した。

 

ん、と俺が一瞬顔を上げればそこにあるのは日に当たっていないことが丸分かりな真っ白くて生っちろいフトモモ。それも、自分の意思では動かせないそれが目の前に。しかもパイプから漂う香りといいブーツの少しだけ蒸れた匂いといい、俺の鼻腔を擽る匂いがそこら中から漂っている。だが俺も今更その程度じゃ動じやしない。一言「あぁ」とだけ告げて左脚のブーツも脱がせてやった。……多分、医者に言われたなんて嘘なんだろうな。

 

そして、メヌエット的には俺の反応はあまり面白くなかったのかちょっと顔がムッとしている。そして、何やら悪いことを思いついたらしい顔を──きっとわざと──して……

 

「では服を脱がせてくださいな。下着まで全部。そしてバスルームで全身を洗ってちょうだい。心配いりませんよ、恥ずかしいとは感じませんから。貴族と平民は別の生き物、あなたも犬猫の前で服を脱いでも何も感じないでしょう?」

 

そしてメヌエットは俺に向けて両腕を差し出してくる。抱っこして、みたいな感じで。脱がせろ、ってことだろうよ。……なるほどね、メヌエットは俺に対して()()()()()()で揺さぶりをかけようってわけか。アリアから俺のことをどんな風に聞いてるのか知らないけど、そりゃあ俺には効果無しだぜ。

 

「入浴介助してくれたら星を1つあげましょう。してくれなければ先程キンジが稼いだ星を剥奪します」

 

これもきっとわざとキンジの名前を出し、俺が断り辛くする作戦なのだろう。

 

「分かった。……けどここで脱ぐのか?どうせ服も風呂場の方まで持ってくなら向こうで脱いだ方が楽じゃないか?」

 

そう言いながら俺は車椅子を、メヌエットがベッドから移りやすい位置に置いてやる。するとメヌエットはやはりつまらなさそうに鼻を鳴らす。

 

「……冗談です。入浴はいつもサシェとエンドラに手伝わせていますので。……あぁでも、着替えは持ってきてくれます?ネグリジェはそこの引き出しの中央、下着は左」

 

俺はメヌエットに言われる通りに差された引き出しを開け、光に当たれば向こうまで透けて見えるくらいに薄いネグリジェと、これまた高そうな赤いレースの下着を手に、この部屋に呼ばれたサシェとエンドラの後に続いて脱衣場まで来てやった。そしてメイド達も服を脱いで──まぁ濡れるので当たり前だが──入浴介助をすると言うのでバスルーム前のカゴにネグリジェと下着を入れてメヌエットの部屋に戻る。そこにはこれまた不思議そうな顔をしたキンジがいた。

 

「どうした?」

 

「お前、躊躇いってもんがねぇのかよ」

 

「最初から俺を揺さぶろうっていう魂胆だろ、あれ。俺とリサが付き合ってんのはアリアの話で把握してたし、俺があれで動揺したらそのネタで揶揄おうっていう腹積もりなんだろ。どっちみち、俺は今更女の肌見ただけでどうにかなりゃしねぇけどな」

 

まぁ本当に入浴介助して、それを明日来るリサにチクられたらリサはリサで機嫌悪くするかもだけど、誓って俺は劣情を抱いていないと言い張るしかない。実際、本気の入浴介助なら心を無にしてやり切る自信はある。いくらメヌエットが可愛らしくても、女の肌には慣れているからな。

 

「そ、そうなのか……」

 

と、キンジが何やら戦慄している。だがそれはまぁどうでもよくて。俺はメヌエットが風呂に入っている間にワトソンから届いたメールを確認していた。その内容は、要はメヌエットの特殊性についてなのだが。

 

どうやらメヌエットは凄まじい教唆術を持っているようで、アリアの戦姉妹(アミカ)の姉をそれで排除、何か間欠泉に飛び込ませる?とか何とかよく分からんが精神的におかしくさせたらしい。他にも数日後に自殺させたりだとか、兎にも角にも気に入らなかった相手への制裁が凄まじい。……これ、俺も知らない間にやられてないよな?んー、自分じゃ分からんな。

 

「キンジ」

 

「何だ?」

 

「俺がおかしな行動をしたらユエを呼んでくれ。アイツならメヌエットの教唆術にハマった俺を救える」

 

ユエはエヒトの使っていた神言が使える。魂魄魔法に近いそれならば言葉で操られた俺も解放できるだろう。ユエの魔法なら俺に通るし。

 

「あぁ、分かった」

 

キンジも何がどうしてそう出来るのかは把握してないだろうが兎に角やることだけは分かった、という顔をしていた。

 

そして、しばらくするとチェリーの良い香りをさせたメヌエットが髪の毛も三つ編みにして俺の持っていったネグリジェにガウンを重ねて帰ってきた。

 

「ただいま、天人、キンジ」

 

「おう」

 

「あぁ」

 

適当に返した俺達にメヌエットは背を向け、カチカチと何やらパソコンをイジり始めた。どうやらデスクトップPCでネトゲをしているようだった。

 

後ろから覗けば「ムニュエ」とかいうハンドルネームの水色ショートカットの髪の毛をしたキャラがメヌエットのアバターらしい。ファンタジーと学園モノが混ざったよく分からん世界観の中で元気にバスケやクリケットを楽しんでいた。やたら操作が上手いのでそれなりにやり込んでいるのだろう。

 

どうやらムニュエはモモコとやらと仲が良いようでチャットで会話しながらもブツブツと何やら呟いていた。だがそれも終わり、メヌエットはそのゲームからログアウトしてパソコンの電源を落とした。

 

聞けば、どうやら相手は日本人のようで、この時間でないと向こうと会えないのだとか。あとメヌエットはそのゲームの中ではさっき仲良くしていた奴しか友達がいないらしい。まぁ、俺もキンジも友達作るの下手だしあまり人のことは言えないんだけどな。

 

「明日もまた来る。色金のことを教えてもらえるまではな」

 

と、キンジが部屋を出ていこうとする。

 

「もう深夜ですからここで寝なさい。危険ですから」

 

「は?……って、もう2時じゃねぇか!?」

 

キンジが時計を確認して驚いているが、そうなのである。今は既に夜の帳の降りきった深夜2時。草木も眠る丑三つ時、というやつだ。

 

「……まぁいい。天人も帰るだろ?」

 

確かに深夜のイギリスの治安が多少悪かろうが俺は別に構わない。絡んでくる輩なんてぶっ飛ばして終わりだからな。最悪越境鍵もあるから帰るだけなら特に支障はない。だが───

 

「なぁキンジ……」

 

「なんだ……て言うかお前凄まじく眠そうだぞ」

 

「おう、眠い……」

 

むしろ移動してきて直でここに来てこの時間まで起きていたことを褒めてほしい。俺はもはや、歩いてキンジの寝泊まりする予定のホテルに戻る以前に、鍵を使うことも億劫なくらい眠くなっていた。

 

「俺はもう……今すぐ布団に潜りたい。キンジは……1人で……頑張れ……」

 

「分かった!分かったよ、俺も泊まる。だから天人、俺の布団もくれ!」

 

「おう……」

 

キンジの言葉に、俺は何も考えず宝物庫から布団を2組取り出した。眠かったから頭が回っていないのだ。そう、メヌエットの目の前で、虚空から、布団なんていう服の中には到底隠しきれないほどの大きさの物質を出してしまったのだ。

 

「それは!?」

 

「んあ……?あっ……」

 

だが俺がそれに気付いた時にはもう後の祭り。メヌエットは興味津々といった風で俺に迫る。眼前に車椅子に乗せられた御御足が現れた。

 

「今布団をどこから出したのですか!?これだけの質量を服の中に隠せていたとは到底考えられません……はっ、そう言えばさっき魔法が使えるようなことを言っていましたね。……あの時は言葉の綾で私も魔法という言葉を使いましたが……」

 

あぁ、メヌエットお嬢様のテンションがブチ上がってるぅ……。眠いのに……。頭が回らない、言い訳が思い付かない……。

 

「あ、あぁ……。これも魔法だよ」

 

おかげで答えがだいぶ適当だ。いやまぁ、全く嘘は言っていないのだけれど。神代魔法と固有魔法の組み合わせで作ったアーティファクトだからな。実際取り出している原理は魔力の直接操作に拠るものだし。

 

「なるほど、天人は文字通りの魔法使いということなのね」

 

既に時間は夜中の2時だというのにメヌエットの目が輝いている。博識な彼女は知識欲にも貪欲ということなのだろう。目の前で行われた不可思議な現象の理論を突き止めたくて堪らない、というのが顔に現れている。

 

「あぁ……メヌエット、お前も明日学校だろ?」

 

と、本人も眠いのだろうし、俺が今にも寝落ちしそうなのを見てかキンジが話題を逸らす。このまま全員睡眠へと入れるようにということなのだろうが、これが地雷だった。

 

「いいえ、私に授業が必要だと思いますか?」

 

「……お前いくつだよ」

 

キンジ……その質問は駄目だぞ……。

 

「女性に数の質問はタブーです。身長、体重、年齢その他。ですがちょうどタイムリーな話題なので答えましょう。昨日……いえ、日付が変わっているので一昨日ですが、14になりました」

 

メヌエットは俺達から見て、学年で言えば3つ下になるのか。あれ……イギリスって4月入学だっけ……?

 

「なら義務教育があるだろうが」

 

「私には必要ありませんから。それと、私に学校の話題も禁止です」

 

……無い、とは言わないんだな。全く日に当たっていなさそうな肌の色を見て薄々感じてはいたけど、メヌエットは恐らく───

 

「ははぁん、お前、虐められて不登校なんだな?確かに根暗そうだしな」

 

キンジ……お前それは言い過ぎだろう。て言うかお前も女子からのアダ名根暗じゃねぇかよ。まぁ、不登校なんだろうなっていう予想は俺も持ってはいたけどさ。そしてやはり、メヌエットは怒ったような顔でキンジを睨んでいる。

 

「……確かに私は去年まで『聖エレノア・シニアスクール』という女子校に通っていました。ですが、天人なら分かるのでは?出る杭は打たれる、そういうことです。それと、星を1つ減らします」

 

だろうな、こいつはその図抜けた頭脳を疎まれて周りから虐められた。それも、車椅子なんていう格好の餌があるのだ。そういう奴らは嬉々としてメヌエットを叩くだろう。

 

「……反撃したのか?」

 

キンジがふと尋ねた。

 

「えぇ」

 

そして、メヌエットはその刃を抜いた。人を言葉だけで自殺に追い込めるという教唆術を使ったのだろう。そしていつの間にか周りには誰もいなくなっていたのだろうな。

 

「……殺したのか?」

 

これは俺。もう眠くて眠くてあんまり言葉が出てこない。

 

「いいえ、ただ、学校には来ないように()()()()()()

 

殺してはいないらしい。まぁ言われた奴がその後どうなったかなんて想像するのも馬鹿らしいけど。

 

「けれど、不思議なもので私に消化器を投げつけて車椅子から叩き落とす役を消したところで別の誰かがそこに変わるだけ。地を這う私にボールを投げつける役も泥水をかけたりする人も、まるで兵隊が補充されるようにして、一向に減りはしないのです。そして、そうやって何人も学校に来なくなってから教師に言われました。『お願いだからもう来ないでくれ』と」

 

……そしてメヌエットは学校という空間に絶望し、不登校になった。俺はメヌエットの気持ちが分かる、なんて偉そうなことは言えない。俺はハブられただけだからだ。メヌエットのように、直接暴力を振るわれるようなことはほぼなかった。何せそれをしても逆に殴り飛ばされるだけだからだ。そして、そこまで語ったメヌエットは俺達に「どうだ気持ち悪いだろう?」とでも言いたげな目を向けてきた。その目に涙を浮かべ、けれど決して零さぬようにキツく力を込めて……。

 

「メヌエット、俺ぁお前を責めねぇよ。お前が悪いことをしたとも思わない。それは正当防衛だ」

 

だから俺は尊敬するよ。トータスで、自分達を裏切ってまとめて殺そうとした中村恵里をそれでも殺さずに連れ帰ったアイツらを。だけど本来人間なんてこんなものだ。出る杭は打つ、それが何か弱点を持っているのなら鬼の首を取ったようにな。

 

「天人、あなたは……」

 

「泣きたきゃ泣いていい。それを弱いとは思わないから」

 

「いいえ、私にもプライドというものがありますから」

 

俺の言葉に、それでもメヌエットは気丈に振る舞う。そして、俺に自分をベッドまで運ばせ、布団を被って眠るというポーズをとった。俺ももうマジで眠いし、キンジも嫌な記憶を思い起こさせてしまった罪悪感からか、何を言うでもなく俺の出した布団に潜り込んだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

───誰かの声が聞こえる。

 

リサ達が側にいないとやはり俺は眠れないのか、はたまたメヌエットのあの時の顔が頭から離れないのか、理由はともかく睡眠を欲する肉体に逆らうように脳みそが眠りを拒否。おかげで深く眠りに入ることができない午前3時だった。

 

「止めて……私が気に入らないなら……テストなんて全部白紙で出すから……ヒィッ……誰か背中の火を……私は1人では出来ないの……車椅子を……壊さないで……それがないと私は……」

 

メヌエットの声だ。魘されている。きっと学校のことを思い出したからだ。その小さい身体を震わせ、目に涙を溜めて……。しかし俺はその小さな紅葉のような手のひらを握ってやることもできずにただそれを見ていた。悪夢に魘されているメヌエットに、俺が何をしてやれると言うのだろう。俺はコイツの恋人でも何でもない。そんな俺がコイツの手を握ってやったところで何にもなりはしないだろう。

 

そして、悪夢に追われてベッドの上を転がったメヌエットが、ガタンッ!と床に落ちる。俺は頭だけは打たないようにと咄嗟に手を出してその背中を支えた。今の音は踵が床に落ちた音だ。

 

そして、その衝撃でメヌエットは目を覚まし、布団の中でぐっすりだったキンジも飛び起きた。

 

「あ……え……天人……?」

 

「あぁ。大丈夫か?」

 

俺を見上げるメヌエットの顔は、目覚めた瞬間に俺の顔が飛び込んできたからか驚きに染まっていた。そして、俺の言葉にハッとした様子でベッドのシーツにしがみついた。

 

「えぇ、1人で登れます」

 

俺はその強がりに「そうか」とだけ返して手を離す。メヌエットはシーツを掴み自分の身体をベッドの上に戻そうとする。

 

「ん……っ、くっ……」

 

だが戻れそうな気配はない。シーツを掴んで身体を持ち上げようにもずり下がるだけだった。そしてさっきの音を聞き付けたのか階下からサシェとエンドラが「お嬢様!?」と声を上げながら駆け上がって来た。しかし───

 

「サシェ、エンドラ!来てはなりません!誰が来いと言いましたか!!戻りなさい!!」

 

貴族のメヌエットは下に舐められたら終わりだ。だから今みたいな姿を使用人に晒すことはできない。けれど、メヌエットはベッドの上には自力では戻れそうもない。だから───

 

「きゃ───!?」

 

俺はメヌエットの肩と膝裏を抱え上げ、お姫様抱っこの形で身体を持ち上げる。だがメヌエット的にはそれがお気に召さなかったようで、ポコポコとハンマーパンチを繰り出してくる。

 

メヌエットが拳を振り被った瞬間には、彼女が手を痛めたりしないように多重結界は解いた。それでも俺の身体に叩きつけられる打撃は俺に全く痛みを与えることはない。それは俺の身体が化け物だからという訳ではない。ただ、メヌエットが非力なだけだった。

 

「この……っ!あなたも私を哀れむのですか!?」

 

「アホか。俺ぁお前を哀れんだりはしねぇよ」

 

俺はメヌエットを哀れだとは思わない。コイツは脚が動かない代わりに俺には無いものを沢山持っているからな。自分の脚で歩ける奴が皆幸せで、そうじゃない奴は不幸だなんて、そんな訳はないだろう。

 

歩けても不幸せな奴もいれば歩けなくても幸せな奴もいる。コイツが自分のことをどう思ってるかは知らないけど、スポーツができることがそんなに幸せなことなのだろうか。喧嘩が強くたってそれが人を幸せにしてくれるわけじゃないんだ。結局、自分自身がどう考えて何をするか、それが問題なのだから。

 

「けどまぁ、明らかに無理してる奴がいればこうやって助けてやる。そりゃあ人として当たり前だろう?」

 

自分で努力しようとしているのだから放っておくという考えもある。けれど、それだけじゃきっと駄目なんだ。あの時の畑山さんはこのことを言っていたのだと思う。

 

「……どうしてあなたはそんなに───」

 

メヌエットをベッドに降ろしてやると彼女は俺を睨むように見上げてきた。途切れた言葉の続きはすぐに紡がれた。

 

「……1つ、分かったことがあります。あなたは私を全く哀れんでいない。それは会ってから今まで変わらない」

 

「そうだな」

 

「そして分からないことが1つ。……どうしてあなたはこんなにも私を肯定するのですか?あなたは私に対する劣情が微塵も見られなかった。ほとんど見ず知らずの女に男が良くする理由なんて肉欲以外に考えられません」

 

……流石にそれは考え方が偏り過ぎだろう。

 

「俺ぁ俺が知ったお前を肯定しただけだよ。それに、俺は俺以外にも"周りと違うから"ってんで爪弾きにされた奴らを知っている」

 

透華達が、シアが、俺の頭の中を()ぎる。彼女達とメヌエットを重ねなかったと言えば嘘になる。だから気に掛けはする。けれど哀れむことはない。

 

「あとはま、俺ぁ頭の良い奴は素直に尊敬するし、自分の境遇にそれでもって言って抗う奴は好きだぜ。お前は学校が合わなくても、それでもネットで友達を作ろうとしている。そりゃあまだお前の中に少しでも友達が欲しいって気持ちが残ってるからだろ?」

 

コイツはキンジと一緒で、少なくとも強い繋がりで結ばれた良き友人が欲しいと言っていた。例え学校じゃあ酷く虐められても、それでもコイツは人と関わることをまだ諦めていないのだ。

 

「私は……」

 

「態々夜更かししてまで日本に住むそいつの生活リズムに合わせてログインして……モモコだっけ?そいつとの縁を大事にしてる」

 

「そうやって……」

 

メヌエットが目を伏せた。けれど俺の言葉は止まらない。

 

「友達が欲しいなら俺もなってやる。……夜中にメール送られても返すのは次の日になっちまうけどな」

 

流石にイギリスの時間に合わせて生活はできないからな。そこは許してくれよ。

 

「……っ」

 

俺のその言葉にメヌエットが勢いよく顔を上げた。そして、その勿忘草色の瞳には大粒の涙が溜まっている。それでもそらはまだ零れ落ちてはいなかった。それがメヌエットのプライドを表しているかのようだった。

 

「お姉様から聞いています。あなたが何人もの女性を侍らせていること。きっと、今みたいに傷心の女の子に甘い言葉をかけて拐かしたのでしょう?」

 

どうやら酷い誤解を受けているようだ。俺は誰も拐かしてねぇよ。アリアがどんな説明したか知らねぇけど人をなんだと思ってんだ。

 

「そりゃあ誤解だ。俺ぁ惚れた女をものにする時ゃ別の技を使う」

 

……あれ、これこんな話だったっけ?なんかメヌエットに上手いこと誘導されて話を逸らされている気がする。駄目だ、まだ眠気が抜け切っていないから頭が回らない。

 

「へぇ?話してみなさい?」

 

と、メヌエットは興味ありげに聞いてくる。いつの間にか涙も引っ込みつつあり、メヌエットが指で拭えばもう新たな水滴は出てこなかった。

 

「……いや待て、そういう話じゃなかっただろ」

 

これもメヌエットの教唆術の1つなのだろうか。それとも俺がアホなだけなのか。ともかくメヌエットの罠ということにしておいて、俺はそれには引っ掛からないぞという風に話を終わらせようとしたのだが……。

 

「話してくれなきゃ黒星ですよ?」

 

何そのシステム……初めて聞いたぞ。けど語感で分かる。多分これ、星の借金システムだ。黒星は白星と相殺されるんだろうよ。キンジが1つ貰ってた星は白色だったし。サッカーも勝てば白星、負ければ黒星って言うし。

 

「……人間、世話を焼いた奴には情が移りやすい。俺は……基本的に生活力が無いがそれは半分わざとだ。世話を焼かせて、『この人には私がいないと』って思わせる、そういう作戦」

 

そのために俺は自分の生活力を低く保っている。ちなみにこれ、リサにはやってない。この作戦を取り始めたのはユエからだ。……そういう意味じゃ、俺はあの戦争の支度をしている時やエヒトとの戦いが終わった後はレミアさんによく世話してもらってたから、あの時から俺は無意識にそういう感情を抱いていたんだろうな……。

 

て言うか、女の子にこういう話するのは凄まじく恥ずかしい。できるならここで終わってくれ。頼むから。

 

「なるほど。そうやって女性と理想の共依存関係を築くのね。……では残念でしたね。私は見ての通り人の世話なんてできませんから」

 

フッと、ニヒルな笑いをメヌエットが浮べる。いやいや、俺は別にお前のことまで狙ってねぇよ。

 

「……もういい。寝る」

 

不貞腐れた俺は頭から布団を被る。後ろから眺めていたキンジも「はぁ」と溜息1つで布団に戻った。メヌエットも「今日はここまでにしましょう」とか、取り方によっては空恐ろしいことを言いながらもモゾモゾと毛布を被ったようだ。異様に疲れたイギリスでの1日が、ようやく終わりを迎えた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

次の日の朝、眠気まなこを擦り擦り、俺とキンジは早起きしてシャワーを浴びた。そして一旦メヌエットの部屋に戻ると、外から女子学生と思われる奴らのキャッキャした声が聞こえてきた。部屋に戻った途端に、昨日学校の話をしたからって理由でメヌエットから星を剥奪されたキンジは、それでなのか寝不足でなのか、イラついているらしく「雨降って試合中止になれ」なんて根暗なことを言っている。どうやら外の奴らはラクロス部の子達らしい。で、メヌエットはメヌエットで……

 

「そうなる可能性は低くはないですよ、雨は伴わないでしょうけど、今日は雷になる可能性が高い。ラクロスには"雷が鳴ればどんな場合でも試合を中止する"というルールがありますから」

 

と、やけにラクロスのルールにも詳しい。そういやネットゲームの中じゃラクロスやってたな。階下を見る目も、元気な彼女達をどこか羨ましげな表情を含んでいるし。……さて───

 

「メヌエット、お前、ラクロスやりたいか?」

 

「……天人はそんなに黒星が欲しいのかしら?」

 

と、割とガチ目に怒った顔を向けてきた。まぁ、最初はこうなるよな。けど俺はそこではめげない。こっちにも作戦があるんでな。

 

「なわけあるか。言ったろ、俺には魔法が使える。お前も見た通り、俺の魔法は言葉の綾じゃなくて物理法則も越える。その上で、だ。お前はラクロスをやりてぇのかって聞いてんだ」

 

俺はティオやユエ程じゃないが変成魔法が扱える。トータスじゃ錬成と合わせて言うこと聞く兵器を大量生産する程度にしか使っていないが、おかげで扱いにも慣れた。動かない脚を()()()()()()()()()()くらいならできると踏んでいた。……最悪、ティオとユエ呼ぶけど。

 

「ふん、やれるものならね。まぁ私には友達がいませんから、脚がどうなろうと関係無いです」

 

なんて、この素直じゃない感じはアリアそっくりだな。だが、声色から溢れ出る期待の色が隠せていない。夜中に俺の宝物庫を見て、実際に俺が物理法則なんて超えた魔法を扱えることを知ってしまったから。今回も"もしかしたら"と考えてしまうのだろう。そして、その考えは間違ってなんかいない。

 

「俺もラクロスのルールは詳しく知らねぇから何人必要なのかよく知らねぇけどよ、ルール知らねぇ奴らでいいなら2チーム分位の人間は集めてやるよ」

 

トータスのウサミミ達か、もしくは香織達のクラスメイト集めるか、ともかく頭数だけならどうにかなるだろう。ラクロスが1チームで20人も30人も必要なイメージ無いし。

 

「あら、お友達が多くて羨ましいこと」

 

「……あれは友達っていうか、知り合いとかそんな感じだ。一応俺に恩のある奴らだから、ラクロスくらいならやってくれるさ」

 

ハウリアは即答だろうし、香織のクラスメイト達は、多分向こうも俺のこと友達だとは思ってねぇけど、香織や天之河に声掛けさせれば集まるだろうよ。

 

すると、メヌエットはつい、と良い香りを漂わせるパイプで自分の脚を指し示す。"やれ"というご命令だ。

 

「キンジ、そのうちリサが来るから迎えに行っててくれ」

 

多分数分で終わるとは思うけど、やってる間は手が離せなくなるだろうからな。

 

「あ、あぁ」

 

キンジはこの展開に着いていけていないような顔をしていたが、取り敢えず部屋からは出て、玄関の方へと向かっていったようだ。

 

「……じゃあ、始めるぞ」

 

「えぇ……」

 

どちらの声にも、思わず緊張の色が滲む。

現代医療ですら叶わなかったメヌエットの下半身不随の治療が今、異世界の魔法によって行われようとしていた───

 

 

 

───────────────

 

 

 

───俺は張り詰めていた緊張の糸を解した。

 

ふうと一息つくとメヌエットの素足から手を離す。一応ブーツは脱いでもらっていたのだ。

 

「……どうでした?」

 

メヌエットが、声に緊張の色を滲ませながら俺に問いかける。

 

「……動かしてみてくれ」

 

俺は1歩下がり、上から動きを見れるように立ち上がった。俺の言葉に、メヌエットが自身の脚へと命令を送る。足首を回し、膝を伸ばし、モモを浮かせる。そのどれも動きはぎこちなく、上に持ち上げる動作なんてかなり気合いを入れなければ難しいようではあったが───

 

「くっ……ふっ……ん……」

 

そのどれも、メヌエットの意思を受けて、思い描いた程滑らかで軽やかではなさそうだったが、それでも動いた。メヌエットがこの世に産まれてから14年間、主の思考に全く反応を示さなかった下半身が遂に本人の命令を受けて稼働したのだ。

 

「あっ……」

 

それらにメヌエットが目を輝かせる。そして目に涙を浮かべて、足元に落としていた視線を上げて俺を見やる。

 

「───天人っ!」

 

そしてメヌエットは、感極まったという風に俺に飛び込んでくる。けれど14年間働いていなかった脚には彼女の軽過ぎる体重すら支える筋力は無い。1歩踏み込んだ瞬間にその細い脚は彼女の身体を支えきれずに前に倒れ込む。

 

「おっ……と」

 

俺はメヌエットの羽のように軽い身体を抱き留めた。男嫌いのメヌエットなら直ぐに離れようとするかと思ったが逆にメヌエットは俺の首の後ろに腕を回してきた。自分の身体すら支えられない脚と違って彼女の腕は思いの外力強く俺を抱きしめてきた。

 

「あぁ……あぁ……っ!天人、天人!私、今1歩踏み出せたわ!今までうんともすんとも言わなかったのに!私……私……自分で足を動かせたのよ!」

 

「あぁ。今のがお前の人生の第1歩だ。遅れたけど……誕生日おめでとう、メヌエット」

 

俺の顔の横でメヌエットが鼻をすする音がした。俺は思わずその果物みたいに良い香りを漂わせる金髪を撫でる。指通りの良いそれを梳くようにして撫でていると、首に回されていた腕が俺の背中に回される。そして、俺の胸元にメヌエットのデコが押し当てられた。

 

「ふふっ、ありがとう、天人。……この脚、2度と動くことはないとお医者様からは言われていたのよ?……今度お医者様に行ったらあの人、どんな顔をするのかしら。きっと両目が零れ落ちそうになるくらいに大きく見開かれるに違いないわ」

 

「あんまり驚かせてやるなよ?」

 

漫画みたいに目ん玉が飛び出る医者を想像してしまい、俺は笑いを堪えながらそれだけ言ってやる。

 

「そうさせるのは天人でしょう?」

 

「それは……否定できないな」

 

するとメヌエットが顔を上げた。そこには、輝くように咲き誇る笑顔があった。俺も釣られて口元が緩む。

 

「ふふっ」

 

「ははっ」

 

そして───

 

「ご主人様、お嬢様、おはようございます!」

 

階下からリサの爽やかな挨拶が聞こえてきた。

 

「行こう、メヌエット。……まだ車椅子の方がいい。リハビリは少しづつ、な?」

 

「えぇ、分かっています。……天人のメイドがどんなものか、見極めてあげるわ」

 

そして俺は挑戦的な色に瞳を輝かせたメヌエットを車椅子に乗せてやり、それを押して1階の玄関、リサのいるそこへとメヌエットを押して行った。

 

 

 



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メイドと賭けとMI6

 

 

「おはようございます、ご主人様、お嬢様!」

 

爽やかな朝の挨拶が聞こえる。俺がメヌエットの乗った車椅子を押して玄関まで行くと、キンジだけでなくサシェとエンドラもリサを迎えていた。

 

「おう、おはよ、リサ」

 

「はい、ご主人様。……まぁ、これ程美しいお嬢様にお仕えすることができてリサは幸せでございます」

 

と、メヌエットを見たリサはさっそくメヌエットの容姿をベタ褒め。この本音ともお世辞ともつかぬリサのヨイショにメヌエットは悪い気はしないみたいでふむと頷きながらリサを眺めている。

 

「まぁ。可愛らしいメイドね。あなた、出身はオランダでしょう?そのヘッドドレス(ホワイトブリム)のフリルの折り方はアムステルダムの南地区にあるメイド専門学校の伝統芸ですし、言葉に今風のホランド訛りがありますよ」

 

それにしたって、一言挨拶しただけでよくそこまで分かるもんだな。コイツは推理力も卓越しているけど、それを支えるのはこういう色んな分野に精通している知識量なんだよな。

 

「なんと聡く、なんと高貴でお美しいお嬢様でしょう。心から敬服致しましたと共にお仕えできる幸せに深く感謝致します」

 

そんな風に、リサは感激したようなことを言いつつメヌエットの前に跪くとその偉そうに差し出された右手を取り、手の甲にキスを──する振りで実際には触れないイギリス式のマナーを守り──して、持ってきていたトランクから何やら水の入った小瓶を取り出した。あれは……あんなもん、どこで調達したんだ……?

 

「お近付きの印にこちらを。……今朝ワトソン卿のご自宅の庭に植えられていたシナモンの葉から採れた朝露でございます」

 

あぁ、ワトソンの家からか。そしてリサはそれをメヌエットに差し出した。メヌエットはそれを感心したように受け取る。

 

「美しい女の顔に朝露を近付けるとより美しくなる。……イギリスの古い言い伝えまで知っているのね。少しおべっかが過ぎるようですが宜しい。使ってあげましょう」

 

と、リサの人に取り入るスキルが遺憾無く発揮され、無事にメヌエットの元で仕えられることになった。このリサのスキル、ユエ達にも即座に発揮されていたからな。文字通りの異世界人にすら通じたこれは、同じ地球で生まれ育ったメヌエットにも効果的面だったようだな。

 

で、それはそれとして()()()()()()()()とメヌエットが言うのでそちらはエンドラに任せ、リサはサシェとキッチンへと入った。元々は煮豆みたいなやつとパンとジュースが朝食だぅたのだがリサがこれを放棄。代わりに出てきたのは超巨大なパフェ。どうやらメヌエットが高カロリーな食事を必要とすることをサシェに聞いたのか把握していたらしい。しかも味は元より6代栄養素を完璧にカバーするというミラクルパフェ。……そんなん聞いたことねぇぞ。

 

しかもそれを朝からペロリと平らげたメヌエットはそれがいたく気に入ったようで───

 

「パフェとは食の美術。芸術の1つよ」

 

なんて回りくどい言い回しでお褒めくださる。んで、キンジが横からヘコヘコ現れてメヌエットに星のカードを差し出した。そしてメヌエットは「これを毎朝作らせなさい」という言葉と共にそれに星を1つ追加。

 

そして、洋館の中のリサはまさに水を得た魚。サシェとエンドラに色々話を聞きながら屋敷の各部屋を見て周り、タイムズやエクスプレスやミラーといった高級紙や大衆紙を問わずに買ってきていた朝刊からメヌエットが気に入りそうな記事を抜粋してスクラップを作成。

 

それをメヌエットが精油パイプ片手にふむふむと読み耽っている間、今度はメヌエットの長い金髪を丁寧にブラッシング。その手つきは俺も時々寝癖を潰してもらっているし案外ぐうたらなユエや、ぐうたらとは言わないけど族長の孫娘としてそういう、お世話されることに慣れているティオも時々頼んでいるから知っているけど超上手い。マジでリサに髪を梳かしてもらうのは気持ち良いのだ。

 

最近じゃレミアがこっちの部屋に泊まった時はミュウもやってもらっていて、お気に入りの時間の1つとなっている程なのだ。そして、リサがメヌエットをブラッシングしている光景、これがまた美しい。金髪美少女──生きている年数だけで言えば20歳は越えてしまっているリサを美()女と言ってしまっていいものなのかは悩みどころだが──2人の組み合わせは常に美しいのだと俺はユエとリサの組み合わせで学んだ。

 

なので携帯を取り出してそのカメラでこっそり撮影。とは言え携帯電話のカメラは、盗撮防止のために必ず音が出るようになっていて、俺の持っている日本製の携帯もその例に漏れない。

 

そして、当然鳴るカシャリというシャッター音を耳にして、メヌエットが俺を睨む。

 

「何を勝手に撮影しているのかしら?」

 

「美しい光景を残しておくのは人類への貢献だろ?」

 

と、俺がユエがリサにブラッシングをしている時にも使った言い訳を使えばメヌエットはちょっと赤くなって顔を逸らした。自分の面にはそれなりに自信のある奴だと思っていたけど異性からこうもストレートに褒められるのは慣れていないらしい。

 

「……あなたにおだてられても星はあげません」

 

あら残念。だがまぁ俺としては星よりもこの写真を消すように言われなければそれでいいのだ。実は俺とシア、ティオの3人の間には1つ秘密がある。それは、"リサとユエ姉妹同盟"を組んでいるのだ。……リサとユエには秘密で。

 

俺達の中での総意は"リサが妹でユエが姉……なのだが周りからはどう見てもリサがしっかり者の姉でユエがお姉ちゃん子の妹に見える"という割と七面倒臭い設定になっている。

 

そこに今メヌエットが(俺の中で)加わろうとしていたのだ。あの2人も仲良し姉妹に見えるし。なのでその議論のためにもこの写真は死守しなければならない。今回はそれが上手くいったな。

 

んで、そのうちにリサはメヌエットが「私は料理が出来ないの」という発言を拾い上げ、言葉巧みにキッチンへと誘導。下女の仕事なんてしないと言い張るメヌエットを、これもまた言葉巧みに言いくるめて一緒にチェリー・タルトを作り始めた。

 

どうやらメヌエットがキッチンに入るというのは有り得ない光景だったらしく、サシェとエンドラは驚きのあまりひっくり返ってしまった。それを俺とキンジが慌てて支えてやっている間にもリサの巨乳が羨ましいというメヌエットに、これは日頃から調理を行っていて、その動作が云々と何やら小難しいことを言って、またメヌエットをその気にさせていた。

 

乗せられたメヌエットがボウルと泡立て器を持ったもんだからサシェとエンドラなんて今度は白目剥いて失神しちゃったよ。

 

そんな風にしてブチブチと文句を言いつつもメヌエットは最後までタルト作りに精を出し、最後の仕上げと粉砂糖を空中に振った。だが───

 

「いえ、そうでは……っしゅん!」

 

と、舞い上がった粉が鼻に入ったのかリサが、顔を逸らして袖で口元を塞いだ上でだが、クシャミをした。しかも───

 

──ぴょこん!──

 

と、リサの頭頂部からケモ耳がこんにちは。スカートのお尻も盛り上がっているからあれ尻尾も出したな。……キンジはリサの()()を知らなかったから目ん玉飛び出るくらいに驚いている。メヌエットも───

 

「まぁ!」

 

と、碧眼をキラキラさせている。目を白黒させているキンジとは逆に、既に受け入れ態勢が整っているようだ。

 

「もっ、申し訳ございませんお嬢様!私ったらうっかり大変な失礼を……。お詫び申し上げます───んっ、んゆっ」

 

と、ケモ耳をうっかりで済まそうとするのはどうなのだろうかと思うけどまぁシアなんて常にウサミミ出しっぱなしなのをアーティファクトで他人の認識からズラして誤魔化しているから別にそんなもんかな。……あ、メヌエットがリサの耳を鷲掴みにしてる。その耳、普通に神経通ってるからリサも悶えているし。

 

しかも興味津々でサシェとエンドラにルーペを持ってこさせて観察しようとしている。……尻尾は隠せよ?多分勢いのままケツまでじっくり見られるぞ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

リサはどうにかこうにかメヌエットから尻尾を隠し通した。イギリスじゃ最初に沢山作って後で何日かかけて食うってんで3日程タルトばかり食べていた。まぁ実質リサが作ったので美味かったけどな。しかし大変だったのはそれではない。

 

メヌエットがタルトが焼けるのを待っている間に俺とリサの馴れ初めに興味を持ち、リサも──流石にヤバい部分はボカしたが──特に躊躇うことなくそれを話した。で、挙句にメヌエットは俺があの夜に話してしまった共依存関係の話を持ち出したのだ。しかもリサは───

 

「いいえお嬢様。それは正確ではありません。ご主人様がそれをするのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使う技。最初に籠絡させる時には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

などと宣ったのだ。で、狙ったわけではないけど確かに言い逃れもできねぇなぁと俺が遠くを見つめて、それをメヌエットは肯定と受け取ったらしい。しかも───

 

「ご主人様が他の女性を()()()時にはその人が今最も欲しいものを与え、そして彼女の人生を大きく動かす、これがご主人様の常套手段です」

 

なんてリサが言うものだからメヌエットはこれまで見たことないくらいに勢い良くこちらを振り向き、その勿忘草色の瞳でギッと俺を睨んだ。……リサさん、もしかして俺がユエ達連れて帰ってきたこと根に持ってる?いやまぁ、独占欲持ってほしいと言っていたのは俺だから良いんだけどね。

 

「なるほど。確かにリサの言う通りのようです。私も……見ての通り私は脚が動かせませんでした。しかし今朝リサが来る直前、天人が魔法の力でそれを治してくれました。……お医者様からは"動かせるようになることは絶対に無い"と言われていたこの脚を。まだリハビリが必要ですが、いずれこの車椅子とも別れる日が来るでしょう」

 

と、朝の話をリサに聞かせていた。それを聞いたリサは「ヘールモーイです!」なんて言っていたけどその瞳には"またか"という言葉が浮かんでいた……気がする。だからそれは偶然なんだってば。……今まで誰も信じてくれたことないけど。

 

そんな風に、リサが来たってのに何故だか妙に居心地の悪い日々を過ごしたある日、キンジが前から立てていた計画を実行に移すと言ってきた。どうやらメヌエットの誕生日からは数日遅れにはなったがようやく()()らしい。星も、リサが来てから一気に4つ貯まった。俺の変成魔法の分は何故かノーカンになっていて、キンジがその理由を聞いたのだが、曰く───

 

──天人は私に新しい人生をくれたのです。であるなら私もそれなりのものを返さなければならないでしょう?──

 

とのこと。どうやらメヌエットにとっては星や色金のことよりも余程重いことだったらしい。それを聞いたリサは顔は笑っていたけど目が笑っていなかった。あと時間的に日本からだと思うが、メールがやたら飛んできている。ユエとシアからだ。怖くてまだ開けていない。

 

んで、待ち合わせは午後なので皆でお昼ご飯を食べた後───

 

「メヌエット、お前にはまだ誕生日プレゼントがある。……何日か遅れたが、外に行くぞ」

 

と、キンジがメヌエットを外に誘い出そうとする。メヌエットは排ガスまみれの外の空気なんて吸いたくないとか言っていたので俺が───

 

「けどラクロスは外でやるんだろ?」

 

と言えば渋々サシェとエンドラに肩掛けと膝掛けを持ってこさせていた。2人のメイド的にはメヌエットが外に出るのはこれまた有り得ないことらしく──どうやら1年振りらしい──これまた目を白黒させて驚いているよ。

 

「それと、これは賭けだ。これまで貯めた4つの星、勝てば倍付け、負ければパァだ」

 

と、キンジは人のメイドに稼がせた星を賭け代にしている。だがメヌエットも賭け事は好きらしい。宜しい、とあっさりそれを受け入れた。

 

で、晴れたロンドンのベーカー街を車椅子を押しながら歩いていく。と言ってもものの5分で目的地には着いたみたいで、そこにあったのは今風でお洒落なカフェ。

 

「ここだ」

 

「あなた達に花を持たせるつもりで敢えて推理はしませんでしたが、さて何かしら?」

 

とメヌエットが振り返りながら俺達を見る。で、キンジが指し示したそれは、頭の左側に白い花飾りをした長い黒髪の女。あれがモモコらしい……らしいってかあれ……夾竹桃じゃねぇ?後ろ姿だけだし右目が義眼になってからは姿をこの目で見てなかったから魂じゃ判別できないけど、後ろ姿には見覚えある気がするぞ……。

 

だが夾竹桃を知らないっぽいキンジは特に何を言うでもなく……メヌエットは驚きのあまり大事なパイプを落としそうになってお手玉している。

 

これは、俺達……というかキンジがネットで検索をかけてメッセージを送り、このメヌエットことムニュエとのオフ会に誘ったのだ。向こうも乗り気で──しかし男は嫌いということで俺達とは会わない約束だ──さっそく日本からイギリスまで飛んできてくれた。直ぐに行くと言っていた時はただの金持ちとしか思わなかったがまさか夾竹桃とはな……。俺もそこは驚きだ。SNSに乗ってる情報だけじゃ、そこまで分からなかったよ。

 

「おっ……お前達……なんてことを……」

 

と、驚きすぎて口が悪くなったメヌエットは顔面蒼白。見たことないくらいにテンパっているようだ。

 

「ま、俺達もそこのベンチで待機してるから、何かヤバそうなら助けに行くさ」

 

と、俺は店外から中を見れるベンチを指し示した。その間にキンジが何度か確認のメールを送り、彼女がモモコだと確かめた。

 

「おし、あれがモモコだ。行ってこい」

 

と、キンジが1歩分車椅子を押す。

 

「い、嫌よっ!着いてきて!」

 

「俺達ゃ会わねぇって約束なんだ。武偵は約束を守る」

 

「キンジ、天人、お前達私が車椅子だって言ったの?」

 

「言ってねーよ。必要ないし。お前こそモモコに話してないのか?」

 

というキンジの言葉にメヌエットは身体を固めた。……どうやら言ってないらしいな。まぁネット上だけの関係の奴に言う必要もあるまい。それ自体は何も不思議じゃないけどな。

 

しかしメヌエットはそれ以上にやっちまっていて、自分が学校の人気者で、ラクロスとバスケ部のエースを兼任しているとか何とか、随分と話を()()()しまっていたようだ。そういう、人類のあるあるをしでかしていたのだ、メヌエットは。

 

「……ま、でもいいじゃねぇか。少なくともお前は今自分の脚で歩けるように努力してる。まだラクロスもバスケもできやしねぇけど、いつかはできるようになる。……そこだけは嘘じゃねぇ」

 

メヌエットはあれから家で俺達の監督の元少しずつ脚を動かすリハビリをしている。俺もリサもキンジも医者じゃないから本格的なリハビリはやらせてあげられないが、多少動かす訓練を見て支えてやることはできるからな。

 

「うっ……」

 

邸宅の方へ向かうために車椅子を掴んでいたメヌエットの手が緩む。

 

「……でも、嘘をついていたことは事実です。それも車椅子に乗っているのよ?幻滅されるに決まってるわ。モモコは初めての友達だったの……そんなの嫌よ。……悪いけど、天人とキンジの方からモモコには謝って───」

 

「夾ち……モモコってお前と歳近いんだっけ?」

 

と、メヌエットの言葉を遮るように質問を投げかける。

 

「えぇ、それが何か?」

 

……アイツ、いつの間にか武偵高に通ってたけど本当は───

 

「……俺も今後ろ姿見て気付いたんだけどな。ありゃ俺の知り合いだ。あと、だから分かったんだが、多分向こうも嘘ついてるからおあいこだ」

 

本当は東大薬学部卒業してるし。しかも日本にゃ飛び級は無いから実年齢は当然22歳を越えているわけで……。それが中学生のメヌエットと歳が近いとか流石に無理がある。

 

「……どういうこと?」

 

と、メヌエットが俺に胡乱げな瞳を向けてくる。

 

「知りたきゃ行って確かめてこい。お前なら上手いこと引き出せるだろ」

 

「でも……」

 

だがまだメヌエットは踏ん切りがつかないようだ。まぁ、夾竹桃が自分をどう話してたかは知らないけどメヌエットのはだいぶ盛ってたからなぁ。

 

「俺ぁアイツとあんまり仲良くなかったけど、それでもアイツはお前を見て笑ったり幻滅したりする奴じゃない。それだけは分かるよ。だから、俺を信じろ」

 

「……分かりました。私も、覚悟を決めます」

 

「あぁ」

 

メヌエットの手の震えが止まった。さっきまでずっと小刻みに震えていたのに。だがそれも止まり、乱れた髪の毛とヒラヒラのドレスを手で整えると、自分の手で車椅子を動かし、スロープを昇っていった。俺達の力を借りることなく、決然とした顔をして───

 

 

 

───────────────

 

 

 

店の壁は前面が完全にガラス張りだったんでよく見えたが、夾竹桃は最初メヌエットの車椅子に驚いたものの、それで人を笑ったりする奴ではないので直ぐに打ち解けたようだ。それは良かったしメヌエットにも笑顔が見え始めて安心したのだけども、1つ問題が───

 

「なげぇ……」

 

俺はSNSもネットゲームもやらないからオフ会とかいうのも詳しくは知らない。だからオフ会ってのがこんなに長いものだとは思わなかった。まぁ、友達と会って駄べるって言うのならこんなものなのだろうか。

 

ベンチにキンジと2人座ってボウっとカフェの中を眺めているのも暇過ぎる。その暇具合が俺の脳みそをおかしくしてしまったのか、これまで空恐ろしくて開いていなかったユエとシアのメールを開封してみようという気になっていた。

 

「う……」

 

1通目、ユエから届いたその中身に俺は思わず唸る。タイトルは無し。本文は一言───

 

──どういうこと?──

 

もう既に怖い。リサから聞いたとか何とかそういうのが一切無い。よし、これに返すのは後回しだ。次はシアからのだな。これもまたタイトル無し。まぁコイツら結構メールにタイトル付けないこと多いからそこまではまだいい。

 

さて、肝心の中身は、と───

 

──どういうことです?──

 

ほぼユエと変わらん。流石に師弟関係にあるだけあってこういうところも似ているな。こっちからしたら空恐ろしいだけなのだが……。

 

しかしまだ何通か届いているな。ていうか、何日もメールを放ってあるのに電話が一切掛かってきていないのが逆に怖い。これあれだな、途中から2人結託してるな。さて、ティオからも1通来てるな。こっちはタイトル有り、『リサから聞いたのじゃ』か。用件は一緒か……。さて、本文には何て書かれているのかな……?

 

──妾はこうなるかもと思っておったのじゃ。じゃがユエとシアにはキチンと説明した方が良さげじゃぞ?──

 

神かよ。いや、神は駄目だ。俺の知ってる神様にゃろくな奴がいなかったからな。……いや待て、このメール、下の方にまだ続いてるな。えと……

 

──ま、話があるのは妾もじゃから、待っておるぞ?──

 

俺はもう駄目かもしれない。

 

思わず天を仰ぐ。しかしてまだ未読のメールは残っているのだ。ここまで来たら全部読み切る他ない。さて、次はまたユエからか。やはりタイトルは無し。本文は、と……

 

──待ってる──

 

何を?とは口に出せなかった。俺はそのままシアのメールを開く。これもまたタイトル無し。

 

──お待ちしてるですぅ──

 

これほど怖い"ですぅ"は世界初だろう。おかしい、俺は何も悪いことはしていないのに何故か追い詰められている。だいたい、リサは俺のこと何て言ったんだ。で、どうやらキチンと確認したところ、ティオからのメールはあの一通だけのようだ。レミアやジャンヌからはまだ届いていない。言っていないのか、はたまた敢えて何も言ってこないのか……。

 

「おい天人、お前さっきから顔が真っ青だぞ」

 

と、横からキンジが心配そうな顔をしている。俺はそれに軽く手を挙げて応える。

 

「……大丈夫だ。ただ、どんな土下座が1番効果的か考えてただけだから」

 

「人はそれを大丈夫だとは言わねーんだよ」

 

うだぁ、と俺は天を仰ぐ。結局他のメールも前のとあんまり変わらずメヌエットに何したの?みたいなことを恐ろしい言い回しに変えただけだった。神……には絶対誓ってやらないけど他の何に誓って俺は責められることはしていないのに。

 

そんな風に俺がウダウダと、キンジがボケっとベンチに腰掛けている間にいつの間にやら夕方になっていた。そこでようやく話も落ち着いたのか、まずは夾竹桃(モモコ)がカフェから出てきた。どうやらそのままロンドンで買い物でもするのかハンドバッグ片手にリージェンツ・パークの方へと去っていった。……俺は待っている間にこっそり羅針盤を使ったのだが、やはりあれは夾竹桃だった。まったくフットワークの軽い奴だ。

 

で、帰ってきたメヌエットはツンケンした表情で誤魔化そうとしていたけど嬉しさを隠しきれていなかった。そこら辺はまだ14歳ってことだな。

 

「素晴らしい誕生日プレゼントだったわ。ありがとう、天人、キンジ」

 

「この企画はほとんどキンジの力だ。俺に礼はいらないよ」

 

「あら、キンジも思いの外気が利くのね」

 

「あぁ。だから星をくれ」

 

もうキンジのこれは野暮なんて次元じゃねぇなと、俺が半分呆れていると、メヌエットも同感のようで、粋なのか無粋なのか分からないなんてブチブチ文句をつけながらも賭けはキンジの勝ちだからと星を4つくれた。

 

「割増ボーナスであと2つくらいくれよ」

 

と、キンジはそこから更に星を強請(ねだ)る。だから、ホントそういうとこだぞお前……。と、俺は割と本気の呆れ顔をしていたのだが、ふとメヌエットがこちらを向いて、俺の顔を見てニヤリと笑う。きっとコイツも同じことを思ったんだろうなと、俺も思わず笑みがこぼれた。だがメメヌエットは直ぐにその顔に浮かべた笑みを消して、俺の袖を掴み腕を抱き寄せた。

 

「そうしたら、天人は直ぐにどこかへ行ってしまうのでしょう?」

 

その表情は見覚えがある。彼方を紅鳴館から救い出した直後の透華達。フェアベルゲンからの追放処分をもぎ取った時のシア。あの海に出た冒険の夜のレミア。だからもう分かる───これは、まずいことになったぞ……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

あれからメヌエットは俺達が誘えば気軽に外出するようになった。とは言えあれからメヌエットも星を出し渋り、いまだ獲得した星は8つのまま。元々医者に行く頻度はそれほどでもなかったらしく、医者を驚かせてやると言っていたメヌエットにその機会は訪れておらず、ただただリハビリを通して俺との距離を(物理的に)近付けようとしてくることが多々あったため、こうやって外に連れ出せるのは俺としてもありがたい。

 

どうやらメヌエットは王族(ロイヤルファミリー)への加入を果たしたいらしいのだが、それに巻き込まれてやる気は俺には微塵も無いのだから。

 

で、男子の制服を着たワトソンやリサも一緒にピクニックへ行こうと歩いていると、何やら俺達をマークするような停め方で完全防弾のいかにもな高級車がやって来て、そして中から尊大な雰囲気を纏った男が降りてきた。だが───

 

「ここは車通りが多くて埃っぽいし排ガス臭くて敵わん。お前達がこっちへ来い」

 

誰だあれ……。降りてきて早々にクソほど偉そうなそいつの顔に俺は心当たりが無かった。ていうかあの車、周りの奴の聖痕を閉じる仕掛けが施されてやがるな。あの車が近付いてきた瞬間に繋がりが切れやがったぞ。ってことはそれなりにお偉い方であらせられる?

 

「っ!?……ハワ……痛っ!」

 

と、アイツの名前を呼ぼうとしたらしいキンジの太ももをメヌエットが抓って止めた。そして車椅子のままキコキコと1歩前へ出ると───

 

「これはこれは……。お忍びにてお出で頂いたと思われるために()()を呼ぶことを避けること、お許しください」

 

メヌエットの、俺達には絶対に見せることのない恭しい態度で何となく察する。このガタイと面はそこそこ良い偉そうな男の正体。おそらくコイツはロイヤルファミリーの誰か、何人もいる王子の内のどれかなのだろう。小走りでそっちに行ってしまったワトソンの後を追って俺達も王子様の元へと馳せ参じた。

 

「よい。それより余はキンジ、お前に話がある」

 

「俺には無いね」

 

たった一言言葉を交わしただけでコイツらがお互いを大嫌いだというのがよく分かる。

 

「キンジ、お前はアリアの恋人であろう?」

 

……そうなの?という俺の視線をキンジは無視。だがキンジは頭の回路がどうかしてしまったのだろうか、だったら何だ?と、まるで()()かのような口ぶりで話を続けた。

 

「先日伝えたように、余はアリアを暫くは武偵として使うが、いずれは妻として王家に入れさせるつもりである。お前はアリアを諦め、以後その名を口にせぬようにしろ。、MI6に調査させたが、お前は組んでいたことが後に汚名となる人物のようだからな」

 

「まぁ素晴らしい!お姉様がプリンセスに!」

 

……そういやすっかり忘れてたけど、確かメヌエットはアリアを王家に入れてしまおうと画策してたんだっけか。で、キンジとアリアの仲を引き裂く代わりにこれをやると、なんかとんでもない数のゼロが書かれたクーツ銀行の小切手がキンジに手渡される。……しかもこれ、円じゃなくてポンドじゃん。日本円にしたら幾らになるんだよ……?

 

まぁとは言えキンジも武偵。流石に仲間を金で売ることはないようで、取り付く島もない。

 

そして、何故そうも無礼な断り方をするのだという王子様に向けて───

 

「お前が嫌いだからだ」

 

と、言い放つ。その言い草にメヌエットが間髪入れずにフォローしようとするがそれを王子様は制し、そして自分もキンジが嫌いだと、嫉妬丸出しの顔で毒づいている。

 

そして───

 

「……あんだよ」

 

スルリと俺の横に1人のイギリス人の男──歳は高校生くらいだ──が現れた。キンジ達は俺の声でコイツの存在に気付いたようだが俺には気配感知の固有魔法でよく分かっていた。コイツ、ずっと王子様の車に乗っていたのだ。そこからこっそり降りて静かに俺の横に並んだのだ。

 

「……お前はずっと俺の存在に気付いていたな」

 

「だから?」

 

そもそも気付いてることに気付かせたのだ。それに、コイツからは魔力は感じない。コイツでは俺の究極能力も多重結界も抜けない以上は驚異たり得ない。

 

「塞がれても中々やるな。……だがそれだけだ。……それより王子、お戯れもその程度に」

 

どうやらコイツは俺の持つ聖痕の力を知っているようだ。だがそれだけ。コイツも俺のことは聖痕持ち程度の認識らしい。

 

「武偵、遠山キンジ。新進気鋭の有望株に会えて嬉しく思う」

 

と、塞いだ俺は後回しらしいコイツは既に俺から意識を外していた。……イギリスにも俺達のエリア51での戦いの映像が流れたって聞いてたからもうちょい警戒されてるかと思ってたが……それとも今はキンジとアリアのことが最優先ってことか?

 

「誰だ?」

 

キンジが名前を問う。

 

「ボンド」

 

そう名乗った5厘刈りのグレーの髪を持つ青と緑の間の色をした瞳を持った男は───

 

「サイオン・ボンドだ」

 

と、まず名前を名乗り、その後にもう一度フルネームを名乗るというキザったらしい名乗りを上げた。……コイツも匂うな。無煙火薬(ガンパウダー)の匂い……日常的に銃を撃つ奴の匂いだ。

 

「MI6か?」

 

と、コイツの正体に当たりが着いているらしいキンジ。そしてサイオンはそれを肯定。しかも、自分をOOセクション──イギリスに仇なす悪党相手なら裁判抜きにぶっ殺していいという殺しの許可証(マーダー・ライセンス)を持った奴ら──だと言い放ったのだ。そして更に最悪なことにキンジとこのサイオンで決闘しろと王子が言い出す。しかもこのサイオン、どうやら歴代最年少でMI6のOOセレクションに選抜された超エリートなのだとか。

 

そんな奴が一瞬でキンジに寄ったかと思えば、何かを囁いてスッと離れる。そしてサイオンは王子に向かい合い───

 

「殿下、お言葉ですが、私はこの男と決闘に及びたくありません。せめて、あちらの男とやらせてはもらえないでしょうか?」

 

と、今度は俺を指名。……まさか、あの野郎キンジのHSSを知っているのか?確かに今のキンジなんてコイツからしたら赤子の手をひねるように殺せるだろう。

 

「ほう、何故にだ?」

 

「遠山と私では戦力差がありすぎて決闘になりません。しかし、彼の代理として神代が出るのであれば、決闘の俎上(そじょう)にも上がりましょう」

 

「ならん。余はお前が痣持ちと戦うことは許さん。キンジと戦え。……命に従わないと言うのならこの決闘、008に委任するぞ」

 

「……御命令のままに、王子」

 

他の奴には仕事回すぞ、という王子様の脅しにサイオンは諦めたようにこちらを振り向く。だがまずいな……こうなったら俺がキンジの代理になるというのは通じないだろうし、力ずくでサイオンを打ち倒しても俺の敵が増えるだけ……ならまだしもアリアやメヌエットにまで迷惑が掛かるかもしれない。……本当はこういうやり方は嫌いなんだけどな、普通のキンジがコイツとやったら一瞬で殺される。それよりは、多少はマシだろう。

 

俺は目の前のサイオンを警戒して身構えているキンジの後ろ襟を掴むと、キンジを掴んだまま右腕を振り被り───

 

「は?」

 

「ワトソン!()()()()()()()()()()!」

 

と、キンジの疑問符を無視して、今にもサイオンに襲い掛かりそうな気配を発していたワトソンに向けて投擲。

 

「えっ!?───うわっ!」

 

不意に飛んできたキンジを、しかし流石の運動神経でどうにか抱き留めるも、体重差で2人とも地面へと転がった。だがいいぞ、キンジが頭から落ちないように咄嗟にワトソンが庇ったおかげで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……こういうやり方は感心しないな」

 

2人して地面を転がってから数秒後、さっきまでとは全く違う雰囲気をまとっていたキンジが起き上がる。サイオンを見るより俺を睨む目付きが鋭いが許してほしい。

 

「悪いな。けどそうでもしないとお前勝てねぇじゃん」

 

最悪殺される1歩手前で間に入ってしまえば、そしてそこでこちらの負けを認めてしまえばキンジはギリ殺されないかもしれない。だが半殺しにはされるわけだし、アリアとも確実にお別れだ。それを考えれば例えそのためにワトソンを使()()()()()HSSにする他ない。

 

「分かるけどね、言ってることは。……さてサイオン、待たせたね。やろうか」

 

スッと、重心を落として構えたキンジに、サイオンは手錠を投げて寄こした。それも、チェーンが1メートルはあるもので、人を拘束する性能はほとんど無いものだ。……チェーンデスマッチか。武偵高でも一時期流行ったけどな。これまた随分と時代遅れな方式だ。傍から見たら分かりやすいけどな。

 

「今でもここらの悪童がよくやっている。私達もそれに見えるだろう」

 

と、自らの右手に片方の輪っかを填めたサイオン。それを見てキンジも自分の左手に手錠を填めた。今、キンジとサイオンの───日英の俊英同士の決闘が、始まろうとしていた。

 

 

 



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此処で会ったが百年目

 

決闘は、結局のところキンジの敗北に終わった。キンジは不思議な身体駆動──瞬光で観察した限りでは全身の筋肉と骨格を連続して動かすことで、拳を亜音速から超音速で放つものだと推測された──で先制パンチを決めたのだが、それでも鼻血で済んだサイオンに同じ技を真似され返され、そこからはサイオンの一方的な拳の雨あられ。途中で負けを悟ったキンジが自分の親指の関節を外してチェーンの拘束から逃れることで決闘を有耶無耶──実質負けだが──にして皆でメヌエットの家へと逃げ帰ってきたのだ。

 

キンジは取り敢えず殴られた顔に赤チンを塗ったり氷袋を当てて冷やしたりしている。ワトソンはワトソンでMI6にブチ切れたらしく、リバティー・メイソンの組織力を使って──イギリス国内のことなので調べ易かったらしい──サイオンのことを即座に調べ上げてきた。

 

で、男同士の殴り合いの喧嘩を見るのは初めてだったらしいメヌエットはそんな俺達を眺めながら愉快そうに笑っていた。それを見てキンジは見物料を星で貰おうとしたいたが賭けで4つあげたばかりだからノーとか言われて断られていた。

 

「……まさかあれで勝てねぇとはなぁ」

 

確かにサイオンが強いのは何となく感じられたけどHSSのキンジならどうにかなるかなぁとか思っていたのだ。だが俺の楽観的な予想とは裏腹に、実際にはキンジはほぼ手も足も出ず。このままだと決闘には勝てず、あの王子──ハワードと言うらしい──にアリアを取られたままになる。もっとも、王家の一員になりたいメヌエットからすればそれでも良いのだろうが……。

 

「アリアお姉様がハワード王子の元へ行けば私も王家の一員になれます。……もっとも、ハワード王子は1代限りの王でしょうから、私達がそのまま王族として継続的に宮殿に住むことはないでしょうけど」

 

「んー?そりゃまた何でさ」

 

「私を診てくださる女医先生に聞いた、知る人ぞ知る秘密なのですけども、王子は身体の一部に不全があって、お世継ぎを残す行為が全く出来ないのです」

 

と、メヌエットは王家に入ることに拘っていた割には淡白に答えた衝撃の事実。身体の一部に不全があることで()()()()()()()ってのはそういうことだ。キンジは全く分かっていないみたいでメヌエットにパイプで頭を叩かれているけど。

 

「キンジ」

 

「あ、あぁ」

 

ちょいちょい、とキンジをメヌエットやリサ、ワトソンから離れた所へ呼ぶ。そしてキンジの耳元で、さっきメヌエットが言っていたことがどういうことかを説明してやる。まぁこれは男の話だからキンジも「へぇ」とだけ頷いて特に嫌がる素振りもなかった。と、そこへジリリリリン───と、古き良き金属ベルの音が鳴り響く。随分とクラシカルな固定電話を使っているみたいだな。んで、それをサシェが取り、メヌエットへ取り次いだ。

 

「……はい、はい。えぇ。お姉様、キンジは私にとても良くしてくれていますわ。それに天人も。……えぇ、キンジだけじゃなく、天人もおりますのよ。特に天人には……ふふっ、私のことを抱きしめて頭を撫でてくれましたの。それに、お風呂上がりにも、寝る前にも、とても可愛がってくれてますよ?……はい?いいえ、同じ部屋で寝ておりますよ」

 

……お姉様、だと……?絶対やべぇだろその電話。しかもメヌエットの奴、話盛りまくってるし……。いやいや待て待て待て、大丈夫だ神代天人、安心しろ。いくらアイツが拳銃の名手かつ口より手より先に45口径拳銃(ガバメント)の弾丸が先に飛び出す拳銃の悪魔だったとしてもだ、俺の多重結界は破られない。対物ライフルだってダメージを受けこそすれ、貫通することなく弾けるんだ?たかが拳銃弾なんて余裕だよ。だから平気だ。落ち着け落ち着け。

 

そんな俺の動揺を他所に、当然そんなことをメヌエット()から言われれば俺に電話が回ってくるのは世の常。アリアの大声で振動している受話器を受け取る。……嫌だなぁ。

 

「……うい」

 

「───天人!!アンタまさかメヌにまで手ぇ出てないでしょうねっ!?」

 

「誓って何もしていません!!」

 

ホントだよ?誰も信じてくれないけどね。

 

「本当でしょうねっ!!抱き締めたとか頭撫でたとかっ!あれはメヌが勝手に話を盛っただけだって誓えるの!?」

 

(俺の危機管理的には)残念それは本当にやりました!!

 

「誓って特別な意味はありませんでした!!」

 

「風穴」

 

……今までとんでもねぇ声量で怒鳴り散らしていたアリアの声量が、一気に落ちた。そして、それに合わせて烈火の如く怒り狂っていた声色が、急にフラットになったもんだから俺は怖すぎてキンジにそのまま受話器を押し付けた。

 

「……あぁ、俺だ、キンジだ───」

 

と、キンジの声を聞いて少しは精神状態が元に戻ったのか、受話器からはまたアリアの大声が聞こえてくる。もっともそれはキンジを心配するもので、俺の時のように受話器越しでも分かる強烈な殺気とは程遠いものだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

アリアが行方不明。次の日の朝にいきなりバッキンガム宮殿からそんな電話が届いたのだ。で、キンジがアリアの戦姉妹であり、どうやらアリアが自分に同行させていたらしい間宮あかりに即電話。どうやらお忍びでカフェにて朝食を食べているらしい。だが1人ではない。キンジが2000円で買った写真に写っていたのは───

 

「……コイツ、どこかで」

 

「……俺が船で蹴り飛ばした奴か。……ほらあの、極東戦役の時に」

 

あの船で俺が無造作に蹴り飛ばした銀髪で小柄の女。どうやら鬼共に傭兵として雇われていたらしい、颱風(かぜ)のセーラとかいう奴なのだとか。……てこたぁこれは、鬼の差し金ってことか。

 

それを聞いてキンジはまた間宮に即座に電話を掛け直していた。しかし「トイレにでも行ったんじゃないですか?」と、間宮は呑気なもの。だが間宮の予想よりも、おそらく状況はもっと悪いぞ。セーラが間宮の尾行に気付いて撒いたんだ。

 

「……アリアの行き先、検索検索ぅ」

 

一々捜索するのも面倒なので俺は羅針盤で『アリアの行き先』を先回りして探り出す。……やはり、アリアは鬼共の元へと向かうようだ。

 

「……天人、それは何ですか?」

 

と、俺がいきなり取り出した道具にメヌエットの興味が引かれる。俺は今更隠すこともないだろうと羅針盤の機能をメヌエットに伝える。キンジもこれの存在は知っているから驚きはしない。

 

「なるほど……ものの在処を探し出す魔法の道具。本当に天人は面白いですね」

 

面白いのは俺よりも俺の持っている道具だろうに。そもそもこれ作ったのは俺じゃないし。

 

「こりゃあ貰いもんだけどな。……それよりお前ら、アリアはやっぱ鬼共の所へ向かうみたいだ。んで───」

 

───さっさと鍵で飛ぶか?

 

と、言おうとしたその時、サシェとエンドラがやたらと恐縮した様子でこれまた面倒な奴を連れてきた。白のスーツに蛇革の靴。サングラスだけ掛けて変装のつもりなのだろうか。こんな分かりやすい変装も中々見れないだろうなというくらいにはヘッタクソな変装はハワード王子その人だ。

 

「ハワード……今お前に構っている暇は───」

 

「これはこれは、このような時間からこんな(ひな)びた館へようこそお出でくださいました」

 

と、キンジを遮るようにしてメヌエットが恭しく挨拶をする。だがそんな時間すら勿体ないとでも言うようにハワード王子はそれを制した。どうやらアリアを探し出したらしい。何でも、『持病の治療のために療養に行きます』とだけ書き置きを残して忽然と姿を消したから、家族のいる家でゆっくり過ごそうとしているのではないかと思ったらしい。

 

だがメヌエットはそれを否定。メヌエットの推理曰く、嘘が苦手な奴が嘘をつく場合には後々の辻褄合わせを考えて"言い方を変えた真実"を話す傾向にあるのだとか。それに則れば今回のアリアの書き置きは"緋緋神化を止めるためにそれに必要な殻金を持っている鬼共の元へ行く"ということになるだろうとのこと。

 

実際、俺の羅針盤の検索でも鬼共の元へと向かっているらしいからな。俺からすりゃメヌエットの推理の方がよっぽど魔法みたいだぜ。

 

んで、何故キンジや俺に声が掛からないのか。アイツはサイオンとキンジの決闘を知っている。だからキンジが動けばサイオンが動くと見てキンジには声を掛けられなかったのだろう。俺が動いてもキンジが着いてくる可能性が高いからこれまた同じように声は掛け辛い。……まったく、敵に安く見積もられる分には何とも思わねぇけど友達にそう思われるのはあんまり気分の良いもんじゃねぇな。

 

俺ならサイオンだろうが鬼共が相手だろうが、そしてそいつらを同時に相手取ろうが関係ねぇ、キンジを抱えてでも勝てる喧嘩だってんだよ。

 

いい加減、そこら辺もっと周知させてやんなきゃ駄目みたいだな。

 

「キンジ、俺ぁ出るぜ。鬼共もイギリスにいるらしいし、覇美の腹ぁかっ捌いてでも殻金を奪い返す」

 

ついでに羅針盤で殻金の居場所を探したらやはりイギリスにあったのだ。どうやら覇美もこっちに来ているらしいな。

 

「待て、痣持ちが余達の問題に関わるな。お前も2度とアリアには関わるでない」

 

と、ここでもハワード王子は俺の邪魔をするようだ。だがコイツには俺は止められやしない。

 

「うるせぇな。なら手前が俺を止めてみろ、力ずくででもな。ここぁ聖痕を閉じる仕掛けがしてあるから、今なら止められるかもしれねぇぞ?」

 

実際のところ、鬼共の居る場所は人が多いみたいだったから今この瞬間に鍵で転移とはいかない。

 

「待て天人、俺も行くぞ。元々これは俺とアリアの問題だったんだ。いつの間にかお前まで巻き込まれて……その上殻金までお前が取り返したら……俺は2度とアリアの顔をキチンと見れなくなりそうだ」

 

と、ハワード王子だけじゃなく、キンジまでもがそんなことを言い出した。どいつもこいつも、俺には出てほしくないらしい。

 

「……そうかよ。なら勝手にしな。……一応、鬼共が居る場所だけ教えてやる。……レストランだ。カドゥガン・レストラン。テムズ川の岸に停泊させてる船、そこに鬼共は居て、アリアもそこへ向かう」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……悪いな」

 

と、俺が行かないのなら作戦が必要となるってんでメヌエットがキンジに授けた作戦。それは生物が最も油断する瞬間───つまり食事中を狙って強襲をかけるというものだった。そして、あのレストランはドレスコードがあるとのことで今はキンジのためのスーツを見繕ったところだ。

 

「要請無き手出しは無用のこと。キンジ、お前が自分で俺を除けたんだ。尻くらい自分で拭けよ?」

 

「分かってるよ」

 

まぁ死んだら戻してやるけどな。と、そんな呟きは喉の奥に押し込めて、俺はスーツ屋を出ていくキンジにクモを張り付けた。これでキンジが下手打って死んでも即座に飛んで行って再生魔法と魂魄魔法複合アーティファクトで死者蘇生させてやるさ。言ってやらないけどな。ちなみにキンジの乗り物はチャリンコ。サシェとエンドラが運んできたのだが、今のベーカー・ストリートにはこれしかなかったらしい。

 

しかもカップル用の2人乗りのやつ。……だっせぇ。しかもハワード王子も乗り込みやがったし。この2人で乗ると絵面がヤバいな。

 

そんなヤバめの絵面を晒したキンジとハワード王子を、俺とメヌエットは店の前で見送る。そしてキンジ達が見えなくなると───

 

「では天人の分のスーツも選びましょうか」

 

メヌエットは冷静な顔してそんな訳の分からんことを言い出した。

 

「いや俺ぁ要らねぇだろ」

 

店にゃ行かないんだし。最悪キンジに何かあれば俺は鍵で飛ぶのだからドレスコードなんて無視してしまえる。再生魔法と魂魄魔法で蘇らせられるのは死んでから15分程度だからな。俺までチンタラとチャリンコで向かっている時間は無い。

 

「今は必要無くとも、今後必要になるかも知れませんよ?ドレスコードなんて日本でも珍しくはないでしょう?」

 

と、メヌエットが俺を見上げながらそう言ってきた。

 

「はぁ……。まぁいいか」

 

その視線に根負けした俺は仕方なく店内へとメヌエットの車椅子を押しながら戻った。

 

んで、俺も一応武偵である以上は防弾繊維のスーツじゃなきゃ心許ないと思ってしまうのは多分習慣だ。とは言え、何らかの理由で多重結界が使えなくる場合もあるかもだし、そこは徹底しておくに越したことはないだろう。

 

俺はスーツの好みなんて無いので適当にメヌエットに選ばせたのだが、これがまたスーツには拘りのある奴だったようで長い長い。キンジにこっそり付けたクモからの映像だともうアイツ鬼と接敵したぞ。

 

その頃になってようやくメヌエットは俺に着せるスーツを選び終えたらしく、俺は視界の端でキンジと鬼に颱風のセーラ、それからサイオンまで入り乱れたカオスな戦場を監視しながらも老店主に従ってグレーのスーツを着せられていく。

 

んで、更にそこから細かいサイズを確認させられて、ようやく俺は解放された。……あぁ、セーラのパンモロでHSSになったキンジがサイオンとそれぞれ車やバイクに乗って銃撃戦してる。

 

「よく似合っていましてよ」

 

「そりゃどーも」

 

キンジの方が気になって仕方ない俺の返事は適当。だがそれが気に食わなかったらしいメヌエットが俺の脇腹をパイプでつついてきた。

 

「なんだよ」

 

「キンジが気になるのは分かりますが、祈っても詮無いことでしょう?」

 

「俺ぁ誰にも祈らねぇよ。今も魔法の力でキンジの方の戦況も監視してるだけ」

 

そう言いながら俺は屋敷の方へ向かってメヌエットの車椅子を押していく。俺の言葉にふむと頷いたメヌエットが黙り込む。だがそれも長くは続かなかった。

 

「天人、あなた何を苛立っているのですか?」

 

「……苛立ってない」

 

正直図星だったがそれを言うのは癪に障るので言ってやらない。ただ単にキンジの方が気になっているだけのフリをした。

 

「嘘おっしゃい。……キンジも少し言っていましたが───きっとあなたは何でも出来すぎる」

 

「……それの何が悪い」

 

俺が出れば全部解決するならそれに超したことはないだろうに。態々リスクを抱えてまで俺を退けていく理由がどこにあるというのだ。

 

「確かに天人に頼れば全て解決するのでしょう。けれどそればかりではきっと私達は駄目になってしまいます」

 

「…………」

 

俺は、返す言葉が見つからない。それをどう受け取ったのか、メヌエットは言葉を続けていく。

 

「この脚にしたってそうです。天人なら、きっと今すぐにでも歩ける……どころか外を走り回れるくらいの脚にすることも可能なのでしょう?けれど、私はそれを望みません。それは、私自身の努力によって成し遂げられるべきだと思っているからです」

 

リハビリの手伝いくらいはやってもらいますけど、とメヌエットは付け足す。

 

「もしこの脚のことをこれ以上あなたに頼れば、もう私は一生自分をあなたの下に置いてしまうでしょう。けれど私はなるべくあなたと対等でいたい。それは、キンジも同じことを思っているのではないですか?」

 

「……そうかよ」

 

俺はそれしか返せない。メヌエットの言葉に、自分が酷く子供っぽい存在に思えてならなかった。人に頼られることでしか自分の価値を認められない……いつの間にそんな歪な自己肯定感しか得られなくなっていたのだろうか。……いや、きっといつの間にかではなく最初からだろう。だから俺はリサに縋り……トータスじゃユエ達に縋った。そして多分、雫とリリアーナはそんな俺をあまり良くは思わないだろう。きっとアイツらの求める俺は本当の俺とは違う。それをどこか感じていたから彼女らからの気持ちを受け止められなかったのだ。

 

結局のところ、俺はあのシュネーの大迷宮で自分の鏡に言われたことまま成長できていないのだ。だからキンジから協力を拒まれてこんなにも気持ちがザワついている。

 

──みんな俺にやらせてしまえばいいのに──

 

そんな俺のエゴが、今メヌエットによって再び突きつけられたのだ。

 

「仲間を信じ、仲間を信じよ。でしたっけ」

 

メヌエットが口にしたそれは、武偵憲章の第1条。俺達の基本中の基本だ。

 

「もう少し仲間の実力も信用したらどうです?」

 

ふと俺を見上げるメヌエット。その小綺麗な顔に、勿忘草色の瞳に見据えられ、俺は逃げるように自分の目を逸らした。

 

「……してるさ」

 

「なら何故苛立っているのですか?」

 

「俺は……」

 

苛立ってなんかいない、そう返せばいいものを、そうできなかった。それが嘘の言葉ってのが、自分でももうとっくに分かっていたからだ。

 

「ただ与えられるものには価値は無い。それらは自分で掴み取らなければ駄目なのです」

 

と、メヌエットはどこか聞き覚えのあることを言った。あれは確か、ハルツィナ樹海の大迷宮で解放者の奴が夢世界を出る時に俺に告げたのだったか。きっとメヌエットならあの大迷宮も、体力や戦闘力さえ目を瞑ってもらえればクリアできるかもな。

 

「そうだな。……あぁそうだ。俺は、それを分かってたはずなんだけどな」

 

俺のそんな呟きは、メヌエットの住まう邸宅の庭に、吸い込まれて消えていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

クモで監視し続けたけど結局キンジはサイオンと仲直り──そもそもあれは仲違いをしていたと言うのだろうか──して鬼共を警察に引き渡した。だがセーラを捕まえ損ねたせいかアイツに手引きされた鬼共は見事に逃げ仰せ、事件は全て新聞の写真に映っ(合成され)たアラブ人達が起こしたバスジャックとそこに端を発した銃撃戦ってことにされていた。しかも全部ロンドン警視庁(スコットランド・ヤード)の手柄になってるし。

 

そのせいか、キンジに与えられた星は1つこっきり。だがキンジだって転んでもただでは起きないタイプの奴。いつの間にやらハワード王子とも仲直りしていたらしく、アリアのことは諦めるとか言ってキンジと握手しつつ帰っていった。案外王子も男らしいとこあるじゃん。この辺はアリアとハワード王子を迎えに行ったキンジにこれまたこっそり付けたクモで一部始終を見させてもらった。このクモ、変成魔法を利用して作ったので結構色々情報を拾えて便利なのだ。

 

で、アリアの奴ついでだからとこっちにも来るらしくて俺は大慌て。何せ今の俺はアリアからすれば自分の妹に手を出した奴って扱いなのだ。ここで会ったら何をされるか分かったものではない。多重結界があるから大丈夫な筈なのに何故か頭に浮かぶのはガバメントで全身に風穴開けられる未来だけ。誰か助けて……。

 

「ふふっ、面白い顔になっていますよ」

 

なんて、メヌエットは慌てる俺を見て楽しそうに笑ってるし。で、そんな風に時間を無駄に潰しているうちにアリアさんがご到着なすった。ドアが開き、身構える俺を見てメヌエットはクスりと笑い、部屋に入ってきたアリアはそんな俺を見て頭にハテナを浮かべている。

 

「……どうせメヌが話盛ったんでしょ?」

 

そんくらい分かってるわよ、とアリアは溜息。それを見て俺もようやく身体から力を抜いた。

 

「お久しぶり、メヌ。あんたしばらく会わないうちに綺麗になったわね」

 

「お姉様もですよ?女は恋をすると美しくなると言いますが、さてさて」

 

と、何やら謎の言葉の応酬があり、そしてキンジはアリアに突き飛ばされている。

 

「さて、そんなお姉様には私から1つ、見せたいものがあります」

 

「何よ」

 

と、メヌエットはそう言うと俺に杖を持ってこさせる。よくある1本足のやつじゃなくて石突きの部分が4本足になっていて、より安定感を増した作りのものだ。

 

アリアもそれを見て疑問顔だ。当然、アリアだってメヌエットの脚が全く動かないことは知っている。そんな奴が杖を持ってきて何をしようと言うのだろうと、そう思っているのだ。

 

「んっ……」

 

が、メヌエットは今や杖があればギリギリ自力でも立ち上がれるくらいには頑張ったのだ。まだ危なっかしいが、リサにもタンパク質を多く摂れる食事を作らせたりもしている。そして遂に、メヌエットは俺の力を借りることなくその脚と杖で、立ち上がったのだ。

 

「え……それ……メヌ……」

 

アリアもその大きな目ん玉をさらに大きく開かせている。その両手は口元を覆っていて、カメリアの瞳には大粒の涙も浮かんでいた。

 

「ふふっ……お姉様とラクロスができるようになる日も近いですね」

 

「メヌッ!!」

 

少しは立てるようになったとは言えまだ無理は禁物なメヌエットを俺は車椅子座らせる。しかしその時間すらもどかしいと言うかのようにアリアがメヌエットに駆け寄り、そしてその膝に抱きつく。

 

「あぁメヌ……メヌエット……。どうしたのそれ……だって……お医者様にも……」

 

「魔法使いとお友達になりましたの。えぇ、お姉様も知っている人ですよ」

 

と、メヌエットは俺をパイプで指し示した。アリアも、それはそれは信じられないものを見るような目で俺を見てくる。そりゃそうだろうよ。アリアも俺が何らかの超能力的手段を持っていることまでは知っているが、固有魔法がどうだの変成魔法が何だのと言った具体的な部分はあまり知らないからな。

 

「天人……ありがとう。メヌの、こと……。あんたが……」

 

「気にすんな。俺ぁコイツの希望に応えただけだ」

 

アリアにはそれだけ言っておけばいい。別に、コイツのために変成魔法を使ったわけじゃないからな。

 

「そうだわ天人。お姉様のこんな顔、一生かかっても見れなさそうですもの。折角あなたのおかげで見れたのだから、最後の星をあげましょう」

 

と、メヌエットはいつもの、意地の悪そうな笑みを浮かべ、遂に俺達に10個目の星をくれた。これでキンジとアリアが知りたい色金についての情報が得られる。

 

「それと、私は常々王室の一員になりたいと思っていました。けれど、それでは天人とは一緒にはいられないようです」

 

と、急にメヌエットが話を変えてきた。アリアもまだ半分泣きながらメヌエットを見上げている。

 

「ですから、私は王家の一員になることを諦めました」

 

「……は?」

 

俺はメヌエットの突然の爆弾発言に頭が追いつかない。それでも、その後に続く言葉が何となく予想できてしまい、それが余計に背中に冷や汗を伝わせる。

 

「───ですので、私はこのホームズ家を出て、天人と一緒に生きたいと思います」

 

「なっ───」

 

アリアとキンジが驚愕に固まり、俺は言葉が出てこない。

 

「もっとも、まずはこの脚で歩けるようになってから、ですけども」

 

が、ここでアリアさんが復活。凄まじい殺気を放ちながら立ち上がり、伏せていた顔が勢いよく上がって俺を睨みつける。その形の良い額には怒りのあまり血管が浮き上がっていて、それがアルファベットのDとEにも見えた。

 

「天人……あんた……人の妹に何したの……?」

 

「待てアリア俺は何もいや確かにその脚を動かせるようにしたのは俺だがそれ以上は何もしていない俺ぁ神にだけは何があっても何にも誓わないけどそうだリサリサに誓って何もしてない」

 

大迷宮の魔物なんかより余程アリアのこの殺気の方が恐ろしい。魔王覇気より威力のありそうなアリアの放つ怒気に俺は一息かつ滅茶苦茶な早口でそう言い切った。

 

「お風呂に入る前に服を脱がせてくれようとしましたし、身体も洗ってくれようとしたのに、ですか?」

 

と、メヌエットが敢えてアリアを煽るように言い放つ。いや待てそれはお前がやれって言ったんだろうが!しかも実際にはサシェとエンドラにやらせて俺は何もしてねぇし!!

 

「はぁ?」

 

あ、頭にAまで見えた。これはあれだ。最後にTとHが出てきてDEATH(デス)になるやつだ。揃えるとゲームに勝つやつ!カードゲームで見たことあるぞ!だけど現実にアリアの額にそんなの揃ったら俺が死ぬ!!……いや多重結界でガバメントの弾丸くらい受け止められるけども!!でも理屈じゃないの!心が怖がっているんだ!!

 

「メヌエットがやれって言ったんだ!当然からかってるだけだって分かってたから乗ってやっただけで……実際、見抜かれたメヌエットは結局サシェとエンドラにいつも通りやらせてた!俺は無罪!!」

 

俺は身の潔白を証言する。キンジも逃げ場のないここでアリアの銃撃に巻き込まれたくないのかそうそうと勢いよく頷いている。それを見たアリアのデコからはアルファベットが順繰りに消えていった。……助かった、と言っていいのかな。いや、微妙かな。まだDが残ってるし。

 

「……手は出してないみたいね。けど天人と一緒に生きるってのはどういうことかしら?」

 

それはまじでメヌエットに聞いてくれ……と思ったがメヌエットはニヤニヤと笑うだけで俺を助けようとはしてくれない。キンジもこっちは役に立たなさそうだし……。

 

「いや、それは……その……」

 

だが俺からは何とも言い難い。おかげで俺がどもってしまい、またアリアの額にEのアルファベットが浮かんできた。

 

「まぁまぁお姉様。天人は私にこの脚を───ひいては新しい人生をくれたのです。なれば私もそれに報いる何かを出さなければ。でしょう?」

 

と、メヌエットは前にも俺に言ったようなことをアリアにも言い出す。それを聞いてアリアは少し考えるような素振りをして……ようやく頭から死の宣告のようなアルファベットが消えた。

 

「でもメヌ、コイツはそこのリサだけじゃなくて、他にも何人もの女の子を侍らせてるのよ?そんな奴に───」

 

リサを指差し呆れ顔で告げるアリア。それに対しては俺も何も言い返せない。それに関しては純度100%で事実だからな。

 

「えぇ、知っていますとも。それでも、です」

 

「……私は止めたからね」

 

と、アリアはそれを聞いて諦めムード。待て待て、なんかこれ俺の意見は全部無視されてないか?あと何でメヌエットはユエ達のこと知ってんの?……あ、アリアが話したんか。そりゃあ可愛い妹が、色んな女の子とデキてる男と会うってんだから当たり前か。

 

「待ってくれ、俺はまだメヌエットを好きだとは言って───」

 

「大人しく責任を取りなさいな」

 

「キンジも女癖悪いけど天人も大概ね」

 

「なぁキンジ───」

 

「俺は何も分からない」

 

「よし分かった。この話は一旦保留にしよう。それでだな、メヌエット。遂に星を10個集めたんだ。色金について───」

 

これはまた俺の意見がスルーされる流れだ。それを悟った俺は一旦話を変える。こういう時はまず流れを変えなきゃだからな。色々ぶっ込まれたアレコレについては……もう未来の俺に全て任せよう。

 

「サシェ、エンドラ。私とお姉様が幼かった時のように───ペツォールトのト長調、B・W・V、アンハング114番を。今日はリサも加えて三重奏で」

 

なんて、俺の話を思いっきり遮る形でメイド達に御命令を下しているよ。しかもリサも含めてメヌエットに全員従うし。

 

で、仕方なく俺は壁に背中を付き、俺でも知っている小舞曲(メヌエット)に合わせて描かれる緋色のツインテールと金色のツーサイドアップの美しい螺旋を見守る。思わず嘆息してしまうほどに流麗なそれは、俺の視線を釘付けにしていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

どうやら緋緋色金のことは星伽白雪が知っているらしい。星伽の家は昔から緋緋色金のことを研究しているから後継者である星伽も当然誰よりも詳しいんだとか。

 

まさかメヌエットから出てきた情報がこれかよ。……これなら最初から羅針盤を使えば早かったかもな。"色金のことを詳しい奴"で探せば1発だろう。……ほらやっぱり。

 

と、俺は羅針盤で答え合わせ。こんな苦労要らなかったじゃん、と溜息をつかずにはいられない。

 

で、挙句にキンジみたいな訳分からん奴や条理の枠に収まらない俺のような奴が絡むと推理が上手く働かないだのなんだのと男組は2人してホームズ姉妹にボロクソに言われたし。

 

だがそんな風に中身の無い話ばかりしていたところ、外では何やら大きな出来事が起きたようだ。

 

急に耳をヒクつかせたリサが───

 

「ご主人様!!」

 

と、俺に抱きついてきた。視界の端でメヌエットがイラッとした顔をしたが、それよりもリサの顔が怯えている。そして、俺の耳にも()()が届いてくる。それは───

 

──……ホキョァァァァァ……──

 

鳴き声だろうか。何やら耳障りな音がロンドンの夜空から聞こえてくる。

 

「ご主人様……リサを助けて……」

 

ギュウっと、俺の服を掴み胸に顔を埋めたリサがそう懇願してくる。あぁ、大丈夫だよリサ。俺が、お前が恐れるような奴を野放しになんてしておくものかよ。お前の敵は、俺が全部まとめて討ち滅ぼしてやるからな。

 

「大丈夫だリサ。何だか知らねぇけど、俺ぁお前を守るよ」

 

俺はリサを抱きしめ、その髪を梳くように撫でてやる。

 

「ご主人様……」

 

── ホッキョァァァァァ!!──

 

と、そうしているうちに外で騒いでいる謎の存在の声がどんどん大きくなってきた。こんな声、聞いたことねぇな。まさかこの世界にまで魔物が現れたんじゃあるまいな。ま、それならそれでぶっ潰すだけだけどよ。

 

「ひぅっ……」

 

しかしその声にリサは更に縮こまってしまう。俺はその頭を撫でてやり、顔を上げさせた。

 

「そう怯えんな。言ったろ?大丈夫だ。俺が何とかする」

 

そう言って、俺は外へ出るためにリサを身体から離す。リサの身体の柔らかさと温もりが離れることに一抹の寂しさこそ感じるけど、俺はまたすぐに戻ってくるのだと自分に言い聞かせる。

 

「ご主人様……んっ」

 

と、リサと1つ口付けを交わす。それを見たアリアは一瞬で真っ赤になり、メヌエットは顔から溢れ出る不機嫌さを隠そうともしていない。

 

「お気を付けて、ご主人様……私の勇者様」

 

「あぁ。大丈夫だ。……行ってくる」

 

と、ホームズ姉妹の美しい小舞曲を魅せつけられた音楽室の窓から外へ出ようとすると───

 

「ま、待て天人!」

 

と、キンジが待ったをかけてきた。

 

「んー?」

 

「お前、敵が何だか分かってるのか?それに、外は凄い霧だぞ。いくらイギリスは夜霧が多いからって、これは異常だ」

 

「そうよ。それに、さっきの外はそんなに湿度も高くなかった。これは超能力による霧だわ」

 

と、キンジだけでなくアリアも、いきなり外へ飛び出そうとする俺を戒めようとしてきた。

 

「……ならお前らはテレビや何かで情報収集に勤しむんだな。俺ぁその間にこの小煩い鳴き声を潰してくる」

 

「なっ……」

 

今の俺なら神の使徒だろうが何だろうが即殺できるだけの力がある。敵の正体なんぞ行けば分かるのだ。それで何も問題は無い。

 

「……大丈夫なのですね?」

 

と、メヌエットが真剣な顔で俺に問う。

 

「あぁ」

 

だから俺も、真面目に頷く。大丈夫だよ、オルクス大迷宮じゃもっと絶望的な状況だったんだ。それでも俺は生き延びた。戦い抜いて、勝ち残ったんだ。今更こんな喚き声の主を潰す程度、なんてこたぁねぇよ。

 

「じゃ、お先」

 

と、俺は音楽室の窓から1歩外へ踏み出した。1歩目は空力で空を踏み締め、2歩目は空へと飛び上がり、3歩目からは縮地で空を駆ける。

 

そうして俺は真紅の魔力光を迸らせながらロンドンの夜空を切り裂いて駆け抜けた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

テムズ川に近付くにつれて霧は濃くなっていく。それに合わせて何やら濃密な殺気を感じる。それも、どこかで感じたことのあるような……。サーチライトの光と共に時折視界の端に見え隠れする青白い光。それを俺はどこかで見たことがあるような気がしていた。

 

そして、俺の展開している究極能力にも反応があった。つまりこれは、アリアの言う通り超能力で生み出された霧というわけだ。だが俺の気配感知の固有魔法は目標を捉え続けている。夜目の固有魔法も駆使して俺が見つけた小煩い鳴き声の正体。それは───

 

「プテラノドンとか……今平成だぞ?」

 

プテラノドンが地球に生息していた時期には年号なんてないのだが、それはそれとして俺は思わずそう呟いた。そう、あの謎の声の正体はその存在が時代錯誤を通り越すくらい太古の地球に生きていた翼竜、プテラノドンだったのだ。

 

そして、テムズ川を遡上してくる謎の船。……ていうかアレ、伊・Uだな、久しぶりに見たけど。……てこたぁ()()()も生きてるってわけだ。まぁいい、ここで会ったが100年目ってやつだ。1発ぶん殴らせてもらおうか。

 

俺は取り敢えずリサを不安にさせるこの翼竜を潰すために、宝物庫から取り出した電磁加速式の拳銃を向ける。そして何の躊躇いもなく引き金を引く。

 

──ドパァッ!──

 

と、何かを吐き出すような独特の発砲音をテムズ川に響き渡らせる前にこの時代錯誤甚だしい生物の脳漿をぶちまけ、一条の紅の閃光はロンドンの夜霧の向こうへと消えていった。

 

いくら太古の地球の空を支配していた翼竜と言えどトータスで磨かれた魔法と現代科学の間の子(ミックス)である俺の電磁加速式銃火器の前じゃ障害にもなりゃしない。俺は何の感慨もなく空力で伊・Uの後をトコトコと着いていく。コイツはコイツで惰性航行なのかエンジン音すらさせずにゆっくりと昇っていっているだけだからな。

 

そのうちに眼下ではキンジとアリアが1人乗り用のチャリンコに2ケツしながら伊・Uに追いついてきた。そして、キンジ達の手前25メートルほどのところで、伊・Uは停泊した。それに合わせて、艦橋から階段を登って姿を現したのは───

 

「シャーロック……」

 

シャーロック・ホームズ。武偵の始祖にして世界一の名探偵だった。そんな大物と、どうやらあの後直ぐにこっちに向かったキンジとアリアがそれぞれ言葉を交わしていく。それとは別に、さっき感じた殺気はさらに強く、俺の肌に突き刺さるようだった。……やはり、()()()()()()正解だったかもな。

 

俺はそんな風に彼らの問答を真上で聞きながら───

 

「うるせぇな」

 

俺は空力を解き、下へと落ちる。伊・Uへと降り立った俺にキンジとアリアは驚きの声を上げる。だが俺はそれを無視してシャーロックに向き合う。

 

「やはり、()()()()()()()()()()()()()

 

シャーロックは上空から俺が現れたことにも動じることなくパイプを吹かした。

 

「時代がどうのとか、知ったこっちゃねぇんだよ。俺ぁ決めてんだぜ、シャーロック。お前にもう1度会う時があったら、絶対に1発殴るってなぁ!!」

 

 

───バン!!

 

 

一息でシャーロックの目前に繰り出した俺は右の拳を振り抜く。一瞬、空気の膜のようなものが俺とシャーロックの間に現れたがそれは俺の究極能力(ルフス・クラウディウス)の前に消え去る。さらに1歩下がろうとしたシャーロックだが当然俺は奴の腰辺りに拳大の氷を配置して下がらせない。

 

「っ!?」

 

シャーロックはそれに驚愕──と言うより諦めの顔を──して

 

 

───ゴッ!!

 

 

骨と骨がぶつかり合う鈍い音を響かせて俺の拳を自身の左頬にめり込ませた。

 

「まさか、君がこれほどの力を持っているとは、私も推理できなかったよ」

 

と、俺に殴られた割に平気そうなシャーロックが呟く。今殴った瞬間、上手いこと衝撃を逃がされた感触があったな。この野郎、どこまでも食えない奴だ。

 

「ふざけろ、てめぇ今更俺の前に現れやがって……」

 

と、俺がそこまで言いかけて───

 

「っ!?」

 

遂に破裂するように膨れ上がり、俺を引き裂くかのような殺気に思わずその場を跳び退る。その直後、俺がさっきまでいた空間を()()()()()()()()()()()()が斬り裂いた。これを俺が忘れるわけがない。俺の中にある戦闘力の化身にして、魔法を手にした俺が最も戦闘スタイルに影響を受けたと言っていい男───

 

「龍司……光哉……」

 

あの粒子の聖痕を持つ男が光を収束させながらその姿を現した。その姿は……身体の半分が消失し、それを粒子で補っているために、見ている奴の健康が損なわれそうなくらいに青白く輝いていた。

 

「───かぁみぃしぃろぉぉぉ!!」

 

地獄の底から這い出てきたかのような怒気と殺気が()い交ぜになった、俺を呼ぶ声。それは人工浮島で俺に半殺しにされ───そして時間軸的にはもうすぐこことは別の世界で俺に殺される男の声だった。

 

「まさか、生きて帰ってきているとはね」

 

龍司の向こう側から聞こえた流暢で美しい英語に俺が視線をやると、そこにはあのISのあった世界でリサに異世界転移の方法を教えるだけ教えてどっかに消えたあの男が立っていた。

 

「あぁ、お前が飛ばしてくれた世界にゃ俺には想像もつかないくらいの天才がいてな。手伝ってもらったんだよ」

 

これは当然嘘。

 

俺はずっと気になっていたのだ。あの男、態々7ヶ月も経ってからなんで俺達の様子を見に来た?それはきっと、()()()()()3()()()()()()()()()()()()()()()()()からなのだ。ここに粒子の男がいるのが何よりの証拠。そして、その直後にあの世界に自身の聖痕の力で飛んだのだとしたら時間的な辻褄は合う。向こうで言っていた様子見だのなんだのはブラフの可能性が捨てきれなかったしな。

 

だから俺はコイツをここであの世界に飛ばす必要があるのだ。

 

「てめぇ、どうやら極東戦役じゃ眷属共に買われて俺を飛ばしたらしいが、残念だったな。俺ぁ帰ってきて、アイツらを負かしたぜ」

 

「……みたいだね。……龍司さん、君、彼に復讐したいんでしょ?」

 

と、俺の眼前でフーフーと荒い息をしていた龍司にそう声をかける異世界の扉を開く聖痕持ち。

 

「はっ!残念だったなぁ。俺ぁあの飛ばされた世界で時間も世界も渡る術を手に入れた。それだけじゃねぇ、ISなんていう超科学の兵器も手に入れた!もうお前じゃ勝てねぇぜ」

 

と、俺はわざとコイツを煽るように強い言葉を使う。嘘と本当の情報を織り交ぜて、真実味も増してある。そして───

 

『……()()()()()()()()()()()───天人の言うことを信じて今すぐISのある世界に転移して』

 

頭上から響く愛らしい声。それが命ずるのは文字通り神の言葉。これを聞かされた奴は有無を言わさずその言葉に従う。夜中の3時に呼び出されたのにも関わらず来てくれた金髪紅瞳を持つ完成されたビスクドールが如き美貌の少女。

 

もっとも今はその姿を現すことはなくただ言葉だけを投げかけているのだが……。

 

「……なるほど。龍司さん、彼に復讐するのなら今すぐに向こうに飛んだ方が良いようだ。それでいいですか?」

 

「何でもいい。俺はコイツをぶっ殺せればなぁ!!」

 

と、2人揃ってユエの言う通り別の世界……ISの存在するあの世界へと姿を消した。これで一段落だ。この転移でアイツらは向こうの、まだリムル

のいた世界やトータスに飛ぶ前の俺と戦い、そして粒子の聖痕の男は俺に殺され、俺は異世界転移の秘密を知り、そして篠ノ之束と織斑千冬を殺し、幾つもの異世界をリサと共に旅するのだ。

 

「……これでいいの?」

 

と、俺がテムズ川上空から日本時間の夜中3時に呼び出したユエが何故か一緒の布団で寝ていたシアを抱えて降りてきた。シア……既に2度寝してるし。

 

「あぁ。ありがとな。夜中に呼び出して悪かった。とにかくアイツらをこのタイミングであっちに送らないと辻褄が合わなくなる」

 

そうなった場合どうなるかはよく分からない。新たな平行世界(パラレルワールド)が生まれるのか、俺とリサがこの世界から消えて別の世界に飛ぶのか。なのでなるべくアイツらにはこのタイミングで消えてもらいたかったのだ。

 

異世界の扉を開く聖痕持ちが向こうで綺麗な英語を喋っていたから、イギリス出身の可能性には思い至っていたからな。イギリスに来た時点でかち合う覚悟はしていたし。

 

「さて、話は着いたかな?」

 

と、今の騒ぎすらも気に止めていない雰囲気のシャーロック。ホント、こういう神経の図太いとこはすげぇと思うよ。

 

「君達の都合が良ければおいで、悪くてもおいで。……あぁそうだ、天人くんはプテラノドンの死体は回収しておいてね。まだあれは世間に晒す時ではないから」

 

と、何とも自己都合なシャーロックの言葉に呆気に取られた俺は、思わずアイツの言うことに従って自分で吹き飛ばしたプテラノドンの死骸を回収しにテムズ川へと戻るのであった。

 

 



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鬼さんと兎さん

 

伊・Uの内部は昔とそれほど変わっていなかった。

 

ただ、中で巣食っている奴らは結構違う。ていうかこの原水、本当は広島の呉にあるはずだったものをシャーロックがまた盗み出したらしい。よくよく盗まれる原子力潜水艦だ。物が物だけに洒落になってねぇけどな。ここまでくるとリュパンよりもシャーロックの方が怪盗に思えてくるな。

 

ちなみに、俺が伊・Uに行くことはリサ達には伝えてある。プテラノドンを宝物庫で回収する時に扉を開いて伝えておいたのだ。こういう時は携帯より便利なんだよな、これ。

 

で、この新生イ・ウー……と言うかシャーロックの野郎は鬼共の戦術顧問を担っていたらしい。しかもこの船には鬼達の他に颱風のセーラまで乗っていた。後は何故か名古屋女子(ナゴジョ)のカットオフセーラーを着たちびっ子ガール。ユエ曰く、あれは人間に似ているが別の存在っぽいとのこと。確かに俺の右眼に映される魂を見ても人間のそれとは違うのは見て取れた。まぁ俺は興味無いからいいけどね。なんかその子もキンジにご執心らしいし。

 

俺に蹴り飛ばされた颱風のセーラや、あの船の上でも戦ったセーラー服を着た細身の鬼なんかは俺や(俺に抱えられながら爆睡している)シアを見つけると結構な鋭さで睨みつけてくるが俺はそれを無視。頭の中にある朧気なマップを参考に船内を歩き、俺が使っていた居室を見つけるとそこにユエとシアを寝かせておく。

 

日本時間はまだ夜中の3時で2人共寝起き──シアはまたすぐ寝ちゃったけど──だったからな。シャーロックが目的地まで165時間掛かるとか言ってたから寝られる時には寝かせておこう。

 

で、俺が羅針盤でキンジの居場所を探しながらフラフラ歩いていると、ようやく鬼やセーラ、アリアと一緒になって握り飯を食っているキンジを見つけた。シャーロック曰く、鬼にもキンジ達とはこれ以上喧嘩する気はないとのことで、仲直り会みたいなものらしい。俺もこれ以上敵対する理由は無いしでそこに加わる。

 

「あの白髪の女、一目見た時感じたがやはり人の子ではなかったか」

 

と、大柄な鬼──確か閻──がおにぎりを頬張っている俺にそう告げた。……あ、そういやシアのウサミミ隠すアーティファクト外したまんまだったかも。しくったなぁと思いキンジを見ればキンジも頷いている。あーあ、バレちったよ。

 

「言いふらしたら……いや、お前らの言うことを真に受ける奴もいないか……」

 

内容が内容だしな。実は白髪の美人の正体はウサミミの生えた獣人なんです!なんてこのご時世誰が信じるんだって話。しかも言ってる奴らは頭に角の生えた鬼ときた。まず普通は話も聞いてくれないし、話を聞いて、しかも信じる奴がいたとして、そいつは相当なアンダーグラウンドに生きている奴だろうから知られたところでってわけだ。

 

「ま、俺もお前らがまた喧嘩ふっかけてこなきゃ手出しする気もねぇけどよ」

 

「……否。覇美様はあの獣耳をした女との戦いを御所望されている」

 

と、セーラー服を着た鬼──確か津羽鬼──が俺を睨みながらそんなことを言い出した。

 

「そうかよ。ならお前から止めるように言っとけ。覇美って奴がどんだけ強いかは知らねぇけどな、シアにゃ勝てねぇよ」

 

「覇美様を呼び捨てにするな。……確かに、シアとやらは私より強い。だが覇美様は私7鬼分の強さ也。勝てない、と断ずるには尚早であろう」

 

と、今度は閻の方から怒気が発せられる。どうやら覇美様は随分と鬼共から崇拝されているらしいな。強さの方も、この閻の7倍って感じなのか。そりゃあ人間にとっちゃ脅威だろうよ。

 

「お前の7倍程度なら問題ねぇな。あん時ゃシアも全力じゃないし」

 

シアが使ったのはレベルⅦってところだった。それを使った瞬間にはコイツは瞬殺だったのだ。レベルⅥの時点ですらコイツら2人を相手に余裕のある戦いぶりだったシアが、神の使徒──それもシア曰くユエの魔力すら使って強化されていたらしい──4人をすら圧倒するシアが、たかが閻の7倍程度でどうにかされるわけがないのだ。

 

「何を……っ」

 

俺の言葉を聞いた津羽鬼がいきり立つ。だがそれを閻が諌めた。

 

「待て津羽鬼。確かにあの時彼奴は本気ではなかった。それは分かっていた」

 

「そういうこった。ま、アンタらのボスが戦いたがってるっていうのはシアには伝えとく。俺ぁ理由もなくお前らと喧嘩する気はねぇけど、売られた喧嘩は買うぜ」

 

腐っても強襲武偵だからな。俺も、そして今はシアも。おにぎりも摘んだことだしと、俺はそんな言葉を残してユエとシアを寝かせた居室へと向かう。確かに無駄に喧嘩をする気は無い。けれど態々仲良くする気もない。そんな俺の意思を俺の態度から察したのか、鬼達もそれ以上何かを言ってくることはなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

居室に入れば2人とも同じ布団にくるまって仲睦まじく寝息を立てていた。ユエとシア。師弟であり姉妹であり家族であり友であり仲間であり……。この2人の関係性を一言で言い表すことはできない。それくらい相互に深く根差し合い複雑に絡み合っているのだ。

 

最初はただの護衛対象から始まった関係。それが恋敵になり、そして身内に変わるまではそう時間は掛からなかった。

 

俺も、あの理不尽に飛ばされた世界の中で胸の内の孤独をユエに絆され、シアが世界を広げてくれた。この2人のどちらかがいなければ俺はきっとここにはいなかっただろう。俺はユエがいなければシアを助けることはしなかったし、シアがいなければティオをこっちに連れて来ようとは思わなかったと思う。

 

その後に、例えエヒトをぶっ殺して、トータスを後にしたとしても、きっと極東戦役には関わろうとせず、仮にキンジから殻金の奪取を依頼されたとしても羅針盤と鍵で強引に奪い取る手段を選んだと思う。鬼には武偵法なんて関係無いと、きっと俺はまた屍を増やした。

 

いつかリサは言っていた。俺は何人もの女を同時に愛せるはずだと。あの時はその言葉に引っ掛かりを覚えただけだったが、この2人が俺のその本性を暴いてくれた。リサにだけ捧げるのだと思っていた愛を他の誰かにも向けられるのだと気付かせてくれた。

 

それでリサや1人1人に捧ぐ愛が少なくなったわけではない。俺は全員をそれぞれリサと同じくらいに愛している。誰か1人と言えないのは心苦しさもあるけれど、それでも俺は俺の愛する女全員を世界一幸せな女にしてやると胸に誓ったのだ。

 

俺は2人のことを愛しているし、2人の関係性も愛している。この2人の絆を裂くことを俺は何人(なんぴと)にも許すことはない。例え、億が1にも有り得ない可能性ではあるが、それが俺やお互い自身であったとしてもだ。

 

「愛してる……」

 

思わず口から零れた言葉。それは発した本人以外の誰の耳にも届くことなく原子力潜水艦の壁の中へと消えていった。誰に届かなくてもいいのだ。これは俺だけの決意なのだから。

 

───護る

 

俺はこの2人を守る。この関係性を守り続ける。敵が神や魔物でも怪物だろうが傑物だろうと人間であっても国だとしても何があっても誰が相手だろうとも、だ。

 

俺は、トータスに飛ばされた直後の、刺すような殺意と共に抱いた決意とはまた違う……けれど同じくらいに強く燃えるように熱い意志を固めるのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……で?」

 

「ですぅ」

 

一夜明け、俺は居室で土下座を披露していた。頭上にはユエとシア。ユエのジト目から完全に温度が消えている。シアも淡青色の魔力光が時折漏れ出ていた。昨日は取り敢えず眠かったし急ぎだったっぽいからと見逃してくれていたが、どうにもメヌエットに関しての追求からは逃れられそうにはないようだ。

 

「本当にやましいことは何もしておりません」

 

「……具体的には?」

 

「生まれつき脚が不自由だと言うので変成魔法で動くようにしました」

 

頭を床に付けたまま俺は弁明の言葉を述べる。その後も聞かれたことに素直に誠実に、事実をありのまま何の脚色も不足もなく述べれば、頭の上からは溜息が2つ。そぉっと顔を上げればそこにあったのは呆れ顔が2つ。ユエとシアが揃って"やれやれ"とか言いながら肩を竦めていた。

 

「相変わらず天人さんが女の子の人生を激変させてるですぅ」

 

「……んっ、どこに行っても変わらない」

 

「リサが何て言ってたか知らないけどな。俺ぁそんな勝手に女引っ掛けたりしねぇよ」

 

と、俺もユエ達をジト目で見上げてやれば2人共「冗談冗談」と笑いながら俺の頭を撫でてきた。まぁ本気でコイツらが怒ってりゃメールだなんて遠回しな手段は使わないだろうから、からかい半分なのは分かってたけどな……。

 

それでもプイと顔を背けてやると、ユエとシアはお互いに顔を見合わせて───

 

「……ギュウ」

 

「ギュウッ!ですぅ!」

 

と、2人して俺に抱きついてきた。しかもそのまま頭撫で回すし……。

 

「天人さんってこういうとこありますよねぇ」

 

「……んっ、不貞腐れてる天人も可愛い」

 

男が女に可愛いなんて言われて喜んでいいのだろうか。そこはよく分からんけど頭を撫でられるなんてこと、最近はあんまり無かったからかどこか気恥しい。俺はそれを誤魔化すように立ち上がった。何やら「あぁ!?」だの「……もう少し」だの聞こえてくるが無視無視。

 

「……腹減った。飯にしようぜ」

 

2人からブーイングが飛んでくるが俺はそれを無視して宝物庫から保存食を取り出して、それを貪るように食い始めた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

その日の夜……と言っても今は極夜(ポールナイト)で正午でも日が出ない1日中夜の時期。そんな夜の中の夜に俺はユエとシアを連れ立って浮上航行中の伊・Uの露天艦橋に顔を出した。

 

ただ厚着をするだけじゃなく、シュネーの雪原でも使った周囲の温度を一定に保つアーティファクトで2人共防寒は完璧。俺は熱変動無効で寒さにも強いのだが、武偵高の制服だけだと見てて寒いし、申し訳程度でも季節感くらいは出そうと首にマフラーだけは巻いている。

 

「上見てみ」

 

適当に腰掛けて寄り添いあった俺達は上を見上げる。チカ……チカ……と空に煌めく光。天から降り注ぐような輝きのカーテンは地球の極地に行かないとそう見られない自然現象の奇跡。

 

「……綺麗」

 

「この世界の空は、こんなに輝くんですね……」

 

空で揺らめくオーロラを見てユエとシアがそう呟く。伊・Uが北極を通過するとは聞いていたからもしかしたら見られるかもしれないと2人を連れ出した甲斐があったな。

 

俺達はそれ以上何か言葉を交わすことなくただ空に揺蕩う光の波を見上げていた。静謐な時間がただ流れていく。俺は宝物庫から毛布を取り出すと俺に寄り添う2人をそれで包んだ。別に寒そうだったわけじゃない。ただもっと2人を近くに感じたかっただけなのだ。ユエもシアもそれを分かってくれているようでさらにギュッと俺にくっついてくる。女の子特有の身体の柔らかさと2人のそれぞれ違った甘い香りが俺を包む。

 

「……こういうの、久しぶり」

 

ユエがポツリと呟く。その愛らしい声に、俺はユエの腰に回していた右腕でさらに彼女の小さな身体を抱き寄せる。そして毛布の中に隠れているユエの小さな手を探し当て、その滑らかな甲を指で擦る。その度に桜色の愛らしい唇から「んっ」と小さな音が漏れる。

 

「ユエ……」

 

「……天人」

 

俺がユエを見て、ユエも俺を見上げる。その直後には俺達の距離はゼロになった。

 

「天人さん……」

 

そして、左隣からシアの可愛らしい声が聞こえる。俺はユエの唇から自分のそれを離すと、左手でシアの右手を探り、その指と指を絡め合う。

 

「シア……」

 

「んっ……」

 

そのまま俺とシアの距離もゼロとなる。触れるだけの甘いそれはしかし俺の心の中をこれ以上無いほどの安心感と幸福で満たしてくれた。

 

「……今度は皆で」

 

ユエの口からそんな言葉が溢れた。

 

「……ティオにミュウとレミア、それにリサとジャンヌも一緒」

 

──皆家族だから──

 

ユエの口から"家族"という言葉が出てきたこと、その中にはこちらの世界で出会った奴らも含まれていること。それら全部がユエのこれまでを、親族だと思っていた奴らに手酷く裏切られた──例え最後にはその真実を知ったとはいえ──その過去を想えば───

 

「……くすっ……変な天人。何で天人が泣くの?」

 

俺の目にはどうやら涙が浮かんでいるらしい。ユエの指が俺の涙を拭う。

 

「ユエさん……」

 

「……シアまで。今日は2人共泣き虫さん?」

 

シアもきっと俺と同じことを想ったのだろう。言われなくてもシアのこと、それくらいは分かっているつもりだからな。

 

シアが、毛布から出てユエの隣へ回り込む。そして俺とシアは2人でユエを抱きしめる。身体の小さなユエは俺達に挟まれてちょっと苦しそうな顔をしたが、身体を捩ってどうにか顔を出し、そして笑う。天使のような、空に輝くオーロラと星空にも負けないような、煌めく笑顔で───

 

「……ふふっ。ありがと天人、シア。……愛してる」

 

「あぁ。俺も愛してる、ユエ」

 

「ユエさん、私もユエさんを愛しています」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「天人さん、ごめんなさい。実は私……天人さんにも隠していたことがあります」

 

飾り気の無い巨大な戦鎚・ドリュッケンを携えたシアがそう口にした。

 

あれから何日かの航海を経て、俺達は鬼達の住む国──キノクニ──へと足を踏み入れたのだ。そして、目の前には鬼共のボスである覇美。その手には破星燦華 (はせいさんがふ)とかいう名前の巨大な戦斧が握られている。覇美の住むという城へと通された俺達の目の前にいたのはまだまだ小学生くらいの体格の鬼、覇美。

 

シアとやり合う気満々だったソイツだが、戦う前にまずは殻金を返してくれないかと閻が頼み込んだのだ。しかし覇美は俺達に殻金を返す気は更々なく、シアと戦わせろと喚き散らしたので、前々から伝えていた通り、シアが前に出た。

 

そして身体強化を限界まで行うための飲料アーティファクトを服用し、そして魔力光を迸らせながらそう言ったのだ。覇美が全力を出せと目の前に立ち塞がったシアに迫り、そして俺もそれを認めた、その時に。

 

「んー?……どゆこと?」

 

「実は、レベルⅩまでならもう()()も要らないんです。……あの時、天人さんに名前を呼ばれてから」

 

あの時……リムルの世界でシアに名付けの上書きが行われた時か。あの時ゃシアにもだいぶ魔力や魔素を持っていかれていたな。

 

「だから、こっからが私の全力ですぅ」

 

シアが覇美の方へと振り向く。淡青色の魔力光が爆発的に噴き出した。それは物理的な干渉力すら伴って、シアの青みがかった綺麗な白髪を真上へと巻き上げた。

 

「……過重身体強化ⅩⅠ(オーバーイクス・フェイズワン)

 

それは、俺も初めて聞く言葉だった。そしてシアがその言葉を発した瞬間、シアの魔力光に異変が起こる。シアの魔力光の色は本来なら淡い青色。しかし今、シアが新たな身体強化の段階へと入ったその刹那、淡青の中に真紅の色が紛れたのだ。そして、その真紅の侵食は段々と増え、今や1割に届こうかという程に淡青の中に鮮血のように赫い色が混ざっていた。

 

「あはっ!」

 

覇美は、それを見てニヤリと笑う。ただただ強敵と戦うことが嬉しいのだろう。だが、俺すら知らなかったシアの本当の本気。神の使徒すら屠るシアの圧倒的な膂力と戦闘力の前に、鬼風情がどれほど抗えるのか。

 

結果は直ぐに示された。

 

「来い!」と覇美が戦斧を構えた瞬間、シアの姿が視界から掻き消えた。そう思えるほどの超高速の身体駆動。音をすら置き去りにしたそれは脚から床へと伝わる脚力もまた甚大。シアと、そして正面からぶつかった覇美の姿が消えた直後、シアの踏み込む力に耐えられなかった城の床が崩壊したのだ。

 

俺はユエを抱え、閻がキンジとアリアを抱え、津羽鬼は自力で、それぞれ瓦礫に埋もれないように避難した。元々覇美の世話をしていた女中みたいな鬼達は覇美とシアが戦うとなった時には既に払われていてこの場にはいなかった。

 

「……ユエは、知ってたのか?」

 

レベルⅩまでは俺も知っていた。神域に攻め入る前にシアとの修行ではそこまでは上げられていたからだ。だがそこまで。シアの肉体を持ってしてもこれ以上は上げられなかったはずだったのに。

 

「……んっ。天人に隠れてこっそり修行してた。……黙ってたのは単に驚かせたかったから」

 

俺はユエのその言葉に思わず溜息。何やら深刻な顔して謝ってきてたから何か重大な理由でもあるのかと思ったけど、別にそうでもないらしい。

 

「……それに、まだあれは完成してない」

 

「んー?」

 

「……まだ上げられるのはⅩⅤまで。そのⅩⅤも長くは保てない」

 

どうやらまだシアはあの真紅の魔力光の混ざる身体強化を完全には体得していないらしい。て言うか、あの真紅の魔力光って……

 

「混ざってたあの紅い魔力光……あれ俺の、だよな?」

 

「……多分そう。小さいバチュラムみたいなのがいた世界で天人に力を貰ってから、出来るようになったみたいだから」

 

俺達のこの会話の間もどこからか空気の破裂する音や金属同士がぶつかり合う音、何かが爆発するような音に加えて地面が揺れるほどの衝撃が起きていた。どうやら覇美とシアがまだやり合っているらしい。しかもシアの魔力がどんどん膨れ上がっていくのがここにいても感じられる。

 

俺は羅針盤を使うまでもなくその魔力の出処を目安に戦場を探す。すると、覇美とシアはさっき俺達がこの島に降り立った方の砂浜の方で戦っていた。

 

そして、俺達がシアを視界に捉えた瞬間に、覇美の持っていた巨大な戦斧とシアのドリュッケンがぶつかり合い……そして斧が砕けた。

 

見ればシアから噴き出す魔力光の色はさらに真紅の割合を増やしている。

 

「……今はⅩⅡくらい」

 

と、俺の隣にいたユエが呟く。確かに、シアから噴き出す魔力光のうち2割には届かないくらいが真紅の魔力光だった。

 

「なんだよ、これ……」

 

そして、閻に抱えられていたキンジが俺達に追いつき、地面に下ろされながらそうゴチた。

 

「滅茶苦茶じゃない……」

 

アリアも同じく、ただでさえ大きな目を真ん丸に見開いている。俺達がここへ来た直後は綺麗だった砂浜は、今やシア達の人外の膂力によって砂が吹き飛ばされ、その風圧によって海水すら巻き上げられていて酷い荒れ様だったのだ。

 

そして、武器を失っても尚戦闘への意欲が萎えていなかった覇美だったが、遂にその鳩尾にシアの左拳がめり込んだ。音速を遥かに超えた速度とシアの体重を丸々乗せ、更に重力魔法によって乗せる体重そのものを増やしたシアの拳の威力は破滅的。それがクリーンヒットした覇美の小学生くらいにしか見えない未成熟な肉体は破裂し、四方八方に肉片が弾け飛ぶ。

 

 

───パァァァァァァンン!!───

 

 

と、一瞬遅れて炸裂音が響き、そして飛び散った肉片が黄金に光り輝いた。その光景はまるで、ビデオの逆再生かのようだった。ユエの再生魔法によって肉体が元の姿形を取り戻したのだ。

 

しかし唯一時間の逆行から逃れた赤い小さな破片が俺の近くへと飛んできたのでそれを手に取る。

 

勾玉の様な形をしたルビーみたいな宝石。これは……殻金、か。

 

「覇美さん。もう終わりですぅ。あなたでは私には勝てません。天下布武も、叶いません」

 

シアが返り血を拭いながらそう告げる。

 

──天下布武──

 

それは覇美がこれからやろうとしていたこと。超人をこの世界から炙り出しそいつらと戦うことが覇美の目的。だがいくらそんなことをしようとしてもコイツ程度では俺達には勝てない。今の戦いでそれは痛いほど分かったのだろう。覇美は頭を下げたままだった。

 

だが、横から見ている俺にはその口元が……まるで三日月を描くように裂けてい見えた。

 

「あはっ!あははははははははっ!!」

 

そして、覇美がいきなり大声で笑い出す。シアはそれに驚く素振りは見せず、油断なくドリュッケンを構え直した。

 

「シア!強い!!覇美、シアのものになる!!」

 

だが覇美から出た言葉はまさかの被所有宣言。それも、同性のシアに対して。

 

「はぁ……?」

 

まさかの言葉に、シアの身体から迸っていた魔力光が萎む。まず真紅が溶けて消え、淡青色の魔力光も霧散してしまった。

 

確かに、戦う前に覇美は強い奴のものになりたいとか言っていた。だがそれは男と戦った時の話だろうと勝手に思っていた。もしくは部下とか配下とか、そんな意味合いで下に付く、的な。だから俺はシアが戦うことに何も思わなかったのだし。むしろ俺が戦いに出て俺のものになりたいとか言い出されても困るのだから、覇美がシアと戦いたがってくれていて良かったと思ったものだ。

 

「いやあの、私も覇美さんも女……」

 

シアがツッコミを入れるも覇美は特に気にした様子もなくシアに飛びついた。殺気の欠片も無いそれにシアは反応できず、しかもただ抱き着いただけに留まらず、シアのその白くて柔らかな頬に覇美はキスを落とした。

 

「関係無い!覇美はシアとつがう!!」

 

つがう……番う……。つまりはシアと結婚するとかそういうことか……。まぁ、俺は同性同士が恋愛感情で結ばれることを否定はしない。だが、それとこれとは話が別だ。シアと番う、だと……?

 

「……覇美」

 

コイツには言わなきゃいけないことがある。だから魔王覇気は使わない。使うのはただの威圧だ。俺は殻金をキンジに投げ渡しながらシアに抱き着いた覇美へと近付いていく。

 

「ん……?お前、痣持ちか。覇美、痣持ちは嫌い!」

 

覇美はさらにシアにギュッと身体を寄せる。それが、さっきの番うだとか頬へのキスだとかと相まって俺の神経を逆撫でする。

 

「嫌いで結構。けどなぁ、シアと番うだぁ?シアはなぁ、俺と番うんだよ。てめぇじゃねぇ、この俺とだ!しかも何の断りもなく頬にキスしやがって……。その頬は俺とシアのもんだ!!」

 

「キレた理由がまさかの嫉妬!?」

 

俺の怒る理由に、シアが驚いたような顔をしている。

 

「あぁ?あったりまえだろうが!シアは俺の嫁だ!いきなり出てきて勝手言ってんじゃねぇ!」

 

バチバチと、俺は全身から纏雷を発動させて覇美を威嚇する。威圧の固有魔法と纏雷での示威行為に、どうやら俺がブチ切れているらしいというのは把握できた覇美はシアから降りると、ガニ股で少し前傾して立ち、力こぶを作るように拳を握った。向こうから来る、と言うよりはこちらへのカウンターの構えだ。……攻める気は、あまり無いらしい。

 

「ユエ、アイツの斧ぉ再生させてやれ」

 

「……んっ」

 

と、呆れ顔のユエが発動した再生魔法によりシアに砕かれた奴の戦斧──破星燦華 ──が元の威容を取り戻した。

 

「使え、覇美。その上で手前を叩き潰してやる。どっちがシアの(つがい)に相応しいか、分からせてやる」

 

「……痣持ちとは戦う気、無い!」

 

「あぁ?ビビってんのか?安心しろよ、手前なんぞには使わねぇから」

 

そんなものを使わなくても、今の俺なら氷の元素魔法すら無しでもコイツには負けやしねぇ。

 

「なればこれを」

 

と、閻が持ってきたのは1メートルくらいの高さと直径が30センチくらいはありそうな筒状の石柱。

 

それに何やら閻が自分の牙で指先を切って少し血を出し、それを柱に塗った。その瞬間───

 

「へぇ……」

 

俺の中で何か繋がりが途切れるような感覚。多分、あの石は一定範囲内の聖痕を塞ぐ力があるのだろう。そして、それのトリガーは血液。

 

「よぉ、どうやら俺の痣ぁ塞がれたみたいだぜ」

 

と、俺が覇美を煽るような顔をしてやれば……

 

「ふん!なら戦ってやる!お前と覇美!シアとつがう奴決める!」

 

覇美はどデカい破星燦華 を構えた。俺も両手にアーティファクトのトンファーを構える。生成魔法で纏雷と衝撃変換、金剛が表面に付与。中は空間魔法で広げてそこにチェーンが仕込まれており、もちろんそれにも空間魔法と纏雷が生成魔法で付与されている。アリアを乗っ取った緋緋神に使ったのと同じやつだ。

 

それを構えた俺と巨大な戦斧を構えた覇美の間に緊張が走る。一瞬の静寂の後、俺達は同時に1歩踏み出した。

 

真上から唐竹割りに振り下ろされる戦斧。それを俺は左手のトンファーで受け止める。

 

───ガッキィィィィィンン!!

 

と、金属同士がぶつかる音が砂浜に響き渡る。その人外の膂力がもたらした衝撃に浜辺の砂が舞い上がる。俺の足も、足首まで地面に沈んだ。だが俺は自分の足を縛める柔らかい砂を魔力の衝撃変換で吹き飛ばし、自由にしてやる。

 

そして頭の上の斧をトンファーで振り払い、覇美の脚をへし折ろうととローキックを放つがそれは覇美がその場でバック宙を切ることで躱した。だが着地際に俺が縮地で距離を詰め、その頭に向けて右手のトンファーを振るう。しかし覇美はそれすらも凄まじい反応速度で見切り、戦斧のグリップで弾こうとした。だがこの一撃には魔力の衝撃変換を込めてある。俺は斧の柄ごと衝撃波で覇美の頭を打ち抜く。

 

弾かれるようにして覇美の小さな身体が吹き飛ばされた。だが数百キロは裕にありそうな戦斧を抱えたまま覇美は空中で体勢を整え着地した。

 

「あははっ!痣持ち、お前、名前は?」

 

「……天人、神代天人」

 

何が楽しいのか笑っていやがる覇美に俺も名前を名乗る。……空間魔法の付与された刀剣で真っ二つにしてやるのは簡単だが、それじゃあコイツは負けを認めないかもしれない。俺はコイツを完膚なきまでに叩き潰し、シアは俺の女だとコイツに認めさせてやらねばならないのだから。

 

「そうか!」

 

名前だけ聞ければ満足だったのか、覇美はそれだけ言うと直ぐに俺に向けて戦斧を振り被り、駆けて来た。俺もそれと同時に駆け出し、覇美が俺の頭をかち割ろうと大きく後ろに戦斧を持っていった瞬間に縮地を発動。さらに背中から魔力の衝撃変換を発動させ、それも推進力に変えた俺は覇美の顔面に左の膝蹴りを叩き込む。さらにその小さい頭を横から右の膝で蹴り抜く。砂浜に叩きつけられた覇美の、これだけ巨大な戦斧をどう持っているのか不思議に思えるくらいのほっそい腕を踏み抜く。

 

そしてそのまま纏雷を発動させ、高圧電流を覇美に流し込む。赤い(いなずま)が覇美の全身を駆け巡り、その熱が肉を焼く。

 

バチバチバチ!!という電撃が発生する音が覇美の叫び声をかき消し熱量で肉の焼ける臭いが鼻につく。ここいらでいいか……。

 

「覇美、これで分かったか?お前より俺の方が強い。シアは俺の女だ。勝手言うのは許さねぇ」

 

宝物庫から再生魔法を付与した鉱石を取り出し、それに魔力を注げば再生魔法の光が覇美を包み、俺に焼き切られた筋繊維や神経が時間を遡り戦闘前の状態へと復元した。俺は覇美の腕から足を退ける。念の為、破星燦華 は手の届かない遠くへ投げておく。……あれ、持った感じ700キロくらいあったな。

 

「……分かった。シアは諦める。けど覇美、天人のものになる!」

 

「嫌だね。俺ぁお前に興味ねぇ」

 

正直こうなるかもとは思っていたが、俺は覇美には本来何の興味も無い。今回はただコイツがシアと番うだのと言い出したから戦ったが、そうじゃなきゃ喧嘩したいとも思わなければましてや番うなんぞ御免だね。

 

だが覇美はもう中身も見た目通りのガキんちょ。俺に辛めに袖にされたくらいじゃ諦める気は毛頭ないらしい。ヤダヤダと駄々っ子のように俺にしがみついてくる。俺はそれを無視して、足元に引っ付いた覇美を引き摺るようにしながらキンジ達の元へ向かう。

 

「それが殻金か?」

 

と、俺はキンジに着いてきていたカットオフセーラーのロリっ子が手にしていた殻金を指差す。

 

「……はいです。でもこれ、効力を……失ってるです」

 

答えたのはカットオフセーラーの女の子。そして、その小さな口から語られたのは衝撃の事実。俺達や、特にキンジが世界中飛び回って探した殻金が、その効力を失っている、だと……?

 

どういうことだと聞けば、緋緋神が覇美を通じて、殻金に掛けられた術式とやらを狂わせて機能停止に追い込んだのだろうということだ。

 

なるほど、だがそれなら……

 

「───あははははは」

 

ユエに再生魔法で殻金の時間ごと巻き戻してもらおうと声を掛けようとしたその時、アリアがいきなり笑い始めた。いや、これ……アリアの笑い方、なのか?

 

俺の感じた違和感に、しかしキンジは確信を持っているようだ。これは違う、アリアじゃない。義眼に映る魂もアリアのものじゃない。この輝くように赫い魂は……

 

「緋緋神か」

 

「あぁ!ちょっと前からアリアにはいつでも入り込めそうだったんで頃合を見計らってたんだけどな。あたしが駄目にした殻金を見てコイツがガッカリしたところで憑依(はい)らせてもらったぜ。猴と覇美も揃ってるしからな。痣持ちのお前がいるとしてもベストタイミングだ!」

 

「あぁ?アホかよ、てめぇ今更逃げ切れると思ってんのか?」

 

コイツの使う超超能力とやらには昇華魔法で一段上げた程度の俺の究極能力は通らなかった。だが羅針盤と越境鍵で追跡し続ければ何の問題も無い。どこへ逃げようと、例え別の世界へ逃げようとも俺からは逃げられないのだ。

 

「いいのか?お前の力で無理矢理あたしを剥がそうとしたらアリアの魂も一緒に壊れるぞ?」

 

確かに、ユエがエヒトに乗っ取られた時にアイツを引っ剥がしたのは魂魄魔法と言うより、それの強度を更に上げた概念魔法によるものだった。そしてあれは俺の家族にしか効果が無い。つまり緋緋神相手には普通の魂魄魔法を使うしかないのだ。しかしいくらユエと、それから日本に帰ればティオの協力も得られるとは言え、元の魂を傷付けずに憑依した魂を引き摺り出すなんてことは俺達の誰もまだやったことがない。

 

挙句、アイツの能力には俺の氷焔之皇が効かなかった。あの時ゃ昇華魔法だけで汎用性を持たせたものだったから強化の聖痕も併用した本気の氷焔之皇ならどうかはまだ分からない。だがアイツの力には神代魔法クラスの強度があるのは確かなのだ。

 

魂魄魔法が通るかどうかは、半々ってところか。

 

「……天人」

 

そして、俺の肩に手を置く人物が1人───キンジだ。

 

「こっからは俺にやらせてくれ。殻金だって、本当は俺が取り戻す筈だったんだ。だからこっからは先は……頼む」

 

そして、キンジが俺にそう懇願する。その瞳には強い意志が宿っていた。

 

「……分かったよ。なら俺ぁこっから先もう手出ししねぇ。ユエとシアにも手出しさせねぇ。武偵憲章4条、武偵は自立せよ、要請無き手出しは無用のこと、だ」

 

「恩に着るぜ」

 

「あぁ?……気にすんな」

 

俺は、1歩引く。そして逆にキンジは1歩前に出た。アリアと覇美、それから猴と呼ばれていたカットオフセーラーの女の子はいつの間にやら3人並んでいた。どうやら3人とも操られているようだ。覇美も、さっきまであれだけ駄々を捏ねていたのに急に静かになったと思ったら俺の足元からスルりと離れていったし。

 

そして、3人とも人間じゃ有り得ないジャンプ力を発揮してその場から跳び退る。どうやら逃げるようだ。

 

「待て!」

 

「キンジ!最後の餞別だ、受け取れ!」

 

『ユエの名において命ずる───HSS(ヒステリア・サヴァン・シンドローム)になれ、遠山』

 

俺の合図に合わせて発動されたユエの神言。こっから先は普通の状態のキンジじゃ戦えないからな。この件、俺の最後の干渉だ。

 

そして、ユエの神言を耳にしたキンジは───

 

「ありがとう。有難く受け取っておくよ」

 

と、相も変わらずキザなウインクをユエに向けて送ってきやがるのであった。

 

 

 

 



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再生の聖痕

 

 

今回、キンジにはクモを付けていない。手出しはしないと約束したからな。あれで様子を見ていたらどっかで手出ししたくなっちゃうだろうし。

 

そこで俺は一旦ユエとシアを鍵で日本に帰し、俺は入ってきた時と同じように正規のルートでイギリスから日本へと帰国した。どうやら俺はイギリス王室からも嫌われていたみたいだからちゃんと出られるのか不安だったが、特に何か問題が起きることもなく日本へ帰れたからそれ自体は杞憂に終わって何よりだ。

 

で、帰ってきてから俺はリサに一旦おやすみを与えた。理由は単に働き過ぎ。家事に会社関係の仕事に挙句はイギリスでメヌエットと俺達の世話までしてくれたのだ。このままこのペースでリサが働いてたら過労で倒れる。いくら俺達の手には回復魔法や再生魔法、果ては神水なんてものがあるにしても、倒れたり不健康に痩せ細るリサなんて見たくもない。

 

幸い直近で大きな取引は無さそうとのことだったからタイミングも調度良かった。休暇を与えられたリサは逆に不安がっていたけど、実際家事はシアとレミアがいる以上は問題無い。ユエも必要最低限の生活力はあるし、ティオもそこまで散らかす奴ではない。()()()()()()()()生活力断トツ最下位なのは俺だが、と言うかむしろ足でまといは俺しかいない──ミュウもレミアのお手伝いで洗濯物畳むとか出来るしお片付けもちゃんと出来る──のでリサが抜けてもそこは大丈夫だったりする。……のが逆にリサ的に怖い所らしく、しきりに俺に「リサを捨てないで」的なことを言ってきたり視線でアピールしてくる。

 

「大丈夫だって。俺がリサを捨てたりするわけないだろう?」

 

俺はリビングのソファの背もたれに背中を預け、足の間にリサを挟み、そのお腹に腕を回している。リサの髪から漂うシロップのような甘い香りが俺の鼻腔をくすぐる。それを胸いっぱいに吸い込みながらそこに顔を埋める。

 

「んっ……」

 

と、俺の吐息が首筋に当たったのかリサが少し身を捩った。

 

「そうさせたのは俺だけどさ……。でもリサが疲れ果てるところなんて見たくないんだよ。だから、たまには休んでほしいんだ」

 

俺が、その体勢のままそう言うと、リサはふぅと1つ息を吐いた。

 

「分かりました。ご主人様がそう言うのであればリサもしっかりお暇をいただきます」

 

それに、とリサは言葉を続けた。

 

「最近、ご主人様と2人きりになれることも少なかったので……リサも寂しかったです」

 

なんて、特大に可愛いことを言ってくれる。俺は思わずリサを強く抱きしめる。今ユエとシアはこの部屋にはいない。今は3学期、進学分の単位を取り終えた武偵高の2年は基本的にこの時期には登校しない。するのは成績が悪くて単位が足りない奴らか、ユエやシアみたいに途中加入でどうしたって単位が足りない奴らか、どっちかのパターンがほとんどだ。ティオは今はレミア達の方へ出掛けているから、本当に今は俺とリサの2人きり。……何だか久し振りだな。イギリスに行く直前も、2人で空港まで行ったけどあの時は公共の場だったから本当にホントの2人きりってわけじゃあなかったからな。

 

「リサ……今日はどうする?」

 

平日とは言え武偵に曜日はそれほど関係無い。今日は仕事も入れていない。何なら明日も明後日も入れていない。

 

「今日は……ご主人様とずっと一緒にいたいです。ただこうしてご主人様に抱かれていたい……。駄目でしょうか?」

 

リサの鈴の音を転がしたような囁き声に俺はもう頭がクラクラしてくる。俺の腕の中で甘えるように背中を預けてくるリサのその仕草が、俺の心をくすぐる。

 

「駄目じゃないよ。そうだな……なら、おいで……」

 

と、俺はリサの背中と膝裏に手を回し、そのまま抱き上げた。突然のお姫様抱っこにリサは「ひゃっ」なんて可愛らしい声を上げる。そしてそのまま寝室へとリサを運び、ベッドへとゆっくり降ろした。

 

「制服……シワになっちゃうな」

 

今日も今日とて改造防弾セーラーメイド服のリサ。俺はそのスカーフを抜き取り、ブラウスを脱がせる。俺の動きに逆らうことなくリサは両手を上に挙げ、フリルの付いた赤いと白のブラウスは脱げ、少し引っ掛かったリサの大きな果実が揺れる。白く輝いているかのようなそれを包む、露わになった薄いピンク色の下着の肩紐を指先でなぞるとリサはくすぐったかったようで「んっ……」と声を漏らす。そのまま指で肩から腕をなぞり、指の流れをそのままにスカートのチャックを下ろした。リサが少し腰を浮かせ、俺はスカートも脱がせる。すると、普段からつけているガーダーベルトがその姿を見せた。下の下着も上と同じ薄いピンク。それがリサの白い陶磁器のような肌とのコントラストで品のある妖艶さを演出していた。リサは頬をこれまた薄い桃色に染めながらベッドの上に置かれた制服を丁寧にたたみ、ベッド脇の床に置く。

 

「綺麗だよ、リサ……」

 

俺はその頬に手を触れ、顔の横に垂れた透けるように薄い金髪をかき上げ、耳に触れる。耳朶(みみたぶ)を撫でるとリサはくすぐったそうに肩を竦めた。俺はリサの肩を抱くと巻き込むようにしてベッドに倒れ込む。ギシリとスプリングが軋む音が鳴る。

 

「ご主人様……」

 

至近距離にあるリサの唇に自分のそれを触れさせる。一瞬の接触の後に俺とリサはデコとデコ、鼻と鼻をくっ付き合わせた。

 

「ふふっ……」

 

リサが微笑み、今度はリサから唇を寄せてきた。俺もそれを受け入れ、今度は2度3度と口付けを交わした。

 

そのまま2人とも毛布を被り、頭だけ外へ出す。フワフワの毛布の中、俺はリサの髪を撫でる。梳くように髪の間に指を通し、その柔らかさを堪能していると、リサも俺の頭を撫でてくる。

 

リサの髪を梳きながら俺は指先でリサの背中も楽しむ。細く、柔らかいそれは少し力を込めれば折れてしまいそうな程で、それがどうしようもなく怖かった。

 

「リサ……」

 

「ご主人様……」

 

だから俺はリサと口付けを交わす。リサの存在を確かめるように、何度も何度も啄むように。それから俺達は言葉を交わした。愛の睦言ではないけれど、俺がトータスに行っていた間のリサのこと、俺が欧州に出ていた間のこと、それから俺のこと……。メヌエットの家で何があったのかはだいたいリサには話してあるから、アメリカでのことや伊・Uに乗っていた間のこと。鬼のことは、俺にはあまり関係が無いし、あれはキンジが解決したようだ。何か知らんがNASAに行ってロケットに緋緋神を乗せて宇宙に放流したとか言っていた。どうにも色金って奴らは宇宙から降ってきた隕石なんだとか。

 

そうやって、俺達はお互いがいなかった時の時間を少しでも共有していく。俺はその間もずっとリサの声と、言葉と、そして白く柔らかい肌を楽しんでいた。リサも時折俺の胸に縋るように自分の顔を押し付けて甘えてきた。言葉に詰まればキスをした。唇同士だけじゃなく、おでこや頬、手の甲にもキスを這わせる。

 

そうやって、これまでの空白の時間を埋めていくと、今度は俺達の腹が空白へと近付いてきた。

 

「お昼にしよう。……今日は外で食べようか」

 

と、俺が提案すれば……

 

「はい。リサもご主人様と外にお出掛けがしたいです」

 

リサはまるで満開の花が咲いたような笑顔でそう言った。

 

 

 

───────────────

 

 

 

折角2人きりで出掛けるのに防弾制服じゃ無骨が過ぎるってんで俺達は2人とも私服に着替えて外へと繰り出した。

 

リサはベージュのロングコートを着て、脚はモコモコの付いたショートブーツと黒いタイツを履いている。ただ手袋はしていない。どうせ片方は手を繋ぐのだから要らないのだ。

 

俺達は一緒にマンションを出て、街を歩く。俺は外の気温とリサの体温を楽しもうと熱変動無効を一旦カットした。久しぶりに肌に外気温を感じる。もうすぐ春がくるからか、前みたいな寒さは感じない。

 

リサと触れ合う手が熱い。女の子の手なんて握り慣れている筈なのに、いつだってリサの肌は俺の心臓を跳ね上げるのだ。

 

「どこへ行きましょう?」

 

「あっちの方に幾つかお店を見つけたんだ。まだ全部試したわけじゃないから、行ってみよう」

 

と、俺はリサの手を引いた。1歩大股で俺の横に並んだリサが自分の腕を俺のそれに絡める。俺の腕に触れるリサの身体はどこまでも柔らかく俺を包んだ。メイプルシロップのような甘い香りが俺に届いた。それはリサの香り。俺の心をくすぐる香りだった。

 

15分も歩けば店の目の前に着いた。そこは前にレミアと入った洋食店とはまた違う店だが、やはり落ち着いた店構えとガラスから覗く雰囲気は中々に風情がある。

 

「ここにしようか」

 

「はい」

 

と、俺がドアを開け、先にリサを通す。バイトだろうか、同い歳くらいの女の子の店員に案内されたのは窓際の席。

 

メニューを開けば和も洋もそれなりに揃っているお店のようだった。こういう時あまり時間の掛からないタイプの俺はパラパラとメニューを捲り、注文を決めた。

 

それで顔をあげればリサもメニューを決めたようだったので店員を呼び、それぞれ注文を伝えた。

 

「落ち着く雰囲気ですね」

 

と、リサが店内を見回してそう言った。

 

「あぁ。この辺、こういう店が多いみたいだな」

 

俺がそう返した後は無言の時間が続く。けれど俺達はこれを気まずいとは感じない。有線放送なのだろうか、穏やかな曲調のインストゥルメンタルの音楽が流れ、澄んだ小川の流れのように緩やかに時間が流れていく。

 

そのうち俺達の頼んだ料理がそれぞれ運ばれてきた。俺はハンバーグセット。リサはオムライスだ。リサは俺の前に置かれた皿を見て、穏やかに微笑む。何も言わなかったけれど、理由は分かっている。そして、その理由がこの場に相応しくないということも。だからリサは何も言わない。俺も無言の微笑みの理由を問うことはない。

 

そして俺達は両手を合わせ、それから運ばれてきた料理に手を付け始める。最初はお互い無言で、そして時折言葉を交わし合い、お互いの料理を少しずつ食べさせあってみたり。そしていつの間にか空になった皿を前にして俺達は見つめあった。

 

「行こうか」

 

「はい」

 

伝票を手にレジへと向かう。そこで会計を済ませて店外へと出れば、冬と春の狭間の風が駆け抜けた。けれどそれは俺の背筋を撫で上げると直ぐに街角へと消えていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

その後も家に帰れば2人とも服を脱いで布団の中に潜りただ何をするでもなく抱き合い肌を擦り合わせ、夕飯の時間になればまた適当に服を着て皆で食べ、そしてまた2人で抱き合って寝た。次の日には2人で街へ出掛けて街歩きを楽しんだ。そしてまた次の日はベッドの上で2人して布団に包まる。そんな風にして俺達は3日という時間を過ごしていた。

 

そうして迎えた終業式の日。緑松校長の「武偵の武は戈を止めると書き───」みたいな有り難いお話を賜りながら頭ん中は「この人こんな顔だったんだなぁ」という雑念に覆われていた。あと俺の頭の中にあるのは目の前に並んでいる3年生達。アイツらから感じる圧が凄まじいのだ。そりゃあ3年の、それも卒業間近ともなればプロの武偵として過酷な仕事をやり抜き生き残ってきた猛者達ばかりだ。当然そんな気配を隠すのも上手い……上手いのだが、だからこそ恐ろしい。あんなのがそこら辺の街中で素知らぬ顔をして歩いているということなのだからな。その後ろ姿には、去年俺にランバージャックを仕掛けてきたアホな面影なんぞ微塵も感じられない。

 

武偵高の卒業生の進路は様々だ。虫でも筆記には通ると言われている武偵大に進む奴、大学は大学でも街中で適当にインタビューしても大体の奴が名前を知っているような一流大学に進む奴もいる。最近の大学は治安が悪い。何せいきなりショットガンを乱射する奴や安物の拳銃を撃ちまくるような奴がいたりするのだ。

 

あとは、俺も潜入して調査・強襲したことがあるが()()()だ。大学……それもそれなりに頭の良い大学ともなればそこの生徒達もそれなりの知識と悪知恵がある。最近は少し減ってきたが、それでもまだそういう奴らが()()()()()()()()()()を作ってはばら蒔いていたりもするのだ。ある時には大学の教師までもが関わっていたこともあった。

 

そういう()()()()を事前、ないしは秘密裏に潰すための用心棒として大学側が推薦枠で武偵を招き入れることがある。そして、武偵側は大学の治安を守る代わりに分不相応な高等教育を受けられるって仕組みだ。

 

あとはたまたま入れた2流ないしは3流大学に進み、普通の大学生をやりながら裏でこっそり武偵をやっているのもいる。

 

他の進路としては大概が武偵企業への就職。あとは自衛隊とかそっちに流れる奴もいるな。こっちは完全にクラスチェンジに成功ってわけだ。

 

俺も来年の今頃はあんな風になってのかなぁ……とか思いながら終業式を適当に流し、ある程度人が捌けてから体育館から外へ出た。リサ、ジャンヌ、ユエ、シアと連れ立って三分咲きくらいの桜の下を歩いて行と、何やら向こうで人が集まっている。

 

「アリアさんがいるみたいですぅ」

 

と、人混みに紛れて隠れてしまっているがシアのウサミミにはあのアニメ声が届いていたらしい。

 

へぇ、と思い俺達も人混みを掻き分けながら喧騒の中心に向かうと───

 

───そこには大人のお姉さんと涙ながらに抱き合っているアリアがいた。あれは……神崎かなえ、か。イ・ウーにいた頃に写真を見たことがある。そうか、釈放されたのか……。

 

「神崎かなえか」

 

と、ジャンヌが俺の横に寄ってきた。その時にふわりと揺れたポニーテールが甘い……けどジャンヌ独特の爽やかな香りを漂わせる。俺は思わずそのテールを指先で弄びながら───

 

「あぁ。……俺達はここにゃ相応しくねぇな」

 

神崎かなえが終身刑レベルの懲役刑を科せられ、そしてどんなにその身の潔白を証明しても牢屋から出られなかったのは、元を辿れば俺達のいたイ・ウーの仕組んだこと、らしい。神崎かなえの話はリサから聞いてはいた。

 

それと、理由までは知らないしこれからもきっと知ろうとはしないだろうけど、どうやら俺が伊・Uに居た時代に犯した犯罪は彼女には乗せられていなかったようだ。だがそんな組織にいた身としては、例えアリアとは友人として振舞っていてもどこか彼女に後ろめたさを感じることがあった。

 

そこら辺の話は伊・Uに再び乗った時にアリアとは話し合ったけど、それでもあの空間に俺の居場所は無いと感じた。

 

「……行こうか」

 

と、ジャンヌも俺の手を引いて踵を返した。リサも、そしてユエとシアも今は何も言わずに俺達に着いてきてくれた。それが俺にとってはきっと救いだったのだろう。後でアリアにはメールだけ入れておこうと決め、俺達は帰路に着いた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「げっ……」

 

俺の携帯にメールの着信があった。それもこの着メロは教務科(マスターズ)の高天原ゆとり先生からだ。他の武偵高は知らんが──まぁどこもたいして変わらんだろうけど──東京武偵高校の教務科の呼び出しは、即刻応じなければ呼び出した先生によってフルボッコにされる。

 

高天原先生はそういうタイプではないけれど、俺がこの呼び出しを無視したという話が彼女と仲の良い蘭豹辺りに伝われば非常に面倒な事態になる。具体的には斬馬刀で真っ二つにぶった斬られかねない。なので俺は1人来た道を引き返して武偵高へと戻った。

 

すると、途中でキンジと合流し、おかげで嫌な予感が爆増し2人して項垂れ……そして一石マコトという超優良生徒も同じように呼び出されたらしく、彼が俺達と合流したおかげで2人ともスキップになり……そして俺達は3人揃って教務科の扉を開けた。

 

中に入れば高天原先生が直ぐにパーテーションに囲われた一角へと俺達を案内した。そしてそこには俺達以外にももう1人、黒髪のセミロングの女子生徒がいた。

 

「お待たせしました佐伯さん。遠山くん、一石くん、神代くんも揃いましたので始めましょう」

 

と、俺達4人もそれぞれ席に着くことを促された。それに従い用意されたパイプ椅子に座れば高天原先生が取り出したのは人数分のA4サイズの封筒。

 

「皆さんには武装検事局からお誘いがきています」

 

武装検事局……武検……武装検事。国内じゃ公安ゼロ課と並ぶ武装職で、コイツらは()()()()()()()()()()()()()()。悪を潰すためなら人殺しもしていい国内最強の組織だ。当然、そんなものになるための試験も並大抵じゃない。俺だって異世界転移する前かつ聖痕を塞がれたら技能試験すら突破できないだろう。筆記?天地がひっくり返っても無理だね。

 

「武装検事の試験を受けるには大卒の検察官であることが必須のはずですが」

 

と、今日初めましてなのだが特にこちらに挨拶するでもなくただ氷のような表情を保っていた佐伯さんが口を開いた。まぁ、俺も持っていた疑問だ。法的に殺人すら許される存在がそう簡単になれるわけがない。試験もそれはそれは超難関で、本人の性格だけじゃなく、家柄の他に、虫歯の治療履歴レベルでの健康具合を調べられるとか聞いたことある。

 

そんなのがいきなり武偵高すら卒業していない俺達に話を持ってくるとか怪しい……と言うよりここまでくると最早意味が分からんのだ。佐伯とやらは知らんけど、一石は確か勉強の方の成績も優秀だ。だが俺とキンジは学業の方はさっぱりなのだ。キンジなんて留年スレスレだし。いや点数だけで言えば俺も似たようなものなのだが……。

 

「そうなんですよね。私も何か裏があるんじゃないかと思って調べました」

 

と、佐伯の疑問に高天原先生が答える。

 

「武装検事は慢性的な人材不足。そこで将来性が見込まれる優秀な人材を早目に確保しておきたいみたいなんですよね」

 

そりゃそうだ。武装検事は基本公務員。なのに仕事内容はマジで日本国内外のテロリスト共との命の取り合いときている。当然と言えば当然に殉職率も高く、定年までに3割は死ぬと言われている。

 

なので地獄のような試験をくぐり抜け、しかも薄給でそんな危険な仕事をしてくれている聖人君子みたいな超優秀な人間をそんなにポンポンと死なせていたらそりゃあ慢性的な人材不足にも陥ろうというものだ。

 

「仮に試験に落ちても武検補……武装検事補佐官という、どうやら武検の補佐をする役職を新しく設けてそこで登用することも考えられているみたいですね。そこで活躍すれば武検にもなれる道があるみたいで……。これからは叩き上げの時代が来るかもしれません」

 

なるほどな……。話は読めたぜ。先生も仕事だからやってるんだろうし、そもそもそこまで調べてるってこたぁそれなりに俺達のことを心配してくれてるんだとは思うけどな。けどそれは───

 

「それって、体の良い()()()ってことですよね?すみませんがこの話はお断りさせていただきます」

 

と、佐伯はすっぱりと断る。そうだ、これは優秀な武検の殉職率を少しでも下げるための弾除けの募集に他ならない。もっとも、()()()()()()()()()()程度には実力が必要だから俺達が集められたんだろうが……。

 

「俺も、お断りします」

 

と、キンジも露骨に嫌そうな顔をして断りを入れる。そりゃそうだよな。

 

「俺も同じく。弾除けなんて真っ平です」

 

俺なら多重結界もあるし撃たれても死にはしないけど、食わしていかなきゃいけない奴もいるわけだし、公務員の薄給じゃやっていけない。ていうか多分、俺に関しては別の目的がありそうだからな。ここはお断りさせてもらおう。

 

「───やります。受験票をください」

 

だが1人だけ、俺達とは違う答えを出した奴がいた。一石マコトだ。俺達の話を聞いて尚この話の意味が分からないほど頭が悪いわけがないコイツが"やる"と言うのだ。きっと何か意味があるのだろうと黙ってキンジと一石の話を聞いてみれば、どうやら一石は幼い頃に妹と共にキンジの父──彼も武装検事だった──に命を救われたことがあるのだとか。そして一石自身もまた、そのような人物になりたいらしい。

 

そこで、例え弾除けだろうが何だろうが転がってきたチャンスを逃したくはないんだと熱く語っていた。夢、ね。俺はある意味で叶えちまったもんな。あとはどうやってこれを維持していくかってことしか考えられない。それに、異世界から帰るのだって俺にとっちゃ夢と言うより目の前の壁だった。思い返せば俺は夢なんて持ったことないかもしれない。

 

そんな俺が夢を持っている奴のことをとやかく言えるわけもない。本人の強い意志があるのなら俺は止めやしないし、応援もしてやる。

 

話が着いたらしいところで俺は一石の肩を叩く。

 

「頑張れよ、気持ちでしか応援しかできねぇけど、それでも俺ぁ応援してるぜ」

 

「ありがとう、神代くん。頑張るよ」

 

と、気持ちの入った瞳で俺を見つめ返した一石を職員室に残し、俺と、こちらも一石にエールを送ったキンジも揃ってこの場を後にした。佐伯は既にどこかへ行ってしまっていたから居ないけど。

 

 

 

───────────────

 

 

 

それは3月31日の出来事。

 

武偵高は頭のネジが全てどこかへ吹っ飛んでいるので、クラス分けはともかく進級できたかどうかすらこの日に分かる。全校生徒に晒されるイントラネットでクラス分けが出るので、そこの3年生の欄に無ければ下を見る。そしてそこに名前があれば留年というシステムだ。

 

そんなトンチキなシステムに思う所が無いわけではないが、まぁ取り敢えず自分らの進級は分かっている俺達はジャンヌも含めて揃って飯を食っていた。これが夕方6時半過ぎのこと。そして粗方食べ終えた夜の7時過ぎ、それは起きた───

 

「───っ!?」

 

突如俺の身体に異変が起きたのだ。急に()()()()()()()()()()。聖痕が閉じられたのだ。幸いここにはリサもジャンヌもミュウもレミアもいる。後は───

 

俺が次の行動を考えた時、俺の携帯に着信がある。画面を見れば透華だった。俺は直ぐに電話を取る。

 

「透───」

 

「───天人くん!!何これ!?」

 

「落ち着け透華。……閉じたんだな?」

 

電話越しの透華の声が震えている。当たり前だ。いきなり聖痕が閉じられたのだ。怖くて当然。そして、学園島の端っこのここと真ん中の方に住む透華の聖痕までが閉じられたということは、この島全域で聖痕が使えなくなっている可能性が高い。

 

「彼方は?」

 

「今樹里が……彼方は大丈夫だって」

 

「分かった。今からお前ら2人ともこっちに呼ぶ。その後で彼方の方へやるからそこ動くな?」

 

俺は電話でそう伝えながら羅針盤と鍵を取り出し、透華の元へと扉を繋げた。

 

「天人くん!!」

 

「2人ともこっちに来い。……シア、ティオ、ジャンヌ、お前ら3人でリサとミュウとレミア、それからコイツら守ってくれ。……いきなり聖痕が閉じられた。範囲は恐らく最低でも学園島全域。目的は不明、ユエは俺と原因の特定を手伝ってくれ」

 

「んっ!」

 

俺は、簡潔に現状とこれからの行動を全員に伝える。聖痕が何かをよく知らないミュウも、何やら異常な事態が起こっていることは雰囲気で察したようで、無言で頷いている。

 

俺はそれに頷き返すと、そのまま今度は彼方の元へと扉を繋げた。

 

「天人さん!」

 

「よう、樹里から少し聞いてるかもしれないけど……」

 

「はい、こちらはまだ何も起きていないので、大丈夫です」

 

「任せたぞ。……シア、ティオ、ジャンヌ。もしあっちでも聖痕が閉じられたらお前らが頼りだ。……任せる」

 

「はいですぅ!」

 

「おうなのじゃ」

 

「分かっている」

 

三者三様、それぞれの肯定の返事を聞き、俺は皆を彼方の方へと送り出した。そして扉を閉じ、ユエの方を振り返る。

 

「ユエ、行くぞ」

 

「……任せて。天人は私が守る」

 

 

 

───────────────

 

 

 

羅針盤でこれの発生源を探せば直ぐに場所が特定できた。これを仕掛けた奴はやはり学園島にいたのだ。座標は……ちょうど第1女子寮と第2女子寮の分かれ道。そして意外なことに、その場にはキンジともう1人……俺の嫌いな奴がいるようだ。

 

「ユエ、お前は隠れて伏兵(アンブッシュ)をやってくれ」

 

夜目と遠見の固有魔法で先を覗けばキンジと()()()がいる。そして何人もの男が2人を囲むようにして立っていた。その中には見覚えのある顔が……不知火か。あともう1人、あの後ろ姿、どこかで……。

 

「……んっ」

 

「じゃあ、行ってくる」

 

自分で発したその言葉に、俺はリサと戦いに出る前のキスを交わすのを忘れていたことを思い出した。俺はそれに一抹の不安を覚えながらも空力と縮地でキンジ達の元へと駆ける。そして───

 

「よぉキンジ、奇遇だな」

 

奇遇なわけはないが俺は空からコンクリートへと降り立った。キンジの目の前には俺よりも更に背が高く筋肉で膨れ上がった肉体をした彫りの深い顔をした男。

 

「ふん、駄犬が何をしに来たのかしら?」

 

妖刕にダムダム弾で右手を吹っ飛ばされていたヒルダは相変わらずだ。

 

「へぇ、やっぱり来たか」

 

目の前の大柄な男が俺を見て納得がいったようなことを喋りだした。

 

……やっぱりときたか。つまり俺がここへ来ることはある程度予測されてたってことか。まぁそりゃそうか。今の俺が聖痕だけじゃないのは米軍によって世界中に流れているみたいだし、コイツら明らかにカタギじゃない。知っていても不思議じゃねぇな。

 

「分かってんなら覚悟しろよ?そこの金髪縦ロールの右手吹っ飛ばしたのは見てんだ。傷害と銃刀法違反の現行犯で逮捕だ」

 

この学園島全域に広がる聖痕封じを展開できるような奴にそんな脅しが効くのかどうか知らんが取り敢えずそう言っておく。……ていうか、段々こういうのが広まってんのな。そのうち地球全域で永久に聖痕が開けなくなるんじゃねぇかって気がしてくるぜ。

 

「おいおい、そう生き急ぐなよ。俺達はお前も呼んだんだぜ?」

 

と、目の前のそいつはいきなりそんなことを言い出した。

 

「あぁ?」

 

「俺達は……今は解散させられちまったけど元公安0課、今は武装検事ってやつだ。そこで遠山キンジと神代天人をリクルートしに来たんだ」

 

「あぁ?……何言って───」

 

「本当だ、天人」

 

と、今まで後ろに控えていたキンジがそう証言してきた。コイツらが武装検事ねぇ……。

 

「その話、前に断ったんだけどな。まだ伝わってないか?」

 

「だからだろうが。……つぅわけで神代天人。お前も()()()()()()()()()()

 

「……は?」

 

脈絡の欠片もないその発言に思わず俺の思考が止まる。そして、いつの間にやら俺の目の前にいたのか不知火が俺の両手に手錠を嵌めた。だが殺人の容疑か、イ・ウー時代の心当たりが多過ぎるが……日本じゃ誰も殺してないはずだぞ。

 

「気を付けろ天人、これはアノニマス・デスだ」

 

アノニマス・デス……。取り敢えず大きな罪をおっ被せて逮捕し、それを取り下げてほしくば本命の事件を認めろと迫る捜査手法。今回は殺人容疑を取り下げてほしくば解体された旧公安0課の一員になれということだろう。

 

「……やり口が大人気ないぜ。て言うか、武偵高も卒業できてない俺達をスカウトとか、青田買いもいいとこじゃねぇかよ」

 

と、俺がボヤけば……

 

「遠山はともかく、神代、お前だけは今この場で確保しろと言われてるんでな」

 

「あぁ?」

 

コイツらは俺の力の全部は知らないはずだ。俺はエリア51じゃ対物ライフルと魔力駆動車、それからバイクしか見せていない。せいぜい宝物庫に気付くかどうかってところだ。多重結界なんて目に見えないモノ、例え言われたって信じられるものでもなかろうに。

 

「分かってんだろ?お前達の力は泳がしておけるようなもんじゃねぇんだ」

 

やはり、コイツらは俺の聖痕が目当てか。……なら透華もコイツらのターゲットになるんじゃないのか?だが表向きの勧誘の際には透華は呼ばれていなかった。まぁ、あれは聖痕持ち以外にも高天原先生の推理通りの理由で人集めをしていたからかもしれないが……。

 

「分かるぜ、お前が今何を考えたか。涼宮の嬢ちゃん達も当然ターゲットだ。だがあの子達はお前と違って今後も武装職に就き続けるとも限らないからなぁ。今のところは様子見だ」

 

随分とあけすけに話してくれる奴だ。それとも、そうやって情報を開示することで手間無く俺を回収しようという判断なのだろうか。

 

「そうかよ。だからって俺ぁお前らの仲間にはならねぇぜ。公務員の安月給なんかでやっていけるかってんだよ」

 

首輪を付けられんのも、その上で安くコキ使われんのも御免蒙りたいんでな。

 

「……キンジ、お前も着いてく気はねぇんだろ?」

 

「当たり前だろ」

 

「なら逃げな。殿はやってやる」

 

こちらにはまだ姿を見せていないユエもいる。例え国内最強の戦闘集団が相手だろうとキンジ1人逃がすくらいわけないさ。ヒルダ?知らねぇな。コイツは勝手にどうにかすんだろ。

 

「行かすと思うか?」

 

「止められねぇと思うか?」

 

目の前の大柄な男から放たれる気配が変わる。

 

「しょうがねぇな。……頼んだぞ」

 

だが、強い殺気を放つ割には直ぐにそいつは引いた。そして、彼の影から出てきたのは───

 

「え……」

 

「久しぶりだね、天人くん」

 

何で……何でアンタがここに……コイツらと……

 

俺の目の前に現れたのは40代前半と思われる男性。だがそこらのサラリーマンとは違い、スーツの上からでもその肉体は鍛え上げられているのが分かる。そして、俺はこの人を知っている。

 

「8年振りだね。()()()から君はアヴェ・デュ・アンクさん家のリサちゃんと共に姿を消したのだから」

 

「あ……え……」

 

俺は、上手く言葉が出ない。この人がここにいることに、俺の前に立っていることにどうしようもなく精神が揺り動かされ、乱される。

 

「信じられないかい?君は私が武装職にあったことを知っていた筈だが……。それに私の方こそ信じられないよ。私の娘を……()()()()()()君がまだそうやってのうのうと生きていることがね」

 

永人(ひさと)、それがこの男性の名前。そして、俺があの日自分の両親と共に殺した女の子──奏咲那──の父親だった。

 

「死なない程度に壊すよ?」

 

そして、その大きな手が、俺の肩に触れた。

 

その時───

 

「あっ……」

 

俺は痛みに絶叫を上げることすらできなかった。それほど突然に、かつ想像を絶する痛みが全身を襲ったのだ。崩れるように地面に膝をつき、目線を下ろして見れば身体中から血が噴き出していた。胸は鋭利な刃物で真一文字に切り裂かれているようで、両腕は肘から下の感覚がほぼ無い。カランと、嵌められたはずの手錠がコンクリートの地面に転がる。

 

腹には細身の女性の腕くらいの風穴が空けられているようだ。他にも肩口や脚に裂傷や切り裂かれたような傷があり、背中も鋭利な刃物で斬られたかのように熱を帯びている。

 

いきなり現れたそれら全ての傷に俺は見覚えがある。これらは全部トータスでの旅の中で付けられた傷だ。オルクス大迷宮での戦いやその後の様々な戦いで負った傷、それらが一度に噴出したのだ。

 

そこまで思考が届いた辺りで、視界が赤黒く染まっていく。意識が、飛ぶ───

 

「天人ぉ!!」

 

その直前、愛らしく愛おしい声が響く。鈴の音を転がしたような声。聞き慣れたユエの声がここまで焦った色を持っているのはグリューエンの火山で魔人族のアイツに不意打ちを喰らった時以来か。

 

そして俺の視界が黄金色に輝く。それはユエの使う再生魔法の輝き。神代の魔法はいつもなら時の不可逆性に逆らって物質の損傷を無かったことにしてしまえるのに、今の俺の肉体は傷付いたままだ。

 

「壊……刻……?」

 

俺は血反吐を吐きながらそう呟く。触れた者の過去の傷を1度に再発させるそれは、俺には使えやしないが、しかしその存在だけは脳みそに刻まれていた。だが神代魔法ではない筈だ。俺の氷焔之皇は機能しているし、そもそもあれはトータスという別世界の魔法なのだから。

 

それも、前に緋緋神に氷焔之皇を貫かれてからは昇華魔法の修練にも取り組んでいる。昇華魔法は情報に干渉しそれを書き換える力。7つの神代魔法の中で俺に最も適性のある魔法。

 

本来リムルのいた世界で俺はあらゆる物質・非物質を己が思うままに書き換える力に目覚めていたはずなのだ。ただ単に俺がそれを使いこなせないだけで。だからこそ、俺の昇華魔法の適性もまた尋常のそれではない。普通に使っても1段階程度しか存在強度を上げられないそれは、俺が使うことで今や2段階も3段階も引き上げられる。今や昇華魔法と氷焔之皇の組み合わせだけでも神代魔法クラスはおろか、エヒトの魔法ですら俺には届かないのだ。

 

そんな俺の異能に対する防御力を貫くそれは聖痕の力で違いないはずだ。だがこの辺り一帯では聖痕は使えないはず……。

 

俺の人の領分を大きく外れた生命力と、魔力を治癒力に変換する固有魔法が、普通の人間なら数度は殺せる致命傷を負ってなお俺の命を繋ぎ止めていた。それを見て奏永人はつまらなさそうに鼻を鳴らした。そして、霞む視界の中に待ちわびた黄金色が現れる。それと同時に甘い、女の子の香りが俺の鼻腔をくすぐった。

 

「天人!!」

 

「ユエ……逃、げろ……」

 

俺の毒耐性すら上回る極光の毒素まで俺の身体を駆け巡っている。これは、ここまでの不条理は聖痕による時間の再生に他ならないはずだ。

 

「逃がしませんよ。逃がすわけありません。……私は君をここで殺してしまってもいいんです。首輪が嫌なら最悪殺してもいいと、そう言われていますので」

 

おそらく脅しではない。最優先は俺の確保と首輪でもって俺の力を使い倒すことなのだろうが、出来なければ出来ないで俺を消してしまえば不穏分子を1つ潰せる。コイツら的には俺を潰すより生かして飼う方が利益になるから今はそうしていないだけ。その天秤がいつ傾くかなんて分かりはしない。

 

「……さて、君は首輪は嫌がるだろうし、そうなれば殺すしかないから、冥土の土産に教えてあげるよ。私の───」

 

だが奏永人が言葉を言い切ることはなかった。ユエの魔力が爆発する。放たれた重力魔法が黒い玉となって奏永人を押し潰したからだ。

 

「……させない───禍天」

 

魔法の選択も込められた魔力量も武偵法なんて守る気は更々なさそうなユエ。だが、禍天が解けたそこには───

 

「……なんで」

 

奏永人がさっきと変わらぬ姿で立っていた。

 

「聖痕……再、生……?」

 

正体は再生魔法に近い性質を持つ聖痕なのだろう。どうやって聖痕が閉じられているこの場で使えるのかは謎だ。もしかしたら、閉じられた中でも聖痕を扱えるように……聖痕を閉じる力を部分的に無効にする、みたいな面倒な道具を持っているのかもしれない。

 

「そう、私の力は死からすら再生する。……だからあの時あの場で何が起きたかも把握していました。……本当の元凶は君ではないことも」

 

再生魔法には時間を再生してその場であったことを映像にして映し出す魔法もある。おそらく彼はその類の技で見たのだろう。あの日あそこで何があったのか。

 

「ですがこうも思った。()()()()()()()()()()とね。天人くんも今は自分の力をコントロールできているみたいですから分かるでしょう?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……魂の、燃焼」

 

たった一言喋っただけでも身体から血が噴き出す。俺はさっきから氷の壁を貼ってその中で神水を飲もうとしているのだが、氷の壁を生み出そうとする度にそれが雲散霧消するのだ。どうやらその空間を()()()()()()()()()()再生されているらしい。

 

「そうです。もし君達があそこで無惨に殺されても、私の力であれば全て元通りに戻せたのですよ。君が、あの力を暴走させなければね」

 

だから私は君を許すことができない───

 

そう、奏永人は続けた。元凶が別にいることを知っているから積極的に復讐には来なかった。だが俺の力の暴走により蘇生が不可能になったからこそ、もし手を下す時には一切の容赦はしない。そういうことのようだ。

 

「そこの女の子がさっきから試しているものも時間の再生だね。だが私の再生の力で現れた古傷は聖痕以外の力による時間の干渉を受け付けない。そしてその傷だ。天人くんはもう長くはないよ」

 

「……そんな」

 

確かに、いくら俺でもこの傷じゃ自然治癒は追いつかない。極光の毒素には魔力の働きを阻害する効果があり、高速治癒や治癒力変換の効果が薄いのだ。魔物を喰らって得た魔力や魔王としての魔素を動員してもなお足りない。何せオルクス大迷宮最後の魔物と変成魔法で強化された魔物が放ったものだからな。このまま放っておけば出血多量で死ぬだろう。今だってもう視界が霞み始めている。死にたくなければ自分たちの下へ来いということなのだろう。

 

このままだと完全に時間切れだ。アイツらの雰囲気からすればキンジは殺されないだろうし、ここは俺とユエだけでも逃げ(おお)せるべきだ。て言うか、キンジも唖然としてないで早く逃げてほしいものだ。だからもう最後の手段に出るしかない。俺はユエに念話で神言を発動するように伝える。そして───

 

『ユエの名において命ずる───天人を見逃して』

 

「───っ!?」

 

ユエの神言が発動する。これなら聖痕持ちだろうと誰だろうと強制的に言うことを聞かせられる。魂に直接働きかけるその言葉に奴らの動きが止まる。その隙にユエは重力魔法を発動。俺を抱き抱えたまま空に浮かび、そのまま夜の学園島上空を飛行する。それを奴らは憎々しげに睨みながらも身体を動かすことができない。

 

視界に映ったそんな彼らと学園島の人工の光が作り出す夜景を最後に、俺は意識を失った───

 

 



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秘密結社N
変性魔法


 

 

 

 

「あ……」

 

暗い湖の底に落ちていたかのような意識が、引き上げられ覚醒する。明かりに吊り上げられるように瞼を上げればそこには俺の愛している女達の美しい顔が視界を覆っていた。

 

「ご主人様……」

 

「……天人」

 

「天人さん……」

 

「天人よ……」

 

「パパ……」

 

「天人さん……」

 

「天人……」

 

皆がそれぞれ俺の名前を呼ぶ。そしてそれらの声で、俺が起きたことに気付いたらしい透華達もやってきた。

 

「天人くん」

 

「天人さん」

 

「よかった……」

 

どうやら全員起きていたらしい。壁を見渡して見つけた時計の針を読めば今は夜の10時。あれからまだ数時間しか経過していないようだった。

 

傷は……あまり良くはないな。やはりあの極光の毒素が効いている。身体中に包帯を巻かれているようだが、出血も収まりきっていないから既に赤く染まっている。腕もろくな感覚が無いことからやられ具合も想像が着く。だがここは幸い学園島の外。さすがにアイツらもここまでは聖痕封じを置けていないようで、意識を取り戻せた今、白焔の聖痕で両腕を、強化の聖痕でその他の傷を力技で癒すことは可能だった。

 

「シア、ティオ、ちょっと身体支えてくれ」

 

とは言えまだ身体を起こすのは無理そうだったので2人に支えてもらい、そこでようやく銀の腕を発現させる。それにより1番状態の酷い両腕を再構成。直ぐに銀色に輝く両腕を戻せば、ここだけは元通りになった。

 

「あぁ……その気になれば他の傷ももう治せるんだけど……」

 

と、俺は言葉を切り周りを見渡す。その言葉で、全員がそれぞれ浮かべていた心配そうな顔を少しばかり緩ませていた。

 

「正直さっきの戦いは身も心も疲れた。……俺ぁもう休みたいよ。……だからしばらくは自然治癒に任せる」

 

どうせなら介護生活を楽しもう。……普段も似たようなもんだとか言ってはいけない。ただダラけているのと看護されるのは別なのだ。……例え即座に傷を癒せるのだとしても、決して、決してサボっているわけじゃないのだ。

 

「つーわけで彼方。悪かったな急に押し掛けさせて」

 

どうやら同室の奴らは外してもらっているらしい。まぁここは寮だし他の部屋に泊めてもらっているのだろう。中学とは言え武偵校。その辺は緩々だからな。

 

「そんな……天人さんの役に立てたのなら……」

 

「布団、血で汚しちゃったな。後で新しいの送るよ」

 

シアとティオに両脇を抱えられながら身体を起こせば布団には俺の血がべっとりとこべり着いていて赤黒くなってしまっていた。まるで人がこの上で刺し殺されたみたいになっている。……これでよく生きてるな俺。人間なんてとうに辞めた肉体が持つ流石の生命力に自分でもちょっと引く。

 

「これは永久保存版です!!」

 

「………………そ、そうか」

 

彼方のあまりの勢いに思わずたじろぐ。ユエ達も「コイツぁやべぇぞ」という顔をしていた。うん、俺もそう思う。

 

「取り敢えず、帰るよ。ここに居ちゃあアイツらがまた来るかもしれないから」

 

「気を付けて下さい……私はもう、天人さんが傷付くのは見たくありません……」

 

彼方が俯きがちにそう言う。その声は少し震えていて、彼女の心が伝わってくるようだった。ま、俺だって痛い思いは御免だけどね。

 

「分かってるよ。……俺だって血塗れにゃなりたかぁない」

 

「はい……」

 

それでも心配そうな顔をしている彼方。俺はその栗色の頭に手を置いて

 

「大丈夫だ。俺ぁ死なねぇ。……それより透華と樹里は……これを機に武偵高卒業したら武偵辞めろ。……アイツら、お前らも狙ってる節がある。けど、お前らが自分の力ぁ使わないのなら多分放っておくってスタンスだ」

 

何故俺は絶対確保のスタンスなのにコイツらは様子見っぽいのか。理由はおそらく俺達の性格の違いだろうよ。俺はあくまで戦うスタンスであり性格も比較的バトル向きだ。だがコイツらは基本的に良い子だし俺と比べりゃ控え目な性格だからな。戦えないって程じゃないけど武偵向きかって言われるとそうでもない。そんな奴らを仲間に引き込んでも俺程の利益は見込めなさそうって魂胆なんだろうな。

 

それに、彼方はともかく透華と樹里はその力を完全には使いこなせていない。暴走させるような心配はないが、その力の真髄を発揮させるには至っていないのだ。アイツらはその辺も全部把握していて、それであの言い回しだったんだろうな。

 

「彼方もだ。お前も明日から武偵高生になるわけだけど、武偵やるのはそこまでにしておけ。……あそこじゃ難しいかもだけど、勉強も頑張れよ?」

 

彼方はもう武偵高への入学が決まっている。専門は変わらずに狙撃科だそうだ。透華と樹里も、どちらも諜報科のまま学年を上がる。

 

「はい……」

 

元々、彼方を助ける条件の1つとしてコイツらが聖痕の力をもう暴力に使わないことがあったのだ。武偵から足を洗うのが良い機会だ。

 

「じゃあ、取り敢えず俺達は学園島に戻るよ。まぁ多分まだ聖痕は開かねぇだろうけどな」

 

と、俺はユエに越境鍵を渡す。そしてユエはその鍵で俺達の部屋まで続く扉を開いた。

 

「じゃ、またな」

 

俺はそれだけ言ってシアにおぶさりながら扉をくぐった。そして、一旦残ると言っていた透華と樹里を残し、まだ寂しそうな顔をしている彼方を見ながら俺は扉を閉じた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

学園島の家に戻ると、やはり俺の聖痕は閉じられた。ここまで長時間置いてあるってこたぁ下手したらもう学園島じゃ2度と聖痕を開けないかもしれない。……今度羅針盤で探し出して全部ぶっ壊してやろうかな。

 

キンジには「大丈夫だったか?」とだけメールを送っておき、俺はリサ達に包帯を変えてもらう。今のはもう血塗れで気持ち悪いくらいだからな。

 

「……飲んで」

 

と、ユエが俺の口元に神水を入れたボトルをそれの蓋を開けた状態で差し出してきた。俺はそれを素直に受け取……ろうとしたらユエはそのままそれを俺の口の中に突っ込む。

 

「んむっ……ん……」

 

そして、口の中に突っ込まれて注がれる勢いそのままに、ボトルに入っている神水を飲み干した。しかしこれほどの量の神水を飲んでいるのに傷口の回復が遅い。高速治癒と魔力の治癒力変換を併せて、ようやく胃袋の穴は塞がったがまだ腹には風穴が空いている。こりゃあしばらく戦うのは無理だな。聖痕を開いたって身体がこれじゃあまともに動けやしない。

 

むしろ、開かれた古傷がトータスの時に付けられたものだけで良かったくらいだ。あと覚えている限り俺が重傷を負ったのはアラガミのいる世界でゴッドイーターとして戦っていた時と、異世界転移の旅を続ける少し前に粒子の聖痕を持つアイツにやられた分と、ブラドに命じられて透華達にやられた分だ。

 

俺はトータスにいる頃に何度か銀の腕を発現させていたのに両腕が炭化した。ということは腕は作り替えても負った傷の時間は再生されるということのようだ。全くもって面倒臭い能力だ。それも、例え殺されても即座に再生するとか真面目に相手するのが馬鹿らしい。白焔で殺せば蘇れはしないようだが、それはとどのつまり殺さずに無力化するのは不可能ということだ。例え白焔で手足を引き裂いてもその程度なら再生できるのだから。

 

「この傷ではしばらく戦いは無理じゃの」

 

と、俺の包帯を替え終えたらしいティオがそう言った。リサも、巻いた傍から血が染み出し赤く染まる包帯を見て今にも泣きそうな顔をしていた。

 

「俺も少し休みたかったところだ。それに、看病生活ってのも悪かぁなさそうだしな」

 

俺は敢えてそんな風におちゃらけて見せる。

 

実は、俺が目覚めてからこっち分かりやすく表情を変えている3人はまぁいいのだが、俯いて顔がよく見えないシアが1番怖い。今も、ユエ達みたいに俺に侍るわけでもなく、ただずっと俯いているだけなのだ。

 

「……シア」

 

そんなシアに、ユエが寄り添いにいく。ユエの細く白い指がシアの頬に触れる。けれどもシアはその手を取るでもはたくでもなく、ただただ微動だにしない。だが、唇が震え、小さいながらもその花弁から声が漏れ出る。

 

「……私が……私がもっと強ければ……」

 

「シア……」

 

「シア様……」

 

その尋常ならざる様子にティオとリサもシアの方へと寄り添う。レミアとミュウは、今はジャンヌが付き添っている。俺の傷は、ちょっとまだレミアとミュウに見せるには刺激が強すぎるからな。

 

トータスの魔王城じゃ腹に風穴空けられたところを見せてしまったが、本当なら、せめてあの2人だけはあぁいうのからは遠ざけておきたい。

 

「シアのせいじゃないよ。聖痕ってのはあぁいう理不尽な力なんだ。俺んだって、持ってない奴からしたら理不尽の極みみてぇなもんだ。だから───」

 

だから気にするな、そう言おうとしたのだが……

 

「───そんな理不尽を叩き潰すのが私の筈ですぅ。私はそのために、あの時武器を取りました。そのためにここまで鍛えてきたんですぅ。……だから、天人さんをそんな風にした奴は私が───」

 

「シア」

 

"奴は私が叩き潰す"きっとシアはそう言おうとしたのだろう。だが、俺はその言葉を言わせなかった。言わせちゃいけないと思った。

 

「───勝利条件を見誤んなよ?俺達はアイツらと……再生の聖痕と喧嘩する必要なんてない。そもそも、あれは"喧嘩じゃ絶対に勝てない"類の力だ。俺達の勝利条件は俺達の日常を守り抜くこと。仮に奏永人を殺したところで俺達ゃずっと追われる身だ。それじゃあ負けなんだよ」

 

「でもっ!!」

 

俺の言葉に、シアが遂に顔を上げた。その顔は、俺と初めて逢った時の様に、溢れ出る涙で濡れていた。

 

「シア……お前にそれだけ想ってくれるのは嬉しいよ。……何で俺がこうなったのかはユエに聞いたんだろ?」

 

と、俺が問えばシアは黙って頷く。やはり、か。俺が狙われた理由を知っていたから、シアはここまでキレているのだ。

 

「……ここはトータスじゃない。フェアベルゲンの時ほど俺と周りの力は乖離していない。アイツらには俺の聖痕を閉じる手段があって、俺を殺すに足る力を持っている」

 

それでも、もし俺達が本当に本気になってこの国を叩き潰す気で暴れれば、それも不可能ではないだろう。ミュウやレミア達はトータスでも香織達の世界にでも匿ってしまえばいい。そうすればアイツらには流石に手出しも出来やしないのだから。

 

「……確かに、それでも俺達の力ならこの国を滅ぼすくらい暴れて、征服することも出来るかもしれない。けどな、そんなことしてみろ。今度は世界中が俺達ん敵に回るぞ。そうしたら今度こそ俺達ゃこの世界に居場所なんて無くなる。そりゃあトータスとか、香織達の世界に逃げ込めば追いかけちゃこないだろうけどな。それに何の意味があるってんだ」

 

俺がこれまで言っていたこと、キンジに言われたこと、これまでの異世界転移の旅の中で起きたこと。色々なことが頭の中を駆け巡る。

 

俺は最初、自分達に手出ししようなんて奴らが現れないくらいに力を見せつけようと思っていた。けれどそれじゃあ駄目だと、もっと孤立しないような生き方をしようとして……そして今度は力のせいで飼われるか、消えるかの2択を迫られた。

 

それは奇しくもシアが俺達と出会う前、フェアベルゲンの奴らに追われていた状況と似ていた。他と隔絶した力を持つからこそ排斥される、そんな理不尽な迫害に。

 

「でも……こんなのって……っ!!」

 

「シア、これからのことはゆっくり考えよう。この世界は向こうより身の振り方を考えなきゃいけないからな。けど、ありがとなシア。俺のこと、そこまで想ってくれていて嬉しいよ」

 

「天人さん……。私……わ"だじぃ……」

 

もうしシアは涙目の鼻水だらけで可愛い顔が台無しになっている。その顔は確かに最初に出逢ったあの時とそっくりだが、あの時とは違って、今はこんな汚れちゃった顔でも愛おしく思う。

 

「今日はもう寝よう。寝て、起きたら皆で一緒に考えような。ここに居ない、ジャンヌとレミアとミュウも一緒に」

 

俺達はもう家族なのだから、家族の問題は皆で考えて、皆で解決しよう。そう決めて、包帯を巻き終えた俺はベッドに横になる。下にはタオルを何枚も敷いてあるから血が布団にベッタリということも無い。

 

だが皆俺の傍で寝たがり、結局全員1つの部屋に布団を敷いて雑魚寝をすることになった。俺はそれを少し高い位置から眺めながら、眠りに落ちていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

どうやらキンジも逃げ切れたらしい。逃げ切った、と言うよりは向こうがキンジの勧誘を諦めたのだとか。ついでに俺の殺人容疑も一旦は不起訴になったと、これは不知火から聞いた。どうせユエへの対策を練り直してまた来るんだろうけどな。

 

で、キンジ曰く、彼は本気で留年し、明日までにバレないような変装を考えなければならないんだと。

 

武偵高は封建制が強い。そんな中留年した元上級生が同じクラスにいるというのは非常に具合が悪いのだ。なので大概は他の武偵高に出される……らしいんだが、キンジはその受け入れ先すらなく、海外はキンジが暴れ回ったせいで入国すら厳しい。辛うじてイタリアだけは友好的らしく、受け入れてくれることになったと本人が言っていた。

 

だがイタリア語を修得するために語学学校に通う段取りになったところまでは良かったのだが、その語学学校も受け入れに準備が必要だ。それが整うまでの10日程は東京武偵高に通う必要がある。

 

その10日をどうしようか、という相談……の名前を借りた泣き言がキンジから出てきたのが俺のメールへの返信からの流れ。

 

で、キンジは変装の才能が無いらしく困ったところに俺がイギリスでメヌエットに変成魔法を使ったことを思い出したらしい。確かに変成魔法なら顔形を変えて10日間知り合いから誤魔化す程度なら可能だ。

 

というわけで今からキンジが家に来ます。

 

「───なんで、取り敢えず見られたら困るもの片してな」

 

という号令をかけるが正直リサとシアのいるこの家は全く散らかっていない。精々外に干してある女性用の下着とかの洗濯物を見られないようにカーテンを閉めるくらい。キンジ相手なら、ゴミ箱から溢れてる俺の血塗れの包帯の山とか拳銃の弾薬とかを見られても何の問題も無いし。

 

出血はある程度収まったみたいだが、流石に昨日の今日じゃ立ち上がれない俺は寝転がったまま指示を出していたが、起きてからこっち、シアとティオに抱えられて身体を起こし、傍にユエとリサが侍っているという、何とも贅沢な状態を楽しんでいた。で、お昼前になり、ようやくキンジがやって来た。気配感知によって玄関先に来たのも分かっているし、来訪を告げるチャイムも鳴ったのでリサが出迎えに行く。

 

そのリサに先導されてやって来たキンジの顔は暗い。あと少し嫌そう。留年したことのショックと、男1:4女の割合で住んでいる上にジャンヌやミュウにレミアがよく来るこの家は非常に女性の香りが強いのだ。俺はもう慣れて何も感じないが、キンジはそうもいかない。

 

「……身体、まだ駄目か?」

 

と、少しでも違う方向性に意識を持っていこうとキンジが俺の身体の具合に触れる。

 

「あぁ。何日かはまともに起き上がれないし戦闘も当然無理だ」

 

ちなみに、しばらくはミュウとレミアとリサはなるべくティオかシアが傍にいて、最低でもジャンヌが近くにいる時だけ外出を許すことにしている。ここでの聖痕が今だ封じられている以上、いつまたアイツらが襲ってくるとも限らない。今度はリサ達を人質にするかもしれないのだ。んで、ユエはなるべく俺の傍から離れないようにしてもらっている。ユエの神言があれば強制的に退席させられるからな。再生の聖痕を戦闘で退けることが出来ない以上はこういう搦め手を使えるユエが頼りなのだ。

 

ちなみに今はシアがレミアとミュウの傍に行っている。どうせシアには変成魔法を他人に使うことが出来ないから、女嫌いのキンジが来ることもあってちょうど良い。少しは頭も冷えるだろうしな。

 

「……そんな時に頼まれて平気なのか?」

 

「別に。……ていうか俺じゃなくてユエとティオに任せるから、平気だ」

 

変成魔法は俺よりもユエとティオの方が適性は高いからな。特にティオは俺らの中で1番上手く扱えている。

 

「え……」

 

「つーわけで、ユエ。キンジを拘束!」

 

「……んっ」

 

と、この場から逃げ出そうとしたキンジを一瞬にしてユエが重力魔法で拘束。いくら踠こうとも手足が宙に浮いた状態では何もできない。

 

「ティオ、キンジの変装は絶対に知り合いにバレちゃ駄目なんだ。そして追加情報、コイツの兄貴は女装が滅茶苦茶上手くてその姿は女優でも裸足で逃げ出すレベルだ」

 

そこで俺が()()()姿()に自分を変えようとしているのか察知したキンジは嫌だ嫌だと激しく暴れる。だが、どんなに必死に抵抗しようとも重力魔法の拘束はそれじゃあ外れない。

 

「や、止めてくれ……それだけは……」

 

「キンジぃ、無駄な足掻きは止めとけ。安心しろ、必要無くなったら戻してやるからさ」

 

「そ、そういう問題じゃね───」

 

大声で叫びそうなキンジの口を氷で封じる。ここはマンションだからな。近所迷惑は避けないと。

 

「んじゃ、よろしく」

 

「応なのじゃ。……さて遠山、そんなに嫌そうな顔をするでない。安心せい、妾は皆の中で1番この手の魔法が上手なのじゃ。お主を見事変えてみせよう」

 

そして、ティオの変成魔法による施術が始まった。キンジは諦めたのか死んだ顔をしていた。そして、ティオの変成魔法による遠山キンジ変装計画の手術から数分が経過した───

 

「出来たのじゃ」

 

ふう、なんてかいてもいない汗を拭ったティオ。両手で顔を覆いさめざめと泣いているキンジをユエは解放する。

 

「お、どうなった?」

 

だがキンジは顔を覆ったまま「もうお嫁にいけない」なんてボヤいている。お前どっちにしろ嫁には行かねぇだろ。フンと鼻を鳴らしたユエが風属性魔法で無理矢理にキンジの両手を剥がしにかかる。それに必死に抵抗するキンジ。だが俺がちょっとだけ飛ばした纏雷により腕の力が抜けたキンジは遂にそのお顔を晒した。

 

「お、良い感じじゃん」

 

キンジの顔は少し小さ目にされてスッキリとしていた。キンジは元々髭も薄い方だがそれも完全に無くされている。それと、さっきは腕で隠していたが胸も武偵高のブレザーの上からでも分かるくらいに、しかし大き過ぎることもなく膨らんでいた。髪の毛の随分と伸びていて肩甲骨に届くくらいの黒髪をしている。

 

これなら()()()()()()()()()()に見えるだろう。

 

「ううっ……」

 

声もややハスキーだが確実に女の声だ。随分とティオも拘ったらしいな。

 

「身体の骨格や筋肉には触れとらんから同じように動けるはずじゃ。どうじゃ天人よ、妾としても中々の出来栄えだと思うのじゃ」

 

「だな。流石ティオだ。これなら()()()()()じゃねぇ限りはキンジだってバレねぇだろ」

 

これが南雲くんだったら1発で気付きそうな元戦兄妹を頭の隅に追いやる。

 

「さて、ここに女子の防弾制服はある。……安心しろ、ちゃんとロンスカだから」

 

"女子の"防弾制服と聞いてキンジが一瞬絶望的な顔をしたがロンスカと聞いて少しだけ表情が和らいだ。だが次の瞬間には"なんでコイツが女子の防弾制服を持っているんだ?しかも俺に合うサイズ"って顔をしやがったのでそこは視線で黙らせておく。ちなみにまだ未使用品だが本来はティオに着てもらう用だったりする。仕方ないのでキンジに貸し出してやるのだ。

 

実はミニスカもあるがそれを出したらキンジが本気で拳銃自殺を図りかねないので止めておいた。

 

「後は偽名だな……。どうするか……」

 

別にキンコとかカナコとかでも良い気がするんだがな。しかしコイツ……カナみてぇに美人になったな。本人は変装の才能は無いって言ってたけど、多分服とか小物とかを選ぶセンスが無いんだろうな……。俺も人のこと言えないけどさ。

 

「……メーテル」

 

と、戦々恐々と女子の制服を手に取って眺めていたキンジを、更にジトっと眺めていたユエが呟く。

 

「メーテルって、アニメの?」

 

ユエさん最近はジャパニーズアニメにハマっていて古いやつとかも結構見ていたりする。吸血鬼だから夜遅くても平気なのか、割と夜なべで。

 

「……ん、でも黒いからクロメーテル?」

 

「ふぅん。じゃあそれでいいか。本人から遠い名前なら知り合いに会っても思い至らないかもだしな」

 

というわけでリサも部屋に呼んで会議の結果、キンジの女装モードはフルネームでクロメーテル・ベルモンド。日系オランダ人の3世でお金には厳しい性格ってことにした。て言うか中身はほぼキンジだ。本人なんだから当たり前だが。

 

「じゃあ頑張れよ、クロメーテルちゃん」

 

と、泣く泣く女子制服に着替えたキンジは紙袋に男子制服を畳んで仕舞い、それを手に泣きそうな顔をして出ていった。怖いなぁ……俺もあぁならないようにしよ。

 

ちなみにクラス分けの結果俺とリサとユエとシアとジャンヌはキチンと同じクラスになっていた。ま、ユエが魂魄魔法と神言で誘導したからなのだけど。クラス分け程度ならそこまで難しいことでもない。ウチの高校(東京武偵高)、細かいところ本当雑だし。

 

「そう言えば天人よ」

 

「んー?」

 

と、ティオが何やら頭に疑問符を浮かべていた。

 

「あの女子制服は何のために?」

 

あぁそれか。それはまぁ───

 

「本当はティオ用だったんだけどな。1着しかないからミニスカだけになっちまった」

 

それはそれで背徳的だけどどうせならセットで見たいからしばらくは封印だな。

 

「お主は本当に好きじゃのぉ……」

 

だがティオとユエからは呆れの視線を頂戴してしまった。……ユエさんだってこういうの好きなくせに、という俺の視線は目を逸らされることで躱されてしまった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

毎日神水を飲んでいれば流石に傷も塞がろうというものだ。

 

極光の毒素が抜けてからは回復の早かった俺はキンジをクロメーテルちゃんに仕立てあげた次の日の昼にはおおよそ良くなっていた。

 

キンジが上手く女の子やれているのか不安だったのだが、まぁ初日の昼には「2年女子と蘭豹は月一で何か身体に異変が起こるらしい。お前は俺を女にした責任がある、教えろ」と、それ受け取る人によってはとんでもない誤解を与えない?って感じのメールが飛んできて爆笑した。ちなみにまだ大笑いすると腹が痛むから笑いながら俺は痛みに悶絶していた。それを見てユエ達は馬鹿を見るような目をしていたけど、鋼の精神で気にしないことにしている。

 

そう言えばキンジは保体のテストが悪くて留年したんだよなぁと思い出し、仕方なしに保体の補習代わりにその仕組みを大雑把に説明してやった。

 

どうやら体育の授業を腹痛の仮病で見学しようとしたキンジだったのだが、腹が痛いから休みますの旨を他の女子が担当の蘭豹に連絡したところ蘭豹が大爆笑したところからあのメールに繋がったらしい。

 

どうにも蘭豹はキンジとクロメーテルの繋がりを知っているみたいだから、そりゃあ笑うよな……。俺も笑ったし。キンジは女を避けようとする割には敵のことを知ろうとしなさ過ぎると思うのだ。敵を知り、己を知れば百戦危うからず、だっけか。

 

で、放課後になるとキンジから今度は男子の制服を持って来てくれとメールが飛んできた。どうやら(かなめ)の部屋にしばらく居候するみたいだった。ま、あの姿は変成魔法で強制的に変えられたものだから本人の意思じゃあ戻れないしな。男子寮には帰り辛いだろう。……じゃあアイツ昨日はどうしたんだろうか。まぁこっそり行動してたのかな。髪は纏めて帽子でも被って中に仕舞っておけばいいし。

 

俺は身体を動かすリハビリついでに持って行ってやるかと、キンジの防弾制服を回収しにアイツの部屋へとやって来た。汎用のパンプキーで解錠すると先客がいた。アリアだ。

 

「あら、家主が居ないのに勝手に入るなんて駄目じゃない」

 

「お前がそれ言う?」

 

「あたしは合鍵持ってるもの」

 

それ勝手に作られたってキンジが言ってたぞ、とは言わないでおく。傷は一応塞がったけどまだコイツと喧嘩する元気はないし。

 

「そうけ。俺ぁキンジの依頼でな。詳細は言えないけどさ」

 

「そう。ねぇ、じゃあアンタキンジが今どこにいるか知ってるんでしょ?」

 

と、トコトコとアリアがこっちへやって来た。

 

「んー?まぁな。……あ、言わねぇぞ?」

 

「んもう、あの馬鹿昨日からずっとどっかに消えてるのよ。見つけたら風穴」

 

んなこと言ってるからキンジが逃げるんだろうが。なんて言ったらキンジが逃げるからよ、みたいに返されそうだから俺はそのまま黙ってキンジの部屋の扉を閉めた。一応氷で扉を開けられないように閉めておく。そして俺はキンジの部屋を物色……するほどでもなく防弾制服を見つけたのでそれを紙袋に仕舞い、ついでに宝物庫の中にも入れておく。

 

そして俺はさっきからガンガン殴られているキンジの部屋の扉を開けた。

 

「んみゃ!?」

 

と、急に開いた扉に、アリアはバランスを崩してこっちに倒れ込んできた。

 

「おっと……」

 

まぁそれは予想出来ていたので俺はこっちに寄ってきたアリアの頭を抑えてやる。

 

「んじゃな」

 

「えぇ」

 

アリアのちっこいピンク色の頭をちょっと押して元のバランスに戻してやり、俺はキンジの部屋を後にする。尾行も心配したが、どうやらアリアは着いてきてはいない。気配感知に掛からないからな。まさかレキを使うわけもないだろうし。

 

……念の為俺の家に戻ってから鍵で飛ぶか。

 

キンジが今いるのは第3女子寮の106号室。これがアリアにバレたらキンジが風穴祭りになっちまいそうだからな。

 

仕方なしに俺は鍵で自室への扉を開いた。そしてそれを閉じ、今度は羅針盤で周りに人がいないことを確認しつつ、キンジご指定のかなめの寮の部屋の目の前まで扉を開く。キンジが、鍵は開けておくと言っていたので取り敢えずノックだけして俺は玄関の扉を開けた。するとそこには───

 

「……背徳中?」

 

「背徳中」

 

スカートを捲り上げて中のブルマをキンジに晒しているかなめと、それを跪きながら眺めているキンジがいた。

 

俺は宝物庫から出しておいた防弾制服入りの紙袋

をドアノブに掛けるとそのまま部屋を後にした。ただ、無言で出るのも可哀想なので一言だけ添えておく。

 

「情けで誰にも言わねぇでおくよ」

 

そして俺は先程の光景を記憶の彼方へと追いやり、帰路へと足を向けるのであった。

 



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Nの影

 

 

キンジは結局かなめ以外には正体を露見させることなく2度目の僅かな2年生を過ごした。その後は千葉にある語学学校に通うとのことでもう一度俺達の元を訪れ、再びの変成魔法で男の身体に戻った。

 

俺も学校に顔出したり任務を請け負ったり錬成で宝石を加工したり……そんな風にして過ごしていたのだが……

 

「……やっぱり、納得できません。私は嫌です、天人さんがあんな風に扱われるのは」

 

レミアやミュウ、ジャンヌも集めた家族会議の時間、最初に口を開いたのはシアだった。

 

シアはトータスで自分の固有魔法と魔力を持っている体質によって同部族のハウリア以外の亜人族──今は獣人族だ──から差別され、排斥されるからと匿われてきた。そして見つかった際には処刑だの追放だのと住んでいた所を追われた経験があり、実際死ぬ1歩手前で俺とユエに出逢ったのだ。そんな彼女からすれば、大きな力を持つからと飼い犬か死かの2択を迫られている俺の現状は到底看過できるものではないのだろう。

 

「ま、俺だって大人しく首輪を掛けられてやる気は無いよ。ただ、抗い方は考える必要がある」

 

俺にとっちゃトータスなんてのは俺を閉じ込める牢獄でありいつか出ていく世界だった。だからそんな世界の誰を敵に回そうが俺は俺の大切な奴らだけがいればそれで良かった。

 

そりゃあ、大きな面倒を避けるために小さな手間をかけるのは仕方のないことだし嫌われるよりは好かれる方が良い。けれどその程度。

 

だがこの世界はそうもいかない。ここは俺のいるべき世界なのだ。俺はこの世界で生まれ育ち、結局どこを回っても自分の居場所だと思えた世界は無かった。俺は確かに生まれ自体は日本ではない。両親は日本人で、時折日本にも遊びに行ったことはあったが、出生国はオランダで、その後何年も国籍不詳──船の国籍は日本籍だったらしいが──の伊・Uに乗っていたから、日本という国への帰属感は薄いと思う。あそこを出てから世話になった国ではあるんだけどな……。

 

だからってここで旧公安0課と派手に事を構えてこの国に居られなったとして、他に行く宛てがあるのかと言われると、聖痕の力を惜しげも無く使う俺は多分世界中からの鼻つまみものだろう。アメリカでだって暴れたしイギリスじゃあ第8王子だかっていうハワードからは嫌われたまんまだ。

 

メヌエットはイギリスじゃ王族の言うことには逆らえないっぽいし、当然他の国でメヌエットの顔がそれほど効くとは思えない。となるとメヌエットを頼ることもできない。

 

オランダじゃあの件がどう扱われてるのかはよく知らんし、ユエ達に俺の生まれ故郷を見せてやる約束はしたけれど、正直どこまで長居できるのかは不明。

 

て言うか、国外に逃げたとしても公安や武装検事が来ないという確証も無いわけで。なのでジャンヌを頼ってのフランスも微妙。

 

そうなるとどこへ行ってもさして変わりないのだから、前提である追われる立場という部分を変えねばなるまい。

 

「俺が半殺しにされたのはほぼ個人的な理由だ。本来アイツらからすれば俺の力は怖いが利用価値としては高い。だから首輪を掛けておきたい、もし無理なら消して不安の芽を摘んでしまおうっていう訳だ」

 

もちろん奴らが奏永人を使ったのは俺の不意を突き易く、かつ確実に戦闘不能に追い込めると判断したからだ。実際その読みは当たったわけだしな。

 

だがあれから今まで手出しをしてこないところを見るに向こうとしても俺の力はなるべく確保しておきたいのだろう。殺して消してしまう線がそれなりに濃いのであればもう動いていてもおかしくはないからな。特に、俺が看護されたいからって部屋で寝ていた時は狙い目だったはずだ。

 

「そんなの……考えようによっては私の時より酷いですぅ」

 

と、シアは俯きながらそう呟いた。まぁそれはそうだろうな。だがこっちの世界じゃこれが普通なのだ。透華達だってあの山奥の村じゃ似たような扱いだった。俺達は首輪を掛けられるか排斥されるかの2択を常に強いられているんだ。

 

「俺ぁトータスじゃ敢えて力を見せつけて、教会やなんかが手出しする気も起きないようにしたかったんだ。ま、結局エヒトの野郎のおかげで失敗だったけどな。んで、こっちでも似たようなことをやろうとして、また駄目だった。多分それじゃいけないんだよ。そんなやり方じゃ居場所なんて手に入らない。俺ぁようやく辿り着いたんだ」

 

「……じゃあ、弱い奴に迎合するの?」

 

と、今まで黙っていたユエも口を開く。

 

「いいや、力は見せつける。けど俺達はそれで無闇に人を傷つけるこたぁしないと思わせる」

 

リムルは人間と鏡のように向き合うと言っていた。拳を振る奴には拳を、握手を求める者には握手を。敵対しようとする奴にまで甘い対応をすることはないが、だからって態々必要以上に暴れ回る必要も無い。

 

「つまり、どうするつもりだ?」

 

と、ジャンヌ。レミアはただ黙って話を聞いていて、ミュウは周りの顔を伺っている。

 

「つまりはまぁ……基本いつも通りだ。ただ、再生の聖痕持ちにはあんまり近付くな。ありゃあ喧嘩して勝つ負けるとかの次元じゃねぇからな」

 

死んでも再生するとかどうにもならん。しかもあれはトータスにいた魔物共と違って明確な弱点が無い。精々が俺の白焔で殺すくらいだがそれは武偵法9条に抵触するから駄目。あぁいうのは相手にしない方が得というものだ。

 

「後は旧公安0課とか……武装検事達だけどな。ま、アイツらから仕事の依頼があれば請けてやるってスタンスでいいんじゃねぇかな。公務員がそんなことするかは知らねぇけど。……アイツらの組織としての目的はこの国を守ることだ。当然敵もろくな奴らじゃないし」

 

確かに彼らは殺人をも認められた戦闘集団ではあるが、無軌道でイカれた連中ってわけじゃない。キチンと理念があり思想があり守るべきものも明確だ。だから正直な話、俺を殺そうとしたり首輪を掛けようとしない限りは特別敵対する理由は無いのだ。

 

けれど、シアはまだ不満そうだし、これまであまり表には出さなかったけれどユエもアイツらには文句があるようで、あまり良い顔はしていない。

 

「アイツらが許せねぇならそれでもいいよ。俺としちゃあお前らにそこまで愛されてるってのは悪い気分じゃないし。けど喧嘩売りには行かないでくれ。戦うのは向こうから手ぇ出してきた時だけだ」

 

だが、それでも俺はコイツらと公安にはあまり喧嘩をしてほしくはない。

 

「……天人がそう言うなら」

 

「仕方ないですぅ」

 

と、2人は渋々といった体だったが取り敢えずは引き下がってくれた。ティオはこういう時大人なんだよな。特に何を言うでもなくただ俺達を見守ってくれている。

 

「ありがとな。……俺ぁお前達にこっちの世界のこと嫌いになってほしくないんだ。どうせなら、好きになってもらいたい。……そのためには───」

 

俺は、1つ考えていることがある。本当はシアやティオとミュウとレミアに渡してあるアーティファクト……耳を誤魔化すやつ。本当はそんなもんを付けなくて済む世界にしたいんだ。

 

けれど、今の世界はそんなことは受け入れないだろう。きっと彼女達がありのままでいれば世界は放ってはおかない。絶対に差別されろくでもない奴らに狙われる。それが分かっているから俺は最初から認識を阻害するアーティファクトを作って渡してあるのだから。

 

「───いや、これは今は置いておこう。もっと、余裕ができてからだ」

 

と、俺は言葉を濁す。そもそも俺自身が狙われてるってのにこんな夢物語を話す時ではないだろうから。

 

「ぱぱ……」

 

「天人さん……」

 

「天人よ……」

 

レミアはミュウを無言で抱きしめている。けれどその瞳は俺を見つめたままだ。その瞳が、俺の顔を無理矢理にでも前に向かせるのだ。

 

「ま、まずは目先の問題からだな。取り敢えず旧公安0課や武装検事達とはあんまり喧嘩しないってことで」

 

無駄にしんみりした雰囲気になったこの場を俺は声のトーンでどうにか盛り上げようとした。それがどこまで効果があったかどうかは知らないが、リサから「デザートがある」と聞かされたミュウが「食べたいのー!」と元気になったので何となく弛緩した空気になる。多分、2人とも狙ってくれてるんだよな、ありがとう。

 

 

 

───────────────

 

 

 

そんな家族会議をやった後のあくる日、俺は1人人工浮島の片割れ、無人島の真ん中で突っ立っていた。別に暇なわけではない。とある人物に呼び出されたのだ。そして今日は、ちょうどユエとシアが任務でいないタイミングだった。

 

で、俺を呼び出した当の本人はと言えば───

 

「……呼び出しといて遅刻かよ」

 

「アホ言え、俺は5分前だ。お前が早すぎる」

 

とは言っても俺も着いたのはつい5分前だから大した差は無いんだけどな。それは目の前にいるこの図体のデカい男には言わないでおく。

 

「で、何の用だよ」

 

「大したことじゃない。この前の話の続きだよ」

 

この前の話……俺とキンジを旧公安0課、今は武装検事にさせようって話か。

 

「その話なら断ったはずだぜ、獅堂」

 

俺は感知系統の固有魔法も全開で周りを見渡す。そこには獅堂──キンジからコイツの名前だけは聞けた──より更に背が高く、2メートルくらいはありそうな坊さんや、ストライプ柄のスーツを着た男、白い学ランを着た美少年、それに妖刕までいやがる。……だが奏永人はいない。隠れているのかとも思ったが気配感知には引っ掛からなかった。こっち側でも聖痕は閉じたままだが、彼がいないのなら問題は無いだろう。

 

「悪いが、お前だけは是が非でも確保しろってことなんだよ。これでお前も月給者になれるんだ、悪い話じゃないだろ?」

 

確かに完全歩合制の個人武偵と違ってコイツらの仲間になれば月給っていう名目で月毎に安定した収入は得られる。だが、コイツらは所詮公務員。その金額はたかが知れている。

 

「悪いけど俺ぁ公務員の安月給でコキ使われる気も、首輪掛けられて生殺与奪を握られる気も更々ねぇんだよ。仕事なら内容次第で請けてやるからそれで諦めろよ」

 

「……分かってねぇな。今はこの学園島とこっちの無人島だけだが、そのうち日本中で聖痕は使えなくなるぜ。なら今のうちに長いもんには巻かれとけ」

 

獅堂が1歩前に出る。武偵法9条の縛りがある俺ではコイツを殺すことはできない。その上聖痕も塞いでいるから負けはない。しかもユエがこの場にいない以上は強制的に言うことを聞かせられる心配もない、そうやって手順を組んできたのだろう。と言うか、ユエもシアもちょうどこのタイミングでご指名の依頼ときた。確実にコイツらが絡んでいるのだろう。

 

武偵高のランク考査試験を終えて2人はSSRと強襲科でSランクと判定された。実力的にはそれこそRランクでもおかしくはないが、Rランクになるにはそれ相応の試験をクリアせねばならないから現状こんなもんだ。

 

だが、いくらSランクとは言えランクを与えられたばかりの2人に指名が入るとは考えにくい。2人も今の状況でどっちもが1度に俺から離れるのは渋ったのだが、報酬はそれなりだった上、もう不意打ちは効かないし逃げるだけなら問題ないからと俺が2人を送り出したのだ。

 

「そーゆーの、嫌いなんだよね」

 

俺の言葉を契機に獅堂を中心に奴らの陣形が広がる。どうやら力ずくでもってやり方に移るようだ。コイツらが俺の力をどれほど把握しているのか……。まずエリア51で見せた電磁加速式対物ライフルは把握していると思っていいだろう。だがあんなもん使ったら確実に人死が出るので使えない。それは向こうも分かっている。

 

後は妖刕に見せた分。フランスの街中じゃ俺は戦闘には加わっていない。戦闘をしたのは眷属の奴らが根城にしていた船の上でだが、そこで使ったのは電磁加速式の拳銃。あとは颱風のセーラが放った矢を額に受けた時と妖刕の二刀を受けた時に何やら結界が張られていることに気付けるかどうか。魔力放射も少しだけ使ったがあれはどう捉えられているかな。

 

「いつか楽に思える時が来るぜ」

 

「約束なんでな。自由な意思の元にってよ」

 

俺は解放者(ミレディ)達から言われた言葉を思い出す。俺は俺の意志で戦う。誰の下に着くか、誰の下にも着かないのか、それは俺が俺の意思でもって決めることだ。

 

「そうかい」

 

獅堂は遂に俺をその太い腕の殺傷圏内へと捉えた。そして俺の胸ぐらを掴み───

 

「っらぁ!」

 

───思いっ切りぶん投げた。

 

変成魔法の報酬代わりにキンジからコイツの怪力とその理由は聞いていたから敢えて受けてみたが、マジで身体が水平に飛ぶとは思わなかった。俺の身体はオルクス大迷宮で魔物を喰らった影響か、身長も多少伸び──体重は身長の増加分以上に伸びているので多分密度が凄い──体重は装備を含めると90キロ程度の重さになる。それをこの角度で飛ばすのか……。トータス基準だとこの筋肉は幾つくらいになるんだろうな。機会があれば天之河と比べてみるか。

 

なんてことを俺はコンクリートの地面と水平に飛びながら考えていた。しかしこのままだと地面どころか海に落ちそうだ。ずぶ濡れは嫌だし……。

 

「……っと」

 

俺は魔力の衝撃変換で水平に飛んでいた身体を地面へと落とす。変換したのは大した魔力量じゃないが取り敢えず飛ぶ角度を下に向けたので直ぐに地面に着地できたのだ。

 

「人をポンポコ投げるもんじゃねぇよ」

 

と、俺は嫌味を言ってやりながらさっき投げられた所まで歩いて戻る。俺が途中で吹っ飛ぶ角度を無理矢理に変えたことで奴らの目つきも変わる。随分と警戒しているようだ。

 

……さて、コイツらのボスはこの獅堂だ。コイツを倒せば他の奴らもそう簡単には掛かって来ないだろう。実際、妖刕は俺に手も足も出なかったのだ。この中じゃ下っ端っぽいけど……。

 

どうせ向こうには再生の聖痕があるからここでいく負傷しようが……最悪死のうが問題は無いのだろうが、それでも今この場にいない以上は全員を戦闘不能にすれば奏永人がここに来るまでコイツらは傷の痛みを抱えることになる。獅堂をぶっ倒したらそれをネタに脅してお帰り願おうかな。

 

「お返しだよ」

 

と、無防備に立つ獅堂に向けて俺は拳を構え───

 

「っ!?」

 

だがその拳が振られることはなかった。獅堂が俺の肩をちょいと押したからだ。それにより俺はバランスを崩して打撃を放てない。多重結界は張られているが、こんな打撃にもならないようなものでは逆に結界で滑らせることもできないのだ。そしてそれが何度も繰り返される。

 

尽く打撃を潰された俺は堪らずに魔力の衝撃変換を放つ。これだけ筋肉質な身体であればぶっ飛ばしても死にはしないだろうと、そこら辺のチンピラなら数メートルは飛んでいく勢いで放ったのだが───

 

「…………」

 

───ゴッ!

 

と、鈍い音を立てて獅堂の肉体を打ち据えた衝撃波だったが奴の身体をぶっ飛ばすことは叶わなかった。……どういう身体してんだよコイツ。それでも1歩下げさせて距離は取れたけどさ。

 

それに周りの奴らが少しどよめく。俺が何のモーションも、触れることすら無くコイツに何か攻撃を加えたことに驚いたのか、獅堂が1歩下げさせられたことに驚いたのか、それは知らねぇけどな。

 

しかし常人の256倍の筋肉を持つ乗能力者(マルチレイズ)か。膂力だけ見たらもしかしたら神の使徒よりあんじゃねぇのか?

 

「おもしれぇ手品だな」

 

魔力の衝撃変換を手品呼ばわりか。まぁ俺もまだ全力を出しちゃいねぇけどさ。それでも嫌んなるね、こうも普通に突っ立っていられると。

 

まぁもういいか。どうせどんな怪我しても元に戻るんだ。殺傷能力高めの固有魔法で刻んでやる。

 

どうせあの服には防刃性能があるだろうから風爪は効かない可能性が高い。だったらこっちだと俺は自分の両拳に紅の電撃を纏わせる。

 

──纏雷──

 

オルクス大迷宮の深層、その第1階層に潜むオオカミが持つ固有魔法。それは俺の電磁加速式のアーティファクトの火力を支えるもので、錬成と並んで俺が最もよく使った魔法になる。俺の打撃を獅堂は初動から潰してきたがこれならもうアイツは俺の身体には触れられない。手前の筋肉まみれの固そうな身体ぁ焼き切ってやるぜ。

 

俺は全身にも纏雷を行き渡らせながら1歩踏み込む。さっきまではここら辺で俺の動きはキャンセルさせられていたのだが流石に赫い電がバチバチと威嚇するような音を鳴らしている俺の身体に触れる愚行は犯さないようで、獅堂は俺の動きに合わせて後ろへ下がっていく。

 

だが奴が下がる際に体重が後ろに乗ったその瞬間、俺は縮地を発動させた。

 

足元で魔力が爆発する。それを推進力に、ノーモーションで俺の身体は獅堂へと肉薄し───

 

───バリバリバリ!!

 

と、稲妻の様な音を立てて俺の拳が獅堂の身体にめり込み、獅堂の拳が俺の頬を捉えた。

 

獅堂が自滅覚悟なのか反射なのか、咄嗟に放ったクロスカウンターは俺の多重結界がその人とは思えない膂力を滑らせ受け流す。逆に俺の拳は獅堂の臍より少し上辺りを捉えていた。赤雷が獅堂の身体を駆け巡る。奴の動きが止まるのが分かった俺は左手では纏雷を使わずにただの拳で獅堂の顎を打ち抜く。

 

もうことここに来て優しく手加減なんてしていられない。俺が人外の膂力を持つように獅堂だって人間とはかけ離れた肉体を持つのだ。この程度で死ぬことはない。

 

俺は更に獅堂の鳩尾に右肘を叩き込み、奴の頭に握り合わせた両拳を打ち下ろすと共に鼻っ面に膝蹴りを入れる。そして両頬に両手で1発ずつ拳を入れると前蹴りを入れて獅堂の巨体を数メートル先に転がした。

 

地面に転がり伏せた獅堂は動かない。纏雷のダメージもあるし脳震盪まで起こさせたハズだからな。暫くは動けないだろう。だがまさか魔力の衝撃変換と纏雷、縮地まで見せる羽目になるとはな……。

 

「……俺ぁアンタらが手出ししてこないなら喧嘩する気はねぇんだ。別にこの国を転覆させようって思想も無いしな。だからもう放っておいてくれ。キチンと手順踏んでくれりゃ仕事は請けるからよ」

 

俺は威圧の固有魔法を使って他の奴らにも分かりやすく圧力を与えながら語り掛ける。とは言え流石は旧公安0課の人間達。この程度では動けなくなるなんてことはなく、獅堂よりも更にガタイの良い坊さんが獅堂を肩に担ぎ、ジリジリと後ろへ下がる。

 

「……よく覚えておけよ、神代天人」

 

……気配感知で気絶していないのは分かっていたが獅堂は俺の予想よりもダメージが少なかったのか、思いの外ハッキリとした口調で話し始めた。

 

「お前らの力はその存在そのものがこの国に不安を与えるんだ。そういうのはな、国がちゃんと管理してやんなきゃいけねぇんだぜ」

 

「知るかよ。俺ぁお前らの防弾チョッキなんて真っ平だぜ」

 

リーダー格らしい獅堂がやられたことで他の奴らも俺を警戒はしつつも手を出そうという雰囲気ではない。俺はそれでも背中を向けることはせずに向かい合いながら距離を置いていく。

 

「じゃあな。もう会わないことを願うぜ」

 

祈りはしない。神様なんて奴らは誰の祈りも聞き届けてはくれないからだ。だから俺はコイツらがもう俺にちょっかいをかける気がしなくなるように本人達にお願いするだけに留める。もし次に俺を引き込もうと相見えたら今度は氷の元素魔法で串刺しにしてやるぜ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

それからしばらく経ったある日の夜だった。不知火から突然電話が掛かってきたのだ。

 

「……どうした?」

 

コイツはあの時公安の奴らと一緒にいたからな。俺の声にも思わず警戒の色が含まれてしまう。

 

「神代くんに仕事を頼みたいんだ」

 

「仕事?」

 

「うん。今とあるテロリストが首相を暗殺しようとしている。そのテロを未然に防いでほしい」

 

「その依頼、請けてもいいが聞かせろ。……それは、公安としての依頼か?」

 

という俺の問いに不知火は……

 

「場所は東京湾、海上自衛隊が訓練で使っていた護衛艦はるぎりがジャックされた」

 

答えなかった。ただ事件の詳細のみを伝えてくる。そして、俺がこれを聞いたら動かざるを得ないことも分かっているのだろう。ここまで話を聞かされて知りませんでした、とはいかない。武偵法9条では武偵はいかなる場合においても人殺しをしてはならないのだ。ここで首相暗殺が成功してしまえばこれを知っていた俺はワザと見逃したと取られても仕方ない。

 

と言うか、見逃せばそれで俺をとっ捕まえてアノニマス・デスの再来としたいのだろうよ。なら俺はこの国にとって有益であるためにも動かなければならない。……何だかこれはこれで上手く使われている気がするんだけどな。

 

そして更に不知火から聞かされた情報によれば現場にいる敵は恐らく1人。そいつは女で、今はキンジと妖刕、それから公安の可夢偉とかいう奴が事件に当たっているとのこと。誰だよと思ったがあの場にいたやたら面の良い若い男が可夢偉らしい。

 

「……今から行く。()()()()待ってろ。……いや、戻らなくていい。そこに行く」

 

と、俺は不知火の上空10メートルの座標を羅針盤で指定。そこに越境鍵で扉を開く。

 

羅針盤で不知火を探した時から分かっていたが、不知火達も港の方へ向けて移動しているようだ。なので俺が扉を開けた時にはもう不知火達の乗っている船は俺の視線の先にいた。まぁ、これくらいの距離なら大丈夫だ。

 

家にいた俺はリサに急な任務で出ることだけ伝える。

 

「行ってらっしゃいませ、ご主人様」

 

「あぁ。行ってくる」

 

「気をつけるのじゃぞ」

 

「……私も行く?」

 

見送るティオと、着いてこようとするユエ。

 

「いや、大丈夫だ。……最悪ヤバそうなら呼ぶよ」

 

だが俺はそう断っておいた。相手が1人なら態々ユエ達の手を借りるまでもないだろう。あまりユエ達の魔法も晒したくはないし。

 

「ご主人様……」

 

「あぁ。……んっ」

 

リサとお見送りのキスを交わし、それを見たユエ達が自分もとせがむのでそれぞれにしてやり、俺は改めて東京湾上空へと飛び出した。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「よう不知火」

 

「神代くんは瞬間移動もできるんだね」

 

出会い頭に嫌味を言われる覚えはないのだが、俺が本当に直ぐ様現れたことに不知火は驚きを隠せない様子だった。

 

「まぁいい。んで、敵の武装や能力は分かってんのか?」

 

念の為俺は不知火に敵の能力の確認をとる。もっとも、超能力であれば俺には一切通らないから大した意味はないのだけど。

 

「不明だよ。ただ聖痕でないことは確かかな。はるぎりの中じゃ聖痕は使えないから」

 

この野郎、よくもぬけぬけと言いやがるな。それじゃあ俺も全開を出せねぇじゃねぇかよ。

 

「お前マジでぶっ飛ばしたくなるぜ。……まぁいいや。敵はどうやって暗殺をするつもりだ?まさか狙撃銃で撃つとかじゃねぇだろうな」

 

「……核だよ。はるぎりにはNDD(核魚雷)が積まれているんだ」

 

クソッタレ……という俺の呟きは喉から先に出ることはなかった。ていうか日本の船だよな、はるぎりって。それが核武装とは非核三原則どこ行ったんだよ。俺は不知火からNDDに積まれている核の性質と起爆の方式をざっと教わりながら、高そうなクルーザーの甲板に立つ。視線の先には護衛艦はるぎりが白波を立てて夜の海を泳いでいる。

 

俺は空力で1歩宙へ踏み出すと、そのまま縮地ではるぎり目指して水上を駆けていく。

 

紅い魔力光が東京湾の暗い海を点々と照らしていく。俺はクルーザーから跳び立ってから数秒ではるぎりの甲板へと降り立った。

 

「よぉ」

 

「天人!?」

 

そこにいたのは雰囲気からするとHSSになっているキンジ、可夢偉とかいう美少年、それと……妖刕はどこいった?……あぁ、こっそり裏手に回ってるのか。その気配が俺の固有魔法に捉えられている。そしてもう1人、この場で最も存在感のある奴がいる。

 

長い髪とロングコートを風に靡かせているこの世のものとは思えない美しさを持つ女。艦首にあるこのはるぎりの主砲である76mm単装速射砲の砲身先端に立っている顔から完全に表情の抜け落ちて無表情のそいつは、俺という異物が急に現れたのにも関わらず何の驚きもないように思える。

 

「NDDだってな。……どこだ?」

 

俺はキンジにそう問いかけた。まぁ場所は羅針盤で探せばいいのだがあれだって使うのはタダじゃない。少なくない魔力を持っていかれるので聖痕の閉じられている今であれば知ってる奴に聞いた方が良い。この船……どころかさっきの不知火の乗っていたクルーザーに乗り込んだ時点で聖痕が閉じられているのは感じている。だが俺にはまだリムルの世界やトータスで手に入れた力がある。それが俺をこの場に立たせているのだ。

 

「もうすぐ発射される。まずはアイツを逮捕しなくちゃ───」

 

「───聞いていますよ。神代天人」

 

目の前の女が喋った。第一印象では無口な奴だと思っていたが、喋るんだな。

 

「……何を?」

 

「貴方の力はここでは使えない。しかしこの場に現れたということは何か別の力があるのでしょう?……ですが何であれ私の邪魔をするのなら消します」

 

そしてその言葉を言い終わった瞬間に───パァン!!───と俺の頭が弾かれた。何やら銃撃を受けたような衝撃だった。だがそれは俺の多重結界にぶつかり、俺の頭蓋を砕くことはなかった。

 

「…………」

 

目の前のテロリスト女が俺を見る。睨む、と言えるほど奴には感情の表出が見られなかった。俺の氷焔之皇に吸収されなかったということは今のあれは物理現象のようだ。どういう原理で何をしたのかはよく分からん。不可視の銃弾であれば銃声とマズルフラッシュが発生するがそれも無かった。そもそも奴は微動だにしていなかったように思える。だが威力は拳銃弾と同じかやや強い程度。俺の多重結界を貫く程じゃない。その程度なら俺にとっちゃさしたる驚異ではない。

 

「で、キンジよ。NDDはどこに───」

 

その時、はるぎりに微振が走る。……核兵器、それも派手に爆発するようなやつじゃない。NDDは中性子爆弾だ。強襲科の座学で少し齧った程度でさっき不知火にも補足説明を受けたがこれは強力な放射線で設備や死体を破壊することなく大量殺戮を行うタイプの核兵器。しかも小型化ができるっていう面倒なやつだ。それが遂に牙を剥くぞ。羅針盤は場所は分かっても発射コードや停止コードなんて言う具体的な数字は出せない。だからそれを知ってる奴に吐かせるか、()()()()()()()()()()()しかない。

 

だが羅針盤でNDDの場所が分かったからって数分では難しい。まず船の中は入り組んでいるから縮地で爆走、とはいかない。その上どうせ魚雷なんだから船の下の方にあるだろうから乗り込んだ時点で遠いし。やるとしたらこの場の全員に越境鍵を晒すしかない。

 

繰り返しになるが、羅針盤は場所しか示してくれないので、この日本が隠し持っていた核兵器での首相暗殺なんてテロを防ぐには停止コードを持ってる奴をとっ捕まえてコードを吐かせるか、()()()()()()()()()()()()()()()破壊もしくは回収の必要がある。そして、俺ならその術がある。

 

「……キンジ、この女は俺が抑えとく。お前あの魚雷追えるか?」

 

「やってやるよクソッタレ!」

 

と、キンジ達はどうやら発射の阻止を目論んでいたようで俺に悪態を付きながら船内へと駆け込んだ。そして1分と経たないうちにはるぎりの左舷からボートのエンジン音が聞こえる。目の前のテロ女は微動だにしない。俺が動かないから動けないのか、NDDは止められないと確信しているからキンジ達を追って下手なチキンレースに巻き込まれたくないのか。

 

俺はキンジ達が船内に駆け出した瞬間にテロ女へと迫る。甲板を蹴り主砲の上に立っていたそいつに肉薄した俺は右肘に叩き込む。しかしテロ女はそれに手の平を合わせて俺の腕力を受け流しつつも利用して甲板の上に離脱する。そしてどこからともなくあの見えない弾丸が飛んでくる。それはやはり俺の多重結界を貫くことなく弾かれて終わる。……空の薬莢が転がる音もしない。こりゃあ何か礫を飛ばすような類の攻撃じゃない。その上超能力の技でもない。すると飛ばしているのは空気か?

 

俺は瞬光を発動させつつトンファーを呼び出した。俺のトンファーは日々改良が加えられていて、今は後ろの先端と中に仕込まれたチェーンには重力魔法が追加で付与されている。これにより俺は伸ばしたチェーンを意のままに操れるようになったのだ。

 

俺ははるぎりの主砲を蹴りながら甲板へと降りる。その際にトンファーを振り回しテロ女の顎を狙うがそれは上体を反らすことで躱される。そして飛ばされる正体不明の弾丸。

 

だが瞬光を使った今だから見えたぞ。アイツの弾丸の正体は指で空気を弾いた指弾だ。一体どういう指の力してんだか知らねぇが、空気の弾丸って言うことなら潰し方も簡単だぜ。俺は魔力の衝撃変換をトンファーから放ち、真横にいた女を空中に叩き飛ばす。そして重力魔法を付与されたトンファーの鎖を伸ばして奴の左手を弾く。

 

───バキィッ!と、骨の折れる音が響き、何かが鈍い輝きを放ちながら宙を舞った。俺はそれをトンファーの鎖で絡め取り手中に収めた。それは何やら指輪のようだった。

 

「それを───」

 

返しなさい、とでも言いたかったのだろう。だが俺はそれを言い切られる前に指輪を宝物庫に仕舞った。そしてそこで時間は訪れた。キンジ達がNDDに向けて出発したのだ。

 

俺はボートがはるぎりの前方に飛び出た瞬間、はるぎりの甲板を蹴って空中に飛び出した。そこにあの空気を弾かれて生み出された知覚できない弾丸は、飛んで来なかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺は重力操作の魔法でボートに追いつき、そこに着地した。そこにはキンジと(いつの間にか戻っていたらしい)妖刕、何故か表情が消えている可夢偉、他には不知火と操縦手の武藤、それと俺の知らない短髪で背の高い女が1人。……コイツ、誰だよ。

 

という顔を俺がすればキンジは

 

「彼女は山根ひばり。俺専属の記者さ」

 

なんて答えやがった。まぁどうでもいいか

 

「そうけ。……キンジ専属ってこたぁここで見た俺のことは黙ってるってことか?」

 

NDDを無力化しつ捕まえる方法はある。だがそれには魔法とかアーティファクトを晒す必要がある。キンジや武藤、公安組に晒すのは仕方ないが一般人に見せるのは如何なものかと俺は山根ひばりと言うらしい美人記者を睨む。

 

「もし犯罪が行われるのなら見過ごせないわ」

 

「安心しろ、それは無い。今からやるのはテロを未然防ぐっていう武偵として……って言うか人として正しいと思う行動だ。ま、こちとら武偵なんで、慈善活動とは……いきませんがね」

 

後半は不知火に向けて。俺の言葉を受けて不知火は苦笑い。一体いくら請求されるんだろうって顔をしているよ。

 

「……あの女、何だかんだで追ってきたな」

 

はるぎりから離れたことで俺の聖痕は再び俺とセカイを繋いだ。それが分かっているからアイツもこっちを放置はできなかったのだろう。

 

「武藤、魚雷を追えるか?」

 

「あぁ。あの影だろ。問題ねぇ」

 

武藤がそう答えた瞬間、バシバシとこっちのボートの後ろや側面で海面が爆ぜた。どうやらあの空気の弾丸を撃ってきたらしい。片手でよくやるもんだ。俺は宝物庫から十字のビット兵器を2機呼び出す。そしてそれに装填された魔力の衝撃変換付きの炸裂弾をテロ女のボートの目の前と側面に叩き付け、ボートをひっくり返しつつ女を海に叩き落した。

 

「なっ……」

 

キンジ達があんぐりと口を空けている間に俺達のボートが魚雷に追いついた。

 

首相が乗っているというクルーザーまでの距離は1.2キロメートルだと妖刕が伝えてくる。問題無い。もうすぐ終わらせる。

 

俺は宝物庫から2枚の円月輪を取り出す。これはハルツィナの大迷宮でも使った、2枚で番になっていて空間魔法で真ん中の空洞が繋がっているやつだ。しかも今は円月輪の刃がそれぞれワイヤーで繋がれていて孔の大きさも広げられる。

 

更にそれを空中に浮遊させ待機させたまま俺は目の前で並走している魚雷に氷の元素魔法を掛ける。弾頭と推進部を凍結させ、即座に核兵器としての機能を奪う。そして全身を丸々凍結させた俺は円月輪の空間跳躍で海水ごと手元にNDDを呼び寄せた。

 

「っと……。ほい、NDD無力化アンド回収完了」

 

キンジ達は一斉にNDDから距離を取るようにボートの端に逃げたけどそれ意味ある?

 

「取り敢えずテロを防ぐって不知火からの依頼はこれで完了でいいかな?」

 

「う、うん……」

 

犯人は海の中だし多分生きてるけど。片手はしばらく使えないし手がかりになりそうな指輪は手に入れた。1番大事な核兵器による首相暗殺のテロを防いだのだから結果としては上々だろう。向こうも俺達には気付いていないっぽいし。

 

「さて不知火。そういや俺はお前とこの依頼に関する金額の相談がまだ出来てないよな?」

 

と、俺が不知火の肩に手を置きながらそう尋ねる。

 

「そう言えばそうだね。……強襲科のSランク武偵の強襲任務の相場は───」

 

そう続けようとした不知火を俺は手で制した。

 

「何かな?」

 

「1個聞きたいんだが、こういう核兵器って、処理するのに幾らくらい掛かるもんなの?」

 

という俺の質問に不知火は顔を真っ青にする。俺の言いたいことが分かったからだろう。

 

「先にそれを聞かせてくれよ」

 

「そう、だね……」

 

不知火はガックリと肩を下ろした。そんな不知火は初めて見たと俺とキンジ、武藤は思わず声を揃えて笑いあった。不知火だけは口から溜息を漏らしていたけれども。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「なぁ天人……お前の道具と力なら伊藤マキリを捕まえられるんじゃないのか?」

 

と、ボートではるぎりに向かいながらキンジが問う。

 

「出来なくはない……けどな、あれだって無制限に使えるわけじゃないんだ」

 

伊藤マキリってのは多分あのテロ女のことだろう。確かにキンジの言うことも分かる。だが羅針盤も越境鍵も魔力の消費量は尋常じゃないのだ。特にもう俺達ははるぎりに近付いていて俺の聖痕は閉じられてしまっている。流石にまだ近くにいるだろうから聖痕のアシストが無くとも使えるだろうが……。

 

「こんなテロ、あいつ1人で起こせるとは流石に思えねぇ。仲間がいるはずだ。それに……」

 

と、俺は宝物庫から伊藤マキリから奪った指輪を取り出した。

 

「あんな飾りっけの無い奴がお洒落で指輪なんぞ付けるとは思えん。これを上手く使えば伊藤マキリとその裏の奴らまで引き出せるんじゃねぇのか?」

 

アイツ、これに執着する様子も見せていたしな。

 

「それは……」

 

不知火や可夢偉が俺の話を否定しないということはきっと俺の推理は当たっているのだろう。いくら伊藤マキリが圧倒的な戦闘力ではるぎりを1人で制圧できたとして、そこに乗り込むことや演習の正確な日時やスケジュールを把握するには誰かしらの手引きが必要になる。ここで伊藤マキリ1人を捕まえてもアイツが喋らなければそこで終わりだ。だがもしこの指輪がアイツらにとってそれなりに価値のある物なら、これを取り返しに奴らがまた出てくるかもしれない。そこを一網打尽にすればより大きな戦果となるのだ。

 

「ま、これはキンジにやるよ。俺ぁそーゆー取引とか駆け引きは苦手だからな」

 

と、俺は伊藤マキリが着けていた指輪をキンジに放る。その頃になってボートははるぎりの傍に寄せてあった不知火のクルーザーへと辿り着いた。念の為羅針盤を使うが伊藤マキリはどうやら徒歩とは思えないスピードでどこかへ行っているようだ。やはり仲間がいるのだろう。まぁ、壊したのは左手だけだからそこら辺の奴の車を奪って逃走という線も考えられるが……ここまで用意周到に計画を立てる奴がそんな証拠を残すような逃走の仕方をするとは思えない。

 

気配感知にもクルーザーの中には見知らぬ気配は感じられない。取り敢えず核攻撃による首相暗殺テロは一件落着……ってことかな。

 

 



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イタリア

 

 

あの後不知火からは白紙の小切手が届いたので俺は適当に数字を書き込んで銀行に持っていった。

 

不知火から一応書く数字は考えてくれと電話があったが、それはそっちの都合。まぁ俺も国が傾くような額は書かないよ。国家転覆罪とか言われても嫌だから。小切手が白紙だったのは向こうなりの誠意なんだろうし、8人が一生豪遊……とまではいかずとも取り敢えず当面の生活の不安が無くなる程度の額にしておいた。あんまり極端な数字書いて後で金払うからこっちに来いとか言われるのも嫌だからな。

 

そんな折衷案から記された数字はそれでもまぁまぁの数なので、俺はリサに頼んで、降って湧いた臨時収入はしっかりと銀行に預けてもらった。

 

そんな頃、もうすぐキンジもイタリアに行くのかぁとか思いながらジャンヌから渡された同窓会の招待状に従ってお出かけの準備をしていた時、携帯が教務科から送られたメールの着信を知らせてきた。

 

「げっ……」

 

まぁ教務科から呼び出される時点でろくでもないことかお仕事の斡旋かのどっちかだろうというのは想像が付くのだが、今回は悪い方に目が出た。つまりはまぁ、お仕事じゃなさげなお呼び出しだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「高天原ゆとり、3年A組神代天人と共に入室致します」

 

なんて、去年に引き続きまた俺の担任を受け持つことになった高天原先生と共に校長室に入る。部屋の奥のご立派な机に座っているのは緑松尊校長。へぇ、こんな顔してるんだなぁという印象しかない。入学式から始まり、始業式や終業式とかで何度となく顔を見ているはずなのだが、絶対にその顔を覚えることが出来ない見える透明人間。

 

終業式時点で俺は既に魂魄魔法入りの義眼を付けているのだから本来魂で見分けが着くはずなのだが、それすら無理だ。というかもうこの人の魂を俺は忘れていた。これもう超能力とか魔法の類だろ。

 

そして、そんなどこかの誰かさんな緑松校長から伝えられたこと。どうやらさっき呼び出しを喰らった時は悪い方に出たと思っていたけど実はそうではなかった……いや、やっぱ悪い方かも。

 

なにせ用件は仕事の斡旋、というかご指名での依頼なんだとか。そんなんで態々校長室に呼び出すなよ心臓に悪い、と心の中で愚痴を零していたのだがどうにも相手がろくでもない奴らなのだ。聞けば、この仕事を振ってきたのは武装検事局とのこと。あーあ、遂にキンジも完全にマークされてんじゃん。

 

……違うか、これは俺の国外追放に近いんだろうな。どうせなら行き先もやることも与えて俺の動きもまとめて監視しとこう、みたいな。キンジの動きを逐一報告せにゃならんということは俺の動きも縛られるし向こうも俺がだいたい何をやっているか把握できる。なんなら俺を監視する仕事も誰かに振られているかもな。

 

ま、家の方はユエもシアもティオもジャンヌもいるから戦力的には何の問題もない。問題は俺の生活力が底辺だということだ。キンジもだらしがないし生活力低い系男子だが、俺のそれは輪をかけて酷い。金だけ渡されて一人暮らしさせたら今やミュウより悲惨なことになる。娘の成長に涙がちょちょ切れるね。

 

と、俺は出てもいない涙を拭いながら家へと帰ってきた。勿論俺は校長先生からのお達しには1つ返事で頷いていた。というかそれ以外に選択肢が無かった。海外に行く支度進めといて良かったな。まさかこんなに早く使うことになるとは思わなかったからまだ途中だけど。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「そこら辺どう思うよ」

 

最近公安の露骨なユエシアコンビの俺からの引き剥がしにより2人ともお仕事でいない。今日の夕食当番であるリサがレミアと一緒にミュウにお料理を教えているため、俺は最近家に入り浸っているジャンヌ──と言ってももうジャンヌもウチの子なのでそれは別に良いのだが──の膝枕の上でゴロゴロしていた。ジャンヌの相部屋だった中空知も留年したらしく──どうやら体育が壊滅的だったらしい──それからというものジャンヌは半分この家に住んでいた。今じゃ歯ブラシや着替えも置いてある。

 

「明らかな追放だろうな」

 

「だよなぁ……」

 

と、俺はジャンヌのお腹に顔を埋めながらボヤく。ちなみに日本国内じゃ露骨な引き剥がしにあっている俺とユエシアだが、どうやら俺がイタリアに飛ばされている間にはシアにまだ仕事はきていないようで、俺は補助に彼女を連れて行くことにしている。俺の生活力じゃイタリアだろうがどこだろうが、ろくに暮らせないからな。

 

シアは俺の日常のお世話も出来るし、何らかの形で誰かと戦闘になった場合でも頼りになる。この不自然に空いた間は恐らく公安の狙いでもあるのだろう。事実、ユエの予定はやはり空いていなかったからな。神言──公安の奴らはユエの言うことは無条件に従わされる超能力の一種だと思っているのだろう──はあの1回の使用で余程警戒されているようだ。逆に、これまでも仕事では派手に活躍しているらしいシアは肉弾戦が主なのでそういうのは無いと判断され、俺と一緒に国外追放ということか。

 

しかも、俺がリサを選んだとしてもそれならそれで俺と引き離せるからOKっていうことだろうよ。まったく嫌な奴らだ。はるぎりジャックと首相暗殺アンド核保有してたあれ、まぁまぁの額を請求したから腹いせかな。仕事って割に拒否権無さそうなのは校長先生から聞かされたし。

 

「……なぁジャンヌ」

 

「どうした?」

 

俺は、キッチンの方を見て3人が和気あいあいと料理を楽しんでいるのを確認し、ジャンヌのお腹にもう一度顔を埋めた。

 

「……もし俺が───」

 

と、俺はそこまで言いかけて言葉が止まる。これを、今言って良いのかどうかが急に分からなくなったからだ。俺は───

 

「……いや、やっぱ何でもない」

 

「そうか」

 

と、不自然に言葉を止めた俺に、ジャンヌは何を言うでもなくただその白く細長い指で俺の頭を撫でる。俺の髪を梳くその指が気持ち良くて、けれども撫でられているのは恥ずかしくて、いくつかの感情が綯い交ぜになった俺はただジャンヌの腰に抱き着いて、その甘い……と言っても甘ったる過ぎずに爽やかでもある絶妙なバランスを持つジャンヌの仄かな香りにただ包まれていた。

 

──リサ達の作る料理の香りは俺の鼻には届かなかった──

 

 

 

───────────────

 

 

 

言語理解ってのは便利だ。何せ何も勉強せずとも世界中の言葉を喋ることができるのだから。

 

「日本の東京武偵高から来ました。神代天人です。宜しく」

 

「同じく東京武偵高から来たシア・ハウリアです。宜しくお願いします。ですぅ」

 

ですぅってイタリア語で何て言ってるの?とは思うが言わぬが花。俺も言語理解で無理矢理理解させられているだけだからイタリア語の文法とか言われても知らんし。

 

というわけで俺とシアはローマ武偵高にやってきた。世界中の武偵高の始祖がここなのだとか。俺達は東京武偵高からの留学生ってことになっている。武偵ランクはそのまま据え置き。ここは武偵ランクでクラスが別れているらしく、俺とシアは当然1番上のクラスに配属されていた。ちなみにここローマ武偵高には東京武偵高みたいな制服は無い。防弾性の黒いやつならだいたい何でもOKなのだ。なので俺はイギリスでメヌエットが買った黒いスーツを、シアは日本でリサやユエと一緒に見繕った黒制服(ディヴィザード・ネロ)だ。

 

どうやら公安の奴らが手を回していたらしくローマ武偵高への留学という形での編入はスムーズに行われた。……キンジを監視して動向を逐一報告しろという任務である以上はそうであってくれないと困るのだが。

 

だがそれはそれとして困ったことが1つ。東京で留年してこっちに逃亡せざるを得なくなったキンジとは残念ながらクラスが別れてしまったのだ。アイツは1番下のクラスへ編入していたらしい。

 

俺達の挨拶にはパチパチとまばらな拍手が起きるだけ。座席も結構空席が多いが、まぁ武偵高だしな。任務に行っている奴もそれなりにいるんだろう。ここは武偵ランクの高い奴の集まる教室らしいし。んー、けどもうちょい歓迎されるムードかと思ってたんだけどな。まぁいいか。と、俺達は用意された隣同士の席へと座る。……ちなみに俺とシアのいるこのクラスは高3のA1(ア・ウノ)という名前で区別されている。

 

イタリアの高校は5年制なので日本で言えば高2の年齢に当たる。留年してないから年すら誤魔化す羽目になったけど、個人的には2度目なので慣れたものだ。

 

教室を見渡せば俺とシアを睨む目が1組。巻いた金髪が派手な女子生徒だった。その周りには顔面の良い男子生徒達が集まっている。……どうやらアイツがこのクラスの中心らしい。

 

俺達は用意された席へと座る。イタリアの授業は日本のそれとは違って基本的に討論形式が基本だ。生徒同士で議題について話し合い、それを先生が適宜補足する。そうすることで理解を深めていくのだ。

 

で、いきなり授業をフケるわけにもいかずにまずは真面目に授業に取り組む。そんなとある日の午前中だった───

 

「よろしい?」

 

鼻につく香水の匂いに一瞬顔を顰めそうになるがそれを堪えて声の方へ振り返ればそこにいたのは巻いた金髪の女、それとイケメン揃いの取り巻きと思われる男共。

 

「なに?」

 

と、俺もイタリア語で返せばそいつもにこやかな──しかしどこか嗜虐的な──笑みを浮かべてきた。

 

「私達これから中庭に射撃の訓練に行こうと思うの。あなたもどうかしら?」

 

と、巻いた金髪の女子生徒──確かロベッタ・ベレッタ──が敢えてシアを見ないようにしながら俺にそんな誘いをしてきた。さっき取り巻きの男の1人がシアを一目見て見蕩れたような顔をした時に思いっきりド突いていたから、自分以外の女がクラスの男連中の気を惹くことが気に入らないのだろう。

 

俺もその態度は気に入らないが、まぁここで喧嘩をしていても仕方ないかと、それには気付かなかった振りで「誘ってくれてありがとう」と返して立ち上がる。

 

俺の快い返事に気を良くしたのか、嗜虐的な雰囲気は鳴りを潜めたロゼッタ・ベレッタや、ロゼッタの周りの男子生徒と共に俺は中庭へと向かう。シアには念話で「ついでにキンジも探してくる」と伝えておく。

 

そして中庭には───

 

「あら、何か臭うわね。まったく何の匂いかしら」

 

ロゼッタ・ベレッタのそんなしょうもない皮肉に「お前の香水の匂いだよ」と、俺とまったく同じ感想を抱いたような顔をしたキンジがいた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「今から俺達はここで射撃の訓練をする。───事故は望まないだろう?」

 

と、同じ感想を抱いた顔どころか面と向かって「お前の匂いじゃないのか?」と言い放ったキンジに、ロゼッタの取り巻きの1人が拳銃を抜いてそんな脅しをかけた。キンジはともかく、他の周りの奴らはそれで完全に及び腰だ。まぁキンジと同じくEランクの武偵というのもあって実力差が分かっているのだろう。キンジ自身も俺に助けを求める感じじゃないし。

 

「才能の無い、家畜や奴隷と同じ価値しかないお前達Eランクの武偵にはここの気高いローマ史の遺構は不釣り合いだ。教室に戻れ」

 

と、他の取り巻きの奴も履いている革靴で何やらイチゴ畑を踏み躙る。それを見てキンジの友達っぽい女子生徒が悲痛な顔になっているからきっとこれは彼女の育てたイチゴだったのだろう。

 

「おい」

 

いくら俺とは無関係の奴らとは言えいい加減やることがコスいし寒いしで腹に据えかねた俺はイチゴ畑を踏み躙ったそいつの肩に手を置きながら股間に膝蹴りを入れ、後ろに引き倒す。

 

「カッ───」

 

味方だと思っていた奴に不意打ちで食らった金的には流石のAランク武偵様もどうにもならないらしく、そいつは股間を抑え、倒れ込んだまま悶絶している。

 

「……何のマネかしら?」

 

と、俺を振り返りキツく睨みつけるロゼッタ。だが俺はそんなことを気にする風でもなくスタスタをキンジ達の方へ日本語で話かけながら歩いて行く。

 

「おすキンジ」

 

「あ、あぁ。お前、なんで……?」

 

「んー?国外追放されたんだよ」

 

「───おい!」

 

と、ようやくキンジが俺の存在を疑問に思い、俺がそれに答えていると後ろから呼び掛けられる。振り向けばロゼッタと、その取り巻きのイケメン軍団が殺気立って俺達を睨んでいる。それを受けてキンジの友達達はビビちまってるし……。

 

「……んだよ」

 

まぁ仲間内にいきなり金的かましておいて放って置かれるわけもないよな……とは思いつつも、これからを考えれば相手にするのが非常に億劫だ。

 

「お前……分かっているのか?」

 

「せっかく育ったイチゴぉ踏み付けにする奴らとはお友達にはなれなさそうだよ」

 

とだけ俺は返しておく。あとシアにも念話を飛ばす。「ロゼッタ達と喧嘩になったから俺の荷物纏めといて」と。直ぐに「何してるんですか……?」と呆れ声が念話を通して返ってきたけど許してほしい。俺はこんな下らん連中とはやっていけなさそうよ。

 

俺が強襲科でSランクというのが分かっているからか直ぐには手を出してこなさそうな雰囲気の取り巻きの連中だった。だがロゼッタがふと何かを見つけたようで、ニヤリと口元が嗜虐的に吊り上がる。

 

「あら、何が匂うのかと思えばベレッタお姉様ではないですか」

 

と、ロゼッタがキンジ達と一緒にはいたけれど1人で車輌科の教本を読んでいた金髪で小柄な女子生徒を指差して何やら悪態をつく。そしてその流れを敏感に感じ取ったのか取り巻きの1人が───

 

「おい、()()()()、ベレッタ・ベレッタ」

 

と、随分な呼び方でその小柄な金髪の女子生徒を呼んだ。何の話だと俺はキンジに小声で聞く。どうやらベレッタ・ベレッタというらしいその金髪の女子はイタリアの銃器メーカーの御令嬢様らしい。……それで死の商人か。てかそれ、お前らの囲ってる女も変わらんだろ。ロゼッタもベレッタ家の人間らしいし。

 

もっとも、ベレッタの方は気にしてるのかしていないのか、ロゼッタ達は無視して教本を読み耽っている。

 

「お姉様は銃器の国内生産を止めてはならないと仰いますし、自ら工房でお作りにもなる。世界に名だたるメーカーとは言え私達が商っているのは武器。その本質は人殺しの道具ですのよ?……自らの手を血の呪いから遠ざけるためには全て国外でライセンス生産させてしまえばよろしいのに」

 

「……それじゃ品質が落ちるでしょ」

 

その姉妹の言い争いに、俺も言いたいことはあるが言い出すことはない。これはコイツらの喧嘩で、コイツらしか関わってはならないことだと思うからだ。実際、ロゼッタの言うことはある程度は正しい。武器は人殺しの道具。それも銃器となれば正しくだ。だがだからこそ、それを作る責任を知っていなくてはならないとも思う。それを俺はあの最初の異世界転移で改めて強く思った。

 

だが教本から目を離さずに会話するベレッタにロゼッタはイラついたのか───

 

「お姉様、どこが革命的なのかワタクシには分かりませんけど……次回のプレゼンでは革命銃(リボルチオーネ)なんて物の発表はやめて下さいね?お姉様の血で汚れた手が───更に血生臭くなりますもの」

 

と、俺が手を出さずにただ眺めているからか言いたい放題になってきた。そしてそれは周りの取り巻き連中も同じらしく───

 

「あっちに行ってよ。あたしは勉強してるの」

 

と、頑なに目を合わせようとはしないベレッタに対して……

 

「自分で作った武器で他人に殺させたいってことか」

 

「罪の意識や葛藤を感じる気もないんだな」

 

「金の亡者め。1ユーロ分でも権利は手離したくないんだな」

 

と、数で押しゃあ勝てると思っているのか俺は手を出してこないと思い込んでいるのか……。まぁ確かに他のキンジのクラスメイトはビビってるっぽいから戦力にはならなさそうだが……。

 

ともかく良い気になっているらしいロゼッタ達の取り巻きの1人……首筋に刺青を入れている奴がベレッタの読んでいた車輌科の教本を取り上げ───

 

「返してよ!」

 

「お姉様には必要ないでしょう?どうせあちこちぶつけてしまうのですから」

 

と、背の低いベレッタがギリギリ届かない位置に教本を持ち上げてピョンピョン飛び跳ねるベレッタを見下げて笑いものにし始めた。その挙句、取り巻き連中の間でベレッタの頭上を通して本をパス交換し始める。姉妹の口喧嘩くらいなら放っておこうとも思ったがこれはいい加減目障りになった俺はロゼッタの囲いの男共から車輌科の教科書を取り上げ返そうとしたところで───

 

「いい加減にしろよ!」

 

と、キンジが強襲科のAランク達の群れに突っ込んでいった。奴らにとっては完全な不意打ちだったからかどうにか教本だけは取り返せたキンジ。あとどっからか子ライオンまで出てきてキンジに加勢していた。だが腐っても強襲科のAランク武偵様達だ。子ライオンは放り投げられて、直ぐにキンジを取り囲み袋にし始める。挙句、ろくに反撃も出来ないキンジを見てロゼッタは……

 

「お姉様が会社の金で男を囲ったと聞きましたが護衛にしては弱すぎますね」

 

「か、金は……ベレッタ社から奨学金として借りただけだ……」

 

「そう称したお姉様の私的流用でしょう?……でもいいのです。おかげでお姉様は転んでしまいましたから」

 

……よく分からんが、キンジはベレッタから金を借りた。んで、その金は会社の金で、キンジが返せないんだが返さないからか知らんが、ともかく取りっぱぐれたベレッタは失脚……ってとこか?

 

「さて、護衛にするには弱すぎる……どんな風に借金を返させているんでしょうね?」

 

と、皮肉もここまでくれば最早セクハラだ。当のベレッタは顔を真っ赤にしてワグワグと口を動かしているだけで返す語彙も無いようだった。辛うじて彼女の友達らしい女子生徒達が言い返してくれてはいるものの……それも暖簾に腕押しって雰囲気だ。結局、ロゼッタの目配せによってキンジへのリンチが再び始まる。今のキンジじゃ流石に強襲科のAランクは厳しい。しかも刺青を入れているあの男がこの中でも図抜けて強い。Aランクの中でもさらに実力の高いエリート様だろう。車輌科の教本を守りながらの普通のキンジじゃ逆立ちしたって勝てない相手だろう。

 

「はぁ……」

 

しかしこうなったら俺も入らない訳にはいかない。武偵憲章1条、仲間を信じ、仲間を助けよ。同郷の()()であるキンジは助けてやらないとな。

 

俺はこっちに背を向けている奴の脇腹に後ろ回し蹴りを入れて蹴り飛ばす。後ろから不意に踵が脇腹に突き刺さったそいつは一瞬の呻き声と共に数メートル程吹っ飛んで転がった。それに気付いた取り巻き達は流石の切り替えの速さで拳銃を抜こうとするが、そうさせる前にもう1人の顔面を殴り飛ばす。そこで他の奴らの抜銃が追い付き俺に幾つもの銃口が向けられる。

 

俺はその瞬間には腰を落として手が地面に着きそうなくらいに姿勢を低くする。一瞬銃口の先の目標(ターゲット)を見失わせてその隙に手前の奴に接近。身体を跳ね上げるようにして鳩尾に拳をめり込ませる。さらにそいつを他の銃口からの盾にしつつ襟首を掴んでもう1人へと投げ飛ばした。

 

さて後の取り巻きは刺青の奴ともう1人だけとなったところでロゼッタが舌打ちを1つ。

 

「今日はここまでにしてあげますけど……Sランクだからと調子に乗らないことね。……ほら、帰りましょう?射撃訓練で土にまみれるなんてごめんですもの」

 

そう言い残したロゼッタは、この場に香水の匂いをたっぷり置き去りにして俺達に背を向けて帰っていった。それを後ろから追いかける男共はチラリとこっちに睨み、しかし何かを言い残すでもなくただ無言のままロゼッタの元へと馳せ参じていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「そういやキンジ、お前どこで寝てんの?」

 

ロゼッタが去った後俺はシアも連れてEランククラスに入り浸っていた。キンジを見張れという任務の性質上俺はどうしてもキンジの傍に寝泊まりする必要がある。別にクモを着けてもいいんだが、あれだって多少は俺が操る必要があるし何より見る必要の無いものまで見えてしまうからあまり使いたくはない。万年金欠のキンジが長期間ホテルに泊まれるとも思えないから誰かの家に居候してるんだろうから余計だ。はてさて、コイツはどこに宿を確保しているのか。

 

「え?……あぁ。えと……」

 

随分と歯切れの悪いキンジ。そういやさっきロゼッタが何やらベレッタが囲ってるみたいなこと言ってたな。

 

「ベレッタんとこか?」

 

と、俺が言えば

 

「そうよ、その借金ブタは私の手元に置いているの」

 

ベレッタがそれを肯定する。

 

「ふうん。……なぁ、シアと俺もそっち行っていいか?」

 

ベレッタは大手の拳銃メーカーの御令嬢だ。住んでる所もメヌエットみたいに余裕があるかもしれない。実際キンジは泊めているみたいだしな。

 

「えぇ……。さっきのことは感謝してるけど……」

 

とは言えベレッタの返事はあまり色の良いものではない。まぁそりゃそうだ。女のシアならともかく男の俺まで来るとなればベレッタは嫌がるだろう。さて、そうなると家賃でも払って住まわせてもらう形にするか……

 

「なぁ天人」

 

「んー?」

 

と、俺がどうやってベレッタの家に転がり込むか思案しているとキンジが肩を突ついてきた。

 

「ハウリアは日本料理とか作れるのか?」

 

「んー?日本料理って、和食とか?」

 

俺がシアに「どう?」という視線を向ければシアはコクコクと頷く。シアはトータスでも料理上手だったがこっちへ来てからはリサに教わりつつ独学でもこっちの料理のレパートリーを増やしつつある。和食も時々テーブルに出ていたから出来るだろうとは思っていたけどな。

 

そんなシアを見て何やらベレッタの目が輝いている。どうやらこのイタリア娘は日本食を食べたいらしいな。

 

「……もし俺達を泊めてくれるならシアが好きな料理を作ってやる。それでいいか?」

 

「しょうがないわね。その代わり、変なことしようとしたら許さないわよ」

 

どうやら交渉成立のようだ。しかも俺は何もしなくても良いらしい。シアには多分毎日キッチンに立ってもらうことにはなるだろうが、それだけでキンジと同じ屋根の下を確保できるのなら問題あるまい。

 

「問題無い。そもそも、俺とシアは恋人だから他の女には手ぇ出さねぇよ」

 

恋人がシアだけだとは言っていないので嘘ではない。他の女にも手は出していないしな。シアの目線が若干怪しいが、透華達やメヌエットには、何に誓って何もやましいことはしていない。

 

「そう。まぁ……それならいいわ」

 

その時、ベレッタの視線がシアのある1点に吸い込まれ、そして自分の同じ部位へと移ったのだが、それを指摘するのは野暮ってものだよな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

で、何故かベレッタ邸にはキンジの他にもレキと颱風のセーラまでいやがった。どうやらキンジを狙撃拘禁しているらしい。本人達は何も言わないのでそれは後でキンジ本人から聞いたことだけど。

 

そんな俺達はシアからの伝言という形で買い物メモを渡されてそれを買いに行った。その中でセーラが菜食主義者なのとかなり金にうるさいことが発覚。とは言えそれ以外に何かあったわけでもなく、セーラのそんな情報も何に使えるというわけもないし、俺達はシアに指定された通りの荷物を抱えてベレッタ邸へと戻ったのだった。

 

そんな夜、俺とシアは2人で一室を与えられそこを寝床にしていた。風呂場は女子が2階のメインに使われている方で、男は3階のあんまり使われていなくてボロっちぃやつだったが文句は言うまい。そして夜の帳が降り、この家にいる奴らのほとんどが眠りに着いた頃───

 

「……天人さん」

 

シアがボソリと話しかけてくる。

 

「んー?」

 

何となく眠れていなかった俺は視線は天井に向けたまま声を返した。

 

「どうして私だったんですか?」

 

「何が?」

 

「……いえ、こういう時天人さんはリサさんを選びそうだったので」

 

シアが小さくそんなことを言った。

 

「別に、もし誰かと喧嘩になってもシアなら大丈夫だろ?生活力もあるから俺のこと支えてくれるし」

 

シアを選んだのにはそれ以外には特に理由は無い。他に強いて言うならリサにばかり負担を掛けられないというのはあるがそれだけ。

 

「それだけ、ですか?」

 

「あぁ。……どうしたんだよ急に」

 

「いえ……その……」

 

と、シアにしては妙に歯切れが悪い。

 

「リサさんじゃなくて、良かったのかなぁ……と」

 

そして、零れ落ちるようにポツリとシアはそう呟いた。

 

「それは……俺がお前よりリサを好きだって言いたいのか?」

 

俺が寝返りを打つようにしてシアの方を振り向く。するとシアは枕に顔を埋めて「うー」だの「あー」だの呻いている。どうにもそういうことらしい。まったく心外だよ。

 

「誰が1番って言えないのは情けねぇ限りだけどよ。それでも俺ぁ、リサもシアも他の皆も同じくらい愛してるよ。……当たり前だろ?」

 

と、俺はシアの青みがかった白髪に指を通す。どこかで引っかかることもなくただ俺の指を素通りさせる手入れの行き届いたシアの柔らかな髪を俺は無言で梳いていく。そしてシアがチラリと枕の隙間からコチラを見やるので頭を撫でて俺の方をしっかりと向かせた。

 

「シア、愛してる」

 

そして俺はシアの形の良いおでこに口付けを落とす。頬と、そして唇にも同じように触れるだけのキスを。

 

「不安にさせてゴメンな。でも大丈夫だ。俺はちゃんとシアのことも特別だから」

 

我ながら最低のことを言っている自覚はある。けれどもこれが俺の本心なのだ。本気で俺はシアを愛している。もちろんリサも、ユエも、レミアやジャンヌもだ。ミュウだって形は違うけれど家族として愛している。それが俺の飾ることのない本音なのだ。

 

「はい。私も天人さんのことを愛しています」

 

俺とシアの唇が重なる。1度離れたそれがもう一度重なろうとした時だった───

 

「……下がうるさいですぅ」

 

キンジとベレッタの声が聞こえる。こんな夜更けに何を騒いでいるんだアイツらは……。

 

「ったく……」

 

折角の良い雰囲気が台無しであった。流石にこうなってしまってはキスを続ける気も起こらず、俺達は寝るためにも騒ぎの元を絶とうと階下へ降りていった。どうやら音は1階のキッチンの方からしているらしく、ボコボコと人を殴るような音が聞こえている。そこへ俺の1歩前を歩いていたシアが中に入った。

 

すると───

 

「駄目ですぅ!!」

 

何故(なにゆえ)!?」

 

いきなりこちらを振り返ったシアが全力で俺の眼球にその白くて細い指をプレゼント。しかも薬指も含めたスリーピースで確実に俺の目ん玉を潰そうとしている。どうして……?

 

一瞬で身体強化のレベルを引き上げたシアの目潰しを辛うじて身体を後ろに反らせることで躱した俺は「どうどう……」と、両手で牽制しながら数歩後ろに下がってシアと距離をとる。でなければ今にも俺の目玉とシアの白魚のような指がディープキスをしそうだった。

 

「天人さんはここで待っててください。……絶対入って来ちゃ駄目ですよ?」

 

「あ、あぁ……」

 

意味は分からないがシアの顔がマジで怖かったし、シアの膂力なら俺の多重結界を抜いて眼球を潰しかねない。いくら再生魔法の付与されたアーティファクトで元に戻せるとはいえ目玉を潰されたくはない俺は素直に頷く。

 

結局騒ぎの元はキンジのラッキースケベだったらしく、杜撰な結末に呆れた俺はシアと一緒に与えられた布団に潜り込んだ。流石にこの流れでキスを再開なんて気分にはなれず、俺達はお互いの手だけを繋いで夢の中へと落ちていった。

 



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イ・ウー同窓会

 

 

次の日の朝、俺達はベレッタの運転するノロノロフェラーリに乗ってローマ武偵高へと登校した。昨日の今日でA1クラスに入りたくなかった俺はシアも連れ立ってキンジ達のいるE3クラスへとお邪魔することにした。すると、先に来ていたキアラとアンナマリアというこのクラスの女子生徒が何やら困り顔をしていた。

 

「どうしたの?」

 

と、ベレッタが声を掛ければ

 

「それが、アランがいないの。ラファエロも探してくれてるんだけど……」

 

アラン。このクラスで飼われている子ライオンの名前だ。どうやらこのクラスではマスコット的に可愛がられていて、キンジのことは見下してスネをよく齧っていたが他の奴らにはよく懐いていた。……俺も動物にはあまり好かれない。特にトータスから帰ってきてからはそれが顕著で、カラスですら俺が近付くと逃げ出すくらいだ。

 

だからかあまり俺には寄ってこなかったのだが、シアのことは直ぐに気に入ったらしく、撫でてもらうためによく背中を差し出していた。

 

それを聞いたキンジがスっと俺を見る。羅針盤で探してくれってことだろう。俺はアランには好かれちゃいなかったがコイツらの心配そうな顔を見ちゃ流石に手伝わないわけにもいかない。後ろ手に羅針盤を宝物庫から召喚し、アランの顔を思い出しながら魔力を流し込む。そして羅針盤が俺にアランの居場所を伝えてきた瞬間、息を切らせたラファエロが教室に飛び込んできた。

 

「いた、アランが……」

 

「どこ!?」

 

アランのことを人一倍可愛がっていたのは少し見ただけでも直ぐに分かっていたベレッタが髪を振り乱しながらラファエロに詰め寄る。

 

「それが……あぁ……どうしたらいいか分からないんだ……神様……」

 

導越の羅針盤が俺に伝えたアランの居場所もろくな所ではなかった。けれど俺は神には祈らねぇ。神は祈った奴の願いなんて聞き届けちゃくれねぇからな。

 

「行くぞラファエロ。神に祈る暇があるならまずは足を動かせ」

 

と、俺に背中を押されたラファエロに連れられて俺とE3クラスの連中がやって来たのは釜の底とか呼ばれている十角形の中庭の端っこ。ローマ武偵高には所々にある遺跡の一角だ。崩れて低くなっている場所にはロゼッタも腰掛けている。んで、ロゼッタが居るなら他のA1の奴らも当然いるわけで、そいつらがバシュバシュと減音器(サプレッサー)付きのジェリコ941(自動拳銃)で撃っているのは───

 

「アラン!!」

 

傾いた遺跡の柱に紐で吊るされた子ライオンのアラン。ベレッタが悲鳴を上げ、キンジ達も芝生を蹴って駆け出していく。それを拳銃で牽制したイレズミを入れた男──ロミオと言うらしい──は───

 

「騒ぐなよ、手元が狂うだろ?」

 

と、宣う。

 

「当てないから心配すんなって」

 

「当てずにどこまでギリギリ近くを撃てるか競争してるんだ」

 

他の奴らもヘラヘラと笑いながらそんなことを言い出した。どうせこいつらは昨日の仕返しをしたいんだろう。それに、ロゼッタはベレッタと何やら因縁があるようだし、ベレッタの手下になっているらしいキンジと自分の手下を戦わせて優劣を決めたい、というのもあるのだろう。アランは俺とシアを抑えるための人質ってとこか。

 

「あぁでも、怖い怖いSランク武偵様に睨まれたら思わず手元が狂っちまうかもしれないなぁ」

 

と、ロミオが俺を睨みながらそんなことを言い出した。どうやら、俺への仕返しは別に用意しているらしいな。まずはこの場で1番強い俺を排除しようって魂胆らしい。けどな……

 

「それなら気にすんな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

今この場にはシアはいない。何故ならここへ来る前にシアには念話で、羅針盤で突き止めたこの場所を伝えて先回りさせているからだ。そしてシアは気配操作に長けた兎人族でありハウリア最強の女だ。いくらAランク武偵と言えど死角に入り込んだシアの気配には気付けやしない。

 

「あぁ?」

 

「……まったく、やることが寒いんですよ」

 

「───っ!?」

 

ボソッと呟いたシアの声にA1クラスの皆さんは思わず全員振り返る。俺という異物に全員の視線が集まっていたその瞬間に現れたシアは、アランを戒めていたロープを引き千切ってその小さな体躯を大きく柔らかい果実の中に収めた。……いいなぁ、俺も後で埋めさせてもらおうか。柔らかいんだよなぁ、シアの胸の中って。めっちゃ良い匂いするし。まるで天国だぜ。

 

なんて下らないことを俺が妄想している間にシアは手近にいたA1の男子を蹴り飛ばして壁に叩き付けていた。俺がさっきアランの代わりを用意したって言ったからかな。あれがアランの代わりらしい。

 

そしてシアの馬鹿力で壁のシミになりかけたそいつに一瞥もくれてやることなくシアは俺達の元へと舞い戻ってきた。

 

「さんきゅ」

 

「いえいえ。この程度造作もないですぅ」

 

身体に巻きついたロープも切ってもらったアランはベレッタ達の元へと駆けていった。それをベレッタ達は抱き留める。だが、これでハッピーエンドとはならない。まだロゼッタ達が残っているからな。

 

「キンジ」

 

「ん?」

 

と、俺は後ろからキンジに声をかける。それに振り向いたキンジの眼前に俺は魂魄魔法を付与した鉱石を吊り下げた。

 

「どうした?」

 

そしてそこに俺が魔力を流し込むと───

 

「───っ!?……これは」

 

キンジの纏う雰囲気が変わった。……どうやら上手くいったらしいな。

 

「調子はどうだ?」

 

「すこぶるいいけどね。また随分なものを作ったんだな」

 

キンジの喋り方も少し変わっている。どうやらなれたらしいな。H()S()S()に。

 

───俺がさっきキンジに向けたのは魂魄魔法で他の奴を強制的に()()()()()()()()アーティファクト。こんなの使ったところで何かが期待できる相手なんてHSSを持っている人間に限られてくるが、これはキンジを手っ取り早くヒスらせるためのものだ。今後何かの事情で俺が戦えない、ないしは俺が手を出さない方が良い時、もしくは分かれて戦う必要が出た時にキンジにはHSSになってもらえなきゃ困るからな。普通の時のコイツじゃあんまり戦力にならないし。

 

別に今回だけならあんな奴ら俺が()()()まってもいいんだけどな。どうやら予想と違ってアイツら俺にご退場願いたかったみたいだし、ここで俺とシアがコイツらをボコったところで今度は俺達をどうにかしてキンジ達から引き離した時に報復に出られる可能性がある。だったら最初からキンジの実力を見せつけてE3クラスに手出しする気を奪ってしまおうと思ったのだ。

 

「じゃ、あとは宜しく」

 

一応これがどれほど効果が続くのかは知りたいので帰ったりはしないけど。キンジも俺の意図はすぐに分かったらしくわざとらしい溜息と共に1歩前へ出た。ベレッタはそんなキンジの後ろ姿を見て何やら自分の胸元をギュッと握り、そしてキンジの側へ駆け寄った。そして───

 

「───頑張って(フォルツァ)

 

と、ベレッタ(拳銃)を手渡した。

 

「よかった。君からのプレゼントは大切にしたくて家に置いてきてしまっていたんだ。銃の携帯は校則。これで、校則違反も終わりだ」

 

と、俺には何の話か分からないがともかくキンジは帯銃をしていなかったらしい。まぁ無くてもアイツら程度になら負けやしないだろうけど。

 

「天人、君も……」

 

と、1人でAランク武偵様達に挑もうっていう雰囲気のキンジを心配してかラファエロが俺を見る。けど俺はそれには肩を竦めて返した。

 

「大丈夫だよ。あんな奴らにキンジは負けねぇ」

 

それを聞いてフランチェスコやダニエレ、キアラにアンナマリアもキンジの背中を見やる。そして向こうから出てくるのはイレズミのロミオだ。

 

「なぁ余所者。銃は止めとこうか。音が立て続けに鳴ればまた先生に止められるからさ」

 

流石に目が早いな。武器商人であるベレッタが手渡した拳銃。そこにどんな仕掛けがしてあるか分からないからまずはそれを取り除いておこうって魂胆らしい。そしてキンジもそれにキザったらしく返した。なーにが「愛する()()()()をお前なんかに向けたくない」だ。しかもベレッタにギリギリ聞こえる声量だぞ。俺やシアはそこらの人間より耳も良いから届いたけどな。

 

こっちのキンジの歯の浮くような台詞に実際に鳥肌の浮き始めたシアが俺の背中に隠れている間にロミオが取り出したのはチェーンの長さが短い──というか犯人逮捕用の長さではあるので普通と言えば普通の──手錠。どうやらチェーンデスマッチを仕掛けるらしい。それも、()()()()()()()()()掛けられた。とはいえ今のキンジだとわざとやられた振りの可能性もあるなぁ。ま、この喧嘩の行方は語るまでもない。鉄球まで握りこんだロミオが強かに殴りまくっても平然としているキンジが手錠から両手を抜き、あの全身の骨格を連続して動かす──次はどんな不思議技をするのかと瞬光を使って捉えたのだ──デコピンでロミオをぶっ飛ばし、立ち去ろうと背を向けたキンジの背中に放たれた拳銃弾をキンジは左の脇の下を通したベレッタでロミオを見ることもなく弾いて終わり。A1クラスの皆さんは俺達に尻尾巻いて逃げ出していった。これにて一間、かな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

午後の授業はフケた。て言うか午前の授業もブッチしているので1日サボりだ。まぁあんなことがあった後にどの面下げてクラスに行くのよって話。悪いのは向こうだから俺達が気にすることではないのかもしれないけど、それはそれ。今日は気分が乗らないので明日から頑張ります。

 

そんな俺とシアはE3クラスの連中達と5月なのにもう海に行くことになった。シアは宝物庫に水着を入れてあるらしいし俺も体育用の短パンがあるからそれでいいかとベレッタの運転するフェラーリでイタリアの海へとやってきた。

 

この時期じゃ流石にほとんど人気はなく、ほぼ貸切みたいな雰囲気を出していて個人的にはとても心地良い。

 

「では天人さん、サンオイルをお願いします。ですぅ」

 

と、砂浜に敷いたビニールシートの上で寝そべるシアから渡されたのは日焼け止め用のサンオイル。何でシアがここまで用意周到に海で遊ぶ準備を整えていたのかと問えば、どうやらイタリアと聞いて"イタリアと言えば地中海!海で目一杯遊ぶぜ!"なんて思い立ったかららしい。建前上は仕事なんですけどね、それも監視任務。まぁいいけど。

 

んで、ボトムスはホットパンツ、上はブルーのビキニタイプの水着を着ていたシアが背中のリボン結びの紐を外し、実際に水着を留めているホックも外しながら「早く早く」と俺を急かす。

 

「あいよ」

 

と、俺は背中にかかったシアの薄く青みがかった白髪を纏めて肩口へ流して背中から退かした。そしてサンオイルのボトルを手で人肌程度に温めてから中身を手の平に乗せる。それを少し伸ばしてからシアの背中に塗っていく。引き締まった白い背中がビーチパラソルの日陰にあって俺の目には眩しく映る。

 

リラックスしているらしいシアは重ねた両手の上に頬を置いて目を閉じている。そんな姿に愛おしさを感じながら俺はオイルを手に取りシアの締まった肢体に伸ばしていく。二の腕やふくらはぎは簡単に折れてしまいそうな程に細いのに実際に触れると柔らかさの内側にしっかりと筋肉がその存在を主張していて、彼女が戦う人種であることを俺に痛感させる。

 

「ほれ、塗り終わったぞ」

 

何やら沖の方でわちゃわちゃしているキンジ達を眺めつつ、俺はサンオイルのフタを閉めながらシアに声をかける。

 

「天人さん天人さん」

 

シアが胸を腕で隠しながら身体を起こす。その後に続く言葉を察した俺は……

 

「前は自分で塗れ」

 

機先を制しておく。ていうかこのやり取り、前にもリサとやった気がするな。

 

水着を着直しながら膨れっ面をしているシアの両頬を手の平で弄んでいると、俺はあの海でのことを思い出してしまった。最初に飛ばされた世界。IS(インフィニット・ストラトス)という機動兵器が空を支配するあそこで、俺は織斑千冬と篠ノ之束を殺した……。あの世界から弾き出される直前の記憶が蘇った俺は、思わずシアの身体を抱き寄せてしまう。

 

「天人さん?」

 

「んー?……何でもないよ、何でも」

 

トン、トン、と、急に抱き寄せられたのにシアは俺の背中を心臓の鼓動と同じリズムで優しく叩いてくれる。数秒だけ、シアの優しさと香りと柔らかさに寄り掛かった俺は直ぐに身体を離した。一瞬名残惜しそうな顔をしたシアだったが、刹那の後にその顔に笑顔が咲いた。

 

「天人さんは甘えん坊さんですねぇ」

 

なんて、俺は返す言葉もなかったからただ「うん」

とだけ頷いた。すると

 

「おーい、せっかくの海なんだから泳ごうよ」

 

と、波打ち際からフランチェスコに声を掛けられる。俺はそれに「あいよ!」と返し、シアの方を振り向く。

 

「行こうか」

 

「はいですぅ」

 

俺はシアの手を取り、5月のイタリアの海へと飛び込んだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

5月23日。イ・ウー同窓会(リユニオン)の当日。シャーロックが用意したという会場への道すがらそのシャーロックにアリアとキンジ、レキと魔女連隊のカツェ、それとメーヤはともかく、自衛もできないベレッタまでいるという大所帯に俺は合流した。一応キンジが先に出ると言うのでこっそりクモは付けさせてもらっていたから、ベレッタがいる理由も知ってはいるのだが……。

 

やっぱコイツいるの危ねぇんじゃねぇかな……。シアは今はいない。呼ばれていないからな。念話があるので呼べば直ぐに援護(バックアップ)には来てくれるだろうけど。

 

で、ベレッタは追い返そうかと思ったがどうにもキンジが他の女に手ぇ出さないかどうかを見張りたいコイツは頑として離れようとしないし、だからって「そこの優男主催の超人集会に行くので危ないから帰れ」とも言い辛い。普通に同窓会って言ったんじゃ、ここまで頑なな理由が理由だけに帰らないだろうし。俺ももう諦めて仕方なく同行を放っておくことにしよう。だが───

 

「なぁおいそこの人間ウィキペディア」

 

そんな、傍から見ればきっとかなり酷い俺の呼び掛けに当の本人は反応せず、ペチャクチャと何やら雑学を喋りまくっている。

 

「お前だよシャーロック」

 

「ん?どうしたのかな?」

 

と、もう1度、今度は名前を呼んでやればわざとらしいくらいに仰々しくこちらを振り返るシャーロック。コイツ、なまじ頭が良くて知識も豊富なので、癪に障ることに話そのものは面白いのだ。だがそれはそれ。

 

「お前が物知りなのはよく分かった。そんな物知りなお前に1つ聞きたい」

 

「ほう。言ってみたまえ。私に答えられる範囲なら教えてあげるよ」

 

「お前を黙らせる方法」

 

それはそれとして、コイツもいい加減五月蝿いのだ。道中ずっと喋りっぱなし。相槌を挟む暇すらない。その永久機関みたいによく回る口はどうしたら閉じられるのだろうか。やはり力づくしかないのだろうか。

 

「ふむ……」

 

が、ここで何故かシャーロックが黙り込む。その反応は期待していなかったんだけど。そして……

 

「あぁ?」

 

俺もシャーロックとは別の場所に意識を向ける。俺は基本的にいつも気配感知の固有魔法を発動させている。そして今それに反応があったのだ。だがこれは……

 

「私の指輪、返して」

 

俺の背後から声がする。コイツの接近にだってついさっき気付いたのだ。俺の感知系の固有魔法をすり抜けるなんて尋常ではない。それもコイツらには魔法なんて便利なもんは無いはずなのに。ハウリアは気配の操作がトータスでトップクラスに上手だが()()()()のそれはその次元を超えている。

 

(わり)ぃがあれはもうキンジに渡しちまったぜ。俺ぁ持ってねぇしアイツが今どこに隠してんのかも知らねぇ」

 

これは本当。手元に持ってんのか家に置いてあるのか、それとも埋めたのかどっかに保管してあるのか、はたまたもう燃えないゴミの日に捨ててしまったのか。それすらも知らない。羅針盤で探しゃ分かるのだろうが面倒だし特にそういうことはしていないからな。例え記憶をまさぐられたって出てこねぇぜ。

 

「そう」

 

と、ふと俺の背後から奴──伊藤マキリ──の気配が消える。多分キンジの方へ行ったのだろう。見てないけどそれくらいは分かる。そして、それよりも面倒なのが……

 

「んだぁ、お前ら……」

 

ビキニアーマーって言うだっけ、あぁいうの。羽の着いた兜を被って槍を持ったスタイルの良い女が随分と目に優しい格好をしていた。だがあの鎧、本物だ。そして切れ味の良さそうなあの槍も。被っている兜や鎧、槍にはどこもかしこも傷や補修した跡が残っている。あれは血を浴び血を吸い本当の戦場で戦ったそれだ。

 

それともう1人はフードを目深に被っていて顔が分からんが骨格的に多分男。だがどうしてだろうか。何故だか知らんが奴からはトータスの()()()と似たような気配がするのだ。

 

そして1番ヤバげな気配をしているのがそいつらの中心にいる女。水色の髪と10代前半を思わせる小柄な体躯。どっかの古めかしい軍服を身に纏ったそいつがこの中で1番強いってのがよく分かる。何か特別な特徴があるのではない。ただ伝わる気配がそう思わせるのだ。コイツら……何者だよ。

 

「誰なの……?」

 

ベレッタが奴らを見渡す。その顔には恐れが浮かんでいた。

 

「ベレッタ……っ!お前は帰れ……!」

 

と、キンジが呻くように呟く。だが……

 

「いいや、こうなってはもう彼女は帰れないだろうし、帰さない方が良い」

 

シャーロックはそう告げる。そしてそれはきっと間違いではない。ベレッタはそこら辺の奴に毛が生えた程度の力しかないのだ。コイツら相手にろくな自衛ができない以上は、この場に留まって俺達の手の届く範囲にいてくれた方がマシだ。

 

「天人っ!」

 

キンジが俺に縋るような顔を向けてくる。

 

「いや、シャーロックの言う通りだ。ここでベレッタだけ逃がしてもお前らはどうするつもりだよ」

 

確かにシャーロックやアリアはいる。だがキンジは普通のままだしこの衆人環視の中じゃ俺も派手に力を使うのは憚られる。その制限の中で、俺がアーティファクトでキンジをHSSにさせる隙をくれる相手とも思えないしな。

 

「同士達よ、争ってはならない」

 

……フランス語だ。言語理解のおかげでアリアからの英語での同時通訳が無くても分かった。ちなみに俺には同時通訳なんて言う器用な真似はできない。そういうセンスは無いのだ。

 

そんなことはともかく、今のこいつの一言で他の奴らの剣呑な気配がスっと収められた。1番ちみっこいコイツがリーダーなのだということがそれだけですぐに分かる。

 

「これは以外だった。神出鬼没の提督が自らお見えとは……()()()()()()()()()()()。君達が現れる時間帯は僕の推理通りだったけどね」

 

条理予知は何でも分かる……わけではない。事実、コイツは俺の行動はあまり読めない。本人に確かめたことは無いが、いくつか予想している理由ならある。まずは俺の聖痕の力。これはこの世界の条理から外れた力だ。だから()()予知では推し量り辛い。もちろん使ってんのが俺みたいなアホならある程度は読めるんだろうが……根本の部分での相性は悪いのだろう。

 

もう1つは俺の行動原理。シャーロックはこれで恋愛下手なのだ。いや、俺がそんなプレイボーイとかって意味ではなく。ただ単に俺の行動原理のほとんどは恋愛感情だ。最近じゃそれを向ける相手が随分と増えたがそれはそれ。これまでも俺はほとんどリサへの恋愛感情だけで動いていた。コイツはそういう感情的な行動は読み辛いようなのだ。基本感情的なもんだから非合理的な動きになるからだろう。ま、それもこれも全部俺が()()動くのだと勘定に入れて計算すればカバーできるんだろうよ。だから俺程度の行動であればシャーロックは半分程度は読み切ることができていた。だがあのシャーロック・ホームズともあろう切れ者が、俺みたいな頭の切れ味が(なまくら)な阿呆の行動を半分程度しか読み切れないという時点で、覆しようのない相性の悪さを指し示しているのだ。

 

ちなみに戦闘行動においてだけはほぼ確実に俺の動きは読み切られていた。こっちは簡単。俺に喧嘩のやり方を教えたのはシャーロックだからだ。俺の戦闘目的は読めずとも、戦う際の体捌きはコイツから教わったものだから比較的合理的……だと思う。そうなればシャーロックは自慢の推理力で俺の動きを読み切れるのだった。

 

で、そんなシャーロックさんが読めなかったということはコイツの力もまた条理の内に収まりきらない力ということなのだろう。それが色金絡みの超々能力なのか聖痕由来なのか、はたまたもっとユエ達に近い───この世界の条理の外側にいるのか……それは分からんけどな。

 

「こちらも予測時刻の通りだ。……ところで、英語などという不完全な言語で喋れと?」

 

金色の懐中時計を取り出してそんなことを宣うチビ女。言語理解のおかげで何となく分かるが、この世界の言語なんてどれも不完全だぞ?まぁ異世界になら完全な言語があるのかと言われれば頷けやしないけどさ。

 

「何よ……フランス語だって数が60までしかないくせに」

 

母国語を悪く言われたからかこいつの醸し出す雰囲気に流されないようにするためかアリアが絞り出すようにそんなことを言った。

 

「8と6は数えられる。……いや、9と6と言うべきか」

 

どうにもこの女の迂遠な言い回しでは、向こう(チビ女)側の方が少人数だと言っているようだ。交戦の意思があるのかないのかは知らないし俺には関係無い。衆人環視ということを抜きにすれば、こっちには再生魔法と魂魄魔法があるから最悪ベレッタが狙われてもどうにかなるし、逃げるための足もコイツらを叩き潰す力も俺にはあるのだから。そういや()()とかいう奴も来てるとか何とか言ってたな、シャーロックがさっき。姿が見えねぇから存在を忘れてたし実際今どこにいるんだかも結局知らねぇけど。

 

「恐縮ながら、会談は英語でお願いできると心から幸いだよ」

 

なんて、大仰な手つきで軍帽を被った小柄な少女とその取り巻き達に慇懃無礼なお辞儀をしたシャーロック。そして───

 

「提督は僕らが同窓会を開くことを知っていた。場所から時刻に至るまで。推理し得る理由は数える程もない。……()()だね?ここにはいないようだが……」

 

と、珍しく何かを確かめるように、シャーロックが言葉を重ねている。

 

「私達が人目を好まぬことは知っているはずだ。私個人も立ち話は好きではない。案内しろ」

 

と、こちらもまぁまぁ偉そうな態度で俺達の同窓会の会場に案内しろとのご命令。しかしその目線がキロリと俺を向いたことから、俺が()()()()()()()()()()()()()()ことは把握しているらしい。

 

ここローマはどういう訳か知らないが、俺達聖痕持ちにとっちゃ鬼門のようなのだ。俺も入ってから気付いたがここじゃ聖痕が開き辛い。全く駄目ってわけじゃないのだが、錆びていたり、歪んでいたりで建付けの悪い扉が中々開け辛いように、俺の聖痕も開けようとしても何かに引っかかるような感覚があるのだ。だからまぁ力づくで開けられないこともないがそれで扉を破壊するわけにもいかないし、油挿しゃどうにかなるもんでもないので俺はなるべくこの地では聖痕を開きたくないのだ。そして、それをコイツらも分かっているようだ。

 

そんな俺達がシャーロックに案内されたのはヴィア・デル・コルソの中央にあったグランドホテル・プラザ。五つ星ホテルらしい。凄いね。庶民派の俺はこういうところに来ると恐縮しちゃうよ。

 

んで、このホテルのロビーから続く一室には大きな大理石の円卓があり、それを半々に分けるように俺達はビロード張りの椅子に座っていく。そうして締め切られたボールルームでさっきまでずっとフードを被っていた大男がそれを脱いだ。そしてそこから現れたのは───

 

「きゃっ……!」

 

ベレッタが短い悲鳴を上げる。何せ野暮ったいフードの下にあったのはライオンの顔。コートも脱いで古代ローマの兵隊の鎧を纏った黒人の身体が現れたが顔だけはライオンそのもの。なるほど、だから俺はフェアベルゲンで出会った──当時は──亜人族と同じ感覚をコイツに抱いたのか。

 

つーかさっきから包帯を全身に巻き付けたハロウィンのミイラみたいな奴からコポコポだのキンッだのと泡が弾けるような金属音……俺にもよく分からんがともかくそういう音が聞こえてくるんだよな。一応義眼には魂が映ってるから奴も生物っぽくはあるのだが……。

 

で、シャーロックはご挨拶代わりに教授は元気かと聞いている。お前もイ・ウーじゃ教授だったろうがと思うが俺は何も言わない。話の腰を折る必要も無いしこういう頭の良さそうな会話にはついていけないからな。

 

で、ついていけないので仕方なしに黙って話を聞いていれば、どうやらシャーロックが教授と呼ぶのはモリアーティとか言う奴でそれはコイツらの親玉らしい。しかもシャーロックと戦い、その結果の果てにコイツを打倒し第一次世界大戦を引き起こした張本人なのだとか。

 

どうにも向こうの教授さんは色んな出来事を起こしてそれを利用することで何やら悪巧みを行うらしい。そして今はキンジの横に座って小動物みたいに震えているベレッタを利用しようという魂胆みたいだな。

 

「……いい加減名乗れ!お前は誰だ!何者だ!」

 

と、そんな会話の応酬の最中、キンジがキレ気味に軍帽女に名前を訪ねる。

 

誰でもない(ネモ)

 

するとここに来て初めてニヤリと笑ったその女──ネモ──

 

「私は可能を不可能にする女(ディスエネイブル)。遠山キンジ、お前と対を為す者だ」

 

と、キンジの不可能を可能にする男(エネイブル)という2つ名の逆を名乗った。ネモ……コイツらはNとかいう集団で、世界中でテロみたいな行為をしているらしい。この前の首相暗殺未遂もコイツらの仕業だとよ。

 

そしてネモがそう名乗った瞬間、ヴィア・デル・コルソから聖堂の金が鳴り響いた。それは、まるで戦争の開始を告げる合図かのようだった……。

 

 



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コロッセオ

 

 

緊張感溢れる会談……どうやらN達の狙いはベレッタのようだ。難しい話にはてんで着いていけない俺は相変わらず黙りを決め込んでこの会談に臨んでいるのだが、どうやらベレッタは分岐点と呼ばれる存在らしい。コイツの行動如何で時代は未来に進歩もすれば過去に退化することもあるのだとか。

 

そしてコイツらの目的は今の現代を過去に戻すこと。具体的に西暦何年頃に戻したいのかは知らんが、異音のするミイラマンや古代ローマの鎧を身に纏ったライオンの獣人族(仮)、リムルのいた世界にすらいなかったビキニアーマーを纏った、最早理子の持ってたRPGゲームにしかいなさそうな女騎士達の姿からすれば多分中世以前くらいかなと予想は立てられる。

 

そして、何やら『神』なる存在が人類を導くだのと壮大な話が始まる。それも自分らが神になるんじゃなさそうだ。だが神とは何ぞやというところは奴らにも分からないといった雰囲気だ。……全く意味が分からん。けどまぁ……

 

「───俺ぁ神って奴は信用しねぇ。神なんてどいつもこいつも碌な奴ぁいなかったからな。アイツらには祈りも届かなけりゃ導いちゃくれねぇのさ」

 

俺はここで初めて口を挟んだ。アラガミ然り、エヒト然り。神なんて呼ばれてる奴らは大概碌なもんじゃなかったからな。俺はそんな奴らは信用しねぇしどっちかと言わずとも大嫌いだね。アイツらは人を喰らうだけだ。導きもしなけりゃ手を差し伸べてもくれねぇ。

 

だが俺の発言が宗教的に気に食わなかったらしいメーヤは俺のことを文字通りの神敵の如く睨む。ま、お前の信じる神相手じゃなかったけど俺は(エヒト)も殺してるからな。その反応が正解だぜ。

 

「ふむ……私としては神代天人、お前をも含めたこの円卓に着いたシャーロックを除く7名には我等の同志に迎え入れようと思っていたのだがな。ベレッタ=ベレッタ、遠山キンジ、神崎・ホームズ・アリア、レキ、カツェ=グラッセ、メーヤ・ロマーノ、君達も私と教授に従いノーチラスの一員となるのだ」

 

と、ネモは俺達をノーチラス──多分Nのこと──とかいう所に誘ってきた。ふん……ベレッタはともかく俺達は始末するつもりだろうに。そして俺にも分かることは──いつの間にやらなっていた──HSSのキンジや他の奴らにはお見通し。キンジやメーヤ、アリアにカツェはそれぞれの言葉で、レキは無言を貫くことで拒否の意志をそれぞれが示した。当然ベレッタもだ。

 

そして俺達が向こうに着かないことは推理で分かっていたらしいシャーロックが確認だとか言って、奇襲をしようと思う、なんて宣言しつつ刃渡り70センチ程の短剣をテーブルに置いた。「自分はこの場で死ぬ」とも告げて……。いやいや、その前にまず宣言する奇襲なんて聞いたことねぇよ。いや、ある意味奇を衒っているから奇襲でいいのか……?

 

頭に疑問符を浮かべる俺を他所にシャーロックがテーブルに置いた短剣を見て……

 

「……イクスカリヴァーン」

 

と、ビキニアーマーを着て頭に羽の着いた兜を被っていた女が初めて口を開いた。どうやらこの短剣はイクスカリヴァーンという銘で、コイツはこれと戦ったことがあるっぽいな。そしてシャーロックはこの羽兜女をヴァルキュリア君と呼んだ。コイツはそんな名前だったのか。

 

そしてシャーロックはダラダラといつも通り長く遠回しに何やら述べていく。その言葉のほとんどは俺の耳を右から左へと駆け抜けていったが……

 

「───だが忘れないでほしい。時とは……前にしか進まないものだよ」

 

それだけが俺の耳に強く残った。そして───

 

「……?」

 

シャーロックはテーブルから身を乗り出しネモの喉を狙うと見せかけて寸前で切っ先を持ち上げたのだ。それは下から顎を貫き脳天まで届く一撃。入れば確実に人間は死ぬし完全に入ったタイミングだった、筈なのだ……。だが、ネモの肉体には何ら変化は訪れていない。血が飛び散ることもなければ痛みに表情を歪めることもない。ただ何事も無かったかのように椅子に座したままなのだ。だがシャーロックの動きが巻き起こした気流がテーブルの上を暴れコップの中の水が波打つ。シャーロックは確実に短剣を振り上げていたのだ。だが実際にはネモは顔を割られることなく佇んだままだ。そしてその小さな花弁が開かれる。

 

「その宝剣を棄損することはしないでおいてやった」

 

まるで、今の攻撃にカウンターを合わせて短剣をへし折れたとでも言いたげだ。

 

「ところで私の殺害が可能だと思ったのか?卿は探偵なのだから私の2つ名くらい記憶しておくべきだ」

 

可能を不可能にする女(ディスエネイブル)……か。キンジと言いコイツと言い、全く仰々しい2つ名だ。

 

「これはこれは失礼した。では次は飛び道具といこうか」

 

と、今度もまたシャーロックはそう宣言して、純英国風のスーツの懐から古臭い回転弾倉式(リボルバー)拳銃を取り出した。あれはアダムス1872・マークⅡか。

 

過去の相棒であるジョン・ハーミッシュ・ワトソンから譲り受けたもので、モリアーティ教授との戦いでも大いに役立ったとシャーロックが述べた瞬間、ネモから殺気が広がる。どうやらコイツらはモリアーティ教授の名前を出されるのが随分とお嫌いらしいな。

 

「諸君。これが最後の確認だ。この後は諸君がベレッタ君を……未来を守りたまえ。この地球の加護は必ずや君達と共に在るだろう」

 

俺は……さっきシャーロックが必殺のはずの刺突を外した時から氷焔之皇を使ってネモを探っていた。そしてどうやらコイツには超々能力があることが分かっていた。そしてそれはアリアの持つそれよりも強い力だ。だからきっとシャーロックが放つこの弾丸は───

 

 

───バチィッ!

 

 

と、着弾音が響き血飛沫が舞う。それはネモの首元からではなく、シャーロックの胸から。シャーロックは突き飛ばされるようにして真後ろに倒れる。

 

「曾お爺様!!」

 

「シャーロック!!」

 

キンジとアリアがシャーロックの方へと振り向く。俺はシャーロックの放つ弾丸は何らかの手段によって無効化されることは読めていたから最初から瞬光を使ってそれを見極めようとしていた。

 

そしてそれは成功した。見えたぞ、アイツが何をやったのかが。アイツは弾丸と自分の身体の間に円錐型の超能力的な結界を張ったのだ。そしてそこに銃弾が侵入し、弾が裏返った。そしてそれは銃口から飛び出た運動エネルギーをそのままにシャーロックの元へと帰っていったのだ。

 

次次元六面(テトラディメンシオ)か……」

 

キンジが苦々しく呟く。そして……

 

次次元水晶(エトランジュクワルツ)

 

と、ネモは否定することなくあの現象の名前と思われる言葉をフランス語で告げた。その瞬間、この場が大きく動く。

 

まずヴァルキュリアが椅子に立てかけてあった銀色の槍を手に取った。そして伊藤マキリの肩が動く。きっとあの空気弾だ。そしてこちら……カツェも頬を、食いもんでも溜め込んだリスかのように膨らませている。さらに腹や胸もガスを注入したゴム風船みたいに膨れ上がっている。何やら口から思いっきり吐き出すつもりだぞ。……こっちに掛けんなよ?

