桜ヶ原小学校同窓会へようこそ (犬屋小鳥本部)
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出席番号1番「せんじょうえき」

みんな知っているように、俺の家のすぐ近くには曰く付きの公園がある。

そこは「さくら公園」っていって、一本だけ大きな桜の樹がある小さな公園。

その桜の樹は本当に本当に大きくて、樹齢うん千年とか言われてる。

今年も市内が桜前線にかかり、満開の桜の木の下で花見をする人も増えてきた。

 

でも、絶対に俺たち地元の人はその公園で花見をすることがないよな。

それは地元では有名な「曰く」のせい。

 

これから話すことは、俺の高校の同級生が体験した話である。

 

高校に進学すると結構遠い地域からも生徒が集まるから、そいつも市外から通学していたやつ。

つまり、その曰く付きの公園のことを知らなかったんだ。

 

二年に進級した春休み。

そいつは野球部で結構夕方過ぎまで練習していて、その日も帰宅が遅くなっていた。

もう完全に暗くなっていて、最寄りの駅まではバスも通っていないから歩き。

近道をしようとしたんだろうな。

俺がいつも「暗くなってからは絶対にあの道は通るな」ってあれほど言ったのに。

そいつは通ってしまった。

そこで見てしまったんだよ。

桜の木の下でうずくまって、ブツブツ何かを呟く女の人を。

その日は天気が悪くて、空には大量の雲が流れていた。

更には新月だった。

さくら公園は、なぜか外灯を設置しても数日も持たないもんだから、もう近隣のおじちゃんおばちゃんたちも安全のために設置してくれって自治会に言うのも諦めてる。

つまり、真っ暗なわけ。

人なんて見えるはずないの。

でもさ。この時のことを聞いたとき、確かにそいつは言った。

 

ぞっとするくらい綺麗な女の人が、木の下でうずくまってブツブツ言ってた。

真っ赤な唇にドキッとした。

って。

 

いや、唇かよ(笑)って俺はそいつに言ったよ。

今だから笑い話で済ませるけど、どう考えたって見えるはずないよな。

真っ暗だし、道から樹までは結構離れてる。

ちらっと見ただけだったらしくて、俺からの警告を思い出してそいつはすぐにそっから走って逃げた。

 

今更だけど、その曰く付きの桜の樹の話なんだけどさ。

地元で言われてる話がこっち。

「あの桜が咲いている夜に、樹の下には一人の女が現れる。

その女は見た者を樹の下に誘い、気を狂わせる」

実際に気が狂っておかしくなった人が、朝樹の下で保護されるなんてことは毎年あった。

だから、俺たち地元民はその女の人を見ないように夜は公園の近くを通らない。

しかも、この同級生みたいに遠くからでも「見えてしまう」って話もあったんで、夕方になると公園の方向の戸や窓はカーテンを締め切る。

だから、俺も高校生になってなにも知らない市外から受験したそいつと友人になったとき、この話をそっくりそのまま警告したんだ。

 

話を戻す。

なんとかその場から逃げたそいつは駅に着いて、電車に乗って、無事家に着いた。

ほっと一息ついたそいつは、夕飯を食べて風呂に入ろうとした。

そのとき。

 

携帯が鳴った。

 

俺の番号だった。

 

俺は、かけてない。

 

証拠に、俺の携帯にはその晩そいつへの発信履歴はない。そもそもその日、俺は学校に携帯を置き忘れていた。俺の番号から電話をかけれるはずがないんだよ。

 

けれど、そいつは気にしないで電話に出た。

俺の番号からだし当然だ。

 

その「俺」は「洗浄液を持ってこい」と言ったらしい。

洗浄液?って思うだろ?でも、そのころ俺たちの間で普段使う物を回りくどい言い方で言うっていう遊びが流行ってたんだ。

洗浄液っていうのはこの時の洗剤。どっちにしろ変な内容だよな。そいつは疲れもあって頭が働いてなかったらしい。

 

後日落ち着いたときにもう一度この事を聞いたら、確かに「せんじょうえき」と言っていたらしい。

ただし、

「せんじょう えき

 

きて」

だった気がする、だってさ。

 

まだ辛うじて往復出来る電車が残ってる時間だった。

 

そいつは行ったよ。

さくら公園の近くにある俺の家に。

 

次の日の朝、公園の桜の木の下で泣きわめいているそいつが保護された。

そいつは、可哀想に。いろんな液体を垂れ流して叫んでた。

 

助けて

熱い

痛い

おなかへった

苦しい

なんで

腕が

死にたくない

おかあさん

寒い

足が

どうして

燃える

痛い

水が

苦しい

やめて

殺さないで

死にたくない

 

そいつは1週間、病院に押し込められた。

なんとか退院して、今は普通に生活している。

 

怪奇現象が好きな別の同級生と話した。

というか、そこにいるお前だよ。お前。

お前、いつだったかさくら公園のある場所について調べたことがあるって言ってたよな。

空襲、飢餓、地震、大火事、川の氾濫、日照り…

該当する事柄が次々出てきた、って。

 

そして、驚いたことにそういう歴史を持ちながらもあの桜の樹はずっとあそこにあり続けているのだ。

奇跡としか言いようがない。

長い長い歴史を、あの桜の樹はたった1本で見続けてきたのだ。

そして、さくら公園のある場所の元々の地名。

「戦場駅」だった。

一番古い記録に残っていた。

 

戦場へ向かうとき、必ず立ち寄る場所として利用されていたらしい。

ここを越えたらもう戻れないぞ。

ここから先は戦場だぞ。

…って。

 

その名前がまだ残っている時には、地元民にとってあの桜が戦場に最も近い場所だったんだろう。

俺は思う。

昔の同級生が聞いた言葉はきっと。

「洗浄液をもってきて」じゃなくて「戦場駅にきて」だったんだと思う。

 

本当にバカな話だよ。

 

あれから高校を卒業して、地元を出て大学にいって、俺は警察官になった。

今では地元の、入り口をさくら公園を背に設けられた交番に勤務している。

そこにいる怪奇現象が好きな同級生は、地元小学校の教師になった。

 

俺たち地元民は、みんな不思議とこの地元に戻ってくる。この地元で育って、この地元で死んでいく。

決められたことではないけれど、誰もがそうすることを選んでいる。

きっと、またあの桜の樹にあうために。

 

今年も寒い冬が終わった。

今年も、あの曰く付きの桜の樹は、とても美しく咲いている。

 

またここに、もどってきたよ。




『せんじょうえき』

あの公園の桜がね
夜に咲いてるのは絶対見ちゃダメ

狂うから

あの公園の桜はね
君に見てもらいたがってるの
今まで何があったのか

狂わせるくらい

「せんじょうえき、もってきて」
よく聞いてごらん?
「せんじょうえき、きて」
ほら、桜が呼んでる

いくの?いかないの?


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出席番号2番「両隣の家」

俺の両隣の家は爺さんと婆さんがそれぞれ住んでいる。

爺さんは頑固で口うるさい雷おやじ。

婆さんは優しくてお菓子もくれるゆるふわ系。

どっちも昔から世話になってる人だ。

 

その二人が数年前亡くなった。

 

爺さんの時はうるさいのがいなくなって清々した。

婆さんの時は泣いた。

 

その後、両隣の家には別の人が入った。

更にその数年後、連日に及ぶ大雨で近くの山が土砂崩れを起こした。

不思議なことに俺の家とその爺さんの住んでいた隣の家は無事だった。

 

衝撃的なのは直後の片付けの時だった。

その婆さんの住んでいた隣の家の片付けを近所だからっていう理由で手伝っていたとき、床下からいくつか骨が出てきたんだ。

 

婆さんがまさかの殺人鬼だった…

 

てことはない。

婆さんのとこは、昔旦那さんと愛犬を散歩のとき事故で亡くしてたんだ。

独りになった婆さんは、寂しくて淋しくてどうしようもなくて。

葬儀の前にそっと骨の一部を持ち帰ったらしい。それを床下に埋めて、自分を護ってくれてると信じていたそうだ。

後日、婆さんの家族の人がそんなことを話してくれた。

 

これが婆さんの話。

 

それと、もう一個。

婆さんのとこの骨を供養してもらう為に地元の寺に行ったときのこと。

「貴方、男性の方に憑かれていますね」

と言われた。

 

泣いた。

 

詳しく聞くと、あの亡くなった隣の爺さんが俺にとり憑いて護ってくれてるらしい。

土砂崩れで俺と爺さんの家が無事であった理由がこれだ。

あの雷おやじが?

爺さんのとこは、奥さんも子もいなかった。

つまり、めっちゃ寂しかった。でもあの性格のせいで言うこともできなかった。

俺に対してうるさかったのは、爺さんなりの優しさと思いの裏返しだったんだ。ほんとはもっとかまって欲しかったんだろうな。

 

これが爺さんの話。

 

俺の両隣の家の住人は、とてもさみしがりやである。

もとい、とてもさみしがりであった。

 

一方の優しかった婆さんは亡くなった家族が自分の隣にいると死ぬまで信じて骨を隠した。

もう一方の頑固だった爺さんは亡くなった後すこーしだけ素直になって、自分のお気に入りであった俺の隣に居座り護ろうとしてくれている。

 

俺は。

俺は、自分が亡くなる前に隣にいてくれる大切な人へ精一杯愛してるを伝えたい。

後悔しないように。

 

今年まで俺は、両隣の家にいた二人の爺さん婆さんの為に泣き続けた。

それはきっと、俺が二人のことを忘れずにいられた証なんだと思う。

だから。俺は今年で泣くのを止めて、二人に言いたいことがあるんだ。

 

大切な大切な妻と子どもができました。

人を愛しく思えるようになったのは、大切にしてくれた二人のおかげです。

後悔しないように愛情を伝えることもでき、残す二人もわかってくれました。

 

最期に。

みんな、本当にありがとう。




『両隣の家』

俺の家の両隣
それぞれ爺さんと婆さんが住んでいた
今はいない
その二人

爺さんには爺さんの
婆さんには婆さんの
それぞれ違った人生があって
事情があって
話がある

だから、その間にある家に住む
俺には俺の
話がある

だけどな
俺の話の一部はその二人が作ってくれた

俺の両隣の家


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出席番号3番「ひきずる音」

俺の元後輩がコンビニのオーナーになったんだ。

…いや、そのコンビニはもうないんだけどな。

 

やたら出入りが激しかったあの角のコンビニだよ。

噂だと、オーナーが失踪したから閉店したって話だろ?

ちょっと違うんだよ。

 

これはそのオーナーの婚約者から聞いた話だ。

 

そいつのコンビニが入る前は1ヶ月、早くて1週間くらいで店が代わってた。

色々噂はあったけど、これといった理由は誰も知らなかった。

 

何ヵ月か前に、会社を辞めてコンビニのオーナーになるっていう連絡が俺のところにきた。

俺の地元だったから何回か利用して、そいつとも会ってたよ。

「安く借りられた」ってそいつは言ってた。

出入りが激しい場所だってことは知ってたんで、少しだけ心配だった。

だけど結局1週間経っても何もなくて、経営も案外順調だったんで、ああ、ただの噂だったんだなって思ってたんだ。

 

その矢先に、突然そいつはいなくなった。

 

警察にも届け出を出して、俺も手伝って捜したんだ。でも見つからない。

結局行方不明の失踪扱いになった。

 

失踪なんてする理由がないんだよ。

そいつ。

コンビニの経営も軌道に乗り始めて、シフトも余裕ありすぎるくらいゆったりと組んであったらしい。

人が足りない時間は自分が率先して入る。

アルバイトに負担をかけたら、オーナーとしての価値が下がる。

それでも無理はしないで、きついと思ったら誰かに相談する。

いいやつだろ?

 

しかも、この話をしてくれたのはそいつの婚約者。

いなくなる二日前に入籍してるんだよ。

二日前。

式の予約も来月しに行く予定だったらしい。

そんな幸せの絶頂にあるやつが失踪なんてするか?

するわけないだろ。

 

だから、その婚約者はそいつと親しかった俺のところに相談を持ち掛けてきたってわけだ。

彼女自身、俺の彼女…先日入籍したから嫁さんか。俺の嫁さんと親しいからってこともあるけど。

 

おい、そこ。

ニヤニヤすんな。

そうだよ。偶然にも小学生のときに出席番号が後ろになったあいつだよ。

今も昔も可愛いだろ?俺の嫁さんは。

のろけはいい?誰のせいだ。

 

ごほん。

話を戻すぞ?

 

理由も分かんないまま、そいつがいなくなって二週間が経った頃。

コンビニのシフトは一ヶ月まとめて組んであるんで、そいつの分は一緒に働いてた彼女と有志で埋めてたらしい。

 

丁度その日、彼女は深夜の夜勤に入ってたんだって。もちろん安全面のためにもう一人一緒のやつがいたらしい。

この「深夜」っていうのはガチの深夜な。

日付が変わった朝(未明?)1時から朝5時までが深夜タイム。

 

この時間は客が極めて少ないんで、菓子とか雑貨の商品陳列・看板とかの外掃除がメインの仕事なんだって。

で、もう一人が外の掃除してる間に彼女は商品陳列を店内でしてたんだって。

 

その時間にさ。

店内放送が、変な時があったらしいんだよね。

 

別に店員がアナウンスを入れるとかっていう放送システムじゃなくて、多分パソコンとかに本部から送られてくる音楽とセールのアピールとかをただひたすら繰り返して流すタイプの放送。

繰り返しだから、時間によって違うってことはない。

 

突然流れていた音楽が止まって、うんともすんともいわない。

雑音すら入らない妙な時間。

 

流石に彼女も不審に思って、事務所のパソコンを見に行こうとしたらまた音楽が鳴り始めたらしい。

接触不良とかって原因も考えられるんだけど、彼女はどうも気にかかったらしい。

彼女は他の深夜組の人にもそういうことはあったかって聞いたんだって。

でも、そんなの1度もないってみんな言う。

 

たまたまだったんだろ?

そうだよ。たまたまだったんだよ。

たまたま彼女が深夜に入った日に、しかも彼女が一人になったときにそういうことが起こったんだよ。

 

たまたま

それが

30回以上

続いていてもな

 

たまたまなわけないじゃん。

彼女が深夜出勤する度に起こるそうだぜ?

 

でさ。

その放送について詳しいことを聞いたら、彼女、震えながら話してくれるんだ。

 

初めは無音だった。

 

回数が増えてくると、ざっ…ざっ…って足を引きずるような音が混じってきた。

 

嫌な予感がして、彼女にもういいって言おうとしたとき、彼女叫んだんだよ。

 

あの人の声が混じってる。

 

って。

 

えって思って、続きを聞いた。

 

足を引きずるような音に混じって「ごめん」「いやだ」「やめて」って声が聞こえ始めた。

昨日も深夜入った。

そしたら

 

 

 

「タスケテ、××」

 

 

 

 

そいつの声で、はっきりと自分の名前を呼ばれたんだってさ。

 

ここまでが俺の聞いた話。

もちろん俺の嫁さんも聞いてる話だ。

 

ここからは俺に起こった話だ。

 

その日も彼女、そいつの声を聞きたくて深夜出勤交代してもらったんだってさ。

彼女はまたその放送を聞くんだろうと思ってた。

 

俺も、俺の嫁さんも二人のことが心配なんだよ。

嫌な予感はずっと続いていた。

その日は二人で彼女の話を聞きに行くつもりだった。

 

そのときは、どうかその「なにかを」引きずる音が、「そいつを」引きずる音ではないように願うばかりだったんだ。

 

彼女と待ち合わせをしていた時間まで暇していたら、

♪~

一通のLINEが入ったんだ。だれからだと思って見てみたら、なんといなくなったはずのそいつからだった。

 

その内容を見てさ、俺思ったんだ。助けてやるって。

だってさ。

そいつが俺のこと指定してきたんだ。

応えてやらなきゃ先輩じゃねぇよ。

 

○○からのLINEメール

「センパイ マッテマス タスケテ」

 

そのLINEにいくら返信を送っても、結局返信は返ってこなかったし、既読すら付くこともなかった。




『引きずる音』

俺の後輩がコンビニのオーナーになったんだ
今はもうないけど

曰く付きの角の場所
入れ替わりの激しいあの場所は
きっと「なにか」がいるはずだ

たすけて
呼ばれた
タスケテ
待ってろ

角にあるあのコンビニ
夜中になにか、聞こえてこない?
例えば、ほら
何か引きずる音とかさ


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出席番号4番「ひきずられる音」

前の彼と同じ話になるんだけどね。

 

私の先日入籍した夫の元後輩くんがコンビニのオーナーになったの。

ええ、同じ人よ。

私の後輩がその人と入籍したの。

 

…ああ、そのコンビニはもうなくて、次のお店もまだ入っていないみたいじゃない?

 

ほら、やたら出入りが激しかったあの角のコンビニ。

みんなも知ってるでしょう?

 

これはそのオーナーがいなくなった少し後の話。

オーナーの婚約者だった私の後輩から聞いた話。

 

私の可愛がってる後輩は、数ヵ月前にずっと付き合ってた人と入籍したの。

私もその子もすごく嬉しくてはしゃいでた。

その子の旦那さんになった人は、本当に偶然なんだけどね。私の先日入籍した彼の元後輩だったの。

 

ちょっと、そこの君。

ニヤニヤしないでよ。

 

彼は特に言ってなかったけど、向こうの人はすごく彼に懐いていたみたい。

その人は何ヵ月も前に私たちの地元に来て、コンビニのオーナーになったの。

もちろん私の後輩も一緒に来て、コンビニの店長として頑張ってた。

 

オーナーと店長は違うからね?

夫婦でコンビニをやるんだったら、オーナーが旦那さん・店長が奥さんって所が多いみたい。

 

経営も軌道に乗ってきて。

金銭関係も人間関係も良好。

ずっと付き合ってた二人も将来を誓って入籍して。

幸せの絶頂にいたんだよ。

それなのに。

 

その人は急にいなくなってしまった。

 

いなくなる理由なんてこれっぽっちもなかった。

彼女はその人がすぐ戻ると信じてお店を回した。

深夜での出勤も入るようになった。

安全面を考慮した二人でのシフトは彼女の旦那さんになった人が考えたもの。

それでも店内に一人だけっていう時間はできるよね。

そのときに少しだけ、変な放送が流れたんだって。

 

初めは無音。音楽とかの途中なのに、ぶつりと急に音が途切れたんだって。

 

一回だけだったら、まあそんなこともあるかなって思うんだけど。

こんなことが二回三回…四十回なんて続いたんだって。

 

それは決まって彼女が深夜に一人の時に。

 

しかもその無音だった放送に変な音が少しずつ混ざり始めたんだって。

 

…………

…ざっ………

ざっ………ざっ………

…ざっ………ざっ…

 

何かを引きずる音が混ざり始めた。

 

ざっ……めて……

…ざっ……い……はな…ざっ…

…いや…ざっ……ざっ……て……

 

誰かの声が混ざり始めた。

 

その声は。

 

……ざっ……ざっ…タス…ざっ…

 

彼女が帰りを待つ、彼のものだった。

 

…タス…ざっ…ケテ……ざっ…××…

 

彼の声が彼女の名前を呼んだ。

 

「タスケテ ××」

 

その話を私と私の方の旦那さんに話しているとき、彼女は泣き崩れていた。

あの声は絶対にあの人だ

私はどうすればいいの?

あの人が助けを求めているのに自分は何も出来ないの?

彼女はもう限界だったんだと思う。

 

今日も彼女が心配で、私の旦那さんと一緒に話を聞きに行く予定なの。

でもね。

さっきその旦那さんからとんでもない連絡がきた。

いなくなったその人からメールがきたんだって。

「センパイ マッテマス タスケテ」って。

LINEだったから彼はその後いくつかメッセージを送ったらしいんだけど、既読は付かないんだって。

 

その日の待ち合わせの時間までまだ余裕があった。

自分を指名してきたんだからできる限りやってみるって、彼は言ってた。

色々調べてみるって。

 

そう。

ここまでが私の旦那さんも知っているさっき言ってた「引きずる音」の話。

 

でもね、実はその話には続きがあるの。

彼女と親しかった私が聞いた話。

 

「タスケテ」って声が聞こえた放送の後も、変な放送は続いた。

でも、なんか変なんだって。

ざっ、っていう引きずる音が…例えばその音を足を引きずる音だとするでしょ?それだと、一応足を引きずっている人は自分で歩いている状態になるよね?

 

それが…

ずるっずるっ、って引きずられる音になったんだって。

なんか重い荷物を引きずる時に出る音。

その時には、声はもう聞こえなくなってたんだって。

ただ、得体の知れない不安が彼女の心を支配した。彼はどうなってしまったの?って。

 

彼女はもう不安で不安で、毎日深夜に勤務時間を作ってた。その「放送」を聞くためだけに。

 

その引きずられる音は始めはゆっくりと。

 

…ずるっ……ずるっ…

 

次第に速く、容赦なく「物」を引きずるような音になっていった。

 

ずるずるっ…ずるっ…ずるっ…ずるずるっ…

 

ずずっ…ずるずるっ…ずずー…ずるずるー…

 

それは普通じゃ考えられないくらいの速さで引きずられる音なんだって。

しかも、それを聞いていると自分の体が引きずられているように感じる。

真っ暗な穴の奥へ引きずられるように。

しかも時折、がさがさと何かが擦れるような音も混ざるんだって。

足になにか巻き付いている気がするんだって。

 

彼女、言ってたわ。

「ああ、もうダメなのかもしれない。」

 

待ち合わせの時間まで一時間を少し切ったくらいだったかな。

 

♪~

 

私のスマホにLINEが入った。

彼女からだった。

 

あのね。

私の可愛い後輩である彼女はとてもいい子なの。

もちろん、その旦那さんとなったあの人も。

私は、二人を助けたかった。

もう、その時既に手遅れになってしまっていたとしても。

私は最後まで諦めたくない。

みんなも知っている通り、昔から諦めが悪いのが私の長所であり短所だったわ。

 

××からのLINEメール

「センパイ ゴメンナサイ」

 

その日、彼女に会うことは結局できなかった。




『引きずられる音』

私の後輩たちがコンビニのオーナーになったの
今はもうないけどね

角のコンビニ
何かが潜む
夜になると、ほら
聞こえてくる

何かを引きずる音
誰かを引きずる音
誰かが引きずられる音
連れてかないで

きっときっと助けるわ
大切な後輩なんだもの
だから待ってて

間に合って


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出席番号3・4番「引き戻す音」

『引き戻す音』

後輩たちがコンビニのオーナーになったんだ
今はもうないけどさ

あの角のコンビニ
飢えた獣が地下にいる
腹を空かして獲物を引きずり
足りない、足りないと貪ってる

いなくなった二人の後輩
足跡追って
はい、終わり
笑って助けてハッピーエンド

守りたいから笑って終わる
真実は?


俺の元後輩はいなくなった。

そして、その入籍したばかりの奥さんもいなくなった。

 

二人が経営していたコンビニは、今ある在庫の分だけは売り切って後は一旦休業するという形にした。

従業員たちは二人が戻ってくると信じている。

二人がそれだけ信頼されているということだ。

 

俺たちは二人のそれぞれの先輩だ。

二人は大事に大事にしていた後輩なんだ。

大事で可愛い後輩である。

 

待ってろよ、きっと助けてやるから。

 

ところで、話はかわるが一応言っておく。

俺たちはそういう専門じゃないから。

探偵とか霊祓師とかじゃないから。

 

ないけどさ。

 

明らかに今回のこれってあれだろ。

霊的案件。別名ホラー。

 

出来れば昔馴染みの寺の息子に見てもらうのがはやかったんだけど…ほら、お前だよ。

お前あの時ちょっと事情があって会えなかっただろ。

だから、これは俺たち二人でなんとかするしかなかったんだ。

 

まずは手近からということで…

 

不動産に行った。

コンビニの場所を貸していた不動産だ。

 

何も知らなかった。

そこの奴らは、本当にただ貸していただけだった。毎回、やけに早く返したがるなーと思う程度だったらしい。

そいつらは地元の、ここらの出身ではなく余所者だった。

 

とりあえず、間取り図だけぶんどってきた。

嫁さんが。

強い嫁さんを持って俺は幸せだze…

 

で、だ。

見取り図をじーーーっと見ると、一ヶ所だけ変な所があった。変な、空白。

そこがさ。

 

事務室

のパソコン

のちょうど真下

 

二人して言ったよ。

「これ、フラグだ」

 

店内放送はパソコンから流している。

まあ、実際は直接って訳でもないけどな。

でも店内放送が変だったんだから、まあ何かしら流してたパソコンにも~っていう安直な考えだ。

 

大体こういう場合は…

パソコンの真下の床が開く

→開いた

人が通れそうな空間が広がっている

→広がっている

行方不明中の二人の持ち物が落ちている

→男性の靴、キャラもののボールペン発見

何かが引き摺られた跡がある

→………ある。

 

多分さ。多分なんだけど。

二人ともここから引き摺られていったって考えるのが普通だよな。

あの時、隣にいる嫁さんがすっごく苦い顔していた。せっかく可愛い顔してるのに。

 

だが。ここで突撃をかます無謀な俺たちではありません。

事前調査は必要なのさ。

 

一旦開いた床をぱたんと閉じた。

俺たちは思い出す。調べてきたことを。

昔から経験してきたこの地元での体験を。

 

俺たちの地元は「桜ヶ原」という名前だ。

その名前の通り、桜にまつわる言い伝えとか伝承・怪談何てものがいくつもある。

実際に、俺たちはそのいくつもを体験している。

そうだろ?みんな。

たまたま?否。

俺も嫁さんも、そしてあの日同じ「約束」を交わしたお前たち仲間たちも。わかった上でその道を通ってきた。

通る道は選べないからな。

俺と嫁さんが選ばれた道がこれだっただけなんだ。

だから、今だって後悔はしていない。

 

でも、それに大切な後輩を巻き込むことは許さない。

 

さて、今回の「これ」もきっとその一つだろう。それっぽい話、あったっけ?

 

多分あれじゃない?

隣にいる嫁さんが目をしっかりと見て話し出す。

 

「死ねない桜」の話。

この地にあった数知れない桜の樹は、今では一本を残して姿を消した。

消えてしまった樹の中で一本だけ、中途半端な樹があった。

それが死ねない桜。

他の樹と同じようにその大木は切られ姿を消した

 

はずだった。

 

その樹のある場所は「たまたま」水がよく流れていて、根から水をひたすら吸収してしまう。

切っても切っても根っこが生きたままになり、死ねない状態で今でもどこかで生き続けている。

 

それだけだったらいいのだが。

 

その桜は貪欲だった。

豊かな水だけでは飽き足らず、肥料を欲した。

 

ゴハン ガ ホシイ

 

と。

 

その長い根を自在に操り、獲物をゆっくりと締め上げ、息が絶えたところでバラバラにして、根元に引きづり込んで、満足げに喰らい出したのだ。

その桜は。

慄(おのの)いた人々は、桜が満腹になって眠り始めた頃を見計らい埋めた。

というより、上に土やら石やら木材やらを被せ埋め立てたのだ。

桜が起きた頃には身動きが出来ない土の山の中。

 

それでも根は今だに水だけは吸い続けるので、死ぬことは出来ないままである。

 

これが「死ねない桜」の話ね。

たしか、小学校にあった地図の特別危険地域ってその辺りじゃなかった?

 

Oh,記憶力のいい嫁さんを持って得したYo…

じゃなかった。

その「特別危険地域」って一ヶ所だけじゃなかったか?

つまり…そこが一番ヤバイ所ってことだろ。

 

なんでそんな簡単に貸し出すんだよ、不動産。

伝承甘く見んな。

最近の不動産って手軽過ぎやしないか?

不動産に今更怒ってもしょうがないので、現実を見た。

 

その「死ねない桜」がそのコンビニの下にあったとして。

行方不明の人たちは桜のゴハンになったんだろうな。桜ごはんじゃないけど。

 

一回のゴハンにどれだけの時間と量が必要かはわからなかった。

けど、二人がまだ生きていると信じていたかったんだ。

そのまま直に突撃したら俺たちもゴハンになること間違いなし。

なんせ相手は「死ねない」んだからな。

 

なので、ここで俺たちがすべきことはあれだ。

直談判と交換条件。

ということで行ってきたわけだ。

さくら公園にある「最後の桜」姫のところへ。

 

はっきり言うとヤバかったわ。

よくあんなことしたなって思う。

「あのコンビニの下の桜、食い過ぎ。

俺たちの大事な後輩が持ってかれたんだけど、どうしてくれんの?

余所者だけど、地元の奴らにも優しかっただろ?

 

返せよ」

 

あの桜は答えれくれたよ。

「私の身内が迷惑をかけた。

あれには私も困っている。

確かに最近あれは食べ過ぎだ。だが、すぐに餌を返せと言っても返さないだろう。

代わりのものを差し出せば話は違ってくるだろうが」

 

「なら、ここに一つ代わりがあるぜ」

「二つ目もあるわよ」

 

俺達が代わりになるから、あの二人を返せ。

桜は了承したぜ。

 

ただ、俺たちは地元民だからと言って条件を出してきたけどな。

 

一つ。

自分たちで死ぬから、それまでは手を出させるな。死体は好きにしていい。

一つ。「約束」があるからしばらく時間を寄越せ。「約束」を守らなかったらそっちも困るだろ?

 

それからあいつらを迎えに行って、そのままじゃいけないから後処理して、時が来たら終わらせて、ここってわけだ。

 

あいつらのその後な。

桜ヶ原を出たすぐの所を借りてコンビニを移店させた。従業員もまるっと変更なしで納まったしよかったよ。

あの二人の人柄の良さが反映されたな。

 

そいつと最期に会った時さ。

本当にこんなにいい後輩が持てて幸せだなって思った。

のこせること、教えられることは全部やったと思う。

俺たちが小学生の頃に素晴らしい先生に出会えたように、そいつにとってもいい出会いだったと言ってもらえたら最高だ。

 

俺は本当に本当に

(ぽた)

幸福な人生だったよ。

 

そう言って笑いながら、俺は静かに目を閉じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

その子と最期に会った時ね。

本当にこんなにいい後輩が持てて幸せだなって思った。

この時の件で、あの二人の足首には消えないであろう桜の根にきつく絞められた跡が残っちゃった。私はそれが申し訳なくて、戻ってきたオーナーである彼に私たちが何をしたのかそっと教えてきた。

 

のこせること、教えられることは全部やったわ。

心残りがあるとすれば、そうね。あの子たちの子どもが見られないことかしらね。

実は…最期に会った時、その子妊娠していたの。

これからは三人で幸せになってね、って言ってきたわ。

 

私は本当に本当に

(ぽた)

幸福に溢れた人生だったわ。

 

そう言って笑いながら隣にいる旦那さまの手をぎゅっと握って、私は静かに目を閉じるのだった。

 

互いの手がほんの少し震えていたのには、気づかない振りをした。




『角のコンビニ』

俺たちの後輩がオーナーになったあのコンビニ
今はもう中身を失った元コンビニ

腹を空かした獣は寄越せと吼える
俺たち二人はかえせと吠える

消えた後輩は帰ってきた
今もコンビニをやっている
交換取引を後で知る俺らの後輩

笑ってさよなら言うからさ
笑って生きていってくれ


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出席番号5番「切り株の上-僕の話」

僕たちの地元は「桜ヶ原」という名前だよね。

それにしては桜の木なんて、さくら公園にあるたった一本しかないのにねって思っている人、どれくらいいた?

…うん、ほとんどだね。

僕の実家の寺にある資料によると、昔は本当に数えきれない位の数がこの地に植えられていたそうだよ。

いろんな理由でその姿を消してしまったらしいけどね。

切られたり、燃えたり、腐ってしまったり、寿命だったり。

今じゃその跡すら僅かにしか残っていない。

 

僕たちが通っていたあの学校の七不思議の一つ目は、実は一番身近なものだったんだ。

一つ目ってこともあって、とりあえず誰しもが一度は聞く話。

 

それは。

 

「校内にある桜の木の切り株の上に何かを置くと、一晩で消える」

 

桜ヶ原は広くないので、学校は小・中・高が1個ずつ。

昔は更に子どもが少なかったんで、学校自体が1個しかなかった。それは、まさに今小学校がある場所に建っていた。

 

最低でも小学校は通うよね。

地元の子どもはみんなこの小学校に通って、この話を一度は聞くんだよ。

だから僕たちみんな、ひとりも知らない人はいなかった。

しかも、その実際の切り株は学校の裏にしっかりとある。

切り株の上に物を置くくらい、誰だってやっているんだ。あの話って本当かな?ってね。

 

もちろん僕もやったよ。

次の日に行ったら、置いた物はなくなっていた。

誰かが持っていったとか、風で飛ばされたとか色々言われるんだけどね。

だから子どもたちの間でルールが自然と出来上がっていったんだ。

 

一定以上の大きさの物は置かない。

置く物は1個だけ。

生き物・なまものは置かない。

置いたら布を被せて、切り株に縛っておく。

 

僕の知っているのはこれくらい。

別に、このルールを守らなくても罰せられるってこともないよ。

ああ、ただ1個だけ。

置いて消えたものは、2度と戻らない。

絶対にね。

 

別に、このルールを守らなくても罰せられるってこともないよ。

ああ、ただ1個だけ。

置いて消えたものは、2度と戻らない。

絶対にね。

 

それだけ忘れないでね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。僕の話をしようかな。

 

僕は桜ヶ原にある唯一の寺の長男。

両親はとても優しくて、おおらかで、いい家庭だよ。

 

9つ離れたかわいい弟がいる。

離れすぎだって?当然だよ。

僕は養子だもの。

両親とは血が繋がっていない。弟ともね。

 

やだなぁ。そのことに関して不満があったりはしていないよ。

もう吹っ切れているし。

今は、ね。

吹っ切れる前はそれは酷かったよ。

みんなにも迷惑をたくさんかけちゃった。

小学3年のあのときに知って、先生にも君たち同級生にも色々助けてもらっちゃった。

いや、救ってもらったって言うのが正しいかな。

一言では表せないや。

 

丁度その頃弟が産まれて、自分だけが他人だったって知って、両親は弟にかかりきりになって。

僕は家出をした。

両親は何も言わなかった。言えなかったのかな。

あの日のことは今でも覚えてる。

 

簡単な荷物だけ持って家を出た。

雨が降ってきて、行くとこもなかったから学校に忍び込んだ。

 

帰りたくなかった。ただ、あの「家と思っていた場所」に戻りたくなかった。

 

校内をうろうろしてたら裏庭に来てしまった。

そこにはもう一人の訪問者がいた。

親に怒られて家出してきた彼は、僕と同じように学校に忍び込んだらしかった。

 

当時そんなに親しいわけではなかった僕と彼。

でも、その時家に帰りたくないっていう気持ちを共感して、一晩中話をした。

たくさん、たくさん話をして。

最後には僕だけが泣きながら話をして、彼はただそれを聞いているだけだった。

 

そうそう。

最終的に落ち着いた僕たちは、丁度いい機会だからって切り株の七不思議をやってみようってことになったんだ。

ええっと、何を置いたんだったっけ?

 

ああ、あれだあれ。

 

初めは、僕の弟を連れてきて置いておこうって話になったんだ。あんな弟いらないって。弟がいなければ、今まで通り家族でいられるって。

でも、心のどこかでそれだけはやっちゃいけないって言われた気がしたんだ。

 

結局、弟はやめておいて、僕と父と母が一緒に写った写真にした。

今はもうないよ?

きっとね。写真と一緒にそれまでの「家族」を消したかったんだ。

「家族ごっこ」をしていたあの頃の家族を。

 

一晩経って、彼は自分の家に帰ると言った。謝るんだって。

 

僕は…まだ帰れなかった。

それはそうだと言って、彼は僕を自分の家に連れていった。

彼は、まず自分のことを謝って、僕のこと(養子等混み入ったことは除く)を話して。一晩だけ、何も言わずに匿ってくれた。

 

一晩だけだよ。

たったそれだけだって?うん、そうだよ。

彼の家には「一晩だけ」お世話になった。

僕の家出は1ヶ月続いたんだけどね。

連絡網って今でもあるのかな?

クラスで順番に電話で連絡事を回していくの。

彼ね、それを使って君たちに僕のことを話したんだ。

「一晩だけ○○君を家に泊めてあげて。

○○君の家の人にはバレないようにして」

ってね。

うわぁ、懐かしいな、この話。

 

だから、僕はその夏、同級生の家に一晩だけお泊まりするっていう日記を書いた。

実はね…その日記まだ残ってるんだよ?

 

結局のところバレバレだったとは思うよ。

でもね、僕たち誰もバレてないって思ってた。

だって、その「秘密」のメンバーの中には担任だったあの先生も含まれていた。

先生は僕たち側、共犯者だったんだ。

これは確実だよ。

だって、両親から「あの先生は結局最後までお前がどこにいるのか教えてくれなかった」って、家に帰ったときに言われたんだから。

 

ふふ、今じゃあり得ない話だよね。

笑いながら人を騙して、傷つけて、不幸を喜ぶような御時世だ。

他人も、家族だって信じることが出来ない時代だ。

 

そんな時代が僕は嫌い。

 

桜ヶ原の地元の人たちはみんな仲がいい。仲というより、もう地域の繋がりが強固なんだ。悪く言うと閉鎖的とも言えるかな。

特に信頼関係が強いんだ。

 

僕と、君たちは特に繋がりが強いと思う。

そうじゃなきゃ、先生から教えてもらった七不思議の解明なんてしないよ。

 

なんたって命懸けだもん。

 

余計な話が長くなっちゃったね。

 

これが僕の七不思議・一つ目の話だ。

いや、ごめん。

これが初めての七不思議・解明の話だよ。

 

僕は学校の裏にある切り株の上に家族写真を置いた。

その写真は一晩で消え去った。

 

僕は七不思議の一つ目を使った。

カウントが一つ減った。

 

 

 

 

 

 

 

 

あはは!これじゃとっておきの話にはならないかな?

よし!それじゃ続けよう!

 

これが僕のとっておきだ!

 



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出席番号5番「切り株の上-俺の話」

さてさて、僕には変な癖がある。

凄く不機嫌になったりして感情が吹っ切れるとテンションがおかしくなるんだ。

 

…こういう風にな?

まあ、同級生の奴らはもう慣れているがな。

 

 

 

高校を卒業した俺は桜ヶ原を離れて大学に進学した。

大学も無事卒業して一旦実家へ帰ると、親父の知人が丁度家に帰ったときに来てた。

はっきり言って、俺はそいつが嫌いだ。

そいつはろくに努力もしないで他人に仕事を押し付ける。失敗すれば周囲に責任を押し付けて、自分は関係ないと言いやがる。

挙げ句の果てに、面倒事からすぐに逃げる。

俺はそいつが嫌いだが、親父はもっとそいつの事が嫌いだ。

 

地元で「仏」と呼ばれるほどいつもにこやかな親父が。あの夏の家出事件の時にさえ怒らなかったあの親父が。

机を殴っていい加減にしろと怒鳴ったんだぜ?

 

俺的にはよくそれで済んだと思うけどよ。

 

だってさ。その内容がマジで最悪なんだぜ?

 

自分の経営している企業で一人空きが出来たから俺を寄越せ、ってさ。

そこまでなら俺だって許せるんだぜ?

でもさー、その企業の内部事情知ってる大学の後輩が俺にはいたんだよ。

 

「一人分の空き」って、自殺したから空いたらしいんだ。

 

自分より仕事が出来るからいじめてたらしいんだ。

仕事量をわざと増やしたり、連絡をわざとしないでミスをさせたり、休憩なんてなしで働かせ続けたり、自分がミスしたらそいつのせい。

 

企業自体はブラックじゃないんだよ。

ブラックはその馬鹿野郎だけ。

 

周りはもちろんフォローしたらしいけど…

亡くなったそいつは耐えられなかったんだな。

とうとう電車の前に飛び出したらしいんだ。

さっき言ってた俺の後輩は…

丁度その時同じ駅にいてさ、

飛び出すところを見ちまったんだよ。

声をかけようとした背中が、

ホームに落ちて、

牽かれて、

 

どうなったかは聞かないでくれ。

 

その直後、俺はその後輩から電話がかかってきてたから、

その駅がどんな状態だったかは、全部じゃないが知ってるつもりだ。

 

後輩もかわいそうだった。

信頼も尊敬もしてた先輩だったらしいから。

 

何より哀れなのはその当人だ。

たった一人の馬鹿に人生を狂わされて、望まないのに終わらされた。

 

俺の後輩は、まだその企業で働いてるぜ。

その先輩をいじめていた上司が憎いから、いつか証拠をまとめて警察に突き出すんだとよ。

同士も多数いるって話だ。

 

でも、今一歩というところで証拠が掴めないって連絡が来てた。

その矢先に、馬鹿野郎が家に来たんだよ。

 

笑え。親父の後輩がこの馬鹿野郎だ。

 

俺は親父に後輩からの話をしていた。企業の名前も言っていたから、親父は馬鹿野郎がとんでもないことをやらかしたと知っているはずだ。

 

俺はさー、親父似だってよく言われるんだよなー。

その理由がこれだ。

沸点を越えると性格が豹変する。

ははっ!おまえらからはよく「仏の顔も三度まで」って言われたよなぁ!

普段は「私」の親父もこの馬鹿野郎相手には「俺」になっちまってる。

しかもさ、その馬鹿野郎。それに気づいてないんだぜ?どんだけ馬鹿だよ!

 

親父は端から息子を貸すつもりないんだっつーの。

特に、部下の死を「一人分の空き」なんて言った奴にはな。

 

だから俺は馬鹿野郎に言ってやったんだぜ?

 

「分かりました。いつから出社すればよろしいでしょうか?」

ってな。

 

馬鹿野郎は喜んで帰っていったし、親父は驚いていたぜ。

親父には悪いが、後輩が証拠を欲しがっているんでね。俺が行けばいじめの矛先は俺に向くだろうって話だ。

 

っつーわけで、その企業に一時期雇われてたってわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

いやー、いじめキッツイわー。

地味にキッツイわー。

こういうのを無理ゲーって言うんだろうなー。

俺、週休2日って条件で入社したつもりなんだけど、1週間って30日だっけ?

昼休憩は1時間なんだけど、片道30分のコンビニに馬鹿野郎の弁当買ってこいって?

 

はぁ?

ふざけんなよ。

 

事前情報でいじめの内容はパターン化してるだろうって話だったんで、後輩を始めとする向こうの同僚たちにサポートしてもらって、なんとか乗りきった1ヶ月。

 

んで、次の日は社員全員の共通の休日だから馬鹿野郎抜きで呑みに行った。

馬鹿野郎抜きな。

 

そこの奴らはほんとにいい奴らばっかでさ。

お前ら、そんなに出来るのになんであんなことになったんだよ、って聞いたんだ。

そしたらさ。

馬鹿野郎の親が社長なんだってさ。

全部もみ消して、無かったことにしたらしい。

そいつら自身も辞めたいんだけど、辞表すら受け取らないらしいんだ。

最悪だな、馬鹿親子。

 

こういう企業には就職するなよ?

勧めるなよ?

 

とまあ、いじめを受けつつ俺は証拠を集めるわけよ。

出社するときはいつもボイスレコーダーをポケットに入れて、鞄には充電器っていうのが常だったぜ。

我ながら根気強い作業だった…

 

で、社内の証拠もなんだけどよ、俺は亡くなった奴の家に行ってみた。

後輩が説明してくれてさ、線香あげに行った。

 

そこで見つけたんだよ。

そいつの日記。

御家族に了承を得てさ、見せてもらった。

いじめの内容も書いてあったぜ?でも、御家族が知ったのは全部が取り返しのつかないとこまで来た後。

 

なんでそんな会社に勤めさせたんだろう。

早く辞めさせなければならなかった。

そこまで追い詰めて、尚笑っていられる馬鹿野郎が憎い。

 

泣きながら話してくれた。

 

俺はじっと日記を見た。そしたら、なんか違和感を感じたんだよな。

変に行が開いていたり、簡単な漢字が平仮名だったり、中途半端なとこで改行されていたり。

 

こんな文章、見たことあるって思ったんだ。

 

同級生の、ああ、そこのお前だよ、

国語の教師をしているお前の、

昔ふざけて考えた、

本当に伝えたい要件だけを、

隠した、

 

縦読み

 

そうだ。縦読みの文だ。

 

俺はページをめくった。

変な文になった日付から、順に目を縦に走らせる。

 

そしたら

 

「ぼくのせいじゃない

おまえがやれ

ちがう

ちがう

つかれた

ねむい

やめたい

みんなごめん

いやだ

いやだ

にくい」

そいつの、亡くなったそいつの心からの本心がそこにはあったんだ。

 

俺は日記を借りた。後輩の所に持っていった。

後輩は慌てて同僚たちを集めた。

最期まで見せることのなかった亡くなったそいつの想い。

もうこれで充分だ。今までの証拠と一緒に警察へ突き出そう。

 

あいつらはそうしようとしたんだ。

甘いな。

 

世の中にはもっと酷い状況があるんだぜ?

しかもな、そんな状況から逃げきってしてやったりな顔してる罪人がいくらもいる。

あの馬鹿野郎は無罪になる。

有罪になったとしても俺たちが納得するような判決にはならねぇよ。

 

そんなもん納得しねえけどな!

ふざけんなよ。何様だあの馬鹿野郎。

人の命をなんだと思ってやがる。

 

ぜってぇ逃がさねぇからな。

今までの行いを悔い改める位はしてもらわねえと、そいつが報われねえ。

 

いっちょ、馬鹿野郎をしめてやろか

 

なんて全然思ってませんよぉ~?

包丁なんて握ってませんしぃ~。

毒なんて購入してませんってばぁ~。

俺ってば、もっといい方法知ってるんだぜ?

 

俺がこの話を「とっておきの話」としてお前らにしてるのは理由が二つある。

ひとつ。単に馬鹿野郎に滅茶苦茶ムカついているから。

人生で一番最低最悪な奴と思ってる。

 

それと、もうひとつ。これが俺たちの「学校七不思議」と関係する終わりを迎えたから。

てか、迎えさせたのは俺なんだけどな。

 

最初に話してた「切り株の上」の七不思議。

あの馬鹿野郎に使ったぜ。

 

もうこの時期になると七不思議も半分以上解明してたんだよな。

しかも、七不思議の内容だけじゃなくて、詳しいこと…なんでそれが七不思議となったかと詳細だな。それが俺たちの努力でわかってたんだよ。

 

あー、頑張った頑張った。

俺もお前ら五人も頑張った。

いや、同窓会はみんなでやってるんだから「頑張った」はノーカウントだろ?おい、こら。そこのお前、どや顔するな。

 

それで話は戻るけど。俺が解明した一つ目「切り株の上」もなんだけどよ。

あれで終わりなはずないよなぁ?

切り株の上に置けば一晩であら不思議~、影も形も消えちゃいます。

なーんて、子ども騙しにも程があるよな。

当時の俺たちにはそれでよかったんだけどよ。

 

「切り株の上」の七不思議はな。

簡単に言えば俺、始めは神隠しの類いだと思ってたんだよ。

でも後でちゃんと調べたら意外とエグかった。

学校七不思議・一つ目の本当の名前は

 

「切り株の上の処刑人」

 

罪人があの桜の所で処刑されていたんだ。

なんでそれが「物が消える」ってことになったかと言うとだな。

処刑された罪人の死体が一晩で消えたことからそうなったらしいぜ?

 

まあ、これも神隠しか?

 

あの桜の木の精霊が、処刑された罪人を地獄へ連れていってるんじゃないかってされてる。

 

つまりさ。

あの馬鹿野郎にここで処刑されてもらおうぜ!

って話だ。

ただここで条件がある。

これは七不思議の正規の条件な。

 

一つ目の場合は

・罪人、及び見届け人が必要。

・罪人は重犯罪人のみ適用。

これが重要な。

・罪人、見届け人は決して戻ってこれない。

 

亡くなった奴の日記を見たとき、これだと思ったんだよ。

馬鹿野郎は裁かれるべき人間だ。

そして、罪を償うべき人間だ。

でもよ。きっと同じ人が法で裁いたとしてもこの馬鹿野郎は改心しない。

 

ならば、神様仏様桜の精様。

お願いします。

あの馬鹿野郎をさばき、地獄へ送ってください。

その為なら、僕は見届け人としてついていきましょう。

 

これを決めた後にさ、俺は後輩にも同僚にも両親にも弟にもしっかり説明したんだぜ?

そしたら、みんな「お前らしい」って言って笑って送り出してくれた。

 

ああ、そうだぜ?

おまえらには言わなかった。

 

どうせ後で集まるんだ。

とっておきの話として温存しておいてもいいじゃねぇか。

 

「同窓会」の時が来るまで、僕はみんなには言わないでおく。

きっと、みんなもみんなでそれぞれの「とっておきの話」を温存して来るんだからさ。

 

というわけで、俺はその企業を辞めた。

その後は残った後輩とその同僚に任せる。

あいつらだったら持ち直せるだろ。

それだけ俺はあいつらを信用してるんだぜ?短い付き合いだったが、出会えてよかったと思える奴らばかりだ。

 

そして俺の最期の一仕事。

馬鹿野郎を、話があるのでー、と言って呼び出した。そこでどかっと一発。腹に一撃を食らわせてやった。

気絶した馬鹿野郎を運ぶ。

 

犯罪と言うなよ?正当防衛だ。

サポートなしじゃ俺は今ごろ過労死だしよ。

ほんとにこの馬鹿野郎のいじめはヤバかったんだって。

よくこんなのが社会人としてスーツ着てんなー、と思うくらいだ。

七五三迎えた子どもの方がまだかわいい。

 

あー、ヤバい。

馬鹿野郎が嫌い過ぎて愚痴を1時間吐けそうだ。

 

適当に…ああ、この場合曖昧な方の適当な。

適当に引きずって車に載せて(間違った漢字じゃねえだろ?)地元へ引き返す。

当然、小学校に着いたのは真夜中だ。

 

月が明るい夜だったぜ。

本当に。

 

馬鹿野郎を切り株の近くに転がして、俺もそこらに座り込む。

気持ちは意外と凪いでいた。

 

夜風の如く、無音の闇の如く。

ああ、これで全部終わるんだなあ。

終わってしまうんだなあ。

そんな風にどこか寂しく、けれど満足しているのも感じていた。

 

ふと、切り株の方へ目を向けると、驚いたことに影が異様に大きくなっていた。

 

月明かりでこんなになるか?

切り株の影…これ、切り株っていうより

 

何かの大木だろ?

 

影はまるで切り株から芽が出て、成長し、枝を広げ、大きな大木へと変わるように変化していった。

おそらくは、桜の大木。

ざわざわと、風が吹いているように枝が動く。もちろん音も風もないのにその影は生きているように、あたかもそこに本物の大木があるように見えた。

 

本体の切り株はそのままなんだ。

影だけが音もなく大きく成長していった。

 

無音であった世界に、ざわりと妙な気配を感じた。

いや、俺は知ってる。よく知ってる。

実家の寺で葬儀を行う時、たまに「よくないもの」が集まる場合がある。ちゃんときよめていない(清める、浄めるの両方だ)、きよめが足りないときにそれはよく起こるという。

特に、人が寝静まった丑三つ時とか。

その感覚に近いもの。

俺は、ぞくっと鳥肌を立てた。

 

その時、馬鹿野郎が呻きながら目を覚ました。

あいつは俺にあらゆる罵倒を浴びせてきたが、はっきり言って俺はそれどころじゃなかった。

キーキーギャーギャーと雑音を発していた気もするが、俺の耳には全く入ってこなかった。

 

あいつは気づいていない。

 

異様に伸びた「枝」の影が、

 

自分の足に伸びてきているのを。

 

そして、とうとうその影があいつの右足に触れたように見えた時、多分、ぶちっと何かが引きちぎられるような音がした気がする。

 

同時に

 

あいつの右足が弾け飛んだ。

 

 

ぎゃあ、痛い、ひぃ、助けて、痛い、

死にたくな

 

影が。桜の木が。

あいつの罪を暴いていく。

ぶちぶちと、体が引きちぎられ、ただの肉片と変わっていく。

 

俺はそれを呆然と見ていただけだった。

次第に、あいつの悲鳴が「言葉」ではなく醜い「音」へと変わった頃、これはあいつの罪だと認識した。

可哀想などとは一切思わなかった。

だって、その姿は、

 

電車に飛び込んで自殺した「亡くなったやつ」と同じなんだろう?

 

おまえが、気紛れにいじめて、追い詰めて、そうなった奴がいるんだよ。

覚えているだろう?忘れたとは言わせねえぜ?

 

これはお前の罪だ。

罪を悔い改め、懺悔し、罰を受けよ。

 

 

音が止み、再び闇と沈黙が周りを覆った頃。

大木の影は馬鹿野郎であった「物」をぐるりと取り囲むと、血の一滴も残さないで掬い上げ本体である切り株の上にぼとぼとと乗せた。

 

明日の朝には誰にも見られることなく消えているであろう。

そして、地獄へ送られる。

現世でのあいつの処刑は終わったのだ。

 

はあ、と大きく1回息を吐くと、おもむろに眠気が俺を襲ってきた。

俺も、ここから消えるのか。

 

……

ちょっと待て。

俺には「約束」があるんだぞ?

同級生たちと「七不思議の同窓会」をしないといけないんだぞ?

そこはどうなる。

おい、どうなるんだよ?

 

意識が

フェードアウトして

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の意識が完全に落ちる瞬間、

切り株の近くに誰かが立っていた気がした。

 

処刑人である桜の木の精霊?

迎えに来てくれた懐かしい先生?

 

ああ、あれは

写真でだけ見たことのある、会ったことのない、自殺してしまったあいつだ。

そいつは、俺を見てこう言った。

 

「ありがとう」

 

 

 

 

 

というのが俺のとっておきの話だ。

ずいぶん長くなっちまったな。

そろそろ終わるか。

 

その前に、

 

僕から言っておきたいことがあるんだ。

僕はこのお馬鹿野郎さんに罪を償ってもらいたくて、七不思議を利用した。

本当に本当に、この人にはムカついたから。

 

こういう結果になっちゃったけどね。

人生で出逢う人全てがこの人みたいに悪いわけじゃないんだよ?

だから、一度怖がらないで向き合ってみて。

 

それでも相手が最悪なら

 

俺みたいに罪を償わせようとする、お節介ヒーロー気取りの穴抜けシステムがどこかにあるかもしれねえぜ?

 

この七不思議みたいにな。

 

 

ああ。

僕、この後地獄に逝って最低最悪マジムカつくあいつの見届け人務めてくるから。

次にあうのは、あいつが罪を償いきれた時かな?

この同窓会の間だけでも俺を楽しませてくれよ?

いや、みんな。

同窓会はまだ始まったばかりだ。

楽しんでいこうぜ!

 

 

 

 

 

 

 

 

僕たちの地元の小学校には、裏庭に桜の木の切り株がある。

地元の七不思議の一つの桜の切り株。

 

その切り株の上に置いたものは

 

一晩で

 

どんなものでも消え去る。

 

どんなものであってもね。

 

消えたものは二度と戻らない。

 

だから、置くときには注意が必要。




『切り株の上』

あの切り株の上に置けばなんでも消える
七不思議が一つ目、いざ参る

苛めて虐めて嗤うバカ
まわりはみんなないている
不条理不平理この上ない
ならば制裁下そうぞ

罪人切り株の上に置き
悔いても判決死刑のみ
首を落として地獄へ送る
見届け人よ、覚悟はよいか



後悔なんてない筈だ


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後輩からの感謝情

出席番号3番と4番による「あのコンビニの話」。覚えていますか?
あの二人は無事に桜の下へと旅立って逝ったようです。

さて、これは後に残された後輩の話。


ここまでの話を聞いて下さった方、ありがとうございます。

僕は、彼の元後輩…自分は今でも先輩の後輩なんですがね。

ええ。あの角の店でコンビニをやらせてもらったオーナーです。

 

まず、結果だけを報告しますね。

 

生きて戻って来れました。

僕も彼女も。

 

素晴らしい二人の先輩の命と引き換えに。

 

僕の先輩は笑って何も言いませんでした。

なので、彼女の先輩から何があったのか聞きました。

 

僕が行方不明になったこと。

謎の店内放送のこと。

ついに僕の彼女も行方不明になったこと。

 

その後、先輩方が何をしたのか。

 

詳しく言っても解んないだろうからと、大雑把にしか聞けませんでしたが。

彼らは僕たちを連れていったものが何か知っているようで、それの大親分の所へ行ったらしいです。

さくら公園にある桜の樹ですね。あれにも何か言い伝えがあるそうです。

 

その桜がこの町の桜の中で一番偉いんだそうです。

 

それで、その桜に直談判したそうです。

「あのコンビニの下の桜、食い過ぎ。

俺たちの大事な後輩が持ってかれたんだけど、どうしてくれんの?

余所者だけど、地元の奴ら(僕が雇っていた従業員たちのことです)にも優しかっただろ?

 

返せよ」

 

初めて会った時から、先輩って口悪いのがたまに傷なんですよね…

本当に尊敬するいい先輩なのに。

 

その桜は先輩に答えたそうです。

「私の身内が迷惑をかけた。

あれには私も困っている。

確かに最近あれは食べ過ぎだ。だが、すぐに餌を返せと言っても返さないだろう。

代わりのものを差し出せば話は違ってくるだろうが」

 

「なら、ここに一つ代わりがあるぜ」

「二つ目もあるわよ」

 

自分達が代わりになるから、僕たちを返せ。

桜は了承したそうです。

 

ただ、先輩たちは自分たちは地元民だからと言って条件を出したそうです。

 

一つ。

自分たちで死ぬから、それまでは手を出させるな。死体は好きにしていい。

一つ。「約束」があるからしばらく時間を寄越せ。「約束」を守らなかったらそっちも困るだろ?

 

この二つの条件にどんな意味があるのかは、僕たちにはわかりません。

でも、近いうちに先輩方はいなくなるのでしょう。

そして、きっと二度と会えなくなる。

 

僕たちの救いは、まだほんの少しだけ彼らとの時間が残されていること。

 

あの角でやっていたコンビニは移店しました。

桜ヶ原のすぐ外に。

桜ヶ原を地元に持つ従業員たちが、そのままついてきてくれたんです。もちろん彼女も。

僕は、本当に恵まれています。

 

あの日。

桜の根に足を縛られ引き摺られながら、無意識に「タスケテ」とメールを打ったスマホには僕たち四人で写った写真が大切に保存されています。

きっと最期になるであろうその写真には、僕と彼女の自慢の先輩夫婦が輝くような笑顔で写っています。

 

ずっと僕たちを大事に大切にしてくれたあの人たち。

僕たちは、あなた方から教えてもらったもの、継いだもの、いただいたものを決して忘れません。

 

今までも、これからも大好きな自慢の先輩方。

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございました。

さようなら」

 

 

 

写真が映された画面に、ぽつりと水滴が落ちていった。

 

 

 

 

 

 

そういえば、あのコンビニだった場所なんですけどね。

その後貸していただいた不動産会社の方と会う機会がありまして、少し聞いてみたんです。

 

結局僕たちの次に入る人がいなくて、廃墟になったらしいです。

取り壊しはしないのかって?

出来ないんですよ。

解体業者が入るといつの間にか人数が減っている。戸を開けたまま数日放置すると、前の道で事故が多発する。

そんなことが続いて、気がついたら近付く人すらいなくなったと。

 

噂だと、建物の奥の部屋の床に大きな穴が開いているそうです。その穴を覗き込むと何かを引き摺る音、もしくは引き摺られる音が暗闇の奥から聞こえる、と。

更に聞いていると、微かに悲鳴のような声や何かがちぎれる音、砕く音が混ざってくる、と。

 

単なる噂ですよ。

そこまで聞いてしまったら、きっと生きて帰って来れませんから。

 

やけに出入りが頻繁な、角のコンビニには気を付けた方がいいかもしれませんね。

僕たちの時のように助けてくれる人がいるとは限りませんから。

 

 




これにて、「あの」コンビニの話は終了となります。


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ふるいおとぎ話「狸村の援軍」

昔むかし、桜ヶ原のお城にはとても優しいお姫様がいた。

小さなお姫様はどんな人にも、どんな動物にも優しくし、みんなから好かれていた。

 

ある時、お姫様が一匹のタヌキを助けた。

そのタヌキは、桜ヶ原の大山にある狸村のタヌキだった。ケガをしたタヌキを城へ連れ帰り、歩いて再び生活できるようになるまで面倒をみたお姫様。

タヌキは大層感激し、城を去るとき「このご恩はこの地の桜が全て枯れ死ぬまで忘れませぬ」と言い残した。

 

ある時お姫様が池で溺れた。

誰も見ていないところで溺れたお姫様。助けることができる者は誰もいなかった。

もちろん、何故お姫様が池に近づいたのかさえ誰にも知ることはできなかった。

 

お姫様の両親は悲しんだ。

そして、お姫様のいなくなったことを知った桜ヶ原の民もきっと悲しむだろう。ああ、彼らに何て伝えればよいだろうか。

その時、隣国との戦が近づいていた。士気が下がった国に攻め込まれれば勝利は難しい。

 

そこにポンと一匹のタヌキが現れた。お姫様が助けた、あのタヌキだった。タヌキは言った。

「姫様に助けていただいたこの命、使いましょう」

 

そして、戦は勝鬨を手にした。

城には変わらず優しく微笑むお姫様。

戦場には桜の紋の散る鎧を纏う兵と、毛皮をあしらった鎧を纏う兵が共闘したという。

彼らは「桜ヶ原のために。姫様のために。」と声を掛け合い、戦場を駆けていたという。

 

戦は終わり、毛皮の兵が城を去る日、お姫様が彼らと共に城を去ると言い出した。彼らの住む村へ行くのだと、お姫様は言った。

 

此度の戦に尽力をいただいた彼らへの褒美として姫が嫁ぐのだという。

嫁ぎ先は、彼らの頭である。

そういうことならばと、桜ヶ原の民は大いに喜び、城の家臣たちも笑顔でお姫様を送り出した。

 

かくして、お姫様は桜ヶ原から姿を消した。

見事な幕引きであろう。

 

 

 

 

 

 

 

お姫様の両親はタヌキに頭を下げる。

まずは毛皮の兵たちに助力いただいたことを。

そして、彼らと共にいるお姫様に「姫のさいごを演じていただいた」ことを。

 

目の前に立っていたはずの兵と姫は一瞬のうちにどろんと姿を変えた。そこにいるのはタヌキたちであった。

狸村に住む、化け狸たちであった。

 

「どうか顔をお上げください」

「我らはかの姫様にいただいた恩を返したまで」

タヌキたちはそう言って狸村へと帰って行ったそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『狸村の援軍』

 

お伽噺はこう言った

「姫に助けて貰ったタヌキさん

恩返しにいなくなった姫に化けたとさ」

 

いつから消えた?眠りウサギ

消えた真実に届くのはまだ早い

時が来るまで化かそうと

助けて貰ったタヌキは化けたとさ

 

時が来れば手を貸そう

我ら狸は姫に恩を受け

散る時まで忘れることなし

 



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かの桜はこう語りき。

穢れることなく咲き誇る桜の木。

春を象徴する薄桃色の可憐な花びらは、毎年人々の出会いと出発を祝い、離別を惜しむ。

 

 

 

これは、「桜」を名前に持つとある町での話である。

その桜の木は、町を護り、愛でられ、恐れられていた。彼の桜はこう語る。

 

「私を忘れないで」

 

、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

樹齢を100年越えた樹には精霊が宿ると云われている。

 

私は桜の精。

もう、何年生きたかは覚えていないのだけど、千年は生きたと思う。

かつて「戦場駅」と呼ばれたこの場所には、もう私以外の桜はいない。

 

私たちをこの場所に植えてくれた人たち。

平和を願い、一本一本丁寧に土と水をかけてくれたわ。

いつしかその人たちは白髪になり、痩せ細り、一人また一人と事切れていった。

残った人は骨と皮になった体を、せめて私たち桜が綺麗に美しく咲けるようにと根本に植えていった。

 

それらを、私たちは吸い上げていった。

 

彼らの血が二代、三代と代を重ねていった頃には、戦場駅の近くにはたくさんの村が見えていた。

 

たくさんの「生」が溢れていた。

溢れ過ぎて、「生」を「死」が喰らおうとしていた。

 

戦である。

 

かといって、桜の精である私たちにとっては全く関係がなかった。

ただ、命が咲いて散っていくだけであった。

 

大きく育った樹の為に、一部の桜の仲間は場所を譲って自らを枯らしていった。

美しい最期であった。

残った私たちは、枯れた仲間の犠牲の上に根をより広く広げることができた。

 

ある時、一人の男が子供を連れ、女の屍を私の樹の下に持ち寄った。

 

女には見覚えがあった。私たちをこの場所に植え、育んだ人たちの子孫である。

女は元々身体が弱く、子供を産むと同時に命を落としたらしい。

 

男曰く、妻である女が生前こうして欲しいと伝えていたらしかった。

 

自分の死後、屍を幼き頃から愛した桜の樹の下に埋めて欲しいと。

 

男は女との最期の別れを惜しむようにゆっくりと時間をかけ私の根元に穴を掘り、女をその穴に横たえると、元の様に土をかけて穴を塞いだ。

そして、来たときの様に子供を連れて村へ帰って行った。

 

かくて私は女の姿を手に入れたのである。

 

長く戦の世が続き、ある時それは唐突に終わりを告げた。

天変地異である。

 

それまで欲に溺れ、命の尊さを理解しようとせずに人が世を納めようとした罰が下ったのかは定かではない。

しかし、台風・日照り・洪水等の天変地異が襲ったのは確かである。

 

更にはこれらを追うように、次々と人に不幸が降りかかった。

飢餓 ・火事・病気等が発生したのである。

 

人はどんどん倒れていった。

私の仲間もたくさんいなくなってしまった。

 

それなのに、人は争うことをやめようとしなかった。

以前の戦とは規模の違う、国同士の戦が始まったのだ。

 

鉄の鳥が空を飛んで火の弾を落とし、鋼の馬が木々を薙ぎ倒し、海では雷の魚が吐き出されているというではないか。

 

私が見たことのあるものは鉄の鳥だけであったが、充分に恐ろしいものであった。

 

「お国の為」と言いながら、若い命が摘まれていく。

何ともあわれな時代であった。

 

私は幾多の兵を見送った。

ここから先は戦場なのだと、命を燃やし枯らしてこいと。

その度に私は薄紅色の花を咲かせた。

 

旅立つ誰もが歯を食い縛り、深く深く軍の帽子をかぶっていた。

見送る者は誰もが手を揚げて喜んでいたが、その目は哀しみの涙で濡れていた。

 

私は咲き続けた。

 

幾夜も過ぎ、火の雨が降り、悲鳴が響き、何度も世界は火の海と化した。

待ち人は誰一人として海の向こうから帰って来ることはなかった。

 

気付けば、あれほどあった桜の樹も私一人となっていた。

 

あの頃あわれな時代から、人がなにを手に入れたのかは私には理解出来ない。

 

桜の花は此度も散った。

 

黒い雨が降り、やっと戦は終わりを告げたが、周りには何も残っていなかった。

ちらほらと人がこの地に戻り再び居を構え始めた頃には、人々は「戦」の名を持つのを恐れていた。

 

今、この地を「戦場駅」と呼ぶのは歴史書位のものであろう。

 

戦の世を知らぬ子が、歴史を教える時代がやってきた。

 

人々はよく笑い、些細なことに悩み、苦しみ、努力し、さも当然であるかのように「生きて」いた。

どれ程の数の民がこのような時間を望んでいたのであろうか。

 

私は「返してくれ」「帰してくれ」と涙する人を数えきれぬほど見てきた。

失ったものをただひたすら乞い願う姿を見続けてきた。

 

だからこそ今笑って生きる人々が愛おしい。

あのような戦の世は再び訪れてはいけない。

 

だからこそ憎く、うらめしい。

何も知らず、知ろうとしない人々が憎たらしい。

 

何のために過去となった人は戦場へいったのか。

何のために彼らは涙を流しながらも笑い、命を差し出したのか。

 

紛れもなく、今笑って生きているお前たちの為であろうに。

なぜ知ろうとしない?

なぜ解ろうとしない?

私はそれに酷く苛立ちを覚える。

 

 

いつのまにか、私は人というものに近しい感情を芽吹かせていたようである。

 

 

長く、永く人と共に在った私という桜の樹。

幾多の屍と涙の上に在る、戦場の間際に花咲かす私という桜の樹。

 

 

 

 

 

季節は巡る。

再び春が訪れ、私は花を咲かすのだろう。

 

人の子らよ。存分に笑い生きるがいい。

桜の花が散るが如く、一瞬の命を謳歌し咲き誇るがいい。

しかし忘れるな。

その命も永遠に咲き続けることはできないのであると。

 

 

私は桜の精。

かつて「戦場駅」と呼ばれたこの地には、もう私以外の桜はいない。

 

それでも。

月さえ眠る夜にたった一本で花を咲かせる私を見つけたのなら、あなたに言いたいことがあるの。

 

「せんじょう えき へ

 

きて」

 

私が見送った時代と人々を知ってもらいたいの。

あなたには知る義務がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひらひら舞う幾十の花びら。

 

 

穢れることなく咲き続ける桜の木。

春を象徴する薄桃色の可憐な花びらは、毎年人々の出会いと出発を祝い、離別を惜しむ。

 

 

ひらひら舞い落ちる幾百の花びら。

 

 

散らない花はないのだと、桜の木は潔く空から花びらを降らせ続ける。

季節はめぐり、再び春が訪れる度に、桜の木は「私はここにいる」と人々の目を釘付けにするのだ。

 

 

はらはら舞い散る幾千の花びら。

 

 

「桜ヶ原」の名を持つ町にのこる、ただ一本の桜の木はこう語る。

「私を忘れないで」

桜が持つ異国の花言葉を、その桜は語り続ける。

私を忘れないで。私の見てきたものを、忘れないで。

 

 

はらりはらりと散る幾万の花たち。

 

 

散り逝く命は数えきれない。

しかし、散る瞬間の美しさは忘れることさえ忘れるほどに記憶に刻まれるであろう。

鮮明に。苛烈に。そして、

 

(ぱさり)

 

無常に。

 

今宵も桜が舞い散るだろう。

はらりはらりと、舞い散るだろう。

 

 

 

桜の木の下にはまだ誰もいない。しかしいずれは集まるだろう。親愛なるこの地に生まれし民たちよ。

 

君たちには彼の桜の花言葉が届くであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

ひらひら舞い散る桜の花びら。

音もなく、花言葉だけが舞っている。

 



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ホラー動画を探し隊・佐藤「あのコンビニ」①

某動画実況グループ、「ホラー動画を探し隊」。
二人目は佐藤です。


画面に砂嵐が流れる

砂嵐が治まる

 

「どうも。ホラー動画を探し隊、佐藤です」

 

佐藤です…佐藤です…佐藤です…

(という演出。エコーは自演)

 

「ホラー動画を探し続けてはやうん年。我ら隊員はとうとう自分でホラー動画制作に乗り出した」

 

ざざ…

砂嵐が一瞬流れる

 

「隊員ナンバー1、山田。

彼は、地元にあるとある廃病院にて実証実験を行った。

その後、彼は…」

 

ざざ…

砂嵐が一瞬流れる

 

ぱっ、と画面が切り替わる

白い壁を背に青年が笑って手を振っている

「どーもー!山田どぇーす!

みんな、元気かなー?

俺はねー

 

ぶつっ。

唐突に画面が切られる

 

「彼はいつも通り。」

 

声だけが黒い画面の動画に流れ続けている

コメントなしのテロップのみが白く浮かび上がっている

 

「俺の動画は、純粋ホラーを目指した。

とあるコンビニだった場所にカメラを仕掛けて録画した。

今回は前編だ。まずは、そのコンビニについて知ってもらいたい」

 

ざざ…

砂嵐が流れる

ゆっくりとタイトルが浮かぶ

 

 

『あの角のコンビニ』

 

白く浮かび上がった文字は、砂嵐に紛れて消えていった

そこからは淡々と佐藤の声が響き、同じ内容の文章が画面の上から下へゆっくりと流れていくだけであった

 

「地元にある、なんの変鉄もないコンビニ。そんな印象だった。

俺も何度か利用した。

いつもの角にあるコンビニ。

その場所はなぜか頻繁に店が代わる、出入りの多い所だった。

 

立地は悪くないはず。

車もそこそこ停められる分の駐車場だってあった。

でも、なぜかすぐに店が代わる。

 

またか、と思っていた時にそのコンビニに代わった。

24時間のどこにでもある名前のコンビニ。

初めて利用したとき、雰囲気のいい店だなと思った。品揃えも店内の広さも素晴らしいとは言えないものだったけど。

オーナーの人柄っていうのか、その人を中心にその店は回っていた。

 

丁度俺の友人が、オタクの引きこもりだったんだけど、そこでバイトを始めていた。

 

限定のおまけ付きの菓子だかドリンクだか、よく覚えていないがそれが欲しくてそのコンビニに付き合った。

行くと、直前の客が俺たちと同じ賞品を買い占めようとしてた。結構人気のあるアニメだったんで、幼稚園児から大人までの客層があったんだ。だから、大量に入荷してたんだけどさ。

 

販売初日だったのにその客は「あるだけ全部売れ」って言ってんの。

店員も他の客も「うざい客だ」って顔してるんだ。当然だよな。俺の友人も「あれはダメだ。他のとこ行こう」って出ようとしてた。

 

そこで出てきたのが、そのオーナー。どうするんだ?と思って俺は様子を見ていた。」

 

変わりなく動画は続いていく

ホラー動画とは思えない流れだ

 

有名な菓子と某アニメのファイル、ミニノート、メモ帳、付箋が画像で写し出された

商品名は隠されている

 

「オーナーは頭を下げて全部は売れないってことを言っていた。それでも客は諦めない。でも、オーナーも引き下がらない。その客の対応はオーナーだけでやっていたんだ。他の店員は通常業務。

 

おいおい、いいのかよ。大丈夫なのかよ。そう思いながら俺は見ていた。

そうしたら、オーナーが時間をくれるなら今ある分と同じ量を用意するって言い出したんだ。客はそれならって妥協して、可能な個数だけ買っていった。夕方来るって言ってな。その時の時間は朝7時。コンビニの朝ピークの忙しい時間だ。

 

オーナーは一人の女性、オーナーの次に偉い店長だろうな、に何か言って外に出ていった。

その場はそれで終わり。俺たちはお菓子を買って「大変だったな」の一言で終わらせた。

 

で、俺は同日の夕方そのコンビニに2度目の来店をした。家の冷蔵庫が空だったからだ。そしたら、丁度いた。朝の客だ。

 

だが、朝はあんなにイライラした顔をしていたのに、その時は申し訳ないという顔をしていた。その手には件の菓子が山盛りだ。

 

俺はその件がどうやって終わったのか知らなかった。

友人がそのコンビニにバイトしに行くようになるまではな。

友人も気になっていたようで、後日オーナーに聞いたらしい。

 

簡単に言うと、オーナーが他の店をいくつか回って買ってきたそうだ。代金はオーナー自身の財布から。様は先払いだ。

客の方も、実はいいやつだったらしい。息子の入っている野球クラブが地区優勝したとかで、ご褒美としてチーム全員が共通して好きなアニメのおまけを買ってやりたかったらしい。

 

俺が驚いたのは、半日ほどでオーナーが一人で対応したということだった。多分、普通はしないやり方なんだろう。オーナーは友人に口止めしたそうだ。

 

缶コーヒーとチョコで。

 

口止めされていないぞ?

 

まあ、オーナーなら出来ると他の店員から信頼されてもいたんだろうな。

 

そんなオーナーがいる店。」

 

一旦、BGMが止む

ざざ…

一瞬砂嵐が入る

背景は夕暮れの空へ、BGMはゆっくりとした、だがさっきより暗めの音楽へと代わった

 

「でもある日、その友人から信じられないことを聞いた。

 

オーナーが失踪した。

 

しかも、失踪する2日前に入籍していたのに、だ。

婚約者はあの女性の店長。

 

その頃、俺の友人は脱引きこもり(ただし、オタクは顕在)していた。バイトも長期間続けれていたんで、真面目さ(オタクの度)が評価された。

 

評価されて、時間別のシフトリーダーを任されるほど。

 

そんな友人から聞いた情報なんで確かだろう。

 

友人は空いたオーナーの分も時間を増やした。

それから聞いた話なんだが。

夜勤に入るようになった婚約者が、ある時間の店内放送が変になるらしい。

 

無音になったり

何か引きずる音が聞こえたり

 

 

友人がいる時間はそんなことないそうだ。

もちろん、他の店員の時間も。

ただ、その婚約者だけの時間にそんなことが起こるらしい

 

それからしばらく経って」

 

画面一面にガラスの開閉式ドアが写し出される

(バン!)という音と共に、そのドアに貼り紙がされる

『諸事情のためにしばらく休業します』

 

「婚約者も行方不明になった」

 

再び背景が黒くなる

 

「なんでそうなったのかは誰も知らないまま、そのコンビニは休業となった。

 

そして、しばらくして」

 

同じようにガラスの開閉式ドアが写し出される

(ぽん)という音と共に、そのドアに貼り紙がされる

『当店は移店となりました』

 

再び背景が黒くなる

 

「だから、その場所にはもう何の店も入っていない。ただの空き店舗となっているようだ。

 

そんな、元コンビニの場所」

 

ザーッと、砂嵐が流れる

 

ピタリと止まり、1台のカメラが写される

 

「友人の話だと、オーナーたちは無事に戻ってきたらしい。

戻ってきてすぐに、店員たちに頭を下げて謝罪したそうだ。

そして、すぐに店の場所を変えると言い出したらしい。

 

そのオーナーは今でもどこかでコンビニを続けているそうだ。もちろん、その店には俺の友人が働いている。

 

後日談となるその話を友人に聞かされながら、俺はそいつに1枚の紙を渡された。それは、コンビニの見取り図だった」

 

背景が白くなる

 

「どこにどういう商品があるか覚えるために、友人が自分で書いた見取り図。どこに何があるか、細かく書かれていた。

その中に数ヶ所、×印がついていた」

 

白い背景の数ヶ所に×がつく

 

「これは、防犯カメラが設置されていた場所だ」

 

今回、俺はこの場所にカメラを設置した。もちろん、音も録音している。

全部の場所には無理だったから」

 

画面に手が写る

長い指がゆっくりと×印を3つ差す

 

「ここと、ここと、ここ。

入り口と、店の後ろから前に向かってと、事務所。この3ヶ所に設置した。期間は3日間。

当時のオーナーの婚約者が勤務していた時間を含めて録画を行う。

回収後、早回しで実況を行う。

 

何が写っていても後悔するなよ?

 

一旦、ここで切る」

 

ザーッっと砂嵐が流れる中、動画が終了する




ただ今、カメラ設置中
カメラ設置中…

録画中…

まもなくオンエア!


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ホラー動画を探し隊・佐藤「あのコンビニ」②

ザーッという音とともに砂嵐が画面に写っている

ピタッっと止まり、画面が真っ黒になる

「ホラー動画を探し隊、佐藤です。
今回は前回の後編。
コンビニだった空き店舗にカメラを置いて3日間録画した。もちろん、そこは曰く付き。
詳しくは下のURLへ飛んでくれ」

画面の下にURLが表示される

「録画した映像は俺もまだ見ていない。もしものことがあるといけないから、手元に塩とファ○リーズ、それと…」

机が映し出される
順番に
・紙の上に山積みになった白い粉(塩と思われる)
・ファ○リーズ
が机の上に置かれる

「それともう一つ。Twitterアカウントのフォロワーさんのアドバイスだ。アカウント名''出席番号25番''さん。
いつもありがとう。
25番さんのアドバイスで桜餅を用意するといいらしい。」

たん。
机の上に桜餅が乗った小皿が追加される

画面下にコメントが流れる
(桜餅?wwwwww)
(ファ○リーズさまーーー!)
(ちょwwwおまwww25番てwww)
(なぜそこで桜餅www)

「下、少しだまれ。うるさい。
今回は生放送ということで、コメントを画面下に流してる。悪質なものは放送止めて警察に報告するぞ。
隊員の鈴木に特定させて田中にシメさせるから。」

机の上にSDカードが置かれる
録画した映像が入っているらしい

塩と桜餅に変化はない

「出席番号25番さんはこのコンビニだったところの市内に住んでいるそうだ。前編を投稿した後、すぐにメッセージが届いた。住所まで特定して、コンビニの名前まで言い当てたから確かだと思う。
……桜餅の意味はわからないけど。」

画面下にゆっくりとコメントが流れていく

「じゃあ、公開時間だ。」

画面がゆっくりと暗くなる
画面下に白い文字でコメントが流れていく
佐藤の声が異様に響く

「録画した映像は3日間。早回しで流す。異常事態が起こったら止めて放送中止。すぐにお祓い行きだ。
もう一度言うが、まだ俺も見ていない映像だ。

できれば止めずに見たい。」

画面が3つに分けられる

「設置したカメラは全部で3つ。
入り口、事務所、店内後方から。それぞれに表示が出ているからわかると思う。」

画面でカウントダウンが始まる

3

2

1

「スタート」


緊急☆生放送

ホラーショップの現在を密着録画!

あのコンビニにはなにがいるのか?!

 

 

 

『一日目』

 

 

 

カメラ①入り口

8:00 録画開始

10:00 異常なし

12:00 異常なし

14:00 外の道で車が事故を起こす

16:00 警察が去っていく

18:00 外で女性が立っている

20:00 外で女性が立っている

(以下、同じ女性が外で立ち続けるため、その報告は省く)

22:00 暴走族が外を通過

24:00 暴走族が戻ってくる

一日目終了

 

外で立ち続ける女性の特長

・髪が長い。

・入り口ドアに背を向けて外を見ている。

・中には入れないはずなので外にいる。

・着物?を着ている。

 

カメラ②事務所

8:00 録画開始

10:00 異常なし

12:00 一瞬画面が暗くなる

14:00 机下のタイルがずれている

16:00 机下に靴が片方残っている

18:00 机下のタイルが戻っている

20:00 ネズミが走っていく

22:00 机下の靴が消えている

24:00 一瞬画面が暗くなる

一日目終了

 

カメラ③後方から

8:00 録画開始

10:00 異常なし

12:00 異常なし

14:00 異常なし

16:00 異常なし

18:00 異常なし

20:00 ネズミが走っていく

22:00 異常なし

24:00 異常なし?

一日目終了

 

音声

(放送画面が一つのため、どのカメラが拾った音かわからない)

8:00 「ザッ」という雑音が混じる

10:00 無音

12:00 チャイムの音「ピンポーン」

14:00 車が突っ込む音「ガガッ、ドカン」

16:00 サイレンの音「ピーポーピーポー」

18:00 子どもの声「あそんでよー」

20:00 チャイムの音「ピンポーン」

ネズミの声「チュー」

22:00 ネズミの声「キキー!」

24:00 子どもの声「キャハハハ」

チャイムの音「ピンポーン」

一日目終了

 

・頻繁に入るチャイムの音は、コンビニの入店音をイメージしてほしい。

・子どもの声は複数である。

・二回目のネズミの声は悲鳴である。

 

画面下に流れるコメント

『え、この日事故?

警察さーーーん

チャイム?

入店音!

誰この女

誰この女

ちょ誰この女

まだいる?

まだいる

んん?

ようじょのこえ

チャイム?

ねずねず

ひぇ

どした!?ねずっち!

ちゃいむ

帰れよぉ

パラリラパラリラ

この時間に子ども?!

えちょ女

実は幽霊?

まだいる』

一日目終了

 

 

 

 

 

『二日目』

 

 

 

カメラ①入り口

2:00 一日目と同様に女性が立っている

4:00 一瞬画面が暗くなる

6:00 女性が立っている

8:00 画面が揺れる

10:00 異常なし

12:00 異常なし

14:00 外を子どもたちが走っていく

16:00 数人の学生が店内を覗き込んでいる

18:00 異常なし

20:00 数人の学生が無理矢理店内に進入する

22:00 異常なし

24:00 異常なし

二日目終了

 

・女性は常に画面に写っている。

・画面が暗くなった後、女性は店内に立っているようにも見える。更に、店内(カウンター、もしくは事務所?)の方を向いているようにも見える。

・学生は進入する際、画面にずっと写っている女性の横をまるでいないかのように素通りする。女性を通り抜けているようにも見える。

・進入した学生は入り口から進入したが、入り口へは戻ってこない。

 

カメラ②事務所

2:00 異常なし

4:00 画面が揺れる

6:00 異常なし

8:00 異常なし

10:00 一瞬画面が暗くなる

12:00 異常なし

14:00 一瞬画面が暗くなる

16:00 机下のタイルがずれている

18:00 異常なし

20:00 机下のタイルの隙間から何か…?

22:00 画面が暗くなることが頻繁に起こる

24:00 画面が激しく揺れる

二日目終了

 

・タイルの隙間から出てきているものは何かわからないが、動いているようにも見える。

・「画面が暗くなることが頻繁に起こる」時間は、画面がチカチカと点滅しているように見えるほど一瞬暗くなることが頻繁である。

 

カメラ③後方から

2:00 異常なし

4:00 画面が激しく揺れる

6:00 異常なし

8:00 異常なし

10:00 異常なし

12:00 異常なし

14:00 異常なし

16:00 異常なし?

18:00 異常なし

20:00 何回か学生と思われる頭部が写り込む

22:00 画面がしばらく暗くなる

24:00 異常なし?

二日目終了

 

・「異常なし」は全く異常が見られない。「異常なし?」は異常が見られないように一見見える。

・学生が画面に写ったのは、カメラ①の覗き込む場面と入り口から進入する場面。カメラ③の頭部の一部が数回写り込む場面だけに見える。

 

音声

4:00 画面が揺れる音「ガタガタッ」

10:00 チャイムの音「ピンポーン」

14:00 子どもたちの笑い声「キャー」「あはは」「キャハハハ」

18:00 チャイムの音「ピンポーン」

何かが這いずる音が微かに聞こえる「ずるっずるっ」

20:00 入り口をこじ開ける音「ぎーーー、がちゃ」

数人の足音「ザッザッ」

物音「ガタッガタガタッ」

途中から無音となる

22:00 無音

24:00 無音

二日目終了

 

・子どもたちの笑い声は、明らかに外を走っていく人数と声の数が違う。声の数の方が圧倒的に多い。

・「何かが這いずる音」に対してはノーコメント。

・足音は店内に進入した学生のものである。

・「無音」は音が全く入らない状態である。他にも記述していない音は通常では入っている(例えば外の道路を走行する車の音など)。つまり、音声関係の録音装置が全く機能していない状態であるといえる。

 

画面下に流れるコメント

『まだいる

何時だよ

えーーー?

風?

建物の中だぞ

なに?

え?

揺れてる

めっちゃ揺れてる

なおった

ん?

どした

あれ

ねじゆるい?

この暗くなるのなんだろ?

カメラ古い?

接続?

