記憶の彼方に見えるモノ (シュリンプ1012)
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門出の時『前』

 

 

 

 

 ––––痛みの伴わない教訓には意義がない。

 人は何かの犠牲なしにはなにも得ることができないのだから。

 

 

 ならば俺は、何を犠牲にしたのだ?

 

 

 俺は『力』を得る為に、一体何を捨てた?

 

 

 その何かは、俺にとっては大切な物ではなかったのか?

 

 

 ……これは、その『答え』を探し出す物語。

 

 

 

 

 

 

♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢

 

 

 

 

 4月10日、晴れ

 

 

 

『…間もなく日本空港に到着いたします。シートベルトをお締めになっていない方はお早めに–––』

 

 

「……グゥ、グガァ…」

 

「……おい、起きろ。もう着くぞ」

 

「グケッ…!?……んあ?」

 

 

 横から肩を叩かれて、俺は意識を覚醒させる。そして上がり切らない目蓋を擦り辺りを見渡した。

 少し暗めに設定された照明。通路で乗客の安全確認をしている女性乗務員。窓の向こうでは下の方で雲がぷかぷかと浮遊している。

 

 

 ふむふむ、成る程。

 

 

「まだ着いてないから寝る。おやすみ」

 

「馬鹿野郎」

 

「ぐぎっ!?」

 

 

 今度は頭に軽めのチョップを受けました。ありえんわぁ、これは暴行罪で訴えなければ。

 

 

「アナウンスを聞いていなかったか?あと数分で日本に到着だ」

 

「クカァ……」

 

「だから寝るなと言ってるだろうが!!」

 

「どふっ!?」

 

 

 痛い……今度はうなじをチョップされた…。畜生、俺の『死角』に座り込んでるからって調子乗りやがって……。

 

 

「時差ボケなのはわかるが、シャキッとしろシャキッと」

 

「そんな無茶苦茶な…」

 

 

 だってあそこから日本まで約8時間も時差あるもん。えっとだから……今何時だっけ?

 

 

「なぁ先生、今何時?」

 

「む?えーっと今は……丁度10時半だな」

 

 

 先生が右腕に付けた腕時計を直接見せてくれた。

 ほうほう、今は10時半か。となるとそこから8を引いてみると……午前2時半か、成る程。……って、まだ夜中じゃねえか。それじゃあシャキッとなんか出来ねぇよ。まだ夢の中に居座ってるわ。

 

 

「ハァ〜眠い〜寝たい〜」

 

「パラシュート無しのスカイダイビングをしたいなら別に寝てもいいが?」

 

 

 おっとぉ?先生つまり俺を窓を突き破ってポイ捨てしようとしてます?いけないなぁ、ポイ捨てはしちゃ駄目だって習わなかっ……あ、やばい。めっちゃ睨まれた。うん、これ以上この話題を上げないようにしよう。

 

 

「あの、すみません……機内ではお静かにお願いします」

 

「え?……あ、あぁこれはすまない」

 

 

 おっとっと、ついつい騒ぎ過ぎてしまったようだ。……いやでもこれは先生が俺に攻撃したのが悪いよ。日本に着いた時に起こしてくれればいいのに。確かに今謝まったのは先生だけど、その謝罪を俺にも––––

 

 

()()()()()()()とは言っても、他のお客様に迷惑がかかりますので……」

 

「ブフッ」

 

 

 ……ん?ちょ、ちょっと待ってくれ。今この乗組員さん、親子って言ったか?

 

 

「え?わ、私何かおかしな事を……?」

 

「い、いや……なんでも…ク、ククッ…!」

 

「え?え?だってそちらがお子様で、貴方がお父さ…」

 

「アハ、アハハハ!!」

 

 

 ……お、俺がお子様?

 

 

「す、すまない大丈夫だ…!行ってくれて構わんよ……フフッ…!」

 

「は、はぁ……」

 

 

 は?は?は?ちょっと待てや。あの人誤解したまま行ったんだけど?え、ちょっ、ま……

 

 

「お前が……お子様とは……やはり身長が…クフフッ……!!」

 

「あ"?」

 

 

 カッチーン。はい、俺もう怒りました。

 

 

「……先生先生」

 

「な、なんだね?……あっ」

 

 

 右手を握って広げて握って広げて……うん、ちゃんと動く。やっぱり先生が整備士でヨカッタナー。

 

 

「スカイダイビング、してみようか、先生」

 

「まっ、待て待て!!謝るから!!今の謝るから!!だから右で窓割ろうとするなぁぁぁ!?」

 

 

 

 嗚呼、今の俺めっちゃ笑顔なんだろうなぁ。ハハッ、サイコー。……っと、太陽さんはいつにも増して輝いてんねぇ。やっぱり雲の上にいるからかな?

 

 

 

 

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 ある商店街の一角。そこには小さなパン屋があった。その名は『山吹ベーカリー』。商店街では匂いも旨味も評判で、長年、街の人々によって愛されていた。

 

 

「いらっしゃいませー!」

 

 

 そんなお店で働く少女。名を山吹 沙綾。このお店を経営する山吹家の立派な長女である。

 

 

「さーや〜、おはよう〜」

 

「あっモカ!今日は何にするの?」

 

 

 店内に入ってきたのは、常連客である同い年の少女の青葉 モカ。お気楽な口調で入店した彼女は、入り口付近のトレイとトングを両手に持ってどんなパンを買おうかと吟味する。

 

 

「ふむむ〜、いつもながらにして悩みますなぁ。今日のおすすめはありますか〜?」

 

「あはは、モカは食いしん坊だからなぁ。えっと今日のおすすめは–––」

 

 

「沙綾ー?時間大丈夫なのー?」

 

 

 モカに今日の出来立てのメロンパンを勧めようとすると、店の奥から彼女の母の千紘が呼びかけた。そんな千紘に促され、彼女は店内の時計に目を向ける。

 時計は10時45分を指していた。

 

 

 

「あー、ちょっとヤバいかも…」

 

 

 予想以上に時計が進んでいる事に焦りを感じつつ、彼女はエプロンの紐を解きながら店の奥へと消える。店の奥では両親が丹精込めてパン生地を作り込んでいた。

 

 

「ごめん、行ってくる!」

 

「はーい、頑張って!」

 

「気をつけるんだぞ、沙綾」

 

 

 彼女は事前に用意していたバックを背負い、両親に手を振ってパン工房から立ち去る。

 

 

「あ、モカ。メロンパンが焼きたてだからね!」

 

「はーい行ってらっしゃーい」

 

 

 最後にモカに言い忘れていた事を伝えて店を飛び出す。

 

 

「すぅ……ふぅ」

 

 

 春の暖かな陽気を一身に浴び、乱れかけた呼吸を整える。

 

 

「よしっ!」

 

 

 気持ちを一新に彼女は春の風が吹く道を走り抜ける。待たせてしまっているであろう、大切な仲間の下へと。

 

 

 そんな彼女の頭上で飛行機が着陸態勢を作って飛行していた。

 

 

 

 

 

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「はぁ…予定より20分遅れてしまった…」

 

「はぁ……耳がまだキンキンしてる……」

 

 

 えー、ただいま俺たちは空港のバス停前にてバスの到着を待っております。いやーでもホント、係員の人、説教長すぎるわ。ったく。

 

 

「元はと言えばお前の責任なのだからな?お前が機内であばれようと……」

 

「あーあー聞こえなーい。耳がキンキンしてて聞こえないやー」

 

「お前なぁ……!?」

 

 

 耳がキンキンしてるって言ってるのにこの人は……。それに、深く掘り下げていけば俺をお子様扱いしたこの人がいけないだろ。さらにいけばあの乗組員が元凶だし。俺が悪いところ一つもないやん。はー萎えるわぁ。……って。

 

 

「……先生?そんな睨まないで下さいよ」

 

「……」

 

 

 なんかめっちゃ視線感じるなぁと思ったら先生がめっちゃ睨んでた。いやもう先生の顔が般若のお面被ってる時並みに怖いんですけど?なに、謝れって事?……しょうがないなぁ。

 

 

「分かりましたよ、すいませんでしたお騒がせして!」

 

「……はぁ、こんなのではこの先真っ暗闇だ……」

 

 

 は?どのツラ下げてそんなこと言ってんだ?元はと言えば先生が……と、いかんいかん、怒りで我を忘れそうになってしまった。平常心平常心。

 

 

「……っと、バスが来たか」

 

「おっ、ホントだ」

 

 

 そんなこんなで、11時30分着のバスが到着した。流石空港前のバス停。バスの流れが早くて助かる。

 

 

「それでは行くか。そっちの荷物を頼む」

 

「うえーい。……って、大きい方頼みやがったなこの野郎…」

 

 

 

 

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 ある街の一点。そこには学生に人気のライブハウスがあった。その名を『CIRCLE』。大ガールズバンド時代の今、それに拍車をかけるように学生……強いて言えば女子学生に絶大な人気を誇っている。

 

 そんなCIRCLEの一部屋にて、これまた学生達に絶大な人気を誇るガールズバンドが汗水を流していた。

 

 

「……少し休憩を入れましょう」

 

「えぇ、そうしましょう」

 

「ふぇー疲れたー……」

 

「あこ、もう腕がパンパン……」

 

「あこちゃん……これ、冷えたタオル…」

 

 

 彼女達の名前は『Roselia』。vo.湊 友希那を筆頭に一年ほどに結成されたバンドである。だが結成から月日が浅いと侮るなかれ。彼女達は数々の大会に出場しては、会場の観衆達の心を虜にしてきた実力派バンドなのである。それ故に、彼女達の熱狂的なファンは数が知れない。

 

 そんな彼女たちは、ある大会に向けてより一層練習に磨きをかけていた。

 

 

「FWF予選まで、残り二ヶ月…」

 

 

 給水をしながら友希那は目標の日時が刻一刻と迫っていることを再確認する。

 彼女達の目的それはFWF(フューチャーワールドフェス)に出場すること。昨年も結成して間もなく予選に出場したがあと一歩のところで本戦への出場権をもぎ取ることが出来なかった。

 

 最初は友希那個人の目標ではあった。だが、結成してからの濃密な一年により、その目的はやがてRoseliaとしての目標に変わっていった。そしてその過程で各々が確固たる成長を感じている。

 

 

 今年こそは……と昨年の雪辱を果たすために。友希那は内心で心を滾らせていた。

 

 

「あっそうだ!アタシクッキー作ってきたんだ☆」

 

「わーっ!リサ姉のクッキー!」

 

 

 すると、友希那の幼馴染でありRoseliaのBa.担当の今井 リサが鞄からクッキーの袋を取り出した。

 

 

「はい友希那!」

 

「いつもありがとう、リサ」

 

 

 どういたしまして!といつものやり取りを交わす二人。

 

 いつも通りの、何気ないやり取り。こうする度に友希那は数年前のことを思い出す。自分がまだ個人の目的として行動していた時期のこと。

 

 そこで彼女は、()()()()()()()()()()()()()。自分より二つ下の、仲の良かった幼馴染を。

 

 

「今井さん。その、水をさすようで悪いのですが……今はお昼前なので食べ過ぎには…」

 

「あっそっか。まだ11時半ぐらい……って紗夜!?」

 

「?ど、どうかしましたか?」

 

「紗夜それ何枚目……?」

 

「えっ、これは4枚目……はっ!?わ、私としたことが……!?」

 

「もう紗夜〜!お腹空いてるなら言ってよ〜」

 

 

 そうして彼のことを思い出す度に、友希那は胸が苦しむ感覚に陥る。

 

 

「友希那ー!ちょっと早いけどお昼にしない?」

 

「……あら、もうそんな時間なの?」

 

「あ、あれ?友希那今の話聞いてなかった?」

 

「ごめんなさい、少し考えごとをしていたから……」

 

 

 だから。彼女は達成しなければならない。

 

 

「もー、友希那ったら!」

 

 

 頰を膨らますリサ。それを見て友希那は申し訳なく思い、持っていたクッキーを一口で食べ切る。

 ほんのり甘い、リサ特有の味。メンバーが納得のいくその甘味に友希那は少し満足気に微笑む。

 

 

「……みんな、申し訳ないけれど」

 

「?」

 

「どうしたんですか友希那さん?」

 

 

 この味に、あの子の味を混ぜてみたい。

 

 

「あと一曲、合わせてみてもいいかしら?」

 

 

 その為にも、彼女は今日も目標にむけて奮闘するのであった。

 

 

 

 

 

 

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「ふぃー、やっとついたー」

 

 

 えー、ただいまの時間は12時半頃。近くの公園に設置された時計はその時間を指している。

 いやぁ、ここまで来るのに約1時間。バスを乗り換えては揺れて、乗り換えては揺れて……もう腰痛い。若い身体の筈なのに痛ぁい。まぁでも、目的地まであとちょっとの筈。

 

 

「気を抜くな、目的地まであと数十分かかる」

 

「は?」

 

 

 嘘、だろ……?まだかかるのか?座りっぱなしの次は歩きっぱなしなのか?ハハッ、乾いた笑いしか出てこねぇ。

 

 

「あぁそれと」

 

「あ?どうし……どわぁ!?」

 

 

 おいおい、この人急に荷物をこっちに投げてきやがったぞ?え、なに?空港での一件まだ根に持ってるの?……いやそれは流石に幼稚すぎるか。

 

 

「ここから先は別行動だ」

 

「え、先生どっか寄るとこあんの?」

 

「あぁ、少しそこの施設に用があってな」

 

 

 先生はそう言うと、すぐそこの建物を指さした。建物の入り口付近には堂々と店の看板が立てられている。なので俺は目を凝らしてその看板の文字をなんとかして読み取った。

 

 

「うーん…と?……『CIRCLE』?」

 

 

 なんだそれ。円陣でも作ってんのか?

 

 

「なんでも、あそこは今の学生に人気のライブハウスらしい」

 

「ほーん……」

 

 

 ライブハウスか……あぁ確かに、店の名前の上にライブハウスって書いてあるわ。早合点だったね、うん。

 ……いや待てよ?なんで先生がそんなところ行く必要があるんだ?用件ってどんなの?