 

と、そこでガチャン!!と大理石の円卓が下から浮き上がった。どうやら伊藤マキリが指で放つ空気弾で20キロ以上はありそうなこれを跳ね上げたらしい。俺はカツェの攻撃を通しやすくするために即座にこの跳ね上げられた円卓に手を添え、指先の力で真横に投げ飛ばす。そして視界の開けたカツェが……

 

「んっ───ばぁ!!」

 

と、大声と共に口から霧を吐き出した。有名プロレスラー的に言えば毒霧ってやつか。それが奴らに吹きかかったところで───

 

「っ!?」

 

全員の動きが一瞬止まる。俺がこっちと奴らの間に氷の壁を張ったからだ。

 

「神代天人か」

 

「おう。……今日はもうお開きにしようぜ」

 

と俺が壁を張ったからかメーヤは即座にシャーロックの銃創を両手で抑えに入る。何か呪文のようなものをブツブツと唱えているから超能力的な手法で傷を塞ごうと言うのだろう。だがその手は直ぐに真っ赤に染まっていく。

 

「こっちは大将が殺られたんだ。それでいいだろ?」

 

ネモを煽った報復は充分に受けたはずだ。放った弾丸を跳ね返されて致命傷を負わされたのだ。溜飲も降りようものだ。

 

「いいや、ベレッタ=ベレッタがこちらに来ないのであればこの場で殺す。人1人が特異点足り得る期間は長くはない。彼女はここ半月の間と言ったところなのだ」

 

どうにも、コイツらは素直に俺達を帰してくれる雰囲気ではなさそうだ。だが、そう言われたって俺も素直にベレッタを渡して殺されるのを見過ごすわけにもいかないしな。全く面倒なことだ。

 

「ユエ、シア・ハウリア、ティオ・クラルス、神代(じんだい)レミアとミュウ。……この2人の苗字は偽名のようだがな。……それにリサ・アヴェ・デュ・アンクもか?」

 

すると、ネモがいきなり俺の家族の名前を挙げる。それはジャンヌ以外の全員。つまりトータスから来た奴らと人外の血を引いているリサの名前を挙げたのだ。神代(じんだい)は俺がレミアとミュウに名乗らせている苗字。俺の苗字の読み方を変えたものだ。

 

「あぁ?」

 

「ベレッタ=ベレッタが特異点足り得る期間は確かに短い。だが貴様は違う。貴様は今も、そしてこれからも()()()()()()()()()特異点なのだ。どうやら察しているようだから告げるが、確かに私はベレッタ=ベレッタ以外の者は後で消すつもりだった。だが神代天人、お前だけは本当に同志とするつもりなのだ」

 

直感で分かる。きっと、ネモは嘘をついていない。これはコイツの本心だ。それが、聖痕の力を手元に置くつもりなだけなのか、それとも本当に俺を仲間として迎え入れるつもりなのかどうかは知らないけどな。だが……

 

「分かってねぇなら教えてやる。世界にはそれぞれ決まった運命がある。それはこの世界の人間には変えられ───」

 

「───()()()()()()()()()()()

 

「何……?」

 

俺の言葉に被せるようにネモがそう告げた。

 

「それでも、だ。確かにこの世界の人間だけでは大きく世界の運命は変えられない。だが()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……っ!」

 

ネモの言葉は幾つかの事実を示している。まず1つ、コイツらの身内にはこの世界の人間以外の奴がいる。もしかしたらそれは今も油断なく銀槍を構えているヴァルキュリアかもしれないし異音のミイラかも知れない。あのライオンヘッドだって可能性十分だ。

 

そしてコイツは俺が異世界を巡ってきたことを知っている。その上でユエ達が別の世界から来たことも把握しているのだろう。

 

「はっ。けどそんなことすりゃ手前のお仲間も俺もこの世界から弾き出される。せっかく戻ってきたのにまた飛ばされるのはゴメンだぜ」

 

そこまで把握しているのならこれも知っているはずだ。それとも俺が異世界を渡る手段を持っていることも把握しているのだろうか。

 

「教授はそうは考えておられない。この世界の運命にはまだ幾つかのパターンがあり、そのうちの1つは、貴様にとっても最良だと我々は考えている」

 

確かに、ベレッタが特異点であり、彼女の行動何如によってこの世界がコイツらの望む世界に移り変わる可能性があるというのならこの言葉は事実なのかもな。

 

「───天人っ!そいつの話に乗るなっ!」

 

と、そこでようやく我に返ったらしいキンジが俺の肩に手を置く。俺はそれを───

 

「───天人っ!?」

 

右手で振り払う。俺は、コイツの話を聞かなければならない。そんな風に思っていた。

 

「……言ってみろ」

 

「見ての通り我々の仲間は貴様らの基準で言われる霊長類としての人間だけではない。だが私はそんな彼らがこの世界でも差別や偏見を受けることなく暮らせる世界を作るつもりだ」

 

「それは……」

 

「上手く隠されていてその本当の姿こそ分からなかったが、貴様が別の世界から連れて来た彼女達も()()なのだろう?」

 

俺のアーティファクトでシアやティオ、レミアにミュウの身体は一部が隠匿されこの世界の人間と同じように見えているはずだが、それをコイツらはそう隠されていることだけは見破っているようだ。

 

なるほど、確かにそんな世界は俺の理想だ。アイツらがアーティファクトで自分の姿を偽らなくてもいい世界。俺が欲しい世界……。そして、そんなものは夢物語でしか有り得ないと切り捨てた世界。

 

「だからどうした?その為にテロリスト共に力ぁ貸すのはお断りだぜ」

 

だが、だからと言って俺はコイツらと手を組む気は無い。テロを起こして世界を変えて……そんなやり方で誰が付いてくるのか。

 

「我々が起こすのは犯罪だけではない」

 

「"だけ"ではないだけで、しないわけじゃないだろうがよ」

 

と、俺はネモの言葉を切って捨てる。

 

「……まぁいい。貴様がここで着いてこないことは教授も推理していたことだ。……さて、我々は人目を嫌う。今日はもうさようならだ」

 

どうやら俺と喋っていたことで奴らの中では時間切れということらしい。ネモの周りに青い粒子が漂い集まっていく。

 

「じゃあな」

 

と、俺はそんな別れの挨拶を投げ捨て、シャーロックの方を振り向く。メーヤが必死に治療を施しているようだが出血が酷く、もうそんなに保ちそうではない。……仕方ない、か。

 

「……メーヤ、手ぇ退けろ」

 

「しかしっ!」

 

「いいから。……俺ぁコイツが嫌いだから元気にしてやる気は更々ねぇが、ここで見殺しにするほど恩知らずでもねぇ」

 

と、俺は宝物庫から神水の入った水筒を取り出し、蓋を開けた。そしてメーヤが恐る恐る手を退かしたところで数滴ほど神水をシャーロックの傷口へと垂らす。シュウッ!という音と共に出血の勢いが弱まる。放っておいてもこれで出血は収まるだろう。あとは医療設備の整った場所へと運べれば命だけは繋がるはずだ。

 

「あとはそっちでどうにかするんだな。……アイツらもどっかに行ったみたいだし」

 

と、俺が振り返ればNの連中は皆このホールから姿を消していた。キンジ曰く、瞬間移動で全員纏めて消え去ったとのことだ。また、カツェが吹き掛けたあの霧、どうやら発信機の役割があるらしく西南に20キロ程度離れた位置まで飛んで行ったらしい。瞬間移動が出来る奴ら相手にそれがどれほどの猶予かは分からないが、戻ってきたらそれはそれで分かるのだから問題は無かろう。

 

「もしこれでもシャーロックが死んだら俺を呼べ。死にたてホヤホヤならどうにかしてやるから」

 

俺は氷の壁を消しながらそう伝える。俺の言葉がどう伝わったのかは知らないがメーヤは俺を睨みながらシャーロックを持ち上げようとする。だがこの優男は細身だが身長は180センチを超える程の高身長で、かなりの筋肉質だから体重も重い。アリアとカツェも手伝おうとしているが中々上手いこと運び出せないみたいだ。

 

「市街の病院じゃ不味いぞ。仮にアイツらが戻ってきたら逃げ場がなくて詰む」

 

と、キンジが伝える。確かに、正面切って向かってくる分には対策のしようもあるが、例えば病院の電気設備を破壊するなどして医療機器に干渉されたら俺も手が回らなくなる。ならそもそもアイツらが手出し出来なさそうな医療施設に運ぶのが最善だ。

 

「ならバチカンに運びましょう。あそこならあらゆる手段があります」

 

それはきっと超能力的な手段も含めて、ということなのだろう。それが瞬間移動に対してどれ程の効力があるのかは知らんけどね。

 

「死なせねぇ手伝いならしてやる」

 

と、俺は宝物庫から越境鍵を召喚。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂のキューポラの上までの扉を開いた。

 

「言い訳はそっちで勝手にしてくれ」

 

俺の開いた扉を見てメーヤは俺を強く睨むが何か言うでもなくアリアと共にシャーロックを担いでその扉をくぐった。それを見届けて俺は扉を閉じる。そのまま俺達は無言でボールルームを出れば何やら外が騒がしい。今の戦闘を見られたのかと思ったがどうやら違う。ヴィア・デル・コルソ───このホテルの前の道───に徐行で付けようとしている車があまりにド派手でミニ四駆みたいなスーパーカーなのだ。おかげで観光客やらに写真を撮られまくっている。しかもその車の上にゃ俺がエリア51の手前でぶっ壊したはずのLOO(ルー)が四つん這いで乗っかっているんだからそりゃあ目立つよな……。LOOは中身はマジのロボットなのだが、知らない人から見たらただのロリっ子が白ワンピース水着に赤いセーラー襟を付けているっていう謎にマニアックな姿だし。

 

「おいLOO、オロチを貸せ。バチカンまで行きたい」

 

と、キンジは車の上に乗っているロボットガールに声を掛けるが……

 

「LOO」

 

LOOからはルーしか返ってこない。……意思の疎通図れないじゃん。だが人型ロボットなのにコミュニケーションが取れないLOOと違ってオロチとか呼ばれた車の方は会話ができるようで扉が自動で開き……

 

「キンジ様、神代様、どうぞお乗り下さい」

 

と、機械音声で俺達に乗車を促してくるのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

バチカンに近付くと体調不良を起こすらしいカツェと、あとレキも残るらしくその2人を置いて俺とキンジ、ベレッタは光岡オロチというらしいこの車に乗ってバチカンへと向かっていた。LOOはジーサードが寄越したのだとか。んで、この光岡オロチ……と言うよりコイツに搭載されたAIが(くだん)()()なんだとか。ちなみにアシは仮の名前で製品化される際にはSiriに名前を変えるとか本人は言っている。え、コイツ世に出るの……?

 

「……んで、どうしてあの時アイツらを逮捕しなかったんだ?あの氷の壁を作る超能力なら……」

 

と、キンジは鋭い目付きで俺を睨む。確かにやろうと思えばあの場でNの奴らは逮捕できた。少なくともヴァルキュリアは銃刀法違反だし伊藤マキリは日本でのテロ行為がある。ネモがシャーロックを殺しかけたのはコッチから仕掛けた事なので正当防衛っぽいしライオン頭とその控えは何もしていないから難しいだろうが……。

 

「テロ行為が目の前で行われるなら止める。けど俺ぁアイツら……ネモの作る世界も見たくなった。それだけだ」

 

トータスで言う獣人族のような奴らでも差別や偏見無く人間と暮らせる社会。こことは別の世界から来て、そしてその見た目も人間とは違うシア達がそれを隠すことなく暮らせる世界。アイツらに無駄に窮屈な思いをさせなくて済む世界。俺にはそれがどうしたって魅力的に思えて……それを実現しようとするネモ達に、共感してしまったのだろう。だから俺はあの場でシャーロックを最優先する()でアイツらが去ることを止めなかったのだ。

 

「お前……」

 

「それから、俺はシャーロックをこれ以上回復させるつもりもないぜ。アイツならあれで死なねぇ。その後どこまで回復するかはアイツ次第だけどな」

 

シャーロックには俺をイ・ウーに拾ってくれた恩がある。俺を鍛えてくれたのもアイツだ。だからシャーロックが死にそうなら助けてやらんこともない。だがそこまでだ。シャーロックは主戦派の奴らがリサを戦力として使っているのを知っていたのに止めなかった。アイツなら止められたのに。しかも俺が聖痕の力のコントロールをできるようになっても暫くは手錠を外すことを拒み、それが余計にリサを戦わせる回数を増やした。逆恨みって言われるかもしれないが、それでも俺はそれを許せなかったのだ。その中には、当然自分の力の無さも含まれてはいるのだが……。

 

「おいアシ、俺は適当な所で降ろせ。キンジ……俺としちゃ今Nには潰れられても困るんだよ。犯罪行為なら潰すけどな。だから今日のところはここで一旦サヨナラだ」

 

俺はそう言い残し、ちょうど信号で止まった光岡オロチから降りる。その間ベレッタは何も言わずに窓の外を見つめていた。

 

「ベレッタ、俺は暫く適当なホテルに泊まる。勝手に家に入りゃしねぇから安心しろ」

 

今の会話で俺とキンジは半分仲違いしたみたいなもんだからな。今は少し距離を置くべきだろう。

 

「そう……」

 

最後にそれだけ言い残し、光岡オロチの扉が自動で閉じた。そして信号が青に切り替わり動き出した光岡オロチを俺は見送ることもなく背を向けて歩き出した。

 

次の日に行われたベレッタ社の次の四半期の経営方針プレゼン会に呼ばれた俺達はベレッタの発表したその内容にシアと共に苦笑いをするしかないのであった。

 

そして3日後、ベレッタは会社をクビになった。

 

当たり前だ。ベレッタはプレゼンの第一声で武器をばら撒くのは止めましょうなんて言い出したのだから。それが国連の会議じゃなくて武器メーカーであるベレッタ社の経営方針会議でそんなことを言おうものなら当然の結果だ。

 

そんな折、キンジから俺の携帯にメッセージが届いていた。何やらベレッタがどっかに行ったから探すのを手伝えとのことらしい。で、後で1食奢ってもらうという条件で俺はベレッタの居場所を羅針盤で探し、それをキンジに伝える。

 

俺も先回りする形でそこに向かえば確かにそこにはベレッタがいて……あとアリアも傍にいたけどシャーロックのこともあり顔を合わせ辛かったので少し離れた位置で眺めていた。するとキンジがやって来て……何を勘違いしたのかベレッタにタックルを決めた辺りでバカバカしくなって俺はその場を去ることにした。契約も完了したみたいだからな。あとは飯を奢ってもらうだけだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「お願い!お姉様を助けて!」

 

キンジのランク考査の当日、ベレッタの妹であるロゼッタが何やら俺に泣きついてくる。何事かと思えばこの野郎、ベレッタを狂言誘拐で攫ってマッチポンプの救出で恩を着せて廉価な拳銃を作らせようとしていたらしい。

 

だが何者かがメーヤに化けてベレッタを回収。どこかに攫っていってしまったのだとか。どうやら既にキンジには声を掛けていて、アイツはランク考査を受けなきゃ退学になっちまうって言うのに飛び出していったのだとか。……これじゃあ俺が変成魔法でキンジの振りをしてランク考査を受けるっていう替え玉作戦は使えないな。多分もう遅い。

 

「……俺にまで声を掛けたその気概に免じて格安で請けてやる。けど、お前がベレッタのNGOを手伝え。いいな?」

 

「分かった。私もお姉様のNGOの話、ちゃんと協力します。だから……」

 

「あぁ。それでいい」

 

と、俺はシアに目配せし、教室を飛び出した。後ろからシアも追随してくる。

 

「悪いなシア、付き合わせちまって」

 

「いえいえ。ここのところあんまり身体動かせていませんでしたから。むしろ運動不足を解消しなきゃですぅ」

 

「……ベレッタはローマ市街の中心部に向かってるみたいだな。傍にNの誰かもいるな……」

 

俺は羅針盤でベレッタの居場所を探り、ついでにベレッタの傍にいるNの居場所も羅針盤で探してもらった。N絡みってことはどっかで仲間と合流してあのネモの瞬間移動でどっかに行くつもりかもな。確かネモの言っていたベレッタが分岐点足り得る期間は半月。ちょうど今日がその境目だ。そうなるとベレッタは殺さずに利用する腹積もりってことだ。なら今すぐに強襲してとっ捕まえるより暫く泳がせよう。そうなるとアイツらの行き先を羅針盤に聞くか……。

 

「シア、アイツらの目的地はコロッセオだ。多分アイツらはもうすぐ着くから先回りしよう」

 

「はいですぅ」

 

俺達は狭い路地に入り込み、大通りからはよく見えない袋小路に入り込む。そして越境鍵を使い一息にコロッセオまでの扉を開いた。そこをくぐれば俺達の目の前に広がるのは古代ローマ帝国時代に人と獣が殺し合いを演じた地獄の釜。観光時間を終えたそこで暫く観客席に2人で身を隠すことにする。

 

「天人さんと2人だけで戦うのって、久しぶりですぅ」

 

「あぁ?……あぁ、そういやそうかもな」

 

覇美と戦った時はユエもその場にはいたし、何よりタッグと言うよりは1体1を2回やったみたいな感じだったからな。トータスにいる時も俺とシアだけで戦うってのはミュウが攫われた後にフューレンの裏に巣食う人身売買組織をぶっ潰そうとした時の……それも序盤だけだ。途中からはユエとティオも合流して俺はユエと、シアはティオと組んでそれぞれ街中を駆け回っていたからな。

 

「天人さん、キスしていいですか?」

 

「……空気読めよ」

 

確かに人の気配の無い2人きりの空間ではあるが、今はベレッタを攫ったNの連中との戦いが控えているのだ。そんな色っぽい雰囲気の時ではあるまい。

 

「むしろ、こういう時だからこそですぅ。そもそも、天人さんは戦いに出る前にはリサさんといつもキスしてるじゃないですかぁ」

 

「いやまぁそうだけどさ……」

 

あれは俺が絶対に帰ってくるという決意表明みたいなものなので今この場でするのとは違うと思うんだよね……。

 

「駄目ですか……?」

 

と、シアはねだるような甘い声で囁きながら上目遣いで俺を見てくる。うっ……その顔は反則だろ。瞳を潤ませて切なそうな表情で……唇を少し震わせて……。それらが全部俺にキスをさせようという演技なのは承知の上で……それでも俺は思わずシアの頬に手を当て、その顎を指先でクイと持ち上げてしまう。そうなれば当然シアは瞳を閉じて待ち構えるわけで……

 

「……んっ」

 

少し突き出されたシアの桜色の唇に俺は自分のそれを重ねる。柔らかな感触とシアから漂う香りが俺の五感を揺さぶる。もっと強く……もっと深くシアを貪りたいという衝動に駆られる。けれど抗い難いその衝動は一瞬で霧散する。俺の気配感知に2つ、反応があったからだ。1つはベレッタ、もう1つは……あのライオン頭のものだ。

 

幾つか飛ばして俺の視界の代わりとしていたビット兵器から俺の義眼に映された映像では、太い鎖を使って、このために態々用意したらしい石の柱にベレッタを巻き付けるライオン頭の姿があった。床の鋼板には砂が撒かれているし、昔のコロッセオでも再現しようと言うのだろう。どうやら運び込んだベレッタは意識は無い。人質に使うようだ。俺か、もしくはキンジ達を呼び出すつもりだったのだろうか。

 

「ふむ……そこにいるのは分かっているぞ」

 

「……はいはい」

 

ライオン頭の低い声に従い、俺達も姿は隠してたが本気で気配を消していたわけではなかったので素直に姿を現す。コロッセオの観客席から闘技場に飛び降りれば用意周到に撒かれた砂が足元で舞い上がる。

 

「神代天人と……もう1人は初めて見るな。……だが、どうやらヒトではないようだ。獣……兎の匂いがするな」

 

鼻をひくつかせたライオン野郎はシアの隠された正体に匂いだけで半分くらい辿り着きやがった。

 

「あぁ?初対面で人の女の匂い嗅いでんじゃねぇぞ」

 

「粋がるなよ少年。分かっているのだろう?ここでは貴様の力は然程も出せないのだと」

 

「全くお前らは手を替え品を替え……って言ってもやるこたぁ変わんねぇなぁ」

 

分かっている。ただでさえ聖痕を開き辛いローマだったがこのコロッセオは別格……というか全く開けない。元々そういう作りなのかそういう仕掛けをコイツらが先回りしたのかは俺の知るところじゃねぇけどな。

 

「ま、俺もやるこたぁ変わんねぇけどよ。取り敢えずお前は未成年者略取の容疑で逮捕だ逮捕。大人しくお縄に付け」

 

と、俺は宝物庫から取り出した手錠をわざとらしく指先で回して見せる。

 

「まぁ待て神代天人よ。……メルキュリウス殿も手出し無用。余がローマで出る2000年振りの剣闘死合に水を差せば、冥土におわすネロ陛下もお怒りになられるであろう」

 

すると、俺と……そして姿の見えないメルキュリウスとか言う奴に向けてこのライオン頭は喋りかける。ていうか2000年振りって、コイツもまた随分な長生きだ。ティオの4倍近く生きてんのか。

 

「神代天人よ、今一度死合の前に名乗りをあげるが良い。……余のローマでの名前は獅子大公───グランデュカである!」

 

名乗りって……また古い文化を持ち出しやがって。まぁコイツらは懐古主義っぽいからな。仕方ねぇ、趣味じゃねぇけどその程度なら付き合ってやるよ。

 

「天人。異分子(イレギュラー)にして異常存在(イレギュラー)。神殺しの魔王───神代天人だ。よく覚えて牢屋で反芻するんだな。手前を捕まえた男の名前だ」

 

リムルの世界でもトータスでも俺は"イレギュラー"と呼ばれ続けた。そして最後にゃティオのお爺さんやら転移組達から神殺しの魔王なんて呼ばれていた。そんな俺の名乗りと同時にグランデュカが両刃の片手剣(グラディウス)を構える。

 

「良い名乗りだ。さて、そちらの女は?そちらが何人であろうと余は1人で戦うがな。永久にそうせよとネロ陛下に命じられておるのだ」

 

どうにもこいつは本当にここで死合が行われていた時代にも生きていたらしいな。そしてそこで勝ち残り、生き続けた。こりゃあ俺よりも戦い上手かもなぁ……。けど……

 

「いいや、どうせならタイマンでやろう。シア、そっちの奴頼んだぞ」

 

「はいですぅ」

 

と、俺が声をかけた瞬間にもう1人この闘技場に現れた。背の低い女だ。前にネモ達と会談をした時にもいたな。グランデュカの従者みたいな奴だ。あの時も被っていたフードは何故だか破れていて今は頑張って残った布を顔に巻いているようだが緑の髪の毛と獣耳が隠し切れていない。こちらはグランデュカよりも更にトータスの獣人族に近い風体をしていた。

 

「……人とは、獣より獣よ。この闘技場はその証。染み付いた血の匂いがいまだに残っている」

 

辺りを見渡したグランデュカがそう呟く。そしてその直後───

 

「天人っ!?」

 

キンジとアリアがこの場に来た。どうやらグランデュカの従者を追ってここまで来たらしい。

 

「おう。……ベレッタはあっちだ。シアが取り巻き抑えてる間に回収しとけ」

 

「あ、あぁ。それよりお前……」

 

「あん?言ったろ、俺ぁ犯罪行為が目の前で行われんなら逮捕する。それだけだ」

 

だからコイツらが世界を変えるというのならなるべく犯罪行為を行わないでくれると助かる。目の前で犯罪を犯されたら俺も逮捕しなくちゃいけなくなるからな。

 

「……分かった。今は信じる」

 

「おう」

 

とは言えまずは目の前のグランデュカだ。身長は220センチってところか。体重も身長と同じ数字くらいあるかもな。何せ全身の筋肉の膨らみ方が人間のそれとは思えない。まったくこの世界にも聖痕持ちでもねぇのに化け物みたいに強い奴らがいたもんだぜ。

 

「さて、待たせたな」

 

と、俺は手錠を仕舞いつつ宝物庫からトンファーを1組取り出し構えた。

 

「構わぬ。さぁ存分に死合おう。ネロ陛下の御魂の元で!」

 

その言葉と共にグランデュカが俺へとその巨躯を突っ込ませて来る。だが俺は最初からまともに死合おうなんて思っちゃいない。手っ取り早く終わらせるつもりで奴の足元を氷の槍で串刺しにして動きを止めてしまおうと思ったのだが───

 

「…………」

 

俺が槍を突き出す寸前にグランデュカは横にステップしてそれを躱し、氷の槍はただ虚空を貫くだけに終わる。ならばと俺は奴の脇腹とドテッ腹に氷の槍を突き刺さんと至近距離から氷槍を放つがそれすらも躱される。そして数十メートルあった俺達の距離がどんどんと縮まっていく。どうにも奴は俺が次にどこに槍を置くか直前に察知している節があるな。そんなこと、神の使徒共にすらできなかった芸当だぞ。バグアーも俺の氷の槍を防いでいたがあれは俺のやり方を把握した上で事前に空間魔法で結界を張っていただけで、グランデュカみたいにピンポイントで読み切って回避したわけじゃない。

 

躱されることも初めではない。けどリムルの世界で巨人共に放った時は上から降らせるだけだったから躱されても不思議じゃなかったんだけどな。流石にこれは驚きだよ。

 

けどまぁ、まだ打つ手が無いわけじゃない。最悪一旦殺して動きを止めた後にアーティファクトで蘇生させた瞬間に拘束してしまえばいいのだ。そして、1度殺してしまって構わないのなら俺にはごまんと手段が溢れているのだ。しかも別にそこまでしなくともコイツを捕らえる方法なんて幾らでも思い付くぜ。今の俺の氷は神代魔法による空間爆砕にすら耐えうるのだ。グランデュカにただの膂力しかないのであれば拘束なんて簡単にできるぞ。

 

そう思ってトンファーを身体の前に構えた俺の数メートル手前でグランデュカは片手両刃剣を居合抜きのように構え、ダンッ!とその場で脚力に物を言わせて急停止───

 

 

───超々高速で片手剣を振るった。

 

 

───パァァァァァァンンンッ!!───

 

 

と、空気の壁を切り裂く炸裂音と共に斬撃が放たれる。俺はそれを瞬光により増大した知覚で捉え……妖刕の使っていた炸牙が脳みそに浮かび上がった。空気を炸裂させた衝撃波に対し、俺は眼前に氷の壁を張る。

 

 

───バァァァァァン!!───

 

 

と、氷の壁に空気の振動がぶつかり音が弾ける。砂埃が舞い上がる中、俺は氷の壁を砕きグランデュカに向けて細かな槍を無数に撃ち放った。

 

しかしグランデュカはその姿が霞むほどの早さでその場を離脱。俺の右側面に回り込み首筋目掛けて片手剣を振るってきた。俺がそれをトンファーで受け止めた瞬間にはグランデュカはまた跳び退る。どうにも俺の氷の槍を最大限に警戒しているようだ。そしてその瞬間、俺の視界で()()()()()()。これは俺やグランデュカ、シアが起こしたものではない。当然キンジとアリアでもなければあの従者やベレッタでもない。これは一体……?

 

「おお……おぉ……!見ておいでですかネロ陛下!そしてローマの者共よ!神代天人、これらこそかのローマ帝国を築いた方々の御魂であるぞ!」

 

何やら感激に打ち震えているグランデュカ。そして、俺の耳に有り得ない音が届く。

 

『戦え!殺せ!戦え!殺せ!』

 

コロッセオの観客席から響くのは戦え、殺せと言う大観衆からの血生臭い叫び声。そして俺の義眼が捉えたのは、このコロッセオにいる無数の魂。これはメルジーネの大迷宮に出てきた、過去の映像の再生に細工をした程度のもんじゃない。観客席から俺達を見下ろし戦え殺せと叫んでいるのは()()()()()()()なのだ。

 

「天人さん!!」

 

「よそ見すんなシア!所詮観客(オブザーバー)だ!」

 

「───っ!はいですぅ!」

 

どうやらシアの相手もそれなりの相手のようでまだ勝敗は決していないようだった。もっとも、シアと獣耳っ娘が戦っている間にベレッタはキンジ達に回収されたみたいだけどな。しかしコイツらうるせぇな。戦えだの殺せだの、俺ぁお前らの見世物じゃねぇんだよ。

 

「ちったぁ黙ってろ!!」

 

いい加減観客の声が煩わしく感じた俺は固有魔法の威圧を発動。思いっ切り魔力を込めて観客中に魔力に拠る重圧を放った。俺の威圧を受けて──ズン!──と空気の沈む音まで聞こえてきたコロッセオは既に虫の鳴き声も聞こえないくらいに静まり返っている。

 

「───ふははははは!!凄まじいな、流石は自ら魔王と名乗るだけはある!これ程の益荒男がいたとはな!」

 

一瞬黙ったグランデュカも、それを見て腹を抱えて大笑いしだした。

 

「自称じゃねぇ。他称なんだよ、魔王ってのは」

 

1つの世界から、そして誇り高き竜人族とおまけで人間達からも俺は魔王と呼ばれることになった。だからこれは俺の自称じゃなくて他称。態々自分から魔王なんて名乗るかよ小っ恥ずかしい。

 

「ふん。ならこれだけではないのだろう?見せてみろ、貴様が魔王と呼ばれる所以を。この誇り高き死合の中で!」

 

グランデュカは俺の氷槍をどうやって感知しているのかは知らない。俺の視線や殺気かもしれないし空間に揺らぐ魔素なのかもしれない。だがそれがどれほど万能なのだろうか。例えばこうやって殺傷を意図しない壁を周りに作るだけなら?

 

俺はグランデュカの背中側に10メートルの高さの氷の壁を張る。更に左手と右手、グランデュカの目の前数メートルにも。それは箱と言うには各側面に隙間が有りすぎる。当然グランデュカもそれらの間を縫うようにして俺の方へ接近してくる。だがそれを埋めるように1枚、また1枚と壁を張っていく。

 

「む?」

 

グランデュカとは1発打ち合った程度だが奴の膂力は凄まじかった。それに物を言わせた機動力も半端ではない。オルクス大迷宮の深層にいる魔物共ともやり合える……どころかあのクマやウサギよりもこのグランデュカの方が圧倒的に強い。

 

聖痕の使えない今は確かにこの広いコロッセオでコイツを相手にするのは、殺害とそこからの蘇生の手段を封印したとすれば多少は面倒なのかもしれない。とは言っても、やはり力勝負で負ける気はしないし、脚だって縮地を使わなくとも俺の方が速い。

 

それに、こうやって奴の周りに障害物を配置してしまえばご自慢の機動力も潰せる。そもそもグランデュカ本人を狙ったものではないから避けられる心配もない。上から逃げられないようにそっちにも蓋をしていく。

 

グランデュカは自分を閉じこめる檻を力技で破壊しようと片手剣を振り被る。別に叩かれたって壊れやしないのだが、俺は奴が片手剣を振るより先に氷の棒をそこかしこから生やしていく。グランデュカは器用にそれを避けていくが無数に現れるそれに遂に自身の身体を絡め取られた。

 

そして完全に動きを止めたグランデュカの両の足首、膝、前腕、肘、肩に氷の槍を突き刺した。握力を失って開いた手から片手剣が転がり落ちる。

 

「ガァァァァ!!」

 

全身を貫かれる痛みに、氷の檻の中でグランデュカが絶叫する。

 

「父様!!」

 

と、そこへ接近する気配。シアと戦っていた獣耳っ娘だ。

 

「はっ!」

 

だが獣耳っ娘よりもさらに速いスピードでシアが俺と獣耳っ娘の間に割り込みドリュッケンを振るった。獣耳っ娘は凄まじい反射神経でドリュッケンに掌を当てるとその勢いを受け流しながらさらに高く跳び俺へと迫る。だが遅い───

 

「が───っ!」

 

俺は奴の頭上から氷の柱を発射してそいつを地面へと叩き付け、固定する。背中を打たれ鋼鉄の地面に叩き付けられたそいつは肺から息を吐き出し、しかし悶えることも出来ずに地面に磔になった。そして俺は氷の檻だけを解いてグランデュカを串刺しのまま晒す。

 

「改めて、未成年者略取の現行犯で逮捕する」

 

と、俺はグランデュカの太い左手首に手錠の片側を掛け、氷の拘束を外しながら右手首にも手錠を嵌めた。

 

「シア、そこのガキんちょは任せた」

 

「はいですぅ」

 

と、氷と柱を解いて獣耳っ娘の拘束を外す。その瞬間にはその子の両手首にはシアによって手錠が掛けられていた。

 

「余は戦うことしかできぬ。捕らえたとて話せることなど何も無い」

 

「そうけ。じゃあお前のことを聞く。グランデュカ、アンタは何でNに入ったんだ?」

 

俺としちゃNの解体は望むところではないしな。コイツはベレッタを拉致した容疑で逮捕するが、それはそれとしてコイツが何故Nに加入したのかは聞いておきたい。

 

「今やナイル川の源流域でしか余の姿は崇められていない。神が神として当たり前に民を統べられる世界を一人娘のイオに遺してやりたいのだ」

 

イオ……この獣耳っ娘のことか。て言うかコイツら神様だったのか。てこたぁ最初から俺と相入れることはなかったんだな。

 

「ふうん」

 

「神代天人……貴様こそそこな兎の娘が自分の姿を偽ることなく生きられる世界を欲しているものだと思っていたが」

 

「間違っちゃいねぇさ。俺の中にもアンタと似た思いはある。けどそれは犯罪によって成し遂げられちゃ駄目だと思ってる。そんなんじゃ、征服する以外に道は無い。テロや犯罪でそんな世界を作ったって誰も納得しねぇだろ」

 

意志を示すのは良い。変革のために動くのも良い。けれどそれで関係の無い奴の血を流させるのは違うだろう。そんな方法じゃ誰も頷いちゃくれない。それこそ、異を唱える奴は皆殺し、みたいなことでもしない限りはな。

 

「それを誰が()()()()()と認識するのだ?ノーチラスはそうと分からぬように事を進める。気付けば世界は()()なっているのだ」

 

「俺が知ってんだよ」

 

「……私もですぅ」

 

スルりとシアが俺の横に並び立つ。

 

「そんな方法で手に入れた世界なんてクソ喰らえです。私は……そして他の皆も、そんな間違った方法で手に入れた自由なんていらないんですよ」

 

シアのその言葉に俺は思わず口角が上がる。そしてそれを誤魔化すように言葉を繋げた。

 

「……つーわけだグランデュカ。お前達は逮捕する。例えお前やイオが喋らなくてもそれはそれでいい。Nの戦闘員を減らせるだけでこっちとしちゃ充分なんだよ」

 

「そうか……貴様には貴様の志があるのだな」

 

「あったり前だろ」

 

「ならメルキュリウス殿……どうか───」

 

グランデュカがいまだに姿の見えないメルキュリウスなる奴へそう告げた瞬間───

 

───ガン!!

 

と、グランデュカの背中から衝撃音がする。さっきから小さくコポコポ……キン……と水だか金属だがよく分からん音が鳴っていたのは聞こえていたし義眼や気配感知にも当たりがあったのだ。だから今の音は俺が戦いの前に様子見のために宝物庫から召喚していたビット兵器と何かがぶつかった音。恐らくメルキュリウスの攻撃なのだろう。逮捕されるよりこの場で死ぬことを選んだグランデュカだったがそんなこと俺は許さない。

 

そして、不意を突いたと思っていたらしい一撃を防がれたメルキュリウスの気配がこの場から消える。これ以上は俺に余計な情報を与えるだけと判断して去ったのだろう。

 

「何故……」

 

「アホかよ。ここでお前にそんな風に死なれたら寝覚めが悪くなんだよ。潔いのは助かるがちょっと思い切りが良すぎるぜ」

 

「ネロ陛下が自決を命じたのだ。しかし今余の手には片手剣(グラディウス)が無く握力も無い。なればあぁしてもらう他───」

 

全くこいつは……。自分の生殺与奪を全部他人に放り投げやがって……。

 

「知るかよんなこと。戦いに勝ったのは俺だ。死合だと言ったのは手前だぜ。ならグランデュカ、お前の命も俺が握る。俺ぁお前に生きろと命令するぜ。生きて……まぁ反省はしねぇだろうが牢屋で罪を償って……出てくる時にゃもう少し手前らにとって生きやすい世界になってることを願うんだな」

 

「神代天人……」

 

「そういうことだぜネロ!死人がいつまでも手前らの勝手を押し付けんじゃねぇ!」

 

俺は、ネロの魂がいる場所に向かって叫ぶ。俺にはネロの野郎の言葉は分からない。だがグランデュカには向こうからの返事が伝わったようで、ふっと小さく笑みを零した。そしてそれに合わせてネロや、他の観客共の魂もこの場から消えていくのが分かる。成仏……とは言えない、ただコロッセオの観客席から出ていっただけみたいだけどな。

 

「ネロ達は帰ったぜ」

 

「そのようだな。ネロ陛下は神代天人、貴様に余の命を預けると言っていたよ」

 

「そうかよ」

 

別にそんな返事が聞きたかったわけじゃないけどな。俺が言えた義理じゃないかもだけど、昔の暴君風情に今を生きる奴らの命を握られてちゃたまんないと思っただけだから。

 

「天人さん……」

 

「……あぁ」

 

すると、そこでシアが俺の左袖を引く。そして俺もシアには遅れたがその気配に気付いた。グランデュカとイオ、ベレッタの周りにはいつの間にか碧い光が蛍みたいに集まってきている。これは……ネモの超々能力の光だ。姿こそ見えないが、どうやら身内とベレッタを強引に回収しに来たらしいな。

 

そして、その光は俺の周りにも集まり始めた。まだ俺が自身に掛けている氷焔之皇の効果範囲外だから消えることなく光量を高めていく碧色。さらに、海はそう近くはないはずなのに急に潮の匂いが漂ってきた。

 

その上何やら身体が重く感じる。特に足元が重い。まるで膝から下が水に浸かっているかのようだった。湿り気もする。見えない海水が迫ってきているかのようだ。

 

「がぼっ……」

 

どうやらベレッタはもっと深刻だ。こちらは溺れかけてでもいるかのように喉を抑えて咳き込んでしまっている。しかもベレッタのその長い金髪が水中にいるかのように浮き上がりながら広がっている。シアを見やればシアの青みががった白髪もベレッタの髪の毛と同じように浮き上がっていた。どんどん潮の匂いは強くなる。

 

なるほど、ネモは水中とこちらを繋いで徐々に空間ごと入れ替わっているのか、それとも俺達が徐々に海中へと引き摺り込まれようとしているのか……。この空間に入ってくる水そのものは物理現象だから俺の氷焔之皇では打ち消せない。その上移動しているのは空間ごとだからか氷焔之皇でも俺が弾かれることはないみたいだ。だがこの不思議現象を引き起こしている粒子は超常のそれ。ならば何の問題も無い。

 

そして俺の意識によって発動されたのはこことは別の世界で俺を魔王たらしめる究極能力(アルティメットスキル)。それの持つ権能がトータスの神代魔法──昇華魔法──により魔素を媒介とするそれらでなくとも超常の力であれば全てを凍結、燃焼させて俺のエネルギーへと変換してしまう。

 

それによってこの空間に漂っていた碧色の粒子が全てダイヤモンドダストと散った。その瞬間に俺の中に力が流れ込むのを感じる。流石は神代魔法クラスの質の超々能力だ。量としてはそれなりの魔素になった。

 

「───ゲホッ……けほっ……!」

 

即座に海水の呪縛から解放されたベレッタが噎せている。と言うことは意識があるということで、溺死せずに済んだみたいだな。イオやグランデュカ、キンジにアリアも咳き込んだり噎せたりしているがその程度。大丈夫そうだ。シアに至っては咳き込むことすらせずにもうタオルでその長い髪を拭ってるよ。後でちゃんとシャワー浴びないとだなぁ。

 

はぁと1つ溜息を着いた俺は何となくシアを後ろから抱き締めた。空には火星が赫く輝いていた。

 

 

 



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絶海の孤島

 

 

あの後メーヤが大勢のシスターを連れてコロッセオにやって来た。俺の顔を見て一瞬嫌そうな顔をしたメーヤだったが、職務はキチンと全うするようで、グランデュカとイオは2人揃って連れて行かれた。まぁまさかいきなり殺すことはねぇだろとは思うが、割と危ないところがある奴なので念の為確認したところ、バチカンの地下に収監されるらしい。

 

それと、去り際にはグランデュカが自分が使っていた片手両刃剣(グラディウス)を俺にくれたので有効活用しようと思う。具体的には生成魔法で魔法を付与しようと考えている。さて、今度はどんな剣を生み出そうかな。

 

そしてその後ローマ武偵高に戻れば、ランク考査をすっぽかしたキンジはローマ武偵高を退学になり、キンジを見張るという任務でイタリアに来ていた俺ももうこの地に残る必要はなくなった。

 

そのため俺とシアはキンジと同じ便で……しかし一応席はズラして飛行機に乗り、日本へと帰ることとなった。ただ、アリアはまだヨーロッパに残るらしいとキンジから聞いた。

 

あれから俺とアリアの間には会話が無い。まぁ、シャーロックの意識を取り戻させようと思えば幾らでもその手段があるのにそれをしないのだからアリアとしても俺と話す気にはなれないのだろう。気持ちは分かるから俺からも話しかけ辛いし。

 

そして日本に着いた俺達は、キンジがユーロを円に両替するということで空港にある銀行へと向かう。その近くに……

 

「んー?」

 

何やら見知った奴がいるぞ……?伸び気味の前髪と、とてもじゃないけど武偵とは思えないオドオドビクビクした挙動。

 

「……中空知?」

 

キンジが中空知に後ろから声を掛ける。すると中空知はビクゥッ!とその全身で驚きを表現しながらこちらを振り返り……

 

「お、おと!とお!やま……ふた……かみ……!」

 

前にジャンヌから聞いたけど、中空知は極度の上がり症。特に男の前だとまともに言語を話せなくなるらしいのだ。なのにキンジ()に話しかけられ振り返れば男が2人。おかげで言語理解ですら理解のしようがない謎の音声しか聞こえてこない。これがあの敏腕オペレーターの中空知美咲その人だとはとても思えないんだよなぁ……。

 

「あぁ……シア」

 

「はいですぅ」

 

だがまぁ何を言ってるのか分からないのは不便極まりない。どっちにしろ緊張はするだろうが男の俺達より女のシアの方がまだマシだろうとシアに翻訳を試みてもらう。

 

するとシアはへたり込んだ中空知に目線を合わせるように腰を下ろし、ふんふんなるほどと話を聞いてやっている。聞こえてくる声は相変わらず支離滅裂で俺には何言ってんのかよく分からなかったがシアが「それは大変でしたね」と返してこちらを向く。どうやら事情は把握したみたいだ。

 

「あぁ……で、彼女は何と?」

 

異世界人にこちらの世界の言語を聞くという謎体験に頭を痛めつつ翻訳の成果を尋ねる。

 

「中空知さんは神奈川武偵高校を退学になったらしいですぅ……」

 

え……いや、キンジも東京武偵高とローマ武偵高を退学になってるからそういう奴はいるんだろうが……。

 

「100メートル走、跳び箱、縄跳び、鉄棒が小学3年生より出来なくて神奈川武偵高の在学条件を満たせなかったとのことです」

 

小3!?武偵高2年で……いや本来は3年生だけども……。いや待て、武偵で小3より運動できないのコイツ!?いくら情報科のオペレーターだからってそりゃあ確かに武偵辞めろと言われても仕方ないかもしれない……。

 

「それで、遠山さんに助けてほしいと」

 

と、俺達の驚愕を他所にシアが続ければその後ろで中空知がブンブン首を縦に振っている。それ首痛めない?大丈夫?だがキンジは今や無職の身。しかもローマ武偵高の基準じゃ、そこを退学になったキンジは3日やそこらで武偵免許を剥奪されて今に拳銃すら持てなくなる。まぁ今日日日本でも銃検通せば民間人であろうが拳銃くらいは持てる。ただ、それでも1ヶ月くらいは審査に掛かるし、武偵高中退の──世間から見たら──危険人物に拳銃を渡すかどうかは怪しいかもしれない。金積めばそれも通せる奴はいるだろうがキンジに積む金は無い。

 

なので中空知が助けてと言ってきても割とキンジは自分すら危ういのでどうにもならないのだ……けれども───

 

「───実はなキンジ」

 

「な、何だよ……?」

 

中空知が縋ってきて、その柔らかボディに内なる戦いを繰り広げていたっぽいキンジが辛そうな顔をしながら俺を見る。

 

「ベレッタからメッセージを預かってきた。読め」

 

俺は懐から1枚の手紙を取り出す。それは俺達が帰国する直前、ベレッタから俺に渡された手紙。「どうせキンジは日本に帰っても大変だろうから」と、素晴らしい慧眼を発揮してくれたベレッタから、キンジが危なくなったら渡せと言われていたのだ。で、帰国した瞬間には無職で武偵免許剥奪の上中空知に縋られるというこれ以上ないピンチが訪れたキンジに渡すことにしたのだ。

 

どれどれ、とキンジがイタリア語で書かれたそれを読むと───

 

「き、起業?」

 

ベレッタからは日本で武偵企業を興し、それで武偵免許を継続しろと書かれていた。あと名前は分かりやすいのにしろ、とも。

 

「待て待て待て、こんなの法律スレスレの───」

 

「スレスレってこたぁ犯罪じゃない。大丈夫だ」

 

日本で武偵企業をやる場合には取締役以外にもう1人武偵の正社員が必要となる。なのでキンジが取締役、中空知を正社員として雇えば法的にはキンジ達は武偵免許を継続できるのだ。

 

「あ、あのなぁ……」

 

「ま、取り敢えず空港は出よう。ここじゃ色々目立つ」

 

中空知は最早キンジの脚にしがみついているので傍から見たら縋り付く女を振り払おうとしている男にしか見えない。おかげで周りの視線も集まってきているのでこのは一旦場所を変えた方が良さそうだ。

 

「あ、あぁ」

 

ということで空港から出ようとした俺達だったが、そこで思わぬ再開があった。

 

「天人様!!」

 

リサだ。外じゃご主人様は目立つから名前で呼んでくれと言っているから呼び方はいつもと違うけど。

 

「リサ!態々迎えに来てくれたのか?」

 

「はい……と言いたいところなのですが、アリア様から仕事の依頼がありまして……」

 

アリアから……リサに依頼?

 

「遠山様の起業のお手伝いをしてくれ、と」

 

アリア様お得意の直感でキンジのピンチは既に見抜かれている。そしてこういう時に最も能力を発揮する奴に正式にお手伝いを依頼しておく根回しの良さは流石はSランク武偵様って感じだな。

 

「……外堀、埋められたな?」

 

「あぁ……」

 

完全に会社を興す流れになったことを悟ったキンジは崩れ落ちる。まぁまぁ、俺だってどうにかやっていけてるんだから平気だって。

 

 

 

───────────────

 

 

 

あの後リサの手伝いもあってキンジはどうにか起業出来たようだ。リサも今回は突発だったとは言え2回目ともなれば書類の用意も慣れたもので空港に着いた時点ではもう用意できるだけの書類は揃ってたよ。やっぱデキる奴は違うね。俺なんて、俺達の会社は俺の名前で設立したはずなのにもう1度見ても何が何やらサッパリだったからな。

 

そして、日本に帰ってきた俺はまずユエとティオを連れて香織達の世界へと渡った。思ったけど、最近俺家に居ないね……。まぁでも仕方ない。南雲くんと香織を同じクラスにするのは前から頼まれてたことだしな。イタリアに行く前にもユエとティオと共に魂魄魔法で少し細工をしたのでそれが上手くいっているのかの確認と念押しだ。

 

なので割とこれは直ぐに終わり、香織には感謝を……雫には胡乱気な眼差しを頂きつつも俺はようやく自分の家に帰ってきた。

 

すると同じタイミングで、どこかへお出かけしていたらしいミュウがレミアと一緒に帰ってきた。どうやら途中で合流したっぽいジャンヌも武偵高の制服のまま一緒だ。

 

「パパぁ!!」

 

最近は欧米を行ったり来たりだった俺を見たミュウが嬉しそうに駆け寄ってきてくれる。そろそろ忘れられたんじゃないかと危惧していたけどそんなことはなさそうでホッとしたね。

 

「ミュウ、おかえり」

 

「パパもおかえりなの!」

 

駆け寄ってきたミュウを抱き上げる。俺の体力なら当然軽々と持ち上げられるのだけれど、それでもトータスにいる頃と比べるとかなり体重も増えたと思う。背も伸びているし、子供の成長の早さを感じるな。

 

「ミュウ、また背ぇ伸びた?」

 

「みゅ?うん、まずはユエお姉ちゃんが目標なの」

 

「おう、ユエのなら直ぐに抜けるさ」

 

ユエさん140センチくらいだからな。レミアもそんなに背は低い方じゃないからユエの背丈を抜くのにそんなに時間はかからないだろうな。

 

「だから牛乳いっぱい飲んでるの」

 

「おう、そりゃあいい。けど野菜とか肉とかも好き嫌いせずに食うんだぞ?」

 

俺は一時期肉しか食えない時期とか肉が全く食えなかった時期とか極端だけど、あの時には成長期も終わってたからセーフ。……今思えばあの時期は神水が無かったらビタミン不足で動けなくなっていたかもな。本当、ギリギリで生き残ったんだなぁ。

 

そんな風に自分のことを棚に上げつつミュウに偉そうに講釈を垂れつつレミアが家の鍵を回して玄関を開けてくれた。

 

「ただいまぁ」

 

「ただいまなの!」

 

「ただいま戻りました」

 

 

 

───────────────

 

 

 

あれからしばらくは公安0課やNからの接触は無かった。ただ、キンジはせっかく立ち上げた会社を辞めたらしくて今は無職で東大を目指して勉強中だとか。偏差値40もあるか怪しい武偵高を単位不足で退学になったキンジがこれからどう勉強すれば東大に入れるのかは知らないが、まぁ本人がやる気ならそれを削ぐようなことを言う必要もないかとそれを聞いた俺は「そうか、頑張れ。不正じゃなきゃ協力してやる」とだけ返してた。

 

しかも、キンジが興した会社は武偵饅とかいう武偵記章を入れた肉まんくらいの大きさの饅頭を"食べる防犯グッズ"とかで渋谷や青山辺りにいる若い女性をターゲットにした商品を売り出していて、それが大成功。本職の武偵業は?と思わないではないけどまぁ売上があるんならそれでいいんだろう。

 

そんな風にして事業が軌道に乗ってきたとこほでキンジは辞めちまったらしい。細かい理由までは聞かなかったが勿体ないなぁと思う。ただでさえアイツ万年金欠なのに。

 

ちなみに俺も買って食べたけど普通に美味かった。ラフォーレに出した2号店では中空知が店の店員をやっていてそれだけなのに成長を感じてしまったから最早目線が親だ。何故……。

 

そして時は流れ初夏。星伽白雪から俺へと一通の連絡があった。曰く、キンちゃん様がどこかへ行ってしまったから探してくれ、とのこと。武偵がどっか行ったり連絡着かないなんてことザラにあるのに何をそんなに心配なのかは知らんし、星伽も詳細は殆ど教えてくれなかったが、星伽はやたらと精度の高い占いができるらしく、それでキンジがどっか遠くに行ってピンチという結果が唐突に現れたらしい。

 

キチンと報酬も出る仕事なので俺は仕方なく羅針盤を取り出し魔力を注ぐ。するとキンジは東南アジア──スマトラ島の方──にいるみたいだった。何でだよ……。

 

「もしもし、星伽か?……あぁ。キンジは見つけた。……んにゃ、南半球。多分無人島だぞここ。……あぁ?まぁいいよ、やってやる」

 

んで、キンジが今いる場所の報告を星伽にすれば、追加料金でキンジを日本に連れ帰ってほしいとのこと。まぁこれも鍵使えばそんなに難しいことじゃないからいいけどな。この地球上であれば消費魔力も聖痕を開く必要は無い。ここの所急速に日本で聖痕を開ける場所が減ってきていて、最早関東ではほぼ使えない。0課の連中がそのうち日本では聖痕が使えなくなるみたいなことを言ってたけど、多分もうそう遠くないうちに日本じゃ聖痕は完全に封じられるだろうな。

 

「依頼だ。ちょっと行ってくる」

 

と、俺はたまたま家にいたユエに声を掛けておく。ユエはいつも通り短く「……んっ」とだけ返してきたので俺は越境鍵に魔力を注いで遠い座標への扉を開いた。

 

遠いは遠いが南北に遠いだけなので時差自体は数時間で済むからか空の明るさはあまり日本と変わらなかった。

 

そして、いきなり目の前に扉が現れたかと思えばそこから俺が顔を出したことでキンジは声も出ないくらいに驚いたようだった。

 

「よぉキンジ」

 

「あ……は……?た、天人……?」

 

「おう」

 

「え……何で……」

 

「んー?星伽がキンジを探してくれって依頼してきたんだよ。んで、こんな辺境まで普通に来るのも面倒だからな。ササッと来させてもらったんよ」

 

俺は現状を手短に説明する。手短にって言っても、そもそも俺もこれ以上は知らないけどな。

 

「そうなのか……」

 

「うん。……てか、キンジは何でこんなとこにいるんだよ?」

 

「あぁ……。ネモの瞬間移動に巻き込まれて……アイツがコントロールミスってここに2人で飛ばされた。……ここ、どこだ?」

 

「んー?ここぁスマトラ島の方だな。羅針盤で探して地図と比べたけど有人島も近いっちゃ近い。波がなけりゃ泳げなくはないなってくらい」

 

「へぇ……」

 

「取り敢えず日本に送る。荷物纏めようぜ」

 

「あ、あぁ」

 

いきなり無人島に飛ばされたと思ったら直ぐに日本に帰還できることになってキンジはまだ頭が追いついていないっぽいな。そんなキンジの案内で俺はこの島の浜辺へと歩いて向かった。道中、キンジが汗をかいていたので俺は宝物庫からペットボトルに入ったスポーツドリンクを渡したらゴクゴクと一気に飲み干していた。脱水の少し手前だったのかもな。

 

キンジが俺を案内したのは俺が転移してきたこの大島とは別の、潮の満ち干きによって砂浜の道が現れる小さな島だった。そこにはキンジのカバンも置いてあり、寝床も作られていた。

 

「ふうん。ここにどんくらい居た?」

 

「そんなにはいない。まだ一晩だ」

 

「おう……星伽に感謝しとけ。アイツが直ぐにお前がどっか行ったの気付いたから俺が来れたんだからな」

 

「あぁ。帰ったら礼を言うよ」

 

そうしとけ、と俺は返しキンジが荷物を纏めたのを横目に宝物庫から越境鍵を取り出した。

 

「日本の……どこにする?」

 

「あぁ……天人が良ければ俺の実家……巣鴨の爺ちゃん家でいいか?」

 

「ん」

 

と、俺はそれを聞きながら羅針盤に魔力を通し、座標を特定。今度は鍵に魔力を通して日本までの扉を開いた。そこから漂うのは潮の香りではなく街の香り。嗅ぎ慣れた日本のそれだ。

 

「じゃあな」

 

「あぁ。……お前は来ないのか?」

 

「んー?俺ぁ()()で直で自分の家に戻るよ」

 

「分かった。じゃ、またな」

 

「あぁ」

 

と、キンジが日本の土を踏んだのを見て俺は扉を閉じた。そして羅針盤にまた魔力を注ぐ。俺が探したいのはネモ……Nの提督の居場所だった。そして羅針盤は大島の中程を指し示した。そこにネモが居る。いちいち森の中を抜けていく気にもなれず、俺は鍵に魔力を注ぐ。ネモの近くへと開いた扉をくぐれば目の前には水質の良さそうな湖があった。そして顔を上げれば……

 

「あ」

 

俺は予想していなかった光景に思わず声を出してしまい、そして無人島じゃキンジか自分の声しかしないはずなのにそれ以外の声が聞こえたもんだから向こうも驚いてこっちを向いた。

 

「貴様は……っ!?」

 

俺の視線の先にいたのは当然ネモ。だがネモは今その身に布1枚すら纏っていない。ようは真っ裸なのだ。何せコイツ、無人島の泉で呑気に水浴びなんてしていやがったのだ。流石にそこまでは羅針盤も教えてはくれないので何も考えずに扉を開いた俺はネモの青く綺麗な長い髪とその隙間から覗く真っ白な背中に細い腰、丸見えのヒップライン……そして思わずこっちを向いたネモのその成長途中っぽい小ぶりなバストの仔細までバッチリ網膜に焼き付けてしまっていた。

 

「あぁ……悪い」

 

大変結構なものを見せていただいたのだが、それはそれとしていきなり女の子の裸を見てしまったのだからコチラとしても謝る他ない。素直に目線を逸らして謝罪を口にしつつ後ろを向いてやる。

 

「お前……何故ここに……」

 

カチャリと、ネモが手近な岩に置いていた拳銃を手に取り撃鉄を落とした音が聞こえる。多分銃口は俺の後頭部にでも向いているのだろう。もっとも、拳銃程度の威力なら俺の多重結界を貫けないのだから問題は無い。

 

「依頼でキンジを助けに来た。そん時にお前もいると聞いたからついでに拾いに来てやったんだよ」

 

と、俺は正直なところを答える。

 

「……何故だ?貴様と私はまだ敵同士だろう?ローマでも、手段は見当もつかないが私の邪魔をした」

 

()()ってことはコイツはいまだに俺をNに招き入れられる可能性があると思っているということか。それと、コイツはまだ俺の氷焔之皇の力はよく分かっていないみたいだな。もしかしたらブラフかもしれないけど。

 

「そうだな。けどお前が言っていた世界。あれは俺も見たい。ならここでお前が死ぬのは見過ごせない」

 

そもそも俺は何でコイツがここにキンジと飛ばされる羽目になったのか詳しくは知らない。星伽も知らないだろうし、キンジからもそういう細かい話を聞くことをせずに日本に帰した。場合によっちゃ、俺はこいつをこの場で逮捕しなくちゃいけなくなりそうだからだ。だから俺は知らないことを選んだ。何も知らない、馬鹿でいることの方が良い時もある。現状俺が知っているのはシャーロックへの銃撃返しくらいだ。それもシャーロックから仕掛けたのだから正当防衛と言われたら反論できない。

 

つまり今のところ俺はネモを逮捕、その後に立件をする為の証拠が無い。Nの偉い地位にいるってことも、あの時のは嘘だとか何だとか言われたらそれでお終いだからな。俺は俺の理想の世界のためにコイツらを利用するのだ。

 

「ふん。……聞かせろ、神代天人。貴様どうやってここに来た。私達がここにいることやこの島の場所の特定はどうやってやった?」

 

「そりゃあ俺の戦力をお前達Nに晒すことになるから言えねぇな」

 

と言っても、多分羅針盤も越境鍵もその機能は直ぐにコイツに晒すんだろうからここで隠してもあまり意味は無いかもしれないけどな。

 

「なるほどな。トオヤマキンジに発信機を仕掛けていたのではないらしい。ここに来てから一晩……発信機でもない限り科学技術で直ぐ様ここを当てるのは不可能だ。つまり超能力的な手段……ということか」

 

俺の一言でそこまで読み切るのかコイツは……。こりゃあ喋れば喋るほどこっちが不利だな。俺ぁそんなに口が上手いほうじゃないし。

 

「さてな。……もしお前が瞬間移動でここから帰れねぇなら、ある程度はお前の希望に合わせて帰してやる」

 

ネモは瞬間移動が使える。なのにまだこの島に留まっているということは、ネモにとって瞬間移動でここから出ていくための条件が揃っていないということなのだろう。イタリアじゃ屋内から一息に屋外へ20キロも移動したというのに、そうしないということは、ネモの瞬間移動には何か制約があると見るべきだろう。

 

「……何が目的だ」

 

「言ったろ、お前の言っていた世界が見たい。そのためにゃお前が生きてくれなきゃ困るんだよ。俺にゃ世界をそんな風に変える力はねぇ。ま、勿論テロ紛いなことすりゃ潰すけどな」

 

俺は俺の目的を伝える。ま、ここで聞きたいこともあるっちゃあるんだけどな。

 

「だから教えろ。お前らNの目的を。今度ぁ嘘吐きを見抜く道具も持ってきてるからな。誤魔化しは効かねぇ」

 

と、俺は防弾制服のジャケットの裏ポケットから取り出したと見せかけて宝物庫から取り出したメガネを掛ける。これのレンズには魂魄魔法でそいつの言っていることが嘘か本当か見分ける魔法を付与してあるのだ。これで、コイツらの目的を探り出す。

 

「……この場で私が貴様を銃殺するという選択肢は考えなかったのか?」

 

わざとらしく拳銃を動かしてカチャリと音を鳴らすネモ。あくまでも俺が背中を向けたままなので強気にそんな風なことを言い出す。

 

「撃ってみろよ。無駄弾使ったなぁって後悔するだけだ」

 

こちらもハッタリではないのでそう言ってみたがコイツがそれをどこまで信じるか。最悪銃撃されるところまでは覚悟しているけどね。効かないからいいけど。だがネモは溜息を付いて銃を下ろした……気配と音がした。そして───

 

「まずは服を着させてもらう」

 

と、ごもっともな要求を出してきた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

男の真後ろで着替える気にはなれないということで俺は一足先にこの島の砂浜へと戻った。途中、ネモの視界から完全に消えた辺りで扉を開いて鬱陶しいジャングルはショートカットさせてもらったけど。

 

そして砂浜でボケっとネモを待つこと数十分。流石に着替えてあの森を足で踏破するにはそれなりの時間が掛かるらしく、それくらい待ってからようやくあの古めかしい軍服を身に纏ったネモがこちらに姿を現した。

 

「ほれ」

 

と、俺は気配感知でネモが俺を視界に捉える前に宝物庫から出しておいたスポドリを投げて渡す。キンジにあげたやつもそうだったが、これは冷蔵庫みたいな機能のアーティファクトから取り出したやつだから中身はそれなりに冷えている。この自販機なんてありはしない無人島で、外から来たとはいえクーラーボックスなんて持っていなさそうな俺から冷え冷えのペットボトル飲料を渡されたことでネモは胡乱気な目を俺に向けてくる。

 

「毒なんて入ってねぇよ」

 

見れば蓋に穴なんて空いてないのが分かるだろうに。

 

「違う。何故これは冷えている?見たところ、クーラーボックスなんて持っていないようだが?……あぁ、貴様は随分と長い距離を瞬間移動ができるのだったな。それか」

 

そのスポドリについては全く違うがまぁ別にそれでもいいか。俺は頭上に氷の壁を貼り、その上に武偵高の防弾制服のジャケットを広げて被せて日除けにする。俺は熱変動無効があるけどネモにはそんな便利能力無いだろうからな。俺が平気な顔してる横で汗ダラダラかかれても気分悪いし。

 

「さて、聞かせろ。お前らの目的、どんな世界を何故作ろうとするのかを」

 

砂浜に腰を下ろした俺の言葉にネモはふんと鼻を鳴らして話し始めた。ネモの理想、そこに至った経緯。Nが望む世界の一端。モリアーティ教授の言葉。

 

やはりネモの理想はグランデュカのような奴やネモのような超能力者がそこらの一般人と同じように生活できる世界を作ることだ。今の世界、例えジャンヌのようなただの超能力者であってもその能力を人前で使うことは避けている。見られたら迫害されるのが分かりきっているからだ。そんなのは俺だって知っている。俺なんて超能力者達からも白い目で見られるからな。この前なんて一時的に国外追放されたし。

 

そして、どうやらネモとモリアーティ教授の考えは完全に一致しているわけでもなさそうだ。ネモは俺の理想に近いが、モリアーティ教授には更に別の考えがあるっぽい。勿論、その上でネモの理想も叶えられるのだろうけど。

 

「……なぁネモ」

 

俺は、ネモの話を聞いて1つ頭に浮かんだことがある。これきっと、キンジ達とは別の道を行く考え。けれど、俺にはこっちの道の方が魅力的に感じたのだ。

 

「なんだ」

 

「俺達、友達になれねぇか?」

 

告げた。俺の思いを。友達になる。このネモと。シャーロックを殺しかけ今もテロ組織の重要なポストに居座るネモと友達になる。これはきっとバスカービルの奴らには受け入れられないだろう。けれど、俺にはこの小柄な少女がその身体に見合わず掲げた大きな理想に惹かれてしまったのだ。

 

「…………………………は?」

 

呆れ顔でたっぷり数秒間時間を置いてからネモは聞き返す。その顔からはこれまで見てきたコイツの中にあった覇気が全て消え失せて見事なアホ面を晒していた。

 

「俺ぁお前のその夢を応援する。けどお前が間違ったやり方を通そうとするのなら俺は引き戻す。……これってほら、友情ってやつだろ?」

 

漫画でも友達の夢を応援して、そいつが間違った方向に進みそうなら殴ってでも止める、そういうのが友情として描かれていたし、実際に殴るかは別にしても、間違ったやり方を選ぼうとするのならそれを止めるのは友達として間違ってはいないと思うのだ。そして、それをするのが友達だと言うのなら俺とネモはもう友達みたいなもんだろう。

 

「ふっ……はっははははははは!!」

 

と、いきなりネモが大爆笑している。何だよ、そんなにおかしいこと言ったかな。

 

「この私と!ノーチラスの提督たる私と友達だと!ははっ!……いいだろう神代天人、今から私とお前は友達だ」

 

そしてネモはこちらを見上げてまるで憑き物が落ちたかのようにスッキリとした顔でそう言うのだった。何だよ、そんな顔もできんじゃねぇか。

 

「おう、ならまずは俺をフルネームで呼ぶの止めろ、余所余所しいぞ」

 

「ふむ、ではお前は私に何と呼ばれたい?」

 

体育座りをした両膝に頬を付けてこちらを見やりながらそう言うネモは悪戯心に満ち満ちた表情をしていた。多少意地が悪そうだがそれはどこにでもいる普通の女の子がするような顔で、俺は思わずその蒼天の瞳に見入ってしまった。

 

「あ……あぁ、そうだな……、普通に名前でいいんじゃねぇか?俺も別に拘り()ぇし」

 

俺は自分がネモの瞳を見入ってしまったことを誤魔化すようにそう言った。

 

「では天人、と。そう呼ぼう。お前は……まぁ初めから私のことを名前で呼んでいたな」

 

「おう」

 

ネモはそれを気にする素振りなく話を続けていた。気にしていないのか気付いていないのか、俺にその真意を読み取ることは出来なかった。魂魄魔法だってそこまで万能ではないのだ。

 

「友達、友達か……。ふっ、私にそう言ったのはお前が初めてだよ」

 

「そうけ。……俺も友達になろうぜとか言ったのは初めてだった気がするよ」

 

ちなみに友達になろうぜって言うのは割と緊張した。断われたらどうしようとか私はお前が嫌いだとか言われたらどうしようとか、そんなことが頭を巡っていたりもした。けどま、言ってみて正解だったな。俺にも段々と友人ってのが増えてきたみたいだ。

 

「だからさ、本当はテロや犯罪じゃない方法でお前の理想の世界が見たいんだよ」

 

「きっと無理だ。天人、お前が私達の作戦を尽く潰そうとも教授はそれすらも利用するだろう。だから私達はこれまでと同じように繰り返す」

 

「……そうかよ。言っとくが、俺ぁ友達でも逮捕するのに躊躇いは無いぜ。お前達が俺の前で犯罪を犯すのなら俺はNのメンバーを、例えネモ、お前でも逮捕するよ」

 

「あぁ。そうだろうな。そうでなくては友達甲斐がなさそうだ」

 

俺はそれを聞いて溜息を付きつつ頭上の氷を消す。それと共に重力に引かれた防弾制服のジャケットがヒラリとネモの頭に落ちそうになるのを掴み取ってそれを羽織り直した。

 

「で、どこに飛ぶ?」

 

「私を捜索に来ている者がいるだろうか、その現在地すら分かるのか?」

 

「……あぁ。その前に───」

 

と、もうこの動作にどれほどの意味があるのかは分からないけれど、俺はまた懐をまさぐる振りをして宝物庫から長いタオルを取り出した。

 

「一応、俺がどうやってそれを探すのか、そしてそこまでどうやって行くのかは見せらんねぇ。お前は友達だけどお前の上は違うからな」

 

「分かっているさ」

 

と、ネモは案外素直にタオルを受け取って自分の視界を覆った。俺はそれを見てから宝物庫から羅針盤を出し、魔力を注ぐ。探すのはネモを捜索に来ている奴の居場所。すると、直ぐに羅針盤がそいつらの場所を指し示した。越境鍵を取り出した俺はそこの上空へ向けて魔力を注ぎながら鍵を回す。すると、俺の視界には青空が広がった。

 

「……抱えるぞ」

 

「は?……ひゃっ!?」

 

視界を潰された状態で突然お姫様抱っこをされたネモから思いの外女の子っぽい悲鳴が上がった。

 

「なっ……!急に何を───っ!」

 

「まぁ暴れんなって」

 

と、俺は空力で扉の向こうの空へ足を踏み出す。そして扉を閉じ、眼下で水上を渡る大型の船の甲板の上へと飛び降りる。

 

下降中も瞬間的に空力を使って少しずつ衝撃を吸収しながら海を駆けるそれへと降り立った。しかし、俺が空力で空中に一瞬着地する度にビクッと身体を震わせるネモを見ていると、彼女が世界の裏で暗躍するテロ組織の幹部だなんて思えないんだよな。

 

「もう外していいぞ」

 

床に降ろされたネモは俺の言葉を聞いて直ぐに目隠しを外した。そしてキョロキョロと周りを見渡し、この船がネモにとっては見覚えのあるものだと気付いたようで……

 

「本当に……」

 

ネモはこちらを振り返り、信じられない物を見たかのように俺を見る。俺があの島に来た時点でこういうことができるのは分かっていたろうに。

 

「おう。……あぁ、それと俺の番号渡しとくよ」

 

友達のケー番知らないのもおかしな話だしな。俺は手早くメモ帳に書いた自分のケー番を渡した。

 

「本当にお前は……」

 

「あん?」

 

「いや、これは有難く貰っておくぞ」

 

「おう。……イタ電したらしばらく着拒するからな」

 

「そんな無駄なことはしない」

 

俺はそれに「そうけ」とだけ返し、「ではな」と船内へと入っていくネモを見送る。そして扉が完全に閉じ、気配感知にも引っ掛からないくらいに船の奥へとネモが行ってしまったのを確認してから、鍵を取り出して魔力を注ぐ。開く先は俺の家だ。そして開いた扉をくぐり、俺は俺の居場所へと帰っていった。

 

 



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潜入!アニエス学院

 

 

梅雨の時期が迫るある日、彼は突然やって来た。

 

 

───ピンポーン

 

 

と、家のチャイムが鳴る。気配感知で玄関先に誰かが来ているのは分かっていた。1人はどこかで見たことのある奴。もう1人はキンジだ。キンジがいるってことはそう怪しい──いきなり殴り込んで来るような──奴ではないだろうとリサに出てもらった。すると、リサに通されてリビングにやって来たのは女みたいな長髪を持ち、すれ違えば男も女も関係なく誰もが振り返りそうな高身長イケメンの男。どことなく雰囲気はキンジに似ている気がする。 そして何より性別こそ違うが……これは……。それに加え、キンジは何故だかその男に首根っこ掴まれてここまで引き摺られてきた。

 

「お邪魔する」

 

「アンタ、もしかして……」

 

俺は、その男に心当たりがあるような気がした。イ・ウーでは一時期理子やジャンヌの上役をやっていたあの女。キンジ曰くこの世の誰よりも美しいとか何とか絶賛されていて、確かに俺も相当な美人だとは思っていた不可視の銃弾(インヴィジビレ)使いにして蠍の鎌(スコルピオ)使いの武偵───カナ。

 

「お察しの通り、俺は遠山金一。そこな愚弟───キンジの兄だ」

 

カナ……遠山金一。カナはキンジの兄貴が女装した姿だと聞いていた。俺は本物の遠山金一の姿を見たことがなかったがなるほど、写真や何かで見るよりイケメンだな。

 

「で、キンジのお兄ちゃんが俺に何の用です?」

 

カナの姿の時の人格が演技なのかHSSの影響でほぼ二重人格に近いのか分からないので一応敬語で会話をスタートさせてみる。

 

「お前が神代天人だな?」

 

「えぇ、まぁ」

 

「お前は人を女装させるのが天才的に上手いと聞いた。そこでお前達に仕事の依頼がきている」

 

いやそれ女装じゃなくて変成魔法で姿形を変えているだけですしそもそも実行してるのは俺じゃないです……とは言わないでおく。説明も面倒臭いしな。

 

「……またキンジをクロメーテルちゃんにしろってんですか?」

 

と、俺が胡乱気な眼差しを向けてやれば遠山金一は「うむ」と頷く。あぁ、だからキンジが死んだ魚の目をしているのね……。キンジ、可哀想な子。

 

「だがお前にきている依頼はそれだけではない」

 

と、遠山金一が懐から一通の封筒を取りだした。そして目で「開けてみろ」と促されたので俺はそれを開く。すると中には数枚のプリント用紙とチーム・バスカービルの面子の情報が書かれていた。

 

「……これは?」

 

「彼女達とキンジ、それから神代天人は武偵ユエと一緒にとある場所へと潜入任務をしてもらう」

 

潜入任務を態々こんな大人数でやるのか。バスカービルとキンジで5人、俺とユエを合わせれば7人の大所帯。潜入たってこんなにいたんじゃ直ぐにバレるだろ。

 

「で、キンジをクロメーテルちゃんにするのとその潜入任務の関係は?」

 

「あぁ。潜入するのは私立アニエス学院。全寮制の女子高だ」

 

……女子、高……だと?俺の聞き間違いでなけりゃこの人は女子高と言ったのか?……え?俺もそこに潜入するんだよね?バスカービル達とユエはともかく俺も?

 

「……天人」

 

フラりと、ユエが悪戯心を隠そうともしない維持の悪そうな笑顔を浮かべながら俺の方へ寄ってくる。その後ろからティオも両手をワキワキさせながら目を輝かせている。

 

「待て待て待って待ってくださいユエ様!」

 

俺は後退りながらユエと距離を置こうとする。何せユエ様の顔が怖いのだ。目がランランと輝いているし両手がまるで子供がお化けの真似をするかのように掲げられている。

 

『……ユエの名において命ずる。───天人、大人しくして』

 

神言……だと……?

 

まさかまさかのユエ様本気の力技によって俺の全身から力が抜ける。リムルの世界で発生した名付けによってユエは莫大な魔力量を獲得しただけでなく、行使する魔法やエヒトから簒奪した権能の効果がアイツが使っていた頃よりも更に強力になっているのだ。そんなユエの放った神言に俺が逆らう術は無いのだ。そう、あくまでユエの神言が強いのであって俺がユエに弱いわけではないということはこの場で強く主張しておく。

 

「……大丈夫。痛くしないから」

 

ユエのその言葉は俺の頭上から聞こえている。大人しくしろと言われたので俺の身体はその勅命に従って床に伏せていたのだ。そしてユエとティオによる()()が始まろうとしていた。

 

「アニエス学院にNのメンバーが潜伏しているという情報を掴んだのだ。武偵庁からは神代天人とユエが指名された。それとSDAランク上位の者とそれをサポートできる武偵ということで、現在手が空いていたキンジとチーム・バスカービルが選ばれたのだ」

 

遠山金一のその言葉で俺の頭に浮かんだのはあの筋肉ゴリラの彫りの深い顔がニタニタと笑っているところだった……。

 

 

───────────────

 

 

 

「うっ……うっ……」

 

男2人、俺とキンジは男泣……いや、もう女の子なので普通に泣いていた。しかしキンジは長期の潜入捜査は塾通いだから無理だとかゴネたらしく、仕方なく塾に行く土曜日だけは女装を免れていた。そのためキンジは変成魔法では喉仏を隠すに留まり、ほぼほぼ素の変装をすることになった。胸は適当にアンパンを詰めて頭にはカツラを被るだけ。しかもここに来る前に遠山金一と獅堂虎巌に1回強制クロメーテルにさせられていたようで本日2度目らしい。俺なんて初めての転装(チェンジ)はユエとティオが魔法の力で強制的に女の身体に変えられてしまったというのに。ちなみに服は遠山金一が持ってきていた。潜入先の制服らしいが繊維は武偵高の制服と同じもの。スカート丈も長めにしてくれていた。……その気遣い他に使えなかったの?

 

ちなみに一応変成魔法による施術は遠山金一には見せられないよ、ということで席を外してもらっていた。彼もまぁ武士の情けとか言って素直に出ていったが情けって言うなら潜入させるの俺じゃなくて良くね……?武偵庁からのご指名とか言ってたけどどうせ旧公安0課の連中の差し金だろ?

 

「……で、なんで俺とユエ?シアはご指名入らなかったんですか?」

 

Nの偉い奴がいるというのなら戦力は多いに越したことはない……と判断するはずだ。まぁ実際俺とユエがいて勝てない相手とか想像付かないけれども。つか普通に俺の喉から出た声が女の声だし……。声帯まで弄り回されてるよぉ。

 

「中に入れられるのは7人でもかなり厳しいらしい。それに、シア・ハウリアには外で連絡要員となってもらう可能性もある。そのため今回アニエス学院に潜入するのはバスカービルとキンジ、お前達2人だ」

 

そして遠山金一は「それと」と付け加えるようにもう一言。

 

「……なるべく上はお前達3人を一緒にはさせたくないらしい。理由は、言わなくても分かっているだろう?」

 

「……はいはい」

 

いつものお決まりのやつね。それ、あんまり意味あるとは思えないんだけどな。ていうか……

 

「Nはアリアとか俺ん顔知ってるんだけど。ユエも知られてるっぽいし……。入ってもバレたら意味無くないすか?」

 

「問題無い。峰理子やレキもいずれN側に正体は露見するだろうが、それならそれで『誘き出し(ルアー・アウト)』や『撒き餌作戦(バーリィ)』などに使う。特に神代は熱心に勧誘を受けたと聞いているから好都合だ」

 

なるほどね。顔バレしてること逆手にとって逆に誘い出そうって作戦か。特に向こうからしたら俺は極上の餌だ。俺を殺せれば向こうは計画を進めやすくなるし上手く仲間に引き込めればそれもまた奴らの目的に大きく近付く。もっとも、仲間に引入れるのは、ネモから無理だと聞いている可能性は高いから俺は確実に命狙われると思うけどな。

 

「そうすか」

 

「だが当然ながら女子高にお前達男が混ざったとバレれば……」

 

「───そん時ゃ地の果てまで逃げます」

 

どうせコイツらにボコされるんだろ?だったら逃げるよ。返り討ちにしたって他の奴には追い回されるだけだし。そんな面倒なイタチごっこはゴメンだからね。

 

「キンジには制裁、神代には公安に来てもらう、とのことだ」

 

……追い回されるより辛いやつじゃん。絶対バレないようにしないと。つっても変成魔法使うんだからバレようもないと思うけどな。

 

「では俺はこれで失礼する。……後でバスカービルのメンバーと打ち合わせておくように」

 

と、遠山金一はそれだけ申し付けてさっさと俺達の家を後にする。キンジ……もといクロメーテルちゃんを引き摺って……。(キンジ)がイケメンに首根っこを掴まれてズルズルと拉致られる絵面はそれはそれは犯罪的なのであった……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「さっきそこで女装した遠山さんが男の人に首根っこ掴まれてたんですけどあれ何です?」

 

と、レミアとミュウ、ジャンヌと一緒に帰ってきたシアが疑問顔でそんなことを言いながら部屋に入ってきた。だがそこにいるのはユエとティオと女の子になってしまった俺。その奇妙な組み合わせにシアはさらにキョトン顔を極めていた。て言うかシアには1発でバレたのね……。あの完成度で何でだろ。

 

「……天人さんは何してるんですぅ?」

 

何してるんだろうね、俺にももうよく分からないや。

 

「パパがお姉ちゃんになっちゃったの……」

 

「やめて!ミュウはこんな私を見ないでぇ!」

 

何が悲しくて女装姿を幼い娘に見せなきゃならんのか。俺は顔を手で覆い隠してさめざめと泣いていた。それを見たミュウは若干引いた様子で「わ、分かったなの……」と静かに部屋を後にした。レミアも溜息を付きながらミュウの後を追う。うう……心が辛いよ……。

 

「……さて、ミュウも離れた」

 

スルりと、ユエが俺に擦り寄ってくる。……何、またユエ様のお目目がランランと輝いているのですけど。それがとっても怖いんですのよ?

 

「……ティオ、最後の仕上げ」

 

「ん?まだ何かあるのかの?」

 

仕上げって……もう私完全に女の子ですのに、これ以上まだどこか弄るつもりですの?

 

という俺の胡乱気な視線をユエ様はバッチリ無視。それを見たティオは仕方なしにシアと共に俺を羽交い締めにし始めた。あれ、助けてはくれないのね……?

 

「……いざ」

 

ユエの手が金色の魔力光で輝いている。再び変成魔法による変身が俺に施されようとしていた。

 

 

 

───────────────

 

 

「もうお嫁にいけない……」

 

本日2度目のガチ泣き。今度は何やら顔ばかりを弄り回された気がする。一体何だったんですの……?

 

「……ふふっ」

 

俺の頭を自分の太ももに乗せてご満悦そうなユエ様。それはそれは満足気な姿のユエがいた。

 

「そう言えば、偽名どうしよ……」

 

いくらなんでも俺の名前は女子高生として学院に入るには男の子っぽ過ぎるので何か考えなければならない。後、俺今だに自分がどんな顔してるのか知らねぇんだよなぁ。

 

「鏡ある?」

 

「はいご主人様、ぜひご覧になってください」

 

と、いつの間に持ってきたのかリサが手鏡を俺に渡してきた。それを覗くとそこには……

 

「ん……」

 

髪の色は元のまま黒。だが男の時よりも艶やかで天使の輪ができている。長さは肩にかかるくらいで癖は無くて真っ直ぐだな。んで、顔の作りなんだけどこれ俺の要素無いじゃん……。つかこの顔、どっかで見たことある気が……。

 

と、俺がふと顔を上げるとシアと目が合った。そしてもう一度鏡を見る。これ……

 

「ユエ……」

 

「……んっ」

 

ユエはドヤ顔でシアを見る。シアはキョトン顔で気付いていないっぽいな。

 

「この顔シアじゃん」

 

「え?」

 

「……んっ。自信作」

 

瞳の色も魔物を喰ってからそうなった紅色のままでシアとは違うし髪の毛も黒くて短く、俺の要素が強いから並んでも見分けは付くだろうが、鏡に写る俺の顔はどこからどう見てもシアのあの可愛らしい顔と瓜二つ。ちなみに顔担当はユエ。ティオはボディ担当だったようだ。

 

「……私が思う、世界で1番可愛い顔にした」

 

潜入任務なんだから目立っちゃ駄目でしょう。そう思ったがユエは言わずもがな、よくよく考えたらクロメーテルちゃんも中身男なのに相当な美人だし他のバスカービルの奴らも面だけは滅茶苦茶可愛いのは確かだ。アリアは拳銃ゴリラで理子はアホ混ざってるし星伽は裏の顔がヤバいしレキはトータスの神の使徒以上に感情が欠落してんだろってくらい表情動かないけど。

 

だからまぁ俺1人の面だけが飛び抜けて良い訳じゃなく、潜入(はい)る全員が面だけなら美少女なのでそういう意味では目立たない、のか……?まぁ遠山金一も目立ってもそれはそれでやりようがあるとか言ってたからいいのかもな。

 

「そんなユエさんったら……むしろ世界で1番可愛いのはユエさんですよぉ」

 

なんて、シアはシアで頬に手を当てて身体をくねらせながら照れている。俺はそれを放って自分の身体を見下ろした。

 

俺の首から下は、構造こそ女のそれだがスタイル的にはスレンダー美人って方向性だ。まぁ重りは無い方が動きやすいし、戦闘も考えられる以上は元の身体との差は少ない方が良いからそこはユエも分かっているのだろう。身長も男の時のままだから170センチ後半ある俺の上背──オルクス大迷宮で魔物の肉を初めて食べた時に少し伸びた──もあってモデルみたいな体付きをしている。もっとも俺の体力は見た目の筋肉量にはそれほど左右されないからこれも支障は無い。

 

「それでご主人様、そのお姿の名前なのですが……」

 

と、今度はリサが俺を後ろから抱くようにして密着してくる。背中に大きな2つの果実が押し当てられ、形を変える感触が伝わる。

 

「んー?」

 

神代天(じんだいそら)、と言うのは如何でしょうか。神代が性、天が名。今のお姿も十分日本人として通ると思います」

 

リサが俺の耳元で囁くようにそう告げた。吐息が耳に当たって擽ったい。

 

「あぁ。良いんじゃないか。正体バレはOKらしいし、近からず遠からずって感じで」

 

漢字的には俺の名前から人の文字を取っただけだが読み方そのものを違う方で、そうやって読んでしまうと随分と印象も変わるしな。俺的にも覚えやすいし悪くないと思う。

 

「じゃあこの姿の時の名前は神代天で……あれ……?」

 

俺は変成魔法で男の姿に戻ろうとするのだが、何故か俺の身体にそれが働かない。魔法自体は発動しているのにも関わらず、身体に変化を起こせないのだ。……あれ?

 

「ふふふっ、天人……いや天よ。残念じゃが変成魔法の扱いは妾とユエの方が上。その姿には細工をしておるのじゃ」

 

と、ティオが意地悪そうな笑みでそんなことを告げてきた。

 

「は……?」

 

「……具体的には、私かティオじゃないと元の姿には戻せない。……でも、もし天が私達よりも変成魔法が上手に扱えればその枷も外せる」

 

それって、絶対外せないってことじゃん。え、て言うか俺はユエ達の許可を得ないとこの姿から戻れないってこと!?うわっ、昇華魔法使っても駄目だこれ……。完全に(社会的な)生殺与奪を握られてるじゃん。

 

「……まずは任務開始までの間は女の子の生活に慣れてもらう。……ふふっ、宜しく、天ちゃん?」

 

ユエのやつ……絶対楽しんでるだろ。

 

「だ、誰か助けてぇ……」

 

俺の心からの叫びは誰にも届くことなく部屋の壁へと吸い込まれていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

アニエス学院潜入初日。俺達は普通に正門から学内へと足を踏み入れた。そりゃそうだよな、何せ俺達は転校生としてこの学院に潜り込むのだから。

 

ちなみに俺の変装は横にユエがいるという理由で即バレした。ただまぁ骨格から違うだろうという指摘を受けたがユエが魔法使いだと言ったら皆納得してくれた。しかし、キンジのクロメーテルはバスカービルの誰も見抜くことができなかった。目の良いレキや変装の達人である理子ですら見抜けないのだからキンジには相当の転装武偵(チェンジDA)の才能があるみたいだ。

 

そして、戦闘や逃走に備えて俺達が各々学内の様子を確認しながら校長室へと向かう道すがら……そこにあったのは違和感だらけの校舎の設備や装飾だった。理子や星伽、ユエは何も違和感を感じずにむしろ素敵だと思っているようだが、クリスチャンのアリアや宗教にも多少は通じているらしいキンジ、それとガキの頃は欧州で生活していた俺から見てもここは何かがおかしい。俺の感じた違和感はキンジやアリアが言語化してくれたが、ここは宗教色のある建物を建ててあったり骨董品何かが飾られていたりするものの、それらの様式はてんでバラバラ。何の統一感もなくただ適当にそれっぽいものや見た目が気に入ったっぽい物を集めたただけなのだ。

 

だがそんな統一感の無い空間の筈なのにどこかポリシーと既視感を感じる。しかも鑑定眼のあるらしいレキ曰く、ここにある美術品は全部イミテーションで価値は無いらしい。つまり確かにここには物の価値を除いたポリシーや、()()()()()としてこうしたということになるのだが……。

 

しかしその理由も直ぐに判明する。ここの校長先生───堀江美由紀は日本の有名ファンタジーゲームの開発者だったのだ。つまり、ここは和製ファンタジーゲーム風の世界観を模した作りになっているということらしい。……そして、俺の感じた既視感はそれだ。ここはリムルのいた世界やトータスとよく似ているのだ。何で完全な別世界とこっちの世界のゲームが似ているのかはよく分かんねぇけどな。

 

「あ、そうだ。武偵庁からは2人ほど男の子が変装していると聞いているのですが、どの子ですか?」

 

と、最初俺達を迎えた時は武偵なんぞ歓迎していません、みたいな雰囲気だったのに理子が堀江校長のゲームをやっていると知ってからは手の平を返して打ち解けた様子を見せたこの人からそんな質問が飛び出す。すると……

 

「この子です」

 

と、クロメーテル(キンジ)が即座にアリアを指差す。だが当然アリアは───

 

「あんたでしょうがこのバカキンジ!」

 

と、校長先生の目の前でクロメーテルの首を思いっ切り締め上げている。

 

「えっ!?あの話ホントだったの!?しかもこんなに美人なその子が!?……確かめたいわ!その子の裸見せて!」

 

「嫌です!御免こうむりますっ!アンパンあげるから許してー!!」

 

なんて、キンジは叫びながら鞄から武偵手帳と証明写真とアンパンを取り出して堀江校長に差し出している。

 

「うわっ!本当だ!えと、2人目は……?」

 

「私です」

 

と、俺は素直に手を上げる。ここで天丼ネタでアリアを指差しでも話進まなさそうだからな。2度目は締め上げられるどころか全身粉々にされそうだ。ユエにやったら後が怖いし。

 

「うわっ、こっちも超可愛いじゃん!」

 

と、俺の見た目──顔はほぼシアなのだが──を褒められてユエがご満悦だ。

 

「あぁでも、なら本当に男の子だってバレないようにね?バレたら出ていってもらいます。調査の為とはいえ女子高に男の子が紛れてたら経営的にも問題なので」

 

とのこと。まぁ、俺に関しては見た目は完全に女にされてしまったのでそれこそ裸を見られても大丈夫だったりする。なんと男の子が持つあれそれすら変成魔法によって無くされてしまったのだ……。ホルモンバランスとか大丈夫なのかしら……?

 

 

 

───────────────

 

 

 

校長先生からこの学校の生徒はよく失神するという謎の情報を得た俺達は、それぞれのクラスへと割り振られる。ちなみに潜入初日から授業へは出席させられることになっているのだ。

 

この学校は月組(ルナ)だの華組(フローラ)だのとクラスの名前──特別教室の名前もだが──がやたらと派手派手。俺は3年華組へと配属。キンジ……ってかクロメーテルは星組(ステラ)だ。ちなみに学年もそれぞれ別れていてユエとアリアは1年。しかもユエは月組への配属でどこか嬉しそう。理子とレキが2年で3年は俺とクロメーテルと星伽だ。そもそもNの幹部であるヒュドラがどこのクラスに潜んでいるのかすら俺達は知らないのだ。もしかしたら、生徒ではなく教師に紛れている可能性すらある。

 

「では今日はまず転校生を紹介します」

 

というお決まりの挨拶と共に俺は華組の教室へと入る。ガラリと扉をスライドさせて女の園へと足を踏み入れた俺に注がれる視線視線視線。そう言えば女子高に入るのは人生2度目だなぁなんて思いながら、俺は教壇の前に立つ。

 

この教室は黒板の代わりにホワイトボードを使っていて、そこに水性のマジックで先生が俺の名前を書いていく。

 

──神代天──

 

それが俺のここでの名前。本名から人の字を抜いて読み方を変えただけの安直なそれ。まぁ所詮は偽名でこの顔も変成魔法で作り出した紛い物。クロメーテルはカツラ被った程度だが俺のこの顔は特殊メイクとも違う真っ赤な偽物なのだ。気にする必要なんてないだろう。

 

神代天(じんだいそら)です。3年生の半ばというこのタイミング。短い間ですが宜しくお願い致します」

 

と、取り敢えずは微笑みながら丁寧に頭を下げて挨拶。んー、相変わらずこの女声には慣れねぇな。正直あまり人とは話したくない。捜査しなきゃだから最低限は話すけども。

 

一応気配感知と義眼の魂魄魔法で軽く走査したがこの教室には違和感は無し。ここはハズレかもな。

 

パチパチパチという拍手の音を聞きながら顔を上げて第一印象は大事だともう一度ニッコリ笑顔。すると何故かさっきよりも熱い視線が注がれていることに気付く。……何かやってしまったかしら?

 

「可愛い……」

 

ボソリと誰かがそう呟いた。……あぁそっか。今のこの顔は作りだけはシアのものだっけ。そうだよなぁシア可愛いもんなぁ。女の子は笑うとだいたい可愛いけどシアは特にそうだ。あの笑顔は男とか女とか関係なく人の視線を集める。それだけの魅力があの子にはあるのだ。

 

「神代さんはバスケットボール部になりますので、あちらに席を用意しました」

 

と、用意された席は窓際後ろから2番目。理子が確か主人公席とか言ってた場所だ。ちなみにこのアニエス学院、仲の良い奴と一緒に勉強するとエピソード記憶が生成されやすくなるとか学習効率が上がるとかで同じ部活の奴らを近い席にまとめるルールがある。武偵高なんて初日に適当に座った席で1年過ごすんだぞ。いや、これは武偵高が間違ってるんだろうけどさ。

 

ちなみに何故俺がバスケ部なのか。それは単にこの学院にはサッカー部が無かったからである。あれば当然そっちに入ったのだが無いもんは無いので仕方ない。ルールは昨日なんとなく把握した。

 

んで、俺の隣の席の子は同じくバスケ部らしいく、女子の平均よりは上背がありそうだが俺と比べると流石に低い。と言うか、日本人で俺より背の高い女子高生はそうはいないんだけどな。本当は俺男だし。あ、後ろの子もごめんなさい……俺のせいでホワイトボード見辛いよね……。

 

「宜しくお願いします」

 

と、横の席の子にそう挨拶すればその子も……

 

「宜しくね」

 

と、爽やかに返してくれた。この学校は元お嬢様学校の聖與女子学院と普通の高校である玉縄女子が合併した学院なのだと聞いた。あとその他普通に受験してきた奴がいて、生徒はそれぞれで派閥になっているのだとか。そして、俺の横に座る彼女は何となく玉縄か一般受験組だろうと察せられた。

 

女子高潜入初日。武偵高とは180度違う進学校での授業が始まる。

 

 

 

───────────────

 

 

 

正直キツい。それが初日……と言うか半日授業を受けての感想。何がキツいかってこの学院の授業のレベルの高さだ。オリジナルの教科書なのか知らんが生徒が目指す大学に合わせて中に書いてある問題に"ここはやらなくていい"とか"ここを受験する人はこの問題解け"みたいなマークがそれぞれ付いており、大学に受からせるための授業内容になっているのだ。

 

だが俺の学力は3流大学にすら受からない底辺オブ底辺。最近キンジは塾通いらしいから多分俺達の中じゃ俺が1番頭悪いまである。つか多分そう。ユエも地頭は良いからスルスルとテストの点数上がってったし。英語だけはシャーロックに叩き込まれたせいもあるし、古典や漢文も最悪言語理解でどうにかなっているのだが、他が壊滅だ。マジで何も分からん。数学の公式には言語理解は適用されないらしい。て言うか色んな世界を巡る中で、この世界と近い常識の世界は幾つもあったが、特にここ数世代の総理大臣とか世界の大統領とかの名前がてんでバラバラだったからどれがどいつかごっちゃになってる。もういっそ授業はフケてしまおうかと思った程だ。だがここの生徒は授業態度も真面目なのでフケてどっか行くと死ぬほど目立つからそうもいかない……。辛……地獄……。

 

IS学園と同じく女の園のアニエス学院とは言え今は俺も女の子。あそこにいた時みたいに露骨な視線に晒されることはないのだが、それでもユエ成分の不足した俺は昼休みになった瞬間に席を立つ。

 

そしてフラフラと彷徨うようにしてユエの待つ1年月組の教室前へと辿り着いた。そこにはアニエス学院の可愛らしいデザインのブレザー着たもうユエが居て、俺を見つけるとトテトテと小走りで駆け寄って来た。しかしそれを見た周りからは「ほわぁ……」みたいな声が上がる。どうにもユエの可愛らしさにアテられたらしい。……いや、これ俺も見られてる。しかも似たような視線で。シアの顔強過ぎるだろ……。まぁ可愛いから仕方ない。

 

「お昼ご飯に行きましょう」

 

と、天ちゃんがユエ様を誘う。

 

「……んっ、行きます」

 

ユエ様もこれを快諾。俺はユエの手を取り歩き出す。するとまるでモーゼの海割りかの如く人垣が割れる。あぁこれ……IS学園でも似たようなことあったなぁ。あの時ゃ好奇の視線に晒されて気分悪かったんだが、今もあんまり変わらねぇな。……購買で何か買って外行くかぁ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

キュッ!キュッ!と、シューズ裏のラバーと床の擦れる音が体育館に響き、ダンダムとボールが床を叩く音が木霊する。

 

授業も初日からなら部活動も初日から参加なのだ。んで、今日はちょうどバスケ部が体育館を使う日。進学校らしく部活の時間は短いが、ちゃんとあるにはある。着替えは最初からスカートの下に短パン履いてたし体育着もキャミソールの上からパパッと教室で着てしまったので更衣室には最早寄ってもいない。

 

授業も、ブレザー脱いでワイシャツの袖捲って受けていたので神代天さんはそういう活発キャラなのだという位置付けを初日にして確立できたので、今後は多少"素"が出ても不自然には思われないだろう。て言うか、そもそもこの身体なら脱がされても女なのでこれは単に俺が伸び伸び暮らす為のものでしかない。あと、流石に彼女でもない女の子と同じ部屋で着替えるのは罪悪感がある。

 

アニエスがただのお嬢様進学校なら悪目立ちするだろうがここは玉縄女子や一般受験組もいるから、天ちゃんの気性はそっち寄りってことにさせてもらおう。

 

「ハイ!」

 

と、声を出してボールを呼ぶ。そうすれば俺の隣の席の新城陽香(しんじょうはるか)さんからパスがやって来る。

 

それをタッチライン際──バスケだとサイドラインだっけか──で受けて縦にドリブルで運ぶ。斜め前方からディフェンスが寄ってくるがグッとこちらも斜め方向に、彼女とすれ違うように、中央へと切り込んでいく。そして俺にパスを出してそのまま走り込んでゴール下で待っていた新城陽香へと真っ直ぐ縦パスを付け、俺も動きを止めることなくそのリターンを貰ってその場でジャンプしながらシュート。

 

俺の右手から離れたボールはゴールのボードに書いてある黒い枠──ウインドウとか言うらしい──の縁に当たりそのままネットを通過した。今日は俺との交流も兼ねての紅白戦ということで、白チームのこちらに2点加算された。

 

ちなみに現状白チームが圧勝。というのも、日本人の男の中でも俺は比較的背が高い方になる。女の子の身体にされても上背は変えられていないので、そんなのが女子の中に混じれば頭1個分じゃ済まないくらいに頭抜けるのだ。それに、異世界の旅をする前かつ聖痕無しでもイ・ウーでシャーロックに死ぬ程鍛えられた俺の体力と、いくら運動部とは言え基本は勉強最優先の進学校の生徒じゃ体力にも著しい差がある。

 

なのでバスケ完全に素人の俺でもここまで体力差があれば活躍もできるのだった。俺の前でシュート打ってもだいたい指か、下手したら手の平で叩き落とせるし。

 

そして、ちょうど赤チームのシュートを俺がブロックした瞬間に試合終了のブザーが鳴る。ダブルスコア以上で白チームの完勝だった。

 

「休憩ー!!」

 

「はい!」

 

と、そのタイミングで部長でもあるらしい新城陽香の掛け声が掛かり、俺達は一旦水分補給へと移る。すると、いつもは下ろしている長い金髪を頭頂部で束ねてポニーテールにした体育着姿のユエが俺へとボトルを渡してくれる。

 

「……天先輩」

 

「んっ、ありがと」

 

いつもと違う呼ばれ方に少しの違和感を覚えながらも「今はこれが自分の名前だ」と言い聞かせつつそれを受け取った。するとユエはタオルも用意していたらしく手渡してくれる。その姿の愛らしさに俺は思わずいつもの癖でユエの顔の横に垂らした髪を梳く。

 

すると、周りからは「ほわぁ……」と、叫び声とも歓声ともつかない声が響く。ユエは1年生のバスケ部マネージャー設定。俺は3年からの転校生で、しかも今の1試合で急に部に現れた超新星みたいな扱いになっているのだろう。その上(つら)はシアの顔とほぼ同じなのでとんでもなく良い。もちろんユエもだ。

 

つまりはまぁ、周りから見たらクソほど可愛い1年生が美少女顔転校生の3年生で新たなエース候補に憧れてる……上にその先輩は後輩を(たら)し込もうとしている、ように見えたのだろう。しかも……

 

「あのお2人、お昼も一緒でしたよね」

 

神代(じんだい)先輩が神代《かみしろ》さんを連れて行ったのを見たと聞きました」

 

みたいな声も聞こえてくる。ちなみにここアニエス学院は武偵高みたいに名字なくても入れる程トンチキではないのでレキもユエも偽名の名字を用意している。レキは矢田、ユエは神代(かみしろ)……つまり男の時の俺と同じ名字だ。

 

これを聞いたシアやティオはキレ散らかして宥めるのが大変だったのは言うまでもない。理由は1番先に俺の名字を貰ったこと。これは絶対に後でも出てくる問題なのは分かってるから今から頭が痛いんだよなぁ……。

 

て言うか、誑し込むわけじゃない。どっちかと言えば俺が落とされた側だし、そもそももう俺達はデキている。けどそれはコイツらに言っても詮無い話。なので……

 

「普段の下ろしてるのも可愛いけどそうやって纏めてるのも可愛いよ」

 

「……んっ、嬉しいです。天先輩もどんな姿でも格好良い……」

 

なんていういつも通りのやり取りも周りに遠慮する必要は全く無いのだけど……

 

「きゃぁぁぁぁ!!」

 

なんて、騒ぎが大きくなるのは致し方ない。それでも俺はコイツらには本心を隠したくはないし、可愛いとか好きとか愛してるとかは言えるうちに言っておきたい。だからこういう喧騒も受け入れるのだ。

 

 

 



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魂と居場所

この話が抜けてました……。(1/16投稿)


 

 

放課後、俺は1人羅針盤を手に校内を彷徨い歩いていた。時間は夜の10時半頃だろう。ここの消灯時間はテスト前以外は10時半。キンジ曰く見回りがあるらしく、見つかると違反で教師に報告される場合もあるかもだとか。ちなみにキンジ……と言うかクロメーテルちゃんはアニエス学院の生徒会──双與会──に所属している。本来は部活に入るのだがアイツには趣味も特技もこれと言ったものが無かったのでアニエスじゃ生徒会も部活動の枠に入るからってそこへ押しやられた。

 

ま、見回りがあるってことはそれを嫌がって生徒は夜には出歩かないだろうし、見回りに見つかっても、ここはそんなに校則がギチギチにキツかったり罰則が厳しい雰囲気も無く穏やかな校風なのは感じているから、初犯であれば言い訳も用意してあるし問題無いだろう。

 

と、俺はここに来る前に部屋でユエと羅針盤で検索した結果を頼りにフラフラと歩いている。

 

探し物はここに潜んでいるというNの幹部、ヒュドラの居場所。だがおかしいのだ。羅針盤は正常に機能しているはずだ。なのに羅針盤はこの学院の至る所を指し示したのだ。まるで、ヒュドラは複数人……それも大勢いるかの如く。

 

不審に思った俺はまずはちょっかいを出す前に調査だけでもと"ヒュドラが1番集まっている場所"を羅針盤で探した。すると校門の方を指し示したので、今はそこへ行くついでにまずは近場でヒュドラのいる場所を見てやろうと夜の学校を歩いていた。

 

すると、曲がり角の向こうからコツコツと足音が聞こえる。2人分だ。俺の気配感知にも引っかかっていたそれは1人はクロメーテルちゃんの分。もう1人は……知らねぇや。でもこの時間にクロメーテルちゃんと歩いてんなら双與会の誰かだろう。

 

と、俺は何食わぬ顔で姿を現す。向こうも何を気にするでもなく普通に俺に懐中電灯の光を当てた。

 

「ひゃっ!?」

 

しかしクロメーテルちゃんはともかくもう1人は俺の存在に気付いていなかったらしく驚きの声を上げた。夜目の固有魔法で夜の学校でもよく見えるそいつは眼鏡をかけた黒髪の地味な雰囲気の生徒だった。だが俺の義眼にはそいつがただの小心者の女ではないことが視えていた。そいつの持つ魂は人間それではない。エヒト程薄汚くて邪悪ではないが、聖人君子の魂ではない。……コイツ、もしかしてNの身内か?羅針盤はヒュドラを探した時にクロメーテルちゃんの傍を指し示さなかったからヒュドラ本人ではない筈だ。だがこの平和な学院でこの魂は無関係とは思えん。

 

「あ、あの……貴女は転校生の……」

 

「うん、神代天。……ゴメンなさいね、この時間は消灯時間よね」

 

「え、あ、はい。なので……」

 

「知ってはいたのよ?……でも昼間に落し物をしてしまって、探しているの。人のいない時間の方が探しやすいかなと思って」

 

と、俺は先程から足元を照らしていた自分の懐中電灯をユラユラと揺らして見せる。俺の足元を照らしていたそれはきっとコイツらからはその光が見えなかったのだろう。……多分。中身が中身だけに演技の可能性は否定できないけどな。ちなみにこの探し物は嘘。別に俺は今日何も無くしていない。

 

「なるほど、事情は分かりました。……今回は初めてのことですし、メモは取らないでおきます。落し物があれば届けられている場合もありますから、まずはそちらを確かめてはいかがでしょう?」

 

「ありがと、そうします。次から気を付けるわ」

 

と、俺は素直に引き返して寮の自室へと戻る道を行く。バレなきゃそのまま続行の予定だったけどここは適当にやり過ごして後でヒュドラの様子を見に行くことにしよう。

 

そうして俺は一旦来た道を引き返して物陰に隠れる。少しすればコツコツと2人分の足音、キンジ……もといクロメーテルちゃんは俺の存在に気付いたみたいだが特に触れることなく放っておいてくれる。そして俺は影から姿を現して再び探索を開始した。

 

そして、導越の羅針盤の導きに従って俺は校門までやってきた。……解放者が俺に残した羅針盤が指し示すのはこの真下。ヒュドラは土の中に身を潜めているようだ。それだけじゃない。この林の木も1本丸ごとヒュドラだと羅針盤は指し示している。……なるほど、ここら一帯が丸ごとヒュドラの巣窟になってるわけか。

 

「さて……」

 

地中に眠っている(?)ってこたぁグランデュカ以上に人間離れしてるってことになる。グランデュカは顔以外は俺らとそう変わらんし精神性も似たようなもんで、トータスから帰ってきた俺はアイツを人間と呼ぶことにそう躊躇いはない。だが土の中に埋まって待機してる奴をそう呼んでいいのかは甚だ疑問だ。カプセルみたいな入れ物の中にでも入ってるならともかく、まさかモグラみてぇに地面の中で暮らしてないよな?

 

だがどっちにしろヒュドラは自分の分身みたいなのを学院中に放っている。ということはアニエス学院の生徒が人質に取られる可能性があるのだ。ここでなんの対策も無しに動くべきじゃあない。

 

それに、クロメーテルちゃんと一緒にいたアレも気になるし……

 

「帰ろ」

 

 

 

───────────────

 

 

 

潜入から5日ほど経過した金曜日、バスカービルと天ユエタッグの中間報告会の日がやってきた。

 

んで、俺とユエが115号室──バスカービルのクロメーテルちゃん抜き部屋──に入るとそこでは

 

「ガンガンいこうぜ!!」

 

理子がファミコンでPPGゲームやってるぅ……。しかもアリアは立ち見で、星伽は正座、レキすらテレビ画面に釘付け。楽しそうで何よりだけどさ……。まぁ、今はまだクロメーテルちゃん来てないからいいか。

 

と、俺も後ろから理子のプレイングを視聴開始。ユエも俺の足の間に挟まって画面を見ている。……と思ったらモソモソと抜け出して理子の隣に移動。あれやこれやと指示出しを始めた……。ユエさん、随分とこっちの文化にも馴染んで……。

 

なんてやっているうちにクロメーテルちゃんもやって来て、そして俺達が皆して理子とゲームをやっているのを見てキレ気味にファミコンのリセットボタンを押した。

 

ユエすら悲鳴をあげる中クロメーテルちゃんはカツラを投げ捨ててキンジになる。すると直ぐ様───

 

「キンジ、天人、アンタら目立ち過ぎよ!ちょっと様子を見に行ったら……」

 

と、急にアリアさんがご立腹。

 

「何言ってるのアリア、天ちゃんはあれでいいのよ。勉強は国語と英語以外できないけど運動神経の良い神代天ちゃんの傍には人が集まる。人が集まれば情報も集まりやすい。お勉強を教えながらなら多少雑談を挟んでも不思議じゃない。……どう?合理的でしょう?」

 

ちなみに必要以上に接近される恐れも、あまり無い。何せそのために部活動や昼にはユエと仲睦まじい様子を見せつけているのだ。ただユエは後輩設定だから俺に勉強を教えることはあまりない……実際はちょいちょい寮の部屋で教わっているのだが、それはそれ。

 

「ぐ……むう……けどこの潜入調査はもっとスローにやる予定なのよ?アンタはユエ共々目立ち過ぎなのよ!」

 

「そうそう、ここに潜り込んでるヒュドラって奴ですけど、根城見つけたわよ」

 

「はぁ!?」

 

と、俺の衝撃発言に全員ビックリ顔。いや、キンジは俺の羅針盤を知っているからそう不思議そうな顔はしていないか。

 

「アリアの言う通りこの潜入調査はスローでやる予定だったし、何より正体はまだ掴めていないから黙ってたけどね」

 

と、付け足しておく。アリア辺りが突撃されても困るかもだからな。

 

「で、どこよ?」

 

「校門の手前……校内側だけどね。そこの地面の中ね。それと、学内にも結構いるみたいよ」

 

ここで俺がどうやってそれを探り当てたかを聞いてこない辺りアリアは俺のこと分かってるな。聞いてもはぐらかされるだけなら、どうせ魔法の力だと分かっているのだから最初からそんな質問はすっ飛ばしてしまった方が効率が良い。

 

「それは、ヒュドラが複数いるってこと?」

 

と、星伽が鋭い目で俺を睨みながら疑問を口にする。

 

「───私も、ここに来て直ぐに敵の気配を感じました。近くを通ったのに姿は見えない……初めての感覚でした」

 

するとレキが追加情報を教えてくれた。

 

「恐らくヒュドラは自身の身体を複数に切り分けてそれぞれ別個に活動させられるのでしょう。校門の地面にいるのはヒュドラの1番大きな塊を探した結果だから。レキの感覚もそれで辻褄が合うわね。群体としての大きさはともかく細々とした子機は非常に小さい。だから気配はすれど姿が見えない」

 

「ということは最悪の場合アニエス学院の人間がまとめて人質に取られる可能性もあるってことよね」

 

「そうね。だから私もいきなり手出しはできないの。()()()()()()簡単だけど、今回は逮捕しなくちゃでしょ?正面切っての喧嘩なら負けないだろうけど……」

 

ぶっちゃけユエの神罰之焔でヒュドラ程度は灰燼と化すどころか灰も残さずに殺せるのだが、建前上は逮捕しなくちゃいけない上、武偵法9条もあるから下手な攻撃はできない。変に加減して、アリアの言う通りアニエス学院の人間を人質に使われたら厄介だしな。

 

「それとキンジ……クロメーテルちゃんと巡回してたあの小柄な……小城って子……怪しいわ」

 

と、あの夜見た人間とは違う魂を持った人の面を被った小城と名乗る女のことも報告しておく。クロメーテルちゃんの近くにいるってことはキンジが危ないかもだからな。

 

「そうなのか?あんな小心者がか?」

 

「えぇ。あの時と……それから時々クロメーテルちゃんのクラスも覗いたけど、他はともかくあの小城って子の魂は人間のそれではなかった。ヒュドラと関係があるかどうかはまだ分からないけれど、気を付けなさい」

 

「……分かった。ていうかお前、魂なんて見えるのか?」

 

「えぇ。……そうね、この際私の今の発言に説得力を持たせるためにバラすけど、私のこの右目、実は義眼なのよ」

 

と、俺は自分の右目を指差しながらそういえばこれはキンジにも言ってなかったかもなってことをバラしておく。武偵はあまり負傷歴や自分の装備を明け透けにはしないがコイツらは今は作戦を共にする仲間だからな。アリアとはいまだに微妙な仲のままだし星伽は俺のこと嫌ってるけどこの際仕方あるまい。

 

「普通の目に見えるけどねぇ」

 

と、変装の達人である理子すらもそう言う。まぁ変成魔法も使ってるから視界は両目とも揃ってる奴と同じ視野だしな。

 

「私が一時期こことは違う世界に行ってたことは言ったと思うけど、その旅の中でね。ゲームで言えばモンスターとか魔物って呼ばれている奴の攻撃で右目が蒸発したのよ。その代わりに魔法の力を付与した鉱石を入れているの。見た目は、これも魔法で普通の目と同じにしてあるし、こっちに戻る前に普通の視界も映るようにしたから戦闘にも支障はないけどね」

 

そして付与した魔法の中には相手の魂を見るものもある、と付け加える。バスカービルの連中も俺が超能力とも違う力を使うのは知っているからそこはそれほど驚かない。俺の怪我の話も、眼球の蒸発はそうそうあることじゃないけど武偵なら怪我は当たり前のものだし気味悪がる奴はここにはいない。

 

そしてその後はキンジが得た情報を皆で共有していく。しかし他の奴らはレキが敵の気配を感知した以外はろくな情報は出てこない。5日あってこれか……。大丈夫かなこの潜入調査。

 

んで、会議の結論としてはまずはまだ暫くは様子見をする。どうやらヒュドラは身体に不調を抱えていて、それを回復させているのかもしれないということ、そしてアニエス学院の人間が人質に取られる可能性もあることからそうなった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

あれから2週間程が経ったか。体育で行われた体力測定ではこれまで安達ミザリーとかいう奴が持っていた学年1位の記録のほとんど全てをキンジ……クロメーテルちゃんが塗り替え、さらにそれを神代天さんが全部塗り替えと、勉強は……特に数学と理科と社会が終わってるけどスポーツは大得意な転校生のポジションはキープしていた。

 

で、とある日の夜の9時過ぎ、緊急でキンジが会議を招集した。そこでキンジからもたらされた情報、それはこの学院には俺達以外にも潜入している奴がいること。向こうの事情で詳細は話せないらしいがキンジとは協力関係を結んでいること。そしてキンジが秋葉原の駅で襲撃されたこと。

 

そして星伽曰く、それは恐らく潜伏者(ヒュドラ)の襲撃で、何者かを遠隔で操作する乗っ取りのようなものであろうとのことだ。そしてキンジが色金の可能性に言及したので

 

「……色金はこの学院には無いわ。それは今確かめた」

 

俺は念の為羅針盤で色金の在処を探すが、指し示された場所は理子の十字架とアリアの胸の中とその他諸々……ただしこの学院にあるのは理子とアリアのものだけだ。

 

「ようやくそれを私達の目の前で使ったわね」

 

と、アリアが目敏く見つけた俺の羅針盤を顎で指し示す。ま、さすがにそろそろ追求されるよね。

 

「これは貰い物なのだけどね。導越の羅針盤。込められた概念は"望んだ場所を指し示す"ま、あくまで場所を教えてくれるだけで、例えばヒュドラが火に弱いとか電気が苦手とか、そういうのは教えてくれないわ」

 

その上持っていかれる魔力量もそれなりなので何でもかんでもこれで探してはいられないのだと言えばバスカービルの奴らは皆「ふぅん」みたいな反応。どちらかと言えば興味薄そうだ。相変わらず星伽だけは俺を親の仇みたいな目で睨んでいるけど。

 

「色金を使わないで人が人に取り憑くってすごく難しいんだよ。そういう固有の術を使う狐や蟲とかならいるけど……複数人を次々に乗っ取るのは西洋の吸血鬼伝説とかにあるよね?」

 

と、俺を半分無視するような形で星伽が話を進める。そしてその視線は今は理子の足元の影に向けられている。そして、()()()()()()()

 

「それは私達オーガ・バンピエンスが長年受けている風評被害よ」

 

と、その影が喋り出す。そこにいるのはヒルダだ。理子の影にくっ付いてきていて、こっそり俺達の潜入任務に参加している。

 

『ユエ、吸血鬼族ってそんなこと出来たか?』

 

と、俺は念話でユエにも確認をとる。こっちの吸血鬼にゃそんなことは出来ないらしいがトータスの吸血鬼族はどうなんだろうな。ユエの持っている固有魔法にはそんな類のものは無かったはずだが。

 

『……ん、私達にもそういう固有魔法は無い。闇属性魔法か、それこそ魂魄魔法を使えば別だけど……』

 

つまり、種族の固有能力としては無いということだ。闇属性魔法……属性魔法であれば上手い下手はあれど基本的に誰でも扱えるってことだし魂魄魔法は神代魔法とは言えこれも適性があれば扱えるものになる。それは吸血鬼族とは何の関係の無い部分だ。

 

ちなみに一応ヒルダとユエの顔合わせは済んでいるのだが、この2人、なまじそれぞれの世界の吸血鬼として頂点に君臨していただけあって、性格の噛み合わせが最悪に悪かったからかお互い非協力的だ。初対面の時は酷かったな……。比較的背の高いヒルダは小柄なユエを見下し、ユエは自分よりも戦闘力が余程劣るヒルダをコケにして……ユエがあれほど女に冷たく当たるのは初めて見た。ちなみに俺に自分の嫌なところを見せたと思っていたらしいユエはその後かなり甘えてきて可愛かった。

 

んで、ヒルダ曰くこの世界の吸血鬼にはそんな遠隔から大人数を操って人を襲わせることは出来ないとのこと。まぁ理子のいる前でそんな嘘は付かないだろうし、実際ヒルダを1ミリも信じていないユエ──俺もそんなにヒルダを信用しているわけじゃないけど──も魂魄魔法を使って嘘はついていないと判断。

 

ただどうやらヒュドラは抱えていた健康問題に片がつくのかもしれないということ、そしてキンジを秋葉原駅で襲ったのが最後通告かもしれないという結論に至った。だがコチラとしては下手に手出しは出来ない。

 

「遠隔で操るってのが、私が撹乱されたヒュドラの分裂体によるものなら、操るだけじゃなくてもっと酷いこともできるかも、なのよね……」

 

俺のその言葉に皆押し黙る。目下最大の問題はそこなのだ。人質作戦を使われたらコチラとしては打つ手が無くなる。それも目の前で1人2人捕らえられている程度ならまだしもこの学院の誰がどこで人質にされているのかも分からないかもしれないのだ。いくら羅針盤で探して鍵で目の前まで扉を開けると言っても1回につき1人ずつにしかその作戦は使えない上に1人頭に消費する時間も考えれば現実的ではない。

 

「……今は、分かっていることを整理しましょう」

 

と、この場の重い雰囲気を察したアリアが話題の転換を試みる。

 

「そうね、対策は後にしましょう」

 

俺もそれに乗ると理子が「じゃあねぇ───」と、まずヒュドラの性格を分析する。曰く、ヒュドラは『遊ぶ』タイプらしい。そして態々キンジを襲ったということはクロメーテルちゃんの正体がバレていることと健康上の理由を抱えていたらしいヒュドラのそれが解消されつつあることは確かだろうとのこと。そして実際奴について分かったことなんてそれくらいだ。コチラは敵の正体が掴めずに戦いの時間だけが近付いてくる。かなりこちらには不利な状況だ。せめて、人質の心配さえ無くなれば戦闘に関してはどうにかなりそうなものなのだが……。

 

「あとは小城ね。あの子には気を付けなさいよ」

 

と、俺の義眼とユエの魂魄魔法でそれぞれ確かめ、やはり人間のそれとは違う魂を持っていると確信したそいつについても警告しておく。

 

「あぁ、分かってるよ。……今のところは怪しい動きはないけどな」

 

「そうね。ま、人間じゃないからって私達に害意があるとも限らないしね」

 

例えばヒルダなんかは確かに俺はコイツが嫌いだし、今まで人間に対して散々酷いことをしてきたが、だからって常に敵意で全開人類滅ぼすぜ!って訳でもない。だからこそ今は──勝手に着いてきていただけとは言え──一緒に潜入調査をしているのだから。

 

「あ、そうそうキンジ」

 

と、俺がふと気になっていたことを訊ねる。

 

「なんだ?」

 

「ヒュドラは健康に問題を抱えているって言ってたけど、その情報の出処はどこよ?」

 

当たり前のようにそれを前提に話を進めていたが、そう言えば俺はそれを聞いていなかった。

 

「ん?あぁ、ヴァルキュリアって奴に聞いたんだよ。プラザ会談の時にいただろ?槍持ってたアイツ」

 

あぁ、と俺は頷く。

 

「アイツ、何語で喋るのよ?」

 

ネモといたってことはフランス語かな。グランデュカも幾つか言語を喋れるみたいだったし。

 

「何だったかな……クトゥルー神話の言語がどうのって言ってたな」

 

「クトゥ……何?」

 

え、神話?キンジくん遂にそんな訳の分からん言語まで習得したのか……。いや、俺も言語理解のおかげで多分喋れるけど。

 

「俺も通訳を介して喋ったんだよ。拘置所で、アクリルガラス越しだけどな」

 

つーかあの槍女逮捕されてたのか。いつの間に。

 

「まぁいいわ。……けど、ヴァルキュリアは同じ組織のはずのヒュドラのことをよく話してくれたわね」

 

「どうやらヒュドラとヴァルキュリアの一族は過去に因縁があるみたいだ。ヴァルキュリアにとってもヒュドラが倒されるのは気分が良いらしい」

 

ということは、Nと一口に言っても一枚岩ではないってことか。それも、倒されるのは構わないどころかそれを望むところって言ってしまえる辺り、それほど統率の取れた組織ではないか、Nの中でも派閥が出来ているのかもな。

 

「なるほどね。私もヴァルキュリアから聞きたいことができたわ。今度会いに行く」

 

「通訳は金さえ払えば何でも言うこと聞くぞ。それなりに割安だし」

 

「要らないわよ通訳なんて。コミュニケーションはね、パッションなのよ。情熱があれば言語なんて越えられるわ。」

 

ちなみに本当は言語理解でどうとでもなる。本当、言語理解は便利だ。ただ俺自身にクトゥルー神話の言葉の知識が一切無いからコチラから話しかけるのは難しいかな。ま、どうにかなるか。最悪思念伝達で無理矢理会話できるかもだし。

 

そして、俺の言葉を聞いた全員がシラケた顔をしている。「何言ってんのコイツ」って顔だ。怖……ユエまで冷たい目で見てくるし。

 

「で、ユエ。本当はどうするつもりなの?」

 

と、アリアは俺を無視して俺の脚の間に挟まっているユエに訊ねる。俺への信用が欠片も無い。

 

「……んっ、魔法の力で」

 

ユエは俺を見上げながらそう答える。んーユエさんや、その冷たい目で見上げられるのは堪えるから止めておくれ。

 

「そ、やっぱりね。て言うか天人、アンタ変なネタ挟むんじゃないわよ」

 

アリアは俺の頭を小突きながら呆れた声で文句を垂れる。おい止めろ、これ以上俺の頭がお馬鹿になったらどうしてくれるんだ。

 

俺はアリアの拳骨を振り払いながら自分のなけなしの脳細胞を守る姿勢に入る。それを見たアリアはそれはそれは深ぁい溜息を付いてようやく俺の脳細胞を死滅するのを止めてくれた。

 

「とにかく、そのヴァルキュリアって奴に会いに行ってくる」

 

と、俺がそう宣言して今日の緊急会議はお開きとなった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺は今、ユエと共に都内にある東京拘置支所へ来ていた。もちろん宣言通りヴァルキュリアから情報を得るためだ。ちなみに男の姿に戻してもらった。ユエはやや不服そうだったのがそれはそれでショックだ。そりゃあシアの面は可愛いし俺の普段の面がそれほど良いとは思っていないが、恋人にもそういう扱いを受けるのは心にクるものがある。

 

っていうのを正直に伝えたら……

 

「……違う。女の子の姿になって周りにバレないかビクビクしてる天人が可愛かっただけ」

 

って言われたのでそれはそれで拘置所の床に這いつくばりそうになったよね。

 

んで、どうやら何とか神話の言葉を話すらしいヴァルキュリアの通訳を武偵庁が見つけてきたらしいが個人的にそいつはどうでも良いので呼んではいない。つーか神話の言葉を知ってる女子高生って何者?むしろ怪しさしかないが。つかなんでアメリカの作家が作った小説で出てくる仮想の言語をヴァルキュリアは使うんだよ。意味分からんわ。

 

そんなわけで逃走防止のためにやたらと複雑な作りをしている拘置所の中をユエと2人仲良く手を繋ぎながら歩いていき、特等拘置フロアに辿り着く。そして拘置フロアを進み、ヴァルキュリアの独房へと辿り着いたのだが……

 

「あんだこれ……」

 

鉄柵と有孔アクリルの外檻はいいとして、なんか(まじな)いの言葉がびっしり彫られた立方体の中檻まであるぞ。それ意味あんの?

 

『何をしに来た』

 

と、俺とユエが用意されていたパイプ椅子に腰掛けると同時に体育座りで虚空を見ていたヴァルキュリアが俺を睨む。その独房にはコップに入れられた清潔な水や暇潰し用のパズル──ただ、それで遊んでいた様子は無い──等が置かれていて、比較的環境や待遇は良さそうに思えた。

 

服も、鎧こそ纏ってはいないけど一応前に見た時に鎧の下に着ていたようなものを身につけている。しかし頭から生えた羽がヴァルキュリアを人ではない別の存在だということを強調していた。

 

『話聴きに来たんだよ』

 

『……私の言葉を通訳無しでも分かるのか。まぁいい……。ヒュドラのことなら遠山キンジに話した。そちらから聞けば良いだろう』

 

と、ヴァルキュリアはにべも無い。ま、俺が聴きに来たのはヒュドラのことだけじゃねぇんだけどな。

 

『魔法の力でな。……んで、ヒュドラのこたぁお前も大して知らねぇんだろ?そこまでは聴いてるよ。だから俺が聴きてぇのはそっちじゃない。ヴァルキュリア、お前にとってネモはどんな存在だ?』

 

俺が聞きたいのはこっち。キンジからは、コイツはヒュドラのことをそこまで詳しくは知らないというところまでは聞き及んでいた。だから俺が知りたい"ヒュドラは自分の子機で遠隔操作した人間に危害を加えられるのかどうか"という部分についても知らないと思われる。一応最後には聞いておくつもりだが、良い答えは期待していない。

 

『ネモ様は私にとって尊敬する人物であり我らの為に戦ってくれている人物だ。当然私もネモ様の槍となり敵を殺すことに躊躇いは無い』

 

『そりゃ結構。んじゃあ、教授とネモ、もしこの2人が敵対したらどっちを選ぶ?』

 

俺の中にあった疑問。Nは中世か下手したらそれ以前の世界にこの世界の文化レベルを戻そうとしている。そしてネモはその世界でこのヴァルキュリアやグランデュカ、果ては自分の様な魔女が差別にあったり排斥されることのない世界を作ろうとしている。が、別に時代を遡ったからってそういう奴らへの意識が変わるのかと言われればそうでもないだろう。だからきっとモリアーティ教授とネモの目的は同じではない。ただネモの理想の世界を作る上でモリアーティ教授のやりたいことが都合が良いというだけの可能性。

 

そして、このヴァルキュリアやグランデュカは態々世界の時代を巻き戻すことにそれほど積極的とは思えない。グランデュカなんかは時代云々よりも自分らのような存在が人間に否定されずに崇められるような世界であればそれで良さげだったした。

 

だからこれは確認なのだ。Nの中で考えが2分されていることの。そしてヒュドラと仲の悪そうなヴァルキュリア──ネモに付き従っていた奴──がネモの側の考えであることの。そして奴の口から出た答えは───

 

『仮に、という話であれば私はネモ様の味方だ。もっとも、そうなることなど有り得ないだろうがな』

 

というものだった。そして、これで俺の方針も確実なものになった。この潜入作戦、俺はヒュドラを逮捕する。確実にな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺達はまた急にキンジからバスカービルの部屋に呼び出された。何やら急を要するお話があるとのことでユエと共に伺ったのだが───

 

「実は、ミザリーが俺のことを好きらしい」

 

なんて大胆な告白をされた。

 

「アンタは少しでも男の姿になると女の心に忍び込むんだから」

 

と言うアリアの弁の瞬間、ユエが凄まじい勢いで俺を見上げてきた。そのジト目の湿度に俺は思わず顔を逸らす。ユエさん……わたくしをそんな目で見ないでください……。本当に……本当にワザとじゃないんです……。ただ気付いたらそうなっていたんです……。

 

という俺達の無言のやり取りは完全にスルーしているバスカービルの面々。もはやこちらを見ようともしていない。悲しいかな相手にすることすら時間の無駄だと思わせているようだ。何も間違っていないあたりが最も悲しい。

 

んで、俺とユエが静かな闘争を繰り広げている間に向こう(バスカービル)の会議は進んでいたらしい。

 

「───おいいいいアリアぁぁぁぁ!!何サラッとバラしてんだお前ぇぇぇ!!」

 

と、キンジの絶叫が五月蝿い。どうやらアリアもHSSの秘密を知っていて、それをこの場の全員に共有したようだ。ただ、それ(HSS)を知らなかったのはこの場では星伽だけらしい。1人だけテンパっていた。つーか、レキも知ってたんだな、キンジのそれ。

 

で、今度は今すぐキンジをHSSにさせてこの状況の打開策を考えさせるからってんで女子連中が暴れ回っている。……面倒クセェ、やっちまうか。

 

「ハイハイ皆さん、一旦ストップですよー」

 

と、天ちゃんモードのままの俺は手を叩いてバスカービルの暴走女子共をこちらに向かせる。

 

「……()()、私がやります。勿論、魔法でやるので変な誤解はしないように」

 

と言えば理子が「えー!?ヤダヤダヤダぁ!」なんて駄々をこねるし星伽は俺を殺しそうな目線で睨んでくる。アリアも何故かガン飛ばしてくるしレキは無表情のまま俺を睨むから怖い。ユエはユエはでそれを見て「やれやれだぜ」みたいな雰囲気を出しつう肩を竦めている。けれど助け舟は出してくれないみたいだ。

 

ただまぁ、キンジ的には1度俺のやり方で()()()いるし、女子に密着されてなるよりはマシってんでホッとした顔をしているけどね。

 

俺は今だヤダヤダとジタバタ暴れている理子の鳩尾に氷柱(ひょうちゅう)を叩き込んで黙らせながら宝物庫からアーティファクトを取り出す。そしてそれをキンジの目の前にぶら下げながら魔力を込めれば───

 

「───うん、大丈夫だ」

 

キンジの様子が変わる。その雰囲気の変化に全員が()()()ことを認識する。

 

「なれたみたいね」

 

と、アリアが問えばキンジはキザったらしくウインクで返すので天ちゃんが早く仕事の話に戻れと睨めば仕方なしに話を続けはじめた。

 

「そうだね、まずヒュドラを炙り出すには幾つかの情報が必要だから、それを確認していこうか」

 

と、常人の30倍の頭の良さを発揮するキンジの推理が始まった───

 

 



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ヒュドラとの対決

 

 

結論から言えば、ヒュドラはこの学院の生徒を人質にすることはないだろうとのことだった。理由は簡単、キンジを強襲できる程度には俺達を把握しているのに人質を使って俺達を追い出さなかったから。だから子機に攻撃性能は無いというのがキンジの結論。

 

そして、アニエスに巣食っている理由はこの学院の生徒から少しずつ魔力を吸い取って自分の栄養にしているから。どうやら負傷を癒すためにそれが必要らしい。しかも、これは星伽情報だが、一般人であっても女性の9人に1人は多少の力を無自覚に持っているらしい。勿論、訓練も自覚もしていないからそれが表に何らかの形で現れることはないらしいが。

 

ヒュドラが子機を操って魔力をちびちびと集めていることは、星伽が持っていたこの学院の失神者のリストで証明された。星伽がちょこちょこ探っていたこの学院内で僅かでも力を持つ者と失神者は一致。人数の割合もほぼ全体の9分の1。これが偶然で片付けられるハズはない。さらに、俺が見つけた、"ヒュドラは子機を使っている"という情報もこれを補強した。

 

「なるほどね。ならいっその事この御守り捨てちゃおうかしら」

 

と、俺はこの任務前に星伽から配られた御守り──軽い魔除けの効果があるらしい──を取り出した。

 

「……どういうこと?」

 

すると星伽が俺を睨む。相変わらずコイツは俺が嫌いだな。まぁ別にいいけど。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、真正面からの戦闘になればぶっちゃけ余裕なのよね。人質の心配さえ要らないのなら、だけど」

 

だから、と俺は話を続ける。

 

「多分私達……というか星伽や私とユエが餌にされてない理由ってこの御守りでしょう?ならこれを捨ててやれば1番魔力効率の良い私かユエをヒュドラは餌替わりにする。そして魔力を充分に吸い取れば子機を回収して出て行こうとするでしょう。そこで、アニエスを出て生徒を巻き込む心配が無くなったところで強襲逮捕するってことよ。居場所なら羅針盤で探せるしね」

 

もしくは、と俺は言葉を繋げた。

 

「餌をやるから出てきて決闘しろとでも申し入れてみる?その場合生徒に見られる心配は増えるけど」

 

「……そもそも、万全の状態にして勝てるの?」

 

「勝てるわ。むしろ、バスカービルには生徒を退かしてもらったら撤退してくれた方が助かるけどね。足でまといだし」

 

ヒュドラは恐らく人型をしていない。そんなまるでゲームから出てきたような魔物を相手にするのであれば俺とユエが2人だけでやった方がむしろ確実だ。何せこっちはリアルに異世界で魔物と戦いまくっていたんだからな。そういう手合いとの戦闘経験であれば俺達の右に出る奴はこの中にはいない。

 

「アンタねぇ!!」

 

と、アリアが俺を睨みながら立ち上がる。

 

「ま、万全の状態にするってのは冗談よ。勝つ自信はあるけどね、そこまでしてやる必要は無いわ」

 

それでも、と俺は続けた。

 

「バスカービルとクロメーテルちゃんには退いていてほしいのは本当よ?()()()()()()()()()()()()()()、ヒュドラはそもそも人間と同じ形をしていない可能性が高いのだから、そういう手合いとの戦闘経験で私とユエに勝る人がこの中にいて?」

 

コイツらがいくらジャンヌやブラド、ヒルダ達との戦闘経験があるからと言って、じゃあトータスの大迷宮に出てくるような魔物やリムルの世界にいた魔物みたいな相手と戦えるのかという話だ。弾薬切れを気にしなくていいのなら、バスカービルとキンジの戦力であればオルクスの表層程度は突破出来るかもしれない。だがそっから先は恐らく難しい。

 

けれども俺とユエはそんなモンスターとの戦闘経験が幾らでもあるのだ。ここは俺とユエが戦闘を担い、彼女達にはサポートに回ってもらうのがベターな選択肢だ。

 

「あぁでも、レキならこっち着いてきてもいいわね。向こうの攻撃範囲外からの狙撃なら出番があるかも」

 

レキの長距離狙撃(スナイプ)であれば必要になる場面があるかもしれない。だが拳銃士(サジット)クロメーテル(キンジ)やアリア、理子、炎の超能力と剣術で戦う星伽は正直いない方が足でまといが減るだろう。

 

「まぁ、誰が戦うかは置いておいて、まずはどうやってヒュドラを引き摺り出すかを考えよう」

 

と、ヒスっているキンジがアリア達を庇うように話題を変える。ま、確かにここで言い争いをしているよりもまずはそっちを解決しなきゃだな。

 

そして、キンジの見立てではヒュドラの子機は液体状の生き物のようだ。理由はまず水の中や雨が降っている野外を移動できたこと、そして()()()()から、らしい。

 

んで、その実物は花井さんと花村さんの部屋。どうやら彼女達がクラゲだと思って拾った生き物がヒュドラの一部だったらしい。……うん、羅針盤で確かめてもコレはやはりヒュドラだ。つか俺が最初に探そうとしたヒュドラがまずコレだし。

 

そして彼女らの部屋に押し入り、それをアリアが30万円で買い取って、俺達は翌日からヒュドラ探しを行うことになった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

隠れたヒュドラを探すのは実際のところかなり簡単だった。俺とユエは羅針盤で探せばスグだしバスカービルも星伽のリストにある人物を片っ端から当たっていけばいい。

 

そしてその子達にの服に付いているシミに御守りを近付ければゼリーみたいなヒュドラの子機が染み出してくるからそれをハンカチや何かでぬぐってやればいい。

 

そうして集めていくうちにコイツらはある一定の方向に向かって移動しようとする習性があることが見て取れた。まぁ、1番大きい本体が何処にいるかも羅針盤で割れているからあまり関係無いのだが。

 

だが、ある時を境に急にヒュドラの子機が消えたのだ。前日に羅針盤で探した数と拾った数が合わないから夜のうちに子機が本体の方に逃げ帰ったのだと分かった。もっとも、それならそれで兵糧攻め(スターブアウト)に持ち込めたので特に悪い状況ではない。

 

「んで、こっからどうすんのよ?もう戦うの?」

 

と、俺がキンジに問う。すると───

 

「いや、まだだ。お前らはともかく俺達はヒュドラに不意打ちされたら相当な被害になる。……お前、確かヴァルキュリアとも会話できるんだよな?」

 

「えぇまぁ」

 

「ならちょっと言葉を教えてほしい。内容は───」

 

 

 

───────────────

 

 

 

『お前は俺達がいることを知っているんだろう?コチラもお前がいることを知っている。無益な戦いはする必要が無いと考えている。条件を出せば検討する。投降か、このまま飢えるかを選べ。コチラが交渉に応じる期限は最初の放送から72時間だ』

 

という内容を俺がカタカナで書き出し、それをインストルメンタルの民族音楽に乗せる形でレキが歌い、録音したものをクロメーテルちゃんが権力の濫用で、いつもはジャズやクラシックを流している掃除の時間校内放送で代わりに放送した。

 

この時のレキの歌が上手いのなんの。マジでジャンヌに歌い方教えてやってくれねぇかな。カラオケで15点って初めて見たぞ。逆にどうすればその点数が出せるのやら。

 

そして、この校内放送の効果があったのか無かった、それは分からない。何せヒュドラからは72時間何もレスポンスが無かったからな。だが何も無かったということは奴は動く。俺に居場所を突き止められていることは向こうも承知済みだろうし、何より今は台風だ。それも関東地方直撃コースの大きいやつ。それが今日の夜から明日──金曜日──にかけてこの辺り一帯を襲うんだとテレビの天気予報が騒いでいた。

 

おかげで神奈川県一帯にも避難勧告が出された。そしてアニエス学院の地盤は良くない。そのため、生徒達には金曜日の16時までにホテルや実家などに避難するように指示が出された。下手したら学院から降りる山道も水没するかも、という話らしい。

 

そして俺達が装備を整えている時、キンジから聞いていた協力者──乙葉まりあ──が俺達の部屋を訪れた。どうにも、俺達宛にヒュドラからメッセージが届いたらしい。

 

『見ている者達へ。交渉は無い。17時に誇り高き決闘を』

 

という内容の英文モールスが電話口をタップする音で入ってきたということだ。それに俺は、ヒュドラって指あるんだな、とか、電話使えたんだ、とか益体もないことを思いついたがそれは隅に放っておく。指が無くても何か硬い──それこそボールペンでも──物を掴めれば携帯からモールス信号を送るくらいは可能だろうし、電話だって仲間内から渡されていて英文モールスだけは教わっていたのかもしれない。

 

そして、強襲専門でもなく負傷も抱えているらしい乙葉まりあをキンジとバスカービルが追い出し、戦闘の準備を進めていく。

 

「さて、別に貴女達はそこまで気合い入れる必要ないのよ?戦闘は私とユエがやるんだから」

 

「ヒュドラってのは未知の敵なのよ?手札は大いに越したことはないでしょ」

 

「それに理子もスライム見たーい!天人だけそういうの見慣れてて狡い狡ーい!」

 

と、星伽とレキは無言だがアリアと理子はこの有様だ。まぁいい。ユエもいるのだからコイツらのフォローはどうにかなるだろ。ここじゃ聖痕は使えないがそれは向こうも同じこと。むしろリムルの世界やトータスの魔法が使える俺達の方が有利なんだし。

 

「じゃあ、一応やっとくわね」

 

と、俺は宝物庫からキンジをHSSにするアーティファクトを取り出してそれに魔力を注ぎながらキンジの眼前にかざす。そしてキンジの気配が変わって───外に人の気配!?しかもこれはっ!?

 

俺は即座にユエとアイコンタクト。ユエはそれだけで俺の意図が伝わったらしく重力魔法で奥の寝室の扉を開いた。

 

そして俺はキンジの首根っこを掴みそこに放り投げる。キンジもHSSとは言えまったく予知していなかった俺の行動に不意を突かれてそのまま投げ飛ばされる。そして再びの重力魔法で扉が閉じられると俺はそこが開かないように立ち塞がった。その瞬間、俺達が武装用に使っていたクロメーテルちゃんの部屋の扉が開かれた。

 

「あら、安達さん」

 

そこから現れたのは安達ミザリー。俺が真っ先に声を掛けたのはキンジにも安達ミザリーが部屋に来てしまったことを分からせるため。

 

しかし安達がここに来たのはクロメーテルちゃんの姿が完全下校時刻の16時を回っても見当たらないからだとか。電話も出ないし心配になって探しているところということだ。しかし面倒だな……今俺達は武装の確認途中で、部屋には実銃や実包が普通に置いてあるし当然それは安達ミザリーの視界にも入っている。これらの言い訳もしなくてはならない。

 

すると、俺の塞いだ扉の奥からコツコツと叩く音がする。キンジだ。……出せ、ということらしい。今はヒスっているし、無策じゃねぇだろうと俺は扉の前から退く。すると、そこから現れたのは男物の武偵高の防弾制服を纏ったクロメーテルちゃんだった。

 

そしてクロメーテルちゃんの説得が始まる。だが時間切れだ。17時を知らせるチャペルの鐘が鳴る。その瞬間にバツンと部屋の電気が全て消える。他の校内の電灯も一斉に消えている。これはヒュドラの仕業だろう。アイツの言っていた決闘が始まったのだ。仕方ない、安達ミザリーを退避させながら戦うしかないぞ。この薄暗くなった学院を舞台に。

 

 

 

───────────────

 

 

 

前衛(フロント)に俺とアリア、安達ミザリーの左右(ウイング)を星伽とクロメーテルちゃん(キンジ)後衛(テール)はユエと理子が務めレキは別行動(バックアップ)。そんな陣形で星伽はマグライトを、アリアや理子、クロメーテルちゃんは既に各々拳銃を抜いた状態で非常灯だけが緑色に光る薄暗い学院を進む。まずは正門に回した乙葉まりあの車に安達ミザリーを放り込む。ヒュドラとの本当の戦いはそれからだ。

 

できるだけ雨は避けて進もうというアリアの提案の元、俺達は理科棟から非常口へと踏み込み、無人の廊下を進む。そして───

 

「いるね」

 

「いるよ」

 

と、俺と星伽の声が重なる。廊下の曲がり角手前から気配がする。星伽もそれを感じ取ったようだ。

 

「複数……小さいけど力を感じるよ」

 

とのこと。だが引き返している暇はない。ここは突破する。どうせ抜き足(スニーキング)の出来ていない安達ミザリーの足音で俺達の位置は割れてるしな。

 

俺達はここで陣形を変える。ヒュドラとの戦いに備えて子機はキンジとアリアで行きたいということで2人が前衛、俺は1歩下がり菱形の陣形の前にキンジとアリアが立つ。そして、2人が曲がり角に突入すると、アリアの息を飲む声とキンジのお下品な舌打ちが聞こえる。そして俺もそこへ行くと───

 

「んー?」

 

そこにいたのは骸骨の人体模型。それがこの学院のそこらで飾られている剣と盾を持っておれたちを待ち構えていたのだ。そしてヒュドラは子機を関節に這わせてそれを筋肉代わりにしているようだ。……この程度で何がどうなるんだよ。

 

「退いてなさい」

 

と、この程度に一々驚いている2人にウンザリした俺はアリア達を退かすと、即座に氷の元素魔法を発動。骸骨の頭上から氷の槌を落として全身の骨をバラバラに砕く。そして纏雷を発動させてヒュドラの子機を殺しておく。

 

「何ボサっとしてるの?行くわよ」

 

この程度じゃ最早消耗の内にも入らない程度だった。だが───

 

「……うふふふふっ」

 

と、どこか神経を逆撫でするような女の笑い声がどこからともなく聞こえてくる。そういう大迷宮みたいな仕掛けは要らんて。

 

そして、俺達は大雨が降りしきる屋外へと出る。だが当然正門のこちら側にはヒュドラの本体が隠れている。正門の向こうには乙葉まりあのアルファードが停められていてハザードランプを点滅させているのも確認できた。

 

「……そこのアンタ、出てきなさいよ」

 

と、俺は林の端っこの木に向けて声を掛ける。そこには俺の気配感知でとある気配が引っ掛かっていたからだ。

 

「───うふふふふっ」

 

すると、さっきの理科棟で聞いたのと同じ声が雨音に混ざって響く。さてさて、何が出てくるのやら。そして、現れたのはアニエスの制服を着た

 

「……小城」

 

小城だった。だがコイツの魂はヒュドラのそれとは違う。ヒュドラのは()()()()()()()()()虫のような魂なのだ。

 

「アンタ、一体どういう存在なの?」

 

俺の興味本位の質問。それに小城は薄ら笑いを浮かべながら答えてくれる。

 

「小城とはこの国限りの名。最も古い名はアスキュレピョス。ヒュドラとは古に私達と双利共生の盟約を結んだのだ」

 

「へぇ。てことはアンタもNの一員なわけね」

 

俺は宝物庫から十文字に刃の付いた鎚矛(メイス)を取り出す。トータスでのエヒトとの戦いの折にシアに渡したのと同じようなアーティファクトだ。付与された魔法は纏雷に魔力の衝撃変換と空間魔法。俺の近接格闘武器のお決まりセットだ。

 

「ユエ、援護任せた」

 

「……んっ」

 

「……ふふっ……ふふふふふっ」

 

しかし、小城改めてアスキュレピョスはそれを見ても不敵に笑うだけ。

 

「そんな手品で何をするの?力を封じられた貴方に何ができるの?」

 

「アスキュレピョスだかヒュドラだか知らないけどね。アンタらこんな箱庭に引きこもってるから外の情報何も知らないんじゃない?……捻り潰してあげるからさっさとヒュドラも出てきなさいよ」

 

と、俺が挑発すれば、急に地面が泥濘(ぬかる)み始めた。そしてボコボコと地面が下から隆起し始める。……地中からヒュドラの本体がその姿を現し始めたのだ。

 

各々が隆起した地面を駆け下りていく中ユエは重力魔法でフワリと空中に浮き上がり俺も上へピョンと飛び上がるとそのまま空力で空中に留まる。

 

ようやくその姿を俺達の前に晒したヒュドラは体長が20メートルほど体高も5メートルはあるだろう巨体だった。なるほど、ヴァルキュリアがデカいと言っていただけはあるな。

 

そして、その水でできた体内にアスキュレピョスが吸い込まれ、その中でまるで玉座に腰かけるかのように座った……ように見える。

 

その時、どこからか弾丸が放たれたようでヒュドラの体表80センチ程を穿ちアスキュレピョスの額の手前で超音速に至ったその運動を停止した。そして、タァーン!と遠雷のような音が戦場に響いた。これはレキがドラグノフから放った7.62mm弾(ラシアン)だ。それと、今気付いたがいつの間にやら木の1本が無くなっている。まぁあれもヒュドラの擬態だったし吸収されたんだろうな。

 

「……だから?って感じ」

 

ウネウネと蛸やクモ、アメーバみたいに形を変えているがその程度。オルクス大迷宮の最後の敵に比べたら大きさも想定される攻撃手段も大したことはない。

 

俺が泥濘む地面に降り立った瞬間、背後から奴の触手のように伸ばした身体の一部が地面から這い出てくる気配。見やればそれは安達ミザリーを捕らえようとしていて───

 

「はぁ……」

 

それを俺は氷の元素魔法──絶対零度(アブソリュート・ゼロ)──で凍結、ダイヤモンドダストにして散らしておく。だが次の瞬間にはクロメーテルちゃんやバスカービルの面々の足元が隆起、彼女達を捕らえてしまおうとヒュドラが襲いかかる。

 

けれども俺にとってはその程度は物の数ではない。それらも全て絶対零度で凍結、粉砕して雨の中に銀氷が舞うだけに終わる。

 

「ユエ、削るから後よろしく」

 

「……んっ」

 

いつの間にやら沢山の頭と尻尾を備えて多頭の蛇───というか本当にあのオルクス大迷宮深層のヘビのような姿になったヒュドラに俺は溜息を1つ。泥濘んだ地面を踏み抜き、一気にヒュドラの眼前に接近。魔力を衝撃波に変換しつつの鎚矛を内側から外に向けて振り抜いた。

 

 

───ダッッッバァァァァァンンン!!!

 

 

と、一撃でその体積を大幅に削り取られ、沢山あった首も根元から吹き飛ばされたヒュドラ。メイスの1振りでアスキュレピョスを手の届く範囲まで露出させた俺はさらに1歩大きく踏み込んで小柄な女子高生の姿をしたソイツの腕を引っ掴み、自分の真後ろ目掛けて全身を回転させながら放り投げた。

 

「なっ───」

 

アスキュレピョスの顔が驚愕に染まっている。コイツ、マジでNの誰からも俺のこと聞いてねぇのかよ。

 

そして、俺が投げ飛ばしたアスキュレピョスはユエの重力魔法に捕らえられ、そのまま泥濘んだ地面へと叩き付けられた。

 

「……アスキュレピョス、お前を逮捕する」

 

ユエの取り出した対超能力者用の手錠がアスキュレピョスの両手首に嵌められたその時、ヒュドラの全身も水風船が破裂したかのように泥の地面へと炸裂した。俺は自分に降り注ぐそのゼリーのような肉体を魔力放射で逸らして義眼に込められた探査系の固有魔法で辺りを探す。すると俺の右眼にそれらしき反応があった。

 

それの傍まで行けばそこに蠢いていたのはミミズ程も無い小さな塊。これがきっと子機に命令を送っていた中心部。人間で言えば脳みそみたいなものなのだろう。

 

「星伽」

 

俺と同じくヒュドラの中枢部を探していた星伽にそれを投げ渡す。

 

「それはお前が持ってた方がいいだろ」

 

「う、うん……」

 

ヒュドラを受け取った星伽は手早く懐から御札を取り出してそれに巻き付けている。さてさてこれにて一件落着、かな?

 

 

 

───────────────

 

 

 

逮捕したアスキュレピョスは乙葉まりあがその身柄を持っていった……筈だったのだが何故かクロメーテルちゃん共々空から戻ってきた。意味が分からんけどどうやら乙葉まりあもNの一派らしく、アスキュレピョスだけは回収しようとしたらしい。んで、それを読んでいたクロメーテルちゃんとすったもんだあって帰ってきたようだ。

 

ちなみにアスキュレピョスは小城を仮の名前だとか言ってたが、名前だけでなくなんと顔面も借り物。誰かの真似をしたのかオリジナルで適当に作ったのかは知らないがユエに手錠を掛けられたところ顔が変形して別人になったのだ。だが魂に変化は無いことから超能力や魔法で入れ替わったのではなくそもそも別人の皮を被っていただけだと分かる。

 

結局ヒュドラもアスキュレピョスもその日の未明にやって来た東京武偵庁(ホンチョウ)の護送班に引き渡した。クロメーテルちゃん曰く、ヴァルキュリアを収監した奴ららしいから特に問題なく運べるだろう。ちなみにヒュドラは俺が錬成で作った鉄の箱の中に入れて星伽が御札でキチンと封をしたのでそう簡単には出てこられない。何て言うか、完全に小学生が道端で虫を見つけて適当な入れ物に放り込んで家に持ち帰るみたいな光景だよなぁ……と思ったが口には出さないでおいた。多分星伽に睨まれるからな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

アニエス学院での戦いから少ししたとある日の夜。いきなりキンジから電話が掛かってきた。ちなみに全身元の男の姿に戻っている。

 

「どした?」

 

「なぁ、お前らの魔法で人の記憶とかって読めるか?」

 

記憶……?再生魔法なら出来なくもなさそうだけどな。俺には適性がないからやるとしたらユエかティオだが……。

 

「んー、聞いてみる。犯人(ホシ)は今そこにいるのか?」

 

「あぁ、いるけど……気絶してる上に半分壊れちゃってんだよなぁ……尋問やり過ぎで……」

 

「あぁ……?何してんだよお前……」

 

と、この会話の間にユエに──傍にはいるけど同時進行したかったから念話で──魂魄魔法と再生魔法で人の記憶を読み取れるか確認している。

 

「……あぁ、意識あればいけるってよ。意識は……まぁどうにでもなる。ん、やるよ。……でもお前、金あんの?」

 

キンジは万年金欠だからな。超能力捜査系の武偵は相場も高い。お友達価格でもいいんだが、あんまりそれやると相場破壊だなんだとこっちが上から怒られるのだ。実際、正義の味方をやってた時期のカナもそれで文句を言われることが多かったらしいし。

 

「俺の連れ……お前に隠しても仕方ないから言うけど伊藤マキリが共同依頼者だ。金はそっちと交渉してくれ」

 

「お前マジか……。まぁいいよ、俺とユエなら最悪どうにでもなるし」

 

今更伊藤マキリとつるんでるのかアイツ……。まぁ俺とユエならどうにかされるわけもないから大丈夫か。

 

「助かる」

 

と、俺はそこで電話を切る。ユエに合図してお出掛けの支度だ。もうすぐリサの夕飯が食べられそうだったのになぁ。まぁ仕方ないか。

 

「悪いリサ、ちょっと急な仕事だ。多分今日中に帰れると思う。ユエも一緒だ」

 

「承知致しました、ご主人様。お夕飯はどうされますか?」

 

「なるべくリサのが食べたい。途中で食うにしても少しにするから置いといてくれ」

 

「分かりました。それでは直ぐに温め直せるようにしておきますね」

 

「悪い。……ユエも、急で悪いけど頼む」

 

「……んっ、仕方ない」

 

と、夕飯を目前にした依頼にユエも仕方なしといった雰囲気で立ち上がった。するとキンジから今の場所がメールで送られてくる。……新宿と新大久保の間ってところか。ささっと終わらせてリサの作った夕飯を食べたいね。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「うわっ……」

 

キンジに連れられて廃ビル──正確には取り壊す金が無くて放置されてるゾンビビル──の階段を上がると本当にいやがったよ国際テロ組織の一員こと伊藤マキリが。

 

俺は伊藤マキリを見て思わずそんな言葉が口を出た。向こうも俺のこと睨んでるし。

 

「……貴方、尋問なんて出来るの?」

 

「正確には俺じゃなくてこっちがやるんだよ」

 

と、俺の後ろをトコトコ着いてきたユエを前に出す。

 

「……んっ」

 

俺は当然、ユエも血塗ろの光景には慣れているから目の前でパイプ椅子に拘束され胸に穴を空けられて血を垂れ流している男を見ても何とも思わない。机の上には使用済みと思われる注射針もあるな……。こりゃあ自白剤を使われても口を割らなかったのか。てことはそういう訓練を受けていた奴ってことだ。……コイツ、マジで何を敵に回してんだよ。

 

俺だけでなくユエもその男に何の反応も示さなかったことで一応は認めたのか、伊藤マキリも「ふん」と鼻を鳴らした。

 

「……身体に穴ぁ空けられて……こっちは自白剤かな?……ユエ、コイツぁ暴力じゃ口割らねぇタイプみたいだ」

 

「……神言使う?」

 

「そうだな。お客さんの知りたいことにも寄るけど……」

 

そもそも何を喋らせればいいんだ?という風に伊藤マキリを見れば、彼女は手に持っていた写真をコチラに渡してきた。

 

「このネガの大柄な東洋人について。で、あなた達はどんな手段で聞き出すつもり?」

 

「ネガの男の情報……やっぱ神言だな。……けどその前にルールを決めようか。まず金だ。質問1つにつき500万円」

 

「……2400万円ならあるわね」

 

と、伊藤マキリが男の傍にあった机の下からトランクを引っ張り出し、中身をぶちまけるとそこには札束が幾つもあった。なるほど、言った通りの額はありそうだな。

 

「なら質問はえっと……」

 

「4つだな」

 

俺が頭の中で計算していると直ぐにキンジから横槍。……ゴメンなさいね計算遅くて。

 

「おう、4つだな。んで2つ目、こっちが幾つかの回答をしなけりゃいけない質問はこっちの好きなタイミングで切る。続きが知りたきゃ質問1回分と同額を払え」

 

「分かったわ。けど───」

 

「問題無い。やりようはある」

 

伊藤マキリの言いたいことは分かっているので被せるように俺は言葉を発した。

 

「……もし嘘を付いていたと判断したら殺すわね」

 

「やってみろ」

 

戦闘になれば俺達の勝ちだ。ま、態々嘘を付く気も無いけどね。

 

「ユエ、頼む」

 

「……んっ」

 

と、ユエが椅子に拘束されている男に手を翳せば男の身体が光り、胸に空いた傷が無くなっていく。再生魔法による時間の逆行により負傷そのものが無かったことになっているのだ。そして当然俺の目には見えないが体内の自白剤も無くなっていることだろう。

 

「うぅ……」

 

すると、男が目を覚ました。辺りを見渡し、キンジや俺、ユエの存在に首を傾げたが直ぐに伊藤マキリが視界に入ったようでビクリと身体を震わせた。それほどに恐怖を刻み込まれてなお重要なことは吐かなかったコイツも中々良い根性してるぜ。

 

「……質問は?」

 

「このネガに写っている中で最も大柄な東洋人の名前は?」

 

そう言って伊藤マキリは俺達の足元に5つの札束を投げ置いた。俺はそれを見てビット兵器を宝物庫から召喚。これ自体は前に伊藤マキリにも見せたが仕込まれた機能そのものはまだだ。

 

ビット兵器から飛び出したのは空間魔法が付与されたワイヤー。それが4機のビット兵器をそれぞれ繋ぎ、空間魔法により伊藤マキリとキンジを俺達から隔絶させた。こうなると空気の振動も伝わらないから音も聞こえなくなる。さらに俺は伊藤マキリの角度から男の口が見えないような位置に立つ。読唇されたら意味無いしな。空間魔法と言えど光は透過するみたいだし。

 

「……ユエの名において命ずる。私の質問に嘘偽り隠し事無く正直に答えて」

 

そして放たれたユエの神言。魂に働きかけるその魔法は如何に拷問と自白剤に対する訓練を積んだ者であっても抗いようが無い。特に今のユエの神言には、俺すらも究極能力無しでは太刀打ち出来ないほどに強烈なものになっているのだ。魂魄魔法により魂を知覚していた俺でさえエヒトの神言にも苦労したのだから、それの無い彼では一瞬すらも抗うことはできなかった。

 

「……このネガの中で1番大柄な東洋人の名前は何?」

 

ユエが伊藤マキリの質問を繰り返す。すると、縛られた男はポツリと言葉を発した。

 

「……オルゴ。サイレント・オルゴ」

 

本名、ではないだろう。だがコイツはこのネガの男をそう呼び、またそのように呼ばれていることしか知らないようだ。そして、その言葉を聞いたきの肩が震えた。どうやら聞き覚えのある言葉らしい。しかも否定しないところを見るとどうやら今の質問はコイツの正体を確定させるためのものだったみたいだ。

 

俺がビット兵器の空間遮断結界を解くと、ユエが今の男の言葉を伝える。

 

「……この男の名前はサイレント・オルゴ」

 

「そう……。彼は……サイレント・オルゴは今どこにいるの?」

 

伊藤マキリが俺の足元に札束を更に5つ投げながらその質問をした瞬間に、俺はまたビット兵器の空間遮断結界を展開し2人を空間レベルで断絶。それを見たユエはまた男に振り返る。

 

「……サイレント・オルゴは今どこにいる?」

 

ユエのその質問に、しかしその男は今度は明瞭な答えを返せないでいた。ただ「アメリカ……水……」と呟くだけ。そしてユエは

 

「……そこはどこ?どんなイメージの場所?ユエの名において命ずる。───答えて」

 

と、さらに神言を重ねていく。それが男の魂を蝕み、奴の脳みそからイメージを絞り出していく。

 

「水……大きな……水……」

 

だが男の言葉はそれ以上先へは進まない。多分コイツも正確なところは知らないんだ。ユエもそれが分かったらしく溜息を付いて俺を振り返った。それを受けて俺もビット兵器の空間遮断結界を解く。この質問なら羅針盤を使えば1発なのだが当然俺はそれを言わない。キンジも、俺とNの関係は何となく把握しているから下手に俺の情報が伝わらないように黙ってくれている。特に、俺と伊藤マキリは敵対する可能性は割と高いからな。

 

「……国はアメリカ。ただ詳しいことはコイツも知らない。……ただ、大きな水があるみたい」

 

「そう……サイレント・オルゴは今、何をしているの?」

 

伊藤マキリの3つ目の質問。

 

「その質問はこっちが幾つも回答をする必要がある質問だ。……職業(ジョブ)任務(タスク)行動(アクション)とかな。コイツから聞いた情報はこっちの好きなタイミングで切らせてもらう」

 

「いいわ」

 

と、伊藤マキリは俺の足元にさらに5つの札束。これで合計15の束が俺の足元に転がっていることになる。……段々足の踏み場が無くなってきたな、これ。

 

そして相も変わらず空間遮断結界を展開。ユエが男の方へ振り向き、伊藤マキリからの質問を神言に乗せて男へ語り掛ける。そしてその内容は……

 

「……これ」

 

「これぁ俺から話すよ。……ありがとな、ユエ」

 

「……んっ」

 

今この男がユエの神言に従い話した内容は俺から伊藤マキリに話した方がいいだろう。主に報酬の面で、だけどな。そして俺は空間の断絶を解き、伊藤マキリとキンジ、俺達のいる空間の隔たりを無くした。

 

「……さて、これは俺から言わせてもらうよ。……サイレント・オルゴの職業はコイツも知らねぇ。ただどうにもコイツは自分が極東で諜報した情報の一部をサイレント・オルゴに流していたみてぇだ。最近だと米軍の対テロリスト作戦の失敗、とかな。んで、今のオルゴの動きだけど、やっぱりコイツは知らねぇ。どうにもコイツは情報を流すだけで向こうからのコンタクトは無いっぽい。しかもオルゴにゃ会ったこともないってよ」

 

と、俺は毒にも薬にもならないような答えを並べる。勿論嘘は言っていないし真実を隠してもいない。俺は本当にこの男から語られたことだ。それもユエの神言でキチンと真実を語るように言われているからな、これはコイツが知る全てなのだ。

 

「そして、今のサイレント・オルゴの任務だけど、その情報を元にして()()()()()()()()()()ことらしいぜ」

 

「───暗殺!?」

 

と、そこでキンジが声を上げた。だが俺もユエもそれ以上何も言わない。静寂が廃ビルを包む。男はユエの神言により黙らされているからな。うんともすんとも言わない、まるで置物のようだった。

 

「……そこで回答を切るのね。貴方、暗算は出来ない割に頭が回るのね。商売上手だわ」

 

と嫌味──但し俺には返す言葉が無い──を言って伊藤マキリは俺の足元に500万円を投げ捨てた。

 

「お褒めに預かり光栄ですよ」

 

と、俺は芝居掛かった風に肩を竦めて言葉を続ける。

 

「ターゲットはネモ。国際テロ組織『ノーチラス』の重鎮にしてお前の上司、ネモ・リンカルン。フランス国籍で15歳の女……これ以上いるか?」

 

ちなみに本当にコイツの言っている奴が"あの"ネモかどうかは羅針盤でも確かめた。そしてやはり俺の知るネモであろうことだけが分かった。

 

「いいえ、充分よ」

 

伊藤マキリはそれだけを俺に返し、どこか心ここに在らずといった雰囲気を醸し出している。ま、自分の上司が暗殺の標的(ターゲット)にされてるって言われたらこうもなるのかな。

 

「そうけ。んじゃ───」

 

さよならだ、と帰ろうとした瞬間だった。

 

「待てよ」

 

キンジだ。何やら拳を握りしめて俺達を睨んでいる。

 

「んー?」

 

「本当なのか?父さ……サイレント・オルゴがネモを……人を殺そうとしているって……」

 

……今の言いかけた言葉で分かった。なるほど、サイレント・オルゴはキンジの父親だったのか。コイツの父親はずっと前に亡くなっていると聞いていたが、実は生きていて、伊藤マキリの持っていたネガが唯一の手掛かりだったのかもな。

 

「……真実はどうあれ、この男はそうと記憶している」

 

ユエが再生魔法を掛けて再び彼の肉体の時間を巻き戻していく。つまりは俺達のことをまだ記憶していない瞬間までだ。

 

「ネモには俺から伝えておくよ」

 

一応友達ってことになってるからな。友人が命を狙われているのなら伝えてやらないと。それに、ここでネモに死なれたら俺の欲しい世界が遠のいてしまうしな。

 

ユエの言葉の冷たさに押し黙ってしまったキンジを置いて俺達は伊藤マキリから投げ渡された金を拾う。袋に入れるのも面倒な量なのでユエが纏めて自分の宝物庫へと放り込んだ。そして俺達は夜の新宿へと溶けていった。リサの作ってくれた飯を食べに家へと帰るため───

 

 



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恋バナ

 

 

あれからしばらく経ったある日、ネモからとあるメールが届いた。

 

俺とネモは今やメル友、と言うかそれ以上だろう。時間が合えば電話や……それこそスカイプ繋いでテレビ電話だってするからな。しかもユエ達……ミュウやレミアもそこに同席したりお互いの連絡先を交換したりもしていて俺の知らないやり取りも行われているらしい。ただそこでの会話は基本的に差し障りのない世間話、要はNだの何だのと言った血生臭い話は一切出てこない。それはミュウ達に気を使ってのことではなく、俺と駄弁る時もそうだしユエやシア、ティオとかと喋ってる時もそうらしい。勿論リサやジャンヌと話してる時もだ。

 

ま、そこら辺の話をし始めたらお互い拗れちゃうかもだからな。お互いそれは分かっているから暗黙の了解ってやつだ。

 

で、そんなネモから入ったメール。要は旅行のお誘い。最近ネモは向こうで色々頑張っていたらしく、その慰労も兼ねてバカンスをするんだとか。んで、俺達も来ないかというお話。場所は取り敢えずアメリカ。

 

それを聞いた俺の第一声は「なんでやねん」だった。何せ伊藤マキリからの依頼で得られた情報はネモにも伝えてある。なのに態々自分の命を狙っているらしいサイレント・オルゴ(暗殺者)のいるらしいアメリカへ向かうのか……。と思って問いただしたら、それ如きで日程を変えたくないとか、お前らがいるなら大丈夫だろう?とかそんなお返事をいただいてしまう。無料(ロハ)じゃそんな物騒な奴から護衛なんてやってらんねぇぞと返したのだが、ネモからは旅費は全額出すとか言われてしまった。

 

確かに俺達はこの間の臨時収入(2000万円)があるし金銭的には余裕がある。会社の方も業績良いし、これはまだ皮算用なのだが、今後の発展のための見通しも実はあるにはあるのだ。なのでこのお誘いは折角だから受けようと思う。それに最近、あんまりミュウのことも構ってやれてなかったからな。まさかいきなり小さい子供を狙うとは思えないし。

 

「───と言うわけでネモお姉ちゃんから旅行のお誘いなんだけど……行く?」

 

皆揃っての夕飯時にそんなお話を切り出す。ネモに暗殺者が差し向けられていることはトータス組とジャンヌには裏で伝えてある。ただ、それを知らないミュウは当然直ぐに「行きたいの!」と元気よくお返事。ちょっとの間近所の友達とも会えないけどと伝えても「でも帰ってきたらお友達には会えるの」とのこと。

 

他の皆もネモのことは知っているし割と皆ネモとは仲が良い。特に誰も反対することなくアメリカ行きが決まった。ま、暗殺以外にも懸念事項が無いではないのだが……。

 

『で、どう思う?』

 

と言うわけで俺はジーサードにメールを入れてある。懸念事項とは単純に俺とユエとシアがアメリカに入国できるのか、という一点に尽きる。何せ俺達はアメリカ国籍でもない上にエリア51でだいぶ暴れてしまったからな。当局からは俺達の戦闘記録を他の国にも横流しされてるって話だったし。だが俺の心配を他所にジーサードからの答えは

 

『また暴れなきゃ大丈夫だろ。この前兄貴が入国した時はかなり緩かったし』

 

とのこと。どうやら偽装パスポートとか作らなくても大丈夫そうで助かった。あんなもん用意してたら俺達だけ入国遅くなっちゃうよ。ジャンヌだって手間だろうし理子にはまた金積まなきゃいけなくなるし。暗殺者と戦う可能性がそれなりに考えられる以上は、ドンパチに備えて越境鍵での密入国は控えたいし。

 

「と言うわけで入国の心配は無さそうだな」

 

「どこかに行く度に騒ぎになるのはどの世界でも変わらないのじゃな……」

 

ジーサードからの返信を皆に伝えればティオからはこの評価。当事者のユエとシアはさすがに何も言わないがミュウは心配そうな顔で「パパ何か悪いことしたの?」なんて小首を傾げている。

 

「あぁ……まぁちょっと喧嘩しただけだよ。今はこっちも向こうも怒ってないから」

 

と、ミュウには悪いけど嘘とも本当とも言えないグレーゾーンで御為倒しさせてもらう。アメリカの空軍とドンパチやらかしましたなんて言えるわけないし、言ってもよく分からんだろうからな。だいたい、あれだってジーサードからの仕事の依頼なんだから俺達のことは大目に見てくれて当然だろう。

 

という俺の腹積もりはリサやジャンヌ、レミアにもバレバレみたいで皆から一斉に、それはそれは盛大な溜息を付かれた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「んー!アメリカ!なの!!」

 

と、空港から1歩外へ出たミュウが日本語でそう口にする。俺とユエとシアは2度目、他は皆初めてのアメリカ合衆国。ミュウやレミア、ティオはこっちに来てから初めて日本以外の国に足を踏み入れることになる。

 

「日本とは何もかもが違いますね」

 

「何と言うか、何もかもが大きいのじゃ」

 

とはレミアとティオの談。確かに日本と比べれば色々サイズは大きいかもなぁ。

 

「長旅お疲れ」

 

と、俺がミュウを抱き上げた辺りでネモが迎えにやってきた。傍には長い金髪のとびきり美人な女と、あと背は低いが出る所は出ているのが服の上からでも分かる女の子が2人。顔が似ているから双子なのだろうか。

 

「おう。……そちらは?」

 

俺の義眼には2人とも人間とは違う魂を持っているように写っている。もっともその魂はエヒトの野郎のように薄汚れたそれではないから、悪い奴でもないんだろうけど。

 

「あぁ、紹介が遅れた。こちらエンディミラ。私の補佐であり我々の中では文官だよ」

 

と、ネモが示したのは金髪でスタイル抜群の美人。コチラも服の上からでも分かるほど大きなものをお持ちで、多分リサくらいはある。

 

「私の名はエンディミラ。エンディミラ・ディーこちらはテテティ、もう1人がレテティ。訳あって言葉は話せないがコチラが何を言っているかは雰囲気で察することができる」

 

失語症なのか俺達の使う言語を理解していないのかは分からないがどうやら2人は喋れないらしい。ただ、エンディミラの言葉にコクコクと頷いている辺り、どちらかと言えば失語症の可能性が高そうだ。

 

「彼女達は私のボディーガードだよ。勿論、ここに来るまでの、だけど」

 

確かに、歩き方や立ち振る舞いを見ても彼女達の戦闘力はそう高くはなさそうだった。特に背の高い金髪の美人の方。茶髪の背の低い奴らは多少の近接戦闘ならできそうだったが、少なくとも俺やシアのように腕力勝負に強いわけじゃないだろう。もっとも、超能力的な力が強いという可能性はあるからそれだけでコイツらが弱いと断ずる気もないが。

 

「偉いと色々大変なんだなぁ……」

 

と、俺はいつもと違って普通の服を着ているネモを見下ろす。テレビ電話で話す時も、ネモはどこで電話しているのか分からないようにしていたし、背景が分かる時も何処かのホテルだと言うのが一目で分かるような場所でしか繋いでいなかった。だからか服もいつもあの古臭い軍服ばかりで、今みたいな普通の15の女の子が着るような服を着ている姿は新鮮だった。

 

「というわけだ。これからは頼んだぞ?」

 

と、ネモは背伸びをしながら俺の肩に乗っているミュウと手の平をパチリと合わせる。まったく、他人事みたいに言ってるけど狙われてんのお前なんだぞ。

 

ちなみに今回の旅行ではシアがネモに付きっきりになる予定だ。シアの未来視で死が読めるのは自分の分だけ、つまり他人の死は予知できないのだが、くっ付いていれば場合によっては巻き添え食らう場面が視えるかもしれない。あとは俺とユエとティオでローテーションしながら近くにいれば神水や再生魔法に魂魄魔法も使える。最悪殺されても誰か近くにいればその場で蘇生させることが可能だからな。

 

「……ったく。そっちのアンタからも何か言ってやってくれよ」

 

と、俺はエンディミラと呼ばれていた女の方を見ればこっちも呆れ顔で

 

「私も上申はしたのだがな……」

 

どうやらそういうことらしい。ネモの奴め。どんだけアメリカが楽しみなんだ。

 

俺はいつの間にやらネモが女子連中に混ざってキャッキャと盛り上がりを見せているトークの音を聞きながら思わず溜息が零れるのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ホテルはこちらで手配した。先にそちらに荷物を預けてしまおう」

 

宝物庫のある俺とユエ、シアとティオはともかく、他の奴らはそれなりに大荷物だ。まぁ5泊のアメリカ旅行の予定なのだから普通はそれなりの荷物量になろう。その中でも海外慣れしているリサとジャンヌは荷物少ない方だけど、レミアとミュウのが結構多いのだ。

 

「そーだな」

 

と、これまたネモが手配したらしいタクシーに俺達は分乗。シアとネモ、レミアとミュウで1台。リサは俺とジャンヌとユエ。ティオはエンディミラ達と乗り合わせた。……その組み合わせになった時のティオの顔は中々傑作だったと思う。言ったら怒りそうだから言わないけど。

 

それぞれがタクシーに乗ったところで先頭のネモが乗っていたタクシーが動き始め、合わせてリサが行き先を告げる。一応全員にホテルの名前と住所は伝えてあるから他の奴らも「前のタクシーを追ってください」なんて下手なアクション映画滲みた戯言は言わないで済む。前のタクシーでは一応狙撃手も警戒してシアが助手席、ネモ達は後ろに乗っている。

 

「……しかし大丈夫なのか?」

 

「んー?まぁ、大丈夫だろ。キンジに聞いたけど、そう長くはないらしいし」

 

さすがにタクシーの中でモロに話すわけにもいかないのでボカしながらジャンヌと話す。

 

一応俺はキンジに連絡を取ってサイレント・オルゴの戦闘技術については聞き及んでいる。もっとも、遠山家の秘伝とかもあるから教わったのは遠距離狙撃をするタイプではない、ということくらいだ。まぁ、サイレント・オルゴがしなくても他にもエージェントがいるかもだからな。油断はできないけど。それに、一応は定期的に羅針盤でネモの命を狙うエージェントの位置は確認している。今のところこのアメリカで羅針盤が指し示す場所は1箇所だけだ。つまりそれはサイレント・オルゴ1人だけが実働部隊ということだ。……今のところは、な。

 

そうして俺達はネモの用意したホテルに着いた。そこはかとなく高そうなホテルで気後れしてしまいそうだ。俺はこういう高そうなのは苦手なんだよな。あんまり落ち着けないから。個人的にはもうちょい庶民的なホテルの方が助かる。

 

だがそれはあくまで俺の事情。女子連中はこの高そうなホテルの内装に目を白黒させたり輝かせていたり。リサも「モーイ!!」とお喜びの様子。ま、俺の好みよりこの子達が喜んでくれる方がこっちも楽しいから良いのかもな。

 

「……いいのか?高かったんじゃねぇの?」

 

だがそれはそれとして俺はネモに耳打ち。今回の旅費……往復の交通費とか宿泊費は全部ネモが出す約束になっている。サイレント・オルゴからコイツを守るっていうお仕事の報酬みたいなもんなんだが……これは必要経費であって報酬は別の形で貰いたいもんだね。

 

「問題無い。……Nはどこにでもいるものさ」

 

……へぇ、ってことはここはNの息の掛かったホテルってわけだ。もっとアングラな組織かと思ってたけどこういう所にも進出しているわけね。

 

と、俺達は各々キーを受け取りネモに連れられてエレベーターに乗り込む。そこら辺のサービスは断っているのか従業員が着いてくることはなくエンディミラがエレベーターを操作。上層へと俺達を連れて行く。

 

そして辿り着いたホテルの最上階。俺達は一旦2部屋に別れて部屋の確認も兼ねて各々の荷物を置きに行く。

 

渡されたカードキーで俺が部屋のドアを開けるとミュウがトテトテと中に入った。俺も扉の傍にあったスイッチで部屋の電気を入れるとそれで照明が灯った。

 

スイートルームって奴なのだろう。窓からは景色が一望できるのは上層階なので当然として、部屋の広さもミュウ含めて5人としてもかなり余裕がある。ぶっちゃけ今の俺達の人数だと今の家は若干手狭感が否めないのだが、ここはそれを感じさせない広さだった。

 

「ふむ……これは凄いのじゃ」

 

と、同室のティオも感嘆を漏らしている。ちなみに部屋分けは俺、レミアとミュウ、ティオとリサだ。んで、ユエとシア、ジャンヌが隣の部屋。ネモとエンディミラ達は更に隣らしい。なので一応ネモにはスイッチで起動するタイプの転移用アーティファクトの鍵を渡してある。扉用のアーティファクトはユエ達の部屋だ。こっちはレミアとミュウにリサまでいるからな。飛び込むならユエ達の部屋の方が安全だ。

 

「ふかふかなのー!」

 

と、部屋の内装を眺めているとミュウの声が聞こえてくる。それと同時にボブっという音もだ。

 

「あらあらミュウったら。お行儀が悪いわよ」

 

どうやら景色を眺めている間にミュウが高級ベッドにダイブをかましたらしい。分かるよ、俺もやりたいもんね。

 

「じゃあ俺ここー!」

 

と、やりたいことはやっておくべきなので俺もベッドにダイブ。ボブりという布が跳ね上がる音とスプリングが俺の体重を受けて軋むギシリという音が身体の下から鈍く響く。

 

「天人よ……」

 

「あなた……」

 

「ご主人様……」

 

ちなみにミュウ以外の女性陣からは大変冷たい視線を頂戴した。ただ、ミュウはそんなことは一切気にせずに「パパー!」と俺の背中に飛び乗り、またもやベッドのスプリングが軋む音が鳴り渡ったのである。

 

そしてミュウがモゾモゾと俺の首の上までやって来たので俺は力任せに立ち上がり、ミュウを再び肩車。部屋に入った時にここだけお行儀良く脱いだ靴──但し脱ぎ散らかしているので結果的にはお行儀悪い──をレミアが拾って履かせる。リサ達もそれぞれ荷物を置き、必要な物だけ取り出せたようなのでそろそろ集まろう。

 

「じゃあ行くかぁ」

 

「おー!なの!」

 

と、俺の肩の上で拳を高らかに掲げたミュウ。部屋のドアを潜る時だけちょっと姿勢を落としてミュウの頭が縁にぶつからないようにしつつ俺達は下のロビーへと向かうのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

アメリカのとある高級ホテルの一室。ベッドライトだけが灯された薄暗いその広々としたスイートルームの一角では上は20歳半ばくらいから下は中学生位までの女が膝を突き合わせていた。

 

「では、()()()を始めようか」

 

そう宣言したのは水色の髪の毛を湛えた愛らしい中学生くらいの少女。しかし今この場にいる女性陣の中で最も底意地の悪そうな笑みを浮かべていた。

 

「……んっ」

 

と、頷いたのは輝くような金色の髪をした美しい少女。神の被造物かと見紛う程の美貌を備えたその少女は水色の髪の少女──ネモ──の挑戦に、受けて立つとでも言いたげな表情をしていた。

 

今この場には神代天人はいない。1日アメリカを遊び回ったミュウが疲れ果てて寝てしまったので、レミアと一緒に自分の部屋に戻っているのだ。そして恐らくもう3人とも夢の中だろう。

 

そして今は彼を愛し、また彼に愛された女性達が一同に会して、恋バナを始めようとしていた。

 

「ふむ……。レミアはいないが……こうして揃うとよくもまぁここまで沢山の女と関係を持ったものだな」

 

と、ネモが呟く。今この場で天人と恋仲でないのは彼女と彼女の傍で不思議そうに全員を眺めているエンディミラだけだ。テテティとレテティも今は自分達の部屋で休んでいる。

 

「リサは……今更聞くほどのこともないか」

 

と、ネモが視線をリサにやると、リサはまるで恐縮ですとでも言いたげに身体を窄めた。

 

「……じゃあ私から?」

 

つい、とネモが次に視線をやったのはユエだった。この中でリサの次に天人と付き合いが長いのはジャンヌであったが恋仲となったのは1番後だったからか、まずは()()()()で1番天人と付き合いの長いユエに視線がいったのだ。

 

今この場で人と少し違う姿をした者達は誰も天人のアーティファクトで姿を誤魔化してはいない。テテティとレテティもそのお尻付近から生えている尻尾を晒してから部屋に戻ったし、エンディミラも今はエルフ特有の長い耳を隠すことなくこの場にいる。シアもそのウサミミを、ティオもエンディミラ程ではないがやや長く尖った耳を、レミアとミュウも休む前にネモ達に海人族特有の耳を見せていた。

 

そして、ネモ達はユエ達がトータスと呼ばれている別の世界から来たことを知っていた。これはお互いを見定める場でもあったのだ。世界を変えようと言う者と変わる世界を受け入れる者。変える世界に彼女達は相応しいのか、自分達の暮らす世界を変えるに彼女は相応しいのか……。ただ、それを誰も口にしないだけで。

 

ユエの声にうん、と頷いたネモ。そしてユエは語り出した。彼女と神代天人との出逢いを。

 

「……私はオルク……地下迷宮に300年くらい封印されていた」

 

この語り出しにネモは「おや?」と思った。馴れ初めを聞くはずがいきなり随分と重い切り出しから始まったものだ。ただまぁ異世界だしそういうこともあろうとネモもエンディミラも話の腰を折ることなくただ頷いていた。

 

「……父親のように信頼していた叔父に裏切られてそこに囚われていた私の前に現れたのが……天人だった」

 

ネモは自分もそこら辺の15歳の少女とは比べるまでもない程に重く辛い過去を背負っているとは思っていた。実際、それは事実であり否定されるようなことは何もない。だがそんなネモをもってしてもこれは重い……そう思わざるを得なかった。

 

「……300年。実際に数えたわけじゃないけど久しぶりに外に出たら私の一族は300年前に絶滅したと聞いたから多分それくらいは経っていたと思う」

 

300年という長さがどれ程のものなのかネモには想像がつかない。ネモはこの世界に生まれてからまだ15年しか生きていないからだ。それほどに長い間暗闇の中に囚われていたところを救い出されることが、どれほど大きな意味を持つのだろうとネモは思いを馳せる。

 

「……天人はそんな暗闇から私を出してくれた。私をあそこから出さないための罠にも立ち向かってくれた。私を見捨てて逃げれば戦わなくて済むのに……。それでも……。そんなの、好きにならないわけがない」

 

ユエが自分の胸に手を置いてふぅと息を吐いた。その時のユエの顔に浮かんでいたのは恋の色だと、初恋もまだ迎えていないネモにもそれが分かった。

 

「……"ユエ"っていう名前は天人がくれたもの。裏切られて世界中の全てが憎かった私に天人がくれた名前。……あそこで私は生まれ変わった。今の私の全ては天人がくれたもの。後で……叔父には本当は裏切られたわけじゃなかったって知れたけど、それでも私はユエ。それ以外の誰でもない」

 

語るべきことは語ったと、ユエのその目は言っていた。そこでネモは今度はシアへと視線を移す。それを受けてシアは頷き、自分と天人との出逢いを語り始めた。

 

「本来獣人族……あの時は亜人族でしたけど、本当は私達は魔力なんて持っていないんです。けど私は生まれながらにしてそれを持っていました。そしてそれが住んでいた国にバレて、忌み子である私の存在を隠していた一族諸共処刑されそうになっていたんですぅ」

 

だから重いんだよ、そうネモは思わざるを得なかった。親族に裏切られて暗闇の中に300年封印されただの一族郎党皆殺しにされそうだっただのと、一々出てくる話が重いんだよとネモは叫びそうになっていた。だがそれを堪え、話の続きを促す。

 

「それが嫌だから皆で逃げました。けどあの世界の敵は同じ亜人族だけではありませんでした。人間族は私達兎人族を奴隷にしようと追い立て、魔物は自分達の餌にしようと私達を襲いました。ただ、腕力の無い兎人族で奴隷にされるのは女性だけ……つまりそういうことです。ですが私は少し先の未来を読む力があります。それでもう少し逃げれば助けがくると知り、走りました。そこで出逢ったんです……」

 

一族郎党皆殺しか、男は処分され女は()()()()館へ送られるかの2択。随分と荒れた世界もあったものだとネモは驚いていた。

 

「天人さんは私だけでなく私の家族も全員助けてくれました。私達が住んでいた森を案内してほしいという条件で。そして天人さんは私達を奴隷にしようとした人間を叩き潰し、私達の住んでいた国にも敵対しました。……おかげで私達は国を追放される代わりに彼らに命を狙われることもなくなったんですけどね」

 

苦笑いを浮かべるシアに、ネモとエンディミラは何も言うことができなかった。それはそんなにあっけらかんと語れる話ではないだろうというのが言葉はなくとも2人の共通認識であった。

 

「私と私の家族を救ってくれた……効率よりも義理を優先してくれた。堂々と胸を張って前を見て……そんな姿に私は惚れてしまったんですぅ」

 

シアが両頬に手を当てて身体をくねらせる。その姿は恋に恋する愛らしい乙女に他ならないのだが、何せそれまでに語られた過去が過去だ。あまりにもギャップが凄まじい。

 

「おっほん」

 

と、そこでティオがわざとらしい咳払いで話に入ってくる。もっとも、シアも語るべきことは語ったようでそれに何かを言うことはなくティオの言葉を促した。

 

「妾、出会い頭で天人にはボッコボコにされたのじゃ!」

 

シン……と、室内が静まり返っている。そしてティオ以外のこの場の全員が彼女の発言に引いていた。ネモとエンディミラはこの妙齢の美女を出会い頭にボコボコにしたという天人に、全てを知っているユエ達はこの場の第一声でそれを言うティオに、だ。しかしティオは自分の発言のもたらした影響にとんと無頓着だったようで頭にハテナマークを浮かべている。

 

「まぁ聞くのじゃ。妾、ネモ達にも少し見せたように竜の姿にもなれるのじゃ。そして隠れ里から今の世界の様子を見に来た際に洗脳されてしまっての。竜の姿のまま天人達と戦闘になったのじゃ」

 

それを聞いてネモとエンディミラはようやく胸をなでおろし、そしてこれは安心できるような内容ではなく自分達はさっきの2人の話に毒されているのだと一拍遅れて気付くことになった。

 

「妾達のいた世界には神がおっての。ソイツがトータスに何人もの人間を別の世界から呼び寄せたのじゃ。そして天人はその彼らとも別の……この世界にいたにも関わらず巻き込まれて召喚された……。妾は神が呼び寄せた人間の調査の為に向かっていたのじゃよ。それがあぁなって……最初は興味ついでの調査のつもりで一緒にいたのじゃがなぁ……」

 

そこでティオがふと遠い目をして頬を赤らめた。そしてネモはそれを見て思う。自分が本来聞きたかったのはこういう話なのだと。ティオの話も確かに重い。だが惚れた腫れたのくだりで言えばユエとシアよりは随分とのんびりとしている。もっとも、ティオも自分達竜人族がエヒトの策略───とも言えぬ娯楽の延長で一族郎党世界の敵だとその他全てに認識させられて世界の果てに逃げざるを得なくなった、という話はワザと後回しにしたのだが。

 

 

 

───────────────

 

 

 

結論から言って、この後もユエ達からレミアとミュウの話を聞かされたネモは頭を抱え、ジャンヌの話を聞いて思わず彼女の両手を取って喜んだ。こうして神代家とネモ達のアメリカ旅行の初日は天人本人の知らぬ間に彼の話題で盛り上がりながらも終わりを迎えたのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ユエ達はどうやら夜は恋バナに花を咲かせていたようだった。よくよく思い返してみると俺達の出逢はとんとロクな思い出がない。奈落の底で封印されていただの一族郎党皆殺しにされそうだから逃げてきただの洗脳されて襲いかかってきただの違法な人身売買目的で拉致された娘を連れ返しただのと、平和な出会いなんて1つもなかった。

 

もっと思い返せばリサだってそうだ。いや、1番最初の初対面で言えば近くに住んでいた女の子ってだけなのだが、俺がリサに恋心を抱くようになったのはイ・ウーなんていう裏側の世界でですらタブー視される秘密結社、ジャンヌとの出逢いもそこでなのだ。

 

そんな話を聞かされたネモ達がどう思うかは知らない。そもそも、恋バナったってあれは多分ただの雑談じゃないのだろうよ。

 

きっと、あれはお互いを見定めるためのものだ。

 

その結果は、今は知らなくていいだろう。聞かなくてもいつか分かることだ。て言うか、俺に何も言ってこないってことはそういうことなのだろう。

 

俺はリサ達の目を信じている。アイツらが大丈夫だと判断したんなら大丈夫なんだろうよ。但し、それはあくまでもネモ達に限った話。モリアーティ教授がどうなのかは別だ。

 

モリアーティ教授がネモを使って作ろうとする世界が、もし俺の愛する女達を傷付ける世界なのだとすれば、俺はそんな世界を受け入れる訳にはいかない。俺は俺の全てを以てそんな世界をぶっ壊すつもりでいる。

 

そんな覚悟を決めていた俺は、この日はアメリカとカナダの間にある世界最大級の滝───ナイアガラの滝へと観光に来ていて、そこで行われていた古戦場の再現イベントを見ていた筈だったのだが───

 

「───天人!?」

 

「キンジ?」

 

その場にいたのはキンジとそれから伊藤マキリ、遅れてジーサードと、さらに後ろから遅れて風魔陽菜の計4人。だが実際今すぐに戦えそうなのはキンジと伊藤マキリだけだ。後の2人は距離が少し遠い。

 

「───エンディミラ、ここは、私が、敵と、戦います。ネモを、守りなさい」

 

そして伊藤マキリがエンディミラへと声を掛け、俺へと目配せをする。"お前もそこにいるのならネモを守れ"とでも言いたげだ。お前に指示されんのは気に食わねぇけどな。まぁいい、やってやるよ。

 

「ユエ、ジャンヌ。リサ達連れて逃げろ……。ティオ、シア、ネモを守れ」

 

エンディミラ達へは指示は出さない。俺はコイツらの戦闘能力───強さだけでなく戦い方すらも知らないからどんな指示が適切かは分からないのだ。

 

だから俺はエンディミラとテテティ、レテティは戦いの勘定に入れずに形を組む。

 

そして「トオヤマ……?」と、キンジの姿を認めて疑問顔のネモを守るようにエンディミラは銃を抜き俺の横───ネモの正面へ、テテティとレテティはポシェットから短剣をシャラりと抜いて左右を囲む。

 

シアはネモの背中───滝の方に立ち、ティオは逆側に立つ。ティオは今全身のシルエットを隠すようなダボッとした服を着ている。普段はスキニー系の、自身のスタイルがよく分かる洋服を好んで着るティオだが、これは現代に合わせたティオの戦闘服なのだ。あの下にはティオの変成魔法で黒い龍鱗が身体を覆っている。それが盾となり、対物ライフルの徹甲弾(ピアス)ですら貫けない堅牢な守りを形成するのだ。

 

そしてシアはネモに引っ付き、固有魔法の未来視で自分に迫る死の未来とそれに巻き込まれるであろうネモの未来をまとめて回避しようと構える。

 

だが一応俺達は事前に決めておいた立ち位置にこそ付くが敵が誰かが分からない。と言うか、()()()()。俺はサイレント・オルゴの写真を見たがそれだってこれだけの観光客の中から直ぐに分かるほどにハッキリとしたものではない。しかも、それでも分かるくらいには大柄の男だった筈なのに、その姿が見当たらないのだ。いくらここはアメリカで、日本よりも体格の大きい人間が多いとはいえ、サイレント・オルゴは完全に規格外のサイズをしていたのにも関わらず、だ。

 

これだけの人混みでは直接会ったことの無い人間には気配感知もそれほど意味をなさないし、羅針盤を使って特定するか……?

 

「た、天人、どうする?」

 

と、ネモが慌てた様子でシアの背中から顔を出している。

 

「取り敢えずシアの後ろに隠れてろ」

 

俺からはそれだけしか返せない。そして俺は羅針盤でサイレント・オルゴを探そうとして───

 

「……あれか」

 

───忽然と、サイレント・オルゴと伊藤マキリの姿が現れた。2人とも動きを止めている。そして俺の目線を追ってシアやティオ、ネモ達も彼らの姿を認めたようでザワついている。

 

俺は羅針盤で探す内容を変更。半径3キロ以内でネモを狙う敵を探す。……最悪だ。沢山こっちに向かってやがるみたいだぞ。だがこの人数、軍隊か何かなのか?

 

そして伊藤マキリが

 

「お久しぶりです、遠山、さん」

 

と、ぶつ切れの少し変わった喋り方でサイレント・オルゴに話し掛けている。だが俺はその声に違和感を覚えた。……何か、強い感情が込められているように感じるその声。俺が今まで持っていた伊藤マキリのイメージと乖離するそれは……

 

「───ロキ・チノゥ」

 

 

───パァンッ!

 

 

と、発砲音にも似た乾いた破裂音が伊藤マキリの口元から上がる。それと同時に彼女の口から舞う鮮血。恐らく伊藤マキリの指から放つ空気弾を自分のベロで撃ったんだ。だがそんなもの、柔らかい口腔内が衝撃に耐えられるわけがない。

 

伊藤マキリが口を抑えて呻きながら俯く。そして空気弾を放たれたサイレント・オルゴはしかしその不可視の弾丸を少し顔を背けるだけで直撃を躱し、サングラスを弾かれるだけに留めたようだ。

 

そして、何やら伊藤マキリが呟いた瞬間───

 

──バシィィィィィッッッ!!──

 

と、伊藤マキリの側頭部で凄まじい音が鳴り響いた。衝撃音と共に伊藤マキリの長い黒髪が千切れ飛ぶ。───狙撃っ!?

 

思わず俺は姿勢を低くして狙撃者から見えるであろう身体の面積を半減させる。

 

「マキリぃぃ!!」

 

シアの後ろでネモが叫ぶ。だが大丈夫だ。伊藤マキリは超音速の弾丸を気配で察知して頭を傾けた。弾丸を喰らいはしたが脳漿は飛び散らせずに済んでいる。まだ生きているぞ。

 

けれど、それでもあれは致命的だ。威力からして普通なら車輌に使うような対物ライフルの12.7口径。それも高重量のタングステン弾だ。

 

そして滝の轟音に紛れたものの遠雷のような音が3秒遅れて僅かに届いた。弾速はマッハ2.6。2キロ弱先からってことはレキ並の狙撃手だぞ……。しかもカナダ側から届いた。だがあれはネモを狙う狙撃者じゃない。そんな奴は羅針盤は指し示さなかった。つまりあれは伊藤マキリ()()を狙う狙撃手。少なくともネモは狙わないってことはあれはサイレント・オルゴの身内じゃない。……てことは武装検事か?そうなると厄介だぞ、そんなのが伊藤マキリを狙っているんなら───

 

「……私が、殺したいのは」

 

と、そこで頭を撃たれた伊藤マキリがそれでもまだ立ち上がる。……しかし

 

───バシィィィィィッッッ!!

 

と、2度目の狙撃。着ていたコートは防弾性らしく貫通こそ防いだものの車にでも撥ねられたかのように伊藤マキリの身体が飛ばされる。大瀑布を真下に望む、高さが伊藤マキリの腰までしかない柵の際まで……。

 

「天人!マキリを……っ!」

 

「駄目だっ!あれはきっと武装検事……ここで伊藤マキリを庇うこたぁできねぇ……っ」

 

伊藤マキリは日本じゃテロリストなのだ。ここで武偵である俺は伊藤マキリを武装検事から庇うことは難しい。それは、日本での俺達の立場を危うくするからだ。ここで動かない分にはいきなり放たれた狙撃を警戒して動かなかっただけだから問題は無い。だが庇うことはできない。

 

ここで俺が動けるとすれば───

 

「───伊藤マキリ!お前を逮捕する!!」

 

これだけだ。ここで俺が伊藤マキリを逮捕し、武偵側で身柄を拘束。日本へ連れて帰り武偵庁にでも引き渡すしかない。日本は縦割りだから少しだけは時間が稼げる、と思う。分の悪い賭けだけどな。

 

その後コイツが逃げるのかネモが逃がすのかは俺の領分からは離れる。今ここで伊藤マキリの命を救うにはこれしかない。それでも、逮捕したって大した時間稼ぎにはならないだろう。下手したら直ぐに武装検事側から身柄の引き渡し要求がくるかもしれない。裁判に持っていくことすら難しい可能性が高い。

 

だがそれでも俺ができるのはこのくらいなのだと、俺が伊藤マキリに駆け寄った瞬間───

 

───バシィィィィィッッッ!!

 

「───っ!?」

 

伊藤マキリを狙っていた狙撃手のターゲットが俺に移ったようだ。多重結界が弾丸の貫通を防いだが流石の威力に俺も突き飛ばされた。あの野郎……何の躊躇いもなく頭ぁ狙いやがって……。

 

そして4発目の炸裂音。遂に伊藤マキリを柵の外───落差56メートルの崖の下に、大瀑布の中へと伊藤マキリはあまりにもあっさりと突き落とされた。

 

「───キンジ!あれはネモは狙わねぇ!サイレント・オルゴさえ止めれば大丈夫だ!!」

 

「天人!!だけどネモはNの───」

 

「頭を上げるな兄貴っ!!次弾が来るぞっ!!」

 

あぁ、駄目だ。俺とキンジの意見が揃わない。キンジはネモをNの主犯格として逮捕できるならするつもりだけど、俺はなるべくネモにはNで理想の世界を作ってもらいたい。ここで決定的に方針が分かれてしまっているのだ。

 

「……どっちにしろ、俺は父さんに人を殺してほしくはないし、聞きたいこともある。父さんを止めるのは賛成だ」

 

……だが、どうやらまだ運は尽きていないらしい。キンジはサイレント・オルゴを止めるだけなら協力してくれそうだ。4度の狙撃でもまだ観光客は消えていない。それなりの数がまだこの場に揃っている。こんなところで越境鍵を使っての離脱はやれねぇ。

 

「シア!ティオ!ネモ達連れて逃げろ!」

 

『待って!』

 

だが、シア達にネモとエンディミラ達を連れて逃げてもらおうとしたその時、ユエから念話が届く。シアとティオにもまとめて届いているようだ。

 

『……さっきアメリカの軍隊……?警察……?……特殊部隊(SWAT)だって……。とにかくそれが沢山そっちに向かっているのとすれ違った。足で逃げたら多分もう見つかる』

 

俺はその報告に思わず舌打ちする。さっき羅針盤が指し示した通りだ。しかもSWATかよ。この衆人環視の中で戦闘になれば、数にものを言わされてネモ達を守りきるのは面倒だぞ……。

 

「ネモ!お前飛べ!」

 

「あ、あぁ……」

 

目の前で仲間(マキリ)が殺られても流石はNの提督。ネモは直ぐに集中し始め、身体の周りに青い粒子が漂い始めた。

 

「誰が見てるか分からねぇここで俺の道具は使いたくねぇ。……時間稼ぐぞ」

 

「あぁ……けどお前……」

 

キンジが俺の頭を見ている。さっきの狙撃で脳みそをブチ撒けることだけは避けられたが、幾ら異世界の多重結界と言えど流石に対物ライフルのタングステン弾は重かったらしい。視界は揺れてるし出血も多少だがある。

 

「……頭の怪我は派手に見える。大丈夫だ、戦える」

 

グッと、俺は膝に力を込めて立ち上がる。伊藤マキリさえ殺せたのならあの狙撃手もさっさと帰るだろうと思ったのだ。そして俺の読み通り、立ち上がった俺に狙撃は飛んでこない。

 

「狙撃手の方からはネモを殺そうとする奴は探せなかった。つまりあれは伊藤マキリだけを狙った狙撃だ。だから俺達は大丈夫」

 

もっとも、伊藤マキリの狙撃を阻もうとした俺は撃たれたが、伊藤マキリが消えたことで俺もフリーになったのだ。

 

「……分かった。まずは俺とジーサードで父さんを止める。天人は援護(バックアップ)を頼む」

 

「分かった」

 

と、キンジとジーサードも姿勢を上げた。俺は1歩下がりキンジ達が抜かれた後に備える。3人で行って全員が一斉に抜かれるのが1番最悪だからな。

 

「ネモ、瞬間移動にはどんくらいかかる?」

 

俺は下がりながらネモにそれを問う。確かコイツの瞬間移動にはタイムラグがあったはずだ。プラザ会談の時も、グランデュカとの戦いの時に俺達を水の中に沈めようとした時も徐々に……って感じだったしな。だから時間次第で俺達の戦い方も変わってくるのだ。

 

「……10分近くはかかると思う。視界外瞬間移動(イマジナリ・ジャンプ)は跳ぶ質量によって発動までの時間も変わるのだ……」

 

……長いな。まぁどっかで人払いさえできれば、拘束するだけならそれほど手間じゃないし大丈夫か。

 

「……10分ってのは、お前と誰を飛ばす計算だよ?」

 

「私と、エンディミラ達3人だ」

 

「オーケーそれでいい。……時間は問題無い。サイレント・オルゴ1人が相手なら何時間でも稼いでやる」

 

あとはSWATがどれくらいでコチラに着くか、何だが正直10分だと向こうが先に着きそうなんだよな。最悪氷の壁で閉じこもることも視野に入れなきゃだな。

 

しかし問題は俺の聖痕が既に封じられていることだろうか。サイレント・オルゴに近付いた途端に繋がりが途切れる感覚があったのだ。アイツも持たされているってことは流石に聖痕持ちと正面切ってやり合うのは分が悪いらしいな。

 

さて、と、ネモの周りに青い粒子がどんどんと集まり、その中へエンディミラ達3人が入ったのを確認しつつ俺はキンジ達の戦いの方へと目をやる。そこではまずキンジがオルゴの心臓のある辺りへと掌底を放っていた。

 

しかし、それを受けたオルゴは掌底そのものを防ぐのではなく自分の背中へ回した手で自分の背中を打った。瞬光による知覚の拡大でその技を捉えるが、どうにも非穿通性の衝撃波を放つのがキンジの掌底。そしてオルゴは自分の背中にほぼ同じ技を打ってそれを相殺したようだ。……なるほど、心臓震盪からの心停止を起こさせる技なのか。……いやいや、それ使ったら相手死ぬでしょ。まぁ向こうは技の術理を知ってるみたいだから即座に防いだけど。

 

だがオルゴが小さく口を動かし何かを───英語で「Who?」と言ったように見えたが、ともかくそれでキンジの動きが乱れ、それをカバーしようとしたジーサードも乱れ、そしてオルゴが両手でそれぞれ放つ衝撃波で2人共がぶっ飛ばされる。だがこれで逆に俺達の配置が良くなった。いつの間にやら来ている風魔も合わせてオルゴを囲むような立ち位置に付けたぞ。

 

さてまだネモの瞬間移動には時間がかかりそうだと俺は一瞬ネモの方を振り向き、またオルゴに目線を戻すとオルゴは何やら苛立っているかのようにトントントンと自分の足の爪先で地面を叩き始めた。……まさかこんなんでイラついて貧乏揺すりをしているわけじゃないのだろうか、俺がその行動の意図を見抜けないでいると……

 

「……あ?」

 

少しずつ、地面が揺れ始めた。直ぐに有感地震に至り、地震慣れしていないアメリカの皆さんがどんどんとこの場を離れていく。……人力で地震を起こすとかマジで人間辞めてんじゃんと思いつつ態々人払いをしてくれるというのなら乗ってやろうとエンディミラ達には転ばないようにお互い支え合えとだけ指示を出しておく。

 

そしてどんどんと震度が増幅していき、遂に俺のいる辺りも震度で言えば6に届こうかという揺れになった瞬間───

 

「───皆!跳べ!!」

 

と、キンジが叫んだ瞬間に───

 

───ドドドォォォォンンッッ!!

 

激震が辺り一帯を襲った。揺れで人払いと俺達を転ばせる作戦なのかと予測していた俺はキンジに合わせてジャンプ。揺れそのものの影響は受けずに転倒を回避。シアもネモ達をまとめて抱え、ティオも瞬時に跳んだようでこちら側で転んだのは風魔だけだ。

 

そして空中に跳んだジーサードは自身の装備のプロテクターからまさかのジェット噴射で体勢を立て直してキンジに超音速の拳をぶつける。それを受けたキンジはジーサードの運動エネルギーを全て自分の拳に込めてオルゴへ打撃を放つ。

 

だが、オルゴはマッハ2の拳すら平手でポスりと軽く受け止めてしまう。そして、キンジは何やらノーモーションで放たれたらしいオルゴの打撃でぶっ飛ばされる。受け止めようとしたジーサードも纏めて、だ。……こうなりゃ俺が出るしかねぇか。

 

「───選手交代だキンジ!」

 

と、俺はオルゴの前へと飛び出した。アイツは術理は不明だが打撃を受け止める技がある。多分腕力でどうこうできるような奴じゃない。なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()を加えるしかない。もしくは───

 

「……これでどうだ?」

 

俺は人払いができたのを良いことにオルゴの両手を氷の元素魔法で捕らえる。オルゴもグイグイと両手を振り回そうとするけどいくらお前のガタイが良くてもこれを力技で破るのは不可能だぜ。

 

さっきの地震をやろうとするなら発動前に潰す。あれは最大震度に至るまでにかなり時間を要するからな。俺の方が早い。

 

と、オルゴを拘束したままネモのジャンプを待つかと構えたその時───

 

───バキィィィィィッッッ!!

 

と、オルゴが俺の氷の拘束を破りやがった。

 

ノーモーションで放たれた打撃故に魔素を注ぐことによる強度の補強が間に合わなかったのだ。けどあの氷は人間の腕力で砕ける程度の強度じゃねぇんだぞ。どうなっていやがる。しかも俺に考える時間なんてくれてやる気は無いらしいオルゴが一息に俺の眼前に現れると

 

「───っ!?」

 

俺の戦闘回路が危険信号を全力で鳴らす。その警鐘に身を任せて斜め後ろにオルゴの拳を避けるように跳躍するが───

 

───バキィッ!!

 

と、僅かに掠めた俺の腕から凄まじい音が鳴り響き、俺はその威力でもって錐揉みするように回転しながらぶっ飛ばされた。

 

どうにか着地はするが打撃を掠めた腕から凄まじい熱が発せられている。見れば俺の前腕が手首と肘のちょうど真ん中でド派手に赤く腫れている。感覚的にこれは骨折だな。腕の骨が2本とも折れている。マジかよ……掠めただけの上に俺には多重結界の守りがあるんだぞ。あれ、直撃してたら全身バラバラに砕けてたんじゃねぇか?

 

「ネモ!まだか!?」

 

「まだだ……まだ25%くらいだ。必要量に達したら直ぐに跳ぶように設定はしたが……」

 

流石に4人分の質量は重いらしい。だが不味いな……このままだとサイレント・オルゴはともかくSWATの方が到着してしまうぞ。

 

さてどうしたものかと俺が思考を巡らせた瞬間

 

───ピピピピピ

 

と、気の抜けるような電子音がオルゴの胸元から鳴り響いた。そしてオルゴは何事もないかのように胸から携帯電話を取り出し───それに出た。そして

 

「───了解です。大統領閣下(Mr.President)

 

と、低い声で数単語だけ呟いて電話を切り、数秒間棒立ちになり、そしてその1秒ごとに殺気をどんどんと収め、完全に殺気が消えた瞬間にフラリと俺達に背を向けてこの場を立ち去る動きを見せた。

 

───プレジデントとか言ってたな。つまり大統領からの命令でネモの暗殺を取り止めたってことか?

 

そして、シアから聞いたのであろうSWATが出てくる前にエンディミラ達が突然ネモの前に出た。それはつまり瞬間移動の範囲の外に出たということで

 

「あっ……何を───これでは今すぐに跳んで───」

 

どうやらあの光の量はネモ1人分であれば発動させられるくらいには貯まっていたらしい。確かに25%って言ってたからな。4人中3人、それもエンディミラの質量はネモより大きいから、テテティとレテティも含めて3人が外に出ればそうなるわけだ。

 

「こうするべきなのです。私達のことは気にせず先に行ってください」

 

という言葉をエンディミラから残されたネモは青い靄だけを残してどこか設定した地点へと消えていった。

 

 



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帰宅

 

 

太陽が地平に沈み、それに紛れるように薄暗い広場右手から現れたのは防弾チョッキにヘルメット、ガスマスク姿で完全防備な上に自動小銃(M4カービン)で武装し警察犬まで引き連れた特殊部隊員達。しかもそれが30人もぞろぞろとやって来た。

 

ネモを先に逃がしたエンディミラ達と、シアとティオも俺達の元へと集まる。念話で聞く限り、ユエ達は無事に逃げ仰せたようだ。さてさて、まさかここでSWAT達とドンパチやらかす訳にもいかんよなぁ。エンディミラ達を守りながらだと面倒だし、さっきまでは()()()で済んだけど、こっから先はそうも言ってられないし。

 

「どうします?……向こうからも」

 

と、シアが顎でしゃくれば風上と崖の左側からもまた30人程の特殊部隊員達が現れていて、そいつらはボシュボシュと低い発砲音と共にCNガス催涙弾(クロロアセトフェノン)を転がしてきやがった。

 

「これは……」

 

と、初めて喰らう催涙弾にシアとティオが目を擦る。

 

「キンジぃ、俺達はこの滝から逃げるけど、どうする?」

 

この特殊部隊員達の頭上を飛び越えて逃げても追われる可能性がある。それに、サイレント・オルゴに聖痕を封じる道具を持たせたってことは寄越された特殊部隊員共も同じような物を持っていても不思議じゃない。

 

街中に逃げられればそうそう撃ってはこないと信じたいが、はてさてどうなるやら。ユエ達には追手が(せま)っていないっていうことは最悪シアとティオ、エンディミラ達は逃れられるだろうが直接オルゴと喧嘩した俺はどうかな?

 

「……シア、ティオ。お前らは多分追われない。後でどっかに扉開くからユエ達と合流して普通に日本に戻れ」

 

「天人はどうするのじゃ?」

 

「さてね。ま、こっちにゃアメリカのヒーローたるジーサードさんがおられますから?どうにかなるでしょ」

 

と、俺がジーサードを見ながら少しずつ下がっているとジーサードは俺を睨みながらも仕方ねぇなって顔をしている。頼みますよ?本当に。

 

アメリカに多少の融通が効くジーサードが居ればどうにかなるかも、というのが俺の算段。だがまた面倒な出方になるかもだしそこまでシア達は巻き込めない。コイツらは普通にアメリカを出国できるのならそうしてほしいな。

 

「……分かりました」

 

「了解したのじゃ」

 

また今度な(キャッチ・ユー・レイター)

 

と、俺達の作戦会議終了を確認したキンジがSWATに合流しているオルゴにそうやって声を掛け、俺達はナイアガラの滝へと飛び出した。

 

俺達とキンジ、ジーサード、風魔は普通に飛び降り、エンディミラもスカートを抑えながら、テテティとレテティは尻尾も含めて全身で"木"の字になりながら高さ56メートルの滝へとその身を躍らせた。

 

こんな風に高所から落ちるのはオルクスでベヒモスと一緒に落ちて以来かな?と懐かしい記憶と共に落下しつつ1番近くにいたエンディミラを空力で空気を蹴って拾いにいく。

 

「ちょっと抱くぞ」

 

「え……きゃっ」

 

と、男に急に抱き上げられたエンディミラが可愛らしい声を上げ、少し赤面しながらも俺にしがみつく。テテティはシアが、レテティはティオがそれぞれ空力で捕まえて抱え、水の稜線に沿って落下していく。

 

俺達はそれぞれ靴に仕込んだ空力や風属性魔法で着地の衝撃を段階的に和らげて水面ギリギリへと降り立つ。キンジは空中で空嚢弾(エアバッグ)を撃ち込んでそれを頼りに着水していた。

 

「お前らのそれ……狡くないか……?」

 

と、キンジはボヤきながら、風魔とジーサードは特に何を言うでもなくナイアガラ川をカナダ側へと泳いでいく。

 

歩くだけなのでテテティとレテティはシアが、エンディミラはティオがそれぞれ背負いながら俺達も空力で足元を濡らさずにそれに着いていく。

 

そして川岸の壁を俺達は空力で階段でも登るかのように、風魔も流石は忍者だなっていう腕前でスルスルと上がっていき、下にロープを垂らしてやる。キンジとジーサードがそれを伝ってナイアガラ・パークウェイの車道脇、排ガスで煤汚れしているガードレールの陰に身を寄せて一息ついた。オルゴに叩き折られた俺の腕は飛び降りた瞬間にティオの再生魔法で戻してもらっていた。

 

すると、後ろからキンジに声をかけてくる奴がいた。振り向けばガードレールの先にはハザードランプを点滅させた日本車───ステップワゴンが停まっていた。その前でサイズが合ってなくて引きずりそうなコートを着た背の低い女がこちらに手招きしていたのだ。

 

どうやらキンジの知り合いらしいその女の方へ俺達は向かう。すると、コイツはこんな成りでも外交官らしく、俺達を日本に帰してくれるらしい。

 

「……ちょっと待ってろ」

 

なので俺は一旦皆を待たせ、シアとティオを連れて奴らから死角になる暗がりへと向かった。エンディミラ達も帰してしまいたいがネモとはまだ連絡取っていないし向こうの都合が着いてからだな。

 

「じゃあ先帰っててくれ。……ミュウには後で埋め合わせするって言っといてな」

 

「はい」

 

「うむ。分かっておるのじゃ」

 

と、俺はシアとティオとそれぞれ触れるだけのキスを交わし、越境鍵で扉を開いた。向こうは事前に決めておいた集合場所で、既にジャンヌが迎えに来ていた。

 

「悪い、頼んだぞ」

 

「分かっている。こちらは任せておけ」

 

と、シアとティオをジャンヌに引き渡して俺は扉を閉じる。さてと、俺は無事に日本に帰れるのかなぁ……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

その後、本来7人乗りのステップワゴンに8人で乗り込みぎゅうぎゅう詰め──テテティとレテティが小柄で多少は助かったけど──になりながら5時間も車に揺られて辿り着いたのはカナダの日本領事館。

 

そこで1晩休憩を取り、1夜明けて朝食も頂いた後、俺とキンジ、ジーサードの3人はそこの担当者にお呼び出しを食らってしまった。

 

芳賀敬一という名前のカナダ駐箚日本特命全権大使とかいう肩書きの人物らしい。その場に同席していたのは俺達と銭形っていう……俺達をここに連れて来たキンジの知り合いの女、この人の他に猿田とかいう具合の悪そうな公安の奴。黒いマスクを付けて咳き込んでおり、随分と具合の悪そうな男だがらどうやらコイツが伊藤マキリを狙撃したようだ。そしてそこで猿田から聞かされたのは『砦』と『扉』の話。

 

今この世界はNの起こそうとしているエンゲージ──世界中に魔女やグランデュカ、ヴァルキュリアやヒュドラみたいな人間とも少し違う奴らを爆発的に増やそうという計画──に対して賛成か反対かで割れているらしい。ちなみに砦が反対で扉が賛成派。

 

で、アメリカはゴリゴリに反対派で日本はまだ表明していないんだとか。んで、それで世界は今こっそり不安定になりつつあるとか何とかで、要は俺に下手に動くなって言いたいらしい。ま、俺はそれでいけばガッツリ扉派なんだけどな。

 

後はあのサイレント・オルゴのことも少しだけ聞けた。俺にとっちゃさしたる興味も無いけど、キンジとジーサードにはそれなりに価値のある話なんだと思う。

 

んで、キンジや俺達はこの芳賀さんが手引きして日本に帰してくれるらしい。と言うか、カナダっていう平和な国に俺達みたいな歩くドンパチが入ってきてさっさと追い出したいっぽいんだよね。

 

だがこれはジーサードの方が断りを入れやがった。どうにもコイツらに貸しを作ると後が面倒臭そうだから自分のツテで帰る算段をつけるらしい。一応それには俺も乗っけてくれるようだ。

 

そして俺達は芳賀さんにお呼び出しを受けた部屋を後にした。すると───

 

「神代殿」

 

と、風魔が俺をちょいちょいと手招きしてきた。

 

「何?」

 

風魔がキンジではなく態々俺に、というのが不思議だったがまぁいいかと俺は風魔の方へ歩いて行く。

 

「エンディミラ殿が神代殿をお呼びでござる。中庭にいるから何やら1人で来てほしいとのことでござった」

 

エンディミラが?まぁいいか。

 

「あいよ、さんきゅ」

 

俺はそれだけ風魔に返して中庭へと向かう。そして、やたらとどの部屋も豪華な内装をしている一室から中庭に出ると、そこにはエンディミラがテテティとレテティと共にカナダの空を見上げていた。

 

「おす」

 

エンディミラは日本語が喋れるので俺も普通に日本語で話しかける。すると、エンディミラがこちらを見る。その顔は……何かを諦めたかのような表情をしていた。

 

「……どうした?」

 

「私はお前達をネモ様……Nの味方だと思えない」

 

そう、エンディミラが告げる。だがそれはそれほど間違っちゃいない。俺は実際グランデュカとイオ、ヒュドラとアスキュレピョスを逮捕ないしは捕獲してきたのだから。

 

「そう思ってくれて構わねぇよ。実際、俺ぁお前らの身内を逮捕してるんだし、今回は友達として接してたけどな。友達と敵は両立するだろ」

 

俺ははめ殺しの全面ガラス張りの窓に寄り掛かりそう告げる。そして「で、どうすんの?」と問えば───

 

「……どうもしない。ただ、私は敵の手に落ちたというだけだ」

 

と、にべもない。だから俺にどうしろってんだよコイツは。

 

「決闘でもしようってのか?」

 

「いいや、私ではお前には勝てないことは分かっている」

 

……じゃあ何なんだ?Nに帰せと言うのなら帰すのは吝かではないけどな。ここも大使館だけあって聖痕は閉じられているけど、だからってネモの元に帰すくらいなら越境鍵も使えるし。

 

「戦う術がない以上は降参する。殺せ。ただし、部下のテテティとレテティの命は保証して保護しろ」

 

なんだコイツ……降参してきた割に条件が多いな。ていうか……

 

「殺さねぇよ。俺ぁ武偵法の9条で殺人が禁止されてる。手前には多分それが適応されるからな。俺ぁお前を殺せない」

 

そんなことしたら3倍刑で俺が死刑だ。逃げるのも大変だし、いくら何でもそんなことをする気にはなれない。そもそも俺別にコイツのこと嫌いじゃないし。

 

「別に、ネモん所に帰りてぇなら帰してやるぞ?」

 

「それではお前の戦果が無くなってしまう。そこの精算をおざなりにすれば戦いは野蛮なものとなるぞ」

 

うわ面倒くせぇ……。帰すって言ってんだから素直に帰れよコイツ……。もうネモに連絡入れて後で引き取ってもらうか……?そうすりゃコイツも言うこと聞くだろ。て言うか聞かなくても投げ返す。

 

「私のことでこれ以上ネモ様の手を煩わせたくはないのだ。だが私には金も無く、Nの情報は戦果として過大過ぎる。差し出せるものは命くらい……いや、まだあったな」

 

エンディミラの命とか今最も俺が必要としていないんだが……まだあるって何よ……。

 

「幸いにも、お前と私は男と女だ。つまり───」

 

「───駄目だ」

 

俺は、その先を言わせなかった。男と女。このクソ頭の固い面倒な女がそれを言い出した瞬間に俺はコイツがその先に何を言おうとしているのかが分かったからだ。

 

「男と女……お前には命かそれしか差し出すものはないってこたぁ、つまり俺に所有されるって腹積もりだろ?」

 

「そうだ。理解が早くて助かる」

 

「嫌だね。お前、シア達からアイツらのことあんまり聞いてないのか?」

 

俺はユエ達が夜に何を話していたのか具体的には知らないし知ろうともしていなかった。だから、もしかしたらあまりトータスでのことは話していないのかもしれないと思っていた。だが……

 

「少しは聞いた、と思う。だが今それと何の関係があるのだ?」

 

「……シアが俺と出逢う前にどんな目にあっていたのかは?」

 

「聞いた」

 

「アイツらが……シアの一族の女が人間に捕まるとどうなるかは?」

 

「聞いた」

 

「俺とミュウの出会いは?」

 

「ユエとシアから聞いた」

 

「そこまで聞いてんなら話は早ぇ。俺ぁ女をお前が言うような所有の仕方は絶対にしないし、そういうのは嫌いなんだよ。理由は簡単、俺の大切な家族が()()()()()に遭いそうだったから。だから俺ぁお前をそういう風には扱わない」

 

そして、できるなら奴隷だのなんだのという言葉もなるべくシアやミュウ、レミアの耳からは遠ざけておきたいのだ。アイツらがその言葉で嫌な記憶を思い起こさなくて済むように。

 

「だが……私はNの提督付文官だ。私をどうであれNから排除すればNの力は減衰する。お前の目的はネモ様の目的と一致する部分も多いが手段が噛み合わない。ならばNの戦闘員を排除してきたように私のことも……」

 

「面倒くせぇ奴だな。俺ぁその気になればお前をネモん所に放り捨ててやることもできるんだぞ」

 

ていうかもうそれでいいかな。コイツに気付かれないようにネモに連絡入れて都合付いたら越境鍵で投げ返してやろう。

 

コイツにはコイツの美学だか信条だかがあるっぽいけどそんなの俺には関係ないし。

 

と、俺の何時でもネモの元に放り捨てられる発言にエンディミラは黙ってしまう。

 

「ネモには俺から後で連絡入れておく。それまでは捕虜って扱いでいいな?……んで、今後お前をどうするかはお前の上ととっ捕まえた俺達で決める。それで文句ねぇな?」

 

「Nとの交渉材料になるくらいなら私は死を選ぶ」

 

コイツ、あぁ言えばこう言うし……。

 

「……分かったよ。9条の適用範囲は割と広いらしくてな。お前が自殺したらそれを俺が殺した扱いにされかねねぇ。けど俺ぁどっちにしろ女を奴隷だの何だのって飼う趣味は()ぇ。取り敢えず一緒に日本には帰る。テテティとレテティもな」

 

「だからそれではお前の戦果が───」

 

「あぁもう面倒臭いなお前。じゃあもう勝手に着いてこいよ。そん代わり、シアやミュウ、レミアの前じゃ自分らが奴隷だの何だのって絶対に言うなよ?それだけ守るんならそれでいい」

 

「分かった。それは約束しよう」

 

すると、エンディミラは何やら振り返ってテテティとレテティに何やら呟いた。まぁこの距離だ。普通に聞こえたしこの世界の言語じゃなさそうだったが要は"女として俺の戦利品になった"みたいなことを伝えていた。……テテティとレテティは言葉ぁ喋れないから大丈夫か。こっちが言ってるニュアンスは伝わるみたいだし。

 

だが、何やらテテティとレテティがシャカシャカと両手を振って何かを伝えようとしてくる。……手話か。しかもこれ……

 

「……気にすんな。別に変なことさせようってんじゃねぇから」

 

手話……それも日本語の手話じゃないのに伝わったぞ。言語理解すげぇな。

 

「……分かるのですか?」

 

と、急に口調の変わったエンディミラが驚いたような顔をしている。

 

「んー?そうみたいだ。まぁこれも魔法の力だよ」

 

「なるほど、では改めて。私達はここに忠誠を誓います。後ろのテテティとレテティは言葉を発せないため私の宣誓で代えさせていただきます」

 

と、いきなり片膝付いて俺に忠誠を誓うだのと言い出す。あぁ、そう。まぁもう何でもいいよ。約束だけ守ってくれれば。後はこっそりネモに連絡入れて適当なタイミングで向こうに送り返そう。

 

すると、宣誓を終えて立ち上がったエンディミラが何やら両手を広げてこちらを見ている。まるでハグして、みたいなポーズだ。いや、絶対そんなことはないんだけども。

 

「んー?」

 

「では、ボディチェックをお願いします」

 

「え、何で?」

 

「私達はまだ武装解除していません。不意を突かれたらどうするのですか?」

 

それ正直に言う?本当コイツは変なところで正直だな。頑固だし。

 

「あぁじゃあ自分で武器出せ。テテティとレテティもな。お前らがどうやってアメリカに武装持ち込んだのか知らねぇけど金属探知機に引っ掛かると面倒だし」

 

俺がそう言えばエンディミラは"その反応は期待していなかった"みたいな顔をしながらもモーゼルC96を、テテティとレテティはそれぞれ短剣を俺に差し出してきた。俺はそれを受け取るとそのまま宝物庫へ。瞬時に目の前から武器が消えたことで3人とも目を見開いて驚いている。

 

「はい、武装解除終了。あーでも日本の家に戻ったら返すよ。俺も別に要らないし」

 

モーゼルとか普通の短剣とか持ってても意味が無いからな。だったらコイツらに返して自衛できるようにしてもらいたい。

 

「……ボディチェックはしないのですか?まだ武器を隠し持っているかも知れませんよ?」

 

「お前昨日の戦闘見てなかったのか?俺ぁ対物ライフルでも殺せねぇんだよ。今更隠し持てる程度の銃火器じゃカスリ傷も負わねぇよ」

 

ちなみに、俺は自分の究極能力で超能力の類も効かないからな。そもそも武装解除させる必要もないんだけどさせないと面倒臭そうだったからな。

 

あと今日日ボディチェックは同性の間で行うものなのだ。女武偵は服に毒針仕込んで男に身体を触らせることもあるって聞くし。俺がボディチェックをやらないのは割と正当でもある。

 

「ですが、例えば私が超能力を持っていたとして───」

 

「───だとしても、俺にゃ超能力は一切効かねぇからな。それの補助の道具を持ってたところで、だ。だからもういいよ」

 

「なるほど、でもリサやミュウ、レミアはその限りでは───」

 

と、そこまでエンディミラが言葉を発して黙り込む。というか、黙らせた。俺の固有魔法である威圧を使ってな。

 

「それ以上言うなよ?分かってんだろ?」

 

「……はい」

 

まぁ、コイツがそんな手を使うとも思えねぇんだけどな。ただしやるなら死ぬ気でやれよ?という俺の心の声はどうやらしっかりとエンディミラに伝わったらしい。なんでこれだけでこんなに気疲れせにゃならんのだ。しかも俺、一応コイツを捕らえた側なんだよな……?

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ただいまー」

 

と、俺はエンディミラとテテティ、レテティを連れて部屋に戻ってきた。だが部屋にはまだ誰もいなかった。1度帰ってきた雰囲気も無いし俺達の方が早かったみたいだな。

 

俺の後ろをエンディミラ達は興味深そうに着いてきている。ちなみにこのエンディミラ、飛行機から降りた後も興味津々に周りの風景を見渡しては俺に大量の質問をぶつけてきていた。

 

そこで分かったのだが、どうやらこいつは金に興味があるようだった。

 

別に金にガメついってわけじゃない。ただ、エンディミラはエルフとかいう完全に異世界感ある種族らしいのだが、山の中に住むコイツらには貨幣経済の概念が無いらしい。普段は信用のできる奴らだけで相互助力関係を築いて家を建てたり食料を採取したりといった暮らしをしていたとのこと。後は物々交換で必要な物資は調達するんだとか。

 

んで、大量に生産してそれを金と取り替える俺達人間のやり方はあまり良く思っていないような雰囲気もある。とは言えそこら辺のお勉強は俺の得意分野じゃないし、何より今の最優先事項はそこではない。ネモには後でメールを入れるとして、直近の数日はコイツらの面倒を見なきゃ駄目かもだからな。

 

「腹減った眠い風呂入りたい」

 

「マスターは強欲なのですか……?」

 

カナダから日本まで飛行機が長かったし時差諸々で眠いし腹減ったしでもう何もしたくない俺をエンディミラが呆れた目で見てくる。この子も結構言うタイプだよね。もうマスター呼びは諦めたけども。

 

「取り敢えず風呂入る……。お湯貯める間にお前らん服探さないとな……」

 

と、俺は浴室の栓を填めて給湯器のスイッチを入れて湯船にお湯を入れていく。

 

俺が浴室を出ると扉の前でエンディミラが何やら警戒した眼差しで立っていた。後ろにはテテティとレテティも控えている。……どうした?

 

「どした?」

 

「マスター、この部屋には他にも誰か人が居るのですか?気配はしませんでしたが今声が……」

 

「んー?……あぁ、違うよ、単に機械が録音した音を流してるだけだ」

 

「なるほど、そうでしたか」

 

本当コイツ現代の知識が無いな。いや、こっち来たばっかのユエ達も似たような反応してたしこんなもんなのかな。

 

「次は服だな。お前今着てるそれしか服ないっしょ?」

 

本当は飯を食いたいのだが残念なことにこの家には冷食がない。何故ならウチには料理上手な3人もの女子(リサとシアとレミア)がいる上にあの人達あんまり冷食買わないんだよね。自分らの誰かがいれば飯は作れるし3人共いなくなることってほぼないし、その時はだいたい皆一緒に行動してるから。ちなみに俺は当然料理出来ないから飯は作れん。なので外に出るしか腹を満たす手段はないのだ。だからまずはコイツらの着る物を調達せねばならん。

 

「えぇ。ですが奴隷の身分である私達の衣類など───」

 

「だから、俺ぁそういう風には扱わねぇって言ってんだろ。取り敢えず買いには行くけどその前にそれはもう汚れてるから洗う。んで、その間の着る服が無いから取り敢えずティオの借りるぞ」

 

服の洗濯の仕方なんてよく知らないから取り敢えず籠に放っておけばいいだろう。そのうちユエ達も帰ってくるだろうし、そうしたらリサがやってくれるはず。

 

と、俺はティオの部屋に入りクローゼットを適当に物色。流石に下着は勝手に借りられないからそれは諦めてもらって……お、スキニーのジーンズがあった。あとはまぁ……適当でいいか。女物の服の良し悪しなんて俺にはよく分からんし。

 

「んじゃ、取り敢えず風呂上がったらこれ着といて。悪いけど下着は我慢してくれ。服と一緒に買いに行くから」

 

と、振り向けば俺の後ろで女物の服を物色する(オレ)をちょっと引いた目で見ているエンディミラとテテティ、レテティ。

 

「テテティとレテティのは……んー、サイズが合いそうな服がこの家無いんだよねぇ」

 

ユエのじゃ少し小さいし。エンディミラは上背がそこそこあり、ティオの服ならちょうど良さそうだった。だがテテティとレテティは身長が150センチ程。だが背の割にスタイルそのものは悪くない……と言うか発育はかなり良さそうなのが服の上からでも分かる。そうなるとこの家にはちょうどいなさそうなサイズ感なのだ。レミアのはちょっと雰囲気が大人過ぎて流石に浮きそうだ。

 

「まぁいいや。取り敢えず一緒に買おう」

 

と、俺はエンディミラにティオの服を押し付けて漁ったクローゼットを適当に戻してティオの部屋を後にする。そして食器棚からコップを取って水道のレバーを跳ね上げて水を注ぐ。そして相変わらず俺の後ろをトコトコと着いてきたエンディミラに「飲む?」とコップをかざせば

 

「マスターは、私に水を分けてくれるのですか?」

 

と、何やら少し感動した声色でそんなことを聞いてくる。

 

「え?うん。乾燥してたし喉乾いたかなぁと」

 

「水とは幾つにも分かれてまた幾つでも1つになるもの。水を分けるとはエルフにとっては大切な交わりを祝福することなのです。友、師弟、男女、主と奴隷……運命の出会いや別れに際してする神聖な行いです」

 

へぇ、そんな文化があるのね。まぁ人間も盃を分けるとか言うし、似たようなもんか。

 

「そうけ。まぁ喉乾いたなら飲みなよ」

 

と、よく分からんが取り敢えず飲みたそうなのでコップを渡してやればエンディミラは少しだけ飲んで俺に渡してくる。

 

「ではマスターも」

 

あ、これ俺も飲めってこと?まぁいいか。俺も何か飲みたいし。て言うか、視線が重い。なんか愛し合う者同士で結婚式でもするんかよってくらいに俺のこと見てくるんだけど。……そういやさっき運命の出会いがどうのとか言ってたな。これ……俺選択間違えたかもなぁ。

 

と、一応は気を遣ってエンディミラが口を付けていない方の縁に口を付けてコップの中の水を飲み干した。そしてそのコップをそのままシンクに置いておく。エンディミラはそれだけでホッとしたような顔をしている。どうにもこの水を分けるって行為はエンディミラ的には結構重要なことらしいな。

 

「まだ貯まってないけど……俺ぁ先風呂入ってるな」

 

「はい、どうぞ」

 

取り敢えず汗を流したかった俺はまだ満タンには貯まりきっていないお風呂へと入る。湯気の立ち上る湯船に貯まっていたお湯は7割ほどで、この程度ならと俺は桶でお湯を掬って頭から被る。

 

「あぁ……」

 

何か知らんが……いや、だいたいエンディミラのせいでやたらと疲れた。肉体的にはそんなでもないハズなのに精神的に来たな……。今までにない疲れ方だ。

 

俺がシャンプーで頭をワシャワシャと洗っていると浴室に電子音声で風呂が炊き終わったという連絡が鳴る。その音を右から左に流しながらシャンプーも洗い落とし、身体も洗ってから俺は湯船に浸かる。

 

1人でこうやってゆっくり湯船に浸かるのは久し振りな気がするな。最近はずっと誰かと風呂に入ってたし。アメリカには湯船が無いからシャワーだったけど、それもミュウと入ったから1人ではなかったな。

 

うだぁ……と、20分程だろうか、ダラダラと湯船に浸かっているとふと自分の意識が飛んでいたことに気付いた。確か、お風呂で寝るのって睡眠じゃなくて気絶とか失神とか何だっけか。……もう上がるか。エンディミラ達も暇だろうし。

 

と、俺は湯船から立ち上がり浴室を出る。バスタオルで身体の水分を拭き取り、傍に置いてある下着を身に付けて脱衣所を出た。あぁ、自分の服持ってくんの忘れてたな。

 

俺は自分の部屋に戻るとタンスにに残っていたジーパンとタンクトップ、パーカーを引っ張り出してそれを着ていく。

 

そしてリビングに戻るとそこにはソファーに腰掛けて所在なさげにしているエンディミラとその両脇でちょこんと座っているテテティとレテティがいた。どうやら大人しくしていたらしい。テレビくらい付けててもいいのにと思ったけどもしかしたらテレビの存在も知らんのかも……いや、ホテルにあったから今はただ単に遠慮してるだけか。

 

「風呂、入ってきていいぞ」

 

「え、あ、はい」

 

と、自分が風呂に入っていいと言われたのが不思議だったのかエンディミラが珍しく慌てたような声を出した。

 

「あ、シャンプーとか分かる?」

 

「えぇ、大丈夫です。そのくらいは」

 

「そうけ」

 

流石にそれくらいは分かるか。アイツらがどのくらいこっちの文化を把握しているのかよく分からんな。貨幣経済は、Nにいたんならもしかしたら学ぶ機会は無かったかもだけど。アイツらは船で生活してんのかどっかに拠点があるのかもよく知らねぇしな。いや、羅針盤を使えば分かるんだろうしその気になればモリアーティ教授とやらも今すぐ逮捕しようと思えばできるんだが……俺としてはある程度Nは泳がせておきたいしな。

 

と、俺は風呂の続きでウトウトしながらそんなことに頭を巡らせていたのだが……

 

「あの、マスター」

 

ふと、エンディミラが俺を呼ぶ。その声に俺がそちらを見れば、バスタオルで身体を覆うこともしていないエンディミラさんが扉から顔を覗かせていた。……なんで?

 

「んー?」

 

なんで何も身に纏ってねぇんだという突っ込みが喉までせり上がってきたがそれを無理矢理に飲み込んで俺はそちらから目線を逸らして返事を返す。て言うか顔赤くなってんぞ。そんなに恥ずかしいならせめてタオルくらい巻けよ。俺は()()()()()()扱う気はないって言ったじゃんか。

 

「その、シャンプーの数が多くて……」

 

「あぁ……」

 

そう言えばウチにはシャンプーがわりと沢山ある。女子連中がそれぞれ好きなように選んで買ってくるからだ。ユエとシア、レミアとミュウはそれぞれは同じやつ使ってるけど他はバラバラ。何ならジャンヌのもあるからウチにはシャンプーが5つもある。ちなみに俺はその中から適当に使ってる。さっきは誰のだったかな……?

 

「どれでもいいよ。俺もどれが誰のだったかよく覚えてねぇし。適当に使ってくれ」

 

「は、はぁ」

 

と、エンディミラは納得したんだかしてねぇんだか微妙な返事を返してそのまま風呂場に戻っていった。

 

「腹、減ったな……」

 

俺は自分の空きっ腹を擦りながら1人ゴチたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

エンディミラとテテティ、レテティが風呂から上がってドライヤーで濡れた髪の毛を乾かした時には時刻は既に夕方になろうとしていた。

 

段々と陽が沈むのが早くなってきていて季節を感じ始めた俺は空腹の腹に手を置きながらエンディミラ達を連れて再び外へと出た。

 

飯を食わないとそろそろ腹に反乱を起こされそうなのと、コイツらの服やら何やらを買いに行くのだ。

 

「そういや何か食いたいものある?」

 

俺としては今はもう腹を満たせれば何でも良い気分なのでエンディミラ達に希望を募る。

 

「いえ、私は……テテティとレテティも特に希望は無いそうです」

 

だが返ってきた答えは芳しいものではなかった。んー、どうするか。

 

「あぁ……じゃあ苦手なものは?取り敢えずそれは避けるようにするよ」

 

「苦手……そうですね。特に好き嫌いはありません」

 

んー、特に無しか。じゃあいいか。適当に目に付いた所に入ろう。

 

と、俺は取り敢えず腹を満たしたら服を買い揃える目標があるので駅の方まで向かう。すると途中にラーメン屋が見つかった。あぁ、ここでいいか。

 

「じゃ、あそこで」

 

「はい」

 

と、俺は近くにあったラーメン屋に入る。バイトの「へいらっしゃい」という挨拶を聞き流しながら俺は案内されたカウンター席に着く。エンディミラは俺の右隣に、テテティもレテティもエンディミラの横の椅子に腰を下ろした。

 

「お前らどうする?」

 

と聞くとどうやらエンディミラ達はラーメンというものを食したことがないみたいで、メニューを見ても首を傾げるばかりだった。

 

「あぁ、俺と同じのでいい?」

 

「そうですね。そうします」

 

と、エンディミラが頷けばテテティとレテティもうんうんと頷いている。

 

「じゃあ……醤油3つ。1つは大盛りで」

 

あいよー!なんていう大将の元気な声を聞き流して俺は目の前にに置かれたお冷に口を付けた。

 

エンディミラとテテティ、レテティは店内をキョロキョロと見渡している。まるで異世界にでもやって来たかのようだ。

 

「少なくともここは女性を逢瀬で連れてくる所ではなさそうですね」

 

「やかましいわ」

 

俺だってデートならもうちょいまともな所に連れてくわ。

 

「兄ちゃん今日はまた新しい綺麗どころ連れてんのになぁ」

 

その言葉にエンディミラが頬を染めて俯いている。まぁ確かにエンディミラはとんでもない美人だが……。

 

「俺、ここ来たの初めてっすよ?」

 

なんでこのおっちゃん俺達のこと知ってるんだろうか。この店に来たのは俺は初めてだ。ユエ達だってあんまりこういう店には入らないと思うんだけどな。

 

「アンタ、この辺りじゃ有名だよ。いつも違う美人取っかえ引っ変え連れてるってな」

 

あぁ……俺っていうよりリサやユエ達が目立ってたのか。まぁあんだけ可愛い子達がいたらそらそうもなるか。んー、武偵的には目立ちすぎるのも良くないよなぁ。どうするか。まぁまずはこのおっちゃんの誤解を解いておこう。

 

「取っかえ引っ変えじゃないっすよ。皆一緒に暮らしてますし。こっちはまぁ、俺達のこと知ってんなら何となく分かるでしょ?」

 

今でこそ武偵高の防弾制服は着ていないけど普段の俺達を見てるなら俺達が武偵だってことも知ってるはずだ。ならまあ、あくまでもエンディミラは()()()()ってことにしておいてもらおう。

 

という俺の狙いにどうやらおっちゃんは上手くハマってくれたのかどうかは知らないが「なるほどねぇ」なんて言ってラーメンの方に集中を戻した。

 

そして少しすれば「へいお待ち」と、俺達の前に湯気の立っている器が置かれた。俺は割り箸をパキりと割って"頂きます"と拝んでから箸をつけた。

 

エンディミラもそれを見て箸をつけようとして……

 

「あの、マスター」

 

「んー?」

 

俺はラーメンを啜りながらエンディミラを見やる。すると、何やら不快なものでも見たかのような顔をしたエンディミラがそこにいた。

 

「マスターは屍肉も食べるのですか?」

 

「しに……何?」

 

「動物の肉です。これ……」

 

と、エンディミラが箸で指し示したのはラーメンのチャーシュー。エルフって菜食主義者(ベジタリアン)なのか。しかも、人間が肉を食うことを知らんかったらしいな。知ってたらさっき肉は食わんと言ってるだろうし。

 

「ま、俺は食うよ。エンディミラが食えないなら俺が食ってやるからちょうだい」

 

と、俺はエンディミラの皿からチャーシューを2枚取って自分のラーメンの上に乗せた。流石に2人分も乗っければ俺のラーメンだけチャーシューだらけですよ。まぁ嫌いじゃないからいいけどね。最近は俺も肉食えるようになったし。

 

と、俺はチャーシューで麺が見えなくなりそうな自分の器を見下げていざ、と再び食事に戻る。ただエンディミラはラーメンの汁に使われてるカツオ出汁の匂いも気に入らなかったらしく「これは食べられません」と俺に皿ごと差し出してきた。

 

テテティとレテティは特に好き嫌いはないっぽいく、ハフハフと熱いラーメンに息を吹きかけながら不器用ではあるけれどしっかりと食べていた。

 

「あぁ……すんません、替玉ください」

 

なので俺はエンディミラ用に替玉だけ頼んだ。んで、エンディミラが俺に渡してきた2杯目は自分で食べることにする。まぁ腹減ってるしこれくらいなら食べられるでしょ。

 

と、存外よく食べるエンディミラは替玉だけおかわりをしてラーメンの麺だけを食っていた。あとラーメンの麺だけでも結構美味しかったらしくてニコニコ笑顔で麺だけ食っていた。んー、普段クール系美人のこういう顔は中々ギャップでクるものがあるな……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ラーメン屋の店主には微妙な顔をされつつも腹を満たした俺達は店を後にし、駅前のデパートにやってきていた。

 

「取り敢えずこの店で適当に服見繕ってもらえ」

 

「いいのですか?」

 

「んー?金は俺が払うからいいよ。取り敢えず1着とは言わずに何着か買っとけ。買うもん決まったら呼んでくれ」

 

ネモの方の都合がいつ着くか分からんからな。取り敢えず数日分あれば後は洗って着回せるだろうし。

 

「はい、ありがとうございます、マスター。行きますよ、テテティ、レテティ」

 

と、エンディミラは俺に随分と綺麗なお辞儀をして、テテティとレテティも何となく頭を下げてからエンディミラについて行った。俺は店の前に置かれたシートに腰を下ろして3人が店員に勧められるがままに服を合わせられているのをただ眺めていた。エンディミラには外に出る前にシア達に渡してあるのと同じアーティファクトを渡してあるので長いエルフ耳が露見するのとはないからそこら辺は安心して見ていられるな。

 

すると、何やらエンディミラとショップの店員が俺の方をチラチラ見ながら話しているみたいだった。態々声を聞こうとも思ってないから耳に入れてなかったけど、どうしたんだ?

 

すると、店員が俺の方へと笑顔を見せながら歩いてくる。どうにも俺に用があるみたいだった。……今のところエンディミラもテテティとレテティも何も変なことはしていなかったと思うけどな。

 

「ぜひお連れ様にもお客様のお洋服を見ていただきたいのです」

 

と、どうやら俺がエンディミラの彼氏か何かだと思っているっぽい若い女の店員が俺を手招きで呼び出した。あぁ、だからエンディミラも顔赤くしてるのか。アイツあれで意外とその手の話題に弱いんだな。

 

「あぁ、いいっすよ」

 

と、暇ではあったし断るのもそれはそれで面倒臭そうだったので俺は特に断るでもなく店員の後ろに着いて試着室の方へと案内される。エンディミラと店員はそれぞれ結構な数の洋服を抱えていて、これは長くなるかもなぁという嫌な予感が俺の中に鳴り響いていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「どうです?」

 

と、試着室からエンディミラが出てくると店員の方が俺に意見を求める。

 

「似合ってると思いますよ」

 

俺も心にもない……なんてことはなくちゃんと心から思っていた言葉を出してやる。て言うか、エンディミラは背が高くてスタイルが良いから多分何着ても似合う。エンディミラはエンディミラで俺に素直に褒められるのが気恥しいのか照れてるし、その姿がまた普通にしている時のクール系美人の雰囲気とのギャップがあってより可愛らしく思える。どうせ全部似合うんだしいちいち意見求められんのも面倒だな……。さてさて

 

「エンディミラ、この中であんまり好みじゃない服あった?」

 

「いえ、そのようなものは……」

 

「ん、じゃあ取り敢えず試着だけしてみてサイズ合わなさそうなの以外は全部買おう。まだテテティとレテティの服も見てやらなきゃだから、ちょっと待っててくれ」

 

さっき財布の中身見たら多分3人分の服をまとめて買ってやれる現金がない。この店はそんなに高い店じゃなくて学生も結構利用しているので、単に手持ちの問題ではあるのだ。なのでエンディミラが店員の着せ替え人形になっている間にATMで現金を降ろしてこようと思う。

 

ショップの店員は俺の意図が分かっているようで「凄いなこの男……」みたいな顔をしつつも不思議な顔はせずに俺を送り出した。

 

んで、俺がATMでそれなりの額の現金を降ろしてからショップに戻ればエンディミラと、テテティ、レテティはそれぞれ数日分は着回せそうな量の洋服を抱えていた。

 

「そんだけあれば暫く大丈夫だろ」

 

「ありがとうございます、マスター。私達のために着るものまでこんなにも用意していただいて」

 

と、俺が会計を済ませ、3つ程の紙袋を抱えて店を出るとエンディミラがそんなことを言ってきた。

 

「言ったろ、ちゃんと扱うって。後は下着か……。こっちは俺が店に入ると変な顔されるからなぁ……お金だけ渡しとくから買ってきてくれ」

 

と、俺はエンディミラに3人分として3万円程の現金を渡した。俺も女性用下着の相場なんてそこまで詳しくないけどこれだけあれば3人でも何着かは買えるだろうと、俺はまた店の前……からは少し外れた所にあるシートに腰掛けて3人を送り出した。女性用の下着ショップの目の前に男が座ってんのはあまり宜しい光景とは言えないからな。

 

「マスター、色の好みはありますか?」

 

「ねぇし見ねぇから好きに買ってこい」

 

質問の意図は分かるがそれに応える気は更々無いので「ほら、行った行った」とエンディミラ達を追いやる。アナタとアナタがその時着ている下着を見る事態になったら後で俺が大変な目に遭うでしょうが。

 

 



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同居

 

 

あの後には下着だけじゃなくて、余った金で寝間着も買ってきたエンディミラ達を連れて、俺は再び自分の家へと帰ってきた。外から見て部屋に電気が付いていなかったから分かっていたけど、まだリサ達はアメリカから帰ってきていなかった。

 

「そういや、ちょっと聞いていいか?」

 

と、無人の我が家に戻った俺は電気のスイッチを入れ、灯りを取り戻したリビングに置いてある4人掛けのソファーに腰を下ろしながらエンディミラを見やる。なんか立ったまま喋りだしそうだったのでつい、と顎で指して座っていいよと示してやりながら。

 

「奴隷に聞いてはならないことなどありません。お気になさらずにどんなことでも」

 

すると、別にこっちに来なくても1人掛けの方でいいのに態々俺の真横に腰掛けたエンディミラとその横に順繰りに座ったテテティとレテティ。

 

「だから……いや、まぁいいや。皆ん前でそれ言わなきゃいいよ。……んで、エンディミラ、お前はなんでNに入った?」

 

イタリアはコロッセオで戦ったグランデュカは、Nのことそのものは何も話してくれなかったのだが、自分のことは割と話してくれた。だからエンディミラにも聞けば何か答えてくれるかなと思って少し気になっていたのだ。このやたらと知識の偏っているエルフがどこから来て、何故Nなんて所にいたのか。

 

「私は……故郷を追われてNに辿り着きました」

 

すると、エンディミラは案外容易く喋り出す。

 

「で、拾われた恩に報いるためにNの活動を手伝っていた、ってことか」

 

しかし故郷を追われた……か。穏やかな話じゃないな。コイツの国は内戦でもしてたのか……?いやまぁ出身地なんて羅針盤で調べれば直ぐなんだろうけど、聞いて済むならその方が楽だし。

 

「そうか……。気ぃ悪くしたなら謝るよ」

 

故郷を追われたっていう話で俺はシアやティオのことを思い出さざるを得ない。透華達も地元じゃろくな扱いじゃなかったし、どうしても俺はこの手の話題は苦手なんだよな。

 

「いえ、奴隷にそのような気遣いは無用ですので」

 

「そうけ……。んじゃ、エンディミラ達ってどこ出身なの?」

 

「私の故郷の森はノルザンガルナの南1日、西2日にありました。テテティとレテティの郷里は正確には分かりませんが、レクテンドの蛮地のどこかです」

 

ノルザ……レクテンド?どこだそこ。聞いたことねぇぞ。これはきっと俺の頭が悪いからとかではないはずだ。となると……

 

「───それは、この世界か?」

 

「いいえ……別の世界です。こことは別の……」

 

やはりか……やっぱりエンディミラ達はこの世界の人間……っていうかエルフか。この世界出身のエルフって何?って気もするけど。ともかくこの世界の出身ではない。ま、俺にとっちゃそんなの今更って感じだけど。

 

「ふぅん。じゃあ……エンディミラとテテティ、レテティはどこで?聞く限りお前らの出身は結構離れてそうなもんだけど」

 

「私とこの2人はそれぞれ流浪していたところで出会い、決闘に私が勝ったために私の奴隷となったのです」

 

ということはテテティ、レテティの2人よりもエンディミラの方が強いのか。

 

「へぇ……あ、忘れてた。これ返すよ」

 

と、決闘で思い出した俺は宝物庫から拳銃(モーゼル)と短剣を2振り取り出した。カナダで俺がコイツらから回収したやつだ。コイツらが武装して裏切ったところで俺達にとっては大した驚異にならないし、リサやミュウ、レミアにこれらを向けようものならろくな目に合わないであろうことはエンディミラ達も分かっているはずだしな。

 

「本当にいいのですか?」

 

「だから言ってんだろ?お前らが武装しても俺達ゃ怖くねぇんだ」

 

まぁ本当は渡しちゃうと銃刀法違反だから駄目なんだけど……コイツらは見せびらかす奴らじゃないから別にいいよね。

 

「んで、お前らは何でまた彷徨うなんてことになったんだ?」

 

俺がテーブルに置いたモーゼルを素人丸出しの持ち方で手元に寄せたエンディミラは少し目を伏せ、そしてまた俺の方を見て話し出した。

 

「私の故郷の森は焼かれたのです……。竜の魔女・ラスプーチナという者に……」

 

故郷を焼かれた。それはやはりどうしてもフェアベルゲンを追われたシア。それに、どの種族よりも高潔で誇り高いと言われていた竜人族が、エヒトにより周りと認識を狂わされて里を追われ、世界の果てに身を隠さざるを得なくなったティオを思い起こさせる。

 

「テテティとレテティの郷里もまたラスプーチナに焼かれたようです。彼女達はその時に随分とショックな光景を見たようで、そこから言葉を発せなくなったとのことです。……一時は復讐も考えましたが、どうやら魔女は死んだようです」

 

森を……故郷を焼かれ彷徨う果てにNに拾われたエンディミラとテテティ、レテティ。どうやってコイツらが別の世界であるこっちにやって来たのかは知らない。多分、この世界にも聖痕に依らずに別の世界へと渡る手段はあったのだろう。それを俺が知らなかっただけで。その手段をNは持っているのか、それとも偶発的に開く扉があって、たまたまエンディミラ達は迷い込んだだけなのか。

 

「悪いな……嫌なこと思い出させちまった」

 

「いえ……奴隷の身分にそのような気遣いは無用です」

 

あくまでも自分を奴隷扱いするエンディミラに俺は嘆息するしかない。けどま、何となくコイツらの考え方は分かってきた気がする。貨幣経済ではなく血筋による信用、それが無い者達には決闘で決まる勝敗による支配関係。それがコイツらの対人関係の基本なのだろう。まぁ分かり易いと言えば分かり易い。

 

「ん、ありがとな、色々話してくれて。取り敢えず俺は寝る。布団は……予備あったかなぁ……」

 

て言うか俺、そういうのが何処に仕舞ってあるのかよく知らねぇな。家事とか全部丸投げしてるからなぁ……。

 

ガサガサとリサの部屋を漁ってみるのだがそれらしきものは見当たらない。て言うか、もしかしたらジャンヌの分で使い切ってるのか……。んー、仕方ないし取り敢えずはリサ達のベッドでも借りるか、もしくは俺のベッドを貸して俺が誰かの布団に入るか、かな。多分それが1番波風立たない気がする。アイツらいつ帰ってくんのか知らねぇけど。

 

「んー、俺のベッドとリサ達の誰かのベッド、どっちがいい?」

 

「マスターと奥様方のベッド、ですか……」

 

と、エンディミラは何やら顎に指を当てて上を見ながら考えている。男の使ってる布団に入りたいとは思わねぇだろうけど、俺とリサ達の関係を知っているエンディミラからすれば女子連中の布団もそれなりに入り辛いのかもな。

 

「もし宜しければ、奥様方のベッドで……」

 

やはり男の布団には入りたくはないよな。

 

「うい。じゃあリサのでいっか。そっちの部屋で寝ていいから。あ、シャワーだけ浴びとけ。また少し動いたしな」

 

一旦風呂に入って身体洗いはしたけどその後飯食いに行って買い物もしたからな。一応俺もシャワー浴びて軽く流したいし。

 

ついでに俺はハサミを取ってきて「買ってきた服のタグはこれで切っといて。ゴミはそっち」と持ってきたハサミをテーブルに置いてさっさと浴室へと向かう。今回はちゃんと寝間着も持って、だ。

 

んで、俺はシャワーを浴びて布団に潜り、エンディミラ達もどうやら湯浴みを済ませて部屋に入ったのを音で確認して瞼を降ろした……

 

ところで───

 

───カタカタカタ……ガタガタガタ……

 

と、部屋が小刻みに揺れだした。どうやら地震みたいだな。震度は4くらいか?ただこの部屋は上階……って程でもないけど1階でもないから少し大きく感じるな。すると───

 

───ドタドタドタッ!

 

と、テテティとレテティがバタバタ右往左往して走り回っている音が聞こえてくる。流石に夜も更けたこの時間に部屋を走り回られるのは近所迷惑なのでエンディミラ達がいるはずのリサの部屋に入ると

 

「……大丈夫か?」

 

エンディミラが布団を頭から被って丸まっていた。俺はテテティとレテティを捕まえて大人しくさせてからエンディミラの被っている布団を剥いでみる。すると、エンディミラは頭を両手で抑えてエルフ特有の長い耳もペターンと倒していた。あ、それそうやって動くのね……。

 

「うう……」

 

と、どうやら地震慣れしていないらしいエンディミラが涙目で俺を見上げていた。俺は子供の頃に両親と日本に来た時にも多少の地震は経験したけど、イ・ウーを抜けた直後はリサも怖がってたな。船に揺られるのは慣れてるけど地面が揺れるってのは慣れてないと怖いもんらしい。

 

「あの、マスター……」

 

「……んー?」

 

エンディミラの庇護欲を唆られる表情に思わず言葉に詰まるがそれを顔には出さないようにしつつ地震を怖がってるっぽいエンディミラと目線を合わせてやる。

 

「申し訳ございません……できれば同じ布団で……」

 

あー……そういうやつか。まぁエンディミラ的には特に深い意味はなくてただ単に怖いから俺にいてほしいってだけなんだろうけど、そういうの危ねぇだろ……。

 

「奴隷の身分で差し出がましいこととは分かっていますが……」

 

「いいよ、気にすんな。リサも昔地震が怖いっつって同じ布団で寝たことあるし」

 

俺がリサの昔の話を思い出すと何やらエンディミラは少しムッとしたような顔を、一瞬だけして、直ぐに仕舞った。ま、テテティとレテティも地震が怖くて一緒に寝る気みたいだし、変なことにはならんだろ。

 

だがいくらその気がお互いに無くても、別の女とリサの布団で寝るのははばかられたので俺の部屋で4人集まって寝ることに。……流石に狭いな。て言うか、エンディミラが俺の右腕を取って身体を寄せてくるから右半身がとっても幸せなことになっている……と思ってたらテテティレテティもぎゅうぎゅうと寄せてくるしコイツらも身体の育ちだけは良いから柔らかさの暴力でしょこれ。

 

けどこっちだったトータスじゃユエとかシアとかに囲まれて寝てたんだ。このくらい、耐えて無事に寝てみせるぜ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ご主人様、そろそろ起きてください。もうすぐお昼になってしまいます」

 

と、鈴の音を転がしたような愛らしい声に俺の瞼が持ち上がる。すると視界に入ってきたのは愛おしいリサの顔。服は私服で、いつもの防弾メイドセーラー服ではない。どうやらアメリカから帰ってきたみたいだ。

 

「おはよ、リサ。大丈夫だったか?」

 

「はい。特にトラブルもなく無事に全員帰ってこれました。ところで、その……」

 

と、どうやら無事に全員帰ってこれたみたいで良かった。確かに気配感知の固有魔法ではミュウ達もいる。エンディミラやテテティ、レテティの気配もある。ドタバタと音も聞こえてくるからミュウと遊んでいるんだろう。てことは珍しく歯切れの悪いリサの言いたいことはこれかな。

 

「あぁ……エンディミラ達のことか?」

 

「はい。ネモ様の元へは……」

 

「返そうとは思ってんだけどな。アイツも多分逃げられただろうし、様子だけ確認して大丈夫そうならとは思ってんだけどね……」

 

「何か問題でも?」

 

「エンディミラ的には俺達はNの敵らしい。んで、その敵の手に落ちたのだから自分を奴隷にしろとか言い出してな。ネモんとこに返すって言っても聞かないし。取引に使われるくらいなら自殺するとか言うし……」

 

改めて思い返せば捕虜なのになんて態度のデカさだ。扱い辛いにも程がある。

 

「んで、取り敢えず後でこっそりネモに連絡入れて、返せそうなら無理矢理投げ返す。後はまぁネモがどうにかすんだろ」

 

エンディミラ達は向こうでも特に酷い扱いを受けているわけじゃなさそうだし、ネモの元へ返しても問題はあるまい。ネモ達テロリストだけど……。

 

「なるほど、ではご主人様はエンディミラ様には指1本触れていないと」

 

……ん?なんだなんだ、リサの雰囲気が変わったぞ。て言うか笑顔が怖いよ怖い。目だけ笑ってないんだけど、どうしたのさ。

 

「あぁ、まぁそうだな」

 

全く完璧に接触が無いといえば嘘にはなるんだろうが、あの言い回しだとそういう意味ではなさそうだし、そっちの意味合いでは俺は確かに触れていないのだからセーフだろう。

 

「なのに同じお布団では寝られたのですね」

 

「え……いや何で知って───」

 

あれ、これ俺もしかして墓穴掘った?

 

「全て、エンディミラ様がお話してくれました。昨夜、4人が帰ってきてから何をしたのか、存分に……仔細に語ってくださいましたから」

 

「待て待て待ってくれ。仔細にってんなら聞いただろ?昨日はこっちは少し大き目の地震があって───」

 

だから俺はエンディミラにはそういう意味では何もしていないのだと言おうとしたところ───

 

「はい、存じております」

 

「え、お、おう……」

 

なら良かった……のか?どうだろう、この流れで良いなんてこともなさそうなんだけど……。

 

「ご主人様が意外と女性にだらしがないのはもう皆様分かっていますから」

 

だらしなくはない、と言いたいけれど実際問題トータスから帰ってからこっち、ジャンヌを迎え入れ、メヌエットからは迫られ、向こうにもこっちにも恋愛感情は無さそうとは言えエンディミラをこうして連れて来ているという事実が俺から反論を奪ってしまう。そもそもトータスからもユエ達4人を──いくらミュウとの約束もあったとは言え──愛してしまったからと連れてきてしまったのだ。そんな俺に何を言うことができようか。いやまぁ全部俺自身が招いたことですけども。

 

「申し開きのしようもございません……」

 

と、確かに傍から見たらどう足掻いても異性にだらしがない俺は、ただただリサの前に項垂れるしかないのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

リサに───まるで連行される犯人かのように連れられてリビングへと向かうと、そこには何やら頭を突き合わせてお話をしているユエとシアとエンディミラがいた。ティオはそれを傍から眺めてヤレヤレ……みたいな顔をしているし、ジャンヌに至ってはもはや我関せずでコーヒーを啜っている。

 

ミュウはテテティとレテティと絵を描いていてレミアはそれを眺めている。正直ちょっと人数が増えただけのいつも通りの光景がそこには広がっていた。つまりはまぁ、どこからも助け舟は出航されなさそうだった。

 

で、俺が起きてきたことに気付いたユエとシアがグルリ!と凄まじい勢いで俺の方を向き、エンディミラが恐縮そうに肩を窄めている。

 

「……天人」

 

「天人さん……」

 

「うす……」

 

2人の放つ威圧感に思わず俺はその場に正座。すると頭上から「ハァ……」と、それはそれは深ぁいため息が2つ発生していた。

 

「で、どうするのじゃ?」

 

と、傍から見物を決め込んでいたはずのティオが俺を見やり、スルりとエンディミラを見てそう聞いてくる。その目は言外に「作戦はバレてるぞ」と俺に告げているようだった。

 

「んー、どうするも何も……」

 

俺は、いつの間にか誰かが立ち上げていたデスクトップPCからスカイプのアプリを立ち上げ……もう既に立ち上がってるし、いつの間にやらティオからネモへとエンディミラ達をどうするのかっていう文言がフランス語のメッセージで送られてる。これもう俺に出来ることは何もないみたいですね。

 

「えぇ……」と俺がティオを見やればその瞬間にヒュボッとメッセージを受信した音が鳴る。……ネモからだ。なんだなんだ……

 

『エンディミラ達にはそちらで色々学ばせてやってくれ。彼女は頭が良い、きっと役に立つだろうから今回の護衛の報酬だと思ってくれ。それから、3人には「これまでの助力に感謝する。今までご苦労様だった」と伝えてくれるとありがたい』

 

という文面がフランス語で入っていた。

 

「えぇと、エンディミラ達が正式に……引き渡されました……」

 

正直ちょっと言葉は選んだ。流石に譲渡されましたは物扱いが過ぎるので……。でも加入ってのも変だし移籍も違うよなぁ……。

 

「あとエンディミラ、それからテテティとレテティにも「これまでの助力に感謝する。今までご苦労様だった」って、今ネモからきてた」

 

と、隠しててもしょうがないので俺はエンディミラ達に、ネモから解雇通知(?)が届いたことを正直に伝える。するとやはりエンディミラは少しショックを受けたような顔をしてから顔を伏せ……

 

「そうですか。いえ、敵の手に落ちたのですから当たり前のことです」

 

と、無理に明るい顔を作って見せていた。まぁ、上役から御役御免なんて伝えられたら誰だって辛いよな、特にエンディミラにとってはNは故郷を追われてようやく辿り着いた居場所なんだから。

 

「みゅ?エンディミラお姉ちゃんどうしたの?」

 

と、人の感情の機微に敏いミュウがエンディミラにサッと寄り添う。そして言葉は喋れなくとも俺達の話を何となく理解しているテテティとレテティも同じようにエンディミラに寄り添っていた。

 

「んー?エンディミラお姉ちゃんとテテティとレテティがしばらくこっちにいるって話だよ」

 

本当はしばらくどころじゃ済まない気がしてるけどそれはそれ。そこまで伝えればミュウは顔を輝かせて「テテティちゃんとレテティちゃんとももっと遊べるの!」と喜んでいた。んー、まぁそれでいいか。今のコイツらにはこういう明るさも必要だ。

 

「よいのですか、マスター」

 

「他に行くあてもねぇだろ?……取り敢えず寝泊まりはレミアの方でいい?」

 

俺はこのマンションの部屋を2つ借りている。こっちと、便宜上レミアとミュウの家としている隣の部屋だ。普通に行き来しているし皆それぞれその時々で思い思いの方で寝てたり飯は結局一緒に食ったりしているけどな。

 

「ありがとうございます」

 

と、レミアが頷くのを見てエンディミラが俺に頭を下げ、テテティとレテティもそれに続いた。んで、テテティ・レテティコンビとお泊まりできると把握したらしいミュウも喜んでいる。んー、一応これで全員納得の形になるのかな……?

 

「ん、気にすんな。取り敢えず飯食おうぜ。俺ぁ朝も食べてねぇんだけど」

 

「それは天人さんが寝坊してるからですぅ」

 

「……んっ、お昼まで我慢して」

 

「あの、バナナならありますよ……?」

 

と、シアとユエからは割とお冷たい視線を頂戴した俺は俺の腹が減っていることを見越して用意されたバナナをリサから手渡され、その皮を剥いていくのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

皆で昼飯を食べ、お(ねむ)になったミュウとテテティとレテティをレミアが自分の部屋へと連れて帰ったところで俺はエンディミラへと話を振る。

 

「で、こういうことになったわけなんだけど、流石に食客を3人は抱らんねぇぞ」

 

で、何ができるの?と聞けば

 

「私は聡明です」

 

それ自分で言う?

 

「エルフの森でも学者の職にありました。事象を大局的に観察、理解してそれを王や将、提督といった立場の者に具申することができます」

 

なるほど、補佐官的なことができるのね。

 

「そりゃいい。今俺達ゃ商売をやっててな。名義上のトップは俺なんだけど……基本俺にそういう才能は無い。んで、新しいボス候補がいるんだが、それの補佐が欲しかったんだよ」

 

ちなみに俺はほぼ社長のお仕事はしていない。ていうか無理、細かいこと分からんし。なのでほぼリサと、最近はティオやレミアもこっちに慣れてきていて持ち前の地頭の良さを発揮してもらっている状態なのだ。だがそれも限界があるし、正直そういうことができる奴がいてくれるのは助かる。まぁ今交渉中の新社長候補に必要なのかどうかは知らんが、アイツもアイツで性格にやや難アリだからな。エンディミラみたいなのがいてくれれば良い方向に持ってけるだろう。

 

「私に、職をくださるのですか?」

 

「そりゃあな。テテティとレテティも食わせていかにゃならんのだし」

 

て言うかコイツらもいるならもう一部屋借りた方が良くないか……?つか、もう会社のオフィスから何からちゃんと用意した方がいいかもな。今は雇ってる経理とかの人達にもノートPC支給でお家で仕事をしてもらっているから、そういう仕事場みたいなの用意できてないんだよな。何せ俺が錬成で鉱石を加工できちゃうからそういうのほぼ要らないんだよね、残ってんの事務処理とかばかりだし、出向くことはあってもこっちに招いてプレゼンするとかも無かったし。

 

と、俺達は今後の方針をリサやティオ、ジャンヌを交えて話し合う。取り敢えずエンディミラの身分証はジャンヌと、あと理子にも金を積むしかなさそうだが。

 

んで、その日の夕方、俺達の元へ1本のテレビ通話が入ってきた。

 

「ご機嫌よう、天人」

 

「おう、そっちは朝か?」

 

掛けてきたのはメヌエット。イギリスと日本の時差は9時間程だから向こうは朝だろう。

 

「えぇ。そちらは夜ね。……相変わらずモテモテのようで」

 

と、一緒にカメラの範囲に入っていたリサ達を見て何やらメヌエットが嫌味のようなことを言ってくるがまぁそれはスルーでいいだろう。ほぼ挨拶みたいなもんだし。

 

「んで、考えてくれたか?」

 

「そうね。結論から言えば、やってあげてもいいですよ」

 

「本当か!?助かるよ!」

 

俺がメヌエットに頼んでいたこと、それは俺の興した会社の社長をやってくれないかという依頼だ。俺は武偵だからあまりこういう場には名前を出しておきたくはないし何より器じゃない。能力も無いしな。リサやティオ、レミアも社長ってのは難しいだろう。リサには外向けの交渉事に力を発揮してもらいたいし。しかもティオとレミアは根本からして公文書偽装でこの世界に居座っているのだからあまり表に出るのは宜しくないだろうし。

 

そこで俺の知るこの世界産まれの人類……かつ俺が信頼を置ける人物の中で1番頭の良い人物に声を掛けていたのだ。それがメヌエット。コイツの頭の良さなら社長としてやってくれるだろうという期待の元──但しコイツも貴族の立場があるので半分ダメ元だったが──頼んでいたのだが、どうやらやってくれるようだ。

 

「貴方にはこの脚をくれた恩もありますし。今度またこちらに来てくださいな。私、遂に杖も無しで歩けるようになったのですよ」

 

「おぉ!やったな、メヌエット」

 

「えぇ。それで、肝心の件ですけれど、少し条件があります」

 

メヌエットからの報告は喜ばしいものだったし、メヌエットももう少しそのことについて話すのかと思ったけど、直ぐに話は元に戻される。

 

「んー?どんな?」

 

条件と聞いてリサも綻ばせていた顔を真面目モードに切り替える。

 

「いえ、大したことではありません。ただ、顧客のターゲット層をイギリスの王室や貴族……その他富裕層に軸足を置く、という方針を受け入れてくれるなら、というだけですから。武偵業の方は、貴方が考えている通りに進めば問題無いでしょうし」

 

ふむ……俺としてはそれに特に思うところはない。何せこの会社作ったのも、悪く言っちゃえばただ単に金儲けのためであるからして、別に社会貢献とか特に考えていないのだ。いや、建前は別としてね。だからぶっちゃけ今抱えている案件だけ終わらせて軸足をイギリスに移すこと自体は別に構わないと俺は思っている。まぁ、これは完全に素人考えなんだけども。

 

「リサ的にはどうだ?」

 

なのでその辺色々考えられるリサに話を振る。

 

「はい……今すぐではなく徐々にということでしたら問題ないかと」

 

なるほどな。メヌエットはイギリス人だし貴族だから王室や他の貴族との繋がりもあるのだろう。もちろん、貴族階級ではない金持ちとのパイプもあるはずだ。んで、メヌエット的にはそういう奴らをターゲットに絞りたいんだろう。

 

「ってわけだ。こっちはそれで大丈夫だよ」

 

と、画面越しに俺はメヌエットにそう伝える。

 

「分かりました。それでは引き受けましょう。もっとも、義務教育を終えてからになりますが」

 

「あぁ、分かってるよ。それでも俺ぁお前がいい」

 

俺はコイツより頭の良い人間を後はシャーロックくらいしか知らん。もしかしたらモリアーティはもっと頭が良いのかもしれないけど、どっちも個人的に信用ならないし、ネモには当然そんなこと頼めるわけもないし。

 

「あ……全く……天人はこれだから……」

 

と、何やらメヌエットが顔を赤くしている。リサやユエ達からの目線も冷たいし、どうやら俺は言葉を少し間違えたようだ。

 

「マスターはこんなに小さな子を働かせるつもりなのですか?」

 

と、ふとエンディミラが画面の中に映り込む。

 

「……天人、その女は誰ですか?」

 

すると突然メヌエットの顔が不機嫌そうになる。いやまぁいきなり出てきて小さいとか言われたらメヌエット的には怒るか。

 

「あぁ、コイツはエンディミラって言ってな。多分これからも会社の方を手伝ってもらうと思うから。できれば仲良くしてやってほしい」

 

とまぁ俺が正直に伝えたところそれでもメヌエットは不機嫌そうな顔を隠そうともしていない。

 

「それとなエンディミラ、コイツは背が低いだけで歳は俺と3つくらいしか変わらん。俺より頭良いしな」

 

「ふむ……ではこの方が先程マスターが言っていた候補というわけですね」

 

「そゆこと」

 

「……誰、というのはそのエンディミラという女と貴方がどんな関係かということです」

 

せっかく小さい子扱いをフォローしてやったのメヌエットはまだ機嫌が悪そうだ。ていうか、さっきよりも更に目線が冷たくなっている。ジト目、というより敵でも見るかのような目でエンディミラを睨んでいる。

 

「マスターは私のマスターです。それ以上でもそれ以下でもありません」

 

と、シア達のいる前では自分が奴隷だと言うなという約束はしっかりと守りつつ俺と自分との関係を説明しようとするエンディミラ。だがエンディミラよ、マスターはマスターです、は事情を知らん奴からすると意味分からんと思うぞ。

 

だがメヌエットはその卓越した推理力で、少なすぎる情報から何かを察したのか溜息を1つ付いて目線を弛めた。弛めたと言っても、今度はそのジト目──普段のそれよりも幾分か湿度の高いそれ──で俺を見やる。

 

「はぁ……まぁいいでしょう。何となく関係は掴めましたから」

 

やっぱコイツ凄いな。俺だったら意味分かんねぇ説明しろと言って暴れてるよ。

 

「その女の出自も何となく読めましたが、それはこの胸の中に仕舞っておきましょう」

 

あぁ……もしかしてエンディミラがNから来たことも今ので分かっちゃったの?何でだろ。アリアから俺とNの関係でも聞いたのかな。さもありなんだな。

 

「私としてはもう少し天人とお話をしていたいところなのですが、もうすぐリハビリの時間ですので今日はこれにて」

 

「おう、ありがとな。助かるよ」

 

「いえ。お気になさらず」

 

そう言ってメヌエットが通話を切った。俺はメッセージをやり取りする画面に戻ったアプリを見ながら1つ息を吐いた。取り敢えず、今後の目処は立ったな。後はエンディミラ達のことか……。

 

すると、俺の携帯から電話の着信音が鳴り響く。その音は教務科の……蘭豹からだっ!

 

俺は、それはそれは素早い動きで携帯電話を取り、その恐怖しか感じない着信に出る。

 

「はい、強襲科3年の神代天人です」

 

「おう、神代か。学校サボっていいご身分の」

 

「い、いえ、決してサボったとかそういうわけでは……」

 

蘭豹とか斬馬刀で俺の多重結界ぶち抜けそうな怖さがあるんだよな。マジで帝国の皇帝陛下なんぞよりも100億倍くらいの恐怖感がある。

 

「まぁええ。その代わりお前にはやってもらう仕事があるんや」

 

え、仕事……?しかも教務科からのご指名の?

 

「えと、それは……」

 

何それ今この会話の流れで……?普通に嫌な予感しかしないんですけど……。そして、俺の予感は蘭豹の次に続く言葉で見事に的中してしまう。

 

「───それはな、先生や!」

 

───ほらな、先生なんて俺に1番向かない職業なんですけど。どうすんのよこれ……。

 



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先生

 

 

詳しい話は明日の放課後の教員寮で話すからそれまでには強襲科に来いと言われて電話は切られた。

 

先生……先生ねぇ。どっかで悪いことしてるガキんちょ共がいて、俺はそれの摘発でもすればいいんだろうか。もしくはその先にいるであろう悪い大人を捕まえるとか。んー、俺のこれまでの仕事からしたらそっちの方が可能性高そうだ。

 

大学に潜入してそういう仕事をしたことも何度かあるし、もしかしたら違法な草やお薬がまた出回っているのかもな。

 

と、俺はそんなことを考えながら夕方に蘭豹の元へと向かうために防弾制服に着替えていた。そこで俺はふと、エンディミラが前は学者をしていたと言っていたことを思い出した。て言うか、エンディミラって日本語もフランス語も英語も上手なんだよな。

 

「なぁエンディミラ」

 

「何でしょう、マスター」

 

「お前、日本語も英語もフランス語も喋れるけど、言葉覚えんの得意なの?」

 

「私は語学が得意中の得意です。昔いた国では幼いエルフに共通語の他にもゲーナ語ハヤン語新大陸語を教えてもいました」

 

ほう、元先生なのか。何語を教えていたのかは全く分からんが。ま、蘭豹に行かされる学校がどこなのか知らんが、もしエンディミラを連れて行けるなら連れて行った方が良いかもな。俺は先生なんて柄じゃないし。エンディミラにはこれから会社の方を手伝ってもらう予定だけど、身内ばっかの所に入る前にまずは外を見せてやった方がいいかもだしな。

 

「んー、じゃあさ、ちょっと着いてきてよ。どうにも仕事で先生をやれって話があるんだけど、俺ぁそういう柄じゃないからさ。もし2人で入れそうなら入れてもらって手伝ってくれ」

 

「はい、どこまでもお供します」

 

と、良いのか悪いのか二つ返事でエンディミラが答えるので俺は宝物庫から武偵高のセーラー服を取り出す。キンジから返してもらって、クリーニングに出してからはまだ未使用のティオ用のやつだ。ちなみに使ったのがクロメーテルちゃんになったキンジだけなのでマジでティオは使ってない。

 

「武偵高に行くからこれに着替えといてくれ。サイズは多分大丈夫だろ」

 

エンディミラよりティオの方が背は高いからな。入らないってことはないはずだ。

 

「はい」

 

と、俺から武偵高の防弾セーラー服を受け取ったエンディミラが「部屋をお借りします」とリサの部屋へと消えていった。そして、少しするとさっきまで着ていた服を丁寧に畳んで抱えたエンディミラが武偵高の赤いセーラー服を着て戻ってくる。見た感じではサイズも大丈夫そうだな。しっかし、やっぱりエンディミラは何着てても似合うなぁ。コイツならそこら辺のジャージでも絵になりそうだ。

 

「あの、どこかおかしなところはないでしょうか?」

 

渡したのはロンスカの方なので、特に恥ずかしがる様子もなく武偵のコスプレをして出てきたエンディミラに俺は「大丈夫、似合ってる」とだけ返しておく。新しい服を着た女がいたら取り敢えず褒めろとはリサとジャンヌの(げん)。エンディミラも例に漏れず女の子ではあるのでそれでどこかホッとした様子になった。

 

「んじゃ、行くか」

 

と、俺はエンディミラを連れ立って武偵高まで向かう。道すがら何人かの武偵高の生徒とすれ違ったが皆「またコイツは……」みたいな顔をして見てくる。いや、だから違うんだってば。

 

という言い訳は喉の奥に閉じ込めて俺は道を細かく曲がって駅まで行く。前とは全く違う道順にエンディミラが疑問顔をしているが特にどちらから何を言うでもなく駅まで辿り着いた。

 

そして俺はエンディミラの分の切符を買ってやり自分はICカードで駅に入場。そのまま武偵高の方まで行くゆりかもめに乗って空いている席に腰を下ろした。

 

「あの、マスター」

 

と、そこで隣に座ったエンディミラが俺の方へ顔を寄せてくる。すると爽やかなんだけども甘さも感じられるエンディミラの髪の匂いが俺の鼻腔をくすぐる。

 

「んー?」

 

だが俺はそれを顔には出さずに目線だけそちらに向けてやる。

 

「先日とは違う道順でここまで来ましたが、何か意図があるのですか?」

 

「あぁ……」

 

と、俺は周りを見渡す。気配感知の固有魔法でもどうやらまだ()()()いないようで少し離れたところに()()()の気配が感じられるがここまでして撒けなかったということはもうとっくに尾行に気付いたことには気付かれているんだろう。

 

「尾行者がいたんでな。撒こうと思ったが駄目だった」

 

「なんと……。それで、尾行者はどこに?」

 

「少し離れた所で俺達を見てる。ま、相手にゃ心当たりがあるし武偵高に入っちまえば向こうも下手なことは出来ねぇから放っておこう」

 

「分かりました。では私も尾行者のことは気付かない振りをしておきます」

 

「おう、そうしとけ」

 

と、それっきりどちらも黙りこくったまま時間が過ぎ、そして俺達は武偵高へとやって来た。久し振りな気がするな。最後に登校してからそんなに期間は空いてないんだけど。ここ数日が濃すぎるんだよな。

 

で、俺はエンディミラを後ろに連れて──そしてやはり尾行者はまだ着いたきた──強襲科の建屋まで向かう。メールで指定された通りに入口前で待っていると10分程度で蘭豹がやってきた。武偵は時間厳守。例え蘭豹であってもそれは守る。10分待ったのは俺達が早く来ただけだからな。蘭豹は時間ちょうどにやって来たのだ。

 

「おう神代、久し振りやな。……で、なんやお前また彼女増やしたんか?」

 

と、蘭豹はいきなり腰をかがめてエンディミラを睨むように見やる。

 

「彼女じゃねーですよ。学校に教師で潜入す(はい)るって言うから使えるかもと思って連れて来たんですよ」

 

まぁ、なんか余計な人まで連れて来ちゃったけどね。という俺の目線に蘭豹は目敏く気付いたようで溜息を1つ。

 

「はぁ……まぁええわ。こっち来いや」

 

お、珍しく蘭豹が実技を見せてくれるみたいだ。今日の授業は尾行(ケツシ)の撒き方講座だ。

 

と、俺達は黙って蘭豹に着いていく。そのうち俺の気配感知からも奴の気配が消え、ついに面倒な尾行者を撒くことに成功したようだ。流石は蘭豹だな。俺が撒けなかった奴をこうもあっさりと撒けるんだからなぁ。

 

んで、やって来た教員寮の、『蘭』の表札のある部屋の隣。その開け放たれた窓から漂ってきた猛烈な臭いに俺とエンディミラは思わず鼻を押さえる。

 

「……綴先生とは隣同士なんすね」

 

「せやで。ベランダの非常扉をぶち破って行き来できるようにしとる」

 

そう言って上げてもらった蘭豹の部屋は……一言で言えば汚部屋ってやつだ。ゴミだらけで足の踏み場もないような。ちなみに、散らかす───と言うか片付けないタイプである俺は人のことはあまり言えないが、俺達の家自体はかなり綺麗だ。何せリサとレミアとシアがいるからな。汚れようがないのだ。

 

「ほれ、これや」

 

と、胡座をかいて座った蘭豹がA4のクリアファイルを俺に手渡す。それは上目黒中学という私立の中学校の教員募集のパンフレットのようだった。見る限りはそこそこの進学校で、写っている限りでは校舎も比較的綺麗そうだ。写真に写っている生徒も真面目そうだし多分今時点でも俺より勉強できるんじゃない?

 

「……見たところ、何の問題もなさそうな学校に見えますね」

 

「何も無い、ってのはあんまり良くないな、学校の場合は。ちょっと気になってこないだウチも軽く調べた。どうも教諭の離職率が高いみたいや」

 

辞める先生の多い学校、ねぇ。よくあるドラマみたいに校内暴力で荒れてるって雰囲気でもなさそうだけど、何が眠っているのやら。

 

「それで、蘭豹先生にも募集が?」

 

「そうみたいや」

 

「でも俺、教員免許なんて持ってないですよ。てかまず高校も在学中なんですが」

 

「知っとるわ。せやから特別非常勤講師や」

 

と、俺は蘭豹の目線に促されて中を見れば確かに教員免許があれば優遇と書かれているが必須とは書いていない。なるほど、とにかく辞めた先生の穴埋めが欲しいのか。

 

「日本の教員不足は深刻や。ナンボでも補充できるようなもんでもないからそうそう辞めないメンタルの強い教師が欲しいっぽいで。そこんところ、お前なら問題ないやろ。そこの金髪姉ちゃんも、神代と一緒におるくらいなら相当なガッツの持ち主やろ。一緒にどうや?」

 

まぁ確かに、蘭豹から見たらあれだけ女の子と付き合ってる俺といて、しかもどうやら彼女じゃないらしい女というのはメンタル強そうに見えるだろうね。俺もそう思うし。

 

「えぇ。私もそのために来たので」

 

と、エンディミラにしてはやや塩対応。リサ達にはもう少し丁寧な喋り方だったはずだけど、あれは俺の家族が相手だったからかな。

 

「でもなんで態々俺になんですか?俺ぁ人に教えるって柄じゃないですよ?テストも英語以外は酷いもんですし」

 

シャーロックに(物理的にも)叩き込まれているから俺の得意科目は英語だ。あと体育。でも体育は武偵……特に強襲科の奴らはだいたい得意科目なのでお勉強となると俺は英語くらいしかマトモにできやしない。学校の卒業に必要な単位はほぼ全部武偵としての仕事で得たものだ。それは蘭豹も重々承知のはずだけどな。メンタルの強さなら強襲科の奴らなら大抵並の強度じゃないし。

 

「お前ももう3年や。ここを卒業したらウチから何か教えられる機会もそうそう無い」

 

それはそうだ。来年の春には俺はここを出て社会人になる。大学になんて通う気は無いからこのまま武偵企業に入るのか、自分で武偵企業を立ち上げるのかの2択だ。まさかいきなりNに入るわけにもいかないしな。後はまぁ、暴力の世界から身を引いてリサ達と今やってる会社をやっていくか、だ。どっちにしろ食わせていかなくちゃいけない奴らがいるのだから早めに決めなければならないのだろうが……。

 

「それにな神代、お前は戦闘力は申し分ないが、これまでずっと戦いの中に身を置いてきたやろ」

 

確かにな。誰かに言われるまでもなく、俺はオランダを出てからずっと戦うことでしか居場所を確保できなかった。暴力で勝ち取らないと何も残らなかったのだ。それはイ・ウーだけでの話ではない。武偵高に入ってからも、そして幾つかの異世界を巡っている間も、常に俺は自分の戦闘能力で居場所を手に入れ、欲しいもの、守りたいものを掴んできた。それ以外に、やり方を知らなかったから……。

 

「だからここを出る前に1度くらいは戦闘能力じゃ勝ち取れないものを見てこい」

 

「それが先生、ですか?」

 

「そうや。お前の戦兄妹だった火野は今じゃ強襲科の2年女子でトップレベルに強い。お前は戦う力を教えることはできる。けど世の中腕力だけじゃ手に入らんもんもある。それを学んでこい」

 

上目黒中学は武偵や武装職とは何の関係も無い。どちらかと言えばお坊ちゃん学校のようだ。そんな普通の人間しかいない所で学べるものもある、ということだろう。言わんとしていることは分かる。それは確かに俺に欠けている部分なのかもな。

 

「……分かりました。その仕事請けますよ」

 

て言うか、別に潜入ミッションじゃなかったんだな。そう思って身構えていたんだけど、むしろこっちの方が難易度高そうだな。

 

「おう、任せたで。ウチも一筆書いてやるからな」

 

「ありがとうございます」

 

俺はこの時初めてこの人が本当に先生なのだと実感した。普段は酒飲んじゃあ酔っ払って暴れて。受け持った体育の授業も適当に開始の合図だけしてフケて消えるし、ろくな先公じゃないと思っていたんだけどな。きっとこの人もちゃんと先生なんだ。俺も、この人に恥じないように先生ってやつをやらなきゃな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

都民の日の次の日、平日ではあったが俺達は上目黒中で面接をしてもらえるそうだ。まずここを突破しないと話にならないからな、気合い入れないと。

 

俺は自前の、と言うかメヌエットに買わされた黒いスーツで、エンディミラには取り敢えずティオの持っていたものを借りた。後でエンディミラにもちゃんとスーツも買ってやらないとな。

 

それと、想定される質問とそれへの回答……特にエンディミラに対するそれを念入りに確認して、いざ俺達は上目黒中へと足を踏み入れた。

 

目黒駅から徒歩5分の位置にある駅近の立地。蘭豹が荒れてはいないと言っていただけあって確かに荒れている雰囲気は無いな。窓ガラスも全部綺麗にハマっているし壁に落書きもない。喧嘩の声も聞こえてこなければ当然銃声も響いていない。

 

登校してきた生徒に俺は職員室の場所を訪ね、そして丁寧に教えてもらったそこへ行く。木製の扉を右手に開いて職員室へと入る。だが数人の教員がチラリとこちらを見るだけで誰も何も言ってこない。て言うか、いくら何でもよそよそし過ぎないか?

 

まぁ、校長室への繋がる扉は見て分かったので俺はエンディミラを連れてスタスタとそちらを歩いていく。んで、俺はエンディミラと共に細長い校長室へと入ったのだが、そこに居たのは───

 

「しかし校長、いくらなんでも高校在学中の生徒を採用するのは……。きっと問題が起きますよ」

 

「しょうがないだろう。他にいないんだし……。それに昔と違ってベテランの先生が指導しても荒れたクラスを纏める事はできないのだ」

 

ガタイが良くて顎もデカいオッサンとややディフェンスラインが後退しているオッサンが俺のことを話しているっぽい。いや、それはいいんだよ。内容も、言われても仕方のないことだからこれも気にしていない。だがこの部屋には3人の人間がいる。その最後の1人が……

 

「あ、面接に来られた方ですか?おはようございます、中川と申します。僕の面接は終わったのでどうぞ」

 

スラッとした爽やかなイケメン。中川とか名乗りやがったそいつはカナダ側からナイアガラで伊藤マキリを殺し、俺の頭を対物ライフルで吹っ飛ばそうとしたあの()()だった。

 

「神代です」

 

「ディーです。エンディミラ・ディー」

 

と、その中川(猿田)と、デカい方と小さい方のオッサンにそれぞれ名乗っておく。どういう理屈か体格から何から何まで変わっている猿田は変装してここに潜っているのだろう。だが肉体は変えられてもその魂までは変えられない。俺の義眼に付与された魂魄魔法が、目の前のイケメンがあの、姿勢が悪く脚と肺が悪かった猿田だと明確に告げているのだ。

 

ま、ここにいる目的は知らないが俺達を害さないのなら放っておいても問題は無い。ここで事を荒立てるよりはちょっと探りだけ入れて平気そうなら後は黙りでいいだろう。

 

「あぁ、校長の大津です」

 

「教頭の御分院だ」

 

と、それぞれ名乗った。だがエンディミラは

 

「オークとゴブリン……?」

 

とか言って半歩後ずさる。いやまぁ確かに似てるけれども。俺も「あ、コイツら魔国連邦(テンペスト)で見た顔だな」とか思ったけれども!!