げんきゆうき

おこちゃま

見てる

女注意しろ

ガキ注意

チャイムどこから

時間決まってる?

何の音

なに?

きこえん

みみわる

入ってきた!

入れんの?

カメラも設置できたし

え、無視?

女?

スルーwww

おかしくね

異常じゃ…

見えてる、よな?

おいこれ

女、中にいないか

外にいたろ

まだいるぞ

動いてんのか?

マジで幽霊説

ヤバくね

マジ?

何時間たった?

まだ戻んねぇの?

なんか見えた

んんん

音は?

あれ

音、入ってない?

チカチカしてる

女、こあい

おーい

戻ってこーい

聞こえんぞー

マイクテス、マイクテス

音声どこ

壊れた

警察呼んだ方が

女まだいるよ

おわ

揺れてます揺れてます

んん

もう帰ってたり

出口は?

帰ってた

直んない

ピンポーン』

二日目終了




『出席番号25番のメッセージ』

ホラー動画を探し隊の佐藤さんへ

お久しぶりです。いつもお世話になっています。出席番号25番です。

先ほどご投稿なさってた動画、コンビニだったとこの録画です、についてです。

そのコンビニ、桜ヶ原というとこにありませんか?○○系列の。でしたら、地元です。
まず、公開前には桜ヶ原にある○○寺というとこでお祓いをしてください。同級生の実家なので、話を通しときます。
次に、公開時には次のものを用意してください。
・塩
・一応ファ○リーズ
・桜餅
以上です。

多分、映像には何かしらの怪奇現象が写っていると思います。
佐藤さんのご期待に添えられるものであると僕は思います。
当日の公開、楽しみにしています。

出席番号25番より




そうメッセージを送り、僕は出掛ける準備をした。
まずは同級生の実家へ電話をして話を伝えなくては。
次に、あの角のコンビニだったところへお供えものをしなくては。
財布を持って、桜餅を買いにいこう。
ああ、それから。
一応、桜の木のある公園へも話をしに行かなくては。

桜餅は2個かな。

準備をすると、僕は傘を広げて雨の中へ出掛けていった。
雨は止みそうにない。
靴の中は、既に水が染み込んでぐちゃぐちゃになっていった。


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ホラー動画を探し隊・佐藤「あのコンビニ」③

『出席番号25番の視点』

 

その動画の二日目を終えた時点で、既に違和感に気づいた人のコメントがちらちらと画面下に流れ出していた。

僕はこのコンビニがどこにあって、なんで移転したのか知っていた。そして、その結末も。だからこそ、佐藤さんの身に何かあってはいけないと思って公開前に連絡をした。

佐藤さんは僕のことを信じてくれただろうか。ああ、でも、信じてくれたとしても全て遅かったのかもしれない。

だって、もう全て録画されてしまったんだから。

 

 

 

一日目。

外の道路で事故が起きた。

あの道は本当に事故の頻度が高い。週に2、3回は警察があそこに行く。昔からずっとそうだ。どんな看板を立てても、標識を用意しても、声かけを行っても、あの場所では事故が無くならない。それはきっと、あの角が悪いということではないんだ。あの角のところに「あの場所」があるからなんだ。

「あの場所」にはお腹を空かせた桜の根がいる。

 

あの場所については僕が語ることじゃない。

僕が語るべきなのは四人のホラー動画好きが作った動画のこと。

今回は、たまたまその内の一人が「あの場所」にあった「角のコンビニ」について興味を持ってしまっただけ。

 

続けよう。

 

事務所だったところの机の下。

もともとこの机の上にはパソコンが置かれていたらしい。今は…ないよね。

パソコンがないんじゃ、この時々聞こえる入店音のチャイムは鳴るはずない。そもそも電気だってもう通ってないんだよ。カメラとかはバッテリーでもたせてる。

じゃあ、この入店音はなんなんだろうね?

机の下のタイルを剥がすと、そこには大きな空間があるらしい。その奥には…

だから、タイルが動かされているってことは何かが出入りしているってこと。「誰か」と「何か」がその空間から出たり、入ったり、入れられたりしているんだろう。

 

入り口の外に女性が立っている。この女性は明らかにおかしい。こんなに髪が長くて着物を着た人を僕はこの町で見たことがない。それに、長時間ずっと動いていない。場所だけじゃなくて、本当に身動きひとつしていない。合成じゃないかと思うくらい動いていないんだ。これは二日目の朝、入り口のカメラの映像が暗くなるまで確かなこと。

映像が暗くなっても女性は映っているけど、立っている位置が違う。気づかない人は気づかないくらい些細な違いだけど、この女性。入り口の内側に立ってる。

そこで僕はこの女性の異常に気がついた。服の合わせ目からして体は外に向いている。つまり、見ているこっちに背中を向けているんだ。だから、顔も外を向いていると思いこんじゃう。

でも、違う。

 

顔は、店の中を見ている。

体と頭が逆を向いているんだ。

 

違和感に気づいた人のコメントが上がっている。具体的に指摘はされていないけど。

店内の方を、カウンターの方だね、もしかしたらその奥の事務所かもしれない、そっちを頭だけで見ている女性。この女性は誰なんだろう?

 

事務所の床に靴が片方落ちている。誰も入れないはずなのに、どうしてこんなところに?時間が経って真夜中になった。靴はいつのまにか消えている。いつのまに。

事務所の机の下のタイルがずれていたこと、ネズミの悲鳴、タイルが戻っていたこととなにか関係があるのかな?

 

ああ、そういえば。

 

腹を空かせた桜の根は雑食、なのかな?

 

夕方、急に子どもの声が画面からした。本当に唐突に。でも、子どもはどこにもいない。外にも店内にもいないんだよ。

 

外を暴走族が走っていく。おかしいな。ここの暴走族はあの道を通らないはず。もしかしたらどこからか追われて迷い混んじゃったのかも。追いかけていたのは誰?もしかして、遊んでもらっていたのかな。聞こえた子どもの声を思い出す。追いかけっこ、楽しかったかい?

 

 

 

日付が変わる。一日目終了。

 

 

 

二日目。

女性は変わらず立っている。

 

画面が激しく動いた!

…治まった。なんだったんだろ。

 

女性が店内に立っている。

外から中に数cm移動しただけ。だけど、隔てるガラスの扉は大きいよ?

 

画面が時々暗くなる。なんでこれが起こるのか。暗くなった時、何が起きているのか。考えても知るはずないね。

 

鳴らないはずの入店音が響く。

実際に鳴っているのかな?それとも、カメラが何かの音を拾っている?

 

外を子どもたちが走っていく。危ないよ。こんなところで遊んじゃダメだ。画面から聞こえる子どもたちの声は、明らかに子どもの数より多かった。

 

通りかかる学ランを着た学生たちが、チラチラと店を覗き込む。「見てんじゃねーよ」とこっちが言いたくなる。

夜、その学生たちが無理矢理入ってきた。

そして、

 

あー、これ、ダメなやつだよー。この学生たち戻ってこないよ。戻ってこれないよ。それに、女性のこと無視するなんて無理でしょ?これは完全に「見えてない」状態だよ。

佐藤さん、止めて!お願い、止めて!

ダメだよ!これ、お食事タイムだ。

あー、なんか出てるぅ…

あー、あー、あー、

……

あー?

 

あ、セーフ?

怪奇現象過ぎて、寧ろセーフになった?グロは入らないのね。

映像飛び飛びだし、音声も何も拾われてないからセーフ…か?

まさかこんなとこで怪奇現象がプラスに働くなんて。

 

学生たちはバカだったんだね。

食べられちゃってもう戻ってこないよ。

今後捜索されても、遺体だって見つからないだろうな。

 

コメントもすっごく動揺してる。

何が起きているのかわからないからこその動揺だ。

 

女性は変わらず立ち続けている。

じっと、事務所の方を見ながら、立ち続けている。

 

 

 

日付が変わる。二日目終了。

 

 

 

 

 

とうとう三日目が公開される。

 

嫌な予感が僕の中で膨らんでいた。

これは。この動画は

 

もしかしたら、公開させてはいけないものだったのかもしれない。

 

そう思うのは、もう世界に向けて映像が発信された後だった。




三日目に映るものとは…?


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ホラー動画を探し隊・佐藤「あのコンビニ」④

『三日目』

 

 

 

カメラ①入り口

2:00 画面が暗い?

4:00 砂嵐

6:00 女性が立っている

8:00 異常なし

10:00 女性がカメラの方を見た?

12:00 異常なし

14:00 異常なし

16:00 画面が暗くなる

18:00 異常なし

20:00 異常なし

22:00 異常なし

24:00 異常なし

三日目終了

 

・女性は常に画面に写っている。

・画面が暗くなった後、女性は入り口扉の外側に立っているように見える。

・一日目の学生たちは戻ってこない。

 

 

 

カメラ②事務所

2:00 画面が暗い?

4:00 砂嵐

6:00 異常なし

8:00 異常なし

10:00 画面がずっと暗くなる

12:00 タイルが半分ほど開いている

14:00 異常なし

16:00 異常なし

18:00 異常なし

20:00 タイルが少しずつ閉まっていっている?

22:00 異常なし

24:00 異常なし

三日目終了

 

・タイルは完全に閉まるまでゆっくり動き続ける。

・「画面がずっと暗くなる」時間は、画面が真っ黒の状態になっている。

 

 

 

カメラ③後方から

2:00 画面が暗い?

4:00 砂嵐

6:00 異常なし

8:00 異常なし

10:00 異常なし

12:00 複数の影のようなものが写り込む

14:00 指紋がカメラに付き始める

16:00 指紋がカメラに付き続ける

18:00 指紋でカメラの画面が真っ白になる

20:00 砂嵐

22:00 画面は元に戻るが少し傾いている

24:00 画面が黒く?見える

三日目終了

 

・「暗く」と「黒く?」は雰囲気がまず違う。

・指紋で真っ白になった画面は、砂嵐の後にはきれいになっている。

 

 

 

音声

2:00 無音

4:00 無音

カメラが動く音「ガタン」

6:00 救急車の音「ピーポーピーポー」

8:00 チャイムの音「ピンポーン」

10:00 映像が時々切れるような音「ブツッ」

12:00 念仏、経が小さく聞こえる

14:00 念仏、経が小さく聞こえる

16:00 誰かが走り回る音「バタバタ」

18:00 チャイムの音「ピンポーン」

20:00 物音「ガタン」

22:00 何かが擦れる音

24:00 「ピーーーー」

三日目終了

 

・「念仏、経が小さく聞こえる」は、念仏や経などが入り交じって聞こえ続ける。男性の声だと思われる。

・最後の「ピー」は機械のエラー音だと思われる。

 

画面下に流れるコメント

『なんじゃこりゃ

壊れた?

壊れた?

ふーん

お前呼びに来たぜw

ピンポーン

なおった

おお

この女やばくね

まだいる

おいおい

電波悪

カメラ壊れてる

ふぁ

ん?

ん?

んんんんんん?

なにこれ

うわ

ちょちょちょ

おいおいおいおいおい

ヤバヤバヤバ

ひいいいいいいいいいいいい

しおすお

ぎゃ

またかよー

うわうわうわ

やば

いつまで

んんん

わあああああ

やばすぎ

んんん?

動いて

ミツケタ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

画面が暗くなって佐藤の声だけが流れる

 

「これで終わりだ。

色々言いたいことはあると思うが、今回は生配信。俺からは説明はできない。

だって、俺も今この場で初めてこの動画を見たんだから」

 

黒い画面を背景に、クレジットタイトルが流れ出す

 

「コメントは自由にしてくれ。

長くなったから、検証できるかはわからない」

 

前回の動画と比べて少しだけ、口調が早口になっているような気もする気のせいか

 

「ただ、今回の動画データは全部供養してもらう。

出席番号25番さんの勧めてくれた寺にお願いしに行こうと思う。

げほっ、げほっ」

 

佐藤の咳が聞こえる

実況なのだから途中で止めることもできない

仕方のないことだ

 

「長く、なった。

これで終わりだ。

コメント、評価等はいつも通りで。チャンネル登録もしてくれたら嬉しいと思、う。

 

試聴、ありがとう」

 

砂嵐が流れる

数秒の後、ぶつりと映像が終了した



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常習犯による遅刻予告

ここに予告します!
俺は…

遅刻します!!!

(ま、いつものことだ。)


まだ大丈夫。

まだ余裕。

セーフだ。

 

カレンダーを見ないで夏休みの宿題はまだ余裕と言う俺。言ったその日が夏休み最後の日。完全アウトの遅刻決定。

明日から部活の朝練開始。目覚まし時計をきっちりセットしてお休みなさい。セットした時間が開始時間。友の電話で10分前に起こされる。ありがとう。遅刻の時間が少し短くなった。

学校生活の中にある昼の楽しい休憩時間。すやぁ。ちょっとだけお昼寝タイム。予鈴が鳴った。さあ、移動しよう。それは本鈴でしたとさ。先生も呆れてまたかと言うだけ。遅刻しない方が珍しい。

毎日毎日辛い朝。決めた時間に鳴る時計は働き物。でも、ごめん。もうちょっと、あと3分だけ…

 

 

 

 

 

 

我が輩は遅刻常習犯なり。犯罪経験は星の数。叱られたことも星の数。だけど直らぬ、それが人の性故に。

 

なんちて。

俺のあだ名は遅刻常習犯。その名の通り、物心ついた頃から遅刻癖が直らない常習犯。と言っても、本当に大事な時にはちゃんと時間を守るんだぜ? 信頼してる人との約束は遅れるけど。だって、なんだかんだ言っても最後はみんな許してくれるからな。

 

長い付き合いになるとさ。みんな俺の遅刻癖をわかってんだよな。「こいつ、いつも遅刻する」って。わかってるから時間を早めに設定してくるんだ。だから俺が到着するのは、いつだって設定した奴の本当の希望時間ってわけ。はぁ、俺の扱い方わかってるよなぁ…ほんと。

つまり。俺に対して「遅い!」って怒る奴はまだ付き合いが浅いってこと。更に言うと、俺に待ち合わせ時間を設定させる時点で親しい以前の間柄ってことさ。「何時がいい?」「え、行けた時」そういう会話になるぜ? 俺。

小学生の頃からの同級生なんて絶対俺に時間を指定なんてさせない。絶対な。

宿題や課題だって、期日に間に合ったことの方が奇跡だ。今までで間に合ったのは…5回くらい? はははっ!

 

昔からずっとこうなんだよ、俺。いくら言われてもほんと直んない。直せないんだ。俺の意思で直せるもんじゃなかったんだ。

だから、俺の友人たちは工夫して協力して努力して尽力してくれる。

 

いつだったか、こう思ったことがあったな。

俺だけ、時間に対してゆるいな。

時間に対しての考え方がゆるい。時間の捉え方がゆるい。時間の感じ方がゆるい。俺だけ、どこか他の奴らと時間がずれてる気がしたんだ。

大事な事ほど時間がずれちまう。

大事だと意識すればするほど俺は遅れちまうんだ。

 

繋がりが浅い奴との約束は、ぶっちゃけそんな大事じゃないんだ。だから遅刻すると言っても数分。

初めての彼女の誕生日、俺にとってすごくすごく大事で、でも恥ずかしくて誰にも相談できなかった。どうなったと思う? プレゼントを渡したのは1か月後。彼女は許してくれたけど、俺は泣きながら別れたよ。

大事な大事な恩師の葬式。当然間に合わなかったよ。俺だけさ。死に顔にも会えなくて、遅れて行った時にはその人は骨になって土の中。

 

おかしいだろ? 笑えよ。怒ってくれよ。どうしようもないんだ。直らないんだよ。

俺だけ、時間とずれてるんだ。

 

 

 

変な話するぜ。

俺は「遅刻」常習犯だ。決めた時間には大抵遅れる。でも、それ以外に遅刻することがあるんだ。

それは「痛み」。

1度大きな怪我で何針も縫ったことがあったんだけど、全然痛くねぇの。でもさ、怪我が治って縫った糸をほどく頃にやっと激痛を感じたんだよ。それまで麻酔をかけていたみたいにほとんど痛くなかったのに急にだぜ? それだけじゃなくて、火傷とかもなんとなく反応が遅い。遅れて痛みがくるんだ。

 

な? おかしいだろ?

おかしいんだよなぁ。

 

でも、どんなにおかしくても自分じゃどうにもならない癖だから、そのまま生きてきたんだ。

 

 

 

だからさ。

きっと、このまま死んでいくんだ。

 

 

 

ある日、俺の所に1通の郵便が届いた。それは、小学生の頃の同級生からの便りだった。

 

そして、それから数日後。「約束したあの場所、あの時間でお待ちしております」。それだけ書かれた同窓会の案内が、郵便受けに入っていた。

 

 

 

「同級生」からの便りにはこう書いてあった。

 

「同窓会の案内、来たか?」

おう、来たぜ。

「何人か、もう先にいってる奴らもいるらしいぜ」

そうかー。じゃあ、そいつらにはしばらく会えないな。

「どうせお前は遅刻するんだろ」

遅刻するんだろうなー。

「同窓会の前に、さいごに1回会えないか?」

お!いいねー!いつだ?

 

俺は、さいごにそいつと会う約束をした。

大事な約束だったんだ。

もう何年も友人として付き合いがあるそいつ。きっと、今回も俺の遅刻癖をふまえて時間を早めに設定したはず。

そいつはさいごと言った。最後の最期になるんだろう。

よし。今回こそ絶対に遅れないぜ。

遅刻しないで驚かせよう。これが、さいごになるかもしれないんだ。

そう思って、俺は時計をセットした。スマホのアラームをセットした。

設定した時間は

 

そいつが指定した時間のずいぶん前。

 

遅れるはずはない時間だった。

 

どんなに遅れたとしても、俺は約束の時間の5分前にはそこに着くはずなんだ。最悪、その時間ぴったしでも、指定したそいつは俺が遅れると思っている。約束の時間の5分後が本当の約束の時間だったりするんだ。

俺たちはいつもそうだったんだよ。

 

当日、俺は珍しくちゃんと目が覚めた。仕度もして、家を出た。なんだ、余裕じゃねぇか。腕時計を見ると、まだ30分前。楽勝、楽勝。こんなこともあるんだなー。

やっと、あの変な癖がなおったのか?

そんな風に考えられるくらい、余裕があった。もう、待ち合わせ場所のすぐ近くまで来ていた。

やっと「遅刻常習犯」の名前を返上か?

1歩1歩がすごく軽く踏み出せた。道路越しに手紙をくれたそいつが見える。あと5分以上もある。よし!

道路を走る車の音で周りの音は聞こえない。でも、なんとなく気づいてくれると思った。

 

あと5分。

 

そいつと目があった。

俺は笑って手をあげた。

 

あとちょっと。

 

そいつは一瞬驚いたけど、笑って手をあげた。

車が俺たちの間をクラクションと一緒に通過した。

 

笑って手をあげてくれたそいつの姿は、もうそこにはなかった。

 

 

 

腕時計の針は、待ち合わせ時刻を差していた。

 

 

 

は?

どういうことだ?

俺はそこへ走った。友人が立っていたその場所へ。

着いた所には誰もいなかった。ただ、道路脇の柵の所に手紙が挟んであった。ビニールやら、紐やら、重石やらで、頑丈に頑丈に補強されてその手紙はそこにあった。ずっと前からあっただろうそれは、誰かを待っていた。

俺はそれを手にとった。

嫌な予感がした。

 

手紙の裏には友人の名前が書かれていた。

宛名は俺だった。友人から俺への手紙だった。

どういうことだよ。どういうことなんだよ。

焦りながら俺はそれを開いた。開いて一番始めに書かれていた文は

「どうせお前は遅刻したんだろ」

遅刻してねぇよ。ちゃんと、間に合ったよ。

 

でも。

読んで読んで、一番下に書かれた日付に俺は膝をついた。

 

日付は

 

1年前だった。

 

 

 

俺は「遅刻常習犯」。

今回も遅れちまったようだ。

大事な友人との最期の待ち合わせだったのに。

 

あと5分。あと5分。

あと5分早くそこに行けたら、何か変わっていたのか?

あと5分遅くいつも通り遅刻していたら、いつも通り会えたのか?

 

そんなことなかったんだ。

そんなこと、はじめからできるはずなかったんだ。

 

 

 

 

 

 

俺は「遅刻常習犯」。

全てに遅刻する常習犯。

全てが遅れてやって来る、変な癖を持っている。それは死んでもなおらないみたいだ。

 

もうすぐ、俺の一番大事なことが遅れてやって来る。

 

 

 

今度は、俺の番だ。

 

 

 

 

 

 

生きてる間にあともう1回だけ会えなかった友人が、手紙にこう残していた。

 

「同窓会で待ってるぜ」

 

 

 

 

 

本当の俺のとっておきの話は、出席番号7番の話は、これからが本番だった。




そしてやっぱり遅刻するのだろう。

結論


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出席番号6番「遅刻常習犯(の友人A)」

遅刻ばかりする常習犯

の、友人の話です。
遅刻常習犯本人の話ではありません!


やあ。

みんな、久しぶりだね。

 

って、これでいいのかな?

 

 

 

ボクは遅刻常習犯の友人。友人Aさ。

そのまま友人Aとでも呼んでくれて構わないよ。

 

と言っても…

 

ごめんね。覚えていないんだ。

 

 

 

話はいつのことだったかな。

ああ、そうそう。ボクに同窓会の案内が届いた頃の話。の、はずだよ。

消印から考えるとね。

ある道路でボクは事故に遭った。

 

 

 

ただいま、ボク記憶喪失中。

頭の中は真っ白白紙。

 

ということで改めまして。

コホン

 

 

 

やあ。みんな、久しぶりかな?

ボクのこと、覚えてる?

ちょっと自分のこと忘れちゃったんだけど、教えてくれないかな。

 

 

 

 

 

 

ある日、病院で目が覚めたら体はギシギシばきばきのボロボロ状態。

なんだこれ?! って思わず叫んだよ。

近くにいた白衣の医者、看護師だったかも、彼らに聞いたら誰もがおんなじ返答をくれた。

「貴方、事故に遭ったんですよ? 覚えていないんですか?」

ボクは何も覚えていなかった。

 

自分がボクなのか俺なのか僕なのかオレなのか、それとも他の言い方だったのか。それすら思い出せない。

病室には誰も訪ねてこない。なかなか治らないケガだけが「お前はまだ生きているんだぞ」と言っているみたいだった。

何日経っても思い出すことはなくて、病室が個室から相部屋になったことくらいしか変化がなかった。

相部屋の少年から押し付けられたマンガや本やアニメDVD、映画、ゲームをひたすらこなして、たまにエロい雑誌を隠し読みして。

それなりに楽しかったよ。

真っ白になったボクの頭の中に詰めたのは、そういうものだったんだ。

 

ただ、枕元にあった机の上にはいつも一通の手紙が置いてあった。

そう。同窓会の案内だよ。

 

 

 

 

 

 

『約束したあの場所、あの時間でお待ちしております』

 

 

 

 

 

 

今のボクは真っ白な白紙。こんなあっさりと白紙になるなら、きっとこれまでの人生も特別な道を辿ってきたわけじゃないんだろうね。

別に自分が嫌いってことじゃないよ。ないけど、ただ、ありきたりの人生だったんだなって。そう思っちゃうんだ。

実際どうだったかは思い出せないけどね。

 

でもさ。この場所に来て、君たちと逢って、同窓会に参加して、一個ずつ話を聞いてるとさ。

…うん。

いいね。

なにか、思い出せそうだよ。とても、とても懐かしい。

自分の中の白いページたちが埋まっていく感じがする。

 

いや、ちょっと違うかな。

今聞いてる話たちはどれも新しい話だ。

どれも、「今の」ボクが初めて聞いた話たちばかり。君たちがそれぞれ持ってきた話だ。

それをボクのページに書き写していくのは、ちょっと勝手すぎだよね。

そうだな。共有とか同化って言った方がいいかな。

結局は宿題を写してるのとおんなじ?

そんなのでもいいじゃないか!

 

 

 

ただいま、ボク宿題を写す作業の真っ最中。

なーんてね。

 

 

 

でも、なんだろうな。

いくつも話を聞いているのに、まだ一番会いたいはずの友人が出てきていない気がするんだよね。ボクの友人って、そんなに遅刻常習犯なの?

 

 

 

『どうせお前は×××××××』

 

 

 

 

 

 

ねえ、もっと聞かせてよ。

そうすればさ。きっと「今のボク」は君たちのよく知ってる「あの頃のボク」に戻るだろう。

 

 

 

 

 

 

で?

ボクにも何か話せって?

 

そうだな。

 

事故に逢ってから一年目にね、その時にはさすがに病院だって退院してたんだけど、初めて行ってみたんだ。自分が車に跳ねられたその場所。

それまで行きたいなんて思わなかったんだけど、急に行こうと思ったんだ。

 

そこに誰かいる気がしてさ。

 

そうしたら、まさにボクが倒れていただろうその場所に向かって手を振る誰かがいたんだ。

そいつはさ。自慢げに、さも時間に間に合ってやったぞって言う顔をして手を振っているんだ。

 

ボクはそれを遠くから見ていただけなんだけど。

 

そいつを知ってる気がするんだ。

大事な、忘れちゃいけない奴の気がするんだ。

 

でも会えないんだよね。

ボク、全部忘れちゃったからさ。

会っても、もうそいつのことわかんないんだ。

 

ただひとつ。方法があるっていうなら。

こうするのが正しいんだろうな。

 

そう思って、ボクは、こうした。

 

お世話になった病院の人たちには悪いことをしたな。でも、一回は逝きそびれちゃったんだからしょうがないじゃないか。

 

 

 

ボクは、病院の屋上から飛び降りた。

 

 

 

あ、同室の子にマンガ借りっぱなしだ。サーセン。

 

 

 

これでボクの話は終わりだよ。

じゃあ、みんなの話の続きを聞かせてもらおうかな。

 

 

 

 

 

 

はやくおいでよ。

君のためにこうしたんだよ。遅刻常習犯君。

君のために、話をわざわざ伸ばしてあげたんだよ。遅刻常習犯君。

 

ボクの(忘れてしまった)大切な親友君。




手紙を送ったのは友人Aだった。
でも、手紙を残したその日に彼は白紙になってしまった。

遅刻常習犯がやって来たその日に、ちゃんと彼はそこにいたはずなのに…


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出席番号7番「遅刻常習犯」プロローグ

前述「常習犯による遅刻予告」






まだ大丈夫。
まだ余裕。
セーフだ。

カレンダーを見ないで夏休みの宿題はまだ余裕と言う俺。言ったその日が夏休み最後の日。完全アウトの遅刻決定。
明日から部活の朝練開始。目覚まし時計をきっちりセットしてお休みなさい。セットした時間が開始時間。友の電話で10分前に起こされる。ありがとう。遅刻の時間が少し短くなった。
学校生活の中にある昼の楽しい休憩時間。すやぁ。ちょっとだけお昼寝タイム。予鈴が鳴った。さあ、移動しよう。それは本鈴でしたとさ。先生も呆れてまたかと言うだけ。遅刻しない方が珍しい。
毎日毎日辛い朝。決めた時間に鳴る時計は働き物。でも、ごめん。もうちょっと、あと3分だけ…






我が輩は遅刻常習犯なり。犯罪経験は星の数。叱られたことも星の数。だけど直らぬ、それが人の性故に。

なんちて。
俺のあだ名は遅刻常習犯。その名の通り、物心ついた頃から遅刻癖が直らない常習犯。と言っても、本当に大事な時にはちゃんと時間を守るんだぜ? 信頼してる人との約束は遅れるけど。だって、なんだかんだ言っても最後はみんな許してくれるからな。

長い付き合いになるとさ。みんな俺の遅刻癖をわかってんだよな。「こいつ、いつも遅刻する」って。わかってるから時間を早めに設定してくるんだ。だから俺が到着するのは、いつだって設定した奴の本当の希望時間ってわけ。はぁ、俺の扱い方わかってるよなぁ…ほんと。
つまり。俺に対して「遅い!」って怒る奴はまだ付き合いが浅いってこと。更に言うと、俺に待ち合わせ時間を設定させる時点で親しい以前の間柄ってことさ。「何時がいい?」「え、行けた時」そういう会話になるぜ? 俺。
小学生の頃からの同級生なんて絶対俺に時間を指定なんてさせない。絶対な。
宿題や課題だって、期日に間に合ったことの方が奇跡だ。今までで間に合ったのは…5回くらい? はははっ!

昔からずっとこうなんだよ、俺。いくら言われてもほんと直んない。直せないんだ。俺の意思で直せるもんじゃなかったんだ。
だから、俺の友人たちは工夫して協力して努力して尽力してくれる。

いつだったか、こう思ったことがあったな。
俺だけ、時間に対してゆるいな。
時間に対しての考え方がゆるい。時間の捉え方がゆるい。時間の感じ方がゆるい。俺だけ、どこか他の奴らと時間がずれてる気がしたんだ。
大事な事ほど時間がずれちまう。
大事だと意識すればするほど俺は遅れちまうんだ。

繋がりが浅い奴との約束は、ぶっちゃけそんな大事じゃないんだ。だから遅刻すると言っても数分。
初めての彼女の誕生日、俺にとってすごくすごく大事で、でも恥ずかしくて誰にも相談できなかった。どうなったと思う? プレゼントを渡したのは1か月後。彼女は許してくれたけど、俺は泣きながら別れたよ。
大事な大事な恩師の葬式。当然間に合わなかったよ。俺だけさ。死に顔にも会えなくて、遅れて行った時にはその人は骨になって土の中。

おかしいだろ? 笑えよ。怒ってくれよ。どうしようもないんだ。直らないんだよ。
俺だけ、時間とずれてるんだ。



変な話するぜ。
俺は「遅刻」常習犯だ。決めた時間には大抵遅れる。でも、それ以外に遅刻することがあるんだ。
それは「痛み」。
1度大きな怪我で何針も縫ったことがあったんだけど、全然痛くねぇの。でもさ、怪我が治って縫った糸をほどく頃にやっと激痛を感じたんだよ。それまで麻酔をかけていたみたいにほとんど痛くなかったのに急にだぜ? それだけじゃなくて、火傷とかもなんとなく反応が遅い。遅れて痛みがくるんだ。

な? おかしいだろ?
おかしいんだよなぁ。

でも、どんなにおかしくても自分じゃどうにもならない癖だから、そのまま生きてきたんだ。



だからさ。
きっと、このまま死んでいくんだ。



ある日、俺の所に1通の郵便が届いた。それは、小学生の頃の同級生からの便りだった。

そして、それから数日後。「約束したあの場所、あの時間でお待ちしております」。それだけ書かれた同窓会の案内が、郵便受けに入っていた。






同級生からの便りにはこう書いてあった。

「同窓会の案内、来たか?」
おう、来たぜ。
「何人か、もう先にいってる奴らもいるらしいぜ」
そうかー。じゃあ、そいつらにはしばらく会えないな。
「どうせお前は遅刻するんだろ」
遅刻するんだろうなー。
「同窓会の前に、さいごに1回会えないか?」
お!いいねー!いつだ?

俺は、さいごにそいつと会う約束をした。
大事な約束だったんだ。
もう何年も友人として付き合いがあるそいつ。きっと、今回も俺の遅刻癖をふまえて時間を早めに設定したはず。
そいつはさいごと言った。最後の最期になるんだろう。
よし。今回こそ絶対に遅れないぜ。
遅刻しないで驚かせよう。これが、さいごになるかもしれないんだ。
そう思って、俺は時計をセットした。スマホのアラームをセットした。
設定した時間は

そいつが指定した時間のずいぶん前。

遅れるはずはない時間だった。

どんなに遅れたとしても、俺は約束の時間の5分前にはそこに着くはずなんだ。最悪、その時間ぴったしでも、指定したそいつは俺が遅れると思っている。約束の時間の5分後が本当の約束の時間だったりするんだ。
俺たちはいつもそうだったんだよ。

当日、俺は珍しくちゃんと目が覚めた。仕度もして、家を出た。なんだ、余裕じゃねぇか。腕時計を見ると、まだ30分前。楽勝、楽勝。こんなこともあるんだなー。
やっと、あの変な癖がなおったのか?
そんな風に考えられるくらい、余裕があった。もう、待ち合わせ場所のすぐ近くまで来ていた。
やっと「遅刻常習犯」の名前を返上か?
1歩1歩がすごく軽く踏み出せた。道路越しに手紙をくれたそいつが見える。あと5分以上もある。よし!
道路を走る車の音で周りの音は聞こえない。でも、なんとなく気づいてくれると思った。

あと5分。

そいつと目があった。

俺は笑って手をあげた。

あとちょっと。

そいつは一瞬驚いたけど、笑って手をあげた。
車が俺たちの間をクラクションと一緒に通過した。

笑って手をあげてくれたそいつの姿は、もうそこにはなかった。



腕時計の針は、待ち合わせ時刻を差していた。



は?
どういうことだ?
俺はそこへ走った。友人が立っていたその場所へ。
着いた所には誰もいなかった。ただ、道路脇の柵の所に手紙が挟んであった。ビニールやら、紐やら、重石やらで、頑丈に頑丈に補強されてその手紙はそこにあった。ずっと前からあっただろうそれは、誰かを待っていた。
俺はそれを手にとった。
嫌な予感がした。

手紙の裏には友人の名前が書かれていた。
宛名は俺だった。友人から俺への手紙だった。
どういうことだよ。どういうことなんだよ。
焦りながら俺はそれを開いた。開いて一番始めに書かれていた文は
「どうせお前は遅刻したんだろ」
遅刻してねぇよ。ちゃんと、間に合ったよ。

でも。
読んで読んで、一番下に書かれた日付に俺は膝をついた。

日付は

1年前だった。



俺は「遅刻常習犯」。
今回も遅れちまったようだ。
大事な友人との最期の待ち合わせだったのに。

あと5分。あと5分。
あと5分早くそこに行けたら、何か変わっていたのか?
あと5分遅くいつも通り遅刻していたら、いつも通り会えたのか?

そんなことなかったんだ。
そんなこと、はじめからできるはずなかったんだ。



俺は「遅刻常習犯」。
全てに遅刻する常習犯。
全てが遅れてやって来る、変な癖を持っている。それは死んでもなおらないみたいだ。

もうすぐ、俺の一番大事なことが遅れてやって来る。



今度は、俺の番だ。






生きてる間にあともう1回だけ会えなかった友人が、手紙にこう残していた。

「同窓会で待ってるぜ」





本当の俺のとっておきの話は、出席番号7番の話は、これからが本番だった。


出席番号6番「遅刻常習犯(の友人A)」

 

 

 

 

 

 

やあ。

みんな、久しぶりだね。

 

って、これでいいのかな?

 

 

 

ボクは遅刻常習犯の友人。友人Aさ。

そのまま友人Aとでも呼んでくれて構わないよ。

 

と言っても…

 

ごめんね。覚えていないんだ。

 

 

 

話はいつのことだったかな。

ああ、そうそう。ボクに同窓会の案内が届いた頃の話。の、はずだよ。

消印から考えるとね。

ある道路でボクは事故に遭った。

 

 

 

ただいま、ボク記憶喪失中。

頭の中は真っ白白紙。

 

ということで改めまして。

コホン

 

 

 

やあ。みんな、久しぶりかな?

ボクのこと、覚えてる?

ちょっと自分のこと忘れちゃったんだけど、教えてくれないかな。

 

 

 

 

 

 

ある日、病院で目が覚めたら体はギシギシばきばきのボロボロ状態。

なんだこれ?! って思わず叫んだよ。

近くにいた白衣の医者、看護師だったかも、彼らに聞いたら誰もがおんなじ返答をくれた。

「貴方、事故に遭ったんですよ? 覚えていないんですか?」

ボクは何も覚えていなかった。

 

自分がボクなのか俺なのか僕なのかオレなのか、それとも他の言い方だったのか。それすら思い出せない。

病室には誰も訪ねてこない。なかなか治らないケガだけが「お前はまだ生きているんだぞ」と言っているみたいだった。

何日経っても思い出すことはなくて、病室が個室から相部屋になったことくらいしか変化がなかった。

相部屋の少年から押し付けられたマンガや本やアニメDVD、映画、ゲームをひたすらこなして、たまにエロい雑誌を隠し読みして。

それなりに楽しかったよ。

真っ白になったボクの頭の中に詰めたのは、そういうものだったんだ。

 

ただ、枕元にあった机の上にはいつも一通の手紙が置いてあった。

そう。同窓会の案内だよ。

 

 

 

 

 

 

『約束したあの場所、あの時間でお待ちしております』

 

 

 

 

 

 

今のボクは真っ白な白紙。こんなあっさりと白紙になるなら、きっとこれまでの人生も特別な道を辿ってきたわけじゃないんだろうね。

別に自分が嫌いってことじゃないよ。ないけど、ただ、ありきたりの人生だったんだなって。そう思っちゃうんだ。

実際どうだったかは思い出せないけどね。

 

でもさ。この場所に来て、君たちと逢って、同窓会に参加して、一個ずつ話を聞いてるとさ。

…うん。

いいね。

なにか、思い出せそうだよ。とても、とても懐かしい。

自分の中の白いページたちが埋まっていく感じがする。

 

いや、ちょっと違うかな。

今聞いてる話たちはどれも新しい話だ。

どれも、「今の」ボクが初めて聞いた話たちばかり。君たちがそれぞれ持ってきた話だ。

それをボクのページに書き写していくのは、ちょっと勝手すぎだよね。

そうだな。共有とか同化って言った方がいいかな。

結局は宿題を写してるのとおんなじ?

そんなのでもいいじゃないか!

 

 

 

ただいま、ボク宿題を写す作業の真っ最中。

なーんてね。

 

 

 

でも、なんだろうな。

いくつも話を聞いているのに、まだ一番会いたいはずの友人が出てきていない気がするんだよね。ボクの友人って、そんなに遅刻常習犯なの?

 

 

 

『どうせお前は×××××××』

 

 

 

 

 

 

ねえ、もっと聞かせてよ。

そうすればさ。きっと「今のボク」は君たちのよく知ってる「あの頃のボク」に戻るだろう。

 

 

 

 

 

 

で?

ボクにも何か話せって?

 

そうだな。

 

事故に逢ってから一年目にね、その時にはさすがに病院だって退院してたんだけど、初めて行ってみたんだ。自分が車に跳ねられたその場所。

それまで行きたいなんて思わなかったんだけど、急に行こうと思ったんだ。

 

そこに誰かいる気がしてさ。

 

そうしたら、まさにボクが倒れていただろうその場所に向かって手を振る誰かがいたんだ。

そいつはさ。自慢げに、さも時間に間に合ってやったぞって言う顔をして手を振っているんだ。

 

ボクはそれを遠くから見ていただけなんだけど。

 

そいつを知ってる気がするんだ。

大事な、忘れちゃいけない奴の気がするんだ。

 

でも会えないんだよね。

ボク、全部忘れちゃったからさ。

会っても、もうそいつのことわかんないんだ。

 

ただひとつ。方法があるっていうなら。

こうするのが正しいんだろうな。

 

そう思って、ボクは、こうした。

 

お世話になった病院の人たちには悪いことをしたな。でも、一回は逝きそびれちゃったんだからしょうがないじゃないか。

 

 

 

ボクは、病院の屋上から飛び降りた。

 

 

 

あ、同室の子にマンガ借りっぱなしだ。サーセン。

 

 

 

これでボクの話は終わりだよ。

じゃあ、みんなの話の続きを聞かせてもらおうかな。

 

 

 

 

 

 

はやくおいでよ。

君のためにこうしたんだよ。遅刻常習犯君。

君のために、話をわざわざ伸ばしてあげたんだよ。遅刻常習犯君。

 

ボクの(忘れてしまった)大切な親友君。




『遅刻常習犯』

の、友人A君
さいごに会おうとお手紙出して
会わずに全部忘れたよ
一年たって元気になっても
約束忘れたままでした

会おうと言った友人A君
真っ白白紙でリセットされて
自分が誰かもわかりゃしない
それでも約束はそこにある

遅いぞ遅刻常習犯
友人A君は死にきれずに待ってたぞ


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出席番号7番「遅刻常習犯」①

今日、道の真ん中で猫が落ちていた。赤く潰された腹からは、何かが出ていた。

昨日、道の隅でカエルが落ちていた。ぺったんこになった体はかぴかぴに乾いていた。

気づくのは明日になるのか。
気づかれるのはそれより先になるのか。
それとも、誰にも気づかれずにいつの間にか消えていなくなってしまうのか。



俺は、遅刻常習犯。
いつだって誰かを、何かを待たせて遅れを取る。そんな性分に生まれた遅刻野郎。
最期に一度会おうと、古い友人から手紙が届いた。
これが最期だと、俺は間に合うように張り切った。
待ち合わせの時間は、手紙が届く一年前だった。

俺は遅刻常習犯。
どうしたって、どうやったって遅れてしまう。そんな、奴。



みんな。知ってるだろ?
知ってて、受け入れてくれるから、いつだって俺のこと待っててくれるんだろ?



こんな俺でも、みんなは振り返って見てくれるんだろ?



俺が産まれたのは寒い冬のことだったらしい。寒くて寒くて、雪が降るどころじゃないくらいの寒さだったらしい。

それを俺に教えてくれたのは、母でも父でもなくて、助産師だった人だった。

俺が産まれて何年か経った後。物心がついて周りを見るようになった頃。煩いくらいに俺はこの言葉を叫んだ。

 

「なんでおかあさんがいないの」

 

俺は母親を知らなかった。顔も、名前も。じゃあ、どうやってそれまで生きてこれたかって? 覚えてないよ。

でも、誰かが俺を助けてくれていたんだろうな。ミルクを与えて、おむつを替えて、寝かしつけて。それをしてくれたのは母親ではない。それだけは確かなんだ。

だから、俺は理解するまで泣き叫んだ。

 

「どうしておかあさんがいないの」

 

俺は、産まれてからずっと母を知らない。いや、違う。産まれたその瞬間にだって、俺は母の温もりを知ることができなかった。母になった女性の、務めを果たしてやりきった笑顔にさえ出逢うことはなかった。

俺の知っている母というものは、冷たくてかたい。そういうものだ。どろりとした赤い液体と、売っている肉よりも色味が悪くてかたい肉の塊。うん、生き物ですらなかった。と、思う。その時はもう既に。

俺の母は自分では子どもを産めなかった。身籠って、腹を大きくして、俺は彼女の胎内で優しく育てられたんだと思う。

誰もが漂っていた羊水の中で膝を抱えてながら。丸くなって。体温を分け与えられていた。

そんな気がする。

 

 

 

そのまま起きずに、ゆらゆらと夢の中で揺られていたら、誰も辛いことなんて知らずにいられるんだろうな。

 

 

 

 

 

 

きっとみんなも思ったことがあるはずだ。

産まれる前のあの場所へ還りたい。

あの温かくて、優しくて、何も知らなかった頃に戻りたい。

 

たぷん。たぷん。母の胎の中で揺られていたい。

誰だって、きっとそう思うんだよ。

 

まあ、俺は嫌だけどな!

言っただろ? 俺がいた母親の胎っていうのは冷たかったんだ。

冷え性とかじゃなくて、さ。

俺の母さん、俺が外に出る前に死んでたらしいんだ。

 

俺の母さん、俺が産まれる前に死んでたんだ。

 

 

 

俺は。

 

俺は。

 

 

 

産まれてくるのさえ、遅刻してきてたんだな。

 

 

 

 

 

 

俺は、今も昔も遅刻常習犯だ。

きっとこれからも、この遅刻癖はなおらない。

大事なときほど、遅刻する。

大切なことを知るのはいつだって一歩遅い。それが、俺なんだ。

 

 

 

 

 

 

母さんがどうして死んでたのか。それは知らない。知るべきことじゃないって、俺は思ってる。

 

例えば、事故だったとか

『ダレカニツキトバサレタンデスッテネ』

『テヲヒッパラレタミタイニトビコンダラシイワヨ』

『ナニソレ、コワイ』

『タダノジコジャナカッタノ?』

『シラナイワ』

『シラナイワ』

例えば、体が弱かったとか

『ニュウインシテレバチガッタカモネェ』

『ショウガナイジャナイ、イマハドコモイッパイヨ』

例えば、状況が変だったとか

『ダンナサンハ?』

『ルスダッタソウヨ』

『ニンプサンヒトリノコシテドコイッタノ?』

『ウワキカモネ』

『マサカァ』

例えば、状態が変だったとか

『オナカガイジョウニフクランデタラシイワ』

『ビョウキ?』

『ソレガワカンナイラシイノ』

『ニンシンノジョウタイジャナカッタトカ』

『ヨウスイジャナクテ、ゼンブチダッタラシイワヨ』

『ソンナコトアルノ』

『アリエナイワヨ』

例えば、例えば、例えば、例えば、

 

全部、聞きたくないことだった。

理解力のない小さな子どもの周りでされる黒い噂話たち。してる本人たちにはただの噂。言われてる俺からしたら嫌な噂。

どれが本当かわからないから、俺には全部が本当のことに聞こえてくるんだ。

 

しかも、質が悪いことに俺の耳にはそれは遅れて入ってくる。

だって遅刻常習犯だからな。

 

全部が遅れてやってくる。

俺は遅れてやってくる。

 

だから、ちょっと頭が追いついてきた頃に噂が耳に入ってくるんだ。

当然その時には父親の耳には入っている。悪い噂を耳に入れた父さんは、子どもの俺にいつもこう言った。

 

「お前が悪いんだ」

 

全部、全部、俺が悪いんだ。小さい俺はこう思った。

母さんがいないのも、父さんが怒るのも、他の人がひそひそ噂するのも。全部、全部、俺が悪いんだ。考えるのを一切止めて、俺は自分が悪い。それだけ考えるようになった。

その方が楽だから。

実際楽なんだよな。考えるのを放棄して下ばっか向く。自分が悪い、自分が悪い、ごめんなさい。それだけが頭の中に詰め込まれてて、他のことを考えない。

つまりさ。それ以上悪いこと言われても、自分が悪いで終わるから頭が理解しようとしないんだ。聞いたことも右から左へ全部が素通り。

体質のせいで何もうまくいかない。自分が悪いで工夫しようとしない。努力しても、うまくいったとこで普通の人並み。

 

どうしてこうなるんだろう。

その答えは「自分が悪いから」。

刷り込みって恐いよな。

 

 

 

だんだん頭が追い付いてきて、「自分が悪い」から「自分は悪いのか?」になってきた頃。それでもまだまだお子さまなんだけどさ。

四つ足歩行のハイハイも卒業して、やっと二足歩行が可能になった頃かな。自分よりも小さい子がいるのにやっと気づいたんだ。おんぶ紐でくっつけられたり、乳母車に乗せられたしわくちゃな猿。じゃなかった、赤ん坊な。赤ちゃん。

これはなんだ!? 多分保育所の先生にでも聞いたんだろ。

そこで知ったのは、人っていう生き物は産まれたら赤ちゃんで、成長して子ども、大人になるってこと。遅いだろ? でも俺にとっては重大事項なんだ。

だってさ、赤ちゃんが成長して子どもになるんだろ? それって、赤ちゃんを誰かが育てないと子どもにならないってことだろ?

じゃあ、子どもの自分はどうして今「子ども」なんだ。そういうことになるんだよ。自分だって産まれた時は赤ちゃんだった。

 

産まれ方がどうであっても。

 

自分はあのしわくちゃな猿、じゃなかった、赤ちゃんだったんだ。どう見ても一人じゃ生きていけない、あの赤ちゃんだったんだ。

誰かが俺を世話してくれた。誰かが俺を生かしてくれた。

それが、すごく。すごく、嬉しかったんだ。

 

誰だかわからないけれど。

 

誰かが、俺に生きて欲しいって思ってくれた。

 

 

 

 

 

 

今日、道の真ん中で猫が落ちていた。赤く潰された腹からは、何かが出ていた。昨日、道の隅でカエルが落ちていた。ぺったんこになった体はかぴかぴに乾いていた。

誰も気にしないで通り過ぎて行った。

だから、俺も同じなんだと思っていた。

 

 

 

明日は自分が地面を這っている。喉が渇いて、腹がへって、ガリガリに痩せた体で地面を這っている。外は寒くて心臓が凍る。外は暑くて頭が煮える。

それでもどうしようもないまま、息を吸うことも知らずに空気を吐き続けるんだろう。心臓を動かすことも忘れて止まり続けるんだろう。

そんな俺を、誰も気にしないんだろう。

 

ずっとそう思っていたんだ。

ずっと、ここにいちゃいけないと思っていたんだ。

 

だって、じぶんはわるいこなんだから。

 

だからさ、俺が子どもになるまで生きていていいよって世話してくれた誰かに感謝したんだ。誰かは知らないけれど。

産まれてこなきゃよかった。そう思うことは止まなかったけど、もうちょっとだけ生きてみてもいいかな。そう思ったんだ。

 

その時、やっとそう思えたんだ。

 

 

 

 

 

 

父さんは何も言わなくなったけど。

 



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出席番号7番「遅刻常習犯」②

子どもの俺に母さんのことを教えてくれたのは、当時の助産師だった人だ。俺を、冷たい母親の体から取り上げてくれた人。

死体から生きた赤ん坊が出されるのは稀らしい。どれだけ稀なのかは知らなくていいことだって、その人は言っていた。大事なのは、今俺が生きてその人の話に耳を傾けているということ。そう、優しい声で言っていた。

 

俺が産まれた寒い日のこと。母さんが病院に搬送された時のこと。母さんが息を引き取った時のこと。母さんの腹の中に赤ん坊がいるってわかった時のこと。その赤ん坊が、生きているとわかった時のこと。

それと、母さんがどんな人だったかを、少しだけ。

 

その人は俺に解りやすく話してくれたんだと思う。でも、子どもの俺が思ったことはいつも同じだった。

 

おかあさんにあいたい。

 

ただひたすらに、母さんという人に会いたかった。赤ん坊だった俺がずっと一緒にいたはずの人。ずっと一緒だったのに別れてしまった人。

胎の中に戻りたいってわけじゃなかった。でも、その人の温かさが恋しかったんだ。母さんの体温が欲しかったんだ。

ずっと一つだったのに。ずっとへその緒っていう一本の管で繋がっていたのに。俺は母さんから切り離された。

 

おまえはもういらない。

 

そう言われた気がしたんだ。

 

父さんからは悪いと言われ続け、更には母さんから要らないと言われないといけないのか。俺は泣いた。

 

「おかあさんにあいたい」

「おかあさんにあいたい」

「おかあさんにあわせて」

 

俺は泣き続けた。

 

そんな俺の背中をさすって、頭を撫でてくれたのが助産師さんだった。

話もろくに聞かない子どもを、その人は優しく見守ってくれた。

 

君は生きていていいんだよ。生きてくれ。あの人の分まで、生きてくれ。

 

その人は。その男の人は、俺を見て、話しかけて、抱き締めてくれた。母親が与えるべきだった温もりを、その人は俺に与えてくれた。

俺は、その人に育ててもらったんだ。生きていていいんだって、生きて欲しいって言ってくれたその人。

 

顔も思い出せないけど。

声も思い出せないけど。

でも、その人の温かさだけは覚えているんだ。

 

大切なことを教えてくれた助産師さん。それを知るのは俺が中学にあがるくらいの時だ。

だって、俺は遅刻常習犯。全部が遅れてしまう。

俺は。

 

 

 

俺がその人に何かを伝えようと決めたその時には、もう、その人はこの世にはいなかった。ありがとうも言えなかった。でもその人は、ずっと俺の側にいてくれたんだ。たくさん、教えてくれたはずなんだ。

 

気づいた時にはもう亡くなってしまっていたその人。

俺に生きて欲しいと言ってくれたその人。

 

「君は、いらなくなんてないよ」

 

俺の心にその人の言葉が届いた瞬間、前を向こうと思ったんだ。母さんの分も、その助産師さんの分も生きていこうって、心から強く思ったんだ。

 

遅くなったけど、やっとそう思えたんだ。

 

 

 

 

 

 

助産師さんは、俺に一通の手紙を遺してくれた。いつか追い付いてくれますようにと願いを込めて、小さな子どもの俺の手にその手紙を握らせた。

 

「産まれてきてくれてありがとう」

 

ただそれだけ書かれた一枚の紙と、それに包まれた干からびた肉の管。

俺と母さんを繋げていた、へその緒だった。

 

大事な大事な想いのこもった、封のされた手紙。

それは俺の手の中に今でも握られている。

 

 

 

みんなと逢う約束の、同窓会の案内と一緒に握られている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父さんは相変わらず何かを言っていた。黒い煙を吐き出しながら、俺に唾を振りかけていた。

すごく、すごく、嫌だった。悪い奴だ、全部こいつのせいだ。俺の耳には聞こえていた。

 

でも、もう。産まれてこなきゃよかったとは思わなくなった。

 

 

 

俺は遅刻常習犯。

やっと、自分の意思で生きていきたいと思った。そんな子ども時代。

遅いよな。

出逢いは遅くなかったのに、その意味を知るのが遅すぎた。俺は今でも後悔している。

でも、出逢ったその人たちは俺のことをわかってくれていた。遅れる俺のために何かを残して、先にいってくれた。

だから俺は、焦らないでその人たちを追いかけることができた。遅れてもいいから、自分のペースで歩んでいくことができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おい、友人A。

いい加減思い出したらどうだよ。

お前が待っててくれたのは、この俺だぞ。

この、遅刻常習犯だぞ。

待たせちゃったけど、ちゃんとお前のところにやって来た。

はやく思い出せよ。

思い出してくれよ。

 

生きて待っててくれたお前に、ありがとうって言いたいんだ。

はやく思い出してくれよ、友人A。

 

思い出すまで、今度は俺がお前を待っててやるからさ。

 

 

 

友だちだろ、俺たち。



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出席番号7番「遅刻常習犯」③

俺は父さんが嫌いだ。

理由は、わかるだろ? 覚えている記憶の一番最初から最後まで、あの人の怒鳴り声だけしか思い出せないよ。顔だってよく思い出せない。もちろん、写真なんて残っていない。

 

「お前が悪い」

 

小さい頃からずっと心に染み込まされたトラウマだ。

実際、自分で悪いと思うところもあるから否定できない。ごめんなさい、ごめんなさい。ひたすら謝ることしかできなくて、あの先生に出逢うまでは大人に顔も上げられなかった。大人が恐かった。

 

保育所だって入れてもらえなかった俺はいつだってひとりぼっちだった。預けられても親が迎えに来なきゃなぁ。

だから、捨てられなかった方が俺としては不思議だったんだ。

実際は生きているのか怪しい状態だったみたいだけど、それは俺の体質がいい方向に働いたんだろうな。死ぬのが遅れていたんだよ。

死に遅れっていうやつかな。え? そんなこと言わない? じゃあ、俺が言うわ。俺は死に遅れていた。

 

父さんは思っただろうな。

どうしてこいつはそこにいるのか。ってさ。

生きていちゃ悪い奴が目の前にいる。昨日も今日も、ずっといる。

 

 

 

いつからか、父さんが言う言葉が変わったんだ。

いや、もしかしたら始めからそうだったかもしれない。

 

「おまえが悪い」

 

から

 

「おまえは鬼の子だ」

 

そう、言い始めたんだ。

 

 

 

自分の子じゃない。鬼の子だ。

母親の腹を食い破って産まれた、鬼の子だ。

痛かったよ。

俺は父さんにとっていらない子で、生きてちゃいけない子だった。しかも、人ですらない、鬼の子だってさ。

痛かったさ。

親にそんなこと言われて。それにさ、

 

オニハタイジサレナイトイケナイダロ?

 

父さんは、鬼を退治しようとした。叩いて叩いて叩いた。首を締めた。殴って、家に入れようとしなかった。

それでも鬼はしぶとく生きていた。

起き上がって、息をして、血を流していた。痛みなんて感じてないような顔をして、ごめんなさい、ごめんなさいと謝り続けた。

 

痛かったよ。

 

鬼の子は、俺は、すごく痛かった。

 

痛かったんだよ。父さん。

 

殴られたその時は痛くなかったかもしれない。でも、確かにそれは後からでもやってきたんだ。

逃げられなかった。逃げちゃいけなかった。だって、俺が悪かったんだから。全部、俺が悪いんだから。

 

 

 

 

 

 

 

そんな毎日が続いて、学校へも行かなくなったある日。

家にあの先生がやって来た。

家庭訪問じゃないぜ? あの人、家に突撃してきた。当時の担任だったあの先生。何にも言わないでさ、俺を家から引っ張り出したんだ。

父さんは何かうるさく言ってたかもしれない。それよりもさ、俺には先生が父さんにぼそっと言ったことの方が衝撃だったよ。

 

「この余所者が」

 

子どもの俺には意味が解らなかったけど、今なら解る。俺たちには解るだろ?

先生、マジギレしてたんだって。だって、あの人がこんなこと言うはずないじゃん。

 



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出席番号7番「遅刻常習犯」④

俺たちはいつだって閉鎖的な空間にいる。

とじられた「桜ヶ原」っていう町にとじこもって、一緒にとじたものたちと身を寄せあって生きている。

だから友達や家族や近所の人たちを大事にする。心を許した間には、一種の絆みたいなものが生まれる。

ほら、俺たち同級生みたいにさ。

互いを許せるし、情も厚い。それは好きだとか嫌いだとか、そういうもんじゃないんだ。好きな奴だって嫌いな奴だっている。そういうのを引っくるめて受け入れられるんだ。

 

俺、知ってるぜ?

こういうのって、普通外の世界じゃ異常に見えるんだ。

古いしきたりを守り続ける田舎、独特なルールが存在する学校、こうでなきゃいけないって押し付ける会社。

古い考え、常識、思い込み。それにとらわれかこまれた閉鎖的な世界。

 

俺、知ってるぜ。この桜ヶ原も似たような空間だって。

遅れてるよなぁ。

俺がいるから遅れてるのか?

俺が遅らせているのか?

そんなわけないよな。

 

俺たちは一人一人選んで、決めて、ここにいる。

最期に戻る場所を、俺たちは自分の意志で決めた。

そのための約束だ。

ちゃんとここに戻って来れるように「同窓会」っていう約束をした。また、逢おうっていう約束を桜の木のもとに交わしたんだ。

 

好きとか嫌いとかじゃないんだよ。

俺たちは同級生なんだ。一回しか生きられない道の上で出逢った、唯一の同胞たちなんだ。

 

遅れることがわかりきってる俺を、いつまでも待っててくれる仲間たちなんだよ。

 

 

 

そうそう。だからさ、仲間内には甘い。大きく見ると、町全体がこんな感じになるんだ。

例外を除いてね。

外から来た奴。まあ、俺たちも人の子だからさ、ほかの奴らとだって付き合うわけよ。人並みにさ。向こうはどうだか知らないけど。

だから、あの時の先生の態度は過剰に見えたんだ。

俺、助産師さんから聞いていたんだぜ?

君の両親は二人とも桜ヶ原の人だよ。これって、母さんも、父さんも、地元の人間ってことだよな。だからもちろん俺も生粋の地元人間。

だからこそ、俺はそれまで生きてこれたんだ。地元の人間は他の地元の人間を助ける。地元の人間が悪いことをしたら。あー、何て言うのかな。ここにすむ「住人」たちが制裁を降す、とでも言うのかな。

 

 

 

 

 

 

ほら、例えば七不思議とか。

 

 

 

『一ツ、切り株

 

二ツ、停留所

 

三ツ、砂時計

 

四ツ、地下通路

 

五ツ、化獣

 

六ツ、地図

 

七ツ

 

 

 

同窓会』

 

 

 

 

 

 

悪いことをしたらさ、人が裁くんだよ。これは罪です、悪いことです。そういうルールを作っておかないと悪いことってし放題になるんだよな。

ニンジンを食べ残しました。悪いことです。だからおやつは抜きです。

こんな感じ。

でもさ、結局人が人を裁くんだよ。法律を作って平等に、公平に。そう言いながら、悪いことをするのもおしおきするのも人なんだろ?

じゃあ、裁ききれないじゃん。

人は隠す。誰だって悪いことを、罪をおかす。心は機械じゃない。常に冷静を努めても冷静でい続けることなんかできない。矛盾が生じる。

悪い人に罰が下される。罰したのが人だと、納得できないと言う人が出てくるかもしれない。

あいつはあんなことをしたのに、たったこれっぽっちの罰しか与えないの?

 

罰っていうのはさ。本人が自覚しないと意味ないと思うんだ。自分は悪いことをした。それを受け入れて、どうして悪いか、何が悪いか理解するんだ。そんでもって、頭を下げて謝る。

「申し訳ございません」

ごめんなさいって言うのはこういうことなんだろうな。本当だったらさ。これが謝罪するっていう事。

 

だから自覚しない限り裁くことに意味がないんだ。本当は悪いのに、本人は悪く思ってない。

これじゃ罰にならない。罰を与えられない。

人は間違いを繰り返す生き物だよな。何回間違っても間違いに気付くまで繰り返す。後悔しても、繰り返す。

 

俺の、父さんみたいに?

 

俺の父さんが本当に悪いことをしていたら、地元の人が裁くはずなんだ。でも、父さんはずっと変わらなかった。

俺に対しての扱いも、ずっと変わらなかったよ。

俺が悪いのか、父さんが悪いのに受け入れようとしなかったのか。もちろん、俺は父さんが悪いとは思っていなかった。

 

 

 

うわ、みんな、そんな顔するなよ。

怒るなって。違うんだよ。

そう思ってたのは先生が家に突撃してくるまでの話。

まあ、聞いててくれよ。

 

 

 

それまで俺はずっと父さんに頭を下げ続けてきた。それは、自分が悪いと思ってたから。

人が裁かなくても、ここには、この桜ヶ原には七不思議を始めとする怪奇現象が人を裁く。人じゃないから、理不尽に裁ける。

でも、父さんがそういうのに遭ったとは思えない。そう見えなかった。だって、いつも変わらなかったんだから。

じゃあ、俺の方が悪いじゃん。

父さんの言っていることが正しくて、俺は悪い子なんだ。悪い鬼の子なんだ。

そうとしか思えなかった。

人が裁かなくても、桜が裁く。父さんは裁かれなかった。

 

 

 

なんで? なんで? 俺が悪い。全部、俺が悪い。

ごめんなさい、ごめんなさい。生きててごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。

この世に産まれてきてごめんなさい。

 

 

 

俺のその声を聞いた時だよ。先生がキレたの。

 

 

 

 

 

 

俺、こう思っているんだ。

罪っていうのは、痛みを伴って喰われるべきもの。それが罰となる。どんなに罪深い悪だって、いつかは喰われ尽くす。

罪がある限り痛みは続く。どんな悪人だっていつかは喰われ尽くされて、その罰は終わる。

ただ、唯一終わることなく喰われ続けないといけない罪がある。

 

 

 

何だと思う?

 

 

 

冤罪だよ。

 

 

 

ないはずの罪はなくなるはずないんだ。だって、始めから喰われるべき罪がないんだから。

冤罪を持たされた人は、永遠に喰われ続けなきゃいけない。痛みは、終わらない。

 

俺、冤罪だったんだ。悪くなんてなかった。

でも、父さんに悪い子だって言われ続けて、俺、自分が悪いんだって、罪人なんだって。そう、思ってた。思い続けていたんだ。

だから、だから、俺、父さんに叩かれても、殴られても、どんなこと言われても、自分が悪いんだって、悪いんだって、うぅ、思ってたのに。

思ってたのに。

思って、たのにぃ。

 

 

 

 

 

 

俺を家から連れ出したあの先生は、まず最初に教えてくれた。

 

「君は悪くない」

 

俺は悪くない。悪い子じゃない。

先生は、俺に優しく教えてくれた。

俺が一番欲しかった言葉だった。

俺、心のどっかで自分は悪くないって思ってたんだ。でも言えなかった。表に出せなかった。

父さんがこわかったから。

 

誰も父さんのことを悪いとは言わなかった。

地元内で甘いとこがあるから、誰も言えなかったんだと思う。きっとそうなんだよ。

それか、みんな父さんのことが恐かったんだ。

俺と同じように、みんな父さんのことを恐怖していたんだ。

 

今更思い出すと、町の人たちはみんなどこか父さんと距離をおいていたように思える。

単に他の町から来たとか、人柄的にちょっと付き合いづらいって理由じゃない感じだった。

何て言うのかな。えっと。

そうだそうだ。それこそあれ。

 

「余所者」

 

先生の言ってたあれ。過剰だとも思えたあれが、やけにしっくりくる。

なんでだろうな。

なんでだろうね。

 

 

 

まあ、答えはもう出てるんだけど。

それを言っちゃったら、俺のとっておきの話もおもしろくないからさ。

まだ、言わないでおくよ。

最後まで聞いてくれよな。

 

 

 

 

 

 

おい、そこの友人A。

特にお前だ。

この話はお前のためでもあるんだぜ?

ちゃんと最後まで聞いててくれよ。

 



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出席番号7番「遅刻常習犯」⑤

家から先生に引きずられてやって来たのは学校。そう、俺たちの小学校だった。

文字通り引きずられてきた俺は宿直室に入れられて、まずは寝かされた。布団が柔らかくて、あったかかった。

起きたら腹一杯飯を食った。うまかった。それから風呂に入って、寝た。起きたら飯を食って、授業に出た。

そこからはみんなも知ってる通り。みんなと授業を受けて、給食食って、昼寝して、遊んだ。

先生からは当たり前の常識を教わった。みんなからは、なんだ、色々と教わったよなぁ。遊び方とか、悪戯のし方とか、町のこと。

 

 

 

何にも知らなかったんだ。俺は。

家から出られないで息だけしていた。ほんの少しの餌だけ腹に収めて、父さんの視界にできるだけ入らないようにした。目を見開いて、恐怖に耐えた。意識が落ちるまで目を閉じないから、眠り方がよくわからなかった。

 

助産師さんは俺に言った。生きて欲しいって。だから俺は生きた。生き延びた。

でも、そこには俺が自分の足で生きていく道はなかった。自分の足で立って、道を選んで、前を向くことはできなかった。だって、どうやって生きていけばいいか知らなかったんだ。

父さんみたいな大人になる? あり得ないだろ。

助産師さんみたいな大人になる? 助産師さんと過ごせた時間は短すぎた。彼についてほとんど知らない。探そうにも、その時には彼はこの世にいない。

 

俺は大人が嫌いだったんだ。それは父さんが大人だったから。

父さんは大人で、大人は父さんだった。俺は、父さんっていう大人しか知らなかった。

じゃあ、他は? 見てなかった。

見れなかった。自分と違う人を見る余裕がなかった。

だからさ、ごめん。俺、小学校の入学式の時の顔ぶれ、覚えていないんだ。

卒業までに亡くなって入れ代わった奴もいたよな。でも、ごめん。俺の頭の中には卒業式の時の顔ぶれしかいない。

 

此処にいるみんなの顔しか、記憶にない。

桜の木の下に集まった、同窓会を約束した同級生たち。それで、いいんだよな。

あの先生も、助産師さんもいないけど。

これは、俺たちだけの約束なんだよな。

 

 

 

その約束も当然遅刻したけど!!!

 

 

 

じゃなくって。何の話だ?

ええっと、生きる目標?

単純に将来の夢とか、どんな大人になりたいか。かな。

 

 

 

そんなのなかったよ。あるはずないじゃん。

足元を見て立つだけで精一杯の子どもだ。

これから先のことなんて考えられない。

 

 

 

人って他人と自分を比べるよな。どっちが上でどっちが下。対等がいいって言ってても、それだって横を見て揃えてるだけだし。

俺の場合さ、下ばっか見てるから上も右も左もわかってねえの。他の奴がどこ見てるのか、何をどうやってるのか。見る余裕がなかったんだ。

先生が教えてくれたことの一つがこれだよ。人間観察しろ。人だけじゃないけど、自分が人として生きていきたいんだったら周りの人を見ろ。

間違ってることは真似しなくていいから、正しいと思うことを真似して自分の中に取り込め。

 

俺、人間観察だけは得意になったんだ。

あ、こいつ、今何してもらいたがってるな。こいつ何に怒ってるな。こいつ体調悪いな。こいつ何か隠してるな。こいつ、あいつじゃないな。

すぐにわかっちまうぜ。だって俺、後ろからじ~っとおまえらを見てるんだから。

遅刻常習犯はいつも遅れるんだ。だから後ろから前のやつらを、おまえらを見てたんだよ。

 

俺はみんなの生き方を真似した。自分のことを「俺」って言うようになったのも家を出てからだよ。

笑うようにもなった。好き嫌いを伝えるようになった。話をもっと聞くようになった。話をしたいと思うようになった。

泣くようになった。痛いと言うようになった。悲しい、寂しい、淋しいって言うようになった。涙を、流すようになった。

怒るようになった。自分は悪くないって主張できるようになった。

ふざけるようになった。みんなと冗談を言い合って、笑い合えるようになった。

 

 

 

あいかわらず夢は語れなかったけど。

俺は、ちゃんと生きていた。

 

 

 

生きていた!

 

 

 

生きていたんだよ!!!

自分の意思で、歩けるようになったんだ! 父さんから離れて! 自分の目で世界を見るようになったんだ!

俺は、俺はさ。やっと前を向けるようになったんだ。

 

そこでやっと解ったのは自分の体質と遅刻癖だったんだけど。

自分が持ってる他人と違うとこを知るのは大切だよな、ほんと。

同じことと、違うこと。周りを見れるようになってやっとわかったよ。

 

 

 

 

 

 

俺はちゃんと人の子だった。

鬼の子なんかじゃなかった。

 

それを教えてくれたのは、あの先生と同級生のみんなだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アリガト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の人生で一番楽しかった時期っていうのは、もちろん小学校時代。あ、違う違う。俺は小学校じゃない。

小学生時代。

ランドセルも持ってなかったけど、一番楽しかった。

 

みんなと遊んだし、知らないことを勉強するのも楽しかった。

すっごく、楽しかった。

 

ただ、俺は学校の外に出なかったんだけどさ。

 

 

 

先生が家から連れ出してくれた先は小学校だった。それから俺はどこに住んでいたかというと、そのまま小学校。

俺にはもともと親戚とかもいなかったらしいし、行く宛がなかった。あったらもっと早く父さんの所を出ていただろうよ。

誰かの家でもよかったらしいけど、俺はその時外に出たくなかった。だって、父さんに見つかるかもしれないから。

父さんに見つかって、またあの空間に戻るのが怖くて嫌だったんだ。だから俺は駄々をこねた。

 

「ずっとここにいる!」

 

普通そんなの通るはずないだろ? でも通ったんだ。

俺が桜ヶ原の人間だったから、先生も他の大人たちも俺を全力で守ろうとしてくれたんだ。ほら、地元の仲間意識が異常に強いだろ? 他の町を知ってれば余計異常に見えるだろうよ。でもこれが俺たち、桜ヶ原の人間なんだ。

間違ってないよな。

 

桜ヶ原の人は桜ヶ原の人を守ろうとする。

間違ってないよな。

 

だからなのか、父さんはこの町に居座った。自分もこの町の者なんだから、追い出される理由はない。そう言い張ったらしいんだ。

当然、誰も父さんを町の外に出すことはできない。

 

 

 

あの先生は俺に言った。

 

「七不思議が君の味方になってくれるだろう」

 

俺たちに桜ヶ原の七不思議を教えてくれたのはあの先生だ。この町にはこういう七不思議が昔からある。まるで懐かしいものを紹介するように、先生は穏やかに笑いながら語った。

この町の人なら誰でも知っている七不思議。この町に潜んでいる七つの怪異。

 

 

 

オレタチガカイメイヲノゾンダ

七ツノフシギ

 

 

 

俺たちが、解明をのぞんだ不思議たちだ。

桜ヶ原の、七不思議。

桜ヶ原にある、人と一緒にある不思議たち。

 

七不思議の最後は神隠し。出会った誰かがいなくなる。そういう結末だろ?

誰かが何処かへ消えていく。誰かが何処かへさらわれる。そういう、ものだろ?

七不思議っていうのは、本当だったら誰かを守ってくれるはずのものじゃないんだ。むしろ、誰かを罰するもの。人が裁けなかったものを裁くかのように、制裁やしっぺ返しを与えるもの。

 

 

 

『頭に乗るな』

 

いい気になってつけあがるな。

 

 

 

父さんを人は裁けなかった。人は父さんを野放しにした。手に負えなかったんだ。

じゃあ、誰が裁くんだ? 誰も裁けない。父さんは悪くない。だから、誰も裁けない。

父さん自身が罪を自覚しない限り、あの人は罰せられることはない。

 

ああ、今の俺は「あれ」が悪いって思ってるんだけどさ。

 

人が裁けないんなら、他のモノが裁くしかないだろ? でも、どんな怪異でさえ父さんを裁くことはできなかった。七不思議でさえ、な。

 

桜の姫様だったらまた話が違ってくるんだろうけど。あの頃はまだ先生がいたから。

姫様も奥手女子だよなぁ。

あ、これは内緒だぜ?

 

七不思議でさえ父さんを裁けない。

そんなに七不思議って弱いの? って話じゃないんだよなあ、これが。

桜ヶ原では七不思議は姫様に次ぐ怪異だ。それが裁けない父さんがヤバイの。

でも、裁けなくても牽制にはなるんだ。こいつに手を出すな。もしかしたら、自分の上に立つなってことかもしれないな。

 

小学校の裏庭には切り株がある。

七不思議の一つ目の、切り株だ。

 

まあ、変な言い方だけど、あれが校内にある限り学校にいれば父さんは俺に手出しできないってこと。

実際、俺はずーっと学校にいた。基本的に学校の外に出ることはなかった。というか、出れなかった。

いつまでだって?

 

 

 

最期の日までだよ。

 

 

 

俺、見てたよ。

切り株の上に立つ刃物を持った処刑人。

それに、校庭の向こうの道を走るバス。ある同級生に熱い視線を送る軍服を着た異国の車掌さん。

今夜は猫会議だって同級生を呼びに来たとある町の白い猫。尻尾が二本の化け猫裁判長。

前日まではなかったはずのトンネルの入り口。不穏な気配と吐息が漂う、蛇の口。

同級生におやつの催促をしに来たイヌ。モフモフの肥えてしまったタヌキのはずの、イヌって名付けられたタヌキ。

まだまだあるぜ?

 

 

 

みんなも見てただろ? 見えてただろ?

え、そんなの知らない?

そうなの?

じゃあ、今言う。俺、見てたよ。

見えてたよ。




切り株の上に立つ刃物を持った処刑人→出席番号5番「切り株の上」
校庭の向こうの道を走るバス。ある同級生に熱い視線を送る軍服を着た異国の車掌→出席番号8番「停留所」
猫会議に呼ばれた同級生→出席番号22番「にゃんだふる☆でいず」
猫会議へ呼びに来たとある町の白い猫。尻尾が二本の化け猫裁判長→出席番号10番「七ページ目を追いかけて」『猫の集会』
前日まではなかったはずのトンネルの入り口。不穏な気配と吐息が漂う、蛇の口→出席番号18番「地下通路」
同級生におやつの催促をしに来たイヌ。モフモフの肥えてしまったタヌキのはずの、イヌって名付けられたタヌキ→出席番号14番・後編「砂時計」-狸村の援軍-


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出席番号7番「遅刻常習犯」⑥

昨日、ツバメが巣から飛んでいった。小鳥は、親鳥に追い付こうと必死に翼を動かしていた。

 

今日、ツバメが巣から旅立っていった。飛び立てなかった小鳥は、巣から落ちてただの肉の塊に成り果てていた。

 

 

 

 

 

 

小学校卒業と同時にみんなは学校から離れていった。もちろん俺もずっとそこにいるわけにはいかなかった。

 

 

 

先生が、亡くなった。

 

 

 

本当に急だったよな。

俺らの卒業式が終わって何日か経った後に、連絡がくるんだもん。ははっ。冗談だと思ったよ。そう思った奴は俺だけじゃなかったはずだろ?

俺は、家に戻ることになった。

学校の裏庭から誰かに見られている気もした。ここから去るのかって、その誰かに言われてる気もした。

でも、俺は中学生になるんだ。中学の入学式の日、俺は家の玄関に立った。その時の俺には、そこしか帰る場所がなかったんだ。

そりゃ嫌だったよ。俺の帰る場所はここじゃない。みんなと先生のいる場所だ。そう思ってたのに。

 

俺は覚悟を決めた。父さんと向き合うんだと、ちゃんと目を見て話をしようと、決心した。

顎が外れるんじゃないかってくらい歯を噛み締めて、手も真っ白になって血が出るまで拳を握った。親の敵を睨む顔で玄関の扉の前に立った。自分の家だと思えない雰囲気だよな。これが俺の家なんだよ。

みんなにはわかんないだろうな。

いいんだよ。あんな気持ち、わかって欲しくなんてないから。

 

玄関に立って、持たされた鍵を突き刺して、静かに戸を開いた。静かに静かに、音を立てないように。

家の中は空気が籠っていた。外とは全然違う雰囲気で、薄暗かった。ぞくりと、寒気がした。

 

父さんはその時眠っていて、起きてこなかった。

自分のスペースがある部屋に足音を立てずに忍び込んで、用意していた南京錠で鍵をした。更に扉の前に重い家具を置いてバリケードにした。そこでやっと、俺は止まっていた息を吐いて寝床に飛び込んだ。

俺の家にある自分の部屋は、押し入れだった。

 

その日、俺は持ち込んだタオルケットにくるまって眠った。

父さんが近づいてこないことだけを祈って、膝を抱えて眠った。

 

 

 

異常だよな。

落ち着いて今思い出すと、家に帰るって行為じゃない。それだけあの時の俺は父さんに恐怖していたんだ。

 

でも、一個だけラッキーだったことがある。

俺は遅刻常習犯だ。いつだって時間にも遅刻する。

 

俺が家に帰るはずだった時間は、本当だったら昼過ぎ。まだ明るい時間のはずだった。でも、俺は遅刻した。

俺が家に帰ったのは、もう真っ暗な真夜中だった。

だから父さんは眠っていてくれた。俺なんかを父さんが待つはずないだろ。とっとと飯食って、眠っていてくれた。

そのおかげで、俺は父さんと会わずに押し入れの中へ入り込めた。

その時ほど俺は自分の悪癖に感謝したことはなかった。

 

 

 

 

 

 

なんで遅れたのかって?

おまえんちでゲームしてたからだよ、友人A。

小学校のすぐ側にあるおまえの家。そこにおまえは俺をギリギリまで匿ったんだ。

あの日、最後までおまえ言ってたよ。帰るな。ってさ。

 

思い出したか?

思い出さねえか。

まあ、いいさ。ゆっくり俺のとっておきを聞いててくれや。



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出席番号7番「遅刻常習犯」⑦

昨日の朝、草むらの中で何かが息絶えていた。伸びた草に隠れて、それが何かわからなかった。

昨日の夕方、草むらの中で何かが息絶えていた。次に見た時、それは消えていた。それは初めからそこにはなかったのだろうか。






昔々、俺が中学生になる前のこと。俺は父さんを酷くおそれていた。
それは、小さい頃から自分のことを「悪い」や「鬼」といった言葉で罵る大人に対する恐怖心だった。無力な子どもを暴力で捩じ伏せようとする姿こそ鬼そのものだった。
俺は、それに恐怖した。
中学生になって、俺はそのことを自覚した。父親そのものが恐いんじゃなくて、父さんのどこに対して自分が恐怖しているのか。
父さんから離れて生きることのできた小学生の時期に、俺は考えることができた。亡くなったあの先生や、俺を守ろうとしてくれた大人の、桜ヶ原の先人たちのおかげだった。

それがあったから、俺は意外と冷静に家へ戻ろうと決心が着いた。冷静に? いや、もしかしたら怒りとかが一回りして冷静に見えてただけかも。
なあ、どうだった? ああ、やっぱりみんな心配だったんだ。ごめんな。みんな、あんなとこに帰させたくなかったよなぁ。

でも大丈夫!
帰ってからの俺と父さんは何にもなかった!
落ち着いて仲直りしたのかって?



そんなわけねえじゃん。



父さんは俺を見なかったんだよ。



ある意味鬼子扱いより酷かったかもしれない。父さんは俺が目の前にいるのにいないように扱ったんだ。
俺は家では幽霊だったんだよ。

俺は、父さんにとって、いないはずの、いちゃいけない存在だったんだ。



俺はほとんど家にいなかった。友人の所に入り浸りだった。

友人たちも許してくれたし、何より大半はおまえの所だった。友人A。

俺の一番近くはいつだっておまえだった。

おまえとは小学校も中学校も一緒だった。俺は高校にいけなかったけど、そのぶんおまえは学校のことをたくさん話してくれた。

俺、学校にいかなくてもいいやって思ってたんだ。金もないし、頭だってよくないからさ。おまえが一年高校にいってる話を俺に聞かせ続けて、二年生に上がる前の春休みに言ったこと。しっかり覚えてるぜ?

 

みんな! 聞いてくれ!

こいつ、俺に高校に通えって言ったんだ!

定時制でいいから、自分と同じ高校に通えって言ったんだぜ!

 

おまえが高校に上がってから、俺たちは一年間同じところでバイトした。俺は生活費に回すつもりだったけど、おまえが毎日家に連れ帰るからあんまり必要もなくなった。だからひたすら貯金した。

おまえはてっきり小遣い稼ぎに努めてるもんだと思ってた。マンガとかゲーム、好きだったもんな、おまえ。そんなおまえから聞く話はすごく楽しい。

娯楽関係なんて全く持ってない俺に、解りやすく教えてくれる。話題のない俺に話題を与えてくれる。

おまえってそんな奴だったんだよ。

 

 

 

記憶が全部吹っ飛んじまってもさ。俺は今でもおまえのこと近い友人だと思ってる。なあ、友人A。

 

おまえはいつだって、今までだってずっと変わらずに俺の友人だ。

 

 

 

俺の大切な友人なんだよ。

 

 

 

 

 

 

別に思い出さなくてもいいけどな!

 

 

 

でも、ここからの話は聞いてて欲しいんだ。

おまえにも関係がある、俺のとっておきの話。

 

 

 

 

 

 

おまえさ。

俺に、手紙を送っただろ。

あれ、俺に届かなかったぜ?

 

 

 

内容だけはちゃんと遅れて届いたけど。

 

 

 

 

 

 

友人Aの説得で俺は定時制の高校へ通った。昼間はバイト。時間はみんなよりかかったけど、高卒っていう資格を無事手に入れた。

中卒より高卒の方が雇ってもらえる場が広がる。そう言ったのは、一年間一緒の所でバイトした友人Aだった。

 

高校進学を押し付けてきた奴は、自分の通ってる高校のパンフレット。しかもしっかり「定時制」のページに付箋をくっつけたやつ。それを渡してきた。

その後はあれよあれよという間に事が進んで、気づいたら判子を押させられていた。保護者の欄には父さんの名前はない。事情を説明して他の人でもいいってことになった時、昔から付き合いのあった友人Aの両親が記入してくれた。

普通はここまでしない。

更に入学金と授業料。俺には半分がやっとだった。そこで友人Aは再び何かを取り出して俺の目の前に出した。分厚く膨らんだ封筒だった。

中に何が入ってたと思う? 金一封。あいつが一年かけて貯めたバイト代だった。

 

「君のと合わせれば足りるんじゃない?」

 

普通しないぜ。絶対しない。

友人A。おまえ、自分が一年かけて汗水滴ながら稼いだ金を、他人の進学費用にしたんだ。始めから俺を学校に通わせるつもりで一緒にバイトしてたんだぜ。

そういう奴なんだよ、おまえってさ。

 

こういう流れで俺は定時制の高校に通った。もちろん、父さんには何も言ってない。言ったところで何も聞こえてないだろうけど、一応父さんだったからさ。

バレてまた怒鳴られたり、叩かれるのは嫌だった。だから、チラシの裏に高校の名前と定時制だっていうことだけ書き残した。

 

俺は家に帰らなかった。

友人Aの家に居候させてもらって、空いた時間を使って一緒に教科書と参考書を開いた。

 

 

 

「君、意外と頭の回転は速いんだからさ。先のことをもっと考えた方がいいと思うんだよね」

 

「就職とか?」

 

「じゃなくて、自分が何をしたいかだよ」

 

「おまえは何かやりたいことあんのか?」

 

「ボク? そうだなぁ」

 

 

 

ゲームを造りたい。シナリオからシステムまで、全部自分で造ってみたい。

おまえはそう言ったんだぜ、友人A。

 

主人公は二人の男の子。桜が咲く町を舞台に、七不思議を解明する。

そんな話のゲームを造りたい。友人Aは言った。

まんま俺たちじゃん! 俺はそう言って笑った。

 

 

 

俺の青春ってそんな感じだった。

いつも友人Aがいて、一緒に笑った。

俺の方があいつより少しだけ遅れて歩いていた。あいつの背中をずっと見続けて歩いていた。

追いかけていたんだ。後ろからついて来るだろう俺のことを待っててくれるあいつに甘えて。

本当は隣に立ちたかった。隣を歩きたかった。

 

でもさ。人が生きていく道は一人に一本。同じ道は歩けない。

だって、俺とあいつは違う人だから。

思うことも、視線も、スピードも、全部違う。できることも、したいことも、できないことも、背負うものも。みんなそれぞれ違うんだ。もちろん、俺とあいつも。

 

俺たちは、桜ヶ原っていう舞台に生きてる。広くもない町だ。きっと、誰かが通った道を歩くときもある。

でも、誰かが歩いてつけた足跡をそっくりそのまま辿るなんてできっこないんだぜ。足跡を残したのは過去の人。時間が経って消えかかってるそれを、今生きてる俺たちが踏めると思うか? 踏もうと、思うか?

残された足跡を辿るんじゃなくて、自分の足で足跡を残したい。俺はそう思う。

たとえ同じ場所に足跡が残ったとしても、こっちの足跡は俺がつけた! そう言い切れる生き方をしたい。

 

 

 

俺は遅刻常習犯だ。遅刻するのが当然の生き方だ。

だから、前を歩く人がどんな道を歩いているのか、よくわかるんだ。

だから、同じ道を辿らないように、同じ間違いを犯さないように注意することができる。

そう言えるようになったのは、友人A。おまえが高校を卒業する日だった。

 

 

 

おまえ、大学受験して落ちたんだ。浪人したんだよ。一回な。

はははっ! これは忘れて嬉しい記憶だろ?

 

 

 

必死に勉強して勉強して勉強して、好きなゲームもマンガも全部受験期間が封印してたのによ!

あの時ほどおまえが可哀想に見えたのはなかったぜ。俺も一緒に泣いた。

一年後にはリベンジして志望校に受かってたけど、あれは俺には無理だ。

俺は大学受験なんて選ばないで、さっさと就職した。

おまえが一発合格できなかったのに、俺ができるはずねえじゃん!