 

 

「それでは、後はよろしく」

 

「はっ、え?ちょっ待てや!?」

 

 

 畜生、どんなのか聞く前に行っちまったよ。ケッ、何ポケットに手突っ込んで歩いてんだ。カッコつけてるつもりか?……いや、あの人以外にイケメンだからああいう事すると女の人が寄ってきそう。それに身長も高い……チッ、良いよな身長のあるやつはよぉ。

 

 

『ピロリンッ♪』

 

「ん?メールか?」

 

 

 ポケットに仕舞い込んでいたスマホに着信が来たので、俺はすぐに取り出して内容を確認する。

 宛先は、さっきまでそこにいた先生。

 

 

『すまない、目的地の詳細を伝えていなかったな』

 

 

 そんな文面とともに、一枚の写真が添付されてきた。

 ……ああ成る程、目的地を示した地図かこれ。ふむふむ…ここからそう遠くないのか。ってか数十分もかからなくないか?おい誤情報流したぞあの人!……まぁいっか。

 

 

「んじゃま、行くとしますか……!」

 

 

 一度だけ伸びをしてから、俺は増えた荷物を持って歩き出す。

 

 

 ……って、荷物多すぎだろ!?こうなったらヘイタクシー……あっ、今お金持ってねぇや。ハハッ、本日二回目の乾いた笑いが入りまーす(なき





 取り敢えず前後編で分けます。長すぎると大変なのでね。
 近日に後編を投稿しますん。


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門出の時『後』

 

 

 

 

 昼下がりの12時35分。ライブハウス『CIRCLE』のカフェエリアにて、ある2組のバンドグループがテーブルを囲んで昼食を介して話し合っていた。

 

 一つの組は皆様ご存知Roselia。あの後、彼女達はあと一曲という約束だったが、あまりにも熱が入り込んでしまっ為になんと30分強も延長してしまった。

 30分も延長すると当然腹も益々空いてしまう。それでなのか、クッキー4枚食した筈の紗夜が、

 

 

『ポ、ポテェ……グフッ…』

 

 

 などと目を虚にしながら壁にへたり込む始末に。

 

 

 これが世に言う『ポテト欠乏症』である。

 

 

 流石のRoselia一同も、空腹とメンバーの禁断症状が現れた所で練習を一旦中止にしてカフェテリアに向かったのだ。

 

 

「……湊さん、流石にやり過ぎだと思います」

 

「……反省してるわ」

 

 

 そこでばったり遭遇したのがもう一つのバンド、『Afterglow』である。

 Afterglow……ba.上原 ひまりをリーダーとした幼馴染5人組で結成されたバンド。ここで注意してほしいのは、gt.vo.である美竹 蘭がリーダーと思われている者がいるが、リーダーは上原 ひまりである。リーダーは上原 ひまりである(二回目)。

 5人がいつまでも集まれる場所として結成されたバンド。それ故に他のバンドよりもメンバー内の絆の深さはそこを知れない。なので、例えメンバー内で喧嘩が起きたとしても、決して解散することは無かった。

 

 

「紗夜、大丈夫…?」

 

「えぇ、もうすっかり」

 

 

 少し汚れてしまった口元をお手拭きで拭いながら受け答えする紗夜。彼女の目の前には、それはもう綺麗としか言いようのない真っ白で縦長の皿が置かれていた。

 彼女曰く、『数日間ポテトを食べないと禁断症状が発症する』らしい。それを治すにはその原因であるポテトを手早く食すこと。

 

 もうお分かりだろう。彼女は『ポテトメガ盛りサイズ×2』を数分で食べ終えたのだ。しかもお上品に。

 

 

「紗夜さん、あんまり無茶しちゃいけませんよ?」

 

「……羽沢さん」

 

 

 口元を拭い終わった矢先、紗夜の隣に座っていた少女–––羽沢 つぐみが心配した顔で彼女を見つめる。

 

 

「そうですね、私も今日は無茶をしすぎました……あら?」

 

「?どうかしたんですか、紗夜さん?」

 

 

 ふと、視線を逸らした先に紗夜はある人物を目にした。

 キョロキョロと辺りを見渡しながら白いシルクハットを抑える男。見た目は先の通り白いシルクハットを被り黒髪を隠していて、黒のコートを羽織っていた。

 

 そんな男と、紗夜は偶然にも目があってしまった。そしてそれを機にして、男が此方へとコツッコツッ……と靴を鳴らして歩いてきた。

 

 その瞬間、ひまり、あこ、モカ、つぐみ以外の6人はその男を鋭い目付きで睨んで警戒し始めた。女の本能なのだろうか、彼女達は何故かあの男を敵視しなければならないと感じていた。

 

 

「えっ?み、みんなどうしたんで……」

 

「羽沢さん、少し下がっていて下さい」

 

「……えっ?えっ?えぇ?」

 

 

 警戒を強める彼女達に、つぐみは動揺を隠しきれない。あこはあこで、何故お姉ちゃんが前に立っているのか疑問に思っていた。

 

 

「あの人……ちょっとイケメン…?」

 

「あー、ひーちゃんがあの人にメロメロになってまーす」

 

 

 リーダーのひまりは紅く染まるを頰を両手で隠しながら、ハートマークを浮かべる両眼で男を見つめる。そんな彼女を、モカは朝に買い足したパンを食しながら弄り始めた。

 

 

「も、モカ?そそそ、そんな事ない…」

 

「やぁ、そこの可愛らしいお嬢さん方」

 

「はぁい!なんでしょう!!」

 

 

 モカの発言を否定しようとしたひまりであったが、謎の男の呼びかけによって様々身体を急旋回させてそちらに向き直った。

 

 恋する乙女。本能は素直である。

 

 

「何のようですか、あたし達に」

 

 

 ジリジリと男の方に寄るひまりを抑えて、警戒心剥き出しのままで蘭は問い出した。彼女の睨む目が益々深まる。

 男も男で、周囲の女子数人の目付きが異様に鋭いの感じたのか、ハァ…と一つ溜息をつく。

 

 

「まったく……何故私はこうも女性から敵視されるのだ……む?」

 

「……へっ?」

 

 

 呆れた様子で天を仰ぐ男であったが、ふと視界に映ったつぐみに興味を示した。

 男は被っていたシルクハットを胸元まで運んで、彼女の下に近寄って何故か膝立ちの状態に。

 益々困惑するつぐみ。まじまじと見つめる男。そんな男に惚れ込むひまり。黙々とパンを食すモカ。何故か怒りに燃える少女達。

 

 

 ライブハウスのカフェテリアでは、謎の構図が生まれていた。

 

 

 

 

「……ふむ、私がこんなにも見つめているのにただ困り果てるだけとは」

 

「え?それってどういう……」

 

「いや失敬。何だか珍しく思えたものだから。…そうだ、お詫びにこれを…」

 

 

 そう言って男が取り出したのは一枚の紙切れ。その紙を彼はつぐみの手を取りそっとその上に添えた。つぐみは渡された紙切れを広げて、そこに書かれた文字を読み取る。

 

 

「『喫茶店 MICA』……?」

 

「近々この街で店を開こうと思ってね。良かったら来てくれ。君とは馬が合いそうだ」

 

 

 つぐみが顔を上げてみると、男は既に立ち上がっていてニッコリと微笑みを溢していた。

 

 

「……っと、本来の目的を忘れる所だった。君達、『まりな』という女性を知っているかね?」

 

『まりなさん?』

 

 

 突然に出された名前に一同は一斉に声を上げた。

 まりなといえばここ、《CIRCLE》で働く従業員の名前だ。彼女達も幾度となく彼女にお世話になっている。なんなら、彼女達はまりな以外の従業員を未だに見ていないし、この10人の中でまりながカウンターでグッタリと倒れ伏していたという目撃情報も出されている。

 そんな過労死寸前のまりなに、謎の男は何をしようとするのか。

 

 

「……まりなさんに何をする気ですか…!?」

 

「お、おいおい。人聞きの悪いことを言わないでくれ。私は別に取って食おう…と……は……?」

 

 

 何やら良からぬ妄想を作り出した紗夜は、男の胸ぐらを掴んで問いただした。それを両手で静止しようとする男だったが、突如紗夜の顔を見た瞬間に顔が真剣な眼差しへと変貌した。

 

 

「な、なんですか…!?」

 

 

 急に男のスイッチが入ったのを感じ取った紗夜は、焦ってしまい胸ぐらを掴む力を弱めてしまった。

 その隙をついたように、男は優しく彼女の両手に片手を添えて、そのまま下へと下ろしていった。

 険しい目線を彼女に向けたままに。

 

 

「……きみ…は」

 

「……?」

 

 

 険しく見つめる男であったが、ハッと何かに気付いたかのように直ぐ様手を引っ込めた。それからまた一つ、小さく溜息をつく。

 

 

いかんな…昔のことを思い出してしまうとは…

 

「?今何か…」

 

「ああいや、君には関係のないことだ……む?」

 

 

 すると男は、顔を横にずらして紗夜の後方にいた人物に目線を向けた。紗夜達も何事かと思い視線をそちらに向けてみると、そこには大きめの箱を数段に重ねて運ぶ女性の姿があった。

 

 

「あ、まりなさん」

 

「ほう、あの人がまりな…」

 

 

 目当ての人物を見つけたので、男は颯爽とまりなの下へと歩いていった。去り間際、彼女たちに優しげな微笑みを残して。

 

 

「……なんか、いけ好かない人でしたね」

 

「奇遇ね、私もそう思っていたわ」

 

「うーん、何だろ…こう、女性の闘争心を滾らせるような感じ?」

 

 

 

「あぁ、行っちゃった……」

 

「ひーちゃん、ドンマ〜イ」

 

 

 

「ねぇねぇお姉ちゃん、りんりん。なんであこを庇ってたの?」

 

「燐子先輩、危ない所でしたね…」

 

「はい……あこちゃんには…見せないように……」

 

「……ねぇねぇ、あこの事お子様扱いにしてる!?お姉ちゃん!りんりん!!」

 

 

 

「『MICA』……か。空いた時間に行ってみようかな…?」

 

 

 

「あの人、昔の事って……?」

 

 

 

 

 

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

 

 

 

 

 

 えー、ただ今のお時間は12時50分でございます。あれから数十分経っているのですがね。えぇ今どのくらい進んだかと言いますとですね…

 

 

「……迷った」

 

 

 はい、迷いました!なんかね、また別の公園の近くに着いたよ!ハハッ、これはもう笑えてくるぜ!!

 ……全くさぁ、地図ちゃんと仕事してくれないかな?なんで俺、今北海道にいる事になってんの!?ルート検索とかなんも出来んやん。サマーウ○ーズの世界か、ここは?ハッキングでもされてんのか!?

 

 

「ったく、ただでさえ俺地図読めないのによ…」

 

 

 こうなりゃあれだ、現地の人に聞いてみるしかねぇ。幸い地図機能は生きてるから、ゴール地点まで案内してくれるでしょ。……しかしながら、荷物重いし多いしで肩死ぬんですけど。『左肩』が崩れ落ちそうなんですけど?

 ……っと、そんな事はどうでもいいよ。なんか手頃な人はいないかなぁ……?

 

 

「……おっ?あれは……いやなんだあれ」

 

 

 辺りを見渡してみると、公園の敷地内にて何やら警官のコスプレをした女子5人を見つけ……。

 いや待て。1人だけ人じゃないんだが?ピンクの体毛生やした熊がいるんだが?熊が二足歩行で子供たちにバルーン配ってるんだが!?

 いや分かるよ?着ぐるみってやつなんだろ?そんな事は分かってる。……でもさ、なんで女子の中に混じってんの!?ああいう着ぐるみって男の人がやるもんだろ!?おいおい、着ぐるみの中の人興奮しっぱなしじゃねぇの?大丈夫なのあれ?

 

 

「はーい、みんな大好きミッシェルだよ〜?」

 

「……あっ、女の子っぽいなあれ」

 

 

 あの着ぐるみの中絶対に女の子だね。もう声で分かったもん。声がくぐもってた感じだからあの熊が喋ってる。男って疑い誠に失礼致しました。これは切腹案件です。

 ……ってかあの熊ミッシェルっていうのか。可愛い名前してんねぇ?

 

 

「ん?なんか足んなくね?」

 

 俺、ミッシェルに気を取られてたんだけど、あの輪の中にいたオレンジ髪の子が消えてるんだが?どこいった?

 

 

「ねぇねぇ!どうしたの!?」

 

「ヴェ!?」

 

 

 なんだコイツどっから現れた!?急に目の前に現れたぞ!?……はっ!いかんいかん。こういう時こそ冷静に対処しなけば。焦って選択を誤れば大変な事態に繋がりそうだからな!うん。

 

 

「ンン!……ど、どうしたって何の事かい?」

 

 

 質問を質問で返すのはあまり良いことではないが、致し方ない。この場を切り抜けるためには必要な事だ。割り切ろう。

 

 

「君、ずっとこっちを見てたから!何か困ってるのかなー、って!」

 

「……あー」

 

 

 うん、確かに困ってる。困ってはいるんだかねぇ…何だろう、この子にその事話しても解決しなさそう。

 

 

「はぐみ!どうかしたのかしら?」

 

「あっ、こころん!聞いて聞いて!」

 

 

 むっ、いかん。何やら人が集まってきそうな予感がする……ややこしくなる前に避難しよう、そうしよう。

 

 

「んじゃ、バァイ」

 

「えっ!?」

 

 

 俺は集まり終わる前にその場を駆け早とその場を去る。

 うーん、後ろの方で声が聞こえるけど気にしない気にしない。……はぁ、荷物おっも。早く着いて寝たいよぉ。時差ボケでまだ眠たいよぉ……。

 

 

 

 

「……行っちゃった」

 

「あら、かけっこかしら!なら…」

 

「こころ、一般の方々に迷惑をかけないの」

 

 

「……あれって」

 

「どうしたんだい花音?そんな儚い顔をして」

 

「……ううん、大丈夫。気のせいだったみたい」

 

「そうか……。あぁ!儚い……」

 

 

 

 

 

 

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「……ここまで来れば流石に来ないか」

 

 

 なんとかして撒いた……かな?いやー後ろでかけっこ!なんて聞こえた時には流石に焦ったよ。俺大荷物だから追いつかれるもん。俺鍛えてはいるけど、これじゃ速く走れないから。『右腕』の事もあるし。

 ……で、だ。本当ならあそこで道案内を頼もうとしてた訳だけども、何故か逃走劇が始まりそうだったからなぁ……どうしよ。

 

 

「きゃっ!?」

 

「うおっ!?」

 

 

 これからどうしようか、と俺が考えていると突然前から誰かがぶつかってきた。

 まっさらな白い髪。綺麗に輝く蒼い瞳。高級そうな真新しい制服。見た目からして目の前の子は高校生。しかも新高1と俺は見立てた。

 なんだなんだ?新手の当たり屋か?高校生でそんな事を?そんな悪い奴だったら世も末だとか思っちゃうよ…?

 

 

「ご、ごめんなさい…!つい考え事してて……」

 

 

 自分に負い目を感じたのか、目の前の白髪少女は直ぐに立ち上がって涙目のまま俺に深くお辞儀をした。

 ……あれ?なんか周りの目が怖いような気がする。お前泣かしたんか?って位に鋭い威圧か襲ってきてる!?違う、違うんだ皆!僕は犯人じゃない!僕はキ○じゃない!!どうしてだよリュー○ゥゥ!?

 ……はっ!?いかんいかん、また自分を見失うところだった。本日何回我を忘れようとしてんだ俺。油断してると『アイツ』に意識を……いや、こんなふざけてる時に乗っ取りはしないか。

 

 

「いやいや、俺は大丈夫だけど……そっちこそ大丈夫?怪我とかしてない?」

 

「え?……あ、いやその……」

 

 

 ……?なんだこの子。しどろもどろなんかして。何?俺変な事しちゃったの?