 

「大津さんと御分院さんだよ?」

 

と、エンディミラには小声かつフランス語で返しておく。仮に彼らに聞かれても何言ってたか分からないように。実際向こうも頭にはてなマークを浮かべているから事なきは得たようだ。

 

「ディーさんはネイティブスピーカーとか。……ご出身は?」

 

と、まずはエンディミラの方から面接が始まる。

 

「イギリスです」

 

ちょっと心配にはなったが、エンディミラは用意しておいた答えとはいえ淀みなく答えた。取り敢えずエンディミラにはまずは自信を持って答えろ、俺に確認を取ろうとするなとは言ってある。自分の出身地を確認するとか普通に不審だからな。あと最悪間違えても俺がフォローするから安心しろとも言ってある。ま、エンディミラは頭が良いしそうそう変な答えをするとも思えないけどな。……いや、さっきオークだのゴブリンだの言ってたおかげで本当に大丈夫なのか、些か心配になったのだけれど。

 

「それで、神代は本当に英語ができるのかね?何でもまだ高校生という話じゃないか」

 

あぁ、さっきもそんな話してましたね。まぁ俺も中学教師を高校生がやるのはどうかとは思いますよ。家庭教師ならともかくねぇ。言い方が嫌味ったらしいのは気に入らないけどね。

 

「両親は日本人ですが生まれはオランダなもんで。『今からこの学校では英語だけでも生活できますけど』……どうします?」

 

間に英語を挟んで返せば御分院は何も言えなくなり、代わりに大津が

 

「では、元々2年4組の担任をしていた前任者が辞めてしまったのでそこの担任を神代くんに任せたい。ディーさんは副担任で。書面上はこの中川くんが担任だけど、実際には彼には各クラスの国語の先生をしてもらいます」

 

……あ、もう面接終わりなのね。ほぼ俺が英語喋れるのかの確認だけじゃん。まぁ手早く終わるなら良いけども。

 

「分かりました」

 

「じゃあ今日から頼むよ。今から職員室に挨拶だ。HR(ホームルーム)は8時50分からね」

 

え……今から……?それはいくらなんでも早くない?引き継ぎとか色々あるでしょうよ……。いや、もう何を言ってもどうにもなるまい。武偵は何でも屋。金さえ払ってくれるのなら何だってやるものだからな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺達──これには中川も含まれている──3人にはあまり関わりたくないというのが職員室の雰囲気だった。ま、イケメンの中川と美人のエンディミラにはそれなりの歓迎ムードはあったが俺はあんまりそういう人気の出るタイプではないので端から無視されている感じ。世知辛いねぇ。それともどうせすぐ辞めると思われてんのかな。確かに長居する気もないけどさ。書類上は中川が担任とはいえ、教員免許の持っていない俺を実質長々と担任にさせておくのは向こうも都合が悪いだろうしな、そのうち誰か見つけてくんだろ。

 

「珍しい編成になりましたけど、頑張りましょうね、神代さん、ディーさん」

 

と、俺達がホームルームのために廊下に出ると中川がそんなことを言ってくる。どうやら貫き通すつもりか、もしくは俺に気付かれたことには気付いていないっぽい。

 

「……そうですね。それはそうと、俺の知り合いに猿田さんってのがいるんですが、中川さんと瓜二つなんですよね。最初に拝見した時には余りにも似ていて驚いたんです」

 

俺の言葉にエンディミラは「は?」って顔で、中川は……特に顔には出ていないな。隠すつもりなら別にいいけど、釘は刺させてもらうよ。

 

「世の中には自分にそっくりな人が3人はいるって聞いたことありますけど、中川さんと猿田さんはそうなのかもですね。猿田さん、近所に住んでるっぽくて時々お見かけするので話のネタが増えたなぁ」

 

「へぇ、世の中広いようで狭いですね。そんな偶然もあるんだなぁ」

 

と、中川は知らんぷり。中々のポーカーフェイスっぷりだよ。そうでなきゃ武装検事なんて務まらないんだろうな。ま、別にそれならそれでいいけどね。そっちのスタンスがそれならこっちも深入りはしないさ。武装検事達に関わるとろくなことなさそうだしさ。

 

「だから不思議と中川さんとは初めて会った感じがしなくて……あ、俺達はこっちなのでこれで」

 

「はい、お互い頑張りましょう」

 

と、俺達は何事も無かったかのように2年4組の教室の前で別れる。先へと歩いていく中川を尻目に

 

「じゃあ、いこうか」

 

俺も素知らぬ顔で振り向く。

 

「はいマスター」

 

エンディミラは疑問顔のままだが、それは後で説明してやろう。

 

まだガヤガヤと騒がしい教室の扉を俺が開く。さ、教師なんて初めてだけど蘭豹の期待に応えるためにも、自分に足りないものを探すためにも、まずはやってみなきゃな。

 

「おはよう、今日から君達の担任になる神代だ。こっちはディー先生。副担任をしてもらいます」

 

扉を開けて入ったその教室はただただ騒がしかった。だが見渡す限り髪の色を染めている生徒もいなければ長髪も剃り込みを入れている奴もいない。タバコの臭いもしないしナイフで遊んでる奴もいない。全員至って健全……傍から見たらそう言われる生徒ばかりだ。ただ1つ、24人全員が俺達を無視していることを除けば、だ。

 

彼らは勝手に教室内を歩き回り身内で駄弁ってはワハハと笑いあっている。もしくは携帯を弄っているかだ。有り体にいれば休み時間のまんま、誰も彼も勉強なんてやる気もなければ新しい担任にも興味の欠片もないみたいだ。

 

「はーい、これが先生達の名前です。覚えてくださいね」

 

まだだぞ。そもそもここには暴力で解決できないことを学びに来ているんだぜ、こっちも。いきなり威圧の固有魔法で全員こっち向かせるとかは無しだぞ。

 

と、俺は黒板にチョークで「神代天人」と「エンディミラ・ディー」と白い字で書いておく。だが当然そんなものを見る奴はほぼいない。見ても横目でチラって見るだけだ。んで、誰かが「汚ねぇ字!」とか言って笑うもんだからどっかからクスクスと笑う声もする。んー、武偵高なら「誰が笑ったか分からんから全員殴る」とか言い出すんだろうな。いや、それはそれで駄目だろうとは思うけどさ。

 

「あぁ……取り敢えず具合悪そうな奴はいないな?……1時限目は英語だから準備しておけよ」

 

一応クラス中を見渡して確認した俺の話も誰も聞いちゃいない。あーあ、やけに先生が辞めるって蘭豹から聞いてたけどこういうことか。どういう訳か知らんがこのクラスは先生の話を全く聞かない。きっと俺が何を言っても言うことなんざろくに聞きやしないだろう。

 

そして、人間は無視されるのは案外辛いもんだ。意地悪くされるのも辛いが無視されるのも心にクるんだよな。特に、お互い嫌いあってて話したくもない間柄ならともかく、生徒と先生っていうような関係性ならなおさら、な。

 

「何かあったら先生に話してくれ。じゃあ、またね」

 

と、特にホームルームの用意もしていなかった俺はそれだけ言い残して一旦教室を出る。背中に

 

「先生になんか頼るわけねーだろ」

 

という言葉を刺されながら───

 

 

 

───────────────

 

 

 

この4組は他と違って国語だけを中川が教えて他は俺達が教える。そういう契約なのでそれはそれで構わない。数学や理科はエンディミラが比較的できるみたいだったからあまり問題はない。社会もまぁ、教科書を読んどけばいいだろう。

 

だが授業の内容はともかく、俺が教科書を出せと言っても誰も教科書を出そうとはしない。それどころか女子の一部なんかは「定価は4800円だけど半額でいいよ」だの、「今夜また仕入れに行くから」とか、「あぁ、こないだの売れ残りは濠尾にもう売ちゃった」だのと、スマホで堂々と通話しながら何かの商売の話をしていやがる。アイツらは小島芹奈、橋本葵、西野茜とか言ったな。

 

こちらから指名しても「やでーす」だのなんだのと言って携帯を弄ることを止める素振りはない。じゃあいいよと俺は自分で教科書を読み進めていくのだが、何だこのSVOだのって……。ドラグノフかよ……いや、あれはSVDか。こんなのシャーロックは教えてくれなかったぞ。あの野郎人のこと小突きながら難しい単語だの迂遠な言い回しだのばかり教え込んだくせに、肝心なところ抜けてんじゃねぇかよ。……まぁ、言われてもよく分かんなかったと思うけどね。

 

俺が色んな方向にキレ散らかしそうになった雰囲気を察したのかエンディミラが若干引いているが俺としてはそれどころではない。何故か授業中に普通に教室から出ていこうとする奴がいた。さっきの女子の通話で名前が出てた、目付きが鋭く丸刈りの濠尾って男子生徒だった。

 

「おーい、授業中にどうした?」

 

「トイレ」

 

と、俺の呼び掛けにも濠尾はこちらを見ることなく一言だけで返してくる。それ強襲科でやったら蘭豹に半殺しにされるぞ。

 

「休み時間に行っといてくださいね……」

 

だがまぁトイレに行きたくなるのは生理現象だしそれを制限するのは宜しくないので仕方なく手振りで「行ってこい」と示せば他の男子も「俺も俺も」と何人も出ていってしまった。なるほど、濠尾がこのクラスの男子のボスなのね。

 

「よいのですか、マスター。彼らはしばらく授業を聞かないことになりますが」

 

「いいよ連れションくらい。どうせすぐ戻ってくんだろ」

 

心配そうに濠尾達の出ていった扉を見つめるエンディミラとそんな会話をしてから俺は自分で教科書を読み始める。

 

だが英語を喋れはしても学校の授業で使うような学習用語には疎い俺がそれらに頭を捻らせていると、どうにもそういう弱みを見つけるのは早いらしい生徒達から「教えられねーなら帰れよ」だの「そうだよ帰れ」とか、終いには「かーえーれ!かーえーれ!」とのコールが始まってしまう。しかしさっきまではてんでバラバラにくっちゃべってただけなのにこういう時は良いチームワークを発揮しやがるな。その合唱はエンディミラの「あぁもう!静かにしなさい!」という声も掻き消すくらいの大きさになっている。

 

そういやさっきトイレに行った奴らも1人たりとも帰ってこないな。早退扱いにされないようにトイレと言い残してフケたな。はぁ……あんまりこういう手段は使いたくない……と言うか、使わずに解決しなきゃ駄目なんだろうけどな。

 

「はいはい、皆さん帰れのコールが揃ってて宜しい。良いチームワークですねー。チームワークが悪いと孤立した分隊狙撃手(マークスマン)が殉職したりするからね。大変宜しい」

 

と、まずはにこやかに、そして───

 

「けどなぁ……お前ら!いい加減黙れ!!」

 

ガンッ!と、俺は教卓を蹴って大きな音を立てる。すると、人間は大きな音には本能的にビビるように作られているので何人かは警戒して俺を見た。何人かはビビったのを隠すように「初日からキレんの?」とか「忍耐力無いんじゃね?」だとか「うわーん、叱られたよー」なんて棒読みで周りにちょっとウケている奴もいる。だがそれも直ぐに止み、クラスは俺を敵と認識した顔で静まりながらも睨んでいる。

 

「はぁ?()()()()()()()、だろうが。お前ら、ガキん頃も親に叱ってもらえただろ?赤ちゃん時はコンロ触ろうとしたりハサミ持とうとした時とかな。いいか?子供ならまだ大人から叱られる()()がある。中坊ならギリだけどな。けどなぁ、大人んなったら誰も叱ってくれねぇぞ」

 

俺はそこでクラスを見渡す。うん、人間、敵の言うことには注意して聞くからな。そのまま大人しく聞いとけ。

 

「大人は大人のすることには見て見ぬふりだ。例え悪いことしててもな。やってくれることと言えば警察に通報するくらいだぜ。誰も手前らのことなんて考えちゃくれねぇんだ。……そうだな、1つ教えておく。いいかお前ら、俺ぁお前らに良い子になれとも良い大人になれとも言わねぇ。そりゃあ定義も分からんもんだからな。けどな、()()()にだけはなるなよ?悪い子ってのは悪い大人に利用されるだけされて捨てられる。組織犯罪の末端として働かされて、都合が悪くなりゃゴミみてぇに捨てられるもんだぜ。自分らのトカゲの尻尾切りにな。仮に今日の授業の内容全部忘れても、これだけは覚えとけよ」

 

俺が本性を現して素の喋り方になると生徒達は皆鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔になっていた。コイツら皆中流階級以上の生徒だろうから俺みたいな半分チンピラみたいな奴とは縁が無かったんだろうな。ま、その方が良いと思うけどね。

 

「マスター……」

 

と、エンディミラは心配そうに俺を見ている。だが俺はコイツらが黙っているうちに言っておくべきことをまとめてしまおうと言葉を続けた。

 

「これはさっきのお説教とは違うが……俺ぁ正確には教師じゃなくて講師だ。クビが安い分私学行政課もPTAも怖かねぇぞ。叱る時ゃキッチリ叱るから覚悟しとけ。んでもう1個、お前ら外で警察(サツ)の厄介にゃなるなよ?そりゃあ悪い子の第1歩だぞ」

 

と、そこまでまとめて……

 

「んじゃあ教科書出せ。悪い子にならんためにゃ良い子の()()ぃしとくのが1番手っ取り早いんだぜ」

 

と、俺は教科書を再び読み始めた。誰も中身なんて聞いちゃいない、静かで空虚な教室のど真ん中で。

 



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教育的指導

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
特に番外編とかではなく普通に先週の投稿の続きです。


 

 

あの後御分院教頭から聞かされた2年4組の秘密。それは、あの学年の問題児……つまりは授業を妨害したりしがちな生徒を纏めて集めて他の真面目な生徒の邪魔にならないように隔離してあるというものだった。

 

どうにもこの上目黒中、経営的に苦しいようで昨今の私学の進学率重視の風潮からそういう手段を使わないと経営が成り立たなくなっているらしい。

 

だが理由はどうあれ自分達が学校からよく思われておらず島流しにされているなんてのは生徒も敏感に感じ取ってしまう。だからこそ余計にあぁいうクラスの雰囲気になってしまったのだろう。先生なんか信用しないというスタンスもここからきていると思われる。

 

んで、俺は俺で初日から怒鳴ったのが親に回ったらしく御分院からこってり怒られた。武偵高じゃあの程度は逆の意味で誰も気に留めないんだけどな。まぁそもそもあそことは違う世界を見てこいというのが蘭豹からのお仕事なので、あっちの空気を持ち込んだ俺が悪いのだけれど。

 

それと、やはり上目黒中としては4組の新しい担任を探すそうだ。まぁ学校としては中川は未来ある教師だからやらせ辛いんだろうな。あの人もそのうち消えるんだけどね。

 

「……先生って信用されてねぇんだなぁ」

 

書類仕事に追われながらボソリと俺は思わず呟く。すると信用には一過言あるエンディミラが

 

「私もそれは感じました。生徒達はマスター個人と言うよりも教師そのものを信用していないようです」

 

「俺もろくな先生に当たってこなかったって思ってたけど……それでも信用していないってこたぁなかったかもな」

 

シャーロックも、武偵高の先生達も、俺は「コイツらろくな教師じゃねぇ」と思い続けてきたが、それでも俺は少なくとも先生という立場の状態の彼らを信用していないってことはなかった。シャーロックのことは単に嫌いなだけだ。だけどここの生徒達は違う。心の底から教師というものを信用していない。そしてそのキッカケは……

 

「金、か……」

 

そもそも島流しクラスなんて作らなければ彼らはもう少しは教師を信頼していただろう。そして、島流しクラスを作るきっかけはこの学校の経営不振。つまり金だ。

 

「彼らもカネの被害者ですか……」

 

Nで勉強したらしいエンディミラはパソコンが超上手で、山のようにある書類仕事も彼女が手伝ってくれているおかげでどうにかなりそうだ。ていうか、マジでこれ俺1人じゃ無理だっただろ。エンディミラがいてくれて助かったぜ。

 

「親に金があったから私立に通えた……でもこの学校に金が無いからあぁなった……。なら最初から金なんて無ければ公立に通って……こうはならなかったのかな……」

 

金があれば幸せになれる……なんてことはないのだろう。もしかしたら中途半端に持っているくらいなら最初から貧乏な方が幸せなのかな……とか俺は思ってしまう。

 

「マスター……」

 

思わずエンディミラを見る。その美しい蒼穹の瞳に魅入られる。その蒼い鏡には俺が写っていて、腑抜けた表情をしていた。すると───

 

「───か、神代先生!!」

 

今まで話しかけてこなかったオバチャンの先生が泡食ったみたいに俺に駆け寄ってきた。

 

「に、2年4組の生徒が万引きで捕まったって今お店から連絡が……名前も住所も言わなかったけど制服でここの生徒だと分かったみたいで───」

 

あーあ、着任早々かよ。まぁ仕方ない。やっちまったもんはもうどうしようもないのだから、後は俺達が出る他ないよな。

 

窃盗(うかんむり)ですか……。はぁ……で、犯行現場(げんじょう)どこです?」

 

なので席を立ち上がりながらそれを聞いていたら、御分院がコーヒー片手にやって来た。どうやら大津が帰ったからか自分がここのボス!って感じの振る舞いになっているな。

 

「行くな神代。これは4組の生徒を学校の責任ではなく退学にできるチャンスだ。学校は関係ないのだから警察に引き渡せと伝えろ」

 

「警察……最近は向こうも融通利かないんで中学生でも立件しかねませんよ?前科(まえ)ついたら今後大変でしょうよ。ここは───」

 

「いいんだよ!どうせバカは治らん!大人になっても犯罪者になるに決まっている!」

 

このオッサンは……

 

「……そうさせないのが教師の仕事でしょうよ。行きますね」

 

埒が明かないと思った俺が御分院を避けて職員室を出ようとすれば……

 

「私は止めたからな。責任はお前が取れよ、神代」

 

と、案外簡単に通らせてくれた。ふん、要は自分のせいじゃないって明確にしたかったのね。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺はコンビニで仕方なく手数料を払って現金を幾らか降ろしつつ目黒駅近くのデパートへと向かった。閉店後なもんで俺とエンディミラは警備員にお願いして中に入れてもらい、案内されたバックヤードの従業員控え室にそいつらはいた。

 

犯人は小島芹奈と橋本葵、西野茜の3人。その前でチラチラと腕時計を見ている女の人がこの店の店員なのだろう。

 

3人とも反省はしていなさそうだ。不貞腐れているだけで早く帰してほしいってのが顔に出ている。

 

「すみません、俺は上目黒中の神代と申します。こちらはディー。この子達の担任と副担任をやっています。ウチの生徒がご迷惑を……」

 

と、俺がそう話しかけるとクルリとこちらを向いたネームプレートを付けた店員の女の人は

 

「───先生ですか。この子達反省していなくて。家の番号も言わないんです」

 

「何を盗ったんですか?」

 

俺が眉根を寄せて尋ねれば店員が手でテーブルの上を示した。そこにはファンデーションやマスカラ、口紅と小さくて盗みやすい品々が並んでいた。

 

教室での様子からこの3人の中心は小島だと分かっていたので、俺は小島の胸倉を制服のリボンごと引っ掴んで顔を上げさせた。こいつ、こうでもしないと目を合わせようともしないからな。

 

「お前ら、何回やった」

 

「……3回」

 

「嘘だったら弾く」

 

とは言え今の顔と声色からすれば嘘ではないだろう。俺は小島の頭に乗っかったデカいカチューシャがズレるくらいに荒っぽく押し戻し財布から万札を何枚か置く。

 

「……払えば済む問題ではないというのは重々承知の上です。ですがここはこれでどうか……。コイツらには俺からキツく言って聞かせます」

 

そして俺は机にデコがぶつかるくらいに大きく頭を下げた。エンディミラもそれを真似にして俺の後ろで頭を下げる。

 

この人は早く帰りたそうに時計を見ていた。そしてネームプレートからこの人がこの化粧品店の店長であることも分かっている。つまりこの件はここで止められて、そしてこの人も止めたいはずだ。

 

「自分の指導不足です……っ!本当に、本当に申し訳ございません……っ!」

 

きっかり5秒ほど頭を下げてから顔を上げれば店員のお姉さんはそんな俺をしばらく見つめ、そして椅子に座った。んで、自分のハンドバッグからタバコを取り出して、そして恐らく禁煙のここで火をつけた。

 

ふぅ……と、煙と溜息をまとめて吐き出したその人は俺が机に置いた万札を数えつつ

 

「……アタシもガキの頃はグレてたけどね」

 

と、小島達を睨み、それから俺の方を見やる

 

「そうまでしてくれる先公はいなかったね。まず来てもくれなかったし」

 

あ、貴女元ヤン……?ラ行の喋り方のイントネーションがそれっぽいですもんね。

 

「ウチもこういう棚減りが3回起きたのは事実なんで……経理的には売上ってことにするから、それは持って帰って。あと、その子らは出禁ね」

 

と、店員がお釣りと品物、それからコイツらが盗んだらしい物がチェックされたリストを俺に寄越しつつタバコの灰を携帯灰皿に落とした。

 

「お前ら、謝れ!!」

 

ここで俺がそう怒鳴ると3人とも形だけは「ごめんなさい」とは言った……けれど顔は不貞腐れたままだ。お前ら泣き真似くらいはしろよ。本当に大丈夫なのか……?コソ泥としても危ういぞそれ。

 

で、それでどうにか解放してくれたので、俺とエンディミラは3人を連れて夜の目黒の繁華街を歩く。ま、3人とも一言も喋んないけどね。お礼言われても困るけど。

 

「お前ら、盗んだの転売してたろ。盗んでたやつとお前らん下手くそな化粧は色が違ぇし、教室でも売り買いの話してたしな。濠尾に売れ残りを卸してる話もしてたが、アイツの販売ルートは別だな?」

 

と、俺が問い詰めれば3人とも黙ったままお互いを見合ってキョロキョロしている。うん、黙るんなら目も黙らせようか。それじゃあ全部喋ったのと変わらないからね。

 

「手癖は直せよ?万引きは手癖みたいなもんだからな。このままじゃ一生治らん。……言ったろ、悪い子にはなるなって。終いにゃ俺みたいに逮捕歴付くぞ」

 

と、普段はちゃらんぽらんな俺にしては珍しくお説教をかましていたら

 

「え、何?逮捕歴って」

 

と、小島が余計なところに引っかかりを覚えやがった。

 

「んー?殺人容疑だよ。不起訴だし、捕まるようなことはしてねぇよ」

 

殺してない、とは言えないけどね。ただ、武装検事に捕まるような殺しはしていないのは事実だが。

 

で、俺の言葉に橋本と西野はドン引きだったが小島だけはお目目をキラキラと輝かせていやがる。……なんで?

 

「落ちた奴は厳しい仕事しかなくなる。這い上がるのも一苦労……じゃあ済まねぇ。だから今ここでお前らぁ踏み止まれよ?取り敢えず盗みは金輪際止めろ」

 

俺はあの日1度リサ以外の全てを失って、イ・ウーに……この世界の裏に落ちた。そしてあそこでも落ち続け、最後にリサに引き止められた。だから今はこうしてここにいれるが……今だって公安から狙われる身だ。果たしてこれが上に上がれたって言えるのかね。だから俺にも分かる。1度落ちた人間が這い上がるのがどれだけ難しいのか。あの奈落の底から這い上がるのだって、死ぬ程痛い目をみてようやく出られたのだから。

 

だが俺の雑なまとめでも3人は「うん」と頷いた。これにはエンディミラも驚いた顔をしている。

 

「分かった。もうやらない」

 

「なんか、先生を見てたら……」

 

「こうなっちゃいけないって気がしてきた……」

 

お前らなぁ……。まぁいいか。盗みをやらねぇって言うのならそれで。

 

で、俺がエンディミラと3人を連れて目黒通りの交差点を渡ると道の先で赤い光がキラキラと輝いていた。……いやあれ、警察じゃん、巡回中の。しかもパトカーから降りてこっち来てるし、作り笑いを浮かべてさ。それって要は……

 

「げっ……サツじゃん……」

 

職質しますってことだろ?こんな夜中に中学生3人と美人連れてたらそりゃあ怪しまれるよね。ていうか連れてる理由が理由だけに説明もできないじゃん。しかも……

 

「ね、先生。あのお巡りさんに「先生に酷いことされた」って言っていい?」

 

なんて、小島がネコっぽくニヤニヤと俺にそんなことを言ってくる。この野郎……恩を仇で返すつもりか?

 

「ざけんな!全員逃げろ……っ!捕まったら補導されて家に連絡されるんだぞ!」

 

と、俺は3人の背中を押して横道に逃がす。

 

「あの警官は1人だから全員は捕まえられません!救援を呼ばれる前に早く!」

 

と、エンディミラの声でようやく3人とも走り出した。

 

「別々の道に散開しろ!グズグズしてっと暗箱に入れられんぞ!」

 

俺のその声に従い3人とも交差点を別々にバラけて逃げ出した。

 

俺とエンディミラも走るが西野の足が遅かったから捕まるかもと、俺はシグに空砲弾(ブランク)をコンバットロード。目黒の夜に木霊する銃声を鳴り響かせた。そうすれば警官は「貴様ァ!」と、銃口をこっちに向けて走ってきたよ。

 

最後まで走って逃げてもいいが、警官の1人くらいさっさと撒いて家に帰りたい俺は、エンディミラと走りながらあの3人とは別の方向へ逃げる途中、エンディミラを正面から抱くようにして抱え上げる。

 

「ひゃあ!?」

 

「エンディミラ、後ろ見とけ。警察が視界から消えたら教えろ」

 

「は、はい」

 

と、俺はコンクリートを踏み締めてドンドン加速していく。いきなり加速したらエンディミラが舌噛んじゃうかもだし。それでもそろそろ100メートル走で世界記録も狙えそうな速度になってきたな。そして1つ角を曲がって

 

「も、もう警官の姿は見えません」

 

という声を合図に空力で空気を踏み締めて上へと跳躍。エンディミラの「ひゃあ!?」なんていう声を聞きながら雑居ビルの屋上を越えるように跳び上がった。そして背面跳びの姿勢のまま宝物庫から越境鍵を取り出し魔力を注ぎながら屋上の床へと鍵を投げる。鍵が空中にある間も魔力放射で鍵に魔力を注ぎ、そして扉は開いた。

 

「んじゃあ帰ろうか」

 

と、俺は開いた穴へと向かって頭から落下していく。そして鍵で開いた扉をくぐる時に鍵を引っ掴んで背中から俺の部屋のベッドの上へと落ちていく。

 

重力操作のスキルで衝撃を緩和しつつボフリというマットレス毛布が沈む音とギギッ!とスプリングを軋ませる音を同時に立てながらベッドの上にエンディミラを抱えながら着地。それに合わせて開いていた扉も閉まった。

 

「あっははははは!こういうのは初めてやったな」

 

結構面白かったな、今の。もっと切羽詰って逃げる時にも使えそうだし中々良さげだ。俺がエンディミラを離しながらそんな風に笑っていると

 

「わ、私はドキドキしました……」

 

と、エンディミラは興奮に頬を赤らめながら自分の大きな胸の上に両手を置いて深呼吸をしている。

 

「でも……確かに気分は高揚しています。きっとこれが楽しいということなのでしょう」

 

と、エンディミラは感情を初めて覚えたロボットみたいなことを美しい顔に笑顔を浮かべて言うのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

翌朝俺達が教室へ入ろうと扉に手をかけるが、教室のスライドドアはガタガタと音を立てるだけで開きゃしない。中から笑い声も聞こえてくるし、どうやら内側から鍵を締められたようだ。

 

「どうします?」

 

「んー?……これ蹴破ったら弁償だもんなぁ。しゃーなし、上行くぞ」

 

まさかここで錬成を使うわけにもいかないから俺はエンディミラを連れて校舎の階段を上がっていき、午前の陽射しが心地よくも少し眩しい屋上まできた。真下が2年4組の辺りでフェンスをヒョイと乗り越えればエンディミラも合わせてフェンスを乗り越える。

 

「窓が空いてたからそっから入ろう。……エンディミラは空挺降着(ヘリボーン)やったことある?」

 

「ありません。けどできると思います。木を蔓で降りるようなものですよね?」

 

「あぁまぁそんな感じ。じゃあ、行くかぁ」

 

俺はベルトからワイヤーを出してフェンスの柱にフックを引っ掛ける。そしてエンディミラをお姫様抱っこで抱えてひょいと飛び降りる。高さが2年4組の教室のある2階に来たところでブレーキを掛けたベルトのバックルから火花を散らしつつ転がるように教室に飛び込み受身を取る。

 

その寸前で俺から離れたエンディミラもスカートはきっちり押さえて華麗に床に着地して立っている。

 

すると何やら教室いる生徒が皆キョトンとした顔でこちらを見ている。あれ、もしかしてというかまぁ当たり前なのかもしれないけれど、普通の学校じゃ窓から人は入ってこない?

 

「はいおはよう。……て言うか、窓から人入ってくるのそんなに珍しい?俺んとこじゃ階段降りるの面倒臭い時ゃ皆これやってたけど」

 

と、俺はベルトワイヤーを回収しつつそんな話をしておく。まぁ確かにコイツらの着ている制服のバックルにはワイヤーなんて仕込んでなさそうだしな。空挺降着なんてあんまりやらんのだろう。

 

「ホームルームの時間無くなっちまったからこのまま授業やるぞ。……けど、流石にこんな手にゃ引っ掛かんねぇぞ」

 

と、俺がひょいと持ち上げて見せたのは教卓用の丸椅子。ただシートにはカッターで小さく切られた隙間に画鋲の針がこんにちはしている。

 

「1回敵意を見せたらもう相手は罠にゃ掛からん。むしろこんな罠1つでも自分がそこにいた時間、練度、指紋などなど……色んな情報を敵に与える。しかもこれ……何も塗ってねぇじゃん。普通は筋弛緩剤……キシラジンとか塩化スキサメトニウム辺りを使うだろ」

 

ま、俺には毒耐性があるから効かないし、何なら多重結界で画鋲なんか刺さりゃしないんだけども、それは俺だけの話なのでここでは割愛しますね。

 

俺が椅子から画鋲を引っこ抜いては捨ててエンディミラと共にクラスを見渡せばその全員「コイツは何者だ?」という顔で俺達を見ている。まぁこれはこれでいいか。

 

「さてさて、教科書開けと言いたいけどね。ぶっちゃけこの教科書詰まんねぇだろ?俺も読んでて詰まらんかった。……で、だ。お前らが知りたいのは俺達のことだろ?目ぇ見りゃ分かる。俺達が何モンか分かんなきゃ何されっか分かんねぇもんな。そこで今日は趣きを変えて……俺かエンディミラのことについて、お前らの質問に何でも答えてやる。但し質問は英語でしろ。簡単な単語だけでも、文法が間違ってても構わんし辞書も好きに使え。お前らの安全のためにも俺達から情報を引き出して見せろ」

 

「何でも?マジで?」

 

英語で話せ(Speak English)

 

ここからは英語でしか答えないぞという風に俺は腕を組んで画鋲を抜いた丸椅子に座る。すると小島が昨日のことなんて忘れたかのようにケロッとした顔をして

 

「神代とエンディミラは恋人なの?付き合ってんの?」

 

なんて質問を、それも結構しっかりとした英語でいきなり飛ばしてくる。……コイツら、島流しクラスと言えどもしかしてそこそこ勉強できるのかもな。あぁでもエンディミラも顔真っ赤にしちゃってるし……

 

「違ぇよ。はっ倒すぞお前」

 

と、今後似たような質問が続かないように釘を刺す意味でも汚い英語で凄んでおく。

 

「エンディミラは神代のこと好きなの?」

 

凄んだ……筈なんだけどなぁ……小島め、結構根性座ってんなぁ……。こういう奴は案外武偵向きだったりするんだよなぁ……。

 

「私はマス……神代先生にそのような感情を持ってはいけない立場です。好意は時に、相手の負担になることがある……。私は彼に忠誠を誓った身なのでそれを避けなければならないから。それに……」

 

と、エンディミラがコチラをチラりと見る。お前、続きに何言おうとしてたのか知らないけどそれは含みが出るだろう……。

 

「お前なぁ……エンディミラが可哀想だからいい加減他の質問にしろよ」

 

と、この後を恐れた俺が話を変えようとするのだが

 

「何でもって言ったじゃん。……で、それにって?」

 

小島はメゲることなく話を続ける。しかも島流しされた奴らばかりとは言え、流石は進学校の生徒。この程度の英語は理解できるらしく他の生徒もエンディミラが途中で切った言葉の続きを今か今かと待っている。

 

「それに……いえ、何でもありません。これは神代先生が答える問いです」

 

と、何故かエンディミラは俺に全てをぶん投げた。で、そうなれば俺にクラス中の視線が集まるのは必然。そして俺の答えは決まっている。ただ、彼らの期待に応えられるような回答ではないのだけれど。

 

「いや、俺はエンディミラが何を言おうとしたのかは知らんぞ。ただ俺とエンディミラが恋仲じゃないのは確かだ」

 

何となくエンディミラが何を言おうとしたのかは察しが付いている。ただ悪いけどそこははぐらかさせてもらおう。武偵的には人間関係の、特に付き合ってるだのといった関係性は伏せておいた方が良い。いつそれを悪用されて弱味になるとも限らんからな。

 

「て言うか他の話題ねぇのかよ」

 

と、俺が再び話題の転換を測れば別の女子生徒が手を挙げた。俺が彼女を指せば

 

「神代先生は銃を持ってるって聞いたんですけど本当ですか?」

 

これは小島達から漏れたかな。目黒で俺が撃った音を聞いたのだろう。まぁこれは隠すことじゃないか。今度は男子生徒が「見せて見せて」とうるさいし。ただ、騒いでても一応英語で喚いているのだから良しとするか。

 

「いいぞ。シグザウエルP250だ。お前らは帯銃免許無いから触らせてはやれんけどな」

 

と、俺がジャケットの脇のホルスターからシグを出して見せれば皆「すげー」だの「銃持ってる先生ってあり?」だのとこれまた一応英語で騒ぐ。

 

「俺ぁ銃を持ってない先生がいない学校から来たからな」

 

拳銃だけでこんな喧騒に包まれるクラスを見てると呑気な奴らだ……とは思う。けれどコイツらはこんな武器とは何の関わりもない世界を生きてきたんだ。そういう奴らが武器に憧れるのはまだ日本が平和な証拠なんだろう。平和ボケって言われることもあるのかもだけど、平和にボケられることほど幸せなボケ方もねぇだろうよ。

 

その後は俺がどこの出身か聞かれて「オランダだ」と答えればオランダ語喋ってよと言われ、他に何語が喋れるのかと問われればドイツ語とフランス語とイタリア語だと言ってやればこれも何か喋ってよと言われた。いや君達聞いても分かんないでしょ……なんて思うが色んな国の言語に触れることが悪い事だとは思わないので俺も適当に何かその言語で喋ってやった。

 

エンディミラもフランス語が喋れると知れば2人で何か会話してみてと言われたので教科書の例文を英語からフランス語に翻訳して喋ってやったり……何だか途中から英語の授業ではなくなってしまっていたがまぁ別にいいだろう。なんか皆楽しそうだし。

 

で、ふと見ればまぁだいたいの生徒の視線は男も女も問わずに顔の良いエンディミラに集まっているのだが、何故か小島だけは俺を見ていて──しかも何やら機嫌の良さそうな顔をしてこっちを見ている──逆に濠尾はそんな小島を不機嫌そうに横目でチラチラ見ている。君達はどうしたの……?

 

まぁそんな様子のおかしい2人はいたが授業自体はそれなりに好評のうちに終わり、俺は終わり際に濠尾に「今日はトイレは行かなくていいのか?」と聞けば「うるせぇ」とだけ返されてしまった。んー、本当は事情聴取したかったんだけど距離置かれてるなぁ。

 

……と思いきや都合は直ぐに付いた。

 

放課後俺とエンディミラが校内を歩いていると濠尾が向こうからやって来たのだった。

 

「おす、帰りか?」

 

と俺が聞けば濠尾は俺を憎々しげに睨みながら

 

「顔貸せ神代、銃は無しで来いよ。今ここでエンディミラに預けろ」

 

なんて、教師を呼び止めたと思ったらこの言い草。典型的な不良って奴?ま、こーゆー方が俺としても接しやすいけどね。

 

「エンディミラ、先帰っててくれ」

 

「いいのですか?」

 

「おう」

 

と、俺はエンディミラにシグと予備弾倉(マガジン)を渡してしまう。本当は宝物庫にまだ予備弾倉どころかトータスで作った拳銃もあるけど、それは出さなくてもいいよね、面倒だし。どうせ使わんのだから無いのと一緒よ。

 

と、エンディミラを先に帰らせた俺は濠尾に着いて行く。そして着いた先は校舎裏……んー、これぞ不良って感じだよね。校舎裏と体育館裏こそ不良のテリトリー……ってのは偏見が過ぎるかな。

 

「神代、お前先公辞めろ」

 

なんて、校舎裏に着いたと思ったら濠尾はコチラを振り返り様、ポケットに手を入れたままそんなことを言い出した。

 

「嫌だ」

 

まぁ俺も返す言葉なんて決まってるけどね。

 

「ところで濠尾。お前、どーしてまとまった金が要るんだ?」

 

「なに……?」

 

俺が本題を切り出すと濠尾は眉根を寄せた。どうして俺がそんなことを知っているのか、って顔だね。

 

「俺ぁ小島達がパクった化粧品の一覧貰っててな。お前に卸されてたんはアイツらが知り合いに売れなかった余りモンだ。それを売るんならネットだよな。色々種類はあったから細かい商品名並べて検索すりゃあお前のネットオークションのアカウントは直ぐに特定出来た。……昨日ん夜に1個落札されたろ?ありゃ俺だ。で、今朝のメールにあった振込先の口座名がお前の姓名。他にも色々出てたなぁ、濠尾」

 

俺が見つけた濠尾のアカウントでは工事現場から盗んだっぽい銅線やらこれまたどっかから盗んだっぽいマウンテンバイクやらも出品されていた。落札こそまだされてなかったけど全部売れたら5万や10万じゃきかなくなる。流石ちょっと見過ごせない規模の商いになっていたのだ。

 

「───消えろ。俺に手ぇ上げたら体罰だかんな」

 

と、濠尾がポケットから出したのはスタンガンだ。はいはい出ました出ました。不良ってスタンガン好きよね。まぁ俺も纏雷をスタンガンみたいに扱うことあるけど。あとトータスにいる頃に纏雷スタンガンのアーティファクトも作ったんだよね。しかもスイッチで魔法陣起動するからほぼこっちのスタンガンと変わらん。ま、威力はそこら辺の──例えば今濠尾が出したセーバー社の35万ボルト──と比べるとダンチだから普通に人1人殺すには十分過ぎるパワーあるけど。

 

「いいぞ濠尾。お前1人で武装して俺には武装解除させた。そりゃあ基本だけど大事なことだぜ」

 

だがそんな俺の褒め言葉は濠尾には煽りにしか聞こえないらしい。

 

「何言ってんだ!俺はお前に辞めろっつってんだよ!辞めねぇなら……本気で当てるぞ!」

 

ちなみに俺は纏雷を使いまくっている影響か、多重結界無しでもこういう電気による攻撃には比較的強い。流石に自然界の落雷が直撃したら危ないけれど、濠尾が今持っているスタンガン程度のパワーならモロに喰らっても平気なのだ。

 

そんな俺が1歩前に出ると濠尾はバチバチッ!と、威嚇するつもりなのかスタンガンで放電音(スパークノイズ)を立てた。だがそんなのはヒルダの放つ電撃と比べても小さく弱々しい。まぁあんな小さな手持ちのスタンガンとヒルダのそれとを比べてやるのもそれはそれでスタンガンが可哀想なんだけどな。しかも自分で音出しておいて自分でそれにビビってるし。なにそれかわいいね。

 

「セーバー社の35万ボルト。最近洋モノが安いらしいからなぁ。で、その距離でそれ出しても届かねぇから脅しにゃならんぞ。ま、素人なら今のお前みたいに音だけでもビビるんだけどね」

 

「喰らったらに死ぬ時ゃ死ぬんだぞ!俺は未成年だから殺しても無罪だ!怖くねぇのかよ!」

 

これは黙っておくけど俺はその程度じゃ死なないよ。てか多分聖痕がなくとも身体が人間のままでも多分俺は怖くない。何故って……

 

「怖かねぇな。むしろ懐かしいよ。俺ん学校じゃあそれを当て合う授業もあったし。ほれ、俺で練習しろよ、度胸付くぞ」

 

と、俺は自分の胸板を拳で軽く叩く。昔は強襲科でも当て合ったし、何ならシャーロックにも当てられたからな。今更スタンガン程度はそれほど怖くはないのだ。なので俺は濠尾の手の届く範囲───腕を差し出せばスタンガンを当てられる圏内に近付いてやった。すると───

 

「う、うぅっ……!」

 

バチバチッ!とちゃんとスイッチを入れてスタンガンを差し出してきた。いいぞ、それくらいの度胸も無い奴が悪ぶってなんかいられないもんな。

 

と、俺はちゃんと自分の身体で濠尾のスタンガンを受けてやる。勿論、多重結界は解除してあるから身体に電流が流れる。

 

とは言え、普段からアースも何も無しで纏雷を使っている俺の身体である。しかも、ただでさえ魔物を喰らって頑丈に作り替えられた俺の肉体が濠尾が持っている程度のスタンガンでどうこうなるわけもなく、ただただワイシャツが少し焦げるだけに終わった。

 

で、俺は濠尾が腕を突き出したまま固まっているので1歩引いて……その腕を逆手で取ってすれ違うように前に出て後ろ手に肘関節を極める。本当はスタンガンを受ける前にやるのがこの「突き短刀取り」なのだがまぁそこはそれ。濠尾も1発当てれば度胸も付くだろうし、これも濠尾が身体で覚えられるように敢えてゆっくりとした動作でやってやる。で、手首を軽く捻ればボトりとスタンガンが濠尾の手から地面へと落ちた。

 

そして武器を失った濠尾は急に弱気になり……腕の痛みやら悔しさやら色々入り交じったみたいで歯軋りしながら振り返って

 

「ぼ……暴力だ……体罰だぞ……!お前……先生なんだろ……っ!」

 

「こんな時だけ先生扱いかよ。……まぁいいや、先生らしく教えてやる」

 

と、俺は濠尾の腕を離しながら膝を折らせて座らせる。そして濠尾の肩を抑えながら自分も腰を下ろして目線を合わせてやる。ま、濠尾は首だけ振って目を合わせようとはしないけど別にそれでいいさ。

 

「お前、この前トイレ行っちゃってたから聞いてなかったな。……俺ぁお前に良い子になれとも良い大人になれとも言わねぇ。けどな、悪い子にだけはなるなよ?悪い子は悪い大人に利用されるだけされて、都合が悪くなりゃゴミみてぇに捨てられる。組織犯罪の末端で使われて、そいつをエスケープに使って自分らはトンズラこくんだ。……まずは窃盗と盗品の売買から辞めろ。オークションのアカウントは消して銅線やらチャリンコやらは持ち主に返して謝ってこい。……俺も一緒に謝りに行ってやる。これ以上下に落ちるな、踏み止まるなら今だぞ」

 

「な、なんだよお前……俺の気持ちなんか知りもしねぇでよ……」

 

と、俺から逃げようと身体を揺すっても何をしようとしても全く動かせない濠尾が段々と涙目になってきた。

 

「あぁ知らねぇ。知らねぇから教えてくれよ。けど目ぇ見りゃ分かるぜ、お前が何か問題を抱えてるってこたぁな。ありゃあ遊ぶ金欲しさじゃねぇな?生徒の問題を解決してやるのも先生の役目なんでな、話してみろ」

 

世の中腕力だけじゃ解決できない問題もある。確かにそうだ。だけどやっぱり腕力で解決できて……そしてそれが1番手っ取り早く解決できる手段の時もまだあって……そしてそれは俺の1番の得意分野なのだ。

 

「口じゃそう言って……でも話したらビビってケツ捲くって俺を見捨てるんだろっ!?それがお前達先公なんだよ……っ!」

 

「アホ言え、俺ぁお前を見捨てねぇよ。俺ぁ武偵でもあるからな。相談してみろ、きっと力になれる」

 

少年犯罪にはパターンがあるってのは探偵科武偵じゃなくても知っていることではあるが、じゃあ実際に本人がどれなのかは直接聞き取らないと分からない場合がほとんどなのだ。もちろん解決の糸口を見つけることも、聞き取ってやらないと難しい。

 

だが濠尾は俯いたまま泣いている。多分、自分ではどうにもならないくらいに大きなものを抱えちまってて……でも誰にも相談できないでいるんだ。俺もあの時、きっとシャーロックに助けられたのだろう。割と無理矢理拉致られた気がするけど、それでもアイツがあそこで俺を捨てていたら今の俺はいない。多分、そこらで野垂れ死んでいただろうよ。だから今度は俺の番だ。この子は……助けてやらないとな。

 

男2人なら案外話しやすくなるから何時間でも粘るかと俺が覚悟を決めたその時───

 

「か、神代先生!何をしてるんですかぁ!」

 

と、さっきのスタンガンの音を聞きつけてか御分院が来てしまう。俺が思わずそっちを向いた時、濠尾は高速が熔けて立ち上がり

 

「はっ……ざまぁ見やがれ……っ」

 

と、捨てセリフだけ残して御分院が来た方向とは逆方向に走っていってしまう。

 

 

 

───────────────

 

 

 

あの後校長室に連れていかれた俺は御分院と大津から締め上げられる……かと思ったし実際その辺までいったんだが、何とエンディミラが小島を連れて来て……そして小島と一緒に何故か濠尾までやって来て……そもそも暴力は無かった、スタンガンも自分が持ち込んだ物だとか言い出したんで俺の処分は一旦保留になったのだ。

 

「マスター、1ついいでしょうか?」

 

と、学校からの帰り、駅から家へと向かう道すがらにエンディミラが何やら聞いてくる。

 

「んー?」

 

「中川のことです。マスターは中川と猿田が瓜二つのように仰っていましたが、その……猿田とは()()猿田のことなのでしょうか?」

 

あぁ、そういやあの後バタバタしてて話すの忘れてたな。それも説明してやらんとな。

 

「あのってのがどれなのかは知らんがカナダで会った猿田のことならアイツだ」

 

「その、疑うわけではないのですが、あの時の猿田と中川と名乗る人物は到底同一人物とは……」

 

「あぁ。まぁ俺もどういう仕組みであんなに変貌したのかは知らんけどな。俺ん右目は義眼なんだよ」

 

と、俺は自分の右目を指差しながら言葉を続ける。

 

「で、この右目には人の魂を視る魔法があってな。それで中川と猿田が同じ魂を持ってたんだ。幾ら姿形を変えても魂までは変えられんからな」

 

とは言えこの右目も万能ではない。例えば俺がトータスに行く前にしか会ったことのない奴の魂は知らんから変装すれば1発目はバレないし、初見の人物も対応不可だったりする。

 

「なるほど……マスターには変装も通じないと」

 

「そんなご大層なもんでもねぇけどな」

 

実際、猿田がどうやって中川に成ったのかは見当もつかん。もしかしたら逆で、中川が猿田になっているのかもしれんけど、どっちにせよ俺には変成魔法でも使ったのかよとしか思えないんだよな。

 

「エンディミラこそ、よく濠尾を連れて来られたよな」

 

濠尾が来なきゃ俺のクビもヤバかったし。あれには助けられたな。

 

「ホント、助かったよ。ありがとな」

 

「マスターが濠尾とトラブルになりそうだったので直ぐに芹奈を呼んだのです。濠尾は芹奈の言うことならよく聞きますので」

 

「あ、そうなの?」

 

「クラスでの様子を見れば分かりますでしょう。濠尾は芹奈が好きなのです。そして、芹奈はマスターが好きです」

 

えぇ……濠尾が小島を好きなのは確かに言われてみればそんな気もするけど……小島は俺かよ……。いやいや、応える気は無いぞ流石に。

 

「……俺ぁいくら何でも小島の気持ちに応える気はねぇぞ」

 

エンディミラの目は語っていた。「コイツはまさか生徒に手を出すのではなかろうか」とな。だから一応釘を刺しておこう。確かに俺は一途とは縁遠い存在だけどもそこの分別はつけているぞ。というか、小島も俺の今の生活を見たら冷めるだろ。流石に見せらんないし、見せたら見せたで何しでかすか分からんから黙っとくけど。

 

手は出さんと告げた俺を見てエンディミラはホッと一息。んー、言わなきゃ駄目な辺り異性関係のの信用が足りていない。

 

そんな悲しい事実を突き付けられつつ俺達は家に戻ってきた。エンディミラに渡してある鍵でレミア達の方の扉を開けばトテトテと、お留守番していたらしいテテティとレテティが駆け寄ってきて3人でヒシと抱き合っている。まるで母子みたいな光景だが俺はパパ役になる気はないので一緒に出てきたレミアにヒョイと挨拶だけする。

 

「ミュウはもう寝てる?」

 

「はい、ユエさんとシアさんと、あとティオさんも一緒に」

 

どうやらトータス組はこっちに集まっているようだ。となるとあっちにはリサとジャンヌだけか。

 

「ん、最近構えなくて悪いな。……おやすみ」

 

と、俺はレミアと1つ口付けを交わす。それをエンディミラは真っ赤になって見ていて、テテティとレテティも「ほわぁ……」って感じで、声は出さずに見ている。

 

「はい、おやすみなさい。アナタ」

 

「……あの、マスター」

 

「んー?」

 

俺がリサ達の部屋に戻ろうとするとエンディミラが俺のスーツの裾を掴んで声を掛けてくる。

 

「夜分遅くに申し訳ございませんが私も……テテティとレテティもこれからそちらに伺ってもよろしいでしょうか?」

 

「あぁ、良いけど」

 

「では、お邪魔します」

 

俺は頭に疑問符を、レミアは「あーあ」みたいな顔で俺を見ている。皆には俺とエンディミラは仕事で普通の学校の先生をやることは言ってあるし、俺としては生徒の教育方針的なあれこれの話だと思ってるんだけど、違うのかな。職員室じゃ何となく込み入った話はし辛いし、書類整理もあるしな。

 

と、俺達が部屋に戻るとリサ達はもうすぐ寝るところだったようだ。鍵を開ければ寝巻きのリサとジャンヌが出迎えてくれた。

 

「お疲れ様です。ご主人様」

 

「お疲れ、天人」

 

「おう。……もう寝るところだった?」

 

「そうだな。リサは待っていると言っていたが、教師は夜も遅いし夜更かしは女子の敵だからな」

 

「そりゃそうだ。リサも、俺のこたぁ気にせずに先に寝てていいからな。俺ぁお前が待ってくれてるより、早寝して健康でいてくれる方が嬉しい」

 

と、俺は玄関で靴を脱ぎながらリサの両頬と唇にキスを落とし、勿論ジャンヌにも同じようにキスを落とした。

 

「お気遣いありがとうございます、ご主人様」

 

「ん、じゃあおやすみ」

 

「はい、おやすみなさいませ」

 

放っておくと俺が寝るまでリサは起きてそうなのでジャケットを預かってくれようとしたのも制し、代わりに頭を撫でてやりつつ自分で部屋に持っていく。

 

まぁこっちには部屋を用意してやれてないから仕方ないんだがリサ達と一言二言会話したエンディミラも、テテティとレテティと共に俺に着いてきた。

 

「あー、俺ぁ少し調べ物があるから先シャワー浴びてていいぞ」

 

と、俺は濠尾が果たしてオークションのアカウントをどうしたのか確認しようと思ったのでそうエンディミラに声を掛けておく。

 

「分かりました。お先にいただきます」

 

と、エンディミラも俺の用事は察しが着いているらしく大人しくシャワーを浴びに風呂場へと入っていった。その時の顔が、何やら覚悟を決めた顔に見えたのは気のせいだろうか……?

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺が自分の寝室に戻ると視界に飛び込んできた光景に思わず動きが止まってしまう。何故なら……

 

「エンディミラよ、その格好は一体……」

 

エンディミラだけでなくテテティ、レテティも合わせて3人が珍妙な格好をしていたのだ。

 

珍妙な、というか見たことある服───それも俺が色々手を回してようやく入手したお宝品こと武偵高のアドシアードで使われるチアユニじゃん!胸元が弾丸の形に切り抜かれてるやつ!おかげでエンディミラの大きな胸が生み出す深い深い海溝と、その前で揺れる俺のあげたアーティファクト──エンディミラの耳から世間の意識を逸らす、シア達も持っているそれ──が部屋の明かりに照らされて俺の視線を誘い込む。

 

てか、なんでエンディミラがそんなものを持っているんだよ。それはリサのサイズの分しかないからエンディミラには少し小さいしテテティとレテティの分はそもそも存在しないはずなのに……っ!

 

「え……何それ……」

 

「リサ達から聞きましたが、マスターはこの様な衣装がお好きとのこと」

 

そうだけどそうじゃない!あとリサはなんてこと教えてるんですか!?ていうか耳まで真っ赤にするくらい恥ずかしいなら着なきゃいいのに!

 

「いや、そのサイズの……それもテテティとレテティの分までどうやって用意したのかとか色々聞きたいことはあるけど、だからってなんで今それを着てるの!?」

 

「マスターは私に様々なモノをくださいました。……居場所、服、そして仕事……それも、今の仕事は私にこの世界での見聞を広めるためにとのこと……そして今の教職が終われば今度は別に仕事を用意してくださっています」

 

そうだね、だってそれはお前に必要なもので……居場所たってそりゃあ俺がネモからお前を任されたんだから当たり前だろうに。

 

「最初、私はマスターに対して敵対していました。実際、マスターがNの障害になるという考えは今だ変わっていません。けれど、そんな私をマスターは受け入れてくれました」

 

そんなことか……。エンディミラ自身に俺達を害する気持ちがないのなら、エンディミラが俺の事をNの敵だと認識していることと、エンディミラを傍に置いておくことは俺の中では矛盾しないのだから気にされても困ってしまう。

 

「対して私はマスターに何か返せているでしょうか?マスター達の暮らしぶりを見て、マスター達はそれほどカネには困っていない様子。ならば私が働いた程度で生み出せるカネで返せるとは思えない。それに、マスターは多くの美しい女性に囲まれていて、女に困っているわけでもない」

 

仮に女に困っていたとしても、流石にそれで手ぇ出したりはしないけどな、多分。

 

「ですが、教師の仕事の忙しさで最近は謀殺されている様子。ユエ達やリサ達ももう寝てしまいました。……ならば、ここは私がマスターを慰めるべきではないかと」

 

慰めるべきではないです。ていうか……

 

「……お前、口でそう言ってても本当は怖いんだろ。顔に出てるぞ」

 

あと手も震えている。テテティとレテティはまだよく分かっていないみたいだけど、俺はそんな奴に手を出すほど腐っちゃいないぞ。てか別にエンディミラが本気で俺のこと好きだったとしても、ここで手ぇ出したらユエ達を裏切ることになるからしないけど。

 

「確かに、この先の行為を思うと恐怖はあります。けれど、私にもいざ事に及べば性的興奮する本能はあるはずです」

 

それに、とエンディミラは続ける。

 

「ヒトの男性は疲れた時こそ女性に気持ちが向くとか。……マスターは戦闘こそしていないものの慣れない仕事でお疲れでしょう。マスターこそ、顔に出ていますよ?リサ達も気付いてはいるみたいですが」

 

まぁ、確かに書類仕事だのなんだのってのは俺からしたら不得意にも程がある分野だし勉強を教えるってのも不慣れだ。英語や体育だけならともかく他の教科なんてほぼ分からんし。だから疲れてるってのも確かにそうだし、男は疲れてる時にこそ性的に興奮しやすくなるのは知っている。だからってなぁ……

 

「だからって、誰でも良いわけねぇだろ」

 

「マスターは、私の姿はお嫌いなのでしょうか?」

 

「違ぇよ」

 

むしろ見た目の好きか嫌いかで言えば割と好みだ。だがそれはそれ、ここで手を出したりはしない。

 

「ここでお前に手ぇ出したらリサ達への裏切りになるだろうが」

 

トータスじゃリサには何も言わずにユエ達を愛した俺が何を言うのかという話だが、リサの場合は前々からそういうのはOKみたいなこと言ってたし。けどユエ達は違う。そういう風に受け入れるのなら皆の許可を取らなくてはならない。ジャンヌもそうやって受け入れてもらったのだから。

 

「では許可があれば良いのですね?」

 

「いやまぁそうだけど……って言うか、お前は嫌なんじゃないのか?別に俺のこと好きなわけじゃないんだろ?」

 

「……それは、分かりません。私は恋をする性格ではないと思っていました。ただ、人の勇者の子を授かれるのなら喜んでこの身を差し出そうと思っていただけなのです。ですが……」

 

と、そこでエンディミラは言葉を切り、格好と今のシチュエーションによる羞恥で真っ赤に染まった顔の、その形の良い唇を手で隠した。

 

「リサ達から聞いたのです。その人が好きかどうかは、自分がその人と、その……き、キスをできるかどうかを想像すれば良い、と」

 

あぁ、そう言えばエンディミラはよくリサ達と何やら話していた。それは最初に会った時もそうだし教師をやることになってからも隙があれば何か言葉を交わしていたことは知っている。そん時にこんなこと話してたのか……。

 

「それで、あの芹奈達と警官から逃げた夜からなのです。昨夜からマスターといると胸が高鳴るのです。私も自分がこの様な感情を抱くなんて知らなかったのです。ですから……確かめさせてください」

 

スルりと、エンディミラが俺の目の前に寄ってきた。扉を背にした俺の首に手を回して、そして顔を寄せ……

 

「駄目だ……」

 

けれど俺は瞳を閉じたエンディミラを受け入れることなく、その口元を手のひらで押し返す。するとエンディミラは酷く傷ついたような顔をして……

 

「そう、ですか……」

 

と、呟いた。

 

「お前のことが気に入らないってんじゃない。むしろ、見た目だけなら好みだし……」

 

最後は面と向かって言うのが恥ずかしくてゴニョゴニョとなってしまったが流石に手をちょっと前に伸ばせば届く距離なのでバッチリ聞こえていたようで、エンディミラもまた恥ずかしそうに顔を伏せる。

 

「だからその気持ちの本当のところを知りたいんなら、俺をお前に惚れさせてみろ。……そうしたらきっと全部分かるさ」

 

俺は一旦逃げることにした。エンディミラだってまだ自分の感情がよく分かっていないみたいだし。吊り橋効果で俺の元に来たら後悔するかもだしな。

 

「分かりました。では全力でそのように致します」

 

言っておいてあれだが、それはそれで困るんだけどな。マジで俺が落とされたらどうしようって思うし。

 

「あぁ……一応時と場所は考えてくれよな?」

 

「はい。学校ではそれとなく、家ではしっかりとアピールします」

 

そういうこと……なのかな?……そうかも。……上手く言いくるめられた気がするけど俺の頭じゃよく分からん。

 

「取り敢えず今日はもう休もう」

 

夜も遅いし明日も学校だからな。

 

「分かりました。……ご一緒しても?」

 

というエンディミラの発言に俺は無言で越境鍵を取り出して、レミア宅のリビングまでの扉を開いて3人をそこに放り投げた。

 

 



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家庭訪問

 

 

あれから2年4組は俺達の授業をちゃんと聞いてくれるようにはなった。まぁ聞いてもらってもそう大層なことは喋ってやれんのだが。

 

小島が日がな機嫌良さそうに俺を見てくるのはいただけないが、濠尾もムスッとした態度はあまり変わらないけど、それでも当てりゃ答えるしトイレと偽ってフケることもなくなった。

 

俺とエンディミラはそれにホッとしつつ放課後の書類仕事に勤しんでいたのだが───

 

「神代先生!来た来た来た!バッズが来た!」

 

バッ……何?何が来たんだよと、職員室にも関わらず普通にドタバタと騒がしく小島が入ってきた。

 

「バッ……誰?」

 

「バカ!バッズってのはチーマーだ!また来たの!?じゃあ警察に電話!」

 

と、御分院は俺に怒りつつお茶の湯飲みを器用にお手玉している。……チーマー、ねぇ。

 

「電話しても中々来ないですよ?何しに来たのか知りませんけどね、そういう時こそ俺の出番です。これでも武偵なんで、生徒じゃない不良を多少シバいても体罰にはならんでしょ?」

 

と、俺はエンディミラに一応のバックアップ……というか最悪生徒達の保護をしてもらおうと着いてきてもらう。

 

んで、我がクラスである2年4組に入場したところ、あぁいたいた。分かりやすいねぇバッズさん。片やパーカーにタトゥー、片やジャージに無駄に太いチェーンネックレスの2人組がガムをクチャクチャやりながら机に座ってますよ。

 

で、その机の下に転がっているのは既に結構ボコられている様子の濠尾。顔が鼻血塗れだから窒息の心配もあるな。

 

「あ?アンタ誰?」

 

俺に気付いたらしいジャージの方が思いっきり眉根を寄せてガン飛ばしてくる。んー、他の先生ならそれでビビったんだろうけどね。

 

「俺ぁこのクラスの担任だよ。バッズってのがアンタらなら、関係者以外立ち入り禁止なんで、出てってもらえます?」

 

いくら何でもそこらのチーマーに睨まれた程度では怖いなんて感情は俺には湧いてこないのだ。それに、濠尾の鼻血が心配なので穏便かつさっさと事を済ませようとする。だがバッズさんの用事はただ濠尾をボコることではないみたいだ。

 

「まだだぁ。弁償してもらってねぇからさぁ。なぁ、濠尾ぉ?」

 

パーカーの方が濠尾を見下ろしながらそんなことを言っている。

 

「またカネの問題ですか……」

 

それを聞いてエンディミラが後ろで呟く。その声色には嫌悪が含まれているように聞こえた。

 

「そうみたいだな。……で、濠尾が幾らの何をどうしたんです?」

 

この場でこの2人を俺がボコって追い出すのは簡単だ。けれどバッズがこの2人だけとは限らないし、さらにその上まで出てこられたら面倒なことになる。俺だけでなく、ここの生徒まで巻き込まれるのは避けたい俺はさっさとぶっ飛ばして終わらせたい衝動を我慢しつつ質問を重ねた。

 

「先週コイツを飲みに付き合わせてやったらそこで俺にぶつかってきてさぁ……ほらここ、ここにタバコの火がジーンズに落ちて焦げちまったのよ。これビンテージもんだよぉ?30万すんのよ。弁償するのが筋ってもんでしょお?」

 

と、右のケツにモロに真新しいジーンズメーカーのロゴを付けたそいつが何か言っていた。てかそれ、量販店で買えば7000円程度だろうが。

 

ま、さっきの小島とか御分院の雰囲気からしてコイツらはちょこちょこここに来ては似たようなことやってんだろうな。なんかバッズさんもそんなこと言ってるし。どうやら濠尾が先生を信用していなかった理由ってのが見えてきたな。きっとコイツらが来ても今まではずっと見捨てられてきたんだろうな。

 

で、濠尾は濠尾で不良集団のパワーゲームに早々にしくじって今や立派なカモにされてるってわけか。ま、濠尾の金の理由がこれで良かったよ。麻薬(ヤク)とかだったら解決には相当時間がかかるところだった。

 

「どうすんだ濠尾、払うんか払わないのか、それはお前が決めろ」

 

「払う以外ねぇよなぁ?おらぁ早く金持ってこいよ」

 

「明日まで待ってやっからよぉ。30万だぜ」

 

と、既に出目金みたいになっている濠尾の顔をまたもやスニーカーで踏みつける。

 

「……ボコりたきゃ……ボコれ……けどもう……2度と払わねぇよ……カスがっ……俺ぁもう……落ちねぇ……」

 

だが濠尾はボコられながらも強気にそんなことを言っている。その瞳には光が灯っているように見えた、気がした。あと喋らせて分かったけど鼻や喉には血は詰まっていないな。それならこれも一安心だ。

 

「おう、ちゃんと度胸付いたじゃねぇか濠尾。自分をボコった相手にそれ言えるのは中々男前だぞ?……それに、悪い奴から離れるのも悪い子を辞める第1歩だ。……んじゃあこっからは俺の問題だな」

 

と、俺はバッズのお2人に歩み寄り、まるで青春の1ページを彩る仲良し3人組みたいな雰囲気で2人と肩を組んだ。

 

「───俺ん組にカチコミして暴行(タタキ)やらかしたからにゃあ覚悟できてんだろうなぁ?」

 

と、そんな風に語りかければエンディミラはエンディミラで「活き活きしだしましたね、マスター……」と呆れ顔だ。でもまぁやっぱ俺の得意分野はこっちなのよ。

 

「アァ?」

 

「っせぇんだよ!おめーにゃ関係ねぇだろ!」

 

さて普通にボコっても芸がないなぁどうするかなぁと思っていた矢先にジャージの方がズボンの腹に挟んでいた拳銃───TT-33(トカレフ)を抜いた……ところで俺は抜いたシグの銃口をそいつの手の甲に突き付け、拳銃ごと押し退けている。

 

ジャージがビビりまくりパーカーが目を丸くして呻いて濠尾は唖然としている。そしてドア脇から覗いていた小島は何故か目をキラキラ輝かせている。あー、もしかして君は喧嘩が強くてちょっと過去に問題があるような人が好きなの?

 

「ジーパンの弁償させるつもりならその真新しいパッチは剥いどけよ」

 

と、まぁ足が床に着いていない奴なんてのは誰でも簡単に簡単に動かせちゃうので、2人の耳を引っ掴んでダン!と2人を床に叩き落とした。さてさて、ここでこの2人を濠尾がやられたみたいな出目金顔にしてやるのは簡単だがそれはやっぱり芸がなくて面白くないんだよな。それにあんまり殴ったり蹴ったりをこの子達に見せるのも教育によろしくないだろう。

 

さて、そしたらあれでいいな。

 

と、俺は微妙に立ち上がれない角度をキープさせたままバッズさん達の耳を掴んで引き摺って窓際まで行く。そして椅子と机を階段替わりに窓の縁まで上がって、そのまま2階から下へと飛び降りた。当然、バッズ達も一緒だ。何のカウントも無くいきなり落ちたそいつらは情けない悲鳴を上げつつ地面へと落ちた。ちなみにこれ、強襲科で蘭豹に色んな奴がよくやられた引き摺られ方なのだ。当然その中には俺も含まれているわけで……おかげでやり方はよく知っている。

 

落ちる時は一応死なない程度に角度作ってやったが、随分大袈裟に痛がるな。この程度武偵高じゃ日常茶飯事だったんだけどな。キンジなんてアリアから椅子ごとバックドロップ喰らって5階から落とされたことあるぞ。あれはあれでよく生きてたもんだと思うけどさ。

 

「お前らもただの先公に()()()()なんて恥ずかしい話、広められたくはねぇだろ?」

 

と、首根っこ掴んだままバッズ2人を引き摺りながら警告も加えてそのまま校外に放り出すと2人とも一目散にケツを押さえながら何処かへと逃げていった。

 

で、校舎へと戻ろうとしたらよろけながらも濠尾が出てきた。後ろから小島とエンディミラもやって来ているけどそれには目もくれず随分とハラハラしたような顔をしている。まさか俺が2階から降りた程度でどうにかなると思ってたのだろうか。

 

「おう、心配ご無用」

 

まさかあの流れでもつれて落ちちゃったとかは通じないだろうからそれだけ言っておく。

 

「……なんで来たんだよ」

 

「何でって、言ったろ。俺ぁお前を見捨てねぇ。そもそも、俺がチーマーの100人や200人でどうにかなると思ってんなら心外だぜ」

 

「お節介しやがって……っ!」

 

「お前も来てんじゃん。それに、武偵憲章8条、任務はその裏の裏まで完遂すべし。俺ぁお前らの先生なんだからこの程度のこといくらでもやってやるよ」

 

幾ら人間辞めちゃった化け物の俺でも年下から助け求められて手を差し伸べない程ロクデナシではないつもりだぜ。お前、目で訴えてたじゃんね、助けて───ってさ。

 

「今までの先生がどうかは知らねぇけどな、俺ぁ誰も見捨てたりはしねぇからよ」

 

つーか俺の知り合い、もっとヤバい問題抱えてた奴らばっかりだったし。チーマーに絡まれてる程度のことで一々腰引けてられないのよね。

 

なんてことは言わないで俺はただただ格好付けた風で背中越しに濠尾に手を振ってやって校舎に戻る。その後ろに小島が、俺の横に、やたらと距離が近い気がするエンディミラと共に───

 

 

 

───────────────

 

 

 

この2年4組にはもう1人生徒がいる。明磊林檎という女子生徒だ。今まで俺もまだ顔を見ていない、所謂不登校というやつなのだ。

 

普段はリサが作ってくれるお弁当を、今日はエンディミラが作ってくれた昼休みにクラスの奴等に話を聞く限りでは、クラスで虐められているわけではなさそうだ。むしろ、ここの先生を追い出した主犯格っぽい話も出ていた。夕方に職員室でも話を聞く限りは問題児っていう扱いかつ電話しても保護者が出ないという、ちょっと濠尾や小島なんかとはベクトルの違う問題を抱えていそうだ。

 

事なかれ主義の大津校長からも、出来れば探してほしいという言葉を頂いたので、俺はエンディミラを連れて早速放課後に明磊林檎を探すことにした。

 

まずは一応ダメ元で親に電話を掛ける。だがこれは不発。時間を置いて何度か掛けても駄目だったから家に突撃しても居留守を使われるパターンだな。

 

「他の生徒に聞き込みをしますか?」

 

と、エンディミラが提案してくれる。

 

「んー?……いや、それには及ばないよ。面倒だしさっさと見つける」

 

俺は校外に出て羅針盤を使う。私立なので生徒の家はバラけてはいるが所詮都内か精々遠くても首都圏だからさしたる魔力は消費せずに明磊林檎の現在地は把握出来た。

 

「それも、魔法の力ですか」

 

「おう。取り敢えず現在地は見つけたから行くか。どうにも室内っぽいし、動かなさそうだ」

 

と、俺はエンディミラを連れて羅針盤が指し示した五反田へと山手線で向かった。しかしあれだな、五反田に着いた途端エンディミラの距離が近くなったな。まずはこうやって物理的な距離を詰める作戦か……。

 

「お、あったぞ」

 

羅針盤の示す通りに向かった先は超ボロいアパート。その集合郵便受けに『明磊』の文字。職員室で調べた明磊林檎の住所は広尾の高級マンションだったはずだが家出でもして親戚の家に転がり込んでるのかね。

 

俺とエンディミラは木造アパートの階段を登り、厚紙にマジックで明磊と書かれたお手製の表札のドアをノックする。……このアパート、インターホンも無ぇのか。

 

「何?」

 

すると、20歳前半位のお姉さんが直ぐにドアを開けた。ただ化粧が中途半端だな。どうやら出掛ける準備をしていたらしい。入学式の集合写真で見た明磊林檎本人ではない、母親にしても若すぎる。姉か……?

 

お姉さん越しに見える室内には林檎の姿は無い。だが左手奥の部屋からはカチカチとゲームのコントローラーを操作する音が聞こえてくるから明磊林檎本人はそっちにいるのだろう。気配感知の圏内だからそこに人がいるのも分かっているし。

 

「明磊さん、ここに林檎さんはいませんか?俺達は上目黒中の2年4組の新しい担任と副担任でして。学校で姿を見ないので家庭訪問に来た次第です」

 

と、俺が愛想笑いを浮かべつつそう伝えると

 

「なんでここが分かったの?」

 

お姉さんは怪訝な顔をしているが、ここにいることは教えてくれたな。まぁ羅針盤で分かってはいたけれど。

 

「親御さんに聞きました」

 

これは嘘。ただ電話を無視しまくる親と明磊林檎の関係性を探りたくて敢えて親を出したのだ。

 

「嘘だね。叔父さんは林檎がここにいることは知らない。……私もうすぐ出勤なんだよね。家庭訪問は林檎とだけやってくれる?……もう、林檎!先生来てるよ!いい加減学校行けよ、面倒なことになんでしょ」

 

あーらら、全部喋ってくれた。林檎と親の関係性は不仲。この人は林檎の従姉、林檎は家出してここに転がり込んでいるけどこの人も林檎は邪魔だと思っている。あと、貴女これから出勤ってことはお仕事はキャバクラとかですかね。

 

「えぇ、まずは林檎さんからお話だけでもと思いますので」

 

と、案外すんなりと上げてくれた部屋に俺達は足を踏み入れる。

 

「明磊林檎さん、俺は新しい担任の神代天人だ。副担任のエンディミラ先生も来てる。話がしたいんだが、入っていいか?」

 

だが返事は無い。……しかも、常に展開している気配感知に人の動く反応あり。あの野郎、カチカチというコントローラーの音だけ残して外に出やがったぞ。

 

「……逃げられたぞ」

 

と、俺が林檎のいる部屋の扉を開けるとそこはやはりもぬけの殻。窓は空いていて外には隣の家の屋根が上り坂みたいに見えるからそこから逃げっぽいな。

 

「追いますか?マスター」

 

「あぁ、まだ俺ん索敵圏内だ」

 

と、俺が窓際から飛び出そうとすると、足首に何か、糸のようなものが引っ掛かる感触。……これ、ブービートラップじゃん!

 

俺は右の手のひらで空力を発動。バン!と前に傾いた姿勢を無理矢理に身体ごと弾いて後ろへ持っていく。そして何が飛んできても良いようにと後ろにいたエンディミラを押し倒すようにして覆いかぶさり、自分の身体を盾にした。だが、パァン!パァン!と鳴り渡ったのは爆竹の音だけ。あとその音に驚いた林檎のイトコの姉ちゃんの「きゃあ!?」という悲鳴。

 

「あ、あの……マスター……」

 

と、咄嗟にエンディミラを押し倒してしまったが俺の身体の下にいるエンディミラは顔を真っ赤に染めている。

 

「あぁ悪い。……ただの爆竹だったな」

 

と、直ぐに上から退きつつブービートラップを検分。直ぐに退いた俺にエンディミラはやや不服そうではあったけど……。するとお姉さんもやって来て「何今の音?」と言うので、特急で作ったからか一部不発だった爆竹を見せてやり「逃げられました」と言えば「あのガキ……」とお姉さんも怒っている。

 

「まぁ靴も履いていないですしそんなに遠くには行けないでしょうから追いつけますよ」

 

と、俺はエンディミラの手を持って引っ張り上げてやりつつ窓の縁に足を掛けたのだが───

 

「うおっ……」

 

今度はダイナマイトが飛んで……違う、あれは偽物だ。何かをそれっぽい紙で巻いてタコ糸か何かをくっ付けただけだ。と、俺が直ぐにそれを見破り叩き落とそうとしたのだが……

 

「あっ……」

 

「えっ……?」

 

俺が急に止まったからかエンディミラは前につんのめり、俺を押し出すような格好になった。そして下手に耐えた方がエンディミラが痛いかもと、そのまま俺は隣家とアパートとの間に落ちようとしたのだが……

 

「マスター!?」

 

俺が落ちそうになったもんだからエンディミラが咄嗟に俺の手を掴み……そのまま俺の体重に引き摺られるように一緒に落ちてきた。

 

ドン!という鈍い音が夕方の住宅地に木霊した。俺は俺でエンディミラが怪我をしないようにむしろ重力操作のスキルで浮かせるようにしてこちらに引っ張り込み、落ちた時に痛めないよう抱き込むようにしてエンディミラを包んだのだが、エンディミラは俺に急に抱きしめられたことで顔をまたもや赤く染めて固くなっている。

 

そして、さらに間の悪いことに───

 

「げっ……」

 

屋根の向こうから何かが再び投擲され、液体が飛び散った。しかもこの刺激臭……シンナー、トルエンじゃん!無害な攻撃で油断させつつ最後に本命とはやるね……。

 

だが感心している暇はない。俺には効かないけれどトルエンは安価で入手が容易な割に危険性の高い毒物なのだ。引火性もあり、今俺の目の前で盛大に揮発しているそれを沢山吸い込めば急性中毒に陥り、呼吸困難や失明する危険もある。エンディミラは逃がさないと……!

 

と、俺は固まっちゃったエンディミラを抱えて車道側に逃げる。だが気配感知の固有魔法が捉えている反応では林檎はアパートの中を駆け抜けていったようだ。そんな音もするし、お姉さんの怒声も聞こえる。靴を拾って玄関から逃げたみたいだな。しかも俺達が逃げた車道はどん詰まりになっていて、林檎が逃げたアパートの入口の方へ行くにはグルリと道を回らなきゃならん。だけどこの程度で逃げられたと思うなよ?

 

「エンディミラ、大丈夫か?さっきのやつ吸わなかったか?」

 

だがまぁ取り敢えずエンディミラの方を心配してやらねばならない。俺がそう聞けばエンディミラは頬を染めたまま

 

「はい、大丈夫です」

 

と、伏し目がちにそう答えるのであった。

 

「そうか。変な幻覚とかはないか?身体の感覚で、何か変なところは?」

 

吸ってはいないとのことだったが念の為の確認。だがエンディミラはこれも大丈夫とのこと。

 

「大丈夫なら良かった。けど体調悪くなったら直ぐに言えよ?」

 

「はい、お気遣いありがとうございます、マスター」

 

「取り敢えず明磊林檎を追うぞ。どうせ行く先は1つしかないだろうけど」

 

と、俺はエンディミラを連れて、明磊林檎が行くであろう場所へと向かうのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

明磊林檎が身を寄せられそうな場所は後は広尾のマンションだけだ。そこで俺達がそこへ向かえば俺の読み通りマンションの前で明磊林檎が腕組みをして立っていた。どうやら逆に張っていたらしい。顔も、写真で見た通りだな。

 

「……明磊林檎だな」

 

「ウチには来るな」

 

俺の問いに明磊林檎は長い前髪の間から睨むようにして返してくる。理子と気が合いそうな甘ロリの服を着て髪には赤いリボン。見る限り痣があるわけでもガリガリに痩せ細っているわけでもないな。一応、そこは安心だ。

 

「俺ぁ家庭訪問しに来たんだよ。ウチに行かなきゃ家庭訪問にはならん。喧嘩して、家を飛び出して親戚の家に転がり込んだんだろうが───」

 

「来るな!」

 

「そこで待ってたってこたぁ何らかの武装をしてんのかもしれねぇけどな。俺ぁ今までの先生とは違って武偵もやっててね。当然武装もしているし、見たいなら武偵手帳(チョウメン)も拝ませてやろうか?」

 

と、俺がジャケットの中の拳銃を分かるように見せてやれば林檎は「そんなのありかよ……」というような悔しげな顔をした。

 

「……あたしのパパと話せば気が済むかよ。じゃあ話して諦めろ」

 

そしてクルリと回れ右をしてマンションへと入っていった。はぁ……家庭訪問も一苦労だぜ。

 

だが、最上階である9階に、林檎に連れられてやって来るとそこには先客がいた。

 

「明磊テメェ!返済期限とっくに過ぎてんだぞ!そこにいんのは分かってんだ!」

 

と、ガンガン玄関の扉を蹴っている野球帽に金髪のオカッパ女がいた。何あれ、借金取り?面倒クセェなぁ。林檎が特に何も反応しないってことはあれも日常の光景っぽいし。

 

俺達に気付いてチラリとこちらを見た金髪は再び何か喚いて、そして諦めたように踵を返して立ち去っていった。去り際、俺達とすれ違う時に「チッ」と、舌打ちと共に俺にガンくれながら、だったけど。

 

原チャリで恵比寿方面へ消えていったそいつを確認し、俺達は林檎の持っている鍵で明磊家に乗り込む。だが暗いね。借金取りに居留守を使うためだろうけど、カーテンも締め切っている。しかも中は荒れ放題で、コンビニで買ったのであろうパンの空き袋や空になったペットボトルがそこら中に転がっている。蘭豹の汚部屋よりは多少マシだが、ぶっちゃけどっちも大して変わらんかな。

 

無言で歩く林檎に着いていくと、廊下の先の扉を潜り入ったリビングの奥で煌々と明かりが灯っている。何かと思えばパソコンのディスプレイの光で、画面が5つもあるよ。しかもその画面を見るにやっているのは株や投資関係だな。んで、その前でブツブツと独り言を言っているのが林檎のパパ──デイトレーダー──か。

 

娘の林檎が「ただいま」と言ってもあまり興味なさげに「……林檎か、誰だその人達」と、直ぐに画面に目線を戻してしまう。一応自己紹介と要件を伝えるのだが、これも「後にしてくれ」とのこと。一応一段落したらとは言ったが、外国為替とかやられると24時間張り付かれるんだよな……。

 

「マスター、彼は子供を放って何をしているのですか?」

 

「株だな。あと他にも色々やってるみたいだけど」

 

「株とは何なのですか?」

 

「あぁ……俺も専門じゃないけど、株って言うのはまぁ会社を経営する権利みたいなもんで、その会社が利益を上げれば株の価値も上がる。んで、高価値になったところで売れば利益が出るって仕組みだ」

 

「カネの取り引きですか……。しかし、彼の目付きは闘技場で賭博をしている者達と同じです」

 

と、エンディミラが随分と的を射たことを仰られた。

 

「ま、短期の株の売り買いは博打と同じだよ」

 

と、エンディミラにヒソヒソ声で返してやる。

 

「林檎、あっちで寝てたのがお母さんか?」

 

と、俺がこの部屋に入った時から気配感知で捉えていた気配について聞くと、林檎は「は?」って顔をしている。んー?もしかして知らないのか?

 

「ママはパパが借金し始めた頃……2年前に離婚したよ」

 

「えぇと、じゃああれ誰?」

 

と、俺が指差した先にはちょうど寝起きって感じでキャミソールだけ着た派手なオレンジ色の髪とタトゥーをした女が出てきたのだ。

 

「知らない」

 

「えぇ……」

 

ってことは状況からしてあれが新しい林檎パパの彼女かな。あと酔ってるな、足元がフラついてるし手に酒瓶持ってるし。

 

「───あ?誰だお前ら」

 

「てめーこそ誰だよ」

 

と、派手な女にも気後れせずに思いっ切り目を吊り上げながら返す林檎。コイツ、やっぱ気ぃ強いなぁ。

 

「あたしはマサちゃんの彼女だよ。ネットで知り合ったの」

 

しかし、さしもの林檎でもその発言には強いショックを受けたようだ。フラついた林檎をエンディミラが支えてやっている。

 

「てゆーか、関係無い奴は出てって欲しいんですけど」

 

「俺達はこの林檎の担任と副担任だ。家庭訪問に来たんだよ。アンタこそ、家族じゃないなら退席願おうか」

 

「じゃああたしも居ていーじゃん。もうすぐ家族になるかもしれないし。マサちゃんが勝てば」

 

という女の言葉に林檎が震え上がっている。つーか、パパも女運無いな……。林檎の母親は金の切れ目が縁の切れ目、今度は金の繋ぎ目が縁の繋ぎ目……か。

 

「お前、娘なら掃除くらいしとけよ」

 

と、パパの背中にしなだれかかった女に林檎は

 

「───死ねよ、ブス!」

 

と、ブチ切れて突撃し、髪の毛を掴んで指を目ん玉に突き入れようとしている。闘争心が高すぎて強襲科からオファーが来そうだ。

 

だが体重差は如何ともし難く、腹を蹴られて転がされる。俺は林檎が何かにぶつかる前にそれを受け止めてやったが、林檎は泣き出した。ただ蹴られた腹が痛いんじゃない、心が辛いんだ。

 

だが───

 

「───静かにしてくれ!今こっちは大変なんだよ!」

 

と、メガネを掛けた林檎のパパはそれでも画面から目を離さない。俺はそれに……

 

「ふざけんな!!」

 

と、立場も何もかも忘れてテーブルの上のマウスやキーボードを全部薙ぎ払うようにして退かした。ガシャア!と音を立てて散らばり、しかしケーブルで宙吊りになったそれらをまだパパはヤク中みたいな目で掴もうとするので俺は胸倉を掴んで無理矢理に立たせる。

 

「手前が自分で稼いだ金をどう使おうが勝手だ!女も好きにしろよ!けどなぁ、林檎はお前の娘だろ!いいか?親には保護責任ってモンがあんだよ!林檎が学校に来ねぇなら行かせんのは半分はアンタの仕事だぞ!」

 

俺は柄にもなく怒鳴る。けどまだこの親子はやり直せる。あの柄の悪い女を林檎が認められるかはともかく、まだ林檎と父親は仲違いしていない。今はちょっと、大事なモンが見えなくなっているだけだ。だから───

 

「マサちゃんのサクセスを邪魔してんじゃねぇよ!一晩で億が動くんだ!勝って結婚すればそれが半分はあたしの金になるんだ!」

 

───だがそこでさっきまで寝室の方に引っ込んでいた女が出てきて金切り声を上げた。しかもガシャッ!という音に振り向かされればその手にあったのはイサカ・M37(ショットガン)

 

「マスター!」

 

エンディミラが悲鳴のような声を上げ、女はマジで俺を撃とうとする。いや、俺は撃たれても問題無い。服は防弾性だし肉体強度的にもその上からなら受けてしまっても死にはしない。その上多重結界もあるし金剛だって張れる。だがあれは散弾銃だ。この距離じゃ弾は結構散らばる。その拡散範囲には林檎の父親もエンディミラも林檎も全員入ってんだ。

 

だからと言って、エンディミラはともかく林檎達の前で絶対零度や氷の元素魔法、トータス製のアーティファクトを使うわけにもいかない。

 

だから俺は、敢えて散弾銃目かげて突進した。

 

「止せ!」

 

駆け寄り肉薄した俺は散弾銃のバレルを掴んで固定し、多重結界も解いた──あれは攻撃を滑らせるので跳弾が後ろに流れる危険もある──その瞬間に半分ヒステリーを起こしていた女の指がイサカの引き金を引いた。

 

バキュゥン!という発砲音と共に鹿撃ち弾(バックショット)が放たれ、それが俺の腹に全部まとめて直撃する。

 

「……ってぇ」

 

流石に多重結界も無しに散弾銃をゼロ距離で食らえば俺でも痛い。だが防弾服のおかげで弾子(ペレット)が俺の肉を貫くことは無いし魔物と化した俺の肉体であれば多少の痛みはあれどその程度。衝撃も内臓までは届かない。

 

だが銃声が鳴ったにも関わらず林檎のパパは娘を見ようともしないし女の方は俺にバレル掴まれてるのにポンプアクションで次弾装填していますし?これはもう家庭訪問った空気じゃねぇな。

 

「退くぞ、エンディミラ。林檎を頼む」

 

やむなく林檎はエンディミラに抱えさせ、女は撤退の雰囲気を悟って引き金から指を離した。俺もエンディミラ達が女とすれ違い、玄関の方へ向かったところで散弾銃から手を離してエンディミラ達へと向けられた銃口の射線を切りつつ玄関から外へ出た。まったく、家庭訪問1つでこの騒ぎかよ。これじゃ武偵高の奴らの方が大人しいんじゃねぇのか?

 

 

 

───────────────

 

 

 

「マスター、大丈夫ですか?」

 

「そうだよ!撃たれてただろ!?」

 

と、狭い夜の広尾東公園の石垣に俺達は腰掛けた。直ぐにエンディミラが俺のワイシャツを脱がそうとするが、それはエンディミラの手を取って止めさせる。

 

「大丈夫だ。このワイシャツも防弾性だから弾は貫通してない」

 

金剛も跳弾の可能性があったから使えなかったから痣くらいはできてるかもだけど、それも俺の身体なら直ぐに治るさ。だから問題無し。

 

「だからって……撃たれるやつがあるかよ」

 

「しゃーねーだろ。銃口弾いても跳弾の可能性もある。あれが1番安全だ」

 

それよりも、と俺は話題を変える。むしろ、こっちが本題なのだから。

 

「悪かったな。無理矢理に家庭訪問なんかして……」

 

父親があんな状態じゃ、確かに見せるのも嫌だろうよ。

 

「林檎、これは然るべき所に相談すべきだ。エルフの掟でも子捨ては重罪だ」

 

確かにネグレクトは立派な案件モノだ。だが理由が理由だけに、もしかしたら林檎は父親と一旦引き離されるかもしれない。まずはあのギャンブル依存症の方をどうにかしなければ、何も解決しないからな。

 

「なんだよ……パパを悪く言うな!……パパは何も悪くないんだ……パパは……パパは昔はとっても、いいパパだったんだ……ウォルトランドにも連れて行ってくれたんだ……!でも、おかしくなっちゃったんだよ……」

 

林檎は父親を弁護している。あれだけ無視されたのに、まだ父親のことを信じているんだ。母親のいなくなった林檎にとって、あんなんでもあの人が唯一の親だから。あの人からの愛が欲しいんだ。

 

「……悪かった。謝る。それで、その……お前の父親はいつからああなっちまったんだ?」

 

「……一昨年の、秋くらい」

 

2008年のリーマンショックか。確かに、株でおかしくなるとしたらその時期かもな。

 

「……彼もまた、カネの犠牲者ですか」

 

エンディミラが広尾の街を見つめる。その蒼穹の瞳で、聡明な頭脳で、この街を、人間の世界を嫌悪するように。

 

「気が済んだ?あたしも、諦めがついたよ。……パパの所に帰ったのは3ヶ月ぶりだけど、あんなになってるとは思わなかった。あたしは、もう要らない子なんだな。……ママにとっての、あたしと同じで」

 

林檎は、何か大切なものを諦めてしまった顔をしていた。林檎は母親にも捨てられたと感じ、そして今、父親にも捨てられたのだと感じている。最も自分を愛してほしかった2人に見捨てられた林檎は……何を諦めちまったんだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

林檎がトボトボと、きっとあのイトコのアパートに去っていった後、俺達は広尾駅に向かって歩いていた。だがそこで、駅前の交差点が騒がしいことに気付く。そしてそこにいる奴らがこぞって上を見上げるので俺も釣られて上を見ると───

 

「───っ!?」

 

俺もエンディミラも血の気が引いた。14階建てのマンションの屋上、そのフェンスの外に林檎が立っているのだ。それも、今にも飛び降りそうな顔で。

 

「あのバカ───っ!」

 

ちょうど信号が青になったので俺とエンディミラはダッシュして信号を渡り、エンディミラは真下に待機させ──人が複数人で近寄ると、それが追い立てられたようになってピョンといきやすいと武偵高で習った──俺は林檎のことを下から面白がって撮影している野次馬共を掻き分けてマンションの階段に駆け込む。途中人の目が無くなってからは人外の膂力を惜しむことなく発揮して一気に屋上まで辿り着いた。

 

「お、おい林檎……」

 

俺の声に林檎が振り向く。そして───

 

「来んな!あたしにはもう……生きてる意味が分かんないんだよ……生きてても、辛いことばっかりだ!」

 

林檎は叫んでいた。心から、この先の未来に絶望して、今まさに自分で命を絶とうとしている。その覚悟が、林檎の顔と声色から伝わってきた。

 

「止めとけ……ここ、40メートルはあるぞ?下はアスファルトで、飛び降りたら人間の身体なんかスイカみてぇに砕けるんだ」

 

「うるさぁい!来るなっつったろ!!」

 

とにかく喋りつつ俺は泣き喚く林檎との距離を詰めていく。幸いベルトにはワイヤーがあるし、最悪の最悪は空力でも何でも使ってやるぜ。

 

「死んでやる……っ!帰れよ……帰れ……っ!」

 

「……死んでやる、か。ま、覚悟はできてるみたいだな」

 

と、ここで俺はフェンスまでは辿り着いた。そしてガシャリと音を立ててそれを掴めば林檎は反射的にフェンスを強く掴んだ。

 

「けど膝が震えてんぞ?怖いんだろ?」

 

と、そこで俺は一息にフェンスを乗り越え、林檎と並び立つ。

 

「高い所から落ちんのは怖いもんな。だから……俺も一緒に行ってやるよ」

 

と、唐突に意味不明なことを言い出した俺に林檎の目が点になり、そして俺はフェンスを掴んでいた林檎の手を離してやった。

 

「人生上がるのは大変だけどな───」

 

「え……」

 

「───降りるのは一瞬だからな」

 

と、俺は林檎の手を取りそのままマンションから飛び降りた。その瞬間にはワイヤーのフックをフェンスの柱に引っ掛けて、だけど。

 

「わぁぁぁぁぁ!?」

 

だけどそれを知らない林檎は叫んで思わず俺に抱き着く。……なんだよ、やっぱり生きたいんだろ?当たり前だよな。だからさ、生きようぜ。

 

シャーッ!と、ワイヤーがどんどん吐き出されていく音がする。下を見れば落下地点にいた奴らが蜘蛛の子を散らすようにワーワー言いながら散っていった。けど皆携帯で動画撮ってやがる。そんなに人が死ぬところが見たいの?まったくどいつもこいつもイカレてんね。

 

邪魔に感じた俺は下からハラハラした顔で見上げるエンディミラ以外に向けて固有魔法の威圧を放ち、それで脅して野次馬共を退かしてやる。

 

そして地上から数メートルの所でバックルのブレーキが掛かり、ようやく俺達は落下を止めた。……と思ったらどうやら勢いと荷重に耐えきれなくなったらしくバキッという音と共にバックルは壊れ、俺は林檎を抱えたまま背中から地面に落ちた。最後の最後で締まらないなぁ……。

 

「きゃっ!」

 

「ま、マスター!?大丈夫ですか!?」

 

「おう、平気平気」

 

と、林檎を抱えたまま俺は手を振ってやる。そしてよいしょと林檎を立たせながら自分もエンディミラに手を借りつつ立ち上がった。だが林檎は俺にしがみついたまま顔を真っ赤にして「……先生の……ばかぁ……」と心臓バクバクですって顔をしている。まぁあの高さから落ちたらそうもなろうよね。

 

「さて林檎、落ちるのは簡単だけど怖いだろ?でも見てみろ、お前、あのマンションの上まで上がれるか?難しいだろ?……だからまずは横へ行こう。逃げたっていいんだ、下に落ちなきゃな」

 

落ちる時に俺にしがみついた時点でこの世に未練がある、生きていたいって思いは丸分かりなので今更聞くほどでもない。だから生きている今、お前は何をしたいんだ?林檎。

 

「取り敢えず、今お前はどこ行きたい?」

 

「……何か、食べたいな」

 

「おういいぞ。食べるってのは生きることだ」

 

俺も生きるために喰らったからな。沢山食いすぎて、身体はもう人間のそれとは違っちまってるけどね。

 

 

 

───────────────

 

 

 

夜のラーメンのなんと背徳的なことか。でもあんまりやるとリサやシアに怒られちゃうからね、程々に。

 

と、俺はエンディミラと林檎を連れて白金のラーメン屋に入った。ラーメン屋と言っても屋台みたいなもんだったけどな。

 

今日日怪我人すらいない自殺未遂を警察はろくに調べやしないから直ぐに包囲からは抜けられたよ。

 

そして最後にやることが1つ。

 

「林檎、さっきお前の家の玄関蹴ってた女、あれ知ってるか?」

 

「キラキラローンの吉良とか言う人でしょ。借金取り」

 

あそこで驚かなかった時点で林檎はアイツを知っていそうな雰囲気だったから聞いてみたけど当たりだったか。向こうは知らないっぽかったから多分居留守してたんだろうな。

 

「へぇ。……お、これか」

 

そして携帯でキラキラローンと調べれば電話番号は直ぐに見つかった。しかも仕事用のものなのか知らんが080で始まるってことは携帯電話だ。せっかく家庭訪問に来たんだ。ちゃんと最後までお話聞かせてもらうぜ、林檎パパよ。

 

と、俺は直ぐにそこに電話を掛けた。そして3コール程で出たそいつに

 

「夕方に広尾のマンションですれ違った者なんだけど、アンタがあそこの奴に貸してる金、回収できるよ」

 

と伝える。するとそいつは「今品川だけど直ぐに引き返す」と言って電話を切った。林檎には隠れて羅針盤でさっきの奴の居場所を探れば確かに品川の方からこっちに戻ってきているな。

 

そして広尾のマンション前で合流した俺達は林檎に連れられて部屋に向かう道すがらにブリーフィングをしておく。そして、9階にある林檎達の部屋の鍵を林檎に開けてもらい、ドカドカと中に上がり込む。

 

そして相も変わらずにPC画面と睨めっこしている林檎の父親に俺は強引に武偵手帳を突き付け───

 

「武偵だ。債務不履行による財産差し押さえの強制執行に来た。エンディミラ、そのパソコンのスペックを吉良に見せてやれ」

 

「はい、マスター」

 

と、エンディミラは青ざめる林檎の父親を無視してキーボードを掴み上げて操作を始めた。エンディミラはパソコンに強いからな。さっき見た時にそれなり以上に高価なものだということも分かっていたらしい。

 

そして吉良は吉良でそのタワーPCと言うらしいパソコンを撫で回しながら何やらスペックが良さそうということをゴチャゴチャ言っていた。まぁとにかく借金はチャラになりそうなんでそれは良かったよ。

 

「さて、株式とか外貨を全部日本円にするならその間だけは待ってやる。但し、それ以外の操作を1つでもしたって見なしたらエンディミラがお前のそのパソコン?……ワークステーション?を全部その場で初期化する」

 

と、俺が脅せば事ここに至って林檎の父親は諦めたように脂汗をダラダラ流しつつ売り注文っぽいことをし始めた。

 

「ちなみに態と遅くしてるって判断しても初期化だからな」

 

サッカーなら1度目の遅延行為は警告のイエローカードで済むけど残念なことに俺は武偵で吉良はヤミ金らしいんでね。半端にイエローカードなんて出さずに即座にレッドカードで1発退場だぜ。

 

そして、しばらくして林檎の父親は作業を終えた。どうやら手元にはほとんど金は残らないらしいが、依存症から人を救うには依存の対象を断つしかない。株式によるギャンブル依存症ならこういうパソコンを奪っちまうのが第1歩なのだ。

 

「手元に残ったカネはもう2度と賭け事には使わないように。『頬張れば息が詰まる』───強欲を戒めるエルフの諺です」

 

と言いつつエンディミラが手際よくデータやらシステムやらを消去し始めた。すると、飲んで寝てて今のドタバタで起きたのか、あのアホっぽい女が寝室から出てきた。

 

「何してんだよおめーら」

 

と、ドアに立て掛けてあったショットガンを手に取ろうとしたのでそれは俺がシグを向けて制する。

 

「武偵でも登録の難しい散弾銃を、どう見ても素人のお前が持ってるの……違法か合法なのか、取り調べてやろうか?言っとくが、武偵には準逮捕権があるからな。今それに触って現行犯にならん方が身の為だぞ?……あぁあと、明磊は破産した。明日からはカタギの仕事をする───だよな?」

 

と、最後は林檎の父親に言ってやれば彼もコクコクと頷いた。それを見た女は目を丸くしつつ

 

「マジ?サクセスは?」

 

なんてアホなことを聞いてくるので

 

「シャンプーは流すもんだ」

 

と、俺もそれはそれは適当に返してやった。だがそれが良かったのかどうかは知らんが女も「じゃあ帰る」とか言って散弾銃置いてさっさと身支度して出ていったよ。

 

んで、その間に初期化の終わったらしい何とかってパソコンを吉良がニコニコしながら持って帰ったので───

 

「さてさて、ようやく本題。……じゃあ始めましょうか、家庭訪問」

 

と、俺は今日の本題にようやく取り掛かれるのであった。

 

俺がテーブルにつけばエンディミラは隣に姿勢良く座り、俺の向かいには林檎のパパが、その隣……エンディミラに向かい合うようにして林檎が座る。

 

林檎は林檎で俺に飛び降りの話をされるんじゃないかと思っているのか少しビクついているから、目で言わないよと伝えてやる。

 

「アンタ……只者じゃないな。林檎は教師っていう人種と相性が悪いと思ってたんだが……」

 

「俺が何者かなんてどうでも良いでしょう?それより、林檎さんは頭が良い。学校は上目黒中でなくてもいい……普通にマトモな学校に通わせてやってください」

 

間違っても武偵中や武偵高になんて寄越さないでくださいよ?この子、下手に適正ありそうだし。

 

「この子の頭ならどっかから奨学金も取れそうですし。……あぁけど、貰うんならちゃんとしたところから貰えよ?俺の知り合いにイタリアの武器商人から金借りて、挙句に生命保険掛けられて殺されそうになった奴がいましてね……」

 

そういやキンジは今どうしているんだろうか。同じ便で日本に帰ってきてからこっち、全く連絡取り合っていないんだよな。多分死んじゃいないと思うけど。

 

「私も林檎には教えたいことがあります。……おいで」

 

と、エンディミラはエンディミラで林檎を連れて洗面所の方へ行ってしまった。俺と林檎パパを男2人で残して……。

 

「今更ですけど、何でアンタ、デイトレーダーなんか始めたんです?」

 

と、俺は俺でどうせ男2人なら色々話しやすいだろうと気になっていたことを尋ねる。すると、どうやらこの人は元々は会社員として働いていて、林檎の成績が良いんで私立中学に通わせたはいいんだが、そこで金に少し困り、銀行からの紹介で投資を始めてそれが上手く行き……投資家にジョブチェンジして、そしてリーマンショックで失敗したんだとか。

 

そんな話を聞いて俺は俺で返す言葉もなく……沈黙がこの場を支配していた。だが少しすると───

 

「戻りました、マスター」

 

と、エンディミラの美声が沈黙を破り、そちらを見れば林檎が何やらエンディミラの後ろでモジモジしている。だがエンディミラに前に押し出され、もう借金取りも来ないんで電気で照らされた室内で、林檎の印象が少し変わっていた。

 

「髪切ったのか。前髪と……あとは整えた程度かな」

 

「はい。この子は前髪が長過ぎたり、少し手入れを怠っていましたので。この子に教えたかったのです。女は全員、正しく見繕えば美しくなれるのだと」

 

まぁ元々が可愛らしい顔立ちをしていた林檎だ。エンディミラが手入れをしたおかげでそれが余計に際立っている。

 

林檎も父親も、言葉を交わして笑いあっている。うん、もうこの2人は大丈夫だ。きっと上手くやれるよ。

 

エンディミラも親子が笑顔を交わしあっていることに満足したのか、その端正な顔を綻ばせている。じゃあ俺達はもうお暇しますかね。

 

と、俺とエンディミラは長い一日を終えて、明磊家を去り、また来るはずの明日に向かうため、家路を急ぐのであった。

 

 



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グッバイ2年4組

 

 

キンジとネモを無人島から帰した後、キンジは大検とかいう、高校を卒業していなくとも大学受験をすることができる資格を得るための試験を受けて合格していた。前にそれを祝して、俺と武藤、不知火で集まってキンジの合格祝いを開いてやったことがある。

 

んで、その時俺はその場のノリで「今後、キンジが就職するまでにキンジが食うに困ったら時々は飯を一食奢ってやる」みたいな約束をしていた。

 

"時々"の定義が曖昧だし就職するまでとは言ったがクビになったらまたこの約束は復活するのかとか、まぁ武偵のする約束としては穴だらけも良いところなのだが、俺としては別に武偵として約束したわけじゃないし、キンジもそんなにそれを悪用するような奴でもないだろうから、お互いそんな細かいことは気に止めてはいなかった。

 

実際、これまでキンジからその手の連絡がきたことは無かったから俺もそもそも忘れていた話だったのだ。

 

だが林檎の家に家庭訪問をした次の日、キンジからメールが届いた。曰く、結構ピンチらしく夕飯を食わせてほしいとのこと。俺はそれで前にしたあの約束を思い出して二つ返事で了解し、巣鴨の方へ向かったのだった。

 

「で、なんで……えと、エンディミラ?がいるんだ?」

 

と、今日はキンジと飯を食うって話をしたらエンディミラもなんか着いてくるって言い出したのでまぁ別にいいかと2人で巣鴨駅まで来たのだが、美人でスタイルの良いエンディミラを見たキンジは抑え気味ではあったけど嫌そうな顔をしていた。

 

「何だかんだでこっちで暮らしてる。んで、今は俺と一緒に学校の先生をやってる」

 

「ふぅん。まぁいいや、今日はありがとな」

 

「気にすんな。約束だしな」

 

どうせならそこら辺のラーメン屋とかじゃなくてもうちょい色々食える所にしたかったので俺は駅の周りを見渡す。

 

「ところでマスター」

 

「んー?」

 

「遠山と交わした約束とは今日の話ですか?」

 

「あぁ。前にな、キンジとは"キンジが食うに困ったら時々何か食わせてやる"みたいな約束しててな。んで、どうやらキンジは食うに困ったらしい」

 

「なるほど、つまり遠山にはカネが無いと」

 

「言ってやるな」

 

俺達の会話を聞いてキンジは居心地悪そうに目線を逸らしていた。まぁファミレスでいいかと俺は駅前のビルに入っているファミレスを目指して歩き出し、エンディミラにはあまりキンジの懐のことは言ってやるなと釘を刺しておく。

 

そして俺達は狭くて乗り心地の悪いエレベーターで階を上がり、ファミレスへと入った。

 

そこで店員に禁煙席に案内してもらって席に着いた俺達は、各々メニューを手に取ってそれを開いた。

 

奢られる立場だからなのか自ら進んで下座に着いたキンジは1人で、俺はエンディミラと2人で1つのメニューと睨めっこ。すると直ぐに店員がお冷を持ってきてくれた。

 

相も変わらずエンディミラは俺との距離が近い。ちょっと俺が腕を動かしたらエンディミラの柔らかそうな胸に肘が当たりそうだ。多分わざと、狙ってこの距離なんだろうな。俺が下手に「惚れさせてみろ」なんて言ったから。やり方が器用なんだか不器用なんだかよく分からんな。

 

てかこの子、最近はリサのシャンプーをよく使ってるんだよね。なのに香る香りはリサとも違うんだから不思議だ。この距離だと呼吸するだけで良い匂いが鼻をくすぐるからむず痒い。

 

そうしてメニューを決めた俺達──エンディミラは相変わらず野菜ばっかりだけど──はチャイムで店員を呼び出し、注文を伝える。

 

それを承った店員が厨房へと伝えに消えると、キンジが1つ溜息。

 

「どしたん?」

 

「いや……まぁお前になら話してもいいか。……えとな、最近ヤミ金から借金しちまってな。どうしたもんかなと」

 

そういや昨日もヤミ金とは顔合わせたな。何、最近のトレンドはヤミ金?嫌な世の中だねぇ。

 

「へぇ。幾ら?」

 

「利子抜きで50万」

 

50万か……。しかも利子抜きって言ったな。ただ、ヤミ金の利子なんて法律で決められている利息なんてぶっちぎっているだろうから実際にはもっとだろうな。

 

「そういや俺ぁ昨日ヤミ金の取り立てやったぞ。キラキラローンの吉良って奴と」

 

「───はぁ!?」

 

と、今更守る秘密でもないので昨日の話をポツリとしてやると何故かキンジの反応が大きい。身体半分コチラに乗り出してきていた。

 

「んー?どしたの?」

 

「いや……実は俺が金借りたとこもそこなんだよ」

 

「そんな偶然あるんだ……」

 

しかしキンジに金貸すとかほぼ返ってこないだろうに。アイツ、実は結構アホなのかもな。明磊家から金借りてたのに林檎の顔知らなかったみたいだし、そこら辺の調査能力は無いんだろうな。

 

「あぁ、じゃあ丁度いいか」

 

と、俺は前々から考えていて、リサとも話していたある事を思い出した。キンジにも関わることでもあるかなってことで、どうやってキンジから了解を取ろうかって算段がついていなかったのだけれど、これは丁度良いタイミングかもな。

 

「何だ?金なら無いぞ」

 

「知りに知ってるよんなこと。誰がお前に金を無心するかよ。……じゃなくてさ、お前に仕事の依頼だ。受けてくれたら報酬としてその借金全部俺が返す」

 

ヤミ金の借金は時間の経過でどんどん膨らんでいく。毎月コツコツ……なんてやってたら凄まじい勢いで利息が跳ね上がってしまうから1発で返してしまうのが1番良いのだが……そもそもそんなこと出来んからヤミ金に頼っているわけで。ただまぁキンジの背負った負債くらいは俺ならどうにかできるので、どうにかするのだ。

 

「……内容による」

 

だがキンジ的にはまとまった額の報酬が貰える仕事とあり、逆に警戒している。ま、武偵高中退のEランク探偵科武偵への50万円以上の依頼なんて言われたら確かに身構えるか。

 

「俺ぁ武偵高を卒業したらそっからの進路は特に決めてなくてな」

 

就活って柄じゃないし……というか武偵高卒業した瞬間にまた武装検事から狙われそうなんだよな。

 

「ま、ユエとシアもそんな感じだし、アイツらもそこらの武偵企業に就職って感じじゃないじゃん?」

 

「俺は詳しくは知らんが」

 

「けどさ、武偵免許は持っておきたいんだよね。俺達としては」

 

「まぁ、それは分かる……」

 

「だからさ、俺が興した会社に、お前が興した会社を合併させて武偵業務もできる会社にしたいんだよ」

 

別に自分で作っても良いのだが、どうせなら既に知名度が多少はある遠山武偵事務所(TBJ)を吸収した方が後が楽だしな。

 

「むぅ……」

 

「で、お前への依頼ってのはそれをするってのを認めてほしいって話だ。もちろん今やってる事業も、雇ってる人もそのまま継続してもらって構わん」

 

「残念だけど、今俺はあの会社の人間じゃないんだよ。だから決定権は俺には無い」

 

んなことは知ってるんだけどな。だから話の本題はそこじゃあない。

 

「知ってるよ。けどそういう話があるってことを通すことはできるだろ?……ま、言っちまえば義理立てだよ。お前が興した会社を貰おうってんだから、例え今は書類上なんの関係も無くても、話をせんのは不義理だろう?」

 

「じゃあ予告だけでいいんじゃないのか?」

 

「今あそこは中空知がやってんだろ?……アイツならもしかしたらキンジの反応を聞いてからって言い出すんじゃないかなって言う話になってさ」

 

ちなみにそれを言い出したのはリサだ。相変わらずよく気の利く子だよ。まぁ確かに俺も言われてみればそうかもなと思ったけど、言われなきゃ思い至りもしなかったわけだからな。

 

「だからお前から、こういう話がきているってこと、それからお前はそれでもいいと思っていることを伝えてほしい」

 

「……本当に、武偵まんも今雇っている奴らも継続雇用するんだよな?」

 

「あぁ。人件費の水準も下げる気は無い」

 

俺達のメリットは武偵免許の継続と、知り合いが多いということで融通が効くこと。後、これはリサとジャンヌに調べてもらったがあそこは経営状況も良好。重りになることはないだろうって話だ。

 

メヌエットも、TBJの業務内容的にはイギリスとは敵対しないだろうから俺んところに吸収するのは問題無いと言っていた。ていうか、それを含めても社長をやるって話の了解は得ていたのだ。

 

「分かった。そういう話があるってことは中空知には伝えておく。けど、実際どうなるかは中空知達と話してくれ」

 

「分かってるよ。……それに、もしお前にとって不本意な結果になるのはこっちも嫌だから話し合いの場にはお前もいていい。……一応俺も行くから男1人にはしないよ」

 

「お前にしては至れり尽くせりだな」

 

「あんだよ、人が折角気ぃ遣ってやってんのに」

 

と、その頃になると俺達と注文した料理が続々と届き始めた。俺達はテーブルに並べられた皿を見て、まずは会話よりも自分達の腹の虫を諌めることに集中するのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「マスター、宜しいでしょうか?」

 

と、キンジに飯を食わせ、店の前で直ぐに解散した俺達だったが、エンディミラは何やら気になることがあるようだ。

 

ちなみに、TBJを俺達が買収するって話はキンジも一応の納得は見せてくれた。ただ念の為話し合いの場には同席するとのこと。キラキラローンへの支払いに関しては後でメールで連絡すると言っていた。

 

「んー?」

 

「遠山はカネに困っていた。林檎の父親や濠尾もカネの問題を抱えていた。林檎の父親にくっ付いていた女は彼にカネが無いと見るや直ぐに姿を消しました。……私には分からなくなったのです。……カネとは、一体何なのでしょうか?例えどんなにそれで苦しめられていてもヒトはカネを神のように崇拝し、それが絶対的な価値であると信じています。それが私には理解できないのです」

 

そしてエンディミラは辺りを見渡した。金によって建てられたビルや駅、金のために働く人々。それらを見て、エンディミラは心の底に拭いきれない嫌悪感を抱えているように、俺からは見えた。

 

「何……ねぇ。……少なくとも神じゃねぇな。もし本当に金が神様だったら俺んとこにある筈がねぇ」

 

俺は尽く神様という存在と相性が悪い。神の依り代(神代)なんて苗字を持って産まれた割に神を喰らう者(ゴッドイーター)をやったりトータスじゃ自称神様のエヒトを魂の一滴も残すことなく燃やし尽くしてみたり。こっちに帰ってきても結局は緋緋神とも戦闘になってたし。もし金が神様なら俺とは縁遠い存在のはずだ。

 

「では、ヒトにとってカネとは何なのですか?」

 

その碧い瞳は俺が何か綺麗事で誤魔化すことを許さないというような強い意志が込められているように見えた。だから俺も……自分が思う言葉をぶつける。

 

「ヒトにとって……って言われると俺もよく分かんねぇよ……。でも俺にとって、っていう話なら言える……それでいいか?」

 

「はい。それでも聞きたいです」

 

と、エンディミラは頷く。俺は歩きながらふと見つけた小さな公園に足を向け、そこのベンチに腰を下ろした。エンディミラも俺の隣に座り、ふわりと柔らかな香りが漂った。

 

「……俺にとっちゃ金は道具でしかないよ。ただ、金はどうやら色んな物に代えられるらしいからな。俺や、俺ん家族達が幸せに暮らすためには持てるだけは持っておきたいとは思ってる」

 

「道具、ですか……」

 

「お前にとっちゃ悪魔みたいに見えてるのかもしれねぇし、それを求めて止まない人間も悪魔の手先か何かに見えてるのかもしれない。けど所詮道具は道具だ。使う奴が悪ければ確かに悪くなるし良い奴が使えば良くもなる。……悪いな、こんな浅い考えしかできなくて」

 

金が何なのか、俺はよく考えたこともなかった。金は金。ただそれだけだったから。でもまだやって数日だけど普通の学校で先生なんてものをやり、金の概念の無い世界から来た奴とこうやって話してみて気付いた。

 

きっと、それだけでは駄目なのだ。自分が使っているこれが何なのか、俺はきっともっと知らなければならないのだろう。俺は俺がよく知りもしない物に自分達の人生を預けていることになってしまうから。

 

「いえ。……ではマスターは、どのようにカネを使うのですか?」

 

それは、物を手に入れるため、みたいな話じゃない。もっと、俺が手に入れた金をどのように使いたいのかという話なのだ。言わば俺の目標、みたいな。

 

「守るため、かな」

 

「守る、ため……」

 

エンディミラが俺の言葉を反芻する。

 

「あぁ、守るため。金より大事なもの……リサ達や、今の生活を守るため。あぁあと、もっと幸せになるためだな」

 

「もっと、ですか?」

 

「あぁ。ま、もう目星は付いてるんだけどな。今住んでいる家を出て、もっと大きな家を建てる。んで、今度こそレミアとミュウと、ジャンヌも一緒に住めるようにするんだ」

 

そして、その生活を維持するために金を使う。今はそのための準備期間なのだ。

 

「家族と住む。そんな当たり前のこともカネが無いと出来ないのですね」

 

「ま、俺の家族は特殊だからな」

 

現状、法的にはただ他人が同居しているに過ぎないが、実情は一夫多妻なのだから、ちょっとウチは例外だと思うよ。

 

「エルフの森ではマスターのような状況はそれほど特殊ではないのですが、ヒトは違うようですね」

 

……俺の状況が特殊じゃないのはエルフ側が人間とは違いすぎるのではないでしょうか?

 

「どゆこと……?」

 

「エルフの森にはメスしかいません。その中で最も知恵を付けたメスがオスになり、多くのメスを囲うのです。ただ、まだ私の周りにはそのような者は現れていませんでしたが」

 

スゲェなエルフ。そんな変化するのか。エルフは、優れた雄が多くの雌と交わることで優秀な遺伝子を残していけるように進化したんだな。しかしなるほど、それでエンディミラは俺達の生活を見ても何も不思議な顔はしなかったんだな。だいたい他の奴らが俺達のことを見ると、やっかむかおかしなものを見るような目で見るんだけどな。

 

「なるほどな。……人間はどちらかと言うとそういうのは不潔だって認識だからなぁ。まぁそれでも俺達は俺達の気持ちを曲げる気はないよ」

 

周りが何と言おうと俺は皆を愛しているし皆も俺を愛してくれている。そうであるなら俺はあの生活を守り、そしてより住みやすい世界を求めていくだけだ。

 

「……最後に、聞かせてください」

 

すると、エンディミラが鋭さを伴った目で俺を見やる。

 

「んー?」

 

「マスターは、他の誰かを不幸にしても奥方様達を幸せに出来ますか?」

 

「それは……」

 

出来ないと、俺に言えるだろうか。実際、俺はそれをやっている。幾つもの異世界を巡る中で俺は罪のない人間をも手に掛けて、そして世界を巡っていた。そしてその果てに俺はようやく帰ってきたのだ。だからこの質問に出来ないと答えることは嘘になる。俺は、エンディミラにはそんな嘘は吐きたくなかった。だから……

 

「……出来るか出来ないかで言えば、出来るよ。俺ぁやれる。物理的な話だけじゃなくて、精神的にも。積極的にやりたくはないけどね」

 

だから俺は話した。俺とリサが最初に異世界に飛ばされた後、その世界からどうやって出たのか。異世界からの脱出の仕方。そして俺が帰ってくるまでにどんなことをしてきたのかを、覚えている限りでエンディミラには言葉にして伝えた。

 

そしてエンディミラはそれをただ黙って聞いていた。そして俺が話終えると……

 

「……マスターは、もう嫌だとは思わなかったのですか?例え別の世界を生きていたヒトであっても、同族を殺し続けることに嫌悪感は覚えなかったのですか?」

 

「進んで人を殺したいとは思わないよ。あの時も、今も。けどそうしなけりゃ帰れなかったからな。だから……」

 

「戻らない、という選択肢はなかったのですか?その場にはリサもいたのでしょう?マスターにはこの世界で何かやらなければならないことがあったのですか?」

 

「無いよ、使命とかそんなものは無い。けど1番最初に飛んだ世界で、リサはこっちに帰りたいと言った。なら俺ぁどんな障害も叩き潰してこの世界に帰るだけだ」

 

リサが願うなら俺はどんな障害でも、何を壊しても、絶対にその願いを叶えてやりたい。そのために俺の手が血で汚れようとも地獄に落ちることになっても。それでも俺は生きている限り、俺の力をリサのために振るうと、そう決めているのだ。

 

「けど誤解すんな。リサだって人死には嫌だし俺が誰かを殺すのを見たいわけでもない。むしろリサはずっと後悔してたよ……自分が帰りたいと言ったから……ってな。だからってわけじゃないけど……リサを悪く思わないでくれ。リサは正常で、ぶっ壊れてんのは俺なんだから」

 

望んでもいないのにいきなり異世界に飛ばされて、自分の世界に帰りたいと願うのは普通のことだろう。だから、リサの願いはごくありふれたものだ。

 

「……幻滅しただろ?」

 

自分の大切な人の願いを叶えるためだからといって、自分の手を血で汚すことを躊躇わない人間なんて本来こんなに沢山の女の子から好意を寄せられていいはずがないんだ。だからエンディミラが俺の元から去ると言うのなら俺はそれを止めない。テテティとレテティも、ミュウは寂しがるだろうけどきっとコイツと居た方が幸せなはずだから、一緒にコイツの故郷の世界か、Nのネモの元へと帰してやるつもりだ。

 

「いいえ、マスター。本当にマスターが悪魔のような人間であるのなら、リサ達が今もマスターのことを好いているとは思えません。ミュウが生みの親ではないマスターをパパと慕うわけがありません。今日、2年4組の生徒は笑顔で授業を受けていました。それはマスターが作ったものです。……マスターは、壊れてなんかいません」

 

エンディミラが俺を見据える。蒼く煌めく瞳の輝きが俺を射抜くように捕らえる。俺はその美しい瞳から目が離せなくなる。俺の中にその蒼さが染み込んでくる。

 

「きっと、マスターに命を絶たれた者や、その家族はマスターを恨んでいるでしょう。けれど、目を見れば、私には分かります。マスターは全て承知で、全部自分で背負うつもりでこれまでそうしてきた。そして、それを私にも話してくれた」

 

だから、とエンディミラは言葉を続ける。

 

「私が抱いたこの気持ちは、きっと間違っていなかったと、今そう確信しました」

 

リサ達は俺の中の黒く澱んだそれを包んでくれた。これを抱えていることを赦し、受け入れてくれた。一緒に同じものを抱えてくれた。香織の父親は俺が為したのは破壊だけではないと、俺の鬱屈を伸ばしてくれた。エンディミラは……エンディミラは、俺の中で黒くて濁り、赤黒く固まったそれが纏わり付くこれを明るく照らし、溶かしていくようだった。

 

頬に冷やりとした──常に俺の身体を守っている熱変動無効のスキルで、本当なら分からないはずのその肌の温度が何故だか脳みそに伝わってきた気がした──感触。

 

それはエンディミラの手のひらが俺の左の頬に触れた感触だったらしい。俺はその手のひらを自分のそれで包む。

 

「エンディミラ……」

 

「マスター……」

 

エンディミラがその蒼い瞳を閉じ、ゆっくりと俺に寄る。

 

「……ありがとな、エンディミラ。……冷えたろ」

 

俺は頬に添えられたエンディミラの右手を左手でそっと外し、自分が着ていたジャケットを脱いでエンディミラに肩に掛けてやる。すると、エンディミラは降ろしていた瞼を上げて、何やら抗議の眼差しを向けてくる。ただそれでも俺のジャケットを突っ返して来ない辺り、やはり秋の夜は冷えたらしい。

 

「女は身体冷やすもんじゃないよ。俺ぁ寒くないから、着てろ」

 

と、話は終わりだとばかりに俺が立ち上がればエンディミラもふぅと1つ息を吐いて俺の横に並び立つ。そして俺が歩き出すのに合わせて俺の腕を取り、自分の豊満な胸の中へと仕舞い込む。

 

腕に押し当てられる柔らかさと体温、俺の指に絡むエンディミラの細いそれが俺の心臓の鼓動を急かす。だが俺はそれを拒むことなく受け入れて駅への道をただ黙って歩いて行った。

 

 

 

───────────────

 

 

 

エンディミラとテテティ、レテティは手先も随分と器用なようで、3人がナイフで木材を削って作り出した妙にリアルな竜や妖精のフィギュアを2年4組の奴らに配って行ったTRPGの授業は随分と好評だった。もちろん会話は全部英語でやれというルールもあるのだが、それでも皆が自分の意見を伝えようと必死に頑張って、そして笑い合う姿は、俺が赴任してきた初日の、大人を一切信用出来なくなっていた彼らからは想像もつかない。

 

だが、楽しい時間はいつか終わりを迎えるものなのだ。俺とエンディミラは4時限目が終わった後の昼休み、中川と共に校内放送で職員室へと呼び出されていた。

 

伝えられた要件を簡単に言えばクビ。2年4組の新しい先生が見つかったこと、初日の暴言がPTAで随分と問題になっており、俺達は1ヶ月と職を務められずにこの学校を去る必要が出てきた。

 

ちなみに中川は副担任をやるそうだ。……大変だな、猿田として武装検事の補佐官もやらなきゃいけないのに副担任とか。

 

「今までご迷惑をお掛けしました。すみませんでした。そして……ありがとうございました」

 

ただ、この嫌味ったらしい御分院もPTAとは丁々発止……とはいかなくとも随分と頭を下げてくれていたらしい。俺達のため、なのか2年4組の子達の為なのかは知らないけど、それでも彼にはお礼を言う必要があった。

 

そして、人と人との出会いがいつも思いがけない形で訪れるように人と人の別れも唐突にやってくる。俺達と2年4組の生徒達との別れは今日のLHR(ロングホームルーム)で行うことになった。

 

「中川先生、4組の奴らを宜しくお願いします」

 

と、俺は中川(猿田)にもそう言って、頭を下げた。ここでは彼は先生で、俺もあと数時間はそうだから。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺とエンディミラは今日をもって辞めることになったと、ロングホームルームで皆に伝えれば、生徒達は強いショックを受けた顔をしていた。小島なんかは泣いてるし。

 

「辞めるなよー!」

 

とか

 

「ここにいてよ!」

 

とか、最初は帰れコールの嵐だったくせに今となっちゃ全く逆のことを言っている。まったく、ここまで好かれちゃ別れが惜しくなるね。けどよ、先生と生徒なんてのはいつか別れる時が来るんだ。ただ俺達にとっては普通のそれよりも早いってだけさ。

 

「俺が最初に言ったこと覚えてるか?……良い子になれ、良い大人になれとは言わねぇ、けどよ───」

 

「───悪い子にはなるな、でしょ?」

 

と、俺の言葉を生徒の1人が攫っていく。そうだ、悪い子にだけはなるな。悪い子はいつか悪い大人に利用されて捨てられる。そしてもし捨てられなかったとしたらそいつは悪い大人になってまた悪い子を使い捨てるんだ。だから、そんな奴にだけはなるんじゃない。

 

「……ちゃんと覚えてんならそれでいい。悪い子がもし捨てられなかったとしたら、悪い大人になって今度はそいつが悪い子を使い捨てるんだからな。お前ら、そんな奴にだけはなるなよ?」

 

と、俺が敢えて凄むように言ってやると今度は濠尾が挑発的な目と不敵な笑みを浮かべて───

 

「じゃあもし俺が悪い子や悪い大人になったら先生はどうすんだ?」

 

なんて言うのだから───

 

「安心しろ、俺ぁお前らを見捨てたりはしない。だからそん時ゃ俺が責任持つよ。責任持ってお前を豚箱にぶち込んでやる」

 

俺はそう返してやった。すると濠尾は照れたように顔を少し赤くしながらはにかんで「んな迷惑かけねーよ」と突っ返してくるのであった。

 

「あぁ、約束だ。……じゃあな」

 

俺はそれだけ残して教壇を降りた。きっともう教師としてここに上がることは俺の人生では無いだろう。コイツらが俺の最後の生徒だ。

 

そして1度は鍵まで掛けられたスライドドアをくぐる。その背中に「先生!」「神代先生!」「エンディミラ先生!」と、彼らの呼び声を受けて。

 

横を見ればエンディミラはもう泣いてるし。俺も、それを見たら貰い泣きしそうになったなっちまったよ。そして、廊下に出たところで───

 

「……明磊」

 

髪に結った赤いリボンはそのままに上目黒中学の制服を着た明磊林檎が立っていた。そう、俺達の──2年4組の──最後の生徒だ。

 

「お父さんは、どうしてる?」

 

気配感知でここにいるのは分かっていたから驚きはなかった。ただ、ここに来るのは彼女にとってとても勇気のいることだっただろう。

 

俺が目線を合わせるために少し屈んでそう聞くと

 

「就活に行ったよ。……それより、辞めるのかよ。あたしも廊下で聞いたぞ」

 

林檎がぷくりと頬を膨らませて文句を言ってくる。

 

「あぁ。クビだってさ。それより明磊、よく来たな。最後でもお前の姿ここで見れて嬉しいよ」

 

これは俺の本心だ。この子がここにいるということこそが先生として俺が何かを1つ成し遂げられたという印でもあり、何より明磊林檎が……前を向けなかった1人の子供が前を向けているということが、俺には嬉しい。

 

「っ……またそういうことを……」

 

すると林檎はまるで名前のような真っ赤な色に頬を染めて何やら呟く。

 

「んー?」

 

「───あんたが……神代先生がいるから来たんだよ!なのに……なのに辞めんのかよ!詐欺ヤロウ!!」

 

頬を真っ赤(林檎色)に染めた明磊が拳を下に突き出して怒鳴る。……確かに怒られても文句は言えないなぁ。けど……

 

「悪りぃ、しょうがなかったんだ」

 

だから俺はそうやって返してやることしかできない。けどそんな俺を見て林檎は思いやってくれるような優しい表情になり……

 

「じゃあ……いいよ。……最後の日だけでもさ、先生の生徒として学校にいられて良かった」

 

そう、言ってくれた。ありがとな。そうやって言えるお前はきっと立派な大人になれるよ。

 

「けどお前、俺が辞めても明日も来るのか?」

 

この様子ならきっと大丈夫なのだろうが、一応そう聞いてやると───

 

「林檎!」

 

「林檎ちゃーん!!」

 

と、教室から俺達を追いかけてきたらしい生徒達が俺とエンディミラ、それから林檎も取り囲む。林檎の元には人が集まる。この子は前の先生を随分な方法で追い出したらしいが、それでもクラスでは人気のある子だったみたいだからな。皆の顔を見れば林檎との再会を心から喜んでいるのも分かる。ん、もうこのクラスは大丈夫そうだな。

 

そして林檎はクラスの輪から顔を出し、俺のさっきの質問に対して───

 

「明日も来るよ」

 

と、花の咲くような笑顔でそう返してくるのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

素晴らしい秋晴れの日曜日。俺達は家族全員にエンディミラとテテティ、レテティを加えた大所帯でお台場海浜公園へとピクニックに来ていた。キンジや中空知達との話し合いは来週の日曜日にやることになっていた。この間にリサ達が提案する条件の詳細を詰めていくらしい。

 

ただエンディミラだけは用事があるとのことで出掛けている。まぁアイツもこっちの生活には慣れてきているから問題は無いだろう。直ぐにこっちに合流するとも言っていたし、遅ければ羅針盤で位置も探れる。

 

俺はレジャーシートに腰を下ろしたリサのフトモモに頭を乗せながらミュウとテテティ、レテティがキャッキャと遊んでいるのを眺めていた。レミアやシアも近くにいるし、ユエやティオ、ジャンヌもそれを遠目に眺めているから特に何も問題は無い

 

時折俺に絡んで背中に乗ってきたりリサとエンディミラで作ったらしいお弁当やおにぎりをペロリと食べたり、忙しなくしていた。すると、サァっと音を立てて過ぎていった秋風に乗ってきたかのようにエンディミラが現れた。何やら自分の給料──俺達は学校側の都合で辞めることになったから、1ヶ月分の給料は貰っていたのだ。それが今回の仕事の報酬だと蘭豹が言っていた──で買い物をしてきたのか、真新しいトランクケースを抱えていた。

 

「ここは平和な森ですね。歩いているヒトが、誰も何も警戒していない」

 

「森じゃなくて公園だけどな。……てか、それ何?」

 

と、ミュウとテテティ、レテティに絡まれていた俺が3人を抱えながら上体を起こしてトランクを指す。

 

「私の得意な武器です」

 

「武器?……そのサイズだと分解収納した自動小銃(アサルトライフル)か?」

 

だが1ヶ月分の給料でアサルトライフルなんて買えただろうか。そんな俺の質問にエンディミラは申し訳なさそうな顔をしつつ

 

「ディー氏族ではこの武器を敬い、精霊の許可無しには使わず、何者にもみだりに見せず、その名も呼ばないのです。この国のこれは形こそ少し違いましたが、確かにそれでした」

 

という答えを返してきた。身内の武器くらいは知っておきたかったけどどうやら宗教上の理由で言えないらしい。それならまぁこっちも深掘りすることもないか。

 

「ふぅん」

 

と、俺が何の気なしに頷き、それを聞いて「はい」と頷いたエンデイミラは恭しくトランクを脇に置きつつロングスカートの膝裏に手を通しつつ俺の隣に座る。後ろではテテティとレテティが楓の木に登ろうとしているのをリサに止められていた。そしてエンディミラの纏っている赤いストールが風に靡いて俺の頬を撫でる。エンディミラはそれを手で押さえるとそのまま俺にしなだれかかろうとして───

 

「……ここは私」

 

後ろからニュッと現れたユエに押し返されていた。

 

「……エンディミラに天人の肩はまだ早い」

 

と、俺とエンディミラの間に小さな身体を割り込ませたユエが俺に寄り掛かる。そのまま腕を絡ませてきたユエを俺が黙って受け入れていると、エンディミラは何やら不服そうな顔をして───

 

「……では私はこちらに」

 

と、胡座をかいて座っていた俺の脚の間にエンディミラは自分の身体を収め、そのまま寄り掛かってくる。

 

「おっと……」

 

空いた右手でエンディミラを支えてやればコイツはコイツで満足そうに俺の胸板に身体を擦り寄せてくる。俺の身体に触れるエンディミラの肢体の柔らかさと鼻を擽る香りに、俺の意識はエンディミラに集中していく。……ていうか、甘え方が完全にウチの家族と一緒だ。エンディミラめ、見て学んで俺がどうされるのが好きなのか研究しやがったな。けどやっぱり恥ずかしいのか耳まで真っ赤になっていて、小さく「うーうー」と唸っている。そういう声も出すのね、エンディミラさんは……。

 

「……むむっ」

 

と、ユエはユエでそれを見て何やら対抗意識を燃やしているし、シアはいつの間にか俺の右腕に自分の腕と身体を絡ませていて俺は完全に身動きが取れなくなっている。

 

女の子の身体の柔らかさに包まれて俺が一種の天国を味わっていると、ふと浜辺で遊んでいるミュウとテテティ、レテティが目に入る。

 

そして、テテティに感じた僅かで一瞬の違和感の後、急に立ちくらみでも起こしたかのように、テテティがフラリフラリと足元が覚束なくなった。

 

そして、ミュウとレテティがその様子に疑問符を浮かべたところでテテティはこっちに両手をゆっくりと伸ばしてきた。そして虚ろで夢遊病のような、まるで魂魄魔法か闇属性魔法で操られたかのように夢現の雰囲気で、指が動き始めた。これは、手話か。

 

「……森の賢女よ、お前は、私のモノだ」

 

言語理解により俺はその手話が何を言っているのかを直ぐ様理解した。そしてそれはエンディミラも同じようで……

 

「まさか……」

 

と、顔に驚きの表情を浮かべている。まるで、もう会うことはないと思っていた仇敵を見つけたかのような、そんな驚きの表情だった。

 

「……ヒュドラ?」

 

俺が思い至ったのはアニエス学院に巣食っていた怪物。だがあれは操るアスキュレピョスがいなければ思考する頭もない蠢くだけの生物だった筈だが……。

 

けれどもテテティの顔で驚いたような表情を作ったそいつは「よく知っているな」という手話を出してきた。そして、それはそれでおかしい。アスキュレピョスが操っているのなら「その通りだ」だの「よく分かったな」だとか、まぁアイツがそんなことを言う性格とも思えんが、嫌味ったらしく「久しぶりだな」とかいう反応を示すはずだ。てことはコイツはアスキュレピョスが操るヒュドラではない……別の奴がヒュドラを操っているのか。

 

「かわいい教え子の命が惜しければ、来い」

 

と、テテティに手話でそう言わせた瞬間、テテティは糸の切れた操り人形のように急に座り込み、波打ち際に倒れ込む。

 

その身体をレテティとミュウ、レミアが慌てて助け起こしてやると、目を覚ましてキョトンと周りを見渡しているのはもう完全にいつものテテティだった。

 

ヒュドラは水を伝って移動するからな。もう海の中へ逃げた頃だろう。追おうと思えば追えるが、今はそれどころじゃあない。教え子……まさかライカってこたぁないだろうし、そうなると上目黒中の2年4組の奴らの誰か、ないしは全員……。

 

だがまずはテテティだと俺とエンディミラが駆け出した瞬間、今度はビィーという小さなモーター音が俺の耳に届く。俺が空を見上げると飛来してきたのはドローン……ただ、RQ-1(プレデター)RQ-4(グローバルホーク)のような大型の無人機じゃあない。小型のラジコンヘリ、それも遠見の固有魔法で見れば何やら吊るして運んでいる物は布のようだが銃火器や爆弾と言った高い殺傷能力を持つ武装ではなさそうだ。だがこのタイミングで出てきたって時点でろくなもんじゃねえだろうと俺はシグで即座にそれを銃撃。

 

弾丸を受けたドローンは空中で横転するような体勢になり吊るしていたそれを落とした。

 

何かと見ればそれはカチューシャとリボン。

 

───小島芹奈と明磊林檎が身に着けていた物だ……!!

 

そして墜落したドローンにはメモ用紙も貼り付けてあったらしく、エンディミラがそれを拾って俺に渡してくる。そこには何やら住所が書かれていて、俺が携帯で検索するとそこはジオ品川……ジオフロントの底に近い治安の悪い工業地帯だ。

 

あの2人はそこに捕まってるのかと、俺が念の為羅針盤で2人の位置を捜索。すると、何故か2人はジオ品川からは遠い街中……ただし2人バラバラの位置で違う位置に向かって移動しているようだった。

 

「はぁ……?」

 

俺がその意味の分からなさに首を傾げているとエンディミラが

 

「マスター、私を"森の賢女"と呼ぶ者に心当たりがあります。でも、あの女がまだ生きていて……その上まさかこの町まで追ってくるなんて……!」

 

と、悔しげに、そして顔には過去のトラウマを蘇らせたような苦い顔をしている。あの女……しかも死んだはずだとエンディミラが考えていたってことは、竜の魔女・ラスプーチナのことなのだろうか。

 

「ラスプーチナか?」

 

「はい……。でも本当に……」

 

俺の問い掛けにエンディミラは信じられない様子ではあるが、これを肯定した。

 

「さぁな。だがどうにもこの件色々おかしな点がある。まず、小島も明磊も書かれた住所に居なければそこに運ばれている気配も無ぇ……。けど念には念を、だ」

 

と、俺はユエとシアを呼び、越境鍵を取り出した。

 

「ユエ、シア。……頼む」

 

「……んっ」

 

「はいですぅ」

 

俺のその一言だけでユエもシアも俺の願いを察してくれた。そして俺は扉を開き、周りの奴らの死角からユエに明磊の、シアに小島の顔をそれぞれ見せて「アイツらだ」と示す。そして2人をそれぞれ送り出した。

 

「ティオ、ジャンヌ、そっちは任せた」

 

俺達を呼び出そうとしたってことはそれなりの実力があり、かつ俺のことをある程度は把握しているってことだ。戦闘能力の無いリサやミュウ達にはティオ達に任せよう。

 

「エンディミラ、俺達はジオ品川の方へ行くぞ」

 

「はい、マスター」

 

本当に竜の魔女・ラスプーチナって奴なのかはたまた別の奴か、もしくは両方なのかは知らねぇが、エンディミラとも縁がありそうならエンディミラはこっちだ。幸い、ユエとシアが小島と明磊に付いていてくれるからジオ品川へは極端に急ぐ必要も無い。俺は小島と明磊のアクセサリーを手に取って武偵高の車輌科へと向かった。

 

 



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エンディミラ・ディー

投稿抜けてた話があったのでこの前の日曜に入れておきました(95話の後だったと思います)


 

 

車輌科へと向かう道すがら、エンディミラから竜の魔女・ラスプーチナとやらの話を聞いた。

 

まず、エンディミラのいた世界はエルフ以外にも色々な種族の奴らがいるらしい。そして、そいつらの多くが魔術なんてものを使うのだとか。

 

だが古の民とか呼ばれているそいつらは種族間での争いを避けるために、自分らが戦いに使う魔術を記した『魔の書』なる本をそれぞれ作成し、シャッフルする形でお互いに持ち合うようにしたらしい。

 

しかもどれが誰の手にあるか分からないから、もし戦いを仕掛けた場合に『自分らの手の内は知られていて相手は未知の技を使うかも』という状況に全員を置くことで一種の冷戦状況を作り出して近郊と秩序を保っていたのだ。

 

だがそこに現れたのがラスプーチナ。コイツはエルフだけでなく様々な種族の奴らを捕らえては高値であちこちに売り捌く魔女。しかも魔の書を奪っては力を付けてエンディミラの世界を荒らし回っていたらしい。そして魔の書にはそれを扱う相性があり、ラスプーチナと最も相性の良い魔の書に記されていた魔術が竜を呼び出し、あるいは還す魔術だと言う。

 

そもそもラスプーチナは竜のクォーターで、祖母が竜なんだとか。竜たってティオみたいな竜人族とかそんな感じなんだろうが。じゃなきゃどうやって交わるんだって話。まぁやってること考えたらアイツらほど高潔な奴じゃあないな。

 

と、俺はそんな話を聞きながらまるで大迷宮みたいなジオ品川の、その逆円錐形の斜面をエンディミラとテテティ、レテティを連れて降りていった。そして、メモで指定された『極東家紡有限公司』と書かれていることが辛うじて分かる廃工場へと足を踏み入れた。

 

森林のド真ん中かのように視界の悪い廃工場を奥へと進んでいくと、途中で開けた場所に出た。どうやらここは中国資本の寝具メーカーの工場だったらしいが、縫製の工作台は売っぱらったらしい。

 

そして、そこで俺の気配感知の固有魔法が工場の更に奥のそのまた先、隣のビルの上15メートルほどの位置に何者かの気配を捉えた。

 

「来てやったぞ、ラスプーチナ」

 

俺が向こうに聞こえるように呼び掛けてやれば金髪頭の側面に枝分かれして後ろに伸びた角とケツの辺りから尻尾を生やし、ビキニアーマーって言うらしい露出過多な格好をした女が腰掛けていた。

 

「───アンタが神代天人か。実物を見るのは初めてだけど。……へぇ、お供の女も連れずにノコノコと来たんだね」

 

どうやらコイツは俺が聖痕を持っていること、そしてそれが今ここでは使えないこと、ユエ達が高い戦闘能力を持っていることを把握しているらしい。

 

「竜の魔女……ラスプーチナ!」

 

エンディミラが憎々しげにやつの名前を叫ぶ。

 

「で、態々俺がいるのにエンディミラを呼んだってことは、ボコられるのがお前の趣味なの?」

 

悪いけど女をタコ殴りにして悦に浸る趣味はないんだよね、こっちには。戦うなら容赦はしないけど手早くやらせてもらうよ。

 

「まさか、エンディミラを呼び出したら神代天人も付いてくるって話だったが、アタシは生まれて20年、可能な限り時間は無駄にせずに金を稼いできた。アンタとも良い取引ができると思ってるよ」

 

「あぁ?……お前がエルフや色んな種族の奴らを売り飛ばしてんのは知ってる。で、その口ぶりだと俺からエンディミラを買おうって話か?」

 

そしてコイツは俺から買ったエンディミラの転売益を得るということなのだろう。……ていうか

 

「おい()()。お前はどっちなんだよ」

 

この場に来ているのは俺達だけじゃあない。猿田もここにいるというのが俺の気配感知が捉えた事実。そして俺の言葉で俺に気付かれたことを察したらしい猿田がその姿を現した。

 

「本当に化け物みたいな奴だなお前は」

 

ただしその姿は中川のまま。結局今この場にあってもコイツの変形の方法は見えないままだな。

 

「で、小島と明磊をどうするつもりだったんだ、アンタ」

 

俺は威圧の固有魔法を猿田に軽くぶつけながら詰問する。この問いの答えによってはコイツも俺の敵になるのだ。

 

「別に。ただ俺がお前の名前を騙ってメールで誘った別々の映画館に置いておくつもりだっただけだよ。念の為、気付かれないようにだが警護も付けてある。リボンとカチューシャも、お前が欲しがっていると言ったら直ぐにくれたよ。お前に頼まれたからな。2年4組をよろしくって」

 

猿田は流石は公安の人間だな。俺の威圧には動じずに淡々とそう答えた。そして、どうやらあのドローンを俺に寄こしたのはコイツで確定のようだ。

 

「で、コチラさんとの関係は?」

 

俺がラスプーチナを親指で指せば猿田はふむと1つ頷き

 

「コイツは俺の武装検事への昇進の足掛かりだ。俺の上は代々……明治時代からずっとコイツを狙っていたらしいからな」

 

どうにもさっきのラスプーチナの発言と矛盾するところもあるが、取り敢えずコイツは俺の敵にはならなさそうだ。

 

「あっそ。じゃあ取り敢えずあそこのおねーさんはテテティへの傷害容疑で逮捕だ」

 

と、俺が改めてラスプーチナの方へ振り向けばアイツはアイツで嵌められたことで悔しげに顔を歪めている。どうやら猿田は俺達をエサにラスプーチナを、小島と明磊をエサに俺達をここに呼び出して鉢合わせにしたようだ。まったく、頭が回るようで何よりだよ。

 

「───罪深き者達に、慈悲深き死を」

 

しかし切り替えの早い方らしいラスプーチナはふと悔しげな顔を収め、ロシア正教の古い十字の画き方で十字を切りつつ背中に隠していた革装丁の辞書みたいな本をロシア語で読み上げた。すると、それを見たエンディミラは息を飲み、らしくない慌て方で

 

「ラスプーチナ!止すのだ!この地域では魔法が色金粒子に阻まれる恐れがある!小さな術ならともかくそのような大きな術を失錯したら……取り返しが───」

 

「情報が古いぜ耳長ウサギ。今日本は色金の空白地帯なんだ。世界中から魔女が引っ越しているところさ」

 

あれ、いつの間にやら日本はそんなことになっていたのね。気付いたら魔女だらけとか。まぁ俺の周りは前からそんな感じか。

 

そして、何やら周りにいくつかの魂が現れた。気配感知にもその存在は引っかかっている。どうやら何か……恐らく見えない竜でも召喚したんだろう。

 

「お逃げくださいマスター!!いくらマスターでも───」

 

「まぁ落ち着けエンディミラ」

 

と、俺は慌てるエンディミラの頭に手を置き一旦口を閉じさせる。

 

「そうだぞ耳長ウサギ。さて神代天人、ここで死ぬか、それともその耳長ウサギを10万ドルで売るか……どっちを取る?」

 

「ここまで来て金くれるたぁお優しいねぇ。けど10万ドル……800万円か……馬鹿じゃねぇの?」

 

俺は引っ込めていた威圧を今度はラスプーチナ目掛けてぶつける。危うく魔王覇気を使ってしまわないように気を付けながら、言葉を続けていく。

 

「エンディミラも、テテティもレテティも金になんて替えられるわきゃねぇだろうが。人の女に手ぇ出そうとした挙句に勝手に値付けしやがってよぉ……。手前はこの場で潰す」

 

「粋がるなよ、神代天人。お前は今何匹もの見えない竜に囲まれてんだぜ?リアリストになりな。お前がここでそこの耳長ウサギとタヌキ2匹をこっちに渡せば金はやるしもうお前らには関わらねぇ。それでいいだろ?……人は金の奴隷。今の世の中じゃ誰も彼も人生を1日幾らで切り売りしてんだ。人生は金で売り買いされるモノなんだよ」

 

「モノじゃねぇよ。人の人生はモノじゃねぇ。そんな簡単に金で売り買い出来るわけねぇだろ。……いいか猿田、手錠はお前に掛けさせてやるから手ぇ出すな」

 

俺は宝物庫から電磁加速式拳銃を取り出す。そしてその銃口を虚空に向け、引き金を引く。

 

───ドパァッ!

 

と、何かを吐き出すような発砲音を置き去りにして超音速の弾丸が何も無いはずの空間に消え、そして何かの血肉が吹き飛んだ。

 

「なっ───!」

 

そしてそれを見てこの場の全員が息を飲む。悪いけど姿を隠すだけの能力じゃ俺には見えてるのと変わらないんだよね。確かに皮膚は硬いみたいで、トータス製の弾丸が向こう側まで貫通しなかった。強度だけならオルクス大迷宮の魔物に勝るとも劣らない。光学的にも完全に消えてはいるから、そこだけ見たら深層───それも50階層以降クラスの力はあると思って良さげだけど、所詮その程度だ。

 

「エンディミラ、見せてやるよ。俺ぁこんな雑魚共が何匹集まっても問題ねぇ。……それよりお前、コイツに森焼かれたんだろ?今でも復讐してやりたいか?」

 

俺の振り向きながら問いかけにエンディミラは1つ頷く。

 

「え、えぇ……今でも復讐心はあります」

 

「分かった。ならその復讐、叶えさせてやる。ま、俺の前じゃ殺させてはやれねぇけどな」

 

と、俺は再び拳銃を構えて引き金を引く。さっきからドタバタと足音を立てて俺に向かってきている気配があるのだ。恐らくあの竜は目が見えない代わりに耳が良く、音に反応して敵を食い殺しにくるのだ。だから俺はそれに合わせて引き金を引くだけでいい。

 

そうすればほら、発砲音を置き去りにした弾丸が屍を積み上げていく。

 

「ラスプーチナ。お前、俺がこの程度の雑魚でどうにかなると本気で思ってたんなら、この商売向いてねぇから辞めな。……ま、どうせ暫くは牢屋の中だからさ、転職先はゆっくり考えなよ」

 

俺が感じた気配の全てを撃ち砕くと、ちょうどそのタイミングで俺の背後から空間魔法による扉の開く気配。さっき念話で連絡したからユエ達だろうと振り向けば、やはりユエとシアとティオがそれぞれ持っている鍵で俺の元へと来たようだ。ちなみにこれは空間のみを渡れる簡単なもので、扉を開くための対になるアーティファクトの方は俺がさっき適当に後ろに転がしておいたのだ。

 

「……あれ?」

 

「おう。ま、雑魚だよ」

 

と、ユエにそう答えればユエは「ふぅん」とあまり興味が無さそうだ。ていうか、来たはいいが誰も彼もラスプーチナに興味無さそう。

 

「───アンゲルスキ・クルク」

 

ユエ達の到着を見て、表情から余裕の消えたラスプーチナが魔の書の別のページを開いて何やら唱える。すると俺とエンディミラ、テテティ、レテティとユエ達との間に炎の壁が現れた。どうやらユエ達が現れた扉は俺後ろの方で転がっている珠を起点に現れたことは見抜かれたらしい。そして、これなら空間跳躍の扉は現れないだろうという判断か。

 

確かにこれなら普通は分断された形にはなる。ま、俺に炎は効かないしユエ達も来ようと思えばこっちに来れるけどね。

 

「あぁ……あぁ……火が……」

 

だが俺達には何の効果も無くてもエンディミラには効果絶大のようだ。きっと森を焼かれたエンディミラにとっては炎はトラウマなんだ。そして、ラスプーチナもそれを分かっていて敢えてこの魔術を選んだのだろう。けど───

 

「なん……だって……」

 

──氷焔之皇──

 

俺を魔王たらしめる究極能力のその権能によって、魔術で生み出された炎は銀氷(ダイヤモンドダスト)と散る。……大した補給にはならないな、これじゃあユエに緋槍の1発でも撃ってもらった方がまだマシだぜ。

 

「エンディミラ、顔上げてみな」

 

俺は足が竦んで立てなくなっていたエンディミラに視線を合わせてしゃがみこみ、その顎を指先で持ち上げてやる。

 

「あ、マスター……これは……」

 

そして、ついさっきまで自分を囲んでいた炎の壁が消えて周りには銀氷が舞っていることに気付いたエンディミラは、それをなしたのが俺だと直ぐに理解した。

 

「エンディミラ、お前は何も怖がらなくていい。邪魔なものは全部俺が掻き消してやる。だからお前は、お前のやりたいようにやっていい」

 

俺がエンディミラの頬と、そしてエンディミラ両手で抱えていたトランクを指先で撫でればエンディミラははっと顔を上げて俺を見る。

 

「お前の故郷を焼き払い、テテティとレテティから言葉を奪ったアイツらに復讐するんだろ?……それを、俺に見せてくれ」

 

「マスター……でも、私はあの女が怖いのです……憎いのに……復讐してやりたいと思っているのに……震えが……」

 

「大丈夫だ、エンディミラ。もしエンディミラの手が震えるというのなら俺が抑えてやる。足が震える、腰が抜けるって言うなら俺が支えてやる。エンディミラは誰の下でも誰の奴隷でもない、エンディミラはエンディミラなんだ。心のままに戦え。大丈夫だ、俺がエンディミラを守るよ」

 

呼蕩を使いながら俺はエンディミラの蒼い瞳を見据えながら言葉を囁いていく。すると、テテティとレテティもトテトテとエンディミラに駆け寄り、その手に自分達の手を重ねた。言葉はなくてもそれでお互いの思いは伝わったようだ。エンディミラは小さくこくりと頷くとトランクの鍵に手をかけた。

 

「マスター、これは精霊の許しなく我私のために用いることは禁じられています」

 

「あぁ、もしそれでお前が怒られそうになったら俺が言い返してやる。何かされそうになったら俺が守ってやる」

 

「───っ!……これがエルフが最も得意とする武器です」

 

と、エンディミラは俺の言葉に頬を赤く染めながらもトランクを開けた。その中身に俺は少しだけ驚いた。

 

──コンパウンドボウ──

 

現代科学がアホみたいな性能を与えた科学の弓。グラスファイバーとカーボンの複合素材のリムは大きく反り、持ち手はマグネシウム合金。上下の滑車がそれ無しの弓の2倍から3倍の威力で矢を撃ち出せるのだと武偵高で教わった。

 

弓矢に限った話で言えば、多分俺がトータスの素材だけで錬成するよりもこういった地球素材の科学技術の方が性能は高いだろう。単純な剛性だけならトータス素材の方が強いが、あれはあまり()()()が出ないからな。

 

「な……っ!弓……っ!?」

 

すると、ラスプーチナは俺に不可視の竜を瞬殺された時よりも驚いた顔をしてエンディミラを見ている。

 

しかしラスプーチナはまだ手を残しているようで、奴の周りに金色の粒子が舞い始めた。氷焔之皇で探ればそれは転移の魔法のようだ。確かに、あの炎の壁を俺がどうやって消したのか分からないのならその手を使うだろう。だけど、俺の前じゃそれは愚策にもならねぇんだよ。

 

「なっ───!?」

 

その粒子も、俺の氷焔之皇の前ではただ銀氷と散るのみ。どんな超能力だろうが魔術だろうが、俺にとっては大した障害じゃあなあ。

 

「大丈夫だエンディミラ、俺がいる」

 

と、弓に矢を番えたエンディミラを俺は後ろから包むようにして支える。弓を支える白い手に自分それを重ね、エンディミラの腰を背中側から抱く。そして、エンディミラの右手の指が矢のケツから離され───

 

───ヒュン!

 

と、小さな風切り音と共に矢は放たれた。そしてその矢を躱そうとするラスプーチナを追うように風がコースを微調整する。これはきっとエンディミラの魔術だ。

 

そして──ビシッッッ!!──と音を立てて矢はラスプーチナに突き刺さった。アイツが抱えていた魔の書を貫き、左肩と左胸の間辺りに。

 

「……っ!……お前……魔の書を───」

 

「また書けばいい。お前のいない場所で」

 

痛みよりも驚愕に目を見開いたラスプーチナに、残心を解いたエンディミラは弓を下げながらそう言い残した。

 

「……ラスプーチナ、お前を障害の現行犯で逮捕する」

 

攻め手も逃げ手も俺に封じられ、頼みの綱の魔の書すらもエンディミラに射られたラスプーチナはそれでも抵抗の色が瞳の中で燃えていた。だが猿田に手錠を嵌められ、引き摺られて行く姿に俺は何の感情も覚えなかった。

 

「マスター、私はサルタに少し話があります」

 

「……分かった」

 

エンディミラがそう言うので俺はエンディミラを見送り、ジオ品川に立ち尽す。何せ今の戦いを見ていたユエ達から非常に冷たい視線を頂戴しているのだからな。

 

「あのぉ……」

 

「「「はぁ……」」」

 

そして振り返れば、綺麗に揃った溜息を3つ、ご馳走になるのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

あれからテテティとレテティは少しだけ声が出せるようになった。と言っても、まだ会話は無理だけど。ただ、笑う時だけは少しだけ声を出して笑えるようになったのだ。おかげでミュウとはもっとよく遊ぶようになっていた。エンディミラは何やら猿田から魔の書の一部を貰ったようでそれを読み込んでは何かをメモしていた。

 

そんな数日を過ごしたある日、俺はリサやエンディミラ、キンジと共に遠山武偵事務所で中空知達と話し合いの場を持ち、その帰り───

 

「マスター、少し、寄り道したい所があるのですが」

 

エンディミラがそんなことを言うので俺は大人しく後ろを着いて行く。どうやら2人で話がしたいと言うのでリサは先に帰らせた。エンディミラはアメリカから一緒に日本に帰ってきた時に見た台場のパレットタウン大観覧車に乗りたいとのこと。

 

「初めてこの町に来た時から乗ってみたいと思ってました」

 

「おう」

 

本当はテテティとレテティも一緒に乗せてやりたいとのことだったので、俺は念話でユエと連絡を取りつつ物陰に入って越境鍵でテテティとレテティをこっちに連れて来る。そして4人揃ってこの、1周16分もかかる、日本3位の大きさの観覧車に乗った。

 

「マスター。あの日から、長い間私達を養ってくれて、ありがとうございました」

 

俺の向かいの席で左右にテテティとレテティを座らせたエンディミラが、その美しい笑顔に少なくない切なさを交えてそんなことを言ったきた。

 

「……なんだよ、急に」

 

それは、とても怖いことが起きているかのようだった。まるで、もうすぐ別れの時が来るかのような……。

 

「私達はマスターの言うところのNに属し、ネモ様の部下として働いていましたが、それは表向きのこと。本来の仕事は、知ることでした」

 

まるで、俺達にこれまで隠していたことを吐き出して全てを終わりにしようとするかのような予感がエンディミラから漂ってくる。だから俺は、その先を言わせたくなかった。けれど、エンディミラの瞳に決意の色が見えてしまい、躊躇った俺はタイミングを逸したのだった。

 

「マスターにも話した通り、私達はこの世界とは別の世界で生きていました。そして、そこではヒトの信じる概念上の神々とは異なる、別の神々と交流しています」

 

それはまるで、トータスのような世界。

 

「その神々はモリアーティ教授とある交渉を行った末に、私をここへの密使として送ったのです」

 

待ってくれ、俺のそんな言葉は俺の喉を出ることはなかった。話について行けないのではない。ついて行けるからこそ、この先が分かってしまったから。だから言わせたくないのだ。だがエンディミラの言葉は止まらない。Nに協力していた理由、俺達の元に下った理由、そして、この先とはつまり───

 

陽位相跳躍(フェルミオンリーブ)視界外瞬間移動(イマジナリ・ジャンプ)時空のトンネル(トリ・レ・トロ)を通る魔法の、その更に高位の魔法を用いて還ります」

 

エンディミラが元の世界に帰ること。

 

「……猿田に仲介をさせて、この国の高名な魔術師と遣り取りをしました」

 

俺の耳にはエンディミラの言葉が届いていたはずだ。ラスプーチナの残した魔の書に記されていた世界を渡る方法。エンディミラの知識とその高名な魔術師の力があればエンディミラは自分の生まれた世界に還れるということ。

 

そして、その期限は今夜までだということ……。

 

「……直ぐに戻って来られるのか?」

 

答えなんて分かっていた。エンディミラが態々改まってこういう場を設けたということは

 

「いいえ。その可能性は低いでしょう。トリ・レ・トロによる跳躍を行うと時間も跳躍します。一瞬の差しか生じない時もあれば、長い時間が距離と共に飛ぶ場合もあります。今回はジオ品川でラスプーチナが使った、数日しか跳ばないものを使えますが───」

 

「その方法しかないのか?……世界を跳ぶだけなら俺だって出来る。そんな魔術師だかの力を使わなくても、俺ならお前の世界にお前を還してやれる。時間だって跳ばない。だから───」

 

だから神々とやらにこっちの話をし終えたら直ぐに戻ってこいと、そう言おうとした俺の唇を、エンディミラがその白く細い人差し指で制した。

 

「それは無理です、マスター。きっと私達の神々はそれを許してはくれない」

 

「そんなこと……っ!そんなもん、俺がどうにかしてやるよ。だから……」

 

だから行くな、行くにしても報告したら直ぐに帰ってこいと、俺はエンディミラの手を握り、そう願った。

 

「マスター……。それは、どうしてですか?」

 

俺の手の中から自分の手を引き取ったエンディミラが、その蒼い瞳で俺を見据える。

 

「約束通り、私を働かせたいからですか?」

 

「違う!」

 

思わず出た俺の声に、エンディミラとテテティ、レテティがビクリと身体を震わせた。

 

「ごめん……。でも、俺ぁお前を働かせたくて引き留めてるんじゃない。ただ、俺はお前と居たいんだ、エンディミラ。お前と、テテティ、レテティも一緒に。リサやユエ達と、皆で居たいんだよ」

 

「すみません、今のは失礼な発言でした……」

 

「いや、いい……」

 

分かってる。今自分がエンディミラにどんな感情を抱いているのかなんて。言われなくても、あの夜、俺達2人だけの公園でエンディミラに()()られた時から、教職なんて柄じゃないことやっている時に、俺の拙い授業をしっかりと支えてくれたエンディミラ、遅くに帰ったのに次の日の朝も早くに起きて弁当まで作ってくれていたこと……そんな、あの日よりも過去の出来事すら愛おしく思えたあの夜。

 

「……マスター」

 

その声は、俺のことを諭すかのような声色で、その中にどんな感情が込められているのか、俺は想像するのも怖い。そして、自分がこれ程エンディミラに()()()()いることを痛いほど自覚させられた。

 

「ありがとうございます。私が、どれほどその言葉を待ちわびたか……」

 

「エンディミラが俺のこと好きだと言ってくれるなら、俺ぁ時間も世界も越えてやる、神々だろうと何だろうとお前を連れ戻すのを邪魔する奴ぁ叩き潰す。だから帰ってこい、エンディミラ」

 

半分を過ぎて、下り始めた大観覧車の中で俺はエンディミラを抱き寄せる。俺の腕の中に収まったエンディミラは俺の服の胸元を握りながら

 

「そんなことを言われたら、期待してしまいますよ?」

 

と、上目遣いでコチラを見上げてくるのであった。だから俺は……

 

「あぁ、期待してていい。絶対に迎えに行くよ」

 

ただ微笑んでそう返すのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

既に地上には猿田とあと伏見とか言う緋袴を穿いたキツネ耳の女が待っていた。なんか語尾に"コン"とか付けてるけどキツネはコンとは鳴かないでしょ……。

 

で、そんなこと変な奴らに俺達は窓から外が見えないようにフィルムを貼られ、運転席側もマジックミラーで見えないようにされたリムジンに乗せられた挙句携帯の電源も切らされた。で、そんな物々しい車内で伏見からは、その後を考えて俺とエンディミラはなるべくギリギリまで一緒にいてほしいこと、そして俺は服を着替えてほしいと言われた。

 

「軍服……?」

 

そして、俺が渡されたのは海軍の軍服だった。そう、海軍。海自ではなく大日本帝国海軍───旧日本海軍の軍服。白い詰襟に金ボタンの第二種軍装だ。

 

俺が疑問符を隠そうともせずに顔を上げると───

 

「おい……」

 

俺の正面に座っていた伏見が何の躊躇いもなく巫女服を脱ぎ始め真っ赤なランジェリーがお見えになられた。しかも「死にたくなきゃ着替えろコン」とのこと。軍服着ないと死ぬ状況って何……?

 

で、伏見も海軍の軍服──納得いかないことに俺より位が高いやつ──に着替え始めたのでまぁ別にいいかと俺も渡された真っ白な詰襟に袖を通した。

 

あとテテティとレテティも渡された紺色の襟のセーラー服───二等水兵の軍服に着替えている。なんでリムジンの後部座席でお着替えショーが始まっているんだろうか……。だが何故かエンディミラは着替えない。まぁ、エンディミラは帰るつもりだから別にいいのかもしれんけど。

 

 

 

───────────────

 

 

 

あの後車で地下に降り、辿り着いたのはだだ広くて何も無いコンクリート打ちっぱなしの空間。それも規模からして公にされていない国の施設だろう。そして海軍コスをしていなかった猿田は途中で離脱し、伏見に連れられてやって来た部屋。そこにはなんとキンジや星伽白雪、あとこれは星伽の妹なのだろうか、星伽に似た少し幼い女の子。確か前に京都にある星伽の要塞みたいな神社で見た気がする。それに加えて玉藻と、あと姿こそ見当たらないけど、理子にアリア、レキの気配もするな。

 

それだけじゃない、これも海軍コスに身を包んだ不知火や士官の服を着た男女が数名と少将の服を着たヨボヨボの爺さんまでもがいた。……ていうか、大人達の顔には何人か見覚えがあるな。テレビかなんかで見た気がするんだけど、どうにも芸能人って面じゃねぇんだよな。

 

「神代君、見聞きしたことを口外しないのならば、エンディミラ君の希望で君は次の部屋まで行って良いとのことだ。……だが、その次の部屋には行ってはならない」

 

「先週行った検疫の結果ですが、エンディミラ氏のインフルエンザ、麻疹、風疹、結核その他感染症の検査結果は全て陰性でした」

 

「では経路が補足出来ている間に。……あと15分です」

 

と、ほぼ何にも説明がないままに大人達は何やら話を進めていく。

 

「ここの言語で私が最も理解している……フランス語ですが、仮説のメモはここに」

 

と、エンディミラはポケットからメモ帳を取り出してテーブルに置いた。

 

「テテティとレテティはここに残します。……マスター」

 

「分かってる。2人は俺達が預かるよ」

 

この場でエンディミラを迎えに行く予定の話はしない方が良さそうだ。何せここにいる全員、エンディミラを無事に向こうに送り届けることに全力って感じだからな。普通に扉開いて世界を渡れますなんて、言わない方が良い空気なのだ。

 

そして俺達は、1枚の扉を潜った。

 

 

 

───────────────

 

 

 

さっきの会議室のような部屋から扉をくぐり入った小部屋はレトロな喫茶店みたいな雰囲気の部屋だった。小さなテーブルに水の入ったガラスの水差しとグラスが置かれ、部屋の奥には深い茶色をした木製の扉がある。きっとあれがこっちとあっちを繋ぐ部屋に続いているのだろう。全く大仰なことだ。俺なら魔力さえあればどこでも扉を開いて世界を渡れるのに。

 

扉を閉め、2人きりになった室内で俺とエンディミラは見つめ合い、笑いあった。壁には『蒼穹』というタイトルの抜けるような青空を描いた油彩画が掛かっていて、それは奇しくもカナダ大使館に掛けられていた絵とよく似ていた。

 

「この無菌水は私が頼んだものです。……水は、幾つにも分かれて幾つでも繋がるもの」

 

「……あぁ、だから直ぐに迎えに行く。俺達はずっと繋がっているんだから」

 

エンディミラが1口、見惚れる程に美しい所作で水を飲み、俺も残りを飲み干した。

 

「そのアーティファクトはまだ持ってろ」

 

と、俺はエンディミラが外そうとした、耳を人の認識から逸らすアーティファクトを指差した。どうせ直ぐにこっちに戻ってくるのだから、外す必要はないと。

 

「マスター……」

 

だがエンディミラは、それをまだ信じられないような顔で俺を見る。

 

「大丈夫だ。絶対に直ぐ迎えに行く」

 

そう言って俺はエンディミラを抱きしめる。そして、俺を魔王たらしめる権能──氷焔之皇──をエンディミラに掛ける。もっとも、これから超能力だか魔術だかで世界を跳ぶエンディミラの邪魔にならないように、超常の力の凍結と燃焼は発動させないでおく。

 

それでも何かの術が自分に掛けられたのを感じたエンディミラが俺を見上げる。

 

「マスター、これは……」

 

「俺がお前を守るって約束だよ、エンディミラ」

 

「本当に、本当に期待しても良いのですか?」

 

どうやらエンディミラからすれば、好きに時間も空間も越え、神すらも凌駕するつもりだという俺の力は中々信じられるものではないらしい。

 

「あぁ。エンディミラ、俺ぁお前が欲しい。だから神だろうと何だろうと、他の誰かには渡さねぇ」

 

だから俺はエンディミラに誓う。絶対に迎えに行くと。時間も空間も神すらも凌駕して、俺はお前の元へと辿り着き、あの家へと連れて帰るんだと。

 

「分かりました。マスターのその言葉、信じます」

 

それから、と、エンディミラが言葉を続けた。

 

「これは言うなと言われていましたが、1人行けば1人来ます。どうか、お気を付けて」

 

小声でエンディミラが俺にそんなことを告げてきた。なるほどな、エンディミラがこの方法の帰還に拘ったのはそういう訳もあったのか。

 

「密使を送ったのは私達だけではありません。こちらの世界からもまた、あちらに密使を送っていたのです」

 

そして、日本としてもどうせならその密使には帰ってきて貰いたかったという訳なんだな。 何にせよ不便極まりないな、ここのやり方は。

 

「あと1分です」

 

と、扉の向こうから女の声が聞こえてくる。

 

「……エンディミラ」

 

俺はエンディミラの頬に右手を当てる。

 

「マスター……」

 

そして、エンディミラも俺の頬にその白い両手で触れ、そのまま自分の顔を近付けてきた。

 

「んっ……」

 

そして俺達の距離はゼロになる。柔らかなエンディミラの唇が俺のそれに触れ、直ぐに離れた。俺はそれを追うようにして自分からもエンディミラに口付けを落とす。

 

「では、また」

 

そしてエンディミラは小部屋の奥の扉を開いた。

 

「あぁ。……そうだな、3日後には逢いに行くよ」

 

俺のそんな言葉にエンディミラは上品に微笑み、そして扉を閉じた。コツコツ……と、足音が遠ざかり、その扉の隙間から大きく明るい光が漏れ出た。しかしそれもやがて止む。どうやらエンディミラは自分の生まれた世界へと還っていったようだ。

 

だがそれだけでは終わらない。今度は扉の向こうからこちらへ近付くようにコツコツと足音が響いてきたのだ。体重は近いっぽいけどエンディミラじゃないね。足音が違うし、何より俺の気配感知に掛かるそれは全くの別人を示している。ただ、どうやら俺がトータスから帰ってきてから会ったことのある人物じゃあなさそうだけど。

 

1人行けば1人来る、だったか。さてさて、帰ってきた密使とやらは一体誰なんだろうね。

 

と、俺は無言で扉を見つめ続けた。そして、扉は開き、中から1人の女が現れた。背丈は俺より低いが女にしてはかなり高い。大日本帝国海軍の第二種軍装を着ている。肩章は中佐。俺より上じゃん。エンディミラも20歳前後っぽい見た目だったけどコイツもそんくらいかな。胸はとても大きくて、軍装の金ボタンが弾け飛びそうになっている。

 

ただボケッと眺めていた俺の前で蘭豹よりも鋭い目付きで室内を見渡したそいつは───

 

「───今は皇紀何年か」

 

ギロリ、なんて音が聞こえてきそうな程に鋭い目で俺を睨む。

 

「即位紀元、皇暦である。何故即答できぬ。貴様、米英のスパイか?」

 

そんな昔の暦知らねぇよと思う俺を置いて、目の前の女が俺を親の敵かのように強く睨んだ。て言うかこの目、人を殺す覚悟も殺される覚悟もある奴の目付きだ。なるほど、着ている軍服は俺みたいな嘘っぱちのコスプレじゃないってわけね。

 

「貴様、何者だ?何故自分と同じ白衣の軍装───栄えある死に装束を纏うか!」

 

滅茶苦茶に気が短いなコイツ。なんかもう既に腰から軍刀引き抜きやがったぞ。

 

「神代天人。この軍装はここに来るにはこれを着ろと言われたから着ているだけで俺ぁ軍人じゃない。気を悪くしたなら直ぐに脱ぐよ」

 

あのキツネ野郎、何が占いでこれが出ただよ。絶対失敗だったじゃねぇか。これなら普通に和服でもモンペでも着てりゃあ良かったのに。下手に軍装なんてさせるから余計に相手の神経逆撫でしてんぞ。

 

「貴様ァ!栄えある死に装束を愚弄するつもりか!?」

 

あぁ……でもこれ、俺の言葉も間違えたっぽいですね。でも最初から軍装させなきゃこんなことにならなかったんでやっぱ伏見が全部悪い。

 

と、軍刀をマジで構えた目の前の女に対して俺も、戦闘準備とばかりに腰を落としながらそんなことを思うのであった。

 

 



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もう1つの世界

 

 

「自分は横須賀鎮守府・()方面特別根拠地隊、大日本帝国海軍中佐───遠山雪花である」

 

堂々と、そのデカい胸を張って俺にそう名乗ったその女は自分を遠山と言う。遠山……そういやどことなく雰囲気が遠山金一に似ているな。キンジとも少し似てる。キンジからはちゃんと女の姉の存在は聞いたことはないけど、親類なのだろうか。

 

「貴様、軍人ではないと言っていたな?ならば貴様は何だ。……ただの若造ではないだろう。目を見れば分かる。その目は人を殺してきた者の目だ」

 

あーらら、そんなことまで分かるのこの人。その鋭く刺すような視線は伊達じゃないってことなのね。そういや思い出したけど、エンディミラはこのやり方だと時間も跳ぶとか言ってたな。もしかしてこの人、昔日本軍が送って回収できなかった密使か?だとしたら大遅刻だぜ。何せ今の日本は戦争をしていないどころか軍自体が無くなってんだからな。

 

「……誰でもいいでしょう?少なくとも、ここは日本で、俺ぁアンタに危害を加えるつもりも、日本軍の機密を聞き出す気も無い。それより、向こうの部屋でアンタを待ってるっぽい人達がいる。……案内するよ」

 

だからってここで喧嘩しても何にもならないので俺は穏便に済まそうとする。……のだが───

 

「貴様、銃を持っているな?寄越せ」

 

と、俺に軍刀──サーベルっぽい見た目をしているけど実際は日本刀だ──を突きつけたまま左手を突き出してそんな要求をぶつけてきた。

 

「ヤダよ、これは俺ん装備だ。……別にアンタを撃ったりしない。何なら俺が先導するよ」

 

面倒クセェなぁと思いつつまさかぶん殴って気絶させて引き摺るわけにもいかないよなぁと、平和的解決を夢見ていた俺はそう言っておく。

 

「ふん、ならば死体から奪い取るまで。……死ねぇ!」

 

えぇ……気ぃ短っ!?つーか、マジで日本刀の刃を俺の首目掛けて振り抜いてきたぞこの女。

 

と、俺は自分の首筋目掛けて振り抜かれた白刃を咄嗟にしゃがんで躱し、平和的解決を望んでいたが、こうなったら会話は無理だと俺は遠山雪花の足を蹴り折るつもりで伏臥姿勢から足を振り抜いた。だが雪花はそれを軽く跳んで躱すと俺の鎖骨目掛けて軍刀を振り下ろす。この野郎……俺の心臓を上から刺し貫く気だ……っ!

 

俺はそれを転がって避け、雪花の背後に回る。だが雪花は後ろ回し蹴りで俺を追撃。その蹴り足を掌で受け止めて足を掴む。そして脚を振り上げて雪花の右膝を蹴り折ろうとしたのだが、即座にその気配を察知したらしい雪花が軸足にしていた左脚1本で飛び上がり、空中で身体を捻って拘束から抜け出す。更に空中でも器用に軍刀を納刀した雪花はクラウチングスタートのような体勢から床を蹴り

 

───バンッッ!!

 

という音を立てて俺へと低い姿勢のタックルを仕掛けてくる。俺は突進してくる雪花の肩に手を置いて跳び箱を飛ぶようにしてそれを躱す。そしてすれ違ってお互いに背中合わせのような位置を取った俺達が振り向いたのは同時。

 

だが雪花は振り向き様に軍刀を居合切りのように振り抜いてくる。……コイツ、かなり強いぞ。

 

こうなったらもうスキルも固有魔法も解禁してやれと、俺はそれを右の手刀で受けて多重結界の強度でもって軍刀を叩き折る。そして素手で刃を受けてなお刀を叩き折ったことに衝撃を受けて雪花の動きが一瞬硬直した。その隙にそのまま右の掌底で雪花の顎を打ち抜く。さらにダメ押しとばかりに裏拳でもう一度逆側から顎を揺らす。

 

それでカクンと膝から崩れ落ちた雪花を受け止めると俺はようやく溜息を1つ。気配感知の固有魔法も、これでようやく雪花の意識が飛んだと知らせてきた。

 

「これ……スキルとか魔法無かったら殺されてたかもなぁ」

 

と、思わず1人ゴチて、俺は雪花を背中に背負った。背に当たる雪花の豊満な身体を意識しないようにしながら、俺は大勢の人間が待つ会議室へと繋がる扉を開いたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

あれから俺は雪花を大人達や、何故か居たキンジ達に押し付けたところで、猿田の運転する車で台場まで帰された。猿田からはマジックミラー越しに、"他言無用"とか"これ以上の詮索はするな"とか、色々言われたけど、俺がその気になればさっきの場所がどこにあるのか探れるしひとっ飛びなのよね……。なんてことは言わずに「ハイハイ」と大人しく頷いておいた。運転席と後部座席の間の仕切りはマジックミラーになってたから顔色は伺えなかったけど、どうせ胡乱気な顔をしていたんだろうな。

 

まぁ、俺としては遠山雪花が何者であるかも、ましてやあの場所そのものにも大した興味は無い。態々あんな準備を整えないと世界の1つも渡れないアイツらとは違って、コチラにはそれなりの道具があるのだ。

 

なのでエンディミラを迎えに行くのは問題無い。関東圏じゃ俺の聖痕は塞がれてて、多分異世界へ行くには魔力が足りない──魔素も変質者のスキルでトータスの魔力と統合すれば魔力の都合はできないでもないけどあまりに効率が悪い──からまだ地球で聖痕が使える地域に1回飛んでからにはなっちまうけどな。

 

そして、夜中遅くに戻った俺は翌朝、皆に今の状況を説明しておく。と言っても、俺がエンディミラをどう思っていたかなんてのは、全員分かっていたようだし、ミュウもエンディミラには懐いていた。それにテテティとレテティとも友達になっているから、もしまた一緒に暮らせるのなら大歓迎とのことだった。

 

そして、俺はあの別れの日から3日後、羅針盤に魔力を注いで座標を特定。そして越境鍵で扉を開く。そこで久々に感じる魔力の消費。この世界の中だけなら地球の裏側に扉を開いたってこんなにも魔力を持っていかれることはない。確かに魔力消費は大きい。向こうに行った直後に戦闘になる可能性を考えればやはり聖痕の使える場所から飛ぶのは正解だとは思う。けれどもそこまでだ。俺の魔力を一気に持っていかれる程ではないのだ。トータスから香織達の世界へと繋ぐ扉を開いた時みたいなべらぼうな距離は感じない。ここと向こうはどうやらかなり近い位置に存在しているらしいな。

 

だが魔力消費が少ないに越したことはない。そして、今はそんなことは些事でしかない。俺は開いたのだから、時間も世界も越えてエンディミラの元へと繋がる扉を。

 

けれど、俺はそれに何か感慨を抱くでもなく、ただ自分が惚れた女の元へと1歩踏み出すのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「へぇ……」

 

扉を閉じた俺は思わず呟いた。まさかいきなり目の前に現れられてもエンディミラも驚くだろうからと、俺はエンディミラから1キロほど南方に扉を開いたのだった。そして俺が足を踏み入れた異世界で最初に見た光景は、深い森の風景だったのだ。

 

ただ、自生している植物には全く見覚えがない。この感覚は、リムルのいた世界に飛ばされた時以来か。あの時も地球に生えている木々とよく似た木が生えていたが、確かにあれも俺達の世界の木とは違っていたのをよく覚えている。

 

ま、今となっちゃそれもただ懐かしいだけで意味は無い。俺は再び羅針盤を取り出すと、そこに魔力を注ぎながら望む場所を探し出す。俺が探す座標はただ1箇所、エンディミラのいる場所だ。

 

そして、それも直ぐに分かる。やはり同じ世界にいれば座標の特定に消費する魔力量はそれ程でもないな。聖痕とも繋がっているし、ここなら魔力やら魔素のリソースの制限に苦労する必要は無さそうだな。

 

「……ここ、トータスともまた違う感じがする」

 

森の中を少し歩いてそんな感想を漏らしたのはユエだった。俺もそれに頷く。

 

「似てはいるんですけどねぇ」

 

と、ボヤくのはシアだ。

 

「そう不穏な気配がしないのは僥倖と言ってよいかもなのじゃ」

 

周りを見渡し、そう言葉を発したのはティオ。ジャンヌは無言で辺りを見渡しながら俺の左手側を歩いている。

 

エンディミラの迎えには俺達5人が行くことになった。と言うか、ミュウも行きたがったのだが流石に治安も分からない……どころか俺達の世界の日本よりも怪しそうで、どちらかと言えばトータス寄りの異世界に、下見もなくミュウを連れて行くのは気が引けたのだ。なので「直ぐに帰るから」とお留守番してもらっている。

 

テテティとレテティには行くかと聞いたのだが、あの子達は首を横に振った。どうやらこっちで待っていたいらしい。まぁアイツらも向こうじゃそんなに良い目に遭ってないから戻りたくないのかもな。

 

「……天人、車では行かないの?」

 

と、どうやら行動開始数分で徒歩移動が面倒臭くなったらしいユエが俺の袖をクイクイと引っ張りながらそんなことを言い出した。

 

「ここであんなもん出したら悪目立ちするだろ」

 

あと森の中だからそこかしこで木の根が盛り上がっていて足場も悪い。いくら異世界製の上こっちに戻ってきてからも本物のサスペンションと見比べながら作り直した魔力動力車と言えどガタガタして乗り心地は最悪だろう。こういう時は素直に歩くのが1番だ。

 

「むぅ……」

 

そんなことを俺を見上げるユエに言ってやれば、ユエは頬を膨らませている。……そんなに歩くの嫌?

 

「……天人」

 

「はいはい……」

 

ユエの言いたいことは分かったので俺は大人しくその場に腰を下ろした。するとユエが俺の背中に飛び乗りその細いふくらはぎを俺の腰に回し、腕を俺の肩から前に掛けてきた。俺はユエの太ももの下で後ろ手に腕を組んでユエの身体を支えながら立ち上がった。

 

「……んー」

 

と、ユエが嬉しそうに喉を鳴らしつつ俺の頬に自分の柔らかいほっぺを擦り寄せて来た。甘えたがりの猫かな?いや、猫飼ったことないからイメージだけど。

 

「ユエさん……」

 

「ユエ……」

 

「まったく……」

 

しかし俺に背負われたユエを見てシア達は皆呆れ顔。ただ俺としては懐かしのオルクス大迷宮でもこんな感じだったからかあんまり気にしていない。言われてみれば、最近エンディミラに掛かりきりでユエのことあんまり構えていなかったからな。

 

しかしユエをおぶさって再び歩き出した俺の右腕にシアが、左腕にジャンヌが自分の腕を絡めてくる。珍しく出遅れたティオが所在無さげに両手を上げ下げしながら着いてきているのをユエが「ふふっ」と笑い、それを見て膨れっ面になったティオがいきなり俺の背中……というかユエに突撃するもんだから歩き辛いのなんの。別に重くはないけど、人を2人も背負うのは俺の体格だと中々難しいのだ。特にティオは背ぇ高いし。

 

けれどこんな風に歩くのも久しぶりで、それが俺にはどうにも楽しくて、文句なんて出ようはずもなく、羅針盤の導きに従って俺はただエンディミラの元へと歩みを進めるのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

森の中を歩く俺達はずっと視線を感じていた。どうにも木々の上から誰かがずっとこっちを見ているようなのだ。この辺はエルフの縄張りなのだろう。エルフって種族は木の上で暮らしているってエンディミラも言ってたからな。

 

「どうする?」

 

と、同じ気配を感じていたらしいジャンヌが俺を見上げながら聞いてくる。

 

「ほっとけ。別に何かしようって感じもしないし。エルフには基本女しかいないって聞いたから、多分男の俺が珍しいんだろ」

 

「女しかいなくて子供は産まれるのか?」

 

「あぁ、なんか1番頭の良い奴が男に変わるらしい。んで、その男がたくさんの女のエルフを囲うんだとよ」

 

と、俺はエンディミラから聞いたエルフの繁殖方法を話した。それを聞いたジャンヌは「ふむ」と頷いて一瞬頭上を見渡した。だがそれで何かを言うでもなくまた視線を前に戻した。

 

「ユエ、どうだ?」

 

と、両手の塞がっている俺は、羅針盤を持っているユエに今俺達がどの辺なのか聞いてみる。

 

「……んっ、もうすぐみたい」

 

すると羅針盤に魔力を注いでエンディミラの位置を特定したユエからそんな答えが返ってきた。

 

そして、それから俺達はまた10分程歩き……

 

「……ここ」

 

と、俺達はハルツィナ樹海の大迷宮にもなっていた大樹のような大きな木……太い綱に四手(しで)がぶら下がっていて、これが御神木のようなものだと分かった。

 

「これはまた……」

 

「太いな」

 

「樹海の大樹みたいですぅ……」

 

と、それぞれがこの大樹を見ての感想を漏らした。視界の悪い森の中、途中からは少し霧も立ち込めてきていたから俺達からは急に目の前に大樹が現れたようにも感じたのだ。

 

「……この上にエンディミラがいる」

 

そしてフワリと、俺達はユエの重力魔法によって身体を浮き上がらせた。垂れ下がる蔦はきっと、エルフにとってはこの木を上に登る唯一の手段なのだろうが、それをマルっと無視して10数メートルも重力魔法によって登った俺達の目の前に現れたのは、太い……それこそそこらの木の幹くらいはありそうな木の枝の上に建てられた神社のような建築物だった。そしてその社の中からは確かにエンディミラの気配がした。

 

「行こう」

 

ただ、その更に奥からはエンディミラのようなエルフ達やユエやシア、ティオのような奴らとも違った、掛け値無しで人ならざるものの気配がする。この気配は、どちらかと言えばエリア51で感じた瑠瑠神や璃璃神のような奴らの気配に近い。

 

そんな尋常とは違う気配に俺の警戒心が上がる。それを感じたのか、ユエ達もみんな1つスイッチが切り替わったような顔になる。

 

スルりとユエが俺の背中から降り、シアとジャンヌも俺の腕から身体を離す。それを合図に俺は社の、その閉じられた扉に手を触れた。

 

「エン───」

 

『誰ですか?』

 

俺がエンディミラの名前を呼ぼうとしたその瞬間、中から女の声がした。だがそれはエンディミラの声ではない。と言うか、生き物の喉から出した声とは思えなかった。例えて言うならそう、念話や思念伝達での会話のように、脳みそに直接響いてくるかのような声。言語理解が無理矢理に俺に音を言葉にしてくれたが、そんな技能が無くても、俺はきっとこの音を言葉として意味を把握しただろうと思えるような気持ち悪さ。何せ日本語どころか、きっとこれは俺達の世界中のどこを探しても使われていない言語。コイツらはコイツらで独自の言語体系を確立しているのだ。

 

「神代天人だ。エンディミラ・ディーを迎えに来た」

 

俺は手短に要件を伝える。言語理解のおかげでこいつらの言葉もすんなりと俺の口から出ていった。

 

『入りなさい』

 

頭の中に直接入り込んでくる言語に眉を顰めながら俺は目の前の扉を左右に開けた。すると、そこには俺達の世界で購入した洋服を着たエンディミラがいて、その奥の1段高い座にはなにやら簾のようなものが掛かって向こうが見えないようになっていた。そして、さっきからずっと感じている人ならざるものの気配はそこからプンプンと漂ってきているのだ。

 

「マスター!?」

 

「おう、約束通り迎えに来たよ」

 

やはり、本当に来れるとは思っていなかったらしいエンディミラは驚愕を隠せていなかった。だがその顔には喜色というよりも、俺を心配する色が強く浮かんでいた。

 

『話には聞き及んでいます、神代天人。世界の境界を越え、時間の不可逆性にすら朔逆するその力。かの竜の魔女・ラスプーチナすらも一蹴したそうですね』

 

「アンタも、アイツ程度なら余裕でボコれるって雰囲気してるぜ」

 

俺は後ろ手に回した右手でユエ達に"セントウニソナエヨ"とサインを送っておく。コイツ、持ってる雰囲気が尋常じゃない。エヒト程じゃあないが、それでも魔国連邦ですら通用しそうな存在強度を感じるぜ。

 

『私はそれほど争いを好みません。また、人の営みには興味こそあれ干渉する気も無い』

 

「あっそ。俺もする必要の無い喧嘩してる程暇じゃあないからな。……帰ろう、エンディミラ。テテティ達も待ってる」

 

俺がこの部屋に足を踏み入れてからこっち、ずっと片膝着いていたエンディミラに手を差し出す。エンディミラはそれを見て簾の向こうと俺の顔を交互に見て、ユエ達にも視線を巡らせ、そしてまた簾の向こうを見やった。

 

「あの……私……」

 

「いいか?」

 

と、オロオロと向こうとこっちで視線を行ったり来たりさせているエンディミラに代わり、俺がそう告げる。

 

『数十年前、こちらに来て私達に戦争をしろと言ってきた人間の女がいた。そいつはどうした?』

 

すると、簾の向こうからそんな言葉が返ってきた。だが俺はそんな奴のことは知らないしこっちと向こうとで戦争になった記憶も歴史も無い。それは表に限った話ではなく、イ・ウーにいた頃にも聞いたことはない。つまり世界の裏側でも、そんな話はなかったはずだ。

 

「誰のことだ……?俺ぁそんな奴は知らないしこっちの世界と俺達の世界で戦争になったなんて話、聞いたこともねぇよ」

 

『こちらとそちらを渡る時には時間の流れを跳躍することがある。ならばそいつはそうなったということだろう。では改めて聞く。お前は私達と争いたいか?』

 

「……もし戦いになったら容赦も手加減もしねぇ。俺達に害をなすなら叩き潰す。……けど、だからって態々喧嘩したいとも思わないよ。それだけ」

 

そう、それだけ。もしコイツらが俺達の世界を侵略でもするつもりなら俺はこの場でコイツらを叩き潰してやっても構わない。けれど争う気が無いのならこっちだって態々戦う気は無い。これはそれだけの話だ。

 

『そうか。……ではもう1つ』

 

「んー?」

 

『コチラに住む者達を無理矢理にそちらに移動させるつもりはあるか?』

 

なんじゃそりゃ。そんなことしたらただの人攫いじゃねぇか。

 

「ねぇよ。エンディミラとは元々約束してただけだ、絶対に迎えに行ってやるってな。今日はそれを果たしに来ただけ。それ以外の奴らがどうとかはないよ」

 

モリアーティはこっちに来て何やら話をして帰ったらしいし、こいつの質問はそれについての話だろう。ネモ達はこっちと向こうとの扉を開いてエンディミラ達のような人間とは少し違う奴らを地球に連れ込んでそういう奴らが当たり前に暮らす世界を作ろうとしているらしいし。

 

『分かった。もう充分報告は受けたし、そこのエンディミラ・ディーは連れていくといい。それを私は止めることはない』

 

「……だとよ、エンディミラ」

 

思いの外交渉は緩く纏まった。ま、話が早くて助かるよ。態々こんな奴と喧嘩なんてしてらんないし。するとしたら多分俺はコイツを滅ぼす他なくなる。手加減なんてしている余裕はなさそうだ。

 

「あぁ……ありがとうございます」

 

と、エンディミラは簾の向こうに頭を下げ、そして振り向いて俺の手を取った。

 

「マスターも、約束を果たしてくださり、ありがとうございます」

 

「おう」

 

と、俺はそれだけ返してエンディミラの手を引き、立ち上がらせる。そして俺達はそのまま踵を返し、この間から立ち去る。

 

『その子を、幸せにしなさい』

 

そして、去り際に掛けられたそんな声に俺は空いていた右手を挙げて応えるのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

向こうから帰ってきて数日が経過した。ちなみにあの遠山雪花だが、何やら最近は理子と一緒に動画配信をやっているらしく、ジャンヌに態々金を払ってまで動画編集をさせているらしい。

 

俺達もユーチューブに上げられた動画を見たけど、美人な雪花がガチで本物の軍服を来て軍国主義的な内容をよく通る声で堂々と喋るもんだから再生回数はうなぎ登りだし人気も高い。

 

旧日本軍マニアの間じゃ即刻あの軍服が形だけそれっぽく真似たイミテーションなんかじゃなくてかなり精巧に作られた物──まぁ実際は本当にあの時代の服なんだけど──だとバレて、それが更に雪花の人気に火を付けているらしい。

 

それとこれも後からジャンヌから聞いた話。あのラスプーチナの奴、実はロシアで賞金首だったらしい。まぁ俺としては目先の金よりも武装検事共に恩を売っておくほうが都合が良い気がするのでこっちは割と諦めがついた。だが今は目下そんなことよりも面倒な事態に陥っていた。それは───

 

「なんだよ、バスカービルが揃いも揃って」

 

俺の目の前にはアリア、理子、星伽、キンジが立っていた。それも、ハイマキも使って人払いを済ませた上で、だ。ということはレキもどっかでスコープを覗いているのだろうな。確かにここは人通りが元々少ないから人払いもしやすいのだろうが、態々俺とエンディミラ2人だけのタイミングを狙ってお話って雰囲気でもないけどね。

 

「アンタ、ラスプーチナを逮捕したそうね」

 

「んー?ま、手錠は武検の奴に掛けさせたけどな」

 

「勿体ないわね。アイツを武偵庁に引き渡せば相当の稼ぎになったはずよ」

 

「俺としちゃあ目の前の金より武検に恩を売る方が得なんだよ」

 

出来れば俺達のことを放っておいてくれると助かるからな。向こうだけ聖痕使えるとかズル過ぎだろ。しかも"再生"なんていう攻略不可の能力なんて2度と相手にしたくねぇ。

 

「あっそ。……それより、その女、エンディミラっていうらしいけど、向こうに帰ったんじゃないの?」

 

つい、とアリアがエンディミラを睨む。ちなみに星伽は俺よりもエンディミラをずっと睨んでいる。

 

「帰ったよ、1回はね。だから迎えに行ったんだよ」

 

エンディミラがここにいる理由は俺が迎えに行った、ただそれだけ。何も特別なことじゃあない。

 

「お前らも、俺が別の世界に飛ばされて、そっから帰ってきたことは知ってんだろ」

 

「そうね。それと、アンタが視界外瞬間移動(イマジナリジャンプ)を、ネモ以上に自由に扱えるってのもね。けど───」

 

「まさか別の世界に簡単に渡れるとは思わなかったって?」

 

そういやコイツらには越境鍵のことは細かく話していなかったっけか。

 

「……で、何の用なのよ。お前らが雁首揃えてまさかこれが本題なわけないだろ?」

 

「……そうね。単刀直入に言うわ。天人、アンタ、モリアーティ教授を逮捕しなさい」

 

あぁ、ついにこの話がきたか。アニエスじゃ協力する必要があったしまず目の前の問題があったからこの話をアリアから出すことはなかったけど、もうそんな気遣いをする必要は無いもんな。

 

「これはあたしの勘だけど、ネモって子はこの世界にとって良くないことを起こすわ。そうなる前にNは潰さなきゃならないの」

 

アリアのその言葉に、俺の後ろに控えていたエンディミラがピクりと反応したのが伝わってきた。エンディミラにとってネモは自分を拾ってくれた恩人であり、利用していたとは言え、仲の良い上司と部下の関係でもあったのだ。外からこんな風に言われたらそりゃあ内心穏やかではいられないだろうよ。

 

「悪いけどお断りだ。……俺にとっちゃNはまだ利用価値があるんでね。ま、アイツらが俺の目の前で犯罪を犯すなら逮捕する。その方針は変わらねぇからよ」

 

俺は交渉決裂という雰囲気を出しつつこの場を去ろうとする。夕暮れの台場にはもうすぐ夜の帳が降りてくる。

 

「駄目よ。それじゃ間に合わないの」

 

と、アリアは食い下がる。

 

「天人、アリアの勘は当たるんだ。だから───」

 

キンジも、アリアに同調するように1歩前へ歩み出た。その顔には、何故だか俺を心配するような色が浮かんでいた。

 

「───だから?この世界にとって良くないこと?そりゃあそうだ。アイツらはこの世界を変えようとしてるんだぜ?今のこの世界にとって良くないことなのは、当たり前だろ。……で、お前らは今のこの世界が本当に良いものだと思ってんのか?」

 

俺にとってこの世界は俺のいるべき世界。だけど、どうにもこの世界も少なからず歪んでいる。ならば俺は世界ごと大きく変革してしまいたいのだ。そして、ネモ曰く、どうやら俺はその資格を持ってしまったらしいからな。あの時の言葉が本当か嘘かは知らないけど、駄目なら駄目で俺が途中で放り出されるだけなのだ。そして、その程度であれば俺は直ぐに越境鍵で帰れるから障害にはなり得ない。

 

「アンタ……」

 

アリアが俺をギッと睨む。星伽なんかは今にも俺に斬りかからんばかりの鋭い目を向けてきている。

 

「なぁ、もういいだろ?……別に、俺ぁお前らを邪魔する気も無いよ。……それに、俺もモリアーティ教授ってのは気に入らねぇ。アイツの目的がどこにあるのか知らねぇけど、もしそれが俺にとっても都合が悪りぃならそん時ゃとっ捕まえるのも吝かじゃあない」

 

だからこの話はここで終わりだと、俺はエンディミラを連れて家路へ帰ろうとする。俺とエンディミラは今日はただ家の物で足りない物を買ってきただけなのだ。ユエ達はたまたま仕事で外に出ていて、俺とエンディミラだけが手空きだったからな。

 

まさかレジの店員の目の前で宝物庫に仕舞うわけにもいかずに手に持っていたビニール袋を掲げてキンジの脇を通り抜ける。何か邪魔でもするのかと思いきや、特に何があるわけでもなくそこは通れた。ハイマキがいるのにレキの姿が見えないから、この辺で狙撃でもされるかもと頭に金剛を張っていたのだが拍子抜けしてしまった。

 

「───待ちなさい」

 

だが、銃弾の代わりにアリアのアニメ声が後ろから飛んできた。俺が億劫そうに振り返れば

 

「あたし達の邪魔をしないって言うなら、ジャンヌを貸しなさいよ。島根の神澱(かみおり)───超能力者特区(ステルスSAR)で調査があるの」

 

そう言うアリアに俺は無言で片手を挙げる。好きにしろよ、と、言葉に出すのも面倒だったのだ。

 

そして俺は背中にアリア達の視線を受けながら家路へと歩き出していく。そう言えば、普段あれだけお喋りな理子が一言も喋っていなかったなぁということだけが頭に残っていた。

 

 







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幕間の物語:身を包む衣、心を包む言葉

 

 

原宿の竹下通りから1本奥に通りを入った先の雑居ビル、その2階に店舗を構えるここは、所謂ロリータ・ファッションを中心に扱う店だった。価格帯はこのジャンルの服としては比較的リーズナブル。学生やロリータ初心者がよく訪れる店であり、だからこそここに務める店員の誰もが、例えバイトの身であろうとも、ロリータ・ファッションに対して人一倍の熱意と知識量を持ち合わせていた。

 

今日、平日の夕方の時間帯にシフトを入れていたバイトの彼女もまた、ロリータ・ファッションに対する想いは熱いものがある。

 

今日は店長と2人でのシフトだった。とは言えこの時間帯であれば、元々メインカルチャーというわけではないジャンルを扱う店においてはそれほど忙しいというわけでもない。

 

今も店内には客はおらず、静かな時間がゆっくりと店内を流れていた。しかし、やがてその静寂が破られる。店のドアが開かれたのだ。

 

カランという鈴の音に彼女が振り向けば、その瞳を大きく見開くことになった。

 

(うっそ……)

 

言葉には出さなかったが心からの驚きと()()が彼女の内心を支配したのだ。

 

店内に入ってきたのは2人の少女。1人は日本人の成人女性と比較しても背の高い──165センチ前後だろうか──少女。

 

店内の照明に薄く照らされた銀髪は輝くように美しく、後ろでポニーテールに括られた髪が見せるうなじは男女問わず目線を引き込む。

 

真面目そうに前を見据えた両の瞳はアイスブルーに輝き、雪のように白い肌は彼女のルーツが日本ではないことを殊更に強調している。何よりも、高身長と言うだけでなく、冗談のように長い股下と、髪色と同じように輝くような美しい顔はこの店の店員の間で伝説的に語られている()()()だと確信させる。

 

今、その銀髪の美しい客が着ている赤いセーラー服はお台場にある東京武偵高校の女子制服であり、それはとりもなおさず彼女が暴力の世界に身を置いているというのが、あの服の与える印象だった。そして、繊細な商品を扱っているこの店からすれば、そのようなイメージのある人間の来店はあまり好ましいものではない……筈だった。

 

けれどもこの店に務めている人間であれば全員が知っている事実。その見目麗しい武偵の少女は商品を───ロリータ・ファッションを乱雑に扱うことはないし、何よりもその見た目と所作の美しさから彼女に見惚れる人間が多数だった。

 

今この店を訪れた──そしてこの店の誰も彼女の名前を知る由もないが──ジャンヌ・ダルク30世はこの店の常連だった。もっとも、今彼女を営業スマイルで出迎えたバイトはこれまでのシフトの都合で初対面だったのだが。

 

そして、彼女は今日自分はとても幸運だと思っていた。それは、噂になっていた麗しの銀髪美少女と遂に対面できたことだけではない。

 

店員達の噂では、彼女は普段は常に1人で店を訪れる。──ただし1度だけ、青みがかった白髪の、これまた驚く程にスタイルの良い美少女と一緒に来店したことがあるらしい──

 

服は買ったり買わなかったり……と言っても来店すれば結構な頻度で購入していくからそれなりに武偵としての実入りは良いのだろうと想像されていた。いくらこの店がリーズナブルを売りにしていようとも、布の量や縫製に手間のかかるデザインもあって、どうしたってそれなりの値段になってしまうからだ。

 

だが、今日は噂と違って1人ではなかったのだ。これも店員達の噂だったが、彼女はこれまで片思いの相手がいたのだが、最近その恋が成就したというのだ。もっとも、どれも本人の口から直接聞いたわけではないから嘘か本当かは分からない。

 

ただ、彼女(ジャンヌ)を一目見てついでに彼氏の存在に思いを馳せた店員さんではあったが、一緒に来店したのは男性ではなかった。

 

「ここだ、ユエ」

 

「……んっ」

 

(ユエ……貴女ユエって言うのね……)

 

麗しの銀髪美少女と対面した感動のままに同行者を見た彼女はそこでまた思考が止まる。何故なら、ジャンヌの隣にいた女性もまた彼女の人生でこれまで見たことがない程に美しかったからだ。

 

神の被造物かの如く完璧に作られたビスクドール、そう見紛う程の美貌。それを想起させるのは隣にいるジャンヌのアイスブルーの瞳と対を成すような紅色の瞳。

 

その輝きに思わず目を逸らしそうになるジャンヌの瞳とは逆に、1度目を合わせたらそのまま引きずり込まれそうな引力すら感じる。

 

彼女の湛えるこの世のどんな糸よりも美しく見える深い金色の長い髪は店の照明よりも明るく輝いていた。そして、その黄金に輝く頭の上に乗せられているのは黒い色の大きなリボンのカチューシャ。普通そんなものを着けていても、幼子であればともかく高校生では痛々しいとすら思われかねないファッションであったが、それを強引に似合わせているユエの持つ美しき貌の前では全てが脇役となり平伏(ひれふ)すのだろう。

 

どちらか1人であっても街中ですれ違えば老若男女問わず振り向くであろう2人が今日ここに来るまでに誰からも声を掛けられなかった理由は彼女達の着ている東京武偵高校の赤いセーラー服の印象の悪さ故だった。そうでなければ若者の街原宿の、それも竹下通りを彼女達がただ人混みを縫う程度の苦労で抜けられるはずがなかった。

 

もっとも、彼女達の持つ戦闘能力であればそこらのナンパ程度は音も無く悶絶して地面を這い蹲ることになるのだが……。

 

(こんな……綺麗な子が2人も……)

 

背が高くモデルすら裸足で逃げ出しかねないスタイルのジャンヌと、歳の割に一際小柄ながらその美貌で見る者の心を掻き乱すユエ。騎士然と育てられてきたジャンヌと、上に君臨することを求められ、またそれに当たり前のように応えてきたユエ。この2人が立ち並んでいる時に漂わせる独特の空気感に当てられたこの店のバイトは思わずジャンヌとユエに魅入ってしまい、欠かせないはずの来客への挨拶を忘れて放心していた。

 

「ようこそいらっしゃいませ」

 

「───っ!?」

 

ふと、その声に我に返る。後ろから聞こえてきた挨拶はこの店の店長の声。彼女はジャンヌを何度も見ていたからこそ、ユエという驚きの同行者があってなお、どうにか放心を免れていたのだった。

 

そして、ジャンヌとユエはその声にチラリと視線を向けるだけで直ぐに視線を店内に所狭しと展示されたロリータ・ファッションに戻した。

 

「どうだ?」

 

「……んっ、中々」

 

ジャンヌとユエは飾られた布量過多なドレスのような洋服を見渡してそう言葉を交わしていた。

 

「ユエのように愛らしければどれも似合うのだが……」

 

「……んっ、当たり前」

 

(何それズルい……)

 

何の臆面もなく隣の友人を褒めるジャンヌと、その賞賛を当たり前のように受け取るユエに、バイトの彼女は心を揺さぶられている。

 

「さて、まずは甘ロリはどうだろうか」

 

と、ジャンヌがまず向かったのは甘ロリを置いているエリア。淡い色の水玉や花柄のロリータ・ファッションが並んでおり、明るい雰囲気の空間だった。その中の1着をジャンヌは手に取り、ユエの身体の前に丁寧にかざした。

 

「……ふむ」

 

「……どう?」

 

「……うん。───試着室、良いだろうか?」

 

すると、遂にバイトの彼女がジャンヌから声を掛けられた。思わず「ひゃ、ひゃいっ!」と上擦ってしまう声に頬を染めながら彼女はユエを試着室へと案内した。

 

「着付けは私も手伝おう」

 

と、素人には中々着るのも一苦労のロリータ・ファッションであるからか、ジャンヌも一緒に試着室へと入っていった。本来なら店員が手伝うべきなのかもしれないが、彼女であれば品物をぞんざいに扱うこともないだろうと店員も何も言わずに試着室と店内を区切るカーテンを閉めた。

 

「……ユエ、お前───」

 

すると、ガサガサという衣擦れの音と共にジャンヌとユエの話し声がカーテン越しに漏れ聞こえてくる。

 

「……何?」

 

「意外とあるな」

 

「……どこ見てるの?」

 

(は、鼻血出そう)

 

上背は140センチほどに見えるユエだ。何がとは誰も言わないけれど、どうやら背の割にはそれなりのものをお持ちらしい。そして、それが分かるということは今のユエは少なくとも上には衣類を纏っていないということで、下着姿のユエをカーテン越しに幻視した彼女は思わず鼻を押さえていた。ちなみに妄想の中で纏っていたのは、肌が透けそうな程に薄く緻密な刺繍の施された黒。

 

そして、それっきり声こそ聞こえてこなかったが、衣擦れの音は続き、数分の後にようやくカーテンが開かれた。

 

「か、可愛……」

 

そして彼女の目に飛び込んできたのは白とピンクを基調とした薄いピンクのパステルカラーの甘ロリに身を包んだユエだった。パニエでふっくらとボリュームを出しているスカートから覗く御御足(おみあし)を包むのはフリルのあしらわれたハイソックス。普通なら過剰な筈のリボンは、しかしユエの持つ精巧なビスクドールの如き美貌によってその存在感を押し込められ、むしろ適切なアクセントになっているかのようだ。

 

「 本来ならロリヰタにはそれに合わせた化粧があるのだがな。ユエはそうしなくても充分に愛らしい」

 

「……んっ」

 

相当の賛辞を送られている筈のユエは、けれどそんな言葉は当たり前とばかりに言葉を受け取っていた。ジャンヌも、ユエがそのように返すのは当たり前だと思っているようで、ともすれば言い合いの火種になりそうなユエの返事に何も思うところすらなさそうだった。

 

「……ジャンヌだって可愛い。こういう服も似合ってた」

 

「んっ───!?」

 

すると、急にユエがジャンヌを褒める。ユエとしては、実はジャンヌのような美人にあれだけ褒められて嬉しくないわけはなかったのだ。ただちょっとそれを表に出すのが恥ずかしかっただけ。素っ気無いように思える反応もそれが故だった。

 

だが、ジャンヌが自身のことを男っぽくて可愛らしさとは無縁だと思いがちということは知っていた。だからユエも先程までのお礼代わりにそのように口にしたのだ。勿論ユエとしてもジャンヌが美人な上に可愛らしい女の子だということは本心で思っていることだから、それを口にすることを躊躇うこともなかった。

 

人への好意は出来るうちにする、と言うのはユエとジャンヌが共に愛する男の信条だった。それがいつの間にやらユエにも移っていたのだった。

 

(死ぬ……ここにいると死んでしまう……)

 

2人のあまりの可愛らしさと美しさに殺されて自分は死ぬ。多分これが俗に言う"尊い"という感情なのだろうと、そんな裏の事情を一切知らない彼女はそう確信した。

 

「さて、次だが……。クラロリに行こうか」

 

クラロリ───エレガント・ロリータやクラシカル・ロリータと呼ばれるジャンルで、スカートの丈が他のロリータ・ファッションと比べると長く足首近くまである。また、他のロリータ・ファッションと比すれば落ち着いた印象で、大人の雰囲気を醸し出すロリータだ。

 

完璧に作られたビスクドールのような美貌を持つユエであればきっとこれも似合う……そう店員も確信していた。

 

「……んっ」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ふふふ……ようやく本命だ」

 

ジャンヌが妖しく笑みを浮かべた。

 

クラロリも随分と似合っていたユエだが、その後に黒ロリを着せていた。そしてそれも終え、敢えて最後に残していたゴスロリのエリアへと来ていたのだ。

 

「……んっ。これ?」

 

ゴスロリ───ゴシック・ロリータ、黒を基調としたどこか退廃的な雰囲気を纏うロリータ・ファッション。黒ロリとも混合されやすいが、色が黒なだけで可愛さを優先する黒ロリが持っていない退廃さがあるのがゴスロリの特徴だった。

 

「そうだ。どれも似合っていたが、これもきっと似合うぞ」

 

「……ふふっ。楽しみ」

 

(あぁ……笑顔も素敵……)

 

さっきまではジャンヌの褒め言葉も素っ気なく返していたのに、いつの間にか素直に受け取っているユエを見て店員は遂に昇天しそうな顔をしていた。それを知ってか知らずかユエは店員の方へ一瞥もくれることなくジャンヌと共に試着室へと入り、カーテンで区切った。

 

そしてやはり数分の後……

 

「とっっっってもお似合いですよ!」

 

カーテンを開けて試着室から出てきたユエへの店員の第一声がそれだった。

 

黒を基調としたデザイン。神秘さやダークな雰囲気を纏わせるファッションが、着替えに少し疲れてきたユエの気だるげな雰囲気と相まってより一層それを引き立てていた。

 

「ちょっと、そこへ座ってみてくれ」

 

ジャンヌが指し示したのは靴を履く時のために用意された低めの椅子だった。ユエはそこに黙って腰掛けるとふとジャンヌを見上げた。

 

(もやは存在が芸術では……?)

 

神が完璧に姿形を整えたかのようなユエの美しさと紅の瞳が放つ人を寄せつけぬ圧力。しかし髪は財宝のように輝き否が応でも人の目を惹く。

 

それらを包むのは黒を基調とした退廃的な雰囲気を醸すゴシック・ロリータ。深い黒がユエの元々持つ神秘的な雰囲気を際立たせ、1個の芸術作品としてその場に君臨していた。

 

「ふふっ。よく似合っているよ」

 

「……んっ、ありがと」

 

そうして微笑み合うジャンヌとユエの姿は、この世のどんな絵画よりも美しかったと、後に今日のシフトに入っていたバイトと店長は語っている。

 

そして、そんなに美しい光景を自分も見たいと、この店のバイトのシフトは争奪戦になってくのだが、それはまた別のお話。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……ふふっ、良い買い物をした」

 

両手に抱えた袋には黒を基調としたロリータ・ファッションが入っていた。あの後数着試着したユエは気に入ったゴシック・ロリータを1着購入したのだ。

 

「……天人は褒めてくれるかな」

 

一瞬、心配そうにユエが呟く。普段の天人は家族の誰かが新しい服を買ったり、店で試着した時も絶対に褒めてくれる。と言うか、何を着ても───それこそ学校の体育着やジャージですら思いっ切り褒めるので何の参考にもならない。おかげで本当に服を見たい時は家族の誰も、天人は連れて行かないことがあるくらいだった。

 

けれど、ユエはトータスにいる時もこれ程までに凝った服は着たことが無かった。何なら旅の中ではヒールのある靴も戦闘に支障が出るかもしれないからと天人からはあまり履かないように言われていたくらいだった。

 

ユエの個人的な服の趣味はロリータとまではいかなくても、ガーリー系の服が好みだったから、フリルやリボンがあしらわれた服も着ていて、それは天人も褒めてくれていたけど流石にこれはまた別の系統だろうと思ったのだ。

 

「天人がユエの服を褒めないことなんてないだろう」

 

と、ジャンヌは当たり前のようにそう言った。ユエには言っていないが、前に天人にジャンヌの趣味がバレた時も天人はジャンヌがそれを着ている姿を褒めてくれていたから、ユエのことも褒めないなんてことは有り得ないと確信していた。

 

「……それは、そうだけど」

 

ただ、ユエとしては初めてのロリータ・ファッション。それも、前にシアが着ていてそれを天人が褒めていたからという理由で自分も着たくなり、ジャンヌに店まで着いてきてもらっていたからか、自身の容姿にはそれなりに自覚的なユエにしては珍しい反応だった。

 

その不安は好きな人に自分のことを褒めてもらいたいという前向きな乙女心と、もし相手の好みと違ったらどうしようという後ろ向きな乙女心の両面が現れていて、そんなユエを見るのが初めてのジャンヌとしては随分と新鮮な気持ちにされられていた。もっとも、ユエがここまで気にするのはきっと、天人の周りにはそれだけ他にも魅力的な女性がいるとユエも考えているからなのだ。

 

ふとユエはジャンヌを見上げる。本の中から出てきたような美しい貌と自分と比べて20センチ以上も高い身長。脚も長く、しかもふくらはぎは細く、ももは太くはないのに健康的な肉付きの良さを感じさせる。有り体に言えばスタイルが良い。それもとんでもなく良い。胸も、それほど大きいわけではないが自分よりはある。しかも、あれだけの女の子がいれば天人の好みのタイプは分かってくるし、自分がその好みとはまた違うタイプだということも自覚していた。

 

とは言え、天人が女の子に対して見た目以上に性格が合うかどうかを強く求めることも知っていた。そして天人がジャンヌのことも好きというのは、言い換えればジャンヌも彼の心の隙間に入り込んでいるということだった。つまりは、ジャンヌだってユエの中の天人の周りにいる魅力的な女性の内の1人だったのだ。

 

自分もトータスでそのようにして彼の中に自分(ユエ)を刻み込んだのだから、当然それくらい分かってはいた。トータスで天人と過ごした時間はジャンヌにはどうしようもされない。それは分かっている。けれど天人とジャンヌの間にも、ユエがどうしたって立ち入れない部分があって、それがユエを不安にさせる。それはきっと、リサと天人の間にもユエの立ち入れない絆と時間があることも、理由の1つだった。

 

自分の恋人が、自分の知らない顔を他の女の子に見せている。しかもそれは過去のことではなく、今と、この先もきっとそれはあるのだ。その道を選んだのはユエ自身とは言ったって、どうしたって不安になってしまう瞬間があるのは仕方のないことだった。

 

「大丈夫だユエ。天人は絶対にそれを着たユエのことを褒めてくれるし、天人がユエを愛さない時間は永遠に来ないさ」

 

ユエの不安を感じ取ったのか、ジャンヌはそう言葉をかけた。

 

「むしろ、私の方が不安だ……」

 

「……ジャンヌが?」

 

「あぁ。私はリサと違ってずっと天人といたわけでも、一緒に異世界を旅したわけでもない。トータスで戦ったわけでもないしな」

 

それは、ジャンヌが抱える不安。天人はイ・ウーではリサのために戦っていたし、武偵高で再開した後も天人はリサと共に異世界の旅をした。トータスではユエ達と大変な旅と戦いをしていたと聞いていたし、彼女達と天人の間には絶対に自分が割り込めない絆があると、ジャンヌもそう感じていたのだ。

 

「……私達、似た者同士?」

 

小首を傾げる仕草が愛らしい。小柄で可愛らしく、あまりにも女の子らしいユエに、ジャンヌは何度も嫉妬していた。自分に持っていないものを全て持っているかのようなユエ。トータスという世界から天人が帰ってきた直後、ユエ達のことを紹介されたジャンヌは大きなショックを受けていた。それをふと思い出していた。

 

「かもな」

 

そして、ふと目が合ったユエとジャンヌが笑い合う。日が落ちてきて夕焼けに染まる頃、金と銀の髪の美少女が2人、実はお互いがお互いに向ける感情には少しの共通点があったことを、今初めて知り合ったのだった。

 

 



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セカイの扉を開く者
氷の方舟


この新章で最終章になるはずの予定な気がしています。でも絶対じゃないです。


 

 

とある日、俺は巣鴨にあるキンジの実家に昼間っから呼び出されていた。なんでもラプンツェルとか言う奴が向こうの世界から帰ってきて、向こうの荒っぽい神様と協定を結んでこっちで戦争を起こそうとしているから止めるのを手伝え、ということらしい。

 

そういやそんな話をエンディミラのとこにいた神様だか精霊だかが言っていたなぁと思いつつキンジの実家に行けば、そこにはキンジと遠山雪花だけでなく、アリアやカツェ、あと極東戦役で見たドイツ人女(イヴェルタ)がいた。確か鬼や銀髪の弓使いが乗っていた船にいた奴だ。

 

「チッ……」

 

で、カツェは俺を見るなり舌打ち。イヴェルタも俺を嫌な奴を見るような目で見てくる。そんなに俺が嫌いなら呼ばなきゃいいのに。

 

「……お前ら、過去のことは一旦水に流せよ?」

 

どうどう、という風にキンジが間に入ってきた。それは向こうにだけ言ってくれ。俺は別にコイツらのこと何とも思ってないんだし。

 

「何でもいいけど、何をどうしろって話なんだよ」

 

今回のことに関しては大雑把にはキンジからメールで伝えられているのだが、細かいことは書かれておらず、俺自身もよく把握できていないのだった。

 

「その前にまず幾つか確認したい」

 

と、キンジが真面目な顔で座り直した。そしてアリアからも鋭い雰囲気が伝わってくる。

 

「んー?」

 

「白雪から聞いたんだが、世界ってのは異物を好まないとかで、なるべく排除したがるらしい。だけどお前やリサ、それにお前が別の世界から連れてきたって子達には何も無いよう思える。お前は聖痕の力で世界と繋がっているから何も無いんだろうって言っていたが、他の人達は別だろ?……白雪はそれを、何らかの強い力で守られているって感じていた。それは、何だ?」

 

へぇ、この世界にはそんなルールがあるのね。

 

「そのルールは知らねぇけど、守られてるってんなら、そりゃあ俺ん力だよ。俺ぁアイツら全員に加護を与えてる。勿論超常の力だ。けどその排除のルール、多分この世界だけの話だぞ。他ん世界じゃ、俺はともかくリサにも何も無かったからな」

 

俺は氷焔之皇の加護のことを素直に明かした。今更隠したってどうにもならんし、バレたところで何の対策も立てようがないからな。

 

そして、それはともかく、そんなルールがあるのなら、最初に飛ばされた世界でリサに何かあったはずだ。だが実際には何もなく数ヶ月の時が流れ、最後にはあの夏に俺が織斑千冬と篠ノ之束を殺害したことによりあの世界の運命が捻じ曲げられ、異分子である俺とリサは別の世界へと飛ばされた。

 

「世界には運命ってやつがあって、それはある程度の幅はあるらしいがおおよそ決まっている。んで、この世界の奴らにそれを変えるこたぁ出来ねぇ。それをできるのは別の世界から来た奴ら……もしくは俺らみたいな一旦この世界の理から外れた奴らだけらしい。だがそういう奴らが世界の運命を捻じ曲げた時にこそ、世界は異物を外へと弾き飛ばす。俺ぁそうやって幾つかの世界を回った」

 

それがあらゆる世界における共通のルール。だからキンジの言っていたことはきっとこの世界にしか当てはまらないものなのだ。

 

「待て、貴様はキンジの言ったことがこの世界に関してだけと言ったが、自分はレクテイアでも世界から排除されそうになった。これはどうする」

 

「レクテイア……?」

 

って何?という顔を俺がすれば、キンジとアリアは溜息。

 

「あんたがエンディミラって女を連れ帰ってきた世界がレクテイアって言うのよ。何で行ってきたくせに知らないのよ……」

 

と、アリアが呆れ顔をしながらも説明してくれる。

 

「あぁ?……あのなぁ、普通は世界に名前なんて要らねぇんだよ。だから向こうをレクテイアって呼ぶのはこっちの奴らの都合で、向こうにゃ関係ねぇんだ」

 

だからこっちの世界には名前は無い。何せこっちの奴らからすればこの世界に名前を付けて区別してやる必要はないんだからな。

 

「んで、そのレクテイア?だっけか。……あの世界はこっちとかなり近い位置にあるんだよ」

 

あの魔力消費の少なさからすれば、こっちとレクテイアはかなり近い位置に存在する世界だということ。もっとも、世界の文明が似ていれば近くに存在するというわけでもない。実際、こっちと香織のいる地球はかなり遠い位置にあるからな。

 

「こっちとレクテイアは別の世界として分岐したのは結構最近で、だから似たようなルールがあるんじゃねぇの?」

 

これは聖痕を持っているからこそ分かる感覚。世界の距離はそれぞれが独立した世界としていつ分岐したかによって変わってくる。もっとも、最近と言ってもそれは世界から見た基準で、人間の感覚で言えば気の遠くなるような時間だろうけど。

 

「……そうか、貴様は聖痕を持っているのだったな」

 

すると、キンジから俺のことはそれほど聞いていなかったらしい遠山雪花がこちらを横目で見やりながら聞いてくる。だがその意識は確実に彼女の腰の後ろ──恐らくそこに拳銃か何かを武装をしている──に向いていた。

 

「あぁ」

 

「待て雪花。聖痕ってやつは今の関東地方じゃ使えない。細かい理屈は知らんが聖痕を閉じる仕掛けがそこら中にしてあるらしいぞ」

 

「そ、なんでそんなにカリカリすんなよ」

 

と、キンジの言葉を拾って俺が両肩を竦めて見せれば、雪花は少しイラッとしたような顔をしたが、今はまだ抑える場だと思い直したのか直ぐに表情を収めた。

 

「なるほどな……」

 

そして、何やら意味深に呟き、俺を再び見やった。

 

「で、他に何かあるか?」

 

と、俺が話題を変える。

 

「あぁ。これが1番大事なことだが、天人、お前はレクテイアとこっちで戦争をやりたいって言っている奴がいたら止めるか?」

 

メールでもキンジから伝えられていたこと。俺は呼び出しには行くよとだけ返したから、これは確認なのだろう。

 

「止めるだろ。そりゃあ俺ん理想とは随分遠い話だからな。こっちから攻めるのも、向こうから攻めてくるのも、どっちも御免だね」

 

それは俺の理想とする世界からかけ離れる行為だ。そんなことをしたら余計にこっちの奴らとこっちの基準での霊長類の人間とは離れた奴らの距離がはなれてしまう。

 

「メールでも軽く触れたけど、レクテイアとこっちの戦争を目論んでいる奴がいる。俺達はそいつを逮捕したい。そして、お前なら協力すると踏んでいる」

 

「……へぇ。まぁそりゃあ半分正解だね。俺も向こうでこっちとレクテイアの間で戦いをしようと唆しているこっちの世界の奴の話ぃ聞いててな。多分同一人物だろ」

 

「半分……?」

 

「俺がお前らに協力するって部分。そういうの、俺が1人でやった方が早ぇ」

 

「索敵のアテはあるのか?」

 

と、雪花が俺を睨みつつそう聞いてくる。

 

「ある。それで場所も分かるしそこに行く手段もある」

 

羅針盤と越境鍵がある以上何も問題は無いのだ。俺はただ相手を強襲し、逮捕する。それだけ。そして戦闘になったとしても多重結界に氷焔之皇、金剛の固有魔法だけでなく、再生魔法と魂魄魔法を組み合わせた死者蘇生のアーティファクトがある以上コチラも何も支障はない。

 

「確かに、天人にそれがあるのは俺も知ってる」

 

と、キンジはそう言って俺の言葉を引き取った。キンジがそう言わないと、アリアと雪花が何やら言ってきそうな雰囲気だったからな。

 

「けどお前に頼ってばかりもいられない。この前のこともある。いつ俺達が敵同士になるか分からないんだからな」

 

この前のこと、キンジとバスカービルで俺を囲んだ時の話か。とは言え、それは武偵をやってりゃままあることだけどな。

 

「あっそ。俺ん好きにやらせるんなら武偵庁からの報奨金だけ貰おうと思ってたんだけどな。俺を縛るんならちゃんと報酬は貰うぞ」

 

俺がその気になれば今日中にでもその危ない奴を逮捕して全て解決できるのだ。それをさせずに依頼という形を取るのならそれなりのものを貰わないとやってられない。

 

「分かってるわ。報酬は強襲武偵(アサルトDA)の相場通りに払う。それともう1件、これは別口の依頼よ」

 

と、キンジが強襲科のSランク武偵にどうやって報酬を払うのかと思ったらどうやらアリアから支払われるらしい。そして、そのアリアは何やら別件を抱えているようだ。

 

「最近、イギリスが財産として持っていた黄金172tが何者かによって盗まれたわ。そして、それは5大大陸の何処にも無いことは分かってるの。天人には消えた黄金の在り処を探してほしいの」

 

確かにそんなものは羅針盤を使えば1発だ。例え異世界にあったとしても導越の羅針盤は物の在り処を指し示すのだ。そこに込められた概念魔法によってな。

 

「分かった。そっちは1件500万円。俺は在り処をお前に教えるが、取り返すんならそれはまた別口だぞ」

 

「……分かってるわ」

 

と、アリアはこうなることが分かっていたのか、脇に置いていたバッグから小切手を取り出し、そこに文字を書き連ねて俺に差し出した。

 

「じゃあ……ん、出たぞ」

 

500万という数字が書かれた小切手を受け取った俺は、宝物庫から取り出した羅針盤に魔力を注ぎ、アリアの言うイギリスから盗まれたらしい黄金の在り処を問う。そして、解放者達の残した概念魔法の込められたアーティファクトが指し示したのは───

 

「あるのは……海の中?潜水艦かな……。その外壁に塗られてるみたいだな。んで、潜水艦の居場所は……海の中だ。今は太平洋ん底にいるな」

 

羅針盤は黄金が太平洋の海中を潜航している潜水艦に塗布されていること、そしてその座標を俺に感覚的に流し込んできた。なんと言うか、この感覚は体験した奴じゃないと分からない、不思議な感覚だ。

 

「なるほど。5大大陸のどこにも無いってのはそういうことだったのね。……けど天人、その潜水艦ってのは何なのよ。誰が乗ってるの?」

 

「それは俺も知らん。俺が分かるのは場所までだ」

 

羅針盤は場所までしか教えてくれない。それが一体何なのかは、羅針盤に込められた概念魔法では辿り着けないのだ。

 

「ふうん。……まぁいいわ。キンジからその道具の力は聞いてるし、信じてあげる」

 

と、アリアは仕方なさそうにそう言った。俺としては羅針盤を疑うわけではないが、正直盗まれた黄金172tが潜水艦に塗りたくられていて絶賛太平洋を潜水航行中とか信じられないのだ。けれどもコイツはキンジから羅針盤の力を聞いたからと言う理由で信じるらしい。

 

ま、武偵憲章1条、仲間を信じ、仲間を助けよって言うしな。そこは別にいいさ。

 

「で、作戦は?俺を縛る以上はそれなりに考えがあるんだろ?」

 

と、小切手を懐に仕舞う振りをしながら宝物庫に放り込んだ俺はキンジにそれを問う。羅針盤と越境鍵の使用を制限するのならそのヤバい奴のいる場所の発見やその他の戦力の把握、移動手段など諸々、共有しておかなきゃならない情報は沢山あるからな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

天山を空母に乗っけて北方領土の近くまで運び、そこから発進させて敵を捕捉、キンジと雪花が移乗攻撃(アボルダージュ)を行う。そして俺はアリアと一緒にオルクス──俺とリサを含めたイ・ウーからこっちに来た奴らが乗ってきた小型潜水艇──で後から参戦。と言うのがキンジ達の立てた作戦らしい。そして、キンジと雪花の位置を掴むのが俺の役目。元々これはキンジに新たに増えたらしい妹のかなでが行う予定だったらしいのだが、キンジはかなでを参加させるくらいなら俺を使うと言い出したらしい。ま、かなでとやらはかなめと違ってまだ小学生みたいだからな。そんな小さな子をどんな魑魅魍魎が出てくるか分からない戦闘に巻き込むわけにはいかないよな。

 

で、空母とオルクスはともかく、天山なんていう戦時中に現役だった戦闘機をどうやって調達するのかと思いきや、そこは雪花のツテがあるらしい。どんなツテだよ……とか、普通に戦後に作られた哨戒機とかじゃ駄目なの?とか思わないでもないが、確保できそうな飛行機は天山だけらしい。天山だけしか確保できないツテって一体……。

 

まぁ、向かう先が北方領土周辺ということなので、高度は殆ど出せず、大きさもあまり大きいとレーダーや何かに引っ掛かられても困るってんで俺の持つ重力魔法で操作するロケット鉛筆君の出番は無さそうだ。あと、俺も自前で潜水艇持ってるよ、動力は魔力だから海の中から追いつけるよって話は出したんだが、俺はあくまでキンジの捕捉と、オルクスで追い付いてからの波状攻撃のみをやれとのこと。ハイハイ、お客様の申し出通り大人しくしてますよ。

 

と、そんな縛りを課されつつも俺達はキンジが───と言うよりジーサードとかなめが都合してくれて、横須賀に停泊している原子力空母・カールビンソンに乗り込んだのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

で、俺はカールビンソンのメインデッキにあるハンガー・ベイでアリアと一緒にオルクスの整備をさせられている。俺だって別に機械に詳しいわけじゃない。トータスじゃ二輪車や四輪車、飛行機に潜水艇まで作ったのは確かだが、あれらの動力は魔力や魔法によるもので、機械的な要素は限りなく薄い。だが、それでも力仕事くらいはできるでしょとアリアに駆り出され、俺はカールビンソンに乗っていた整備兵の人達と共にあれやこれやと運んだりボルトを締めたり、整備兵には見えないところでこっそり錬成を使ったりしてオルクスを動かせるように仕上げていく。

 

しかしそれでもまだ時間が掛かりそうということで、俺とアリアは一旦進捗をキンジ達に連絡すべく、キンジの部屋へと2人で赴いたのだった。

 

「おーす、入るぞ」

 

と、俺が部屋のドアをノックし、そのままガチャリとドアを開けるとそこには───

 

「あ、ごめん」

 

「───キィンジィィ!!あんたねぇ!!」

 

「違うんだ!話せば分かる!!」

 

露出過多──メイド服はロンスカ一択の俺的にはNG──な甘ったるいコスプレ用メイド服を着た雪花を椅子に座りながら対面に跨らせているキンジがいた。

 

「じゃ、存分に話し合っててくれ」

 

キンジ達の痴話喧嘩には欠片も興味が無い俺はそのまま──一応キンジが逃げやすいように扉だけは開けてやって──その場を立ち去った。その立ち去り際、部屋の方からはゴグシャア!!というおよそ人体から出ているとは信じられないような打撃音が響いてきた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「アニエス学院以来かしら。アンタとこうして組むのは」

 

オルクスでの潜水航行中、運転を自動操縦に切り替えたアリアがふとそう呟いた。結局、海水気化装置(スーパーキャビテーション)という高速航行のための装置だけが上手く作動させられず、俺達はゆっくりとした航行を余儀なくされていた。あれこそがオルクスをオルクスたらしめていると言っても過言ではないのだが、まぁ無いものは仕方ない。俺の錬成だってあぁいう特殊な装置を作れる類の魔法じゃないし、何よりキンジ達からは魔法を使うことは基本禁じられているから大っぴらには使えないのだ。

 

「そうだな。……今随分と久しぶりな雰囲気出してたけどあれそんなに前の話じゃねぇだろ」

 

「あら、そうだったかしら」

 

と、アリアはふふっと笑う。それに俺は溜息を1つ。どうにかこうにか2人分の座席を設けたこのオルクスは、トータスにあったあの大迷宮(オルクス)と比べるとどうしても狭さが際立つ。

 

「……アンタは───」

 

「んー?」

 

「……アンタは、世界を変えたいのよね?」

 

アリアの声のトーンが少し下がった。

 

「……あぁ」

 

俺もそれに釣られてか、思わず低い声で唸るようにそう呟いた。

 

「けど、ラプンツェルと戦うってことは、戦争を起こそうってわけじゃない。ローマでもアニエスでも、一般人を傷付けるようなことはしなかった。それは、この先も信じていいんでしょう?」

 

1つ1つ、確かめるようにアリアは俺に問う。

 

「あぁ。俺は扉を開けるのには賛成だけどな。それでも向こうの神って奴らと戦争をする気は無ぇし、こっちの奴らを態々酷い目に遭せようってつもりも無ぇよ」

 

俺の目的は霊長類としての人とそうでない人とが差別も偏見もなく一緒に暮らせる世界。だから必要なのは戦争ではない。むしろそんなの、お互いへの憎しみや恨み……悪感情を募らせるだけで俺の目的とは真反対へ繋がる道なのだ。だから俺はラプンツェルとかいう奴の目的を果たさせるわけにはいかない。

 

そして、モリアーティやNの奴らがテロを起こすというのなら、それも止める必要がある。そんなことをして果たされる世界を受け入れるわけにはいかない。これは、俺と言うよりもユエ達の意思だけどな。

 

「だから、もしお前らがラプンツェルに勝てそうになけりゃあ俺ぁ俺ん力でラプンツェルを止めるぞ」

 

「えぇ、分かってるわ」

 

そして、一瞬の静寂の後に、アリアがふと思い立ったように顔を上げた。

 

「もうメーヤから聞いてると思うけど、曾お祖父様が目を覚ましたわ。……と言っても、直ぐにどこかへ行ってしまったみたいだけど」

 

とのこと。いや、その話俺は初耳なんだが……。

 

「……悪いけど俺ぁその話は初耳だ。ま、アイツなら遅かれ早かれ起きるとは思ってたけどな」

 

「……メーヤはあの時に会談したメンバー全員に伝えたって言ってたわよ?」

 

「アイツの全員に俺ぁ含まれねぇのよ」

 

メーヤは絶対に俺のことを認めやしないだろう。俺がどんなにアイツらにとっての善行を積もうが、俺の存在はアイツらにとっては許されないものなのだから。

 

「アンタのやることを認める、とは言えないけど、確かにこの世界を変えたいって気持ちは分かるような気がするわ……」

 

と、アリアは俺が相当酷いハブられ方をされていることを察して、こめかみに指を当てながら呆れ顔。そして、それっきり俺達の間に沈黙が横たわり、狭い船の中俺達はただ黙ってキンジ達の乗っている天山を海中から追い掛けるのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「これか……」

 

俺は羅針盤に魔力を注ぎながらそう呟く。俺達の乗るオルクスの目の前には巨大な流氷。どうやらキンジはこの中にいるみたいだ。

 

「なるほどね。……これなら確かにレーダーには引っ掛からないわね」

 

アリアも、ラプンツェルの移動手段がまさか超巨大な流氷だとは推理できなかったらしい。ただでさえ大きな瞳が零れ落ちんばかりに見開いている。

 

「出入口は表面にあるらしい。……裏口は無いみたいだな」

 

俺が羅針盤で探ったこの要塞の入口。それはこれの海面から顔を出している上面にのみあるようだった。

 

「じゃあ、行くわよ」

 

オルクス潜水艇が海面からこんにちは。船から這い出た俺はアリアを流氷の上に引っ張り上げた。そして、船を留めておく繋留所も無いしとオルクス潜水艇は俺の宝物庫へと一旦仕舞っておく。

 

「……これか」

 

甲板と言っていいのか知らんが、ともかく上面の氷の下にはどうやらソーラーパネルが埋め込まれているらしく、これで内部の電力を確保しているみたいだった。そして、その甲板には下に通じる梯子階段から下に降りることができるみたいだった。

 

「行きましょう。キンジ達が心配だわ」

 

そうして道が分かっているのかどうか知らないが、アリアが先導する形で俺達はこの流氷の船の内部へと侵入していった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

船の中を下に進んでいく道中、金髪の女を捕まえた。誰かと思えばコイツはラプンツェルの付き人みたいな奴で、サンドリヨンとか言うらしい。その上、ラプンツェルはNのメンバーではないが、コイツはNの……下っ端とは言え一員らしい。

 

「ふぅん。……どうする、コイツ」

 

「どうするって……。捕まえておく他ないんじゃない?」

 

「だよねぇ」

 

と、俺はアリアの寄越した手錠を受け取り、サンドリヨンの両手に枷を嵌める。コイツはどうやらろくに戦闘力を持っていないようで特に苦もなく捕まえることができた。

 

そうしてサンドリヨンとかいう女を拘束しつつ放り捨て、今度は何故か室内に生えていた大きな木を降りることになった。

 

「降りるぞ。……乗れ」

 

と、俺はその場にしゃがんでアリアに背中を差し出す。チマチマ木を伝って降りていくより俺がアリアを背負って飛び降りてしまった方が早い。降りるのも空力か重力操作でどうにかなるしな。

 

「……まぁいいわ。落とさないでよ?」

 

「落とすかよ」

 

と、俺の背中にアリアが乗ったことを確認し、俺はその場から飛び降りた。重力加速を重力操作のスキルでコントロールしながら俺はアリアを背負いながら底まで辿り着いた。

 

そして、降りた先は植物園か何かのような様相を呈していた。……これは、見たことのない植物ばかりだな。幾つかはエンディミラを迎えに行った時に向こうで見たことあるかもって感じのもあるが、どっちにしろこの地球上には存在しない植物ばかりだ。

 

「これ、ここ出る時に全部燃やさないと駄目だな」

 

「そうね。こんなものが地上に漏れたら生態系が崩れるわ。それは、許されないことよ」

 

植物は幾らかでもばら撒けてしまえば勝手に広がってしまう。特にコイツらは氷にさえ根付いてしまえる程に高度な生命力を持っているのだ。こんな、世界の果てどころか異世界からの植物なんてものがこっちの世界にばら撒かれたら生態系がどう崩れるかなんて、俺には想像もつかない。俺だってトータスから出る前には召喚組も含めて全員にユエとティオの風属性魔法で全身こざっぱりしてから世界を渡ったのだ。もしこれが世界中に散らばれば、たとえ俺達の力を持ってしても拡散は止められない。どう足掻こうともこの世界の生態系は文字通りの崩壊を辿るだろう。

 

すると、この茂みの向こうからキンジと雪花、それからもう1人誰だか知らない奴の気配を感じる。きっとこれがラプンツェルなのだろう。どうにも人間とも違う、けれどもレクテイアで感じた、あの森にいた()()とも少し違う気配だ。

 

ま、そういう細かい話は俺の専門じゃあない。実際に行って確かめるだけだ。この時点で向こうが人間とは少し違うとは分かっていれば警戒のレベルも上げられるからな。俺にとってはそれで充分なのだ。

 

そしてこの先からは戦闘音が聞こえる。アリアもそれを聞き取ったようで、瞳に警戒の色と……キンジを心配する色が宿っていた。

 

まず俺が先頭に立って赤い花をポツポツと咲かせた茨の茂みをナイフで切って進む。どうにも足元は少しだけ踏み均された後があり、きっとここをキンジと雪花も歩いたのだろうと思わせた。

 

そしてその奥から感じるのは人から外れた気配。さっきよりもそれが濃くなっている。どうにもさっき感じたラプンツェルの気配とは違う。もっと、あの森の社にいたアイツに近い気配だ。

 

そして、奥では植物が蠢き、ビュンビュンバチバチと音を鳴らしている。それはまるで、撓る鞭で人の身体を打つような音で、それに打たれている奴らを思えば一気にこの場を駆け抜けたくなる。そして、俺がそう思うということはコイツはその気持ちをもっと強く持っているということで───

 

「キンジっ!!」

 

と、俺を押し退けてアリアが駆け出した。俺はアリアの頭の上を飛び越えて、駆けるアリアを再び追い越すように再び先頭に立つ。向こうがどうなっているのか知らないが、たかが人間程度の身体のアリアを先に行かせるのは危険だ。しかも今コイツはキンジのことで頭がいっぱいで、周りが見えなくなっているだろうからな。

 

「───アリア!!」

 

「よう」

 

どうやらHSSらしいキンジは俺のことなんて視界に入っていないかのようだ。それにしても雪花と2人、随分とまぁボロボロだな。ウネウネと動く植物共に酷くやられたらしい。

 

「神代天人か」

 

そして、俺達の乱入を見たラプンツェルがそう呟いた。だが俺の右目に映る奴の魂は人のそれではない。だからと言ってエヒトの持っていたあれほど薄汚れてもいないが。

 

「お前がラプンツェルかい」

 

「そうだとも。そして今はクロリシア───レクテイアの神が1柱でもある」

 

と、ラプンツェルもといクロリシアが大仰に両手を広げて自己紹介。

 

「そうだ神代天人。君も我々と共に終わらぬ戦争を始めようではないか。異世界の神との戦いだ。私は知っているぞ、君が異世界での戦いの果てに更なる進化を遂げたことを。レクテイアの神々との戦いはきっと君をもっともっと強くなれるぞ」

 

なるほど。どうやらこのラプンツェル(クロリシア)さんは俺に対して大きな勘違いをしているようだな。それは、正しておかないと今後が面倒臭そうだ。今だってアリアやキンジ、雪花が俺のことを滅茶苦茶睨んでるんだからな。

 

「嫌だね。……俺ぁもう戦いとかどうでもいいんだよ。俺が欲しいのは力でも進化でもねぇんだ。俺ん欲しい世界は戦争じゃ手に入らねぇ。むしろお前は……俺の欲しい世界にゃ邪魔なんだよ」

 

俺はその言葉の間に着ていた防弾ジャケットとワイシャツを宝物庫に仕舞って上半身に纏う衣類は黒のタンクトップだけになる。そしてとある魔法を発動。俺の中にある()()()()()を呼び起こす。

 

「キンジぃ……コイツぁ俺がやっていいか?」

 

キンジと、それから雪花からはHSSの強い気配を感じる。だからもしかしたらコイツは俺が手を出さなくても勝てるのかもしれない。けれど俺としては()()を試しておきたいし、何よりラプンツェルは俺にとって邪魔者なのだ。出来るなら自分の手で潰してしまいたい。

 

「いや、俺と雪花だけで充分だよ。だから、天人は雪花と、それからアリアを守ってほしい」

 

俺の腕が()()()で覆われ始めたのを見てキンジはそう指示した。ま、一応今回の依頼主はコイツらだからな。仕方ない、従ってやるか。

 

「……あいよ。じゃあしっかり決めてこい」

 

バキバキ……と、俺の両腕はもう完全に黒い竜鱗で覆われていた。それだけではない、背中や首、頭からも竜の鱗による鎧が現れて俺の身体をより強靭にしていく。

 

「何故だ……何故君達は戦争による人類進化を拒む!君達も時間を逆行させる者達なのか!?」

 

俺に勧誘を拒否されたラプンツェルは、俺達がNと同じ思想を持っているこのようなことを言い出しながら茨の鞭を振るった。それは途中で先端の速度が音速を越え───

 

 

───パァァァァァァン!!

 

 

と、破裂音を置き去りにしながら俺の首へと向かう。だが───

 

──バチィィィ!!──

 

それは黒竜の強靭な鱗に弾かれた。これは電磁加速された超音速の弾丸だって弾くんだ。その程度の攻撃が通るわけがない。

 

俺が今使っているのは変成魔法。それも、捕食者で入手、解析したティオの竜鱗を俺の身体に発現させているのだ。ちなみに鱗はティオから貰ったそれを、空間魔法を付与したザルで粉微塵にして水で喉から捕食者の中に押し込んだ。

 

そして俺は宝物庫からビット兵器を4機呼び出してキンジと雪花、アリアの周りに浮かべておく。ただでさえトータスの頑丈な鉱石によって作られたこれは表面に金剛の魔法を付与しているから並大抵の攻撃じゃあ貫けない。近代兵器であれば、対物ライフルの弾丸を至近距離から喰らっても平気なのだ。最悪空間遮断結界も張れるし。

 

「馬鹿言え。時間は前にしか進まねぇ。……戻せる奴は───」

 

いない、とは言えない。俺は知っているからだ。時を巻き戻す魔法も、時間の不可逆性に逆らう力も。

 

「───どんなに時を巻き戻したってなぁ、最後にゃ前に進むんだ。それによぉ、戦争なんて無きゃ無い方がいいに決まってんだろ。あんなもん無くたって人は前に進めるんだ」

 

振るわれる超音速の茨の鞭を竜鱗のブレードで切り落とし、棘を纏った拳大の大きさの種子のような砲弾を黒い鱗で覆われた裏拳で叩き落とす。何やら攻撃の準備をしているらしいキンジと雪花にも植物からの砲撃が迫るが、それは金剛を付与したビット兵器を盾にして弾き飛ばし、カウンター代わりに衝撃変換を付与した炸裂弾を放ち、リングのように俺達の周りを囲う植物共を薙ぎ倒していく。

 

そのうちに、足元から微震を感じるようになる。視界が共有されているビット兵器で見れば、どうやらキンジと雪花が貧乏揺すりを繰り返している。……あれは、ナイアガラの滝でキンジの父親が放った地震を起こす技かな。

 

そして、最初は震度2程度に感じられた揺れは直ぐ様大きくなっていく。震度4……5……その震源地はキンジと雪花。ここまで来れば微震なんてものじゃない、立派に地震だ。

 

「この……桜吹雪……っ!」

 

そしてその揺れは今、7になった。しかもこれの震源地は地表なのだ。感じる揺れの強さは普段日本にいて感じる揺れとは桁違いの大きさだ。実際、この氷の方舟はもう巨大な手で掴まれて外から揺すられているかのような揺れ方をしている。

 

「見忘れたとは!」

 

それだけじゃあない。どうやら雪花が起こしているらしいが、彼女を中心に同心円を描きながら幾輪もの炎の柱が吹き上がっているのだ。

 

そして───

 

「言わせないぞ!!」

 

 

───ドォォォォォォォンン!!!!

 

 

キンジが最後に左足で床を蹴る。その瞬間にさっきまで震度7程度だった揺れは、一気に倍くらいに増えたような勢いでこの氷の方舟を揺する。

 

そして、その揺れはこの舟に積まれていたあらゆるもの──玉座や樹木、果てにはこの舟そのものにもヒビが入り──全てを破壊していく。

 

巨大な岩盤や氷というものは外からの衝撃には強いが破壊するのは案外簡単で、穴を開けてそこに水圧などで内側から衝撃を放てば直ぐに割れてしまうのだ。

 

木は折れあらゆる物が散乱し、放たれた炎で轟々と燃え尽きていくこの空間で俺はふと思い出す。

 

今この舟は崩壊に向かっていて、流石にこれを止める程のパワーは、結局ここでも聖痕を封じられている俺には無い。そして、これを止められないと言うことは俺達はもれなく極寒の夜の海に投げ出されるというわけだ。

 

投げ出されたところで俺は特に問題は無いしキンジ達も自分らでどうにかするだろう。例え俺とキンジしか泳げなくたって雪花とアリア、ラプンツェルの3人程度ならどうにでもなる。だが上で俺に手錠を掛けられたあの女───サンドリヨンとかいう奴は、仮にある程度泳げたとしても両手を手錠で塞がれてしまっているのだ。あんなもん、こんな状況で放り出されたら数分で死んでしまう。

 

「あぁ、キンジ。俺ぁちょっと上に用がある。こっちは任せていいか?」

 

と、この巨大な方舟を内側から破壊するという離れ業を放った本人にそう確認をとる。するとキンジは「あ、あぁ」とだけ返してきた。雪花は「何の話だ?」って顔だがアリアは直ぐに俺の言っていることが分かったのかちょっと慌てた顔で「早く行け」と上階を指差していた。

 

「俺んことは気にしないで逃げていいからな」

 

俺もそれだけ言い残して上へ跳び上がる。落ちてくる木々などを足場に直ぐに上りきった俺は周りを見渡す。すると、ワタワタと両手を手錠で縛められたまま、器用にこの崩壊する方舟から逃げようとするサンドリヨンを見つけた。

 

「……流石にここで死なれたら9条破りになりそうだからな」

 

完全にこの方舟が沈む時間が近いのか、急に斜めになった床に滑って膝を強かに打ち付けて悶絶しているサンドリヨンを抱え上げる。

 

「あ、あの……っ!た、助けて……!」

 

「あぁ。死なねぇようには助けてやるよ」

 

左肩にサンドリヨンを乗せた俺は空いている右手を上に掲げ、既に変成魔法は解いて人間の形に戻っている俺の右手に召喚されたのは電磁加速式の対物ライフル。俺はそれに魔力を注ぎながら引き金を引く。

 

───ドパァッ!

 

何かを吐き出すような銃声を置き去りにして、赤い閃光が方舟の天井を貫く。

 

「口閉じてろよ、舌ぁ噛むぞ」

 

空まで通じる風穴を開けた俺は対物ライフルを宝物庫に仕舞いながら再び上に向けて跳び上がる。

 

そして崩壊する氷の方舟から少し距離を置いて水面近くに立った俺は当たりを見渡す。夜目の固有魔法で暗闇でもある程度視界の利く俺の目にはまずキンジとアリアがエアバッグにしがみつきながら脱出してきて、辺りを見渡したキンジが照明弾(スターシェル)を撃ったところが見えた。しかしアリアがキンジに思いっ切りしがみついているからキンジは少し動き辛そうだ。

 

どうやらキンジは雪花を探しているようだったが、俺の目には向こうからバシャバシャと不格好なバタ足でこちらに向かって泳いでくる雪花が見えている。それにしても随分と鈍い泳ぎだと思ったが、どうにもラプンツェルを抱えているようで、そりゃあ遅くもなるかと俺は1人溜息。

 

そして俺とサンドリヨン以外は皆揃ってズブ濡れで寒さに震えながらも、近くにある大きな流氷の上へと集まった。その頃にはアリアは何事もなかったかのようにキンジから1歩離れて澄まし顔。

 

「取り敢えずオルクスでこの氷を曳航して運んでくれ。ロシアに見つからないようにゆっくりな」

 

「はいはい。仰せのままに」

 

俺と、俺に担がれたサンドリヨンだけは寒い夜の海へのダイブを回避したもんだからキンジ達には大いに睨まれながらも俺は宝物庫からオルクス潜水艇を放り出し、そこにアリアが入り込んだ。

 

俺も全員にバスタオルを配りつつ後ろの席へと乗り込む。その頃になると地平線の向こうから太陽が昇る。その黄金の輝きは新たな日を迎えたこの瞬間、きっと大袈裟ではなく世界を救ったこの夜を祝福するように空と俺達を照らしていた。

 

 

 



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ノーチラスと聖痕

 

 

新しい朝を祝う大きな黄金の輝き……それにしても大きいな。新たな1日程度を祝うのに随分と張り切っている。……なんか、あの太陽いやに大きくないか?

 

と、昇ってきた太陽の大きさに疑問を抱いた俺はオルクス潜水艇の乗り込み口を開けて流氷の上へと舞い戻る。運転席にいたアリアも何事かとこちらによじ登ってきた。

 

いや……あれは太陽じゃあない。太陽と重なるようにもう1つの発光体が海中の極浅い所にいるんだ。証拠に、大きな太陽が2つに別れたかのようにもう1つの輝きが海の一部を輝かせながらこちらに向かってきている。距離は約2キロ、まだ俺の気配感知の範囲外だからそこに何がいるのかは分からない。人なのか、人ならざるものか。

 

だが俺にはそんなことは関係無い。相手が何であろうと俺の敵なら叩き潰す。それだけだ。

 

そうして次第に海面の輝きはハッキリと見えるようになってきた。そして───

 

 

───ズズズズズゥゥゥゥゥ……

 

 

と、海が持ち上がるようにして隆起し、そこから巨大な潜水艦が浮かび上がってきた。そう、()()()()()潜水艦だ。そんなトンチキな色をした潜水艦なんてそうそうあるものではないだろう。だいたい、あんな巨大な船体を覆うとしたらそれこそ数十トンの黄金では到底足りない。

 

「天人……あれは……」

 

戦いの後もアリアにしがみつかれていたからかHSSの気配が随分と濃いキンジが俺にそう呟く。分かってるよキンジ。いくら俺の頭が悪くてもアレが何だかなんて、見りゃあ直ぐに察しが付くってもんだ。

 

「ノーチラス……いや……」

 

そう。アリア曰くイギリス王室から170t程の金塊が盗まれて行方不明。そしてそれの行方は俺が羅針盤で突き止めた。それらは太平洋を潜航している潜水艦の外面にあると。

 

「やっと見つけたわ!本当に天人の言う通りね!」

 

俺は実物を見るまではどういうこと?って思ってたけどな。まぁ今見てもどういうこと?って感じだが。あんなトンチキな色した潜水艦、乗りたくねぇな……。

 

「隠し方こそ天人のおかげで判明したけど、犯人については元々あたしもメヌエットも、曾お爺様も……同じ推理をしたわ。───あれを盗んだのは、Nのモリアーティ教授だってね!」

 

すると、俺の後ろでサンドリヨンが何かに怯えるように蹲って唸り声を上げている。

 

「サンドリヨン、あの大型潜水艦。あれの詳細を知るなら言え!」

 

と、雪花が怯えながらノアを見やるサンドリヨンにそう強く訊ねる。

 

「う、うぅ……。あれは潜水艦ノア。元は中国の秦級弾道ミサイル搭載原潜(SBN)で、除籍及び退役時に中国政府が解体の委託の名目で教授に供出したものです」

 

と、サンドリヨンは雪花の迫力に負けたのか、それとも痛い目に遭うくらいならさっさと知ってることは吐いてしまう質なのか、直ぐ様ノアの出処をゲロった。

 

「さっきは時間が無いから聞かなかったけど、なんでモリアーティはイギリスから盗んだ黄金を艦に載せないで、あんな風にくっ付けたの?」

 

今度はアリアからの詰問だ。だがそれにはサンドリヨンは「知りません」と答えた。けれど、その顔は知っている顔だ。

 

「……質問に正直に答えろ」

 

と、俺は魂魄魔法によって擬似的に神言に近い効果をもたらすアーティファクトに魔力を流しつつサンドリヨンにそう迫る。あまり洗脳系の力は人目のあるところでは使いたくはないのだが、ユエがこの場にいない以上は俺がこれでやるしかない。

 

「……はい。Nでは黄金によって別の世界へと跳躍する手段を持っています。そして、あのノアは艦ごと別の世界へと跳ぶために外面に黄金を塗布しました」

 

魂魄魔法による縛りを受けて虚ろな目になりながら、サンドリヨンはアリアの質問に淀みなくそう答える。

 

「もしかしたらジャンヌから聞いてるかもだけど、アンタが倒したラスプーチナが現場に残した砂金と、アンタんとこにいるエンディミラが書いたメモから───純金を触媒にした時空を超える超々能力の実在は確認されたわ。あたしがアンタからジャンヌ借りて、白雪とかと神澱で調べたのは、その事よ。玉藻と伏見はその術を理論レベルでは知ってたわ。……跳金(チャオコン)って呼んでた」

 

ちなみに俺はジャンヌがアリア達と何を調べて、どんな結果だったかは聞いていない。ジャンヌからは「聞かないのか?」みたいな視線は貰ったけど「聞かないよ」とだけ返してそこで終わらせた。それは仕事の話で、例え俺達の間柄であっても守秘義務があることだし、何よりそこでジャンヌから情報を集めるのはフェアじゃないからな。

 

「いや、ジャンヌからは何も聞いてない。その術の話も初耳だ。ま、俺にゃどうだっていいことだけど」

 

態々純金を掻き集めにゃ跳べない程度なら俺の方が余程上だ。俺の越境鍵に至っては、リソースの許す限り時間すらある程度好きに跳び越えられるのだから。

 

「……あの潜水艦は、つまり玲の国への扉を開くものなのか?答えろ、サンドリヨン」

 

再びの雪花の詰問。それに対しサンドリヨンは───

 

「はい。ノアはレクテイアの海に抜ける艦なのです」

 

と、やはり虚ろな目のままそう答える。だがそこまで答えた時点でサンドリヨンの瞳には光が戻りつつあった。俺の魂魄魔法入りのアーティファクトじゃあまり長くは続かないな。まぁ、必要があればまた同じ手を使えばいいだけなんだけどね。

 

すると、サンドリヨンはまた急に怯えたように「ひっ……」と息を飲み、失神寸前の顔でノアの艦橋を凝視している。そちらを見やればそこには背の高い精悍な人物が立っていた。男に見ようと思えば男に見え、女に見ようとすれば女に見える、そんな不思議な風体の人物。旧式のイギリス海軍服とコートに包まれて堂々とした佇まいは、そいつがそれなりの修羅場をくぐり抜けてきたのだろうと想像させ、顔には幾多の苦難を乗り越えてきた苦行者のような超越感がある。

 

そして、遂に俺の右目に仕込まれた魂魄魔法がそいつの魂を視て捉えた。……どうにも、人かどうか怪しい、そんな魂をしているな、アイツは。多分アイツがモリアーティなのだろう。そして、俺の予想を裏付けるように足元のサンドリヨンが無線機に向かって何やら喚いていて、その相手を呼ぶ呼称はもれなく"教授"だった。

 

『君に会うのは、海が良いだろうと思っていた』

 

無線機越し特有の雑音の中でもはっきりと聞こえるその声。明瞭なイギリス英語(クイーンズ・イングリッシュ)は全身に初夏の風を浴びたかのような爽やかさで俺の耳を打ち据えた。そしてやはり、声も男か女か分からなかった。しかもそのセリフは俺達やサンドリヨンに対して向けられたものではないようだった。だが明らかに旧知の仲の誰かに宛てたもの。誰だ……?いや、心当たりはあるけど、まさかな……。

 

そして、状況はさらに動き続ける。時は止まらない。ただ前に進み続けるだけ。シャーロックの言う通りだった。今度はノア飲むかって左手500メートルほどの位置にある海面が盛り上がる。そして再び、巨大な黒い潜水艦がその姿を俺達の前に現したのだ。

 

『た、戦うなっ!天人!!』

 

排水もそこそこに、黒い艦橋へ上がってきた背の低い人物。その魂に俺は見覚えがある。そいつは、19世紀のフランスの海軍服を着たネモ。その声がサンドリヨンの通信機越しに届いたのだ。

 

「あれは何か!!知る限りを答えよ!」

 

と、俺のアーティファクトの使用も待たずに雪花はサンドリヨンを猫掴みで持ち上げながらそう訊ねる。

 

「ノーチラスですっ。インド政府が提督に……超アリハント級原潜・マハーバーラタを供出したもので……ぐ、ぐるじぃ……中国とインドはパンスペルミアの扉の革命に乗り遅れまいと……競い合ってNに協力していて……は、放じでぐだざぃぃぃ……」

 

俺は念の為羅針盤で教授の位置を割り出す。するとやはり、あの黄金に輝く潜水艦(ノア)の艦橋にいるのが教授だと、概念魔法の込められたアーティファクトは指し示した。

 

「ネモ、俺に戦うなって?……言ったろ、俺ぁお前らが俺ん前で犯罪を犯すってんなら捕まえるってなぁ。だから本当はお前には出てきてほしくなかったんだ。……けどもう遅ぇ、俺ぁやるぜ」

 

そして、これはアリア達からの依頼とは別件だ。こっから先、俺を縛る契約は無い。だから俺も、全力()()でやらせてもらうぞ。

 

「……来い、銀の腕」

 

俺の右腕が銀色の装甲を纏ったそれに置き換わる。背中からは3本のパイプ型スラスターが現れ、先端からチロチロと白い焔が噴き出している。神の魂すら燃やし尽くしたその力の奔出がもたらす痛みを俺は眉根を寄せることすらせずに押し殺す。

 

「天人……」

 

そういや、コイツらが俺の右腕を見るのは横浜でのブラドとの戦いの時以来か。しかもあの時だって俺は直ぐにジャンヌに預けていたリサの元へ飛んで行ったから、見えたのも一瞬だったからな。

 

そして、アリアが何やらネモの家系について喚き散らかしていると、さらに局面は動き出す。黄金に輝くノアと漆黒に佇むノーチラスの間の海が持ち上がる。しかし、今度のはノアやノーチラスと違って凹凸のある持ち上がり方だ。どうにも上甲板に色んな構造物があるらしいな。

 

しかもこちらを向いていたノアとノーチラスと違い、コイツは斜めに上がってきた。ちょうど、ノアとノーチラスとでNをえがくように。

 

「戦艦……?」

 

そう、それは戦艦だった。だが俺はそれがどこの何だか知らない。第一次とニ次の大戦、その時のどちらの雰囲気も感じ取れるんだが……。

 

「あれは大英帝国海軍、クヰーン・エリザベス級と認む。艦名は……自分には分からぬ」

 

「───地中海艦隊の、戦艦バーラムだ。我がドイツのU(ウー)ボートが撃沈したハズだが……」

 

俺とキンジ、アリアには分からなかったそれを、その戦争の時代を生きた2人───雪花とラプンツェルが目を見張りつつそう語る。

 

「……ナヴィガトリア」

 

それがあの戦艦の今の名前なのだろう。もう痛い目に遭うのはゴメンらしいサンドリヨンが聞かれてもないのに答えた。

 

「HMSバーラムを勝手に引き上げて使うなんて……言語道断だわ!」

 

どうやら元はイギリスの軍艦だと把握して、犬歯剥き出しで歯軋りしつつそう言ったアリア。だがそんなアリアとそしてキンジと雪花はその艦橋に出てきた1人の少女を見てハッと息を飲んだ。

 

「かなで……?」

 

かなでちゃんのお顔を俺は存じ上げないけれど、この寒さにも関わらずビキニで外に出てきたことだけは俺も驚いたよ。しかも、頭に何やら……旄牛(ヤク)のそれを太くしたみたいな角が生えているな。

 

『ルシフェリア、撃つな!彼らは友なのだ、必ずや私が説得する!だから───!!』

 

だから撃つなと言いたげなネモだが俺はもう戦う気満々だぞ。この状況で俺の目の前に現れたんだ。逮捕される覚悟くらいしているんだろう?

 

『今は緊急時だからその名を言う。彼女はルシフェリア・モリアーティ4世。レクテイアの───あぁ、よせっ!止すのだ、ルシフェリア!!』

 

どうやらあの少し小柄なビキニ女はモリアーティの曾孫らしい。あと何やらレクテイアがどうのとか言いかけてたな。もしかしてモリアーティはずっと前からレクテイアと交流があって、向こうの人ならざるものとの間に子を成したのかもしれないな。そうすりゃあの角も説明がつく。

 

そして、ルシフェリアは何やらワガママな無茶振りをその戦艦にいる奴らに下したらしい。ナヴィガトリアの全主砲、副砲の砲口───そこを塞いで浸水を防ぐハッチが舞台の幕が上がるように次々と開いていく。……撃つ気か?いいぜ、全部受け止めてやるよ。

 

あの氷の舟が健在の時は塞がれていた聖痕も、今や久々にその枷から解き放たれている。俺は魔素と、無限に湧き出るその力を合わせて氷の壁を生み出す準備を整えていく。だが、状況は更に混迷の極みへ渦を巻いて転がっていく。

 

 

───ズズズズズズズズズズ

 

 

俺達の背後で都度4度目の海鳴りが始まる。振り返れば2キロ後ろの海が盛り上がっている。海水を掻き分け、こちらへ向かってきながら第4の潜水艦が浮上してきたのだ。

 

()()を見たことがないらしい雪花と、Nの艦隊は3鑑だと知っているサンドリヨンは混乱の真っ只中。だが───

 

「俺ぁ知ってるよ」

 

「あたしもよ」

 

「俺もだ」

 

振り返り、俺とアリア、キンジがそれぞれそう告げる。俺達があの姿を忘れるわけがない。俺があれを忘れられるわけがない。あの潜水艦は俺が暮らし、俺が喧嘩のやり方を文字通り血反吐を吐いて学び、リサと愛を誓った潜水艦なのだ。だからあれを、俺が忘れるなんてことは有り得ない。

 

 

 

そう、あの潜水艦の名前は───

 

 

 

「「「イ・ウー」」」

 

 

 

俺達3人の声が重なる。キンジ達だってあの艦にはそれなりの思い出があるだろう。その思い出が、思い出として残したいものなのか戦いの記憶でしかないのか、それは本人達にしか分からないけれど。

 

そして、その漆黒の甲板の上に、自分が濡れるのもお構いなく上がってきた古めかしいスーツを着た男は背の高い美丈夫だった。ネモに撃たれて昏睡状態となり、目が覚めた途端にバチカンからその姿を忽然と消した男、シャーロック・ホームズ。

 

その整った顔には珍しく怒りの色が浮かんでいた。俺ですら見たことがない表情に、アリアも額に汗を浮かべていた。

 

「……キンジ、アリア。お前らはノアとナヴィガトリアを狙え。ノーチラスは……ネモは俺の手で逮捕する」

 

アリアの瞳は既に紅に光り始めていた。緋緋神のレーザー攻撃をどうやらアリアは使えるらしい。それは同じことが出来るネモへの牽制なのだろう。だがそんなもの、俺には要らない。そしてネモをお前達に任せる気はない。アイツは、アイツだけは俺がこの手で直接逮捕しなきゃならないのだから。

 

「……任せていいのね?」

 

「あぁ。ネモは俺が逮捕する。これだけはお前らには任せらんねぇ」

 

すると、海から微震が伝わってきた。どうやらシャーロックは先制攻撃でイ・ウーから魚雷でも発射したようだ。つまりはもう、戦いの火蓋は切って落とされたってことだ。

 

こちらには条理予知(コグニス)のシャーロック・ホームズ、不可能を可能にする男(エネイブル)の遠山キンジ、緋弾のアリア(アリア・ザ・スカーレット・アモン)神殺しの魔王(神代天人)。向こうにも同じく条理予知(コグニス)を上回るジェームズ・モリアーティ、可能を不可能にする女(ディスエネイブル)のネモ、モリアーティの曾孫であるルシフェリア・モリアーティがいる。それにどうせアイツらのことだ。俺がいると分かってて出てきてんだろうから、聖痕持ちだって後ろに控えてんだろ?しかも、公安0課みたいに自分らの仲間だけは聖痕が使えるような仕組みを持ってさ。

 

この戦い、何がどうなるかなんてのはもう誰にも分からねぇ。けどな、そんなことは俺にとっちゃ路傍の石ころ程にも関係が無いんだ。コイツらは俺の敵として俺の目の前に立ち塞がったんだ。だったら俺は、それを叩き潰すしかねぇだろうが。

 

 

 

───────────────

 

 

 

イ・ウーから放たれた魚雷の次に動いたのは俺だった。背中のスラスターを吹かし、ネモのいるノーチラスの黒い甲板まで飛び掛る。銀色の握り拳を構え、一息にネモの眼前まで飛び出した。

 

「……何故分かってくれない」

 

ネモの、その呟きと共に俺の銀の腕が消失した。同時に俺の中でプツリと繋がりが途切れる感覚。予想はできていた。俺の前に現れるのなら、聖痕を塞ぐ仕掛けがしてあるだろうことは。だから俺も無策で強引に飛び込んだわけじゃあない。重力操作のスキルを使ってそのままノーチラスの甲板……ネモの真横に着地する。

 

「分かってたさ。このくらいはな」

 

ネモの超々能力は俺には通じない。氷焔之皇(ルフス・クラウディウス)によってビームもシャーロックに使った反射技も全て俺の力に変換できるからだ。だからそれらは怖くない。

 

「あぁ、教授も全てを予知しておられた……」

 

俺の背後から人の気配と殺気が突き刺さる。そこに誰かがいるのは気配感知の固有魔法で分かっていた。そして殺気も抑え切れていないから直ぐに分かる。

 

ダンッ!と甲板を踏み抜く音に合わせて俺はその場でバック宙を切った。視界の端では赤いモヤのようなものが揺らめいていた。そして、逆さだった視界が元の上下を取り戻したその時、一瞬俺の視界が真っ黒に染められた───

 

「───ッ!?」

 

そしてその瞬間に光が煌めいて俺の身体を包んだ。今のは魂魄魔法と再生魔法により、俺の死を感知した瞬間に発動する死者蘇生のアーティファクトの光。つまり俺は今、確かに1度殺されたのだ。誰に?そんなもの考える必要なんてない。さっき俺に突撃して何やら見え辛い刃で斬りかかってきた奴の他に、もう1人聖痕持ちがいて、そいつが俺を殺したのだ。

 

「……っ」

 

俺の魂と肉体の蘇生が終わり、視界を取り戻した瞬間にノーチラスの甲板に着地。どうやら今この場にいるのはネモと聖痕持ちが2人。どんな力を使うのかは両者とも不明。しかも俺を殺した1人は姿がまだ見えないときている。

 

すると、俺に最初に斬り掛かってきた奴──よく見れば俺と同い年くらいの女だ──がもう一度俺に斬り掛かってくる。

 

相変わらずその刃は末端と思われる部分に赤いモヤがあるくらいで目で見るだけだと全貌がよく分からないのだが、どうにも細かく振動させて斬れ味を確保しているらしく、俺の持つ熱源感知の固有魔法がおおよその刀身を把握してくれるから助かっている。

 

ただ予想外なのはこの女の膂力だ。

 

明らかにコイツのこれは人間のそれではない。そんな次元は当に飛び越えてしまっていて、斬れ味は小技で誤魔化しているだけなのでどうにか俺のトータス製のトンファーであれば金剛の固有魔法と合わせて問題無く刃を凌げているのだが、奴の振るう刃を受け止めるにはこの俺(バケモノ)が全力を出さなければ押し負けそうになる程度のパワーがあるのだ。

 

だが着ている黒いスーツから分かるスタイルは華奢で、公安0課の獅堂のような筋肉の鎧を纏っているようには思えない。だからと言って、俺と同じ強化の聖痕を持っているにしてはパワーが弱い。

 

それに、この赤いモヤで微妙に不可視ではなくなっている刃も謎だ。聖痕の力は基本的に1人に1つ。稀に俺や彼方のような二重聖痕の奴もいるが、それだって能力はそれぞれ別々なのだ。1つの能力でできることは基本1つ。透華と彼方の透過のように()()()ことで様々な現象を起こせることはあるし、粒子の聖痕の男も様々なことができたが、それだって本質は1つ。透過は()()()こと、粒子はそれに色々な種類があったというだけ。

 

だがコイツはまず不可視の刃で1つ。人間離れした膂力でもう1つ。完全に別体系の力を2つ使っているのだ。俺は念の為氷焔之皇を当ててみているのだが、このどちらも俺の究極能力では凍結させられない。ならばコイツの力はこれらが出来る聖痕ということになる。

 

聖痕の力の出力を考えたらタネが分からないのは不安だが、ともかくコイツはこういう奴だと思って対処していく他なさそうだ。

 

で、問題はもう1人の方。ノーチラスがいくらデカい潜水艦だからと言って、お互いに甲板にいる以上は俺の気配感知の固有魔法からは逃れられない。コイツの聖痕も殺傷能力のある力みたいだから、殺気や気配を消されることもないだろう。

 

だから位置はだいたい把握できるのだが、何せコイツはコイツでどんな力を発現させるのかが相変わらず謎。今はその力で再び俺を殺そうとするでもなく、ただ構えているだけのようだがそれが逆に鬱陶しい。……先にアイツを潰しちまうか?

 

俺は氷の礫を向こうで隠れている奴の真下に作り出し、それを射出する。すると、鳩尾に入ったようで一瞬の呻き声と共に1人の人間が投げ出されてきた。俺はさらにもう1発、そいつを背中から氷の礫でこちらに吹き飛ばし、俺と切り結んでいた奴の間に突っ込ませる。

 

「うわっ……!」

 

それを察知して後ろに跳び退ったそいつは放っておく。まずは鳩尾と背中から肺を打たれて息の詰まっているこいつを捕まえておこうと、俺は宝物庫から聖痕持ち用の手錠を取り出し、1度は俺を殺したコイツの両手首に嵌める。見ればコイツも女で、どうやら日本人っぽいな。

 

「まず1人……」

 

いくら聖痕持ちとは言え、コイツもどうやら能力は持っていても体力は持ち合わせていないらしい。打ち上げられ、甲板に叩きつけられて、それだけでもう痛みにのたうち回る余裕すらないのだからきっと半分素人みたいなものだったのだろう。それに今は頼みの聖痕すら封じた。コイツはこれで終わり。あとはあの女だけだ。

 

「お前……っ!」

 

感じた殺気に俺が咄嗟に首を振れば、頬から血が1滴滴り落ちる。

 

見ればあの女は何やら腕を振り抜いた格好で止まっているから、何か力を飛ばして俺の顔面を刺し貫こうとしたのだろう。まったく物騒な奴だ。

 

さて、本当はこんな手を使わずに綺麗に決着をつけたかったのだけど、あの女は俺がさっき捕まえたアイツと仲が良いのだろう。今はもう俺を親の仇かのように睨んでいる。

 

「うるぁっ!」

 

そして、ダンッ!と甲板を蹴ったその女は凄まじい初速で俺に突っ込んできた。

 

───パァァァァァァン!!

 

と、超音速駆動独特の破裂音と共に振るわれるその刃を俺は金剛を発動させたトンファーで受け止める。俺はその瞬間に絶対零度を発動。コイツの脚を砕いて動きを止めようとする。だが───

 

「んっ!!」

 

バンッ!!とその女はノーモーションでその場から跳ね上がって俺の魔法を回避。俺の目には、その動きは縮地の固有魔法を使ったかのように映る。そして跳び上がったその女は俺の頭を真横に切り裂かんと熱で赤くモヤの掛かった不可視の刃を振るう。

 

だがその刃の軌道は奴の腕の振りと一致しているし刀身も今は約50センチ程だ。俺は上半身を後ろに逸らすだけでそれを躱すと、目の前の女に纏雷を撃ち込む。

 

バチバチバチッ!!という電撃特有の音と共に「きゃあ!」という女の叫び声。聞いていてあまり良い気分ではないけどそうも言っていられない。俺はオーバーヘッドキックのようにその場で後ろに回転しながらそいつを蹴りつける。その瞬間に足に伝わったのは肉を蹴る感触ではなく何やらもっと硬い……膜のような何かを蹴る感触。だが俺は力任せにその女を蹴り飛ばし、背中から甲板に着地。転がりながら立ち上がり、そして熱源感知の反応に従ってその場を跳び退る。

 

次の瞬間には俺が数瞬前までいた場所にいくつかの穴が開く。鋼鉄の甲板を貫く威力だ。俺の多重結界すら抜きかねないぞ……。

 

「マシロ、船のことは気にしなくていい!」

 

すると、さっきまで俺とコイツらの戦闘のどさくさに紛れて物陰に隠れていたネモがあの女にそんなことを呼び掛けた。だが俺を見るその瞳には薄く涙が浮かんでいて、まるで俺に"ここから逃げてくれ"と言っているかのようだった。なんでお前がそんな顔をするんだよ……それなら───

 

「っ!?」

 

───ゴウッ!!

 

それなら───その先を俺が思考することはできなかった。何故なら純粋な力の塊が俺の頭上を通り抜けていったからだ。それは純粋な聖痕の力そのものであり、本来俺達聖痕持ちそれぞれの肉体をフィルターにして様々な現象という形で世界に現れるはずのそれが、殆どそのまま放たれたのだ。咄嗟に這い蹲るように倒れ込まなきゃ俺の上半身は完全に消し飛んでいただろう。それも、死者蘇生のアーティファクトごと。

 

だが今の攻撃で何となくコイツの力が掴めたぞ。なるほど、コイツの聖痕は力をただ力のままに操るのか。この力の砲撃が1番分かり易かったが、あの不定形の刃も、マシロとか言うらしいあの女を覆っていた結界みたいな膜もそれか。

 

不可思議な膂力も、筋繊維や骨格、関節をその力で無理矢理に補強した結果なのだろう。その瞬発力に付いてこれる神経系すらも補強できると考えて良さそうだ。でなけりゃ流石に神の使徒レベルの身体駆動には目が追い付かない筈だからな。

 

けどそれで発揮出来る身体能力は俺の強化の聖痕程ではないな。根本的にその形で出力されている俺の力と違ってコイツのこれはそもそもが応用編。扱いが難しいんだ。

 

だから身体能力は今の俺と同じ程度までしか発揮できず、直線的なスピードはあの力を推力として発揮して補っているのか。

 

ま、もっとも今みたいな単純な砲撃の火力は流石聖痕の力だ。今のも射角をやや上に向けていなきゃどこまで破壊が広がってたか分かりゃしない。

 

さて、こっちも聖痕が使えればこういう奴は俺の敵ではないのだけれど、使えない以上はこの火力は厄介極まりない。何よりさっきの力を弾丸みたいに小刻みに発射するやつ。あれでもう1人の聖痕封じの手錠を破壊されると面倒だ。まずは捕まえたあの女の方からご退場願おうか。

 

と、俺は円月輪のアーティファクトを1組召喚。あの火力じゃビット兵器の金剛程度では盾にすらならないし、大盾のアーティファクトも同様だ。この空間を繋ぐ魔法を付与した円月輪であの馬鹿みたいな威力の砲撃は明後日の方向へと飛ばさせてもらうぞ。

 

そして更に追加で越境鍵も召喚。事情を説明している暇は無いがユエ達の元にこの女を飛ばしてしまおう。

 

と、俺が鍵で扉を開こうとした瞬間───

 

「うるぁっ!」

 

マシロが背中から力を推進力にして俺に飛び掛ってくる。しかもさっきまでとは桁違いの力を纏い、その手に集められた聖痕の力は俺の多重結界程度なら容易く打ち砕けそうな気配だ。だがな、異世界製のアーティファクトを舐めんなよ?

 

「───っ!?」

 

俺は目の前に空間魔法で繋がった円月輪を広げる。奴の視界にはもう片方の出口から見える海面が見えている筈だが、寸前で広げたからな。急停止は間に合わず、マシロは俺の背後でドッバァァァン!!と大きな音と水柱を上げながら海中へと突っ込んだ。

 

その隙に俺は越境鍵で扉を開き、家でのんびりとテレビを見ていたユエの目の前に現れる。

 

「……えっ」

 

「ユエ、この女の手錠は外すな。あと逃がさないでくれ」

 

急に扉が開いたかと思えば朝のオホーツク海の冷たい空気と潮風、更にいきなり俺が手錠を嵌められた見知らぬ女を投げ込んだことでユエはその大きな紅の瞳が零れ落ちんばかりに目を見開いている。

 

「じゃっ!」

 

海に突っ込んだ程度じゃ直ぐに浮上してくるからと俺は返事も聞かずに扉を閉める。その瞬間、俺の背後で再び水柱が上がりマシロが急浮上してきた。

 

「っのぉ!!」

 

さらに空中で肩甲骨あたりから力を噴出させての超音速の飛び蹴り。それを1歩横に躱して、脚が甲板を貫通して動きの止まったマシロにカウンターの膝蹴りを顔面に入れようとするが、マシロは右手からあの砲撃を放つ。

 

ゴウッ!!という音と共に放たれたそれを辛うじて身を捩り躱す。だが流石にこのゼロ距離で、しかも膝蹴りをキャンセルしてからでは完璧には躱しきれずに脇腹を少し抉られる。しかも粒子の聖痕の攻撃と違ってこっちは熱量で傷口が焼かれないから普通に出血がある。今はまだ致命傷じゃないし、俺にも治癒力変換の固有魔法があるからしばらくは大丈夫とは言え、このパワーを相手にあまりそっちにばかり魔力は回したくない。

 

ただでさえコイツを覆っている力のせいで絶対零度が効いていないんだ。魔力や魔素はなるべく攻撃に回したいし。

 

しかもこのままだと手錠を掛けようとしても聖痕を塞ぐ前に手錠ごとぶっ壊されるだろう。まずはコイツの意識を奪う!

 

俺が剛腕の固有魔法を使いながらマシロの顔面をぶん殴ろうとすると、マシロは背中から推力を放出して勢いよくその場から離脱。俺の拳は空振りに終わる。

 

そしてマシロは空中で体勢を整えると右手から、刃渡りで言えば1メートル程度の力の刃を形成。ズッッッバァァァァァン!!と空気の壁を突き破り、超音速で俺に突っ込んでくる。

 

ゴバァァァッ!!という爆音を轟かせて振るわれるその刃を俺は跳び退って躱し、勢いのまま空へと飛んでいったマシロ目掛けてこちらも超音速の氷の礫を放つ。

 

マシロを逃がさぬように奴の身体を全方位から打ち据えた氷の礫だが、あの力の鎧は相当に硬いようで、身体を丸めたマシロにはそれほどダメージが届いていない様子。逆に、力の放出を球体状に行うことでそれらを全て吹き飛ばされてしまう。

 

だがその一瞬の間に俺は対物ライフルを召喚、それが放つ超音速の弾丸を最大火力でマシロに叩き付ける。

 

───ドパァッ!

 

と、何かを吐き出すような発砲音を置き去りにした弾丸は、赤い閃光となってマシロに届いた。だが弾丸は貫通することもマシロの身体を粉々に砕くこともなくただ奴のバランスを崩すだけに終わる。やはりあの聖痕の力の鎧は硬い。分解の魔力による防御を使う神の使徒よりも硬いとなると、さてどうやって崩すかな……。

 

俺はマシロの真下に巨大な魔法陣を展開。そこからエヒト共との戦いで神山を叩き潰した氷の槍と同じくらいの大きさの槍を超音速で大量に射出。

 

巨大な質量を持つ物体が空気を切り裂き辺りから音が消えた。だが瞬光も使って知覚を拡大した俺には巨槍がマシロを強かに打ち据えているのが分かる。流石にこれだけの威力であればあの防御も多少は貫けるようで、掠めただけで神域の魔物ですら肉片となる魔槍を受けてなお人の形を保ってはいるが、それでも圧倒的な質量と速度の暴力によってマシロは錐揉みしながら打ち上げられた。

 

だがそれでもまだ気配感知の固有魔法はマシロには意識があることを伝えてくる。このままこれを続けてもそのうちまた出力を上げた全方位放射で槍ごと打ち払われるのがオチだ。

 

ならばと俺は槍の竜巻を収め、豪脚と縮地で一息にマシロとの距離を詰める。そして俺の聖痕を塞ぐこの船から大きく離すために蹴り飛ばそうとしたその時───

 

「───っ!?」

 

さっきまで意識はあるが全身を打ち据えるダメージでろくに動けなさそうなマシロの目がかっ開いて俺を見据えた。咄嗟に空力と縮地で身体を捻り、マシロの正面から身体を逸らしたその時───

 

 

───ゴッッッッッ!!

 

 

と、マシロの右手から破滅的なエネルギーの奔流が解き放たれた。それは俺の左腕の肘から先を消し飛ばし、空に浮く雲に風穴を空けた。

 

「っりゃあぁぁぁ!!」

 

更にマシロは俺の脇腹に蹴りを突き刺す。しかもその脚から聖痕の力が爆発し、俺をノーチラスの甲板へと超音速で叩きつけた。

 

「ぶっ……!!」

 

全身を金剛で覆った上で変成魔法による肉体の強化がなければ今頃俺は全身を粉々に砕かれていただろう。

 

「がっ……あ……ぶっ……あぁ……」

 

鋼鉄の甲板に全身がめり込んでいる。変成魔法による強化はギリ間に合ったが、龍鱗の鎧までは届かなかった。おかけで今の一撃を喰らった俺の身体はズタズタだ。いくらトータスで魔物を喰らって人外の強度を手に入れたところで聖痕の力にはそうそう敵うものではないし、あの威力で蹴り飛ばされてこの速度で鋼鉄に叩きつけられればそりゃあ身体中の骨が砕け、内臓も幾つか破裂しようものだ。

 

俺は宝物庫から取り出した神水を、痛みを訴える身体を無理矢理に魔力の直接操作で動かして飲み込む。そうすれば砕けた骨は直ちに修復を始め、破裂した内臓も姿を取り戻し、どうにか身体を動かせるようにはなった。

 

だが神水は欠損した四肢までは戻せない。俺の左腕はどこかで再び銀の腕(アガートラーム)を発現させるか再生魔法を使わなければならない。

 

けれどこの艦隊の近くでは聖痕は封じられているし再生魔法のアーティファクトを使う余裕をマシロは与えてくれないだろう。向こうも俺の槍で相当にダメージがたまっているようで、あの蹴りの直後に追い打ちを掛けてくることはなかった。だからそこ神水が間に合ったのだが、あのままもう一撃を喰らわせる余裕があったなら俺は再び殺されていた。

 

死者蘇生のアーティファクトはあるが、それが残るかは分からないし、残って、発動したとしてもその瞬間に再び殺し直される可能性もある。そうなればそのうち俺の魔力が尽きて俺は完全に死ぬだろう。

 

神水のおかげで左腕の失血は止まった。俺はややバランスの悪くなった身体を起こしてマシロを見上げる。

 

バキバキと、俺は全身に黒鱗を纏い始める。今はとにかく防御力を高めなければ、またいつ全身を砕かれるか知れたものじゃない。ただ分かったことは1つ。アイツを倒すにはトータスやリムルのいた世界の魔法じゃ駄目なようだ。やはり聖痕には聖痕(アガートラーム)をぶつけないと……。

 

俺は重力操作のスキルで浮き上がり、そのままノーチラスから離れるように空へと飛び出した。そうすればマシロは死に損ないの俺を逃がすまいと背中から聖痕の推力を噴き出して俺を追う。

 

だが俺だって一応は魔王の端くれ。重力操作のスキルと言えど超音速駆動が出来ないわけじゃあない。

 

ティオの龍鱗で身体をソニックブームから守りつつNの艦隊から離れる。だがマシロは俺を追って来ない。どうやらこの船の聖痕封じの範囲はそれほど広くはないらしい。

 

マシロは馬鹿みたいな火力の砲撃で俺を打ち落とそうとするがそれだけ。しかも───

 

「……」

 

無言でその矛先をキンジ達の方へ向ける。その上分かりやすく手の先には力が集まっていて、俺はその射線上に入らざるを得ない。

 

そして俺が目の前に現れるのを待ってから態々放たれた聖痕の力による砲撃。武偵法も遵守しなければならない俺は、眼前に空間魔法を付与した円月輪を召喚してその砲撃を直上の空へと逃がす。

 

アイツの力の鎧は確かに強力で、ただの物理攻撃であれば大概は弾けるのだろう。だが空間魔法はどうだ?それも、その力が存在する空間ごと削り取る魔法なんだ。物理的な強度なんて関係無いだろう?

 

と、俺は内側には転移の空間魔法を、刃には空間ごと削り取り目標を切り裂く空間魔法を付与した円月輪をマシロの背後から迫らせる。

 

「ギッ───!」

 

最悪真っ二つにして聖痕を塞いでから死者蘇生のアーティファクトで甦らせようとしたが、マシロはギリギリのところでこれを回避。だが脇腹を切り裂かれ鮮血が舞う。

 

致命傷には程遠いがようやく目に見えてダメージを受けたな。こっちはこれまでに全身砕かれたり内臓破裂させられたり散々だよ。

 

だがマシロはあの力で傷口を覆ったようで、出血そのものはすぐに止まってしまう。もっとも、怪我が治ったわけではないから動きは多少鈍るだろうが。更に俺はマシロの背後から氷の巨槍を放つ。超音速で大質量の物質を叩きつけられたマシロがこちらに吹っ飛んでくる。だが一瞬の後には力の鎧を固めて槍を弾く。それでも完全に意識は逸らせた。マシロの意識が俺と自分の背後にいったその隙に、俺は広げた円月輪で上からその輪の中心を潜らせるように通した。当然それには転移の空感魔法が発動させられていて、その出口の先は、俺の背後200メートル向こうなのだ。

 

そして俺は反転しつつ超音速飛行で一息にマシロの眼前へと迫る。そこでようやく俺の欲しかった感覚……セカイとの繋がりを感じられるようになった。だがマシロの判断は素人のそれとは思えない早さで、俺の背後に飛ばされた瞬間にはその右手を俺に向けていた。

 

「消し飛べ!」

 

そして放たれる圧倒的な破壊。純粋な力そのもの故にその火力は絶大。いくら俺の身体が頑丈に作られていて、その上変成魔法でティオの黒い鱗を纏っていたとしても一瞬の抵抗も許されないだろう。

 

けれど、ここにはもう俺を縛るものは何もない。俺とセカイは再び繋がったんだからな。

 

 

───来い!銀の腕!

 

 

───ゴウッ!!

 

 

と、轟音が俺達を包む。力の奔流に対してぶつけられたのは銀色に輝く俺の右腕。その手の甲が開き、無色のまま放たれた力そのものを吸収していく。

 

 

──銀の腕・煌星(アガートラーム・セイリオス)──

 

 

背中のパイプ型スラスターは円環に、腰にはスカートアーマーが現れ、そして両腕は銀色の腕へと変わる。

 

更に背中の円環には白い焔の翼が3枚。さぁマシロ、これで俺も聖痕を発現させられたぞ。

 

「ぐっ……」

 

俺の聖痕のことは知っているのだろう。マシロは悔しげに顔を歪めた。けどもう(おせ)ぇ。強化の聖痕も引き出したんだからな、こっからは力技でも負けねぇよ。

 

俺は一瞬で肉薄するとマシロの鳩尾に拳を叩き込む。銀の腕が聖痕の鎧を貫き、マシロの肉体に俺の膂力を届かせた。

 

「ごっ───」

 

内側からも聖痕の力で補強しているんだろうが、俺の膂力は人のそれを遥かに上回る。マシロとやらの聖痕はそもそもがただ力を力のまま放つ聖痕なのだ。内側からの人体の補強なんて綿密な力の制御を求められるそれは、ただの保険程度でしかない。そして俺の腕力じゃ、そんなものは無いのと一緒だぜ。

 

俺の打撃を受けて悶絶するマシロ。更に俺は右裏拳でマシロの顎を打ち据える。普段聖痕の力による防御に頼っていたマシロはそれで脳震盪を起こしたようにカクンと全身から力が抜けた。

 

「っと……」

 

海中へと落ちそうになったマシロを受け止め、俺は取り出した聖痕用の手錠をマシロの両手に嵌めた。

 

「はぁ……」

 

久々の聖痕を全力で開いての戦闘。それに加えて全身の骨をバキバキに砕かれたダメージ。怪我は神水で治ったがどうにも疲労感が凄まじい。

 

俺は越境鍵で再び家への扉を開くと、胡乱気な目をしたユエの元へとマシロを放り投げる。

 

「また頼むよ。コイツも手錠外さないでな」

 

と、それだけ残して俺はまた扉を閉じた。扉を閉じる直前、ユエは何かを言いたげに口を開いたのだが、その美しい花弁が何か具体的な音を発する前に俺は繋がりを切ったのだった。

 

何せまだ俺にはやらなくちゃいけないことが残っている。ネモと、それからモリアーティを逮捕しなけりゃならないんだからな。

 

 

 



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潜水艦隊VS魔王

 

 

シャーロックは自ら指揮する伊・Uの垂直発射システム(VLS)のハッチを8門開かせ、直ぐ様そこから対艦巡航ミサイルを放ちやがった。

 

「───トマホークね……」

 

アリアがそう呟いた。そしてその通り、あれはタクティカル・トマホーク。アメリカの軍需メーカーの開発した第4世代のトマホークだ。シャーロックの野郎、東西問わずに好き勝手に兵器を搭載しやがって……。

 

そしてネモが乗るノーチラスからは魚雷迎撃魚雷(シースパイダー)個艦防空用ミサイル(シースパロー)が放たれる。

 

で、イ・ウーから放たれたトマホークはトマホークで、一部がフレアとチャフを搭載しているらしく、ノーチラスの迎撃システムを欺瞞しようとしている。

 

そんな海戦を、俺は一旦戻った流氷の上でキンジ達と眺めている。

 

本当はさっさとネモを捕まえたかったのだが、シャーロックの野郎が先制攻撃で魚雷を放ちやがったのだ。

 

しかもマシロとかいう奴と俺が戦っている間にも更に追加で魚雷を打っている上に、ネモはネモでそれの迎撃指揮を執るために艦内に戻っちゃったしで、キンジ達の保護も兼ねて戻らざるを得なかったのだ。俺が留守にしている間に下手にノアやノーチラスの主砲や副砲でコイツらを攻撃されても困るしな。

 

本格的なそれは俺とマシロの決着を待ってから始められたらしいこの海戦。それ自体にはそれ程の興味もなく俺はただそれを眺めている。と言うか、あの天才(バカ)共が周りの被害を欠片も鑑みないせいでこっちに大津波が迫ってんだよ。

 

魚雷の爆発が、冬の海の海水を流氷混じりの高波に変えて俺達に襲い掛かる。そしておそらくシャーロックは俺がここに戻ることを想定して魚雷や巡航ミサイルでの戦いを始めやがったんだ。

 

しかも間の悪いことにNの艦隊から離れたにも関わらず俺とセカイの繋がりが途切れる感覚。Nの艦隊のどれかが聖痕を封じるエリアを広げたんだろうよ。まったく、どいつもこいつもこんなんばっかりかよ。

 

「そこぉ動くなよ!!」

 

俺はキンジ達にそう叫んで元素魔法による氷の笠を展開。流線型に俺達の乗る流氷を覆い、襲い掛かる大瀑布を周りの海へと受け流す形だ。

 

いくら俺が魔王と言えど、総重量なんて考えたくもない莫大な量の海水と流氷を受け止める氷の壁を生み出すためにはこれまたとんでもない量の魔素が必要で、そして数の暴力の権化を受け止め、笠を虚空に維持するためにもそれなりの魔素量が持っていかれる。

 

だが俺は魔素をガリガリと持っていかれる倦怠感なんかおくびにも出してやらない。特にシャーロックにそんな顔を見せてやるもんか。俺はこんなもんには負けねぇんだよ。

 

 

───ドドドドドドゴゴゴドドゴゴゴゴゴッッ!!

 

 

と、莫大な量の海水と流氷が、俺の生み出した氷の傘にぶつかり、それだけで圧力すら感じる程の轟音を立てた。それを見てサンドリヨンは腰を抜かし、キンジやアリア、雪花、ラプンツェルも呆然とそれを眺めていた。

 

けれどもそれは長くは続かない。やがてそんな暴力も終わりを迎えると俺は氷の傘を砕いた。

 

「……怪我ぁねぇな?」

 

「あ、あぁ……」

 

見ればまぁ全員無事そうだ。ビックリして腰抜かしたサンドリヨンだけはすっ転んでケツを氷にぶつけたみたいで、痛みにそこを摩っていたけどその程度。

 

だが戦いはここからだ。シャーロックの指揮する伊・Uから放たれたトマホークの波がどんどんとナヴィガトリアに襲い掛かり、それを射撃管制システム(FCS)を載せているらしい対空砲火でナヴィガトリアが迎撃していく。なんだあれ、戦艦が潜水艦になったりイージス化したりしてんのか。

 

そして、何やら俺達の方へとパラパラと大小の氷が降り注いでいる。これは……ナヴィガトリアが放った榴弾で砕けた氷山空母の破片か。

 

シャーロックからだけでなく武偵高でも教わったけど、自分の近くの木やガラスに敵の銃弾が当たると破片が飛んでくるから気を付けろって言うのは有名な話。そしてこれはそれの艦砲版だ。しかも跳ね飛んでくる破片は小さな木片やガラス片などではなく、下手したら成人男性の拳よりも大きな氷の礫なのだ。

 

「まったくどいつもこいつも……」

 

ちょっと大きい破片なんかが当たれば、当たり所が悪いと俺以外の奴ら致命傷になりかねないぞ。

 

「固まれ!!」

 

そう叫んだ俺は再び氷の傘を展開。ただし、今回のそれはそこまで規模は大きくない。今回の暴威はさっきの大津波と違って、この流氷丸ごとを飲み込むようなものじゃあない。俺達だけを覆うような氷に次々と氷山の破片がぶつかり大きな音を立てる。だが足元の流氷と違って俺の生み出したこれに亀裂やクレーターのできる様子は無い。そんなヤワに作ってないしな。

 

文字通り雨霰(あめあられ)と降り注ぐ致命の氷を受け止める氷の傘。だがその波も一旦落ち着き、ようやく自然の氷と魔素の氷のぶつかる音が鳴り止み、俺はまた氷の傘を砕く。

 

夜の明けた太陽に輝くハズの朝の空ではフレアとチャフが炎の輝きを放ち、爆炎と砲撃が黒雲を空に巻き上げ、海に落ちた莫大な海水が跳ね上がり白い水蒸気が辺りに漂っていて、それらが三重に渦を巻いていた。

 

俺も大概人智を超えた力を持っていると思っていたけれど、やはり人類が他の人間に抱く殺意と悪意と敵意が生み出した兵器と比べたら俺1人が持っている力なんて本当にちっぽけなものだと思う。俺がいくら頑張ったってこんな風な空模様は生み出せないだろう。俺はトータスじゃあ山を1つ消し飛ばしたりもしたけど、そんなものはきっとこの世界の技術でもやろうと思えば出来る。それはこの赫く爛れた空を見ればよく分かる。

 

まったく嫌になるね。こんな風に戦って戦って……俺はいつまで戦い続けるんだろうか。それとも、モリアーティを逮捕してしまえば全て終わるのか?

 

だが、俺はどうしてもそうは思えなかった。アイツらは組織だ。それも、一枚岩ではないと言ったってどうやらイ・ウーよりも纏まりのある組織みたいだし、ここでモリアーティを逮捕しただけじゃきっと終わらない。Nは活動を止めることなく、この世界の時代を巻き戻し続けるだろう。そしていつか"神"をこの世界に据えて、この世界そのものを作り替えるのだ。

 

別に世界が多少変わろうとも俺にとってはどうだっていいことだ。そもそも、Nの───ネモの目指す社会はきっと俺や俺の家族達みたいに人の枠から外れている奴らにとって今よりは多少生きやすい世界だろうから。けれど、コイツらはその世界を作るためには犠牲もやむ無しなんていう思考回路をしていて、実際世界各地でテロ行為を起こしているのだ。そんなことを許した上で成り立つ世界なんて、俺や……俺の家族は受け入れられない。何よりも神様なんてものを俺達は信用していない。しかも人の手に拠って据えられた神様なんて、信用に値する訳がない。

 

だから俺達はネモの最終目標そのものこそ応援したいけど、そのやり方には賛同できないから友達って形に落ち着いたんだ。

 

そして俺の思考はそこで止まらざるを得ない。何せ、イ・ウーの放つ攻撃に対する防御を全てネモの指揮するノーチラスに任せて、ノアとナヴィガトリアが持つ主砲と副砲の砲門が全てこちらを向いたからだ。人間が丸々入るようなサイズの砲門から放たれる砲弾を受けたら、それこそ人間なんて影も形も残らねぇぞ。

 

そしてアイツらの狙いはキンジやアリアじゃない。俺だ。キンジ達を狙っている()で、俺をこの場に留めることが奴らの狙い。けどよぉ、俺がそんな手に乗ってやると思ったのかよ。

 

重力操作のスキルでフワリと浮かび上がり、俺がキンジ達の乗る流氷を氷の笠で3度覆ったのと、ノアとナヴィガトリアが死の引き金を引いたのがほぼ同時。

 

俺はその破滅的な炎が見えた瞬間には宝物庫から電磁加速式ガトリング砲を2門召喚。6×2の12門の銃口が唸りを上げて回り出す。そして、異世界製の死神の鎌と科学技術の粋を集めた地獄の使者が北の海の上でぶつかり合った。

 

そこに音は無かった。紅い閃光と火線が衝突し煌びやかに砕け散る。爆炎が煙と共に俺を焼こうと迫るがそんなもの、熱変動無効を纏っている俺には何の痛痒も与えはしなかった。

 

「……アリア」

 

円月輪で傘の中と外を繋いだ俺はガトリング砲の斉射を止めて傘の中へと戻った。

 

「何よ……」

 

真上で行われた爆炎と閃光の応酬に呆気に取られていたらしいアリアがらしくもなく小さく答えた。

 

「モリアーティはシャーロックがやりたいだろうからアイツに譲ってやる。けどナヴィガトリアも潰さなきゃこの傘は解いてやれねぇ。だから俺が向こうを潰す」

 

でなければ向こうの弾薬が尽きるまで俺達はここに押し留められてしまう。俺の魔素が尽きるのが先か、向こうの弾薬が尽きるのが先か。比べっこをしてやるほど暇じゃあない。そして問題は、神水では魔素は回復しないことにある。

 

今もあの2隻が放つ火線によって俺の魔素はどんどんと削られていく。リムルじゃないんだ。聖痕の力を抜きにした俺の魔素の量は覚醒魔王としては平均よりもやや低い数値に落ち着く。それでもあっちの世界の基準であってもとんでもない量だし、実際1人で戦艦2隻の全門斉射を受け止めている時点でとっくに人間なんて辞めている。

 

だからってこの均衡を永遠に保っていられるほどの魔素はもうない。マシロとの戦いでも多少減らされているのもあって、この減り方でいけば1時間程度しか耐えられないだろう。さてさて、向こうはどれ程の弾薬を積んでいるのかな。そして、この1時間という数字はあくまでも向こうに隠し球が無かった場合に限る。もし向こうにもう1人聖痕持ちがいたら、きっと耐えられないぞ。

 

「……これは、耐え切れるのか?」

 

「あぁ。あと1時間はこの雨に晒されても穴ぁ空かねぇよ」

 

不安そうなキンジに俺はそう答えてやる。

 

「天人、アンタならあたしとキンジをネモの船に乗せられるんじゃない?」

 

さっさとあのウザったいナヴィガトリアを抑えてしまおうとした俺にアリアがそう問いかける。

 

「出来ると思うよ。まぁ、やらないけど」

 

「なんでよ!!」

 

「……これは俺んワガママだよ。ネモを逮捕するのは俺じゃなきゃ嫌だ。お前らにやらせたくないってだけ」

 

犬歯剥き出しのアリアに俺はそう答えた。本当の本当に個人的な理由。ネモに手錠を嵌めるのは俺じゃなきゃ嫌なんだという我儘。だが2隻の潜水艦からの斉射を俺が1人で受け止めている今のこの状況は、それを押し通せるだけの条件が揃っていた。

 

「じゃ、そういうことで。……安心しろよ、ちゃあんとお前らは守ってやる」

 

俺は円月輪のゲートを潜って氷の傘から出ていく。勿論背中を氷で囲ってアリア達が押し通れないようにしながらな。

 

そうして再び戦禍の中に飛び出した俺は、手に電磁加速式のサブマシンガンとアーティファクトのトンファーを持って重力操作のスキルで空へと浮かび上がった。

 

当然俺の元には火線が集中する。だがそれを電磁加速された異世界製の弾丸で撃ち払う。そして砲撃の間を縫うように重力操作のスキルでナヴィガトリアへと接近を試みる。

 

そんな俺を、それでも撃ち落とそうとしてか、30mm8連装機銃、12.7mm4連装機銃、10.2cm連装高角砲、副砲のマークⅡ単装速射砲───とにかく俺を狙える位置にあるものが片っ端から火を吹いている。だがナヴィガトリアは元々は戦艦バーラム───大戦時代のものだ。現代のファランクス(CIWS)のような速射性は無いし、あったところで瞬光を発動させた俺なら躱しきれる。だがナヴィガトリアは更なる攻撃手段として、主砲のマークⅠ連装砲を俺に向けてきた。

 

戦艦の主砲───それもこれから放たれたのはマークXⅦbと言う196キロの火薬で放つ879キロの徹甲弾。そんな化け物みたいな徹甲弾は本来はもっと大きく動きの鈍い的に目掛けて放つもの。人間サイズの小さく小刻みに動くターゲットなんて当てられようもない。もちろん俺はそれを躱す……までまもなく遠くへ外れて飛んでいったのだが、マッハ2で飛ぶあの質量の物体が生み出す衝撃波は甚大。

 

所詮は自分にかかる重力を操っているだけの俺は思わずその風圧に流される───のだがそれを利用して弾幕を抜けつつさらにナヴィガトリアに接近。近付けば近付くほどに分厚くなる弾幕に、俺は空力と縮地、豪脚をまとめて発動。一息に弾幕を抜けて超音速で艦橋上部───一本橋の信号桁へと突っ込んだ。いや、勿論直前で急ブレーキを掛けましたよ?でないとこの細い平均台みたいな信号桁が折れるし。

 

すると、カツカツとハイヒールの足音を響かせながらこちらへ上がってきたのは頭に角を生やし、チラリと見えたが鹿みたいな尻尾を生やした気の強そうなスタイルの良い女が1人───ルシフェリアだ。

 

下手なビキニ水着よりも露出の多い衣装を纏い、その顔はバッチリとメイクで決めてある。だがそれは言葉に表しようがない程に似合っていて、シアよりも露出している衣装はそれを着ているのが当然のように見えるし派手なメイクはしかしケバケバしさなんて微塵も感じさせない。彼女の持つ魅力を最大限に引き出すその化粧は完璧な黄金比を与えられた神の使徒とはまた違った美しさがあった。

 

背後でノアが潜水を始め、ノーチラスは撤退をしていく。おかげでガリガリ削られていた魔素にも多少の余裕が生まれる。その上、ルシフェリアが何やら手で指示を出すと直ぐにナヴィガトリアからの砲撃も止む。さらに、艦橋のドアを盾にしながら俺にアサルトライフル(FN SCAR)サブマシンガン(イングラムM10)グレネードランチャー(チャイナレイク)を向けて覗いていた人ならざるものの女達がそれらを引っ込めた。ただ彼女達の顔には、敵を見るのとは別の()()()が浮かんでいるようにも見えた……。だが、それらに俺が疑問を挟むまでもなく、ルシフェリアが蠱惑的な笑みを浮かべて俺を見る。

 

「───あの弾幕を抜け、我の艦に乗り込んでくるとは大した人間……いや、()()氷を見れば、もうそちはそんな器には収まらんかの」

 

随分と古臭い日本語を使う奴だ。誰に教わったんだよそれ。ま、頭に生えた角を見れば明らかに霊長類としての人間じゃあないから、案外長生きなのかもな。

 

「……んなこたぁどーだっていい。俺ぁただお前を逮捕しに来ただけだ」

 

1音1音艶があり、凛として澄んだその声に、俺はただぶっきらぼうにそう返した。お互いの距離は6メートル。拳銃の平均交戦距離だけど、はてさて、コイツに普通の拳銃が通用するのかな。

 

「報告によればそちはヒュドラ殺しを成し遂げ、ラスプーチナも討ったとか。例え聖痕を封じられていようと、ここでもレクテイアでもない別の世界の技をもって、我らが目指すこの世界への侵掠の妨げになるようじゃの」

 

「で、それを知って、あれを見て、それでも俺の前に出てくるお前は随分と自信家なんだな」

 

俺はわざとらしく懐から──そこから出したと見せかけて本当は宝物庫からだが──超能力者用の手錠を出して見せびらかす。これで今からお前を捕まえるのだと宣言するように。

 

「───敵から逃げるなど!ルシフェリアにはあってはならぬことよ!!」

 

けれどルシフェリアは今日日強襲科くらいでしか聞かないそんな敵前逃亡禁止の空気を出してきた。あっそ、まぁ逃げても捕まえるけどね。つーか、ルシフェリアってのは個人の名前と種族の名前のどっちでもあるんだな、面倒な奴だ。

 

「そちこそ知っておろう?ルシフェリアはそちの言葉ではルシファーと呼ばれておる。悪魔の最上級の名で、実際に我はそうなのじゃ」

 

悪魔って言われるとディアブロとか、リムルのとこにいた奴らが思い起こされるけど、ルシファー……俺がミュウにあげた生体ゴーレム軍団の中の1匹がそんな名前だった気がするな。あれ悪魔の名前だったのか。……なぜミュウはそんな名前を?