 

「たった一回の失敗で挫けるボクじゃないよ」

 

おまえは真面目な性格でさ、しかも意地っぱり。こうと決めたら絶対諦めない。

だから、不合格の通知が来て一晩泣いた後も、次の朝には予備校の手続きしてバイトのシフトも入れに行った。へこたれないで目標に向かって歩いていく。

 

そんなおまえの背中、俺は好きだったぜ。

友人A。

 

 

 




おまえ、変わってないよ。
記憶がなくなっても、その言葉使いも性格も。なんにも変わってない。

だから違うって言えるんだ。

「同窓会の案内、来たか?」
「何人か、もう先にいってる奴らもいるらしいぜ」
「どうせお前は遅刻するんだろ」
「同窓会の前に、さいごに1回会えないか?」
それと
「どうせお前は遅刻したんだろ」

違うだろ。
違うだろ。
友人A。おまえはそんな言い方をしない。
おまえはもっと丁寧な話し方をする。

この同窓会に集まった、俺を含めた同級生全員が保証する! 今のおまえは、俺たちが知っている時のまんまのおまえだ。






おまえの名前が書かれた、また会おうっていう手紙。これ、おまえが書いた手紙じゃねえな!?






よく聞け、友人A。
おまえが記憶喪失になった事故、事故じゃない。
後ろからおまえの背中を押した犯人がいる。巡回中の警官が偶然見ていたんだ。
安心しろ、そいつは信用に足りる奴だ。なんてったって、俺たちの出席番号1番だからな。


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出席番号7番「遅刻常習犯」⑧

高卒スキルっていうの? それを手にした俺は友人Aと違ってすぐに就職した。正社員だ。

と言っても、俺を雇ってくれたのはすごく身近だった。小学校の用務員。俺は再び宿直室の番人となった。

 

家にはもう全く帰らなかった。本当に少ない持ち物は友人Aの家と貰い物のスポーツバッグに収まったし、家には俺の居場所はなかったから。

 

学校にはまだ何人か懐かしい先生もいたりしたけど、大半が入れ替わってた。同じ場所だけど人が違う。すごく不思議な感じだった。

あんなに騒いでいた教室が別の教室みたいだった。一緒に騒いでいた同級生たちがいないから、そう感じた。

俺たち、卒業したんだなぁ。

そう、思えた。

 

何年か後には教師として戻ってきた奴もいたけど、どうだった? 帰ってきた学び舎には、子どもの頃の俺たちが混ざってはしゃいでたか?

そんなことはないよな。

俺たちは卒業して大人になった。あの場所には小さい俺たちも、あの先生も、もういない。

 

ただ、校舎の裏庭にある切り株だけは変わらずそこにあった。

 

「やっと帰ってきたか」

 

子どもの俺を見守り続けた七不思議が、大人になった俺を迎えてくれた。

 

「ただいま」

 

俺の居場所はそこにあった。七不思議のお膝元に建てられた学び舎。桜の花びらが舞う、小学校。

昔、俺がしてもらったように、今度は俺が守るんだ。そう思いながら、俺は門をくぐった。

 

 

 

 

 

 

学校の人たちはいい人たちだった。もちろん生意気な子どもたちもな。

仕事をする傍らで一緒にはしゃいだり、世間話をして盛り上がるのは嫌いじゃなかった。

でも、どっかで壁、ってほどでもないか。ラインがあるんだよな。一線を引く。まさにそれ。

線を挟んだ内側と外側。

さすがに桜ヶ原の外と内とまでは言わないけど、やっぱり全部を許せるのと他人サマは違ったんだよな。

俺にとって内側にいたのは同級生たち。あと、あの先生と助産師さん。他はぜーんぶ外側。

特に遠くにいたのは身内のはずの父さん。誰よりも、何よりも離れていたかった。

 

父さんとは連絡も一切取らなかった。成人するまでは一応連絡先は残したけど、一度もこなかった。もちろん、俺はそれに安堵した。

 

何度も繰り返すと思うけどさ。

別に他人が嫌いってことじゃないんだよ。

なんにも知らないではい、こいつ嫌い。なーんて言うのはおかしいだろ。後で嫌いになるかもしれないけど、一言は他人の言い分も聞いた方がいいじゃねぇの?

あ、悪い。一言も聞きたくないって奴も中にはいるよな。そうだよな。向こうに聞く気がないなら何言われても流したいよな。悪い悪い。

ま、全員が全員良い奴ってわけじゃないらしい。

 

俺の場合はな。ほとんど良い人たちだった。その一言に尽きる。

俺の出自に始まって子ども時代のことを話すとさ、みんな引くんだ。そりゃそうだよな。

でも中にはそれでも付き合おうとする人もいてくれる。一線引いてでも、な。その人たちは大抵良い人たちだよ。

で、その中でも更に距離を詰めてこようとする好き者がいる。おまえたち同級生以外で、だよ。

はっきり言ってかなり変り者だよな。あ、そういうのを変人って言うのか。良い意味でだぜ?

俺の方もそれなりの付き合いはするし、なにより、俺はもう大人だからな。父さんみたいな人にはなりたくない。ちゃんと他人を受け入れて生きていきたい。

 

 

 

そう、思ってたんだ。

 

 

 

俺の周りの人たちは、みんな良い人たちだった。

間違ってないさ。過去形で言うよ。これ、どういうことか解るか?

 

 

 

 

 

 

みんな、いつの間にかいなくなっちまったんだ。

 

 

 

俺から離れていったとかじゃねえんだよ。関係も良かった。喧嘩もしてない。

でも、いつの間にか忽然と姿を消していくんだ。みんな、いなくなるんだ。

 

行方不明者多数発生。



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出席番号7番「遅刻常習犯」⑨

昨日、雨が降っていた。雨の中、誰かが立っていた。

今日も雨が降っていた。雨の中、また誰かが立っていた。

誰かはいつの間にかいなくなっていた。
降り続ける雨が、立っていたはずの誰かの痕跡を掻き消していった。
本当にそこには誰かが立っていたのだろうか。
思い出そうとする度に、誰かの顔は滲んで消えた。






俺は遅刻常習犯。
気づいた時には全てが遅い。全部が過ぎ去った過去のこと。

大切だった、大好きだった助産師さんと恩師の死に目にも立ち会えなかった遅刻者。
俺は、生涯後悔する。なんで遅れずにいけなかったのかと。最期の別れくらいちゃんと言いたかった。
「さようなら」。
それと
「ありがとう」。

最期の時間がどれだけ大事なのか、俺は身に刻んだ。

いつその瞬間がやって来るのか。それは誰にもわからない。
だからこそ、少しでも早く気づこうとしなければいけないんだ。彼が、彼女が、何を伝えたかったのかを。
最期になってしまうかもしれない「おくりもの」を、俺たちは手を伸ばして受け取らなきゃいけない。
だって、自分の番が来た時に、だれかに受け取ってもらいたいから。

「おくりもの」なんて中身を理解してもらえるものばかりじゃないんだよ。それこそ、遅れて届いてもいいものばかり。
大事なのは、中身が詰まった「おくりもの」が誰かの手に渡ること。



のこしたものだけが道の上に取り残されてるなんて、悲しすぎるだろ?



俺は遅刻常習犯。
あとからやって来る遅刻者。
あとにのこされた真実を、あとになってから知る遅刻者。

全部が遅かったんだ。
でも、確かに俺のところには届いてきた。遅れてでも、ちゃんと俺のところには伝わってきた。






遅くなったな、友人A。



一年も待たせたけど、真実を伝えるよ。



待っててくれてありがとな。
俺の、親友。



それに気づき始めたのは就職して一年が経ったころ。

それなりに仕事絡みで付き合うようになった知人も増えて、そうなればそこそこ親しい知人もできてくる。

三月になって人事異動だなんだって話が飛び交った。じゃあ、いい機会だし何か食べに行きますか。そういう話になる。

何処かいい場所知ってますか? そう聞かれるのは毎度のことだった。地元民は当然地元に詳しい。穴場の食事処、ありませんか? 外から来た人にはもちろん聞かれた。同じ地元出身でも好みがあるから聞いてみたし、俺も聞かれた。

俺のオススメは××××食堂。穴場も穴場。穴場過ぎて、結局誰とも行けなかったな。営業も不定期だし、行けたのはおまえたち同級生とだけか。俺、あそこの稲荷寿司好物なんだよな。

そんなこんなで飯を食いに行っては腹を割って話をした。同年代だったり年上だったり、男だったり女だったりしたけど、みんな良い人だった。

「また今度」

そう言って、全員にさよならを言った。

次回会えるのを楽しみにしていた。

 

四月になって、授業が始まった。入学式のある日、学校は騒がしかった。

 

校庭にはパトカーがやって来た。

教師が一人、無断欠席をした。まだ若い、気さくな教師だった。

家にも携帯にも連絡したが繋がらない。

何処へいった。

 

パトカーの中には知り合いがいた。小さい頃に会ったことのある中年の警官だった。

俺は彼に話しかけた。

 

「お久しぶりです」

「ああ、元気そうだね」

「おかげさまで。何か事件ですか?」

「知らないのかい? ここしばらく行方不明者が増えているんだよ」

「増えてる? ◯◯だけじゃないんですか?」

「毎年いたにはいたんだけどね。いつからだろ。十五年くらい前から特に増えたかな」

「十五年前? 何かありましたっけ?」

「うーん。自分は知らないけど」

 

妙な共通点があってね。

共通点?

全員、この小学校を最後に足取りが途絶えてる。

というと?

誰かと会った後に行方不明になっているんだよ。

誰かって。

君だよ。

 

「君が犯人じゃないことはわかってるよ。でも何らかの関係性はあるはず。警察はそう考えてる」

「そう、なんですか」

「これ見て。知ってる人たちでしょう?」

「あ、知ってます。この人も、この人も、こっちも」

「これね、行方不明者のリストなんだ」

「え!? こんなに?」

「ここ一年間のだからほんの一部だよ」

「………」

「わかったでしょ。君も大人になったんだからおとなしくしていようね」

「あの」

「ん?」

「この、人たち」

 

 

 

見つかったんですか?

 

まだ行方不明のままだよ。

 

 

 

 

 

 

進展があれば俺にも伝えると、その警官は言って帰っていった。

俺の頭は混乱していた。

何でこんなに行方不明者が出ているのか。何で今まで知らなかったのか。どうして自分の知人ばかりがいなくなっているのか。そもそも、本当に自分と関係があるのか。

俺は混乱していた。それ以上に、ショックだった。

警官が見せてくれた行方不明者のリストには、つい先日一緒に食事へ行った人も含まれていた。見知った人がいなくなっていた。それも、知らないうちに。俺はショックを受けた。

どうして。

なんで。

 

笑って挨拶をした。

 

また今度と、次に会う約束をした。

 

もっと、親しくなれると、思い始めていた。

 

それなのに。

 

それなのに。

 

どうしてこんなことに。

 

 

 

 

 

 

その次の週、俺にリストを見せた警官がいなくなった。

 

 

 

 

 

 

なんでこんなことになっているんだ。

何が起こっているんだ。

みんな、みんな、何処へいってしまったんだ。

 

 

 

俺の知らないうちに、桜ヶ原では何かが起こっていた。

 

 



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出席番号7番「遅刻常習犯」⑩

「知ってたよ」
「おい」
「知ってたけど君に言わなかった」
「おい」
「だって、知ってもなんにもできないでしょ」
「う」
「ほらね。どうしていなくなったのかわかんないんだからさ、防ぎようがないよ」

せめて、何処へいってしまったのか。生きているにしても死んでいるにしても、現在の状態を知ることができたら。
何かわかるのかもしれない。

俺は大学生になった友人Aに連絡を入れながら考えた。

単なる偶然が重なったのか。
事件か。
事故か。
それとも、神隠しか。

俺たちは考えた。
これ以上リストに名前を増やさないためにできることはないか。



「十五年前っていえばさ」



池が埋められたのって、それくらい前じゃなかったっけ。






桜ヶ原の七不思議、三つ目。
何処かの池に沈む砂時計。時間が進まなくて困ってる。さあさあ返してあげましょう。ひっくり返してあげましょう。
お礼に砂時計は未来を見せる。

さらさら流れる砂時計。

池に眠る砂時計。






この町にはさ。池なんて一ヶ所しかないんだよね。



「え、七不思議死んだの?」

そんなばかな。



桜ヶ原では絶対に起きない怪異がある。それは、神隠し。

全国各地で起こってる代表的な現象のはずだろ? でも、それは此処では起こらない。

だって神様がいないんだから。

 

 

 

俺たちの国は八百万、数え切れない数の神によって監視されている。言い方が変か。

人の信仰心によって無数の神が存在し、信じて崇めることで加護を得ている。知らんけど。

いや、ほんとに知らないけど。

 

桜ヶ原には神がいない。神が見放した土地は荒れた。

救いを求めた昔の人は、この土地に桜の木を植えた。それは昔々の話らしい。

桜の木たちは人々を護った。護って潔く散っていった。それも昔々の話らしい。

たった一本残った桜は、独りきりで今でも咲き続ける。町の人たちは彼女をこう呼ぶ。

「桜の姫様」

七人の従者を従える、桜の姫様。

七不思議という怪異を従える、桜の精霊。

 

桜ヶ原は、かつて「戦場駅」と呼ばれたらしい。この町は、桜の姫様のお膝元にある。

姫様は七つの怪異によって町を封じた。

人がこれ以上戦場へ身を投じないように。自分がこれ以上命を見送って、悲しい想いをしないように。

そんな願いを込めて、姫様は町を綴じ込めたらしい。

 

 

 

全部、らしいという話。

根拠もない話だろ?

でも、俺たち地元民はそんな話を信じてる。

信じて、もしかしたら気づかないうちに閉じ込められているのかもしれない。俺たちはそれも受け入れて、此処にいる。この町で生きている。

 

はははっ。バカみたいだって笑ってくれてもいいぜ。

笑ったおまえらだって信じてるんだろ?

知ってるさ。

だって俺たち、友だちだもんな。

 

 

 

まあ、とにかく。桜ヶ原には神様がいないんで神隠しなんて起こるはずがない。隠そうとする神様がいないんじゃ話になんねぇだろ。

だから、怪異として人が消えるっていうのは他の怪異。つまり七不思議とかどっかのナニカが持っていった。そういうこと。

意外と人を喰う怪異は多い。

ただ、そういうのはすぐに噂になるんだよ。この町は広くはないから。

人だって喰われたくない。だから互いに危険だ! 危険だ! って叫んで回避しようとする。

普通だったらな。

俺は身近に起こっていたはずのこの「行方不明」を知らなかった。だって誰もそういう話、しなかったから。しなかったから、聞かなかった。

誰もそんな話、桜ヶ原にあるなんて話してないんだ。

俺とか友人Aの間だけだったらまだわかるよ。でも、他の人や、ましてや怪異オタクまで口を開かないなんてあるはずない。

 

だから、この「行方不明」は昔からあるものではない。

 

昔から桜ヶ原にいる怪異だったら誰かが口にしている。じゃあ、新しく此処で生まれた怪異か。それも違う。新しく生まれたにしては規模が大きすぎる。それだけの数を、俺はリストで目の当たりにした。

 

一体この「行方不明」は何なのか。

俺たちにはわからなかった。

まるで、外から入り込んだような未知の存在がいるようだった。

 

 

 

桜の姫様は町を綴じ込めた。外へ出ていかないように。そして、逆に外から入ってこられないように。

七不思議によって、綴じ込めた。

 

 

 

もし、七不思議の一つが崩れたら?

 

 

 

穴が開いたところからナニカが入り込んでいたら?

 

 

 

 

 

 

「どうなるんだ?」

 

 

 

 

 

 

こうなるんだよ。




桜ヶ原の七不思議・三つ目「砂時計」→出席番号14番「砂時計」


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出席番号7番「遅刻常習犯」⑪

時間はそう置かないで転機はやって来た。

行方不明者たちが発見された。発見、されたんだ。

 

 

 

場所は隣町との境。二つ山が向かい合っていた場所。今は一つしか残っていない山の、ふもと。何もなかったはずの場所だった。

周りには住宅地もない。それは本当に唐突で、偶然だった。

 

その日、誰かがたまたま近くを通りかかった。すると、どすんと響く音を聞いたというじゃないか。重い物が落ちる音だったらしい。それも一個や二個ではなく、連続して落ちてくるようだったという。

なんだなんだと音のした方へ足を向けてみれば、

 

「ひゃあ」

 

死体の山だったというわけだ。

死体遺棄なんて生易しい言葉じゃ言い表せないくらいの光景だったらしい。上のを退かしても退かしても次のが出てくる。

次第に出てくるものは服を被った骨になる。生きていた時と同じように服を羽織った、冷たい死に物。

ただ、どれも傷んではいなかったようだ。腐ってもいない、発酵してもいない、更には獣に肉を貪られた様子もない。

一体いつの間に積まれたのか。

 

もちろん、山の頂上には先日会ったばかりのあの警官だった物が乗せられていたそうだ。

 

 

 

「俺と会ったせいかな」

「みんな知り合いだったの?」

「そうだった」

「他の警官が確認してくれって」

 

 

 

多分、最期に会ったのが俺だと思うから。その理由で俺は遺体の確認に同行した。

確かに見たことのある服をみんな着ていた。どれも、知っている顔だった。

中には、行方不明とされていた同僚の教師もいた。

 

 

 

「俺じゃない」

「わかってる」

「俺がやったんじゃない」

「わかってる」

 

 

 

俺は泣いた。

友人の腕の中で哭いた。

どうしてもっと早く気づくことができなかったんだろう。

 

彼らから流れ出た血はからからに乾いていた。

 

彼らの命が絶えたのは、随分前だったんだ。それなのに、気づくのがこんなに遅れてしまった。

俺は遅刻常習犯。

なにも、こんな時まで遅刻しなくてもいいじゃないか。

俺はこの体質を恨んだ。

 

 

 

「結局、これは事件なの? それとも怪異なの?」

「神隠しって線はないのかよ」

「あり得ないでしょ」

 

 

 

俺は友人Aへ頻繁に連絡を入れるようになった。俺にとって一番身近なのはあいつだから。だから、今度こそ遅れないようにしたかった。

なくしたくなかった。

 

 

 

「事件っぽいんじゃないかって」

「っぽい?」

「変なんだってさ」

「急に出てきたこと?」

「それもあるけど」

 

 

 

屍体からはそれぞれ死因と死亡時刻が割り出された。骨になってしまい確認が困難なものは時期だけを。

身元は行方不明者のリストに全員一致した。どこの誰か判らない物はなかった。

死因もほとんどの人が特定された。ほとんどが事故と言ってもいいくらいの理由だったそうだ。溺死、骨折、出血、どれも「事故」として理由が立てられる。

検察官側で不思議がられているのは二つ。

一つ。死亡してから発見されるまでどこにあったのか。

二つ。死因とは別に、死体の背中には大きな手形がはっきりと残っていた。皮膚の状態が良いものから、その手形は同じもの。そう、判断された。

 

 

 

誰かが彼らの背中を押したのか。

背中を押した誰かが、彼らを今まで隠したのか。

 

 

 

後ろの正面だあれ。よく言ったもんだ。

 

俺は、見知った彼らの亡骸を見て回りながら思った。

背中にはっきりと残る手の跡は、彼らを死の縁へ押しやった。自分が命を刈り取らなくても、別の誰かが終わらせてくれる。そうとでも思ったんだろうか。

俺には、嗤いながら腕を前に突き出す誰かの背が見えるようだった。

 

 

 

うしろのしょうめん、だあれ。

 

 

 

こんなことするのは鬼くらいだろ。

 

俺は思った。

 

 

 

 

 

桜ヶ原にいる怪異っていうのは結構容赦がない。と、俺は思っている。

いや、外にある怪異が生易しいとかじゃなくてさ。知らんけど。

けど、大抵はすっぱりすっきり死にさらせ! みたいなのが多いって俺は思ってるんだ。そこら辺は俺のイメージなんだけどさ。

だから、この行方不明みたいにずるずる後を引く系の怪異なんて聞いたことなかった。単純に神隠しってのがあればこういうのだったかもしれないけど。

 

結局警察の方ではとりあえず「事件」と「事故」、おまけに「怪異」絡みでよくわからん。でも原因と死体山積みの現状を作った犯人はいるだろう。

ということで「怪異事件」って名前が付けられたようだった。

まさに謎。桜ヶ原ではよくあることだけど、まあそれでいいんじゃない?

 

 

 

俺は彼らが帰るべき場所に帰るまで、毎日警察署に通った。事件の可能性もあるってことで、なかなか死体は家に帰されなかったんだ。俺は毎日、彼らと会うために通った。

其処で、俺は紙の束を見つけた。学校で会った警官が持っていた行方不明者のリストだった。

 

「まさか自分がこれに載るなんて、思ってなかっただろうな」

 

おとなしくしていろと言った警官を思い出しながら、俺はそのリストを捲った。

今年、一年前、二年前、三年前。十六年前の物で終わっているリストの束。十六年前には数人だったのに、十五年前の物からにはずらりと名前が連なっている。明らかに、十五年前を境に何かあった。

 

その何かに気づけない。

 

 

 

全部終わって語ってる今だから言うけどさ。

俺も、友人Aも、七不思議についてそんなに大ごとに捉えてなかったんだ。七不思議の一つがなくなったからって世界は何も変わらない。人が一人消えたからって明日が来なくなるわけじゃない。

異星人がやって来ても、隕石が降ってきても。火山が噴火しても、津波が全部持っていっても。

ほら。なあんにも変わらない。

自分の明日が来なくなるかもしれないけど、地球の明日は来る。

自分ってそれっぽっちの存在なんだぜ。

そう、思ってた。

 

だから、この町の七不思議が与える影響っていうのに実感がなかったんだ。

七不思議の一つが曖昧になる。

七不思議のいくつめに穴が開く。欠ける。

 

 

 

そうなると?

どうなる?

 

 

 

突然変なことが起こる。

 

 

 

桜ヶ原では、七不思議が七つあることが当たり前なんだ。それが当然のことであって、普通のこと。

七つないってことが異常な事態なんだ。

 

十五年前、七不思議の一つが崩れた。崩れた、らしい。

この辺は俺の担当じゃないから詳しくは話せないな。砂時計の話は後に控えてる。

とにかく、一つが崩れたから異常なことになった。それが、今回の行方不明ってこと。

七不思議が揃ってることでこの怪異は押さえられていたんだ。七不思議がこれを牽制していたんだ。

 

あれ? どっかで聞いたな、こんなこと。

 

で、今になってその異常な怪異が揺らいでる。それって、七不思議が戻ってきてるってことじゃねえの?

本当だったらこの怪異は「行方不明」で終わるもんなんだろうな。だって、ずっと彼らは見つからなかったんだから。

揺らいだことで「行方不明」は「発見」されることになった。

 

 

 

 

 

 

さあ、我らが怪奇オタク殿。

遅刻常習犯である俺の推理、結構いい線いってるんじゃねえの?

 

俺は同級生の怪奇オタクへ連絡をした。

 

 

 

 

 

 

友人Aと連絡が取りづらくなっていたのに、俺は気づけなかった。

そんなときだった。俺の郵便受けに同窓会の案内が入っていたのは。



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出席番号7番「遅刻常習犯」⑫

昨日、道にタンポポが咲いていた。

目の前を行く人がそれを踏んでいった。

 

昨日、猫が蛇と戯れていた。大きな猫と、小さな蛇だった。

今日、大きな猫が死んでいた。小さな蛇に噛まれて、死んでいた。

 

 

 

 

 

 

俺は遅刻常習犯。

全部に遅れる遅刻野郎。

 

 

 

俺の知らないとこで起こってた身近な行方不明。頭がこんがらがってきて、同級生の怪奇オタクへ連絡をとった。

 

 

 

「で、どう思う?」

「それはあれだ。穴が開いたんだろ」

 

 

 

オタクは言った。

「砂時計」っていう七不思議の一つが曖昧になったことで、外から怪異が桜ヶ原に紛れ込んだ。これが、池が埋められら十五年前。

もしかしたらそれより前から「行方不明」って怪異はあったのかもしれない。わからないけど、それがはっきりと姿を表したのは十五年前。

 

穴が開く。そこから何かが入り込む。

外から入ってきた異物は餓えを満たそうと獲物を喰らう。

 

 

 

「じゃあ、何で今になって発見されることになったんだよ」

「ああ、お前知らないのか? 今、砂時計を探してるんだ」

 

 

 

俺たちは七不思議を解明するために担当を決めた。こいつなら解明できる。そう思った奴にその役目を託した。

七不思議の三つ目は「砂時計」。未来を夢に視させる、砂時計。

その担当は、いつもうとうとフラフラ夢見がちな通称眠りウサギ。怪奇オタクと仲がよかった子だ。

俺はてっきり当時の七不思議だった「砂時計」が解明されるのかな。そう思ったんだ。

だって、砂時計があるはずの池はもうないんだろ?

でも、怪奇オタクが言ったのは過去の話じゃなかった。「今」、砂時計を探してる。

なんで今?

 

なんで今になって?

 

 

 

「今、探してるのか?」

「今だから探してるんだ」

 

 

 

眠りウサギが病院に担ぎ込まれた。

オタクは俺に言った。

夢から戻ってこない。眠りから覚めない。

 

オタクはそれを七不思議の影響だと言った。

こじつけじゃねえの? 俺は内心思ったさ。悪いけどな。

確かに眠りウサギはその名の通り眠り癖が酷かった。俺の遅刻常習犯と同じように。だから、それが悪化しただけじゃねえの。変な体質持ち同士の感覚で俺はそう思ったんだ。

でも、オタクははっきりと確信を持って言った。

 

「七不思議があいつを引っ張ってる」

 

このままじゃ手遅れになる。

オタクは言った。

 

俺の悪い癖なんだよな。大丈夫、大丈夫、まだ大丈夫、まだ間に合う。遅れるのが当たり前すぎて、遅くなってから後悔する。手遅れになってから後悔して、泣く羽目になる。

いつだって、取り返しのつかないとこまできてこう溢す。

ああ、やっちまったなぁ。

 

 

 

オタクは俺とは違うんだ。後悔したくなくて、今、自分にできることを探して手を伸ばす。

ただ、目の前のことに気を取られ過ぎだぜ? おまえ、お伽噺を知らねえのかよ。有名なお伽噺。

儚く眠る人を目覚めさせるには怪異を解決させるんじゃなくて、まずはくちづけ。これ、定番だろ。

何のことだって? わかんねえならいいよ、この鈍ちんが!

 

 

 

とにかく、丁度同じタイミングで「七不思議・砂時計」の話が進んでいたんだ。

穴が開いたと思ってた七不思議が進展する。これって、穴が塞がれるってことだろ。

あるべき桜ヶ原の状態に戻る。この町は、再び綴じられる。

穴っていう逃げ道がなくなると自由勝手にできていたことができなくなる。好きな時に入って、好きな時に逃げられていたはずの「犯人」は焦る。はず。

だから失敗を犯す。隠していたはずのものを曝し出す。

つまり、今回の大量山積み死体遺棄に繋がる。

こういうことだった。

 

 

 

「じゃあ、これでもう誰もいなくならねえな」

「はあ? 何言ってんだ」

 

 

 

その行方不明の怪異は元々この町になかったはずの怪異だ。俺たちの中で一番怪奇現象に詳しい怪奇オタクが言うんだから間違いない。

その怪異は「外」からやって来たもの。十年以上居座った元凶がそう易々と外へ出て行くものか。

 

 

 

「もう一度、周りをよく見てみろよ。遅刻常習犯だろ?」

 

 

 

遅れて何かに気づくかもしれない。オタクはそう言って笑った。

小学生の時と変わらない、謎解きの問題を俺たちに提示するイヤな顔だ。解いてみろ。解けるだろ。俺たちが解けるとわかってるから問題を出してくる、オタクのお決まりのパターン。

俺に、この怪異が解けるのか。俺が解かないといけないのか。

 

 

 

俺はもう一度警察署へ向かった。

そこには、まだ遺された彼らがいるはずだった。



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出席番号7番「遅刻常習犯」⑬

遺体の数は本当に多くて、しかも比較的新しい方は腐っていく。ちっぽけな町にある警察署の霊安室なんてたかが知れてるから、病院にも置かせてもらっているらしかった。

そんなことも知らない俺は、その日も警察署へ向かった。

 

ここにあるのは遺品と遺骨だけですよ。そう言われた時の俺の気持ち、わかるか?

警察署と病院は反対方向。片方に行けばもう片方は次の日だ。知らなかった俺が悪いよ。でもさ、その日で会えるの最後だって言われてたから。余計にショックだった。

一度も死に顔に会えなかったわけじゃないよ。ただ、さよならって言えなかったのがショックだったんだ。

 

俺は、最期はちゃんと、さよならって別れを言いたかったんだ。その人たちとはみんな、「また今度」で別れていたから。

 

彼らが死体になってから俺が会えた時間の中で、どんだけ伝えることができたんだろう。

そんなの塩一粒分だってない。

わかってるんだ。

また、俺は遅れてしまったんだって。伝えるのが、伝えようと思うのが、また、遅すぎたんだって。

 

結局俺が最後に会えたものといったら、リストを見せてくれた警官の持ち物。行方不明者のリストに、腕時計。免許証に、あの日は被っていなかった制帽。

もう何度も繰り返し見た物たちだった。

 

怪奇オタクは俺に言った。遅れて何かに気づくかもしれない。

何か、俺に見えていなかったものがあるのだろうか。俺は残された遺品たちとにらめっこした。

にらめっこした。

にらめっこ、した。

 

そこ、笑うな!

これでも真面目な顔なんだよ!

 

 

 

とにかく。俺はじっくり。じーっくり。遺品たちを見つめたんだ。

薄暗い部屋の中で物音だってしなかった。

何処と無く冷たい空気が漂ってた。

生き物の気配が途切れるその空間で、俺は一人でそいつらと向き合った。

 

 

 

 

 

 

突然、ふ、と感じた。本当にふ、とした瞬間だった。

リストの紙がちょっと歪んでるなって思ったんだ。まっすぐピンと張った紙束だったはず。それが、くしゃっと歪み始めたんだ。

ぐしゃっと握り潰した感じじゃなくて、なんていうかさ、こう、強い筆圧で文字を書いちまった感じ。書いたというより刻み込んだって表現のがいいか。そんな感じ。

一番上に乗ったリストの紙の、名前が連なる最後尾、春にいなくなった同僚の名前が書かれてる、その下。

 

これ見て。

そう言ってリストを見せた本人の名前が書かれる事態になっちまった。

空白だったままでいて欲しかった、その場所。

 

何か、違和感があった。

 

何かわからなかった。だから、じっとそこを見続けたんだ。そしたら、紙が歪んでいくのに気がついた。

それまでそんなことなかったよ。でも、そのタイミングでそれは起きた。

 

じわりじわりとその変化は進んでいった。

なんだこれ? そうとしか思えない状況ではあったけど、俺はただひたすらそれを凝視するしかできなかった。

 

 

 

俺は遅刻常習犯。

変化に気づくのも人一倍遅い。

変化が俺を置いてどんどん進む。気づけば俺だけ取り残される。

置いていかないでと、俺は跡を追う。

 

 

 

 

 

 

つまり。

気がつかなかったんだ。誰も。

そのメッセージは俺宛の物。俺にだけに宛てられたメッセージだった。

 

ダイイングメッセージって、あるだろ?

死ぬ瞬間、最期に遺したメッセージ。

あれが、その時やっと、俺のところに届いた。

 

俺以外誰もいないはずの空間で、微かな音が聞こえた。

 

 

 

カリカリ

 

 

 

何かを引っ掻くような音だった。別の言い方すると、ボールペンを強く握って紙の上に突き立てながら動かすみたいな。

 

そうだ。まさに爪を、立てるような。

 

 

 

カリカリカリカリ

 

 

 

歪んだリストが波打った。何かが紙の上を這った。ゆっくり、ゆっくりと、見えない何かは爪を立てて紙を傷つけていった。

 

 

 

カリカリカリカリカリカリ

 

 

 

何もなかったはずの遺品に何でこんなことが起こっているのか。何で誰も気づかなかったのか。

わかんねえよ。わかるはず、ねえよ。いつだって怪奇で不思議なことは理解できない。そういうもんなんだ。

 

 

 

カリカリカリカリカリカリカリカリ

……。

 

 

 

音が唐突に止んだ。リストは白いままだった。紙は歪んでいたけど。

でも、変化は止まった。

 

何が変わった?

すい、と、俺は紙を撫でた。指で触れたそこは、歪にぼこぼこしていた。

溝ができていた。爪跡ができていた。

 

俺はひらめいた。近くの机の上に駆け寄った。筆記具が立てられたペン立てが倒れるのも構わずに、俺は迷わずそれを手に取った。

鉛筆を、手に取った。

そしてそれを、紙の上に滑らせた。

紙に寝るくらい倒した鉛筆を何度も往復させた。書くんじゃなくて塗る。俺はリストのその部分を、白から黒へ塗り潰した。

鉛筆の芯は短くなっていった。短く、鋭くなっていった。

空白だったリストの下部分は鉛筆の黒い炭で煤汚れた。ぼやけた黒が、一面に敷かれた。

そして、そのメッセージは浮かび上がったんだ。

 

鉛筆を走らせる度にその文字ははっきりと現れた。

まずは「ハ」。

その下に、「×」。

 

俺の目の前に「父」という文字が現れた。

 

 

 

警官のおっさんは、俺に「父」という文字を最期に遺したんだ。



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出席番号7番「遅刻常習犯」⑭

その警官のおっちゃんは、初めて会った時にはまだまだ若い若手の警官だった。と言っても、小さかった俺は顔も上げられなくてさ。覚えていたのは声と手。それだけだった。

父さんに怯えて動けなかった俺を家の外に出してくれたのは、恩師のあの先生。先生はあの日、父さんと向かい合って言い争ってた。俺のために、マジギレしてくれた。

だから、その間に同行してた警官が俺を外に出した。それが、若かったあのおっちゃん。

暗い押し入れの中でうずくまってた俺の手を握って、引いて、玄関へ一緒に歩いて行って。

それから。

それから、後ろから響いてた父さんの怒鳴り声が聞こえないように俺の耳を塞いでくれた。外に出て、手がガサガサに荒れているねって言いながらハンドクリームをたっぷり塗ってくれた。おとなしくしていた俺の頭をそっと撫でて、いい子だねって言ってくれた。

 

そうだ。そうだった。

 

何で今さら思い出すんだろう。

何でずっと忘れていたんだろう。

「ありがとう」の一言さえ言えずに、時間が過ぎてしまってた。俺は大人になって、おっちゃんの髪には白髪が目立つようになった。

俺は、また遅れてしまった。

大切な人に感謝を伝えることも、最期を看取ることもできずに涙した。こんな自分が悔しくて、ほんと、嫌になる。

 

俺は、ただ無駄に時間を使ってきただけなんじゃないか。無意味にただ立って生きているだけなんじゃないか。遅れる時点で、約束の意味さえないんじゃないのか。

そう、思う時がある。

違う。ほんとはずっとそう思ってる。

でもなおんないんだ。この体質も、癖も。

 

俺は一生遅刻常習犯なんだ。

遅刻し続ける、愚か者なんだよ。

 

 

 

浮かび上がった「父」の文字を見て、俺は思い出した。あの父さんのことを。

酷い仕打ちをしてきた父さん。それでも、唯一の家族なんだって理由をつけて受け入れようとした。結局理解できなかったし、理解されずにこのまま終わるんだなって思いながら、家を出た。

 

おっちゃんの示す「父」は誰のことなんだろう。おっちゃんは誰のことを伝えようとしたんだろう。

死の間際に遺したメッセージ。これは、おっちゃんをこんな目にあわせた犯人のことなのか?

 

どの「父」だ。誰の「父」だ。

 

違うんだよ。おっちゃんは「俺に」メッセージを残してくれた。俺ならわかると、俺だったら気づくと信じて残したんだ。

だから。「父」は俺とおっちゃんが共通して知っている人。

 

 

 

おっちゃんは、父さんと面識があった。

あの日、俺を外に出したあの日に、先生とおっちゃんは父さんをしっかり見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この行方不明の怪異を起こした犯人は、父さん。

 







「いい子だ。よくできました」












おっちゃんの優しい声と一緒に、皺の刻まれた大きな手が俺の頭を撫でた気がした。












振り向いたけど、そこには誰もいなかった。


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出席番号7番「遅刻常習犯」⑮

俺はすぐに警察署を出て、自宅に向かった。ずっと帰ることを避けていたあの家だ。

そこには父さんが今でも住んでいるはずだった。

誰からも父さんのことは聞かなかった。気を利かせてくれてただけかもしれない。でもそうなら言っちゃ悪いけど、亡くなっただとか引っ越したとか、俺が今後もう父さんと会わなくていいっていう話こそしてくれる。そうだと思うんだよな。

だから、何の話も聞かなかったってことは変わりがないってこと。以前と変わらず、父さんはそこにいるってこと。

 

家に近づくにつれて俺の頭はガンガン痛くなった。精神的な頭痛? そんなんじゃねえよ。子どもの頃父さんに殴られ続けた頭が痛みを思い出したんだ。

あいつに近づきたくない。恐い。イタイノハイヤダ。

だから俺の体は警告する。近づいちゃダメだって。

そうなるから余計に避けてたんだ。家にも、父さんにも近づかないように回り道をしてきた。見つからないように桜の木に隠れてきた。ずっとずっとそうしてきた。

それでも今回は逃げられない。逃げちゃいけない。だって、父さんのせいで亡くなったかもしれない被害者がたくさんいるんだ。

だから逃げない。

どんなに痛くたって、どんなに恐くたって逃げない。

 

一生に一回だぜ? あんなに自分を奮い立たせたの。受験の時だってそんなに緊張することはなかった。

これ以上は無理! っていうくらい頑張って勉強したし、何より親友が大丈夫って言ってくれたからな。

 

 

 

お前だよ、友人A。

 

 

 

懐かしくない我が家は全く変わっていなかった。大きくも小さくもない一階建ての平屋。俺にとってはちょっと大きい鍵付きの箱。

やっぱりここは帰るべき場所じゃないんだな。そんなことを考えながら、頭の痛みに耐えた。

玄関の前に立って、鍵穴に鍵を挿したその時だった。急に頭が冷えて、俺の動きは止まった。

 

もし、この中に父さんがいたら?

 

いたら、どうするつもりなんだ。何て言うつもりなんだ。あんた、人を殺したのか。そう言うのか。

そう言って、どうするんだ。警察に突き出すのか。それで解決するのか。

それで、死んでいった人たちは納得するのか。

 

父さんなら言うだろう。何のことだ。知らないぞ。何処に証拠があるんだ。

何処にも証拠なんてない。おっちゃんから届いたメッセージだって、証拠として扱えない。全部想像だ。

もしかしたら。多分。そういう風にしか言えない。

 

父さんは逮捕されたとしても、反省しない。罪を悔い改めない。自分のことを悪いだなんて欠片も思わない。

今回も、父さんは何からも罰せられない。罪を認識しない。

 

そんなのダメなんだ。生まれてからずっと父さんと一緒に居させられてた俺にはわかる。

父さんは、今度こそ罰せられるべきなんだ。

それが人によってか怪異によってかはいいんだよ。とにかく、父さんは後悔すべきなんだ。自分のしたことで周りがどうなったか、思い知るべきなんだ。

 

俺は歯を食いしばった。何もできなくても、進まなくちゃいけない。

今、父さんと向き合わなきゃいけない。

俺は、力を込めて挿した鍵をゆっくりと回した。

 

 

 

かちゃんと音がして、鍵が外れた。

 

 

 

 

 

 

別に、何かを期待してたわけじゃないんだ。良いことも。悪いことも。できれば父さんが家の何処かで寝ていてくれたら。いや、本当は会いたくなんてなかった。もし、家の中が生臭く赤黒い血で水浸しになってても怖くないさ。俺が恐いのは父さんっていうあの存在、そのものだ。

理不尽に暴力をふるって、俺の命を否定する。俺の生きてる意味を、存在を否定する。

 

「おまえは悪い子だ」

「おまえは鬼の子だ」

 

そんな父さんだから俺は嫌いになった。

父さんがいるだけで家の中は暗く重い空気になった。父さんが近くにいるだけで空気がピリピリした。小さな俺はいつだって押し入れの奥の方で更に小さくなって、いないように気配を消そうとした。見つかればイタくてクルシイことが待っているから。

 

だから、入り口の扉を開いた時に何の気配もなかったことには実は少し安心した。ほんの一瞬だったけど。

 

 

 

まず、玄関の靴置き場には靴が一足もなかった。スニーカーも、革靴も、サンダルも。本当に一足もなかった。代わりに、うっすらと埃が敷かれていた。もちろんマットもなくて、スリッパなんてあるはずもなくて、板張りの廊下が一本玄関から奥に向かって伸びている。それだけだった。

靴を脱いで、それを揃えて隅の方へ置いた。他人の家みたいだった。

冷たい床に足を乗せた時、ぎしりと音が鳴った。最後にここを歩いたのはいつだっただろう。懐かしさはなかった。

まっすぐリビングに向かった。ソファーと小さなテーブル、本の入れられていない本棚と、同じような食器棚があった。電話もそこにあったけど、コンセントとコードが抜かれていた。

ソファーに座った。そこからはキッチンが見えた。家電は冷蔵庫だけで、レンジやオーブンなんかはなかった。それだけじゃない。食器やフライパン、鍋、包丁、コップなんかまで一つもなかった。もしかしたら下に入れられてたかも知れないけど、少なくとも俺の目には入ってこなかった。

窓にはレースのカーテンがかかっていた。白いはずのレースが、薄汚れて灰色になっていた。

寝室も、俺の部屋だった押し入れがある部屋も、別の部屋も、全部見た。どこも同じだった。

俺の家には誰もいなかった。それどころか、生活してたっていう感じが全くなかった。家具も雑貨もなさすぎ。冷蔵庫の中は見てないけど、電話と同じくコンセントが抜かれてたから空っぽだろう。

住所は間違ってない。間取りも覚えてる通り。だから、そこは俺の家で間違いなかった。

 

父さんどころか、何もない家だった。

 

 

 

こんな家だったっけ。どんなに思い出そうとしても、頭に浮かんでくるのは父さんのことだけ。微かなことしかその家について覚えていない。

俺にとっての家ってのは、小学校であり迎え入れてくれた親友と家族のいる場所。

でも父さんのいるその家には俺の居場所も、思い出もなかった。だから、俺は帰らなくてもいいと思った。帰る意味なんてここにはないと思っていた。

今回いざ帰って父さんのいるはずの家を見てみて、これはないと思った。何で今まで気づかなかったんだろう。どんだけ俺は鈍かったんだろう。そんなんじゃなくて、その家の状態が普通だって思ってた自分に対して寒気がしたんだ。

本当にそれまで、何も思わなかったんだよ。こんなの当たり前だろ。そう思い込んでずっと家のことを話したことなんてなかった。そうだよ。それが余計に悪かったんだ。

俺んちはこうだった。それだけでも言ってれば、違和感に気づけたんだ。

ただでさえ俺の出自が変わってるってのに、家庭事情も環境も普通のはずない。

俺は、それを誰かに言うべきだったんだ。

 

「俺の父さん、本当に人の親なのかな」

 

言っちゃいけないことを、俺はソファーに座って頭を抱えながら呟いた。

誰にも聴かれたくない独り言だった。

 

それから俺は、しばらくそこでぼぅっとしていた。何も考えたくなかった。

手の中には大事な大事な同窓会の案内。忘れないように、遅れないようにといつもポケットの中に入れていた。

 

 

 

もちろん、父さんは帰ってこなかった。

 

 



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出席番号7番「遅刻常習犯」⑯

春に知って、夏前に見つかった行方不明の怪異だった。俺にとっちゃ珍しく時間が速く過ぎている気がした。

季節は既に秋になっていた。

 

結局何回行っても、家に父さんが帰ることはなかった。

 

 

 

行方不明になってた人たちもなんとか帰すことができて、俺は一人づつ葬式へ足を運んだ。みんな、寂しいくらいあっさりと遺灰へと変わっていった。

線香に火を着けて、煙がたなびく前で手を合わせながら何度も祈る。どうか、来世があるならその時こそ幸せになってくれ。俺と出逢って、笑ってくれて、また今度と言ってくれてありがとう。だから、ゆっくり眠ってくれ。

 

俺も、きっともうすぐ其方へ逝くから。

 

同窓会の案内を握り締めながら、俺は亡き知人たちの元を去った。

 

 

 

 

 

 

手懸かりのない日々がまた続いた。小学校での仕事もちゃんとやった。ただ、なんとなく裏庭の切り株の所に立っているモノがこっちを心配そうに見ている、気がした。

気がしただけだぜ? 俺は何も怪異サマと親しいわけじゃない。ただ、他の奴らよりちょおっと近いとこにいるだけだ。意思疏通はできねえよ。

できるはずなんてねえよ、怪異となんかさ。わかったつもりになって理解できない。人の常識の外をいく奇妙奇天烈不可思議なもの。そういうのが怪異っていうんだ。

そうだろ? 怪奇オタク。

 

 

 

今回の行方不明とは違うんだけど、よく知らんけど別の話が同じ時期に進んでいたみたいなんだよな。それが「出席番号14番」の話。眠りウサギの「砂時計」だ。

この話は後で出てくるからその時に聞いてやってくれや。

前にも言った通り、眠りウサギは病院に搬送されてそのまま入院。何ヵ月も目を覚まさない。そんな状況が続いてた。それでオーケー?

ああ、これも俺の方と同じだよなぁ。話が進まないで八方塞がり。どうしようどうしよう。話が前に進まない。もちろん後ろになんて進むはずがない。

 

 

 

でもさ。おかしいなって俺、思ってたんだよな。

眠りウサギって………

 

 

 

まあ、いいか。

あいつらが決めたことなんだろ。俺が横から口出しすることじゃねえな。

なんでもねえよ。これはあいつの、あいつらのとっておきの話だ。

順番が回ってくるまでは話さない。そうだろ?

 

何で突然こんなこと言い出したのかっていうとさ、今更だったんだけど、ほんっっっとうに今更だったんだけど。

俺の母さん、何で亡くなったんだろって疑問に思ったんだ。

今更だろ?

今更なんだけどさ、本当のことは全く知らなかったわけよ。母さんは俺を産む前に亡くなった。その事実だけが異様に重くのし掛かってて、「何で」亡くなったのか知らないままだったんだ。

妙に気になったんだよ。今までそんなに気にならなかった。だって、知ったからって亡くなっちまってる母さんが生き返るわけでも助かるわけでもないじゃんか。

それに、俺の産まれる前の話だ。ほんとに何にもできなかったんだ。できるはずなかったんだよ。

どうにもできない。どうすることもできない。そう、割り切るしかないんだ。

 

助産師さんは言った。

母さんのことで俺が自分を責めることは何もない。寂しそうな笑顔で俺に言った。

そして何も言わなかった。母さんがどんな人生を送って、父さんと出会ったのか。

彼の口から聞いた「母さん」はほんのわずかなものだった。でも、俺にとってそれは桜の散っていく花みたいに綺麗なものに思えていた。

様は、自分の中で勝手に「母さん」っていう人のイメージを作っちゃってた。それも知らない分、かなり美化してたんじゃないかって思う。しょうがないだろ、憧れてたんだ。

だからそれを崩したくなくて、無意識に知ろうとしてなかったのかもしれないな。

訂正。もし、知りたくもない事実に当たったらと思うと嫌な気分になる。だから知りたくなかった。知りたくない。

 

知りたくないけど、知らなきゃいけなくなった。

 

俺は母さんから産まれた。それは確かだ。証人だってたくさんいる。で、その母さんは本当に「あの」父さんと子どもを作ったのか。そこが疑問なんだ。

母さんが亡くなったことで父さんはああなったのかもしれない。違うかもしれない。

わからないんだ。知らないんだ。

 

俺は今まで、両親について知ろうとしなかった。自分のことだけに精一杯だった。

 

 

 

俺は遅刻常習犯。

いつだって遅刻野郎だった。だって、母さんからも父さんからも声が聴こえなかったから。

 

「遅刻だよ」

 

本当は自分を見て欲しかった。どうしても遅れがちな自分を気にして見て欲しかった。

それに気づいたのはつい最近。

遅いよな。

遅すぎるよな。

 

もう両親は俺を見てくれない。

俺は確かにあの人とその人の子だったはずなのに。

いつから一緒にいられなくなっちゃったんだろう。

 

 

 

 

 

俺は家の自室と呼んでいた押し入れの中を漁った。暗闇の奥の奥、知りたくなくて隠していた物がそこにはあった。

 

誰かの話みたいに遺骨とは言わねえよ。でもそれに近いかな。

押し入れから這い出てきた俺の手には一冊の小さな古い手帳があった。助産師さんから貰った遺品だった。本当のことが知りたくなった時、これを持ってここに行くといい。

彼はそう言って、一ページ目を開いた。

俺が産まれて、母さんが死んだ病院の名前が書かれていた。

 

其処へ行けば全部がわかる。そう信じて、俺は肌寒くなってきた道を歩いた。

 

その事は、誰にも言っていなかった。







友人Aと連絡が取れなくなっていたことに俺は全く気がつかなかった。ポストの中に、一枚の手紙が押し込められていたことにも。
そして、それを俺が手に取るより先に誰かが取り出していたことにも。






俺は病院へと向かった。









チクタクちくたく時計は回る。秒針長針短針がおいかけっこを繰り返す。
回る。廻る。
時計はまわる。
規則正しく、終わることのない鬼ごっこを巡り続ける。

件の砂時計は止まったまま。
砂を落とさず時を止めた砂時計。
誰かを待って、たった独りで夢を見続ける。



チク、タク。
チク、タク。
時計はまわる。


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出席番号7番「遅刻常習犯」⑰

俺は病院に行った。すこぶる健康体だったけど。

真新しい建物は人を吐いては呑み込んでいく。その病院は、実は俺が産まれた場所じゃなくてその後移動した新しい方だった。

助産師さんが亡くなる前に移動して、新病院となった。旧病院はまだ取り壊しが行われてなくて、そのまま廃病院として残ってるらしい。医師や看護師はほとんどそっくり連れてった。中には入れ替えもあったみたいだけど、そこら辺は当人の自由。施設が大きくなるに伴って人員も大幅に増やされたみたいだった。

 

 

 

ここだけの話だけど、そんな大掛かりな人事異動なんだから人の一人や十人や何十人、は言い過ぎか。とにかく行方をくらましたって気がつかないもんなんだよな。いなくなった分、補充されてるんだから。

 

俺の知りたい行方不明事件とは関係ないんだけどさ、そういうのってほんとよくある話なんだよ。

一つの村が消えた。村人全員が一夜にして失踪した。そんな、話。

ちょっと気にして、すぐに忘れるだろ?

だって自分と関係ないんだから。

関係あったら無関心じゃいられない。

俺の行方不明事件だってそうだよ。これが俺自身に関係してるから必死になってたんだ。

いなくなったのが俺の知り合いだった。犯人が俺の父さんかもしれない。次にいなくなるのが、俺の身近にいる大事な人かもしれない。

だからこそ必死になって終わらそうとした。

じゃなきゃ俺もほかの同級生と一緒になって、その時山場を迎えてた砂時計の解決に尽力したさ。

 

とにかく、以前より大きくなったらしい新しい病院。俺が産まれた旧病院じゃなくて、新しい方。そっちに行けって助産師さんは俺に遺した。

 

 

 

到着してすぐに向かったのは受付。入り口入ってすぐ正面。

何て言ったらいいかわかんないからしばらくうろうろしてた。ほんっと、無駄な時間だった。

そしたら後ろから肩を叩かれた。あの時ほどビビったのは三回くらい。振り向いたらそこにいたのは、怪奇オタク、お前だった。

 

「なんでこんなとこにいんの」

「メール送っただろ」

「メール?」

「眠りウサギ」

「ああ」

 

眠りウサギが入院してたのはその病院だったんだ。怪奇オタクは毎日見舞いに来てたらしい。

 

 

 

 

 

 

ホントウニ?

 

 

 

さあね

 

 

 

 

 

 

俺はその時、怪奇オタクと会った。それは事実だぜ。

だから俺はそいつに手帳のこと、助産師さんのことを話した。そしたらさ、そいつ、一番最後のページを開いてこう言ったんだ。

 

「名前書いてあるじゃん」

 

確かにそこには一人の名前が書かれてた。俺はそれまで全然気がつかなかったんだけどな。

でもさ、俺思うんだよ。そこに名前が書かれてたの知ってても、誰の名前かわかんなかったから無視してたんだろうなって。

俺、ずっと助産師さんのこと「助産師さん」って呼んでたんだ。手帳に書かれてた名前は初めて聞く名前だった。

 

「あの人、××さんって名前だったのか」

「知らなかったのか?」

「ああ」

 

今まで知らなかった。でも、知らなくていいことだった。彼が自分で自分の名前を俺に教えなかった。それって、知っても知らなくても変わらないってことなんだと思う。

 

 

 

おいおい、みんな。軽蔑しないでくれよ。

そもそも俺たちだって名前で呼んでるやつの方が少ないだろ。信頼してそいつのことをわかってるから変な呼び方をする。

友人Aに遅刻常習犯。眠りウサギに怪奇オタク。どれも親しいから呼ぶんだよ。気に入ってるぜ? この呼ばれ方。

自分が特別だって思えるんだ。

 

俺にとって彼は「助産師さん」なんだ。特別な助産師さん。大切で、大好きだった助産師さん。

もし名前を教えてもらっててもさ。俺、多分彼のこと助産師さんって呼び続けると思うんだよな。

彼もその仕事に誇りを持っていた。多分、仕事のことを聞いて小さい俺は思ったんだろうな。

 

「じょさんしさんってすっげえ!」

 

俺が助産師さんって呼ぶのを、彼は嬉しそうに応えてくれた。

 

助産師さんの方はって言うと、俺のことは大抵「きみ」「ぼく」「ぼうや」って呼んでた。小さい子どもを呼ぶ呼び方だよな。

俺はそれが嬉しかった。

父さんには「お前」とか「鬼子」だぜ? 名前以前に人として見られてなかったんだよ。

助産師さんは俺を子どもとして見てくれた。小さな人として、守られていいんだよって思わせてくれた。

これって、大きいだろ?

名前なんて呼ばなくても呼ばれなくてもよかったんだ。相手が自分を見てくれればそれでよかった。ただ、それだけなんだよ。

 

俺にとっては、な。

 




いくつか疑問が残る。
眠りウサギは本当にその病院に入院していたのか。
遅刻常習犯と助産師さんの関係は何なのか。
そんな、話。


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出席番号7番「遅刻常習犯」⑱

怪奇オタクは自分のついでだって言いながら、手帳を奪って受付に行った。

俺は病院になんて来たことがなかったから、どうすればいいか全くわからなかったんだ。ほら、俺の父さんってあれだから。

何か受付の人と話して、あいつは奥に入ってった。入院してる人の病室がある方だ。それで、ぼんやり見送ってた俺のとこに一人の医者がやって来た。

 

「××君だね。あっちで話そうか」

 

そう言って、飲食スペースに俺を連れていった。

 

当然俺はその人なんて全く知らない。胸に付けてる名札を見ても、どこにだってある名字だった。

その人は、俺を二人掛けのテーブルに座らせといてカウンターの方へ歩いていった。

戻ってきた時にはコーヒーとココアがその人の手に増えていた。

 

「どうぞ」

 

彼の前にはコーヒーが。俺の前にはココアが置かれた。初対面で、俺は知らない人にココアを出された。

甘いココアは子どもの頃からの俺の好物だった。

カップの中から立ち上る湯気と匂いに俺は驚いた。驚いて、彼の顔を見た。彼は笑って言った。

 

君はココアが好きだって聞いていたんだ。

 

「どこまで知っているんだい?」

「いや、その、なにも」

「じゃあね、君は何を知りたくてここに来たんだい?」

 

助産師さんと同じような、ゆったりとした話し方だった。熱いココアはテーブルに置かれたまま冷めるのを待っていた。

何から言ったらいいのかわからなかった。全部、知りたかった。全部聞きたくて、口にしたくて、頭が真っ白になった。口は開いたけど、声にならなかった。言葉は出て来なかった。

そんな俺を見ながら、彼は白衣を脱いでイスの背に引っ掛けた。ぴしっとしたシャツとネクタイをした彼は、まだ若く見えた。座りながら、

 

「今日はもうあがりなんだ。時間は気にしなくていいよ」

 

そう笑った。

 

よく笑う人だと思った。病院に勤めている人ってみんなこうなのかって。でも、次の一言で俺の頭は完全に凍った。

 

「僕は君のお父さんの後輩なんだ」

 

父さんの、後輩。

まさか。あの父さんが病院勤務? あり得ない。

だって。

だってだって。

だってだってだって。

 

 

 

とうさんはあんなにおれをなぐったじゃないか

 

 

 

俺はてっきり、彼は助産師さんの知り合いだと思ってたんだ。それか、母さんの方の。

当然だろ。父さんと病院が結び付くなんて思いもしなかった。でも彼は確かに「君のお父さん」と言った。

 

「高校、とかの、ですか」

 

彼は一瞬驚いたみたいだった。

 

「本当に、何も聞いていないの?」

「はい」

 

彼は目を瞑った。何かを考えているようだった。

ぬるくなり始めたココアを俺は啜った。まだ少し、熱かった。

 

「うん、わかった。全部、始めから話そう」

 

彼はそう言って、コーヒーを一口啜った。

 

 

 

 

 

 

知りたかった話が明らかになる。知りたくなかった話が明らかになる。

俺は目の前の彼に夢中だった。周りのことなんて聴こえないくらいに。

 

だから、ほんの少しだけしか距離が開いていなかったのに気がつかなかった。知り合いが自分の後ろを横切って、病院から出ていこうとしていたなんて。

 

 

 

オメデトウ

ソノヒハ、カレノタイインノヒ

 

 

 

俺は知らなかった。

俺は気づかなかった。

 

なんでだろう。

 

俺の中の、ナニカが人とずれていた。

俺は、遅刻常習犯。

人に遅れ続ける、遅刻野郎。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お前は彼に会釈した。

彼は笑って手を振った。

 

ただ、それだけのことだった。




話は同時に進行している。
出席番号6番、友人Aの話をもう一度読んでもらいたい。
彼はこの病院に入院していて、遅刻常習犯がやって来たこの日に退院していった。

遅刻常習犯は彼に気づいていなかったのである。


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出席番号7番「遅刻常習犯」⑲

俺と彼は話をした。全部、始めから。

話を耳に聞いた。

話を口にした。

 

みんな、聞いてくれ。俺のこと。

 

 

 

 

 

 

まず、母さんと父親はこの桜ヶ原の出身だった。地元民だった二人は恋に落ちて結婚した。

高校を卒業した後、二人は桜ヶ原を出た。二人とも医療系の仕事に就きたかったから。

大学で出会ったのが、二人の後輩。俺が話した彼と、その奥さん。

 

ほら、どこかで聞いた話じゃねえか? 特に、コンビニ経営の後輩を持つお二人さんよお。

俺の両親もそうだったんだ。外に出て、いい後輩に慕われて地元に戻ってきた。

 

大学を卒業して二人は病院に勤務することになった。場所は、桜ヶ原にある唯一の病院。当時の旧病院。

今じゃ「廃病院」なんて呼ばれてる、その、いろいろあったらしい場所。別にそれが原因で今の新病院に移動したってわけじゃないそうだけど。まあ、いろいろあったんだろうな。

その「いろいろ」の中に俺たち家族のことも含まれてた。

 

めでたく後輩の二人も希望が通って四人で同じ職場で働けるようになった。先輩同士、後輩同士で恋愛も上手くいってた。式こそ挙げなかったらしいけど、入籍もして仕事も生活も張りが出た。

照れながら笑って言った彼の首には吊るされた指輪が光ってたよ。医者って、指に指輪できないんだな。

俺の両親も、そうだったのかな。

幸せだったんだろうな。幸せであってほしい。

そんな話だったんだ。

 

母さんの妊娠がわかるまでは。

 

 

 

妊娠がわかって、母さんは退職する流れだった。誰も文句とか言うはずもなかった。あらかじめ両親は周りに言っていたみたいだから。

子どもができたらどちらか退職します。

それを言われた周りも理解していた。後輩の二人も同じようにするって決めていたみたいだ。

 

引き継ぎも順調で、お腹もふくふく膨らんでいく。マタニティブルー? そんなのもあったらしいけど、初めての出産なんだから当然だろ。

全部、順調だったんだ。母さんの体も弱いわけじゃないし、悪いところもなかった。

それは診断した目の前の彼の奥さんが証明できる。奥さんは産婦人科の医者。俺の母さんを診たのも、その人らしい。ちゃんとカルテも残ってる。

順調だったんだよ。

 

でも、母さんは死んだ。

 

死因は、

 

「転落死だった。前の病院の、屋上から落ちたんだ」

 

事故だった。

偶然だった。

俺はほんの少し、安心した。

 

ははは。柵が壊れていたとか? 風が強かったとか? 足を滑らせたとか?

 

 

 

 

 

 

彼は続けた。

 

「何かに背中を押されたんだ」

 

息が止まった。

 

 

 

 

 

 

行方不明者の発見時の特徴。

背中に大きな手形。

 

誰かに背中を押された。

ナニカに背中を押された。

その、行方不明事件の犯人は?

 

 

 

 

 

 

父さん

 

 

 

 

 

 

背中を押したのは、「父さん」。

 

 

 

母さんはすぐに集中治療室に運ばれた。旧病院は横に広くて縦に短い。だから、屋上から落ちたとしても助かる確率が高かった。現に、母さんは即死じゃなかった。偶然にも落ちた場所が植木のすぐ上だったらしい。

でも結局亡くなったんだから、転落死なんだろう。

落ちた母さんの処置に当たったのは、外科医だった目の前の彼。それと、母さんが妊婦だったという理由で助産師さんがついた。

結果は知っての通り。母さんは助からなかった。その代わり、奇跡的にお腹の中の子は生きてこの世に誕生した。

俺は、死んだ母さんの亡骸から助産師の手で取り出された。

 




オチタ
オチタ
オトシテヤッタ
後ろの正面だぁれかな

彼女の顔を見た人と
あいつの背中を見た人は
憑いたダレカを知るだろう

後ろの正面だぁれかな
奇しくもあの人とおんなじ顔
だけれど違う
狂った笑みで突き落とす
あいつはダレダ
そいつはダレダ

相談しましょ
そうしましょ

過ぎた話はまだ続く


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出席番号7番「遅刻常習犯」⑳

なんで母さんを落としたんでしょう。俺は誰がとは聞かなかった。俺の中で、母さんを落とした犯人は父さんだって答えが出ていたんだ。

それまでの話じゃ、どうしても人を落とすような狂った鬼には聞けなかった。どうしても彼の言う「先輩」と「父さん」が結び付かなかった。

彼は一呼吸置いてからこう言った。

 

「僕は、君たちみたいに元々ここの住人じゃないから」

 

自分は余所者だから。そう前置きして続けた。

 

彼が俺の両親と出会った時、彼らが学生の時から、母さんたちはよく後ろを気にしていたそうだ。本当によく後ろを振り返って背後を確認するもんだから、彼は尋ねたんだ。

後ろに何かいるのか? それに、両親はこう答えたそうだ。

 

「鬼ごっこでもしている気分だよ」

 

鬼ごっこ。後ろから誰かに追われていたのか? 何に?

少しだけ、背筋にぞくりと寒気が走った。

彼は言った。僕にはよく解らないことなんだ。だけど、同じ場所に生まれた君なら解るのかな。

そう、言った。

余所者には解らないこと。地元民には解ること。ピンときた。怪異だ。

 

俺は鬼ごっこなんて怪異を桜ヶ原で聴いたことがない。聴くのは「鬼事」。ごっこなんかじゃ済まない、鬼の戯れ事。聴くも見るも無惨な、鬼のする怪異。

俺たちはそんな怪異を「鬼事」と呼ぶ。

 

だから、背後を追ってくるような、それこそ子どものする遊びの「鬼ごっこ」のような生易しい「鬼」を地元民は知らない。

もしいるなら、その鬼は桜ヶ原の外にいる鬼だ。

 

 

 

オマエハ鬼子ダ

 

不意に、父さんの言葉が頭に響いた。子どもの俺を、鬼の子だと罵ったあの声を。

その子どもは誰の子だ? 父さんの子だ。

鬼子は鬼の子だ。

 

トウサンハ、オニナノカ?

 

それなら母さんを屋上から落としたりもするだろう。でもいつから?

どうしても目の前の彼の言う「先輩」と「父さん」が同じ人に思えなかった。俺の頭の中では、人の「父さん」と鬼の「父さん」が立っていた。

どちらが本当なのか。どっちが真実か。

 

 

 

「ここを出てから、何かに追われるような気がしてたらしいよ。だからずっと後ろを気にしてた。

地元に戻ればきっと大丈夫だって言ってたけど、その結果があの人の事故なんだろうね」

 

何かに背後を取られて、背中を押された。

母さんの死は、その後の行方不明事件の怪異に繋がっていたんだ。

父さんが犯人の。

父さんが犯してきた罪の。

 

 

 

 

 

 

「君は、父親が亡くなった時のことも詳しく知らないんだろう?」

「え」

 

 

 

 

 

 

父さんはずっと生きてきたはずだ。ずっと、家にいたはずだ。亡くなってなんていない、はずだ。

 

 

 

 

 

 

彼の言う俺の「父さん」って誰のことだ?

 

 

 

 

 

 

そこでやっと何かが違うと気がついた。




????????????


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出席番号7番「遅刻常習犯」21

俺は、

俺は、

彼に尋ねた。聞いてしまった。



「俺の父親って、誰のことなんですか?」



彼は答えた。

「誰って、×××先輩のことだよ」








俺の。
俺の父親は。



なんでそうなったんだ?

なんでこうなったんだ?

じゃあ、あの「父さん」は、一体、誰なんだ?

何なんだよ?

 

 

 

俺は彼に自分のことを話した。俺がどうやって生きてきたのかを話した。簡単に、な。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の父親は「父さん」じゃなかった。父親の後輩である彼が言い続けていた「俺の父親」は彼の先輩である助産師さん。つまり、俺の、

 

 

 

俺の父親は。

 

 

 

本当の父親は。

 

 

 

 

 

 

モウイナイ。

 

 

 

俺は助産師さんに育てられて、父さん、

 

 

 

誰かわからないけど、俺がずっと「父さん」と呼び続けてきた、あいつ。

あいつと暮らしてきた。

 

 

 

 

「君の両親は僕の先輩たちだ。ちゃんと証明できる。

君が「父さん」と言っているその人を、僕は知らない」

 

彼は怒っていた。自分の敬愛する先輩のいるべき場所を、どこの誰かわかんない、それこそ得体の知れない奴がかっ拐っていった。

しかも、その子どもの扱いに絶句していた。俺があいつに何て言われながら育ったか、俺があいつに何をされてきたか。それを聞いたときの彼の顔は、何て言ったらいいかわかんねえ。

俺、思ったんだ。ああ、助産師さんは、俺の父親は、こんなに後輩に慕われていたんだな。

俺は「父さん」じゃなくて「助産師さん」の顔を思い出しながら、思った。

 

 

 

やっと解ったんだ。助産師さんがなんであんなに俺に優しくしてくれたのか。

あの人、あの人がさ。

俺の、俺が本当に父さんって呼ばなきゃいけない人だったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんでだよ!

なんでこうなっちまったんだよ!

俺、俺、助産師さんのこと、一度も父親だなんて、父さんだなんて、呼んだことなかったさ! 呼べなかった!

何度も呼びたかったよ。あの人が俺の父親だったらって、何度も思ったよ。

でも。

でも!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あいつが言うんだ。

あいつが、俺に、言うんだ。

 

 

 

 

 

 

 

「オレガオマエノチチオヤダ」

 

 

 

 

 

 

 

あいつが、俺に言うんだよ!

自分が父親だって。

あいつが俺に!

 

 

 

それまで、疑ったことなんてなかった。どんなに目の前が辛くても、これが現実なんだって思ってた。受け入れてたつもりだった。

それなのに。それなのに!

それなのにさぁ!!

 

 

 

 

 

 

こんなのってないだろ。

 

 

 

 

 

 

ゼェンブ、ウソダッタ

 

 

 

 

 

 

もう母さんも、助産師さんだったとうさんも、いない。会えない。

俺は、一体何を見てきたんだよ?

 

 

 

 

 

 

なにも

 

みていなかった

 

 

 

 

 

 

悲しかった。

悔しかった。あいつに騙されていたことに。

怒った。あいつに騙されていた俺自身に。

 

血が出た。唇を噛んで、噛み切って、血の味がした。

頬を水が伝った。

涙が、伝った。

 

 

 

 

 

 

みんな。聞いてくれ。

聞いてくれよ。

俺の父親はさ。優しくって、いっつも困った顔で笑うんだ。俺が失敗しても、俺がどんなに間抜けでも、根気強く待っていてくれる。君だったらできるって、俺のことを信じてくれた。

俺の成長を心から楽しみにしていた。

いつか気づくって、最期にヒントを残して、信頼してた後輩のとこに導いてくれた。

 

 

 

 

 

 

みんな。

俺の。

俺の父親はさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺がずっと、助産師さんって呼んでた、あの人なんだ。あの人なんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

なんっでこうなんだよおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

俺が父さんって呼んでたあいつは誰なんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!???!!!???!!!???!

 

 

 



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出席番号7番「遅刻常習犯」22

そこからしばらくは覚えてない。

当然だろ? いきなり父親は別人ですって言われたんだ。何で気づかなかったんだよって話なんだけどさ、実際そうだったんだよ。

頭の中、ぐーるぐるでもうほんと混乱状態。

 

泣いたよ。泣きすぎて鼻水も涙も出し尽くしたって感じだった。土砂降りの中、外を傘なしでほっつき歩いたみたいだった。

そんな俺が落ち着くまで、助産師さんの後輩さんは待っててくれた。

助産師さんみたいに、困った顔で笑いながら待っていてくれた。やっぱり先輩と後輩って似るんだな。

親と子も、似るのかな。そうだといいな。

 

やっと落ち着いた時、彼は俺にあいつのことを聞いた。

 

 

 

どんな顔をしているのか?

覚えてない。

身長は? 痩せているか、太っているか?

覚えてない。

髪型は?

覚えてない。

何か、覚えていることはあるか?

あいつは、俺をよく殴った。蹴った。刃物で切ったこともあった。

俺を悪い子どもだと言った。鬼の子だと言った。言い続けた。

 

 

 

彼は絶句した。

あいつの下でどんな生活をしてきたか先に言ってたけど、それを具体的に言われて言葉もない。そんな感じだった。

 

「虐待どころじゃない」

 

君を家から連れ出してくれた先生には感謝しきれないよ。

彼は頭を抱えながら言った。それで、冷めたコーヒーを一口喉に流し込むと携帯でメールを打ち始めた。俺はそれを、同じように冷めたココアを飲みながら見ていた。

 

少しして、彼に誰かから携帯メールが届いた。

 

「ちょっと、場所を移そうか」

 

そう言って彼は俺の手を引っ張った。

 

コーヒーもココアも、カップの中には半分以上残ったままだった。

 

 

 

向かったのは病院の屋上だった。廊下を進んで、通路を進んで、エレベーターに乗って、最後に薄暗い階段を上った。扉を開いて目の前が空色一色になった。

前を歩いていた彼が言った。

 

「じゃあ、脱いでくれるかな」

 

そこ! 笑うな、ってさすがに笑わないか。彼は外科医だ。俺があいつにつけられた傷を見てくれたんだ。と言っても全部古傷。どれも「誰か」につけられたってわかる痕ばっかなんだよな。特に腹と、俺には見えないけど背中。

一度も水泳の授業に出れなかったよ。みんなにも見せたくなかったし、みんなだって何も言わなかった。

そんな俺の体を、彼は診てくれた。

 

新しい傷なんて一つもないって。俺は大人に成長できたんだから、大丈夫だって。

そう言おうと背中を診ていた彼を振り返った時だった。彼に会ってから一番低い唸るような、というかもう唸ってたな、そんな声でこんなことを言い出した。

 

「この背中の手形、いつ付けられたんだい」

 

背中の手形?

そんなの知らない。

 

いや、最近そんなこと聞いた、っけ? 聞いた。つい最近。なんだっけ。そうだ。

そうだ。あの事件の。

 

「被害者の背中には手形」

 

あの事件の被害者に共通してる痕!

 

「僕、君の知りたがってる事件の手伝いもちょっとやったんだ。だから、遺体の手形についても知ってる。

これ、同じのじゃないのかい?」

 

同じ手形。

同じように背中を押された痕。

 

「父さん」に付けられた痕。

 

犯人はあいつだ。

俺の父親の振りをしてたあいつだ!

 

「推測でしかないんだけどね」

 

彼は俺の目を見て言った。もう何回も言った、自分は余所者でしかないからっていう前置きと一緒に。

 



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出席番号7番「遅刻常習犯」23

例えるなら、鬼ごっこ。後ろを、背後を鬼が追いかけてくる。



彼が言ったのは、外から見た推測だった。


 

桜ヶ原の外に出た俺の両親は何かに目をつけられた。それは俺たちが怪異と呼ぶもの。彼が、外の人が鬼と呼ぶもの。

俺が、父さんと呼んだもの。

 

両親は逃げた。鬼ごっこみたいに、鬼に捕まらないように鬼と距離を置いた。

地元である桜ヶ原に戻ってしまえば鬼なんかより強いモノがごろごろしている。鬼は自分たちを追いかけることをやめるはず。

そう思って両親は逃げ続けた。

 

そして、両親は桜ヶ原に戻ってきた。

七不思議が鬼を桜ヶ原に入れないはず。桜の姫が鬼を、外の怪異を容易く入れるはずがない。

普通だったらそうなんだ。

 

 

 

アイツハフツウジャナカッタ

 

 

 

鬼は両親の後ろをついてきた。

鬼ごっこは終わらなかった。

 

両親は逃げた。離れようと、距離を置いた。

鬼は焦れた。獲物が手に入らない。獲物に手が届かない。

鬼は次第に飢えていく。

 

その「鬼」っていうものがどんなモノかはわからない。でも、他とは違う何かがあったんだろう。彼にも、俺にも解らないナニカがそいつにはあったんだろう。

だって、そうじゃなきゃ今の状況はあり得ない。

結局、あいつにはわかんないことばっかなんだ。知りたくないし、知ることもできない。

でも、あいつは外から来たナニカだった。「鬼」とも呼ばれる怪異だった。

そいつは外で目をつけた両親を追いかけた。

他にも獲物はいるはずなのに、何で両親?

彼は言う。桜ヶ原の人は独特な雰囲気があるんだ、って。自分たち外者とは違う何かを持っている、って。彼は言う。

 

多分なんだけどさ。

うん。多分なんだけど。

 

桜ヶ原って、異様に怪異が多いんだろうな。というか、密度が高いんだよ。

怪異を見る。観る。視る。

当然、怪異からもみられる。

怪異に逢う。遇う。遭う。

怪異っていう危険に対して敏感になる。避けようとする。

それが余計に怪異を惹き付ける。近くなる。

それって、特別なこと。

トクベツナモノハウマイ。美味い。

だから、俺たちは、餌の中でも特別美味い。

だから、両親はあいつに追われたんだと思う。

 

桜ヶ原が外からどんな風に見られるなんて知らないよ。だって、俺たちはずっと内側にいたんだから。

内側に、いるんだから。

 

彼は言う。両親は鬼と鬼ごっこなんてしてたのか。それじゃあ、いつ捕まってもおかしくなかったんだろうな、って。でも両親は逃げれた。逃げ続けられた。

それが何でここに来て捕まっちゃったのか。

 

俺だよ。

母さんが身籠ったから、動きが遅れたんだ。

 

 

 

まずは母さんが捕まった。

鬼に背中を押された。

 

病院の屋上から落ちた母さんがしたことは、腹の中の子ども、俺を守ることだった。

 

 

 

 

 

 

そう! ここまではいいんだよ!

ここから俺と彼の間で認識に差が出てきたんだ。

 

母さんの葬儀はもちろん父さんが、助産師さんが行った。それには彼も行ったから覚えているらしい。その時には俺はまだ助産師さんの腕の中。それも彼はしっかり見ているらしい。彼だけじゃない。彼の奥さんも見ている。

そこにはあいつはいなかった。

いたら気づくはずだ。いないはずの、知らない男がそこにいたら気づくはずだ。

じゃあ、いつ俺の中の父親が助産師さんからあいつになったのか。

いつから。いつから?

そんなの、赤ん坊の俺が覚えてるわけないだろ。だから助産師さんとその後輩夫妻が知っていることだけが全部のはずなんだ。でも彼は繰り返し言う。これは推測なんだって。

彼も覚えていないんだ。

 

 

 

な? なんか、おかしいだろ?

曖昧な部分があるんだよ。知らない。覚えていない。

人の記憶なんだからそういうこともあるさ。でも多すぎるんだ。

 

覚えていないこと。

あいつのこと。多分、あいつの近くにいた間の俺のこと。いつから俺が助産師さんの手を離れたのか。いつから助産師さんじゃなくてあいつが父親として、俺と住み始めたのか。

一番よく知っていたのは、助産師さんのはずだ。でもその助産師さんも今はもういない。

 

あいつにまつわる記憶がぼやけているんだ。

おかしいだろ?

これってさ、あいつの持ってる他と違うことなんだと思う。あいつのせいでみんなよく覚えていないんだと思う。

 

葬儀の後で俺が何処に行ったのかは彼は知らなかった。当然その後も知らなくて、今回会いに来るまで音信不通の状態。俺も助産師さんの後輩のことなんて知らなかった。

というか、それ以前に父親をあいつだと思ってたんだ。助産師さんの名前すら知らなかった。

助産師さんが遺した手帳。何で助産師さんが亡くなった時も、進学して家を出る時も見ようとしなかったんだろう。ヒントはいつだってそこにあったのに。

いや、違う。見ようとしなかったんじゃない。

手帳をもらったっていう記憶自体ぼやけていたんだ。

 

押し入れの中に手帳を隠したのは誰だ。俺だ。本当に?

押し入れの中に見たくないものを隠した。見せたくないものを隠した。そこにあるのは真実に辿り着くヒントだった。

 

そ う だ

 

手帳を持って帰った次の日に、助産師さんはいなくなったんだ。

俺が助産師さんと繋がるヒントを、手帳を持ち帰ったから、助産師さんは、父さんは、あいつに捕まったんだ。

俺は、助産師さんがいなくなった後すぐに手帳を探した。でも、なかった。入れていたはずの菓子箱の中にはなかった。あいつが隠したんだ。

あいつが隠したのは、押し入れの天井の角。板を剥がして釘で打ち付けてあった。光が届かない暗い所。俺には見えない、すぐ近くの場所。

あいつは隠したんだ!

 

 

 

俺は知らないことを聞いた。あいつに捕まった助産師さんがどうなったのか、俺は彼に聞いた。

俺の父親は、病院の冷凍庫で発見されたらしい。用事もないはずの大きな冷凍庫。その中で助産師さんは凍っていた。背中には、あいつの手形。

背後から突き飛ばされて、業務用の大きな、人が何人か入れるくらい大きな冷凍庫に閉じ込められた。助けは来ない。声も届かない。誰も気づかない。

助産師さんはどんな思いで凍っていったんだろう。

息子を鬼のところに残したまま死んでいった父親。どんな想いだったんだろう。どんな想いで命を凍らせていったんだろう。

たった独りで、暗くて冷たい箱の中。淋しい。寂しい。悲しい。あの優しい笑顔の人の最期がそんなものだなんて。

 

 

 

ああ、助産師さん。俺の、大切な父さん。大好きだった、俺の家族。

ごめん、一回も貴方を父と呼べなかった。

 

 




俺は遅刻常習犯。
知るのが遅すぎた。そこへ辿り着くのが遅すぎた。
間に合わなかった逢いたい人。その人へ伝えたい言葉はもう、届かない。


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出席番号7番「遅刻常習犯」24

助産師さんの遺体は火葬されて、ちゃんと母さんと同じ墓に入れられた。目の前にいる彼が、後輩として務めてくれた。

俺はもう、地面に頭が着くくらい深く深く頭を下げた。彼には感謝してもしきれない。

だけど彼も俺に頭を下げた。ずっと俺のことを探し出せなかったこと。連絡も取れずに父親と別れさせてしまったこと。彼は謝った。

しょうがないことだったんだって俺は言ったさ。だって、余所者が桜ヶ原に入り込めた怪異に対抗できるはずがない。

あいつのせいで記憶も認識も曖昧でぼやけてしまってた。俺と連絡なんて取れるはずがないんだよ。

 

ただ、俺はラッキーだった。

この歳になるまで生き残れた。それはきっと、この土地の七不思議が、桜の姫が護ってくれてたんだ。

だから一時は崩れたはずの七不思議が復活して、あいつの力が弱くなるタイミングが生まれた。

だからあいつが隠した行方不明の人たちが発見された。

俺というとっておきの獲物を確保しておきながら、七不思議の守りで手を出せない。焦って飢えた末に別の獲物へ手を出し続けたのが仇になったんだな。

だから警察官のおっちゃんからメッセージを受け取ることができた。

だから助産師さんの遺した手帳を見つけて、病院にいる彼と出逢えた。

知らなかった、知らなきゃいけなかった本当のことに出会えた。

全部、ラッキーだったんだよ。

 

 

 

「君はいい子だから、きっと将来いいことがあるよ」

 

恩師が小学校卒業の時に言ってくれた言葉が、俺の耳に甦った。

先生、いいことあったよ。

遅かったけどな。

 

 

 

彼は俺の背中に広がる手形を見ながら言った。

 

「ごめんね。これ以上僕ができることはないよ」

 

俺の背中にある手形たちを擦りながら彼は言った。充分だよ。充分過ぎるくらいだって。俺は笑って彼にお礼を言った。

 

 

 

 

 

 

それが、彼と会った最初で最期の時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日、彼の奥さんから夫が亡くなったという連絡がきた。

遺体の背中には手形。死因は先輩だった助産師さんと同じ、凍死だった。

 

彼が見つかったのはまさにそこ。俺の父親の遺体が発見されたとこと同じ冷凍庫。

死体が発見されたなんて冷凍庫、使われてるはずがない。だから電源も落ちていたはずなんだ。そう、彼の奥さんは泣いて俺に伝えた。

そんな奥さんからの連絡も途絶えた。

 

 

 

 

 

小学校の宿直室で電気も着けずに俺は横になった。

俺の一生の中で自室って言えるのはそこだけだった。小学生でいられた間だけ許された小さな俺の子ども部屋。就職して文字通り戻ってきた俺にとっても、そこは俺の部屋だった。

俺にとっての家って言えば、俺を家族として扱ってくれた友人A。お前の家だ。

そんな宿直室で、俺は横に転がっていた。

 

これからどうすればいいんだろう。どうすべきなんだろう。

犯人はわかったさ。俺が「父さん」と呼んでいたあいつ。でも、あいつは人じゃねえ。怪異なんだ。

桜ヶ原の人だったらみえるかもしれない。でも、それで? それからどうしろってんだよ。

どうしたってあいつは裁けない。あいつが今してることこそ、あいつの存在する意義なんだ。

悪いことじゃないんだ。あいつにとって。

じゃあ許そう? 何人犠牲者が出てると思ってんだ。俺の母さんも父さんも、その後輩たちも、関係ない人たちだって!

あいつに背中を押されたんだ。死の世界に突き落とされたんだ。

 

どうすればいい。どうしたい。

 

俺は外をちらりと見た。学校の裏にある桜の切り株と、そこに立ち続けている処刑人を思い出した。

 

罪を罰するにはどうすればいい。罪を罪だと認識させるにはどうすればいい。

どうすれば、いいんだよ。

俺がするべきことはなんなんだ。

俺は行き詰まっていた。

 

 

 

そのままゴロゴロしていると、机の下に置かれた、俺と同じように転がった手帳が見えた。父さんの遺してくれた手帳。俺はそれに手を伸ばした。

指の先がかすった瞬間だった。手帳から、あるはずのない冷気を感じた。

寝転びながら手を伸ばしていた俺は、すぐにその手を引っ込めて飛び起きた。クーラーなんてなかったし、扇風機すらその時期動いていない。なのに何故かものすごく冷たい空気を纏わりつかせた手帳が、そこにはあった。

そう。例えばずっと冷凍庫に入れてあったみたいな。

 

冷凍庫?!

 

俺は慌てて手帳を引き寄せて開いた。

開いた最初のページには病院の名前が、最後のページには本当の俺の父さんの名前が変わらず書かれていた。間には同窓会の案内と、多分俺が会ったばっかりにあいつに捕まってしまった彼の名刺が挟まっている。

ただ、なぜかやけにその手帳が重い気がした。

変わるはずがない手帳を開いた時だった。ぶわっと、冷気が顔を撫でていった気がした。冷凍庫の扉を開いた時みたいに。

寒っ。そう感じた次の瞬間、俺の目に入ってきたのは開いたページ。見開きで、真っ白なページ。そのはずだった。

何にも書かれていないはずだった。

でも、そこには赤く引っ掻かれた文字で埋まっていた。どこか既視感ってやつ。いや、実際に見たことがある。

警察官のおっちゃんの時と同じように、そこには俺宛のメッセージが掻かれていた。

 

 

 

誰からのって?

全員分だよ、全員分!

あいつに捕まった被害者たち全員だ!

みんな、俺の知り合いだ。わかるよ。誰がどのメッセージを俺にくれたか。

 

 

 

真っ赤な文字だった。引っ掻いて、引っ掻いて、血が滲んで、滲んだ血で書かれた文字たちだった。

痛い。痛い。痛い。

苦しい。苦しい。苦しい。

どうしてこんなことをする。

家族のところに帰りたい。

暗い。

狭い。

熱い。冷たい。暑い。寒い。

もうだめだ。ダメだった。

こんな最期。

どうして。どうして。どうして!

 

ごめんな。ごめんなさい。みんな。

全部が俺のせいじゃないって言ってくれるような人たちだった。みんな、優しくていい人たちだった。

こんな風に終わる、終わらされるべき人たちじゃなかった。これから幸せになるべき、幸せであって欲しい人たちだった。

 

全部。

 

全部。

 

過去のことになってしまった人たち。

 

これからを生きることができなくなってしまった人たち。

 

奪われてしまった、人たち。

時間を。幸せを。希望を。

なにより、大切な命を。

 

 

 

手帳に刻まれた文字たちは彼らを思い出させた。一人一人の顔も、声も思い出させた。

みんな、俺と出会わなければこんなことにならずにすんだだろうな。そう思いながら最後のページを開いた所に、俺の目を覚まさせる一言が書かれていた。

 

「どうにかしてみなさい」

 

この事態を、現状を覆してみろ。

これでいいのか。このままでいいのか。

いいわけねえだろ。

一生をあいつに踏みにじられたままでいいのか。

いいわけねえだろ!