 

 

「……っ!ごめんなさい!!」

 

「へっ?……あぁちょっと!?」

 

 

 ……なんか早々と走り去っちゃったよあの子。

 なんだろうね。何もしてない筈なのにしちゃったっていうのかな。今そんな感じだよ俺の境遇。

 

 

「……あっ、あの子に道案内させて貰ったらよかったじゃん」

 

 

 まっ、逃げちゃったから無理な話なんだけどね!……ハァ、また迷子になるのか……。

 

 

 

 

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 

 

 

 

 午後1時10分。ある街道にて、4人の少女が歩いていた。

 

 

「あーあ、折角5人集まれると思ったのになー」

 

「仕方ないよ日菜ちゃん。麻弥ちゃん急な仕事が入っちゃったんだし」

 

 

 地味目な格好をする彼女達の名前は『Pastel*palettes』。男女問わずして人気を誇るアイドルバンドである。

 努力と経験を積み重ねて成長してきたvo.丸山 彩。子役時代から名を轟かせるba.白鷺 千聖。天災…もとい天才の異名を持つgt.氷川 日菜。フィンランド出身のモデルのkey.若宮 イヴ。そして今この場にはいないが、元スタジオミュージシャンのdr.大和 麻弥。この5人で構成されたバンドだ。

 今では彼女たちは地元では知らない人はいないとまでにその名を轟かせてはいるが、始まりは散々なものであった。機材トラブルによって発覚してしまうエアーバンド。スタッフによる様々な失態。更には個人個人の仕事の多忙さによる休止の危機。

 だがしかし、そんな困難を乗り越えて彼女たちは大人気アイドルバンドリに成長したのだ。結束力も断然高いのである。

 

 

「マヤさんがいないと、やっぱり寂しいです……」

 

 

 今ここにいない麻弥の事を思うイヴは両手を胸の前で重ねてシュンとした表情を浮かべる。それに釣られて日菜と彩もハァ、とため息をついた。

 

 

「そうね……でも、今は4人で集まれたことに感謝しましょう?」

 

 

 そんな中千聖は、寂しさを覚えながらも仕方のないことだとみんなに割り切るように説得する。それでもみんなは、やはりというべきか、1人仲間がいないことに哀愁を漂わせてしまう。

 彼女だっていない事は悲しく思っている。だからといってこのまま悔いていては流石に時間の無駄になるだけだ。なので千聖はこの状況を打破するべく、脳をフル回転させて打開策を考案させていた。

 

 

「……そういえば彩ちゃん。確かさっき、行きたいところがあった…って言わなかったかしら?」

 

「え?……あっ、そうそう!」

 

 

 千聖に言われて何かを思い出したのか、彩は咄嗟にバックからスマホを取り出して何かを検索し始めた。

 実は数十分前、千聖と彩は待ち合わせ場所にて他の2人を待つ際に何気ない会話を交わしていた。そんな会話の中で千聖は彩が話したある喫茶店の話題を思い出し、打開策として話題を彩に振ったのだ。

 

 

「今日みんなで行こうと思っててね!……じゃーん、ここ!」

 

 

 検索できたのだろう、彩はスマホ画面を自慢気に皆の前に差し出した。

 

 

「えーっと…『BAR MICA』?」

 

「わーっ!何ここ!るんっ♪ってくるー!」

 

「でしょ日菜ちゃん!ここお洒落でしょ!?」

 

 

 やや興奮気味に語る彩と相変わらずのるんっ♪語を交えて話す日菜。しかしながら千聖は先程の会話とある矛盾に気付いた。

 

 

「彩ちゃん……さっき喫茶店って言ってたわよね?…なんでBARなの?」

 

「ふふーん、それはね…!」

 

 

 疑問を投げ掛ける千聖に対し、彩は待ってましたと言わんばかりにスマホをスワイプさせる。そしてまた、皆の前に見せびらかせた。

 

 

「実はこのお店、お昼は喫茶店、夜はBARを経営してるんだって!」

 

「「おおーっ!」」

 

「……な、成る程ね」

 

 

 公示された情報に日菜とイヴは心を驚かせる。それに呆気を取られてしまう千聖。無論千聖自身も驚いてはいるが、2人の勢いに負かされてしまって上手く感情を表せないでいた。

 

 がしかし、ここでまたも千聖はある事に気づいた。

 

「場所もこの近くらしいから、早速「待って彩ちゃん」へっ?」

 

 

 

「このお店、明日から開店ですって…」

 

「……えぇっ!?」

 

 

 千聖による重大なカミングアウト。それにより彩は直ぐにスマホを持ち直して記事を最後まで読み直した。

 

 

「『美しく彩る煌びやかな店内。開店は4月11日から。皆様のご来店心待ちにしております』……えぇぇぇ!!?」

 

「なーんだ、彩ちゃんの早とちりかー」

 

「明日からでしたか…それは残念です…」

 

 

 丸山 彩、ここに来てドジっ子能力を発動させたのである。千聖はいつも通りの彩ちゃんだと苦笑いして割り切るが、日菜は頬を膨らませ、イヴはまたもしょんぼりとしてしまった。

 

 

「……なら彩ちゃん、今日は羽沢さんのお店に「あ、あのー……」……!」

 

 

 行き慣れたお店に向かおうと提案する千聖であったが、突然声をかけられてしまい、動かしていた口を閉じる。

 被っていた帽子を深くかぶり直していざ振り返ると、そこには自分より少し背の高いぐらいの男の子が立っていた。

 肩にかかる程のポニーテールの黄土色の髪に、明るく輝く黄金の片目。そして何より特徴的なのは、左目にかかった黒い眼帯だ。

 

 まさかファンに気づかれたのか……と警戒する千聖に、彼は一つ彼女に向かって一言放す。

 

 

 

「突然悪いんですけど……この位置って何処か分かります…?」

 

 

 

 全く持って平凡な、道案内のお願いを。

 

 

 

 

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 

 

 

 

 

 

 

 ……どのくらい時間経ったのか。もうね、俺ね、クタクタになったよ?ホント。

 道行く人に聞いてみたけど、さっきの女の子が走って行くのを目撃した人ばっかで誰も道教えてくんないの。ふざけんなよ!?俺は清い一般人だからなぁ!?……いや、そこまで一般人やってないわ。ってそんな事どうでもいいんだよ!!

 それで途方もなく歩いてたわけなんだよ。大荷物背負ってここどこぉ……?なんて思いながら歩いてたんだよ。もうね、足痛いの。助けて欲しかったよホント。

 だからもう最後の頼みで!みたいな感じで俺より小さい女の人に道案内してみたの。したらね?めっちゃ怪訝そうな顔で見られた。はぁ、先生の体質が俺にも移ったのかなぁ?

 

 まっ、結局は教えてもらったんだけどね。なんでも同行してたピンク髪の女子が今からその場所に行こうとしてたらしいんだよね。……でかでかと記事に明日開店って書いてあるのに。もうね、悪いとは思うけどあのピンクの人絶対に馬鹿だね。道案内してくれた人の目線がこの子馬鹿なのって目線で教えてた。あれは絶対にそうだった()

 

 

「……っと!とうちゃーく」

 

 

 とまぁなんだかんだで目的地に到着!いやぁ、なんだかんだ愚痴りながら歩いてたけど、ちゃんと向かってたぽかったね。いやぁ、安心安心。

 

 

「ふぅ、疲れたー」

 

 

 肩にのしかかった荷物を一気に下げて大きく身体を伸ばしていく。

 

 

「……にしても先生、そこそこ広い物件見つけてきたなぁ」

 

 

 横幅そこそこデカいよこれ?建物も新しく改装されてて綺麗だし、3かい建てだし。うーん、いい物件。

 

 

 閑話休題(それはそれとして)

 

 

 

「……明日から働き詰めになるのかぁ」

 

 

 ちょいと愚痴っぽくなってるけど、内心ではちょっとだけワクワクしてる。……なんでって?うーんそりゃあ…

 

 ……面白くなりそうだから?……ってなんで俺疑問系なんだよ。

 

 

「さて、と……明日の準備もしなきゃな!」

 

 

 そんな可笑しな理想を胸に俺……光野 蓮司は、店の中へと通じる扉に手を掛けた––––。

 

 

 

 

 

「あれ?開かない?」

 

 

 嘘、鍵掛かってんの?えっ、もしかして鍵この荷物の中に入ってる系?……真逆、これから探すの?はぁ!?メンドクサァァァッ!!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 今回は鋼錬要素が少ない感じするけど大丈夫!
 これから増えてくから、ね?


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少女の涙

 

 

 

 

  −−−−−遠い遠い過去のお話。そこにはある少女がいました。

 

 黄色いシュシュで形作ったポニーテール。蒼い瞳を両眼に輝かせるあどけない顔。小さいながらにして他人のお話はちゃんと聞くしっかり者。

 そして何より、少女の身体は芳ばしい香りで満ちていて、瞬く間に少女には友達が出来ました。

 

 そんな少女は、ある少年に興味を示し、直ぐに話を持ちかけたのです。

 

 

 最初はただ単純に、『気が合いそうだから』という曖昧な理由。そんな理由で接触した少女は、この先、少年のことを想うようになるとは微塵も思っていませんでした。

 

 

 

 これが、少女と少年の『出会い』のお話。

 

 

 

 そして、これから語るのは

 

 

 

 少年と少女の『再会』の物語。

 

 

 

 

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 俺の朝は、少しだけ早い。

 

 

「……ぁ?…んぁ〜…」

 

 

 横の棚に置かれた煩いデジタル時計を、俺は手探りで探す。だが未だに目蓋は上がり切っていない、その上身体はうつ伏せの状態なので、腕はふかふかのベットを叩くだけに終わっていた。

 

 

「ん、んん〜……」

 

 

 それでも煩い音は耳を突いてくる為、なんとしても止めねばならない。

 なので俺は耳を頼りにし、腕を伸ばしたまま、身体ごとその音源まで近づくことにする。それでも俺の右手には時計を収める事は出来ていない。

 

 

「んんー……煩っせぇ…」

 

 

 鳴り響く高音が流石に鬱陶しくなってきたので、俺は一気に身体を動かして、時計と腕の距離を縮める。

 

 

「……っとぉ…」

 

 

 やっとの思いで伸ばした腕は、見事に目標物に到着。その際にボタンを押したので、高音響かせる煩い音はピタリと止んだ。元凶を滅する事に安堵する俺。

 

 

 だが、ここで安心してはいけなかった。

 

 

「ぉぉ……ぉん?」

 

 

 何故ならこの時、

 

 俺は半身がベットからはみ出ていた事から。

 

 そして、

 

 

「……ぁ」

 

 

 身体が、宙に浮いていた事に気付かなかったから。

 

 

「あでっ!?」

 

 

 それに気付いた時には時既に遅く、俺はドテンッと音を鳴らし、布団を巻き込みながら床と衝突していた。

 

 

「いっつぅ〜…くっそぉ、三日連続でコレかよ…」

 

 

 痛む頭を摩りながら、掴んでいた時計を一旦床に置く。

 頭から行ったよ、クソォ。あの〜…あれだ、上からタライ降ってきた時ぐらい痛い。……まぁ喰らった事無いからどんくらい痛いのか知らんけど。

 

 

「……っと、俺寝坊してないよな?」

 

 

 ハッとして、俺は床に置いた時計を再度手に取り、針が差す時刻を確認する。

 

 ただいまの時刻、午前6時30分。どうやら寝坊はしていないらしい。

 

 

「……ん〜〜〜っと…よし」

 

 

 俺は一度立ち上がって、怠け切った身体を伸ばしてから呼吸を整えた。

 

 

「今日も一日、頑張りまっかぁ」

 

 

 気合の言葉を自分自身に唱え掛けてから、時計を元の場所に戻す。そしてその横にある縫い目の目立つ黒い眼帯を左眼を隠すようにして結ぶ。

 

 

「さーてと、着替え着替え…」

 

 

 頭を打った衝撃で少し機嫌を損ねつつも、俺はクローゼットの中を漁り出す。

 

 窓から差し込む日差しを背に、俺の4日目の朝が始まりを迎えた。

 

 

 

 

 

♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢

 

 

 

 

 

 

 この建物は、一般的な店にしては広い。

 

 横に広く、それでいて三階建て。各階層の高さもそこそこあって、高身長の男性を迎え入れても余裕があるくらいだ。

 

 一階の店内は昼間に喫茶店、夕方から夜にかけてはバーとして営業する階層だ。カウンター席を10名、テーブル席を5人5セット……つまり25人、合計35人のお客を収容できる程の広さを持っている。しかも、配置を変えさえすれば更に人数を増やす事もできるので、多分だが40人程度は入るだろう。

 

 では次に。二階、三階の階層は俺と先生の居住区となっている。本当なら居住区は二階だけにして三階は空き部屋にしようとしていたが、先生が『男と同じ部屋で過ごしたくない』という謎のポリシーで、三階が俺、二階が先生の居住区になった。……あっちでの生活は同じ部屋のはずだったんだけどなぁ?

 

 それでいて部屋の構造だが……1人で住むにしては余るぐらいに広い。4人家族が居ても余裕のあるリビングに、色々と器具の揃ったキッチン、シャワーとトイレの設備されたバスルーム……生活に必要な部屋は完璧に揃っている。

 もうそれぐらい揃っているのなら自室以外要らないだろうと思う人がいるだろうとは思うが……実はここ、区分けされて部屋が3つある。それも、そこそこ広い部屋が。

 3部屋の内1部屋を自室に使っているが、残り2部屋は空き部屋と成り果てているので少し困り物だ。いかんせん使い道が分からんもん、どうする事も出来ねぇ……。

 

 

 大は小を兼ねる…なんて言うけど、広すぎるのも難点だよね。

 

 

 

 

 閑話休題(長いわ馬鹿野郎)

 

 

 

 

 そんな広々とした部屋ではあるが、朝食は先生と一緒に一階の店内で食事をしている。本当ならそれぞれの階で食べればいいんだけど、あっちの国の名残もあってか、朝ぐらいは開店前に一緒に食べる事になった。早起きはこういった理由からね?

 

 

「……あっ、先生」

 

「おぉ、きたか蓮司」

 

 

 裏口の扉から厨房に入ると、そこには優雅に椅子に座り込んで新聞を広げていた。

 …あっ、今日は先生が朝食準備か。忘れてた、てっきり俺が当番かと思ってたよ…。でもまぁ、早起きは三文の徳って言うから別にいいんだけどさ…

 

 

 

 ……あれ?

 

 

「なぁ先生?今日は先生が朝食準備するんだよな?」

 

「あぁ、そうだが?」

 

 

 そうだよね?いつも俺より遅く起きる人がいるって事はそうなんだよ。……なのに?

 

 

 

「……肝心の朝食は?」

 

 

 俺の視線の先には、何も置かれていない、真っ平らなテーブルがある。朝食の準備をしたのなら、ここに俺らの習慣となった焼きたてのアレがある筈なんだけど……。

 

 

「いや、準備していないが」

 

「……はぁ!?」

 

 

 さも当然かのようにさらっと問題発見を放った先生に、俺は驚きと怒り両方の感情を隠せない。

 だって可笑しいよなぁ?昨日までちゃんと並べられてたアレが今日の朝には無いんだもん、これは罰するべきだよなぁ!?刑罰下すべきだよなぁ!?

 

 

「先生よぉ…遺言残してとったとくたばれ」

 

「…おいおい、何を言っているんだ?」

 

 

 は?この人ふざけてる?真逆この人、この後に及んでふざけてらっしゃる!?

 

 

 あの、黄金色に焼き上がった見た目!

 カリッとした中に仄かなふんわりとした食感!

 3分間しっかりとオーブンの中で溶けたバターの甘味!

 更にその上にジャムを掛ければ美味しさが倍に!まさに変幻自在の食べ物!!その名も!

 

 

 トースト!!そんなお手頃な食べ物を、何故用意出来ていないんだこの人は!!?