 

「……何か反応せい。それとも、凄すぎて言葉も出ないのかの?」

 

思わず押し黙ってしまった俺にルシフェリアがそんなことを言ってきた。あぁごめんね、全然別のこと考えてたわ。

 

「ルシファーとか何とか言われても知らん」

 

それ、娘のペットの名前です、とは言わないでおく。と言うか、コイツに"神代天人には娘がいる"なんて、下手したら弱味になるような情報は与えたくなかった。

 

「ふん、話に聞いてはいたが無知な奴じゃのう。……まぁよい、今降伏して我の靴を舐めるのなら殺さずにやってもよい。そちの身柄は……そちを恨む者───アスキュレピョスの姉妹達に渡せば良い下賜品になろう」

 

悪かったな頭悪くて。と、俺は降伏勧告に対してもそんな悪態しか頭に思いつかない。と言うか、コイツはやっぱり俺に勝てる前提で話すんだな。

 

「御託はいいよ、やるんなら相手になってやるから掛かってこい」

 

こういう相手は怒らせて冷静さを失わせてやろうと、敢えて俺は強い言葉でルシフェリアを煽る。だが、ルシフェリアは確かにカチンときたような顔をしたがそれも一瞬。直ぐに冷静な顔に戻って戦いの構えをとった。……案外落ち着きのある奴だな。

 

「野蛮で原始的な男なんぞが我に喧嘩を売るか。ならば望み通りこの場で八つ裂きにしてやるのじゃ」

 

そんなこと望んでねぇよ、なんて言ったところで聞いてくれなさそうだ。あと、顔には出さないだけで結構怒ってるのね。そりゃあ良かった。でなきゃ俺はただ無駄にイキっただけになっちゃうからな。

 

「…………」

 

ふっと息を吐いて無言を貫く俺に、ルシフェリアも何かを言い出すことはなかった。そして、対峙する俺達の間に一陣の風が駆け抜け、その際に靡いた髪の毛の質量の移動に合わせてルシフェリアが動いた。

 

助走無しの側転1発。その手裏剣のように回した手足の1巡で俺の眼前に迫るルシフェリア。確かに自信家だけあってそれなりに速い。けれどそこまで。この戦いが始まってからこっち、ずっと瞬光を使いっぱなしの俺の知覚で捉えられない速度じゃあない。

 

片手を支点に落ちてきた蹴りが2発。さらに手刀が1薙ぎ。それらを受け流すと今度は平拳2発からの飛び膝。俺がその膝を握力で受け止めるとルシフェリアはそこから何やら超能力のようなものを発しようとして───

 

「───っ!?」

 

───何も起こせないことに彼女は驚愕した。

 

俺にとっちゃ別に不思議なことじゃあない。ただ氷焔之皇でルシフェリアの持つ超能力の類を全て凍らせただけだからだ。

 

さらに掴まれた膝はそのままに左脚で俺の側頭部を狙った上段蹴りの、その蹴り足をそのまま掴みとる。その蹴りもさっきまでの3連撃2つと比べると威力なんて無いにも等しい。さっきまでの攻撃にも超能力的手段で何らかの補助を入れてたみたいだからな。そして、蹴り足を掴まれて驚愕に固まるルシフェリアの膝を押し、身体を回転させるように投げて信号桁の上にうつ伏せに叩きつけた。

 

ダァン!という音と共に落ちたルシフェリア。そこまで強く投げたわけじゃなかったけど、何故だかルシフェリアが動かなくなる。超能力やなんかは封じてあるし、今のコイツの物理攻撃なら俺には通らないので取り敢えず露出の激しいハーフバックから見える半ケツの上にピョコリと生えた短いシッポを引っ掴む。それも、ムギュっと音がしそうなくらい。すると───

 

「ぴゃあああああああんっ!?」

 

と、鳴き声……と言うより甲高い喘ぎ声がルシフェリアから発せられた。分厚い防圧ガラスの向こうからもレクテイアの女乗組員達がその分厚さを貫通するくらいの大声で何か叫んでいるし。……どうやら、ルシフェリアの尻尾を掴むのは割と不味い行為だったかもしれん。

 

だがそんな事情は後回しでいい、取り急ぎコイツは逮捕してしまおうと、尻尾から手を離して手錠を取り出すのだが、ルシフェリアが身体を丸めてまるで土下座みたいなポーズになってしまった。そして、声にならないくらいの音をワナワナと震えながら発し、顔を赤く染めて俺を睨み上げた。

 

「……なんだよ」

 

すると、ガガシュンッ!という音が断続的に響く。……これは、砲塔の防水隔壁が閉じる音だ。確かにこの船は俺とルシフェリアが戦い始める直前から潜水し始めてはいた。だがそれは、足場をどんどんと狭くしてルシフェリアをアシストでもしているのだと思っていた。けれどこれはもうそうじゃない。まだ艦長が外にいるんだぞ。どういうことだ……?

 

「カミシロタカト、急ぎ我の首を落とせ。皆がそれを見らるうちに、皆の前で。下劣な男などという異種族に負けることは、ルシフェリアにとってはあってはならぬこと。それを犯してしまった以上、我は潔い死に様でしか面目が立たぬ。艦が沈む前に、やれ」

 

面倒くさ……しかも周りを見れば窓の向こうからこっちを見ている奴らも騒ぎはしているけど、それは潜水をするかしないかじゃない、皆そんな覚悟はとっくに出来ていて、顔は介錯人のそれだ。なるほどね、このまま潜水すればルシフェリアは死ぬ。それがコイツにとっても1番良いとアイツらは思ってるんだ。

 

「早くやれ!」

 

「……嫌だね。そもそも俺ぁ法律で殺人を禁止されてる」

 

だから手ぇ出せ、と俺が手錠を見せながらそう催促すると、ルシフェリアはバッ!と動き出し俺から手錠を奪い取った。げっ……なんか降参した風なこと言ってたから油断した。で、俺がそれをもう一度奪い取ろうとすると───

 

「は……?」

 

ガチャガチャと、ルシフェリアは素早く片方の輪っかを自分の右手首に、もう片方の輪を柵に掛けてしまった。しかも、ナヴィガトリアの沈降速度はむしろ上がっていく。あぁもう……どこまでも面倒臭い奴だな。

 

「あっ……!?」

 

俺が絶対零度で手錠の掛けられた柵の一部を破壊したのを見てルシフェリアが声を上げる。本当はこの船は拿捕したかったんだが、もう結構潜水も進んでいるし、今更ルシフェリアが潜水を止めるように言ってくれるとも思えない。この船を制圧したところで俺には運転できないし、その間にこの死にたがりのルシフェリアに自害されたらたまったものじゃない。もうこうなったらナヴィガトリアは諦めてルシフェリアの身柄だけでも貰っておこう。

 

と、俺は殺せ殺せと抵抗するルシフェリアに手錠を掛けて抱え上げ、信号桁を蹴って空中に踊り出す。そしてそのまま重力操作のスキルでキンジ達のいる流氷に戻ろうとして───

 

「───っ!?」

 

背後から光が迫ってきた。あれは……聖痕の力!?

 

ルシフェリアごとを俺を抹殺しようとするその攻撃に、俺はルシフェリアを投げ捨てて自分も縮地の魔力爆発で一気に横へ逃げるように飛び退る。

 

「ひゃあ!?」

 

だが後ろから迫られたことで反応が遅れたせいもあり、右腕が二の腕の中程から持っていかれた。

 

だがそんなことを気にしている場合でもない。俺は直ぐにルシフェリアを左手で掴み直して飛行を続ける。そして時折やってくるノアからの追撃の度に、ルシフェリアを投げ捨てては拾いながら自分も縮地での急激な方向転換と魔素をたっぷり注ぎ込んだ氷の壁でそれを躱していく。

 

そして、俺が流氷に辿り着いた辺りで追撃が止む。そこで俺は氷の傘を解いて氷の上に座り込んだ。

 

「天人っ!!腕が───」

 

俺に駆け寄るキンジがそう叫ぶ。

 

「こんなもんかすり傷だから放っとけ。それよりルシフェリアの身柄は頼んだぞアリア」

 

俺は再生魔法のアーティファクトで失った右腕の時間を元に戻しながら立ち上がる。流氷に投げ捨てられたルシフェリアが何やら文句を垂れているが無視。右腕を取り戻し、さて次はネモだと向こうを睨むが───

 

「───あぁもう!」

 

再びの聖痕の力による砲撃。俺は空間魔法を付与した円月輪を展開し、その致命の一撃を真上に向けて逸らした。だがアイツらがあれを使う以上は俺はこの場から動けないぞ。まぁ、モリアーティの狙いはあの、俺でしか対処出来ない砲撃でもって俺をここにピン留めしておくことなんだろうけどな。

 

『流石だよ神代天人くん。ここまで君のために色々仕込んだのに、結局ルシフェリアくんは捕まってしまった』

 

キンジの持っている通信機からモリアーティの声が響いている。男の声に聞こうと思えば男に、女の声に聞こうと思えば女に聞こえるその不思議な声。

 

「うるせぇよ、それより、そろそろタイムリミットなんだろ?」

 

遠見の固有魔法で見れば、国後島の方からロシアの国境警備隊が誰何の信号を送ってきている。アイツらの報告次第じゃ国境軍が出てくるぞ。まさかこんなところでロシア軍と戦闘なんかやってられない。もうお互いに潮時だろうな。

 

と言う雰囲気を言葉に乗せながら俺はキンジとアリアにモリアーティを攻撃するよう、手話で指示を出す。それを見て頷いたキンジとアリア。そしてアリアがノアの方向を睨み、そのカメリアの瞳を緋色に輝かせ───

 

パァッ!とレーザーを放つ。そして俺もそれと同時に───

 

───ドパァッ!

 

と、何かを吐き出すような音を置き去りにした超音速の弾丸を放つ。アリアのレーザー攻撃と俺の電磁加速式対物ライフルの一撃。それらが生み出す二条の閃光はしかし───

 

「───ネモぉぉぉぉぉ!!」

 

ノアに辿り着く直前で真上へと方向を変えた。それを認めたアリアが悔しげに叫ぶ。どうやらネモが超能力でレーザーと弾丸の方向を捻じ曲げたようだ。そして、あの盾がある間はこれ以上の追撃は無理。氷焔之皇で潰してしまっても良いけど、向こうには聖痕の力を一時的に使える道具もあるみたいだし、下手に時間と手数を掛けてロシア軍に追い回されるのも面倒だ。ここらで引くしかないな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

意外と暴れずに大人しく黙り込んだルシフェリアを連れて俺達は関東へと戻ることにした。アリアが操縦するオルクスに流氷ごと曳航してもらって上陸した北海道は知床岬灯台で、諸星自動車の寄越した観光バスみたいな大きさのキャンピングカーに乗り、それに揺られて24時間近くが経った。その間はサービスエリアに寄りまくって北国のお土産を買い漁りながら飲み食いして、ようやく首都高の中環、王子出口を出た辺りでキンジの携帯が鳴る。相手はシャーロックのようだ。

 

そして、オンフックにした携帯から語られたのはモリアーティがサード・エンゲージを起こそうとする動機。だがそれは金でも名誉でもない。イデオロギーですらなく、ただの快楽だと言うのだ。

 

「……適当な所で止めてくれ」

 

それを聞いた俺は運転手にそう伝える。一刻も早くモリアーティを逮捕するためだ。だが───

 

「止めた方がいい。それでは君が無駄に死ぬだけだよ」

 

シャーロックにそれを止められる。俺の一言で俺が何をしようとしているのかを察したらしいな。

 

「君がいるのにも関わらずモリアーティ教授が君の目の前に現れた。それは彼が君への対策を完璧に立てているということだよ、天人くん。だから今君がモリアーティ教授の元へ乗り込んでも彼を逮捕することはできないだろう」

 

「だからって───」

 

「───落ち着きたまえよ君」

 

シャーロックの、聞いたことがないくらいに低く腹の底に響く声に俺は思わず押し黙った。

 

不可能を可能にする男(エネイブル)のキンジくん、可能を不可能にする女(ディスエネイブル)のネモくん。私の推理では、この2人が対になるはずだったんだ」

 

と、シャーロックは急にそんな話を持ち出した。それに対し、俺達は何も言えなかった。そうはならなかった今、返す言葉が見つからなかったからだ。

 

「だが現実はそうならなかった。ネモくんと親交を深めたのは天人くん、君だ。キンジくんは不可能を可能にし、ネモくんは可能を不可能にしてしまう。けれど君は可能を不可能にし、不可能を可能にもする、理不尽に気ままに条理を捻じ曲げる……正しく特異存在(イレギュラー)なのだ。端的に言えば、君は教授の書いた(ブック)を横から破り捨てることができるのだよ」

 

そんな理不尽の権化のような存在だからこそ、今のこの場で俺に死なれたら困るのだと、シャーロックは俺にそう言った。そして当然、作家のように振る舞うモリアーティにとって、折角書いた本を横から掻っ攫って破り捨ててしまう俺のような存在は、本のあらすじに変更の必要性をもたらすキンジ達以上に邪魔で警戒すべき対象であり、俺を消す機会を常に伺っているだろうと。そして、今俺が乗り込むことは彼が思い描く最も理想的なシナリオということらしい。

 

「けど、俺を殺したらユエ達が黙ってねぇぞ。多分、アイツらは俺がモリアーティ達に殺されようもんなら武偵法なんて無視してモリアーティを殺すぜ。当然Nも丸ごと潰す。それで、その後どうするかは俺にも分かんねぇけどよ……」

 

逆に、そうなるのなら俺はモリアーティに殺されてはならないのだ。アイツらにそんなことをさせてはならないと思うのなら、俺は確かに今この場はシャーロックの言うことに従って退くべきかもしれない。

 

「彼女達もまたこの世の条理には縛られない存在だから、私にも正確な推理は出来ないのだけどね。勿論モリアーティ教授は彼女達に対しても何らかの手立てを用意していることだろう。そして、ここまで言えば君はどうするべきか分かるはずだけどね」

 

「……分かったよ。取り敢えず今は退く。だがまた俺ん前に現れるんなら俺ぁ戦うぜ。罠だろうが何だろうが、そんなもんは全部ぶっ壊してやる」

 

俺がそう言うと、シャーロックは「今はそれでいいよ」とだけ返した。そして、今度はキンジがルシフェリアについての話題を切り出す。

 

そして、シャーロックによればルシフェリアは確かにモリアーティと遺伝的繋がりはあるようだがそれは薄いということ、そしてモリアーティにとってルシフェリアは最悪切り捨ててしまえる程度の存在だということが語られた。

 

そして、今のこの話をルシフェリアは聞いていない。彼女は今は寝ていて、意識がないことは俺の気配感知の固有魔法で把握しているからな。

 

さらにシャーロックは、俺達がルシフェリアをどうするかでこっちとレクテイアとの世界の間の趨勢に関わるが、何をどうしたらいいかは分からないから全部任せると言って、電話を切る。

 

雑に世界の命運を任された俺達の間には、無言の帳が降りるのであった。

 

 



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ルシフェリア・モリアーティ4世

 

 

帰ったら何故か雪花のユーチューブチャンネルでジャンヌがヨーデルを歌って炎上していた。あまりにも意味が分からないが事実がそうなのでそうとしか言いようがない。どうやらどんなに美人でも度を越した音痴だと炎上してしまうもののようだ。

 

て言うかジャンヌはレキに歌を教えてもらえ。レキくらい……とまでは言わなくても、まともに歌えてたら炎上ももう少し穏やかだったんじゃないの?

 

───という現実逃避をしたかったのだが──いや、ジャンヌは確かにヨーデルで炎上したが──そうは問屋が卸さない。俺が雑に投げ入れた女2人が聖痕持ちだということはユエ達は直ぐに勘着いていたし、そうなると俺が1人で聖痕持ちと戦ったということで……それはそれはユエ達からお冷たい視線を頂戴する羽目になっているのだ。

 

「……天人、正座」

 

何せこれが家に帰り、リビングの扉を開けた俺へのユエからの第一声だからな。当然座布団なんて上等なものは用意されていない。俺はもれなくフローリングの硬い床に膝をついた。レミアもミュウを抱えて俺を悲しげに見ているし、ジャンヌとエンディミラも呆れ顔。リサもハラハラと、心配そうな顔をしている。

 

「……あの2人はアリアの指示通りに引き渡した。それで、何か言うことは?」

 

ユエさんの目が冷たい。と言うか光を失っている。これはマズイですよ……っ。

 

「不測の事態だったんです」

 

俺もまさかあそこでモリアーティ達と一戦交えるは思っていなかったからな。これは本当の本当。

 

「でも、1人目を投げ入れた時点で私達を呼ぶことは出来ましたよね。少なくともユエさんの目の前に扉を開いたんですから」

 

これはシアから。ユエの前で正座する俺を見下ろすようにそう言った。それはまぁ、申し開きのしょうがないくらいに正しいですね。

 

「……はい」

 

「それで、ちゃんと無事なんじゃろうな?」

 

と、ティオが俺の背中からそんなことを尋ねてくる。無事かどうかは、見て分かるでしょう?

 

「……無事って言うのは、神水とか再生魔法とか、蘇生のアーティファクトを使ってないよね?ということ」

 

だが俺の言い訳は口から出る前にユエに潰される。そしてその紅色の美しい瞳は俺に嘘を許さない。だから───

 

「……1回は殺されたし神水も飲んだし腕は死んだ時以外で左右1回ずつ飛んだ」

 

だから俺は正直に話した。確かに今俺はこの場に五体満足で正座させられているけれど、その前に何度も死にかけて……いや、1度は本当に死んだのだ。ただ俺には死者蘇生のアーティファクトがあったから還ってこられただけで。

 

「……他は?」

 

「全身の粉砕骨折と幾つかの内臓破裂。細かくは数えてない」

 

と言うか普通の人間ならこれだけで何度か死んでるよね。これはただ単に俺の身体が化け物だったから死ななかっただけだ。そして、俺の負傷報告を聞いたユエ達は「はぁ」と大きく一息。

 

「……大丈夫?」

 

ペタペタと、ユエが俺の身体を触りながらそんなことを問う。俺はそれに「大丈夫だよ」とだけ返した。するとユエがヒシッと俺に抱きつく。リサやシア、レミアにジャンヌにエンディミラとティオも俺の左右や後ろからそれぞれ抱きつき、ミュウもよく分かっていないながら俺の頭に飛びついてきた。テテティとレテティはそれを眺めながら何ごとか頷いている。……それが1番気になるんだけど何?

 

「良かった……良かったよぉ……」

 

「ご主人様……よくご無事で……」

 

「もう……本当に心配したんですからね」

 

「無茶し過ぎなのじゃ……」

 

「私達はお前が呼ぶのならどこへだって向かうのに」

 

「天人……もうどこにも行かないで……」

 

「もうあなた1人の身体ではないんです……無理はしないで……」

 

7人もの女にしがみつかれ、頭にはミュウが乗っていて、俺はもう身動きが取れない。彼女達の柔らかさと香りに包まれて俺はふぅと息を1つ吐いた。

 

「大丈夫だよ。俺ぁどこにもいかないし、絶対にお前らを置いて死んだりしないよ。だから泣かないでくれ……」

 

聖痕の力がどれほど凄まじいのか知っているユエ達や、聖痕持ち同士の戦いを直に見たことのあるリサなんかはもう俺の制服に染みるくらいに泣いてしまっていた。

 

結局その日はずっと誰かが俺に順繰りに引っ付いて、夜は全員で雑魚寝をすることになった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

次の日、俺はアリアからお呼び出しを食らった。どうにもルシフェリアと上手く意思の疎通が取れないらしい。ちなみにルシフェリア、一応女同士ということでまずはアリアが身柄を預かることになったのだ。これもアイツが寝ている間に勝手に決めた。まぁいきなり起きて男の家とかルシフェリアも嫌だろうしな。アイツ、男のことだいぶ見下してたし。

 

で、昨日の今日なので当然ユエ達も着いていくと言い出したけど、これから行くのは女子寮のアリアの部屋で、会うのは超能力や魔術を封印された相手だから戦闘にもならないよと言って置いてきた。

 

アイツら連れてって話拗れんのも面倒だったのだが、随分と悲しげな顔をするもんだから振り切るのに大変な労力だった。主に精神的な。

 

だがユエ達をどうにか振り切って俺は女子寮のアリアの部屋までやった来た。チャイムを押して、扉を開けてくれたアリアに着いて部屋に上がるが、コイツの部屋スゲェ良い匂いがする……。アリアと同じ……いやまぁコイツの部屋なんだからこいつの匂いがして当然なんだけど、クチナシの甘い香りが凄いな。女所帯には慣れてるけど、この部屋にいると匂いだけでクラクラしそうだ。

 

で、そんな甘ったるい匂いに包まれた7SLLDKとかいう超絶広い───それこそホテルのスウィートルームみたいな部屋の南リビングにルシフェリアはいた。アリアが用意したのかあの水着みたいな衣装じゃなくて武偵高の女子制服を着ている。ご丁寧に尻尾の部分には穴を開けてそこから俺が引っ掴んだ尻尾がお見えだ。

 

聞いたところ、コイツはアリアからの尋問には殆ど答えず、ただ俺を連れてこいとしか言わないらしい。アリア的にはこいつを味方に付けてNの空中分解を狙いたいとのことだが……俺がそんなに仲良くできるかねぇ……。

 

「来たぞ、ルシフェリア」

 

取り敢えず後ろ──壁際──を向いて正座しているルシフェリアに俺がそう声を掛けると尻尾がピクリと反応した。どうやら意識はしているらしい。

 

「一応聞く。お前の名前はルシフェリアでいいんだな?」

 

名前は誰にでも答えられる質問とされている。だから分かりきったことでもこれを聞くことで相手の精神状態や記憶が混濁していないか等を図るのだ。

 

「そうじゃ。我の一族は皆ルシフェリアという。人間のように、個々の名前を持つのは下等種の証じゃ」

 

取り敢えず、会話は成立するな。随分とまぁ人間を見下してはいるけれど、アイツの持ってた超能力や魔術の類からすれば人間なんてそんなもんに思えても仕方ないのかもな。

 

「何故我が生きておる。情けをかけたのか?それとも大勢のヒトが見ている前で処刑し、ルシフェリア殺しの名誉を得ようというのか?」

 

なんかエンディミラもカナダの大使館で奴隷になるだのならないだのと言い合ってた時にはこんな感じだったよなぁと、俺はふと思い出していた。レクテイアの奴らはこんなんばっかなの?

 

「お前を殺さなかったのは、敵でも殺したら武偵法で俺まで死刑になる決まりだからだ」

 

て言うか、トータスで殺した魔人族の女と違って、コイツはもう俺達の脅威にはなり得ない。何せ超能力や魔術の類は全部凍らせたからな。ただの角の生えた女1人、怖がる理由なんてないのだ。

 

「───我が生きているということは我ら今だに決着つかずじゃ。さぁ、勝敗を決めようぞ」

 

「……アホか、勝負なんてもうついてんだよ。お前だって分かってんだろ?もうお前にゃ超能力も魔術も使えない。武器も力も無いお前じゃ俺にゃ勝てないよ」

 

俺がそう言えばルシフェリアはぐぬぬと唸るもののそれっきり黙り込む。あらゆる武器を奪われた自分と、体力もあり異能の力も存分に振るえる俺と、どっちが強いのかは火を見るより明らかだった。

 

「……あ、あれは油断しただけじゃ。それに本当は3回勝負じゃからな、ここからの我の華麗な逆転劇を見るがいい」

 

だが数秒の思案の後にルシフェリアはそんなことを言い出した。ルシフェリア族は潔く死ぬんじゃなかったのかよ。随分とまぁ諦めの悪い奴だ。もっとも、俺はそういうのは嫌いじゃない。最後の最期まで諦めないってのは良いことだと思うぜ。

 

「ルシフェリア。あんたここで暴れたら承知しないわよ」

 

と、ルシフェリアがやる気満々なのを見てかアリアが黒と銀のガバメントの銃口をルシフェリアに向ける。

 

「止めとけアリア。今はコイツとは戦うんじゃなくて話聞くんだろ?」

 

だが俺はそれを制し、ガバメントの銃口に自分の手を重ねる。すると武偵高基準のバカみたいに短いスカートで片膝立ちなんてしていたルシフェリアがキョトンとした顔で俺を見ている。

 

「今……そちは我を守ったのか……?何故じゃ……?」

 

そして、そんな分かりきったことをさも不思議そうに聞いてくる。

 

「何でって……捕虜の虐待は捕虜取締法で禁止されてるし、そもそも俺ぁお前と喧嘩しに来たんじゃない。話を聞きに来たんだ。銃なんて向けられてたら聞くもんも聞けねぇだろうが」

 

俺が溜息混じりにそう告げるとルシフェリアはその大きくクリクリとした瞳を丸くしたまま固まっている。アリアはアリアで間宮あかりに話があるとかで俺にルシフェリアを押し付けて出て行っちゃうし。えぇ……自分の部屋に俺とコイツを残してお前は出て行っちゃうの?しかも「部屋の物壊したら承知しないわよ」なんてセリフを残して……。

 

「……まぁいいや。お前、モリアーティ教授とどういう関係なの?曾孫らしいけど」

 

「───戦え」

 

アリアは行っちゃったので仕方なく俺は尋問を続けようとしたのだが、それはルシフェリア本人に遮られる。どうやら意地でも俺と決着をつけたいらしい。

 

「はぁ……。まぁいいよ、それで納得するなら喧嘩くらい付き合ってやるよ。けど、ルール決めようぜ。じゃなきゃいつまで経っても終わらなさそうだし」

 

どうやらアリアも部屋を出たようだし、多少身体動かす分には大丈夫だろう。部屋の物さえ壊さなければ……いや、壊しても最悪再生魔法で元に戻して知らんぷりしよう。壊れても時間ごと元に戻しちまえば壊れてないのと同じよ。

 

「ルールか。そんなもの決まっておろう。『いつでも首を落とせる』ポーズを取らされた方の負けじゃ」

 

「首……何?どんな格好だよ」

 

首落とすだけなら普通に突っ立ってても落とせない?

 

「そちらの言葉で言えば土下座の格好じゃ。仰向けではいくらでも抵抗できるからのう」

 

土下座の格好か。確かに理に適ってはいるな。人間、仰向けなら覆い被さってくる相手に対して殴る蹴るも出来るし投げることも可能だ。けれど土下座の格好からじゃ、構造上反撃は難しい。確かにその体勢を取らせたら勝ち、その格好になったら負けってのは良い塩梅かもな。それに、言われてみればあの時のルシフェリアもそんなポーズにさせられた途端に負けを認めた雰囲気だったからな。

 

「分かった、それでいいよ。けどお前はもう1回負けてんだから後は無ぇからな。負けたからって後から5回勝負とか無しだからな」

 

もう既に後出しで3回勝負とか言い出してる生き汚いルシフェリアさんに俺はそんな風に釘を刺しておく。ここで言っておかないと後から後から無限に言い出されてキリがなくなりそうだ。

 

「当たり前じゃ。そちこそ逆転された後でそんなことを言い出すでないぞ?」

 

「あぁ」

 

お前じゃねぇんだよ、という言葉が喉までせり上がったけどどうにか飲み込んで吐き出すのを堪え、立ち上がる。そうすればルシフェリアも立ち上がり、俺と向かい合った。

 

「我はこの世を侵掠し、民を地獄に落とす(みちびく)、ルシフェリア!恐れ敬うがよい!!」

 

 

そして、両手両足を大の字に広げてバーン!と効果音が聞こえてきそうなくらいに勢いよくそう宣った。だがそんなものに興味が無い俺はちょいちょいと、早く来いよという風にルシフェリアを煽った。だがルシフェリアはそれに一瞬苛立ったような顔をしたものの、直ぐに仕掛けてはこない。

 

「……どうした、来な───」

 

と、俺がそこまで言いかけた途端、ルシフェリアが飛びかかってきた。どうやら俺が喋っている隙を狙っていたようだが───

 

「隙ありっ!───きゃん!」

 

それを1歩横に避けてすれ違い、その入れ替わり様に足を引っ掛けて転がしてやる。ちょっと腰を押してやって、ちゃんと、アリアの身体に似合わない巨大なソファーにルシフェリアが俯せに落ちるようにな。

 

で、自分が俯せにさせられたことに気付いたルシフェリアはうーうー唸りながら顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいる。

 

「はい、俺の勝ち」

 

パンと1つ柏手(かしわで)を打った俺はそれでこの場を終わらせようとする。だがこのルシフェリアの生き汚さを俺は侮っていたようだ。

 

「今そちは狡い技を使ったじゃろ!それは無しじゃ!禁止、禁止じゃ!それと、今のは練習で、こっからが本番じゃ!」

 

そんな訳の分からん技は使ってねぇし、そもそも狡い技って何よ。一応戦いなんだろうが……。という言葉も喉を出かかったところでどうにかセーブ。しかしコイツ、今後俺が何をしてもこんな風にして負けを認めなさそうだな。

 

「面倒くさ……。はいはい、じゃあこれが本番ね。でもお前、これ負けたら───」

 

「キェェェ!!」

 

で、俺の言葉の途中でルシフェリアがまた襲いかかってきた。けどそれも読めてる攻撃だ。俺はルシフェリアが放つ飛び蹴りの、その蹴り足を掴んでグルっと回り、丁度掴み易い位置にあった尻尾を引っ掴んでまたソファーに俯せに置いてやる。

 

するとルシフェリアはまた顔を真っ赤に染めて俺を睨む。コイツの尻尾は掴んじゃいけないやつだったかな……。

 

「わ、我を3度と伏せさせた挙句2度も尻尾を掴むなんて……」

 

「……ま、ともかくこれでお前の負けだ。いい加減分かったろ?」

 

コイツを捕まえたのは情報を聞き出すため。アリア的には多少時間を掛けてもコイツを味方にしてNの内部分裂も狙っているみたいだが、どっちにしたってルシフェリアには負けを認めてもらい、俺達に協力的になってもらう必要がある。だから俺としてはさっさとコイツから"負けました"の言質を取りたかったのだが───

 

「……我の尻尾を掴み、あまつさえ殺しもせぬと言うのなら、掟に従って我を───」

 

「───悪いけど、奴隷にしろとかは無しな。そーゆーの求めてないから」

 

前にエンディミラと一悶着あったからな。そこは先に言わせてもらうぞ。だが、ルシフェリアは俺の話を聞いているのかいないのか、ガバッと起き上がって俺に詰め寄ってきた。そして───

 

「───我を(つがい)として、子を授けろ!それが掟じゃ!」

 

───なんて宣いやがった。

 

つがい……番。つまり夫婦(めおと)にでもなれってことか。いや、もう俺には嫁が7人も居てですね……。流石にこれ以上番う相手を増やすのは体力的……には可能なんだけど、そもそもユエ達からのお許しが……いやいや、そもそも俺はコイツの人生にそんな責任持てるほど入れ込んでねぇよ。という俺の心の声は、どうしたって心の声であるからして、当然ルシフェリアには届いていない。

 

「ネモから聞いておるのじゃ。そちは何人もの美しい女を侍らせておるとな。まったく獣のような奴じゃ。その上我までも番にしようと……。いくら我が美しいからと───このゲスめ!」

 

届いていないからって酷い言い草だ。あとネモ、お前俺のこと何ていう風に言い回ってるの?知らない間に酷い誤解を受けてる気がするんですが!?

 

「誤解しかない上に人が聞いたら更に誤解を重ねる言い回しをするな。まず俺ぁ番ルールなんて知らないし、美人を見たら誰彼構わず引っ掛けるなんてこたぁしてねぇ」

 

なのでここはしっかりと否定しておく。だがルシフェリアはその瞳に宿った疑いの色を隠す気はないようで、ジットリと俺を睨んでいる。

 

「ふん。信用ならないのじゃ。それに、我は人前で敗れ、尻尾を辱められ、あまつさえ殺されもしなかった。一生分の恥をかかされたからには番となりそれを雪ぐしかないのじゃ!番は一心同体じゃからその片割れに平伏したのであれば、我は我に平伏したのだから恥にはならぬ。そうしてそちの子を産んで番の生を果たす以外にルシフェリアの道はない!」

 

な、なんなんだコイツ……。これならまだ負けたから隷属する。恩ある上司への取引に使われるくらいなら自死するって言い出したエンディミラの方が理屈が通るぞ……。人前で敗北させられたとか、尻尾を触られるのは恥ってのはまぁ、まだ理解出来なくもない。それに恥は死よりも重いってのも、考え方次第と言えなくはないだろう。けれど別に番になったところで一心同体にはならないし、そうしたらコイツのその後の理論は全部破綻する。

 

「それに……ルシフェリアにとって繁殖は戦争。強い者の子を宿し、次世代により強いルシフェリアを遺すのも勝ち方の1つ。我は好き嫌いではなく勝つためにそちの子を産むのじゃ。つまり我は男などという原始的な生き物を好いた悪趣味なルシフェリアではない。そこを履き違えるでないぞ!」

 

まぁ、レクテイアには女ばかりだと聞くし、そうなると子孫を残すっていう生物の本能に対しては人間よりも功利主義になるんだろう。だからルシフェリアが自分が負けた相手の子を産むというのは理解できるかもな。むしろ、さっきの恥云々から繋がる話よりは幾分か理解しやすい。

 

「と言うわけでこれからそちのことは主様(ぬしさま)と呼ぶ。よいな?いや、絶対そう呼ぶからの」

 

えぇ……主様とか止めてくれよ。絶対悪目立ちしかしないじゃんか。ティオが俺のことを(あるじ)とか呼んでた時だってトータスじゃ白い目で見られてたんだぞ。そうなるのが分かってたからリサにも人前じゃ俺のことは名前で呼ぶように言ってたんだ。

 

それと、コイツの番うだの繁殖だのを聞いて思い出したことがある。エンディミラから聞いたが、レクテイアの奴らは種族によってそれぞれ固有の繁殖方法があるらしい。そして、基本的にはその方法に則って種を増やしているのだとか。だが、これもエンディミラから学んだことであり、今この場では困ったことにレクテイアの奴らは女しかいない割には人間と同じ生殖機能は残っているのだ。ただ、その機能は人間のそれよりも弱いらしく、子供は中々できにくいとも言ってはいた。まぁ、何となくの感覚で分かるのだが、魔王になった俺の種馬としての能力はきっとこの世界の人類では1番だろう。体力的にも精度的にもな。俺の中にはレクテイアの奴らであろうが確実に子供を宿してやれるって感覚がある。魔王になる前の俺にはそんな力は無かった筈だから、これはきっと人間が人間のまま魔王になった際の1番の変化だと思う。

 

だからトータスにいる頃からかなり色々気を付けているんだけど、だからこそこれはまずいな。このことがバレたら俺はコイツに延々と振り回され続ける気がする。て言うか付け狙われる。それだけは絶対に避けなくては……っ!

 

「悪いけど、俺ぁ番う相手はもう決めてんの。それに、ルシフェリアがこの世界を侵掠するってんなら、俺ぁ余計にお前とは番えないな。繁殖は戦争とか言ってたけどな、俺ぁお前の戦争の手伝いなんかやらねぇよ」

 

あと、コイツの言う侵掠で俺は1つ、気になったことがあった。と言うか、コイツはそうやるつもりだと思っていたのに、まさか繁殖とか言い出すとは思わなかったから一瞬頭から吹っ飛んでしまったのだ。

 

「───て言うか、お前は他の種族……人間を物理的にぶっ殺して侵掠するもんだと思ってたんだけどな」

 

わざわざせっせと子供を産んで育てて……なんて気の長いことをやる前に適当に戦争吹っ掛けて侵掠した方が早い気がするんだよな。植物と違って人間とかはそんな簡単に増えて育たないし。

 

「それは出来るが、ルシフェリアの掟に反する」

 

あ、やっぱり出来るのね。

 

「これだけの数がいるヒトを全て根絶やしにするとなると、1000年の冬を到来させたり星の軸をズラしたり、無限の闇に吸わせたりせねばならん。そうしたら我にとっても住めぬ地になってしまうじゃろ?それに、我のために働く者もいなくなってしまうし。じゃからヒトとは1000年ほど前に全面的な戦をしないように協定も結んであるぞ」

 

コイツは……地球に氷河期を齎したり地軸をズラしたり巨大なブラックホールを発生させたりすることが出来るってことだ。そして俺は、コイツがそれをできることを知っている。何せその力を封印したのは他でもない俺の究極能力(ルフス・クラウディウス)なんだからな。

 

「それに、今の時代のここには穴空きがいるようじゃからな。どっちにせよ力ずくでの侵掠は難しいのじゃ。それでもクロリシアのようにこの世のヒトを滅ぼそうと企む神もおる。我はそういった神々からヒトを守ってもやろう。何しろ我の子は半分ヒトになると今確定したのでな」

 

あ、確定したんですね……。でも多分半分ヒトって言うかバケモノが産まれるんじゃないですかね。今の俺の肉体はもう人じゃないし。あぁでも遺伝子的にはどうなんだろうか。人間?魔物?そんな検査したことないから分かんないな。こんな事例、今まで無いだろうから聞いても誰も知らないだろうし。

 

あ、あと流しそうになったけどコイツらは聖痕持ちを穴空きって呼ぶのね。それに、今の()()って言ってたな。これも、後で詳しく聞いた方が良さそうだ。俺の力の源のことを、俺は本当の部分では知り尽くせていないからな。コイツはどうやら俺よりも俺の力に詳しそうだから、また1つ、コイツから聞かなきゃいけないことが増えたな。だからって子供は産んでられないけど。

 

「主様、子を産むノルマは10人とするぞ。1人のルシフェリアが10人産み、そのルシフェリア達がまた10人産む……これを繰り返せば12世代でルシフェリアは1兆人になるからの」

 

1兆人……今の人間が60億だか70億人だかだっけか。そうなると12世代も待つまでもなくこの世界はルシフェリアで侵掠され尽くすな。あと、多分お前の頑張り次第じゃ10人と言わず100人でも200人でも産ませてやれるけど、これは言わないでおこう。絶対そうしろと言われるだろうからな。ま、まずそんなに育てられないけど。

 

 

 

───────────────

 

 

 

帰ってきたアリアにルシフェリアが「我は主様の花嫁になったのじゃ」とか宣うせいで俺とルシフェリアはアリアの部屋を追い出された。しかもルシフェリアの為にとアリアが買ってきたらしいお姫様感のあるベッドまで押し付けられて。まぁそんな荷物は宝物庫に放り込んでしまったのだが。

 

だが生きているルシフェリアをあの中に放り込むわけにもいかず、だからってアリアみたいに俺もルシフェリアを放り出すわけにもいかず、女子寮を出てルシフェリアと並んで歩きながら俺は心の中で頭を抱えていた。本当は物理的に頭を抱えたかったのだけれど、サッとルシフェリアが俺の腕を取ってそのどデカい──シアかリサくらいはある──胸の中に仕舞い込みやがったのだ。当然俺はそれを一旦は振り払ったのだが、ルシフェリアは懲りずに何度も俺の腕を捕まえにくる。そんな諍いも面倒になり、仕方なしに俺は「袖の先なら掴んでていいぞ」と言ってやったら、ルシフェリアはニヤニヤしながら随分と嬉しそうに俺の左袖の先を掴んだのだった。

 

で、ボヤっとしながらも俺の足は帰巣本能に従っていつの間にやら自分の家の前まで辿り着いていた。あれ……記憶が無いよ……?ルシフェリアとか絶対ICカード持ってないから、俺が駅で切符を買ったはずなんだけどな。まぁいいや、結局何も良い考えは浮かばなかったし、ここまで来たら帰ってきたのはシア辺りには気付かれているだろうから、誤魔化せもしないしな。

 

俺は諦めて玄関の鍵を開ける。するとその音を聞きつけたらしいリサが真っ先に出てきて、一瞬ルシフェリアを見て固まり、俺の袖の端をちょこんと掴んでいるのを見て刹那の瞬間だけイラッとした顔をして……そしていつもの花の咲くような朗らかな笑顔で「お帰りなさいませ、ご主人様」と言ってくれるのであった。

 

で、俺をご主人様と呼ぶことが気に入らなかったらしいルシフェリアが何やらリサに絡みに行こうとした瞬間に俺はルシフェリアの手を振り払ってリサをハグしに行く。

 

「疲れたよ……」

 

リサを抱きしめると良い香りがする。そしてシナモンのような甘い香りが俺の鼻をくすぐった。ルシフェリアが何やら喚いているが俺はその尽くを無視して氷の元素魔法でドアとその鍵をノールックで閉める。この横着も慣れたもので、前は見ながらじゃないと上手くいかなかったのが最近はスムーズだ。こういう時にしか役に立たないけど。

 

で、レクテイア出身でルシフェリアの名前を知っているエンディミラとテテティ、レテティなんかは恐縮しまくりだったが、ルシフェリアを見たユエ達の目が凄まじい。俺がルシフェリアから離れてリサの腰を抱いているから俺への視線はまだ多少マシ……いや、ルシフェリアが「我は主様の花嫁じゃ」とか言い出したのでまぁまぁ凍りつくような視線を頂戴してしまったけれど。あとティオ、お前はなんで一目見た瞬間にルシフェリアと固い握手を交わしているんだ。まるでそう……初めて同好の士を見つけた奴ら同士のように。

 

「そりゃあルシフェリアが勝手にそう言ってるだけだよ。俺ぁそんなつもりは更々ない」

 

と、どっかりとソファーに腰を下ろし、右手にリサを、左手にはルシフェリアに少し怯えた風のエンディミラを抱いてやった。テテティとレテティもそんなエンディミラに2人で寄り添って警戒するようにルシフェリアを見ている。

 

「ふむ、そち達はレクテイアの出身じゃな。……エルフ族と……」

 

そんなエンディミラ達の様子を見てルシフェリアは満足気。そういやコイツ、俺やアリアの元じゃろくすっぽ尊敬されていなかったけど、元々はNの中でも一目置かれてたんだよな、あのナヴィガトリアの船員(クルー)の様子を見る限り。

 

「こちらレクテイア出身のルシフェリアさん。種族もルシフェリア。コイツらは名前と種族が同じ名前らしい」

 

と、ユエ達の「はよこの女を紹介しろや」という目線に負けて俺がそう伝える。

 

「なるほどな、そち達が主様が侍らしている女達というわけじゃな。するとその子はそちと主様の子かの……?」

 

すると、周りを見渡したルシフェリアがミュウとレミアを指差してそんなことを言った。するとミュウは「ミュウはパパとママのこどもなの!」と元気よく返し、レミアもそれに頷く。で、今度はルシフェリアがギッと俺を睨む。……何だよ。

 

「何……?」

 

「そちは我よりも先に他の女と子を育てておるのか」

 

「だから?そもそも俺ぁお前を嫁にする気なんて無いって言ってんだろ」

 

あくまでお前は捕虜で家族じゃないと俺はきっちり言っておく。そもそもコイツは俺が好きで子供を産むとか言ってるわけじゃないからな。レクテイアの文化じゃ恋愛結婚は少数派で、コイツみたいな功利主義が一般的であったとしても、ここはレクテイアではないし、俺は功利的に子供を作る気は無いからな。

 

「ふむ。ヒトとは不思議なのもよ。何故自分の子ではな───」

 

「───ちょっと来い」

 

俺はルシフェリアにその言葉の続きを言わせなかった。その先は、レミアはともかくミュウを傷付ける言葉だからだ。それを発することを俺が許すわけにはいかない。

 

一旦リビングから廊下に出た俺は、塞いでいたルシフェリアの口を解放してやる。

 

「急に乱暴にするでない。主様と言えど、女男では女の方が上。花嫁は大切にするものじゃぞ」

 

「……そんなことよりもだ。確かにお前が気付いた通り、ミュウの生みの父親は俺じゃねぇ。けどそれをミュウが聞くことは許さねぇ」

 

と、俺が割とマジな雰囲気で言うと、少なくともその意思だけはルシフェリアにも伝わったらしい。彼女も少しだけ真面目な顔になった。

 

「何故じゃ?ミュウは自分の父親を勘違いしておるのか?」

 

「……ミュウはレミアと前の旦那の間に出来た子だ。だけどその人はミュウが産まれる前に死んだらしい。そして、俺とレミアはその後にくっ付いたんだ。俺とミュウとレミアの出逢いとかは、少なくともミュウに聞こえない範囲でならユエ達に聞いてもらっても構わねぇが、それをミュウに言うことだけは許さねぇ。いいな?」

 

俺は少しだけ固有魔法の威圧も使いながらルシフェリアにそう念を押す。するとルシフェリアは何故かちょっとボウっとした顔をして───そしてハッと我に返ってから「ま、まぁ分かったのじゃ。我も花嫁として主様の願いには応えよう」と頷いた。

 

そしてルシフェリアを連れて再びリビングに戻れば目の前にはジト目のユエが。これは、俺とルシフェリアの間柄を追求される流れだな……。

 

「……天人は何をしたの?」

 

まず俺が何かしたという前提から入るのを止めてほしい。いや、無理か……。

 

「何ってか……戦って勝って、そしたらこうなった」

 

「……本当にそれだけ?」

 

ユエの瞳の湿度は下がらない。その紅の瞳の奥には「その後何かあったんだろ?」という文字が書いてあるかのようだった。

 

「男に負けたのは恥だから殺せと言われて、武偵法で決められてるから殺さないって言ったらじゃあもう番うしかないとか言い出されてこれだよ……」

 

俺は何もしてないんで助けて?とユエにSOSを求める。するとユエはそれはそれは深い溜息を付いてから「……仕方ない」と一言。くるっと振り向いてルシフェリアに向き合い───

 

「……私はユエ。天人と番いたいのならまずは私を通して」

 

と、俺の保護者を通り越してもはや俺の管理者みたいな発言をなさった。するとルシフェリアはそんな自分よりも背の低いユエを上から下までじっくりと眺め───

 

「ふむ……確かにそちも美しいがまだ幼いのじゃ。主様よ、本当にこんな未成熟な女と番うのか?」

 

なんて宣った。そして出会い頭にいきなり未成熟だなんて言われればユエ様は当然───

 

「……は?」

 

ガチ切れである。もう既に黄金色の魔力光が溢れ出ている。ユエがここまでキレてるのもあまり見たことがないが、ルシフェリアは当然そんなことを気にする風でもなく、むしろそのデカい胸を張ってユエを挑発するように見下ろしている。

 

「将来はともかく、今はまだユエは幼い。それよりもまずは我と番って子を産むのが良いのじゃ」

 

ただ胸を張るだけでも揺れるその果実を見たユエの顔には青筋がハッキリと浮かんでいた。シアとティオは「あーあ、知ーらない」とでも言いたげな風でそっぽ向いているし、今のちょっと刺激的なお話はミュウには聞かせられないとばかりにレミアはミュウの耳を塞いでいる。ジャンヌは当然ユエを制止してやる気はないみたいで黙って紅茶を啜っていた。

 

「……言わせておけば、天人の子供を産むのは私が先。て言うか、天人はお前とは番わないから諦めて」

 

ヤバい、ユエの声が聞いたことないくらいに冷たい。トータスでも変なのに絡まれることは多々あったけどここまでユエがキレ散らかしているのはオルクス大迷宮で天之河にキレた時以来に見たぞ。もう黄金色の魔力光どころか真紅の魔力光まで漏れ出ているし、結構な殺気も感じる。

 

「ふん、それはそちが決めることではないじゃろ。主様と我が真っ先に番うのは決定事項じゃ」

 

「いや、決定してな───」

 

「───よくほざいた。なら今決める」

 

ユエもルシフェリアも俺の話を聞いていない。と言うか、こういう時は、俺の話はだいたい誰も聞いていなくて当事者を放って話が進むのも慣れてきたね。嫌な慣れだけど。

 

「ほう?決闘じゃな」

 

「……んっ、私とお前。お前が勝てば天人と1番最初に番っていい。けど私が勝ったら───」

 

ユエが珍しく中途半端に言葉を切る。そしてルシフェリアが「勝ったら?」と先を促した。するとユエは「ふぅ」と一息吐き、ルシフェリアをその紅色の瞳で見据える。そして───

 

「……勝ったら、お前は()()()()()()()()

 

───ルシフェリアを指差し、そう力強く宣言したのであった。

 

 



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ユエVSルシフェリア

 

 

 

……これはとんでもないことになったぞ。

 

 

メイド……メイドか。ウチには世界最高のメイドさんであるリサがいるから、別にこれ以上メイドは要らないんだけどな。それはユエも分かっているとは思うんだけど……。まぁこっちに来てからは意外とぐうたらさんなユエにとってはもう1人お手伝いさんが欲しいのかもな。リサだっていつもユエの面倒ばかり見ていられるわけじゃないし。

 

「あぁ……一応言っとくけど、捕虜取扱法で捕虜に対する虐待は禁止されてるからな?」

 

絶対にこれを言っても聞いてくれないだろうけど、言っておかなきゃいけないことではあるので一応言っておく。

 

「……天人、これは虐待じゃなくて決闘。それも、女と女の戦い」

 

ほらな、やっぱり聞いてくれない。あと決闘も犯罪だからな。武偵同士じゃ決闘罪で捕まることなんて無いだろうけど、ルシフェリアはアリアに着せられたLサイズの女子制服を着ているだけで武偵高の生徒じゃないんだぞ。

 

「そうじゃ。主様と言えど、男が口を出すでないぞ」

 

しかもルシフェリアをメイドにさせられたらこの主様呼びを覆させるチャンスを失いそうだ……という個人的な理由により俺はこの決闘をどうにか無かったことに出来ないかと、無い頭を振り絞るのだが───

 

「……天人、浮島への扉を開いて。あそこなら広いし人目にも付かない」

 

どうやら俺の頭ではこの決闘を止める言葉を思いつかないようだった。観念した俺は仕方なく越境鍵で人のいない方の浮島へ続く扉を開く。すると部屋に潮の香りが漂う。ユエはルシフェリアにクイと扉の向こうを指差してからそれをくぐった。

 

ルシフェリアもそれに倣いユエに続く。興味本位なのかシアとティオ、ジャンヌまで続き、なんとエンディミラまでもが扉の向こうへと渡ってしまった。テテティとレテティもエンディミラに着いて行こうとするが、それはレミアに止められていた。

 

「あぁもう……」

 

ちょっと待っててねと、リサ達に告げて俺も扉の向こうへと渡る。て言うかユエよ、いきなり決闘だのなんだのと、貴女も随分と武偵高の悪いノリに染まってしまっているんじゃないのか……?

 

「……天人、ルシフェリアに掛けてる封印は解いて」

 

そして、俺が扉を閉めた途端にユエはそんなことを宣う。

 

「えぇ……」

 

どうやらユエはルシフェリアの力が俺によって封印されているのは直ぐに見抜いていたらしい。けれど、そもそもこの決闘に後ろ向きな俺はそれを渋る。ユエのことだから氷焔之皇による封印さえ解かなければ決闘を始めることはないだろうから、これは俺の最後の抵抗。

 

「天人よ、ルシフェリアに何かあっても妾がどうにかするのじゃ。だから安心してよいのじゃぞ」

 

と、ティオはもう決闘はユエの勝ちという前提で話している。ただ、いくらユエ様と言えどもそう簡単にルシフェリアに勝てるのかな……。

 

「……そもそも俺ぁこの決闘に後ろ向きなんだよ」

 

「だが、ユエももうやる気のようだぞ。これはもうやらせた方が良いだろう」

 

と、ジャンヌも呆れ半分興味半分でそんなことを言ってくる。

 

「ユエ、ルシフェリア様はレクテイアでも最上位に近い神です。油断はしないように」

 

エンディミラはエンディミラでそんな忠告をユエにしているけど、"神"ねぇ……。それは俺やユエにとってはある意味……

 

「……ふぅん」

 

───スイッチを入れる言葉でもある。そしてユエは俺の予想通り、エンディミラの言葉でより一層やる気満々になっている。もう目が完全に戦う意識に切り替わってるよ。瞳の奥には炎が見えるかのようだ。

 

「……天人」

 

「あぁもう……分かったよ……」

 

俺は仕方なしにルシフェリアに掛けていた氷焔之皇の封印を解く。すると自分の力が解放されて身体に力が漲るのが分かったのだろう。ルシフェリアがその大きな目を更に大きく見開いている。

 

「───ではいくぞ。我は女相手に加減する程愚かではないのだ」

 

それはつまり、男は手加減してやって然るべき雑魚だって思っているってことだ。まぁ、その油断と慢心が今こうやって俺達の手に落ちている理由でもあるんだけどな。

 

だが、そうやって豪語するくらいには確かにルシフェリアは強い。それは氷焔之皇で問答無用に力を封印した俺が1番分かっている。そして巻き込まれちゃ敵わんと俺達は10メートルほど後ろに下がり、そこで氷の壁を張って宝物庫からソファーを取り出し、どっかりと腰を下ろした。するとシアとエンディミラが俺の脇に寄り添い、ジャンヌが俺の脚の間に収まった。

 

「……おい」

 

「まぁよいではないか」

 

ティオは何故か俺の頭に自分のデカい胸を乗せていやがるし。どうやらこの体勢が1番楽なんだとか。それをユエがジトっとした横目で少し睨み、直ぐにルシフェリア視線を戻す。すると───

 

 

───ザッバァァァァァァンン!!

 

 

と、いつの間にやら防弾制服を脱ぎ捨ててあの露出過多な水着みたいな格好になっていたルシフェリアの背後、浮遊島を囲んでいる海の水が跳ね上がった。どうやらルシフェリアの超能力の力のようだ。

 

「……へぇ」

 

だが金髪を跳ね上げられたユエはそれを片手で抑えるとただそれだけ呟いた。その紅玉のような瞳の奥には一欠片の興味と、目の前の敵を叩き潰してやるという嗜虐心が溢れていた。

 

「死ぬか、土下座の体勢を取らされた方の負けじゃ」

 

ルシフェリアがこの勝負の決着を告げる。

 

「……んっ」

 

それに頷いたユエが右手を前方に翳し───

 

「……風刃」

 

とだけ呟く。すると不可視の空気の刃がルシフェリアに向けて幾つも飛び出した。だがルシフェリアもそれを感じられないほど弱くはない。再び超能力──念力のようなもの──でその刃を雲散霧消させた。そして逆にその念力でユエの小さな身体を拘束。まるで見えない手に握られたように身体を軋ませるユエを、そのまま不可視の力で握り潰そうとする。

 

しかしユエの身体が柔らかい粘土のように潰れることはなかった。音も無くユエの姿が掻き消えたのだ。これはエヒトも使っていた天在とか言う、空間魔法とも違う理屈で発動する魔法だ。しかも普段の空間魔法と違って出入りのための門を作る必要なくその場から離脱できる瞬間移動能力。

 

「……禍天」

 

そしてユエの愛らしい声は上から。しかしその音色が放つ魔法は黒く苛烈。特大の重力の塊が殺意となってルシフェリアの肉体をコンクリートの染みにしようと迫る。

 

「ふん!」

 

けれどもルシフェリアはその闇色の球体に左手を翳すだけで受け止める。コンクリートの地面が蜘蛛の巣状にひび割れた。しかしそれだけでルシフェリアの身体が肉片になることはなかった。ユエの放つ重力魔法(禍天)を受け止めるか……。やはりルシフェリアは強い。コイツの持つ超能力の力は俺がこの世界で見た超能力者達の中じゃ断トツだ。だがユエもまだ本気じゃあない。五天龍も神罰之焔もまだ見せていないからな。

 

「……壊劫(えこう)

 

地面にフワリと降り立ったユエは更に重力魔法を発動。今度は広範囲をルシフェリアごと一気に押し潰さんとする。

 

「キェェェ!!」

 

だがルシフェリアは奇声と共に右手も掲げてそれに耐える。氷焔之皇の権能の副次的な効果で俺は相手の使っている魔法や超能力の類がどんなものかは何となく分かるのだが、ルシフェリアのこれは超強力な念動力(PK)の類のようだ。そのパワーによって重力による圧力を耐えているらしい。さらに───

 

「ハァ!!」

 

ユエの壊劫が雲散霧消した。どうやら自身にのしかかる重力そのものを念力で散らせたらしい。案外器用な奴だ。さらにルシフェリアはそのまま右正拳突きを()()()()繰り出した。だが空を切った拳とは裏腹に───

 

───パァン!!

 

咄嗟に身体を捻ったユエの左腕が吹き飛んだ。どうやら突きに合わせて念力を飛ばして相手を破壊する技らしい。もっとも、自動再生で魔力が続く限り、致命傷からですら即座に復帰できるユエにはそれほどの痛手ではない。今も吹き飛んだ傍から左腕が生えてきた。だが今の一撃、ユエが瞬時に殺気を感じて避けなければ胴体に風穴が空いていたな。ルシフェリアは最悪ユエを殺してでも勝つつもりらしい。

 

するとユエは重力魔法で浮かびながら再生魔法を発動。しかもこれは時間の巻き戻しではなく加速。体内時間を加速させるこれは、魔法の発動スピードも速くなり───

 

「……螺旋描く炎牙(スピラーレ・フィアンマ)

 

どうしてイタリア語なのかは分からないが、ともかくユエのオリジナル魔法が発動。と言っても雷龍のような複合魔法と言うよりも敵の周りを超高速で動きながら緋槍を放ち、その炎の牙で敵を貫くって技なのだが。

 

しかしルシフェリアはそれを正面から受け止める。全身に念力の鎧を纏い、ユエの放つ30発の緋槍を全て受け止め、弾き返した。そして10メートル程の間隔を開けて向かい合った2人。するとルシフェリアが右手を空に掲げた。

 

「……まだ陽は出ているな」

 

その言葉に俺は思わずまだ頭上にある太陽に目を向けた。その光の眩しさに少し目を細めるが、その大地を照らす明るさに徐々に陰りが見え始めた。これは……まさか───

 

「───蒸発するがいい!!」

 

俺は咄嗟にビット兵器を召喚。それらからワイヤーを射出して連結、俺達を覆うように空間遮断結界を展開した。そしてその刹那の後に太陽が陰り、失われた光が柱となってユエへと降り注ぐ。それは光と熱量の殺意。地球の外、宇宙から齎される大地を照らす恵みの光はしかし今、ルシフェリア(悪魔)の手に捕らえられ、ユエを殺すための槍となり、触れたものを即座に炭化させる熱量兵器として顕現した。あんなもの、俺だって熱変動無効がなければ即死ものだ。だがルシフェリアが超常の存在であるように、ユエもまた、この世の理から大きくはみ出した尋常の埒外の存在なのだ。

 

「……絶禍」

 

ユエの唱えた重力魔法。それは黒い渦となりユエの頭上数メートルのところに現れた。絶禍は莫大な重力であらゆるものを飲み込み押し潰す魔法。擬似的なブラックホールが、ルシフェリアが尋常ではない念力で操る集束太陽光の殺意を捉えた。

 

そしてその夜色の混沌は光も熱も逃しはしない。大飯食らいの孔が宇宙から降り注ぐ光を喰らっていく。

 

「……禍天」

 

ユエが畳み掛けるように重力魔法を発動していく。愛らしい鈴の音のような声と共にユエの放つ黄金の魔力光に紅い光が混ざる。そして現れたのは黒い玉が10個。それが互い違いに2列一直線に並び、ユエとルシフェリアの間にレールを渡した。

 

そして、重力で引かれたレールを光は渡る。ルシフェリアが地上に引き摺り落とした光と熱の槍が、今度はユエの手に捕らえられ、ルシフェリアに牙を剥く。

 

禍天は消費魔力量に比例してその出力を上げていく魔法であり、そしてその重力の向きはユエの思いのままだ。

 

「ギャア───ッ!?」

 

ユエが重力魔法でそのコントロールを奪った集束太陽光の槍がルシフェリアの腹を穿く。

 

だがルシフェリアの意地が、前のめりに倒れることを拒んだ。仰向けに倒れたルシフェリアにあったのは、例え技を返されたのだとしても負けを認めてやらないという意地と誇り。けれどかつて世界最強の座に着いていた吸血姫が、現世においてはこの世の理に干渉する神代魔法を7つ全て修めた理不尽の権化が、それをただ黙って認めるわけがない。

 

矜持も誇りも全て正面から簒奪し踏み潰してこその理不尽。正々堂々と正面から敵を叩き潰すからこその最強。

 

ユエが指を振るとルシフェリアの身体が2メートルほど浮かび上がる。ルシフェリアの腹に空いた風穴からはそれほど出血は無い。傷口が集束太陽光に焼かれているからだ。熱で焼かれた傷口からはそれほど血が出ないのは俺も経験済みだ。

 

そして、いくら出血がなくとも、腹を穿かれたルシフェリアにはユエの重力魔法を振りほどく力は残されていなかった。そのまま抗うことすらなく地面に伏せられたルシフェリア。

 

ユエがその頭上に歩み寄る。

 

「……私の勝ち」

 

「……そちも、我を……殺さ、ぬの……か……?」

 

息も絶え絶えといった風のルシフェリアが、辛うじて顔だけ上げてそう答えた。

 

「……殺さない。言ったでしょ?私が勝ったらお前をメイドにするって」

 

「……そんな屈辱……受け入れ───」

 

「……お前の命は私が握っている。ここで私に負けて、殺されなかったお前の命も誇りも、全て私のもの」

 

恥は死よりも重いという考えのルシフェリアとしては戦いに負けてその上メイドとなって誰かに仕えるなんてこと到底認められないらしい。だがそんなルシフェリアに、ユエは彼女の顎を指先で持ち上げながらそう宣告した。

 

「ぐっ……」

 

どうやら決着は着いたと、俺は空間遮断結界を解きつつ氷の壁も砕いてジャンヌ達を立ち上がらせる。そしてソファーを宝物庫に仕舞い、ルシフェリアの方へ歩み寄った。

 

「……お前の負けだよルシフェリア。ま、その後の話は帰ってからにしようぜ」

 

と、俺がルシフェリアに氷焔之皇の封印を施すと共にティオが再生魔法でルシフェリアの身体の時間を戻した。再び超能力や魔術が失われた代わりに腹の風穴が無くなったルシフェリアが悔しげに俺達を睨む。

 

「そんだけ元気なら大丈夫だよ。……んっ、帰ろうぜ」

 

そして俺は虚空に鍵を差し込み、扉を開く。そこにはリサやレミア、ミュウ、テテティとレテティが心配そうな顔をして待っていた。

 

「あぁ……ただいま。リサ、メイド服ってある?」

 

 

 

───────────────

 

 

 

いくらなんでもいきなりルシフェリアの体格に合うメイド服なんてものは無かった。なので今はリサとエンディミラ、レミアでルシフェリアの採寸中。それから必要な布を買いに行くとのこと。自作すんの?と思ったのだがどうやらリサレベルになると既製品を買うより安いらしい。

 

「で、何でまたいきなりメイドだったんだよ」

 

吹き飛んだ防弾制服も再生魔法で元に戻したユエに俺はそう尋ねる。

 

「……んー?」

 

すると、ユエは顎に指を当てて少し考え込む仕草。そして人差し指を立てて何やら思い付いたみたいだ。

 

「……ムカついたから鼻っ柱をへし折りたかった」

 

と、もう隠す気も無いらしく、どストレートに本音を言い放った。

 

「……それとメイドに何の関係が?」

 

だがそれならメイドにする必要はない。ただ決闘してボコってやればいいのだ。だからメイドと言い出すからにはそれなりの理由があるのだろう。

 

「……んっ、ルシフェリアは自分が人の上に立つことを疑ってない」

 

確かに、それは俺も感じていることだったし、ナヴィガトリアではこの目でそれを見てもいた。ルシフェリアは人の上に立つ器があり、そして自身でもそれに一欠片の疑いも持っていなかった。

 

「……だからルシフェリアを私の元に(ひざまず)かせたかった」

 

ユエ様超ドSじゃん。いや知ってたけど。この子実は、俺の知ってる中じゃ綴の次くらいにはSっ気強いんだよね。あとそこのティオ、ちょっと羨ましそうな顔をするじゃあない。

 

「……メイドは立派な仕事だけど、ルシフェリアの性格だと絶対に向かない。だからちょうど良い」

 

「……自分で取り立てたメイドの面倒はちゃんと自分で見ろよ?」

 

もう返す言葉のなくなった俺は呆れ半分でそう返すに留まる。そしてユエは俺の言葉に───

 

「……んっ!」

 

と、これまたとびっきりに良い笑顔で頷くのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

今日の晩飯はリサの番だった。その配膳をレミアとシアが手伝い、テーブルに並べていく。とは言え11人もいっぺんに座れるテーブルなんて置いてられないので実は食事用のテーブルは宝物庫の中に放り込んであったりする。

 

で、飯を食う時だけテーブルを入れ替えて皆で食事を囲むのが俺達のいつもの食事のスタイル。朝や昼は結構バラバラなことが多いが夜はなるべく皆で揃って食べるようにしているからな。んで、今日からはルシフェリアも増えて12人の超大所帯での食事だ。だが、ルシフェリアは自分の前に並べられた食事を見て、その大きな瞳をさらに見開いている。

 

「……どうした?目ん玉落っこちそうだぞ」

 

「驚いただけで目がそんな簡単に落ちるわけなかろう。主様はアホなのか?それよりも、我にも食事を出すのか……?」

 

しれっと失礼なことを言われたがまぁいい。アホなのは承知の上って言うか返す言葉もございませんので。

 

「そりゃあ出すだろ。ユエからはルシフェリアも住み込みのメイドって聞いてるぞ」

 

取り敢えず今はシアの服を着せられているルシフェリア。コイツのメイド服を仕立てるための布は明日買いに行くとリサは言っていた。

 

そのルシフェリアは俺の言葉にキョトンと首を傾げている。

 

「我は捕まった身分なのにか?」

 

「腹ぁ減らねぇのか?」

 

「いや、腹は減るのじゃ。……ふむ、主様は気前が良いのう。それとも、我を肥えさせてから食うつもりか?ルシフェリアを食うとルシフェリアになれると信じておる種族もいるからのう」

 

まぁ確かに魔物を喰ったら魔物みたいになった俺とかもいますけどね。それでも見た目は人間のままだけど。

 

「ま、食った相手の特徴を奪うってのは聞かない話じゃないけどな。人間は魚を食っても魚にならねぇんだよ。だからお前を食べてもルシフェリアにはなれねぇ」

 

別になりたくもないけどね。その角、寝返り打つの大変そうだし。重心もズレて戦いの時も慣れるまでは不便そうだ。

 

「ふふっ、主様は面白いことを言うのう。まるで食べた相手の力を奪ったことがあるかのようじゃな」

 

「……飯の時にする話じゃねぇや。それより早く食べよう、折角の料理が冷めちゃうよ」

 

俺が手を合わせ、頂きますと言えば皆も合わせて頂きますと口にする。ルシフェリアにはその文化は無いのか周りを見渡し、お箸が使えないであろうルシフェリアの為にとリサが用意したナイフとフォークを手に取った。だがその顔は俺の過去に何か気付いたかのようでもあった。ま、コイツに知られちゃ不味い話なんてのは無いから別にいいけどさ。

 

そうして結局ルシフェリアもリサの飯を美味い美味いと言って全部食べ尽くし……挙句まだ食べていた俺の分にまで手を出そうとしてユエに手を(はた)かれていた。当然ルシフェリアはユエを睨むのだが、ユエがジト目と共に「主人の旦那の料理に手を出すメイドがどこにいるの?」と言うと、賭けの話を思い出したのか悔しそうにそこだけは引き下が───らないで「我も主様の花嫁じゃ」とか言い出すもんだからこれまたユエとドッタンバッタン大騒ぎ。

 

ユエはトータスにいた時も時々香織をからかって遊んでいたが、こっちに来てからはしばらくそういう相手もいなかったからなぁ。ユエの顔は半分ムカつき、半分それを楽しんでもいるような表情を浮かべていた。

 

で、最後にはミュウに「2人とも、食事中に品がないの」と言われて、2人して同じ顔してしょぼくれていたから、それが可笑しくって他の奴らは大いにそれを笑っていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

取り敢えず全員がそれぞれ風呂に入ったまでは良かったのだ。ウチは大家族なもんだからバラバラに風呂に入ると最初の1人目と最後まででとんでもなく時間がかかるってんで、基本的にグループで入るのだが、そこじゃルシフェリアはユエとシアと一緒に入っていた。そこでも暴れることなく大人しいもんだったらしい。

 

だが問題は寝る時。ルシフェリアは花嫁は番と寝るもんだとか言い出すし、ユエだけじゃなく、他の奴らも皆そんなことは認められないと反対したのだ。いやまぁ俺もルシフェリアと同じ布団は嫌なので反対してくれないと困るのだが。

 

で、本当は俺と同じ布団に潜る子はいつもはローテーションしているのだけど、何と今日はレミアとミュウの番。ルシフェリアのあの感じだと後でこっそり夜這いに来かねないし、そうなるとレミアとミュウがいるのは、追い返すにしろ音で起こしたら可哀相だ。

 

氷で扉が開かないように塞いでしまうと今度は夜にレミアやミュウがトイレに行きたくなった時に俺を起こさなきゃだしで、却下。

 

結局、俺だけでなくユエやシア、ティオといったルシフェリアを力技で追い返せるメンバーが暫くは護衛として順繰りに俺の布団で寝るということになった。なった、のだけれど───

 

「初日から来るかよ普通……」

 

ルシフェリアさん、まさかの初日から夜這い決行の上、今日の当番になったシアに捕まえられていた。

 

「シア、落としちゃえ」

 

「はいですぅ」

 

「な、何じゃ!?何をす───」

 

キュッと、シアによる首は地獄背中は天国の裸絞め(チョークスリーパー)が決まり、静かにルシフェリアの意識を奪う。しかし初日からこのれか……俺はルシフェリアがいる間は安眠できる生活を奪われたままになるのでしょうか……?

 

 

 

───────────────

 

 

 

で、寝る時もそれはまぁすったもんだあったわけだが朝から更に問題発生。俺は一応まだ東京武偵高校に在学中の身である。既にお仕事により卒業に必要な単位は一通り揃っていて、別に授業なんて出なくても良いのだけれど、だからって1年間丸々フケてしまうのも良いこととは言えない。なので俺は学校に行ける時は取り敢えず行っているのだけれど、やはりと言うか当然というか、ルシフェリアも着いて行くと言い出したのだ。

 

関係者以外立ち入り禁止と言っても「我は主様の花嫁じゃから関係者なのじゃ」と言って聞かないし。制服が無いと入れないと言おうとしたがそもそもコイツはアリアが買ってきた微妙にサイズの合わないLサイズの防弾セーラー服を持っているからそこの問題はクリアしていた。

 

いや、そもそも生徒でも教師でもないという問題は解決できていないんですけどね。

 

「取り敢えず皆学校行っててくれ。俺ぁ今日は休むよ」

 

コイツの面倒見てやんなきゃいけなさそうだから、と俺の背中に引っ付いてきたルシフェリアを後ろ向きに親指で指し示した。それに、ここで暴れられてレミア達の仕事の邪魔になっても悪いしな。

 

「……大丈夫?」

 

と、ユエが心配そうな顔をして……いや違う。どちらかと言えば瞳に光が灯っていない系の顔だこれ。

 

「絶対に大丈夫。もうホント、約束する」

 

「大丈夫じゃユエ。妾も傍にいるからの」

 

と、ティオがユエの肩に手を置いてそう言った。何が悲しいってそれ俺のこと信用していないよねっていう。

 

「なんじゃ、そちまで我の邪魔をするか!」

 

「邪魔も何も、妾達が天人の花嫁で、お主こそ邪魔者なんじゃが……」

 

というティオさんの正論に俺はウンウンと頷く。だが俺が味方をしてくれなかったルシフェリアは"ガーン"と、見て分かるくらいに落ち込んでいる。けれど、そんな顔をされても俺はルシフェリアの言っていることに応えるつもりはない。

 

「取り敢えずその話はキリが無いから置いとくぞ。……ユエ達は武偵高行っててくれ」

 

と、俺は半ばユエ達を追い出すように武偵高に送り出した。こうでもしないとルシフェリアとずっと言い合いになるだろうからな。

 

そうしてレミアとエンディミラも自分の部屋に戻って仕事に入るとのことで、こっちには俺とルシフェリアにティオとミュウ、テテティとレテティだけになる。

 

「……早速暇だ」

 

「天人よ、ここは学生らしく勉強というのは───」

 

「ティオ……」

 

で、勉強を勧められた俺は無言で首を振る。それを見てティオはティオで深い深い溜息を1つ。

 

「主様よ、暇なら我と子ど───」

 

「しない」

 

「うぅ……」

 

で、ルシフェリアのそんな誘いはピシャリと跳ね除ける。するとミュウがルシフェリアの元へと寄ってきて

 

「みゅ、ルシフェリアお姉ちゃん、ミュウ達とお絵描きしようなの!」

 

と、クレヨンと紙を持ってそんなことを提案した。後ろじゃテテティとレテティも期待の眼差しでルシフェリアを見ていた。

 

「ふむ……まぁよかろう。ミュウよ、我の画力を見て恐れ慄くがよい!」

 

ミュウ達の純新無垢な笑顔に絆されたのか俺が相手してくれないと見たのか知らんがルシフェリアはミュウの提案に乗った。

 

お絵描きやら何やら、どうやら子作りとは無縁の平和なお遊戯に向かってくれるのなら特に言うことは無い俺はそれをティオとただ眺めていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

どうやらルシフェリアは子供と仲良くなるのが上手いらしい。昨日はあんなに訳の分からん騒ぎを起こしていたにも関わらず、もうミュウやテテティ、レテティと仲良くなっていた。まぁどうせ長居するのならあの子達と仲良くやっていけるに越したことはないからな。

 

だがしばらくすると───

 

「主様よ、勝負しろ」

 

とか言い出した。ミュウ達は?と見れば何やらお絵描きは終わっていて今は3人で仲良くブロックで遊んでいる。しかも画用紙やクレヨンは既に綺麗に片付けられている。ミュウちゃんマジ良い子。

 

「ヤダよ」

 

「ふむ、主様は女から挑まれた勝負を逃げるのか?」

 

「……そんな安い挑発にゃ乗らねぇぞ」

 

売られた喧嘩は買わなきゃ強襲科の名折れ。だからってコイツの無限勝負に付き合ってられるかよ。そもそも、それはもう俺の勝ちで終わった話だしな。だがルシフェリアの諦めの悪さと悪知恵の働き具合を俺は見誤っていたようだ。

 

「むー、ミュウよ、主様が我を無視するのじゃ」

 

なんとルシフェリアさん今度はミュウを巻き込み始めた。それも、まるで俺が悪者かのような言い回しで。そして何も知らないミュウは当然

 

「みゅ、パパ、そーゆーのは悪いことなの。……それとも、パパはルシフェリアお姉ちゃんのことが嫌いなの?」

 

と、それはそれは純粋な瞳で俺を見てくるのだった。ルシフェリアの野郎……まさかこれを狙ってミュウと仲良くなったんじゃなかろうな。ある程度はこっちのことを把握しているテテティとレテティは半分呆れ顔で俺を見ている。だが助け舟は出してくれないらしい。うぅ……ミュウよ、俺をそんな目で見ないで……。

 

「む……くっ……ルシフェリア、勝負たって何する気だ?」

 

で、ミュウまで使われたら折れるしかない俺は仕方なしにルシフェリアにそう返す。ティオはティオで俺の後ろで溜息だし。だからってティオもミュウに対して良い言葉は浮かばないのだろう。何か言うでもなく呆れ半分の顔でルシフェリアを見ていた。

 

「そうじゃの……では"あの"ポーズを取らされた方の負けじゃ」

 

結局いつものかよ。まぁいいや。それなら俺は絶対に負けないし。

 

「ふふふ……主様よ、今回は我もちと作戦を考えてきたのじゃ」

 

どうやらもう試合は始まっているらしい。構えたルシフェリアがスゥっと息を吸った瞬間───

 

「キ───むぐぉ───っ!?」

 

そのスッと通った綺麗な鼻筋を摘み、手のひらで口も塞ぐ。どうせデカい声で一瞬の隙を作ろうとしたんだろうけど、そもそもコイツの掛け声がデカいことは知っているからな。うるさい口は封じさせてもらおう。だいたい、マンションの一室であの声量は普通に迷惑。

 

で、俺はルシフェリアの鼻と口を塞いだまま小内刈りでルシフェリアを押し倒す。だがルシフェリアはくるりとボールみたいに丸まりながら転がって俺の下を抜け出し───

 

それを読めていた俺はルシフェリアが中腰になった瞬間に(たなごころ)で角の間の脳天を真下に押し込んでやる。

 

すると、それは想定外だったのかルシフェリアは「きゃうっ」とケツから床に落ちた。そして、頭を攻撃されると弱いらしくクラクラしながら呻いている。

 

「はぁ……"夜の森の嘶き"も……我の弱いところも主様には分かっておったんじゃなぁ。主様は本当に強いのじゃ」

 

それは俺が強いというか超能力や魔術無しのルシフェリアが弱すぎるのだけど、それは言わないでいいか。変な絡まれ方しても面倒だし。

 

「そりゃあな。腕っ節だけが俺ん取り柄だし」

 

「みゅ、パパはケンカが強いだけじゃないの。ちゃんとやさしいの!」

 

と、俺達のこれを相撲ごっこか何かとティオに説明されていたミュウがそんなことを言ってくれる。

 

「けどちょっと女の子にだらしがないのは直した方がいいの!」

 

「ミュ、ミュウよ……天人が今の一言でノックアウトされたのじゃが……」

 

ルシフェリアの攻撃なんてものともしなかった俺はミュウの一言で部屋の角に追いやられて床に指で"の"の字を描いていた。自分でも自覚はしていたけれど、娘に直接言われるとこうも心にクるもんなんだな……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「主様」

 

と、今度はルシフェリアがキッチンの方から俺を呼ぶ。すると、カウンターには何やらマッシュポテトだかポテトサラダだかが盛り付けられた皿が置いてあった。

 

「んー?」

 

「今度はこれで勝負じゃ」

 

どうやら俺がいじけている間にルシフェリアは料理を作っていたらしい。少なくとも見た目はマトモ。コイツは料理をするようなタイプには見えないから意外だな。

 

「これは我の郷土料理に近いものじゃ。ちょうど材料で似たものがあったのでな」

 

「ふぅん。……で、勝ち負けは?」

 

「主様が美味いと言ったら我の勝ちじゃ」

 

なるほど、それなら分かりやすいしちょうど時間も正午だからな。腹を満たすのにもピッタリだ。

 

「りょーかい。……んっ」

 

と、俺は箸で一掴み、そのポテサラを口に運ぶ。もし毒が入っていたとしても俺には効かないし、それならそれで、毒入りを理由にコイツの負けにしてやろうと思ったのだが───

 

「……んっ」

 

毒は入っていないようだった。それどころかこれは───

 

「ふむ、主様なら毒を疑うかと思ったのじゃが」

 

「んぐんぐ……。入ってても俺ぁ毒は効かねぇし入ってたら入ってたでそれを理由にしてやって、美味いなんて言わねぇつもりだったよ」

 

「むー!花嫁の手料理を疑っておったのか。なんて酷い主様じゃ。でもそれでこそ……」

 

と、ルシフェリアは疑われていたというのに何故か嬉しそうだ。……なんなのそれ。

 

「ま、今回は俺ん負けだ。これ、凄く美味いよ」

 

けれど、ルシフェリアの作ったこれはとても美味かった。それも、ただ美味いってんじゃない。まるで中毒性でもあるかのように箸が止まらなくなる美味さだったのだ。嘘をついてもバレやしないのだろうが、何となく嘘はつきたくなかった俺は正直に白状した。

 

「そうじゃろそうじゃろ!やったぞ、我の勝ちじゃな。どうじゃ、これで主様は我無しでは生きてはいけなくなったか?おかわりも作ってやろう。赤子のように我があーんして食べさせてもやろう」

 

で、俺がルシフェリアの料理を褒めたら褒めたでコイツは今にも天に召されそうなくらいに幸せそうな顔をして喜んでいる。で、何故か両手を交互に自分の頬に触れさせている。それ、ルシフェリア族の喜びの舞なの?

 

「……あーんは要らない。けど、暫くウチにいるならルシフェリアも料理当番やってもらってもいいかもな」

 

で、どうにも最近俺は甘っちょろいみたいで、俺に料理を褒められてそれはもう見たことないほど喜んでいるルシフェリアに「別にお前がいなくても生きていけるよ」とは言えなかった。そして出てきた代わりの言葉がこれ。だからティオ、俺だって自分で分かっているからそんな冷たい目で見ないでほしい。

 

「ほう!ふふふ……遂に主様がこの家に我が居ることを認めたぞ!……いやいや、そもそも花嫁を追い出そうとしていた主様の方がおかしかったんじゃ」

 

うんうん、と勝手に頷いているルシフェリア。確かにウチにいることは認めちまったけど俺はまだお前が俺の花嫁だなんてのは認めてないからな。

 

というのは視線だけに留めておく。おかげでこっちを見ていないルシフェリアには俺の気持ちなんてこれっぽっちも通じていないのだけれど。

 

 

 



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ネモ・リンカルン

 

「で、聞きたいことがあるんだけど」

 

昼飯は意外と料理上手なルシフェリアに任せてみたのだが、これがやはりティオ達にも好評。あのポテサラ以外の料理もミュウは美味い美味いと言っていたし、テテティとレテティも言葉こそなかったけれどその顔は喜色満面。とても気に入ったらしいのが見て分かった。尚、俺が食べたポテトサラダには隠し味にルシフェリアの()なるものが使われていると聞いて、それは他の奴のには入れるなよと厳命してあった。ルシフェリアも「あれを入れるのは主様のものだけじゃ」とか言ってたけど。ホントに止めてね。出来れば俺のにも入れないでくれると助かる。

 

そうして一応は腹も満たされたので俺は本題を切り出す。ミュウとテテティ、レテティはお腹が膨れて眠くなったのかお昼寝中。その寝かしつけと、見張りはティオがやってくれる。その間に俺はルシフェリアを自室に連れて行ったのだった。

 

そもそもコイツを連れてきたのはNやモリアーティのことを聞くためだったのだが、恥がどうのだとか花嫁が何だとか言われて煙に撒かれてしまっていたのだ。

 

「なんじゃ、主様よ」

 

で、クッションに座り込んだルシフェリアはルシフェリアで俺に構ってもらえるだけで嬉しいのか、短いシッポがぴょこぴょこ揺れている。あとこら、何故部屋の匂いを嗅ぐ?しかもなんか幸せそうな顔しているし。一応空気が籠らないように換気はしているけど、そんなに良い匂いもしねぇだろ……。

 

「お前とモリアーティの関係だよ。モリアーティの曾孫みたいなことは聞いたけど、実際どうなのよ」

 

で、そんな様子のおかしいルシフェリアは放って、俺は聞きたいことを尋ねる。シャーロックはルシフェリアとモリアーティの関係性は薄いようなことを言っていたし、実際モリアーティは俺に向けた砲撃を放つのにルシフェリアまで巻き込んだのだ。確かにルシフェリアをモリアーティに対する人質には使えないのかもしれないが、コイツからモリアーティをどう思っているのかはまだよく分かっていないからな。

 

「そのようじゃがの。詳しくは知らぬ」

 

「……何だそれ。お前ら一応家族じゃないの?」

 

「ルシフェリアには家族は不要。愛も要らぬ。孤高こそが強さ……じゃと思っておったのだが……」

 

と、どうやらモリアーティのことは詳しくは知らないらしいルシフェリアだが、何やらやっぱり様子がおかしい。頬を赤く染めながらこちらをチラチラと見上げてくる。

 

「んー?」

 

「いや、やはり何でもな───ピャァァァァ!?」

 

一応尋問なので隠し事はNG。というわけで俺はルシフェリアのシッポをむずっと掴む。そして上がるルシフェリアの嬌声のようや叫び声。

 

「言え」

 

と、俺は威圧も当てながらルシフェリアに隠した言葉の続きを問うた。

 

「あ……な……し、尻尾を……ルシフェリアの尻尾を主様は3回も掴んだのじゃ」

 

だがルシフェリアはワナワナと震えるだけで答えを返してこない。

 

「悪いけど、()()()()()は終わりだ。こっからは昨日の尋問の続きだよ」

 

俺の目を見て、そして魔力による威圧を受け、ルシフェリアは一瞬言葉に詰まる。だが顔を伏せながらも直ぐに言葉を吐き出した。

 

「───嫌じゃ」

 

だがそれは、否定の言葉だった。

 

「何……?」

 

「主様は、我のことが嫌いなのか……?」

 

ガバッと顔を上げたルシフェリアの瞳には涙が浮かんでいた。けれど、その1滴を零すことは、彼女のプライドが許さないのだろう。ギッと力を入れた目元で、その感情の発露は留まっていた。

 

「嫌いかと言われれば別に嫌いじゃあない。……で、さっき言い淀んだのは何を言おうとしたんだ?」

 

「では……好きか?」

 

どうやらルシフェリアは自分の問いに俺が答えなければ俺の問いに答えを返してくることはなさそうだ。別に、こんな問答をしなくたって魂魄魔法のアーティファクトで無理矢理に喋らせることもできるのだけれど、何となくそれは憚られた。何故だか、コイツとはしっかりと言葉を交わしてやらないといけないと思ったのだ。

 

「好き……の意味にもよる。俺ぁお前には恋愛感情を持っていないから、そういう意味じゃ好きじゃないけど、ルシフェリアの気丈なところは……まぁ好きだよ」

 

同時にそれは面倒臭い部分でもあるのだけれど、まぁそういうところも含めて俺はルシフェリアのことは特に嫌いってわけじゃあないからな。

 

そして、ルシフェリアは俺の言葉を受けて、沈んだり頬を赤く染めたりと忙しい。しかしコイツはコイツで感情の忙しない奴だな。

 

「で、俺に答えさせたんだから俺ん質問にも答えろ」

 

そう言って俺が凄むと、何故か知らんがルシフェリアは、まるで"キュン"ときたかのような顔をしながら俺を見る。そして、その顔を見て俺の経験則が告げてきた。これは……きっとまた駄目なやつだと……つまりは、もしかしたら()()()()()()なのかもしれないと。

 

「……我は、ナヴィガトリアで主様に負けた時、死にたい程の屈辱を覚えたのじゃ。けれどそれと同時に……喜びも覚えた───」

 

「喜び……?」

 

これはまさか……ティオの時と同じパターンか?だから俺が高圧的な態度を取った時とかコイツに意地悪をした時とかに赤くなったのか……?

 

「我はルシフェリア。地上の誰よりも強く、そしてそう在り続けねばならないとしてきた。それは母も祖母も、先祖代々そうしてきたのじゃ」

 

誰よりも強く……それがルシフェリアの……彼女の抱えてきた重し(プレッシャー)

 

「だから我も自分にそう言い聞かせてきたのじゃ。そして、肩肘張って、偉ぶって……あれだけ多くの者に囲まれながらも、我は孤独じゃった……」

 

孤独……ルシフェリアは多くの者に好かれていた。それはあの艦の様子を少しでも見れば分かることだった。ただ、多くの奴から好かれることと、そいつが孤独であることは矛盾しない。あの艦に乗っていた奴らは皆、ルシフェリアに憧れていただけで、彼女の友になってくれる奴はいなかったのだろう。

 

「それも……主様に負けて終わったがの。あの時我は最強の種の座から引きずり降ろされ、皆の前に顔を出せないくらいの辱めを受けたが……それでふと、肩の荷が降りたかのように軽くなったのじゃ」

 

俺がルシフェリアを倒したことで、ルシフェリアは最強ではなくなった。その虚勢はもう張れない。俺がそうしたのだ。

 

「車でアリアの家に運ばれていく間、我は時々目を覚ましておったがの。どうせこれから人間の処刑場に連れて行かれるのだろうと思っておったのじゃ。それがあそこで再び目覚め……そして主様は我を殺さなかった。それに、アリアに殺されそうになった時も我を守ってくれた。あの時にまた……我には新たな感情が芽生えたのじゃ。───守られた、嬉しい……というな」

 

その告白は、ルシフェリアにとって恥ずかしいことなのだろう。ルシフェリアは自分の手で朱に染まった顔を隠している。

 

「我は……かつては誰かに守ってもらうことなど考えたこともなかった。庇護されるのは弱さの証じゃから……。でもあの時守ってもらえて……ユエとの戦いの時も心配してくれておったな。それも凄くビックリして、嬉しくて……その後に食べ物まで我に用意してくれて……それで、我はもう……」

 

そう語るルシフェリアの声色は、俺にとっては聞き馴染みのある声色だった。だからルシフェリアが俺に抱く感情の正体も、俺には何となく予測が付いてしまっていた。

 

「それからも我は主様には勝てず……料理を褒められ……我の中でどんどん主様の存在が大きくなったのじゃ。そして、ユエ達を見て分かったのじゃ。この感情の正体は喜びだけではない。この感情は……」

 

ルシフェリアはそこで言い淀んだ。そして、ウットリとした顔で俺を見上げ、その瞳を潤ませたまま俺の膝に手を置いた。

 

「幸せ……きっとこれは……女の幸せじゃ……」

 

そうしてルシフェリアは、今までにないくらいに蠱惑的に俺に寄りかかってきた。俺は、流石にルシフェリアの身体を跳ね除けてしまうことが出来なかった。跳ね除けて、拒絶の意志を示してしまえば全てが終わるのに。もうきっとルシフェリアからはこれ以上有益な情報は取れないだろう。モリアーティ達は潜水艦で移動する以上、ルシフェリアも今の奴らの位置は知らないだろうし、そもそも場所なんてものは羅針盤で調べれば直ぐにわかることなのだ。

 

シャーロックが言っていた、俺やユエ達への対策だってコイツは知らされていない可能性もある。むしろ、コイツが知っていたのならモリアーティはもっと苛烈にルシフェリアだけは始末しようとした筈だ。だがモリアーティは巻き込むことを躊躇いこそしなかったが積極的にルシフェリアを殺そうとはしなかった。

 

だから俺はこれ以上この女に甘くしてやる必要はない。むしろ、ここで跳ね除けてしまわないとまたユエ達にドヤされるのは確実なのに。

 

「ルシフェリア……」

 

「何じゃ?主様……」

 

俺がルシフェリアの名前を呼ぶだけでルシフェリアは嬉しそうに頬を染める。その顔は正しく恋をした乙女そのもので、俺は思わず押し黙る。

 

「……もしお前がユエのメイドを続けるなら、俺ぁお前も守るよ。けど、それは花嫁としてじゃあない。もしルシフェリアが俺の花嫁になりたいんだったら、俺だけじゃない。リサやユエ達を納得させなきゃ駄目だ。分かるか?」

 

「主様は、我を花嫁と認めてはくれぬのか?」

 

「あぁ。アイツらの許し無しにルシフェリアを……他の女を花嫁として扱うことはあの子達への裏切りになる。俺ぁそれだけは出来ねぇ。……だけど、もしルシフェリアがあの子達を納得させられたなら、俺もお前のことを花嫁とするかどうか、真剣に考えるよ」

 

だからお前は甘いんだと、俺の中のユエ達が俺を半眼で睨む。分かってるよ、自分が酷く駄目な奴だってことくらい。けど、どうしても俺はルシフェリアを強く拒めなかった。己は強いんだと周りに虚勢を張って、そしてその虚勢を崩しても良い相手に依存してしまう気持ちは……俺には充分以上に理解出来てしまうから。

 

「主様……我も……リサやユエ達のように主様から愛されてもいいのか……?」

 

ズイッと、ルシフェリアがその端正な顔を俺の顔に思いっ切り近付けてきた。それと同時に香る甘い香り。

 

「さぁな」

 

と、そろそろドアの向こうで控えているティオからの気配が鋭くなってきたので俺はにべもなくルシフェリアの身体を俺の身体から離した。するとルシフェリアは俺に触れられた途端に「んっ」なんて艶かしい声を出すもんだからドアから殺気が。て言うかルシフェリア、お前今の声はもうティオがいること分かっててワザとでしょ。流石は悪魔ちゃんだぜ。ホント、嫌がらせが的確だよ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

午後3時過ぎ、俺の携帯に着信あり。しかも携帯の画面に写ったその番号の登録名は───

 

「ネモ……?」

 

ネモ・リンカルンその人だった。急にどうしたんだ?いや、ルシフェリアの身柄がこっちにあることくらい把握しているだろうし、急でもないのか。と、俺はその電話に出る。

 

「ネモか?」

 

と、俺はネモに合わせてフランス語で電話に出る。すると返ってきたのは───

 

「あぁ、天人。私だ」

 

ネモの綺麗なフランス語だった。

 

「電話してこれたってことは一応無事?」

 

「ノーチラスはシャーロックに追い回されたがな」

 

何かそんな様なことはシャーロックも言っていたな。逆に追い返されたようなことも言っていた気がするが。

 

「で、どうしたのよ」

 

「ルシフェリアはそこか?」

 

「おう。いるぞ」

 

「今私も日本の……東京にいるのだ。そこでだな───」

 

と、ネモが珍しく言葉に迷っている。

 

「迎えに来てほしいのだ。……私は酷く方向音痴でな。電車でそこへ行こうとしたが駅名が読めずに辿り着けなくて……今構内を出た駅も何駅か分からない。タクシーのような小型車に乗ると……とても車酔いする体質だし……」

 

世界を股にかけてこの世を超常が跋扈する世の中に変えようというNの重鎮が方向音痴な上に乗り物酔いする体質って……。

 

「可愛いなお前……」

 

と、俺は思わず本音が零れる。もちろん日本語でだけど。だが───

 

「なっ……かわっ……!?」

 

あれ、ネモが電話口でも分かるくらいに慌てている。どうやら俺から零れ落ちた日本語が伝わってしまったらしい。ふむ、つまりネモは日本語も喋れるってことか。

 

「……日本語分かるんなら乗り換えくらいはどうにかならなかったの?」

 

「え……あっ……いや、勉強して日常会話くらいは出来るようになったが、まだ漢字が読めないのだ」

 

あぁ、なるほどね。俺も漢字は苦労したなぁ。今じゃ言語理解のおかげで何語でも構わず読めるけどさ。

 

「あー……じゃあ迎え行くよ。その駅の特徴とか分かる?」

 

まぁ答えが出なさそうなら羅針盤で探すけど。

 

「あぁ、ありがとう。東京の……恐らくセントラル駅にいる。アムステルダム中央駅(セントラル)とそっくりだ」

 

お、それなら1箇所だけ心当たりがあるぞ。そりゃあ東京駅だ。良かったよ、方向音痴のネモが変に行き辛い駅に行ってなくて。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ティオにはネモを迎えに行くと言って俺は1人家を出る。新橋駅経由の山手線で東京駅に向かった俺は、ネモがいるというカエデ並木道、そこにある内店の傍にネモはいた。

 

アメリカ旅行以来の私服姿。ガーリーなそれは控えめなフリルの白いブラウスとコーラルピンクのミニスカート。ネモは異国で落ち着かないのか前髪やツインテールを梳かすように指先で弄っていた。そして、まだ少し距離はあったが俺に気付き───

 

「───天人!!」

 

トタトタと、その青く美しい色のツインテールを靡かせながら女の子走りで俺に駆け寄ってきた。

 

俺もネモに「おう」と片手を上げて応える。で、女の荷物を男が持つのは義務で名誉だとジャンヌ先生に教え込まれた俺は、その癖でそのままネモのトランクを持ってやる。するとジャンヌと同じフランス人のネモにとってもそれは常識だったのか、すんなりとトランクを手渡してきた。

 

「長旅お疲れさん。大丈夫だったか?」

 

「当たり前だ。私の一族は深海の一族。海中では遅れはとらない」

 

いや、そっちじゃなくて。

 

「じゃなくて。待ってる間、変な奴に絡まれなかったか?ナンパとか、ネモ声掛けられそうだし」

 

ネモさん背は低いけどとっても可愛らしいからな。しかも今はあの厳しい軍服じゃなくて普通の女の子っぽい服だし。パッと見で外国人なのは分かるだろうけど、英語や、最悪日本語でも話しかけてくる輩はいたかもしれない。それに、ネモは日本語が少しは話せるようになったらしいし、それで思わず日本語で返したら余計にしつこく誘われそうだ。

 

「お前は、私がそんなのに靡く女だと思うのか?」

 

と、ネモはジト目で俺を見上げながら睨む。

 

「いや、靡くとは思わないけどしつこい奴はしつこいし、ここじゃ派手に力ぁ使えないでしょ?」

 

まさかこんな衆人環視の中目からビームを撃つわけにもいくまいし。

 

「天人は、私のことを心配してくれるのか?」

 

と、ネモがその綺麗な瑠璃紺(ガーターブルー)の瞳で俺を見上げる。今度は湿度の高いジト目ではなく、何かを期待するような色の篭もった瞳だった。

 

「え、そりゃあするでしょ」

 

知らない国で、いくら強い力を持ってはいてもそんなものを振り回せる状況にもなくて、しかもネモは腕力的に強いわけじゃない。そんな子が1人東京のド真ん中でポツンと佇んでいるのなら心配の1つもするだろうよ。

 

と、俺としては至極普通のことを言っただけだと思ったのだが、ネモにとっては予想外の言葉だったらしく、照れた風に頬を赤く染め、そっぽを向いてしまった。

 

「まぁいいや、行こうぜ。……迷子にならないように手ぇ繋いでやろうか?」

 

ついでにからかい半分でそんなことを言ってみたのだが、思いの外ネモが素直に自分のそのちっちゃい紅葉みたいな手を差し出してくるもんだから、俺は思わず一瞬固まり……そして言い出した手前引っ込みがつかずにその手を握ってやったのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「そういや、ネモならあの瞬間移動で俺の家に来れなかったのか?ノーチラスからなら目立たなかったろ」

 

と、いい加減電車の中じゃ手を離してくれたネモに、俺はそんな質問をする。街中での瞬間移動は流石に目立ちすぎるのは俺も越境鍵を持っているから分かる。だが自分の艦で行うなら、行き先もネモの力を知っている俺の元だし、気にする必要はないと思ったのだ。

 

陽位相跳躍(フェルミオンリーブ)は危険を伴う術だから、あまり知らない場所には跳びたくない。知らない場所へ跳躍するとなると、座標の検索や設定が必要になり、精密かつ安全な跳躍が難しくなる。"視界内"や"強い印象のある場所"なら比較的容易に跳躍できるのだが……」

 

ふうん。まぁ確かに俺の越境鍵も座標が曖昧だとどこにも行けないからな。ネモの言っていることは、こういう便利な瞬間移動系の力の宿命なのかもしれん。

 

「天人も実際、私の元へは電車で来ただろう?帰りもこうして公共交通機関を使っているし」

 

「いや、だって瞬間移動とか人前でやったら馬鹿目立つじゃん。普段はこうやって自分の足と公共交通機関を使うのが良いんですよ。あんまり便利に魔法とか使ってっとダメ野郎になっちゃうし」

 

という俺の言葉にネモは一瞬何かに引っ掛かりを覚えたような顔をして……そして直ぐに「そうかもな」とだけ返してきた。

 

その後は電車の窓から景色を眺めていたネモが半月が綺麗だとか日本にあってフランスにはない様子だとかについて適当に駄弁る。そうして俺達は乗り換え駅に着いた。ここは時間的にも人が少なく、俺達は少し込み入った話をすることにした。

 

「ルシフェリアとは争いになっていないか?」

 

「1回ユエとルシフェリアで決闘にはなったよ」

 

と、俺が言えば───

 

「なっ───!?ユエはっ!?……いや、その様子だとユエは無事なようだな……」

 

ほうっと、ネモは溜息を1つ。やはり、ルシフェリアは本気を出せば相当に強いようだ。まぁ、宇宙にある太陽光を収束させて地上に叩き付けるなんて技が出来るんだ。そりゃあそんなのと戦ったと聞かされたら相手の命の心配もするよな。

 

「……ルシフェリアがその気になって魔術を弄すれば、天人やユエだけでなく、この世界の人間を全員殺せるのだ」

 

と、ネモは真剣な声色でそう告げた。

 

「だろうな。アイツの魔術の類は今は俺が封印しているけど、だから分かるよ。アイツがその気になればこの星を滅ぼすことだってできる」

 

「───封印?できたのか?私達も万が一のことを考えて、そういう行為を検討したことはあるが、出来なさそうだったぞ」

 

「んー?ま、別の世界の魔法ってやつでな」

 

そう俺が言えば、イタリアでは氷焔之皇で自分の超々能力を潰された経験のあるネモは自分の小さい顎にその白くて細い指を当てて思案顔。だが直ぐに思い至ったようで

 

「なるほど、イタリアで私の超々能力を潰したのと同じ類の能力か」

 

と、即座に()()()を付けてくるのであった。やっぱりコイツも頭良いなぁ。ま、じゃなきゃNの提督なんて立場、やってられないんだろうな。

 

「封印出来ているのならそれでいい。ルシフェリアは代々、人類と全面的には争わない協定を守っている。本人も人類を滅ぼしても旨味はないと分かっているから心配は要らないだろう。ただ、彼女には、単独でも大魔術によるこの世界への侵略が可能だということは夢々忘れるなよ」

 

と、ネモは真剣な顔で念押しをしてくる。

 

「ルシフェリアは向こうの世界───レクテイアの神族。それも上位神……強い神だ。彼女個人が比較的に平和主義であっても、彼女を利用しようとする者が現れるとこの世界が危機に陥る。我々はそれを気をつけねばならない」

 

もしそうなれば俺は今は封印で留めているルシフェリアへの氷焔之皇の拘束を、今度は魔術の燃焼という形で永久に没収するだろう。そうしてしまえば彼女はただちょっと角の生えただけの美人に終わるからな。

 

「あぁ、それに対する対策も、まぁあるにはある。……んで、その上位神とかってのは何で決まってんの?」

 

「向こうの神は、こちらの神とは定義や概念が異なるのだ。自分の意思で世界を自由に変えてしまえる者。狭義では"世界を滅ぼせる者"を神と呼んでいるのだ」

 

確かに、クロリシアもその気になればこの世界を滅ぼせただろう。それにはそれなりの時間が必要だとは思うが、生態系を著しく変えてしまえるというのは世界を変えるに相応しい。

 

「んじゃあ、その上位だの下位だのはどーやって決めてんだ?滅ぼせんなら全部同じじゃないの?やっぱパパっとやれる奴が上?」

 

「その通りだ。どれだけ迅速に効率良く世界を滅ぼせるかで神の強弱は決まる」

 

そうなると俺が神になっても序列は低そうだな。て言うか神に収まれるかすら微妙だ。いや、昇華魔法で生成魔法とか重力魔法の適性を上げれば星を1つ滅ぼすことはできるかもな。

 

「……具体的には?」

 

「先日のクロリシアは下の中。仮に人類の核兵器を全て自由に撃てる者がいるとすると、そいつの強さは中の下。熱核攻撃はレクテイアの尺度ではさほど効率的とは言えないのでな。そして───ルシフェリアは、上の中。紛うことなき上位神だ」

 

言われてみれば、異世界の植物を持ち込んで生態系を乱すよりも、核ミサイル撃ちまくる方が人類殲滅は早そうだ。そして、それよりもブラックホールを生み出したり氷河期を迎えさせたり、地軸をズラしてしまう方が更に効率的だろうな。

 

「もっとも、出来ることとやることは別の問題だ。ただ、機嫌は損ねない方が良いし、監視も兼ねて面倒を見てやるべきだろう。そもそも、彼女は周囲に世話をする者がいないと駄目なタイプだし」

 

そんな彼女は今、ユエさんのメイドになり俺達に昼飯を作ってくれましたって言ったら、ネモはどんな顔をするんだろうな。ま、それは後のお楽しみにしておこう。そういや今日の学校が終わればリサはルシフェリア用のメイド服を作るための布を買いに行くはずだ。ということは、一両日中くらいにはメイドルシフェリアが見られるということだ。ふむ……これもネモに見せてやりたいな。

 

「……何を可笑しそうな顔をしているのだ」

 

「いや、何でもない。続けてくれ」

 

「そうか……。ルシフェリアはNでは自由に振舞っていて、教授も管理していなかった。曾孫だからか放任されていたのだ。だが、今回初めて彼女を見守るように頼まれた」

 

なるほど、ネモが態々日本に来たのはそんな理由があったのね。だが、アリアの目的はルシフェリアと仲良くなりNの空中分解を狙うこと。当然Nの一員であるネモとはあまり一緒には居させない方が良い気もするんだけどな……。

 

と、そんな話をしている間に俺達は最寄り駅に着いた。人通りの少ないここは、さっきまでと同じように内密な話をするのにはおあつらえ向きだった。だから俺は、ここ最近頭に浮かんでいたあることを、ネモに打ち明けることにした。

 

「……ネモ」

 

「どうした?」

 

俺の、今までとは少し違う真剣な声色にネモが不思議そうにコチラを見上げてきた。

 

「色々考えたんだけどさ、ネモ。俺達と一緒に来ないか?俺には……お前が必要なんだ」

 

超能力者や魔女といった超常の存在が差別されない世界。それがネモの目指す世界で、俺もその世界が欲しい。それは、リサやユエ達が自分を偽らずに生きていける世界だと思うからだ。けれどネモはそんな世界を作るためにテロ行為をも辞さないと言う。俺達はそんな手段で作られる世界は許容できない。

 

そして、俺達の手には世界の扉を開く鍵がある。膨大な準備や時間の跳躍のリスクもあり、こことレクテイアしか繋げないNの世界間跳躍と違って、俺の持つ越境鍵であれば時間の跳躍も無く、好きな世界へと繋がれるのだ。

 

さらに、越境鍵程の汎用性は無くとも、決められた世界と世界を繋ぐ扉を開く鍵であれば、ある程度の数は生み出せると思う。その力が俺達にはある。

 

だから、世界の準備と、扉の準備。N……いや、ネモと俺達が手を組めば、ネモの理想の世界はきっとNでモリアーティと作り上げるよりももっと早く平和的に作り上げられると思うのだ。それにシャーロック曰く、モリアーティの目的はただ自分だけが行く末を知っている混沌を生み出すこと。そんな目的のためにネモの純粋な願いが利用されているのは腹が立つ。だったら同じ志を持つ者同士……これからは本当の同志になれるはずだ。

 

───という思いを込めて端的に言いたいことを伝えた、筈なのだが、ネモの反応は俺の思っていたのと少し……いや結構違っていた。

 

「あっ……なっ……えと……」

 

ネモは顔を真っ赤に染めて、両手を広げてブンブン振りながらワタワタしている。え、今の話そんなに照れる要素ありました?返事がイエスでもノーでも、何かもうちょい違うレスポンスじゃない?

 

「これでも俺ぁ真剣だよ。だから、ネモにも考えてほしい。これは……俺達の将来に関わる話だから」

 

「しょっ……」

 

伝わっているのか不安なので念押しをしたはずなのにネモのテンパり具合が酷くなった。今度はもう言葉にも詰まって動きも固まってしまっている。これは、もしかしたら俺が言葉を間違えたのかもしれない。て言うか、多分間違えてんだろうなぁ。……さて、ではこれまでの会話を思い返してみようか。ネモがおかしくなったのは俺の言葉からだ。

 

まず今の状況、周りに人はいない。あまり人に聞かれたくない話をするのにはうってつけのシチュエーション。時間は夕方、沈みかけた夕日が俺達を赤く照らしている。その日暮れの頃、これから俺の家に行く道すがらの言葉だ。俺の言葉は端的に言えば"俺と来てほしい、俺にはお前が必要だ"……か。

 

で、その後には"真剣に話している、俺達の将来に関わる話だから"ね。

 

 

………………………………………………………………………………………………………………うん、俺が悪い。

 

 

いやこれ半分……ってかほぼプロポーズじゃん。俺は馬鹿なの?いや、馬鹿でしたね……友人だと思ってた男にいきなりそんなこと言われたらそりゃあネモも驚くよね……。

 

「あ、ネモ……誤解してい───」

 

「───返事は!!」

 

「あ、はい」

 

ネモの誤解を解こうかと思ったのだが、ネモに機先を制された上、勢いで押し切られてしまった。

 

「……分かった。私も真剣に考えるから。返事は、もう少し待ってほしい」

 

待ってほしいのはむしろこちらである。いや、誤解を生む言い回しをしてしまったのは俺だけど、そんな顔真っ赤にして目線逸らしながら言われても完全にプロポーズの返事を考える女の子にしか見えませんから……。だからせめて、せめて誤解だけは解かせてほしい……。という俺の思いは……

 

「あ、あぁ。待ってるよ」

 

ネモの醸し出す乙女な雰囲気に流されてしまって、届けることが出来ずに終わってしまうのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ネモが黙りこくってしまった。いや、正確にはゴニョゴニョとフランス語で何やら呟いているし、俺の聴力なら聞こうと思えば内容も聞こえるとは思うのだけれど、それを全て把握してしまうのが怖かった俺はなるべく耳に入れないようにしていた。

 

だが俺が玄関の扉を開けると、なんとそこにいたのは───

 

「アリア……?」

 

そう、何故かアリアが来ていたのだ。て言うか、この距離なら扉越しでも気配感知で分かったでしょうよ。どんだけ動揺してたんだ俺は。

 

「主様〜……同志ネモ!来てくれたのか!」

 

「おかえり、家主様。……って、何でネモまでいるのよ!」

 

「あぁ、同志ルシ……神崎・ホームズ・アリア!?何故ここに!?」

 

で、ひょこっと俺達を出迎えてくれたルシフェリアと、何故かいるアリアと俺が連れて来たネモ。黒にピンクに水色。カラフルな3色が互いに見合っている。そして───

 

「「……っ!?」」

 

お互いに相手が何故ここにいるかを考え、そしてそれらがどうでもよくなったのか他に優先すべきことがあると思ったのか、ネモとアリアらお互いに睨み合い、そしてアリアはその赤紫色(カメリア)の瞳を、ネモはその瑠璃紺(ガーターブルー)の瞳を、それぞれ片方ずつ光らせ始めた。

 

「ここでビームを撃とうとするなアホ」

 

だが、その光は直ぐに雲散霧消する。俺が氷焔之皇でビームを凍結させたからだ。ここは俺の家で一応賃貸なんだぞ。最悪再生魔法で無かったことに出来るとはいえ、そう気軽にビームを放ってもらっても困るんだよ。

 

だがこの2人はビーム(超々能力)が使えないと見るや直ぐ様肉弾戦に切り替える。アリアは背中から寸詰まりの2本の日本刀を、ネモもショートソードをスラリと抜き放ち、お互いを刺そうとそれを突き出す。

 

「……む」

 

だがアリアの両手は氷の元素魔法で、ネモはショートソードを持っている右手首を掴んで2人を拘束。

 

「刀ぁ折られたくなけりゃ力抜きな。て言うか、出会った傍から戦おうとするなよ」

 

俺がいるこの場では戦闘は無理と悟ったのかアリアとネモの力が緩む。俺はそれを合図に2人の拘束を解いた。

 

「……ネモは曾お爺様を殺そうとした敵よ」

 

「それこそ、シャーロックは私を殺そうとした敵だ」

 

で、また2人とも睨み合うし。キリがないなコイツら。

 

「あぁ……まずアリア、何でお前ここにいんの?」

 

ネモがいる理由は俺が説明ができるので、まずは何故アリアが俺の家にいるのか、そこから尋ねることにした。

 

「ルシフェリアの様子を見に来たのよ。この家は女の子ばっかりだけどアンタの女癖の悪さはキンジクラスだわ。そんなの、ルシフェリアが心配になるじゃない」

 

「オーケー、その大いなる誤解については後で話し合おう。そして見ての通り、ルシフェリアは元気だし俺ぁ手ぇ出してねぇぞ」

 

「そんなことより、何でネモがアンタといるのよ。ネモはNの提督!私達の敵なのよ!?」

 

「ネモもルシフェリアの様子見に来たんだよ。俺ぁ迎えに行ってただけ」

 

俺の女癖が悪いという不名誉な誤解を"そんなこと"で流されるのは納得いかないけど反論の余地も無いっちゃ無いのでそこは一旦脇に置いておく。すると───

 

「玄関先でどうしたのだ?」

 

「……んっ、ドア開けた途端に騒がしい」

 

という声に振り返ればジャンヌとユエがちょうど帰宅。リサとシアは布を買いに行ったのかな。すると、ネモの姿を認めた2人は「久しぶり」と軽く挨拶。靴を脱ぎ俺達の脇を通ってユエは自分の部屋に、ジャンヌはリビングへ、そそくさと向かってしまった。

 

「……あんた達、テロリストと仲良すぎるわ」

 

「───ネモ様!?」

 

と、今度は向こうの部屋から戻ってきたエンディミラがネモの訪問に驚いている。

 

「エンディミラか、天人には良くしてもらっているか?」

 

「はい、天人とは仲良く……」

 

エンディミラさんや、いい加減そこで照れるのは止めましょう。そしてネモ、お前は俺をケダモノを見る目で見るな。そーゆー目で見られるのは結構辛いんだぞ。

 

「みゅ、ネモお姉ちゃんなの!」

 

「あらあら、お久しぶりです」

 

で、今度はミュウとレミアだ。ミュウはお昼寝から目覚めてからはレミアの方に行っていたからな。て言うか、もう神代家全員集合にも近いな。そのうちリサとシアも帰ってくるだろうし、さっきティオとテテティ、レテティも顔を覗かせていたし。何だかとっても騒がしくなりそうな予感がプンプンするぜ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

取り敢えず2人には光モンを仕舞わせる。そんなもんを出されながらじゃ冷静に話し合いも出来ないだろうからな。それで渋々家に上がった2人は、しかし敵対的な空気を崩そうとはしなかった。ただ無言で紅茶やコーヒーを啜る時間だけが過ぎる。

 

「では、こうしましょう」

 

と、この空気感を見兼ねてか、エンディミラが柏手を打って何やら思い付いた様子。

 

「ルシフェリア様、ネモ様、私、アリアで一緒にお風呂に入りましょう。エルフの知恵で、同じ水に入ると仲良くなれるのです」

 

日本では腹を割って話すとか裸の付き合いとか、そんな言い回しがあるように風呂に入ると仲良くなるというのはあながち間違いでもない。どっかのバスタブメーカーの調査だと、同じ風呂に入った日本人の61%が友人との距離が近くなったと回答しているらしい。1度女同士でゆっくり話し合うべきだな。

 

「そうだな、バスタブメーカーの調査でもそれでいい数字が出てるらしいし、俺もリサ達迎えに行ってくるから、その間に風呂入っててくれ」

 

と、俺は立ち上がり、部屋を出ていく。エンディミラとルシフェリアはともかく、アリアとネモは流石に俺が居るのに風呂には入りたがらないだろうからな。

 

「エンディミラと天人がそういうのなら入ろう」

 

と、ネモは信頼していた部下の発言であることもあってか直ぐにその気になってくれた。負けず嫌いのアリアもネモのその様子を見てなら自分もと立ち上がった。まったく、コイツらが揃ったのは何か大きな間違いだったような気がするよ……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

リサに連絡を取り、彼女達と合流した俺は荷物持ちをしながら時間を潰し、ティオからアリア達の風呂が終わり、4人とも着替え終わったという連絡を貰ってから部屋へと戻った。

 

すると、俺が部屋を出る前よりはアリアとネモの関係性は多少は良くなったようで、腹が減っただのと話している。で、アリアとネモはどうやらユエに服を借りたらしく、2人ともこれまたガーリーな感じ服を着ている。しかも2人ともツインテールじゃなくて長い髪をそれぞれ降ろしているから中々に新鮮な光景だ。

 

で、今日の飯の当番はレミアらしく、もう既に夕飯の良い匂いが漂っている。あとティオとミュウ、テテティ、レテティの気配が風呂場からする。どうやらもう皆風呂に入ってしまおうということらしい。

 

「おや、アリアさん」

 

「アリア様、いらっしゃいませ」

 

「あら、シア、リサ。お邪魔しているわ」

 

これで神代家全員集合かな。すると───

 

「皆さん、お夕飯が出来ましたよ」

 

というレミアの声。シアは「手を洗ってくるですぅ」と元気よく通学に使っているリュックを置きに部屋に戻り、リサも同じく学生カバンを置きに戻った。他の奴ら──いるのはユエにエンディミラ、ジャンヌくらいだが──は配膳を手伝ういつもの光景。で、そこにユエに睨まれたルシフェリアも加わる。それを見てネモがひっくり返りそうになっていたので俺は咄嗟にその小さい背中を支えてやる。

 

「ル……ルシフェリアが……手伝っている……?」

 

あぁ……ネモ的にはルシフェリアが配膳を手伝うなんて光景は見たことがないのか。まぁ確かにアイツはこういうことやらない風だもんなぁ。

 

「あれ、風呂で聞かなかった?」

 

「聞いているものかっ!あ、あのルシフェリアがお手伝いをしているだと……!?」

 

「ユエとルシフェリアで1回喧嘩になったって言ったろ?それで、ルシフェリアは負けたからユエの()()()になったんだよ。今日リサ達が買ってきたこの布も、ルシフェリアのメイド服になる」

 

と、俺の語った事実はネモにとっては余程衝撃的だったらしい。「うぼぁ……」なんて、乙女にあるまじき呻き声を上げながら魂が抜けてしまいそうな顔をしているよ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

皆で食卓を囲みながら飯を食う。今日はゲストにアリアとネモも加えて、ただでさえ賑やかな神代家の食卓が更に混迷を極めていた。

 

「まさか、こうしてネモやルシフェリアとご飯を食べる時が来るとは思わなかったわ。これも、天人の女癖の悪さのおかげね」

 

褒めるならもうちょい言葉を選んでほしいものだ。それだとほぼ貶しているぞアリアよ。という俺の抗議の目線は柳に風。アリアには完全に受け流されているしネモはうんうんと頷いているし。

 

「アリア、皆で仲良くするのは良いことじゃぞ。世界と世界の繋がりは人と人との繋がりから始まるのじゃ。こことレクテイアの繋がりも、我と主様の婚姻でスムーズに結びつくであろう」

 

と、ルシフェリアさんは良いことは言っているのだが最後が余計。俺はルシフェリアと結婚する気はないってのに。

 

「……それはダメ。主の旦那に手を出すメイドは許しません」

 

ふい、とアリアがリサを見るがリサはニコニコと笑っているだけ。ただいつもの花の咲くような可愛らしい笑顔と言うより、ちょっと裏のありそうな笑み。すると今度はアリアの目線が俺に映る。何ならネモも俺を見ているしリサも俺を見てる。あれ、これ俺が何か言わなきゃいけない流れなの?

 

「リサはメイドもやってる嫁だから」

 

と、俺はお決まりの言葉を返す。するとリサのニコニコ顔がいつもの柔らかく愛らしいそれになった。良かった、少なくともリサの正解は当てられたようだ。

 

「……そう、そもそもリサは天人が1番最初に愛した女の子だからいいの。でもルシフェリアは違うでしょ?」

 

で、ユエさんはルシフェリアに圧をかけるような雰囲気と言い回し。それを見てネモは今度はアワアワと震えている。コイツも忙しい奴だ。だがルシフェリアはそこで何故か余裕の笑み。え……それはそれで怖いんだけど、あなた様はどんな爆弾をお持ちなんですの?

 

「主様は我の身体をあんなに貪り食ったというのにのう。戦いの責任も、女を貪った責任からも逃げるというのか?」

 

「ぶぐぅっ!?───ゴホッゴホッ!」

 

で、叩きつけられた爆弾に俺は口に含んでいた水を噴き出しそうになり、慌てて飲み込んだが少しだけ気管に入ってむせた。

 

「……天人?」

 

ユエの……ユエ様の目がヤバい!あ、シアもだ!完全に目から光が失われている!!アリアはケダモノを見る目で俺を見ないで!!

 

「これっぽっちもお前の身体なんて求めたことないだろうが!!なんだその作り話は!」

 

というか、全部知っているはずのティオさん!助けてよ!!

 

「天人貴様!ルシフェリアと関係を持った直後に私にプロポーズをしたというのかっ!?」

 

あぁネモさん!状況をこれ以上ややこしくしないで!ネモさんのその発言でさっきまで目に光のあった何人かの瞳から光が失われてしまっているから!!

 

「……ちょっと天人さん?これは()()の必要があるですぅ」

 

無い無い!全部誤解なの!だからそんなに魔力光を迸らせないで!え、()()飲むの……?あ、真紅の魔力光はヤバいって!そっち(オーバーイクス)まで上げられると多重結界も余裕で抜けるんだから!!

 

「か、身体ってあれか!?昼間のマッシュポテトに勝手に入れやがった汁とかいうやつだろ?そんなんノーカンだろうが!」

 

と俺が情けなく叫ぶとルシフェリア「きひひっ」とそれはそれは悪魔っぽく笑うのであった。ちなみにどこからどう抽出された汁なのかは怖くて聞けていない。毒物じゃなかったので俺の毒耐性にも何も反応無かったし。だがこれで笑っているのはルシフェリアだけ。そりゃあそうだ、まだ俺のネモへのプロポーズの話が終わっていないからなっ!

 

「あ、あれは誤解なんだ!」

 

「誤解だと!?まさか……あれはお巫山戯で貴様は乙女心を弄んだというのかっ!」

 

「いえ真剣でしたっ!」

 

「やっぱりネモさんにプロポーズしたんですねっ!?」

 

「してませんっ!そうじゃなくて!あれはNじゃなくて俺達と一緒に新しい世界の形を作ろうぜって話でした!」

 

「え……あっ……そういう……それならそうと早く言えっ!おかげて……エンディミラやルシフェリアにも本気で相談しようと思っていたんだからなっ!」

 

「私はまたネモ様と一緒にいられるのは嬉しいです」

 

「我も、もうNやナヴィガトリアに戻る気はないからのう。ネモも一緒にこっちに来ると良いのじゃ」

 

一瞬ガッカリした風で、その後には真っ赤になってキレ散らかしているネモに、ネモと仲が良かったらしいエンディミラとルシフェリアがこっちにおいでと勧誘をしている。あとユエさんシアさんティオさん、誤解は解けたんですからもう俺をジト目で睨むのは止めません?あとジャンヌ、お前は何でいつもこういう時は我関せずで紅茶啜ってるの?て言うか食うの早くない?ちゃんと噛んでる?

 

「う……だが私にはNの提督としての立場が……」

 

「それでも、俺ぁお前が欲しい」

 

実はさっきの問答の際にユエからは神言で多重結界を解除させられ、更にシアには組み伏せられているので俺はそんな状態でネモを見上げながらもそう伝える。

 

「うう……何故天人はそんなに私を求める?貴様の力なら扉を開けることなど容易いように思えるが」

 

ネモはこちらにいるエンディミラをチラリと見やりながらそう言った。一応真剣なお話なのでシアには俺の上から退いてもらいながら俺は言葉を続けた。

 

「開けるだけならな。もっとも、まだ開き続ける為の手段がないけど、それはこれから考える。けどやっぱり俺ぁ頭が足りないんだよ。その手段だって思い付かないし。……それに、扉を開けたって受け入れてくれる世界がなけりゃ意味がない。それはネモじゃなきゃ作れないんだ」

 

だから俺にはネモが必要なのだ。そして、俺は敢えてシャーロックから聞いたモリアーティの目的は伏せてある。ネモはモリアーティのことを信頼し、心酔しているようだから言ったところで逆に来てくれなさそうだからな。

 

「それは……少し、考えさせてくれ」

 

「あぁ。考えてくれるだけでも嬉しいよ」

 

「まったく貴様は本当に……」

 

で、誤解は全て解けたはずなのに何故俺は皆さんからジト目を頂戴しているのでしょうか。

 

「……そう言えば天人」

 

「んー?」

 

と、何やら思い付いた様子のネモ。ただ、その顔に浮かぶのは意地の悪い笑みで、きっとその口から出てくる言葉はろくでもないものなのだろうという嫌な予感がビシバシ漂ってきた。

 

「私の乙女心を弄んだ責任もあるがもう1つ、私の裸を見た責任もまだ取ってもらっていないな」

 

「は……ぐぇっ───」

 

何の話だっけと思い返す暇もなく俺はシアに再び組み伏せられる。あ、ユエの目から光が消えた。きっとこれはシアの目からも光が消えているのだろう。完全にうつ伏せに組み伏せられているからシアの顔色は全く伺えないのだけれど。

 

「……天人?」

 

「うす……あれだろ?前にキンジを助けに無人島に行った時の話だろ」

 

と、俺が言えばネモも頷く。……やっぱりあれの話か。

 

「あれはまずキンジを日本に返して、ネモもいるって聞いてたからそのまま島のどっかにいるネモの所に扉を開いたんだよ。そしたらネモが……水浴びをしてるところだった」

 

「なるほど、天人さんとしては見たくて見たわけではないと?」

 

上からシアの冷たい声がする。怖いってその声。

 

「もちろん。まさか無人島で……しかもキンジ()がいる島のド真ん中で水浴びしてるとか予想してなかったんだって」

 

と、俺がキチンと過不足なくその時の事実と認識をお伝えすれば、ネモも組み伏せられている俺を見て溜飲が降りたのか

 

「確かに、その時の天人の対応は実に紳士的だった」

 

という助け舟を出してくれる。いや、そもそもこうなったのもネモさんのせいなんですけどね。

 

「……で、ネモの裸はどうだったの?」

 

ジィッと、ユエが湿度高めの紅の瞳で俺を見据える。うぅ……事故なのになんで……。

 

「……それはそれは綺麗でした」

 

だけどユエに嘘は付けない俺は素直にそう白状する。するとユエとシアは大きな溜息、ネモはやっぱり照れて頬を染めている。ルシフェリアはルシフェリアで「我の裸も見るか?綺麗じゃぞ」とか言い出してユエに睨まれているのでそっちは無視。

 

そうして全ての誤解を解き、ちゃんと身綺麗になった俺はようやくシアの拘束から解き放たれるのであった。その間アリアはずっと俺のことを強く睨んでいたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「そう言えば天人」

 

と、諸々の誤解から解放された俺はティオやルシフェリア達とテレビを見ながらダラケていた。リサとユエ、シアにレミアはルシフェリアのメイド服製作のため部屋に籠っている。それを分かっているからか、ルシフェリアはテレビを見ているのにどこかソワソワして落ち着かない。そこに、ネモが頭に疑問符を浮かべていた。

 

「んー?」

 

「学生らしく勉強はしないのか?さっきユエやシアから学業の方はあまり振るわないと聞いたが……」

 

え、ここでそんな話題出ます?

 

「ふむ、そうじゃなぁ。天人はもう少し勉学に励んだ方が良いかもしれんなぁ」

 

と、一緒にテレビを見ていたティオもそんなことを言い出すし

 

「そうね、アンタはもう少し学校の勉強もすべきだわ。テストだって毎回酷いんでしょ?」

 

なんと今日はお泊まりをする気らしいアリアまでそんなことを言い出す。あれ、これ俺もしかして味方いない……?

 

「ふん、英語は毎回満点だし古典だって高得点だってーの」

 

ちなみに古典は言語理解を手に入れてからの話。それまでは何が書いてあるのかとんと分からん教科でした。

 

「あんたのそれは魔法でズルしてるんでしょうが!!」

 

そういやアリア達にはアニエス学院での潜入任務の時に言語理解のこと少しだけ話したっけな。だけど英語だけはちゃんと勉強したものだからな!

 

「はー?英語はちゃんとシャーロックに叩き込まれましたー!!」

 

「結局それだけじゃないの!!」

 

「子供か貴様は……」

 

で、ネモにはそんなことを言われるし他の皆からは呆れ顔と溜息を頂戴するし……。いいでしょ別に勉強出来なくたって。それでこれまでどうにかなったんだから。

 

「しかし天人よ、妾としては天人にも勉強はしてほしいのじゃ。特に天人は名目上だけとは言え一応社長なんじゃから」

 

と、ティオが割とマジなトーンで俺を追い詰める。

 

「えぇ……」

 

「折角なら私が天人の勉強を見てやろう。これでも数学は得意だ」

 

「それがいい。天人は特に数学が苦手のようだからな」

 

と、ジャンヌもしっかりと頷いている。

 

「実際、こっちの世界は数学を使うことが多いのじゃ。天人にももう少し計算が出来てくれると助かるのじゃ」

 

そんなネモとティオの言葉にジャンヌとアリアもウンウンと頷いている。どうやら味方は居ない……いや、まだルシフェリアがいる。アイツは悪魔ちゃんだしお勉強なんて真面目くさったことからは逃げる気質のはずだ。

 

と、そんな下心で俺はルシフェリアを探すが、あれ、リビングに居ないぞ……?けどリサ達の方からルシフェリアの気配がする……。てことは最後の合わせで呼ばれたのか……。つまりここにいるのは全員俺を机に向かわせたい奴ら……完全に四面楚歌じゃん。

 

「けどさぁ……そんな漫然と勉強して将来に役立てろとか言われたってやる気が……」

 

で、ルシフェリアという後ろ盾を入手出来なかった俺は最後の足掻き。こうなったら何を言われてもやる気出ませーんで押し通すしかない。

 

だがそんな俺の浅はかな考えは───

 

「ではこうしよう。もし天人がこれからの武偵高の数学のテストで全て90点以上であれば、私が貴様達に協力する。もっとも、Nを抜けてまで……とはいかないがな」

 

───ネモのそんな言葉で全て破壊された。

 

「いいのか……?」

 

「まだNを抜ける決断は出来ない。けれど私の目的を達成する手段の1つとして天人達に協力する。私だってテロ行為をしたいわけではないのだ。そうせずとも目的を達せられるならそれに越したことはない」

 

「……パパ、お勉強しないの?」

 

すると、ミュウが俺を見上げながらそう呟いた。

 

「んー……?」

 

「パパ、ミュウにはちゃんとお勉強するように言ってたの。それでミュウはママとかリサお姉ちゃんとかにお勉強教わってるの。パパはお勉強嫌なの……?」

 

俺を見上げてくるミュウの瞳は、どことなく俺を責めるような色が見えて……それが地味に辛い。

 

「いやいや……勉強ってのは習慣なんだよ。これが無いと大きくなっても俺みたいに勉強嫌いになっちゃうからな、ミュウにはそうなってほしくないんだよ」

 

という俺の言い訳は───

 

「みゅ……パパは狡いの!」

 

プイ、とそっぽを向いたミュウに全て放り捨てられる。

 

「え……」

 

「パパがお勉強しないならミュウもしないの!」

 

そして、そう言い捨てたミュウはトテトテとリサ達のいる部屋へと小走りに消えていく。それを見ていたネモがニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら「どうするんだ?」なんて聞いてくる。けれど、ミュウにああ言われた以上、俺の答えなんて決まっている。

 

「しゃおらぁ!さんへーほーの定理でも何ちゃらの証明でも何でも来いやオラァ!」

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺のアホな叫びは何事も無かったかのように流されつつ、取り敢えず俺のお勉強会をすることにはなったのだが───

 

「これでどうやって高校に入学したんだ……」

 

「ホントにテストで単位を取ってないのね……」

 

ネモとアリアは俺のあまりの不出来さに頭を抱えていた。何せ俺はあのシャーロックからすら匙を投げられるほどに勉強出来ないからな。まぁイ・ウーにいた時はやる気も無かったというのもあるが……。

 

「これは基礎の基礎……そのまた基礎から見直した方がいいな」

 

どうやら視力が少し弱いらしいネモは今はメガネを掛けている。下ろしていた髪を後ろで束ね、メガネも掛けているネモの姿は初めて見たから新鮮な気分だ。

 

「えぇ……まずは小学生のレベルから見直した方が良いわね」

 

え……そんなに……?いくら何でもそんなに駄目でした……?いやいや、そんなことはないはずだ……きっと、多分おそらく……。

 

「ま、待ってくれ、流石にかけ算九九は(そら)で言えるし筆算使えば3桁の計算も出来るから!!」

 

なので俺はまず足掻く。流石にそんなところから始めてたらいつまで経っても高校数学には辿り着けない気がする。

 

「……ホントに?」

 

だがネモの疑いの目は終わらない。どうやら俺が想像以上のお馬鹿だと思われているようだ。……否定する言葉が無いのが口惜しい限りだ。

 

「あぁ、流石に俺だってそんくらいは出来るよ」

 

「じゃあ一次方程式からね」

 

「そうだな、まったく……これで本当に世界を変えられるのか……?」

 

で、俺という共通の(アホ)と戦う内に何だかアリアとネモの仲が良くなっている気がする。不本意極まりないがまぁ仲良くやれそうならそれに越したことはない。ここは結果オーライかな。

 

さて、まずは中学生の範囲のおさらいからと思った矢先、部屋のドアを控え目にノックする音が聞こえた。気配感知で察するに、リサとルシフェリアだ。俺が「どーぞー」と返すと、ガチャリとドアが開かれ、ルシフェリアを連れたリサが部屋に入ってきた。

 

「失礼致します。ご主人様───」

 

で、恭しい一礼から顔を上げたリサの動きが止まる。その顔はみるみるうちに驚きに染まっていき、もう少しでその大きな瞳がこぼれ落ちそうだ。

 

「ご主人様が……勉強を……?」

 

リサにまでこう言われてしまって俺はもう泣きそうだ。もしや俺が学校の勉強をしないというのは人類の共通認識なのかもしれない。その認識は早急に改めてほしいところだ。

 

で、リサにまで俺がお勉強をしている姿に驚かれてしまい椅子から崩れ落ちたのを見てリサは

 

「た、大変失礼致しました!ご主人様もお勉強をなさっているのですね。いい子いい子、です」

 

と、俺の頭を優しく撫でてくれる。それでどうにか顔を上げられた俺は、リサの肩口から向こうを覗き、そこに黒と白のモノトーンカラーの洋服に身を包んだルシフェリアを認めた。すると、リサもその視線に気付いたのか俺の手を取って立ち上がり「どうでしょうか?」とルシフェリアを指し示した。

 

ルシフェリアが着ていたのはメイド服。メイド服を身に着けたルシフェリアを見て、ネモがまた気を失いそうになっているのでそれを支えてやりながら、俺はルシフェリアを見やる。

 

黒を基調としたシンプルな意匠。それでいて袖口や胸元にはフリルがあしらわれていて可愛らしさは損なわれていない。角の間に置かれた白いヘッドドレスも、普段は気の強そうなルシフェリアの鋭さを和らげて見せているように思える。あとこれは俺の好みなのだが、メイド服はロングスカート派の俺にとって、キチンとスネの半ばまで伸びたプリーツスカートが好ましい。

 

「どうじゃ?似合っておるか?ま、我が着ればどんな服でも美しく栄えるのだがな!」

 

ヒラヒラのフリフリな服を着てもルシフェリアはルシフェリア。その大きな胸を張って自信満々……でもないか。いつもは真っ直ぐに俺を見据える大きな瞳が泳いでいる。それは、慣れない系統の服を着て照れているのか、言葉の割に実はそのメイド服が似合っているのか自信が無いのか。けれど、ルシフェリアに自信があろうとなかろうと、俺の言う言葉は決まっていた。

 

「おう、そーゆー服も似合ってるよ」

 

実際似合っているのでそう言う他ない。すると、それを聞いたルシフェリアはちょっと不安そうだった顔をパァッと綻ばせ

 

「そうか?そうじゃろ!やっぱり主様には我の美しさがよく分かっておるのじゃ!」

 

と、それはそれはニッコニコ。美人なルシフェリアがまるで子供のように笑顔を咲かせているのは普段とのギャップもあって中々以上に魅力的に見える。だが何故かネモとアリアは俺をジトッとした目で見ている。まるでカラスに漁られてゴミ捨て場から飛び散った生ゴミを見るかのような目だ。

 

「何……?」

 

「あんた、可愛い子を見ると見境なく何でもすぐに褒めるのね」

 

「貴様のその癖は直した方がいいぞ。いつか刺される」

 

「え……駄目なの?」

 

女は褒めろと俺にしつこく教育してきたのはイ・ウーに居た頃のジャンヌだったから、男はそうするものだと思っていたのだが……違うのだろうか。

 

「それで変な勘違いを起こす子が出たらどうするのよ!」

 

「だってジャンヌが昔『女が新しい服を着ていたら褒めろ。特に普段は着ないような系統の服を着ていたら特に気にして褒めろ。これは男の義務だ』みたいなこと言ってたら、そうすんのが普通だと思ってたんだけど……」

 

「………………」

 

ふとこちらを覗きに来たジャンヌに視線が集まる。そして、当のジャンヌさんは全力で目を逸らしていた。どうやら何か後ろめたいことがあるらしい。

 

「……ジャンヌは天人に褒められたいからそんなことを言った」

 

と、ユエがジャンヌをジト目で見上げながらそう呟く。スルりとジャンヌはその視線を躱すが、避けた先にはシアがいた。シアもそれはそれは湿度の高い目でジャンヌを見据えている。

 

「あーでも……俺も一応誰でも彼でも褒めちぎったりはしてないぞ。一応相手は考えてるし思ってても言わないことだってある」

 

仕方ないので俺はそんな助け舟を出してやる。するとアリアが「嘘だぁ」って顔で俺を睨む。

 

「嘘おっしゃい」

 

あ、顔だけじゃなくて口に出された。

 

「嘘じゃねぇよ。アリアも思い返してみろ、俺ぁお前を可愛いとか言ってないし、ネモが今メガネ掛けてて髪型も普段のツインテじゃなくてポニテにしてるのに何も言わなかったろ?」

 

「主様よ、今結構凄いことを言った自覚はあるのか……?」

 

「天人は喋らない方がいいのかもしれないな……」

 

すると、ルシフェリアからは呆れ顔を、ネモからもそんな言葉を……他の奴らからも盛大な溜息を頂戴してしまった。

 

 

 



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黒い雨と竜の世界

 

 

それは、あまりに唐突に訪れた。

 

「え……」

 

「なんじゃ!?」

 

俺がティオに監視──と言うかルシフェリア避け──されながらネモとアリアに与えられた数学の課題をこなしていると、急に俺達2人に光の柱が降り注いだのだ。

 

そしてフワリと持ち上がる身体。俺の氷焔之皇が反応しないということは神代魔法を上回る存在強度の現象なのだろう。2人ともが浮き上がる中、ノートやプリント、筆記用具だけはテーブルに残されたまま、俺の視界は光に塗り潰された───

 

 

 

───────────────

 

 

 

───視界を覆う光が晴れるとそこは雲の上だった。何せ、俺の身体を引っ張る重力に釣られて下を見やれば、俺の視野に入ってきたのは文字通りの雲海。つまり俺は今高度数千メートル───と言うか1万メートル以上の高さにいると思われる。さっきまでは陸上にいたはずなのにこの高度に瞬時に放り出されて平気な俺の肺は本当に人間のそれと同じ構造とは思えないな。

 

で、気配感知で分かってはいたけど横を見ればティオも同じく急に放り出されたこの光景に目を白黒……はさせてないな。俺を見てニヤリと笑う余裕すらあるみたいだった。

 

「……取り敢えず、下に降りてみるか?」

 

「そうじゃの。鍵で帰るにしてもここからじゃなぁ……」

 

こんなところで越境鍵なんて使ったら気圧差で扉の向こうから空気が雪崩込む。それでこっちの環境に変な影響を与えても嫌だし、何よりこの久々の強制異世界転移がただの偶然か、何か意味のあるものなのか、確かめてからでも遅くはないだろう。

 

というわけで俺とティオは眼下に広がる雲海への突入を決めた。とは言え明らかなあんな分厚そうな雲に無策で突っ込みたくはない。俺はティオを抱き寄せるとそのまま周りを氷のドームで覆う。

 

そしてそのまま雲海へと突入。どうやらこの雲は積乱雲らしく、凄まじい乱気流と空気を引き裂くような音を立てて俺達へと迫る稲妻。とは言えこの氷の元素魔法により生み出されたドームを破壊するには至らずに俺達は適当に流されながらも重力に引き摺られるままに雲海を脱出。

 

だが氷のドームを解くのは少し躊躇われた。何故なら俺達が抜けてきた雲海から降り注ぐのは黒い色をした雨。地球───日本に住む者として()()()というものはどうしたって警戒の対象になる。

 

「ティオ、ちょっと待ってて」

 

「うむ」

 

俺は自身の身体は多重結界に任せ、ティオを氷のドームに置いたまま俺だけを外に放り出した。そしてそのまま黒い雨に向けて口を大きく開き、その水滴を口腔内───ではなく捕食者のスキルの胃袋の中へと放り込む。

 

そして行われる解析。俺の普段の思考とは別の回路で行われるそれが弾き出した結論、それはこの黒い雨は人体に有毒であり、細胞の壊死すら齎す正しく黒い雨だというものだった。下を見ればこの雨は海へと降り注ぎ、おそらく本来は碧かったはずの海を黒く染めていた。

 

「ティオ、この雨は不味い。雲の上に抜けよう」

 

「応なのじゃ」

 

俺は空力で跳び上がり、再び氷のドームの中に入り込んでティオを抱き抱えると、そのまま重力操作のスキルで上昇。相変わらず雷を叩き付けてくる雲海を上へと抜け、雲に遮られることのない蒼天の空へと舞い戻った。

 

そして雲の上で氷の足場を作り、そこに緩やかに降り立つ。

 

「……さてと、どうすっかなぁ」

 

「鍵で戻っては駄目なのか?」

 

「いいんだけどさ、ここの高度考えたら絶対地球の砂とか吸い込むじゃん?」

 

「ふむ……天人は意外とそういうことを気にしてくれるのじゃな」

 

と、俺の懸念を伝えればティオはわりかし酷いことを言ってくれる。みんな俺のことを何だと思っているのだろうか。

 

「……まぁいいや。取り敢えずこの雲の無いところ探そうぜ」

 

と、俺は不満を押し込めてティオにそう伝える。それに頷いたティオは"それで?"という顔をしたので、どうせ別の世界なのだから構わないだろうとティオには黒竜の姿になってもらい、俺はその背中に乗り込んだ。

 

こっちに来てから直ぐに俺とセカイの繋がりが結ばれる感覚があった。つまりこの世界であれば俺は強化も白焔も使えるということで、もしこの世界でどこかの誰かと戦闘になっても、それにはそれほどの不安を感じてはいなかったからな。

 

そうしてティオの背に乗り、俺は重力操作で背中に張り付いているのでティオも遠慮なく好きなように空を翔ける。その黒い翼の羽ばたきが空気を叩き、推進力を生み出す。

 

螺旋を描くように回り、急上昇したかと思えば急降下で空気を切り裂く。自由奔放に、蒼穹こそが己の支配領域なのだと言わんばかりに空を舞う。

 

そうしてしばらく空の旅を楽しんでいると、時々ティオのあげる咆哮に応えるかのように、微かだが何者かの声が聞こえた。これは……人の声ではない。だがこの世界ではついぞ生き物を見つけられなかったのだ。陸地の在処を知る良い機会だとティオはそちらへと向かった。

 

幾つかの山を超え、一際大きく渦巻く雲の柱を迂回すれば正面には零れたインクのような黒い点が見える。あれがきっと声の主なのだろう。

 

ティオが近付いていけばその姿が段々とハッキリする。それは……そいつらは竜だった。それも、手足と翼のある竜。ユエの雷龍のような蛇の仲間みたいな姿ではなくどちらかと言えばティオの姿に近い。ただし、その身体は貧相で体長も2~3メートル程だろうか。痩せ細っていて、とてもこの世界の空の支配者とは思えない。

 

「ほぅ……この世界にも妾の同類がおったか」

 

「竜と人の間なのか、ただの竜なのかは分かんねぇけどな」

 

どんどんと距離も近くなってきたことだしと、ティオが彼らの知能の程を確認するために話し掛けてみた。だが返ってきたのは獣のそれと変わらない鳴き声のみ。どうやらコイツらには人間と同じような発声器官もなければ、当然念話のような意思疎通の手段も無いようだ。

 

だが、そいつらの動きに明確な変化があった。いや、変化と言うか……

 

「んー?」

 

ふと俺が顔を上げると目があったのだ、竜達と。だがその瞬間、彼らの動きが変わった。大慌てで反転すると一目散に逃げ出したのだ。まるで予期せず天敵に出会ってしまったかのように……。さっきまでティオの威容を見てもそんな様子は見られなかったから、これはきっと俺を見て逃げたのだろう。俺、何もしていないんだけどな……。

 

「……アイツら、人間が怖いのか?」

 

あれは未知のものに対する恐怖からくる動きではなかった。むしろ俺の姿を───人間を知っていて、それが恐ろしくて逃げたように見える。つまり、この世界にも人間はいるってことだ。

 

「アイツらを追えばこの世界のことも分かるかもしんねぇ。頼めるか?」

 

「当たり前じゃ」

 

ティオが翼をはためかせる。俺はティオの背中に隠れ、逃げた小さな竜達から少し距離を置いて追い掛けてもらう。視覚的に姿を見失っても羅針盤があるから完全に逃げられる心配もない。

 

ティオが飛んでいる間に、羅針盤を使ってこの辺りであの黒い雨に降られていない陸地を探したのだが、どうにも見つからなかったのだ。どうやらこの空を覆う分厚い雲はこの世界全体を覆っている可能性があるのだ。

 

それだけではない。いきなりこっちに飛ばされたこともあり、確認ついでにティオとの空の散歩の途中で、向こうの地球の陸地との気圧差は諦めて虚空へと越境鍵を突き刺したのだが、それが空振ったのだ。この世界と俺の世界の距離があまりにも遠くて魔力が足りないとかそんな問題ではない。それだとしても刺さるには刺さるはずなのだ。そもそも魔力を持っていかれるタイミングは刺した後なのだから。それが刺さりもしないということは俺達はどうあってもこの世界から出られないということで、それはそれでおかしな話なのだ。

 

であるなら、この世界から出られない原因は、この世界そのものに存在すると考えられる。そうなると俺達はそれを探り、解決し、その後に越境鍵で世界を繋ぐ扉を開かなければならない。これは、そのための調査の1つだ。

 

そうしてあの竜の後ろを追っていくと、目の前に現れたのは雲の上に浮かぶ島。羅針盤も、あの島に彼らがいると示している。あれが原理を用いて浮いているのかは知らないが、どうやらこの世界は俺のいる世界よりよほどファンタジーな世界のようだった。

 

島の近くまで来ると、真ん中にある森がザワつく気配。どうやら俺達の存在を中に隠れた竜達が感じ取ったようだ。そして、ザワつきもそこそこに静謐な時間が訪れる。どうにもこれでより一層身を潜めたということらしい。

 

そして、ティオが穏やかにその島に降り立ち、俺がその背中から降りるのを確認して直ぐに人の姿に戻る。すると、せっかく落ち着いた森がまたザワつく。やはり、コイツらは俺そのものではなく人間の存在そのものを恐れている。

 

きっと、この世界での人間と竜は捕食者と被捕食者のような関係なのだろう。

 

「……俺ぁあんまり奥に行かねぇ方が良さそうだな」

 

「ふむ……どうにもこやつらは人そのものを怖がっているようじゃからのう」

 

「一応……土壌の確認でもしとくか」

 

土に足を付けてしまった以上、場合によっては後で身綺麗にしてから帰らなければならないからな。俺はその場で収束錬成を発動。辺りの砂を掻き集めつつ1つの塊に纏めていく。

 

──収束錬成──

 

錬成の派生技能の最果ての1つ。周りにある鉱石を魔法陣すら介さず、触れずとも錬成により操る魔法。もう1つの想像錬成──こちらは錬成に限り魔法陣が必要でなくなる──と合わせて錬成魔法の最奥であった。これは、エヒト共との戦争の準備を整えている間に昇華魔法により無理矢理に発現させたものだった。

 

そして集まる土塊(つちくれ)に鉱物鑑定を当てていく。すると浮かび上がるこの砂粒の正体。俺の魔力によって真紅のスパークを閃かせながら圧縮され、青空のように輝く宝石。

 

「ほう……。綺麗じゃが、まるで神結晶のようじゃな」

 

それを見たティオの呟きに、俺は頷いて返す。

 

「んっ、細かく言うと違うみたいだけど、この世界で言う魔力を取り込んで液状にして垂れ流すってとこは同じだな」

 

ただ、鑑定の結果によれば、神結晶程は魔力を溜め込むことは出来ず、水分となって垂れ流される液体にも神水のような法外な治癒能力は無い。とは言えその水に含まれる栄養価は高いし、何より魔力を水に変える循環の速度と効率は神結晶と神水の比ではない。

 

「なんでこんな大質量の物体がろくな推進力も持たずに浮いてるのかは知らんが、大地から切り離されたこの島の自然が豊かなのは()()のおかげっぽいな」

 

「神結晶モドキ……いや、もっと別の物質というわけじゃな」

 

と言うティオの言葉にも俺は頷く。さて、この土にはそれほど危険性は無さそうだが、結局のところ俺達がこの世界から出られない理由は分からず仕舞いだ。どうしたものかと俺が1つ溜息をつくと

 

「んー?」

 

1匹の竜が、木の後ろからひょっこりと顔を覗かせている。どうやらまだ俺達を恐れてはいるようだが、暴れるわけでもない俺達に多少は興味を引かれたらしい。

 

驚かせる必要も無いかと俺が少し下がり、ティオが逆に1歩前へ出る。すると俺達を見ていた小柄な灰色の竜がビクリと身体を震わせた。やはり人間が怖いらしい。ただ、ティオの浮かべる穏やかな表情に、彼らがいつも見ている人間とはまた違うものを感じたのだろうか。ビクビクしながらも1歩、また1歩その灰色の竜はティオへと近付いてきた。

 

動かないティオにその竜は鼻をひくつかせて少しずつ近寄る。そうして鼻がティオに届きそうなところで様子を伺うように匂いを嗅いでいる。すると他にも何匹かの竜が出てきて、ティオに鼻を寄せてきた。それをそのまま受け入れたティオが顎の下に手を差し出すと、一瞬恐怖からか後退るが、それでもティオが手を引っ込めずにそのままにしているとその手のひらに竜から顎を乗せた。それをティオが優しく撫でてやればそいつは気持ちよさそうに鼻を鳴らした。

 

そして、それを見た周りの竜達もティオに甘えるように擦り寄っている。そんな竜達の姿にティオが呆れたような言葉を発するも、その顔に浮かんでいるのは優しげな笑み。その瞳には竜達への慈しみの色が見えていて、俺もティオのそんな表情にただ見蕩れるしか他ない。

 

そして、ティオに甘えていた内の何匹かが俺を見やる。その顔には明らかな恐怖が現れていたが、その中には隠し切れないほどの好奇心も浮かんでいた。

 

俺はその場でどっかりと腰を下ろすと、ちょいちょいと竜達に手招きをする。それが伝わったわけではなかろうが、それでもこの場で座り込んだことで俺が自分達を襲う存在ではないのかもと思えたらしいそいつらは俺にも恐る恐る近寄ってくる。そうして俺の身体の匂いをスンスンと嗅いでいく。

 

ただ、多重結界で覆ったままの俺の身体からはろくな匂いがしない気もする。そして、それはやはりそのようで、そいつらはふむと首を傾げるような動作。

 

そして───

 

「んー?」

 

俺も首を傾げた。

 

「ふむ……これは───」

 

ティオも首を傾げた。

 

何せ、遠くから音が聞こえてくるのだ。それも、聞いたことがあるようでないような。そんな音。似ている音を記憶から探るとするならば、それは戦闘機のジェットエンジンの音と、その推進力が生み出す莫大な速度を誇る航空機が空気を切り裂く音と酷似していた。

 

けれど問題なのは、イ・ウーや強襲科で様々聞かされた戦闘機のエンジン音のどれとも一致しないのだ。まぁ、ここは異世界だから、俺の世界にあるそれらと音が違ったとしても当たり前と言えば当たり前なのだろうが。

 

そして、俺達の耳よりも一瞬早くその音を聞き付けたらしい竜達は慌てて踵を返し、森の中へと駆け出していった。なるほど、これから行われるのは人間による竜狩りってわけか。

 

そしてその音は思いの外速く俺達の上を駆け抜けていった。青空のような……けれどどこか無機質なスカイブルーの体躯。おそらくミサイルの発射口と思わしき太い筒のようなものが幾つも翼の下に取り付けられていた。

 

おおよそ三角形の作りをしたそいつらが5機、空を裂くような音を立てて上空を飛び去る。それは、地球にあるそれとは色や形など、細部は異なるが正しく戦闘機のそれ。俺の作るパチモン航空機とは違って航空力学で計算された機能美溢れるフォルム。

 

コクピットと思わしき機体前部にはガラスの向こうに人が乗っていた。そして、綺麗な隊列を保ったままこの島をグルリと旋回したそいつらが再びこちらへと向かってくる。

 

「あぁ……聞きたいことがあるんですが」

 

俺の言語理解と念話で声が届けば良いのだが、返ってきたのは光の波紋。それがもたらすのは───

 

「───ッ!?」

 

───キィィィィン!!という高音硬質な音波だった。ティオが咄嗟に風の魔法である程度相殺してくれたが、その守りのない竜達にはこれ以上無いほどの苦痛だったのだろう。悲鳴のような鳴き声と共に竜達が森から一斉に飛び出した。

 

そして、そうやってアイツらを炙り出すのがあの音波の目的だったのだろう。今度はスカイブルーの戦闘機からミサイルが放たれた。

 

だが、着弾と同時に爆炎を撒き散らすかと思ったそれは、竜達にぶつかる前に破裂し、そこから網のようなものを吐き出した。

 

しかも、竜達を囲って捕らえたそれは下に落下することなく空中に留まる。まるで空に浮く檻だ。

 

そして、その檻を俺が壊すことはしない。俺はこの世界のことを何も知らないのだ。いくら竜達と多少の交流があろうと、何も知らない状態でこの世界のことに立ち入る気は無い。海や地上があの黒い雨で汚染されていたということは、空に生きるこの竜達は人間にとっては貴重なタンパク源の可能性も高いのだ。

 

ここで一時の感情に流されてこの狩りを邪魔するということは、俺が彼ら人間に対して"死ね"と言っているのと変わらない可能性だってある。だから俺は手を出さない。ティオもそれを分かっていて、この狩りを黙って見ていてくれた。

 

そうして異世界の戦闘機を見上げていれば、彼らの中の1機がこちらに向かってきた。もしかしたら彼らとは会話ができるのかもしれない。そうすればこの世界のこと……ひいては越境鍵が刺さらなかった理由も分かるかもしれない。

 

俺は迫る戦闘機に向けて両手を上げ───

 

───マズルフラッシュが瞬いた

 

「……マジ?」

 

回転する機械が唸り声を上げた途端に閃光が瞬き、俺達を襲ったのは殺意の雨。鈍色のそれは音を置き去りにして俺達を生物から肉片へと変換するために殺到した。

 

だが、機銃と思われるそれらが俺とティオの肉を穿つことはなかった。弾丸が俺達に到着する3メートル手前でそれらは全てダイヤモンドダストとなり散り消えたからだ。

 

───絶対零度(アブソリュート・ゼロ)

 

あらゆる物質の動きをゼロにして銀氷に散らせるそれを、普段とは違い空間そのものに展開。そこに足を踏み入れた物質の速度や質量に関わらず、あらゆるものをダイヤモンドダストにしてしまうこれは、魔素こそそれなり以上に喰う代わりに対物理攻撃では多重結界よりも強固な守りとなる。

 

北海道沖でノアやナヴィガトリアと繰り広げた対艦戦闘じゃ質量に質量で対抗して大変な思いをしたからな。後でこれを思い付いて試してみたが、相手の武装次第じゃこっちの方か効率が良いのだ。

 

まぁ、正直問答無用の射殺も止む無しとは思う。地上があぁなっている以上、雲の上に存在する島というのは相当に貴重かつ重要なはずだ。その上ここには狩るべき竜もいるときた。そんなところ、当然のように然るべき管理がされているだろう。

 

キンジは前にイギリスのバッキンガム宮殿の柵に手を掛けただけでも衛兵に問答無用でボッコボコにされたらしいし、ここに見知らぬ人間がいたのなら軍から射殺されるというのは無理からぬ話。

 

そして、戦闘機からのバルカン砲の掃射を受けて傷1つ無い俺を見てさらなる兵器の投入が行われるのもまた無理からぬ話である。

 

だがおそらく地球にあるトマホークや何かととそう変わらない弾頭のミサイルと、更に続け様に放たれたナパーム弾のようなミサイルも全て爆発前にダイヤモンドダストに散ったのを見て、明らかに戦闘機の動きが変わる。

 

俺達を警戒し、周りを旋回し始めたのだ。そして、さっきまでは火薬兵器でのお返事しか返してくれなかった奴らから、遂に言葉が聞こえてきた。もっともそれは、俺への返答ではなく、ただ奴らの会話が漏れてきただけなのだが……。

 

『……どうなっていやがる。ミサイルが爆発前に消えただと』

 

『もしかして、オーパーツ保持者……とかですかね?』

 

『まさかな。この時代に探索者なんているかよ。それより見ろよあの女。すこぶるつきの上玉だ。なぁバンズさん、あの男も何だかこっちに呼びかけてきていたし、降りて男だけ殺してあの女だけ俺にくれよ。前の女がもう使い物にならねぇんだ。新しいペットが欲しいんだよな』

 

……どうやら、品性の方はあまり無いらしいな。それともう1つ分かったことがある。少なくともコイツらのような軍属……ないしは竜狩りを行う連中はそれなりに裕福な生活ができるようだ。ただし、地球の日本よりも福祉によるセーフティネットは行き届いておらず、様々な搾取もまた激しいんだろうというのも予測できる。

 

もっとも、俺にとってはそんなコイツらの社会情勢なんてものはどうでもよくて。1番の問題はコイツらがティオを()()()()目で見ていて、今まさにそうしようとしていることだ。それを俺は到底許してはおけないし、この場でコイツらを排除せねばならない。

 

徐々に異世界製の戦闘機がコチラに迫る。

 

俺は両脚に力を込め───

 

───バンッ!!

 

足元の地面に蜘蛛の巣状の亀裂が入る。だがそんなものを気にしている暇はない。俺と先頭の機体との距離は一瞬でゼロになる。そして絶対零度で風防窓(キャノピー)を銀氷と散らせ、今自分の身に何が起きようとしているのかすら把握できていない間抜け面の男の首を掴む。そして操縦者を固定しているベルトも全て氷となり空へと消えた。

 

「な───」

 

俺はその男の首を腕で抱えると機体の側面に向けて縮地を発動。一気に加速してまた地上へと舞い降りる。

 

しかし、コイツも流石は戦闘機乗りだけあって、普通の人間なら身体に掛かるGで大怪我を負ってもおかしくはないのだけれど、それを呻き声だけで抑えたのだ。

 

もっとも、地上に降りた傍から鳩尾を俺の踵で踏み抜かれ、両手の親指を結束バンドで固定された時には血反吐を吐いていたが……。

 

さて、次は……と。

 

流石に俺の足元に身内がいる状態でミサイルや機銃をぶっ放つ気にはなれないのか、他の4機は俺の様子を伺うように周りを衛星的に飛び回っているだけだ。

 

俺は電子加速式対物ライフルを宝物庫から召喚。飛び回るうちの1機の左翼を超音速の弾丸で撃ち抜いた。

 

『なっ───!?』

 

奴らの通信からそんな驚きの声が漏れてくる。地上があの有り様だと緊急脱出装置なんてもんは着いていなさそうなのだが果たしてどうかな。

 

「…………」

 

だが俺の予想に反してどうやらそれらは着いていたようだ。きっとこの浮遊する島へと緊急着地するためのものなのだろう。それならそれでこっちとしては都合が良い。全部纏めて撃墜させてもらおうか。

 

俺はスコープから奴らの未来位置を覗いて弾丸を()()()いく。それで翼を破壊されて航行不能になりパイロットが緊急離脱したのが2機。もう1機はそれを見て泡を食ったように逃げ出した。さて、どうせならアイツに母艦まで案内してもらおうか。そうすればこの世界のことももう少し分かるかもしれないしな。

 

「ティオ、頼む」

 

「応なのじゃ!」

 

俺は乗り捨てられた戦闘機を宝物庫に仕舞い込み、黒竜の姿となったティオの背中に乗る。そして地球のそれよりも早い速度で空を駆けていく不埒者を追いかけて行くのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ティオの背に乗って対物ライフルを放ちながら異世界製の戦闘機を追い立てていたのだが、アイツらの戦闘機は最大でマッハ4くらいの速度を出せるようで、さしものティオも途中でスタミナ切れ。羅針盤があるから探そうと思えば探せるものの、速度勝負では勝てなかった。

 

とは言えティオも瞬間最高速度とは言えマッハ4程度は出せていたから、ティオはティオで生物界最速の称号を貰っても良いだろう。

 

けれども負けは負け。機械仕掛け如きに負けたのが悔しいらしいティオを慰めつつ俺達は羅針盤の針に従って奴らの母艦(ホーム)を探して空を飛んでいた。

 

そこでようやく見つけたのだ。ラグビーボールのような流線形をした、まるで飛行船のような空母を。それは地球にある空母──もっとも地球のは海に浮かぶ艦だが──の2倍程度はあろうか。その巨体の後部から白銀の粒子を振り撒きながら結構な速度で足を進めている。

 

あの粒子、さっき落とした戦闘機もあれを排出しながら飛んでいたからあれがきっとこの世界の推進力なのだろう。ここもやはり、地球とは違うな。

 

「どうするのじゃ?」

 

「どうするも何も、潜入(はい)って秘密を探る。あの白銀の粒子がただこの世界特有の燃料なのか、もっとオカルトチックなもんなのか。……まさかあの空母にゃ()()()()は無いと思うけど、もしかしたらこの世界から出るための手掛かりくらいはあるかもしんねぇ」

 

さてと、俺は宝物庫から気配を消す類のアーティファクトを取り出す。これはシアやティオの耳を隠しているのと同じようなものだが、その範囲がやや広い。身に着けた者の存在そのものをあやふやにするから、レーダーにも掛からなくなるのだ。

 

「ティオは念のため後方支援(バックアップ)頼む。ここで待っててくれ」

 

もし何かあったら念話で伝えて外から砲撃でもしてもらおうかと思い、ティオにそう伝えるたのだが

 

「……嫌なのじゃ」

 

何故かティオに拒否された。

 

「……何故」

 

「妾も一緒に入りたいのじゃ」

 

「えぇ……」

 

ティオのこの声色、俺が1人で潜入するのは心配だからとかではないな。これは俺に甘える時の声だ。つまりはまぁ……ただの我儘ってことで、その我儘ってのは俺と離れたくないってことなのだから俺はもう折れるしかない。アーティファクトの範囲はそんなに広くはないけどピッタリくっ付いていれば2人なら余裕でカバー出来るしな。

 

「んっ、じゃあ行こうか」

 

俺がティオから降りるとティオも竜化を解いた。ティオも飛べるから態々そうする必要は無いのだけれど、俺はアーティファクトの隠密性に任せてティオを抱きとめ、重力操作のスキルでふわふわと馬鹿デカイ異世界の空母へと侵入するのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「これは……逆に不気味なのじゃ」

 

「そう言うなよ、楽でいいじゃん」

 

俺の昇華魔法はそれなりに習熟していると自負しているが、おかげでトータスの魔法以外も生成魔法で付与できるようになったのだ。それを使って多重結界や捕食者の権能の一部を付与、それと魂魄魔法も合わせて作った俺の潜入任務(スニーキング)用アーティファクトを身に着けている間、他人から見られようともその具体的な部分には目がいかなくなる。例えば目の前で全裸になってサンバを踊っていたとしても、それを咎められることも無ければ気にかけられることすらない。相手も、そこに誰かがいたことまでは何となく分かるが、それが誰で何をしているのかは全く把握できなくなるのだ。そしてその範囲は俺の周り数メートルに及ぶ。

 

おかげで俺とティオは人目を気にすることなく艦内を歩いている。当然誰かとすれ違うこともあるが、向こうも誰かがいることには気付けるので普通に避けてくれる。こっちも軽く避けてやれば綺麗にすれ違えるのだ。

 

それで分かったのは、コイツらは地球で言えば軍隊に近い存在だということ。指揮系統がしっかりとしており、階級制度もある。その上この艦とは別に、これを所有するキチンとした国家が存在するようだ。もっとも、モラルの方はトータスの帝国と比べてもどっこいかやや低い気がするが……。

 

そうして辺りを見回しながら歩いていると、向こうから血の匂いが漂ってきた。すると角から現れたのはお揃いのツナギを返り血で汚した2人組。だがその目には人を殺したことのある色は無い。ただその夥しい量の赤黒い血が、彼らが何か動物を解体したのだろうと予測させた。

 

そして、この場で解体される動物の心当たりは、1つしかない。

 

一息の休憩らしい彼らの話す内容はきっと俺がさっきまで叩き落とすか追い回していた連中に関してだろう。彼らは補給部隊で、戦闘の専門ではないようだ。また、空賊とかいう賊軍もいるらしい。ただ、血濡れの2人組の会話からすればその賊共はそれほど力のある連中ではないみたいだ。むしろ、補給部隊程度の戦力であろうともさして問題はならないはずのようだが……。

 

それは賊軍って言うよりかわいらしい反政府集団(レジスタンス)ではなかろうか。まぁ、この世界にはレジスタンスなんて言葉は無いのだろう。

 

そして、一服の後にまた部屋に戻った彼らの後ろについて血と臓物の臭いが溢れるその部屋に入ると俺達の目に入ってきたのは───

 

「……竜、ね」

 

「うむ……」

 

檻に入れられた竜や染み付いた血で赤黒く染まったテーブルに乗せられ、腹をかっ捌かれて息絶えた竜だったもの達───

 

そして、恐らくあれがこの艦や戦闘機の推進力……ひいてはあの島が浮いている理由なのだろう。腹を裂かれた竜から取り出されたのは白銀色の小さな石。それを作業員が丁寧に洗い、機器に通していく。

 

「行こうか」

 

「うむ……」

 

俺はティオの腰を抱き、部屋から出ようとする。嫌なものを見た。確かにそうだろう。だがこれでコイツらを悪く思う気は無い。地上があんなに汚された世界で、唯一空こそが彼らの生きられる場所なのだ。生きることは奪うこと。俺達だって動物を飼育し殺し、その肉を食べて生きているのだ。ただ鏖殺の現場を見たことがないだけ。だからこれはちょっと遅れた課外授業。

 

これを責めることは出来ないと、この場を立ち去ろうとしたその時───

 

──ゴウッ!──

 

と、身体に感じるG。どうやらこの艦は一気に加速したらしい。そして流れる艦内放送。そこではこの艦が直ぐに戦闘に入ること。そして、その相手がアーヴェンストという集団──さっき休憩していた2人組が言っていた所謂空賊だ──であることが伝えられる。

 

「これでもう少しこの世界のことが分かるといいけどなぁ……」

 

「では、どうなるか見てみようかの?」

 

ティオの誘うような言葉に俺はただ頷いて血生臭いこの部屋を出る。そして、艦の外に出てこの世界のドッグファイトでも見てやろうと気配をぼかしたまま空母から距離を取った。

 

そうしてから併走するようにしてその戦闘を眺める。どうやら戦況は空賊の劣勢。どうにも奴らの戦闘機の操縦の腕は、軍属とは1つ格の違うレベルに見えるが何分兵器の性能差が絶望的だ。その上数も3倍程度は違うだろうか。

 

賊軍としては、戦いたくて戦っているわけでもないのだろう。むしろ見つかってしまったから逃げているという方が正しそうだ。どうやら、このままでは逃げ切れないと悟ったのか一か八か左手に見える雲の山に逃げ込むつもりらしい。

 

だが到底逃げ切れるとは思えない。別に空賊を助ける気にはなれないが、万が一生き残りでも出たらそいつからこの世界のことを聞くのも良いかとアーヴェンストとかいう奴らの行く末を見ていると───

 

 

───ぴぃぃぃぃぃぃっ!!

 

 

と、ホイッスルのようなけたたましい高音が辺りに鳴り響く。だかそれは試合終了の合図ではなく生き物の鳴き声。それもまるで助けを求めるような、そんな声色だった。

 

「んー?」

 

すると、オレンジ色の爆煙と雲間から覗く夕日を縫うようにして1つの影が俺達に迫る。それは白銀色の小さな竜であった。その小さな体躯でめいいっぱい羽ばたきながら俺達に近寄ってきたそいつは、気配をぼかすアーティファクトが働いているにも関わらず、俺とティオの周りを、俺達の存在を把握しているかのように飛び回っていた。

 

「んー?」

 

そこで俺はティオの髪の匂いを嗅ぐ。んー、いつも通り良い香りだ。だけどそれは人間から香る香りとしてはそう並外れたものではない。そうなると考えられる可能性は───

 

「ティオって竜に効くフェロモンでも出てる?」

 

「そんなわけなかろう」

 

「ですよね」

 

じゃあコイツは一体何を持って俺とティオの存在に気付いているのか。そして、どうしてここにいる俺達に助けを求めるかのような表情をしているのだろうか。

 

それだけではない。さっきまで死に物狂いで逃げていたアーヴェンスト達がこの竜目掛けて戦闘機を翻して戻ってきているのだ。それだけこの竜が彼らにとって必要不可欠というのだろう。

 

「……お主は、いったい何なのじゃ?」

 

ティオがボソリとそう呟いた。空賊達が一か八かの逃避行を止めてでもこの竜に拘る理由。さらに正規軍と思われる奴らもこの竜の存在に気付き、何機かの戦闘機がこちらへと向かってきているのだ。コイツには、それだけの何かがあるのだろう。それが何なのか、そしてこの世界に閉じ込められた理由がもしかしたらそこにはあるのかもしれない。

 

俺の刹那の逡巡を感じ取れたわけではなかろうが、この小さな竜からいきなり白銀の光が発せられる。その光は、あの正規軍の母艦の推進力のようにどこか身体に悪そうな光とは違い、何故だか暖かみを感じさせる光だった。

 

『───たすけて!たすけておうさま!おねがい!ともだちをたすけて!!』

 

最初の数秒だけは俺の氷焔之皇に阻まれて届かなかったが、直ぐにこの意思を通すようにすると、俺の頭にはそんな言葉が伝わってくる。

 

ともだち───アーヴェンストの奴らのことだろうか。もしくはあの母艦に捕らえられている竜達か。どっちにしろ、この竜はこの世界の鍵を握っていると考えていいだろう。少なくとも、何かを知っているはずで、それに答えてくれもするだろう。そうなればやることは1つ───

 

「───っ!?」

 

その瞬間、俺達を衝撃波が襲った。これはあの浮島でやられたやつの、さらに威力の高いものだった。とは言え、俺とティオにはさほどのダメージは無い。が、あの小さな竜は別だ。

 

衝撃の波から遅れてその身体は吹き飛ばされた。正直この威力の衝撃波を受けてバラバラに砕けていないだけ頑丈なのだ。あの小さな竜は意識を失って今にも眼下の雷雲の中へと落ちそうになる。

 

「あ!これ、しっかりせぬか!!」

 

そして、それを見たティオが咄嗟に飛び出した。そこは俺のアーティファクトの効果範囲外であり、つまりティオの存在を誰もが認識できるようになるということで───

 

「結局、こうなるのね……」

 

正規軍の戦闘機からあの空中に固定される網が放たれた。ティオとチビ助を狙ったそれを、俺は絶対零度で銀氷にして消し去る。そして敢えて姿を晒すようにアーティファクトを宝物庫に仕舞った。

 

「ティオ、どうにもそいつはこの世界の鍵を握ってそうだ」

 

「そうかもしれぬな。では天人よ───」

 

「あぁ。───やるぞ」

 

更に迫る正規軍の戦闘機の下から本来は空中の網を引っ掛けるためのものと思われるフックが飛び出してきた。そしてそれが俺達と重なる軌道で戦闘機は飛行する。

 

音速を超えた速度であんなものにぶつかられたら大概の人間は木っ端微塵になるだろう。だが、俺にとってはそんなもの、当たりもしない。

 

俺の眼前に迫るフックは、5メートル手前でワイヤーごと消滅する。後に残るのはダイヤモンドダストだけだ。

 

俺の絶対零度の守備範囲内じゃ、この程度の攻撃はゼロになるのだ。そして、この交錯が俺と奴らの戦闘の合図となった───

 

 

 

 



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王様と騎士様

 

 

アーヴェンストの母艦と思われる艦が俺目掛けて勢いよく突っ込んでくる。その前部甲板には拡声器のような物を手に銀髪を靡かせた女が身を乗り出していた。

 

「併走してください!!そして、クワイベルを私に!お願い!!」

 

そいつが叫ぶのはクワイベルという名前。それがこの小さな竜の名前なのだろう。銀髪の女の顔に浮かぶ必死の形相。きっとアイツがクワイベルの言う友達。

 

「ティオ、そのチビ助任せた」

 

「応なのじゃ」

 

俺とすれ違うようにアーヴェンストの母艦が横を駆け抜ける。そしてそれと相対速度を合わせたティオが、クワイベルを抱えたまま甲板に乗り込んだ。

 

殿(しんがり)はやってやる。───ティオ!」

 

「分かっておるよ」

 

クワイベルを銀髪の女に押し付けたティオが俺の声に合わせて横へとやってくる。アイツらの位置は羅針盤で見失うことはない。まずはコイツらを逃がして、後でじっくりお話を聞かせてもらおうかね。

 

そうして背後へ抜けていく母艦の真後ろに陣取った俺達に迫るのはバルカン砲とミサイルの群れ。既に聖痕は開いている。俺に流れ込むは無限に等しい力。俺の中で力が溢れるままに、自身に迫る火線の全てを絶対零度の壁で消し去ると、俺は宝物庫から対物ライフルを取り出し、1番手前の戦闘機の左翼を撃ち抜いた。

 

片翼から炎を上げてバランスを崩し後退するそいつにはもう目もくれず、俺は氷の元素魔法による槍を未来位置に射出。それで纏めて10機の戦闘機の翼を潰した。

 

『コチラに追撃の意思も殺害の意図も無い。撤退するなら俺達もこの場から去るだけだ。これ以上は物資の無駄遣いだろう?───平和にいこうじゃないの』

 

あの浮島でもこの戦闘でも、俺はまだ誰1人として殺してはいない。戦闘機の翼を破壊してこれ以上の戦闘は不可能にしていたが、操縦者は緊急脱出装置で空に射出され、パラシュートを操って母艦へと戻っている奴らばかりだ。まだ戻れていない奴らも、このままいけば回収に支障はない。

 

力を見せつけられ、人的被害もほぼ無いのであればここで一旦引くのはそう悪い手ではないはずだ。

 

けれども俺は侮っていたのだ。アイツらのプライドの高さと、この世界におけるあのクワイベルの重要性を。

 

───ゴウッ!

 

と、俺達に迫ってきたのは白銀色の砲撃。それはこれまでのフルメタルジャケットの弾丸や炎熱攻撃とは別の殺意。それに対して俺が掲げるのは相も変わらず氷の壁。ただしこれには氷焔之皇が纏わっていて、あれが物理・超常のどちらであっても対応可能だ。

 

そして、俺の拒絶の氷と奴らの殺意がぶつかる。その瞬間、奴らの殺意は全て俺の身体の中へと還元された。あれはこの世界特有の科学技術による砲撃というだけでなく、どうやら超常の力を源にしたものらしい。

 

氷の壁に一切の負荷がかかることなく瞬時に消え去ったそれに、向こうの母艦は大騒ぎのようだ。一瞬の静寂と、それを突き破るような騒ぎが、念話を通して聞こえてくる。

 

どうやら今のは奴らの6割程度の本気らしく、次は全力全開での砲撃と、さらなる戦闘機の投入が行われるらしい。

 

『───いい加減分かれよ。お前らの火力じゃ俺は抜けない。帰るんなら追い掛けないし、後でお前らを侵略する気も無い。無駄弾を使う必要はない』

 

『……バカを言うな。敵の言葉を信じるほどお人好しじゃあないし、何より貴様の力は危険すぎる。本来なら人体実験でも何でもやりたいところだが、最優先事項は貴様を殺すことだ』

 

どうやら、奴らが引いてくれることはなさそうだ。俺も随分と高く評価されたもんだね。そして、向こうの指揮官か誰かの言葉を合図に、先程とは別次元の分厚さで弾幕が放たれる。その照準の中心の全ては俺のようで、後ろでひいこら逃げているアーヴェンスト達は最早眼中に無いらしい。

 

だが、いくら奴らがプライドを懸けて飽和攻撃をしようとも、その全ては俺の眼前でゼロになるのだ。そして、カウントの後に放たれた今度こそ本気の白銀の砲撃も、氷焔之皇と繋いだ捕食者の胃袋の中に力を力として、魔素に変換することなく収めておく。

 

「悪いなティオ、面倒かけるよ」

 

「よいよい。天人のことは分かっておるし、妾もたまには運動をせねばならぬと思っておったのじゃ」

 

そんなことしなくてもティオのスタイルは美しいよ、なんて軽口が出そうになったがそれはティオの髪を梳くように撫でて終わりにする。そもそも、変成魔法があるから美ボディの維持とかそんなに難しくないってのは、普通の女の子には知られない方がいいかもね。絶対に目の敵にされる。

 

その瞬間、ティオが漆黒の螺旋渦に包まれる。いや、真隣にいる勿論俺もそれに巻き込まれているのだけれど、これが俺を傷付けることはない。

 

そうして黒い螺旋が球体となり、爆ぜた。

 

そこに現れたのは漆黒の竜。

 

天空の王者が吠える。空気に翼を打ち据える。

 

この世界の痩せ細った竜達とは、文字通り次元の違う勇壮さ、荘厳さ、そして大空を総べる覇者たる威厳を撒き散らすその姿に、戦場の空気が変わる。

 

ティオがその姿を晒せばそれだけで空気は威容にアテられ、彼女に支配される。それだけの強さと圧力がティオにはあり、それは見る者全てに伝わるのだ。

 

『───引かないのなら、潰す』

 

 

 

───────────────

 

 

 

第2ラウンド開始のゴングはティオから放たれた。

 

3メートル程の直径を誇る黒いブレスがティオの口から放たれ、雲間を突き破り空気を引き裂いた。

 

それは奴らの母艦や戦闘機に当たることはなかったけれども、超高密度かつ大質量のエネルギーが高速で通過する力に大気は悲鳴を上げる。それに巻き込まれた戦闘機がバランスを崩し、隊列が大きく乱れる。そこに放たれたのは黒い槍。

 

竜の姿の時はいつも口腔から放たれるブレスだが、俺の名付けを経た今のティオはそんな制約には縛られない。自身の周囲に黒い球体を幾つも出現させるとそこからブレスの槍を射出。俺達を追い込もうと飛び出していた戦闘機の尽くはその翼を奪われ、パイロットは緊急離脱を余儀なくされる。

 

そしてティオが飛び出した。漆黒を纏う大空の覇者。よーいドンの速度勝負ならいざ知らず、火力防御力機動性において、空でティオに敵うものはこの世界にも存在しないようだ。

 

次々と撃墜されていく戦闘機。放たれた銃弾はティオの黒い鱗を削ることすらできず、ミサイルは魔法によって打ち砕かれるか速度と旋回性で引きちぎられるばかり。それでも今だに誰1人として死者が出ていないのはそれだけティオと奴らの間に隔絶した力の差があるということ。

 

俺はティオの背中から離れ、またあの隠密行動用のアーティファクトで奴らの母艦の後部へと張りついていた。

 

そして収束錬成と想像錬成を合わせて、更にそれらの届く範囲を昇華魔法で引き上げる。そうして艦体後部を俺の真紅の魔力光が覆ったかと思えば

 

──バガゴンッ!──

 

と、巨大な戦艦の1区画──燃料の代わりにされていた竜達が収められていた区画──が外れ落ちる。それをビット兵器4機の空間遮断結界で覆うと、それを持って俺はいそいそとその場を離脱。

 

戦闘機達はティオの方に気を取られていて俺に戦力を回している余裕は無いみたいだ。どうやら戦闘態勢ということで、俺が錬成で抉り取ったエリアには人も乗っていないらしい。手が掛からなくて助かるぜ。

 

そうして俺は戦火を避けるように少し大回りをしながらもアーヴェンストの背後へと戻った。

 

「結局諦めてはくれねぇんだな……」

 

「奴らにも、プライドがあるのじゃろう?」

 

「くぅだらねぇ」

 

俺がボヤいたその時、ようやく奴らの本気の砲撃が放たれた。白銀色の中に黒い異物が混ざるその砲撃は、きっと人の身体にとって良くないものだ。だがそれも恐らく超常の力。ならば───

 

『戦艦の……それも臨界点の主砲だぞ……』

 

何やら漏れ聞こえるのは絶望の声。氷焔之皇を張られた氷の壁に、超常の力はただの物理攻撃よりも無力なのだがそれを教えてやる義理はない。さて、どうせならエヒト共とやり合った時以来のアーティファクトも天日干しといこうか。

 

俺は太陽光収束兵器を宝物庫から7機全て取り出す。ただ、あの時は俺以外が使う予定があったこと、上空から降って湧いてくる魔物や神の使徒を消し去る目的があり、衛星軌道上に展開できる機能を持っている必要性があったことなどから、かなり図体の大きなアーティファクトだったが、地球じゃそんなもん展開していられない。そのため、地球に帰る前にかなりのダウンサイジングを施してあった。

 

そして、俺が何か攻撃をする前に放たれた、黒が混じった白銀色の砲撃を氷焔之皇の氷の壁で受け止める。そのエネルギーも魔素には変換せず、吸収した力のまま捕食者の胃袋へ。

 

そして、氷で砲撃を受け止めたまま俺の周りに展開していた太陽光収束砲を打ち出す。7条の極熱の光の殆どは戦闘機と母艦を分断させるために放たれ、その役割を全うする。そして1条だけが母艦の主砲を斜めに穿いた。

 

『……言ったろ、殺す気は無い。戦略的後退を躊躇いなく選べるのも強さのうちだと思うけどな』

 

俺の言葉が届いたのかは分からない。ただどっちにしろ彼らが選んだ選択肢は、回れ右をしてこの場を去ることだった。そうして奴らが水平線の向こうに消えたのを確認し、俺とティオはアーヴェンストの母艦へと降り立った。

 

「に、人間になった……?」

 

甲板にいた金髪の男がそう呟く。その瞬間、ガクンと艦が揺れる。高度も落ちているし、推進力を維持出来ていないらしい。だが、銀髪の女がクワイベルを見やると、それを合図にクワイベルがぴぃ!と1つ鳴き、コイツから発せられた白銀の暖かな光が艦を包む。そうすれば艦の姿勢は安定し、徐々に浮力を取り戻していく。

 

そうして艦を安定させると、銀髪の女がこちらを振り返る。その髪は風に煽られボサボサで、服もツナギのような質素なものなのに、どこか気品を感じさせる佇まい。それで分かる。ルシフェリアと同じで、コイツは人の上に立つ力があり、またそのように育ってきたのだろう。

 

「お初にお目に掛かります。竜騎士様、真竜様。私はアーヴェンスト王国の女王、ローゼ=ファイリス=アーヴェンスト。竜王国を代表して此度の助力に感謝致します。……生憎とこの有様ですので、大した御礼は出来ませんが、是非とも我が艦、ロゼリアにてその翼をお休めください」

 

そんなローゼの言葉と共にクワイベルが俺たちの周りをぴぃぴぃ甲高い声で鳴きながら飛び回っている。どうやらコイツは俺達のことを歓迎してくれているようだ。

 

「細かい挨拶は後で。まずはこっちを先に」

 

と、俺はビット兵器の結界で包んでいた金属塊を降ろす。そして錬成でその塊を解けば、中から痩せ細った竜が何匹も出てきた。だが、彼らの背には翼があるというのに、この竜達はまるで飛び方を忘れてしまったかのように動けない。

 

けれども、ここでもまたクワイベルが鳴く。その声と同時に発せられる白銀色の光に包まれた竜達は、1匹、また1匹とまるで翼の使い方を思い出したかのように空へと帰っていった。どうやらこのクワイベルには随分と特殊な力があるようだな。艦に浮力を与え、痩せ細った竜達に飛ぶ気力を与えてやれる権能。やはりコイツらこそがこの世界から出る鍵を握っているのだろう。

 

重い金属塊は無造作に宝物庫へと放り込み、俺とティオは再び彼らに向かい合う。

 

「天人、神代天人だ。職業は武偵。竜騎士とか真竜なんてご立派なもんじゃないよ」

 

「妾はティオ=クラルス。妾は確かに竜の姿にも成れるが、妾も竜騎士でもなければ真竜という存在でもないのじゃ」

 

まずはそこをハッキリさせておく。竜騎士だの真竜だの、コイツらの思い込みで勝手に役割を決められても困るからな。

 

「───言っておくがお前らに伝わる伝承だとかは知らん。俺ぁそんなものとは関係ないし興味も無い。俺達にゃ目的があり知る必要がある。だからお礼がしたいってんなら俺ん聞くことに答えてくれ」

 

でも……と口を開きかけたローゼに対して俺は先んじて言葉を被せる。伝承だの口伝だの、そんなこの世界の事情なんて俺には知ったことじゃないのだ。知りたいことはこの世界を出るために必要な情報であって、コイツらのことじゃあない。

 

「……分かりました。あの戦いの最中、竜達まで助けて頂いたことにも感謝申し上げなければなりません。立ち話、というわけにもいかないでしょうから、どうぞ中へ……」

 

そうして俺達はローゼに連れられて艦内へと入る。だが応接室とやらに通される前にまずこの艦の損傷具合が気になって仕方ない。通る場所通る場所、そこかしこに穴は空いているしそれを埋める補修作業に人が走り回っている。その上時折異音が響くものだから、思わず「この艦内、穴だらけだけど落ちないよね……?」とローゼに聞いてしまった。

 

まぁ答えは「だ、大丈夫ですよ?……多分」なんて頼りないどころかそう遠くないうちに起こる墜落を予想させるものだったもんだから、結局俺が錬成で空いた穴を塞いで回ることになったのだけど。

 

 

 

 

───────────────

 

 

 

「まず聞きたい。あの黒い雨は何なんだ?」

 

艦の修理も一段落つき、ようやく落ち着いて話を聞ける状態になった。そこでやっと応接室に通された俺とティオ。開口一番に聞くとすれば、やはりあの黒い雨だろう。

 

「それを聞くということは、本当に竜騎士様ではないのですね」

 

「だから最初に言ったじゃん。俺ぁそんなご立派なもんじゃあないよ」

 

「そう……ですね。……あの黒い雨、あれは堕ちた王竜───ヘルムートの嘆きと憤怒の証と言われております」

 

そして語られたのはこの世界の───と言うよりコイツらアーヴェンストの歴史。まだ黒い雨が降り注いでいなかった時代には人と竜は深く繋がっていたらしい。その中でも絶対的な力を持った竜が王竜。そして、その王竜と友誼を結んでいたのがアーヴェンスト竜王国の王族。それによりアーヴェンストは絶対的な権威を誇っていた。

 

だが、世の中は盛者必衰であり栄枯盛衰こそ理。この世界で竜の次に栄えたのは普通に科学技術だった。だが俺達の世界と違う点が1つ。科学技術とは言ってもガスや電気ではなく、天核と呼ばれるエネルギーが用いられたのだ。

 

それは俺があの浮島で錬成によって収集した石のことらしい。それはこんなに大きな飛行船を飛ばしたり戦闘機の推進力にもなれば明かりを灯すことも熱や冷気を発生させることも出来るのだとか。

 

けれど、それの収集には酷く手間がかかる。そして新たに発見されたのが竜核───あの艦で竜の(はらわた)から取り出された石のようなものがそれらしい。しかもそれが秘めるエネルギーは天核とは比べ物にならないほどの量で、この世界は直ぐに竜核へと飛びついた。

 

もっとも、竜との関係性を大事にしているアーヴェンストを除いて……らしいが。まぁ、でなきゃクワイベルがコイツらを友達と呼ぶわけもないか。どうやらこのクワイベルも王竜ってヤツらしいし。

 

そんな風につらつらと語られるこの世界の歴史を話半分に聞いていく。結局のところ、世界から遅れをとったことに焦った昔のアーヴェンスト竜王国の王子様が王竜の竜核に手を出したところから世界は顕著に崩壊したらしい。

 

そして、ただの御伽噺だと思われていた天核と竜核こそがこの世界のバランサーであるというお話こそが、実は事実だと判明したとか、それでも結局人間は竜核を手放せず、竜の養殖を始めたとか、そんな話だった。

 

んで、竜の養殖にブチ切れたのが王竜達。王竜の中のヘルムートとかいう奴が竜の養殖場を攻撃したことで人と竜の間には埋めようのない隔絶が生まれてしまったのだった。

 

そして人と竜は戦争を起こし、竜は狩られた。その結果ヘルムートは王竜から邪竜と呼ばれるような存在になったと。

 

そしてこれまでは一部でのみ降っていたあの黒い雨を、その力で世界全土に降らせたらしい。なるほど、それで邪竜ヘルムートの嘆きと憤怒の証なのね。

 

んで、実は浮島の方もこの話と地続きらしい。

 

どうにもまだ人間を見放していなかった他の生き残りの王竜達がその最後の力で天核に力を与えて、それが多く含まれている土地だけは、どうにか雲の上に逃がしてくれたらしい。そして、クワイベルは土地を浮かべた王竜達の忘れ形見なんだとか。

 

「……取り敢えずそこら辺でいいよ。正直この世界の歴史そのものには興味無いし」

 

あと今の話の半分も俺は理解出来なかった。黒い雨がヘルムートとかいう奴が降らせたことと天核という鉱石が島を浮かせていること、アーヴェンストの艦や戦闘機の推進力にも使われていることはどうにか把握できた。そして、この世界のエネルギーはどうやら天核と竜核が循環させているということも……。

 

「で、アンタらは俺達にこう言いたい。「邪竜ヘルムートを打倒し、大地を取り返してくれ」ってな」

 

俺がそう言うとローゼは機先を制されたかのような顔をした。俺はふぅと一息つくと───

 

「ヘルムートをどうにかしたとして、お前らがこの世界の爪弾き者だってことと、さっきのアイツらが竜を養殖し続けることには変わりねぇ。それはどうするつもりだ?」

 

おそらくこの世界から俺達が出るためにはヘルムートなる竜を倒してあの黒い雨を止ます必要がある。まぁこれは特に問題は無さそうだがもう1つ。アーヴェンストは今や空賊なんて扱いなのだ。仮に大地を取り戻したとして、今更他の人類が竜核を手放せるとも思えない。まぁ、使う量より生み出される量の方が多ければ特に問題は無いのだけれど、聞く限りにおいてはそんなことを考えている世界ではないようだし、それじゃあ俺がヘルムートを倒そうがコイツらの立場はそれほど変わりないだろう。

 

「どうって……」

 

「ふむ、では先に妾達の立場を言っておくべきではないか?」

 

俺の問いに答えを言い淀むローゼに代わり、ティオがそんな提案をしてきた。確かに、まず先に俺達の目的を伝えておいた方がよさそうだ。

 

「そうね。……まず俺達の目的は、帰ることだ」

 

「帰る……ですか?」

 

「そう、帰ること。家に……俺達の世界に帰る。それが俺達ん目的」

 

そう、それだけが俺達の目的で、ヘルムート討伐なんてのはその目的を達成するための手段でしかないのだ。

 

「俺達ゃこことは違う世界から来た。アンタらも見ただろうけど、この世界の奴らは虚空から氷の槍を生み出して飛ばしたり金属や鉱石に触れるだけで形を変えたりは出来ねぇだろ?それが証拠」

 

竜核や天核から生み出されるエネルギーはどうやらこの世界に順応した超常の力ではあるようだ。それは、あの戦艦の主砲に氷焔之皇が効いたことが何よりの証。けれどこの世界には魔法と呼ばれるようなものは無い。それはローゼが言ったことだ。

 

「そして、俺には元の世界に帰る鍵がある……んだけど、どうにもその鍵が刺さらねぇんだよな」

 

「鍵……?刺さらない?」

 

と、ローゼとその近衛らしい金髪の姉弟2人が首を傾げるので俺は宝物庫から越境鍵を取り出して見せた。

 

「これが世界を越える鍵。だけどこれぁ今使えない。どうにもこの世界そのものに、俺達がここから出ることを拒まれてるみたいなんだ」

 

それが俺が出した結論。世界から出る方法を知っているティオも、きっとそうだろうと頷いていた。俺達はきっとこの世界に呼ばれ、そしてこの世界の運命を変える……いや、本来あるべき道へ戻すことを強制されているのだろう。

 

「きっと世界は黒い雨が止むことを願っている。……けど油断するなよ、世界の運命に個人の運命は関係ねぇ。俺達がヘルムートをぶっ倒しても、アンタらは死ぬかもしれねぇし、アーヴェンスト竜王国の再興はならず、ただ人間が竜を支配する世界になるだけの可能性はある」

 

この世界の運命の結末が、黒い雨が止み人類の活動領域が地上に戻るだけならば、ヘルムートが死にさえすればそれで終わり。最悪はその戦いの中でクワイベルも死に、王竜の血脈がが途絶えて人間が竜を支配する世界になる可能性はある。だが黒い雨が止めば俺達はこの世界を出ていくかもしれない。そうなればコイツらの悲願は叶わない。

 

「でも少なくとも、邪竜ヘルムートの討伐だけは、確実なものというわけですよね?」

 

「いや、言ったろ。世界の運命に個人の運命……生き死には関係無い。もしかしたら俺達ゃヘルムートに殺されるかもしれない。そしてまた長い時間……それこそアンタらが死んだ後にまたヘルムートを倒しうる奴らがこの世界に呼ばれて、ソイツが倒すことだってある。世界は長生きだからなぁ……。俺ん次を呼ぶまで1000年掛かっても世界からしたらクシャミした程度だろうな」

 

だからヘルムートを倒すことだって俺達は油断できないのだ。倒すのが世界の運命だからって、俺達が生きて倒せる保証はない。相打ちか、最悪俺達の次に回される可能性だってあるのだ。世界はそこまで、一個人に優しくない。

 

「まぁそんなわけで、俺ぁヘルムート討伐は真面目にやるよ。俺だって死にたくないし、ティオを死なせたくもない。……あぁ、それとついでに1個アドバイス。さっき戦った奴ら、多分またすぐ来るよ。準備はしとけな」

 

あれだけプライドの高い奴らだ。十中八九国に帰って直ぐに報告、アーヴェンストを殲滅って方向で進むだろう。ついでに目障りな王竜もぶっ殺して腸から竜核でも回収しちまえば最高って感じだろうな。

 

「そんな……っ!あの神国クヴァイレンがまた……っ!?……タカト様、ティオ様、お願いです。我らと共に───」

 

「それは断る」

 

「な、何故ですか!?」

 

「さっきチョロっと言って、普通に聞き流されたけど、俺の職業は武偵。武偵ってのは法律で人殺しを禁止されてる。もちろん、こっちの世界にそんな法律は無いから律儀に守る必要はないよ。だけど───」

 

「ぶ、ぶてい……?」

 

武偵制度のないアーヴェンストで生きるローゼは当然頭に疑問符を浮かべている。それは後ろの近衛2人も同じだった。

 

「んっ、まぁ金さえ貰えれば何でもやる何でも屋だよ。俺ぁそれで食ってる。基本依頼は荒事が多いけどね。だからまぁ……人は殺したくない。そーゆーわけで、さっきのアイツらすら誰も殺さずに追い返した。ま、さっきも言ったけど本当に無理そうなら最悪は手を汚す覚悟はあるし、国の1つや2つ滅ぼす程度ならワケないよ。でもそれをやらずに帰れるならそれに越したことはない」

 

それと、多分とは言ったけど確実に奴らは来るだろう。俺達が追い返したのは補給部隊の母艦でしかないし、向こうも俺達がアーヴェンストにいることは分かっているはずだ。奴らが帰ればそれは本国に伝わり、小生意気にも強い傭兵を得た空賊なんて、いかにも潰し甲斐のある奴らに見えるだろうな。そしてあの補給部隊の様子だと、そういう相手を蹂躙するのは大好きだろうな、アイツらは。

 

「そんなわけで、俺達はさっさとヘルムートを倒しに行くよ。アンタらも早く本国に帰って支度した方がいいぜ」

 

と、俺が立ち上がろうとしたところで───

 

「ま、待ってください!」

 

ローゼも勢い良く立ち上がり、俺達を引き留めた。

 

「んー?」

 

「もし神国が来るのなら、それを分かっててここから離れたタカト様は私達を()()()にしたことにはなりませんか?それは、ブテイのルールにそぐわないと思います」

 

なるほど、コイツは知らないだろうけど武偵法9条の適用範囲によっては確かにその理論は成り立つ。まぁ、別にこっちでどうしようが、帰った俺に何か罰が下るわけではないのだけど。それを言ったらコイツらの味方をしてやっても同じことだ。だからその理屈は俺に通る。

 

「……で、俺を兵隊として使うならそれなりの報酬が必要だぞ。一国の軍隊を退けるなんて仕事がそう安いとは思えない」

 

そして、この世界の通貨なんてものに俺は興味が無い。何せ直ぐに出る世界なのだからそんなもの必要無い。この世界にしかないものと言えば天核と竜核だが、天核はともかく竜核を報酬とするのはどうしても憚られるし。

 

「で、でしたら私の身体を───」

 

「マジで要らん」

 

そして洒落になってない。見ろよティオのこのジト目を。梅雨前線だってもう少し乾燥しているよ。しかもそれが向けられているのはローゼじゃなくて俺だし。

 

「一応フォローしとくと、ティオは俺ん嫁なんだよ。だからそんなことを言われても受け入れられないからさ……」

 

お前に女としての興味は無いよ、なんてのは特に好意を抱いていない相手から言われたとしてもそれなりに腹に据えかねるものがあるだろう。しかも対価とは言え自らそれを差し出そうとしたのだし。だから俺は"別にローゼが女として魅力が無いから断ったわけじゃないからね"ということでこの場を取りなす。取りなせ……たかなぁ。

 

「うぅ……な、ならせめて我がアーヴェンスト竜王国にお越しになってください!!邪竜ヘルムートの討伐と言っても彼の者がどこにいるのかご存知ないでしょうから案内も致します。それに、アーヴェンストの空域には湖を持つ島もありますし、竜と人間とが共存しているのです!数は僅かですが、確かに人と竜は一緒に暮らしてます!せめてそれを見てからでも……」

 

ローゼは必死だった。ここで俺という戦力を失えば直ぐにアイツらに滅ぼされるというのが分かっているのだろう。アイツらは俺がいるという基準で攻めてくる。そうなればアーヴェンストだけではどうにもならない彼我の差があるのだ。

 

『のう天人よ……』

 

すると、ティオから念話がきた。

 

『ヘルムート討伐は直ぐに終わるじゃろう?そうなれば妾達は元の世界に帰れる可能性が高い。なら……』

 

ティオの言いたいことは分かる。見れば、どこか照れたような顔もしているしそれを隠す気はそれほど無いようだ。普段あんまり我儘を言わないティオがこういう風に言ってくるのは、正直凄く可愛いと思うし、何より嬉しい。俺としては何としてもその意思を尊重してやりたいのだった。

 

「……1回だけだ」

 

「え……」

 

「1回だけ、アイツらからアーヴェンストを守ってやる。そうしたら俺達ゃヘルムート討伐に向かう。……あぁ、居場所なら自分らで分かるから気にすんな」

 

だから俺は、ローゼの招待を受けることにした。コイツがあれほど自信満々に語っていたアーヴェンストというのはそれなりに景観も良いのだろう。最近はティオのことをあまり構ってやれていなかったと思うから、偶には2人で観光デートも良いかもな。

 

「あ、ありがとうございます!!」

 

と、俺の言葉を聞いたローゼが凄まじい勢いで頭を下げた。そして、ティオはティオで何やらニヤニヤしながら俺の腕をその大きな双丘に埋めた。

 

「ふふふ……そういう甘ぁい天人も大好きじゃよ」

 

そう言ってティオが俺を上目遣いで見上げる。その長い黒髪を梳くようにして撫でてやればティオは気持ち良さそうに目を細め、さらに俺へとその豊かな身体を密着させてきた。

 

「……俺ぁこの性格、もう少しくらいは直した方がいいと思ってるぜ」

 

武偵憲章8条、任務はその裏の裏まで完遂せよ。別の世界に飛ばされてまで武偵法を守る気はなくても、これだけは守ろうと決めてトータスでの旅を始めたのだ。ここでだってそれを守るだろう。俺が俺として、胸を張ってリサ達の元と帰るために。それなのに1()()アーヴェンストを守るためにアイツらと戦うなんて約束してしまったら、その1回がどこまで続くのか分かったものじゃない。

 

「はぁ……」

 

という俺の大きな溜息は黒い雨の降るこの世界の大きな空の彼方へと掻き消えていくのであった。

 

 



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魔王と黒竜

 

 

「しかし、存外に余裕じゃな」

 

「んー?」

 

アーヴェンストに来てから2日が経とうとしていた。俺とティオは雲の上……月と星が瞬く空の下で2人、アーヴェンストの甲板上にいた。

 

「トータスにいた頃の天人であれば、最初に遭遇したクヴァイレンの輩は皆殺しにしていたようにも思うのじゃがな」

 

宝物庫から取り出したソファに腰掛け、太ももに乗せられた俺の頭を撫でながらティオが愛おしげに目を細める。

 

「まぁね。あん時とは違うよ、やっぱり。力もあるし、何より───」

 

そこで俺はふと言葉を切る。そうして1拍の後、続きを口にした。

 

「───ティオがいる。だから俺ぁ誰にも負けねぇ。神の国だか何だか知らねぇけど、そんなもん全部叩き潰してやれるさ」

 

聖痕があり、ティオがいる。俺にとってこれ以上心強いものはないさ。だから今の俺には余裕がある。ティオを薄汚い目で見てくる奴らも、取り敢えず人間であれば生かして帰してやってもいいと思えるくらいにはな。

 

「ホント、そういう所じゃよ?」

 

「んー?」

 

思わずティオの頬を撫でていた俺の左手が取られる。するとティオはそこに1つキスを落とし、また自分の右頬に戻した。夜は更けていく。雲の上、高い空で月と星の輝きに照らされて、静かに過ぎていく時間の中で俺はティオへの愛とティオからの愛をそれぞれ感じていた。

 

 

 

───────────────

 

 

東の空が白み始める。夜は明ける。雲海の下に広がるは地獄。けれども太陽の輝きは不変で、さっきまで俺達の上で踊っていた月と星の輝きもまた変わらず。違うのは少しの位置だけ。だからこの世界はきっとまだ美しくなれる。だって空はあんなにも綺麗なのだから。

 

だけど───

 

「タカト様、ティオ様……」

 

朝焼けの空でしかし血の色を確信していた俺達にローゼが語りかけてくる。

 

「んー?」

 

「もし、ヘルムートもクヴァイレンも私達が戦うと言ったら、お2人はどうしますか?」

 

ローゼの瞳には決意の色が見えた。この2日間で彼女の中に何が起きたかは知らないけれど、どうやら俺達という理不尽に頼ることなくこの世界と戦うと決めたらしい。

 

「別に、どうも。クヴァイレンは好きにすればいいと思うけど、ヘルムートは俺達が終わらせる。……俺達が俺達の世界に帰るためにな。それを何十年と待ってやるつもりはねぇ」

 

クヴァイレンはコイツらの問題なのかもしれないが、ヘルムートは俺達の問題でもあるのだ。コイツらの意志がどうであろうと俺はヘルムートを倒す。そうでなければ俺達はこの世界から出られないのだろうから。

 

「そうですか……」

 

ローゼはそこで少し目を伏せた。とは言え、ローゼの想いは悪いものじゃあない。自分達の命運は自分達で切り開く。ヘルムートがどうなろうとこの世界はきっとコイツらにはまだとても過酷だろう。それでも、コイツらは自分達の力でその先へと進もうとしている。その決断が間違っているなんてことを俺は絶対に認められない。

 

「けどまぁ、それならクヴァイレンは───」

 

そこで俺は言葉を切った。何故ならアーヴェンスト竜王国──正確には空母艦アーヴェンスト──の周囲に飛ばしていた自動操縦のアーティファクト・ドローンは既にこの影を捉えていたのだから。

 

「───お出ましだぜ、神国クヴァイレンとやらがな」

 

その瞬間、アーヴェンストを莫大な光の束が襲った。太陽から閃光が放たれたのだ。そして、俺は太陽から放たれた白銀色の殺意を氷の壁と氷焔之皇で受け止める。それらは全て俺の捕食者の胃袋へと収容される。これはまだ使う時じゃあない。どうせならもうちょい貯めておこうか。

 

「さて、取り敢えず約束の1回だ。俺ぁコイツらを蹴散らす。そんでそれからヘルムートをぶっ倒す」

 

どんなにローゼの決意が固くても、まだアーヴェンストはクヴァイレンには敵わない。ローゼ達の意志を貫くためにも、ここは俺が出張ってやるしかないんだろうよ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「クヴァイレンの艦隊!?そんな……どうしてここが……」

 

ローゼの声に悲壮の色が混ざっている。補足されていないと思っていたのだろう。だがこの国の戦力はお荷物のアーヴェンストと護衛艦……と言っても現代の基準じゃ駆逐艦程度の火力の艦が2隻。それとそこに搭載されている艦載機くらい。その数も質も、到底向こう(クヴァイレン)に敵うもんじゃない。いくらパイロットの腕が優れていようが、その程度でどうにかなる戦力差ではないのだ。それでもローゼ達がここまで生き延びられていたのは、単に彼らが手を抜いていたからだろうというのは、俺もティオも3日前にここ、アーヴェンスト王国──という名の空母艦──に着いて直ぐに分かっていた。

 

再び白銀の砲撃が放たれる。だが何度も吸収だけというのもあまり芸が無い。何より、コイツらを追い返すなら自分らでは絶対に敵わないと思わせないとならないからな。

 

俺は円月輪のアーティファクトを召喚し、片方を白銀の砲撃に向けて、もう片方をそれを放った戦艦に向けて展開。狙い違わず奴らの砲撃は俺の円月輪の空間魔法を介して奴らに返っていった。

 

だがこの砲撃はこの世界の主力であるからして、きっと奴ら以外の国も似たようなものが使えるのだろう。アイツら───ローゼが神国クヴァイレンとか言っていた奴らの艦にはこれへの防御手段があるらしい。

 

そのまま返された砲撃は奴らの艦隊の前面に展開された白銀の結界のようなものに阻まれ、数秒で掻き消えた。その光景はまるで、あの壁に吸収でもされたかのようだった。

 

次に放たれたのはトマホークのようなミサイルの嵐。だがそれらは俺達を狙うわけではなく、アーヴェンストの後部と、これを守る2隻の護衛艦に向けられた攻撃だった。それは俺達を生け捕りにしたいのか、はたまた俺達と戦う時に余計な茶々を入れられたくないからなのか……。もっとも、コイツらを守るのがローゼとの約束。武偵憲章2条、依頼人との約束は絶対に守れ。ミサイルなんてもの、1発足りとも後ろには通さねぇ。

 

「ふむ……こういうのは纏まってくれていると楽なのじゃ」

 

ティオが腕を伸ばし、ボールを両手で掴むように突き出した。するとその手の間には漆黒の力の塊が現れる。ティオの漆黒の魔力が収束し、顕現するそれは竜のブレス。放たれるそれはこの世界の戦艦の主砲にも負けず劣らずの火力を持ってミサイルの殆どを迎撃する。

 

爆発すら伴われずに消失するミサイル群。僅かに出た討ち漏らしは俺が氷の槍で貫いて破壊する。

 

それと同時に俺は宝物庫から太陽光収束兵器を7機全て召喚。しかしその見た目は3日前に彼らに晒したそれとは少し異なっていた。

 

リボルバー拳銃からグリップを削ったような見た目のそれは、先日の戦闘で俺が感じた火力不足を補うためのもの。あの時貯め込んだエネルギーと、元々これが持っていた破壊力ではほぼ互角。そのため俺はアーヴェンストに来てから再生魔法で時を引き伸ばし、莫大な時間を得てこれを解消したのだった。

 

そして、その銃口が奴らの艦隊のド真ん中に向き、放たれたのは太陽の光と熱を重力魔法で圧縮され、指向性を持たされた灼熱の槍。それが朝焼けの空を白く塗り潰すかのようにクヴァイレンご誇る旗艦へと駆け抜けた。

 

もっとも、奴らも黙ってやられるわけがなく防御壁を展開。鍛えた昇華魔法で太陽の炉1()()()()()の火力だって3日前のそれとは比べ物にならない筈なのにしっかりと受け止めていた。

 

だがまだだ。この太陽光収束兵器がリボルバー構造になっている理由、それは単純にこの砲塔1門当たりにつき太陽炉が6つ。つまり最大火力は今の6倍にまで跳ね上がるのだ。

 

そして今、俺は第4炉まで解放している。そうしてようやくあの白い壁をぶち抜けそうになったその時───

 

「…………」

 

奴らの旗艦と思われる1番の巨体を持つ戦艦から燦然と白銀色の光を纏い、それを周りの戦艦共に放出した。そうするとさっきまでヒビ割れ今にも硝子のように砕け散る寸前の音を立てていた障壁が力を取り戻した。さらに正面以外の3方から艦隊が姿を現した。どうやら雲に隠れて包囲を進めていたらしい。

 

しかも何やらスピーカーでも使っているのか、いきなり獣が痛め付けられているかのような、不快な叫び声がこの空域に響き渡る。

 

どうせ使い捨ての竜核を取り出す声でも外に流しているのだろう。もしくは生きたまま竜核の力を使うこともできるのか。どっちにしたってあまり良い気分ではない。本当なら火力の確認も兼ねてこのまま6炉全て解放して押し切ってしまいたかったのだが、仕方なしに俺は太陽光収束兵器の引き金を戻した。

 

「ティオ」

 

「……ふふっ、天人は本当に妾に甘いのじゃ」

 

声では笑っているが、その顔に笑顔は無い。そりゃそうだ。別の世界の竜とは言え、あんな風に使い捨てるかのように竜を扱っているのだ。竜人族であることに誇りを感じているティオがそれを見せられて何も感じないわけがない。むしろ、ローゼ達の話を聞いて真っ先に飛び出さなかっただけティオはまだ理性的だったのだ。

 

「聞こえるか、そこの黒髪の男。今の砲撃はお前か?」

 

と、何やら向こうの艦から呼び掛けが聞こえる。おそらくこの艦隊のボスだろう。戦闘の最中に態々会話をする余裕があるみたいだ。手前らご自慢の盾をぶち抜きかけた兵器を敵が仕舞ったのだ。次の一手を警戒すべきだろうに。それとも、向こうも次の一手のために時間を稼ぎたいのだろうか。そうであるならばコチラがその時間稼ぎに協力してやるつもりはない。

 

俺は奴らの上空に氷の槍を発生させるとそれをそのままどデカい戦艦の側面を掠めるように放つ。

 

それは狙い違わず少しだけ側面の壁を削るに至った。そして、その光景を見たアーヴェンストの奴らから驚きの声が上がる。どうやらあの艦が傷付くところを初めて見たらしい。

 

だが再び大きな艦が輝き、それに合わせて竜達の悲鳴が大きくなる。そして胸糞悪くなることに、この声は竜核を搾られている悲鳴ではなく、ただ徒に拷問されている声だと言うのだ。あーあ……そんなこと言っちゃったら───

 

「……天人よ」

 

「分かってるよ」

 

俺の隣にいる竜人族の姫の怒りを買うに決まっている。ただでさえアイツらのやり方が心底気に入らないって雰囲気を醸していたのだ。それであの悲鳴が戦闘に使うための竜核に全く関係の無い、ただの拷問によって絞り出されていたのだとすれば、もう誰にもティオを止めてやることはできない。そして、俺も覚悟を決める必要がある。……何を?決まっている。

 

 

 

───自分の手を再び血で汚す覚悟をだ。

 

 

 

「ふん……恐ろしくて声も出ないか?多少不思議な力を使えるとは言っても所詮はガキか」

 

「……傷付けられた誇りは取り戻さなけりゃならねぇ。そして、俺ぁそのために自分の手を血で汚したって構わねぇよ。それがティオ、お前のためなら尚更だ。お前の罪は俺が背負う。だからティオ、好きなだけ暴れてこい。そんで、アイツらから取り戻してこい、竜の誇りを!」

 

「あぁ……あぁ……妾はなんと恵まれておるのじゃろう。愛する男がここまで言ってくれるのじゃ。……だが天人よ、妾の罪はお主のものと言ってくれるがの、ならばお主の罪は妾のものじゃ。だからこの戦いで流れる血は、妾と天人の2人で背負うのじゃ」

 

そうして俺達は1つ触れるだけのキスを交わし、ティオが前を見据える。そこにあるのは自分らのボスのお言葉を全てマルっと無視されて、怒り心頭といった雰囲気で砲塔を俺達へと向けている艦隊。その数は正直数えるのが面倒臭いから数えていない。けれどこの程度、物の数では無いごとだけは分かる。何故かって?ここにいるのは竜人族の姫たるティオ・クラルスで、その横にいるのが異分子(イレギュラー)にして異常存在(イレギュラー)特異存在(イレギュラー)たる神殺しの魔王なのだ。

 

そんな俺達の前ではこの程度奴ら、雑兵にすらなりはしない。

 

スゥ───と、ティオが大きく息を吸い、そしてそれを吐き出す。

 

 

───グルゥァァァァァァァッッ!!

 

 

そして放たれたのは竜の咆哮。それはただ空気の波を音として伝えるのではない。そこには漆黒の波動が紅の魔力光を纏い、十重(とえ)二十重(はとえ)に連なってこの戦場を駆け抜けていった。それは目覚めの時を示す波動。そう、今まで暴力に押さえ付けられ、まな板の上に縛られていた竜達が、その誇りを取り戻すときが来たのだと伝える音。

 

今こそ……竜の時だ───!!

 

───ドクンッ

 

1つ、心音が瞬く。

 

───ドクンッ!ドクンッ!

 

2つ、鼓動が響く。

 

───ドクンッ!ドクンッ!ドクンッ!!

 

3つ、朝焼けの蒼穹を脈動が駆ける。

 

それは竜の拍動。力強く瞬く生命の咆哮。戦場(いくさば)に駆け抜けるのは魂の伊吹。それが叫ぶのは竜の誇り。そして、それを傷付けた不届き者への怨嗟と断罪を言い渡す鐘の音。

 

ティオの……竜の女王が放つ咆哮に応えるように、プライドを踏み躙られていた竜達が反旗を翻した。その旗が()()()()()のはこの場に集結した艦の全て。

 

その刹那に響くのはこの世界の広大な蒼穹を揺り動かすような莫大な咆哮。それは今まで誇りを汚され続けてきたことへの反逆。この場にいるのは細く弱い、項垂れ最期に痛覚神経の伝えるままに痛みを訴えるだけの弱い生き物ではない。堅い鱗と強い意志を秘めた瞳を持ち、顔を上げて自らの誇りを吼え示す気高き生命。

 

この世界の空の支配者は人ではない。竜こそがこの世界の空を支配し君臨するのだという決意を秘めた声。

 

あちこちの艦で黒い閃光と共に機体に穴が空く。内側から竜が覚醒し、そのブレスと肥大化した身体で壁をぶち破っているのだ。

 

今のティオは竜を自らの眷属として強靭かつ頑丈な黒鱗を持つ竜へと変貌させることができる。それだけではない。あの時の名付けによって、ティオには更なる力がもたらされていた。

 

「では行ってくるのじゃ」

 

「おう」

 

フワリと、ティオが空へと舞い上がる。そしてティオが自分の胸の上に手を置くと───

 

───轟ッ!!

 

竜巻のように風が吹き上がる。1拍遅れて漆黒と真紅の二重螺旋が湧き上がり、ティオの身体を包む。それは天を衝き雲海を割る。ティオに放たれた白銀の砲撃もミサイルの雨あられも何もかも巻き込み消し去り、そして顕現するのは空を支配する竜の女王。

 

雷が駆け巡る炎の海。死の雨をもたらす雲の上に現れたのはそれを上回る致死の熱だった。

 

それをもたらす漆黒の竜こそティオ・クラルス。

 

空は燃え、(いかずち)が空間を支配する。

 

この場にいる人間と、そして覚醒させられた黒い竜達もまた上を見上げた。1拍の後、ティオが吼える。放たれた声量が空間を砕かんと空気を揺るがす。

 

その後に繰り広げられた光景は、ただの蹂躙でしかなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「よいのですか?」

 

「んー?」

 

ティオを中心とした竜達による人への蹂躙劇を眺めていたローゼが俺にそんなことを訊ねる。

 

「タカト様は人を殺したくはないと言っていましたが、これは……」

 

確かに、ティオもティオに目覚めさせられた黒竜も明らかにクヴァイレンの兵士達を殺害している。時たま竜達も命を落としているが、それでも明らかに竜達の方が人を殺している。それを俺が見ているのは、あの時の言葉と矛盾するのではないかということだ。

 

「言ったろ、必要なら俺ぁ手を汚す覚悟はあるって」

 

それに、と俺は言葉を続ける。

 

「俺ぁ手前が手を汚すより怖いことがある」

 

「……え?」

 

すると、ローゼやその近衛の2人、サバスチャンとか言うらしい執事までもが意外そうな顔をしている。俺に怖いものがあることがそんなにおかしいのか。人がせっかく真面目な話をしているのだから腰を折らないでほしいものだ。

 

「……それはな、諦めちまうことだよ」

 

「諦める……ですか?」

 

「そうだ。生きることを……誇りを諦めること。俺ぁ自分が一瞬でもそうしちまうことが怖い。例えその後でどうにかなったとしても、もう折れちまったら元には戻れない」

 

「誇り……」

 

「俺ん誇りはアイツらだ。ティオ達が幸せに暮らせること。その幸せを作るのも、アイツらを守るのも俺がやる。それが俺の誇り。……だからティオの誇りは俺ん誇りだ。ティオが竜の誇りを取り戻すって言うんなら……そのためにアイツらを叩き潰す必要があるってんなら、俺ぁこの手を血で染め上げてもそれを成す」

 

もしあの子達のことで何か1つでも諦めてしまったら、俺はその先もずっと何かを諦め続けてしまうかもしれない。そうしていつか、俺の前から何もかも無くなってしまう。その未来が想像できてしまうから、俺は諦めたくない。諦めちゃならないのだ。

 

「俺ん罪はティオ達が背負ってくれる。アイツらん罪は俺が背負う。アンタらの決意は尊重してやりたいけど、悪りぃがアイツらを潰すのは俺とティオだ。……それよりも、ここはもう竜の戦場だ。お前らん戦場は、もう別にあるんじゃねぇの?」

 

俺は宝物庫から越境鍵を取り出す。こっちの世界に来てから、この世界に阻まれてうんともすんとも言わねぇこの鍵。けれど今は何となく……コイツも自分の出番を待っているかのように感じられた。

 

「あの数だ。戦力は相当こっちに投入してるとは思うが、軍部の人間を潰したところで国は別だ。ほっときゃ他の国に潰されるのかもしれねぇけど……それじゃあ首がスゲ替わるだけで何も解決しねぇだろ」

 

と、俺が指先で越境鍵を弄びながらそう言うと

 

「……いえ、あの旗艦ドゥルグランの艦長こそ神国クヴァイレンの王───グレゴール・クリュゼ・クヴァイレン。この世界の神たる男です」

 

そんな、超重要な情報をさも当たり前のことかのように告げた。ローゼの瞳は物語る。むしろなんでそんな当たり前のことも知らずに普通に戦っているのだ、と。

 

「……いやだってさ、普通思わないじゃんよ。なんでそんな国のトップが最前線に出てくるのさ。その度胸はむしろ尊敬するよ……」

 

むしろアイツが殺られたら全部終わりなのにどうして彼は普通に敵の目の前に現れたのか。いくら俺達に勝てると踏んでいたからといって、そんなことを普通するだろうか。これが軍の司令官とかならまだ分かる。指揮系統の最上位なら命令もスムーズに通るだろうし、そもそも軍人は戦うことが仕事でもあるのだ。そう違和感のあることではない。

 

だが奴はクヴァイレンという国の大ボスなんだぞ?地球で言えば総理大臣とか大統領とか、それこそ国王とかが戦いの最前線に出てきているのと同じことなのだ。神話大戦じゃあるまいし、そんなことがあるなんて想像もしていなかった。

 

「しかしまぁ……って言うことは本国の守りは比較的薄そうだなぁ」

 

「えぇ、おそらく防衛に優れた艦隊しか残ってはいないでしょう」

 

「って言うことは、今こそクヴァイレンをぶっ潰す好機到来ってわけか」

 

「……は?」

 

俺の提案に、しかしローゼの目が点になる。どうやら今のこの状況をよく分かっていないのかもしれない。

 

「言っとくけど、今あの竜達が戦えてるのはティオの加護があるからだ。あれも俺達が帰ればなくなる。今……この場に来ている艦隊は当然全部潰すけど、アンタらは本気で守りを固めたクヴァイレンを落とせるわけ?」

 

そう俺が問えば、ローゼや他の奴らも黙り。クヴァイレンの防衛戦力がどの程度なのかは知らないけれど、やはりコイツらだけで倒せる相手でもないらしい。

 

「クヴァイレンまでは連れてってやる。いくら強い奴でも不意打ちかませば意外と何とかなるもんだぜ。……下から世界を変えたいなら、抗うしかない。抗って、ひっくり返す以外に未来はねぇ。……それで、どうする?」

 

もう一度俺が問えば、ローゼはギッと、力強く俺を睨み、そして口を開いた。

 

「やります。戦って、人と竜とがまた一緒に暮らせる世界を───今こそ取り戻します!」

 

その瞳にはさっきと変わらず強い決意の色が現れていて、きっとコイツらなら抗い続けるのだろうという予感があった。ならば俺も、依頼人のために働いてやらなきゃな。

 

俺は1つ頷いて返すと、アーヴェンストの前の空へ空力で立つ。そして虚空へ向けて越境鍵を突き刺した。それは波紋を立てながらズプリとその先端を沈め、俺の中から魔力を情け容赦無く引き摺り出していく。

 

そうしてタレ流される魔力に任せて俺は鍵を捻る。そうすればほら、光の中から空間が裂け、別の空の空気が流れ込んでくる。この裂け目の向こうはもう、クヴァイレンだ。

 

「行きましょう。私達の戦場へ」

 

ローゼのそんな声と共にロゼリア、アベリア、アーヴェンストとその僚機達が巨大な裂け目を潜る。それを見届けた俺は───

 

「ティオ、そっちは少し任せた」

 

「応なのじゃ」

 

彼らの後に着いて扉を潜ったのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

見える防衛艦は20隻。俺にとっちゃ物の数ではないがコイツらにとっては膨大な数になるだろう。だが奴らの直上に転移した俺達に対して有効な手札を使えるほどクヴァイレンの防衛艦隊は落ち着いてはいない。そこで───

 

 

「……久しぶりだな」

 

俺が宝物庫から取り出したのは"覇終(はつい)"。リムルの世界で俺の得物だった大太刀だ。コイツにはそれほど特殊な力は無い。ただ魔素を圧縮し、斬撃と共に放つ。それはただ魔素を力のままに放つだけでなく、氷の元素魔法も同じように放つことができるのだが、まぁ言ってしまえばその程度。だが今この場ではコイツの分かりやすい火力が1番使い易い。

 

俺は覇終に魔素を込め、横薙ぎに振り抜いた。

 

音は無い。本来大気が悲鳴を上げるほどの速度の筈だがそんなものを掻き消す程の力の奔流。覇終の刃から放たれた圧縮魔素が黒い刃となりクヴァイレンが誇るのであろう守護艦隊の内3艦を一閃にて叩き斬った。

 

「なっ……」

 

「いちいち驚いてんなよ。それよりどうすんだ?お前らが戦うって言うから連れて来たんだ。俺が全部やっちまっていいのか?」

 

俺は再び覇終に魔素を込めてそう尋ねる。答えを考える時間なんてないのは、覇終の刀身に黒い力の波が溢れていることが告げている。

 

「いいえ!私に作戦があります。下には真竜の涙泉というものがあるのです。そこにくーちゃんを連れて行きます。そこでくーちゃんの王竜としての力を一時的に覚醒させ、その力で私達がクヴァイレンを打倒します」

 

だからお前は大人しくしていろと、ローゼの瞳は告げているようだった。だがそれには大きな覚悟が伴っただろう。俺の力ならコイツらを守りつつクヴァイレンの防衛戦力を全て叩き潰すことだってできる。それは今しがたの斬撃で再び示されたばかりだ。だがそれでも彼女は私達が戦うのだと言う。ならば俺は彼女の決意を尊重する他ない。

 

「おう、なら行ってこい」

 

と、俺は羅針盤で真竜の涙泉の座標を特定。そのまま越境鍵でそこまで続く扉を開いてやる。

 

「ほれ、この先が真竜の涙泉だ。こっちはお前らに任せるよ。俺ぁティオの方に行きたいし」

 

「え……?あ、はい!」

 

「ぴ、ぴぃ!」

 

ローゼとクワイベルが扉を潜ってから数分後、王宮を縦に貫く極大の閃光が吹き上がる。俺はそれを見て、再びティオと竜達の戦場へと赴いた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「さて……」

 

再び竜達の戦場へと赴いた俺は辺りを見渡す。天空にはティオが座し黒い鱗を纏った竜達がこれまでの鬱憤を晴らすかのように飛び回り、ブレスを吐いていた。

 

「───貴様等ぁ!アイツらを何処へやった!一体貴様等は何なんだ!!」

 

グレゴール……だったか。ドゥルグラントを通して奴の焦りと混乱と怒りの混じった声が響いてきた。もうこれは戦いとも呼べない。いや、竜達にとってはそれなり以上に命懸けで、今まで踏み躙られてきた誇りと尊厳を取り戻す戦いなのだろうけれど、俺にとってこれはもうただの蹂躙にしかならない。

 

だから、それ故に───俺は口を開いた。

 

「さてな。俺ぁ手前が何者か(自分の限界)なんてもんは手前で決めてねぇんだよ」

 

俺のそんな一言に、グレゴールは吐き捨てるように叫んだ。

 

「そうかよ……っ!クソッタレ!!」

 

「じゃあな、俺とお前じゃ……戦いにもならなかったな」

 

覇終を1振り。それだけで俺に向かって放たれたミサイルと砲弾の雨は掻き消える。そして俺は覇終の(きっさき)を正面に向ける。刃から放たれたのは黒い閃光。魔素が圧縮されて放たれたそれはまるでティオの放つブレスのようで、しかしこれにはあれのような誇りはない。ただの殺意の閃光がドゥルグラントの艦載兵器を貫き破壊する。それを数度繰り返せば地球の戦艦も裸足で逃げ出すような馬鹿みたいな数の砲門を備えたドゥルグラントは、今や丸裸に近い。そしてそれを見逃さなかった黒竜が1匹、艦橋の風防に向けてその顎を開いた。

 

放たれた怒りと殺意はドゥルグラントの艦橋ごとその場にいたのであろうグレゴールを消し飛ばしたようだ。何せ羅針盤で探しても見つからなかったからな。奴はもう、生きてはいない。

 

残りの艦隊は数える程だ。ティオ達と黒竜は俺がいない数分の間に随分と暴れ回っていたようだ。俺は覇終を担ぎ直す。そこに魔素を込め、圧縮し、残る戦艦へと向けて刃を振り抜いた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

世界が黒に染まる

 

 

 

それはきっと、ヘルムートの起こした現象。クワイベルが一時的らしいとは言え王竜としての力を得たからだろうか。どうやらヘルムートはローゼとクワイベルの前に現れたようだ。

 

こちらの戦闘はほぼカタがついていた。クヴァイレンの艦隊はドゥルグラントも含めてほぼ轟沈。残された戦艦だってもう戦える状態じゃあない。一応俺達の目的はヘルムートを倒すこと。それならもうこっちは放って向こうへ行ってやるべきだろう。

 

「行くか」

 

「そうじゃの。この感じ、流石にあの若い坊やだけでは心配じゃ」

 

巨大な竜の姿から人の姿へと戻ったティオが俺の隣へやってきた。その顔には些か以上に心配の色が見えて、彼女のこういうところが俺を惹いてやまないのだろうなと改めて感じる。

 

そうして俺はティオと共にもう1つの戦場への扉を開いた。鍵で開けたその瞬間から漂う異様な空気。別に汚染されてるってんじゃあない。そこにいるだけで特別な存在感を放つソイツは、正しく邪竜。ティオのような美しい漆黒ではない。憤怒に塗れ汚れた黒がそこにいた。

 

「さてさて……」

 

戦場を見れば、クヴァイレンの防衛艦隊は完全に崩壊していたがクワイベルも随分とボロボロだ。ただ、その負傷のほとんどはヘルムートとの戦いによって付けられたものだろう。

 

「ローゼ、状況は?」

 

「……くーちゃんから真竜の涙泉の力が無くなりつつあります。あれが尽きたら……張られている障壁も……」

 

「んっ」

 

それだけ聞くと俺は戦場へと飛び出す。そしてクワイベル目掛けてヘルムートから放たれた奈落色のブレスを氷の壁(ルフス・クラウディウス)で受け止める。

 

そして氷の槍でヘルムートを牽制しながら鍵で再び真竜の涙泉へ繋がる扉を開き、そこに円月輪を送り込む。

 

「水浴びの時間だぜ、クワイベル」

 

急に目の前に現れたかと思いきやそんなことを言い出した俺にクワイベルは一瞬キョトンとし、そして───

 

「───ぴぃ!?」

 

───いきなり頭から水をぶっ掛けられて情けない叫び声を上げた。

 

けれどその水が真竜の涙泉の水だと直ぐに分かったらしい。俺の背後でクワイベルの力が漲っていくのを感じる。さぁて、第2ラウンドの開始といこうか。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……勝てると思うか?」

 

いきなり現れて自分に攻撃をしつつクワイベルを回復させた俺よりも、まずは自分の近親者であるクワイベルを殺すことにしたらしいヘルムートは、そそくさと後ろに下がった俺を放って再びクワイベルとの戦いを始めた。そしてクワイベルが弱いのかヘルムートが強いのか──きっと前者だ──クワイベルはさっきの焼き直しのようにヘルムートに押されている。どうにも力そのものは強くなったがやはりクワイベルは若いままだ。戦闘技術、戦術、そして何よりも経験が足りない。

 

「まぁ……無理じゃろうな」

 

戦場を少し離れた位置から見ている俺達はそんな会話を交わす。

 

「どうする?元々アイツは俺達ん相手だろ?」

 

それに、アーヴェンストに滞在していた間、ティオは言っていた。同じ竜に縁を持つ者として邪竜ヘルムートを終わらせてやりたいと。世界を恨み邪の道に堕ちた同胞をその道から外してやりたいと。

 

「もっとも、彼奴を終わらせてやれるのなら……それを見届けられるのならそれを成すのは妾でなくとも良い。仮にあの坊やが出来るのならそれもよかろう。……どれ、では年長者らしく若造を導いてやるとしようかの」

 

ティオはそう言うとふわりと1つ高く浮かび上がった。そして言葉の通り、クワイベルに戦い方を教えていく。そして、クワイベルがその通りに動けば先程とは違い、傷付くのはヘルムートだけでクワイベルにヘルムートの攻撃が当たらなくなる。そして、遂にクワイベル渾身の一撃(ブレス)がヘルムートを捉える。そして、それはヘルムートを丸ごと消失させるに相応しい一撃だった。

 

「やったわねっ!相棒!!」

 

「やったぜ相棒!!」

 

そうしてローゼとクワイベルが喜び合う。その瞬間───

 

「あっ───」

 

「ローゼッ!!」

 

天より黒き閃光が降り注ぐ。ローゼとクワイベルを殺すために放たれたそれは───

 

「まったく……暗雲も晴れておらんのに気を抜くとは大減点じゃぞ」

 

しかし彼女らを消滅させることなく、ティオによって受け止められた。

 

 

 



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世界の扉を開く鍵

予約投稿忘れてました……


 

 

何も無い空間に瘴気とも呼ぶべき薄汚れた煙が集まっていく。それは直ぐに形を作り1つの姿を形成していく。

 

「あーあ……」

 

現れたのは邪竜ヘルムート。まぁ、さっき右眼で見て分かっていたけど、あれは本体じゃあない。ただ形だけ象った仮初の存在。そしてそれはこれも同じこと。奴はこの世界に満ちる負のエネルギーで自分の分身でも生み出せるのだろうよ。

 

「下がってろクワイベル。ありゃあ俺達がやる」

 

「うっ……」

 

クワイベルの肩と思われる部分に手を置くと、クワイベルは悔しげに唸りながらも1歩下がった。

 

「んっ。それでティオ、どうするよ?」

 

俺はクワイベルと入れ替わるように前に出る。選手交代だ。ヘルムートも空気を読んでいるのか、さっき俺に牽制された時のことを覚えているのか、ともあれ不用意には手を出してこなかった。

 

「ふむ……妾もさっきの戦闘でちと疲れたのじゃ。天人がやるのなら安心して見ていられる。……頼めるか?」

 

空中とは言えティオは俺にもたれ掛かるように身体を預けてそんな風に言ってきた。まったく……頼めるか?じゃねぇよ。そんなもん、聞かなくても分かってんだろうに。

 

「当たり前だろ。アイツは俺が終わらせてやる」

 

俺はティオの髪を梳いて額にキスを落とす。そうして誓いを込めた俺は宝物庫から再び覇終を取り出した。

 

さっきからヘルムートが何やら呪詛の言葉でも撒き散らしているらしく、他の奴らの顔色が暗い。けれどそんなものは俺には効かない。そもそも氷焔之皇でそういう思念すら自らの力に変換しているのだ。言葉は届かない、呪いは及ばない。ヘルムートの成す理不尽は、俺にとっては路端の石ころよりも存在感が無い。

 

俺は空力で虚空を踏みしめて真上へと跳び上がる。そして奴の頭上から脳天目掛けて覇終を振り抜く。牙のような刀身の大太刀から放たれたのは魔素を圧縮したエネルギー。純粋な暴力の塊が体長100メートル程はあるヘルムートの体躯を消し飛ばした。だが当然この程度は奴は死にはしない。そもそもが血と肉を持った肉体ではないのだ。この世界に満ち満ちている負のエネルギーから己の虚像を生み出し、それを起点として更なる権能を振るうヘルムートに対して、こういう単純な物理攻撃はあまり意味が無い。

 

───ガァァァァァァァァッッ!!

 

と、腹の底に響くような大声でヘルムートが吼える。あの身体の大きさで放たれる声量はもはや声ではなく衝撃波。それは空気の波となり、不可避の攻撃として人間サイズの生命体は尽く身体を打ち砕かれて死に絶える他ない。けれど俺には幾らでも防御手段がある。ヘルムートが大きく息を吸った瞬間に宝物庫から召喚したビット兵器をワイヤーで繋げた空間遮断結界。これにより俺は本来不可避のはずの空気の波から自身を断絶させる。

 

そして衝撃波を全て受けきり、空間遮断結界を解いた瞬間に、ヘルムートが今度は黒いブレスを放ってきた。それに合わせて俺は覇終を振るう。鋒から放たれた魔素の塊がヘルムートのブレスを掻き消し、その勢いのままヘルムートの仮初の肉体をも消し飛ばした。

 

だが直ぐにヘルムートは再生する。そもそもあれはそういう存在なのだから別に驚きもしないが。

 

そして再び放たれたブレスを───先程のものよりもさらに強い力を感じるそれを、しかし俺は避けることなく左手を翳すだけに留める。もっとも、俺の氷焔之皇の権能がそれを俺の捕食者の胃袋に収めてしまうのだが。

 

さらに、俺は氷焔之皇を仮初のヘルムートへと向ける。この世界の負のエネルギーを掻き集めて作られたソイツは、それだけで全身を銀氷と散らし、奴の蓄えていたエネルギーは全て俺の胃袋へと収められる。

 

「……何となく分かってきたぞ」

 

そして俺は思わずそう呟いた。それはきっと誰に届くこともなくこの世界の空に溶けて消えたのだろう。もしかしたらティオだけは俺が何を考え何に思い至ったのか気付いたのかもしれないけど。

 

と言うか、ティオには俺の予測を話していたからもう俺が何を試しているのか分かっているんだろうな。

 

「さてさて……」

 

何度も蘇るヘルムートの写し身。何度も何度も……それこそこの世界に満ちる負のエネルギーを全て使い切るまで奴の虚仮威しを吸収し続けることも可能ではあるが、正直時間の無駄だ。いくら俺でもそんなに暇ではない。だからもう終わらせることにした。俺が1番得意なやり方でな。

 

スっと、俺はそれを指差す。不意の無意味に見える動き……それに釣られてヘルムートも視線を上に移した。そこに拡がっていたのは多数かつ巨大な魔法陣。もっとも、この世界の誰があれをそうと認識できるのかは知らないが、ともかく俺は巨大質量の氷の槍を降らせる予告を出した。

 

後ろでティオが溜息をついた音が聞こえる。だがそこまで。その直後には、この世界から音が消えた。

 

それほどまでに巨大な質量が莫大な速度を伴って落下する衝撃は凄まじかった。それも、全ての槍に氷焔之皇が掛けられているから、降り注ぐだけでこの世界の負のエネルギーを吸収し、ヘルムートに当たろうものならその虚仮威しを暴いて消し去る。

 

エネルギー体ではどうにもならないことを悟ったか大地が捲り上がる程の槍の嵐に堪忍袋の緒が切れたのか、遂に肉体と魂を携えたヘルムートの本体が俺の前に姿を現した。だが俺の前に辿り着く前に何度も氷の槍を喰らったのだろう。眼前に現れる頃には満身創痍といった(てい)で、何やら──きっと恨み言──喚き散らかしている。

 

そして俺に対する殺意と憎悪がこれでもかと込められた黒いブレスが迫る。しかし学習能力が無いのか俺の能力にも限度があると思っているのか。そんな思惑は全て握り潰すかのように、奴の攻撃は俺に通用することなくただ消え去るのみ。

 

そういう攻撃は俺に効かないと、ようやく分かったらしいヘルムートが、ならば俺の身体を力尽くで砕かんと迫る。俺はその顔面目掛けて覇終を振るう。放たれた魔素のエネルギーが、身を捩ったヘルムートの左目を抉る。痛みにヘルムートは叫ぶがそんなもの俺には関係がない。

 

天空から更に氷の槍を出現させる。当然それらには全て氷焔之皇が付与されていて、奴のブレスでは防ぎようがない。そしてそれを地上目掛けて叩きつける。

 

自身の身体を狙ったものではないからか、ヘルムートの反応が一瞬遅れた。だが奴は直ぐに気付いた。今の俺の狙いはもうヘルムートではないことを。そして俺の放った槍のうち、一部がどこへ向かうのかを。

 

───グルオォォォォッッ!!

 

ヘルムートは大きく吼えながら、そして奴の巨大な体躯が削られ貫かれることも無視してとある場所に塞がる。そしてヘルムートの身体に突き刺さる何本もの槍。正解だよヘルムート。その先には───

 

「……だよなぁ、避けられないよなぁ。その先にあるのはお前の兄弟の竜核だもんなぁ」

 

ローゼは言っていた。ヘルムートは自身の兄弟が殺されたことで人や世界を恨むようになったと。そしてアーヴェンストは本来竜核で動かすもので、その竜核こそ王竜のそれ。しかしローゼ達は竜核をそのように扱う気が無い。ならばその竜核はどこへ行った?捨てた?竜を敬うローゼ達がそんなことをするわけが無い。クヴァイレンに奪われた?ならコイツらはあの戦いでそれを取り戻そうとしただろうし、俺にそれを頼んだだろう。

 

ならばどこへ消えたか。簡単だ。ローゼ達から奪ったとしてもローゼ達が取り戻そうとは思わない相手。それは生き残った王竜───今は邪竜となったヘルムートの手元以外にあるまい。

 

そして俺は羅針盤でその位置も完全に把握している。仮初の肉体では埒が明かないと本体を引き摺り出し、そして逃げられないように奴の最も大事なものを盾に押し潰す。

 

羅針盤で向かっても良かったのだけれど、俺としてはコイツを倒すこと以外にもこの世界でやりたいことができたんでな。ヘルムートにはそのための踏み台になってもらおう。

 

そんな俺の思惑を知ってか知らずか……それともただヘルムートが後生大事に守っているものを自身の身体と天秤にかけさせたこの作戦に対してか、ともかくローゼやクワイベル達からはまるで悪逆非道な極悪人を見るような瞳で睨まれている。

 

まぁいい。もうここまでくればおおよその支度は終わったも同然。態々相手を痛ぶる趣味も無いし、一気に終わらせてやるよ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「───収束錬成」

 

氷の槍と覇終の1振りでヘルムートを終わらせた俺がポツリと零した言霊に従って、真紅の閃光が世界に広がっていく。オルクス大迷宮で手に入れた神代魔法は生成魔法。今まで俺が幾つものアーティファクトを作る際に何度も使用したそれの本質は、鉱物に魔法を付与するものではない。それはあれが持つ力のほんの一端でしかないのだ。

 

あれの本当の概念は無機的な物質に対する干渉だ。そして俺の元素魔法により生み出された氷の槍は───これ以上ない程に無機的だ。

 

俺はこの戦闘で放った氷の槍の全てに生成魔法で干渉している。その干渉はしかし俺が普段アーティファクトを生み出す時にやっていることとさして変わりない。要は、氷の槍全てに魔法を付与しただけのこと。そしてあの槍は全て俺と繋がっている。態々感応石何かを通して魔力を送ってやる必要なんてないのだ。

 

俺はただそう思うだけであれらに付与された魔法を行使させることが出来る。そして付与した魔法はもう行使されている。つまり───

 

「雲海が……それに……粉塵まで───」

 

俺はこの世界のかなり広い範囲に氷の槍を降らせていた。強化の聖痕と昇華魔法の合わせ技。ヘルムートとの邂逅の時にただイタズラに大質量の槍を降らせたのではない。この世界に散らばる負のエネルギーを吸収し、天核を回収するための中継点をそこかしこに設置したのだ。

 

「んっ……」

 

更に使うは変性魔法。俺は俺の身体に干渉し、捕食者の胃袋の奥深くに眠らせていた()()()()()を呼び覚ます。

 

「タカト様の……腕が……」

 

俺の左腕から黒い顎のようなものが現れる。それは神を喰らう者(ゴッドイーター)が見れば()()()()()()()によく似ていると思うだろう。俺が向こうの世界に置いてきた神機とオラクル細胞。確かに俺の体内に埋め込まれたあれらは変成魔法によってその殆どが取り除かれた。だからって全てを完全に捨て去ったわけではないのだ。あれはあれで便利だったからな。少しだけ捕食者の胃袋に収めて残しておいたのだ。

 

そこから排出されたのは捕食者の胃袋に収めていた鉱石達。神結晶やリムルの世界にある魔素を溜め込む性質のある鉱石だ。それらは俺の胃袋の中で俺の魔力や魔素を存分に浴び続けていた。

 

2,3日なんていう期間じゃあない。神話大戦の後くらいからずっと溜め込んでいたのだ。しかもこれがまた大飯食らいなおかげで、こっちにそれなりの量の魔素を注いでいたからあの北の海での戦いには随分と苦労させられたもんだ。そして、与えられたのは紛いなりにも覚醒魔王の魔素。そんな俺の魔素と魔力を浴び続けたコイツらはただの鉱石では終わらない。それが獲得した性質は、俺自身が持つそれにかなり似通っていた。

 

そして宝物庫から現れたのは幾つかの竜核。この世界に来てからパクった戦闘機や戦いのどさくさに紛れて潜り込んだ戦艦の中に収められていた、竜の腸から取り出し終えたやつを回収しておいたのだ。

 

それらと収束錬成で俺の手元に集まってきた天核が混ざり合う。さらにそこに幾つかの魔法を付与していきながら、天核と竜核はその役目を果たすかのようにこの世界に溢れている負のエネルギーをどんどんと吸収していく。それは俺の眼下に広がる雲海であり、地上に広がる黒い雨でもある。それらがまるで吸い上げられるように渦を描いて俺の左手に収束していく。

 

そして錬成されたのは空色の玉が9つ。そのうち1つは一際大きくて俺の片手から零れるくらいには大きい。だいたいフットサルのボールくらいだろうか。残りの8つはだいたいテニスボールより少し大きい程度のサイズの玉だ。

 

そんな9つの玉が俺の周りを浮き漂っている。それらはこの世界の負のエネルギーをどんどんと吸収していく。ただ、これにもそれなりに限界はあり、途中で1つ、また1つと渦を生み出すことを止めていった。

 

「……んー、こんなもんか」

 

とは言えそれなりの量のエネルギーを吸えたようで、さっきまで俺の眼下を支配していた雲海はほとんど消え失せていて、地上に広がっている陸や海がよく見える。

 

「んー?」

 

で、それはそれとして何で俺はアーヴェンストの奴らから拝まれているんだろうか。いやまぁ、確かに空に蓋をしていた雲海を取り払ったのは俺なのだけれど、だからってまるで神様の如く崇められるのもあまり良い気分ではない。何せ俺は神様って奴らが大嫌いだからな。あんな奴らと同類に扱われるのは良い気分じゃあない。

 

俺は1つ溜息を付きながら玉を宝物庫に仕舞い、王宮傍に着陸されていたアーヴェンストの甲板へ重力操作のスキルでゆるりと降り立つ。そうするとローゼが近衛達を引連れて駆け寄ってきた。そしてその勢いのまま思い切り頭を下げると───

 

「タカト様!……あぁ、何とお礼を申したら良いか……この胸に湧き上がる感謝の気持ちを表す言葉を、私は持っていないのです」

 

そう言って顔を上げたローゼの瞳は涙で潤んでいて、何故だか俺は自分が酷いことをしたかのような気持ちになる。

 

「ヘルムートを倒す、1回だけクヴァイレンからアーヴェンストを守る。あくまで仕事をしただけだよ」

 

だからそんなに感謝されても困るのだ。ヘルムートを倒すために報酬としてこの世界の情報を聞いた。クヴァイレンから守るのはオマケみたいなものだが、竜核と天核を用いたこれを頂ければ報酬としては十分以上なのだし。

 

「そんな……貴方様はどこまで……」

 

「別に謙虚なわけじゃない。さっきの玉、ありゃあ竜核と天核に俺ん手持ちの鉱石を併せたもんだけど、あれさえ持って帰っていいなら報酬としちゃ十分だ。だから俺ぁ仕事を請けて、それを成した。それだけだよ」

 

そもそもヘルムートもクヴァイレンも俺達からすれば大した相手ではないのだ。それに、ヘルムートの生み出した雲海を消したのだってあの玉の性能実験のためだ。だから俺の行動はどこまでも傲慢で利己的で、それがたまたまアーヴェンストの奴らの利益と合致したに過ぎない。

 

「それより、大変なのはお前らだぞ」

 

と、俺がそう告げれば流石にそれはローゼも分かっているようで、真剣な眼差しで1つ頷いた。

 

「この世界に満ちてた負のエネルギーとやらは相当取り除いたけどな。まだ残ってはいるし、竜の減り方を考えたら世界のバランスが元に戻るには結構な時間がかかるだろ」

 

それにローゼはコクリと1つ頷いた。

 

「ですが、それでもそんな世界で私達は戦うのだと決めたのです」

 

「おう。ならま、俺ぁ心ん中でくらいは応援してやるよ」

 

「ありがとうございます、タカト様」

 

そのお礼に対して俺は1つ手を挙げるだけで踵を返した。もうお別れだ。この世界で俺とティオがやることなんてもう何一つとして残っちゃいない。

 

「じゃあな」

 

「では、さよならじゃ」

 

ティオも、クワイベルの頭を1つ撫でて愛おしそうに微笑むが、直ぐに頭から手を離す。それを見て俺も宝物庫から越境鍵を召喚。魔力を込めながらそれを虚空に突き刺し、回す。

 

空間に波紋を浮かべならが世界を繋ぐ扉が開いていく。地上に出るのは諦めたので開いた先はどっちにしろ雲の上。それでも俺とティオなら何も問題は無い。むしろ地上に扉を開いたら向こうから一気に空気が流れ込んできてこっちが大騒ぎだ。

 

俺とティオは2人手を繋ぎ、空へと足を踏み出す。空の匂いからは、潮の香りがした。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「それで、さっき錬成したあの玉は何なのじゃ?」

 

人の目のない空に転移し、そこから地上の無人島を経由してから家に戻った俺達だが、生憎と家には誰もいなかった。どうやら皆出掛けているらしい。

 

「んー?ま、天核と竜核、それから色んな鉱石を混ぜて神代魔法やら何やら付与して……要は永久機関的なあれを作ろうって感じよ」

 

「ふむ……妾はまだその辺の知識はよく分からないのじゃが、つまりあれらは無限にエネルギーを生み続けられるというわけじゃな?」

 

「んー、まぁそんな感じ。天核と竜核はお互いのエネルギー交換の比率だけで言えば完全にロス無しで、熱力学全否定なんだよ」

 

ローゼの話を聞いて俺が真っ先に思い浮かんだのがこれ。完全な循環を可能にする熱力学全否定の変換効率。これこそ俺の望んだエネルギー源。

 

「ふむ……すると、どうするのじゃ?」

 

「んー?正のエネルギーの活性化の力を氷焔之皇で魔力に変換しながら───」

 

そこで俺はソファに腰を下ろしたティオのふとももに頭を乗せて横になった。ティオに頭を撫でられながら俺は言葉を続ける。

 

「─── 天核と竜核の循環を再生魔法でひたすらに加速させるんよ。活性の力を氷焔之皇で変換した先は神結晶とかで貯蔵量はあるからな。んで、溜まり次第使ってくって感じ」

 

初動のエネルギーだけは別途用意する必要があるけれど、俺はあの空の戦いでそれはそれは大量の負のエネルギーを捕食者の胃袋に溜め込んでいる。1回起動しちまえば後は放っておいても大丈夫のはずだ。

 

「なるほどじゃ。して、そんなエネルギーを何に使う気じゃ?それも、同じ物を9つも作っておったろ」

 

「8つは鍵だよ。()()()()()()()()……こことレクテイア、トータスに香織達の地球、それと向こうの地球とトータス、それぞれを行き来するために1個ずつ鍵がいる」

 

最初から出口になるアーティファクトを使えば魔力の消費量を多少削れるのは普通の空間魔法で分かっている。だから鍵のための玉は少し小さいんだ。

 

「世界を……天人は世界を変える前に世界を繋ぐ鍵を生み出したのじゃな」

 

「ま、まだ肝心の鍵が出来てねぇけどな。つってもこっちはトータスの魔法だけで事足りるからそんなに難しいっこっちゃないよ」

 

ユエには協力してもらう必要はあるだろうけど、逆に言えばそれだけでどうにかなるのだ。実質的には王手と言っていいだろう。

 

「で、最後の1つは何用なのじゃ」

 

「んー?これは俺ん魔力タンクだな。こっちじゃ聖痕は使えねぇし、そうなると魔力と魔素に限りがある。ただでさえ聖痕持ちとやり合う時に不利なのにリソースまで気にしてらんないわけよ」

 

聖痕持ちが相手だといくら俺でもパワー負けすることも多い。ただでさえ向こうの方が上位概念の力で、こっちの魔法やらスキルが効かないことがあるのに圧し合いでも負け、挙句の果てにスタミナでも勝てないとなるとモリアーティ達を相手にする時には心許ないにも程がある。しかも越境鍵で異世界に転移する時も聖痕が無ければ長い時間───それこそ数ヶ月を掛けて魔力を貯める必要があるのだ。

 

だから今は態々聖痕が封じられていないエリアまで飛んでから世界を渡っている。だがこれも正直面倒臭い。けれどこれがあればそんな煩わしさやパワー不足からも解放されるだろう。

 

「しかしティオよ、永久機関なんて人類の夢のまた夢なのに随分とあっさりした反応だな」

 

これが理子辺りならそれはもう良い反応を見せてくれるだろうに。

 

「妾はその辺あまり詳しくはないからのう。とは言え、これから先の天人の目的には大きく近付いた、ということは分かるぞ」

 

目的……俺の目的はこことレクテイアを繋ぎ、霊長類としての人間以外の奴らや、これまで魔女だのなんだのと呼ばれ蔑まれてきた奴らが、それを隠さなくても普通の奴らと何ら変わりない生活を送れる世界を作ること。社会を作るのはきっとネモがやる。だから俺がやるのは世界を繋ぐこと。そして俺は、世界を繋ぐ鍵に手を掛けたのだ。

 

「ま、当分はトータスとか香織達の地球との行き来が楽って感じだろうな。レクテイアの奴らを受け入れる土台は……まだ無いから」

 

俺が寝返りを打ちティオのお腹に顔を埋めていると玄関先に気配が幾つか。どうやらユエ達が帰ってきたらしい。すると直ぐに玄関の鍵が開く音がして、パタパタと人が入ってきた。

 

「ほう、私との勉強中にいきなり消えたと思ったら随分なご身分じゃないか」

 

ネモだ。ティオに甘えている俺を見てそれはそれは怖い顔で睨んでいる。んー、ネモにはちゃんと見せてやらないとな。

 

「もー、天人さんもティオさんも2人してどこ行ってたんですかぁ?急に3日もいなくなって……」

 

「んっ……どこ行ってたの?」

 

「んー?……秘密」

 

「秘密、じゃな」

 

どうやら心配をかけたようだ。シアの言葉尻が弱々しくなったのが何よりの証拠。だけどあの空の出来事は俺とティオだけの秘密だ。玉に関しては見せてやらなきゃいけないけど、それ以外の戦いも観光も、2人だけの秘密。あれはそういうものなのだ。

 

「……ティオ、楽しかった?」

 

ニンマリと笑う俺達を見てどうやらそれほど心配することは起きていなかったと察したユエがティオにそう尋ねる。すると───

 

「うむ、楽しかったよ」

 

ティオは、ユエがそうしたようにまるで少女のような頬笑みを浮かべていた。そう、楽しかったのだ。人と竜とが共存する世界を巡るのは。最初はちょっと暗かったし何やかんやで人死にも出たが、それでも世界は陽の光で明るくなれた。だからきっと、これは楽しかったと締めるべきだった。

 

「そういやネモ、お前にゃお土産があるぞ」

 

「ほう?……しかし私にだけか?」

 

そりゃあネモも疑問に思うだろうな。俺が態々ネモにだけ土産を持ってくるなんて。普通なら他の子達にこそ優先してお土産を持ってきて然るべきなのに。

 

「なんじゃなんじゃ、我には土産は無いのか?花嫁に土産の1つも寄越さないとはなんて悪い主様じゃ」

 

と、今度はルシフェリアが喚き出す。そんなこと言われたって、これは多分ネモしか喜ばないと思うんだよなぁ。

 

「ねぇよ。……それよりネモ。手に入れたぞ、世界を繋ぐ鍵ってやつを」

 

俺は宝物庫からあの玉を1つ取り出す。空色に輝くそれは、ネモの瞳の色ともよく似ていた。

 

「これは……」

 

「簡単に言えば永久機関。もっと言えば世界の扉を開く鍵だ。本当にレクテイアとこっちを行き来するんなら扉は好きに開ける方が都合良いだろ?」

 

ちまちま船で行ったり来たりなんて面倒臭い。しかもそれだとこっちが向こうに行った時だけしかレクテイアの奴らはこっちに来れないし、戻る時もそれに合わせなければならない。例えモリアーティではなく俺がそれをやるのだとしても、地球で扉を開ける地域は限られてきているし、いつ地球全土で聖痕が使えなくなるか分からない。そうなれば1度扉を開くのに数ヶ月掛かるし、何より俺しか開けないのであればそれはモリアーティが船で行き来するのとそう変わらない。精々時間軸のズレが起きないって言う程度だ。

 

だが扉を都合の良いタイミングで自由に開け閉めできるのならこっちとあっちをもっと気軽に繋ぐことができる。それこそ、世界の間で検疫を行う程度は必須になるだろうが、極論海外旅行感覚でこっちとレクテイアを繋げられるかもなのだ。

 

「いや……それは、そうだが……永久……は……?」

 

どうやらネモはまだ俺の言っていることに頭の理解が追い付いていないようだ。まったく、普段はあんだけ頭良いのにこういう時だけ回転が止まってちゃしょうがないだろ。

 

「ユエ、鍵のアーティファクト作るの手伝ってくれるか?扉を開くパワーは手に入れたけど、肝心の鍵と扉のアーティファクトはまだ何もやってねぇんだ」

 

「んっ、分かった」

 

「ほら、ネモも来てくれ。実際まだ運用するんには色々問題あるかもなんだよ。お前ん頭がねぇとどうにもならん」

 

二つ返事で頷いてくれたユエを連れ、今だに思考停止してしまっているネモを引っ張って部屋へと連れて行く。そうだ、ついでに空間魔法で作ったアーティファクト作成用アーティファクトも見せてやろう。あれの中は時間も引き伸ばせるからこういう時にも使えるかもな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「それで、永久機関とは一体どういうことだ!?」

 

俺の部屋に置いてあるアーティファクト作成用アーティファクト部屋とかいう回りくどいそれに入った俺達。適当に敷かれたカーペットと無造作に置かれた幾つかの座布団があるだけの少し殺風景にも思える部屋だが、ユエは気にするふうもなく手近な座布団の上に腰を下ろした。ネモもそれに釣られるように腰を下ろし、俺も適当に座り込む。するとようやくネモの思考が現実に追いついてきたようで、ネモはせっかく座ったのにまた立ち上がって俺の鼻にネモのそれがくっつきそうなくらいの勢いで迫ってきた。

 

「……近い」

 

で、それは直ぐにユエに引き離される。それで少しは落ち着いたのか、ネモはいつもより湿度高めのジト目で俺に返事を促してくる。

 

「あん時俺とティオが飛ばされた先で手に入れたモンだよ。ま、正確にはそれを素材に色々混ぜてそうなるようにしたんだ」

 

天核だの竜核だのは話しても分からんだろうし、あの空での出来事はなるべく俺とティオだけの秘密にしておきたい。後暗いんじゃない、ただ俺とティオがお互いだけの秘密を共有していたいだけだ。

 

「また異世界の素材と言うやつか……。まぁそれなら私もこれ以上は追求しないでおく」

 

「……それで、作りたいアーティファクトって?」

 

「んー?……あぁ、こりゃあ確かに無限に魔力を生み出せるけど、異世界に渡るにゃそれなりに魔法のコントロールが必要だからな」

 

越境鍵もユエの助けがなければ生み出せなかったアーティファクトだ。トータスで使ったような、出口となるアーティファクトと対になる鍵のアーティファクトの仕掛けであっても、異世界に渡るとなれば概念魔法とはまではいかなくてもそれに近いくらいには空間魔法を高めなければならないはずだ。

 

アルヴを消し飛ばしたあの概念魔法は魂魄魔法による目標の確定と、俺が最も得意とする神代魔法───昇華魔法による、存在の情報に干渉する力でアルヴの情報そのものを削除するような概念魔法だった。ユエとエヒトを引き剥がしたのは魂魄魔法が中心で、空間魔法による境界への干渉は添え物程度だったのだ。

 

空間魔法は俺にとっては相性の良い神代魔法とは言えず、これを中心に据えた概念魔法やそれに近い純度の魔法はきっとまだユエの手助けが必要になると思う。

 

「んっ、天人が頼ってくれて嬉しい」

 

「おう」

 

と、俺の胸板に頭を擦り寄せてきたユエの頭を撫でる。その金糸のような髪を梳いてやればユエは喉の奥をゴロゴロと鳴らして気持ち良さそうに身体ごと俺に預けてくる。

 

俺はそんなユエを包むように抱いてやり、それをどこか羨ましげな様子で眺めているネモに声を掛ける。

 

「……ネモ、次はお前の番だぞ」

 

「……えっ!?いや待て、私とお前はまだそんな関係では───」

 

すると、何やらネモがテンパっている。今のどこに焦る要素があるのだろうかよく分からないが、何故ネモは俺の言葉を否定をしながらも徐々にこちらに寄って来るのだろうか。

 

「……俺ぁ世界を繋ぐ鍵を手に入れた。次はお前が世界を変える番だって言ってるんだぜ」

 

恐る恐るといった体で……しかも何故だかこちらに手を伸ばしながら距離を詰めていたネモは俺のその言葉に固まってしまった。そしてどうやら自分が何か勘違いをしていたことに気付いたらしく、頬を赤く染めながらスルスルと下がっていった。

 

「……ネモに天人の腕の中はまだ早い。ここはまだ駄目」

 

ギュッと、ユエがはネモに見せつけるように俺にしがみついてきた。そしてまるで勝ち誇ったかのようなドヤ顔。……何故。ネモも何でか知らんけど少し悔しそうだし。そんなに俺の腕の中って心地良いの?いや、ユエにそう思われるのは嬉しい限りだが。

 

「……別に、そこに入りたいわけじゃない」

 

そりゃあそうだ。ネモだって態々好きでもない男の腕に抱かれたいとは思わないだろうよ。

 

「そりゃそうだ」

 

で、俺は思わず思ったことが口をついて出た。するとユエは1つ溜息をつくしネモはネモでちょっとムッとしたような顔をする。

 

「……天人」

 

で、何故か俺はユエにジト目で睨まれている。

 

「……めっ」

 

「ごめんなさい」

 

正直俺が何で怒られていて何に謝っているのかは分からないけれど、ユエがこう言うのだからきっと俺が悪いのだろう。

 

「……ネモがもし世界を変えられたら考えてあげる」

 

しかもユエさんはネモのことを挑発しているようだ。ネモはネモでそれに乗せられたかのようにユエと俺を交互に見やる。いや、俺を見られても知らんて。文句も疑問も全部ユエに言ってくれ。

 

「……取り敢えず、だ。ネモ、俺達が今から作る鍵と扉は組み合わせて使うんだ。1つの扉に1つの鍵。ただ、それを開く力は無限量にあるから開きっぱなしもできる。一応どっちからでも開けられるように2組あるから、1番良い使い方を考えてくれ」

 

「あ、あぁ。分かった」

 

「んっ、じゃあユエ……」

 

「……んっ」

 

俺は宝物庫から幾つかの鉱石を取り出す。こっちとレクテイアをどう繋ぐかはネモに任せよう。だから取り敢えず必要になりそうな数だけの鍵は作ってしまおう。俺とユエは越境鍵を作った時のようにお互いの手を握り合い、瞳を閉じて魔法へと意識を落としていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……んっ」

 

「これで数は揃ったかな」

 

いつの間にやらネモは部屋を出ていた。……ネモ、ビックリしたかな。この部屋は外と比べて時間の進み方が100倍になっていたから、ここでの5分は外の3秒なんだよな……。アーティファクトを作ると結構時間を消費する時があるからここは最大で1000倍まで時間を引き伸ばせるように再生魔法を付与してあるのだ。だからネモが30分いたと思っても、外の奴らの感覚だと20秒もいないことになる。ま、そこら辺はティオとかが上手に説明してくれるだろ。

 

「ありがとな、ユエ。おかげで香織達の地球とかトータスにも行き来し易くなったよ」

 

「んっ!」

 

俺は鍵と扉用のアーティファクトを宝物庫に仕舞いながらユエの頭を撫でてやる。するとユエはいつも通り俺に身体を預けてくるので俺もいつも通りユエの小さな身体を包み込むようにして抱きしめる。

 

まず繋ぐとすれば俺達の地球と香織達の地球。それからトータスと香織達の地球だろうか。こっちとトータスを繋いだらハウリア達がこぞってこっちに押しかけて来そうだ。アイツらなら勝手に山奥にでも潜んで集落を築くんだろうが、あの目立つウサミミが見つかると面倒くさいな。

 

変に星伽とかに出てこられたら、追い返したところでまた余計な敵が増えるだけだろうからな。どうせなら気配隠匿のアーティファクトを量産して全員に配るか。アイツらそういう()()()が好きみたいだし。

 

「……天人、楽しそう」

 

ユエを抱きしめながらそんなことを考えていると、ユエが俺を見上げてふと呟いた。

 

「んー?そうかな?」

 

「んっ……最近、天人の楽しそうな顔って見られなかったから嬉しい」

 

ユエの白く小さい手が俺の頬に触れる。熱変動無効が効いているはずなのに、どこかヒンヤリとしたその手から、俺はどうしてかその奥に秘める熱が伝わってくるような気がした。

 

「そうだっけ……?」

 

「うん、最近の天人は私達といて幸せそうな顔をしてても、どこかで辛い顔をしてたから……」

 

そんなことはない……とは言い切れなかった。確かにここのところの俺は、この世界をどうやって変えていけばいいのかとか、その後にどうするべきかとか、そんなことばかり考えていたかもしれない。そうでなくてもモリアーティ達と戦い、ルシフェリアが転がり込んできて、ちょっと余裕は無かったかもな。

 

「……ホントに可愛いなぁ」

 

そして、そんな俺を見てくれて、俺が言われるまで気にしていなかったことを気付いてくれていて、見守ってくれていたユエがどうしようもなく愛おしい。溢れるばかりのそんな気持ちを込めて俺はまたユエを抱きしめる。大好きとか愛しているとか、睦言は浮かんでくるけれどそのどれもしっくりこない。

 

だから俺はつい口をついて出た「可愛い」という言葉をひたすらユエに語りかける。ユエは擽ったそうに身を捩るがそれで俺の腕の中から出ようとはしてこなかった。ただ俺の中にもっと入り込もうとするかのように顔を、身体を俺に擦り付けている。

 

この時間はまるで夢のようで、俺はただ胸に溢れる幸福感に身を委ねていた。そして───

 

「……2人して何やってるんですか?」

 

いつの間にやら俺達を見下ろしていたシアのそんな冷えた声によって現実に引き戻されてしまった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

あれから何日か過ぎた。その間俺はルシフェリアに妨害されつつもネモとアリアに勉強を教わる。しかしネモの教え方は理路整然としていて非常に分かりやすいのだが、アリアはまず最初に拳銃を突き出すのは止めた方がいいんじゃない?

 

まぁ、俺はただの拳銃(ガバメント)程度ならもう怖くないし、それを悟ったアリアもそのうち出さなくなったけど。しかしなんと、アリアは飯と風呂まで()()()に毎日家に来ていた。

 

金持ちのクセに(こす)いことすんなと言ってやったのだが、本人曰くルシフェリアを懐柔してNを空中分解させるためには風呂や飯を一緒に食べる方がいいのだと言われてしまった。

 

だからって女の子がそんなポンポン男の家に上がるもんじゃないよ。まぁ俺も何かする気は微塵も無いのだけれど。それでも風呂の時間に気を使ってやらなきゃいけないのは面倒なんだよ。あと食費払えや。

 

という呪詛は外には出さないでおく。言ったってどうせ何か言い返されるし口喧嘩じゃ俺はアリアにも勝てやしないだろうからな。

 

で、アリアを追い返すのは早々に諦めた俺は今もちゃんとお勉強をしている。ミュウも直ぐに機嫌を直してくれたみたいで、ちゃんとあの子もお勉強に取り組んでいた。

 

今日は取り敢えずネモから出された課題を解いている。本人は今はコンビニへお出かけ。流石にこの近辺であれば迷わなくなったので特に誰かが付き添っているということもない。リサ達やアリアも学校に行かなきゃだからな。

 

まぁ時々ルシフェリアが構えだの勝負しろだの言ってくるから、課題の進捗率で言うとあまり宜しくはない。しかもネモはルシフェリアに甘いから、俺がいくらルシフェリアに邪魔されたと言っても、ルシフェリアに強く注意してくれるわけではない───どころか最近はルシフェリアの構って攻撃をされた話をするとネモはどことなく不機嫌になるのだ。なんで……?

 

で、今この最中もルシフェリアの構え構え攻撃を適当にあしらっていたのだが───

 

──ピンポーン──

 

と、インターホンが鳴る。アリアが来るには早いし、ネモには(錬成で勝手に作った)合鍵を渡してあるからインターホンは鳴らさないはずだ。

 

はて来客とは珍しいと思いつつも玄関の外に気配感知を向けると、そこから感じるのは知っている気配。

 

「……はい?」

 

悪い奴ではないことは分かっていたので俺は玄関のドアを開けてやる。すると俺の気配感知が読み取った通りそこにいたのは───

 

「……神代先輩?」

 

向こうは俺の家に来たのに俺がいることは予想外といった雰囲気だった。小柄な身体に婦警帽と警察制服を纏ったこの子はこれでも武偵高1年の強襲科。つまりは架橋生(アクロス)の乾桜であった。

 

「よ、久しぶり。……態々どうした?」

 

「あ、はい。お久しぶりです。……巡回連絡カードをお持ちしました。私はここも受け持っていますので」

 

万年人手不足の警視庁が態々こんなところに誰もろくに書きやしない巡回連絡カードをお待ちさせるわけがない。きっとコイツはここに何らかの嫌疑があってここを訪ねてきたんだろう。だが俺の家に来て俺の存在に驚いているってことはまだ詳しくは調べていないんだろうな。……ここはちゃっちゃと追い返して後でユエ達と相談だ。場合によっちゃ魂魄魔法も辞さないぞ。

 

「ん、書いたら交番持ってくよ」

 

だから帰れと、言外に俺は伝える。そして警察のマスコットキャラ──目が変な方向を向いていてちょっと怖い──が描かれた封筒を受け取って玄関を閉めようとする。だが、乾が肩を玄関の隙間に割り込ませてくる。コイツ……流石は警察官だけあってドア前の攻防に慣れていやがるな。

 

「神代先輩が学校に来ないのはいつも通りですが、少し聞きたいことがあります」

 

後輩からは学校に来ないのがいつも通りだと認識されている3年生……。

 

「最近、ここら辺で見慣れない外国人を見かけると通報がありました。それと、この家によく出入りしているようだという情報も」

 

「むむっ……日本の警察か」

 

で、玄関が騒がしいと感じたのか、ひょいと覗きに来たルシフェリアさんはそれはそれは怪しい雰囲気でまた物影に隠れる。分かってんならそんな怪しい動きすんなよ。しかも家にいたからご立派な角もアーティファクトで隠していないし。

 

しかし……乾はまだあまり情報を得られていないというのは俺の予測は間違っていたかもな。コイツ、ある程度調べはついているって雰囲気だ。見慣れない外国人ってネモとルシフェリアのことか。ルシフェリアも、角を誤魔化すアーティファクトを着けて時々外遊びに行っているし。しかし……ただの欺瞞用のアーティファクトだって言うのに俺から貰ったって言うだけでやたら喜ばれたな。そんなに喜んでくれるんならもうちょい見栄えの良いモンにすりゃあよかった。

 

「あぁ、ちょっと友達が遊びに来てんだよ」

 

これも半分は嘘ではない。もう半分は、テロ組織の1人を捕虜として捕まえて放任しているってだけ。

 

「そのお友達が不法に入国していないかどうか、調べてもよろしいでしょうか?」

 

ネモはどうか知らんがルシフェリアは駄目っす。とは言えずどうしたもんかと瞬光を使って頭を悩ます。思考加速はあれ100万倍になってしまうので強化の聖痕が使えない今は俺がついていけないので使えない。これマジ最近役に立たねぇ……。

 

しかもタイミング悪くネモがコンビニから帰ってきたようで───

 

「むむっ……日本の警察か」

 

ルシフェリアとほぼ同じ反応をしてそれはそれは犯罪者っぽい挙動をする始末。だから分かってんならその怪しい動きは止めろって。

 

「何やらに日本警察に対して敵対的な人間が2,3人いるようですね」

 

あれ?その日本警察に敵対的な人間に俺も含まれてません?おかしい……俺は裏の公安とはやりあったけど警察とはまだそんなにやりあってないはずだけどな……。もしかしなくてもいきなりやって来て外国人の女の子を何人も住まわせている俺は、傍から見たら相当に印象が悪いのかもしれん。日本の警察は差別意識強いからな。この乾はどうか知らんけども。

 

で、乾はその形の良い鼻をスンスンと犬みたいに動かし始めた。俺も聞いたことあるが、その乾は"悪の匂い"が分かるらしい。で、この家には完璧に国際テロ組織の一員であるネモとルシフェリアが入り浸っているし、俺も手が綺麗と言えるわけがない。だがこの家には絶対正義のリサやレミア、お子様のミュウやテテティとレテティもいるんだ。

 

まぁ……ジャンヌは元イ・ウーの策士だしこの前もヨーデルで炎上してたから若干悪い側だろう。ユエ、シア、ティオはどうだろうな。シアは正義側っぽいけど、あの子も殺る時は殺るんだよな……。こっちじゃ流石に抑えているけども。

 

で、そんな差し引きで乾判定がどうなったかと言えば……この蓋を開けたら思わず漂ってきた生ゴミの臭いを嗅いでしまったような顔を見れば一目瞭然。今のウチには正義も多いが悪も多い。結果は駄目みたいですね……。

 

あ、しかも警察無線出してどっかに通報してる……っ!いや、けど架橋生は警察署よりも武偵高を優先するルールだったハズ……。という俺の予想通り乾は警察の隠語は使わずに武偵高の先生に話しているような雰囲気。て言うか、聞く限りこれ相手蘭豹だな。そして、俺の携帯から着信音が鳴り響く。その音は俺が指定した蘭豹の番号からのものだった。俺がそれに出ると───

 

『また怪しい女達と一緒にいるらしいな。しかも片方は角が生えてるとか乾が言っとったで』

 

「今は多様性の時代ですから。角が生えてるくらい大したことじゃないですよ。それにこの子達は悪いことしてないですし……。なのに乾に絡まれちゃって。先生から乾に帰れと言ってやれませんか?」

 

俺の勉学の成績はゴミみたいなもんだが強襲科の実習じゃ優等生だし仕事の方も品行方正。装備科に拳銃の違法改造もさせていない。学校側からの依頼だってこなすから割と武偵高での先生受けは割と良い。異性関係だけは問題ありって言われてるらしいけど……それは否定の言葉もございません。

 

で、蘭豹曰く、警察無線を通されると履歴が残るから蘭豹でこの件を握り潰すと後で面倒なのだそうだ。……乾め、俺が強襲科の成績が良いからワンチャン潰されると理解してそうしたな。

 

しかも、さっきの無線を聞き取った限り、乾は警察の捜査を要請しようとしているみたいだし。つまり、警察は来る。確実に。これはもう俺にも蘭豹にもどうにもならない。最悪神代魔法で無線の履歴も乾の認識もどうにかできるとは言え、あれはあれで1人にやるだけだと面倒なのだ。

 

しかも今回は周囲から見慣れない外国人(ネモとルシフェリア)の存在を通報されてやって来たのだ。そこは解決出来ていないし、やるならこの辺り一帯全員に魂魄魔法を掛けてやらなきゃならなくなる。だが───

 

「ちょうど明日、湾岸署と合同で武偵高附属小で交通安全教室をやるんや。強襲科の生徒数人に先生の役をやらせる予定だったんやけど、昨日ちょっとそいつら全員入院させてもうてな」

 

俺がいない間にこの人は何をやっているんでしょうか。いや、俺がいようがいまいが彼らは皆蘭豹に病院送りにされてたとは思うけどね。

 

「───お前、その怪しい女と一緒に代役で出ろや。中坊の面倒が見れたんやから、小坊の相手も出来るやろ。署の連中も視察来るんで、それでもって捜査ってことにしろって言い含めた」

 

なるほど、湾岸署はアホほど忙しいからな。1手間で仕事2つこなせるならこの話も飲むだろうってことか。しかし、トータスじゃ無免で車やバイクどころか航空機まで乗り回した俺が交通安全教室か……。香織が聞いたら卒倒するな。

 

で、これが上手くいったら蘭豹に1杯奢ると約束させられたが、俺はこれを承諾。乾も渋々といった風だったが蘭豹に言われたら逆らえない。また明日と言って去っていった。さて……深海の女のネモとマジの異世界ガールのルシフェリアと一緒に交通安全教室か……。先が思いやられるどころの騒ぎじゃないな……。ホント……どうしよコレ。

 

 



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幕間:あれ?俺また何かやっちゃいました?

 

 

トータスというらしいこの世界に1人転移させられてから3日目。いや、正確には1人ではないのか……。ただ、俺と同じようにこのトータスに来た異世界人は、俺のいた世界とよく似た世界ではあっても全くの別世界のようだ。

 

何人かにさり気なく武偵の存在を仄めかしたのだが、誰も心当たりがないのだ。知り合いに武偵がいなくても、彼らも聞く限りでは高校生。15,6の、それも日本で庶民程度の暮らしをしている奴らが武偵を全く知らないなんて流石に考えられない。

 

さて、しかも彼らは皆同じ高校の同じクラスの生徒だという。1人だけ教員が混ざっているのだが、その人も彼らの学校の教師。つまり大人数の異世界転移に巻き込まれた割に俺はこの世界で誰1人として知り合いがいないのだった。

 

もっとも、そんなことを嘆いている暇はない。俺達はエヒト様とやらの御意思によってこの世界に召喚され、ここの人類───人間族を魔人族──彼らと宗教的に敵対する存在──を守ってやらなくてはならないらしいのだから。

 

とは言え俺以外は皆平和な日本で平和に暮らしていたティーンエイジャーである。どうやら俺以外は皆この世界に召喚された時点で人並外れた力を得ているようだがそれでもいきなり戦争なんて到底無理な話。しかもこのトータスはリムルのいた世界のように魔法なんていう非科学が跋扈する世界。つまりそれは誰が使っても当てさえすれば同じ結果を得られる近代兵器がろくに存在しないということで。人数よりも個々人の質が大事になる戦争なのだ。

 

いくら強い力を持っているにしたって、その扱い方や命を奪う感覚に慣れなければ戦争なんてやってられない。俺達の世界の軍人だって人を殺すことが耐え難い苦痛に感じる時もあるのだ。そんなことをいきなり求められたって役割を果たせるわけがない。

 

 

 

 

 

───というわけでやって来ました。ここは俺達が召喚されたハイリヒ王国、その王都外縁。俺達は何人もの騎士様とその団長───メルドさんに付き添われて外に出ている。そして今日の目的は

 

「早速だが、今日はここで魔物と戦ってもらう。もっとも、俺達が付いているから安心していい。君達には怪我のないよう我々が守るつもりだ」

 

ということらしい。この世界の魔物の強さは正直よく分からない。ただ、2日目には俺に突っかかってきて即返り討ちにされた天之河があれでも強い方らしいのでそれほどの強さの魔物はこの世界にはいないのだろう。少なくとも、魔国連邦の奴らみたいなのはいない筈だ。

 

「まずは……そうだな、天人、やってみろ」

 

と、メルド団長から直々にご指名。しかし昨日今日この世界にやって来たばかりの奴にいきなりそんなハードなことやらせんの?いやまぁいいけど。

 

「はぁい」

 

仕方なしに俺はそう返事をして前に進み出る。

 

「では他の者は下がっていなさい」

 

そしてメルド団長は他の皆を後ろに下げさせる。彼らは距離を置きながらも俺を半円で囲むように立っているからか、何故だか俺はこの場で晒し者にされているような錯覚に陥る。

 

「……来るぞ」

 

俺の耳にもガサゴソと葉や枝を掻き分ける音は聞こえていた。すると林の向こうから狼のような姿をした魔物が現れた。その瞳はランランと赤く輝き殺意の色に濡れていた。

 

だがいくら魔物と言えどこちらにはそれなりの人数がいることは見て取れるらしい。そこでいきなり俺に飛びかかってきたりはしなかった。

 

「さて天人。初めて魔物の前に立った気分はどうだ?」

 

彼らは命を奪う感覚に慣れなければならない。メルド団長からすれば多少出身は違うことまでは把握できても俺と彼らの根本的な差は知らないのだろう。だからこそのこの質問。

 

「……やっぱり爪と牙は怖いですねぇ」

 

───グルル……と、狼の魔物が喉を唸らせる。背中ではその声にビクリと震える気配がある。そりゃあそうか。普通の高校生なら野生の狼だって怖いはずだ。自分達にいくら力があると言われたってそれを昨日今日で克服できるはずもない。

 

だけど俺は違う。俺はこの程度の相手なんてビビってやらないし、戦い方も知っている。だから何も問題は無い。

 

王国から渡された1振りの片手両刃剣(グラディウス)を抜いて半身に構える。それが奴のスイッチになったのか、狼は下肢に力を込め、俺に飛びかかってきた。

 

「……だからなるべく正面には立たないようにしたいですね」

 

それをすれ違うように躱し、狼が振り向くより早く刃を振り上げて奴の腹を切り裂く。

 

「……慣れないうちは肋骨の隙間を縫うのは難しいので下腹部でもいいですよね?それと、止めは忘れずに……」

 

そして鮮血を下腹部から吹き上げる狼の首に白刃を突き立てた。ビクリと1つ身体を痙攣させたそいつは、しかし直ぐにぐったりと動かなくなる。

 

俺が剣を首から抜けば一瞬身体を震わせるがそれだけ。刃に付いた血を払いながら振り向けばそこに広がっていたのはまるで俺を怪物かのように見る視線視線視線。

 

「あれ……俺何かやっちゃいました?」

 

どうやら襲い来る魔物を即座に斬って捨てるのは彼らにとってはショッキングな出来事のようだ。いや、メルド団長も驚いた顔をしているからどうやら俺が悪いらしい。

 

「あぁいや、そうではない。ただ、手馴れているなと思っただけだ」

 

あぁ、そういうこと。メルド団長は俺達が皆魔物なんていない世界の、それもとても平和な国から来たと思っているからな。だからそんな国の奴が、いくら弱いとはいえ魔物を一瞬で斬り捨てれば疑問にも思うか。

 

「別に……俺んところはちょっと偏差値低めで荒っぽいだけですよ」

 

武偵がどうのこうのとか、言っても誰にも伝わらないしな。むしろ余計な詮索を招きそうだしここは適当に御為倒しておこう。

 

「ヘンサ……?……まぁ、戦えるのならそれに越したことはない。これからも精進してくれ」

 

「はぁい」

 

メルド団長も俺の出自にはそれほど興味が無いのだろう。俺の出身がどうであれ、ここでの俺はエヒト様の御意思によって選ばれた強い力を持つ勇者一行でしかないのだから。

 

ただ、俺が皆の方へ戻る時に向けられた「コイツは何者なんだ……?」という視線だけはちょっと煩わしかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

メルド以下、ハイリヒ王国の騎士達にとって神代天人という存在は……悪く言えば異様に写っていた。エヒト様の御意思によって選ばれ、この世界に召喚されたという異世界からの来訪者。しかし本来は天之河光輝という少年を含めた一団の筈が、どうやら彼は光輝達とは違う集団に属する個人だと言う。ただ、何故そのようなことが起きたのかは本人もよく分からないらしいが、それをそれほど気にしている様子も無かった。

 

それ自体はエヒト様の成したことであり誰もそれほど疑問には思っていなかった。けれど地球と呼ばれる世界、その中でも殊更平和という日本などという国から来た光輝達とは確実に何かが違っていた。

 

メルドはその違和感の正体に勘付いていたがそれを誰かに言ったことは生涯なかった。果たして、平和な国から来て、暴力なんて精々が友人との喧嘩が精一杯というのが大半を占める10代半ばの少年少女達の中で1人だけ()()()の経験がある目をした者が紛れているなんて、悪い冗談だと思っていたからだ。

 

神代天人を除いた中で1番のステータスと"勇者"の天職を持つ天之河光輝でさえ町の不良を成敗するのが目一杯の暴力との関わりだと言うのだから、メルドがそう思ってしまうのも致し方ない話ではあった。

 

だから大半の騎士達にとっては初めて魔物と戦うはずなのに事も無げに───それも優れたステータスによって叩き切るのではなく明らかに技術で魔物を切り伏せた神代天人は異様なのだった。

 

しかも、その視線を感じて振り向いた天人の、驚かれたことに驚いた様な表情と、とぼける様な「あれ、俺何かやっちゃいました?」の一言は騎士達の背筋から力を抜くには充分だった。

 

そして、その後の属性魔法の訓練の際にも、騎士達は天人の言動に驚くことになった。

 

「───うん、氷の魔法は無理に相手の急所に当てなくていいよ。……もちろん当たるなら最善だけど、難しいならまずは的の大きな身体に当てることを目指そうか」

 

彼らに最初にステータスプレートが配られた時、天人から開示されたステータスでは彼に魔法の適性は全くと言って良いほどに0だった。肉体的ステータスはあの"勇者"を遥かに凌ぎ、レベル1の時点であのメルド団長をすら凌駕する程ではあったのだが、魔力と魔法攻撃への耐性だけはほとんどそこら辺の一般人と変わらず。

 

しかも天職は後衛……どころか完全に鍛治職であり戦争の前線ではなく国に残って武具の整備に尽力すべき錬成師だったのだ。しかも錬成師の天職はハイリヒ王国にも何十人といる、言ってしまえばありふれた職業。

 

そんな、あらゆることが噛み合わないステータスを持つ天人がまさか魔法の扱い方のアドバイスをしているのだ。それを受けている相手は同じく召喚組の女子生徒───宮崎奈々。どうやら彼女には水属性魔法、それも氷術師という氷を放つ魔法に向いた天職と技能を持っていたのだった。

 

とは言えそれでは蝶よ花よと愛でられていた10代半ばの女の子。確かに戦う技術や経験なんてものは持っておらず、誰かが指導する必要はあるのだが、それをしているのがまさか彼ら召喚組でもっとも魔法とは縁遠い少年なのだった。確かに"魔法の発動"に関する部分は完全に省略されていて、あくまで発動した魔法の扱い方、戦闘への組み込み方に限定されてはいるのだが、魔法のない世界から来たはずなのに数日で属性魔法の特性を掴んでいるのだ。

 

「そう……氷の塊はストッピングパワーが大きいから。……あぁ、要は突っ込んで来る相手を止める力が大きいんだよ。何せ氷は重いからね」

 

ハイリヒ王国の騎士にとって聞きなれない単語も時折混ざっているが、それは教わっている奈々も同じように思っているようで、耳慣れない単語に疑問符を浮かべていた。ただ、それに気付いた天人は直ぐに言葉を噛み砕いて説明してやっていた。

 

「うん───それでいいよ。上に外すよりは下に外した方が、敵の牽制にもなったりするからね。相手の体勢を崩すだけでも他の奴らが戦いやすくなる」

 

王国の魔法使いの訓練用に用意されていたマンシルエット。その土手っ腹に氷の塊を叩き込んだ奈々に天人が更にアドバイスを加えていく。

 

「狙う時も、両目を開けて敵をよく見るんだ。人の目は、両目で見ることで遠近感を掴むからね」

 

それからも天人は狙いを定めるやり方や、戦いの中で中・遠距離魔法を組み込むメソッドを奈々にレクチャーしていた。そのどれもが基本に忠実でしかも基礎の基礎で天人や奈々とは別の世界の騎士から見てもそれほど耳慣れないものではなかった。むしろ騎士からすれば訓練兵時代を思い起こさせるほどに()()()()()()()とも言うべきレベルであった。

 

ただ、当然奈々はそんな戦い方なんて初めて聞いたし、騎士からしても魔法の適性が一切無い天人がそれを知っていて、かつ素人にもある程度分かりやすく噛み砕いた説明ができることが1番の驚きだった。

 

「───まぁ、そんな感じかな」

 

「ふむふむ……ありがと、神代くん」

 

「おう」

 

「なぁ神代、ちょっと俺も教えてほしいことがあるんだけど」

 

「んー?」

 

すると、今度は玉井という男子生徒が天人に声を掛けた。どうやら火属性魔法の扱いについて聞きたいらしい。

 

「こういう時の当て方なんだけどさ───」

 

「んー?……うん。火属性魔法なら難しいけど顔を狙っていこう。炎なら、熱で敵の眼球とか、口の中に入れば肺や内臓も焼けるからね」

 

「うひ〜」

 

天人のアドバイスに玉井は怖がっているが、騎士も実際にそのように教わったことを思い出した。火属性魔法はなるべく相手の顔を狙え。そうでなくとも牽制より直撃狙いだと。火属性魔法で放つ火炎弾は重量が足りないことが多く、末端に当てても効果が薄い時があるからだ。

 

だがそれは魔法のことをある程度勉強しなければそんな実感は湧かないはずで、それが魔法なんて無いという世界から来たのなら尚更だとその騎士は思った。

 

「───そう、火属性魔法はなるべく正中線を狙って。大きく爆発するような魔法ならともかく、初級魔法のレベルならまずは当てよう」

 

「なるほど……。ありがとな、神代」

 

「どういたしまして」

 

すると、玉井への指導を終えた天人がこちらを見る。どうやらずっと見ていたことに気付いたらしい。1つ首を傾げるとこちらへトコトコ歩いてきた。

 

「あの……俺また何かやっちゃいました?」

 

ちょっと不安げにそう訊ねる天人に、その騎士は1つ深い溜息をつくのであった。

 

「あ、あれ……?」

 

そして、それを見た天人は余計に混乱していくのだが、それを気にするものは近くには誰もいなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

遂にオルクス大迷宮の攻略の日となった。彼らがこのトータスに召喚されてから2週間が経っていた。その間、上位の世界から来たという勇者一行は凄まじい速度で強くなっていた。そしてメルド団長も遂にオルクス大迷宮の攻略を彼らの修行に充てられると考えたのだろう。

 

そしてやはりその予想は的中した。……いや、第1層の魔物を勇者である光輝は事も無げに切り伏せていたから、むしろこんな高い階層ではさしたる修行にはならないかもしれない。

 

この世界に来たばかりの頃は魔物相手であっても人の恐怖を煽るような凶悪な見た目や生き物を殺す感覚に戸惑いを覚えていた彼らであったが、魔物がそこらの獣よりも意思がなくただ本能のままに人を喰らうだけの生き物だと分かってくると、それを躊躇うことはなくなっていた。

 

そしてその1番手はやはり───

 

「では天人、ここは1人でできるか?」

 

2階層目、目の前にいるのは異形の狼が3匹。メルド団長から指名された青年とも少年ともつかぬ年頃に見える男。天人はメルド団長の呼び掛けに「はい」と躊躇うこともなく答え、そして右手に両刃片手剣を握って四足歩行で頭に2本の角が生えた狼の魔物3匹の前に立つ。

 

「……錬成」

 

ボソリと声が聞こえる。すると天人の背後の足元に魔力の光が灯る。しかし目の前の魔物にはそれを見て何かを考える知能は無いようで、無警戒に1匹が天人に飛び掛った。

 

天人はそれを高く飛び上がり躱す。するとちょうど天人が数瞬前まで立っていた所にその獣が着地し───

 

「───グルガァッ」

 

───鮮血が噴き出した。

 

当然と言えば当然である。何せ天人の背後には洞窟の鉱石が槍のように生えていたのだから。

 

神代天人の持つ技能は錬成。これは鉱石の形を自在に加工できる。しかし言ってしまえばそれだけ。出来ることは鍛治職人が精々……そう思われていた。

 

だが天人はこれを戦闘にも応用する。先程のように自らの足元に罠を作り、無警戒に飛びかかってきた魔物を串刺しにして致命傷を与えたり、それこそ騎士は今初めてそれを見たが、今のように洞窟の天井に取っ手を錬成してそれを掴むことで天井に避難することも。

 

そして剣を口に咥えた天人が天井から左腕を振るう。

 

放たれたのは鉱石で出来た短刀。

 

騎士の誰もがそう思っているが、実際には天人が洞窟内の鉱石を即席で錬成した苦無(クナイ)だ。

 

それがヒュンと風を切って狼の魔物へと迫る。しかしまだ2層目とは言えここはオルクス大迷宮。天井へと逃げた天人を2匹の魔物はしっかりと目で追っていて、天人の投擲した苦無も左右に散って躱した。だが天人にとって今の投擲は敵を動かすためのものだったようだ。

 

2手に散った狼のうちの1匹の背後へ天人は天井を蹴って飛び込む。そして壁面に足を付いて身体をバネの様に縮めると、それを解き放つ勢いで飛び上がり、その勢いで狼の腹を切り裂く。

 

視線を振られた狼はその一刀を躱すことが出来ずに腹から鮮血を噴き出して倒れ込んだ。すると天人はそれにはもう目もくれずに腰のポーチからもう1本の苦無を取り出して、左手首のスナップで残り1匹の狼へ向けて投げつける。

 

しかし2本角の狼はそれを事も無げに躱し、逆に3角飛びで天人に飛びかかる。だが天人は先程狼を斬り殺した時には既に足元を魔力光で光らせていたのだ。

 

飛びかかる狼の巨体とすれ違うように躱すと空中にある身体に手を添え、軌道を変えるように押し込む。その先には1匹目を殺したものよりは短い剣山があり、そこへ天人は狼の顔を叩き付けた。

 

「ギャウッ!」

 

顔に尖った鉱石が突き刺さった狼が叫び声をあげる。しかし天人はそんなことには全く頓着せずに白刃を煌めかせる。

 

鮮血に染められた刃が2本角の狼の喉笛を掻き切り、天人の前に立ち塞がった3匹の魔物は尽く息絶えた。

 

体力と地形を活かした3次元的な戦闘、己の技能をこれでもかと応用し罠を張り、かと思えば直接的かつ即興で武器を作り出し即座に攻撃に使用するアイデア。

 

天人にとってはこの程度はイ・ウーでシャーロックに叩き込まれた技術のほんの一端でしかないのだが、魔法と剣技による火力戦が多いハイリヒ王国騎士団と、そもそも戦争なんてものは歴史の教科書に書かれた文章か、精々がテレビの画面の向こう側で起きている出来事でしかない日本からやって来た光輝達にとって神代天人という人間の行う戦闘はどうしても奇異に映ってしまう。

 

そしてそんな視線を受けた天人が刃の血を払いながら振り向けば───

 

「……あれ、俺また何かやっちゃいました?」

 

真剣に驚いているコチラがまるで馬鹿に思える程に気の抜けた表情と声色でそう言い出すのであった。

 

 

───────────────

 

 

 

「───ってことがあったんだけどさ。あれ何だったの?」

 

俺はそう白崎に訊ねる。天之河達の顔を久々に見たのだが、それで前に彼らから変な目で見られたことが何度かあったことを思い出したのだ。だがそれを聞いた白崎は

 

「……はぁ」

 

と、1つ溜息をついてあの時のアイツらと全く同じ顔をした。あれ……これ俺が悪いのか……?

 

「あのね天人くん。そもそも普通の人は魔物を目の前にしたら怖いし、いきなりは戦えないよ?なのに天人くんは初めての筈なのに何にも怖くなさそうに魔物を倒すんだもん。私だって驚いたよ」

 

そしてジト目で俺を見上げながらそんな風にあの時の感想を伝えてくる。

 

「いやだって……俺ぁ魔物と戦うの初めてじゃないし……」

 

魔物なんてリムルの世界にいた時に散々ぱら殺したのだ。それに、その前だってアラガミなんていう、この世界でゴロゴロいる魔物の何十倍も強い化け物共とも殺し合ったのだ。あれに匹敵する魔物なんてこの世界じゃオルクス大迷宮の、それもかなり奥深くに潜らないと見かけないからな。俺からしたらあの程度の魔物なんてあの時の俺でも大した相手ではなかったのだが……。

 

「───えっ!?」

 

だが、俺のその言葉に白崎が大きく驚く。

 

「んー?」

 

「地球に魔物なんていなかったでしょ!?」

 

地球……?あれ……俺もしかして自分の世界の話を白崎には全くしてなかったっけ?

 

「あぁいや……俺ぁ白崎達とも違う地球から来たし……」

 

確かこの話は畑山先生にはした気がするけど、白崎達にはそこまで伝わっていなかったのかもしれない。そう言えば俺が畑山先生に話したエヒトのことも天之河は知らなかったみたいだったな。多分俺達のことはほとんど何も言っていないのだろう。

 

「しかも俺ぁこのトータスに来る前に色んな世界を彷徨ってたこともあるからな。とある世界にはここみたいに魔物もいたんだよ」

 

「は、初耳なんだけど……。え、ユエ達は知ってたの!?」

 

「……んっ。私は天人と初めて会った時に聞いた」

 

「私もですぅ」

 

「妾も聞いておったよ?」

 

「ミュウもお兄ちゃんが色んなたびをしてたのは聞いてたの!」

 

と、白崎以外はほぼ旧知の事実であった。

 

「それに、俺ぁ腕っ節で飯食ってたからなぁ。オルクスの底に落ちる前に見せたのなんて、別に大したもんじゃあないよ」

 

「……あのね天人くん。そもそも皆そんなことは知らないし、普通の高校生がいきなりあんなに動けたらビックリするんだよ?しかも魔法の適性が無い人が1番魔法の使い方が上手とか、鍛治職人が当たり前の錬成師なのにむしろそれを戦闘に応用するとか、普通は有り得ないんだからぁ!」

 

と、何故だか段々とボルテージの上がっていく白崎。どうやら俺があの一行と一緒にいた間に見せた戦闘はこの世界の常識と照らし合わせても中々意外なものだったらしい。それで皆ポカンとしてたのか……。

 

「みゅ、香織お姉ちゃん、お兄ちゃんは前から強かったの?」

 

と、俺の頭の上でミュウが白崎にそんなことを訊いている。強さで言えば、あの時の俺はイ・ウーを出てから1番弱かったんだけどな。まぁ今も後ろから2番目だけど。

 

「うーんとね、強いって言うか、色々凄かったんだよね。魔法無しなら私達の中で1番強かったのは確かだけど、魔法が使えないのに誰よりも実践的な魔法の扱いを知ってるし」

 

ふむふむと、ミュウは白崎の言っていることを分かっているのかどうかはともかく取り敢えず頷いている。

 

「やっぱりお兄ちゃんは強くて凄いの!」

 

「おー」

 

やっぱりあんまり分かってなさそうなミュウの出した結論に白崎は「そういうことなのかな……?」と首を傾げているが、逆にユエ達はミュウに同意するように「うんうん」と頷いている。

 

「まぁ俺ぁ喧嘩で飯食ってたからなぁ。普通の高校生にゃ簡単には負けらんないわけよ」

 

「……天人くんって───」

 

「んー?」

 

「……ううん。何でもなーい」

 

「んー?」

 

何だそりゃ。まぁいいか。俺の出自なんて大した話じゃあない。ユエ達には話していることだし、白崎が聞かなくていいと言うのなら別にそれでも構わないか。

 

「───グルガァッ!!」

 

すると、前方左右の茂みから魔物が2匹現れた。

 

───ドドパァッ!