終わらせるさ、こんな鬼ごっこなんてアソビ。あいつの好きなようにさせたままで終わらせない。

 




俺は手帳を持って家に向かうことにした。俺の育った、あいつと俺が暮らした家だ。
もう、俺にとってはゴミ箱にしか思えないような箱だったけど。

手帳の最後のページ。そこには助産師だった俺の本当の父さんが、書かれていた名前の上に赤い字でメッセージを息子に遺していた。

「君ならできるよ。頑張れ」



頑張るよ。頑張ってみるよ。
だから、見ててくれ。






父さん。





母さん。


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出席番号7番「遅刻常習犯」25

昨日雨が降っていた。

今日も雨が降っていた。

 

降り続いた雨たちは、たくさんの命を流して海へと向かう。

どんなに水が流れても。どんなに水が流れ続けても。降った雨たちは後悔しない。

流れたことを、後悔はしない。

 

明日はきっと、晴れるだろう。

 

 

 

 

 

 

その場所には何度も見た家があるはずだった。家があって、「父さん」と呼ぶあいつがいるはずだった。

 

小さな俺は見慣れた扉を開いて、靴を脱いで、玄関の隅の方にこれ以上ないくらい寄せておく。玄関に入った時、俺の靴が目に入るとあいつは邪魔だと怒鳴り散らすから。

俺はそれが恐くて、目につかないように靴の上に靴を重ねて、それから靴箱の下に押し込むんだ。

どうかあいつに見つかりませんように、って。

玄関マットもスリッパもない廊下を通り過ぎて、あいつが寝そべっているソファーのある、テレビもないリビングの前を通り抜ける。もちろん、足音を立てずに素早く。

気づかれて「おい」って言われたらその日は地獄。声をかけられなくてもあいつがそこにいるだけで地獄。

タオルだけを敷いた押し入れの中で丸くなる。あいつの存在を押し出すように。

「鬼は外」「鬼は外」。福なんてないけど、鬼は外へ出ていけ。そう思いながら目を閉じた。

今考えると、「鬼」はあいつに「鬼の子」と呼ばれた俺じゃない。あいつの方だったんだ。

しつこくしつこく俺を狙う鬼。

 

母さんと父さんと、たくさんの人たちをおとした犯人。

 

そんな「父さん」がいた家。

俺を閉じ込めるための「家」っていう、箱。

 

そんな場所があるはずだった。なければおかしかった。

だって、何年もそこにいたんだ。あいつと一緒に、暮らしていたんだ。

 

何度も何度も殴られ蹴られ、怒鳴られた音が響いた家。ああ、懐かしいよな。体に刻まれた傷が、痣が付けられた時みたいに痛む。

懐かしいよ。自分の声が聞こえるみたいだ。「ごめんなさい」「痛い」「許して」。怯えるしかできない日々。

ああ、懐かしいな。

 

そう感じながら目の前にあったのは、古びたポストが一つ。他には何もなかった。

 

 

 

空き地に、ポストだけが立つ場所。

そこが、俺のいた家だった場所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘だろ」

俺は呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘だろ」

 

 

 

俺はもう一度呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

そこには、始めから何にもなかったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

開いた目から涙が溢れた。

ぽろり、ぽろり。ポロポロ、ポロリ。涙はどしゃ降りになった。

こんなことって。

こんなことって。

 

俺は、嬉しくて泣いた。

 

もうあそこに帰らなくてもいいんだ。

もう「父さん」を待たなくてもいいんだ。

 

嬉しい!

嬉しい!!

嬉しい!!!

 

俺は、初めて嬉しさから涙を流した。こんなことってほんとにあるんだな。

人は悲しいだけで涙を流すんじゃない。嬉しいときだって、同じくらい涙を流すんだ。

泣いても、いいんだ。

 

 

 

 

 

 

だから、さいごは

 

えがおかなきがおで

 

さよならしようぜ



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出席番号7番「遅刻常習犯」26

頭がぼんやりとする。目が霞む。
目の前が霧や霞で遮られている。

たんたんたん。
廊下を走る音がする。
トントントン。
部屋をノックする音がする。

音がする。何処からか音がする。
何処から? 何処から。何処からか。

頭がぼんやりとする。
目は開いていて、閉じている。
まるで夢の中。
起きているのに眠っている。
眠っているのに起きている。
まぁるで夢の中。
起きながら夢を見ている。夢の中で起きている。
夢の中で夢を見ている。覚えているのに思い出せない夢を見続けている。
頭がぼんやりとする。

体は現実の中。心は未だ夢の中。
心は現実の中。体は未だ夢の中。



あいつが俺に見せていた「家」は偽物だったんだ。家の外装も、少ししかなかった家具も、全部幻。

まるで夢が終わるみたいに、それはあっさりと俺の目の前から消えた。きっかけは、多分俺が真実を知ったこと。あいつが俺の父さんじゃないって知ったことだと思う。

 

なあ、みんな。俺の住んでた家ってどんな風に見えてたんだ?

 

『きみ、空き地でダンボールの中で暮らしてたんだよ。

誰かがくれたダンボール。その中にタオルを敷いて、くるまって。小さなすてられた猫みたいだった。

雨には濡れなかったけど、あそこには家があったんだね』

 

なあ、みんな。俺って、あそこにいた時どんな風に見えてたんだ?

 

『あそこには先生しか入れなかったんだ。ボクたちじゃ入れなかった。

本当は、いつだって君をあそこに帰したくなかった。ガリガリに痩せて、いつだってケガだらけで。

同じ教室にいる友だちなのに、なんでこんなに違っちゃうんだろうって思ってた。なんで何も出来ないんだろうって、いつも悩んでた』

 

みんなには、あいつのことどう見えてたんだ?

 

『君の「父さん」はボクらには見えなかったよ。いつもね、君が助産師さんって呼んでた人が遠くから見てたんだ。先に進めなくて苦しい顔してね。

先生があそこには鬼がいるって言ってたよ。本当に住んでたんだね、鬼が』

 

 

 

始めからあの場所には何もなかったんだ。

俺の父さんも。家も。思い出も。

 

 

 

泣きながら立ち尽くす俺の目に、ポストへ突っ込まれた手紙が映った。

「友人Aからの手紙」だった。

 

 

 

 

 

 

 

ちっげえよ!!! ばぁーーーか!

友人A。お前からの手紙はとっくの昔に届いていたんだ。同窓会の案内が来る前に。

ただ、結局のとこ俺はそれにずっと気づかなかった。気づいたのは一年後だ。

ま、いつものことだろ。

 

そう、いつものことなんだ。

俺がぐだぐだノロノロ遅れるのは、いつものことなんだよ。だって俺は遅刻常習犯なんだから。みんなが俺を振り返ってそう呼

んでくれるみたいに、俺はいつも遅刻する。

 

産まれる時だって遅刻したさ。だけど、今はそれでよかったと思うんだ。

俺は普通に考えれば母さんと一緒に死んでた。母さんと一緒に、あいつに屋上から突き落とされて死んでた。産まれる前に。

遅れてでも産まれて来れたのは幸せなことだ。生きて産まれて来れたんだから。

ほら。遅刻するのも場合によってはいい方へ傾けるだろ?

 

ごめんごめん! ちゃんと遅刻しないように気を付けます! わざとじゃないんだって!

 

ああ、だからさ。その時も思ったんだよ。友人Aは俺が遅れるのを見越して、早めに約束の時間を言ったんだってね。

友人Aとは一番付き合いが長いんだ。俺の扱いも慣れてる。俺がいつ手紙に気づくのかも大体予想できるんだよ。

俺が、いつ約束の場所へ来るか。それも予想できる。

 

『わあ、すごいねえ』

 

これぞ親友の成せる技!

つまりさ、俺と友人Aの間ではもう約束は成立してたんだよ。いついつの何時にどこで会おう。その手紙は俺の部屋、小学校の宿直室のファイルにもちゃんと綴じてある。

遅れても忘れないのが遅刻常習犯の正義。

 

じゃあ、家と思ってた所にあるポストに入ってた手紙は何なのか。空き地に残ったポストに投函された手紙という紙切れ。

手紙の中の話し方は俺の親友とは違う。別人だ。でも内容は同じ。宛名も俺宛の手紙。

誰からの手紙だと思う?

 

あいつだよ。あいつが俺への手紙を見たんだ。

 

 

 

「同窓会の案内、来たか?」

「何人か、もう先にいってる奴らもいるらしいぜ」

「どうせお前は遅刻するんだろ」

「同窓会の前に、さいごに1回会えないか?」

 

 

 

友人A、覚えてないか? 思い出さないか?

お前も同じ内容の手紙を俺に寄越したんだよ。

 

あいつは俺に届いたお前からの手紙を真似したんだ。理由なんて決まってる。これで最後にするつもりなんだ。

俺にはもうあいつが作った牢屋は見えない。あいつが何をしてきたのか、あいつが何なのか知ったんだ。だから、逃げられる。あいつから。俺には生きてきたこの桜ヶ原があるんだから。

それに、あいつだってずっと追いかけられるわけじゃない。この桜ヶ原に居続けることは不可能だ。

あいつは余所者。俺たちの桜の姫と七不思議が黙っていない。

あいつはやらかしたんだ。桜の下で罪を犯した。

 

バツヲアタエナケレバナラナイ

バツヲウケサセナケレバナラナイ

 

あいつは、今度こそ逃げられない。

もう外へも戻れないし、内を逃げ回ることだってできない。

 

ナナフシギノトリデハフッカツシタ

 

崩れていたはずの「砂時計」が甦った。七不思議は復活した。

あいつの逃げ場は、もう、ない。

だから焦ったんだろうな。最後の最後で俺を罠に嵌めようとした。でもあいつは俺をよく見てこなかった。

俺の「遅刻癖」を知らなかったんだ。バカだよなぁ、ほんと。父親って呼ばせといて、全く子のことは見ていない。あいつにとって俺はずっとただの「獲物」だったんだ。目の前にある、手の出せない獲物。

ヨダレをだらだら流しながら待っていたんだろうな。待ちきれなくて他の獲物に手を出すくらい。

 




ここでやっと、一番最初の話に戻ってくる。
時間は「今」。
「遅刻常習犯の遅刻予告」へと戻ってくる。


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出席番号7番「遅刻常習犯」27

あいつは手紙に書いた日付、時間に俺たちが待ち合わせた場所へ行った。らしい。

 

いや、見たわけじゃねえよ。だって俺、遅刻してんだから。その場にいないんだって。

いたのは、

 

 

 

そこにいたのは、

 

 

 

 

 

 

一年前そこにいたのは、お前だ。

友人A。

お前、あいつに捕まっちまったんだ。

 

 

 

一年前の約束の日。約束の時間。

いるはずのない待ち人。

お前、なんでいるんだよ。

いつもならいないだろ? どうせ俺、

 

『どうせ君は遅刻するんだろ』

「どうせお前は遅刻するんだろ」

 

どうせ俺、遅刻するんだからさ。

 

 

 

その時のお前がどうしてそこにいたのかはわかんねえ。記憶がなくなったお前にもわかんねえだろ? 友人A。

でも、お前はそこにいたんだ。

俺の後ろを追ってくる鬼。行くとこ行くとこ着いてきてる。だから俺の知り合いを狙ったんだよ。

一番の獲物の「俺」を手に入れられない腹いせか、俺の知り合いばっかり狙った。これが行方不明の事件になっちまった。

 

ほんっっっと、嫌な奴だ。

 

俺の大事な同僚も、知り合いも、恩人たちも、両親でさえ奪いやがった。最後に親友さえ奪うなんて、鬼かよ。鬼だったな。

 

 

 

俺はポストに入ってた手紙を一目見て「は?」って思った。親友の名前を使った、親友の手紙を真似した手紙。そんなことをするのはあいつしかいない。

俺、お前がそんなことになってるなんて知らなかったんだ。一年ぐらい連絡も取れていなかったけど、何も変わらず元気にやっているんだと、そう思ってた。安心しきっていたんだ。

いつからだろうな、お前との連絡が取れなくなったの。

 

そうだ。

ちょうど、一年前の。

約束の日から?

 

いや、もっと前?

 

いつからだ?

 

頭がぼんやりとする。

目が、霞む。

 

いつから。

 

いつから?

 

頭が、ぼんやりと。

 

 

 

 

 

 

「頑張れ」

 

 

 

 

 

 

ぼんやりとした頭の中に、懐かしい助産師さんの声が響いた。頑張れ、頑張れって、俺の背中を優しく叩いた。その瞬間、それまでぼんやりとしていた頭が、意識がはっきりしたんだ。

頑張らなきゃ。できることをしなきゃ。諦めるな。諦めるな!

 

俺は携帯電話を手に取った。そして発信履歴を呼び出した。

友人A。お前に繋がる電話番号だった。

それまで何度もかけて、最近じゃ繋がらなくなった番号。そこにかけた。でも流れてきたのは、おかけになった電話番号はー、っていうアナウンス。その時もお前には繋がらなかった。

だから、俺はもう一つの番号にかけた。お前の携帯じゃなくて、お前の自宅電話の番号だ。そこにはおばさんもおじさんもいる。すぐに繋がったよ。

どうしてもっと早くにかけなかったんだろうな。どうしてもっと早く。

 

そこでやっと知ったんだ。

 

お前、一年前に出掛けたきり行方不明だったんだな。

俺、また遅れを取ったのか。



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出席番号7番「遅刻常習犯」28

友人A。お前が言ってたみたいに、一年前事故に遭ったんだってな。場所は俺と待ち合わせした場所。

それからのこと、俺は知らない。お前がどこに行ったのか、どうしていたのか。

でもそれはお前の「とっておきの話」で語ってくれたよな。

みんな! ちゃんと聞いてくれてただろ?!

ほらな。俺とお前の話は繋がってるんだよ。

 

 

 

お前はその日、なんでか待ち合わせの場所へ行った。俺は遅刻した。

代わりにそこへ行ったのは、

 

俺の「父さん」と呼んでいたヤツ。

 

そいつはきっと、お前の背後に立って笑ったんだろうよ。

それで、車が前を通り過ぎる瞬間

 

『どんっ』

 

お前の背中を突き飛ばしたんだ。

 

 

 

見せてみろ、背中。ほらほら。

ほらな。赤黒い手形がついてらぁ。

これが証拠だ。車事故なのにこんなとこ手形なんてつくはずねえだろ。しかも消えない。

これは怪異が関係してましゅねぇ~。

 

俺の母さんも、父さんも同じ怪異に同じように突き飛ばされた。桜ヶ原で起こっていた、俺の周りの人たちが行方不明になって、ある日急に発見された。その被害者たちもみーんなおんなじだ。

みんなあいつに突き飛ばされて、突き落とされて、いなくなった。背中についた手形の痕。俺の背中にもべたべたついてる、死の手形!

 

見てみろ、これ! 全部あいつの手形だ。俺のも! こいつのも!!

 

車に牽かれたか、跳ねられた友人Aのその後の話はもう聞いたよな? みんな。

待ち合わせた日になって俺がそこへ行った時のことも知ってるよな?

残された手紙、というかもはやメモ書きはあいつの手で書かれた物。

 

「どうせお前は遅刻したんだろ」

 

そうだよ。お前から逃げるために遅刻した。俺はあいつに会いたくないから時間をずらしたんだ。

俺の待ち人はそこには来ない! あいつが! あいつが奪ったんだ!

自分の両親にさえ連絡できない状態なんじゃ、友人Aは生きてても死んでてもここへは来られない。

俺はそう思ったんだ。

 

そう思いながら、俺は約束した日にそこへ行ったんだ。

誰もいないはずの待ち合わせ場所。

 

 

 

 

 

 

おい、なんでお前いるんだよ?

なんかさっきもこんなこと言ったな。なんで友人A、お前がそこにいるんだよ。生きてたのは嬉しいけど。約束守ってくれたのも嬉しいけど。

 

 

 

 

 

 

ああ、でも会わずに行っちまったんだよな。

 

 

 

 

 

 

俺は追いかけた。

無事なら無事って言って欲しかった。時間を守った俺を誉めて欲しかった。久しぶりって笑って欲しかった。

俺は、顔も見ないで去っていく親友を追った。

 

そして、そんな俺たちの後ろから聞こえた足音にも気づいていた。

あいつだった。

 

 

 

最後の鬼ごっこアソビが始まった。

 



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出席番号7番「遅刻常習犯」29

俺は遅刻常習犯。
いつだって遅れる、遅刻野郎。

何度も何度も遅れを取った。気づくのが遅かった。遅くて、遅すぎて、間に合わなかった。
大切な人たちの死に目。もっと早くに辿り着くべきだった事実。知らなきゃいけなかった真実。

痛くて痛くて苦しくて、生きるのを諦めそうになった。殴られた時。蹴られた時。刺された時。怒鳴られた時。暴言を吐かれた時。
でも、その瞬間の痛みはほとんどなかった。
俺の体質が俺を生かした。全部が遅れてやってくる。痛みも遅れてやってくる。独りじゃ耐えられない痛みは、いつも遅れてやってきた。
痛かった。痛くて痛くて終わりが来るのを望んだ。今すぐ終わって欲しいと望んだ。
でも、いつだってその痛みは独りじゃない時にやってきたんだ。助産師さんといる時。先生と話す時。親友と遊ぶ時。友人たちと学校にいる時。
独りじゃ耐えられなかった。でも、その痛みはみんながいたから乗り越えられた。耐えて、生きようと思えた。
みんなが支えてくれた。みんなが理解してくれた。みんなが、俺を、俺と、一緒にいてくれた。
痛みは消えた。痛みは消えるんだ。いつかは、どんな痛みも消えてくれる。消してくれる人たちが、俺の周りにはいた。
守ってくれた存在が、俺にはいた。



そんなことを後から思い出す。



俺は遅刻常習犯。
いつだって遅れる遅刻野郎。
でもさ、そんな遅刻癖も許してしまう人たちが周りにいるもんだから、きっと明日も遅刻する。ダメだな、こりゃ。一生かかっても治んないわ。

でも、どんなに遅れても絶対追い付いてみせるよ。
俺は最後まで諦めない。
最後の最期まで、絶対諦めない。



もうちょっとだけ、待っててくれな。
友人A。
俺の、たった一人の親友。



誰かが道路を挟んで反対側に立っている気がした。俺は振り返った。そこには待ち人がいた。

 

俺はお前の名前を呼んだ。

 

俺の声は車の音に掻き消された。

 

俺はもう一度お前の名前を呼んだ。

 

お前は応えなかった。

いつもならお前はこう応えただろう。

 

「また遅刻かい」

 

遅刻常習犯の俺を見て、また遅れたのかと言うだろう。いつもそうだった。いつもそうやって、お前は笑ってくれた。

 

「遅れて悪かったな」

 

俺もそう言って、いつも笑った。

 

 

 

そこにはいつものお前はいなかった。まるで赤の他人を見るような顔で、お前は俺を見た。

 

道路とそこを走る車が俺たちを遮った。車が通り過ぎる一瞬の後に見えたのは、お前の背中だった。

 

お前は俺に背を向けて歩き出した。

会おうと言って待ち合わせたはずなのに、お前はそこから去っていこうとした。

 

「待てよ!」

 

俺はお前の名前を叫んで呼び止めようとした。

お前の耳には届かなかった。

 

俺は走り出した。お前の背を追って。

何かを決意した顔。俺はそんなお前に追い付けるのか。今度こそ遅れずに、笑い合えるのか。

お前は走った。何かから逃げるように。後ろを追う俺から? それとも、俺の後ろに迫るだろうあいつから?

 

追いかけてやろうじゃねえか。

追われてやろうじゃねえか。逃げて、逃げ切ってやる。あいつなんかには捕まらない。

 

時刻はもう夕暮れ時。空には月が上り始めていた。影が濃くなって闇に溶けていくのはあっという間だった。

 

 

 

どこかでイヌの鳴き声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

月明かりの下、俺たちは走った。

切り株のある小学校、光が点滅する角のコンビニ、終電間近の駅、何かが潜みそうな地下通路の入り口、春には桜が咲く公園、廃病院が見える坂の下、花束が添えられる道路。

俺たちはどんどん追い越していった。

行き先は、新しい病院。お前が退院したばっかりで、俺が父親の後輩と出会った場所。知らなきゃいけなかった真実を、知った場所。

 

俺はお前を追った。お前は一度も振り返らなかった。いつもは振り返って俺が後ろにいるのを確かめてくれた親友。今回だけは自分のために、まっすぐ走っていく。

俺は、そんなお前の背中を追い続けた。

 

夜の道に、三つの足音だけが聞こえていた。

 

 

 

頭が痛かった。あいつに叩かれ続けた頭が。

背中が、腹が、頬が痛かった。あいつに殴られ続けた場所が熱を持って痛かった。

腕が、足が痛かった。ちぎれそうなくらい強く握られた腕と足には、痣だけじゃなくて切り傷もたくさん残っていた。

痛かった。死にたいと思うほど。

父さんだと思っていた存在に傷つけられるのが、とても痛かった。

走りながら俺はその痛みを思い出す。身体中が痛かった。

でも、その痛みの数だけ俺は生き延びてきた。生きて欲しいと守ってくれた誰かがいた。

俺は走った。親友の後ろを走った。

 

 

 

いつだって遅刻して、誰かの後を追う。

待ってくれてる誰かの後ろ姿を追って、俺は生きてきた。そんな気がする。

それが、俺の生き方だった。そんな気がする。

それでいいんだって思ってた。誰かの後が自分の居場所なんだって思ってた。

でも、そんな居場所だって先をいく人が作ってくれたものだったんだ。助産師さんや母さん、先生、警察官のおっちゃん、同級生たち、そして親友。みんな、俺がそこにいるのを認めてくれたから居場所を作ってくれたんだ。

俺は、そこにいてもいい。俺は、生きていてもいい。そういうことは、きっと下を見ていたら気づかないこと。前を見て、前の人の想いを受け入れて、受け止めたから気づけるんだ。

俺は生きていてもいいんだ。どんなに痛くたって、どんなに苦しくたって、その先を信じて手を伸ばしてもいいんだ。

 

先を生きてくれた人の跡を追って、俺は生きる。誰かが残してくれたものを追って背負いながら、俺は生きる。

生きて欲しいと願ってくれた人たちがいたから、俺は生きてこれた。だから今、自分の足で立って走ることができるんだ。

 

誰かを追い越すとかじゃねえんだよ。

自分のいく人の道は一本しか選べない。そんな道で競争してどうなるんだ。

俺はいつだって遅れてきた。遅れたからこそ見えたものだってあった。人の死に様、人の生き様。それは、これから自分がどうするかっていうヒントを秘めたメッセージだ。

追い越したら前しか見えないんだよ。一人きりで前を向くしかない。

 

希望を持って? 正義を信じて?

 

俺はそんなものだけを手に生きていけない。

俺は、強くない。

誰かがいるから、みんながいるから生きていけるんだ。多分、俺も誰かのために生きて欲しいと願うことができるんだ。

 

なあ、みんな。俺、今度は自分で選ぶよ。

今度こそ、遅れずに選べるよ。

生きることも、死ぬことも、自分の足で選べる。これは俺が自分で出した答えなんだ。たくさんの人からもらったヒントから辿り着いた、俺の答え。俺は走る。

俺は、最期まで走りきる。

親友の背中に間に合うように。

 

 

 

なあ、親友A。

お前の考えてること、解るよ。

もう、時間がないんだよな。

わかってるよ。

同窓会の案内状、持ってるだろ?

俺も持ってるよ。

今度は遅刻しないからさ。

一緒にいこうぜ。

お前一人でなんて、いかせないから。

 




できれば、できればなんだけどさ。
親友A。
お前にはこれからも生きて欲しい。

そう願うのは、ただのワガママ、だよな?






『ボクも君に同じことを願うよ。
遅刻常習犯。ボクの、親友。
君に生きてもらいたい。

でも、きっとその願いは叶わないんだね。
なら、一緒にいこう』















ミンナガマッテル


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出席番号7番「遅刻常習犯」30

お前は走った。

俺も走った。お前の後を走った。

電気の点いた窓たちが見えてきた。日の落ちた闇の中でも白く浮かび上がる建物が見えてきた。母さんが落下した、父さんが、父さんの後輩が閉じ込められた場所。命が始まって終わった、「病院」という場所だった。

 

お前は病院の入り口のドアを通り抜けた。それを追って、扉が閉まりきらないうちに俺も体を滑り込ませた。後ろからガラスにぶつかる音が聞こえた。

真っ暗な外を切り取った窓が横に並ぶ。動かない景色は絵画みたいだ。それも一枚、二枚と流れていった。

蛍光灯の光に浮かび上がる白い廊下を、俺たちはただ走った。

人の声が聞こえた。ぽつりぽつりと雨の滴のように消えていった。

 

階段を上がった。お前は一段飛ばしで飛び越えていく。俺は一段二段と駆け上がっていく。

 

後ろからあいつの叫び声がした。聞こえない振りをして前に、上に進み続けた。

 

 

 

知っている道だった。

たった一回だけ通ったことのある屋上への道。

その先に何があるのか俺にはわかった。

俺は走った。

 

 

 

ただただ、間に合って欲しいと思った。今度こそ間に合って欲しいと。

先をいく親友に手が届いて欲しいと思った。

何度も待たせて、何度も遅刻した。だから今度こそはと、強く思った。

いつもお前は俺のことを待っていてくれたから。

 

 

 

お前は夜空に続く扉を開いた。一面の星空は綺麗だったかもしれない。

 

俺は夜空に続く扉をくぐった。暗い空に溶けてしまいそうなお前の背中を探した。

 

 

 

「×××!!!」

 

俺はお前の名前を呼んだ。

 

お前は

 

振り返らなかった。

 

 

 

フェンスを乗り越えてお前は消えていく。

後ろからあいつの叫び声がする。

 

俺は

 

 

 

俺は

 

 

 

 

 

 

俺は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

走った。

手を伸ばした。

その手は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日、友人が病院の屋上から身を投げた。

 

 

 

その背中を追って、俺も同じ場所から身を投げた。届くようにと、必死に手を伸ばした。

 

生涯一緒だった友人は俺の親友だった。

 

 

 

彼は冷たく硬いコンクリートの地面に落ちていった。それを追って、俺も落ちていった。

 

 

 

 

 

 

ゆ っ く り

 

 

 

ゆ っ く り

 

 

 

おちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地面に着く瞬間、俺は彼に手が届いただろうか。

 

『届いたよ。

ちゃんと君の手は、ボクに届いたよ』

 

最期の最後に、俺は遅刻せずに間に合っただろうか。

記憶をなくしても待ち続けてくれた君に、追い付けただろうか。

 

今度こそ、大切なものを手放さないで済んだだろうか。

 

『よく頑張ったね』

 

 

 

 

 

 

これで俺のとっておきの話は終わりだ。

 

 

 

 

 

 

「なあ、友人A! 俺、間に合ってやったぜ!」

 

 

 

思い出したか?

お前が。

俺の親友なんだ。

 

 

 

 

 

 

一瞬だけ遅れて着いた俺の手は、しっかりお前と繋がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで俺の話は終わり。

まあ、ありきたりの話だろ?

 

父親が本当の父親じゃなかったとことかさ。

 

そういえば、あいつのことも家もみんなには見えてなかったんだよな。先生とか「みえる」人にはみえるみたいだけど、誰かみえた奴っている?

いないかぁ。

 

俺もなんだけど、怪異に巻き込まれるとか遭遇するってレベルじゃなくて馴染んじゃうタイプの人ってたまにいるんだよな。両親もそうだったんだろ。

 

だから、これは普通の人生なんだ。

怪異に馴染んで生きた人の人生。

 

始めから終わりまで怪異に付きまとわれる、そんな人生。

な? 普通の人生だろ?

俺の人生はそういうもんなんだ。

辛かったねとか、苦しかったねなんて誰にも言わせねえよ。

みんななら、なあ? 理解してくれるよな。

 

大事なのはこれ。

 

俺! 遅刻しないで来れたぜ!

誉めてくれよ、×××!

 

呼んだ名前が誰のものだったのか、俺にはもう思い出せなかった。

友人A?

助産師さん?

警察官のおっちゃん?

助産師さんの後輩?

 

それとも

 

「父さん」と呼んでいた、あいつ?

 

何処かで誰かの叫び声が聞こえる。

人ならざるモノの叫び声が聞こえる。

 

それは、

 

あいつの断末魔だった。

 

罪を犯した「鬼」の、最期の声だった。

 

桜の花びらが二枚、ぽとりと散り落ちた。




『遅刻常習犯』

の、主人公
前科百犯の遅刻野郎
いつでも遅れて生きてきた

残されたメッセージは届いたかな
最期の想いは届いたかな
遅れる君のためにいつだって
誰かが何かを残してくれた

さあ、どんでん返しの始まりだ
ヒントを掴んで走り出せ!

こんな人生は如何かな

なあ、友人A?


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出席番号8番「停留所」①

「大切なもの、お忘れなきよう注意してお降りください」

バスの車内に、あの人のアナウンスが今日も響く。

 

まもなく、桜ヶ原ー。桜ヶ原ー。

 

みんな。私の話、聞いてくれるかな。

これは私の長い長い恋の話。片想いで途中下車しちゃった、女の子の話。

 

それでは参ります。

出発進行!

 

これは、一人の車掌に憧れてバスに乗り続けた女の子の話。ほんの少しだけ不思議が交じる、恋の話。

 

今、桜並木の中に停まるバスが、高くクラクションを鳴らして走り去っていった。

 

 

 

 

 

 

季節は春かもしれないし、夏かもしれないし、秋かもしれないし、冬かもしれない。つまりは外の景色なんてそんなに興味がなかったの。

 

私の興味は昔から道を走るバスに向けられていた。

変わってる? ないない、全然変わってない。いたって普通の女の子ですよ。

え? 普通の女の子は携帯の待ち受け画面をバスにしない? いやいや。最近の女の子はこういうのが流行りなんですって。

は? 私だけ?

それならそれでいいじゃないですか。

私はバスと、それに乗る車掌さんが好きなの。

 

それがいつもの私流自己紹介。

髪を赤いシュシュで纏めて、にっこり笑顔で「一昨日来やがれ」を投下する男勝りに強気な女の子。それが私、留華だった。

お名前は可愛らしいのにね、と思われるのが通常化されつつある私の趣味は、町内バスに乗ること。

 

私の地元である桜ヶ原には、ずっとずっと昔から町内をぐるぐる回るバスがあった。

それは多分、私が産まれるよりももっと前。もしかしたらお母さんやお祖母さんが産まれるよりも前からあるバスなのかもしれない。町の歴史書にも詳しく書かれていない、そんな不思議なバス。

家の押し入れにひっそりと仕舞われている家族アルバムにも、もちろんそのバスは登場する。

まだ、写真がモノクロの時の一枚。お祖母さんに抱き上げられたちっちゃなお母さん。その後ろではバスが静かに停まっていた。

お祖母さんの位置へお母さんが。お母さんの位置へ私が収まっても、そのバスは同じように停まっていた。

 

桜の花びらが車体に散りばめられた白いバス。それが小学校の前に並ぶ桜並木を潜るのを、私は一等好んだ。

ランドセルを背負って桜吹雪の中からバスが顔を出すのを何度も何度も見た。

薄桃色の世界からバスと一緒に抜け出すのを、運転席のすぐ後ろから楽しみにしていた。

そして、その車掌さんの車内アナウンスを聞くのに何より心を弾ませた。

「間もなく停留所ー。お降りの方は大切なもの、お忘れなきようご注意ください」

 

昔も今も変わらないその車掌さんに、私は恋をした。

 

 

 

それじゃ、始めよっか。

 

私の話は恋の話。

男子諸君。寛容な私なので途中退席は認めます。しっかーし。復帰は認めないのであしからず。

女子のみんなは最後まで付き合ってくれるって信じてるっ!

 

ではでは!

 

 

 

 

 

 

こほん。

昔むかしあるところに少女Aがいました。

Aちゃんはバスに乗るのが大好き。

しかし、ある時乗ったバスで嫌なことがありました。痴漢にあったのです。

意外と可愛らしい顔をしていたAちゃんは中学の制服であるセーラー服の上から体を触られ、とうとうスカートの中に手を入れられ下着越しに女の子の部分を撫で回されてしまったのです。なんて可哀想なAちゃん。

恥ずかしくて怖くて声もあげられなくて、ただただ鞄を抱き締めて唇を噛むしかできませんでした。そして、不幸なことにかなりの人数で車内は埋まっていたのです。ぎゅうぎゅう詰めの中では一緒にいた友人もAちゃんの様子に気がつくこともできませんでした。

ああ! なんて可哀想なAちゃん!

そして、バスはある停留所に停まりました。誰も利用しそうもない、一日に一回バスが来るかどうかのバス停でした。周りに住宅地もありません。本当になんにもない場所でした。

でも、なぜかバス停があるんです。

そこには誰も乗るために待ってはいませんでした。もちろん誰も降りるはずありません。

でも、バスは停まりました。

そして車内アナウンスが流れたのです。

 

「そこの痴漢野郎。すぐに降りろ」

 

乗っている人たちは何のことかわかりません。顔色を変えたのはAちゃんと痴漢野郎だけ。

車内はザワザワしています。

Aちゃんは血の気が失せた真っ白な顔をして固まってしまい動けません。

何も言わなければ気づかれないとでも思ったのでしょうか。ふざけんな××××野郎。

おっと、失礼しました。

 

誰も降りないので、間違いだったのかな? と誰かが言い出した時です。実は後から気がついたんだけど、その言い出しっぺは痴漢野郎だった。

それはともかく。

その時、前の方から失礼します~って言いながら誰かが人を掻き分けて後ろの方に向かってやって来ました。

誰でしょう。車掌さんです。車掌さんがAちゃんの方へ、痴漢野郎の方へ直接やって来たのです。

 

狭いのに!

 

いやいや、狭いのはいいんですよ。

ぐいぐい人を掻き分けてやって来た車掌さんは、なんと痴漢野郎の肩をひっ掴み

 

「お前のことだ。とっとと降りろ」

 

と言いながら外へ放り出したのです!

何が起きたか解らない乗客たちはえ? え? え? と驚きと動揺を隠せません。

放り出された痴漢野郎は外で何か喚いています。

Aちゃんはというと、安心して泣き出してしまいました。その様子を見て、誰もが痴漢野郎に殺意のこもった目を、

 

そこまでじゃなかったっけ。てへ☆

 

軽蔑に軽蔑を重ねた目でそいつを見下しました。

↓Go to hell ! ↓

 

車掌さんはAちゃんを他の女性客に押し付けて前へ戻って行きました。

当然でしょ?! 車掌さんは男性だったの! 痴漢された女の子の対応なんて出来ないよ! 過敏なお姫様を眠らせるには、王子様のキスより馴染んだ乳母の子守唄の方が安心できるの。

だから、これは適切な処置なんだって。

でもね。車掌さんはそこから離れる時、Aちゃんに飴玉を投げて寄越したの。

カッコよくない?

 

そして、そのバスは痴漢野郎を置いて華麗に去って行きましたとさ。

 

ちゃんちゃん♪

 

 

 

というお話でした。

このAちゃんは私の従姉妹なんだけど、丁度このバスに幼稚園児だった私も乗っていたんだ。

大人ってこわい! 男の人ってサイテー!

それと、バスの運転手さんって格好いい!

それが、私のバス好き道の始まりです。

 

痴漢野郎を残して発車する時、車掌さんはクラクションを鳴らしてこう言ったよ。

「一昨日来やがれ」

 

 

 

笑わないでよ、みんな!

気付いたでしょ? これが切っ掛けで口癖になったんだ。今でも使う、私の口癖。

 

この頃はまだまだ私も小さくて、両親も祖父母もいて、大人に囲まれていたせいかこの車掌さんに対しては憧れしか持ってなかったんだと思う。もともとバスが好きだった。でも、もっと好きになるきっかけをこの事件は私にくれたんだ。

 

名付けて痴漢野郎グッバイ事件。

 

ほら、そこ! 笑わない!



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出席番号8番「停留所」②

ガタガタごとごとバスは走る。

 

私たちの町、桜ヶ原には一本だけバスの路線がある。ぐるりと廻るその路線はある公園、厳密には一本の桜の木を中心に円を描いている。

 

その公園を、さくら公園という。

 

「まもなくー

せんじょうえきー

せんじょうえきで、ございまーす

お降りの方はお忘れものなきよう、ご注意ください」

 

次の停留所は「さくら公園」。

あれ? 『せんじょうえき』だったっけ?

 

 

 

 

 

 

ほら。出席番号1番君の語るこの話。この話に出てくるさくら公園にある桜の木が中心なんだって。

多分、バスの路線ができる前からこの桜の木はずっとそこにあるんだろうね。その木を中心に路線を組んで、バスを走らせた。

 

もちろん、偶然「そっち」を向かないように普通のバスは暗くなる時間を避けて走るようになってるんだってさ。

暗くなってからも走っているなら、それはあの車掌さんが運転するバスだよ。

みんなも一回は利用したことあるでしょ? だから、私の言っている車掌さんがどんな顔をしているか、どんな声をしているか、どんな制服を着ているか。

知っているはずだよ?

 

ほら。誰だって、一回は見たことあるはず。

 

 

 

そのぐるりと円を描く路線の外にも少しだけ桜ヶ原の土地はある。と言っても本当にほんの僅かだけど。

大半が円の中に収まっているはずなんだけどね。みんなの家も、基本的にはちゃんと円の内側にあるはずだよ。

 

でも、私の実家は円の外にあったんだ。今はもう影も形もない私の実家。

私の住んでいた家は、ある日の嵐の夜に土砂によって埋められた。

 

「まもなくー

土の下ー

土の下で、ございまーす

お降りの方は地上に大切なものを置いて、お降りください」

 

土の下は、寒くて冷たいんだろうな。

 

 

 

 

 

 

出席番号2番君みたいな話、私もよく知ってるよ。

 

桜ヶ原では意外と土砂崩れが起きるんだよね。特に、円の外にある山。

町の人たちの共通認識みたいなものだとは思うんだけど、隣の町との境は案外ぞんざいに扱われる。

これは私の土地。あっちはあいつの土地。そっちは私の土地だけど、それはお前の土地。昔からどこにでもある土地の奪い合い。土地を持てば権力が生まれる。欲しい欲しいもっと欲しい。あいつよりもっと。隣よりもっと。誰よりもっと。

くっだらない。

結局こどものおやつの奪い合いと何にも変わらない。

ヒートアップして手を出して、血が流れる大喧嘩。互いに寄越せ寄越せとそればかり。

だから、桜ヶ原では円の外はどうでもいい。その代わり、円の中には絶対に入ってくるな。

円の内側は桜ヶ原の民だけのものだ。

昔の人はそうしたんだろうね。

 

円の外は増えたり減ったり。

それこそ外の勝手な都合でだろうけど、中はいつだって私たち桜ヶ原の民だけのものだった。

 

だ・け・ど!

私の実家は円の外にあったの。町内ではあったんだけどね。

多分、一度外に出て中に戻れなくなっちゃたんだろうな。まったく、運が悪いよ。

 

運が、悪いんだよね。

薄々気づいてたさー。

私自身の運のなさに。

 

 

 

この桜ヶ原では七不思議を柱としてたくさんの怪異が起こってる。みんなも不思議なことに遭遇したのは一度や二度じゃないでしょ?

ここに発表します! 私の怪異遭遇率は80%を上回ります!

なーんちゃって。でも、ほんとそれぐらいあいやすいんだなー、これが。

それでも私が人並みの時間を生きてこれたのは、守られてたからだって思ってるよ。

桜ヶ原の桜と、何よりバスの車掌さんにね。

 

まだ、家が円の外にあった頃。私が小学生の頃かな。

実はね。あの七不思議の一つ。一番ヤバいと評判の四つ目、地下通路に遭遇したことがあります!

 

あの! 生きて帰れないと評判の!

四つ目です!

 

「まもなくー

地下通路ー

地下通路でございまーす

お降りの方はすぐにお乗りください」

 

むしろ降りるなよ? って話ですな、これ。

 

 

 

 

 

 

これな。

解明した出席番号18番ちゃんでさえ片腕をなくしてやっと帰ってこれたやつ。

本当に偶然たまたまなんだけど、家の近く。それも学校の帰り道にこいつ、発生しやがったんでござんすよ。

18番ちゃんの話、『地下通路』って呼ぶね、それにでてくる地下通路ってほんと生き物みたいだよね。気紛れに現れてはどっかに潜ってまた現れる。

移動してるんだよ、あいつ。お腹が空いて獲物を探してるの。

だからさ、多分誰もいないとこには現れないで誰か、獲物がいるとこに現れるんだよ。

ほら。ぱかっと口をこんな風に開いてさ。

 

でね。普通だったら食べられて戻って来ないと思うんだ。でも、18番ちゃんみたいに誰かに助けてもらえれば引き返して戻って来られる。そう思うのだよ、君たち。

つまり、地下通路から生還を果たした私も助けてもらったのさ。

その人こそ、バスの車掌さん!

 

 

 

おっとと、その前に。

 

ここまでで三つ、私は自分の話じゃなくて誰かの話をしたよね。最初の痴漢野郎グッバイ事件を入れれば四つか。

どれもこれも私自身の話じゃない。

別に出し惜しみとか、話がないからっていうことじゃないよ。

 

私は、この同窓会に来るまで何を話そうか考えてた。がたごとがたごとバスに乗りながら、大好きな同級生に最期に何を伝えようか。ずっとずっと考えていたんだ。

 

そしたらね。うん。やっぱり私はあの人のことをみんなに伝えたいなって思ったんだ。

私たちの町を走る、走り続けるバスの車掌さん。私の恋した車掌さん。

 

だから聞いて。

私は、とっておきの話として桜ヶ原の七不思議の二つ目をみんなに語る。

 

七不思議、二つ目は停留所。

 

停留所の答えを言っちゃうとね。

それは桜ヶ原に生きる人たち。人がバスの停まる停留所なの。

 

だから私は自分以外の停留所の話をしたんだよ。

せんじょうえき、両隣の家、地下通路。

どれも、誰かの、何処かの停留所の話。

 

はい! これでお話は終わり!

 

なーんてことはありませーん。

 

確かに話のタイトルは『停留所』。でも、重要なのはその停留所に誰が来るか。

決まってるでしょ?

バスが来るんだよ。人がいるところにバスが来るの。

だって人は停留所なんだもん。

停留所の所にバスが来る。

当然でしょ?

 

 

 

そしたら、バスは人を乗せて次の停留所に向かう。

 

 

 

じゃあ、次の停留所の話をしようか。

 

 

 

一時期コンビニがあった、あの角の話をしようか。出席番号3番君と4番ちゃんの後輩君たちが経営してたそうだね。

今はもうないけど、結構長続きしてた方だよ。早いと一週間でいなくなるお店だってあったんだから。後輩君たち、優秀だったんだよ。ほら、もっと胸張りなって。そういうのはもっと自慢してもいいんだって。

 

「まもなくー

角のコンビニー

角のコンビニー

お降りの方は必要なものをご購入の後、お戻りください」

 

今年の中華まんのセール、まだかな? あ、昨日までだった。

 

 

 

 

 

 

ふんふ~ん♪

あ、サボってない! サボってないよ!?

 

ほら、みんなの話はみんなの話でしょ? 私の話ってわけじゃないんだよね。だから、間に私の言葉を入れるべきじゃないって思うんだ。

だから黙って聞いてたってわけ!

まあまあ。私だって人の話を聞いて横流しにするだけじゃないよ。でも、とりあえず今はみんなも黙って聞いててよ。こんな話もあったなってさ。

 

一つ一つの話が一つ一つの停留所なの。

とまって話を聞いてみようよ。

 

例えばさ、私たちはバスに乗ってる。町を、桜ヶ原をぐるぐる廻ってる。

がたん。停留所に停まる。そこは誰かの停留所。

ここは◯◯の停留所。

そうアナウンスが車内に入るんだ。彼の声でね。

 

誰かの話が終わったら次の停留所に向かってバスは発進する。

 

ほら、次の停留所の話だよ。

 

 

 

世界には理解出来ない様な不思議なことが溢れてる。不思議で魅力的で怖くて恐くて未知なもの。

どっかの本で読んだよ。世界は不思議で不思議で、不思議に溢れているんだって。それはとても素敵なもの。それはとても不思議なもの。

私たちの桜ヶ原で起こる不思議はちょっとホラー味が強め。でも、基は華麗な花びらが舞う桜の不思議なんだ。

桜の花ってさ、元々は白いって言うよね。樹が血を吸って花が赤くなる。そうも言うよね。

不思議な桜の話に別の不思議な話が重なる。上書きされる。変化する。別のものへと。

 

そういうことってあるんだよ。誰も気づかないうちにさ。

 

あれはそういう話なんだろうね。

 

「まもなくー

砂時計ー

砂時計ー

お降りの方は瞼を閉じぬようお気をつけください」

 

かたん。かたん。あれは誰の見てる夢?

なーんてね。

 

 

 

 

 

 

長いなー。でも、そのすっごく長い間、私たちはすぐ傍にあった七不思議に気がつかなかったんだよね。

でも、今さら真実を知ったとこで私たちの中の何かが変わるってわけじゃないと思うよ。

 

私たちはずっと同級生で、ずっとずっと友だちなんだから。

これからもそうだったんだからさ、信じてよ。

 

それに、私たちにはそれを証明できる手段がある!

そう! この同窓会こそが

 

♪ちゃら~ん♪

 

あ、時間が押してるようで。

 

 

 

いくつもの停留所をバスは通過していく。

がたん、ごとん。心地好い振動と一緒にバスは道を走っていく。

 

友だちっていいよね。何でも言い合える友だち。何でも解り合える友だち。

私は本当に最高の友だちに出会えたと思うよ。同級生っていう、友だち。

 

だがしかし。女の子としてはもう一歩。

同級生どもよ。おまへらは私をどこぞの珍獣と勘違いしてはおらぬか?

なにその扱い! 小学生の頃から女子として扱ってないよね! 特にそこの男子! 給食のおかわり競争に毎回巻き込むな!

呼ばれなくても参戦するけど!

 

げほっ…

むせた…

 

とーにーかーくー。

こんなでも私は女の子。

お洒落をしたいし、お化粧もしたいし、甘いお菓子だってだーい好き。もちろん、コイバナだって興味ありますわよ?

だって、私は女の子。いくつになってもキュートなレディに見られたいの。

 

特に、好きな人には、ね。

 

「まもなくー

廃病院ー

廃病院ー

当院は移動しましたー」

 

お忘れ物、ございませんか?

好きな人の真似をしてみる。そういうちょっと恥ずかしい遊び。

 

 

 

 

 

 

こんな風に信じ合える友だちっていいよね。女の子でも、男の子でも。

 

私はさ。この地元の桜ヶ原から出たことがないんだよね。

ここで産まれて、育って、戻ってくる。みんなだってそうだったでしょ。桜ヶ原で育って、外の世界を見て、そしてまたここに帰ってきた。

でも、私はずっとここにいた。

実家が土砂で埋まって、円の中に入ってからは本当にずっとずっと桜ヶ原にいる。ここしか知らないの。

大学なんて行ってないよ。近場の高校を卒業して、すぐに就職。駅の近くの小さなカフェ。そこで使ってもらえたんだ。

修学旅行? 当日熱を出して休んじゃった。遠くへ行く遠足もそうだよ。

私の体も、心も。ずっとずっと桜ヶ原にある。

 

友だちがいなかったわけじゃないよ。みんなだっていたんだし。

でもさ。今だから言うけど、ほんの少しだけ淋しかったかな。

外へ出ていくみんなの背中を見るの、実は嫌だったりして。

そんな私の傍にずっといてくれたのは、両親でも親戚でも、同級生でも先輩でも後輩でもなくってさ。

 

おんなじように桜ヶ原から出れない、バスの運転手さん。

あの人が私の傍にいてくれたんだ。

 

 

 

傍じゃなくって隣にいたいって思い始めたのは、いつ頃のことだったかな。

 

 

 

 

私って、ほんとマジパネェくらいヤバいレベルでバスが好きだと思うんすよ。

と言っても、実際はそこまでじゃない、かな。

好きなのはあくまで桜ヶ原のバス。更に言えばあのバスに乗ってる車掌さん。

これってバス好きって言えるのかな。まあ、好きだしいっか!

 

私と車掌さんが一緒にいた時間はそれはそれは長い。例えるなら、私の一生分。例えてない? でもこれ以上ないくらい長いでしょ?

だから影響を受けるんだよね。癖とか、考え方とか。だんだん似てくるの。

もちろん違う個人だし、兄妹とかでもない。全くの他人だよ。それに、いくら似てきても同じにはならない。だって、他人だからね。

どっかの恋人みたいに一つになりたいなんて思わないよ。

一つになっちゃったら、私なんていなくなっちゃう。もちろん、好きな相手の人だって。

 

自分と違う人だからいいんだよ! 一つがいいなら一人でいやがれ!

というわけで、私と車掌さんはこう言いました。

 

「私たち、悪友?」

「僕たち、悪友」

 

Yes ! A・KU・YU・U☆

 

方向性が斜め45°の明後日に向かっていた!

 

「まもなくー

切り株ー

切り株ー

お降りの方は罪を悔い改めよ」

 

ここに悪友戦隊バッシングが誕生…

してない!

 

 

 

 

 

 

いい子には飴ちゃんを。悪い子にはお仕置きを。悪い大人は地獄へ堕ちろ。

時間の流れって、怖いよね。私と車掌さん、二人揃って信条として掲げる内容同じなんだもん…

 

正義の味方を自称するのが君だけだと思ったら大間違いだよ、5番君!

私もみんなも、正義感は人一倍強いんだ。

だから、君がしたことは正しいと思うよ。ほら。胸を張りなって。

 

前にも言ったけど、桜ヶ原の内側では不思議と地元の人は守られるんだ。逆に言えばね、余所者はないがしろにされる。

事故に遭いやすいとか、発狂するとか、行方不明だとか。だから、復讐したい人をここに連れてくるのはいいアイディアじゃないかな。

怪異っていうのは、時に私たちの想像を越える冷酷さを見せつけるものだろうしね。

なんて、格好よく決めてみせるけど、外から見れば私たちだって充分おかしなものだろうけど。古くさいっていうか、時代遅れっていうか。

それでいいんじゃないかな。

桜があって、気の置けない仲間がいて、不思議な七不思議があって、好きな人がいる。こんな世界、私はいいと思うよ。

産まれてきてよかったと思う。

 

こんな素敵な世界を踏み荒らす悪者どもは、制裁されて当たり前って思うのでありますよ。

かしこ。



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出席番号8番「停留所」③

さてさて、親愛なる同級生の皆さま方。

がたごとガタゴト、バスは進みます。

 

ここからが本番だよ。さあさあ、お聞きなさって。

 

みんなの持ってきたとっておきの話たち。とっても素敵だね。

一つの停留所にそんな話があったのか!

一人の人生にそんなことがあったのか!

そんな風に感動しながら、私は今、この同窓会で話を聞いてる。

 

私の話は『停留所』。みんなが話してくれてるその話こそが停留所の話だよ。

そして、その停留所を繋げる道をいくのが一本のバス。

「次は◯◯ー、◯◯ー」

バスは進む。人が立つ、次の停留所に向かって。

停留所は人の数だけある。その中に、ぽつんと私の停留所があった。停留所の名前は『留華』。私の名前だよ。

留華の停留所にはもちろん私が立っている。そこに、クラクションを鳴らしてあのバスがやって来るんだ。

 

あのバスは、私の停留所の前に止まった。

そしてあの人は言うの。

 

「乗るか乗らないか、はっきりしろ」

 

もちろん、私の答えは「Yes.」か「はい」しかありません。私はバスに乗り込んだ。

 

バスが静かに動き出す。がたんと揺れて、発車した。私は車掌さんのすぐ後ろ、いつの間にか定着していた私の予約席、そこに腰を下ろすの。

そっと後ろを振り返る。さっきまで私が立っていた停留所。そこには何ものこっていなかった。

だって、『留華』という停留所は私そのものなんだもの。

 

がたんとバスが走り出す。私という停留所を乗せて、走り出す。

そして、いくつもいくつも停留所を通過するの。

各駅停車のそのバスは毎回止まる。止まる。止まる。

誰か乗ったかもしれないし、誰も乗らずにまた発車したかもしれない。

誰か降りたかもしれないし、誰も降りずにまた発車したかもしれない。

停留所を後ろに追いやり、バスは進む。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。

 

その車掌さんは何も話さないのかだって?

焦んなさんなって。今から話すからさ。

 

 

 

『留華』の停留所の話は私の話。バスに乗った私の話は二つ。

まずは窓から見える外の話。そう、さっきまでしていた君たちの話だよ。桜ヶ原っていう町を巡り、そこで起こったものを見る話。

そして、もう一つ。バスの中の話。これから私がする、私と車掌さんの話。

 

はい。前半戦終了。

 

 

 

みんなが語った話たちの中から七つ、私は抜粋させていただきました。七つっていうのは適当、あ、曖昧な方ね。適当で適当、これは適切な方。桜ヶ原の『七不思議』から『七』っていう数字をいただいた次第でー、ここら辺は別にいいかな。

とにかく。みんなにしてもらったたくさんの話から、桜ヶ原の中で起こった話を選んだつもりだよ。七つを、ね。

その七つの話のある停留所は、話をしてくれたそこの君たち。よく知ってると思ってた場所にそんな話があったんだね。でも、停留所っていう一人の人には話が一つでも、単なる一つの場所には話が無限に湧いてくると思うのさ。

 

もうわかったかな?

バスは停留所を巡った。バスに乗った私も停留所の数だけ巡った。

いわゆるスピンオフってやつ?

 

物語は常に派生するものなのだよ!

 

まあ、どっちが基の話なのかわかんないから、スピンも何もないけどね。全部の話がオリジナルだよ。

 

 

 

さあさあ、バスは折り返しでございまーす。

 

まずは停留所、切り株の上。

まもなくー、当バスは切り株を回ってー

 

くたばれ暴走族事件へと突入します!

総員、戦闘体制に入れ!

 

 

 

端折って更に端折ると、悪い奴には罰を与えよ。『切り株の上』ってそういう話じゃないかな? いや、違う? まあ、そういうことにしておいて。

みんな、知らないと思うけど私たちの小学校に暴走族が突っ込んで来た事件があるんだ。

ほらほら、知らなかったでしょ?

これはその話。

 

 

 

まず、最初に一言言っとくね。

桜ヶ原の七不思議、一つ目の切り株があるのは、私たちの母校である小学校の裏庭。最近行ったけど、そこにはまだちゃんとあったよ。

 

一本の切り株が、ちゃぁんとそこに。

 

 

 

その日はちょうど休日でね。

たまには散歩にでも出掛けようかな、そう思ってたんだ。雨が降りそうなどんよりとした灰色の雲。空に向かってこう言ってみる。

 

「出来るもんなら、他のものも降らせてみな」

 

例えば、雪とか霰とか、雹。飴とか蛙とか魚とか。いやいや、もういっそ槍でもいいか。そんなくだらないことを考えながら、ぼんやりと外を眺めたもんだよ。

 

つまり、ものすごく暇だったわけだ。

 

季節は冬。さむーいさむーい、朝には氷がはるくらい寒い日。

天気予報では、午後から雪が降るでしょう、そう言ってた気がする。

次の日からはまた仕事だったんで、いくら暇でも貴重な休日。

今日しかない。行くなら、今日しかない! 行かねば! 行かねばならぬ! 約束の大地が私を呼んでいる! っていう、いつも通り謎のスイッチが入っちゃった私は出掛けたんだ。

 

午前中に家のことを終わらせちゃって、昼には学校の事務室の方に「行きますよー」っていう連絡を入れた。

事前に連絡さえあれば大抵誰でも校内に入れちゃう。ちょっと問題だろって委員長は心配してたよね。安心してよ。今じゃもっと厳しいセキュリティになってるんだから。

もっとも、そうなったのはその日の事件が原因なんだけどさ。

 

やばい。そろそろ雪が降りそう。そんな雲行きになってきてはいたんだけど、電話しちゃったんだから今さらキャンセルなんてできないぜベイベー。

お昼御飯を食べ終えて一息ついた私は、放課後、大体授業が終わるだろう時間まで本を読んだ。

 

学校までは近くのバス停から学校までバスに乗っていく。いつもの、あの車掌さんが運転するバス。

もしあの人が、近所のお兄さんとかだったら。まあ、見知った学校に行くぐらいジャージでいいか。寒かったらパーカーなりもこもこの厚着をすればいいか。それくらい軽く考えられたんだろうな。

 

成人して、大人になって、女の子から女性になって。私はやっと自覚した。あの人が好きなんだって。

その「好き」は同級生や先輩や後輩に対する「友情」としての「好き」とは違う。異性として、一人の女性として、あの人が「好き」。

でも、その時はまだ自覚したばっかでね。好きで好きで大好きで。どうすればいいのかわかんなかった。今までだって「大好き」だったんだよ? それが急に恋人になりたい、結婚したい、君の子どもが欲しい! そんな風になっても意味わかんない。

色んな「好き」がごちゃ混ぜになって、ぐちゃぐちゃになってた。全然、全く、意味わかんなかった。

それでもね。一個だけ確かにわかることがあったんだ。

あの人は他の人とは違う。あの人は、私の「特別」なんだって。

何度も何度も夢を見たよ。あの人の隣でテレビとか雑誌で見たウェディングドレスを着て笑う自分。つまり、そういうことなんだなって。

あの人のことが「特別に好き」なんだなって。

 

そんなあの人が乗ってるバスにジャージでなんて乗れないよ。

おやおや? なにかな? その顔は。まるで私が普段平気でジャージ着てバスに乗ってるとでも言いたそうだね。そんなの、一年に一回くらいだよ!

 

笑うな! そこ!!

 

とにかく。

私はスカートを履いて、タイツで足を保護した。靴は厚底のブーツで攻撃力を上げて、ちょっと静電気が気になるセーターの上から防御力と保温性を上げるために100%ウール素材の上着を羽織った。家を出る直前には、ニットの帽子と耳当てを着けて、もこもこのもこ手袋に手を通した。

ああ、これでどんな冬でもあったかーい。状態であったとさ。

簡単に言えば女の子装備だよ。それだけあの車掌さんが特別だってこと。こんな私だって特別な人には女の子に見られたいの。

 

実際はどんな風に見られてるか知らないけどね。

それでも、近所のただの子どもより妹みたいに見られる方が幾分かまし。最低でも性別は女でありたいのだよ。きゃ☆

 

とまあ、恋する留華さんはバスに揺られてえっさかえっさかと学校に向かいました。今思い出すと、何か直感的なものもあったのかもね。

 

 

 

 

 

ちょうど一緒に乗ったお婆ちゃんにみかんをもらったりしながら学校まで楽しい時間を過ごす。時々チラチラと車掌さんの方を見ちゃったりもして。

あーーーーーー。

そんな自分にも気づいてなかったんだろうなぁ、あの車掌さん。

 

美味しいみかんのお礼に300円をお婆ちゃんに渡して、外の景色に目をやった。

まだ、雪は降るのを待っていてくれてるみたいだった。

 

学校が近づいてきて、チャイムの音が届くくらいの距離に差し掛かった頃。私は聞こえるはずのない音を耳にした。バイクの音だった。

なんじゃこれ、と首を傾げてると、後ろの方に乗ってたおじさんが不機嫌な声を出した。

 

「何か煩くないか?」

 

白髪混じりの頭に眉間のシワ。まさに雷オヤジって感じのおじさん。こわって言いそうになったけど、その前に別の人の声が遮った。

 

「これ、大型バイクだな。しかも改造されてる」

 

おじさんと距離を離して座ってた金髪のお兄さん。意外と柔らかい声でそう言ったの。

 

「改造バイク?」

「例えば、暴走族とかが乗ってるやつ」

「暴走族ぅ? そんなもん、ここいらに来れるんかい」

 

暴走族なんて私は見たことがなかったんだ。

だって、この町の人たちはそんなことしないでしょ? やったとしても原付。あ、何回かスーパーカブを愛する会がたむろしてるのを見たか。それくらい。

外の人だって、わざわざこんなとこに来ないでしょ。来れない、でしょ? 桜の木が追い払っちゃうもん。

でも、その時はいたんだよね。しかもよりによって小学校の校内。

マジでふざけんなって思ったよ。小さな子どもたちがいるのにさ。

 

学校のバス停に着いて、バスが停まって、車掌さんは一旦エンジンを切った。私は降りずに、窓からそーっと学校の方を見た。おじさんとお兄さんも同じで、私たち三人は窓にへばりついてた。お婆ちゃんだけは席を立てずに、心配そうに外を見てたよ。

校舎の方からは異常に煩いアクセルをふかす音。なのかな。ぶぉんとかいう、エンジンを空吹かす音。あと、マンガとかドラマでよく見るパラリラパラリラっていう暴走族のBGM。一体どこから出ているのやら。そんなのが響いてた。

小学校のバス停からは門と校庭、運動場を挟んで校舎が丸見えだった。所々は植えられた桜の木が邪魔をしてくれているけど、大半は丸見え。

あの造りはね、町の人は子どもたちに危害を加えないっていう信頼から出来ているんだ。弱い子どもたちを大人は絶対に傷つけない。むしろ見守らないといけない。だからバス停がある道路からは校舎が丸見えなの。

 

本当だったら世界はこうあるべきじゃない?

弱いものを強いものは守る。弱いものが力を付けたら、威張るんじゃなくて次の世代を、自分より弱いものを守る。自分がしてもらったみたいにね。

強いものが弱いものをいじめるなんて、ほんっと意味不明。

大きいものが小さいものを踏めるのは当たり前でしょ。踏んでいいわけじゃない。小さいものを踏まないように努力するのが大きいものの義務だよ。小さいものは踏まれないように努力するのが義務。

踏んで、いじめて、笑ってる奴らは地獄に堕ちろ。

地獄に逝けば、きっと閻魔様なり鬼たちなりが踏んでくれるよ。そこで後悔すればいいさ。自分がどんだけ最低なことをしてきたか。そこで自覚すればいいさ。自分はこんなにちっぽけだったんだって。

ぷんすこぷんすこ。

 

ああ、じゃなくて。

そんなことする人は町にはいないんだよ。

だから学校はおおっぴろげになってて、外、町の外ね、そっちから悪者がやって来るなんて想定してないの。

学校は学ぶ所なんだもん。これから成長する若い苗が並ぶ場所。苗を育てる場所にわざわざトラップを仕掛ける必要、ある?

私はないと思うな。罠にかかる前に悪者は仕留めないと。そう、私は思うよ。

 

でねでね。私が乗ってるバスからも学校の様子は丸見えだった。視力の関係もあるけど、運動場で嫌なことが起こってるっていうのは誰でもわかった。

心配で心配で、胸が嫌な感じにどきどきした。真っ黒でドロドロした苦くて苦しくて痛い、あの感じ。誰かが傷つくのは見たくない。

 

「囲まれてるな」

 

すぐ横から静かに声がした。車掌さんだった。

 

はい、みんなー、聞いてー。

好きな人の声が真横で、それも耳元でしたらどうなるかなー? 変な声が出ました。

 

「ふぁい???!!」

 

笑わないで。ほんと、ビックリしたんだから。

多分顔も真っ赤だったと思う。ほんと、ビックリしたわー。

 

ごめん、話戻すね。

車掌さんの囲まれてるって言葉を聞いて、私はよーく目を凝らした。

運動場では大きくて変な形のバイクがぶぉんぶぉんいいながら走り回ってた。やけに長くて、旗みたいなのを刺してるのもいた。あれが噂の暴走族か。カッコ悪いな。そういう目で私はそいつらを凝視した。

するとね。煩いエンジン音に混じって子どもの声が聞こえたの。

何処から聞こえたかって? バイクの走り回ってる中心だった。あいつら、子どもたちを逃げられないようにバイクで走り回って囲ってたの。

最低な奴らだよ。泣いてる子どもたちをビビらせて喜んでたんだ。

一歩間違えば大事故だよ。大事件だよ。殺人だよ。そんなこともわかんないのかな。

先生たちもどうすればいいか判断できなくて、助けられずにいた。そりゃそうだよ。ほとんどの人が暴走族なんて奴ら見たこともないんだから。そいつらがなんでそんなことしてるのか、理解できないの。私だって理解したくないよ。あれだね。頭パッパラパーっていうやつだね。かわいそ、かわいそ。

そんな奴らに巻き込まれた子たちが本当に可哀想!

 

暴走族から少しでも早く子どもたちを助け出さなきゃ。そのことで私の頭は一杯だった。焦ってもいたかな。

どうすればいい。どうすれば暴走族が子どもたちから離れる。どうすれば子どもたちから暴走族が離れる。どうすれば子どもたちから暴走族を離せる。

 

煽ってやれ。

 

こっちに向かってくるよう、あいつらを煽ってやればいい。

 

そう思った瞬間、私はバスから飛び出していた。もちろん、全くの考えなしだったわけじゃないよ。

飛び出す直前、運転席の下。そこにあるある物を入手していたのだ! そして、ポケットの中にはアレを詰め込んだ。勇気とか形のないものは心の燃料にして奮い起たせた。

後ろから車掌さんの声が聞こえた気がした。珍しく大きな声出してさ。振り向きたかったけど、最優先は子どもたちの安全。

私は走った。

そして、運動場に走り込んだ。まずは第一声。

 

「ひかえおろー!」

 

知ってるかい? みんな。「ひかえおろう」って、「控えよう」って意味なんだよ。だから私は叫んだのさ。「みんな! 静かにしようよ!」ってね☆

適切な表現でしょ?

 

それで、何人かはこっちを向いたの。でも、エンジン音が大音量過ぎて声が届かない。

暴走族自体は五人くらいの集まりだったんだけど、注意を向けたい囲ってる三人には全く聞こえてないみたいだった。せっかくの決め台詞だったのにな。

だから私は投げた。いや、何をって、ポケットの中に忍ばせたアレ。みかんの皮。

み か ん の 皮。

おもいっきり、投げた。暴走族に向かって。

みかんの皮はゆっくりと、落ちていった。まるで、時間そのものが今にも止まってしまいそうなほど、その瞬間はゆっくりと感じた。

暴走族っていうからには交通ルールなんてガン無視だよね。だからさ、ヘルメットだってねぇ。してないのさ。

落ちていったみかんの皮は、偶然暴走族の一人の頭に、いや目の前かな。出現した。そいつの視界を奪ったみかんの皮は、動揺して暴走し出した暴走族の顔にこれでもかとしがみついていた。

昔のSFホラーの映画でありそうだな、って思った。地球外生命に寄生されるやつ。

言葉の通り暴走し出した仲間に驚いて、走っていた他の奴らも巻き込みながら暴走族たちは混沌としている運動場を走り回った。

そこにすかさず、私はアレを投下する。

キャップを外し、流れるような動作で空を滑らせた。学生の時に鍛えぬいた肩で思いっきり投げつける。

私は発煙筒を。

 

あれ?

 

発煙筒を。

 

んんん?

 

煙が、出てなかった。

これ、発炎筒の方だー。

 

気づいたときには真っ赤な炎を吹き出した筒が暴走族たちに向かっていた。私は全力で謝った。

 

「さーーーーーーっせん!!!」

 

その瞬間、真横を私が投げた物と同じような物が飛んでいった。そこからは煙が吹き上がっていた。

発煙筒だ。

後ろを振り向くと、バスから降りた車掌さんが腕を大きく横に降っていた。そこをどけ。声は届かなかったけど、口の形がそう言ってた。

私は素晴らしいフォームで跳んだ。近くにあった木の所に滑り込んだ。セーフ! セーフ! 何のセーフかわかんないけど、とりあえずセーフということにしといた。滑り込みセーフのつもりだった。

後ろを見ると、暴走族たちがもくもくと立ち上る煙の中で悲鳴をあげながら走り回ってた。そしてやがて奴らは地に伏したのである。

 

いい仕事をしたな。

私は満面の笑顔だった。

 

そして、車掌さんに殴られた。

グーだった。

 

あんな危ないこと、二度とするな。

助けてくれたじゃん!

助けないと死んでたかもしれないんだぞ。

私が死ななくても、この子たちの誰かが死んでたかもしれない!

安全に助ける方法を考えなかったのか。

私、そんなに頭良くないもん!

じゃあ賢くなれ。

 

自分も、周りも、助けて守れるくらい賢くなれ。車掌さんはそう言った。わんわん泣く子どもたちの手を引いて、ゆっくり歩きながら車掌さんは私にお説教をした。

 

私は頭が良くないよ。賢くない。それは誰よりもみんなが一番知ってるでしょ?

私はこんななんだよ。

昔からずっとずっと変わらない。

それを知ってるからさ。車掌さんもその時笑いながらお説教したんだ。

 

 

 

生きることと死ぬことってさ。結構近くにあるっていう人もいたりするよね。私も「死」っていうのは近くにあると思ってる。

ううん。違うな。

「死」っていうのは、いつでも自分の中にあると思うんだ。そういう種が生まれつき誰の体の中にもあってさ、段々大きくなるの。

芽が出て葉っぱが広がって大きく高く伸びて蕾が出て花が咲いて、実ができる。

もしかしたら、それは「死」じゃなくて「命」って種かもしれないね。でも、どっちにしろいつかはなくなっちゃう。そんなものが、誰の中にもあると思うんだ。

知らなかったでしょ。知らなかったよね。そうだよそうだよ。知っちゃったら、いつ死ぬか、いつその種が育ちきって終わっちゃうかびくびく怯えちゃうって。死に怯えて生きるって、きっとそういうこと。いつ終わりが来るか怯えて、心配して、ニコニコ笑って遊んでもいられない。

私は嫌だな。そんな人生。

 

私だったら、地面に埋まってるようなそんな種を知らんぷりして水をかけてあげる。大きく育って、どんな花が咲くか見届けてあげる。たとえそれが最期の瞬間になったとしてもね。

ほら、こういう風にね。私にとって、死ぬことなんて全然こわくないの。私「は」死ぬのはこわくない。

でも、他の人はダメなんだ。どうしても、他の人が亡くなって逝くのはダメ。

小さい頃。まだ家が外にあった頃。目の前で家族が土砂に埋まっていくあの瞬間が、頭から離れないの。

 

 

 

その日、帰路に着く時間には空から真綿のような雪が降り始めていた。

 

 

 

暴走族はどうなったかって?

それはまた後で、ね。

 

 

 

とまあ、こんなこともあったんですのよ、奥様。

大丈夫大丈夫。ちゃぁんと切り株のことも見ておいたから。

 

さてさて。次の停留所は廃病院。

まもなくー、当バスは旧病院を突っ切りー

 

ポスト投函、ラヴレター。

た・だ・し。

返事は要りませんってね。

 

 

 

まだ私たちがコンクリートの校舎で堅苦しい教科書を開いてた時代。セーラー服を着てたり、学ランを着ていたり、ネクタイを締めてブレザーの人もいたかな。

ノートを破って秘密の手紙を回し読みしたね。校庭の木の下で告白した人はカップルになるとか、放課後図書室の奥で会うと誰にも邪魔されないとか。いろんな噂もあったんじゃないかな。

冷暖房なんか付いてなくてさ、夏はギガ暑くて冬はギガ寒い。

 

ふふっ、今じゃ信じらんないよね。

 

今の若い子たちはマスク着けてパソコンで授業するとこもあるらしいって、ほんとっすか? 先生。

顔が見えなくて、どうやって気持ちを伝えるの? 先生は何を教えてくれるの? てか、学校がある意味ってなんぞや?

めんごめんご。

別に先生って職についた人をディスりたい訳じゃないんだよ。

私たちだって先生の悪口くらい言ってたさ。友だちの悪口だって言ってたさ。嫌いで嫌いで大好きだったよ。学校っていうのはそんな場所なの。

うまく言えない表せないが集まっちゃった、微妙なとこ。未熟で微妙で、そんな時間を過ごす場所。

私たち、子どもが集まる場所。

 

最新の知識とか、毎年更新される情報なんて家にいても手に入るよ。適正価格でお金払って手に入れればいいじゃん。欲しい情報だけさ。卒業論文の内容の大半は本とかからの引用なんでしょ? 書いたことないけど。

同じクラス名簿に載ってる人とメッセージをやり取りするだけならアプリがあるでしょ。すぐ横にいてもメールを送ればいい。悪質な悪口で罵りたいなら、インターネットの裏サイトって手もあるよ。

でも違うでしょ?

同じ教室に集まって机を並べて先生の肉声で授業を聞く。わかんないとこもわかるとこも手を挙げて「はい、先生!」って声をあげる。内容がないような話を笑いながら聞く。テストに出ないようなマニアックな知識を吸収してまさかの数十年後に披露する。

私には無駄な時間じゃなかったよ。

ねえ、みんなはどうだった?

 

あー、古くさい話になっちゃたな。

そんな無駄だ無駄だって言われる昔、今もなのかな、そんな学校のあり方なんだけど。その中には昔々、多分陰陽師がお札に筆を走らせていたくらい昔から密かに伝わってきた秘伝の術があると思うんだよね、我。

例えば早弁の方法とか、バレないように授業をサボる方法とか、悪戯の仕方。

今回の話ではね。恋文の送り方をみんなに言いたいんだ。

書いて、封筒に入れて、投函? そんな単純な話じゃないんだって。

 

聞いたでしょ? 廃病院の幽霊から送られてくるラブレター。あんなことしたらドン引きだよ! 死んでもそんなことしちゃダメダーメヨ。

ちゃんとマナーと順番があるんだって。そこの君、知らないって顔してるね?

ちゃんと学校で教えてくれたはずだぞ☆

 

おふざけはここまでにして、私の話を聞いてもらおうかな。

 

 

 

 

 

 

私の初恋の人は、ずっと言ってるみたいにあのバスの車掌さん。私が恋したのも、あの車掌さんただ一人。

 

 

 

好きな人に想いを伝える。でも、恥ずかしくて顔を見て言えない。

だから、まずは手紙を書いてそっと送るの。手渡しでもいいし、勇気がなければ下駄箱に入れるのもアリだよ。

大事なのは伝えたいってキモチ。私はこんな風に思ってます、ってね。

想いを書いて、そっと包んで、いつか届けと願う。

 

赤い果実みたいに甘酸っぱい青春だね。

 

だけど、この方法で想いを伝える時はね。たったひとつだけ注意しなきゃいけないことがあるんだ。

想いはその人に届いても、返してくれるかはわかんない。返事を期待しちゃいけないの。YesでもNoでもね。

恋文とかラブレターっていう手紙は、いつだって一方通行になりがちなものなの。

もちろん、現代風にメールを送信してもおんなじだろうね。きっと、既読も付かずに放置されることだってある。

それでもいいなら想いを綴ってみて。好きな人に想いが届かなくても、書いた人の心にはその恋は残り続ける。

 

私の恋した人は、小さな頃から乗り続けたバスの車掌さん。その人だけだった。

ずっと、ずっと、その人だけだった。

 

今でもそう。

 

これからも、きっとそうなんだ。

 

それが、私の恋なの。

 

カッコいい大人、世話を焼いてくれる近所のお兄さん、軽口も言い合える気心知れた兄、自分より長く生きてる先輩、知らない何かを知ってるオトナ。あの人に対する認識は時間と共に変わってきた。あの人には私はどう見えていたのかな。

車掌さんは何も言わない。

 

一度だけ。たった一度だけ、車掌さんに聞いたことがある。

 

「好きな人、いますか」

 

まだ私がセーラー服を着ていた時だった。

 

いや、実際はそんな丁寧に聞いたわけないじゃん。聞けるわけ、ないよ。すごく緊張しててね、いつもは見れてたはずの車掌さんの顔も見えてなかった。

車掌さんは、一言だけぽつりと言った。

 

「いる」

 

ああそうなんだなぁって、頭が納得した。そりゃ、こんなに年上でカッコいい人なんだもん。恋の一つや二つ、したりされたりしたよなぁ。

もちろん、心の方は全然納得できてなかったけどね。

 

車掌さんの指には一度だって指輪があったことなんてなかった。職業的なものかもしれないけど、都合のいい私の頭は都合のいい方へと妄想を働かせていた。

車掌さんはフリーなんだ、ってね。

自分にとって悪いことを全部押し沈めて、いいことだけを思い込む。若い頃にありがちな脳内お花畑天国だった。

だから、車掌さんの答えは理解できても受け入れられなかったの。

 

聞きたいことは山ほどあったよ。

その人は誰ですか、私の知っている人ですか、どんな人ですか、いつからなんですか、なんでですか。

私じゃ、ダメですか。ダメなんですか。

一言も口にできなかった。

それ以上知りたくなかったし、恐かったのかもね。

恋は乙女を弱気にさせる。いつもは男勝りな私でさえプルプル震えるウサギになっちゃう。

可愛い例えでしょ? 笑いなよ。

笑わないの?

ありがと。

 

その日は帰って、もう大豪雨。ベッドの上は水溜まりになっちゃうし、声はガラガラになるまでなり続けた。

 

そんな顔しないでよ、みんな。

私ね。失恋だなんて思ってないんだ。

好きな人がいるかは聞いたけど、自分が好きだってことは言ってなかった。まだ伝えてなかったんだよ。

 

 

 

だからさ。私、書いたんだ。

ラブレター。

 

これこれこういうことあってこう思ってこうだから好きです。

本当に、ただそれだけ。

付き合って欲しいとか、もっと話したいだとか、そういうのは一切なし。自分は自分はってそればっかり。本当に一方通行の手紙だったよ。

でもね、出す前に気付くの。

なんてワガママな手紙なんだろうって。

相手のことを想って好きって言うのに、全然その人のこと考えてないの。好きです好きですって、その「好き」をただ押し付けてるだけ。

ほーんと。おこちゃまだったな。

 

「告白」っていうのはね。本当だったら手を伸ばして告げる言葉たちだと思うんだ。

手のひらを上に向けて、最後に相手の気持ちを確かめる。あなたはどうですか? って。手を取ってもらえるように。手を弾いてもらえるように。ちゃんと、その人の思いを、考えを受け取れるように。

 

手さえ伸ばせない手紙だけの告白は、予行練習にもならないものかもね。

それでも私は書き続けた。

一枚書いては封筒に押し込んで、別の一枚を書いては封筒に押し込んで、何回も何回も何日も何日も繰り返した。

で、ね。いつも最後に気づくんだ。

 

私、あの車掌さんの名前さえ知らない。

 

私の好きな車掌さんはね。ネームプレートを着けていないんだ。

だから、知りたかったら本人に聞けばいいんだよ。その勇気があればね。簡単な話だよ。貴方の名前は何というのですか。ほら、これで終わり。

でも、当時の私にはそんな勇気さえなかった。

 

いつも聞けない。宛名が書けない。まだ聞けない。手紙を渡せない。

聞けない。聞けない。聞けない。聞けない。

渡せない手紙は机の引き出しの中に溜まっていく。

それでも書くの。何でだと思う?

 

渡せない手紙だから、伝えられない気持ちを書くの。

好きです。好きです。貴方が好きです。名前さえ知らない貴方だけど、好きなんです。

名前を聞く勇気も、手紙を渡す勇気も、直接告白する勇気もない弱気な女の子。

そんな過去の私は、ただひたすら渡すつもりのない恋文を書き続けた。

そこまで来るとラブレター自体が可哀想に見えてくるよ。渡せないなら書くなよ、ってね。

でもどうしようもなかったの。どうしようもなく好きで、好きで、好きすぎて、でもその好きをどこへ向ければいいかわかんなかった。

その好きの先に何を望んだらいいのか、わかんなかったの。

 

時間が経って、いつの間にかそんなことをしなくなったけどね。それでも、その手紙たちは私の机の中で眠ってる。

いつか、そのこたちにちゃんと封をして、宛名も書いて。あの時の気持ちをあの人に届けようって切手を貼って。何かの祈りを込めてポストへ投函。

 

なーんてこと、これからもするつもりはないんだけどね。

 

諦めたってことじゃないよ。

落ち着いて、あの人の顔を見て、想いを伝える勇気がやっと持てるようになったんだ。まだ、言えてないけどね。

「貴方のことが好きです」

その言葉は、きっともうすぐ言えると思うんだ。

 

 

 

私の恋の停留所。

待つ時間が長くて長くて、いろんなものが増えちゃった。

だけど、やっと。やっとね。あの人のバスに乗って発車できる時が来たと思うんだ。

前に進む勇気が、覚悟が、やっと育ったと思うんだ。

 

 

 

なんとなく、桜の花びらが応援してくれてる気がするの。

 

 

 

ああ、ところでね。

廃病院から届くラブ・レターって話があったでしょ?

その手紙を送った人ってちょっと変わってるよね。変わってるどころじゃない? ははは、そりゃそっか。

でも、私が言いたいのはそこじゃなくてね。

そのラブレターたちって、ポストを経由しないで直接郵便受けに入れられてたんでしょ?

それって。家まで行く勇気はあっても、そこから先。扉の向こうにいる手紙を届けたい人に会う勇気がないっていうことじゃないの?

そんなの、へーんなの。

 

ラブレターを郵便受けの中に入れるとき、その人の一部は、もう扉の向こうに入っちゃってるっていうのにさ。

 

 

 

赤いポストを見ると手紙たちのこと、ちょっとだけ、思い出すかな。

思い出すだけで、もう絶対に書くことはないと思うんだけど。

 

さてさて、次のお話ですよー。

 

 

 

桜ヶ原にはたった一ヶ所だけ池がある。一度は埋め立てられて、不思議なことに復活した池。その池にはこれまた不思議な砂時計が沈んでいる。

ってね。

出席番号14番の担当した七不思議、三つ目。

ああ、また会いたいなぁ。会えるかな。会えるよね。また、会えたね。

会えたよね、私の同級生。

 

時間軸はいつでも真っ直ぐじゃないのかもしれない。

昨日から今日を通って明日へ向かう? それは誰が決めたこと? 太陽が顔を出して、背伸びして、眠りにつく。それを一日として、ひたすら繰り返す。地球は回る。くるくる回る。一回回るごとに、一日という命を消費する。そういうことじゃないの?

そういうことじゃないの。

 

私の言ってる時間軸っていうのは、そういうことじゃないの。

 

時間軸っていうのは未来に向かってるのを前提で一つの事象の変化を観察したものらしいね。あれ? 時系列の方だっけ?

んんんー?

わかんなくなっちゃったな。珍しく難しいこと言おうとするとすぐこうだ。

 

えっとね。

 

こうかな。

時間は未来に向かって強制的に進むの。寝てても朝は来るし。嫌でも日曜日は終わって月曜日がやってくる。夏休みは始まって過ぎ去って最後の三十一日で毎年地獄を見て宿題が終わらなくても九月一日がやってくる。

例えばそれを一本の矢印、棒として考えるの。

で、その矢印棒は下から上に向かって伸びてるとしよう。うりゃ。

これの下が過去、上が未来ね。

そこにー。ぱんぱかぱーん! メモ帳が登場! これを無限メモと名付けよう。

無限メモはすごいんだぞー? あった出来事とかを書いてメモできるんだ。しかも、出来事があった瞬間に。

書かれた無限メモはさっきの矢印棒に突き刺さっていく。下が古いの。上が新しいの。

つまり、過去から未来方向に向かって順番に出来事が並べられていくんだよね。

で、多分なんだけど、死ぬときには分厚ーい無限メモの束が。ううん、そこまで行くともう分厚い本なのかな? そういうのが出来上がる。

何年何月何日何時、細かく細かく並べられた紙の束。きっちり順番通りにね。

本になっちゃったらページを入れ替えるなんて無理でしょ?

でも、それって一枚一枚無限メモを動かないように固定していくからなんだ。

何年何月何日、こういうことがあった。はい、終了。これで完成にしちゃうから動かなくなっちゃうんだよ。

ただし。

これは時間軸、時系列の軸となるものが時間だから。

 

私たちの同窓会は時間を軸に話してないよね。

高校生の頃の話をしていたり、小学生の頃の話をしていたりの大人になってから、社会人になってから、中学生の頃。みーんなバラバラ。

大事なのは出席番号順にするとっておきの話ってことだけ。

私なんて、あっちこっち話の時間が飛びまくってるよ。

模範にするなら十番君のだよね。きっちり一年のことを順を追って話してる。

 

そうそう。余計なこと多くなっちゃたね。

あれ? バレた?

難しいようなことを話して内容は全然正確じゃない。正しいか間違ってるか確証もない。そんな話をしたいんだ。

 

次の話は、曖昧な部分が多すぎるんだよ。ほら、十四番の話みたいにね。

 

で、ね。

私の話はほんっとに時間がバラバラ。バスが通る停留所っていう話をしてるのにさ。

その理由は簡単なんだよ。

私が乗ってるあのバスは、停まるかもしれないし留まらないかもしれない。停まった停留所だけを順に並べると、本来並んでるはずの停留所から見ると当然穴だらけ。

 

もしかしたらさ。あのバスって。

 

全部の停留所を回るために走り続けてるのかな。

 

そう思うときがあるんだ。

どうかな? みんな。

 

 

 

ここが要点、テストに出すよ!

 

 

 

 

 

 

次の停留所は砂時計。

まもなくー、当バスは池に沈む砂時計ー

 

を空に大きく映す大星座。

オリオンは高く。

 

あの形、私にはどうしても砂時計にしか見えないんだよね。

車掌さん、貴方にはどうですか?

 

 

 

これはいつの話だったかな?

えっと、そうだ。

私が二十歳を迎えた日。

知り合いに連れられて初めての居酒屋に行って、初めてのお酒を飲んだ夜。

こいつ酔ってないから大丈夫だろ。そう言われて家に帰された。

 

一人で。

 

ふざけんな。初めての飲酒でどうなるかわかんないのに放置するな。

今ならそう言うだろうね。

夕方から呑み始めたから、まだ比較的早い夜間の時間。それでもタクシーを呼んだ方がいいだろうな。

今ならそう判断ができるだろうね。

自分はアルコールを摂ると眠くなりやすい。それに、あんまり強くない。

飲み会の回数をこなしてきた今ならわかる。

甘いカクテルほど度が低いわけじゃない。がばがば飲みすぎると危険。

いくつか種類を試したから実証済み。

 

全部、全部今だったらっていう話。

でも経験値0の勇者にとって武器を持つのも選ぶのも使うのも初めてでドキドキよ。

 

何だって一回目がある。その一回目は、うまくいくかうまくいかないかわかんないコイントスみたいなもの。

あ、私、今かっこいいこと言った?