 

 

「何って!?そりゃあアンタが朝食を用意出来ていない事に怒りを露わにしてるだけですがぁ!?」

 

 

 下らない理由だったら右ストレート!それ以外でも右ストレートォ!!つまりは、俺の心は許せねえと叫んでいるんだよぉ!!

 さぁ、そのお達者な口から!下らん言い訳を吐いてもら––––

 

 

「待て待て待て!だから何故怒っているんだ!?」

 

「ハァン!?だからそれはアンタが用意を––––」

 

 

 

 

「いや、昨日の朝に『丁度パンが無くなったから明日買いに行ってくる』なんてお前が言ったから、私はこうして待っていたんだろう!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………あれ?

 

 

 

 

 

 

 

♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢

 

 

 

 

 

 

 

 気が付くと、彼女は真っ白な空間で1人立っていた。

 

 

「……あ、あれ?」

 

 

 前後左右、何処を見ても、その先にあるのは白だけ。本当に何もない、果てしない虚無が続く世界だ。

 そんな何も無い世界で、1人だけで佇む彼女はここがどんな場所なのか悩みはしたが、すぐに理解する。

 

 

 

「……これって…夢…?」

 

 

 理解はしたものの、まだ半信半疑な彼女。だが、この何も無い、現実味の帯びてない世界を結論づけるならそう答えるしかなかった。

 

 

「……変な夢」

 

 

 立ち尽くしているのもなんなので、彼女は一直線に歩く事にする。

 

 後ろで腕を組んで自分のペースで歩みつつ、周囲の風景を観察するも、以前として変わった所はない。ただただ、澄み切った白の世界が続くだけだった。

 

 

「本当に何も……ん?」

 

 

 かわり映えのしない風景に飽き飽きとしてきた所で、彼女はある一点に気が付き歩む足を止める。

 自分の進む道とは別の方向。その先で、『白い何か』がその場に座り込んでいた。更に見れば、その『何か』を中心に波紋が伝わっている。

 さっきまでそこには何もなかった筈……と少し疑問を浮かべるが、それと同時に興味も湧いてきた。なので彼女は、進行方向をそちらに変えて再度歩き出すことに。

 

 

『……ひっく…ひっく…』

 

「……泣いてるの?」

 

 

 いざその場に到着すると、『白い何か』はなんとその場に座り込んで泣いていたのだ。それも、たった1人で。

 何故泣いているのか分からない彼女は『何か』に声を掛ける。だが聞こえていないのだろうか、あいも変わらず『何か』は泣き続けていた。

 仕方がないので、彼女は『何か』を慰めようと近づこうとしたが……

 

 

「……あ、あれ?何これ…」

 

 

 見えない壁だろうか、そんな壁が彼女の道を阻んでいた。まるで、その『何か』に近づくなと警告するように。

 これでは何も出来ない…と半ば諦めかけていた、その時、

 

 

 

 

 ピシャリ、ピシャリ…と壁の奥で誰かが歩く音が響いた。

 

 

「……え?」

 

 

 自然と下がっていた視線を戻すと、そこには今さっきまで居なかった筈の誰かが、『白い何か』の頭を摩って慰めていた。摩ってもらった『何か』はもう泣き止んでいて、その顔に満面の笑みを浮かべている。

 

 泣き止んでくれた事に安堵するかに見えた彼女。だが、彼女の心は安らぎどころか、不安の種が増えただけに過ぎなかった。

 

 

「あれって…!」

 

 

 摩る誰かに彼女の視線は釘付けになっていた。

 

 その誰かは、ちゃんとした形を保っている。

 橙色に輝く髪色。黄金の色を宿す両眼。顔立ちも体格も、全てが思い浮かべる人物に当て嵌まっていた。

 

 母を助けて弟を助けてくれた。同い年にして尊敬する人物。

 

 

 そして、自分が恋に落ちた初恋の友達。

 

 

 

 

 

 

『悲しいよねぇ』

 

 

 不意に、後ろから声が響いた。

 

 

『会いたかった人が直ぐそこにいるのに』

 

 

 とても聞き慣れた声。毎日毎日、自分の耳に響く声。

 

 

『その手で、触る事も出来ないもん』

 

 

 声の主を確認する為に彼女は振り返る。そこには、さっきまで泣きじゃくっていた『白い何か』––––

 

 

 

 ––––いや、違う。こいつは『白い何か』なんて者ではない。

 

 

「……君は…」

 

 

 そこまで言って、彼女は口を濁らせてしまう。

 目の前の人物を私は知っていると確信しても、何故だかそれを言い出せない。

 

 

 何故だかそれを、言い出したくなかった。

 

 

 

『私?……もう、そんなの自分でも分かってるでしょ?』

 

 

 目の前の人物は後ろで腕を組みながら彼女へと歩み寄る。

 

 

 

『……わたしは”世界”と呼ぶ存在でもない

”宇宙”でもなければ ”神”でもないし、”心理”なんて呼ばれてない

”全”でも、ましてや”一”でもない』

 

 

 その人物は彼女の目の前まで迫ると、彼女の右手をそっと、両手で包み込む。

 

 

 

『だけど、これだけは言える。

 

 

 

 私は”キミ”だよ、山吹 沙綾ちゃん』

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぁ」

 

 

 閉じ切った目蓋を開けて、私は目を覚ます。

 

 ピピピッ、と起床時間を伝える携帯端末。視線の先には見慣れた天井があって、横に視線を向ければ窓から太陽の日差しが差し込んでる。

 ゆったりと身体を起こして、近くに置いてあった携帯を取って少しうるさいアラームを止める。重い目蓋を擦って端末の画面を見ると時計が表示されていて、時刻は……

 

 

「……嘘、寝坊しちゃった…」

 

 

 予定よりも遅い、7時10分を指していた。

 この時間に起きると、お店のお手伝いに間に合わなくなっちゃう。お母さんにはお手伝いは頼まれてないけど、朝の時間ぐらいはお店の為に何かしてあげたいから。放課後はみんなと一緒にいて出来ないし。

 でも寝坊したからと言って、今日はお手伝い無し…なんてしたくない。だから私はベットから出て、急いで朝の支度を始めた。

 

 

 

 

 

 

〜〜数分後〜〜

 

 

 

 

 

 

 

「やばいやばい…!急がないと…!」

 

 

 制服に身を包んだ私はバックを持って駆け早に階段を降りる。

 もうっ!なんで私、昨日の内に準備済ませてなかったのかなぁ!?そのせいで大分遅れちゃったよ!!

 

 

「あっ、ごめんお母さん!遅れちゃって…」

 

「あら沙綾、今日は遅かったわね〜」

 

「本当にごめんね!すぐ手伝うから!!」

 

 

 お母さんに挨拶をして、壁に掛けてあったエプロンを手に取る。

 

 

「別に今日ぐらい大丈夫よ?まだお客さん1人しか来てないし」

 

 

 エプロンに袖を通して、後ろ側の紐を慣れた手付きで結ぶ。

 この時間に来るお客さんか……多分モカかな?…うーん、でもモカってこの時間には来ないかな?モカじゃなかったら近所のお婆ちゃんかな?

 

 

「ああやばいやばいぃ!間に合わなくなるぅぅ…!」

 

「はいごめんなさいね、お会計は…」

 

 

 でも、私が予想していた人の声は聞こえてこなかった。その代わりに2人の男性の声だけが聞こえる。

 1人は、会計をしてくれてるお父さん。そしてもう1人は……うーん、聞いたこと無いなぁ。こんな早朝に来る人だから、てっきりご近所の方々かなって思ったんだけど……。

 

 

「……げぇ!もう時間ない!?す、すみません!お釣り要らないんでこれで!!」

 

「えっ!?ちょっ!?」

 

 

 ……あれ、もう帰っちゃうのかな?なんだか焦ってるみたいだったけど。少し気になったから、店の奥からひょっこりと顔だけ覗かせて見ることに……

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 その時、時間の流れが遅くなるのを感じた。

 

 袋を手に持って颯爽と走ろうとする後ろ姿。橙色に輝く頭髪。自分より少し小さめな背格好。

 たったそれだけ。たったそれだけなのに、何故か目の前の人物を懐かしく感じてしまう。あんな格好、見たこと無いのに。見た事無い……の…に……

 

 

「…!!」

 

 

 一瞬、別の後ろ姿が重なったように見えた。雰囲気が似ていて、背格好も変わらない人物。

 

 そして何より

 

 私自身が、今会いたくて仕方ない人物。

 

 

「……あ…」

 

 

 気がつくと、いつの間にか自分の手が彼を追うように差し伸ばしていた。けれどもう一足遅くて、彼は扉を開けて外の世界に飛び出ていた。

 

 

 

「全く、お釣り要らないって言われてもなぁ…1万円の札渡すか?普通……って沙綾、起きた…の…か……?」

 

 

 –––嘘、なんで?

 

 

「おい沙綾?」

 

 

 –––なんでキミがここにいるの?

 

 

「沙綾?おーい沙綾」

 

 

 –––あの時いなくなっちゃったキミが、なんで?

 

 

「沙綾!沙綾!!」

 

 

 –––戻ってきてくれた?だったらなんで私に…いや、でも……それって…

 

 

沙綾!?

 

「…ぇ?」

 

 

 ……いつの間にか、自分の世界に入り込んでしまった。…お父さんが声かけてくれなかったらどうなってたか…

 

 

 

 

「さ、沙綾?お前、なんで泣いてるんだ?」

 

「……な、泣いてる?」

 

 

 人差し指で目元を擦ってみる。

 

 

「……え?」

 

 

 その指には、何故か一滴の滴が乗っていた。

 

 

 

 7時25分。店内では、扉につけられた鈴の音だけが鳴り響く。

 

 

 

 

 

 

 

 








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崩れ落ちる麦の音《前》

 

 

 

 

 

 –––春の陽気を感じるある日の事。清流流れる河原の側に、2人の少年少女が居ました。

 少年は土手の斜面に寝そべりながら、春の陽気を一身に浴びて寝息を立てています。その顔は、とても気持ちよさそうにしていて。

 

 

「……ふふっ」

 

 

 そんな少年の顔を、少女は微笑みながら見つめていました。

 

 河原には、珍しくも2人以外の影は無く、音は川のせせらぎしか聞こえません。そんな河原は、まるで2人だけの世界を実現しているようでした。

 

 

 そんな世界に、一風のそよ風が吹きました。風は桜の木を撫でて、そのまま一枚の花びらを掠め取ります。

 花びらは風に身を任せるようにして宙を漂い、最後にはある一点に止まりました。その一点は……奇しくも少年の鼻の天辺。

 

 

「……お寝坊さんだなぁ」

 

 

 それでも尚起きる事はない少年に、多少呆れながらもいつものことだと割り切る少女。

 不意に鼻についた花びらが揺れたので、また何処かに行かない内に少女は花びらを摘みます。そして、鮮やかに色付いた花びらを指先で裏返しながら、少女は一言呟きました。

 

 

「……ほんっと、綺麗だなぁ」

 

 

 2人しかいない世界。そんな世界を、春の日差しは暖かな温もりで包んでいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

 

 

 

 

 

 正午12時45分。私達『Poppin'party』5人は、いつも通り、中庭で昼食を取っていた。

 

 ––––とても懐かしい思い出。確かあの時はお店が休みになったから彼と遊んだんだっけ。……でも結局、ちょっとしか遊ばなくてその後の時間はお昼寝したんだっけ。

 

 

 ……楽しかった。

 

 

「–––や?」

 

 

 

 ……もっと、遊びたかった。

 

 

 

「さ––や?」

 

 

 

 

 なのに、なんで……?

 

 

 

さーや!?

 

「うぁあ!?」

 

 

 いつの間にか、香澄が目の前まで迫ってた…。び、びっくりしたぁ…。

 

 

「か、香澄、脅かさないでよ…」

 

「えー?だって何回呼んでも、さーや反応してくれないんだもん」

 

「えっ…そうなの?」

 

 

 リスみたいにぷくりと頰を膨らませた香澄は、首を縦に振った。

 全然気付かなかった……てことは、それぐらいになるまで私、考えこんでたって事?

 

 

「大丈夫か沙綾?今日ずっと浮かない顔してるけど」

 

「さ、沙綾ちゃん!困りごとなら相談に乗るよ?」

 

「沙綾、これあげる」

 

 

 有咲、りみ、おたえ…みんなが私の様子を見て心配そうな顔をしている。おたえに至っては大好物のハンバーグを渡すぐらい。

 ……心配、かけちゃった。

 

 

「べ、別に大丈夫だよ?今日ちょっと寝坊しちゃってさ?夜更かしはいけないなぁって…」

 

 

 苦し紛れの言い訳。でも、これは本当の事。嘘じゃない。だから……

 

 

「さーや」

 

 

 心配しないで、と心の中で言いつけるよりも早く、香澄が私の名前を呼んだ。

 こっちを覗き込んで、下唇を噛んでいる。こんな顔をする香澄は、心の底から心配してる……っていうサインだ。

 ……はぁ。私、何やってるんだろ?みんなこうして心配してくれてるのに、そんな皆を騙してるみたい。…私って、本当に馬鹿だね。

 

 

「……えっと、その…」

 

「さっきの嘘?」

 

「……うん」

 

 

 私の受け答えに、またも頰を膨らます香澄。……なんて思っていたら。

 

 

「さーやの嘘つきー!えーい!」

 

「えっ!?ちょっ、香澄…うわぁっ!?」

 

 

 急に私の胸元にダイブして押し倒してきた。

 倒された衝撃で閉じた目蓋を開けてみると、何故か私のお腹の上で座ってやらしい手つきで迫る香澄の姿が。

 ……あれ?なんだか嫌な予感…。

 

 

「か、香澄?何をしようとして……」

 

「てぇーい!」

 

「!?」

 

 

 瞬間、香澄が私の脇腹を両手で思い切り擽ってきた!

 ま、まって…!脇、脇弱いの私ぃ!だ、駄目…耐えられないぃぃ…!

 

 

「こちょこちょー!」

 

「あはっ、あはは!!ちょっ、香澄待って…!」

 

「こら香澄。沙綾がもう死にかけてるからやめとけ」

 

 

 私が笑いを堪え切れずにいると、有咲が香澄の首根っこを掴んで引っ剥がしてくれた。

 た、助かったぁ…。

 

 

「ったく……でも沙綾」

 

「?なに、有咲?」

 

 

 有咲に名前を呼ばれたので、私は一度乱れた呼吸を正して彼女の方に向き合う。

 

 

「ホンットに困ってるんなら、私達に相談しろよ?……その、仲間なんだから…

 

「…有咲……」

 

 

 少し恥ずかしがりながらも私の事を気遣う有咲。それを機に、他の2人がこっちに身を乗り出した。

 

 

「沙綾ちゃん!」

 

「沙綾」

 

「……みんな」

 

 

 みんなの顔は真剣な眼差しで、それでいて心配する目。そんな表情に私は心を打たれてしまう。

 ……うん、決めた。みんなに話そう。やっぱり1人で考え込むのは駄目だよね……よし!

 

 

「実は……みんなに相談したい事があって」

 

 

 みんなに知ってもらおう。

 蓮司を…私の幼馴染のことを!