 

が、別にあの程度の魔物であればホルスターに収めていた電磁加速式拳銃の不可視の弾丸の2発で脳漿を散らして終わりなんだけどね。

 

「ガルオォッ!!」

 

そして今度は俺の背後から魔物の唸り声。気配感知で把握した数は4匹……どうやら多少は頭を使える魔物のようで俺達を挟撃したつもりらしい。もっともその程度───

 

───ドパァッ!

 

俺の真横から飛び掛ってきた奴らにはそれぞれ1発ずつ弾丸を叩き込み

 

───ドドパァッ!

 

半歩振り向いて斜め後ろから俺達を挟むように飛び込んで来た2匹の頭を散らす。

 

それで俺は魔力を注いで気配感知の固有魔法の索敵範囲を広げる。シアもウサミミを立てて伏兵の存在を探り───

 

「……行くか」

 

「ですねぇ」

 

「はぁ……」

 

だが溜息をついたのが1人、白崎だ。何やらジト目で俺を睨んでいる。あれ……今度は何だろう……。

 

「やっぱり事も無げ……」

 

「あれ……俺また何かやっちゃった……?」

 

「はぁ……」

 



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交通安全教室

 

 

「という訳で、明日は武偵高附属小で交通安全教室です」

 

夕方、皆が帰ってきたので俺は明日のご予定と経緯を説明。するとユエがふぅと1つ溜息をつき

 

「……メイドのくせに家に迷惑をかけるとは何事」

 

と、ジト目でルシフェリアを睨んでいる。ま、原因の1つは俺含めた君達でもあるんだけどね、とは言わないでおく。

 

「ま、日本の警察は差別的なまでに外国人には厳しいからなぁ。取り敢えずネモとルシフェリアが安全な奴らだって証明してやらにゃならん」

 

「ふむ……ということは天人とネモ、ルシフェリアの参加は必須じゃな」

 

「うん。……で、リサは救護科でこーゆーの経験ある?」

 

ちなみに俺は上目黒での臨時教諭くらいしかマトモな経験は無い。

 

「はい。交通安全教室ではありませんが、リサは附属小で怪我の手当てや救急車の呼び方の講演をしたことがあります」

 

「交通安全教室か。フランスでも似たようなものに出たことはある。もっとも、私は聞く側だったが」

 

ふむ……ネモも一応交通安全教室がだいたいどんなもんかは把握していると。となるとネモには日本の交通ルールだけ覚えてもらえれば大丈夫かな。コイツはそんなにトンチキな行動を起こす奴じゃないだろうし。

 

「じゃあリサも来てくれ」

 

一応蘭豹からは4人集めろと言われている。何やら1人は蘭豹の方で用意するとか言っていた。あの人、強襲科の生徒5人も病院送りにしたんだな……。

 

「はい、承りました。ご主人様」

 

ニコリと、俺に頼まれたのが嬉しいのか愛らしい微笑みを浮かべるリサ。これなら子供も怖がることはないだろう。うーん、蘭豹が誰用意したんだか知らないけど、リサがいないと成り立たない可能性があるなこれ。

 

「主様主様、コウツウアン?ゼンキョウシツ?とは何者じゃ?」

 

と、話は聞いていたが1ミリも理解していなかったらしいルシフェリアが俺の腕をつついてそんな今更な質問。

 

「お前も見て知ってるだろうけど、東京は車が多くてよくそれと事故が起こるんだよ。だから子供が事故で怪我しないように交通ルールとか、それを守る重要性を学ばせるんだ。ルシフェリアも、子供の扱いは上手かったから期待はしてる」

 

期待していると同時に不安要素でもあるけどな。

 

ルシフェリアは流石に1人では外には出させてやれないが、俺やユエ達の誰かが一緒に行ける時は外に遊びに行っていた。そこで、近所の公園でルシフェリアは子供達と時々遊んでいて、随分と懐かれていたからな。まぁ、それが逆に知らん外国人が子供と遊んでるってんで通報されたのかもだけど。

 

「ひゃあ〜。主様が褒めてくれた……。子供扱いが上手いということは子育てが上手いと言ったのも同じ。何人産ませる気じゃあ」

 

と、ルシフェリアは訳の分からん喜び方をしている。ただ、それは全員ジト目で見やるだけでスルー。

 

「じゃ、ネモとルシフェリアはリサから日本の交通ルールを教わっといてくれ。俺ぁ俺で復習するから」

 

一応教える側もルールくらいはちゃんと把握していないとな。だが、流石は悪魔ちゃんのルシフェリアさん。

 

「嫌じゃ。我は偉いんじゃから勉強なんてせぬぞ。もっとも、主様が付きっきりで教えてくれると言うのなら吝かでは───」

 

と、そんなしち面倒臭い駄々をこね始めた時───

 

──ピンポーン──

 

と、家のチャイムが鳴る。それにリサが出ようとした瞬間、ピンポンピンポンピンポンピンポン!!と、まさかのピンポンラッシュ。人の家のチャイムでこんなバカアホな鳴らし方をする奴は世界広しと言えどただ1人。

 

「うるさ……」

 

そう呟いた俺の言葉はリサが玄関を開けた数秒後にはリビングのドアを勢いよく開けて入ってきたピンクのツインテールちゃんの声に掻き消された。

 

「遅いわよ!」

 

「鳴らして1秒でピンポンラッシュする奴があるか!!」

 

そう、やって来たのはイタズラ以外でチャイム鳴らして1秒後にピンポンラッシュをやる唯一の人類ことアリアさんだ。

 

「あんたなら玄関に誰が来たかくらい分かるでしょ!」

 

「俺が分かってもあの間隔でラッシュされたらリサは間に合わねぇだろ……」

 

とは言えもうコイツとこの手の議論をするのは諦めている。基本俺の言うこと聞かないしこの子。いや……最近は誰も俺の言うこと聞いてくれないな。皆人の話を聞かない……。

 

「まぁもういいや……何?」

 

「何って、明日の交通安全教室、あたしもあんた達の手伝いに駆り出されたのよ。だから打ち合わせに来てあげたってわけ」

 

あ、じゃあ蘭豹が用意したもう1人ってアリアのことだったのね。で、何故かユエがアリアを睨んでいる。どしたの……?

 

「ユエ、どうかした?」

 

「……んっ、私が出たかった」

 

と、何かと思えばユエにしては珍しくアクティブな発言。この子、基本外出たがらないのに珍しいこともあったもんだ。

 

「ルシフェリアは私のメイド。メイドの面倒を見るのも主人の務め」

 

なんて、ユエは口ではそう言っているけど、それが建前だってのは俺にも分かった。その紅の瞳はまるで別のことを言っているみたいだからな。多分ユエは俺と一緒に交通安全教室とやらをやってみたかったんだろう。特に最近俺はネモに勉強を教わりながらもルシフェリアにかかりきりだったから、寂しかったんだろうな。

 

「ユエ、ユエ」

 

なので俺はユエを呼ぶ。すると、ん?と疑問符を浮かべつつもユエは俺の傍に来る。そして、俺はユエを抱き寄せ、その形の良い白い耳元に口を寄せる。

 

「……これが落ち着いたら2人でどこかに出掛けよう。そうだな……温泉とかどうだ?」

 

そうして耳元で囁けばユエは少しくすぐったかったのか身を捩りつつも「……んっ!」と頷き、俺の胸元へ頬を擦り寄せた。

 

「あぁ!ユエさんだけズルいですぅ!」

 

「そうじゃ!妾達も天人と2人きりでどこか行きたいのじゃ!」

 

と、耳敏く聞きつけた2人が大騒ぎ。それに釣られてリサやジャンヌ、レミアにエンディミラも2人で旅行に連れて行けとの大合唱。

 

「あぁもう!!さっさと打ち合わせするわよ!!」

 

で、それはそれはブチ切れ顔をしているアリアさんが大合唱に割り込み、ようやく話は本題へと戻るのであった。……危なかった、何せアリアさんは即座に拳銃を抜いていたからな。危うく借りている部屋の天井や壁にガバメントの大穴が空くところだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

打ち合わせも終わり──て言うかそんなに打ち合わせることもなかったが──何だか団欒な雰囲気になった頃にそれは告げられた。

 

───唐突に、それはもう唐突に告げられた。

 

「あたし、キンジにプロポーズされてるの」

 

ネモ達と行ったアメリカ旅行の話に感化されたのだろうか、アリアから恋バナを振ってくるなんてことがあるとは思わなかった。しかし意外だな、キンジがまさかアリアにキチンとプロポーズなんてことをするとは。

 

………………………………………………………………………………………………………………………………………………プロポーズ!?

 

「リサ!ジャンヌ!集合!!」

 

「は、はい!」

 

「あぁ!」

 

俺は直ぐ様リサとジャンヌを呼び寄せる。

 

「……リサ、見立ては?」

 

「きっと、遠山様が無自覚に()()とれる行動をしたのかと」

 

そんなことあるか?……いや、でもキンジだしなぁ。無自覚にプロポーズできる人類、マジで遠山キンジ1人だけ説あるし。

 

「……天人、今お前が何を考えたのかは分かる。だから……天人もそうだぞ?」

 

ふむと頷いた俺にジャンヌがそんな釘を刺す。どうやら俺の考えはいつも筒抜けらしい。え?いくら何でも俺は……いや、前科あったわ……。

 

「……今俺ん話はいいよ。……これは、審議かな」

 

「審議です」

 

「審議だな」

 

3者の意見の合致により本件は審議入りです。俺が振り返れば、アリアは急に隅っこに集まった俺達を胡乱気に眺めている。

 

「あぁ……アリア、今後の参考に聞きたいんだけど、実際どんな感じで言われたの?」

 

俺がユエ達を指し示しながらアリアにそう問えば、アリアは1つ頷き、自身の左手の薬指を大層愛おしげに撫でながら口を開いた。

 

「あたしの誕生日にね、キンジが指輪をくれたの。しかも、それを()()に填めてくれたのよ」

 

アリアが撫でているそこは、確かにプロポーズの証となる場所だった。普通に考えればそこに指輪を填めてやる行為はプロポーズ以外の何物でもない。だが相手は不可能を可能にする男(エネイブル)のキンジだ。左手薬指に指輪を填める行為をプロポーズではなく行うという不可能すら可能にしてみせる男かもしれない。

 

俺は「ちょっと電話が……」と言い残し、震えてもいない携帯を手にその場を離れる。そしてむしろ俺が相手の携帯電話を震えさせる。その着信の先には、キンジがいた。

 

「もしもし、どうしたんだ?」

 

「1つ聞きたい。これは本人に聞いたんだけど、キンジお前……アリアにプロポーズしたのか?」

 

「───はぁぁぁぁぁぁぁ!!?!?!!!?!?」

 

この驚きよう。どうやらキンジのプロポーズは何かの勘違いのようだ。……何をどう勘違いすればそうなるのかは皆目見当もつかないけど。

 

「お前、アリアの誕生日に指輪をプレゼントしたんだって?」

 

「あ、あぁ。それは確かだ」

 

「で、左手の薬指にそれを填めてやった」

 

「どこの指に填めたかは覚えてないけど、指には着けたよ」

 

お、覚えていない……だと……?そんなことあるか?女の左手薬指に指輪を填めてそれを覚えていないなんて有り得るのか!?流石は不可能を可能にする男(エネイブル)の遠山キンジ。俺みたいな一般人じゃあ想像もできないことを成し遂げてくれるぜ。

 

「……一般的に左手薬指に指輪を填めてやるという行為は"私と結婚してくれ"という意味になる。男がやろうが女がやろうが同じで、だいたいの国と地域ではおおよそ同じ意味を持つ。そしてアリアはお前からそれを受けて、プロポーズされたと認識している」

 

と、俺はもうそれはそれはストレートかつ簡潔にキンジの成したことの意味を説明してやる。コイツはHSSを理由に、女や男女の仲にまつわる事象の尽くを避けてきた。だからって結婚指輪のことも知らんとか有り得るのかどうかは知らないけど、キンジが悪戯でアリアにプロポーズをする奴とも思えないから、きっと本気で分からなかったんだろう。

 

だがアリアは本気でプロポーズをされたと思っているし、あの反応からして突然受けたプロポーズに対して反応を返せなかっただけで、返事なんてとうの昔に決まっているっていう感じだ。

 

だからもし、キンジのそれが実は何も分からず誕生日にプレゼントを贈っただけだと知ったらアリアは酷く傷付くだろう。だがあのアリアの反応からして、遅かれ早かれキンジとその話になってもおかしくはない。そうしたらどっちにしろアリアは傷付くのだ。

 

なら不意に……それこそ"あの時の返事"なんて言ってキンジから「何それ」とか言われる前にこの誤解を解いてしまおう。それがきっと、1番アリアの傷が浅いと信じて。

 

『ご主人様、アリア様には遠山様からお話があるとしてあります』

 

と、リサからはスイッチ式の念話のアーティファクトを通して俺に連絡が届く。よし、後はキンジを強制召喚するだけだな。

 

俺はリサに「分かった」と伝え、アリアをその場に留まらせておくように伝える。

 

「ともかく、お前が物を知らんせいでアリアは大変な誤解をしているし、これは早く解いてやらなきゃならん誤解だ。今お前服着てるか?」

 

「は?……あぁ、着てるけど。……お前まさ───」

 

俺はキンジに言葉を続けさせなかった。キンジが服を着ていると聞いた時には越境鍵と羅針盤を取り出してキンジのいる座標を特定。鍵を虚空に突き刺しキンジの目の前に扉を開いた。そして驚きに目を見開いているキンジを引っ掴むと力ずくでキンジをコチラに引き込む。そして直ぐに鍵を抜き、扉を閉ざした。

 

「た、天人。お前こんな無理矢理な───」

 

「言っておくけど、アリアはお前からのプロポーズを受けようとしてるぞ。受けるつもりならいいけど、違うんなら……もしくはそれはもっと違う形でやりたいんなら今すぐアリアに謝ってこい。向こうに本人いるから」

 

「いや……ちょっと待ってくれよ。いきなり言われても何が何だか……」

 

「悪いけど、時間は待ってくれない。大丈夫だ、死んでも生き返らせてやるから」

 

「……それは自分でできる」

 

いや出来るんかい。コイツ、再生魔法なんて使えないはずなのに死んでも生き返れるとか、相変わらず人間辞めておられるな。

 

「じゃあ大丈夫だろ。ほら、行くぞ」

 

と、どうやら死んでも大丈夫らしいキンジの首根っこを引っ掴んでリビングへと続くドアを開ける。そこには、珍しく借りてきた猫みたいに大人しいアリアが顔を少し朱に染めて、所在なさげにピンク色のツインテールを指先で弄んでいた。ただ、その小さな口元は隠そうとしても隠しきれない雰囲気で緩んでいて、どうやらアリアは今から、キンジによってプロポーズの返事の催促をされるのだと思っているようだ。そしてそれへの回答ももう決めているのだろう。だから俺は、そのアリアの喜色の雰囲気に似つかわしくない声色で、端を発した。

 

「アリア、嬉しそうな顔をしているところ悪いけど、今からするのは少し……いや、かなり良くない話だ。だから、それは覚悟してほしい」

 

と言う俺の声と、そしてリサ達の雰囲気から、今からする話が自分の予想とは違うことを察したらしいアリアがチラリとキンジを見やる。果たして、アリアの瞳に映ったキンジがどのような顔をしているのか、俺は窺うことをしなかった。

 

ただ、キンジの首根っこを掴んだまま椅子に座らせるだけだった。

 

「あぁ、その、アリア……」

 

「何……?」

 

そして、覚悟を決めるのは早いらしいキンジが早速話を切り出す。

 

「その、お前の誕生日に上げた指輪なんだけど、確かにアリアの誕生日を祝う気持ちはあったんだ。だけど、それがプロポーズになるとは……思ってなかった。ゴメン」

 

そして、単刀直入に、かつ簡潔にあの時の真実を告げる。それを聞いたアリアは───

 

「……そう」

 

一拍だけ置いて、そう呟いた。

 

「ま、あんたのことだからそんなことだろうと思ったわ。仕方ないわよ、キンジだもんね。うんうん、仕方ない仕方ない」

 

その()()()()は、果たして誰に向けたものなのか。俺はそれを推し量りたくはなかった。

 

「アリアは知ってると思うが、俺はその……体質的なものもあって()()()()のは避けてきた。だから───」

 

「分かってるわ。あんたはそんな悪戯をするヤツじゃない。だから本当に知らなかったんだってこと」

 

だけど、とアリアは続ける。

 

「だけど今は少し、あんたの顔は見たくない」

 

 

 

───────────────

 

 

 

あの後アリアは直ぐに帰った。ただ、明日の交通安全教室に穴は開けないとは言っていた。そしてキンジも俺がアイツの実家に強制送還した。その時には一応

 

「女の子とか男女の仲にまつわる事象を避けたいならむしろ勉強しろよ」

 

とだけは言っておいた。そもそも、敵から逃げようってのに敵のことを何も知らないでいようってのがおかしな話なのだ。相手の持つ武器も分からないのにどこにどうやって逃げようと言うのか。

 

キンジはそれを分かっているのか分かりたくないのか知らないが、何だか気の抜けた返事しか返ってこないし。

 

で、気を取り直して明日の交通安全教室に向けてルールのお勉強だ!となったはいいが勉強なんかしたくない。せめて俺が教えろと駄々を捏ねたルシフェリアには有無を言わせずやれと申し伝え、ユエに拉致ってもらって日本の交通ルールを覚えさせた。ネモにはリサがしっかり教えているだろうし、ネモの性格なら変なワガママは言わなかっただろう。俺も、自分のためにルールを見直し、そして迎えた翌日───

 

「今日の交通安全教室は第1部、第2部の構成で寸劇を2回やります。急な出演なのでアリア先輩達はセリフに詰まったりするかもしれません。そういう時は、私に振ってくださいね?このピーポにゃんの着ぐるみに入っていますから」

 

今日は武偵高の赤いセーラー服を着ている乾が指し示したのは、警察章が額に付いたネコミミヒロインの着ぐるみ。昨日の今日で心配だったが、アリアを見る限りはいつも通りだ。ま、俺はアリアのことをいつもそんなによく見ている訳じゃないから細かくは分からんのだけれど。

 

で、まずは寸劇の配役を決めるということで、リサとルシフェリアが警察の制服を着ることになったのだが、衝立の奥に着替えようのブースを作ったという乾が……

 

「あ、神代先輩は後ろを向いていてくださいね。以前に女子の身体検査を覗いていたみたいですし」

 

とか言い出すので視察に来ていた婦警さん2人が揃って俺を汚物を見る目で見てくる。一瞬何のことか分からなかったけど、あれだろ?前に小夜鳴(ブラド)の採血を俺が邪魔にしに行ったやつのことだろ?

 

だいたい、あれはリサが変な目に遭わされるかもと潜っただけで他の女には欠片の興味も無かったのだから許してほしい。

 

というか、後でアリアに追い回された時にそれ言ったら「それはそれで余計にムカつく」とかで更にガバメントから飛んでくる銃弾増えたし。

 

で、そんな辛い思い出がフラッシュバックしている間にリサとルシフェリアが着替え終わったようで衝立の向こうから出てきた。しかし2人とも胸がギチギチで、今にも胸元のボタンがはち切れそう。これは子供の教育に悪いですよ……。そしてそれを見た───理子的に言えばステータスで希少価値を持っているお姉さんがイラッとしている。

 

「あの……ルシフェリアさん。おまわりさんには制帽が必要なんです。その角のような髪飾りは外して、帽子を被ってもらえますか?」

 

最初、ルシフェリアには偽名を与えようかと思ったのだけれど、どっちにしろ戸籍が無いルシフェリアには意味が無いし、どうせ名前なんて聞いてもそれが国際テロ組織の一員だと分かる奴もいないからな。そのまま貫くことにしたのだ。

 

それと、本当はルシフェリアの角はアーティファクトで隠したかったのだけれど、乾にはもう角ありのルシフェリアを認識されてしまったので今更隠した方が面倒だと思い、今日は認識阻害のアーティファクトは付けさせていない。

 

それに、例え周りから角を認識されていなくとも事実として角がそこにある以上はルシフェリアに普通の人間向けの帽子は被れない。なので───

 

「嫌じゃ。これは母の形見、外しとうない」

 

と、これまた事前に言い含めてあった言い訳で逃れる。婦警さん役は1人いれば大丈夫らしいのでこれでリサの役割は決まり。あとは……

 

「次は小学生役が2人要るのですが……」

 

「ネモとアリアだな」

 

ネモは、聞く限りでは普通に戸籍がありそうだった。だいたい、ネモ・リンカルンと聞いてそれが裏社会で暗躍する国際テロ組織の提督だと勘付ける奴はやっぱりいないということでネモも偽名無しの真っ向勝負だ。

 

「……しょうがないわね」

 

一応自分が小柄だということは分かっているアリアは渋々頷く。ネモも、まぁやってやるかって雰囲気で頷いた。

 

で、俺とルシフェリアは2人で動かす『くるまくん』なる白い軽自動車くらいの大きさのハリボテの車。しかし窓はマジックミラーで視界良好。

 

内側からライトの目とバンパーの口を動かして表情を作れるらしいそのポジションには俺が入り、後ろには気に入ったらしい婦警の制服を着たままのルシフェリアが入った。

 

あとこのくるまくん、中にカゴがあって、パトランプやら旭日章のエンブレムが仕舞われている。乾に聞けば、外に黒いプラ板を貼っ付けてパトカーにも変身出来るらしい。凄いね、最近のハリボテ。

 

で、ふと見ればネモとアリアも小学生の格好に着替え終わって、赤いランドセルを背負って出てきた。んー、悲しいくらいに小学生が似合うな。特にアリア。ネモはそのジト目が小学生らしからぬ感じを出しているのだが、普通に勝気なアリアはやたらと可愛いだけの小学生にしか見えない。

 

すると、それを見て2人を半分揶揄っていたルシフェリアが俺の後ろから

 

「のう主様、2人とも普段とは違う格好じゃが褒めないのか?」

 

とか言ってくる。この子、本当悪魔だよね。見てよ、今のルシフェリアの一言で捜査官のお姉さんがニコニコ警官スマイルで俺を容疑者を見る目で見てくるぜ。

 

「んー?……そうだな。アリア、赤いランドセルが良くお似合いだぜ。それとルシフェリア、高校生に小学生の格好が似合ってるとかそれほぼ馬鹿にしてんのと変わんねぇぞ?」

 

ルシフェリアのせいで俺は怪しい者じゃございませんよアピールをしなきゃいけなくなる。そして、このしなくても良かったはずのアピールのおかげで───

 

「───あんたやっぱり馬鹿にしてんじゃないのよ!!」

 

俺はくるまくんから引き摺り出されて、しかも何がとは言わないけど見えそうで見えないジャンピングハイキックでぶっ倒されてマウント取られた挙句、ボコボコに殴られるのであった。痛っ!痛いって!今お前が怪我しないように多重結界解いてるんだから!殴らないで止めて!!あと、せめてネモは黙って見てないで助けて!!

 

 

 

───────────────

 

 

 

「貴様はどうしてそんなに不器用なんだ」

 

「まったくじゃ、主様は女の扱いに慣れておるのか慣れておらんのか分からんのじゃ」

 

と、アリアにボコられ仰向けにころがったままの俺を見下ろしながらネモとルシフェリアがそう言ってきた。

 

「……んー?」

 

何のことなのかよく分からん俺は殴られた頬を擦りながら起き上がる。まったくアリアめ。多重結界を解いたって言っても俺の身体の頑丈さは人間なんてとっくに辞めてるってのに普通に痛いんだよな。アリアはアリアでパワーが人間辞めてる……いや、あの小さい手でガバメントぶっ放してる時点で今更か。

 

「それより、リハーサルをやるそうだぞ」

 

と、どうやら深く追求する気はないらしいネモの手を借りてリサの太ももの上から起き上がる。

 

「ありがと」

 

「そろそろリハーサル始めますよ」

 

すると、乾が早くしろと書いてある顔で俺達に催促。それにハイハイとだけ返して立ち上がった。さてさて、そろそろ真面目にお仕事の時間のようだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「───行くぞ、ルシフェリア」

 

リハーサルも終えてようやく本番。ピーポニャンに扮した乾と教育に悪いわがままボディのリサ婦警の合図に従って俺とルシフェリアの入ったくるまくんが発進。

 

そして、音響係をやっている婦警さんの鳴らすけたたましいブレーキ音に合わせて、道路に飛び出してきていたという設定のネモとアリア扮する小学生の直前で止まる───そういう打ち合わせだったはずなのだが

 

「……おい」

 

「キヒヒッ」

 

ルシフェリアに止まる気配が見られない。しかも支柱を持っているから俺も止まれない。無理に止まろうものならくるまくんが壊れそうだ。しかももうここまで来てしまったらぶつかるのは避けられない。仕方なしに俺は少しだけ方向転換。ネモは避けて頑丈なアリアにだけ車体がぶつかる角度にくるまくんを向けてやる。そして───

 

───ドーン!!

 

と、それはそれは見事なハンドル操作でくるまくんは神崎アリアちゃんだけを轢きましたとさ。めでたしめでたし。

 

……な訳あるかい。マジックミラー越しに見れば小学生は半泣きの子も出てきちゃってるし、リサや乾、ネモも尻餅ついて呆然としちゃってるよ。

 

「そ、そのまま撥ねられちゃいましたねー。……えぇと、これは……」

 

あぁ、リサですら随分と困っているご様子。あと乾、何が安全運転義務違反で違反点数2点だ、それでこの場の空気がどうにかなるわけねぇだろ!

 

と、任せとけとか言ってた割にはアドリブの下手くそな乾に内心キレつつくるまくんの顔をあくどそうな雰囲気の表情にしてやる。あぁもう、こうなったら限界まで悪いくるまくんをやってやるよ!

 

「グハハハ!そうさオイラぁ悪いくるまくん。交通ルールを守らない悪い子ん前に現れるのさ!!」

 

ゆさゆさと、車体を揺らしてさも悪い奴っぽい感じで喋るくるまくん。

 

「そ、そうだにゃ!コイツは最近巷で話題の悪いくるまくんだにゃ!交通ルールを守らない子の前には悪いくるまくんが現れるんだにゃ!」

 

それさっき俺が言ったことじゃん。とは思うけど、ピーポニャンが言うと俺が1人で言うよりは子供的には説得力が出るらしい。まぁ出たら出たでほぼナマハゲみたいな扱いなんですけどね、悪いくるまくん。あ、アリアが起き上がった。しかも相当に怒っている。何せ額にDの文字が見えているからな。これはこの場にとどまっているとくるまくんの皮が剥がされて俺がまたタコ殴りにされるやつだ。

 

「ルシフェリア、逃げるぞ」

 

で、アリアから逃げようと俺はそのまま真っ直ぐ……最悪アリアをもう一度轢くつもりで走り出す。そしてやはり悪いくるまくんの前に立ちはだかったアリアだったが、俺達が止まる気がないことを悟ったかそのまま前宙でくるまくんの突進を躱した。

 

けれど悪いくるまくん的にはそれはそれで好都合。そのまま舞台の上手(かみて)へと捌けることに成功。ま、もちろんそこで追いついたアリアにボッコボコにはされるんでしょうけど。

 

「───さっきからあんたは何なのよ!全然台本と違うじゃない!!」

 

と、舞台袖に消えられたと思ったらくるまくんから引き摺り出された俺はやはりまたアリアにボコられる。いくらルシフェリアの悪戯とは言え、俺がハンドルを握ってるくるまくんで轢いてしまったのは確かなので、俺も多重結界で防ぐのは忍びない。

 

「キャハハハハ!面白かったのう主様!子供達のあの盛り上がり様、絶景じゃ!」

 

あなた婦警さんの格好で腹抱えて笑ってますけどね、盛り上がりも何も子供達皆ビビってたじゃんね……。

 

「い、一体何がどうなっていたのだ……」

 

俺達から少し遅れて捌けてきたネモは女児座りでしゃがみながら俺とアリアを見下ろしている。あぁもう、しっちゃかめっちゃかだよこれ。舞台上ではやっぱり役に立たないピーポニャンは置いておいて、リサが無理矢理まとめに入ってピーポニャンの歌を皆で歌うことで御為倒しているし。

 

 

 

───────────────

 

 

 

第2部は何やら人気のゲームを模して動物の着ぐるみを着たリサ達が交通ルールを勉強する体で子供達にルールを教えるのだとか。んで、俺の役は退屈なお勉強の時間に一石を投じる不審者のトカゲ役。今度は不審者は俺1人だし、邪魔されて変な流れになることはないだろうと、そう思っていたのだが───

 

「逮捕よ!あの不審者を逮捕するわ!!」

 

アリアが俺を逮捕しようとキレ散らかしている。逮捕は乾の役目の筈だろうが!

 

ていうか、犬の着ぐるみを着たリサが可愛かったからちょっと台本とは外れたナンパしただけでしょうが。どうせ君達1回全員俺に拉致られかける役なんだから別にいいでしょ!

 

とは思ったけどアリアが飛び掛ってきたので俺は咄嗟に巴投げを放つ。着ぐるみの反発力とアリアの体重の軽さが相まってこれがまたよく飛ぶ。アリアはペンギンの役だったのだが、飛べない鳥ことペンギンさんは空高く舞っていきました。

 

で、これがまた不味かったのか良かったのか……。俺はまだ特に手を出してはいなかったのにアリアがいきなり飛び掛ってきたせいで、子供達の中ではペンギンが悪い奴なのでは?という疑問が膨らんでしまったのだ。どうやらまたアドリブが必要になった俺は───

 

「そうなのだ!この村は違法薬物の元となる植物を栽培している。俺は村の女の子から情報を集め、悪の組織を一網打尽にするためにやってきた仮面トカゲなのだ!」

 

と言い張るしかない。で、そのまま「変身!!」とか適当に掛け声を掛けて一瞬後ろを向き、まるで元々用意したあったかのようにバスタオルを宝物庫からこっそり取り出した俺はそれを広げて上へ投げる。ついでにタオルの端に元素魔法の氷を引っ掛けて落ちてくる時間稼ぎ。その隙に宝物庫から更にヘルメットを取り出した俺はそれを被り元素魔法を解く。そしてバスタオルを手で巻き取り後ろ手に投げた。

 

「覆面ヒーローだー!!」

 

と、それを見た子供達───特に男の子には大ウケ。ぶっちゃけ宝物庫とか婦警さんに見せるにはかなりギリギリの魔法(トリック)を使ったけど、ここはもうやるしかない。

 

しかもルシフェリアはこの言い訳が気に入ったようで

 

「ならば我がそちを食ってやるにゃー!!」

 

と、一応猫には扮したルシフェリアが俺に襲い掛ってくるのでそれは背負い投げで舞台袖へとぶん投げる。

 

で、これがまた子供達にはウケたようで、さっきまで交通ルールを聞き流していた子供達が「やれー!」だの「ぶっ殺せー!」だのと随分と荒っぽく応援してくれる。

 

ネモもこうなったら乗るしかないと思ったのか「クィィ!!」と、何故かフランス語流のネズミの鳴き声で俺にハイタッチパンチを食らわせようとしてくるので、それはお姫様抱っこで抱えて舞台袖へと放ってやる。

 

んで、アドリブ下手な乾は「た、大麻草の密造がバレてしまったのなら仕方ありません!戦いますよ、イヌも戦いますよ!!」と、リサまで巻き込んで俺に挑みかかってくる。リサも「え、えぇー」と困り顔で俺に向かってきた。

 

俺は乾を放り投げると、覆面ヒーローらしく空中で飛び蹴りを食らわせて舞台袖へと蹴り飛ばし、リサはネモと同じくお姫様抱っこで運んで退場させてやる。そして

 

「討ち取ったぜ!!」

 

シャキン!と、右手を真っ直ぐ斜め上へ、左手も同じ方向へ伸ばして決めポーズ。

 

「でも子供達、暴力は最後の手段なんだ。こんな争いは無益で何も生み出さない。君達は周りの子と仲良くするんだぞ」

 

と、一応そんな御為倒しで纏めて、武偵高附属小の生徒達から拍手喝采を浴びつつ俺は舞台から去った。いやホント、これからどうしよう。1日3度もアリアにボコられるのは嫌だぞ……?

 

 

 

───────────────

 

 

 

結局のところ、ネモとルシフェリアの疑いは晴れた。いやまぁ2人ともテロ組織の一員ではあるので疑いが晴れたというのは少し違う気もするのだが、ともかくあの2人が警察から何か詰問されるようなことはなくなったみたいだ。

 

そして、俺とルシフェリアはとある人物と待ち合わせをしていた。体育館の屋上、屋根の点検の為のアルミ梯子で登ったそこはそよ風が心地良い。

 

「……ん、来たな」

 

「初めまして」

 

「……おす」

 

昨日の今日で俺に会うのは気不味いらしいキンジと、先に登ってきたもう1人。顔は初めて見るがコイツが遠山かなで───遠山家の末っ子のようだ。

 

キンジは、HSSの視力でルシフェリアを見た時から気になっていたらしい。俺の横で、俺の肩に頭を置いて甘えようとしてくるルシフェリアと今俺達の前に現れたタレ耳ウサギみたいな髪型の女の子───遠山かなで。この2人に何やら()()ものを感じたのだとか。

 

そして、ルシフェリアに危険がないのであれば2人を会わせてみたいと思ったらしい。

 

そんな連絡があったのが何日か前。この遠山かなでもキンジから話を聞いて、自分もルシフェリアに会ってみたいと思ったようだ。

 

「ルシフェリアさん」

 

「お主が、遠山かなで……」

 

見つめ合う2人から俺は少し距離を置く。すると、キンジも俺の方へ寄って来て隣に腰を下ろした。

 

そして、ルシフェリアとかなでのお喋りはしばらく続いた。最初はお互いに探り探りでぎこちなかった会話も、段々と弾むようになっていった。キンジの言っていた、この2人が親族かもしれないという予想はどうやら当たっていたみたいだな。

 

そうしてしばらくすると───

 

「主様、ありがとう。主様にはまた大切なことを教えてもらったのう」

 

と、かなでを肩に抱き、頬擦りをしながらそんなことを言っている。その顔は、これまで見たことがないくらいに明るい笑顔で、本当にルシフェリアにとってかなでは大切な子なのだと感じられた。

 

「我は前に"ルシフェリアに家族は不要"と言っていたが、こんなにも愛らしい親族に会わせてもらって───我はかなで(家族)が誇りなのだと学んだよ」

 

そう話すルシフェリアに、俺は掛ける言葉が無い。それは別に悪い意味ではない。ただ、それを知ったルシフェリアには俺から何か言ってやる必要性が無かったってだけなのだから。

 

それともう1つ、言葉が無かったことの他にも理由はある。それは───

 

「……誰だ」

 

俺の声にルシフェリアとかなでが後ろを振り返り、キンジが眉根を寄せた。すると、コツコツとアルミ梯子を登る音が聞こえ、1人の女の子───見た目はかなでと同い歳くらいだけど俺の右目に付与された魂魄魔法が告げている。その魂は、人間のそれではないと。

 

「ヒノトさん……?」

 

かなでが彼女の名前を呟く。夏休みが終わった後にかなでのクラス──5年A組──に転校してきたらしい、フルネームで南ヒノトというかなでの同級生。

 

「それは私の名前の一部……この国での通名に過ぎません」

 

まだ俺達とは距離があるが、よく通る声が返ってきた。それもただの大声じゃない。風の向きを察して発せられた声で、それはつまりコイツが只者ではないことを示していた。

 

そして、ヒノトは俺やキンジでもクラスメイトのかなででもなく、ただひたすらにルシフェリアを見ている。ジッと、それ以外の何ものもアイツの視界には映っていないかのように。

 

それを見て俺とキンジは立ち上がる。それと同時にルシフェリアも立ち上がり、その大きな瞳をさらに大きく見開いてヒノトを見た。

 

「そちは……」

 

今のところヒノトに敵意は感じられない。それは俺達に対して敵対する意思が無いのか、それとも俺達の存在が勘定に入っていないのか。

 

だからか、俺はヒノトがトコトコと目の前まで歩いて来るのを止めなかった。そして、ヒノトが呼ぶ。ルシフェリアの名前を。あの交通安全教室では呼ばれなかった名前を。

 

「───ルシフェリア様」

 

それも様付け。つまりコイツはやっぱりレクテイアかNの関係者ってわけだ。そして、ヒノトの黒い髪の下───耳の辺りからさわさわと白い……翼のような物が生えてきた。それを見てキンジが息を飲む。

 

「嗚呼……お懐かしい。こちらの世界でルシフェリア様への謁見がかなうとは。けれどいけません、北の皇女様が何故斯様なお所に……。あなた様の残り少ないお命の時間を、このような遊興に費やすなど……」

 

なるほど、コイツはNの人間じゃあないな。てことはそれとは別でレクテイアから来た奴ってことか。北の皇女……ルシフェリアの出身地はレクテイアの北ってことかな。そして、聞き捨てならない言葉が1つ。

 

コイツがルシフェリアと出逢えたことに感動してかなでのいるこの附属小に来た理由も全部ベラベラ喋ってくれているが、そんなことはどうだっていい。コイツがレクテイアの出身であることも、人間とは別の生き物であることも、俺には関係の無いことだ。

 

「……シエラノシアか」

 

ルシフェリアが、ヒノトの本名と思われる名前を呟いた。これも、俺にとっては何だっていい問題だ。ルシフェリアに名前を覚えてもらっていて嬉し涙を流しているのもどうだっていい。

 

「嗚呼……この世、この国に渡り幾星霜。その旧き名を呼んでいただけるのを夢にまで見ておりました。私めは南・ヒノト・鸖・シエラノシア。南の皇女の末裔にございます」

 

そうやって名乗るとヒノト───シエラノシアはルシフェリアの前で正座し、三つ指をついて頭を下げ、改めてルシフェリアを見上げた。そして、その顔にゾッとするほどに凶悪な笑みを浮かべながら───

 

「古の婚約に従い、本日只今より私はルシフェリア様の花嫁。ルシフェリア様は私の花嫁。さぁ!この奸悪を窮めし世界に!共に、速やかに行いましょう。一欠片の慈悲も無き───侵掠を!!」

 

そう、この世界全てに向けて宣言するように高らかに叫ぶのであった。

 

 



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レクテイア・オルグ

 

 

ヒノトが高らかに叫ぶのはこの世界に対する敵対の意思。けれど、俺にとってはコイツの決意表明もどうだって構わない。ルシフェリアに実は婚約者がいて、ソイツがこの目の前の小学5年生の女子生徒であっても、それは別に構わないのだ。

 

だから俺が気にすることはただ1つ───

 

「……ルシフェリア、残り少ない命の時間ってのはどういうことだよ」

 

ただ、ルシフェリアの寿命が残り少ないと言っていたあの一言だけなのだ。

 

「……あなた様は?」

 

そこで、ようやくヒノトが俺を見た。それまでは俺のことなんて存在しないかのような態度だったが、ようやくこっちに意識を向けた。

 

「天人……神代天人。……もう一度聞くぜ、ルシフェリアの命が残り少ないってのはどーゆーことだ?」

 

別に、ルシフェリアに絆されたってんじゃあない。俺はそんなにチョロくない……と信じたい。ただ、それでもルシフェリアはユエのメイドで、それはつまり家族とは言えないまでもウチの一員ってことなのだ。そいつの命が残り少ないなんて言われたら、家長として黙っていられるわけがない。

 

「ルシフェリア様は───」

 

「よい。それについては我から話そう」

 

ヒノトの言葉をルシフェリアが遮る。ヒノトも、ルシフェリアに逆らう気は無いようで直ぐに押し黙り、むしろルシフェリアの言葉をワクワクして待つかのような表情を浮かべていた。

 

「ルシフェリアは1万日と生きるものはいないのじゃ。それ以上は、美しさが損なわれるからの。ルシフェリアは常に美しく在らねばならんのじゃ」

 

1万日……20……いや、30年は生きないということか。確か今ルシフェリアは18歳程度の筈だから、あと10年生きるか生きないかっていうことか。そして、理由は種としての寿命。もっとも、コイツが望むのなら、その美しさを保ったまま長生きさせることも、俺達にとっては不可能ではない。ていうか、どうせ遅かれ早かれ俺の家族……ミュウとテテティ、レテティ以外の全員はきっと()()をするだろう。あの中の誰かが欠けることは、例え理由が老衰であっても俺には耐えられないから。

 

「……そうか」

 

寿命ということであればそれほど解決に難しい問題ではない。ユエには使徒創造の権能と変成魔法を応用した人の寿命の無限化が可能なのだ。そして俺達はきっとそれを使う。いや、使ってほしいと思う。寿命だからとか、生き物なのだからいつかは死ぬとか、そんな理不尽を受け入れたくないという幼い反骨心。けれどそれを実現する方法があるのなら、俺はそれを使いたいと思う。

 

「えぇ、ですからルシフェリア様の残り少ない命を無駄に消費するわけにはいかないのです。……世界を渡って幾百年。私めはこの時を待ち焦がれておりました。ルシフェリア様の───神のお力があればこの世界への侵掠も叶いましょう!」

 

俺の───武偵の目の前でこの世界への侵掠の意志をこんなに大仰に示すとは中々に良い度胸をしているな。もっとも、この世界……というか日本は信仰や思考の自由は認められている。いくらこいつが世界征服だのなんだのと叫んだところで、それを実行に移さないのなら俺にはヒノトを止める権利は無いのだ。

 

「婚約しておったのか、()()()()ルシフェリアが」

 

「どれかの……?」

 

と、キンジと遠山かなでがキョトンとした顔をしている。そういや、キンジはルシフェリアのことはほとんど知らないんだったな。

 

「……ルシフェリアの一族は種族の名前がそのまま個人の名前になるんだと。だから今のは自分以外の他のルシフェリア族の誰かがヒノトと婚約していたって意味だよ」

 

多分ね。と、小声で2人には伝えておく。

 

「もしや……共感が無いのでございますか?ルシフェリア様」

 

「すまんのぉ。レクテイアにいれば記憶を探れたかもしれぬが。今は感じられておらぬのじゃ」

 

キョウカン……共感か?記憶を探るって……ルシフェリア達は、お互いの記憶を共有できるのだろうか。そう言えば神の使徒も1人の記憶を全員で共有できるみたいだったな。それと似たような力がルシフェリア族には備わっているのだろう。

 

……という俺の見立ては合っていたらしく、キョトン顔のキンジに遠山かなでが詳しく説明してくれていた。どうやら血の共感(シンパシア・ファミリア)と呼ぶらしいその力は、遠山かなでも使えて、それでキンジの位置がおおよそ探れるのだとか。しかも、その能力が強くなると自分と他の奴との境界が曖昧になって()()()()()()()にすら違和感を覚えるらしい。なるほど、だからルシフェリアの一族は種族名と個人名が同じなんだな。

 

しかし、レクテイアとこの地球を隔てて閉まっているからか、今のルシフェリアにはその力が使えないらしい。そのためヒノトの言っていることが本当かどうか確かめようがなく、ヒノトとの婚約の約束を果たすことに少し懐疑的なようだ。

 

挙句、前にルシフェリアが言っていた『ルシフェリアを食べるとルシフェリアになれる』という言説を流布したのはどうやらこのヒノトの一族という話だ。とはいえ、ヒノトはこれを否定。むしろ自分達は熱心なルシフェリアのファンだと力説。それはそれは強くそう強調しているのだが、目の輝きからして嘘ではなさそう。なんでもヒノトの一族は代々ルシフェリアを推しているんだとか。これまた凄まじい奴らもいたもんだ。ま、確かにこのルシフェリアは見栄えだけは良いし力も───俺が氷焔之皇で封じているとは言え、それがなければトータスにあるオルクス大迷宮の深層でも戦えそうな強さがある。ヒノトの力がどれほどなのかは知らないけど、ルシフェリアには熱心なファンがいるっていうのはそれほど違和感のある話じゃあないな。ただ───

 

「ルシフェリア、あんまりヒノトに懐柔されんなよ?そいつはこの世界を侵掠してやろうっていう反社会的な思想の持ち主なんだぜ?」

 

一応は法の守護者でもある武偵の立場からチクリと言わせてもらう。何せナヴィガトリアじゃ随分と偉い扱いだったみたいだが、俺達に捕らえられてからこっち、ろくに褒められていなかったルシフェリアがヒノトに持ち上げられて急に態度が和らいだからな。さっきまで腕組みして婚約の話にも否定的だったのに、だ。

 

「……これはこれは神代天人様。ルシフェリア様と出会えた歓喜の余りとは言え、先程は法の守護者様の御前にて妄言が過ぎました。あれは……何卒小鳥のさえずりと一笑に付してくださいませ」

 

と、ヒノトは───まぁ正直言葉だけの謝罪っていう雰囲気は拭えないけど、一応謝罪の姿勢と「さっきとあれはテンション上がって調子に乗っちゃっただけですよ、私は危ない者ではありませんよ」のアピール。俺のことをどれほど知っているのかは不明だが、取り敢えずルシフェリアと繋がっている俺との対立は避けた格好だ。

 

「ふむ……主様は妬いてくれるのか?我を敬愛する者を目撃して───」

 

「───いや全然」

 

「なんでじゃ!?」

 

仮に俺がルシフェリアに恋愛感情を抱いていたとしても、俺は別に嫉妬しないと思う。婚姻は止めただろうけど、ヒノトのこれは恋愛感情と言うより、どちらかと言えばファン心理に近いように思えるからな。俺がリサ達に抱く好きとは全く……とまでは言わないけど少し違う類の感情だろうからな。

 

「───ともかく、在野のレクテイア人とこの世界で会えたのは喜ばしいことじゃ。迷信の件はさておき、シエラノシア族は南レクテンドを皇女として治めたこともある。意識の高い智将の一族じゃ。戦に敗れて国を失い、散り散りに流浪していたと聞いてはいたが……この世界にも流れ着いておったのじゃな」

 

と、ルシフェリアは何故だかジト目で俺を見ながらヒノトをそのデカい胸の中に抱き留めつつそんなことを言っている。ヒノトはヒノトでそれに大興奮しながらも自分がどこで何をしていたのかをある程度語ってくれた。どうやらヒノトはこちらの山形に流れ着いてから何度も出生届を出して戸籍を更新。今は10歳の女の子という設定らしい。

 

「……苦労したんじゃな。しかしヒノトよ、悪いがそなたの侵掠に手を貸してやることはできん。何せ我の魔は、今は主様に封印されておるからの」

 

前にネモが言っていた、仮にルシフェリアが平和主義だったとしても、その力を悪用しようとする輩に利用されないように気を付けなければならない。それはきっと今この時のことを言っていたのだろう。だが大丈夫だ。ルシフェリアの魔は俺の氷焔之皇によって封じられている。これがある限りヒノトはルシフェリアの魔を利用することは出来ないのだ。

 

「お前、そんなことも出来たのか」

 

「あたぼーよ」

 

と、後ろから小声で訊ねてきたキンジにはそう返しておく。ついでにヒノトにも、だから絶対侵掠なんて出来ないよと釘を指しておく。ま、一応さっきもヒノトは俺とは対立しないように振る舞っていたが、念のためな。

 

「でも!」

 

ピョコっとヒノトが小さな翼を跳ね上げさせて俺を見る。

 

「私めがルシフェリア様を尊ぶ心は花嫁になれずとも変わりません!何卒今後も接触をさせて下さいませ!何しろルシフェリア様はレクテイアの一大スター、アイドル、天地を輝きで包む神の中の神なのです。ルシフェリア様と同じ大気を呼吸しているだけで光栄……生きているだけで幸せなのです……」

 

と、恍惚とした表情でルシフェリアへの愛を語るヒノト。まぁ、別にルシフェリアとヒノトが会うくらいは構わないだろう。家にはエンディミラとテテティ、レテティっていうレクテイア出身の奴らもいるが、アイツらはルシフェリアに対しては畏れ多いって感じで、ここまで真っ直ぐな敬愛を表現してくる奴は家にはいないし。

 

さっきとは違う意味でちょっと危ない雰囲気も感じるけれど、ルシフェリアに何かあれば俺の氷焔之皇を通じて直ぐに分かるし、それほど心配しなくてもいいだろう。

 

「おう、それは別にいいぞ」

 

それに、ヒノトとエンディミラ達が仲良くなれるならそれはそれで嬉しいことだ。ま、当面の間は俺の見てる前で、かつルシフェリアとだけ接触させて様子見って感じだけどな。さっきルシフェリアが言っていたけど、ヒノトの一族も向こうじゃそれなりに立場のあった一族らしいし。レクテンドって地名は確かエンディミラも言っていたよな。もしかしたらエンディミラもヒノトのことは知っているかもしれないな。

 

「良いのか?」

 

だが、俺の返答が余程驚きだったのか、ルシフェリアはその大きな瞳が零れ落ちそうになるくらいに瞼を見開いて俺を見ている。

 

「良いよ、当たり前だろ。……あぁけど、ファンサービスは程々にしてやれよ、今の()()だって、ヒノト興奮でぶっ倒れそうになってんだから」

 

ルシフェリアの胸に抱かれてヒノトはガッスンガッスン体育館の屋根を踏み抜いているしテンション上がり過ぎで鼻血は出そうだし、大変な有様なのだ。挙句にルシフェリアは持ち上げられると弱いから結構何でも応えちゃいそうだからな。美人と美少女が抱き合って興奮した美少女が鼻血吹いてぶっ倒れるとか普通に絵面がヤバい。それでまた警察なんて呼ばれたら、せっかく今日アイツらの追求を躱せたってのにその苦労が水の泡だぜ。

 

「ふふっ……主様は優しいのぉ」

 

と、俺のそんな心配を他所にルシフェリアが優しげに微笑む。そして、一応俺の声は届いていたらしいヒノトも、ルシフェリアの胸から名残惜しそうに顔を離して口を開いた。

 

「でしたら、ちょうど良いお話があります。本日ルシフェリア様への謁見を急いだのもこれが理由なのですが……本日、()()()()()()()での寄り合い(オルグ)があるのです。私めはそこの日本支部の支部長をしておりまして。そこでルシフェリア様を紹介すればみんな喜びましょう!」

 

なんと、レクテイア出身の奴らには集会があるのか。ていうか、そんなにもレクテイアの奴らはこの世界に根付いているのか。しかも日本支部ってことは世界中にそんな寄り合い(オルグ)がある可能性も考えられるぞ。

 

「な、何だそのレクテイア組合って……。労働組合みたいなもんなのか……?」

 

「それとも、生協や農協のようなものでしょうか……?」

 

と、キンジと遠山かなでが目をパチクリさせている。だが、俺には何となく分かる。それはきっと、()()()がその孤独感や傷を舐め合うような互助組織なのだろう。そして、キンジ達の様子を見てヒノトが説明してくれたが、非公認ではあるらしいが、やはりレクテイア人の情報交換や親睦の場らしい。

 

「行くか?」

 

で、ルシフェリアはルシフェリアでヒノトの話を聞きながらそれに行きたそうな顔をしていた。俺としても特に行かせない理由はないし、何よりこれはこの世界のレクテイア人と深く接点を持つ良い機会だ。俺の知り合いのレクテイア人はルシフェリアと後はエンディミラ達だが……どちらもNにいた奴らで、この世界とはあまり馴染みがないのだ。だがネモの作り出そうとする、そして俺の理想とする世界ではレクテイア人達も俺達と同じように暮らせる世界なのだ。

 

そんな世界を作るためには、まず今レクテイアに(ゆかり)のある奴らがこの世界でどんな風に暮らしていて、どんな問題を抱えているのかを知らなくちゃならないだろう。だから俺は、ルシフェリアをそこへやると同時に、自分もゲストとしてその寄り合いに出席するつもりだ。

 

「良いのか?」

 

「まぁな。……あぁけど、俺も同行させてもらうよ」

 

いいか?とヒノトに問えば

 

「いえ、出来ればルシフェリア様だけでお越し下さい。レクテイアの血を引いていない方、並びに男性は参加をお断りさせてもらっています」

 

と、ヒノトにピシャリと言われてしまう。嫌われた……と言うよりはレクテイアには女しかおらず男がいないから、そいつらの組合の会合に男を入れるのは有り得ない、ということなのだろう。とは言え俺も入れてもらわなきゃ困るわけで……。

 

「ぶっちゃけな、ルシフェリアはとある重大事件の参考人ってことで俺達が超法規的に拘束してるんだよ。だから監視無しにあまり好き勝手外に出してあげられないのよ」

 

そもそも不法入国だし。と、俺が言い返せばヒノトは困り顔。つまり、まだ交渉の余地はあるわけだな。

 

「そんなわけで、俺としちゃあ出来ればルシフェリアにはその寄り合いにも出してやりたいんだけど、目ぇ離すのは無しだ。お前と会うのも勿論俺の監視下でってことになるぜ。だから俺が行けないならこの話は無しだ」

 

俺はヒノトにそう返す。すると、ヒノトは渋々と言った体ではあるが、組合のことを内密にする条件で俺の参加を認めてくれた。よしよし、流石はレクテイアの上位神でアイドルのルシフェリア様だ。コイツを出汁に使ったら簡単にヒノトも折れたな。

 

「ま、待て天人。俺も行くぞ」

 

すると、キンジもレクテイア組合が気になったのか参加を申し出た。だが───

 

「いや、これ以上男増やしてもヒノトが大変だろうから男は俺1人だ。大丈夫だよ、ルシフェリアは勝手にどっか行っちゃう奴じゃないからさ」

 

ヒノトが大変ってのは、男を入れる説明の手間って言うより普通に男が2人も寄り合いに出席するのが嫌そうって方だけどな。なんかもう既に露骨に嫌そうな顔してるし。

 

「むっ……」

 

で、そんなヒノトと俺の様子を見て、これ以上何か言っても自分の参加は認められないと悟ったのか、キンジはそれ以上何も言ってくることはなかった。そこでヒノトは今夜の会場の場所が書かれたメモを俺に握らせた。そこでこの体育館の上で行われた異世界交流会、その序章はお開きとなるのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

今夜のレクテイア組合の寄り合いは港区の芝でやるそうだ。開催まで少し時間が空いてしまった俺はルシフェリアを連れて一旦家に戻った。

 

「───っていうわけでさ、ネモにも着いてきてほしいんだ」

 

ヒノトにはネモの──名前は出ていないが──参加はレクテイア人と深く交流のある人物を同行させるということで示唆してあった。俺の知っているレクテイア人はエンディミラ達くらいで、こっちで長いこと人間社会で暮らしている奴らについてはほとんど知らないからな。余計な地雷を踏みたくはないからレクテイア人と付き合いのあるネモを連れて行きたかったのだ。

 

「ふむ……それならエンディミラで良かったのではないか?」

 

と、自分よりエンディミラを推している風に言う割に、どこか嬉しそうなネモは俺と目を合わさずにそう言った。

 

「ま、地雷を踏まないってだけならな。けど、世界を変えるってこたぁ組合の奴らも自分の出生を世に晒すってことだ。でも、それには絶対に何がしかの壁があるだろ?俺ぁそーゆーのを考えんのは苦手だからさ、両方を知ってるネモにも見て、教えてもらいたいんだよ」

 

俺とネモはこの世界を変える……モリアーティとは違った形でサード・エンゲージを起こすつもりでいる。けれどそこには越えなくちゃならない壁がいくつもあるだろう。それが何なのか、そしてそれはどのようにすれば越えられるのか。俺はそういうのを考えるのは苦手だからな。ネモにもこの世界に紛れているレクテイア人と交流してもらって、これからの方針の参考にしてもらいたいのだ。

 

「なるほど、確かにノーチラスでは()()して船を降り、人間社会で暮らしているレクテイア人もいる。彼女達のその後をより詳しく考えられる機会かもしれないな」

 

「それに……表向きエンディミラは1回レクテイアに帰ったことになってる。……可能性があるかは知らねぇけどさ、前に政府とNにパイプのある人間を見たことがある。ヒノトも見た目より長生きらしいからな。もしかしたらそっからエンディミラ達のことが伝わっちまうかもしれねぇ」

 

別に、エンディミラがこっちに戻ってきていること自体はそれほど大きな問題ではないだろう。雪花も還ってきたことだし、日本政府やそこに紛れているNやレクテイアの翼賛者(シンパ)に所在を把握されることそのものは構わない。

 

だから問題は、それを()()()()()()()()()()()なのだ。そもそもこっちの魔術だなんだと言った普通の方法では、時間の跳躍っていう極大のリスクがあるのだ。

 

レクテイアに帰ったはずのエンディミラがまた何食わぬ顔をしてこの世界で生活しているということは、それこそ時空を超えた移動手段がなければならず、それはNにすら無いものだ。

 

すなわち、俺という存在と、俺の持つ導越の羅針盤と越境鍵。概念魔法を付与された2つのアーティファクトの存在に限りなく近付かれる可能性がある。

 

どうせいつかは知られることとは言え、今この段階で知られることは避けたい。敵対されるにしろ、取り入ろうとしてくるにしろ、まだ国や政府……政治家達とやり合ってやれる程こちらの計画は進んじゃあいないのだから。

 

「分かった。せっかく天人が私を頼ってくれたのだ。力になろう」

 

今度は何故かユエに向かってドヤ顔のネモ。ただまぁ、手伝ってくれるというのは有り難い話なので

 

「おう、ありがとな」

 

俺はネモに素直にお礼を言った。するとネモはこちらに振り向いてフニャリとした笑顔を向けてくるのであった。

 

──ピリリリリ!ピリリリリ!──

 

と、そこで俺の携帯に着信があった。携帯の画面に表示された発信元はアリアの携帯だ。俺はちょっと面倒な予感を感じつつも、出なければ出ないで後でもっと面倒になるんだろうなぁという諦めから、その電話に出る。すると───

 

「キンジから聞いたわよ!アンタ、レクテイア人の集会に出るんですって!?どこでやるのよ!あたしも行くわ!!」

 

案の定アリアが面倒臭いことを言い出した。これ携帯の電源ブチ切って行っても後が煩そうだなぁ。仕方ない、幸いアリアは女子だから追加で連れて行ってもヒノトを言いくるめるのは多少楽だろう。

 

「……港区の芝だよ。細かい住所はメールする。……けど、基本男子禁制で、俺だって結構無理矢理押し通したんだ。キンジは入れねぇぞ」

 

と、俺は渋々行き先を白状。だがヒノトのあの様子だと男のキンジまで追加で入れるのは難しいだろう。それこそアーティファクトでも使っちまえばできないことじゃないが、そういうアーティファクトの存在はアリアにはバレていない筈だし、言わなきゃ求められないだろう───

 

「ふん、あんたのことだから潜入に使える魔法の道具もあるんでしょ?それ貸しなさいよ」

 

なんで分かってんねん……。いや、発言的には証拠を握っているわけじゃなくて、勘で言ってるんだろうけど、こうなったアリアはしつこいんだよな。そんなもんは無いと言ったところで現地でキンジがアリアに引っ張られてて、俺がアーティファクトを取り出す他なくなる、なんて未来が想像できるよ。

 

「……はい」

 

で、俺は電話越しなのに項垂れつつそう返し、アリアの返事を聞くことなく携帯の通話を切るのであった。

 

「……大丈夫か?」

 

「ご主人様、如何されました?」

 

俺のその様子に、ネモとリサが心配そうに寄ってきた。ユエ達はもうこの先の展開が読めているのか、ただただ眺めているだけだ。今日の料理当番はレミアだからかミュウはシアと一緒に台所に立ってお手伝い……というか料理のお勉強をしている。まだ火や包丁は目の届く範囲でしか使わせてやれないが、実はもうミュウは大人の目さえあれば俺よりもお料理が上手だったりする。

 

「あぁ……大丈夫だよ。ちょっとアーティファクトまで出させられて嫌だなぁってだけ」

 

「ご主人様、そのレクテイアの集いにはリサも行って宜しいでしょうか?」

 

と、潜入(出入り)調査の割に珍しく積極的なリサ。基本的に俺はこの手の任務にリサを連れて行ったことがないし、連れて行ってくれなんて言われたこともなかったから意外だな。

 

「んー?……まぁ、リサなら女子だし入るのは俺より文句も出ないだろうけど、またどうして」

 

「オランダにいた頃、小さい時に獣人(ライカン)の集いに出たことがあります。そのような場所での作法ならリサも助言ができるかと」

 

と、リサは何故かネモを見やりながらそう言った。言ってることは間違ってないんだろうけど、何でネモを見てるの?

 

「そうだな、私も幼い頃に魔女のミサに連れて行かれたことがあるし、私からもそういう助言はできるだろう」

 

と、ネモはネモで何故だかリサをしっかりと見返しながら「自分も同じことはできるぞ」といった雰囲気を出している。なんていうかこう、リサとネモで何がしかを競っているような感じだな。

 

しかも、それを見ていたユエとティオ、ジャンヌにエンディミラまでもが大きな溜め息。ルシフェリアはニマニマと意地の悪そうな笑みを浮かべているし、どうやら俺以外の全員がこの場のこの雰囲気の理由について察しがついているみたいだ。

 

「分かったよ、リサも来てくれ」

 

とは言えリサがこう言うのは珍しいので俺は2つ返事で着いてきてもらうことにする。すると何故かネモが少しムッとした雰囲気を、一瞬だけ出して、リサはリサでちょっと勝ち誇った顔をこれまた刹那の間だけして……そして直ぐに

 

「ありがとうございます、ご主人様」

 

と、咲き誇るような笑顔を見せてくれるのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

東京タワーの麓、色んな寺が集まっているここは、名刹が多く時代劇の中にでもいるかのような気持ちに───はならないな……。リサもネモもルシフェリアも和風って感じじゃないし。

 

んで、結局俺はキンジだけでなくアリアにまで存在解像度低下のアーティファクトを渡す羽目になった。しかもアリアは何故か大きなトレーラーを自分で運転して来たのだった。

 

「じゃあこれ首に掛けといてくれ。……一応効果は説明しとく。そりゃあ使ってる奴の"存在の解像度"を限りなく下げるもんだ。効果が働いている間はレーダーにも映らねぇけど、光学的に消えてるわけじゃねぇ。ただそいつの行動の()()()()()()()に目がいかなくなるってもんだ」

 

と、俺はキンジにアーティファクトを手渡しながらそれの効果を説明してやる。とは言え、光学的に消えるわけじゃないってんで、頭にはてなマークを浮かべているけどな。

 

「そうだな……。例えばキンジが渋谷のスクランブル交差点のド真ん中でブレイクダンスを踊ってても誰も気にしなくなる。一応そこに誰かがいることは把握されるから、チョイと避けてはくれるだろうけどな」

 

「それって、潜入に向いているのか?」

 

「んー?まぁ、確かにそこにいた痕跡そのものは消せねぇけどな。ただ、誰からも意識されない。男とか女とか、そんな部分にも誰も目がいかなくなる。知らねぇ場所での潜入調査なら結構役に立つぜ」

 

実際、竜の世界でも使ったこれはそれなり以上に効果を発揮した。これのおかげでクヴァイレンの補給艦へ楽々侵入できたわけだからな。

 

「一応、これを付けてる奴ら同士と、俺ぁアーティファクトとは別の理由で存在を把握できる。キンジはそれで俺達の後ろから静かに着いてくりゃ、まぁ取り敢えず中には入れんだろ」

 

「それ、あたしにも貸しなさいよ。どうせ何個もあるんでしょ?」

 

アリア様はよくお分かりで。確かにこれは幾つも用意してある。そもそもがハウリアにでも寄越そうと思っていたアーティファクトだしな。

 

「……はいはい」

 

どうせ拒んでも出せ出せ煩いのが分かっているので俺は大人しく宝物庫からもう1つ同じアーティファクトを差し出す。

 

「そういや、この道具、何て言うんだ?」

 

と、まだアーティファクトを首に掛けていないキンジがそれを指差しながら俺にそんなことを聞いてくる。別に名前なんてどうでもいいでしょうに。

 

「いや、名前とか無いよ。別に要らないし」

 

潜入調査に使える気配遮断のアーティファクトは今はそれしか無いからな。特に区別の必要が無いのだ。だから例に及ばすこのアーティファクトにも固有名詞は存在しない。

 

「じゃあいつも何て呼んでるのよ?」

 

「気配遮断のアーティファクト」

 

それ以外あります?という俺の心は顔に出てたらしい。キンジもアリアも俺の顔を見て、そして大きく溜め息。

 

「じゃあいいわ、勝手に呼ぶから」

 

「おう」

 

それでキンジとの間で齟齬が起きないなら俺はそれで構わない。そして、俺達はようやく紅鶴寺(こうかくじ)と書かれた門を潜る。しかし寺なのに鳥居まであったな。神仏習合ここに極まれりってやつか?ま、日本人なんてキリストの誕生祝いをやった次の週には夜に寺の鐘を聞いて、その次の朝には神社に詣るんだからそんなもんなのかもな。

 

と、俺がどうでも良いことを考えながらやたらとボロいこの寺の奥へと歩いて行くと、参道の向こうからかぽかぽとぽっくり下駄の足音を響かせながらヒノトがやってきた。赤い帯に白い和装。鶴の紋が入った提灯を片手に暗がりから出てきた。

 

「ようこそルシフェリア様……それから皆様も。……聞いていたより1()()多いようですが?」

 

と、俺をジロリと睨みながらそう言うヒノト。どうやらあまり歓迎されていないな。

 

キンジ達はまだ鳥居を潜っていない。あれはそこに誰かいることは多少なりともバレてしまうから、まだアイツらは後方で待機しているのだ。

 

「悪いな。でもこっちのリサも、レクテイア絡みの事件(ヤマ)に絡んでてな。それでレクテイアとレクテイア人に関して見識を深めるためにも今日の集まりを見学させてもらうよ」

 

「はぁ……見識を……。構いませんが、それならガッカリすると思いますよ?」

 

「そうなのか?」

 

「何か誤解があるようですが、私共は至って普通ですので」

 

そう言ってヒノトは回れ右をした。別に、俺としてはコイツらが普通であってもなくても構わないのだ。と言うか、普通なら普通であることを知りたい。それくらい、俺達はレクテイアとレクテイア人のことを知らなさ過ぎるからだ。

 

そして、参道の奥へと進んでいくヒノトに着いて行くと、途中から野太い声のお経が聞こえてきた。人の気配は無いから、これは録音されたものだろう。

 

「これは……?」

 

と、俺がヒノトの背中に聞くと

 

「人払いです。寄り合いを一般人が見てSNSなどに写真などを載せてしまうと困りますからね」

 

なるほどな、確かにこんな不気味な雰囲気のボロ寺に入って、しかも途中からはお経が聞こえてきたんじゃあ進みたがる奴もいないか。

 

そうして本堂に入ると下駄箱があり、俺達はそこで靴を脱いで外履きを仕舞った。しかし外の見栄えとは違って中は随分とマトモだな。畳の匂いもさわやかで板張りの床も清潔。奥には電気も点っている。

 

しかも寄り合いの会場は洋間らしく、正座が出来ないと心配するネモはふぅと一息吐いていた。

 

そしてヒノトが開いた襖の奥には、100人はいるであろうレクテイア人やレクテイアにルーツを持つ女達がワイワイガヤガヤと食事や歓談を楽しんでいた。年齢は子供から大人まで様々。ただ、誰も彼も見た目はほとんど霊長の人類と変わりなく、時々遠目からではくせっ毛と区別が付かないようなケモ耳を持った奴がいたり、風も無いのに髪の毛が靡いている奴がいたり。そんな程度だ。

 

会話の内容も、婚活がどうのとかそんな感じ。至って普通だ。ただ、職業もてんでバラバラなのだが、中には公務員や市議会議員の秘書、警官や自衛官になっている奴もいる。それくらいレクテイア出身の奴らがこの世界に溶け込んでいるということなのだろう。

 

ちなみにルシフェリアは入室早々にここの奴らに囲われて褒めちぎられている。あっちはあっちで放っておこう。ここに来た目的の半分は、ルシフェリアとここの奴らの交流だからな。

 

そんな風にある程度長い時間、俺とリサ、ネモはこの寄り合いを見学したり、リサやネモは時折レクテイアの奴らと会話したりして過ごしていた。キンジとアリアも俺達の入室に合わせてスルりと潜り込んで来ていたが、何をするでもなく……いや、さして意識されないことを良いことにこっそり食べ物を食っていたな。今日の寄り合いは地方ごとにテーブルが分けられてる立食パーティーのようなものだったのだが、千葉県組だけは欠席だったのだ。だからキンジとアリアはそこから食べ物を失敬していた。

 

男の俺に積極的に話しかけてくる奴はいなかったが、遠巻きにチラチラと見てくる奴はいたな。すると、ヒノトがフラリと俺の傍に寄ってきた。

 

「……どうでしたか?今日は耳や尾を出す者も多いようですが、至って普通でしょう?」

 

「そうだな」

 

「流石は神代天人様ですね。全く驚いていないご様子」

 

「いや、驚いてるぜ?……思ってたより、レクテイアと地球は近かったんだな」

 

別に耳や尻尾程度じゃ驚きはしない。こちらとらリムルの世界やトータスでこの程度は見慣れているからな。だから俺が驚いたのはむしろ逆に、()()()()()退()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことの方だ。

 

「えぇ、そうなのです。むしろ、自分の出生にピンときていない者も多いくらいです」

 

それと、とヒノトは続ける。どうやらルシフェリアがお疲れのようだから休ませたいとのこと。見れば、今はリサとバザーを見ている。そして、何やら2人とも笑顔で何かを購入した。ルシフェリアが直ぐにポケットに仕舞ったから何を買ったのかはよく見えなかったが、リサも普通に笑っているから危険なものじゃあないのだろう。大きさも、それほど大きくはないみたいだな。

 

すると、今度はあちこちで平等を賛美するグループワークが行われ始めた。そして、それをする気持ちは、俺にも少しは分かる。

 

「奇妙に思えるか?」

 

すると、ネモが俺の横に来て「私達は生きていてもいい……私達は生きていてもいい……」と呼び掛けあっている四国分会を見ながらそう聞いてきた。

 

「いいや、俺にも分かるよ。俺ぁ親からそう言われてきただけだけどな……」

 

俺の両親には聖痕の力は発現しなかったが、それでも代々話だけは受け継がれてきたのだろう。俺には力を人前で使うなと強く言っていたが、その代わりに慰めてもくれたものだ。俺達のような聖痕持ちは力を持っているからこそ疎まれ、社会から隔絶される。だけどそれは仕方のないことで、隠して、普通の人と同じように生きている限り、持っているだけなら罪ではないのだと、俺達も生きていて良いのだと。そう語ってくれていた。

 

そんな両親を俺は……俺の力で殺してしまったのだけれど……。

 

「天人……?」

 

「ご主人様……」

 

ネモが俺の左手に握る。小さな手だ。こんな小さな手で、超能力者やレクテイアの奴らが差別されない世の中を作ろうと言うのだ。

 

リサが俺の右半身に寄り添う。リサの祖先……数代前のアヴェ・デュ・アンクは過去に人前で耳や尻尾を晒してしまい、耳や尻尾を切られ、石を投げつけられて森の中へと追いやられたのだ。だからリサにも彼女達の痛みが分かる。

 

俺も、最後はキンジが馬鹿やったから日本に戻れたけど、あのままキンジがローマ武偵高に留まれていたら、その間ずっと日本には帰れなかっただろう。それどころか、ずっと海外に追いやられたままだったかもしれない。

 

俺には幸いにも力があった。人並外れた腕力があって、それで居場所を無理矢理ぶん取ってきた。暴力の世界でも俺の力は疎まれたこともあったけど、認めてくれる奴も少しはいた。

 

けれどレクテイアの奴らにはそれがない。自分のルーツさえ曖昧で、けれど人と違うからとそれを隠して生きている。それは辛いだろう。俺だってあそこでシャーロックに拾われなければ野垂れ死んでいた。そもそも、アイツらが来なくても俺は自分の手に余る力をどうしようもなくて、もっと最悪の道に転がり落ちていたかもしれないのだ。

 

イ・ウーや異世界の旅の中ではリサを守れた。トータスじゃあユエ達と出逢え、愛し合うことができた。世界も救えたのだろう。ならこれからは?今まではユエ達も自分の正体を隠しこの世界をて生きている。シアやティオ、レミアにミュウ、エンディミラとテテティレテティに至ってはアーティファクトで自分の身体的特徴すら誤魔化しているのだ。トータスじゃそんなことをする必要なんかなかったのに、こっちに来て、俺といるためにそんな不便や理不尽を強いられている。

 

彼女達は自分のルーツに誇りすら持っている。兎人族であること、竜人族であること、海人族であること、エルフであること……それらは彼女達にとっては大事なアイデンティティなのだ。

 

それを、社会の目がどうのとか、そんな理由で押し込められている。それはここにいる彼女達も同じだろう。ヒノトの言葉じゃ、ユエ達ほど自分のルーツに誇りを感じてはいないだろうが、それでも大事な自分自身の1つではある筈だ。

 

でなければこの寄り合いに出て、あぁやってお互いを励まし会う必要はないからな。

 

「私は……こういう者達のためにも立ち上がったのだ。人類が歴史上で繰り返してきた……超常への差別を無くすために。異能であろうと異形であろうと……平凡な者と同じ社会で、ありのままに生きていけるように───」

 

そしてネモが熱く呟いた。その瞳には純粋な正義感が浮かんでいた。ネモのこの瞳を見ると、俺の胸には怒りが沸き立つ。ネモのこんな純粋な願いを……想いを利用してモリアーティは自分が望む混沌(カオス)の世界を作り出そうというのだ。きっとその世界にはネモの望んだ光景も一部はあるのだろう。けれどレクテイア人を大量にこちらに移して、強引に混沌の世界を生み出すなんてきっと、起きるのは争いだけだ───

 

「あっ……」

 

そう、争いだ。俺は今、取り留めもない思考の中からモリアーティの目的が浮かんだのだ。きっと、モリアーティは混沌と争いの世界を作り出そうとしているのだ。ネモは言っていた。レクテイアでは世界を滅ぼせる者を神と呼ぶ。そしてその位の上下はそれをどれだけ効率よく行えるのかで決まると。

 

そして、人類の核兵器全てを思い通りに扱える奴は中の下。それほど高くはないように思えるが、確実に人類は人類を……ひいてはレクテイアの神をも滅ぼせる。熱核攻撃が全ての殲滅には非効率だからそれほどランクが高くないだけで、通じないわけじゃあない。

 

だから局所的な戦闘に限って言えば……人類の兵器とレクテイアの神の力はほぼどっこいと考えていい。

 

そして、レクテイアには好戦的な神もいるようだ。しかし逆に、ルシフェリアのように人類に味方する奴もいる。

 

「天人……どうした?」

 

ふと、思考の坩堝に陥っていた俺に、ネモが心配そうな声を掛けた。その声で俺は思考が現実に戻ってきた。ネモの瞳には先程の燃えるような正義感ではなく、ただ急に押し黙った俺を心配する色だけが浮かんでいた。

 

「ご主人様、大丈夫ですか?」

 

リサの身体の柔らかさが俺の感覚も現実へと引き戻してくれる。俺は2人にうんとだけ頷く。さっきの俺の思考はいつかネモに話すべきだ。けれどそれは今じゃあない。まだ、今はまだ俺の中でも纏まりきっていないからだ。だからもう少し言葉を纏めたら、ネモともう一度話そう。それで今度こそ、本当にネモと同志になるんだ。

 

 



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同志になろう

 

 

考え事をしていたらいつの間にやらルシフェリアが広間からいなくなっていた。いやまぁ気配感知と氷焔之皇の封印でこの部屋から離れたのは分かっていた。そして、消えたのはルシフェリアだけじゃあない。ヒノトと、後何人かのレクテイア人もこの部屋から出ていったな。

 

「先程ヒノトさんはルシフェリア様に少し休憩していただくと仰っていましたよ」

 

「ここでは他のレクテイア人にルシフェリアを取られてしまっていたしな。積もる話もあるのではないか?」

 

と、リサとネモはやや楽観的。だがキンジは俺に対して"警戒しろ"と合図を送ってきている。それには俺も同意だ。態々ヒノトが"気にするな"というような合図を出したんだ。むしろ気にした方がいい。探偵科の自由履修の際に高天原先生から教わったことだが、こういう場合は"じゃあ気にしよう"とした方が良いのだとか。

 

だが、これも高天原先生から教えてもらったが、()に関することは()を付けた方が良くて、気付いたことに気付かれると気になる行動を止められてしまう。

 

だからここは慎重に行くべきだ。……と言っても、俺には気配遮断のアーティファクトがある以上はそれほど気にする必要は無い。さて……そうしたら

 

「ネモ、ちょっと着いてきてくれ」

 

「ん?分かった」

 

俺はネモを選ぶ。別にキンジやアリアとでも良いんだけどコイツらにはまだこっちの集まりを見ていてもらおう。そんなことはしないとは思いたいが、場合によってはこの2人にはリサを逃がしてもらう必要も出てくるかもしれない。

 

それと、ルシフェリアとヒノトが何を話すのか、何をしているのかにも依るけれど、彼女達の会話は俺達の今後の方針を決める大事なものになるかもしれないからな。一緒に行くならネモが1番良いだろう。

 

「リサにもこれ渡しとく。もし何かあったらこれを首に掛けて……ここを入れればアーティファクトが発動する。効果はキンジ達に渡してるのと同じものだから、多分逃げられる」

 

「承知致しました。ありがとうございます、ご主人様」

 

俺は一応リサにも気配遮断のアーティファクトを渡しておく。キンジとアリアに渡してあるやつもそうだが、このアーティファクトはハウリアに渡す前提だから、魔力を持っていなくても扱えるようにスイッチ式になっているのだ。

 

「ネモも、これがあれば素人でも軍隊の基地に潜入出来るぜ」

 

と、ネモにも同じアーティファクトを渡す。そして俺も宝物庫からもう1つ取り出して首に掛けた。ネモがスイッチを入れたのを確認し、俺も自分の首に掛けたそれに魔力を通せばアーティファクトの効果が発動する。それを示すように、直ぐにリサがキョロキョロし始めた。きっと俺達の気配を見失ったのだろう。

 

「行こうか」

 

「あぁ」

 

そしてアーティファクトによって存在の解像度を極限まで下げた俺達は堂々とレクテイア人の寄り合いが開催されている洋間から出ていくのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

寺の玄関口の下駄箱にはルシフェリアの履いていたハイヒールが無かった。取り敢えずルシフェリアの大体の位置は氷焔之皇で分かる。意識を失ってもいないな。力ずくで拉致されたわけではないみたいだ。ヒノトの下駄も無いし、この2人は一緒にいるのだろう。

 

ふむ……本堂から少し離れた位置に建っている別館の方だな。

 

俺の氷焔之皇による察知能力はそれほど高くない。そもそもそれ自体はスキルの権能の本質ではないからな。この距離でさえ大体の方角と大雑把な距離しか分からん。しかも意識の有る無し程度は分かるが、負傷しているとか緊張しているとかそういうのは全く分からない。それも、この敷地内にいるからこそ意識の有無が分かるのであって、多分もっと離れたらそれすら分からなくなるだろうな。

 

氷焔之皇による加護を与えればもう少しマシになるのだが、俺は今のところルシフェリアには氷焔之皇による魔の封印しか施していない。保護対象と考えれば発動しなくもないのだろうけど、あの時はそこまでする気にもなれなかったからな。

 

「あっちだな」

 

「あぁ」

 

と、俺は別館の方へ歩き出す。後ろからネモが着いてきて、俺の横に並んだ。

 

「ま、喧騒から離れて静かにデートするんならおあつらえ向きかもな」

 

静かな……ただし静謐とはまた違う、人を追い出そうとするかのような静寂に俺は思わずそう零した。ここはきっと、誰かの目から逃れたい時には最適なんだろう。

 

「それにしても静か過ぎないか?」

 

「まぁな。でも俺ぁ静かな方が好きだぜ?何となく、世界に2人っきりって感じがするからな」

 

街中でのデートも悪くはないけれど、個人的には静かな方が好みだった。まぁ、この場ではだからどうということもないのだけれど、本堂から離れ、更に奥へ建てられた別館へ向かうこの道の静けさが俺にそんなくだらないことを思い起こさせたのだ。

 

しかしネモはそれっきり押し黙ってしまう。ふと見れば少しだけ頬を赤く染めているのが見える。ネモはその頬の赤みを俺には見えていないと思っているのかもしれないし、実際東京の夜の空の下では常人ではその赤みを見ることは出来ないだろう。けれど俺の身体はもう人のそれではないのだ。夜目だってそれの固有魔法に頼らなくても多少は利く。隣にいる女の子の頬の色くらい見て分かるさ。

 

そして、俺達は無言のまま『織鶴院』という別館の縁側まで来た。さっきの本堂と比べると遥かに小さくて、挙句に周りにも雑草が好きなだけ生えているものだから近くに寄らなければそもそもそこにこれが在ることさえ気付かれないだろう。

 

これも、多分作為的だ。この寺の荒れ果てた外観と敷地内の雰囲気、そして奥に入ろうとも聞こえてくる野太い声のお経。きっと全てが人を寄せつけないためだ。だからきっと、この奥には何かがある。

 

「……念の為に、ね」

 

と、俺はネモの手を取り重力操作のスキルを発動。そのままネモごと地面から数ミリだけ浮いた。

 

「こ、これは必要なのか……?」

 

「んー?俺ぁユエみたいに器用じゃないからなぁ。浮かせられるのは自分と、せいぜい触れてる範囲だけなんだよ」

 

俺の言葉にネモは「そうなのか」とだけ返した。手を握られているのが恥ずかしいのか頬を赤く染めながらのネモと一緒にふわふわと音もなく別館の目の前に辿り着いた。入口は閉まっていたが、気配感知ではこの近くに誰かの気配は無い。念の為に羅針盤でも探したが、どうやらこの玄関を視界に入れられる範囲に見張りはいない。俺は宝物庫から空間魔法を付与してある円月輪を、玄関の向こう側に召喚。片割れも手元に召喚してそれぞれを広げる。

 

繋がった空間をこれまた無音で渡ると、俺は円月輪を手元に浮かせたままゆらりと漂うように先へ進む。

 

「……俺達の方が幽霊みたいだな」

 

ふと俺がそう呟くとネモも

 

「あぁ、ホントにな」

 

と、クスりと笑いながら俺を見上げてきた。夜の闇の中でも輝くようなその笑顔はやはり可愛らしくてそれが思わず俺の胸の内をくすぐるようだった。そして、不用心なのか何らかの自信があるのか、結局見張りを見かけることもなく俺達はルシフェリアとヒノトのいる部屋の前へと辿り着くのであった。

 

「ここか……」

 

「あぁ」

 

中から話し声が聞こえる。気配感知でもルシフェリアとヒノト以外にも何人かのレクテイア人の気配があった。どうにもご休憩という雰囲気ではなく、明らかに秘密の会談ってやつだろう。さてさて、それではご内密なお話を失礼ながらこっそりと聞かせてもらおうかね。

 

さて、と俺達が聞き耳を立てるとどうやら丁度良いタイミングだったらしく

 

「我がNの者だと誰に聞いたのじゃ?話さんようにしていたのじゃがのう」

 

というルシフェリアの声が聞こえてきた。ふむ、ヒノトはルシフェリアがNにいることを知っているのか。そして、その理由も直ぐに本人の口から聞けた。どうやらヒノトは乙葉──乙葉まりあはNの翼賛者で政界にもコネがあるとキンジから聞いた──にもツテがあって、そこから情報を手に入れたらしい。と言うことはネモのことも下手したらバレているかもな。場合によっては、俺の力の一端も多少は漏れているかもしれない。

 

そして、ヒノトは話題を変えた。それは、この世界に産まれたレクテイアの子孫達に対する不満。レクテイア人の言葉と歴史を忘れ、ヒトとして生きていく者達への嘆きと、レクテイア人として生きることを許さないこの世界への反抗心。

 

さらにヒノトの言葉に重ねるように他の奴らも自分達が見聞きしてきたこの世界から受けた迫害の歴史を語る。魔女として殺されただの獣のように売り買いされただの……ショッキングな出来事に思えるがきっと事実だ。そして、彼女達が語ったその人の牙は……ユエ達に向けられる可能性だってあるのだ。

 

「天人……」

 

俺が何を考えているのかなんてネモにはお見通しなのだろう。ネモは俺の名前を呟き、そしてその小さな両手で俺の左手を包んでくれる。彼女達の味方はここにもいるのだと言うように、その両手の温かさは、熱変動無効のスキルを抜けるようにして俺の心に入ってきた気がした。

 

「───レクテイア共和国に」

 

ヒノトの言葉は続いている。ヒノトはどうやらモリアーティや俺達とは違った形でのサード・エンゲージを起こそうとしているらしい。このレクテイア組合を中心として、世界中に散らばるレクテイアの血筋を集め、そして1つの国としてこの世界に反旗を翻すつもりのようだ。

 

そして、ヒノトはルシフェリアの力を使って人類に蜂起するつもりらしい。ルシフェリアに……人類を殺戮させるつもりか……。

 

「我にヒトを襲えと申すのか」

 

「ヒトは数が多いですから、我々が千や2千の屍を積み上げたところで言うことは聞きませぬ。むしろそれを口実に交渉なく戦いになり、我々の方が皆殺しにされましょう」

 

ですが、とヒノトは言葉を続けた。

 

「ルシフェリア様の御力で1万、2万と屍を積み上げれば奴らも怖気付くはずです」

 

そして、ヒノトはルシフェリアの力を見せつけて、新たなレクテイア共和国───ニューレクテイア共和国を建国するのだとか。その国は男を排斥した女だけの国、そこの女王にルシフェリアを戴きヒノトが執政を支える国。

 

だが今のこの世界で新たな国を作るなんてあまりに現実味が無い。確かに、新しい独立国が出来た事例も無くはない。だがそれは元々統合されていた国が再び国境を復活させるとか、そういう次元だ。ヒノトの言うような、特定の民族がどこかの土地を占拠して国として独立したなんてことは聞いたことがない。

 

だが、ヒノトはつらつらと計画を述べていく。まずは東シナ海と南シナ海に隣接する国々でルシフェリアが台風や津波等の天災を起こす。正確にはそこら辺の国々が領土の主権を主張しあっている土地に対して、だ。どこの誰のものか曖昧であるからこそ、そいつらからすれば手放すことの抵抗は少ないだろうという予測。そしてそこを足がかりに周りの諸島や、最後には大陸までニューレクテイア共和国を広げていこうと言うのだ。

 

そして、そこで受け入れる奴らにはNが囲っているレクテイア人や超能力者、魔女も含まれるとか。

 

「天人……」

 

だがネモは俺を見上げ、手を握り、首を横に振る。ネモは、ヒノトには迎合するつもりはなく、別の道を行くという意志を俺に伝えてくれた。

 

それは、アーティファクトの隠形に身を任せてこっそりここへ辿り着いていたアリア達も見ていた。コイツらにはメールでここの場所を伝えておいたのだ。

 

「ふむ……じゃが前提条件として、我に施された封印は主様にしか外せないものじゃ。この封印は相当に強力だろうから、それこそレクテイアで上位の神であっても外せんよ」

 

とは言え、これもルシフェリアの言う通り。俺がルシフェリアに掛けた氷焔之皇による魔の封印がある以上は、ヒノトの侵掠計画の要であるルシフェリアの神の御力は発揮されないのだ。

 

「それは存じております。神代天人様がルシフェリア様に施した封印はこの世界のものでもレクテイアのものでも無い様子。とは言えあの方は女には非常に甘いようですから、やりようによってはご本人の意思で封印を解かせることも可能でしょう」

 

いやまぁこれ聞いたらそう簡単には外さないけどさ。だからネモもアリアもそんなに冷たい目で俺を見ないでほしいんですよ。ねぇキンジ……も駄目だ。アイツもジト目で俺を睨んでいやがる。なんで俺はいつもこうやって四面楚歌になりがちなんだろうか。

 

「ふむ……」

 

おっと、まだルシフェリアとヒノトの会話は続いているんだった。ほらほら皆さん、俺のことを睨んでないでちゃんと話を聞きなさいよ。

 

という俺のお気持ちが伝わったわけではないだろうけど、取り敢えず本来の目的を思い出したアリア達もまた聞き耳を立てる体勢に戻った。

 

「侵掠大いに結構。そうしたい気持ちも、そち達がそのように計画を進めていることも分かった。手法も……天災の種類さえ選べば昔ルシフェリアとヒトが結んだ協定の中でもやれるじゃろう。それに実際、主様の封印も解いてもらいたいという気持ちもあるしの」

 

ルシフェリアはそう答える。そして、アリアがホルスターに収められた拳銃に手を掛ける気配がした。けれども俺はそれを目線で制する。まだだ、まだルシフェリアは決断を口にしていない。

 

「少し前の我ならそち達の力になっていたじゃろうな。しかし今は───受けられぬ」

 

そう、ルシフェリアは口にした。彼女の決断を───そして、ルシフェリアは言葉を続ける。レクテイア人による侵掠は、国なんて作らなくても進んでいるということ、それはこの世界の人間と結ばれて子孫を残していくという方法であること。

 

そして、愛おしき子供……子孫のためを思えば、子供が泣くような天災による支配領域の拡大と侵掠なんてするものではないと、ヒノトに言って聞かせている。けれど、それを聞いたヒノトは───

 

「ルシフェリア様がお考えになられている侵掠は既に答えが出ているものなのです───」

 

そう、ヒノトからすれば、そうやってレクテイア人と地球のヒトとが交わってしまったからこそ今の世界があるのだ。だからこそヒノトはヒトを……男を嫌悪する。レクテイア人こそが最も誇り高く強き生き物なのだと。

 

「確かに、女と男は違う。だからと言って違うもの同士がお互いに国境線を引いていては永遠に睨み合ったまま……分かり合うことはないじゃろう。だがむしろ違うもの同士が渾然一体となり新たな命を生み出す。それこそが生きとし生けるものの使命だと我は気付いたのじゃ。それには愛も勇気も必要と思うよ。けれど、我はそれを主様や……あの家族達から教わったのじゃ」

 

そんなルシフェリアの言葉にヒノトは───

 

「このルシフェリア様は、私めの知っているルシフェリア様ではありませぬ」

 

「じゃろうな。レクテイアのルシフェリアは誰も男と(まみ)えたことはないし」

 

「変わってしまったのですね。変えられてしまったのですね、あの男───神代天人に」

 

ヒノトの言葉には憤怒の色が見える。しかもそれは、ルシフェリアにだけ向けられたものではない。ルシフェリアを変えた男───俺にも向けられている。そして、ヒノトが構える気配を見せた。だがまだ殺気は感じない。そして、ルシフェリアとヒノトの言葉の投げ合いは続く。

 

男になんて殉じるべきではないとするヒノトと、それで良いとするルシフェリア。2人の意見はそれでも完全に平行線だった。

 

今ここでルシフェリアがヒノトに協力して俺の施した封印を解き、そしてニューレクテイア共和国の建国に協力すれば恥も全て消せるというヒノト。確かに正論だ。ここでヒノトとルシフェリアが戦って、ルシフェリアが勝ったとしてもレクテイア共和国の灯火は消えない。所詮ヒノトも組織の一部なのだ。組織の強みは1人が消えてそれで全てが終わるわけではないということ。だからここでルシフェリアが戦うことにそれほど意味は無い。

 

なのに、けれどもルシフェリアはそんな損得勘定なんてかなぐり捨てているかのようで───

 

「覚悟はできているよ。我は全てを捨てて、そして全てを受け入れよう。主様への愛のためにな」

 

戦うつもりだ。ヒノトのテロリズムに対して、1人で……今のルシフェリアは一切の超常の力が使えない。その上今ここに俺達が来ていることも知らないだろう。だからルシフェリアには勝算なんて無いはずだ。あるのはただ、俺への愛と、これまで見てきた子供達の笑顔のため……。そんな覚悟を持った奴に対して、俺のできることなんて───

 

「愛なんてただの感情です。感情など、風向き1つで変わるもの。そんなものを信じるのですかっ!?」

 

「愛とは───信じることじゃ」

 

───これくらいだよな

 

 

──バンッ!!──

 

 

と、俺は気配遮断のアーティファクトを宝物庫に仕舞いながらわざと大きな音を立てて襖を横に開いた。

 

「主様っ!?何故ここが分かったのじゃ?」

 

「んー?……俺がルシフェリアを見失うかよ。それより、愛は信じること、か。良いね、女にそんなに言われたんじゃあ俺も1つ応えてやる。……1つ、ルシフェリアを信じるよ」

 

俺は敢えてそんな甘ったるい言葉を吐きながら、ヒノトの横を素通りしてルシフェリアへと近付いていく。

 

「これは……」

 

そして俺はルシフェリアに掛けていた氷焔之皇の封印を解く。前にやったユエとの決闘の際にも感じたであろう自分の中の魔が漲る感覚。それでルシフェリアは俺が氷焔之皇の封印を解いたのだと分かったようだ。

 

「んんっ!主様〜」

 

語尾にハートマークでも浮かんでるじゃないかってくらいに甘ったるい声を出しながらルシフェリアもトコトコと俺へ駆け寄ってきた。そして抱きつこうって感じで俺に飛び込んできたルシフェリアに対して、そこまでは許していないので俺はルシフェリアの角の間から頭を掴んで止めようとしたその時───

 

───バキィンッ!!

 

「っ!?」

 

「きゃん!」

 

急に俺とルシフェリアの間で何かが砕け散り、その音に驚いたかルシフェリアは尻もちをつく。いや、俺の中に何やら力の流入があった。今、俺とルシフェリアの間には何か力が発動していて、それが俺の氷焔之皇に触れた瞬間に砕けたのだ。

 

「そんなっ!?七つ折の凶星が!」

 

と、今度はそれを見てヒノトが驚いている。どうやらヒノトはこっそりとルシフェリアに術を仕掛けていて、それが今俺の氷焔之皇に触れたことで強制的に消滅したのだろう。

 

「あぁ……」

 

なんかこう、居た堪れない空気がこの場を支配している気がする。何せ分かっていて術を打ち破ったのならともかく、完全に自動防御機能が勝手に作用しての術の消滅だからな。

 

「ヒノト、お前がどんな術をルシフェリアに仕掛けたのかは知らない。けど、もう止めようぜ。ここで聞いたことは誰にも言わないでおくよ。だからさ、テロで支配する世界じゃあない、霊長の人類もレクテイア人も、皆が幸せになれる社会を目指そうぜ」

 

とは言えそれを表に出すわけにもいかず、俺は振り返りつつ何事も無かったかのように言葉を放つ。襖の向こうではネモが大きな溜め息をついていたけどそれは見えない振り。

 

「何を馬鹿な……」

 

「馬鹿で結構。けどな、俺ぁ目指すぜ。少なくとも、こことレクテイアを繋げる鍵はもう持ってんだ」

 

空と竜の世界で手に入れた幾つかの珠は俺に無限の魔力を与えてくれた。それらは俺とユエが作った鍵のアーティファクトに錬成で埋め込まれ、世界を繋ぐために必要な莫大なエネルギー源となっている。あとはこの世界がレクテイアを受け入れられればもう、2つの世界の境目は限りなく薄くなって繋がるのだ。

 

「それで、サード・エンゲージでも起こすつもりですか?」

 

「必要ならな。けど、今すぐにそんなことしても意味無いってことくらいは俺だって分かるよ。確かにまだこの世界にゃレクテイア人を受け入れてやる度量は無い」

 

「皆が主様みたいに優しくなれれば良いのじゃがな」

 

フワリと、ルシフェリアが俺の背中に乗っかってきた。おかげで背中からとてもとても幸せな感触が伝わってくる。今は真面目な話をしているのだからそういう方向のやつは控えてほしいのだけれど、このタイミングでそれを指摘することもまた話の腰を折ることになるから中々言い出しづらい。そして多分、ルシフェリアは俺がそう思うことを分かっていて乗っかっているんだろうなぁ。

 

「優しい……?神代天人が……男が、ですか?」

 

と、ヒノトはヒノトで俺───男が優しいとか信じられないっ!て顔をしている。

 

「俺が優しいかはともかく……ヒノト、俺ぁお前に1つ約束するよ。サード・エンゲージが起きようと起きまいと、俺ぁヒノト達の……レクテイア人の味方をするよ」

 

俺はヒノトの前で腰を下ろし、目線を合わせながらそう言う。すると、ヒノトは頭に疑問符を浮かべて首を傾げた。

 

「味方……?」

 

「あぁ。急に仲良くやろぜ、なんて言っても無理なのは分かってる。男と女、地球人類とレクテイア人、俺達は何もかもが違いすぎてる。だからいきなり誰も彼も分かり合えるなんて思っちゃいないさ」

 

だけど、と俺は言葉を続ける。

 

「そりゃあ人間同士でも同じだよ。人種、宗教、生き方考え方……皆、どいつもこいつも何もかもが違う。だけど人は……それでもその差を少しづつ乗り越えてきた。今だってその最中さ。だからさ───」

 

俺はそこで一呼吸置く。これはヒノトにだけ聞かせているのではない。ここにいるもう1人にも、聞いてほしいんだ。

 

「俺達だって……地球人類とレクテイア人だっていつか分かり合える未来が来ると思うんだよ。俺ぁそれを信じたい。そして、俺達とヒノト達で、そんな未来を作りたいんだ」

 

その未来では、ヒノト達だけじゃない。リサやユエ達も自分のありのままの姿で生きていける世界がある筈だ。俺は、そんな未来を……世界を作りたい。この世界の未来に、その選択肢が残されているのなら、俺はそれを掴み取りたい……いや、掴み取ってみせるさ。

 

「未来を……作る……」

 

ヒノトが小さく呟く。

 

「神代様、貴方がそれを信じられる理由は何なのですか?───今日の組合を見れば分かるでしょう?私達は、差別され続けてきたのです!人は、自分達と違う者を簡単に除け者にして差別し、排斥する、それを知らない貴方ではないでしょう!」

 

ヒノトが、心のままに叫ぶ。その痛みは俺にも分かる。俺も、持っているからこそ周りから避けられ除け者にされてきたからな。

 

「……どうせ知ってると思うけど、この世界とレクテイア以外にも、世界ってのは沢山あって、俺ぁその中のいくつかを旅してきたんだ」

 

だけど、俺にだって根拠はある。

 

「その中の1つの世界じゃ、レクテイア人と似た奴らがいたんだよ。人とその他の動物の特徴……耳とか尻尾とか……そういうのがある奴らだ。そしてそいつらは人間から差別されてきた。長い……長い間な。けど今は違う。アイツらはもう誰からも差別されない。そんな世界ができたんだ」

 

亜人族はあの戦いの後、人から差別されることはなくなり、獣人族と呼称を変えた。もちろん差別もエヒトの仕組んだことだったとは言え、それでもその呪いから人は脱却できた。あっちの世界の人間はこっちと比べてどことなく根明ってはあるだろうけど、それでも人と亜人族──獣人族──は過去の歴史を乗り越えられたのだ。

 

「それが……信じる理由ですか?」

 

だがヒノトはまだ納得していないらしい。まぁ、それはそうだよな。コイツらはトータスを見てきたわけじゃあない。表向きそういうことが無くなったとしても、裏ではどうなっているのか分からないって考えてたっておかしくない。

 

「ヒノトが男を……人間を信じられないのも分かるよ。さっきのルシフェリアとの話だって聞いてた。だから人類を信じるのはもっと後でもいい。だけどまずは……俺を信じてくれないか?」

 

「あなたを……?」

 

ヒノトが俺に向ける胡乱気な瞳を、それでも俺は真っ直ぐに見つめ返した。

 

「あぁ。俺ぁ何があってもヒノト達の味方でいるよ。今のこの世界は"砦"と"扉"ってのに派閥が分かれてる。簡単に言やぁレクテイア人と仲良くしようって奴らと排斥しよって奴らだ。俺ぁその扉側に立って、お前らを守るよ。だからヒノトも俺を信じてほしい」

 

「信じて……私めに何をしろと?」

 

「……このレクテイア組合の皆を守りつつ、融和に導いてほしい。不満分子もいるだろうし、難しいとは思うけど、それでもこれはヒノトにしかできないことだと思う」

 

俺にはレクテイア組合の奴らの不満を汲み取ってやりつつそれを抑え、融和に向かわせるなんて器用な真似はできない。俺にできるのは、せめて彼女達を理解しようと努力すること、そしてきっと彼女達を襲うであろう理不尽な牙から守ってやることだけだ。そのための武器には物理的な力も……多分に含まれると思っている。

 

「神代様……。先程守ると仰いましたが、本当に貴方に守れますか?」

 

ヒノトは1歩、2歩と後ろに下がりながらそう問うてきた。不思議なことに、ヒノトの来ていた白い和装がザワりと脈打ち、まるで鶴がその翼を広げるかのように表面積を大きくしていく……いや、袖の下の布ご羽に変わり、大きな翼へと変わっていった。

 

それだけではない。和服の背中側からはわさわさと鳥の尾羽が出てきたし、両側頭部の翼も広がってきた。

 

なるほど、ヒノトは本当に鳥と人の特徴を持ったレクテイア人なんだな。

 

「もし守れるというのなら……私めの()()を受け止めてください」

 

サッとヒノトが取り出したのは赤い羽根。1本だけ垂れ下ろしていたそれをヒノトは自ら抜いたのだ。そして───

 

「紅い羽根は血の同じ色。血濡れたこれを貴方の家族が見ても悲しまずに済む……慈悲の羽です」

 

その紅の美しい1本の羽を手に持ち振りかぶった。まるで槍投げのように構えたそれはきっとそのように使うのだろう。

 

「───ま、待てっ!!」

 

俺がそれを受け止めようとルシフェリアを背中から降ろそうとしたその時、ネモがアーティファクトを外して声を上げた。

 

「エンディミラに聞いたことがある。シエラノシア族の後頭部に1本だけ垂れている大きな羽根に気を付けろ、それは狙ったものの心臓を必ず貫くとな。天人……ヒノトは貴様を殺す気だぞ!」

 

狙ったものの心臓を必ず貫く……か。それはきっとただ単に威力が高いとかそういう話ではないのだろう。それこそどこまでも追いかけてきてそいつの心臓を貫くまで止まらない、そんな概念のような効果を持っているのだろう。

 

「ヒノトよ、主様のことを殺すと言うのなら……」

 

と、ネモはヒノトの殺意を俺に忠告し、ルシフェリアは俺を殺そうとするヒノトに対して逆に殺意をぶつけようとしている。けれど───

 

「いいよ、2人共。ネモ、ありがとな、教えてくれて。ルシフェリアも、怒ってくれるのは嬉しい。けど大丈夫だよ。俺ぁ全部受け止めるからさ」

 

「ルシフェリア様、どうかお許しください。神代様が強いことは聞き及んでおります。1人でNの戦闘員を相手にしても簡単に蹴散らせるのでしょう?ですが、それらはあくまで伝聞。本当のところは……自分の目で確かめなければなりません」

 

「そうだぜ、ネモ、ルシフェリア。これは俺がヒノトの信頼を得られるかどうかって話だ」

 

だから俺はネモ達を制しようとする。

 

「だが、幾ら天人でも心臓を射貫かれたら……」

 

「それにヒノトよ、主様は相手の魔を自由に封印できるのじゃぞ。さすればそれはただの羽根。試さずとも結果は見えているよ」

 

それでもまだ2人は言い募る。だけど俺はもう決めたんだ。ヒノトのあの一撃を絶対に受け止めるってな。

 

「いいや、誓うよ。俺ぁ俺ん誇りに懸けて誓う。今ここで氷焔之皇は使わない。俺ぁヒノトの力を封印して逃げたりはしねぇ」

 

そんなことをしてもヒノトの信頼は得られない。俺は、俺の全てでヒノトの紅の槍を受け止めなければならないのだ。それで初めて俺はヒノトや、今もずっと黙って俺たちを囲みながら固唾を飲んでいるレクテイア人からの信頼を得られる。

 

「大丈夫だよネモ、ルシフェリア。俺を信じろ。俺ぁ死なねぇ。絶対に受け止めてやるからさ」

 

と、2人を安心させてやるように微笑んでやったのだが、何故か2人共頬を赤らめて「うっ」と視線を逸らしてしまう。あれ……これ間違えたやつかな……?

 

「……お覚悟はよろしいでしょうか?」

 

そんな茶番はもう見飽きたのかヒノトは更に数歩後ろに下がって上半身をさらに引き絞る。

 

「あぁ、待たせたな」

 

引き絞られる殺気に合わせて俺は上半身の衣類を全て宝物庫に投げ込む。これで、俺の肉体を守る外的要因は無くなった。そして、敵の攻撃を逸らして俺の身体を守る多重結界すらも解除し、両脚を前後に開いて少しだけ腰を落とした。

 

「来い」

 

「……男は───死ねっ!」

 

そして極限まで膨らんだ殺気に弾かれるようにヒノトは羽根を俺の心臓目掛けて投げ放つ。

 

───バシュウゥゥゥゥッッ!!

 

と、亜音速で俺を殺そうとするそれはまさしく投げ槍(ジャベリン)。ヒノトの手元から放たれた紅の閃光は過たず俺の心臓を確かに貫いた。

 

「な───ッ!?」

 

だが驚きの声を上げたのはヒノトだ。何故ならそう───

 

「グッ……受け止、めたぜ……ヒノト……お前の……羽根を……」

 

俺は……倒れない。俺の心臓を貫いたヒノトの羽根は俺の背中を貫くことなく俺の体内でその撃力を完全に受け止められていたのだ。

 

別に大したカラクリなんてない。ただ俺は自分の背中に全力で金剛の固有魔法を張って貫通を防いだだけ。その上で血液を身体中に送るポンプの役目を担っていた心臓が破壊されても血液の循環が止まらないように魔力操作で無理矢理に押し回しているのだ。だがそれも当然そう長くは保てない。そもそもが無理のある動かし方だし、あの羽根の撃力による破壊は甚大で、左の肺も破裂しているからな。放っておけば数分ともたずに俺は死ぬだろう。

 

だからそうなる前に俺は自分の胸に空いた風穴に指を突っ込んだ。自分の指が痛覚神経を逆撫でして激痛が走るがそんなものはおくびにも出さずにヒノトの羽根を指先で挟んで身体から引っ張り出す。それと同時に、蓋の外れた穴から鮮血が噴き出す。

 

大量の出血で意識がブラックアウトしそうになるがそれを気合で押し込んで俺は氷の元素魔法で傷口を塞ぐ。

 

「ゴフッ……ハッ……ハァッ……!」

 

俺の体内で星が回る。体内で生み出される無限の魔力が俺の固有魔法である治癒力変換の働きを無限大に拡大させていく。更に俺は昇華魔法も使って失った内蔵すらも取り戻すという尋常とはかけ離れた高速治癒を行う。そうすれば俺の傷は数瞬後には塞がり、また俺の左胸で心臓が脈を打つ。

 

「ヒノト……受け止めたよ」

 

と、俺は血濡れた紅の羽根を摘んでヒノトに見せる。

 

「そんなことが……」

 

ヒノトの口から漏れ出た呟きと共に周りのレクテイア人もザワつく……と言うより言葉も無くまるで化け物でも見るかのような目で俺を見ている。いやまぁ心臓を貫かれたのに即死せず、その上自分の身体の中から羽根を引っ張り出して即再生するんだもんな。まぁ即死しなかった以外はどれも魔法の力だけど、確かに傍から見たら完全に化け物だな。

 

「信じてくれるか……?」

 

「……えぇ。貴方の力も覚悟も、しかとこの目で見させていただきました。ルシフェリア様が信じる貴方を信じましょう」

 

そしてヒノトがそっと右手を差し出した。俺も、その手を自分の右手で握る。レクテイア人と地球人の融和の第1歩が、ここから始まったのだ。

 

 



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結成!トータス・レクテイア同盟

 

 

「あんた、自分がどういう選択をしたのか本当に分かってるの?」

 

あの後レクテイア組合を抜けた俺達はもうアーティファクトも外して夜道を歩いていた。ネモだけは一旦ノーチラスに戻るとかで、アーティファクトだけ俺に返してそのまま青い粒子と共に瞬間移動でどっかに消えていった。

 

それで俺とリサ、ルシフェリアにアリアとキンジだけになった駅への帰り道でアリアが俺に鋭い目線を向けてきたのだ。

 

「アメリカは"砦"の強硬派。日本もそれに追従しようとしている。しかも聞いたわよ、あんた日本の公安に従うか死ぬかの2択を迫られたって。そんな超要注意人物が堂々と扉派を宣言しちゃったら───消させるわよ」

 

アリアの目は本気だ。そして、その言葉があながち間違ってもいないことを俺は当然分かっている。下手をすればまたあの再生の聖痕が現れるだろう。

 

「そうだぜ天人。お前の言ってることは……確かに理想的なのかもしれないが……」

 

と、キンジもアリアに続いて俺に考え直すように訴えてくる。別に、コイツらはレクテイア人はこの地球に居ない方が良いとか思っているわけじゃあない。俺が堂々と扉派を宣言してしまったから、それを心配しているだけだ。それでも、俺の答えは変わらない。

 

「キンジ、アリア。俺ぁもう決めたんだよ、俺ぁレクテイア人の味方でいてやるってな」

 

「だけど……もし相手が手段を選ばなかったら?リサにレミアさん、ミュウちゃんまで危険な目に遭うかもしれないのよ?」

 

「そん時ゃ逃がす先はあるよ。言ったろ、俺ぁ色んな世界を巡ってきた。そん中にゃ俺達にも友好的な世界があるんだよ」

 

最悪、リサ達はトータスや香織達のいる地球に預けてしまえる。今の俺には魔力の制限が無いからな。今までは手早く世界を渡ろうと思ったら一旦聖痕の封印の無い地域まで飛んでから扉を開くっていう二度手間が必要だったが、もうそんな必要も無い。それこそ今この場で世界の隔たりを越えることだって可能なのだ。

 

そして魔力の制限がない今であれば仮に聖痕持ちと戦うことになったとしてもそれなりに勝算のある戦いになるだろう。俺とユエ、シアとティオの戦闘能力は今やそのレベルに達している。

 

「ご主人様……」

 

すると、リサが俺の裾をちょいと摘んで呼ぶ。

 

「んー?」

 

そして、夜を照らす街灯りに輝き薄く潤んだ瞳で俺を見上げ───

 

「リサは、メイドとして……いえ、ご主人様を愛する1人の女として、どんな時でもご主人様のお傍にいたいのです。戦いの役には立たないことは分かっています。それでも、リサをこの世界でご主人様が帰る場所、休む場所にしてほしいです」

 

とん……と、リサが俺の胸に飛び込む。それを抱き留め、柔らかいブロンドの髪の毛を梳いてやるとリサは俺の胸板に頭をグリグリと押し当ててきた。それがリサの不安や寂しさを表しているようで、俺はリサの腰を抱いて引き寄せた。

 

「ありがとな、リサ。リサが待っててくれるなら俺ぁ何とだって戦える、どんな戦いにだって勝てるよ。絶対に、リサの元へ帰るから」

 

俺はそうリサの耳元で囁いた。そしてリサも俺の腕の中で頷き「はい、はい……」と返してくれた。そして、本当ならもっとこうしてリサの身体の柔らかさや鼻腔を擽る香りを堪能していたかったのだが、キンジとアリアの目線がだいぶ厳しい上にルシフェリアが「我も抱くのじゃあー!」とか言って背中に飛び乗ってきたしで折角の雰囲気が壊れてしまった。

 

仕方なく俺はリサの身体を離し、俺の右手とリサの左手を繋いで家まで帰ることにした。そしてその間ずっと、アリアは俺を睨んでいたし、ルシフェリアは「我も主様と手を繋ぐのじゃ〜」とやかましかった。挙句にそのデカい胸に俺の腕を抱き込むものだから、リサが一瞬鬼の顔をしていらしたよ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……それで?」

 

家に帰った俺達……と言うか俺は今またユエの前で正座させられていた。ユエ様はソファに腰掛け足を組んで俺を見下ろしている。細く生っ白い御御足が大変魅力的なのだが、今この場ではそこにうつつを抜かそうものなら大変冷たい視線が待っていることうけあい。しかも今日はなんとミュウまで起きて俺のことを待っていた。どうやらリサからメールで事情を多少聞いたらしいユエ達から、更にミュウも話を聞かされて待機していたらしい。そう本人が言ってた。

 

「はい、俺はヒノト達……レクテイア人の味方をすることにしました。それで、モリアーティが目指すみたいな急激なサード・エンゲージじゃなくてもっと穏やかなエンゲージを起こすつもりです」

 

「……ヒノトって子は直ぐに天人を信用してくれたの?」

 

ユエからの尋問は続く。これは結構お怒りだな……。そりゃあそうか。何の相談も無しにこんなこと決めちゃったんだもんな……。

 

「いや……。あぁでも、今はもうバッチリだよ」

 

「ふぅん。……どうやったの?」

 

「え……」

 

それはつまり、俺が1回心臓を貫かれたことを話せ、ということでしょうか。けど今のこの流れでそれを素直に話したらまたユエ達に余計な心配を……いや、それでもユエ達には嘘はつけないよな。

 

「……ヒノトは1本だけ、絶対に狙ったものの心臓を貫くっていう武器を持ってんだ。俺ぁそれを受け止めた。それで、心も力もレクテイア人達の味方でいられるって信じてもらえたよ」

 

「心臓を貫く武器……ということは天人さんはヒノトさんに心臓を貫かれたってことですよね?受け止めたということは氷焔之皇で無効にしたんじゃないでしょうし」

 

と、ユエの隣に座っていたシアからズバリの一言が。俺はその言葉に「はい、その通りです」と頷く。

 

その瞬間にはユエ達が俺に飛びついてきた。俺が今こうして生きているってことはどうやら平気なのだと分かってはいても、さすがに心臓を貫かれたと聞けば心配もしてしまうだろうな。

 

「……本当に、本当に大丈夫なの?」

 

「大丈夫だよ、心配かけてゴメンな。でも大丈夫だから……俺ぁユエ達を置いてどこかに行ったりしないよ」

 

「……うん、うん……っ!」

 

ギュッと、ユエを抱きしめる。そこにシアやティオ、ジャンヌにレミアにエンディミラにと、皆が俺に飛び込んでくるもんだから受け止めるだけでも一苦労だ。けれどその重みを感じることは苦痛ではない。それだけ俺がこの子達に愛されているという証なのだから。俺はただ黙ってそれを受け入れていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「あ、そう言えば天人さんとリサさんにこんなのが届いてましたよ」

 

少しして皆が落ち着いてきた頃、シアが俺とリサに封筒を手渡してきた。1人につき1封の国際郵便。態々俺達2人にこんな郵便を送ってくる奴の心当たりなんて1人しかいない。

 

「こ、これは……」

 

そして、これを出てきた人物にもその内容にも心当たりのあるリサはそれを見てビクリと身体を震わせ、そのまま俺の後ろに隠れてしまった。

 

「ご、ご主人様……」

 

「あれ、リサさん……?」

 

そんなリサの様子にシアがキョトンとしている。

 

「あぁ……サンキュな。中身は分かってるから後でちゃんと確認するよ」

 

中身の見当が付いて怖がっているリサを自分の前に持ってきて抱きしめてやりながら俺はシアからその封筒を受け取……ろうとしたのだが、何故かシアが封筒を離してくれない。クイクイと引っ張ってもシアは俺……って言うよりは俺に抱かれているリサを見ていた。

 

「何……?」

 

「これ、何なんですか?」

 

「んー?多分同窓会の案内だよ」

 

「同窓会……それで怖がることあります?しかも案内ですよ、これ」

 

「……んっ、イ・ウーの同窓会」

 

と、それを見ていたユエがそう言い当てる。そう、これはイ・ウー同窓会の案内状に他ならない。そして当然差出人は───

 

「そう、教授(プロフェシオン)からの同窓会の案内だよ。イ・ウーのな」

 

シャーロック・ホームズその人だ。まったく、5月だか6月にやったばかりだというのにまた同窓会か。シャーロックも好きだねぇ。どうせ集まるメンバーなんてそんなにいないだろうに。

 

「またですか?」

 

「多分な」

 

「それで、何でリサさんはこんなにビビってるんですか?」

 

今だに俺から離れようとしないリサを見ながらシアがワザと煽るような口調で尋ねる。ちなみにだけど、リサは実はもう震えてもなくて、ただ俺に抱きしめられるのが嬉しいのかベッタリくっ付いて甘えの体勢に移行していたりする。ま、シアもそれはとっくに分かっててあんなトーンなんだろうけど。

 

あとリサさんや、シアの言葉で逆にさ俺にさらにピッタリくっ付いてくるのはどうなのよ?いや、俺的には全然構わないどころか嬉しいんだけどさ。なんかそれシアのこと煽ってない?

 

「ま、イ・ウーの同窓会だからなぁ。俺だって乗り気にゃならん」

 

という俺の言葉に納得したのかシアはそれっきりイ・ウーの同窓会については何か言ってくることもなかった。他のみんなもそんなに興味のあることではないのか、特に何を言うでもなく何となく今日はこのままお休みって空気になった……ところで俺の携帯に着信がある。こんな夜中に誰だろうかと思って発信元を見ればネモの番号からだ。

 

「もしもし?」

 

そういやアイツどこ行ってたんだろうかと思いつつ俺がその着信に出れば

 

「あぁ、天人。こんな時間にすまない」

 

と、少し緊張したような声色のネモに繋がった。

 

「いや。それよりどうした?」

 

「少し……話したいことがあるのだ。私のところまで来られるか?」

 

「あぁ。……どこにいんの?」

 

別に羅針盤で探してもいいけど魔力を使わずに済むならその方が幾らか楽なので聞いてしまおうと思ったのだが、ネモから出てきた答えは、俺の想像の斜め上の回答だった。

 

「九十九里浜という海岸線の沖合だ。今ノーチラスは日本の領海を航行していて、浮上したところだ」

 

 

Nの提督が操る原子力潜水艦が日本領海を堂々と潜航してていいのかよ……。とは思うけどまぁNはどこにでもいるらしいからな。日本の政府にも翼賛者はいるみたいだし。今更俺がどうこう言うものでもないか。

 

「分かった。……鍵でそっちに飛んでも大丈夫そうかな?」

 

「あぁ。問題無い。ここなら陸からでは何も見えないだろう。それから、もし可能ならルシフェリアと、他に何人か天人の家族も連れてきてほしい」

 

「んー?いいけど、何でさ」

 

ルシフェリアは分かる。ネモが今ノーチラスにいるのなら、レクテイアでもアイドル的な扱いだったらしいルシフェリアの存在は乗組員にとっても大きなもののはずだ。その無事を実際に目で見られるのだから意味はある。けれど他の奴らはどういうことなのだろうか。それも、元乗組員のエンディミラやテテティとレテティの指名ではなく、誰か数人程度ってのが分からん。何か目的があるんだろうが、無いとは思うけど仮にもしネモが俺達と戦うつもりだったとして、ここで俺がユエとシアとティオを連れて行ったらどうする?という疑問がある。だからきっと戦闘が目的ではない。

 

仮に誰かと戦うつもりならば逆にユエ達を指名するだろうからその線も消える。て言うか、戦う可能性があるなら最初からそう言っているだろうし。マジでネモの目的がよく分からんな。

 

ま、どっちにしろそれほど血生臭い目的ではないってのは確実っぽいし、あんまり気にしないでいいか。ネモのことだからそんなに変な目的でもないだろうしな。

 

「大したことではない。ただの紹介だよ」

 

紹介……誰に?

 

「……まぁいいや。じゃあ適当に行くわ」

 

「あぁ。待っている」

 

と、そこで俺は電話を切る。さて、誰に何をどう紹介するつもりかは知らないけど誰にするかな……。

 

ふと俺が顔を上げれば、皆がじっとこちらを見ている。リサは相変わらず俺に引っ付いたままだし、1人はリサでいいか。あとは……

 

「……ユエ、何か知らんがネモが何人か連れて来てくれって。……今から来れる?」

 

「……んっ」

 

ユエで大丈夫かな。武偵なら数日家を空けても問題無いし。シアでもいいんだけど、リサが抜けるとウチの家事力が激減するからレミアとシア、エンディミラの負担が増える。そこにシアまで抜けたら結構大変だと思うのでここはユエの方が良いかもな。

 

「えぇー!私も行きたいですぅ!」

 

「いや、態々そんなに連れてかなくても……」

 

「うぅ……駄目ですか?天人さん……」

 

「むぐっ……」

 

にべもなくシアの提案を却下したのだが、シアさんは俺の弱点を当然の如く分かり尽くしているので即座に涙目上目遣い。声も震わせてちょっと小首を傾げ……ウサミミもペタッとしている。うぅ……そんな……そんな可愛い顔しても……

 

「ま、ネモも何人か連れて来いって言ってたらいいか」

 

俺がシアの甘えに勝てるわけがないんだよなぁ。で、当然と言うかやっぱりと言うか、シアのそれは嘘泣きだったらしく、俺の言葉を聞いた瞬間には涙なんて無かったかのように消え失せ、直ぐ様ニコニコと花の咲くような笑顔を見せている。そんなシアをユエ達が胡散臭そうな目で見ているけど、最近はシアもこの手を使い慣れているからか、そんな視線も慣れたもんで気にする素振りもない。

 

「パパ……またお仕事なの?」

 

と、俺も最近は昼間でも家に居たが、それまでは結構家を空けることも多かったからかミュウが寂しそうな声を出した。けれども自分が俺の邪魔になってはいけないと感じているのか、それをなるべく堪えようとしているのも、直ぐに分かる。

 

「んー?……ちょっとネモお姉ちゃんの所に行くだけだよ。直ぐに帰るか……もしかしたらミュウが来てもいいかもな。その時ゃ迎えに行くよ」

 

ノーチラスの奴らであればミュウも海人族であることを隠さなくても良いだろう。むしろ、俺の家族にはこういう奴らもいるのだと知ってくれれば、ノーチラスの奴らからも信頼を得られるかもしれない。……って言うか、今そう考えて気付いたけど、ネモの言ってた『紹介』ってそういうことなのかもな。なら、むしろ皆でちょっとずつお邪魔するのも良いかもしれないな。

 

いずれは仲良くすることになるんだろうし、顔合わせだけでも先にしてしまうのも良いだろう。もしかしたら、ミュウと新しくお友達になってくれる奴もいるかもだし。

 

「みゅっ!待ってるの!なの!」

 

「おう」

 

じゃあ行ってくるよと俺は家族に告げ、越境鍵で扉を開く。そこから流れ込んでくる冷たい潮風は、けれども俺に悪い予感はさせなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

潮風を浴びながら俺達はノーチラスの甲板に降り立った。そこにはもうネモが待っていて、俺達の姿を認めると1つ頷いた。

 

「おす」

 

「あぁ。リサとユエとシアか。……シアは耳を隠さないでいてくれるか?」

 

やはり、俺の予想通りネモは俺の家族をノーチラスの乗組員に紹介するつもりなのだ。それも、正体を明かさせて、この世界にはこういう奴らもいるのだと。人間とそうでない者も一緒に暮らせるのだと示すために。

 

「……はいですぅ」

 

一瞬シアが俺を見るが、1つ頷いた俺を見てシアも素直にアーティファクトを宝物庫に仕舞った。するとネモの目にもシアの愛らしいウサミミが認められる。すると、もう1人女の子が甲板に現れた。軍服を着た銀髪の女だ。ネモよりは背が高いけど、それでも小柄な褐色肌に縦ロールをしている。その子はシアを見て少しだけ驚き、そして直ぐにネモから折り畳んだ大きな黒い布を受け取った。

 

そしてセイル上の低いマストにそれを結んでいく。あれは……何かの旗か。

 

「天人、私は決めたぞ」

 

すると、それを見ながらネモが何か決意を込めたような声を出す。そして、耳元に付けたインカムに向かって何かを伝えながら、こちらに振り向いた。

 

そして、銀髪の女が掲げた旗を後ろ手でバッと風に乗せた。

 

「ネ、ネモ様。これは何でちか……?」

 

と、その女は舌っ足らずな上にやけに訛った英語でネモに問い掛ける。

 

ネモが広げた旗にはNの文字が刺繍されていた。これまでのNの旗は3本の鍵によってNの字を象っていた。けれどこの旗に描かれたNは十字マークを背景に"MOBILIS IN MOBILI(動中動)"という言葉で丸く囲まれていた。

 

随分と丁寧に保管されていたらしく、古い筈なのにかなり状態が良い旗だった。

 

「これは初代ノーチラス号艦旗。私の曾祖父であり海洋中の革命家───初代ネモの旗だ。文字は同じでもこれはノーチラスのNでありネモのNでもある」

 

それは……この旗をネモがこの艦に掲げることの意味は───

 

「───私がこの旗を掲げた今、ノーチラスはネモの艦になった。つまりこれは教授への反旗だ。エリーザ……我々はNを離脱するぞ」

 

ネモがそう宣言すると、エリーザというらしい銀髪の縦ロール少女は幾何学模様の化粧を施した両手で口を抑え、卒倒しそうになるのを堪えて改めてネモに敬礼をしている。どうやらモリアーティよりもネモに対する忠誠心の方が高いらしい。

 

「ネモ……」

 

ネモは軍帽の下から俺を覗き込む。そこから見えるターゴイズブルーの瞳に、俺は思わず吸い込まれそうになった。そして───

 

「天人、私はお前と同士になると決めたよ。お前と共に───この世界を変える」

 

そう、宣言した。

 

「あぁ。───宜しく、ネモ・リンカルン」

 

「こちらこそ。頼りにしているぞ、神代天人」

 

そして俺達は互いに握手を交わす。すると、握られた俺達の右手にリサとユエ、シア、ルシフェリアの手も重なった。

 

「私達のことも忘れないでほしいですぅ」

 

「……んっ。私達も、天人といつまでも」

 

「一生……どこまででもお供致します。ご主人様」

 

「1番大事な花嫁を忘れてはおらぬか?主様よ」

 

ここには今はティオ達はいないけれど、いたらきっと彼女達も手を重ねただろう。今ここに地球とトータス、レクテイア。神代家とノーチラスの間で交わされた同盟。こことレクテイア、トータスという3つの世界をそれぞれがルーツに持つ俺達。

 

聖痕の力、魔女の力、レクテイアの神、異世界(トータス)からの来訪者。皆の力の源もルーツもてんでバラバラな俺達だけど、目指す世界はきっと同じだから。

 

「───リサ、ユエ、シア、ネモ、ルシフェリア。俺ぁお前達を守るよ」

 

「私はご主人様と皆様の生活を……帰る家を守ります」

 

「……そして私達が」

 

「天人さん達を守ります」

 

「皆がお互いを守りあう。正しく愛じゃな」

 

「ならば私達は世界を作ろう。異能も異形も……誰もが差別無く暮らせる世界に」

 

お互いがお互いにそう宣言し、そしてそれぞれが見つめ合う。こうして俺達の新たな同盟がここに誕生したのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

何重ものハッチをくぐってノーチラスの中へと入った俺達は、ハシゴを降りていく。そうして辿り着いたそこには見渡す限り女だらけ。それも髪の色はトータスでも中々見られないレベルでカラフル。俺の周りの女子の髪色も大概だけど、ここは人数が多い分余計にそう感じるな。しかも髪色だけではない。

 

頭に角が生えてたり獣の耳が頭頂部からお見えしていたり、尻尾がある奴もいる。服装はセーラー服で統一されていて、襟の色で階級が分けられているっぽい。数からすると、青、紺、黒の順に偉くなるのかな。しかし下半身の衣類にはそれほど統一感はなく、靴や靴下はバラバラだ。スニーカーやローファー、ブーツにヒールなど、普通に外を歩いてもさして目立たない普通の靴からローラーブレードや裸足なんて言う変わり種もいる。

 

それ以外にも、皆が一様に武装している。ただ、それは俺達への警戒や常在戦場的なギスギスした雰囲気は感じられない。どちらかと言えば、武器も服の一部っていう空気感だ。この分だと、宝物庫がある分普段はあまり武装をしていない俺達の方が浮きそうだ。

 

そして、ネモの号令によりルシフェリアは乗員。俺とリサ、ユエにシアが乗客という扱いになる。また、今後時間をおいて何人かがまたこの鑑に乗ってくるという情報も伝えられた。名前こそ出さなかったけど、多分ジャンヌ達のことだろう。確かにアイツらも皆コイツらと顔合わせはさせておいた方が良いだろうな。

 

ルシフェリアはやはりここでは人気者のようで、直ぐにノーチラスの乗組員達に囲まれていた。アイツなら放っておいても大丈夫だろうと俺達は一旦ルシフェリア達から離れる。すると、リサが急にケモ耳とオオカミの尻尾を出すくらいに驚いていた。

 

見れば、リサの視線の先には青い襟のセーラー服にエプロンを増設したリサ激似のケモ耳少女がいたのだ。その子もリサのケモ耳に気付いてぴょこぴょこと──コイツにもオオカミのようなフサフサした尻尾がある──駆け寄ってきた。

 

そこでリサが「うるる……」と、舌だけを鳴らす独特の発声でその子に話しかけていた。どうやらその言語も俺達の言語理解の対象のようで、リサが何を話しているのかは直ぐに理解できた。

 

そこで俺も「うるる……るる……」と、挨拶代わりに会話に混ざる。言語理解を知っているリサはそれには特に驚くことはなかったが、もう1人のリサ激似の女の子──ミサというらしい──はケモ耳と尻尾を大きく立たせて驚いていたので俺はミサにも言語理解の固有魔法のことを話しておく。

 

しかしこの子はリサとは違って元気印と言うか、日本風に言えば一人称は"ボク"って感じだな。しかもリサの遠縁か……。つまり、リサのルーツはレクテイアにあったんだな。

 

リサはもうしばらくはこのミサと話していたいようだったが、ネモが先にこっちへ来てくれと言うのでリサも泣く泣く……というか2人揃って手を握りあって何か今生の別れ感を出していますね……。直ぐに会えるでしょ……。

 

と、俺取り敢えず話が進まなさそうだったので握りあった白い指を俺が解き、ユエ、シアと共にネモについて艦内を歩いていく。すると、そこで小声でネモから忠告があった。

 

曰く、この鑑にいるなら最初のうちはネモからなるべく離れるなということ。ここではレクテイア出身の奴らが多数派だから、半分はそちらの常識が通ってしまうこと。それにこの鑑には1度も陸に上がったことの無い奴らも多いらしく、特に男の俺に対して誰が何と思うかは分からないんだと。

 

俺達はそれにうんと頷いてネモに案内され、螺旋階段から艦橋へと向かう。

 

艦橋───ネモは発令所へと俺達を通した。ここは原子力潜水艦の心臓部にしてノーチラスの頭脳。要はネモの仕事場なわけだが、ネモが直々に俺達をここに案内することで、周りから『神代天人、リサ・アヴェ・デュ・アンク、ユエ、シア・ハウリアはノーチラスの敵ではない』という認識を持ってもらおうというわけだ。これはネモに感謝せねばなるまい。こうしておけばある程度の信頼は得られるからな。

 

ま、それでも警戒する奴はするんだろうし、そこは俺達がこれから頑張らなければならないことだ。

 

すると、シアがウサミミをビビっとさせて目を輝かせている。今度はウサミミのレクテイア人でも見つけたのかと思ってシアの視線を追えば、まさにその通り。頭頂部付近から立派なウサミミを生やしたレクテイア人がソナーステーションの席に体育座りでソナー係をやっていた。そして、その髪色と髪型は狙撃科の麒麟児ことレキによく似ていた。

 

今にも飛んでいってその子の手を握りそうなくらいにシアのウサミミが喜びに震えている。しかしこのノーチラスはどうやら潜航寸前。そんな状況のソナー係にいきなり突撃するのも邪魔になるので俺は一応シアの赤いセーラー服の背中の布を引っ掴んでおく。

 

すると、どうやらノーチラスの潜航が始まったようだ。そして、号令で分かったけどこのノーチラスの行き先はインドのムンバイ。はぁ……着々とあの野郎に近付いているな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

その後、ネモからエリーザへと案内係が代わり、俺達が行かされたのは医務室。どうやら身体検査を受けろとのことらしい。

 

そしてそこで医者をやっていたのはクマ耳を生やしたガタイと乳のデカいお姉さん。潜水艦は気圧の変化が大きいからか喉や体温など、結構念入りに検査される。しかも、この閉鎖空間で伝染病なんて持ち込まれたら一巻の終わり……レクテイア人と地球人じゃ病原菌への耐性が全く違うのだ。

 

一応風疹や麻疹、インフルエンザの予防接種は受けているようだが、それも絶対とは言い切れないからな。もっとも、俺は毒耐性でウイルスには強いしユエも自動再生のせいか風邪なんてひいたことがないらしい。シアはまぁ……気合と根性の女の子なので多分平気。……なのだがここは一応血液検査にも応じておくことで信用を得る方が得策だろう。

 

と思ったのだが、リサにユエとシアはブラウスの下から聴診器を突っ込んだだけなのに、俺だけは上半身の服を全部脱がされ、挙句ベタベタとこの女医さんに身体中触られまくっている。

 

その手つきには何ら含むものがないからかユエとシアの視線もそれほど冷たいものではないのが救いだったが、どうやら女しか診たことのないコイツにとっては男の身体というのは興味の湧くものらしい。

 

ほぼ成体なのに乳房が無いとか何とか、胸も腹も背中もベタベタとまさぐられている。

 

「うーん、こっちはどうなっとるやろか?」

 

と、今度は俺のズボンのベルトを外そうとしてくる。一応性的な意味は一切なく、ただの知識欲であるから、俺は振り向いて一旦リサ達の方を見やる。するとユエとシアの2人が揃って即座に両手でバツ印を出したので俺はその女医さんの両手を掴む。

 

「あぁ……悪いんだけどこっちは見せたくないな」

 

「どうして?」

 

「ええと……」

 

とは言えなんて説明したら良いのだろうか。んー、そもそもレクテイア人は人間と生殖行為の方法が完全に異なるからか、性器に対しても恥ずかしいとかの考え方が完全に違うんだろうし。

 

けどそこは感覚の違いということで、こっちの考え方を素直に伝えた方が今後のことを考えれば楽かなぁ。

 

そう思った俺が()()に対する考え方を説明してやろうと口を開きかけた……その時───

 

ト・ト・テ・テ・ター!と、急にラッパの音が艦内放送で響き渡る。その瞬間にクマ耳の女医さんは俺のベルトから手を離して勢い良く立ち上がった。

 

「何これ……?」

 

「時報でち。ノーチラスは食事と睡眠のローテーションがあるからちょくちょくラッパの音がなるんでち」

 

へぇ。俺がいた頃のイ・ウーにゃそんなの無かったなぁ。

 

「メシやメシ」

 

すると、女医さんはお腹が空いていたのかさっさと医務室を出ていってしまった。そしてエリーザも「何なら4人とも何か食っていけでち。今は食料にも余裕があるでちよ」と、俺達にも食事を提供してくれる様子。同じ釜の飯を食うって言葉もあるが、出された食事を食べることは信用の第1歩だからな。俺はそれほど空腹ってわけでもないけど、くれると言うのなら貰っておこうかな。

 



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誘惑に抗え!!

 

 

エリーザに案内された科員食堂は手狭なレストランのような場所だった。ここには既に何人かの乗組員が来ていて、どうやら飯だけでなく手の空いている奴らの休憩場所でもあるらしいここで、紅茶を飲みながらトランプをしたりサラダを食べていたり、はたまたソフトクリームのサーバーの前でキャッキャと何やら楽しそうにしている姿もあった。

 

「いいよ、リサ。行ってきな」

 

と、俺はそれだけリサに声を掛ける。するとリサは感激したようにちょっと目に涙を浮かべて

 

「ありがとうございます、ご主人様!あぁ……ご主人様はこんなにもリサのことを分かってくれているのですね……」

 

何やらリサはそれだけで感激してくれているけれど、まぁ、今のリサは分かりやすいからな。食堂の狭い調理場にいたのはミサが1人。この人数ならそれほど忙しくはないだろうけど、別にリサはミサの手伝いをしたいってわけじゃあない。ただ、奇しくも同じルーツを持っているあの子と少しでも同じ時間を過ごしたいのだろう。まさかこんなところで同じ秂狼に出逢えたのだから、話したいことが沢山あるんだろうよ。

 

それを察してやれないほど俺はリサのことを見てやれてないなんてことはない。

 

「んっ、ほら、ミサも待ってるぞ」

 

ミサも、リサの姿を見つけてブンブンと手と尻尾を振っているからそれが何かを引っ掛けないかこちらが心配になるくらいだった。

 

「はい、行ってまいります、ご主人様。……んっ」

 

「ん」

 

俺とリサは1つ触れるだけのキスを交わし、その髪の毛を梳いてやってリサを送り出す。いや、送り出すって行っても10数メートル先の調理場なんですけどね。

 

長い髪の毛を後ろでポニーテールに束ねながら厨房に入っていくリサを眺めていると、後ろから何やら刺すような視線が。それに堪らず振り向けば、ユエとシアが俺をジト目で睨んでいて、エリーザもちょっと引いた感じの顔をしている。

 

「……何?」

 

「……んっ」

 

「はいですぅ」

 

すると、ユエとシアが目を閉じて唇を差し出してきた。えぇ……エリーザも見てるのに……?

 

とは思うけどここで2人にもキスをしなければこの後ずっと強請(ねだ)られるんだろうし、エリーザの視線を除けば俺としてもこの子達とキスをすることに何の損もないし、そもそも俺だってずっとしていたいくらいだ。

 

「はいはい……んっ、んっ……」

 

俺はユエとシアにも触れるだけのキスを1つずつ。離れ際に髪を梳いてやれば満足したのか2人とも「ふふっ」と笑みを浮かべながら瞼を上げたのだった。

 

「ほら、早く注文するでち」

 

と、俺は冷たい目をしたエリーザに背中を押されながらミサとリサが構える厨房へと向かった。

 

「ここに無いメニューでも注文していいでちよ。ミサは何でも作れるし、通信教育で栄養士の資格も取っているでち」

 

ミサさんったら、そんな資格まで持っているのね。リサはどうだったかな。まぁ今持ってなくても取ろうと思えば直ぐに取れるだろうけど。

 

しかし2人ともポニーテールだとお揃い感が凄いな。顔もよく似ているし、まるで双子みたいだ。

 

「じゃあ俺は……」

 

と、そこで俺はふと横に並んだユエを見やる。別にそれ自体に意味はなかったが、ユエの向こうにいるシアも何となく視界に入った。

 

「……ん?」

 

それで、俺の視線に気付いたのかユエが顔を上げた。

 

「……どうしたの?」

 

そのまま固まっている俺が不思議だったのかユエが小首を傾げている。シアも「おや?」というような顔をしているし、注文を受けに来たリサも不思議そうな顔をしている。

 

「いや……じゃあ俺はカレーライスで」

 

ただ、何となく俺とユエとシアという3人の組み合わせに思い出すものがあっただけだ。だから俺はそれをリサに頼み、そしてユエとシアもきっと同じことを思い出したのだろう。2人とも俺と同じものをリサに注文していた。

 

「ふふっ……はい、承りました」

 

それで、リサは何かに気付いたのだろう。少し笑みを漏らして注文を承った。

 

リサに注文を伝え、最初から最後まで疑問符を浮かべ続けているエリーザに案内されて通された席には既にネモとルシフェリアがいた。しかしルシフェリアの民族衣装的なこの際どい水着みたいな服はレクテイア人の多いここでも一際浮いているな。いや、ノーチラスではレクテイア人もセーラー服を着ているからそれはそうなんだけども。

 

「エリーザ、ご苦労さま」

 

「おお、主様!ほれここ。我の隣に座るがよいぞ」

 

と、ルシフェリアに隣の席を叩かれたけど、俺が視線を上げればそこにはハシゴがあった。ノーチラスはそんなに大きな潜水艦ではないからこの士官席であっても直ぐ近くにハシゴがあるのだ。

 

そして、通路であるハシゴは当然人が通る。人が……というかノーチラスの乗組員(レクテイア人)が通るのだが、彼女らは当然女しかいない世界から来たわけで、服は着ているが男が近くにいたことがないからか、スカートの防御があまりに甘い。ただ腰に布を巻いているだけで、今もネコっぽいレクテイア人の女の子のフルバックの白い布地がバッチリ見えてしまった。

 

ユエ達もいるのに他の女の子の下着をおかずにカレーを食うのは大変宜しくない。そう思った俺はルシフェリアの誘いは放ってハシゴに背を向けられる反対側の席へ。

 

「むぅ!」

 

で、呆気なく袖にされたルシフェリアは拗ねたように頬を膨らませ、そしてテーブルにバン!と手を着くと、そのまま飛び上がってテーブルを乗り越え、俺の横に飛び込んできた。開閉式の椅子も念力のような力で開かれており、華麗にド派手に俺の横に座り直すことに成功。

 

ルシフェリアの横が嫌だったわけではない俺もそれは放ってお……こうとしたのだが、俺の横に座りたかったらしいユエとシアがジト目でルシフェリアを睨み、そしてユエが重力魔法でルシフェリアを持ち上げる。

 

「なっ……わわっ!これはユエか!?」

 

そして2人はサッと素早く席に着く。ユエがルシフェリアのいた席。シアが反対側の俺の隣に座ったのだ。持ち上げられて空中でジタバタしているルシフェリアは元の席へと強制送還されていた。

 

「テーブルに着くだけでこんなにも騒がしくなるとは……」

 

「1度騒がないと座ることもできないんでちか……」

 

俺の家ではわりとこの手のはありふれた戦いなのだが、慣れていないと奇異に映るらしいこの席取り合戦。ネモとエリーザは片手で頭を押さえ、2人揃って溜息をついていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「むぅ、なんで我が退かされるのじゃ!」

 

「……なんで私のメイドが天人の横に座れると思ったの?」

 

頬を膨らませて不満をぶつけるルシフェリアに、ユエはただジト目を返して取り付く島もない。そんなユエの様子を見てルシフェリアは俺の方を睨む。……え、俺に何か言えってこと?でも俺はユエの味方だしなぁ。

 

「……この3人でカレーを食うってのはちょっと特別なんだよ。だからルシフェリアには悪いけど、俺ぁユエとシアの味方だよ」

 

「むむっ!なんじゃなんじゃ!主様は花嫁の我に隠し事なのか?」

 

と、ルシフェリアが騒ぐので俺はユエとシアをそれぞれ見やる。すると、2人とも「別に話してもいいよ」って顔をしていた。まぁ、あれ別にそんな隠すことじゃあないもんな。

 

「別に、隠してるわけじゃあないよ。トータスにいた頃に立ち寄った町で、たまたま地球のカレーに似た食い物があって、それを3人で食べたってだけ」

 

思い出すのはあのウルの町での一幕。何もかもが綺麗な記憶ってわけじゃないけど、きっと俺とシアにとっては大切な記憶。

 

「……んっ、それにどちらかと言えば私よりシアにとって大事な記憶」

 

「ですねぇ。……私あの時、本当に嬉しかったんですよ?」

 

と、シアがウサミミごと俺に絡んできた。その身体の柔らかさとウサミミの暖かさに絆されそうになる。いや、もうとっくに絆されてはいるんだけども、こうされるとどうしたって俺は今この場で誰の目も気にせずにシアを抱きしめてやりたくなるのだ。

 

だけどネモもエリーザもいるし、他の乗組員達の目もあるここでは少しだけ我慢して、シアの頭を抱き寄せる程度に留めておいた。

 

「……何があったのだ?」

 

と、ネモが恐る恐るといった風で聞いてくる。

 

「えへへ……。トータスでは私達獣人族……当時はまだ亜人族と呼ばれていましたけど、私達は差別の対象だったんです」

 

と、俺に身体を擦り寄せたままシアが語り出す。

 

「……んっ、私達がとある町の宿の1階でご飯を食べてる時に、たまたまそこに天人と一緒にトータスに召喚された、別の地球から来た人達もいた」

 

そして、シアの言葉を引き取りながらユエも口を開く。

 

「んで、俺ぁ元々そいつらと少し話があって同席してたんだけどな。そいつらと一緒にいた現地人はそりゃあまぁシア達のことが嫌いでな。……あんまり言いたくないからボヤかすけど、シアに酷く言ったんだよ」

 

「その瞬間に天人さんが本気でキレて、そいつの首を引っ掴んで締め上げたんですよね」

 

「……さすがにあんな奴、天人が手を下す価値も無いから止めたけど」

 

「あの時はまだ私と天人さんはお付き合いもしていなかったのに、私が悪く言われただけであんなに怒ってくれて。恋人として……とまではいかなくても実は大切に思っててくれたんだっていうのが知れて……とっても嬉しかったんです」

 

ギュウッと、シアが俺に抱きつく。幸せそうに綻ぶその笑顔に俺はあの時ついぞ言ってやれなかった言葉を口にした。

 

「誰が何て言おうと、シアのそのウサミミも、髪の色も……全部が可愛いよ。シアは俺達の誇りで、大切な子だ」

 

「ううっ……天人さぁん!!」

 

んで、シアはシアで飯の前に感極まっちゃったのか半べそかきながら俺の肩に頭をグリグリと押し当ててくる。その時にシアのウサミミは当然のように俺の首に絡みつく。俺がそんなシアの髪を撫でてやっていると、ふとカレーのスパイシーな香りが漂ってきた。

 

「ご主人様、ユエ様、シア様。お待たせいたしました」

 

すると、リサがカレーを盛ったお皿を乗せたトレーを持って、ミサがネモとルシフェリア、エリーザの飯をそれぞれワゴンで持ってやってきた。どうやら飯の時間らしい。リサは俺達それぞれにカレーを配膳し終えると、ふと俺の耳に顔を寄せて

 

「次はリサのことも抱きしめてくださいね」

 

と、囁いて直ぐに顔を上げた。俺もその動きに釣られて視線を上げれば、そこにはどこかイタズラな笑みを浮かべたリサがいて、その蠱惑的な表情に俺は思わず無言で頷いてしまうのであった。

 

「……天人」

 

「天人さん?」

 

リサがクルリと振り向いて去っていく後ろ姿を眺めていると、急に冷えた声が俺の耳をなぞる。

 

「はい……」

 

「「はぁ……」」

 

そして大きな大きな溜息を2つ、頂戴するのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「あ、あの……ルシフェリア様がメイド、というのは何でちか……?」

 

俺達がカレーを食っていると、エリーザが恐る恐るといった風に聞いてくる。

 

「んー?……んー、ユエとルシフェリアでちょっと賭けをやってな。それでだよ」

 

ルシフェリアの一族はレクテイアじゃとても偉いらしいからな。ここでルシフェリアはユエとの決闘に負けて給仕さんになりました、と言うのはルシフェリアの面子が立たないだろう。ただでさえナヴィガトリアで俺に負けて捕虜になったのだ。あれだってルシフェリアはレクテイアの奴らには「神代天人は我の半身(つがい)。自分に負けたのだからあれはセーフ」みたいなことを言っていたからな。これ以上他の奴らの前で恥の上塗りをする必要もあるまい。

 

と、そう思った俺はユエが本当のことを言う前に事実を少しばかりボカして伝えたのだった。すると、俺の言葉の意味をルシフェリアは直ぐに受け取ったらしく、何やらニマニマと嬉しそうだ。全部を知っているネモはそんなルシフェリアの様子を見てちょっとジト目。ユエとシアも小さく溜息。

 

ただ、エリーザは特に疑っていないのか「へぇ」と1つ頷いただけで、それ以上何か追求してくることはなかった。

 

「それよりも、さっきの話では天人とユエとシアの3人で食べるカレーは特別なのだろう?そこに私達がいても良いのか?」

 

と、ネモが頭に疑問符を浮かべている。

 

「んー?いや、あん時も俺達以外に何人もいたからな。むしろ誰かいる方が()()っぽいよ」

 

あの時のような気まずさはないけれど、あんなのはむしろ無い方がマシってもんだ。だから今は結構理想的な状況だったりする。

 

すると、ネモはそれだけ聞ければ満足だったのか「ふむ」と1つ頷くと食事に戻っていた。そのうちリサも戻ってきて食事を摂り始めていた。ちなみにルシフェリアはカレーパンをやたら頼んでいて、もしゃもしゃ頬張っていた。

 

そうして静かだが気不味いわけでもない穏やかな食事の時間を過ごすと、ネモが食後のカフェオレを傾けながら

 

「天人、リサ、ユエ、シア。急で遠い船旅にも関わらずついて来てくれてありがとう。私はこれから艦で溜まった仕事を片付けるが、その後に今後のことを語らせてくれ」

 

と、お礼を言ってきた。

 

「んー?ま、インドならそんなに遠くねぇよ。所詮は同じ地球ん中だ」

 

聖痕を開かなくたって最悪ここから越境鍵で家にも戻れるしな。俺としてはそれほど大したことじゃあない。

 

「……んっ、同じ世界ならだいたい近場」

 

「遠出と言うならやっぱり世界くらいは渡らなきゃですぅ」

 

「リサはご主人様のメイドですから。ご主人様のいる所にどこまでもお供します」

 

「お前達と話していると自分がとても小さな世界の中で生きている気がしてくるよ。……私の動き───Nとノーチラスの関係については状況を窺いながら、次の寄港時に乗員達に周知するつもりだ。今後の動きが拙速にならないよう、私も考えを纏めたいしな。ついては、その時まではこのメンバー……いや、出来るなら天人の家族とはそれぞれ挨拶をしておきたいが、少なくともその中だけの話にしておいてくれ」

 

と、ネモは俺達を見回してそう告げた。それに俺達はそれぞれ無言で頷く。そうだな、俺もネモともう少し話がしたい。今ならシャーロックから聞いたモリアーティの目的、俺が思い至ったモリアーティのやりたいことについても話せるだろう。だからそれまでは、もう少しだけこの艦を見て回ろうか。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ノーチラスは勉強に励むことを推奨されているらしい。俺達は自由にしていて良いと言伝を残してどっかへ行っちまったエリーザがそう言っていた。いやまぁ俺個人としては勉強になんて励みたくはないんだけどな。とは言え、ちゃんと数学で点数取らないとネモに怒られそうだし、ミュウにも面目が立たない。ここにいる間もそれなりには勉強せねばならないだろうな。

 

けれど、流石に飯をたらふく食べたばかりではやる気も出まい。というのを言い訳にして俺はフラフラとノーチラスの艦内……特にこの潜水艦に搭載されているはずの武装を中心に見て回ることにした。あまりそうなってほしくはないが、仮にノーチラスとナヴィガトリア、ノア、場合によってはイ・ウーとの戦闘になった場合、こちら側の戦力が分かっていないと中々やり辛いからな。

 

そうしてノーチラスの艦内を下に向かって歩いて行くと、鍵が掛かっていない半開きの格子扉の向こう側で青いセーラー服を来た2人組が体育座りをしていた。なんだあれ、何かの罰則で晒し者にされてんのか?しかも何かお手手繋いでるし。

 

その光景が気になった俺はフラフラとその2人へと寄っていくとついでに男に対してどんな反応をするのかも確かめるために英語で話しかける。

 

「何で手ぇ繋いでんの?」

 

「……刑罰」

 

「喧嘩したからしばらく手を繋ぎ続けて仲良くなる決まり」

 

と、質問そのものにはちゃんと英語で答えてくれた。ただ、質問にはしっかりと答えてくれるがその返答はやはりよそよそしい。まぁ今まで男なんて生き物を見たことがないんだもんな。あの竜の世界にいた竜達みたいに逃げ出さないだけマシか。

 

欲しかった答えは得られた俺はその子達に「仲良くしろよ」とだけ残してまた艦内を降りていく。そのうちノーチラスの主要な武装───魚雷が置かれている魚雷室や原子炉制御室まで見て回ることが出来た。

 

そうしてフラフラしていると流石に眠くもなってくる。トータスから帰ってきて1年以上が経過して、俺もようやく再び1人で寝れるようになってきた。元々はいつ魔物に襲われて死ぬとも分からないオルクス大迷宮の地獄みたいな環境にいたせいで眠りが浅くなり、その後ユエと出逢えて交代で見張りができるようになり……そしてオスカーの邸宅という安全圏で生活していくうちに取り敢えず近くで誰か──但し家族に限る──がいれば寝られるようにはなっていた。

 

それでこっちに帰ってきてある程度命の安全が保証される平和な世界で暮らしていくうちに段々と元の感覚に戻ってきたのだ。悪く言えば平和ボケ。だけど悪いことじゃあないのだろう。いつも気を張って寝る時までビクビクしているよりは余程マシな人生を送れていると言えるはずだ。

 

とは言え、このノーチラスは元々女しかいない艦である。しかも乗組員が100人ほどいるのにベッドの数は数えたら35基。それもカプセルホテルの方がまだマシなレベルで狭いベッドが居住区にあるだけだ。当然3交替みたいにベッドを使うからどれも直前に見知らぬ女の子──しかもレクテイア人は皆相当に可愛い──が使ったお布団しかないのだ。そんな所に入れるわけがなかろうて。

 

しかも俺の体格だとベッドが小さすぎて1人ならまだしも、ユエとですら一緒に入るのが難しいくらいなので、いつも通り一緒に寝るっていう力技が使えないというのもまた辛い。

 

どうするかなと思いながら歩いていると発令所に着いた。そこには今はウサミミのレクテイア人とシアの2人だけ。一応聴音もしているみたいだが、何やら2人とも楽しそうに談笑している。

 

するとシアが耳聡く俺の存在に気付き、こちらに手を振ってきた。俺もそれに手を振り返していると、ウサミミのレクテイア人がまるで親の仇かのように俺を睨んでくる。シアの後ろからだからシアはそれに気付いていないようだけど、どうやらあの子は俺をあまり快く思っていないらしいな。

 

だからってシアは俺のことを呼んでいるし、それを放って置くわけにもいかず、俺はちょっと気が進まないけれど取り敢えずシアの元へと向かう。

 

「天人さん!こちら、ミヒリーズさんです」

 

と、シアは新しい友達ができたようで、そのミヒリーズというらしいウサミミのレクテイア人を嬉しそうに紹介してくれた。

 

「ここでは政治経済を学んでいるんだそうですよ。それにそれに、ノーチラスの耳を担っているんですぅ。やはりウサミミこそ最高のミミってことですね!」

 

シアにベタ褒めされて嬉しいのか照れ臭いのか、さっきまでの殺意すらありそうな眼光は何処へやら。「ちょっと、恥ずかしいんだぞ。止めるんだぞ」とそれなりに流暢な英語でシアを(つつ)いていた。

 

「おー。あんま聴音の邪魔すんなよ?」

 

ミヒリーズの頭に乗せられたヘッドホンを見やりながら俺はそれだけシアに告げて、発令所を後にする。

 

さてさて、最悪ある程度のデッドスペースさえあればあとは錬成と空間魔法で俺だけのお部屋を作れてしまうのだけれど、そもそもこのノーチラス、狭い潜水艦に出来るスペースを全く余すことなく使っているからか、デッドスペース何てものは中々見つからない。だが俺は遂に閃いたのだ。このノーチラスにある数少ないデッドスペースを。それは、俺達がノーチラスに乗り込んだ最初のエントランスにあったのだ。

 

発令所に上がる螺旋階段の下。ここは身体を丸めれば俺1人くらいは入れるスペースがある。上の階段は踏み板がクレーチングだから仰向けに寝転がって目を開けているとここを通る女の子のスカートの中が丸見えという高度なポジジョンではあるが、鉱石で箱を作ってそれに空間魔法を付与すれば踏み板が鳴らす足音も遮断できるし見知らぬ女の子のスカートの中を見ることもない。箱の側面にでも『神代天人の部屋』と書いておけば勝手に部屋ごと捨てられることもないでしょうし、案外完璧なのでは……?

 

さりとて、確かに俺の思い付いた作戦は完璧の一言だろうが、ここはあくまでもネモの艦。勝手に設備を増設する以上はネモにも許可を貰わなきゃならないだろう。

 

俺はネモを探しにまたフラフラとノーチラスの中を歩いて回る。すると、急に艦内の明かりが消え、赤色灯が代わりに灯った。一瞬何事かと思ったけど、ノーチラスは太陽とは殆ど無縁。しかもタイムゾーンを行ったり来たりする都合上、そのまま適当に生活していると、いざ陸に上がった時に時差ボケやなんかでその先の行動に支障が出る。だからこれは便宜的に"今は夜ですよ"と乗組員達に知らしめているのだろう。真っ暗にしてしまうと当直の組員が困るからな。

 

俺は赤色灯に淡く照らされる艦内を歩き、ネモを探す。もう眠いしさっさと寝床を確保したかった俺は羅針盤でネモのいる座標を特定。迷うことなく一直線にそこへ向かう───

 

───ビーッ!ビーッ!ビーッ!

 

───途中で急に電子音のブザーが鳴り響く。それだけでなくラッパのようなあの音も鳴り出していた。これは時報なんかじゃなくて、警報(アラート)っぽいぞ。……まさか、敵襲か!?

 

俺はまず羅針盤でユエのいる座標を検索。直ぐに脳内に浮かんできたそこへ駆け出す───

 

「───うおっ!?」

 

しかし1歩踏み出した途端にノーチラスが傾く。恐らく取り舵───いきなり左へ急転舵しているのだ。それもとんでもない角度で曲がっているようで、壁の配管の上に置かれていた食料や物資がバラバラと落ちて転がっていく。壁や天井もまるで大型の地震が来た時のようにミシミシと音を立てている。なんだ……何があったんだよ!

 

俺はどうにかその場で腰を落として踏ん張り堪えた。そしてまた傾斜が元に戻り、ノーチラス艦内は落ち着きを取り戻したようだ。

 

あの警報以外には何の知らせもなかったことから、どうやら敵襲ではなかったらしい。だが急に斜めになるもんだから物が散乱し放題だ。

 

俺は仕方なくそれを1つずつ周りの配管の上や棚の中に戻していく。そうして取り敢えず自分の周りに落ちていた物を拾い終えると、俺はまたフラフラとネモの元へと歩みを進めるのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ネモがいるのは艦長室と羅針盤は教えてくれていた。そこで俺もそこへとやって来たのだが、部屋のドアには『休憩中』という札が掛かっていた。ネモが寝ていたら悪いしと、俺は小さくドアをノックして「ネモ、俺だ。天人だ。起きてるか?」と、ネモが寝ていれば起きないであろう音量で呼び掛ける。すると割と直ぐにドアが開き

 

「───は、入れ」

 

と、どうやら就寝前だったらしく薄着のネモがはにかみながら俺を上目遣いで見上げながら部屋の中へと招いてくれるのだった。

 

「い、今椅子を出すから……」

 

と、薄いキャミソールと短いスカートしか身に付けていないネモがアセアセと木組みの折り畳み椅子を二脚取り出してきた。……ていうか、本当に寝る前だったんだな、ネモ。あのキャミの下、下着付けてねぇぞ……。

 

いくらここがノーチラスで、自分の潜水艦とは言えそんな薄着で俺を───男を部屋に招き入れるなんて随分と不用心なことだ。あの香織だってあの夜俺の部屋に来た時は1枚羽織ってたんだからな。

 

……いや、違うよな。それこそネモの仕事用の机の奥にはポールが立っていて、そこにはあの古めかしいフランス海軍の軍服が掛けられている。ノックを聞いて、あれを羽織る程度の余裕はあっただろうし、そもそも俺相手にそれを(いと)うほど急いで出てくる必要も無い。

 

女の子が一応の夜間に、そんな薄着で男を部屋に入れるってことは、美人局(ハニートラップ)でもなけりゃあ理由なんてそう選択肢のあるものではないよな。

 

そう、それこそ相手を全く異性として考えていないか、もしくは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()か。その2択しか有り得ない。そしてネモから見た俺がどちらに属しているのかなんて、今更悩むようなことでもない。

 

さて、こういう時はどうするのが良いのだろうか。確かフランスじゃジャンヌと似たような感じになって……見え見えの罠に突っ込んで結局アテられ、エンディミラの時には調子に乗って格好付けたこと言ったらまんまと落とされた俺だ。

 

どうやらコーヒーを入れてくれるらしいネモの動きを眺めながら俺は思考の中に沈んでいく。

 

女の子がここまでしているのだから、恥をかかせるようなことはなるべくしたくない。普通ならそれでも『俺には彼女がもういるから』と言えば終わってしまえるのだが、残念なことに俺には既に7人もの嫁がいる。そんなことを言っても『どの口が?』と返されて終わりだ。いや本当に終わってんのは俺の節操の無さなんだけどそれはそれ。

 

かと言って下手なことを言って隙を作ってしまえば俺のことだ。多分ネモに落とされる。

 

多分……ではないな。確実に落とされる。俺はそういう奴だしネモは俺を落とせる奴だ。ネモは絶対に俺の過去を受け入れてくれちゃうだろうし、仮にそういう仲になった後に多分俺がリサ達にしているみたいに甘えても幻滅したりせずに、普通に甘えさせてくれるだろう。数日一緒に暮らしていくうちに、そう思える程度にはネモの性格も分かっていた。

 

ふと、俺が顔を上げるとちょうどネモも俺を見ていたらしくお互いの目がバッチリと合う。うぅ……こうやって改めて見るとネモもスゲェ可愛い顔してるんだよな。タレ目気味のターゴイズブルーの瞳は深い海のように俺を引き摺りこもうとするし、デイドリーム・ブルーの髪色をしたツインテールはまだ幼さの残るネモの顔つきにちょうどマッチしていて、そのくせ俺の横に座って頬に差した赤みはネモがお子ちゃまじゃないことをまざまざも見せつけていて、そのギャップもまた愛らしい。

 

駄目だ、今ネモの顔をずっと見てたらこのまま落とされる……。ていうかもうあれこれ考えるよりユエ達に土下座でもした方が早くて楽なんじゃないの?ネモだったらユエ達も知らない仲じゃないし、ユエもなんかネモのこと煽るようなこと言ってたし。

 

いやいや、待て、待つんだ神代天人よ。お前この調子でいってたらそのうちメヌエットとルシフェリアまで受け入れちゃうんじゃないの?いやもう既に嫁が7人もいるのに何言ってんの?って話ではあるんだけどさ、嫁10人はもう馬鹿でしょ。漫画や何かのキャラに対して『誰それは俺の嫁』って言ってんじゃあないんだよ?本当に嫁になるんだよ?全員、一遍に。経済的に……は何人も自立しているから平気だ……。家は……リサとネモとメヌエットが組めば大概どうにかならん?なるわ……。

 

いや待て、いつの間にかネモどころかメヌエット達まで迎え入れる前提になってるぞおい。

 

コトりと、俺の思考を遮るように目の前に白磁のコーヒーカップとソーサーが置かれた。ネモは1粒のホワイトチョコをソーサーに添えて、俺のカップには1杯分のコーヒーを、自分のには半分のコーヒーを入れてそれをミルクで割っていた。

 

いつの間にやら眼鏡を掛けていたネモの瞳が俺を見ている。露出された白い肩は思わず抱きしめたくなるような細さで、自分の指先が一瞬だけピクリと動いたのが分かる。

 

俺は「頂きます」とだけ告げて、自分の前に置かれたコーヒーを1口飲む。それで少しだけスイッチを切り替えた……ことにした俺は口を開く。

 

「……寝るとこさ、あのベッドだと流石に入り辛いから、エントランスの……発令所に上がるやつの下に作っていい?」

 

まず、ここに来た本来の目的を訊ねることにする。

 

「……作……どうやってだ?」

 

「手持ちの鉱石を錬成して……伝えてたか忘れたけど、俺ぁ魔法で鉱石を自由な形に加工できるんだよ。それで、簡単な部屋……もちろん屋根付きを作る。んで、そこにまた魔法で空間を広げて、狭いスペースでも広く使えるようにしたいんだよね」

 

ルシフェリアはともかく、ユエとシア、場合によってはティオやレミア達もこっちに呼ぶかもなのだ。そうするとただでさえ人数より少ないあのベッドの争奪戦は更に熾烈を極めるだろう。俺達のせいでそうなるのは気が引けるので、空間魔法ではそれなりの広さの部屋を作って俺達家族くらいだったら寝られるようにはするつもりだった。

 

「あ、あぁ。それは構わない。ただ、そこが天人の部屋だと誰の目にも分かるようにはしてくれ」

 

「んっ、分かってる。取り敢えず英語とフランス語とヒンディー語で俺の部屋って書いておくよ」

 

言語理解のおかげでヒンディー語すらマスターしているので、何語であっても取り敢えず注意書きを書いてぶら下げておく程度は造作もない。

 

「それと……悪かったな。Nを……モリアーティ教授を裏切らせちまって」

 

どうにも色っぽい雰囲気から逃げようにも墓穴を掘る未来しか見えなかった俺は、真面目な話をすることで雰囲気を変えようと試みる。勿論言った言葉に嘘はない。これは、ネモには言わなきゃいけないことだと思っていた。

 

「───いいのだ。私は今まで、超常の者が自由に生きられる世界を作るためには、教授と共にサード・エンゲージを起こす荒療治も必要だと考えていた。でも、天人の言っていた道───地球人類とレクテイア人が衝突せずに融和を果たす道……。それが出来るのならその方が良いだろう……それが、出来るなら……」

 

それでもネモはまだ自信が無さげだ。きっとネモにはまだその未来を頭に思い描くことも、方法も思い付かないのだろう。だから───

 

「───出来るさ。俺達なら出来る。大丈夫だよネモ。俺を信じろ。俺も、ネモを信じてる。俺達には文字通りの魔法がある……世界の理に干渉する魔法がな。世界と世界の垣根を越えて……世界を変えよう、ネモ」

 

俺は敢えて強く言い聞かせるようにそう言った。ネモの頭と、俺達の魔法があれば何だってできるさ。後で、俺達が本当はどこまでできるのか、共有しなくちゃあいけないよな。それにもしかしたら、ネモなら俺達が思い付かなかったような魔法の使い方も出てくるかもしれない。そこに俺のアーティファクトやユエ達の魔法があれば、不可能なんてもんは全部俺達の足元で理不尽に平伏すんだぜ。

 

「……具体的に、どうするつもりなのだ?」

 

「……細かいことは俺ん分野じゃねぇや。ヒノトが何か考えるでしょ」

 

俺はあくまで実行役。作戦は別の頭の良い人達に考えてほしいね。俺の脳みそじゃそんな難しいことは出来ないからさ。

 

「こら、何でそこだけ無責任なんだ」

 

「……別に、世界中の奴らを洗脳しろって言うならやるぜ。俺ぁ多分出来るからな」

 

魂魄魔法を付与したアーティファクトがあれば、多分それも可能だろう。太陽光収束兵器のように衛星軌道上に打ち上げて、そこから洗脳光線でも降り注いでしまえばいいのだから。

 

「それは……」

 

ネモはそれを聞いて黙り込む。当然だ、そんなのはモリアーティと大して変わらない方法だからな。そんなもの、相互理解の上の融和とは程遠い代物だ。

 

「今のはやらねぇにしても、俺達にゃそれも可能だ。俺達の力をどう使うかはネモに任せるよ。後で、俺達がどこまで出来るのかも擦り合わせなきゃな」

 

「うん……」

 

すると、ネモはポスりと自分の頭を俺の肩に預けてきた。ネモの髪からふわりと女の子の香りが漂う。思わずその頭に手を置いて髪を撫でそうになるがどうにか根性でそれを堪えた。

 

「……次にモリアーティ教授と会う予定は決まってんの?」

 

「ノアとナヴィガトリアとは来月だ。合流点は決まっていないが、西半球の予定なのだ。向こうは揃ってベーリング海に向かっているからな」

 

「……分かった。それまでに俺達ん家族ともちゃんと話さないとな。こっちのレクテイア人達とも皆顔合わせしとかなきゃだし」

 

そう言えば、ミュウはともかくデモンレンジャーなるあの生体ゴーレム達は受け入れられるのだろうか。ルシフェリアのおかげでアイツらが地球の伝承に残ってる悪魔の名前を名乗っていることは分かったのだが、なんでトータス生まれの奴らが地球の文化の名前を名乗るのか、その理由までは結局分からず終いだし。

 

「あ、そうだ」

 

「どうした?」

 

俺はふと気になっていたことを思い出した。

 

「前にお前らと戦った時この艦って穴ぁ空けられてただろ?なのにいつの間にか潜水してたんだけどあれどうしたんだ?」

 

確かマシロは俺との戦いの最中にノーチラスの甲板に幾つかの穴を空けていたはずだ。しかもその後俺もノーチラスの甲板に叩きつけられて随分と凹ませちゃったし。あんなにぶっ壊さてれんのに潜水なんかして大丈夫だったのだろうか。いや、大丈夫だったから今こうしているんだけどさ。

 

「あぁ。問題ない。あの時はそれこそ天人と同じように鋼鉄も加工できる力を持った者がいたからな。その者が直したのだ」

 

「……そいつは、この艦に乗ってんの?」

 

「いや、彼女はノアの乗組員だからな。あの後直ぐに戻ったのだ。だからノーチラスには居ない」

 

今のネモの言い回し、多分そいつも痕持ちだな。へぇ、錬成の元になった力を持っている奴もいるんだな。ていうかホント、今の時代は随分と聖痕持ちが多い気がするな。

 

「聖痕持ちは1人現れると連鎖的にその時代に多く現れるという。30年程前を契機に、今は聖痕持ちがかなり多いのだ」

 

俺の考えを透かしたかのようにネモはそう言った。

 

「30……?40か50の間違えじゃねぇのか?俺ん知ってる最年長の聖痕持ちは40代半ばだぞ」

 

奏永人、奏咲那の父親にして再生の聖痕を持った男。現在は旧公安0課に所属していて俺を半殺しにした男。俺の知っている聖痕持ちの最年長はあの人だ。時点であの時の3人組。アイツらは今まで生きていれば30歳代くらいかな。

 

「その者の聖痕からはどんな力が出力されるのかは分かるか?」

 

「あぁ。……再生だ。あらゆるものの時間を再生する。例え全身をコンクリの染みにされて即死させられても即座に復活できるから殺しようすらない奴だ」

 

「再生……。それは合図であり世界のセーフティネットなのだ」

 

と、ネモは眼鏡をクイと掛け直してそう言った。

 

「その世界に聖痕持ちが現れる合図。その者が現れてから少しだけ間を置いてその時代には聖痕持ちが多く現れる。世界に何らかの不具合が起きて、存続が不可能になった場合はその者の力が溢れ出て()()()()が発生する。そうしてそれで稼いだ時間で不具合を解消した世界は再び回り出すのだ」

 

「……不具合で思い出した。俺が前にティオと一緒に異世界に召喚された時、あの世界は俺があそこから逃げるのを拒んだ。世界の運命はその世界の人間には動かせない。なら何であの世界は崩壊の流れになったんだ?」

 

あの空と竜の世界。あそこは俺が越境鍵で世界から離脱することを拒んだ。あの世界からすれば俺達は異世界の人間だ。それをわざわざ呼びつけて拘束し、世界の存続のために働かせた。あれは一体……

 

「世界というのはどうやら長い長い年月を経ていく間に時折不具合が発生するらしい。そして、それに備えてある程度の防衛機構も備えていると……。天人達はきっとそれに使われたんだろう」

 

そんなことがあるのか。そうなると、この世界の防衛機構は俺達聖痕持ちかな。まったく、俺は掃除屋じゃねぇんだぞ。

 

だが、ネモは俺のそんな内心を知ってか知らずか、さっきの話の続きだが……と言葉を繋ぐ。

 

「聖痕にはそれぞれ対になる聖痕が存在するのだ。聖痕はどれも強力過ぎるからな。使う人間の人格如何によっては世界を滅ぼしかねないし、安全装置が必要なのだ。そして、天人の強化と白焔と対になる聖痕こそが再生だ。あれはセーフティネットでもあるが、その絶対性から他の聖痕であっても太刀打ちが不可能なのだ。だが、万物の魂すら燃やし尽くす白焔だけは唯一それをもつ者を消せる」

 

なるほど、聖痕の力を燃やす聖痕。何がどうしてこんな力があるのかと思ったこともあるにはあるのだが、そういうことだったのか。しかし……

 

「じゃあ、強化の方は?」

 

「それには諸説あるようでな。再生の聖痕には強化と白焔の両方がないと敵わないという話と、天人は自身への強化しか出力出来ないようだが、自分以外の何かへの強化が出力できる聖痕もあると聞く。そちらと対になっている……という話もある」

 

「へぇ」

 

まぁ確かに、俺のは俺と、精々着ている服程度までしか強化出来ないけど、それがあるなら逆もまた然りってわけか。

 

素直に頷いた俺にネモは「私も全てを知っているわけではないがな」と付け加えた。

 

「それと、あらゆるパラレルワールドの中で聖痕が残っている世界は、唯一この世界だけらしい」

 

確かに、それは俺も気にしていたところだ。俺とリサは何度も何度も異世界を回っていた。けれどその中では1回足りとも聖痕持ちと邂逅したことがなかった。聖痕は全ての世界の力の根源の世界へと繋がっているのだから、1回くらいは出会っても良さそうだったのにな。

 

確かに、聖痕持ちにしか分からない独特の感覚として、聖痕を持っている人間のいる世界は減っているのは何となく伝わっていた。だからどうとも思ったことはないけれど、まさかもうここだけとはな。

 

「他の世界では、世界そのものに聖痕の記録は残されている場合でも体質としてはもう完全に無くなっているらしい。理由までは私も知らないのだが……」

 

「……て言うか、今の聖痕の話全部誰に聞いたんだ?」

 

ネモは聖痕なんて持っていないはずだし、そもそも聖痕はそんな簡単に現れる存在ではないから、幾らなんでもそんなに細かい研究が進んでいるとは思えない。聖痕を持っている俺だって今の話は知らないことばかりだったのに。

 

「世界の扉を開く聖痕があるのだ。今代のそれを持つ者は男だったが、前に教授と私の2人の前に現れ、聖痕について知りたがっていた教授は彼から様々な話を聞いていた。今の話も、そこで聞いたものだ」

 

世界の扉を開く聖痕……アイツか。俺とリサをISのある世界に飛ばし、そして数ヶ月後に現れ……と言うか俺がそうなるようにユエの神言で誘導してもらったんだけど。

 

ともかく、そうして再び俺達の前に現れたそいつにリサも世界を渡る方法を聞いたんだったな。まぁアイツはどうせ自分の力でこの世界に帰ってきたんだろう。

 

「ふぅん。そういやさ、ノーチラスを見て回ってる時に学校の授業みたいなことをしてるのを見たんだけど、ここは学校の代わりもやってんの?ノアってのがレクテイアと地球を繋ぐ艦だろ?んで、ナヴィガトリアは戦闘艦で護衛って感じか。……ノアが連れて来たレクテイア人をノーチラスで勉強させるってサイクルでいいんだよな?」

 

フラフラと見て回っている時、俺はふとレクテイア人達がそれぞれ先生になって地球の常識や勉強を教えている光景を見かけたのだ。それはさながらイ・ウーのようにも見えた。

 

「おおむねそうだ。ノアでやって来たレクテイア人はここノーチラスで教育を受ける。陸上での生活やNに関する活動は先に陸で生活しているレクテイア人やNの翼賛者がサポートする。それらを円滑に進めるためにこちらの世界の人間が3艦のうちのどれかに乗船する場合もある。私もそのうちの1人と言えばそうだ」

 

なるほどな。俺はNの人間関係を大雑把にモリアーティの派閥とネモの派閥に分けていたが、割と正解に近かったんだな。

 

「それだけではない。ノアやナヴィガトリアには、地球人類を暴力で支配してしまえばいいというような思想で凝り固まっている者の受け皿にもなっているのだ。例えばここで学ぼうにもその気が無かったり、考え方が変わらなかったりした者達がそうだ」

 

と言うネモの言葉で、俺はふと1つの仮説を思い付いてしまった。仮説……いや、多分だけど、こういう小難しい話にしては珍しく俺の中には"こう"という確信があった。けれど、それを今ここでネモに話してしまっても良いのかどうか、そこに確信が持てなかった。

 

仕方なしに俺は今この世界でどこの国や組織が砦でどこが扉派なのか、日本の立ち位置はどこか等をネモから聞き出していく。

 

すると、その会話の中で───

 

「───私としては、貴様のいる台場に浮上したかったよ。そうすれば先日も電車で迷うこともなかった。……いや、それだと天人と2人でランデブー(Rendezvous)、出来なかったな」

 

日本はアメリカ(砦派)中国(扉派)の両方の顔色を伺っていてどっち付かずではあるが、今はやや砦派。だからノーチラスは横須賀や東京湾には自由には出入り出来ない。という話の中で、ネモが急に色気付いた話題を投げ込んできた。

 

ランデブー……恋人同士の逢い引き。その言葉を発したネモは頬を赤く染め、もじもじしながら俺を上目遣いで見てくる。……何か言えってこと?それとも、何も言うなってことかな。俺がもしここで何も言わなければ、あの東京駅から家までの一時を恋人同士の逢瀬(ランデブー)と認めたことになる。ネモとしては、そうしてほしいのだろう。

 

て言うか、最初はピッタリと閉じられていたネモのミニスカートから見えている御御足(おみあし)が、今は少し開いているぞ……。しかもキャミなんて大した防御力じゃないから、ネモがちょっと身体を動かせばその奥に秘されている筈のものまで見えてしまいそうだ。

 

ネモの奴……分かって今のこの体勢を作っているな。しかも何かさっきより距離も近いし……。

 

その距離感と急に見せてくるネモの女の部分に戸惑った俺は、ネモのランデブー(逢瀬)を即座に否定できなかった。そして、その数秒を稼ぐことがネモの目的だったのだろう。

 

ネモが「ふふっ」と悪戯っぽく微笑む。俺は取り敢えず何でもいいから言葉を発しようとして

 

「ネモ───」

 

「───好きだ」

 

しかし、それをネモに止められる。それも、思ってもみない……いや、気付いてはいたけれどまさかこの場で飛び出すとは思っていなかった言葉に。

 

「天人、私は貴様のことが好きだ。天人は私に友達になろうと言ってくれたが、もう私はそれだけでは我慢ができない。もっと、天人と深い仲になりたい……」

 

そして、ネモが俺の胸の中にしなだれかかってくる。

 

「ネモ……」

 

それを、俺は何故だか抗うことなく受け止めようとして───

 

「……天人、いるんでしょ?」

 

コンコンというこの部屋の扉をノックする拳の音とユエのちょっと冷たさの込められた声によってネモの肩を掴んで身体から離す動作へとシフトした。

 

「また、話そう」

 

俺はそれだけ言い残してネモの艦長室のドアを開けた。気配感知の固有魔法が示した通り、そこにはユエとシアが冷たい目をして立っていた。

 

「おう、ユエ、シア」

 

「……んっ。行こ、天人」

 

「あんまり夜遅くに女の子の部屋に行っちゃ行けませんよ?」

 

「分かってるよ。ちょっと真面目な話してたんだ」

 

実際、俺の寝床の話とNやモリアーティ、レクテイア人達の話をしていたからな。どうしたってネモに色っぽい雰囲気にされそうだったけど……。だから2人ともそんなに疑うような目をしないで……。ホントに、本当に何もなかったんだってば……。

 

 



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神霊世界

 

 

「神代天人、ちょっと荷物を運ぶのを手伝ってほしいでち」

 

と、ユエとシアによってネモの元からどうにか落とされずに逃げ出せた俺は、一晩明けてネモに渡された宿題を片付けようとノーチラスに設けられている教室のような部屋に向かう途中でエリーザに話しかけられた。その後ろにはミヒリーズも見える。2人いればどうにかなるのではないかとも思うけど、もしかしたら結構重いのかもな。2人ともそんなに力のある方には見えないし、俺は力仕事だけが取り柄みたいなもんだからな。エリーザからはともかく、ミヒリーズからの好感度は低そうだから、ここらで一丁好感度を稼いでおくか。

 

と、俺は「いいよ」と2つ返事でエリーザに着いていく。すると連れてこられたのはノーチラスの艦首・右舷側。そこには奥まったところまで段ボール箱が無造作に積み上げられた部屋があり、向こう側には古臭いがマンシルエットのターゲットも見える。少し火薬の匂いもするな。

 

しかも中に入ると分かるのだが、配管の都合なのか熱が篭っていて、俺でなければきっと蒸し暑いだろう。足元は柔らかいが無反響のタイルが敷き詰められているな。

 

「奥にある段ボールを3箱ほど取ってきてほしいでち。男なら力持ちだろうから、頼むでち」

 

「あいよ」

 

すると、俺はふと気配感知でリサの気配が奥にあったのに気付いた。リサも何かここに取りに来たのかな?どうせならそれも持って行ってやるか。

 

と、俺が奥に足を踏み入れたその時───

 

───バタン、と扉が閉められた。……あれ?

 

「キャハハ!お前は偉大なアスキュレピョス様を殺した仇だぞ!死ね!」

 

「男なんて、ノーチラスには相応しくないでち。そこで干からびてろでち」

 

そして、エリーザの言葉が終わるか終わらないかのタイミングでプシュッと空気の抜ける音がする。げっ……ここ防音室だぞ……。閉じ込められた……。いや、エリーザもミヒリーズも知らないんだろうけど、別に音が通らなくても念話は通るからユエもシアも呼べるんだけどな。そもそも別に俺はこの程度の扉はぶち壊せるし越境鍵もあるから出ようと思えばいつでも出られる。

 

だから閉じ込められたとは言え俺としては特に焦りもない。最悪毒ガスがこの部屋に注入されたとしても俺は問題無いからリサだけ助けてやればそれで大丈夫だ。

 

もっとも、あの子達は俺をこれで殺せたと思っていそうだからそんなことはないんだろうな。そもそも多分この部屋完全防音だから毒ガスの入口とか無さそうだけど。あるとしたら酸欠で死ぬくらいかな。さて、それなら俺とリサの2人でもまだ少し時間には余裕があるな。

 

「───リサ」

 

「えっ!?あ、ご主人様!」

 

と、リサは俺がここに来ていることに気付かなかったらしく、驚いた顔をしながら奥のダンボールの山から出てきた。

 

「どうされたのですか?」

 

「んー?ちょっと閉じ込められた。まぁ直ぐに出られるよ。それよりリサは?」

 

「はい。リサはここにカレーのルーを探しに来ていました。ルシフェリア様がノーチラスの皆様にカレーパンを布教していて、それが大盛況なのです」

 

それでここからカレーの匂いがしたから入ってみたら、俺に巻き込まれて閉じ込められてしまったようだ。ふむ、つまりエリーザ達はここにリサがいることは知らなかったんだな。これは不幸中の幸いだ。俺がこの程度の扉を開けることに苦労しないことも、俺がいる時にこの扉が閉められたこともね。

 

「ふぅん。……ちなみにここ、完全に防音っぽいんだよね」

 

マンシルエット・ターゲットもあるし床は無反響タイル。火薬の匂いも少しだけ残っているから、ここは射撃練習場としても使われていたんだろう。今はドアも密閉されているし、完全な密室というやつだ。

 

「は、はい」

 

俺の言わんとしていることが伝わったらしく、リサは顔を赤く染めて少しだけ目を逸らした。そんなリサを俺はふわりと抱きしめる。

 

「そんなに時間は無いけどさ。久々の2人きりだね、リサ」

 

「はい。ご主人様。……あっ、でも……」

 

カレー粉の箱を段ボールに置いたリサの両腕が俺の胸に当てられる。見ればこの部屋の蒸し暑さでリサはじんわりと汗をかいているようだった。もっとも、リサが汗っかきなことも、この部屋の温度と湿度を考えれば汗をかいているであろうことも、俺には分かっていたことだけど。

 

「いいよ。リサは汗だって良い匂いだ」

 

「あっ……そんな……」

 

俺はリサの両腕を取ると、それを外に回してもう1度抱きしめ直す。そうしてリサの色素の薄い金髪の中に鼻を埋め、思いっ切り息を吸った。鼻腔を通り抜けるのはリサのメープルシロップのような甘い香りと少しの汗の匂い。けれど、俺にとってはリサから香る香りは全てが心をくすぐる香りなのだ。

 

「……んっ」

 

俺の吐息が擽ったいのかリサが身を捩る。けれど俺はリサを逃がさぬよう、リサの後頭部に手を回し、首筋に舌を這わせる。じんわりと浮かんだリサの汗を舐め取れば、リサの口から漏れるのは甘い吐息。それが俺のアクセルをどんどんと押し込んでいく。

 

「……ゃぁ……あっ……んんっ……」

 

そうして今度は正面で見つめ合うように顔を向けて、リサの桜色の唇にキスを1つ落とす。1度目は直ぐに離し、2度目は数秒ほど唇を重ね合わせ、3度目ではリサの舌が俺の口をノックした。

 

俺はそれを迎え入れ、入ってきたリサの舌に自分のそれを絡ませる。

 

「……んっ……ふっ……はむ……ちゅ……」

 

吐息と水音、リップ音が重なり合う。蒸し暑い密室の中でリサの匂いが充満していくような錯覚に陥る。それはきっと、今の俺の視界の全てがリサに覆われているからか。

 

「リサ……愛してる……」

 

「ご主人様……リサも、ご主人様を愛しています」

 

1度唇を離し、銀糸の橋を渡してから再び俺達は口付けを交わしていく。そこで俺はふと、1つ思い出したことがあった。

 

「リサ……久しぶりにタメ口で呼んでくれない?」

 

リサの形の良い耳を撫でながら俺はそう提案する。リサは自分がメイドであることを誇りに思っているから、こういうのは俺から頼まないと絶対にやってくれないのだ。

 

「それは……」

 

そして、だからこそ1回は確実に渋る。でも基本的に頼みは聞いてくれるし、その場限りの()()()ということにすると案外やってくれたりする。

 

「ねっ?そういう()()ってことでさ」

 

「そういうことでしたら……」

 

「んっ。ありがと、リサ……んんっ」

 

「んちゅ……んゆう……天人……くん……んんっ……」

 

リサはタメ口だと基本君付けらしい。まぁリサがタメ口で喋ってるところなんて子供相手ですら見たことないんだけどな。けれど、普段のご主人様呼びや外での様付けとは違うこの呼び方をされると、どうしたって俺の中の熱は瞬間的に沸騰しそうになるのだ。

 

「リサ……っ……ちゅ……ん……」

 

俺はリサの背中側からブラウスの中に手を入れて汗でじんわりと湿っているリサの背中に触れる。触れれば簡単に折れてしまいそうな背骨をなぞるように指で上下に擦り皮膚の上から骨の凹凸を楽しむ。上へ進めば、指先がブラのホックに触れる。それを少しだけ持ち上げて指をホックと肌の間に入れてみたり、抜いてリサの肩甲骨を撫でてやったり、俺は右手でリサの背中を楽しみながら、左手はリサの肉付きの良い柔らかな太ももを撫でてる。リサは俺がそうするだけでキスの合間に盛れる吐息の声が甘くなる。それに気を良くした俺はリサの柔肌を更に堪能すべくガーターストッキングの中に侵入していく。

 

「あん……んんっ……はっ……んちゅ……あっ……」

 

そして、リサも俺の背中に右手を回し、防弾ワイシャツの中に手を突っ込んで背中を擦ってくる。それだけでなく、リサの左手は正面から俺に挑み、その白魚のような細い指で俺の胸板を、腹筋を、筋肉の割れ目に沿ってなぞっていく。

 

「んんっ……天人くん……んちゅ……好き……好きなの……」

 

あぁヤバい。ここは完全な密室で、酸素の量にも限りがある。本当はそろそろ出なければいけないのにリサにこんなに触れられながらそんな風に言われてしまうと、俺の中のブレーキが完全に壊れてしまいそうになる。

 

「好き……天人くん……んっ……もっと……んんっ……」

 

うわ言のように俺の名前を呼び、好きだと告げてくるリサに俺の脳みそはもう沸騰寸前。リサの甘い声で睦言を囁かれ、柔らかな彼女の香りと汗の匂いに包まれて俺の脳みそが耳と鼻からリサに支配されていく感覚。

 

「ん……はっ……はぁ……愛してる……んちゅ……はぁっ……あっ……」

 

けれど、明らかにキスのし過ぎだけではないリサの息切れの声を聞いて、どうにか頭の中の理性が吹き(こぼ)れそうになるのを抑える。

 

「リサ、愛してるよ。……でも、もう出なきゃな」

 

夢のような時間は終わった。俺とリサの愛が途切れるわけではないけれど、きっと今日の逢瀬はここまでだ。キスだってもっともっとしていたい。だけどこの密室では時間はどうしたって訪れる。

 

「また、今度な」

 

「うぅ……ご主人様は狡いです……」

 

リサも、段々と自分が酸欠になりそうなのが分かっているからか、身体を震わせて名残惜しそうな雰囲気こそ出すものの、いつもの口調に戻していた。それが合図となり、俺と2人、指を絡ませあって分厚い防音の扉の前に立つ。

 

「じゃ、空けるよ」

 

俺は扉に意識を向け、絶対零度を発動させる。あらゆる物質を0に帰すそれが俺の魔素を燃料に発動し、ライフル弾だって弾く筈のそれに、俺達2人が並んで通れるくらいの大穴を開けた。

 

「───っ!?」

 

 

「───きゃっ!?」

 

2人は俺を殺せたと思い込んでいたらしく、部屋の前でジュースで乾杯なんてしていたようだ。そこで俺の存在に気付いて驚いて腰を抜かしている。俺はそんな2人よりもまずはぶっ壊した扉を直すために再生魔法のアーティファクトを宝物庫から取り出して、大穴の空いた扉に時間を巻き戻す光を照射する。

 

そうすれば破片すら飛び散ることなくぶち壊された扉も、そんなことは無かったかのように元の重厚な姿を取り戻した。

 

「……俺を殺したいなら、他の誰も巻き込まないようにやってくれ。頼むよ」

 

だけど俺はお前達を殺さないよ。そう言うかのように俺はあの部屋の中で拾った缶詰を2つ、エリーザとミヒリーズに渡してやる。もちろん爪で蓋を開けたやつをね。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……天人、シアはどこ?」

 

密室に閉じ込めらてから数日が経ったある日、俺が教室で課題を解いていると、ふとやって来たユエがそんなことを訪ねてきた。後ろにはミヒリーズもいて、シアと仲の良いあの子がシアを探しているのだろうと思った。

 

「んー?いや、俺ぁ見てねぇけど、念話で聞いてみれば?」

 

潜水艦であるノーチラスはゴチャゴチャしているし人は多いけれど所詮は潜水艦だ。それもイ・ウー程大きくもないからな。探そうと思えば探せるし、何より俺達には念話のアーティファクトがあるのだから大した問題ではないと思ったのだが……。

 

「……シアから反応がない。天人、羅針盤で探せる?」

 

 

そんなことあるのか?と思いつつも俺はそれほど心配はせずにただ軽く羅針盤で今のシアの現在地を把握しようとした。だが概念魔法が付与された導越の羅針盤をして、シアの今の居場所を捉えられなかったのだ。

 

もっとも、今俺が注いだ魔力はそれほど多くはなく、それこそ地球の裏側に行っていたら捕まえられない程度ではあった。確かに俺がノーチラスに増設した『神代天人の部屋』の奥には空間転移のゲートが置いてあって、俺の部屋とノーチラスを自由に行き来できるようにアーティファクトと化してあった。これを通して今はティオとミュウ、レミアだけでなくジャンヌやエンディミラ達もこっちに来たり日本に戻ったりしている。だからシアがあれを通ってフラッと日本に戻っていても不思議ではない。

 

けれど、それでユエの念話にも反応しないなんてことがあるだろうか。不審に思った俺は氷焔之皇の加護でシアを探す……が、見当たらない。封印ではなく加護であればこの地球のどこにいてもおおよそは分かるというのに。

 

焦った俺は直ぐ様羅針盤に莫大な魔力を注ぐ。更に体内の魔炉──永遠に廻る天星(アンフィニ・リュミエール)──を起動。即座に爆発的な魔力を獲得していく。

 

 

──永遠(とわ)に廻る天星(そらぼし)──

 

 

俺とティオが飛ばされた世界で手に入れた永久機関。それの1番巨大な珠は俺の体内に収められ、魔力や魔素を無限に発生される魔炉として機能している。

 

本当は大仰な名前なんて付ける気は無かったのだけれど、ティオから絶対に頑張った名前を付けろ、さもなくばこれは使わせないと言われてしまったのだ。完全に汎用のアーティファクトとして使うつもりの小型魔炉の方には何も言ってこなかったが、俺がこれを自分の体内に捕食者と変成魔法で取り込むと言ったらそれならばと厳命された。

 

どうやら最近、俺が自分の身体をアーティファクト(道具)のように扱っていると感じていたようだ。だからせめて愛着くらいは持てということらしい。まぁ、俺が自分の身体を道具のように思っていることは否定しない。それに、ティオから大事に思われているというのは俺としては心地良いことなので、魔炉のアーティファクトに名前を付けてやる程度であれば迷う必要も無い。まぁ、名前を考えるのにはそれなりに時間が掛かったけれど。

 

「……どうしたの?」

 

と、急に羅針盤に莫大な魔力を注ぎ出した俺を見て、ユエが心配そうな声を出す。俺はそんなユエの頭を軽く撫でてやりながら

 

「んー?シアがちょっとな。……別の世界に飛ばされたみたいだ。理由は分からん、たまたま飛ばされたのか誰かに無理矢理召喚されたのか。……少し様子見てくるよ」

 

羅針盤でシアの位置は特定できた。トータスでも香織達の地球でも無い。俺が行ったことのない別の世界。とは言え今の俺には無限大の魔力と魔素があるからそれほど心配はしていない。

 

「……私達も行く」

 

異世界に渡る魔力は俺がいるから問題無い。今の俺ならユエ達から魔力を借りなくても何の問題もなく向こう側へ渡ることが出来る。

 

「んー……どんな理由であっち行ったのか分からんし、飛んで帰るだけだから大丈夫だよ」

 

別に俺1人で言ってもそれほど問題はあるまい。と言うか、行って帰ってくる程度だと向こうの土や植物の種などを持って帰ってきてしまわないように身綺麗にする手間を考えたら1人の方が気が楽だ。

 

「必要なら絶対呼ぶから、ちょっと待っててな」

 

「……むぅ」

 

ユエはちょっと不満そうだったが確かに大人数で行く理由もないので強く反論できない。けどシアに何かあったのかもしれないのなら絶対に自分も行きたい、そんなユエのシアちゃん大好きっ子がありありと見て取れる表情。

 

「例えばシアが何か戦いに巻き込まれてたとして、それこそ俺が行かなくても解決できるレベルだったとしても、シアが戦うつもりならユエ達も呼ぶよ。1時間で終わる戦闘を態々1時間きっちり使う必要はねぇ。3分で終わらせようぜ」

 

「……んっ、それなら」

 

もちろんそうなったらユエだけじゃなくてティオも来るだろう。だってテーブルを挟んだ向こうでそんな顔しているし。ぶっちゃけ今のコイツらがいれば神域ですら制圧出来る戦力なので、大概過剰戦力になろうと思うが、まぁ手早く終わらせるに越したことはない。

 

「じゃあちょいと行ってくるよ。夕飯までには戻りたいし。一応、ティオと一緒にいてくれ」

 

と、俺は越境鍵に魔力を注いでいく。その間にリサ達と行ってきますのキスを交わし、そして異世界へと続く扉は開いた。それを潜れば目の前には別の世界が広がっていた───

 

 

 

───────────────

 

 

 

「んー?」

 

俺は確かにシアの傍の数百メートルの座標を指定したはずだ。そこならシアが戦っていても邪魔にならずに様子を伺えると思ったからな。

 

だが目の前にあるのはただの荒野。シアの姿はおろか、人っ子一人いやしない。何故だか知らんが越境鍵の座標をズラされたらしい。これはもしかしたら、シアは俺が思っている以上に面倒臭いことに巻き込まれているのかもしれないな。

 

「……あっちか」

 

俺は再び羅針盤に魔力を注ぎ、次こそシアのいる座標を特定。そして越境鍵に魔力を注ぎ、彼女の傍に扉を開いた。すると───

 

「良かった……無事だったか……」

 

「天人さん!!」

 

巨大な重力場のようなものに引き込まれそうになっているシアがいた。そんなシアの腰を抱き、俺は空力で空に立つ。どうやら俺はシアを引きずり込もうとしているこの力場の中に扉を開いたらしい。だからか俺自身にはその影響はなく、むしろ力場その物が俺の氷焔之皇に触れて消滅した。そして、俺に流れ込む力はやはり莫大。これを生み出した奴はそれなりに力のある奴のようだ。

 

「天人さん……天人さぁん!」

 

シアが俺に甘えるように頬を俺の胸板に、ウサミミを肩や首に擦り付ける。俺はそんなシアを抱きながら周りを見渡す。まるで竜のような翼を生やした男、何やら人間とは少し違った雰囲気を醸し出す美丈夫。あと空には人間っぽい奴らがいっぱいで、他にもRPGゲームや漫画で見たようなモンスターというか獣というか……ともかくそんなのが空に覆っていた。

 

───何という……新たな異界の子……まさか自力で界を渡り、我が力を退けるとは

 

何やら声が降ってくる。氷焔之皇を抜けてくるということはこの声そのものは超常であっても空気の振動を利用した音声であることには変わりないらしい。

 

───やはり異界の子は危険です。この世界のために消え去りなさい

 

すると、空の人間と怪物達が気迫の声を上げる。どうやらこの空から降る声の主と天空を支配しようという奴らは仲間内らしい。んで、下の奴らとシアが共闘……なのかな?まぁ、何はともあれ……

 

「帰るぞ、シア。皆も待ってる」

 

鬱陶しいコイツらは全部潰す。それだけだ。

 

俺は頭上に魔法陣を大量展開。そこから氷の槍を射出し、獣共を肉片へと変えていく。

 

更に空にいる人間……よく見ればその魂は俺の知る人間のそれとは少し違うようだが、ともかくそいつらは全員纏めて魔氷で拘束。

 

1万程はいたそいつらだが、今の俺の魔素量は実質的に無限大。万人を一瞬で拘束するくらいワケはない。

 

「何ということを……っ!許しません!!」

 

何やら炎っぽい人型が上空へと昇る。どうやらあれは、この中じゃ一際人間とは掛け離れた存在……神に近いように思えた。

 

「太陽の光に焼かれて死になさい!」

 

そして降り注ぐのは天からの灼熱。太陽光が槍となり、俺の全身を炭化させんと迫る。けれど、その程度じゃ俺は殺されてやれないんだよ。

 

「なっ……!人の身でこんな力を……」

 

俺も太陽光収束兵器を召喚。一気に6段階目まで炉を解放し、逆に光の槍ごと奴を飲み込む。

 

「異界の怪物……滅んでもらうぞ!」

 

今度は大地が隆起した。現れたのは土の巨人。けれど、そんなものは今更相手にもならない。奴の振るう剛腕を、俺は避ける素振りすら見せない。いや、避ける必要が無いのだ。

 

「なっ……」

 

そして奴の土塊の腕が消えた。そいつは俺の絶対零度の壁に触れたのだ。そしてそのまま両腕と両脚を絶対零度によって銀氷と散らす。

 

どうやら再生能力があるみたいだが、俺の前ではどんなに再生しようとも何度だって消え去るのみ。何度も何度も破壊と再生を繰り返していくが、そのうち再生速度が極端に落ちてきた。どうやら奴らにも限界ってものはあるらしいな。

 

すると、シアの傍にいた黄色い何がしかが浮かび上がる。

 

「母よ!ルトリアよ!火輪と大地をお呼びください!!このままでは!!」

 

と、何やらルトリアとかいう存在に呼び掛けている。だがルトリアは答えない。応えられない。精々が獣達をこっちに寄越すのが精一杯。だがそれすらも俺の氷の槍に貫かれて散っていくばかり。

 

「助け舟は来ねぇぞ」

 

仕方なく俺はその黄色いのに声を掛ける。シアの傍にいたってことはコイツはシアの敵ではなさそうだが……。

 

俺はつい、と空を指さす。そこには俺の魔法陣が展開されていて、そこから放たれる氷の槍はルトリアとか言う……コイツらのボスの元へと向かっているのだ。場所は羅針盤で特定済み。敵の親玉なんてもの、さっさと潰すに限るんでな。

 

「貴様ぁ!!何をしているのか分かっているのか!?ルトリアはこの星の意思そのもの!この星の全ての命の母なのだぞ!!それが滅びれば───」

 

「───だから何だよ。人の女ぁ担ぎ上げて戦わせて……悪ぃけどこの世界の命全部とシア1人の命なら……シア1人の命の方が遥かに重いんだよ」

 

俺にとってはこの世界はただシアを拉致した世界に他ならない。そして、シアが人間その他を率いてあの声の主やその手下達と戦っていたということは、あの声の主───ルトリアとかいう奴は、俺達を排除しようとしていたため、今さっきの復讐を除けば俺とシアが帰る分には素直に返してくれる可能性もある。

 

だが問題はシアが率いていた奴らだ。シアがたまたまこの世界に飛ばされ、成り行きでコイツらの味方をしていただけならまだ良い。だがもしシアが召喚されていた場合は、再びシアを召喚する可能性がある。当然そんなことを許しておけるわけがない。さっき越境鍵が使えたということは、多分この世界からの離脱はできるんだろうが、それで逃げてもまたシアが召喚されるんなら意味が無い。最低でもシアを呼び出した奴らがいるのならそいつらは確実に殲滅する。

 

「んで、シア。シアはどうしてこの世界に来たんだ?」

 

取り敢えず太陽光収束兵器と絶対零度による破壊はもういいかとアーティファクトを宝物庫へ仕舞い、絶対零度のループを取り止める。すると赤いスライムみたいなのと土色のスライムっぽいのがぽよよんと現れた。まぁ、あれはもう抵抗する力も無さそうだから放っておこう。

 

「え……えっと……」

 

チラリと下を見やりながら言い淀むシア。つまり人間その他グループによる召喚で決定。だがアイツらを率いて戦っているということは、シアはいきなり戦いに巻き込まれたというより、奴らに乞われてその力を貸していたのだろう。でなければさっさと逃げていたはずだ。

 

「……んっ、だいたい分かった。───じゃあそっちのお前ら、シアをこの世界に呼び出したのはどこのどいつだ?」

 

もう氷の槍の嵐も止めていいだろうと、俺はルトリアの方に向けていた氷の槍も引っ込める。

 

「───我ら天人(てんじん)を舐めるなよっ!」

 

だが、両手を拘束された程度では奴らは諦めないらしい。獣共を叩き潰していた氷の雨が止むと見るや何人かが魔法のようなものを発動させて俺を殺そうとする。だがそんなものは氷焔之皇のまえではまるで意味をなさない。ただ消え去り俺の力となるだけだ。

 

「俺に構うより早く帰ってママの怪我の具合でも見てやるんだな」

 

ドロリと、俺から漏れ出た魔王覇気を感じたのか、テンジンとやらは悔しげに顔を歪めたながらも踵を返してルトリアの方へ向かっていった。

 

さて、ようやく聞きたいことが聞ける。

 

「───お初にお目にかかります!私はバルデッド王国が筆頭霊法師、ルイス・レクトールと申す者。シア……殿の召喚をした張本人でございます」

 

命乞いのつもりか、俺が何かを言い出す前に綺麗な土下座と共に1人の男が自白した。さて、コイツの言う事を信じるのなら、コイツはどうやらバルデッド王国とやらでも強い方のようだ。別にコイツら全員を皆殺しにする必要は無い。ただコイツらの持つ異能の力を全て燃焼させて永久に使えなくしてしまえばいい。異世界召喚に何か設備を用いたのであれば、それも羅針盤で特定して破壊すれば終わりだ。

 

その後でコイツらがあの変な神みたいな奴らとの戦争で生き残れるかどうかは知らない。絶滅か隷属か、はたまた隠れ潜む生活を送るのか。そんなことは俺の範疇に無い。無いのだが、シアが戦っていたという事実が俺にその選択肢を選ぶことを躊躇わせた。

 

「あっそ。……お前らがシアを呼んだのはアイツらと戦うためで、シアはお前らの言葉を聞いて手伝った。なら何故そうなったのか、包み隠さず全部話せ」

 

「天人さん……」

 

再び俺の腕に抱かれたシアが俺を見上げる。そして俺の首にその白く細い両腕を回すと

 

「天人さんっ!んちゅう!!」

 

全力でその桜色の花弁を俺の唇に押し当ててきた。

 

「んっ、ちゅ……」

 

そして当然、俺もそれに応える。シアは俺とキスを交わしながら「天人さん天人さん」と俺の名前を呼ぶ。俺もシアの名前を呼び、髪を梳き、唇を重ねる。

 

「んんー!天人さん、会いたかったですぅ!」

 

「悪い、ちょっと遅れた」

 

「ちょっとじゃないですよ!ほとんど丸1日じゃないですか!何してたんですか?」

 

「丸1日……?時間でもズレてんのか……場所がズレたのもそのせいかな……」

 

どうやらこの世界はトータスよりも遠いのだが、そのせいなのか何なのかは知らないが色々あっちとはズレが大きいらしいな。まったく面倒なことだ。

 

「時間が?……ユエさん達はどうしたんですか?」

 

「んー?まさかこんなにゴタついてるとは思ってなくて、掃除する手間考えて置いてきたんだよ。ユエ達も心配してたよ」

 

「んんっ!少し!いいだろうか!!」

 

と、何やらわざとらしく大きな咳払いと共にやたらと顔の綺麗な男が俺達の会話に割り込んできた。

 

「誰……」

 

「……はい?」

 

シアもだいぶ嫌そう。シアはコイツらを手伝ってたんじゃないのか?それとも、シアが手伝ってたのは人間だけで、その他カテゴリのコイツらのことは別だったのだろうか。そうしたらコイツらもそれなりに力を持っていそうだし、場合によっちゃ全剥奪も考えなきゃな。

 

で、そんな俺の思考を知ってか知らずか、そいつは一瞬俺とシアを見比べ、そしてまた口を開いた。

 

「シア共々、救援に感謝するよ。まずはお互い話を───」

 

「おい」

 

今のは俺の声ではない。いきなり人の嫁呼び捨てにすんなよ馴れ馴れしい……と言おうと思った矢先、シアが……俺も聞いたことがないくらいにドスの効いた低い声でそいつの言葉を止めたのだ。そして俯きながらも俺から降り、そしてそいつの手首を握り締める。

 

「な、何を───」

 

手首が潰れそうな痛みに、その美丈夫がたじろぐ。だがシアはその手に万力の如く力を込めて外そうとはしない。

 

「お前今、天人さんと自分を比べたでしょう?勝てるところを探したでしょう?それで……男の魅力なら勝っていると思ったんでしょう?」

 

いやシアさん、それは間違ってないと思いますよ。何せそいつ、中々見たことがないくらいに顔が良いし。少なくとも顔面偏差値じゃあ俺は敵いませんて。

 

という俺の思考がシアに届くわけもなく、そいつはシアに手首を握り潰されつつ顔面を殴られ続け、そして最後にはジャイアントスイングで思いっ切り投げ飛ばされた。

 

挙句こっそり逃げようとしていた翼の生えた美丈夫もシアがとっ捕まえ、何やらキレ散らかしながらそいつの翼を捥ぎ、鱗を毟り取っていた。

 

……マジでコイツらは一体何がどうなってあぁいう状況になったの?

 

という俺の疑問の解決には、まずコイツら全員並べて色々白状させなければならないようだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

取り敢えずエリックとか言う人類の王様、シアに「ナルシスト死すべし」とか言われてぶち転がされたイケメンの魔王アガロン、シアに翼と鱗を毟られていた美丈夫な獣王にして竜人のグルウェルから粗方の事情は聞けた。あと、メイド服を着ている美少女のダリアはエリックからシアへと主人を鞍替えしたらしい。

 

んで、俺に火力勝負を挑んで消し炭にされかけた結果赤いスライムになったのが火輪のソアレ、再生する度に銀氷と散っていた土の巨人がオロス、最初からシアの側にいた黄色いスライムが雷や電気を司る神霊のウダルと言うらしい。

 

ただ、ソアレとオロスは人間を見下しているからか聞いたことにも答えてくれなかった。なので死者蘇生のアーティファクトを行使せざるを得なかったが、それ以外は比較的順調に情報は集まった。ま、知りたいことなんてコイツらとアイツらが戦っている理由くらいだけどさ。

 

で、ダラダラと俺はシアとコイツらの会話を話半分に聞いていく。基本的に興味のある話は無かったけれど、どうやらウダルがシアのドリュッケンに余計な手を出し、砲撃モードを()()()()にしてしまったらしい。んで、シアは前から自分には広域殲滅能力が無いとか何とか言っていたので、ウダルがドリュッケンに施そうとしていた神霊武具化とかいうやつをやってみようかと獣王と魔王に洗いざらい様々な情報物品を吐き出させた。

 

とは言え、俺は錬成師とは言え技術屋じゃないからこういうのは正直苦手だ。だからって装備科の手を借りるわけにもいかないから困りものだ。

 

まぁ腰を据えてやっていくしかあるまい。

 

「さて……やることは決まったわけで……どうする?」

 

と、俺はシアに問う。どうする、とは要はユエ達をこっちに呼ぶのかって話。実はシアは俺の嫁だけど俺には他にも何人もお嫁さんがいるよって知った時はそれはそれで一悶着あったけどそれも今は昔。

 

シアもさっきの戦闘で消耗した分は回復したみたいだし、一応ユエには小さくても戦闘になるなら呼ぶと約束してある。とは言えせっかくの2人きり。シアがそう望むのなら俺としては他の子を呼ばずに俺達だけで解決するのも致し方なしだ。どうせ大した奴らじゃなさそうだしな。殺さないってんでも特に問題はあるまい。

 

「んー、多分ですけど、ルトリアさんへ気持ちを伝えるためには、あのテンジンさん達や神霊さん達を抑えなきゃですよね?」

 

「多分な。ま、そこら辺は俺がどーにかするよ。シアはコイツらをルトリアの元まで届けてやればいい」

 

するとシアはふむと頷く。そして、少しの思案の後に顔を上げた。

 

「どうせなら2人でいたいので、ユエさん達には内緒で……」

 

そう言いながらシアはキュッと俺の腕に自分の腕を絡め、その大きな丘の間に俺の腕を沈める。何この可愛い生き物……。

 

「オーケー、怒られる時も2人一緒だ」

 

呼ばれなかったユエとティオは不機嫌になるだろうけど、それがシアの我儘なら仕方あるまい。神霊達や霊獣と言うらしい獣達、後はあの偉そうなテンジン程度を抑え込む程度なら彼女達の手を借りなくてもどうとでもなるしな。

 

「はいですぅ!」

 

花の咲くような笑顔。俺の数少ない語彙じゃそんな言葉しか浮かんでこないけれど、シアの笑顔は彼女のそれがそうであるように、またそれを見た周りの心にも花が咲くような温かい気持ちにさせてくれる。そんな愛らしいシアのデコにキスを1つ落として俺は周りを見渡す。

 

「じゃ、行こうか」

 

手前らの母親に謝るために。ただ神に滅ぼされる運命を変えるために。ここがコイツらの分岐点なのだ、その行き先は……きっと世界だけが知っている。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「あれ……」

 

本当はルトリアの真ん前に飛ぶつもりだったのだが、扉を開けた先はルトリアのいる島の端っこ。確かに俺の氷焔之皇は越境鍵には及んでいないのだけれど、概念魔法に対抗できるとは流石はこの世界の生命の母ってところか。ま、事前に考えた作戦……という程のものでもないけど、考えられる防衛戦の内、プランBの最初の手間が省けたって感じか。

 

しかし俺が1度ルトリアを島ごと叩き潰しかけたせいか凄まじい戦力が集められているな。ドラゴンやデカい獣、テンジンとやらも数万人はいるだろう。他にも神霊と思わしき気配が幾つも。きっと集められるだけの戦力をここに集めて準備を整えていたのだろうな。

 

けどそんなもの俺には関係無い。何が何匹来ようとその全部を受け持つつもりでいたんだからな。そのための準備だって、コッチも整えているんだぜ。

 

すると後ろから神霊の気配。高圧水流を纏い、背後に竜巻すら控えている竜のような姿の神霊。エリックがその名前──海流の神霊メーレス──を叫ぶ。

 

そして放たれた水圧の暴力。水は圧縮して放てば物を穿つことも可能だし量で押し潰すことも出来る、案外破壊力のあるものなのだ。けれど俺にはそんな事は関係ない。この程度の水量ならもう経験済みだ。

 

「───っ!?」

 

エリックやその他の奴らが言葉にならない驚愕を浮かべている。俺の生み出した氷の傘が、──きっとこの世界には無いだろうが──ウォーターカッターよりも圧縮され滝のように莫大な水量の攻撃をいとも容易く受け止めたからだろう。さて、メーレスの顎から吐き出されたってことは……やはり超常のそれだったか。大瀑布は氷焔之皇によって消滅。俺の中へとただ力として還った。

 

「天人殿!シア殿!どうする!?」

 

と、何やらエリックが俺達に問い掛ける。いや、どうするも何もあるまいて。こちとらやることは決まってんだからさ。

 

「ほら早く行ってこい。こちとら飯の時間が迫ってんだ。飯無くなっちまったらどうすんだよ」

 

俺は越境鍵に魔力を注ぎ込みながら、大軍を見て尻込みしているエリックのケツを軽く小突いた。どうやら島のど真ん中……ルトリアの所までの転移は無理そうだ。だが俺の視界の範囲内なら問題は無さそうだ。

 

「ほらほら、天人さんが全部抑えてくれるんですから、私達は急ぎますよ」

 

「なっ……!天人殿1人であれらを全部相手にする気か!?」

 

「問題ねぇよ。むしろ今この状況は好都合。具合が悪くなる前にさっさと行きな」

 

ここにいる戦力全部俺の元に引き付けてコイツらがゆっくりとルトリアとお話する時間を作ればいいのだ。神霊2人がかりで全く歯が立たなかった俺を相手に出し惜しみをする余裕を持っているのかどうかは知らないけどな。

 

「ほら行け!コイツらはきっちり生きたまま抑え込んでやるよ」

 

俺は越境鍵を捻る前にシアを呼ぶ。そしてキスを交わし

 

「……んっ、じゃあ気を付けてな」

 

「はい、天人さんもお気を付けて」

 

俺はシアに「おう」とだけ返して鍵を捻る。扉の向こうは森の直上。俺はエリックをその向こうへと放り投げる。すると空から氷点下のダウンバーストが迫る。そんなものは氷焔之皇で即座に消失。しかし今度は奴らの力を変換することなくそのまま取り込む。

 

「───さっきからどうして!?」

 

その質問に答えてやる必要は無い。知られて不利になる程度の力ではないが、態々こちらの情報を開示してあげる優しさは持ち合わせていないからな。延々と通らない攻撃を繰り返していればいいさ。

 

「神命である!天人族の王よ!母の元へ駆ける不遜な輩に誅伐を下せ!」

 

「………………」

 

行かせるわけがない。俺はこの辺り一体を覆う巨大な氷のドームを生み出した。当然崖下の海の底まで覆う氷のドームだ。例え海水に紛れたとしても逃しはしないよ。

 

「これはっ!?」

 

テンジンとやらが氷の壁を破壊すべく魔法のようなものを発動するが、氷焔之皇を持つその壁に触れたそれらは全て余すことなく俺の中へと力として消える。

 

もうここは俺を倒さない限り誰も出入りが出来ないデスマッチステージと化した。今のうちにシアやエリック達も皆扉の向こうへ行ったしな。

 

さてと、俺はトンファーを両手に構える。目的はシア達の目標達成までコイツらを抑え込むこと。正直物理的な攻撃力が大したことない以上コイツらに対抗手段はほぼ無いのだけれど、ルトリアとやらが大人しく話を聞いてくれる確証は無いし、島の中で跋扈する奴らまではこの中に引き込めていないからな。殺しはしないけど叩き潰されてはもらうぞ、神霊その他達よ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

霊獣の脚が飛び、テンジンの鮮血が舞い上がる。

 

トンファーの鎖に仕込まれた空間魔法で肉体を切り刻まれ、俺にぶん殴られて叩き伏せられたのだ。既に神霊は全て無力化されてスライムになり、氷の檻に閉じ込められている。

 

もっとも、奪った力は時間の経過で回復する範囲内でしかないからそう致命的でもない。だがこの戦闘にはもう干渉できないだろう。

 

残った奴らも数こそ多いけど、獣も含め死なさずに制圧することはそれほど難しくはない。ま、数が数だけに時間は掛かるけどな。

 

「ば……化け物……っ!」

 

「神霊様の力を奪うとは何という冒涜……っ!」

 

神霊の力を奪うのはそれほど難しくはなかった。そもそもが力の塊みたいな奴らだったのだ。力を奪われればそれだけ権能も削られていく。今はもう、スライムのような姿でぽよぽよするのが精一杯。

 

テンジンや霊獣共だってお得意の魔法のような攻撃では俺の氷焔之皇を抜くことができないのだから物理攻撃に頼るしかないのだが……コイツら程度の体力じゃ俺には敵わないし多重結界をぶち抜くこともまた難しい。

 

角と翼の生えた馬が俺の腹を貫かんと背後から迫る。俺はその突進を身を捩るだけで躱し、その角にトンファーの鎖を巻きつけ、空間魔法による断絶により細切れにする。更に鎖を戻しながらその線上に翼を置くことで翼もまとめて捥いでしまう。

 

そうして向かってくる霊獣を叩き伏せ、テンジン達を捻っていく……が、正直途中で面倒臭くなったので魔力の衝撃変換と纏雷で全員まとめて意識を奪っておき、念の為氷で拘束して全部終わらせた。

 

「……最初からこうしとけば早かったじゃんね」

 

という俺に呟きを聞き届けた者は……きっとこの場にはいなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

大地すら砕かんと降り注いだ星が、淡い青色と真紅の螺旋に打ち上げられていた。

 

越境鍵の転移でシアの元へと飛んだ俺だったが、その時には殆ど解決された後だった。

 

ただ、結局のところルトリアも神霊も人の言うことは信じられないという結論。まぁ当然と言えば当然だろう。今まで散々っぱら世界を好き勝手に に蹂躙しておいて今更何を言わんやという話。地球だって似たような話で持ちきりだしな。

 

それに、俺だってコイツらの言うことを信じているわけではない。もうコイツらの生活は完全に霊素とやらに依存しているのだ。そこからの脱却なんて、文明を丸ごとひっくり返すようなものなのだ。

 

それに、仮にコイツらがそれを出来たとして、その次の世代や更にそこから先の未来で果たして人達は霊素を使わずにいられるだろうか。遥か昔の言い伝えをいつまでも律儀に守っていられるだろうか。

 

そうなればまたいつかルトリアと神霊は人を滅ぼしに掛かるだろう。確かにそれはもう俺やシアの知る範疇ではないのかもしれない。けれど、その可能性を残したまま帰ることを、この愛らしいウサギさんが良しとするだろうか。シアは良い子だけれど、人類の善意を頭から全て信じられるほどお人好しじゃあない。むしろ、人の悪意に沢山触れてきた子だから、人を信じたいという想いと共に疑う心だって持っているのだ。

 

だから、シアが笑顔でこの世界から帰るためには

 

「……で、人から霊素全部奪ってこの先も2度と霊素の使える人類が出てこないようにするには、何をどうすりゃいいんだ?」

 

依存症からの脱却には依存先を手の届かないところに置き続けるしかない。だから人が霊素を使えないようにするしか、きっと解決の道は無い。

 

そうしなければ、いつかルトリア達は人を滅ぼす。

 

「……そんなこと」

 

「お前らに出来ねぇならこっちでやる。ま、次善の策もあるから気にすんな」

 

ちなみに次善の策とはここの人類をまとめて霊素の無い別の世界に放り出すこと。俺の氷焔之皇なら今この世界に生きる人類から霊素を根こそぎ奪うことは出来るけれど、その子孫達にまではその効果は及ばない。そうなればまたいつかシアがこの世界に呼び出されるかもしれない。そうなったらもう、俺はルトリア達に味方してこの世界を終わらせるしかなくなる。

 

「天人さん……」

 

「もう2度とシアが召喚されないようにしつつ、コイツらがルトリア達に滅ぼされないようにするには、こうでもしねぇとな」

 

ま、やるのはユエとティオ……それから香織の手も借りるだろう。ユエとティオは呼べば来てくれるとして、香織もまぁシアが大変なんだと言えば飛んでくるでしょ。

 

「天人さぁん!!」

 

と、それで感極まってしまったのかシアが目に涙を浮かべながら俺に飛びついてくる。そうして俺に頬とウサミミをスリスリと擦り付けているシアを撫でながら、俺はエリック達に目線を向ける。

 

そして彼らは頷いた。霊素の無い世界で生きると、自分達から全て奪ってくれて構わないと。その言葉があるのなら、俺のやることは1つだ。

 

俺は越境鍵を虚空に突き刺す。そうして回る鍵と共に開かれる世界を繋ぐ扉。

 

「ユエ、ティオ、ちょっと来───」

 

来てくれ、そう言おうとした瞬間には黄金色と漆黒の魔力光が俺の頭をぶち抜く勢いで扉から吹き出してきた。

 

「……どこのどいつを滅ぼせばいい?」

 

「誰を滅却すればいいのじゃ?」

 

魔力光どころか殺意が溢れ出ている。ユエは大人モード──神域でエヒトがなっていた姿──だしティオももう空にとぐろをまく巨大な竜の姿になっていた。

 

このユエの大人モード、実は魔力の最大出力量が上がるのだ。持っている総量がいくらあっても瞬間に出力できるパワーには限りがある。それは俺も同じで、それを増やすのが限界突破であり、ユエのこれは擬似的な限界突破のようなものだ。しかも限界突破の固有魔法と違って大人モードは解いても倦怠感などのデメリットがない。精々、力を使い過ぎればこのモードが解けていつもの小柄なユエに戻るって程度だが、それで別に動けなくなるわけじゃないから問題は無い。

 

「殺すな殺すな。呼んだのは違う理由だよ。……あと香織も呼ぶから待っててね」

 

と、俺は羅針盤で香織の座標を特定。どうやら南雲家のリビングにいるらしいから取り敢えずお呼び立てしても大丈夫だろうと俺は越境鍵を虚空に突き刺す。

 

そして世界の隔たりを繋ぐ扉を開けば白崎香織さんは彼氏家族と仲良く談笑をしていた。

 

「香織!シアが大変なんだ、すぐ来てくれ!」

 

と、俺がまるで凄く深刻な事態が起きているかのような声色でそう呼べば───

 

「───誰を分解すればいいの!?」

 

と、白銀色の魔力光を迸らせながら銀翼を羽ばたかせながらこっちに現れた。コイツも随分と殺意が高いし息子の彼女がいきなり翼生やしてぶっ飛んでいったから南雲家の皆さん驚きで顎が外れそうだよ。

 

俺は南雲家に「すみません、香織少し借ります」とだけ言い残して扉を閉じた。そして、ルトリアやアガロン達を今にも分解の砲撃で消し去りそうな香織に呆れつつ

 

「殺しませんし分解しません。ちゃんと説明してやるから話を聞いてくれ……」

 

 

 

───────────────

 

 

 

そして世界は改変された。

 

香織が一旦この島を再生魔法と回復魔法で癒し、その後にユエとティオの魂魄魔法と変成魔法でこの世界の人類から霊素とそれを扱う可能性を根こそぎ奪った。その改変は彼らという存在の根本まで及び、彼らの子孫達ももう霊素を扱える能力を持って生まれることは無い。

 

そして、世界の有り様を丸ごと変えてしまったというのに俺達はこの世界から追い出されることがなかった。ということはこの世界の未来というのはきっといつかこうなったのだろう。むしろ崩壊まであまり猶予がなさそうだったから、シアが召喚された時点でこうなることが確定していたのかもしれない。

 

そして、だからこそこの世界に来た直後から越境鍵が使えたのだろう。

 

まぁ、今となってはそれもどうでも良いことである。むしろ重要なのは、これのお礼としてルトリア達から託されたものだった。

 

それはルトリアから作り出された宝珠であり、ウダル達神霊が自分らの魂を削り取って押し付けてきた分御魂であり、またエリック達ではもう見た目通りの武具でしかなく無用の長物である神霊武具や神器であった。

 

武器の仕組みを解析して……とか正直やりたくないのだけれど、シアからは殲滅力が欲しいとか言われているし、どうにもこうして俺以外も辻召喚されるようだと、念の為アーティファクトの強化は必要な気がしてきた。

 

ま、そこら辺は帰ってからだな。もっとも、1番良いのはもう誰も急に異世界召喚に巻き込まれないようになることなんだけど、きっとこの願いは叶わない。そんな予感がするよ。けれど、絶対に誰も欠けさせやしない。世界がそんな理不尽を俺達に突き付けようとするのなら、俺はそれを踏み潰してでも無事を手に入れてやる。それが俺の誇りの1つなんだから。

 

と、抱き合って別離を惜しむシアとダリアを眺めながら、俺はそんな風に未来に思いを馳せていた。

 

 

 



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その殺意を教えて

 

 

「……は?」

 

俺は思わず周りを見やる。時間を引き伸ばしたアーティファクト生成部屋でゴチャゴチャと作業をしていたその時だった。急に視界が塗り潰されたと思ったら、これまでの俺が生きてきた中で何度目とも知れぬ異世界転移。そして晴れた視界に映ったのは人工的な建物の景色、そして白衣を纏った成人男性───ただし、日本人ではなく欧米人であろうことは見て分かった。更に見渡せば知っている顔が1つと知らない顔が2つ。知ってる顔は男の顔だ。高校生くらいの日本人男性。そう特徴的な顔をしているわけではないが覚えている。

 

───そう、この顔は遠藤浩介だ。

 

そしてその後ろにいる女2人は知らない。1人は遠藤より歳下だろうか。こちらもまた欧米人と思われる顔立ちで綺麗な金髪をした可愛らしい面をしている。もっとも、その顔は驚愕に染っているが。

 

そしてもう1人の女も欧米人。こちらは俺よりも歳上……成人はしているであろう女だった。コイツも中々に美人だが、やはり驚きに表情が固定されていた。そして、そこで俺はここがどこだか思い当たる。ここはきっとイギリスだ。前に香織や遠藤に、何やら自分らの周りを嗅ぎ回っている奴らがいると聞いて、俺はジャンヌやメヌエット、最近はネモの力まで借りて調査をしていたのだ。そして判明した黒幕……その一端に対して俺は遠藤を派遣。そいつらのいた場所がたまたまイギリスだったのだ。

 

「……では、さようならだ」

 

そして、俺の頭が混乱から開放されそうになる中、流暢な英語でそう告げた白衣の男が後ろにある用水路にその身を投げた。

 

そして───

 

 

──ドウッ!!──

 

「……は?」

 

用水路の方で何かが爆発した。いや、この臭いは人の肉だ。肉が爆発したのだ。そして、その肉片はきっと、あの白衣の男性のものだ。何故入水した奴が更に自身の肉体を爆発させるなんて込み入った自殺をするのかは俺にはよく分からない。だが、遠藤にはその意味が分かっているようで……

 

「───神代!その肉片に触れるな!!」

 

「……んっ」

 

俺はその場でわけも分からず絶対零度を発動。俺達に降り注ぐ肉片の全てを銀氷にして消し飛ばす。

 

「後ついでに、何使ってもいいからこの排水施設を消し飛ばしてくれ!さっきの人の体内にはヤバい猛毒が仕込まれてるんだ、あれが外に流れ出したら世界が終わる!」

 

「……あいよ」

 

取り敢えず事情は後で聞く。どう見ても一般人の少女と、こちらは逆にカタギでは無さそうな雰囲気の女の記憶は後でどうにかしてしまうとして、どうやら切羽詰まっている様子の遠藤の言うことは聞いてやろう。

 

「出来れば熱量兵器がいい。あれは空気感染はしない」

 

「分かった」

 

ならば手段は決まった。後は───やるだけだな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「じゃあ、頼む」

 

「んっ」

 

どうやら浄水場だったらしいこの施設。その屋上に出た俺達は眼下に莫大な量の水を臨む。確かにこの中に猛毒が紛れてんなら……それも、人が腹ん中に抱えた量の毒なら一大事なんてもんじゃあないのかもな。

 

「そこ動くなよ」

 

俺はそう言い残し空中へと跳び上がる。空力で宙を蹴り、上空へと駆け上がる。そして200メートルほど昇ってから今度は越境鍵で高度4000メートルの空へと飛び出した。そしてそこで宝物庫から召喚するのは太陽光収束兵器。

 

羅針盤で特定した座標へ向けてその火力を解放すれば、地上にある配水施設なんてのは光の槍に貫かれ呑み込まれて消滅する他ない。

 

まさか竜の世界じゃあるまいし結界で阻まれることも無ければこれくらいじゃあ一仕事にもならない。ふぅと一息吐いて越境鍵で地上へ戻り、遠藤の真横に降り立つ。するとそれを見ていた女2人は顎が外れそうなほどに驚いていて、そして───

 

「あぁ……エミリー、ヴァネッサ───」

 

遠藤が2人の名前と思わしきそれを呼ぶと───

 

「ひゅぅわ!?」

 

「あふっ!?」

 

大人の女に肩を貸していた少女は驚きに腰を抜かし、どうやら何ヶ所か銃創を負っているらしい女をコンクリートの床に落とした。しかも……

 

「………………」

 

ちょろちょろと、静まり返ったこの空間に小さな水音がする。少女の方が……ちょっと全身の力が抜けてしまったらしい。

 

しかも遠藤が持っていた無線からは何やら今俺が放った光を見たらしい奴らから「今のは何だ!?」的な通信が入っているし、床に落とされた女は割と重傷らしく、傷口が開いたとかで出血が酷いようで、顔色が真っ青になっている。

 

一体マジで何があったんだ……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺達の目の前にはこの世界の地球におけるイギリスの保安局局長がいた。別に、あの事件の黒幕がこの人で、俺と遠藤はこれからこの人を拷問する───なんてことではない。だが、この人があの劇毒──ベルセルクと言って人の肉体を随分と変質させるものらしい──の最後のデータを持っていることは確かだった。

 

「貴方が魔王様?」

 

と、マグダネスと言うらしい局長が俺の目を見てそう問うた。

 

「えぇ、天人。神代天人。コイツらとは違う地球で別の世界への転移に巻き込まれて、そして帰ってきた魔王です」

 

「……違う地球?そう言えば、あの帰還者のリストに貴方の顔は無かったわね」

 

「異世界転移の話を信じるなら世界は2つある。そして、2つの世界があると知って、なんで世界はその2つだけだと思うんです?」

 

俺の返しにマグダネス局長は黙り込む。だがそれは一瞬で、直ぐに言葉を紡ぎ出した。

 

「なら貴方は、もうすぐ元の世界に帰るのかしら?」

 

「さてね。……どうにもコイツらのことを嗅ぎ回っている奴らがいるみたいでね。俺ぁその捜査もしてるんですよ。だから直ぐに帰るかどうかは……この世界次第ですかね」

 

最後のはマグダネス局長や遠藤達を嗅ぎ回っている奴らに向けているフリで、本音はこの世界そのものに対する愚痴。いきなり俺のことを呼び出しやがって。けど、あそこで呼び出されたってことはあのベルセルクが流出したらこの世界が終わっていた可能性があるってことだ。最近の俺は幾つもの世界の防衛機構みたいな扱いをされている気がするよ。

 

「と言うことは、またしばらくこっちに?」

 

「えぇ。それと、コイツらに下手なちょっかいかけるなら……次はバッキンガム宮殿が消えるかも」

 

「そんなことはしないわ。あれを見て、貴方達と事を構えるなんて馬鹿な真似は国防の一端を担う者として出来ないもの」

 

そしてマグダネス局長はふぅと一息ついた。

 

「どっちみち、帰ってもまたこの世界に何かあれば俺ぁ今回みたいに強制的に呼び出されて、それの片付けをさせられるんでしょうけど。……そりゃあこの世界がそうしているだけで、コイツらとは関係無いんですよ」

 

だからもうちょっかいはかけないでね、という俺の脅しが通じたのか通じていないのか。マグダネス局長は表情を崩していなかった。ま、さっきは遠藤に──グランド・エミリーの一家をこっそり守れ──なんて脅しをかけられていたらかな。2度目は慣れたもんってわけだ。

 

「ま、お互い仲良くやりましょうよ。……具体的にはこっちにも俺達の拠点とか欲しいな」

 

俺達って言うかハウリア達の、だけど。シアは俺達の方にいるけどこっちにはラナがいるからな。お互いの行き来のためのインフラは整備しておきたいのだ。そしてやはり、インフラ整備には地元住民の協力ってやつが必要不可欠でしょ?

 

「勿論、アンタら(イギリス)にも利益のある話だと思いますよ?」

 

流石に苦虫を噛み潰したような顔をしたマグダネス局長に俺はそう囁く。

 

「確かに、貴方達と喧嘩するなんてことは───」

 

「違いますよ、今のはそんな脅しじゃありません。俺達が飛ばされた世界の魔法……ではないですけどね。俺ん地球にはこっちにはまだ無い技術があるんですよ」

 

と、俺は宝物庫から予備のワイシャツを取り出す。だが、パッと見は何の変哲もない白いワイシャツだけに、マグダネス局長はそれが何なのか理解が及んでいないようだった。

 

「それは……?」

 

「ワイシャツですよ。防弾防刃性のね。どうにもこっちには防弾防刃性の衣類を量産する縫製技術は無いみたいですから。……これはアドバンテージだと思いますよ?普通の衣類と同じ重さで弾丸もナイフも通さないワイシャツ。警察、軍隊……表には出せない特殊部隊etc…etc(エトセトラ)……。ま、どう使うかは任せますけど」

 

と、俺からワイシャツを受け取ったマグダネス局長はふむと頷きそれを眺める。

 

「……試します?」

 

「いえ、止めておくわ。だってこの薄さだもの。貫通は防いでも衝撃は消してくれないでしょ?」

 

「ま、そりゃあね。衝撃も分散してくれる超軽量アーマーも見たことはありますけど、俺ぁそんな高級品は持ってねぇですから」

 

前にエリア51に突撃する仕事の時に見たが、ジーサードが確かそんなやつを持っていたな。多重結界のある俺にとってはそれほど魅力のある物ではなかったが、あれだってこっちの奴らからしたら垂涎物だろうな。

 

「じゃ、俺ぁもう帰りますよ。俺んせいじゃないけど、俺ぁパスポートも持たずにここにいる不法入国者ですから」

 

だいたい、着の身着のまま別の世界に飛ばされて、それで世界を危機から1つ救うなんてことを予告も無しにやらせる世界さんは俺に期待し過ぎだと思うんですよ。しかも俺の意思なんてまるっと無視。こちとら機械じゃねぇんだからそんな歯車みたいに働いてられないってんだ。

 

と言う俺の愚痴は胸の中に仕舞ったまま俺はマグダネス局長の部屋から去る。もちろん歩いてゆっくり退室なんて真似はしない。いつでもお前の目の前に現れられるぞというパフォーマンスも兼ねて、越境鍵でノーチラスのエントランスまで世界の扉を開いたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

1人でノーチラスを探検していたら急に異世界に召喚されたシアを取り戻してからまた数日。しかもその直後にはまた俺1人異世界転移によって香織達の世界のイギリス───ひいてはあの世界そのものを救ってからさらに数日。その間にミュウはノーチラスの乗組員達に猫っ可愛がりされるようになり、その母であるレミアも結構受け入れられているみたいだった。

 

もちろんそこにはエンディミラやテテティとレテティの協力もある。テテティとレテティは今もまだ言葉を話せるには至っていないけれど、身振り手振りで意思や思いを伝えてくれるし、それはここの奴らも皆分かっている事だった。

 

それに、霊長類としての人間ではあるが超能力者(ステルス)であるジャンヌや、あんまりコミュニケーションが得意ではないタイプの女の子であるユエも、やはり吸血鬼族であり人間ではないことが彼女達の警戒心を薄くするのか、割とすんなりと馴染んでいるように見える。もちろん、シアやティオは言わずもがな。

 

俺はと言えば、そんな彼女達と仲が良いからだろうか、リサ達ほどではないけれど段々と話しかけてくれる子も増えてきていた。

 

とは言えそこはまだ恐る恐るといった風の子が殆どだし、警戒心を持って遠巻きに見ている子達が多数派ではあるのだが……。

 

ちなみにノーチラスの乗組員でネモと(そういや初日でネモにさり気なくそういうことにされていた)ルシフェリアを除けば俺に対して1番好感度が高そうなのはミサだ。理由は俺とリサが仲良しだから……ではなく、俺が越境鍵で時折陸上に戻って食料の調達を行っているからだ。正確には俺だけが行くわけじゃなく、シアやリサ、レミアといったノーチラスでお食事を作ってくれる人達の誰かと一緒に行くのだけれど、基本的にノーチラスから瞬間移動をするための道具は俺の持ち物であることは分かっているから、やはり俺がノーチラスの食料庫───特に長期間航海を行う艦にとっては燃料弾薬並に重要な甘味に余裕を持たせていることは大きいらしい。

 

甘味は昔からどこの海軍でも人間のストレス緩和の為に重要な物資とされていた。甘いものが無くなるとあの紀律正しい海上自衛隊の人達ですら暴動を起こすとか強襲科で聞いたことがあるくらいだ。

 

だからここノーチラスでも甘味の残量はかなり厳格に管理されている。しかし俺達の魔法があれば取り敢えず買う金さえくれれば日本でもフランスでもインドでも、どこへでも行って買って来れる。

 

しかも宝物庫があるから買い物袋に入れて持てる量だけ、なんてケチなことは言わなくていいのだ。最悪物陰で越境鍵を使って食料庫に直接放り投げても良いし。

 

そうやって果物、砂糖、お菓子等々……俺はリサやミサの(めい)を受けて時々甘味やその他食材を入手していたのだ。

 

そのおかげか、ミサだけは俺に対して比較的柔らかい態度で接してくれている。そして、そんな中で俺は艦内の雰囲気が浮き足立っているのを感じていた。

 

「……今日は何かイベントでもあんの?」

 

ふと、教室のモップかけをしてくれていたリサに訊ねる。

 

「もうすぐノーチラスが浮上するようですよ。まだ上陸ではありませんが」

 

「海の上で日光浴するんだ。ぼくも行く」

 

リサにそっくりのお顔とスタイルをしているのに結構男っぽい喋り方をするのがミサ。顔が顔だけにそのギャップは結構クるものがあるな。そんなこと、誰にも言わないけどね。

 

俺はノーチラスにいる間も越境鍵で食い物を買いに出たり香織達の地球の方へ行ってゴタゴタに手を貸したりしているから、潜水艦の中で生活している割には陽の光も浴びている。だから俺としては今聞いた話はそれほどテンションの上がる情報ではなかったけれど、そんな不粋は俺だけでありノーチラスの乗組員にとってはとても楽しみなイベントなのだろう。それに水を差しちゃ悪いしな、ここは俺もそれなりに楽しみにしている体でいこうか。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「深度ゼロ!浮上したー!!」

 

「外気温29度、晴れ!!」

 

「太陽だぁー!!」

 

そのうち、大はしゃぎする乗組員達の声が響いてきた。どうやらノーチラスが浮上したらしい。しかも外の天気は快晴。聞こえてきた気温からすれば、涼し過ぎるくらいのノーチラスから出て日光浴をするにはこれ以上ないくらいのベストコンディションに思える。

 

「はいはい、お目目閉じましょうね」

 

「分かってるってば」

 

すると、俺はその瞬間に後ろからやって来ていたシアの両手で視界を塞がれる。なにせ、ノーチラスが浮上した途端にそこら中にいたノーチラスの乗組員達がみーんな一斉に着ていた衣類を脱ぎ捨てたのだ。元々女の子しかいないノーチラスには更衣室の概念が無い。挙句男の目線というものを気にしない世界からやって来た奴らばかりなので当然俺がいようがいまいが普通に全員服を脱ぐ。

 

幾ら何でもそんな背徳的な光景を俺の視界に入れるわけにはいかないからな。シアの行動は迅速かつ的確なのだ。

 

で、俺は背中に触れるシアの身体の感触に違和感を覚えて後ろ手にペタペタとシアの身体を触る。ふむ、いつも通りお尻も太ももも柔らかくて触り心地が最高……いや、そうではなくてね。やはりシアも武偵高のセーラー服を着ていないな。だからってトータスでよく着ていた兎人族の露出過多な民族衣装でもないし。この布面積……この触り心地は───

 

「あ、あのぉ……天人さん?いきなりそんなに触られると幾ら何でも恥ずかしいと言いますか……」

 

「───水着着てる?」

 

「あ、はいですぅ。甲板上で水着パーティーをするとのことだったので、着替えてきました」

 

なるほど、だから皆して急に衣類を脱ぎ捨ててどっかに行ったのか。

 

と、どうやら周りから人がいなくなったらしく、シアが俺の視界を覆っていた手を外してくれる。それで俺が振り返るとそこには薄い桃色のビキニ水着を着ているシアがいた。しかもさっき触ったから分かったけどハーフバックのかなり露出が激しいやつ。まぁシアは民族衣装からしてだいぶ肌見せが激しいけどね。

 

「お、新しいやつ?似合ってるよ」

 

確か前にイタリアで見た時はブルーのやつだった気がするから、新しいのを買っていたのだろう。

 

「えへへ。ありがとうございます。この前のは1人で買ったんですが、夏にまた皆さんと買ったんですぅ」

 

そういやイタリアに行った時は一緒にいたのはシアだけだったな。あの時はシアが俺とイタリアの海で遊んだ話をしたら皆に睨まれたもんだ。まぁ、その後にちゃんとフォローはしたけどね。

 

「ミュウとエンディミラ達は先に行っておるようじゃよ」

 

すると、シアの後ろから水着に着替えたティオもやってきた。ティオは黒いホルターネック・ビキニというやつを着ていて、腰にはレースのような形状の同色のパレオを巻いている。

 

それと、珍しく髪を結わっているな。ポニーテールか。これまたティオにしては珍しく、可愛らしい大きなリボンで結ばれている美しく長い黒髪が歩調に合わせてふわりと左右に振り子のように揺れていた。腰に手を当て凛と立つ姿と後頭部のリボンのギャップが愛らしい。

 

「おー、そうやって結ってんの珍しいじゃん。んー、綺麗だよ、ティオ」

 

「ふふっ。ありがとうなのじゃ」

 

俺に褒められてティオは頬を染める。それがまるで少女のようで、普段の大人びた……って言うか実際俺達の誰よりも歳上なティオとのギャップに俺はクラりとしてしまう。

 

「あれ、ユエとジャンヌは?」

 

ミュウがもう行ったということはレミアももう上にいるのだろう。リサも多分そうだろうし、エンディミラもいないということはテテティ達も一緒なんだろうな。すると残るはユエとジャンヌだ。

 

「あぁ、あの2人は───」

 

「……んっ、ほら、早く来て。似合ってるから大丈夫」

 

すると、向こうからユエの声が聞こえてくる。それと同時にユエの綺麗な金髪もフワリとお目見えだ。そしてそのユエが小さい身体を懸命に使って誰かを引っ張ってきた。───誰かを、というかジャンヌだ。

 

2人とも同じ形の水着───バンドゥ・ビキニを着ている。どうやら花柄で揃えた所謂お揃いコーデのようだ。ユエはヒマワリが咲いた水着を、ジャンヌは青いアサガオが咲いた水着を着ていた。

 

「……天人、どう?」

 

と、やたらと抵抗するジャンヌに対してユエは珍しく魔力を身体能力に変換してまで無理矢理に引っ張ってきて俺の前に立たせた。それと並んでこちらに水着を強調するように胸を張ったユエの、金髪をツインテールに結わった頭を撫でながら

 

「んっ、よく似合ってる。可愛いよ」

 

と俺は素直に褒める。女の子が新しい服を着ていたら取り敢えず褒めろってのは昔っからジャンヌが俺に教え込んだことだからな。

 

「ジャンヌも、その髪型も水着も、どっちもスゲェ似合ってるよ」

 

ジャンヌは輝くような銀髪を編み込んで纏めて一房にして肩から垂らしていた。普段はポニテの多いジャンヌには珍しい髪型だったから、俺はそこも褒めてやる。実際、黙ってりゃ大人びているジャンヌの雰囲気にはよく合っていると思ったからな。

 

「そ、そうか……。うん、ありがと……」

 

なんじゃそりゃ、可愛すぎるだろそれ。普段は堂々と胸を張って自信満々って感じのジャンヌが、そんな風に頬を染めたりしながら顔の横に垂らした髪を弄っている姿が俺の心に刺さる。

 

しかもいつもは男勝りな口調なのにこういう時だけしおらしくなるのは反則でしょうよ。

 

「……ジャンヌ、こういう水着着たことないからって恥ずかしがってる」

 

ツンツンと、ユエがジャンヌの頬を(つつ)いて弄る。あぁ、だから今更水着で照れてんのね。そんなに派手な水着でもなかったからなんであんなに渋ってたのか分からなかったけど、そういうことか。ジャンヌは同性からはかなりモテるし、その自覚もあるんだけど、幼少期から男勝りに育てられてきたせいか男から見た自分の可愛さにはあまり自覚的ではないんだよな。

 

まぁ、だからジャンヌは昔から俺に"女は褒めろ"と教えてきたわけだが。

 

「大丈夫だよジャンヌ。ジャンヌは可愛いよ。俺が保証する」

 

俺はそう言ってジャンヌの柔らかな頬を撫でる。するとジャンヌは「うん」と頷きながら俺の右手に自分の左手を重ねた。

 

「はいはい、では行きましょう!」

 

このままだとずっと動かなさそうな気配を感じ取ったのか、シアが声を掛けて歩き出した。俺もそのままジャンヌの左手を握り、ぴょこぴょこと尻尾を揺らしているシアの後ろを着いていく。

 

そうして甲板へと続く階段を上がれば、俺達は太陽の元へと顔を出すのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「みゅ、パパやっと来たの〜!」

 

「おー」

 

噎せ返るような海水の匂いと11月とは思えない真夏の日差しの中、外に出る前に宝物庫を使った早着替えで水着を着ていた俺をまず出迎えたのはミュウだった。

 

ミュウの水着はピンクのワンピース。その後ろにいるレミアはフリルで飾られた白と桃色のオフショルダー・ビキニだった。

 

「んっ、レミアもそれ似合ってるよ」

 

と、俺は飛び込んできたミュウを抱え上げながらレミアの水着もちゃんと褒める。するとレミアは「うふふ。ありがとうございます」とはにかみながら返してきた。

 

「ミュウは?ミュウは?」

 

「んー?もち、ミュウもかわいいの買ったじゃん」

 

ミュウも褒めて!って顔に書いてあったし、実際可愛らしかったので俺は素直にそう褒めてやる。そうすればミュウも「えへへ」とアンダマン海のアクアマリン・ブルーの海の輝きにも引けを取らない笑顔を見せてくれる。

 

周りを見渡せば全長にして約200メートルはあるノーチラスの甲板の上に、数10メートルおきくらいの感覚でビニールプールが広げられていて、そこかしこでケモ耳ケモ尻尾の女の子達がキャイキャイはしゃいでいる。

 

原水はほぼ無限に淡水を作れるからな。ここではシャワーですら自由なのだった。当然、屋外プールを設営しての水着パーティーすら水の残量なんてきにせずに行える。

 

ただ、リサやミサのような給仕係はトロピカルジュースやフルーツをあちらこちらに配ったりしていて大忙し、という雰囲気だ。

 

あと向こうで何故かお揃いのスク水を着ているテテティとレテティが、白いビキニを着たルシフェリアの頭の角で輪投げ遊びをしている。あの民族衣装よりも露出の少ない水着を着ているルシフェリアは、頭の角に引っ掛かった輪っかを頭を振ってまたテテティ達に返している。それってそんな風に遊んでいいものなんだな……。

 

「天人!」

 

すると、エンディミラが俺達の方へ駆け寄ってくる。パタパタと走ってくるもんだから赤い花柄のビキニに包まれた大きな胸が暴れ回っていて目にお優しい。

 

「おう、エンディミラ。……んっ、エンディミラも水着似合ってるよ。可愛い」

 

「あっ……。はい、ありがとうございます……」

 

俺の目の前に立ったエンディミラの頬を撫でながらそんなことを言ってやると、エンディミラも照れながらさらに1歩近寄り、トンと俺の胸に収まる。そう言えば、ユエ達の水着は夏に皆で買いに行ったとシアが言っていたけれど、エンディミラがウチに来たのは秋頃だったハズ。この水着はノーチラスに常備されているものなのだろうか。

 

「ふふっ、エンディミラ様達の水着は後で通販で買ったものです」

 

すると、こちらも明るい花柄のビキニを着たリサがフルーツジュースを皆に配りながらそう教えてくれる。

 

「へぇ」

 

本当はテテティとレテティがスク水を着ている理由も聞きたかったのだけど、それは何となく答えを聞くことが怖かったので敢えて聞かないでおこう。

 

「サイズも測ってから買ったので大丈夫でした」

 

リサからジュースを手渡されたエンディミラがそう答える。ただ、リサからジュースを受け取り、その代わりくっ付いていた俺から1歩離れたのだが、その隙にリサがするりと俺の腕を絡め取ったのでやや不機嫌そう。

 

しかも、リサは敢えて他の奴らからジュースを配り、俺に抱きついていたエンディミラを俺から引き剥がすことを後回しにしたことで自分が他の子にジュースを配るっていう隙を最低限にする強かさも見せていた。

 

「リサもそれ、新しいやつだろ?可愛いよ」

 

とは言え俺もリサの水着を褒めないわけにはいかない。お決まりの文句とは言え心からの感想を伝えればリサも嬉しそうに微笑み更にギュッと俺に抱きついてきた。

 

「ありがとうございます、ご主人様」

 

しかしまだ仕事が山ほどあるリサは俺と触れるだけの口付けを交わして直ぐに身体を離した。俺はそれに寂しさも覚えるけれど、仕方のないことなので「頑張って」とだけ残してリサの後ろ姿を見送った。

 

「ではあちらへ行きましょう」

 

すると、1歩先んじたエンディミラが俺の左手を取り、腕ごとその大きく実った果実の間に挟み込むのであった。行き先は、きっとテテティとレテティのところだろう。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「これ……」

 

「んー?……あぁ、ありがと」

 

あの後ミュウやテテティ、レテティ達とも遊び呆けた俺は他の奴らから少し距離を置いて喧騒を眺めるように甲板の上に座り込んでいた。モリアーティがレクテイア人達を使ってこの世界で何をしようとしているのか、俺は足りない頭を使って考えていたのだ。

 

眼下には深い海が広がっていて、まるで手招きでもされているかのようだった。

 

するとそこへ、エリーザがやって来て俺にジュースを手渡した。この前の詫びのつもりなのだろうか、どこか所在なさげと言うか落ち着きのない感じだ。

 

まぁいいかと俺は渡されたジュースに刺さっていたストローでそれを飲む。すると、俺の固有魔法である()()()に反応があった。これ───エリーザに一服盛られたってことか。

 

俺は耐性に任せて更にそれを飲み込み、捕食者の胃袋に入れて解析を試みる。そしてその結果は───睡眠薬(ミンザイ)と思われた。多分、3交替で勤務するノーチラスで寝れないのは辛いだろうから、寝付けない子のために用意されているんだろうな。クマの船医もいたし。

 

俺がいるのは甲板の端っこ、すぐ下は海だ。しかも潜水艦の外縁は取っ掛りがなく、落ちたら普通は自力では上がれない。

 

どうにもエリーザの殺意は俺の想像より激しいらしい。あれでは諦めずに今度は毒を持って更に海へと突き落とすつもりなのだろう。

 

俺には上に戻る手段は幾らでもあるが、だからそこエリーザは睡眠薬を持ったのだろう。しかもこの量……寝るっていうか死ぬだろこれ、普通の奴なら。ま、下は海だ。寝落ちして転げ落ちるか、最悪突き飛ばしてしまっても証拠は残るまい。

 

まぁ、レクテイア人を知りたいと言ったのは俺だからな。こういう殺意も敵意も全部知っておかなければならない。自分の都合の良い面だけを見ても、本当にそいつを知ったとは言えないからな。

 

渡された睡眠薬入りのジュースをズズっと一気に飲み干すとコップを脇に置いた。

 

「ご馳走様」

 

「はいでち」

 

神経毒じゃないからかエリーザは俺が寝落ちするのを気長に待つつもりらしい。コップを預かると、それをリサ達の方へ戻しに行った。

 

しかし、睡眠薬が効いたわけじゃないけれど確かに少し眠くなってきた。多分慣れない考え事なんてしていたからだな。

 

と、俺は1つ大きな欠伸。そして体育座りをして立てた膝にデコを乗せた。それから数分後、俺の背後にエリーザの気配。そろりそろりと寄ってきていて、きっと俺が睡眠薬で寝入ったと思い込んで後ろから突き飛ばす算段なのだろう。

 

そうしてエリーザが俺の真後ろに到着。遂にその殺意の牙が俺に向けられた───

 

「えっ……!?わ、わわわ……っ!───あっ」

 

だが俺も黙って突き飛ばされる必要も無い。エリーザが俺を海に落とそうとした瞬間に真横に転がり、エリーザの両手を避けた。

 

しかしそれは良かったものの、俺の予想以上に思いっきりいこうとしていたらしいエリーザがその勢いを殺し切れずに足を滑らせ、浮上して停泊中だったノーチラスから眼下の海へと落下してしまった───

 

「ちょっ───」

 

「きゃっ───!ぁ……」

 

ゴンゴンと転がり落ちながら何度か頭をノーチラスの丸い壁面へとぶつけ、最後には何ら抵抗の動きを見せることなく海の中へと落ちるエリーザ。しかも直ぐには浮かんでこない。あれは失神した奴の落ち方だぞ……っ!

 

「あぁもう……っ!」

 

幸い俺も水着を着ている。海の中に潜る分には何の問題も無しだと、躊躇うことなく海中へダイブ。水中へ潜って直ぐにまずは真上に向かい浮上。

 

すると俺の真横からエリーザが浮いてきた。だがうつ伏せに浮いてきたのはあまり良いとは言えないな。このままだと直ぐに溺死してしまう。

 

俺は直ぐにエリーザを抱きかかえて顔を上げさせる。すると鼻や口から少量の水が流れ出る。うん、ある意味失神してから海中に落ちたのは運が良かったな。人間、パニくると自分から肺に水を入れてしまうことがあり、そうなると誤嚥性肺炎とかの危険性があるんだ。

 

「エリーザ、おい、エリーザ!」

 

そして、俺はエリーザに呼び掛ける。そうすると「う……ん……」と僅かだが反応が返ってきた。グッタリはしているけれど意識レベルはまぁ大丈夫(JCS20)って感じかな。

 

さてさて、上じゃバーベキューをやっていたけど、ある意味幸いだな。俺がこっそりエリーザを運んでも誰もこっちを気にしていない。重力操作のスキルで空を飛ぼうが空力でポンポンと飛び上がろうがバレずに上がれるからな。

 

俺はエリーザを抱き抱えたまま重力操作のスキルでフワリと浮き上がる。海中から全身を浮かび上がらせ、そのまま真上に昇ってノーチラスの甲板上へと舞い戻った。

 

「エリーザ、大丈夫か?」

 

頭を打った奴を揺するのは良くないから、俺はエリーザの肩をつついて呼び掛ける。するとエリーザは「う……うう……」と唸りながらも瞼を震わせながら目を開いた。

 

「大丈夫か?気分悪いとかないか?」

 

「うっ……ない……でち……」

 

薬物を盛って殺そうとした挙句にその相手に助けられたからか、エリーザはどこか居心地が悪そう。意識も体調も問題無さそうだが、俺と目を合わせてくれない。

 

「そうか、それなら良かったよ。けど頭打ってたからな。一応後で医務室で診てもらえ?」

 

「でも……」

 

「甲板のプールで遊んでて転んで頭打ったって言えばいいだろ」

 

案外真面目というか正直者というか、あのクマの女医さんに頭を打った理由を話したくなさそうなエリーザに俺はそう助け舟を出してやる。こんなの、適当にでっち上げちまえばいいのにな。

 

「なんで───」

 

「……天人、どうしたの?さっき下から浮いてきたけど」

 

すると、エリーザが何かを言いかけたタイミングでユエがやって来た。どうやらユエにはさっきの浮上を見られていたらしい。後ろからルシフェリアもトコトコと着いてきている。

 

「んー?いやぁ、遊んでたらエリーザが脚ぃ滑らせて下に落ちちゃってな。頭も打ってたから大丈夫かなって」

 

嘘は言っていない。俺はユエには嘘をつけない。俺からすれば俺を狙ってのあの程度の殺しなんて遊びと変わらない。俺の身体には睡眠薬も効果が無ければ、海に落とされたくらいで溺れて死ぬわけもないのだから。

 

「ふぅん……」

 

だが、流石はユエ様である。俺がちょっとだけ言い回しを変えたことには直ぐに気付いたらしい。ジト目で俺とエリーザを見比べている。

 

『本当は睡眠薬盛られて海に突き落とされそうになった。薬は効いてない。ただ、突き飛ばされんのも避けたらエリーザが勢い余って落ちちゃったんだよ』

 

一応ユエには念話で本当のホントのことを伝えておく。それを聞いたユエは「はぁ」と1つ大きな溜息。エリーザはエリーザで俺がユエにも誤魔化そうとしたからか驚きで目をパチクリさせていた。

 

「なんじゃ、主様のことだからエリーザとイケナイ水遊びでもしておったのかと思ったぞ」

 

と、ルシフェリアからは大変頭の悪そうな単語が飛び出してきた。なんだよイケナイ水遊びって。意味分からんわ。

 

「してねぇわ、んなこと。だいたい、水遊びにイケナイも何もねぇだろ」

 

「ふふふ、では我が主様にイケナイ水遊びを教えてやろう───」

 

「───あ、あのっ!」

 

俺とルシフェリアの会話の偏差値が下がり始めた頃、エリーザが声を上げた。その声は思いの外大きく、元々注目を集めるルシフェリアがこっちに来ていたのもあって「なんだなんだ」と言うように他のノーチラスの乗組員もぞろぞろ集まり始めてきた。

 

すると、エリーザはそれにも関わらずルシフェリアに向けて急に土下座───いつでも首を落とせる体勢をとったのだ。

 

それにユエもルシフェリアも驚きに目を見開き、集まってきたレクテイア人達も何事かとザワつき始める。しかもそれがさらに人を呼び、どんどんと俺達の周りにはノーチラスの乗組員が集まってきた。

 

「ルシフェリア様、私は……私は神代天人を殺そうとしたでち。睡眠薬を盛り、海に突き落とそうとしたのでち。それも、殺そうとしたのはこれで2度目でちた。それでも彼は私を許し、黙っていてくれたのでち!」

 

げ……ノーチラスのNo.2であるエリーザが俺を───男を殺そうとしたなんていう事実はこれからの歩み寄りにも支障が出るだろうし、何より俺を乗せたネモの顔に泥を塗ってしまうだろうからと黙っていたのだけど、本人の口から出てきちゃったよ。

 

「な、なんじゃと……主様を……殺そうとしたじゃと……っ!」

 

しかも俺を殺そうとしたことそのものがルシフェリアの逆鱗に触れたっぽい。わさぁっとルシフェリアの後ろ髪が持ち上がり、彼女の放つ気配がこれまでのどれよりも鋭く大きく……強大な力を感じさせるぞ。

 

しかも何か黒いオーラ?みたいなのが現れてるし、頭の角も大きくなって後ろには黒い輪っかも生じ始めた。……うわ、今の話を聞いていたらしいシアとティオも出てきちゃった。しかも2人ともそれぞれ淡青と黒い魔力光と殺気が溢れてきている。それを見て他のレクテイア人達は2人から逃げるように距離を置きはじめたぞ。

 

「待てルシフェリア、シアもティオも。俺ぁ大丈夫だから。そもそも武偵の───それも強襲科なんて(たま)ん取り合いが日常なんだからさ。ホント、じゃれあいみたいなもんなんだよ」

 

それに、切った張ったが常の強襲科武偵が一々殺されそうになっただのなんだのとチクっていたら良い笑いものだからなと、3人の殺意を抑えるように言うと、それでようやく3人とも気配を収めてくれた。

 

「主様は許すようじゃが、我はそうはいかん。この場は主様に免じて見逃すが、今我と主様は神聖な決闘の最中じゃ。確かに1勝3敗と負け越してはおるが、今に逆転するからの。エリーザよ、貴様が主様を殺すということは、我らの決闘に泥を塗ると知れ」

 

すると、ルシフェリアのその言葉にまた周りがザワつく。どうやら俺がルシフェリアに勝ち越していることが驚きのようだ。しかしルシフェリアのあんな強気な態度、最初に会った時に以来だな。こっちに連れてきてからのルシフェリアは何かこう、ふにゃっとしているというか抜けているというか。あぁいう上位者として君臨するってことがなかったからかな。何だか珍しいものを見た気分だ。

 

「───以後、2度と手を出さないことを守れるのなら、助命してやろう」

 

腕組みをしながらも殺気を抑えたルシフェリアは更に言葉を続ける。

 

「かつて主様は殺すべき我のことも助けた。───聞け、ノーチラスの皆よ!男とは女を助けてくれるものなのじゃ。助けられて助け返さぬは恥。エリーザよ、そちも助けられたからには主様の力になれ。女と男は助け合い、心の内にある声に耳を澄ませ。さすればこの世界の男というものにも理解を始められるじゃろう」

 

すると、周りの乗組員達が何やら俺を尊敬でもするかのような眼差しで見てくる。どうやら、ルシフェリアに勝ち越しているというのはここでは高い評価になるらしいな。ルシフェリアは本当に良いことを言っていたと思うのだけれど、フォーカスされるのはどっちが強いとかなのはどうにかなりませんかね?

 

 

 

───────────────

 

 

 

そして、俺とエリーザは見事に手繋ぎの刑罰を与えられた。別に喧嘩した訳じゃあないんだけどな。しかも俺が殺されかけた側だし。とは言え法は法である。俺は黙ってその刑罰を受け入れることにした。

 

そうして甲板上の艦首側にて俺は満天の星空の下、エリーザと2人手を繋いで空を眺めている。ここは陸地からも遠くて虫も全くいないからな。結構快適ではある。

 

───すみません嘘です。何せ手繋ぎの刑に処されてからこっち、俺とエリーザは2人してずっと、椅子に腰掛けたユエ様にジト目で睨まれているので居心地はすこぶる悪いです。

 

「あ、あのぉ……」

 

どうしてずっと見てるんです?と言おうとしたのだが、ユエ様のジト目に言葉が出てこない。

 

「……気にしないでいい」

 

そしてユエ様も随分な無茶を仰いますね。この状況で気にしないでいられるわけがないでしょう?

 

「……ちゃんと仲良くなれるか見ててあげるから」

 

この状況でエリーザと仲良くなれと?嫁に睨まれながら他の女の子と仲良くなれると思っていますの?いやまぁ確かに変な絆とか連帯感は生まれそうだけど。

 

「あ、その……」

 

すると、エリーザが俺に何か聞きたそうにしている。と、取り敢えず会話を繋ごう。このままだと小一時間ずっとユエ様に監視されながらの手繋ぎ刑だ。晒し罰としては沿っているのかもしれないけど何だがそういうことではない気がするし。

 

「んー?」

 

「お前には、毒や薬が効いていないのでちか?」

 

「あぁ。俺ぁ毒とか薬には耐性があってな。睡眠薬も筋弛緩剤も神経毒も効きやしねぇのよ」

 

「そんなの理不尽でち……」

 

「それが俺だからな」

 

俺の言葉にエリーザはガックリと項垂れる。

 

「……なんで」

 

「んー?」

 

すると、エリーザは項垂れたまま言葉を続ける。

 

「なんで私を庇ったでちか。私は2度も殺そうとしたのに……」

 

殺し殺され、戦いに負ければ死か隷属しか選択肢のないレクテイア人とは明らかに違う俺の選択肢。エリーザのその問いの答え……それは俺の中に1つだけあった。

 

「何でって……。俺ぁお前達レクテイア人のことを知りたいと思ってこのノーチラスに乗ってんだぜ。知りたいってのは……地球の人類や男にとって都合の良いとこばっかじゃあねぇ。都合の悪いこと───それこそエリーザ達の俺への殺意だって知りたいと思うよ。知りたいって、理解し合いたいってそういうことだと思うから」

 

ただそれだけ。俺にはこの答えしかない。俺はトータスの奴らのことを知りたいとは思わなかった。何故ならあそこは俺にとってはただの牢獄でしかなかったから。だから数人の女の子を愛したとしても、それ以外の奴らで俺がもっと深く知り合いたいと思う奴らは少なかった。

 

「そ、そうでちか……」

 

俺はそうエリーザに告げると、エリーザはそれだけ言って顔をコチラから背けた。ただ、その耳の赤みは隠せていない。

 

「あ、あと誤解があるっぽいんだけど。俺ぁアスキュレピョスは殺してない。武偵は例え相手が犯人であっても殺したら自分も死刑になる決まりだからな。逮捕はしたけど、俺が生きてるってことがその証拠だ」

 

「……そ、そうだったんでちか……それは……悪かったでち……」

 

すると、モゾモゾとエリーザが指先を動かしてくる。これは……俺の指に自分の指を絡めているな。所謂恋人繋ぎってやつだ。だけどユエもいるし……何より俺としてはその気の全く無い相手とそんな手の繋ぎ方をするつもりはない。

 

なので───

 

「……ユエ、どうせならユエもエリーザと仲良くなろうぜ」

 

と、エリーザの指には合わせずに俺達の手の動きをそれはそれは冷たい目で見ていたユエに、フイっと普通の手繋ぎのままの俺達の手を見せながらそう声を掛ける。

 

「……んっ。ふふっ……」

 

するとユエは嬉しそうに俺の脚の間に潜り込み、空いていた俺の左手に自分の右手を絡め、左手でエリーザの右手を取った。すると今度はエリーザが「むむっ」と少し不機嫌そうな顔をして、俺に少し身体を寄せる。

 

しかしユエがエリーザの方へ身体を傾けてそれ以上彼女と俺の距離が近付かないように牽制し始めた。そして「ふふん」とエリーザに勝ち誇ったような顔を見せる。

 

まぁ、俺もレクテイア人とは仲良くやりたいとは思っているけれど、だからって()()()()仲になりたいわけじゃないからな。誰彼構わず受け入れてはやれないのだ。

 

けれどエリーザはユエのその顔が不服だったのか「ん」と俺に喉を見せてきた。

 

「んー?」

 

「撫でていいでちよ」

 

撫でる?喉を?あなたは猫なんですの?

 

「……両手が塞がってる」

 

「左手は繋ぐ必要がないでち」

 

「……なんで」

 

「お詫びの印でち。私はミリキリア族の血を引くレクテイア2世でち。とっても高い身分でちから、喉を撫でるのを許された経験があると言えばどの種族からも尊敬されるでちよ。ルシフェリア様みたいな王族じゃないけど、生まれながらの貴族でち」

 

ふうん。レクテイアには王族とか貴族とかあるんだ。

 

「……ま、気持ちだけ受け取っとくよ」

 

て言うか今は両手が塞がっちゃってるし、喉を撫でない言い訳の為にも外せないけど、この刑が終わったら直ぐにでもユエを撫でたい気分なのだ。しかもユエは自分が俺に抱きつけば、俺がユエを撫でたくなると知っていて、さっきからスリスリと水着のままの身体を擦りつけてくるから余計にな。

 

「むぅ……なら手繋ぎ刑が終わったら直ぐに撫でるでち」

 

と、エリーザは何故だか引き下がる気が微塵も無いようで、俺に無理にでも喉を撫でさせようとしてくる。

 

「……分かったよ」

 

ここで問答していてもエリーザは絶対に引かないだろうから、それを察して面倒になった俺は適当に返すことにした。後で1回か2回撫でてやってそれで終わりでいいだろう。

 

「ふふっ、約束でちよ?」

 

すると、今度はエリーザがユエにドヤ顔。けどユエはそれをいつものジト目で見やると、直ぐに俺の胸に額を擦りつけてきた。しかも喉からはゴロゴロと、ユエが気持ちよさそうな時の声を出している。ユエもこういうの、大概猫っぽいよなぁといつも思う。可愛いから良いけどさ。

 

そしてそれを見てまたエリーザがむむって顔をして……このままだとずっと繰り返しになりそうな俺は、別の話題を切り出した。

 

「そういや、3つあるシャワー室の1個が使用禁止になってたんだけど、壊れてんの?」

 

壊れ方次第では俺が行けばパパッと錬成で直せるかもしれない。最悪再生魔法を使っても修理するのはそれほど難しいことじゃあないからな。寝る場所こそ確保できたけど、シャワー室も数は限られてるからな。そんなに広くないとはいえ、シャワー室なら家族の誰かと入れる。だからってノーチラスの他の子も使ってる中に入るのは気が引けるからな。どうせなら直して回転率を上げてやりたい。

 

「あそこは使用禁止にしてるだけでち。前に身体の表面をしっとりさせていないといけないケルリ族の3姉妹が乗艦してきたでち。それで彼女達がシャワー室を四六時中使うから、元々1箇所だったシャワー室を3箇所に増設したでちが、降りたから掃除の手間を減らすために1つ閉鎖したんでち」

 

へぇ、じゃあ壊れてるわけじゃないんだな。しかしそんな理由だと俺のために開けてくれってのも言い辛いかな。仕方ない、これまで通り家族の誰かと一緒か、もしくは1人で入るとしよう。

 

俺は1つ息をつくとそれっきり黙って空を見上げるのだった。まだ浮上パーティーの喧騒は消えていない。耳には皆の楽しそうな声が届いていた。

 

 



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幕間:とある日の3人

 

 

液晶画面を睨んでいた眼を休ませるように瞼を閉じる。数秒───そして瞳を開くと同時にふとモニターの向こうを見れば、そこにいたのは輝くような金髪と抜けるような青空の如き碧眼の美しい女性がいる。

 

「……どうしました?」

 

視線を向けていたのがバレてしまったようでその金髪の女性───エンディミラ・ディーが怪訝な顔を返してくる。

 

「いえ、なんでもありません」

 

と、レミアは慌てて誤魔化して視線をノートパソコンの液晶画面に戻した。視線の向こうでエンディミラが首を傾げる雰囲気があったかレミアはそれを気にしないように意識を画面に戻した。

 

 

 

───────────────

 

 

 

エンディミラ、エンディミラ・ディー。レミアの旦那である神代天人がこの世界で出逢った女性にして彼の寵愛を受けることになる7人目の女性。

 

聡明で美しく、どうやら彼の過去も受け入れてくれたらしい。そして驚くことに、出身はトータスでもこの世界でもないようで、フェアベルゲンの森人族のような耳をしていて、自分をエルフ族と言っていた。

 

そんな彼女は神代天人が本業としている武偵と呼ばれるものにはならなかったらしい。どうやら自分の年齢は数えない主義らしいのだが、それでもこの世界で学生と呼ばれるにはホンの少し長生きしているとのこと。

 

ただ、武偵高に通う代わりにレミアやティオと共に神代天人の興した宝石加工会社の仕事を手伝うことになった。今も手元にあるノートパソコンとやらに慣れるのには時間がかかったレミアであったが、エンディミラは元いたところで経験があるのか操作自体はスムーズに行えた。そこでレミアとティオが仕事を教えれば直ぐにそれらを覚え、同僚として欠かせない存在になるには時間は要らなかった。

 

ただ、レミアとエンディミラの関係性は一緒に仕事をこなす仲間としてだけではない。同じ男を愛し、また同じ男からの寵愛を受ける存在として彼女達は暮らしている。

 

それに、借りているマンションの部屋数の問題でエンディミラと彼女の連れていたテテティとレテティという、これまたタヌキのようなシッポの生えた女の子2人と共に同じマンションの一室を寝室としていたのだ。

 

寝食を共にし、彼女らのことは何となく理解しつつある。だからこそ神代天人がエンディミラに惹かれる理由もよく分かる。

 

この美しい女性は根が真面目で何事にも懸命に取り組む。そして、それが仕事や人間関係にもよく現れている。

 

人と人との繋がりを重視し、人を支えることに躊躇いも手抜きもない。真っ直ぐに全力で同僚であり家族となった自分や、神代天人と一緒に任務で働いていた学校でも彼をそのように支えたのだろう。

 

そして、過去に犯した過ちであっても本人が悔いていたり素直に認めていればそれを受け入れ、告解された懺悔をその胸の内に秘める。そうしてくれる強さと暖かさがエンディミラにはあった。きっとそれが彼にとっては1番大きかったのだろうとレミアは思う。

 

そんなエンディミラにレミアは1つ、聞いてみたいことがあった。答えは半分分かっているようなものなのだけれど、どうしても1人の恋する女子として聞きたかったのだ。

 

「あの、エンディミラさん。1つ聞いても宜しいでしょうか?」

 

普段からそれなりに丁寧な物腰のレミアではあったが、ちょっとの気恥しさと仕事中のこのタイミングで()()を聞くことの躊躇いから固い物言いになってしまった。

 

「はい、何でしょうか?」

 

対するエンディミラはレミアが随分と真面目な雰囲気で質問をしたからかちょっと小首を傾げている。

 

「あの……天人さんのどの辺りを好きになったのでしょうか……?」

 

一瞬、部屋の空気が固まる。真面目な顔をして出てきた質問がそんなありきたりな恋バナだったからか。エンディミラはレミアからの質問を咀嚼するように数秒の間を置いて───

 

「え……あ、マスター……天人の───」

 

ボンと顔を真っ赤に染めている。元々が色白のエンディミラだからその変化が殊更に分かりやすい。

 

「ふふっ……」

 

これほどの美人がこんな質問1つでここまで狼狽するのがレミアにとってはどこか可笑しくて、思わず笑ってしまった。

 

「……笑わないでください」

 

「あらあら、ごめんなさい」

 

照れながらこちらを上目遣いで覗くエンディミラにそう言われてしまってはレミアもそのように返す他なかった。

 

「天人は、その……私に沢山のドキドキをくれました。彼といると多くの楽しいことがある。それに、強いだけではない。私だけではなくテテティとレテティも守ってくれると思いました」

 

それに、とエンディミラは言葉を続ける。

 

「どっしりと大樹のように構えていると思えば、その心の内は過去の出来事でドロドロと濁っている。……最近は少しマシなようですが」

 

天人と同じ時間を過ごした月日はまだそれほどではない筈だがよく見ている、レミアはそう思った。ミュウと一緒にいた時の冒険の話は娘からよく聞かされていた。それよりも前の話も神話大戦の準備を整えている時にシアや本人からも聞き及んでいた。

 

それでも彼を愛する気持ちに変わりはなかった。だから今こうしているのだから。そしてそれはやはりエンディミラも同じだったらしい。

 

「うふふ」

 

「……何かおかしかったでしょうか?」

 

「いえ、ただ私と同じだと思って」

 

キョトンと首を傾げるエンディミラにレミアは微笑みながら言葉を続ける。

 

「私も同じような理由で天人さんを好きになりました。この人なら私とミュウを守ってくれる。それに、この人には私がいないと駄目なんじゃないかって思ってしまって……」

 

類まれな戦闘力とそれに裏打ちされた自信。けれどそれは取り繕った外面で、本当の神代天人という男は今にも折れてしまいそうな脆さが垣間見える時がある。そういう時にそっとその背を支えてやると、躊躇うことなく背中を預けてくれたのだった。

 

「───何じゃ、恋バナかの?」

 

すると、仕事で確認したい書類の格納されたファイルを取りに席を外していたティオが戻ってきた。その手には10センチ幅ほどの青いファイルが2冊重ねられていた。

 

「えぇ、ちょうど。……ティオさんは天人さんのどこを好きになったんですか?」

 

レミアもティオとはそれなりに長い付き合いではあるから天人との出逢いは聞いたことがあったが実際彼のどんなところを好きになったのかは聞いたことがないなと思い至った。

 

「ふむ……天人の好きな所か。何じゃろうなぁ。一度(ひとたび)戦いとなれば容赦も遊びも無く効率的に敵を屠ろうとするのに、そうでない時には全くそれを感じさせない毒気の無さか。あの、腕っ節だけは強いのに今にでも壊れてしまいそうな危うさか……」

 

ふむと、ティオは手に抱えていた書類をテーブルの上に置くと顎に指を当てて思索に沈む。

 

「他人にそれほど興味の無い振りをしている割には、他人に優しいのよなぁ」

 

「分かります。上目黒中学校で教鞭を執っていた時も生徒一人一人をしっかりと見ていて、問題を起こした生徒であっても絶対に見捨てませんでしたから」

 

うむとティオは1つ頷く。

 

「それに、格好付けしぃなのに甘えん坊という……所謂ギャップと言うやつじゃな」

 

そんなティオの言葉にレミアとエンディミラは同時にうんうんと首肯する。気勢を張って強がって格好付けて……実際格好付けるだけの力を持っていて、なのにこちらが手を広げるとその中にすっぽりと収まる。正直天人が女だったらかなりの悪女なのでは……?と思うこともあった。とは言え、結局のところそれは惚れた者の弱みと思う他ないのであったが。

 

「私はトータスにいる時の天人さんはエリセンとあの大迷宮の隠れ家で戦いの準備をしていた時しか知りませんが、それでもトータスにいた時よりも丸く?大人しく?なりましたよね」

 

ふとレミアは最近気になっていたことをティオに訊ねる。今も根本のところは変わっていない天人ではあったが、トータスにいた時はもっと普段からギラギラしていたように感じる。それは神話大戦の準備をしていた時だけではない。エリセンにミュウを自分の元に送り届けた後に数日間滞在していた時もそうだった。

 

錬成や神代魔法でアーティファクトを作っていた時は当然、水辺でユエ達と遊んでいた時も、瞳の輝きは今とは少し種類が違っていたように思える。

 

「そうなのですか?米国でコンザ───ネモ様を狙った暗殺者と戦った時やラスプーチナと戦闘になった時の天人の瞳は完全に戦う者のそれでした」

 

レミアもアメリカでの戦闘の時は覚えている。あの時はレミア自身はミュウ達と共に直ぐにあの場を離脱させられたが、一瞬見えた天人の瞳はトータスにいた頃と同じような光を灯していた。ただ───

 

「余裕……じゃろうなぁ」

 

「余裕ですか?」

 

レミアとエンディミラが揃って首を傾げる。レミアにとって天人が余裕をなくした時というのはユエがエヒトに攫われた時くらいしか記憶になかった。

 

エンディミラからすれば、()()ラスプーチナすら歯牙にもかけない天人は常に泰然としている印象だった。ネモを狙って遠山金叉が現れた時もまだ全力は出していないように見えた。だから例え未知の異世界とは言え天人が余裕を無くす状況というのが想像できなかった。

 

「天人はトータスにいる頃……レミアと出会ったあの頃は自分の人生で下から2番目に弱かった時じゃったからの」

 

それを聞いてエンディミラはふと思い出していた。前に天人からはトータスでは己の力の殆どを封じられていた時期があったと聞いたことがあったのだ。聖痕の力と、ラスプーチナの魔術を完封したあの力が閉じられていたのだと。

 

「もっとも、天人にとって1番大きかったのはリサじゃろうなぁ」

 

「ですね」

 

ティオが部屋の壁を見つめながらそう口にする。その視線の向こうはマンションの隣の部屋───天人がもう1つ借りている部屋だった。そしてそう言葉にしたティオにレミアも頷き答える。

 

「リサ、ですか……」

 

ふむ、とエンディミラは思案する。リサ。リサ・アヴェ・デュ・アンク。神代天人がこの世界で1番最初に愛した女。彼のメイドであり、かつ恋人でもあったその女は天人がトータスに飛ばされた時は、彼が召喚される直前に魔法陣から突き飛ばしたおかげで一緒には転移しなかったと聞いていた。

 

「力だけではない。リサがいるかどうかは天人にとっては最も重要な要素の1つじゃ」

 

もっとも、これだけの───所謂ハーレムというものを築いている天人はそれを明確にすることはないだろうとティオ達は皆分かっていた。

 

「こういう関係性を受け入れたのは私達ではありますけど、やっぱりちょっと悔しい気持ちはありますよね」

 

確かに天人と一緒にいるためにこの生活を───天人を中心とした家族に入ることを選んだのは自分達ではある。だが、だからと言って自分だけを愛してほしいという思いが消えるわけではない。

 

それはレミアだけはない。ティオも同時に全く同じことを思っている。ただ、エンディミラだけは優秀な1人のエルフが雄となり多数の雌のエルフを囲うという文化の中で生きてきたためか、この生活に何ら思うこともなく、また自分1人だけを愛してほしいという欲求は無い。それを2人……と言うよりこの場にいないリサを除く全女子は「異世界とは言え不思議な文化もあるものだ」と思っていた。

 

「そうじゃな。妾だって当然妾1人を愛してほしいと思う。それは女としてある種当然じゃ」

 

「トータスでもそうなのですか?」

 

と、レクテイアというこれまた別の世界出身のエンディミラが首を傾げている。

 

「そうじゃな。勿論一国の王が側室を囲って跡継ぎを沢山残すことはあったがの。それでもそれはあくまで側室であって、基本的に男と女はそれぞれ1人を愛するものじゃったな」

 

それにレミアも頷く。レミアは王様なんてものとは縁遠い地位の海人族であったから、余計に男と女はそれぞれ1人を愛するものだという意識が強かった。ただ、それでも天人と一緒にいることをレミアは選んだのだった。それだけ彼のことを心から愛していたし、天人からも愛していると告げられた時は年端もいかない少女のように心を躍らせたものだ。

 

「ふむ……。地球もトータスも、その辺りの感覚は似ているのですね。逆に、エルフは優秀な1人の雌が雄となり、その他の多くの雌と交わり子を成すのです。だから今、天人がティオやレミア、リサや皆を愛し、皆も天人を愛しているという光景には違和感を感じません」

 

「うーむ。レクテイアは子孫を残すことに功利的なのじゃなぁ」

 

「かもしれません。……とは言え、私も勿論天人のことを愛しています。自分が恋をする性格だとは思いませんでしたが……天人は不思議と私の心を擽るのです」

 

キュッと、エンディミラが自分の胸を左手で抑える。天人への恋心を素直に告げたエンディミラの頬は朱に染まっていて、それが彼女の言葉に偽りがないことを端的に表していた。

 

「んー、実に初々しいのじゃ〜」

 

それを見たティオは肘でレミアを(つつ)きながらニマニマと甘いものを頬張ったような笑みを浮かべている。

 

「あらあら、私だってあぁいう恋心を持っていますよ?」

 

するとレミアもエンディミラに張り合うように頬に手を当てて、自分の恋心に浸るような顔をする。

 

「まったく……いつも思うのじゃが……」

 

そうティオは呟くが、その先は言葉にはしなかった。人の姿をしていてもティオは竜人族。そのうえトータスでは大迷宮を幾つも攻略した実力があり、当然物音や人の気配というものも鋭く感じ取れる。

 

だから───

 

「ただいまぁ」

 

「ただいまなの!」

 

神代天人がミュウ、テテティ、レテティと一緒にコチラに帰ってきたことも、彼が玄関の鍵を開ける前に分かっていたのだ。

 

「んー?お疲れ様」

 

「ママ、ティオお姉ちゃん、エンディミラお姉ちゃん、お仕事お疲れ様なの!」

 

どうやらまだ仕事中だったらしいことを見て取った天人がそう労いの言葉を掛けるとミュウも真似をして同じことを言う。そしてテテティとレテティもまだ言葉を話せないなりにボディランゲージでその意を伝えようとしてくれる。

 

「おう、おかえりなさいなのじゃ」

 

ティオはそう言いながらミュウとテテティ、レテティの頭を撫でてやると天人に向けて無言で両手を広げる。それを見て頭に一瞬疑問符を浮かべたような顔をした天人だったが、直ぐに「まぁいいか」と思ったのかそのままティオの腕の中に身体を預ける。

 

愛しき男の頭を自分の胸の中に抱き込むと、モゾモゾと天人が顔を上げる。その顔には「結局どうしたの?」という疑問が浮かんでいた。それを見てティオは1つ微笑むと

 

「何でもないよ」

 

とだけ返す。その時のティオの顔に浮かんでいた笑みでこれ以上何を言っても答えは返ってこないと天人は悟ったのか「ふぅん」とだけ返してその両腕をティオの背中に回して再び顔をティオの胸の中に(うず)めた。

 

数秒ほどそうすると天人はティオから身体を離し、ティオの額と唇に触れるだけのキスを落とす。そして今度はレミアの額と唇に、その次にエンディミラにも同じようにキスを落とした。

 

「うふふ」

 

「うぅ……」

 

天人とのキスなんてもう何度もしているはずの2人だったが揃って頬を染めていた。すると、それを見ていたミュウが

 

「ミュウもパパとチューするの〜」

 

と、天人に両手を広げて「だっこして」のポーズを取る。

 

「んー?はいはい」

 

それを見た天人はヒョイとミュウを持ち上げ、額に唇を1つ落とし、両の頬にも"チュッ"と音を立てた唇を寄せるだけのキスをした。

 

「みゅっ!ミュウからも、ちゅ〜!なの」

 

そして、それを貰ったミュウから今度は天人の頬にブチュッと吸い付くようなキスがもたらされた。

 

「さんきゅ」

 

と、天人はふにゃりと微笑みミュウを床に下ろす。そして顔を上げると、ティオ達の顔を見て頭上に疑問符を浮かべる。

 

「んー?どうした?」

 

自分達へのキスも、ミュウへのフランクなキスも、どれもこれも見慣れた光景のはずなのに何故だか今日は固まってしまう3人。当然天人はそれを疑問に思うが、その理由に思い当たるところはなかった。

 

「い、いえ……何でもないです」

 

「あらあらうふふ……何でもありません」

 

「うむ、何もないよ?」

 

何だか明らかに何かを隠している様子の3人ではあったが、天人は「まぁいいか」と思ったのかそれ以上を聞いてくることはなかった。

 

「ふぅん。……じゃあ俺ぁ荷物置いてくるよ。開けとくから終わったら来てな」

 

と、いつもの通り部屋を出ていくのであった。そして残された3人は

 

「何と言うか……」

 

「トータスにいた頃を思い出したからでしょうか……」

 

「妙に気恥ずかしかったのじゃ……」

 

その上ミュウへの───娘への愛情溢れるあの表情を見てしまうとどうしても胸の奥が疼いてしまう。3人は顔を見合わせてお互いが全く同じ気持ちなのだと分かり合うのであった。

 

 

 

 



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月下の語らい

 

 

ようやく手繋ぎの刑が終わった。エリーザの恋人繋ぎ強要からもそれにて解放された俺は、約束してしまった以上は仕方なしにエリーザの喉元を撫でてやり、直ぐにユエを抱えてそのうなじに顔を埋めていた。

 

そうしたら何か不服だったのかエリーザには脚をわりと思いっ切り蹴飛ばされた。今更その程度は痛くもないんだけど、あれは一体何だったのだろうか。喉を撫でられてたエリーザは気持ち良さそうだったから、もう少し撫でてほしかったのかな。でもユエの前で家族でもない子の喉を撫でるのは正直気が進まないんだよね。

 

そんなわけで、俺はユエの長い金髪をモフモフして多少の満足を得ると、空いた小腹を満たすためにバーベキューの残り物をつまみ、リサ達給仕員の片付けを手伝っていた。ちなみにユエさんはお手伝いをしないタイプなのでその辺りで艦内に戻って行った。

 

俺はふと辺りを見渡し、そして甲板の上にある塔───つまりはセイルの上に登った。

 

そこは甲板からの高さも10メートルはあるから見上げればプラネタリウムと見紛う程の満天の星空に包まれている。日本の、それも東京にいたんじゃこんな空模様は見れないだろう。思わず上を見上げながらも俺の気配感知の固有魔法はそこにネモの気配を捉えていた。

 

「───ノーチラスにゃGPSとかもあるんじゃないの?」

 

と、空を見上げながら俺はネモにそう話しかけた。すると俺には気付いていなかったのか、ネモは「きゃっ!」と瑠璃紺色の瞳を大きく見開いてこちらを振り返った。相変わらずこういう反応は可愛らしい奴だ。

 

ネモは軍帽を被って軍服のコートも羽織っているけれど、その下はリボンの着いた水着を着ていた。とは言え濡れた様子もないからパーティーには顔だけ出したのだろう。俺も、結局見かけなかったしな。

 

「計器は信用していいが信仰してはならない。我が家系に代々伝わる───初代ネモの言葉だ」

 

「……いいね。俺も、それを肝に命ずるよ」

 

具体的には導越の羅針盤に頼り切りにならないように、ってね。それにあれはあくまでも貰い物。メルジーネも言っていたしな、与えられることに慣れるなってさ。

 

「……私達は正しい座標にいる。天人、あっちが私達が友達になった島の方角だ」

 

転落防止柵越しにネモが南南東を指差す。そっか、あの島はあっちにあるのか。

 

「ここはアンダマンであの島と最接近している海域だ。点検の為にどこかの航路上で停泊する予定ではあったのだが、それはここがいいと思って、艦長権限でそうしてしまったよ」

 

あの島……俺がネモに友達になろうと言った島。あの時のネモの大笑いは今だに覚えているよ。結局、あの時程大きく笑ったネモはまだ見ていないな。

 

「───エリーザから大変な失礼があったようだな。先程本人から聞いたよ。艦を代表して私も謝罪する」

 

「別にいいさ。失礼だとも思ってない。アイツにも言ったけどな、俺ぁもっとレクテイア人達のことを知りたいと思った。それは……あぁいう殺意だって知りたいってことだぜ」

 

俺はネモの横に腰掛ける。人1人分の距離を置いて……その距離が今の俺達の距離だと言うかのように。

 

「……そういうところは相変わらずだな」

 

「相変わらずって……俺とお前は知り合ってそんなに経ってねぇだろ」

 

あの島で俺とネモが友達になったのは初夏の頃だ。まだ半年も経ってないだろう。

 

「そうだな。だけど天人と友達になってからの数ヶ月は、私にとってはこれ以上ないくらいに濃密な数ヶ月だったよ」

 

ネモにそう言われると、俺も確かにそう思ってしまうな。ネモと友達になって、メールや電話をするようになって、それはいつの間にか俺とだけじゃなくリサやユエ達家族ともするようになった。皆でアメリカにも行った。最近じゃ家に一緒に住んでたもんな。コイツとそうやって駄弁ったり遊んだり……結構楽しかったな。

 

「天人には不思議な包容力があるよ。エリーザだって、あの子はフェミニストで、レクテイアから来たばかりの者よりも男を毛嫌いしていたのに、先程貴様のことを話す時の目はもう恋する乙女のそれだった」

 

「勘弁してくれ……」

 

ネモのそんな報告に俺は思わず天を仰ぐ。ただ、俺の視界の先で星は瞬いているけれど、どの星も俺を慰めてはくれない。

 

「貴様もノーチラスで分かったろう?この世界とレクテイアの融和には困難が多いと。男と女という壁だけではない。文化や文明の違いもまた大きな障害になっている。ここではレクテイア人を教育しているが、地球人類もレクテイアに対して歩み寄らなければならないだろう」

 

そりゃあそうだろうな。トータスでは獣人族は元々そこにいた奴らだ。文化にも文明にも差はあったが、そもそもお互いに違うことが分かっていて、それなりに共通理解もあったのだ。だが地球とレクテイアではそれすら無い。ただ本当にお互いに何も知らないのだ。それを埋める努力は……きっとトータスでの人間族と獣人族の融和とは次元の違う苦労がある。

 

そもそも、トータスじゃ獣人族は差別されていただけだからな。人間族側にその感情がなくなり、獣人族が過去を流してしまえばそれでほとんど終わってしまう話なのだから。だけど───

 

「───諦めないよ、俺ぁ諦めない」

 

諦めるな、武偵は決して諦めるな、だからな。

 

「……それに、そうか。だから教授は地球の文明を後ろに戻そうとしてたんだな」

 

そして、ネモからこの話を切り出してくれたおかげで俺も話しやすくなったな。でもきっと、この話はネモを深く傷付けるだろう。ネモは教授に心酔していた。だけど俺の話は教授がネモに言っていたであろうことを否定するようなものだから。

 

それでも、俺はネモと同志であるというのならこの話を避けるわけにはいかない。この話をして、それでも俺達が同じ道を歩めるのなら、その時こそ俺達は本当に同志になるのだ。

 

「私はそう理解している。それが相互の歩み寄りなのだと教授は言っていた」

 

「まったく……暗躍してる割にやることが派手だねぇ。んなことしなくても、戦中の時代からこっちに飛んだ遠山雪花はユーチューバーやってるし、レクテイアから来たエンディミラも今じゃ大井競馬場の女神として崇められてるぞ」

 

エンディミラは馬を見ればその子の調子とか、今日勝てそうかどうかが直ぐに分かるらしく、時折小遣い稼ぎに競馬をやっている。あそこまでくるともう賭け事と言うよりはただの回収作業だ。

 

「あの真面目なエンディミラが……!?まさかそこまで天人に毒されていたとは……流石だ……」

 

と、ネモはドン引きしているんだか褒めてるんだか微妙な感じだ。あと競馬を俺のせいにしないでほしい。俺はそういうのはやらないんだよ……。

 

「褒めんのか引くんだかハッキリしてくれ。あとネモ、1つ言っておく。教授はこっちとレクテイアの共存のために地球の文明を押し下げてるんじゃない。アイツは戦い───戦争のために地球の文明を後退させてんだ」

 

それが、俺が無い頭を振り絞って導き出した結論。もちろん俺だけじゃない、メヌエットやティオとも一緒に考えた。それで俺達の出した結論がこれだった。

 

「今のこの現代で戦争を起こすなんて、そう簡単じゃあない。緋緋神みたいに強い個人と戦いたいってだけならともかく、国と国……世界全部を巻き込むような戦いをやるのはな。今はどこも経済で繋がってるから、商売相手を殺したって損するだけだしね」

 

もっともそれは、そのデメリットを超えるメリット……もしくはそいつを放っておくデメリットがより大きいと判断されれば、いつ戦火が巻き起こってもおかしくはない、という理屈に辿り着いてしまうのだけれど。

 

「レクテイア人には好戦的な奴が多いけど、じゃあ地球人類がそんなに平和主義かって言われたらそーじゃねぇ。こっちだってつい最近まで戦争やってて……今だって何だかんだ理由付けちゃあ引き金は引かれてる。───人類は、あと数歩も下がりゃあもう1回世界大戦をおっ始めるよ」

 

こっちにも火種はいくらでもあるのだ。そこに加えてモリアーティがレクテイア人を───それものその中でも好戦的な奴らを大量にこっちに送り込んだらどうなるか……。

 

「最上位レベルになりゃ世界を滅ぼせるレクテイアの神と、こっちの兵器じゃそれなりに吊り合いは取れるだろうよ。聖痕持ちは力の割には意外と戦いたがらないからな。出てくる奴もいるだろうが、そりゃあモリアーティの子飼いで相殺かな」

 

モリアーティの元には最低1人は聖痕持ちがいることは確定している。そして、モリアーティには聖痕の力を個別の兵器として運用できる手段もあるようだし、そもそもシャーロックは『モリアーティは俺への対策を完璧にしている』と言っていた。なら他にも聖痕持ちは何人もいると考えるべきだ。それに───

 

「もう、しばらく聖痕持ちは産まれてねぇんだろ?……多分、俺達の世代が今世で1番若い聖痕持ちだ」

 

今の時代の聖痕持ちは多分30代から20代が中心だろう。そして、俺の少し下……多分彼方の年齢を最後に聖痕持ちは産まれていないんだろう。そんな俺の推理に対して、ネモは1つ頷いてそれを認めた。

 

「───モリアーティやノーチラスはこっちの世界に馴染める奴を(ふるい)にかけるとか言ってたけど、逆だ。()()()()()()()()()()を選別してモリアーティは手元に迎え入れてんだ」

 

ネモの瑠璃紺の瞳が見開かれていく。俺はその瞳の大きさに続くように言葉を繋げる。

 

「───そいつらや好戦的なレクテイアの神とやらをこの世界に呼び寄せちゃあ今もまだこの世界で燻っている火種の中に放り込む。そうすりゃ戦火は拡大するし、誰もがこぞってレクテイア人の力を借りようとするんだろうな。呼び方は……モリアーティが教えるんだろ」

 

ただでさえモリアーティによって下げさせられた文明レベルだ。そこに明確な脅威が現れれば、直ぐにでも人類は戦争を始めちまうだろう。レクテイア人もレクテイア人同士で戦うことに忌避感なんて無いのは知っている。アイツらも加わった科学技術と超常の力の混ざりあった戦争は……今までのそれとはまた違った様相(カオス)を呈するだろうな。それこそ、モリアーティの望む通りの。

 

「シャーロックは言ってたよ。モリアーティは"自分だけが結末を知っている混沌を望んでる"ってな。そして、そういう手合いが何をするかなんてのは……俺ぁ嫌ってほど見てきたんでな」

 

エヒト……本名はエヒトルジュエだっけか?アイツはトータスの上から眺めて自分の愉悦のためだけに人間族と魔人族と獣人族を争わせていた。途中で都合が悪くなれば適当にリセットをかけて、また新しいセーブデータでゲームを再開するかのように何度も繰り返してきた。モリアーティがアイツほど長生きできるのかは知らないけれど、混沌を望むアイツが起こすのは戦争だ。世界中を巻き込んだ最低最悪の戦争を始めるつもりだ。

 

「そんで、確かにそれが終わればこの世界にはレクテイア人がありふれていて、きっと異能も異形も差別されねぇんだろうな。だってケモ耳も魔術もそれなりによくある個性に成り下がる。それは……世界中を大きく傷付けて掻き乱されて生まれた平等だ」

 

「天人……」

 

「戦争の中で地球人類とレクテイア人は混ざり合うよ。男と女の仲になる奴らも出てくる。レクテイア・オルグなんていらないくらいにレクテイアをルーツに持つことが普遍的な価値になる。……その下に何万もの屍を積み上げてな」

 

そしてその屍も地球人類とレクテイア人が混ざり合った山になるのだろう。単純な戦力、通訳、交渉役、スパイ……どんな風にレクテイア人が扱われるか知れたもんじゃない。そして地球人類もまた、ライフルを持たされ爆撃を命じられ、機銃で撃たれてミサイルの爆風で肉片になる。

 

それがモリアーティの描くサード・エンゲージの脚本。そんなもの、実現させてやるわけにはいかないんだよ。

 

「……そうなのだろうな。天人の説は、私がNで見聞きしたことと矛盾せずに辻褄も合う。こちらの者同士が大小の紛争をする未来はどの道を辿っても避けられないと思っていたが……それをレクテイア人が激甚化させることがサード・エンゲージだったとは……。なんということをしようとしているのだ……教授───モリアーティは……っ」

 

俺の言葉に少しの間黙っていたネモはあの決意に溢れ力強かった瞳から力を無くし……そう言葉を紡いだ。

 

「……だが天人、それを止めることはできない。モリアーティがそう企んだのなら絶対にそうなってしまう。それが条理バタフライ効果───モリアーティの恐ろしさなのだ。モリアーティが倒し始めた運命のドミノはもう止められない。既にドミノは個人の"線"から人類の"面"の領域に至って、1枚や2枚止めたところで他が倒れ続けてしまうのだ。……私がそうしてしまった……そうなるように力を貸してしまったのだ……」

 

ネモがまるで祈るように俺の手を握る。その両手は小さくて、とてもじゃないがこんな子が世界をそんな風にできるとは思えなかった。

 

「……世界はそうとは知らずに徐々に過去の覇権主義、独裁主義の時代へと遡る……いや、もうそうなりつつあるのだ。この流れはもう、誰にも止められない……。天人、それが例え貴様であってももう、変えられないのだ……」

 

諦めたようなことを言うネモは、しかし縋るように俺の腕を絡め取り抱き寄せる。

 

「させないよ。……ネモは言ってたろ?俺にゃ世界を変える資格があるって。───だから俺が……俺達が世界を変える。条理バタフライ効果だろうが関係ねぇ。俺達の前に敵として立ち塞がるなら……何だって叩き潰してやる」

 

「そんなこと……」

 

「出来るさ。俺達なら出来る」

 

だから俺はそう断言した。俺達なら何だって出来る。いや、何だってやってやるさ。世界の流れを個人の力で食い止めるなんて、ネモには石ころ1つで濁流を止めるような無謀に見えるのかもしれないけどな、俺達はただの石ころじゃねぇんだ。魔王とその嫁達なんだぜ?