 

一人で帰れと言われた私は、いつも通りバスに乗った。

無意識だったのかもしれないし、運命だったのかもしれない。

ふらり、と足を乗せたいつもの車掌さんが運転するあのバス。そして、座ったいつもの座席。

がたん、とバスが発車した。

 

後ろの方から苦しそうな呻き声が聞こえた。座っていたのは顔を真っ青にした酔っぱらいたち。

ああなりたくなかったら、今度から呑み方には気を付けよう。

ぼんやり、とそんなことを思いながら前を向いた。

 

小さな男の子と母親が乗ってきた。

 

「おねえちゃん、よっぱらいー」

「こら」

「よっぱらいだぞー、がおー」

「あはははははは」

 

私と男の子は小さな声でふざけあった。

母親は、しょうがないわねと言って、声だけ小さくするよう私たちに注意した。

バスは夜道を走った。ただひたすら、真っ暗な夜道をライトで照らしながら。

 

 

 

私は、いつの間にか目蓋を下ろしていた。

 

 

 

「おい、起きろ」

 

目を開いたとき、これは夢かと思った。

目の前には屈んだ車掌さんの顔があった。バスは止まっていて、他の乗客もいなくなっていた。

 

「うー、起きてる」

「あー、大丈夫か? これは何本だ?」

「ぶいさいん」

 

私はまだ、酔いから覚めきっていなかった。車掌さんが立てた人差し指一本を、Vサインだと言っていたらしい。これは酔っていたね。

酔っぱらいのターンはどこまで続くのかわかんなかったけど、とりあえずそのバスに乗っていれば大丈夫だと安心していた。だって、そのバスにはあの車掌さんが乗っているんだもん。大丈夫だよ。

といっても、いつまでも頭がぽやぽやフラフラしているのは良くない。ほら、よく言うでしょ? 酒の適量は薬にもなるけど、多すぎると毒になる。もしかしたら、飲んだ量が多すぎて体がアルコールを分解しきれていないのかもしれない。急性アルコール中毒で死んでしまう事例だってあるんだよ。そんな最期、いやだ。

自分はどういう状態なんだろう。みんな、初めてはこんな感じなのかな。ぐるぐるする。フラフラする。あつい。頭、ぐるぐるする。

でも、すぐ側に車掌さんがいる。

 

そこで私は言ってはいけない言葉を吐き出した。

 

「………吐く」

 

気持ちが悪かった。

 

誰かが言った。

酔えば酔うほど強くなるのだと。吐けば吐くほどアルコールには強くなるのだと。うん。関係ないね。関係ない話だったね。

 

おえっぷの意味で私は気持ちが悪かった。

 

「やばいやばい」

「くそ、こんなときに」

「歩けるか? 動くぞ。降りるぞ」

「暗いからな。ライトつけてるが気を付けろよ」

「ゆっくりでいいからな」

「ほら、屈め。吐くか? 一人で吐けるか?」

「向こう向いててやるから。すぐそこにいるって」

「水、水持って来るから」

 

ここで待ってろ。

頭の中はぐらぐらしていたけど、車掌さんの声ははっきり聞こえた。珍しく焦った声。安心させるためか、口数が多かった。

茂みの中で屈んだ私は吐いた。最悪だね。最悪の気分だね。でも、笑っちゃった。

私のためにあの車掌さんが焦ってあれこれしてくれるの。暗くて顔がよく見えなかったのが勿体なかった。

 

「水」

 

車掌さんが戻って来て、水のペットボトルを一本手渡してくれた。と思ったけど、すぐにそれは奪われた。

 

「悪いな。開けてから渡すべきだった」

 

がり、と蓋を開封する音が聞こえた。そして、今度は蓋が外された状態で渡された。

 

「………あざ、っす」

 

完全にグロッキーで、ちゃんとありがとうとは言えなかった。でも。

 

「わかってるから」

 

ありがとうは、ちゃんと彼に届いたみたいだった。

 

口をすすいで、その後でごくごくと水を飲んだ。お酒なんかよりそっちの方が断然おいしかった。

 

「落ち着いたか」

 

後ろから声がした。

 

「すいませんでした」

 

今度はしっかり謝れた。水と冷たい空気のおかげで意識もはっきりしてきていた。

車掌さんは言った。謝るようなことをしたのかって。悪いことをしたわけじゃないんだから、いつも通り笑っていろって。

さっきまで焦っていた彼が夢だったかのように、いつもの車掌さんがそこにいた。

周りは暗くて、バスのライトで照らされた私たちの場所しか見えなかった。

 

「ここ、どこ?」

 

車掌さんは屈んでいた私の横に並んでぽつりと言った。

 

「砂時計って知ってるか」

 

少し前まで、この町にはたった一ヶ所だけ池があった。その池は、外の人たちによっていとも容易く埋め立てられた。その池には、河童たちが村をつくっていたとも聞く。その池には、昔から、この町が桜ヶ原と呼ばれ始めるより前から、砂時計が沈んでいるのだと聞く。

そうだよ。七不思議の二つ目、砂時計だ。

 

「二つ目、ですか」

「知ってるじゃないか」

 

車掌さんは、ふ、と笑った。そんな顔、私は見たことなかった。

 

「池を埋めるなんて、何考えてるんだか」

「外の奴らなんてそんなもんだ」

 

見てみろ。車掌さんは後ろを、バスが停まってる方を指差した。バスの向こうには、大きなマンションが建っていた。

 

「あの下に、池があったんだ」

 

ごぽり、と水の音がした気がした。

 

「そのすぐ手前にな、バス停があった」

 

そうだ。昔は、池のすぐ横をバスが走っていた。池の工事が始まってすぐに、バスの通る道は変えられたんだけど。

懐かしくない? 池の横を走るバス。水はいつでも綺麗に澄んでいてね、大きな大きな甲羅がぷかぷか浮いているの。キラキラ光る水面すれすれに鳥が飛んでいって、小さな魚が跳ねる。

この池の何処かに、七不思議の砂時計が眠っている。そう考えるだけでも不思議な気持ちになった。

 

そんなの、もうなくなっちゃったんだけどさ。

 

「なんでそんなことするんでしょうね」

 

掠れた声で、私は聞いた。車掌さんに聞いても、きっと答えは返ってこない。そう思っていたけど、聞きたかった。

 

「知らん」

 

ほらね。車掌さんって、そういう人だから。

 

「知るわけないだろ」

「ですよねー」

 

空は真っ暗で、まだまだ朝は遠そうだった。月も出ていない、冷たい夜だった。

 

私と車掌さんはバスに乗った。

出入口の扉を開けっ広げにして、ライトを消して。たくさん話をした。

いつも走っているバスに乗るように、車掌さんは運転席へ。私はそのすぐ後ろの席に座って。たくさんたくさん話をした。

運転席の前にある大きなガラスから見える、更に大きな夜空を見ながら、私たちはバスが町の中を走っているときのように話をした。

 

ふと、思い出して、私は指を伸ばして言った。

 

「知ってます?」

 

席を乗り越えて、運転席の前にある大きなガラスを星座の形に沿って指を走らせた。ガラスの形に切り取られた夜空の中には小さく小さく光る星たち。

冬の星座、オリオン座だった。

小学校の理科の授業でも習う、有名な星座が冷たい空に輝いていた。

 

「オリオン座っていうんですよ」

「砂時計だろ」

 

何のことかと思った。車掌さんが言う「砂時計」がオリオン座のことなのか、それとも池に沈んでいたはずの七不思議のことなのか。

 

何処かで、ぴちょんと水の落ちる音がした気がした。

 

私は、車掌さんの顔を見た。そんな私に気づかない車掌さんは、まっすぐに前を見ていた。

彼が、車掌さんが、星座を見ていたのか、星座の形に似ている七不思議を思い出していたのか。そんなことは私にはわかんない。でも、どこか哀しそうな顔をしていたその夜の彼を、私は覚えている。

 

そういえば。車掌さんは思い出したみたいに声をあげた。彼は、私の顔を見てこう言った。

 

「今日、誕生日だったんだな」

 

自分でも忘れかけていたことだった。というか、誕生日で二十歳になったから酔い潰れるっていう失態を繰り出したんだけどね。

マジで恥ずかしいよ。せっかくの誕生日に限って、好きな人に吐いてるとこ助けてもらうなんて。

 

でもね。

そんなことも忘れちゃうくらいのいい笑顔で、車掌さんは私に言ったんだ。

 

「誕生日、おめでとう」

 

今世紀最大の誕生日プレゼントだった。

ほらね。こういうとこが車掌さんなんだよ。

 

 

 

冬の夜空を見上げると思い出す。

特別な二十歳の誕生日。砂時計と、星座。

夢を見ているみたいだった。

夢の、中にいるみたいだった、あの夜。

でも、次の日の朝に目が覚めてみれば、机の上には知らないパッケージの水のペットボトル。ご丁寧にも二日酔いっていうおまけまで付いてきてたけどね、最高の誕生日だったと思うよ。

 

 

 

「あれを見ると、懐かしく思う」

 

あの夜、最後に車掌さんが言った言葉が、水の音と一緒に掻き消えた。

 

オリオンは、今年の冬も夜空に姿を現すだろう。

大きな大きな砂時計は、今も変わらず空高くで輝き続けている。

 

 

 

今の私にとってはもちろん全部過去の話。

最新を更新し続ける主人公は、頭の中にある記憶の引き出しからどんな話でも引っ張り出せる。

昨日の夕飯のメニューは何だったって? えっとー、酢豚? あれ、一昨日だっけ?

あはは! たまには引き出しの整理もしないといけませんわな!

中身さえしっかりしていればいつだって、どんなタイミングでだって自由に記憶のノートを開ける。

これが今の私なのかもね。

 

それともう一個。

確かにただの紙ぺらちゃんである無限メモなんだけど、一瞬一瞬を刻むだけじゃなくて付箋を張り付けることができるんだなー、これが。

本だとどこまで読んだっていう栞になっちゃう。ノートだと書いてある内容自体が変わってきちゃう。付箋だとね。刻んだ一瞬の何年あとでわかったことを追記できるの。

一枚のメモが持つ情報が無限に膨らむ。あの時のあれはこういうことだった。あの時のこれはこうなった。

こう思った。違った。正しかった。間違えた。直せる。直した。こうなのか? こうなのか。

未来にいるはずの私から見た過去。仮定、推測、想像、全部を織り混ぜて。一枚の一瞬にたくさんの付箋を貼り付けてくの。

 

だから、いつだって私の語るお話は時間がばらばら。

付箋を張り付けるために、何度も何度も別の一瞬を刻んだメモを引っ張り出すんだからね。

 

 

 

これが、私の停留所の話し方なんだよ。

今、この瞬間に此処に立っている私の。

 

 

 

あの車掌さんは違うみたいだけどね。

 

 

 

次だよ。

あの角のとこにあったコンビニ。

本当にあったときは助かったよ。オーナーさんも店長さんも店員さんもいい人たちでさ。

商品だって接客だって、丁寧に丁寧に私たちのことを考えて対応してくれた。

外の人たちだったのにね。

話にものってくれて、何より雰囲気がすごく優しい。そんな空間だったよ。

私、あのコンビニすごくスゴく好きだなぁ。また来よう。また来たい。そんな風に思わせてくれるお店。

 

あの場所ってさ。危険リストナンバーワンで有名なとこなんだよね。

地元の人でさえ借りようとしない年中空き店舗。家賃、安いんだろうね。たまーに風変わりな人が借りて、何かお店を開いてたりもしたけど。次に見たときには別の人が別のお店やってたりもする。

おーい、前の人どこ行ったー? 何度遠くから声をかけたくなったことやら。

 

まあ、ねえ。私も含めてみんなだってさ、遠くから見てただけでしょ。ああ、バカが馬鹿やってるなーって。あんな危ない所で店やるなんて笑っちゃかわいそすぎぷすっ。まぁたどこぞのおバカちゃんが性懲りもなくバカしにやってきたぞーってくらいにしかさ。小さかった私もそう思ってたんだ。

桜ヶ原のことをなんにも知らないで、知ろうともしないでノコノコ危ないとこに自分たちで入ってったんだもん。外の奴らなんてバカ揃い。

あのコンビニを見るまではずっとそう思い込んでた。

外を知ろうとしなかったのは自分もおんなじだったのにね。笑っちゃうよ。

 

 

 

でもね。一回だけ、すごく親切にしてくれた人がいたんだ。

 

 

 

これは製菓業界の陰謀でチョコレートの日にされた、冬の日の話。

 

 

 

 

 

 

次の停留所は角の店。

まもなくー、当バスは甘いものを詰め込んでー

 

あなたに贈りたい!

ランドセルの中にあるあの甘いもの!

 

 

 

赤いランドセルの中には教科書、ノート、筆箱、等々。詰めに詰めて背負ったら、ルン♪ ルン♪ 気分で学校までスキップ。

なんてチョロい小学生。

なーんて、思ったら痛い目見るぜよ? 諸君。

自動販売機にだって背伸びしないと届かないくらいちっちゃなレディは、大安売りのセールにだって果敢に飛び込むソルジャー・ガール。コンビニのお菓子売り場でキャピキャピ可愛らしくお喋りしてるのだって、最新のオトコを落とすチョコの話で持ち切り。

 

世間はチョコレート合戦の真っ最中。

 

今年のトレンドはブラック? それともビター? ショコラにトリュフ、カカオは何%がお好みで?

そんなの全然わかんない!

 

かわいいパッケージにお手軽値段、ヒーローもののカード付きウェハースだってきっと喜ばれる。年上の人には甘さ控えめの板チョコをピンクの甘ぁい恋心で溶かして固めれば、手作りチョコの完成よ。

好きな人に好きだと言って手渡すチョコたち。

ランドセルを背負った女の子たちには「VALENTINE」の意味なんて知ったことじゃない。海の向こうのバレンチヌスさんのなんたらかんたらなんて、そんなの、えっと、何ですか? どちら様?

って話。

意味を知らない女の子たちにとって、あの日はチョコレートを贈る日なの。チョコを贈ることに意味があるの。

ね? そうでしょ?

 

男子には解んないよねぇ。

毎年いくつもらえたかで競ってるお子ちゃまボーイたちには、あのチョコたちに込めた女の子のハートがわかんないのよ。

なによ、その顔。解ってるって?

じゃあ、なんでホワイトデーのお返しがいっつもマシュマロかクッキーなのよ!

ちょっとそこ! 覚えてるぞ! 小学生の間、ずっとお返しグミだっただろ! 意味、本当に知ってた?!

マシュマロとグミは「嫌い」、クッキーは「友達のままで」って意味!

 

そこはもういいや。

とにかくね、どんなにちっちゃな女の子だって「女」なのです。女の子だったらわかるでしょ?

だからね。どんなに歳をとっても女は「女の子」なのです。

 

わかるでしょう?

 

バレンタインでチョコを選んで贈る楽しみだって、女の子だからわかるんだよ。いつの時代でだって、特別な人には特別なものを贈りたい。

どんな時代でだって、女の子たちはそんな想いを煌めかせていたんだよ。

 

私がその「女の子」の先輩に逢ったのはね。まだ赤いランドセルがキラキラ艶々していた頃。

あの角のお店が駄菓子屋さんだった時だよ。

 

あの角にはね。たっくさんのおかしがならんでるお店があるんだ。

ひもにくっついたあめ。スーパーボールとかすずのくじ。コインの形の金色チョコ。銀紙につつまれたバニラアイス。ビンに入ったビー玉がカラカラいうラムネ。

まだまだあるよ!

でもね。なんていったって、いちばんはそこにいるおばあちゃん。

お店のおくにすわってる、いつもえがおのすてきなかわいいおばあちゃん。

 

「おやおや、小さなお嬢ちゃん。また来たのかい」

「またきたよ! おばあちゃん!」

 

赤いランドセルを背負った女の子は、駄菓子屋を営む女の子と出会ったの。

私以外にもお客さんはたくさんいたよ。

みんなだって行ったことがあるかもね。

おこずかいを袋に入れた小学生が、学校帰りに押し寄せる。やめろ、押すな、カゴがないぞ。わぁわぁ言いながら子ども大天国と化した駄菓子屋さんは凄まじい。列の順番に学年なんて関係ないね。ちゃんと並んだ順に並べ。ノー横入り。中には中学生も高校生も、

 

おとなの人だっていたわ。それだけ人気だったってこと。

 

あの、コンビニみたいにね。

 

お客さんの数はとても多かった。でも、切り盛りする人はおばあちゃん1人きり。だから私たちは、特に毎日と言っていいほど頻繁に通っていた子どもたちは、おばあちゃんを助けたの。

 

かってにお店のしょうひんをもってかれないようにみはったり、お客さんにならんでーって言ったり、かごをわたしたり。そりゃもう、ちいさなてんいんさんだったわ!

 

小さな店員さんたちはおばあちゃんを手伝った。もちろん、その中には私もいたわ。

みんな、親切心で手伝った。胸を張って、えへん。自分たちのやってることは正しいんだぞ。そう思って、おばあちゃんを助けていた。

そんな子どもたちに、おばあちゃんは

 

「お手伝い、ありがとね」

 

って言ってね。いつもジュースをいっこ、くれたんだ。そんなのいらないよってわたしたち言ったよ。でも、くれたんだ。

わたしのおきにいりはね。パックに入ったりんごのジュース。まっかなパッケージにひえたあまずっぱいジュース。

あつい日はね。すっごくすっごくおいしいんだ!

 

ある2月に入った頃、私はおばあちゃんに相談した。

 

「しゃそーさんにチョコあげたいの」

 

あのバスの車掌さんにチョコを贈りたかった。特別な甘いチョコ。

おばあちゃんはこう言ったわ。時間が経った今でもはっきり覚えてる。

 

「ファーストレディのたしなみね」

 

意味は解んなかったわ。でも、思い出すと彼女の目は青みがかかっていたし、髪も黒でも白でもなかった。きっと、アメリカの人の血が混じっていたんだと思う。

だから「ファーストレディ」っていう単語が出てきたんだね。

 

ふぁあすとれでぃは何かわかんなかったけど、すてきなひびきよね。

わたしはげんきよくへんじをした。

 

「うん! そうなの!」

 

おばあちゃんは笑って相談に乗ってくれた。

誰にあげたいの?

どんな人?

味の好みは?

甘いのは好き?

 

私は

 

ひとつもわかんなかったっ!

でも、おとなのひとです。せはこのくらい。いつもあのバスにのってる。こういうポーズするの。かっこいい。かっこいいの。おはよーさんって言うよ。笑わない。でも、わたししってる。おこってないよ。あめくれる。かっこいいよ。

わたしのだいすきなしゃそーさん!

 

そう、答えた。

おばあちゃんは笑って

 

「じゃあ、こういうのはどう?」

 

そう言って、小さなチョコたちを私の前に広げてくれた。

 

ハートにお星さま。まあるいのに、ビンの形! 四角くてうすいのに、さいころ形! 金のコインまである!

おばあちゃんはわたしにね。好きなのをえらんで箱につめましょう。そう言ってわらったの!

なんてすてき! たからばこね!

おばあちゃんはたからばこじゃないって言ったわ。

 

おばあちゃんは、貴女の好きをたくさん詰めた宝石箱を贈りましょう。そう言って、味も色も形も、全部が違うチョコたちを私の目の前に広げたの。

「好き」の形が違うように、貴女が好きな人の好みも違うのよって。

小さな私は車掌さんに、一方的な好意を押し付けようとしていた。私は貴方が好き。だから、貴方も私のこと好きになってくれるでしょ?

 

大人になれば愛し合うことの難しさが解ってくるわ。愛することは簡単でも、愛されることは難しい。愛されることはできても、愛することは難しい。愛されて愛することなんて、もっと難しい。

「貴方が好きです」っていう本命チョコに、「自分も好きです」っていうお返しのマカロンやキャンディが贈られるのかわかんないよね。もしかしたら、自分に届くのはマシュマロやクッキー、チョコかもしれない。

もしかしたら、花言葉の意味を込めた何かの花束かもしれない。

何も、手元に戻ってこないかもしれない。

 

そういうこともあるのよ。愛されることが当然だなんて思わないで。

だけど、好きを伝えるのをこわがらないでね。

おばあちゃんは、私にそう伝えたかったのかもしれない。

 

たくさんのチョコを入れたほうせきばこはね。わたしのまっかなランドセルに入れておうちにもちかえったわ。ちゃぁんと、リボンもつけて。

それでね。

 

バレンタインの当日、バスに乗って、降りるときに車掌さんにあげたの。

ただ、その時の私はまだまだお子ちゃまで。あーあ。なんであんなこと言うんだろうね、子どもって。前日にね、堂々と本人に言っちゃったんだよ。

 

しゃそーさん! 明日いいものあげるね!

 

こんなこと言われたら、わかるでしょ?

明日はバレンタイン。

だから次の日、私がチョコを渡す前に車掌さんは自分から手を伸ばしてね、こう言ったの。

 

「Give me chocolate.」

 

あはは!

せっかくの秘密のバレンタインも、これじゃ台無しだよね!

 

チョコは結局笑顔で渡したから、当時の私はそれで満足だったんだろうけど。

 

 

 

そうそう。そのお店のおばあちゃんね。

半年位でお店をやめちゃったの。

知り合いみたいな男性に怒鳴られてたのを見たわ。

 

「クソババア、勝手にこんなことしやがって。とっとと◯◯じまえ!」

 

恐くて車掌さんにその話をしたの。車掌さんもおばあちゃんのことは知ってたから。そしたら、車掌さんは

 

「もうすぐだ」

 

って言ってた。と、思う。

そのすぐ後にお店は閉まった。誰か、行方不明になったみたいだった。

お店が閉まったその後にね、1度だけ。おばあちゃんに会うことがあったよ。

あのバスの中だった。

 

さいごにたくさんたくさんおはなしをしてね。笑ってバイバイって言ったよ。

わたしはバスていでおりたわ。おばあちゃんは、

 

おばあちゃんは、終点まで乗っていったらしいわ。

ちゃんと、送り届けた。そう、車掌さんが言っていたから。

 

小さな私の大先輩のおばあちゃん。最後に、私たちはこういう話をした。

あのお店のあった所には、お腹を空かせた桜の木があったんだねって。



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出席番号8番「停留所」④

っていうお店もあったんだよ。

 

それではみなさん。いいですか? よーく、聞いてください。

あの角では「絶対に」長居してはいけません。理由は、わかるよね。

3番君と4番ちゃんが教えてくれたあの話に全部があります。あの場所には、まだお腹を空かせた桜の木が残ってるの。木の根っこはまだ枯れてない。

そういうこと、でしょう。

 

 

 

あーあ。たくさん話したから喉が渇いちゃった。

うー、ごほっ、ごほっ。

あ、だいじょぶだいじょぶ。たまにあるんだ。こういう風に咳が出るの。

 

 

 

えっとね、次の話だよ。

 

私の前の家。土砂で埋まっちゃったんだけど、隣町のすぐ近くにあったの。

その家のすぐ近く。家から見えるくらいほんとに近くに、トンネルがあったの。

両方とももうないんだけどね。

 

 

 

次の停留所は地下トンネル。

からの、わたしの家。

 

まもなくー、当バスは地下通路を経由しないでー

自宅直行!

 

くらぁい地下トンネル。

そして

懐かしいマイホーム。

 

 

 

今、帰るよ。お父さん、お母さん。

あの日、土に呑み込まれたトンネルの先にあったはずの私の家。

私の、家族たち。

 

今、帰るよ。帰れなかった、変えれなかった、あの日の運命。

 

あの日は雨が降っていてね。

朝、お母さんが雨合羽を着せてくれたの。お気に入りの長靴もしっかり履いて。大好きなおかずがぎっしり入ったお弁当もしっかりランドセルにしまって。

それでも、心配性なお父さんは雨が強いからって傘を持たせてくれた。お父さんはその日、たまたまお仕事がお休みだった。

たまたま、2人とも家にいたの。

 

あの日も雨が降っていてね。

朝からずっと、その前の日からも、その前の前の日からもずっと雨が降っていてね。

学校でお弁当を食べて、5時間目を短縮した時間で終わらせて。

 

そうだ。サイレンが鳴り始めたから。

 

早く帰りましょうってことになったんだ。

ほとんどの人は大丈夫だろう。でも、隣町に近いほど危険になるだろうから、特に私みたいな外に住む人は、避難してください。そう先生に言われたんだ。

学校にいれば安全だったんだろうけど、私は家が心配になった。所々が切り崩された山のすぐ近くにあった私の家。そこにいるはずの家族たちが心配になった。

 

私は家に帰った。帰ろうとした。

ランドセルの中には空になったお弁当箱をしまって、朝のように雨合羽を羽織った。長靴を履いた。

雨も、サイレンも、止むことはなかった。

 

ねえ。私は何度も何度も桜の木にお願いしたよ。お母さんとお父さんを守ってくださいって。中の人たちと一緒に、私も、私の家族も守ってくださいって。何度も何度も祈った。

ねえ。もし私の傘に特別な妖精が住んでいて、もしその傘を家に置き忘れてきていたら。妖精は私の家を守ってくれたかな。

 

でも、私の手の中に残った傘には誰も住んでいない。桜の木も、私に言った。

 

「お前の家は外にある。だから、手が届かない。お前の家は助からない」

 

助けられないんだって。遠すぎて、手が届かないんだって。

誰も助けられなかったの。それはしょうがないことなんだ。

誰かが悪いってことでもないよ。それは、もう、わかってる。わかってるんだ。

 

でも。でも。でもね。

大人になった今でも思うんだ。

もしあの時、もう少しだけでも早くトンネルを抜けることができたら。どこかのヒーローみたいにカッコよく、みんなを手を引っ張って助け出せたのかなって。

そんなの、できっこないよね。

なら、土砂で家が埋まる直前に時間を戻す? 入り口が消えるその瞬間に、時間を止める?

 

違う! 違う!!

そうじゃないの!

そうじゃ、ないんだよ。

 

どんなに何回あの瞬間に戻れたって、あの日亡くなった人たちを取り戻すのはできない。そんなのは解ってる。だって、今この瞬間にあの人たちはいないんだもん。

もう、私の心の中にはあの時から時間を進めた人たちはいない。

 

今ここに、お母さんもお父さんも生きていない。それが全部なの。

卒業式も、入学式も、成人式も。どんなお祝い事だって、ほんとはいつも家族と一緒に迎えたかった。いつも一緒にいようって、言ってた。

言ってたのに。

 

 

 

みんな、先にいっちゃった。

 

 

 

ごほっごほっ。

ごめん、ちょ、ごめん。

はあ、ごめんね。

あの時のこと思い出すといっつもこう。

落ち着こう。うん。大丈夫。落ち着いて、ふう。

よし。大丈夫。

 

えっとね、どこまで話したっけ。

ああ、そうだ。

 

雨が降っててね、ずっと降ってて、サイレンが鳴ってた。土砂崩れが起きる可能性があります。近隣のみなさんは避難してください。

そういう放送が何回も入ってた。

避難するべきだったの。でも、私の住んでいた地域は、避難できなかった。

一本道しかなかったの。その地域と桜ヶ原の中を繋げる道。一本の、トンネルだった。

そのトンネルが、その時だけ使えなかった。

 

みんな、何でかわかる?

一本のトンネル。

 

地下通路だよ。

あの時、たまたま七不思議の四つ目がそのトンネルと繋がっちゃったの。

 

桜ヶ原の人なら七不思議を知ってる。いつもと違う雰囲気のトンネルを見て、きっと誰かが四つ目を知ってたんだね、誰もそのトンネルを通ろうとしなかった。だって、誰も助からなかったんだから。

その時トンネルを通ってても、誰も助からなかったんだよ。

地下通路は一方通行。入ったら戻って来れない。だって、途中で食べられちゃうんだから。ね、そうでしょ? 18番ちゃん。

 

 

 

地下通路に喰われるか、土砂に呑まれるか。そのどっちかしかなかったんだよ。

 

 

 

 

 

 

小学校から小さな私は急いで帰ろうとした。

私の家は学校から結構距離があって、子どもの足じゃ数時間かかっちゃうくらい離れていた。だから、いつも登下校はバス通学だった。

雨が激しくなってきていて、道路に並ぶ車たちはちっとも動いていなかった。長靴の中にまで水が入ってきちゃいそうなくらい道には水が溜まっていた。

そんな状況で、バスなんて動かせるはずがないんだよ。

学校自体が避難所として人を受け入れ始めた時だった。小さな私は突然、不安になった。お母さんがいない。お父さんがいない。帰りたい。帰れない。帰らなきゃ。おうちに帰らなきゃ!

 

そこで私を拾ってくれたのがね。

あの車掌さんだった。

 

校門を出て、桜並木の先でうろうろビチャビチャ、深い水溜まりに突っ込んでは泣きそうにしていた私を、あの車掌さんは文字通りすくい出してくれた。というか、担ぎ上げてくれた。

 

「こんなとこでなにしてる」

 

「おうちに帰りたいの」

 

おうちに帰らなきゃだめなの。

今、家に帰らなきゃいけない。そんな気がしていた。なんだか、お母さんとお父さんにもう会えないような気がして。

子どもってさ。時々、すっごく勘が鋭い時ってあるよね。直感的に何かを感じ取るの。ああ、だからか。大人より子どもの方が「連れて」いかれやすいのって。目が合いやすいからだよ、きっと。

 

小さな私は車掌さんとしっかり目を合わせて、こう言った。

 

「おうち、帰りたい」

 

私と同じように雨の中に立つ車掌さんの制服は、いつもと変わらずにいた。

 

ぐずる私の手を引いて、車掌さんはバスに乗った。

 

「行けるのはトンネルの前までだからな」

 

こうして、私たちは雨道を走った。

 

 

 

バスはバシャバシャ水の道を進んでいった。どうやってかは覚えてないよ。頭の中は、もっと早くもっと早くってことで一杯だったから。

ただただ、家に帰り着くことだけを願ったの。

 

バスがトンネル前のバス停に着いた頃には、雨がもうどしゃ降り。

車掌さんはトンネルの入り口ギリギリまでバスを寄せてくれた。

私は、扉が開いた瞬間に飛び降りて、お礼も言わずにトンネルの中へ駆け込んだ。

 

その時、後ろから車掌さんの声がした気もしたわ。でも、そんなことなんかには構ってられなかった。

 

私は長靴をグッチャグッチャいわせながら精一杯足を動かした。入り口か出口からは、ヒューヒュー音が鳴っていた。冷たい、ううん。生ぬるい風がトンネルの中に漂っていた。

いつもより寒くて冷たい、暗いトンネルだった。私は走った。足下をバシャバシャぐちゃぐちゃ鳴らしながら、ただ走った。

 

でも、出口に出ないの。

 

走っても走っても、出口にたどり着けないの。

 

足下は水で溢れてた。

 

いつもとどこかが違う。そう思ったのは、走るのに疲れてしゃがみこんじゃった時だった。

 

ねえ、18番ちゃん。

地下通路にはたくさんのモノが落ちているよね。

小さかった私の足下にもね、たくさん落ちていたよ。

 

長靴が、真っ赤に染まってたの。

 

(…ざく)

 

ほんとに怖い時って、悲鳴なんか出ないのよね。

 

(ざく)

 

その時までは、雨の水がトンネルに入っちゃってるのかと思ってた。でも、そんなことは普通ない。ちゃんと排水されるような設備があるから。ある、はずだから。

 

(ざくざく)

 

いつもと同じような、違うトンネル。擬態して、獲物を待ち構えて、大口を広げてる、大きくて長い、地下通路。

 

(ざくざくざく)

 

大きくて、長い

 

「蛇!」

 

真上からきらりと何かが光った時だった。気づいたら、私は車掌さんにランドセルごと後ろに引っ張られていた。

すっぽりと彼の腕の中に収まった私は、頭の上から聞こえる叫び声を理解できないまま耳を傾けていた。ぼんやりといろんなことが頭を過ぎていった。

あの車掌さんが怒鳴ってる。すごく寒い。雨が。水が。真っ赤だ。良い匂い。車掌さんの、匂い。生っぽい臭い。知ってる、におい。真っ赤っかだ。真っ赤。

へび。へび。

 

「おい、ここから出るぞ」

 

不意に、車掌さんが私を抱き抱えて声をかけてくれた。

すごく、すごく優しい声だった。

そして、周りを囲んでいた剥き出しの歯たちにこう言った。

 

「一昨日来やがれ」

 

低い声で、いつもダメな大人を叱る時のように彼は言った。ううん、ちょっと違うかな。あれは喧嘩を吹っ掛けるみたいな言い方ね。ほら、私もよくするあの言い方。

小さな私はというと、昨日も一昨日も来たよ? そんな的外れなことを思ってた。とにかくね。超ヤンキーオーラむんむんな車掌さんに地下通路の怪異は怯んだの。すぐそこまで近づいていた歯の音が止んで、徐々に遠ざかって行ったんだ。

さっすが、私の大好きな車掌さん。

 

車掌さんは私を抱き抱えて走り出した。小さな私はまるでお姫様のようだって、はしゃいでた。のかな。

違うな。うん、違う。

本当は、本当はね。

私、じっと見てたんだ。

 

バシャバシャ音がしてた。

 

私、わかってたよ。車掌さんが私を落とさないように、強く抱いてくれてた理由。

 

バシャバシャ音がしてた。

足下は、真っ赤にまっかに染まってた。

 

見てほしくなかったんだ。

トンネルの中も、私の長靴も、車掌さんの靴も裾も。真っ赤に染まってた。

 

バシャバシャ音がしてた。

それは雨の音なんかじゃなくて、足下の水が跳ね上がる音だった。その水は、真っ赤にまっかに染まってた。

バシャバシャぐちゃぐちゃ染めるその赤は、血の色だった。

誰かの、血の色だった。

地下通路に喰われた人たちの血が、バシャバシャ音を立ててたんだ。

 

 

 

あんなに長かったトンネルを、彼はあっという間に駆け抜けた。

トンネルを出た瞬間、外はどしゃ降りで、足下にびっちゃり着いていたものは雨と一緒に流されていった。

ああ、外に出たんだ。いつもの向こう側だ。おうちに帰れたんだ。そう思いたかった。

 

「お母さん! お父さん!」

 

彼の腕から飛び降りて、私は家に向かった。目の前には家の門が見えていた。いつもみたいにお母さんが出てきて、おかえりって言ってくれる。今日はお父さんもいるから、三人で晩ごはんが食べられる。

 

私、帰ってきたよ!

 

でも

 

ごほっ

 

でも、私、

 

ごほっごほっ

 

間に合わなかった。

 

もうちょっとで足が玄関に届きそうだったの。もうちょっとで玄関の扉に指が届きそうだったの。自分の心臓の音以外、なんにも聞こえなかった。お母さん。お父さん。二人を呼ぶ声も、聞こえなかった。

届かなかった。

 

ごほっごほっごほっ

 

目の前で、真っ黒な蛇が口を開いて全部を呑み込んでいったわ。家も、雨も、誰かの悲鳴も、向こうにあった山も。

右隣の家にはね。ワンちゃんがいたの。可愛いまだ仔犬のワンちゃん。雨が上がったらね、撫でさせてもらう約束をしていたの。

左隣の家にはね。お医者さんになるんだって医大を何回も受験してた頑張りやさんのお姉さんがいたの。春から大学生だって笑って話した。

 

みんな。みんな。

呑み込まれちゃった。

 

ごほっ。

 

朝にはね。お母さんもお父さんもいたの。笑って、行ってきますって言ったの。言ってたんだよ?

でも、最後のただいまだけは言えなかった。私がほんのちょっとだけ間に合わなかったから、最後に会えなかったんだ。

 

ごほっごほっ。ん、大丈夫。

私ね。ずっとただいまが言えなかったことだけがつっかえて残っちゃってたんだ。でも、違うんだね。ただいまじゃなくて、帰ってくるよって約束できなかったことを後悔していたんだ。

あの日、ただいまって言ってみんな一緒に呑み込まれちゃえばよかったって思うこともある。でも、違うんだよね。

小さな私の手を引っ張って、生き残る方にいさせてくれたのはあのバスの車掌さん。

 

私、あの人が好きです。好きなんです。

だから、最期の一瞬まで側にいたい。

時間がずいぶん経った今だからこそ、お母さんとお父さんにそう言える。

もしもあの時いなくなった人たちと話せるならね。絶対、みんな私のこと構ってくれると思うんだ。

やれその後どうしたとか、ちゃんと元気にやってたかとか。

そんな人たちに、私ははっきり言ってやりたい。

 

「今、彼に猛アタックしてんだから邪魔すんな」

 

 

 

全部をなくして泣き叫ぶ私を、彼はずっと抱き締めてくれていた。

今でも覚えてる。

彼の匂いは桜の花の匂いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで停留所の話ですねー。たくさんありすぎて話しきれないや。まだまだあるんだよー?

 

ほら、あの場所とかだったらこんな話があるの。あそこはこうだったかな。

それで

 

 

 

 

 

 

ねえ、留華ちゃんの言ってる車掌さんって知ってる?

 

留華がいっつも言ってたあのバスの車掌だろ? 見たことないよ。

 

あたしも。そんなバスに乗ったこともないし、第一、留華が言ってるみたいな車掌さんがいたら絶対覚えてるって。

 

だよな。

 

誰も乗ったことがないの? そのバス。

 

ないない。

 

あ、でも私、聞いたことあるかも。

 

バス?

 

うん。なんか、ちょっと古い感じのバスに若い運転手さんが乗ってるんだって。

 

若い運転手なんて言ったら他にもいるでしょ。

 

うーん、そうなんだけど。なんか変なんだって。

 

変って、何が。

 

停まるはずのないとこで停まったり。

 

あ、それ俺もあるかも。時刻表に載ってない、来るはずのないバス。

 

留華ちゃんが言ってる車掌さんって、もうおじさんなんでしょ?

 

そうだよね。小学生の頃からバスに乗ってるの見てるんだから、そこそこいってる、よね。

 

ちょっと、みんな! 留華の話、ちゃんと最初から聞いてた?

 

あ、その車掌さんってお祖母さんの代の時からいる?

 

ええ? 無理だろ、そんなこと。

 

でも留華ちゃん、そんなこと言ってなかった?

 

言ってた、かも。

 

最初に言ってたよ!

 

ちょ、その車掌さんってほんとに生きてるの? 別人ってことは?

 

留華は本人だと思ってるな。

 

じゃあ、本人?

 

マジかよ。マジか。留華、何度もそいつに会ってるみたいだからな。

 

ねえ、結局その車掌さんって誰なの?

 

決まってるよね。

 

桜ヶ原の七不思議。バスでも停留所でもなくて、きっとその車掌だ。

 

その車掌さんって、何なの?

 

二つ目の七不思議。

 

停留所をまわるんだろ?

 

まわってるのはバスでしょ?

 

 

 

 

 

 

ちょっと、みんなー!

私の話、ちゃんと聞いてくれてる?

もう! しょうがないなぁ。

いくら話しても足りないんだから、最後にしちゃうよ。いいのかい? いいんだね? 本当にいいんだね? ほんっとうにいいんだね?

 

じゃあ、これが最後!

 

ネタばらしだよ!



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出席番号8番「停留所」⑤

そんなこんなで停留所の話ですねー。たくさんありすぎて話しきれないや。まだまだあるんだよー?

 

ほら、あの場所とかだったらこんな話があるの。あそこはこうだったかな。

それで

 

 

 

 

 

 

ねえ、留華ちゃんの言ってる車掌さんって知ってる?

 

留華がいっつも言ってたあのバスの車掌だろ? 見たことないよ。

 

あたしも。そんなバスに乗ったこともないし、第一、留華が言ってるみたいな車掌さんがいたら絶対覚えてるって。

 

だよな。

 

誰も乗ったことがないの? そのバス。

 

ないない。

 

あ、でも私、聞いたことあるかも。

 

バス?

 

うん。なんか、ちょっと古い感じのバスに若い運転手さんが乗ってるんだって。

 

若い運転手なんて言ったら他にもいるでしょ。

 

うーん、そうなんだけど。なんか変なんだって。

 

変って、何が。

 

停まるはずのないとこで停まったり。

 

あ、それ俺もあるかも。時刻表に載ってない、来るはずのないバス。

 

留華ちゃんが言ってる車掌さんって、もうおじさんなんでしょ?

 

そうだよね。小学生の頃からバスに乗ってるの見てるんだから、そこそこいってる、よね。

 

ちょっと、みんな! 留華の話、ちゃんと最初から聞いてた?

 

あ、その車掌さんってお祖母さんの代の時からいる?

 

ええ? 無理だろ、そんなこと。

 

でも留華ちゃん、そんなこと言ってなかった?

 

言ってた、かも。

 

最初に言ってたよ!

 

ちょ、その車掌さんってほんとに生きてるの? 別人ってことは?

 

留華は本人だと思ってるな。

 

じゃあ、本人?

 

マジかよ。マジか。留華、何度もそいつに会ってるみたいだからな。

 

ねえ、結局その車掌さんって誰なの?

 

決まってるよね。

 

桜ヶ原の七不思議。バスでも停留所でもなくて、きっとその車掌だ。

 

その車掌さんって、何なの?

 

二つ目の七不思議。

 

停留所をまわるんだろ?

 

まわってるのはバスでしょ?

 

 

 

 

 

 

ちょっと、みんなー!

私の話、ちゃんと聞いてくれてる?

もう! しょうがないなぁ。

いくら話しても足りないんだから、最後にしちゃうよ。いいのかい? いいんだね? 本当にいいんだね? ほんっとうにいいんだね?

 

じゃあ、これが最後!

 

ネタばらしだよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

車掌さんのことを知ってもらいたいな。

 

まずは一番大事なこと。あの人は、私の好きな人! ほらほら、ずっと言ってきたでしょ。いくつも話をしてきたけど、どれも最後は車掌さんがしゅき! その一点に尽きる。

そりゃもう、ずっとずっと好きで大好きで、毎回彼の運転するバスに乗ろうとしちゃうくらい!

キャ☆

でも、それはあんまり良くないことなんだ。みんなも言ってたでしょ? 彼は七不思議の一つなの。

 

一生の内に何度も何度も七不思議に関わるなんて、それは普通じゃない。

七不思議の中には出会ったら一回きりっていうようなものもあるよね。例えば、七不思議の最後の七つ目なんてそうだよ。七つ目はこれっきりなんだ。

でもね。最後まで踏み込まなければセーフっていうのも確かにあるの。

一つ目の切り株なんかは、処刑しなければ何回だって上に物を置ける。置かれる方になったら、そりゃあ、うん。終わりだけどね。消えちゃうんだから。

四つ目の地下通路だって多分そうだよ。レアなケースだけど、喰われずに生還すればもしかしたらまた地下通路に入り込む機会があるかもしれない。レアなケースだけどね。

車掌さんの場合もそう。七不思議の二つ目のバスに乗るには条件があるの。それを満たせば、いつだって彼のバスに乗ることはできる。まあ、切符みたいなもんだね。

いや、ちょっと違うか。

実はね。あのバスの切符はもともとみんな持っているの。それは、終点までの切符。それを使えるのは一回だけ。

終点まで行っちゃったら帰ってはこれない。

 

うん。はっきり言っちゃうとね。

あのバスは◯◯へ向かうの。

桜ヶ原の人はね。◯◯とそれぞれの停留所に立つんだ。そこから彼の運転するバスに乗っていく。

つまり、私の話の中でのバスの同乗者はみんな◯◯。私はというと、◯◯かけってとこかな。昔からちょっと体が弱かったから。

 

え、なに。うまく聞こえないって?

 

ま、いいや。次だよ。

 

車掌さんはね。

口が悪い。

私がその影響を受けた第一人者だコノヤロー。よく一昨日来やがれって私言うよね。それ、彼の口癖。

でも、優しいんだよ。飴くれたりする。餌付けじゃないって。今までの話、聞いてた?

あとね、たまに軍艦マーチ歌ってる。二人で一緒に歌ったこともあるよ。

 

車掌さんの見た目はね。えーっと、ちょうど今の私たちくらい? 三十才にいくかいかないか、かな。

年齢は聞いたことないよ。だって、初めて会ったときから全く姿が変わってないんだもん。

そう。彼は歳をとらないの。

私が恋した車掌さんは、生きている人じゃない。もっと言うとね、人だったかも怪しい。かといって、バケモノかと言うとまた違う。そんな感じ。

ああ、そうだ!

七不思議、切り株の処刑人! あんな感じじゃないかな。私、あの話聞いてて車掌さんを思い出したんだ。

えっとね。七不思議に守り人がいるならそんな感じなのかなって。そう思うんだよね。

そういえば、みんなは車掌さん見たことないって言ってるけどさ。絶対会ってるよ。

誰かのお葬式の時。事故があったその現場。何かの事件が起こってる被害者の側。場違いな、ちょっと古いバスが止まってるの、見たことない? バスじゃなくても、金髪碧眼で、軍服を着てて、制帽を目深にかぶってる、目付きの鋭い男性。そんな人がそこにいるはずだよ。ほら、見たことあるって顔してる。その人が、私の言ってる車掌さん。私の、好きな人だよ。

彼はね。その七不思議はね。誰にだって見えるんだよ。それがどういうことかわかる?

人はいつだって◯◯んだよ。次の瞬間にはあっけなく、ぽっくりと、ね。

だから、彼はいつでもバスを迎えに来させられるように自分の姿を見せているの。

 

その車掌さんはね。

結構時間にルーズ。つまり、バスは遅れたり早く来たり。その時によってだよ。

気まぐれに遅らせたりもするし、早足になることもある。それは車掌さんの気分次第。

ただね。私の家が埋まったあの日、彼が早く着かないようにしたのは意味があったんだ。

あの後、小さな私は彼を叩いて怒った。なんでもっと早く走らせてくれなかったのか、って。でも、もし早く着いて家の中に入れたら私は確実に土砂の中。

彼は私に生きろって言ってくれたんだよ。◯◯だ人を運ぶ車掌さんのくせにね。終点までの時間なんてほんのわずかなのに、その一瞬を少しにしてくれたんだ。少しだけ、増やしてくれたんだ。

 

これって、ちょっとは期待してもいいのかな?!

期待しちゃうぞ? 自惚れちゃうぞ?

よし、キタコレ!!

 

えー、ワタクシの愛し敬愛する車掌さんこと人生の師匠の必殺技はー。

上段回し蹴り。かーらーのー。目潰し。

いや、目潰し必要ないでしょ? 蹴りだけで十分でしょ? しかも、あえてとどめはささないっていう。

つまりですねー。

彼、かなりひねくれてます。マジでひねくれてます。

ちなみに、ワタクシの必殺技は膝カックンからのかかと落としで、ございます。文句あっか。

師匠ありきの弟子ってね。

私は何回も何回も彼のバスに乗って、ずっとずっと彼を見てきた。バスを運転する、真っ直ぐに前を向いて走る彼。

 

すごく、かっこいいんだ。

 

そう、真っ直ぐ前を向いて迷いなくカーブを曲がるひねくれさ。脱帽です。

ふふっ。

それと、やる気のないあのアナウンス。

すごく良い声なのにね、わざと間延びした言い方をするんだ。

まもなくー、どこどこで、ございまぁーす。

車掌さんが言う。

止まらないから、スルーしまぁーす。

ふざけた私が言う。

もちろん彼は私を叱る。

ふざけるな。じゃあ、止まるの? 止まらない。次のバス停、スルーしまぁーす。

兄妹みたいに何度も何度もふざけあって、一緒に笑った。一緒に乗ってた人たちも一緒になって笑うときもあった。

私たち二人、思ってたことは同じだったんだよ。◯◯の道は笑って進みたい。だから、一緒にふざけたの。

結構、相性いいと思うんだよね。

 

そうそう。これは内緒なんだけどね。

車掌さんは意外と甘党。

実はチョコレートなんかだいっ好きでね、運転席の後ろに隠してある皮のカバンの中にはいつだってお菓子が入ってる。飴だってビスケットだってクッキーだって。

おい誰だ! 彼にマフィンをあげたの? 足りぬ、足りぬぞ! こんなんじゃ全然足りない! マドレーヌとパウンドケーキを追加しろ!

なーんてね。そんな凝った物より、銀紙に包まれて紙でくるりと包装されただけの板チョコの方が彼のハートをゲットできるんだ。その証拠に私は毎年箱に入った某有名メーカーのキャラメルをもらってる。

ホワイトデーのお返しのキャラメルの意味、知ってる? 一緒にいると安心する、だってさ。

あの駄菓子屋のおばあちゃんが終点までの道で教えてくれた雑知識。ちゃんと役に立ってるよ。

◯◯◯ら全部が水の泡。そんなこと、きっとないんだよ。誰かがいた跡は、絶対に他の誰かのところに残ってる。

私、そう思うんだ。

私、そう思うんだよ。

 

車掌さんにはね。

彼には、好きな人がいる。らしい。

その人はね。優しくて、笑顔が可愛くて、正義感が強くて、勇敢で、他の人のことがちゃんと考えられる、そんな人。少しヤンチャが過ぎるとこもあるらしいけど、「バカな子ほど可愛い」範囲だって彼は言う。

 

ほんとに、好きなんだなって。その顔見れば私にだってわかるよ、車掌さん。

私だってさ、彼のこと好きなんだもん。どんな気持ちで想ってる人のこと言ってるのかくらい、わかるよ。

私だって、もうそんなに子どもじゃない。

私だって。私だって! 恋をして、恋をし続けて、恋慕った。

私だってね。車掌さん。もう、大人なんだよ。

ねえ、車掌さん。もう、私に返事を返してくれてもいいんじゃないかな。どんな返事だって受け入れるよ。それくらいの覚悟、とっくにできてるよ。

 

私、ずっとずっとその人のこと好きだったの。ずっとずっと好きで、これからも好きでいられるんだってそう思ってた。

でも、もう最後なんだ。

私の、最期の話になっちゃった。私の番が来ちゃった。

この同窓会が終わって、みんなにさよならしたら。私たち、きっとバラバラの道をいくことになる。そうだよね、みんな。そうなんだよね。

これが、この同窓会がさいごなんだよね。

 

ぐす、一人になるの、寂しいよ。

一人であのバスに乗って、一人で終点で降りて、一人でわかんないとこにいくんだ。

みんなにも! 車掌さんにも!!

 

もう、会えなくなっちゃうんだ。

 

最後なんだよ。

 

ごめんね。最期なのに、こんなこと言って。

笑ってお別れを言うよ。私の話は最後でも、まだ次の人の話が残ってる。まだ時間はあるんだ。

 

 

 

私の最期のとっておきの話。好きで好きで大好きな車掌さん。それと、大好きな同級生の話。

それを語り終えてからね! さいっこうの笑顔でこう言うの!

 

「まもなく最終点。語り忘れたことなきようご注意ください」

 

言い忘れた大切なことなかったかな?

まもなく最後の停留所。

 

 

 

 

 

 

桜ヶ原という町をぐるぐる廻る七不思議のバス。人という停留所に停まり、死者を乗せては去っていく。

車内には車掌の声が静かに響く。

 

「まもなく停留所。お乗りの方は速やかに御乗車ください」

 

向かうは死者の世界。天国か。それとも地獄か。

どちらにせよ、生きているものが降りることのない停留所である。

 

死者を送り届けた車掌は扉を閉め、再びバスを走らせる。たった一人で、バスに乗り続けるのであった。

 

 

 

今は桜ヶ原と呼ばれるその地には、かつて数えきれないほどの桜が咲き誇っていた。それは遥か昔のことである。

桜の木は一本、また一本と数を減らしていった。最後に残ったのは、女の屍を抱いたまま育ったあやかしの桜。散っていった女の姿を得て、彼の桜の精は現世に現れる。

 

待ち人は来ず。

 

往く年も往く年も過ぎ去り、数知れぬ命は過ぎ去っていった。

 

待ち人は今日も来ず。

 

一人孤独に耐えかねて、とうとう彼女は膝をついた。誰もいない桜ヶ原。戻っては来ない愛し子らを死へと送り出しては、彼女ははらはらと涙を散らせる。その姿はまさに桜が舞い散るかの様であった。

 

待ち人は来ず。されど従者は現れる。

 

その地を愛した桜は、いつからか「姫」と呼ばれるようになった。桜の姫が根付かした土地には加護が与えられる。その地に産まれ、受け入れられたものもまた加護が与えられる。人も、獣も、妖も。すべてを繋いで縁を強固なものとする。

幾代も信じ続けた人々は、血も繋がらないはずの隣人を家族のように、兄弟のように想うようになった。

これが、桜ヶ原の絆と呼ばれたものである。

 

桜の姫は彼らを愛しく思った。外のものから守ろうと囲った。

しかし、一本の木ができることには限界があった。

土地の外へ出た彼らを守ることはできない。外から侵入するものを拒むことはできない。彼らの意思を強制することなどできやしない。彼らの命が絶えるのを見ていることしかできない。

一が千に対してできることなど僅かなものなのである。

姫は再びないた。己の無力さにないた。

 

そんな彼女の足元に跪き、頭を垂れるものらが現れた。

 

我らが貴女の力となって、この土地を助力しましょう。

一つ、処刑人。かつてその地で悪を裁いていた男は、桜の切り株に腰を下ろした。

二つ、軍人。軍服を纏った異国の青年は、ハンドルを手に取った。

三つ、砂時計。空の星座に良く似た形の時計は、ゆっくりと眠りについた。

四つ、蛇。腹を空かせた二匹の蛇は、今か今かと獲物を待ちわびて口を開いた。

未だ語られぬは三つの従者。それもやがて誰かによって語られるのであろう。

彼らは桜の姫を主として、その土地の何処かへ散り散りとなった。

 

彼らは何処へいったのか。それは彼の地に生きる民のみが知り得ることである。

七つの従者は名を変え、桜の姫に次ぐ古き伝承としてこの地に生き続けている。もうお分かりであろう。彼らこそが、後に「七不思議」と呼ばれるよう怪異なのだ。

 

 

 

軍服を纏った異国の青年が今日も運転席でハンドルを握る。七不思議のバスが、今日も町の中を走り抜けていく。

今日は彼の機嫌が良いようだ。

久々に、生前ではよく耳にした軍艦マーチが背景音楽として車内で聴くことができそうである。それは彼が好む音楽であった。そして、彼が好く少女が褒めた音楽であった。

いつもはアナウンスを告げる口から、軽やかにマーチが流れ出す。

なにかいいことでもあったのだろうか。

彼はこう言った。

 

「今日は同窓会の日だ」

 

 

 

 

 

 

私の好きな人、あの車掌さんには好きな人がいる。らしい。

私なんかとは全く違うだろうその人のことが、私は羨ましい。ズルいって、思う。

きっと、その人を見たら私、きっと叫んじゃう。だろうなぁ。

私の方があの人のこと好きなのに! 私の方があの人とずっと一緒にいたのに! 私の方が! 私の方が!!

私はさ。女性らしくなくて、ワガママで、可愛くなくて、頭も良くなくて、ガサツで、言葉づかいもこんなで。車掌さんが言う「好きな人」には程遠い。

でも、ずっと好きだったの。彼だけを見続けて育ったよ。恋なんて、これだけしか知らないよ。彼だけが、あの人だけが好きなの。

好きなんだよ。ずっと。ずっと。

 

死んじゃえばこの恋も終わりなのかな。

戻れない終点まで行って、そこで降りて。今までのことを思い出してさ。もっともっと「好きです」って言えばよかったって、後悔するのかな。自分の特別な「好き」を彼に伝えきれなくて悔しい。そう、思うのかな。

 

私ね。彼のことが本当に好きなんだ。ちゃんと伝えたよ。

でも、彼からその返事はもらってない。もらえてないの。

別に気を使わなくていいのにね。私が小さい頃からずっと一緒だったんだもん。今さらどんな言葉だって受け止めるよ。

こわいのはさ。なんにも言ってもらえないで、このまま終わることなんだ。なにかを残してバスを降りたくない。それが大切なものだったら尚更だよ。

好きな漫画の、ドラマの、アニメの、小説の最後を見ないでページを閉じたくない。席を立ちたくない。

最終回は大事だよ。どんな最終回だってね。

 

あ、今が最終回か。まあ、いい感じの最終回なんじゃない?

適当言うな。こんなでも頑張って頑張った末の最後なの。

 

最終回の後はないんだよ。

 

ないんだよー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで、私の話は終了です!

続編は期待しないでね☆

 

 

 

だってー。このままだといつまで経っても終わんないよ?

私のとっておきの話はこれでいいんだって。

言いたいことは言ったんだし、後はみんなの話を聞いてるよ。

 

で、結局何が言いたかったんだって?

そんなの決まってるじゃん!

 

 

 

好きだよ。車掌さん。

 

これが私のとっておきの話。

 

私という、停留所の話。

 

 

 

この町にはね。停留所にやって来るバスがあるんだ。そのバスの車掌さんが私の好きな人。

もうすぐ彼がやって来る。私の停留所に、バスに乗って彼がやって来る。そして、連れていってくれるんだ。

死んだ人しか降りれない、終点に。

 

 

 

ここは私の停留所。私だけの、停留所。

 

この停留所の名前は。

 

「留華」。私の、名前。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同級生の誰かがこう呟く。

「その車掌さんの好きな人ってさ、留華じゃないの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガタンという音と共にバスが停車する。

少し古い型のそのバスには、私の好きで好きで愛した車掌さんが乗っている。

扉が開くと同時に、私は乗り込む。

私だけのために同窓会が終わるのを待ってくれていた車掌さん。

最期の、「留華」という停留所に迎えに出向いてくれた車掌さん。

これが、本当に最期なんだと、私は唇を噛んだ。

 

車内には誰もいない。静かに、桜の香りだけが漂っていた。

これはいつものこと。

運転席から声がした。

 

「まもなく発車します。とっとと席に着け」

 

私はいつもの席に座る。

これもいつものこと。

会話もなくバスは発車する。最後の道をバスは行く。

町をぐるりとバスはめぐる。知ってる。知ってる。ああ、あそこも知ってる。あんなことがあった。こんなこともあった。

いつもの道が、今日は特別に思えた。これが最後なんだ。車掌さんは何も言わない。

少しだけ、スピードが遅い気がする。

これも、いつものこと?

小学校の前と、通行止めの看板が出ているトンネルの前を通る時だけバスは一旦停止した。扉は、開かない。もちろん、誰も乗らない。

やがて、バスは発車した。

私と車掌さんの間には一言も会話がなかった。

これはいつものことじゃない。

町をぐるりと一周したバスは、どこか知らない道へ入り込む。

私は震える声で彼に尋ねた。

 

「車掌さん、どこに行くの?」

 

彼は淡々と答えた。

 

「終点だ」

 

私は拳を強く握った。

 

見たこともない不思議な場所へバスは辿り着く。

車内には車掌さんのアナウンスが響く。

 

「まもなく終点」

 

これが最後なんだ。車掌さんに会えるのも、最後なんだ。

バスは停まった。

 

私はゆっくりと静かに席を立つ。

そして、運転席の横へ立った。

これが、最後。

私は口を開いた。

 

「車掌さん、好きです。今まで、ありがとうございました」

 

頭を下げて口にした言葉は、いつもより遥かに小さく震えていた。

私らしくないぞ! 笑え!

そう思いながらも、堪えられずに涙が溢れ始めた。

 

「ずっと、ずっと好きでした。これで、最後です」

 

最期なんです。

顔も上げられずに、私は言い切った。そして、最後の別れを告げた。

 

「ありがとう。さよなら」

 

運転席の方にある扉から私は降りようとした。

扉が開かない。

いつまで経っても扉が開かない。

 

「あのー、降りられないんですけどー」

 

ゆっくりと私は振り向く。

そこには。

 

 

 

 

そこには、ニヤニヤとした意地の悪い笑みで私を見つめる彼がいた。

 

「何を言ってるんだ。お前を二度と降ろすつもりはない」

 

運転席からから伸びた手が、私の腕を掴む。

私の胸はドキドキと最高速で駆けていた。

 

「お前はこれから、俺と一緒にバスに乗り続けるんだ」

 

彼の碧眼が怪しくきらめいた。

 

 

 

同級生の言葉を思い出す。

その車掌さんは、留華をいつでも終点まで送ることはできたんでしょ? それなのに途中で降ろすなんて特別だよ。

大丈夫。留華は、その車掌さんの特別だって。

 

何処かの同級生がバスに乗り込む留華を見て呟いた。

やっぱり、あのバスは七不思議の怪異だね。ほら、見てごらんよ。あの車掌さん。

留華を自分のものにしたって顔してる。

 

大変だね、留華。

これから束縛系彼氏にとらわれ続けちゃうんだ。

 

 

 

桜の花が、彼らを祝福するように舞っていた。



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出席番号9番「友人」

「会いたいな」「会えるかな」「会えるよね」が「会いに行かなきゃ」になった。
そんな日の話。


小さい頃、一緒に遊んだ友人。

最後に別れを言った後のことを覚えていますか? 最後の別れの言葉は「さよなら」でしたか? 「またね」でしたか?

最後に見たその友人の顔、覚えていますか?

 

 

 

私が小さい頃。小学生の頃の話。

もう、昔々の話だね。

 

道路を挟んで向い側。私の家の前には同い年の友人がいた。クラスは結局、一回も同じにはならなかったけど、私たちはよく遊ぶ友人だった。

学校から帰ってすぐ、習い事とか用事がなければ会いに行った。

 

「◯◯ちゃん、あーそーぼ」

 

私が小学校卒業と同時に引っ越すまで、そういう繋がりは切れなかった。

たくさん遊んだよ。

近所を歩き回って小さい世界を冒険した。流行りのアニメの話をした。この歌は何の歌か、歌当てクイズを二人でやった。神社の下に流れる沢でザリガニやカニを釣った。仲間を誘ってごっこ遊びに夢中になった。

たくさんたくさん遊んだよ。

 

中学生になってからもたまに電話をした。いつだって長電話になっちゃったけど、しょうがないよね。

互いに部活で忙しくなった。話せる機会も少なくなった。両親も学校の先生も勉強しろってうるさくなった。ああ、これは私がもともとしなかったせいだな。

 

受験生になってからは互いに塾に行くようになった。どこの高校にいくのかな。気にはなったけど、結局連絡できなかった。

 

高校生になって、たまたま登校中に会った。自転車ですれ違った瞬間、誰だかわかったよ。

私たちは振り向いて名前を呼び合った。

あの学校に進学したんだね。

将来こういう道に進みたいんだ。

本当に少しの時間だった。でも、私はすごく幸せだった。

 

最後に私たちは言った。

 

「じゃあね」

 

また会えるかもしれないし、会えないかもしれないけど、その時会えてよかったと思うんだ。

「じゃあ」の次に来る言葉はさよならでも、またねでもどっちだっていいはず。

私たちは、笑って別の方へ走っていった。

 

大人になって、私たちは会うことがなかった。でも、まだ会えてないだけだと思うんだ。

また、小さなあの頃みたいに玄関のチャイムを鳴らして。

 

「久しぶりだね、◯◯ちゃん」

 

扉を開くこともきっとできる。

そう思うんだ。

 

 

 

 

 

 

 

ところで。

 

私がまだ小学生の頃、家の近くに友人がいたんだ。同い年ではなくて、家の場所もちょっと離れていたけど。

その友人たちは二組の姉妹弟だった。片方は姉妹、もう片方は姉弟。

姉の方が私の一つ下。妹弟はどうだったかな。覚えてないな。でも、同い年だったよ。

姉は姉同士、妹弟も同い年。彼女たちの家も道路を挟んで向い側。

つまり、四人は仲がよかったんだ。

 

その中におまけとして私が紛れ込んでいる時がたまにあった。

友人扱いされていたかはなんとも言えないな。でも、私が中学に上がって引っ越すまで何回も呼んでくれた。

一緒に遊ぼうって。

 

「××ちゃん、いますか?」

 

実はね。引っ越してからその子たちとは一回も会ってないんだ。だから名前も曖昧で、顔も声も全部が記憶の中でぼんやりとしているんだ。

 

あの子たち、どうしてるだろうな。

きっと大人になってるんだろうな。

 

 

 

 

なんでか、その場所のことはやけにはっきりと覚えているんだよね。

 

その子たちの家は新築で、他にも同じような新品の家がいくつか並んでいた。それは、分譲地というものだったのかもしれない。

 

すぐ近く、姉妹の家の裏の方には森があった。そう思っていた。

でも、今考えると違う。家が建っていた所が森だったんだ。森を拓いて住宅地を作った。

見えていたのは残りの木たちで、その向こうは崖になっていた。崖っていうのかはわからないな。そこにも木が生えていたし。でも、当時の私は「崖」っていう認識だった。

 

家が並ぶ区画に入る直前には小さな鳥居があった。その子たちに聞くと、そこにはお稲荷さんがいると言っていた。確かにキツネの石像があったかもしれない。赤い前掛けをした石のキツネ。

私たちは絶対にそこを遊び場として使用しなかった。面白半分でお参りみたいな真似はしたけど。

何であんなところにあったんだろう。

 

お稲荷さんの側にも森があった。ただ、そこから下に下りることができるくらい緩やかな坂になっていたから、私たちはよくそこを探検した。奥へ行くと竹林に変わって、子どもでも進めないほどではないちょっとしたダンジョンだった。

 

更に下へ行くとぽっかりと開いた穴があった。人が余裕で入っていける位大きく掘られた穴。入り口には入れないように柵がされていた。

なんとなく、近づいちゃいけない気がした。その子たちのお母さんたちにも行っちゃいけないと注意された場所。

その場所が防空壕と呼ばれる戦争の置き土産だと知ったのは、社会科の授業で暗い気分になったときのことだった。

 

どんな気持ちで穴を掘ったんだろう。この穴にどれだけの人が逃げ込んだんだろう。

この暗闇の奥は、どうなっているんだろう。

私は一人でよくその穴を見つめた。ただぼんやりと、見つめた。

誰もいないはずの暗闇に、幼い私は何を感じていたんだろう。

見つめるだけで何かかえってくるわけでもないのに、私はただその穴を見つめた。

 

 

 

懐かしい思い出だよ。

たくさん遊んだし、たくさん笑ったし、ケンカもしたし、おやつも一緒に食べた。

もう昔の話だよ。ずっと昔の話。

 

懐かしい雰囲気だけが心に刻まれて残ってるんだ。じんわりあたたかくなって、過去を思い出して浸る。

だんだん忘れていく記憶の中で、微かに残っているもの。

 

そういうものが生きていく中で大切な宝物になるんだろうな。

 

ぼんやりと、小さな子どもの彼らは思い出の中で生きている。

いつまでも。

キレイな記憶の中で。

 

 

 

たまに思い出す。彼らのことを。

あの子たち、どうしてるだろう。

きっと大人になってるんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

ある日、増えて溜まっていた部屋の荷物を整理した。本当に気まぐれだった。その時、その子に借りていたはずの物を発掘したんだ。

 

何でそれを借りたかなんて覚えていないよ。ただ、それには子どもの字で名前が書かれていた。そうだ、あの子の名前だ。唐突に頭の中で蘇ってきた。

その子は姉弟の家の方だった。気が強い姉妹よりも、実は私はその子との方が気が楽だった。

 

返しに行かないと!

 

何年も、二十年近くも経っていたのに、急に返しに行かないと。そう強く思ったんだ。何かに呼ばれたのかもしれない。

 

一体何に呼ばれたのか。そんなの全くわからない。

本当に今さらだったんだよ。それに、返す物も物だった。バケツだよ? なんでそんなものを借りたのか、全く覚えてないし思い出せない。

だから、重要なのは「バケツを」っていうとこじゃないの。「返しに行かないと」って思ったこと。

 

 

 

こうして私は昔住んでいた家に戻った。当時の家はもうそこにはなかったけど。

だけど、そこに立つと蘇ってきた。不思議だよね。

何回何十回も通った道。この道をこっちへ行けば何があった。あっちへ行けばあれがあった。

いろんなものが変わっていた。なくなったものもたくさんあった。増えたものも。

だけどわかるんだよ。思い出すんだ。

あの子の家はこの道をまっすぐ行ったところ。突き当たりにはお稲荷さんの赤い鳥居が見えてくる。そこを道沿いに右へ曲がる。そこには家がいくつか建っている。その中の一つがあの子の家だった。

 

私は道を歩いた。小さかったあの頃みたいに。今でもそこにいると信じる、年下の友人と会うために。

 

もしかしたら会えるかもしれない。

覚えていなくても、バケツだけ置いていけばいいや。たかがバケツだ。置いて、押し付けて帰っちゃえばいいや。

渡さなくて、渡せなくて後腐れが残るのだけは嫌だな。後味が悪い。

そうだ。運がよくて、もしあの子に会えたらこう言おう。

「久しぶり。覚えてる?」

そう言って笑うんだ。

 

私の足どりは軽かった。

 

 

 

 

 

 

何度も歩いた道を歩く。

先の方に小さな鳥居が見えてきた。色褪せて、くたびれてしまったお稲荷さんが変わらず座っていた。

何度も何度も往復した道を歩く。

道を曲がればすぐそこだ。いくつも家が見えてくる。

 

そう、いくつもの家が見えてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人の気配が全くしない住宅地がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

足が止まった。あんなに軽かった足が。

そこは確かに記憶通りの場所だった。でも、誰の声もしなかった。

時間を重ねた建物。カーテンや雨戸が閉まりきった窓。車が一台も入っていない車庫たち。門の柵は鍵がかかっているのかがたがた揺れるだけ。

最後に見たその場所はもっと明るかった。日が当たってあたたかかった。たくさんの声や、音が聞こえていた。

喋り声、笑い声、子どもや妹弟を叱る声、泣きわめく子どもの声。でも、やっぱり多かったのは笑い声。楽しそうに生活する、家族の声。

私の年下の友人たちを含めた住人たちの声が聞こえていた。

 

聞こえていた、はずだった。

 

だから、時間が経ってもその場所は変わらない。そう思っていた。

 

こんな風に変わってしまうなんて、思わなかった。思いたくなかった。

 

彼らの未来は光輝いて、希望に満ちていたはずだった。それなのに、なんでこんな風になってしまったんだろう。

外側だけはあの日のままで、中身だけが空っぽにされて置いていかれた家たち。

その場所は私の知らないうちに冷めきってしまった。

 

私は、気がついたらあの子の家の前に立っていた。何度もチャイムを鳴らしに玄関へ立ったあの家。

他の家と同じように閉じられ、物音すらしないあの家。とても、冷えていた。

 

 

 

だけど、なんでだろう。

 

 

 

その家だけ、なにかの気配がした。

 

 

 

 

 

 

私はしばらくそこに立ち続けた。

あの子は、あの子たちはどこにいるんだろう。そう、ぼんやりと考えながら。

 

どれくらい時間が経ったのか、私はやっとそこから帰ろう思った。そこにいても何も変わらないから。何もわからないから。

ただ、どうしてもバケツだけは置いていこうと思った。だから私は記憶を頼りに、家の裏手へと回った。そこには水道があった。多分水ももう出ないだろう水道の蛇口に、私はバケツを引っ掛けた。

 

 

 

さよなら。

私は心の中で言った。楽しかった思い出に、別れを告げた。

自分の唇が乾いて、頭が冷えていくのがわかった。

 

全部終わったんだ。きっと望んだ通りの、後腐れのない終わり方だよ。

そう思おうとした。でもやっぱり寂しくて、私はまたしばらくそこから動けなくなった。

 

どんな顔で私はあの子の家を見ていたんだろうね。

不意に、後ろから声が投げ掛けられた。それも私を更に突き落とすような言葉が。

 

 

 

 

 

 

「そこの家の人は亡くなりましたよ」

 

私ははっとして振り向いた。誰かいるなんて。

背後に立っていたのは一人のお婆さんだった。いや、お婆さん、と言っていいのか迷ってしまう。

彼女は短い白髪で、背がひょろりと伸びていた。がりがりに痩せていて、手には皺がたくさんあった。

私がお婆さんと言いにくいのは彼女の雰囲気からだった。

腰が曲がるなんて無縁の真っ直ぐ伸びた背筋。ほとんど傷んでいないだろう白い髪。なんと言ってもギラギラとした目。

私の中にある「お婆さん」のイメージから彼女は遠かったんだ。

 

それから、彼女の言ったことがじわり、じわり、と、頭に、脳に、染み込んできた。

 

 

 

 

 

 

なくなった

 

 

 

だれが

 

あのこが

 

あのこたちが

 

 

 

あの、かぞくが

 

 

 

なんで

 

いつ

 

どうして

 

 

 

 

 

 

私は固まった。言葉が染み込んだ脳は理解しようと動き出す。だけど変な甲高い音がして、頭と胸が痛くなる。

 

もう、あの人たちは、どこにも、いない。

 

息苦しくなった。息が吸えない。息が、吐けない。

それでも、やっと吐けた言葉に意味はなかった。

 

「なんで」

 

私は彼女を見た。たくさん言いたいことも聞きたいこともあった。でも、ひとつだって伝えることはできない。

ここはどうしたんですか? あの家族たちはどうしたんですか?

頭がぐちゃぐちゃして、うまく動かせない。

彼女はそんな私に問いかけた。

 

「貴女はどうしてここに」

 

私は淡々と過去を語った。昔一緒に遊んだ友人たちのことを。そのうち頭に冷静さが戻ってきた。それと一緒にやって来たのは、悲しいという感情だった。

ここはああいう場所だった。ああいう人たちがいたはずだった。それなのに、どうして。

私は彼女を見た。見たこともない人だった。

 

私の聞きたいことが伝わったのか、彼女は顔を家の隣に向けてこう言った。

 

「私はそこに住んでいます」

 

彼女は、あの子の家の隣に住む住人だった。見たこともない人だった。

 

 

 

 

 

 

彼女の家の玄関へ続く数段しかない階段に座って、私は話を聞いた。そこからは蛇口に引っ掛かったバケツが見えた。

彼女の話は、私が中学生になって引っ越してからの続きの昔話だった。

 

「ここらはもともと分譲地として整備され、家が建てられ、そして売却されていったのよ」

 

知っている。そのうちの一つにあの子たちも住んでいた。

 

「みんな普通に生活していたわ」

 

それも知っている。だって、私たちはあの日までは笑って一緒に遊んでいたんだから。

 

「でも、いつからか変なことが起こるようになった」

 

変なこと?

 

「扉が突然閉まったり。棚から物が次々と落ちたり。真夜中に家族のものじゃない悲鳴が家の中だけに聞こえたり。庭に動物の死骸がおかれていたり」

 

それは、怪奇現象、っていうんじゃ。

 

「家だけ残して人は次々と出ていった。だから、今は空き家だけが残ってるの」

 

だから誰もいないのか。引っ越したなら、そうなるよね。引っ越したなら。

 

「ただ、隣のあの家」

 

あの子と、弟と、その両親であるおばさんとおじさんの四人が住んでいた、あの家。

 

「あの家に住んでいた家族だけは家を出れなかった」

 

 

 

出れな、かった?

 

 

 

「まず子どもがいなくなった。姉と弟が行方不明になった。私たちも探すのを手伝ったけど、見つからなかった」

 

いなくなった。

 

「次に父親がいなくなった。警察に届けたけど、結果は変わらなかった」

 

一度だけ見たことのある、おじさん。

 

「最後に、母親がいなくなった。毎日、一人で泣いていたわ」

 

遊びに行くといつも笑ってあの子を呼んでいた、おばさん。

 

いなく、なった。

みんないなくなってしまった。

どこに?! いつ?!

一体どうして!!

 

私は思い出した。

引っ越した後、一度だけあの子の母親と偶然会ったことを。

あの人は笑っていたはずだった。私のことに気付いて声をかけてくれたんだ。何年も前の、娘と息子の遊び仲間。たったそれだけなのに覚えていてくれた。

「今はどう?」

私の今を心配して、様子を聞いてくれた。

私はそれがすごく嬉しかったんだ。

それなのに。

ああ、でも。最後におばさんとこの近くで会ったとき、一人だったな。それに、おばさん、子どもたちのこと、一言も、私に話さなかった。

 

もしも。あの時点で既にあの子たちがいなくなってしまっていたら。

 

私はすっと血の気が引いていくのがわかった。

 

あの家族は一体どこへ。

 

 

 

 

 

 

あの子たちはもうどこにもいない。その現実が私には痛かった。まるで、鋭く尖った冷たい氷の破片が自分に降り注いだようだった。

私と一学年しか違わなかったあの子。一歳しか違わないのに、どうしてその未来はこんなに違ってしまうの。あの子が、あの家族が何をしたの。ずっと笑って、一緒に遊んでいたのに。

「普通の」家族だったでしょ?

どこにでもある、「普通の」家族だったでしょ?!

なんでそんなことになるの?!!

 

私は信じたくなかった。信じられなかった。だから、事実だけを話す彼女に向かってこうとだけ言った。

 

「ここは『普通の』場所じゃなかったんですか?」

 

彼女は私にこたえた。

 

 

 

「知りたいですか? 家の中に入ってみますか?」

 

 

 

私は、あの子の家の中に彼女と一緒に入った。

 

 

 

頭のどこかでサイレンが煩く鳴り響いていた。此処は危険だ。此処は「普通」ではない。入ってはいけない。入るな。後悔するぞ。

何にも知らずにのうのうと生きてきた自分以上の後悔なんてしないよ。

 

 

 

私は、家に入っていった。

 

 

 

「行方不明」となってしまったあの家族の祖母にあたるという彼女は、住人が消えた後、鍵を預かる身として隣の家に住み始めたそうだ。その鍵を使って、彼女は玄関の扉を開いた。

 

扉が開いてすぐに私の目の前に広がったのは埃が積もった玄関。何足か靴も置きっぱなしになっていたけど、それも同じように埃の下。

でも、確かに見覚えのある玄関だった。小さかった頃、何回か家に上がってあの子たちと遊んだことがあったから。

 

私たちは靴を脱ぎ、適当に揃えて置いた。そして、ぎしりという音を立てて床を踏んだ。

彼女のあとを追いながら、私は家の中を見て回った。その間、彼女は家の話をした。

 

 

ただの不動産による悪知恵だったのよ、と。彼女は切り出した。

この土地はどうしても売れなかった。おそらく森や竹林に面していたこと。そして、すぐ近くには稲荷や防空壕が残ってしまっていたこと。それらが理由でずっと分譲も整備もすることができずに残ってしまっていた物件。それがこの区域を含む土地だった。

それがある時、ぽんと売れてしまった。

それまで一度も、そんな話などあがったこともなかったというのに。

でも、不動産にとっては嬉しいことであった。彼らはどうしても早々にこの土地を売り払いたかったらしいから。

 

彼女は廊下を静かに歩きながら続けた。

 

私たちは誰も知らなかったのよ。彼女は溜め息とともに吐き出した。

それがわかったのはもう手続きも全て終えてしまった後。中には、誰か変に思った人もいたかもしれない。気づいた人もいたかもしれない。

 

土地情報を似た条件の物件と入れ替えていたの。彼女は苦い顔をしていた。

でもそれは、自分に出されたお茶が苦かった程度の顔だった。たかがその程度の苦さ。だから、それはこうなってしまったことの原因ではないのだと思う。

 

気の強い人は抗議もしたでしょう。でも、結局整備が終わって家が建てられて、これからここに住むという段階になってしまったらそんなのどうでもよくなったわ。

だって、住みやすい「普通の」家だったんだから。

 

彼女は振り返って、私の顔を見た。

 

「知らなかったのよ」

 

その言葉が私に重くのしかかった。

 

「私たちは余所者だったから」

 

なんで情報を入れ替えただけで、すんなりとこの土地が売れたのか。それは、正しい情報の中に危惧することがあったから。地元の人が誰でも避けようとする面倒なモノの印が、そこにはあったから。

それは、住所だった。この区域だけの住所の名前。

ずっとずっと昔から変えられることのなかっただろうその名前は、此処がどんなところか示していた。

余所者が見れば、ただの名前。なんにも感じるものなどない、ただの名前よ。でもね。地元の人は絶対に関わろうとしない名前らしいわ。

だから、決して売れることはなかった。

でも、名前さえ隠してしまえば此処がどんなところか、地元の人にさえわからないみたいなのよ。

 

私はその名前を聞いた。でも、彼女は顔を横に振って

「私も知らないの」

とだけ言った。

不動産の他の人たちが入れ替えに気づいたとき、それはまずいと正式に名前を別のものに変えたらしい。だから、昔の名前を知る人はもういないそうだ。

 

それでも。

こんなことになってしまった。

 

私は、彼女の手によって開かれた二階の子供部屋の中を見た。雑貨の多い、女の子の部屋。私の友人であるあの子の部屋だった。

カラフルな雑貨が溢れる、賑やかな部屋だった。今では埃に埋もれて荒れてしまったモノクロの部屋だけど。

でも、確かに覚えているあの子の部屋だった。

ただ、記憶の中のものと違うのは、あの子の部屋にもあの子の弟の部屋にも、ランドセルがなかったということ。代わりにどこかの学校の制服がハンガーにかけられていた。

 

カーテンが締め切られた部屋は、いるはずの主だけを置いて時間を重ねていた。

 

 

 

薄暗い二階の廊下を歩き、私たちは階段を降りてきた。ぎし、ぎし、と重い音が耳に響く。

 

 

 

 

 

 

 

そして、徐々に周囲は家の建つ工事の前へと変わっていった。

 

 

 

 

 

 

一段、また一段と階段を降りるにつれて、頭がぼんやりとしてきた。霞がかかったように自分で考えることができなくなってきた。周りの音も消えて、目の前の色が古い写真みたいに色褪せて見えた。

それでも体は勝手に動く。踏み外すこともなく、私はちゃんと階段を降りきって一階へ戻ってきた。

 

 

 

そう。まるで意識のある夢を見ているみたいに。

 

 

 

操り人形って、きっとこんな気持ちなんだろうね。

自分じゃない、なにかの意思で体が動かされる。それが当然のことのように。運命であるかのように。

それを、不思議に感じない。

 

 

 

埃で被われたフローリングのはずの床が木の板切れへと変わる。

私の足は、滑るようにその木目をなぞっていく。

 

周りはもう、知らない小屋となっていた。家なんて言えない簡易な見窄らしい小屋。

足の長い食卓が折り畳み式の平たい長机へと変わる。公会堂とかにある、集会を開くときによく使う、あの机。そこへ、一人、また一人と席に着いていく。

でっぷりとした、シャツにネクタイを首に巻いた偉そうな男性。工事現場にいそうな、筋肉ががっちりついた作業着にタオルを頭に巻いた男性。その二人がまず、机を挟んで座りあった。あぐらを組んで座る姿は、いかにも古くさい昔の男性だった。

二人の周りに人が増えていく。シャツのグループと、作業着のグループ。

 

今、太った男性が机を叩いた。作業着の男性が立ち上がった。どちらも怒っているようだけど、私には何の音も聞こえない。ただ、彼らが言い争っている。その様子しか私には届かない。

 

 

 

何に怒っているのか。何を話しているのか。

 

 

 

何を、しているのか。

 

 

 

何を、しようと、しているのか。

 

 

 

私には、わからない。

 

 

 

私はただそこに立って傍観していた。ただ、それだけだった。

 

 

 

頭の中は真っ白で、その映像という情報だけが視覚を通して送られてきた。

 

 

 

 

 

 

私はそこにはいなかった。

 

そこには存在していなかった。

 

だって。

 

それは、過去の情報に過ぎなかったんだから。

 

 

 

私は立ち続けた。

目の前にあるはずのない過去という情報を、この目にうつしていた。

 

 

 

ふと、私は机の上に目をやった。そこには一枚の紙が広げられていた。

どこかで見たことのある図が描かれていた。

入り口には鳥居のマーク。そこから道を挟んで家が一個、二個、三個。

それは、あの子が住んでいた「あの」分譲地の地図だった。

 

 

 

彼らは、あの場所を作ろうとしている。

私が知るはずもない、不動産と工事関係者たちがそこには集まっていた。多分、そうなんだ。

 

 

 

彼らの言い争いは更に激しくなった。

一体何に怒っているの。何を焦っているの。

 

 

 

 

 

 

そして、とうとう工事は始まってしまった。

 

 

 

 

 

 

始まってしまった。

 

 

 

 

始めてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

ガラス越しに、重機で穴を掘っている様子が見える。音も、声も、振動も、何も私には届かないけど。

ただ、彼らは、穴を掘っていた。

 

 

 

ガラスという異物を挟んで、私はただ見ていた。

何も思わなかった。

 

 

 

地面を掘る。人が、重機が、シャベルが。掘っていく。黒みがかかった茶色い土が地上へと山になっていく。

地面が、ゆっくりと掘られていく。

穴が、大きくなっていく。

 

 

 

多分、この家のあるところだよ。

 

 

 

視界の隅に木屑と石がまとめられている。枝とかではなく、箱の材料だったもの。そんな風に私は感じた。

大事なもの、じゃ、ないの?

そんな風に、扱って、いいもの、なの?

 

 

 

 

 

 

ざわり。と、胸騒ぎがした。

 

ヤッテハ、イケナイコト。

このひとたちヤってる。

 

 

 

 

 

 

直感的なものだった。

ううん。地元民っていう本能が、ナニかを感じていた。

ヤバいよ。ヤバい。この人たち、やっちゃいけないこと、してる。

 

 

 

私は、ただ見ているだけだった。

 

 

 

彼らはやってはいけないことをした。

そこにあった小さな祠を壊して、お祓いすらしないで、何にも対策すらしないで、蔑ろにして、そこを掘った。

掘ってしまった。

 

 

 

詳しいことなんて何にも知らないよ。

ただ、最後の最後に残っていたはずの名前を消した時点で。何か悪いことは始まる準備を始めた。

そう思うよ。

地元民でさえ忘れてたのに、無意識で避けていたモノ。

そんなものを、彼らは何にも知らないで、知ろうともおそれようともしないで。

 

掘り起こした。

 

知らないよ。

それが何か。昔、其所に何が在ったのか。其処に何が遇ったのか。そこで何をしたのか。

もう、だぁれも知らない。

だぁれも教えてくれない。

 

だから、知らないの。

知らないままでいなくちゃいけなかったんだ。

なんにも知らない私たちにできることは、知らないまま蓋を閉じ続けること。それだけなんだ。

 

やってはいけないことをやらせないために、古い旧い地元の人は印をつけた。名前という印を。

それを、無知な外から来た余所者は、いとも容易く破ってみせた。

こんなものこわくなんてないぞ。

それは勇気でも利口でもない。ただの愚かな無謀だ。

 

だから私は余所者が嫌いなんだ。

私たちのことを、中のことを知ろうともせずに知ったつもりになって、勝手に手を出そうとする。

だから嫌いなんだ。

 

 

 

彼らは掘った。

 

 

 

 

 

彼らは。

 

掘ってしまった。

 

 

 

土の下から木の板が見える。大きい。なんでこんなところに。

彼らはそれを壊した。手は全く止まらなかった。

壊された木の板の下には暗闇がぽっかりと置かれていた。

それは、明らかに人の手によるものだった。

 

誰かが「こう」した。

なんで? なにを?

なんのために?

 

 

 

知らなくてもいいことだよ。

触れないでいればそれでいいの。

知ってしまえば、触れて開けてしまえば後戻りはできなくなる。

 

 

 

知りたいでしょ。

 

知りたくないでしょ。

 

知らなきゃいけないでしょ。

 

知っちゃいけないでしょ。

 

どれが正しいのかなんてわかんない。でも、私は確かにそれを見ていた。

彼らが、よそから来た愚か者が、何を仕出かしたのか。見てみろとばかりに、事実が眼前に突き付けられていた。

 

 

 

私からは見えないはずの角度。絶対に見えないはず。でも、なぜかその暗闇の中がどういう造りになっているのか、私にはわかった。

きっと、覗き込んでも見えないはずなのに。

 

 

大きな木の板の下、それを本当だったら退けると、ぽっかり暗い四角い穴になる。

そこに明かりを近づけると、四角い穴にぴったりとはまった大きな白い石。そのてっぺんが見える。白い石は穴の奥の奥まで続くほど縦に長く削られている。そう、塞ぐ為にわざわざ削り出された物だよ。塞いで、蓋をして、重石をして。

決して。決して! 何があっても!! 絶対に!!! この世が終わっても二度と開いてはいけないモノが!!!