 

 

 

 

 

 

 

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

 

 

 

 

 

 

 

 

「……こんな感じなんだ」

 

 

 数分ぐらいの短的な説明。そんな話を、みんなは黙って聴いてくれた。

 彼との出会い、お店のお手伝い、そしてお母さんと妹と弟を助けてくれた事……どれも大切な思い出。だけどその思い出は、今まで誰にも話すことがなかった。だからかな…?凄く新鮮な気分。

 

 

「うーん、蓮司くん……どこかで聞いたことあるような…?」

 

「えっ香澄、蓮司のこと知ってるの!?」

 

 

 香澄が蓮司の名前を聞いたことあるなんて……!?もしかして、香澄も蓮司と会ったことあるのかな?……その時に、香澄も助けてもらったり…。

 

 

「うーん……どこだったっけー…?」

 

「どーせ違う人だろ?香澄って、ちょっと信用ならないからなぁ…」

 

「えーっ!?そんな事ないよ有咲ー!!」

 

「わっ!?ちょっ、抱きつくなーー!!」

 

 

 ……やっぱり、そんなことなさそうだなぁ。有咲の言う通り、香澄ってちょっとドジな所あるし。

 

 

「沙綾ちゃん、その…蓮司くんの容姿ってどうなの?」

 

「容姿?うーん…」

 

 

 香澄に対して心の内で苦笑いを浮かべていると、隣からりみがどんな容姿なのかを質問をしてきた。

 えーっと……今日の朝に見かけた姿は…。

 

 

「……髪の毛が橙色の短髪、背格好は…多分有咲ぐらいかな?」

 

「小さいんだね、蓮司くんって」

 

「おいおたえ、それ間接的に私を侮辱してねぇか?」

 

 

 有咲、多分おたえはそんな事考えてないと思うよ。……でも、男子にしてはホントに小さかったなぁ。

 

 

「他には何かあるの、沙綾ちゃん?」

 

「他に?えー…?」

 

 

 他にって言われても、あの時は一瞬過ぎてパッと見でしか分からなかったからなぁ。他に他に……えーっと……

 

 

 あ、そうだ!

 

 

「…眼帯!」

 

「え?眼帯?」

 

 

 そうそう!確かお父さんがあの後に、『可笑しな子だったなー、眼帯なんて付けて』って言ってた!……その時わたしが涙が出てたことに気を取られてて、あまり聞き取れなかったから忘れてたよ…。

 

 

「眼帯ってあまりいないよね…」

 

「眼帯……もしかして、伊達政宗!?」

 

「おたえちゃん、それは違うと思うよ…?」

 

 

 だけどみんなの反応はイマイチ。でも、この辺りで眼帯なんて目立つ物付けてたら、ちょっとは噂になると思うけど…もしかしてこの辺りには住んでないのかな?

 

 

「眼帯って……確か」

 

「…有咲?」

 

 

 でもそんなイマイチな反応の中で、有咲だけは携帯で何かを調べていた。

 もしかして有咲、何か知ってるのかな?

 

 

「なぁ、もしかしてこのお店のことじゃねぇか?」

 

『お店?』

 

 

 有咲が疑問を投げかけるとともに、検索結果の載った携帯ページをみんなに提示する。そこにはあるお店の名前が載っていた。

 

 

「《MICA》……?」

 

「そ。最近この辺りで開いた店でな?お昼に喫茶店、夜にバーをやってるんだと」

 

「一つのお店で昼と夜、違う事するんだー!」

 

「凄いお洒落」

 

「でも、バーってなんだか怖そう…」

 

 

 確かにお洒落で凄そうなお店。ホームページの写真も広々として快適そう。……でも、眼帯とどう関係してるの?

 

 

「それで、眼帯とどんな関係があるの?」

 

「あぁそうだった。えっとちょっと待ってろよ…?」

 

 

 一旦画面を戻して下にドンドンスワイプしていく有咲。それで見つけたのか、また私達の方に画面を見せてくれた。

 

 

 コホン、と一つ咳払い。

 

「……店内がお洒落ってのも特徴の一つなんだけど、他にもあってな?それが店員達がそれぞれ個性的……なのも特徴らしい」

 

 

「個性的な…?」

 

「特徴……?」

 

 

「それでな?この写真見てみれば分かるんだけど……うっ!」

 

「……えっ、有咲どうしたの?」

 

 

 何だか急に有咲の顔が渋った表情になったけど…?何か変な写真でもあったのかな?

 

 

「いや、ちょっと私には無理な写真が……」

 

「えっ!?どんな写真なの有咲!!」

 

「これ……」

 

 

 そう言って見せてきたのは、男の人の写真だった。

 とても顔の整っていて、かなりの男前な気がするけど……なんでそんなに嫌悪感を抱いているんだろう、有咲は……?

 

 

「わっ!カッコいい!!」

 

「男前だね」

 

「うん、おたえちゃんの言う通り凄く男前だけど…?」

 

「はぁ!?お前ら、何言ってんだ!?」

 

 

 どうやらみんな、同じ意見だったみたい。でもだとしたら、有咲はなんでこんなにこの人の事嫌ってるのかな?

 

 

「えぇ、ホントにお前ら何も感じないのか?」

 

『うん』

 

「満場一致かよ…」

 

 

 えっ?なんで逆に有咲はゲンナリするの?

 

 

「まぁいいや……取り敢えず、コイツの紹介文読んでみてくれ」

 

 

 …ちょっと疑問は残るけれど、有咲の促す通りに私を含めた4人は写真の下の文に目を向ける。そこにはこう書かれていた。

 

 

「……[どうも、《MICA》の店長の『ミカ』です。突然ですが、写真を見てゲンナリした女性の方々。そんな貴女方はしっかり者ですのでどうか安心して下さい。]……ん?」

 

 

 あれ?なんか遠回しに私、常識人じゃないって否定されてる……?ってそんな事は取り敢えず隅っこに運んでおいて。

 

 

「[当店では昼に喫茶店、夜にバーを営んでおります。特に昼の部では、我らの従業員特製の《アップルパイ》が自慢となっております。偶に接客として働く事もあります。()()()()()ですので、見かけたら是非お話かけ下さい]……って、眼帯!?」

 

 

 えっと、つまりこれって……!

 

 

「蓮司…お店で働いてるって事……!?」

 

 

 

 

 

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 

 

 

 

 

 

 時間が少し経って、午後4時頃。

 私は蓮司が働いているとされる喫茶店《MICA》に向かっていた。

 

 

「香澄ちゃんと有咲ちゃん、一緒に来れれば良かったのにね…」

 

「まぁでも仕方ないよ、あの2人は」

 

 

 本当ならポピパ全員で行きたかったんだけど、有咲が生徒会の仕事が入っちゃって、香澄も授業の居残りで来れなくなっちゃったから。……まぁでも、香澄のアレは仕方ないよ。宿題の提出、忘れてたからね?

 だから今日は私とりみとおたえの3人で行く事になった。

 

 

「蓮司、覚えてるかな…私の事」

 

「えっと、急にいなくなっちゃったんでしょ?蓮司くん」

 

「うん……」

 

 

 ホント、なんで急にいなくなっちゃったんだろう……。

 ちょっと前…私が小6の時、蓮司は急に姿を消した。なんの前触れもなく急に。それに、その時ぐらいからお店の手伝いも来てくれなくなってたし……。

 

 

「沙綾ちゃん元気出して!!きっと覚えてる筈だよ!!」

 

「りみ…」

 

「大丈夫だよ沙綾。私達がついてる」

 

「おたえ…」

 

 

 ……私って、心配され過ぎだなぁ。でも、どれもこれも急にいなくなった蓮司のせいだよ!!会ったらたっぷり怒らなきゃ!

 

 

「……あっ、ここだよ沙綾ちゃん」

 

「……ここ、か」

 

「わぁ、写真で見た時より大きく見える〜」

 

 

 そうこうしている内に目的地についた様子。

 うん、おたえが言ってるようにこのお店凄く大きいや。三階建てになってるのかな?写真によれば内装も広いらしいけど……。

 

 

 

 

 

「……じゃあ、入ろっか」

 

 

 私はお店の扉に手をつける。

 

 ……やっと。やっと会える。ずっといなかった彼に。

 心臓の鼓動が早くなる。……何だか緊張してきた。ライブでも感じた事ないような焦りを感じる。

 

 

「ふぅ…すぅ…」

 

 

 ゆっくりと息を整える。……よし、気持ちも落ち着いてきた。

 気持ちが落ち着いてきた所で、いよいよ私は、店内に通じる扉を開いたーーーー!

 

 

 

 カランカラン、と鈴の音が鳴り響く。

 

 

 

 

いらっしゃいませー!

 

「うわっ!?」

 

 

 いざ入店してみると、すぐに男の人が此方に駆けつけてきた。

 

 ガッシリとした体型に、体長2mに及ぶか及ばないか程の身長。スキンヘッドにちょろんと垂れた前髪と、毛先がカールした口髭。

 

 ……何だろう、突っ込みどころが多すぎてちょっと困ってるよ私。

 

 

「むむっ!お嬢さん方3名ですな!ミカ殿、3名様です!!」

 

「おやおや、これは可愛らしいお嬢さん方だ。どうぞこちらへ」

 

「えっ!?ちょっ、まっ……」

 

 

 少し慌てながら、私達は大柄の男性と食器を拭く男性に促されてカウンター席に着いてしまう。

 目の前の食器を拭く人……この人って確かホームページに載ってた店長の《ミカ》さんだよね?……でも隣の男の人はそのページに載ってなかったけど……誰?

 

 

「すみませーん、注文いいですかー?」

 

「はいただいま!……ミカ殿、お嬢さん方をお任せいたしますぞ!」

 

「おいおい、私を何だと思っているんだ?…ほら、お客様を待たせては悪い。さっさと行きたまえ」

 

 

 「では…」と律儀に会釈をした大柄の男性。そしてすぐ様、注文のあったテーブルに足早に向かっていった。

 

 

「……それじゃあ、まずは自己紹介から。私は店主を務めている、名前は《ミカ》だ。憶えやすいだろう?」

 

 

 濡れた両手を拭いた後にミカさんは、私達にお手拭きとメニュー表を渡してくれた。

 初対面の私達に自己紹介をするなんて律儀な人。このお店の決まりみたいなものなのかな?

 

 

「なら店長さん。あっちの店員さんは?」

 

 

 大柄な人に顔を向けながらおたえが質問をした。

 それは私も思った。お昼に見たページには、ミカさんの紹介文しかなかったから、他の人達がどんな人かは分からないもん。

 

 

「ん?……あぁ、アイツは店員ではないよ」

 

「「「…えっ!?」」」

 

 

 ミカさんの発言に私達は一斉に声を上げてしまう。そのせいで、他のお客さんの目が此方に向いてしまった……大柄な男性も含めて。

 アハハ…ちょっと声大きすぎたかも。

 

 

「おっとっと……すみません皆様。特に問題はありませんのでお構いなく」

 

 

 だけどミカさんがその場を収めてくれたので、お客さん達の視線が元に戻った。大柄な男性も何か納得したようで、ニコッと笑ってお客さんの接待を続けた。

 

 

「す、すみません……」

 

「いやいや、此方こそ驚かせてしまってすまなかったね」

 

 

 申し訳なく思って、私は小さく頭を下げる。けれどミカさんはなんとも思っていないようで、笑って許してくれた。

 見た目も言動も優しい雰囲気を醸し出していて、良い人だなぁ。……ふと思ったんだけど、なんでお昼の時の有咲はミカさんの写真見てあんな不機嫌そうな顔したんだろ?益々分からない。

 

 

「それで話の続きだが……アイツは他の店で働いていてね、今日は手伝い人として来ているんだ」

 

「へぇ、お手伝いさんなんだ…」

 

 

 私がなる程と納得すると、「ほんと、お節介な奴だよ」とミカさんが苦笑いを浮かべながら付け足す。……満更でも無さそうだけど。

 

 

「…ミカ殿」

 

 

 今の会話を聞いてたのか、大柄な男性は、私の横で伝票を片手に立っていた。その表情は少し迷惑そうに困っている。

 

 

「本当はそちらから尋ねてきたのでしょうに。お嬢さん方に嘘の情報を流さないで下さい」

 

「ハハハ、これは失敬!」

 

 

 伝票を渡す男性の不満を、ミカさんは声を上げて笑い飛ばす。ハァと小さく溜息を吐く男性だったけど、その際に私達3人と男性の目が奇遇にも目が合う。

 私達はそのまま唖然として見てたけど、男性の方は逆にニコッと笑って、ポケットから何やら名札のような物を取り出した。

 

 

「自己紹介が遅れましたな。吾輩は『アルベルト・ゼクス・アームストロング』と申します」

 

「な、長い……!」

 

 

 え、えっとアルベルト・ゼクス……ええっと分からなくなっちゃった…!?

 

 

「ハッハッハ、あまり無理に覚えなくても大丈夫ですぞ。気さくにアームストロングと呼んで下さい」

 

「あぁっと、すみませんその…アームストロングさん」

 

 

 ミカさんに続いてアームストロングさんも笑って和ませてくれた。

 このお店の人って優しい人ばかりだなぁ…まだ2人しか会ってないけど。……そういえば、アームストロングさんって別のお店で働いてるって言ってたけど、どんなお店何だろう?

 そんな疑問を抱いた私だったけど、りみもそう思っていたようで先にアームストロングさんに質問していた。

 

 

「あの、アームストロングさんって別のお店で働いてるって聞いたんですけど……」

 

「おぉ、その話もされておりましたか!……実は吾輩、こう見えて魚屋を営んであるのです!」

 

「「「さ、魚屋!?」」」

 

 

 衝撃の事実!そんな驚きに私達はまた驚嘆の声を上げてしまった。再度、周囲の目線が此方に向いてしまう。

 ……またやっちゃった。

 

 

「うおおっとっと!皆様ご心配なさらないで大丈夫ですよ!」

 

 

 ミカさんの次はアームストロングさんがこの場を収めてくれた。少し緊迫していたのか、アームストロングさんの額には少々汗が滲んでいる。

 

 

「……すみませぬな、驚かせてしまい…」

 

「いやその、私達もごめんなさい……」

 

 

 ……お互い申し訳ない雰囲気になってしまった。

 どうしよう、この状況のままだと気まずいよ…。

 

 

「……確か、アルベルトの長女殿が北国に住んでいるそうだな?」

 

「…お、おぉそうですそうです!」

 

 

 だけどここでミカさんから助け舟が出された!

 ……まだ会って数分だよね?何だかこんな状況に手慣れてるような気がするなぁ、ミカさん…。

 

 

「北国……凄く寒そう…!」

 

「ハハハ、寒いでは済みませんよ?なんせ極寒の海で漁業を営んでいるのですからね」

 

 

 さりげないおたえの発言に、アームストロングさんが注釈を付け足す。

 極寒の海……うぅ、想像しただけで寒気がする。

 

 

「……って事は、アームストロングさんのお魚ってお姉さんが仕入れた物?」

 

「えぇ、それは勿論!それに、姉の仕入れる魚類達は皆、過酷なる海を渡り歩いたモノ。味は中々のものですぞ!」

 

 

 フフンと誇らしげに語りながら、何故かマッスルポーズを決めるアームストロングさん。盛り上がる大胸筋はまるで険しい山のようだ。

 ……って、なんで私頭の中で解説始めてるの!?

 

 

「っと、長く語りすぎて注文を聞くのを忘れていた。お嬢さん方、メニューはお決まりかな?」

 

「……え?…あ!」

 

 

 危ない危ない…ミカさん達の勢いに乗って長話になってたから、本来の目的を忘れる所だった…!