 

「何でそんな風に断言出来るんだ……。もうこの流れはモリアーティを逮捕しただけじゃ変わらないんだ……不可能なんだ……そんなの……不可能なんだよう……」

 

遂に、ネモは泣き出してしまった。自分がモリアーティに騙されていたこと、そしてアイツの作ろうとする世界の悲惨さに心を打ちのめされてしまったのだ。

 

異分子(イレギュラー)……異常存在(イレギュラー)特異存在(イレギュラー)……俺ぁどこに行ってもそう呼ばれた。挙句にゃ魔王様だぜ。しかも神殺しの魔王。いいかネモ、俺ぁユエ達のいたトータスって世界じゃ神様をぶっ殺したんだ。しかも、ソイツぁタチの悪ぃ奴でな。やってるこたぁモリアーティと変わらねぇ。自分の愉悦のために別の人種同士を対立させて戦争をさせて、それを上から眺めて嗤ってた。けどそいつは俺にぶっ殺されて消えたんだ。だからさ、今回も同じだよ、ネモ。まるで全能を気取って世界を掻き回すような奴は俺がぶっ潰す。世界の1つも救えなくて何が魔王だ。モリアーティは俺が逮捕する。そんで世界の流れも変えてやる」

 

 

だから泣くなと、俺は左手でネモの目元を拭ってやり、頭を撫でる。するとネモは俺をボウっと見上げて俺の胸元に飛び込んできた。

 

「───それでも、私は怖いよ。私は今まで強い者……モリアーティという巨人の肩の上に乗って強い振りをしていただけで、そこから降りたら自分の小ささ、弱さが見えてきて……怖くなったんだ。天人は私に"世界を変えられる"と期待してくれているけど、本当の私にそんな強さはないんだ……」

 

今までネモは誰にもこんな弱さを見せたことはなかったのだろう。強く在らねばノーチラスの艦長を、Nの提督なんて立場をやっていけなかったから。だからこれは、俺だけが知っているネモの弱さだ。

 

「大丈夫だよ。俺達がいる。神殺しの魔王が、世界最強の吸血姫が、獣人族最強の女が、竜人族の姫君が……沢山の奴らがネモを支える。それに、ネモはまだ諦めてない。諦めてないなら大丈夫だ。俺達がネモを支えるよ。だからネモも、前へ進むんだ。ネモは俺達を……世界を引っ張れる」

 

ジャンヌやエンディミラ、それにレクテイアの神だったルシフェリアだってコチラにはいるんだから。リサやレミアだって、腕力は無くたって裏で俺達を支えてくれる。

 

それに、本当のことを言うと俺はモリアーティが嫌いなだけなのかもしれない。ネモの夢を利用して世界を混乱に陥れて、それを嬉々として扇動しようなんてのが許せないだけなんだろうよ。

 

ありがとう(メルシー)……ありがとう(メルシー)……天人……」

 

俺の胸の中でネモは呟くように泣いて───

 

「……ぎゅって、してほしい」

 

と、世界で俺だけに聞こえるようにそう言った。むむむ……俺としてもこんな風に弱っているネモを放っておくのは忍びないし、言ったことの誓いを込めてネモをハグしてやりたい気持ちはあるのだが……。正直そろそろそれもはばかれるようになってきた。

 

だが、俺の背中にギュッと腕を回したネモの……その細い身体が震えているのは流石にこれだけ密着もしていれば誤魔化せない。仕方ない、後のことは後の俺に任せて今の俺はこのネモを抱きしめてやる他ないよな。

 

と、俺もネモを包むように抱きしめてやる。するとネモは自分で涙を拭き、俺の胸板にその桜色の柔らかな唇を押し当て、そして背伸びするように唇を滑らせて俺の首筋にもキスを落とした。

 

うぅ……この流れは不味い……。

 

そして俺の嫌な予感の通り───

 

「天人……」

 

ネモは瞳を閉じてその唇を俺に差し出してきた。だよねぇ……こうなったらそりゃあ「キスして」ってなりますよね……。でもさぁ……

 

「……ネモ」

 

これ以上は流石に駄目だし()()()()のようなので、俺はネモの唇に人差し指を当てる。するとネモは閉じていた瑠璃紺の瞳を開き

 

「……駄目か?」

 

と、誘うように俺を上目遣いで見てきて───

 

「……()()()()()()()()

 

ユエの重力魔法で俺から引き剥がされつつ空中へと持ち上げられた。

 

「えっ……!?あ、ユ、ユエ!?いつの間に……」

 

ユエさん、実は俺がネモに「俺達が付いてる」的なことを言ってた辺りでもういたんだよね。気配を消してこっそりとこっちを見ていたことも俺の気配感知からは逃れられずに分かっていた。けれど取り敢えずネモとは2人で話さなきゃいけないと思って黙ってたのだ。

 

「……言ったでしょ?天人の胸の中はまだネモには早い。それに天人の唇も。ネモにはまだ駄目」

 

ピョンと、ネモを退かしたユエが俺の胸に飛び込んできた。俺はそれを当然に受け止めて、抱きしめてやる。ネモは適当に降ろされていて、俺の腕の中にいるユエを恨めしげに睨んでいた。

 

「……ふふん。()()()いたかったら世界を変えてみせて。前も言ったけど、そうしたら考えてあげる」

 

「それまで天人が私のアピールに耐え切れたらな」

 

ネモが唇で触れた場所をなぞるようにユエもまた自分の唇でそこにキスを落として、ネモを挑発するようなことを言っているのだが、ネモはネモでその挑戦を正面から受け止めるつもりのようだ。

 

つまり俺は、これからネモにずっとさっきみたいな誘惑を受けるわけですね……しかもネモ、あぁいう時の雰囲気作りとか上手いんだよなぁ。ジャンヌもあぁいうの上手だったし、フランス人は得意なのかな。そう言えばジャンヌも言っていたな。「男はいつ女にチャンスをくれるか分からない。だから常に完璧な準備をするのがフランスの女」だって。そんな奴の───それもとびきりの美少女からのお誘いを耐えなきゃいけないんだから大変ですよ……。

 

「……天人、耐えて」

 

「はい……」

 

とは言えユエ()さんにこう言われちゃあ男として一線を引くしかないよな……引けると、いいなぁ……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ネモは確かにこのノーチラスの艦長ではあるのだが、彼女は割とインドア派なのでノーチラスではミステリアスな存在として乗組員からはカリスマ的に崇められている。逆に副艦長であるエリーザは常日頃からノーチラスのデッキを歩き回り皆の面倒を見ていてくれている。そのためリーダー的に慕われているのはエリーザの方なのだ。

 

そして、点検や整備も終わり、再び潜航したノーチラスでは、そんなエリーザの俺への態度が柔らかくなったことで他の乗組員の俺への態度も一気に柔らかくなった。

 

これまではユエ達が俺のプレゼンをしてたりしてなかったりららしいのだが、そもそも身内からの褒め言葉ということで他の奴らはおっかなびっくりって感じだった。しかしエリーザの態度が変わったことでユエ達の言葉にも説得力が出たのだろう。あのミヒリーズさえ俺への罵倒が「死ね」から「くたばれ」になった。でもシアと一緒にいる時はほぼ罵倒されないから、あの子が1番気になってるのは俺達の中じゃきっとシアだね。

 

で、今まではこっそり伺うような視線ばかり頂戴していて、こっちから話しかけてもどことなく距離を感じていたのだが、最近はそれも無くなってきた。というか、むしろレクテイア人達の方からどんどん話しかけてくれるようにもなってきたのだ。まぁ今のところはもっぱら、ノーチラスには越境鍵を使ってローテーションで日本と行き来しているユエ達のシフトの確認ばっかりなんだけどね。

 

それでも時々俺のことを聞いてくる子もいる。そういう時にちょっと色々お話してあげるとこれが割と好評。リムル達の世界での話やトータスでの話は、レクテイア的にも何か近いものがあるのか皆興味津々に聞き入ってくれるのだ。

 

そんな風に俺も自分のお勉強の合間に彼女達とお話をしたり、時折レクテイア人の勉強に混じっては「お前がそっち(学ぶ)側なのかよ」って目線を頂戴したり。

 

それに、一応男というものに対してある程度の好印象を持ってもらう必要もある。だからってまさか口説き落とすわけにもいかないので、艦内の仕事で重い荷物を持っている子がいれば代わりに運んでやったり、高い所に置いてある物を取ろうという子がいれば代わりに取ってあげたりと、そんな風に過ごしていた。

 

「───えぇ!?そんなことあるの?」

 

「それがさ、あったんだよ。しかもその時───」

 

「ウソー!?」

 

なんて、とあるお昼時に俺はレクテイア人の子達とそれなりに仲良く談笑していた。

 

「いえいえ、しかもですね───」

 

ちなみに今は俺だけじゃなくてシアもいる。

 

「それなのにパパが───」

 

それにミュウとレミアもだ。今はトータスでの旅の道中の話に花が咲いている。元々は俺がレクテイア人と男の架け橋にならなきゃいけないってんで1人でノーチラスの子達と話していたのだが、俺が親切にしてやったり優しくしてやると、何故だかそれだけでこの子達の好感度の上がり方が凄かったのだ。どれくらい凄かったかと言えば、俺が荷物を持ってやったり運んだりしたくらいで「特別な嬉しさがある」だの「もっと優しくされたくなる」や「原初の喜びがある」とか、挙句には「子供を産みたくなる」とか言われだしたのだ。

 

んで、勿論俺としてはそんなことをしたつもりはないしそんな意思も無いのだが、それを聞いたユエ達は「また天人が女を口説いているのではなかろうか」と思い至って今じゃ誰か1人は俺の傍にいつもいるのだ。

 

まぁ俺も別にリサやユエ達が傍に居る分には嬉しい以外の感情がないから別に構いやしない。それにこういう会話だって他にもう1人くらいその時のことを覚えている奴がいてくれた方が会話も弾むしな。

 

「あらあら、あなたってばそんなことを?」

 

「本当だよー、ミュウちゃんの教育に悪いよ?」

 

「え〜!?でも面白かったの!」

 

「ほらぁ、ミュウだって楽しい方がいいだろ?」

 

「うん!ミュウ、パパやお姉ちゃん達と冒険できて楽しかったの!」

 

うぅ……ミュウってば良い子ですわ……。

 

と、俺とシアがミュウの不意打ちに目頭を抑える。それを見て一緒に駄弁ってたペンギンっぽい感じの子と犬っぽい子がケラケラと笑う。それに釣られて俺とシア、ミュウも思わずふふっと笑みを零せばレミアも「あらあらうふふ」と微笑む。

 

すると、急にレクテイア人の子2人が立ち上がって敬礼をした。俺は気配感知で誰が来たのか分かっていたし、シアも当然気付いていた。ミュウは「あー!」と、手を振っていて、レミアもそれで視線をそちらに向けて小さく手を振っていた。

 

「あぁ、礼は解いていい。───こら、ちゃんと勉強はやっているんだろうな?」

 

ペシ、と俺の頭に軽いチョップを落としたのはネモだ。俺は仰け反るようにしてそちらを見れば、両手を腰に当てたネモが俺を見下ろしている。とは言え、ネモの背じゃそんなに目線変わらないんだけどな。

 

「ふふん。俺を誰だと思ってるんだ?」

 

仰け反った体勢を戻してネモに振り返りながら俺はテーブルの上に閉じて置いていたノートと折り畳んであったプリントを引っ張り出す。

 

「今世紀最大のお馬鹿だと思っている」

 

「……………………………………………………………………………………それはともかく、見よ、ネモに出された課題はスッキリこの通りさ」

 

ネモの言葉に反論できる語彙は無かったのだが、一応出された課題は終えてからこうやって会話を楽しんでいるのだ。

 

「随分と長い間だな。……ふむ、一応課題は解いてあるようだな。後で答え合わせのために部屋に来るように」

 

「はーい」

 

「あ、じゃあノートは私が届けますね?」

 

と、シアが俺のノートとプリントをひったくった。いやまぁ言わんとしていることは分かりますよ。そりゃああんなことがあったばかりですからね。1人でネモの部屋に行って何をされるかなんてことは俺だって察しが付くさ。

 

「だいたい、丸つけだけなら天人さんがいなくてもいいでしょう?」

 

「いや、間違った回答の解説をその場で行うことで記憶への定着率が変わるのだ。それに関係のない者がいては天人も勉強に集中し辛いだろうから、付き添いはいい」

 

「いえいえ、お気遣いなく。兎人族は気配を消すのも得意ですし、そもそも私がいても天人さんの邪魔にはなりませんから」

 

あ、あれ……?シアとネモの視線の間に火花が見えるよ?しかもそこのレクテイア人2人、シア達を見て「これが恋の侵掠戦争……!」とか言ってるんじゃあないよ。ミュウまで「侵掠なのー」とか真似しちゃってるじゃんよ。

 

「うふふ。モテモテですね、あなた?」

 

「笑い事じゃない……」

 

それにこの流れ、絶対にこっちへ飛び火するんだろうしな。

 

「ほら、天人さんからも言ってあげてください」

 

ほらな?

 

「あぁ……じゃあ16時ぐらいに行くよ」

 

誰と、とは言わないでおく。もちろん1人で行くとも言っていないが。それが分かっているのかネモは「ぐぬぬ」って悔しそうな顔してるし、シアは勝ち誇った顔をしている。どうやら今の戦いではネモの敗戦らしいと悟ったレクテイアの2人は唇を尖らせて揃って不満そう。当然に自分らのボスを応援していたっぽい。

 

まったく、何でこんな風な気疲れをしなきゃいけないのだろうか……いや、全部俺のせいか……。それなら仕方ないな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ムンバイに寄港する当日は夕飯が豪勢になった。元々俺達のおかげでそれほど食料庫を気にする必要は無かったのだが、やはり大々的に補給をできるこのタイミングは祝いも兼ねているのだろう。

 

ノーチラスではちょっとしたパーティーのような様相を呈していた。科員食堂からは人が溢れ、教室でもスイーツ祭りが開催された。ネモの採点と復習もユエとシアの監視下にて終えた俺は、そこでシアとエリーザに仲介してもらってミヒリーズとも少し仲良くなれた。これでようやくシアがいなくてもミヒリーズから謂れのない罵倒が飛んでくることはないだろう。

 

そうしている内に音楽隊の軍隊ラッパ(ビューグル)の音を背に俺は発令所に上がった。さてさて、この先に待ち構えている障害なんてのはもう分かりきっている。けれども俺はもう1度対峙しなければならないのだろう。

 

俺の先にはいつもアイツがいる。けれど、アイツに煩わされるのももうこれで最後かもな。俺はとっくにアイツを超えた。きっとそのハズだから。

 

「本艦ただ今深度0。微速前進中───」

 

「時刻19時13分。インド標準時(IST)

 

「セイル上、排水ヨシ」

 

「外気温、摂氏25度。インドの雨期は9月で終わってるから良い季節の入港になったでち」

 

「ではエリーザ、旗を。天人達も上がって港を見てみるといい」

 

ネモのお言葉に甘え、敬礼したエリーザに続いて俺とルシフェリア、ユエやシア達もセイル内を上がった。そしてハッチを開け、ライトの灯った夜のセイル上に出た。

 

今の俺の肉体であれば外と艦内程度の気圧差であれば耳抜きも要らない。エリーザの言葉ではもうインドの雨期は終わって、今は乾期らしいがそれでもムワッとする湿度に出迎えられる。ホント、日本に長く住んでると11月でこの気温ってのは信じられないね。

 

熱変動無効が俺に暑さも寒さも大して感じさせてくれなくしやがるのだが、それでも空気の温度は何となく分かる。普通なら汗ばむような気温と湿度だ。

 

「───虫じゃの」

 

ルシフェリアがポツリと漏らした通り、セイル上のライトの近くに小さい羽虫が飛んでいる。これも海洋のド真ん中じゃあ見られなかったもので、本格的に陸地が近付いてきたのだと実感する。

 

「あれがムンバイでち」

 

Nの旗ではなく『MOBILIS IN MOBILI(動中動)』のノーチラスの旗をポールに掲げたエリーザが左手を示す。

 

そちらを見れば、熱帯の気候が生み出した薄い霧の向こうで無数の光が輝いていた。視界に収まりきらないほどに広く広がるあれは都市の光だ。

 

そういやノーチラスは元々はインドの原水だったということを思い出させてくれる光景。まるでノーチラスを出迎えるかのようにライトアップされた石造りの超巨大な門───ゲート・オブ・インディア(インド門)

 

ノーチラスはインド門の前を悠々と横切りムンバイ湾内へと入る。ここにはインド海軍の巡洋艦が整然と並んでいる。軍港なのだ。

 

そこへ入り込むノーチラス。そして投錨して無事に入港したノーチラスの甲板上には軍帽とマントでケモ耳や尻尾を隠したレクテイア人達が出てきた。そしてそれを迎えるインド海軍のメンツも皆女性ばかり。どうやらインド側もこちら側の素性はある程度把握し、配慮もしているらしいな。

 

「あー、やっぱりいるですぅ」

 

すると、シアが遠く──と言ってもムンバイのインド海軍港は町のど真ん中にあるからコチラからも近隣の建物は丸見え。おかげでその城みたいな外観をしたタージマハル・ホテルも一際目立つ──を見てそう言葉を漏らした。

 

「誰?」

 

「レキさんですね。スカーフ?フード?みたいなのを被って長布(パトウ)を肩掛けしてます。強襲科の教科書で見た山岳兵みたいですね。勿論ドラグノフも抱えてます」

 

シアにはここに入港する時点で狙撃手に警戒するように伝えてあった。羅針盤で探してもいいのだが、場所だけ何となく把握するよりも自分の目で見た方が構え易いからな。

 

「んー、でも狙撃手はレキだけか」

 

とは言え俺も羅針盤での検索は怠らない。もっとも、この辺にいる狙撃手はレキだけみたいだけどな。

 

「───てっ、敵襲!!───イ・ウーでち!!」

 

そして、エリーザが殆ど悲鳴に近い声でノーチラスのセイルから艦内通話のマイクに向かって叫んでいる。

 

そう、もう入港も投錨もしちゃってて逃げ場のないノーチラスに対して軍港の出入り口を塞ぐように浮上してきた巨大で黒い潜水艦───そのセイルに描かれた2文字は『伊』そして『U』。

 

遂にアイツのお出ましだぜ。俺の師匠にして国際的なテロ組織イ・ウーの総大将たる教授(プロフェシオン)、世界一の頭脳を持つ名探偵にしてバーリ・トゥードの達人で武偵の始祖───シャーロック・ホームズのな。

 

 



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シャーロックの要求

 

 

「落ち着けエリーザ───アイツらは敵じゃあない」

 

俺は甲高い声で叫んでいるエリーザの肩に手を置いた。するとエリーザは振り返りながら

 

「な、何を言っているでち!あの伊とUの文字が見えないでちか!?」

 

と、腕をブンブン振り回しながら伊・Uのセイルにペイントされた2文字を指差してきた。

 

「見えてるよ。ありゃあ確かに伊・Uだ。けど、だからこそあれは俺達の敵じゃあない。敵じゃねぇってのは、今のこのノーチラスと敵対しないって意味だけじゃない。───戦闘になってもこっちが勝つって意味だぜ」

 

そして、あのシャーロック・ホームズともあろう御方が推理できていないわけがない。俺がノーチラスに乗艦していることも、その理由も。そして今の俺達が戦闘になればどういう結果になるのかも、な。

 

「うっ……じゃ、じゃあイ・ウーは天人に任せるでち……。それでいいでしょうか、ネモ(しゃま)

 

「あぁ。それで構わない。───任せられるな?天人」

 

エリーザは勝利宣言をした俺の目を見て、照れたように目を逸らしてネモに判断を仰ぐ。そしてネモも、俺を見てそう託した。

 

「おう、任せとけ」

 

俺は伊・Uと向かい合うようにノーチラスの甲板上に立つ。すると、イ・ウーからも人影が現れる。1人は当然シャーロック・ホームズ、そしてその後ろから2人───遠山キンジと神崎・H・アリアも揃って現れた。

 

「───この同窓会(リユニオン)に参加してくれて嬉しいよ、天人くん」

 

「俺ぁ同窓会をしに来たんじゃあねぇよ」

 

ていうか、そんなことでわざわざインドくんだりまで行くかよ。この面子なら日本でやってほしいものだね。イタリアだのインドだの、なんでコイツはいつも全員が遠い場所で同窓会をやりたがるんだか。

 

「それで、わざわざこんな所まで何しに来たんだよ。まさか俺とここで喧嘩するわけじゃあねぇだろ?」

 

「そうだね。今の君と戦闘をする必要はない。そもそも、交渉手段が戦闘力になってしまった時点でその交渉は僕の負けだからね」

 

そんなシャーロックの発言にキンジとアリアが目を見開いてシャーロックと俺を交互に見やる。

 

「……別に驚くことじゃあねぇだろ。2年前ならともかく、今の俺ぁお前らが100人ずついたって勝てねぇよ」

 

リムルのいた世界で魔王となり、トータスでは魔物を喰らって生き延びた俺はもう聖痕が無くても彼らには負けやしない。何の制限も無しで戦闘になれば俺を止められるのはこの世界じゃ聖痕を持っている奴だけだろう。

 

「だろうね。だからノーチラスの皆もそう身構えることはないのだよ。僕はここに戦いに来たのではないからね」

 

だとよ、と、シャーロックが言ったことを俺がネモに伝えればそれはエリーザを通して瞬く間にノーチラスの乗組員に伝わったようで、俺の背中から少し弛緩した空気が漂ってきた。

 

「……それで、態々こんなご大層な登場をしなすって、何の用だよ」

 

まさか本当に懐かしの面々で同窓会(リユニオン)を開くためだけなわけがないだろう。シャーロックが俺にリサ、キンジとアリア、それにレキまで呼び寄せたんだ。それにコイツのことだ、俺とリサを呼べばユエ達が来ることだって推理できていた筈だ。そもそもインドに来ている時点で俺がネモと一緒にいることを推理できているんだ。

 

話題の中心はどうせ───

 

「───Nとモリアーティ教授についてだよ、天人くん」

 

当然、これしかないよな。

 

「んー?」

 

だが俺は敢えてわざとらしく問い直した。俺達は無限の魔力を手に入れたし、時間延長の部屋の中で試行錯誤した結果、シアのドリュッケンには新たな力が備わっている。

 

「君達が───神代天人くんがネモくん達ノーチラスと共にもうそろそろモリアーティ教授へと挑もうと推理できたのでね。釘を刺しに来たのだよ」

 

あ……言われちった。その事は次の寄港時……つまりこの後ノーチラスの乗組員に周知しようとしていたのだ。なのにシャーロックに先に言われてしまった。しかも上に出てきていた乗組員にも聞こえる声で。

 

おかげで後ろからザワザワと騒ぎが聞こえてくる。「どういうこと?」「教授と戦うって何?」「そんなの勝てるの?」とかとか……。

 

むむむ……どうする?もっとも、バレ方は理想とは遠いけれど、実際にシャーロックが言っていることは嘘じゃあない。むしろネモがこれから伝えようとしていたことなのだ。誤魔化しようもないが……。

 

「───狼狽えるでない!」

 

すると、突然の一喝。その声にザワついていたレクテイア人達に落ち着きがもたらされた。そして、それを成したのは───ルシフェリアだ。

 

「確かにノーチラスはモリアーティに反逆し、かの者が起こそうというサード・エンゲージを阻止、我らのサード・エンゲージを起こすつもりじゃ。だが狼狽えることは無い。ここにはレクテイアの神である我───ルシフェリアがおる。そして我に勝ち越せる我が半身───我が主様がいる。それだけではない、ユエもシアもティオも……皆レクテイアの神に勝るとも劣らない強者(つわもの)である!」

 

両手を腰に当てたルシフェリアがそう言葉を紡ぐ。そして、その言葉はレクテイア人達にとって余程大きなものらしい。皆、ルシフェリアの一言一言を聞き漏らさぬようにしっかりと聞き入っていた。

 

「それに、主様───神代天人もこの世界とレクテイアを渡る術を持っておるのじゃ。モリアーティが如何な力を持っていようとも、我らの勝利は揺るがないであろう!」

 

シン───と場の空気が静まりかえる。すると、目深に軍帽を被ったネモが皆の前に1歩進み出た。

 

「皆の者、黙っていて済まなかった。元々この寄港のタイミングで話そうとは思っていたのだがな。まさかシャーロック・ホームズに先を越されるとは思わなんだ。そして今のルシフェリアの言葉に偽りは無い。我々ノーチラスは今後Nから脱退、モリアーティの起こそうとするサード・エンゲージを阻止。そして我々のサード・エンゲージを起こすために行動する」

 

そして、ネモはエリーザに掲げさせた『MOBILIS IN MOBILI(動中動)』をネモ旗を指し示した。

 

「これは初代ノーチラス号艦旗。私の曾祖父、初代ネモの旗だ。文字は同じでもこれはノーチラスのNでありネモのN───この旗が掲げたられたということは、ノーチラスはNからの離脱を意味する。そこに至る具体的な経緯は───」

 

そしてネモの口から話されたモリアーティの真意。モリアーティはただ自分の思い描く混沌の世界が見たいだけだということ。そして彼の起こすサード・エンゲージがどのような道を辿るのかということ。そしてそれはシャーロックやキンジにアリアも聞き入っていた。そして───

 

「我らに着いて来れないという者は名乗り出てくれ。悪いようにはしない。このインドでノーチラスを降り、ノアかナヴィガトリアに行けるように私から取り計らおう」

 

堂々と、ネモはそう告げた。そして、この場で手を上げる者は───1人たりともいなかった。

 

確かにこの艦には地球人類と仲良くやっていけそうな奴らばかりが乗っている。だが、それでも何人かは向こうに行くとは思っていたが……これは僥倖だったな。

 

勿論ルシフェリアの言葉の力は大きかったと思う。そのルシフェリアに勝ち越しているという俺の存在もあった。けれども、誰も抜けるものがいないというのは、それだけこの艦でネモが信頼されている証だろう。

 

「……ありがとう。諸君らの結論に後悔はさせない。我々は全霊をもってNに反逆し、この世界を我々のような異形異能の者が自分を偽らずに生きていける世界にすると約束しよう」

 

そのネモの言葉を背に俺はシャーロック達に向き合う。

 

「───って言うわけでさ。俺ぁこんな所で引くわけにもいかないんだよねぇ」

 

「……ふむ。流石はネモくんとルシフェリアくんと言ったところか。それに、天人くんも随分とノーチラスの皆に信頼されているみたいだね」

 

場の空気を一瞬で鎮め、直ぐ様コチラのホームの空気に変えてしまった2人にシャーロックは感心したような声を漏らす。

 

「……アンタまた女の子たらしこんだの?」

 

すると、アリアからは何故だかジト目を頂戴する。

 

「いいかアリア。これはいつも絶対に信じてもらえないんだけど、1つ事実を言う。俺ぁそんなに節操無しじゃない」

 

だが俺の言葉はやはりアリアには届いていないようで、アリアから頂戴するのはさっきと変わらずジト目ばかり。て言うか、後ろからもいくつかのジト目を頂いている気配がする。

 

「天人くんは昔から女性を落とすのが得意だからね」

 

「ちょっと待てぇい!シャーロックこら!───少なくとも俺ぁイ・ウーじゃ今みたいにモテモテじゃなかっただろうが!!急に変な嘘ぶっ込むなや!」

 

何故だかいきなりシャーロックの野郎が俺の嘘の風評を流そうとしているのでそれだけは断固阻止しなければ。むしろ俺はイ・ウーの時代は女の子から嫌われる側だったでしょうが。ほらそこのユエ様!「今はモテてる自覚あるんだ……」とか言わないで!シアも「遂に自分で言っちゃったですぅ」とか言わないでくれるかな!?なんだが無性に辛くなるから!

 

「そうだったかな。僕の記憶では天人くんはいつも女性に囲まれていた筈だけど?」

 

すると、シャーロックはそんな俺の後ろの様子を放って俺への熱い風評被害を確定させようとしている。だいたい、俺のこと囲んでたのはパトラとかヒルダだしアイツらの()()()()は意味が違ぇだろうがよ。

 

「そんなわけあるか!こちとらボールは友達どころかボールだけが友達だった時代だぞ!!」

 

これはこれで自分で言ってて悲しくなってきたな。しかし実際、理子と仲良くなるまでイ・ウー時代の俺に友達はいなかった。リサは友達とはまた違ってたし、ジャンヌと仲良くなったのも理子との繋がりがあったからだ。そしてその他の……具体的にはヒルダやパトラからは大変に嫌われていただろうに。何でシャーロックはそんな嘘をつくんだよ……。

 

「それはそうと───」

 

「流すな!!」

 

「───天人くん、君にメヌエットくんはあげられないよ」

 

「会話のキャッチボールをしやがれこの人間ウィキペディア!」

 

何でアイツはこう、喋るのが止まらないんだろうか。アイツの口車は永久機関か何かか?人の話も聞きやしねぇしさ。

 

「……て言うか、メヌエット?急に何?」

 

そして唐突にこの場にはいないはずの人物の名前が挙げられた。しかもNのは無関係のメヌエット。まったくもって意味が分からん。コイツは会話に脈絡ってもんがねぇのか?

 

「アリアくんから聞いたよ。君はメヌエットくんも()()()()そうだね。魔法の力で彼女の脚を治したのが発端ということだけど……」

 

と、シャーロックはふと言葉を切り、俺の後ろにいたリサやユエ達を見やった。

 

「そんな風に沢山の女性に囲まれている君に、大事な曾孫を嫁に出すと思ったのかい?」

 

「何でお前は俺がメヌエットを嫁に貰うと思っているんだい?」

 

俺みたいなのに大事な曾孫はやれんという気持ちは分からんでもないないが、誰がいつそんな話をしたよ。

 

「……では天人くんはメヌエットくんを女性として見ていないと?」

 

「……少なくとも、そういう意味で愛した事実は無い」

 

女の子として可愛いと思ってない、なんて言うとそれは嘘になってしまうので、余計なことは言わずに事実だけ述べさせてもらおう。ちなみに俺達の会話にキンジだけは疑問符を浮かべていた。

 

「て言うかさ、そんなん本人が決めることだろ?表向き死んだお前が口出すことじゃあねぇだろ」

 

まぁあの子まだ未成年だから婚姻には保護者の同意が必要ではあるのだが、どっちにしろシャーロックは死んだ者扱いの筈だ。気持ちはともかく、コイツにとやかく言われる筋合いもない。

 

「ちなみにあたしも反対だからね」

 

「……ぐうの音も出ません」

 

お姉様に言われちゃあ俺も反論のしようがないな。……いや、だから俺はメヌエットを嫁にするなんて一言も言っていないし思ってもいないんだってば。

 

「え、て言うかそれ言いにわざわざインドまで追っかけて来たの?───シャーロックさん案外お暇なのね。……あ、そういや今は住所不定の無職だもんな」

 

これまでの積もり積もった鬱憤も込めて「ププッ」と嘲笑してやればシャーロックのこめかみがピクリと震えた。後ろからはネモの「ふふっ」と思わず漏れたような笑いも聞こえる。

 

「……そんな煽りには動じないよ。何せ君と違って僕は大人だからね」

 

『大人』をやけに強調してくるが、それがまさに俺の煽りにイラついている証拠だろうよ。ま、あのシャーロック・ホームズさんを煽ってイラつかせたってことで、今日は手打ちでいいか。少しスッキリしたし。

 

「で、真面目な話、何しに来たのさ?まさかインドまでその2人連れて来て本当に同窓会で旧交を温めようってんじゃねぇだろうな」

 

挙句にレキまで寄越しやがって。一体何のつもりなんだかな。

 

「勿論違うとも。ここに来た目的はさっき言っただろう?───モリアーティ教授と、Nについてだよ」

 

それが目的ならなんで途中で変な話挟んだんだよ。という俺のジト目をシャーロックはマルっと無視してそのよく回る口を開く。

 

 

「さっきも言った通り、君達は今モリアーティ教授に挑もうとしている。私達はそれを止めに来たのだよ」

 

「止める?対策がどうのとかってやつか?」

 

「その通り。今はまだ彼に挑むべきではない。物事には丁度良いタイミングというものがあるからね。それは今ではないし、君達はもっと力を付けなければならない」

 

今更力か……。確かにモリアーティの元には何人もの聖痕持ちがいるのだろう。それに、聖痕の力を何らかの装置に収めて運用する方法も確立しているようだし、油断ならない相手なのは分かっている。だけど俺達だって無限の魔力リソースや新たな力を手に入れている。目的はNの殲滅ではないのだ。それほど不利な戦いとは思わないけどな。

 

「モリアーティの逮捕にはあたし達も協力するわ。だからアンタも今は曾お祖父様の話を聞きなさい」

 

「鬼のSランク武偵アリア様ともあろう御方が随分と素直じゃないの」

 

いくら相手がシャーロックとは言え、あのアリアがこうも素直に言うことを聞いていることに違和感があるな……。

 

「アンタあたしを何だと思ってるのよ!」

 

「そりゃもう猪突猛進娘よ」

 

むしろアリアが今すぐにでも飛び出さないことの方が異常事態に見えるくらいだ。

 

「風穴開けるわよ!」

 

と、アリアは右目を紅に光らせながら叫んでいる。……あれビームじゃんね。怖……いや、それでこそアリアなのだけれども。

 

「まぁ待ちたまえアリアくん。今は先に、モリアーティ教授についてだよ」

 

「うっ……はい、曾お祖父様」

 

すると、アリアはシャーロックに制されてビームの溜めをキャンセル。あと今の言い方だと、お話が終わったら風穴開けていいことになりません?

 

「そちらにネモくんがいる以上知っていると思うが、モリアーティ教授の元には何人もの聖痕持ちが集まっている。そして教授は、辺り一帯の聖痕を塞ぐ術と同時に、特定個人の聖痕だけを閉じさせない術をも持っている」

 

それは俺もあの時体感させられた。公安0課の奴らも持っていた技術。周りの聖痕を塞ぐ技術はかなり昔からあるらしいが、それを特定個人に限りキャンセルするという理不尽。

 

「できればネモくんからその技術を教わりたいのだけどね」

 

おぉ!あのシャーロックが人に教えてくれだなんて!明日は槍が降るぞ!!

 

と、俺が勝手に感動しているとネモがふと俺の隣にやって来てシャーロックを見やる。

 

「……悪いがその技術の全容は私も知らないのだ。モリアーティは私にもその戦力の全てを開示していない。何人かの聖痕持ちがいることは知っているが、誰がどんな力を持っているのか正確なところは私も掴めていない」

 

それは俺も予想していた。ルシフェリアにも知らない部分の多いノアとモリアーティ。ネモのことも利用するための駒程度にしか考えていなさそうなモリアーティのことだ、きっと戦力の全てはネモには知らせていないのだろう。

 

「ふむ……なら尚のこと天人くん達を教授と戦わせるわけにはいかないよ。今の君達を失えば、この世界は確実に教授の思い描く通りの世界になるからね」

 

シャーロックの言葉で俺の頭に浮かんだのは再生の聖痕の男───奏永人。アイツや公安0課の奴らがそんな簡単に混沌と戦争の世界を許しておくのだろうか。しかもネモ曰く、日本はパンスペルミアの扉を巡る争いにおいては砦派に寄っているのだ。

 

この世界の運命にとって扉が開くかどうかはあまり関係がなさそうだが、だからこそ彼らは動くだろう。それとも、モリアーティの手元には再生の聖痕への対策すらあるということか。

 

「……そんなの、言われなくても分かってんだよ」

 

だがどっちにしろ、アイツらがどのように動いて、それに対してモリアーティがどうするのかを俺は全く知らないし、予想も立てられない。だから俺は唸るようにそう返すしかない。

 

「それで、具体的には何をどうしたら俺ぁシャーロック様の許可を頂けるんですかね?」

 

少なくとも俺とトータス組はそれぞれ1人でもシャーロックとキンジ、バスカービル全員を相手取って叩き潰せる。イ・ウーにあの鬼共がいようが結果は変わらない。ただの1人たりとも逃さずに捕まえてしまえるくらいの戦闘力がある。

 

「そうだね、少なくとも天人くん、それと君と一緒にコチラに来た子達は、それぞれ1人きりでも戦い慣れした聖痕持ち1人には勝てるくらいになってもらわないと困るかな」

 

「……なら私1人で充分」

 

すると、ユエが俺の横に並び立つ。確かに、ユエの神言であれば相手の力がどうだろうと簡単に捻じ伏せられる。戦闘になって出てきた奴らを逮捕するだけなら問題あるまい。

 

「ほう、それは一体───」

 

「……ユエの名において命ずる───(ひざまず)け」

 

「……ふむ」

 

「───ぐっ」

 

「何よこれ……っ!」

 

すると、ユエ様の勅命によってシャーロックとキンジ、アリアの3人は本人の意思とは無関係に強制的にイ・ウーの甲板に膝を着いた。

 

ユエの気配は背中からも感じ取れていたけど、俺とシャーロックのやり取りに随分と苛立っていた様子だったからな。これはまたいきなり荒っぽい御命令ですこと。

 

「……分かった?私の命令には誰も逆らえない。聖痕持ちでも何でも関係無い。天人の師匠らしいけど、今はもう私達の方が上」

 

黄金の魔力光を明滅させながら言葉を発するユエからは独特の覇気のようなものがある。シャーロックに対するユエの苛立ちと敵愾心が入り交じったそれをシャーロック自身がどう感じたのか、シャーロックは膝を着いたままユエと俺を見やり、ふぅと1つ溜息をついた。

 

「なるほど。だけど()()()()()を教授が推理していないとも限らない。やはりこのような搦手ではなく正面から打ち砕ける力が欲しいところだね」

 

「……ふぅん。……例えばこれくらい?」

 

あ、ユエの放つ魔力光が明滅から完全に噴出になった。しかも黄金色だけでなく真紅の魔力光も混ざっている。シャーロックの奴め、言葉を選べってんだよ。ユエさん本気で切れてるぞ。

 

キンジとアリアがその迫力に分かりやすく冷や汗をかく中、シャーロックは努めて涼しそうな顔を保ちながら

 

「では、試してみようか」

 

そう呟き、キザったらしく指をパチンと鳴らす。するとシャーロックの横に現れたのは───

 

「───透華!?」

 

涼宮透華だった。いや、それだけではない。透華と透華の妹2人───樹里と彼方も姿を現したのだ。見えない壁から徐々に姿を見せるかのようなその登場の仕方は、透華の聖痕───透過の力だろう。確かにあれは姿を見えなくする程度はできる。だがこの距離で俺の気配感知に掛からないなんて有り得ない。アイツらがハウリアか伊藤マキリ並に自らの気配操作に長けているのならまだしも、彼女達はその聖痕の力を除けばそれほどの強者ではない。

 

だからきっと彼方の力で気配そのものを切断したのだろう。樹里は概念を切断できるほどには聖痕の力を引き出せてはいないはずだからな。

 

「……天人さん、今のこれ、彼方の力だと思ってる?」

 

と、樹里が俺を見据えてそう言う。

 

「……違うのか?」

 

「違うよ?今のは私の力。私だって気配を切断するくらいはもうできるんだよ?」

 

「そうか、そりゃすまんかった。───それで?シャーロックよぉ、お前コイツらに何したんだ?」

 

ヌルりと俺から魔王覇気が漏れ出る。もしシャーロックがこの子達に何らかの脅しをかけてこの場に連れてきているのだとしたら俺はこいつを許してはおけない。この場でシャーロックを再起不能になるまで叩き潰す。

 

魔素を知らない奴らでも目に見える程の濃度で漏れ出る魔王覇気とバチバチと音を立てる赤い雷(纏雷)が俺の意思を伝えたのか、シャーロックはフルフルと首を横に振る。

 

「まさか。そんな野蛮なことはしないさ。ただ彼女達に伝えただけさ。教授の目的と、君達がどうしようとしているのか、その推理をね」

 

「天人くん、あの時と違って私達は自分達の意思でここにいるの。脅されてなんかないよ。私達も戦いたいと思ったからここにいるの」

 

「透華……だけど───」

 

シャーロックの言葉に続いて口を開いた透華。それに俺が何か言い返そうとするが、それを遮ったのは彼方だった。

 

「───天人さん。聖痕が使えない私達では力不足に思うのは分かっています。それでも私達は戦いたいんです。もう……見ているだけは嫌なんです……」

 

そう告げる彼方の瞳は今にも泣き出しそうで、でも気丈にもそれを堪えていた。その堪える涙の理由を、俺は今更聞かなくても充分に分かっていた。けど、それでも───

 

「それでも俺ぁ、お前達には待っていてほしいと思う。力が有るとか無いとか、そんなことじゃあねぇんだ。俺はもう……お前達にはこんな血塗ろの世界から抜け出してほしいだけなんだよ」

 

───それこそ俺の偽らざる本心。透華達はまだ引き返せる。この子達は俺達のいるような血と硝煙の匂いに塗れた世界からまだ抜け出せる。本当は暴力なんてない世界の方が理想なのだから。

 

俺はもうその世界から抜け出せないだろう。ここから出るには俺は自分の手を血で汚しすぎた。リサやユエ達も俺がいるならどんなところにでも着いて来るだろう。そして今の俺はもう彼女達が俺と別れてでもただ穏やかな世界で生きているのではなく、俺と同じ世界で一緒に生きてもらうことを望んでしまっている。だからこそ、俺にはあの子達の人生への責任があるのだ。

 

「……嫌」

 

「……透華?」

 

だが、透華は嫌だと口にする。呟くように小さい声だったけど、確実に俺の言葉を否定する。

 

「───そんなの嫌だよっ!もうただ待ってるだけなんて嫌っ!そんなの寂しい!耐えられない!私達がどれだけ待たされたと思ってるの!?あの時リサちゃんと一緒に異世界に消えた時……トータスって所に1人で行っちゃった時……っ!私達がどれだけ辛かったか分かる!?……分からないよね?天人くんはいつも行っちゃう側で、待つことなんてなかったもんね……」

 

最後は消え入りそうな程の声で紡がれたそれは、透華の───彼女達3人の慟哭。

 

「天人さんは私達をあの牢獄から救ってくれた。でもあの時も私達は何もしてない。ただ祈るだけ、待つだけだった。いつもそう。天人さんが別の世界に消えてしまった時も、私達はただ祈って待つばかり。そんなのはもう終わり。これからは私達も戦う。例え辛くても痛くても……貴方と一緒なら耐えられるから」

 

「遠山先輩やアリア先輩からも聞きました。天人さんがどんな世界を作ろうとしているのか。その世界はきっと、私達にとっても理想なんです。なのに、その世界を作ろうとしている天人さんがそこに居るのに、私達はただ見ているだけことなんてできません。戦うのは私達の意志。シャーロックさんにはその意志を実現させるための努力を手伝ってもらったに過ぎません」

 

透華達の叫びはやけに俺の耳に慣れていた。理由なんて1つしかない。あの時───オスカーの邸宅でシアも言っていたことだ。戦いたい。俺と並んで一緒に戦いたい、そして掴み取りたいのだと。

 

「言っとくけど私……ううん、私達、まだ天人くんのこと大好きだし、諦めてないからね」

 

「え……」

 

「分かる?好きな男の子が急に消えちゃって、戻ってきたと思ったら可愛い女の子いっぱい連れて来て。挙句にフラレ仲間だと思ってたジャンヌまでそっちに居るし。ホント、もう毎日枕を濡らしましたよ?」

 

透華がジャンヌの方を睨むと背中側でジャンヌが目を逸らす気配がした。

 

「実は、シャーロックさんとは結構前から知り合いだったの」

 

「……は?」

 

樹里のその言葉は俺には初耳だ。アイツがそんなに近くにいたなんて俺は知らないぞ。

 

「天人さんはきっと気にしていなかったでしょう?私達はシャーロックさんの教えで力を磨いてきました。天人さんが大怪我をしたあの日を境に学園島や……その後には関東全域でも聖痕を使えなくなりましたけど」

 

それは、奏永人が俺の前に再び現れたあの日。あの後から日本中の大都市を中心に聖痕が封じられ始め、今じゃ日本の大部分で聖痕を開くことができなくなっている。

 

「それでも私達は力を磨いてきたんだよ。聖痕の力だけじゃない。色んな力を付けたんだ。……例え天人くんと距離ができても、その間に天人くんが他にも色んな女の子と仲良くなってても。それでも私達は強くなったの」

 

「寂しかったよ?辛かった。天人さんと距離ができてしまって……しかもその間に他の子が挟まっているのを見て……でも、それでも決めてたから」

 

「シャーロックさんが言っていました。いつか天人さんは大きな戦いの渦中に飛び込むって。その時に後悔しないために、私達は覚悟を決めたんです」

 

俺と一緒の戦場に立つために。そのために彼女達は俺と距離を置いてでもシャーロックの元で修行を積んだのだと言う。場合によっては伊・Uに乗って聖痕を封じる領域の外に出てその力の扱いを極めていったのだと。

 

「決まりですねっ」

 

と、不意にシアが俺の横に並んでそう言った。

 

「覚悟を決めた女の子は強いんですよ?それに、私は───私達は透華さん達の気持ちが痛いほどに分かっちゃいますから。だから私達はどうしたって透華さん達の味方ですぅ」

 

腰を屈め、下から俺を悪戯っぽく見上げるシア。するとティオも「天人の負けじゃな」とか言って俺の背中に寄りかかってくる。ユエも溜息をつきながら「……透華達の勝ち」なんて告げてきた。

 

「……でも、そう簡単に天人は落とさせない」

 

ギュッと、ユエが俺を抱きしめる。するとシアもそれに倣うように俺に抱きつきティオも俺を後ろから抱く。

 

「そうですよ〜?このまま放っておくと大家族になっちゃいますぅ」

 

いやもうそれはなってるんじゃないかな?だってもう既に11人家族とルシフェシア(メイドさん)が1人だからね。我が家だけでも随分な大所帯だ。ま、一族でまとまって暮らしていたシアやティオからすればまだ少ない方なのかもしれないけどさ。

 

すると、それを見た透華達がちょっとムッとした顔をして───

 

「───とうっ!」

 

一瞬にして俺達の眼前、ノーチラスの甲板に現れた。これは……距離の切断か。

 

「あ、今のは樹里ちゃんのですよ?」

 

俺が知っている樹里に出来たのは物質の切断くらい。『距離』なんてものを切断できるのは彼方の方だった筈だが、それはそれだけ俺がこの子達との間に距離があったということと、3人がそれだけ修行を積んだのだということなのだろう。

 

「んえ?」

 

そして俺の口から思わず情けない声が出てきた。何せ急に視界が切り替わったと思ったら俺はユエ達の抱擁から切り離され、透華の目の前にいたのだから。そして、3人揃ってしてやったりの顔をした透華達に抱きしめられる。どうやら俺と透華の距離を少し切断されたらしい。

 

「捕まえた」

 

「逃がさないよ」

 

「ユエさん達には渡しません」

 

「……むっ」

 

急に俺という支えを失った3人がバランスを崩しかけるが、そこは流石にトータスで鍛えられているだけあって転ぶことはない。だが俺を奪われたユエ達もこれまたムッとした顔をして、そしてユエが俺に触れようとする。ユエの天在ならば触れた相手ごと瞬間移動ができるからな。それで俺を再度奪還するつもりなのだろう。だが───

 

「えぇっ!?」

 

「ふむ……」

 

ユエ達は3人とも背後に瞬間移動させられていた。これも距離の切断だろう。

 

「───これで分かったかな?」

 

と、俺がすっかりその存在を忘れていたシャーロックが話に割り込んでくる。

 

「少なくとも、聖痕の力が使える状況下であれば彼女達はこの上ない戦力になる。だから君達や僕が教授の計画を阻むために必要な力は2つ。1つは搦手無しで、聖痕を持っている者にも打ち勝てる戦闘能力。もう1つは聖痕を封じる力場を更に無効にする何か。これらが揃って始めて教授との戦いに挑める」

 

確かに、ノーチラスの甲板で聖痕持ち2人と戦った時には1人があまりに戦闘慣れしていない奴だったからどうにかなった。だがアイツがもう少し戦闘慣れしている奴だったら俺が白焔の聖痕を発動できるエリアまで出られたかどうか……。そしてそうなれば俺はあの火力に押し切られていたかもしれない。

 

認めるのは癪だが、シャーロックの言っていることには筋が通っているのだった。

 

「……分かったよ。俺もちょうど終わらせておきたい問題があるんでな。取り敢えず今すぐにモリアーティに仕掛けるのは止しとくよ」

 

どうせノーチラスの乗組員達にもキチンと説明してやらねばならないのだ。それと、事ここに来てもう1つ重要な問題も発生してしまった。

 

「……天人、いつまで抱きつかれてるの?」

 

「早く離れてくださいですぅ」

 

「………………」

 

俺の背後で俺と透華達をジト目で睨んでいる3人……。無言のティオが怖い。あとリサ達もジトっとした瞳で睨んでるな。ルシフェリアだけはなんか口喧しく騒いでいるけど。

 

「はぁ……」

 

俺から漏れたのは溜息。そして後ろからは「溜息つきたいのはこっちだよ」とでも言いたげな視線が飛んできていたのだった。

 



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ハーレムも辛いよ

 

 

「俺達は俺達のやり方でモリアーティの目的を止めるつもりだ」

 

透華達をどうにか引き剥がした俺にキンジがそう言葉を投げかけた。

 

「んー?……そうけ。ならそっちはそっちでやんな」

 

だから俺もただそれだけ返す。

 

「あたし達だってモリアーティのやり方が正しいなんて思ってないわ。だからこっちはこっちのやり方でモリアーティを止める。アンタだって、モリアーティの目的を阻止出来ればそれでいいでしょ?なら、手札は多い方がいいわ」

 

ま、それは確かにアリアの言う通りだ。最優先事項はモリアーティの目論見──この世界を戦争の坩堝にしながらその中にレクテイア人をも投入する。そして生まれる混沌(カオス)の世界を楽しむこと──それを阻止することなのだから。もっとも、そのためにモリアーティが作ったこの世界とレクテイアを行き来するための下地、それは利用させてもらうけどな。俺の理想とする世界を作る時に。

 

「そうけ。ならそっちはそっちで動きな。協力できる部分は手伝ってやらんでもない」

 

ただし、もしキンジ達がサード・エンゲージそのものを止めようというのなら俺とコイツらの方針は決定的に食い違う。そうなれば晴れて俺達は敵同士だ。

 

「……あぁ、今はそれでいい」

 

キンジ達もそれは分かっているのだろう。アイツらがレクテイア人をどう思っているのかは知らない。キンジやアリアがレクテイア人を差別するとは全く思っていないけど、同じ世界で暮らしていけると思っているかどうかは別だ。それは自分達だけではなく、この世界の人間とレクテイア人と、というスケールでも同じこと。だから俺達はお互いに歯切れの悪い回答しか出し合えない。

 

「では涼宮くん達は任せたよ」

 

「……あぁ」

 

シャーロックはそれだけ言い残して伊・Uの中へと消えていった。キンジとアリアもシャーロックの後ろに付いていく。

 

そうして直ぐに伊・Uは海の中へと沈み始める。俺が見送るまでもなくシャーロックは伊・Uに乗ってアンダマンの海へと失せて行ったのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

先ずは補給を、というエリーザの一声でノーチラスの組員達はそれぞれの持ち場へと散っていった。基本的には食料の補給がメインとなるこの寄港。俺もただボケっと待っていても暇だからと物資の運び込みを手伝うことにした。

 

とは言え俺に出来ることと言えば基本的には検品の終わったコンテナをノーチラスの中にある倉庫へと運び込んでいくだけ。もっとも、俺の腕力なら狭いノーチラス内部へと物を運ぶなんてことは朝飯前。中に入ってインド海軍の視界から消えれば俺は抱えた荷物を宝物庫に放り込み直ぐに戻って来てはコンテナを回収、裏で宝物庫に放り込んでいく。

 

そして、その先ではシアとティオが待っていて、ノーチラスの物資搬入係の指示に従って俺と中身が共有されている宝物庫からコンテナを取り出して、それを並べていく。俺達の力ならこうしてしまった方が早いし楽でいい。

 

そんな俺達の様子をユエ様はボウっと眺めていて、腕力的にこの搬入に貢献できない透華達からはジト目で見られていた。

 

「ねぇ……いいの?あれ……」

 

つい、と透華がユエを指す。良いか悪いかで言えば普通に最悪ではあるが、正直家だとユエさんぐうたらだからなぁ……。皆あーいうユエさんに慣れてしまったのだった。

 

「……いやほら、ユエちゃま割とお姫様気質だから……」

 

オスカーの隠れ家で甲斐甲斐しく俺の世話を焼いてくれたユエはもういないのだ。いや、今も俺のことは存分に甘えさせてくれるけど、シアやリサにレミアがいる家ではユエが家事や炊事をやる必要はない。だいたいの家事はこの3人が分担しているし、最近はジャンヌやエンディミラもお手伝いをやっているからな。

 

「そんなのいいの?」

 

「可愛いからよし」

 

「……チッ」

 

透華の舌打ちは聞かなかったことにしようそうしよう。めっちゃジト目で俺のこと睨んでくるけど知らないフリで乗り切るしかない。

 

「はぁ……。検品手伝ってくる」

 

「おー」

 

俺がワザとらしく顔を逸らしたのを見て、透華は呆れ顔で奥へと戻って行った。向こうでは樹里と彼方も搬入を手伝っていた筈だから、そっちに行ったのだろう。

 

俺も、さっさと任された作業を終わらせないとな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺達は一旦日本に帰ることになった。

 

モリアーティとの再接近は来月、西半球で行われるとのこと。まずはそれまでに聖痕持ちと正面からやり合える火力を身に付けること、それと聖痕封じに対する対策を整えること。これらが俺達に課された宿題になる。

 

シャーロックの推理ではこれらの条件を揃えなければモリアーティ率いるノアとナヴィガトリアの戦闘力には及ばず、俺達は力ずくで排除されるだろうということだ。そして、今のこの世界において俺達が排除されると言うことはつまり、この世界はモリアーティの思うがままに進んでいくということだ。

 

当然に俺達はそれを許すわけにはいかないし、そのためには何が何でもアイツらに勝つ戦力を整えなければならないのだ。だが───

 

「………………」

 

家族達からのジト目が辛い。背中に何本もの矢が突き刺さっているかのようだ。さて、なんで俺がこんな針のむしろのようなことを味わっているのかと言えば

 

「いやほら、部屋は置いておくからさ。通信用のアーティファクトもあるし」

 

「……離れたくない」

 

いざ日本へ帰ろうという段階になって急にネモがグズり出したのだ。

 

どうせアーティファクトでも何でも連絡は取れるし、ノーチラスへの移動も俺達が寝床に使っていたあの部屋を置いておくのでその気になればいつでも日本の俺の家とノーチラスを行き来できるのだが、ネモ的には俺とはなるべく一緒にいたいらしい。もちろんこの場には他のノーチラスの乗組員はいない。いたらきっとネモはこんな風には甘えてこないだろう。

 

そう思ってくれるのは大変嬉しいのだけれど、モギュッと俺に抱きついているせいでユエ達からの目線が大変に冷たくなっているのだ。……あぁ、リサまでちょっとジト目になってるぅ……。

 

「何故ルシフェリアは良くて私は駄目なんだ……?」

 

そう、一応ノーチラスの乗組員扱いになっていたはずのルシフェリアは俺達と一緒に日本へ帰るのだ。てか、帰る帰るって言ってるけど、要は俺達は拠点を日本に戻しますってだけなんだよな。俺達は距離なんて越えてそれぞれが移動できるのだから、ここで別行動になったとしてもそれほど気にする事はない、と思うんだけどなぁ……。

 

「いや、駄目って言うか……ネモはノーチラスでやることあるじゃん?」

 

なおルシフェリアにはノーチラスでやるべきことは何もない。て言うか乗組員の士気高揚以外にできることがない。精々他に期待できるのは戦闘能力くらいだが、それだって通信用のアーティファクトで俺達を呼べばそれで済むのだからここに残る意味は無いのだ。

 

「なるほど、主様はネモより我が一緒にいてくれた方が良いと───」

 

「言ってない。てか別に残りたきゃこっち残ってていいんだぞ?」

 

「むきー!何で主様はそう花嫁である我の扱いが雑なのじゃ!?」

 

あとその理論ならトンチキなこと言わない分ネモの方がいてくれて有難いが。言ったらルシフェリアがキレ散らかすから言わないでおくけども。

 

あとさっきから俺はユエ達に念話で救援を要請しているのだけれど、何故だか反応がない。いや、正確にはジト目だけがお返事なのだけど。いい加減助けてやくれませんか……?

 

と、そんな期待を込めて首だけ振り向けば───

 

『……自力で解いてみせて』

 

というユエ様からの試練のお達し。しかもシア達も皆その念話に頷いている。どうやら俺は自力でここからネモを振り解かないと日本には帰してもらえないらしい。

 

「───とにかく!……俺達は一旦日本に戻るよ。なんか知り合いの世界もきな臭くなってるみたいだからさ。……むしろ、そっちの解決にネモの力を借りたいくらいだし」

 

遠藤の元に飛ばされた時に向こうの話は多少聞き及んでいる。やはりまだ彼ら帰還者と彼らの持つ超常の力を探り、手に入れたいと画策する輩は消えていないようなのだ。まったく面倒なことだがこっちの世界の現状を鑑みたらあんまり他人の世界のことをとやかく言えたもんじゃないしな。仕方ない、既に解消した関係とは言え元戦兄妹や義理の兄になるかもしれない奴のいる世界だ。もう少し面倒を見てやるとしようかね。

 

「───本当か?本当に私が欲しいと思ってくれるのか?」

 

「んー?……そりゃあそうだろ」

 

ネモだけじゃない。きっとメヌエットの力も必要だろう。あの世界は色んな奴らが色んな思惑で動いているみたいだからな。裏の組織の奴らならまだ脅しやすいし最悪全部叩き潰してしまっても構わないけれど、政府なんてものが絡んできた日には俺の手には到底負えない。それそこ全部洗脳してしまうという手もあるけれど、それはなるべくやりたくはないしな。

 

そもそも、そんなのそのうち政治家が入れ替わってしまったらまたやり直しになる可能性も高い。無駄なイタチごっこをするよりも「アイツらに下手な手出しは無用」というのを共通認識にしてもらった方が長い目で見れば楽な筈だ。

 

「そうか……」

 

何故ネモさんはそこで俺をより強く抱きしめるんです?ていうかそろそろ本当にユエ達の視線が洒落にならなくなってきたからここいらで一旦お開きにしたいんですが……。

 

「すぐ連絡するよ。それに同窓会もあるし、明日にはまたインドに来るよ。……またな」

 

俺はネモの手を取ってそっとその抱擁を外す。そしてそれを見て溜息をつきながらのティオが起動させた空間転移のアーティファクトを通って日本の、俺達の家へと帰る。一瞬振り向いた時に見えたネモの顔がいやに寂しそうだったのが俺の脳裏に強く残っていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「それで?女の子にモテモテの天人くんはこれからどうするの?」

 

日本に戻ってきて早々に透華から嫌味をぶつけられる。まったく、貴女だって合流早々にユエ達を飛ばしてまで俺に抱きついてきたでしょうが。

 

という意思を込めたジト目を返してやるのだが透華には暖簾に腕押し。まったく意に介していない風で流されてしまう。

 

「……どうするって言うか、取り敢えず知り合いの世界の方に行ってどんな感じか見てくるよ。ちょっと向こうでもやりたいことあるし」

 

具体的にはハウリアの拠点作りを本格的に行いたいのだ。特にこっちの世界ではなく向こうの───香織達の世界に、だ。何せ向こうは帰還者騒動が再燃している雰囲気があるのだ。前にわざわざアーティファクトまで使って情報統制をキメたって言うのに、あっちには超能力も魔術も無いと思っていたのだけれど、どうやら不思議は世界にありふれているようで、でもその中でもありふれていない彼らの超常はちょっとあの世界では刺激が強かったらしい。

 

だからハウリアには俺に代わってあの世界を───もっと言えば帰還者達に余計な下心を持って近付く奴らがいないか見張っててもらいたいのだ。

 

ウサミミを誤魔化すアーティファクトならあるし、そういう()()もアイツら好きそうだし。それに諜報科みたいな仕事も結構得意みたいだからな。遠藤の元にはラナもいるし、ちょうどイギリスの公安との繋がりも出来たことだしな。パイプは何本もあった方が良いだろう。

 

「香織さん達、元気にしてるでしょうか?」

 

「本当に不味い状況であればこちらにも連絡が来るじゃろうから、便りがないことが無事の知らせということじゃろう」

 

「……んっ、香織達がただの人間に負けるわけがない」

 

「みゅ?パパ、香織お姉ちゃん達の所に行くの?」

 

シアから香織の名前が出たことでミュウも俺がどこに行く予定なのか分かったようで、どこか期待した色が瞳に滲み出ていた。まぁあの世界であればミュウ達を連れていってもそれほど問題にはならないか。

 

「んー?あぁ、そんつもりだよ。ミュウも行くか?」

 

多分動くのは俺達と遠藤が中心になるだろうからミュウとレミアは香織か雫の家にでも預かってもらおう。多分他の召喚組もミュウがいると聞けば会いに来るだろうし、騒ぎの的を集めるのはちょっと不安要素ではあるが、まぁアイツらがみんな集まっているんなら安心でもある。

 

「みゅ!ミュウも行きたいの!久しぶりに香織お姉ちゃん達に会えるの!」

 

ふむ、じゃあ決まりだな。

 

「じゃあリサ、俺達は1回向こうに行ってくるよ。そんなに長居する気も無いし、こっちにもちょこちょこ顔出すようにするからさ」

 

「かしこまりました、ご主人様。ご主人様のいない間、この家はリサが守ります」

 

「んっ」

 

とは言え向こうに行くのは少し先かな。インドの時間で明日の朝9時から同窓会らしいし。

 

だいたい宝物庫に放り込んでいるから特に用意する荷物もないけれど、さっきまで潜水艦に乗ってインドまで行ってたんだ。今日くらいは家でゆっくり休んでも文句は言われまい。

 

「あ、天人くん。そっちに私達も行っていい?」

 

すると、透華が俺の袖を引く。

 

「んー?……まぁ別にいいけど」

 

透華達ならば諜報科や狙撃科で鍛えられているからな。向こうなら聖痕も使えるし戦力的に足でまといにはならないだろう。

 

「やたっ!」

 

「じゃあ同窓会終わったら連絡する。取り敢えず今日はお休み」

 

「はーい」

 

と、俺と一緒に行けるのがそんなに嬉しいのか、透華達は嬉しそうな顔をして部屋を出ていった。すると何やら俺に冷たい視線が。どうやらまたユエ達にジト目を食らっているようだ。

 

「……何?」

 

「……あの子達と、どう決着つけるの?」

 

あの子達とは、きっと透華達だけじゃない。そこにはネモも含まれているし、もしかしたらメヌエットやルシフェリアも含まれているかもしれない。

 

「少なくとも今、透華達は妹みたいにしか思えてないよ」

 

「……ふぅん」

 

あ、これあんまり納得してもらえていないやつだ。という俺の予想はやっぱり正しかったらしく、ユエのジト目は普段よりまだちょっと湿度高め。けれど、納得はしていないけど俺がそうやって言葉にしたことで多少の溜飲は降りたのか、ポスりと俺の身体に頭を預けるユエ。

 

俺はユエを抱きしめるとそのままソファまでフラフラと向かってそこへ身体を投げ出す。俺とユエの体重を受け止めたスプリングがギシりと音を立てて抗議の声を上げるが俺はそれを放ってユエの柔らかな金色の髪を梳く。

 

ふとリサの気配を感じて俺が上半身だけ持ち上げれば、そこにするりとリサが入り込み、ソファに腰掛けた。そして俺が身体を倒せば俺の後頭部はリサの太ももに乗せられる。俺がユエの髪を梳き、リサが俺の頭を撫でる。リサとユエの香りに包まれながらの至福の瞬間。しかし無音のそれも長くは続かなかった。

 

「むむむ……っ!なんで主様は花嫁の我を放って他の女とくっ付いているのじゃあ!」

 

分かりやすくむくれたルシフェリアが俺の身体の上に乗っかっているユエを退かそうと迫る。しかしルシフェリアはあと1歩のところで手が届かなかった。俺が氷の柵を張ってルシフェリアを押し止めたからだ。

 

「むぅっ!」

 

けれどもルシフェリアはそう簡単には諦めない。今度は超能力か何かでユエの身体を浮かせようとしたので、それも俺は氷焔之皇で力を吸収してしまう。そして左手でユエを抱きしめたまま氷の柵を動かして、ルシフェリアを少し遠ざける。

 

「……ルシフェリア、うるさい」

 

俺に押し出されたことにまたそれはそれで文句を言っていたルシフェリアにユエがポツリと呟く。

 

「……天人は今私が独占してるんだから邪魔しないで」

 

「主様は我の主様じゃぞ!」

 

「ルシフェリア、(わり)ぃけど今はユエの時間だからさ。ルシフェリアに構うのはまた今度な」

 

今はこうしてリサの膝枕の上でユエを撫でていたい気分だった俺はルシフェリアにそう言った。もっとも、ルシフェリアがそれで納得するわけはなくて

 

「嫌じゃ嫌じゃ、ノーチラスでだって主様は我を放ってばかりだったのじゃ!他の女には構うクセに何で主様は我ばっかり放っておくんじゃあ……」

 

最初は勢いが良かったのに、段々とルシフェリアの語気が弱くなっていく。しかも終いには目に涙すら浮かべていた。別に、ノーチラスで俺はルシフェリアを無視していたわけではないのだが、他の子達と比べたら当然ルシフェリアの相手をしている時間は少なかった。まぁ、ルシフェリアが勉強スペースへ入ってこなかったのも理由のうちの半分くらいはありそうなのだが……。

 

とは言え俺もルシフェリアがあそこへは入りたがらないのを知っていて敢えてあそこに居たからな。ルシフェリアからすれば、敢えて避けられているようにも思えたのかもな。いやまぁその通りと言えばその通りなんだけども。

 

「ルシフェリアはあくまでユエのメイドで、俺ぁお前の恋人でも……ましてや花嫁でもねぇだろうが。そりゃあ家族を優先するのが当たり前だろうよ」

 

花嫁なんてのはあくまでもルシフェリアが勝手に言っていることで、俺はルシフェリアを嫁にする気は無い。だったら当然に家族達を優先する。それに俺はあそこで皆の信頼を得なければならなかったのだからルシフェリアよりも他の子を優先するのも当たり前の話だ。だからルシフェリアが言いたいことも分からないではないけれど、俺からすればそれでもそれらはあくまでルシフェリアが勝手に言っていることでしかないのだ。

 

「主様は我を大勢の前で負かして辱めた挙句、尻尾まで掴んでおいて責任を取らぬつもりか!?」

 

「それも、ルシフェリアの価値観だろう?俺にゃそんな事情は関係ねぇ。だいたい、何で負けた側の要求を飲まにゃならねぇんだよ。しかもお前はユエとの決闘でも負けて、生殺与奪も誇りも全部ユエん物になってんだろうか」

 

ユエの旦那である俺を主様と呼ぶのはまぁ100歩譲っていいだろう。結果的にはそれなりに筋も通っているからな。だけど俺はルシフェリアを花嫁にしたつもりはないし、現状そんな風に扱うつもりがないってことも何度も伝えている。なのにコイツはそれを改めようともしないどころか、自分を優先しろと言っているのだ。俺としては当たり前にそんな要求は飲めやしない。

 

「それは……そうじゃが……。でも我だってたまには主様に甘えたいし優しくしてほしいのじゃ!い、意地悪で素っ気なくされるのはそれはそれで良いものだけど……その後は優しく頭を撫でてほしいのじゃあ……」

 

えぇ……面倒臭い。てかこれもうティオの領分だろ。ティオは結局何だかんだでMっ気があるからなぁ。俺としては惚れた女に意地悪はあまりしたくはないけれど、まぁ変に叩いたりとかでないのなら、そういう()()としてなら乗ってやらんでもない、とは思っている。

 

けどそれはあくまでもティオが───大切な人の求めることだからであって、そりゃあそこら辺の奴らよりもルシフェリアの方が大事ではあるけれど、だからってそこまでしてやりたいと思えるほどでもない。少なくとも今はまだ、な。

 

しかし段々と言葉が弱くなっていく上に零れそうな程に瞳に涙を溜めているルシフェリアをそのまま放っておけるほどには、どうやら俺はルシフェリアのことに無関心でもないらしい。

 

「はぁ……ちょっとこっち来い」

 

と、仕方なしに俺はルシフェリアをちょいちょいと呼び寄せる。そしてそれだけで何かを期待して喜色満面のルシフェリアを座らせると、俺は左手ではユエの金糸の髪を梳いたままルシフェリアの角の間に手を置いて、頭を撫でてやった。

 

「ま、ノーチラスじゃルシフェリアの一言で俺もだいぶ皆から認められたからな。助かったよ、ありがと」

 

だからこれはそれの褒美だ。仮にも俺を「主様」と呼ぶ相手が俺のことを助けてくれたんだからな。褒美の1つくらいやるのも務めってもんだろう。

 

それに、ルシフェリアにとっては俺から一言お礼を言われて頭を撫でられるだけで充分に嬉しいのか、さっきまでの涙目はどこへやら。今はもうこれ以上ないくらいにデレッデレした顔で両手を頬に交互にペチペチ当てていた。それがルシフェリアにとっては喜びの表現であることは知っているので俺は「はぁ」と一息。て言うか、ユエが俺の上に乗ったまま顔だけ上げてジト目で俺を見ている。

 

なので俺はユエの髪を撫でていた手を動かしてユエの頬や耳を撫でる。するとユエは瞳を閉じたまま俺の手のひらに自分の頬を擦り当ててくる。そしてユエが1歩登ってきたので俺もちょっとだけ身体を起こしてユエのデコや頬にキスを落とす。そしてその触れ合いは直ぐに唇同士となる。

 

もっとも、唇同士の戯れは数度も触れ合えば直ぐに終わり、ユエは俺の胸板に頬を擦り当てて「ん〜」と猫のような声を出している。俺はユエの髪を掬い上げてその香りを楽しみ、指にクルリと巻いてみたり、それで少し乱れた金糸を梳いて整えたり。右手はずっとルシフェリアの頭を撫でてやっているから両手がそれぞれ別の動きをしていて大忙しだった。

 

すると柔らかな黒髪の中に沈んでいた俺の右手がルシフェリアに取られる。横目でそちらを見れば、自分への褒美と言いながらも実際は俺がずっとユエだけを見ながらユエと戯れていたのが気に入らなかったのかルシフェリアはちょっと唇を尖らせていた。

 

そして俺の手を取りそれを自分の胸の谷間へと持っていこうとしていて───

 

「……ほれ、もういいだろ?」

 

俺は絶対に天国のように暖かく柔らかいであろう谷底に落ちそうになっていた自分の右手を救出した。

 

「───きゃん」

 

そして、ちょっと身を乗り出していたルシフェリアの形の良いおデコを小突いて座らせる。

 

「ご褒美終わり」

 

取り敢えず俺も向こうに行ってどうするかを考えたり何か宝物庫に放り込む必要があれば用意しなければならないので仕方なく、名残惜しさを後頭部に残しながらリサの太ももから頭を上げた。

 

ユエを抱きしめながら身体を起こせばルシフェリアが再び唇を尖らせて俺達を睨んでいる。

 

「ルシフェリアも、どうせついてくるんだから色々用意しろよ?入れ物はお前の分もあげるから」

 

ルシフェリアをこっちに残していくのはあまりに不安が大きい。特にユエ達───最悪の最悪ルシフェリアのイタズラを力づくで止められる奴らが皆香織達の世界に行ってしまうからな。だったら最初から俺達について来させてしまえばいい。そして俺の思惑通りルシフェリアは

 

「我もちゃんと連れて行ってくれるのじゃな!?」

 

と、それだけで随分と上機嫌になっていた。この子が単純で助かったな。

 

「おー。どうせこっちいても暇だろうしなぁ」

 

「では早速用意するのじゃ!……して、何を持っていけばよいのか?」

 

そっからかい。いやまぁルシフェリアがこっちに来た時はどうせ至れり尽くせりだっただろうからな。必要なものは全部用意されていたんだろう。服だってアイツはあの下手な水着より露出度の高い栄えある衣装しか持っていないっぽいし。

 

「あぁ……まずは服かな。お前のあの黒い衣装は目立ち過ぎるし。向こうじゃ武偵高のセーラー服も悪目立ちするしな」

 

「む、主様よ。何度も言うがあの衣装はルシフェリアの誇りにして───」

 

「では私がルシフェリアの服を見繕おう」

 

「私もお手伝いします、ルシフェリア様」

 

あの衣装には一過言あるルシフェリアが語り出そうとしたその時、ジャンヌとエンディミラが割り込んできた。どうやら2人ともルシフェリアに洋服を見繕う気マンマンのようだ。

 

「んー?じゃあお疲れのところ悪いけど何か買ってきてくれ」

 

本当はシア辺りから服を借りるつもりだったのだけど、買うなら買うでいいか。どうせそのうち必要になるものだったからな。この機会にある程度揃えてしまってもいいだろう。

 

ちなみに俺は一緒には行かない。て言うか、ユエ達はもう俺を服を選ぶ時には連れて行ってくれない。何でも、彼女達が何を着ようとも俺は全部褒めるから何の参考にもならないらしい。なので呼ばれる時があってもその時にはもう皆買う服が決まっていて、俺は半分荷物持ちだ。だってさ、この子達顔が良すぎて何着ても似合うし可愛いんだから仕方ないじゃんね。

 

「主様は来てくれないのか?」

 

「んー?正直面倒臭い」

 

ちなみに俺がついて行かない理由は実際面倒臭いが先立つ。ルシフェリアだってどうせ何を着ても似合うのだからわざわざ俺が行かなくてもいいだろう。しかも一緒に行くのがジャンヌとエンディミラなのだ。この2人に任せれば洋服は何ら間違いのないものが出てくるだろうことは想像に難くない。

 

「むー!主様は我の新たなる装いを見たくないのか?」

 

「どうせルシフェリアも何着たって似合うし可愛いんだからいいよ。俺ぁ褒める言葉しか持たねぇから行く意味もねぇ」

 

だからさっさと行ってこいと指先で「シッシッ」とルシフェリアを追いやろうとしたのだが

 

「───んんっ!」

 

何故だかルシフェリアが顔を真っ赤に染めて仰け反っている。そして直ぐに両頬に両手をペチペチと当てている。どうやら俺の言葉が嬉しかったらしいけど、今のってただ単に選ぶの手伝うのが面倒臭いって言っただけだと思うんだけど……。

 

だがどうやら今の言葉は女子的にはちょっと俺の思っていた伝わり方をしないものらしく、俺は家族全員───それこそミュウやテテティ、レテティからすらもジト目を頂戴してしまっていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「まったく天人は……。本当はルシフェリアを()()()()としているのではないかと思ってしまうのじゃ」

 

ルシフェリアがジャンヌとエンディミラに連れられて服を見に出掛けると、ティオが呆れ顔で呟く。

 

「何でだよ。俺が行ったって何の参考にもならねぇから面倒だし勝手に行ってこいって言っただけじゃんよ」

 

「あれがそう伝わるのはウチだけですぅ」

 

「普通はこれ以上ない程に褒められているように思いますね」

 

「……んっ。ベタ褒め」

 

と、俺の言葉は皆からは全否定されている。どうやら"褒めるだけなら行く意味無いから俺は行かない"でただ単に面倒臭いという意味になることは殆ど無いらしい。とは言えどうせルシフェリアがどんな服を着ようともあの子なら存分に着こなすだろうし、()()()()使っているわけじゃあないんだけどな。

 

「ご主人様は女性をその気にさせるのが大変上手ですから、ご主人様にその気がないのであれば例え本当に思っていることであっても心の内に留めておく方が良いかと思います」

 

と、リサからもこう言われてしまった。

 

「……そもそもジャンヌが天人に女の子の服を褒めろって教えたのはジャンヌがそうされたかったからで、リサが止めなかったのも自分が天人に褒められたかったからでしょ?」

 

すると、ユエがリサをジト目で見ながらそう言った。しかもリサはリサで臆面も無く「はい」と頷いているし。そういや前にユエはジャンヌに同じようなことを言ってたな。だからって俺も言う相手はそれなりに考えているつもりだ。

 

「……前も言ったけど、俺だって言う相手は考えてるぞ?」

 

「ふぅん……例えば?」

 

「んー?例えば他に相手がいる奴とか、なんか既に誤解を生んでる感じの奴とか」

 

だから俺はアリアの顔をいくら可愛らしいと思っていてもそれを本人に対して言うことはない。もちろん理子にだってそんなことは言わないし、香織に対しても同じこと。それはアイツらが好きなのは俺ではなくキンジや南雲くんで、特に香織の容姿や服装を褒めるのは俺ではなく南雲くんの役割だと思っているからだ。

 

あとあんまり気にしないで褒めた結果、その子が俺に対して「アイツは私に気があるのでは?」とか思われてしまったかなという時も気を付けようと思っている。具体的にはネモとか。でもネモはもうあんな感じなので気にしなくても良いのでは?という気もしている。

 

「そう言えばアリアさんには言わないようにしているとか言ってましたね」

 

「……じゃあ、既に誤解を生んでいそうな奴とは?」

 

「んー?……ネモとか?」

 

「でも天人さん、ネモさんからの誘惑に負けそうになってますよね?」

 

どうにか1人名前を出せたと思ったが、シアに痛いところを突かれてしまった。

 

「いや……まだ負けてないから。もうホント……何でどいつもこいつも嫁のいる男を誘惑するの……」

 

こっちには既に7人もの嫁がいるのだから一旦俺のことは諦めてほしい。て言うか、他に誰かと付き合ってる奴を相手でもそんなに好きになれるもんなの……?

 

「……それはこの場のほとんどの女の子が当てはまるのでは?」

 

とはレミアの鋭い指摘。うん、何せユエですら俺にはリサという別世界に置いてきた女の子がいることを知って尚俺のことを落とそうとしてきたわけですからね。

 

「パパ……」

 

あぁ、ミュウの駄目な大人を見る目が辛い……。ゴメンね、こんなだらしのないお父さんで……。

 

「英雄色を好む。これだけ沢山の魅力的な女性に好かれてていて、その上で大勢を愛せるご主人様はまさに英雄です。とっても素晴らしい(ヘールモーイ)です」

 

というリサのフォローに感激した俺は、右手でリサを抱き寄せてその額にキスを1つ落とすのだった。

 

でもよくよく考えるとフォローになってたかな……?英雄って言葉に引き摺られてるけど、実際はただの節操無しって言われてない?大丈夫?

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ふふん、どうじゃ主様よ。装い新たな我に見惚れているな?」

 

帰ってきて早々に騒がしいのはルシフェリア。どうやらこちらの世界の洋服もそれなりに気に入ったらしく11月だってのにヒラヒラした黒のオフショルダーに黒のスカート、その上から向こうが透けて見えるトップスと同色のスカートを履いている。

 

ルシフェリアがスケルトンスカートの裾をちょっと持ち上げクルリと一回転。黒で統一されたその洋服はこれまたルシフェリアの艶のある黒髪と相まって、彼女の持つ圧倒的な美しさを強調している。しかし彼女の咲かせた笑顔はまるで少女のようで、その愛らしさが彼女の美の中で1つ大きなアクセントになっていた。

 

「似合ってるぞ、可愛い。見惚れはしねぇけど」

 

武偵高のセーラー服とあの栄えある衣装以外じゃ水着ぐらいしか見たことなかったがやはりコイツも普通に可愛いんだよなぁ。

 

ルシフェリアも俺にそう言ってほしそうだったし俺も本当にそう思っていたので素直に褒めてやる。ただ、別に見惚れてはいないからな。そこはキチンと訂正させていただこう。

 

「ふふふ……主様が我の服を褒めてくれたぞ」

 

と、しかしルシフェリアは自分に都合の悪い部分が聞こえていないのか両手をペチペチと自分の頬に当てて喜びの舞を披露している。

 

「て言うか、結構買ってきたな」

 

ある程度はジャンヌとエンディミラが持たされていたが、ルシフェリアも自分でそれなりの量の紙袋を抱えていた。その紙袋のメーカーはどれもそれほど高級な店ではないが、あれだけ買えばそれなりの金額にはなりそうなんだけどな。

 

「問題ありません。ジャンヌと2人で折半でしたし、お互いそれなりに手持ちはありましたので」

 

「私も武偵活動でそれなりの実入りはあるからな。それに、メイド服はともかくルシフェリアにとっては今日がこちらの世界の───所謂洋服のデビューのようなものだろう?小さいことは気にしないさ」

 

おおう……ジャンヌさん男前じゃんね。そう言ったらジャンヌはちょっと口をへの字に曲げそうだから言わないけど。

 

「ふふん。我はどんな衣装でも着こなしてしまうのじゃ。主様よ、我が購入した愛らしい衣装の数々をとくと見よ」

 

いや、買ったのジャンヌとエンディミラじゃんね。

 

「いや面倒臭いからいい。それより飯にしようぜ。俺ぁ腹減ったよ」

 

その床に置かれた紙バッグの中に入ってる服は全部で何セットあるんだよ。しかもジャンヌとエンディミラが選んだってことはきっと色んなパターンでの着回しもできるはずだ。それを全て見てたら丸1日使っても足りなくなりそうだし、そんなに暇ではない。

 

「むー!なら主様よ、ちゃんと我の新たな装いを見る度にキチンと褒めるのじゃぞ!それが花嫁に対する主様の義務じゃ!」

 

「んー?……面倒臭いから先払いでいい?」

 

どうせ何着てたってルシフェリアは可愛いに決まっているのだからいちいち褒め倒す意味も無いだろう。だったらもう先に褒めておいてそれで終わりにしてしまいたいんだが……。

 

「褒めるのに先払いなんてなかろう?まったく主様は……。でもそう言うということは我の魅力に気付いておるのじゃろう?我は分かっておるぞ?」

 

だからその語尾にハートマークが付きそうな甘ったるい喋り方を止めろって。

 

「お食事ができましたよ」

 

さてどうやってこの七面倒臭いルシフェリアをあしらおうか頭を捻らし始めたところでタイミングよくリサが夕飯を持ってきてくれた。レミアとミュウも手伝ったらしい今日の夕飯を、シアだけでなく帰ってきたばかりのジャンヌとエンディミラも直ぐに手を洗って配膳の手助けをしていた。

 

ティオもリビングの物を退かしてテーブルとイスを宝物庫から取り出し、全員分の席を整えていく。それを俺とユエとルシフェリアが眺めつつ……いや、ルシフェリアはユエに小突かれて配膳を手伝い始めた。一応ユエには決闘で負けたというだけあってこの程度なら言うことを聞くんだよな。俺が絡むとまったく言うこと聞かないのに……。

 

そうして全員分の配膳が終わりそれぞれが席に着いたところで

 

「いただきまーす」

 

と、全員揃って食事のご挨拶。相変わらず美味いリサの飯に俺達は舌鼓を打つのであった。

 



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第2回同窓会

 

 

時間延長のアーティファクトはとても便利だ。何故ならたったの数時間を何倍かにすれば半日以上の時間になるのだから。

 

そのアーティファクトの効果で家の中の時間を引き伸ばした俺達は1日グッスリと寝て、そして再び越境鍵でインドはムンバイに舞い戻る。

 

今回の同窓会の会場はインドのムンバイ湾に面して建つタージマハル・ホテル。20世紀初頭にインドの富豪タタが建てさせ、世界中から"アジアの星"と称されて愛された宮殿のようなホテル───とエリーザから教わっていた。

 

そんな豪奢なホテルのとあるホールに着いた午前8時55分。見ればキンジとアリア、レキの他にメヌエットにワトソン。更にはヒルダに名古屋女子(ナゴジョ)のカットオフセーラーを着た背の低い女の子───前に伊・Uで見た人間ではないっぽい奴だ。名前は知らない。

 

それとネモとエリーザもいた。いやネモいるんかい……。いるならなんで昨日あんなにぐずったんだよ……。という俺の視線を受けたネモはフイと顔を逸らす。まぁいいけどね、そんなことよりこの会場の微妙な空気はなんなのよ。皆朝食は食べ終わったみたいだからお腹が空いたわけじゃあないでしょうに。

 

俺は正式にシャーロックに招待されていたリサと、あの後すぐに電話でシャーロックからお誘いを(俺経由で)受けたルシフェリアを伴って空いている席に着いた。しかし何故だか今回の同窓会には()()を着てこいとの指定があった。俺とリサは普通に武偵高の制服があるから良かったのだが、ルシフェリアは黒いセーラー服をノーチラスから持ってくることになったしメヌエットは武偵高の赤いセーラー服、ネモは武偵高の夏服用の青いセーラー服だ。エリーザもどこの学校の制服なのか分からんけどジャンパースカート姿だ。

 

メヌエットは前に武偵高のセーラー服を模した赤い襟の服を着ていたけれど、こうしてちゃんと武偵高の制服を着た姿を見るのは初めてだし、ネモの夏服セーラーもエリーザのジャンパースカートも初めて見る服だ。俺は知り合いの女の子が新しい装いをして来た時の癖で3人それぞれに

 

「メヌエット、前に赤い襟の服は見せてもらったけど武偵高の防弾セーラーも似合うじゃん」

 

とか

 

「ネモ、その夏服のセーラー服いいな。髪の色と相まってとても爽やかだよ」

 

だとか

 

「エリーザ、軍服も格好良かったけどそういうジャンパースカートとかも似合うな」

 

という風に、取り敢えず出会い頭で褒めておく。ただ、それを受けた3人は褒められて嬉しかったのか頬を赤く染めているが、アリアやワトソン、ヒルダはジト目で俺を睨んでいる。名古屋女子のカットオフセーラーを着た子は「おぉ」とどこか感心したような顔をしているんだけどな。

 

「主様主様、我のことは褒めてくれないのか?ノーチラスの制服を着た姿は初めて見せたと思うのじゃが?」

 

すると、ルシフェリアが俺のジャケットの裾を引っ張って服を褒めろとのご要求。えぇ……正直ルシフェリアにまでこれするの面倒臭いんだけどなぁ……。

 

「あー……似合う似合う」

 

なので俺は随分と適当に返した。ルシフェリアも俺が適当に言っているのは分かっているのでちょっと不満気……ではあるが俺からそういう言葉を貰えるだけで嬉しいのか頬はちょっと緩んでいる。んー、ここまで素直に好かれているとこうもぞんざいに扱うのも段々罪悪感が沸いてくるようになってきたな。

 

「……アンタその癖まだ直してないの?」

 

すると、アリアからチクリとお小言が飛んでくる。仕方ないじゃん。俺にはもう()()することが魂にまで刻まれてるんだよ。

 

「文句はジャンヌに言ってくれ。……て言うか何でアイツは呼ばれてねぇんだ?」

 

イ・ウーの同窓会と言うのならアイツも呼ばれて然るべきだろう。ジャンヌ本人も「私は呼ばれていない」と言ってたけどさ。すると

 

「おはよう、諸君」

 

と、爽やかな声で朝の挨拶をしながら本日俺達をインドまでお呼びだてしたシャーロック・ホームズご本人が現れた。時間は9時丁度。何だか前にテレビでやってた魔法使いの映画にでも出てきそうな服を着ているな。あれもどこかの制服なんだろうか?

 

「……あれ何のコスプレ?」

 

と、俺はレキのハイマキを足元に伏せさせている秂狼(ジェヴォーダン)のリサの耳元でそう囁く。

 

「シャーロック卿のお召し物はオックスフォード大学の制服だと思います。卿はケンブリッジ大学を入学後に退学となり、その後オックスフォード大学に入学し直しようです」

 

ふぅん。あんなに頭の良いシャーロック・ホームズ様でも退学とかするんだなぁ。大学とはいと恐ろしき世界よ……。いや、俺も前に大学に潜入(スリップ)したことあるけどそんな簡単に退学にならねぇだろ。何したんだアイツ……。

 

俺のジト目を知ってか知らずかシャーロックはアリアの紹介を受けてメヌエットにも「初めまして(ナイス・トゥー・ミート・ユー)」と丁寧に挨拶を交わしている。

 

「では改めて。おはよう諸君。殆どの顔とはお久しぶりだ。では開会を祝してチャイで乾杯しよう」

 

───何故ならここはムンバイ、インドなのだからね。と言うシャーロックの指パッチンに合わせてホテルのウェイター達が金属製の茶器を乗せたワゴンを運んでくる。

 

そしてウェイターが熱々のチャイを器から器に移しながら少しずつ冷ましている作業をBGMに何やらシャーロックが蘊蓄(うんちく)を語っているが俺はそれを無視して横にいたエリーザに「あの丈の短い武偵高のセーラー服を着たちびっ子は誰?」と尋ねる。するとエリーザは小声で

 

「知らんでち。ただ、トオヤマはあれもストライクゾーンに入っているようでち」

 

と、それはそれは冷たい眼差しをキンジに向けていた。いや、確かにキンジのストライクゾーンは凄く広いんだろうなとは思っていたけど、まさかあのロリっ子までもがその中に入るのか……。あの子、背が低いだけじゃなくて雰囲気もかなり幼いんだよな。ユエは実際300歳以上の歳上女子。前にトータスでステータスプレートを見た時に確定したけど、封印分を覗いても20歳は越えているはずだからな。あの子は合法なのである。

 

まぁあの子も魂は人間ではなさそうだからもしかしたら見た目の割に歳上なのかもしれないが……それでも雰囲気がロリ過ぎませんかね……?

 

と、俺もキンジにジト目をくれてやっていると、キンジは少し居心地が悪そうにしながらもここにいる人間の紹介を始める。そこでようやくあの名古屋女子のカットオフセーラーロリの正体が知らされる。

 

なんとあのロリっ子の正体は西遊記に登場する斉天大聖孫悟空本人だと言うのだ。あとキンジは自分が先祖の遠山金四郎から数えて何代目か知らないらしい。それでアリアやシャーロックから弄られている。

 

そして、そんなこんなでキンジの知己の奴らの紹介が終わったところで俺に視線が移される。どうやら俺も喋れということらしい。

 

「……こちらリサさん。リサ・アヴェ・デュ・アンク、オランダ出身。俺のメイド。こっちはレクテイア出身で向こうの神様?王族?のルシフェリアさん。あとはノーチラスから元Nの提督でありノーチラスの艦長、ネモ。同じく副艦長のエリーザ。レクテイアの貴族らしいです。んで俺ぁ皆さんご存知でしょうが神代天人。痣持ち……だけどムンバイじゃあ開けないな。ま、俺ぁ色んな世界で拾ってきた魔法があるんで戦闘には支障ないです」

 

ダラっと、それはそれはやる気の無さそうな紹介をそれぞれにしてやる。しかしそれを取り直すようにキンジがこの集まりを自称でリユニオンと呼ぼうと提案する。確かにこの集まりはもうイ・ウーの同窓会って感じじゃないな。イ・ウーやレクテイア、武偵に探偵に何か分からんけど仏様と、それぞれ立場が入り乱れすぎている。それを誰もが分かっているのかその提案はすんなり通り、キンジの後を引き継いだシャーロックがこの集まりの議題を掲げる。つまり、如何にしてNとモリアーティの起こすサード・エンゲージを阻止するかどうか、だ。だが───

 

「この話題、先に言っておくけど俺ぁサード・エンゲージそのものは起こすぜ。ただ、モリアーティのやるようなやり方じゃあねぇ」

 

まずは俺の方針を先に出しておく。サード・エンゲージ反対派のシャーロックが主催のこの集まりでこれを先に出すのは色々と頓挫する可能性もあるが、こういうのを後出しするのは好きじゃないんでね。そしてネモとエリーザ、ルシフェリアも俺の言葉に頷く。逆にシャーロックやアリア、ヒルダは苦い顔をし、メヌエットはどちらとも取れぬ表情だ。それで何となくこの場の奴らの派閥は誰もが把握しただろう。

 

「あぁでも、モリアーティのやり方は嫌いだからな。アイツを潰すってんなら当然力を貸すぜ」

 

「ふむ、そうしてくれると助かるよ。()()()はともかく、モリアーティ教授の暴挙を止めるためには君達の協力が不可欠だからね」

 

モリアーティの元には何人かの聖痕持ちがまだいるのだ。それに対抗する手段はコイツらには無い。あるのは俺達くらいなもんで、モリアーティの子飼いの聖痕持ちを抑えるのが俺達の役目、とシャーロックは考えているのだろうよ。

 

「さて、まずは確認だが、モリアーティ教授の軍勢の中には何人かの聖痕持ちがいる。これは間違いない」

 

「そうだな。モリアーティの戦力の全てまでは私も把握出来てはいないのだが、数人。少なくともあと3人はいる」

 

と、ネモがシャーロックの後に言葉を続けた。3人……しかも少なくともってことはそれ以上にいる可能性もあるってことか。厄介だな。ただでさえ人の理を外れた力を持つ聖痕持ちがそんなに集っているのか。しかもこちらは場合によっちゃ聖痕が全く使えない状況に陥ってしまうかもなのだ。それをどうにかしろとは軍港でシャーロックにゃ言われたが、正直そっちの心当たりは無い。まだ聖痕持ちを倒す戦闘力を手に入れる方がイメージしやすいな。

 

「あの力に対抗するには僕らだけでは火力不足だ。そこは天人くん達に期待するよ」

 

「分かってるよ」

 

「それと、彼については僕も正確な推理が出来ないから確実なことは言えないけれど、モリアーティ教授は自身でも聖痕の力を扱えるようになっている可能性がある」

 

「何……?」

 

それは、厄介なんてもんじゃないぞ。これまではモリアーティが聖痕の力を使えないなら手下の聖痕持ちを突破してしまえば俺の氷焔之皇でモリアーティの力を完封して逮捕すれば良いと考えていた。

 

だが俺の氷焔之皇をもってしても聖痕の力は封印できないのだ。それをモリアーティが手にしたとなればただでさえ向こうに傾いている戦力の均衡がよりモリアーティの側に傾くことになる。

 

「その上彼がどんな力を手にしたのかすら分からない。だから我々も聖痕封じを一時的にでもキャンセル出来る手段を見つけたい」

 

「……それなら旧公安0課、今の武装検事達が持ってるはずだぜ」

 

あの再生の聖痕の男───奏永人が放った異能は、その力を封じる領域で発せられたものだった。だからアイツらの持つ()()さえあれば、俺は自分の身体に秘められた力を全て解き放つことが出来る。そうなれば向こうに聖痕持ちが何人かいたとしても逆転の目はいくらでも作れるのだ。

 

「ふむ……とは言えそれを手に入れるのは容易ではないだろう。勿論僕もその研究は進めているけどね。時間的に間に合うかどうか───」

 

「……時間があればいいんだな?」

 

シャーロックの言葉に、俺は1つ思い当たることがあった。俺達に足りないのは時間。次にモリアーティとネモが接触するのが来月らしいが、どうやらシャーロックが研究している聖痕封じを無効化する仕掛けは、完成までにまだ時間が掛かるようだ。だが時間の制約だけなら、俺には突破する方法がある。

 

「そうだね。だけど時間は有限にして平等なのだよ。それは君も分かっているだろう?」

 

「そうだな。何事も、いつかは終わりが来るのかもしれねぇ。けどそれを引き伸ばす術なら俺ぁ持ってんだよ」

 

と、俺は宝物庫からアーティファクトを1つ取り出す。それは区切られた空間の中の時間を引き伸ばすアーティファクト。俺が神話大戦の準備の折、オルクス大迷宮のオスカー邸で使い、その後もちょこちょこアーティファクトの作成やら何やらで便利使いさせてもらっているアーティファクトだ。

 

「それは……?」

 

と、俺がどこからともなく取り出した鉱石で出来た、サッカーのトレーニングで使うようなマーカーに似た形のアーティファクトに注目が集まる。

 

「一定空間の中に流れる時間を引き伸ばす魔法の道具だよ。例えばこの中での100日間を外の1日にするとか、倍率はある程度選べるぜ」

 

ネモはこれと同じような奴を俺の家で実際に見たことがあるからか特に表情を変えることはなかった。だが他の奴ら、特に(コウ)とか言う名古屋女子のカットオフセーラーを着た子は目を驚きに見開き、ヒルダは忌々しげに俺を睨んでいる。

 

そんな中俺に魔法の力や道具があることを知っているメヌエットは何故かドヤ顔。キンジやアリアは呆れ顔を晒していた。

 

「ふむ……君はやはり僕の条理予知(コグニス)の外側にいるんだね。それで、それはどれくらいの広さの空間の時間をどれくらい引き延ばせるのかな?」

 

「んー?……広さは……まぁこれ同じの何個かあるからこのホールくらいだったら補えるな。時間は……俺が触らねぇなら1000倍を外の時間で1日間ってくらいか」

 

俺のアーティファクトがあればたったの1日を1000日───2年と9ヶ月に引き伸ばすことが出来るのだ。だから時間の問題だと言うのならそれは解決したも同然。

 

「それだけあれば充分だよ。……さて、リユニオンの諸君」

 

すると、シャーロックが俺達を見渡す。その口から語られたのはこのインドにあるという秘宝。それはキンジ達には伝えられているようで、彼等はそれを神秘の器(ワンダーノッギン)と呼んでいるらしい。そしてそれがあればシャーロックの力は今の10倍程度まで引き上がるのだとか。そうすれば聖痕の力を抜いた奴らNの戦力と釣り合いが取れるらしい。

 

「それで?そんな御大層なもんを黙って眺めてるお前じゃねぇだろ?……取りに行かない理由はなんだ?」

 

「理由は3つあってね。1つは僕が不在の時にイ・ウーがNに襲われたら良くない。2つ、僕はインドの気候が苦手だからあまり長く出歩きたくないんだ。そして3つ目の理由───それは呪いだよ。他の者であれば誰でも近付けるが、僕はその器に近付くと大量の中性子線を浴びているような状態となり数時間で死ぬ」

 

なるほど、2つ目の理由はぶっ飛ばしたくなるけど他の2つは納得だ。特に3つ目、しかもこれが厄介なことに呪われているのはシャーロックそのものではないな。氷焔之皇で探ってみたがシャーロックには呪いは掛けられていない。恐らく器の方に何かされているのだろう。

 

そして、シャーロックは次にその器の来歴を話し始める。その次にモリアーティがレクテイアの神から命を貰うだのなんだの……ただ、この辺りから段々と話が複雑になり始め、俺の頭は許容量の限界を迎え始めた。

 

するとこの話が超常的な分野にまで及んできたからか、キンジもこの話に着いてこれなくなってシャーロックと猴は「もっと分かりやすく喋れ」と言い直しを要求されていた。すると今度は電池がどうのと話し始め、結局俺にはよく分からなかった。

 

分かったことと言えばモリアーティはレクテイアの神から命を幾つも授かったこと、その対価にこの世界そのものを差し出したこと、それだけはメヌエットが単刀直入に言ってくれたおかげで理解できた。

 

「あぁ、シャーロック。悪いんだけど電池がどうのとか言われてもさっぱり分からん。結論だけ言え、その上で俺達に何をしてもらいたいかも勿体ぶらずに単刀直入に頼む」

 

「ふむ……。ではまず君達への依頼から言おう。君達にはカーバンクルというレクテイアの神から神秘の器を取り返してほしい。その上で呪いの解呪も必須条件だ」

 

なんか新しい人……もとい、神様が出てきたな。カーバンクルがどなたかはとんと存じ上げないけど。

 

「主様よ、カーバンクルはレクテイアでは大地の神じゃ。どんな奴かは後で我が教えてやるぞ」

 

だからルシフェリアさんは語尾にハートマークが付きそうなくらいの甘ったるい喋り方をするのを止めてもらえませんか?ほら見てみろ、ネモとメヌエットが俺を刺すような眼差しで見ているぞ。

 

「……あいよ」

 

だけどあの2人に今の俺が何か言えようもないから俺は黙ってその視線を受け入れる他ない。

 

するとそれを見たシャーロックはまた言葉を続ける。カーバンクルという奴と交戦したこと、カーバンクルがモリアーティに命を与える前に横取りしたこと、今カーバンクルはシャーロックによって半分こにされたことで全盛期の力を殆ど失っていること、そいつが呪いを掛けたこと。

 

まぁ所詮シャーロックの言うことなので理解し難たかったが、そこはリサが俺の為に噛み砕いた説明をしてくれた。しかもスイッチ式の念話のアーティファクトでやってくれたので話の腰を折らないという行き届いた配慮もある。

 

そしてシャーロックの話は続く。カーバンクルは失った力を取り戻しそうであること、そうなれば渡し損ねた命がモリアーティに渡り、モリアーティは1000年を超える寿命と、死んでも7度まで復活できる不死性を手に入れること。

 

「んー?……じゃあ6回でも7回でもぶっ殺してから逮捕して、聖痕を閉じちまえばいいんじゃねぇのか?」

 

とは言え逮捕できる段階まできたらそれも可能ではないのだろうか。勿論殺したくないというのなら代わりに俺がやってしまってもいいしな。

 

「それがそうもいかないのじゃ、主様よ」

 

すると、それに反論したのはシャーロックではなくルシフェリアだった。俺がルシフェリアの方を見れば、彼女は言葉を続ける。

 

「恐らくモリアーティは復活の際のタイミングと場所をある程度自由に選べる。そうなればまた奴の居所を探すところから始めねばならんのじゃ」

 

そういや、前にルシフェリアから聞いたことがあったな。ルシフェリアは命が7つあって、1回寿命を迎えたり、仮に殺されたりしてもある程度任意の位置とタイミングで甦れるのだと。モリアーティも同じことができるってことか。

 

「ふぅん。……場所だけじゃなくタイミングも選べんのか。そりゃあ面倒臭いな」

 

場所だけなら羅針盤で即座に追いかけられるのだが、タイミングまである程度自由となると、俺にはモリアーティがいつ復活するのか分からない。命そのものは氷焔之皇でも封印できないし、復活の異能の方を封印したとしても、1度死んじまえば多分氷焔之皇の縛りからは解き放たれるだろうしな。

 

しかも、カーバンクルが力を取り戻しそうになっている理由はエンディミラが関わっているらしいのだ。エンディミラがレクテイアに帰る直前、その手段を用意してもらう代わりに日本政府に渡した魔法についての理論、それが即座に盗まれて裏で売られているらしく、シャーロックもそれを入手してヒルダに妨害用の魔法ウイルスを作ってもらったらしい。

 

「さて……ここからがもう1つの依頼だよ。君達には神秘の器の奪還と共にその魔法円を破壊、ないしは機能停止に追い込んでカーバンクルの完全復活を阻止してほしい。でなければ最悪の力がモリアーティ教授に渡ることになる」

 

そして、シャーロックが俺を見る。

 

「そして、これらは天人くん、君に依頼したい」

 

しかしそう告げたシャーロックの言葉にホールはザワつく。特にヒルダが俺を強く睨んでいる。

 

「……何だよ」

 

「私はサード・エンゲージそのものに反対なのよ。レクテイア人の最近の動きは私も一通り調べたけど、不愉快だわ」

 

すると、そう告げたヒルダにルシフェリアが逆にガンを飛ばしている。

 

「ほう、不愉快とは?」

 

身体の周囲にバチバチとスパークを発生させたヒルダはルシフェリアに扇を向けたまま言葉を返した。

 

竜悴公(ドラキュラ)の一族は恐れられることで人を支配するものよ。なのに貴方達が大挙してこの世界にやって来たら人々が魔女に慣れて恐れなくなってしまうわ」

 

「───はっ、そもそも手前なんぞ恐れるに足りねぇってだけじゃねぇのかよ」

 

「貴様……っ」

 

ヒルダのことが嫌いな俺はそう横から口を挟む。て言うか、誰もが魔女なんてものを恐れない……むしろ魔女という言葉が消えるくらいに普遍的な価値にしたい俺としてはヒルダの思想とは相容れないのだ。だから俺達は睨み合う。バチ……バチ……とヒルダからスパークが迸る。俺も魔王覇気をドロリと垂れ流し始めた。

 

「先の話は後にしてもらえないかな?」

 

ズン……と重いプレッシャーがこの場に降り立つ。その発信源はシャーロック。それにヒルダはビクリと肩を震わせ、俺は鼻息1つで魔王覇気を収めた。

 

「分かった。お前が俺を指名した理由も、それを受けるという意味でもな」

 

「理解が早くて助かるよ」

 

シャーロックのそれは嫌味でしかないが、取り敢えず理由の方も何となく分かっている。この任務、必要なのはチームワークだ。そして、往々にして()()振る舞いの求められるリーダーには男が求められることが多い。そうなるとリーダーをやるには俺かキンジのどちらかだろう。シャーロックは向かえないしな。

 

そしてキンジが行くならガイドが必要になる。それを担えるのはエリーザだが、キンジとエリーザはほぼ初対面で、しかもエリーザは基本的には男嫌いだからな。1番コミュニケーションが必要な奴とコミュニケーションが取れないのは致命的だろう。それに、レクテイアの神と相見えるならこちらもルシフェリアがいてくれると助かるが、キンジとルシフェリアもまたそれほど連携の取れる間柄ではない。

 

だが俺であれば2人とのコミュニケーションもそれほど問題は無いし、シャーロックがどこまで把握しているのかは知らないが、どちらにせよ俺には羅針盤と越境鍵がある。ガイドなんてなくてもこの場で器の在処とカーバンクルの所在を把握し、一気に乗り込むことができる。

 

逆に俺は魔法円を破壊できるヒルダとはこの通り今にも殺し合いになりそうではあるが、氷焔之皇があれば魔法円の破壊も1人で問題無い。カーバンクルと戦闘になったとしても俺であれば勝てるだろう。

 

「それに、キンジくんとアリアくんには私と来てもらいたいのだ。彼が神秘の器を回収している間に武力の高騰(パワーインフレ)をもう一度起こしてもらいたい」

 

と、キンジとアリアにはシャーロックから修行のご指名が入ったようだ。

 

「天人くんからは時間を引き伸ばすという素敵な道具を貸してもらえそうだからね。その時間で私と君達で武力の高騰を図ろう。それに、君達であれば僕の武力の高騰にもなりそうだ」

 

ふむ……そういうことなら……

 

「ならシャーロック、これも渡しとく」

 

と、俺は懐中電灯みたいなアーティファクトを宝物庫から取り出してシャーロックに投げ渡す。

 

「これは?」

 

それを受け取ったシャーロックは興味深げにそれを眺めている。

 

「そりゃあスイッチを入れると向けた人間を()()()()()()()()()()アーティファクトだ。用途は……言わんでも分かるだろ?」

 

崔淫作用があるわけではなくただ個人を性的に興奮させるだけの魂魄魔法入りのアーティファクト。そんなものの使い道なんて世界広しと言えど1つしかない。

 

「……使い道は分かるが、よくもまぁこれ程までに限定的な道具を作ったね」

 

「俺もキンジ以外に使った試しがねぇ」

 

そもそもそれ、キンジに使うためだけに作ったアーティファクトだからな。

 

「グリップに付いてるスイッチ入れれば起動する。時間延長の方も、裏側にスイッチ付いてるから」

 

「こんな道具をそんな簡単に使えていいのか……?」

 

と、キンジが半分呆れ顔で俺の渡した時間延長のアーティファクトを眺めている。

 

「んー?ま、そりゃあ敢えて誰でも扱えるようにしてあるんだよ。ちょっとそういう必要性があってな」

 

あと時間延長のアーティファクトは魔力消費が激しいという理由もある。何せ神代魔法だからな。アーティファクトを介するにしてもいちいち注ぐ必要のある魔力量は結構馬鹿にならない量なのだ。

 

だけど使う度にそれじゃあ大変だし、ハウリアに渡したアーティファクトみたいにスイッチ式にして時間制限はあっても魔力消費無しで使えた方が便利だったのだ。

 

「じゃ、そっちはそっちで宜しく。俺ぁ行くぜ」

 

取り敢えず羅針盤でカーバンクルと神秘の器の座標を特定して越境鍵で乗り込もうとした俺だったが

 

「まぁ待ちたまえ。早く走る子は転ぶものだよ」

 

と、シャーロックに引き留められる。なんだよ、俺はもうアーティファクトも提供したし、準備なんてもんも要らないんだけど。

 

「今度は何?」

 

「聖痕封じ返し……これを仮にアンティ・エクリプス(anti eclipse)と呼称するとして、これの研究開発とキンジくん、アリアくんの武力の高騰を合わせてある程度まとまった時間が欲しい。君の力なら高々数時間もあれば全て解決するのだろうが……」

 

「なんだよ、あんまり早く終わられると焦るからゆっくりやれって?」

 

「言い方は気に入らないけど概ねそういうことだよ。それに、これから先君達は同じ陣営になるのだろうから、親睦を深めてはどうかね?」

 

と、シャーロックは俺とエリーザを交互に見やりながらそう言った。

 

親睦って……俺と()()()()はもう手繋ぎの刑に処されてて仲良しだってんだよ。これ以上の()()()はちょっと甲斐性が過ぎるってもんでしょう?

 

「……何キョトンとしてんだ。一息に終わらせんなってことならエリーザ、お前に手伝ってもらわにゃならんだろうが」

 

「わ、私でち!?」

 

「他に誰がいるってんだよ。俺ぁヒンディー語は読めるけどインドの文化は分かんねぇ。道中ゆっくりって言うならエリーザの力が必要だよ」

 

「うぅ……」

 

俺は素直にエリーザが必要だと伝えただけなのだが、エリーザはそれで頬を赤らめて俯いてしまう。うーむ、ネモが言っていたエリーザの気持ちが正にその通りなのだとしたら、今のはもう少し言い方を考えた方が良かったのだろうか……?でも必要なもんは必要だしなぁ。

 

「それに、神秘の器の在処を僕は正確には把握していないのだが、十中八九その周りには多くの人間がいるだろうからね。天人くんは瞬間移動が出来るみたいだが、それでは無用な騒ぎを起こしてしまうだろうね」

 

「んー?……まぁいいや。じゃあネモ、エリーザしばらく借りるよ?」

 

「あぁ。ノーチラスの補給がまだ終わっていないから私は出られないが……」

 

物資に関してはある程度までは運び入れられたがそれも全て終わったわけではない。それに艦や設備の整備もまだやらなくてはならない。それが終わるまではネモも艦長としてノーチラスを離れられないだろうな。

 

「……なぁ、やっぱナンバー無かったり登録されてないナンバープレートのマイクロバスが走ってたら目立つかな?」

 

と、俺はコソッとエリーザにそう尋ねる。足の確保自体は俺の魔力駆動車を出せばそれで事足りるのだけど、アメリカで使った時みたいに砂漠の中を突っ切るのなら兎も角、インドの道路であれを走らせるのはそれこそ無用な騒ぎを起こしてしまう可能性もあった。

 

「当たり前でち。だいたい、そんなものどこで調達……いや、天人なら何でもありでちね」

 

と、エリーザは一瞬文句を言いかけて直ぐに止めてしまう。まぁどこからと言われても俺が錬成で作ったアーティファクトとしか言えないのであるが。

 

「んっ、それだと何日か掛かるかもだから……リサも来れる?」

 

そうなると必然、リサの存在が必要不可欠だ。具体的には俺の生活を支えてもらわねばならないからな。すると俺に話を振られたリサはニッコリ笑顔で「勿論です、ご主人様。ご主人様の旅路にリサはどこまでもお供いたします」と言葉をくれた。すると

 

「……では私も同行しましょう」

 

と、何故かメヌエットが俺達に着いてくると名乗りを上げた。

 

「勿論我も行くぞ、主様」

 

しかもルシフェリアまでそう言い出す。えぇ……そんなには沢山人手は要らないでしょ。火力は俺がいる以上は不足にはならないし魔術的な仕掛けに対しても俺なら全て破壊して進めるからな。まぁ、リサとエリーザを守らなければならない以上は拠点防衛を考えてルシフェリアくらいはいても良いかもしれないが……。

 

「そんな要らねぇだろ……」

 

とは言え別にメヌエットは着いてくる必要はないだろう。いくら狙撃銃(リー・エンフィールド)を持っているとは言え所詮は素人。長距離狙撃が必要になったとしても俺のアーティファクトや魔法であれば幾らでもカバーできる。

 

「リサとエリーザがいるし、億が一を考えてルシフェリアはまだしも、メヌエットは来てもなぁ……」

 

今回の仕事はそれほど難しいものでもない。神秘の器なるものを奪還し、カーバンクルなるレクテイアの神を打倒、奴がモリアーティに渡そうとしたという命を抑えれば勝ちなのだ。やることは2つだけ。それならば俺の足りない頭でもどうにか整理できる範囲だ。

 

「そうだね、天人くんの言う通り、メヌエットくんは行く必要が無い。彼ら4人がいれば問題無く任務は達成できるだろう」

 

「曾お祖父様の言う通りだわ、メヌ。態々天人になんてついて行く必要ないわよ。それよりもあたし達とモリアーティ教授への対策を考えましょう」

 

と、シャーロックとアリアは俺とメヌエットの間に距離を作りたいのかメヌエットの両肩をそれぞれがしっかりと掴んでこちらには行かせまいとしている。まぁ、大事な曾孫や妹が俺みたいなのと一緒に旅するなんて断固拒否したいだろうよ。俺もミュウをキンジと一緒にどっかに行かせたくはないし、気持ちはよく分かる。

 

「曾お祖父様、お姉様。それでも私は天人といたいのです。だからどうか行かせてくださいな」

 

ちょいと姿勢を落として2人の手を肩から外し振り返ったメヌエットは、アリアとシャーロックにそう告げる。その言葉の真意が分からぬ俺達ではない。俺は当然、アリアとシャーロックにだってメヌエットの決意の程は伝わっている。それでも、俺の胸には罪悪感があり、アリア達の胸の内は推し量るに余りある。とは言え、だ。

 

「……女にそこまで言われちゃ俺だってそれなりに応えてやらにゃならねぇな。……いいよ、一緒に来るだけなら連れてってやる」

 

ただし、連れて行くだけ。勿論危険があれば守ってもやるが、それだけだ。それ以上は深く踏み込まないし、踏み込ませない。だからホント、頼みますよ……?という何とも情けない視線をリサに向ければ、リサはニッコリ笑顔を返してくれるのであった。

 

その笑顔の真意や如何に───

 



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好きと愛とバスの旅

 

 

「シャーロック、今回の任務は確かにモリアーティの狙いを潰すっていう大義はあるけどな。無料(ロハ)ではやれねぇぞ」

 

と、俺は出掛ける前にまずはそこのところをハッキリさせておこうとシャーロックに告げる。するとシャーロックはニッコリ笑顔で

 

「では要求を述べてみたまえ。僕に可能な範囲であれば応えよう」

 

と、気前よく言ってくれるのであった。

 

「んー?……じゃあ家くれ、家」

 

なのでお言葉に甘えて大胆に言ってみることにした。しかも金があれば解決できる問題だからな。シャーロックのお財布事情とか知らないけど。

 

「家……?」

 

おぉ、珍しくシャーロックがキョトンとしているぞ。こんな顔も俺は初めて見たな。

 

「そう、家。俺達家族が住む家。買ってよ、今回の報酬ってことでさ」

 

今のマンションだって部屋を2つ借りているのだし、何よりこれから先家族が増えることを考えたら明らかに手狭だ。金ならそれなりにあるしリサという最強の交渉人(ネゴシエーター)がいるとはいえ、俺達家族とこれから増えるであろう子供達の人数を考えると結構な買い物になる。

 

だったらこういう機会にシャーロックに金出させてしまえば良いのでは……?というのが俺の浅はかな考え。ま、伊・Uの時はリサに7割引させたとはいえ核弾頭とか買い付けられるくらいだからな。金くらい幾らでもあるだろ。

 

「君達大家族が住める家となると、いくら君がSランクとは言え、強襲武偵(アサルトDA)の相場を遥かに超えるものになるのだけどね」

 

「んー?……シャーロックよぉ、世界を混沌の渦に叩き落とそうとするモリアーティが7つの命と1000年を超える寿命を手にするのを防ぐ仕事だぜ?しかも宝物の奪取と呪いの解除、更にはレクテイアの神との戦闘の可能性まであるんなら……数億円くらいは安いもんじゃあねぇのかい?」

 

この仕事、俺だからある程度余裕でこなせると言うだけで普通に考えたら成功なんて有り得ない難易度だろう。それを相場程度の報酬でなんて、やってられるわけがない。

 

「と言うわけであとの細かい話はリサ、任せ───」

 

「───10億出そう」

 

後の交渉事はこういう話に強いリサに任せようとしたところでシャーロックから具体的な数字の提案が出てきた。多分、シャーロックは推理できたのだろう。俺にここでこの数字を飲ませる方が、リサと交渉するよりも確実に安価に済むということを。シャーロックは俺の行動を推理すると精度が落ちるがリサであればほぼ確実に推理できるだろうからな。

 

シャーロックの頭ならリサが何て言うかを推理しながら会話を組み立てることも可能なんだろうが、だからこそ、言って痛い所を突かれてある程度こっちの要求を飲まされることまで分かってしまったんだな。

 

「では、シャーロック様のご予算は10億円ということで宜しいですね」

 

すると、リサが1つ言葉を挟んだ。リサが入ってきたことでシャーロックが苦虫を噛み潰したような顔をする。どうやら俺が会話に入っていたせいでシャーロックの推理がズレたらしい。

 

「現金ではなく、10億円という予算の中でご主人様の希望される物件を購入。それが今回ご主人様がシャーロック様から頂く報酬と致します」

 

「おう」

 

「……了承したよ」

 

リサがそう言うのならそれが1番良いのだろう。俺には細かいことは分からないから、リサを信じることにする。ま、シャーロックの顔を見ればそれが最良なのは確定だな。

 

「じゃ、そういうことでよろしくな、シャーロック。……はい、じゃあリサ、メヌエット、ルシフェリア、エリーザ、こっち集まって」

 

報酬の話も一段落着いたことだしと俺は今回の遠征メンバーを一堂に集める。

 

「じゃあ取り敢えずエリーザ、移動の足って確保出来る?」

 

俺の魔力駆動式四輪車はインドで走らせるには大層目立つようだ。アメリカの砂漠地帯すら横断できる高性能マシンではあるが、どうやら今回はお披露目の機会に恵まれなかったようだ。

 

「任せるでち。インドにはマイクロバスのレンタカーもあるんでちよ?」

 

「ふぅん。……そういやエリーザって車の運転も出来んの?」

 

「当たり前でち。自動車だってバスだって運転できるでち」

 

ちなみに俺は今だに車もバイクも免許を持っていない。そろそろ取らなきゃなぁと思っているのだが、実技はともかく学科試験受かるかな……。もうティオもレミアも持ってるから俺も欲しいんだけどな……。

 

「じゃあ運転もよろしく。無免でいいなら俺も運転はできると思うけど」

 

「良くないから私が運転するでちね……。───それよりも」

 

と、呆れ顔を向けていたエリーザが急に俺に詰め寄ってきた。それで揺れるエリーザの銀髪から漂う仄かに甘い香り。

 

「どうした?」

 

「天人はルピーを持ってないでちね?」

 

「んー?……あぁ。何日かかかるならどっかで円と両替しなきゃとは思ってるけど」

 

とは言え今の俺の財布に入っている現金は2,3万円程度だ。インドの物価がそんなに高いとは思ってないけど、出来ればもう少し欲しいところではある。

 

「じゃあこれ……5万ルピーを無利子で貸してやるでち。私はノーチラスからインドでの活動資金を貰ってるから問題無いでち。返す時も日本円でいいし、フロントで両替するより良いレートで取引してやるでちよ」

 

と、エリーザがジャンパースカートのポケットから取り出したのはインドの通貨───ルピーだった。数えれば確かに5万ルピーあるな。1ルピーは日本円で2円だから10万円か。まぁ、流石に1ヶ月も2ヶ月もかからないだろうからこれだけあれば十分だろう。

 

しかしこのお札、平気でメモ用紙代わりに使われているし汚れも目立つし何より変な臭いがするんだけど……。エリーザが気にしていないってことはインドじゃこれが当たり前なんだろうが……。

 

「あぁ、助かるよ」

 

とは言え、なんで急に俺に金を貸しつけたのだろうか。もしかして何かの罠だったりする?いや、エリーザに限ってそれはないか。

 

「これでお前と私は一緒に旅をして、一緒に戦う理由ができたでち」

 

と、エリーザはそう言って「うんうん」と1人で頷いている。エリーザはただ俺に金を貸し付けただけなのに随分と嬉しそうだ。その笑顔の理由が俺には分かったような、分からないような、そんな不思議な気分だった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

神秘の器はチャトという町にあるらしい。そして、ムンバイからそこへの中継点となりそうなのはザンダーラという小都市。ムンバイからは約600キロ程も先にある。

 

本来の俺であれば羅針盤と越境鍵を使って一呼吸の後に辿り着ける距離ではあるのだが、シャーロックからの要請で今回の旅路には越境鍵は使えない。

 

旅の足ではなく神秘の器を奪取するためであれば使っても良さそうだがどっちにしろチャトまではこの便利な概念魔法もお預けだ。

 

そしてチャトまでは交通の便が最悪。鉄道じゃ途中の町までしか行けないからそこから先はバスになる。だがインドの公共交通機関はすし詰めが当たり前。バスなんかはルーフの上に乗ったり車体の側面や後ろにしがみついたり……それもう無賃乗車でしょってくらいの乗り方を平気でやるらしい。

 

俺だってそんなのに乗るのは嫌なのにそんな混雑している所にリサ達を同行させられるわけもない。しかし俺の魔力駆動式四輪車はナンバーもないし、錬成で適当にでっち上げてもそもそも見た目が目立つし、それで警察なんて呼ばれたら面倒なことこの上ない。ということでこれも封印。

 

しかしエリーザの言う通りインドにはマイクロバスのレンタカーもあるようで、今はエリーザに先に足を確保しに行ってもらっていた。

 

それで20分くらいしたらエリーザから電話があり、良さげな車を確保したからそれに乗ってホテルまで迎えに来るとのことだったので俺達はタージマハル・ホテルのロビーで待機することになった。

 

「では僕らは先に行こう。時間は有限なのだからね」

 

と、俺が渡したアーティファクトセットを入れたホテルのお土産屋の紙袋を片手にシャーロックがキンジ達を立たせた。

 

「おう。なんちゃらノッギンは任せとけ」

 

神秘的で絶対的で(ワンダー・アブソリュート・)真実で最強で(トゥルー・ストロンゲスト・)圧倒的な器(オーバーヘルミング・ノッギン)だよ、天人くん」

 

「ワ……何?」

 

待て待て待て!神秘の器(ワンダー・ノッギン)って本名そんなに長いの!?そりゃあキンジも名前省略するよな。覚えらんねぇもん、そんなに長い名前。

 

「まぁいいや。そのノッギンもカーバンクルもどうにかしておいてやるからさっさとお前らは修行でも聖痕封じ返し作りでも何でもやってなさいな」

 

「それも、聖痕封じ返し(アンティ・エクリプス)と呼称すると言ったはずだけどね」

 

そうでしたね。ゴメンなさいね、道具に名前を付ける習慣が無いもので。

 

と、俺が不貞腐れながら指先でひょいひょいとシャーロックを追い出すようにすると、シャーロックも1つ溜息を付きながらタージマハル・ホテルを出ていく。それの後にはキンジ、アリア、ワトソン、ヒルダと猴がそれぞれついて行く。シャーロックとアリア、ワトソンは「メヌエットに何かあったら承知しないぞ」という視線を餞別に残してくれた。

 

まぁあれだけの奴らがいれば武力の高騰(パワーインフレ)だの何だのもできるだろう。だから俺はこっちの仕事に集中すべきだ。ネモもまだノーチラスでやることがあるからとホテルを出て行こうとした筈なのだが

 

「……どうした?」

 

ギュッと、ネモは俺に抱きついている。これはまたあれか、昨日みたいに愚図っているのだろうか。

 

「……うん。もう大丈夫だ」

 

だがネモは10秒もそうすると自分から俺を解放した。そして少し腰を反って俺を下から見上げて

 

「では、行ってくる。……んっ」

 

トン、と俺の両肩に手を置き、それを支えにして少しジャンプしたネモの唇が、俺の唇に一瞬触れるのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「そういやルシフェリア、カーバンクルってどんな奴?」

 

羅針盤で探せばどこにいるのかは分かるし、その上でそこに行けば直ぐに分かることではある。戦闘になったとしても俺に超常の力は効かないが、俺以外が不意打ちでやられるかもしれない。一応特徴くらいは聞いておこうか。

 

「んー、褐色の肌をしていて、背が高くて胸の大きい美人じゃ。ただ、我はアイツが苦手なんじゃよなぁ。ナワバリ意識の塊みたいな女だし、考え方は古いし、キレると直ぐ人を呪うし、デカいハンマーで殴るし……」

 

上背(タッパ)と乳のデカイ美人で戦闘方法はハンマーで殴る……それを聞いて俺の頭に浮かんだのはただ1人。まぁあの子褐色肌ではないけど。

 

「……なんかシアみたいな奴だな」

 

と、俺は思わず呟く。

 

「む?そうか?シアは確かに身長もあるし胸も大きいが、色白だし性格もカーバンクルとは似ていないと思うぞ?」

 

と、シアの戦闘を見たことがないルシフェリアはそんなことを言う。メヌエットもシアのことは知っているが実際にシアが戦っているところを見たことがないので同じように疑問符を一瞬浮かべたが、流石の推理力でもって直ぐに俺の言いたいことを思い至ったようだ。

 

「私はシアの戦闘を見たことがありませんが、簡単な推理です。小舞曲(メヌエット)のステップの如く順を追って説明する必要もありません。シアも大きなハンマーで戦うのでしょう?」

 

「そういうこと」

 

と、メヌエットの推理に俺が1つ頷けばメヌエットは「ふふん」と腰に両手を当てて自慢げだ。それを見たルシフェリアはちょっとムッとした顔をして

 

「何じゃ。そんな推理よりもカーバンクルの特徴を知っている我の方が偉い!」

 

とか言いながら俺の太ももの上にドカりと座ってきた。いや邪魔……。

 

「うわっ……何をするのじゃ主様!」

 

「え、だって邪魔……」

 

俺の上に乗ってきたルシフェリアには重力操作のスキルで退いてもらった。そしてこのまま放っておくとまた乗られてイタチごっこになりそうなので俺はリサの膝に腕を通して抱き上げ、そのまま自分の膝の上に乗せた。

 

「むぅ、リサばっかりズルじゃ」

 

「そうですよ天人。不公平です。それに、乗せるなら私の方が収まりが良いでしょう?」

 

リサばっかり狡いと言われても、ユエ達が言うなら兎も角ルシフェリアに言われてもな……。俺がリサを優先するのは当然だろう。まぁ確かにユエと身長の近いメヌエットなら膝に乗せて後ろからハグするのであれば1番収まりが良いだろうが、流石にそんなことできないし。それにそもそも……

 

「そんなことしたら浮気になるだろうが」

 

だから俺はルシフェリアもメヌエットも膝の上に乗っけて抱っこしてやる気はない。

 

「天人は今何人の女性と関係があるのでしたっけ?」

 

「……7人です」

 

「それで、浮気が何でしたっけ?」

 

「本気の恋しかしてないもん……」

 

だからこうやって全員と一緒に暮らしているのだ。俺は遊びで誰かと付き合ったことはない。ミリムとは……ちょっと外堀埋められた感じはあったが、遊びのつもりはなかった。

 

でも結局俺とミリムの間には殆ど進展はなかったんだよな。キスですら数える程。それに結局、俺はあの子を心の底から愛せなかった。あの時から俺は決めていたのだ。リサ以外の女の子との仲を進める時はその子を一生愛すると自分に誓った時だけだと。

 

だから俺はまだ透華達やメヌエット、ネモ、ルシフェリア──そしてきっとエリーザも──に対して答えを出せないでいる。いや、俺は何度もその気は無いと透華達やルシフェリアには伝えているんですよ?だけど、雫やリリアーナと違って同じ世界に住んでいるからか、中々彼女達と距離を離せないでいるのもまた事実。

 

そろそろ、俺もしっかりと答えを出さなければならないのかもしれない。けれど、どんな答えであれ明確にするのなら今の関係とは変わってしまう。受け入れるにしろ受け入れられないとするにしろ、今のぬるま湯に浸かるような関係ではいられないのだ。でも、答えを出さなければ俺は彼女達をずっと傷付け続けることにもなる。せめて……透華達だけでも答えを出す必要があるんだろうな……。

 

「それよりも天人」

 

「……んー?」

 

全然別のことを考えていたら目の前にメヌエットが来ていた。しかしその顔はさっきまでの呆れ顔と違って何か決意を固めたような熱さを秘めた瞳を湛えていた。

 

「好きです」

 

唐突に放たれた言葉。そう言えば、俺はメヌエットから直接好きだと言われたのは初めてだった気がする。メヌエットは態度では隠す気が無かったみたいだから分かってはいたことだし、そもそも似たようなことは言われていたからそれをいいことに何となく避けていた話題。だけどもうこれで無視できなくなった。俺はもう、メヌエットと本気で向き合わなければならない。

 

「うん」

 

理由は聞かない。無粋だし、そんなことは今更だからだ。

 

「私は天人と一生を共にしたいと思っています。けれど、そこには幾つもの障害があることもまた、分かっています」

 

それは俺の気持ちとかリサやユエ達のこととか、そういう問題だけではない。メヌエットの……ホームズ家という鎖やメヌエットの中にある感情───今もルシフェリアを見るメヌエットの目は鋭い。多分これは宗教的な問題も絡んでいることで、簡単に取り払うことの出来ないものなのだろう。

 

その瞳を受けたルシフェリアも「むっ」と1つ身構える。俺の家族はそのほぼ全員が人間───トータスで言う人間族ではない。メヌエットはユエ達のことはシアのウサミミやティオ達の人とは形の違う耳を含めて受け入れつつあるが、多分ルシフェリアはこれからも俺達といるのだろう。それは俺も何となく感じていることではあるし、俺が分かることならメヌエットだって当然に思い至る。

 

「メヌエット……」

 

「分かっています、分かってはいるのです。何かしてやろうという気もありません。だけど、どうしても……」

 

それはメヌエットの中に深く根付いてしまっているのだろう。そして、俺達家族と関わって、そんなものが何らそいつの人間性に関わりがないということも頭では分かっているのだ。だけど身体と心が反射的に反応してしまう。

 

「いいよ。そうやって頑張ろうとしてくれるだけで俺ぁ嬉しいから」

 

俺は、ギュッと唇を噛み締めたメヌエットの頭に手を置く。ポン、ポン、と撫でるように数度、その柔らかな金髪に手を置いた。

 

「ご主人様?」

 

「うす」

 

そうしていたらリサから笑顔で睨まれた。そりゃあそうだ。膝の上に乗っけておいて他の女の子と頭を撫でているのだから、怒られて当然。俺は謝罪の意も込めて左手でリサの透けるような金髪を梳いてやる。

 

「ふふっ」

 

するとリサは冷えた笑顔が打って変わってウットリとした表情を浮かべて俺の肩に頬を寄せる。で、それを見たメヌエットとルシフェリアはムッとした顔を浮かべたのだが……

 

「……何やってるでちか」

 

というエリーザの声に全員の意識が集まる。

 

「おう、おかえり」

 

「まったく……。まぁいいでち。それより車を持ってきてやったんだから感謝しろでち。当然、準備はできてるでちね?」

 

「あたぼーよ」

 

まぁ俺には準備なんて殆ど要らないんだけどな。どうせ必要なものは宝物庫に放り込んであるのだ。基本的に身一つで何処へでも。それが例え世界の果てでも異世界でも。……いや、急に呼んで世界を救ってくれなんてのは御免蒙りたいけどね。

 

「じゃあ行こうか」

 

と、俺はリサの唇に1つキスを落として彼女を床にゆっくりと降ろす。それでまたルシフェリアが騒ぐがそれは放っておいてエリーザの先導に従い、この豪華絢爛なタージマハル・ホテルに似つかわないくらいに汚れてサイドミラーすらも無い小さなバスへと乗り込むのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「───るっくぶっくびっきにょーん、びっきにょーん、にょーん」

 

カーステレオから流れてくるのは違法コピーしたっぽいCD-Rから流れるアゲアゲな映画音楽。しかし音飛びしているのかずっと同じ1曲が流れ続けている。それをエリーザが楽しげに歌っていたのだが、途中で歌詞を覚えたのかルシフェリアも一緒に歌い始め、それが5,6周もする頃にはリサやメヌエットまで一緒に歌い出した。

 

それは別にいいんだけどエリーザさん、貴女両手を上げて人差し指グルグルしてますけどハンドルは?

 

俺がそこはかとなくエリーザの運転に不安を感じていると、ふとメヌエットが俺の横に来ていた。

 

「んー?」

 

構え構えと五月蝿いルシフェリアに、角の間を小突いて抵抗していた俺は一瞬触れた瞬間に重力操作のスキルを使ってルシフェリアを後ろの座席に放り飛ばした。それでメヌエットに向き合うと更にもう少しメヌエットが俺との距離を詰めてきた。

 

「天人、私のことはこれから"メヌ"と呼んでください」

 

メヌ……そういやアリアはメヌエットのことをそう呼ぶ。とは言え俺の家族以外でメヌエットと俺の共通の知り合いだったのは他にはキンジとワトソンくらいで、シャーロックですらメヌエットとは今日が初対面だったがな。

 

「んー?あいよ、メヌ」

 

俺としても特に断る理由も無い。メヌエットがそう呼んでほしいのなら構わないと俺はメヌエットのことをメヌと呼んでやる。するとメヌはそれだけで嬉しかったのか顔を綻ばせている。

 

「ふふふ……これでまた少し天人との距離が縮まりましたね」

 

遂には2人掛けの座席にメヌが無理矢理乗り込んできた。元々窓際にリサがいて、通路側に俺がいたのでかなり狭い……と言うかメヌは俺の上に座るようにして乗っかってきた。

 

「君こんなにグイグイくるタイプだったっけ……?」

 

最後には俺の膝の上に収まるようにしてメヌは座り込んだ。フワりと香るチェリーの匂いはいつもメヌが吸っているパイプのものだろうか。

 

「…………」

 

無言のままのメヌを上から覗き見れば耳まで真っ赤に染めて俯いてしまっていた。そんなに恥ずかしいと思うならやらなきゃいいのに……。

 

「だって……」

 

ポツリとメヌが言葉を漏らす。

 

「分かったよ……」

 

久しぶりに俺と直接会って、そしたらルシフェリアがいつの間にか俺の横にいたのだ。俺はルシフェリアを引っ()がそうとしてはいるものの、そもそも何人もの女の子に囲まれている俺である。これだけ積極的にくるルシフェリアを見ていてメヌとしては心中穏やかではいられないのだろう。

 

もう埋まっているかもしれない(俺としては是非そうしたい)俺の家族の席。そこを狙う奴が1人増えている。しかもメヌにとってはエンディミラだって自分の知らない間に俺の家族になった女の子である。

 

自分の方が先に俺と知り合ったのに……透華達のようにメヌもそう思っていたのかもしれない。それだけ真剣に俺のことを思ってくれているメヌ。俺もしっかりと答えを出してやらなければなるまい。俺はメヌに対しての何度目かのその誓いを胸に秘めるのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ぬぅー!行け!追い越すのじゃエリーザ!!」

 

なんて、バスの窓の外を睨みながらそんな大人気ないことを言う奴はルシフェリア。先程俺達の乗るバスを追い越したバスがいたのだ。しかし何が嬉しいのか楽しいのかは知らんがそのバスに乗っていた乗客達は俺達の方を見て「ヤッター!」とでも言いたげにはしゃいでいたのだ。で、それにキレたルシフェリアが運転手のエリーザを煽り、エリーザはエリーザで

 

「もちろんでち!ふおおおおおっ!!」

 

と、ツインテを逆立てんばかりの勢いでブチ切れて、クラクションをプッププップ鳴らしながらバスを急加速させている。そして一気に先程のバスに追い付いて車線からクイッとはみ出して追い抜こうとしたのだが

 

「おい、エリーザ!前前前!!」

 

対向車線からやって来たのはこちらもバス。だがエリーザは「負けんでち!」とか言いながら逆走を止める気配が無い。いや、勝ち負けとかいらないから安全無事に俺達を神秘の器のある町まで送り届けておくれよ……。

 

なんて、俺のエリーザに対する祈りは全くもって届く気配はないし、こちらが悪いのは重々承知の上で、避けてくれりゃあいいのに対向車線からのバスも俺達を避ける気配が全く無い。なんで……なんでなの?インドじゃ追い抜かれたり車線譲ったりしたら負けとかあんの?負けて何が失われるの……?

 

「きゃあぁぁぁぁ!」

 

と、リサが俺に(若干のわざとらしさを出しつつも)抱きつけばそれを見たメヌは

 

「きゃ、きゃあぁぁぁ」

 

と、これまた凄い棒読みで俺にしがみついてきた。でもその顔はやっぱり真っ赤っかで何だかそのいじらしさが可愛く思えてくるのであった。

 

だが今はリサの柔らかさやメヌの可愛さを堪能している場合ではない。マジで目の前にバスが迫っているのである。しかもインドでは「安全なドライブにはブレーキ、クラクション、それと幸運さえあればいい」という諺があるとエリーザは言っていた。そのせいか知らないけどダッシュボードには小さな額縁に入れられた神様の絵が祀られた神棚があむたり花やらお香が供えられてあるのだ。

 

そして対向車線からのバスにも置かれているそれらがハッキリと見えるくらいの距離まで来たところで───

 

「あぁもう!」

 

俺はリサとメヌを安全のために抱きしめてやりながら重力操作のスキルを発動。俺と俺に触れているものにかかる重力を操るこのスキルで俺はこのバスにかかる重力を操る。それでほんの数ミリだけ道路から浮かせて、これまたほんの少しだけ車体を傾ける。そしてそのまま重力加速を進行方向に加えてさっき追い抜かれたバスの前方にこのバスを置いた。

 

「む?今のは主様か?」

 

「おう。……お前ら、マジで安全に運転してくれ……」

 

「何を言うでちか。負けたままじゃいられないでち」

 

「そうじゃぞ、あんな風に煽られて黙っていてはルシフェリアの名折れ。そんな恥をかくわけにはいかないじゃろ」

 

あっそうですか……。これなら国際免許を持っているっていうワトソンもつれて来るべきだったな。バス旅で大事なのは運転手が安全に運転してくれるかどうかなんて、当たり前のことを再認識することになるとは……。インド、広いなぁ……。

 

「ありがとうございます、ご主人様」

 

キュッと俺にしがみついているリサがこちらを見上げてそう言った。ただ、その顔は恐怖心よりもどちらかと言えば喜色の方が浮かんでいて、俺に抱きしめられているのが心の底から嬉しいと言わんばかりだ。

 

「んっ」

 

俺はリサの肩に回していた手でリサの柔らかな薄い金糸を梳く。指通りの良いリサの髪の毛と小さな頭を撫でてやればリサは「んん」と、心地良さげな声を漏らし、更にギュッと俺に身体を寄せてくる。リサの身体の柔らかさと甘い香りが俺の五感を支配していく。

 

「んー?」

 

すると、俺の足に僅かな感触。見ればメヌが足を伸ばして俺の足の甲を踵で踏みつけようとしていた。

 

「どうした?」

 

「別に……」

 

何でもありませんと続けたそうな言葉尻のメヌ。だけどその言葉の切れっ端とは違って僅かに覗ける顔からは何か言いたげな表情が浮かんでいた。

 

まぁ、言いたいことは何となく分かる。メヌは頭の良い子だ。きっと俺がメヌの言いたいことを何となく察していることも、それを俺が今ここで言うことがないということも分かっているはずだ。

 

「メヌはさ……例えば俺が人を殺したことがあるって言ったらどー思う?」

 

「どう……?別に、どうとも、です。天人が手に掛けた人間と私はきっと何ら関わりはありませんし、私は法の番人でもないのですから」

 

俺はメヌを横の席にヒョイと置いて問い質したのだが、メヌはいとも簡単にそう返してきた。

 

「はぁ……。天人の考えていたことを小舞曲のステップの如く順を追って説明しましょうか?」

 

それで俺が口を()の字に曲げたのを見てメヌは溜息とともにそう告げる。俺の考えていることなんか全部お見通しだぞと言わんばかりで、俺は「いや、いいよ」と(かぶり)を振るので精一杯だった。

 

「天人、貴方のことはそれなり以上に理解しているつもりです。確かにこうして直接同じ時間を過ごすことは久しぶりではあります。けれどあの家での時間が、そしてこれまでのやり取りが、そんなに浅いものだったとは言わせません」

 

メヌの、勿忘草色の瞳に込められた決意は強く輝いていた。俺はその瞳から目を離せない。離してしまえば俺はもうメヌとは対等ではいられなくなる。

 

「小舞曲のステップの如く順を追って説明しましょう。そもそも貴方の過去の経歴なんてお姉様とワトソンから聞いていますし、()()()での話もリサやユエ達からそれなりに聞いています。彼女らは核心的なことを言うわけではありませんでしが、私にとってはそこで何があったかを推理する程度は造作もありません」

 

何だよ、メヌももう知ってたのか。多分ユエ達は惚気と言うか自慢話のつもりだったんだろうけど、メヌの類まれな推理力があればその()を見る程度は簡単な話だったんだろうな。

 

「それでも、私の気持ちは変わりませんでした。むしろ、天人達の旅を見てみたいとすら思った」

 

そう言えば、何だかんだでまだリサにもトータスでの俺たちの旅路を見せられていなかったな。近いうちに俺達のトータスでの旅を皆に見せてやらねばならないかもな。

 

「ですから、天人の考えていることは杞憂です。後は、天人の気持ちを如何にして私に向けるか。そして、私の心の問題……」

 

メヌにしては珍しく、最後には絞り出すようにして吐き出された言葉。だから俺も応えなければならない。メヌのこの儚く純粋な想いに、答えを出さなければならない。だけどそれを今すぐに出してしまうのは、メヌの心に抱えた重みを思えば不誠実だろう。俺も、真剣に考えて俺の中の答えを見つけなければ。例えそれがどんなものであろうとも、そうでなければメヌの想いに相応しくない。

 

「何を難しい話をしているんじゃ。主様もメヌエットとやらも」

 

「んー?」

 

ヒョイと俺達の前の座席から顔を覗かせたのはルシフェリア。どうやら珍しく話の腰を折らずに黙って聞いていたらしい。

 

「我は主様達と一緒に暮らして愛とは何かを学んだよ。我は主様を愛しているし、ユエ達のことも愛しているよ。愛の形は違えど我は主様とあの家族を愛している」

 

「何故、そう言い切れるのですか?」

 

「信じているからじゃ。主様達なら子供を泣かせることなく新しい世界の秩序を作れると。愛とは信じることと受け入れること。我は主様の過去の罪も受け入れ赦そう。主様が背負うものを我も背負おう」

 

ルシフェリアが俺を見る。その瞳の中に俺を捉える。その強い炎を秘めた瞳が、燃えるように熱い言葉が、俺を逃がすまいとする。

 

「ルシフェリア……」

 

ルシフェリアの言葉に俺も1つ思い至ることがあった。俺は今この時、ルシフェリアのことをリサやユエ達のように愛しているかと言われるとそうでもないが、その理由を考える。それはルシフェリアがレクテイアでは神と呼ばれる存在だからなのか、それともルシフェリアの見た目とか性格とか、普通に女の子として見た時に恋に落ちていないからなのか。

 

俺は神様って奴が大嫌いだった。文明を喰らう怪物、人を高みから見下して嘲笑うクソ野郎。俺が出会った神はそんなんだったから緋緋神のことだって当然に嫌いだと思った。ただ、あれは戦と恋を愛しているだけのやんちゃ娘で、戦だって上から眺めるんじゃなくて自分が戦いたいという奴だった。だからアイツのことは鬱陶しい奴とは思っていても、エヒト程には憎々しいとも思っていなかったのかもしれない。

 

そして今俺の目の前にいるルシフェリアも、レクテイアの神ってのは、実際には地球人類を滅ぼしうる奴らのことを総称しているだけであり、その本能のままに喰らい尽くすアラガミや、全能を気取るエヒトのような存在とはまた違った存在ではある。

 

だから俺はルシフェリアを神だなんて思っていないし、もしルシフェリアが神を自称することを止めるのなら……いや、俺ももうそろそろ考えを改めるべきなのかもしれない。

 

神なんて、良い奴もいれば悪い奴もいる。シアが飛ばされた先にいたルトリアや神霊達だって願っていたのは世界の存続だった。むしろあの世界を追い込んでいたのは人間の側だったのだから。アイツらは世界を省みない人類と世界そのものを天秤にかけて、その苦渋の決断の中で世界の存続を選んだだけだった。

 

「なら俺も、1つ考えを改めるよ。俺ぁ神って奴が大嫌いだった。俺が今まで出会ってきた神様気取りの奴らは大概ロクなもんじゃなかったからだ。だけどそりゃあ俺ん偏った経験だった。だからこれからは神なんて肩書きじゃなくて、そいつの存在そのものを見るよ」

 

今の俺がルシフェリアに返せる言葉なんてのはこれが精一杯だった。

 

「むふふ、主様よ、遂に我を1人の女の子として見るということじゃな?」

 

「さてな。俺ぁ神様って奴もちゃんと人格を見てやるって言っただけだぜ。ルシフェリアをリサ達と同じように好きになるかは別ん話だよ」

 

俺がルシフェリアをどのように思うかは全く別の話。ただ、神様って呼ばれてるからと言ってそれを毛嫌いするのを止める。それだけの話だ。

 

「天人、やはり私は貴方と在りたいです。リサやユエ達がいたとしても、ルシフェリアがいても、それでも私も貴方といたい。貴方達の中に私も入りたい」

 

俺に適当にあしらわれて膨れっ面のルシフェリアわ放って、メヌは己の想いを口にした。そして俺の腕に自分の腕を絡め、俺の肩に顔を埋めた。

 

ふと視線を感じて右を見れば、さっきからずぅっと無言だったリサが相変わらずの無言でニコニコ……今だに俺には真意が読めない笑顔で俺と俺の腕に絡み付いているメヌを見ていた。

 

「ご主人様」

 

「んー?」

 

すると、リサが口を開く。リサの甘い声が俺の耳を擽る。次にその桜色の唇から発せられるものは───

 

「……ん」

 

それは言葉にならず、行動に移された。リサはただ俺に身体を預けるだけ。何を言うでもなくその瞳で俺を捕えることもしない。だけどこの所作1つでリサの今の気持ちは伝わってきた。

 

だから俺はリサの頭を撫でてやりながら

 

「メヌ」

 

「はい」

 

メヌのその声は震えていて、今にも死の宣告を待つ者のようだった。

 

「メヌの気持ちは分かってるよ。だけど今は、俺に時間をくれないか?」

 

それに、メヌにももう少し時間は必要だろう。メヌは俺よりも頭の回転が早いから、俺よりも時間は要らないのかもしれない。だけどこれは俺達の一生に関わる問題だから。

 

「はい。分かっています」

 

と、メヌもそう返してくれた。その声色からは、震えは消えていた。

 

 



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インドとの邂逅

 

 

インドで迎えた初めての夜。インドで通用する運転免許を持っているのがエリーザ1人だけなので今は車を舗装された道路の脇に止めて1晩ここで過ごすことになった。

 

1日運転し通しだったエリーザは随分と疲れた様子で俺に喉元を撫でろと要求してきたし。とは言え、ホントに1日ずっと運転してくれたエリーザには感謝する他ないから、俺は前にノーチラスであしらった時のような適当なものではなく、エリーザが満足いくまでしっかりと喉元を撫でてやった。

 

その時のゴロゴロと喉を鳴らす幸せそうな顔をしたエリーザは、猫を飼ったことのない俺にすら「猫を飼ったらこうなのだろう」という確信を抱かせるものだった。

 

後ルシフェリアが同じように"撫で"を要求してきたけどそれは却下。なんかブチブチ文句言ってたけど君今日殆ど何もしてないじゃんね。

 

バスの方は空間魔法で内部の空間を広げたベッドルームを4部屋用意してある。俺とリサの部屋、メヌ、ルシフェリア、エリーザの個室がそれぞれと言った具合だ。今は皆その中で休んでいる。

 

俺はと言えば、車通りが無いのを良いことに、リサと2人、満天の星空───光の奔流のような天の川の下に宝物庫から取り出した大きなソファーを置いて寄り添いあっていた。

 

「───月が綺麗ですね」

 

すると、空を見上げたリサがふと漏らした言葉。

 

「私死んでもいいわ、だっけ?」

 

日本の昔の文豪が「I love you(愛してる)」を月が綺麗ですね、と訳したとか何とか。そしてそのアンサーを「私死んでもいいわ」としたのは同じ奴だったか別人だったか。風情があるんだか何だか知らないけど個人的にはもっと直情的に言ってもらいたいし言いたいものだと思ったな。とは言え、リサが態々こんな言い回しを使った意味も、俺には何となく分かっているのだけれど。

 

そんな俺の内心を知ってか知らずか、俺の返しに満足したらしいリサは寄り掛かっていた身体を倒して俺の太ももに自分の頭を乗せてきた。リサの珍しい甘えモード。普段リサはこういう形では甘えてこないからこれは貴重だ。

 

「……んっ」

 

チラリと俺を見上げたリサの瞳に誘われるように俺はリサの頭を撫でる。指通りの良いリサの絹糸のような金髪を梳いたり指先で弄んでみたり。やってることはいつもと変わらない気もするが、それをリサが俺に膝枕をされているというこの状況でやるのは俺自身もそんなに経験はない。

 

「リサ」

 

「はい」

 

「大好きだよ。愛してる」

 

俺は囁くようにリサに愛を告げる。左手でリサの髪を梳き、右手をリサの白くて小さな手に重ねながらリサの顔を覗き込む。リサも嬉しそうに微笑みながら

 

「リサも、ご主人様を愛しています」

 

と、返すのであった。そして俺達の距離は一瞬ゼロになる。唇同士が触れるだけの軽いキス。何百何千と繰り返してきたこの儀式。きっと俺達はこれからも何万回何億回と同じようにこの触れるだけのキスを繰り返すのだろう。

 

俺達は何度も交わる。触れるだけの心の交換も、深く蕩け合う愛の溶融も。朝に昼に夜に……俺達はこれから先も数え切れないくらいに愛を交わし合う。

 

その誓いを込めて、俺はリサの花弁に唇を押し当てるのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

小都市ザンダーラ。時間延長のアーティファクトでもある部屋で休むことで、外の世界じゃ殆ど夜通し走った俺達はムンバイを出立した次の日にはここに辿り着いていた。

 

しかし人間は休憩すれば体力も回復するがバスは使えば使うほどに摩耗していく。そして元々がオンボロだった俺達の移動手段は夜通し走らされたことで遂に限界を迎えそうとのこと。

 

取り敢えず整備の必要があるということでエリーザが整備工場への連絡と、ホテルとレストランの予約も済ませてくれた。流石はノーチラスの副艦長だけあって仕事が早くて気が利くね。

 

そしてエリーザが町の女学生に道を尋ねながらやって来た整備工場。町の一角にあるここにはホテルやレストラン、床屋に紳士服屋までが集まっていた。そのどれもが「シン(Singh)」という看板を出しているから、きっとここいら一帯はシンさんの経営している店が並んでいるんだろう。

 

そんなレストラン・シンに入ると紫のワンピースを着た恰幅の良い女将さんが出てきた。

 

「あら、日本人(ジャパニ)かい?ほら、入って食べなさい。食べ物は奇跡(フード・イズ・ミラクル)!」

 

そしてそんなことを言いながら俺を引っ張っていく。しかし訛った英語だな。俺には言語理解があるから問題無いけど、生粋のイギリス人であるメヌなんかこれ何言ってるのか分かるんだろうか。

 

古いが清潔な床とテーブル。目を引くのはかなり大きくて何人かで集まっても手を洗えそうな手洗い場。まぁここはインドだしな。飯屋なら手洗い場くらいはあるか。

 

俺達5人は1つの大きなテーブルにそれぞれ座る。それで俺、リサ、ルシフェリアとエリーザ、メヌの二手に分かれてラミネート加工されたメニューを眺めるのだが表がヒンドゥー語でルシフェリアが読めないから裏面を見ると英語でメニューが書いてあった。表と見比べれば全部同じことが書いてあるだけだな。

 

ちなみにリサは……というか俺以外の家族全員は仮にトータスでステータスプレートを発行してもらったとすると技能の欄に「言語理解」が表示される。

 

前にユエとティオと協力して家族全員の魂魄に干渉し、言語理解の技能を扱えるようにしたのだ。今のユエはエヒトが出来たことはだいたい出来る。エヒトが俺達を召喚した際にやったようなことをやってもらったのだ。更にジャンヌとエンディミラには追加で魔力の直接操作の固有魔法も扱えるようにしてもらっていた。

 

それに加え、トータスの魔力と、それを体内で保有するのに適した存在になるように手を加えてもらっている。おかげで彼女達も俺の作るアーティファクトを魔力の直接操作によって扱うことができるようになったし、俺も彼女達のためのアーティファクトを作る時にいちいちスイッチ式にする必要もなくなったのだった。

 

そんなわけでここにはヒンドゥー語を読める人間が3人いる。いるのだが……文字を読めてもその料理がどんなものなのかを知っているということは全く関係がない。つまりはまぁ、俺には英語だろうがヒンドゥー語だろうが結局この店にどんな料理があるのかすら理解できないのであった。

 

「メヌ、分かる?」

 

「いえ、名前だけは知っていても実物は見たことがありませんね」

 

博識なメヌも駄目、料理については一過言あるリサもインド料理の───それも日本にある()()()()()やつはともかくここまでローカルなインド料理はお手上げのようだった。するとルシフェリアも肉が食いたいとか酒も少し欲しいとかリクエストがあり……どうしたもんかと頭を捻る。

 

すると、そんな俺達を見渡したエリーザが随分と優越感に浸ったような顔をしてナンやら何やらはインドじゃ日常的には食べないこと、インドじゃ昔からある身分制度───カースト制度の中で卵や肉、魚を一切食べない人達がいることなどを話してくれた。

 

「エリーザ、俺ぁインドの文化とかよく分からん。取り敢えずもう任せるよ」

 

なので俺は両手を上げて降参の印。それを見たエリーザは「ふふん」と1つ含み笑いを滲ませて

 

「昨日ここへ電話をした時、食事も頼んであるでち。バラモンはいないって連絡としてあるから肉も出るでちよ」

 

と、やはりエリーザはノーチラスの副艦長らしく気の利いた予約の取り方をしてくれていた。いやまぁそういうことはもっと早くに教えてほしかったもんだけどね。

 

とは言え、食うもんは出るんだ。あの笑みにちょっとイラッとしたけど強く文句は言うまいて。

 

すると、俺をこの店に引っ張り込んだおばちゃんが多段式のワゴンに料理を盛り付けた皿をこれでもかと乗せて運んで来た。

 

「───さぁ食べなさい。食べ物は奇跡(フード・イズ・ミラクル)!」

 

どうやらこのおばちゃんの口癖らしいそれと共にテーブルに供されたのはこれまた様々な料理。あとサービスで水もコップに注がれて運ばれてきているな。だが、エリーザはそれを見て「飲むな」と教えてくれた。どうやらインドの料理屋で出るサービスの水は水道水らしいのだが、これが池や井戸の水と同じようなもんらしく、慣れていないと1発で腹を下すらしい。だが───

 

「そーゆーのは早く言ってくれよ。もう既にちょっと飲んじゃったよ」

 

俺はコップがテーブルに置かれて早々にそれに口を付けていたのだった。まぁ胃酸強化とか色々あるから俺は多分平気だけどね。

 

「なんで人の話を聞かないでちか!?1番の戦力が戦う前からお腹痛いとか洒落にならないでちよ!?」

 

「へーきへーき。俺ぁ胃袋も頑丈だから」

 

「お前はどこまで化け物なんでちか……」

 

「いや何、前に『食ったら身体がバラバラになる肉』を食って生き延びてからは食いもんで身体ぁ壊すことぁなくなったんだよ」

 

すると、それを聞いたエリーザは力なく項垂れて

 

「もう天人は好きにするでち……」

 

と、溜息と共にそんな愚痴を零すのだった。

 

「それよりもエリーザさん。ナイフとフォークはどこかしら?」

 

すると、メヌがエリーザにそれを問いかけた。

 

「んー?……真のインドのレストランにはそんなもの無いでち」

 

「あの、ではどのように食べるのでしょうか?」

 

と、リサはエリーザの答えが薄々分かっていそうな雰囲気ではあるけどそれでも恐る恐る訊ねる。そして返ってきたのは、分かっちゃあいたけどなるべくなら避けたい答えだった。

 

「手で食べるでち」

 

ノーチラスかレクテイアじゃそれもありだったらしく、ルシフェリアは涼しい顔をしているが、メヌは顔を青くしていて、リサも「やっぱり……」というような感想が顔に出ている。

 

俺も焼いただけの魔物の肉を素手で掴んで食っていた時期もあったから実は素手での食事にはそれほどの抵抗は無い。インドは右手で飯を食うってのも聞いたことがあったしな。

 

「だからインドでは常日頃から右手を清潔に保っておいて、左手はそうでなくてもいい感じで暮らすでち。あ、左利きの人は逆でもいいでちよ」

 

それを聞いた俺達は店に設置されていた手洗い場でしっかりと手を洗う。そしてエリーザが配ってくれた大皿を前にして

 

「じゃあ、頂きます」

 

と、俺はドライカレーと思わしきものへと、文字通り手を付けた。パラパラのインディカ米と混ぜられた何かの豆やキノコは淡白な味だったが、豆の殻の中にはスパイスが入っていて、それがピリリと俺の食欲を刺激する。

 

「美味いよ、エリーザ」

 

「ふふん。当たり前でち」

 

俺が目の前の料理を褒めればエリーザは自分が作ったわけではないのに自慢げ。まぁ美味しいから良いけどね。

 

 

 

───────────────

 

 

 

あの後もオバチャンからインド料理を大盤振る舞いされた。多分昼飯だけで3000キロカロリーは摂取したと思う。

 

あとメヌはあぁ見えて意外と辛いものが好き、ルシフェリアも辛いものは大丈夫だということも知れた。

 

そんな俺達がシャーロックの神秘の器探しの拠点(キャンプ)で使うのがレストラン・シンに併設されているホテル・シン。ちなみに団体向けの大部屋が1つ。一応男女を分ける衝立はあるが、内装が随分と派手派手。パステルカラーの壁紙にペルシャ絨毯っぽい文様をした───言ってしまえば偽物(イミテーション)のカーペットやジャラジャラしたプラスチックのシャンデリア。

 

どうやらルシフェリアはこの部屋の雰囲気が気に入ったらしく、部屋に入ってすぐにベッドでトランポリンをして遊んでいる。エリーザは窓を開けて換気、リサは部屋の設備や置いてあるアメニティ等を細かくチェック、メヌは背負っていたリュックから取り出した黒いノートPCを部屋の隅にあった机に付いていたLANケーブルと接続させている。

 

「取り敢えずはここを拠点にするか」

 

「えぇ。ただ、神秘の器のあるチャトの町では警察が屯しているようです」

 

ふむ、確かにそんな話はムンバイの街中でも耳にしたな。戦車がいただの道が封鎖されていただの、随分と物騒な話題ばかりだったのは気になる。

 

「みてぇだな。まったく面倒臭い話だ」

 

「ここザンダーラからチャイの町に入る際には屯している警察の目から逃れられる経路を通らなければならないでしょうね。それに、時間的制約があるからカーバンクルに器を隠されても困ります。私達が奪還しようとしていることを向こうに悟られぬよう、聴き込みを行うにしても注意するように」

 

「んにゃ、そこら辺は大丈夫だよ。取り敢えずまだノーチラスの出航までは多少余裕あるし、今日はもう休憩だな」

 

「……また魔法の道具ですか?」

 

「おう」

 

本来ならここからチャイに入るまでの、現地の警察共に見つからないような経路も、神秘の器の在り処かそれを知っている奴の居場所も、そして可能ならカーバンクルの居所も、全て地道にかつ隠密に調査を行う必要があるのだが、導越の羅針盤を持っている俺ならばそこら辺は全部解決したも同然なのだ。

 

とは言え、器の在り処やカーバンクルの居場所や寝床はともかく、移動経路にまで羅針盤を使わなければならないのは面倒だけどな。

 

「そういう訳で、今日はお開きだな。インド観光……って趣きの町じゃなさそうだけど、騒ぎにならんようにするなら好きにしてていいぞ」

 

まぁ、それでカーバンクルに俺達の存在を悟られようが神秘の器の座標を特定するのはこれから先の話なのだ。だから今暫くは好きに動かさせてやるさ。こっちはそんなことを無視した後出しジャンケンなんだからな。

 

「天人はどうするでち?」

 

すると、エリーザが何やら期待するような顔をしながら俺にそんなことを聞いてくる。

 

「んー?……俺ぁこの部屋にいるよ。シャーロックからの宿題も形にせにゃならんし」

 

と、俺は仕切りで区切られた男用のベッドの上にもう1枚タオルを敷き、そこに宝物庫からジャラジャラとトータス製の鉱石を取り出す。

 

シャーロックから出された宿題の1つ、聖痕持ちに対して正面からやり合えるくらいの火力を持つこと。まぁ、相手の力の種類次第ではあるが、俺がどんなアーティファクトを作ろうが火力勝負じゃ敵いやしないだろう。

 

とは言え、力は全て使い用。そして、その使い道の選択肢を広げるためにもまずはちょっとでも高い火力を出せるようなアーティファクトを作らねばなるまい。

 

空と竜の世界で太陽光集束兵器こそパワーアップをしたけれど、それ以外の俺のアーティファクトは実際にはトータスでのエヒトとの戦争の準備に作ったものをそのまま使っているのだ。ここいらで1つ、俺の持つ銃火器のアーティファクトもお手入れをするべきなんだろう。

 

「む……その大量の石で、何をするつもりでち?」

 

エリーザはちょっとガッカリした風だったが、直ぐに俺のやろうとしていることに興味が湧いた様子だ。

 

「んー?俺ぁこれから魔法の道具を作る。バスん中で色々思い返してアイデアだけは浮かんだからな。まずはそいつらを形にする」

 

俺のこれまでの異世界での旅、インフィニット・ストラトスとかいう機動兵器のあった世界から始まったあの旅。アラガミとか言う理不尽な化け物と戦うこともあればリムル達と一緒に魔物の国を興したりもした。そしてトータスではユエ達と冒険の旅をして……今はこうしてインドにいる。その中で俺が経験した戦い、ただ見ているだけの戦い……色んな戦闘の中で見た色んな奴のアイデア。それをほんの少しばかり借りようというわけだ。

 

「そうでちか。なら私は町で情報の収集と、買い出しに行ってくるでち。天人は何を食っても平気みたいだけど、ルシフェリア(しゃま)やリサさん、メヌエットちゃんはそうもいかないでち」

 

「おう、頼んだ。ルシフェリアも、エリーザを手伝ってやってくれ」

 

どちらかと言えばルシフェリアはエリーザの護衛の意味の方が強いけど。ルシフェリアには諜報活動なんて期待できないしな。だからってエリーザみたいな女の子を1人町中に放り出すのも忍びない。ただでさえここは敵地のド真ん中になる可能性もあるんだからな。

 

「むぅ、我も主様と一緒にいたいんじゃが」

 

すると、やはりルシフェリアは駄々をこねる。まぁ、ルシフェリアを乗せるだけならそれほど大変でもないと最近は分かってきたんだけどな。

 

「んー?……いやいや、これはルシフェリアにしか頼めないんだぜ?リサやメヌじゃいざとなった時自分も身も守れるか怪しいんだ。どうにも最近この辺はきな臭いみたいだからな、ルシフェリアくらい強くないと頼めないのよ」

 

「おぉ!主様は我に期待してくれているのじゃな!」

 

「おー、期待してるぜ。聴き込みはエリーザに任せるけど、そんなエリーザを守れんのはルシフェリアだけだ。よろしくな」

 

「任せておけ!帰ったら褒美を所望するぞ!」

 

はいはい、分かりましたよ、と言う風にルシフェリアに手を振れば、ルシフェリアは喜び勇んで部屋を出ていこうとする。エリーザも俺を一瞬呆れた目で見やりながらも慌ててルシフェリアの後をついて行った。バタンという扉の音がこの部屋に静寂を呼び寄せる。しかし一瞬の空白が生まれたこの部屋は随分と湿気っているようだ。具体的にはリサとメヌの俺を見る目が大変にジトジトとしている。

 

「悪質ですよ、今のは」

 

「ご主人様、責任はちゃんと取ってくださいね?」

 

「……うす」

 

ルシフェリアへのご褒美、どうしようかなぁ……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

その日の夜8時頃、俺達が拠点としているホテルにとある女性が1人、やって来た。夕方頃に戻ってきたルシフェリアとエリーザから聞いていた話では、この人はチャト出身の教師で、名前をマーヒと言うらしい。

 

そんな話を新たなアーティファクトを作りながら聞いていたのだが、話半分だったせいでいつの間にやら日本に戻ったら1日ルシフェリアと2人きりでデートの約束を取り付けられていたようだ。それすらもメヌからジト目を頂戴しながら聞かされたのだが。

 

───閑話休題(それはともかく)

 

俺達の拠点としている部屋に入ってきたマーヒさんは顔を隠していたスカーフを外すと

 

「───女神様、私達を救いに来てくださったのですね……」

 

と、ルシフェリアを拝みだした。エリーザ曰く、この人の信用を得るためにルシフェリアの角を隠していたアーティファクトを外したのだそうだ。ルシフェリアの角は確かに牛のそれに見えなくもない。牛を神聖な生き物として扱うインドではルシフェリアの見た目は、その美しさも相まって神様みたいに思えるんだろうな。

 

「……救いに?それはどういうことでしょうか?」

 

と、メヌがマーヒさんにそう訊ねる。

 

「チャトの村からは若い女が攫われていくのです。何年か前に私の親友も攫われました。村はそれに長年苦しみ、悲しんでいるのです」

 

若い女がだけが攫われる村……、ねぇ。

 

「もう少し詳しく聞かないと確かなことは言えぬが、カーバンクルの仕業じゃな?」

 

ルシフェリアがそう言うと、マーヒさんは息を飲んで膝を落とした。どうやらカーバンクルってのはこの人か、チャトにとってはとても大きな恐怖をもたらす言葉のようだな。

 

「恐れるでない。我はカーバンクルと同格の神よ」

 

しかし、ルシフェリアは優しげにそう告げ、マーヒさんに肩を貸している。

 

「……俺達ゃ昔にカーバンクルと戦った男の知り合いでな。今もそいつの依頼でここに来ている。目的はカーバンクルがこれ以上のさばらねぇようにすることと、依頼主の宝物だっていう───俺達が勝手に神秘の器って呼んでる物をチャトに取りに行くことだ」

 

さて、これはついでに探す物が増えた感じだな。神秘の器、カーバンクルの寝床、更には攫われた女の子達。しかし何でまた若い女達ばかり……。カーバンクルは魔力を貰うのに手頃な子機を持っていないのだろうか。

 

「まず聞きたいのは治安警察の配置と武装です。マーヒさん、それらを貴女はどの程度把握していますか?」

 

というメヌの質問にマーヒさんは

 

「……ここやここには治安警察が駐屯しています。武装は……携帯している武器までは詳しくは分かりませんが、ライフルは持っています。それと、こっちには装甲車のような大きな車輌の影を見たことがあります。カバーをされていたので、形までは定かではありませんが」

 

と、俺が携帯で出した地図に指をさしながら丁寧に示してくれた。ライフルってのが狙撃銃(スナイパー・ライフル)なのか突撃銃(アサルト・ライフル)なのかはこの人では分からないだろうが、まぁ念の為どっちもあると思っておこうか。

 

「なるほど。では彼らに出くわさないような経路は分かりますか?」

 

「それは、こう行って、ここからこう行き……車とラクダを乗り継ぐのが安全です」

 

聞く限りはマーヒさんの答えにはそれぞれ矛盾は無いな。取り敢えずは嘘は言ってなさそうだ。ただ1つ、マーヒさんの教えてくれた情報で気になることがあった。

 

「……装甲車?なんでまたそんなもんを……。ライフルに加えてそんなもんまで持ち出す必要あんの?」

 

「どうしてなのかは分かりませんが、治安警察はチャトにある遺跡を守っているようです。村ではパキスタン対策と噂していましたが……」

 

いくら歩兵にもそれなりの装備を渡しているとは言え、パキスタン対策というのなら装甲車1台というのは心許ない気もするんだよな。まぁ、もしかしたら監視のために置いているのかもしれないが。

 

「……人攫いの話に戻るが、今のところ何人くらい攫われてるんだ?それと、カーバンクルが攫う女の特徴は?年齢とか、見た目とか」

 

「今までで12人攫われました。それと、共通点ですか……。見た目……には思い当たるような共通点はありません。ただ、年齢は12歳から25歳くらいまでだと思います」

 

「ふぅん。じゃあ、その年齢層はチャトにゃ何人くらいいるんだ?」

 

「そうですね、チャトは若い村なので比較的人数も多く……100人くらいでしょうか」

 

なるほど、100人のうち12人ね……。

 

「……リサ」

 

「はい。おおよそ9分の1程度です」

 

計算が面倒臭かった俺の意図を読んだリサがその数字を即答してくれる。割合としては9人に1人……か。やはり()()()と全く同じ割合だな。

 

「分かった。聞く限り、カーバンクルも予測出来なかったくらいに余程のことがない限りは、攫われた子達も皆生きてると思うよ。情報提供のお礼代わりと言っちゃなんだが、攫われた子達を取り返すことも不可能じゃないと思う」

 

カーバンクルが女の子達をそれぞれどうやって攫い、12人もどのように囲っているのかは不明だけど、俺の推測が正しければその子達は皆無事に生きて暮らしているだろう。健康の具合は分からないが、そこまで衰弱もさせていないとも思う。

 

チラリとメヌを見やれば、メヌも小さく頷く。どうやらメヌも俺と同じことを推理したようだな。

 

「本当ですか!?……チャトの村に着いたらダイダラ=ダッダ様に会ってください。彼は村に1人しかいないお医者様で、昔からカーバンクルを悪く思っています。きっと皆さんに力を貸してくれるはずです。長生きでチャトの生き字引のような人なので、もしかしたら皆さんが探している宝物?のこともご存知かも……」

 

そんな人がいるのか。まぁ、神秘の器の在り処そのものはそれほど困ってはいないのだけれど、カーバンクルの目的の答え合わせはできるかもな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「んー?」

 

6人の人間がいた部屋からマーヒさんが帰って5人になった。はずなのだが、いつの間にやらまた6人になっている。俺の気配感知をすり抜けてここに存在したそいつは、褐色の肌をした8歳くらいの髪の長い女の子。

 

氷のよう、と言うよりは削ぎ落としたかのような無表情とちょっと見た目年齢的にそれは不味いんじゃない?ってくらいには過激な衣装───秘さなくてはならない部分だけが辛うじて布で隠れているだけのそれを身に纏ったそいつの魂は、俺の右目では人間のそれとは掛け離れているように見える。そいつが今、メヌと同じテーブルに音も無く座っていたのだ。

 

カーバンクルは左右にぶった切れて半分になったとか言い出したのはシャーロックだったか。しかし半分ってまさかこういうことだったのか?

 

と、俺が訝しみながらそのロリっ子を眺めると

 

「そちは……カーバンクルか……?随分と小さくなってしまったものじゃの……」

 

と、ルシフェリアが驚いていた。いやぁ、俺も驚きだよ。まさかカーバンクルが半分になると()()()()変化をするなんてな。

 

「……やっぱり、ルシフェリア。見るのは久しぶり」

 

で、どうやらというかやはりというか、彼女がカーバンクルで確定。片言で、抑揚もないけれどその声色だけは美しい。透けるように、(よご)れや穢れなんてものを知らないような、そんな声。

 

しかし随分あっさりと見つけられたもんだな。それに、この部屋は窓も扉も閉められていた。そしてそれらには開けられた形跡なんてものが一切ない。どうやってこの部屋に入ってきたのか……まぁ神様お得意の魔術の類だろうけど。

 

「ルシフェリア、なぜカーバンクルを狙う?」

 

確かにこの場でまともな戦闘力があるのは俺以外ではルシフェリアだけだ。そしてカーバンクルは、俺を完全に放ってルシフェリアにだけ話しかけている。もっとも、身体も視線も全く動かさずに口だけを小さく動かすだけのその発声からは、カーバンクルの感情なんてものは読み取れないのだけれど。

 

「カーバンクル、どうやってここを探したんだ?それに、ここに態々何しに来た?」

 

俺達は一応カーバンクルを包囲している……と言えなくもない配置になっている。だがカーバンクルの1番近くにいるメヌはろくに戦闘が出来ない。しかもカーバンクルが音も気配も破壊痕もなくこの部屋にいたということは、コイツが瞬間移動ないしはそれに類する力、もしくは壁を通り抜ける類の力を持っていると予想される。そうなると今でこそ座っていて隙だらけに見ても存外そうではなく、今すぐにでもメヌを捕えられてしまう恐れもある。

 

しかもメヌ以外にもこの部屋にいるのは俺とルシフェリア以外はエリーザとリサなのだ。エリーザなら最悪リサの手を取って走って逃げる程度ならできるだろうがその程度。正直この狭い部屋での戦闘では足でまといもいいとこ。

 

まずはコイツの持っているであろう厄介な魔術を封じる……前にコイツの目的を喋らせよう。それで言葉で追い返せそうならそうするまで。と言うか、打ち倒すだけなら難しくはないけど、このチビッ子をぶん殴るのは流石に気が引ける。

 

「カーバンクルにはナワバリがある。ナワバリでうろつく奴らの気配は分かる。でもカーバンクルは人前に姿を晒したくないからただ見張るだけにした。ただ、チャトの村のヒトと話し、チャトと関わろうとするのは許さない。カーバンクルはチャトの村に畏れられ、禁忌として適度な距離を置かれている。お前達が下手に騒いでチャトやザンダーラから女が全部逃げ出したら困る」

 

そして、カーバンクルはヌルりと赤い瞳だけを動かしてメヌを見る。

 

「だからお前達を追い払うためにここに来た。そうしたら思いがけないものがいた。シャーロックの子孫。似ているから分かった」

 

どうやらシャーロックに恨み骨髄のカーバンクルはシャーロックの子孫であるメヌに目を付けたようだ。そして、メヌを捕まえて仕返ししてやると、シャーロックへの復讐にメヌを使ってやると宣言した。そうして立ち上がっても120センチ程度の身長しかないカーバンクルがメヌへと手を伸ばし───

 

「───ッ!?」

 

バン!とそのままカーバンクルは後ろの壁───窓の真下まで吹っ飛んだ。俺がカーバンクルを指先の力で投げ飛ばしたのだ。

 

「天人!!」

 

「……んっ、怪我ぁねぇか?メヌ」

 

「えぇ、勿論ですとも。貴方が守ってくれましたから、指先1つ触れられていません」

 

「おう」

 

それにしても、アイツに触れた瞬間に力の流入があったな。ちょいと氷焔之皇で探ればなるほど、カーバンクルは自分の身体を砂状……もっと言えば素粒子のレベルにまで細かくできるのか。それだけじゃない、自分の周りの物質も同じように素粒子レベルにまで分解できるようだ。

 

ふむ……俺達の目の前に気配もなく現われられた理由はこれか。なるほど面倒な奴だ。俺にとっては何でもない力ではあるが、これを俺以外の奴に不意打ちで使われると厄介だな。

 

「……お前、モリアーティが言っていた痣の男」

 

何だよ、モリアーティは俺の名前をカーバンクルには教えていなかったのか。それに痣の男って……そのレベルの認識しかないんなら確かに半分のまま俺達の前に現れられるか。このザンダーラ、カーバンクルの縄張と言うだけはあって、この町に入ってから俺の聖痕は封じられているのだ。もっとも、俺の力はもうそれだけではないんだけどな。

 

「そうですよー。神代天人って名前です。今日はそれだけ覚えて帰ってね」

 

「そうか。ルシフェリアはこの男に負けたのか」

 

「んー?……まぁ確かに我は主様に負けたがな。主様は痣の力なんて使わずとも我よりも強いよ。実際、我は痣の力を使わない主様に負けたのじゃからな」

 

「そーゆーこと。カーバンクルはルシフェリアと同格の神らしいけど、それじゃあ俺にゃ勝てねぇよ」

 

「……光の女神であるルシフェリアが、たかが男に負けた?」

 

カーバンクルが訝しげに俺を見る。ようやく、その紅寶玉(ルビー)色の瞳が俺を映した。

 

「主様はただの男ではない。誰よりも強く、このルシフェリアの花婿に相応しい力を持っておる」

 

と、俺のこと全肯定ウーマンのルシフェリアさんが大々的に持ち上げてくれる。それをカーバンクルは怪しげに見やりながらも、上から全否定することはない。

 

カーバンクルだって気付いている。俺に身体を触れられたこと。自分や周りを粒子にする力があるにも関わらず、それが発動せずに俺に投げられたのだ。きっとその力でもってルシフェリアを凌駕したのだろうと想像した筈だ。

 

「ルシフェリアが……大地の神カーバンクルと同格である光の神ルシフェリアがそう言うのならそれは信じよう。だけど、カーバンクルの縄張りを穴空きがウロウロするのは許さない」

 

すると、カーバンクルは柔らかく両手を広げ

 

「── خان(カーン)──」

 

ポツリとアラビア語を唱える。人差し指を丸め、中指と親指で輪を作る。更に右膝を直角になるように曲げて、その細い腰ごと左へツイスト。そして不思議なことに身体のどこにも力が入っていないようなのにその芯は全くぶれていない。

 

「── صقر(サク)──」

 

そして、その声と共に足が振られる。極自然に、力みもなく、まるで踊るように───。しかし───

 

「ッ!?」

 

ドンッ!!と、爆発するような衝撃が俺を襲う。その力の爆発をある程度は多重結界が逸らし虚空に逃がしてくれたけれど、一部は俺の中に流れ込んできた。とは言え魔物を喰らって人の領分を大きく離れた俺の身体だ。クリーヒットならまだしも、多重結界にある程度阻まれた力であれば受け止めるのは容易い。

 

「力が逃がされた……?」

 

どうやらご自慢の一撃だったらしい上に、俺に避けられることなくそのベリーショートキックを当てて、それでも俺が平気そうな顔で立っていることが余程不思議らしい。だが俺だって体力勝負でこんなチビッ子に負ける気もしない。

 

「帰りなよカーバンクル。今のお前じゃ俺にゃ勝てないよ」

 

パキパキと俺は指の骨を鳴らす原始的な脅しをかけつつカーバンクルに1歩寄る。するとカーバンクルは嫌そうな顔をしながら()()()()()()()。どうやらこれが自分の身体と周りのものを粒子にする力みたいだな。

 

そうして直ぐにカーバンクルの姿は消え、念の為に羅針盤で探ってもカーバンクルはどんどんと離れていくのが分かっただけだった。

 

インドの夜は更けていく。ホテル・シンの一室は夜の帳が降りたこと以上の静寂に包まれていた。

 



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神秘の器のワンダフル・ガイ

 

 

バスの修理を超特急で終えてもらい、俺達はチャトへの旅路を再開した。ただし、チャトはとんでもなく山奥にあるからバスでも途中までしか進めない。そこから先は、バスを俺の宝物庫に放り込んで荷馬車ならぬ荷ラクダに乗せてもらって断崖絶壁の道を通りながらチャトへと歩みを進めた。

 

途中で風景から人工物が消えていき、電気を引くための鉄塔と治安警察の詰所だけが唯一の文明だった。

 

そうして昼過ぎにはチャトへと辿り着いた俺達は村に入る前の赤土の小道でとある3人組に出会った。

 

出会ったと言うか俺達に寄ってきたそいつらは荷ラクダから降りてきた外国人の俺達を見て待ち構えていたらしい。

 

その子達───薄汚れた服を着て痩せた小学生くらいの男の子達。しかしそいつらは俺達に近寄りすぎることもなく5,6メートル程の距離を保ったまま、ポイポイと何かの瓶を投げて寄こした。

 

「んー?」

 

「買えってことでち。インドの田舎じゃ外国人は身分の序列にすら入らないから、物を手渡しすることすらできないでち。ちなみに買わないなら投げ返せばいいでちよ」

 

あっそ、そりゃあまた随分とお偉いことで。それなら全部投げ返してやろうかな。だがそれでこれから先の道中を邪魔されても面倒だ。

 

「瓶の中身はチャトで採れるスイート・アーモンドのオイルらしいでち。1瓶100ルピーらしいでちよ」

 

「……これから先邪魔しねぇなら1本だけ買ってやる」

 

と、俺は角の欠けた1瓶だけを手に取りポケットに仕舞う……振りをして宝物庫に放り込んだ。そして残りの2瓶と共に100ルピーを投げ渡した。

 

それを受け取った3人はたったの200円で大はしゃぎ。まぁ、見るからに栄養状態も悪そうだし今日はインドも平日のはずだが学校に行っているわけでもなさそうだ。これでもそれなりの稼ぎになったんだろう。

 

で、何やら少年達は俺達を指差しながらワイワイと騒いでいる。俺も言語理解でヒンディー語は理解できるので……

 

「嫁はこの子だけだよ」

 

と、リサの肩を抱き寄せてやった。コイツらさっきからずっと「誰が嫁なんだ?」ってずっと話し合ってたからな。

 

それで俺に抱き寄せられたリサはヒンディー語をエリーザから英語に訳されて頬を染めて俺に寄り添っているし、それを聞いたルシフェリアが「我だって主様の花嫁じゃ」とかうるさいし、メヌはメヌでムッとした顔を隠さないし。おかげで俺がとんでもなく女の子にモテモテってのが雰囲気だけでも彼らに伝わったようでまた大はしゃぎ。……なんで俺達は敵地のど真ん中でこんなくだらない大騒ぎをしているんですかね……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

チャトの町中を歩く俺達はあからさまにこの町の住人に避けられているようだ。道を通れば通りに面した家々は窓を占め、水をポリタンクで運んでいた奴らは俺達から離れるようにしてすれ違う。気分が良いとは到底言えないが、まぁこの国……と言うかこの地域にはそう言う独特な風習とかルールでもあるんだろう。こちとら鼻つまみもの扱いには慣れてるんでね。その程度は気になりもしない。

 

何も気にするふうもなく歩く俺にルシフェリアは不思議そうな顔を、エリーザは呆れ顔を、リサは悲しそうな顔を、メヌは何やら胸中に渦巻く感情の色が1色ではなさそうな顔を向けている。

 

そんな様々な視線を背中に受けつつ羅針盤で探したダイダラ=ダッダの居場所。そしてそれと同時に探した神秘の器(ワンダー・ノッギン)の座標。それらは俺にとある疑問を抱かせた。

 

「……メヌ。シャーロックから器の姿形は聞いてる?」

 

「いえ、私は聞かされていません。……天人もなのですね」

 

「おう。それと……マーヒさんの言ってたダイダラ=ダッダって奴ぁ()()()みたいだぜ」

 

と、俺がそう告げるとルシフェリアが「おぉ!」と声を上げた。エリーザとメヌも俺の言った言葉の意味をすぐに察したようで、驚きに目を見開き、リサも「まぁ!」と両手を重ねて頬に置いていた。

 

「ダイダラ=ダッダが神秘の器を持ってる……て言うかこの感覚……ダイダラ=ダッダが器そのもの……なのか……?」

 

「どういうことですか?」

 

と、メヌが俺を見上げる。その勿忘草色の瞳を見ながら俺は羅針盤から生まれた疑問を口にした。

 

「座標がな、同じなんだよ。ダイダラ=ダッダと神秘の器のある位置が。しかもただダイダラ=ダッダが肌身離さず持ち歩いてるんじゃあない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

まるで、神秘の器はダイダラ=ダッダそのものかのような答えを羅針盤は俺に差し出したのだ。例えば器がネックレスみたいな形をしていて、それをダイダラ=ダッダが首に掛けているのなら羅針盤もそういう位置を返してくる。仮に器がダイダラ=ダッダの腹の中にあるのならそれもまた羅針盤はそのように示すのだ。だが、今回羅針盤が示したダイダラ=ダッダの位置と神秘の器の位置は完璧に全く同じ場所。これはダイダラ=ダッダと神秘の器が全くの同じものでなければ成り立たないと思えるくらいなのだ。

 

「なんじゃ?ダイダラ=ダッダとか言う奴が器を飲み込んでしまったのか?」

 

するとルシフェリアが俺の背中に寄りかかりながらそんなことを言ってきた。うーん、背中の柔らかさが悩ましい……。

 

「んー?……いや、それなら器の場所はダイダラ=ダッダの腹ん中って答えになるはずだ。だけど、羅針盤はダイダラ=ダッダと神秘の器を全く同じ場所だと示してるんだ。……何となく、答えも分かりかけてるけどな」

 

とは言え、そんなことはおくびにも出さしてはやらずに話を続けた。

 

「なるほど。では天人の推理を聞かせてください」

 

メヌの興味深げな視線に俺は1つ頷き、口を開いた。

 

「……俺ぁ魂に干渉する魔法も持ってるから何となく分かるんだけど、そういうのって生き物か、限りなくそれに近いものにじゃないと入れ辛いんだよ。俺ぁ最初シャーロックから器って聞いて、杯とか皿とかバケツとか、そんなんを想像してたんだけどな。そもそもカーバンクルの命をぶち込んでるんならそれは難しい筈なんだ」

 

と言う俺の言葉にメヌは「ふむ」と1つ頷き、チェリーの香り漂うパイプで俺の言葉の先を促した。

 

「それに、そもそも神秘の器ってのはシャーロックのパワーを10倍だかに引き上げるんだろ?そう言われると超能力(ステルス)的な何かかとも思えるけど、そもそもが()()シャーロック・ホームズさんだぞ?本当はもっと単純なんじゃねぇかって話よ」

 

「それは……結局何なんでち?」

 

「俺ぁ昔、理子に……理子ってのは俺ん友達な。その、峰理子リュパン4世に、キンジと組んだアリアと戦う様を撮影しろって頼まれたことがある」

 

すると、そこまで聞いたメヌは何やら得心いったような顔をした。だけどどうやらその先も俺に任せてくれるようで、1つ頷いて顎をしゃくった。

 

「ホームズ家の奴らは真にパートナーになり得る奴と組むと力が上がる。理子はキンジと組んだアリアを倒して、自分が初代リュパンを越えたと証明したかったんだ」

 

「じゃがそれと()()シャーロックが言っておる器と何の関係があるんじゃ、主様よ」

 

「んー?……簡単な話、ホームズ家の奴を強くするのは相性の良いパートナー。ならシャーロックを強くするのは?何だか得体の知れない器?……いやいや、普通は当時の相方でしょ。それで、初代シャーロック・ホームズの相棒は?」

 

「……ジョン・ハーミッシュ・ワトソン1世、ですね」

 

すると、リサがその名前を呟く。そうだ、フルネームは俺も今初めて聞いたけど、それこそがシャーロックを本当に強くするもの。

 

「……98年前だっけ?シャーロックがカーバンクルと戦ったのは。その頃ならワトソン氏も健在だろう?そして、神の命は人の寿命を伸ばす。初代ワトソンはシャーロックが奪ったカーバンクルの命を使って寿命を延ばし、名前を変えてこの地に隠れ潜んでいる……っていうのが俺の予想」

 

難しいことじゃない。むしろ、あの野郎に当てられて他の奴らは皆難しく考えてしまっていたんだ。だけど俺は頭が足りないことが幸いして難しく考えられなかった。だからこの答えに辿り着いた。

 

「えぇ、私の推理も天人の推理と全く同じです。もしダイダラ=ダッダと神秘の器が全く同じであるなら、その可能性が最も高いでしょう」

 

そしてこちらは本当に頭が良くて辿り着いたメヌ。俺みたいに難しく考えられないからこそ直情的にワトソンの名前に思い至った俺とは違って、これまで聞いた様々な情報から筋道を辿ってこの答えに辿り着いたのだろう。それでも、確信を持てたのは羅針盤による検索結果によるところが大きいみたいだが。

 

「なら神秘の器は手に入れたも同然でちね。器が人なら言葉が通じるし、シャーロックの相棒だったというのなら味方してくれるでち」

 

「それに、脚が付いているのなら態々運ばなくても済むしな。……いや、主様ならむしろ物の方が楽じゃったか?」

 

安心したようなエリーザと俺を煽るような声色のルシフェリア。俺はどちらかと言えば物言わぬ器であってくれた方が楽な気がするけどな。

 

「それに、天人なら呪いの方もどうにかできるでちね?」

 

「おー、それは問題ねぇよ」

 

ま、カーバンクルから離れられない呪いの方は問題無い。俺が行けば氷焔之皇でパパッと呪いなんて解いてしまえるからな。

 

そうしているうちにどうやらダイダラ=ダッダのいる場所へ着いたようだ。羅針盤が示したのはチャトの町の他の家と大差ない石材と木材を積み上げて建てられた古民家の中だった。

 

ただ、この家の木の扉には緑色の十字架が描かれていて、病院であることも分かった。そういや、ワトソンの家は医者の家系だったっけか。

 

あまり人の気配も無かったから俺はその古民家のドアをノックして

 

「ダイダラ=ダッダ先生。カーバンクルのことでお訊ねしたいことがあります」

 

と、単刀直入に要件をヒンディー語で申し出た。すると直ぐに木の扉は開き、中からは思いの外背の高い───酷く曲がってしまっている背中を伸ばしてやれば170センチ程度はありそうな老人がいた。引きずる程に長い白髪と白髭のこの人は、これまた長くて白い前髪と眉毛の隙間から俺達を黒い目玉でギョロリと見渡す。

 

そこで俺は自己紹介。まず自分とリサ、メヌエットにルシフェリアとエリーザをそれぞれ紹介した。すると、ダイダラ=ダッダと思われるこの人物は流暢な英語で

 

「そろそろ来ると思っていたぞ。今ここにはワシを紹介してくれる人が1人もいないから自分で自分を紹介するしかない。ワシはダイダラ=ダッダ。諸君も英語で喋っていい」

 

そう(しゃが)れ声で告げたダイダラ=ダッダは俺達を屋内へと招き入れた。見た目は100歳を超えてるんじゃないかってくらいだけど、足つきはしっかりしているな。

 

「……俺達が来ることを誰かから聞いてたんですか?」

 

さっきこの人は「そろそ来ると思っていたぞ」と言っていた。まるで、既に俺達が来ることを誰かから聞いていたかのような言葉だ。コイツがワトソンならシャーロックから先に連絡だけ貰っていたとしても不思議ではないが……。

 

「いいや、ワシは知っていた。しかし……さても人生とは意外なことの連続だ。お迎えに来た5人中4人がただの人間じゃないとは!しかしそこの黒髪の君はとても上手に隠しているようじゃな。とは言え青年、何も誤魔化していない1番普通の人間に見える君こそが1番只者じゃないように思えるな!」

 

この野郎……ルシフェリアがアーティファクトで姿を誤魔化していることを知覚していやがるぞ。しかもリサやエリーザは見た目だけはただの可愛い女の子だっていうのに、それすらも看破しているようだ。

 

しかしやはり喋れば喋る程にコイツがワトソンなんだろうなというのを確信していく。この爺さんの喋るキングス・イングリッシュは訛りは無いが古臭い喋り方をする。まるで俺がシャーロックから教わった英語のようだった。

 

しかし町医者しにちゃあ随分と()()()設備だな。外科と内科の両方を見れるのはいいが、奥の部屋には実験室まである。部屋には血液と思われる液体の入った試験管、電子顕微鏡、遠心機、データの解析用と思われるPC……。およそこんな村だが町だか分からん規模のチャトで医者をしてるって雰囲気の奥間じゃあねぇな。

 

そんな俺や同じことを考えたらしいメヌの視線を知ってか知らずかダイダラ=ダッダは色あせた絨毯の上に腰を下ろして

 

「まずはチャイをご馳走しよう。湯が沸くまではそこの英字新聞に目を通しておくといい。チャトには数日分が纏めて届くから最新とは言えぬが、インドの新聞には警察の動きの仔細が赤裸々に書いてある。読んでおいて損は無いじゃろう」

 

「……メヌ、あれのフルネームって何だっけ?」

 

神秘的で絶対的で(ワンダー・アブソリュート・)真実で最強で(トゥルー・ストロンゲスト・)圧倒的な器(オーバーヘルミング・ノッギン)ですか?」

 

「そうそれ。……ダイダラ=ダッダ先生、俺達はその……ワンダー……なんちゃらノッギンを探しに来たんだ。その中にはカーバンクルの弱点が入ってるらしい」

 

「ふむ……しかしこの辺の警察は動かんぞ。嘆かわしいことに、治安警察はカーバンクルに買収されて言いなりじゃからな」

 

ダイダラ=ダッダは俺達に素焼きの碗を配りながらそう言って溜息をついた。

 

「カーバンクルは昔は宝石、今はパラジウムを官憲に与えて自分の手駒にしてしまっておるのじゃ。チャトの治安警察はパラジウムをザンダーラの粗鉱商工会議所で売り捌き、莫大な金を手にしておる。その代わりにカーバンクルの人攫いを見逃し、あまつさえ奴の棲む山野を警護さえしておるのじゃよ」

 

パラジウム……ねぇ。まぁレアメタルを売り捌けば今はそれなりの金額になるだろうな。しかし山の中からパラジウムを取り出す……まぁ大地の神なら難しいこっちゃないんだろうな。俺だって錬成の派生技能を使えば大掛かりな施設が無くたって冶金と同じことは出来る。

 

「別に警察になんて頼らないよ。それよりもその……ノッギンは俺達の知り合いんものらしい。……面倒だから単刀直入に言う、シャーロック・ホームズと言う男に心当たりはありますか?」

 

俺はメヌやシャーロックじゃないんだ。迂遠な言い回しなんて思いつかないし思い付いても面倒臭いから言わない。それよりももっと直線的に話を進めたい質なのだ。そして、俺の言葉を聞いたダイダラ=ダッダは「ふむ」と1つ頷き

 

「知っておるよ」

 

と、そう告げた。なるほど、もしかして何らかの理由で記憶を失っている可能性をちょっと考えたけど、どうやらそれはなさそうだな。

 

「ならもう1つ単刀直入に。さっきも言った通り俺達はワンダー……何とかノッギン───これはシャーロックが勝手にそう名付けたんだ。ともかくそれを探している。そして俺達は……ダイダラ=ダッダ先生、アンタがその(ノッギン)だと考えている」

 

神秘的で絶対的で(ワンダー・アブソリュート・)真実で最強で(トゥルー・ストロンゲスト・)圧倒的な器(オーバーヘルミング・ノッギン)ですよ、天人。ダイダラ=ダッダ先生、私達はそれを探しております」

 

と、メヌが再度フルネームで神秘の器の名前を呼ぶとダイダラ=ダッダは笑いを堪えたような顔をして

 

「その男はそれを何と言っておった?」

 

ニマニマとしながらそんな質問を飛ばしてきた。

 

「んー?……秘宝だっけ?なんかそんな風に言ってた気がする」

 

すると遂に堪えきれなくなったのか「ぶふーっ!」とダイダラ=ダッダが笑いを吹き出した。まぁ、俺達の推理からすればこの人はきっと初代ワトソン氏なわけで、そんな人に対して「アンタの相方がアンタのこと秘宝とか言って死ぬほど長い名前付けてたよ」って言われたら笑いもするか。

 

「それで?ダイダラ=ダッダ先生、貴方はシャーロックが言う器でいいんですか?」

 

俺は嘘を見通すアーティファクト越しにダイダラ=ダッダを見やる。しかしダイダラ=ダッダはそれを見ても顔色1つ変えずに頷く。

 

「そうじゃ。恐らくホームズの言う神秘的で絶対的で(ワンダー・アブソリュート・)真実で最強で(トゥルー・ストロンゲスト・)圧倒的な器(オーバーヘルミング・ノッギン)とはワシのこと。……そこまで掴めておるのなら、ワシのことも検討が付いているのではないか?」

 

「おう。アンタの今の名前……ダイダラ=ダッダは偽名。本当の名前は───」

 

「───ジョン・ハーミッシュ・ワトソン1世」

 

俺の言葉を掻っ攫ったメヌがその名前を告げる。そしてそれに頷くダイダラ=ダッダ───ジョン・ハーミッシュ・ワトソン1世もまた、その所作に嘘は無かった。

 

「お会いできて大変光栄です。ジョン・ハーミッシュ・ワトソン様。私はメヌエット・ホームズ。貴方の盟友、シャーロック・ホームズの曾孫に当たります」

 

と、メヌはダイダラ=ダッダ……ワトソン1世に恭しくお辞儀をする。スカートの端をちょいと持ち上げ、頭を下げたのだ。

 

「……アンタの中にはカーバンクルの命が1つ入っている。それを使って今まで延命していたってことでいいんだよな?」

 

「そうじゃ。なるほどお前さんは存外に頭が良いらしい。やはり人は見た目じゃ分からんのう」

 

と、どうやらそこまで答えに行き着いた俺の頭を珍しく褒めてくれる人が。しかもまさかそれがあのワトソン1世だなんて。

 

「天人、感激に咽び泣いている場合ではありませんよ?」

 

「……分かってるよ。それにワトソンさん。俺ぁ頭が良いから答えに辿り着いたんじゃあない。むしろ頭が悪くて難しく考えられねぇから辿り着いたんだ。……あのシャーロック・ホームズを強くするのは普通相性の良いパートナーだろう。それならアイツの相方はジョン・ハーミッシュ・ワトソン1世しかいないだろうってな」

 

珍しくお褒めに預かれた俺の脳みそには悪いけど、ここは俺も正直にネタばらし。俺が答えに辿り着けたのは頭の悪さがたまたま良い方向に転がっただけなんですよね、悲しいことにさ。

 

「それに、俺ぁ望んだものの在り処を示す道具を持ってる。ザンダーラでアンタの話を聞いて、神秘の器と一緒に場所を探したらアンタと全く同じ場所を示した。だから"ダイダラ=ダッダ"と"神秘の器"が同一だと分かった。俺ぁ頭なんてこれっぽっちも使っちゃいねぇんだ」

 

それを聞いたワトソン1世はしかし「ふむ」と1つ考え込むような素振りをすると

 

「しかし辿り着いた結果は正解じゃ。お前さんには足りない頭を補う力がある。それは誇るべきことじゃろ」

 

「……ありがとう」

 

ワトソン1世の言葉に俺は何を返したらいいか分からず、ただそれだけを呟いた。しかしワトソン1世にはそれで満足だったのか「ははは」と大きく笑うと

 

「ではこれからどうする? お前達の目的はワシと会ったこの瞬間に殆ど達成したようなものじゃろ?」

 

そう言って膝に肘を乗せた。

 

「そうだな。後はカーバンクルが仕掛けた呪いを外せば終わりっすね」

 

と、俺は氷焔之皇でワトソン1世を探る。そうすれば直ぐにカーバンクルが仕掛けた呪い───彼がカーバンクルの近く──半径15キロ程──から離れられなくなる呪いとシャーロックが近付けなくなる呪いを燃焼させる。

 

「……ふむ、何やら憑き物が落ちた気分じゃわ」

 

自分に掛けられた呪いが消えたことを感じ取れたのか、ワトソン1世はそんな呑気なことを口にする。

 

「取り敢えず、シャーロックが(アンタ)に近付けない呪いも、アンタがカーバンクルから離れられない呪いも無くなった」

 

「なるほど。これでワシは心置き無く奴の元へ行ける、というわけじゃな」

 

「そうですね。俺達はこのままカーバンクルの元へ行きます」

 

2つの呪いを解いたのだからもうこの人に俺は用はない。後は越境鍵でこの人をシャーロックの元へ放り投げて、俺達はカーバンクルが力を取り戻すことを防げばそれで一件落着ってやつだ。

 

「ふむ。それならワシも連れて行ってはくれぬか?……なに、ワシはアフガニスタン戦争にも軍医として従軍した男じゃ。お主は腕っ節には自信があるようじゃが、カーバンクルとて尋常ではない。ワシなら手足や胴が千切れても生還させてやるぞ?」

 

この人の人格は信用して良いのだろうが、いくら元気そうとはいえシャーロックと同じ世代のおじいちゃんをカーバンクルの元へと連れて行っても良いものだろうか。それに、これは推理でも何でもない俺の勘だけど、きっとカーバンクルとは戦闘になる。いくらルシフェリアもいるとはいえ、これ以上足手まといを増やしてもなぁ……。

 

「ワシもこの村からもうすぐ去る。しかしこの村には世話になったからの。カーバンクルが嫌いなだけではない、攫われた娘達を助けて恩返しがしたいんじゃ。老人の頼みと思って聞いてはくれないか?」

 

俺が渋っているのを見てワトソン1世はそんな、断り辛いことを言ってくる。まったく、ここで無理にシャーロックの元へ投げ渡したんじゃ俺が自信無いみたいになるじゃんよ。仕方ない、神水も再生魔法と魂魄魔法のアーティファクトもある俺に軍医が必要とは思えないけど、連れて行くだけなら問題あるまい。

 

「分かりましたよ。確かに、村娘達を連れて帰るんなら顔の広そうなアンタも必要かもしれない。ただ、戦闘は基本的に俺がやります。そこのルシフェリアも戦えますから、最悪の最悪はその子に守ってもらいます」

 

何だか結局この人選で正解だったのかもな。ルシフェリアがいればある程度皆を守りながらも戦いやすいし、メヌがいてくれると俺の足りない頭を補ってくれるし、考えも纏めてくれる。リサとエリーザだけいれば大丈夫だと思っていたが、結局この2人には助けられているな。

 

「それでいい。ありがとう」

 

と、しおらしく礼を言うが早いかワトソン1世はそのまま立ち上がるとズカズカと居室を歩いていき、サンダル履きのまま家から出ていってしまう。いやいや、早いって行動が。

 

置いていかれそうになった俺達は、皆揃って溜息をつきながら白髪白髭のワトソン1世を追いかけるのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「あれがチャト遺跡じゃ」

 

さっさと出ていったワトソン1世に着いていくと洋風の、城のような建造物が黄土色の断崖の壁面と一体化していた。俺が羅針盤で検索すれば確かにこの中にカーバンクルがいると指し示される。

 

「……あぁ。この奥にカーバンクルはいるみてぇだな」

 

俺は一瞬この遺跡を見やり、そして象やラクダ、鳥、他にも馬や猿、ライオンの浮き彫りが置かれた石の動物園の中を歩いて行く。ワトソン1世も俺達の先頭に立ってズカズカと進んでいく。流石は元軍医……軍人だけあって健脚だな。

 

途中で何やら木の看板があるが、書いてあった注意書きはデーヴァナーガリー文字とペルシャ文字、アルファベットでそれぞれ「チャト寺院はヒンドゥー教の寺院なので牛革製品の持ち込みは禁止します」というような内容が書かれているだけだ。まぁ俺は牛の革製品は身に着けていないし、あったとしても今更関係ないね。

 

するとワトソン1世が貫頭衣の中からマグライトを取り出して入口から遺跡に入っていく。羅針盤の示す方向とも合致しているし、取り敢えずは歩かせようと俺も何も言わずに着いていく。リサやメヌも俺の様子を見て方向は間違っていないのだろうと判断したのか、何も言わずに俺の後ろを着いてきた。

 

「ルシフェリア、殿だけ頼む」

 

「任せておけ主様よ。我がいる限り背中からの不意打ちなんて卑劣な真似はさせぬわ。もっとも、レクテイアの神とあろうものがそんな手を使うとは思わんがな」

 

「カーバンクルは使わなくても他にもいるかもしれねぇだろ。アイツなら俺達がここにいることも察知しているだろうし、治安警察とかが来るかも」

 

カーバンクルは誇り高い戦いしかしないのかもしれないが、奴の手先がどんな手段に出るかは分からない。だから念には念を、だ。

 

「ふむ、そういうことなら任せておけ」

 

そう言ってルシフェリアが後ろに入る。そしてそのままあちこち風化はしているものの床や壁はある程度舗装された通路を歩いていく。しかしさっきからワトソン1世が蘊蓄を語っている通り、ここは人の手もある程度入っていた形跡があるな。今はもう管理されていないからか荒れているが、頭の上には電線と電球を張り巡らせた跡もある。

 

途中で進入禁止の鎖が張られていたが俺達はそれを乗り越え、階段を降りて地下1階へ下る。なんか、オルクス大迷宮みたいだなここ。

 

「なんか懐かしいぜ」

 

ワトソン1世が地図でも頭に入っているかの如く迷いなく進んでいくので俺も羅針盤で道を確かめつつ地下2階に降りるが、何となくそんな言葉が口をついて出た。

 

「……それはトータスの頃の話ですか?」

 

そう言えばメヌには前にトータスにいた頃……と言うかオルクス大迷宮の話をちょっとしていたなと思い出した俺は1つ頷いた。

 

「うん。あの奈落の底もこんな感じだった。ま、やべー魔物が出てこないあたりここぁまだ安全だけどな」

 

「ここの雰囲気は充分怖い所のように思うでち……」

 

と、エリーザは戦慄したような顔をしている。

 

「ご主人様」

 

するりとリサが俺に寄り添う。俺はリサの頭を1つ撫で、リサの白くて細い指先を弄ぶ。

 

「……んっ、大丈夫だよ」

 

とは言えいつ戦闘になるかも分からないここでずっとイチャイチャはしていられないからそれだけでリサ成分を補充した俺は1歩離れ、また歩みを進める。何だか周りからは呆れるような視線を頂戴しているような気がするけど無視無視。

 

 

 

───────────────

 

 

 

地下3階。ここもやっぱりオルクス大迷宮みたいだった。ただ、壁には松明を引っ掛けるフックがあったり飲料水に使うのか小さな泉が壁にあったりと、どちらかと言えば真のオルクスよりも()()オルクス大迷宮のようだった。

 

「ワシが知っているのはここまでじゃ。上の階の構造からすると更に下の階へ続く階段があってもおかしくはないが───」

 

「んー?……それならこっちだぜ」

 

羅針盤で探した下の階へ続く階段。その前へ俺は先頭に立って歩いていく。

 

「……壁ですよね?」

 

メヌが半信半疑といった風で俺を見上げる。

 

「主様よ、あっちじゃないのか?」

 

すると、どうやらレクテイアの建築様式にも通じているらしいルシフェリアが少し離れた壁を示す。そっちに何があるのかは知らないけど……

 

「んにゃ、そっちに何があんのか知らないけど階段はこの壁の向こうだぜ。……まぁ見てなって」

 

と、俺は壁に手を付いて錬成の魔法を発動させる。俺の魔力光である真紅が手のひらから放出されて暗い洞窟を照らす。すると岩の壁が開き、奥から下り階段が見えてきた。

 

「なんと、主様も大地を操れるんじゃのぉ。本当に凄いのじゃ」

 

と、ルシフェリアは相変わらず語尾にハートマークが付きそうな甘ったるい声色と喋り方で俺に抱き着いてくる。そんなルシフェリアを引き剥がしながら俺は階段を降りていく。

 

「ほぉ……お前さんもまた面白いことができるんじゃのぉ」

 

するとワトソン1世も目を見開きながらも階段を降りてきた。

 

「モーイです、ご主人様!」

 

「天人の魔法はいつ見ても美しいですね」

 

で、リサとメヌは俺が魔法を使う時が結構好きらしくニコニコ……というか少しうっとりしている感じだ。そういやメヌは俺がホテル・シンでアーティファクトを錬成している時もジッと見ていたな。

 

「そうか?取り敢えず降りようぜ。……メヌ、疲れてないか?」

 

メヌは生まれてこの方ずっと自分の脚で歩けなかったのだ。それが自分の脚を自分の意思で動かせるようになってまだ1年も経っていない。洞窟の中は足元が不安定で歩き辛いし、そろそろメヌの顔にも疲れが浮かんできた頃だった。

 

「……えぇ。しっかりリハビリに励んでいますので」

 

「そうけ。ま、汗かいてるみたいだからな。水は飲んどけ」

 

と、俺は宝物庫から出したスキットルをメヌに渡す。メヌはそれを受け取ると特に何も言うことなく中身を飲んでいく。

 

「いただきます。……んく、んく……これは───」

 

そして、直ぐに自分の身体の変化に気付いたようだ。多分メヌは今これ以上ない程に身体から元気が溢れているだろう。何せ今俺がメヌに飲ませたのは神水だからな。

 

メヌには回復するような魔力は持っていないがあれは体力も回復させてくれる。疲れた身体からみるみるウチに疲労が抜けていくのをメヌは感じているのだろう。

 

「ありがとうございます。しかし、これの中身は何なのですか?」

 

メヌは少し飲んだだけのスキットルの口をハンカチで拭いて俺に渡して尋ねてきた。まぁそりゃあ気になるよね。

 

「んー?……そりゃあ神水って言ってな。千切れた手足は治らないけど、それ以外の怪我とか疲労なんてのは一瞬で吹き飛ぶ魔法の水だよ。トータスで拾ったもんだけど、今は俺が自力で生み出せる」

 

具体的には加速させた時間の中で莫大な魔力を注ぎ込むことでな。あれはあれで疲れるのだけど、神水も神結晶は便利だからな。いざって時には神水があればどうにか切り抜けられるし神結晶を組み込んだアーティファクトは強力なのだ。その場限りの疲労であれば受け入れてでも生み出す価値がある。

 

「そんなのがあるならワトソン?ダイダラ=ダッダ?はいらなかったのではないか?て言うか主様は腕が取れてもまた生やせるじゃろ」

 

「ひでぇこと言うな……。いやまぁ確かに俺がいれば死んでも生き返れるけど……」

 

俺がいる以上は医者の腕なんて別に必要ないのは確かではあった。とは言えご老人の強い意志を無碍にするのも悪いかなと思ったのだ。それに、レクテイアの神程度では考えられないが、億が一にも俺の手が離せなくなったとして、その時にこの人がいれば応急手当くらいはどうにかなるだろうし。

 

「まるで神じゃな」

 

「神様なんて上等なんもじゃないっすよ。魔法使いが精々だ」

 

俺は1つ鼻を鳴らすと、ついと顎で先を示す。そこには寝食の痕跡があったのだ。小麦粉と水だけで作ったらしい無発酵のパン、水で戻している途中のひよこ豆、新鮮なマスカット。草を編んで作ったらしい敷物を辿っていけば石で作られた小さな椅子もある。

 

壁にも消されてはいるが最近まで使われていたと思われる蝋燭。攫われた女達が使うらしいベッドもあった。だがそのどれももぬけの殻。カーバンクルも攫われた女達も見当たらない。

 

もっとも、カーバンクルはもう少し奥にいると羅針盤は示していたからこれはそれほど大した問題ではない。ともかく、ここに攫われた女達は、裕福ではないしにろそれほど酷い扱いは受けていなさそうだと分かる。

 

「しかし原始的な生活をしておるな。わざとじゃろうか」

 

ワトソン1世はこの風景を見渡してそう呟く。するとルシフェリアは

 

「良いところではないか。我は嫌いじゃないぞ」

 

と、逆にここが気に入った様子だ。多分これはカーバンクルの趣味だな。ただ、ルシフェリアが共感しているということはレクテイアもこれに近い光景ということなのだろう。そういやエンディミラのいたエルフの集落と思わしき所も自然の中だったな。

 

ここの光景に、何か感じ入るものがあるわけではないが、女の寝床を物色する趣味も無い俺はこの居住空間の先の通路、そしてその向こうから入ってくる光へと歩き出した。羅針盤が示したカーバンクルの居場所はあっちだ。あっちに、カーバンクルがいる。

 



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大地の女神カーバンクル

 

 

通路を抜けた先に広がる光景───そこには豊かな農園が広がっていた。まるで大地が黄金でできているかのように錯覚させる程に見事に広がったそれはひよこ豆やレンズ豆、その合間には発芽したばかりの小麦。

 

豆と麦の二毛作に加えてブドウ畑が周辺に広がり、鶏も放し飼いにされていた。それだけではない、小規模ではあったが養蜂までしているようだ。

 

数ヘクタールはあろうこの農園は円形の盆地をしていて、チャトやザンダーラよ喧騒が嘘みたいに穏やかな光景が広がっていた。

 

そしてそこにいたのはカーバンクルと似たような格好をした10代前半から20代前半程度の10人の女達。確か攫われたのは12人のはずだから全員ではないのだな。

 

彼女らも着飾ってはいるが、身に着けているアクセサリーは全て花や羽根で作ったもの。皆楽しげに会話しながら畑の手入れをしたり白い石で淵を作った人工の川から水を汲んでいる。

 

見る限り痩せ細っていたり怪我をしている様子は見られない。むしろ、チャトの奴らよりも健康そうに見えるくらいだ。

 

「……アイツらだな」

 

俺が羅針盤を見ながらそう言えば、ワトソン1世も小さい単眼鏡(スコープ)を覗いて「皆、チャトの村で見たことのある顔じゃ」と確かめている。

 

「中世のインドの風景にも思えますが」

 

「いや、あれはカーバンクルの故郷の穀倉地帯にそっくりの風景じゃ」

 

と、メヌの予測にルシフェリアが答えを返している。きっと今回に限ってはルシフェリアの方が正解に近いのだろう。態々カーバンクルと似た服装をさせているあたり、ここにレクテイアの光景を再現しているんだ。

 

そして、奥の石造りの神殿と思われる建物から現れたのはカーバンクル……だろう。だろうと言うのは、カーバンクルの見た目が大きく変わっていたからだ。前に見たカーバンクルは小学生の低学年くらいの見た目だった。だが今のアイツは褐色の肌と兎人族よりも露出度の高い衣装は変わり映えしないが、上背は高くウサミミを除いたシアと同じくらい。スタイルも幼児体型ではなくむしろ大きく膨らんだ乳房。それもリサやレミアのような柔らかさ最優先の胸ではない。胸筋の土台がしっかりとしているからか、あんな紐で先端を隠しているだけの衣装だけを着ているのに上向きに張っていて大きいだけじゃなくて美しさまで兼ね備えている。

 

キュッと締まったウエストは女性的な柔らかさを感じさせながらも内側にしっかりと筋肉が仕込まれていてそれが背筋と協力してクビレを作っているのが分かる。

 

ヒップもこれまたボリュームがあり尻の肉が垂れるのではなく臀筋がしっかりと上へ引き上げていて張りがある。

 

額にある紅の宝石は大きさが倍ほどになっていて、それを収めている顔は凛々しく子供の姿の頃は薄かった表情に猛々しさが加わっていて()()()に見える。

 

そいつが紅い瞳の双眸でこちらを見る。その視線は男よりもむしろ女を虜にするような妖しい光を灯していて、実際彼女を見た女達は甲高い声で感激を表し、倒錯的な瞳を向けていた。

 

そんな彼女達を一瞥したカーバンクルは改めて俺達の方を見る。そしてその形の良い口が音を放つ。

 

「───私は大地。大地の神・カーバンクルの国へよく来た」

 

するとその視線で女達が俺達に気付く。そして、1人が驚いたのか物置小屋から飛び出してきた。ショートカットのそいつは風車小屋へ走って逃げこんでいくが、他の奴らはカーバンクルを守るように囲んで俺達を見ている。これじゃあまるでこっちが悪者だね。まぁ、女の園へ無断で足を踏み入れた男なわけだし、俺が責められるのは仕方がないのかもしれないな。

 

「……戦いは俺がやる。ルシフェリア、流れ弾は任せたぞ」

 

「応。しかし主様よ、いくらカーバンクルの砂になる技を封じられるとは言え、アイツは腕っ節も強いぞ」

 

「んー?……俺ぁそもそも腕力勝負の方が得意だぜ」

 

そもそも、俺はカーバンクルとの戦いではもう氷焔之皇を使うつもりはなかった。本来ならカーバンクルが力を取り戻す前にアイツとアイツの半身を隔てている魔術をどうにかして、アイツの半身が戻らないようにするのが今回の任務の一部だった筈なのだ。それが今やカーバンクルは己の半身を取り戻して全盛の姿をしているのだ。こうなったらもう戦いは避けられない。

 

だけど、アイツの全力を封じて勝っても最初の頃のルシフェリア同様に、あーだこーだとイチャモンをつけられて勝負をフイにされかねない。ただ、レクテイアの奴らは割と決闘を重んじる傾向にある。だからまずはルールで縛って、俺の勝ちを認めさせる。その上で勝利の報酬としてカーバンクルをモリアーティの元から引き離す。そうすればシャーロックからの依頼も果たしたと言っていいだろう。可能ならばカーバンクルをコチラの側に付けてしまいたいが、それをすると男女関係が大変なことになる可能性が高いので気を付けないといけない。

 

「まぁ見てなって。策ならあるからさ」

 

と、俺はリサと1つキスを交わしてカーバンクルが構える神殿の方へと歩いて行く。するとカーバンクルを守ろうとしていた女達をカーバンクルが退かせて、俺と対峙するように立ちはだかる。

 

「───ヒトの文明は誤り」

 

と、俺と向かい合ったカーバンクルは語り出した。

 

「富めるムンバイを見たか?貧しいチャトを見たか?ヒトには貧富の差がある。それもとても大きい。それがヒトを不幸にした」

 

俺は黙ってカーバンクルの言葉の先を促した。すると、カーバンクルは大仰に両手を広げて言葉を続ける。

 

「でも、カーバンクルの下は平等。そうなるようにカーバンクルが配る。ヒトは幸福になる。だからヒトはカーバンクルに支配されるべき」

 

ま、コイツは人の不幸を願っていないだけどこかの神様気取りよりは多少マシなのだろう。だけど

……

 

「甘くて優しい……与えられるだけのものにゃ価値も意味は無い。そりゃあ楽だろうぜ。お前ん下で草を食んで生きてくのはよ。けどさ、そりゃあ家畜と変わらねぇんだ。俺ぁ戦うぜ。戦って、勝ち取る」

 

俺にはそれしかないのだから。戦い、それに勝って居場所を勝ち取る。それしかしてこなかったし、もうそれしかできない。

 

「戦う?カーバンクルと?穴空き風情が?その穴も閉じられたここで?ふん、笑わせるな」

 

頭に疑問符を浮かべたカーバンクルはそのまま嘲るように口角を上げた。ふん、何年もこんな所に篭っているから俺のことを大して知らないんだろう。例え素粒子化で俺の攻撃を避けられないのだとしても勝てると、カーバンクルはそう思っているんだろう。

 

「はっ!随分と自信満々みたいだけどな。パラジウムで治安警察を買わないといけない程度の奴に俺ぁ負けねぇぞ」

 

「パラジウム……。ふん、ヒトはこんなもののために何でもする」

 

すると、つまらなさそうに鼻を鳴らしたカーバンクルはその場にしゃがみ込み、赤土にしばらく手を当ててから、一掬い手に取った。

 

カーバンクルが手のひらの土をサラサラと捨てると、残ったのは銀の輝き。あれはきっと土中のパラジウムなのだろう。分かっていたことだが、俺の錬成の派生技能である鉱物系探査や鉱物分離と同じようなことがやはりカーバンクルも行えるんだ。

 

けれどそれを見たメヌは目を見開いて驚いている。まぁ、確かに何の設備も無しに土中から望む金属元素を集めて冶金するなんて真似ができたら莫大な富を産むことは、例えメヌでなくとも推理できる。実際俺も似たようなことはこっちでもしているわけだしな。

 

「そーいやメヌには()()、見せてなかったっけ?」

 

俺が宝石加工の会社を興しているのはメヌも知っている……というか将来的には事業を手伝ってもらう約束をしているのだが、メヌに見せたことがあるのは鉱石や鉱物の形を変える普通の錬成だけだったか。

 

「……錬成」

 

俺は土中に魔力を送り込む。すると真紅の魔力光が迸り、俺の足元の土が盛り上がって俺の胸の高さまでせり上がる。更にそこに錬成の魔力を注げば現れたのは銀の輝き───パラジウムだ。

 

「お前も大地を操れるのか」

 

「大したことじゃねぇや。俺んこれはとある世界じゃ()()()()()技能だったからな」

 

錬成師という天職はトータスではありふれた天職だった。だけどどんな力も使い用だ。鉱物系探査と鉱物分離だってカーバンクルのように使えば莫大な富を産む。俺がトータスの鉱石に対して使えば化け物も一撃で屠るアーティファクトが生み出される。だからこんなもの、大したことじゃない。

 

「それで?一応聞いとこうか。カーバンクル、お前はどーしてモリアーティの味方をするんだ?」

 

決闘になる前にまずはそこをハッキリとさせておこう。コイツの目的が分かれば決闘の時の報酬も決めやすいからな。

 

「パラジウム……これだけじゃないが、今のヒトは必要の無いもののために生きてる。富、文明……必要の無いもののために生きるな。そんなものの為に命を無駄にするな。ヒトは大地と───カーバンクルと共に生きるべき」

 

なるほどな。そりゃあ文明を後退させようっていうモリアーティとも相性が良さそうな考えだ。それに、このまま放置すればきっとこの農園は広がっていくだろう。パラジウムで富を生み出し、外を守る武力を雇い、資本主義に疲れた奴らを取り込む。そうしてこの農園は楽園となり、一国を築くのだろう。この楽園のシステムの肝は土地とカーバンクルの存在だが、カーバンクルが存命で土地が広がれば更なる資源が手に入る。地中のレアメタルを掻き集めれるカーバンクルはきっとパラジウム以外の金になる鉱石資源をその手で集め、売り捌く。そうやって資本主義の力でこの古い共産主義的な楽園は発展する。形は変わらずに、ただ大規模に拡がっていく。

 

「それに、モリアーティはこの世界にカーバンクルを導いてくれた。この世界から帰らない限り、カーバンクルは礼をする」

 

ふん、そのお礼代わりに命を1つくれてやるってわけか。神様のやる恩返しは規模が大きいねぇ。

 

「悪ぃが俺ぁモリアーティを倒すぜ。けどその前に、お前を倒さなきゃならねぇみたいだな」

 

俺はそこでふぅと一息入れるとカーバンクルの整った顔をもう一度見やる。

 

「決闘だ、カーバンクル。俺と戦え」

 

「ふん。穴空き風情が。それすらも使えないお前は毛虫のようなもの。幾らカーバンクルの魔術を封じようとも人間では話にならない」

 

おぉ……レクテイアの奴らは挑まれた決闘は絶対に受けると思っていたからこの返答は意外だった。ここで決闘をしてモリアーティから手を切らせるのが目的だったのに。

 

とは言え、まだ手はある。アイツはこの場では聖痕を使えない俺を見下して、ろくな勝負にならないから決闘なんてやらないという態度だった。なら俺が氷焔之皇無しでもレクテイアの神に匹敵する戦闘力を持っているとカーバンクルに理解させられれば決闘も受けるはずだ。

 

「───主様はヒトではない」

 

と、俺達の会話を聞いていたらしいルシフェリアがやってきて口を挟む。しかしルシフェリアさん、貴女随分と酷いことを仰るのね……。

 

「主様は我の番じゃからな。女神同格と言っていいし、何ならヒトから男神に格上げしてやっても良い。それよりカーバンクルよ、お主こそ負けるのが怖くって、挑戦されたのに逃げるのか?」

 

プククと、ルシフェリアはカーバンクルを煽るような笑い方をする。それを見たカーバンクルはイラッとしたような顔をして

 

「カーバンクルは逃げない!」

 

俺達よりもどちらかと言えばチャトから攫ってきた女達へ向けて宣言するかのようにそう言った。そういやルシフェリアもナヴィガトリアの船員の前で負かされたことを根に持ってたな。なるほど、レクテイアの神を煽るならアウェイに乗り込んで向こうのギャラリーに囲まれている中でそいつらに格好付けさせれば話が早いんだな。

 

「こういう奴なんじゃよ」

 

と、してやったり顔のルシフェリアが俺の耳元に日本語で囁く。俺もふと微笑みながら「さんきゅーな」と返す。するとルシフェリアが急に何か詰まったかのように「うっ」と胸を抑えて頬を赤く染めている。

 

「んー?……まぁいいや、カーバンクル。やると決まったわけだし、場所を変えたい。俺だってこの農園を戦いの余波でぶっ壊すのは忍びないからな」

 

「当たり前だ。……付いてこい」

 

つい、とカーバンクルが視線で示したのは神殿の中。どうやらあの中では戦闘ができるだけの空間があるっぽい。俺は大人しくカーバンクルについて行くことにした。

 

「……あぁは言っているがな主様よ。カーバンクルはきっと主様と戦うつもりだったと思うぞ」

 

すると、ルシフェリアがまた俺に耳打ちする。見ればルシフェリアだけでなくリサやメヌ、ワトソン1世まで俺達に付いて来ている。あんまり近くにいると流れ弾を気を付けなきゃだから離れていてほしかったんだけどな。まぁルシフェリアがこっち来ちゃったし仕方ないか。

 

「んー?」

 

「カーバンクルの魔力の現在値はザンダーラで(まみ)えた時よりも減っておる。半身を取り戻し、その上で融合するのは相当に魔力を消費するのじゃ。本来ならカーバンクルはここの女達からコツコツと魔力を集め直してからそうしたかったはずじゃ」

 

なるほど、それなのに態々合体を急いだってことは、俺の氷焔之皇を相当に警戒したってことか。それに、流石はレクテイアの神だな。あれが魔術の類にのみ効くと直ぐに見抜いて、魔術の選択肢を減らしてでもより体力のある大人の姿に戻り、白兵戦に備えたってことか。

 

「何をこそこそ話している。カーバンクルの知らない言葉で喋るな」

 

と、日本語で会話していた俺達をカーバンクルが睨む。俺達は「おー怖」とでも言うかのように肩を窄めて「何でもないですよ」のポーズ。するとカーバンクルは「ふん」とまた視線を前に戻した。

 

そうしてカーバンクルに連れられてやって来た神殿は外周を数十本の石柱に囲まれた直径30メートルくらいの円形の建造物だった。屋根のないスタジアムみたいな形をしているここを囲む石の柱には神様やら動物やらの姿が所狭しと彫刻されていた。

 

「それと、カーバンクルの命に掛けた呪いを解いたのもお前だな?」

 

と、カーバンクルがその長い三つ編みのポニーテールを靡かせながら振り向いてそう言った。

 

「おうよ」

 

「カーバンクルの命はどこにある。昔シャーロックがどこかに隠した。でもカーバンクルは自分の命なら、どこにあるのか分からなくても呪える。呪えるのならそれが解かれればそれも分かる。カーバンクルから遠くに離れられない呪いも、シャーロックが近付けない呪いも、解いたのはお前だ。ならお前は、カーバンクルの命の在処を知っているはずだ」

 

「あぁ。知ってるよ。それで?それを俺が教えるのが俺が決闘に負けた時の報酬でいいのか?」

 

「あぁ。それと、シャーロックをここに連れて来ること。そしてもう1つ、お前はカーバンクルに服従し、永遠にカーバンクルの下で生きろ。誤った文明から離れ、ここでカーバンクルと共に大地に生きろ。お前の大地を操る力は認める。お前はここで生きるべきだ」

 

「はっ!俺にそう言った奴は全員俺ん足元に(ひざまず)いてんだよ。あと、いい加減名前くらい覚えろよ。ザンダーラで言っただろ。俺の名前は天人。神代天人だ」

 

「タカ……カミ……?ええい、ヒトよ、分かったか?」

 

おい、コイツ俺の名前覚えられなかったぞ。しかも長いこと会ってなくて忘れたとかじゃなくて今この瞬間に覚えられないって……それは俺より頭悪くねぇか?

 

と、俺はこの頭の残念な美人に内心少しばかりガッカリしたが、それは表には出さずに「分かった」とだけ告げる。

 

「カミ……穴空きのヒトよ、お前が勝ったらお前の願いを私が6つ叶える。しきたりだからな」

 

「へぇ、そりゃあ気前が良いね。あと俺ん名前は神代天人だ」

 

俺の要求はモリアーティとは手を切ることとここの女達をチャトに帰すことの2つ。1個なら決闘の報酬で飲んでくれそうだったけど2つはどうかな、最悪無理矢理奪い返すしかないかな、と思っていたから6つもお願いを聞いてくれるなんてラッキーだぜ。

 

俺の言葉を肯定と受け取ったのかカーバンクルは女達に3メートルはある棒を取って来させていた。それは鉄の棒で彫金とメッキで華やかに飾られていて、後端には20センチ程の直径をしたリングが付けられていた。

 

「そこの男にも武器を選ばせてやれ」

 

と、カーバンクルが女達に指示を出すと彼女らは円形の神殿を回り込むようにして何かを取りに行った。どうやら柱の裏側には武器が隠されているらしいな。

 

「いや、要らないよ。武器は自前のを使う」

 

俺は宝物庫からトンファーを取り出す。勿論俺のトンファーはアーティファクトだから、並の武器じゃあない。空間魔法で内部に鎖が仕込んであるし、その鎖だって空間魔法で敵を削り斬れる。外周にだって纏雷だけじゃなくて空間爆砕や空間固定の神代魔法が付与されていて、一振で人間なんか粉々に出来る。

 

旋棍(トンファー)か。やはりヒトの文明の中で生きるには惜しいな」

 

「誰も武器がこれだけなんて言ってないぞ」

 

俺はホルスターにも宝物庫から取り出した拳銃のアーティファクトを仕舞い込む。ここに入れておけば不可視の銃弾(インヴィジビレ)が必要になった時も使えるからな。

 

「銃……。そんな弱者の道具を使うのか」

 

しかし、俺の拳銃を見たカーバンクルは露骨にガッカリしたような顔をした。どうやらカーバンクルにとっては銃火器はお気に召さないご様子。ま、文明嫌いのコイツからしたら、文明の権化みたいな()()が気に食わないってのはさもありなん、って感じだな。

 

「ヒトは石器、鉄器、火器を作った。それで自分達がよく進化した強い種族だと思っている。でもそれは逆だ。進化する必要があったのはヒトが弱い種族という証」

 

カーバンクルが俺を見下すような視線を向けてそう言った。さっきまでとは全く違うその視線には敵意よりも呆れの方が強く浮かんでいた。

 

「カーバンクルを見ろ。カーバンクルは原初の時代からカーバンクル。自然と共に生き、進化しない。必要がないからだ。大地が原初から大地であったように───」

 

「───そうだな、その通りだよカーバンクル。ヒトはこんなもんを発明して強くなった気でいる。銃なんてあっても、手前の腕力も身体の強さも何にも変わっちゃいねぇ。お前にだって銃弾は効かねぇだろう」

 

ま、実際これはカーバンクルの言う通りだ。銃火器は人を強くしたんじゃあないし、これを発明することが進化なわけもない。そして、銃やミサイル何かを発明して、人間は強くなった気でいる。これもカーバンクルの言う通りだ。本来の人間の肉体なんて差程も強くなっちゃいねぇってのにな。

 

「だけどな、力は使い用だ。こんな()()()なもんでもお前と渡り合えたりするかもよ?」

 

実際、この拳銃のアーティファクトは俺の弱さを補うために作ったものだ。魔素も聖痕も封じられた俺が、それでも生きて足掻くための手段。それがこの拳銃の始まりだ。

 

「それにな、俺ぁもうただの人間じゃねぇ。聖痕なんて無くたって俺ぁヒトの領域から外れてんだよ。だからザンダーラで使った、魔術を封じる技だってこの決闘じゃ使わねぇでやるよ」

 

ドロリと魔王覇気を漂わせながら俺はカーバンクルを見やる。アイツの魔術は自分と身の回りのものを粉のようにしたりそれを再構成したりするものだ。特にそれ自体には攻撃力は無いし、後で変なイチャモンをつけられても面倒臭いからな。

 

「さて、6つも願いを聞いてくれるたぁ気前が良いね。カーバンクルの要求は聞いた。だから俺も、幾つかお願い事を言っておこうかな」

 

「思い上がりも甚だしい。だけど、言ってみろ。大地を操る力を持つ者同士、聞くだけはしてやる」

 

随分とまぁ上から目線だが、まぁいいか。

 

「まず1つ、モリアーティとは金輪際手を切ること。2つ目、チャトの女達への支配を止めて解放すること」

 

取り敢えず2つ。とは言えいきなり6つとか言われてもそんなに思い浮かばないな。俺別にコイツにしてほしいこととか無いし。あぁいや、そう言えば……

 

「俺に服従しろとか言ってたな。良いぜ、なら俺が勝ったらお前が俺ん下に支配されろ。それが3つ目だ」

 

コイツを味方に付ければシャーロックからも文句は出ないだろう。モリアーティに命は渡さず、ワトソン1世も確保し、更なる戦力の増強を図る。我ながら完璧な作戦だぜ。

 

「はっ、ヒトのオスがカーバンクルに勝てることはない。カーバンクルに負けて一生ここで暮らす運命。お前はカーバンクルが飼ってやる。お前は首に鎖を掛けられて、カーバンクルの支配を受ける定めだ」

 

「馬鹿言え。飼われんのは手前だぜ、カーバンクル。今からちゃあんと自分が俺に支配されて飼われる姿をイメージしとくんだな」

 

売り言葉に買い言葉。カーバンクルからすれば本当に俺に負ける気はなくて、俺を支配する気満々なのだろうが、俺だってカーバンクルに負けてやる気は無いし、氷焔之皇を使わなくたって勝算は幾らでもある。だからこその言葉だったのだが───

 

「……?」

 

ふと、カーバンクルが首を傾げる。どうやらコイツはコイツで随分と真面目なようで、素直に俺の言うこと───自分が俺に飼われている姿を想像したらしい。そして───

 

「───わぁ」

 

と、胸を抑えてその内側の高鳴りを抑えるかのようなポーズをとった。

 

「なんだ。なんだ。カーバンクルに今、(まじな)いをかけたのか?お前も呪いを使うのか?」

 

なんじゃそりゃ。て言うか、カーバンクル的には俺に支配される絵面はそんなにドキドキするもんなの?頬まで真っ赤にしちゃってさ。

 

「俺ぁ呪いなんて使えねぇよ。そりゃあもっと別のもんだと思うぜ。それが何なのかは……俺に負けてからじっくり考えな」

 

これはあんまり下手なことを言うと後が大変なことになるやつだと悟った俺は敢えてボカすようにそう言った……筈なのだが、俺の背中から聞こえてくるのはリサとメヌの溜息。それからルシフェリアの「我は主様のこういう言葉にやられたのじゃ」という囁きとエリーザの「分かります」という頷き。

 

「訳の分からないことを───っ!お前は叩き潰して支配してやる、カミ……穴空きのヒトよ!……拝むがいい、貴石の槌、ナブラタン・ガダーの輝きを!」

 

「……いい加減覚えてくれ。俺ん名前は天人。神代天人だ」

 

一体コイツはどうやったら俺の名前を覚えるんだよ。なんてボヤきそうになるけれど、カーバンクルが鋼鉄の棒を、何やら祭壇と思わしきものがある方へと向ける。そこには高さが5メートルほどの半円形の石壁があったのだ。そして、そこには金の針金で同心円状に描かれた魔法陣と思わしき記号。

 

それの手前には赤御影石の台があり、台の周りには赤、青、黄色に緑……色とりどりの宝石が散らばっていた。あれ、全部まとめて売り捌いたらいくらになるんだろうな。あれだけでも一財産だろうな……。

 

と、俺のそんな想像を他所に、それらがカーバンクルの構えた棒の先端に集まっていく。エメラルド、トパーズ、オパールにアクアマリン、ガーネット、ルビーにサファイア、ダイヤモンドもあるな。そんなカラフルで豪奢な夢の宝石群が集まり形を作っていく。しかも床に転がっていた貴石だけでなく、地中からもどんどんと宝石の類が飛び上がってきて、カーバンクルの掲げた棒の先端に集まり膨らんでいく。

 

そして出来上がったのは7色に輝く巨大で美しいハンマー。シアの持つドリュッケンは基本的に飾りっ気がなく無骨な印象を与えるのだが、このナブラタン・ガダーは全くの逆。華美で高価で輝いている。装飾過多で脆いかと思いきやこれを形作っているのはどれもモース硬度の高い貴石なのだ。ただの拳銃程度ではあれを傷付けることはそうそう叶わないだろう。

 

するとカーバンクルはそのハンマーの石突きを地面につき、仁王立ちをした。それに合わせて今度はチャトの女達がそれぞれ大きな壺を運んできた。

 

ゴトリと床に置いたそれに次々に手を突っ込んで中からドロリとした甘ったるい香りの液体を手で掬い、それをカーバンクルの手足や肩やら腹、背中にも塗り始めた。肌がテカっているしあれはオイルの類なのだろう。何か知らんがヒラヒラとした衣装の飾り布を外して水着なんだか下着なんだか分からんような薄布にまでオイルを染み込ませている。

 

俺は一体何を見せられているのだろうか。いや、肌にオイルを塗るのはそれなりに理に叶ってはいるのだ。あれだけヌメヌメしていたら投げ技はすっぽ抜けるし関節技(サブミッション)からも逃げ易くなる。前にリサやユエ達とも()()()()()()でお互いの全身にローションを塗ったことがあるから俺も実感としてそれは分かる。

 

……いや、今は夜のコミュニケーションを思い出している場合ではないな。ともかく、目の前の相手に集中せねば……集中して、いいのか?こんなオイルでヌルヌルテカテカになった完璧プロポーションの美人に、集中して……良いのだろうか?

 

いや、大丈夫だろうよ、だってこれ戦いだよ?決闘だよ?それもちゃあんと(?)腕力勝負。まったく、俺がいつもいつも邪なことばかりを考えていると思っているのならそれは大いなる誤解だぜ。

 

「……そうだ、カーバンクル。これやるよ」

 

浴室でカーバンクルにあの甘ったるいオイルを塗っているところを幻視しそうになった俺は、その妄想を振り払うように宝物庫から取り出したスキットルをカーバンクルに投げ渡す。

 

それを受け取ったカーバンクルは頭にはてなマークを浮かべて俺を見る。

 

「そりゃあお前ん魔力を完全に回復させる水だ。効果の程は、ルシフェリアで試したから確かなはずだぜ」

 

ムンバイからここに来る道中、俺はルシフェリアに、魔力がスッカラカンになるまで魔法を使ってもらっていた。と言っても、俺の氷焔之皇にひたすらPKの類の力をぶつけてもらっただけだけど。

 

ともかく、それで消費させた魔力に対して、この神水は有効に働いたのだ。魔素の回復はしてくれなかったくせにレクテイアの魔力は回復してくれるんだから、何とも面倒な水だな。

 

「……信じろと?」

 

「後になって魔力がもっとあればとか言われても鬱陶しいんでね。疑うんならチャトから連れて来た奴らに1口2口飲ませてみれば?ま、ただの人間に飲ませてもめっちゃ元気になるだけだけど」

 

すると、カーバンクルは近くにいた女の1人にスキットルを手渡した。恭しく受け取ったそいつは手の油でそれを滑らせないよう丁寧に掴み、恐る恐る神水を口にした。

 

「……うわ」

 

それで自分が今までにないくらい元気になったのが分かったのだろう。自分の身体を見回して驚きに目を見開いている。

 

「カーバンクル様。少なくもと安全ではあるようです」

 

と、そいつはそっとスキットルをカーバンクルに返してやっている。

 

「待て待て待つのじゃ主様よ」

 

「んー?」

 

だが、今度はルシフェリアが口を挟んできた。どうやら俺がカーバンクルの魔力を回復させることには反対の様子だな。

 

「せっかくカーバンクルの現在の魔力が小さくなっているのに何故回復させるのじゃ。あのまま押し切ってしまえばよかろう」

 

「だーから、決闘の後で難癖つけられたくねぇから回復させるって言ってんの。……安心しなよ、氷焔之皇が無くたって俺ぁ負けねぇから」

 

心配そうに俺を見上げるルシフェリアの角の間に手を置いて少し撫でてやればルシフェリアは「むぅ」と唸るようにして1歩下がる。その頬は朱に染まっていて、そんなんで照れるルシフェリアをちょっと可愛いなと思ってしまう。

 

「自惚れもいい加減にしろ、痣の男。お前は今この場で叩き潰す」

 

「はっ!俺にそーゆー口聞いて這い蹲らなかった奴ぁいねぇんだってば」

 

スキットルの神水をゴクゴクと飲み干したカーバンクルがそれを俺の方へ投げ返しながら睨む。その身体に魔力が充実していくのが分かる。そして、レクテイアの神とやらは魔力を身体能力の底上げに使うこともできるんだったな。カーバンクルがそれをやると本当にシアみたいだ。

 

「……来な」

 

ちょいちょい、と俺は指先でカーバンクルを挑発する。すると、カーバンクルは怒ったような顔をして

 

「舐めるのも、いい加減にしろ!」

 

カーバンクルはハンマーを大きく後ろに振りかぶった。ハンマーの重量で後ろに片寄った重心のバランスをとるために右脚を臍の高さまで持ち上げてもいる。

 

戦闘が始まったことを察したルシフェリアも急いで後ろに下がっていく。リサやメヌ、エリーザは既に柱の方まで距離をとっていたから問題ない。

 

そして宝槌が振り下ろされる。右脚の震脚と共にハンマーが地面を叩く。それは地表を震源とした地震となり、大地を揺らす。震度は7。だけど揺れた程度で身体をグラつかせる程度の体幹はしていないんだよね。

 

だが俺がブレなくても地面が耐えられるかどうかは別の話。俺の足元の石床はバキバキと割れ、その下の地面もパックリと割れてしまう。空力でヒョイと地割れを避けるが、今度は足元のクレバスから宝石が勢い良く飛び出してきた。

 

それらを纏雷で叩き落とすとさらにその赤雷をカーバンクルへ向けて発射する。だがカーバンクルは素粒子化の魔術でナブラタン・ガダーごと掻き消えると、俺の背後へと瞬間移動の如く回り込み、ハンマーを下から掬い上げるようにフルスイングした。

 

それをその場で前宙を切って躱すとそのままもう一度纏雷を放つ。指向性を持った赤雷がカーバンクルわ貫かんと迫るが、それをカーバンクルは素粒子化を使って回避、今だ空中の俺を叩き潰さんと真横に回り込み、ハンマーを振り下ろす。

 

俺はそれを空力と縮地の合わせ技で回避、カーバンクルと5メートルほどの距離を置いてようやく地面に戻る。するとカーバンクルはさっき俺が撃ち落とした宝石をそのハンマーで撃ち抜き、俺に向けて放ってきた。そんなものは再度の纏雷で叩き落とすが、当然カーバンクルも素粒子化で躱し、再び俺の真後ろへ。今度は俺の脚を打ち砕くつもりの低いスイング。けれどそれも纏雷を放つことでキャンセルさせる。

 

また素粒子化で消えたカーバンクルは今度は俺の真上に逆さまに出現。俺の側頭部を目掛けてナブラタン・ガダーを振り抜いてきた。

 

常人が喰らえば首がもげて脳漿が飛び散るような打撃はしかし、俺の多重結界プラス金剛の合わせ技で受け止める。

 

まさか正面から受け止められるとは思っていなかったのか、カーバンクルの身体の動きが一瞬止まった。その瞬間に俺は纏雷を放つ。だがカーバンクルも尋常の存在ではない。それでも自分だけは素粒子化で逃げ(おお)せると、地面に向けて落下しかけている宝槌をキャッチ。反時計回りの横薙ぎで俺の胴体をへし折ろうという軌道だ。

 

さっき受け止めた感じだとこの宝槌ナブラタン・ガダーは重さ約1トン。今のドリュッケンよりもかなり重い。ドリュッケンの射撃機構は空間魔法も使っているから性能の割にかなり軽いのだ。まぁ、あれには重力魔法も仕込んでいるから、重さはある程度自在なんだけどね。

 

翻って今俺に迫っているのは1トンのハンマー。それも宝石が寄り集まっているから打撃面がかなり凸凹していて、掠めても裂傷が生まれそうなのだった。とは言え、俺に受け止められない重さじゃあないんだよね。

 

「───ッ!?」

 

カーバンクルの驚愕が伝わってくる。俺がトンファーを振り払って横薙ぎの一撃を弾いたからだ。生まれてこの方、きっと宝槌ナブラタン・ガダーの打撃をこんな風にされたことはないんだろうね。

 

今のぶつかり合いで宝石が多少欠けたらしく空中にはキラキラと光り輝く破片が舞っている。俺はそれを吹き飛ばすように纏雷を放つ。

 

カーバンクルは「ぐぅ」と唸りながらも素粒子化で回避。俺の前にこちらも5メートルほどの距離を置いて再び現れた。

 

「いいぞ主様!」

 

「モーイです!ご主人様!」

 

「天人、押してますよ!」

 

「このままなら勝てるでちよー!」

 

と、後ろから応援団の声援が聞こえる。ただ、決闘の最中にその声に応えてやるほどの隙を見せる気にはならず、俺はカーバンクルを見据えたままだ。

 

さて、受けに回ってばかりじゃ芸もないしな。そろそろコチラからも行ってみるか。

 

と、俺は1歩カーバンクルの方へ踏み出した。その瞬間にカーバンクルはハンマーを地面に叩きつける。すると地面からは土の壁が現れた。だが大した強度ではないな。であるならこれは目眩(めくらま)し。

 

そして俺の予想に違わずカーバンクルは俺の真下の地面から現れた。どうやら素粒子化で潜ったようだ。そして俺の首と顔面を掴もうと伸ばした手を───

 

「う……あっ……」

 

トンファーを宝物庫に投げ込みながら、逆に俺が指を絡ませるようにして捕まえてカーバンクルの作った土壁に追い込む。その壁は俺がカーバンクルを捕まえて押し付ける刹那の間に錬成である程度の補強を施してあるからこの程度では壊れない。

 

「それで?」

 

この程度では戦いにもならない俺はカーバンクルの端正な顔に自分の顔を近付けてそう煽る。だがカーバンクルは「う、あ、さ、触るな……」と、顔を赤く染めて目を逸らすだけだ。さっきまでのように素粒子化を瞬時に使って逃げることもしない。しかしこうやって近くでマジマジと見ると本当にカーバンクルは美人だ。身体に塗りたくっていたあのオイル以外にもなんか良い匂いするし。

 

「うぅ……っ!」

 

バン!とカーバンクルが馬のような後ろ蹴りで背中の土壁を壊して俺の手を振り払い、転がるようにしてナブラタン・ガダー を取りに行く。

 

「お、お前やっぱりあの飲み物に変なものを混ぜただろう。お前の顔を見ると心臓が破裂しそうになる。頭もワーッてなる。卑怯者め」

 

「あぁ?……まったく、そりゃあさっきの水のせいじゃないぜ。お前の前に飲んだ奴に聞いてみろよ。アイツは俺を見ても何とも思わねぇから」

 

つい、と俺が顎で示した先にいたのは柱の陰に隠れながらもこの決闘を見ていた女性。そいつは心配そうにカーバンクルを見ていて、もはや俺のことは見ていないようだが、それが逆に、カーバンクルの飲んだ水にはそんな変なものが入っていないのだと彼女にも理解させられた。

 

「なら何だこれは、痣の男、お前の呪いか?カーバンクルを呪うなんて不遜な奴だ。ルシフェリアもこれに屈したんだな、解け」

 

「そりゃあ俺が掛けたんじゃあない。お前が掛かったんだぜ」

 

決闘と言い繕おうとも俺からすればこんなのはまだ戦いにもならない。そもそも、きっとカーバンクルとは言葉を交わす必要があるのだろう。レクテイアと地球、男と女。違う者同士が分かり合うためには会話が必要不可欠だからな。

 

「何が違う」

 

「何もかも違うよ。……いや、1つ同じ部分はあるな」

 

「なんだ、とにかく解け」

 

「無茶言うなよ。そりゃあ俺にゃ解けないよ。俺にはもう、どうしようも出来ない」

 

そう、俺にはどうしようもないのだ。そもそもおれがそうしようとしてしたわけじゃないし。だからリサさん、その怖い感じの笑顔を止めてくださいな……。

 

と、俺は後ろでニコニコ……感情の読めない笑顔をしているリサに怯えつつもカーバンクルに向き合う。

 

「ならお前を殺せば解けるのか?」

 

「さぁね。むしろ解けないんじゃない?まぁ、殺されてもやらないけど」

 

「黙れ。それよりもまだ遅くはない。カーバンクルの下で大地と共に生きろ」

 

なんと、この期に及んでまだ勧誘ですか。この子も諦めが悪いねぇ。けどまぁ、何度誘われようとも俺の答えは変わらない。

 

「それだけ俺のことぉ考えてくれるのは嬉しいけどね。お生憎様、俺ぁカーバンクルの元へは行けないよ。むしろカーバンクルが俺のところへ来い。それなら歓迎してやるよ」

 

カーバンクルが元の力を取り戻してしまったことがシャーロックからの報酬を減額する口実になるのが嫌だった俺はそう言った。だが今の俺の言葉がカーバンクルには変な方向に作用したようで

 

「うぅ。何だかお前の言葉は擽ったいように感じる。何故だ……」

 

と、更に頬を赤らめる原因になっているようだ。うーむ、俺は本格的にマズイかもしれん。いや、シャーロックからの報酬的には何ら問題は無いのだけれど、この後の諸々が大騒ぎになりそうだ。

 

「こうなったら仕方がない。お前を───土に還す」

 

おーらら。遂にカーバンクルは俺を殺す気か。いや、さっきまでもちょいちょい殺意高めの攻撃してたと思うんですけどね、態々言いませんけど。

 

「───土より生まれし者よ」

 

カーバンクルが右手で掴んだのはハンマーの柄に着いていたリング。それを掴みハンマー投げのように腕を伸ばして身体の周りで大きく振り回し始める。

 

更に左手でもしっかりとリングを掴んだカーバンクルはハンマーの軌道を右斜めや左斜めなどに変えて振り回していく。それに合わせて真昼のインドの太陽光がナブラタン・ガダーの宝石に反射して7色に輝く。そんな世界一美しいハンマーに見蕩れそうになるが、カーバンクルがハンマーを振り回しながら左手の小指と薬指だけで器用に俺をチョイチョイと煽る。

 

「来い、痣の男。餞別代わりに先手をくれてやる」

 

「いらねぇよ。てか、俺ん名前は神代天人だ。いい加減覚えろ」

 

「後悔するんじゃないぞ。悪いのはお前だ、痣の男。このナブラタン・ガダーで飛び散らせる。血の一滴まで全て……この大地に」

 

「来な。全部砕いてやるよ」

 

スッと、俺も拳を構える。その拳には多重結界と金剛が張られている。さらに全身の筋肉と骨を変性魔法で強化。

 

「─── أوم(オーム)

 

───大地に還れ!

 

カーバンクルのハンマーが狙うは俺の正中線。そこを真っ直ぐ真上から叩き潰すコースだ。だから俺も、そこに正面から拳を合わせる。それに最近、シアとのトレーニングで身に付けた技術があるんだ。

 

シアはそれを見た瞬間にほとんどマスターしていたけれど、俺はシアみたいな格闘センスは無いから少し手間取ってしまったのだが問題無い。ここで()()を失敗しても別に死ぬわけじゃないし、ここは1つ実践で試してみようじゃないか。

 

俺は足首、膝、股関節と順番に加速させていく。更にそれを腰、背中、肩、肘、手首まで一気に連動させる。前にキンジがやっていてた全身の骨格と筋肉を瞬間的に連動させて爆発的な速度と威力を生み出す技だ。あれをシアは見た瞬間に体得し、俺もシアに付き合ってもらってどうにかモノにした。

 

技の名前は知らない。まだキンジには俺が()()をできることを伝えていないから聞いていないのだ。

 

さりとて俺とキンジでは同じものにはならないだろう。何せシアが言っていたのだ。これは人間の肉体でやっても精々が超音速にようやく辿り着く程度だと。だがドリュッケンのスイングだけで音速の壁を突き破るシアや人間の膂力なんてものを超越した俺の肉体でこれを行えば出せる速度はちょっと音速を超える程度の()()()なもんじゃあ収まりはしない。

 

まだまだ修行不足で完璧な連動とまではいかないから俺の放つこれの瞬間最高速度は控えめだが、それでも俺の持つ電磁加速式対物ライフル並の速度は出せる。

 

 

───パァァァァァン!!

 

 

俺の拳が大気の壁を貫きウェイバーコーンが舞う。俺はそんなの要らないと言ったのだが、シアがどうしてもと言って名付けたこの拳の名前は

 

──崩撃(カノーネ)──

 

超音速の宝槌と超々音速の拳がぶつかり合う。

 

俺の視界に広がったのは、ステンドグラスを砕いたかのような7色の光が乱反射する光景だった。

 

 

 



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戦車・ミサイル・魔法

 

 

空気の壁を突破した宝槌ナブラタン・ガダーと俺の超々音速の拳、崩撃(カノーネ)がぶつかり合う。その衝突の果ては破壊以外は有り得ない。莫大なパワーのぶつかり合いはしかして宝石の硬さと重みよりも俺の拳の速度と強度が上回った。

 

飛び散る宝石の散弾を魔力放射で吹き飛ばし、振り抜いた拳の残心もそこそこに俺はナブラタン・ガダーを砕かれて崩れ落ちるカーバンクルの身体を支えてやる。とは言え、全身に塗られたオイルのおかげでヌルヌルと俺の手をすり抜けてしまうのでそっと膝を着かせてやるのが精一杯だったが。

 

「……ナブラタン・ガダー……大地の輝きが、光が、失われるなんて……そんなこと……」

 

と、コチラはコチラで光を失ったかのような瞳で砕け散ったナブラタン・ガダーの破片と残された金属の棒を虚ろに眺めていた。

 

「……失われてなんかないさ。大地は蘇るよ、何度でもね。……錬成」

 

カーバンクルの眼前にしゃがんで目線を合わせた俺は、彼女が前を向けるように頬に手を当て、少しだけ顔を上げさせた。そしてバチバチと、真紅の魔力光が広がる。俺の錬成により砕かれた宝石が再び集まり、スルりと俺の手に収まった鉄の棒に輝きは取り戻される。

 

またあの美しい宝槌の姿を取り戻したナブラタン・ガダーを見てカーバンクルの瞳は驚きに溢れていた。

 

さて、綴梅子が前に言っていたな。調きょ……もとい、拷問にはまず相手の権利を奪っていくのが良いと。俺は宝槌ナブラタン・ガダーをカーバンクルの手が届かないように俺の背中側に置いておく。これで武器を使う権利を没収できたわけだ。

 

さて、支配下の女達はカーバンクルが決闘に負けたからこれで没収。残るはこのカーバンクルを完璧に屈服させてこちらの仲間に引き入れるだけだな。

 

「この決闘、俺ん勝ちでいいね?」

 

カーバンクルの顔を上げさせたまま俺がそう告げると、カーバンクルは頬を染めたまま目線を逸らした。どうやら自分の負けだと感じてはいるようだが、まだそれを認めたくないらしい。

 

「それで?俺に支配される自分の姿は想像出来たかい?」

 

そう耳元で囁いてやふと、カーバンクルはビクッ!と肩を跳ねさせた。

 

「よ、止せ!近寄るな、怒るぞ」

 

カーバンクルが手で自分のその大きな胸を押さえて ズリと後ろに下がるので

 

「んー?……逃げるってこたぁ図星なんだな?俺に支配される自分の姿が頭に浮かんだと」

 

俺はその手を取り逆にカーバンクルを引き寄せる。カーバンクルの右手を左手で取り、左肩に右手を置く。そしてカーバンクルの赤い宝石のような瞳を見やると、カーバンクルはきゅぅっ……とまた赤面して押し黙ってしまう。だがその沈黙も一瞬。直ぐにカーバンクルは顔を上げると

 

「ここはカーバンクルの世界じゃない。別の世界。絵や本の中の世界と同じ。そんな世界でカーバンクルが誰かに支配されるなど、有り得ない。あってはならない」

 

と、カーバンクルは頭をブンブン振ってその長いポニーテールを左右に揺らしている。さて、そろそろ終わりにしたいものだ。

 

何せ道中でルシフェリアに聞いているのだ。レクテイアの神はだいたいもう一段階変身を残していると。ルシフェリアもあるし、カーバンクルもそれを持っているとのこと。そこまで急ぎの旅でもないけれど、ちゃっちゃと負けを認めてくれないおかげで後ろからの視線が大変に鋭くなっているのだ。そんなに時間をかけてじっくり口説くのは大変宜しくないだろう。それに、このままだと俺は後でリサやユエ達に自分が誰の男なのか()()()()られてしまう。別に痛いとか辛いとかではないけれど、あの子達を不安にさせるのは良くないことだ。ここいらで1歩引いてくれると助かるのだが……。

 

「どの世界がカーバンクルの世界か、決めるのはカーバンクルだ。だけどね、産まれた世界だけがカーバンクルの世界だとは限らない。もしかしたらこの世界の方がカーバンクルは幸せかもしれない」

 

もうさっさと終わらせたい俺は耳元でカーバンクルの名前をしつこく呼びながら語り掛ける。俺がカーバンクルの名前を呼ぶ度にカーバンクルは喉の奥で唸り声を発するが、耳が真っ赤になっていてその唸り声が威嚇の声でないことが丸分かりになっている。

 

「カーバンクルが一緒にいたい奴がいる世界に居ればいいよ。カーバンクルが一緒にいたい人は誰?そいつはどこにいる?」

 

俺がそう語り掛けるとカーバンクルが俺を見た。その赤い瞳が俺の瞳を掴まえる。その顔に浮かぶ表情は大変に見慣れたもので、俺は内心「またやってしまった」と自己嫌悪すら浮かんでくる。だけどそんなものは外には出さず、俺は敢えて首を傾げる仕草。

 

「うう……うう……」

 

俺の言外の「言葉にして言ってみて?」というメッセージを受け取ったようだが、カーバンクルはただ唸るだけ。だがカーバンクルの額の宝石が輝きを増していた。そして、それに呼応するかのように、そこら中に散らばっていた宝石が浮かび上がる。

 

それらはどれも小粒だったが、エメラルドにトパーズ、ダイヤモンドといった宝石達がキラキラと輝きながら連なり、車のハンドル程度の大きさのリングを形作る。それはカーバンクルの頭上で花冠のように輝きを放っている。

 

どうやら俺の目論見通りに事は進まなかったようで、カーバンクルの体内からバキッバキッ!と音が鳴っていく。これは筋繊維が圧縮されていく音で、俺もよく自分の体内で聞いていたよ。

 

もっとも、俺の時とは違ってカーバンクルの全身に激痛が走っているわけではなさそうだ。ただ、カーバンクルの身体にはこれまで以上の膂力が宿っていくようで、それを証明するように、既にカーバンクルの身体は一回り大きくなっていた。

 

更に足元からは大小の宝石が浮かんでは褐色の肌に吸い付いていき、膝や肘、額や側頭部。さらにお腹や背中に並び、プロテクターとなると同時に美しい紋様を描いていく。

 

まだ宝石は浮かび上がり、カーバンクルの背中を守るように尻尾や背びれのような形を作っていく。そして今やカーバンクルの身長は180センチ程度となり、これまでとは逆に俺が見上げるような上背になっていた。

 

「まだやるのかい?」

 

という俺の問いかけにカーバンクルは1つ頷き

 

「カミシロのことをもっと知りたくなった。もっとお前と関係したい。だけどどうやって接したらいいか分からない」

 

「そうけ。ちなみに俺ぁ名前───天人って呼ばれる方が好きだぜ」

 

何となく、俺の苗字は仰々しいからな。親から貰った大切な形見の1つだけど、呼ばれるならファーストネームの方が好きなんだよな。理由を問われても具体的なものは出てこない、ただの感覚だけど。

 

「そうか、タカト。なら私と戦ってほしい。相撲をしよう」

 

ここからもう1発戦闘かと思っていたから少し拍子抜けしてしまったが、相撲か。

 

「んー?……いいよ、やろうか。でもルールは?相撲って言っても結構色んなルールがあるぞ」

 

日本式、モンゴル式、あとはセネガルにも相撲はあったな。

 

「カーバンクル相撲。両手と両手を繋いで、足の裏以外が地面に着いたら負け。手と手が離れたら引き分け」

 

なるほど、カーバンクル式なんてのもあるのか。でもルールは分かりやすくていいかもな。

 

「オーケーだ。それでやろう」

 

そう言えばルシフェリアもナヴィガトリアの上での戦闘のあと、日本に来てからもずっと俺に色んな戦いを挑んできていたな。エンディミラもテテティとレテティとは決闘で上下を決めたらしいし、レクテイアじゃこうやって戦う以外に分かり合う方法がないのかもしれないな。

 

まぁいいさ。戦うのには慣れている。ここは1つ、レクテイアの、カーバンクルの方法で分かり合うとしようじゃないの。

 

俺はカーバンクルから差し出された手に自分の指を両手とも絡めるようにして握ると、カーバンクルはそれだけで頬を赤く染めている。しかし俺より背の高い女は久々に見るな。俺もそこまで上背が高いわけでないが、それでも日本人の成人男性の平均よりは高いから、特に女を見上げるのは珍しい。

 

だからと言って俺が相撲で押し負けるわけもなく、グッと下半身に力を込めて押していけば、カーバンクルもズルズルと後ろに下がっていく。そしてその度にカーバンクルからは「んっ……はっ……」 と悩ましい吐息が漏れてくる。

 

そしてそのまま上半身を押し込むようにすると、カーバンクルがブリッジをするような体勢になった。

 

「髪の毛は地面に着いていいのか?」

 

と、カーバンクルの長い黒髪のポニーテールの先が石床に着いていることを指摘するが、カーバンクルからは「い、いい……構わない」という返答がある。どうやら髪の毛はノーカンらしい。

 

そしてカーバンクルは魔力を使って膂力を強化。思いっ切りヘッドバットでもするかのように頭を振り抜いてきた。

 

───バオォォン!!

 

という轟音を響かせて俺のデコ目掛けて放たれた頭突きを俺は首を振って躱す。何せ受けたら受けたで逆にカーバンクルの額の宝石が砕けそうだからな。あれが割れるとどうなるのかは知らないが、どっちにせよ痛そうだ。

 

だがその頭突きの勢いでカーバンクルは俺の首筋に顔を埋めるような体勢になり、そこまで密着されると俺の顔もカーバンクルの首筋に押し当てられている。すると俺の鼻を擽るのはカーバンクルの塗ったオイルの香りとカーバンクル自身の香り。それらはまるでケーキとパフェを同時に目の前に出されたかのようで、胸焼けがしそうなくらいの甘美で蠱惑的な香りだった。

 

思わずそこで深呼吸をしたくなるが、流石にそんなことはせずに、俺もお返しとばかりに身体を反らせてからの頭突きをお見舞する。もっとも、そんなのは当然カーバンクルは避けてしまうから、俺達はまたお互いの首筋に顔を埋めることになる。

 

で、カーバンクルはそこから頭突きを再度放つのではなく、自分に塗られたオイルを俺の身体に擦り付けてきた。まるで犬や猫が自分の縄張りを主張するかのようなその行動に、俺の背中側からは大変に冷たい視線が突き刺さってくる。だがカーバンクルはそんなものには気付かず、俺に「好き好き」とでも言うかのように身体を擦り当ててくる。その身体の柔らかさは筆舌に尽くし難い気持ちよさで、こういうことをされると弱い俺は思わずカーバンクルを抱きしめてお互いの身体を擦り合わせたくなる衝動に駆られていた。

 

だけどそんなことをしたら後がどうなるか知れたものじゃないから本能をグッと堪えて我慢。だがカーバンクルは俺の耳元で「ふふっ」と両手を繋いだまま微笑んでくる。その顔がまた可愛くて俺の理性を揺さぶる。

 

物理的な距離は心の距離なんて言ったのは誰だったか、それとも誰も言っていなくて思わず俺の頭に浮かんだだけなのか、語彙力の乏しい俺にはその出処は掴めなかったが、ともかくそんな言葉が頭に浮かび、そして今の俺達の物理的な距離はほぼゼロだった。

 

そしてカーバンクルはグリンと手首を回してきたり、右手を引っ張って左手を押すとか、そういう小技も使っていた。まぁ、その程度を躱すのはわけないのだが、俺の小内刈りも縄跳びを飛ぶようにしてカーバンクルは躱すし、段々と2人でダンスでも踊っているかのようだった。

 

女とダンスを踊るのは帝国でのユエとリリアーナぶりだなぁなんて、懐かしのトータスでの記憶を掘り起こしながら俺はカーバンクルとの相撲(ダンス)に興じていく。

 

カーバンクルが笑っているのを見て、それに釣られてか俺も段々と顔が綻んできた。何だかこれが決闘だと言うことを忘れてただずっと踊っていたいような、そんな不思議な心持ちになっていたその時

 

 

───ヒュルルルルッ

 

 

俺の耳に届いたのはそんな不吉な風切り音。リサ達の方には流れ弾防止のために氷の壁を張っていたのだが、咄嗟にそれを拡大展開。そしてその瞬間───

 

 

───ドォォォォォォンンッ!!

 

 

屋根のない神殿の内側で轟音が炸裂した。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「なんだ……?」

 

あの音は迫撃砲弾だった。しかもこの威力はM374榴弾と言ったところか。神殿内部の石柱が何本も破壊されている。だがそんな石の柱なんかよりも───

 

「───リサ!メヌ!ルシフェリア!エリーザ!大丈夫か!?」

 

気配感知の固有魔法は4人の気配をキチンと捉えている。だが命に別状はなくとも何らかの負傷を負った可能性がある俺は4人の名前を叫ぶ。

 

「大丈夫です、ご主人様。ご主人様の守りのおかげでコチラに怪我人はいません」

 

すると、リサから元気な返事が返ってきた。良かった……取り敢えずアイツらには怪我は無い。

 

「コラ!もっと年寄りを労らんか!まぁワシも怪我なんてしとらんがの!」

 

忘れてたよ、ワトソン1世さんのこと……。まぁあの人も元気そうでよかった。

 

「大丈夫か、カーバンクル」

 

そして、俺は目の前のカーバンクルにもそう声をかける。だがカーバンクルは言葉を返してはこずに

 

「問題無い」

 

とだけ返ってくる。だが彼女の足元には血溜まりができていて、その大きさは彼女から多量の血が失われていることを意味していた。カーバンクルを抱き寄せるようにして彼女の背中を覗けば、カーバンクルの綺麗な背中には榴弾の破片が深く突き刺さっている。これ、常人なら即死している傷だぞ。だがカーバンクルにはユエの自動再生のような魔法があるのか、そんな傷さえも治癒が始まっていた。だが突き刺さった破片を押しのける力は無いのか、泡立つような流血は止まらない。

 

とは言え、この治癒力であればこれを外から引っこ抜いても傷は直ぐに塞がり、致命傷にはならないだろう。

 

「カーバンクル、榴弾の破片を抜く。スゲェ痛いだろうけど我慢してくれ」

 

と、俺は両手を繋いだままカーバンクルの膝を地面につかせ、絡ませていた指を(ほど)こうとする。だが、カーバンクルはそれでこの決闘を終わらせる気がないのか、俺の足技を躱していく。

 

「カーバンクルは痛みなど感じない。痛覚は弱い種族が身に付けた、危険を察知する力。それに、この程度はどうってことない」

 

そりゃこういう時には便利ですね。その治癒力と相まって戦いには向いてそうだな。まぁ、痛みが無いってのも考えものな時はいつか来そうだけどな。実際、今も身体の方が無理矢理に傷を治癒しようとしているのだが、破片が邪魔して中々それも進んでいない。

 

「大丈夫なわけあるか!……それに、カーバンクルが怪我をしているのを見るのは俺が嫌なんだよ」

 

「うぅ……。なら、仕方ない……」

 

と、カーバンクルは俺の言葉に頬を染めて俺に身体を預けてきた。

 

「そうか。じゃあ遠慮なく……失礼しますよっと」

 

俺はカーバンクルの膝をゆっくり地面につかせると、左手でカーバンクルの肩を抱き寄せ、右手を背中側に回す。俺に再び抱き寄せられたカーバンクルが胸の中で赤面しているのを感じるが、今はそれに構っている暇はない。て言うか血流を良くしないでもらいたいもんだね。傷に障るでしょうよ。

 

「……んっ、大きいのは抜けた」

 

だがカーバンクルに突き刺さったと思われる破片はこれ一つではない。幸い背中は宝石で守られているから背骨は無事だったけど、随分な数の榴弾の破片がカーバンクルの背中から彼女の体内へ潜り込んでいるようだ。

 

「ゴメンな。俺が近くにいたのに怪我をさせた」

 

さらにもう1発、榴弾が落ちてきた。幸い狙いは外れて畑の方に落ちたようだが、次弾がいつこっちに飛んでくるか分からない。この砲撃の理由も分からんし、止めようにもリサ達やチャトの女達を守ってやらなきゃいけない。

 

プロペラ音に気付いて顔を上げれば何やらドローンがこちらを見ている。どうやらあれでおおよその狙いをつけているんだろう。俺はシグでそのドローンを撃ち抜いて撃墜し、まずは1つ目を潰しやる。

 

そして、今の最優先事項は───

 

「ダイダラ=ダッダ!!カーバンクルの背中に榴弾の破片が刺さってる!アンタ、元軍医ならどうにかできるか!?」

 

───カーバンクルの傷だ。再生魔法を使ってやってもいいが、可能ならこの子は人間の技術でどうにかしたい。破片さえ抜ければあとはこの子の再生力で傷は塞がるだろうし、さっき抜いた大きな破片の傷はもう塞がりかけだ。跡も残らずに綺麗な褐色の肌に戻りそうで良かった。女の子の肌に何かあっちゃあ男の恥だろう。

 

「おう、任せろ。何とでもしてやるわい」

 

「なら頼んだ。治療の間の露払いは任せろ」

 

この砲撃の狙いをどのようにしてやっているのかが分からない以上、俺の氷の元素魔法をどの程度晒して良いものか悩みどころだ。もっとも、そんなの無くても全員を迫撃砲の嵐から守ることは俺にとってはそれほど難しいことでもないが……。

 

「他の奴らも皆こっち来い。纏まってくれた方が守りやすい」

 

ではもう一度失礼して、と俺はカーバンクルの背中と膝裏に手を回して抱き上げ、自分でもワトソン1世達の方へ歩いて行く。

 

「大丈夫だよ、カーバンクルは俺が守る。……魔力は治癒に回そう。その変化(へんげ)は解ける?」

 

俺にお姫様だっこをされたカーバンクルはもうそれだけで赤面して俺から目線を逸らしているのだが、それでも無言で頷くと、パキパキと音を立ててカーバンクルの背が少し縮む。身体から宝石もパラパラと落ちていき、どうやら変身も解除してくれたようだ。

 

するとそこにワトソン1世達も追いつく。俺は氷の台を作り、そこに宝物庫から毛布を2枚ほど敷くように取り出した。

 

そこにカーバンクルを座らせると、うつ伏せに寝転ぶように言った。するとカーバンクルは「うん」と素直に従ってその綺麗な───しかし今は血塗れで今も出血の止まらない背中を俺達に晒した。

 

「ダイダラ=ダッダ、他に用意すべき環境は?清潔な空気の空間が必要か?」

 

一応カーバンクルの手前、俺はワトソン1世を偽名で呼ぶ。するとワトソン1世は首を横に振り

 

「これだから最近の若者は。ワシは戦場でもっと不衛生で騒がしい場所でも軍人を切り貼りしてきたわい」

 

と、頼もしいことを言ってくれる。ならここはこの人に任せよう。

 

「カーバンクル、技術はヒトを不幸にしたり付け上がらせたりするだけじゃあない。ヒトを救うことも出来る。……見ててごらん」

 

チラリと俺を見上げたカーバンクルにはそう囁いてあげる。するとカーバンクルは「うん」と小さく頷いて腕で自分の顔を覆ってしまう。まぁ、取り敢えず納得してくれたようで何よりだよ。リサ達からの視線は相変わらず冷たいけどね。

 

「まったく、さっきのは治安警察の曲射砲、迫撃砲の音じゃぞ。何でアイツらいきなり戦なんて始めたんじゃ」

 

「チャトの人達は全員無事のようですよ、天人。12人全員」

 

と、頭に疑問符を浮かべているワトソン1世と、何やら含みのありそうな言い回しのメヌ。どうやらメヌにはこの砲撃の理由の心当たりがあるようだ。

 

「メヌら力を貸してくれ。俺にゃこの砲撃の理由が分からん。止めようにも、戦車でも追っかけて叩き潰すしかねぇのか?」

 

正直力技でそれも可能ではある。羅針盤でこの砲撃を行っている戦車を突き止めてそこに重力操作で空中からでも強襲して叩き潰す。やるだけならやれるが治安警察やインド軍───ひいてはインド政府にまで俺の力をそこまで晒す必要があるのか?可能ならばある程度は俺の力も伏せておきたい。でないとこれから先余計な詮索をされても面倒だしな。

 

「分かりました。では小舞曲のステップの如く順を追って説明しましょう」

 

 

 

───────────────

 

 

 

ドサリと、ルシフェリアによってショートカットの女の子が1人俺達の前に運ばれてきた。メヌの推理曰く、この子はインドの治安警察のスパイで、先程の俺とカーバンクルの決闘の最中にでもチクりを入れたらしい。

 

そして、治安警察が何故カーバンクルを巻き込むような砲撃をしたのかと言えば、アイツらはカーバンクルが大人の姿に戻ったことを知らないのだろう。そもそも戻ったのもついさっきのことらしいし。そして頼みの通信機もさっきの砲撃の衝撃で破損。アンテナは折れているし電源も入らない。これでは使い物にはならなさそうだ。

 

そしてその子──ラルと言うらしい──はカーバンクルの様子を見て短く悲鳴を上げて、半分泣きべそをかきながら面倒な事実を喋りだした。

 

「───おいおい」

 

ヒンディー語の分からないリサとメヌにも分かるように俺が慣れない同時通訳をしたところ、どうやら印パ戦争の頃にここは郡の基地だったらしいのだ。そして、パキスタンの空軍が爆撃の際に落とした不発弾───1000ポンド爆弾が遺跡の出口付近の地下5メートルほどに埋まっているらしい。そして、インド陸軍はそれを遠隔で起動できるように改造。そして最悪なことにそれは既に起動されていて、あと数分もすれば爆発するとのこと。

 

「インド陸軍はカーバンクルが地中を自由に移動できることを知っている筈です。ならば敵───私達だけを生き埋めにするために虎の子の爆弾を使うことも理解できます」

 

「ったく、んなもん爆発したらチャトの遺跡が崩壊するだけじゃなくで、この辺一帯の土砂が全部崩れてみんな生き埋めだ」

 

しかも、いくらカーバンクルが逃げられるからと言ってそんな判断が何故即決で降りたかと言えば、軍はカーバンクルの姿を知らない。だから今の治療を受けているカーバンクルは知らない誰かどころか俺達の身内判定らしいし、奴らの知っているカーバンクルの姿がないから既にカーバンクルは逃走。神様のカーバンクルが逃げるんだから俺達も神か悪魔か、確実にぶち殺そうってわけだ。

 

しかもこの子の他11人の女達は治安警察が迫撃砲なんて使ったもんだから怯えて外に出たからないんだとさ。ホントに何もかも裏目だな。

 

ただ、そうやっている間にカーバンクルの背中に刺さった破片は全てワトソン1世が抜き取ったらしい。痛覚が無いカーバンクルには麻酔が要らないから手持ちの手術キットだけでどうにかなったんだな。それにしても凄い手際だよ、この短時間で全部終わらせちゃうんだからさ。

 

「……それならカーバンクルがどうにかする」

 

と、破片が抜けた傍から傷口が塞がっていたカーバンクルが身体を起こした。まだ魔力も多少は残っているようで、あの素粒子化の魔法で爆弾を地中奥深くに埋め直すつもりらしい。

 

「いいよ、そんなことしなくても。大丈夫だ、カーバンクルもここの子達も、リサ達も全員俺が守るよ」

 

そんな七面倒くさいことをしなくても爆弾程度の処理は俺がどうにかしてやれる。俺は羅針盤と越境鍵を取り出し、1000ポンド爆弾の座標を特定。鍵で地中のそこに通じる扉を開く。パラパラと、少し湿った土が零れ落ちてきた。

 

「んな……」

 

ワトソン1世は顎が落ちんばかりに大口を開けている。カーバンクルも驚きに目を見開いていて、コチラはその大きな紅の宝石が零れ落ちそうだ。

 

さりとて、時間が無い俺はそのまま絶対零度を発動。インド軍が改造した不発弾を消滅させる。

 

「はい、終わり」

 

大したことはしていないという認識の俺が振り向くと、リサとメヌはニコニコと、ルシフェリアは何故か自慢げに、エリーザは溜息をついて頭を抱え、ワトソン1世とカーバンクルは驚いたまま表情が固まっている。

 

「……何?」

 

「モーイです、ご主人様」

 

「完璧な働きです、天人」

 

「流石は我が番じゃ、主様」

 

なんて、3人はそう言うけど、エリーザ達は何だか何かを言いだけで、でも言葉が出ないみたいな、傍から見るとクシャミでも我慢していそうな顔をしている。

 

「……タカト、私との決闘では本気を出していないのか?」

 

と、カーバンクルが不満げな顔をして俺を見ている。まぁ、それに関しては言い訳のしようがないことなのだが。

 

「まぁな。今の()()を使えば粉になって逃げてもその粉ごと消し飛ばせただろうね」

 

するとカーバンクルは頬を膨らませてより一層のご不満を現してくる。しかしそんな顔をされても俺からすれば素粒子化で逃げるだけの技と地面から宝石が飛び出してくるくらいの相手ならさしたる驚異ではないんだよね……。そうなると必然、俺の全部を出さなくてもいいかなぁなんて思ってしまうのもやむを得ないと言いますか……。

 

「それよりも……」

 

俺の人外の耳が捉えた音。それは戦車のキャタピラ音だ。音がした東の方を見れば稜線の向こうから見えたのはこちらを確認しているのであろう潜望鏡と通信装置のアンテナ。更に、すり鉢状のここの急斜面をラジコンカーと思われる物が何十台も降りてくる。

 

「エリーザ、あのオモチャは何?」

 

「あれは敵に近付いて自爆するラジコンでち……。それがあんなに……」

 

と、エリーザは歯噛みしているが、その程度のものであれば全部潰すことも簡単だ。だが、これらに加えて稜線から突き出てきたのは125mm滑腔砲。それを砲塔に構える黄土色の戦車はアジェヤMk-1。最新の戦車って訳じゃあないが、車体長は6.86m、重量48トンの1200馬力は流石に拳銃(シグ)じゃ抵抗のしようがない。

 

「じゃあメヌ、任せた」

 

「何をですか?」

 

───ドォォォォォォンンッ!!

 

アジェヤは西側の斜面を削るようにキャニスター弾を着弾させている。どうやら斜面の土砂を崩して俺達を埋めるつもりのようだ。そのための足止めがあの自爆ラジコンなのだろう。

 

ま、負傷者でも出した日にはカーバンクルとの癒着がバレちまうからな。軍人が小銃を構えて突っ込んでこないのはこちらにとっても好都合だが。

 

「何って、作戦だよ。ここから出るための」

 

まぁ、この神殿の真上に天蓋が如く氷で屋根を張って、内側では自爆ラジコンを仕留めつつカーバンクルとルシフェリアにチャトの女達をここに集めさせてから全員まとめて越境鍵で逃げ果せることも可能ではあるのだが……。

 

「恐らく天人の考えた作戦でいけると思いますよ」

 

と、メヌは面倒になったのか俺が丸投げにした筈の脱出手段の考案を再度投げ返してきた。

 

「ま、インドはパスペルミアの扉派だからな。多少の超常は見せても大丈夫なんだろうけど……」

 

あれもこれも見せるのは、できれば裂けたいところである。とは言えこの状況を突破するにはいくつかの魔法かアーティファクトを晒さないとどうにもならないだろう。

 

ルシフェリアも崩れた柱の影からカラリパヤットの弓矢を持ってきて継がえている。更にメヌが俺の左手にやってきてリー・エンフィールドを構えた。

 

「内圧は最大にしてあります。下手な拳銃よりも強力ですよ」

 

「そうけ。なら任せた。俺ぁ大きいやつ担当だ」

 

さて、まずは1つ、アーティファクトを使わせてもらおう。俺は宝物庫から電磁加速式拳銃を取り出すと、こちらにその鼻先を見せているアジェヤMk-1の砲塔に電磁加速した弾丸を叩きつける。

 

───ドパァッ!

 

と、何かを吐き出すような発砲音を置き去りにして、超音速の弾丸が砲身を貫いた。すると砲身が使い物にならなくなったアジェヤは割とあっさりと引き返していく。まずは厄介なデカブツを1つ、稜線の向こうに追いやれたな。

 

だが排除すべき障害はまだまだある。俺のシグとルシフェリアの弓矢で撃退している自爆ラジコンと、稜線越しに山なりで飛んでくる迫撃砲弾だ。

 

迫撃砲弾の方は俺の纏雷によって空中で爆発させているのだが、次々に放ってくるのでキリがない。

 

するとメヌが空気銃のリー・エンフィールドをほぼ真上に向けて発砲。落ちてきたのはインド軍が目の代わりに使っている民生用ドローンだった。

 

「石礫よりも、まずは投げる者の目を潰すべきかと」

 

「おー、さんきゅ。んじゃあ、そろそろ帰るとしようぜ。メヌ、それんカメラ生きてる?」

 

「えぇ。そのためにプロペラを狙って撃ち落としましたから」

 

と、メヌがさっき自分で撃墜したドローンを拾ってくる。俺は紙とペンをラルとかいうチャトの女子に渡してここにいるカーバンクルがあの小さいカーバンクルと同一人物であることと、カーバンクルが怒っているから攻撃を止めろというメッセージを紙に書いてドローンのカメラを通して伝えろと命令しておく。

 

だが俺がそれを伝えた瞬間───

 

 

───バシュゥゥゥゥゥゥゥゥッッ!!

 

 

と、激しい噴射音と共に稜線の向こうから大空に向けて白い煙が伸びていく。その白煙はみるみるうちに伸びていき、遂に300メートルを越えた。

 

あれは対地ミサイル───レフレークス(9M1195)だろう。型は古いものの、強襲科の副読本にも諸元が乗っているくらいの傑作誘導弾だ。しかも問題は、あれの弾頭には炸裂弾(BMX)以外にも化学弾頭や、最悪の場合は小型の核弾頭である可能性だってゼロじゃないのことだ。

 

炸裂弾であれば俺のアーティファクトで撃ち落としてしまっても問題はないが、そうじゃない場合は弾頭の中身が辺り一面にぶちまけられる地獄絵図となる。やるなら一息に絶対零度(アブソリュート・ゼロ)で弾頭ごとミサイルを消滅させるしかない。

 

「……ホント、ミサイルだのなんだのと、人を殺すことばかり上手になっちゃって」

 

レフレークスの高度は1000メートルを越えた。水平打ちじゃ加速しきれない時のセオリー通り、上にぶち上げて加速距離を稼ぎ、最後は赤外線誘導でこの神殿内部に斜め上から叩き込むつもりなのだろう。

 

「カーバンクル、お前がヒトの文明を嫌う理由も俺ぁ何となく理解できるんだ。人間はこんなのばっかり作りやがる」

 

俺は空を見上げ、絶対零度を()()座標を睨む。

 

「けどさ、人間の文明はあんな破壊の道具ばっかりじゃなくて、人間を幸せにもしてきたんだ。だからカーバンクルには、そういう文明も見て回ってほしい」

 

ミサイルが高度を落としていく。やはりここに向かってくるか。だがその赤外線誘導の視線の先は、まったくの()()が待ってるんだぜ。

 

「ヒトは過ちを犯す。それが神たるカーバンクルには許せないのかもしれない。だけどさ、ヒトはその間違いを少しずつ正していけるんだ。それがヒトの強ささ。俺も、ネモと一緒にその手伝いをするつもりだよ」

 

レフレークスがこちらに向けて白煙の尻尾を振り撒いて落ちてくる。

 

「だからカーバンクル、お前も一緒に来ないか?それで見守ってほしい。ヒトの文明も、その歩みも……。俺も、きっと長生きするからさ」

 

もはやその目玉のようなセンサーすら見える範囲にまでレフレークスは近寄ってきている。だがそれが俺の引いた1と0の境界線(アブソリュート・ゼロ)に触れた瞬間───

 

「……分かった。カーバンクルもタカトに着いていく」

 

───炎も神経ガスも放射能も何も発生させることなく、跡形もなく消え去(ゼロにな)った。

 



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そうだ、異世界へ行こう

 

 

「タカト、決闘の前に飲んだ水、まだあるか?」

 

カーバンクルがチャトから攫ってきた……と言うか連れて来た女達を村に返し、俺達はザンダーラへと帰ることになった。

 

行きと違って帰りはチャトからも車がある。何せワトソン1世はチャトの診療所を次に来る医者に引き払う時に、家具ごと全部売っ払っていたのだ。おかげで彼の荷物は漢方薬の壺だけ。ワトソン1世が直々に運転する引っ越しのトラックの荷台にはたっぷりとスペースがあり、俺達はそこにそれぞれ座ることが出来たのだ。

 

とは言え、バスは宝物庫の中に放り込んだままで、これを町中で放り出すのは具合が悪いから、トラックの荷台に相乗りするのは途中まで。俺はワトソン1世にザンダーラのレストラン・シンの地図座標を送っておき、俺達は再びエリーザの運転するバスに乗り込んだのだった。

 

「んー?うん。まだあるよ」

 

10リットル単位でな。神水はトータスでの決戦に備えて大量に生産したから、浴槽が満杯になる程度には残されている。それに、減りそうなら神結晶を作るついでにまた増やせるしな。実際今も俺の宝物庫の中じゃ神水を垂らしている神結晶が幾つか入っていて、水を出し切ってアーティファクトの素材になるのを待っているくらいだ。

 

「怪我治した分の魔力?」

 

ワトソン1世の処置を受けたカーバンクルはその背中の怪我を数分で完治させていた。だが本人曰く、治療にも魔力は使うようで、それで使用した魔力を埋め合わせたいのだろうか。

 

「いや、そうではない。別に試したいことがある」

 

「んー?」

 

神水なんて怪我が治ることと魔力が全回復すること、あとは栄養失調を補ったりと、そんな程度しかできない。いや、それでも充分に凄いのだけど、結局は失ったものの補填と言うか、回復にしか使えないものなので、これで何を試そうと言うのだろうか。

 

「私の命はさっき返ってきた。ただ、減っていたり形が変わっていた。引き伸ばして直したい」

 

命に形とかあんの?て言うか返ってきたって……どういうことだ?ワトソン1世は何も言っていなかったが……。

 

「命ってそういう風に扱えるんだ……。いやまぁ、()()が命に効くかは分からんけど、まぁいいよ」

 

と、俺はスキットルに入れた神水をカーバンクルに渡す。それを受け取ったカーバンクルは蓋を開けてゴクゴクと一気に中身を飲み干していく。

 

「どう?」

 

「……命に変化はない。うぅ……」

 

と、何やらカーバンクルは悩ましげ。命2つもあるんだから別に片方が減ってたり形が変わってても大丈夫のような気がするんだが、それは命が元々1つしかない種族の知ったかぶりなのかもな。

 

「天人、私の脚を治した魔法では駄目なのですか?」

 

と、俺達のやり取りを見ていたメヌがふとそう尋ねる。だが変成魔法は生き物の肉体に働き掛ける魔法だからなぁ。カーバンクルの2つの命ってのがどんなものなのか俺はよく知らないけれど、変成魔法じゃあどうにもならないような気がする。

 

「んー?……あれは肉体の方に作用する魔法だからなぁ。髪の毛はともかく、カーバンクルの言う命にはあんまり干渉できないと思うぞ」

 

髪は女の命だったか。だけどカーバンクルが今言っている命はもっと直接的なもののようだし、ここは大人しくユエとティオの力を借りよう。

 

「それより、俺ん身内にゃもっと違う魔法が扱える奴がいるから、その子に頼んでみるよ」

 

と、俺は落ち込んでいるカーバンクルにそう伝える。するとカーバンクルは「本当か!」と、表情を一瞬で明るくした。

 

「そう言えば天人、ザンダーラには曾お祖父様とお姉様だけでなく、()()()も来るそうですよ」

 

と、メヌが携帯を片手にそう告げる。ゲスト、ねぇ。正直思い当たる節はないけれど、一体誰のことやら。

 

「リサは知ってる?」

 

ただ、こういう時は大概俺だけが何も知らないものなので、俺はリサにも聞いてみる。メヌの顔には「誰が来るかは秘密です」って書いてあったからな。

 

「はい。ですが、どのような方がいらっしゃるかはその時までの秘密です」

 

なんて、リサからもそう言われてしまう。だけど今のリサの「秘密です」はちょっと語尾が上がっていて後ろにハートマークが付きそうなくらいに甘ったるい声色だった。それに顔の前で人差し指をちょっと振って首を傾けて……つまりはまぁ、声も仕草も可愛いからそれでいいか、ということだ。

 

「……まぁいいか。着けば分かるし」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「やっぱりこうなったのだな……」

 

「まさか、カーバンクル様ですか……?」

 

ワトソン1世は床屋と服屋に捕まっている。俺達はその横を悠々通り抜けてレストラン・シンへと入店したのだが、そこで待っていたのはキンジとアリア、ワトソン、シャーロックの他に2人。銀髪が輝かしいジャンヌと金髪が美しいエンディミラだった。どうやら秘密のゲストとやらはこの2人らしいな。

 

「その耳、エルフ族か」

 

と、カーバンクルもエンディミラを見てふむと頷いている。流石は神様だけあって向こうじゃ有名人らしいな。エンディミラ……と言うかエルフ族もレクテイアじゃそれなりに有名なのか種族そのものはカーバンクルもご存知の様子。

 

「うん。こちら、レクテイアじゃ大地の女神と呼ばれていたカーバンクルさんです。モリアーティの仲間をやめて俺達と一緒に来ることになりました」

 

取り敢えずはカーバンクルのことを知らないジャンヌや、初対面のはずのキンジ達にカーバンクルをご紹介。戦いの中のあれこれは一旦言わないでおこう。後が面倒臭いから。

 

「んで、こっちの銀髪の子がジャンヌ、エルフ族のエンディミラ、あっちの小柄の子が───」

 

「あれはシャーロックの身内なのだろう。それとあっちはあの医者の子孫。似ているから分かる。あとタカト以外の男にはもう興味無い」

 

と、アリアがシャーロックの身内であることと、ワトソンがワトソン1世の子孫は一目で分かったらしい。そういやコイツはメヌのことも直ぐにシャーロックの身内だと分かっていたな。

 

「そう、あの子はアリア。メヌの姉で、シャーロックから見ればどっちも曾孫。あと隣の男はキンジ。ダイダラ=ダッダの子孫はエル・ワトソン。一応これから一緒に戦うんだろうから顔と名前くらいは覚えてくれ」

 

とは言ったものの、この子俺の名前も中々覚えてくれなかったんだよね。大丈夫かな……。

 

「分かった。タカトが言うなら覚える。……ジャンヌ、エンディミラ、アリア、キンジ、エル」

 

と、俺の心配を他所にカーバンクルは1人1人指さしながら名前を呼んでいく。一応、バスの中ではリサとメヌ、エリーザも自己紹介をして、3人の顔と名前は覚えてくれたようだった。

 

まずはこれでこの場にいる人間に対しての紹介は終わりだ。さて、後確認すべきことは……

 

「シャーロック、神秘の器の中に入っていたカーバンクルの命は元に戻った。その代わりにカーバンクルは俺達と来る。あと、その神秘の器も呪いを解いて取り戻した。……て言うか、最初から言えよ」

 

と、俺は半眼でシャーロックを見やりながら今回の遠征の戦果を告げる。それに対してシャーロックはニヤリと小憎たらしい笑みを浮かべながら

 

「それは何よりだよ天人くん。君は僕が考える最高よりも更に上の成果を出してくれた。それで、僕の器はどこだい?」

 

「そうね、まーたアンタは女の子を誑かしたみたいだけど、戦力が増えているわけだし、あたしには関係の無いことだから文句は言わないでおくわ。それよりも、神秘の器っていうのはどんなものだったの?」

 

「あぁ、俺としてもどんな宝物なのか見ていたいな。ちょっと見せてくれよ」

 

シャーロックは全部分かってて言ってそうで、アリアとキンジは取り敢えずシャーロックが大事にしているらしいお宝とやらを見たいだけの野次馬根性っていう雰囲気だな。まったくこの野郎は、人を食うにも程があるぜ。

 

「器は今は床屋で髭と髪を整えている。その後はスーツを仕立てるらしいからもうちょい待て」

 

「は……?」

 

「アンタ、遂に頭壊れたの?」

 

シャーロックの言う神秘の器が人間でありワトソン1世だとは知らない2人からは随分な言葉が飛んできた。ジャンヌとエンディミラを見ればシャーロックをジト目で睨んでいるから、どうやら2人は俺が何を取りに行ったのかは把握しているらしい。

 

とは言え頭壊れたをそのまま肯定してやるわけにはいかないので俺が神秘の器の正体を伝えるべく口を開こうとすると、カーバンクルが1歩出てきてキンジとアリアを睨む。

 

「今の言葉は取り消せ。タカトはカーバンクルと同格以上。タカトを貶すことはカーバンクルを貶すことと同じ、許さない」

 

「な、何よ。……悪かったわね、天人」

 

「だが器が髭や髪の毛を整えたりはしないだろ。意味が分からん」

 

と、アリアはカーバンクルの迫力に一瞬たじろぎ、そして確かに自分の言葉は強かったかと思ったのか素直に謝ってきた。もっとも、2人の疑問はもっともではあるので俺の説明不足な面も……いや、これ何も教えていないシャーロックが悪くない?だいたい、俺が羅針盤を持っていたから答えに辿り着けたわけだが、もしキンジ達が向かっていたら何も分からなくないか?

 

「あぁ。シャーロックが何か仰々しい名前の器だとか言うから悪いんだ。実際、神秘の器とやらは物じゃなくて人だったんだよ。だから髭も生えるし髪の毛も伸びる」

 

俺もシャーロックを睨みながらそう答える。だがシャーロックは俺達の視線なんて何処吹く風。それどころか「よく辿り着いたね」なんて言ってのけるくらいだ。

 

「その器が誰なのか、正体を明かすことはこの場では控えよう。本人の登場を待ってからの方が盛り上がるからね」

 

「……それよりジャンヌ、エンディミラ。また急にどうした?」

 

俺達がインドでシャーロックの依頼を受けて神秘の器を取りに行ったことは皆に伝えてあったが、こういう時にこっちに来るのは大概ユエ達だと思っていたから、ジャンヌとエンディミラがゲストだったのは驚いた。

 

「なに、たまには教授の顔でも拝もうと思っただけだ。それに、天人のことだからな。またレクテイアの神と仲良くなっている可能性もあるし……そうしたらユエ達ではまた戦いになるだろう?」

 

「ですが私達であればそうはなりませんから」

 

と、ジャンヌとエンディミラはカーバンクルを見やり、俺にジト目をくれながらそう答えた。なんと鋭い……実際カーバンクルとはこうなっているし、ユエ達だと確かにこの場で戦闘になってしまいそうだ。

 

「まぁ、確かにな……」

 

「───それより、タカト。彼女達は何だ?お前とどんな関係?」

 

すると、カーバンクルが俺の手を引いてジャンヌ達を見ている。

 

「んー?この子達も俺ん家族だよ」

 

俺はジャンヌとエンディミラを両手で抱き寄せてカーバンクルにそう伝える。それを見たカーバンクルはちょっと眉尻を下げて

 

「家族……番か?」

 

と、俺に尋ねる。俺もそれを否定することなく「うん」と頷く。バスの中じゃリサも俺の家族で嫁だと伝えてあるからカーバンクルもそれで納得したようだ。そしてジャンヌとエンディミラも俺に身体を寄せて微睡むような表情を見せる。するとカーバンクルは「そうか」とだけ呟いて終わる。……思ったより大人しいな。

 

「……どうした?」

 

俺がキョトンと首を傾げていると、カーバンクルはそれにこそ疑問を抱いたようで、こちらも首を傾げている。

 

「いや、()()()はそれ聞いてうるさかったから。思ったより静かだなぁと」

 

俺はつい、とルシフェリアを見やる。するとそこには俺に「うるさい」と言われて頬を膨らませたルシフェリアがいた。

 

「ヒトが、オスとメスで番うことは知ってる。優秀なオスが複数のメスと番うのは自然」

 

お、これは「なら我とも番うのじゃあ!」とか言っていたルシフェリアに比べると随分とアッサリしているな。しかしエンディミラの時も思ったけど、やっぱりレクテイアの奴らはこういうことに関してかなりドライと言うか、功利的だよな。

 

「───それで、カーバンクルとはいつ番う?」

 

あ、両腕が涼しい!右腕は氷でも当てられたように涼しくて左腕は風が吹き抜けたような涼しさ!俺の背中には冷や汗が伝う!

 

「待て待て待て!何がいつそんな話になったんだよ!?」

 

ちなみに後ろではキンジが頭に疑問符を浮かべ、アリアが顔を真っ赤にして拳銃(ガバメント)を抜いたところをワトソンに押さえられ……ていない!?アイツ、アリアに俺を撃たせる気満々だ!