 

 

 

其所にはある。

 

 

 

一つの木箱が、暗闇の奥深くに埋められている。

 

 

 

たくさんの御札と、呪術の込められた神聖な布。きっと、そんなもので厳重に厳重に箱は包装されて閉じられていたはずの木箱。

絶対に、絶対に、開かないように釘や仕掛けで閉じ込めて、蓋をして、石で封をした木箱。

 

 

 

 

 

 

中に何が入っているかって?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知るわけないじゃん。

 

 

 

 

 

 

 

知るはずないよ、そんなの。

 

知っちゃいけないモノが中に入ってるんだ。

 

だから、箱の中は見ちゃいけない。

開けてみちゃいけないんだ。

 

 

 

 

 

 

二度と開くことのない、永遠の闇の中にあるはずのそれ。そう、真っ暗な。

 

 

 

 

暗く、黒く、どこまでも続くような闇の中の。

 

 

 

 

深く、深い、どこまでも落ちていくような闇の奥の。

 

 

 

 

底のほうに。

 

 

 

 

 

 

 

なにかが、いた。

 

 

 

 

 

 

 

何もしなければよかったんだ。触れないで、壊さないで、見ないで、気づかれずにいればそれでよかったんだ。

でも、彼らは禁忌を犯した。

 

壊された木の板の真下は、一面の白い石のはずだった。でも、なぜか。なんでか。どうしてか。

 

 

 

 

 

 

隙間があった。

 

 

 

 

暗く冷たい空洞。

 

 

 

その下には。

 

 

 

木の扉が見えていた。

 

 

 

 

 

 

彼らは禁忌を犯した。過ちを犯した。

 

 

 

空洞の奥の方に興味を示した一人が、白い石を退かそうと太い木の棒を差し込んだ。てこの原理で力を加えられた石は、ほんのわずかに隙間を広げた。広げてしまった。

別の一人が空洞を覗き込む。何か言っているようだ。私には聞こえないけれど。

空洞から冷たい空気が吹き上げてくる。

下から、上へ、体温を奪い取るような冷たい空気が上ってくる。血や肉や腐ったものや吐き気のするようなどろどろしたものが、上へ上がってくる。

何かはわからないけれど、何かは解らないけれど、分かりたくもないけれど、きっと、きっと。

 

 

 

ヤバいもの。

 

 

 

彼らは禁忌を犯した。過ちを犯した。取り返しのつかない、悔いることすらできない愚かで大馬鹿な業を犯した。

 

 

 

 

 

 

 

アレがやって来る。

 

 

 

 

 

 

深い闇の底に埋まる木箱の蓋は、決して開かれることがないはずだった。あれだけ大きく重い石で封じられていたのだから。

でも、彼らはそれを退かしてしまった。

ほんの少しだけ、アレが出て来れる隙を愚かにも自ら作り出してしまった。

 

音を例えるなら、そうだな。「するり」、とかかな。

底なんてあるはずのない暗闇の奥底に何かが開く気配がした。石の下に敷かれていた木箱の扉が、ゆっくりと、横に、動いていた。

そんなことにも気づかない彼らは変わらず作業を続ける。石を退かそうと重機を持ち出す。時折、誰かが穴の下を覗き込む。

石が、斜めに大きく傾いた時だった。

 

ああ、なんて愚かな。

 

それまで全く音なんて耳に届かなかった私の耳に、誰かの悲鳴が叩きつけられた。

 

一人が暗闇の下を覗き込んでいる。悲鳴をあげた。別の一人がそれを聞いて駆けつけてきた。別の悲鳴があがる。

下から何かが上がってくる。下から何かが上ってくる。暗闇からアレが上ってくる!

音もなく、気配もなく、浮かび上がるように、それはゆっくりと、彼らの前に姿を現した。

 

 

 

闇からすらりと見えたものは真っ白な、血の気の通わない手だった。いっそ美しいと思うくらい真っ白で、傷なんてない、生きていない死者の手だった。

それが穴の入り口に手をかけた。

指が一本、二本、三本と闇から形を現した。

また、別の悲鳴があがる。

白い腕が完全に光の下へ這い出した。誰もが腕の先には肩が、胸が、胴体が、頭があると思っただろう。続いて姿を現したものは同じような白い指、白い腕だった。

一本、二本、三本と同じようにそれらは闇から姿を現した。

指が?

違う。腕が。

いくつもの腕が闇から這い出した。そして、それらの先は一つのまるいものに繋がっていた。

 

今、音もなくアレが彼らの目の前に姿を現した。

 

円い、鏡のような形の物。それの縁にいくつも白い腕がくっついていた。違う。くっついているんじゃない。花のように、枝のように、腕はそれから生えていた。

そして、その円の中心には。

 

人の顔があった。

 

誰かのようで誰でもない顔。

それが、怒るわけでも泣くわけでも悲しむわけでもない、ただ穏やかに微笑む表情でそこにあった。

やけにその表情が頭にこびりついている。ただ笑っているだけの顔なのに。ただ、笑っているだけなんだよ。何も見ないでただ笑ってる。

それが、私には恐ろしかった。

この世のものではない異形な形をしたアレ。それを見た瞬間、私は一瞬にして全身に鳥肌をたてた。でも、動けなかった。足も、指も、瞬きだってできなかった。

アレから目を離すことができなかった。

 

誰かがまた悲鳴をあげた。今度はそれが波紋のように伝染していく。

全身を地上に見せたアレは、いくつも生やした手を動かして信じられないスピードで動き出した。

歩くというより泳ぐ、滑空するっていう表現が近いかもしれない。腕がわさわさと動く。全部が別の動きを。一本ずつが、別の人の物のように。別の人の意思があるかのように。

気持ち悪い生き物だった。いや、生きてないんだけど、物と言っていいのかもわかんない。

 

それが、ぴょんと一人の男に飛びついた。

 

悲鳴が、絶叫が響いたんだろう。

私には聞こえなかったけど。

 

でも、それは何かするというわけでもなくすぐに近くにいた別の男に飛びついた。

そうして次々と工事現場にいた男たちに飛びついては離れていく。それはもう軽々と。風に煽られた蜘蛛のようだった。

あっという間にそれは全員に触れ、とうとう部屋の中にまで飛び込んできた。

すい、と私のすぐ横を通過して、机に手をつき立ち上がりかけていた不動産の男たちにも飛びついていった。

悲鳴をあげて哀れなくらい怯える男たち。手で払おうとした次の瞬間には、もう、別の所にいる。

それが飛びついたのは、なにも男に限った者じゃなかった。現場には男しかいなかったけど、お手伝いとしてだろうか、着物にエプロンをした女たちが数人廊下を歩いていた。たまたまだったんだろう。

男たちにしたように、それは女にも飛びついた。甲高い悲鳴が次々とあがっていった。

 

その中で、二人の若い女にそれが飛びついた時だった。

ぴょんと女の顔に飛びつき、悲鳴をあげて手で追い払おうとした女の手を掻い潜り、隣の女へ飛び移った時に私は見た。

アレが、それまでとは微妙に違うニヤリとした笑みに変わったんだ。

気持ちの悪い、気味の悪い笑みでそれは女の胴を伝って床に降り、サカサカとどこかへ消え去った。

 

でも、そのすぐ一瞬の後、がくりと女が膝から崩れ落ちてガクガクと震え出した。顔は真っ青で、目の焦点も合っていない。隣の女は支えながらこう叫んだ。

「彼女、妊娠してるの」

次の瞬間、震える女の股から赤い液が垂れてきた。そして、そして。

女は。

女は。

 

 

 

口から唾液や胃液、腸液なんかと一緒に吐き出した。

 

 

 

ウズラの卵ほどの大きさ。丸い、ぶよぶよした半透明の何か。

私には、カエルの卵のようにも見えた。

 

 

 

人の体から出てくる物じゃない。出てきていい物じゃない。そんなものが、女の口から次々と吐き出された。

支えていた女は、もちろん悲鳴をあげて泣きながら飛び退いた。

 

 

 

 

あっという間のことだった。

 

 

 

 

 

 

私は理解した。

アレは、ただ闇雲に飛びついていったんじゃない。厄を纏って取り憑いていったんだ。

人の手で払えるモノじゃなかったんだ。祓うことができないんだから。

 

 

 

アレが何なのか、私にはわからない。

わからないけど、全くわからないけど。

ほんの少しだけ、可哀想だと思った。

身勝手な人に無理矢理ああいう形にさせられた何か。あんな異形な姿にさせられて、土のずっと下に閉じ込められて。

ああ、駄目だ。同情なんてしちゃったら、自分もアレの一部になっちゃう。

 

 

 

これはただの想像なんだけどね。

アレは、元々何処かに祀られていた神聖な鏡だと思うんだ。一瞬だけ私から見えた、顔のない側の様子。真っ黒で何も写していない顔の裏。あれは鏡だよ。円い形の鏡。

そして、アレに生えたたくさんの腕。死んだ人の、腕。きっと一人の物じゃない。たくさんの人の物だ。

 

 

 

想像してみる。

冷たくて、暗い、土の下の木箱の中に、鏡が一枚。それと、人。

 

 

 

そこで何があったかなんて知らないよ!

でも、きっと何か悪いことがあって、それを納めようとして、誰かを、生け贄にしたんだ。

生きたまま木箱の中に入れて、一緒に祀る鏡を入れて、蓋をして、埋めて、重石をして。

それでも、おさまらなくて。

同じようにその木箱の中に、人を、生け贄を入れて。何度も何度も繰り返して。

おさまらなくて。どうにもなんなくて。

どうすることもできなくて!

 

もう、引き返せなくなっちゃったんだね。

昔の人は、箱を事実と一緒に深い穴に埋めて、隠してしまった。

開いちゃいけないよ、って。

それができる唯一のことだったんだろうね。

 

箱の中はいろんなモノが混ざってバケモノになっちゃった。

とんでもないものをつくってしまった。

そんな後悔と一緒に、きっと埋めたんだろうな。土で隠して、掘り起こしちゃいけないっていう印もつけて、簡単な祠も立てて。

 

『アレを外に出すべからず。』

 

そんな声が聞こえる気がする。

 

 

 

でも、結局、そんなことも知らない余所者はそんな思いも壊してアレを出してしまった。

余所者じゃなくても、誰かが出してしまったかもしれない。しょうがないよね。しょうがないんだよね。

 

私の友人は、もう、戻って来ないんだから。

もう、取り返しがつかないことになってしまった。

あの、私が大好きだった家族は、消えてしまった。もう、どんなことをしても、どこを探しても、戻ってこない。

 

 

 

悪いことの繰り返しじゃないか! これじゃ、ただの悪循環を生んだだけだ!

 

 

 

かえしてよ。あの子たちを、あの家族の幸せを、未来をかえして!!!

 

 

 

 

 

 

ぼんやりとアレが消えていった方を見ていた。

もう、どうすることもできないんだって、私は思った。あんなものが地上に出てきてしまった。あんなものが、生まれてしまった。

 

 

 

私には、何もできない。

 

何度も何度も一緒に遊んだあの子も、あの子の弟くんも、おばさんもおじさんも。

 

 

 

もういない。いなくなってしまった。

なんにも知らないで笑っていられたあの時間は終わってしまった。せめて、私が何か少しでも、ここはおかしいよ。そう言うとこができたなら。ここにいちゃいけないよ。そう忠告することができたなら。

私には、なんにもすることができなかった。

 

私は、無力だ。

 

ごめんね。

ごめんなさい。

助けてあげられなくて、ごめんなさい。

もっと早く、気づいてあげられなくて。もっと早く、ここに戻ってくることができなくて。

 

何も知らなくて、ごめんなさい。

 

全部が遅すぎた。違和感に気づくことも、事実を知ることも。

もう、そこには誰もいなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

周りは白いでいた。見えていた過去の虚像が、蜃気楼のように揺らいでは消えていく。霧の中に埋もれていくかのように人の影は遠退いていく。

全ては幻だった。

何が見せた幻なのかはわからない。でもそれは、嘘でも作り話でもなくて、実際にあった現実。私にはそうとしか思えなかった。

それを証明する人なんてどこにもいないけれど。

 

 

 

全て、終わってしまったこと。

全部、全部、過ぎていってしまったこと。

 

ただ自分の中に残ったのは、わけのわからない後悔だった。

もっとこうしていたら。もしこうだったら。自分がもっと。もっと、ちゃんとしていたら。

なにも、無くさなかったのかな。

誰も、悲しまなかったのかな。

みんな、笑っていられたのかな。

あの頃のままでいられたのかな。

 

結局ね。全部自分が悪かったんだって思った方が楽だったんだ。

本当はそんなことないのかもしれない。私だけが全部背負って、悪かったなんて、そんなことないよ。でもね。どうすることもできない現実から逃げるなんて、もうできなかった。逃げられないから、目を逸らしてしまいたかった。

私は弱い人間だから。

 

弱いから、自分を責めて逃げようとするの。

何もできない自分に怒りを向けて、何もできなかった過去の自分を正当化しようとするの。あの時の自分はしょうがなかったんだ。そんな風に。

 

なにが正しいか、どうあることが正しいか、そんなのわかんないんだけどね。

誰も、知らないでしょ?

 

 

 

ぼんやりと立っていることしかできない自分の意識をそこに戻したのは突然のことだった。

 

私の足首を、何かがひたりと触っている。

 

息を飲んで下を見ると、白い手が私の足を触っている。

小さな子どもの手だった。アレに付いていたモノと同じように血の気の全くない真っ白な手。

ぺたり。

ぺたり。

そんな音が本当に出そうな触り方だった。実際は音なんて全くしていなかったけど。

ぺたり。

ぺたり。

ぺたり。ぺたり。

ぺたり。ぺたり。ぺたり。

ぺたり。ぺたり。ぺたり。ぺたり。

その手は足を、膝を、ゆっくりと這い上がっていった。

一本だった腕は四本になった。腕だけじゃなく、いつの間にか裸足の足も四本、私の足下で跳び跳ねていた。

怖かった。怖くて恐くて、私の体は震えて、歯はカチカチと鳴っていた。

温度のない手足たち。冷たいも熱いもない、ただ「触られている」という感覚だけを与える手足たち。

泣き出したくなった。叫び出したくなった。助けてって。触らないでって。でも、ふとした瞬間。ほんとにふ、とした瞬間だよ。なんか、知ってる感じがしたんだ。不思議だよね。懐かしい雰囲気が蘇ってきたんだ。私、この雰囲気を知ってる。そう感じたの。

 

 

 

あの子たちだった。

 

 

 

幼かったあの日に別れて、知らない間に消えていなくなってしまった私の友人たちだった。

 

 

 

 

 

 

あの子たちはここにいたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

ずっと、ずっと、この場所にいた。

私を覚えていてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなことになっちゃったのに!

 

 

 

こんな酷い姿になって、こんな酷い最期になって。それでも。

それでも。

大人になった私を待っていてくれた。

 

 

 

 

 

 

そうしてどれくらい時間が経ったのか。ゆっくりと、その手たちは離れていった。

 

ここから出よう。

自分にはどうすることもできないから。

この家から出ようと、ふらふらした足取りで玄関に向かおうとした時だった。

 

カサ……カサ……

 

何処からかかわいた音がした。

 

 

 

その瞬間、ドキリと心臓が跳ね上がった。

乾いてる音。アレの手がカサカサと木の葉の様に動いてる。渇いてる音。命が尽きて潤っていない。そんな、音がする。

 

家の何処かの隅にある暗闇から、アレが私の方に向かって這ってきた。

過去の映像の中では決して私に向かなかったあの顔が。私を決して見ることがなかったあの目が。

現実の今、私に向かってきている。

あの空虚な薄気味悪い笑顔が、今度は私に向かってきている。

 

逃げなきゃ!

 

私は必死に足を動かした。水の中を掻き分けるみたいにすごく重かった。けど、どんなに重くても私は足を玄関に進めなきゃいけなかった。

どうしても今、家から出ないと二度と外へは戻れない。

 

 

 

そう思ったの。

 

 

 

 

やっとの思いで玄関に着いて、並べられた一足しかない自分の靴に足を突っ込んだ。そのまま倒れるように扉に寄り掛かってノブを掴んだ。でも、開かない。

何度も何度もノブを回そうとしたけど、少しも回らないの。

どうしても、入り口から外に出られない!

後ろからはアレが近づく音がだんだん大きくなってくる。虚像の中では物音一つ聞こえさせなかったアイツが、よりによって今、私の恐怖心を逆撫でするような音を立てて近づいてくる。

開け! 開け!

どんなにガチャガチャ回しても扉は開かない。もちろん、鍵なんてかかっていない。

そこで気がついた。

あんなにうるさいくらい聞こえていたはずの、アイツのカサカサいう音が、止まっていた。

私は振り向いた。心臓はまだどきどき走っていたけど、体は冷えきっていた。

振り向いた先の、玄関から見える廊下の突き当たりの、何もないはずの影になっている角の、深い深い闇の中。

私は、其所にアレを見つけた。

そうして。

 

目が。

 

二つの光を失った目が。

 

私の目と。

 

私の視線と。

 

かち合った。

 

 

 

私はアレよりも近くにあった部屋へ飛び込んだ。その部屋からは玄関の先にある門が見えていたはずだ。玄関の扉からは出られない。

アイツが出してくれない。

私には聞こえた。アレが何を言っているのか。

他の人たちと同じようにお前も外へ出すわけにはいかない。

ゆるさない。

頭の中に、直接響いてきた。それは、声ではなかったけれど。

 

その家に住んだあの家族を閉じ込めたのはそいつだった。外に、別の場所に逃げられないように閉じ込めた。

きっと、かつて自分が木箱の中でされたように。狭くて暗い空間に押し込んで、詰め込んで、どこにも逃げられないようにした。

だから、今回もきっと。外から入ってきた私を帰さない。

 

 

 

アレはわらっていた。

何を見てわらっているのか、そんなのはわからない。でも、私を見ているんじゃない。私なんかを見ていないの。

なにも、みていない。なにも、うつしていないの。

 

 

 

少しだけ、ほんの少しだけ可哀想に思った。胸が、きゅっと締め付けられた。

 

アレは、外に溢れている光を、綺麗な景色を知らないのか。そう思うと。

 

 

 

 

 

 

飛び込んだ部屋からは、記憶通り正面玄関が見えていた。

外と中を遮るベランダのガラス扉に私はすがりついた。手のひらも頬もべったりと付けて、外の様子を見つめた。

 

玄関の扉の先にある門。その更に向こうには知らないお坊さんが立っていた。

彼は数珠を手に絡ませて、お経かな、額から汗を垂らしながら一心不乱に何かを唱えていた。

 

後ろからはカサカサとアレが近づいてきている。

 

不意にかたんと音がして、ガラス扉が動くようになった。今だ! 私はおもいっきり扉を横にスライドした。扉は途中で止まることも引っ掛かることもなく、それまでの重みが嘘のように軽々と開いた。

私は門に向かって駆け出した。

門は私たちが入ってきた時のまま、開きっぱなしになっていた。私はスピードを落とすことなく、その門を潜ろうとした。でも、そこを通過することはできなかった。

門の開いた口には見えない透明な膜が張っていて、それが私を外に出れないようにしていた。出れると思って勢いよくぶつかって行った私は今にも泣きそうな顔をしていたんだろうな。もしかしたら、もうその時には泣いていたかもしれない。

だって、門の外は当たり前のようにちゃんと見えているんだよ。あと一歩、たった一歩足が進めば「普通の」日常に戻れるんだ。

やっとここから出れる! 正直、そういう期待があったんだ。

でもその希望も弾かれた瞬間、もうダメかもしれないっていう絶望に塗り替えられそうになった。白が、黒に、一瞬にして塗り替えられそうになったんだ。

 

 

 

その時、私の肩を骨張った女性の手が触れた。その手には、ちゃんと生きている人の温かさがあった。

 

私をこの家に招いた彼女、その人だった。

 

 

 

彼女は力強く、私の背を押した。

後ろを振り向くと、彼女の険しい顔がすぐそこにあった。

彼女は言った。

 

「出ていけ」

 

彼女の後ろには、家の建物から出ることができないアレが見えた。笑ってはいるけど、どことなく悔しそうな顔。アレはベランダの扉から少しも出ることができずにいた。

私は彼女の顔を見た。皺がたくさん刻まれて痩せ細った顔。私が、全く知らない人の顔。

でも、強くて安心するような雰囲気がそこにはあった。

彼女はアレと私の間で壁になって、もう一度言った。

 

「ここから出ていきなさい」

 

ぐいぐいと私を押し出す手には、更に力がこもる。すると、急に体が前へ倒れ出した。

 

私は、家の外に押し出された。

 

驚いた私は彼女を見た。

開いた門の間に立つ、家の外と内側の狭間に立つ彼女を見た。そして、彼女も私を見ていた。

 

彼女は最後にこう言った。

 

「あなたは知ろうとしてくれた」

 

私を見て、笑って、そう言った。

 

他の人は知ろうともわかろうともしないで逃げた。でも、私は気の狂ったババアとして真実を語ろう。たとえ信じてもらえなくても、語ろう。

そのために外と中を自分は行き来するの。

 

 

 

私に対して言ったことではないかもしれない。でも、その言葉は今でも私の中に残っている。彼女の顔と声と一緒に、しっかり残ってるんだ。

 

 

 

 

 

それから時間が経って、もう一度思い出すんだ。ううん。何回だって思い出す。

あの女性は誰だったんだろう。あの家の隣に住んでいると言ったあのお婆さん。

 

多分、もう会わないだろうけど。

 

でも、自分は知っている。

あの家のこと。あの家の下のこと。

あの家に住んでいた、昔の友人のこと。

 

 

 

何年も会っていない友人のこと、覚えていますか。

最後に会った日の次のこと、知っていますか。

彼らが今何処にいて、何をして、どうしているか。

知っていますか?

 

いつでもまた会えるなんて、いつまでも暢気に言ってられないんだよ。

人はいつか必ず死ぬ。いなくなってしまう。

わかるでしょ?

それがいつなんて、誰にもわからない。

だから、全部が自分の知らないうちに終わっちゃっていることもあるんだよ。知らなかった。その一言で終わらせられないくらいの後悔を、私は味わった。

 

 

 

ねえ。会いたいなって思う人がいるなら、その人に今すぐ会いに行って。

電話でも、メールでも、手紙だっていい。

その人のこと、少しでも知ってあげられるように努力して。きっと全部は理解できない。だからこそ、わかってあげられるように努力をして。

 

その人がいなくなってからじゃ、全部遅いんだよ。

その人に「わかってるよ」って言ってあげられるうちに、会いに行ってあげて。

顔を見て、こう言おうよ。

 

 

 

「また、あえたね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに、同級生に会いに行きたくなった。

あの日の後、自分はこうしていたんだよって、話したくなった。

そして、君たちはどうしてた? そう聞きたくなった。

 

 

 

 

 

 

あの子の手に返せなかったバケツが、今日もあの家の門の所に引っ掛けられている。

 

 

 

もう二度と、あの家の呼び鈴を鳴らすことはないだろう。




あの場所、誰かが新しい名前をつけたらしいよ。

『皆五六四』

ってね。

行ってみる?
私は行かないけど。


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出席番号10番「7ページ目を追いかけて」①

やあ、みんな。今度は僕の番だ。

これは、言ってみれば予行練習、みたいなものだったのかもしれない。

長い話になるよ? 最後まで聞いていてね。

 

 

 

季節は春。もうすぐ桜の花も散るだろう頃に、僕はその部屋の戸を開いた。

 

白いワイシャツの上に着たブレザーが役目を終えるまであと一年。高校三年生に進級したばかりの僕は、友人からある話に誘われた。

「せっかくの高校生活最後の年なんだから、変わったことやろうぜ」

彼が誘ったのは一年間だけの委員会活動。進路も、就職も、勉強も、ギスギスした人間関係も忘れて、まっさらな白紙で何かをしないかと僕に話を持ちかけた。

今考えるとね、おかしな話だったよ。僕は彼とはそれ以前に話した記憶がないんだ。だから、僕が彼を、彼が僕を『友人』と呼ぶのはおかしい。

彼に声をかけられた時点で、僕のこの話は始まったんだ。

戸の横にはこんな看板が掲げられていた。

 

『七不思議調査委員会』

 

どこかで聞いたことがないかい?

そう。僕たちが面白半分に小学生の頃立ち上げた委員会と同じ名前だよ。

六年ぶりになるかな。僕は、七不思議の解明に乗り出した。僕たちの地元の七不思議はまだ解明できていないものも残っている。まあ、それも時間の問題なんだけどね。桜ヶ原の七不思議、七つ目の『同窓会』は、今僕たちが体験しているんだもの。

でも、高校生だった僕はそれがすごく歯痒かった。いつかはわかることでも、その時わからなきゃ意味がないことってあるんだよ。

僕はその『いつか』を待つことができなかった。でも、桜ヶ原を離れてしまった僕には七不思議に近づくこともできない。だから惹かれたんだろうね。

 

僕は七不思議調査委員会のメンバーとして名前を書き加えた。

 

戸を開いた先には僕を含めて何人かの生徒がいた。その中にはもちろん『彼』もいたよ。彼は僕を部屋に招き入れて

「来てくれると信じていたぜ」

と言った。

友人に誘われたんだから、来るに決まってるだろ? その時の僕はそう思っていた。親しい以前に校内で見たこともないっていうのにね。

 

 

 

さて、みんな。これを見てくれ。

ここにあるのは、その委員会の日誌だ。なんでここにあるのかって? そりゃ、僕が持ち出したからに決まっているだろ。

当時あったはずのその委員会はもうないんだ。七不思議は、解明された。僕たちの代を最後に、委員会は二度と立ち上がることはないんだよ。

なら、記念に持ってきてもいいだろう? せっかく僕たちが貴重な一年を費やして完成させた記念の日誌なんだからさ。

まあ、これは僕を誘った『彼』に対する当て付けでもあるんだけどね。

 

この日誌の中には当時の僕たちの手で解明された『七不思議』のことが書かれている。

 

もうわかっただろ?

僕はこの『同窓会』でとっておきの話として『七不思議』を語らせてもらうよ。

 

 

 

 

 

 

ああ。ちょっといいかな? この日誌を開く前に、僕からみんなに聞きたいことがあるんだけど。

ええと、それは、あれだ。みんなは、どんな青春を過ごしたのかな? 変な質問だってことは分かってるよ。でも聞きたいんだ。みんなの青春はどんなものだった?

僕の青春はこの日誌だ。『七不思議』を解こうと足掻いた高校三年生の一年が僕の青春の瞬間だった。

 

みんなの青春は?

警官になりたくて部活に励んだ?

護ってくれるお爺さんに苦笑いをした?

恋人と手を繋いでコンビニに出掛けた?

裁かれない悪者の最期を見届けようと正義の味方になった?

傘を持った人に恋をした?

素敵な恋人たちと同居した?

砂時計の中で終わらない夢を見た?

同志からメッセージは届いたかな?

どれだけ友人と一緒に好きな動画を探した?

真っ暗な地下通路を駆け抜けた?

赤く染まった町を一人で見送った?

あやかしと肩を組んで晩酌した?

日だまりの中で昼寝をした?

それとも、僕みたいに七不思議を廻り続けた?

ねえ、教えて欲しいんだ。

みんなの青春は、今でも色鮮やかなまま一ページを埋めているのか。

 

丁度太陽が沈みかけているね。昼と夜の境の時間、青い空があっという間に緋色を経て群青色に交代する時間。『七不思議』みたいな怪異を語るにはこんな時間が相応しいと僕は思うな。

僕の一生はさ。ずっと青空の下にあったと思うよ。ずっと変わらない青空で、つまらなかったけど不満ではなかった。その中でとびきりの『青』が青春ってわけ。

青色が過ぎて黒色が全部を被う前に、僕の青春の話が終えられたらいいよね。

もちろん、その後の黒色の時間は七不思議を語らせてもらうけど。

 

 

 

じゃあ、始めようか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よし。まずはこの日誌のことを知ってもらおう。

 

ここに一冊の日誌がある。ほら。ぱららららら~、ってね。書いてきたのはもちろん『七不思議調査委員会』のメンバーたち。一番最初のページなんか、もうどんだけ昔だよってくらい古くてボロボロの状態だよね。

委員会の詳しいことはわかんないけど、メンバーはいつも七人。

つまり、一人一個の不思議を調べてこいって話なんだよね。もー、何でみんなで調べるってことしないのかなぁ。

日誌も、その年の一番最初のページにはメンバーの名前が書き出されている。そして、その次のページから本文が始まるんだ。○年×月△日~って感じで。もちろん担当の名前も書かれてる。

大体は見開きで一個の不思議について書いてあるのかな? いきなり三つ目とかから七不思議が始まると変なんで、順番になってる。多分、あらかじめページを空けておくんだろうね。たまに真っ白なページとか、やけに文字が詰まってるページもあったりするよ。内容は…僕たちの一年を話すからいいか。

でさ。その町の七不思議なんだけど、なんかおかしい気がしたんだよね。委員会に誘った『彼』のこともあったんだけど、一番おかしいのはこれ。何年も委員会が立ち上がって、その度に七不思議全部が調べあげられているんだ。その町の七不思議っていうのはね、

一つ、歩道橋

二つ、交差点

三つ、猫ノ集会

四つ、化け物行列

五つ、祠

六つ、鏡

そして、七つ、学舎。

毎年毎年、この七つが調査されて日誌に記されているんだ。

普通さ。七不思議っていうのは六つ目までわかったらやっと七つ目が出てくるってスタイルなんだよね。ほら、僕らの時もそうだろう? この町のもそうなんだよ。

五つ目までは大体終わってる。六つ目は…半分くらいかな。七つ目はタイトルと日付、名前だけでほとんどの年が空白になっているんだ。

それならいいんだよ。ああ、わかんなかったんだなって。一年終わっちゃったんだなって。

でも、七不思議は毎年同じように調査されているんだよね。ほら、見てみて、ここ。この年、一番最初の委員会なんだけど、一つ目から始まって三つ目まで日誌が書かれている。後は空白。で、次の年。また一つ目から始まっているね。続けて二つ目、三つ目。四つ目はまたわからなかった。更に次の年。また一つ目。今度は四つ目がわかったみたい。五つ目は空白。

そう。繰り返しているんだよ。一年経ったらリセットされたかみたいにまた始めから。前年までの日誌はちゃんと残っているはずなのに、わざわざ一つ目からやり直すんだ。

僕は、これは変だなって思った。

毎年繰り返されている七不思議の調査。僕たちの前には、一回も七つ目が完成されたことはない。

だからって一つ目からやり直す必要はないだろ? わからなかった部分だけ追加で調べていけばいいだろ?

でも、『彼』は僕たちの前でこう言ったんだ。

 

「よし。じゃあ、今年も七不思議一つ目からいってみようか!」

 

こうして僕たちは七不思議を『一つ目から』調査することになったんだ。

 

ほんと、おかしな委員会だったよ。今思い出すと、それなりに意味があったんだとは思うんだけどね。

 

 

 

 

 

 

 

僕の青春の一ページは、僕だけの青春の一ページは、この日誌の中にある。

 

改めて話を始めるよ。

 

僕は、桜ヶ原小学校卒業生。出席番号10番、春咲。同級生のみんなお馴染みの『春男』さ。

この委員会の中で担当した七不思議は、まだ誰も辿り着いたことのない七つ目だった。

 

 

 

 

 

七つが不思議、いざ参る。

 

ってね。



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出席番号10番「7ページ目を追いかけて」②歩道橋

『歩道橋』

毎日渡る歩道橋
見下ろす町はちょっと狭い
くだらないと吐き捨てて
一人で渡った
スカート翻し

毎日渡る歩道橋
隣の友と笑いあう
いつしかできた親友と
二人で語る
私たちの夢

毎日渡った歩道橋
夕暮れの朱に浮かび上がる
何かは知れないその影に
今日は手を引かれて
まっ逆さま



春。僕たち四人は出逢った。

高校三年生の、まだ薄桃色の桜が舞う春の日。

 

夏を前に、菜摘は消えた。僕たちの目の前で。

伸ばした手は、落ちていく彼女の手を素通りしていった。

 

 

 

○月×日

担当者、三年△組、菜摘

 

七不思議、一つ目は『歩道橋』。

場所は~通りの~。すぐ近くにおいしい~というケーキ屋さんがある。

いつからその歩道橋があるのか誰も知らない。町の資料にも、そんな歩道橋をいつ作ったのかすら記録がない。でも、確かにその歩道橋はそこにある。

だって、私はこの高校に入学してから毎日その歩道橋を利用してる。もちろん私だけじゃなくて、近隣の人もみんな利用してる。

だから、その歩道橋は噂なんかじゃなくて現実に存在しているの。

 

七不思議の一番最初にくるこの『歩道橋』。私たちの高校から意外と近いところにある大きな道路を跨ぐこの歩道橋に、七不思議という噂はほとんど立たない。それだけたくさんの人が当たり前に利用しているから。

 

 

 

そんな歩道橋にある七不思議っていうのは

『歩道橋の上から下を覗き込んで手を伸ばすと、下から手を引かれて

 

 

 

 

 

 

「なんでっ、なんでよ! なっちゃん、一緒の学校に行こうって…」

 

 

 

 

 

 

その日を僕はよく覚えている。

 

彼女とは委員会に入るまで話をしたこともなかった。だけど、『彼』によって集められた七人の中では同学年という理由を持つ彼女、菜摘を含む僕たち四人は友人として付き合うようになった。

僕と、秋彦と、冬実と、菜摘。僕たちは同じ三年生だった。冬実と菜摘は一年生の頃に知り合い、親友としてその日まで過ごしていた。

彼女たちは、互いに「なっちゃん」「ふゆちゃん」と呼び合う仲の良さだった。時には男子には理解しにくい女子特有の距離の近さで会話し、僕と秋彦を困惑させた。

 

「ほんと、女子ってわからないわよねー。はるちゃん」

「そうよねー、あきちゃん」

 

そんな二人を見ながら、僕と秋彦もふざけあって一時期は「あき」「はる」と呼び合うようになった。

来年には進学か、就職か。僕らにはその二つしか選択肢は見えていなかった。同じような境遇の中で与えられた『委員会』という最後の役目を、僕らはせめて楽しもうと笑って言った。笑っていたんだ。

 

それなのに

 

夏休みはすぐ目の前という時に、菜摘はいなくなった。

 

僕たちの目の前で。

 

 

 

 

 

 

その日は少し曇っていた。梅雨が開けたばかりで、まだじめじめとした湿気が残り空気が重かった。一日授業を終えて帰ろうと荷物をまとめていると、携帯がメールの受信を告げた。

『なっちゃんが変なこと言うの』

メールの相手は冬実だった。

その年は例年に比べると短い気もする梅雨に入る前から、菜摘は変なことを言い始めた。僕たちの会話の中で唐突に「おなかすいた」「おかしちょうだい」「なんか食べに行こう」と言い出すようになったんだ。確かに少し食い意地がはっていたかもしれない菜摘。でもその体型は『デブ』という程ではなくて、地味で痩せ型な冬実と並んでもほんの少しだけ『ぽっちゃりしているね』と言えるかな程度のものだった。

菜摘と冬実は食に興味を持っていて、高校卒業後は同じ専門学校に通いパティシエを目指すつもりだった。

菜摘は食べることを心から楽しんでいたんだ。ここの店の何が美味しい、この料理はどこが変わっていておすすめだ、新作のスウィーツはここがイマイチだからこうすると良くなる。彼女の食べ物の話はおもしろかった。興味深い、の一言に尽きるってこう言うんだな。単に「おいしい」で終わらせずに分析して感想を言って、僕たちにどう? と勧めてくる。その笑顔に彼女の隠さない幸せな感情がどれだけ溢れていたか。

そんな彼女が言い出した変なこととは、もっと食べたい。足りない、もっともっと。もっともっともっとちょうだい! ひたすら飢えを満たそうとするものだった。

徐々に、いつも一緒にいる冬実の表情が曇っていった。菜摘はこんなこと言う子ではない、と。菜摘の笑顔に狂って歪んだものを感じ始めていた。それが何だったのか、結局最期まで解らなかったけれど。

 

菜摘は、もっとと言い出してからしばらくしてこう言った。

「歩道橋の下に美味しそうなケーキ屋さんがあるよね」

あるはずない。

僕たちは入学してからずっとその道を、その歩道橋を利用しているんだ。もし新しい店が近くにオープンしたら誰だって気づくはずだ。なにより。『歩道橋の下』に店なんかあるはずないだろう? 歩道橋は道の上に架かるものだ。その歩道橋は、大きな道路、それも交差点の上に架かっていた。

誰がどう見ても、建物なんか建てられない。

それでも菜摘は言うんだ。

「今朝あの店からクッキーの焼ける匂いがしたよ」

「あの匂いは絶対ケーキのスポンジだよ」

「すごくいいクリームの匂いがしててね」

「ああ、食べてみたいなぁ」

食べてみたいなぁ。

行ってみたいなぁ。

行きたいなぁ。

行ってみない?

行こうよ。

行こう!

「あのお店に行こう!」

 

だから。そのケーキ屋は何処にあるんだよ。

誰も知らないケーキ屋。別の道のことかと思って調べてみたけど、どこにもそんな店なかった。あるはずないんだよ。

じゃあ、菜摘は何を見ているんだ?

 

歩道橋を通るとき、菜摘はいつも下を見ていた。歩道橋の下を。

僕たちには、何も見えなかった。そこにはただ大きな道路と交差点があって、たくさんの車が走っていた。

菜摘は下を指差して

「あのお店のケーキ、食べてみたいな」

と言っていた。

菜摘には何が見えているんだ?

僕たちには解らなかった。

歩道橋の下には、何もなかった。

 

そしてその日がやって来てしまった。その日もいつもと変わらないはっきりしない天気で、空は青色を隠していた。

放課後、いつものように帰宅することばかり頭が考え出した頃、携帯がメールの着信を告げた。

「なっちゃんが変」

冬実からのメールはいつもと同じはずだった。でも、いつもと違ったのは、その後にあったもう一文だった。

「もう我慢できないって」

 

僕は秋彦を連れて冬実に合流した。菜摘は既に学校を出た後だった。冬実は今にも泣きそうな顔をして

「なっちゃん、あたしの声聞こえてない」

いくら声をかけても反応しない、と冬実はそう言った。

僕たちは菜摘を追った。

そして、着いた歩道橋の上で見た光景に僕たちは自分の目を疑った。

 

僕は思った。

 

これが、七不思議の一つ。『歩道橋』なのかと。

 

 

 

空の雲は途切れ、赤い夕焼けが、いいや。血をどろどろと流し込んだように赤黒い夕焼けが、すぐそこまで迫っていた。

 

僕の肌はざわざわと鳥肌が立っていた。多分、秋彦も冬実も同じだったと思う。だって、毎日何も感じず当たり前に使っていた歩道橋にこんな怪異が潜んでいたんだから。

その七不思議は、僕たちの本当にすぐそばにあったんだ。

 

 

 

車の音がうるさかった。どこか遠くでチャイムの音が鳴っていたかもしれない。ドクンドクンと心臓が危険を訴えていた。でも、それよりも僕の耳に残っているのは、彼女の、菜摘の笑い声だった。

 

歩道橋の上で見たものは、菜摘が下を見てくすくすと笑いながら立つ姿だった。

「なっちゃん?」

冬実が近づこうとした時だった。

菜摘が手すりの先に手を伸ばして、

「菜摘!」

手を、伸ばして、

「いやぁああああああ!!!」

歩道橋の下に、おちていった。

 

僕には見えていた。

夕陽に照らされて伸びた菜摘の影に、あるはずのないたくさんの『手』が伸ばされていたことを。

菜摘の目には何が見えていたんだろう。僕の目に写った最期の彼女は笑っていた。幸せそうに。でも、それは本当に彼女の幸せだったんだろうか。菜摘が最期まで伸ばした手は、本当に彼女が望んでいたものに伸ばされていたんだろうか。

 

菜摘は、僕たちの目の前で歩道橋の下におちていった。遺体は、見つからなかった。

ただ、最期の瞬間に菜摘が立っていた場所には一冊の日誌だけが遺されていた。そこには菜摘の字で七不思議の『一つ目』が書かれていた。

 

 

 

その日から何日も経って、あの瞬間を思い出す。目を閉じて、何度もあの瞬間を思い出す。

笑っていた菜摘。伸ばした手。そして、歩道橋の下から伸びたたくさんの手。菜摘を下に引き寄せた、怪異の手。菜摘の伸ばした手を絡めとり、『下』に引きずり込んだ手たち。

 

僕の携帯には、まだ好きなお菓子について笑顔で語る菜摘の写真が残っている。その手には、彼女が僕たちの為に作ってくれた色鮮やかなマカロンたちが乗せられている。

菜摘を一人で撮った写真はその一枚だけ。たった一枚だけ、残っている。彼女は、菜摘は、夏を目の前にして急に消えてしまった。

 

 

 

七不思議調査委員会のメンバーの数が一人減った。

 

 

 

今日もあの歩道橋をたくさんの人が利用している。こんな怪異が潜んでいることも知らずに。

 

委員会の日誌にはこう書かれている。

 

『歩道橋の上から下を覗き込んで手を伸ばすと、下から手を引かれて

 

真っ逆さまにおちる。

 

おちた先にあるのは、自分がもっと欲しいと望んだ欲望のなれの果て。』

 

菜摘が歩道橋の下に見ていたものは、彼女がもっともっと欲しいと言っていたものだったんだ。欲に目が眩んで手を伸ばしすぎると、その欲から手が伸びて引きずり込まれる。

 

これが、七不思議の一つ目。『歩道橋』だった。

 

 

 

一つ目『歩道橋』、調査終了。




『一ツ目、歩道橋』

渡れや渡れ
下を見て
一つが不思議、いざ参らん

架かる橋のその下に
望むものが見えている
決して届かぬはずのもの
在りもしない幻か

もっともっとと手を伸ばせ
さすれば怪異が手を引こう
奈落の底から伸ばさる手
奈落の底に連れ去ろう

歩きし道の橋の上
下には何が見えている


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出席番号10番「7ページ目を追いかけて」③交差点

『交差点』

アコガレのあの人に初恋を
どこにいてもすぐわかる
ねえ、こっち見て
ねえ、こっち見て
声もかけれずカタオモイ

それでもあの人に視線を注ぐ
ただただ見ている
遠くから
見向きもされないコイゴコロ
いつでも余所見をしてばかり

気づけばそこは
交差点
叶わぬ恋の
交差点



菜摘が消えたすぐ後の話なんだけどさ。僕は本当に知らないんだ。だって、目も合わせたことのない人について知りたいとは思わないでしょ?

僕が知っているのは、その女の子が交差点で消えたってことだけ。

 

でもさ、気にしないよね。交差点の中ですれ違った人がどこへいくかなんて。

交差点の中でただすれ違っただけの人の顔も声も覚えていないんだから、ましてそんな人の人生なんて深く考えないよ。

後で思い出すのは、ああ、そんな人いたっけな。その程度なんだよ。

 

だからさ、僕の歩いてきた人生の道で石ころみたいな存在なんていくらでもいるわけ。

もちろん君たちの人生にもね。

 

 

 

菜摘が消えて数週間経った頃。担任の先生からホームルームの連絡事項の一つとして彼女が『行方不明になった』と伝えられた。

教室の中では「ふーん」「誰それ?」「宿題忘れた」みたいな会話が耳に流れてきた。

そうだよね。知らない人のことなんてそれくらいの反応しかないよ。自分とは関係のない人に起こったことなんて『他人事』。ずっとずっと遠くで起こっていることのようにしか感じられない。でも、僕にとっては『他人事』じゃなかった。

菜摘は短い間だったけど確かに友人だった。声も、笑い顔も、彼女がくれた手作りのお菓子の味も、覚えていた。

すぐ側にいるかのように、しっかりと思い出せたんだ。

 

 

 

あの日、歩道橋で起こったことは僕たちに大きな衝撃を与えた。

冬実はまだ立ち直れないで学校を休んでいた。昼休みの時間、僕は委員会で使っている部屋に参考書と筆記用具、弁当を持って入り浸っていた。

ほんの僅か前まで僕たち四人の話し声が聞こえていたはずの部屋。菜摘の作った甘いお菓子の香りがふんわりと漂う中で、どこまでも溶けていきそうな青空に白い雲がクリームのように流れていくのを見ながら笑いあう時間を、僕はとても気に入っていた。

 

かち。かち。かち。

僕一人だけの部屋に壁にかかった時計の音だけが響いていた。

 

がらり、だったか。ばたん、だったか。急に部屋の戸が開いた。

「あーあ、嫌な感じだぜ」

秋彦だった。左手に鞄を引っ掛けて、右手で後ろ頭をがりがり掻く。それが、今でも僕の中にある彼の癖の一つだった。

 

あの歩道橋で泣き崩れた冬実。一見冷静に、菜摘が消えた手すりの方へ走り寄った僕。そして、呆然と立ち尽くした秋彦。

その後のことは覚えていない。冷静でなんかいられなかったんだ、僕たち三人とも。気がついたらそれぞれの家にいた。

僕の家の机の上には菜摘が持っていたはずの日誌が置かれていた。ちゃんと持ち帰っていたんだろうね。携帯のメール受信箱の中には未読が二通。冬実と秋彦からだった。

『明日、休む』

『今は学校なんて行けない』

僕は一言『わかった』とだけ二人にメールを送った。

カーテンも閉めきって真っ暗な部屋の中で携帯のランプだけが光っていた。本当に何もできずに、ただベッドの上に座っていたと思う。

どれだけ時間が過ぎたか、眠っていたのか、覚えていないけど、これだけはしっかりと覚えている。携帯に一通のメールが来たんだ。親しいはずもないからアドレスだって教え合っていないはずの、僕らを七不思議調査委員会に誘った『彼』からだった。

『菜摘、いなくなっちゃったね』

なに言ってるんだ、こいつは。お前が委員会に誘わなければ菜摘はあんなことにならずにすんだんだぞ。僕はそれを見た瞬間、頭にきて携帯を放り出した。

その次の日は、多分学校へは行ったんだと思う。あの歩道橋を通らない道を通って。

 

「あいつ、全然心配なんてしてやがらねぇ」

秋彦の言う『あいつ』とは『彼』のことだ。

どかどかと足音を立てて、秋彦は僕の前に椅子を持ってきた。そして、はぁと盛大な溜め息をつきながらそこの上に座った。そこが彼の定位置でもあったからよく覚えている。

「僕にきたメールと同じ」

「マジかよ」

「マジ」

二人して長い溜め息を吐いた。

この時、僕は秋彦に日誌を『彼』の所に持って行ってもらったんだと思う。七不思議の二番目は名前も知らない一年生の女子の担当だった。手元にあってもなんの意味もない。そう思って『彼』に預けようとしたんだろうね。

本当に根拠は全くないんだけど、何故か『彼』の所へと思ったんだ。もちろん、秋彦も頷いた。冬実には、その時の彼女には、触れてはいけない気がした。

 

かち。かち。かち。

時計の音だけがまた響き始めた。

僕たちは、冬実がまた学校に来れるようになるまで、ただ待つしかできなかった。

 

空には白く雲が流れていた。少し前までの薄暗い灰色は、いつの間にか溶けるような青色へと変わっていた。

梅雨は明けた。

それでも、僕たちの心は例えるなら梅雨の真っ最中のように暗くじめじめとしていた。

 

「俺、菜摘のこと、好きだったんだよなー…」

ポツリと秋彦から漏れた言葉は聞こえない振りをした。

 

 

 

(「春咲君! 秋彦君! 今度のクッキーはね! な、なんと! ふゆちゃんと一緒に作ったんだ! 感想聞かせて!!」)

 

どこからか、菜摘の笑い声と一緒に僕たちの名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。

菜摘と冬実の合作クッキー、今度持ってきてくれるって約束だったのになぁ。楽しみ、だった、のになぁ。

菜摘はもうこの世界にはいないんだと、僕は泣いた。大切な、大事な友人だったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば。

 

菜摘が消えた後にも、誰かがあの場所でいなくなったらしい。歩道橋じゃなくて、その下にある交差点でだったらしいけど。詳しいことは知らないな。うん。知らない子だよ。

それに、僕たちは僕たちのことで一杯だったんだ。覚えているはずないじゃないか。

 

たしか…

同じ七不思議調査委員会の子だっけ? 一年生の女子だったらしい。

 

知らないけどね。

 

 

 

一人の女子生徒が消えたらしい。菜摘の消えたあの歩道橋の下にある交差点で。

 

後で冬実に聞いた話なんだけど。

その子は冬実と菜摘のいた調理部の後輩だったらしい。

「ほら、この子」

冬実が見せてくれた部員の集合写真の中にその子はいた。髪が長くて、いわゆる『ギャル』という感じの女子高生。知らない子だった。いや、どこかで見たことがある気もした。ああ、七不思議調査委員会の顔合わせの時にいたかもしれない。

嫌いじゃない、でも好きでもない子。つまり、関心すら向かないし興味も持てない子だった。

 

「この子、春咲君のこと好きだったらしくてね」

「は?」

「喋ったこともないでしょ。でも、ずーっと君のことを見てたんだって」

ほんとに見てるだけだったけど。

冬実は部活の後輩について語った。

その年の春に入学し、冬実と菜摘のいた調理部に入部した女の子。

「実はね。私もそんなに親しいわけじゃなかったの。だから詳しくないんだけど」

というか、その子。特に親しい人がいるわけじゃなかったみたいなんだけどね。

近くもなく、遠くもなく。一定の距離を開けてその子は人付き合いをするような、どこか冷めた性格をしていたらしい。他の女子と混ざって楽しそうにお喋りをする。集団から外れないように周囲に合わせて溶け込む。僕はそういう関係に心当たりがあった。

「その子、いじめにあったりしてなかった?」

冬実は驚いた顔を一瞬したけど、すぐに悲しそうな顔をしてこう言った。本当に、冬実は優しいよ。自分のことじゃないのに心から悲しんでいた。

「うん…中学の時にちょっとあったらしいよ」

中学の時。なるほど。それなら高校では距離を置くよね。壁を作るよね。でも、怖くて恐くて寂しくて淋しいから気づかれないように溶け込むんだ。『私はみんなとおんなじですよ』って。そんな子が何でか『彼』に呼ばれてこの七不思議調査委員会のメンバーとなった。そこで僕を見つけた。僕に、恋をした。

そんなこと、僕は全く知らないんだけど。

 

 

 

一つ目の七不思議を担当した菜摘。そして、二つ目の七不思議を担当した一年生の彼女。

二人ともいなくなってしまった。誰にも気にされないまま、消えてしまった。

菜摘は『もっと』と手を伸ばしすぎて。そして、もう一人の彼女はきっと。

 

 

 

後日、『彼』から夏彦へ七不思議が書かれた日誌が渡された。

「今度は君の番だよ」

その言葉と一緒に。

 

交差点で消えた彼女は、ふらふらと余所見をしていた。視線の先は恋する相手。僕だった。ふらふらふらふら。気づいたらそこは交差点。そして、その先は。

 

日誌を手にした夏彦が不安そうに僕を見る。

冬実に連絡をしよう。

 

何か、嫌なことが起きている。

 

僕は言った。

 

「これ、神隠しってやつじゃない?」

 

 

 

もうすぐ、夏休みに入ろうとしていた。高校生活、最後の夏休みだった。

 

 

 

 

 

僕の手元にあるこの日誌には、その知らない彼女が書いた文が残っている。

 

 

 

×月△日

担当者、一年△組、×××

 

七不思議、二つ目は交差点。

場所は、菜摘先輩がいなくなった歩道橋の下。

一つ目の歩道橋とおんなじように、いつからあるのかわかんない。でも、いつもたくさんの車が通っているのを見てるし、歩道橋があるんだから下には道があるものでしょ?歩道橋の下には大きな交差点。みんなが使う、みんなが通る大きな道。

 

 

 

そんな交差点にある七不思議っていうのは

『余所見をしているといつの間にか交差点の中心に立っている』。

そんなもの。こんなの、ただの不注意じゃない。でも続きがあってね。

それは

 

『そして、いるはずのない胸中の相手がこっちへおいでと手招き、

 

どこかへ連れ去っていく』。

 

 

 

(こっちへおいで)

ねえ、先輩。どこへいくの? どこへあたしを連れてくの?

(もっともっと、こっちへおいで)

ねえ、先輩。あたしを見て。本当のあたしを

 

見つけて

 

 

 

一人の女の子が交差点の中から姿を消したようだった。

彼女は僕をずっと見ていたらしい。でも、僕は。

彼女のことを全く知らない。

 

 

 

すれ違う人生という道。まるで、交差点のように人はいき交っていく。

中には僕と彼女のように、目すら合わない生き方もあるんだよね。

 

 

 

七不思議調査委員会のメンバーの数がまた一人減った。

 

 

 

僕に想いを寄せた彼女は何処へいってしまったんだろう。

一体、何に呼ばれたんだろう。

 

ああ、でも。

もう顔も声も全部全部思い出せないや。それだけ、彼女は僕の人生の中でちっぽけな存在だった。

思い出せるのは、今僕が話したことが全部だよ。彼女はこの日誌の中に書かれている限り、僕の記憶の何処かに居続けるんだ。

ほんの微かな記憶だけれどね。

 

 

 

二つ目『交差点』、調査終了。




『二ツ目、交差点』

想いを馳せよ
此方へと
二つが不思議、いざ参らん

橋の下に交差する
甘くて苦い
恋のミツ
誰もを魅了し離さない

見るべきものから目を離せ
さすれば怪異が導こう
此方へ此方へ手を惹いて
奈落の果てへと連れ去ろう

恋に現を抜かして余所見をす
今立つそこは何処だろう


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出席番号10番「7ページ目を追いかけて」④猫の集会

『猫の集会』

にゃんにゃか にゃんにゃか
集まれ猫ども

秘密の集会
今夜開催
呼んでやるから手土産よこせ
ないならとっととどっかいけ

俺らが知らない猫事情
知らないだけか? 猫事情
実はどっかで見た気がしてる
どっかが似てる猫事情

にゃんにゃか にゃんにゃか
集まれ猫ども



最後の夏休み。高校生、猫に会う。

なんてね。

 

猫は可愛いけど、あいつらも獣。獲物を狩って活きる獣なんだな。そう思う場面は結構ある。でも、まさかそれを七不思議の中にまで持ってくるなんて誰が思うかな。

 

狩られるのは、もちろん僕たち人だった。

 

 

 

とうとう夏休みに入った。高校生活、最後の夏休みだった。

 

冬実もなんとか復帰して、七月の最後は三人で帰った。

秋彦の自宅の机には委員会の日誌が置かれたままだという。しばらく手つかずとなってしまっている秋彦の担当の七不思議は、三つ目。

 

帰り道で僕は彼に聞いた。

「三つ目、どう?」

秋彦の調べることとなった七不思議は

「猫の集会なんて、どこにでもある話だと思うんだけどなぁ」

『猫の集会』だった。

 

にゃぁ~ご

 

猫の鳴く声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

○月×日

担当者、三年○組、秋彦

 

七不思議、三つ目は『猫ノ集会』。

どっかにある猫の集会場。三日月の夜になると猫たちが集まって何かしてる。宴会か、会議か、何かはわからんけど、何かしてる。

何で猫なのか、とか、何で集会なのか、とかは知らん。でも、これが七不思議三つ目だ。

 

ここまでで七不思議は『歩道橋』『交差点』と続いた。三つ目の『猫の集会』を合わせて、何か繋がりでもあるのか?

 

そんな七不思議三つ目『猫の集会』。いや、『猫ノ集会』か?どっちも同じだろ。

 

 

 

内容は

『月夜の晩には猫たちが何処かで集会を開く。そこでは

 

 

 

 

 

秋彦はよく自分のことを『頭が悪い』『俺はバカ』と言った。成績も悪いし、授業態度も真面目というわけじゃない。早弁も居眠りもよくする、健康優良児。

学年は同じでも、僕たちはクラスが違ったからなんとも言えない。けど、他の人から流れてくる噂でそれは本当だと知れた。

だから何?

僕は結局大学に進学したけど、彼とは話も性格も全部が違ったけど全て合ったよ。きっと、相性が良かったんだろうね。僕が難しく考えて行き詰まってるとき、秋彦は

「んな難しく考えんなって」

と言っては肩を強く叩いてくれた。

彼が意味もなく口にした「なんでだ」「なんで」「なんでだよ」という口癖も、僕の重くなった心を軽くした。

菜摘と冬実のようにふざけあっては「はるちゃん」「あきちゃん」と呼び合ったこともあった。

 

ああ、でも。

菜摘が消えたあの瞬間に秋彦が呟いた「なんで」という言葉と、後で聞いた「菜摘のことが好きだった」っていう告白は。

…辛かったなぁ。

 

秋彦は、僕の初めての親友なんだ。

心からわかりあえる、親友なんだ。

きっと、これからもそんな人には出会えないと思う。

 

 

 

ねえ、みんな。

僕の唯一の同級生たちよ。

君たちはそんな人に出逢えたかい? そんな人たちと、青空の下で笑いあえたかい?

『青春』という、限られた時間を、そんな人たちと一緒に生きることができたかい?

 

僕は自信を持って言えるよ。

僕は。秋彦と、冬実と、菜摘と一緒に、青春という時間を生きたんだ。

 

 

 

そうそう。それでね。そんな僕の親友、秋彦は簡単に言えばガサツ。大雑把。単純。あー、これ以上は止めとこうか。僕と真逆だって言えば、わかるでしょ? そんな彼には秘密があった。ふふ、僕たちの間では全然秘密なんかじゃなかったんだけどね。

 

彼、猫好きだったんだ。

 

『にゃーん』

 

残念。彼はもう猫好きじゃないんだよ。秋彦が猫嫌い、とまではいかなくても苦手になった理由はこの七不思議の調査にある。

七不思議、三つ目、猫ノ集会。

これをきっかけに、秋彦はますます猫に好かれるようになるんだけど。彼自身は苦い顔をしてこう言うんだ。

 

「あんなの、もうこりごりだ」

 

結果から言うとね。秋彦は今でも生きてる。七不思議から生きて帰ってきたんだ。

 

その春から始まった七不思議。一つ目では菜摘が、二つ目では一年女子が消えた。

偶然かもしれない。偶然じゃ、ないかもしれない。その時の僕は嫌な予感を感じていた。このまま進んだらどうなる? 次の七不思議の担当は秋彦だった。秋彦も、消えるかもしれない。そんな予感が僕にはあった。

 

夏休みが始まった。最後の夏休みが。

セミがミンミン鳴いていた。夏が終わるその時には、地面にべしゃりと落ちて動かなくなるセミたち。暑い中、毎日毎日懲りずに鳴いた、セミたち。

 

僕たちも消えるのだろうか。

そんな不安が僕の影を濃くし始めていた。

 

 

 

夏休みに入っても学校の教室には鍵がかけられないままだった。補習や自習、部活で毎日どこかしらが使われていた。生徒の笑い声が廊下を走る音と一緒に駆けていった。先生の注意する声が後から響いた。外からは野球やサッカーをする張りのある掛け声が風と一緒に窓をくぐって入ってきた。

セミがうるさく鳴き始めていた。

僕と秋彦、それと冬実はあの委員会で使う部屋にいた。その部屋はほとんど誰も入らないから。たまに入ってくるとしたら『彼』ぐらいだったけど、僕たちは何故か『彼』とは会いたくなかった。

嫌いとか苦手とかそう言うんじゃなくて、もっと根本的なところで避けたかった。

僕たちがそのとき話す内容は決まっていた。秋彦の担当した七不思議、猫ノ集会についてだった。

 

『猫ノ集会』

月夜の晩には猫たちが何処かで集会を開く。

 

「月夜の晩にって、いつだ?」

「満月?」

「日誌によると三日月の夜だって」

「じゃあ、月に二回開くの?」

「そういうことだね」

 

『にゃぁ』

 

「なんで猫ちゃんなのかな」

「元々猫の集会って言われるだろ?それじゃね?」

「でも七不思議にあり? それ」

「しかも怖い話じゃなかったよね、それ」

 

『にゃー?』

 

「仮にそうだとして。何処で開催するの?」

「公園?」

「公会堂?」

「空き地?」

 

『にゃんにゃん』

 

「集会ってなにするの?」

「エサ食ってるだけとか?」

「猫的世間話だと僕思ってた」

「世間話?」

 

『にゃにゃにゃ?』

 

「どういう人が良いとか」

「どういう人が悪いとか」

「何がいいとか」

「何が悪いとか」

「誰が良いとか」

「誰が悪いとか」

 

『これはよくて、これはわるい』

 

どこからそうなったのかはわからないけれど。七不思議の話をしていたはずの僕たちの話題は別のものへと移っていた。

あの生徒は頭がいい、あの生徒は付き合いづらい、あの生徒は口が堅い、あの生徒は気をつかう。あの先生はひいきしている、あの先生は子供っぽい、あの先生は不平等。

全部、全部。誰かに対する評価だった。そして、どれも最後にはこう言うんだ。

 

「この人はいい人」

「この人は悪い人」

 

自分たちにとって都合がいいか悪いかで判断しているのかもしれない。でも、その『会話』の中での判断基準はいつだって『自分たち』なんだ。自分たちがどう見ているのか。

勝手に線を引いて善悪を決める。決めつけて、押し付けて、押し付け合って、最後にはいいか悪いかに分けてしまう。

それが正しいかなんて、誰にも解らないけれど。

 

『こいつは有罪』

『こいつは無罪』

 

まるで、どこかの裁判所の真似事でもしているようだった。

 

『にゃー』

 

 

 

一匹の白い猫が僕たちをじっと見ていた。

 

 

 

 

細くて鋭い、猫の爪の形をした月が空を引っ掻く夜が来た。

七月の、夏休みに入ったばかりの週の、二回目の三日月だった。

その日は朝から灰色に曇っていて、街全体に薄く白い霧が覆い被さっているようだった。

 

なんでそんなこと覚えているのかって?

その日は、前日から一睡もしていなかったんだ。

少し前からかな。秋彦の家に頻繁に猫が寄りつくようになったんだ。秋彦の家は一軒家で、別に猫の一匹や二匹が入り込んでも不思議はない。でも、その時は以上に数が多かったらしいんだ。五匹? 六匹? いいや。十匹、二十匹、もっとかもしれない。彼の家の中に入ることはなくても、家の周りをうろうろうろうろ。悪戯こそしないけど、その光景はあまりに異常。

 

結局僕たちは『猫ノ集会』について詳しいことを調べることができなかった。多分、他の『猫の集会』の話と内容が混ざっちゃったんだろうね。

猫についての話なんて残っているはずがなかったんだ。だって、所詮猫事なんだから。猫が何かしてたって、人の世界には関係ない。いつの時代も、人は人で自分たちの歴史を残すことで手一杯だったんだ。猫は猫で戦争も地震も津波も大雨も乗り越えて、現代を生きている。

猫が何をしていたかなんて、人には知るよしもないんだ。もちろん、何を考えているのかさえもね。

ただ、『集会』だから行う場所はあるはずだ。そう考えた僕たちは、ただ街の地図を広げた。古いものから新しい物まで。

そこでわかったのは、その街には空き地がないこと。その時点の話なんだけどね。公園もなかった。公会堂なんてものも。でも、ただ一ヶ所だけ開けた場所があった。

 

学校の、校庭。運動場、グラウンドだった。

 

「そんなでかい所でやるもんか?」

「広すぎるよ!」

「でも、うん。他に集まれそうな所なんてない。それに、ここだったら」

 

街には二ヶ所学校があった。一ヶ所は僕たちが通う高校。そして、もう一ヶ所。

菜摘が消えた歩道橋。一年女子が消えた、その歩道橋の下の交差点。その交差点の先にある、

 

小学校。

 

僕は確信した。七不思議、『猫ノ集会』はそこで行われる。

僕たちの調べている七不思議は、どこかで繋がっていたんだよ。

 

 

 

秋彦も冬実も最初は疑っていた。実際、ここまでの七不思議についての話は仮定ばかりで根拠がない。資料っていってもほとんどがお伽噺の様なものだった。

でも、実際に菜摘は僕たちの目の前で消えたんだ。事故でもなく、事件でもなく。何かよく解らない『怪異』を僕たちはこの目にした。

それが真実で現実なんだ。

 

僕は桜ヶ原のことを話した。僕の故郷のことを。僕が向き合うべき『七不思議』のことを。それこそ信じられないと二人は言ったよ。子どもの思い込みなんじゃないかって。

桜ヶ原では唯一ある小学校で誰もが七不思議の話を聞く。それを信じ続けて大人になって、子どもに話す。それがずっと、ずっと繰り返されてきた。桜ヶ原の七不思議はちゃんと文として残されていて、図書館の本として置かれているくらいだった。

僕たち桜ヶ原の地元民にとって『桜ヶ原の七不思議』は、桃太郎やかぐや姫、白雪姫、シンデレラのように有名なお伽噺でもあるんだ。そういうお伽噺ってさ、何かしらのルーツがあるんだよ。子どもに何かを教えたい、何かを伝えたい、残したいって。

更に七不思議と言えば都市伝説でも有名だ。そうなると、余計に具体性が増すんだよね。過去の事件を基にした場合が多い。だから余計に恐怖心が煽られて身近に感じる。薄まることはあっても消えることはない。

 

ああ、つまりね。桜ヶ原の七不思議を古いお伽噺とすると、その時の僕たちが調べた七不思議は都市伝説に近いものだったんだ。

この七不思議調査委員会の日誌には毎年繰り返し調査された七不思議について書かれている。

七不思議のデータは更新されていたんだよ。

 

そう。毎年、菜摘や一年女子のように『消えた』生徒はいたんだ!

 

なのに学校では大事になっていない。これってさ、七不思議のことが当然のように受け入れられていて、信じられているって考えられないかな。

それだけならいいよ。でも、僕はぞっと寒気を感じた。近すぎる気がしたんだ。誰かが、例えばクラスメイトが一人行方不明になった。気にもしない。気にもされないような人がいなくなる。空気のようにそれが当たり前だと、当然だと。その人がいたことははっきりと記憶に残っているのに!

あまりにも自然すぎると思った。自然すぎることがすごく不自然に感じた。

高校三年になってそういう事態に直面して初めて僕も気づいたんだけどね。その前の年も、その前の前の年も、誰かしらはいなくなってたんだよ。でも、気にしなかった。意識がそっちに向かないんだよ。意識がそこから外されるんだ。見ようとも聞こうともしない。そもそも興味がない。当事者になるまでおかしいって思わなかったんだ。いや、当事者になってもこの七不思議たちの異常さに気がつかなかったな。

現に、菜摘は自分の異常に最期まで気がつかなかった。多分ね。

 

この日誌を見てよ。何ページあると思う? 毎年毎年、七不思議いくつ目って書かれてるよ。

その分だけ人が消えたんだ。きっと。でも、そんなこと誰も言っていない。誰かがいなくなることは当然のように刷り込まれているんだ。それがどれくらいの範囲での認知かは分からないけど、少なくともその高校内ってことは確かだった。

『人が消える』という事実が何らかのベールに覆われて隠れてる。今思い出すとね。隠していたベールは、きっと僕たちの日常だったんじゃないかって思うんだ。

僕たちが当たり前のように学校へ登校して、授業を受けて、部活をして、下校する。中には登校拒否だとか保健室登校なんて人もいるんだろうけど。でもそれが『普通』で『常識』で『日常』で『正しい』こと。

それらが『異常』で『非常識』で『普通ではない』ものの認知を曖昧にしていたんじゃないかって。『普通』が普通であることに固執してしまって、そんなこと起こるはずがないと思い込んでいたんじゃないかって思うんだ。

 

普通じゃないのが七不思議なのにね。

 

桜ヶ原出身の僕でさえもそんなこと忘れてその高校に入学してたよ。

 

七不思議の恐ろしさを覚えていたら、知ってさえいたら、僕は大切な友人をうしなわずに済んだのかな。

ああ、もう、こんなに後悔しても全部遅いか。過去は変えられないんだから。過去に、あの輝かしい青春の日々に戻ることなんてできないんだから。

 

ごめん。僕はちゃんとここに、君たちがいる桜の元へ帰ってきた。あの頃の青春はもう手に入らないけど、幼い頃の思い出に浸って同窓会をすることはできる。

 

それがどんなに非常識なことであっても、ね。

 

 

 

さあ、話を戻そうか。

 

 

 

小学校の校庭なんかで猫が集会を開くはずがないと疑っていた秋彦と冬実。僕は話した。僕たちの『桜ヶ原の七不思議』を。

一つ、小学校の裏庭にある桜の切り株。

一つ、町にあるバスの路線上にはない停留所。

一つ、池に沈むといわれる未来予知の砂時計。

一つ、突如現れる人を呑み込む地下通路。

一つ、宝の地図ならぬ桜の地図。

一つ、僕たちが今しているこれ。死後の同窓会。

ほらほら。具体性が増してきただろ? 何て言ったって、これらは全部僕たち自身が解明してきた七不思議だ。もちろん、当時解らなかったものもあるけどさ。

でも、どれもこれも『僕たちの』七不思議だと言える話さ。

 

二人はうんうん唸りながらも話を最後まで聞いてくれた。そこでふと、気づいたんだよね。

自分たち何をしているんだ、って。

気づいたというより疑問に思ったんだ。

僕はともかく、秋彦も冬実も、菜摘だって七不思議なんて興味もなかったし信じてなんていなかった。高校三年の一年間なんて、結構重要じゃない? 受験をするならそれなりに勉強に本腰を入れないといけない。就職するにしても高校生の就活だって大変でしょ? それなのに、僕たちは進級してすぐに『七不思議調査委員会』なんてものに参加した。多分、そこに自分たちの意思はなかったと思う。参加することは決まっていたんだ。

 

逃げることなんて、最初からできなかったんだよ。

 

 

 

「なんでだよ」

自分でも気づかなかった違和感を目の当たりにして、秋彦は混乱した。当然だよ。だって、もう、彼の番が来てしまっていたんだから。

 

 

 

『にゃぁ~お』

 

 

 

 

 

 

細くて綺麗な三日月の月が空に上ろうとする頃。秋彦の元に迎えがやって来た。

迎えにやって来たのは、一匹の白い猫。秋彦の家の玄関に立っていた。

 

雲はすっかり遠くへ行ってしまっていた。残されたのは一本の猫の爪の形の月。

 

『にゃうにゃう』

 

猫が早く来いと秋彦を急かした。

後ろから覗き見た彼の顔は、真っ青だった。秋彦は、猫の集会に招かれてしまったんだ。

 

 

 

猫についていった先は、小学校の校庭だった。

 

 

 

月が、とてもとても綺麗だった。白く、黄色く、金色に輝いていた。鋭く夜空を引っ掻く月を見て、僕は思った。

『猫ノ集会』の『ノ』は、この月のことなんだ。

月は、まさに猫と集会を繋ぐ『ノ』の形をしていた。

 

 

 

猫の集会が開かれようとしていた。

 

 

 

 

 

 

にゃんごろ にゃんごろ

集えよ猫たち

今宵も夜空にといだ爪

キラリと光れば狩の時間

 

さあ!

立たせよ ここに 人の子を!

お前はいいやつ? わるいやつ?

今日のお題はあそこの子ども

ずらりと並ぶ猫ノ目が

細く鋭く見据えてる

お前はいいやつ? わるいやつ?

 

ここは猫ノ裁判所

 

さあ!

有罪? 無罪? 猫が決める

死刑だ! 死刑だ!

狩ってしまえ!

こいつは猫のためにならん

獲物を前に猫はわらう

 

人がえらいと思うなよ?

ここから猫ノ暴君タイム

 

人の常識猫は知らず

猫の常識人は知らず

我らのはかりでさばこうぞ

 

今こそ開廷

猫の世界

 

集えよ猫たち

月ノ下

 

 

 

 

 

 

『にゃぁーん』

 

猫の集会が、開かれた。

 

その場所にいたのはたくさんの猫たちだった。首輪をしているものもしていないものもいた。黒猫もブチもトラもミケもサビも、よく分からないものもいた。その中で、一際目を引く集団がいた。

白猫たちだった。

真っ白な毛で覆われて汚れや穢れが見えない真っ白。

 

一匹の白猫が口を開いた。

『これより開廷』

ずらりと並んだ白猫たちが僕たちを、いや。秋彦を音もなく取り囲んだ。

僕たちは指一本動かすことができなかった。まるで、逃げ道を猫に塞がれた鼠のようだったと思う。

 

『これを連れてきた者、前へ』

僕たちをそこへ連れてきた白猫が前に進み出た。

尻尾の短い白猫。よく見ると、片眼が潰れていた。傷は塞がっている様だけど、痛々しく痕が残っていた。

 

『罪状を』

『にゃ。こいつは猫を虐めましたにゃ』

猫好きの秋彦が? 猫を? 虐めた?

『何年も前のことですにゃ。そいつは、他のにんげんと一緒になってボクに石を投げましたにゃ』

片眼の白猫はにゃーにゃーと語り出す。

僕の頭の中では、次々と疑問が回り出した。

猫に石を? いじめが大嫌いな秋彦が? 悪口を言うなら本人に言えといじめっこに噛み付く、あの秋彦が?

『投げられた石はボクの目に当たりましたにゃ』

あの不器用な秋彦の投げた石が当たった?

野球部もサッカー部もびっくりなノーコントロールの秋彦の投げた石が? その、小さな猫の顔に? その、小さな小さな猫の顔についている目に? 当たった?

偶然じゃないのか?

秋彦は猫に石を投げたりしない。石を投げたとしても、不器用過ぎて石は狙った所へ飛んでいかない。狙った猫に飛んでいっても、その小さな目に当たることなんて有り得ない。

『当たった石は、ボクの目をつぶしましたにゃ。もう、ボクは目が片方見えませんにゃぁ』

片眼の白猫は、にゃーにゃーと泣き真似をした。 可哀想な猫だった。可哀想だけど、何か引っ掛かった。

本当に石を投げたのは秋彦なのか?

僕はちらりと秋彦を見た。秋彦は目が合った僕に首を横に振った。

違う。俺じゃない。そんなことしていない。

「秋彦君、そんなことしないよ」

冬実は、片眼の白猫を見ながら小さな声で呟いた。

何かの間違いか? それとも、何かが間違っている?

集会は続いた。

 

『こいつは悪いひとにゃ。是非とも死刑にするべきにゃ』

死刑! 死刑! 死刑! 死刑!

校庭が猫たちの声で溢れかえった。耳からはにゃーにゃーとしか伝わってこないんだけど、何故か、何故か、頭には人間の言葉として響いてきた。不思議だよね。その時、全く疑問を感じないんだよ。

その場所は、まさに猫の世界だった。

 

このままじゃ秋彦は死刑になる。本当に悪いことをしたのかわからないのに!

僕は叫んだ。

 

「ちょっと待って! 石を投げたのは、本当に秋彦なの?!」

 

一斉に光る目たちが僕の方を向いた。思い出すと今でもゾッとするよ。獲物を狩る眼って、ああいうのを言うんだね。

 

白猫は言った。

『発言を許可する。片眼よ。その子どもだという証拠はあるのか』

片眼の白猫は手を、足を?、前肢をあげて言った。

『はいにゃ』

あげられた前肢は、秋彦の方へ向けられた。

『まず、石を投げたやつはこいつと同じ皮を着てましたにゃ』

皮。多分、制服のことだ。

でも、それだけじゃ秋彦かは分からない。

『次に、虐められた時、ボクはそいつの指を折りましたにゃ。右の一番太くて短い指ですにゃー』

確かに、秋彦は右手の親指を折っていた。

 

でも、折ったのは一週間前。夏休みへ入ったことに浮かれてはしゃいだ彼は盛大に右手の親指をぶつけて、折った。その時は笑い話だった。だから、僕も冬実も、彼がいつ指を怪我したのかはっきり覚えていた。

だから、片眼の白猫が言っていることがおかしいとすぐに気づいたんだ。

目が潰れるくらいの大怪我が一週間で治るはず、ないだろう? って。

 

「石を投げられたのって、いつのことなの?」

冬実が片眼の白猫に聞いた。そうしたら、その猫は胸を張ってこう言ったんだ。

 

『二十年前にゃ!』

 

二十年前だって! その猫がそんなに長く生きていること自体がびっくりなんだけど、どう考えても高校生の秋彦が犯人なわけない。一体どこからその自信は来ていたんだろうね。僕ははっきり言い切った。

「僕たちはまだ十七年しか生きていません」

僕はもう誕生日が過ぎていたんで十八年だったんだけどね。

 

片眼の白猫は口をあんぐりと開けて、残っている片眼を真ん丸にした。冬実が言うには、「あちゃー、やっちゃったかー」っていう顔だったらしいよ。

つまりね。その片眼の白猫は、石を投げたのが秋彦じゃないっていうことをわかってて、そこに、猫の集会に連れてきたんだ。違うってわかってて、秋彦を悪者に仕立てようとしていたんだ。

どうしてそこまでするんだろう。その疑問はすぐに解けたよ。

 

一度いじめられるとさ。仲間外れにされないように努力するんだよ。

 

白猫は言った。

『子どもは無罪。片眼は嘘つきの刑に処す。川流しだ。頭を存分に冷やしてこい』

川流しだ! 川流しだ! 川流しだ! 川流しだ!

濡れるぞ! 寒いぞ! 冷たいぞ! 大きな魚も亀もいるぞ!

『いやですにゃー!』

片眼の白猫は他の猫たちにどこかへ連れられて行った。その少し後に、どこかでバシャンと水音が立った。少し肌寒い夜だった。

 

白猫は僕たちに言った。

『すまなかった。七不思議を回る人の子らよ』

その白猫は、僕たちの調べる七不思議のことを知っているようだった。

『我ら猫は、この月の晩に獲物を連れてこなければならぬ。そして、今宵のようにさばくのだ』

白猫は語った。僕たちの求める七不思議、猫ノ集会のことを。

『獲物を連れてこれぬ猫は町から追い出す掟よ』

追い出されたくなければ、なにかしら獲物を差し出さないといけない。あの、片眼の白猫のように。

『人の子らよ、立ち去るがよい。幸か不幸か、今宵の我らにはもう一件獲物が用意されている』

そう言って、白猫は尻尾をゆるりと踊らせた。白く長い尻尾は、二本あった。

 

 

 

永い時間を生きると、猫は化けるというよね。

その白猫は化け猫だったんだ。

僕たちとは違う世界を生きる、ネコサマだったんだ。

 

 

 

『にゃーお』

 

 

 

気がつけば、そこは秋彦の家の玄関だった。三人揃って立ち尽くす僕たちに、朝刊を届けに来た新聞配達のおじさんが「早起きだね」と声をかけていった。

 

嘘みたいに輝きを鈍らせた月は、もう空から立ち去りかけていた。代わりに、夕日とはまた違った燃え方をして朝日が上り始めていた。

 

両隣には秋彦と冬実がいた。安心して、気が抜けて、その場に座り込んで、最後には笑い出した。

 

 

 

僕たちは、『猫ノ集会』の夜から帰還した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『にゃ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あーあ、つまんない。あの集会から帰ってきちゃうなんてさ』

 

猫の鳴き声と一緒に、『彼』の声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

七不思議調査委員会の日誌に秋彦のページが載っている。担当は三つ目。あの三日月の夜、僕たちが招かれた『猫ノ集会』についてだ。

 

内容は

『月夜の晩には猫たちが何処かで集会を開く。そこでは

 

白い化け猫が裁判長をする裁判が開かれる。

 

三日月の夜、猫に連れられて小学校の校庭に行ってみれば、悪い人間か良い人間か裁判にかけられる。悪ければ死刑、良ければそのまま帰してもらえる。

猫は三日月の夜になると獲物、裁判にかける材料、を連れてこなければいけない。それを破ると、町から追い出される。』

 

 

 

秋彦は良い人間だった。

 

彼は、七不思議から帰って来れたんだ。生きて、帰って来れたんだ。

僕は思う。秋彦が、彼が、あの猫の集会で有罪になるような犯罪者じゃなくて本当によかったと。猫たちは無慈悲に「死刑」を求めているから。

 

 

 

七不思議調査委員会のメンバーの数は変わらずにいた。

 

 

 

三つ目『猫ノ集会』、調査終了。

 

 

 

ところで。

もしその集会で有罪になったらどうなっていたんだろう。

 

僕たちが集会に招かれた夜の次の日。僕たちが帰って来た朝の同日だね。

集会が開かれたはずの小学校の近くに住むお婆さんが亡くなったらしい。というか、その…これは詳しく話す話ではないかな?

 

ただね。あの夜に化け猫が言っていた『もう一件』ってこの事だったのかなって、僕は思うんだ。

 

そのお婆さん、あの猫に有罪判決を受けたらしい。猫たち、きっと大騒ぎだっただろうな。

きっと、よろこんで「死刑! 死刑!」って言っただろうな。

 

 

 

その話、詳しく聞きたい?

 

 

 

残念。それは次の機会かな。




『三ツ目、猫ノ集会』

にゃんにゃか にゃんにゃか
集まれや
三つが不思議、いざ参らん

呼び出したるは獣たち
月夜の晩に開かれる
世にも奇妙な猫集会

いい気になるなと人事情
いい気になるぞと猫事情
自分勝手な集まりで
議題に何があがるのか

今夜は猫ノ目 細い月
集まれ気儘な猫たちよ


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出席番号10番「7ページ目を追いかけて」⑤化け物行列

『バケモノ行列』

用済みガラクタたくさんあつめて
みんなでいっしょに運びましょう

ちぎれたエモノをだらりとさげて
ずるずるずるずるずーるずる

列をつくって並んだら
オカシナ行列はじまりさ

いっしょにイコウよ
ガラクタさん
声かけ手をとりまざったら
今からキミもバケモノさ



夏休みも後半戦。

結構僕ってさ、運が悪いことが多い気もするんだよね。その日もそうだったのかも。

 

忘れたくないものほど忘れやすくて、忘れたいものほど覚えている。人の記憶ってそういう風にできているのかな。

だから僕は、忘れたい『彼』のことも嫌なことも、全部まとめて頭の深いところへ追いやって沈めようとする。そうすると、逆に思い出しちゃうことも多々あるんだよね。

ああ、嫌だ。まだ『彼』が嗤ってる気がする。『彼』の思うつぼなのが更に嫌だ。

 

忘れたくないものは、ちゃんと形にして残しておかなきゃね。

ほら。この写真たちみたいに。

 

 

 

小学校の近くにすむあのお婆さんが逝亡くなって数週間が経とうとしていた。夜空には、あの猫の集会の三日月の夜からもうすぐ二回目の三日月を迎えようとする頃。

秋彦は、日誌には三つ目の七不思議をさっさと書いて委員会の部屋に置いといたと言っていた。『彼』には会いたくない、と。僕も会いたくなかった。もちろん、冬実も。

だから、夏休みの真ん中辺りからは僕たちは学校の外で会うようになった。コンビニに入って涼んだり。安いアイスを買って店の外で食べたり。嫌がる秋彦を引き摺って図書館で課題をしたり。たまに電車に乗って空に溶けそうなくらい青い海を見に行った。

 

高校生活最後の夏休み。とても暑くて、とても楽しくて、とても騒がしい夏休みだった。本当だったらそこにもう一人、いるはずだった彼女がいないことは誰も触れなかった。

冬実は僕たちによくメールや電話を寄越すようになった。多分、菜摘に送るはずだったものも含まれているんだと思う。

冬実は家では泣いていたのかもしれない。だからこそ、僕や秋彦と会って笑顔になりたかったのかもしれない。彼女は何も言わなかったけど。

 

ある日、ふと小学校の前を通った。校庭では僕よりもずいぶん小さな子どもたちがかけっこをしていた。

小学校の近くにある一軒の家はさら地にされていた。

お婆さんがいなくなって、その家族も逃げるようにして町から消えた。あっという間に建物は壊されて何も残らなかった。

時々、そこには猫たちがやって来るらしい。数が増えたような、減ったような気がする野良猫たち。彼らは都合のいい集会所を手に入れたらしかった。

 

ぴょん、と猫じゃらしの芽が地面から出始めていた。

 

進学を希望する僕と冬実はそれなりに忙しかった。勉強はもちろん、オープンキャンパスにもいくつか行って、学校説明会も受けた。高校の担任と面接もした。専門学校を希望する冬実の方が先に進路が決まりそうだった。

僕はというと…

うん。ふらふらしていたな。

絶対に入学したい学校も、就きたい職業もなかった僕。したいことも特になくて、ただ家から近いというだけで大学を選んだ。秋彦には悪いけど、頭も悪くなかったからそこそこの勉強でそこそこの学校に行けるくらいのツケはあった。

秋彦は夏休み中に何回か職場見学に行ったらしかった。

 

 

 

ねえ、みんな。みんなにはあったかな?

どうしてもやりたいこと。どうしてもなりたいもの。

未来なんてさ、本当に曖昧なものなんだよ。決まってないから未来。自分次第でどんなことでもできる。

よく言うよね。でも、本当に曖昧なものだ。

菜摘みたいに突然消えるなんて不幸なことも起こる。僕たち四人みたいに一生に一度の特別な出逢いも起こる。全く予定外の幸も不幸も起きて、それが道の何処に転がっているのか霧と暗闇に紛れて見えもしない。

未来っていうのは、そういうものなんだよね。いつも不安と一緒に歩かなきゃいけない。

僕が他の人と違っていたことといえば、曖昧な未来の先に決まった結末があったってこと。ふらふら道を歩いて、その先には桜が舞う木の下で同窓会。

 

今の、ここに辿り着く。

 

どんなに迷っても、時間がかかっても、さいごにはこの同窓会に辿り着くんだ。

 

ほら。みんなもそうだっただろ?

 

 

ああ、そろそろ空が暗くなり始めてきたね。せっかくの赤い夕焼けともさよならしなくちゃ。

 

でももうちょっとだけ。暗くなる前に話したい七不思議があるんだ。もしかしたら、闇にかかる話になるかもね。

 

七不思議、四つ目の担当は言い出しっぺの『彼』だった。

 

 

 

 

 

 

×月×日

担当者、×年×組、×××

 

七不思議、四つ目は化け物行列。

場所、猫の集会所からほこらに向かっての道。

 

『真っ直ぐ伸びる道。そこを通って化け物たちは行列を作る。彼らは何かを口に咥えて、半月の夜に列を作る。その姿はまさに化け物のそれ。』

 

 

 

ただそれだけ。『彼』の担当のページには、それだけが書かれていた。

 

『彼』の名前の部分が滲んでよく読めない。どうしても思い出せない。

『彼』は何て名前だったっけ?

『彼』はどんな顔を、どんな声をしていたっけ?