 

 

「あの、実は私達人を探していて……」

 

「……人を?」

 

「はい……それでその人の特徴が…」

 

 

 

 

 

 眼帯を付けている…と、言う直前。

 

 店内にカランカラン、と鈴の音が鳴り響いた。

 

 

 

「先生、今帰ったで〜」

 

「……全く、お前と言うやつはなぁ……?」

 

 

 

 赤く色づいた夕焼けの光と共に、1人の人影が入り込む。

 とても小柄で、私より小さい男子だった。

 

 

「裏口から入って来いといっただろうが!?」

 

「えー?別に良いでしょうに」

 

 

 

 夕焼けに照らされてもなお色褪せない、橙色の髪色。店内の照明の明かりを呑み込んだかのように輝く黄金色の片目。

 

 そして何より、もう片方を包み隠す黒い『眼帯』。そんな彼に、私の目が釘付けになっていた。

 

 

「いけませんぞ?お店の方々に迷惑がかかりますからなぁ」

 

「そんな堅っ苦しい事言わないでよ、アルベルトさん」

 

 

 

 

 やっと……やっと会えた。

 

 

 

 

「……あの人って眼帯つけて……って、沙綾ちゃん?」

 

「沙綾?」

 

 

 

 あの時から私は…この時を待ち望んでた…!

 

 

 

「いやしかし……む?」

 

「……お嬢さん?」

 

 

 ……無意識に、私の脚が彼の方へと歩み寄っていた。

 身体が無意識に動く位……頭が決断する前に動いたぐらいに。私は君に会いたかった–––!

 

 

 だから、言わせてよ。

 

 

「…すぅ…!」

 

 

 下がった視線を上げるとともに小さく、小さく息を吸い込む。

 こんな時に限って胸がキュッて締まる感じがしちゃう。……緊張してる。こんな時に限って、緊張してる。

 でもダメだよ私。言わなきゃきっと後悔するかもしれない。

 あの時まで一緒にいた君が……突然いなくなっちゃって。

 だから気付けたんだ。君が側にいると安心するって事を。

 

 

 だから、言わせてよ。君にまた会えた喜びを。再会の言葉を、私の口から––––!!

 

 

 

 

 

「……?」

 

 

 

 

 

 でも言えなかった。

 今こうして会えた喜びを。また再会出来た感動の言葉を……私の口から出す事は出来なかった。

 

 ……どうして?

 

 ……どうして、君は。

 

 

 

「……なんで、そんな顔するの?」

 

 

 君の顔は、とてもじゃないけど、喜んでいるようには見えなかった。

 

 

 

「え?いやそれは……」

 

 

 

 君はどうして、何も分からないみたいような顔をするの?

 

 

 

 

「……てか、まず言わせてくんね?」

 

 

 

 

 ……どうしてなの?どうしてどうしてどうして––––!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、誰?」

 

 

 

 

 どうして、そんな事を言うの–––蓮司……!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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崩れ落ちる麦の音《中》

 

 ホンット、店に戻って早々、意味が分からない。

 

 仕事の合間の小休憩。俺にとってはその時間がオアシスなのであり、俺の趣味に没頭できる唯一の時間だ。店を開設してまだ数日だからか客の人数が多く、仕事も増えるのでその貴重性が増すばかりだ。

 そんな極楽な時間が終わって、いざ第二陣だ!と気合を入れて仕事場に入って先生とアルベルトさんに挨拶をした……その時だ。

 

 

『……なんでそんな顔するの…!?』

 

 

 どこの馬の骨かも知らない……は失礼か。……()()()()()()が今にも泣きそうな顔で此方に迫ってきたのだ。

 全く知らない人が迫ってくれば誰だって困り果てる。俺もその1人だ。だのに、それが当然ではないと言いたそうに彼女は今さっきの台詞を吐いた。

 

 ここで一つ言っておくが、仕事…強いては接客業というのはストレスが溜まる。人間ってのは一種多様な生物だ、人それぞれに別の対応をしなければならないからな。

 

 

「いや、だってそれは……」

 

 

 まぁ多少休息があったから和らいではいる。けどそれは完全には癒えない。たった1時間ちょいで外傷が治らないように、心のケアも治らない。……言いたいことが分かるだろうか?

 

 

「……てかまず」

 

 

 俺が言いたい事……それはつまり。

 

 

「お前、誰?」

 

 

 多少は()()()()()()…って事だ。

 

 俺の担当は品物の調理と客との接客。調理の方は美味しく作り出せる自信はあるし、それにやってる側としては楽しいと感じれる。でも接客は駄目だ。偶に店の事をああだこうだ喋り出すし、終いには俺の身長の事を弄りだすときた。

 前者はまだ許そう。俺も不満だと思う時もあるし。ただそれを俺に言うなって話だ。

 後者は論外。その台詞言った瞬間値段倍にしてやるぐらいに許せん(本当にするぞ☆)

 

 とまぁこんな風に、日頃の鬱憤が溜まっていてとても危険な状態なのだ。そこにまた、新たな火種が追加されるのは本当にごめんだ。

 

 

「……嘘…でしょ?」

 

「は?」

 

 

 それに気付かない彼女は、信じられないといった顔立ちで俺を見つめる。

 ……あーウザい。なんなんその目。

 

 

「私、だよ?昔よく遊んだ……」

 

「知らん」

 

「……え?」

 

 

 ホンットウザってぇ。しつこすぎて反吐が出る。

 

 

 

「冷やかしかどうかは知らねぇけど、お前の事なんて1ミリも分からんから」

 

 

 俺はそんな台詞を吐いて彼女の横を通り過ぎる。

 何がしたかったかは知らんが、俺には仕事がある。こんなとこで時間を割く程暇じゃなーいの。

 

 

「……蓮司のバカ…!!」

 

 

 俺の態度が気に食わなかったのか、彼女はよくありがちな罵声をか細い声で残して店を飛び出して行った。

 …ここでチビ野郎って一言があったら追いかけてぶっ飛ばしてた。俺をチビとかガキとか言って貶す奴は地獄の果てまで追い詰めてやるからなぁ…?

 

 

「さ、沙綾ちゃん……!?」

 

 

 取り敢えず邪魔者は消えたと息を吐こうとした所で、カウンター席に座っていた同年代ぐらいの女子が俺の横を通り過ぎた。恐らく先程出て行った奴の友達か何かだろう。

 まっ、そんなんどうでもいいけど。

 

 

「さてと、俺もそろそろ仕事に「あの」…あ?」

 

 

 本腰をいれて仕事に移ろうとすると、今度は背格好の高い女子が俺の行手を遮るように立っていた。

 いい加減にしてくれよ…と心の苛立ちを鎮めつつ、自分の事を見下しているであろう彼女の双眼に、俺は目を向ける。

 ……しかしながら、彼女は俺の事は見下してはいなかった。その代わりに少々怒り気味な表情ではあるが。

 

 

「これ」

 

 

 その発言と共に此方に差し向けた品は、革製の手提げ鞄。何かを吊す為にある金具には色の付いた星型のキーホルダーが五つぶら下がっている。

 

 

「これ、沙綾の忘れ物」

 

「さ、沙綾…?」

 

 

 いきなり知らない者の名前が出されたので、俺は呆れるようにもう一度、その名を復唱してしまう。

 

 

「……君が泣かせた子」

 

「……あー」

 

 

 確かに、追いかけてった子もその名前呼んでたっけか。苛ついててあんま聴いて無かったわ。……ってそんな事はどうでもいいねん。

 

 

「ソイツの忘れ物届けろってか?ハッ、やなこっ…」

 

「いけませんぞ蓮司殿!!」

 

「……た?」

 

 

 断りの申し立てを彼女に告げる、その前に後ろで見守っていた巨漢の男、アルベルトさんが2人の会話に割って入ってきた。表情こそ変わらないが、どことなく憤怒している雰囲気を醸し出していた。

 

 

「か弱い女性を泣かせ、その後を追いかける者を冷めた目付きで横目に流し、剰えその友の頼みを断ろうとするなど……紳士の風上にもおきませぬ!!」

 

「いや俺紳士でもねぇし。後アルベルトさん、客に迷惑かかるんでもう少し音量下げて」

 

「ぬっ……」

 

 

 俺の指摘を受けて口を籠らせるアルベルトさん。まぁその前から騒がしくなっているのであまり効果は無い。唯一利点があるなら、俺がスムーズに仕事に入れるぐらいだ。……それが目的だけど。

 

 

「いや、お前には行ってもらうぞ」

 

 

 ここでまたしても横槍が入った。見事に俺の耳に刺さった槍の主は、いつの間にか出来上がった品をカウンターテーブルに乗せていた先生だ。アルベルトさんとは打って変わり、その目付きは鋭い物となっている。

 

 だがそんな事を気にせずに、俺は自身の顔で、なんでぇ?と疑問の表情を作ってみせる。それに反応した先生は、手首を動かし此方に来いと手招きした。

 恐らく耳を貸せ、という意味だろう。仕方ないので彼に耳を傾けてみるとする。

 

 

「いいか?ここで彼女の頼みを断ってみろ。他のお客様がこれをネットに拡散して、すぐ様批判殺到。最悪開業数日でオジャンだぞ」

 

 

 ……なる程?つまりは俺の働き口が無くなるって訳か。それはそれで困るが、冷やかし相手の忘れ物を届けるのもなぁ。品性に欠けるっつぅか……。

 ……でもまぁ店の存続の危機だ。ここは仕方なく受けるとしよう。

 

 

「ったくしゃあねぇな……オイそこの……えぇっと…まぁいいや!」

 

 

 名前呼ぼうと思ったが、そういえば教えて貰ってなかったんだわ。それを思い出し、名前を言わずに俺は彼女の抱えていた忘れ物を取り上げて、すぐ様店を出る。

 

 店を出ると、2番目に飛び出して行った筈の女子が、胸の上で手を組み、道の先を眺めていた。

 恐らくだが、彼女の眺める先に俺のターゲットが走っていたのだろう。ならば話は早い。

 

 

「ちょいと失礼!」

 

「えっ…きゃっ!?」

 

 

 俺の一声に反応する彼女だが、振り返るその前に俺はその横を駆け抜ける。急な出来事だったのだろう、可愛らしい声を出して俺の行動に呆気に囚われている。

 

 

 仕方ない緊急な依頼。それに少々苛立ちを爆発しそうになりながら、俺は目的に向かって走り去って行った。

 

 

 

 

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 

 

 

 

 

 

 走る。ただひたすらに、走る。

 息を切らし、両脚が悲鳴をあげようとも。心の鞭で己を叩き、一心に走り続ける。

 涙が頰を伝おうとも、その粒すらも置き去りにする程に速く。他人からの視線に晒されようとも、気にせずに駆け抜ける。

 

 もう、何もかもが嫌になった。彼と過ごした出来事も、彼が消えた喪失感も。今にして思うと嫌悪の色で塗りつぶされていた。

 

 

『お前の事なんて1ミリも分からんから』

 

 

 耳に今尚も響く彼の声。いくら忘れようと頭を振っても、決して離れる事はなく、寧ろ思い出すだけで更に重みを乗せてへばりつく。

 

 今まで信じていた人に。また会いたいと再会を望んでいた人に。たった一つの言葉を彼から浴びせられただけで、深く心を抉られた。

 此方は今まで忘れた事はなかったのに…何故、彼方は綺麗さっぱり忘れているのか?何故あんな罵声を述べたのか?

 

 

「はぁ…はぁ…!」

 

 

 ついに限界を迎え、傍に立つ電柱にしがみ付いて態勢を維持しようとする。だが酷使し過ぎた両脚は最早、立つ事を許してはくれず、ついには地に膝をついてしまった。

 

 息を切らし、動かぬ脚を揺らしながら、先程自分で出した疑問を思案する。次第に考えるにつれ、彼への怒りを燃やす。

 

 だが、怒りと言うには弱い灯火だった。フゥッと息を吹きかけてしまえば、静かに消えてしまう程の、ユラユラと揺れる炎だ。

 

 

「なんで……!」

 

 

 電柱を支えに、もう一度立ち上がろうと試みる。だが、糸切れたかのように弱った足腰はそれを許す事は無い。

 

 本当は自身でも分かりきっていた。これが怒りなんかでは無いと。自分のことを忘れた彼への憎しみでは無いと、理解していた。でも、それでも。その事実を受け入れたくなかった。

 受け入れる…つまりは彼と同じように、彼という存在を自身の頭から忘れることに繋がるから。今まで紡いできた記憶を、頭の隅っこに追いやって過ごすことになるから。

 

 だからなのか。彼女はこうしてひたすらに、彼から遠ざかろうとしていた。

 この感情が怒りでは無いと理解し、しかしそれを認めようとはせず。

 要は()()()()()()()()決断するその瞬間から。怒りでは無いと心の底から理解してしまうその瞬間から。彼女は逃げているのだ。

 彼との記憶を消さない為に、彼との記憶から離れる。一見矛盾しているように見えるそれが、今の彼女にとっての最適な手段だった。

 

 しかしその行為が仇となったと、次の瞬間に理解してしまう。

 

 

 

「あっれれ〜?どうしたのカワイコチャ〜ン?」

 

「えっ…?」

 

 

 どうしようも無くへたり込んでいる彼女に、野太い男の声が届いた。ふと顔を上げて見せると、そこには数人の男達が、彼女を取り囲むように立ち塞がっていた。

 

 最近、タチの悪い人達が増えてきていると学校で聞いたのを、彼女は思い出す。紛れもない、彼らのことだった。

 

 

「キミ、ハナジョでしょー?ここからチョット遠くね?こんなとこで何してんのー?」

 

「いや、えっと……」

 

 

 ここで彼女はハッと気づくことがあった。

 勢いのままに店を飛び出して駆け抜けた彼女だったが、運悪くも走り抜けたその道は帰り道とは全くの逆。結果的に花女や我が家から離れていたわけだ。

 重大なことに気付いた彼女は男達の隙間から、辺りに一般人がいないかを確認した。……が、奇しくも人通りは無く、完全に自分達しかこの場にはいなかった。

 

 

「まっそんなことどーでもいいけど。…ヨイッ」

 

「えっちょっ……!?」

 

 

 自分で聞いた質問をそっぽに追いやった男は、へたり込む彼女の手を強引に引いて無理に立たせようとする。だが、先程から脚が棒のように動かない彼女が当然立てるわけもなく。自然と男の方に寄りかかる姿勢となってしまった。

 

 鼻を刺激するのような匂い。男からそんな匂いが立ち込めている。

 

 

「やめ…やめて…!」

 

 

 生理的に無理だと身体を捻り抜け出そうとするも、力で勝てるはずもなく、次第に自身の力が弱まる。そんな弱る彼女を見て、男達は不吉な笑みを浮かべた。

 

 

「無駄な抵抗しちゃって…んじゃ連れてこーぜー」

 

 

 息が絶え絶えな彼女を支えていた男は、よっこいしょ…と声を出して別の男に彼女を渡した。

 引き取った男は、彼女から漂う甘美な匂いを嗅ぎ、これまた良いモンだと言いたげな顔をして彼女を肩に背負う。

 その間彼女は何も抵抗もなく、ただ虚な目をして脱力仕切っていた。

 

 この時もう、彼女は考えることを放棄していた。ただ彼から逃げているだけでこんな悲惨な目に遭うなんて。……否、彼から逃げていたからこそこんな事になった。これは逃げてしまった私への罰なのだ……と、自分自身のことを悔やみ、そして何もしたくないという脱力感だけが残されていた。

 

 

 

 

「よっと」

 

 

 野太い声と共に、彼女は薄暗い場所へと放り投げ出される。

 そこは酷い悪臭が漂っていた。生ゴミを袋に入れずにそのまま放置したような、煩い蠅が飛び回るかのような悪臭。これと男達の体臭を比べれば、まだ男達の方を選ぶくらいには臭かった。

 

 

「……あら?どうしたんこの子。なんの反応もないけど?」

 

 

 そんな悪臭の中に放り投げられても尚、彼女は感情を顔に出す事はなかった。それを不思議に思った男達。

 

 

「まぁ良いんじゃねぇの?その方がやり易いしよ」

 

「それもそっか。んじゃ…」

 

 

 一拍置いて、男達は彼女の方を向く。その顔を狡猾な笑みに変え、

 

 

 

「一緒にタノシイこと、しようぜ?」

 

 

 一言、彼女に向けて呟き、そのまま手を彼女へと伸ばしていく。

 

 

 この後に起きることを、彼女は想像することが出来なかった。それはただ無知だからという訳ではなく、もう思考を止めているから。もう何も、考えたくはないから。

 

 

 現実から、目を背きたかったから。

 

 

 彼女の目元から、一粒の滴が流れ落ちた。

 

 いくら思考を放棄しても、いくら考えを止めたとしても、彼女の身体は正直だった。

 今ここで何もかもを放り捨てたら、心配してくれた仲間たちはどうなる?今まで育ててくれた親は?仲の良い友達は?今ここで消えてしまえば、みんなはなんと思う?