 

エリーザもアリアの剣幕にビビってるし、メヌは当然我関せず……と言うかあの子はあの子で喋ると爆弾を投下するだけのような気がするからまぁいいか。

 

当然こうなった時はリサには何も期待しない。なので俺はルシフェリアに助けを求める他ない。

 

「ルシフェリア、飯屋で拳銃抜いたあのバカどうにかしてくれ!」

 

「えー?でも主様は1回くらい撃たれるべきじゃろ」

 

いや、確かに俺は撃たれても仕方ないかもしれないし大型拳銃(ガバメント)で撃たれた程度じゃ怪我もしないけど、だからって食堂で銃乱射はイカンでしょう。

 

「飯屋で銃乱射とか洒落にならないでしょ!止めさせて!」

 

という俺の叫びとシャーロックの「まぁまぁアリアくん。彼を撃つのは後でいくらでもできる。ここはこの美味しそうな香り漂うレストランの平穏を守ろう」なんていう言葉でアリアも流石にこの場で引き金を引くことは躊躇ったようだ。

 

だが俺を取り巻く問題は何1つとして解決していない。カーバンクルは可愛らしく小首を傾げているし、ジャンヌとエンディミラからは「はよ説明しろや」の視線が痛い。

 

「決闘でカーバンクルは負けた。だからタカトに支配される。そういう契約」

 

そういやそんな約束もしていたな。あの時は売り言葉に買い言葉だったから忘れてたぜ。まぁ、それが何故(つがい)なんて話に繋がるのかはよく分からんが……。

 

「あぁ、カーバンクル。あの時は売り言葉に買い言葉でそういう風に言ったけど、俺ぁ女の子をそんな風に支配したりとかは好きじゃないんだ。だからあれは……俺達と協力してモリアーティと戦うってことだと思ってくれ」

 

と、俺は本音のところを言っておく。俺は別にカーバンクルを奴隷みたいに支配したい訳じゃないし、むしろそんな関係はお断りである。それなら番として家族になる方が万倍マシだ。

 

「分かった。だけど、カーバンクルがタカトと番になりたいのは本心。ルシフェリアと話して、リサやエンディミラ達を見て気付いた」

 

これは大変なことですよ……。どうせ日本まで着いてくるんだろうなとは思っていたから、さてどうやってユエ達に説明しようかと思案していたのに。その上俺にそういう気持ちを抱いているとなると、本当に説明が大変だ。具体的には、俺が()()()()されないような説明をすることが大変だ。

 

「主様よ、これは主様の責任じゃぞ。男らしく責任を果たし、我とも番うのじゃ」

 

と、何故かルシフェリアまで便乗して俺と番おうとしてくる。いや貴女は今は関係ないでしょ。しかも聞きたくなくて敢えて意識を逸らしていたのだが、バスで2人が何かを話していたのは知っていた。まさかそれがそんな内容だったとは……。聞き耳立てておけばよかったな、なんてのは後の祭りか。

 

……まぁ、確かにここでカーバンクルだけを選んでルシフェリアを選ばないのは不義理だと思わないでもないけど。

 

「───待ちなさい」

 

なんかもう俺をジャンヌとエンディミラからかっ攫ってしまいそうな勢いで詰め寄ってきたルシフェリアとカーバンクルだが、その一言で動きを止めた。そして、その言葉を発したのは、メヌだった。

 

「天人は、その2人の前に決着をつけるべき相手がいるのではないですか?」

 

その言葉に俺は思わず押し黙る。メヌの言う通りだろう。まず俺はメヌと決着をつけねばならない。断るのならともかく、そうでなければ他の女の子と家族になるというのはメヌに対して大変不誠実だ。

 

そして、俺にはメヌの前にもまず決着をつけなければならない女の子達がいる。透華達涼宮三姉妹。あの子達とこそ、俺は結論を出さねばならないのだ。

 

「分かってるよ。順番だからな」

 

全てはこの戦いが終わってから。果ては見えている。モリアーティを強襲、逮捕してノアとナヴィガトリアからなるNの潜水艦隊を解体し、戦争と混沌が支配する世界を回避すること。それがこの戦いの目標。

 

「それならいいです」

 

メヌも、今は自分の番ではないことを分かっている。だからメヌはそう頷いた。

 

それをリサ達は呆れ顔で見ていたから、俺は手で「ゴメンね」とだけ返すのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

その後はレストラン・シンでチャイを飲みながら皆でワイワイと駄弁っていた。その頃にはカーバンクルも皆に馴染み始めていた。特に同格の女神らしいルシフェリアやレクテイア出身のエンディミラ、レクテイアじゃ貴族らしいエリーザとは共通の話題も多いようで話が弾んでいた。

 

それにレクテイアにルーツがあることが判明したリサや、魔術の使えるジャンヌもその輪に入り、遂にはこれまでほぼ無表情だったカーバンクルですら微笑むくらいには姦しい声が聞こえてきていた。

 

俺はと言えばそれを眺めながら時折巻き込まれたり追い出されたり……何だか久しぶりに同世代の友達とくぅだらない雑談に花を咲かせたような気がしていた。

 

すると、そこに1人の男性が入店してきた。いや、俺の右眼がその魂を捉えているから、それが誰なのかは確実なのだけれど、どうしても俺はそれを信じることが難しかった。

 

何せその男性の歳の頃は20歳ぐらいで、撫で肩気味の肩線、狭い返り襟、ウェスト高めの型の古い準英国風のスーツをステッキ片手に着ていたのだ。

 

髪柄は七三分けで黒髪、黒い口髭は古めかしくて、けれどそれがまったく変には見えない。二重の目は大きくて少し濃いめの顔。スーツの下に隠された身体には筋肉がしっかりと詰まっていそうだ。

 

そんな風体だから、俺はこの人が()()()だとはにわかに信じられない。だけど、こいつの持っている魂は正しく()()()のもので……。

 

「礼を言わせてほしい、ミスター・カミシロ。武偵───探偵の進化系に出会えて驚くと同時に光栄な気分だよ。それに、君の持つ力には何度も驚かされた」

 

まるでシャーロックが話しているかのような喋り方をする、古臭いガチガチのキングス・イングリッシュ。現代でこんな喋り方をするのはきっと俺とシャーロックだけだろうと思っていたのだが……。

 

「……ダイダラ=ダッダ」

 

俺はコイツの名前──もっともそれは偽名だけれど──を呟く。もちろん驚いているのは俺だけではない、リサやメヌ、ルシフェリアにカーバンクル、エリーザもコイツのことを見て驚いていた。

 

更に、今初めてコイツを見て、しかも聞いた名前は偽名にも関わらずアリアとワトソンはブフゥーー!!とチャイをお下品にも吹き出している。それから2人は目を見合わせてアリアは椅子からずり落ち、ワトソンは地べたに女の子座りで座り込んだ。

 

「うん。僕もかつてそうやって失神したことがある。この世にいないと思っていた者がこの世にいたのを見ると、なるほど腰を抜かしてしまうものなのだね」

 

「ミスター・カミシロ、今は色々聞きたいことがあるだろうけどね。簡単なことだったのだよ。何せ返そうと願った瞬間に、そうなったのだから」

 

そしてダイダラ=ダッダ……いや、ジョン・ハーミッシュ・ワトソン1世は語り出す。カーバンクルの命の話と、呪いの話と、シャーロックの助力で自分の命を若返らせていたことを。

 

そしてシャーロックまた喋り出す。そのよく動く口は、ワトソン1世の正体を隠していた理由を遂に明かした。しかしそれは半分くらいは遊び心で、ただアリアやワトソンを驚かせたいばかりのようにも思えた。

 

「では改めて紹介しよう。天人くん、キンジくん、僕に続く第4の男、ジョン・ハーミッシュ・ワトソン1世。19世紀からの僕の相棒。ワトソンくんだ」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「じゃあ、約束忘れんなよ、シャーロック」

 

「勿論だとも。僕はこれでも記憶力は良い方だからね。それに義理も守るさ」

 

シャーロックからの依頼をこなした俺達は一旦日本に戻ることになった。日本というか、もう1つの世界に行くつもりだからだ。あっちでもやることがあるし、きっとこの世界にいても俺はこれ以上は強くなれないだろうという予感もあったからだ。

 

この世界の力の頂点は聖痕の力だ。だからそれが蓋をしているこの世界にいても俺はもう新たな力を得ることは出来ない。精々がアーティファクトに新たなアイデアを投入するくらいで、それの元となる発想力だってこの世界じゃ限度がある。

 

だから俺としては新たな力を手に入れられる可能性として別の世界を選び、向こうの日本で新たな想像力を手に入れるつもりだった。

 

そして俺は扉を開く。光が輝き世界の境界が揺らぐ。仄かに香るその匂いはこっちの風の香りとよく似た香り。だけど似ているということは違うということ。俺達はその扉の向こうへと、足を踏み入れた。

 

 

───────────────

 

 

 

「ここが……」

 

「お、ちょうど昼間?」

 

俺達が降り立ったのは香織の家の傍、人目に付かない場所を羅針盤で指定して飛んだ俺の知る日本とは少し違う日本。鼻腔を通る香りは俺の知っているそれとほぼ変わらない、現代文明の匂い。

 

「さてさて香織さんは、と……」

 

と、俺は羅針盤を取り出してそこに魔力を注ぐ。だが俺の希望にそぐはずに香織はどうやら自宅にはいないようだった。

 

「……体育館?」

 

どうやら香織がいるのは市民体育館のような場所のようだ。

 

「……香織は?」

 

すると、特に意味は無いのだがユエが羅針盤を覗き込んできた。どうやら余程香織に会いたいらしい。ユエ、トータスじゃしょっちゅう揶揄っては2人で喧嘩してたけど何だかんだで香織のこと大好きなんだよな。もっとも、本人は頑なにそれを認めようとはしないけど。ま、傍から見ればそれもまた照れ隠しなのは分かってるから尚更愛らしく映るんだが。

 

「んー?ちょっと遠出してるみたいだな。まぁいいや。取り敢えず行ってくるよ」

 

「……私も行く」

 

「私も行くですぅ」

 

「妾も久しぶりに香織の顔を拝むとするのじゃ」

 

「ミュウも香織お姉ちゃんの所いくの!」

 

レミアもミュウが行くなら行くだろうし、どうやらトータス組は皆俺に付いてくるつもりらしい。そうなれば当然に透華達やルシフェリアも一緒だ。勿論カーバンクルだってついて来ている。そんなに大所帯で行っても仕方ない気がするけどな。

 

正直この街が何県の何市なのか知らないし、例え知っていたとしても土地勘の働く土地とも限らない。だから俺は羅針盤だけを頼りに香織のいるらしい体育館へと足を運ぶのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……大会やってんのか」

 

羅針盤の指し示した香織の居場所は思いの外遠かった。て言うか隣町まで行く羽目になった。途中で面倒くさくなった俺は気配遮断のアーティファクトを全員に配ってティオの背中に乗せてもらうことにしたのだった。

 

「……お、いたいた」

 

竜の背に乗り辿り着いたのは大きな体育館。その2階の観客席に香織はいた。横には彼女の親友である雫もいる。案内板で確認したが、今フロアでやっている競技は剣道だったから雫は自分とこの学校の剣道部の応援に、香織もそれに付き合っているのだろうか。俺が香織達を驚かせようと少し遠くから声を掛けてやろうかと思った瞬間、前に少しだけ見た顔───南雲ハジメ君がやって来た。どうやら飲み物を買ってきたらしい。お優しい彼は香織と雫の分まで買ってきていて、ペットボトル飲料のお茶をそれぞれに渡していた。

 

「香織!!」

 

「───えっ!?」

 

まだ10メートルほど距離はあったけどあんまり近付くと、固有魔法で隠さなければ香織や雫には気配を気取られかねないので俺はこの距離で大声で香織を呼ぶ。

 

香織も、まさかここで聞くとは思っていなかった声に驚いた様子で振り向いた。

 

「た、天人くん!?───それに皆も!?」

 

「えっ!?」

 

香織のその声に雫もこちらを振り向いた。それを見て南雲くんも「えっ?」と当たりをキョロキョロと見渡している。

 

俺は「よっ」と手を挙げて2人に応えてやりながらそちらへ向かう。すると南雲くんもこちらに気付いたようで、キョトンとした顔をしている。ま、俺は彼の顔を見て一方的に知っているけれど南雲くんは俺の顔なんて知らないからな。

 

「な、なんで天人くんが?」

 

「そうよ、急にどうしたの?しかもそんなに大勢で……」

 

「え、えっと……」

 

三者三様、それぞれの困惑が顔に表れている。俺は「ちょっと2人に話があってな」とだけ返して南雲くんを見やる。背はそれほど高くない。少しだけ幼い顔立ちで身体の線も細い。だがその瞳は優しげで、そして見た目よりも意志の強そうな光を灯していた。

 

「初めまして。神代天人だ。……香織達の話は聞いてる?」

 

きっとトータスでの話は多少なりとも香織から聞いているだろうし、ニュースでも散々ぱら取り沙汰されているのも聞き及んでいた。だが俺のことを香織達が彼にどれほど話しているのかは知らないのでその確認。

 

「え、まぁ、少しは」

 

「信じてほしいのは、コイツらは嘘を言っていないってことだけだよ。香織は……向こうで俺ん弟子、みたいなもんだったんだ」

 

「あぁ、それも聞いています。少しだけ」

 

「そっか。……敬語はいらないよ。俺ぁそんなに偉くもないし、歳だけで敬語使われるの苦手なんだよ」

 

と、俺は南雲くんに手を差し出す。握手しようぜってことで。

 

「あぁ、うん。分かったよ。えと……神代、君?」

 

「名字でも名前でも好きに呼んでいいよ。南雲」

 

俺の言葉に南雲は「うん」と頷きながら俺の手を握り返してくれた。その握力は思いの外しっかりしていた。

 

「ちょっと待っててね、今試合が良いところだから」

 

と、俺のお弟子さんは俺の事を華麗にスルーして、もう眼下の試合に見入っている。雫も、まずはそっちが優先らしくちょっと俺に手を合わせて下で行われている剣道の試合に視線を戻していた。俺も南雲に肩をすくめて見せてから香織達の視線を追って下で響く竹刀のぶつかり合う音に意識を運ぶ。それに習ったのかユエ達も皆眼下で行われている剣道の試合に意識を向けた。

 

どうやら今俺の眼下で始まった試合は個人戦の決勝戦のようだった。香織達の学校の選手と他校の選手が向かい合う。それにしても、相手側の選手は随分と背が高いな。女子の部のはずだが180センチは越えていそうだ。上背だけでなく、防具の上からでも鍛え上げられた肉体を持っていることがよく分かる。かなりガッチリした骨格と隆起した筋肉は、男のそれとも張り合えそうなくらいだ。

 

「アイツすげぇな」

 

俺は思わずそう呟いた。実際、試合が始まると強烈な気合いの咆号を上げながら竹刀を打ち込んでいる。だがアイツの剣はただ恵まれた体格と鍛えたパワーに任せたものではない。小賢しいフェイントこそないものの、正確にこちら側の選手の体勢を崩しにきている。考えられた攻め手と、その技術を更に昇華する膂力により、相当の───それこそ剣道だけに限れば強襲科の奴らにも勝てそうなくらいには上手だったこっちの生徒も遂に耐え切れずに竹刀を泳がせてしまった。

 

そして、そんな致命的な隙を見逃してくれるほど相手は甘くない。

 

ハスキーな、そして剣道特有の大きな叫び声に乗せた竹刀の一撃が、彼女を捉えた───

 

試合開始直後に取られた面の1本と合わせて、勝者はあの背の高い他校の生徒だった。

 

そして、試合終了後の礼を終わらせた彼女達だったが、何やら背の高い方がこっちの生徒に何やら話し掛けている。話し掛けていると言うよりもあれは───

 

「なんか揉めてんな。……雫、お前んことらしいぞ」

 

「そうみたいね」

 

トータスで魔物を喰らってから俺の耳はシアのウサミミ程ではないけれど、それでも人間としては広い範囲の音を拾えるし聴き分けもそれなりだと思う。ちなみに中空知の耳の聞き分けの精度だけならシアすらも遥かに凌ぐのでアイツはアイツで凄い耳を持っているなと思う。

 

で、そんな俺のお耳が捉えたのは向こうの背の高い女がこちらの生徒に詰め寄り何やら雫がどうして試合に出ていないのかって話をしている音だった。

 

もしや選手生命関わる怪我かとも心配している辺り、どうやらアイツも悪い奴ではなさそうだ。だが怪我でないのなら、どうして雫はあそこで見ているのだと更に凄まじい剣幕で迫るそいつ。

 

だが雫が剣道部を辞めた理由が至極個人的なものであると聞いた途端、そいつは面をかなぐり捨てるように脱いでコチラを鬼の形相で睨んできた。そしてその視線が雫の横にいた俺も捉え───そして彼女を止めようとしがみついていた向こうの生徒すらも引き摺ってコチラに来ようとしている。

 

「ありゃあもうお前が出ないと引っ込みつかねぇだろ」

 

「……そうみたいね。行ってくるわ」

 

「おう」

 

と、俺は2階から降りようと階段へ向かう雫を見送ったのだが───

 

「何?」

 

それはそれは湿気ったジト目で香織が俺を睨んでいる。今の俺の言動の何が不満だと言うのだろうか。

 

「……分かったよ」

 

その目は俺に「雫ちゃんに着いて行け」と言っていた。アイツが剣道部を辞めた理由なんて俺のせいじゃないだろうが、まぁアイツのあの目線は変な勘違いを起こしているかもだしな。余計なことに巻き込まれるのも嫌だし行ってやるか。

 

と、俺も駆け足で雫に追いつき、仕方なしに1階の試合会場に足を踏み入れた。

 

すると目の前にいたのはやはり背の高いあの女。日本人で俺より背の高い女ってのはそうそういないから中々新鮮だ。

 

そして、そいつは俺と雫をギョロりと見渡すと───

 

「八重樫ぃ!あなた、それでも武士なの!?」

 

試合中にコイツの発した抱合は随分と野太いものだったがあれがまるで冗談だったかのように可愛らしい声でそんなトンチキなことを言い出した。

 

「武士ではありません」

 

そして雫のその至極真っ当な───そして質問が質問だけにやはり傍から見たらトンチキ極まりない回答に俺は思わず頭を抱えるのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

問い詰められたのはやはり雫が剣道部を辞めた理由。そんなもの、トータスで与えられた圧倒的身体能力(フィジカルギフテッド)はこの世界の人類とスポーツに興じるには強すぎるからに他ならない。だがお優しい雫さんはそれを素直に伝えるのに少し躊躇い、そしてそのホンの数秒が目の前で怒りを隠そうともしていないMs.ブシに余計な詮索をする隙間を与えてしまった。いや、元々その詮索を持っていた、と言うべきだろう。

 

「なるほど。……信じたくはなかったけど───男に走ったわけね」

 

そいつは俺を見やりながらそんなことを言い出した。ほらな、やっぱりそんな誤解をするんじゃないかと思ったよ。で、雫がそれに何かを言い返す前に何やらとっても怒っているらしい視線が俺に突き刺さる。ガタイの良いその女の視線を見て周りの奴らがビビり散らかしているけれど、そんなの、蘭豹や綴の方が何億倍も怖いんだよね。

 

「くわぁ……」

 

と、たかが剣道が強い程度の一般女子高生に睨まれた程度じゃ凄みにもならない俺は思わず欠伸。

 

「───っ!!」

 

それを当たり前に挑発と受け取ったそいつは俺をさらに強く睨む。周りの奴らは俺の行動で今までより更に輪をかけてビビり散らかしている。

 

「そーゆーの、東京武偵高校(ウチ)の先生達の方が怖いんだよね」

 

斬馬刀背負って事ある毎に大型拳銃(リボルバー)ぶっ放ちバスを素手で横転させてコンクリのプールを拳で破壊するアル中女とか、年中違法っぽい臭いの葉巻咥えながらラリってる拷問大好き女とかに比べたら、コイツなんてアキバのメイド並みに可愛らしいんだよ。

 

「あぁもう!天人も煽らないで!……えっと、それで、どうしてそんなに私に拘るのかしら?」

 

ようやく話が進みそうなので俺は1歩下がって上を見やる。そこでは香織だけでなくユエ達までもがこれ見よがしに大きな溜め息をついていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

決闘は数日後に行われるとのこと。決闘は犯罪とか言ってはいけない。それ言い出したら俺も逮捕されちゃうからね。俺はそんなものには興味は無いのだが、香織からは"来なけりゃ分解するぞ"的な視線を頂戴してしまったので仕方なくまた来ることにした。けれどそもそも俺の本題は雫の決闘なんかじゃなく、ハウリアの拠点確保と最近また騒がしくなってきたらしいこの世界への対策だというのに……。

 

で、その決闘の前日、放課後の時間に何故か俺は雫に言われて1人で雫の家を訪れていた。それまではユエ達は香織の家や雫の家にそれぞれお泊まりだったり一旦俺達の世界に戻ったり。俺は坂上の家だけでなく、何故だか南雲の親に呼ばれて南雲家にお世話になった。いや、呼ばれて直ぐにトータスどころか武偵についても質問攻めにあったからきっとあの人達は異世界の話をしこたま聞きたかったんだろうなぁ……。俺が答える度に楽しそうにメモ取ってたし。

 

「んー?」

 

そして、呼ばれたものは仕方ない。辿り着いたこのは羅針盤で確かめてもやはり雫の家だ。中には雫がいると羅針盤も示しているし。だがこの広い武家屋敷みたいな雫の家から漂う気配が尋常じゃあない。どうやら家族が俺に会いたがっているからとか何とか言われたが、これ全く歓迎するムードじゃないよね?前に来た時はこんなじゃなかったような気がするんだが……。

 

「まぁいいや」

 

俺は、多重結界も気配感知の固有魔法もオフにしておく。何となく、どんな歓待を受けるのか興味があったのだ。トータスで見た雫の体捌きはただの剣道のそれとは違っていて、どちらかと言えば柔術……それも日本の古武術に近いものがあった。見慣れたところで言えばキンジの戦兄妹だった風魔陽菜やアリアの戦姉妹だった間宮あかりとか、この辺の奴らによく似ていた。

 

実は間宮の方もジャンヌや透華達に調べさせたことがあって、コイツも公的な忍者だったら奴らの末裔だってことが分かっていた。

 

つまりはまぁ、雫の動きはそういう忍者的な奴らの動きに近かったのだ。天之河も同じ八重樫家の道場に通っていたらしいのにコイツはただの剣道家の動きだったので、余計に雫の技能が気になっていた。

 

「……」

 

木製の門に取り付けられた、やや浮いた雰囲気のチャイムを鳴らせば雫の母親と思わしき人物が出て、中に入るように促された。

 

見た目が厳ついだけで特に施錠はされていなかった門を押して開けばそこには日本庭園の様な庭が広がっており、門から玄関まではやや蛇行した石畳が連なっている。

 

それを踏みしめて玄関まで真っ直ぐに歩き出せばすぐ真後ろから殺気。俺は咄嗟に前方に転がるようにして距離を取ろうとすれば、俺の首のあった場所には迷いなんて1ミリも感じられない勢いで白刃が煌めいていた。

 

まったく……強襲科や諜報科でもこんな歓迎のされ方は中々しねぇよ。

 

先に手を出したのは向こうだし、売られた喧嘩は買わなきゃ強襲科の名折れ。俺は1歩踏み込むと忍者刀を構えた男の懐に入り込み、その鳩尾に拳をめり込ませる。そしてそのまま腕を振るってそいつを投げ飛ばし、これまた後ろから俺の頸動脈を狙って振るわれる刃──今度は黒刀だ──をしゃがんで躱すとそのまま肘を振り抜いてレバーに一撃。振り返り様に股間に掌底を入れる。

 

嫌な感触はあるがそれで悶絶する男を放って歩き始めた俺の内腿を狙って地面の中から吹き矢が飛んでくる。

 

それを半歩ズレて避けると今度は屋根の上と、庭に植えてあった立派な松の木から俺の頭を目掛けて十字砲火(クロスファイヤ)のスリングショットで球が放たれた。

 

先に到達した俺の側頭部を狙って放たれた球を、潰さないように捕まえた俺は、デコを狙ってきた奴目掛けてそれを指先で投擲。更に足元の石ころを拾ってそれは吹き矢を放った奴と松の木にいる奴に投げ付ける。

 

どうやらスリングショットから放たれた物は催涙弾のようなものだったらしく、屋根の上に隠れていた奴が悶絶している。そして、ここまで騒げば流石に雫も気付いたらしく、ガラリと玄関の扉を開けて何やら俺の周りでぶっ倒れている奴らに怒鳴り散らかしている。その後ろから透華達が呆れ顔でこちらを覗き込んでいた。

 

取り敢えず向こうには手を振ってやり、ここではこれ以上の襲撃はなさそうなので俺は歩いて雫達の元へ。まったく、玄関に行くまででこの騒ぎかよ。まぁ、こういう歓迎のされ方は慣れてるって言えば慣れているけどね。

 

 

 

───────────────

 

 

 

結局、雫曰く、彼女の祖父と父が俺に会いたがっているらしく、彼らは俺に道場まで来いと言い残したようだった。そして、それに律儀に従っていたのだが、雫が部屋に戻った途端にまたもや襲撃の嵐。壁から槍は突き出てくるわ一部がクルリと回って奇襲を仕掛けてくるわ、角の向こうからは鎖鎌が飛んできたりもした。と言っても、その程度ならどうとでもなるから、俺はいちいち襲撃者を引き摺り出しては適当にボコって放って先へと進んでいったのであった。

 

そして俺はようやく道場にまで辿り着いた。そこには襲撃もなく先回りできたらしい雫と、雫の祖父と父親と思われる人物が白い道着を着て、正座して俺を待っていた。

 

「まさかここまで無傷かつこんなに早く来られるとは」

 

「……それ言っちゃいます?」

 

せめて、今までのは全部手が滑っただけとかにしてほしかったんですけどね。完全に故意なの認めちゃったよ。結局家族が何をやらかすのか心配で付いてきちゃった雫はもう頭抱えてるし。てか雫さんはお家が忍者屋敷なの知らなかった感じです?

 

「しかしなるほど。魔法の道具に頼らずとも相当に強者のようだね」

 

「そうすかね。あれくらいなら東京武偵高(ウチ)の後輩でも大丈夫そうな奴は大丈夫そうですけどね」

 

同輩なら不知火辺りは余裕そう。キンジもヒスれば確実に抜けられる。後輩だとライカはどうだろうな。無傷じゃ無理でも来れないことはなさそう。それに、風魔陽菜とかはこういうの得意そうだな。透華達も今なら聖痕を使わなくても抜けられるだろうか。

 

「さて、では私達と手合わせ願いたいのだが、宜しいかね?」

 

と、雫祖父からそんな申し出が。ま、断ったら分かってるよな?みたいな雰囲気出してる時点でイエス以外の答えを求めていないのが丸分かりですけども。

 

「ちょっとお爺ちゃん!?」

 

「いいよ雫。……良いですよ、売られた喧嘩は買わなきゃ俺が先生に怒られます」

 

俺も一応強襲科だからね。

 

「ふむ。涼宮さん達からも聞き及んではいるが、君らの通う学校は中々愉快なところらしいね」

 

「別に普通ですよ。ちょっと偏差値低めで荒っぽいですけど」

 

ゴメンなさい。本当は偏差値ちょっとどころじゃないくらいに低いと思いますけど、ここは少し盛らせてくださいな。

 

「ふははは。そうかそうか。では……」

 

「私から、手合わせ願おう」

 

まずは雫父から俺とやるらしい。雫は溜め息1つと俺に視線をくれてきた。その目は"やりすぎるなよ"と言っているようだったから俺は「はいはい」とだけ返す。もちろん目線だけで。

 

「始める前に1つ聞きたい」

 

「何です?」

 

「君には流派はあるかね?」

 

「んー、何でもあり(バーリ・トゥード)、ですね」

 

俺は、スキルや魔法を使わない時の戦闘スタイルは基本的にシャーロックから叩き込まれたバリツが基本で、後は八極拳とか色々ごちゃ混ぜだ。故に文字通りのバーリ・トゥード(何でもあり)

 

「そうか。……ではいざ!」

 

と、雫父が俺目掛けて突っ込んできた。俺の襟を掴もうとするその手を払い、右のショートフックをアゴ目掛けて放つがそれは上体を反らすだけで躱される。

 

だが俺は更に左拳でも追撃を掛ける。それも躱されるが俺は右のローキックから左後ろ回し蹴りへと繋げる。それらを少しずつ下がって躱した雫父は、俺の左脚が床に着く前に一息で距離を詰めてくる。俺も、この人達の戦い方は何となく分かっていたから予め力を溜めていた右脚で飛び上がり片足でサマーソルトを放つ。

 

それを無理矢理に転がって避けた雫父は低い位置から俺の膝目掛けてスライディングタックル。それも着地際を狙っての両膝蟹挟みだ。この野郎……何の躊躇いもなく人の膝の靭帯ぶった切るつもりだな。

 

俺はそれをその場で前宙を切って躱す。そして振り返り、スライディングから素早く立ち上がった雫父が立ち上がりの勢いのまま放った中段蹴りを股の力を抜いて躱す。さらに俺はそこから膝や肩も抜いて一瞬で彼の視界から消え、そして床に手を着いて、そこを起点にバネ仕掛けのように跳ね上がりながら彼の側頭部に蹴りを入れた。更に脚を仕舞い、今度は全身をバネにして雫父の腹に両足で腕の力も入れたドロップキックを決める。

 

中段蹴りを卍蹴りで返されたおかげでボディのガードが甘く、彼はそのまま壁まで吹っ飛んでいった。で、俺は強襲科の癖で壁に叩きつけられて沈んだ雫父まで一息に寄るとそのまま肩を蹴り抜───きかけて咄嗟に壁に目標を切り替えた。

 

 

───ダンッ!

 

 

と言う音がこの試合の終わりを告げる鐘の代わりとなった。

 

「……次」

 

俺が道場の真ん中に戻ると雫の祖父もスっと俺の正面に立つ。そしてそれを見て俺はフッと1つ息を入れて───

 

───ダンッ!

 

と、飛び上がり、大して高くない道場の天井に右手を着いて衝撃を吸収しながら左の掌底で天井板を打ち抜く。すると50センチ四方程の大きさに板が外れ、その板の端の方に何か硬い───具体的には人のアゴを打った感触が伝わると共に「ギッ───」という呻き声が聞こえてきた。天板が外れたので俺は右手でその縁を掴みつつ身体を背筋(はいきん)で持ち上げ、その声の主の襟首を掴んで引き摺り降ろす。

 

出てきたのは短いドスを持っていた30歳後半くらいの男性。コイツ、完全に俺を不意打ちで殺す気じゃん。俺はそれを壁際に投げ捨てるとそのまま床に降りながら身体を捻り反転。伸縮式の警棒を振り被って俺に迫る男の腕を取り、背中側へと捻る。そのまま俺はそいつの背中に乗ったまま体重で彼を押し潰し、警棒を奪い取り立ち上がる。

 

何せこの警棒男を制圧した途端に雫の祖父が俺に突進してきていたのだ。しかも踏み込み、縦拳を繰り出すと見せかけて最後に指を俺の眼球狙って突き出してくるオマケ付き。

 

俺はそれを上体を後ろに反らすことで躱し、右手に持った警棒でアゴを砕かんとそれを振り上げる。まぁ、そんな単純は攻めは簡単に躱されるのだが。しかも、横合いから殺気を感じて振り向けば飛んできたのは何本もの苦無(クナイ)

 

どうやら雫父が復帰して投げ飛ばしてきたようだ。あぁもう、流石は忍者だよ、不意打ち闇討ち暗器に乱入と何でもありだ。けど武偵だって何でもあり。この程度じゃやられてやれないよ。

 

俺は投げられた苦無を警棒で逆に雫父へと打ち返した。そして雫祖父の振り被った右拳───と見せかけた左手からの手裏剣の投擲を身体を外に逃がして躱す。更に勢いのままに警棒を、元の持ち主の足元へと投げ付ける。

 

既に立ち上がり、俺の死角に潜り込もうとした彼の足の間に入った警棒は、その男の足運びを阻害し、そのまま転倒させる。

 

そして指を猛禽類の爪のように開いた雫祖父が俺の顔面にそれを突き立てようとしてくる。目を潰す、と言うよりは眼球を抉り出そうというのだろう。まったく物騒な技だ。だけど物騒な技ならこっちも幾つか持っているんだよね。

 

俺は身体を反転させながら床を踏み込み、肩甲骨で殴るようにして雫祖父にぶつかる。更にもう一度反転しながら今度は心臓の真上に掌底をぶち込む。この掌底の瞬間に俺は瞬光を使わせてもらっている。こればっかりは中々難しい技なんでね。

 

俺の掌底を受けた雫祖父は「カッ───」と一言呻き、思わず胸に手を当てながらそのまま膝から崩れ落ちた。明らかに普通に掌底を受けたダメージとは思えないそれに雫が目を見開いている。俺はそれを放って背中側に回り込み、両手で背中と胸を殴る。これも、衝撃が体内で暴れるように調整をしたものだ。

 

そして俺の目論見通り、一旦は()()()()()()()()()()()()()()()()が、俺の乱暴な心臓マッサージによって動き出した。

 

そして、急に心肺が動き出したもんだから雫祖父は咳き込みながら俺を見上げている。

 

「心臓さん、束の間の休息はいかがでしたか?」

 

雫祖父の異常な倒れ方で場の空気は戦闘モードから解き放たれていた。挙句に俺のこのセリフでこの場を支配していた緊迫感は完全に雲散霧消。

 

雫の溜息がやたらと大きく響いた気がした。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「いやぁ、流石は世界を救った魔王というところな?」

 

鷲三さん──雫の祖父──はあっけらかんとした雰囲気でそんなことを宣う。雫の父である虎一さんもそんな雰囲気だし、まったくタフな一族だよ。鷲三さんに至っては一瞬とは言え心肺停止に追い込んだってのに。

 

「これでも強襲科のSランクやらせてもらってるんで。勝てなきゃランク返上ですよ」

 

アリアや理子、ヒスったキンジとかならあの程度なら勝てる相手だ。ま、流石に最後の掌底と蘇生はキンジくらいじゃないと出来ないかもだけど。

 

「て言うか、八重樫流ってやっぱり普通に忍者やってんすね」

 

と、俺が気になっていたことを指摘すると2人とも目を逸らし───

 

「いやいや、忍者なんているわけないだろう?漫画の読みすぎだよ」

 

なんて言われてしまった。いやいや、もう今更隠さなくてもいいでしょう。

 

「いやいるでしょ忍者。俺も知り合い……って言うか後輩に2人はいますよ、忍者」

 

間宮あかりは忍者って言うか暗殺者って感じだけどな、しかも公式の。まぁあれも半分忍者だ。さっき鷲三さんが俺の眼球を抉り取ろうとしたのとよく似た技を間宮も持ってるし。

 

だが俺の言葉は2人には意外だったようで、心の底からポカンとしている。え、忍者ってこっちだとそんなに珍しいの?

 

「だからそんな、誤魔化さなくていいですよ。雫の動き見れば、ここがただの剣術道場からの地続きじゃないことは分かってたんで」

 

「……いや、ここはちょっと雑技に精通しているだけの剣術道場だよ?」

 

どうやら八重樫家の男児はここの秘密を絶対に明かさない腹積もりらしい。まぁそれならそれでもいいけど。無理に聞き出して言質取る必要も無いし。

 

「……まぁ何でもいいですけどね」

 

「それでだな。君を呼んだのは、雫を振った男がいると言うからどんな男かと興味があってね。しかし、想像以上に多芸のようだ」

 

「そうでもないですよ。心臓震盪による外傷を与えない殺害とか、殺し屋(スイーパー)でもないのに使い道ないですし」

 

ここでさっきの掌底のタネ明かし。あれは掌底による衝撃で心臓震盪を起こし、余剰エネルギーで肺の働きも止めて心肺停止状態を作り出す技なのだ。ちなみに外傷もほぼ無い。もっとも、武偵法9条をぶっち切る技だからろくに使えないのだけれど。

 

「それより、こっちはどんな感じですか?」

 

いつの間にやら透華達だけでなく香織の所にいたはずのユエ達もこちらに来ていた。あとはユエが呼んだのだろうか、なんとメヌまでもが八重樫家の道場に集まっている。

 

「ふむ……やはり静かとは言えないね。日本国内にも諸外国からあまり歓迎できない雰囲気の方達も入ってきているようだし」

 

へぇ……。まだまだ色々目ぇ付けられてんだなぁ。

 

ちなみに俺達……と言うか帰還者と呼ばれているアイツらは当然この国からも睨まれている。そりゃあそうだ。白昼の普通科高校から1クラス分程度の人間が急に消え去り、そして2週間もの間何の音沙汰も、そして必死に行われたであろう警察その他の捜索でもってしても何の手掛かりも掴めなかったのだ。それが急に帰ってきたと思ったら生徒は3人足りないし、戻ってきた奴らは奴らで「異世界で魔人族や魔物、神様と戦ってました」なんて訳の分からないことを宣うのだ。しかも1人は完全に塞ぎ込んでいて、周りはその理由を「向こうでの戦いでショックなことがあったから」なんて戦場帰りの兵士かのように語るのだから。

 

あとこれは香織から聞いているのだが、俺の存在も一応話されているらしい。曰く、「別の日本から一緒に召喚された奴で自分らの中で1番強い。私達に危害を加えたら総理官邸と国会議事堂ごと貴方達を消し飛ばします」だってさ。

 

酷い言われようだよな。やるなら人払いしてから建物だけ消し飛ばしますよ、ちゃんと。人死には考慮致します。勿論それが可能であるということは現代の映像記録媒体に残してしっかりとお見せしてある。……いや、本当は何人かのお偉いさんをトータスに拉致って太陽光収束兵器の火力を目の前で見せつけたんだけど。

 

しかもなまじ俺が出張って世間様からの追求や裏手からの調査も全部、まるで潮が引くように大人しくなったもんだから、腕力以外の搦手もあるぞということで向こうも相当にビビっているらしい。

 

それで日本政府と帰還者達は間に代理人を立ててやり取りをしたりしなかったりなのだが、今のそれは服部幸太郎という人物が担わされている筈だ。

 

この人とは俺も会ったことがあるが、正直やり合いたくはないね。何と言うか、公安0課の奴ら程じゃあないけど、それでも充分に強者の香りがするんだよね。ま、これまで割と何人ものエージェントが入れ替わりになったからな。今のこの人は長続きしているらしいから大事にしてやらんとな。

 

エージェントが辞める理由はだいたいが探り過ぎに尽きるし。俺は香織や雫、遠藤に魂魄魔法入りの洗脳アーティファクトを渡してあって、もし国の用意したエージェントが()()()であるようならそれを使って追い返せと言い含めてある。

 

だが今の担当者───服部さんはそこら辺弁えているのか興味が無いのか、取り敢えず今のところはコチラにも深入りせずにいてくれている。

 

そして当然俺達の側も子供達だけで大人と対峙するわけがない。特にこっちには俺がいてやれないのだから……いや、俺はアーティファクト以外は大した役に立ちはしないのだが、代わりにそういう戦いが得意なリサがいない。だからこそこっちもそれなりに()()()()大人の力に頼っているのだ。

 

それが八重樫家の大人達。彼らは警察官にも顔が効くらしい。しかも雫の親や祖父であるから俺達の事情もしっかり把握し、また信じて庇ってもくれる。

 

他の奴らも各々親や家族には自分の魔法を見せてやって信じてもらってはいるらしいのだが、こんな風に大人の世界の戦いを手伝ってもらっているのは八重樫家だけだ。て言うか、殆どの奴らが一般家庭なのでそんなことはさせられないし。

 

「なるほどねぇ……。ローマだかバチカンだかの方は何か聞いてます?」

 

ちなみにイギリスとは良好な関係を築くに至ったので当然そちらにもお願いをしている。イギリスとしても俺達からの好感度が高ければまた異世界(別の日本)の縫製技術や科学技術のお零れに預かれるかもしれないし、何より帰還者達に何かあって俺とマジの喧嘩になれば空間の隔たりを無視できるコチラに対して勝ち目がないので出来る範囲で手伝ってくれているらしい。

 

現金な奴らだと思わんでもないし、何より俺には防弾繊維を除けばそんなにアイツらの利益になるような物は出せやしないから半分化かし合いに近いものがある。アーティファクトなんて配ってられないしな。

 

「いや、そちらはまだ何も。と言ってもまだ数日だからねぇ。そう一筋縄ではいかないだろう」

 

「ですね。まぁ何かあればまた香織辺りが俺んこと呼びつけると思います」

 

あの子俺の扱い雑だからね。

 

「じゃ、俺ぁ暫くこことあっちを行き来してるんで」

 

日本にはあんまり居ないかもだけど。さてと、ずっとこの道場で座り込んでする話でもないからと俺達は立ち上がる。そうして皆でリビングに戻る途中でもやっぱり俺は四方八方上下左右から不意に襲撃されるのであった。

 

ホントこの家は仕掛けが豊富ですね……。

 



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退部の理由

 

 

「……で?」

 

インドはムンバイから越境鍵で日本に帰ってきた直後。今私はフローリングの床に正座させられています。最近は何だかお決まりになりそうなこの光景。つまりはまぁ、ユエ達から詰められています。何を?決まっている。何の相談も無しにカーバンクルを仲間に引き入れたこと……と言うより明らかにカーバンクルから好意を寄せられている状況を作ったことをだ。

 

ちなみに当の本人はルシフェリアとエンディミラ、ジャンヌに連れられて洋服を買いに行った。そこにテテティとレテティもくっ付いている様子。しかもどうやらルシフェリアもお洒落というのに興味があるらしい。最初の頃はあの黒い衣装に拘ってたのにね。まぁいいけど。

 

「……シャーロックからの依頼はカーバンクルの無効化だったんだよ。だけどアイツは俺との戦闘を警戒して大人の身体に戻ってた。だからそのままだとシャーロックからの依頼を完遂できずに報酬を全部貰えない可能性があった」

 

「はぁ……。それで、カーバンクルを味方につけてシャーロックからの依頼を完璧以上の成果にして報酬を全て引き出した、というわけじゃな?」

 

俺の言葉を聞いて最後まで察してくれたのはティオ。俺はその言葉に「うんうん」と頷く。まったくもってその通り。俺には下心なんて微塵もないんだよ、という意思を示すのだった。

 

「ま、天人さんの女癖の悪さは今に始まったことじゃないですぅ。そもそも、ここにいる私達皆それで引っ掛かったようなものですからね」

 

「うぅ……」

 

俺はそんなシアの言葉に対して唸ることしかできない。リサ、ユエ、シア、ティオ、レミアの視線が俺の丸まった背中に集まっている。幸いなことにミュウはまだ幼稚園から帰ってきていない。

 

「……天人」

 

「はい……」

 

「……天人が女の子にモテるのはもう仕方がない。けど、私達の知らないところで新しい女と仲良くなるのは……ちょっと辛い」

 

「ゴメン……」

 

俺はユエ達にそうやって謝ることしかできない。俺の本心や狙いが何だろうと、事実として俺はカーバンクル──彼女達の知らない女の子──に彼女達の与り知らぬところで、好意を寄せられたのだから。しかもちょっとした偶然を大きく解釈されてとか、仕事で助けた子から一方的に、とかではない。

 

確かに、カーバンクルをもっと完膚無きまでに叩き潰して屈服させるやり方も出来ないではなかったのだから。

 

だけど俺はそれを選ばなかった。その方法が趣味ではなかったというのもあるし、そうしなくても解決できる可能性が高かったというのもある。もっとも、全ては言い訳でしかないのだけれど。

 

「……それで、どうするの?」

 

と、ユエが俺の前に腰を下ろしてそう尋ねる。俺は「んー」と1つ頭を捻ってから

 

「……取り敢えず、香織達の方をアイツが手伝うかは知らんけど、あっちが終わったらネモ達に預かってもらおうかなぁ」

 

ウチに置いておいたら大変なことになりそうだ。あの子、もう俺と番うだの何だのと言っているし、ホントどーしよ……。

 

「それであの子が素直に行くとは思えないですぅ」

 

「妾もそう思うぞ、シアよ」

 

「……んっ」

 

と、ユエ達からは否定的な声が。リサとレミアも「うんうん」と2人して頷いているし。とは言えこの家にはもう部屋は無いのである。カーバンクルがどう考えているにしろ、こっちの部屋に住んでもらうのは難しいし、レミア達の部屋だってもう空きは無いはずだ。レクテイアの神だったのならノーチラスでも歓迎されるだろうし、どうにか言いくるめないと……。

 

「……でも、天人だって分かってるでしょ?」

 

何を、というのをユエは言わなかったが俺にはそれで充分に伝わった。だから俺は「うん」と頷き、ユエの頭を撫でる。俺の手が触れるだけでユエの髪の毛からフワリと漂う甘い香りに俺は何故だか涙が出そうになった。だけどそれをグッと堪えてユエの額にキスを1つ落として立ち上がる。

 

「それでは夕ご飯の支度を始めますね」

 

「私も、そろそろミュウを迎えに行ってきます」

 

すると、それを合図にリサとレミアがそれぞれ立ち上がったので

 

「んっ、俺も行くよ」

 

と、外の空気を吸いに出るのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

市民体育館での騒動から数日後の放課後。俺は香織達の学校の武道場に来ていた。そう、雫と不動明──あの背の高い剣道少女の名前らしい──の決闘を見届けなくてはならないからだ。

 

で、俺は雫の他に数名残っていた剣道部員達と駄弁りながら不動を待っていた。他の子達は香織達と遊びに行ってる。どうやら誰も決闘に興味が無いらしい。

 

それを知った雫はちょっと落ち込んでいたけれど、今は黙って正座して精神を集中させている。そんな奴の後ろで無駄話もどうかと思うが俺も正直この時間は暇なので仕方ない。

 

「マジで!?そんな先生ありなの?」

 

「俺んとこじゃ結構普通だよ。前にプールの授業やった時なんて───」

 

みたいな、武偵高の話を少しオブラートに包んで話してやると割とこれがウケた。流石に社会の先生(綴梅子)が年中違法っぽい葉巻咥えてラリってるとかはまだ言えないけど。

 

と、そんな風に雑談に花を咲かせていると、武道場の入口に人の気配。どうやら不動明が来たようだ。

 

ガラリと横開きの扉を丁寧に開けて入ってきたのは上背が日本の女子高生の平均を優に越える180センチオーバーの超高身長に、武偵高の男子にも中々いないくらいに隆起した筋肉。あの歳でこれだけの筋肉をつけるには、当然血の滲む様な努力と、それなり以上に体質という才能にも恵まれていないとあぁはならないだろう。文字通りのフィジカルエリートでもある不動は、その瞳に強い敵意を漲らせながら俺達の前に現れた。

 

「……あぁ、この決闘、周りには言うなよ?」

 

と、俺は一応この戦いを見物に来ている他の部員に伝えておく。

 

「言いふらす気はないけど……なんで?」

 

んー、やっぱ決闘罪なんて知らないよね……。

 

「決闘ってのは本当は犯罪なんだよ。ドロボーとかと同じで、バレたら逮捕される。ちなみに見てるだけの俺達も同罪だからな。自分のためにも黙ってた方がいいぞ」

 

武偵高は教師も生徒も全員頭のネジか外れているから、身内で決闘しようがそんな話にはならないけれど、コイツらはそうもいかないだろう。だから念の為釘を刺しておこうと思ったのだが、それで正解だったみたいだ。

 

そんな俺の言葉で他の奴らはシンと静まり返った。その間にも2人の準備は進み、もう雫と不動は道場の真ん中で向かい合っている。そして、審判を務める生徒の「始め」の声と共に、この……何を決めるのかよく分からない決闘が始まった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

竹刀のぶつかり合う音が道場に響いている。だがいくら不動の実力が高校生の範疇に収まらないものだったとしても、雫の体力はもはや人の領域を越えている。おそらく単純な技術だけでも雫がやや優勢。その上膂力やスタミナはトータスに飛ばされた際に身に余る程のそれを与えられた。しかも反射神経、動体視力なんかも命の取り合いの中で磨かれたのだ。ただの人間(不動)相手に遅れを取ることなんて有り得ない。

 

そして実際に、数合打ち合った後に、不動にできた一瞬の隙を突いて雫は一本を獲得。そして始まった2本目も、同じように面取り一本で終わり。圧倒的なまでに、そして当たり前のように雫の勝ちだった。

 

けれど───

 

「はぁ……」

 

けれどそれには何の意味も無い。何やら雫は不動に声を掛けている。自分が剣道部を辞めたのはあまりに隔絶した実力差からで、自分の剣とあなた達の剣はもう方向性が違うのだと。だが不動はそんなことでは納得しない。当たり前だ、ただ実力が隔絶したところを見せつけられた程度では、自分らでは相手にならないから辞めたのだとしか思われないだろう。

 

前に大会会場で絡まれた時に俺は雫の彼氏じゃないと説明し、それには納得してもらえたが、どうやらまだ不動は雫が剣道を辞めたのは男絡みだという疑いを捨てきれていないらしい。

 

その上、美人でスタイルも良くて剣道も強くて俺ではないにしても彼氏もいるっぽい──と、勘違いしている──雫に自分の何が分かるのかと、ほぼ癇癪のような嫉妬をぶつけられている。

 

まぁ、ここまできて今だに誤解を拗らせているのは雫の対応が中途半端に優しいからなのだが、いい加減面倒だな。ここで変な方向に走られて後々雫に面倒がいき、そしてその責任を香織から俺におっ被せられてもダルい。ここは俺が全部分からせてやるか……。

 

 

───バシィィィィン!!

 

 

と、俺はそこら辺にあった竹刀で床を叩き、全員の意識をこちらに向かせた。

 

「天人……?」

 

その音に驚いた雫がこちらを見やる。だが俺はそれを無視して竹刀で不動を指す。

 

「雫、お前が半端するからこうなるんだ。……そこの……不動だっけ?雫が剣道部を辞めた理由は俺が分からせてやる。防具付けて構えろ」

 

俺は雫の制止の声を振り払って男子部員から防具を借り、それを着る。そうして不動の前に立ち───

 

「来いよ、俺だって剣道は触ったことあるからな。気にせず打ち込め」

 

チョイチョイ、と、左手で不動を挑発。不動も、俺の雰囲気で多少はやる気になったのか、相変わらず地声とギャップのある叫び声と共に俺に向かって竹刀を打ち込んできた。

 

だがそんなものが俺に避けられない筈もなく、俺は打ち込まれる竹刀をヒラリヒラリと躱していく。そうしていくうちに焦れて不動が大振りになった瞬間、俺は竹刀を振り上げて不動の竹刀を弾き飛ばす。そして身体を右に捻り、1歩踏み込んでただ力任せに突きを繰り出した。

 

何の技術も魔法も無いただの突き。けれど魔物を喰らって人の領域から外れた俺の膂力で突かれた不動は、叫び声を上げる間もなく真後ろに吹っ飛び、5メートルは空を飛んでから床をゴロゴロと転がった。

 

シーンと静まり返る道場にペタペタと不動へ歩み寄る俺の足音だけが嫌に響いている。そして倒れたまま呻いている不動の面を剥ぐようにして取り上げた俺は、自分も面を脱ぎ捨て不動の胴の防具を掴み、無理矢理に視線を合わせた。

 

「これくらいのことは雫にも出来るけどな。お前ん指摘通りだよ不動。雫が剣道部を辞めた理由は強すぎるからだ。……こんな、技術も何もなくてもたったの1振りで防具を着た人間が空を舞うんだ。まともな試合になるわきゃねぇよ」

 

「うっ……」

 

痛みか俺の言葉に対してなのか、呻く不動に俺は更に言葉を重ねる。

 

「お前もニュースくらいは見てんだろ?雫達が一時期消えた話は知ってるだろうが、ありゃあ真実だぜ。実際にアイツらは異世界に飛ばされて、そして戦争の手伝いなんてもんをやらされた。しかもそこで手に入れた力は今後一生、他の奴らと混ざってスポーツなんてやっちゃあ駄目なくらいの力だ」

 

後ろを振り返れば雫が近くに寄ってきて、ただ申し訳なさそうに頷く。その背中の向こうでは他の剣道部員達がバツの悪そうな顔をしてこちらを見ていたり俯いていたり。きっと彼らも雫の剣道部への復帰を大なり小なり望んでいたのだろう。

 

言葉の上では雫の言い分を聞いて納得をしたのかもしれないが、個人の部はともかく団体戦では確実に1勝を持って帰れる雫の力は欲しかったはずだからな。さもありなんってやつだ。

 

「だから雫は剣道部を辞めたんだ。お前らただの人間程度じゃ試合にならねぇからな。けどコイツは今でもお前や他の選手、それに剣道そのものもちゃんと大好きだし尊敬もしてるよ。だからこそ、望んで身に付けた訳でもないけど力でお前らや剣道を汚さねぇように部活を離れたんだ」

 

そこまで語った俺は「あぁそれと」と呟くと不動の耳元に口を寄せて───

 

「……雫にゃ彼氏はいねぇぜ。何せ前に俺に振られたからな。今アイツぁ失恋真っ只中の傷心中だよ」

 

「余計なことは言わなくていいのよ!」

 

と、こっそりと雫の秘密を教えてやったのだが、それは聞こえていたらしい雫にバチンと竹刀で頭を叩かれた。だがそれがより一層俺の言葉に真実味を与えたようだ。不動は雫を見てフッと笑うと

 

「貴女にも手に入らないものがあったのね」

 

なんて宣うのだった。それに雫が何かを言う前に

 

「あぁそうだ。不動お前、ちょっと制服持って来い」

 

俺はふと思い付いたそれを形にすべく不動に制服を持ってこさせた。その間に俺は羅針盤で座標を特定しつつ越境鍵を取り出し、体内の星の力も動員して魔力を注ぐ。扉を開いた先には羅針盤の導き通りにリサがいて、こちらをキョトンと可愛らしく見つめていた。

 

「リサ、エンディミラいる?」

 

「はい。いますよ」

 

「んじゃあちょっとコイツをお洒落にしてやってくれ」

 

と、俺は不動を引っ掴んでリサの方へと引き渡す。不動は唐突に、かつ自然に行われる異世界転移にもはや戸惑うことすら忘れている。

 

「はい。ご主人様のご命令とあらば」

 

で、リサはリサでまるで"ちょっと荷物預かって"とでも言われたかのような気安さでそれを受け入れている。それが余計に周りからの声を奪っていた。

 

「じゃあここ開けっ放しにしておくから出来たらそいつこっちに渡らせて」

 

「はい。分かりました」

 

お行儀良く一礼したリサが不動を連れて去り、道場には静寂だけが残された。そして、それを破ることが出来たのは雫だけだった。

 

「えと、今のがリサさんなのね?」

 

「おう」

 

「それで、エンディミラさん?というのは……?」

 

「俺ん嫁」

 

「……何人目の?」

 

「7人目。エンディミラが1番最後に家族になった」

 

テテティとレテティも同時に家族になったけどあの2人は嫁ではなく義理の妹か娘って感じだ。

 

「つまり、天人は私とリリィを振った後に2,3人も手篭めにしたということ……」

 

「手篭めって人聞きの悪い……。あ、レミアも当然いるよ」

 

「あっそう……」

 

何やら雫の雰囲気が重い。まぁ、自分を振ったハーレム男が後で更にそのハーレムを増やしているのだと知ったのだから仕方ないのかもだ。バカ正直に答えた俺が悪いんだろうし。

 

そして、それっきり雫が黙り込んでしまい、他の奴らも何かを喋る雰囲気ではないのでただ静寂がこの場を支配していた。とは言えリサ達が戻ってくるまであと30分はあるだろうし、それまで黙りってのも暇なので、俺はまた武偵高の先生達の話をしてやることにした。

 

そうして少しすると今度は道場の入口からとある人物達が現れた。

 

「あ、いましたいました。天人さん、雫さん」

 

「……んっ、大丈夫?」

 

「天人くんは何も問題起こしてないよね?」

 

シアと、それからユエだ。それに加え、ユエの頭の上から香織も顔を出してきた。どうやら遊びから帰ってきたらしい。あと香織は俺のことを何だと思っているのだろうか。人を問題製造マシーンの様に言うのは止めていただきたい。

 

急に現れた学年のマドンナと見たこともないような美少女2人、それも金髪紅瞳の女の子と青みがかった白髪の、明らかに日本人ではない2人を見てユエ達を知らない奴らがざわめく。しかし雫はそれを無視して

 

「ユエ、シア、香織も。えぇ、私は大丈夫よ。て言うか、誰も怪我なんてしていないわ」

 

そう告げた。しかし雫さんや、俺も何も問題は起こしてないですよ?そこもちゃんと否定しておいてくださいな。

 

という俺の儚き想いは言わないと届かないので

 

「待て香織。俺ぁ何もやらかしてねぇぞ」

 

と、キチンと言葉にして伝えておく。やはり言わなくても伝わるなんてことは世の中にはほとんどなくて、こうやってしっかりと口にして言葉を交わさなければな。

 

「へぇ。……その扉は?」

 

が、俺が異世界への扉を開いているのを目敏く───いや、ここまで大々的に開いていれば嫌でも目に入るのだが、それを見て「おら、正直に言えや」という雰囲気で俺を問い詰めてくる。

 

「んー?いやちょっと向こうでお洒落教室が開かれてる」

 

と、正直に白状することにした。

 

「何の話……?」

 

が、香織さんは俺の言うことを信用してくれていないので雫に確認がいく。すると雫は1つ溜息を付いて

 

「天人は私を振ったクセに向こうでまた女の子を誑かしていたって話よ」

 

「はぁ!?───ちょっと天人くん!!ルシフェリアとカーバンクルだけじゃなくて他にも女の子誑かしてたの!?」

 

おや?雫が随分な濡れ衣……いや、言い方が悪いだけで嘘ではない爆弾を香織にぶん投げたのだが、香織が微妙に変な誤解をしている。……しかし思い返してみると香織はジャンヌとは面識がなかったかもしれない。

 

「いや待て香織。6人目の嫁はルシフェリアじゃねぇしルシフェリアがもし「我は主様の花嫁じゃ!」とか言ってたとしても、それはアイツが勝手に言っているだけであってそんな事実はない。カーバンクルも同じく、だ」

 

て言うかルシフェリアとカーバンクルだけじゃなくてユエ達も香織の家にいたんだから、ルシフェリアの話くらいはしていると思ったんだけどな。

 

「その話は知ってるけど、天人くんがうんと言ってないだけでルシフェリアを誑かしたのは事実だよね?」

 

「誑かしてねぇわ!……て言うか、ルシフェリアはどうした?」

 

まさかあの子をこの別世界の日本に1人で放り出してはないだろうな……?ちなみにカーバンクルは今は俺達の世界の方にいるはずだ。こっちの文明を見て回りたいとかで、香織と顔合わせだけした後は時折エンディミラと一緒に出掛けている。

 

「なんか優花ちゃんの家に興味あるみたいだから送ってきたよ?」

 

一瞬恐怖で背筋が凍ったが今度は疑問符が浮かぶ。

 

「優……誰だっけ」

 

「あ、ひっどーい。園部優花ちゃんだよ?愛ちゃん先生と一緒にウルの町でも再開したんじゃないの?」

 

「あぁ……園部か。……んで、アイツの家って何かあんの?」

 

正直全員のフルネームまでは覚え切れていないかった。オルクス大迷宮の底に落ちてからはそこまでの興味も無くしていたからな。

 

しかしまさか園部さん家も忍者屋敷なのだろうか。いや、でもルシフェリアは忍者とかそんなに興味無さそうだけどな。て言うかルシフェリアってばもう他の帰還者達とも知り合いになってるのか。しかも家に行く程に仲が良いって……俺より余程コミュ力あるな。悪魔なのに。

 

「優花ちゃん家ってレストランって言うか喫茶店?みたいなのやってるんだよ。ルシフェリアはそれ聞いて「花嫁修業じゃ!主様の胃袋を掴むんじゃあ!」とか言ってた」

 

なるほど、後が面倒くさそうだけど一応それなりに普通の理由だったな。ま、ルシフェリアは一応料理の基礎は出来ているし、園部の家に迷惑でさえなければいいだろうか。

 

「ユエー?自分のメイドはちゃんと自分で迎えに行ってやれよー?」

 

「……んっ、仕方ない」

 

ユエもルシフェリアを自分のメイドとして取り立てた責任は感じているらしく、渋々といった体ではあるが迎えも頷いた。

 

するとユエは俺を座らせると、胡座をかいた俺の脚の間にお決まりのように座り込む。俺も座布団を宝物庫から取り出して尻に敷き直す。それを見てシアと香織もそれぞれ自分の宝物庫から座布団やクッションを取り出して武道場の硬い床の上に座り込んだ。

 

それを合図に俺達は決闘前の勝手気ままなお喋りを再開するのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……終わったか」

 

気配感知で扉の向こうから人の気配。リサとエンディミラ、それから不動のものだ。どうやらお化粧は終わったらしい。

 

すると、扉の向こうから人影が現れた。不動のものと、その後ろからリサとエンディミラがやって来たのだ。俺は後ろの2人に「終わったー?」と声を掛ける。するとリサからは「はい」と、エンディミラからは「えぇ」と返事が返ってくる。

 

「……おぉ」

 

そして扉からこちらへ渡ってきたのはセーラー服を来た女の子。いやまぁ不動なんだけど。相変わらず筋肉質だがさっきまでと違って脚には黒いタイツを纏っている。首元にはマフラーを巻いていて、微妙に季節感を外しているようにも思えるが、ただ何となくリサ達の意図は分かった。

 

不動のアゴは割れていたのだが、それをまず隠そうということだろう。同時に少し伏し目がちにさせることで厚ぼったかった唇もうまく隠せている。タイツも、筋肉質な下半身を覆うためのもので、スカートの丈も長く調節されている。

 

あまり手入れされていなかった眉毛も剃られてほっそりしており、そんなに長くはなかった髪の毛も短いなりに手を入れてもらったみたいだ。

 

そもそもこういう格好に不慣れらしい不動が恥ずかしげにしていて、ここに乗り込んできた時や試合中のような気迫が見られないこともあってか今の彼女を見ても誰もビビったりはしていない。

 

「女は正しく見繕えば誰でも美しくなる、だっけ」

 

「はい。それに、明は元々肌も綺麗でしたから化粧乗りも良かったです。あとは手入れの行き届いていなかった箇所を整えてやればいいのです」

 

「それから不動様、これを」

 

と、リサから不動へ、何やらメモ帳が1冊手渡された。

 

「化粧用具や使い方、お化粧のやり方などを簡単に記しておきました。宜しければご参考にしてください」

 

「えぇ、ありがとう」

 

リサからそれを受け取った不動がこちらを向く。そして座ったままの俺を高い位置から見下ろした不動が口を開いた。

 

「神代くん、ありがとう。こんな風にお洒落したのは生まれて初めてだわ。けど、思ってたより気分の良いものね」

 

その時の不動の笑顔は俺がこれまで見た彼女の表情のどれよりも輝いていて、やはり女の子は笑った顔が1番だなぁと思わせられる。

 

「そうけ。そりゃ良かった。……じゃあ雫、俺ぁまた坂上の家か南雲くん家にお世話になるよ」

 

俺はユエを抱き上げながら立ち上がり、座布団を宝物庫に仕舞い込む。

 

「あ、そういや不動。そのアゴ、割れてんのどうにかしたけりゃやってやるぞ?今ならサービスで1回無料だ」

 

俺の変成魔法なら割れたアゴの形をどうにかするくらいは朝飯前だ。メヌエットの脚と違ってコチラは神経に対してもそれほど手を加える必要は無いからな。

 

不動も、俺達が物理法則を越えた何らかの力を持っているのはこの異世界転移や何の気なしに消えた座布団を見て理解させられているのだろう。ここにきて「どうやって?」なんて疑問は浮かんでいないようだった。

 

「そうね……。折角だけど大丈夫よ。私は私らしくあるだけでもこれだけ変われるのだと分かったから」

 

「そうけ。ま、知り合い記念にそれをどうにかするだけだったらいつでも無料(ロハ)でやってやるから、気になったらそこの雫にでも言ってくれ」

 

つい、と雫を指せば雫は雫でびっくり仰天している。だけどまさか不動だって知り合いですらない香織には伝え辛いだろうし、適任なのは雫だろう。

 

「あら、気前が良いのね。ありがとう。その時は頼ませてもらうわ」

 

と、相変わらずの可愛らしい声で不動はそうお礼とお辞儀をするのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「それで?保安局はミステリーツアー専門の旅行代理店ではないのだけれど」

 

ある日、俺はイギリスの保安局局長の部屋を訪れていた。もちろん1人ではない、横にはシアがいて、興味深そうに辺りを見渡している。

 

しかしちょっとテンション高そうなシアと違って目の前のマグダネス局長は具合が悪そうだ。こめかみに指を当て、片肘を付いて俺をジト目で睨んでいる。

 

「えぇ〜?この国にだって諜報機関の1つや2つあるでしょう?」

 

「勿論ありますとも。諜報機関も防諜機関も。もっとも?魔王様達の想像しているようなスパイ合戦なんてものはもうそんなに盛んではなくてよ?」

 

「いやいや、そんなの期待してませんて。民主主義の先進国を相手にするなら敵対より仲良くした方が商売になるでしょうから」

 

俺達は今、この人に「どっかの国で人里隠れてウサミミが生活するのにちょうど良さげな隠れ里みたいなのはありませんか?」と聞きに来ていたのだ。ついでに「出来れば即日内見がしたいです」とも伝えている。しかしその質問はどうやらこの鉄の女のお気に召さなかったようだ。

 

「……1箇所、"魔女の森"と呼ばれている森ならこの国にありますが、あまり住み心地の良い所とは聞いていませんね」

 

魔女の森……ねぇ。俺としては本当の魔女を知っているし大して怖くもないのだが、何か曰くでもあるのだろうか。

 

という俺の視線を察してかマグダネス局長は更に言葉を紡いでいく。

 

「その森では年間に何人もの人間が行方不明になっているのよ。しかも誰一人として……骨すら見つかっていない。それどころか行方不明者の捜索や森の調査に向かった人間まで消えることもありました。そんなことが続いてから、あそこに近付く者は殆どいなくなりました。そしていつの間にかあの森は魔女の森と呼ばれ───今は親の言うことを聞かない子供達への脅しに使われている程度です」

 

ふぅん。ま、炭酸飲料を飲むと骨が溶けるとか、そういうのは科学的根拠に基づいたものじゃなくて、子供の行動を諌めるための方便だしな。魔女の森も、行方不明者は本当にいたし実際不気味で近付こうってのは馬鹿しかいないんだろうが、今はもう「良い子にしていないとあの森から魔女が攫いに来る」とかそんな程度の扱いなんだろうよ。

 

「オカルトは置いておいても実際、霧も濃くて視界は悪いし、これは最近空撮で確認したのだけれど、森の北の方には草木が1本も生えない広い空間があったり……気味の悪い場所だと聞いているわね。行方不明者が続出したこともあってシアさんの家族の隠れ家とするには不向きだと思うわ」

 

ちなみにこのマグダネス局長の前ではシアはウサミミを誤魔化していない。帰還者や俺の力を知らしめるにあたって彼女達も態々誤魔化すこともないだろうということだ。どっちにしろシアはこの世界にいつもいるわけじゃないしな。ラナはいるけど、むしろこの人とは正体を共有しておく方が後々何かあった際に楽だろうという判断。

 

実際今もこういう話がスムーズだしな。勿論この世界であってもシア達の本当の姿を見せる人間というのは選ばなければならないが、この人は見せても大丈夫だろうよ。そして、マグダネス局長に対しても「俺達の信頼を自分は得ている」というアピールは国にしてもらって構わないと言ってある。

 

そうすれば多少俺らが何かをやらかしても、むしろだからこそ、俺達の信頼を得ている彼女を俺達との窓口からは外されないだろうという打算だ。そんなことはこの人も分かってはいるが、この国に対する強い想いとか責任感とか諸々あって溜息をつきながらも承諾してくれている。

 

「そうすか。じゃまぁ、魔女の森ってやつは後回しにします」

 

仕方ない、一旦香織達の元に戻ってから、最近こっちに来てもらってネットで秘境とか探してもらっているメヌエットからの進捗を聞いてこよう。もし良さげな所があればシアと2人でまた出向いて内見だな。

 

俺はシアを抱き寄せるとそのまま越境鍵で日本への扉を開いた。向こうとは時差があるけれどまぁ俺はちょっと長く起きている程度は気にならないしな。シアは寝てもらってて大丈夫だし。

 

と、俺は光り輝く扉をヒョイとくぐりながらそんなことを思うのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

 

異国のとある小さな川沿いの町。亜熱帯気候のこの国に俺はシアと2人、異国旅行デート───ではなくハウリアの拠点探しに来ていたのだ。

 

結局マグダネス局長からはイギリスに伝わる魔女の森の話しか聞けなかったからな。こちらに来てもらっていたメヌがネットで探した情報と羅針盤で雑な検索をかけた結果、まずはこの国で探そうという話になったのだ。

 

そうして訪れた異国。この世界で通用するパスポートまでは持っていなかった俺とシアは当然越境鍵による不法密入国である。だがまぁそれほど問題もあるまい。

 

何せ、俺達が訪れたプーハンクという町は、どうやら観光客にとってはこの国を見て回る際のハブになっているらしく、そこかしこに外国人と思わしき奴らの姿があるのだ。その中にはアジア系の顔もあるようで"外国から来た観光客"と言うだけではそれほど耳目を集める存在にはならないだろう。

 

そうしてシアが現地民から聞き出した味の良い食事処へと向かう。しかし外国人そのものは目立たなくてもやはりシアそのものは目立つな。

 

何せ青みがかった白髪なんていう珍しい髪色に165センチ程はある上背だけでなくスラリと伸びる手足は大抵の服を着こなすだろう。引き締まった肢体はしかし女性的な柔らかさを充分以上に主張していて、どうしたって老若男女問わず人の視線を吸い寄せる。

 

そして吸い寄せられた視線はシアの愛らしい顔とそこに咲く満開の向日葵のような笑顔に捕らえられるのだ。

 

「おっと……」

 

とは言え、シアの笑顔に見蕩れている男はここにも1人いる。だが俺はシアの笑顔はいつも見ているし、おかげで随分なスピードで車道を駆け抜けようとする車にも気付いた。

 

俺が気付くような音にはシアだって気付く。シアも一息に俺の元へと飛び込むと後ろを振り返った。

 

「随分と急いでいますね〜。どうしたんでしょうか?」

 

すると、シアの背後を車にはそれほど明るくない俺にだって一目でハイグレードと分かるSUV──それもどいつもこいつも全く同じ車種とカスタムだ──が何台も駆け抜けて行った。

 

「んー?……そうだな」

 

「どうかしました?」

 

すると、歯切れの悪い俺の回答にシアが首を傾げる。その仕草がとても可愛らしく映った俺はシアの後頭部を撫でながら

 

「いや、ちょっとあの車の団体さんからは良くない臭いがしてな」

 

「臭いですか?私は感じませんでしたけど……」

 

「んー?物理的な臭いってよりはもっと……暴力の臭いだ。あの車、フロントガラス以外は全部スモーク貼ってたんだよ。態々お揃いの高そうなSUVを揃えて……なーんか怪しくない?」

 

ま、怪しかろうが何だろうが今は放っておくのだが。ここは日本じゃないし、今は観光客で賑わっているここも、夜の治安がどうだかまでは分からない以上、ギャングやマフィアくらいいても不思議じゃあない。

 

そしてそれはこの世界の問題であり俺達や帰還者達に直接何らかの干渉をしてくるわけでないのであれば俺達が首を突っ込む必要のないことだしな。

 

「ですね〜。それで、どうするんですか?」

 

「別に。目の前で暴れるんならともかく、ただ運転が荒いだけの奴らにいちいち構うのも面倒臭ぇ」

 

という俺の言葉にシアも「そうですね」と頷き俺の手を取った。そのままお互いに指を絡めると川沿いの遊歩道を通って白い建物のレストランへと向かう。

 

すると、レストラン側の川には木製の手漕ぎボートからエンジンの付いたものまで様々なボートが係留してあった。しかもどれも一様に古めかしく使い込まれた様子であるから、ここではボートを用いて水路を使うのが主要な移動手段ないしは物資輸送の方法なのだろう。

 

今なら人目にも付かないしと俺は宝物庫からボートのアーティファクトを川に放出。ロープで係留しておく。

 

「もう出すんですか?」

 

「うん。今なら誰も見てないし」

 

このボートも当然魔力操作でしか動かせないから持ち逃げされることも中々ないだろう。精々が自前のオールで頑張って漕ぐくらいだが、当たり前のように俺は監視用のクモを1匹置いておく。

 

ロープも中にタウル鉱石を錬成で繊維のようにして混ぜてあるから並のワイヤーよりも高強度だしな。デカいワイヤーカッターでもそう簡単には切断されないし、そんなことをすればやはりクモで気付く。

 

「じゃあ行こうか」

 

俺は再びシアの手を取ると白い壁のレストランへと歩き始めた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ここのオススメは川魚の蒸し料理らしい。それを頼んだシアはさっきから入念に味を確かめるように料理を噛み締めている。どうやらここの味を盗み、家に帰ってからもレパートリーに加えようとしているらしい。

 

川に迫り出したテラス席でパスタを口に運びながらも俺はそんな料理に貪欲なシアを眺めていた。

 

「ふむふむ……。何となく分かりましたけど、日本だと調味料が手に入れられるかが不安ですね〜」

 

「別に……無理して再現しなくてもいいんじゃないの?」

 

こっちもあっちもどちらも日本だから売っている調味料には大した差は無いだろうが、このレストランとここで使われている調味料が俺達の地球にもあるかどうかは定かではない。と言うか、無い可能性も充分に考えられるしな。

 

「むぅ。しかし私としては是非ともこの味は再現したいですぅ」

 

「んー、俺ぁそこまでしなくてもいいと思うけど……」

 

「むっ、何でですか?……あ、あんまり好みじゃなかったですか?」

 

ここの味の再現にあまり乗り気ではない俺を見てシアが不安げにそんなことを聞いてきた。

 

「んー?いやいや、ここの料理は美味いよ。じゃなくて、この味は俺とシアだけの思い出にしても良いかなぁってさ」

 

シアとしては自分が聞いてきた店で俺があまり満足いっていないのかもと思ったのだろうが、そんなことはない。ただ、折角2人で食べた異国の料理の味だ。ここは2人だけの秘密にしておくのも良かろうと思っただけなのだ。

 

そしてそれをシアには素直に伝える。すると───

 

「えへへ。そういうことですかぁ。それならしょうがないですねぇ〜」

 

なんて、照れたように頬を染めながら笑顔を咲かせている。そして、傍からは認識阻害のアーティファクトで確認できないだろうが、シアのウサミミが俺に向けて差し出されてふよふよとアピールしてくる。

 

俺はちょっと手を伸ばしてその先端を指で弄ぶ。周りから見れば甘ったるくて胸焼けがするような光景なのだろうが、俺達はそんなものを気にする風もなくただ穏やかな昼時を過ごすのであった。

 

 

 



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ハウリア隠れ里探索の旅

 

 

目の前に叩きつけられたのはこの国の通貨ではなく米ドル札だった。それも1ドル札が数枚なんて次元ではない。100ドル札が何10枚も纏めて俺とシアが食事をしていたテーブルに乗せられたのだ。

 

俺の目の前で金切り声に近い怒声で「あのボートをこれで買い取る。文句はないな?」と米語でまくし立てた男は量の少ないブロンド髪の中年男性。俺のボートを見て何やらこの店の店員にがなり立てた後、彼らが俺を指差したからかこちらへやってきたのだ。

 

コイツが引き連れてきたのはきっとさっきの高級車に乗っていた仲間内なのだろう。どいつもこいつも暴力で飯を食っている臭いがプンプンするよ。まぁ俺も人のこと言えた義理じゃないけどさ。

 

「悪いけどお断りだ。金をいくら積まれてもあれは売れねぇよ」

 

そんなわけで、俺からすれば怖くもない脅しに屈する必要も無い。金だってあんなもんを売っ払った後でどんなことになるやら。根本的にこの世界の物質で構成されていないのだから、価値から言えば到底こんな()()()金じゃあ届かない。

 

「貴様───」

 

「んー?」

 

しかしやはりこの男はこんな程度の言葉じゃ引きそうにもなかった。俺は仕方なしに強めに威圧の固有魔法をぶつけてやる。すると目の前の男は「ヒィッ───」と、尻もちをついて転がる。

 

すると、黒いスーツに身を包んだガタイの良い男共の間から爽やかな風貌の男が1人現れた。

 

「すまないね、自己紹介もせずに不躾だったのはコチラの方だ。そこで腰を抜かしているのはブランドン、私はウィルフィードだ。どうぞ宜しく」

 

片手を胸に置き、やけに芝居掛かった仕草でお辞儀をしてきたのはこちらもブロンド髪の男。ウィルフィードと言うらしい彼はともすれば俳優かと思うほどに整った顔立ちをしているが、彼からは何の匂いもしない。そう、有り得ない程に無臭なのだ。そんな奴が果たして表の世界の住人だとは思えない。爽やかな顔をしているがコイツも暴力の世界に身を置く人間なのだろう。

 

「こんな場所でこれ程に覇気のある日本人の青年と美しいお嬢様に出会えるとはね。やはり旅とは素晴らしいものだ」

 

仰々しく俺達を見渡したウィルフィードはシアを見やり微笑むとそっと手を差し出した。このキザな雰囲気からすれば手の甲にキスでも落とすつもりなのだろう。当然そんなことをしようとすれば、ウィルフィードの指先がシアの手に触れる前にその手骨を粉々に砕いてやるつもりだ。

 

だが、シアはシアでその差し出された手の意味が分かっていないようで、蒸された川魚の切り身をポスリと彼の手のひらに乗せてやっている。どうやらウィルフィードが飯をたかりにきたと思ったらしい。

 

そんな勘違いに俺は思わず「プッ」と吹き出し、ウィルフィードも顔を引き攣らせている。しかしコイツの胆力は中々のものらしく、そんな顔をしたのも一瞬で、直ぐに「どうもありがとう」とその魚を口にした。

 

「あぁ……で、話はさっきの続き?」

 

「うむ。君達にとっては生憎かもしれないがね。どうしても君達のあの立派なボートを買い取りたい。勿論キャッシュには限りがあるが……」

 

そう言ってウィルフィードが取り出したのは白紙の小切手。ここに好きなだけ数字を書けということらしい。しかし解せないな。あのボートは確かにアーティファクトであり値打ちの付けようもないものではあるが、その真価を分かるような奴ではないはずだ。しかもコイツらは元々はここに通常係留してあるボートを都合する風だったのに。もしくは、予定していた数だけのボートが用意されずに、どうしてもあと1隻の脚が欲しいのかもしれないが……。

 

「我々はレリテンス社の研究チームでね。ブランドンは研究者で、私はビジネスマンのようなものさ。経費で落ちるから好きな金額を書いてくたまえ」

 

おぉ、実際に「小切手に好きな金額を書け」なんて言われたのは産まれて初めてだ。まさか俺がそんなことを言われるようになるとはなぁ……。

 

「……何でボート1隻のためにそこまでする?アンタらは車でここまで来たんだろう?ボートが足りないならもう少し足を伸ばせばいい。ここじゃあ水路は珍しくねぇんだから探せばあるんじゃないのか?」

 

動力源がないのにスクリューだけはある魔力操作のボート。それも詳しく調べればその躯体に使われている物質はこの世界の物ではないときた。そんなものをおいそれと誰かにやるわけにはいかないしな。

 

「我々は時間を無駄にはしたくないのだよ。金で解決できるのならそれに越したことはない」

 

さっきコイツは自分らを研究チームだと言っていたが、小型のボート1隻にそこまで金を掛けられる研究ねぇ……。しかも明らかにカタギじゃない奴らを侍らせて……。具体的な部分までは知らないが、どう見たってコイツらはろくな研究をしていないようだ。

 

「悪いけど他を当たってくれ。なに、ボートの分時間は取られるかもしれないけど、それはその研究の利益になったと思いなよ」

 

こんな僻地でどんな研究資料が得られるのかは知らないが、俺達に関係無いのなら関わりたくはない。ボートだって金で譲れるものじゃあないしと、俺は完全に交渉を終わらせようとしたのだが───

 

「ふぅむ。日本人は妥協が得意と聞いていたのだが。どうやら最近の若者は空気を読むのが苦手らしい」

 

会話の度に瞳から陽気な色が抜けていったウィルフィードだったのだが、ここで完全に声色からも温度が消えた。

 

「こんな昼間っからレストランで拳銃抜く(音鳴らす)方が空気読めてねぇと思うけどな」

 

ウィルフィードの後ろで構えていた5人ほどの男がそれぞれジャケットの腋や腰の後ろに手を回したのを見て俺はそう牽制する。

 

しかしそれでも奴らの1人が止まらずに拳銃を腋下のホルスターから抜いた瞬間

 

「……ッ!?」

 

奴がシアに照準を合わせるより早く、俺も宝物庫から魔力光を迸らせることもなく拳銃(シグ)を取り出してウィルフィード頭に銃口を向ける。

 

「先に抜いてくれてありがとう。これで正当防衛だ」

 

「仮に私を撃ち殺したとして、これだけの人数差でどうにかなるとでも?」

 

ふむ、このウィルフィードとやら、案外肝が座っているな。俺が拳銃を抜いたことには驚いても、自分が銃口を向けられていることにはそれ程の焦りはないようだ。これは中々に場馴れしている人間だな。

 

「どうにかなるから抜いたんだろ?悪いけど、こちとら死ねと言われる度に1ドル貰ってりゃ豪邸が立つんだよ」

 

強襲科のあるあるネタ海外バージョンである。100円でも通じるのかもしれないが、ここはやはり向こうの通貨の単位に合わせてやった方が伝わりやすいだろう。

 

「……何者だ?まさかお前らも"あれ"を狙って?」

 

「あれ?……さぁな。俺ぁただの平和ボケした日本の高校生だよ、偏差値低めで荒っぽいな」

 

「チッ……。ただ悪いカードを引いただけか。人生は常に予想の斜め上をいく……」

 

コイツらは視認できていないだろうが、ドロリとした魔王覇気を漂わせて脅しをかければ寒気程度は感じたようで、ウィルフィードは苦虫を何匹も噛み潰したような顔をして肩を竦めた。

 

「邪魔したね。ボートは他を当るよ」

 

「悪いね」

 

そして背後に控えていた男共を顎でしゃくるとブランドンを担ぎ上げながらウィルフィードは俺達の前から去っていった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「天人さん天人さん。私も運転したいです」

 

「駄目、座ってなさい」

 

幅の広い川を魔力操作のボートで上っている途中、ウサミミを風に靡かせていたシアがお目目キラッキラにしてボートの運転を申し出てきた。当然断るけど。

 

「何でですかぁ!」

 

「その柔らかな胸に聞いてご覧なさい。浮かぶでしょう?ワニも流木もボートの強度に任せて蹴散らし進む光景が」

 

シアさんハンドル握ると人格変わる……と言うか道交法なんてぶっちぎってでもその身で風を切るのが大好きな暴走ウサギさんなんですもの。そんな人にハンドルを握らせるわけにはいきませんって。

 

「しませんよ、そんなこと」

 

「……よく車輌科に入り浸ってバイクでコースを爆走してたと武藤から聞いてるけど?」

 

ふいと顔を逸らすシア。しかもこの子、ウサミミがあるから仕方ないのだけれどノーヘルで乗りたがるのだ。まぁ武偵高だからそれでも許されているけれど、シアは絶賛無免許運転なのである。

 

「最近は魔力駆動二輪で夜の公道を爆走してるしな」

 

「………………」

 

やはり無言で目を逸らすシアさん。ちなみに流石に公道でノーヘルは不味いのでシア用にウサミミが出せるヘルメットを錬成で作ってある。耳が出てるヘルメットに意味があるのかは知らない。

 

とは言えヘルメットにも魔力駆動二輪にも認識阻害の機能を生成魔法で付与してあるし、何なら普段使いしないからナンバープレートも付いていないので特定もされていない。

 

シアの反射神経と魔力駆動独特の追随性ならいくら首都高を200キロオーバーで超暴走しても事故になることはないだろうし、流石にそんなことをやらかしたらシアも俺達には申し出るだろうから、それほどそこを心配はしていないけど……。

 

「1人で乗るならともかく、誰かが乗ってる時にはシアには運転させません」

 

何度もお巡りに追い回されているし何なら最近はヘリまで出動する騒ぎにもなっているようだが、フルフェイスのヘルメットとマシンの認識阻害によってもはや男か女かすらも記憶されない。しかもその効力はカメラすらも欺き写真にもボヤけてしか写っていない。ここまで何も残らないとメディアすら出張ってこなかった。

 

「……バイクに乗ることは止めないんですね」

 

「んー?……だって好きなんだろ?」

 

そんな手の込んだことをする必要はあるけれど、シアが走るのが好きだと言うのなら止めはしない。迷惑……は多分に多方向にかけているしルールもぶっちぎっているけれど、怪我人が出ないのなら見逃す他ない。惚れた弱みと言われればその通りなのだった。

 

「………………」

 

するとシアは珍しく黙り込んだままシュルりと俺に抱き着いてきた。舵取りも魔力操作で行えるから運転に支障は出ないのを分かっているな……。

 

そのまま俺の後ろに回り込んでまた抱き着き直してスリスリとその柔らかな頬を俺の頬に擦り当ててくる。

 

俺達は無言のままただ甘ったるいだけの時間をそうして過ごすのだった。

 

 

 

 

───────────────

 

 

 

そのうちに陸に上がった俺達はそのまま熱帯雨林の中をしばらく歩いてる。

 

「そう言えば、昼間のあの人達は何だったんでしょうか?」

 

「んー?……さぁな。ま、嘘は言ってなかったしほっとけ」

 

本当にアイツらは直ぐに動かせるボートが入り用だっただけで、俺のアーティファクトにもそうとは気付かずにそれ以上の価値は感じていなかったのだろう。あの後尾行もされていないからそれほど強い恨みを買ったわけでもなさそうだ。シアも俺の言葉を聞いて「ふむ」とすぐに興味を失ったようだ。

 

それからシアに羅針盤の使用を禁じられつつ何時間か歩いて行くと───

 

「これか」

 

シアが時折30メートル越えの大ジャンプを繰り出して空中から見つけた遺跡。真上からでは生い茂る草木が邪魔をしてその姿を隠していたのだが、どうやら斜め45度の角度からだと辛うじて人工の建造物があることを視認出来るらしい。つまりは、ハウリアの隠れ家にピッタリということだ。

 

「雰囲気ありますね〜。ここだけ草木が密集してて周りより少し薄暗いというのも人払いになりそうですぅ」

 

紅鶴寺でヒノトが作り出した雰囲気を天然で持つここは、確かに人はおいそれと近付きはしないだろう。ついでに俺がアーティファクトを置いて人払いをすればここにはきっと誰も近付こうとはしない人の目の空白地帯になるはずだ。

 

「中入ってみるか」

 

「ですねっ!何だかワクワクしてきました!」

 

冒険心たっぷりなシアにとって人の近寄らない薄暗い遺跡は興味の対象のようだ。俺としては変な仕掛けが施されていなければそれで良いのだけれど、そこはハウリア代表の代わりに来てもらったシアの興味の赴くまま、俺も従うとしようか。

 

 

 

───────────────

 

 

 

それから探索すること15分程だろうか。この建物は平屋で上に続く階段のようなものは無い。窓と思わしき四角い穴が点々と続いているが扉は無く玄関の代わりにぽっかりと入口と思わしき空白があるだけ。それ以外には何も無い。

 

「……思った以上に何もねぇな」

 

「まったく、雰囲気だけはありましたけどねぇ。とんだ期待外れですぅ」

 

いやまぁ俺達が勝手に期待しただけなのだが、何か壁に彫ってあるとかすらない。昔誰かが調査にやって来ていて、そこを削って持っていった形跡も無い。本当にここには何も無かったのだ。

 

「まぁいいや。これがあればこの奥には余程でもない限りは誰も来ねぇし。何も無いなら無いでアイツらもイジりやすいだろ。ちょっと見て回って何もなさそうなら後でカム達にも見てもらおうぜ」

 

「ですね。まだ日が落ちるまでには小一時間程度はありそうですし」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「誰かが遺跡にいるみたいです。それも大勢」

 

案の定何も無かった遺跡周辺を探索した俺達。とっぷりと日も暮れた頃、急ぎ足で遺跡まで戻ろうとしたのだが、途中でシアがウサミミで人の音を捉えたらしい。

 

「こんな時間に?……大勢で肝試しもねぇだろうが」

 

「行ってみます?」

 

「あぁ……。まさかとは思うけどな……」

 

俺は宝物庫から気配遮断のアーティファクトを2つ取り出して1つをシアに渡す。これがあればそこにいる奴らが何をやっているのか隠れずとも目の前で拝めるからな。しかしシアはそれを受け取りつつも身に付ける素振りは見せない。そして───

 

「これがいいですぅ」

 

ギュウっと俺の腕に抱き着いたシアはその柔らかな双丘に俺の腕を埋めた。確かにこうすればアーティファクトは1つでも効果は発揮できるな。

 

「あいよ」

 

俺はシアのおデコにキスを1つ落とすと一旦埋められた右腕を逃がして左手をシアの膝の裏に、右手を背中に回してシアを抱き上げた。

 

「んじゃ、行こうか」

 

「えへへ。はいですぅ」

 

お姫様抱っこがそんなに嬉しいのか紅に染めた顔を綻ばせたシアが俺の首に腕を回して頬にキスをしてくる。それを合図に俺は地面を蹴り、あの遺跡へと駆け出す。

 

そうして舞い戻った遺跡には見知らぬ男共が何やら機材を並べ、投光器で煌々と周辺を照らしていた。

 

しかもあちこちにテントを張っていて、明らかに長期戦の構えを見せている。しかも見る限り外国人……それも多分アメリカ人が20人程度。他にもガイドと思わしきここら辺の奴と、そして遺跡の中の気配からすれば全部で30人はいるだろうか。随分な大所帯でここまで来たらしいな。

 

心当たりはある。あのウィルフィードとか言う奴らだ。アイツらは何かを研究するために来たと言っていて、水路を進むためにボートを欲しがっていた。それもかなりの数。ここには車では来れないし、そうなると最接近するためには水路しかない。この人数と機材の量からすれば当然ここにいるのら彼らだろうと思い当たる。

 

そして、俺の予想は直ぐに的を射ていたことを知る。一際大きなテントの中からタブレットを持った男───ウィルフィードが現れたのだ。

 

「ふぅん。ここにゃあまだ見つかっていないお宝が眠ってるみたいだな」

 

しかもブランドンまで現れて他の研究者然とした奴らに指示を出している。まったく、まさかこんな所で再開するとはなぁ……。

 

「どうします?」

 

「別に。取り敢えずは見届けるけど、あんまり長居するようなら帰ろうよ。多分金銀財宝を掘り返して終わりってわけじゃあないだろうし」

 

「そうなんですか?」

 

「あぁ。アイツら、俺のボートには手っ取り早く動かせるボート程度の価値しか感じてなかった。なのにどんな法外な金額でもあれを買い取ろうとしてただろ?俺がどんな数字を書くかも分からねぇのに、だ」

 

俺が国家予算並の数字を書いたらどうするつもりだったのだろうか。そしたらそれを破ってもう1枚の小切手に数字を書き直させるつもりなのかもしれないが、そんな手間を取り、タダでさえ有って無いような信頼を損ねるくらいなら新たなボートを探した方が時間と金額の効率はマシだろう。

 

「えぇと……つまりは、どういうことですか?」

 

「建物や物質の年代なんてもんはその気になれば幾らでも測定できる。つまりあそこにあるのは価値とかいつの時代のものか分かりやすいものじゃあねぇんだろう」

 

仮にあの奥に黄金が眠っていたとして、正直そんなものは売っぱらってしまえばそれで現金になって終わりだ。そもそも、そんなものの為に学者なんて連れて来る必要はないし、あれ程の機材も要らない。正体の分かっているお宝を回収するために必要なものは腕力とスコップとずた袋なのだから。

 

「あそこにはそれこそ……緋緋色金みたいに宇宙から降ってきた物質とか何とか……そんなこの世界にはこれまで存在していなかった物があるんだろうな。そしてそれは、研究次第で継続的にとんでもない利益を産む。ウィルフィード達はそう睨んでたからあそこまで必死なんだろ」

 

「なるほど……」

 

「ま、だからって俺ぁそれをどうこうって気は───」

 

ないけどな、そう言おうとしたその時

 

「───ァアァアァァァッッ!!」

 

遺跡の奥から叫び声が響いてきた。飛び出してきたのは地元民と思わしき男が1人。そいつは顔を抑えながらのたうち回り、やがて動かなくなる。倒れて顔から落ちた手。そのカーテンが開かれるとその顔は───まるで溶けているかのように崩れていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

アーティファクトで自分達の存在解像度を下げたまま見て回ればどうやらこの遺跡には埋めて隠された地下通路があるようだった。しかもコイツらは明らかにそれがここのどこかにあることを知っていたようで、その為の機材をも取り揃えていた。

 

どうやら先程息絶えた男は秘密の地下通路を暴いている途中で罠にでも嵌められたらしい。だが随分な量の強酸を浴びせられたらしく、骨まで溶かされていたのだがそれはそれで結構な気の入りようだ。

 

どうにも昔ここにいた奴らは随分と用心深く殺意の強い者達だったようだ。

 

それほどまでに厳重に隠された秘密。そして死者が出ているにも関わらずそれの捜索を止めようとしないウィルフィード。一体何が彼らをそこまで掻き立て、そして駆り立てるのか。俺とシアはそこに興味が湧いた。湧いたので錬成で奴らより先に潜って確かめます。

 

「随分と進みましたねぇ」

 

「そうだな。それにしてもここ、ライセンかと思うくらいに罠だらけだな」

 

それも全て致死性の。槍は飛び出すは強酸は吹きかけられるわ槍衾の落とし穴はあるわ炎は噴き出してくるわ。それら全ての罠を正面から叩き潰し、作動していない罠を見つけた傍から破壊はしているのだが、如何せん数が多すぎるからきっと全部は壊しきれていないだろうな。

 

とは言え、それでもどんとこ殺意高めのトラップが作動してはシアが正面から打ち砕いていく。そうして何時間歩いただろうか。

 

───グゥゥ

 

何だか可愛らしい音が致死の大迷宮の奥に響く。

 

「えへへ。お腹空いちゃいましたぁ」

 

「そういやもうずっとこうしてるもんな。……向こうも今日は一旦終わりにするらしいし、俺達も休憩にしようぜ」

 

俺は下に降りる前にクモを数匹地上に残してきている。それで奴らを監視しているのだが、これまでに更に3人もの死者を出してガイドや労働力として雇った地元民が仕事を嫌がり出したのだ。それでも報酬を釣り上げてどうにか引き留めようとしているウィルフィード達だったが、どちらにしろ今日はもうお休みにするらしい。

 

向こうはまだ15メートル程度しか掘り進んではいないから、俺達が追い付かれることもないだろう。

 

俺が宝物庫からソファーベッドやテーブル、イスを取り出している間にシアも自分の宝物庫からキッチンセットを取り出していく。そうして直ぐに簡易的なリビングルームを完成させた俺達は、シアの作る料理に舌鼓を打つのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

目の前にあったのは白骨死体だった。

 

翌朝、探索を再開した俺達は遂にこの遺跡の最奥へと辿り着いたのだった。だがそこで俺達を出迎えたのは、いつからあるのかも分からないような完全な白骨死体。風雨には晒されていないからかあまり風化は進んでいない。

 

それが1人分。鎧や武器も辺りに落ちている。そう、たった1人分だ。ライセン大迷宮もかくやという程に致死性の罠に塗れたこの迷宮においてようやく1人目の死体だった。そしてそいつの背後にあったのは閉じられた扉。窪みがあり、どうやらどこかで鍵を探してこなければならないらしい。とは言えここはトータスの大迷宮ではない。事ここに来てそんな手間は掛けられない。

 

俺は錬成でその扉をバラバラにしてしまう。インゴットでできていたそれは俺の魔力にろくに抗うことも出来ずにその姿を崩して最奥を献上した。

 

「……女か」

 

そこにあったのは恐らく女の死体。これもやはり骸骨となり果てている。そして、その骨が後生大事そうに抱えているのは1つの箱。6畳程度の広さのガランとした部屋において、ほぼ唯一の無機物だった。

 

「アイツらはこの箱を……?」

 

「この人には悪いですけど、中を見てみましょうよ」

 

どうやらシアはこの冒険と厳重に厳重を重ねて秘されていたこの箱に随分と興味があるらしい。俺はシアのキラキラお目目に押されながら骸から黒い箱を抜き出す。

 

この金属製の箱はどうやら溶接されているみたいだった。鍵穴も無く、そもそもこれは封印することそのものが目的だったのではないかと思えるほどだ。

 

しかしどんなに固く閉ざしていようと、それが鉱石や鉱物で構成されているものであれば俺にとっては大した障害ではない。俺は箱の中央に指を触れ、そこから錬成の魔法を行使しようとして───

 

「───駄目です天人さん!!」

 

バシン!と、シアが俺の手からその箱を叩き落とした。

 

「……まさか」

 

シアがそうする理由はただ1つ。そう……

 

「久々に見えました。その箱を開けて……私が死ぬ未来が」

 

シアの固有魔法───未来視。それはシアが死ぬという数秒先の未来を見せるもの。もっとも、未来とは確定した事象ではなく、その瞬間に見た未来と違う選択肢を取れば全く別の現実となるのだが。

 

シアがウサミミの毛を逆立てて警戒しているそれを俺は何の気なしに手に取る。さて……

 

「これ、開けた時に俺も死んでた?」

 

「いえ。天人さんは生きてました。ただ、氷焔之皇で無効にしたという感じではなかったですぅ」

 

「んー?……すると、効いたのは多重結界かな」

 

て言うか、氷焔之皇を貫通するってことはこれ物理攻撃じゃんね。それもシアの肉体をも破壊する超火力。よく俺の多重結界でどうにかなったな。

 

「どうします?それ」

 

「どうするってなぁ。開けたらシアが死ぬような何か不明なものをおいそれと開けるわけにもいくまいて」

 

まぁ別に開けて死んでも死者蘇生のアーティファクトはあるのだが。しかも俺が無事ということは直ぐにそれを行えるのだ。それほど大した問題ではない、ないが、それはそれとしてシアが死ぬところは見たくない。

 

「さてさて、アイツらはこれの正体を知ってるんだろうな」

 

「えぇと、何さんでしたっけ?」

 

覚えてないんかい。結構印象に残る奴だったと思うんだけどな……。

 

「あ、いえ。顔は覚えてるんですよ?ただ、名前がちょっと……」

 

可哀想なウィルフィードさん。訳も分からず魚の切り身を恵まれた挙句俺達には出し抜かれ、そしてシアからは名前も覚えてもらえていないなんて……。

 

「……ウィルフィードな。あれだけの機材装備を揃えて金もかけて研究者みたいな奴らまで大勢引っ張ってきて……これがある程度何なのかの目処は立ったんだろ」

 

「ですね。聞きに行きます?」

 

「んー?そういやアイツらがどっから出てくるのはよく分かんねぇんだよな。……まぁ上に戻れば合流できるだろ。アイツらがここで無駄に捜索しないためにもメッセージだけ残しとこう」

 

と、俺は壁に分かりやすく錬成でメッセージを残していくことにする。メッセージはそうだな……

 

───ガコンッ!

 

「……え?」

 

急に背後で響いた嫌な音に俺は思わず振り返る。そこにはウサミミを跳ね上げさせているシアがいて……

 

「……シア、何したの?」

 

「い、いえ。私はただこの骸さんを地上に───」

 

シアはパンドラの箱を抱えていた骸骨を抱き上げようとしていたらしい。そして、その骸が動いたことで何らかの装置が作動した……のだろう。

 

何せ遺跡から地鳴りのような音が響いてきていて、シアが持ち上げた女の骸があった箇所の石畳が少しだけ浮き上がっているのだから。

 

なんで金属製の箱を持ち上げても作動しなかった罠が骨を持ち上げただけで作動するのか……。しかしそんな疑問はチョロチョロと俺がメッセージを掘っていた壁から漏れてくる水音によって掻き消される。

 

振り返れば、ビキビキと音を立てて壁が崩れていく。そしてその奥からはどんどんと水が溢れ出てきていて……

 

「嘘でしょ……?」

 

残念水責めは現実です。

 

そう言わんばかりの轟音と共に一息で四方の壁が崩壊し莫大な量の水が雪崩込んでくる。まるでライセン大迷宮から強制排出された時のようだ。

 

そして岩と水圧で大迷宮へと押し流された俺達は水流にもみくちゃにされながらもどうにか水面から顔を出す。

 

「シア、大丈夫か!?」

 

「はいですぅ!」

 

直ぐにお互いを抱き寄せあった俺達だが、さっさと越境鍵でどっかに逃げようとする前に

 

「た、退避ぃ!逃げろぉ!!」

 

前の方からウィルフィードの絶叫が聞こえてくる。どうやらここを掘り進めていたらしい。しかしいくら逃げようとしても鉄砲水の速度に人類の脚力が敵う訳もなく一瞬でウィルフィード達もこの濁流に巻き込まれた。

 

「お久しぶりですねウィルフィードさん!」

 

「日本の青年!?何でここに……っ!?」

 

「ただの通りすがりですよ?」

 

「斜め上すぎるぞ!嘘をつくにしてももう少しマトモな嘘はないのかねっ!?」

 

そしてその直後には足元の通路がパカッと開いて俺達は莫大な水量と共にどこかへ流されていくのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「はぁ……酷ぇ目に遭った」

 

まさか地球でもあんな風に流されて放出されるとは。

 

「本当ですねぇ」

 

浅瀬に降りた俺とシアはお互い苦笑いでずぶ濡れになった服を絞っていく。ここは気温も高いが湿度も高い。放っておいてもあんまり直ぐには乾かなさそうだなぁ。

 

「人生はいつもいつも予想の斜め上をいく……っ!おい青年!どういうことか説明してもらおうか!」

 

すると、一緒に吐き出されたウィルフィードが被りを振りながらコチラにズカズカと歩いてくる。どうやらブランドン他、一緒に流された15人ほども無事なようでそれぞれ呻きながらだったり頭を振りながらだったりしながらもしっかりと立ち上がってきた。

 

「タオルいる?」

 

「どうもありがとう!それで?どうして君達がここへ……いや、その箱を見れば分かるとも」

 

俺が投げ渡したハンドタオルで顔や頭を拭きながらウィルフィードは俺の手にある黒い金属の箱を見る。なるほど、やはりコイツはこれが何なのかある程度は分かっているみたいだな。

 

「知らねぇな。俺達ゃたまたま拾っただけだぜ」

 

実際、この箱の中身については推測はあってもキチンと把握しているわけではない。しかもあそこにあるのがこんな箱だとは思っていなかったのだ。特に嘘は言っていない。

 

「この際君達のことは置いておこう。どうやって我々より先んじたのかもだ。……さて、先日のレストランの続きだ。その箱を我々に売ってもらいたい。勿論言い値で払おう」

 

しかしこの男、まだ金で解決しようとするのか。ま、ここでいきなり腕力に頼らないあたりはまだ理性的と言うのか、盲目と言うのか……。もっとも、その瞳の奥には冷たい殺意ばかりが見え隠れする。ここでこいつの小切手とこの箱を交換する分には後ろから撃たれる心配も、夜道で背中を気にする必要も無いのだろうが、明らかに人を殺すこれをコイツらに渡したとして、未来視の無い俺にだってろくな未来は見えないんだよな。

 

「この箱の中身を知っているんですか?」

 

すると、俺が何かを言う前にシアがウィルフィードに訊ねる。

 

「知っているとも。君達もだろう?そうでなければあそこで再開するはずもないし、このタイミングでそれを手にするはずがない」

 

「それじゃあ、この危険物を……えと……」

 

「ウィルフィード」

 

「───さんはどうするつもりなんですか?」

 

シアさん、マジでこの人の名前覚えていないのね。ウィルフィードも俺にハンドタオルを投げ返しながらも呆れ顔だよ。

 

「───別に、アンタらが何に使うと言おうが売る気も渡す気もない。俺ん調査能力ならアンタらが……仮にビジネスであっても世の中への貢献に使おうとしていたのかどうかは後で分かる。だからこの場での回答は1つ、ノーだ」

 

「そうか。……ならば仕方ない」

 

つい、とウィルフィードが手を振れば周りにいた男共が懐や腰から拳銃を抜く。さっきから隠れて弾倉や銃身の中の水分を取り除いていたのは知っていた。コイツらだって馬鹿じゃあない。レストランでのやり取りで、最悪俺達と戦闘になることは想定していたのだろう。

 

それだけではない。遺跡の方からも大勢の人間が駆けつけてくる気配がある。当然そんなの待ってやらないけどね。

 

俺は宝物庫から拳銃(シグ)を取り出すとそのまま発砲。仕舞っちゃいないから不可視の銃弾(インヴィジビレ)ではないけれどこの早撃ちに反応できたものはおらず、銃を構えた男共の肩を弾丸が貫く。

 

「ぐわぁっ!」

 

どうやら誰も防弾繊維の服を着ていないらしい。そういやこの世界には防弾繊維なんてものはそうそう無いんだったか。そして俺は宝物庫からもう1つ取り出す。それはただのスタングレネード(M84)。トータスの鉱物でなくこの世界でも手に入れられるただの量産品である。だが向こうもただの人間。これで効果は充分である。

 

───カッ!

 

と、俺が手元から投げた数瞬後には眩い閃光を放ち甲高い音を掻き鳴らす。その光と音に紛れて俺は宝物庫からボートを取り出してシアと共に乗り込む。すぐさまスクリューに魔力を流してボートを動かした俺達は、一息の間にウィルフィード達の前から姿をくらますのだった。

 

 

 

 

───────────────

 

 

 

「意外ですね〜」

 

パタパタとウサミミを風に靡かせているシアが呟く。

 

「んー?」

 

「さっさと越境鍵で逃げなかったので」

 

「あぁ。どうせ地元の奴らに聞いたって何も出てこないからな。それに、奴らぁ素早く動けるギリギリの人数で来るだろうし、ここなら人目も無いから何だって使い放題だ」

 

そして俺の予想通り、ウィルフィード達は自分達で用意したらしい足の速いボート5台に分乗してそれぞれ追ってきた。それも全員が銃火器で武装したガタイの良い男共。現地で調達したガイド達は放ってきたらしいな。

 

しかもダラダラと走っていて俺達に対して一気に距離を詰めたウィルフィード達のボートから覗くのは幾つもの銃口。お揃いのアサルトライフル(FN SCAR)を構えたそいつらはセミオートでダダッ!ダダッ!と熱帯気候の朝の中に銃声を響かせて弾幕を張ってくる。

 

んー、この距離だと拳銃(シグ)は届かないな。俺は通常の銃火器は拳銃しか持っていないのだ。別にイギリス保安局から武器供与を受けているわけでもないしな。アサルトライフルの距離で戦われると俺は聖痕か魔法を使うか、アーティファクトの類に頼らざるを得なくなる。

 

仕方なしにトータス製の大型拳銃を抜いた俺は、その本領を発揮させることなく引き金を引く。

 

とは言えトータス特有の火薬と錬成でもって作られたこの拳銃の威力と射程距離は地球の同サイズの火器の比ではない。

 

しかも弾倉を差し替えて放ったのはいつもの弾丸ではなく空間魔法を付与した爆砕弾。銃弾の弾頭に付与した程度で作動させられる魔法の規模なんてユエの放つ空間爆砕とは比べるべくもないが、そこは腐っても神代魔法。手前の水面に叩きつけた1発で奴らのボートを1隻宙に打ち上げひっくり返す。

 

そしてもう1発放った弾丸がボートのエンジン部分を破壊する。それにより爆発炎上したボートから組員が吹き飛ばされていく。

 

「さ、散開!散れ!散れ!!」

 

するとウィルフィードがボート3隻を散らせた。今度は通常の弾頭で俺達の左右に回り込んだ奴らのアサルトライフルを撃ち砕く。更にボートにも風穴を開けて1隻沈めると、もう1隻に乗っていた男の1人がロケットランチャー(RPG-7)を取り出し、それを無遠慮に放つ。

 

だが俺の拳銃弾の火力であれば例え相手が携帯型の対戦車榴弾だろうとその弾頭を撃ち砕ける。

 

虎の子の1発を空中で撃墜されたそいつは顔を恐怖に歪めているが、そんなことを気にする必要はない。そいつのボートにも弾丸をくれてやり沈める。

 

「───冗談じゃない!斜め上が過ぎるぞ!」

 

ウィルフィードが血相を変えて叫んでいる。だがそうは言いつつも奴から放たれる弾丸は先程までの誰が放ったものよりも正確無比だった。とは言え、それだけと言えばそれだけなのだが……。

 

「馬鹿な……」

 

ただ正確なだけじゃあ俺に銃弾を当てられるわけもなし。銃弾で銃弾を撃ってそれらを全て叩き落としてやると、ウィルフィードが今度は一緒に乗っていた男からSCARを奪い取ってセレクターを入れ、しっかりとストックを肩に当てて固定してフルオートで弾丸をぶちまけてきた。さてさて……俺も練習の成果を見せなければ……。

 

「……そんなことが」

 

放たれたのは30発の5.56mm×45弾。ただしそれが俺やシア、ボードを傷付けることは無かった。それらは全て俺が抜き直したシグから放った9mmルガーで軌道を逸らしたからだ。ただしシグの装弾数はSCARの半分程度。弾倉の差し替え無しでは手数が物理的に足りない……というわけで俺はルガーが5.56mm×45弾を弾く時に逸れる角度を調整して1発で数発の弾丸にぶつかるように放ったのだ。

 

そしてもう片手で放ったトータス製の弾丸がウィルフィードの乗っているボートのエンジン部をはかいする。それで完全に動きの止まったウィルフィード達に俺はゆっくりと自前のボートで近付き───

 

「さてさて……ゆっくり語り合おうじゃないの」

 

背中からドロリと魔王覇気を垂らしながら微笑むのであった。

 

 



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地獄の底まで

 

 

「それで?お前らはどこの誰なのよ?」

 

ウィルフィードを俺達のボートに引き込むと他の奴らも慌ててボートの縁にしがみついてきた。あれだけ吹っ飛ばされて平気な当たり中々どうして体力と根性のある奴らのようだ。しかも明らかにインドア派と思っていたブランドンまで乗り込んできたからな。気合い入りすぎだろ。

 

「言っただろう?私達はレリテンス社の者だ。会社としては主に貿易業を───」

 

グリッと、俺はシグの銃口をウィルフィードの太ももに押し当てる。

 

「……と言うのは表の商売で、裏では『力のある遺物』の捜索や研究、活用を行っている」

 

研究、活用ねぇ。どうせ兵器転用なのだろうし、この男は今の言葉で俺がそこに行き着くことは分かっているんだろうな。

 

しかし思いの外あっさりとゲロったウィルフィードに頭を抱えたブランドンが甲高い声で喚き立てる。

 

「君ちょっとブチ五月蝿い」

 

コン、とブランドンの顎を打てば脳震盪を起こした彼はカクンと無抵抗に倒れ込んだ。それをウィルフィードはキョトンとした顔で眺めている。

 

「意外だね。殺さないとは」

 

「んー?……今んとこコイツに殺す価値も意味も見い出せねぇんだよ。それだけさ。……それで?力のある遺物ってのは何だ?」

 

するとウィルフィードから語られたのはこの世界には思っていた以上の不思議が隠されていて、ともすれば俺達の地球よりも余程こっちの方がファンタジー染みているという事実だった。

 

「なるほどな。……それで?この箱の中身だって知ってんだろ?言え、これは何だ?」

 

「態々話を聞こうとする辺りもしやとは思ったが。本当に青年達はこれについて詳しくは知らないか。ならここからはビジネ───」

 

グリッと、先程よりも強くシグの銃口を押し当てる。今度はウィルフィードのこめかみに。

 

「───っ!……悪いけど、これでも命は惜しくてね。話した瞬間に頭蓋を砕かれたくはない。どうだろう?まずは私達を解放して、それから───」

 

面倒になった俺はウィルフィードのこめかみから銃口を逸らす。それを見て俺が交渉に乗ったと喜色を浮かべた彼だったが、俺はウィルフィードの後ろの空を指さす。それに合わせてウィルフィード達も振り返る。すると───

 

天を覆うは無数の魔法陣。魔国連邦の奴らでなくとも()()が暴力の権化であることは理解できたようだ。そしてそこから覗くは無数の氷の槍の穂先。その内の1発が超音速で地上───俺達の下るこの川目掛けて迫る。そして数秒後にそれは着水する。

 

大質量の物体が莫大な速度で落下するエネルギーは絶大。目視できる範囲ではあるがかなり遠くに着水させたにも関わらず空気を切り裂いて飛んできたその槍は水の柱を作り、それらは津波となって俺達を追い立てる───わけでもない。

 

このボートは空間魔法である程度の結界も張れるからな。大荒れの川の中にあって大した揺れもなく衝撃波も届かない。大破壊に似つかわしくない穏やかさにウィルフィード達は唖然としている。

 

「おー、もうすぐ槍の雨が降るかもなぁ」

 

「OKボス。犬と呼んでくれ」

 

「やだよ」

 

他はともかくウィルフィードはちょっと()()聞いたくらいじゃこれ以上は喋らなさそうと思ったが意外と簡単に口を割るみたいだな。あと他の奴らも俺に付き従うことに異論が無さそうな顔をするんじゃあないよ。

 

「いやいや、どうせこの仕事が失敗すれば会社での立場を失いますし、そもそも入ったのだってトレジャーハンターとしてやっていくための資金稼ぎでしかありませんでしたから。……私達は役に立ちますよ?」

 

「ここぞとばかりに売り込ん───いや、ちょうどいいや。従うってんなら助けてやる」

 

本当はそもそも殺す気もなかったのだけれど、コイツらがそんなに俺に売り込んでくるのなら使ってやろうか。

 

「ありがとうございます!ボス!」

 

……このボス呼びだけはどうにかしたいけどな。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ウィルフィードから語られたこの箱の中身。言ってしまえば大昔に作られた生物兵器。人の肉を食い破って内側から殺す。なるほど、だから箱を開けた未来じゃあ俺の多重結界を破れずシアだけを殺したのか。

 

「さてボス。私は知ってることを全て話しましたが1つ。ボスはバチカンの人間ではないようですが、どうしてあんなところに?」

 

「んー?俺達があの遺跡に行ったのは本当にたまたまだが……バチカン、ねぇ?」

 

ドロリと魔王覇気を纏わせればウィルフィードの口はまるでメリーゴーランドのように回る回る。バチカンについても知っていることを洗いざらい語り出した。そして───

 

「───まぁある意味、帰還者を相手にする方が余っ程割に合わないだろうけどね」

 

そう告げたウィルフィードの喉元にスルりと氷の刃が突き付けられる。

 

「あぁちくしょう……やっぱりか。最初から最悪のカードを引いていたんじゃないか。これだから人生の斜め上具合と言ったら……」

 

「言ったろ、従うなら助けてやる。さて、お前とレリテンス社はどこまで帰還者について知ってる?最初から最後まで全て話せ」

 

「……日本の白昼に起きた2週間の集団失踪事件。ハイスクールの1クラス分に近い人数……生徒30名と教師1人が突如として失踪。警察その他あらゆる手段で調査が行われたが何の痕跡もなし。文字通りの神隠し」

 

そこまでは誰だって知っている話だ。俺はその先をさらに促す。

 

「行方不明になっていた生徒のうち、3人の生徒を除いて全員が帰還。ただし1人はPTSDと思われる精神的ダメージを受けている。しかも話のできる全員が全く同じかつ荒唐無稽なこと───異世界で魔物や神様と戦っていた、なんて御伽噺をする」

 

そう、そこもまだ誰でも知っていること。

 

「しかも尋常ではない情報統制が行われ、騒ぎは直ぐに鎮火。明らかに公権力以外の"何か"が働いていると推測」

 

「それで?帰還者達の個人情報はどこまで?」

 

問題はそこだ。コイツらが俺達のことをどこまで調べ、そしてどのような位置付けをしているのか、目下それが1番重要なのだ。

 

「家族構成、友人関係、習い事。とは言えその程度で、本当のところ知りたいのは彼らが()()()()()()()なのかというところなんですがね」

 

なるほどな。調査機関を使えばその程度を調べる程度ならワケないか。

 

「それともう1つ未確認情報。帰還者達の言葉を信じるなら彼らと()()()で同じように神隠しに巻き込まれた別世界の誰か、もしくは向こうから1人以上がコチラへ来ている、と言う話ですが……」

 

「……よく調べてんじゃねぇか。俺ぁその()()()()()()()()1()()で、こっちは()()()()()()()1()()だよ」

 

俺はシアを示しながらそう告げてやる。どうせならコイツはとことん利用してやろう。そして、そのためには多少の情報共有も止むを得まい。

 

「なるほど。まさか本当にそんなことが……」

 

するとそこでウィルフィードは「あっ」と声を上げる。とは言え続きは言われなくとも分かっている。それを聞いて自分は生きて帰れるのか、という疑問がありありと顔に出ているからな。

 

「従うなら生かす。そのための情報共有だよ」

 

それと、と俺は言葉を続ける。

 

「会社の居心地は知らねぇが、やりたいならトレジャーハンターはやってもいい。勿論レリテンス社に残って俺達のことを調べようって言う奴らのことを探って報告してくれるんならそれもいい。ちょっとした()()()もくれてやる」

 

俺はそう言うと宝物庫から拳大のタウル鉱石を取り出してウィルフィードに渡してやる。

 

「これは……?」

 

「頑丈さが取り柄の鉱石だよ。ただし、お前らの言うトータス(向こう)の、だ」

 

「───っ!?」

 

それだけ言えばウィルフィードにはこれの価値が分かったようだ。タウル鉱石なんて別にトータスじゃそれほど貴重な鉱石ではない。オルクス大迷宮を潜れば幾らでも手に入るし、それほど特殊な性質を持つわけでもない。だがいくら向こうでありふれていてもそれは異世界の物質。この地球上には似た物質はあっても同じ物質は存在しない。

 

この箱の中身と違って生物兵器への転用は難しいだろうが、研究対象としてはこれ以上ないものだろう。

 

「あぁ後、これもやる」

 

と、俺はウィルフィードの首にネックレスを1本掛けてやる。それは帝国でハウリアに渡した物をより使いやすくした物。あの時のはお互いに言霊を口にして制約を課したが、これは"俺の意思に反する"行動を取った時に自動で発動するもの。穴だらけの契約ではなくもっと幅広く、そして相手の恐怖そのもので行動を縛るのだ。

 

「そりゃあ無理に外そうとしたり俺の意思に外れる行動をした奴を気狂いにさせちまう道具だ。俺んことをボスと呼んで手前を犬と自称するなら首輪は必要だろ?」

 

俺のその言葉でウィルフィードの顔が一瞬で青ざめる。とは言え裏の顔を持つような企業に属している奴を手駒にするというのなら多少の枷は必要だろう。そして同じものを他の部下の奴らにも手渡す。

 

全員が怖々それを着けたのを確認し1つ頷く。

 

「そりゃあ俺達や帰還者、その家族に危害を加えないなら働きやしないよ」

 

これに込められたのはその程度の束縛。コイツらが例え人を殺そうともあの枷が発動することはない。ただしその矛先が帰還者やその家族でないなら、の話だけどな。

 

「あ、それとこれから先の連絡だけど、俺じゃなくて俺ん知り合いに頼むわ。どうせ分かるだろうから言っとくけど、そいつも帰還者だ。良かったな、お前らぁ割に合わねぇと思ってた帰還者達との接点が持てるんだから」

 

という俺の実質的な監視宣言にウィルフィードは

 

「あ、ありがき幸せ……」

 

と、力無く頷くのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

視界が開けるとそこはアメリカは西海岸───ロサンゼルス。そこにある高層ビルの1部屋であった。

 

だが俺達の目の前に広がるのは死屍累々の光景。どうやらこのオフィスは何者かによって既に襲撃されていたらしい。

 

「アメリカ怖すぎじゃんね」

 

「こっちと私達の地球ってどっちが治安悪いんでしょうか?」

 

武偵なんてものがないと治安を維持できない俺達の世界の方が治安が悪い……と言いたいところだけれど、この世界もこの世界で中々に暴力の跋扈する世界のようだった。

 

「さぁな。……さてさて」

 

本当だったらアーティファクトでこのオフィスの人間を全員まとめて洗脳することで帰還者達の情報を奪おうと思ったのだが、制圧する手間が省けたな。

 

「天人さんってクラッキング?ハッキング?とかそういうの出来ましたっけ?」

 

「いやまったく。まぁでもこれなら……」

 

俺は宝物庫からアーティファクトを1つ取り出す。パスワードの扉が破れないなら、パスワードを盗み見れば良いじゃない。そんな発想の元生まれたこれはただ単に過去を再生してその映像から俺がパスワードを覗き見るという超アナログなもの。形は良いのが思い付かなかったからグラサン。

 

シアのもあるよ?と宝物庫から渡したもう1つをやればシアもふむふむとか言いながらそれを顔に掛ける。

 

「んー、無骨すぎてシアの可愛い顔が隠れるだけだな……」

 

女性陣用はちゃんとデザインを考えるべきだなと俺は1人頷く。シアは「もう!早く情報貰いますよ!」なんて言っているけれど頬の赤みが隠し切れていない。いつも沢山可愛い可愛い言っているのに今だにこうやって初々しく照れてくれるのは嬉しいやらコチラが気恥しいな。

 

しかし実際ウダウダダラダライチャイチャしている暇も無いので俺は早速サングラスに魔力を流す。流石に再生魔法と魔力消費は尋常じゃないが今の俺にとっては些末な問題である。けれども、流れてきた光景は些末ではなかった。

 

身体に張り付くようなコートを着て顔には面を被った1人の襲撃者。そいつはたったり1人で職員達を昏倒させる。そうして残された1人にサバイバルナイフを突き付けるとパソコンを操作させ、あの遺跡の情報や帰還者達のプロフィールをUSBメモリにコピーし持ち去る。その際に脅した職員も気絶させてようやくやって来た警備員共も纏めて昏倒させるとまるで解けるように巻き込まれた闇の中へと消えて行った。

 

しかしあの身のこなし。喧嘩慣れしてるだけの素人じゃあないな。明らかに訓練と実践を積んだプロだ。ただ、アイツの主な目的はあの遺跡についてで、帰還者達の情報はたまたま見つけたボーナスのような雰囲気だった。

 

「凄かったですねぇ。明らかにプロですよプロ。何者なんですかね?」

 

まだ学生の身とはいえ、武偵の、それも強襲科のシアさんだって似たようなものですわよ?なんて言葉が喉まで出かかったけどどうにか飲み込んだ俺はシアの質問に口を開く。

 

「んー?……まぁ多分バチカンなんじゃねぇの?」

 

ウィルフィード達も言っていたからな。バチカンも力のある遺物の収集をしていると。その目的までは知らなかったようだけど。ま、そんなことは羅針盤で調べれば直ぐに分かるのだけどな。

 

「……ほらな」

 

件の襲撃者の本拠地───その座標を羅針盤に探させれば直ぐにそれは指し示す。奴の居場所を。イタリアはローマ。その中にあるバチカン市国の座標を。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「んー?」

 

「どうしたんですか?」

 

イギリスの北にあるとある森。マグダネス局長からは『魔女の森』なんて仰々しく呼ばれていたそこに俺とシアは2人で来ていた。レリテンス社で奴らの握っていた情報を確認した後2人でイギリスに転移した俺達は分身体の遠藤とエミリー・グランド──ノーチラスにいる時に急にこっちの世界に飛ばされた先にいた女の子。どうやら遠藤に気があるようだ──にあの箱の中身と入手の経緯を伝えてあった。それと、ウィルフィードも既に紹介済みである。

 

そして、遠藤達にはバチカンを探るように言っておいてやって来たこの森なのだが、足を踏み入れてしばらくすると俺の氷焔之皇に反応があったのだ。

 

「……氷焔之皇が反応した」

 

「マジですか……。と言うことは───」

 

「あぁ……」

 

この森、絶対にオカルトチックな何かが蔓延っている。

 

「今んとこそんなに強い力じゃあない。……意識の誘導っぽいな」

 

氷焔之皇で探ってみれば、どうやらこの森を北に向かうように意識が誘導される類の力のようだ。なるほど、魔女の森は伊達じゃないってことか。

 

「どうします?天人さん」

 

「どうします?って顔してないじゃんね」

 

シアさん超絶ワクワクモードの顔してるよ?絶対にこの森の神秘を解き明かしたい!冒険がしたい!って顔に書いてあるようだ。まぁ、人攫いの森が御伽噺や特殊な自然環境による遭難の頻発ではなく超常の力によるものなのだとしたら、その最奥を覗きに行くのも悪くはないか。あの遺跡もキープだけど、イギリス支部ってのがあっても良いかもだし。

 

「いやぁ、やっぱりこういうのってワクワクしますよね〜!」

 

と、絡み付くような空気の中シアは楽しそうにスキップなんかしながら森の中を進んでいく。敢えて意識の誘導に逆らわずに北へ北へ。

 

道中一気に霧が濃くなり、何かのテリトリーが近いのだと感じる。そうして更に誘導されるがままに歩みを進めていくと───

 

「こーゆーの、ミステリーサークルって言うんだっけ?」

 

現れたのは鬱蒼とした森の中にあって異様を感じさせる空間。直径にして60メートルほどの円状の空間に全く草木が生えていないのだ。しかも森の中と違って土が乾いている。すると───

 

「んー?」

 

意識の誘導の他にも氷焔之皇に反応があった。どうやら何か言葉を俺達にくれているようだったので、仕方なしに俺は氷焔之皇の守備範囲を少しだけ落とした。

 

───ニエ……ヲ

 

「天人さん!」

 

「あぁ」

 

シアがドリュッケンを構え、俺はトータス製のアーティファクト拳銃を構える。

 

───ニエ……ササ……

 

「煮えた笹ぁ?」

 

「贄を捧げよ、じゃないですか?」

 

俺の適当な解釈にシアがキチンとした解説を添えてくれた。なるほど、贄……生贄か。だが俺の理解を放って森に潜む殺意が牙を剥く。

 

周囲の木々は蠢き枝が有り得ない速度で伸びて俺とシアの身体を貫こうと迫る。もっとも、その程度でやられてあげる俺達ではない。電磁加速───だけでなく銃身内部に付与した重力魔法による重力加速をも加えた多重加速式拳銃から放たれる超々音速の弾丸と戦鎚(ドリュッケン)の一凪でそれらを撃ち砕く。

 

たったそれだけの動作で齎された破壊は尋常のそれではなかった。俺の放った弾丸の通った下の地面は、触れてもいないのに直径で1メートルほど抉れていた。

 

「うひ〜。やっぱり天人さんの()()、威力がおかしいですぅ」

 

槍のように放たれた木の枝を、1本どころかその奥にある木の幹まで貫き衝撃波で太い幹をへし折り大地を削った多重加速式拳銃の破壊力を見てシアが冷や汗を流した。

 

「んー?……って言ってもまだ縮地の加速は込めてないからもうちょい上がるぞ」

 

ここまでの速度を出すとなると銃弾の方もかなりの圧縮錬成が必要になる。速度もだけど銃弾1発毎の重さもかなりのものになっているおかげで破壊力が尋常ではないから、正直トータスであっても自由には撃てないだろう。こんなのを適当に放っていたら視界や感知系の固有魔法の外にいた誰かを巻き込みかねないのだ。

 

だが幸いにしてここは人のいない森の奥深く。誰かを巻き添えにする心配はない。この状況でこの火力を縛る必要性は無い。

 

すると、今度は足元から木の根が槍衾のように迫る。それを俺とシアは左右に飛び退いて避けると特に加速はさせずに銃弾を放つ。ただし今度の弾頭は空間爆砕を付与したそれだ。

 

まるで空爆でもされたかのように捲れ上がる大地。

 

───その力……バチカンの人間かしら……?

 

喋り方といい頭の中に響く声色といい、どうやらコイツは女のようだ。なるほど魔女の森ね。言い得て妙じゃないの。

 

さてさて、本当は戦闘中に喋ってやる趣味は無いんだけどな。どうにも頻出ワードみたいだな、バチカンってのはよ。

 

「違うね。俺ぁバチカンとは何の関係もない」

 

───馬鹿な。あの女の耳は……本物?まさかこの時代にも生き残りが……?

 

すると、今度はシアのウサミミに興味を持つ魔女様。ふむ……シアはこの森に入ってからは認識阻害のアーティファクトを外していたからな。さてさて、これが裏目に出たか吉となるか。

 

───バチカンに属さずに力を持つ男に神代の生き残り……いや、先祖返りか

 

しかしこのお姉さんも勝手に話を進める系統の人っぽいですね。俺の周りはそんなのばっかりかよ。

 

───面白い。あなた達面白いわよ。このまま簡単に贄にするなんて勿体ない

 

「んー?」

 

すると、森の奥からズルズルベチャベチャと嫌な音が響いてくる。まるで血濡れた肉をずた袋に入れて引き摺るような音だ。しかし、俺のそんな例えもあながち間違いではなかったと直ぐに証明される。

 

「天人さん、そりゃあ最初から分かっていましたけど、この声の持ち主さんは悪意が半端じゃないですよ」

 

「みたいだねぇ……」

 

森の奥から現れたのは肉塊だった。大小様々な大きさの手足がそこら中から生えており、眼球も無数に開いていてそれがギョロギョロと辺りを見渡している。

 

───イイイイヤァァァァァァッ!!

 

すると人の神経を逆撫でする甲高い叫び声。それと共に無数の手足が瞬間的にこちらに伸びてくる。けれど、そんな程度じゃあ俺達は殺れないよ。

 

「───っ!」

 

シアが俺の前に躍り出る。そしてドリュッケンを振り抜いた。それは空間爆砕でも魔力の衝撃変換でもないただの膂力による反撃(カウンター)。だがそれもシアの膂力で行えば空気の壁を突き破り肉塊なんてものはその衝撃波で粉々に砕け散るのみだった。

 

そして俺はシアのウサミミの間から───シアのウサミミを大気の断末魔(ソニックブーム)で傷付けないように敢えて重力魔法で減速をかけた亜音速の弾丸を放つ。しかし弾速が遅かろうともその弾頭に付与された魔法は重力魔法───黒天窮。速度こそガバメント程度ではあったが、弾頭が触れた肉の中心で発生した黒い闇がその肉を圧縮し消滅させる。

 

だが───

 

───イイイイヤァァァァァァッ!!

───イイイイヤァァァァァァッ!!

───イイイイヤァァァァァァッ!!

 

今度は全方位から同じような肉の塊が現れる。そしてそれらは俺達を取り囲むように立ち上がり、視界を肉で覆った。

 

───ようこそ、不死の魔女の森へ

 

まるで嘲笑うかのような声が響く。

 

───安心なさい?贄にはしない。我が魔道の虜にしてあげる

 

「……ふん。悪りぃけど俺ぁとっくにコイツの虜なんでね。今更アンタには靡かないよ」

 

と、俺は敢えてそんな軽口を叩く。そして、それにつまらなさそうに鼻を鳴らす魔女だったが、その間に俺の精査は終わった。

 

「……シア、どうもこいつ、この森と一体化してるみたいだな。魔物みたいな核はここには無い。だが中心地はここだ」

 

───ッ!?

 

「おおよそ半径500メートル。最低でもそこまでは奴のテリトリーだ」

 

───な、何故……

 

俺の右眼は魔力や力の流れを追える。それに羅針盤を組み合わせればこの程度を見抜くなんて造作もない。シアもそれは分かっているから彼女の顔に驚きはない。

 

「じゃあ……焼くよ」

 

俺は宝物庫を光らせる。その瞬間に俺の四肢は灰色の鎧で覆われる。さらに背中側には2門のガトリング砲と4門のサークル状の円盤。胸部や腰周りにも関節の動きを阻害しない程度の同色の鎧が纏わる。

 

それはさながらIS(インフィニット・ストラトス)のようであり、確かにこれは俺が錬成と神代魔法で作り上げたISと言ってもいいだろう。シールドエネルギーの代わりに多重結界で守り、PICの代わりに重力操作と重力魔法で自在に空を駆ける。

 

銃火器は多重加速式で統一され、俺の体内に眠るティオの因子を利用した擬似的なビーム兵器すら搭載している。それが俺のこれ───局地殲滅特化型外装である。名前はまだ無い。

 

「遂に実戦投入ですか?」

 

「馬鹿言え。まだ試験段階だよ」

 

聖痕持ちに正面から抗える火力。シャーロックからの宿題への回答の1つとして多重加速式の銃火器と共に用意したものだ。もっともこれがどこまで奴らに通用するかは分からないけどな。

 

「それで?この森を焼かれたくなければちょっとお聞かせ願えませんかね」

 

両手に構えるは多重加速式突撃銃。背面からはサークル状のビーム砲台が展開され、背中から脇の下を通すように銃口を向けるのはガトリング砲。

 

更にミサイル迎撃システム(PAC3)が如くミサイルポッドを召喚。多重加速式のビット兵器をも呼び出し、それらが俺達の周囲を囲い銃口の死角を潰していく。

 

───野蛮ね。私の内包する神秘とは比べるまでもない

 

───私の研究にお前達は不要

 

なるほど、銃火器はお気に召さなかったようだ。

 

───遠慮することはないわ。私のもてなしを存分に受けなさい?

 

そうかよ、それなら俺もこの森を焼くしかねぇな。本体を探せば捕まえて拷問もできるのだろうが、そもそもバチカンには遠藤を向かわせたばかりだ。情報源はコイツだけじゃあない。それにただ濃霧と人の恐怖が生み出しただけの魔女であれば良かったが、こんな風に悪意に塗れた魔女がいたのであれば仕方ない。コイツがまた人を喰らう前に根絶やしにするのも良いだろう。

 

「シア!」

 

「はいですぅ!」

 

シアは敢えて俺の傍に寄る。これを纏った俺に対して、こここそが1番の安全地帯と知っているからだ。そしてその瞬間に放たれるは無数の火線。

 

超々音速の弾丸が光の槍となって肉を穿ち、炸裂弾が壁を撃ち砕く。そうして開けた視界で黒い閃光が森を貫き、飛び出したミサイル群が木々を焼き森を炎で染め上げる。

 

───おまっ……お前ぇぇぇぇぇっっ!

 

「1人で戦艦みたいな火力出してますねっ!」

 

「艦載機の代わりに氷の槍もあるぜ」

 

だがこの相手にはそこまでは必要なさそうだ。不死の魔女の森と言う割には直ぐに肉壁も現れなくなったため俺は外装を宝物庫に仕舞う。それに合わせてふわりと俺は地面へと降り立った。

 

───絶対に許さない!地獄へ落ちるといいわ!

 

「んー?」

 

「え?」

 

今更そんな定番の捨て台詞……と思ったが違うらしい。俺達の足元の空間がいきなり光り出したのだ。

 

───朽ちたる世界樹の残滓よ、重なる界へと扉を開きたまえ!

 

その言葉の直後、視界で光が爆ぜる。だがフラッシュグレネードならともかくこんな超常の力、俺の氷焔之皇で凍り尽くして───

 

「なっ───」

 

「天人さん!?」

 

氷焔之皇が弾かれる。こんなの聖痕の力か、そうでなければ───

 

だが俺の思考はそこで途切れる。完全に視界が光に潰され、一瞬巨大な樹を幻視したような気がして、白に包まれた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

 

「……ここどこよ?」

 

「分かりませんけど……ろくなとこじゃないですぅ」

 

ハウリアの拠点探しで訪れたイギリスの北部に位置する森林で、何やら変な奴に襲われたと思ったらまさかの異世界転移。開けた視界に映るのは乾いた血の様に赤黒く染った景色。

 

赤黒さの理由はまるで突風吹き荒れる砂漠のように舞う赤い砂のような何かだ。俺はそれを捕食者に仕舞い、解析を試みた。すると───

 

「……うえぇ……こりゃあ身体に悪いわ」

 

出てきた結果はろくなもんじゃあない。取り敢えず俺は再生魔法が付与されたバレッタのアーティファクトをシアに渡す。どうにも俺は多重結界のおかげでそれほど影響は無いのだけれど、シアはそうもいかない。

 

「ヤバそうなら神水も飲んでな。……ったく、まるで地獄みたいだな」

 

「ですねぇ。……しかもなんか───」

 

バレッタで髪を留めたシアがドリュッケンを宝物庫から取り出しつつ辺りを見渡す。俺達を見下ろす幾つもの異形。それは俺達を物珍しげに、そして舐め回すように眺めている。特に───シアの肢体には熱い視線が向けられていた。

 

「……………………」

 

特に言葉は無い。いや、俺に無くとも奴らからは発せられていた。何故ここに人間が、とか、女がいるぞ、とか。ただそれらの言葉と視線が不快だった俺は奴らの脳天に氷焔之皇を纏わせた氷の槍を突き刺した。

 

断末魔の悲鳴すら上げることなくそいつらは絶命した。俺の右眼に映された奴らの魂は、奴らが人間とは掛け離れた存在であり、その上その魂の色は酷く穢れていた。それ故に俺は彼らに対して武偵法の縛りを設けることが出来なかったのだ。

 

「どうする?」

 

俺達を囲っていた奴らが絶命し、倒れ伏した死体の後ろから更に俺達を睨めつける異形達。

 

「どうするって……こうなったらもう殺るしかないですぅ」

 

「だよねぇ……」

 

360度全方位に向けて俺は氷の槍を放つ。それを避けた何匹かの異形が上から俺達を殺そうと殺意を滾らせ降り注いできた。

 

しかしそれらはシアのドリュッケン───それから放たれる魔力の衝撃変換により肉片となり打ち払われた。だが仲間が殺られたというのに奴らの騒ぎ様は、喜びに満ちていた。どうやら力のある女というのは随分と奴らにとっては待ち望んだ存在らしい。その騒ぎに聞き耳を立てれば、コイツらは力のある女に自身を孕ませ、受肉することで現世───恐らく香織達の地球へと現れることができるらしい。なるほど、だからさっきあんなにシアのことを睨め回していたのか。

 

そして、それならやはり俺の先制攻撃は正解だったな。……そんな薄汚い目でシアを見る奴の存在を、俺が許しておけるわけがないのだから。

 

「………………」

 

俺は無言のまま魔王覇気を発動。それはただ人心を狂乱に陥れるのではない。昇華魔法によりその存在強度を増したこれは、一定以上の恐怖を感じた者の生命活動を、自身によって停止させるのだ。

 

例えそいつが心臓の鼓動によって生きていないのだとしても関係無い。恐怖に陥った者が、自身で生きるという行為そのものを諦めるのだから。

 

そうして周りの怪物共を全て黙らせ(ぶち殺し)た。さて───

 

「静かになったし探検でもするか?」

 

「はいですぅ!ちょっと行き先は変わっちゃいましたけど、冒険デートしましょう!」

 

随分と殺風景だし現地の皆様方はもはや人間ではないし友好的でもないけれど、シアと歩けばそこは花畑。俺達はマグダネス局長から渡された最新スマホであちこち写真を撮ったりしながら歩いて回ることにした。

 

ちなみにこのスマホ、俺達の世界では使えない。俺達の世界の科学技術はその殆どが香織達の世界の物の後追いで、スマホ1つ取っても同じようなのだが、回線の仕組みというか電波が微妙に異なっていて通信が出来ないらしい。

 

とは言え所詮はスマートフォン。西暦にして数年ほど進んでいる香織達の地球のスマホは当然こちらと比べて技術的にも進歩していようとも、根本的な使い勝手は変わらない。

 

通信は出来なくともこっちでは完全にオフラインで、向こうにいる時だけオンラインになるこのスマホはこういう時のカメラとしてはまぁまぁ便利。武偵は写真にはなるべく写らないようにするのが基本なのだが、このスマホで自撮りとかする分にはそう問題もないのだ。しかも、香織達の世界ではこっちより自撮り文化が進んでおり、自撮り棒なる便利道具まで市販されていた。

 

で、俺とシアは早速それを使って赤黒い廃墟を背景に写真をパシャリパシャリ。何やら自撮りの際にはアプリで自動加工して見栄えを()()のが当然であると香織から教えられたのだが、シアはスマホのアプリで盛らなくてもビックリするくらい可愛いからむしろあっち基準の盛りアプリは不要。というか、元が良すぎて加工すると逆に違和感がある。

 

っていう話を前に香織にしたらキレ散らかしていた。……でも貴女も下手に盛るより普通にしてた方が多分可愛いよ?とは言わないでおいた。そういうこと言うのは南雲くんの役目だからね。

 

で、時折襲ってくる化け物共をぶちのめしながら色々見て回っていたのだが、そろそろ腹も減ったということで適当な建屋に入ることにした。

 

錬成で補強しつつ空間遮断結界を張って、かつ有害物質は全部絶対零度で消し飛ばした綺麗な空気の中で俺とシアは昼飯を頬張っていく。

 

そしてダラダラと食後のお茶を啜りながらさてどんな写真が撮れたかと2人寄り添いながら確認していく。ただ、飯を食って落ち着いたのかシアがだんだん眠そうだ。トロンとした目で「この後どうします?」なんて俺を見上げてくるからその桜色の花弁にキスを1つ落としてやる。

 

そうしてさてどうするかと思案したその時───

 

「───ッ!天人さん!!」

 

「おう!」

 

シアの叫び声と共に俺も凄まじい殺気を感じて更にビット兵器の空間遮断結界を何重にも張る。

 

そしてそれは正解だったようで、一瞬にして建屋が吹き飛ばされ、俺の張った結界も2層が破壊され、3層目にヒビが入ってようやく破壊が止まった。

 

そして、何やら俺の究極能力に反応あり。シアのウサミミがピクリと反応していたから、何か言葉を掛けられたらしいが俺には伝わらず。だが急に周りの空間が歪むと、その瞬間に景色が切り替わる。どうやら空間ごと転移させられたらしい。

 

そして目の前に現れたのは豪奢な法衣のようなものを身に纏った、巨大なワニのような怪物に騎乗した老人。

 

そしてまた俺の氷焔之皇に反応がある。どうにもコイツは思念のような何かでコミュニケーションを取るようで、その全てが俺の能力に掻き消されて届かない。

 

「……何言ってるか分からないんで口で喋ってもらえます?」

 

普通は口で喋る方が伝わらないのだけど、俺に限って言えば逆なのだ。変に念話みたいな能力を使われても届かない以上、空気の振動に乗せて音を発してもらわないと解ける誤解も解けやしない。いや、ここら一帯の化け物共をぶち殺しまくったのは誤解ではなく事実ではあるのですが……。

 

一応、氷焔之皇の効果範囲を少しだけ狭めてコミュニケーションだけは取れるようにしておく。

 

───人でも魔でもない混ざり者よ……我が領地を血で汚したその罪、魂で償え!

 

あぁ、やっぱりあの殲滅戦のことを仰っていますね。まぁしょうがない。お互い相容れない存在だというならば、どちらかが死ぬまで戦いは終わらない。

 

「天人さん!」

 

シアには死の未来が見えたのだろう。今のシアをして即死に追い込むこの爺さんはまぁもうどう見ても尋常な存在ではない。しかもさっきの衝撃と言い転移と言い……きっと空間魔法のような技を使えるのだろう。俺は越境鍵でシアと共に爺さんの背後に転移。だが───

 

「───っ!」

 

上から影が差したと思いきやあの巨大なワニが顎を開いて俺達を噛み砕かんと迫る。シアが魔力を噴き上げて身体能力を増強。その上下に閉じるアイアンメイデンを両手両足で突っ張る。

 

その瞬間に俺はワニの上顎と下顎に内側から氷の槍を突き刺す。そして口腔内に対物ライフルを発射。超々音速の弾丸が衝撃波と共にワニの体内を蹂躙する。

 

───ギィィアァァァァァッッ!!

 

───ぬぅ!!

 

ワニが暴れ俺達は放り出される。更に視界の端からは異形の化け物達がワラワラとこちらへ向かっている。しかもこの距離でも分かるくらいに殺気立っているようだ。

 

シアが衝撃波をドリュッケンで弾き返している間に俺は羅針盤で自分達がどこにいるのかを調べる。するとどうやらここは別世界である地底世界のような場所らしい。

 

「シア、この爺さん叩き潰してまだこの世界見て回るか?」

 

別にこの爺さんを倒すこと自体はそれほど面倒ではない。確かに強いが、氷焔之皇で空間魔法のような力を全部潰してしまえばそれで終わる戦いだ。迫る有象無象共も魔王覇気で全員終わらせられる。だからシアがさっさと終わらせて帰ろうと言うのなら俺はそれに従うのみ。

 

「そうですね、せっかく全力を出せるみたいですから、久々に……いいですか?」

 

シアの甘える様な可愛らしい声。もうホント、この子は俺を操るのが上手ですね。

 

「OK、なら俺も合わせるよ」

 

というわけで氷焔之皇で爺さんの能力全部纏めて潰すのは無しの方向でいきましょう。ま、最悪の場合は使うけどね。

 

さてさて、コイツらは俺の世界やレクテイアでも中々お目にかかれないくらいには強そうだ。モリアーティの軍勢と戦うために新たに強化したアーティファクトの性能を試すには丁度良さげだな。

 

俺は多重加速式ガトリング砲を召喚。その暴威を撒き散らす。それで俺達に迫る異形の集団をぶち抜いていく。さらにシアも身体強化をレベルVIまで上げ、それこそ瞬間移動染みた踏み込みで爺さんに接近。ドリュッケンの一撃で粉砕しようと戦鎚を振り抜いた。

 

だが爺さんは瞬間移動でそれを回避。さらにシアに大規模な空間爆砕の衝撃波が襲い掛かる。

 

だからってシアの方を追い掛けてはいられない。この爺さんに背を向けたら次の瞬間に何が飛んでくるか分かったものじゃないから。

 

俺は背後にミサイルポッドを召喚。それを一息に解き放つ。そこから放たれた火線で異形の集団を叩き潰しつつ爺さんには氷の槍を上下から牙のように叩き込む。

 

───むうっ!

 

それは寸でのところで躱されて致命にはならなかったがようやく1つ攻撃が掠めた。

 

そして、どうせ転移して逃げられるか、こちらが逃げても空間ごと転移させられるのならと俺はガトリング砲ではなくトンファーを召喚。こちらも空間魔法が付与された武装で挑む……なんてね。

 

念話で届いたシアの声。シアはドリュッケンに外付けの巨大な槌を装備。それにも当然空間魔法が付与されていて、それが奴の居城と思われるこの建物に張られた空間遮断結界に触れ……そしてそれを同じく空間振動による破砕で城ごと叩き潰した。

 

───おのれぇぇぇ!!大公爵アガレスの居城と知っての狼藉かぁ!!

 

いや、知りませんてそんなの。アンタの城だってことはともかく、アンタの地位も名前も、今初めて耳にしましたよ、とは口に出さないでおく。

 

そして、シアの放った衝撃と挟むようにして俺も新たにトンファーに付与した空間爆砕を放つ。

 

───ゴッッ!!

 

更に踏み込み、爺さんの腹に空間爆砕込みのトンファーを叩き込む。

 

──ドウッッッッ!!──

 

という鈍い音と共に衝撃波が背後に抜けていくのが分かる。人間なら……例え神域突入組の奴らであってもバラバラに出来る程の衝撃を受けて尚コイツは原形を保てていた。それならばと、俺は爺さんの後ろに氷の壁を召喚しつつそこに叩きつけるようにトンファーを振るう。

 

───ガッッ!

 

そして畳み掛けるように爺さんの手足を氷の槍で貫き串刺しに固定。トドメとばかりにもう一度爺さんのドテっ腹に空間爆砕の打撃を叩き付けた。

 

虚空に固定された氷の壁は衝撃を逃がさずに爺さんの身体を蹂躙する。そして血反吐を吐いて爺さんの動きが止まる。俺の義眼に映る魂は消えていないから、まだ死んではいないようだが、もう指先1つ動かすことが出来ないくらいには痛めつけられたようだ。

 

さらに、シアに蹂躙されている異形の集団達にも魔王覇気を叩き付け、完全に制圧。血色の風が吹き抜ける音だけを残して、この地下世界は静寂に包まれた。

 

「そのお爺さん、死にました?」

 

お年寄りになんて口を利くんだと思わなくはないけど、まぁお互い殺し合ったんだからそんなもんかと、俺はただ首を横に振る。

 

「どうせなら色々聞きたいからな」

 

と、俺は再生魔法を付与したアーティファクトを使って彼の身体の時間をほんの少しだけ戻す。すると項垂れていてピクリとも動かなかった爺さんが顔を上げた。

 

───貴様ら……

 

もちろん、この時点でもうこの爺さんの能力は封印してあるから逃げられる心配はない。だがそれを分かっているであろうこの爺さんは、それでも戦意を失ってはいないようだった。

 

「さてさて、ここはどこなんだ?」

 

が、そんな事情はお構い無しに俺はそう問い掛ける。

 

───どこだと……?はっ……何の嫌味だ?

 

「知らねぇよ、俺達ゃ変な奴に無理矢理ここに飛ばされたんだ。だから聞いてんだぜ、ここはどこで、なんて地名かってな」

 

───人間からすればここは地獄だ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

「あっそ、ここの下にまだ繋がってるみたいだけど、一体全部で何階層あってここは何階層目だ?」

 

ドロリと、魔王覇気を少しだけ纏わせながら俺はそう問うた。俺の魔王覇気に気圧されたのか捕らえられた以上は喋るつもりなのか、アガレスと名乗っていたコイツは口を回す。

 

───ここは下から2層目、全部で9の世界があり、その上が地上だ。

 

「ふぅん。んで、お前やアイツらを、人間は何て呼ぶ?お前らはどんな存在だ?」

 

───我らは地獄の悪魔。人間の魂を喰らう者。

 

なるほど、ここは文字通りの地獄。コイツらは悪魔ってことか。しかもルシフェリアみたいな可愛らしさの欠片もない。ちなみに、魂魄魔法のアーティファクトでコイツが嘘を言っていればすぐに分かる。だが今のところは嘘は吐いていないようだった。

 

「ふぅん。ま、聞きたいのはこんなところか」

 

帰ろうと思えば越境鍵で帰れるので俺にはそれほど聞きたいことはない。ただここがどんな世界なのか把握したかっただけだ。

 

俺は爺さんに掛けていた氷の拘束を解く。すると、ドサリと力なく落ちた爺さんは、意外そうな顔で俺を見上げている。

 

───殺さぬのか?

 

「もういいよ、聞きたいことは聞けたし、アンタじゃ俺には勝てない」

 

───時間をかければ力なぞ回復する。そうすれば我は貴様を殺しに───っ!?

 

俺は爺さんにその先を言わせなかった。魔王覇気を叩き付け、爺さんの息の根を止め───

 

───カッ……はぁっ……!

 

殺しにくる気概があるのなら、後腐れないようこの場で息の根を止めてやろうとしたのだが、この爺さんはなんと昇華魔法で強化された魔王覇気にすら耐えてみせた。しかも、神の使徒のように根本の精神構造が魔物と比べても希薄だから効果が無かったとかではない。本当に、コイツには効いているのにも関わらず耐え抜いたのだ。

 

「へぇ……」

 

それでもう少し魔王覇気を当ててみたのだが、それでもこの爺さんは耐えた。本当ならもう身体が、魂が「死んでしまいたい」として自ら死に至るのに、コイツはそれを耐え抜いたのだ。

 

───ま、魔王様……

 

しかも、先程までは殺意に濡れた瞳だった筈だが、何やら俺を崇めるような眼差しに移り変わっている。

 

「んー?」

 

───我が魔王よ……もし下へ行くのならどうか我と共に

 

「は……?なんで」

 

あと、最近魔王とか言われ慣れてきて普通に魔王様に返事しちゃったよ。おかげでなんかコイツの魔王様になること了解しちゃった雰囲気がある。

 

て言うか、地獄の悪魔に魔王覇気当てたら()()られて配下になるとか言い出されるの、本当に魔王みたいで嫌だな……。

 

───先程、我が魔王はまるで人間がピクニックをするかのようにここを歩いておられた。もしまた下でも同じように過ごすなら、我がいれば戦いになることもないかと

 

「……もし下の奴らがお前ん話を聞かなかったら?」

 

───その時は……戦闘も殺戮も致し方ありますまい

 

「いいのか?そいつらも悪魔なんだろ?お前の友達とかじゃないの?」

 

いや、悪魔に友達概念があるのかどうかは知らないけど、コイツはここを領土だと言っていたから他の奴らはコイツの領民ってことでこの爺さんの庇護下にあったと考えていい。もっとも、強い奴の言うことが絶対、みたいな価値観を持っている奴は割といるから、この地獄の悪魔達も同じように考えているかもしれないが。

 

───友達……ではないでしょう。見知った仲ではありますが……。しかしもし、その中で我が魔王の元に下りたいものがいれば、そ奴も我と同じように取り立ててやってほしいのです。

 

もちろん可能であるなら、とは付け足された。いや、アンタも含めて別に悪魔の配下とか要らないんだけどね。でもなぁ……コイツここに置いて帰ってもそのうち下から湧いて出てきそうだ。そうなると面倒臭そうだな……。

 

ていうかこの問答、エンディミラの時もやらなかった?俺ってそういう星の元に産まれちゃったんかな。

 

 



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地獄とあの時の真相

 

 

羅針盤に従い見つけた階段を降り、この地獄の最下層に降り立つ。そこは切り立った崖の上で、眼下には廃墟のように見える大きな都市が広がっていた。そしてその奥にはまるで欧州の宮殿のような建物が。

 

「あれは……?」

 

と、俺は捕食者(いぶくろ)の中にいるアガレスに聞いてみる。一応この爺さんの怪我は治したが、面倒なので捕食者の胃袋に収めてしまったのだ。それと、あのワニも再生魔法と魂魄魔法のアーティファクトで半分蘇生して宝物庫に放り込んであった。

 

───七王の万魔殿です。この最下層にいる悪魔達の象徴に御座います。

 

「ふぅん」

 

と、俺達は眼下の都市に降り立つ。そして、またいつも通りくっ付いて廃都市の中を歩き回り、適当に写真を撮ったり時折キスを交わしたりして散策していく。

 

すると、また何やら俺達と戦ってた時のアガレスみたいに頭の中に直接響く声。

 

───ほう……人間か?小僧が現世への侵攻を呼びかけておったが、その弊害か?

 

───クククッ……大公爵が出し抜かれるとは面白い。

 

その大公爵さんは俺の腹の中にいるんですけどね。

 

───貴様らは手を出すな。あれは我のものとする。

 

あ、これは早速アガレスさんの出番みたいです。

 

と、俺は捕食者の胃袋の中からアガレスを召喚。目線で「早く説得しろ」と急がせる。

 

───うん?大公爵アガレスではないか。……もしや貴様、そこな人間風情に捕らえられたのか?

 

───クハハハハ!!これは傑作!あの大公爵ともあろう御方がまさか!

 

で、アガレスさんは出てきた途端嘲笑の的になっている。まぁそりゃあそうだよな。悪魔的には人間を下に見ているっぽいし、そんなのに捕まっていたんなら嗤われるか。

 

───これは警告だ。この御方達に手を出すでない。貴様らが何もしなければこの方達もこの都市を見て回るだけで帰るであろう。我の領地は既に居城ごと葬られた。貴様らもそこの万魔殿も、跡形もなく消滅させられたくなければ今は引くが良い。

 

と、アガレスさんの説得が始まる。だが……

 

───フハハハハハハハッ!!これはこれは!あのアガレス様がまさか人間風情の下僕に成り下がるとはな!ハハハッ!この退屈な地獄でまさかこれほどの娯楽があろうとは!!

 

───むしろ貴様をそれほどまでに情けない存在に成り下がらせたそこの人間に心底興味が湧いたぞ。

 

───しかり、その魂の味、髄まで味わいたいものだ

 

「交渉決裂じゃんね」

 

「申し訳ありません、我が魔王」

 

むしろ悪魔さん達のやる気ゲージがマックスですよ。ほらもう何か蜘蛛の下半身を持つオッサンとか炎を吐く巨大な狼とか色々な化け物達がワラワラと湧いて出てきた。

 

「じゃあもう1回入ってろ」

 

と、俺は左腕の神機の捕食でアガレスを再び腹の中へ収める。さてさて、また神代魔法クラスの超常が飛んでくるんだろうな。

 

「仕方ありませんね、天人さんと一緒にいるんですから、こういうのは避けようがないですぅ」

 

「人のこと喧嘩生成マシーンみたいに言わないでくれます?」

 

シアがドリュッケンを担ぎ、身体強化Ⅶを発動。俺も多重加速式拳銃を召喚し、両腕からは黒鱗のブレードを出現させる。

 

戦闘……開始だ───

 

 

 

───────────────

 

 

 

巨狼がその顎を開けて俺に迫る。それを円月輪のゲートで背後に通し、そこに多重加速による超々音速の弾丸を放つ。更にビット兵器を召喚し、化け物共に目掛けて魔力の衝撃変換を付与された炸裂弾を多数お見舞してやる。

 

その隙を突こうと言うのか向こうから飛ばされる魂を揺るがす不可視の衝撃や業火に雷撃、氷の槍等々……色々な魔法っぽいものが飛んでくる。勿論そんなものは俺に触れた瞬間に俺の力に変わるのだが、それで得られる力の量が異常だ。どれもこれもユエが放つ最上級魔法か神代魔法クラスの力に変わっていくのだ。

 

更に馬に乗った騎士のような悪魔が香織のよく使う再生魔法による時間加速──神速──で俺に急接近。その手に持った刃で俺を両断しようと迫る。

 

俺は左手に覇終を召喚。斬撃に弾丸をぶち当てて逸らし、奴の突進を躱しながら左手を振り抜いた。

 

──ゴウッ!!──

 

と、黒い斬撃が騎士を両断する。俺のこれには氷焔之皇が纏わせてもあるから当然奴には魔法的手段での防御は不可能。

 

シアも、自身に一息の間に接近してきた化け物にドリュッケンをぶつけて叩き潰した。

 

───よく足掻く。まこと素晴らしい魂の輝きよ。特に女の方は素晴らしい。

 

「……あぁ?」

 

───実に良き素材だ。才能は聖女を超えるか。

 

───しかり。ただ喰らうには実に惜しい

 

───丈夫な肉体だ。あれならば何度でも孕めよう。

 

「ふわっ!?」

 

シアがおぞましいものを見たかのように総毛立ちドリュッケンを構え直す。だが驚きに塗れた可愛らしい声はそれで発せられたものではない。俺から溢れ出た魔王覇気の冷気を僅かに感じたからだ。

 

「シア、悪いけどもう冒険デートも終わりだ。……アガレス、多分もう俺ん下に付くって奴ぁ出てこねぇぞ」

 

何せ、ここにいる奴らは全員俺が終わらせるからな。アガレスとの戦いで忘れていたけど、そう言えば悪魔は人の女を()()使うんだったな。ただ自分のテリトリーに侵入した者を殺すってだけならまだ良かった。けれどこれは……シアを……俺の女をそんな風にしようとする可能性が1%でもある奴らの存在を、その1%足りとも俺は残しておくことが出来ない。

 

俺は太陽光収束兵器を7機全て召喚。シアを抱き寄せ、悪魔達や万魔殿なる宮殿に向けてその光を放つ。第2炉も解放、万魔殿だけでなく逃げ惑う全ての悪魔を陽の光で消滅させんとさらに薙ぎ払う。第3炉、第4炉と次々に出力を高めていく陽の光。それだけではない、空には無数の巨大な魔方陣。そこから顔を覗かせるのは極太の氷の槍の切っ先。俺は羅針盤でこの階層にいる悪魔達の位置を全て補足。地の底の空から殺意と破壊の権化を解き放つ。

 

世界から音が消えた。

 

そう思えるほどの蹂躙。例え小さな悪魔であってもただの1匹すら存在を許さない陽光と氷の魔槍が、人にとっての地獄の底を、悪魔にとっての地獄へと変貌させたのだった。

 

「さて……上の階の奴らもシバいてから帰る。……シア、天井はよろしく」

 

「はいですぅ」

 

第9階層を更地にした俺はふぅと息を吐いてシアが天井の岩盤を撃ち砕くのを待つ。

 

シアのドリュッケンは今や神が宿っている。神様なんて胡散臭くて敵わないのだけど、コイツらは心底シアに心酔している奴らだからまぁいいか。それに、正確には神ではなく神霊。それもそいつらから捻り出された分御魂なのだから。

 

「───ドリュッケン・神装(ネーメジス・アドヴェント)!!」

 

ドリュッケンに7色の光が点る。その呼び声が起こすのはドリュッケンに眠る神霊達。彼らはドリュッケン外縁部に装備された宝物庫の中に自らの世界を構築していて、ドリュッケン内部の宝珠を中心にそれら全てが繋がっている。そしてシアの呼び声に応じ、彼女の願いを叶えるべくその権能を振るうのだ。

 

「アドヴェント───オロス!」

 

ちなみに起動の呼び声がドイツ語なのはシアの趣味。どうやら元々がドイツ語で名付けられたドリュッケンに合わせたらしい。あと別に声を上げなくても起動はする。シアがそう念じれば、あの神霊達は勝手に起き出すからな。

 

そして今、ご指名を受けたオロスがシアの振るうドリュッケンに合わせて権能を発動。コイツは大地の神霊だ。当然権能もそれに(ちな)んでいる。

 

そして、その権能によって明らかに膂力による粉砕とは違う砕け方をする岩盤。爆砕の波が真っ直ぐ上へ上へと続き、砕けた岩は周りとくっ付きその穴を塞ぐことなく通路となる。そうして連鎖する爆砕は遂に天井を穿ち、穴から僅かな光を齎した。どうやら地上に繋がったようだ。いちいち羅針盤で1つ上の階層を指定して越境鍵で渡るのは面倒臭い。どうせ悪魔共は叩き潰すのだからこの神装モードの使い勝手も試しておきたい。

 

そうして俺達は1つ上の階層へと戻る。すると、ここの主を倒されたことを察知してか俺達の周りに続々と異形の怪物達が集まってくる。

 

「───シア」

 

「勿論ですぅ!───アドヴェント、ソアレ!!」

 

次にシアが呼ぶのは炎輪のソアレ。それが持つ権能は光熱と炎。どうやら陽の光が苦手らしい悪魔達に爆炎と陽光が暴力的に叩きつけられる。さらにシアがドリュッケンを振るえば炎が津波のように悪魔達に襲い掛かる。

 

俺もダメ押しとばかりに太陽光収束兵器を再び召喚し、本来なら上空から狙い撃ちにするためのそれを水平に照射。炎の津波と太陽光の水平撃ちに悪魔達はその数をみるみるうちに減らしていく。

 

それで大体片付いたのでまたシアがオロスの権能で地盤をぶち抜いて次の階へ。しかし下の様子を把握していたのか俺達が上へと出た瞬間に凄まじい数の悪魔に囲まれる。だが───

 

「アドヴェント───ウダル!!」

 

その声と共にシアがドリュッケンを眼前の悪魔に叩き付ければそこから幾千幾万もの雷撃が飛び出す。それは悪魔の肉体を焼き貫き雷が雨のように……しかし物理法則を無視して下から降り上がる。

 

そしてまたシアは天蓋をぶち破って反転。さらにドリュッケンを振り被りながらまた別の神霊の名前を呼ぶ。

 

「アドヴェント、バラフ&エンティ!」

 

バラフが司るのは氷雪と冷気。エンティが司るのは風。彼女らの権能が合わさり顕現するのは絶対零度のダウンバースト。

 

「───アドヴェント!メーレス!!」

 

しかもそこに水流を司る神霊メーレスの権能を叩き付ければ一瞬で液体は個体に変わり、シアの空けた穴に蓋をする。それでもこの地獄の悪魔達は時折何らかの手段で突破してくるのだが───

 

「アドヴェント、ライラ!」

 

黒い槍がドリュッケンから放たれる。それは狂乱を齎す霊素の槍。それに貫かれた悪魔達は雲散霧消といった風に消えていく。俺達は時に霊素で、時に魔素や魔力でもって悪魔達を蹂躙しながら上へ上へと登っていくのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「───ブモォォォォォ!!」

 

と、牛の顔と人間の身体をした化け物をシアがグーパンでぶん殴り、その勢いで岩盤もぶち抜く。すると少し空気が変わった。どうやら地上が近いようだ。それともう1つ大きな変化が。

 

この地獄で結局見ることが出来なかった人間が、遂に現れたのだ。いや、地獄なんだから人間なんて見られなくていいのだけれど、ともかくいたのだ。

 

1人は見覚えのある日本人男性。それと欧州人と思われる、修道服を身に纏った男女が何人か。不思議な組み合わせの集団だと思うが、日本人男性が遠藤浩介だったからまぁさもありなん。

 

「神代!?なんで神代!?」

 

で、遠藤の方はどうやら俺と鉢合わせる可能性は考えていなかったらしく、目を見開いて驚いている。

 

「あぁ……色々あってシアと地獄巡りツアーついでにこの悪魔達殲滅してた」

 

「何があればそうなるんだよっ!?」

 

しかし、どうしてこの遠藤は出会い頭からテンションがマックスなんだろうか。正直ちょっと付いていけない。

 

「あ、遠藤さん、髪切りました?」

 

「切ってねぇよ!」

 

と、シアがさっきの怪物を地平の彼方までぶっ飛ばしてこちらに戻ってきた。それ見て遠藤は「早う状況説明しろや」みたいな目で俺を睨む。

 

「シアとイギリス北部をデートしてたら変なのに絡まれて地獄の下の方に飛ばされた。んで、悪魔達が汚らわしい目でシアを見てきたから殲滅しながら登ってきた」

 

「岩盤ぶち抜いてきたのはただ単に面倒臭かったからですぅ。なのでそっちも殺っちゃいますね」

 

と、なんかやたらめったら湧いている悪魔に向けてシアがドリュッケンを構える……のだが俺はそれを一旦制止。もうここまで来たら強い悪魔もいないし、態々神霊達の力を借りるまでもない。

 

俺は絶対零度を放ち、氷の槍を悪魔達の足元から真上に向けて射出。それで大半の悪魔を消滅させて終わらせる。

 

「後はこれを……」

 

と、俺は神話大戦の時に余っていた太陽光の爆弾を穴に放り投げる。階下で起爆したそれはまとめて地獄を焦土にしてくれる。

 

「おし。……んで、遠藤達はどーしてこんなとこに?」

 

俺が念の為氷で大穴を塞いで振り向けば遠藤は何やら俯いていて落ち込んでいるかのようだ。ま、見れば遠藤達は皆一様に着ている衣類はボロボロで、全員が銃火器や刀剣類のような分かりやすい武器を持っているわけではないが、どうやら武装もしているようだ。きっとこの地獄に戦いに来たんだろう。

 

「あぁ……はい。……この人達はエクソシストで、この地獄にはクレア……あぁ、こっちの金髪の女の子ね。んで、このクレアの両親の仇でクレアのことを母体として狙ってたり現世への侵略を目論んでたりしたアンノウンって悪魔を倒しに来たんだよ。それで、さっきどうにか倒して帰ろうとしたら、アンノウンが最期の足掻きで下の方の悪魔達を現世に解放しちゃったんだ」

 

「……んっ、じゃあ越境鍵で出よう。アイツら、下手するとお前らじゃ荷が重い」

 

確かユエも今はこっちに来ていたはずだがいたのは日本だったはず。ハウリアの拠点探しと言うことで飛び回っていたのは俺とシアだけだからな。あの子達は皆日本でそれぞれ修行したり旧交を暖めていたりしていたハズ。

 

それにクレア達はどう見ても日本の方ではないし、そうなると戦場は欧米のどこかになるだろう。ユエを呼ぶにしろ、さっさと地上に戻った方が良さそうだ。

 

「あ、あぁ。頼む」

 

俺は遠藤にうむと頷き越境鍵で遠藤ご指定のバチカン市国はサン・ピエトロ広場へ繋がる扉を開いた。そうして俺と合流したことで遠藤と、そして俺のことを少しは遠藤から聞いているらしいクレアさん達は安堵の表情を浮かべている。

 

そして、クレアが遠藤を見る瞳の色に、淡い色が滲んでいるのを俺とシアは見逃さなかった。

 

「あれ、大丈夫ですかね?」

 

「ま、ラナがどうにかするんでしょ。アイツ、遠藤にもハーレム作れみたいなこと言ってたし」

 

あと、ラナがリサやユエ、シア辺りにそこら辺の心構えを聞いて回っているのを俺は知っている。だからどうこうって訳でもないが、きっと遠藤にもこの先色んな苦労が待っているんだろうなぁと、俺は少しだけ彼に思いを馳せた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

───王よ、何故そのような小娘に……っ!お答え下さい!

 

「貴様らぁ!やはり悪魔の手先だったか!!」

 

「ち、ちがうのー!悪魔とかミュウは知らないのっ!これはホントーなのぉ〜!」

 

デモンレンジャー──と、ミュウが総称しているミュウのペット代わりの生体ゴーレム達。そんな機能付けてないのに喋るし予想外にコミュニケーションが取れるらしい──に乗ったミュウとそれに迫るガタイが良くて顔が怖い爺さん。更にその後ろには殺気立っているエクソシストと思われる集団。それとどうやら地獄から出てきたらしい悪魔達がデモンレンジャー達に何か、敵意とは別に疑問があるかのように迫っている。

 

そしてそれを呆れ半分理解不能が半分で見ているユエや召喚組。

 

マジで状況に頭が追いつかない。何がどうなればこんな不可思議な三つ巴状態が生まれるのか。しかもユエ達はともかくミュウまでこっちに来てしかもゴーレム使って戦いに参加していたとは……。

 

あと地面に死屍累々と転がっている人間達はどなたですか?誰か俺にこの世界(じょうきょう)真理(じじつ)を教えてくれ。

 

「あっ!パパぁぁぁぁぁぁ!」

 

すると、俺が来たことを察知したミュウがデモンレンジャーから降りたミュウが俺にダッシュで寄ってきてジャンプ。それを受け止めながら見渡せば、今度は顔の怖い爺さんが俺を睨む。

 

「んー……」

 

と、俺は少し思案する。さてさて、地獄の悪魔共が王と呼ぶあのデモンレンジャー。身体は俺の作ったゴーレムだから、明らかにその中に()()いるんだろう。ていうかあんなコミュニケーション機能付けてねぇし。……1番手っ取り早いのは、これだな。

 

「カモン、アガレス」

 

俺は捕食者の胃袋からアガレスを召喚。どうしてかアガレスもガタガタ震えているけど大丈夫かしら。

 

「ア……アガレスだとぅっ!?」

 

と、また顔の怖い爺さんが怒髪天を衝く勢いで俺に詰め寄って来たので……両手両足を氷で拘束。この人が暴れると話が進まなさそうだ。

 

「さてアガレスさんや、あの中にいるのはアンタの知り合いかな?」

 

俺は氷の拘束を砕こうとバタバタ───しようとしても氷の拘束は全く壊れる気配がないので口だけ暴れる爺さんは無視してアガレスに話を振る。するとアガレスはデモンレンジャーを少し見て、ふむと頷いた。

 

「肯定します、我が魔王。あれの中にいるのはベルフェゴール、サタン、アスモデウス、ルシファー、マモン、レヴィアタン、バアルゼブブに御座います」

 

なるほど、ルシファー以外の名前にはとんと心当たりがないけれど、取り敢えず悪魔らしい。しかもアガレスが知っているということはあの地獄の悪魔だ。そいつらがどうやってトータスに来てあれに乗り移ったのかは知らない……いや、可能性として考えられるのは───

 

「───おい」

 

俺は魔王覇気を発動。更に視覚効果も狙って限界突破と固有魔法の威圧も同じく発動させる。ただし魔王覇気は変に当てると面倒なので奴らの周りに這わせるように留める。それでもデモンレンジャー達は身体が鉱石でできているとは思えない程にガクガクと震えている。あとアガレスさんも思い出しカタカタしている。

 

「テメェら……魂の1片も残さずに消えるか?」

 

更に俺は銀の腕を発動。その白焔が何をもたらすか、どうやらコイツらは分かっているらしい。土下座をしながらそれはもう必死に首を横に振っている。下手したら首が千切れ飛びそうだ。

 

で、後ろで事の成り行きを大人しく見守っていた悪魔達も狼狽。というか、コイツらはコイツらで俺の魔王覇気にビビって手を出せなかった雰囲気だ。けれど、まさか自分らの王が俺に傅き、あまつさえ土下座なんてするとは思わなかったのだろう。そんな姿を取るなとデモンレンジャーに迫る。

 

「───お前らも、消えたくなけりゃ黙ってろ」

 

と、俺は魔王覇気を悪魔達にも向ける。別にコイツらは消滅しても構わないので割と当てるつもりで。それに完全にビビり散らかした悪魔達は後退る。けれど俺はそんな逃げは許さない。氷の槍をそこら中から突き出して悪魔達を逃がさない。空にいようが地面にいようが構わず槍で囲んだ。更にビット兵器も召喚、その銃口は悪魔達の集団に向けられていた。

 

さて、悪魔は基本的に女と見るやそいつを孕ませたがるクソ迷惑な野郎共だ。そんな奴らの筆頭達がミュウの傍にいるってことは……そういう目的だと考えられるわけだ。そうであるなら俺はコイツらの存在の1%足りとも残さずに消し飛ばす必要性があるわけで……。

 

「パパ、パパ」

 

ゴーレムごと太陽光収束兵器で消し飛ばしてやろうかと思った直後、ミュウが俺を呼ぶ。

 

「……んー?」

 

「べるちゃんたちね、悪い子じゃないの」

 

「んー?」

 

「うんとね、べるちゃんたち言ってたの。べるちゃんはただ退屈で、支配とか争いとか……そういうのばっかりなお友達も嫌で……それである日に自分達と似た気配?力?を感じて来てみたら、ミュウたちがいたんだって」

 

「似た力……」

 

それは神代魔法のことだろうか。確かにあの時トータスは戦争に備える真っ只中で、俺も神代魔法その他色んな力を使っていたし、そうでなくともあの時は魔法的に様々な力が溢れていただろう。しかもエヒトが無理矢理神域とトータスを繋いだから世界の間の境界が揺らいでいてもおかしくはない。それに、世界は俺が腕を1振りするだけで数十の世界をすれ違えるほどに近いのだから。ただ、普段はそれを俺や向こうの誰かだって感じることが出来ないほどに隔てられているだけで。

 

その境界が揺らいだ隙にあの地獄とトータスの間を抜けてこのゴーレムに取り憑いた……まぁ有り得なくはない。コイツらの上位陣は神代魔法レベルの……それもその本領に近い権能が振るえるのだからな。

 

「それにね、ミュウには力がないから母体?っていうのにはなれないんだって。それに、姫にそんなことするわけないって必死で言ってるの。なんでかは分からないけど、ミュウといると安らぐしすっごい楽しいって言ってるの」

 

「ふぅん」

 

もしミュウを使って謀ろうとしているのなら、容赦せずにその存在を丸ごと消し飛ばすぞ?という目線をくれてやればデモンレンジャー達はこれまで俺が見てきた誰かの頷きよりも10倍は早い超高速の頷きを見せてきた。

 

さて、そうなると……

 

俺がつい、と顕現した悪魔達を見やれば、デモンレンジャー達は俺が何を言うでもなく壮絶なプレッシャーを放つ。それは流石地獄で王と崇められている存在だと言う他ない。それほどまでに尋常ではない圧が、悪魔達を平伏させるに至る。

 

俺が氷の槍を引っ込めると有象無象の悪魔達も一斉に俺に傅く。そしてデモンレンジャーの誘導に従って悪魔達は元来た道を帰っていった。

 

「パパ、ミュウはべるちゃん達のこと好きなの」

 

「おう……」

 

ミュウがそう言うのなら今はこれで良しとしよう。けれどもし何か不穏な動きを見せるようなら……

 

スルりと撫でた俺の魔王覇気で言いたいとこは伝わったらしく、デモンレンジャー達は見事な敬礼を披露。そしてその間ずっと、アガレスは思い出しカタカタをしていた……。貴方よくそれであの時の魔王覇気を生き残れましたね……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

あの後の後片付けは全てマグダネス局長他、バチカン市国の偉い人やジャンヌといった組織犯罪&証拠隠滅に慣れた頭の良い人達の指示に従ってアーティファクトを振るった。

 

そして、その後は何故だかローマ教皇含めたオムニブスと言うらしいあのエクソシスト集団、それとイギリスの保安局と召喚組に俺達武偵組を合わせた4集団での対談が行われた。

 

対談って言っても別に大したことはない。基本的にそっちからこっちに変に干渉してこないでね、俺達悪い子じゃないよってのと、召喚組が──これには俺達武偵組を含む──イギリスや欧州で活動する場合は向こうに連絡を入れること。場合によっては協力体制が築けるし、そのほうが効率的なこともままあるからな。

 

で、こちらからも要求。とは言ってもハウリア達の活動拠点が欲しいってだけだ。俺達の世界とこっちの世界を繋げる拠点は香織達のいる日本に欲しいし。カムもラナの近くにも置いておきたいから欧州支部って感じだけどね。とは言え召喚組……最近は帰還者とか呼ばれているらしいけど、ともかくコイツらの神秘の力を狙っているのは世界中にいる。そいつらの情報を集めては遠藤が気合いで頑張る、もしくは俺達が出張る、その判断は基本こっちでやることになった。欧州と日本を行き来する扉程度であれば既にあるアーティファクトを使えば十分だしな。

 

メヌ曰く、こっちのイギリスはもうすぐEUを抜けそうだからイタリアにも拠点があるのは良いことでしょうとのことで、それに従ったのだ。俺達との連絡係として遠藤を指名しておくこと、イタリアにも防弾防刃布を提供することでこれもお互い合意となった。

 

後はハウリアも連絡係になるのだけれど、そっちはそもそも誰がこっちで俺達の方には誰が来るのか──誰も来ないのかも含めて──何も決まっていないので保留。そもそも拠点も決まっていないしな。この辺は面倒だからもうカムにでも任せるかな。

 

さて、俺達はそんな風に世界と世界の間を行き来しつつ繋がりを深めていた。そして、俺はふと思い付いたイタズラを決行すべく、遠藤とクラウディア──クレアさんはクラウディア・バレンバーグさんと言うらしい──を尾行していた。

 

正確に言えば、遠藤とクラウディアの関係の進展を覗きにきた馬鹿共……具体的にはイギリス保安局の特殊部隊隊員とオムニブスの奴ら、帰還者組にユエを二重尾行しているのだ。ちなみに帰還者に香織はいるが雫や天之河はいない。と言うか天之河は今はトータスで神域から逃げ出した魔物を狩りに出掛けている。アイツもそのうち回収せねばならない。

 

そして、ユエと香織の2人掛りの魂魄魔法によって両親の魂と対面したクラウディア、それとそれに寄り添う遠藤の雰囲気が中々良い感じだったのだが、保安局の奴らもその他の奴らも……ユエと香織以外の尾行が死ぬほど下手くそだったから割と序盤から遠藤にはバレていて、何かもうエミリーまでクラウディアに突撃しているしで、まるで告白しようとしている奴を野次馬しているだけの集団のようになっていた。

 

いや、まるでも何もクラウディアはそんな雰囲気だったのだが……何かもう滅茶苦茶だ。ま、どうせこうなることは分かっていての俺の準備。何かもうウダウダを極め過ぎてもうカオスになっているその場に、俺はさっきからずっとウズウズしていて抑えるのが大変だったとある奴をそこに解放した。つまり───

 

「こうく〜ん!!」

 

遠藤浩介の恋人、ラナ・ハウリアがその人だ。で、そのラナは、遠藤に自分含めて7人の伴侶が欲しいとか言い出す大バカ野郎なのでせっかくの4人目誕生のチャンスを逃すわけが無い。クラウディアを言葉巧みに誘導し、4人目に仕立てあげようというところで───

 

「よう、遠藤。ハーレムも楽じゃねぇだろ?」

 

と、俺はさも、覗き組にいたけど助け舟を出しに来た感を装って遠藤に寄る。

 

「か、神代?」

 

で、ラナには俺が出てくることは伝えていなかったから「あれ?」って顔をしている。ふふふ、ラナも上手いこと俺の罠にハマってくれたな。

 

「ま、慣れれば大丈夫だよね。浩介()()()()()()?」

 

「!!?!?!!!?!?!?」

 

と、俺の下の名前プラスお義兄ちゃん呼びに遠藤の顔が凄いことになっている。驚きと気色悪さと恐ろしさとその他色々な感情が綯い交ぜになって混沌としているのだろう。

 

「何驚いてんだよ浩介お義兄ちゃん。ラナ()()()()()()と夫婦になるんだから遠藤だって俺のお義兄ちゃんだろ?」

 

「カヒュッ!!??!!!???!?!?」

 

で、窒息でもするかのような小さな声がラナから聞こえる。もちろんこのサプライズお義兄ちゃんお義姉ちゃん呼びのターゲットにはラナも含まれている。そして俺の目論見はとても上手にハマっているようで、2人とも今まで俺が見てきた人類がしたことのないような顔をしていた。

 

「まったく……シアは俺の嫁。ラナはシアより年上の同じくハウリア。ならラナは俺のお義姉ちゃんでありそれと夫婦(めおと)になる遠藤はお義兄ちゃんだろ?……ねぇ、エミリーお義姉ちゃん?」

 

「ヒョオッ!!??!!!???!?!?」

 

ついでにエミリーにも話を振ってみたらエミリーまで形容し難い混沌を形成してしまった。なんでこうどいつもこいつも俺が普段とちょっと違う呼び方をするとこうなるかね。

 

すると、俺の肩をツンツンと叩く奴が1人。まぁ気配感知で分かっていたけど振り向けばそこには何やらもの凄く物欲しそうかつ期待した輝く瞳で俺を見るヴァネッサさんがいた。コイツはコイツで遠藤の3番目のお嫁さんを名乗り、またラナもそれを認証しているのだ。ただ、残念なことにこのお姉さんは日本文化……特にアキバ系サブカルチャーにどっぷりで言動がまぁ残念だった。だから───

 

「どうしたの?駄目なヴァネッサ姉ちゃん(ダねーちゃん)

 

───ガクゥン

 

と、音が聞こえてきそうなほど分かりやすく項垂れる……どころか地面に四つん這いになって沈むイギリス保安局が誇る凄腕捜査官ことヴァネッサさん。これはもう放っておこう。

 

「というわけで、宜しくね。クレア義姉さん」

 

と、俺は今のこのカオスに目をクリクリさせているクラウディアに握手を求める。この人は本当にお人好しのようで「あ、はい」なんて言いながら普通に握手してくれたよ。しかしエクソシストだのシスターだのから存在が邪魔だとか1周回っていないもの扱いされるとか、そういうのがないってのはいいね。

 

と、俺は向こうの世界の酒豪シスターを思い返しながら、むしろこっちの方が過ごし易い世界なのではなかろうかという疑問を浮かべていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「さて……」

 

俺はユエとティオを連れてリムルの世界にやってきていた。と言ってもここは荒野で周りには何も無いし誰もいない。別にリムルに挨拶するのが目的ではなく、この世界の仕組みを利用しに来ただけだからな。それが終わればさっさと帰るつもりだ。その頃には多少()()()()も冷めているだろう。

 

まったく遠藤の奴め、あんなのはお茶目なイタズラの範疇だろうに、まさか深淵卿を全力全開で使って追いかけてくるとは思わなんだ。

 

俺はお義兄ちゃんお義姉ちゃん騒動でキレ散らかした遠藤から逃げるついでにやるべきことを済ませておこうとこっちに来たわけだ。

 

「面従腹背の悪魔さんや」

 

と、俺に掛けられた言葉にアガレスがビクリと肩を震わせる。跪いて項垂れるその顔はよく見えないけれど、身体中から恐怖の感情が溢れ出ている。

 

「アンタ、確かに嘘は言っていなかったけど───」

 

「───そこから先は、我から申し上げます」

 

と、俺の言葉を遮り顔を上げたアガレスが口を開いた。

 

「確かに、我はあの時包み隠さず正直に話すことで信用を得、別の機会に復讐するつもりでいました」

 

アガレスの話す真実に、ユエとティオが殺気立つ。既にユエの手には蒼い焔が現れていて、ティオの手のひらにも漆黒の魔力が集まっている。

 

「───けれど、我が魔王の体内にてその思考は全て消え去りました。エクソシスト共がその名を聞いただけで震え上がるほどの悪魔達をこともなげに鏖殺する圧倒的な戦闘能力、体内にいたからこそ感じられた奔流する力と、世界の起源へと繋がる孔、巨大な竜の影、それと……星───」

 

竜の影は多分ヘルムートの化身かな。あれ取り込んだまま特に使ってなかったからな。入れっぱなしのそのままだ。それと、星……永遠に廻る天星(アンフィニ・リュミエール)のことだろう。アガレスはどうやら俺の捕食者の中で俺の中を駆け巡る力の一端を見たようだ。そして、それに心を完全に折られた。

 

「我を照らすその遥かな輝きと圧倒的な力の奔流に、我は貴方に下ると決めたのです。我が魔王……我が一等星。どうか……」

 

「───アガレス、大公爵アガレス」

 

俺は、この世界に来て初めてアガレスの名前を呼ぶ。魂魄魔法による鑑定じゃあアガレスは嘘を付いていない。それは俺のアーティファクトだけでなくユエとティオも認めたことだ。

 

あの時は俺のアーティファクトでコイツは俺に服従していないと直ぐに分かった。情報そのものには嘘は見当たらなかったが、俺を我が魔王と呼ぶ……その()()だけは嘘だったのだ。だからコイツは俺を信用させて後ろから刺すつもりなのだろうと思っていた。それ故に氷焔之皇で空間魔法は封じていたし、面倒だから基本的に捕食者の胃袋の中に収めていた。それが結果的にコイツの心を折り、今こうして俺に心から傅く状況を生み出すとは思わなかったけど。

 

「これはっ───!?」

 

そして、俺に名前を呼ばれたアガレスに大きな反応がある。勿論俺の中からも魔力や魔素が凄まじい量抜けていく。もっとも、今は聖痕をも開いているからそれほど問題は無いのだけれど。

 

前にユエ達でやったことがあるが、この世界ではただ名前の無い魔物に名前を付けるだけでなく、既にある名前をもう一度呼ぶことで上書きができるのだ。そして、名前を付けた奴と付けられた奴はその魂が回廊で繋がる。

 

その繋がりは強固で、そう簡単に途切れるようなものではない。同時にこれはアガレスに対する枷でもある。()()()()()()()()()()()()()()()というな。

 

「さて……もう1つ───っと」

 

俺は宝物庫から覇終を召喚、それを地面に突き刺し右手で柄を握る。それで魔素を注ぎつつそこに左腕をかざし……魔素を解放した。

 

「───天人っ!?」

 

宙を舞う俺の左腕を見てユエが驚きの声を上げる。そう言えば何をするのか本当のところを言うのを忘れていたな……。けど大丈夫だよ、腕くらい再生魔法で幾らでも戻るから。と、ティオを見やるまでもなくティオが再生魔法で俺の左腕の欠損を戻す。

 

そして空を舞う自分の左腕を掴んでそれをアガレスに押し付ける。

 

「我が魔王っ!?」

 

その意図が読めなかったらしいアガレスも驚いている。

 

「……俺ん腕とお前の身体、その境界に干渉するんだ。大丈夫、今のお前なら出来るはずだ」

 

と、俺も変成魔法でアガレスの身体と切り飛ばした自分の左腕を繋げていく。アガレスも自分の魔法の真髄はそれなりに分かっているらしく、瞑目して意識を研ぎ澄ませていく。そして俺達から魔力光が吹き上がる。アガレスの藍色に俺の真紅が混ざる。それらは二重の螺旋を描いて空を昇っていく。そうして段々と俺の左腕がアガレスの身体の中へと溶けるように消えていった。

 

「……んっ、終わったかな」

 

これはもう1つの縛り。俺は事前に俺自身の左腕に鉱石を仕込んでいて、そこには魂魄魔法が付与されていた。それによりコイツはもう俺の下から逃れられない。そして俺の意に反する行動は起こせなくなった。仕込まれた魂魄魔法がアガレスの魂に干渉し、それを拒否するのだ。地獄の悪魔を従えようってんだからこれくらいのセーフティネットはあってしかるべきだろうよ。

 

「あぁ……我が魔王と我の肉体が1つに……」

 

更に、アガレスの身体に変化が起こる。きっと名付けや俺の左腕を取り込んで大量の魔力や魔素を得たからだろう。今までは爺さんの身体だったアガレスは……今や若返りどころか男に見ようと思えば男に見え、女に見ようと思えば女に見えるという、中性的を通り越してどこか神秘的とすら言えるほどの造形を手に入れていた。ただし、声はしわがれたお爺ちゃんのままだからギャップが凄い。

 

「あとこれ。あげる」

 

と、俺は宝物庫から大鉾(おおほこ)を放り出した。特徴的なのは巨大な両刃で、その刀身の長さは1メートル程あり、幅は覇終を2本並べたくらい。重量だって大の大人が4,5人で抱えようって言ったってそうはいかない。だがそんな巨大な鉾を、それでもアガレスは片手で持ち上げ、振り回す。

 

「おぉ……我が魔王……我が一等星……力だけでなくこれ程までの武器まで賜われるとは……」

 

ちなみにあれには纏雷と魔力の衝撃変換が付与されていて、更に使い手自身の魔力を受けてその魔法を発動させる……つまりはあれから空間激震や切断を放つことも出来るのだ。

 

「あぁあと……」

 

と、俺は宝物庫からもう1つ取り出す。1つというか1匹……あのワニだ。入れたのが宝物庫だったからアガレスとは久々の対面になるな。

 

「おぉ……おぉっ!我が従僕よ……」

 

「ま、俺ん世界はそんな大きなワニを泳がせてらんねぇからこっちに入ってもらうけど」

 

と、俺が取り出したのはそこのワニと大鉾用の宝物庫。このワニは当然夜エサも要らない。なので取り敢えず普段はこの中に入っていてもらうだろう。それに、そのうちソアレ達の力を借りて世界の1つでも構築してやろうと思う。

 

「そのワニ、名前あるの?」

 

「いいえ……これまではありませんでした。しかし……では今からお前は"オネスト"だ」

 

オネスト……正直とか誠実という意味を持つイタリア語。てっきり地獄の言葉で名付けるかと思っていたから意外だな。

 

そして、アガレスから魔素や魔力といった力がゴッソリと抜けていくのが分かる。俺は無限に湧くそれに任せていられるがアガレスはそうもいかないだろう。急に襲い掛かる倦怠感にフラフラと、しかし絶対に倒れることはしないという維持を見せた。

 

「……イタリア語か」

 

「はい。我が魔王と共に人の世界で生きていくという証です。この言語を選んだのはあのエクソシスト達の使っていた言語だから……という程度ですが」

 

「ふぅん。……その大鉾も、名前欲しいなら自分で付けな」

 

俺は基本的に自分の作ったアーティファクトに名前を付ける気が無い。リムルのいる世界にいた時は何となく武器に名前を付けていたけどトータスに来て、アーティファクトが唯一無二になってからは必要も興味も無くなったのだ。ドリュッケンは頼まれて仕方なくだし越境鍵は他の空間転移アーティファクトとの区別が必要だったから態々考えたものだ。

 

「では……ザンナ・ディ・ディアボロと」

 

悪魔の牙(ザンナ・ディ・ディアボロ)……魔王に仕える悪魔の武器としちゃあ上等な名前だな。さて、これでこの世界での用事は全部終わったんだけど……

 

「……どうした?」

 

俺が虚空に声を掛けると、フワり……突如として人影が1つ現れる。どうやらユエやティオ、アガレスはそれの存在に気付いていなかったようで驚きに目を見開いている。

 

現れたのは燕尾服のような黒い服を着た黒髪金瞳の美青年。しかし人間であれば白目であるはずの眼球の色は黒で、それが明らかに人ではない存在であると知らしめている。

 

「おや、バレていましたか」

 

「ま、俺ぁお前の気配はよく知ってるからな」

 

あとコイツ、俺達がここに転移してきてかなり早い段階で俺達を見張っていた。別にこの世界やリムルにとって悪いことしてるわけじゃないから放っておかれてたし、俺も無視してたけども。

 

「それで、リムル様に挨拶でもされますか?」

 

「そうね。ま、折角こっち来たんだしな」

 

ちなみに、俺がリムルの世界を出てからはまだ時間が追い付いていないからさっきこっちに来る時には越境鍵では時間も超える羽目になった。だから多分、コイツらの認識だと俺が最後に来てからまだ数日しか経っていないことになっているのだ。

 

「ふむ……今なら大丈夫とのことです」

 

と、ディアブロが念話でリムルに確認を取る。

 

「じゃ、俺達は先行くわ」

 

そこで俺は越境鍵を取り出し、リムルの元までの扉を開く。それにディアブロもうむと頷き、その気配は何処かへ消えていった。

 

「おーす、リムル」

 

「おう、早く入れよ」

 

そして俺はリムルと1年振りくらいの、リムルにとっては数日程度振りの対面を果たすのであった。

 

 



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おはよう

 

 

「どー思う?」

 

「……んー、天人と私達が揃っているなら、誰にも負けない」

 

「だよねぇ」

 

魔女の森を焼いたらマグダネス局長にバチボコに怒られた。それはもう大変に怒られた。この歳になって、まさかあそこまで大人に怒られることになるとは思わなかった……。でもほら、いちいち許可を取ってる時間的猶予も無かったからさ……。

 

だが死ぬほど怒られた甲斐あって無事にイギリス北部にある魔女の森はウサミミが跋扈する不思議な森になりましたとさ。めでたしめでたし。

 

あと、あの遺跡とその奥の森にもハウリアは支部を作るらしい。俺の見込みではあっちが本部で魔女の森が支部だったのだけれど、植物の特性やイギリス独特の気候が生み出す霧とかがハウリア的にハルツィナ樹海を思い起こさせて過ごしやすいらしい。

 

そんなこんなでトータス以外にも香織達の地球のイギリスと南米にも拠点を置くことになったハウリア。まだ移住はもう少し先だろうけど、そのうち現代文明にももう少し触れさせてやらねばなるまい。

 

とは言え、そこら辺は次期ハウリア族長たる遠藤に全てお任せしよう。俺は頭を使うことは苦手なんだ。

 

「……それより」

 

「分かってますよ」

 

差し出されたユエの頭を撫でてやる。どうやら俺とシアが地獄で悪魔を殲滅している間に香織達の地球でも相当な騒ぎがあったらしい。

 

遠藤やユエ達から聞くところによれば悪魔達が人間界に干渉し、人心を弄んで帰還者やその周辺、更にはバチカンのエクソシスト達とも戦いを繰り広げたのだとか。

 

んで、悪魔に洗脳された奴らは香織の家族だけでなく南雲家も襲撃。幸いにも誰も大怪我を負うことはなかったが当然香織はブチ切れ。それに触発されたユエもブチ切れて街中で神罰之焔を使い、第1陣を殲滅。その後のバチカンでの第2戦でも当然大暴れ。

 

しかもエミリーが俺から受け取った古代の生物兵器を現代の回復薬に転用するためにも魔法でエミリーの研究の補助をこなし、おかげで遠藤達はからがら地獄で目標の悪魔を倒せたらしい。

 

というわけで私頑張ったし最近2人きりになれてないよね?と言うことで俺はこれからユエと2人でお出掛けです。ちなみに行き先は俺達の方の地球である。

 

「……んっ」

 

「海の傍の温泉街なんだとよ」

 

「……混浴はあるの?」

 

「おう」

 

公衆浴場では普通男湯と女湯に分かれていて、俺とユエは一緒に同じ湯船に浸かるなんてことは出来ないからな。せっかく温泉に入りに来たのに、部屋の風呂なんて味気無いし。

 

なので俺が探したのは混浴がある温泉宿。とは言え、混浴なんて実質男湯だ。もしくは小さい子供を連れた親子用。そんな所にいくら俺がいるとはいえユエを入れるわけにもいかない……ので、誰もいないタイミングを見計らって人払いの結界を張ろうと思っている。存在解像度を極端に下げるアーティファクトの応用で、そこに"何故だか何となく"近寄りたくなくなるというものだ。

 

これが結構効くみたいで、シアやティオですら無意識にそのアーティファクトの効果範囲を避けるのだ。そしてそれに違和感すら感じなかったと言う。

 

「……んっ、もうすぐか」

 

電車を乗り継ぎもうすぐ目指す駅のようだ。越境鍵で行っても良かったのだけれど、ユエが電車移動をご所望だったのだ。曰く、こういうのは移動中も楽しむものらしい。

 

そうして辿り着いた都会の喧騒から離れたとある海辺の町の駅。とは言え駅のすぐ目の前がオーシャンビューというわけではないらしく、潮の匂いも流石に漂ってはこなかった。

 

宿は駅から歩いて30分程らしい。距離があると言えばあるが、俺達の体力ならそれほどの苦労でもないし、折角ユエと2人きりなのだからこの時間も楽しみたいな。

 

「行こうぜ」

 

「んっ!」

 

俺はユエの手を取り1歩踏みだす。ユエも俺の指に自分の白く細いそれを絡めて繋ぎ合わせた。

 

宝物庫のおかげでお互いにほとんど手ぶらで歩き出した俺達。駅の傍にある露店から香るたい焼きの匂いが俺達を歓迎しているかのようだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ショルダーバッグを掛けただけの俺と完全に何の荷物も持っていないユエ。流石に旅館へのチェックインでは奇異に映ったようだがこういう時はむしろ堂々とするのが良いのだ。下手にキョロキョロと辺りを見渡したり自信の無い素振りを見せるとその方が怪しい。いや、俺達は何も後ろ暗いことは無いんですけどね。ただ荷物は魔法の道具の中に収納されているだけで。

 

置く荷物もろくに無いくせにチェックインだけ済ませた俺達は通された部屋の畳の上に腰を下ろした。

 

「夕飯はここの料理があるから、昼だけ食いに行こうか」

 

「……んっ、途中で美味しそうなお店もあった」

 

古い町並みの残るここは洋食店よりも和食店の方が充実しているようだった。取り敢えず昼飯を食べて、その後はブラリとこの町を見て回ろう。喧嘩も戦争も無い穏やかな時間。ユエと2人でその時を過ごすのだ。

 

「暑くない?」

 

「……んっ、ちょっと」

 

今日のユエはヒールがあるフェイクレザーのショートブーツにオーバーサイズのグレーのパーカー、そこに黒いジャンパーを羽織っていた。ちなみにパーカーの下はまるで穿いていないように見えるけどしっかりとジーンズのショートパンツを吐いている。いつもガーリーな服を着ているイメージのあるユエだったが、今日はちょっと変わってカジュアルな雰囲気だ。それでも頭の上に乗せた黒いリボンが愛らしさを演出しているし、そもそもユエのお顔は国が傾くレベルの美しさなのでむしろ一目見ただけで俺はギャップにクラりときていた。

 

「……行こ?」

 

「んっ」

 

羽織っていた黒いジャンパーを宝物庫に放り込んだユエと共に旅館を出た俺達は再び駅の方に向かって歩き出す。道中の土産屋を冷やかしつつブラブラと歩いて行く。ユエが見かけたという店に着く頃には13時を回っていて、空腹感はあるが店内も空き始める時間帯らしく、ちょうど良く4人掛けの席に通された。

 

和食レストランらしく、定食もそうと分かるメニューが多い。それに海も近いから海鮮系のメニューも充実しているな。

 

「……んっ、決めた」

 

「……んー、私も」

 

ユエもメニューと睨めっこしていたがどうやら食う物を決めたらしい。俺が「すみません」と店員を呼べば「はいただ今」と直ぐにここのバイトであろう、お揃いの割烹着を着た大学生くらいの女性がオーダー表を片手にやって来る。

 

「俺ぁこのしらす海鮮丼で」

 

「……私はいくら丼」

 

「……かしこまりました。しらす海鮮丼がお1つ、いくら丼がお1つで宜しいでしょうか?」

 

「はい」

 

「……んっ」

 

一瞬ユエの顔に見蕩れていた店員さんだったが直ぐにメニューを確認して厨房にオーダー表を渡しに行った。すると奥から威勢の良い声が聞こえてくる。

 

「……この後はどうするの?」

 

「んー?……適当に町ぃ見て回るつもりだったけど、何かある?」

 

「んーん。天人と一緒ならどこでもいい」

 

「…………」

 

「……どうしたの?」

 

ユエとのこんなやり取りなんて慣れているはずなのに、2人で見知らぬ町を旅しているという雰囲気のせいか俺は言葉に詰まる。耳が熱い。

 

「……いや、そうだな。ユエが可愛いのが悪い」

 

「……ふふっ。ありがと」

 

せめてもの反撃だったのだがユエにはあまりダメージを与えられなかったらしい。涼しい顔……と言うより表情筋の働きに乏しいユエにしては珍しく頬を緩ませた笑みで受け流されてしまう。

 

それに俺が言葉を返せなくなったからか静かな時間が流れる。ただ、俺はこの時間が嫌いではない。会話はお互いの想いを伝え合う大事なツールだが、今の俺達の想いは通じ合っていた。それにユエも元々お喋りな方ではないからか、沈黙の時間に気まずさは感じていないようだった。

 

俺はただ黙ってユエの紅の瞳を見つめる。するとユエも俺の顔を見返す。お互いがお互いの瞳を見合うだけの時間。会話は無い。特に語り合う必要も無いからだ。そして、そんな沈黙の時間も直ぐに終わる。店員が俺達の注文をそれぞれ持ってきたのだった。

 

「いただきます」

 

「……いただきます」

 

俺達はそれぞれ手を合わせて食前のご挨拶。そして俺はしらすの海鮮丼に、ユエはいくら丼に箸を伸ばした。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……美味しかった」

 

「うん。海が近いと魚も新鮮で良いなぁ」

 

店の暖簾を扉側からくぐった俺達はそう呟く。量もそれなりにあって金額も小慣れていたから満足度としては結構高かった。

 

すると直ぐにユエが俺の手を取り、お互いの指を絡ませ合う。俺もそれに逆らうことなくされるがままに従って繋いだ手を引き寄せる。トン、とユエの軽い身体が寄り掛かる。ユエの身体の柔らかさとほんの少しの体重を感じながら俺が歩き出すとそれにユエも続く。

 

この町、温泉と魚介で人を呼ぶだけあって割と栄えているようだ。もっとも生活の拠点としてと言うよりは観光業で盛り立てようと言うような雰囲気ではある。

 

午前中に旅館までの道を歩いてきた時のように土産物屋を見て回ったりカフェを窓の外から覗いてみたり、都会の喧騒から1歩離れたここの町に流れる緩やかな時間と晴れた夜の湖畔のような穏やかな空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

 

そうしてどれくらい歩いただろうか、太陽が陰り始めた頃

 

「……海行こうか」

 

「……んっ」

 

ふと俺がそう言うとユエもこくりと頷いた。2人でフラフラと歩いていると海岸線の方まで出ていたのだ。まだ太陽が地平線に沈む前に俺達は潮の香りに従って砂浜まで辿り着いた。

 

ザザァザザァと海水が砂浜を撫でる音だけがこの場を奏でている。周りを見渡して、他に人がいないことを確認したユエが宝物庫からレジャーシートを取り出し、俺達はそこに並んで腰を下ろした。

 

コテン、とユエが俺の肩に頭を乗せる。繋いでいた指を解き、俺はユエの肩を抱く。波の音だけがそこにはあり、俺達の間にはやはり言葉は無かった。語り合う言葉は無くともよかった。同じ時間を2人で過ごしているということが俺達には重要だったのだ。

 

夕日に照らされた浜辺で俺とユエは2人、寄り添い合う。アーティファクトを使ったわけではないのにこの砂浜には俺達以外の誰もいなかった。

 

2人きり……まるで世界で2人きりしかいないかのような錯覚に陥る。それほどまでに静かな時間だったのだ。

 

ふとユエを見る。それと同時にユエも俺を見た。視線がぶつかる。ユエの紅の瞳に俺が映っていた。きっと俺の瞳にもユエが映されているのだろう。

 

瞬間、ユエの紅玉が瞼に隠される。俺はユエの後頭部に手を回してユエの桜色の花弁に自分の唇を当てた。触れ合うのは一瞬。リップ音も無く触れ合い、離れた俺達の唇。ユエが瞳を開き俺を見て微笑む。

 

その笑みに誘われるように俺はもう1度ユエに口付ける。最初は先程と同じように触れるだけの口付け。2度目はもう少しだけ強く、3度目にはリップ音が鳴った。

 

「……ふふっ」

 

「……んっ」

 

密の香りで蜂を誘うかのように蠱惑的なユエの微笑み。それに逆らうことなく俺はユエの花弁に唇を触れさせる。ちゅ……ちゅう……とキスの音が響く。次第に俺達の耳に届くのは波の音ではなくお互いが鳴らすリップ音と吐息だけになった。

 

視界がユエで埋め尽くされる。胸の中にあるのはユエに対する愛おしさだけだった。それ以外の感情はどうやらキスと共にユエに吸われて無くなってしまったらしい。けれども今は湧き上がる情動に身を任せていたかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……間に合った」

 

「セーフ」

 

危なかった……。海辺でのユエとのキスに夢中になっていたら時間を忘れてしまったけれど、どうにかこうにか旅館で用意してくれる夕飯の時間には帰ってこられたな。それもこれもユエが可愛すぎるのが悪いと思います。

 

という惚れた弱味は胸の奥に仕舞い込んで、今はこの豪華な料理達に舌鼓を打つとしようか。

 

海が近いと言うことでやはりここの旅館のウリも海鮮料理だった。俺達のテーブルには海鮮丼や刺身、開かれた鯛が広げられていた。

 

「美味しい」

 

「ホントな」

 

トータスには箸もフォークもスプーンもナイフも全部あったからユエもコチラに来た時に食器に困ることはなかった。今も箸で海鮮丼に乗せられた刺身──マグロの赤身だった──を摘んで口に運んでいる。

 

ユエも俺も、飯を食っている時に口数が多くなる方ではないので再び無言の時間が訪れる。ただ、2人の皿はそれぞれ違う魚介が乗っているようだったので時折それを交換し合ったりもした。

 

「あーん」

 

「あー……ん」

 

ユエが差し出した箸に口を付け、俺もユエに自分の皿に乗せられた刺身を差し出す。お互いに目の前に座りながらあった会話はこの程度。

 

ただ、それでも良かったのだ。今の俺達に必要なのは言葉を交わすことではなかったから。2人だけの時間が流れる。空間遮断のアーティファクトなんて使っていないが、それでも俺達はこのテーブルの外の世界とは断絶しているかのような錯覚を覚えたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「はぁ……」

 

「……ふぅ」

 

その夜、俺達は旅館に備えられている露天風呂に入っていた。勿論事前に調べてある通りに置かれていた混浴。その入口の前に俺は人払いのアーティファクトを置いてある。それに、満々が一にでもそのアーティファクトの効力を抜けてくる奴がいたとしても俺の気配感知の固有魔法とユエの肌感覚で直ぐに察知できるし、そうなったらユエは天在で部屋の風呂場にでも移動するつもりだった。

 

「あったけぇ」

 

当然俺は熱変動無効をカットしている。そうでなければ温泉を楽しむなんて出来ないからな。

 

「……んっ」

 

俺の脚の間には肩まで湯に浸かっているユエが挟まっていた。背中から俺に寄りかかかっているから、湯に浸からないようにアップにしてタオルを巻いたユエの後頭部が俺の顎の下に来ていた。

 

ユエのお腹に手を回して抱きしめた俺は頬をユエの頭に乗せる。少しだけ漂う硫黄の匂いに混じってユエの香りがする。

 

混浴ではあったが、アーティファクトを信用した俺達はどちらも水着を着ていない。俺のタオルは湯船の縁に置いてあるから、ユエの頭に乗っているタオルだけが、俺達が身に纏う唯一の布であった。

 

「……楽しめたか?」

 

ふと、俺はユエにそう訊ねた。町を歩いて土産物屋を冷やかし、飯を食って海を眺めてキスをして、また飯を食って今はこうやって2人きりくっ付いて温泉に浸かっている。ユエもご所望した穏やかな旅路ではあったが、こうやって思い返すとそれほど特別なこともしていない気がしてきたのだ。

 

俺にとってはこれで良かったのだけれど、これはユエのための旅行なのだからユエが楽しくなければ意味が無い。

 

「……楽しめた。天人とこうやって過ごせて嬉しい。……天人は、楽しくなかった?」

 

ユエはそう言って心配そうに俺を見上げる。ユエが望んだ、ユエのための旅行なのに俺の心配までしてくれるユエが愛おしくて俺は思わずギュッとユエを抱きしめた。

 

「楽しかったよ。ユエとこうやってゆっくり過ごせたんだから」

 

「……んっ、私も。天人と2人きりでいられて嬉しい」

 

「……愛してる、ユエ」

 

「……私も、愛してる。天人……」

 

半身になって振り返ったユエと俺の唇がそれぞれ触れ合う。その接触の熱が俺達を突き動かす。もう1度触れ合うだけのキスを交わす。3度目のキスはユエが俺の上唇を啄むように、4度目は俺がユエの唇を啄む。5度目のそれはお互いの唇を押し付け合うように。

 

その頃には完全に向かい合った俺達は正面から抱き合っていた。先程よりも強く肌と肌が触れ合っている。ユエの柔らかな身体が俺の肌に擦れる。

 

けれども熱に浮かされた俺達はそんなことを気にする(ふう)もなくお互いの唇を貪り合う。ユエが俺の首に腕を回せば俺はユエの後頭部に手を添える。

 

「んっ……んちゅ……はぁっ……んん……」

 

「んむぅ……ユエ……ちゅ……ん……」

 

「……あっ……天人……んんっ……んむ……」

 

唇を食み、舌を絡ませ合い口腔内を撫で上げる。唾液がお互いの口を行き来し溢れたそれが口元を伝う。送り込まれた体液を喉の奥に流し込んでは自分のそれを相手の中に送り込む。

 

熱が巡り鼓動が跳ねる。リップ音と水音が入り乱れ愛の睦言が耳を打つ。届けられたユエの甘い声が俺の脳みそを揺さぶり理性の殻を溶かしていく。

 

ドロドロと、唾液と共にそれが流れ出ていくのを感じる。熱い、熱い、熱い。

 

「んんっ……天人……好きっ……大好き……」

 

「ユエ……んちゅ……愛してる……」

 

「ちゅ……んむ……んん……」

 

もっと強く……もっと深く……これ以上無いくらいにユエと繋がりたい。グチャグチャに溶け合って混ざり合いたい。どちらが誰なのか分からなくなるくらいに溶けて……混ざって……ただ熱の中に溺れていたい。

 

「ユエ……」

 

「天人……」

 

ユエの濡れた紅玉に俺がいる。俺の瞳にもユエがいる。熱に溶かされ、ユエに撹拌された理性の最後の一欠片が、ギリギリのところで最後の1歩を踏み留まった。これから先はここではなく部屋で。湯船の端から注がれている熱湯とは関係の無い理由で逆上せそうな俺達は湯からあがる。

 

身体にまとわりつく水滴を拭いても、旅館に備え付けの甚平を着ても、俺達を浮かす熱はどこにも逃げなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ん……」

 

体内時計は音も無く俺を眠りの海から引き上げる。暗い部屋の中で腕を伸ばして捕まえた携帯の時計を見れば、時間は朝の6時半。旅館の窓に付けられたカーテンの遮光性はビジネスホテルのそれに勝るとも劣らない強さで朝日を遮っているようだ。

 

2つ並べた枕と布団。と言っても結局1枚に偏って寝ていたのだが……。

 

ともかく俺の横でまだ寝ているユエの顔を見やる。その寝顔はオルクス大迷宮を2人で攻略している時と比べると随分穏やかで、今この場には命の危険が無いことを俺に優しく教えてくれる。

 

彼女の頬に垂れた金色の髪の毛を1房耳の後ろに戻してやる。けれどもユエの瞼はピクリともせず、ただ規則的なスゥスゥという寝息だけを俺に返してきた。

 

寝起きに愛する女の穏やかな寝顔を堪能するのは、俺の人生で数少ない楽しみの1つだった。特にユエは朝が早い方ではないからその機会も多い。

 

そんなユエの、はだけた浴衣から覗く剥き出しの肩や鎖骨に視線を移せば、夜に咲いた花弁がまだ花びらを残していた。そこから少し視線を落とせば、柔らかでハリのある2つの果実が見えていた。その身長に見合わずにしっかりと存在感を主張するそれの頂点はギリギリのところで浴衣の薄布で隠されていたが、それだけでも自然と昨夜も見たユエの柔肌を思い出す。布団を捲ればそれは目の前に広がるのだろうが、今はただ朝の静謐な時間と共に、この神秘的なまでに美しい女の子の寝姿を眺めていたかった。

 

ふと、俺は昨日の夜にユエに噛まれた首筋を爪でなぞる。吸血の痕が残っているわけではないけれど、そこにはユエの牙と唇の感触は仄かに残っていて、熱に浮かされたユエの、情動に濡れた紅の瞳が鮮明に蘇る。

 

「んん……」

 

すると、ユエの瞼が震える。どうやら俺だけがユエを独占する時間は終わりのようだ。けれども新しい朝が来たのだ。昨日が思い出になり、今日が始まる。

 

「……おはよ」

 

「……ん……天人」

 

少しだけ姿を見せた紅玉に朝の挨拶。すると桜色の花弁から俺の名前が紡がれる。

 

「……おはよ」

 

そうして全貌が姿を現したユエの瞳。またそこには眠気が残っていて、夢の海と常世との綱引きが行われているようだった。

 

「大好きだよ、ユエ」

 

「……んっ」

 

なのでここは1つ、俺もユエをこちらの世界に引っ張り込んでやる。するとユエは頬を染めながら1つ頷いた。そしてただでさえくっ付いていた身体をさらに寄せて

 

「……私も愛してる、天人」

 

そう、俺の耳元で囁くのであった。あぁ……愛してる女と同じ朝を迎え、愛の睦言を挨拶のように交わす。今の俺には朝日よりもただこうしていることが心の中を照らしてくれるような気がするよ。

 

暗れ塞がるようなことが沢山溢れているこの世界だけれども、俺にはユエがいる。この子が俺のことを照らしてくれているのだ。だから俺も、この子が見る世界を輝かせてやらねばならない。

 

氷の元素魔法でその場から動くこともなく横着にカーテンを開ける。地平線から昇ってきた太陽がユエの金色の髪の毛を照らし、輝かせる。ユエの白い柔肌が朝日を受けて俺の視線を誘う。

 

上半身だけ布団から起こした俺達2人。俺がユエの髪を梳き、頬と耳を撫ぜればユエは心地良さそうに俺に身体を擦り寄せる。その白く薄い背中に手を回し、肩甲骨や背骨の感触を指で楽しみながら少し乱れた長い金糸を解いていく。

 

おはようユエ、おはよう世界。

 

朝日に照らされた君のように、君の瞳に映るこの世界が輝き続けますように。

 



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何故最初に気付かなかったのか

 

 

「君が神代くん……」

 

お邪魔します、なんてありきたりな挨拶をしようとしたら機先を制された……と言うのは半分冗談で、香織達の地球に来たは良いがまさか実家とは言え彼女でもない女の子の家に泊まる気にもなれず、今夜の寝床は山に停めた魔力駆動車かなぁとゲンナリしていたその時だった。

 

「なら俺ん家に来るか?」

 

坂上龍太郎。トータスで知り合った1人で香織達の幼馴染。筋骨隆々の大男で上背が武藤くらいある空手家。暑苦しさはあるが武偵高に通っている身空としはそんなものは慣れたもんで大して気にならない。

 

トータスで知り合った男子生徒の中で俺が特に話すことが多いのは遠藤ではあるが、別に坂上と不仲というわけでもあんまり話さない微妙な距離感の関係性という程でもない。

 

「んっ、なら頼むわ」

 

そんなこんなで、俺のこちらに来て1日目の終わりは坂上龍太郎の実家で過ごすことに決まったのだった。

 

「どうも、向こうじゃ龍太郎くんにはお世話に……お世話に……?なって……?」

 

今日の寝床こそ提供してくれたけど、トータスで俺が坂上の世話になったことがあっただろうか?……あ、1回あるな。帝国でハウリア達がどこに捕らえられているのか奴隷商に聞いた時。あれ別に坂上いなくてもどうにかなった気がするが。

 

「いやいや、龍太郎から君のことは聞いているよ。むしろこの子の方が君に大変お世話になったようだ」

 

ちなみにそんな返事に苦笑しながらも俺を迎えてくれたのは坂上の父親。庭にはペットの犬(からしお)がいるが、俺は基本的に動物から嫌われがち、しかもトータスから帰ってきてからはそれが加速している気がする。なので小屋から出てこようとはしない。

 

「あぁ、まぁそうっすね」

 

ホントにそうなので言葉に困るな……。ほら見てよ、普通に正直に返しただけなのに坂上父も反応に困ってるよ。

 

「それでよ、親父。さっきも母さんには電話したんだけど、神代達が今こっちに来ててさ。泊めていいか?」

 

「あぁ、構わないよ。息子の命の恩人だ。それに、向こうでの話もまた聞いてみたいからね」

 

ということで俺の突然のお泊まりもすんなりと許可が降りた。別に、俺の財布からホテル代を出しても大した支出ではないのだけれど、いくら常識がほぼ同じ地球とは言え、世界が違うなら通過もほんの少しだけは違うだろう。素人目には同じ日本銀行券であってもお札にはそれぞれ気番号という……雑に言えばシリアルナンバーが振ってあるのだ。偽札……というわけでもないが、そういう理由から別の地球の通貨は使い辛い。そのおかげで、こっちでの俺はほぼ文無しなのであった。

 

「じゃあお言葉に甘えて。……お邪魔します」

 

案外すんなりと敷居を跨がせてくれた俺はリビングに通される。夕方、もうすぐ夕飯が出来上がろうかというタイミングらしく、キッチンからは料理の良い香りが漂ってきている。

 

「あらいらっしゃい。……ゴメンなさいね、急だったものだから大した物もお出しできませんで」

 

「いえ、こちらこそすみません。気にしないでください」

 

最悪、宝物庫には幾らかの保存食とかがあるから食い物に関してはそれほど心配していない。ただ、出してくれると言うのなら坂上家の料理を存分に楽しもうとは思う。

 

「ただいまぁ……友達?」

 

すると、坂上の姉だろうか。坂上の母によく似た雰囲気の若い女の人が帰ってきて俺を見やる。

 

「お邪魔してます」

 

「おう姉貴。コイツが神代だ」

 

坂上に紹介されたので俺もぺこりと頭を下げる。すると坂上姉は「おぉ」と言うように少し目を見開いた。

 

「へぇ、君が……」

 

上から下まで舐め上げるように俺を眺める坂上の姉。少しすると満足したのか顔を上げて

 

「思ってたより普通だね」

 

坂上は俺のことを一体どんな風に家族に喋っていたのか。ジロリと睨むように坂上を見ればコイツはコイツで首をブンブン横に降っている。本人としてはそんなに変には言ったつもりはないらしい。

 

「世界を救った魔王なんて聞いてたからね。もっとこう……偉そうな奴だと思ってた」

 

この人は言葉を選べないのか選んだ結果がこの言葉なのか、ともかく俺は溜息を1つ吐いて

 

「俺ぁただの高校生ですよ」

 

とだけ返しておく。それに満足したのか坂上姉は椅子に座りながら

 

「まぁ座りたまえよ」

 

なんて、自分の対面の席を指で示している。どちらかと言えば偉そうなのはこの姉なのでは……と言う俺の気持ちは胸の内にグッと押し込んで勧められた席に大人しく座る。

 

「それで、君から見た龍太郎は向こうではどんなだった?」

 

「ちょっ……姉貴!?」

 

急に自分を話題に出された坂上が慌てふためくが、いくら腕力で勝ろうとも弟は姉には敵わないものらしい。しっしっと追い払われて俺に縋るような目を向けてくる。

 

「んー?……俺ぁそんなに長いこと坂が……龍太郎とは一緒にいなかったんですけどね」

 

そういやこの家は全員坂上だったなと思いながら俺はそう言った。

 

「あぁ、その辺の話も聞きたいな。何せこの愚弟ってば言ってることが時々要領を得ないのよ。向こうにいたのが2週間だったり1年だったり。何だっけ、本当は1年間向こうにいたけど時を遡る?とかで拉致されてから2週間後の日付に戻ったんだっけ?」

 

どうやら坂上はトータスでの出来事を家族に説明はしたらしいな。だけどあまりにも言葉が下手すぎて上手く伝わらなかったみたいだ。まぁ、坂上は天之河や香織とも仲が良かったから代わりに説明してもらったんだろう。

 

「えぇ。その通りです。時を渡ったのは向こうで手に入れた俺ん道具の力です」

 

すると坂上の姉は「ふぅん」と1つ頷いた。

 

「で、何で態々2週間後だったの?」

 

「俺ぁ本当は飛ばされて直ぐに帰りたかったんですけどね。ただ、知ってると思いますけど彼らは3人の命を失いました。全てを正直に話すにしても、せめて"3人は確実に死んでいる"ことを納得してもらえる程度の時間が欲しかった。で、彼らがそれを2週間とした、っていうだけです」

 

そして、その3人の内2人の命を奪ったのも俺だ。そう俺が告ると坂上の姉は一瞬目を見開き、そして数秒だけ沈黙した。

 

「神代……」

 

ふと、俺の隣に座っていた坂上が俺の肩に手を置く。どうやら俺を気遣っているつもりらしい。すると俺の斜め前の席に坂上の父親も座り、俺と坂上を交互に見やった。

 

「あれは俺ん力不足でしたけどね。後悔はしてませんよ。あそこで殺らなきゃ、絶対にもっと悔やむ結果になってたことは分かってるんで」

 

あのまま清水をハイリヒに帰したら、きっとまた魔人族に誘われて更に大規模な魔物の軍勢を引き連れて来たことだろう。今度は俺のいない町を襲っていたかもしれない。もしかしたらエリセンが襲われ、ミュウやレミアが魔物共に食い殺されていたかもしれない。ともすれば、神域で天之河達の前に立ちはだかったかもしれない。

 

檜山を生かして拘束したとして、中村に唆されてハイリヒ転覆未遂の手伝いをしたアイツをあの国の誰が許すのだろうか。中村だってハイリヒに残していくのは死罪と同等なのだ。そもそも、中村の処遇を俺達に任せられたのだって神話大戦でエヒトをぶっ殺した功績がものを言ったのだ。あの時の俺達の発言力じゃあ檜山への断罪を止めることは無理な話だっただろう。例えリリアーナが国民に慕われていようとも、魔人族と魔物に踏み躙られた国民の声を抑え込むのは厳しい。

 

だからあの時の俺の選択肢は間違っていなかったはずだ。確かに命を奪わない選択肢もあった。だけど、それはあまりにも───

 

「───何怖い顔してんの?」

 

「んみ……」

 

スっと手が伸びてきた。俺はそれを反射的に仰け反って躱す。どうやら坂上の姉が俺の眉間に指を寄せていたらしい。

 

「いえ、別に……」

 

「そうかい?……話がちょっと逸れたけど、今は龍太郎の話を聞かせておくれよ。本人はこれだし幼馴染達からの話も聞いてはいるんだけどねぇ」

 

やっぱりちょっと目線の違う人から見た話が聞きたいのよ、と坂上の姉はカラカラと快活に笑いながらそう言った。もっとも、それを聞いた坂上はちょっと情けない顔をしているが。

 

「んー?……て言っても、本当にそんなに話すこともねぇですよ?ただちょっと迂闊で罠に嵌められそうになったりはしてましたけど」

 

具体的にはシュネーの雪原の大迷宮とかな。まさかあんな見え見えの罠に突っ込んでいく奴がいるとは思わなかったよ。

 

「うっ……あれは俺が悪かったって」

 

「へぇ。どんな風に?」

 

やはりこの人が聞きたいのはこっちの方向の話らしい。俺がちょっと触りだけ話しただけで身を乗り出しそうな勢いだ。

 

「ちょっ……姉貴!」

 

「迷路だったんですけどね、天井と迷路の仕切りの間が結構空いてたんですよ。でもそんなの、高校の文化祭の出し物じゃああるまいし、見るからに怪しいじゃないですか。なのに龍太郎はそこをチャンスだと思って突っ込みやがったんですよ」

 

慌てる坂上は放って俺はあの時の話をこの姉貴にしてやる。

 

「それで、そこのバカはどうなったの?」

 

うんうん、坂上の父親も横で頷いている。どうやら味方はいないと悟った坂上は憮然としてしまった。

 

「俺が脚ぃ引っ掴んで床に叩き落としたから良かったんですが、あれあのまま行ってたら氷で拘束されてそのまま氷柱で串刺しでしたね」

 

「まったくこのお馬鹿は……」

 

「い、いや……だってよ……」

 

姉にジト目で睨まれて狼狽える坂上。うーん、坂上のこんな情けない顔は中々見れないぞ。これは良いものを見せてもらったな。

 

「あとは……」

 

他にもあった坂上のお馬鹿エピソードを記憶の中から探し出そうと脳みその記憶領域をまさぐっていると、坂上から「もう止めてくれよ〜」なんて、これまでコイツからは聞いたことがないほどに覇気の無いふやけた声が聞こえてきた。それを聞いて坂上の親父と姉貴はカラカラと声を揃えて笑う。

 

「聞いてはいたが、向こうでは戦いばかりだったんだね」

 

お疲れ様、よく生きて帰ってきたと言わんばかりの坂上の父親の表情。そこには息子を労わる気持ちと、生死の境目がすぐそこにある過酷な環境からの帰還を喜ぶ親心が現れていた。

 

「んー?そうでもないっすよ?コイツ、一端に恋心も経験してます」

 

「───ぶっ!?」

 

「へぇ!!」

 

「ほう?」

 

「あらあら」

 

吹き出す坂上と身を乗り出した姉貴、首を傾げる親父に面白いネタを見つけたというような母親。

 

「ちょ……神代、それ何のこと───」

 

「ユエちゃんって言うんですけどね」

 

と、俺は携帯のカメラで撮影したユエの写真を皆に見せる。

 

「えぇ!めっちゃ可愛いじゃん!」

 

「お人形さんみたい」

 

「い、いやそれは……。て言うか神代、何で知ってんだよ!」

 

「んー?俺が気付かねぇワケないじゃんよ。だってユエは俺ん嫁だぜ」

 

シン───と場の空気が凍る。どうやら皆が察したようだ。自分の息子(弟)は人の彼女に惚れて叶わぬ恋をしたのだと。

 

「俺ぁ龍太郎達とは別行動してた時期があったんですが、ユエはそん時に俺が出逢った子です。そんで、俺が彼らと再会した時、龍太郎はユエに一目惚れしたっぽいですよ」

 

トータスにいる時は態々言ってやらなかったこと。坂上がユエに一目惚れしたのは直ぐに分かった。俺だって伊達にユエに惚れ込んでいない。ユエを()()見てる奴の目は直ぐに分かるさ。

 

「うっ……」

 

やはり図星らしい坂上は唸りはしたもののそれ以上言葉を発することが出来ない。そしてそんな坂上には家族からの生暖かい視線がプレゼントされていた。

 

「まぁあれよ、新しい恋を見つけなさい。昔の恋を払拭するにはそれしかないわ」

 

「男は失恋して強くなるものさ」

 

「まさかアンタにもそんなことがあるなんてねぇ」

 

姉、父、母からそれぞれ有り難いお言葉を頂戴した坂上は珍しく顔を真っ赤にして俺を睨む。すると坂上の母親は「あらお鍋が」なんて言ってまたキッチンへと席を外した。

 

「まぁあれだ。ユエとは縁が無かったみたいだけどさ。大丈夫だよ、お前は背ぇ高いし筋肉質だし。好きになってくれる女の子もいるって」

 

坂上がこうも押し黙るのも珍しいが、俺とりあえずそんな当たり障りのない慰めの言葉をかける。

 

「ほら、俺女の子の知り合い多いからさ。誰か紹介しようか?」

 

特に最近100人くらいは知り合いになったからな。いや、知り合いって言うほど皆の名前覚えていないけどさ。聞いた記憶も無いし。だけど向こうは俺の顔と名前覚えてるだろうから呼べば来るかな?

 

「う、うるせー!」

 

と、坂上の肩に置いた俺の手を振り払い坂上は叫んだ。……急にどうしたよ?

 

「お、俺だって彼女の1人くらいいらぁ!」

 

そして、それはそれは衝撃的なことを大声で宣言した───

 

「…………………………………………は?」

 

「───えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

「何……だと?」

 

俺と姉貴と父親、三者三様の驚き。

 

「えっ!?誰誰誰誰誰!!」

 

「帰還組か?まさかトータスん誰かじゃねぇよな!?」

 

「俺も知ってる人か?」

 

ズズズイッと俺達3人が坂上に詰め寄る。しかしてどうやら坂上も勢いで言ってしまったらしい。言葉に詰まってる。だが頬の赤みが消し切れていないということは嘘ではないのだろう。照れて言えないだけで。

 

「…………ず」

 

ボソリと坂上がその名前を発した。

 

「え、なんて?」

 

「鈴だよ……。谷口鈴……」

 

谷口……谷口か……。まぁ、意外ではないか。ユエに一目惚れってことは坂上は背の低い女子が好きなんだろうからな。身長以外は雰囲気全く違う2人だけど。

 

「えっと、谷口って言うと……」

 

「あぁ、帰還者の1人ですよ。写真は……俺ぁ持ってないですけど、上背はあんまりないですね」

 

谷口って150センチあったっけ?

 

「お、龍太郎、お前そのなりでちっちゃい子が好きなのかぁ?」

 

「姉貴、言い方!」

 

「ちなみにユエも身長は140センチくらいですよ。まぁ、ユエは大人しい系で谷口は元気系なんで上背以外は雰囲気違いますけどね〜」

 

「ひゃあ〜。おら龍太郎、お前魔法使って変なことすんなよ?」

 

「し、しねぇよ馬鹿姉貴!」

 

「あぁん?姉に向かって馬鹿とはなんだ馬鹿とは」

 

「そうだぞ坂……龍太郎。姉貴は敬えよ?……まぁでも、背の低い女の子とロリは違うんで、そこは言わせてください」

 

ユエだけならともかく、最近はネモやメヌエットからも言い寄られているせいか俺にも変態紳士疑惑が浮上しているのだ。ここいらで身長と()()()()()()は無関係なのだと言っておかなければなるまい。

 

「そ、そうだぞ。たまたま好きになった子の背が低いだけで俺はそんな危ない奴じゃねぇ!」

 

「はぁ……まぁいいや。おいおいそれにしてもお前の向こうでの姿を聞こうと思ったのにこれは大変な掘り出し物見つけたなぁ」

 

と、俺まで加勢してきたのが意外だったのか、一瞬気勢を削がれたような雰囲気を出した坂上の姉貴はしかし、今度は坂上の彼女いる発言を標的にしたようだ。

 

「確かに仲は悪くなかったし大迷宮の攻略じゃ一緒にいることも多かったけどなぁ」

 

「実際いつ頃付き合い始めたのよ?」

 

恋路で身内から弄られる辛さを知っているのか武士の情けか、坂上の父はいつの間にやら席を外していた。しかし俺達はそんなことは放っておいて坂上を追求し(イジっ)ていく。

 

「この間……近藤の墓参りに行った時に……」

 

近藤……確か中村に殺されてアイツに操られていた奴か。俺を背後から刺そうとしたから全身を切り裂いた記憶がある。

 

清水や檜山はともかく、彼は人間族を裏切ったり中村のクーデターに加担したわけでもない。中村の策略に巻き込まれて殺されただけだ。だから坂上や谷口が墓に参るのも分かる。けど墓参り行って付き合うことある?そういう時ってそんな気分になるものなのか……?

 

「お墓参りに行って付き合うことってある?」

 

と、姉貴さんも呆れ顔で俺と同じ感想を抱いたようだ。

 

「いやさ、俺、高校卒業したら向こう(トータス)に行きてぇんだ。光輝が休みの間にトータスで神域の魔物を倒してるみたいによ。俺も向こうで戦ってあの世界の人達を守りたいんだ。力があるのに黙ってるなんて、俺にはできねぇんだよ」

 

だから俺は、高校を出たらトータスで生きていく。坂上はそう告げた。それは家族に対してだけでなく俺にも向けられた言葉。そもそも異世界(トータス)への扉を自由に開けるのは俺だけだ。香織もその気になれば開けるのだろうが、アイツの持っている概念魔法は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだ。だからトータスへの扉をそう簡単に開けるわけでもないし、何より魔力が足りない。開けるのはどんなに短くても数ヶ月に1度きりだろう。

 

「それで、俺はそこ鈴も着いてきてほしいと思った。だからそう伝えたんだ。また戦いに巻き込むことになる。だけど俺にはアイツが必要で、絶対に向こうで幸せにするからってよ」

 

それは坂上なりの決意なのだろう。コイツも天之河とよく一緒にいて、トータスでもある程度はその正義感にも共感していた。だからコイツも神域の魔物は放っておけない、という考えなんだろう。まったく理解できない考えというわけでもないが……。

 

「……それは、力があるなら成すべきだと思うからか?」

 

俺は、坂上にそう問いかける。

 

「あぁ、そうだ。俺には力があるのに黙ってられねぇ。向こうには世話になった人達が沢山いるんだ。なのに俺が出来たのは皆と協力して中村1人を連れて帰るだけだった。俺はあの人達に恩返しがしたい」

 

「龍太郎……」

 

家族にも初めて打ち明けるのであろう坂上の本音。姉貴は寂しいような、それとも少し怒っているかのような表情を浮かべている。

 

「……御立派だね。ま、そういうことなら俺ぁ今後トータスに行くことがあってもお前らは連れて行かないし、無理に付いてきても帰る時にはフン縛ってでも連れ帰るよ」

 

「なっ……何でだよ!?」

 

「力があるから戦う……いや、力があるなら戦わなきゃ……か?そんなもんはただの呪いだよ。決意とは言わねぇ」

 

「じゃあ何で光輝のことは手伝ってんだよ」

 

「んー?……アイツは俺と約束してんだよ。だから手伝ってやってるし、まぁお前らが時たま手ぇ貸すくらいなら別に構わねぇんだ」

 

「約束……?」

 

すると、坂上が怪訝そうな顔をする。どうにも俺と天之河が何かの約束をすることそのものに違和感があるらしい。

 

「ま、そこは守秘義務ってやつだ。あぁ、天之河に聞いても多分はぐらかされるだけだぞ」

 

俺と天之河の間にある約束。それはトータスでの神域の魔物狩りを終えたら絶対にこの地球に帰ってくること。今通っている高校を卒業すること。もしトータスに永住する時は向こうで一生の相手を見つけた時だけ。ただしその時には自分の親にそいつを紹介し、向こうで生きる許可を得ること。それらを条件に俺は天之河を手伝う。

 

そういう条件だから、俺やコイツが多少手伝ったとしても問題は無い。この約束の主題はそれだけなら大して揺るがない。

 

「なら俺も、光輝が結んだっていうのと同じ約束をする。それでいいだろ?」

 

「駄目だね。て言うか無理」

 

即座に俺に言葉を否定された坂上は「うっ」と唸る。しかし天之河と俺の約束はコイツの言っていたことと微妙に矛盾するのだ。俺としてはそんな約束は結べない。

 

「……何でだ」

 

「アイツとお前は違う。あぁ、悪い意味じゃねぇぞ?人間皆それぞれ違うもんだからな。けど、だからこそ俺ぁ坂上とは天之河と同じ約束はできないよ」

 

「だから───」

 

「───まずはご飯にしましょう?お腹が空いてたらイライラして話し合いもできないわ」

 

何が違うんだ、そう坂上は言おうとしたのだろうが、そこに坂上の母がお盆に乗せた食事を運んできた。

 

「ありがとうございます」

 

と、まず俺に渡されたそれを受け取る。すると坂上の母は「いえいえ」と首を振るとまたキッチンに戻る。どうやら夕飯ができたらしく、それぞれの分を配膳してくれた。

 

最後にテーブルの真ん中に箸入れが置かれ、俺はそこから1膳取り出す。

 

「頂きます」

 

そしていつの間にやら戻ってきた坂上の父と共に俺達はそう食前の挨拶をして、それぞれ箸を口に運んでいく。この家の食事風景が普段はどのようなものなのか俺は知らないけれど、ともかく今日の夕飯は誰も一言も発しなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「───本当に分からない?」

 

神代天人を龍太郎の部屋に置いて、龍太郎は姉と両親に囲まれるようにしてテーブルの椅子に座っていた。

 

「何が……」

 

姉の、諭すような表情を龍太郎は初めて見た。だがその顔を長くは見ていられなくて、直ぐに視線は落ちる。

 

「私はあの子のことをよく知らないけど、きっと神代くんはお前と私達を引き離したくないのよ」

 

「それって───」

 

どういうことだ、という言葉は出なかった。直ぐに分かったからだ。シュネー雪原の大迷宮を攻略した後、神代天人とユエが2人で概念魔法の創造に挑戦していた時に見た光景。

 

神代天人の過去。両親や幼馴染みの女の子を一瞬にして喪ったあの日の出来事。龍太郎から見たら圧倒的に強くまさに最強の具現とも言うべきあの男の過去。地に叩き伏せられ屈辱と劣等感と怒りに苛まれ逃げ出していたあの映像。

 

あれを見たからこそ、今の姉の言葉が分かる。わざわざ世界を隔てる必要がないのだから、無理に家族と別れようとするなということなのだろう。

 

「異世界に行くことが独り立ちってわけじゃない。でなけりゃこれまでの人類は1人残らず独り立ちなんてできてないわけだからね」

 

「むっ……」

 

「優しいじゃない。多分それはアンタのことだけじゃなくて私達のことも考えてくれてるのよ。それに……」

 

そこで彼女は言葉に詰まる。ここから先は確証がなかったからだ。何となくそんな気がする、という予感はあるが絶対そうだろうと言える程の確信もなかったのだ。

 

「それに、これは私の気持ちだけどね。……アンタにはもうこれ以上戦ってほしくない。この世界で起きる出来事なら兎も角、向こう(トータス)での出来事までこれ以上背負ってほしくないよ」

 

そう、坂上の姉は呟いた。ふと龍太郎が見れば父と母も椅子に座り、それぞれ頷いていた。その顔はただ息子を心配する色だけが浮かんでいた。

 

「俺には細かいことは分からないが、龍太郎が光輝くんと倒そうとしている魔物?というのは向こうの世界の生き物なんだろ?それならばそれは向こうの世界の問題だ。お前が責任を感じる必要はないだろ」

 

「龍太郎達の話を聞いて思うのよ。魔物っていうのを倒すって、この世界で蚊やゴキブリを殺すのとは違うのでしょう?危険さも、命を奪うということへの感覚も」

 

それは確かに母の言う通りではあった。だからこそ自分達はトータスに呼ばれた直後は弱い魔物であっても戦うことを躊躇したのだから。

 

命を奪うという感覚があれほど気持ちの悪いものだとは思わなかった。だが、いつしか「あれは理性も知性もない、獣以下の存在であり殺すことには何の躊躇いも必要ない」と意識がすり替わっていた。

 

「それに、絶対に危険でしょ?向こうの人を助けたいって龍太郎が思うんだもの。普通の人では手に負えないくらいに危険だって思うから、龍太郎は……」

 

その通りではあった。神域の魔物はそこら辺の魔物とは一線を画す強さを誇っている。その強さは向こうの金ランクの冒険者をしてもなお分が悪い。龍太郎が本気でやれば負ける相手でもないが、だからと言って油断して良い相手ではない。

 

「分かってるよ。だけど光輝だって戦ってるんだ。なのに俺がここでぬくぬくと───」

 

「───それっていけないこと?」

 

ぬくぬくとダラけてなんていられない、そう言おうとした龍太郎を姉が遮る。

 

「いいじゃん、こっちに居たって。アンタは向こうで死ぬ思いをしてもどうにか帰ってきた。なのに何でまた危険な所に行こうとするのさ。て言うか───」

 

ふと、そこで龍太郎の姉が目を伏せる。そして一瞬の間を置いて、再び顔を上げた。

 

「───アンタ、私達をどれだけ心配させたと思ってんの?これ以上余計な心配かけさせんじゃないよ」

 

それが龍太郎の家族の本心。2週間も全くの行方不明。それで帰ってきたと思ったらクラスメイトは3人いなくなっているし、1人は心神喪失状態と聞くし、そもそも普通の顔して戻ってきた子達も皆揃って訳の分からない御伽噺を繰り返す。

 

かと思えば本当に科学技術じゃどうあっても解明できなさそうな、物理法則ガン無視の現象を事も無げに発生させるし。おかげで彼らの言っていた御伽噺が本当にあったことなのだと無理矢理に理解させられてしまった。

 

そして、そんなことになればそれはそれで心配にもなろう。人間は普通光の玉を出したり炎の塊を投げたりはできないのだ。そんなことが可能にさせられて身体は大丈夫なのだろうか?一体この子達の体内でどんな現象が起きて目の前の火の玉や氷の塊に繋がっているのか。

 

家族として、それが気にならないわけがない。本人達が何ら気にするところがなかったとして、それが即ち安全である保証にはならない。

 

だから───

 

「私はアンタにもう魔法を使ってほしくない。戦いになんて行ってほしくない。誰かを守りたいなら、警察官でも自衛隊でも消防士でもなりたいならなればいい。だけどアンタにはもう魔法とは遠い世界にいてほしい」

 

それこそが彼女の本心。そして彼ら家族の本心。元々恵まれた身体能力を持つ子だ。地球の常識の範囲内でそれを活かしていくことにはそれほどの不安も不満もない。だからせめて……その中で───

 

「───それでも、決めるのは龍太郎、お前だ。お前の人生なのだからお前が決めろ。そして、どの道を選んでも俺は応援する」

 

ただしトータスに行くなら死ぬほど心配し続けるけどな、と龍太郎の父親は続けた。それに対して龍太郎は

 

「……ありがとう」

 

と、ただそれだけを告げた。そして無言のまま部屋に戻る。それは今の対話の中でも龍太郎の決断が変わらなかったのだろうと彼の家族に感じさせた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「───それで、何だって?」

 

坂上の部屋にはあんまり興味を惹かれる物も無ければ人の部屋を漁る趣味も無く退屈だったが、本棚に何冊かあった知らない漫画をペラペラ読んでいるとようやく坂上が帰ってきた。

 

「……行かないでくれ、心配だと言われた」

 

そりゃあそうだ。天之河だって絶対定期的に帰ってくると約束して、それでも結構強引に向こうに行くことになったのだ。それを急に一生向こうで暮らしたい、そして向こうで魔物と戦いたいなんて言い出したらそうなるに決まっている。

 

「だいたい、付き合ってんのが谷口なら態々向こうで生きていくこたぁねぇだろ。天之河を手伝って、終われば帰ってくりゃあいい」

 

「だけど、魔物は他にも沢山いるんだ。そいつらからも俺は皆を守りたいんだ」

 

「……それで、身体が動く限り戦い続けるって?馬鹿言ってんなよ。お前、いつまで救世主気取ってるつもりだ?」

 

「なっ……俺はそんな───っ!」

 

力があるから戦う。力があるから守りたい。坂上は常に自分の力を基準に考えている。自分に能力があるからそれを使いたいのだと。俺はそれが嫌だった。

 

「ならお前、俺が今すぐお前の力を全て凍結させても同じのことが言えんのか?技能もアーティファクトも全部奪われて、それでもトータスの奴らを守るために戦いに行けるのかって聞いてんだ」

 

「それは……」

 

ちなみに天之河は即答した。それでも戦うと。ただ、いきなり挑んでも無駄死にだからまずは一介の冒険者からやり直してでも鍛え直すと。それを即答したからこそ、俺はあの約束をして天之河を手伝っているのだ。

 

「1度暴力の世界に身を置いた奴が生きていける世界ってのは、極端に狭くなるもんだぜ。だけどお前らはまだ引き返せる。お前らが戦うのはもう身内のためだけでいい」

 

帰還者として世間に認知されているコイツらにはまだこれからもちょっかいがある。だから自分達に降り掛かる火の粉を払うために力を振るうのは構わない。だけどこの世界より外の問題にまで手を出し始めたら……きっと際限がなくなる。

 

「似たようなことは天之河にも言ったよ。だから俺はアイツの答えを聞いて、その上で手伝ってる」

 

だからもし、坂上が「光輝がさっさと戻って来れるように手伝いたい」と言っていたら手を貸していたかもしれない。だけどコイツは他の世界(トータス)の問題にまで首を突っ込もうとしていた。

 

「あの世界のことを、あの世界で起きたこと、あの世界の奴らのこと……忘れる必要なんてない。だけどな、トータスはトータスの奴らの世界なんだ。あんまり首突っ込むんじゃあねぇよ」

 

その世界のことはその世界の奴らが解決する。可能なのであればそれが1番良いことなのだ。それが無理なら世界の方からこっちにお呼びがかかる。ほかの世界の奴が手を出すなんてのは、その時からで充分だ。

 

「……光輝は、さっきの質問に何て答えたんだ?」

 

「言わねぇよ。ただ、即答はした」

 

「そうか……」

 

坂上はそれを聞くと一言呟いて押し黙る。なんか意外だったな。コイツはもっとゴネるかと思っていた。聞き分けが良いと言うより、今は何か色々頭の中を巡っているって雰囲気だけど。

 

「それよりさぁ坂上よ。実際谷口のどこが好きなわけ?」

 

俺は別にこの家に真面目な話をしに来たわけではないのだ。どうせならせっかく見つけた恋バナに花を咲かせたいところ。

 

「いや急に雰囲気変わりすぎだろ!?」

 

「いいじゃんよ。それで?どうなのよ?」

 

ほらほら、ここには家族もいないんだし話しちゃえよ。

 

「いや……だってよ、鈴はいい女だろ……実際」

 

ボソボソと、そのガタイに似合わない小さな声でそう呟く坂上の顔は耳まで真っ赤だった。まったく初々しいねぇ。こちとら女の子を平然と褒め過ぎって怒られるくらいなのにさ。

 

「さぁねぇ……。俺ぁそんなに谷口のことは知らねぇからな。ほら、もっと語ってみなって。谷口の魅力ってやつをさ」

 

「い、いつも明るいところ……」

 

オラオラと、坂上を突っつけばようやく1つ答える坂上。だけど俺としてはもっと聞きたいもんだね。

 

「ふぅん。ま、確かにそんな感じだな。他には?」

 

逆に言えば、そんなに明るい谷口があれだけ沈むのだから中村のことは余程大切だったのだろう。前に谷口には中村に対して魂魄魔法で無理矢理に前を向かせてしまうかと提案したことがあったが断られている。

 

そんな洗脳みたいな手段で元の穏やかな中村に戻したところで、もうあの子の顔をまともに見れないとのことだ。それに、そもそもその顔は仮面(ペルソナ)だったのだから、そんな人格改変みたいなことをしても本当の意味での仲直りとは言えないということだ。

 

「それに……強いだろ。喧嘩の強さじゃなくて、心が、さ」

 

「んー?……まぁ天之河よりはマシか」

 

あの子、シュネーの大迷宮じゃ魔力空っぽになるくらいにはもう1人の自分と接戦だったみたいだし。谷口はそうでもなかったようだからな。

 

「いや、光輝だって充分強ぇよ」

 

「そうかぁ?アイツ結構へなちょこ……て言うか今は天之河の話はどーでもいい。それよりお前の惚気話を聞かせろ坂上」

 

天之河のメンタルの話なんて今はどうだっていいのだ。俺が聞きたいのはコイツらの甘酸っぱい青春恋物語であって野郎のメンタルが豆腐かそうでないかなど毛ほどの興味も無い。

 

「───お風呂できたよ〜」

 

だが、ここで坂上の姉から待ったがかかる。どうやら風呂が空いたから入れということらしい。

 

「じゃあ入るか、一緒に」

 

「何でだよ!?てか俺と神代が一緒に入ったら滅茶苦茶狭いだろ!」

 

「あぁん?舐めんなよ坂上。俺ほど大人数で湯船に浸かることに慣れた奴もそうそういねぇぜ」

 

こちらとら3人とか4人で一緒に風呂に入るのが日常になってんだ。俺と坂上の身体のサイズを考えたら確かに普通の風呂では小さいだろうがそこは創意工夫と経験の見せ所ってやつなのさ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……だからってこれはねぇだろ」

 

「……ぐうの音も出ない」

 

と、俺は湯船の中で坂上に後ろから抱かれながらそう呟くのであった。

 



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砂漠の国/鉄の国

 

 

「お邪魔しまーす」

 

俺が訪れたのはとある日本の一軒家───と言うか遠藤浩介の実家だった。

 

日本やバチカンでの悪魔騒動が一段落つき、俺の次なる寝床はこの家になった。しかしあれだな、こうやって知り合いの家を転々としているのとまるで家出少女のような気分になるな。

 

家出少女と言えば明磊林檎は元気にやれているだろうか。父親とは和解できたし、クラスメイトも良い奴らばかりで、待ち望まれていた復帰だったようだから、問題ないとは思うけど。

 

「やぁ、いらっしゃい」

 

俺を出迎えてくれたのは遠藤の父親だった。するとその奥からトタトタと天然物のウサミミを生やした美人───ラナ・ハウリアがやって来た。

 

「ようこそ、ボス」

 

そして遠藤の父親の横で片膝を着いて恭しく俺にご挨拶。ラナのその様子に遠藤の父は目を見開いて俺とラナを交互に見やる。

 

「んっ。今日はお世話になります、()()ラナさん」

 

いい加減コイツらのボス呼びを訂正するのも面倒臭くなった俺はそれだけ返すと遠藤の家の玄関に上がる。

 

遠藤の父が俺を奥に案内しようとするが、ラナはその場で顔を真っ赤に染めて蹲って動かない。振り向けば遠藤も耳まで朱に染まった顔を両手で覆っている。全くこの子達は……いつまでこんなに初心なのかしら……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……あの」

 

どうして俺は遠藤宅に上がってそうそうに遠藤の兄───遠藤宗介氏から親の仇を見るかのような目で睨まれなくてはならないのでしょうか。それに、遠藤の妹らしい遠藤真実さんからも随分と厳しい目線を頂いているような気がする。俺が一体何をしたと言うのだろうか……。いやまぁ遠藤を危険地帯に放り込んだこともあるから、そりゃあ家族からは睨まれても仕方ないのかもな。

 

「この度は浩介くんを危険な戦いに巻き込んでしまい───」

 

「───違う!」

 

はて、危険なことがある可能性を分かっていて遠藤をそこに放り込んだことを怒っているのかと思って頭を下げたのだが、宗介さんからは食い気味に否定の言葉が入った。

 

「君、神代くん……随分と女性から人気があるみたいじゃないか」

 

「えぇ……まぁ嬉しいことに」

 

で、脈絡のないそんな宗介さんの言葉を受けると今度は妹の真実からの視線がさらに鋭くなった。いや、本当に何なんだよ……いや、もしかして───

 

「あぁ、遠藤のお兄さん」

 

「なんだ?」

 

俺はふと想像した。妹の方の視線は分からないけれど、もしやこの兄は……

 

「今度ケモっ娘美少女達とお茶に行きませんか?」

 

「ようこそ我が義理の弟よ!」

 

どうやら大正解だったようだ。この人、単に遠藤から俺の話を聞いて、悪魔騒動の時にでもユエ達を直に見て、超が付くくらいの美少女達に囲まれている俺に嫉妬してただけだったんだな。遠藤も遠藤で、ラナだけじゃなくてエミリーやクラウディアとも宜しくやってるみたいだし。完全に僻みだったのだろう。何せもう俺の肩に腕を回して組んできているからな。

 

「───チッ!」

 

ただ、妹の方からは特大の舌打ちを喰らってしまったが。どうやら妹は妹で俺に対して何やら思うところがあるご様子。

 

「あぁ……筋肉質で背の高い……その上ドライブにも連れて行ってくれる人にご興味は……?」

 

すまん武藤、俺の安寧のために売られてくれ。という俺の邪な気持ち───その打算的な部分だけは都合良く天には届かなかったようで、俺の言葉を聞いた遠藤真実も

 

「お義兄様と呼べばよろしいでしょうか?」

 

なんて、左手を胸の前に当てて深々とお辞儀をしている。そしてそんな2人を見て苦笑いの遠藤の父と台所から顔を覗かせていた遠藤の母親。

 

「神代……何やってんの……?」

 

そしてやっと羞恥の嵐から抜け出したらしい遠藤が戻ってきた。俺に肩を組む兄と恭しくお辞儀をしている妹と、そしてそれらを一身に受けている俺を見て呆れ顔だ。ラナはラナで何も状況が分かっていないらしく、キョトンと首を傾げている。

 

「おー遠藤。……いや、男女混ざってのお茶会に誘ってただけだよ」

 

「あっそう……」

 

ハァと1つ溜め息をついた遠藤はカクりと肩を落とした。どうやら想像していたよりも更に下らないやり取りがあったのだと悟ったようだ。

 

「───そろそろご飯できますよ」

 

と、遠藤の母親がふと俺達に声を掛けた。俺と宗介さん、真実はそれぞれ「はーい」と気前の良い返事をして、2人は席に着く。俺はと言えば遠藤からの「手を洗うなら洗面所はあっち」という言葉に沿って洗面所に向かうのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

遠藤家で食卓を囲み、風呂も頂いた俺は遠藤の部屋に戻っていた。それほど目を見張る物もない至って普通の部屋。整理整頓もそれなりに出来ているようで、本当に何も目立つものがない。ラナという彼女がいるのにも関わらず女っ気の無い部屋だ。まぁ、俺の部屋がどうなのかと問われると口ごもってしまうのだけれども。

 

「そういや、前に連れて来たアイツらとは上手くやってる?」

 

シアと2人でとある遺跡を散策していた時に出会った、ウィルフィードを中心としたアメリカの企業所属の裏チームの面々。彼らはこの世界に満ちている神秘を探して軍事転用を目論んでおり、ついでに帰還者に対しても調査を進めていたのだ。

 

とは言えそいつらの首には今は首輪が掛けられていて、コイツらや俺達にちょっかいを出すことは出来ない。

 

こっちの世界では俺がいつもいてやれないこともあり、彼ら帰還者に対して何かちょっかいをかけてきそうな奴らがいないかの見張り役としてウィルフィード達を登用。先日遠藤達と面通しを済ませておいたのだった。

 

「まぁ、やれてると思うよ。……て言うか、どうせお前の首輪があるんだろ?」

 

「まぁな。お前らん力はどうしたって色んな奴らを呼び寄せる。どいつもこいつも正面切って喧嘩吹っ掛けてくるならそんなに心配もしちゃいねぇけど……大人はそういうことしねぇじゃん」

 

どちらかと言えばアイツらにはそういう搦手を使ってくる奴らを退けたり先んじて情報を掴んでもらうためにキープしている。

 

「まぁな。とは言え、お前の脅しが効いてるのか、一時期と比べたら変なちょっかいはかなり減ったよ」

 

「そうけ。それなら良かったよ」

 

俺はそう頷いて足を伸ばす。すると、遠藤は前髪の奥の瞳を俺に向けて、ふと問い掛けてくる。

 

「それより、お前らはどうなんだよ。……聞いてるぞ、そっちもかなり大変だって」

 

はて、俺は遠藤達に俺達の世界のことを詳しく話した記憶はない。そうすると聞いたのはユエ達か……。いや、アイツらはそんな話はしないだろうから、ルシフェリア辺りが誰かに喋ったのが遠藤に伝わったのかな。

 

「んー?……ま、大丈夫だよ。アーティファクトも強化したし、アガレスっていう頼れる部下もできたことだし」

 

多重加速式のアーティファクト類にビーム兵器を模したアーティファクト。オリジナルIS───局地殲滅特化型外装もある。当然武器の類だけじゃなく、俺は俺の身体にだって手を加えている。

 

ユエやティオにも協力してもらって、変成魔法で筋肉や骨格、神経系を作り替えているのだ。更に魂魄魔法で俺に新たな固有魔法───魔力変換の身体強化を刻んでもらった。これと俺の持つ無限の魔力炉を併用すれば俺の強化の聖痕の真似事ができる。もっとも、所詮は真似事でありその全てを代替出来るわけではないのだけれど。

 

「だけど……俺達にも手伝わせてくれよ。神代達ばっかりこっちのことやってくれるけど、俺達は何も返せてない」

 

遠藤は俺の目をしっかりと見据えてそう告げる。その瞳には過信の色は無く、ただただ俺達の助けになりたいのだという意志があった。だけど───

 

「気持ちは有り難いけどな。俺達の世界の問題はあっちで生きる俺達のもんだ。……大丈夫だよ、俺達ゃ誰にも負けねぇ」

 

俺だけではない。例えばシアだって無限の魔力と身体強化があるのだから腕力勝負で負ける道理はなし。ユエに無限魔力はもう誰が何を言わなくても正しく最強の具現だと分かるし、ティオだってそうだ。ただでさえ俺の電磁加速式アーティファクトが通らないくらいに頑強な黒竜の鱗に、際限なく湧く魔力があればどんな攻撃にだって耐えられる最強の鎧になるんだ。

 

アイツらだけじゃない。モリアーティの主戦力であろうレクテイア人達に対してだって、コチラにはルシフェリアとカーバンクルというレクテイアの女神が2人もいるんだし、エンディミラやジャンヌだって戦える。

 

あの2人にも俺のアーティファクトを渡してあるからただ銃火器で武装しただけの奴らより何倍も強いんだ。

 

「……神代がそう言うんなら俺からはもう何も言えねぇよ。だけど、1つだけ言わせてくれ」

 

「んー?」

 

「俺は……俺達はお前のことを友達だと思ってる。……それだけだ」

 

遠藤の言いたいことは分かっているつもりだ。だけど、あれらはやはり俺の世界の問題で、あの世界の問題はあの世界に生きる奴らで解決すべきだと思うのだ。

 

それに、もうコイツらはこれ以上余計な戦いに首を突っ込む必要も無いと思う。いくら力があろうと彼らは所詮は平和な日本の学生であり、そんな世界を生きていくのだ。

 

まぁ、遠藤に対してだけ言えば、俺は他の奴ら程心配はしていない。遠藤の目標も俺は知っている。それは、俺には絶対に出来ない決断でもあった。

 

そんな遠藤がここまで言ってくれたのだ。俺はただ「あぁ」と頷く。それ以上の言葉は必要ない。今夜の俺と遠藤の間ではこれ以上戦いの話は出てこなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「折角皆来たんだから帰還者パーティーをやろうぜ」と、誰からともなく声があがり、何と俺やユエ達だけでなくリサやジャンヌ、エンディミラにメヌにネモ、ルシフェリアにカーバンクル、更に更に透華達までも呼び寄せた超大規模な催しと相成った。

 

当然そうなれば一も二もなく追求されるのは俺だ。ただでさえ美女美少女に囲まれている上にこんなに可愛い女の子達からも好意を寄せられているとなれば男女問わず俺を責め立てる。

 

その上女子連中はメヌ達に俺のどこが好きなのかとか、何があって惚れてしまったのか等、根掘り葉掘り取り調べていた。

 

そんな大喧騒の中、俺はただひたすらに丸まって耳を塞いでいた……のだけれどユエによって両手を塞がれて大勢の前に晒し出されたりした。

 

そんな風にして貸切にした園部の家の店で騒いでいると、これまた誰からともなく「トータスに行きたい」と声が上がる。何せ天之河が今トータスで魔物狩りをしているのだ。どうせならアイツも回収して二次会をトータスでやろうぜ、ということのようだ。

 

まぁ、トータスへの扉を開くのは今の俺ならそれほどの労力ではないことは皆知っているから気楽なもんだ。俺としてはリリアーナに会うのは気まずいので正直避けたいのだが、この世は民主主義、多数決で圧倒的に押し切られた少数派(おれ1人)は仕方なしに異世界への扉を開いた。

 

繋げた先はハイリヒの王宮……そこの俺達専用の広間だ。まだトータスと香織達の世界、それから俺達の世界を繋げる扉は置いていない。俺達は割と気軽に異世界転移しているが、本来別の世界というのは身体や衣類を清潔にして検疫も行って……別の世界の植物の種や病気を持ち込まないようにしてから渡るべきなのだ。

 

でないと未知の病気の蔓延や生態系の崩壊など、割と1つの世界が滅びかねない次元で不味いことになる。

 

そんな、渡る手段以外の諸々の問題が片付いていないためにまだ世界間を渡る門を設置できていないのだ。あれは、ほとんど誰でも好きな時に自由に世界を行き来出来てしまうからな。ちょっと海外旅行へ……みたいなノリで使えていい代物ではない。

 

で、まぁそれはそれとして一応身綺麗にしてトータスにやって来た俺達だったが、来訪を知らせるアーティファクトからの合図を受けてパタパタと迎えに来たリリアーナから告げられた一言。

 

「あ、天之河様が異世界に召喚されてしまったみたいなんです!!」

 

その言葉が、俺達をまた否応無く色んな世界で繰り広げられる騒乱へと巻き込むことになるとは、この時はまだ予想もしていなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「あれか……」

 

天之河は神域から逃げ出した魔物を狩るのだと俺の手を借りてトータスへ渡っていた。勿論それはこの1度の話ではなく、これまでも何度も行われていた。

 

と言っても長期休みや連休中に天之河をトータスに放り投げ、終わり際に回収するっていうだけだ。

 

当初は学校辞めてでも行くと言い出していた天之河だったが、マトモな学校を出ていることの重要さを感じていた俺が止めたのだ。ただ、確かに神域から逃げた魔物はその辺の魔物とは一線を画す力を持っているし、それは金ランク冒険者と言えど油断ならない……どころかあっさりと殺されかねない次元なのだ。そんなものを放っておくのは不味いので仕方なしに俺も天之河の行き来を手伝っていたし、取り敢えず近場の魔物の位置を羅針盤で教えてやる程度の協力はしていた。

 

ただ俺も自分の世界や香織達の世界でやることが多く……特に帰還から1年が経過した辺りで香織達の世界がまた騒がしくなったこともあり正直そっちの方に時間を割いていた。

 

だから天之河が戦っているのは久しぶりに見たのだけれど、随分とボロボロのようだ。今も、何人もの人間の集団を連れての移動中に黒いモヤのようなものを纏った異形の怪物共とぶつかり合いそうになり……そして向こうに頭数はいるとはいえ普段の天之河なら瞬殺出来そうな程度の奴らしかいないのに限界突破を使おうとして───

 

───ヒュボッ!!

 

俺の頭の真横を銀色の閃光が突き抜けていった。それは過たず黒い異形共を貫き分解し、消し去っていく。そしてアガレスはキチンと俺の前に立ち、そして大鉾(ザンナ・ディ・ディアブロ)を振るう。そこから放たれる空間爆砕による衝撃波で残りの異形を纏めて肉片へと変えてしまう。

 

「……香織」

 

「え?だって光輝くんが」

 

俺のジト目に香織はさして気にした風でもなく小首を傾げている。幾ら急ぎだからって俺の真横を分解の砲撃で攻撃するやつがあるか。危うく俺の頭まで消し飛ぶところだったぞ。香織の魔力は俺の氷焔之皇の効果範囲外にしているんだから気をつけてほしいのものだ。

 

「まぁいいや……。行こうぜ」

 

と、香織がこちらの事情を気にしないのはいつも通りなので俺はこちらを見上げてあんぐりと大口おっ(ぴろ)げている天之河の元へ降り立つ。

 

「か、香織!?それに神代も!それと……」

 

天之河は香織と俺を順繰りに見てそしてアガレスで視線が止まる。そういやこの2人は初対面だもんな。

 

「こちらアガレスさん。地獄の悪魔で今は俺の部下」

 

俺がそう紹介するとアガレスはフンと鼻を鳴らしてチラリと天之河の近くにいた人間に視線を移す。

 

「じ、地獄……?悪魔……?」

 

「ま、細かいことはいいじゃんね。取り敢えず帰るぞ」

 

目を点にしている天之河と周りにいた女の子やガタイの良い男共にに銀色の光が降り注ぐ。香織の再生魔法だ。それで先程まで大小怪我をしていた奴ら全員綺麗さっぱり元気になる。香織の力を知っている天之河はともかく、他の奴らはまだ現実に頭が追い付いていないようだ。

 

「……悪い、俺は帰れない」

 

だが、扉を開こうとした俺に天之河はそんな風に答える。なるほどね、またコイツは変な問題に頭突っ込んでいるんだな。ちびっ子が天之河の袖の端を掴んでいる。しかもいい加減分かってきたけど、コイツは人の上に立つことを当然のように求められ、そしてそれに応えられる奴だ。

 

「その殿下がそんなに大事か?」

 

「あぁ。けどそうじゃない。俺には救いたい人が沢山いるんだ。……例え多くの命を斬り裂いてでも生きていてほしい人達がいるんだ。だから、その人達を救えるまで……そしてそれでここから一生帰れなくなったとしても、今は帰れない」

 

天之河がエヒトに召喚されてトータスへ来た頃、コイツは浮ついていたと思う。急に強い力を与えられ、そしてそれを振るう大義名分も貰えて、だから俺にも突っかかってきた。

 

けれどその力が足りないこと、意志と覚悟の無い力に成し遂げられるものなど無いことをトータスの旅の中で学んだ。思い込みの激しさや自分こそが正義の味方であるという考えも薄れてきたと思う。それに、自身は1人ではなく、仲間がいて、例え間違うことがあっても彼らが自分を正しい道に引き戻してくれるという信頼も得たと思う。

 

その代わりにほんの少し自信を失って、それでコイツはトータスから帰ってきた。その後に中村との確執は解消できずに仲間がいれば何でもできるっていう万能感も失った。

 

「……お前は、家族も友達も捨てるのか?」

 

「分かってるよ。皆の気持ちも。けど、俺は決めた。例え大切な誰かを見殺しにしても、俺はより大勢を助ける。きっと後悔もするよ、何であの時って思うよ、もっと力があればって思うよ。けど……それでももう、何も選べないのは嫌なんだ!」

 

この世界でコイツが何を見て何を感じたのかは知らなし、知る必要もきっと無い。

 

ただコイツの瞳からは迷いがなかった。コイツは俺とは違う道を選んだんだ。俺はきっと大切なアイツらの為なら他の全ての人類を見捨てられる。だけどコイツは違う。見知らぬ大勢のためなら大切な数人を見捨てられる……いや、見捨てる覚悟がある。それで感じる後悔も流す涙も受け入れる気でいるのだろう。

 

「はぁ……。……何見てんだよ香織。だいたい、コイツはお前の幼馴染みだ。ぶん殴ってでも連れ帰るのか、放って帰るのかお前が決めろよ」

 

ちなみにここにいるのは俺とアガレス、香織の3人。雫は俺達に比べて足が遅いので置いていった。ユエ達は天之河に興味が無いのでこっちには来たけど山の中で待っている。

 

「私は光輝くんが困ってるなら助けたいよ。だから天人くんは待っててくれる?」

 

どうせ雫が追いついて来ても同じことを言うだろうってのは想像に難くない。それが分かっているから俺は大きく溜息をつく。まったくこの戦兄妹は……。

 

「そういうワケだ天之河。取り敢えず香織と……あと雫もそのうち追い付くから、そいつら2人はまぁ助けてくれんだろ」

 

「あ、あぁ。ありがとう香織」

 

「……で、一応こっちにゃ坂上と谷口も来てる。だからこの2人もオーケー。それと、一応ユエ達もいる。……それで、お前はこの世界で何を見て何を感じたんだ?」

 

そこで俺は問う。坂上と谷口はともかく、天之河に加えて香織と雫がいれば大概の問題は解決できるだろう。それも、見る限り暴力が物を言う問題のようだしな。だから、俺が手伝うかどうか、そしてユエ達の力も借りるかどうかはコイツの返答次第と決めた。特に基準は無いけれど、天之河がどんな答えを見つけたのか気になったのだ。

 

すると、さっきの幼女が俺の服の袖をクイクイと引っ張り、見上げている。

 

「あの……お姉ちゃんを助けてください!お願いします!」

 

と、ご立派にも頭を下げてそんな懇願。

 

「そりゃあ天之河の答え次第だよ。……それで、どうなんだよ?」

 

けれど俺はそんな懇願も袖にして天之河に問う。お姉ちゃんとやらは香織と雫、坂上に谷口が来ている今それほど問題ではないしな。

 

「……俺はこの世界に来て……きっと初めて意志のある生き物を殺した。彼等には生きるために人を殺す理由があったんだ……。けど、それでも俺は彼等を殺した。守りたい人を……生きていてほしいと思う人を守るために」

 

「それで?……お姉ちゃんとやらは?」

 

「モアナは……大切な人だよ。迷っている俺に手を差し伸べてくれた。酷い八つ当たりもしたのに、それでも俺を見捨てなかった。迷っている俺も肯定してくれたんだ」

 

天之河が……吐き出すように言葉を紡ぐ。それはコイツがこの世界でした経験、後悔。感じた痛み。

 

「それで、そのお姉ちゃんとやらはどうしたんだよ」

 

助けてくれというこの子の言う通りならきっとモアナお姉ちゃんとやらはさっきの黒い奴らにでも襲われているのだろう。さっきの殿下を誰も否定しないあたり、お姉ちゃんはもしかしたら王女様なのかもしれない。そんな奴の傍をこの勇者様が離れて、何をしているのかは知らないけどな。

 

「それでも俺は……1人でも多くの人を助けたい。諦めたわけじゃない。助けられるなら俺が助けたいさ!けど……っ!」

 

大事な大事なモアナ様が死ぬことになっても、それでも天之河はより多くの人間を助けることを選んだ。それがコイツの選択。さっきの言葉の覚悟。なるほどね、まったく……ここで俺がコイツを手伝わなかったらまるで俺が大悪党みたいじゃないかよ。

 

「……いいよ、ならお前はモアナって奴を助けに行きな。その他大勢は……俺達が全部守ってやる」

 

「神代……っ」

 

俺は念話でユエ達に連絡を入れる。天之河やクーネと言うらしい幼女様から聞いた情報を元に、人員を振り分けていく。幸いなことに今ここに来ている人間だけで足りそうだった。

 

「さて、お前らにゃこれぇ貸してやる」

 

と、俺は宝物庫からグリフォンというらしい伝説上の生き物の姿を模した生体ゴーレムを召喚。あの神霊世界で相対した獣達の中にこんな姿の奴がいたので後でネットで検索したのだ。

 

ちなみに最近これには()()()がいる。というか、アガレスと同じく地獄の悪魔達だ。アイツら何故か知らないが俺の元に就職を希望しやがったのだ。それも大勢。しかも戦闘機や戦車の姿じゃやりずらいってんで生き物を模した形にすることに……。

 

おかげで俺は戦車や戦闘機を模した生体ゴーレムを解体して新たに生き物を模したゴーレムを大量生産する羽目になった。仕方なしに1000倍の時間の檻の中でえんやさほいやさとゴーレムを作り、地獄の悪魔達に取り憑かせた。

 

まぁ、中の人がいてくれる方が扱いに幅が出るから便利で良いんだけどな。作るのが滅茶苦茶大変ってだけで。

 

そして、見たこともない生物のような何かに及び腰なクーネを天之河が抱えて乗せてやり、クーネの護衛だか知らないが残りの奴らもおっかなびっくりといった風でそれぞれグリフォンに乗っていく。

 

「あとこれ、渡しとく」

 

「ありがとう。これは……神水?」

 

「おう」

 

俺が渡したのは神水の入った試験管容器。コイツが使うも良し、モアナとやらに使ってやるもよし。それはお任せだ。

 

そして、天之河がコクリと頷くとグリフォンもこちらを見て頷く。はよ行けと手を振りながらそれが飛び立つのを見て俺は念の為アガレスを護衛に付けてやる。そうして俺は扉を開き、香織を連れてそれをくぐった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「じゃあさっき伝えた通りに宜しくな」

 

ちなみに坂上と谷口の所にはルシフェリアとカーバンクルを保険で置いておく以外は1人1エリア担当。戻ってきたアガレスは予備戦力として置いておく。コイツは空間魔法で移動できるからな。戦闘能力もシアとやり合えるくらいにはあるから不安もないし。

 

俺が天之河に協力するのがそんなに面白いのか、やたらとニヤニヤしていた坂上をアイツの担当エリアへ放り投げ、それに谷口とルシフェリア達が付いて行ったので俺はユエ達に改めて声を掛ける。

 

「……んっ」

 

「やったるですぅ」

 

「応とも」

 

「任せて」

 

「えぇ」

 

それぞれが頷き、俺は扉を開いていく。そうして最後の雫を送り出した俺も、自分のエリアへと扉を渡った。

 

敵は最低限の統率を保った数千の集団。意志があり、理性があり、知性があり、生きるために人を喰らう理由がある。だが、それが何だと言うのだろう。これはイデオロギーのぶつかり合う戦争ではない。ただの生存競争だ。獣畜生と見下すことはない、けれど道を譲ってやる気もない。戦わなければ生き残れないのだから戦う。できれば生きていてほしい奴が戦うというのなら仕方ない。気の合う奴ではないけれど、無関心と言うには放っておけなくて、嫌いと言うには眩しく見える。そんなアイツが(おの)が道を見つけたと言うのだから、その行く末を見守ってやるくらいはしてやろう。

 

───これは、その最初の1歩だ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

巨大な獅子が爪と牙で異形を切り裂き、口腔内から放たれる砲撃で逃げ惑う黒い敵を撃ち砕く。

 

空からは大鷲やグリフォンが地上目掛けてミサイルを撃ち込み地面が捲り上がる。

 

6本の足と4本の腕を持った怪物が腰に抱えたガトリング砲を放ちながら手に持った刃ですれ違い様に異形の肉体を2つに分けた。

 

初めての実戦投入だったが、悪魔を中に据えたゴーレム軍団の戦闘能力は中々だ。敵の強さも最初の試験と考えれば上々。

 

俺の作った生体ゴーレムin悪魔の軍団は、基本的に俺が最高司令官となり地球でもそれなりに名の知れているらしい──よくゲームとかで見る名前の奴ら──がそれぞれ部隊を持ち、さらにその下に名前の無い悪魔達が従っている形だ。ちなみにミュウの元にいる7柱の悪魔達は別枠。あれはミュウに心酔してるみたいだからな。あれはあれで別運用の方が楽だ。

 

結局、俺は自分の担当エリアを全部ゴーレムに取り憑いた地獄の悪魔達に任せて終わらせた。

 

しかしこれ楽だな。地球じゃロクに使えないやり方だけど、場合によっちゃありかもしれない。特に最近は香織達の地球で戦うことも多いから手札が多いに越したことはない。

 

あと、例に漏れずコイツらにも名前を付けろと言われているけど……要るかな?各部隊なんてそっちのボスが付けてやればいいし、俺としては悪魔ゴーレム軍団くらいの感覚なんだよね。別にそんな格好良い名前必要無いでしょ。

 

っていう話をしたらユエどころかシアとティオにまでジト目を食らってしまった。面倒臭いので名前は後で考えると御為倒して保留で放り投げた。

 

だってねぇ……。なんか恥ずかしくない?そういうの。

 

 

 

───────────────

 

 

 

天之河光輝とは、自分以外の誰かを守る時にこそその力を発揮する人間だ。いや、それは何も特別なことではないのかもしれないけど、それでもコイツはそうなのだ。だから神話大戦の前にオスカーの隠れ家で天之河を散々ぱら追い詰めた時には出来なかったことが、神域で中村恵里とアイツが率いた魔物の集団を相手にした時にだけ発動した力があるらしい。しかもそれは、結局トータスで神域から逃げた魔物を狩っている時には使えず、そしてさっきモアナを守るための戦いでは発動することができた。

 

そして、香織や雫への執着をようやく捨てられ、大切な人(モアナ)を見つけられた天之河は、きっとこれからも迷い、後悔しながらも進んでいくのだろうと思った矢先───

 

「んー?」

 

俺と天之河の頭上にまるでブラックホールのような孔が現れた。しかもそれは俺達をその穴の中へと引っ張り込もうとする。

 

「神代……これ……」

 

「あぁ……」

 

あ、これ絶対異世界召喚じゃん……っていうのは直ぐに理解した。誰がどこに俺達を呼び出そうってのかは知らないが、正直相手にしてられない。だから俺は氷焔之皇でこの召喚の孔を消してしまおうとしたのだが───

 

「あ……?」

 

消えない。まさか聖痕の力なわけはないだろうし、そうなるとこれは世界の意思による召喚ということで……。

 

「か、神代?」

 

天之河が不安げに俺を見る。まるで急にハシゴを外された奴の表情だ。しかももう俺達の身体は半分くらい浮き上がっている。越境鍵を出している暇はない。これは……こうなったら───

 

「行くしかねぇか……」

 

「えぇ!?」

 

もう間に合わない。俺達は急に現れた孔に吸い込まれるようにして砂漠の世界からその姿を消すことになった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

視界が晴れると飛び込んできたのはまず喧騒だった。何やら人が騒いでいるようだ。見渡せば、30人くらいの大人の男女がいる空間なのだが、大半が気絶しており、辛うじて意識を保っている奴らも「失敗だった!」とか「もうお終いよ!」とかまるでこの世の終わりのように絶望している。まったく意味が分からない。きっと召喚そのものはコイツらが行ったのだろうが、最後には世界の意思が介在していた筈なのだ。

 

だからコイツらには何か危機が迫っていて、その助っ人として誰かを呼び出そうとしたはずなのだ。確かによく見れば、俺と天之河の召喚されたこの地点を中心に爆発が起きたことは直ぐに分かる。機械……そう機械だ。今までのファンタジーな魔法陣とかではなく、PCのようなものやケーブルなどが散乱している。

 

「やっぱり……」

 

氷焔之皇で召喚を中断できなかった時点で何となく分かっていたけれど、越境鍵を虚空に刺そうとしても全く刺さる気配がない。俺たちを召喚しようとしたはずの奴らは何故かこっちを無視しているのはよく分からないが。

 

「あ、あんた達は一体何者なんだ……?」

 

天之河は気絶した奴らの介抱に向かっていた。そこで俺に話し掛けてきた声が1つ。見れば歳の頃は40歳くらいだろうか。顔も手も着ている服も機械油や皮脂脂で汚れ、髪はしばらく風呂に入っていないかのように不潔な光り方をしていた。

 

さて、一体どう答えたものかと俺も天之河も頭を悩ませるが、その少しの空白の間に向こうでは勝手に話が進む。ジョウカイだの楽園だのと俺達の出自が勝手に脚色されていくが、暫くは勝手に喋らせておこう。どうせこの世界も危機を迎えていて、それで俺達を呼び出したのだろうから、その危機が何なのかコイツらからお話してくれるならそれでも構いやしない。

 

「な、なぁ神代」

 

「んー?」

 

すると、天之河が小声で俺に耳打ち。

 

「お呼びじゃないらしいし、帰らないのか?」

 

「……鍵が刺さらねぇんだよ。多分、俺達を召喚したのはコイツらだけど、それにはこの世界の意思か何かが関わってる筈だ。……多分コイツらを助けてやらねぇと帰れねぇ」

 

という俺の言葉に天之河が「それってどういう……」と、疑問を口にしかけて直ぐに閉じた。ガチャガチャと響く音。金属のぶつかる音で、きっとここに来るのはろくな奴らじゃないんだろうなというのが他の奴らの声で分かる。しかもほとんど全員直ぐに逃げていったし。ただ1人だけ殿のように残った最初に俺達に正体を問うた男は───

 

「……ちょっと寝てろ」

 

邪魔なので蹴り飛ばして機械の残骸の山の中に埋めておく。さっきから音がする割に気配感知には引っ掛からないのだ。ということはこれから来る奴らは人間どころか生き物ですらないってことで……そんな得体の知れない相手に喧嘩ってなったら、この一般人は邪魔でしかない。

 

「……まだこっちに来るには時間がありそうだから少し話しとくぞ。……まずこの世界じゃ俺ぁ聖痕を使えない。理由は知らんが閉じられてる。それに、魔力も雲散霧消して魔法がろくに使えねぇ。音はするのに気配感知に引っ掛からねぇってことは下から来るのはロボットで、アイツらの言葉からしたら親玉が別にいる。それとこれは魔力の霧散に関わらずだが、越境鍵は使えない。理由の説明はもう少し落ち着いたらしてやる。逃げる前に追っ手を潰したいから今から戦闘になる。準備しろ」

 

と、俺は一息に共有すべきことを全て話しておく。すると天之河も覚悟を決めたのか神妙な顔で頷いた。幸いなことに俺達はさっきまで戦闘をしていて、おかげで俺のジャケットの裏には予備弾倉が何本かあるし電磁加速式拳銃もホルスターに収められている。本当は多重加速式の方が火力は出るし実戦で扱い慣れたいのだけれど、これだけ魔力が雲散霧消するとなると神代魔法の連発は疲れる。だったら取り敢えず手に慣れた方を使っておくべきだろう。

 

それと、トンファーも出したが、これに付与されている魔法も多分そう簡単には使えないだろう。どうやらライセン大迷宮と同じように瞬光みたいな体内にのみ影響する魔法はいつも通りに使えるみたいだが、宝物庫を開くのですら相当な魔力消費なのだ。俺は神水の試験管を3本天之河に渡すとそれで召喚は一旦終わりにする。

 

そして現れたのは人型のずんぐりむっくりなロボットが30体。だが、俺と天之河の敵ではない。そもそも電磁加速のしていない銃弾が通り、天之河の聖剣で斬れる程度の敵なら何ら問題はないのだ。だからこのロボット達を全て潰すのにそれほど時間は掛からなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

外へ出る道中、流体金属で構成されたヒトデみたいな追っ手にも襲われたが、どうやら地下にあったらしいこの施設と外を繋ぐ猿梯子を駆け上がりながら下にトータス製の手榴弾──神話大戦に備えて色々作ってた中の1つ──を放り投げてヒトデ共を潰しておく。その召喚の際には懐に手を入れていたから多分宝物庫の存在はバレていない……ハズ。

 

バックルのワイヤーで縛って連れてきたあの男……他の奴らとの会話からジャスパーという名前らしいコイツは、そこでようやく気絶から目覚めた。しかしさっきの奴らも──道中で誰かに惨殺されていたが──コイツも衛生的に宜しくない環境にいるだけでなくあまり栄養も取れていないようだ。それも、殺された奴らも含めた平均身長からするときっと子供の頃からずっとだ。

 

しかもせっかく外に出たというのに聖痕は閉じられたままだし魔力は霧散するし景色はほぼスクラップの山に覆われているし。

 

まったくろくな世界じゃないな、ここは。

 

しかもこのジャスパー、分かってはいたが教養も俺以上に無いようで、召喚装置の組み立てはどこからか聞こえてくる声を頼みに作ったとかで、発電という単語すら知らない始末。

 

という話は、道中歩きながらジャスパーから聞き出した。その合間にも空から機械の兵隊が降ってきたのでゴミ山に隠れたりと忙しない。

 

しかしジャスパーから聞けた情報は、この世界を理解するのにそれなりには有益だった。ゴミ山の向こうにある霊峰コルトラン……マザー……上界と下界で分かたれた人類。

 

その下界ではその日にやること、飲む水の量、食事の量……全て決められているという。なるほど、徹底したディストピアってやつか。しかも、どうやらこの世界はそのマザーとやらが管理する霊峰コルトラン───またの名を要塞都市コルトランによって秩序を、一時の安寧を保っているようだ。どうにも外からの侵略者って奴がいて、マザーはそれから人類を守ってくれているらしい。

 

そんな話を、俺達は再び地下に入ってから聞いた。ここからトロッコで──当然運転の仕方はジャスパーもマザーとやらから聞き齧っただけ──下界の町の中へと向かうらしい。だが───

 

「神代、暫くこの地下に留まるか?」

 

天之河は俺にそう聞いてきた。そして俺はそれに頷く。

 

「そうだな……。その方がいいか」

 

町中に出てこの世界の支配者の視界に入るリスクを負うよりはこの誰の目も届かないような地下で準備を整える方が得策だろう。

 

「ジャスパー、俺達ゃ山頂に行く。その準備を整えるからここに残るよ」

 

「なっ……死ぬ気か!?」

 

「んー?……まさか。俺達の目的は帰ることだ。アンタの言う楽園にな。そのために無駄な寄り道はしてらんねぇ」

 

「だったら……楽園の主を探した方がいいだろ!上界に行くなんて自殺行為だ!」

 

コイツは知らないことだが、俺達の召喚に世界の意思が関わっている以上はどっちにせよ俺達は上界とやらに足を踏み入れることになるのだ。それが遅いか早いかの違いでしかなく、それなら俺は最も早いルートを選ぶだろう。

 

「それで?自分も楽園に連れて行って欲しいのか?……悪いけど、家族が待ってるんでね。最速で終わらせる」

 

天之河の魔力も神水がある以上回復には手間取らない。それに、どんなに魔力が散らされようと全く機能しないわけじゃないのだ。ならば俺は永遠に廻る天星の出力に任せて戦えばいい。俺達が生きて帰るにはこの世界をどうにかしてやらねばならないのだから、ジャスパーのお願いを袖にしたところで心を痛める必要も無い。

 

だから俺達はここで降りる───そう言おうとしたその時……

 

「あぁもう……」

 

後ろから物音。というか、あのロボット兵士──機兵と言うらしい──が迫る音が聞こえる。明確にこちらを捉えているってわけじゃなさそうだが、()()()は付いている……そんな感じだ。

 

「ジャスパー、逃げるぞ」

 

「あ、あぁ!」

 

と、ジャスパーが素早くハシゴを昇っていく。その後を俺と天之河が追随し、そしてまた地上に戻った俺達はジャスパーの先導のもと民家の壁を外したり裏通りを何度も曲がったり人混みに紛れたり……秋葉原ですらもうちょい簡単に歩けるよと言うくらいには七面倒臭い逃走をし……そしてその甲斐あってか追っ手を突き放すことに成功したようだ。

 

そして辿り着いたのはジャスパーの暮らす家。そこでは何人もの孤児達とジャスパー、それからミンディという20歳くらいの女が身を寄せあって暮らしているようだ。

 

ちなみにそこで天之河が即座にイケメン面を発揮したので俺はそれをこっそり録画しておいた。後でモアナやクーネと言った天之河に好意を持っている女子達に見せてやろう。きっと面白いことになる。

 

 



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機械仕掛けのディストピア

 

 

寿命処理、禁忌……聞かされた話はどれもこれも胸のすくような話ではなかった。そして、それを聞いて確証こそないものの俺の中で1つの仮説が確信に変わる。

 

つまり、この世界を守護しているマザーこそこの世界の危機を作り出した張本人であると。そして、あのヒトデの外敵はマザーがこの完全支配の王国を作り上げるために用意した虚仮の侵略者。要は全てがマッチポンプ、本当に救いようのない結末なのだろう。まるでトータスのようだ。

 

けれどそんなことは俺には関係が無い。どうせこの世界を変えなきゃこの世界から出られないのだ。ならば敵が誰だろうと関係無い。むしろ、どこにいるのか分かりやすくて助かるよ。

 

そして、俺の確信が確証を伴う。

 

いきなり声が聞こえたのだ。そこから逃げろと、敵が来ていると。それはジャスパー曰く楽園の主───つまり俺達をこの世界に呼び出した黒幕。しかも面割れしているのは俺と天之河だけでなくジャスパーもと言うのだ。だがジャスパーは機兵との戦いの時にはガラクタの山の中にいて、顔なんて分からなったはずだ。アイツの顔が晒されたのはあの流体金属のヒトデとの戦いの時だけ。その時の映像データをマザー率いる機兵が持ち合わせているってことは、アイツらは裏で繋がっているってわけだ。

 

さて……仕方なく俺達は2手に別れる。俺と天之河、それからジャスパーとその家族だ。ジャスパー達の誘導は楽園の主とやらに任せる。と言うか、ジャスパー達を巻き込んだのはアイツなのだから、アイツが責任持って最後まで助けろってんだよ。その代わり、俺達は陽動。機兵達の注意を一手に引き付けジャスパー達が逃げる時間を稼ぐ。

 

さて、陽動と言うのなら派手にいかなけりゃならないよな。俺は逃げながら召喚しておいた電磁加速式重機関銃を腰だめに構える。そしてそこに思いっ切り纏雷のための魔力を注ぎ込みながら引き金を引いた。

 

異世界の魔法と鉱石、それと現代技術の相の子(ミックス)である銃火器がマズルフラッシュを閃かせる。それは無数の紅い閃光を伴って空に浮く機兵を蹂躙していく。聞き慣れない銃声と機械の破壊される音に下界の人間達がゾロゾロを出てきては俺を見上げている。ついでだ、もう1つ派手に()()()()やろう。

 

「あぁ?何見てんだよ、見せもんじゃねぇんだ!さっさと失せねぇとぶっ殺すぞ!!」

 

なんて、思ってもない殺意を撒き散らせばそれを真に受けた奴らはこぞって悲鳴を上げながら逃げ惑う。化け物だの侵略者だの散々な言われようだがこれでいい。これでコイツらは俺達とは繋がりのないただの一般市民になったのだ。

 

「おし」

 

「これで満足気な顔をするお前は本当に魔王だよ」

 

なんて、天之河から嫌味を言われるけどコイツだって俺のこれがただのポーズであることは分かっているから、ちょっとジト目を食らわせるだけでそれ以上何かを言うことはなかった。

 

俺は機関銃を左腕に抱えたまま右手には電磁加速式拳銃もホルスターから抜いておく。

 

そうして天之河を引き連れながらその場を離れ、そして時折襲ってくる機兵を斬り捨て撃ち抜いていく。

 

「神代……ジャスパー達は大丈夫だよな?」

 

「さぁな。楽園の主さんは少なくとも全力で助けようとはするだろうけど……有能かどうかは別の話だよ」

 

アイツはきっとこの世界をマザーの支配下から逃れさせたくて俺達を呼ぼうとした。だからきっとジャスパー達を見捨てることはないだろう。けれど、その意志と結果が釣り合うかどうかは……全く別の話なのだから。

 

「そんな……」

 

そんな話をしている間にも機兵は続々と飛んでくる。俺達はそれを打ち砕き、斬り裂いて進む足を止めない。まだ越境鍵は使えない。時折ジャケットの内ポケットに収めた鍵に魔力を注いでいるのだが、全く反応が無い。まだ世界は俺を認めていない。

 

「……安心しろ、一旦逃げ切ったらアイツらの安全は保障する。それまでジャスパー達が死ななけりゃあな」

 

「それって……」

 

───どういうことだ?