 

そもそも

 

『彼』なんて本当にいたんだろうか。

 

 

 

夏休みももうすぐ終わりという頃。その日も僕はふらふら歩いて家に向かっていた。勉強道具一式と財布、それと昼食と間食に食べた物のゴミが入ったビニール袋を詰め込んだリュックを背負って、図書館から家に向かう道を歩いていた。

途中、気紛れに寄ったコンビニでインスタントカメラを買った。本当に些細な気紛れだった。

でも、その日の夕焼けが本当に綺麗でさ。何かの形で残したいと思ったんだよね。秋彦や冬実にも見せてやりたいって思ったんだ。それだけすごい夕焼けだったんだ。

 

そういう気持ちは今でもあって、何かあっても何もなくても、レンズ越しではあるけど景色を残したい。フィルムの中だけどその時間を残したい。そして、それを誰かに伝えたい。誰かに届けたい。

だから僕は、最期までカメラを手にするようになったんだ。ここには持ってこなかったけどね。

僕のカメラは、秋彦に渡してきた。

これからは彼がカメラを使ってたくさんのものを残すんだ。この頃僕の趣味となった写真撮影は、彼に引き継がれたんだ。

そんな趣味、僕にあったのかって? あったんだよ。誰にだって言えない趣味の一つや二つ、あるだろ?

 

ああ。何でここでカメラの話を持ち出したのかって? 僕の記念すべき一枚目の写真はこの「夕焼け」。

それと、偶然撮れた二枚目。

それが

 

「化け物行列」。

 

 

 

カメラを手にした僕は、夕焼けを写真に撮ってとっとと帰ろうとした。天気は悪くなかった。ただ、夏にしては変に肌寒かったんだと思う。本当に寒かったのかは覚えていないよ。覚えているのはやけに鳥肌が立っていたことだけ。

早く帰ろう、早く帰ろうとだけ気が急いていたのかもしれない。だから、曲がるはずの角を間違えて別の道に出ちゃったんだ。

まさに裏道と言える狭い路を通って、見たこともない店の前を横切って、小さな公園を突っ切って。気づいた時には太陽は沈みきっていた。

 

その日は、半月の夜だった。

半開きの戸から何かが出てきそうな、何かが入って行きそうな。そんな風に見事なくらい半分に分かれた半月だった。

 

細い道から見知った通りに出た時、思わず声が出ちゃった。げ、って。月が綺麗な夜にはできれば近づきたくない場所。三日月の夜に「猫ノ集会」が行われていた校庭のある、あの小学校だった。

あの小学校の前に出て、そこからどうやって帰ろうか考えていると、ふと聞き慣れた音が聞こえた。どんちゃんドンチャン、太鼓や鐘の音、屋台を引く時に鳴らすお囃子に似ていた。

 

辺りはもう真っ暗だった。

周りには誰もいなくて変に静かで、そのせいか僕の耳にはその音が余計に大きく聞こえた。

異様だった。その音だけが聞こえたんだから。

「猫ノ集会」のこともあったから、早くそこから離れたかった。猫には会いたくない。特に、白い猫には。猫に悪い人としてさばかれたお婆さんの話はもう耳に入っていたから尚更ね。僕は走った。

 

その通りには、菜摘が消えた歩道橋がある。その下には交差点。そこから真っ直ぐ進むと猫の集会が行われていた校庭のある小学校。

 

僕は走った。

 

その通りに沿って。

 

だって、両腕の鳥肌もすごくて、なにより。

 

後ろからたくさんの足音が、気配が近づいて来ていたから。

 

 

 

僕が怖かったのはその数もだけど、足音の音が怖かった。明らかに足が立てる音じゃないものも交じっていたんだ。どういう音って聞かれると困るけど、そうだな。

「道楽」って知ってるかな。行列を作って歩きながら演奏したりするんだ。どんちゃんドンチャンってね。だから、その行列の足音の中には人の足音以外にも楽器とか、物の音も交じる。

でも、それだって主体は人のはずだ。楽器とか物を扱うのは人なんだから。人が物を持って、使って初めて「物」という物体に価値が生まれるんだろ? 僕はそう思っていた。

 

 

 

その日、聞いた足音は逆だったんだ。

物が何かを持っている。そんな音だった。何を持っているのかって、決まっているじゃないか。

物を持つべき「手」だろ。

 

僕は走った。

 

その行列は見たくなかった。

見てしまえば、その予感が当たってしまったら。

自分はただの「物」なんだって、価値のないただの「ガラクタ」なんだって。

そう思い知らされる気がしたから。

 

走って、走って、僕は逃げた。その行列から離れようと必死になった。

道には誰もいない。車も全く通らない。周りの家から灯りも見えない。ただ、真っ暗な闇だけが世界を覆っていた。歩道にある小さな外灯と、僕と同じように空で独りきりにされた月だけが頼りだった。

 

 

 

僕はその夏、不幸にも二度目の七不思議に遭遇してしまったんだ。

三つ目である「猫ノ集会」の次は四つ目、「化け物行列」。僕たちが避ける『彼』の担当だった。

 

 

 

走って、走って、走って。

辿り着いたのは一つのほこらだった。

その先は、何もなかった。

来たこともない場所だった。目の前にはほこらだけ。後ろからが足音がぞろぞろと近づいてくる。

息ができなかった。怖くて恐くて、どうなるのかって。

僕はすぐ近くの草むらに隠れた。

音を立てないように息を潜めた。潜めた分だけ、自分の耳に心臓の音が激しく鳴り響く感じがした。ドキドキじゃなくて、バクバクでもなくて、ドクドク。全身が心臓になったみたいだった。

 

そして。

 

その行列はついに、僕のすぐ側までやって来た。

 

 

 

 

 

 

先頭を歩くのは猫だった。

その夏、僕達三人にトラウマを植え付けた白い猫。そいつが咥えていたのは、皺が目立つ手。手首から上がない、人の手だった。

猫の集会で捌かれた、あのお婆さんの手だと思った。

その猫が歩いた後には、ポツリポツリと赤い点々が残っていた。

 

折れた傘が歩いていた。

がっしゃがっしゃと折れた金属の骨を擦り合わせて、破れて開かないビニールを引き摺りながらそれは歩いていた。

天辺の棒には鳥が刺さっていた。傘は、もう一度そのビニールの羽を広げたかったのか。

傘が歩く度に、一枚二枚と羽が舞い散った。

 

刃がぼろぼろのハサミが歩いていた。

持ち手に長い髪の毛がまとわりついていることを除けば、意外と可愛いのかもしれない。

でも、そのハサミは髪の毛を切るためのハサミじゃない。一体何を切ったというのだろう。

 

人だったモノが歩いていた。

頭がなかった。僕は下に目を逸らした。逸らした先には、切り離された頭があった。

胴体が頭を掴んで引き摺っていた。

誰かが言っていた。心は脳にあるのだろうか。それとも、心臓にあるのだろうか。その答えがあやふやになる光景だった。

 

行列を作っていたのは現実ではあり得ない化け物たちだった。いつもは使われる立場の弱者である彼ら。使い潰された彼らは豹変し、「化けた」んだ。

まさにそれは、化け物がつくる行列だった。

 

 

 

その行列は、ガチャガチャずるずる音を立てながら僕のいる草むらの真ん前を通り過ぎていった。

その時、僕は何を思ったのかカメラを取り出してシャッターを押した。

 

ほら。これがそのさっき言った写真。「化け物行列」さ。

ははっ。全然上手く撮れてないだろ。所々ボヤけてるし。そもそも、これって世間一般的には心霊写真だよね。

まあ、その。いい思い出にはなったんだろうな。ここにあるってことは。はあ。

 

まあ、いいや。

それで、その化け物行列はぞろぞろと道の奥に向かっていったんだ。そこにあるのはほこらだけ。

 

突然『バンッ』って音がしたと思ったら、それまで長かったはずの行列がどんどん短くなっていった。足音もどんどん小さく、少なくなっていった。

もうほとんど残っている化け物がいなくなったとき、僕は気づいた。

気づいてしまった。

その「化け物」の行列の最後尾には

 

『彼』がいた。目が合ったと思った。

『彼』は笑っているように見えた。

こっちを見て。

僕を見て。

 

月明かりしかない真っ暗闇の中なのに!

 

『彼』の手には、あの七不思議調査委員会の日誌があったように見えた。

 

全部がはっきり見えたわけじゃないよ。でも、僕にはそう思えたんだ。顔も、名前も、声も、覚えていないけど。

本当に覚えていないだけなのかな。本当に『彼』は『人』だったのかな。本当に。

『彼』は生きていたのかな。

 

 

 

「ハヤクキミモコッチヘオイデヨ」

 

 

 

そう音が聞こえた気がした。

多分、『彼』の声だと思う。人の声には、聞こえなかった。

本当に『彼』なんて存在したのかな。

 

その化け物は、行列の最後尾を追いかけるように何処かへ消えていった。

 

もう、足音は一つも聞こえなかった。

 

 

 

七不思議調査委員会のメンバーの数が一人減った。

いや。

始めから、減ったはずの数はメンバーに含まれていたのだろうか。委員会のメンバーの数は、始めから七人いたのだろうか。

 

 

 

高校生活、最後の夏休み。更にはもうすぐ終わりだという半月の夜。

僕は最初で最後の捜索願いを友人に出された。

 

捜索願いを出したのは冬実だった。あの日の夜、いくらメールをしても返信は来ないし、電話をしても繋がらない。そんな僕を心配して届け出たらしい。

夏前には菜摘のこともあったから。

結局僕は次の日の朝、交番に寄ってから学校へ向かった。校門には連絡を受けた冬実と秋彦が待っていてくれた。三人で委員会の部屋へ向かった。夜に見たことを話そうと。

 

戸を開けたら『彼』が「やあ」と言って椅子に座っている予感がした。

そんなこと、なかったんだけどね。

でも、机の上には、『彼』が持っていたはずの日誌が置かれていた。

 

直ぐ様戸を閉めて、別の所で宿題しながら話そうっていうことになった。

前日とは別の、秋が近づく様な涼しい風が青空の下で吹いていた。

 

校門を出るとき、やけに目の下に隈が目立つ服も髪の毛もぼさぼさの男子生徒とすれ違った。聞き取れないくらい小さな呟きを口からブツブツと垂れ流す彼を、僕は何処かで見た気がした。

歩道橋に差し掛かった時、僕は思い出した。

ああ、彼も七不思議調査委員会のメンバーだ。

名前も学年も全く知らない、同じ委員会の同胞だって。

 

 

 

四つ目『化け物行列』、調査終了?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ、四つ目だぜ? 頑張ってミナヨ、春男クン」

 

 

 

 

 

 

どこからか、声が響いた気がした。




『四ツ目、化け物行列』

化けては並べ
我楽多どもよ
四つが不思議、いざ参らん

未熟な輩は思うがまま
化けるまではただの物

我楽多と知るなかれ
瓦落多と知るなかれ
使い捨つまで愛でようぞ
それまで精々遊ぶがよい

所詮無駄な者共と
自ら知れば化ける物
知らずにいればただの塵

次は君の番だ


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出席番号10番「7ページ目を追いかけて」⑥祠

『ほこら』

目覚めよ古の祭壇よ
俺に新たなる力を授けるがいい
腐りきった世界を正すのが俺の使命
そうだ
そのためには如何なる犠牲も払わなければ
生け贄を

家族が僕を否定する
友人なんかいやしない
登校拒否
引きこもり
オンラインのゲーム世界が僕の居所

見つけたほこらは
新たな世界の扉となる



僕たち三人はファミレスに入った。今じゃもうほとんどなくなっちゃったけど、その時はまだ二十四時間営業を通していた某チェーン店。ドリンクバーと手軽な値段の商品を注文して、僕たちは店員からするとはた迷惑な客に成り果てる。

 

ちょっとちょっと、そこの君たち。そんな苦笑しないでよ。みんなだってやったことあるだろ?

今じゃさすがにしないけど、若い頃は結構無茶をやらかす変な勇気を持っていたもんだよ。それがただの無謀だって気づいたときには、もう青春の時間はおしまい。

青春の時間っていうのはさ。ほんの一瞬なんだよね。子どもから大人にかわるほんのちょっとの時間。

あっという間に終わっちゃう。

その中にどれだけのものが詰め込めるかで、僕たちの残りの人生は変わってくるのかもしれないね。

 

結局その日、迷惑高校生客としてファミレスに滞在したのは半日。しっかりランチを食べて僕たちは解散しました。

夏休みになにやってるんだか。

でもね。最後の夏休みだから無謀なことだってやってみたかったんだ。

実はそれまで、学生だけでファミレスなんて行ったことがなかった。それは冬実も同じで、秋彦が行こうって言い出さなきゃやらなかったかもね。

初めてだったんだよ。そんな風に友人と夏休みを過ごすなんて。

 

そうそう。そこで、僕は前日の夜の話をした。七不思議の四つ目、「化け物行列」。化け物たちが、ガラクタたちが、使う立場のモノを咥えて行列を作る。

二人は言った。『彼』の後を追わないでくれてよかったと。行列の後を着いていかないでくれてよかったと。

 

きっと、そいつらについていってしまったらもう戻ってこれないと思うからと。

 

 

 

夏休みも終わって、また学校に通う日々が戻ってきた。

秋彦はちゃっかりと、既に就職先を決めていた。だからか、受験を控えた僕と冬実に早く帰って勉強しろなんて言うようになった。彼なりに気をつかったんだろうね。

冬実は、このままだったら希望校へ入学できそうだと笑って言った。

お菓子作りの専門学校のことなんて全く知らないけど、彼女の作ったお菓子を何回も食べている僕たちはその言葉を信じた。

僕はというと、適当に勉強していれば近場の大学には入れるんじゃないかくらいだった。担任も特に気にしていなかった。

 

教室には受験生たちが放つピリピリした雰囲気が漂っていたのかもしれない。秋が来て、文化祭やら運動会もあったのかもしれない。

なんで「かもしれない」なのかって? だって、覚えていないから。

僕にとってそういうのは価値がなくて、つまらなくて、退屈で興味のないものだったんだ。

そういうものはすぐに忘れるよ。

 

そう。僕はクラスから浮いていたんだ。

 

声がかかれば応えるし、用事だってそつなくこなした。悪くもないし善くもない。空気より重くて目に見える、置物の様だった。僕にはやる気が全くなかったんだよ。

 

当時はその理由がはっきりしなかったけど、今ならわかる。

 

綺麗な言い方をすれば生き急いでいたんだ。ただ単に投げ槍になっていただけだけどね。

人はいつか死ぬ。だから、残り時間が限られる。あとこれだけの残り時間。

これしかない。こんなにある。これだけある。僕にとってはこれ「しかない」。たったこれだけ。

たったこれだけの残り時間で何ができる?

何にもできやしないさ。どうせ自分なんかには何にも出来ない。やりたいこともない。しなきゃいけないこともない。何にもない。

僕は無表情で淡々と言う。

「人生に価値なんてない」

僕は、死ぬまでの残り時間に価値を見出だせなかったんだ。

たかが十数年生きただけの若者が何を言っているんだろうね。世界も目の前も、化け物行列を見た日のように真っ暗で、孤独で、さみしいものに感じていた。

 

僕は、どうしてこんなところに立っているんだろう?

どうしてこんなところを一人で歩かなければいけないんだろう?

どうしてみんな同じように歩かなきゃいけないんだろう?

どうして? どうして?!

 

誰もが通る道なんだとは思うよ? 卑屈になって、投げ槍になって、意味もなく周りを睨んで、理由もなく叫ぶ。「こうじゃない」って。

 

それもひとつの『青春』なんじゃないかな。

 

そんな青春真っ只中の当時の僕にとって、学校行事も進路もどうでもよかったんだ。お分かりかな? 君たち。

 

秋彦は言ったよ。誘った『彼』がいなくなってしまったんだから、もう七不思議を調べなくてもいいんじゃないかって。それは、なにより冬実と僕を思っての言葉だった。

春には一つ目の「歩道橋」で菜摘が消えた。彼自身、三つ目の「猫ノ集会」で消えていたかもしれない。

冬実は六つ目。僕は七つ目。担当となる七不思議が控えていた。

 

そうだ。もう『彼』はいないんだ。

 

「じゃあ、もうあの委員会も終わりかもね」

冬実がほんの少しだけ寂しそうに笑った。

出会った頃から彼女がかけていた眼鏡はそこにはなかった。

 

僕たちは勘違いしていた。この委員会の活動は自発的なものだと。だから、いつでもやめることができるんだと。言い出しっぺの『彼』がいなくなれば、七不思議の調査なんてしなくてもいいんだと。

 

数日後、僕たちは気づかされることになる。

七不思議はもう止まらない。僕たちは、七不思議を最後まで巡るように仕向けられていたんだ。

 

 

 

夏休み明けのテストが終わる頃、僕は委員会の部屋に立ち寄った。ほんの気紛れだった。

 

部屋の机には、最後に見たときのように日誌が置かれているものだと思っていた。でも、そこには何もなかった。

頭をよぎったのは暑い日にすれ違った委員会のメンバー。

冬実が六つ目、僕が七つ目。

じゃあ、五つ目は? そうだ。すれ違った彼。彼が担当だったかもしれない。七不思議の五つ目は

 

「ほこらだよ」

 

背後からいないはずの『彼』の声が聞こえた気がした。吃驚して後ろを振り向いても、当然そこには誰もいない。

 

ほこら

ほこら

化け物行列が向かった先は?

祠だ

 

僕はあの夜に駆け抜けた道をもう一度駆けることとなった。

 

 

 

その場所へはすんなりと行けた。化け物たちに追い立てられることもなかったけど、何かに導かれているような感じがした。

 

「コッチコッチ」

 

決まってる。消えた『彼』が祠の方から僕を手招いていたんだ。

僕に、七つ目まできてみろと。

 

 

 

その場所には誰もいなかった。行き止まりの道の終点にある一つの祠。真っ赤な夕日越しに佇む祠が、長く黒い影を伸ばしていた。

まるで、まるで。そう、血の池溜まりに墨汁を垂らしたような。赤くて黒い景色がそこにはあった。

祠の手前には、日誌が残されていた。

 

僕は日誌を手に取った。

 

 

 

『七不思議、五つ目は祠。

そう、そこには神がすむ。この俺すら認識できないほど高貴なる神が住む、小さな箱家と話は聞く。

時が満ちたりし時、扉は開く。そして選ばれし転生者たちを異世界へと導くのだ。神が招き入れたそこでは、俺たちは無限の力を手に入れて英雄となるのだ。

選ばれしものよ扉を潜れ。』

 

 

 

異様なほど意味が解らない文が書かれていた。

神? 箱家? 転生者? 異世界? 英雄?

まるで、どこかのゲームやライトノベルのワンシーンに出てきそうな文じゃないか。でもそれは、確かに、僕たちが調査する七不思議の一つについて書かれていた。

夢見がちな高校生。

嫌な現実。もし生まれ変われたら。神様によって自分は選ばれ、異世界へ召喚されて、特別な能力を与えられて、不幸なルートを乗り越えて、最後はヒロインとハッピーエンド。

自分は認められる。

自分は必要とされる。

 

必要とされたい。

認められたい。

幸せになりたい。

刺激が欲しい。こんな詰まらない現実世界なんて。

 

ああ、そうか。五つ目を担当した彼もそうだったんだ。おんなじなんだ。

 

僕は彼とは会ったことがないし、全く知らない。けど、同じ男子高校生なんだ。

どこにでもいる、一般男子高校生。

周りの景色に溶け込みすぎちゃって見えなくなる、そういうタイプの、一般人。世界にいなくてもいい、一般人C。

そんな人生や世界から飛び出したくて、夢を見る。

 

目の前にある小さな祠が異世界への、非日常への扉だとしたら?

 

あの化け物行列は何処へいった?

 

この祠の中へ、扉を潜って別世界へと?

 

僕は祠の扉に手をかけた。

異世界へと行かなくても、これは祠だ。祠の中には大切な何かが仕舞われている。

だって、祠なんだから。

神様が仕舞われているとは思っていなかったけど、きっと何かが仕舞われている。

 

祠の中には何がある?

祠の中には、誰が、いる?

 

僕はゆっくりと、その扉を、

 

 

 

開いた。

 

開いた先にあったのは

 

 

 

 

 

 

「ここからは、私の番だよ?

 

春咲君」

 

 

 

 

 

 

 

目の前が真っ黒に染まった。

 

 

 

とにもかくにも、一人の男子生徒が消えたらしい。

彼は何処に行ったのか、そもそもいつ家を出たのか、家族にすら知られていなかった。

彼がいなくなっても、日常は全く変わらなかった。

 

きっと僕もおんなじだ。

 

 

 

七不思議調査委員会のメンバーの数がまた一人減った。

 

もし何処かで彼と逢うことがあればさ。僕たち、話が合ったと思うんだよね。

 

全部、後の祭りなんだけど。

 

 

 

五つ目『祠』、調査終了。

 

 

 

次は、冬実の番だった。

葉が枯れ落ち、冷たい冬の足音がすぐそこまで迫っていた。




『五ツ目、祠』

扉を開いて奉れ
中に御座すは怪異なり
五つが不思議、いざ参らん

三つの不思議を通し行列
目指すは一つの祠なり
中に座りし神様の
お膝下へと侍るため
彼らはひたすらやって来る

中には神様祀るため
空虚な容れ物作られた
扉を閉じた祠は
時偶口を開けるだろう

中の神はどんな神?


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出席番号10番「7ページ目を追いかけて」⑦鏡

『鏡』

毎日顔をあわせるの
あなたと
変わってく
変わらない
あなたを想って鏡を覗く

鏡を見るたび出会える気がして
違う私と
あの日のあなたと
笑顔になれるわ
きっとこれからも

そのままでいて
変わらないで
このままずっと

だから今日も鏡を見る
あなたを想って可愛くなるの
女の子は変わる



コートにマフラー、手袋の季節がやって来た。外は一面真っ白で、他の色なんて見えない。そんな冬だった。

 

「春から通う学校、決めたよ」

 

冬実が僕たちにそう言ったのは、いつのことだったか。この頃になると、さすがに僕も自分の受験のことで忙しくなっていた。

大学とは別の専門学校という括りに属する製菓学校は、どうやら入試試験そのものがないようだった。だからって彼女のことが羨ましいとは今でも思わないよ。彼女は彼女の決意を持って、願書を出したんだから。

 

進路が決まった秋彦と冬実は僕と距離を置くようになった。悪い意味じゃないよ。自分が選ばなかった道を、僕は選ぶことができる。そう、二人は信じてくれていたから。

秋彦は応援のメールをうるさいくらい送って寄越した。冬実はクッキーやカップケーキの軽いお菓子を作って寄越した。

僕は一人の時間が増えた。でも、心にはいつだって二人がいてくれた。

 

初めて本気でやってみようと思った。

遅いって? しょうがないじゃないか。それまで、「それから先」のことなんてどうでもよかったんだから。

 

参考書を開いて問題集を片っ端から解いて、机の上に本とノートが山積みになる頃には秋にあったことは頭の片隅に追いやられていた。

途中でどうなったかぶつりと途切れている、七不思議六つ目のこと。

僕は確かに祠を二度見た。一度目は化け物行列が向かう先として。二度目は、何か大切なものが入っている箱として。

あの祠の中には何が入っていたっけ。

あの祠の扉の先には何があったっけ。

扉を開いたあのとき、何を見たんだっけ。

 

記憶は霞がかかるように曖昧だった。

 

七不思議調査委員会の日誌は、どういう流れを辿ったのか、ちゃんと六つ目の担当者の手元へ収まっていた。

 

担当である冬実は見たのだろうか。春にいなくなった、親友の最期の言葉を。

 

 

 

窓ガラスを、冬の冷たく暗い風が叩いていた。

 

 

 

高校三年生の後半になると自習の時間が増えてくる。入試の範囲の授業は終わって、残った時間は苦手なところを克服するために使え。質問には答えるが、基本的には個人の受験勉強として時間を使え。そういう先生だった。

もちろん僕は教室に残るようなことはしないで、大抵図書室か帰宅だった。

ただペンが紙を引っ掻く音と、ガタガタ揺らされる窓の音だけが響く世界。淡々としたそこは、なかなかに僕の好みだった。

でも、騒がしいのだって好きだ。下校のチャイムと共に下駄箱へ向かって外に出れば、いつだって秋彦と冬実が待っていてくれた。受験生だからって二十四時間机の前じゃないだろ? そう言って、明彦は僕を帰り道のコンビニに連れ出した。おやつはあるからね! 笑って言う冬実の鞄の中には試作品のお菓子たちが入っていた。三人でそれぞれ温かい飲み物を買って、セールの時は中華まんを、たまにおでんを手に入れて、僕たちは近場の公園で一服する。

高校生はまだまだ子どもだった。

 

一度だけ、聞かれたことがある。

家はどうかと。家族とは、どうかと。

僕は答えた。

君たちといる方がずっと楽しいよ。

 

僕の家は片親だ。昔、両親が喧嘩して母親の方が出ていった。その女がどうなったかは、知らない。

父親は看護師だ。とても働き者で、ほとんど家にいない。自分の信じた道を選べばいい。父親は、いつも僕をまっすぐ見てそう言った。生活に不自由はない。家の中は空っぽだけど。

そんな家にした父親のことを、僕は嫌いじゃない。

今ならわかるけど、僕は父親によく似ている。ほら。地元でも飛び抜けていた巻き込まれ癖。これは、父親から僕が継いだものだった。

まあ、巻き込まれたのか巻き込んだのかは当人次第ではあるけどさ。

あと、なんとなく無気力なとこ。これも父親譲りだった。

 

家のことを二人に話したのは、その一回だけだった。

別に、二人がそんな僕のことを可哀想に思って話題を振らなくなったとかじゃないよ。単にああそうかで終わったからさ。

冬実の家は母親だけの片親。スーパーのパートで稼ぐ彼女の母親は、冬実の将来の夢を応援してくれているそうだった。

秋彦の家に関しては両親ともいない。親戚の家で肩身の狭い毎日を過ごしていた。

どこも似たり寄ったりなんじゃないか。そう言って僕たちは笑いあった。

多分、社会的にはそういう家庭は少数派なんだろうね。だから「同じ」ような仲間がいてすごく安心したんだ。

 

「ひとりじゃない」って言葉は、良い方にも悪い方にも働いてくれる。

そういうものなんだよ。

 

 

 

登校日にはそうやって毎日のように僕たちは会った。

でも、変化は確実に起きていた。

 

寒さが本格的になる前。十一月には祝日が二日ある。だから必然と休日も増えて、僕たち三人にとってはなんとなく詰まらない休日が訪れる。あっという間に十二月が流れて、クリスマスが来て、冬休みが短いながらもやって来る。「また来年」とか言いながら年を越して、一月になる。

日が短くなると未成年は外を出歩く時間が短くされる。僕たちは会う時間が減った。

メールや電話でやり取りはするものだから、てっきり会ったつもりになっていた。だから、休みが開けて学校で会うまで冬実の異常に気がつかなかったんだ。

 

女の子は、変わった。

冬実は、変わっていた。

 

 

 

 

 

僕の中で、秋彦は紅葉。真っ赤に、鮮やかに笑う、かなり大雑把で、悪ガキで。でも、気の合う優しい親友だ。

僕の中で、菜摘は向日葵。誰よりも周りを照らす、夏だけの花。僕らの中で一番鮮やかだったけど、一番光を、希望を欲しがった。

そして、冬実。彼女は、

 

水仙だった。

 

 

 

年が明けて冬実と会ったとき、僕は彼女が別人だと思った。

確かに彼女は変わっていった。

菜摘が消えた後、一時期枯れて無くなってしまいそうなほど落ち込んだ。でも、戻ってきた。冬実は、菜摘と約束したお菓子作りの夢を一人で叶えるために未来に向かって歩き出した。

少しだけ寂しそうに笑う彼女は、

 

可憐だった。

 

親友を失った冬実は少しだけ心配性になった。僕や秋彦を見て

「大丈夫? 無理してない?」

と聞くことが度々あった。

だから僕たちも冬実を誘って遊びに出掛けた。三人で笑い合うことが、きっと彼女の傷薬になるんだと僕は信じていた。

 

そう。そこで終わればいい話だったんだ。

 

僕たちは七不思議を追ってしまった。

一つ、二つと辿るごとに時間は巡った。

冬実の部活の後輩は交差点で消えた。秋彦と一緒に猫の集会へ招かれた。

いつからだろう。冬実はよく手鏡を見るようになった。いや、手鏡に限った話じゃない。ガラス、サイドミラー、銀の皿。姿が写る物には何でも自分の姿を写し込んだ。

女の子には誰でもある時期だと思っていたんだ。鏡を見て、お化粧をして、どんどん可愛く美しくなる時期。お伽噺で女性が鏡に問いかけた。

「鏡よ鏡よ鏡さん。この世で最も美しいものは誰ですか」

嘘でもいいから答えて欲しかった。

「貴女が世界で一番美しい」

答えた鏡の中には、誰がいたんだろう。

 

冬実は何回も何回も鏡を見た。何回も。何回も。

眼鏡をコンタクトレンズにした。茶色がかった目は意外にぱっちりとしていた。

前髪を切った。顔がよく見えるようになった。

色つきのリップを使うようになった。淡いピンクは冬実に似合っていた。

外で会うとき、化粧をするようになった。女は化けるっていうけど、冬実はもともと可愛いと思う。そう言うと、彼女ははにかんでありがとうと言った。

 

冬実はどんどん可愛くなっていった。鏡を見るたび、可愛くなっていった。

 

彼女は変わった。明るい笑顔を振り撒くようになった。

 

まるで、菜摘のように。

 

いつから、なんでそうなったのかは僕と秋彦は知らない。でも、きっと彼女だけが知るどこかで七不思議と出会ったんだろう。

 

七不思議の六つ目は、『鏡』だったから。

 

 

 

鏡は。

自分を写す物だ。

目の前に立つ世界を写す物だ。

それはありのままを写すかもしれないし、写さないかもしれない。

例えば写されたそれが真実なら、覗いた人は受け入れないといけないだろう。現実と真実を突きつけられて、その後どうするかはその人次第だけど。

でももし、写されたそれが望んだ理想だったら?

僕だったら、思わず手を伸ばしちゃうかな。

 

鏡の前に立った冬実の前に何が写されたかはわからない。でも、写ったそれは彼女を変えた。

 

女の子は変わるよ。

鏡に写った現実を変えようと努力するのか、写った理想に追い付こうとするのか。どちらにしても、女の子は可愛く美しく綺麗になる。

そんな風に変わった冬実を、僕は誰よりも可愛いと思った。

彼女が好きだと、思った。

 

泣いた冬実も、笑った冬実も、怒ったり、いじけたり、照れたりする冬美も。全部好きだった。

 

 

 

ちょっとそこ、笑うな!! こんなでも僕の初恋なの!

 

 

 

こほん。続けます。

そんな僕の初恋の冬実なんだけどね。

可愛くなろうと努力する彼女はもう可愛くて可愛くて。そんなに努力する理由はその時はわからなかった。

乙女心は難しいからね。

でも、真っ白な雪の降る寒い日、僕と秋彦は気づいたんだ。鏡と向き合う彼女の表情が春と同じだってことに。

 

冬実は鏡の中に自分を写していたんじゃない。

消えてしまった親友の菜摘を見ていたんだ。

僕は寒気がした。鏡の向こうの「菜摘」が冬実を引きずり込んでしまうんじゃないかと。

 

 

 

センター試験を一週間後に控えた日。冬実は姿を消した。

 

 

 

僕の中で、冬実は水仙。冬の冷たい空気の中でも咲く、自分を大切にできる花。僕の好きな、健気で愛しい花。

でも、色が変わるだけで別の想いが加わる花。白い花は神秘的だけど、黄色くなれば途端に寂しがりやになる。私のところへ帰ってきて、と。

 

冬実は鏡の向こうに行ってしまった。

春に消えた親友の姿が写った鏡に手を伸ばして、引きずり込まれてしまった。

 

 

 

なんで知っているかって?

だって、僕たちもその鏡を覗いたから。鏡に写っていたのは、僕たちの知っている「本物の」菜摘だった。

 

 

 

彼女は言った。

 

『ふゆちゃんを たすけて』

 

 

 

僕と秋彦は、七不思議六つ目の鏡を通り抜けた。通り抜けたその先には、学校が広がっていた。

 

七不思議、七つ目がそこにはあった。

 

 

 

冬実は日誌にこう書き残した。

 

『七不思議、六つ目は鏡。

祠の中にあるのは一枚の鏡様。

その鏡を覗いたとき、写るのは自分の顔。

見ているだけなら、いつもの自分の顔。

だけどだんだん変わってくる。

理想の自分。恋する相手。憧れた人。自分をもっとその人に近づけろと誰かが囁く。近づきたい。もっと近づきたい。

あの人に、近づきたい。

それに手を伸ばしたとき、鏡の向こうへと招かれる。』

 

 

 

冬実が鏡の中に見た人は誰だったんだろう。彼女は何も言わなかった。

でも、写った誰かは確かに彼女を変えた。

 

 

 

鏡の中に消えるっていう神隠しは、きっとこういうことなんだろうな。

鏡に手を伸ばすだけじゃ向こうには行けない。だから、向こうからも手を伸ばしてもらわなきゃ世界は繋がらないんだ。

 

神隠しはね。神様と目を合わせてこそ隠されるものなんだよ。

だから難しい。神様なんて高貴な存在が自分を見てくれるなんて、滅多にないと思わない?

神隠しは偽装だ。「私は神だ」と偽って目をそっちに向かせる。本当は

 

 

 

「ほラ。キミタチモはやくコッチニオイデヨ」

 

 

 

本当は、全ての元凶が大口を開いて待っているんだ。

 

獲物が自分から口の中に飛び込んでくるのを。

 

 

 

 

 

僕と秋彦は冬実を追いかけた。

さあ。僕の七不思議、最後に辿り着いてみせたぞ。

 




『六つ目、鏡』

覗き込めば
惹き入れ給う
六つが不思議、いざ参らん

鏡を通して見ゆる世に
己の理想は存在するか
夢なら叶わぬ夢物語
現を信ずる意志あるならば
彼の地で待とうぞ理想郷

変わらぬ現は幻か
幻こそが真実か
その目で確かめ
触れてみよ

鏡よ鏡
神なる鏡
我らに何を見せてくれる


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出席番号10番「7ページ目を追いかけて」⑧学舎

『学び舎』

チャイムが響く、僕の学び舎
あの子の声が廊下で響く
あの子がグラウンドで呼んでいる
あの子が教室で待っている
青空広がる校舎には
たくさんの思い出が残される

またあえるの?

さよなら
僕の青春
思い出だけを残して風は去る

もうあえないね

今でも残したものたちは
置き去りのまま



高校三年生の春に始まった、とある町に纏わる七不思議の調査。集められた調査委員会のメンバーとして出会った僕たち四人。

 

菜摘。一つ目の七不思議、歩道橋の担当だった。彼女は春、夏を前にして歩道橋の上から消えた。

秋彦。三つ目の七不思議、猫ノ集会の担当だった。彼は三日月の夜、猫の都合で裁判にかけられた。

冬実。六つ目の七不思議、鏡の担当だった。彼女は鏡の中に誰かを見て、いなくなってしまった。

 

冬実がいなくなった日、僕と秋彦は町中を探し回った。でも彼女は町のどこにもいなかった。

親友である菜摘のように消えてしまったんだろうか。もう、手遅れなんだろうか。

そう思いながら家に帰った。部屋の電気を着けると、机の上にはあるはずのないものが置かれていた。

七不思議調査委員会の日誌だった。

日誌は、今は六つ目の担当である冬実が持っているはずだった。

 

 

 

「さあ、次はきみの番だよ」

 

聞きたくない声が聞こえた気がした。

 

 

 

僕の手元に調査日誌が来る。それは、六つ目『鏡』の調査終了を意味していた。

ページを開けば、冬実の書く少し小さめな字で六つ目が書かれていた。

 

「はやくオイデヨ」

 

耳元で『彼』の声がキンと響く。

 

「うるさい!」

 

誰かに言われなくても当事者である自分がよくわかっていた。

今度は僕の番だ。

今度が、僕の番だ。

 

 

 

おまたせ。同級生のみんな。

これが僕の七つ目だ。

 

そう言って、僕は日誌を開いた。

 

 

 

 

 

 

七つ目は学舎。

 

それまで、誰も辿り着けなかったであろう七不思議の最後。これで七不思議は終わりになる。

始めはそう思っていたんだ。

 

約一年かけて僕に回ってきたこの日誌。これには、その一年の委員会のメンバー一人一人が七不思議を綴ってきた。

その前も、その前の前も、誰かがどれかの七不思議をこの日誌に書き残してきた。もちろん、最後の学舎みたいに何もわからなかったものある。

なんでこの七不思議は最後にいくに連れて出会いにくくなるんだろう。その理由は、僕たちの故郷にある七不思議と似ていた。

一つ目、二つ目と順番に巡らないと次の七不思議には出会えないからだ。途中で止めてしまえば次の七不思議には出会えない。だから、僕の担当する七つ目が一番難しい。内容の調査以前に、出会えるかすらわからないからね。

そんな七つ目の担当になった僕って、やっぱり運が悪いよ。

でも、そんな僕にもほんの少しだけラッキーだったことがあった。

それは、一個前である六つ目の調査が終わっていたこと。出会っていても内容がわからなくちゃ、その怪異でいなくなった人を探せない。六つ目でいなくなってしまった冬実を探すには、六つ目である『鏡』について知らなきゃいけなかった。

一つ目で消えてしまった菜摘は手がかりすら全くなかった。だから、彼女を探すことはできなかった。

六つ目であった冬実ならまだ間に合うかもしれない。

そう信じて、僕は日誌を開いたんだ。

 

冬実は書き残していた。七不思議、鏡についての調査内容を。

その鏡は何処にあるか。何を写すか。

手がかりをもらった僕は秋彦を引っ張って暗くなった道を行く。三度目となったその道は、物音一つ聞こえないほど静まり返っていた。

空を見上げる余裕もなくて、ただただ異様に寒かったことだけを覚えてる。吐く息が白く凍って、それだけが自分の居場所を示していた。

向かったのは五つ目の祠だった。

僕はその一年で二回そこへやって来たけど、一度もその中を覗いたことはなかった。

そう思っていた。

 

僕たちがそこへ着いたとき、祠の扉は開いていた。

、と思う。

真っ先に目に入ったのは丸い鏡。これがきっと七不思議の六つ目だ。

思ったのか言ったのか、覗き込むのが先だった気もする。

鏡の中にいたのは、

 

菜摘だった。

 

彼女は口を動かした。

「ふゆちゃんを たすけて」

彼女がどんな表情をしていたのか思い出せない。でも、その言葉は確かに僕たちのところに届いたんだ。

 

僕と秋彦は鏡に向かって手を伸ばした。

 

 

 

気がついたら

 

目が覚めたら

 

目を、開いたら

 

そこは学校だった。

 

 

 

「オカエリ。いや、ヨウコソカナ?」

 

 

 

七つ目は、学舎。

 

 

 

 

学校では、たくさんのことを学ぶ。そこに集まるのは、集められるのは、未熟な子どもたち。

体も心も頭も、全部が未熟な雛たち。空を飛べない雛たちは世界を知らない。

だから、よちよち歩き回るんだ。歩き回って、自分達の世界を作るんだ。

これこそ「子どもの国」。

 

そこには音がしなかった。

キーンコーン カーンコーン

空が青かった。

もっと遊ぼうよー

空が白かった。

空が黒かった。

空が赤かった。

こっちこっちー

知らない建物だった。

でも、どこか懐かしかった。

 

僕は何処かの教室にいた。椅子に座って、机の上に広げたノートに鉛筆を走らせていた。

書けた? 春咲君

隣の席に冬実が腰かけた。

俺のを参考にしてくれてもいいんだぜ? 春咲

後ろから秋彦の手が肩に置かれた。

ちゃんと終わらせてね。春咲君

机越しに菜摘が笑っていた。

 

巣でたった一人だった雛は寂しかった。だから、仲間を集めた。自分と同じような雛を、自分の巣へ引き込んだ。

雛は増えた。巣は大きくなった。

誰かが言った。

いつかは大人になって、ここを出て行かなきゃいけないのかな。

誰かが言った。

ずっとこのままでいたいな。

このままでいようよ。

コノママズットココニイヨウヨ

ソウダネ

ソウダヨネ!

 

ずっと雛のままでいることはできない。そんなのわかっているよ。

みんな、わかっているんだよ。

でも子どもでいたい。

子どものままでい続けたい。変わりたくない。大人になんてなりたくない。

外の世界を知らなくていい。

だって、自分達にはここがあるから。

 

知らない子が廊下を走っていく。

キャハハハハハ

知らない子たちが運動場で遊んでいる。

待ってよー

壁にかかった時計は動かない。

この指とーまれ

 

いつの間にか、僕は教室に一人残された。誰もいない教室は寂しくて、落ち着く。

誰にも邪魔されない、僕だけの空間。僕だけの、時間。

 

早く書いちゃいなよ

目の前に『彼』がいた。顔が見えない。でも笑っている。古い制服を着て、立っていた。

何処かで見たことがある気がする『彼』。何処にもいない『彼』。この一年、僕たちに七不思議について調べろと誘いをかけた張本人。

ほら、次の人にまわそうぜ

空が白かった。雲もないのに。太陽もないのに、ただ白かった。

 

僕はノートのページを捲った。

一ページ、二ページ、三ページ。白と黒のページが流れていった。

四ページ、五ページ、六ページ。見知った文字が流れていった。

これが、僕たちの一年。これが、僕たちの七不思議。

これが、僕の青春。

 

ページがパラパラ捲れる。

教室には風も吹いていないのに。

カーテンが風に煽られて捲れたまま止まっている。

時間は、進まない。

止まったまま、時間は進まない。

 

僕は。僕たちは。その一年をかけて七つの不思議を追ってきた。歩道橋から始まって、交差点、集会、行列。鏡を抜けて、学校へ。

僕は、七つ目の不思議を追いかけてきた。

ページが止まる。まだ何も書かれていない、真っ白なページだった。

ほら、君の番だ

そうだ。僕の番だ。

 

 

 

僕は、ペンを走らせた。

 

「七不思議、七つ目は学舎。

六つの不思議を通り抜け、たどり着くのは一つの校舎。

みんなが集まるその場所には時間が流れない。

ずっとずっと子どものままで。」

 

 

 

ずっとずっと、このままで。

 

 

 

これが、僕の七不思議だ。

 

ここが、僕の青春だ。

 

 

 

僕の七不思議は、青春は時間を、ページを止めて、ずっとずっと止まったまま。

青春という時間はほんの一瞬だ。花は散る。青空は雲がかかって夜になる。

だけど、このノートのページを開けばいつだってよみがえる。いつだって、青春の輝く瞬間に戻れる。

だから、ページを開き続ければ僕たちはきっとその瞬間に居続けられるんだ。

いつだって、僕たちはあえるんだ。

 

これが、僕の、七不思議。

 

ほら。君も七不思議を辿ってごらん。

ほら。君たちもページを開いてごらん。

いつだって僕たちはここにいる。

七ページ目を追いかけて、ここに来てごらん。いつだって、素晴らしい青春が君たちを待っている。

 

ほら、またあえるね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じゃあ、またハジメからイッテミヨウカ!




『七ツ目、学舎』

懐かしき時間をその身に刻め
七つが不思議、いざ参らん

鏡の向こうに在りし世界
黒と白で彩りし
時間を止めた故き世界
其処は似て非なるカレラの世界

巡れ巡れ
七つの不思議
廻れ廻れ
終わることなき永久の時間

ずっとずっとこのままで
変化と成長を拒む子どもたち

これが最後?


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出席番号10番「7ページ目を追いかけて」⑧7項目

『七ページ目を追いかけて』

僕たちの七不思議
一つ、二つと辿ってきた
追いかけたものは七つ目の先

ずっとずっとこのままで
七不思議は終わらない
ずっとずっとこのままで
巡って廻ってぐるぐる回る

子どものままでいたい子どもたち
きっと僕たちもおんなじだった

ずっとあえるよ


これで、僕の七不思議は終わりだ。

 

どうだったかな? みんな。

 

おいおい。どうしたの? そんな恐い顔して。

同級生じゃないか。

何をそんなに怒っているの?

 

余所者だって?!

何を言ってるんだよ?!

僕は君たちの同級生だろ? 友だちだろ? 仲間だろ?

 

 

 

ナンデソンナニオコルノサ!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やあ、みんな。お待たせ。

今度こそ、僕の番だ。

長い話になっちゃったね。

でも、もうすぐ終わりだから。

あと、少しだけ。僕の話に付き合ってくれるかな?

 

季節は立春を目前にしていた。桃の花の蕾が膨らみ始めた頃に、

 

 

 

ヤメロ!!!

 

 

 

僕らの委員会活動は終わりを告げた。

 

僕たち三人は、

 

学舎から逃げ出した。

 

 

 

ヤメロ!!!!!!

 

 

 

子どもは子どものままではいられないんだ。どんなに居心地が良くても、外の世界を夢見て飛び出していく。

僕と、秋彦と、冬実は。その年の三月に卒業した。

 

 

 

僕らは大人になったんだよ。

 

 

 

どうしてこうなったのか。ちゃんと話すね、みんな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七不思議の七つ目は、時間の止まった学び舎だった。そこには、秋彦も冬実も、消えた菜摘も、知らないうちに消えた誰かも、みんなが集まっていた。

 

このままずっとここにいたいな。

このままずっとこのままでいたいな。

 

頭がぼんやりしていた。何もかもが霞がかっていた。

そんな時に、僕は頬を叩かれた。見事な強烈ビンタだった。痛みに目を醒ますと、目の前には顔を真っ赤にして怒っている菜摘がいた。

「ふゆちゃんを助けてって言ったじゃない!」

消えたはずの菜摘が目の前にいる。それは、自分が菜摘と同じように別の世界へ来てしまったということだった。

そうだ。帰らないと。冬実を連れて、秋彦と三人で帰らないと。

「ここにいちゃダメだよ」

そう言って、菜摘は机の上に広げられたノートを指差した。七不思議調査委員会の日誌だった。

ただのノートだった。今まではそうだった。

僕は、ページを一枚。ぺらりと捲った。

冬実の書いたはずのページに、戻った。

 

ただの、ノートだっただろう?

 

ふざけるな。よくも僕たちを騙したな。

 

騙してないよ。だって、僕は僕なんだから、友だちの同窓会にいってもいいじゃないか。

 

その為に利用したのか? 菜摘も。他の子達も。

 

違うね。僕はいつも通り友だち作りをしただけだよ。

 

みんな、聞いてくれ。

今まで日誌を手にして読んでいたこいつは余所者だ。

気づいていた? 流石、僕の同級生たちだ。

こいつは、僕たちの巡った七不思議の首謀者。『彼』だ。

『彼』がその七不思議を始めた。彼が七不思議を回した。

『彼』は

 

 

 

八つ目の怪異。

『七不思議調査委員会』だ。

 

 

 

その瞬間、『彼』の口元が醜く歪んだ。

ずっと『春咲』である僕のふりをして七不思議を語ってきた『彼』は、あの日の僕と同じ姿をしていた。

輝く青春の時間を謳歌した、高校生の僕の姿だった。

 

 

 

『彼』なんて生徒は存在しないんだ。そこにあるのは、七不思議を調べさせて書かせるという仕組み。

一つ目の歩道橋を渡り、二つ目の交差点を通り、三つ目の集会で選別し、四つ目の行列で運んで、五つ目の祠の中にある六つ目の鏡に姿を写させる。姿を写された人は鏡を通って別の世界へ。そう、七つ目の学舎へ。

『彼』は鏡に写った姿を利用し、次の七不思議を書く人を探し出す。

毎年毎年同じように。

 

七不思議自体は解明されなくてもいいんだ。ただ、七不思議というものに少しでも触れることで

「ここにはこんな七不思議が存在するんだ」

という認識を植え付ける。

七不思議っていうのは繰り返せば繰り返すほど強いものになる。

ほら、僕たちの桜ヶ原に根付く七不思議のように。

でも、その七不思議の場合はラスボスとでも言うかな? 七不思議自体を呑み込む八つ目が存在してたんだ。巡った人を怪異と共に呑み込む存在。

『彼』は日誌だ。

日誌は書いた人を食べて成長した。初めは「七不思議について書いた人 」という限定的なルールを守って。でも、次第に日誌は力を付けて、ルールを守らなくても消えなくなった。町の外には出られないようにされてはいたけど。

日誌を通して魂を喰らう『彼』はどんどん力を付けた。七不思議のあるその町は、とうとう彼の天下になってしまった。

 

僕たち三人が再び鏡を通り抜け、元の世界に戻った後にその鏡は砕け散った。きっと、菜摘が向こうから割ってくれたんだと思う。

 

 

 

これで、僕の七不思議は終わりだ。

 

 

 

 

 

 

 

僕が八つ目である『彼』の日誌を持ってきたのには理由がある。

この日誌には僕や冬実、秋彦、菜摘を含めたたくさんの青春が入っている。

入っていると思っていた。

ページを開けばいつだって、輝くその時間に戻れると思っていたんだ。

 

そうだっただろ?

 

違ったね。

 

ナンデ?!

 

だって、あの時間はもう十年以上前の話だ。君が読み上げてきたこの日誌の中にいくらしっかり書かれていても、全部じゃない。

 

そっくりだっただろ?!

 

そっくりだったけど、本物じゃないさ。

覚えているはずがないんだよそんなにしっかりと。

いくら唯一の輝いて色鮮やかな青春だとしても、結局はそれも記憶の一つに過ぎない。過去なんだよ。全部、過ぎてしまったんだ。

僕たちの七不思議は終わったんだ。

 

オワッテナイ!

ボクガイル!

 

過ぎてしまった過去は、霞がかったようにおぼろになる。色褪せてモノクロになっていく。

きっと、きっと、それでいいんだ。

過去を振り返って懐かしむことができるからこそ、自分は歩んできたと思えるんだ。

今まで生きてきたと思えるんだ。

 

ボクタチハ!

 

僕たちは、子どもだった。幼かった。でも、大人になった。

ここにいる誰もがそうだった。

もう、お別れの時間なんだよ。

 

 

 

そう言って、僕はその日誌を破り捨てた。

 

 

 

それまでひらひらと頭上から舞い散っていた桜の花びらが、一瞬ピタリと止んだ。

 

 

 

 

 

 

僕は、同級生たちを振り返ってこう言った。

 

「また、会えたね」

 

最期に、また会えたね。

 

 

 

 

僕の青春は、菜摘と秋彦と冬実と、僕でできている。四人で作った青春という一年の一ページ。

日誌の中ではたった見開き七ページほど。

そのページを開けば、あの輝く時間が開かれる。キラキラときらめいて、カラフルに彩られた素敵な時間。

でもね。

開かなければ、思い出そうとしなければ、それらには埃が積もっていく。他の記憶もそうであるように、霧や霞がかかって見えにくくなる。色はモノクロになっていく。音なんて、録音できるものではないから思い出せるはずがない。

だって、過去を振り返った中で輝いているからこそ特別な青春なんだ。

もし、自分の中でその思い出を特別にしたいなら。何度でも思い出してごらん。何度でも、ページを開いてごらん。そうすれば、その度に青春はよみがえる。あの時間に出会えるんだ。

 

僕は、この青春が人生の中で唯一の大切なものだ。

だから、何度だって思い出すよ。絶対に忘れない。

そのために僕は何回も何回も七ページ目を、七つ目の不思議を追いかけてページを捲るんだ。

 

 

 

これで、僕の話はおしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、何で僕がおとなしく『彼』にずっと話をさせていたかなんだけど。

だってわかるよね。そいつが僕じゃないって。同級生か、余所者かなんてさ。

 

だって友だちだもん。

 

秋彦と冬実にはもう会えない。だって、僕の唯一の友だちだから。もちろん、菜摘にも。

だから、しっかり別れの言葉を残すんだ。

 

え、君たちには?

君たち同級生には、いつだって再会の言葉を送るよ。

また会おうって約束した友だちだから。

だから、また会えたねって言うんだ。

 

 

 

 

 

 

 

破れた日誌のページが、風に流されて何処かへ飛んでいった。




『七ページ目を追い越して』

もう会えないね

いつかは僕らも大人になる
さいごに迎える卒業の日

もし君が
また会いたいと願ってくれるなら
僕はきっと忘れない
あの青春の一ページを
ずっとずっと忘れない

最期の最後に書き足す言葉は
別れの言葉と
ありがとう

これにて七不思議
終了なり

さあ
七ページ目を追い越そう


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遅刻前「おにごっこ」

誰かに追いかけられる夢を見た。追いかけられて、追いかけられて、途中で思い出した。
これは幼い頃にしたごっこ遊びだと。


 

遠い町へやって来た。幼馴染みの子と一緒に。

町をさ迷った。知らない町だった。

二人で手を繋いだ。一緒にいれば恐くないと言って手を繋いだ。

 

ふ、と。何かが横切った。何かが何処かを横切った。

追いかけた。追いかけた先には神社があった。古い神社だった。古すぎて、朽ちていた。

 

 

 

その場所には神さえもいなくなったように思えた。

祀られるべき神が去った神社には何がいるのだろうか。何もいないのだろうか。

誰も訪れなくなった神社には何が残されたのだろうか。何も残されないだろう。人はそこに神がいたことさえ忘れる。そんな人に神が何かを残すとは到底思えない。

いや、信仰を忘れた人に対して神が唯一残すであろうものがあった。呪いた祟りといった忘れものである。

神さえも忘れたそれは、誰かに見つかることをただただ待ち続けていた。

 

 

 

神社を見つけた。古い神社だった。

鳥居に続く道に子どもがいた。二人に気づいた。目が合った。

 

「遊ぼう! 遊ぼう!」

 

彼は笑顔で言った。

 

「お願いだ、一緒に遊んでくれ!」

 

彼はすがるかのように二人に言った。

絶望に染まった小さな黒い目が、二人を見つめて微かに輝いた。希望を見つけたように輝いた。

二人はそれに気がつかなかった。二人はまだ子どもだったから、それに気がつくことができなかった。

 

二人は首を縦に振った。いいよ、と彼に言った。

彼は大喜びで指を鳥居に向けた。鳥居を潜った先にある神社に指を向けた。

 

「あそこで遊ぼう」

 

鳥居を潜った。そこから先は神の領域のはずだった。だが何もいなかった。神すらもいなかった。

 

「やめようよ」

 

二人のどちらかが言った。どちらも言ったかもしれない。

彼は執拗に言い続けた。

 

「お願い、一緒に遊んで。お願い、ここで一緒に遊んで」

 

彼の言葉は最早遊びの誘いではなかった。助けを求めているとしか思えない声音だった。

 

二人は神のいない神社などで遊びたくはなかった。

 

「アソボウ。アソボウ」

 

カレの声が聞こえた。彼はその声に怯えていた。

二人にはその声がどこから聞こえているのかわからなかった。声を発しているカレを、二人は見つけられずにいた。

そのうちに彼はとうとう泣き出してしまった。どうにもこうにもいかなくなってしまった二人は、彼ラと神社の中で遊ぶことにした。

 

「何して遊ぶの?」

 

「おにごっこだよ」

 

彼ラは遊んだ。神社の境内を走り回った。

時間を忘れるほど、遊び回った。

 

追いかけた。追いかけられた。

追いかけられた。追いかけた。

走った。走った。息が切れるほど。息が止まるほど。走った。

 

 

 

刻は既に逢魔が時。

鬼が腹を空かし、獲物を追いかけ始めた。子どもは追われた。鬼から逃げようと、必死で逃げた。神は見向きもしなかった。

それを知るのは彼とカレだけだった。

 

 

 

彼ラはおにごっこをした。二人の両親が呼びに来るまで、終わることのない追いかけっこを続けた。

 

「もう帰らなきゃ」

 

二人は神社から出ていった。

 

鳥居を潜る時、後ろから彼の声がしたようだった。

 

「待って、置いていかないで」

 

後ろからカレが、鬼が、子どもをつかまえたようだった。

 

 

 

「ツーカマーエタ」

 

 

 

神社の何処かで何かが落ちる音がした。

 

 

 

 

 

 

彼はどうなったのだろうか。

おにごっこでは鬼役に捕まれば鬼になる。彼は、どうなったのだろうか。鬼に捕まった彼は、どうなってしまったのだろうか。

 

ほんの些細な記憶である。

その後何年も思い出すことなどない、些細なことだった。思い出さなくてもいいはずの記憶だったはずだ。忘れていればよかったはずの。

しかし二人は思い出した。何故だ。

 

 

 

二人の目の前にかれが現れたからだ。

 

 

 

誰だ。

彼だ。

夢の中で一緒に遊んだ彼だ。

彼なのか。

あの時の彼なのか。

本当に、そうなのか?

何故ここに。

 

それは、彼の顔をして言った。

 

「マタ、イッショニアソボウヨォ」

 

オニゴッコノツヅキヲシヨウ。

 

それは二人に言った。

 

 

 

二人は覚った。それは彼ではないと。

 

 

 

二人は逃げた。かつての彼のように。

逃げて、逃げて、再びあの町に辿り着いた。古びた神社を探した。色褪せた鳥居を探した。

忘れていた何かを探した。

 

後ろからはカレの足音が聞こえていた。

二人は振り向かなかった。振り向いてはいけなかった。

おにごっこで鬼役に捕まれば鬼にされる。人ではいられなくなる。

後ろからカレの足音が二人を追いかけてきていた。

 

 

 

 

 

 

夢の中で彼が叫んでいた。

 

助けて。助けて。置いていかないで。

お家に帰りたい。パパとママに会いたい。

助けて。置いていかないで。忘れないで。忘れてしまわないで。

ここにいる。ずっとここにいるんだ。忘れないで。置いていかないで。

 

彼は泣いていた。

あの後、彼はどうなってしまったのだろうか。二人が振り向くこともせずに別れた彼は、最後にどうなったのだろうか。

その彼の後ろには、何がいたのだろうか。

それは、人だったのだろうか。

 

二人は未だに思い出せないでいる。あの時、自分達は何人で遊んでいたのだろうか。三人? 四人?

記憶を辿りながら二人は折れそうな鳥居を潜った。その先の境内には。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先の境内には、古びた神社はなかった。とうとう崩れ落ちてしまったのか。それにしては全く何も残っていない。本当にそこに神社があったのだろうか。狛犬さえも残っていなかった。

 

後ろからはカレの足音が聞こえていた。近くはなかった。遠くもなかった。

 

二人は奥へ進んだ。そこには大きな穴が開いていた。自然に開いた穴だろうか。それにしては大きすぎる。人が掘ったものだろうか。神の仕業だろうか。それとも化け物の?

後ろからは人ならざるものの足音が聞こえていた。

 

二人は穴の中を覗きこんだ。

深い穴だった。

深く暗い闇の奥に、二人は見た。

 

 

 

そこには彼が、幼いままの形で横たわっていた。

二人が一緒に遊んだ、あの日の彼だった。

 

 

 

彼の顔はカレと同じだった。同じなのだ。今二人を追いかけてきているカレが、彼の顔を真似たのだ。

彼の首は、腕は、脚は、奇妙な方向に曲がっていた。

 

 

 

二人は逃げた。おにごっこの鬼に捕まらないように。

逃げながら、後ろを気にしながら生きた。彼ラのおにごっこは何年も続いた。

 

 

 

 

 

 

二人は逃げきれたのだろうか。逃げきれなかったのだろうか。

 

 

 

彼は最期までカレから逃げきることができなかった。

一緒に遊ぼうと言った彼は何故カレとおにごっこを始めてしまったのだろう。カレは始めから遊びのごっこ遊びをするつもりなど全くなかった。カレがしたかったのは鬼が人を狩る「鬼事」だったのだ。

だが人の子供はカレを、鬼を恐れた。畏怖し、避けようとした。だからこそ遊びの場を神社の境内に指定した。神に救いを乞うた。そこでならきっと助かると信じた。

しかし彼は忘れていた。荒廃した神社の何処に神がいるというのだろうか。人に忘れ去られた神は彼を守らない。忘れたのは人が先だ。それさえも人は忘れてしまった。

 

神を奉っていたはずの境内はもはやただの土地だ。いくら鳥居を潜ったとしても、その先には何もいなかった。空虚になった其処には誰も住まない。

神は消え去った。

 

己を忘れた人の子に神は何を思ったのだろう。何も思わなかったかもしれない。神なのだから、何も思わなかったのかもしれない。

だがそれは残ってしまった。神さえも消えるその時にそれは残ってしまったのだ。

 

カレは、其処にのこってしまった。

 

カレは何なのだろう。鬼か。化け物か。祟りか。呪いか。その全てか。

 

それは神の忘れものとしてその場に残されてしまった。

腹を空かしながら、カレは人を見た。どこかうらめしそうな目をしながら、カレは見た。

寄越せ寄越せと、カレの目が語っていた。

腹がへった。お前の×を寄越せ。際限なくそれは空腹を訴えた。神からも忘れ去られたそれは人を、喰った。人の×を喰らった。

 

彼は見つけてしまったのだろう。目が合えばそれは彼を認識した。彼もカレを認識した。

彼は恐れた。恐怖し、一人になりたくなかった。カレに背を叩かれることを恐れ続け、ひたすらに逃げた。

まるでおにごっこのようだった。

遊びの中に人ならざるものを引き入れてはいけない。遊びで済むはずがないのだから。

彼はそれさえも忘れていた。

 

 

 

 

 

 

「鬼さんこちら」

 

呼んではならない

 

「手の鳴る方へ」

 

手を叩いて呼んではならない

 

 

 

何故わざわざ人は自ら鬼を呼ぼうとするのか。鬼と人とでは遊びの範疇が異なる。遊びのつもりでも、片方は遊びではないのだ。

 

人はそれすらも忘れてしまったのか。

 

 




ネエ、アソボウヨォ!






後ろからナニカの足音が追いかけてきている。












其処には誰かの忘れものだけがのこされていた。


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「Who are you?」「ああ云う」

お家に帰ろう。そうしましょう。

真っ赤な夕日が沈んでしまう前に、夜の帳が降りてきてしまう前に、人は帰るべき家へ向かって駆けていく。

 

帰ろう、帰ろう、星が輝きだすより先にお家へ逃げ込もう。

子どもたちは足下に長い影を作りながら家路を急ぐ。大人たちは濃く黒い影を踏みながら家族の待つ家を目指す。

 

迷子にならないようにと手を繋いで子どもたちが駆けていく。足下に影を引き連れて。

大人たちも荷物を手に家へと駆けていく。

影は長く長く伸びていく。家にはまだ帰りたくないとでも言うように、家へと向かう人とは逆に向かって伸びていく。

 

 

 

夕日は沈み、人が家へと辿り着く頃、影たちは何処へ帰っていったのだろうか。

 

 

 

夜の帳が町を被い始める。月が高くに上り始める。

あんなにたくさんいた影たちは何処へいったのだろうか。

人と一緒に、眠りについたのだろうか。

 

 

 

影はいつでも独り歩きをする。本当はいつだって独りで歩いていたいのだ。

帰る場所のない影たちは、夜の時間だけ自由になる。寄り添い、大きくなって暗闇の世界を音もなく歩き回る。

朝になれば再び人の足下に縛り付けられる。影たちはそれを知っていた。そしてそれが影の望みであると本能で解っていたはずだ。

 

 

 

それは誰だろう?

 

 

 

それは言う。

同じ形でいつも同じ所にいるのに、何であの子と自分は別のものなの?

 

あの子は言う。

だって、あれと自分は違うものじゃないか!

 

 

 

影はいつだって誰かになりたいのではないか。常につく下働きの黒子ではなく主人公に、別のものになりたいのではないか。

それに形はない。常に変わる。水のように。しかも水とは違って触れることすらできない。それは、影のような、陰である。

それに形はない。何かを真似て、形を得ようとする。いくらそっくりでもそれは本物ではない。偽物だ。

 

それは同じ形をしている。同じ形になろうと追いすがってくる。それは同じ形をしているだけであり、同じ姿はしていない。同じ形だが顔はない。目も、口も、鼻もない。

だがそれはああ言うのだ。おこがましくも「誰か」になりたい、と。

それは所詮影でしかなく、本物に見下されるしかないものだというのに。

それは繰り返しああ言うのだ。

 

 

 

それは誰なのだろう?

 

 

 

あの子はいつもそれを踏みつけている。足の下にそれがいるということを当然だと思っている。

だから自分はそれを飼い慣らしている。自分がそれを飼い慣らしているのだと、あの子は思い込んでいる。

常に足音もなく、ぴったりと貼りつきながら追いかけてくるものに恐れすら抱かず、あの子はそれを踏み続けている。

 

ほら、何を踏んでいるのかも知らないまま、あの子も、あの子も、みんな、それをぞんざいに扱っている。

ほら、それがどんな顔で、どんな目で自分を見つめ、踏まれ続けているのかを考えもせずに、あの子は日が落ちるまで遊び続けるのだ。

 

お家へ帰ろう。そうしよう。

その足音が一つ二つ増えたとしても誰も気がつくまい。

その影が一つ二つ消えたとしても誰も気がつくまい。

その子どもが一つ増えたところで誰が気にするか。

 

お家へ逃げよう。早く、早く。

逃げても逃げてもそれは後ろから追いかけてくる。しつこくしつこく憑き纏ってくる。

 

 

 

あなたはだあれ。

鏡に写ったような姿に問い掛けよ。

あなたは誰だ。お前は誰だ。

それは答えを返さない。代わりに指を突き付け問い掛ける。

 

「お前こそ誰だ」

 

夕日がゆっくりと沈んでいく。影がゆっくりと世界へ溶けていく。

影の形は世界の形とそっくりになった。その色は夜の闇であった。

 

 

 

それはいつもあの子の下を這い、音もなく憑き纏ってくる。もしくは、一定の距離を保ちながら背後をついてくる。まるで鬼ごっこをして遊んでいるかのように追いかけてくるのだ。

 

黒い影には顔がない。それなのになぜか、あの子は背を向けた時に視線と笑い声をその身に受けることとなる。あれは何故あんなにも楽しそうに笑っているのだろうか。

足下に居座るそれにあの子は見向きもしない。見る価値もないと、見る意味もないと視線を逸らす。本当はそこに別の何かがいるのだと始めから気づいていたのに、あの子は怯えたくないからそこから目を逸らす。

そんなあの子を下から見上げ、あれはますます笑みを深めるのだろう。

 

その度に、あれはあの子との距離を縮めてくる。

 

あれはあの子の下に憑くことを楽しんでいるのだ。いつか訪れるかもしれない願いが叶う瞬間を心待ちにしながら、あれはただの影となる。

 

 

 

あの子になりたいと暗闇の奥深くから願うそれは、ただの影なのだ。そう、影なのだ。

 

それはああ言うのだ。

 

「誰かになりたい」

 

その誰かは今それを踏んでいるあの子であり、あなただ。

その影はただひたすら誰かに成り代わりたいのである。あなたの居場所を奪って、今あなたが立っているその場所にあなたの姿で立ちたいのだ。

何故なら「それ」は誰にでもなれるからである。誰にでもなれるから、その中であえて指を突き付けたあなたになろうとする。

足下の影をただの影ではなく「それ」として見てしまったあなたは実に運が悪い。これからあなたは、足下から常にあるはずのなかった視線と鬼ごっこをしなければならないのだ。「それ」に捕まった時、あなたはどうなってしまうのか。その恐怖に怯えながらあなたは影を踏み続けなければいけない。

 

 

 

あなたはもう、あの子のように家へと帰ることはできないのだ。

 

 

 

次の夕暮れに家の扉を開くのはあなたではなく、あなたの姿をした「それ」なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

それは誰だろう?

 

それはああ言うのだ。

誰かになりたい。

だって、それはああ言っているのだ。

誰かになりたいのだと。

 

あなたは誰だろう?

 

だってそれは誰かになりたいと言っているのだ。

あの子になりたいと、私になりたいと。あなたに、なりたいと、言っているのだ。

 

だから常に問い掛け続けないといけない。

あなたは誰なのか。自分は誰なのか。

その問いに答えられなくなったその時、私たちは後ろから背中を押されるのだろう。早く「それ」のために場所を開けろと、影だったはずの何かが居場所を奪っていくのだ。あなたも私も、容易く奪われるのだろう?

帰る場所も、命も、姿さえも。

あれは誰にでも成り代わろうとする。機会さえあれば今すぐにでも。

 

だって、それはああ言うのだ。

 

「誰にでもなれるんだよ」

 

 

 

最後に聞かせて欲しい。

あなたは誰ですか?

最期に言わせて欲しい。

私は、誰なんですか?

 

 

 

Who are you?

あなたにこの問い掛けをしよう。足下に影を持つあなたのために、この問いをあなたにおくろう。

答えてください。

あなたのために、今すぐ答えてください。

あなたは誰ですか?

どうか答えてください。

 

 

 

あなたの後ろには、あなたにそっくりな何かが立っている。それの足下には、あるはずの影がなかった。

 

 

 

 

 

 

夜が間近に迫る夕暮れの中、誰かが帰ろうと急いでいた。



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二匹のキツネ

大切で大事で大好きな兄弟に、会いに来たかった。
そんなキツネの話。


コンコン

これはこれは、お嬢さん。

こんな森の中でいかがいたしましたかな?

わたくしめは見た目も鮮やかな黒いキツネ。

手足の先だけ、ほれ。このように。白という、お洒落なキツネでございます。

なぜわたくしめがこのような所にいるのかと? それはですな。

 

コンコン

 

あちらをご覧くださいな。鳥居が見えるでしょう? あそこには稲荷が祀られていたのです。

石像が見えますか? あれはキツネの石像でございます。真っ白で手足の先だけ黒い美しいキツネでございました。

なんでそこまで詳しいのかと?

そのキツネはわたくしめの兄弟でございます。なかなかに気のいい奴でした。

 

コン

 

わたくしめらは、ずっとずっと向こうのお山に住んでおりました。

ある時どこぞの住職が巣穴に来て。なんと。頭を下げたのです。

「どうか一緒に来てある土地を鎮めてもらいたい」

大量のいなり寿司につられて、あの兄弟はこの様なところへやって来たのです。

しかも、おかしなことに。

その住職はこうも言うのです。

「祠が小さいので、一匹しか祀ることができない」

 

コンコン

 

ちゃんと祀るならば、二匹を向かい合わせにして祀るのが常識。しかしその者は、一族の中でもとりわけ神通力の強い兄弟だけを連れていきました。

おかしいでしょう?

 

そこで、わたくしめはしばらく経った後でここを訪れたのです。兄弟の様子を見るために。

しかし、そこには兄弟の尻尾の影も形もありませんでした。

 

おかしいと思って周りを見渡すと、異様な気配を放つ家が一軒、あるではないですか。

こう見えてもわたくしめとて一族の中でも一、二を争うほどの神通力の持ち手。それが善きモノではないことくらいすぐにわかりました。

そう。鎮めて欲しいモノはこの土地に棲むアヤツだったのです。

 

コン

 

わたくしめはアレをよくよく見ました。すると、無数に生えた腕の中でただひとつ。よく知った黒い獣の手を見つけたのです。

 

ケーン

 

そう。わたくしめの兄弟でございました。

ああ! なんという姿に!

もう一緒に魚を狩ることも、ネズミを追うことも、柿を盗むこともないのです。共に酒を舐めて油揚げにかぶりつくことも、もうないのでございます。

 

ケンッケンッ

 

兄弟を喰らったアレがナニかはわかりませぬ。

しかし、アレはこの土地にてつくられた怪しなるモノ。すべてをぐちゃぐちゃにまぜ異形なる姿になった『神』なのでございます。

 

おやおや、憐れにも逃げられなかった人の子がまた一人。アレに喰われたようですな。

コンコン

 

おお、そうそう。この下には昔の戦で使われた防空壕なる穴が掘られていますが。

ケーン…

そこの奥はアレの根城に続いているようでございます。

 

お嬢さん。ここらで遊ぶのは結構でございますが、あの穴には入ってはいけませぬぞ。

戦の火から逃げようと駆け込み、奥に進んだ人の子は皆。

一人として帰っては来なかったのですから。

 

 

 

コン

 

さて。

お嬢さん、もうすぐ日も下るでしょう。そろそろお帰りになられては。

 

わたくしめ?

わたくしめは祠にお供えされたいなり寿司を拝借してから帰りませう。

なあに。兄弟も許してくれるでしょうに。

 

もしもこの地が忘れ去られ、再び森に還ることがあればそれもよきかな。

そのときは、白き毛皮の我が兄弟に代わって、わたくしめがあの祠に住もうかと考えております。

 

 

 

コーン

 

 

 

わたくしめとて、懐かしい兄弟の近くにいてやりたいのです。

 

 

 

そのときは、また美味しいいなり寿司をお供えにおいでなさいませ。

お嬢さん。

 

 

 

 

 

 

そう言った黒いキツネは、六本の尾をなびかせて森の奥へ消えていった。

 

此処は遥か遠い未来、大きな森になるだろう人ならざるモノたちがすむ分譲地。

最近、誰かがここに新しい名前をつけた。近づいてはならないと、警告を兼ねて。

地図にはこう記されていた。

 

『皆五六四番地』

 

小さな子どもは、誰も入っていない祠にいなり寿司を二個、置いて鳥居を潜っていった。そして、駆け足で家路に着くのだろう。

 

 

 

どこかでキツネの遠吠えが響いていた。




長い永い時間を経て、その黒いキツネは尾を九本持った化け物キツネとなるのです。

めでたしめでたし


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姉と妹「もっと歩道橋の下には」

出席番号10番で登場した高校の同級生、菜摘。
彼女には姉がいます。今回はその話。

ダイエットをする欲深い友人へ捧げます。


一年をかけて別の七不思議を追った三人と一人。春咲と秋彦と冬実。そして、夏を待たずに逝ってしまった菜摘。

これは、その「菜摘」の話だ。

正しくは、菜摘の姉の友人の話。

 

人は、一度も会ったことがなくても何処かで繋がっているのかもしれない。

例えば、ほら。何処かの歩道橋や交差点。そんな場所で。

 

 

 

 

 

 

菜摘には姉が一人いると聞いた気がする。その人は、あんな風におかしくなった妹のことをどんな風に思っていたのかな。

 

 

 

 

 

『もっと』

 

 

 

腹の中にはバケモノが住んでいる。

得体の知れないバケモノは、「健康」であれば悪さはしないが、時に腹を酷く掻き乱すことがある。それは人によって様々だ。

 

しかし

 

酷い時には本当に酷い。

そのバケモノを飼っている本人が気づかない間に大きく膨れている時もあるのだから、なお恐ろしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あたしの友だちがね。最近ダイエットを始めたんだ。

何がきっかけだったのか、それはわからないけど、シンデレラ体重が~とか言って食事制限を始めたんだ。

小麦粉禁止! とか、糖質制限! とか、雑誌に載ってる色んな方法を試してみたの。でも、どれも長続きしない。

その子はもともとぽっちゃり系なの。私もなんだけど。食べるのが大好き。

美味しいものを色々食べて、お腹いっぱい食べて、それで幸せだったんだ。月に1度、一緒に食べ放題に行くのが楽しみだったわ。

なのに、その子、急に制限を始めちゃった。

 

それでね。ある時 、ぱっとやめちゃったの。

 

それまでカロリーとか糖質とかのたっくさんの数字をメモ帳に書き込んで、今日はあと何キロカロリーしか食べないなんて言っていたその子がよ?

ころころ変えてはいたけど、半年以上も頑張って続けたダイエットをぱったりやめちゃった。

 

痩せたからだと思うでしょ?

確かに痩せたわ。

数ヵ月ぶりに会ったその子はガリッガリに痩せてた。

 

「久々にうちに来ない? 宅飲みしようよ!」ってメールが着たときは、また一緒に食べ歩きができるんだって喜んだわ。

でもね。違ったの。

 

約束した日にその子のアパートへ行って、チャイムを鳴らして。で、出てきたのは変わり果てた彼女だった。心配になって聞いたけど、その子は「大丈夫」って答えるばかり。

部屋に入って買ってきた物をテーブルの上に広げて、その時変に思ったの。

やけに量が多くないかな? って。

 

そりゃ、私も以前の彼女もたくさん食べるわよ? でも、彼女が用意したのは私でも食べきれないくらいの食品たち。私が用意したのはサラダも含めてバランスはそこそこ取れていたと思う。でもその子、カップラーメン・スナック菓子・ピザ・菓子パン・コンビニケーキ・炭酸飲料・アイスクリーム…どう? 異様じゃない?

これを夜中の9時過ぎに食べるのよ? 1日で。

今までダイエットをしてきた人のやることじゃないわ。

カロリー計算どこ行った? よ。そもそも、こんなの食べ過ぎでしょ? 食べきれないわ。

 

本当に急にダイエットをやめるって連絡が着たから、ああ、やけ食いなのかな? とも思って付き合うことにしたの。

私は別に体重は気にしていなかったから。

健康は気にするけどね。

 

で、食べ始めたの。

 

私ね。その子と一緒に食べるのが本当に楽しかったんだ。食べ物のこととか日常のこととかを話しながら、笑って、愚痴を言い合って、泣いて、でもやっぱり笑って。

 

その子は一心不乱にただ「食べて」いた。無表情で、無言で。口に物を詰め込む作業とでもいうかな。

その姿には楽しさは感じなかった。

悲しくなって、私の手は止まっていたわ。

 

しばらくして、「ごめん、ちょっとお手洗い」って言ってその子は席を立った。

私は急いでスマホでテーブルの上の写真を撮った。

 

彼女が戻ってきて、私はちょっと休憩しよう? って言い出した。

お酒も呑んでいたからわざとらしくはなかったわ。私と話をする彼女は以前と変わっていなかった。

 

そう、思いたい。

 

彼女は言ったわ。

「食べても食べても足りないの。

もっと、もっとって欲しくなっちゃう。

でも、前みたいにぶくぶく太るのは嫌。

 

だからね。」

 

ちょっとした抜け穴を見つけたんだと彼女は言った。

 

それから1週間後。

彼女から「食べに行こう!」とメールが届いた。

私はちょうど暇だったから「いーよー」と返事を返した。

行った先はケーキバイキングだった。

 

2週間後。彼女からメールが届いた。

行った先はラーメン屋だった。

私は大盛り、彼女は特盛りを注文した。

 

更に2週間後。彼女からメールが届いた。

もしかして、月2で誘ってくれてる? と聞いた。彼女はやっと気づいた? と笑って言った。

行った先は焼き肉食べ放題だった。

 

私たちは月に2回会って、飲食店の扉を一緒にくぐった。

それは、彼女がダイエットを始める前に自然と決まっていた約束だった。

毎回、私はお腹いっぱいで満足して帰った。

でも、きっと、彼女は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数ヵ月経った頃、私は飲食店の帰りに彼女とツーショットの写真を撮った。

彼女は、数ヵ月前私を宅飲みに誘った日のようにガリガリに痩せていた。

 

私は、その写真と以前撮ったテーブルの上の写真を別の友人へ送った。

 

 

 

嫌な予感ほど当たるんだな。

友人からのメールを見たとき、そう思わずにはいられなかった。

 

「その子、摂食障害かもしれない」

 

 

 

 

 

お腹の中にはね。誰だってバケモノを飼ってるの。

何かを無性に食べたくなる時、ない?

食べても食べても物足りない時、ない?

そのバケモノはね。いつだって何かを欲しがってるの。もっと、もっとって。

 

食べ物が欲しい。

煙草が欲しい。

お酒が欲しい。

お金が欲しい。

権力が欲しい。

麻薬が欲しい。

 

欲しくて欲しくて、おとなしくしていないの。

少しでも不満だと暴れだすのよ。

もちろん私のお腹にもいるわ。

ほら。もっとたくさん美味しいものたべさせろー、ってね。

 

だから、バケモノを飼ってる人は健康でいなくちゃいけないの。

バケモノの「欲しがる欲求」に勝たないと、自分がバケモノになっちゃう。

 

私は、そう思っているのよ。

 

バケモノに負けちゃった人からはね。

どろどろしたものが滲み出している気がするわ。

心の隙間、心の弱い部分から、じわりじわりと滲み出すの。

それがバケモノ自身なのか、バケモノの涎なのかはわかんないけど。

 

ほら。「喉から手が出るほど」欲しがるって言うでしょ? あの手はバケモノの手なのよ。知ってた?

 

私の友人はね。我慢して我慢して我慢して我慢して、そのバケモノに負けちゃったの。

我慢した分、ううん。それ以上の物をお腹に入れようとしたの。でも、やっぱりそれじゃダメ。食べちゃダメって彼女の意識がストップをかけてくる。

 

食べたい。

食べちゃダメ。

食べたい。

食べちゃダメ。

食べろ。

食べるな。

 

彼女はどれだけ葛藤したんだろう。

あんなに幸せそうに食べ物を口にしていた彼女。「食べる」ことの大切さと、その意味を知らないはずがなかった。

 

彼女の中のバケモノはどっちを迫ったんだろう。

食べろって?

食べるなって?

わかんない。でも、結局彼女は「ああ」なっちゃった。

 

 

 

しばらく経って、私はその子に連絡を入れた。

ちょっと会えない? って。

彼女からはいいよって返事がすぐに来た。

 

約束の時間になって二人が揃うと、私はすぐに要件を言った。

貴女、摂食障害でしょ。

彼女は小さな声で、なんでと言った。

手、出して。

私は差し出された彼女の痩せた手をとった。

まさに骨と皮だけの痩せた指だった。その指に、硬いタコができていた。最後に握ったときはこんなものなかったはずなのに。

 

私はそのタコを指差して言った。

これ、吐きダコなんでしょう?

彼女の表情が凍ったように冷えた。そして、少し迷った後で、うん、と頷いた。

 

ああ、やっぱりかぁ。

 

「吐きダコ」っていうのはね。

口の中に限界まで指を突っ込むと、指の関節が歯に当たるんだって。それを何回も何回も続けると、タコになる。これが「吐きダコ」。

何のために口に指を突っ込むのかって?

決まってるじゃない。

食べた物を吐くためよ。

 

 

 

摂食障害の症状にはいくつかあるの。

食べて食べて食べまくる。

お腹の中のバケモノが際限なく「寄越せ、寄越せ」って欲しがるパターン。

こうなると、後はぶくぶく太っていくだけだよね。

 

全く何にも食べない食べられない。

これは逆にバケモノが「食べたくない」って拒否するパターン。

ガリガリに痩せて点滴生活、かな。

 

それと、これが彼女の症状。

食べて、吐く。

バケモノは欲しがってるけど、本人は食べたくない。だから意識的に口の外に出そうとする。

もしくは、その逆。

本人は食べたいけど、バケモノは食べたくない。

そうなると、1回は口に入れるの。1回はね。でも、次の瞬間には吐き出すの。べっ、とね。

すぐにじゃなくても、胃に吸収される前に吐いちゃう。

だから、体は「食べていない」状態。つまり、彼女みたいにガリガリに痩せている状態になるの。

でもね。ここが恐いところよ。

すぐに出すとは言っても一度は食べる。

「どうせ吸収されないんだから、いくら食べても大丈夫」って考えになるのよ。

そう、思っちゃうのよ。

だから、心は軽くなるよね。我慢しなくていいんだからさ。

頭も満足するの。実際に「食べる」行動をして味を感じて。自分は食べてるんだ、美味しいなって思うことができるんだもん。

だから、たくさんたくさん口にするの。

異常な量を食べる人は、その全員が消化できてると思っちゃダメよ。中には、こういうふうに吐いてる人もきっといるはず。

 

これを治そうとするには、ただ単に吐かなければいいっていう話じゃないらしいわ。

何回も繰り返すと癖になっちゃうんですって。食べたら吐くっていうのを体が覚えちゃってるの。

食べたら吐かなくちゃって思うのよ。

 

 

 

いくらバケモノがおとなしくなっても、吐かなければいけないって刷り込まれちゃってるのよ。

 

きっと、彼女も。

可哀想に。

 

あんなに美味しい食べ物も、美味しいって笑っていた彼女自身も、みんな吐き出しちゃったのね。

 

本当に、本当に、可哀想。

 

だから私は彼女に言うの。

「吐かなくなるまで、私、貴女に会いたくないわ」

彼女、すごくショックを受けた表情だった。私は笑って言った。

「笑顔で、本当に美味しいって言える貴女と一緒に出掛けたいの。一緒に食事したいのよ」

 

うまく、笑えたかな?

 

彼女は「わかった」と言った。

どれくらいかかるか分からないけど、お医者さんに診てもらってしっかり治す。だから、また会って一緒にお食事にいきましょう。

彼女の言葉に、私は「うん。また会いましょう」と返した。

 

それ以来、私はまだ彼女に会っていない。メールのやり取りはあっても、約束通り会うことはしていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰だって人は自分の中に「バケモノ」を住まわせている。

バケモノはいつだってもっと、もっとと何かを欲しがる。

 

私の友人はダイエットをしていたの。ただの、ダイエットよ。

それがいつの間にか摂食障害を引き起こしてしまった。彼女の中のバケモノを飼い慣らそうとする余り、我慢をし過ぎたのね。

姿形も見えない、いるかもわからない得体のしれないバケモノ。欲と衝動に飢えたバケモノ。

彼女は、そのバケモノにいいように扱われたわ。

 

ねえ、周りを見てみて。

 

ストレスだと頭をかきむしってる人、タバコを何十本も吸っている人、家の冷蔵庫に何十本もアルコールを冷やしている人、ほんの数分だってスマホの画面から目が離せない人、ゲームの課金が万を越えても止められない人、他の人の悪口が止まらない人。

 

こんな人たち、知らない?

 

バケモノはもっともっと、足りない足りないって喚いてる。

バケモノが暴れていると、こんな風に何かが表に出てくるの。

どろどろした、何かがね。

 

 

 

 

 

 

私は自分の腕を見る。

自分でつけた古い傷がいくつも残る腕を見る。

 

例えばね。

リストカットの癖を完全に治したいなら、最低でもリストカットを続けた年月と同じ時間を止めないと治ったって言わないそうなの。

私の場合は20年位かな。

最近、やっとバケモノが落ち着いてきたところよ。

 

昔は私のバケモノは、「もっと痛みを寄越せ。生きているという実感を見せろ」ってうるさかったわ。

最近、やっとおとなしくなってきたとこなの。

 

 

私の友人は、どれくらいで摂食障害が治せるのかな。

 

 

治ったらまた一緒に食べに行こうと約束した彼女。

彼女と食事に行けるのはいつになるだろう。

 

 

 

彼女とは、まだ、再会できていない。

 

 

 

バケモノがまた騒ぎだしそうだ。

 

私の古傷だらけの右手には、キラリと光るカッターが握られていた。

 

バケモノは、今はまだ、おとなしくしている。

 

今は、

まだ。

 

ね。

 

 

 

 

 

そういえば。彼女がダイエットを始める前によく話してくれた菜摘っていう妹ちゃん。確か、次の三月に高校を卒業して製菓学校へいくって聞いていたはずなんだけど。どうなったのかな?