 

 思考を止めど、身体は自ずと動いていた。

 まだ終わりたくはないと。みんなに心配かけるわけにはいかないと。男達の間から漏れる光を目指すように、弱々しくも腕を伸ばす。

 

 

 ゆったりと進む時の中、彼女の頭の中で止まっていた思考が徐々に動き出す。

 

 彼とまた、話したい。人違いだったとしても構わない。罵声を浴びせてしまったあの彼に、しっかりと謝罪が––––

 

 

 

 

 

 その瞬間、彼女は何か妙だと感じた。

 男達の伸ばす手。ゆったりと迫るソレの中で異様に早く迫る腕があった。男達の間を縫うように飛び出た腕。その腕は段々と距離を詰め、遂には彼女の腕をがっしりと掴む。

 

 掴まれた……と感じる彼女だったが、そこから更に違う違和感を感じた。

 

 

 

 身体が、宙に浮いている。

 

 そう感じた時には、彼女は浮遊体験を終えて、地面へとダイレクトアタックをかましていた。

 

 

「いっつ〜…?」

 

 

 急な出来事の上、痛みが身体を這いずるので無意識に上体を起こし、特に痛む腰を摩った。

 

 

 

「なぁ、だいじょぶか?」

 

 

 

 その声に、思わず彼女は息を呑んだ。

 あり得ない事だった。何せ、あの店を飛び出してひたすらに走り続けたのだから。多少のイザコザがあったとはいえ、それを差し引いてもあまりにも時間と距離が合わない。

 

 だから彼が、この場にいるのはとても不自然で、有り得ないことなんだ……と。顔を上げるまではそうして考えていた。

 

 

「……あぁ…!」

 

 

 顔を上げて、目の前に立つ人物を見た瞬間、彼女の口から歓喜の声が漏れた。

 

 橙色に輝く頭髪。自分より少し小さめな背格好。沈みかけた夕陽に照らされ、より一層存在感が増している。

 

 

 今一度、彼の後ろ姿を見れただけで、彼女…沙綾は喜びに満ちていた。

 

 

 

 

 

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

 

 

 

 

 

 

「…んだ、テメェ!?いきなりシャシャリ出てきやがって!!」

 

「…いやはや、ただ忘れ物を届けに来ただけなのに…なんでこうなってんの?」

 

 

 「まさかの不良ちゃんだったとは」と肩を揺らして呟く男。そのまま男は小さく一つ溜息をつき、手に持った手提げ鞄を後ろにへたり込む沙綾の方に放り投げた。

 突然の出来事に状況の処理に困っていた彼女だったが、空から降ってくる鞄が迫るのに気付き、慌てふためきながら何とか手中に収める。

 

 

「ホントだったらここでお仕事終了……なんだけど」

 

 

 再度の溜息。それも先程とは比にならない程の

でかでかとしたものである。

 

 

「……そう易々と帰してくれませんよねぇ?」

 

 

 伏せた目に人差し指と親指で抑え、次に起こるであろう出来事に頭を悩ませる彼。悩みに悩んだ末に出たのがこの言葉だった。

 彼は伏せた目を細く開かせ、目の前の人物達を一瞥する。

 

 

「んなもん、当然のこっちゃろうが」

 

 

 彼の前には、筋骨隆々な腕を持つ5人の不良が存在していた。

 一人はサングラスを掛け唇にピアスを付ける者。一人は髪を金に染めてガムを膨らませる者。一人は赤いジャケットを羽織って尻を地面に付けない座り方をする者。一人は拳に煌びやかに光る鈍器を嵌める者。そして一人は豪腕に加えて妖しく輝く鉄パイプを所持する者。

 

 どれもこれも、邪魔者を始末せんと息を巻いていた。

 

 

「……あーあ、これだから日本の不良ってのは嫌で堪んない」

 

「…あ"?」

 

 

 そんな状況にも関わらず、何も持たぬ眼帯の彼は意気揚々と日本の不良について語り出した。

 

 

「この国の不良ってのは、た目立ってカッコいい武器持つだけで俺は最強だと勘違いしやがる。しかもそれに気付かない周りの連中は、怯えに怯えて勘違い野郎を野放しにしてるときたもんだ……全く、どうかしてるよ」

 

「……んだとゴルァ…!?」

 

 

 逆鱗に触れたのだろう、不良達は揃いに揃って怒りを露わにし始め、鉄パイプを持った屈強な男が一人走り出た。

 距離が着実に迫る中、不良は鉄パイプを天高く振りかぶりそのまま加速して勢いを付ける。敵を叩き潰さんとするその顔は、獲物を狩る虎そのもの。

 

 対する彼は何をすること無く、ただ不良が近づくの待つかのようにそこに佇む。その後ろで座る沙綾は、彼のなんの素振りも見せない姿に、密かに焦りを感じていた。

 

 

「死ねぇクソガキィィ!!」

 

 

 十分な距離になった所で、不良は標的の頭蓋目掛けて鉄パイプを振り下ろす。それでも尚動じることのない男。

 完全に命中する–––そう悟った沙綾は次に起こるであろう悲惨な結末から逃れる為に、目を逸らした。

 

 自分が巻き込んだばっかりに……と心中で悔やむ彼女。つい先程、自分が突き放したにも関わらず助けに来てくれた彼を思い嘆いていた

 

 

–––その時だった。

 

 

 

 

「……誰が、()()()()()()()()()

 

 

 不意に、彼の低く唸るような声が鳴った。その声と同時に、ガキンッ!と()()()()()()()()()()()()()音も鳴り響く。

 怒りの篭った声。そして、この場には不自然なかんだかい音をトリガーに、沙綾の目は強制的に見開かせられた。

 

 

「な、ななぁ…!?」

 

「…!?」

 

 

 沙綾の視界には、勢いよく振り下ろされたであろう鉄パイプを、なんと彼は()()()()()()()()()()()()のだ。これには不良達は勿論、沙綾も驚きを隠せない。

 

 

「だぁれが……お子様なガキンチョだってぇ!?

 

「ヒブッ!?」

 

 

 怒声とともに、彼は受け止めた武器を払い退けて不良の腹に1発、右拳をめり込ませる。

 拳をモロに受けた不良は呻き声を上げるも、彼の勢いある回し蹴りを顔面に直撃して壁に濃厚なキスをする羽目に。

 その際は声を上げること無く、「お子様なんて言ってねぇ…」と言いたげな顔で意識を手放した。

 

 

「……あっ、手袋破けちった…」

 

「……こんにゃろぉ!!」

 

 

 仲間の1人が脱落、そして敵の余裕ぶった態度に腹を立てた唇ピアスの不良。不良はすぐ様走り出し、懐に仕舞い込んでいた折り畳みナイフを取り出した。

 先程は鉄パイプの振り上げ攻撃だったのに対し、今度はナイフによる突きの攻撃。刃物で攻撃をすれば大抵の者は怯えてしまうだろう。

 

 だが、彼はそんな事では動じない。

 

 

「……はぁ!?」

 

 

 完璧に入ったと思われた攻撃。だが彼は何も臆する事なく、刃を右の手中に収める事で防いだのだ。

 

 

「新しいのに変えたばかりなのに……よっ!!」

 

「ボァ!?」

 

 

 刃を掴んだまま、不良の顔に裏拳を叩き込む。痛みに耐えかねて、ナイフを手放して顔を抑える不良。

 その隙を逃さなかった彼は、先程の不良と同じく、勢いのかかった左回転の回し蹴りを敵対する不良の顔面に直撃させた。

 不良は口の中の歯を飛ばしながら壁に衝突。伸びきっていた1人の仲間の上にひたりと倒れ込んだ。

 

 

「あーあ、今のナイフで完全に破れちった……」

 

 

 斜め上に切り裂かれた手袋を見て、彼は渋々とソレを外した。それにより、隠れていた右の拳が露わになる。

 

 

 その拳を一目見て、沙綾は息を呑んだ。

 

 

「…ハァ、ホントは隠しておきたかったんだけど」

 

 

 先程までの彼の芸当。普通の腕であれば、骨はバラバラに砕け散り、手を切り裂かれ血を流す。もう、痛いだけでは済まされないレベルだ。

 だが、彼は呻き声すら上げず、逆に相手に上げさせた。更に言えばその相手を格闘術で口を開かせなくしている。

 

 

「まぁ起きたことを悔やんでも仕方ない。ついでだ……っと」

 

 

 彼はやれやれといった態度をして、羽織っていた茶色のジャケットを脱ぎ捨てた。それにより拳だけだったのが、肩から伸びる右腕全体が晒されることになる。

 

 全体像を把握した沙綾は、驚愕の表情を浮かべた。

 

 

「……お前らも、名前ぐらい知ってんだろ?」

 

 

 その腕は、()()()()()()()

 

 肩から伸びるは堅固なる鉄。何層にも鉄の積まれた肩部、細長い空洞のある前腕部、固く握りしめられた輝く拳。

 下り始めた太陽を背に、その腕は銀色に輝く。その様はまるで、()()()()()()()

 

 

「さぁて……ちゃっちゃかと片付けるとするか」

 

 

 機械鎧(オートメイル)。鋼の義手を身につけし彼は、可憐な少女を背に戦わんとしていた。

 

 

 



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崩れ落ちる麦の音《後》

 ––––機械鎧(オートメイル)。その名が世に知れ渡ったのは約5年前に遡る。

 

 活気盛んな日本の都市部に、突如として『災害』が襲い掛かった。

 地面は割れ、建物は崩壊し、瓦礫の山が建ち並ぶ。幸いにも被害地域こそ小さかったが、都心ということもあり犠牲者が100を超えた。

 その中で五体満足で救助された者もいたが、多くの者は瓦礫に埋れた際に手足と離れ離れとなり、いつも通りの生活が送れなくなってしまった。

 

 だがしかし、その厄災は日本だけで留まらなかった。なんと世界各地で『災害』が起きたのだ。しかもその被害は日本の比では無く、犠牲者の数は数億人と跳ね上がる程に。

 これにより、世界総人口の約3%が義手義足の生活を余儀なくされ、世界は混乱の危機に瀕してしまった。

 

 

 そんな人類危機の中、着々と注目を浴びたのが機械鎧(オートメイル)だった。

 従来の義手義足は精密・耐久性が低く、少しの衝撃で不具合を起こしていた。しかし世界各国連携で製作された機械鎧は、耐久性に優れており、長期間による手術とリハビリによって精密性の向上を促進させた。

 

 

 希望を与えた義肢。それを開発し、世に知らしめた者は次にこう語る。

 

 

 

『苦難を乗り越えた先に、希望は待つものだ』…と。

 

 

 

 

 

 

 

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

 

 

 

 

 

 あまりにも、一瞬だった。

 

 

「うおぉぉぉぉああ!!」

 

 

 敵討ちの為、男がメリケンサックを片手に走り出しても。

 

 

「ふんっ!」

 

 

 鋼鉄の拳と相討ちとなり、男の得物が真っ二つに割れてしまい。驚愕するその隙を狙われ、逆に拳を顔面に喰らわされて。

 

 

「うっ、うりゃあぁぁぁぁ!!」

 

 

 次々と倒されゆく仲間達を救おうと、武器も無しに駆ける男も。

 

 

 逆に距離を詰められ、下から鋭い蹴りを腹に受け。悶え苦しむ様に追撃として踵を脳天に振り下ろされて。

 

 

「や、ヤベェって…!?コイツヤベェって!!」

 

 

 最後の1人となった男は、敵わないと悟ってなのか、尻を引きずりながら後方に引き下がっていく。その姿を目視すると、ニヤリ、と獲物を見つけたかのように笑い、男の下がる速度と同等の速さで迫った。

 

 あまりにも一瞬の出来事であった。

 武装した男達を数秒で鎮静させ、剰え鎮めた当の本人は、何事もなかったかのようにけろっとしている。

 その様に、残った男も……更に言えば助けられている沙綾も。等しく『恐怖』という感情が浮かび上がっていた。

 

 

「……はっ!?」

 

 

 気づけば男は背中を壁に押し付けていた。嘘だろと思い後方を確認するが、現実を受け入れろと言わんばかりに聳え立つ壁しか無い。

 

 身体から、血の気がすぅっと抜けていく。

 

 

「ま、待ってくれ!!」

 

「……あ?」

 

 

 それは、咄嗟の行動だった。

 

 

「お、俺はあいつらに脅されてたんだ!!一緒にやらなきゃどうなるか分かってんのかって!だから俺は…!」

 

 緊迫した命乞いだった。額から汗を垂らし、震える唇を何とか動かし言葉を吐き出す。

 最早、男にはそれしか出来なかった。身体が屈強そうに見えても、肝心の中身は貧弱。とてもじゃないが立ち向かう勇気は無かった。

 

 

「知るかよ、んなもん」

 

「……へ?」

 

 

 しかし彼の胸に届くことは無く、ただ、冷たい目線を送られている。

 

 スゥ……と一呼吸。

 

 

俺は!!ただお前らに『ドチャクソメチャンコ豆粒』って言われて腹が立っただけなんだよ!!別にお前が脅されたとか…!

 

 

 彼は震える男の胸ぐらを掴んで、無理矢理立たせる。

 憤慨。今の彼は語弊があった事に気づかぬ程に、怒りに満ちて暴れていた。

 

 手ぶらである鋼の拳を振り上げ、一言。

 

 

どーでもいいんだよォォ!!!!

 

ドヘェェェ!!?