 

とでも言いたかったのだろう。天之河は頭に疑問符を浮かべていた。だがその疑問が口を出ることは無かった。何故なら───

 

「助けてくださいっ!異界の戦士様!!」

 

「…………」

 

「え?」

 

楽園の主とやらからSOSが発せられたからだ。遠見の固有魔法で見れば、500メートル先でジャスパー達が機兵に襲われている。どうやら楽園の主の用意したコードやルートを読み取られたようだ。そしてジャスパーが機兵に撃たれた。だがまだ助かる。俺ならその手札がある。

 

俺は電磁加速式拳銃をホルスターに仕舞い、対物ライフルを召喚。電磁加速をもってして超々音速に至った弾丸でジャスパー達を襲撃している機兵を撃ち抜く。更に天之河が一気に駆け出し、ジャスパー達と機兵の間に割って入る。そして3体の機兵を一息に両断。俺も対物ライフルで機兵共を打ち砕いていく。

 

しかも、空から襲い掛かってきた機兵に対し、天之河は聖剣を50メートルも伸ばして両断したのだ。え、それそんなに伸びるの……?こわ……何それ知らん。

 

だが惚けている暇はない。続々と機兵は集まってくるのだ。俺もライフルと機関銃を仕舞いながらその場を飛び出してガトリング砲を構えた機兵を拳で殴り潰す。そしてミンディに神水の入った試験管を投げ渡す。

 

「ジャスパーに飲ませろ。助かる」

 

何やら慌てふためきながらもジャスパーの元へと向かったミンディは放って、俺は両手に拳銃を構える。久々の二丁拳銃(ダブラ)だな。機兵の数は100以上。けど問題は無い。ここにいるのは異世界の勇者と魔王。負ける道理なんて存在しない、そんな理不尽は全て捩じ伏せる。

 

戦いの狼煙は、俺の両手から放たれた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

───G10(ジー・テン)

 

別に、地球の中でも大きな国───先進主要10ヶ国のことではない。これは楽園の主の名前……もっと言えばコードネームとか開発番号とか型番とか、そんな味気無いものだ。

 

機兵共を叩き潰して逃げ仰せた俺達を再び地下に導いたのがコイツ。バスケットボール大の大きなの金属の玉。ただし自力で浮遊可能。しかも喋る。そしてその正体は高度なAI(人工知能)

 

で、コイツの隠れ家へ向かう道すがらに話を聞く限り、やはりマザーはマッチポンプでこの世界を理想郷(ディストピア)として支配している張本人のようだ。俺の推測──あの流体金属とマザーは同一の側にいる──も正解とのこと。

 

「そこまで分かってたなら教えてくれてもいいだろう?」

 

と、天之河に睨まれる。ジャスパーは自分達を守ってきてくれていたはずのマザーが実は敵で……しかも侵略者までマッチポンプだと聞いて取り乱していたが、今は落ち着きを取り戻しているみたいで、俺達の話を黙って聞いている。

 

「G10からジャスパーまで面割れしてるって言われるまでは物証無かったからな。それに、色々込み入った話もしたかったし……」

 

本当はジャスパー達のいないところで話したかったのだがもうこうなっては仕方ない。天之河とも共有すべき情報だし、この楽園の主(G10)からももっと情報を引き出したいからな。全てぶっちゃけるか。

 

「さて……取り敢えず天之河よ……俺ぁ実は魔力の制限が無いんだ」

 

まず天之河がずっと疑問を抱えていたであろうことに答える。俺が宝物庫からアーティファクトを出し入れする度にコイツは疑いの目を俺に向けていたからな。

 

「色々あって俺ぁ無限に魔力を生み出すことが出来る。越境鍵が使えないのは本当だけどそれは別の問題。宝物庫も固有魔法の制限も無いんだよ」

 

どちらにしろ効率は滅茶苦茶に悪いけど、と付け足す。それを聞いて天之河は「それでももっと色々出来ただろう」と言いたげな顔をしている。

 

「ま、言いたいことは分かるよ。必要なら力も使うけどね。ただ、敵の正体が分からないうちはある程度手札は隠しておきたかった」

 

現状、俺を魔王たらしめている究極能力である氷焔之皇は使い物にならない。科学技術に全振りで超常の力の働いていない敵ばかりなのだ。多重結界はあるが魔素の働きも阻害されていてどれだけ上手く働くのか分からないし。敵の姿形も力も分からない以上、ギリギリまでこっちの全力も伏せておきたかった。

 

「それで……鍵が使えない理由だけど、この召喚には世界の意思が含まれてるからだと思う」

 

「世界の、意思……?」

 

「世界にはおおよそ決まった運命がある。しかしそれには個人の命運は含まれていない。これがまず前提。……んで、この世界はきっと最後には人間が支配する世界になる。それがこの世界の運命……だと思う。けど多分、この暗黒郷(ディストピア)もまた運命の一部だ。これを経ることがきっとこの世界のルートなんだろうな」

 

でなければこの世界はこんな風にはならないはずだ。この世界の人間には世界の運命は変えられないのだから。もしくは、今のこの世界は何らかのバグが起きているのか……。

 

「そして、外から呼ばれた奴がこれを解決する……きっとここまでが決まった運命」

 

「と言うことは……俺達は絶対にマザーに勝つってことか?」

 

「いいや……世界の運命に個人の命は関係無い。しかも世界は気が長いからな。現状こん世界は直ぐに壊れるほどに歪んじゃあいない。奇しくもマザーとやらが果てのないディストピアを作ってくれたからな。だから俺達が死んでもまたそのうち世界は新しい異分子(イレギュラー)を見繕ってくるんだろうよ」

 

だからこそ油断ならないのだ。この世界にとって俺達は使い捨て……どころかここで失敗しても次の機会にまた誰か別の奴を連れてくればいいという程度にしか思われていない。お前の代わりなんていくらでもいるんだからなってやつだ。

 

「で、G10よ。マザーの正体とやらはお前と同じAIでいいのか?」

 

「はい、神代様。マザーの正体は───」

 

 

 

───────────────

 

 

 

G10から聞かされたマザーの正体、そしてこの世界が歩んできた歴史……。ジャスパーを選んだ理由。それらを聞いて天之河がG10に問う。

 

「……G10、君は肉体の機械化が出来ると言った。……教えてくれ……寿命処理って言っても30歳は若すぎる。……マザーが行う、寿命処理ってなんだい?」

 

そう、それは俺もずっと気になっていた。最初にジャスパーの町に入った時、明らかに年寄りがいないから疑問だったのだ。だが子供はいた。それもそれなりの数だ。決して衛生的な環境ではなかったが、小さな子供がそれなりの数いるってことは疫病が流行っているわけでないだろうと俺はあの場で結論付けたのだった。そしてジャスパーから寿命処理の話を聞かされ、景色には納得した。だが30はいくら何でも早すぎる。これも俺がマザーのマッチポンプを疑う1つの要因ではあったのだ。だが、G10から語られた寿命処理の本当の理由は───

 

──全ての機兵の頭脳には人間の脳みそが使われている。寿命処理とは、彼らの脳みそを機兵に移植すること──

 

「ゔ……おぇぇぇぇぇ」

 

それを聞いて天之河は嘔吐した。自分が人間を沢山殺したのだと思ってしまったのだ。俺は天之河の吐瀉物を絶対零度で消し去りつつペットボトルに入った水をやる。

 

「……殺されて機兵にされて、そいつは納得するのか?」

 

「いいえ、神代様。そういう問題ではありません。寿命処理を施される段階で肉体だけでなくエピソード記憶も完全に破壊されるのです。人は……記憶なくして個人ではいられません。光輝様の行いは、一種の救いなのです」

 

なるほど、人間の脳みその処理能力だけを使いたいってわけか。そして、それをある程度発揮させるために30年間生かして発達させる。気持ちの良い話じゃあねぇな。

 

「天之河、人間の脳みそだって所詮は電気信号のやり取りだ。コンピューターとさしたる違いはねぇ。たかだかピンク色の半導体を叩き斬ったくらいで気に病むこたぁねぇよ」

 

「神代は……気付いていたのか?」

 

「まさか。寿命処理にゃ何か秘密はあるだろうとは思ってたけど、俺の予想の100倍は気分の悪い話だったよ」

 

30歳じゃさすがにそうそう孫までは作れない。しかも念のいった思想教育や敢えて学問から遠ざけて教養を奪っているのだ。頭の足りない奴らばかりにしてかつ若いうちに回収してしまえばこの世界の有り様に疑問を持つ奴は少なくなる。管理のためにそのサイクルを早くしているのだろうと俺は思っていたのだ。だがマザーのやり方は、俺の想像よりももっと質の悪いものだったようだ。

 

「ま、今の話聞いてそうやって自分のしてきたことを疑えるのは良いことだぜ。自分の正しさを疑うのは……結構難しいからな」

 

昔の天之河にはできなかったことだ。きっとトータスに来たばっかりのコイツなら何らか自分に都合の良い設定を勝手に付け加えて自己正当化を図っていただろう。けれど今のコイツは自分のしてきたことを疑える。それはとても難しいことだ。俺のように、それでも敵なら砕くと一切合切振り返ることなく進む奴よりも余程上等だ。

 

「さてと……じゃあジャスパー達は一旦ユエ達の方に送るか」

 

ここだっていつまで安全なのか分かったものじゃない。下手に回収されて人質にされても面倒だ。さっさと安全な世界に飛ばしてしまおう。

 

「鍵は使えないんじゃないのか……?」

 

「んー?だからこれから使えるようにするんだよ」

 

どうやって?という疑問が隠せていない顔の天之河は放って、俺はジャスパー達とG10に向き合う。

 

「俺は……俺達は必ずこの世界をマザーから人の手に取り戻す。この場でお前達にそれを誓うよ」

 

「神代様……」

 

「神代さん……」

 

これは宣誓だ。ジャスパー達にではない、この世界そのものへの宣誓。だからここからは逃げないよと、世界の隔たりを繋ぐ扉を開けさせろという世界への要求。そしてそれは……どうやら承認されたらしい

 

「……いける」

 

俺は羅針盤で特定したあの砂漠の世界……ユエ達のいる場所に繋がるように越境鍵を回す。俺の中の永遠に廻る天星(アンフィニ・リュミエール)が凄まじい勢いで回転する。確かにこの世界はあの砂漠の世界からも遠いが、それに輪をかけて莫大な量の魔力が消費されていく。これを全部衝撃変換で衝撃波に変えたらきっとここの下界くらいは更地に出来るだろうというほどの魔力を注ぎ、そして鍵は回る、世界は繋がる。

 

開かれる扉、まるで光の膜のようなそれの向こうにユエ達はいた。どうやら皆でゆっくりお茶会を開いていたようで、皆目を見開いている。特にモアナとクーネなんかはこれの経験が無いからか腰を抜かしないか心配になるな。

 

「ユエ、シア、ティオ、アガレス、ちょっと手伝ってくれ」

 

俺がそう4人に願えば彼女達は直ぐ様こちらへ渡ってきた。

 

「なんじゃ、我のことは呼ばないのか?」

 

「カーバンクルも戦える」

 

「んー?あぁいや、ルシフェリアとカーバンクルは待っててくれ。……香織達も、そっちで待っててくれ」

 

するとルシフェリアは何かごちゃごちゃ言っていたが、取り敢えずカーバンクルと香織は分かったと頷いた。そして───

 

「ジャスパー……お前らは向こうに行っててくれ。向こうならマザーの手も届かねぇだろ」

 

俺は扉を開けたままジャスパー達にそう告げる。G10の異世界召喚システムは独自のものらしいから別の世界に逃げてしまえば追っ手は来ないだろう。だが、数秒俯き……そして顔を上げたジャスパーは

 

「悪い、神代さん。俺達もこっちに残ってもいいか?」

 

そう、強い意志の篭った瞳をして告げた。

 

「……なんで」

 

「神代さんの言いたいことは分かるよ。ここがマザーに突き止められて、人質にされる可能性があるんなら、一旦安全な世界に逃げて、そして全部終わったら帰ってくるって。けど、さっきG10も言ってただろう?……俺は抗う者だ。もしかしたら何も出来ないかもしれねぇ、ただ足を引っ張るだけになるかもしれねぇ。それでも、この世界の……俺達の世界の行く末を、自分だけ安全な場所で眺めてるなんてできねぇよ」

 

そう語るジャスパーの瞳はまるで燃えているように輝いていて、俺は思わず頷きそうになる。

 

「兄さんだけを残したりはしないわ」

 

しかも、ミンディまでもがそう強く頷いたのだ。その上子供達までここに残ると、何も出来なくても、せめて安全地帯にただ逃げるだけのことはしたくないと言うのだ。

 

「……それで、どうするの?」

 

と、ユエが俺に問いかける。その瞳はどこか悪戯心を孕んでいるようで、まるで俺を試しているかのような声色だった。

 

「……分かったよ、ならお前らもここに残れ」

 

仕方なしに俺はそのまま扉を閉じる。再び世界と世界の隔たりが横たわる。

 

「……あ、忘れてた」

 

だが俺は1つ向こうの世界に忘れ物をしていたことを思い出した。そしてまた馬鹿みたいな量の魔力を注いで扉を開く。全員から「コイツは何をしているんだ……」という目線を頂戴するがそれは放って俺は扉から顔を覗かせる。

 

「あ、モアナいる?……いたいた、あのさぁ、さっき天之河が初対面のお姉さんのことナンパしてたー。んじゃ」

 

「えっ───!?」

 

俺は言うだけ言うとそのまま扉を閉じる。向こうからモアナの黒い雰囲気が漂ってきたけどそれも世界の隔たりを越えることなく途切れた。

 

「よし」

 

「何も良くない!!なんてこと言ってくれたんだ!?根も葉もないデマじゃないかっ!!早くもう一度扉を開け神代っ!モアナの誤解を解かなきゃ!」

 

振り向けば天之河がキレ散らかして俺の肩を掴んで揺さぶってくる。その顔はもう必死の形相だ。

 

「えぇ……だってお前、ミンディが……」

 

と、俺は一部始終を録画していたスマホを取り出し、天之河に証拠動画を見せてやる。ジャスパーの家に着いた時、天之河がミンディに優しく声をかけてミンディが"ポッ"とした時の動画だ。

 

「おまっ……いつの間に!?」

 

「帰ったらちゃんとモアナとクーネに見せてやらなきゃな。もちろん音は消して」

 

会話の内容はそれほど変なものでもないけど、逆に音が無ければ天之河がそのイケメン面を使って初対面の年上お姉さんをナンパしているように見えるからな。情報とは、こうやって使うんだよ。

 

「くっ……今すぐ消せっ!!」

 

「やだねー」

 

と、俺はそのスマホを宝物庫へ放り込む。そうすればもう天之河はこれに手出しは出来ない。

 

「ぐぅ……なら仕方ない、この戦いが終わったら神代を暗殺するしか……っ!」

 

物騒だなおい。けど天之河よ、言葉には気を付けろよ?お前の後ろでユエ達が色々構えてるから。

 

「……神代だって、ミュウちゃんと娘がいながらリスティを新しい我が子にしてたじゃないかっ!」

 

で、それを察知した天之河は物理的に俺を排除するのは無理と見てかユエ達に俺の処断をさせる方向にシフトしたようだ。急に名前を出されたリスティはリスティで凄い勢いでこっちを向いているし。目がランランと輝いている。ユエ達がリスティを見てから俺を見る。アガレス以外がドン引きだ。

 

「我が子にしたんじゃない!我が子のように面倒を見ただけだ!あとどうせそのうちユエ達ともちゃんと子供作るんだからセーフ!!」

 

なにをー!なんだとー!と、ドッタンバッタン大騒ぎ。取っ組み合い掴み合い……そんな最底辺の争いが結局俺がシアにジャーマンスープレックスを喰らい、天之河がアガレスに押さえつけられるまで続いたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……それで、どうするの?」

 

大型のソファーを召喚し、そこに寝転がった俺の頭を自分のフトモモに乗せたユエがそう問う。ユエの細い指が俺の髪を梳く感覚がこの上なく気持ち良い。この世界の情報共有は既に終わらせた。目的も伝えた。だから、後はそれをどうやって行うのか、という部分だ。

 

「……その前に1つ聞いていいかな」

 

「んー?」

 

だが、そこに天之河が割り込んでくる。ユエは俺との会話を切られて少し不機嫌そう。天之河もユエのそのジト目にちょっと怯むがそれでも直ぐに取り直して言葉を続けた。

 

「この世界は魔力が霧散するのに、ユエさん達は大丈夫なのか?」

 

「んー?……あぁ、そういや天之河知らなかったっけか」

 

永遠に廻る天星(アンフィニ・リュミエール)と同時に作成されたあの小さな星。あれは一旦鍵のアーティファクトに収まったのだが、まだアーティファクト以外の面で、実際に世界を繋ぐ運用の調整が出来ていない。だから鍵に収められていた星々を取り出して、取り敢えずユエとシアとティオの魔力炉として使うことにしたのだ。それぞれペンダント型のアーティファクトに収められて3人の胸元で輝いている。ただ、普通に填めるとあまりにも大きすぎるのでそこは空間魔法を使って先っちょだけ出るようにしていた。

 

それらを総称して守護天星(システム・ソレール)と言う……らしい。名付け親は俺ではない。しかも太陽系(システム・ソレール)って言ってる割に現状使っているのは3つだけだし。

 

「何をだ?」

 

「いやな、俺ぁ今魔力が無限に出せるって言ったろ?あれ、まぁアーティファクトでやってんだけどさ、それの少し小さくて、でも魔力は無限のやつ、ユエとシアとティオにも渡してあるんだよ」

 

確かに初級魔法ですら最上級魔法レベルの魔力を要求される厳しい世界ではあるが、魔法が完全に無効化されるわけではないのだ。だから無限に湧く魔力にものを言わせて強引に強力な魔法を使うことも、今の俺達なら可能だったりする。ま、身体強化のような魔力が体内で完結する魔法であれば普段通りに使えるから、シアにとってはこの世界は他の奴らよりは比較的戦いやすいんだろうけど。

 

「アガレスは俺からの魔力供給があるからこっちも実質制限無しってわけよ」

 

「とんでもないものがとんでもない人達に渡っている!?」

 

天之河が戦慄に震えている。まぁトータスでユエと少しは一緒の戦場にいたんだ。ユエに無限の魔力っていうのがどれほど恐ろしいか、少しは想像も付くだろう。とは言え、きっと天之河の想像以上にヤバいのが魔力制限無しのユエ様なんだが。

 

「ちなみに、アガレス……さん?はどれくらい戦えるんだ?そこらの暗き者くらいなら全く寄せつけないくらいには強いんだろうけど」

 

天之河がアガレスの戦闘を見たのはあの砂漠の世界での一瞬だけだ。あれだけでもそれなりに強さの程は分かるだろうが、それでもまだまだあの程度はアガレスの本気とは程遠い。

 

「んー?アーティファクト無しでシアとやり合える」

 

しかも肉体強度はあの地獄で出会った時よりも増しているからな。魔力の霧散現象が無ければこいつ1人でも機兵の100や200なら余裕で蹴散らせる。

 

「化け物じゃないか!?……え、神域にでも乗り込むのか!?」

 

アガレスは天之河にはそれほど興味が無いのか丸っと無視しているが、こっそり化け物呼ばわりされたシアがイラッとした顔で拳を握り締めた。敵に言われる分には気にしないどころか嬉しい言葉らしいが、どうやら天之河に言われるのだけは大層嫌らしい。マズイな、シアから天之河の後頭部をぶん殴る予兆が出ている。

 

ここで天之河の頭部が消し飛んでも面倒なので俺はシアをチョイチョイと呼び、しなだれかかってきたシアの髪を梳く。するとシアは幸せそうに顔を擦り寄せてきた。どうやら天之河の頭の無事は守られたらしい。

 

「あ、あのぉ……」

 

と、そこで今度はジャスパーがおずおずと手を挙げる。別にここでの発言は挙手制ではないのだが。

 

「んー?」

 

「そちらの方達は……神代さんの家族?助っ人?」

 

「どっちでもあるよ。家族で、助っ人」

 

「その、光輝さんの感じだと滅茶苦茶に強そうですけど……」

 

するとG10も「説明を求めます」とピカピカ光ながらジャスパーに同意している。

 

「あぁうん……何かもう、全部解決しちゃった気がする……」

 

と、天之河はそんな感じで項垂れている。確かにこれだけのメンツがいれば別に天之河もいらないからな。多分いなくても勝てる。この4人はそれだけの奴らだ。

 

「そ、そんなに……」

 

「うん、誰か1人でも俺より何十倍も強い人ばかりさ」

 

一応は俺達の戦いを傍で見ていたジャスパー達が驚きに表情を固定され、G10はピカピカと、ビックリ仰天!!みたいな意思表示なのか無意味に輝いている。

 

「……むぅ。それで天人、どう攻めるの?」

 

お話を中断されたユエ様が無理矢理話の軌道を戻してきた。

 

「どうって……取り敢えず1晩休んだら皆で正面突破。そんで普通にボコす」

 

別にそんなに複雑なことをする気は無いし、そうしようと思ったら最低でもジャンヌは呼んでこなければ作戦が立てられない。我らがチーム・コンステラシオンの参謀は俺ではなくジャンヌさんなのだから。ちなみにリーダーも兼任させている。俺?俺はサブリーダー兼特攻役。他に出来ることも無いしな。

 

そんな作戦もへったくれも無い至極単純な行動指針に天之河は溜息。とは言え俺達の魔力に制限が無い以上はこれくらいシンプルな方が良いというのも分かっているから特に文句を言うつもりもないようだ。

 

「じゃ、そういうことで」

 

と、俺は隠れ家のテーブルに宝物庫から適当に食べ物と飲み物を召喚する。何をするにしろ、まずは食べて飲んで、そして寝る。この世界に飛ばされてきてからこっち、気を使う戦闘が多かったからもう俺は疲れたよ。

 

という俺のボヤキを知ってか知らずか、それぞれが席に着き、これから始まる戦いへ向けたそして束の間の休息の時間が始まったのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

俺達は天門とやらの内側に来ていた。G10が言うにはこの先にマザーはいるとのこと。ジャスパー達は上界と下界の狭間にあるG10の隠れ家に隠れてもらっている。いくらこの戦力とは言え、G10曰くマザーは空間に干渉する技術や局所的な天候操作の技術まで持っているらしく、それらの全てが物理的攻撃であるが故に俺の絶対防御(ルフス・クラウディウス)の天敵。流石に戦場にまでは連れて行けない。覚悟だけではどうにもならないものだってあるのだ。

 

て言うか、魔力の霧散現象は魔素にもそれなりの効果を発揮していて、多重結界や熱変動無効が上手いこと働いていないのだ。あまりオラクル細胞にも頼りたくないから実は俺の防御力はいつもと比べると非常に心許ない。この、天之河から見たら過剰戦力とも思える助っ人達はそういう側面もある。

 

しかし妙だ。一応俺達は足で隠れ家から出て、そのまま門の前を警備している機兵達を叩き潰して侵入したのだ。けれど門の内側には機兵すら全くおらず、まるでもぬけの殻。まぁ、マザーとすれば俺達が攻めてくるであろうことは想像に難くない。人間と違ってAIだと言うのなら時間の感覚も俺達とは違うだろうし、何日でも気にせず戦力を集めて罠を張っていられるんだろうな。

 

俺としてもいきなりマザーの真ん前に出るのは何が出てくるか分からないから嫌だ。マザーの正体がAIである以上はバックアップがいくらあっても不思議じゃない。しかも、それで逃がすと今度は俺達には場所を特定する能力と瞬間移動出来て、しかもそれは何らかのゲートを通過する方法であるとバラしてしまう。それを知ったマザーにどんな手段を取られるかも知れたものじゃない。だから俺は羅針盤で特定してマザーを扉の向こうから銃殺する作戦は採っていないのである。

 

そしてG10を真ん中に据え、正面をシアとアガレスが、両翼をティオと天之河、後衛に俺とユエが並び順路を進んでいく。だがいくら進んでも機兵どころか銃弾の1発すら飛んでこない。しかしこの建物のどこかで爆発音が聞こえるのだ。だが山1つ丸ごとがマザーの居城であるここを、9合目くらいまで登ったところでその音も止んだ。

 

「……音が止んだ」

 

「ワケは分かんねぇけど、取り敢えず進むしかねぇよな」

 

俺も既に電磁加速式拳銃を抜いて構えている。天門までは俺の火器や機兵から奪った銃火器、それからG10が掻き集めた兵器をメインに使って突破してきた。まだユエ達の魔法はほとんど晒していない。だからそれほど極端な対策は取られない筈だが……。

 

色々な疑問はありつつもとにかく進むしかない俺達は足を止めない。G10がハックして目の前の重い扉を開く。するとだだっ広い空間に出た。用途不明な機械の類が散らばっている体育館程度の広さの空間。機兵はおろか、セントリーガン等の罠も無さそうだ。

 

奥には円形の台座があり、取り敢えずそこを目指して歩き出した俺達だが───

 

「まったく……ようやく大人しくなりましたね」

 

不意に、女の声が聞こえる。声の主はこの部屋に備え付けられているらしいスピーカーからと思われる。その声にG10が激しく反応しているから、きっとこれがマザーの声なのだろう。まぁ、機械なんだから声なんて好きに変えられるんだろうが。

 

「いったいどういう原理なのか……。感知システムをフル稼働しても見失いかけるとは……。そもそも、目の前を通っているのに機兵が反応すらしないなんて理解不能です」

 

だが言葉の内容がおかしい。俺達は大人しくも何もずっと歩いてきているだけだし、機兵なんて天門に入ってからこっち、1度も見ていない。そもそも、この声は俺達に話しかけているのではない。

 

「ククッ。我が深淵を理解するなど……元より不可能」

 

なんか聞き覚えのある声で()()()()セリフが聞こえてきた。もう耳を塞ぎたい。

 

「何故なら……深淵とは人知の及ばぬ常闇の世界である。そして我こそが深淵そのものなのだから!」

 

「意味が分かりません」

 

俺も分かりません。て言うか、この場にいる全員がそれを理解できない。当たり前だ。だって全員、()()()()()とは縁遠かったんですもの。

 

「覚えておくがいい、姿なきお嬢さん。深淵を覗く時、深淵もまた汝を覗いているのだということを!我が汝の悪意に気付いていないとでも?クハハッ!甘い、甘いわ!世界を救ってほしい?侵入者を倒してほしい?その虚飾に塗れた言葉……この深き常闇の化身に通じるとでも思うたか!」

 

「いい加減黙りなさい!」

 

あぁ、ホント、そろそろそいつ黙らせてほしい。しかし、どれだけ見たくない、視界に入れたくないと思っていても台座はエレベーターになっているらしく、ゴウンゴウンと音を立てて下に降りてくる。ああ、もう黒い後ろ姿が見えてきた。

 

そうしてなんだかんだと言いながら黒ずくめの人間が降りてくる。背格好からして男。声からすればまだ若い。10代後半と言ったところか。身に纏っている黒い装束はところどころボロボロになっていて、さっきまでコイツが戦闘をしていたのだろうと予想させる。

 

何故か後ろを向いているが、それも直ぐに振り向いた。エレベーターが着床したのだ。右手を胸に、左手を背中に回してお辞儀をするその黒ずくめの若い男。

 

「君達に恨みはない。だが我輩にも譲れないものがあるのでね。なぁに、命までは取りはしないさ」

 

あまりにあんまりなその光景に、俺は動けなかった。というか、もう色々面倒臭くなって動きたくなくなったのだ。

 

「いざ、尋常に勝───」

 

そして、その男は不敵な笑みを浮かべつつ顔を上げて───そして固まった。

 

「何をしているのです?機械の目すら欺く異界の力を持ってその侵入者共を蹴散らすのです!」

 

「出来るわけねぇだろうがぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

そんな魂からの叫びを上げた遠藤浩介……否、コウスケ・E・アビスゲートが俺達の目の前に敵として立ちはだかった。

 

 

 



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VSマザー

 

 

遠藤が放つ俺の悪口はどうでもいい。ただ重要なのは遠藤がここにいることと、あの意味不明な発言の中からギリ分かる日本語を抽出すれば、コイツは無理矢理マザーに従わされている。しかもコイツらの会話の中で、マザーはある程度狙って異世界召喚を行なったことも分かった。どうやら地下での戦闘後、俺の魔力の残滓を回収し、G10がジャスパーに作らせた異世界転移装置を持って帰ったのか解析したのか、召喚装置を新たに製造したようだ。俺の魔力を回収したからこそ、力のあるルシフェリアや香織達ではなく俺のアーティファクトを1番身に着けている遠藤が呼ばれたのだろう。しかし、そうしていた理由は分からないけども、ともかく遠藤がフル装備で良かった。そうでなければ呼ばれたのはジャンヌになっていただろう。アイツも普段から俺のアーティファクトを結構持っているからな。

 

「ふむ……それでは自分が今どんな状況にあるのか説明してあげなさい。私がそうするよりも彼らの理解も早いでしょう」

 

俺達に投降の気配が無いこと、そしてこの遠藤と俺達がどうやら知り合いであると理解したマザーが遠藤をけしかけた。

 

「えっ!?い、嫌だっ!」

 

だが遠藤は説明することを強く拒否した。とは言え、拒否しようがしまいが、何があったかは正直読めているので別にどうでもいいのだけど。

 

「……腹ん中にあるそれは爆弾か?」

 

なので取り敢えず遠藤にカマかけ。普通に爆発物か、もしくは毒物か。ともかく遠藤の腹の中に何かあるのは熱源感知の固有魔法で分かっている。ただ、それの正体次第で取り出し方も多少は変わってくるんだよね。

 

「───えっ!?」

 

すると、華麗に引っ掛かった遠藤が驚いたようにこちらを見る。

 

「理解が早くて何よりです。なら───」

 

「……なら遠藤───『腹を捌いてそれを放り投げて』」

 

そしてマザーの声を遮り、鈴を転がしたような愛らしい声が凛と響く。遠藤の狼狽ぶりから強制執行を即断したユエの神言だ。それは、魂に直接作用する王妃の勅命。この命令に逆らうことは、世界の誰にもできない。

 

「えっ!?───おんぎやぁぁぁぁぁっっ!!」

 

「「えっ!?」」

 

マザーとG10の声が重なる。身内からのまさかのご命令。しかも勅命を受けた本人は嫌がりながら、しかも痛みに泣き叫びつつもどうしようもないかのように自分の腹を小太刀で引き裂いて、自らの臓物の中に手を突っ込んでいたのだから驚愕に声を上げしてしまうのも致し方あるまい。

 

今日日そういうホラー系の作品でも中々見られないようなスプラッタな光景。遠藤の足元も、本人の全身も彼の血で真っ赤に染まる。だがそれでも遠藤は自らの魂が命じるままに腹の中から引き摺り出した鈍色のそれを放り投げた。

 

「ユエさぁん!?」

 

遠藤のあまりの扱いに俺は思わず涙しそうになるがそれはそれとして拳銃で爆弾を撃ち抜き破壊し、床を踏み抜く勢いで遠藤に寄る。そして盛大に鮮血を吹き出している腹に神水をぶちまけつつ試験管容器の神水も口に突っ込む。

 

神水の尋常ならざる効能によって遠藤の命は繋ぎ留められた。ユエからのあまりの扱いの悪さと腹の痛みにシクシクと泣き続ける遠藤を抱え、俺は一旦ユエ達の元へ戻る。当然、アガレスも含めて全員ユエにドン引きしている。本人は周りからの視線と微妙な雰囲気に「おや?」というような顔をしているけど……。そんな空気の中、俺は遠藤を床にそっと降ろし───

 

「やいマザー!よくも俺ん仲間の腹をかっ捌いてくれたな!」

 

取り敢えずマザーに責任転嫁。後ろで「いや……犯人はお前の嫁……」という声が聞こえたような気がしたけど多分気のせい。ただ、俺の叫びは虚しくこの広い空間に木霊したことは事実だった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………いいでしょう。無意味に果てたいと言うのならその望み、叶えて差し上げます」

 

それはそれは長い間を置いてマザーがそう告げる。コチラとしても、とてもとても居た堪れない気持ちにはなるが、悪いのは全部ユエ様なので許してほしい。

 

そして次の瞬間には天井や壁、床からも鉄色の流体金属が溢れ出してきて、瞬く間に空間を埋めていく。そのまま流れるようにそれらは集まりあのヒトデの化け物を形作る。ただ、大きさは前に見たあれの比ではない。サイズは縦に10メートルほど。金属の触手も2本とは言わずに数多生えている。もはやヒトデと言うよりはただの化け物だ。

 

「これが最後のチャンスです。もし私に協力し、その未知のエネルギーを解析させるのであれば悪いようにはしません。元の世界にも帰してあげましょう。……いえ、必要はありませんよね。どうやら貴方達は自力でも世界を渡れるようですし」

 

ふと、俺はそもそも越境鍵の存在を知られたくなくてマザーの居城へ正面突破を仕掛けたことを思い出した。なのにこうやってゾロゾロと別の世界から呼び出した仲間を連れていればそりゃあマザーだって気付くよな……。

 

「……いえ、言おうとはしたんですよ?でも天人さんのことだから何か作戦があるのかと……」

 

「シアよ、天人にその手のことを期待するでない。むしろ可哀想じゃ」

 

その発言が1番俺にとっては可哀想なんだけどティオさん分かってます?

 

「問題ありません、我が魔王。敵を全て討ち滅ぼしてしまえばそれで解決なのですから」

 

アガレスさん必死のフォロー。けど実際、ことここまできたらもうそれしか手は残されていない。それに、まだマザー的には俺達は異世界へ渡る手段がある、という認識でしかない。これが実はもっと便利で物理的な距離も障壁も関係ございません。任意の座標に瞬間移動だってできます、という代物であることまでは知られていないのだから。

 

「……そうですね。取り敢えずマザー……お前は───潰す」

 

俺の一言を狼煙としてマザーの生み出した巨大ヒトデの全身に青白い光が迸る。そして頭頂部からは青白い稲妻が収束し、さらにその触手でもって俺達を穿かんとこちらへ伸びてくる。

 

「───時間を稼いでください!統合コアを特定します!」

 

「───遅い」

 

G10の叫びをアガレスが叩き落とす。誰よりも早く前へ出たアガレスが右手に構えるは大鉾のアーティファクト(ザンナ・ディ・ディアブロ)。それを下から掬い上げるように振り向けばアガレスの持つ権能……空間や境界に干渉するそれが空間爆砕となってヒトデの巨体を撃ち砕く。

 

 

───ズッッッバァァァァァァァァンン!!

 

 

と、莫大な炸裂音と共に空間が砕け、その衝撃波で流体金属のヒトデが青白い閃光共々砕け散る。コイツは多数のコアを持ってその巨体を維持していたようだが、それらも全て今の1振りで砕かれた。

 

強みの再生力も全身をコアごと砕かれれば発揮されることはない。背後の壁にまで大穴を開けた指向性のある衝撃波により、異界の自律型金属兵器はスクラップと成り果てた。

 

「……ふん」

 

さらに、壁から俺達を蜂の巣にしようとセントリーガン達が顔を覗かせるが、アガレスは俺達の周りに空間遮断結界を張る。空間そのものの断絶を超音速の鉛玉では越えることができず、それらは無造作に弾かれる。そして俺達を囲っていた空間の断絶が歪み……直ぐにそれも弾けた。その勢いで四方と天井の壁まで届いた衝撃波がこの部屋に仕掛けられた銃火器や小型ミサイルの類を全て捩じ伏せる。

 

「……では行きましょうか」

 

本当に今の戦闘が何でもないかのようにアガレスがこちらを振り向く。俺やシアはアガレスの実力を知っているからそれほど驚きはしない。ユエとティオも驚きと言うよりは感心といった風だ。だが天之河と遠藤は開いた口が塞がらないというような顔でこっちを見ている。

 

「……こっちが不意打ちかまされたとはいえ、アガレスは俺とシアの2人を同時に相手取れんだよ。この程度は余裕だろ」

 

他に罠や仕掛けが発動する気配は無い。アガレスの一撃で纏めて粉砕されたようだった。

 

「それで遠藤。お前……どうしてあんな目に?」

 

「そうですよアビスゲート。次期ハウリア族長ともあろうものがあんな醜態を晒すなんて。帰ったら修行やり直しですぅ」

 

さっきまでさめざめと泣いていた遠藤も流石に戦闘の気配を感じて立ち上がっていた。だがシアの"修行"の一言に「うっ……」と項垂れる。それでも話すべきことは話すべきだと顔を上げて口を開いた。

 

「……いきなり召喚されて右も左も分からない上に魔法も使えない。それでも一応機械の兵隊100体くらいは倒したんだぞ?それも、神代達が天之河を追い掛けた後にリリアーナに頼まれてな。神域の魔物討伐してた時に召喚されたんだ」

 

おかげでフル装備してたからそこは多少助かったけども、と遠藤が付け足す。なるほどね、それでコイツが呼ばれたのか。

 

「ふぅん。じゃ、シアと2人で召喚装置壊してきてよ。また誰か呼ばれたら面倒臭い」

 

「えっ……私ですか?」

 

シアは遠藤と2人きりということでちょっと嫌そう。だからって魔法がまともに機能しないこの世界で遠藤1人に行かせるのは中々厳しいと思う。道中にも機兵はいるだろうし、電子ロックの扉だってあるだろう。物理的に破壊する必要がある以上、火力のある奴が1人欲しいのだ。

 

「遠藤が道案内、シアが道中の護衛と破壊。次期ハウリア族長と現ハウリア最強でやってきてよ」

 

天之河も今は魔法がろくに使えない以上は火力不足になるかもだしな。

 

「むむ……ティオさんじゃ駄目ですか?」

 

「んんっ……!嫌なものを妾に押し付けようとするその魂胆……こういうの久々じゃなっ!」

 

「泣いていいですかね……?」

 

シアはそんなに遠藤と行くのが嫌なの?ティオさんも変なところで悦ばないでほしいんだけどさ……。

 

「いやまぁお前らがこっちにいるなら俺が行ってもいいけどさ……」

 

「え"っ……天人さんいないのに勇者さんがいるのはもっと嫌ですぅ」

 

「……んっ、むしろ勇者が1人で行ってこい」

 

「遠藤……分かるよ、その気持ち……」

 

天之河くん今だに嫌われすぎでしょ。ほらもう、君達のせいで男2人がさめざめ泣いてるんですけど。

 

「あの……我が行きましょうか……?」

 

と、そこで半分呆れながらも救いの手を差し伸べてくれるアガレスさん。これが地獄の悪魔だってんだからユエ達も見習ってほしいものだ。

 

「宜しくお願いします……」

 

アガレスの悪魔なのに天使のような一声でようやく役割分担が終わる。たかがこれだけの話で何でこんなにゴチャゴチャしないといけないの……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

雲上界と言うらしいここを俺達は駆け抜けていった。G10曰く天機兵と言うらしいあのヒトデやこれまでの機兵の特徴を良いとこ取りしたような機兵や下界ではほとんど見られなかった空間魔法や謎の力場を形成する機兵──これは上界機兵と言うらしい──を俺とシアと天之河で捻り潰し、叩き潰し、切り裂いてきた。基本的にユエとティオの魔法は温存だ。魔力が霧散する中でいつも通りの力を無限の魔力に物を言わせて放つのは疲れるし、何よりなるべくマザーには情報を与えたくない。

 

「……信じ難い程の戦果です。たったこれだけの人数でこれだけの機兵と罠を潜り抜けるとは……。私の時代の兵士なら……どれだけの損害を覚悟しなければならなかったか……」

 

「感心するのはまだ早いですぅ。そもそも、マザーを倒すことが勝利条件。ならこんな雑兵共に手こずっていられません」

 

「こ、これが雑兵……」

 

シアの強気な言葉にG10が戦慄している。とは言えシアの言う通りだ。こんな前哨戦で消耗なんてしていられない。マザーの元にはどんな切り札があるのか分からないのだから。

 

ま、だからこっちもユエとティオを隠してるんだけどな。

 

「神代様、光輝様……そして神代様のご家族様……ここまで連れてきていただいてありがとうございます」

 

「だから……まだ何も終わってないぞ。ここからだ。マザーを倒す、全部はそこからだよ」

 

俺の言葉にG10がピカピカと光って返す。まるで微笑んでいるかのようだ。

 

「品切れ……ですかね」

 

「……んっ、でも戦闘中に横槍を入れてくるかも」

 

「とは言え、今は行くしかあるまい」

 

それでもここまで用意された戦力は異常の一言。完全に文明から切り離し、思想教育も行い下界民に至っては一生のうちに摂取できる栄養量すらもある程度管理さているのだ。例え一斉に蜂起されたとしても人間に勝ち目は無いだろう。そんな中でこれほどまでの軍事力を有する理由は───

 

「臆病者ほど長生きするってな」

 

「言ってやるなよ、心配性なんだろ?」

 

天之河も言うようになったねぇ。昔ならそれこそマザーの心中すら察しようとしただろうに。それがこんな嫌味まで言えるようになって……。

 

「お父さん嬉しいよ……」

 

「誰が俺の父親だっ!」

 

「あの……そろそろ……」

 

と、G10が目の前の障害をクラッキングして突破した。それと同時に熱線の格子が消えて道が開かれる。その道の向こうからは眩しいくらいの光が届いていて、通路を歩いていけばその先にあったのは直径にして10メートルほどはある円柱形をした何らかの装置だった。

 

それは内部で莫大なエネルギーを秘めているようで、それが道の向こうまで光り輝いていたのだ。青白いスパークを発していて、きっとこれも電力なのだろうと想像させる。

 

これを中心に半径にして100メートルほどの空間。サッカー場が横並びに3面は入りそうなほど広大な空間ではあるが、ここはさらに縦にも広い。どうやら俺達は最上階付近にいるようで、手摺のない鉄柵が十字に伸びており、それがあそこで光り輝くタワーを中心に回廊となっていた。

 

「凄いなこれ……エネルギータワーって言うのかな。映画でしか見たことないよ」

 

「エネ……?……俺ぁこんなん初めて見たわ。……お?」

 

何やらタワーの上がさらに輝き出した。何本もの光の柱が現れ、荘厳な雰囲気を演出しようとしている。ただ、だからってここで黙って突っ立っていても仕方がないので俺達は前衛(フロント)をシアとティオ、真ん中に天之河とG10を抱えた俺、後衛(バックアップ)にユエを据えて歩き出す。そうして数メートルも歩けば───

 

「驚きです。まさかここまで人間が辿り着けるとは。よもや異界の人間は皆これほど恐ろしいものなのですか……?」

 

なんて、1ミリも恐ろしさなんか感じていないような声色でマザーの声がどこかのスピーカーから響く。すると色んな所から生えている柱からあの鉄色の流体金属が流れ出してくる。しかもそれはマグマのようにただ地を這うのではなく宙に浮いたままうねり、たなびき、1つの地点で集合しようとしていた。

 

「んー?いやぁまぁ……俺なんて何度死にかけたことか」

 

───ドパァッ!と、今も際限なく流体金属を吐き出し続けている柱の1つに、何かを吐き出すような発砲音を置き去りにして超音速の弾丸がぶつかる。だが、何ものをも砕くはずのそれは俺の想定していた破壊をもたらすことなく、柱の一部を欠けさせる程度に留まった。

 

「もう一度私の提案を考えてはみませんか?……そもそも、自力で世界を渡れるのなら素直に帰れば良いでしょう?むしろ、私に協力してくれるのなら報酬も出しましょう。別に人体実験をさせてくれと言うのではありません、貴方達の持つ、私にとって未知の力の解析をさせてくれれば良いだけなのです」

 

「───うわ、本当に硬いな。どんな金属で出来てるんだろう?」

 

と、マザーの言うことなんて1ミリを聞いていない天之河が聖剣で柱を半分ほど斬る。両断とはいかないのはそれだけ柱が硬いのか、それともこれを半ばまでとは言え刃を通した天之河と聖剣が凄まじいのか。

 

「……愚か者共。機兵を倒した程度で私を打倒できると思っているのですか?お前達は私には絶対に勝てません」

 

その言葉は勝利を確信した奴にしか言えないセリフだ。そして、それだけの後ろ盾がなければそれを確信することはできない。

 

「条件を引き上げてあげましょう。報酬とは別に、この地での栄華も保障します。協力してくれれば、一旦元の世界に帰り、そしてまたこの地に戻ってきても構いません。そこでお前達に土地と人間を提供します。管理された世界の中で神になれるのです」

 

当然、元の世界とこちらの世界での行き来は自由です、とマザーが告げる。なるほど、確かにコイツにとっては最大限の譲歩なのだろう。例え俺達が自分の世界の軍事力を持って侵攻を仕掛けたとしても、それすら返り討ちにする自信もあると見える。それだけの後ろ盾の存在は気になるところだが……

 

「……天人天人」

 

クイクイと、ユエが俺の袖を引っ張る。

 

「んー?」

 

「……これは"世界の半分をお前にやる"という魔王お約束のセリフ。天人のセリフが盗られた」

 

「あっそうなの……」

 

ユエさんも最近ナチュラルに俺のこと魔王様扱いしてくる……。いやまぁここのところ俺も魔王を自称している気もするし、もうそれでいいか……。

 

「言ってやれよ神代、本当の魔王を見せてやれ」

 

俺が心の内で溜め息をついていると、何故か天之河までユエに便乗して俺とマザーを煽ってくる。そしてマザーの方は見事その挑発に乗ってバチバチと青白いスパークを瞬かせていた。

 

「よろしい。では被検体として飼うことにします。脳が無事ならばそれで良いのです。身体が残るなんて思わぬよう。愚かな選択を後悔しなさい」

 

マザーがキレた風でそんなことを言うと、床から鉄色の人型がせり上がってきた。そして垂れ流されている流体金属を羽衣のように纏ったマザー。

 

「…………」

 

「疾っ!!」

 

俺は不可視の銃弾(インビジビレ)で、天之河は聖剣の1振りでマザーを砕かんと迫る。だが───

 

「無駄なことです。お前達の手札は既に解析済み」

 

俺の電磁加速された弾丸と聖剣の斬撃は不可視の力場に阻まれてマザーまで届かない。まったく、普段ならこんなもの氷焔之皇で封印して叩き潰してやれるのに。科学技術のなんと不条理なこと。

 

「……天人、それ全部敵が天人に思ってきたこと」

 

「あれ?声出てた?」

 

「……ううん。でも天人の考えてることくらい分かる」

 

あら可愛い。好きな女の子に心の中が筒抜けってのもむず痒いものがあるね。

 

「……舐めるな」

 

と、マザーから鉄色の触手が槍となり俺達に襲い掛かる。それを全員飛び退って躱せば今度は壁から銃火器がお見えになる。真ん中のエネルギータワーとやらの外殻はそれほどまでに頑丈なのか、放たれるフルメタル・ジャケットの弾丸もそれに考慮するような射線を通す気はさらさら無いようで、鉄の床を跳ねた跳弾がスパークを散らすタワーにぶつかる。けれど弾丸は更にそこから弾かれて明後日の方向に消えていった。

 

さらに、光の中から1歩出てきたマザーは白銀の髪の毛に黄金色の瞳、ファッションモデルのように細く長い手足。何故態々人型なのかは知らないけれど、傾国の美女と言って差し支えないほどの造形をした(マザー)が現れた。

 

しかも、マザーの周りには何やら菱形をした3対6枚の翼のようなものが浮遊し……それがこちらを向けばまるで銃口のような穴が見える。

 

浮かび上がりながらこちらを睥睨し、流体金属の帯を幾本も侍らせたマザーが指でこちらを指し示し───

 

「ここは私の楽園。侵入者よ、私に全てを捧げなさい」

 

そう、命令を下した───

 

「……私の全ては天人のもの」

 

「お前にくれてやるものなんて、1つも無いんですよ」

 

「神を気取る臆病者よ、直ぐにその座から引き摺り堕としてやるでの。待っておるのじゃ」

 

「───限界突破っ!」

 

ユエ達の口上に続き、天之河が限界突破を発動。不味いぞ、俺はそんな格好良い口上なんて用意もしてなければ当然思い付きだってしないし限界突破を使うほどでもない……。マジで格好付かねぇ……。

 

マザーから放たれる雷撃を躱しながら俺は何か格好良い台詞はないかと思案する。その雷撃は槍や球状ではなく、ただ放電現象そのままに放たれたようで、閃光が描く軌跡は不規則で俺達を飲み込むように襲い掛かる。結局それで時間切れ。俺は何を言うでもなくただ無言のまま戦闘に入ることになった。

 

そして、内心でさめざめ泣きながらもそれを躱せば、あの機械の翼から向けられた銃口───そこから放たれる電磁加速された弾丸が俺達を撃ち砕こうと青白い閃光となって空気を灼いた。

 

俺と天之河はそれを身を捩って躱す。シアはドリュッケンで弾丸を跳ね上げ、ユエは絶禍で自分とティオに迫るそれを吸収する。

 

「ユエ、コイツ持ってて」

 

と、俺はG10をユエに投げ渡す。そして肩に掛けていた電磁加速式アサルトライフルを腰だめに構えて引き金を引く。しかし放たれた弾丸は力場に全て受け止められた。んー、本当はあんまり俺達の力を晒さずにコイツを倒したかったのだが、中々どうして守りが固い。

 

「……お前達に使うことになるとは思いませんでしたよ」

 

と、マザーが憎々しげな言葉を何の感情も込められていなさそうなトーンで告げると、天井が開き、この世界の空が見えた。しかし雲の上の筈のここの天井には曇天が漂い、白い稲妻が迸っていた。そう言えば、G10はマザーが天候を操作できるとか言っていたな。これのことか。

 

「や、ヤバい……」

 

すると、マザーが何を繰り出そうというのか察したらしい天之河が顔色を変えて焦っている。確かにいくら勇者のスペックとは言っても自然界の雷の直撃を受けては命すら危ない。仮に生きていたとしても重傷、さらに回復に俺達のリソースを大きく割くことになるだろうな。

 

「ユエ、ティオ、任せたぞ」

 

「……んっ」

 

「応なのじゃ」

 

雷速の攻撃の処理はユエ達に任せる。とは言えそう何発も撃たせやしないさ。俺は両脚に力を込め、鉄の足場が歪むくらいに強く踏み抜く。ダカァンッ!という金属を強かに叩く音を響かせて、俺はマザーへ肉薄を試みる。だが俺が何の手もなくただ近接戦闘を仕掛けるとは考えていないらしいマザーは真っ直ぐ……まるでレールに乗っているかのように高速で後ろに逃げる。……どうやら本体も電磁加速しているんだな。しかも、雷の槍を空から降らせながら俺達に電磁加速の弾丸やレーザービームを放ってくる。

 

幸いマザーのレーザービームは緋緋神のそれとは違って光速ではない。銃口から曲がることもないし、瞬光を使っている俺ならばギリギリ見切れる速度だった。

 

だが頭上が光るのと同時に落雷が俺を襲う。雷による狙撃はしかしユエの絶禍に呑み込まれる。

 

さらに1歩踏み込む。今度は俺の眼前に鉄色の槍が下から現れ、俺の顎から脳天を貫こうとした。それを身体を無理矢理に反らせて躱す。2発目の雷撃はシアがドリュッケンで吹き飛ばした。え、貴女いくら落ちる場所が分かってたとしても、ドリュッケンで雷打ち落とせるの……?

 

頼もしい味方に戦慄しながらもさらに踏み込んだ俺の眼前に光の膜が現れた。それに迷うことなく飛び込めば、次に視界に入ったのはマザーの背中。ティオの空間魔法により俺はマザーの後ろへ肉薄したのだ。

 

「なっ───!?」

 

───絶対零度(アブソリュート・ゼロ)

 

あらゆる物質の働きをゼロにする魔法。ユエ達の使うトータスの魔力による魔法ではない。あそことは別の世界で手に入れた魔素を媒介とする魔法。今までこの世界ではずっと隠し続けてきた新たな理論による一撃。それはマザーの力場を貫き、彼女の見目麗しい機械仕掛けの肉体を銀氷にしてこの世界に飛び散らせた───。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「終わ……った……?」

 

G10は、この結末が信じられないかのように呟く。ユエの手から離れ、ふよふよと不安定に浮遊しながら俺の目の前……マザーが霧散してまだ銀氷が輝いているここまでやって来る。

 

空にはまだ曇天が我が物顔で鎮座しているが、人の心を掻き乱すようなゴロゴロといった雷鳴は聞こえてこない。むしろ雲が流れていっているから直にこの曇り空も晴れるだろう。と言うか───

 

「え……何を?」

 

俺は太陽光収束兵器を2門呼び出し、それを空に向けて解き放つ。極太の銃口から放たれた熱と光がこの世界の空を覆っていた暗闇を打ち払う。すると空から降り注ぐのは───

 

「綺麗……」

 

ふと聞こえた声は本当ならここでは聞けないはずの声。振り向けばそこにはアガレスと遠藤、それからジャスパー達までこの戦場に来ていた。

 

「空が、こんなに美しいだなんて知らなかったな……」

 

広がる青空を見上げたジャスパー達が見惚れたかのような溜息をついた。

 

「いきなりアガレスさん達が現れた時は何事かと思ったけど」

 

「でもこんな空を見られるなんて、思わなかった」

 

どうやらさっさと召喚装置を壊したアガレスと遠藤はジャスパー達を回収しに行っていたようだ。ま、マザーに人質として使われる可能性もあったし、回収してくれるのならそれに越したことはないか。

 

けど、まだ戦いは終わっていない。あれだけの自信を誇るマザーがまさかこの程度で終わるとは思えない。そもそもがAIなのだ。別の肉体───と言うか機兵やボディにバックアップを取っていたところで不思議ではない。

 

そして、俺の予感は直ぐに形になった。けたたましく鳴り響く警報。激しくスパークを散らすエネルギータワー。G10が即座に手近なコンソールから接続し、何が起きたのか把握しようと努める。

 

「そんな……発電施設の機能停止!?いえ、これは自壊プログラム!?」

 

「止めろ、G10!」

 

さすがにこの規模の施設を爆破されて全てを守りきる力は無い。ここにいる俺達だけならどうとでもなるが、こんな大きさと規模の施設が吹き飛べば、被害は下界にまで及ぶだろう。大質量の金属が大量に、高高度から降り注ぐのだ。傘も盾もない人類はほぼ絶滅だ。

 

「やっています!!しかし───っ!」

 

すると、鉄橋からガシャガシャと音を響かせ、ぎこちない歩き方でマザーによく似たロボットが現れた。

 

「言ったはずです……お前達は……決して……勝てないと」

 

「マザー……っ!まさか───」

 

「G10、お前はお前のやるべきことをやれ!コイツにバックアップがあることくらい、予想出来てねぇわけがねぇだろ」

 

「───はいっ!」

 

そうしてG10は作業に戻る。マザーも最後にゴルドランを放棄し真の軍勢とやらで俺達を叩き潰してやるのだと捨て台詞を吐いてボロっちい身体を捨てて動かなくなった。

 

「神代様……」

 

「んー?」

 

「コルトランの設備の9割が機能停止。発電施設も勿論含まれます。また、見せつけるようにデータが送られてきました」

 

G10が空中に映し出したそれはマザーの真なる軍勢とやらなのだろう。天機兵の軍勢がこちらへ向かっているらしい。その数は10万。聖地シャイアなる場所が本当のマザーの楽園……そう告げるG10の声色は、絶望に染まっていた。

 

 



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終わりと始まりの銃声

 

 

「それで、そいつらがこっちに着くにはどれくらい掛かるのさ」

 

態々あの金属ヒトデを使うってことは、マザーはこの世界の親類を全て抹殺する気なのだろう。もしくは、多少は残しておいて記憶の改竄でも行うのか。最悪は予備の人類なんてものが眠らされていて、今いる人間とそっくり取り替える可能性もある。

 

念の為助っ人を呼んでいて良かったな。流石にこの数を相手に俺と天之河、遠藤だけでの防衛戦は難しい。俺達が生き残って敵を殲滅するだけなら不可能でもないのだろうが、その時に俺達の背後は屍の山なんてことになったら意味が無い。

 

「およそ6時間かと……」

 

6時間……長いようで短いな。10万のヒトデを相手にするとして、人類側に準備をする時間なんて無いに等しいだろう。

 

「……シア、ティオ、アガレス。お前ら3人と天之河でコイツら迎え撃ってくれ。俺とユエ、遠藤でマザーの本体を潰す」

 

これだけ魔力や魔素が雲散霧消する世界で10万の大軍を一息に全て叩き潰す手段はさすがに無い。あのヒトデが量産可能である以上、俺達全員で迎え撃っても次々に兵士を生産されてたらキリが無いんでな。防衛と強襲の2本同時進行でいかせてもらう。

 

「……で、いいよな、遠藤」

 

何の躊躇いもなく頷く3人はともかく、遠藤は完全に巻き込まれただけだ。魔法がろくに使えないこの世界でコイツにあまり負担を掛けてやるのも酷な話だからな。これ以上が厳しいなら一旦トータスに帰してやるつもりだ。

 

「いや、俺もやるよ。ここまで来てそれじゃあお疲れ様、あとは頑張ってね、なんて言えるかよ」

 

俺の気遣いなんか知らんとばかりに遠藤は強くそう頷いた。さて、そうなるとこっちも多少の余裕はできるかな。

 

「なぁ神代、俺はそっちに行かなくていいのか?」

 

と、天之河がふと訊ねる。

 

「いや、いいよ。防衛になるべく戦力割いて、強襲は最小限の人数でやりたい。それに、お前は俺1人を守るより知らねぇ大勢を守ってやる方が力ぁ出るんじゃねぇの?」

 

場合によっては俺がマザーと直接やり合えない可能性があるからユエと遠藤は連れて行くけど、逆に言えばユエと遠藤がいる以上はこっちにはこれ以上の戦力は必要ない。遠藤が分身できないってんでトータスの時みたいにだだっ広い戦場での大勢を守るような防衛戦は難しい。だったら閉じた戦場で俺1人を守るための配置の方がコイツも活きるはずだ。

 

「分かった。ありがとう」

 

「気にすんな」

 

「では、ユエさんと私は逆の方が良さげなんですが」

 

と、今度はシアが手を挙げる。

 

「んー?……まぁそうだけどほら、最近シアとは一緒に戦ったりしたからさ。そろそろユエの番」

 

ティオとも竜の世界に行ったしな。だからユエはこっち。配置の理由は完全に私情だけどシアほどの戦闘力ならそれほど問題はあるまいて。それに、場合によってはユエの力が必要になるかもしれないのだ。シアは戦闘能力は高いが基本的に魔法の適性が低いからな。色んなことが出来るユエの方が万が一の時に話が早いかも、という理由もあったりする。

 

という思考は表には出さずに俺はユエを抱き寄せてそれだけ告げる。するとユエが嬉しそうに喉を鳴らしながら俺の胸板に頭を擦りつけてきた。

 

「むぅ……それなら仕方ありません。でもでも、何かあったら絶対直ぐ呼んでくださいよ?」

 

呼んだって後ろの無辜の民を犠牲にしてまでは来れないくせに。という言葉は言わずに俺は"はいはい"とだけ返す。

 

「取り敢えず大まかな作戦はこんなもんだ。6時間じゃここの人類全員をどっか別の世界に避難させるのは流石に難しい。防衛側は任せた」

 

という俺の言葉に全員頷き、素早くグループに分かれる。防衛戦は俺の得意とするところじゃあないし、あっちは任せてしまおう。ティオもいるし、大丈夫だろうよ。

 

「神代様、これを……」

 

と、G10が空中に映像を投影する。どうやらここの施設が破壊される折、G10はいくつかのデータをぶん()ったようだ。そして、G10が映す映像にはマザーの本気の戦力があった。まるであの竜の世界かのように空に浮かぶ無数の戦艦。それは巨大な鉄の建造物を中心に展開されていて、それを更に覆うように幾重にも張り巡らされた防壁や、破壊力なんて想像すらできないほどの……1目見てそうだと分かる巨大な兵器。それもまたマンハッタンの摩天楼のように膨大な数が配備されていた。

 

「全部問題ない。俺なら即座に内側に入り込める。……つっても、一般人を守りながらコイツらを相手にするのはシア達でも大変だろうから、なるべく時間はかけねぇでやるぞ」

 

「……んっ」

 

「おう」

 

「心は……折れないのですか?」

 

と、特に気にする風でもなく話を進める俺達が疑問なのか、G10はピカピカと光ながらそう呟く。

 

「折りたかったのか?」

 

「いいえ……ですが、いくら内側に即座に転移できる手段があったとして、マザーがそれを予想していない訳がありません。きっと内側にもそれなりの戦力を備えているでしょう。場合によっては、この見えている戦力すらも投入してくるかも……。それは神代様も分かっているのでしょう?」

 

「んー?……まぁな。だけど、それがどうしたのって感じ。そもそも、マザーがまだ戦力を残してたみたいに、俺達だってまだ全力を出しちゃあいないんだよ。本気を出してないのが手前だけだと思ってる馬鹿に、目に物見せてやるよ」

 

絶対零度は使ってしまったがまだユエ達の全力は見せていないし、俺だってまだ力の底は見せていない。だから何も問題は無い。

 

「神代様……」

 

「だから取り敢えずお前はパクってきたデータん整理頼むよ。俺ぁ休む」

 

幾ら魔力量が無限になってもこれほどまでに魔力が霧散してしまう環境だといつも通りにアーティファクトのパワーを発揮させるだけでも尋常ではない量の魔力を消費する。そして、それだけの魔力を発するのはそれはそれで疲れるのだ。

 

俺はソファーを宝物庫から取り出し、それに横になる。するとユエが俺の頭を軽く持ち上げ、そこに座る。すると当然、俺の頭はG10の隠れ家の時のようにユエの太ももの上に乗っかった。

 

そうして少しの間、俺とユエの間には静かな時間が流れる。何やらジャスパー達が盛り上がっていたが、そっちには放っておく。

 

すると、G10が驚いたような声を上げ、俺を呼んだ。

 

「んー?……どした」

 

「これは……大変です───っ!まさかこんなことが───っ!?」

 

「……どうしたの?」

 

その尋常ではない様子に、俺の髪を梳いていたユエも顔を上げた。

 

「これは……マザーの最大の強みに関するものです……あぁ、まさか……これでは……」

 

「いいからはよ話せ」

 

何がそんなに衝撃的なのか知らんがG10がこの調子では進む話も進みやしないのだ。

 

「エネルギーです。かつてストール・ハーデンが手にした莫大なエネルギー。その正体と管理や制御に関する情報です」

 

そう言えばそんな話もあったな。もっとも、そのハーデンさんはマザーに消されてしまったのだが。

 

「エネルギーって……この星にちょっとだけある()()か?」

 

ちなみに、多分そうだろうというものは俺にはこの世界に来て直ぐに感じ取れていた。と言うか、氷焔之皇に引っ掛かったのだ。だがそんなものがある世界の割にはその量は極めて少なかった。それこそ、ルトリアの世界の霊素よりも少ない。

 

「え……何故それを……」

 

「んー?いやまぁそれこそ俺の本領だし……。まぁいいや、早く続き」

 

「あ、はい」

 

そしてG10が語ったそれはやはりこの星に流れているエネルギー──星精力──に関してだった。どうやら本当はこの世界には星精力が溢れていたらしい。そしてハーデン───マザーは()()という星精力が最も湧き出すスポットを手中に収めたらしい。

 

「聖樹……?G10、それのデータとかあるか?……て言うか、さっきのマザーの本拠地の画像。あれのド真ん中のドデカい建物がそれか……?」

 

「はい。あれは聖樹を囲っているものです。そして、マザーは素子配列相互変換システムというものすら作り上げ、この星の力を完全に手中に収めたのです」

 

それはつまり、マザーと戦うということはこの星そのものと戦うということ。そんなもの、人間の手に収まる戦いではない。けど───

 

「問題無ねぇよ。俺ん力だってほとんど星1つとやってるこたぁ変わらねぇ。ユエ達に渡してあるそれも、(おんな)じ仕組みだからな。……マザーがこの星を丸ごと手にしたって?こちとら星4個分の戦力なんだよ、戦いは数だって言うならそれこそ1VS4。俺達の方が数的優位持ってんだぜ」

 

永遠に廻る天星(アンフィニ・リュミエール)はあの竜の世界と同じ仕組みで出来ている。それが生み出す莫大なエネルギーを氷焔之皇で俺の好きなように変換して魔力や魔素を無限量にしているのだ。しかも最近は色々やれることも増えてきたからな。俺としてはマザーに対してまだまだ手札を伏せている状態なのだ。

 

「神代様……貴方は一体どこまで……」

 

「それはそれとして……」

 

と、俺は羅針盤を取り出す。この世界には僅かに残った星精力が漂っているだけ。しかし今の話だと本当はこの星のエネルギーはもっと莫大ということになる。ただ、それだとこの世界の魔力の霧散現象に説明がつかない。試してみたが、魔素は魔力程は霧散しない。ただし、霊素や竜の世界の力は正も負もどちらも魔力と同じくらいに霧散するのだ。

 

それともう1つ。これはこの世界には関係の無いのとなのだけれど、氷焔之皇によるそれぞれの力の変換効率は魔力と霊素、正の力と負の力はほぼ同等。どれをどれに変換しようともその効率は同じ。ただし魔素だけはどれにしようが、どれを魔素にしようとも同じくらい効率がおちるのだ。

 

まるで、魔力と霊素、竜の世界の力は全て元が同じ力かのようだ。いや、正確にはどれも元を辿れば最後は同じなのだけれど、それよりももう一つ手前で魔力その他と魔素は枝分かれしているような気がする。

 

「……んー、んー?」

 

俺は羅針盤で探し物をしながら空気中に僅かに漂っていた星精力を氷焔之皇にてそれぞれの力に変換。だが、元の量が少なかったからか、魔素にはほとんど変換できなかった。ただし、魔力その他には同じだけ換えられた。なるほどね……。

 

「G10、聖樹の画像ちょうだい」

 

「はい。……これがその聖樹です」

 

G10が空中に画像を映し出す。そして、それを見た遠藤が目ん玉をひん剥いて驚いている。ユエも、俺の様子から多少は察せられていたようで、遠藤程は驚いていないけれど、やはりその大きな瞳を見開いていた。

 

「せ、聖樹ウーア・アルトぉ!?」

 

ウーア・アルト。それはトータスにあるあの大樹だ。樹海の中に鎮座していて、ハルツィナ大迷宮の舞台となったあの大きさも分からないくらいに大きな大樹。この世界にある聖樹とあの大樹は、まるで同じ存在かのように見てくれがよく似ていた。

 

そして、俺の羅針盤による検索も終わった。これでこの世界の謎はある程度は解けた。そしてやはり、俺はマザー討伐にはあんまり参加出来なさそうだ。そこら辺は、ユエに全部任せよう。

 

「G10、作戦会議だ」

 

と、俺はユエの太ももから頭を離さずにG10を呼ぶ。俺は宝物庫から椅子と座布団を取りだし、そこにG10を安定させる。そして再生魔法のアーティファクトを使ってG10のボディの時間を戻しながら彼女にいくつかの質問を飛ばしていく。

 

そして得られた結論は───

 

「───G10、この星の全部、俺が取り返してやるよ」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「───っと」

 

「……おぉ」

 

「ここが……」

 

越境鍵にて切り開いたのは世界の隔たりではなくただの物理的な障害と距離だけ。そして俺達がいるのは聖樹の中というか根本と言うか……。ともかくそんな感じのところ。

 

すると、やはり俺達の強襲を予測していたらしいマザーはここにも機兵を配置していた。機器の類は戦闘の余波で破壊されても再度作り直せば良いということなのだろう。どこまでいっても機械的な奴だな。

 

だが、こちらも機兵如きに(かかず)らっていられない。俺は即座に絶対零度を発動。周囲にいた機兵を全て消し去る。

 

「時間もねぇ。やっちまうか」

 

「はい」

 

今俺達が付けているアーティファクトは存在の解像度を極限まで下げるもの。これなら機械のレーダーであっても欺ける。だが機兵は俺達が現れた瞬間には銃口を向けていたのだ。どうやら、何であれ登録外の存在が現れた瞬間にそこへ銃撃をするようにプログラミングされていたらしい。だが俺の前では超音速の銃弾であってもその速度も質量も破壊力も、全てゼロにされてしまう。この理不尽さこそが魔王様の本領なのだよ。

 

外での戦闘音すら聞こえてこないほどの奥底。きっと外ではユエが大暴れしているのだろう。と言うか、ユエの大暴れを隠れ蓑にして俺達は越境鍵でここに転移したのだから。本当なら一緒に出ていって暴れ回りたかったのだが、こっちもやっておかないとならないからな。ユエにはマザーを生かさず殺さず、とにかくマザーが本気でユエを狙うように加減してほしいとは言ってある。

 

普通なら難しい注文かもしれないが、ユエなら大丈夫だろう。今じゃエヒトに出来たことはだいたい出来るからな。しかも魔力量すら限りが無いとなれば、かつてトータスにて最強に君臨していた吸血姫の本領発揮というわけだ。そして、マザーがこちらに戦力を回す余裕が無い間にこちらのやるべき事を済ませてしまおうか。

 

「素子配列相互変換システムの破壊……でよろしいですね?」

 

と、G10が最後の確認を求めてくる。本当なら奪い取ってこちらが使いたいほどの代物ではあるが、正直マザーを相手に型遅れのコチラじゃ勝負にならないからそれは諦める。俺も別にこの星の力なんて必要ないしな。

 

「うん。システム的にも物理的にもぶっ壊してくれ。この聖樹には俺から言っておくよ」

 

ことここにきて"言うってどうやって?"等とG10は問わない。それは黙って見ている遠藤も同じこと。向こうで多少の説明はしたし、どうせ実際に見てみなきゃ分からないからな。

 

「じゃ、後はよろしく」

 

俺は2人にそれだけ告げて、聖樹の根に触れる。そして宝物庫から取り出したのはルトリアの宝珠。俺とユエ、シアとティオの宝物庫は全部繋がっている。流石に世界を隔ててしまうもその繋がりも途切れるけれど、今は皆同じ世界に来ているからな。シアのドリュッケンに収められているルトリアの宝珠を取り出すくらいはワケないさ。

 

───スキル・変質者発動

 

字面の悪い統合と分離を司るこのスキル。リムルの世界に召喚される際に手に入れたこれで俺は自分の身体の一部を聖樹と統合する。

 

 

───ドクンッ!

 

 

聖樹が1つ脈打つ。左手に抱えたルトリアの宝珠が輝き出した。すると、俺から聖樹への繋がりだけでなく、聖樹から俺へも繋がる。それで分かる、全部流れ込んでくるのだ。聖樹が何を求めているのか、俺が何をすれば良いのか───

 

──持っていきな──

 

永遠に廻る天星(アンフィニ・リュミエール)が回る。星が巡り、星精力が聖樹へと流れ込む。無限の力を生み出す永久機関からの力の流入だ。今までは死んではいないが殆ど枯れているような状態だった聖樹ですら、一息の間に根に瑞々しさが現れた。

 

「───素子配列相互変換システムのアンインストール完了。……アビスゲート様」

 

再生魔法で全盛期のボディを取り戻し、更に雲上界に打ち捨てられていた新しいパーツを付け加えたG10の性能は、マザーには届かないだろうがそれでもただ用意されただけのファイアウォールを突破するくらいは造作もないらしい。しかも元々のCPUの計算速度も相俟って瞬く間に素子配列相互変換システムは消去された。

 

「あぁうん……結局そうなるのね……」

 

中のプログラムなんて幾らでも複製を用意しておけるだろうから、今入っているプログラムを破壊したのなら、次は機械の物理的な破壊だ。聖樹の根本に這い蹲っている機械の群れに、遠藤が闇色の短刀を突き刺す。更にそれをやっためたらに引き抜き揺すり動かし、不規則にコードや機器類をぶち壊していく。

 

───ドクンッ!

 

更にもう1つ、一際大きく聖樹が脈打つ。俺は植物と会話する術なんて持っていないが、それでも聖樹からの意思が伝わる。俺はそれに応えるようにどんどんと星精力を聖樹に注いでいく。

 

すると、機兵は全てぶっ壊したハズのこの空間にガシャガシャと金属とぶつかり合う音が響く。どうやらマザーが追加の護衛をコチラに寄越したようだ。

 

「げっ……神代、まだかよ!?」

 

「アビスゲート様!」

 

遠藤も無茶を言うようになったな。今の俺は聖樹からの情報を処理するだけで脳みそが精一杯だ。並列思考と思考加速でもってどうにかなっているが、マザーの機兵を相手にG10と遠藤を守るってのは美味くない戦いだ。だがまぁ、ここで遠藤達を見殺しにするワケにもいくまいて。

 

「───っ!!」

 

取り敢えず俺は何も見ずに俺達の周りを包むように氷の壁を何枚か張る。マジで状況を把握する余裕すらない。

 

どうやら床まで光っているようだが、それがどうかしたのだろうか。いや、魔素の霧散が無くなっている気がする。それに───これは聖痕も開いたな。

 

「───おっし!魔力復活!!」

 

と、遠藤が叫んでいる。どうやら魔力の霧散現象も無くなったらしい。聖樹によれば、この世界で魔力やその他色々が雲散霧消するのも、この聖樹からエネルギーが殆ど失われていたからのようだ。それが今は俺の永遠に廻る天星(アンフィニ・リュミエール)から莫大な量の星精力を得て活性化、それがその世界の歪さを解消しているようだ。

 

───もういいか?

 

俺の問いかけに聖樹は何も言わない。ただ無抵抗に変質者の分離を受け入れた。それだけではない、お土産のつもりか、聖樹から切り離された俺の右手にはルトリアの宝珠のような宝玉が置かれていた。さしずめ、聖樹の宝珠ってやつなのだろう。

 

「んー?」

 

見れば、真っ黒な衣装を身に纏った遠藤が爆裂に分身しながら機兵をボコボコにしていた。さっき魔力が復活していたとか何とか言っていたから、これまでの鬱憤も含めて全部ぶつけているのだろう。なんか一人称が我輩になって無駄に難しい言葉で何かを叫んでいた。

 

「んー?」

 

俺が言語理解ですら何を言っているのか分からない遠藤の小難しい言動を眺めていると、聖樹の根が蠢き、何やら奥底の方から出てきた。それは、鞘に収められた一振の刀剣……のように思えた。

 

「……これ」

 

まるで天之河の持つ聖剣のような黄金の輝きを湛えた美しい鞘。早く受け取れとでも言いたげにこちらに押し出されたそれを手に取り、鞘から刀身を晒す。露わになったその剣は両刃の大剣。刀身すらも黄金色のそれは刃の先端が俺の目にすら見えないほどに薄く、金属のはずなのに向こう側が透けて見えそうだった。

 

 

───ドクンッ!

 

 

俺の顔が映るくらいに磨き抜かれた刀身が脈打つ。その鼓動は、俺に早く振れと催促でもしているかのようだった。

 

 

───ドクンッ!

 

 

「……分かったよ」

 

 

聖樹が道を開いた。木の根の底……地底から地上への道。1本続くそれを聖樹は開いたのだ。取り敢えず俺は遠藤がぶっ壊したコンピュータやら何やらを更に絶対零度でどうしようもないくらい念入りに破壊しておく。

 

「遠藤ぉ、行くぞ!」

 

「我輩を呼ぶか、魔王よ」

 

この遠藤マジでうるせぇ。俺は無言で光の指す向こうを顎でしゃくる。遠藤はそれを見てまた何やら喚いているが俺はそれを無視して歩を進める。と言うか、もうこの遠藤は相手にしたくないし早くユエに会いたいから遠藤は放り捨てて走り出した。あぁ……俺を早く癒してくれ、ユエ様……。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「おーらら」

 

光の先に出ればそこは聖樹の外。しかし辺り一面機兵だったものが転がっており下界のガラクタ街と大差ない有様になっていた。空には6匹の龍が我が物顔で泳いでいる。そしてその中心には背が伸び、黒いドレスを着たユエ様が鎮座していた。それも、態々風属性魔法か重力魔法で空中に固定した椅子に腰掛けて、だ。貴女様はどれだけマザーを煽りなさるの……?

 

それはそれとして、いい加減聖樹から渡された大剣がピカピカ煩い。鞘ごと光るんじゃないよ、手元が眩しいんだよ。

 

「クハハッ!流石は魔王の奥方か。あのマザーがこうも一方的に!」

 

追い付いてきた遠藤がまた何やら大仰な口調でベラベラ喋っている。ホントこの副作用はどうにかならんかね。いや、キンジも近い感じになるからこういうものと諦めるしかないのかな……。力に代償は付き物ってワケか。

 

俺は仕草もセリフも小煩い遠藤を放って大気を空力で踏み締める。そしてトントンと階段を駆け上がるかのように空中を昇り、ユエ様の隣に立つ。

 

「……天人!」

 

「おう、お疲れ、ユエ」

 

「……んっ」

 

するとユエは座ったまま俺に頭を差し出した。頑張ったから撫でて、ということらしい。姿形だけ大人びてもこういうところはいつものユエで、それがどうしても愛おしい俺はマザーの存在なんて忘れたかのようにユエの金色の髪を梳く。

 

だがまだマザーはぶち壊されたわけではない。まだ少なくない数の機兵と、あの聖樹を覆っていた莫大な量の流体金属を侍らせて俺達の前に現れる。

 

「───何をしたっ!?一体何をっ!こんなエネルギー、この200年観測されたことなんて───っ!」

 

青々とした葉を広げ、その全身で瑞々しさを表現している聖樹を見てマザーが喚いている。それで俺はふとマザーを見やる。そしてマザーの疑問に何かを言うでもなく黄金の大剣を振るった。

 

切っ先から放たれた圧縮星精力が壮絶なまでの熱量を持ってマザーを襲う。

 

「ぐぅぅぅぅっっ!!」

 

けれどそれは流体金属の物量によって抑え込まれる。それでも俺の一振を防ぐために消費された流体金属の量は少なくはない。赤熱化してドロドロに溶けた金属はもうマザーにも操りようがないのかコアでもぶっ壊れたのか。ボタボタと、マグマの汗のように地表に零れ落ちた。

 

さてさて……本当ならこういう相手にこそ有効な手札が俺にはある。それは今まで魔力の霧散現象という枷によって封じられていたが、もうそれも解き放たれた俺は、宝物庫に大量の魔力を注ぐ。

 

宝物庫からの召喚の余波だけでマザーも機兵も吹き飛ばされた。そして現れたのはコチラも機械仕掛けの兵隊達。ただし、その姿は伝説上の生き物や実在の生き物を模していたり、もしくはそれらを掛け合わせた化け物のような姿ではある。そして、コイツらがただの機械仕掛けと違うところは、明確に()()()がいることだ。

 

「悪魔共、ようやく出番だぜ。手前らの力ぁ見せてみろ」

 

悪魔が取り憑いた生体ゴーレム約5000機。随分と就職希望の悪魔が多かった。地獄でだいぶ数を減らしてやった筈なのだが、復活でもしたのだろうか。それとも悪魔ってそうそう簡単には消滅しないのかな。

 

さらに呼び出すのは聖樹を守り覆うような無数の氷の壁。そして砲台代わりのビット兵器……これも1000機ほど。瞬光による知覚拡大でもって莫大な数の兵器を俺は1人でも操れる。

 

だがまだ足りない。宝物庫には兵器がまだまだ眠っている。

 

俺はさらに太陽光収束兵器を7機全て召喚。マザーが流体金属で作り出した金属の巨人……それの肉体に風穴を開ける。それを合図に悪魔共も戦闘を開始した。……いや、果たしてこれは戦闘と呼べるものなのだろうか。プログラムよりも臨機応変に対応や連携の取れる異世界製の生体ゴーレムが持つのは魔法によって別の次元へと昇華された機械仕掛けの近代兵器なのだ。

 

マザーの作り出した機兵達の持つ武装も、もちろん俺達の地球にある兵器と比べたら破格の性能を持つが、根本的にそれを操る側の性能に差がある。

 

マザーはさらにこの世界中にばら撒いた流体金属を集め始めるが、それが形を成した側から黄金の大剣による熱量斬撃と太陽光収束兵器による熱線により体積を吹き飛ばされ赤熱化した金属はマザーのコントロールを離れて重力落下するのみ。

 

機兵達もみるみるうちにその数を減らしていく。悪魔憑きの生体ゴーレムだって撃墜される奴はいるのだが、それだって中の人が機兵のどれかに適当に乗り移ってその制御を手中に収めてしまう。

 

「有り得ないっ!有り得ないっ!!」

 

神気取りの奴は追い込まれると似たような反応になるようで、マザーもエヒトと同じような言葉を叫んでいる。しかし聖樹も凄まじくお腹が空いていたようで、変質者で同化していた数分の間に俺の身体から聖痕を通してとんでもない量のエネルギーを吸い上げていった。その結果がこの世界での魔力霧散現象の解消とほぼ枯れているに等しかった聖樹の復活。オマケに一飯のお礼なのか知らんけど、聖剣に似た大剣と聖樹の宝珠まで寄越してきた。そしてこの黄金の大剣、どうやら星精力を莫大な熱量の斬撃として切っ先から放つ以外にも色々出来るようだ。

 

黄金の大剣の刀身からバチバチと電気の爆ぜる音が響く。そんな俺をぶち殺そうと機兵の1機からレールガンが放たれる。だが俺はその砲弾が放たれる銃口の()()()()()()()()()()()()()知覚し、身体を流すことで躱した。

 

人体の神経系の情報伝達速度では、普通の拳銃から放たれる9パラですら近距離からでは放たれた後に知覚してそれを避けることは出来ない。銃弾にカウンターを合わせたり避けたり出来るのはただ単にそれらが放たれる前から行動しているっていうだけ。だが、それはあくまで人体の速度の場合。

 

この黄金の大剣、どうやら星精力を電気に変換し、更にそれを俺の体内に流して情報伝達速度すら上昇させてくれるらしい。勿論それに応えられる肉体強度と情報処理能力が必要なのだが、俺の身体は既に人間のそれではなく、処理能力も瞬光を使っていたおかげで普段から常人のそれではない。

 

しかも、ただ星精力を電気に変えるだけでなく、それを超高圧に圧縮した上で指向性を持たせて標的にぶつけられるらしいな。それだけじゃあない───

 

 

───バリバリバリッッ!!

 

 

と、大気を切り裂くような音を立ててマザーが放つ空からの雷撃を大剣で受け止めれば、まるで魔力が纏雷になるように、自然の(いかづち)を星精力に変換、それをもう一度高圧電流に変換して刀身に貯める。

 

俺が刀身を真横に振り抜けば、両手に構えた高熱ブレードで俺を両断せんと迫っていた機兵を白雷が貫いた。

 

全身からスパークと黒煙を溢れさせて沈んでいく機兵。空力で空を踏み締めて飛び出せば目の前にはバルカン砲を構えた機兵。だが、6門ある砲身に大剣を這わせれば──キン──と甲高い音を立ててそれらは真ん中から切り落とされる。

 

今度は超低温の刃だ。しかも機兵のドテっ腹に刀身を差し込めば内部から全身を凍結させられ、機兵は爆発することすら出来ずにその動きを止める。

 

動かなくなった機兵を放り捨てるように振るえばその切れ味故に微動だにせず腹を裂かれた機兵はただ地表に落ちて砕けるのみ。

 

それだけでこの大剣は終わらない。大気を刀身に集中させれば空気の圧縮によって光の屈折し、捻じ曲がりって刀身そのものが不可視になる。そして集めた空気を解き放つように薙ぎ払えば暴風が吹き荒れて俺を狙ったバルカン砲の弾丸は逸れて明後日の方向へと撒き散らされた。

 

そしてもう一度振るえば今度は真空の刃が無数に放たれて、俺に迫ろうとする機兵を数機まとめて切り刻んだ。

 

纏雷、氷の元素魔法、風爪……どうやら聖樹は俺と混ざった間に俺の攻撃手段を読み込み、この大剣に搭載したらしい。しかも俺の持つ固有魔法のそれ以上に応用パターンが豊富だ。

 

その圧倒的な性能に俺が思わず大剣を見やれば、まるで人間がドヤ顔でもするかのように刀身がピカピカを光る。もしかしたら、褒めて褒めてと言っているのかもな。

 

「いや凄いよお前は」

 

素直にそう言ってやれば大剣には意思があるかのように再び光り輝く。今度は嬉しいんだか照れてるんだが、そんな感じに思えた。

 

「───何を……したのですかっ!!」

 

どうやらまだマザーは生きているらしい。G10のような球体が流体金属を侍らせながら俺の前に現れる。とは言えそれに答えてやる言葉を俺は持たない。戦闘中に敵と会話してやる優しさなんて持ち合わせてはいないのだから。

 

俺の無言をどう受け取ったのか、マザーは流体金属を槍のように射出。俺はそれを大剣で切り捨てることすらせずに宝物庫を起動。放たれたそれを宝物庫の中に収めてしまう。実はコルトランで戦った後にも流体金属を回収しているのだが、取り敢えず集めるだけ集めておこうと思う。使うかは知らないけど宝物庫の中の空間は広大だからな。

 

そうしてから俺は黄金の大剣を一振。放たれた熱量はマザーの金属の身体を焼き貫き、ドロドロのマグマに変えて地面へと落下させた。

 

だが俺は羅針盤を取り出して魔力を注ぐ。それで得られた情報を元に指を指せば、そこには1機だけあらぬ方向に逃げていく機兵。あれが今はマザーの肉体のようだ。

 

「───G10」

 

「ありがとうございます、神代様」

 

G10が操るのは放棄された砲台のレールガン。それがマザーに狙いを定める。

 

「止めなさいG10!私がいなければ楽園は───っ!!」

 

当然マザーだって生存を諦めない。命乞いをしながらも建物の間に紛れ、G10からの射線を切ろうとする。けれどもう遅い。全てがマザーにとっては手遅れなのだ。

 

「往生しやがれ!ですぅ!!」

 

魔力の霧散現象から解放され、神霊の力も完全に使えるようになったシアが現れた。空にはアガレスの姿もあるから空間を跳躍したのだろう。でなければいくらなんでもこの短時間でこんな所までは来られまい。……いや、シアさんは分からないな。あの子なら来れてしまう可能性を捨てきれない……。

 

「───なっ!?」

 

シアの美脚から放たれた回し蹴りによって遮蔽物の無いだだっ広い空間に投げ出されたマザー。そしてその瞬間を虎視眈々と狙う銃口が1つ───

 

「───任務完了……です!」

 

壁から放たれた超音速の砲弾が機兵を撃ち砕く。轟音と共に炎に包まれるそれが夕焼けの中、地に落ちた。それがこの理想郷(ディストピア)の終わりであり、人が人として生きる世界の始まりだった。

 

 



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繋がる世界

 

 

機械仕掛けのディストピア世界は、人の手に戻った……だろう。この先この世界がどうなるかは知らない。きっとG10がそれなりに上手くやるのだろうが。

 

アイツも、取り敢えずマザーという支柱を失った世界が混乱に陥らないようにコントロールはするらしいし。もっとも、徐々に手綱を手放し、いつかは完全に人の手に世界を委ねるつもりらしいが。

 

しかもその証として俺と天之河、ジャスパーに自身の自爆装置の起爆スイッチを渡していたのだ。けれども俺はこの世界で生きていくわけじゃない。そんな俺がこの世界の何を握ろうと言うのだろう。そんなわけで、当然にそんなもの要らない俺はその場で絶対零度を使ってスイッチを消し去ったのだ。

 

そして、そんな俺を見て天之河もスイッチを俺に寄越してきたのでそれも併せてぶっ壊した。今あるスイッチはジャスパーのものだけだが、アイツだけはあれを持つ意義はあると思う。俺達のように別の世界で生きる人間ではなく、この世界で生きる人間がこの世界のスイッチを握っているのは当然のことだからだ。

 

今俺達は聖樹の馬鹿デカい枝の上で寝転んでいる。天之河もコチラに回収し、シア達は一旦砂漠の世界に戻ってもらった。この世界は人が科学技術で生きていく世界になるのだ。そこに俺達のようなオカルトチックな存在は必要無い。

 

「……シア達帰しちゃって良かったの?」

 

と、俺に膝枕をしてくれているユエが上から問い掛ける。シア達には砂漠の世界に戻ってもらったが、ユエだけは残ってもらっている。と言うか、帰る時にユエがイヤイヤしたのでまぁいいかとシア達だけで戻ったのだ。その時にはシア達に生暖かい目で見られていたけど、最近はルシフェリアやカーバンクルのことでユエには寂しい思いをさせたこともあるし、シア達もそれは分かっているから何も言わなかった。後であの子達ともそれぞれ2人で過ごさなきゃな。

 

「ま、後はアイツらの回収だけだから別に大丈夫でしょ」

 

アイツらとは生体ゴーレムに取り憑いた悪魔達のこと。今アイツらは機兵に乗り換えた奴も含めて、皆でマザーの残した超兵器の回収をしてもらっている。何に使えるのかは分からないけど、アーティファクトの作成やゴーレム達の強化、最悪誰かとの取引にでも使えるでしょうという、言ってしまえば何となく集めているだけだ。

 

一応、聖樹からもたらされた情報は共有してある。香織達の地球と、シアと共に落とされた地獄。ティオと飛ばされた竜の世界やエヒトが滅ぼした世界、シアが呼び出された世界、トータスにこの世界と砂漠の世界が全て聖樹、ないしは大樹やそれに類するもので繋がっていること。そして聖樹達は"素子"と呼ばれるそれらの世界に満ちるそれらの世界固有の異能の力の源をそれぞれの世界に合った形に変換して放出しているということ。それからもう1つ、聖樹ないしは大樹で繋がってる世界があるということ。ただし、地球と地獄の樹は既に存在しないらしい。

 

その他ウダウダと俺の頭の中に情報だけ叩き込んできたけれど、そのほとんどはあの大剣の使い道についてだった。しかもそれらの情報を言語ではなく概念で押し込めてこようとするのだから俺の頭が危うくパァになりそうだった。て言うか、思考加速と並列思考のスキルを働かせていなかったら確実に頭パァにされてたな。人の脳みその容量を考えてほしいものだ。

 

そうしてしばらくユエの太ももの上で甘えていると、下の方からワサワサと音が響いてきた。どうやら悪魔達が帰ってきたようだ。

 

「こりゃまた集めてきたなぁ……」

 

これ絶対後で回収品リスト作らないと駄目なヤツだ。いや、もう面倒くさいから全部G10にやらせよう。そんでG10が纏めたら紙で出力してもらおう。でなければ絶対に把握出来ない。俺の頭は今度こそ本当にパァになる。

 

「……G10、よろしく」

 

「はい。お任せを」

 

こういう作業は流石AIだけあって得意だし早い。悪魔達が機械の身体で差し出してきたこの世界の兵器の数々を一目見て把握し、記録していく。

 

「うい、ご苦労様でした」

 

そして、兵器の確認が終わった奴から順番に宝物庫の中へと戻っていく。この宝物庫も整理というか、環境もどうにかしてやらなきゃいけないんだよなぁ。今は作ったまんまの飾り気どころか光すらまともに存在しない筈だからな。

 

つらつら……つらつら……先のことをどうしたもんかと足りない頭で考えていると、そのうちゴーレム達は皆宝物庫の中に戻ったようだ。

 

さて、この世界の引き継ぎももう済ませてある。意外とリーダーの適性の高かったジャスパーがG10と上手くやるだろう。あの時は完全には外しきれなかった素子配列変換システムも宝珠と力技で取り除いた。もうこの世界に俺達は不要だ。

 

「じゃあ、1回帰るか。G10、後で取りに来るからさっきのリスト紙にも出しといてくれ」

 

「承知しました」

 

と、俺は宝物庫から越境鍵と羅針盤を取り出そうとして───

 

──あぁっ!奇跡です!再び世界が繋がるなんて!!──

 

そして最悪を予感させる言葉が響いた。しかも聖樹までもが急に光り輝き出した。もう誰に何を言われなくても分かる。何なら何故か天之河の聖剣と俺の大剣も輝き出している。無駄な抵抗と知りつつもそれらの剣から放出されている光の粒子に対して氷焔之皇を発動。けれども、やはりと言うかやっぱりそうだよねと言うか……ともかく氷焔之皇は全くの効果無し。俺はもう全てを諦めてユエを抱き締める。

 

「……これは?」

 

「……異世界転移。しかも拒否権無し」

 

多分また飛ばされた直後には厄介事に巻き込まれ、そしてそれを解決すると誓うまでは帰らせてもらえないどころか越境鍵の使用すら封じられるのだろう。

 

「……逃がすか遠藤!!」

 

「ぐわぁ!!本気の隠形すら見破るだと!?」

 

こっそり逃げようとしていた遠藤を氷で引っ捕まえてコチラに引き寄せる。そんな遠藤を更に天之河が勇者の膂力で拘束。そして4人して身体が薄くなっていき───

 

「───人を掃除屋みたいに使うんじゃあねぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

そんな俺の魂からの叫びを余所に、皆仲良く別の世界へと飛ばされるのでありました。

 

 

 

───────────────

 

 

 

視界が開けると、そこは光に溢れた世界だった。そして、そんな光の向こうから一人の女が歩み出た。穢れを知らない真っ白いドレスのような衣装にプラチナブロンドの髪の毛、深緑の瞳を持つ彼女はきっと絶世の美女とか傾国の女とか呼ばれるのだろう。ただ、彼女がおそらく無意識に醸し出している神々しさというか、その見目麗しさとは別に持っている存在感は俺の義眼を使わなくても彼女が超常の存在だと俺達に理解させてくる。

 

「私の名はアウラロッド・レア・レフィート。天樹の化身、調停者、あるいは女神と呼ばれる者。しかし、もはや私の力は及ばずに世界は危機に瀕しています……」

 

そう静かに告げた女。そして天之河を真っ直ぐに見据えたまま言葉を繋げる。

 

「どうか……この世界をお救い下さい、勇者様!!」

 

女神……また神様か。もう嫌だなこんなのに関わるの……。という俺の思いは誰に届いたのか。天之河は少しの間空を見上げ、そして拳をキュッと握り締めて───

 

「どうしてそこで諦めるんだ!馬鹿野郎!もっと頑張れ!君ならできる!君を信じる俺を信じろ!!大丈夫だ!やれるよやれる!!」

 

なんて、益体もないことを心のままに叫んだ。どうやら2度の強制異世界転移と無理くりの世界を救えという世界からの命令に天之河ももううんざりのようだった。しかも、天之河がそんな叫びを悲壮感溢れる女神様にぶつけている間に越境鍵を空振りさせていた俺はただただ盛大な溜息をついて、女の子座りをしたユエのお腹に顔を埋めていた。

 

「えと……もう既に5000年ほど不眠不休で働いているんですか……まだ助けてもらうわけには……はい、ダメですよね……自力で頑張りますね……」

 

すると、ユエのお腹に顔を埋めていたにも関わらずピカピカとやかましかった世界から急に色が失われていくのが分かった。暗くなった世界に何事かと仕方なく顔を上げれば露わになるこの世界の本当の姿。

 

と言うか、さっきまでの見栄えは映像の投影か何かで補正してたんじゃないかってくらいにアウラロッドさんの衣装もプラチナブロンドの髪の毛もヨレヨレで、やつれた肢体に目元には深ぁい隈が浮かんで……というかもうほぼ顔が死人だ。

 

で、そんな過労死寸前と言うか、過労死した傍から蘇生させられて働かされていそうな女神様に随分なお言葉を投げかけてあげた勇者様。しかし流石にこの様子を見て不味かったと思ったらしく、今度は優しく慰めてあげている。

 

「なぁ神代」

 

「言うな遠藤。帰るにはこの世界をどうにかしないと駄目だ」

 

でないと越境鍵が使えないので。鍵が刺さらないと異世界転移は出来ないんですよ。

 

というわけで俺は天之河に神水の入ったボトルを渡してやる。この女神様がどれほど役に立つのか知らんが少なくともこの世界の事情は把握しているだろう。俺達に必要なのは情報だ。戦闘力だけでなくユエもいるから色々できるだろう。最悪また世界に向けて宣誓してティオと香織を呼び出す。

 

で、天之河から受け取ったペットボトルに入った神水を飲み干したアウラロッドさんは空いたボトルの回収を断固拒否し、宝物だとか言い出す始末。面白そうだから動画を撮っていたのだが、やはりというか流石はイケメンというか、5000年振りに優しくされた女神様は見事に天之河に()()()いた。

 

「あーあ、これモアナに見せてやろーっと」

 

しかし人のピンチを動画に撮るってのは意外と楽しいものなんだな。まぁ流石に死に際を勝手に動画に収めるのはやっぱりどうなんだと思うけども。

 

「楽しんでないで助けてくれないかなっ!?」

 

「はいはい、どうせまたこの世界もどうにかしないと帰れないんですよね知ってます」

 

まったく、また世界の意思とやらに押し付けられた世界救済の旅かよ。俺は防犯装置じゃねぇんだぞ。仕方なしに立ち上がった俺は天之河ばっかり見蕩れているアウラロッドの頭を引っ掴んでこちらを向かせる。

 

「───と言うわけで、事情を全部話せ。アンタの都合なんか全部無視して俺ぁこの世界を救ってやる」

 

 

 

───────────────

 

 

 

まずは見た方が早いと言われて俺達はアウラロッドに連れられこの天樹と言うらしい巨大な樹木の外に出る。どうやら俺達が召喚されたのは木の洞と言うか、天樹の中だったらしい。

 

そして現れたのは雷撃を放ち九の尾を持つ巨大な狐のような化け物。遠藤曰く、あれは九尾という存在の化け狐らしい。尻尾の数がそのまま名前なんですね。

 

それと、この天樹はアウラロッドを絶対に死なせない。と言うか、気絶しそうになろうものなら不思議パワーでブラックアウトを防ぎ、どんな致命傷も瞬く間に回復させられていた。ある意味隷属に近い関係性のように思うのだが、言わないでおいてやろう。そんなこと言ったらアウラロッドが可哀想だ。

 

んで、九尾以外にもドンドコ妖怪や化け物の類が押し寄せてきていた。しかもこのドデカい天樹を狙って。

 

アウラロッドは天樹の援護(バックアップ)はあれど1人でこれを5000年間も凌いでいるらしい。そりゃああんなにやつれますよね……。

 

しかもこの天樹、目測で高さが3キロ程はある。直径もとんでもないくらいに広く、具体的にはよく分からない。ただ、多分ハイリヒの王都くらいは収まりそうだ。けれども、自然は残念ながら半径で1キロ程しか広がっておらず、その向こうは見れた光景ではない。

 

空には太陽こそあるが、空気が悪いのかスモッグが掛かっているようで、サンサンと輝く、とはお世辞にも言えない。本当にこの世界は危機的状況らしい。

 

九尾の方は天之河の聖剣が急に2キロ程伸縮して貫き殺した。その死に方も、ホロホロと崩れていくような死に様で、とても肉を持った存在とは思えない。

 

降って湧いた鼻の長い化け物は多重加速式拳銃で死角から頭を砕く。そうすればそいつもホロホロを灰になって消えた。あとさっきから宝物庫の中が騒がしい。て言うかなんで空間ごと断絶されているはずの宝物庫からそんなに要求を飛ばせるんだこれは……。

 

「……はいはい」

 

しかし煩いものは煩いので俺は仕方なしに宝物庫から黄金の大剣を召喚。何かもうやる気満々って感じだ。

 

「───えっ!?それは……」

 

で、どうやらアウラロッドさん、この体験の存在を多少はご存知の様子。これは後でお話してもらわなきゃなぁ……。

 

「取り敢えず……」

 

俺はこの天樹の周りに氷の壁を張る。それは高さが3キロもあり、直径だってこの聖樹を囲むくらいにはある超巨大なもの。さながらマザーが聖樹を囲っていたように俺も氷焔之皇を纏わせた氷の筒で天樹を覆う。

 

「それで?あれは何で、ぶっ殺しちまっていいのか?」

 

「───えっ!?あ、はい、彼らは狂いし妖魔。世界が断絶されたことで理性を失い、伝承という名の本能に引きずられた存在。ただ想念の源流たる天樹を求めるのです」

 

「……ユエ、解説」

 

「……はぁ。……アイツらは頭がパァになったから本能のままにこの天樹を襲うらしい」

 

溜息をつきながらもユエ様が俺にも分かりやすいように噛み砕いて説明してくれた。まったく、アウラロッドもこれくらい分かりやすく言ってくれればいいのに……。

 

「……女神様、話し合いの余地は?」

 

相変わらずお優しい天之河がそんな問い掛けをする。頭パァなんだから言葉なんて通じないと思うんだけどな。

 

「要は、だ。アウラロッド。アイツらは殺す他ないのか?」

 

「ご安心を、勇者様。彼らを討つことは死には繋がりません。妖魔の死とはただ1つ、世界からの忘却だけ。ここで討伐しても彼らはいずれ復活するのです」

 

「復活?生き返るってことですか?」

 

「正確には死んでいませんから生き返るわけではありませんので、再生とでも捉えるべきですが、おおよそそのような認識で構いません。むしろ、一時的とは言え狂った彼らを討伐することは少しの救いになるでしょう」

 

「……じゃあ俺からもう1個。俺ぁ不思議パワー……アイツらの放つ雷とかそういうのを吸収して自分の力にできる。アイツらは身体が血と肉じゃなくてそういう力で構成されてると思うんだけど、それごと吸収してもアイツらはそのうち再生されんの?」

 

物理的にぶっ潰すのは大丈夫そうだが、正直面倒なので俺の氷焔之皇が届く範囲はそれで全部終わらせてしまいたいものだ。

 

「……仮に、そんなことが可能なのだとして、問題ありません。彼らは様々な世界から流れ込む想念によって構成されますから。今の肉体にはそれほど意味は無いのです」

 

ふむ……ということはここは俺の独壇場ってワケか。て言うか、あの機械仕掛けのディストピアが面倒だっただけで基本的に魔法とか超能力とか溢れてる世界なら俺の敵なんてそうそう居やしないのだけれど。

 

「じゃあ行きましょうかね。ここで引き篭っててもどうにもならないし」

 

そう告げた俺はアウラロッドに先導させて天樹の上へと登る。道中でアウラロッドが天之河に抱っこされてデレているのは当然録画している。後でしっかりと揶揄(からか)わなければならないからな。

 

そして天樹から見下ろせばウジャウジャといるわいるわ、見上げても色々といる。理子とやったゲームで見たような奴からよく知らん奴までワサワサと気色悪いくらいに化け物共が湧いていた。

 

「それで天之河、お前はどーすんの?」

 

コイツがそれでも命を奪いたくはないと言うのなら別にそれでもいい。コイツらの相手なんて俺1人でも充分。そこにユエと魔法が十全に使える遠藤がいるのだから何の憂いもない。

 

「やるよ……今は女神様を信じる」

 

「あっそ、じゃあ1人で方角1つ分な」

 

と、俺が適当に歩みを進めようとしたその時───

 

「───皆さん伏せてっ!神鳴りがきます!」

 

アウラロッドがいきなり叫んだ。そして、空を舞うデカい竜から極大の雷撃が放たれた。だがその瞬間には俺は氷焔之皇の壁を展開。何の抵抗も無くそれは全て俺の力へと変わる。

 

「……え?」

 

それを見たアウラロッドの目が点になっている。壁で防ぐにしてももうちょい大きなぶつかり合いが起きると思っていたらしい。

 

「言ったろ、吸収できるって」

 

「諦めてください。コイツはこういう奴なんです」

 

えぇ……というアウラロッドの呟きはふわりと漂って消えた。ただ、竜の方は流石頭がパァ。何も理解していないようで今度は四方八方に雷撃をぶちまけている。けれどそんなもの俺の氷焔之皇の前では何の意味もない。面倒になった俺は氷の槍で竜を貫く。もちろん氷焔之皇を纏っているそれで貫かれれば、その存在をこの世界での魔力に相当する力で構成されていた竜はそれそのものが俺の力に変換されて収められた。

 

「───っ!?この気配は呪詛です!物理的な障壁は意味を成しません!浄化するまで耐えて───」

 

俺はアウラロッドの言葉を待つまでもなく天樹を覆っている氷の壁に蓋をした。すると呪詛もやはり壁にぶつかり、俺の力と変わる。とは言えこうなると俺以外は外に出れないな……。

 

「あ、あれ……?」

 

「えぇと……確かこの辺に……」

 

基本的に自分が使わないから存在を忘れていたあれを宝物庫をほじくり回して取り出そうとする。えっと……中々出てこないな……。あ、あったあった。

 

「はい、遠藤と天之河……あとアウラロッドもこれ」

 

神域に入る時のために作ったアーティファクト。魂への干渉を防いでくれるペンダントを3人に投げ渡す。元はシアがライセンで受け取ってきた珠である。

 

「……私のは?」

 

「ユエは俺ん氷焔之皇でいいでしょ」

 

あれなら飛んできた傍から俺の力になるし、ただ防いでくれるアーティファクトより有用性があるのだ。

 

「むぅ……私も天人から贈られたい」

 

「どうぞっ!」

 

俺は咄嗟にアーティファクトを取り出して恭しくユエの首に掛けてやる。ユエ様にそんなこと言われちゃあ出さないわけにはいかないよね。

 

「勇者様には私からもお渡ししたいものがあります」

 

と、俺が天之河に空力入りのシューズと金剛を張れるガントレットを渡していると、アウラロッドが胸の前で手を組みながら天之河を見つめている。その視線は……どこか見惚れるようにうっとりとしていて……何故か俺まで嫌な予感がしてくる。

 

「あ、はい」

 

「勇者様には聖剣ウーア・アルトがあるようですが……」

 

サラリと明かされる聖剣の銘。しかしその程度は些事のようでアウラロッドさんはお話を続ける。

 

「どうぞ!私のこともお受け取りください!」

 

「それは断固拒否したいです!」

 

「遠慮なさらずに!私の全てを勇者様捧げます!」

 

お願いだから話を聞いて、天之河のそんな切ない思いはぶった切られてアウラロッドは祈るように手を組み、そして───

 

「あんぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」

 

きっと女神と呼ばれている奴が出してはいけない類の叫び声を上げながらビキビキと音を立てて身体の内側から木の根を生やしていく。いや怖……。え、なんか木の根に覆われて光だしたぞコイツ……。あ、なんか木刀が出てきた。でも木の割には切れそうな刃をしている……。

 

天剣アウラロッドと名乗るその不審な剣がピカピカ光ながら天之河に持たれようとしている。しかも天之河が元々持っている聖剣がペカーッと光出して何やら不満を漏らしているようだ。

 

だがもうここまできたら天之河にはアウラロッドを拒否することはできない。否が応でも天剣を振るうしかないと悟った天之河は嫌々ながらも天剣を手にした……その瞬間───

 

「うわ……」

 

何故か天剣から黒い光が放出されて天之河を覆ったのだ。そして光が晴れるとそこには───

 

「………………あっひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」

 

元々の茶髪に白いメッシュが入り、左の瞳が緋色、右の瞳は翡翠色、しかも顔面の右半分には蔦と木の枝が絡まったような紋様が浮かび上がったのだ。これは……なんと痛々しい姿!!

 

「笑いすぎだろっ!!」

 

腹を抱えて笑い転げている俺に天之河がキレる。けど聖剣の刃に反射した自分の姿のあまりの痛々しさにそれも鎮まってしまう。

 

ちなみにこの間にもずっと俺の張った氷の壁にはボコスカと色んな攻撃がなされている。物理攻撃以外は全て何の抵抗もなく俺の力になっているからそれほど労力は割いていないが、このまま待っていても埒はあかないだろうな。

 

「あ〜笑った笑った……。ほんじゃま、行きますか?」

 

生理的な涙を拭いつつ俺はユエを後ろからハグしてそう告げた。それには天之河も遠藤もちょっとジト目をくれやがったがそれはいつものこと。

 

「……んっ」

 

「あぁ」

 

「おう」

 

俺の黄金の大剣もさっきからピカピカ喧しいし、さっさと終わらせてしまおう。きっとこんなもの、俺にとっては戦いにすらならないのだから。

 

「……ん」

 

「……んっ」

 

俺はユエと1つキスを交わし、俺達は4方向に別れる。目の前に広がるのは有象無象の群れ。狼煙代わりだと俺は前方に魔法陣を大量展開。視界を埋め尽くすそれらに魔素を注ぎ、極大の氷の槍を超音速で射出した。

 

音は無い。魔槍はそんなものを置き去りにした速度で放たれたから。瞬く間に妖魔とやらをまとめて吹き飛ばし、俺は左手で大剣を振るう。今度は莫大な熱量を誇る火線が妖魔の群れを消し飛ばした。更に右手には闇色の大剣───覇終を召喚。圧縮された漆黒の魔素を斬撃にして叩きつけた。

 

氷の槍が降り注ぎ黄金の熱線と夜色の斬撃が空を蹂躙する。10数秒後には俺の視界に妖魔とかいう存在は消え果てていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

あの程度の妖魔を退けたところで、この世界の滅びの道は続いているのだとか。まぁそりゃあそうか。アイツらは何らかの理由があって5000年もの間狂い続けているんだもんな。

 

で、アイツらが天之河や遠藤、果ては俺ですら知っている妖怪やモンスターの類によく似ている理由。それはあらゆる──きっと聖樹らで繋がっている世界に限るのだろうが──の伝承が具現化した存在だかららしい。どうにもこの世界のエネルギーは念素と呼ばれていて、アイツらはそれらを束ねることで具現化しているのだとか。

 

そして、色んな世界の伝承や伝説、果ては畏れや願いや祈り、尊敬や崇拝も全ては想念であり、この世界は天樹を通じてその想念を念素に変えているらしい。

 

……という話をアウラロッドからされたのだが、面倒な言い回しをされてよく理解できなかったのでユエに解説してもらったらそういうことのようだ。

 

ちなみに妖魔達の中でも特に強力な力を持つ奴らは今はアウラロッドが封印しているのだとか。とは言え、それを理由にアウラロッドの力もかなり制限されているらしいが。

 

「それで、妖魔達があーなってる理由は……その想念とやらが入ってこないから腹ペコなんだろ?んで、想念が入ってこない理由は、世界がそれぞれ断絶されたから」

 

この辺の知識は聖樹から無理矢理頭の中に突っ込まれたものだ。あんまり思い返そうとすると頭がパァになりそうだから出来れば考えたくはないのだけれど。

 

「なっ……何故それを……!?それに、貴方の持つその黄金の剣、それは一体どこで……」

 

「んー?知識はアンタが俺達を呼び出した時にいた世界でこの天樹と似た存在……向こうじゃ聖樹とか呼ばれてたけどな。それから教えられたんだよ。剣の方は……聖樹のエネルギーが尽きかけてたからたらふく食わせてやったんだけど、そのお礼だってさ」

 

これと一緒に渡された宝珠も見せてやればアウラロッドはただでさえ大きな瞳が零れ落ちそうになるくらいに目を見開いてこれを凝視している。

 

「……そう、ですか。えぇその通りです。加えて言えば、想念の循環が滞って濁ってしまったことも原因です……」

 

なるほど、水だって流れなければ腐るもんな。と言うか、何事も巡り巡って循環していかなければいつか朽ち果てるのだろう。きっと、それへ魂であっても同じこと……かもしれない。

 

「ま、完全にゼロになったワケじゃあなさそうだけどな。お互いの世界を繋いでる天樹達だって完全に消えたのはこの勇者と中二病患ってる忍者の世界と地獄世界の2本。トータスのはいつでも復活できるようにはしてあるけど、今は意図的に枯らされてる。知ってる中で元気なのはルトリアのところと、ついちょっと前まで死にかけだったこの大剣の世界のやつだな」

 

ここら辺の知識もそれはそれは強引に聖樹に叩き込まれた。まったく、俺はそろそろ頭痛がしてきたよ。だからユエさんや、俺にお膝を貸してくださいな。

 

と、戦いも一息ついて俺のために女の子座りをしたユエの太ももに頭を乗せて横たわる。そしてそのまま言葉を続けた。

 

「この天樹達で繋がってる世界は全部で9つ。その全てが別の1つの世界───魔力やら星精力の源になった素子とか言うやつを生み出す世界に繋がっている」

 

アウラロッドの「何故それを!?」みたいな顔は放って俺は話を続ける。だからだいたいは聖樹に聞いたって言ったでしょ。

 

「で、今の奴らをぶっ飛ばしただけじゃあ終わらないんだろ?何をどうすればこの世界は救われる?やってやるから全部話せ」

 

俺がユエに膝枕をしてもらいながら睨めば、アウラロッドは諦めたようにこの世界を救う方法とやらをポロポロと語り始めた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「じゃあ行ってくるよ」

 

遠藤を越境鍵で送り出し、俺とユエも向こう側への扉を開いてこの世界を救う第1歩を踏み出そうとしていた。

 

この世界を救うには根本的には9つ全ての世界から想念がこの世界に送られるようにしなければならない。そのためには各世界の天樹復活が必要なのだが、地球や地獄、エヒトが滅ぼした世界等からは消えてしまっている上に砂漠の世界は詳細不明。マザーの支配していた世界は、想念を生み出す人間の数が根本的に足りていない。

 

そのため、それらを力技で復活させるにしろ、それまでにこの世界が滅亡する公算のほうが高い。だからまずはこの世界をある程度持ち直させなければいけない、というのがアウラロッドのご説明だった。

 

そして、この世界の女神はなんと半分職業でアウラロッドも5000年前に前任者から引き継いだのだとか。しかも前任者はこの世界の四方に小天樹なる枝分けした小さな天樹を植えたらしい。それが復活すればその周りの妖魔は正気を取り戻すだろうとのこと。ただ、これも4本のうち2本は既に朽ち果てて終わってしまっているらしい。

 

なので俺とユエ、遠藤は残りの2本を復活させてこの世界の均衡を多少なりとも取り戻す。そして今度は繋がっている9つの世界の天樹をどうにかする、というのがこの世界を救う方法らしい。

 

で、その復活にはアウラロッドが用意した天樹を更に小分けした枝を使うらしい。俺達はそれを受け取り、遠藤は既に旅立った。

 

ちなみに天之河は防衛役。またいつ妖魔共が攻めてくるか分からないからな。こういう大人数を守る役割はやはり勇者がふさわしい。それに、天之河が1番天樹の恩恵を受けられるからな。

 

「あぁ、こっちは任せてくれ」

 

「では、お願い致します。神代様、ユエ様」

 

「ん」

 

「……んっ」

 

2人のお見送りを受け、キスを交わした俺達は扉をくぐる。そして視界が開ければそこはこの世界の北の果てだった。

 

「……思ったより暖かいな」

 

「……んっ。北って言うからもっと寒いかと思った」

 

この世界はどこもそれなりに温暖な気候なのだろう。まぁ俺にとってはそれほど関係は無いのだが、景色が寒々しいのはあまり好みではない。

 

とは言え、気温がそれなりだからと言って景色もそれ相応かと言われるとそうでもない。やはり滅亡寸前の世界。"小"天樹と言っても300メートルくらいはありそうな巨大な樹木と、それが雑草にでも思えてしまいそうな程に巨大な人型の化け物。所謂巨人とやらが咆哮をあげながら小天樹を殴っている。どうやら結界のようなもので守られていて、それなりに持ち堪えてはいるようなのだが、それが一体いつから続いていていつまで保つのか、きっと時間的猶予は人間の感覚であっても幾許も無いのだろう。

 

むしろ、ビキビキと響く不吉な音が知らせるのは頼みの綱の結界があと数発も巨人の鉄槌を耐えられないのだということだけだった。それはとりもなおさず、小天樹がへし折られるまでのタイムリミットであった。

 

さて、と1歩踏み込んだ俺は左手の大剣を強く握る。ピキピキと音を立てたそれから俺の体内に電流が流れていく。足元で魔力を爆発させ、重力操作のスキルも相まって一息の間に俺は振り上げられた巨人の鉄拳と小天樹の間に身体を滑り込ませた。

 

そして俺の存在なんて全く眼中にないかのように振り下ろされる巨人の拳。大きさを考えれば、いくら俺の身体が化け物であっても一瞬の抵抗すら許されずに結界と拳の間で小さな羽虫のように潰れて終わるだけのストーリーは、しかしその結末を迎えることはなかった。

 

「───オォォォォォォォッッ!?」

 

巨人が蠢く。自身の右手が手首から消え去ったからだ。

 

──絶対零度──

 

速さも大きさも関係なくただそこに触れた物質の全てをゼロにする氷の元素魔法の極地。それが、まるでサッカースタジアムくらいはありそうな巨人の拳を消し飛ばしたのだ。

 

そして俺は左手の大剣を振り上げる。その刃から放たれた星精力は莫大な熱量を持つ光となり巨人の身体を縦に割いた───

 

「オォォォォォォォッ!」

 

───と思ったのだが、やはり大きさが根本的に違いすぎるのか、巨人的には薄皮1枚切り裂かれた程度にしか感じていないらしい。

 

「……もうちょい出力上げられる?」

 

と、俺は大剣に聞いてみる。ダメ元だったけどペカーッ!と光ったそれは、多分"いけるよ"とでも言ったのだろう。きっと。

 

俺はそれを了解と受け取り、大剣を握る左手に力を込める。するとペキペキと大剣から音が響く。何かと見やれば大剣の鍔から木の根っこのようなのもが生えてきて、俺の腕に触れてきた。しかも多重結界をすり抜けて俺の体内に侵入している。……コイツ、俺のアンフィニ・リュミエール(永遠に廻る天星)からパワーを貰うつもりだな。

 

まぁいいかと俺は体内の星を回す。そしてもう一度黄金に輝く大剣を斬り上げるように振り抜いた───

 

「オォォォォォォォォォォォッ!!!」

 

今度の熱線は巨人の胴体の厚みの半分ほどまでくい込んで焼き切った。更に大剣を振り下ろせば黄金の光が莫大な熱量を伴い放たれた。それは巨人の腹に大穴……しかし巨人の体格的に比べると小さい──人間なら9パラが貫通したような──虚空を空けた。

 

「……千断」

 

そして響くユエの声。それは空間魔法の引き金を引く音であり、もたらされる結果は無数の切断。バラバラに引き裂かれた巨人がホロホロと消滅していくのを尻目に俺とユエは小天樹の天頂に降り立つ。

 

そしてアウラロッドから渡された天樹の小枝を頭上に掲げれば、それから小天樹へ光が降り注いだ。その光を浴びた小天樹は元の輝きを取り戻し、枯れていた枝葉は生命力をの産声を上げる。アウラロッドから聞いた目安では約半日ほどこれを掲げていれば小天樹は再び力を取り戻すということだった。さて……

 

「……天人、横着」

 

「だってさぁ……半日もこれ持ち上げてんの面倒臭くない?」

 

俺は氷でポールを作って小枝を頭上に固定。さてさて、あと半日は妖魔の襲撃を警戒しつつこの場でダラダラと過ごさせてもらいますかね。

 

と、俺は宝物庫からソファーベッドを召喚し、ユエと共にそこに身体を横たえるのであった。

 

 

 



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聖樹の真意とこれからのお話

 

「おう、終わったよ」

 

と、俺とユエは遠藤を回収しつつ天樹の天頂に戻ってきた。氷の壁にも特に反応が無かったから分かってはいたが、どうやら妖魔の襲撃はなかったようで、天之河達も落ち着いた雰囲気で俺達を迎えた。

 

「さてさて……アンタ、この大剣と天之河の聖剣のこと、色々知ってるみたいだけど……話せるか?」

 

天之河の聖剣はともかく俺のこれについては是非とも話してもらいたいものだ。なんか剣のくせにやたらとペカペカ光るし。いや、天之河の聖剣も光るんだけど、それはそれ。

 

俺に覗き込まれたアウラロッドは天之河の聖剣と俺の黄金の大剣を見比べて、ふぅと一息入れつつ口を開く。それは、俺の今後しばらくの行動指針を固めるのに充分以上の情報だった。

 

───曰く、俺と天之河の剣はそれぞれ聖樹とトータスの大樹の地下に眠る鉱石とそれらの根が融合した物質で構成されているらしい。天之河の聖剣を俺がメンテナンスしてやった時に、他の奴らのアーティファクトと違ってブラックボックスが多くてあまり触れられなかった理由はどうやらこれが原因と思われる。

 

そして、これらの剣はそれだけでも世界によるマーキングのようなもので、聖樹やそれに類するもの──遠藤が総称として世界樹の枝葉と名付けた。大元の素子を生み出すやつが世界樹──が世界の危機に瀕した際に無差別に異世界人を召喚しようとすれば全てこれを持つ者に繋がる。そして、これらの聖剣は基本的に勇者の資格がある人間……つまりは大勢のために自己及び大切な誰かを犠牲にできる者──具体的には天之河みたいな奴──に渡されるものらしい。そして、俺のこの大剣も聖剣になるんだとか。

 

だが1つ解せないことがある。俺とティオは1度世界によって召喚されたことがある。しかも世界樹で繋がっている世界に、だ。しかしそれに対してアウラロッドの答えは───

 

「もしや1度、世界樹で繋がっている世界を救ったことがおありですか?」

 

───というものだった。

 

どうやら俺達はその時に世界にマーキングされているらしい。しかも、アウラロッドは聖痕についても少しだけ知っていた。聖痕は全ての根源の世界───素子を生み出す世界よりも更に深くにある世界と繋がっていて、それはとりもなおさず俺は聖剣なんて介さなくても世界樹のある全ての世界と繋がっているということで、俺はそれにより呼ばれた可能性がある……ということだった。ちなみにティオは半分巻き込まれ、らしい。

 

そして、ルトリアの世界にシアが呼ばれたのは、きっとルトリアが勇者の存在を拒んでいたからだろう。あの時のアイツは人類を滅ぼす気概で満ち溢れていたし。そこでシアが選ばれたのは……きっと本人の資質だろうなぁ。あの子、結局あっちの人間を見捨てられなかったし。

 

で、挙句に俺の手元にある聖剣。聖樹からはまるでお礼かのように渡されたのだが、これはもう立派な発信機(マーキング)。どうやら俺は世界樹や枝葉からマークされていて、その力を世界救済に使わせられるらしい。

 

「……つまり世界樹の枝葉を全部へし折れば解決?」

 

「えっ!?」

 

しかしここで俺の命運に待ったをかけたのが我らがユエ様。何かもう黄金の魔力光が溢れ出ているし既に大人モードだ。完全に9つの世界にある世界樹の枝葉をぶち折る気満々である。

 

「……別の世界の問題に……他の誰かでも良い戦いに天人を巻き込むような奴らは……私が全部潰す」

 

ランダムに呼ばれてしまったのでもなく、俺達の世界での戦いでもない。しかも本来は天之河という当代の勇者がいるにも関わらず、俺を呼んで世界の救済を成すための戦いに巻き込むというのなら、そんな存在は消え去ってしまえ。どうせ仲の良い知り合いのいる世界には影響は無いし。ということらしい。

 

「……天人の力に目を付けてそれを利用する奴らなんか私が……ううん、私達が全部叩き潰す」

 

私"達"……きっとシアやティオのことだろう。下手したらルシフェリアやカーバンクル、アガレスまで出張ってくるかもしれない。確かにそれだけの奴らが集まれば各世界の世界樹の枝葉を全部へし折るくらいは可能だろう。トータスの大樹は、そもそもあの世界が落ち着いているから放っておかれるだろうが、この世界の天樹と機械仕掛けの世界にあった聖樹は確実に折られる。ユエはやると言ったらやるだろうし、他の奴らの性格を考えればユエを止めるとも思えない。

 

「……神代、ユエさんにスゲェ愛されてるな……」

 

「愛が重くて心地良い……全部委ねそう」

 

遠藤とは小声でそう言い合うけど、そんな悠長に眺めてばかりもいられない。このままだとユエ達に巻き込まれて天之河が叩き潰されるだろうから、それは流石に避けたいな……。

 

「まぁまぁユエさんや、落ち着きなって」

 

このままだとユエは天之河ごとアウラロッドをぶっ潰してこの天樹も折り、俺の聖剣もぶっ壊しかねない。というか多分そうするつもりだ。聖剣は別にどうでもいいけど、天之河まで殺されちゃ居た堪れないので俺はユエを後ろから抱きしめてやる。そうすれば噴き出していた黄金の魔力光はふっとその噴出を収めてくれる。だがまだアウラロッドを睨んだままで、殺気も消えていない。おかげで天之河も聖剣の柄に手をかけているしアウラロッドも顔に緊張の色が浮かんでいる。

 

「そうだな……アウラロッド、アンタが貸してくれた天樹の小枝。あれをもう1本くれるか?」

 

「えっ……えと、それは……何故……?」

 

俺の提案に、臨戦態勢を取っていたアウラロッドが拍子抜けしたように聞き返してきた。

 

「んー?それを育てて世界樹の枝葉をもう1本作るんだよ。んで、小さいけど世界をもう1つ作る」

 

具体的には俺の悪魔軍団達の住処だ。俺達の宝物庫を繋げておけばアイツらの住環境も整うし俺達の戦力も落とすことなくいられる。地獄と比べてきっと優しい景観になるけど別にいいよね。どうせ生体ゴーレムに取り憑いてるんだし。

 

 

「……んっ、でもそれだけじゃ足りない。……世界樹の枝葉を復活させる時に女神の権能で全部の世界樹の枝葉に対する干渉用の道具を作って、それを天人に渡して」

 

「はっ!?いや……ちょっとそれは……」

 

ユエの要求……それは世界樹の枝葉に対する白紙委任状を作って渡せというものだ。普通に考えて、いくら何でもそんな要求を飲めるわけがない。

 

「……そうすれば9つの世界にある枝葉の復活も手伝ってあげる。けど……」

 

そこでユエは言葉を止め、そして天樹の頭上に超巨大な重力場──壊劫──を生み出した。それはもう清々しいまでの脅しだった。言うことを聞かなければお前らごと大事なものをぶっ壊すっていうな。アウラロッドの不死性も天樹あってのもの、それごと叩き潰されたらアウラロッドも命の保証は無い。

 

別に俺は小枝さえ分けてくれればそれで良いのだけど、ユエ的には枝葉への干渉権こそ本命らしい。まぁ、いつまたお呼び出しされるのか分からないのだ。それに対する切り札を持っておきたいということなのだろう。

 

「……脅迫には屈しません。そもそも、世界樹の枝葉の復活には勇者様と2()()()行くつもりでしたので」

 

何故か天之河との2人きりを強調してきたアウラロッド。微妙に締まらない言葉とは裏腹に、彼女の発する雰囲気はこれまでのどこかオドオドしていて自信無さげな残念女神のそれではなく、後光でも見えてきそうなくらいに強い信念と力を持った女神様のそれだった。

 

「別に、俺としちゃあ何でもいいんだけどさ。ただ……それでもし俺が枝葉に召喚されたら……後でユエ達ゃマジでその世界にある枝葉をへし折りに行くと思うぞ……」

 

そしてそれを止める術を俺は持たない。ていうか、多分俺の知らない間に行われると思う。俺達の宝物庫は繋がっているから、ユエ達の側からも羅針盤と越境鍵は取り出せてしまうのだ。それこそ寝ている間にやられたらどうしようもない。

 

「ユエも、別に世界樹の枝葉を壊したいワケでも悪巧みしてるワケでもないんだよ。ただ俺がこれ以上戦いに巻き込まれるのが嫌だから、枝葉には俺を呼ぶなって言いたいだけなんだ。小枝の話もな、俺ぁただ部下に住み良い秘密基地をくれてやりたいだけなんだよ」

 

このままだと話が平行線で、最悪ここで戦闘になってしまいそうな空気だったので俺はユエをギュッと抱きしめながらアウラロッドに語りかける。脅したいわけじゃないし、枝葉への干渉権で何か企んでいるわけでもない。必要なのは俺達への不干渉の確約。ユエの願いはただそこにあるのだと伝える。ユエはきっと俺のためを想ってこそ言葉が荒くなってしまっただけなのだ。その気持ちは嬉しい。だからこそ、俺が責任を持ってこの場を執り成す必要がある。

 

「……ちなみにだけど、ユエは1人で世界を越えられるし、それを俺ぁ止められないし、ユエなら1人でさっきの妖魔共全員叩き潰せるし、何なら似たような戦力があと4,5人いて、そいつら全員ユエと一緒に暴れると思う」

 

アウラロッドも俺の言葉で女神様のご威光を収めてはくれたが、それでも顔は渋っていた。なので俺は1つ爆弾を投げてみる。もっとも、どれも誇張無しに真実なので本当にどうしようもないのだけれど。

 

しかも天之河の溜め息がそれを補強する。それでアウラロッドは悟ったのだろう。きっとユエとその仲間達はこの勇者様の何倍も強いのだと。

 

実際は数倍どころでは済まない戦闘力を秘めているのだが……。

 

「本当に、悪いことには使わないと誓えますか?」

 

「うん。力があるから戦え、なんていうの……もういい加減終わりにしたいんだよね。俺達の願いはただそれだけだよ」

 

アウラロッドには俺達の正直な気持ちを伝える。俺達はもう戦いの渦から出たいだけなのだと、力を求められて戦いに駆り出される日々に終わりを告げたいのだと。

 

きっと、俺はそれから抜け出せないと思う。俺達の地球とレクテイアの間にある溝、地球の……武偵という存在がいなきゃいけないほどの治安。それ以外にも大なり小なり俺達はまだ火種をいくらでも抱えている。それに、そんな世界だからこそ俺は大事な奴らを守るために力を手放せない。

 

それでも戦いは少なくなれば良いと思うしそうあってほしい。そして、ユエ達にもそんな血と硝煙の臭いから離れた生活をしてほしい。……って言うのは、きっとユエ達が俺に思っていることなのだろうな。

 

「……分かりました。世界救済のお礼として、貴方達の望むものを差し上げましょう」

 

「……んっ」

 

「おう」

 

まぁだいぶ嫌々って感じだけども、取り敢えず言質はいただけた。ユエもこれで溜飲が降りたのだろう。いつもの小柄な体躯に戻り、放っていた威圧感を収めてくれた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「へぇ……そうなんだぁ……」

 

それはそれはドス黒い気配を発している女の子が1人。この砂漠の国の元王女様であるモアナだった。あと、コイツのお付きのリーリンって言う奴も天之河に気があるらしいが、こっちはこっちでモアナからも天之河を奪う気満々らしくて案外余裕の表情。

 

取り敢えず俺とユエ、遠藤は天之河とアウラロッドを置いて砂漠の国へと帰ってきたのだ。

 

当の本人達はこれからアウラロッドがあの世界を離れて世界樹の枝葉を復活させる旅に出る準備を整えていたのだ。天之河はその護衛。まだ時々妖魔が襲ってくるからな。

 

で、俺達は暇潰しに天之河が異世界でアウラロッドを籠絡したことや実は天之河の聖剣ウーア・アルトには化身の魂が残されており、それをアウラロッドに具現化してもらったらこれがまた随分な美人が出てきたとか、機械仕掛けの国でナンパしてたとか、それはそれは楽しいお話をモアナ達と交わしていたのだった。

 

あと実は遠藤が向かった小天樹ではヤンキーな感じの鬼共がいて、そこの頭領はめっちゃ背の高い美人な鬼で、何か知らんが遠藤がそいつのことを落としていたことも判明。て言うか、遠藤にはこっそり録画用のクモを付けていて、そいつのもたらした映像記録でそれが判明したのだった。

 

そういうドタバタをモアナ達に報告したらモアナさん完全に闇堕ちしてしまった雰囲気だ。でも面白いから放っておこう。

 

「それで、天人さんももう枝葉復活に動くんですか?」

 

機械仕掛けの世界でシア達には一旦戻ってもらって、あっちで起きたことを報告してもらっていたのだが随分な寄り道をしてしまった。おかげでユエと遠藤に妖魔のいる世界で知れた諸々を説明してもらう羽目になったのだ。

 

「えぇっと……地球の王樹、地獄の魔樹、トータスの大樹にここの恵樹、ルトリアの星霊界の星樹、ティオと行った天竜界と竜樹、機工界のは聖樹でアウラロッドのとこが妖精界で天樹でエヒトが潰したのが厄災界で怨樹。素子の世界が真界アストラルで世界樹、ねぇ……」

 

メモ書きを見ながら俺はそれぞれの世界と樹の名前を列挙していく。ちなみに元々そう呼ばれていた大樹と聖樹、天樹以外は全て遠藤の発案である。しかしこうやって名前を付けると区別が楽でいいな。

 

「もう完全に無いもんはアウラロッドの管轄。俺ぁ弱ってる枝葉……トータスのとかの担当なわけだけど……」

 

なので目下俺の担当は恵樹と大樹である。竜樹……というかルトリアはわりと元気だから後回しだろうし、聖樹ももう元気モリモリ。何なら元気過ぎて俺に聖剣くれたくらいだ。あとは怨樹と竜樹があるかどうかだな。王樹と魔樹はもう無いし。

 

「取り敢えず小天樹の復活が最優先。それから無くなっちまった枝葉と弱ってる枝葉を同時進行って感じだなぁ」

 

復活の方法は簡単だ。聖樹にそうしたように俺が変質者で枝葉と一部同化し聖痕から溢れ出る力を注ぎ込む。アウラロッドに聞けばそれが可能ならそれで復活するって言っていたし、実際聖樹はそれで元気100倍になったからそれでいこうと思う。

 

「だからま、直ぐに長旅とかはしないよ。て言うか、1番大切な俺達ん世界のことも考えなきゃいけねぇし」

 

あと早くトータスに戻ってリサ達にもこの話をしなければならない……面倒臭いなぁ。天之河が戻ってきたら全部説明してもらおう。どうせトータスの大樹にも干渉するんだ。そうなればリリアーナ達にも知っておいてもらわなけりゃいけないしな。

 

「もう……勝手にいなくならないでくださいよ?」

 

スルりとシアが俺に撓垂れ掛かる。俺はシアの柔らかい髪の毛を梳いてやりながら「大丈夫だよ」と囁く。するとティオも逆から俺に寄りかかってくるので両手が忙しい。

 

「……あ」

 

すると、何となくの気配がしたと思えば長いテーブルの上から光が現れる。俺は基本的にこれを外から見たことはなかったけど、こんな感じなんだな。

 

そして、その光の膜から天之河とアウラロッドが現れた。天之河には羅針盤と越境鍵を貸しておいたのだ。必要なパワーは天樹からアウラロッド経由で天之河に供給できるし。

 

「───光輝!」

 

「モアナ!」

 

すると、モアナが勢いよく天之河に飛びつく。天之河が帰ってきて喜色満面の笑顔を浮かべて──一瞬だけアウラロッドに鬼のような形相を浮かべたけど──感極まったように抱きつきにいったモアナ。しかし───

 

「祈願する!邪なる者を吹き散らせ!───逆巻く風!!」

 

「きゃあっ!?」

 

リーリンさん、まさかの元女王様を風の魔法──みたいなこの世界独特の技──でぶっ飛ばした。勢いよくテーブルの向こう側に落ちていったモアナだが、この世界の女王は戦う女。それなり以上に頑丈なようで、直ぐに起き上がってリーリンに文句をぶつけようとした……のだが

 

「お帰りなさい、光輝さん」

 

と、既にリーリンは天之河の腕を取って自分の胸の中に抱き込んでいる。早い、あまりに手が早い。

 

しかし、自分がその立場に置かれるのはゴメンだけど他人の修羅場を見るのは大変に面白いな。しばらく遠藤と一緒に煽っていよう。

 

と、俺は遠藤と2人、突然勇者に訪れた修羅場をヒューヒュー外野から煽り散らかしたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「それで、シャーロックからの宿題は終わったのか?」

 

天之河とモアナ、アウラロッドを連れてトータスへと戻った俺達。ただ、砂漠の世界での戦いだけならともかく、そこから更に2度も世界を渡った俺達は帰還者の集いの二次会をやる気にもなれず、そもそも何日も置いてけぼりを食らった彼らもそんな雰囲気にはならず、取り敢えずその場の全員に事情を説明してお開きとなったのだ。

 

その後俺達は一旦自分らの世界に帰った。そこで俺はネモからこうして宿題の進み具合を確かめられているというわけだ。

 

「カーバンクルの合流、アーティファクトの強化、地獄の悪魔達を乗せた生体アーティファクト軍団、それとアガレス。……ま、たかが潜水艦2隻を相手にするだけなら過剰戦力だよ」

 

もっとも、モリアーティ達の厄介なところはノアとナヴィガトリアによる戦闘力ではなく奴らの持つ聖痕の力に寄るところが大きい。聖痕にそれ以外の力で正面から勝つのは非常に厳しい。その力や持っている奴次第ではあるが、例えばあの粒子の聖痕を持つ男に勝とうと思ったらそれこそリムルでも呼びたくなる。

 

そんなような奴らを相手にどれほどの戦力を集めれば良いのかは正直言っててよく分からない。トータスで作った銃火器の類は電磁加速式から重力魔法や縮地も組み込んだ多重加速式にしているし、弾頭だってこれまでは魔力の衝撃変換による炸裂弾だけだったものに、神代魔法を加えて破壊力は破格の一言……の筈だ。太陽光収束兵器も向こうで使った時と比べれば格段に火力は増しているし、砲戦に向けてISのようなアーティファクトだって用意している。

 

それに、新たに仲間になったカーバンクルやアガレス。カーバンクルはレクテイアの女神でルシフェリアと同格。向こうにもレクテイア人がいることを考えても、こちらも破格の戦力だろう。

 

アガレスだって、流石は地獄の悪魔の中でも上位に位置する存在だ。アイツの扱う空間魔法は俺の名付けと腕の吸収によってあの時の戦闘と比べてもまた1つ抜きん出た火力と応用力を得るに至っている。

 

それにもう1つ。聖樹から押し付……もとい、渡された聖剣。星精力を熱量に変換してビームのように叩きつけるだけでなく俺の持っていた固有魔法や元素魔法を解析し、それらとはまた違った形で出力もできるあの大剣。

 

そのパワーは太陽光収束兵器の一撃に勝るとも劣らない。ただの人間相手に使うにはあまりに過剰な威力。1振りで地形さえ変えかねないこれも、聖痕や潜水艦隊と戦うには役に立ってくれるかもしれない。

 

「なるほど。私もその全てを見たわけではないが、天人がそう言うのならきっとそれなりのものなんだろう」

 

「手札と、仲間も増えた。後は……戦うだけだ」

 

モリアーティの作り出そうとする戦争と混沌……そしてそれを経て生み出される新たなる世界。そんな手段で作られる世界を俺達は許してはおけない。

 

ならどうするのか?きっと、俺達は戦うしかない。どちらの理想が優れているとか正しいとか、そういう問題ではない。ただ欲望と誇りのぶつかり合いなのだ。

 

だから俺達の間には戦う以外なくて、地球とレクテイアの戦いを収めたいのならここで俺達が戦って勝つしかない。この戦いを、世界の間の最後の戦いにしたいのなら……。

 

「信じている───」

 

ネモが俺の右手の上に自分の小さなそれを重ねる。俺はその手を取って握手するようにネモと手を繋いだ。

 

「あぁ。俺は……俺達は勝つ。モリアーティに。こっちを侵掠しようっていうレクテイアに。この世界が進もうとする未来に。……俺達が勝ち取るんだ、未来も、理想も」

 

俺はネモに……己に誓う。この先の戦いに勝つと。理想と未来を手に入れると。ノーチラス(海の底)で、己の誇りに懸けて───

 



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お茶会

箸休め回となります。次回以降から本筋に戻りますが、一旦書き溜め補充期間とさせてください。終わり方はだいたい決めてるので、エタりはしません。


 

 

「なぁ……俺まで練習する必要あんの?」

 

右腕を振れば、その先の手に握られたラケットが蛍光イエローのボールを捉えた。それは強く張られた網の反発力によって跳ね返り、ボールをネットの向こう側へと弾き返した。

 

「当たり前だろう」

 

するとネットの向かい側に立っていた銀髪碧眼の美人は半袖のウェアと同色の短いスカートを翻しながら俺の弾いたボールに追いつき、再度こちらへ打ち返してきた。

 

とある夏の日。俺とジャンヌは公営のテニスコートでテニスに青春を捧げている───わけではない。

 

いや、確かに俺達はテニスをしているのだけど、気合いの入った可愛らしいテニスウェアを身に纏ったジャンヌと違って俺は左の鎖骨付近に有名なスポーツブランドのロゴの入った白いシャツと裾にシャツとは別のスポーツブランドのロゴが入った黒い短パンを穿いただけのラフな格好だし、私物らしい派手な柄をしてグリップには滑り止めなのかテープが巻かれているジャンヌのラケットと違って俺のは受付でレンタルした安い借り物。明らかに初心者丸出しの素人が経験者にテニスを教わっているようにしか見えない。

 

そもそも、トータスじゃ魔物を喰いまくって人間の枠から飛び出た体力の俺が普通にスポーツに興じて良いわけもなく、今だって得点なんて競わずにただラリーを続けているだけだ。

 

「そりゃあ俺ならいくらでも勝てるけどさぁ」

 

ジャンヌが俺のコートに打ち返したボールを再びラケットで打ち返す。

 

「勝ち負けはそれほど問題ではない。それなりに上手く出来れば大丈夫だろう」

 

ジャンヌは武偵高じゃテニス部に所属していて実際の腕前もまぁまぁ良い。何度かジャンヌの試合も見に行ったことがあるけど、結構勝率は良いように思える。

 

「そろそろラリーにも慣れただろう。……サーブを打ってみろ」

 

ポーン、とジャンヌがボールを高く打ち上げた。それは5メートル程空に上がり、綺麗な放物線を描いて俺の元へと落ちてきた。

 

「サーブって……」

 

俺の右手前に落ちて弾んだそれをラケットを叩きつけるようにしてもう一度真下の地面へとぶつける。そして真上に跳ね上がったボールの軌道に合わせて俺も軽くジャンプしながらラケットを振り上げ───

 

「───こういうの?」

 

そしてラケットを振り下ろす。

 

ガットのど真ん中からやや上寄りにミートしたボールは──パカーン!──と軽快な音を立ててジャンヌ側のコートへと突き刺さった。

 

そのままジャンヌの真横を素通りしたボールを、ジャンヌは1つ溜め息をついてトコトコ追い掛ける。そしてこのコートを囲っていたフェンスにぶつかり地面に転がっているボールを拾ったジャンヌは俺をジト目で見ながらまた1つ溜め息。

 

「出来るなら良い……」

 

そうしてジャンヌはそのボールを再び俺の方へ打ち返してくるのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「イェー!ようこそハッピーパーティへ!ウェーイ!」

 

ハッピーパーティ、略称にしてHP。ホームページかヒットポイントか。しかしそんな単語とは縁遠そうな浅黒く日焼けした肌を持つ目の前の男。名前を西園寺聖真とかいったか。随分とフレンドリーな態度だが、言葉にどこか軽薄さを感じる。

 

ただ、俺達を迎えてくれたのは彼以外にも何人もいて、男女共それぞれ楽しそうな雰囲気でサークルに新たな仲間が加わることが心底嬉しそうに見える。

 

さて、俺とジャンヌが態々テニスのサークル───それも大学の垣根を越えたインカレサークルなんてものに加入した理由は、当然お遊びではない。(れっき)とした武偵の仕事で俺達はとある都内の大学のインカレサークルに潜入(スリップ)しているのだ。

 

「どーも、天人です。宜しく」

 

「ジャンヌだ。これから宜しく」

 

なんか西園寺聖真さんが右手を上げてきたので俺は彼の手のひらにパチンと自分の手のひらを当てる。すると西園寺さんは「ウェーイ」と声を出すが、顔からしてどうやら俺の行動で正解らしい。それを見たジャンヌも俺に倣い彼とハイタッチ。再び西園寺さんは「ウェーイ」と反応してニコニコと笑っている。

 

するとそれが何らかの合図だったのか彼の後ろにいた男女がそれぞれ俺とジャンヌのところへ集まってきた。

 

「ジャンヌちゃん肌キレー!え、マジ何人?」

 

「君かなり鍛えてるでしょ?見れば分かるよ」

 

などと、女子達はジャンヌへ、俺の元には男子がそれぞれ集まって質問をぶつけてきている。それに対してジャンヌは生真面目に「ありがとう。フランス人だ」なんて返している。俺は俺で「まぁ、男は筋肉っすよ」とか何とか、思ってもないと言うほどでもないけどだからって真面目でもない緩さで適当に返していく。

 

やはりと言うか何と言うか、最初はジャンヌにはその美しさについて、俺には趣味とかテニス歴とか、そんな当たり障りのない質問ばかりが飛んでいたのだが、遂に質問の種類が変わる。つまりはまぁ……

 

「ジャンヌちゃんってカレシいんの?」

 

「天人は彼女いるのか?」

 

最初、想定される質問について俺とジャンヌで口裏を合わせる時答えに一瞬迷った質問。だが俺達の間ではやっぱりこの答えしかないなと頷きあった。

 

「天人だ」

 

「ジャンヌ」

 

俺達は一呼吸も置くことなくお互いを指さしあった。今回の任務の性質上、俺達はお互いに初対面、もしくは知り合い程度の関係性として振舞おうかという案もあったのだ。だけど、コイツらに見せる顔なんてほとんど全部嘘ではあるけれど、ジャンヌとの関係にだけは嘘をつきたくなかったのだ。そしてそれはジャンヌも同じ気持ちだったようで、結局俺達はお互い恋人同士であることを隠さずにこの潜入に臨むことにしたのだった。

 

そしてそんな俺達の答えに外野がキャイキャイ騒いでいる。だが俺達にとっては今言ったことは全て嘘偽りの無い事実であるし、何ら後ろめたいことはない。

 

『今んとこは、普通の大学生って感じ?』

 

『さっき、西園寺聖真がウェーイと何度か意味も無く言っていただろう。彼らは所謂"陽キャ"という人種のようだ。理子からそう教わっただろう?』

 

なるほど、確かにな。言われてみれば他の奴らの喋り方も独特で、理子の言う"陽キャ"っぽさがある。

 

俺達の今回の任務は武偵高───もっと言えば国から降りてきた任務で、この大学……と言うよりもこのインカレサークルを発端にして違法な薬が流行っている可能性があり、その調査及びここが発端だと判明した場合はその対処をしろ、というものだ。

 

元々は俺個人にきた以来なのだが、潜入(はい)る前にどんなところか情報科のジャンヌに探ってもらっていたのだ。そして、その結果を持ってくると共に自分も一緒に行くと言い出して今に至る。

 

前にも別のところで似たような任務は完遂したことはあったがその時とは随分と違う人種のようで、そういう奴らのノリというのを理子に聞いたところ"陽キャ"なる存在について教えてくれたのだった。

 

それを思い返した俺は彼らのノリも「そういやそういうもんだったな」と納得する。まぁ、アリアがキンジにベルト投げ返した時の武偵高の教室も似たような騒ぎだったし、恋バナで盛り上がるのは人類の共通点なのだろう。その中でも彼らはこう……特に意味の無い単語の羅列が多いというだけで。

 

 

 

───────────────

 

 

 

さて、まだ確定したわけではないのだけれど、今回は潜入調査と言っても事件(ヤマ)事件(ヤマ)だ。ちょっとトロイの木馬宜しく内側から暴れ回るなんてことはできない。加害者の逮捕と(いるのならば)被害者の救出の他にこの手の任務の最重要課題は流通経路を見つけることとそこを押えることだ。そして出来ればその先の組織の一網打尽まで行えれば尚良しとなる。

 

そのためにはまず彼らに信用され、深くまで潜り込む必要がある。コイツらが適当にばら蒔いているのならともかく、きっとそうではないのだろう。そもそもそんな十把一絡げな売人程度なら態々武偵の俺にまで仕事は回ってはこない。

 

それなり以上に巧妙に隠されていて、広く一般──最近じゃそこらの主婦ですら薬は手に入る──には出回っていないのだろう。少し前にはオリジナルドラッグなんてもんもあったくらいだ。こっちも似たようなものがある可能性は充分だ。

 

正直なところ、この手の任務であればユエの神言と俺の羅針盤の出番なのだが、仮にも国に結果を報告するレポートのどこに「魂に働きかけて言うこと聞かせました」だの「望んだものの在り処を指し示す羅針盤で発見しました」だのと書けようか。

 

多少の超能力(ステルス)ならば超偵も認知されているからには問題なかろうが、いくら何でもユエの神言や概念魔法の付与されたアーティファクトは報告には些か差し障る。

 

それに、俺はこれでも公安0課───今は武装検事達に身柄を狙われている身。あまり手の内を明け透けにはしたくない。

 

というわけで俺は有難くジャンヌの申し出を受けることにしたのだ。こういう他人との距離感が近い男とシアは相性悪いだろうし。……いや、別にジャンヌなら大丈夫というわけではないが、シアよりは上手にあしらえるだろう。シアだとかなり冷たく突き放すのは目に見えているからな。

 

ま、ジャンヌもスポーツをやっている程度の一般人には喧嘩で負けるわけもないし、戦闘力に関してはそれほど心配もしていない。問題は如何に彼らの懐に潜り込むかの1点であった。

 

そんなわけで───

 

「───それじゃあ新しい仲間にカンパーイ!!」

 

「「「カンパーイ!!」」」

 

俺達は今、西園寺聖真の主催する歓迎会に参加していた。場所は新宿の居酒屋。全国的にチェーン展開している店で、秘密の取引なんてものには適さない。とは言え、ここはまだ彼らの信用を得る段階で、焦る必要も無いだろう。俺はトータスで得た耐性もあって酒には酔わないし、ジャンヌの口の中にはそれ用のアーティファクトを仕込んであって、アルコール飲料の類は全てそっちに流れるようにしてあるのだけど。

 

そんなわけで俺達は配られたビールのジョッキを勢いよく傾ける。酒に酔えない俺にとってはアルコールなんてものはどうでもよくて、味よりも喉越しを楽しむこの飲み物にも如何程の感動も無いのだけれど、取り敢えずビール、というのがこのサークルの風習のようだしそれに逆らう必要も無い。

 

ジャンヌも周りの奴らとグラスを突き合わせたそれを口に運ぶ。魔力感知の固有魔法のおかげで、アーティファクトがジャンヌの飲んだビールを正常に取り込んでいるのも分かる。

 

一応、ジャンヌとの関係で嘘をつきたくないという以外にも、俺達の関係を話せる範囲で明かしているのにはもう1つ理由がある。

 

元々、理子からこのサークルは"チャラい"と聞いていた。そして、とんでもないくらいに美人のジャンヌは男連中から相当にモテるであろうことは想像に難くない。と言うか、当たり前のようにちょっかいをかけられることは分かっていた。

 

だが、ここはトータスではないので、目の前に彼氏がいるのであればそのように()()()()になろうとする輩はかなり少なくなるはず、というのも理由の1つであった。

 

果たしてその牽制の効果の程がどれくらいあったのか。取り敢えず今のところジャンヌは女子組に囲まれているようだ。ま、あの子は女子からもかなりモテるからな。武偵高でもファンクラブができているようだし、あれはあれで男避けになるだろう。

 

なんて安心していられたのも束の間。飲み会が始まって30分くらい経った頃だろうか、西園寺聖真くんがフラフラと席を立ちジャンヌの傍に寄ってきた。女子達も西園寺がジャンヌに話しかけに来たのを認めると直ぐにジャンヌの真横の席が空く。このサークルの力関係で言えば彼がトップカーストなのは分かっていたが、結構露骨だな。まさか女子もその順位付けの中に含まれていたとは。

 

「どう?楽しんでる?」

 

と、西園寺は新入りのジャンヌを気遣うような言葉で会話を始めた。て言うかその言葉、まず近くにいた俺に言うんじゃないんかい。

 

そんなツッコミが喉から出かかったがどうにか堪える。とは言えジャンヌも流石にこれを冷たくあしらう気は無いようで、ふと彼を見やると「あぁ。皆気の良い人ばかりだ」と女子達を見渡しながら返していた。

 

ビックリするくらいには美人のジャンヌがそういうことをすると、女子でも()()奴はクるようで、何人かはちょっとポゥっとした顔をしてジャンヌに魅入っている。

 

「や、それならマジ良かった。ジャンヌちゃんマジ美人だからみんな嫉妬してんじゃないかと思ってサ」

 

何がジャンヌ"ちゃん"だ、はっ倒すぞ。なんて思ったがどうにか顔には出さずに堪える。ジャンヌも距離感の近さに一瞬眉根が動いたがそれだけ。お澄まし顔で「ありがとう」なんて返している。

 

ふむ、ジャンヌもようやく褒められ慣れてきたな。前は俺がちょっと可愛いだのなんだの言うだけで顔を真っ赤にしていたが、最近はそれも大人しくなってきていたしな。それに、今は俺という相手がいて、他の興味のない男から多少言い寄られてもそれで何か感じ入るものもないのだろう。これは彼氏としては1つ安心できるな。

 

で、そんな俺の心の内を知ってか知らずか女子連中はそんな西園寺の言い様に「ひどーい」とか「そんなことないよー」なんてブー垂れながらも笑っている。まぁ、西園寺がこの手の冗談を言うのは日常なのだろう。他の誰もあまり気にした風ではないようだ。

 

すると、俺の肩に腕が置かれる重みがあった。見れば、(設定上20歳ということになっている)俺と同い年というサークル仲間の進藤がジャンヌと西園寺達を眺めていた。

 

「んー?」

 

「や、聖真くんってマジイケメンじゃん?天人も彼氏だからってウカウカしてらんないかもよ?」

 

確かに西園寺の顔はそれなりに整っている。男ではあるが美容にもそれなりに金を掛けているようで、肌もかなり綺麗だ。俺?俺は変成魔法でちゃちゃっと済ませてます……。

 

ちなみに西園寺は21歳。進藤よりも1つ年上なのだがこのサークルでは年上にはくん付けで呼んでも大丈夫という風習があるようだ。そこら辺は武偵高よりもだいぶ緩いな。

 

「んー?……ま、仮にジャンヌが俺んことを好きじゃなくなったとしても、俺以外ん男に惚れるなんてねぇよ」

 

「うぃ〜。スゲェ自信じゃん」

 

「自信ってか……まぁ、そうね」

 

ジャンヌとはイ・ウーの時だけでなく、ジャンヌが武偵高の預かりになってからだって何度も任務を一緒にこなしているし、今や恋仲である。こうなってからもそれなりのことはしていると思っているし、他の男がそう簡単に割って入れるとは思えない。

 

まぁ、だからと言ってジャンヌに愛情を注ぐことを疎かにするわけでもないのだけれど。そんなことをするのは今の俺達の関係である以上彼女に失礼だし、他の子にだって顔向けできない。そもそも、そんなことをするくらいなら、最初からジャンヌのことを受け入れたりしていない。

 

───という話を彼にすることは当然できないので俺はこんな曖昧な言葉を返すに留まるが、進藤にとってはこんなんで充分だったらしい。何やら納得したような顔をすると俺にサムズアップを向けてきた。正直「ダッセェ」とは思うけど、ここでそれを鼻で笑うのも悪いので俺も同じくサムズアップで返してやる。すると今度は「うぇーい」とハイタッチを要求されたのでそれにも応じる。

 

で、何故かそれを見た他の奴らからも「うぇーい」の謎音声と共にハイタッチを要求されたので俺はそれらにも全部応える。

 

「うぇーい。なになに、楽しそうじゃん」

 

と、俺達の奇行を見かけたらしい西園寺がこちらに戻ってきた。俺の横にいた進藤がズレるとそこに入ってきた西園寺が俺の肩に手を回す。ふわりと香る男性用香水の匂いがどこか俺の警戒心をくすぐる。

 

だがそんなことは他の誰にも関係がなく、ただ喧騒の時間が過ぎていく。その間、結局彼らの話す言葉の3割は意味が分からなかった。言語理解というのはどうやら若者言葉は対象外のようだ。

 

 

 

───────────────

 

 

 

西園寺聖真の通う大学の最寄り駅から30分程度。近からず遠からずの距離感の位置に借りたアパートの一室。それが今回の任務における俺とジャンヌの拠点(キャンプ)だった。学生2人で同棲するならそれなりに妥当と思われる家賃。それゆえに普段俺達が暮らしているマンションと比べるとセキュリティも何もかもが心許ない。

 

とは言え俺にはアーティファクトがある。壁の防音は空間遮断によって為されているし、侵入者対策も用意してある。ま、入ってくる奴に対しては俺がいればそれだけでこれ以上ないセキュリティではあるんだけどな。

 

そんな仮住まいの我が家へ俺達は帰ってきた。あの後の西園寺は何だかジャンヌの近くにばっかりいたような気がするが、特にベタベタとジャンヌに触れるわけでもなかったからある程度放っておいた。

 

帰りしなに女子達の様子をジャンヌに聞いてみたが、人気者と思われる西園寺をジャンヌが独り占めみたいな状態になっても彼女らの態度は変わらなかったようだ。お手洗いにも何人かの女子と一緒に行ったようだが、その時も西園寺について何かを言われたわけではないとのこと。

 

西園寺はサークル内でも人望を集める人物のようではあるが、どうやらあのサークル内では特定の人物と深く付き合っているわけではない様子。もっとも、西園寺の恋愛対象が女性であるという確認はしていないし、仮にそうだったとしてもあのサークルの女子全員が西園寺の……所謂ハーレムを構成している可能性もあるのだが……。

 

「……そういえば」

 

「あぁ。天人も気付いていたか」

 

俺があの場でふと感じた違和感。もっとも、それは特段おかしなことではないのだが。だからこそ、俺も見逃しそうになったのだ。

 

ただ、どうやらジャンヌも俺と同じことに気付いていたようだ。チェーン店の居酒屋にあって少人数ならともかく、20歳以上の人間が10人以上いたらあまり見かけないであろう、ただし可能性としてゼロではない上にここ最近であれば有り得ても何ら不思議ではないという半端な絵面。つまり───

 

「……誰もタバコ吸わなかったな」

 

「あぁ。……おかげで髪や服にあまり臭いが付かなくて良かった」

 

「んー?……ふんふん。確かに、いつも通り良い香りだ」

 

と、俺はジャンヌの銀髪のポニーテールを手で掬ってその香りを楽しむ。漂うのは若葉のような爽やかさとクリームのような甘い香りの入り交じったジャンヌの香り。俺の大好きな香りの1つだった。とは言え所詮は居酒屋。やっぱり服やなんかはそれ相応に臭いが付いている。

 

「……ん」

 

俺に髪の香りを嗅がれたジャンヌが擽ったそうに身を捩るが俺は後ろから手をジャンヌのデコルテに回して抱き寄せる。そうして髪の毛だけでなく耳の裏や首筋に鼻を埋めてジャンヌの香りをもっと深く楽しむ。恥ずかしいのと擽ったいのとでジャンヌが俺から離れようとするけれど、俺はジャンヌの膝裏に右手を回して自分の膝の上に乗せてしまう。そうして今度は前髪を上げて、晒された白くて形の良いおデコにキスを1つ落とす。

 

すると今度はジャンヌの方から唇を向けてきた。俺が瞳を閉じてそれを受け入れるとジャンヌの唇が俺のそれに触れる。チュッと小さなリップ音が鳴り、それを合図に俺達は互いの唇と口腔を貪るように求め合う。

 

「んっ……ちゅ……んんっ……」

 

「ちゅ……んっ……んぁっ……」

 

舌と舌が絡まり合い唇同士が押し付けられる。鳴るのはリップ音と水音、それから俺とジャンヌの吐息ばかり。夏の夜は更けていく。昼間にたっぷり吸い込んだ太陽光の熱が冷めやらない都会の夜の熱に浮かされるように俺とジャンヌも情欲の熱の中にその身を投じていくのであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「西園寺から()()()に誘われた」

 

あれから少し経った頃、ジャンヌからそういう報告を受ける。この頃には俺とジャンヌは西園寺達のやっていることにある程度の調べがついていた。

 

どうやら西園寺達は()()()と称して男女複数人で薬物パーティーを開いているようなのだ。ただ、あのサークルの男子でこのお茶会に参加していると思われるメンバーは西園寺と他に2名。女子の方もたった数人だけで、殆どの奴らはこのお茶会の存在自体を知らないであろう。

 

しかしこのお茶会、幾つか別の問題がある。まず1つ目はこれの主催が西園寺ではないこと。と言うか、このサークルのメンバーではない。もっともOBではあるようで、サークル内でも名の知れた人間ではある。名前は椎名拓也。

 

2つ目、コイツの()が結構デカい。て言うか当然に堅気じゃない。壊滅までやろうとすると俺1人では時間が掛かる。

 

そして3つ目、このお茶会の()()()は近隣のお嬢様学校からも集められた、女子高校生や、なんと中学生をも含めた女ばかりだということ。言い淀みつつも言い替えれば、ただ薬打ってラリって楽しむだけの()()()()()()ではないということだ。て言うか、ゲストの女の子達が揃いも揃ってみーんな可愛いツラしてたからな……。

 

下手したら西園寺の薬物検査は陰性になる可能性もある。まぁ……薬物使用以外の大半の法律に引っかかってはいるだろうから、しょっぴくのはそれほど難しくはないのだけれど……。

 

そんなわけで、ジャンヌもお茶会に呼ばれた。こっから先は危険度が段違いに高くなる。薬を盛られるのは女だけだろうし、どうにかして飲ませるか打つかさせるだろう。ちなみに俺の見立てでは飲ませるタイプ。ジャンヌも同じ推理のようで、だから俺達はあれをお茶会と呼んでいるのだ。

 

「分かった。……俺も直ぐに行くけど、気ぃ付けろよ?」

 

「分かっている。お茶は飲まない」

 

当然ジャンヌには小型のカメラを付ける。場所はメガネ。ちょうど視線と同じように見える。ジャンヌは少し乱視で、メガネを掛けることがあるのだが、こういう場合に備えて彼らの前でも時折メガネを着けさせていた。だからジャンヌが眼鏡をかけて来ても違和感のある奴はいないだろう。俺も気配遮断のアーティファクトで近くには待機する。だから言葉ほどの危険は無いと思われた。

 

「んっ」

 

それ故に俺はジャンヌの言葉にも素直に頷く。そして俺達はそのお茶会の日時を確認し、制圧が必要になった場合の手順を確認していく。

 

 

 

───────────────

 

 

 

『ようこそジャンヌちゃん』

 

「今日はお招きありがとう」

 

夜7時、都心のど真ん中にある超高級タワーマンションの一室でそのお茶会は行われるらしい。当然オートロック程度のセキュリティはあるけれど、空間魔法のアーティファクトがあればそんなセキュリティはあってないようなもの。俺は気配遮断のアーティファクトで存在の解像度を下げて部屋の傍に腰かけていた。

 

映像は多少荒いが携帯の液晶に映し出されているし、ジャンヌの服に仕込んだピンマイクで音も拾えている。感度良好、ってやつだ。

 

身体検査がこれっぽっちも行われなかったのは、どうせ女は薬でラリってしまうと高を括っているのか信用されていることの証か。

 

どうやらこの部屋にはまだ西園寺以外にも何人かの人間が既にいることが俺の気配感知でも分かっている。この気配は……あのサークルの人間だな。西園寺以外にはまず4人、知っている気配がある。

 

それ以外にも成人、ないしはそれに近い大きさの気配がいくつもある。どうやら今日は結構な規模で行われるらしいな。

 

すると、階下からも幾つかの気配がやってくる。ジャンヌと西園寺のくだらない世間話にも多少の意識は裂きつつ見やれば、まだ高校生くらいと思われる女の子達と成人男性が数名。高校生の方は私服で雰囲気だけなら大人っぽく見えなくもない。そして、成人男性の内の1人は椎名拓也だな。やはり来たか。

 

あと、あの中の女の子の中で1人は中学生だな。そいつは上背は高いし雰囲気も歳の割には大人びているけれど、調査を進めていくうちにここに出入りするとこを見て、素性は調べたからな。

 

そいつらは当然俺のことを気に止めるわけもなくジャンヌ達のいる一室へと消えていった。俺も、そろそろ待機しようかとアーティファクトの用意をする。

 

『お、タクトさん。……こちら、ジャンヌちゃん。今日のゲスト』

 

と、さっき入っていった成人男性の1人に対して西園寺がジャンヌを紹介している。この間、ジャンヌは出された飲料には一切口を付けていない。ジャンヌのカメラから映し出された映像でも、タクトさんの目線が一瞬ジャンヌのカップに動いたのが分かる。

 

『そうなんだ。宜しくね、ジャンヌさん。……飲まないの?』

 

と、ジャンヌの斜向かいに座ったタクトさんがジャンヌに飲み物を勧めている。正直あれの中身を少し頂いて成分分析にでもかけてしまいたいのだけれど、中々その隙も無い。

 

て言うか、さっき入っていった女の子達はジャンヌとは別の部屋にいるみたいだな。ジャンヌのいる部屋がリビングで、その手前で女の子達と椎名を含む数人の男はタクトさんと別れていた。

 

本当はスポイトでちゅちゅっとあのドリンクを回収したいのだが仕方がない。ジャンヌの口腔内には俺の捕食者と繋がっているアーティファクトが仕込んである。それで俺の捕食者に繋げてもらって、後はこちらで分析しよう。取り敢えず踏み込んでさえしまえばそこから先はどうとでもなるのだからな。

 

「……頂こう」

 

そういう話を俺が念話で飛ばすと、それを受けたジャンヌが飲み元に口を付ける。だが当然ジャンヌの口に入ったものはその瞬間に俺の捕食者の胃袋に注がれる。そして俺はそのまま捕食者の分析機能を使ってそれを調べていく。

 

…………………………ふむ、やはりか。

 

そしてやっぱりジャンヌに出されたハーブティーには違法な薬が混ぜられていることが確定。さて……ジャンヌが面倒なことに巻き込まれる前にさっさと踏み込むか。

 

『どうだい?そのハーブティーには特別な茶葉を使っていてね。自慢の逸品なんだ』

 

と、タクトさんがジャンヌにそんなことを語っている。もっともジャンヌの方は味なんて皆目見当もつかないだろうけどな。全部俺のところに流れているわけだし。

 

「あぁ。……もういいだろう」

 

そうジャンヌがピンマイクに向かって呟く。さて、やっとこさ俺の……と言うか、俺の本領か。

 

俺は宝物庫から空間魔法を付与した円月輪を一組取り出す。そして片方は玄関扉の向こう側、もう1枚は俺の手元に。そしてそれぞれをゲートで繋げて広げる。マイクの向こうではタクトさんと西園寺が首を傾げている様子が伝わってくる。

 

消灯されて薄暗い玄関に踏み込んだ俺は人の溜まっている部屋の扉を外から氷の元素魔法で封じる。間取り的に、あの部屋には窓が無いからな。逃げ場は無い。

 

そうしてジャンヌのいる部屋に俺は踏み込んだ。ドアが開く音で西園寺とタクトさんがこちらを振り向き、怪訝そうな表情を浮かべた。とは言え2人の疑問はそれぞれだ。

 

何故ここにお前が?という疑問と誰だお前は、という疑問。そして俺はその2つの問いに短く答える。

 

「武偵だ。違法薬物所持の疑いでお前らを逮捕する」

 

 

 

───────────────

 

 

 

 

「ば……化け物……」

 

男が1人俺の足元で呻いている。千葉県内某所の雑居ビルの中の一部屋。そこは死屍累々の有り様だった。いやまぁ窓ガラスには氷で壁を張ってそのまま魔力の衝撃変換を全員に叩きつけただけなんだけどさ。

 

もっとも、逃げ場のない全方位への衝撃波はたかが人間を制圧するには充分以上の威力を持っている。

 

あのマンションの一室で行われたお茶会を叩き潰した俺はそいつらから聞き出した情報を元にここにやって来ていたのだ。あの場にいたお茶会の()()は未成年ということもあり、あの場で何が行われていたのかは世の中には一切公表されていない。もちろん、それは女の子達に限った話ではなかった。まぁ、表立って騒がれたらコイツらをとっ捕まえるのが面倒になるからそうしてくれないと困るのだが。

 

「がぁぁぁっっ!!」

 

と、俺の右手側にいた巨漢が木刀を振り被って俺に迫る。俺は溜息を1つ吐きながらそいつの木刀を叩き割りながらの拳を叩きつける。拳に伝わるのは人の鼻の骨が砕ける感触。

 

「……仮病使った方が痛くなく済むぞ?」

 

まるで部屋の中に台風でも直撃したかのように荒廃した部屋の中で、俺の一言だけが嫌にうるさく響き渡っていた。

 



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邂逅と海溝

お待たせ致しました。書き溜め終わったので更新再開します。


 

 

「ようこそ、君達の来訪を歓迎するよ」

 

なんて、仰々しく迎え入れられた俺達がやって来たのは教会のような場所。て言うか伊・Uの中だ。当然俺達を迎えたのはシャーロック・ホームズその人。だいたい、ようこそも何も俺達は越境鍵でこっちに飛んできているんだ。特別に歓迎したわけでもなしに、仰々しいことだ。

 

もうすぐノーチラスとノア、ナヴィガトリアの合流が西半球で行われる。場所も分かってはいるが、まぁ、場所がどこだろうと俺達にはさほど関係のない話ではある。どうせ海だし。

 

だから問題なのはもうすぐネモとモリアーティが相対するということで、それは即ちこの世界の行く末を決める戦いが行われることを意味する。

 

「それで、与えていた課題の進捗はいかがかな?」

 

相も変わらずウザったい喋り方をするやつだ。よくこんなのからあの直情娘(アリア)が産まれたもんだ。いや、間に何人か挟んでるからそのおかげかもしれないけど。そういう意味じゃ、メヌがこんな七面倒臭い奴になってしまわないように気を付けてやらなければなるまい。折角お友達ができそうになってもこんな奴と同じ性格じゃ皆逃げるだろ。

 

「……取り敢えず、アーティファクトは一通り強化してある」

 

ゴトンと、俺がテーブルに置いたのは多重加速式よ拳銃。見た目はこれまでの電磁加速式の物と差程変わりはない。大きさも変わっていないしな。

 

「具体的には?」

 

「……これまでは火薬の燃焼と電磁加速だけだったが、重力加速と魔力の爆発も同時に合わせた。火力はこれまでの10倍以上はある」

 

その上でほぼフルオート並の連射力もある。拳銃や対物ライフルだけでなく、突撃銃(アサルトライフル)やマシンガン、ガトリングガンも同じように多重加速式になっているのだ。

 

「あと、弾頭も通常弾と魔力の衝撃変換以外にも増やした。……空間爆砕と、取り込んだ物質を消滅させる神代魔法」

 

こうも俺がペラペラと手の内を晒す理由。単純に今がお互いの戦力把握の時間だからというのもあるが、俺を睨んでいる星伽が余計なちょっかいをかけてくる気を失せさせるためでもある。

 

まぁ似たようなことはトータスで他の奴らにやって、結局はエヒトと神の使徒のおかげで無為に終わったが、さて、この世界ではどれ程通用するだろうか。

 

「天人、俺は今だけでも数え切れないくらい質問が浮かぶんだが、答え合わせは逐一やってくれるのか?それともまとめて聞いた方がいいか?」

 

「……後で纏めて聞くよ。多分いちいち聞いてたら話の腰がバッキバキだ」

 

何せこっから先には太陽光収束兵器だの5000機もの生体アーティファクト・ゴーレムin地獄の悪魔達だの、果てには黄金に輝く聖剣やら夜色の魔剣やら、俺の武装だけでもそれはそれはキンジの想像を超えるであろうものを出す必要があるのだ。

 

まだまだユエやシアやティオやアガレスのお披露目があることを考えたらキンジには悪いけど、構っていたらいつまで経っても話が進まないだろう。

 

「さて、それでは天人くんの話の続きを聞かせてもらおうか」

 

「……んっ。後は……アガレスさんが加わりました」

 

俺のアーティファクトを除いてあの課題を与えられてから増えた戦力と言えば、俺がユエ達を侍らせて座っている長椅子の後ろで突っ立っているアガレスと後は地獄の悪魔共の取り憑いた生体兵器軍団くらいだ。もうユエ達の無限魔力や守護天星(システム・ソレール)、シアと共にいる神霊達の説明とか正直面倒臭い。

 

「具体的には……あぁ、俺とシアで2人がかりでもアガレスは戦えます。んで、基本は空間魔法を使います」

 

この説明で分かる奴はトータスにいた奴くらいなもんだろう。シャーロックも、俺が全員に再度お話することそのものが面倒になってきているのを察したのか、眉根がピクリと動いていた。

 

「……つか、バスカービルには基本雑兵の相手をやってもらって、レクテイアの神様とか聖痕持ちとかの大物は俺達でやるんじゃねぇの?」

 

今この場にいるのはシャーロックとワトソン1世、俺とリサとアガレス、透華達とユエ達にジャンヌにルシフェリアとカーバンクル、それからメヌにレミアとミュウも、戦うことはないだろうけど集まっている。他にはバスカービルの面々とキンジにワトソンくらいだ。そしてこれに加えてノーチラスの面々がノアとナヴィガトリア───モリアーティの軍勢と戦う俺達の最大戦力であった。鬼達も伊・Uにいるにはいるが、アイツらはこの艦の操縦をしなければならないから戦闘時の戦力としては期待できない。

 

シャーロックの推理やネモやルシフェリア、カーバンクルからの情報じゃあレクテイアで神と呼ばれるような奴らも数人、ノアにはいるようだ。他にも聖痕持ちも数人がモリアーティの元にいることは分かっている。

 

レクテイアの神と正面切ってのタイマンであればキンジ達にも勝ち筋はあろうが、こと聖痕持ちとの戦いとなるとキンジ達では相手にならない。だが、そんなことよりも、その他の奴らに俺達の戦いを邪魔されないようにキンジ達に雑魚共を抑えてもらう方が俺達としてもやりやすい。

 

「基本的にはそうなるだろう。しかし天人くん、私達は君達の戦い方をあまりに知らなさ過ぎると思わないかい?君達はこの世界の超能力でもレクテイアの魔術でもない特別な魔法を使う。情報の共有がキチンと為されていればキンジくん達も君達のサポートをやりやすいだろう」

 

「……ならジャンヌとエンディミラの2人と打ち合わせすれば?」

 

ボソッとユエが呟く。確かに、この戦いにおいてジャンヌとエンディミラは後方支援またはノアとナヴィガトリアに潜入し、面倒な潜水艦2隻の制圧を任せることになるだろう。上からの制圧にはティオに力を発揮してもらうつもりだし。

 

「あぁ。確かにな。乗組員全員追い出しちまえば後は俺が鹵獲できるし」

 

乗ってる奴を全員艦の外に放り出してしまえば後は俺の宝物庫の中に入れてしまえばカタがつく。そうなれば後は空戦だ。向こうの聖痕持ちやレクテイアの神様達がどんな力を持っているか知らないけれど、こっちの主力は全員空中での戦闘を意に介することはない。

 

「伊・Uからの支援は要らないと?」

 

「支援なんて、出来るもんならしてみろよ」

 

シン……と空気が静まり返る。それに比して星伽の視線が更に鋭くなったような気がする。すると、レミアの膝の上にいたミュウがトコトコと俺の元に寄ってきた。

 

「パパ……?」

 

ミュウはまだ小さな子供だけれど、この場でどんなことが話し合われていて、今の空気がどのようなものか分からないほど分別の無い子ではない。もっとも、この歳でそこまで分かっているのは分別が有りすぎると言ってもいいけど。

 

「んー?」

 

俺はミュウを抱え上げると膝の上に乗せてやる。それで少し安心したのかミュウは俺の胸板に後頭部を擦りつけてくる。

 

「ま、俺達は俺達でやらせてくれた方が連携も取りやすいんだよ。だからそっちはノアとナヴィガトリアを内側から攻めてくれ。外からは俺達がやるからさ」

 

「……外からって言うけど、アンタは空飛べるにしても、他の子は大丈夫なの?」

 

「んー?……ユエもシアもティオもアガレスも、空戦は問題無いよ」

 

「我もその気になれば浮けるぞ」

 

と、ルシフェリアも俺の前にやって来る。それで俺はふとカーバンクルの方を見やるが、カーバンクルは普段の無表情───ではなく少し不満げだ。どうやらカーバンクルは空戦には対応できないようだ。

 

「おー、じゃあ頼むぜ、ルシフェリア。カーバンクルも、ノアとかナヴィガトリアの制圧を任せたい」

 

「おう!主様の期待には応えるぞ」

 

「分かった」

 

ルシフェリアはいつも通りニコニコ、カーバンクルも表情が晴れて珍しい笑顔。しかし皆そんなに戦いたいのかね。まぁやる気があるのは良いけど。

 

それで場の空気も多少は和らいだだろうか。まぁ、ミュウにあんな風にされたんじゃ、俺も態度を変えねばなるまいて。

 

「向こうの戦力次第じゃティオとアガレスも伊・Uとノーチラスの守りに構ってる暇がなくなるかもしれねぇ。だったらノアとナヴィガトリアを制圧できた方が安全だろ?」

 

俺達の中で誰よりも空間魔法を扱えるのはアガレスだ。コイツなら1人で戦艦2隻を相手取っても防御を崩されることはない。それだけの絶対的な力がある。そして勿論、守護者の天職を持つティオだって防戦は得意だ。その鉄壁の黒竜燐は戦艦の砲撃だって余裕で受け切れるし、漆黒のブレスや魔法での反撃も激烈。

 

だがそれはあくまで向こうの主戦力が戦艦の砲撃に頼っていた場合に限っての話。アイツらの主力が聖痕持ちで、それが俺とユエとシア、透華達だけでは手に余る場合は当然この2人にも出てきてもらう必要がある。そうなればどうしたって伊・Uとノーチラスの防御が甘くなる。

 

「……そうだな。まずは向こうのノアとナヴィガトリアを制圧するのが先か」

 

「おう。それじゃあそっちは頼むぜ?いくら何でも聖痕持ちとやってる間にゃ俺ぁお前らの手助けは難しい」

 

「分かってるわ。こっちは任せなさい」

 

「あぁ。そっちはそっちに集中してくれ」

 

何だかお互いに会話がぎこちない気がする。何せ俺達の間にはどうしたって溝がある、出来てしまったのだ。それはもう受け入れなければならない。俺は異世界を旅して、きっとどこか変わってしまったのだろう。それが何なのか、俺にはよく分からない。だけどきっとキンジ達からすればそれは大きな変化で、それをアイツらが感じていることを、俺も感じていた。だから最近の俺達の会話はなんだかどこかチグハグで、心が通い合っていない。

 

それでも、今この場で必要なやり取りは行えた。機械的で、どこか欠けているように思えるけれど、必要事項の共有は済んだのだ。だから俺は席を立つ。この先の戦いのために必要な会話は、ユエ達とするべきだからだ。

 

「行こうか」

 

「んっ」

 

「はいですぅ」

 

「おう」

 

ユエとシアとティオが頷く。他のみんなも同じようにそうした。俺はミュウを抱き上げて肩の上に乗せてやる。俺に肩車されたミュウは俺の頭に手を置いて「レッツゴー、なの」と指差している。俺はその方向に歩みを進める。キンジ達はまだ残って何か話すことがあるようだ。

 

ただ、俺達はそれを聞くことなく、シャーロックに用意された船室へ向かう。戦いはもうすぐだ。その先のことはまだ何も分からない。今は目の前の戦いにだけ注力しなければならない。

 

そんな激しい争いの予感を、俺は感じていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

シャーロックから俺達に与えられた居室は2部屋ある。何せ俺も入れて13人の大所帯だ。メヌはアリアと同室らしい。透華達3人で1部屋、残りの10人が同室とのこと。馬鹿なのかな……?

 

明らかに割合のおかしい部屋割りに文句は付けたがシャーロックには暖簾に腕押し、柳に風。「家族は1部屋だろう?」とか言われたのでじゃあルシフェリアとカーバンクルは別室にしろやと、まぁそんな要求はルシフェリア達に却下されましたが。

 

俺が前に使っていた船室よりは広いけど、だからって大人9人子供1人では狭いのは当たり前。これどうやって寝るんだよ。雑魚寝も難しいぞ。

 

「……まぁいいや。寝る時ゃ上に氷張って固定する」

 

「……落とさないでくださいよ?」

 

「当たり前だ。ちゃんと必要十分な魔素は込める」

 

それよりも、と俺は皆を適当に座らせる。各々宝物庫から座布団を出したりリサ達の分を出してやったりしながら全員が座ったのを見て、俺は口を開く。

 

「実際、ティオとアガレスが伊・Uとノーチラスの防衛。俺とユエとシア、透華達でモリアーティと聖痕持ち、ルシフェリアとカーバンクル、ジャンヌとエンディミラでレクテイア人、ないしはレクテイアの神共を相手にしてもらう。そんでキンジ達と協力してノアとナヴィガトリアの制圧……でいいかな?」

 

勿論、こっちの手が足りないようならティオとアガレスにも手伝ってもらう。それに、ノアとナヴィガトリアの制圧には他にも助っ人の用意がある。

 

すると、ユエ達が皆「んっ」と頷いている中、1人だけ手を挙げる者がいた。

 

「はいなの!」

 

……それは何故だか知らないけどミュウだった。

 

「んー?」

 

取り敢えず、無視するわけにもいかないので続きを促す。すると、ミュウは手を挙げたまま口を開いた。

 

「ミュウもたたかいます、なの」

 

「駄目」

 

「どうして!?」

 

ミュウは驚きに目を見開いているけど当たり前だ。態々こんな危険な戦いにミュウを表に出してやれるわけがない。どうしてもと言うからノーチラスには乗せてやるけれど、本当はリサとレミアと一緒に日本の家で……もっと言えばトータスででも待っていてほしいくらいなのだ。

 

「当たり前だろ……」

 

俺が項垂れていると、それでもミュウは諦めずに再び「はい!」と元気良く挙手。俺は「どうぞ」と取り敢えず先を促した。

 

「ミュウはまえのおうちでもたたかったの」

 

前のお家……トータスでの最後の戦争のことだろう。とは言え、あの時とは事情が全く違う。今更、ミュウを戦いに巻き込む気は更々無い。

 

「あの時は戦わなきゃ全員死ぬ戦いだったからな。だけど、今回は戦わなくたって俺達の誰かが死ぬわけじゃあない。ただ、世界の有り様が変わるだけだ」

 

これでミュウに伝わるだろうか。俺の頭じゃミュウにも分かるように、という言葉を選ぶのは難しい。本質を外さずに、言葉を変えられるほどの語彙力は持ち合わせてはいないのだ。

 

「それでも、ミュウはここでいきていくの。だから、ミュウもたたかわなきゃいけないとおもいます、なの」

 

なるほど、ミュウの言いたいことも分かる。これを言っているのがもっと大人───武偵高の誰かやあっちの日本の誰かなら、俺は頷いただろう。だけど今これを言っているのはまだ小学校にも上がっていない子供なのだ。だから───

 

「その志は立派だよ、ミュウ。だけど、俺ぁミュウが戦わなくていい世界を作るために戦うんだ。だからミュウが戦うのを、俺は許可できない」

 

「みゅ……でもパパ、ミュウはしょうらい、パパみたいなぶていさんになりたいの。だから、そのためにもにげたくないの」

 

武偵になりたいなんていうのが将来の夢と言われるとそこはかとなく心配になるな……。しかし、そう言えばミュウから将来の夢なんて聞いたことなかった気がする。

 

「どうして?」

 

俺は人に目標とされるようなご立派な人間じゃないし、武偵なんてならなくて済むならならない方が良いと思う。それは近くで見ているミュウが1番分かっていると思ったのだけれど。

 

「パパはミュウのもくひょうなの。パパはミュウとかママをまもってたたかってくれたの。ほかの人のためにもたたかったの。だからミュウもいろんな人をまもれる人になりたいの」

 

ミュウの言葉は、武偵の良い部分しか見れていない言葉でもある。確かに武偵は人を守る。元々が悪化の一途を辿る治安に対する防衛装置なのだから。

 

だけど武偵はそれだけじゃ済まない。同じ武偵同士でも戦うこともある、お互いの正義がぶつかり合う時だってある。それに、武偵法が許す限りはなんだってやるのだ。当然武偵で身綺麗な奴の方が珍しい。それに……

 

「ミュウ、身体ぁ張ってでも誰かのために戦いたい、守りたいってのは立派だよ。でもな、それなら警察官とか消防隊とか……他にも人の命を救う仕事はいっぱいある。医者だって体力的にも大変な仕事だ。この辺は考えてないのか?」

 

俺に憧れて、同じ職に就きたいと思ってくれるのは父親冥利に尽きるのだろう。だけどミュウはこの世界のことをあまり見れていないのだ。それは、この歳の子供なら当たり前のことだけど、だからこそ今すぐに将来を定めてしまうのは些か以上に勿体ないと思うのだ。ミュウにはまだ選択肢が無限にある。無限に、俺がするのだ。ミュウが医大に通いたいとか、海外に留学したいとか思った時に、家の経済事情を理由にその考えを諦めてしまわないように。

 

「んみゅう……」

 

俺の提示に、ミュウは困ったような声を漏らした。俺を見上げるその瞳は、「でもでも……」と、言いかけているような気がした。

 

「ミュウが俺に憧れて武偵を目指したいと思ってくれたのは嬉しい。だけど、世の中には色んな仕事がある。その中には人の命を救うものだってな。……ミュウは俺を見て武偵になろうって思ったけど、なら今度は、()()()()()()()()。世界は広いよ、色んなものがある。ミュウは、それを知ってるだろ?」

 

ミュウの肩に手を置き、なるべくミュウと視線を合わせるようにして俺はそう語り掛ける。

 

「……はい、なの!」

 

するとミュウは一瞬目を伏せ、そして直ぐに顔を上げると俺の目を真っ直ぐに見据えて元気良くそう返した。その瞳の色は輝いていて、俺の言葉をしっかりと考えてくれているんだなと感じさせてくれた。

 

「……さて、話が逸れたけど」

 

そう言えば元々はミュウも一緒に戦いたいという話だった。いつの間にかミュウの将来の夢の話になっていたけれど、近々で1番大事なことが何も解決されていない。

 

「武器を手にした奴が生きていける世界は極端に狭くなる。俺ぁそれを嫌っていう程に知ってる。いいか、ミュウ。戦えることは良いことだ。だけどな、戦うしかできないのは良くないことなんだぜ」

 

喧嘩が強くたって平和な世界じゃ何の役にも立たない。いつかは俺のような存在が必要の無い世界こそ俺の理想。

 

「特に、腕っ節ばっかり強いなんてのは、何の自慢にもなりゃしねぇんだ。そして、自分から戦いの中にばっか飛び込む奴は得てしてそうなりがちだ」

 

俺のようにな、とは言わないでおく。リサ達は俺が自分のことをそのように言うことを嫌がるからな。

 

「この戦いは世界を変える戦いのホンの最初だ。戦争なんてない、今よりもう少し平和な世界を作るためのな。それは俺達大人がやるべき戦いなんだ。俺達が作って、ミュウに繋げる。だからミュウ、ミュウにはその後……平和な世界を守るための戦いをしてほしい。俺達が残したものを、次の世代に繋いでくれ。そして、それは武力じゃないやり方で維持されてほしいと願うよ」

 

それから、と俺もミュウの瞳を見据えたまま続ける。

 

「ミュウには、俺達の帰る場所になってほしいんだ。ミュウが待っててくれるなら、俺達はどんな敵とだって戦える。それで、勝って帰って来れる。その目標になってくれ」

 

俺がこれまで戦ってこれられたのはリサがいたからだった。リサのいる元へ帰る。俺が戦い続けられた理由はそれだ。そして今はリサだけじゃなく、ユエ達もいる。勿論ミュウも。この子達の元へ帰ることが俺を奮い立たせる理由。どんなに血反吐を吐いても身体が千切れても、帰る場所があるのなら俺は戦える。生き残れる。

 

「わかったの。ミュウは、パパたちをまちます。だからパパもお姉ちゃんたちも、絶対に帰ってきてね……」

 

「おう」

 

「んっ!」

 

「あったり前ですぅ」

 

「分かっておるよ」

 

「あぁ」

 

「はい」

 

ユエ達がそれぞれ頷き、ルシフェリアやカーバンクル、透華達も口々に生きて帰ることを誓う。

 

「ほれ」

 

「わ、我もですか?」

 

ただ、アガレスだけは黙ってそれを見ていたので、何か言えと促してやる。するとアガレスは一瞬言葉に迷い、そして直ぐに口を開いた。

 

「ミュウ様、我は我が魔王をお護りするとここに誓います。そして勿論、我自身も再び我が魔王共々凱旋します」

 

アガレスはミュウの前に膝を着き、胸に手を当ててそう告げた。その姿はまるで姫を守ると誓う騎士様のよう。守られるのはミュウじゃなくて、俺なんだけどな。

 

「パパたちをよろしくおねがいします、なの」

 

けれどミュウはそれを笑うことなく受け止める。強い子だ。あの世界(トータス)での過酷な経験がこの子をそうさせてしまった。だから俺はこれ以上この子が強く在ろうとせずに済むような世界を作りたいんだ。

 

ここに誓いは立てた。俺は俺の誇りに懸けてこの戦いに勝ち残る。そして皆揃ってミュウの前に帰る。俺達はそれぞれを見合い、頷き合うのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「キンジ、お前らに助っ人だ」

 

1人で伊・Uの艦内を歩いていたキンジを見つけた俺はそう声をかけた。あと数十分で戦いが始まる。伊・Uはノーチラスから離れること1キロ程だが、ノーチラスには俺のアーティファクトで俺達は直ぐに移動できる。だから戦闘になる直前に直ぐに駆けつけることができるのだった。

 

「助っ人……?」

 

すると、キンジは訝しげな顔を浮かべた。まぁ、俺の周りには今誰もいないからな。助っ人と言われても意味が分からないだろう。

 

だから俺は宝物庫を光らせる。そしてそこから出てきたのは仮面のような顔をした人形が1体と、豹のような体躯の生体アーティファクトが1体現れた。

 

「人型がバルバトスくんで豹の方がシトリーさんだ。どっちも別の世界の地獄の悪魔……が俺のアーティファクトに取り憑いてる」

 

バルバトスが左胸に手を当て会釈をすればシトリーも頭を少し垂れる。まるで人間だ。君達はその動作をどこで学んだの……?

 

「何だそれ……。細かいことはもう聞かんが、大丈夫なのか?」

 

「おう。俺ん言うことは絶対に聞くし、この戦いじゃキンジ達を助けてやれって言ってある」

 

一応魂魄魔法のアーティファクトによる安全装置もあるしな。それはコイツらも分かっているし、随分と脅かされているからな。例えそんなものが無くたって俺の言うことを反故にすることはなかろう。

 

「……分かった。天人がそう言うんならそれでいい。……それで、コイツらは何が得意なんだ?」

 

「んー?……何って言うか、コイツらの身体にゃ俺ん魔法を積んでんだよ。……まぁ、魔法ってか普通に銃火器もあるけど」

 

バルバトスは両手の爪に空間魔法が、掌に重力魔法が付与されている。全身から纏雷も放てるからゼロ距離戦闘に不安は無い。トータスの魔力と地獄の世界の魔力はよく似ていて、ほぼ等価で扱えるのも大きい。

 

また、武装としては電磁加速式拳銃が2挺、重力魔法と纏雷、風爪の派生技能である飛爪が付与された短刀が2本。手足には空力と縮地が、肘や踵にも刃が仕込まれている全身武器人間だ。

 

膂力だって人間のそれではない。シアの身体強化レベル7程度の腕力があるから、コイツ1体でも強襲科の入学試験をSランク相当で突破することだって可能だ。

 

───という説明を掻い摘んでキンジにしてやると、キンジは何故だか俺にドン引きですって顔をして1歩後ずさった。

 

「……何故?」

 

「いや、お前……侵略戦争とかしないよな?」

 

「しねぇよ」

 

まったく心外だぜ。

 

「んで、こっちのシトリーさんだけど───」

 

シトリーの方にも空力、縮地、纏雷、爪と牙の空間魔法セットは標準装備。しかもコイツの瞳を見ればキンジはHSSを発動できるように魂魄魔法を仕込んである。当然口腔内には銃火器が仕込まれているし、折角獣の姿をとっているのだから尻尾だって刃になる。

 

更に背中に宝物庫を乗せてあるからバルバトスの武器を中に幾つか仕舞ってあるし、最悪何か拾ってもその中に入れておけばいい。

 

「よく分からんが、取り敢えず9条は守れよ?」

 

「分かってるよ。レクテイア人はなるべく怪我させんなって伝えてある」

 

いくら地獄では高位の悪魔達であっても、俺のアーティファクトに取り憑いた状態で、しかも聖痕持ちを相手に手加減なんてしている余裕は無いだろうが、逆に言えばそれ以外には大概圧倒できる能力を持っているのだ。レクテイア人達を余計に傷付けることなく彼女達を制圧することだって可能だろう。

 

「じゃあバルバトス、シトリー、お前らぁキンジ達に付いて行け。お前らが手早く敵を制圧してくれるとこっちも楽できるからな、任せたぞ」

 

コイツらに喋る機能は無い。地獄の底から肉体を持ってコチラに来ればそれも可能だろうが、俺の生体アーティファクトにはそんな機能はない。何せ無呼吸だしな。生体とは一体……。

 

そんな不思議生物未満無機物以上の彼らをキンジ達に預けて俺はその場を立ち去る。とは言え、行き先なんて決まっているのだけれど。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ご主人様」

 

ノーチラスの食堂に飛べば、真っ先に俺を迎えてくれたのはリサだった。武偵高の赤いセーラー服を改造したセーラーメイド服を身に纏ったリサを軽くハグしてやればリサは心地良さそうにおデコを俺の肩口に押し付けてきた。

 

俺はリサの柔らかな白い頬にキスを1つ落としてもう1度、今度は深くリサを抱きしめる。リサの金糸のような髪の毛を梳くと俺の指は何に引っ掛かることなくその隙間を駆け抜けた。

 

「……んっ、次は私の番」

 

「私もですぅ」

 

「ほれ、妾も早く抱きしめてほしいのじゃ」

 

すると、ユエ達も続々と俺の周りに寄ってきた。ジャンヌも、エンディミラも、レミアもミュウも。

 

俺達は総じてノーチラス組として今回扱われる。キンジ達はイ・ウー組。バスカービルで実際に過去イ・ウーに居たのは理子だけで、こっちには俺とリサとジャンヌがいるのにその名称はおかしいだろとキンジは言っていたけれど、そうは言っても実際の派閥で別けたらこうなるのだから仕方ない。

 

「おう」

 

俺は皆を抱きしめる……とは言っても俺の腕の長さでコイツら全員を包むのは不可能なので1人ずつ順番に、だ。

 

すると、何やら強い非難の視線を感じる。まぁ、誰がそんなものを放っているのかなんて今更見なくても分かる。ネモに透華達、それからルシフェリア達だ。

 

「ほら、我のことも抱きしめて良いぞ、主様。むしろ抱きしめない理由なんてないじゃろ?何せ我は主様の花嫁なのじゃからな」

 

なんて言いながらトコトコ俺の元にルシフェリアが駆け寄って来るが、取り敢えずそれは遠慮させてもらいましょう。

 

「いやもう両手が」

 

なんて言って俺は手近にいたリサとジャンヌとレミアをまとめて抱きしめる。それを見せられてルシフェリアは「ぐぬぬっ」と態々声に出して唸っていた。

 

「それよりも───」

 

と、俺は一旦3人を離して1つ真面目な顔を挟む。

 

「───これ、レミアに渡しておくから。危なくなったら使え」

 

俺が渡したのはスイッチ式の空間魔法アーティファクト。ここと俺達の家を繋ぐそれは、ノーチラスが危うくなった場合の緊急脱出手段。ミュウの元にいる悪魔達の乗り移った生体ゴーレムのアーティファクト達はこの戦いには出さず、ミュウ達の護衛に付くけれど、いくらアイツらでもノーチラスが沈むようなことになればリサ達を怪我なく守り切るのは難しいかもしれない。

 

何せ外の戦いの規模が規模だ。アーティファクトの身体に縛られている彼らはその本領を発揮とはいかないのだから、まずはリサ達が即安全地帯に逃げられる用意を整えておくべきだろう。

 

「……分かりました」

 

「ま、まず使わせねぇようにするからさ。安心してな」

 

「守護者の天職を信じておれ」

 

「えぇ。皆様は我が守り抜きます」

 

俺と、基本的には防衛担当のティオとアガレスが力強く頷く。空の支配者たる守護者の天職を持つ竜人族の姫、そして空間魔法を操り地獄の下層に君臨していた悪魔。

 

トータスであればたった1人でも国1つを攻め滅ぼせるくらいの2人。そして守りに入れば帝国だって彼女らの守る国への侵略は諦めざるを得ない。そんなレベルの2人が俺達の元にはいるのだ。これ以上に心強い仲間はいないだろう。

 

それが分かっているから、リサだけでなく、レミアもミュウも安心した顔で頷ける。

 

「ルシフェリアとカーバンクルも、頼んだぞ。キンジ達はノアを攻めるから、お前らはナヴィガトリアだ」

 

ルシフェリアであればナヴィガトリアの内部構造にもそれなりに詳しいだろうという判断だ。こっちはルシフェリアとカーバンクルというレクテイアの神を中心にジャンヌとエンディミラが乗り込む。勿論俺の生体ゴーレムに取り憑いた地獄の悪魔も何匹かついて行く。

 

「任せておけ、主様。我がいるのじゃから何も問題は無いぞ」

 

まぁ君が1番トラブルメーカーだと思いますけどね。

 

「安心しろ、タカト。カーバンクルは強い。それに、タカトに貰った武器もある」

 

カーバンクルには俺のアーティファクトを渡してある。ナブラタン・ガダーも悪い武器じゃないが、海上じゃ使い用がない、と言うか棒だけあっても宝石の湧いてくる地面が無いから出しようがない。

 

それ故に俺はカーバンクル用のアーティファクトを作る必要性に駆られたのだった。だがそこで問題が1つ。カーバンクルはあまり頭の回転が早い方ではなかったから、アーティファクトにあまり複雑に機能を載せられなかった……と言うか載せても全部を理解することが難しかったのだ。その上魔力の直接操作も無いから様々な魔法を搭載してしまうと余計に操作がこんがらがるという難点が。

 

おかげで搭載した魔法は重力魔法のみ。スイングの際にスイッチを押し込むことでアーティファクトのスイングスピードを加速させるという単純明快なものしか付与していない。

 

まぁ元々の戦闘スタイルを考えたらそんなに色々は必要ないだろうが、あの宝石を飛ばす魔術と似たような、ないしは同じ役割が担える魔法が付与されていないから、中・長距離戦闘に持ち込まれた時の射程に不安が残る。まぁ、そこはエンディミラやルシフェリアにカバーしてもらう他ない。

 

「むー、主様よ、我にも武器を作れ」

 

「んー?……だってルシフェリアは武器とか使いたがらないじゃん」

 

「それはそうじゃが、それはそれとしてカーバンクルが主様から物を贈られて、我には何も無いのはおかしい」

 

えぇ……面倒臭……。だいたい、ルシフェリアの戦い方って武器なんて要らないんだよね。基本的には強力な念動力で敵を直接攻撃するか、物を動かして叩くか、自分の身体能力の補強に使うか、そんな感じ。

 

露出の多さに誇りを持っているから鎧の類のアーティファクトも好まないし。さて、どうするか……。

 

「……んー、じゃあ……」

 

無い頭を振り絞って、どうにか俺は1つ思い付く。もっとも、それは武器とは呼べないようなものではあるのだけれど、要は何か戦闘の役に立つものをルシフェリアに贈れば良いのだ。それならばこんなものでも文句は言うまいて。

 

と、俺は氷でテーブルを作るとそこに宝物庫から適当に鉱石を取り出して並べ、それらを錬成し始める。それに加えて生成魔法で手を加えていく。

 

真紅の魔力光が迸るその光景を皆ただ黙って眺めている。どうやらこの子達は俺が錬成で何かを作っている様子を眺めるのが好きらしい。何がそんなに面白いのかはよく分からないけど、まぁ邪魔にはならないし別にいいかと放っておいていた。

 

「さて……」

 

そのうち錬成も終わり、幾つかあった鉱石達は1つの形へ収束していく。それはネックレスのようなアーティファクトで、首に掛けて言葉1つで魔法を発動させることができる。

 

「ん」

 

「んーん」

 

俺はそれをルシフェリアに渡そうとする。だがルシフェリアは自分の頭を突き出してくるばかりで受け取ろうとしない。何だよそれ、俺に着けろってこと?

 

「……はいはい」

 

仕方なしに俺は作ったばかりのアーティファクトを、水着よりも露出の激しい栄えある衣装を身に纏ったルシフェリアの首にかけてやる。するとルシフェリアはニコニコと機嫌良さそうに微笑み……

 

「んー、むっ……」

 

背伸びして俺の顔に自分の顔を突っ込んできたので額に指を当てて押し戻す。だから、そういうのはする気ないんだってば。

 

「下手に武器持つより、多分それ使った方がルシフェリアは強いよ」

 

と、俺はアーティファクトを指差しつつ使い方を教えてやる。付与した魔法は瞬光。

 

「流石は主様じゃの。我のことをよく分かっておる」

 

武器ではないがどうやらルシフェリアのお気に召した様子。惜しげも無く晒された胸元で光るアーティファクトの輝きに負けず劣らずその笑顔は輝いていた。

 



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最後の戦い、その始まり

 

 

 

「覚悟はいいか?……いや、愚問だったな」

 

もうすぐノアと───モリアーティとの合流地点らしい。艦内の誰もが慌ただしく駆け回る中、ここのボスであるネモは俺達の前に立ち、ただ俺達を見据える。

 

どうやら出すべき指示は全て出しているらしい。それでなくともエリーザがいるのだ。あの子に任せておけばこの艦は問題なく動き続けるだろう。

 

「覚悟も決意も、とっくの昔に済ませてるぜ」

 

嫌なことだけど、俺にとっては戦いだって日常。いつどこから俺の命を奪う怪物が襲い掛かってくるのか、常に気を張っている必要があるような所にだっていたんだ。敵が強いとか強大だとか、そんなことは俺にとっては差程の意味も持たない。戦うべき敵か、そうでないのか。俺の前にある選択肢はそれだけで、それを決めるに足る理由は俺達の歩みを阻むのかそうでないのか。それだけだ。

 

そして、モリアーティと奴の率いる潜水艦隊2隻は俺達の目の前に現れた壁で、それは壊さなければならないものだった。そうでなければこの世界はこの先一体いくつの屍を積み上げることになるのか知れたものじゃない。

 

そして何よりも、奴は俺の欲しい世界とは全く真逆に近い世界を生み出そうとするのだから。俺は俺の願いのためにも奴を───モリアーティを倒さなければならない。これは俺とモリアーティのエゴのぶつかり合いだ。どちらかに絶対的な正義があるのではない。俺の願いだって、この世界でただの人として産まれた奴らにとってはきっと鬱陶しいことだろう。

 

だけど、それでも俺は進むと決めたのだ。ネモと出会い、その理想を聞いた時からきっと俺はこの世界を変えるために戦う波に呑まれてしまっていたのだろう。

 

もっとも、それでも構いやしない。俺には信じられる女達がいる。誰よりも愛して、他の何物にも代えられない大切な女達だ。この子達がいる限り俺は負けやしないし、負ける気もしない。だから覚悟や決意なんてものは、とっくの昔に済ませた話なのだ。

 

「ならいい」

 

と、短くネモは返し、艦長の証である帽子を目深に被り直した。

 

「では、私も最後の準備に取り掛かる。貴様達も、怠るなよ?」

 

「あぁ」

 

俺はただ短くそう返す。それ以上に俺達の間には言葉は無かった。必要が無いからだ。ネモは艦橋へ向かう。俺達はいつでも外に出られるように待機。鍵があれば物理的な距離や障壁を問われることはない。

 

 

 

───────────────

 

 

 

 

『こうなることは推理出来ていたよ』

 

俺達はMOBILIS IN MOBILI(動中動)の旗を掲げたノーチラスの甲板に立っていた。その斜め後ろには伊・Uも浮上している。───空気が張り詰める。

 

1キロ先にいるのは黄金の潜水艦(ノア)。そしてその艦橋にいるのはモリアーティ。ナヴィガトリアもノアの横に浮上しているが、こちらに艦長の姿は見えず。

 

「モリアーティ、私は貴様と戦う道を選んだ。Nは……私と貴様のNは今この瞬間に終わったのだ。これからはネモのNがこの世界のNとなり、人と人ならざる者達が手を取り合える世界を作る」

 

19世紀頃のフランス海軍の軍服を身に纏ったネモが通信機越しにそうモリアーティに伝える。だがモリアーティからは驚きや怒りなんてものはこれっぽっちも伝わってこない。ただあるのは

 

()()()()()()()()()()()()()()()()。それだけだよ、ネモくん。もう1度言おうか、()()()()()()()()()()()()()()()

 

感情なんてものが全く読み取れないただの言葉の羅列。言っている意味は分かる。言葉は空気の振動として通信機が大気を震わせて伝えてくれたから。だけどそれだけ。例え通信機越しであったとしても伝わるはずのモリアーティの感情というものが全く乗ってこないのだ。

 

レキのように言葉に抑揚が無いというのではない。ただ、決定的な何かが欠落している。俺にはそうとしか思えなかった。

 

前から超越者のような奴だと思っていたが、事ここに来てその印象は加速する。エヒトの方が余程人間味に溢れていると思えるような、そんな薄気味の悪さ。

 

「どういう───」

 

「───いいよ、ネモ」

 

俺はモリアーティの言葉を聞き返そうとしたネモを止める。奴に言葉を聞き返すことに意味は無いと思ったからだ。

 

「いちいちお前と問答してやる気は無いよ。……それより───」

 

俺がその続きを口にすることはなかった。何せ、ノアから砲撃が放たれたのだ。それもただの砲弾じゃあない。ありとあらゆる世界の原初たる力、その奔流にして本流。それに対して俺は、空間魔法を付与した円月輪を展開。2枚1対のそれはノアから放たれた聖痕の力による砲撃を空間魔法で繋がったもう片方のゲートから吐き出した。

 

──ゴウッ!!──

 

と、空を抉るような音を立てて白い破壊の権化はノアの主砲を掠めるような軌道を描く。だがそれがノアの武装の一部を破壊することはなかった。ノアの眼前に巨大な黒い球体が現れたかと思いきや、それが白い破壊の権化を吸収したのだ。闇に飲まれるように消えた聖痕の力を見て

 

「……重力魔法?」

 

ユエが俺の隣でそう呟く。恐らくユエの想像に近いだろう。あれはきっと重力を操るような聖痕の力だ。そして、俺の脳裏に()ぎるのはあの時の記憶。俺が自分の無力に押し潰されそうになったあの日、あの瞬間の記憶───

 

「……ふん」

 

だけど、そんなものは鼻で笑い飛ばす。今更そんなものには囚われてなんてやらないよ。あの時の無力感も怒りも悲しみも痛みも、何もかも全部俺は越えてきた。リサと、ユエ達と共に。

 

「ティオ、アガレス。後ろは任せた」

 

「おう」

 

「はい」

 

俺の呼び掛けに、2人は頷く。

 

「ユエ、シア」

 

「んっ」

 

「はいですぅ」

 

ユエとシアも小さく頷く。それ以上の言葉はいらない。俺達の間には共有すべきことは既に終わっているから。

 

「ジャンヌ、エンディミラ、ルシフェリア、カーバンクル。……頼んだ」

 

「あぁ」

 

「はい」

 

「おう」

 

「あぁ」

 

ジャンヌ達も、自分達がなすべきことを把握している。だから1つだけ頷けばそれでいいのだ。

 

「……行くぞ」

 

短く、俺はそれだけ呟いた。そして空力で1歩踏み出す。2歩目は縮地で一息に50メートル。3歩目にはダン!と空気を震わせる踏み込みと魔力の爆発を伴って俺とモリアーティの距離を一気に半分に詰め───

 

「……あ?」

 

視界が空を舞う。

 

視線が海面を向いている。慣性に従って身体が流れているようだ。腹が熱い……いや、これは気のせいだ。熱は感じない。熱変動無効のおかげでそんなものは感じなのだからい。だけど、身体が冷えている?それも否、これは血の気が引いている───

 

「───っ!」

 

気付けば俺は光に包まれ、海面に激突しようとしていた。直ぐに空力で空中に立ち、背後を振り返る。すると視界に一瞬映ったのは武偵高のズボンを穿いた男の下半身が血を噴き出して海中に落下する光景。そしてその3メートル向こうにはモリアーティの背中。

 

どうやら俺が何かを知覚する前に俺とモリアーティはすれ違ったようだ。だがそれに俺は全く気付けなかった。そして気付いた時には身体を両断され、そして俺の捕食者の胃袋に仕込まれた死者蘇生のアーティファクトによって蘇生された───つまり、俺は1度モリアーティに殺されたのだ。

 

ならばと、俺は氷の檻をモリアーティの周りに生み出し、モリアーティを拘束しようとした。だが───

 

「───っ!?」

 

気付けば俺の視界は真っ黒になり、そして直ぐに光を取り戻した。ただ、さっきよりも俺のいる位置が低い。一瞬前まで俺はモリアーティを2メートル見上げる位置にいたのに、今は5メートルほど見上げる位置にいる。どうやら今度は頭を潰されて即死し、そしてまたアーティファクトの力で蘇生したようだった。

 

するとモリアーティの直上の空間が一瞬光り、そこからドリュッケンを大上段に振り上げたシアが現れた。ユエによる瞬間移動だ。そしてシアは既に真紅の魔力光をすら纏っている。過重身体強化(オーバーイクス)、しかもあの真紅の迸りはXⅢまで届いている筈だ。

 

そしてシアは無言のまま重力魔法で真下への重力落下を加速しながら、空気の壁を引き裂いた超々音速のドリュッケンをモリアーティの頭に叩き込もうとして───

 

「ッ!?」

 

ガァン!!と、直前でドリュッケンが何かに阻まれた。何やら光の膜のようなものがモリアーティの頭上に現れていて、それが壁となりシアの一撃を防いでいるようだった。過重身体強化の時のシアの膂力は俺をも遥かに凌ぐ。そんなパワーから放たれるドリュッケンの一撃を、ただ突っ立っているだけで受け止めるとは、やはりモリアーティは何かしらの聖痕の力を得ているのだろう。

 

俺はモリアーティが次手を打つ前に氷の槍を至近距離から奴に向けて射出する。だが、それらも全て謎の光る膜によって身体を貫く前に防がれてしまう。

 

俺の意思によって氷の槍が砕け、ダイヤモンドダストが舞う中シアが1歩モリアーティから距離を置く。すると、その隙間を埋めるように闇色がモリアーティの頭上から降り注ぐ。

 

ユエの壊劫(えこう)だ。それも、本来は広範囲を押し潰す重力場を敵に叩きつける魔法を、超圧縮して振り降ろしたのだ。

 

黒い重力場が海へと堕ち、水飛沫が水量の壁のようにそそり立つ。それを魔力の衝撃変換で打ち払うと、そこにモリアーティはいなかった。だが、それは海に沈んだのでも重力と海面の間で圧死したわけでもなかった。

 

アイツは瞬時に───文字通りの瞬間移動で元いた場所から離脱し俺の背後10メートルの位置に逃げていたのだ。

 

当然俺もモリアーティ目掛けて氷の槍をアイアンメイデンのように叩きつけてはいるが、それもさっきの二の舞い。(きっさき)はモリアーティに届くことはなく、如何程の痛痒も与えられてはいない。

 

そして俺が振り返る間もなく、俺の身体から閃光のようなものが飛び出た。まるでビームのような何かが俺の腹を貫通したのだ。

 

「ぼ───っ!?」

 

「天人っ!」

 

「───天人さん!!」

 

ユエとシアが俺の名を叫ぶ。大丈夫だよ、俺だって無傷でコイツらを捕まえられるとは思ってないからさ。だから負傷にだって備えてるさ。

 

俺の捕食者の胃袋の中には神水が大量に保存されている。それを自分の体内に少し放出してやればこんな傷、直ぐに癒えていく。

 

神水による尋常ならざる治癒すらも待ちくたびれるかのように俺は振り返る。そこにはただ無表情に俺を眺めるモリアーティがいた。物理的な破壊力ではそう簡単にモリアーティには届かない。ならば次はと、俺は右手に纏雷の嘶きを弾けさせる。そして一息にモリアーティの眼前へ踏み込もうと空力で空を踏みしめたその瞬間───

 

───俺の四肢が空を舞った。

 

 

 

───────────────

 

 

 

───何も見えなかった。

 

アガレスはノーチラスの上から海上で行われている戦いを見て、それだけを理解した。

 

気付いた時にはモリアーティと呼ばれる男が天人とすれ違っていたのだ。そして、慣性に従って天人の上半身と下半身は泣き別れた。もっとも、それによる負傷そのものは即座にアーティファクトの効果によって時を戻し、無かったことにしてしまえたのだが。

 

けれども、モリアーティの攻撃が見えなかったことには変わりない。実際、モリアーティの手元が光ったと思うが早いか天人の頭は消失していた。

 

天人の体内には死んでも即座に蘇生してくれるアーティファクトが仕込まれているから、やはり攻撃による死亡そのものはそれほど問題にはなっていない。

 

だが、地獄では公爵の地位に着いていた自分を圧倒した神代天人とシア・ハウリア。それに加えてあの2人が戦闘面で絶対的な信頼を置くユエの3人による攻撃であってもモリアーティには傷の1つも負わせられてはいなかった。その事実にアガレスは歯噛みする。あそこに自分が飛び込んで行ってもそれ程の役には立たないということをただ見ているだけでも感じさせられたのだ。

 

「……そら、貴様らも行くがいい」

 

だが、アガレス個人の思いを他所に戦いは続く。そしてモリアーティを倒すためには自分の後ろで海上の戦いを眺めている人間共を、彼らの戦場に送る必要がある。

 

トータスでは空間魔法と呼ばれるような魔法をアガレスは得意としている。その中には当然瞬間移動の類も含まれている。アガレスはそれを使ってキンジ達をノアとナヴィガトリアへ運ぶ役割も任されていた。

 

いや、本当はユエと2人で分担してジャンヌ達も輸送する手筈だったのだが、モリアーティの想像以上の戦闘力と、天人が一瞬にして真っ二つにされたことに憤ったユエが向こうへ行ってしまったのでアガレスが1人でそれを担う必要が出てきたのだ。もちろんこのような状況も想定はしていた。ただ、それは想定の中ではあまり良くない可能性として、ではあったが。

 

キンジ達を輸送する際にはどうしてもこちら側の防御は多少手薄になる。向こうが軍艦2隻だけであればティオがいればなんら問題は無いのだが、向こうに聖痕の力を放つ砲台があるとなると話は変わる。

 

聖痕の力の種類にもよるが、ティオの防御とアガレスの空間遮断による守備陣系であっても突き崩される可能性があると天人は考えていた。だから天人がモリアーティとの戦いに集中する以上、なるべく守備の布陣も崩したくはないのだ。

 

だが、それでもキンジ達をノアとナヴィガトリアに送り込む必要はある。キンジ達は向こうが起動させている聖痕封じと、特定個人の持つ聖痕だけを解放する仕掛けを破壊する必要があるのだ。そしてこちらも聖痕封じと天人と透華達の聖痕だけを解放する|聖痕封じ返し()()()()()()()()()()を起動させてモリアーティの聖痕を封じつつこちらの最大戦力を解放する。

 

そこからのカウンターで一気に形勢をこちらに引き寄せ、モリアーティを逮捕しこの戦いに終止符を打つ、それが天人達の作戦だった。

 

「……分かった」

 

キンジ達もそれは分かっているから、頷くしかない。それをアガレスは横目で見やると、己の魔法を展開する。いくらアガレスと言えど全く見た事のない戦艦の内部の狙った座標にピンポイントで転移することは出来ない。アガレス1人であれば壁や床に挟まってしまっても問題はないが、今回はキンジ達人間がいる。

 

天人曰く、キンジは人間離れ人間なんて言っていたが、鉄板に身体を挟まれて平気なわけはないから、アガレスは見えている範囲───ノアの甲板上に送る他ない。

 

「行くぞ」

 

その一言と共にアガレスとキンジ、そしてバスカービルの面々とワトソン、そして彼らを守護する生体アーティファクトにその存在を移した悪魔達──バルバトスとシトリー──の姿がその場から消える。

 

もっとも、その刹那の後にはアガレスの姿が再び現れる。そうして今度はジャンヌとエンディミラ、ルシフェリアにカーバンクルを伴ってまた再び姿を消すのであった。

 

行き先はナヴィガトリア。これにて戦力の輸送は完了。あとは天人達とモリアーティの戦いに目を光らせ、このノーチラスと伊・Uを守り抜くだけ……

 

「───ッ!?」

 

その筈だった。だがナヴィガトリアから戻ったアガレスの意識は瞬間、掻き消えた。その後直ぐに真紅の魔力光に包まれて目が覚める。今のは天人が上空に展開していた死者蘇生のアーティファクトの光だ。

 

つまり今、アガレスは1度死んだのだ。どうして?何によって?そんなのは分かっている。アガレスに何も意識させることなくその命を奪える存在なんてものはこの世に2つしかない。アガレスの主たる神代天人と、そして今も尚正体不明、不可視の攻撃によって天人とユエ、シアを翻弄しているモリアーティだけだ。

 

「あれは……」

 

すると、アガレスの真横に1人の男が立つ。もっとも、彼がその場に現れたことにはアガレスも驚きは無い。足音も気配も把握していたから。そしてその少し後ろにもう1人。器……ではなく1人の人間、ワトソン1世だ。

 

「粒子、だね」

 

シャーロック・ホームズはそう短く呟いた。アガレスは、それがモリアーティの聖痕の力なのだと直ぐに理解した。ただ、それがどうしてあぁも不可視かつ強大な火力を持つに至るのかまでは分からない。

 

「それは、どんな力だ」

 

だからアガレスは問う。アガレスはシャーロックとは短い付き合いという言葉ですら尚足りない程の、付き合いなんて言えるような関わり合いすらなかったが、それでも彼の性格の一端だけは理解していた。だからなるべく彼には問い掛けをしたくはなかったのだが、それでも聞かざるを得なかった。それ程までにモリアーティの攻撃は異常だったのだ。

 

「僕も実物を見るのはこれで2回目なのだけどね。簡単に言ってしまうと()()()()。この一言に尽きるのだよ」

 

「何……?」

 

思わず、アガレスの声が低くなる。この状況下において何をふざけたことを言うのだと。そしてお前から見ても正体不明とはどういうことなのだと、アガレスの声のトーンからそれらを受け取ったシャーロックは珍しく苦笑いを浮かべていた。

 

「とは言え出来ることはある程度分かっている。熱量による融解だけでなく速力による物理的な破壊力も兼ね備えた光線と、粒子を高速振動させることで斬る刃。それと相手の思考を読み取る領域を展開すること。自身の肉体を分解、再構成することによる瞬間移動のようなもの。そしてどうやら、これは今初めて確認出来たのだが、モリアーティ教授は()()()()()()速度での移動が可能なようだ」

 

アガレスにとって超光速というものが実際にどれほど異常なのかは理解の及ぶものではなかったが、兎に角目にも留まらぬ速さなのだということは理解出来た。そして、モリアーティの攻撃力についても、それが天人の肉体強度をもってしても容易に貫かれるものだということは理解出来ていた。

 

それ故に歯痒い。今自分がすべき最適な行動とはあの場に飛び込んで大鉾を振るうことではなくここに控えてノーチラスと伊・Uを守ることだと分かっているから。

 

「そこまで分かっていてどこが正体不明なのだ」

 

「簡単なことだよ。粒子の聖痕の力については、()()()()()()()()()()()()

 

ここまでは分かっている。だがそこから先は何も分からない。今目の前で起きている事象以上のことが起こせるはずなのに、その底が全く見えない。故に正体不明。

 

「…………」

 

アガレスは無言でシャーロックを見やる。だが横目でチラリと目線をやっただけで、直ぐに海上での戦いに視線を戻した。天人達とモリアーティの戦いは、光の速度を越えて展開されている。

 

 

 

───────────────

 

 

 

光が降り注ぐ。上空に展開している再生魔法と魂魄魔法の複合アーティファクトからの光だ。それを浴びた俺は直ぐさま失った四肢を取り戻す。

 

何となく、奴の力の正体は掴めてきたぞ。どこか既視感を覚えるあの戦い方。だとしたら最悪だな。俺が考えうる限りの最強の力を、モリアーティは手にしていることになる。

 

そして最悪は加速していく。

 

───ゴウッ!!

 

「───っ!?」

 

放たれたのは力の奔流。それを空間魔法を付与した円月輪で進行方向を海面側に向けてやる。爆音と共に水柱が高く立ち上る。あの聖痕の力を放つ砲台は面倒臭いな。

 

『シア、あの砲撃潰してきてくれ』

 

『分かりました、ですぅ』

 

ただでさえモリアーティの持つ力は強烈なのに、これ以上の聖痕の力を相手になんてしていられない。だから俺は念話でシアにそう指示する。すると背後から空が砕き割れるかのような音が鳴り、シアは一息にノアの甲板へと距離を縮めていた。しかし、モリアーティはそれを見逃すように微動だにしなかった。アイツにとってはそれほど重要なアシストではないと思っているのだろう。きっとコイツは自分が全てを終わらせられる力を持っていると確信している。

 

さて次は、と思うが早いか俺の視界がまた真っ暗になる。そして再び白く染まる世界。今度は俺の頭上で灰色の煙が上がり、熱変動無効の力で何ら影響を受けはしないが、そこには強い熱が発生していた。どうやら火器……というか砲弾で身体ごと吹き飛ばされたらしい。

 

ノアとナヴィガトリアにはそれぞれキンジ達とジャンヌ達を向かわせてはいるが、アイツらには船内の制圧と聖痕封じをどうにかすることに注力してもらっている。だからアイツらを送ったところで砲撃が止むわけではない。

 

『ユエ、頼む』

 

『んっ』

 

今度はユエが瞬間移動で消えた。ナヴィガトリアの方へ向かったのだ。多分あっちには重力の聖痕の使い手がいるはずだ。きっとその力で砲弾を直接ブン投げたのだろう。俺の銃火器のアーティファクトも今や似たような機構を備えているからな。聖痕の力であれば火薬を使うよりも高速で砲弾を飛ばせるんだろう。

 

先程の砲撃が聖痕の力を機械に与えたものなのか、力を持った人間が行っているのかは分からない。だけど今のユエであれば例え聖痕持ちと言えどそう遅れをとることはあるまい。

 

そしてユエに対してもモリアーティは動くことなくただ俺と相対している。すると直ぐに背後から衝撃と爆音が響いてきた。どうやらシアが暴れ回っているらしい。それに続いて強大な魔力の奔流も。こっちはユエだろう。どちらも派手に暴れているみたいだ。

 

「───っ」

 

その思考の直後、俺の胸には人の腕位の太さの風穴が空いていた。どうやらモリアーティに心臓を貫かれたらしい。けれどもそんな致命傷も直ぐに回復する。するとモリアーティは小さく「ふむ」と声を漏らす。その声は、今日のコイツのどんなセリフや仕草よりも人間的だった。

 

「ではこれはどうだろうか」

 

その一言と共に俺の視界は真っ暗に潰される。意識が途切れ、そして次に目覚めると───

 

「───っ!?」

 

眼前にあったのは光り輝く球。その光球に俺は見覚えがある。それは、人体を容易く貫く粒子と熱の槍───

 

そこで俺の意識は途絶えた───

 

 

 

───────────────

 

 

 

 

光の槍が天人の身体を蹂躙する。頭を消し飛ばされ、手足を切断され、それでも天人の体内のアーティファクトや神水、更には上空に展開されている再生・魂魄魔法混合のアーティファクトによる再生と蘇生。それらが天人を死の闇から常世へと引き摺り出している。

 

ただそれでもモリアーティの攻撃は止まない。何度天人の肉体が再生しようと、何度天人の命が死の中から再構成されようともモリアーティは天人の肉体を殺し続ける。この再生に無限は無い。今の神代天人は聖痕の力を使えない。それはモリアーティが封じている。

 

どうやら仲間をノアとナヴィガトリアに向かわせて聖痕封じの仕掛けを破壊しようと試みているようだが、それは無駄だとモリアーティは分かっていた。

 

何故ならノアとナヴィガトリアだけではなく、影響半径こそ大したことはない代わりに小型化し携行を簡易にした聖痕封じとそのカウンターをモリアーティは所持しているからだ。だからキンジ達やジャンヌ達をアガレスが潜水艦隊に送り込んだ時も、ユエとシアがそれぞれ乗り込んだ時もモリアーティは放っておいた。彼ら彼女らが例えノアとナヴィガトリアを制圧しようとも、結局のところは神代天人の白焔を封じたままモリアーティ1人がいれば全て逆転できる。その確信があるからこそモリアーティはそれらを(ほう)ったのだ。

 

もちろん、万に一つ、億が一にもの可能性を封じるにはモリアーティが直接アガレスやユエとシアを叩き潰すのが最善だろう。ただ、それでは駄目だとモリアーティは考えていた。ただ正面から全て潰そうとしたのでは彼らは折れない。それがモリアーティには分かっていたからこそ、この戦場で天人達のやることを見逃し、そしてそれでも尚自分の方が上にいるのだと分からせる必要があると考えている。

 

それは何も神代天人達だけの話しではない。むしろ、これはモリアーティの宿敵であるシャーロック・ホームズに対して向けられたシナリオであった。ワトソンを手に入れ、神代天人とその一行という最高の戦力を手に入れた彼を、そして彼の作戦をある程度泳がせて尚叩き潰す。そうして彼らの心を折る。力で蹂躙するだけでは、きっと雌伏を経てまた再び彼らは立ち上がるだろう。

 

それではせっかく描いた脚本を、条理の完全に外側にいる彼らに横紙破りされかねない。モリアーティはそれを懸念していた。

 

だから示す。このモリアーティに勝てる存在などこの世界には居ないのだと。例えどれほど異世界で力を身に付けようともそれを上回る力を持つ存在がいるのだと、彼らに示してやる必要がある。世界最高の頭脳を持つ犯罪者が導き出した答えはそんなシンプルなものだった。けれどもその脳は、彼らのような者達にとってはそれこそが最適解だと解を出した。

 



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聖痕持ちとの戦い

 

 

モリアーティ達との合流地点が確定した時点で、そこに罠を貼るべきだという意見は出ていた。だがシャーロックはそれを是とはしなかった。理由は単純、自分の戦力の全てを明かしていないモリアーティが、ネモの裏切りを想定していないはずがないからだった。それも、もし裏切るのならノーチラスやネモ個人ではなく、確実に神代天人とその家族は味方に付いているし、シャーロック・ホームズもそこに加わっているとモリアーティなら推理できる。その上で当然、遠山キンジとチーム・バスカービルも加わっていると想定することは、モリアーティにとっては容易いことだと知っていたからだ。

 

そして実際にその通りの戦力でシャーロック達はモリアーティとは相対している。だから天人の越境鍵を使って海中にアーティファクトの罠を置いたところで、それ程の意味は持たないだろうとシャーロックは推理したのだった。

 

むしろ、事前に罠があればその時点で裏切りが露見する。ならば、推理と準備は可能でも、まだモリアーティに確定情報として渡っていないネモの裏切りをその直前まで伏せ札として残しておくことをシャーロックは選択した。

 

もっとも、シャーロックであればここまで推理して「何も置かない」ことを選択するということも、モリアーティには推理できていたのだが……。

 

だが───

 

「ガ───ッ!?」

 

モリアーティの声が初めて乱れた。そして焼けるような痛みを発している自分の鳩尾を見やる。そこには直径で9ミリ程の穴が空いていた。そしてそれは何よりも、モリアーティが自分の身体に仕込んでいた小型の聖痕封じと、それを無効化する装置を破壊されたことを意味していた。

 

しかし誰が?神代天人は現在モリアーティの手により再生する傍から絶命を繰り返している。故に天人にそんな暇は無い。ユエとシアは現在ナヴィガトリアとノアで交戦中。ティオとアガレスに対しても粒子の聖痕による超光速レーザー攻撃をノーチラスと伊・Uに放ち続けることによってその場に張り付けにしていた。

 

モリアーティはそれでも事前にこの海域を調査していた。シャーロックは罠を置かない選択をしたとしても、それに神代天人が従わない可能性があったからだ。

 

異世界の力を身に付けた天人の行動はモリアーティの推理でも確実に読みきることはできない。当然、異世界からやって来たユエ達の行動もだ。だからモリアーティは念を入れてこの海域を調査した。そしてその結果、確かにここには何も無かった。

 

モリアーティは知らなかった。いや、例え知っていてもどうにもならなかっただろう。実際、空にある死者蘇生のアーティファクトを破壊するではなく天人を直接攻撃し続けているのもそうだ。

 

認識阻害、気配遮断のアーティファクト。それに加えて樹里の聖痕による切断。それらの組み合わせにより、モリアーティは死者蘇生のアーティファクトの居場所を探せないでいた……と言うよりも、それの存在を長時間認識し続けることができないでいた。それはまるで、()()()()()()()を見た時のように───

 

 

 

───────────────

 

 

 

 

1歩目で距離を半分に詰め、2歩目で黄金の潜水艦の甲板に立つ。聖痕の力の放出による砲撃の第2射が放たれる前にシアはノアに乗り移っていた。

 

だが甲板上には誰もいない。シアがウサミミをピンと伸ばそうと気配を探ろうと、そこには誰もいなかった。ただ、シアが甲板上を見渡すと、そこには1門、異様な砲塔が置かれていた。

 

それは戦艦の主砲や副砲とはまた違い、どちらかと言えば歩兵の携帯式地対空兵器のように見える。ただもちろん、常人が持って抱えられるような大きさではなく、砲門の大きさはシアが1人丸々入れるくらいに太く長さも3メートル程度はあるように見えた。

 

「ではでは……」

 

と、シアはおもむろにドリュッケンを振り上げ、ツカツカとその砲台に近付いていく。おそらくこれがあの聖痕の力を放出する砲台なのだろうと、シアは確信を持っていた。そして近付くにつれ、その確信は正しかったと悟る。

 

天人とモリアーティという、この戦場で最高火力を持つ2人が初手で両陣営のド真ん中でぶつかりあったことで4艦もの潜水艦が向かい合っているのにも関わらず、この戦いではどこからも火線が飛ばなかった。それなのにこの砲塔だけは少し熱を帯びていたのだ。それはきっとあの砲撃によるものなのだろうとシアは考えていた。

 

だからまずはこれを潰せば一先ずは作戦完了。その次はあの戦いに割り込むよりもこのノアの制圧を手伝った方が効率的だろうか。さっきから天人が何度も何度も消し炭すら残さずに死と蘇生を繰り返させられているのには腸が煮えくり返るが、だからこそ感情に任せるのではなく、より全体のために動くべきなのだろうとシアは考えていた。

 

「だから、これで───」

 

そしてシアはドリュッケンをその特異な砲台に叩きつける。

 

──ゴグシャアッ!!──

 

と、ひしゃげた砲塔をシアは宝物庫へと仕舞い込む。これで完全に脅威を1つ排除できた。だが───

 

「───ッ!?」

 

その瞬間、シアの未来視が発動した。それは己の死を感知して自動で発動するシアのお守りのようなもの。それが発動したということはつまり───

 

「あら?」

 

───シアは死の光景から飛び退る。そうでなければシアは今頃上半身と下半身が分たれていたはずだった。それも、ただ業物の刃で切断されるのではない。絞られた雑巾のように身体を捻じ切られる。そんな不条理な未来が見えたのだった。

 

「完全に不意を突いたと思ったのだけれど、中々上手くはいかないものね、ウサギさん?」

 

ズルズル……と、這い出でるように虚空から現れたのは病的な迄に色白な長身痩躯の女。歳の頃は20代前後といったところか。短く切り揃えた黒い髪は陽の光を受けて輪が見えるほどに艶がある。羽織ったロングコートのポケットに手を突っ込んでいるせいか、その細身が際立って見えて、紐のような女だ、とシアはふと思った。ただ───

 

(コイツ……どうやって……?───いや)

 

この女の能力の想像はつく。おそらく空間を捩じ切る能力だ。そしてその応用で自分の気配や姿を消していたのだろうとシアは思い当たった。似た能力は1度見たことがある。それはシュネーの雪原での大迷宮攻略後、天人とユエが世界転移の概念魔法を生み出す際だった。あの時(つまび)らかにされた天人の過去。あの時に力を使っていた人間は男だったが、似たような力は同時に存在し得ない、という話は聞いていない。

 

捻じることに特化した空間魔法の使い手と思えばシアは混乱することなく頭の中で対抗手段を組み立てていく。とは言え出力はユエの扱う空間魔法よりも余程上なのだろう。聖痕とはそういうものだとシアはついさっきのモリアーティとの交戦で悟っていた。ならば───

 

(様子見なんてしてられねぇですぅ。最悪殺したってこちらには蘇生のアーティファクトがありますからね)

 

それに、手足くらいなら捥いでも構わないだろう。後は目も潰しておくべきか。とにかくコイツに力を使われて対抗されては厄介極まりない。倒した後は一切の抵抗を許さないようにしなければならない。

 

幸い、聖痕持ちの肉体強度は普通の人間とさして変わらない。聖痕の力を応用して強度を高めたり何らかの防御手段を備えていることはあるが、推測される敵の聖痕の能力であれば少なくとも身体能力や肉体強度の補強は無い。そこまで思考を回したシアはドリュッケンを振り上げ、一息にその女の眼前まで踏み込んだ。

 

───ッダン!

 

と、ノアの鋼鉄の甲板を踏み砕かんばかりの勢いでシアは距離を詰める。そしてドリュッケンの殺傷圏内に苦もなく持ち込み、トータス製の大槌を彼女の脚目掛けて左手1本で振り抜いた───

 

「───ッ!?」

 

しかしその一撃がその女の木の小枝のように細い膝から下を捥ぐことはなかった。いくら片手で振り抜き、その膂力も手加減したものとは言え、常人であれば粉砕骨折どころか脚が千切れ飛ぶ威力で放たれたのにも関わらず、だ。しかもあろうことか───

 

(ドリュッケンが……捻じ曲がったですぅ!?)

 

天人が……トータスという異世界で当代並ぶ者のない錬成師が高強度の鉱石を使って生み出したアーティファクトが、何かしらの攻撃を受けたわけでもないのに打撃部分からその根元辺りまで反るようにひしゃげているのだ。

 

とは言えそれ程問題はない。シアは指輪のアーティファクトに魔力を注ぎ、そこに付与された再生魔法を起動させる。するとひしゃげたドリュッケンは直ぐに元の形を取り戻す。

 

「あら、治っちゃったわね」

 

目の前で余裕綽々に首を傾げるその女に、シアの心持ちは穏やかとは言えない。けれどそれを表に出すことはしない。寧ろ、自分の方こそが余裕なのだと見せつけるように口角を吊り上げてやる。

 

「ドリュッケン・神装(ネーメジス)───アドヴェント、ライラ!」

 

シアは一息にその場から飛び退る。そしてドリュッケンに宿る神霊を呼び出した。ライラの権能は精神支配。そしてドリュッケンから放たれる黒い槍は物理攻撃ではなく精神に狂乱を齎す───

 

「通らないわよ?」

 

だが、その黒い槍が女の心をかき乱すことはなかった。槍の先端が身体に触れる前に雲散霧消してしまったのだ。どうやら空間が捻じ切られているらしく、女に届かないのだ。

 

「せっかちな子ね。私の名前くらい聞いたらどうなの?」

 

聞く気なんてなかった。敵の名前なんて今更興味は無い。その上この場限りの敵であれば殊更だ。

 

だからシアは「お前の名前なんて興味は無い」と言わんばかりにドリュッケンを振るう。そうすれば雷撃が放たれ真空の刃が叩きつけられる。けれども、例えオルクス大迷宮最深部の銀蛇であろうとその肉体を砕け散らす程の威力を秘めた一撃であっても届かない。その女の毛先揺らすことすらできずに神霊の攻撃はただ掻き消えるのみ。

 

ならばと、空力のブーツで1歩虚空へ踏み出したシアは(いかづち)を司る神霊ウダルの雷撃を放つ。そしてその瞬間には爆発的な脚力でもってその女の背後に回り、更にドリュッケンを1振り。当然正面の雷撃は意味を成さずに消え去るが、認識外の方向からの一撃であればどうか。その答えは───

 

(これも駄目ですか……)

 

背後からの雷撃も、やはり掻き消えるのみだった。思わず嘆息しそうになる理不尽を飲み込み、シアは無駄とは思いつつも頭上からも雷撃を放つ。そしてそれはやはり掻き消えてしまい

 

「無駄よ。そんなものは通らないわ」

 

トン、と超重量の戦鎚を手にしているとは思えない軽さでシアは甲板上に舞い戻った。しかしその顔に明るさはない、と言うより、これまでほぼ無表情でシアは戦っていた。それに対してなのか、女は1つ溜息をつくと再び口を開いた。

 

由賀(ゆが)芽衣(めい)。覚えて逝きなさい。貴女を殺す女の名前を」

 

その名乗りに「お断りだ、お前になんて殺されてやらないしきっと名前も直ぐに忘れてやる」そんな言葉が口から出かかったシアだが、それを飲み込んでドリュッケンを振るう。次は太陽を司る神霊、ソアレの権能だ。

 

それが起こすのは炎の津波。オレンジ色の灼熱が由賀芽衣を飲み込まんと迫り、そして───

 

 

 

───────────────

 

 

 

「…………」

 

ユエは天在による瞬間移動で直ぐ様ナヴィガトリアの甲板に現れた。ただし、この鑑の甲板上にはもう1人、ユエの知らない女が立っていた。

 

「…………」

 

ただ、お互いに無言で睨み合う時間が数秒ほど続いた。そしてユエはその女に興味を無くしたように視線を逸らし、ナヴィガトリアの甲板を観察し始めた。

 

(……砲弾。あれを飛ばしたのは多分この女。おそらく聖痕の力。それが何かは分からないけど)

 

まぁ、分からなくても問題はあるまい。最悪幾らでも蘇生は可能なのだから。蘇生さえ可能なのであれば誰も文句は言うまい。

 

と、端から蘇生頼みの制圧しか考えていないユエは重力魔法───黒天穹を発動。圧倒的な重力の力で甲板に転がされている砲弾の類だけでなく、黒天穹を操ることで甲板上に存在する全てを消滅させた。しかし───

 

(……微動だにしない)

 

目の前の女だけはその忘却に一切微動だにせずに生き残っていた。ユエは当然、この女にも黒天穹をぶつけていた。それでも生きているということは、何らかの方法で黒天穹による消滅を免れたということ。当然それは聖痕の力に違いないが、その力の権能は───

 

───バンッ!!

 

と、甲板上に何か硬くて重いものを叩きつけたような音が響いた。しかし、それをユエが耳にすることはなかった。何故ならば叩きつけられたのはユエ自身で、それによってユエはその小柄な肉体を全て甲板のシミにさせられていたからだ。

 

だが、そこらの生命体あればそれで絶命する筈だが、ことユエに至っては普通ではない。かつてトータスに世界最強の吸血姫ここにありと恐れられていた女が、たかが()()()()()()()()()()()で不可逆の死を迎えるわけがない。

 

「え……」

 

ズルズルと、まるで逆再生されるかのようにユエの小柄な体躯が現れる。血と肉と臓物に塗れた赤い防弾セーラー服もいつの間にか綺麗さっぱり元通り。ユエの再生能力と時間の不可逆性に逆らう再生魔法により潰される寸前に戻ったのだ。

 

ユエはふと自分の足元を見た。大きな球状のものが落とされたように凹む甲板。まるで巨大な禍天を落としたかのような……。

 

「……ユエの名において命ずる───眠れ」

 

とは言え、それはそれ、これはこれ。どれだけ強力無比な力を備えていようとも、その魂に命ぜられた言霊に逆らうことは出来ない。ユエにとって人を1人制圧することなぞ、今や赤子の手をひねるかのように行える。例えそれが聖痕持ちであろうとも、だ。

 

カクン、とその場で眠りに落ちた女が崩れ落ちる。それをただ見やったユエは、甲板に寝落ちしたその女を普段使っているのとは別の宝物庫───人身捕縛用のアーティファクトに放り込んだ。

 

今代において、局所的な戦闘において世界で最も制圧力の高い者は神代天人ではない。今やユエも魔王覇気を使う天人と同じ程度の制圧力を持って戦闘局面を圧倒できる。

 

むしろ、感情や本能に働きかける必要のある魔王覇気よりも、その生命の魂そのものに干渉するユエこそが現在世界で最も局面制圧力の高い存在であった。

 

そしてその圧倒的な制圧能力でもって1つの戦闘を終わらせたユエは、つまらなさそうに辺りを見渡すのであった。さて次は───そう考えた直後、ノアの方で何かが爆発していた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

(まぁ、ですよね)

 

ソアレの権能による灼熱の津波が芽衣を焼き尽くすことはなかった。まるで空間魔法による結界に守られているかのように炎は芽衣を避け、彼女を迂回するかのように流れていった。

 

「魔法と言うのも、見た目が派手なだけでやっぱりこんなものなのかしら」

 

芽衣にとって、シアの扱う神霊の権能は俗に言う魔法と区別の付かないものだった。もっとも、それが芽衣にとって何らか意味のあることではなかったし、実際シアと戦うとして、魔法と神霊の権能との区別をハッキリとさせておく必要性はそれほどないのもまた事実。結局のところ、芽衣が把握する必要があるものは、それが何を成すのか、そしてそれがどこまでできるのかということだけだ。その意味において、ドリュッケンから放たれる神霊の攻撃は聖痕による防御を抜けられないのだから、芽衣にとってはただ確実に力を使って攻撃を防いでいけばそれで良かった。

 

(さて、ではもう1つ試してやるですぅ)

 

勿論、今この場にいるシアの攻撃手段が神霊の権能とドリュッケンによる単純な打撃だけ、というわけでもない。まだシアには見せていない手札がある。その内の1枚が───

 

───ドッッッッッ!!!!!

 

ドリュッケンの打撃面に付与された空間魔法による爆砕攻撃だ。地獄の下層に居城を構えていたアガレスの防御すら貫いた空間激震攻撃。直撃しようものなら鉄筋コンクリートでできたビルすら吹き飛ぶような破壊力のそれを、あろうことか肉体強度はただの人間と変わらない芽衣に向けて放つ。当然直撃すれば肉片が残るかすら怪しい一撃だったが

 

「……だから、通らないってば」

 

余波で海面が破裂し水柱が高く上がる。空間ごと破壊する一撃をもってしても由賀芽衣の身体には傷の1つも付けられなかった。

 

「もう諦めて、捻じ切れなさい」

 

芽衣が明確にシアを見る。その瞬間にシアは横に跳び、芽衣の視界から一瞬にしてその姿を消した。そして芽衣がシアのスピードに追いつけない内にドリュッケンを砲撃モードに、衝撃変換の付与されたスラッグ弾を放つ。

 

(……これも捻れたですぅ)

 

けれども、その弾頭は暴威を撒き散らすことなく捻れ、千切れて落ちた。芽衣の防御は無意識下に発動し、自動的に本人を守る、もしくは既に張ってあるものかのどちらか。半径は芽衣を中心に1メートルといったところか。

 

完全に空間を遮断していると言うより、空間に捻れや歪みのようなものを発生させて攻撃から身を守っているように思える。

 

(隙間も、無さそうですね……)

 

魔力を変換した衝撃波や空間爆砕、炎の波をすら受け流した結界だ。そんな簡単な穴は無いのだろう。だがその程度の理不尽で諦めるシアではない。そんなもの、壊して押し通る。それがシアの理不尽だった。

 

そしてシアはまだ試していない、未知の可能性を選ぶ。シアがドリュッケンを甲板に叩き付ければ、放たれたのは再び炎の津波。それがもう1度芽衣を襲う。当然それは芽衣の周囲を流れていくだけで芽衣の髪の先を焦がすことすらなく背後へと流れていく。

 

更に、ウダルの雷が間断無く襲い掛かり、芽衣の視界を覆っていく。これだけで大概の存在はその肉体を消し飛ばしてしまいかねない飽和攻撃だったが、空間を捻れさせている芽衣には届かない。もっとも───

 

「───ぎゃあっ!?」

 

突然足元から飛び出してきた円月輪の刃に片目を切り裂かれた芽衣は、一瞬の叫び声をあげる。それは甲板をぶち抜いて不意に現れた刃の付いた円盤。シアの狙いは力業で芽衣の防御を抜くことではない。炎と雷で目眩しをしている間に空間魔法の付与された円月輪で足元から芽衣を強襲することが本命。

 

本来遠隔操作式のアーティファクトは天人の瞬光が無ければそうそう操れない。そうであるならば瞬光を使えるようなアーティファクトがあれば良い。それが天人の考えだった。

 

今、武偵高の赤いスカーフで隠されたシアの胸元にはネックレスのようなアーティファクトが輝いていた。

 

それは魔力を注げば本人に瞬光の効果をもたらすアーティファクト。それによって知覚を拡大させたシアは遠隔操作式の円月輪を操ったのだ。

 

そして円月輪をもう少し操れば、芽衣のまだ開いている右目も空間魔法の刃が切り裂く。

 

「───っ!?」

 

しかし、それで制御を失ったらしい歪曲した空間が元に戻る。その勢いで芽衣の周囲の空間が爆ぜる。空間魔法による空間爆砕にも似た破壊の嵐が吹き荒れる。

 

もっとも、シアにとってその程度のことはどうということもない。身体強化と変成魔法で肉体強度を底上げし、並の人間なら破裂しかねない破壊の嵐の真っ只中ですら立ち続ける。

 

そして音も無く踏み込み、芽衣の鳩尾と背中を強かに打ち据える。呼吸を潰されて意識を失った芽衣を拘束用の宝物庫に投げ込んだシアはそこでふぅと一息付いた。

 

「力業じゃあ対抗できないなんて、流石ですぅ」

 

とは言え今のシアは遂に聖痕持ちにすら対抗できる力を手に入れた。それはこの世界においては最強とほぼ同義。もっとも、そんな事実すらもシアにとっては差程に意識するようなものではない。シアが欲しいのは結果だけだ。この戦いに生き残り、勝ち、次の世界を───異形も異様も差別されることのない世界を作り、そして天人達と共に生きる。それだけがシアにとって大事なことだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

死を齎す光と熱の暴力がようやく終わりを迎えた。どうやらシャーロックがやってくれたらしい。

 

俺がシャーロックに持たせたのは概念魔法───トータスの魔王城で俺が発現させたもので、俺の邪魔をするものの存在を消し去る概念魔法。それを込めた弾丸。それをアイツが俺の渡したアーティファクトの狙撃銃でモリアーティに叩き込んだのだ。

 

そして、不意に訪れた痛みにモリアーティが意識を一瞬逸らした隙に俺は宝物庫から対聖痕持ち用の手錠を取り出し、モリアーティの手首目掛けて振るう。だが───

 

「……?」

 

俺が振るった鈍色の手錠の輪はモリアーティの手首をすり抜けて虚空を切った。それどころか、俺の振るった手錠は、モリアーティの身体に触れた箇所だけ綺麗に溶けている。これ、聖痕の力塞がれていないんじゃないのか……?

 

俺のその疑問に答えてくれたわけではないだろうが、モリアーティの掌に光球が現れる。それは、超光速のレーザー攻撃の前触れで───

 

「……さんきゅ」

 

「勿体ないお言葉です」

 

それが放たれる寸前に俺はノーチラスの甲板上に飛ばされていた。アガレスの空間魔法による瞬間移動だ。

 

『おいシャーロック。どうなってんだよ』

 

俺は念話のアーティファクトで繋がっているシャーロックへそう問い質す。向こうのはスイッチ式なのでトータスの魔力の無いシャーロックでも扱えるのだ。

 

『現状では分からない、と言う他ないね』

 

とは言え、返ってきた返答はこんなんだ。これじゃあ何の解決にもならない。だからってそれに愚痴っていても意味が無い。どうやらモリアーティは自分の展開している聖痕封じにはハマらないようだし、こっちも同じものは展開しているのだが、それも意味が無い。

 

そうなるとまずは向こうの聖痕封じをぶっ壊し、こちらの聖痕封じだけを展開する状態にして、後は俺と透華達の力で押し通るしかないか。どうやらユエとシアの方も戦闘は一段落付きそうだし、それ程時間はかかるまい。

 

──変成魔法、昇華魔法、身体強化──

 

俺の中の星が廻る。莫大な魔力を用いて俺は自分の身体能力を底上げしていく。当然、瞬光と思考加速も発動させて脳みそもフル稼働だ。パキリ……と音を立てて俺の身体が変質していく。俺の中に刻まれた黒竜の因子が俺の皮膚を黒い鱗で覆っていく音だ。

 

そして俺は空力で虚空を踏み込み、音を置き去りにして海の上に躍り出た。──パァン!──という破裂音が背後で響くが、その音が届くよりも早く、俺はモリアーティの脇腹に黒い鱗で覆われた爪を突き刺し、(はらわた)を引き摺り出すように腕を振るった。

 

「……私もまた"教授"と呼ばれる身。1つ教えてあげよう」

 

もっとも、俺の一撃なんてものはモリアーティにとっては避ける対象ですらない。熱変動無効によって俺の手が溶けて海に落ちることはなかったが、代わりにモリアーティに僅かばかりの痛痒を与えることすらなかった。

 

「私のこの力が聖痕に拠るものだということは皆得心がいくと思う。そして、私は既に小道具に頼らずともそれを閉じられることはないんだ」

 

そんな気はしていた。さっきシャーロックが与えた一撃も、溢れ出した粒子が肉体に再変換されて塞がっているようだし、コイツは聖痕を閉じられることはないのだろう。全く厄介なことだ。ただでさえ強力無比な聖痕の力……その中でもおそらく最も戦闘向きの力であろう粒子の力を、よりにもよって世界最高の頭脳を持つモリアーティが扱うのだから。

 

だからと言って、それが諦める理由にはならない。コイツをこのまま野放しにしておけばきっと世界中を……いや、別の世界をも巻き込んだ戦争になる。そして幾万の屍を積み上げて地球とレクテイアの人類はそれぞれ混ざり合う。異能も異形も、大した意味の無い世界がそこにある。だけど、そのために流れる必要の無い血が垂れ流される。人が死ぬ。緋緋神が起こしたかった超人達による戦争なんて比ではない。戦いたがり同士がぶつかる程度なら別にいい。けれどモリアーティの起こす戦争は、きっと後に歴史の教科書なんてものがあるのなら「第三次世界大戦」なんて書かれるような代物になる。そんな未来を、俺は許しておけない。

 

パキパキ……と、音を立てて俺の手に氷の三叉槍が現れる。そして魔法で生み出された無機物たるそれに俺は生成魔法を掛ける。付与した魔法は空間魔法。穂先に触れた箇所を空間ごと削り取る氷の魔槍。

 

その槍を腰に構え、空に1歩踏み出して───

 

「ふむ……」

 

モリアーティはそう呟いた。俺は槍を持って踏み込むと見せかけて空間魔法を付与した氷の檻をモリアーティの周囲に展開。モリアーティをその中に捕らえたのだ。

 

『……天人くん』

 

すると、念話のアーティファクトから透華の思念が届く。どうやら()()が整ったようだ。

 

『分かった。タイミングは合図する。任せたぞ』

 

ビット兵器のアーティファクトによる空間断絶結界と同じように、内と外とを遮断する檻に囚われたモリアーティだが、果たしてアイツがあそこで大人しくしているとはこれっぽっちも思えない。何せ今もその全く感情の読み取れない視線を巡らせているのだからな。

 

そしてモリアーティはふと俺と目線を合わせると───

 

「───こんにちは。神代天人くん」

 

俺に全く知覚されることなく俺の眼前に現れた───

 



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「───っ!?」

 

一瞬……むしろそれよりもさらに速くモリアーティは俺の眼前に現れた。どうやって空間魔法も使わずに空間断絶結界の中から出てきたのかは分からない。ただ、何も分からなくても俺の目の前にはモリアーティがいる。それだけが俺に理解出来る事実だった。

 

そして俺の視界が一瞬で切り替わる。モリアーティの後ろに俺が回り込むようにアガレスが俺を転移させたのだ。そして、そのまま俺は絶対零度を発動。物質の運動の全てを一瞬も待たずに停止させて銀氷に散らせる俺のこの魔法は、理論上は光速の砲弾ですらその領域に踏み入れた途端に消滅を免れない。質量も速度も、その全てがゼロになる───それがこの魔法の本領だった。筈だった───

 

「もう分かっていると思う。私に対してその手の攻撃は意味が無い」

 

粒子を自身の喪った身体に変換しているのだろう。いつの間にかまた海上に浮いているモリアーティはただ無表情にそう口を動かした。物理的な攻撃は意味が無い。魔力や魔素による攻撃もまた然り。モリアーティを捕まえるためにはまずはあの粒子の聖痕をどうにかしなければならない。でなければ手錠なんて掛ける間も無くすり抜けられる。

 

けれど、モリアーティの聖痕は閉じないと言う。それではどう足掻いてもモリアーティを逮捕することはできない。白焔を使えばモリアーティを殺すことは可能だろうが、武偵法9条を遵守するならばそれは出来ない。殺せず、逮捕も出来ない。そんな相手にどうやって勝てば良いのだろうか。普通であればここで()()だ。俺達の勝利条件は全て封じられてしまったのだから。

 

なんて───

 

『……天人』

 

『天人さん』

 

───ユエとシアからの念話だ。

 

『……こっちは終わった』

 

『全部、ぶっ壊したですぅ!』

 

それは吉報にして福音。ユエとシアから届いたその報せが示す意味は───

 

「シャーロック!!」

 

『分かっているとも』

 

ユエとシアからの報せが届く寸前、俺の身体にあったのはあの独特な()()()()()()()()()。それは即ち、この海域においてずっと閉じっぱなしだった聖痕が、再び開いたということで───

 

───銀の腕(アガートラーム)煌星(セイリオス)

 

俺の中の星を回し、体内に魔力を大量に溢れさせる。そしてそれを燃料に俺の中の白い焔が燃え盛る。溢れた焔は白銀に輝く腕となり脚となる。そして背中には同色の円環と、そこから噴き出す3対6枚の白焔の翼。

 

俺の聖痕の力の1つ、白焔。物理的な破壊力はそれ程でもないが、超能力(ステルス)や魔法といった超常の力に対しては絶対的な優位性を誇る力。

 

異能力も超能力もその全てを燃やし尽くし己の燃料としてしまうこの力であれば例え粒子の聖痕だとしてもその一切を灰も残さず消し去れる。

 

シャーロックがモリアーティの持つ装置を壊し、ユエ達がノアとナヴィガトリアの装置を破壊したことでこちらの条件は整った。どうやらモリアーティの聖痕そのものは封じられないようだがそれでも構わない。俺の白焔と強化が戻ってくるのなら、それくらいは俺がどうにかする番だからだ。

 

───ゴウッ!!

 

俺の背中から白い炎が噴き出す。それは俺の中の星から溢れ出す魔力を糧として燃え盛る焔。それが広がって俺とモリアーティの周りをドームのように包み込む。

 

この焔の燃焼に酸素は必要としない。だから酸欠は無い。代わりにモリアーティにも逃げ場は無い。そんなものは与えない。

 

『見えるか、透華』

 

『うん。視界良好』

 

ならば良し。透華には見てもらわなければならない。この戦いを、モリアーティを。そのための時間を今ここで稼ぐ。

 

『大丈夫、そんなに待たせないから』

 

『頼んだぜ』

 

俺と透華の念話の間にモリアーティはグルリと辺りを見渡していた。とは言え、それで分かるのはきっとこの白い焔のリングからは逃げられないということだけ。

 

そして俺は自分の身体も白焔で包む。燃え盛る白い焔に包まれた俺は、背後の白焔の翼を吹かして馬鹿正直にモリアーティへと突っ込む。

 

触れれば粒子化した身体ごと燃焼させられるが、当然モリアーティは俺の拳が触れる前に身体を粒子にしてしまい、その場を逃れる。

 

「逃げ場の無い白焔のドームでの決闘……。戦闘領域を狭めれば勝機があると……いや、君達の狙いは別にあるのだろう?」

 

もっとも、俺達の狙いなんてものはモリアーティからすれば簡単に見通せるものなのだろう。

 

「涼宮透華くん、樹里くん、彼方くん。透過と切断の聖痕、その力によって私の聖痕を封印することが君達の狙いだね」

 

その通り。俺達の狙いはモリアーティの言った通りそのままだ。それ以上に何かを付け足す必要は無い。だからこそ、俺達はそれを通さなければならない。仮にモリアーティに読まれているのだとしても、それを押し退けてでもやらねば勝ち目は無いのだ。

 

だから俺は星を廻す。体内で溢れる力はそのまま白焔の燃料になる。燃え盛る白い焔はドーム状のリングから触手のように飛び出してモリアーティへと襲い掛かる。

 

だが勿論、亜音速にも満たない速度で放たれる槍なんてものがモリアーティに当たるわけもなく。それらは難無く躱され、虚空を貫くだけに終わった。

 

モリアーティの表情は変わらない。その顔には呆れも嘲りも浮かんではいない。相も変わらず何も無いのだった。それをどうこう思うことはない。俺だって戦闘中はほとんど喋らないからな。人のことなんて言えようものか。

 

一瞬、俺の視界が真っ黒に染まる。俺の周りに張り巡らされた白焔の網の目を縫ってモリアーティの超光速の粒子レーザーが眼球から頭を貫いたらしい。とは言え今の俺も当たり前のように致命傷から蘇生される。その速度は白焔が消えるより早く、直ぐに網の目は形を変える。

 

ゴウッ!と今度はモリアーティの背後から白焔の槍が迫る。だがモリアーティは背中に目ん玉でも付いているかのようにそれを躱す。そして今の一撃を躱されたことで、逆にモリアーティの位置からは俺の急所には直進するレーザーは届かない。

 

今度はモリアーティの左手側と背中側から白焔の槍が噴き出す。その白い十字砲火をモリアーティはしかし難無く躱す。瞬間移動の如く俺の正面に現れたモリアーティだが、俺はそこにも白い槍を突き出した。

 

真上と左右から飛び出した白い槍。だがモリアーティはどうやって察知しているのか、それすらもまた何度目とも知れぬ瞬間移動で躱していく。

 

『……()()()()()()、天人くん』

 

すると、透華から念話が届く。なるほど、ではあちらの準備は完了ってことか。あとはモリアーティに攻撃を加えればいいわけだ。

 

だからって、そう簡単に当てられればこんな苦労はしていない。しかも1発入れるのは俺でもユエでもシアでもティオでもなく、透華と樹里と彼方なのだ。

 

だからまずはこっちでモリアーティに攻撃を当てるための準備を整えなければならない。

 

俺は白焔の槍をさらに2本放つ。それらは当然避けられるが、更に2本、3本、4本と俺は躊躇うことなく白い槍を放ち続ける。それらはドームにぶち当たっても消すことはなくその場に白焔として留まる。俺の中の星が廻る。白焔の維持する燃料として莫大な量の正のエネルギー、その活性の力が消費されていく。

 

魔力や何かへの変換なんて待っていられない。そんな手間すら惜しんで無限に生み出されるエネルギーをただひたすらに燃やし尽くしていく。そうして───

 

「…………」

 

無言のままモリアーティは白焔の檻に囲まれる。もっとも、全身を粒子に変換して瞬間移動のできるモリアーティにとってはさしたる障害ではないだろう。それでも一瞬、確かにコイツは動きを止めた。

 

「───っ!!」

 

その瞬間に俺の傍に現れたのはアガレスりそしてモリアーティの背後には透華が刀身の見えない何か──握る柄から恐らくは刀──を振るい、そしてモリアーティ目掛けて振り降ろした!

 

だがモリアーティはそれすらも身体を粒子にして逃れる。俺の白焔の檻の隙間を縫って瞬間移動したモリアーティは透華を見やり、そして透華への攻撃は無駄だと悟ったらしい。

 

「───まだだ」

 

そうアガレスが呟き、大鉾を振るう。それはモリアーティの存在する空間座標を切断し、モリアーティの身体が斜めにズレた。そしてズレた虚空に大気が流れ込む。モリアーティも自身の身体を粒子化させて逃れようとするが、虚空に開いた闇色の傷口はその隙間を埋めようとあらゆる存在を引き寄せる。

 

「行くよ!」

 

さらに透華はその虚空からの引力に従うようにモリアーティの元へと飛び込む。恐らくは樹里による切断の聖痕の力を付与された刀身を振るい、モリアーティへ決定的な一撃を与えるつもりなのだ。だが───

 

「ごぼっ……」

 

超光速の粒子で強引に吸引から抜け出したモリアーティが透華の腹に拳を叩き込む。しかも粒子の攻撃は透過さてしまうと分かっているから攻撃の瞬間は己の肉体を使った打撃だ。

 

「ちっ」

 

すると、舌打ちしたアガレスは自身の空間魔法でズレた空間を閉じ、透華も瞬間移動でこちらに引き寄せた。もっとも、当然そうなればモリアーティの超光速レーザーがアガレスを襲い───

 

「ふん」

 

そしてアガレスの身体が掻き消される、ということにはならなかった。

 

俺達の目の前に現れたのは黒い球体。それはモリアーティのレーザー攻撃よりも一瞬早く現われ、キャンセルの間に合わなかったモリアーティのレーザーを漆黒の中に呑み込んだのだ。

 

「妾も多少神代魔法には覚えがあるのじゃ」

 

そしてこの白焔のドームに現れたのはティオだった。どうやらこちらもアガレスの空間魔法で飛び込んだらしい。

 

今のもティオが発動させた黒天穹をアガレスが空間魔法で空間ごと呼び寄せたのだろう。そしてティオの黒天穹がズルりと動き出す。ティオの注いだ魔力に従ってモリアーティをその闇の中に呑み込まんと迫っているのだ。

 

モリアーティの粒子化による瞬間移動とティオの神代魔法の引き合いが始まる。光すら呑み込む超重力がモリアーティの粒子化した身体ごと呑み込もうとすればモリアーティは超光速の粒子でその束縛から逃れようとする。そしてやはり、出力では聖痕の方が上。身体の一部を千切られながらもモリアーティの身体が段々と粒子となり黒天穹の影響範囲外から逃れようとした時───

 

───ズンッ!!

 

と、ティオの黒天穹ごと超巨大な重力場がモリアーティを呑み込んだ。

 

「……絶禍」

 

天在にて現れたのは大人の姿になったユエと彼女に抱えられたシア。そしてこの重力魔法は絶禍。擬似的なブラックホールは重力魔法の極致たる黒天穹すら呑み込み全てを叩き潰したのだ。

 

「まさか妾の黒天穹ごと呑み込むとは。ユエの魔法は滅茶苦茶じゃ」

 

「……んっ。重力魔法の扱いなら負けない」

 

絶禍をまるで棺のような形にしていることもそうだが、そもそも威力がおかしいだろ。と言うのはこの場の誰もが思ったがそれは口に出さない。こと魔法にかけてユエ様を上回る存在は当代どころか将来に渡っても存在し得るか怪しいもんだからな。もっとも───

 

「なるほど」

 

ユエもこれでモリアーティが死ぬとは思っていないからこその全力重力魔法。

 

ユエの絶禍が解ければ超重力の闇の中からモリアーティが現れる。とは言え今は身体の7割程が粒子の光で構成されている。これが粒子の聖痕を持つモリアーティじゃなけりゃ全身跡形もなく消え去って、終いには死んだ痕跡すら残らなかっただろうな。

 

もっとも、そのモリアーティの真後ろにはアガレスの空間魔法で転移した透華がいる。完全に背後を取った透華による切断の一撃が振り下ろされ───

 

───ヒュボッ!

 

と、透華の上半身が消し飛んだ。

 

「透華っ!!」

 

直ぐ様輝くのはユエの魂魄・再生魔法の合わせ技の光。それにより透華は即死からの即時蘇生を果たす。そしてモリアーティにはティオがブレスを放ち、シアのドリュッケンから白雷が迫る。それらをモリアーティは身体を粒子にすることで躱すが、今度はユエによる禍天が幾つも降り注ぐ。

 

重力球の雨あられをモリアーティはその身体を粒子化させて躱す。ユエからの暴威を退けたモリアーティが一瞬その姿を現した。そこにシアのドリュッケンから精神の狂乱を齎す黒い槍が放たれる。

 

それとすれ違う様に超光速駆動でシアを両断しようとしたモリアーティだが、その進路をアガレスが空間断絶で塞ぐ。

 

ガチィン!!という音を響かせその場に姿を現したモリアーティにティオの空間魔法、千断が襲い掛かる。

 

空間ごと引き裂く一撃をしかしモリアーティは瞬間移動で逃れる。もっとも、その逃げ先には俺が白焔の槍を置くように放っている。

 

モリアーティの腕が消滅する。もっとも、その程度であれば直ぐに粒子が補ってしまうのだけれど。

 

まったく、これじゃあキリが無い。さっきから何度も何度も同じようなことの焼き直し。まずは透華の一撃を当てさせる。それさえ出来れば───

 

「───ッ!?」

 

俺の気配遮断アーティファクトによる効果は、他の奴が使っても俺に対してはそれほど効果が無い。一応、俺の右眼の義眼アーティファクトで薄れた存在も感知できるからだ。

 

だがそこに透華の聖痕の力を乗せられた場合は別だ。そうなるともはや俺にもその存在を感知できなくなる。それほどまでにその存在の解像度が薄くなるのだ。

 

おかげでその一撃を俺すらも察知できなかった。と言うか、この場の誰もそれを察知できなかっただろう。何せそれこそが俺達の作戦。シャーロックは俺にアーティファクトを幾つか用意させたのだが、その基準は()()()()()()()()()を相手にすることを考えろとのことだった。そして俺の中の最強と言えば粒子の聖痕に他ならない。浮島で、ISのある世界で、俺は2度この聖痕と相見え、そしてそのどれもが薄氷の勝利だと言っても過言ではない。

 

俺の白焔は粒子の聖痕に対して最高の相性を誇る。それでも尚、強化の聖痕が無ければ俺はアイツには勝てなかった。2度目はISの補助もあった。それでようやくなのだ。だから俺は万全を期すために、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

俺のアーティファクトと透華の聖痕による存在解像度の完全消失により俺はもちろん、ユエもシアもティオもアガレスも、その誰もこの一撃のタイミングは読めなかった。

 

当然、色金の光が舞うアリアやネモの視界外瞬間移動は発動までのラグが酷すぎてこの高速戦闘での不意打ちには使えない。ユエとアガレスによる瞬間移動も、そもそもユエ達も樹里と彼方の存在を掴めないから無理。

 

そうなるともう樹里達には直接瞬間移動をしてもらう必要がある。だから俺は魔力タンクと羅針盤、越境鍵を彼女達に渡している。

 

越境鍵の光も俺の気配遮断アーティファクトの効果を受けて目立たず、本人達は気配や姿をも完全に消した透明人間になる。

 

だから俺は今もあの子達を感知出来ていない。理解出来ているのは、モリアーティがどこからか一撃を受けたことと、それを成せるのはこの作戦を持っている樹里と彼方だけということだけだった。

 

──次元切断──

 

それが樹里と彼方の持つ切断の聖痕の最奥。

 

立体を切った断面が平面であるように、平面を切った断面が点であるように、3次元を切れば2次元が現れ、2次元を切れば1次元が現れる。樹里と彼方の切断の力は概念や次元をすら切断する。それによって実際の孔ではない聖痕の力を、その噴出口を3次元に表出させる。

 

「ぐっ……う……」

 

そして、今モリアーティに入った次元切断は2回。つまりは───

 

「……これが」

 

アガレスが呟いた。一撃目で3次元に表出した聖痕の穴を今度はモリアーティから切断して切り出したのだ。そして直ぐ様に透華が次元切断の付与された不可視の太刀を振るう。それにより1度はこの世に視認できるように現出した聖痕の孔は2次元に落ち、俺の角度からは視認できなくなる。そしてその直後には樹里と彼方が───

 

「消えた、ですぅ」

 

それぞれ一撃を加えたのだろう。2次元から1次元へ、そして遂には0次元へと聖痕の存在次元が落ちていく。立体から面、線から点。そして───

 

「これで、終わり!」

 

透華と、そしてアーティファクトを外した樹里と彼方が最後の一刀を振るう。

 

「「「次元封印!!」」」

 

最後の一太刀は3人で三角を描くように。点となった粒子の聖痕はこの世の次元から切断されて消え去った。

 

「これ……」

 

「疲れますね……」

 

聖痕の力が付与されただけの刀を振るった透華と違い、樹里と彼方は自分の中から溢れる力を使ったからか、額に脂汗をかきながら、当に疲労困憊の顔をしている。そしてふと2人の意識が遠のき───

 

「……んっ、お疲れ様」

 

アーティファクトによる浮遊も途切れて海に落ちそうになったところを天在で瞬間移動をしたユエに拾われていた。

 

「まさか、最後の最後で作戦のタイミングを知らずにいるとはね」

 

そして肝心のモリアーティはアガレスの空間魔法により俺達の目の前で十字架に磔にされたかのように拘束されていた。

 

俺はふぅと1つ息を吐くと、銀の腕と白焔の檻を仕舞い、ユエとアガレスに目配せする。すると俺達の視界が切り替わり、伊・Uの甲板に居た。

 

「やぁ、まさか君のこんな姿を見られるとは思わなかったよ」

 

コツコツとわざとらしく足音を立てて現れたのはニヤニヤと維持の悪そうな笑みを浮かべたシャーロック。その後ろからはワトソン1世がそんな子供染みたシャーロックに少し呆れたような、でもどこか「仕方の無い奴だ」とでも思っていそうな、柔らかな苦笑いを湛えて付いて来ていた。

 

「しかし君に負けたという気はしないな」

 

「負け惜しみかい?」

 

シャーロックもモリアーティもお互いが嫌いだっていう雰囲気を隠し切れていない……と言うか、隠す気が更々無いようで、思わず溜息をつきたくなる。

 

このまま大の大人が揃って睨み合っている絵面を眺めている気にもなれなかった俺は空間転移用のゲートのアーティファクトを転がすと念話のアーティファクトでジャンヌ達とキンジ達に付けていた悪魔達を呼び出す。

 

すると直ぐに空間魔法によるゲートが現れ、ジャンヌ達とキンジ達がゾロゾロと伊・Uの甲板に集まってくる。それを見てアガレスもリサやメヌとネモ達をノーチラスから呼び出してきた。さて、これで全員集合かな。

 

「終わったのか?」

 

と、磔にされているモリアーティを見てキンジが呟く。この雰囲気は、どうやらまだHSSが続いているようだ。

 

「んー?……いや、これからだよ」

 

そう、全てはこれから始まるのだ。これはあくまで序章でしかない。モリアーティが始めようとしたこの地球とレクテイアを巻き込んだ巨大な混沌渦巻く戦争の時代は始まらない。ただ、この種火はそれでももう燻っているし、この世界の戦争に対する意識は既に前時代へと少しずつ傾いているのだから。

 

俺は……俺達はこれからそういうのと戦っていかなければならない。それはもう武偵なんて枠組みから外れたことなのかもしれない。けれど、元々武偵なんてものは悪化の一途を辿る治安に対して産み出されたものなのだ。ならば世界中の治安の悪化に対して動くのだって、別に間違ってはいないだろう。

 

「君にできるのかい?」

 

モリアーティがふと俺を見ながらそう問い掛ける。それに対して、俺の答えなんてものは決まっている。

 

「やるんだよ。それに、俺ぁ1人じゃねぇ」

 

周りを見ればリサがいた。ユエがいた。シアがいた。ティオがいた。ジャンヌが、レミアが、ミュウが、エンディミラが、テテティとレテティもいて、メヌとネモ、ルシフェリアにカーバンクル、透華達もいる。

 

俺には愛する女達や友達がいる。だから大丈夫、俺はまだ戦える。コイツらのいる世界が少しでも良くなるように、戦争なんてものが少しでも減るように、俺は戦っていくさ。

 

「なるほど。私の描いた台本とは外れるが、では私は1人の観客になるとしよう。……楽しみにしているよ」

 

そんなモリアーティの言葉に俺は何を言うでもなく、ただモリアーティの両手首に手錠を嵌めることで返した。

 

これにて一件落着───なんてことにはならないだろう。それでもいいさ。覚悟は決めている。上を見上げればそこにあったのは海上でさっきまで繰り広げられていた戦闘なんてなかったかのように澄んだ雲1つない青空。誰も足を踏み入れていない新雪のように傷の無いそれを、俺はただ、両目に写していた。

 

 



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これにて最終話です。途中書き溜め期間を挟んで3年間、この作品を読んでくださった皆様にお礼を申し上げます。ありがとうございました。


 

 

モリアーティの身柄引渡しを終えた俺はしばらく家でぶっ倒れていた。そりゃあ数え切れないくらいに死んでは蘇生してを繰り返したのだ。その上白焔の聖痕も随分と久しぶりに振り回した。身体にガタの1つや2つきて当然だろう。

 

同じように透華達3人もあの戦いの後すぐに倒れてしまった。その間はリサとジャンヌ、シアが順繰りに彼女達の介抱と世話を焼いていたようだ。

 

「分かってるとは思うけど……」

 

「あぁ。これで何かが終わったわけではない。むしろ始まるのだ。私達の戦いが、これから───」

 

太平洋上のとある公海にて、一時浮上しているノーチラスの甲板の上で俺とネモは横に並んで座っていた。満点の星空を見上げながら、ネモは白いケープを古めかしいフランス海軍の軍服の上から羽織っていた。

 

「モリアーティの撒いた火種は世界中で燻っている。そしてそれがいつどんな形で燃え上がるのかは私にも分からない。だけど───」

 

「あぁ。俺ぁそんなのには負けないよ。勝つさ、そして、この世界に俺みたいな奴がいなくても良いように……」

 

戦争なんて無い世界。それが俺の理想。戦って、血を流して、人が死んで、子供が泣いて───そんな世界に終止符を。きっとどこまで言っても人間はどこかに争いの火種を抱えるのだろう。けれど、それをできる限り小さく少なく、そうなるように努力することは間違っていないはずだ。その果てには俺のように戦うことしか出来ないような奴の居場所なんて無くなる世界があるかもしれないし、きっとそれでいいんだと思う。

 

「その後は、どうするつもりなのですか?」

 

すると、ふと後ろから声が掛かる。後ろを振り返って見れば、いつの間にやらやって来ていたメヌがコツコツとこちらに歩いて来ていて、その後ろにはアガレスが控えていた。

 

「んー?」

 

何やら視線を感じれば、ネモも俺を見ていた。

 

「そうだな……。旅がしたいかな」

 

と、俺はふとその言葉を零した。口から出た言葉は、実はまだ他の誰にも言っていなくて、メヌとネモが初めて聞いたことだ。

 

「旅、ですか」

 

メヌが俺の右隣、ネモを俺と挟むようにして腰を下ろした。

 

「あぁ。それも、この世界を、じゃなくて。色んな世界を旅してみたいな。行ったことのある世界をもっと巡るのも良いし、まだ行ったことのない世界を見るのも良い」

 

鍵はある。俺は世界の扉を開くことが出来る。トータスから帰ってきても俺は何度も異世界に行き、戦った。だけどそれらは殆どがその世界の危機に対して俺を呼び出したもの。だから次は、戦いにではなくただ巡るために世界の扉を開きたいのだった。

 

「しかし大所帯の旅行だな」

 

ネモはちょっと呆れたようにそんなことを言った。

 

「あぁ。ま、考えが無いわけじゃないよ。……船を作ろうと思うんだ」

 

「船?」

 

と、ネモがノーチラスの甲板を指差しながら首を傾げた。そう、ネモの言う通りの船だ。ノーチラスのように深海を潜る船。けれどそれだけではない。

 

「うん。船。世界の扉を開きあらゆる世界の空を飛び、海を潜る、そんな船」

 

「そんなもの、作れる……いえ、天人であれば可能でしょうね」

 

ハァと1つ、メヌは溜息をついた。まぁ、俺も作るけど、どうせなら頼みたい奴がいるのだ。俺達が世界を巡るための船を作るのにアイツ以上の適任はいないだろうから。

 

「その辺はお楽しみに」

 

ふと、俺はまだリサ達にも秘密の計画に笑みが溢れた。すると、何故だか俺はメヌとネモに頭を撫でられる。

 

「……なんだよ」

 

「いえ」

 

「ただ何となく、だ」

 

「あっそ……」

 

訳も分からないがまぁいいかと俺はただその小さく柔らかな2つの手を受け入れていた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「それじゃあ、行くかぁ」

 

「おー!なの」

 

とある日、俺達は皆集まってとある世界に向かうことになっていた。俺はミュウを肩車しながら羅針盤で座標を指定、そこに越境鍵を突き刺して魔力を注ぐ。体内の星が廻り、溢れ出した莫大な魔力が鍵を回す。リビングに現れた扉は輝き開いていく。そして俺がそれを潜ると───

 

「おす」

 

「───神代様!?」

 

目の前にいたのはバスケットボール大の大きさをした浮かぶ機械の球体───G10だ。

 

「久し振り」

 

「あ、はい。ユエ様達も、お久しぶりです」

 

G10と面識のあるユエ達は懐かしげにG10にそれぞれご挨拶。

 

「さて、コイツとは初対面の奴らも多いな。……コイツはG10。見ての通り機械で、思考はAIだ。もっとも、情緒もほとんど人間と変わらん。ま、風体の珍しい奴だと思ってくれればいいよ」

 

と言う俺の雑な説明に対してG10は「宜しくお願い致します」と言う風にピカピカと光って見せる。

 

「よろしくおねがいします、なの!」

 

と言うミュウの返事で1つ区切りが付いたか、メヌ達が俺に説明を求めるような目線を寄越してきた。そうだな、まだG10にも何も言っていないからな。

 

「えーあい……?……それで?主様よ、ここは一体どこなのじゃ?」

 

早々に理解を放棄したルシフェリアが先を急かす。まったく、もうちょっと落ち着けってば。

 

「んー?……ここはほら、前に砂漠の世界に行って変な黒いのと戦った後に俺と天之河だけどっか飛ばされただろ?」

 

「あぁ。あったの。しかも主様はあの後ユエ達だけ呼んで我のことは置いていったな」

 

どうやらあの時ユエとシアとティオとアガレスだけ連れて行ったことはちょっと根に持っているらしいルシフェリアが拗ねる様な素振りを見せる。ツンとそっぽを向くが、ハーフバックから見える尻尾がピクピクと揺れているから、こっちの反応待ちってのが分かりやすい。

 

ツンデレ()なルシフェリアに思わず苦笑いしながら俺は「悪かったよ」なんて言っておく。

 

「んで、あん時飛ばされた世界がここで、何やかんやあって今は落ち着いた世界になった───よね?」

 

「はい。今、下ではジャスパー達が人々を纏めています。マザーによる寿命処理こそ無くなったものの、ほぼ完璧に管理されていた世界でしたから。公衆衛生と食糧生産の基盤を整えるところから始まりました」

 

と、どうやら一安心の情勢であるとG10が伝えてくれた。すると、俺の宝物庫から何やらピカピカと煩い瞬きが。どうやら黄金の聖剣が言いたいことがあるらしい。

 

俺は仕方なしに宝物庫から聖剣を取り出してやる。すると聖剣が待ってましたとばかりに光り瞬き、何やらG10と会話し始めた。

 

「えぇ、えぇ。聖樹も元気に茂っていますよ」

 

と、どうやら聖剣さんは自分の産まれた大樹のことが気になっていた様子。まぁ、氷焔之皇で大気を探れば星精力は満ち満ちていて、あのデカい聖樹の様子もこれだけで伺い知れようものだ。

 

「───それで、神代様達は一体どうしたのでしょう?」

 

少しの間何やら聖剣と話していたG10だったが、ふと俺達に水を向けてきた。

 

「んー?……あぁそうそう。ちょっとG10に頼みがあってな」

 

「頼みですか?神代様の頼みであれば勿論全力を尽くします」

 

「そりゃ有り難い。……G10、俺ぁお前に船を作ってほしいんだ。世界を渡る船。空も海も、出来れば宇宙も飛べるような、そんな船をさ」

 

「船……」

 

「……んっ、これが仕様書」

 

と、ユエがアナログに出力された紙束をG10の目の前に差し出した。すると、どうやら自分で改造して取り付けたらしいアームがみょーんとボディから伸びてきて、ユエから仕様書を受け取っている。そしてそれをカメラでスキャンし───

 

「は、ははっ……」

 

AIのクセにやたらと人間臭い苦笑いを発するのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「勿論、神代様達の願いとあらば直ぐ様取り掛かります」

 

俺はあんまり細かく見てないけど、ユエ達のご要望を載せた仕様書はきっと、それはそれは無理難題が記されているのだろう。何せこの話を皆にしたら連日連夜喧々諤々の論争が繰り広げられていたからな。

 

俺は強度と巡航速度だけあれば充分なのだが、まぁどうせ長いこと生活する拠点にもなるのだし、デザインはもちろんのこと、中のことは女の子達にお任せしていたのだった。

 

「なるほど、ビーム兵器に自動操縦の戦闘機や火力支援機動兵器ですか……」

 

……どうやらユエ達からのご要望は俺の想像とは違った方向に過激だったらしい。いや、そんなアホみたいな火力要らねぇよ!?なんで今更戦争でもしに行くかのような火力を搭載してんのさ!?目的は説明したよね!?

 

「───リサさん!?」

 

こういう案は絶対にリサからは出てこない。出すとしたらユエとシアとティオ、後は悲しいかな、多分ミュウ。ルシフェリアは何か適当に砲塔一杯付けとけとかくらいだろうな。なので俺は「どうして止めてくれなかったの?」の視線をリサに送るのだが……

 

「も、申し訳ごさいません、ご主人様……」

 

と、ただただ謝られてしまうのだった。

 

「ユエさん?シアさん?ティオさん?」

 

「……なぜ私達」

 

「心外ですぅ」

 

「そうじゃそうじゃ」

 

と、俺は先ず真っ先に疑わしい3人に視線を向けてやるのだが、どうにも誤魔化す気配の3人。とは言え誰も目線を合わせないのでほぼ自白と同じ。

 

「はぁ……まぁいいや。任せたの俺だし、どうせ使わないし」

 

「使わないのですか?」

 

「別に、戦争しに行くわけじゃあない。俺達はただ旅がしたいんだ。色んな異世界を見て巡る旅。そのための船が欲しいだけだ」

 

だよ?と、俺はユエ達を睨む。しかしその程度でこの3人が堪えるはずもなく

 

「でもでも、やっぱりあのモリアーティみたいなのを相手にすることも想定した方が良いですぅ」

 

「……んっ、シアの言う通り。アイツが来ても全方位ビーム斉射で撃ち落とす」

 

「勿論守りは鉄壁にして、彼奴のレーザー攻撃なんて余裕で弾いてやるのじゃ」

 

と、世界を巡る船にあるまじき攻撃的思想のまさかの発想の原点に俺は頭を抱えて───

 

「───あんのクソテロリストがよぉぉぉぉ!!!」

 

そう、思わず叫んでしまった。まさか戦争への腰の軽さが地球人類ではなくユエ達にまで及んでいるとはな。恐るべしモリアーティ。逮捕された後こんな直ぐにアイツの影響を感じるなんて思わなんだ。

 

「大丈夫ですよ神代様。私達は既に小型のレーザー核融合炉の開発に成功しています。電力に関してはほぼ問題無いでしょう」

 

この世界の科学技術の発展ぶりはやはりどこかおかしい。いやまぁ異世界なのだし、そういう世界だと納得する他ないのだが、それにしても凄まじいな。あとG10よ、俺が心配しているのはユエ達ご希望のバ火力戦艦の消費電力ではなく、そもそもそんな火器を積んでいることなんだがな。

 

「あぁ……まぁ細かいことは任せるよ。星精力が必要ならそれも問題無い。星精力を無限に生み出せるアーティファクトなら持ってるから」

 

守護天星(システム・ソレール)はまだ3つしかまともに稼働していない。あと4つ、まだ使用者の確定していない小型の星があるのだ。どうせならこれを1つくらいこの船に搭載してやろうか。

 

「まさかそんなものを……。いえ、神代様ですからね」

 

G10のその声には少しばかり呆れが混ざっているように感じるが、まぁここは置いておこう。これ以上話が逸れても敵わない。

 

「天人」

 

すると、カーバンクルが何やらもの悲しげな顔をしながら俺の肩を叩いた。

 

「んー?」

 

「いつかは私もその旅に混ざりたい。だけど、今はまず、私は天人の世界を巡りたい。……良いだろうか?」

 

「あぁ。ま、どっちにしたって船旅の方は先の話だよ。船も、変な要望が多くて作るだけでも時間がかかりそうだし、そもそも俺達の世界の問題が片付いていない」

 

だからきっと、この旅が始まるのは何年も、もしかしたら何十年も先の話かもしれない。

 

「そうか。……その、天人の世界を巡る時、時々天人に話を聞いてもらってもいいだろうか?」

 

誇り高いレクテイアの神々にしては珍しく縋るような目でカーバンクルが俺を見つめる。そんな視線を貰った俺は「んっ」と1つ頷く。

 

「当たり前だろ。たまには顔見せに戻って来い。話だって聞いてやるよ」

 

と、俺は当たり前の言葉を返す。どうせなら皆でカーバンクルの話を聞きたいな。彼女が地球の色んな箇所を巡って、何を見て、何を感じるのか、それは俺だけじゃなくてリサやユエ達、それに同じくレクテイアの神であるルシフェリアだって気になるところだろう。

 

「ありがとう!」

 

と、比較的平坦な喋り方をするカーバンクルにしては珍しく大きな声の出た彼女はそのまま勢い良く俺に飛び込んできた。それを無碍に放り出す訳にもいかず、俺は思わず抱き留めてしまった。

 

「おっ……と。……大丈夫だよ、皆カーバンクルの話なら聞きたいだろうからな」

 

「……皆、か?」

 

「おう」

 

皆、の部分に何やら引っ掛かりを覚えたらしいカーバンクルだったが、俺が後ろを振り返って見やれば、その皆は「やれやれ」って顔で俺達を見ている。

 

「……んっ、仕方ない。聞いてあげる」

 

「カーバンクルさんの旅の話ですか……。確かに別の異世界から来た人がこの世界をどんな風に感じるのかはちょっと気になるですぅ」

 

と、ユエとシアはそんな感じ。他の子達もそれに同意するように頷いている。モリアーティとの戦いを前にして急遽合流した彼女だが、準備の間に少しは打ち解けていたからな。

 

俺が随分と密着していたカーバンクルの肩をちょいと押して離すと、カーバンクルは分かりやすく拗ねた顔をした。

 

「そういう訳だ、G10。ゆっくりやってくれれば助かる。俺も、時々来て手伝うからさ」

 

錬成や生成魔法があれば強度的にもユエ達ご所望の超火力もそれぞれ手に入るだろう。こっちの世界にはなんだか凄い発電装置もあるみたいだし。

 

「それともう1つ。……G10、その船が完成したらさ、G10にはその船の管制と操縦をやってもらいたいんだ」

 

きっとこの船は俺達の地球でも見たことないくらいに複雑で、様々な機能を搭載した船になるだろう。何せ空と海と宇宙を翔け、世界をすら越える船なのだから。そんな船を動かすに足る操縦者はきっと、このG10を置いて他にはいないだろう。

 

高性能人工知能にして人の心を持つコイツは、一緒に過ごした時間は短いけれど、俺の中の数少ない友人でもある、と俺は思っている。それに、コイツは俺達に自分の自爆装置すら渡してきた。俺はそれを結局棄てたとは言え、そこまでの覚悟があるのなら、俺はコイツを信用する。

 

「───宜しいのですか?」

 

すると、G10は機械が喋っているとは思えないくらいか細い、人間なら目元に涙でも浮かんでいそうな声色でそう言葉を零した。

 

「あぁ。俺ぁG10、お前が良い。お前に任せたい」

 

「ありがとう……ございます。不詳G10、是非ともその任、務めさせて頂きます」

 

「ま、当分はこっちの世界の安定と、船作るのと、後は俺達も、だな」

 

俺達も自分の世界のことをしなければならない。まだ戦いは終わっていないのだから。

 

そう言って俺が後ろを振り向けば、皆こくりと頷いた。それを見て俺は再びG10に向き直し

 

「宜しくな、G10」

 

「はい」

 

と、俺が差し出した右手に、G10もマニピュレーターを出してお互いに手を握り会うのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ご主人様、朝ですよ」

 

鈴を転がしたような声、甘い、優しい声。それが俺の耳を打ち、肩を揺さぶるその振動は強くはない。けれども、それらはどんなにけたたましい目覚まし時計よりも手早く確実に俺の意識を眠りの沼から引き上げるのだ。

 

「あぁ、おはよ、リサ」

 

瞼を開ければ、そこにいたのは透き通るような金髪をした美しい少女。リサ・アヴェ・デュ・アンク、俺──神代天人──をご主人様と呼ぶことを許した奴はこの世でただ1人、彼女だけだ。俺の身の回りの世話を焼いてくれるメイドであり愛おしい妻に起こされることは俺の毎朝の日課だった。

 

「……んんっ」

 

すると、俺が起きたことに触発されたのかリサの声で目が覚めたのか、俺と同じ布団で寝ていたユエもその綺麗な紅色の瞳を塞ぐ瞼を擦りながら身体を起き上がらせた。

 

ハラリと落ちた毛布から覗くのはユエの陶磁器のように真っ白な素肌。そこに刻まれる桜色の花弁は、昨夜の熱を思い起こさせる。

 

「……んっ、おはよう、天人、リサ」

 

「はい、おはようございます。ユエ様」

 

「ん、おはよ。ユエ」

 

俺はユエの輝くような金色の髪の毛を一掬いして解くように指を透す。寝起きでもユエの髪は指通り滑らかだ。俺はその髪に1つキスを落とせばそのまま今度はリサの唇と触れ合う。

 

そうしてベッドからモゾモゾと這い出た俺とユエは2人して両腕を真上に伸ばしながらクワッと大きな欠伸をしてから眠気眼を擦り洗面所へと向かう。途中、リビングの脇を通った時には配膳をしていたシアとコーヒーを啜りつつ新聞を読んでいたティオ、同じくコーヒーを啜っているジャンヌにも「はよ……」と声だけ掛ける。シアのウサミミが揺れるくらいに元気良く「おはようですぅ!」と返してくれば、ジャンヌは「あぁ、おはよう」と、ティオも落ち着いた笑みで「おはようなのじゃ」と返してくれる。いつも通りの光景、いつも通りの朝。洗面所への扉を開ければちょうど今しがた顔を洗い終えたテテティとレテティが「おはよっ」と駆け寄ってきた。

 

それを抱き留めてやりつつ顔を上げれば、朝からしっかりと身だしなみを整えたエンディミラが「おはようございます、天人」とテテティとレテティの頭を撫でる。あれからこの2人もだいぶ喋れるようになった。おかげで今は皆から勉強を教わりながら、少しずつ将来についても考えられるようになってきた。とは言っても、やっぱりエンディミラから離れるのは難しそうだけれど。

 

「おう、おはよ」

 

と、俺も返して軽くハグしながら頬に触れるだけのキス。エンディミラからも同じものを受け取れば今度はレミアがミュウと一緒に「おはようございます」とご挨拶。

 

ミュウは小学校に上がったくらいから語尾の「なの」が取れていた。ようやく最近はその物足りなさにも慣れてきたところ。

 

俺はユエと一緒に洗面所に行き、顔を洗い、寝癖を潰す。ユエが寝起きの髪をリサに梳いてもらっている間に俺はリビングに戻る。するとテレビで流れている代わり映えのないニュースに対してメヌとネモが何やら文句を言いつつ解説をしていた。

 

それを真面目に聞いているのはティオとジャンヌ、レミアとミュウにエンディミラだ。ルシフェリアはまだ起きていない。アイツはご主人様(ユエ)に似て朝に弱い……と言うか、弱くなった、気がする。

 

俺は空いている席に着くと、テーブルに並べられてた朝食を前に「頂きます」と挨拶。まずはスクランブルエッグに箸をつけた。

 

 

 

───────────────

 

 

 

朝食を採り終えた俺は歯を磨くと、着ていたパジャマを洗濯カゴに放り込んでから自室へと向かう。整然と片付けられたここは夜寝る時以外はあまり使われていない。

 

埃の残らぬように掃除された木製の机の上にはノートパソコンが画面を伏せられて置かれていた。その右手側には何の柄もない黒いマウスパッドと、コードレスのマウスが置かれている。

 

それを横目で見ながら俺はクローゼットを開き、その中でハンガーに掛けられていた黒い防弾スーツを引っ張り出した。それらを椅子の背もたれに引っ掛けると俺はタンスからタンクトップと靴下を取り出してもそもそと身に着ける。

 

その後はパリッと糊の効いた防弾スーツのズボンを履き、防弾ワイシャツを羽織ってボタンを閉めている頃にリサが部屋に入ってきた。そしてネクタイ掛けからワインレッドの防刃ネクタイを出して俺の首に掛けた。慣れた手つきでそれを締めてくれると今度は革の腋下ホルスターを俺の肩から掛けて、ジャケットを羽織らせてくれる。最後にジャケットのボタンを1つ閉め、ハンカチを1枚手渡してきた。

 

それを尻のポケットに仕舞い、机の引き出しに入っている拳銃(P250)をホルスターに納める。

 

「モーイ!今日もお似合いです、ご主人様」

 

「んっ」

 

いつものリサの全肯定ベタ褒めに俺はリサの透けるような金髪を梳いて応える。

 

着替えと用意を終えた俺はリビングに戻る。するとミュウが朝ご飯を食べていてた。俺は適当な席に腰掛けるとテレビから流れるニュースとメヌとネモの解説をBGMにミュウの食事姿を眺める。

 

とは言っても何か特別なことがあるわけでもなく、淡々といつも通り美味しそうに(今朝はシアが作った)朝食をミュウは食べ終えた。

 

最近はもう自分で自分の用意もできるようになったミュウ。我が子の成長に嬉しくなるやら寂しさを覚えるやら。どんな感情が正解なのかは分からない。ただ抱いた気持ちをそのままに、俺はミュウとレミア、それから会社に出るティオを見送った。

 

「───では、天人。今日のことは分かっていますね?」

 

と、子供がいなくなったことでメヌが1つ仕事の話を切り出した。

 

「うん」

 

「ユエも大丈夫ですか?」

 

「……んっ、問題無い」

 

「それならよろしい」

 

と、事も無げに頷く俺達を見てメヌも1つ頷いた。今日の仕事は武偵としての仕事だ。宝石加工の仕事の方は今は一段落ついていて、急ぎのものはない。

 

「ではブリーフィングはジャンヌと。もっとも、貴方達がやることは武力制圧ですけど」

 

つい、とメヌがジャンヌの方を顎で指せば、ジャンヌも「あぁ」と頷いて資料を取りに部屋に戻った。

 

「今日は私もノーチラスに用がある。もうすぐ出るからそちらは任せた」

 

「あいよ」

 

ネモはこの前ノーチラスの艦長をエリーザに譲った。艦長がエリーザじゃ、もうNじゃないじゃんと思ったが、どうやらネモは名誉艦長とかそんな扱いらしい。何それ?

 

ともかく、今日はノーチラスに用事があるらしいネモも一旦部屋に戻った。多分そこから鍵を使ってノーチラスに置いてあるゲートのアーティファクトに繋げるのだろう。

 

「では、最後にもう1度確認だ」

 

と、ノートPCを持ってきたジャンヌがテーブルに着く。俺とユエはこちら側に開かれた液晶画面を覗き込む。今日の仕事場はとある埠頭の空き倉庫だった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ハヤクシロ!」

 

カタコトの日本語が夜の東京湾に面したとある埠頭の空き倉庫の中に響く。向こうも帽子を被っちゃいるが、おそらくアイツらが俺の目標の一部だろう。

 

「分かってる」

 

そしてもう1つ、今度は明らかにネイティブと分かる日本語が聞こえてくる。暗がりの奥から現れたのは暗い色のワイシャツのボタンの上を2つ開けた体格の良い男だ。彼の後ろにはもう1人アタッシュケースを抱えた男がいる。さて、これで必要な奴らは揃ったかな?

 

「カクニンシロ!」

 

2トントラックから降りてきた2人の男がバサりとカタコトの日本語混じりで払ったカバーの下から出てきたのは沢山の木箱。その中の1つを降ろして開けると、そこには袋で個包装された白い粉が敷き詰められていた。まったく、最近はどこでもこれだ。

 

「あぁ。確認した。ありがとう。そして───さよならだ」

 

すると、リーダー格と思われる暗い色のワイシャツの男とその後ろに控えていたアタッシュケースを抱えた男がそれぞれジャケットの脇下からお揃いの黒い拳銃(トカレフ)を取り出し、その銃口を運び屋の男共に向けた。

 

「ゲゲッ!?」

 

なんて、そんなとっさのリアクションまでカタコトの日本語で発した奴らだが、まぁもう良いだろう。充分に証拠は揃っている。

 

「───はい、そこまで。お前ら動くなよ?銃を置いてそっちに固まれ」

 

俺は気配遮断のアーティファクトを宝物庫に仕舞いつつP250を抜銃してスーツの男とアタッシュケースを左手に持った男に向ける。

 

「なっ……誰だっ!?いつの間に!」

 

いつの間にって言うか割とずっと居ましたけどね。何せ俺はここに来る時にはアンタらを尾けて来たわけですし。まぁ、そんなこと教えてやらないけど。

 

だから俺は代わりに武偵手帳(チョウメン)を翳して俺の存在理由を知らしめす。

 

「武偵……貴様ら……っ!」

 

それを見たスーツの男が今度は運び屋達を睨みつける。どうやらあちらさんの尻尾を掴まれたと思っているらしい。本当は違うのだけれど、まぁいい。そんなこと、俺には関係無いからな。

 

「───ふん。まぁいい。どちらにせよ、銃の数じゃこちらが上だ。おい、お前らも手伝え。逃げても良いことがないってのは、分かるだろう?」

 

すると切り替えは早い方なのか、スーツの男が運び屋達にそう伝える。ま、確かに運び屋からしてもここで逃げてもし俺がコイツらを捕まえたら国外脱出が面倒になるし、次からの仕事もやり辛くなるだろう。ここで4人かかりで俺を始末するのが1番理に叶っている。

 

───それが可能であれば、の話だけどな。

 

俺は昇華魔法で干渉し、強度を落とした魔王覇気を4人にぶつける。それは本来であれば精神の狂乱を、その気になれば強制の自死を選ばせる制圧における俺の十八番である。

 

ただ今回の相手は人間であるし、武偵の仕事である以上は殺しは御法度。気を狂わせても意味が無いから魔王覇気も失神で留めてある。

 

カクンッと魔王覇気による精神干渉と齎される恐怖により自ら自身の意識を閉ざして崩れ落ちる4人。彼ら4人に手錠を嵌め、予め呼んでおいた車輌科の奴らに携帯から連絡を入れる。

 

「───もしもし?───うん、終わったよ。回収宜しく」

 

東京湾の夜は静かに更けていく。……なんてことはないか。何せ少し離れた別の倉庫から響いているらしい()()がこちらまで届いているのだから。

 

まったく、あちらさんは何をしているのだろうか。まぁ、きっと大したことはない。だってあそこにいるのは最強なのだから。だから俺は安心して次の電話を掛ける。

 

「───うん、終わったよ。これから合流して帰る。……んー?……うん、俺もリサのご飯が食べたいな。うん、じゃあまた。うん、俺も愛してる」

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……全員、逮捕する」

 

それほど大きくはない声だった。抑揚もどちらかと言えば無機質だ。ただその声は愛らしい。

 

そしてその声の主は声色に違わず……いや、その美貌だけで国が1つ傾く程だった。

 

「なっ……誰───」

 

巨額の麻薬取引に紛れさせた大量の銃火器の密輸。それがここで行われる筈だった犯罪と取引だった。だがそれはたった1人の美しい少女の前に頓挫することになる。

 

いや、少女のような愛らしい見た目だが彼女は実際、300年以上の時を生きているし、書類上でももう20歳を迎えている。だから彼女───ユエを少女と呼ぶのは、本来であれば些か礼を失することになる。

 

とは言え、「可愛いから」という理由で東京武偵高の防弾制服を着続けているユエであるから、仮に少女と呼ばれることがあっても仕方のないことではあった。

 

だが、その特徴的な赤い防弾制服は即ち、武偵がこの場に現れたことを意味する。そうなれば当然、違法な銃取引を見られた彼らからすればこの場でユエを始末しなければならないという思考に入って当然であり───

 

──バリバリバリッ!!──

 

という銃声が鳴り響くのは仕方ない。だが、10を超える銃口から放たれる弾丸がユエの白い柔肌を貫くのかと言われると、それは防弾制服の有無に関係なく「ノー」と言わざるを得ない。

 

「え……」

 

その場の誰かが呟く。何せ全ての5.56mm弾と9mmパラベラム弾はユエの防弾制服に当たることも綺麗な金髪をした頭を吹き飛ばすこともなかったからだ。

 

全ての鉛玉がユエの50センチ手前で落ちて鈴の音を響かせていた。

 

──空間魔法──

 

目の前の現象をそうだと分かる者はユエ以外には誰もいなかったが、超常の力が働いているのだと認識できたものは数人いる。だがそれも───

 

「……ユエの名において命ずる───『大人しくしろ』」

 

───神の勅命により叩き伏せられた。

 

たったの一言で銃火器で武装した男十数人を制圧したユエはしかし、つまらなさそうに鼻を鳴らすだけ。麻薬の下に隠された大量の銃火器。これらがこの国に出回れば日本の治安は取り返しようがないほどに荒れていただろう。暴れるのはここにある粉と銃だけではない。これを呼び水に更に血と涙と犯罪が世の中に蔓延ることになっていた。これはその分水嶺だったのだ。

 

だからこそ、その情報を掴んだジャンヌとメヌエット、ネモは神代天人とユエをこの場に送り込んだのだった。

 

そして、この場での目的は達せられた。世界中で起こるどうしようもない戦争による混沌(カオス)の時代への呼び水の1滴は塞き止められた。

 

それを成したユエはと言えば知り合いの車輌科と鑑識科の武偵へと連絡を入れた。後の始末はユエの本分ではない。ここでできる仕事を終えたユエは帰る場所(天人の元)へと歩みを始めるのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

───東ヨーロッパのとある国、とある森の中

 

 

「……あ?誰?」

 

夜の森、その中にひっそりと佇むログハウス。そこにいたのは恰幅の良い30歳くらいの女。それとボサボサの髪と頭頂部からピョコンと獣のような耳を生やした赤毛の少女が2人。しかしこの少女達の手首には無骨な手錠が嵌められていて、到底大人と子供の間に信頼関係があるようには見えなかった。

 

そして、恰幅の良い女が急に目の前に現れた存在に疑問符を浮かべていた。このログハウスを知っている人間は少ない。そして、そいつらの中の交友関係のどこにも今この場に現れた人間は現れない筈だった。

 

「…………」

 

その人間───青みがかった長い白髪と160センチ半ばはある身長と冗談みたいに長い股下。ジーンズ風の防弾ショートパンツに白い防弾ポロシャツを着たシア・ハウリアは目の前で自分を睨み、そしてテーブルの上に置いてあったガバメント1911(大口径拳銃)を取ろうとしたその手を掴んで捻り上げる。

 

「ギッ───!?」

 

そしてその丸い手首を掴みながら70キロ近くある体重を持つ彼女を振り回した挙句に床に叩きつけた。

 

───ッダァァァン!!

 

と、肉が硬い木の床に叩きつけられた音が響く。それに紛れてシアのウサミミはそいつの手首が折れた音を捉えていた。だがシアはそんなことを些事と切り捨ててまたその丸々と育った体躯を放り上げた。そして落ち際を蹴り上げて真上───天井に叩きつける。

 

「助けに来ましたよ」

 

そう言ってシアは赤毛の2人組に微笑んだ。そして「ふんっ」と一息で彼女達の両手を戒めていた手錠を破壊した。

 

「あ……え?」

 

ウサミミから意識を逸らすアーティファクトを宝物庫に仕舞えば、彼女らにもシアのウサミミが認識できた。そして、それを見て彼女達も直ぐにシアがただの人間ではない、どちらかと言えば自分達寄りの存在なのだと知る。

 

「大丈夫です、ノーチラスはあなた達にとっても気安いところですぅ」

 

そう言ってシアは羅針盤でノーチラスの位置を特定。沖合でシアの帰りを待つノーチラスの甲板の座標を特定したシアは天人から借りている越境鍵で扉を開いた。

 

輝くアーチの向こうに佇む夜と漂う潮風の香りに彼女達は鼻をヒクつかせて未知を感じた。けれどもシアの柔らかな微笑みに連れられて扉をくぐる。その先にあったのは、きっと彼女達にとっても悪い世界では無いのだろうと感じさせられた。

 

 

 

「───ふん」

 

シア達が去った後のログハウスに現れたそれは、男に見ようとすれば男に見え、女に見ようとすれば女にも見える中性的な顔立ちをしていた。

 

しかしその声はしわがれていて、声だけを聞けばまるで年寄りの男性のようだった。

 

「まだ息はあるな」

 

当然、シアは恰幅の良い女を殺してはいなかった。シアが()()()彼女は正確には武偵としての報酬が出る相手ではなかった。だがジャンヌにメヌエットとネモの掴んだ情報ではこの女の属する組織はあの赤毛の少女達のような存在を手段を問わずに──そして大抵の場合は法に触れているがそれを指摘する者はいない──集めていた。

 

その目的は来るべき未来に備えてということであったが、そんな未来に逆らう天人達はこの組織の壊滅にも乗り出していた。

 

このログハウスは中継点であり、本当の巣はこの先にあった。ただそこまで深い情報を掴めなかった天人達はまずは中継点から辿っていくためにここにシアを寄越した。シアであれば武力制圧と共にここに囚われている彼女達を安心させながらノーチラスへと寄越せるからだ。

 

そして()()()()()()()ができる状況を整えた後に現れたのがアガレスだった。アガレスはシアに叩きのめされて転がっている女の丸々と肥えた横っ腹に蹴りを入れてやる。すると鈍い呻き声を上げながら彼女は仰向けに転がった。

 

「起きろ、愚物め」

 

アガレスがふと視線をやれば、その女は部屋の中央に置かれたテーブルの真上50センチの位置にいた。そして重力によってテーブルに落ちるとまた呻き声を上げた。

 

「正直に話せよ?嘘は分かる」

 

アガレスがパチンと指を鳴らせば、その女の踵からバチン!という音がうっすらと部屋に響く。左脚のアキレス腱が切れたのだ。

 

「───ギッ!?!!?」

 

突然の激痛に叫び声を上げることすらままならないその女が身体を丸めようとした瞬間、ダン!とアガレスがその肩を片手で押さえ込んだ。

 

「まずは問おう。……貴様の名前は何と言う?」

 

アガレスの───悪魔による悪魔のような尋問が始まった。そして、アガレスによる彼女への質問の1問1問が即ち、同時にこの世界の裏側に潜むとある非人道的組織の消滅へのカウントダウンであった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……お疲れ様」

 

「んっ、ユエもお疲れ様」

 

奴らは東京武偵高の車輌科の生徒達に引き渡した。後は尋問科の綴梅子辺りが何もかも引き摺り出すだろう。その時はまた俺が呼ばれるかもしれないが、それならそれでいい。

 

俺はユエと合流し、空間転移用のアーティファクトを宝物庫から取り出した。こちらは鍵で、扉の方は俺達の家の玄関に備えられている。

 

空間魔法で繋げられたゲートをくぐればそこにあるのは俺達が帰るべき場所である。俺は鍵のアーティファクトに魔力を注ぎ、それを虚空に突き刺す。そして鍵を捻れば、物理的な距離を隔てた空間同士がゼロ距離で繋がる。

 

俺はユエの手を握る。その小さな手の温もりは地獄の底で独りだった俺を支えてくれた。そして目の前のゲートをくぐればきっとそこにはずっと俺を支えてくれたあの子がいるだろう。彼女だけではない。こっちやあっち(トータス)で出逢った俺の大切な家族達が待っている。シア、ティオ、ジャンヌ、レミア、ミュウ、エンディミラ、テテティとレテティ、メヌ、ネモ──勿論サシェにエンドラ、ルシフェリアだっている──あの子達が待っていてくれる。一緒に戦ってくれている。だから俺は戦える。

 

モリアーティが残した火種は大きく沢山ある。まだまだこの世界には戦争の混沌(カオス)が渦巻く可能性が残されている。それでも俺は、この子達と力を合わせて戦い続ける。その果てにある異能も異形も差別されずに生きられる世界、戦争なんて無い世界を目指して───

 

「「ただいま」」

 

俺とユエは声を揃えて玄関へと足を踏み入れた。すると目の前には透き通るような長い金髪を湛えた美しい女性が───

 

「お帰りなさいませ、ご主人様、ユエ様」

 

いつものメイド服を着たリサが俺達を迎えてくれた。

 

 

 




前書きから繰り返しになりますが、3年間の連載、最初からでも途中からでも、最後まで読んでくださった皆様に再度御礼申し上げます。緋弾のアリアの二次創作としておりましたが、様々な作品とのクロスオーバーもあり、色々とやりたいようにやってみた本作。終わってみれば「あぁすれば良かったかな?」「あそこはあぁすべきだったかも?」と思うこともありました。とは言えそのような反省も含めて1つの作品と思います。特に主人公に据えました天人くんは当初の想定以上に、湿っぽいというか意外とウジウジしてる面が強く出ましたね……。
一先ずこれにてこの作品には一区切りが付きました。この後も天人くん達の戦いは続きますし、その気になればまた無理矢理にでも異世界転移させれば別の作品とクロスもできます。それほど矛盾の出ない作品であれば「武偵の仕事」としてどこかへ向かわせることも可能でしょう。
とは言えそれをするかどうかは分かりません。やろうと思った時にできるように、手続き上の「完結」はさせないでおきますが、一旦作品としてのピリオドはこれにて打たせて頂きます。
何度も繰り返しにはなりますが、これまで読んでくれた皆様、お気に入りや評価、コメントは何より連載の励みになりました。最後にもう一度、御礼を申し上げます。誠にありがとうございました。


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