 

 

 そう言い放つとともに、彼は最大最高、天を穿つ程のアッパーを男の顎へと命中。勢いで宙を舞う男は、最後には壁にめり込んで弱々しかった意識を手放した。

 

 

「……ふぅ、片付いた片付いたっと」

 

 

 一仕事終えたかのように、パンパン…と手を払う。そんな彼とは裏腹に、未だにへたり込んでいた沙綾は、目の前の光景に阿鼻叫喚していた。

 積み重なって泡を吹く男2名。顔面に拳の跡をつけて伸びる男1人。地面にキスをしながら、白目をひん剥いて寝る男1人。そして最後に、顔を壁にめり込ませて下半身をぶらつかせる男1人……。

 

 なんかもう、色々と凄かった。

 

 

「おい、アンタ。立てるか?」

 

 

 実はこれ夢の中なのでは?と錯覚する彼女に、彼は声をかけて左手を差し伸べる。

 

 

「あ、えっと…ありがと」

 

 

 ずっと座りこんでいるのも何なので、立ち上がる為に差し出された彼の手を掴んだ。

 微かな温もり。手袋越しではあったが、掴んだ手は確かに人の肌…歴とした人間の腕だ。

 

 確信を得た彼女は、横目に彼の右腕を見る。

 

 冷え切っている。彼自身見られたくはないのだろう、身体を斜めに向け義手である右腕を少し隠していた。だが、はみ出した部分でわかる。触れていないその腕に、血が通っていないことを。夕焼けを反射する腕に、熱は篭っていないことを。彼女は理解した。

 

 

「……さっきはすまなかった」

 

「……えっ?」

 

 

 突然の謝罪。彼の思いもしなかった発言に、沙綾は少々驚愕し顔を上げる。

 

 

「俺、あん時苛ついててよ。初対面で、しかも客だったアンタに酷い態度しちまったから…」

 

「……」

 

 

 初対面–––その言葉に彼女は心が締められた気持ちになる。そのせいでなのか、初対面じゃないと、そう言いたくても、口は簡単には開かない。

 目の前にいる彼は、昔一緒に遊んで笑い合った蓮司()本人。店の中で再会するまではそう確信していた。

 だが、いざこうして向かい立ってみるとその確証も揺らいでしまう。それもそうだ。今目の前に立つ(蓮司)が、蓮司()だという証拠なんて()()()()()()。今までのはただの直感でしかない。

 

 

「……私も」

 

 

 やっとの思いで、彼女は口を開く。だがそれは今さっき思い描いていた台詞ではなく。

 

 ()()()()()()と呟こうとした……その時。

 

 

 

 彼女の目に何かが留まった。

 話に耳を傾ける彼の後方。そこに泡を吹いていた筈の男が1人、弱々しくも立ち上がっていた。しかもその手に、何か見覚えのある物を持って。

 それは、戦った事のない沙綾でもハッキリと分かった。男の片手で持てる程のサイズで黒光りする武器。ソレが震えながらも、しっかりとこちらを捉えていた。

 

 

「…!!」

 

 

 反射だった。今まさに狙いを付けられているのに、彼女の身体は動いていた。

 戦った事のない者は大抵、恐怖のあまりに身体は動く事はない。女性なら尚更だ。逃れられないと悟り、身体は死を迎え入れる。

 それでも彼女は動いてみせた。自分を見つめる彼を、油断仕切っているであろう彼を助けようとした。

 

 

 だが、彼女は彼を退かす事はなかった。

 無論、途中で諦めた訳ではない。必死になって身体を動かし彼を助けようとした。なのに、彼女の身体は止まってしまった。

 

 その原因は直ぐに分かった。

 なんと彼女が退かそうとした彼が、彼女の肩を抑え静止させたのだ。彼女は思わず、彼の顔を見る。

 

 その顔は、安心しろと言わんばかりに

 

 小さく、笑っていた。

 

 

 パスンッ、と小さく鳴った。

 

 

「ぅえ…!?」

 

 

 男の呻き声、そして武器の落ちる音。それに釣られ彼女は目線を男の方に向ける。

 何故か男は、力を失ったかのように再度倒れたのだ。何故倒れたのか、と理解していない顔になりながら。よくよく見ると、男の首筋に銀に輝く針のような物が刺さっていた。

 

 

「まったく、不意打ちとはやるじゃねぇの。俺には効かんけど」

 

 

 ふぅ、と右の人差し指を吹きかける彼。そこで彼女はある事に気づいた。

 彼の人差し指がなんと、第一関節から折れ曲がっていたのだ。だがすぐに、手首をスナップをきかせてカチンッ、と音を鳴らして元に戻してしまったのだが。

 

 

「い、今のって……」

 

「あ?…あー、今のは麻酔銃だよ。ナウマンゾウ即座に眠らせるぐらいの」

 

「ナウマンゾウ!?」

 

 

 それどっかの名探偵が使うやつじゃん……と内心驚く彼女。それと同時にさっきのアレは麻酔の射出口だったかとも納得する。

 

 

「……しっかし困ったなぁ。こうも抵抗されると一緒に戻れないんだが……」

 

「……えっと、戻る?」

 

「え?……あっ、言って無かったっけ。ちょいとアンタに詫びの品用意してんだよ」

 

 

 詫びの品…と言われて、先程の会話を思い出す。

 確かに彼は酷い態度をとった事に謝罪していた。少し申し訳なくしながら。……それに加えて何か渡してくるのだろうか。

 

 断って帰る……その選択肢を取っても良い。事の発端は自分の勘違い、だから貰うのは言語道断と言っても良い。そう言えるぐらいに、彼女は負い目を感じている。

 

 

「……しゃあない。アンタ、先行っててくんないか?ちょっとこいつらふん縛っておくから」

 

「えっ!?いやでも」

 

「いいっていいって。時間かかるだろうし」

 

 

 自分がいけないので断ろうとした彼女だったが、それを遮るようにして話を進める。……どうやら彼は行くと決めつけて話しているようだ。

 

 

「分かった、じゃあ先行ってるね」

 

「おーう、すぐ行く」

 

 

 仕方なく、彼女は了承し鞄を持って歩き出す。

 

 無理やり連れて来られた路地裏から出ると、まだ沈み切っていない夕日が、彼女を迎え入れる。路地裏にも少しは光が差し込んでいたが、こうも光量に差があると、夕日がいつもよりも輝いているように見える。

 

 新たな発見に少し嬉しく思いつつも、心に少しモヤを抱えて、彼女は歩き出した。

 

 



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ヤリナオシ《前》

 長らくお待たせして申し訳ございません。休校が明けて学校生活に慣れるのに苦労していたため遅れてしまいました……。

 一ヶ月も空いてしまいましたが、読んで頂けるとありがたいです。では、どうぞ!!


 

 沈みきれない夕陽に照らされ、橙色に染まる街道。沙綾もその中に溶け込んでいた。

 先程の路地裏と比べると当然ながら人通りも増えて、賑やかになっていく。前を見れば、小さな男の子が友達であろう女の子と歩いていた。

 2人はとても親しげに話し合い、笑い合って。互いに手を取り合って彼女の横を通り過ぎる。

 

 その刹那。子供達の姿にまた別の影が重なったように、沙綾は見えた。

 とても懐かしく、そして幼い影。手を引いて先に先にと走る姿は、見間違えようのない、沙綾()だ。そして手を引かれる男の子は……

 

  男の子……は……

 

 

「……あれ?」

 

 

 不意に、思っていたことを口に出してしまった。幸い誰にも気付かれることは無かったが。だが彼女にとって気にする点はそこではない。

 

 沙綾は鼓動が早まるのを感じつつ、後ろに振り向く。そこには横を通り過ぎていった彼らが走っていた。仲良く手を繋ぎながら。

 

 今度は一瞬だけ。一瞬だけだが、先程と同じように影が重なった。

 手を引く私。そしてその手で引かれるか……れ…。

 

 ここで、分かった……否、()()()()()()()()。異様に刻みが早まる胸の鼓動。段々と浅くなる呼吸。焦りによってかく汗。何故こんなにも緊迫してしまうのか。沙綾は今分かってしまったのだ。

 

 私は一体、()()()()()()()()()()()……と。

 その面影は……いや、最早それは影と言えるモノではない。全体を白で覆い、髪を生やさず目を無くした……人では無い何か。唯一存在している口は嬉しそうに口角を上げている。

 

 身体から力が抜けていく。息も先程よりも浅く、小刻みに吐いていた。

 動揺。彼女の心境を語るなら、この言葉が相応しいだろう。

 何故幼い私はアレの手を引いているのか。アレの正体は何なのか。そもそも何故こんな幻影を見せられているのか。一つの謎を解いた先に待っていたのは、無数に聳え立つ絶望の壁。

 

 ゆらりと揺れて壁へと寄り掛かり、ゆっくりと身体を崩す。呼吸も正常では無いに等しい。

 彼方を走る幼い2人。遠く遠くへ消えているはずなのに。幼い私は消えたのに。何故。何故何故。何故あの影は消えないのか。

 

 

 遂に沙綾はげんなりとその場に座り込む。

 息を荒くし、胸を抑える。苦しい。苦しいと叫ぶように。やめて、やめてと嘆くように。彼女は道を行き交う人々に助けを求めた。

 

 だけれど、誰も助けることはなかった。助ける素振りどころか、見向きもしない。まるで、その場に彼女がいないように。気付かずに人々は歩く。

 

 路地裏から抜け出せたと思ったらこの有様。息を荒くし汗を掻いて倒れる彼女。どうしてこんなことになったのか?何故私だけこんな目に遭わなければならないのか?

 定まらぬ思考を回して得られたのは、心の嘆きだけ。ただ1人胸を抑え息を荒くしようとも、誰からも助けられることなく地に落ちる。

 

 薄れゆく意識の中、沙綾は白い何かに目を向ける。

 

 その何かは、いつの間にか彼女のことを見ていた。

 

 苦しむ彼女を、まるで嘲笑うように笑いながら。奴は彼女を––––

 

 

 

 

 

「……ちゃん!沙綾ちゃん!!」

 

「へっ!?」

 

 

 誰かに肩を揺さぶられ、失いかけた意識を取り戻す。

 

 

「あれ…りみ?それにおたえも…」

 

 

 呼吸のリズムを取り戻して後ろを振り返ってみると、そこにはバンドメンバーである2人が沙綾の方に顔を覗かせていた。沙綾のことをとても心配に思いながら、りみは沙綾に手を貸す。

 彼女にありがとうと一言伝えて立ち上がる沙綾。少しふらっと揺れたが、たえが身体を支えたので崩れる事はなかった。

 

 

「ごめん、2人とも」

 

「ううん。それよりも、なんで沙綾ちゃんが…」

 

「ちょっと、ね…」

 

 

 2人に先程のことを伝えようとした沙綾だが、そうはせずに口を塞ぐ。

 このことを……自分の気持ちを伝えて何になる?確かに彼女達はとても大切な、同じPoppin'partyの仲間。互いを尊重し合える友達だ。

 けれど、このことを伝えても何か変わることがあるのだろうか。もしかしたら、みんなを混乱させるかもしれない。それだけは絶対に駄目だ。

 

 複雑な思いを胸に秘めた沙綾。だがここで、ふとあることに気づいた。

 

 

「沙綾ちゃん?どうしたの?」

 

「…いない」

 

「……沙綾?」

 

 

 右左、先に続く道を繰り返し確認する沙綾。その様子に二人は、何をしているのかと困惑する。

 

 

「ね、ねぇ二人とも」

 

 

 何か気になることがあったのだろう。沙綾は切羽詰まったような表情で二人へと話しかけた。

 

 

「この道に「あれ?お前まだこんな所にいたのかよ?」」

 

 

 しかし、沙綾の台詞は誰かの声によって遮られてしまった。

 沙綾を含めた女子3人は、謎の声がした––––沙綾から見て後方へと視線を向ける。そこにいたのは。

 

 

「…あっ、さっきの小さく…」

 

だぁれがアリンコチビ助だってぇぇぇぇ!!?

 

 

 曲がり角から顔を覗かせていた筈の蓮司がいた。……今は飛び出ておたえの目の前まで迫っているが。

 

 

「私そこまで言ってないよ?ウサギみたいに小さくて可愛いって言おうとしただけ…」

 

「いやそれはそれで嫌なんだが?兎と同等とか許せねぇよ?」

 

「お、おたえちゃん…そこまでにしておこ?」

 

「…あれ?私何か悪いことした?」

 

「あああぁ!!天然だコイツ!!コイツ天然だぁぁぁ!!遠回しに貶してるって気づいてねぇぇぇ!!」

 

 

 1番扱いづらいキャラだと気付いた蓮司は、道のど真ん中で発狂してしまう。天然は恐ろしいのだ、発狂するのも無理はない。

 

 

「えっと……」

 

「あぁぁぁぁ……あ?」

 

 

 元気のない、疲れ切っているような声。不意にそんな声が耳に入った蓮司は、音のする方へと顔を向ける。そこには、頬を掻いて気不味そうに沙綾が立っていた。

 何故気不味そうなのか分からない蓮司。試しにおたえ、りみの顔を交互に見て、顎に手を添えて思考する。そして数秒の後、頭の中で合点ついた。

 

 

「なる程、この二人と話してたってわけか」

 

「ま、まぁあながち間違ってはない……かな?」

 

「……なんで疑問形なんだよ」

 

 

 蓮司は自分でもわかっていない沙綾に対し、怪訝そうな顔で睨む。

 

 

「まっ、別にいいんだけどよ。ついでだ、お前らも来いよ」

 

「えっ私たちも?」

 

 

 指名を受けたりみとおたえ。突然のことでりみが声を出して聞いてみるも、まるで蓮司は聞いていないかのように受け流し、店へと続く道を歩み始めていた。

 

 

「すまねぇがこっちも時間がないんだ。話があるってんなら店の中でやってくれ」

 

 

「……ねぇ沙綾?お店に戻って何するの?」

 

「…あっ、そういえば二人にはまだ行ってなかったっけ」

 

 

 ここで沙綾、これからの目的について話していないことに気付いた。

 

 

「アップルパイをご馳走してくれるんだって。あの人が迷惑かけたお詫びにってことで」

 

「「アップルパイ!?」」

 

 

 アップルパイ。この単語を聞いた途端、二人の瞳がキラキラと輝き出した。これには沙綾もビックリ。思わず半歩下がってしまう。

 

 

「ど、どうしたの?そんな食い気味に…」

 

「あっごめんね沙綾ちゃん!実はね?さっきミカさんにご馳走になっちゃって…」

 

「それが甘くて美味しかったんだ〜」

 

 

 その時の味を思い返しているのだろう。二人は頬と涎を垂らした。そうとう美味しかったようで、二人の顔はご満悦だ。

 

 

「おーいお前ら!!なにボサッとしてんだ。こっち時間ねぇって言ったんだろうが!!」

 

 

 そんな中、甘々な世界から引き抜くように向こうから蓮司の怒声が飛んできた。二人もその声に反応して、無事現実の世界へと回帰することができたようだ。

 

 

「早く行こっ!沙綾!!」

 

「えっ?……ってちょっ!?」

 

 

 もう待ち切れないのか、おたえは沙綾の腕を掴んで駆け出した。

 二人を虜にしたアップルパイ……その魅力に少し慄きながらも、楽しみだと期待する沙綾。その正体を気にしながら、彼女達は()()()()()()()()()を走り出した。




 次回こそ、沙綾編を終わらせる!……と思います。


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