 

今日も私は歩道橋を渡って仕事に行く。

鞄の中にはカッターを、心の中にはバケモノを仕舞い混んで。

歩道橋の下から甲高いクラクションが肌寒い風と一緒に吹き抜けていった。

 

 

 

私は。彼女がどうしてそうなったのか全く知らない、外側の人間よ。相談もされなかったし、一緒に居ることもできなかった人間。

そう、彼女たちの話のエキストラ。

でもね、どうかこの話たちを聞いている人に考えて欲しいの。

自分はどうなのか、って。

 

欲しい欲しい、もっともっとと無闇に手を伸ばしちゃいけないわよ? 手を伸ばした先に何があるかなんて、わかんないんだから。

 




モット ホシイナ
モット モット ホシイナ


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恐怖!猫の氾濫

「これは、猫ノ集会で有罪判決を受けたあるお婆さんの話だよ」


小学校のすぐ近くに住むお婆さんが亡くなったらしい。つい先日のことだよ。

 

 

 

そのお婆さんは神様を信じていたんだって。いや、別に人がどんな神様を信じて宗教に入り込むなんて自由だと僕は思ってるよ。

どんな宗教だってさ。結局、人が弱くて助けて欲しいと望んでいるから『神様』に救いを求めるんだよね。『神様』っていうものにすがるんだ。

「助けてください」

「助けてください」

ってね。

それ自体は悪いことじゃないよ。

誰だって、弱い部分はある。僕にも。君たちにも。

でも、すがって頼りきって全てを委ねるのは違うんじゃないかな。自分の生きる全てを『神様』に委せちゃうのは、違うんじゃないかな。

 

そのお婆さんは、ある宗教に盲信していた。神様は、猫の形をしていた。

 

ねえ。みんなの中で猫が好きな人、どれくらいいる? 犬が好きな人は? 何でもいいんだ。鳥でも、馬でも、ハムスターでも。その動物たちに何をどれくらいしてあげられる?

出会ってから命が尽きるまで寄り添ってあげられる? 彼らに尽くせる?

 

 

 

 

 

お婆さんは、小さい頃から猫が好きだった。でも、飼うことはできなかった。ずっと。ずっと。でも、どうしても側にいたかった。

今なら猫カフェに行くなり、何らかの方法で触れ合えるだろうね。そういう施設とかは昔はなかった。

 

お婆さんは成長して大人になった。近所には猫カフェなるものができた。好きな猫に癒しを求めて通い詰めた。それでもまだ足りない。もっと猫たちといたい。もっと猫たちと触れ合いたい。近くにいたい。

そんな時に宗教の勧誘に会った。

偶然にもその宗教の神様は猫だった。猫神様だった。ネコサマだったんだ。

 

お婆さんは神様に心酔した。盲信した。家族や親戚や知人が止めるのも無視して「神様、神様」と猫にすがった。

他の信者はこう言った。

「もっと神様に尽くしなさい」

「もっと神様の為に尽くしなさい」

 

別に、特別なことじゃないと思うよ。他にもそういうことをしている人はいると思うし。

でも、近年その行為がどういう結果を招くか専門家の人たちが声をあげ始めた。知識を持つ関係者が意を唱え始めた。具体的な事例や数値を示して、その考えを広め始めた。

その行為は間違っている。良くない。そういう考えをね。

 

 

 

お婆さんは、野良猫たちに餌を与え始めたんだ。自分で飼いもしないのに。

野良猫たちにとってはおいしいごはんをたくさんタダで手に入って幸せだね。時にはあたたかい毛布も置かれるよ。水も川とか水溜まりとかの汚い、泥水を飲まずに済む。

楽だね。幸せだね。

雨に濡れずに済む屋根さえないけど、痛い注射もしないし、子どもを作れなくするように去勢もしない。うるさいと言って声を奪うこともしない。

自由に生きられる。好きに生きられる。勝手気儘に生きられる。何も押し付けられない、自然のままに生きられる。

なんて幸せだろう。

 

野良猫にとってはそうかもね。

でも、お婆さんのその行為がどんな結果を生むと思う?

簡単に言うとね、野良猫が生きやすくなる。つまり、たくさん子どもを産んで増える。

 

お婆さんは猫が増えて嬉しかったかもしれない。

野良猫に餌を与えることは良いことだ。どんどん与えよう。もっと食べてもらおう。どんどん増えてもらおう。

自分はネコサマに尽くしている。

 

 

 

そんなわけないよ。

ちゃんと飼育されない野良が増えるっていうことはリスクが多い。僕も専門家とかじゃないから詳しくは知らないよ。でもね、例えば野良犬が増えたらどうなるか想像できるでしょう?

病気が増える。野良の数が増えれば増えるほど、彼らの間に感染症が流行りやすくなる。彼らの間で止まらず、中には他の生き物、人にも感染する病気がある。それは、もしかしたら犬から人に感染する狂犬病のように恐ろしいものかもしれない。狂犬病は人が死ぬ病気だよ。しかも、致死率が高い病気。

ちゃんと飼育されていれば予防接種みたいにワクチンを打てる。でも、数も居場所も把握しきれない野良猫にそんなことできない。

数が増える。餌が確保されているなら大きくなりやすい。成長した猫は発情して妊娠して出産する。仔猫は餌をもらって大きくなる。一回に産まれる仔猫は一匹や二匹なんかで納まらない。その仔猫たちは大きくなって発情する。それが繰り返される。もう、その地域にどれだけ飼われていない猫がいるのか判らない。

 

縄張りを汚す。猫って糞や尿の臭いが強いらしいんだよね。野良は自分の縄張りが『自分の家』になるから、そこらじゅうでトイレをしちゃう。誰も片付けない。猫トイレがあるはずもない。自分の猫じゃない。片付けないから、糞がそこらじゅうに残る。マナーなんてないよ。だって、彼らは野良なんだから。

 

死体が増える。数が増えれば死ぬ数も増えるよね。寿命でなら仕方ない。でもね、野性動物の死亡理由にはもっと多いものがある。

事故だよ。ロードキルって言われるかな。道路に飛び出して牽かれるやつ。

牽かれた死体は業者に連絡すれば回収してくれるよ。連絡しなかったらそのままなんだろうな。ずっと、そのまま。

避ければいいけど、その死体を更に牽く人もいるかもしれない。人の死体だって何度も牽かれる、牽く人だっているんだから。

死体が転がってて気持ち悪いと思う? 迷惑だと思う? 可哀想だと、思う? 数が増えて、死体も増えたら、きっとそんなの日常茶飯事になるんだろうな。段々麻痺して、その光景が『当たり前』になっていくんだろうな。

 

そんなの、絶対嫌だけど。

 

知識のない僕が言えるのはこれくらいかな。詳しい人ならもっと色々教えてくれるかもしれない。

こういうことを防ぐために市や町は対策を取らないといけない。その一つとしては、手っ取り早く野良猫を捕獲すること。『捕獲』された猫たちがどうなっているかなんて…ねえ? あんまり考えたくないよね。

それと、野良猫への餌やりを止めさせる。

 

当然、野良猫たちに餌をやっていたお婆さんも役所の人たちに注意されたらしいよ。

 

 

 

…結局、最期まで与え続けたそうだけど。

 

 

 

 

 

 

さて。

僕たちの町で開かれる猫たちの集会。三日月の夜に、猫たちがまって開かれる集会。そこでは『獲物』と呼ばれるモノが毎回連れてこられる。

そして、連れて来られた獲物は化け猫裁判長の下に判決を下される。

「これは善か」

「これは悪か」

良いか悪いかを裁かれる。

良ければそのまま帰してもらえる。僕らは幸にもこちらだった。

じゃあ、悪かったら?

 

「こいつは悪いひとだ」

 

猫たちがそう思ってしまったら?

 

野良猫に餌を与え続けたのは悪いことだとは思う。でも、いつの時代だってそんな人はいたはずだ。猫が餌を食べている姿はかわいい。かわいいからもっと食べさせたくなる。

それに、ほら、やっぱりさ。お腹が空いているんだと思うと可哀想な気持ちになるんだよね。こんな小さい猫が、って。自分と同じように生きているのに、って。

それは同情でしかないんだけど。

本当に猫のことを思うんだったら、最期まで。死ぬまで家で世話をして、家族として暮らすのが一番の選択だと思うよ。

そうできない人だって多いんだろうけど、それを間違いとは言えないんだよね。飼えない家は多いから。

 

お婆さんのこともね。可哀想だと思うんだ。

別に悪いことをしてたわけじゃないと思う部分もあるよ。人として弱い生き物を守ってあげたいって思うこと、僕にもあるからさ。

ほら。これも同情でしかないよね。

 

そのお婆さんがしてきた野良猫に餌を与えるっていう行為は、多分猫たちにとっては『いいこと』だったんだと思う。

「こいつは良いひとだ」

そう思われていたんだと思う。

 

その時までは。

 

お婆さんには最近癌が見つかったらしい。それも、末期癌。もう治療も何もできないくらい酷い状態。

すごく痛くて辛いらしいけど、お婆さんは病院にいるのを断った。誰もがこう思ったんだろうね。家族のいる家で生涯を終えたいんだろうな、って。

でも、実際は違った。

家には野良猫が餌を求めにやって来る。ネコサマにごはんをあげなければ。お婆さんはそう思ったんだ。

もうお婆さんはこの世にいないから、本当のところどう思っていたかなんて誰にもわからない。もしかしたら、お婆さんの心のどこかで家族に会いたいって想いもあったのかもしれない。

 

可哀想なお婆さん。

 

 

 

そして、あの夜がやってきてしまった。

『猫ノ集会』が行われた、お婆さんの最期の夜が。

 

 

 

『にゃ~お』

 

 

 

 

 

それはそれは酷い有り様だったらしいよ。

夜が明けて。お婆さんのいるはずの部屋に家族の人がやってきて。お婆さんだったモノが部屋中に散乱した様子は。

 

お婆さんはもう一人では動くことさえ出来なくなっていた。もう、猫たちに餌を与えられなかったんだ。

今まで散々猫たちに餌を与えてきたお婆さん。

もうあげられない。じゃあ、猫たちはどうすればいい。散々期待させといて、もう貰えないなんて。

こいつは悪いひとだ! こいつは悪いひとだ!

猫たちはそう言っただろう。

その瞬間、お婆さんは猫たちにとって用済みになっちゃったんだ。

 

猫の裁判長が出した判決はただ一つ。

『有罪。よって死刑』

 

最期の最後にお婆さんが猫たちにできたことは、『自分』を餌にすること。自分の体を猫たちにくれてやること。

 

お婆さんは、その夜、猫たちに体を喰われて死んでいった。

 

証拠は何もないんだけどね。

 

でも、噂だと本当に酷い状態だったらしいから…「人間の仕業じゃない」ってことなんじゃないかな。

 

家族の人たちは泣き崩れていたそうだよ。悲しくて? それもあるだろうね。でも、何よりこんな最期を身内が迎えてしまったという情けなさで胸が一杯だったんだろうって、僕は思うな。

情けない。恥ずかしい。よりにもよって自分の身内が。こんな不気味な亡くなり方をするなんて。

変な宗教に手を出したばかりに。

野良猫になんて餌をやったばかりに。なにがネコサマだ。恥ずかしい。

 

人が亡くなって嬉しいと思わなくても、最期にこんな風に思われるのは嫌だね。思うのも、嫌だけど。

でもさ、現実にはそんなことたくさんあるでしょ。

ねえ、もう少しだけ、逝ってしまった人を顧みてあげようよ。

たったひとりで最期を迎えた人たちに、同じ「ひと」として別れの言葉を送ろうよ。

 

僕は、遠くから形だけのお婆さんの葬列を見て思う。

 

猫に有罪とされてしまったお婆さん。腹を、腕を、足を、全てを、信じて愛した猫たちに喰い千切られ息を引き取ったお婆さん。

最期はきっと、痛くて、寂しくて、淋しかっただろうお婆さん。

最期は、何を望んだだろう。

 

 

 

神様、お願いです。神様、お願いです。ネコサマ、お願いです。

痛いまま死にたくない。苦しいまま死にたくない。

体を喰っても構いません。ネコサマの一部になれるなら。神様の一部になれるなら。

ですが、痛いのは嫌なんです。苦しいのも辛いのも、嫌なんです。

神様、お願いです。

幸せな夢を見たまま、静かに眠りにつかせてください。

ネコサマの夢を見たまま、眠らせてください。

 

 

 

聞いたこともない、聞こえるはずのない声を聞いた気がする。

 

神様、お願いです。

お願いです、神様。

神様、神様、ねえ神様。

 

誰もが一度はしたことのある懇願が、三日月の輝くあの夜に響いただろうか。いいや。そんなの、誰にも聞こえなかった。

だって。だって。お婆さんの最期の夜は罪が裁かれる夜だったんだから。

ネコサマによって、ひとが捌かれる夜だったんだから。

 

その夜、お婆さんの部屋からは不思議なことに物音一つしなかったらしい。

 

誰かの悲鳴はもちろん、猫の鳴き声だって聞こえない。

誰だって、最期は苦しいのも辛いのも痛いのも嫌だよ。

それは、有罪無罪なんて関係ない。

生きていれば誰だって、そう思うんだ。生きているからこそ、そう思うんだ。

だからこそ。最期は逃げ切れない死から目を背けて、神様なんてものにすがろうとするんだろうね。

 

 

 

そこんとこ、どうだろう?

 

 

 

ねえ?

 

 

 

ネコサマ?

 

 

 

 

 

 

「にゃ~お?」



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出席番号11番「電話バコ」①『受話器の向こうのコイバナシ』

箱の中にはいろんなものが詰まっている。
いいものも、悪いものも、綺麗なものも、汚いものも、古いものも、新しいものも。
たくさん、たくさん、詰まっている。



宝箱の中には、持ち主がひとつひとつ宝を詰め込む。それは、持ち主が大切に思った宝たちだ。きっとそれは、持ち主のためだけの宝箱。
でも、ずっと何処かに置かれた箱の中にはたくさんの人の宝が詰め込まれている。俺は、そう思う。

一つの箱の中に、たくさんの人のたくさんの宝たち。
そんな宝箱が、世界の何処かに置かれ続けている。
俺の話す箱もそんな宝箱の一つなのかもしれない。






公衆電話。電話ボックス。いくつか呼ばれ方はあるだろうけど、携帯電話が登場する以前では、外で連絡を取る方法の一つがこれだった。
所々に設置されたその箱の中には電話があって、一秒何円かの料金を支払うことで誰でも使える連絡手段。
外にあって、誰でも使えるっていうことが重要だよね。
小さな子どもでも、大きな大人でも、腰の曲がった老人でも。とりあえず小銭とかけたい電話番号さえ分かっていれば発信できる。
緊急の時はここって、番号が書かれたメモと十円玉が数枚入った巾着を、俺は親から持たされたよ。使ったことはないけどね。

例えば迷子になったとき。後ろから怪しい人に付きまとわれているとき。誰かが道端で倒れているとき。明らかに重たい荷物を拾ってしまったとき。
助けを呼ぼうとしたときに、周りには誰もいない。交番もない。
そんなとき、そんな箱の中にある電話は重要だと思うんだ。
どうすればいいかヒントを、アドバイスをくれる。パトカーや救急車、消防車を呼び出せる。もしかしたら、ただの時間稼ぎにしかならないかもね。
でも、そこに電話が入った箱が置かれていることで安心できるって時もあったと思うんだ。

君たちはどうだった?
手元にスマホも、PHSも、ポケベルもないとき、遠くの誰かに助けを呼べる。安心、できるだろ?
今じゃすっかり消えてしまったその連絡手段。時代遅れだと思う?
時代遅れ、だろうね。
でも忘れないで。
時代に遅れる前は、確かにその箱は俺たちを助けてくれた。助けてくれていたんだ。

俺たちの世代、いや、俺たち同級生の間だけなのかな。それを『電話箱』って呼んでいたのは。
多分、『電話ボックス』から『電話箱』になっただけだと思うんだけど。ほら、覚えてる? 『洗剤』を『洗浄液』って俺たち言っていただろ? あれと同じやつだよ、きっと。
ふふっ。変なこと考えるものだよね、子どもって。

当時の俺たちは電話線とか電波とかの仕組みやシステムなんてものが全く理解できていなかった。いや、今もか。
大事なのは使えること。なんかわかんないけど、便利に使える何かがあるっていうこと。
糸電話なんて目じゃないすごくハイテクな電話がある! そう思ってたよ、小学生の俺。
どうせみんなも同じだろ?



そんな電話箱。
いつの間にか数が減らされて、いつの間にか姿を見なくなった、あの箱。どれだけ残っていたのかは知らないけど、ちょうど俺が高校生の頃に噂を聞いたんだ。

「あの電話ボックスをある方法で使うと、おもしろいことが起こるんだよ」

誰かが言った『あの』が何処の何の『あの』なのか、はっきりとは言えないな。
でも、自分の頭の中で『あの』がしっかりイメージできてしまうんだ。
家の近所にある? 学校の近くにある? いつも利用する店の横にある? すぐ近くに黒い犬が飼われてる家がある?
自分の知ってる電話ボックス。それが『あの電話ボックス』というような言い方だった。

もちろん俺の頭にも浮かんだ電話ボックスはあったよ。
ただ、おかしいんだよね。
ずっとあったはずの電話ボックスなんだけどさ、それまでそんな話聞いたことがないの。
高校生になったら急に聞こえだした噂話。で、卒業と同時に聞こえなくなった噂話。



そう。
この話は高校生の間だけの「ナイショの話」だったんだ。

高校生になったら前の高校生から引き継ぐ噂話。高校卒業と同時に次の新入生へと引き継がれる噂話。
それが、この「電話ボックス」っていう話だった。



俺たちでいう「電話箱」。
それは、こういう内容だった。

あの電話ボックスの中には、誰かの特別な話が入れられている。
新たに入れることもできるし、聴くこともできる。

ただ、それだけ。
それだけなのかって?
そうだよ? それだけ。

その電話ボックスは、誰かたちの特別な話が詰め込まれた「宝箱」なんだ。






まあ、まずは一つ、話を聴いてみてよ。












がしゃん
扉を開ける。扉を閉める。

がちゃ
受話器を本体から外す。

かしゃ
一枚だけギザギザの入った十円玉を料金入れに入れる。
一枚だけ、入れる。

ヴイーーーン バシッ
数字ダイヤルを回す。
今回の場合は電話番号ではなく、『5187』と回す。
『51874(コイバナシ)』ではなく、『5187(コイバナ)』と回す。

5(コ)
1(イ)
8(バ)
7(ナ)

受話器を耳に当て、それが聞こえ始めるのを黙って待つ。






「もしもし? 聞こえますか?」






一方通行の恋話。
誰かの残した宝話。
それが聴こえたら、黙って聞こう。


『受話器の向こうのコイバナシ』

 

 

 

近所に古い公衆電話があるんです。見たことありますか? 公衆電話。

小銭かテレフォンカードを入れて、番号を押すんです。そうすると、相手に繋がるんです。

どこにでもありましたよね、公衆電話。

ただ、近所にある公衆電話はそれはそれは古くて、新しいデザインの硬貨が使えないんです。本当に古くて、番号を押すところが指で回すタイプの電話なんです。昔の黒電話とかがそのタイプですよ。

なんでまだ残っているんだろう。見た人のほとんどはそう言います。

近所の人は、残っているんだから残っているんだろう。そう言います。

結局、なんで残されているかわかんないんですよ。その公衆電話。

 

で、その公衆電話なんですけど。

変な噂があるんです。聞きたいですか?

いいですよ。別に秘密にするようなことでもありませんし。

 

その公衆電話はね。

誰かのコイバナ、恋話を聞くことができるんです。こっちからは声は届かない。だけど、受話器の向こうからの声は聞こえる。それは全部恋の話ばかり。

ね、不思議でしょ?

 

やり方は簡単。

まず、受話器を外してギザギザのついた十円玉、ギザ十を一枚入れる。一枚ですよ?

次に、番号をダイヤルする。「5187」。コイバナ(5187)、です。で、受話器を耳に当てる。それだけです。簡単でしょ?

そうすれば、その公衆電話の受話器からは誰かのコイバナが聞けるんです。

ただ、十円玉一枚じゃすぐに切れちゃう。だから続きが聞きたいなら、同じことを繰り返すんです。

切れそうだなっていう時に、ギザ十をもう一枚入れる。5187とダイヤルする。それをひたすら繰り返すんです。

ただ注意しなきゃいけないことは、こちらから話しかけないこと。それと、入れる十円玉はギザ十を一枚ずつだけ。

やり方を一つでも間違えると、その瞬間に電話は切れちゃいます。続きを聞きたいなら守らなきゃいけないし、もういいやってなったら途中でやめちゃえばいい。

ほら、簡単でしょ?

 

私も一回だけ聞いたことがあります。その公衆電話で、一回だけ。

聞きたいですか?

いいですよ。でも、秘密にしてくださいね。これは、誰かのコイバナなんですから。

 

 

 

「もしもし?

これでいいのかな?

聞こえてますかぁ?

いいのかな?

 

えっと。×××にある公衆電話からかけてます。

今から、私の恋話をするんで、聞いてください。

 

先週、二つ上の学年に転校生がきたの。

知らないとこからの転校生で、おきれいな余所者だってすぐに学校のみんなの中で有名になった。

その人をわざわざ見に行く人もいたらしいけど、私は興味なかった。

だって余所者でしょ? 変な病気持ってるかもしれない。それに、田舎者って思われるかもしれないのがすごくイヤだった。

だから、私は友だちが行こうって言っても無視した。

先週の話ね」

 

「もしもし、聞こえますか?

えっと、転校生の余所者先輩が先日来たって話、です。

 

えー、その先輩、すごくかっこよくて頭もよくて、優しい。って噂です。

私含めて地元の出身の子たちは余所者が苦手。だから興味もなかったし、そのままその人は勝手に卒業していくだろって思ってたの。

どんなに人気者でも、私にはただの余所者。早く出ていけばいいのにとか思ってた。

 

でもね、昨日のことだよ? 私、学校の帰りに変質者に遭ったの。急に後ろから近づいてきて、抱きついてきた。ああ、思い出すだけで恐いよ。

恐くて動けなくなっちゃってね、助けも呼べなくてガクガク震えるだけ。

その間にも、そいつ、私のセーラー服のリボンをほどいたりスカートの中に手を入れたりしようとするの。

ほんと、気持ち悪くて最悪」

 

「もしもし、聞こえてますか?

三回目になるけど、転校生の余所者先輩の話です。

私、変質者に遭って大ピンチ。

 

ああ、もうだめだって絶望してた時に、偶然にだよ? 偶然同じ道を使ってたらしいその先輩が角を曲がってきたの。

で、私と目が合った。

私、声も出せなかったけど必死で助けてって言ったつもり。多分、泣いてたと思う。

そしたらね。その先輩、何て言ってたのかな。方言訛りが凄すぎて全然わかんないんだけど、とにかく怒ってずんずんこっちに向かって来た。

変質者もヤバいと思ったらしくて逃げようとする。私の体をパッと放した瞬間に、先輩、その変質者にカバンを叩きつけた。痛い音がしたよ。

ほら。二つ上っていうと、受験生になるんだけどね。辞書やら参考書やらでカバンはパンパンなんだよね。

あはは。そりゃ痛いや」

 

「もしもし。聞いて、欲しいな。

私と先輩、付き合うことになりました。

 

噂に聞いてた先輩っていうのは、意地を張ってただけなんだって。勉強もスポーツも、普段はもっとぼさぼさの髪も服も、全部無理して頑張ってたこと。

ほんとは方言訛りがすごくて、小学生みたいに笑う男の子。でもね、そんなんで外に出たらバカにされる。バカにされたくないっていう一心で、慣れない標準語で話してたんだって。

私、先輩のこと余所者のくせにって思ってた。地元が田舎だって知ってるから、外から来る余所者は都会のお坊ちゃん。そう思い込んでたんだ。

でも、違った。

先輩は、私とおんなじように外にいる余所者に怯えて強がってたんだ。

ほんとの先輩はさ。子どもっぽくて、正義感が強い男の子。

私、子どもっぽい人に弱いんだよね。変質者を退治して、私に大丈夫か? 怖かったよな。そう言って泣いてたのは先輩なの。もちろん、私もね。

一緒になって泣いちゃった。

そういう人、私好きだな」

 

「もしもし。先輩が、今日学校を卒業しました。

 

無事に内定ももらって春から社会人。ここ、×××で働くそうだよ。

なんでって聞いたらね。私と一緒にいたいからだって。

私のためにこの場所で生きていくって決めたんだって。

彼がくれた学ランの第二ボタン。今、私の手の中にあるんだ。それを渡しながらね、彼、こう言ったの。

 

君が卒業するまで待つけん、それから僕のとこにきんしゃい。自分のとこにお嫁に来てくれ、だって。

 

だから、私、学校を卒業したら、彼と、結婚、します。

まだ、できないけど。彼、待っててくれるって。その時までに、指輪はちゃんと用意するから、今はこのボタンで許してねって。

 

私、すごく今幸せだよ。彼がこの街に来てくれて、本当に良かったと思ってる」

 

「もしもし。まだこの電話、使えてるのかな?

ずいぶん前に、先輩と結婚するって報告したんだけど、まだ覚えてる人いたりするかな。

 

えっと、二つ上の先輩。元、だね。その彼との約束で、今日! 卒業と同時に結婚します。しちゃいます!

婚姻届もしっかり書いてあるんだ。あとは、卒業式が終わった後そのまま二人で役所に提出するだけ。

 

これで、私と彼のコイバナは終わり。

 

私たち、ちゃんと二人で幸せになるよ。

なれると思う!

きっと今日は最高の日になる!

 

私の話、聞いてくれてありがと。

聞いてくれてる人がいたのかはわかんないけど、これだけ伝えたかったの。

じゃあね」

 

 

 

 

これが、私の聴いた恋話です。

 

きっと彼女は笑顔でこの日、卒業していったんだと、思います。

 

 

 

結婚するって、素敵なことですよね。好きな人と、ずっと一緒だって神様に誓うんです。神様の前で、自分はこの人を愛しています。死ぬまで、愛し続けますって、誓うんです。

素敵ですよね。

この彼女と先輩は、きっとお互いのことが好きで、だからずっと一緒にいたいと思ったんでしょう。

 

私も、そんな人と出逢いたいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごめんなさい。

私、その後の二人のこと、知ってるんです。

 

彼女が最後だって言った通話の後、私、もう一回十円玉を入れちゃったんです。それで、ダイヤルしちゃった。

 

5

1

8

7

 

続きなんてないってわかってました。

だって、彼女は卒業と同時に結婚する。

二人はちゃんと準備もしていたんです。指輪も、婚姻届も、プロポーズの言葉だって。

だから、これから二人は幸せな人生を送る。

二人の恋話はこれで終わりで、これからは愛話が始まるんだって。わかってたんです。

 

そう思ってたんです。

 

だから、ダイヤルした後、何やってるんだって思って、受話器を、置こうとしたんです。

 

でも、聞こえてきた続きは聞いちゃいけない話だった。

 

聞こえてきた音は

 

「車の急ブレーキの音」

「男女の悲鳴」

「ガラスが割れる音」

「男性の痛みに呻く声」

 

そして

 

「愛しています」

 

男女の愛を誓う言葉。

 

彼女たちは、婚姻届を出しに行く途中で事故に遭ったんです。そして、多分そのまま亡くなってしまった。

 

それを聴いた瞬間、受話器が私の手から滑り落ちました。コードを辿って下を見たら、そこには一枚の紙が電話の下に挟まっていたんです。

 

それは、血がべったりとついた婚姻届でした。名前も、判子も、全部埋まっていました。

彼女たちが、最期に提出できなかった、婚姻届です。

 

最高の日になるはずだった。それなのに、最期の日になってしまった。

私は二人が可哀想でした。

だから、その血塗れの婚姻届を役所に持って行ったんです。

担当の人は驚いていました。それでも、届けたかったんです。信じてもらえなくてもいい。でも、彼女が嬉しそうに話した恋の話をちゃんと終わらせてあげたかったんです。

二人が望んだ、結婚っていう形をちゃんと誰かに認めてもらいたかったんです。

幸い、担当の人も例の公衆電話の話を知っている地元の人でした。だから、例外としてその婚姻届は受理されました。

彼女と先輩は結婚できたんです。

 

私は、今でもその日になるとその公衆電話の所に花束を捧げます。真っ赤に染まった婚姻届が置かれていた場所に、そっと花束を置きます。

それは可哀想な亡くなった人への花束じゃなくて、結婚おめでとうという意味を込めて祝福の花束です。

 

その花束は、いつもいつの間にか消えているそうです。

 

これで、彼女の恋話は終わりです。

 

 

 

二人は、今でも同じ場所に眠っている。

私は、そう信じています。

結婚するということがずっと一緒だということなら、彼女たちは死んだ後も結婚の約束を果たしている。

私は、そう思っています。



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出席番号11番「電話バコ」②呼び出し音1回目~『花屋で見つけた夜』

トゥルルル…
トゥルルル…






俺がこの電話箱の話を聞いたのは、ちょうど俺自身が高校生になった頃。
俺が進学した学校は、合併校だった。昔からある校舎、校章、制服は古くて、周辺の人たちにとってはとても馴染み深い物。
でも、さすがに古すぎて生徒が少なくなってくる。とうとう全校生徒だけでやっと一部屋埋めれるくらいの数となってしまった。
校長先生はお世話になった人たちに深く頭を下げて、比較的近くにある別の学校と合併することを生徒たちに伝えた。教育方針も、合併する学校と相談して二校分、ちゃんと残して存続していく、と。

俺が入学したのは、合併してほんの数年しか経っていない時だった。
最上級生はセーラー服、ブレザー、学ランを着ている人たちが混ざっていた。つまり、その学年は学校が分かれていた時の最後の入学生だったわけ。
俺は入学式の日からブレザーを着て、ネクタイを締めていたから、なんというか、世代の違いを少し感じていた。

次の年からは、もう、学ランもセーラー服も着ている人はいなくなる。

そう思うと、一つの時代が去っていった様に思えたんだ。






電話ボックスの話は先輩たちから聞いていた。
二つ上の先輩も、一つ上の先輩も知っていた電話ボックスの話。
中にはやってみたっていう人もいた。それは同級生だったり、先輩だったりもした。
もちろん、俺もその中の一人だっていうのは言わなくてもわかるかな。

みんな、気になるオトシゴロってやつだったんだよ。だれかのコイバナを聞いてみたい。
ただね。誰も自分のことは言わないの。あくまで自分のコイバナは秘密。
だって恥ずかしいじゃない。
だから別の誰かの話をする。話をしたい。

「じゃあ、こんな話はどう?」

そう言って、俺たちは誰かが話したコイバナを披露する。こんな話を聞いたんだよ、って。
ちょっとだけ不思議な話がいいかな。それとも大人っぽいやつ? ただただ純粋に人を好きになる話なんかもいいかもね。
ただ、どんな話だとしてもこれだけははずせない。
誰も聞いたことがない話。
自分だけが特別に知っているんだぞっていう話。

そんな話を、俺たちは欲しがっていた。



俺がその電話ボックスに入っている話を聞いたのは、高校の先輩や後輩、同級生たちからだ。
でも、そのボックスについて聞いたのは本当に身近な人からだった。
何処にあるか。
どう使うか。
何に注意しないといけないか。
そんなのは恋の話と関係ないことなんだ。だから、コイバナしたいだけなら気にしないし気にならない。聞きたいのはコイバナ。
誰かが聞いて、その話を回せばOKってわけ。電話なんてしなくてもいいんだよ。

でも、たまに。こんなやつがいたりする。

「その電話ボックスって、今でもあるの?」

電話ボックスから新しい話を引き出したい人。

「そんな電話、あるわけないじゃん」

件の電話ボックスの話を信じない人。

「もっと詳しく、教えて」

恋話ではなく、電話ボックス自体の話に興味を持った人。
それと、

「どういう風に、その電話ボックスって使うの?」

聴くんじゃなくて、話したい人。






トゥルルル…
トゥルルル…

俺の手にある受話器から、呼び出し音が聞こえ始める。






まあ、まずは二つ、話を聴いてみてよ。


『花屋で見つけた夜』

 

 

 

「もしもし? こんなんでかかるのかよ。

期待してねえけどよ。

×××の近くにある電話ボックスからかけてる。

…別に話すことでもないけどさ。話したい相手もいないから、ここで言わせてもらう。

オレのコイバナってヤツだ。

 

くそ。らしくねえぜ。

 

聞きたくねえなら、とっととそこから出ていきやがれ。

 

行かねえのかよ。

 

じゃあ………最後まで聞いてくれよ?

 

俺んちの近くには花屋があるんだ。しかも、その花屋ってぇのがあんまよくねぇ場所に立っててさ。

病院と、墓地と、火葬場。そいつらに近い場所に、その花屋はあった。

 

花屋の前を通って中を覗くと、そこにいんのは昔からの古株数人と毎回違った店員たち。すぐ辞めちまうんだよ。理由なんて決まってんだろ」

 

「もしもし? こんなん聞いてる奴、いねえだろ。

いないだろうから話すんだけどよ。

 

俺がガキの頃からある花屋で、ずっと働いてる奴らは俺のことも覚えててくれてさ。

そういう奴らは嫌いじゃねえよ。

俺って、こういうのだからさ。学校でも馴染めねえの。さすがに不良グループには入んねえし、喧嘩だってしねえよ。

でもさ。時々授業サボったり、タバコを一本ちょろまかして吸ったりはする。悪いことだってわかってるぜ。

誰でもワルくなりたい時だって、あんだろ?

 

あー、じゃなくて。

その、近所の花屋の話な。

 

俺の家族は花が好きで、家にはいつも何かしらの花が生けてある。

この花はこういう花言葉。あの花はああいう花言葉。親父がプロポーズの時に贈った花束はあれとあれが何本だから、こういう意味。おふくろが誕生日に贈った花束はあれが何本だから、こういう意味。

 

昔から、花に囲まれて育ってきたと思う。

恥ずかしいとかウザいとかじゃなくて、俺はそれを自然に受け入れてた。単純に花がキレイで、いい匂いがして、すごく落ち着いた。

 

でもよ。そんなのって普通、他人に話さないじゃねえか。

俺は花が好きです~。この花はこういう花言葉なんです~。

そんなこと言ったらドン引きだろ。

だから、俺は誰にも話さなかった。

 

あの兄ちゃんが来るまでは、な」

 

「もしもし? よく飽きねえで聞いてられんな。

 

その兄ちゃんは、いつの間にかその花屋に勤めていた。

また新顔か。思ったのはそんだけだった。

またすぐに辞めるんだろ。そう思ってた。

 

立地がら、その花屋の配達先ってのは大体決まってんだよ。病院、墓地、火葬場。どれもお得意さんだ。

だから、配達の担当になる新顔は病んでく。耐えきれなくなって、すぐに辞める。

 

別に花が悪いってわけじゃねえよ。もちろん、辞めた奴らも悪くねえ。

でもよ。花ってえのは、本当だったら癒すもんじゃねえのか。

生きてる人の疲れた心とか、体とかを癒してくれる。病んだ人を力づけてくれる。死んだ人を飾って、送って、浄めてくれる。

花って、そういうもんじゃねえのか。

だから、花のことで不幸になるってえのは残念だ。

 

俺は、初めて花屋で語った。

ちょっとへこむことがあって、割り切れないことがあった日だった。

それを静かに聞いてくれてたのが、あの兄ちゃんだった」

 

「もしもし。

まさか、本人が聞いてるってことはないよな。

 

その兄ちゃんは十夜って名前だった。花が好きで、よく俺に新しい品種のこととか、名前の由来なんかを話してた。

 

俺は…

 

いつも聞いてないふりをしてた。

 

だって恥ずかしいじゃねえか。

十夜は本当に楽しそうに笑って話すんだぜ? もう、花が好きで好きで大好きですー、って感じで話すんだぜ?

こっちが照れちまう。

 

ああ、ハイハイ。そうですよ。

俺は十夜に惚れちまったんですー。

これでいいかよ。

 

ったく、ガラじゃねえぜ。

 

十夜は真面目に仕事してて、辞めることもなくちゃんと出勤してくる。

店主のじいちゃんも、奥さんのばあちゃんも十夜のことを信頼してて、なんか別の仕事まで頼んでる時さえあった。ん? これって信頼してるっていうのか?

欠点と言えば、遅刻しやすい。俺みたいにサボんないんだから、可愛いもんじゃねえか」

 

「もしもし。

あー、今朝も十夜は遅刻ギリギリだったわ。

マジかわいい。

午後から学校サボってうろついてたら十夜に怒られた。怒った顔もかわいい。

 

やべえ。俺、いつから十夜にベタ惚れになってた?

好きすぎてつらい。

いやいや、俺ってそんな趣味だったんか。

くそ。十夜がかわいいのが悪い。

 

進路どうするか聞かれた。

まだ決めてないって言ったら、じゃあこの花屋で働けば? って言い出した。じいちゃんもばあちゃんも顔見知りだし、何より花が好きだろ? って。

そんなの考えたこともなかった。

でも、十夜が言ってくれるならそれもいいかもなって思えた」

 

「もしもし。

誰にも、言うなよ?

俺自身、あいつに言うつもりはねえんだからさ。

 

誰かに言ったとこで、誰にも理解なんてしてもらえねえよ。こんな恋話。

絶対、どっかが間違ってる。変なんだよ。

でもさ、十夜が相手だったら俺は素直になれる。俺、あいつが好きなんだ。

 

男同士だけど、今まで出会ったやつらの中で、唯一俺を理解してくれるやつなんだよ。

 

俺、あいつを困らせたくないから、絶対に言わねぇ。

 

だからさ。

ここだけの話なんだって思って聞いてくれよ、誰かさん。

 

俺、花束を抱えて笑ってる十夜が誰よりも好きなんだ。

好きなんだよ。

 

 

 

ごめん」

 

「もしもし。

俺の好きな人には、付き合ってる人がいるらしい。そのこと聞いた時、なんだそうなのかって思った。

最近やけに幸せそうに笑ってるからさ、聞いてみたらそういうことだった。ああそうなのかって思った。

 

失恋って言っちゃそれまでなんだろうな。

でも、俺にとっての十夜は十夜のまま変わんねえよ。今までみたいに花に囲まれてさ、笑っててくれりゃあそれでいいんだ。

 

その、彼女さんには嫉妬するけど普通の恋愛が一番なんだ。

これでよかったんだよ。

 

少しだけさ。思うんだよ。ちゃんと好きだって告白しとけば、よかったかなぁ。

そうすりゃ、俺だって、俺にだって、少しくらい可能性があったかなぁって」

 

「もしもし。

来月、俺、社会人になる。卒業して、近所の花屋に就職するんだ。

じいちゃんもばあちゃんも歓迎してくれた。親父もおふくろも喜んでくれた。

何より、十夜が笑ってお祝いを言ってくれた。春から、一緒に働けるんだって。

 

彼女とはどうなんだよ。

なあ、その後どうなったんだよ。

俺はあいつに聞けずにいる。ただ、その彼女さんは、十夜の住むアパートの隣の部屋に越してきた女だってことだけ情報を手にいれた。

幸せにやってんならそれでいいか。

 

俺も大人になったよな。

春になれば、俺も大人として、同僚としてあいつの隣に立つんだ。

そんだけで、充分だよな」

 

「もしもし。聞いてくれよ。

頼む。誰か、聞いてくれ。

 

十夜の彼女さんが、死んだって。

 

どうして、なんでそんなことになんだよ。うまくいってたんじゃねえのか?

 

聞いたら、殺されたって、同じアパートの、十夜をストーカーしてた女に、刺されたって。

俺、知らねえぞ? あいつをストーカーしてた女がいたなんて。

 

なんで、話してくれなかったんだよ。なんで、なんで、俺に言ってくれなかったんだよ。

俺だって、俺だって、もう、ガキじゃねえんだぞ?

十夜のためだったら、釘バット担いでその女のとこに乗り込むくらいしてやらあ。

 

……ああ、そうか。

その彼女さんも、俺と同じきもちだったんだな。

 

それじゃ、しょうがねぇよなあ」

 

「もしもし。

俺の恋話、最後だ。

 

俺、十夜が好きだ。好きだった。

同じ男で、年上で、最後には彼女さんもできてたけど。

でも、好きなんだ。

 

十夜は、明日を最後に花屋を去る。俺んちの近所にあった花屋。そこで俺はあいつと出会って、恋をした。

笑って、何よりも花が好きだと言ったあいつに、恋をした。

最後まで、あいつには言わなかった。

きっと、どんだけ時間をかけても叶わない恋だったんだ。だから、言わなくてもいいんだよ。

 

笑ってくれよ、十夜。お願いだからさ。あんたの一番好きな花だったんだろ? 彼女さん。

花の名前を持ってる彼女さんのことを話すあんた、すごくよかったよ。すごく、輝いてた。

そんな十夜のこと、俺、好きなんだ。

 

これ、聞いてくれたやつも、サンキュな。いねえと思うけど。

 

 

 

じゃあな。俺の好きな人。

 

 

 

俺の、初恋の人」

 

 

 

 

 

 

がしゃんと音を立てて、誰かは受話器を置いた。

電話ボックスの中は、雨なんか降るはずもないのになぜかしっとりと濡れていた。

 

足下には、ドライフラワーとなってしまった、二つの小さな花束が隣同士に置かれていた。

それは、誰かが外へ出ようと扉を開いた瞬間に吹き込んだ風によって、粉々に崩れ落ちた。

 

残されたのは、色違いの二本の細いリボンだけであった。

リボンが何色であったかは、日に焼けてもうわからない。



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出席番号11番「電話バコ」③呼び出し音2回目~『隣の席のキミ』

トゥルルル……
トゥルルル……

受話器から呼び出し音が聞こえてくる。






俺にその電話ボックスの使い方を話した人は、俺の母親。
母は恋話が好きだった。特に、誰かの幸せになる恋の話が。だから、一回だけ。一回だけ、まだ俺たちみたいに幼い高校生の頃に、彼女は電話ボックスを使った。



『近所に古い公衆電話があるんです。見たことありますか? 公衆電話。
小銭かテレフォンカードを入れて、番号を押すんです。そうすると、相手に繋がるんです。
どこにでもありましたよね、公衆電話。
ただ、近所にある公衆電話はそれはそれは古くて、新しいデザインの硬貨が使えないんです。本当に古くて、番号を押すところが指で回すタイプの電話なんです。昔の黒電話とかがそのタイプですよ。
なんでまだ残っているんだろう。見た人のほとんどはそう言います。
近所の人は、残っているんだから残っているんだろう。そう言います。
結局、なんで残されているかわかんないんですよ。その公衆電話。

で、その公衆電話なんですけど。
変な噂があるんです。聞きたいですか?
いいですよ。別に秘密にするようなことでもありませんし。

その公衆電話はね。
誰かのコイバナ、恋話を聞くことができるんです。こっちからは声は届かない。だけど、受話器の向こうからの声は聞こえる。それは全部恋の話ばかり。
ね、不思議でしょ?

やり方は簡単。
まず、受話器を外してギザギザのついた十円玉、ギザ十を一枚入れる。一枚ですよ?
次に、番号をダイヤルする。「5187」。コイバナ(5187)、です。で、受話器を耳に当てる。それだけです。簡単でしょ?
そうすれば、その公衆電話の受話器からは誰かのコイバナが聞けるんです。
ただ、十円玉一枚じゃすぐに切れちゃう。だから続きが聞きたいなら、同じことを繰り返すんです。
切れそうだなっていう時に、ギザ十をもう一枚入れる。5187とダイヤルする。それをひたすら繰り返すんです。
ただ注意しなきゃいけないことは、こちらから話しかけないこと。それと、入れる十円玉はギザ十を一枚ずつだけ。
やり方を一つでも間違えると、その瞬間に電話は切れちゃいます。続きを聞きたいなら守らなきゃいけないし、もういいやってなったら途中でやめちゃえばいい。
ほら、簡単でしょ?』



ね、簡単でしょ?
そう言って、母は笑った。ほんの少しだけ悲しそうに、母は笑った。

きっと、当時の彼女も興味本位でその番号をダイヤルしたんだよ。でもまさか、そのコイバナがそんな結末を迎えるだなんて思いもしなかった。
割りきったつもりでいても、きっとそのコイバナは彼女の心に重くて暗い何かを残したはず。そう。例えば、両想いになれたとしてもその先で悲劇が待っている。そんなコイバナだってあるんだって。

母は笑って俺に話をした。その電話ボックスから偶然引き出して、自分の聴いたというコイバナを。

俺は思うんだ。
その電話ボックス、中に入っているのはきっと、幸せなものだけではないんだって。
ハコに入れたい特別なものは、全てが綺麗で優しいものだとは限らない。もちろん、あたたかくて純粋なものもあるんだろうけど。






トゥルルル……
トゥルルル……

俺の手の中の受話器から誰かの話を呼び出す音が鳴り続けている。






まあ、まずは三つ、話を聴いてみてよ。


『隣の席のキミ』

 

 

 

「もっ、もしもし?

誰か、聞いてますか? 聞いちゃってますか?

えっと、×××! ×××からかけてます!

私の! 私の、コイバナ! 始めます!!

 

ふぅ。えっと、私、家から通ってた中学校までがすごく遠かったんです。毎日バスと電車を乗り継いで行かなきゃいけなかった。しかも、早い時間のじゃなきゃ間に合わない。

すっごく大変でした。

 

で、似たような人っているんですね。

毎朝、そんなに人が乗っていない電車に揺られてると、途中から乗ってくる男の子がいたんです。しかも、私と同じ制服。同じ中学だってすぐに気がつきました。

初めはもちろん気がつきませんでしたよ? 自分のことで頭がいっぱい。勉強とか部活とか、そんなことでイッパイイッパイな私は周りを見る余裕もなかったんです。

中学一年生なんてそんなもんですよ。慣れないことほど疲れるものもないですし」

 

「もしもし!

うわ、これ全然話進まないや…

うまく伝わってるかな…

えっと、続きです!

 

二年生に上がってすこーしだけ余裕が出てきた頃です。私は同じ電車に乗る彼に気がつきました。おんなじ学校だな。それくらいにしか思ってませんでした。

それから私は、彼を見つけると会釈するようになりました。だって、次の日も次の日も、次の週も、次の月も、ずーっとおんなじ電車に乗ってるんですもん。

あ、これは、去年一年間同じ電車だったな? よく私、気がつかなかったな。そう思ったんですよ。やっと。

しかも、彼を見てるとなんと。おんなじバスにも乗ってました。同じ学校なんだからそうなりますよね。

 

あ! 待って! まだ続きが」

 

「も、もしもーし。

おんなじ電車に乗ってた子の話の続きでーす。

えっと、なんだっけ? そうそう。

ずっと同じ電車とバスを使ってたんですけど、本当に余裕がなくて周りを見れてなかったんです。だから彼のことも気がつかなかった。

学校でももしかしたらすれ違ってたかもしれません。でも、ただおんなじ電車に乗ってるってだけで知り合いってほどじゃないんです。

今日、電車ちょっと遅れたね。そんなこと言い合う間じゃなかったんですよ。

だから、電車やバスで見つけた時。ううん、違うな。目が合った時に会釈するなんて、すごい進歩なんですよ。私、小心者だから、特にね。

そしたら、なんと! 向こうも会釈を返してくれるようになったんです! あ、これも違いますね。

もしかしたら、私が気がつかなかっただけかもしれませんが、ずっと前から彼は私に挨拶をしてくれてたのかも」

 

「もしもし! 同じ電車に乗る話です。

 

そんなんで、私と彼は目が合った時に挨拶するくらいの間となりました。それだけです。

ほんっっっとうにそれだけです。

隣の席に座るとかそんなのないです。

 

でも、そんな毎日が結局中学三年間続いたんですよ。

毎日毎日おんなじ電車に乗って。バスに乗り換えたらまたおんなじバスに乗ってる。

ああいうのを顔馴染みって言うんですよね。知ってるわけじゃないけど、すごく馴染んでる人。

記憶にも、景色にも、すっと馴染んでる。そんな人。

 

私、中学生の時のことを思い出すときまず彼のことを思い出すんです。ずっと同じ電車に乗ってた彼。どんな日にだって同じ空間にいた彼。

 

中学校の卒業式の日。私、少しだけ残念に思ったんですよ。

もう、彼の顔を見ることはないんだなって」

 

「もしもし。同じ電車に乗ってた彼の話です。

なんか、もうこの作業にも慣れちゃったな。

中学三年間の長距離通学を無事に終了した私でした。

ああ、彼を見ることももうないんだな。

 

そう思っていた時期が私にもありました。ほんの数週間のことでした。

 

ふっ。こんなことってあるんですね。

彼、高校もおんなじだったんですよ。

はぁ。つまり、高校三年間もずっとおんなじ電車に乗り続けたわけです。高校の入学式の日の朝、同じ電車でおんなじ制服着てる彼を見たときマジかと思いました。もちろん、彼もマジかっていう顔をしてました。

 

というわけで、彼とは結局六年間おんなじ電車に乗ってました。

流石にこれだけ一緒だと、どこかで話だってすると思うでしょ?

しないんですよ。

辛うじて挨拶だけ、頑張りました。だって、私、小心者ですから。人見知りで、知らない人とは口もききません。

彼のこと、何にも知らないんですよ」

 

「もしもーし。六年間同じ電車に乗ってた彼の話でーす。

この中、暑いな。

 

えっと、その彼について知ってたのは毎日おんなじ電車に乗ってる。

おんなじ中学校に通ってて、おんなじ高校に進学した同い年の男の子。それだけです。

名前なんて知りませんよ。どの駅から乗って、どの駅で降りて行ってるのかも。ただ、気づいたときには同じ空間にいる。同じ電車、同じバスに乗ってる。そんな人でした。

 

全く話もしない毎日が終わったのは、高校三年生に上がった時でした。

彼と、クラスが同じになったんです!

それまで何の交流も繋がりもなかったのに!」

 

「はあ! はあ!

も、もしもし? ご、ごめんなさい、興奮しちゃって。

五年間ずっと一緒の電車に乗ってた彼の話です!

 

高校三年生の春、私は初めて彼と同じクラスになったんです!

それからは毎日がすごくすごく早かった。

クラスメイトとして一緒に授業を受けて、文化祭も体育大会も一緒に乗りきって。

彼がどんな風に笑うのか、初めて見たんです。名前を呼んでもらった。名前を呼んだ。話をした。

 

それまでの五年間が嘘みたいに、ありきたりの、友人でした。

ただの、友人だったんです。

 

おんなじ電車の中では、それまでと同じように何も話しませんでした。でも変わらず、一緒の電車に乗り続けたんです」

 

「もしもし。

同じ電車に乗ってた彼の話、私の、恋話です。

 

なんとなく変わったのは、ある時の席替えがきっかけでした。

初めて彼と隣の席になったんです。

 

隣を見たら彼がいる。たまに目が合って、笑い合って、話をする。

距離が一気に縮まった。すごく、近かった。

 

彼って、こんなんなんだ。

そう初めて思ったんです。

 

同じ電車の彼から、同じクラスの彼へ。

同じクラスの彼から、隣の席の彼へ。

私たちは、近づいていきました。

それで、とうとうあの日、私たちは電車の隣の席に座ったんです」

 

「もしもし。同じ電車の彼の話、聞いてください。

私の、恋話なんです。

 

私たちは、初めておんなじ電車の隣の座りました。

学校の隣の席なんかよりも、ずっとずっと彼が近かった。肩が触れるくらい、手が触れるくらい、ドキドキしているのが、聞こえそうなくらい。彼がすぐ近くにいたんです。

 

ああ、彼ってこんなんなんだ。

初めてそう気づきました。背が自分より高かった。髪の色が意外と薄くて、茶色っぽかった。手が熱かった。

体温が、高かった。ドキドキしていた。

鼓動が速かった。

私、彼が好きなんだ。

初めてそう気づきました。

私の心臓もドキドキいって、彼に伝わらないかちょっと焦っちゃったりしました」

 

「もしもし、私の、恋話です。

同じ電車に乗ってた彼の、話。

 

それから何回も、私は電車で彼の隣の席に座りました。彼も私も話はしませんでした。でも、すぐ近くにいたんです。

ある日、私は疲れて電車の中でうとうとしてました。その時も彼は隣に座ってました。

カバンを膝の上に抱えて、眠いなーって、頭がぼんやりしてたんでしょうね。うん、きっとそうです!

ちょっと、魔が差しちゃったんですよ。

隣に座る彼の肩に、頭を傾けたんです。

ほんの出来心ですよ?

だから、そのまま寝たふりをしたんです。彼のことが好きだったから、ちょっとふざけちゃったんですよね。

 

私の降りるはずの駅を電車は通り過ぎる。それから何個か駅を通ると、彼が立とうとしたんです。

降りるのかな。そう思いながら目を瞑ってると、彼が」

 

「もしもし。

電車の隣の席に座ってた彼の話、です。

寝たふりをして隣に座ってた私に、彼、キスしたんです。私の、唇に、一瞬だけ、湿った温かいのが触れたの。

 

そのまま、彼は降りていきました。

 

私、どうしていいかわかんなくて、そのまま今までと同じように過ごしました。彼も、今までと同じでした。

 

結局、高校の卒業式の日になっちゃって。なんにも、言えませんでした。

 

帰りの電車の中で、私と彼は隣に座りました。

最後になっちゃう。今まで何百回も同じ空間にいたのに、何も言えずに最後になっちゃった。

彼も、何も言いませんでした。

 

私、小心者だから、勇気が出せないの。

彼のこと、好き。好きだけど、言えない。間違えるのが恐くて、好きって言えない。

 

彼は遠くの大学へ行く。もう、おんなじ電車に乗ることはない。

だから、これが最後なの。最後だってわかってても、私、彼に何も言えない。

 

私が降りる駅に電車が着いた。扉が開く。

私、せめて彼にじゃあねって言いたくって、彼を見たの。そしたら、彼、顔を真っ赤にしてノートの切れ端を私に握らせたんだ。

電車の扉が開いた。私は降りなきゃいけない。

その時、彼がこう言ったの」

 

「もしもし。おんなじ電車に乗り続けた彼の話です。

これが、最後。

 

彼、降りなきゃいけない私にこう言ったんです。

電話、待ってる。そう言って、番号の書かれた紙を私に握らせた。

 

扉が閉まる向こうで、彼が笑いながら私を見ていた。

彼は、勇気のない私を待っているって言ってくれたんです。だから、閉まる直前に私、言ったんです。

待ってて。今は言えなくても、きっと伝えるよって。

 

 

 

これが私の恋話です。

もし聞いてくれる人がいてくれたら、最後にちょっとだけ、お願いがあります。

 

これが最後だから、続きはありません。

でも、もしこの恋を応援してくれるなら、もう一回だけ十円を一枚入れてダイヤルしてください。

 

私、今から彼に電話をかけるよ。

彼に、ずっと言えなかった好きを伝える。

 

最後まで聞いてくれてありがとね。

どっかの誰かさん」

 

そう言って彼女は受話器を置いた。

 

 

 

 

 

 

話を聞き続けた誰かは。

一枚だけギザギザの入った十円玉を電話機に入れ、四つの数字をダイヤルした。

 

5

1

8

7

 

そして、誰かはそのまま受話器を耳に当てることなく静かに置いた。

 

 

 

 

「ありがとう

叶ったよ」

 

 

 

 

受話器からそう聞こえた気がした。



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出席番号11番「電話バコ」④呼び出し音3回目~『間違い探し相談所』

トゥルルル……
トゥルルル……

受話器から呼び出し音が聞こえてくる。






電話ボックスについて聞く話は、大体受話器から聞こえた話。自分はこんな話を聞いたよ、っていうね。
どれも、コイバナ。
だから、ボックスを使って受話器を耳に当てて話を聞く人たちは、みんなルールを守っているはずなんだ。じゃないと、こんな風に広まっていたりするわけない。いや、単に失敗例だけ語られていないだけかもしれない。
あくまで俺たちの耳に入ってくるのは恋の話だけ。中にはちょっと暗くなるのもあるよ。でも、それだって恋の話なんだ。



コイバナ。
コイバナシ。
恋話。
恋の、話。

何でハコの中に入っているのが恋の話だけなんだろう。
じゃあ逆に、恋の話以外何の話を入れるんだろう。

人を好きになるのが恋。
好きになって、その想いを伝えて、相手に応えてもらう。
想いを実らせたり、想いを砕かれたり、想いを枯らせる。
もしかしたら伝えずに秘めたままかもしれない。気づきもしないで消えていってしまうかもしれない。
それが、恋というものなんだろう。

本当にそうなんだろうか。

恋というものは、どれも綺麗で美しいものなんだろうか。可愛らしくて、鮮やかで、そう。花のように可憐なものなんだろうか。

未成年っていう時間はすごく未熟だ。曖昧で繊細で、ゆらゆら揺れて流される。
でも氷みたいに固まっていない。水みたいに形が定まらないから、アイスになったりシャーベットになったり。色を変えてみたり、沸騰したり冷めて温くなったり。いろんな状態になれる。
そんな特別な時期。

そんな特別な時期にいる未成年の、それも特に敏感な高校生の、俺たちが経験する『恋』。
きっと、大人になってから経験する恋とは違う何かがある。純粋で、本能的で、欲望に忠実で。うまく言えないんだけど、それこそ『恋』っていう感情に支配されたものが、この時期の恋話にはあるんじゃないかな。






トゥルルル……
トゥルルル……

何かを呼び出す音が聞こえている。
繋がる先の向こうからは、きっと呼び出される音が聞こえているはず。

箱を通して、俺は誰かを呼び出している。
何かを、呼び出している。






まあ、まずは四つ、話を聴いてみてよ。


『間違い探し相談所』

 

 

 

「もしもーし。

誰か聞いてますかーぁ。

聞いてませんねー。聞いてませんよねー。

よーし、喋っちゃうぞー。

あたしのコ・イ・バ・ナ。

 

あたしには親友がいてね。ううん、違うなぁ。

誰もいない電話だから言うんだけど、恋人がいるの。可愛い女の子でね、とってもモテる!

今電話をかけてるこの×××? っていうの? ここに住んでて、高校に上がって一年生の時にクラスがおんなじになったんだ。

告白したのはあたしの方。自己紹介の時に一目惚れしてね、その日の内に告白しちゃった!

 

あ!

あたしもその子も女の子だよ!

でもそんなのどうでもいいでしょ?

運命の人がその子だった。その相手が自分とおんなじ性別だった。

ただ、それだけのことでしょ?」

 

「もしもーし。

いちいちこれやるの?

ふふっ、よくみんなこんな面倒なのやるねぇ。

 

あたしの恋人ちゃん。押しに押して、告白して一ヶ月で落とした可愛い彼女ちゃん。

一ヶ月って長いって思う? そんなことないよ。全く知らない他人からの告白に返事するまでそれくらい必要だって。何にも考えないで断ったり、とりあえずって言うなら一瞬だろうけど。

彼女ちゃんはね。そんなくだらないそこらにいる奴等とは違うんだよ。

あたしの好きに応えようと、彼女なりの答えを返すためにちゃんと考えてくれた。

あたしは女の子だから彼女を選んだんじゃないの。女の子って理由であたしを彼女にしようとした男たちとは違うの。ちゃんとその子を見て、この子だ! ってビビッときたから告白したの。

そこら辺のダメ男と一緒にしないで欲しいな」

 

「もしもーし。

続々続き更新中?

 

最近困ったことがあってぇ。

あたしの彼女ちゃんが可愛くて可愛くて、もうデレッでれ。

と言ってもね、あたしは別に周りに言うことでもないって思ってるから、周りにはすごく仲のいい親友って見えるようにしてるんだ。距離が近い? スキンシップが過激? 女の子同士の親友ならアリでしょ?

ただね。変に思われたくないんだ。

あたしはいいの。でも、彼女ちゃんがあたしの手を握ったせいで、周りからの視線を悪いものに変えられるのがイヤ。彼女が傷つくのがイヤ。

 

なんで女の子同士がダメなのかなぁ。あたしの友人には男の子同士のカップルだっているよ? 何が変なの?

コロコロ相手を変える人の方が変じゃん。好きだったんじゃないの? 大切な人だったんじゃないの? 運命の人だったんじゃないの?

お試しの恋ってなに。お遊びの恋ってなに。

 

恋をゲームと勘違いしてる奴。あたし、だいっきらい。

本気になりなよ。うまくいかなくたっていいんだよ。

あたしたちみたいにさぁ」

 

「もしもし。

マジ最悪。

ちょっと聞いてよ。って言っても、誰も聞いてないよね。

 

今日、部活の先輩から恋愛相談されちゃった。もともとあたし、人気があるんだよね。友人として付き合いやすいんだって。さっぱりしてて。

あたしとしてはお前のことどうでもいいしー、っていう方のサッパリだと思うんだけど。

だから、中学生の頃から親しい友人を斡旋して欲しいっていう相談とか多かったの。うん。すっごく面倒。そういう人に限って自分で何もしない。

可愛い子がいるって目をつけたら、その近くにいるどうでもいい子に声をかけて、こんな人いるよ。こんなイケメンいるよ。ってその目当ての子に聞かせるように言うんだって。

要は、何もしないで好みの子の中の自分の株を上げようとする。ほんと、意味わかんない」

 

「もしもし。

愚痴になっちゃうけど、勘弁してね。

 

部活の先輩が、あたしの彼女に自分を紹介して欲しいって言い出したの。もちろん断ったよ。

向こうは知らないだろうけど、あたしたちは恋人なの。親友に見せてるけどね。恋人を他の男に紹介する?

それも、彼女ちゃんとは何にも接点なんてない他人をだよ?

あり得ない!

 

だから断りましたー。

でもそんなんじゃ先輩は納得しない。

 

あたしは考えた! どうすれば先輩の目を彼女ちゃんから逸らせるか。

そこで思い出したんだよね。同じクラスでその先輩のこと気になってる子がいたの。

じゃあ、その子と先輩くっつけちゃおう! ってね」

 

「もしもーし。

結果報告。うまくいっちゃった。

 

前に彼女ちゃんを紹介しろって言ってきた先輩と、同じクラスの子。ししっ。くっつけちゃった。

悪く思わないでね、先輩♪

同じクラスの美人系の子。いい子だと思うよ。性格も顔もいいし。ただね、ちょっと嫉妬深いかな? もう浮気なんてできないよ。させてくれないよ。

精々本気の恋を知るといいんだ。

年下の束縛系彼氏に夢中になりなよ。先輩♪」

 

「もしもーし。

まぁた相談されちゃったよ。

彼女ちゃん、モテすぎ。自慢の彼女ちゃんだから鼻が高いんだけどさ。でも心配になっちゃうよ。あたしだけの彼女ちゃんが、他の誰かのものになっちゃわないかって。

 

隣のクラスのワンコ系女子。彼女ちゃんが好きなタイプだよ。

その子が彼女ちゃんと話したいらしくて、間を取り持って欲しいって言ってきたの。あたしってそんなに声かけやすい?

もう、断る理由なんてないからうんって言っちゃったよ。

ああいう子に弱いんだよねー、あたし。

 

あー、もー、どーしよー」

 

「もしもし。

セーフだった。ワンコ系は狼じゃなくて純粋子犬ちゃんだった。

 

昨日もあたしと彼女ちゃんと一緒にショッピングに行った。

なにあれ可愛い。彼女ちゃんもメロメロ。

あ、恋人とは違う意味でだよ! ほら、小動物的な。

それに、あの子も好きな人がいるみたいでね。あたしと彼女ちゃんで応援しちゃおう! って話よ!

やっぱり女の子はコイバナ好きなんだよなー。しーかーもー。その相手っていうのが幼馴染みのお姉さま!

なにそのシチュエーション!? なに長年の恋心募らせてんの!?

なにそれ! なにそれ!!

 

応援するよ! スッゴクしちゃう!

頑張れ、子犬ちゃん!

恋の先輩のあたしたちが応援してる!

きっとその恋は叶うよ!」

 

「もしもーし。

ここも久しぶりだな。

 

えっとー。ラブラブはっぴぃ恋人生活を送ってるあたしたちに新たな仲間が加わった? って話だっけ?

あ、違う違う。

あー、テスト勉強で頭パンクしそうだー。

テスト終わったら絶対三人で映画観に行く。絶対行く。あと、パフェとクレープ巡りもはずせない。

ぐぅ… そのためには赤点回避しなければ…

 

あー、うー、今だけ休憩。ちょっとだけ。

 

結局、前に言ってた子犬ちゃんは無事!

お姉さまとお付き合いが決定したの。でもなー。あたしとしてはあの人、あんまり好きじゃないかな。美人なんだけど、子犬ちゃんのこと替えがきくペットにしか見てないように見えるんだよね。

子犬ちゃんの好きは本物だよ。本気の本物。あたしたちが保証する!

彼女ちゃんも子犬ちゃんのことは気にしてて、よく三人で遊びに行くようになったんだ。

 

あとね、秘密なんだけど。あたしたちの間だけで恋愛相談なんかしてたりするの。

女の子同士のカップルなんて滅多にいないじゃない? だから、不安とかすぐに溜まっちゃうの。

もちろん、あたしだってね」

 

「もしもし!

今日も元気いっぱい、あたし様が通るぞー!

 

最近すっごく調子いいんだー。

ほら、恋愛相談できる相手もできて、遊ぶ仲間もできて、なにより彼女ちゃんが可愛い!

それだけで元気満タンなんですよー。

 

あーあ、こんなのずっと続けばいいのになー。

進路も決めないといけないのめんどい」

 

 

「もしもし。

信じらんない。子犬ちゃんが、フラれた。別れたって、泣きながらあたしたちに報告しに来た。

相手の人、もうただの他人だよ、その人が彼氏作ったんだって。

 

子犬ちゃんとのことは全部、全部、始めから全部! 遊びだったんだって。ただの興味で付き合ってあげてただけなんだって。子犬ちゃん泣いてたよ。

いっそ嫌いって言ってくれればよかったって。

 

子犬ちゃんはね。その人と初めて会ったときから恋をしてたの。心の中はその人でいっぱい。甘くて優しくて、クリームが山盛りになったケーキみたいに胸が焼けるくらいどろどろに甘ったるく膨らんだもの。

その人しか見えてなかったの。その人しかいらなかったの。

 

そんな子を裏切るなんて。

あの人、恋する資格ないよ。誰かを好きになる資格ない。

好きになってくれた人を引っ掻き回して、傷つけてっただけじゃない」

 

「…もしもし?

誰か、聞いてるの?

あたしのコイバナ、誰か聞いてる?

 

この電話を聞きに×××に来たなら、コイバナを聞きたいんでしょ?

恋を、聞きたいんでしょ?

 

じゃあ、聞いて。あたしたちの恋を、否定しないで聞いて。

 

好きだった人に裏切られた子犬ちゃんは、あたしたちに毎日その人のことを泣きながら話すようになった。幸せだった二人の時間を振り返って、それが嘘だったんだって自分を傷つけてる。騙された自分がバカだったんだって子犬ちゃんは言う。

でも、あたしたちはそうは思わない。あたしたちはいつだって子犬ちゃんの味方だよ。悪いのはあの女。悪いのはあの女の彼氏。

あたし、後で聞いたんだ。

あの女と彼氏は、女の子同士の恋愛に浸ってる子犬ちゃんを見て嗤ってたんだって。

女が女を好きになるはずない。あれは頭がイカれた病人だ。可哀想。あんな変人になつかれた自分が可哀想。

そんなこと話してるのをあたしは聞いた。

 

近々、あいつらは結婚するらしい。

女のお腹が膨らんでた。

 

あたしは、そのことを彼女ちゃんと子犬ちゃんには黙っておこうと思う。

毎日毎日泣いて、目元が腫れた二人をこれ以上悲しませたくない。

 

あたし、解ってるよ。女の子同士の恋愛なんて世間様から見ればおかしいってこと。

知ってるよ。女の子同士のカップルで幸せになれた例なんて耳にしないこと。だって、変に見られるから。頭が狂ってるって言われるから。

だから、みんな黙ってるの」

 

「もしもし。聞いて。

 

あたしの、恋。あたしたちの、コイバナ。

 

聞いてる人。同性同士の恋は間違ってると思う?

あたしはそうは思わない。

 

あたしが好きになったのは女の子。女の子のあたしを好きになったのも女の子。それだけだよ。

あたしはその人が好き。多分、女の子でも男の子でもそれは変わらない。

 

あたしの恋は直感的だった。出会って、あ! この人だ! って感じたから告白したの。フラれても、それは運命の出会いだったってあたしは言うよ。

みんながそういう風に言い切れないのはわかってる。でも、あたしにとってその人が運命だったの。

 

そんな風に思える人、あなたにはいる?

そんな風に、自分との出会いを運命だって言ってくれる人、いる?

 

あたしはね。その人との繋がりを恋人って形にしたよ。この想いを、恋だって名前をつけた。

あたしたちは真剣なの。バカにしないで。どこか間違ってるってわかってる。他の人と違うってわかってる。

わかってるの。

自分たちが一番わかってるの。だから、バカにするな! 否定するな!

 

いいじゃない。間違ってたって。

いいじゃない。人と違ったって。

何がダメなの?! どうしてダメなの?!

本気で人を愛したこともないお前たちになんか、あたしたちの恋をとやかく言われたくない!!

あたしは!

 

 

 

あたしは。

 

 

 

あたしは、あの人のことが好きなの。愛してるの。心から。

 

命をかけてもいいよ」

 

「もしもし。

もしもし。

誰か、聞いてるの? ここまでの話、聞いてくれてるの?

 

あたし、ほんとはずっと悩んでた。

自分とおんなじ女の子を好きになって、どっかおかしくなったんじゃないかって。でも違うんだね。

好きになることはおかしくなんてないんだ。それがどんな相手でも。

変なのは、その好きを疑うこと。その好きって気持ちを病気だってひとくくりにして、ゴミ箱に棄てちゃうこと。

可哀想だね、その人。せっかく宝石の原石を見つけたのに、磨きもしないで汚れた穢い石ころだって言って泥沼の中に放り投げちゃう。せっかくのキレイな石なのに、価値がわかんないなんて可哀想。

その人はもう、キレイな石を泥の中から見つけ出すことなんてできないんだよ。

あーあ、かわいそ。

 

そんな人たちはさ。あたしたちみたいな恋をすることさえできないで一生を終えていくんだよ。

 

報いを受けろ。

あのクズ女ども」

 

「もしもし。

子犬ちゃんが登校拒否になった。

あの女が、子犬ちゃんのこと病気持ちの××女だって言いふらしたの。

 

子犬ちゃんが、彼女が何をしたっていうの?

ただ、恋をしたかっただけでしょ?

裏切ったのも、傷つけたのも、全部あの女が悪いのに。なんでこんなことするの?

 

あたしたちのことも××××だって言ってるみたい。

あたしはダイジョブ。でも、彼女ちゃんが苦しんでる。

自分も傷付いて、子犬ちゃんも助けられないで苦しんでる。

 

もうイヤだ。こんなの、イヤ。

 

あたしたちの恋を邪魔して、子犬ちゃんの恋心をズタズタにして。あの女、嗤ってる。自分だけ幸せになろうとしてる。好きな男の隣で笑ってる。

 

 

 

こんなバカなことってあるか」

 

「もしもーし。

あははっ。やっちゃった♪

 

あたし、やっちゃった。

カゴメカゴメって童謡知ってる?

都市伝説でさ、あの歌詞の意味で××××に行った××を誰かが階段の上から突き飛ばしたっていうのがあるらしいんだ。××××の×××ぁ×って。

 

あたし、あの女を階段の上から突き飛ばしたよ。ははっ。あの女、悲鳴あげて転がってった。お腹の子、流れたってさ。

赤ちゃんにはほんとに悪いことをしたと思ってるよ。あたしは人殺しだ。ごめんね。ほんとに、ほんとにごめんなさい。

でもね。あの女は許せない。人の人生を狂わせておいて笑ってる。

 

恋を嗤う奴に恋を語る資格なんてない。あいつは恋をバカにした。自分に恋をした人をバカにして、恋心っていうものを利用して、全てを踏みにじった。

 

あたしはあの女がどうしても許せなかった。

彼女ちゃんも、子犬ちゃんも、あたしの大切な人たちだ。あたしの恋人と友だち。二人とも、あたしの大事な人。

だから、傷つけたあの女が憎い。

 

罪は背負うよ。後悔はしてない」

 

「もしもし。

あたしのコイバナ、これで最後にする。

 

最初で最後の、あたしの恋。

ねえ、どうだった? 聞いてる人。

あたしのコイバナはキレイなものじゃなかったでしょ?

恋ってさ、きっとそういうものなんだよ。

 

いろんな恋があってさ、いろんなことがあってさ。笑って、泣いて、傷付いて、苦しんで。

恋はきっと実って、咲いて、芽を出して、枯れて、散っていくもの。

あたしの恋はどうだったかな。

 

 

 

ああ、どこで間違えちゃったのかなぁ。

あたし、もっと二人で幸せになりたかったはずなんだ。そのためにたくさん悩んだ。

でもね、友だちが苦しんでいるのもやっぱり見ていられなくて。手を出しちゃった。

 

みんなでハッピーエンドなんて、無理なんだよ。だけど、あたし、頑張ったよ。精一杯考えて、一生懸命恋をした。幸せだって笑えるように頑張った。

 

だから、これがあたしの答え。彼女ちゃんにも、子犬ちゃんにも相談して、三人で出した答え。

後悔、してない。するはずないよ。

でしょ? だって、これがあたしたちのコイバナなんだから。

 

じゃあね。外で二人が待ってる。

あたしたち、絶体最期まで手を離さないよ。

 

 

 

あなたも、あなただけの恋を信じて進んでね。

あたしたちみたいに、ならないでね」

 

 

 

 

 

 

しばらくして、受話器の向こうで水飛沫があがる音が遠く響いた。

 

驚いて受話器を取り落とした誰かは、急いで電話ボックスから出ようとする。しかし、内側からは扉が開かない。

誰かは焦った。

 

突然周囲が暗くなった。

 

ごぷん

 

その箱だけが水の中に沈んだかのように、くぐもった水音と暗闇が辺りを一瞬包み込んだ。

誰かの肌を、ぞくりとしたものが這い回った。

 

しかしそれも一瞬のことだった。

すぐに景色は明るい日差しの下に戻り、扉も容易く開いた。

誰かは外へ出ようとした。

その時、ぼとりと水気を含んだ何かが背後に落ちたことに気がつく。誰かは振り向いた。

そこには、一冊の手帳が落ちていた。先程までは確かになかった物だ。

 

乱雑に開かれた手帳の一頁には、顔の判らない少女たちが写った小さな写真のシールたちが幾枚も貼られていた。

どれも、少女たちの笑顔を写した物だった。

 

 

 

彼女たちは幸せだったのだろうか。

彼女たちは今でもどこかで笑っているのだろうか。恋をした相手と一緒に、笑えているのだろうか。



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出席番号11番「電話バコ」⑤『コイバナシ』

恋は人を変えるんだろう。善くも、悪くも。それはきっと愛も同じなんだと思う。強くも、弱くもする。

 

その電話ボックスという箱に入れられた恋の話たちは、どれもその恋を経験した人にとって特別なものだって俺は思うよ。

それがどんな道を辿って、どんな結末を迎えていたとしてもね。

 

 

 

 

 

 

じゃあ、五つ目のコイバナを聞いてみてよ。

五つ目は、俺のコイバナ。

 

 

 

もしもし? 聞こえていますか?

 

じゃあ、始めよう。

 

 

 

これは俺の初恋の話。うわ、思ってた以上に恥ずかしいな、これ。

えっと、結論から言うとさ。

俺の初恋は自分の母親だった。

当時高校生だった彼女はこの電話ボックスを使って、誰かのコイバナを聞いた。

母は言った。

「使ったのはその一回だけだったわ」

 

でも、違った。

 

俺は、父から別の話を聞いた。母がその電話バコに自分のコイバナを入れた時の話を。

そう。俺の母は、電話ボックスを二回使ったんだ。

じゃあなんで母は俺に一回しか使ってないって言ったのか。

嘘は言ってないんだ。だって、母は当時のことを覚えていないんだから。

 

その電話ボックスを使うときのルール。

ギザ十を一枚ずつ入れる。

入れるごとに決まった番号を押す。

番号は。5187(コイバナ)。

 

俺はその電話ボックスで彼女のコイバナを聞いた。彼女の入れた、母のなくしたコイバナを聞いた。

その内容は、父が俺に教えてくれたものとほとんど同じだった。コイバナの中の母が恋した相手は父だったんだ。当事者が語るなら正確だろ?

ただ、俺の聞いた母の語るコイバナには、どうして彼女の記憶が飛んだのか。その理由がちゃんと残ってた。

 

番号を間違えたんだ。

5187じゃなくて、彼女の打った番号は

51874。コイバナシだった。

 

おっちょこちょいなところは昔も今も変わってないみたいだった。俺の好みのタイプはそういう子。

天然が入ってて、おっちょこちょいで、優しい。そんな子。

まんま母だよ。

でも自分の母親を好きになるなんて、かなりアブナイだろ。だからさ。俺の好きになった初恋の人は、昔の母親。今の俺と同じ高校生の、同じようにこの桜ヶ原の電話ボックスに入って受話器を耳に当てた、コイバナが好きで好奇心旺盛な、ただの恋する女の子。

 

同級生の男の子に恋をしたおっちょこちょいの女の子。

恥ずかしくて、誰にも言えない。

そんなとき、ある噂を思い出した。

この電話ボックスの噂話を。

受話器の向こうにいる相手にだったら自分のコイバナを話せる。そう思った彼女は、ここへ来て、受話器を取って、ギザギザの入った十円玉を一枚入れる。そして、決められたはずの番号を打つ。

 

5 1 8 7。

彼女は話が終わるまでそれを続けた。

 

あの子が気になる。あの子が好き。あの子が好きで好きでどうすればいいのかわからない。声をかけられた。嬉しい。笑いかけてくれた。嬉しい嬉しい。いつもよりたくさん話せた。嬉しい嬉しい嬉しい!

勇気を出して告白した。ドキドキドキドキ。

あの子は私のことをどう思っているんだろう。ドキドキ。嫌いかな? 嫌われちゃうのかな。ドキドキドキドキ。

私なんかがあの子を好きでいていいのかな。

ごめんなさい。やっぱり諦められない。

好きです。私はあの子が好きなんです。

あなたが、好きなんです。

 

 

 

ドキン、と胸が跳ね上がった。

 

 

 

不思議だよ。受話器から聞こえている声は、別に自分に向けられているものじゃない。わかっていたんだ。わかっていたんだけど、その言葉は自分に向けられているように思えたんだ。

 

あの子が好き。

ああ、彼女は俺のことが好きなんだ。

 

そんなこと、あり得ないんだ。

わかってる。わかってるけど、理解してない。理解できていない。

 

幼い彼女の声に一挙一動してる自分が信じられない。

アルバムの中でしか見たことがない彼女。成長して一人の母親として俺の目の前に存在してる彼女。どちらも同じ人で、手に入らない人。

 

「もしもし?」

もしもし。俺はここにいるよ。

「もしもし、聞こえますか」

もしもし。聞こえているよ。

「もしもし、あのね」

もしもし、どうしたの?

 

もしもし。もしもし。

彼女は繰り返すんだ。恋の話を。

すごく愛しそうに、すごく切なそうに。

そんな彼女を、俺は好きになってしまった。

 

話は佳境に入って、彼女が好きな子に告白する。その結末がどうなるかなんてわかりきっていた。

だって、俺が産まれたってこと自体がそれを証明しているだろ。

彼女はその子と結ばれた。母は父と結ばれて、俺が産まれた。

ハッピーエンドだよ。

 

はい、おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

って訳にはいかないよな。

 

母はその話を覚えていないんだ。

大まかに覚えているのは父と、電話バコからそのコイバナを聞き出したこの俺だけ。

 

 

 

もしもし。最後まで、聞いてみてよ。

 

その受話器から聞こえてきた彼女の声は興奮していた。告白して、いいよと返事をもらって、その報告を電話バコに残すつもりだったんだろうな。

 

いいよって、彼、言ってくれました!

すっごく、すっごく嬉しい!! ああ、もう何て言ったらいいか!

えっと! えっと!

あ、あともう一回だけ! 次で最後にしますから!

えっと! えっと! うー、十円最後の一枚だ。

……

………

よし! 入った!

これが最後なんだね。

 

これで最後になっちゃうのか。これで、彼女の声を聞けなくなっちゃうのか。少しだけ残念に俺は思った。

その時、彼女はやらかした。

 

5・1・8・7…4…

あ! 間違っちゃった。

 

彼女は最後の最後でルールを破った。

 

その電話ボックスを使うときのルール。

打つ数字は5187。

 

ルールを破った時、使った人がどうなるのかなんてわからないよ。そんなの、聞いたこともない。

噂っていうのは大体正しいルートを通ったものが広がる。失敗したり、裏技使ったルートなんて皆が知ってるわけないだろ。

でもさ、中には常識はずれな人がやらかした失敗例なんかもあるはず。皆がみんな優等生じゃないんだ。間違えたり、約束事を破ってみたりもしたくなる。

母のは単なるおっちょこちょいなんだけど。

それでさ。51874って打った母はどうなったのか、だよね。

さっきから言ってる通り、二回目の電話ボックス使用のことを綺麗さっぱり忘れたんだ。いや、違う。彼女が電話バコに入れてきた話自体を忘れたんだ。

 

 

 

 

 

 

今さらだけどさ。俺は電話ボックスと電話バコを分けて考えてるんだ。言い方も変えてたつもりなんだけど、みんな、気づいた?

 

 

 

電話ボックス。

公衆電話。俺が受話器を手に取ってコイバナを聞いていた場所。四方をガラスの壁に覆われて、そこだけ別空間みたいに感じる場所。

外には声が、聞こえてないよな?

 

この中ではほんのちょっとの不思議なことが起こったりする。例えば、血に濡れた結婚届けがいつの間にかそこにあったり、気付かれない小さな花束が何十年もそこにあり続けていたり、受話器の向こうの人との会話が成立したような言葉が聞こえたり、突然水の中に沈んだような瞬間に落ちたりする。

全部、その電話ボックスっていう空間の中での出来事だ。

 

 

 

電話バコ。

俺がずっと話してるのはこれのこと。この箱の中にはたくさんの話が入ってる。

受話器の向こうのコイバナシ。花屋で見つけた夜。隣の席のキミ。間違い探し相談所。

そんなタイトルを付けられた恋の話たち。

それは、電話ボックスの中にある受話器を通って何処かへ入れられる。それで、ルールを守れば簡単に誰でも出せる。

何をって? 誰かの入れたコイバナをさ。

いや、きっと恋の話だけじゃない。

もしかしたら、291とか18782、37564と打てば別の話だって出てくるのかもしれない。

俺たちが噂で聞くのが5187。その年齢層で誰だって興味を持つ話題のコイバナシだっただけの話なんだよ。

じゃあ、なんで5187であって51874じゃないのか。

そんなの知らないよ。でもさ、コイバナシしようより、コイバナしようの方が高校生っぽいよね。

そんな単純な理由なんだよ。きっと。

 

 



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出席番号11番「電話バコ」⑥『電話箱』~呼び出し音

『電話箱』

 

 

 

ほら。最後の十円玉だよ。

もしもし。聞いているよね、みんな。

 

 

 

俺がしてるこのコイバナ。タイトルは、そうだな。

電話箱。なんてどうかな。

今さらだって?

まあ、今さらだよ。ずっと話してきたじゃないか。電話バコの話。いや、話してきたのは電話バコの中に入っていたコイバナの話だ。

つまり。それは誰かの恋の話。誰かの、ね。俺のじゃないさ。

だから、俺のコイバナのタイトルは電話箱。みんなに話す、とっておきの話。

 

俺の母はさ。おっちょこちょいで偶然ルールを破っちゃって、残せたはずの自分のコイバナを忘れちゃったんだ。

そこで俺は仮定した。

受話器を通してコイバナを電話箱っていう容れ物に入れるっていうことは、実はコピー、複製したものを入れてるんじゃないか。コピーを失敗して、母は複製途中のコイバナをなくしちゃったんじゃないか。

そう思ったんだ。

つまりな。

変な話だよ?

電話箱っていうのは入れようとしてる話のオリジナルを入れている。そこからコピーを作って、入れた人のとこに戻している。

そういうシステムじゃないのか。

そう思ったんだ。

 

本当のとこはわかんないけどね。

 

でも、もしそうだったら。

その電話箱って怖くない? 『入れる』箱じゃなくて『奪う』箱ってことでしょ?

まあ、コピーであっても自分のとこにちゃんと残っているならいいんだけどさ。 残っているならね。

 

ルールを破る人の方が悪いと思うよ?

ちゃんと、こうしなさいって具体的なやり方も伝わってたのに違うことをしたんだからね。

母のコイバナはさ。コピーできなくて手元に残んなかったんだ。可哀想だと思うだろ? 全部忘れちゃったんだもん。可哀想だよ。

せっかくの人生で初めての、たった一回しかない初恋だったんだ。

せっかくの青春での宝物になるはずだったものなんだ。可哀想だよ。

 

父は様子がおかしい母にすぐ気がついたんだって。母の記憶がすっぽりなくなっていることに。

件の電話ボックスを使っていたことを聞いていた父は、すぐにそのせいだと思った。だから何も対処できなかった。使った人のコイバナを聞いても、使った人そのもののことは全く噂に流れないからだから、父は何もできなかった。

結局は告白もプロポーズも父の方からしたんだって。父の方が先にしたことになってるんだって。

 

それで、いいんじゃないかな。二人は最後、両想いになって結婚して、俺っていう子どもを授かったんだから。

 

たとえ、彼女の初恋ゴコロが奪われていたとしても、さ。

 

母にはもう、初恋の記憶はないんだよ。可哀想、だよね。

 

 

 

 

 

 

 

カシャンと音を立てて十円玉が機械の中に滑り込んでいく。その十円玉の縁にはギザギザはなかった。

 

そのコイバナを語り続けてきた主人公は、笑いながら数字のキーをゆっくり押した。

 

5

 

1

 

8

 

7

 

そして、

 

4

 

 

 

「これで、俺のコイバナは終わりだよ」

 

彼女を独りにはさせない。

これで彼女の初恋は俺のものだ。

 

 

 

彼は彼女と同じ箱の中で恋をし続けるのだろう。

幾多の恋の話たち。持ち主と揃いのコイバナたち。その中で、この二つの恋は忘れ置かれたまま眠り続けるのだ。

 

 

 

片や恋する眠り姫。おっちょこちょいの少女の初恋は、恋が叶ったことにすら気づかずに夢を見続ける。

 

片や恋する王子様。遥か遠い姫を想うあまり、触れることのできる近くの姫には目をやらない。やっと辿り着いたその時には、恋した姫は夢の中。

諦めきれない王子様は、夢の中にまで姫を追って眠りについた。

 

 

 

主人公は初恋を忘れた。

電話箱という容れ物に恋心を奪われて、これまでのコイバナを忘れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

トゥルルル……

トゥルルル……

 

 

 

呼び出し音が箱の中に響く。

繰り返し、繰り返し、呼び出す音だけが響いている。

 

誰も出ない、誰も聞かないその音は、止むことなく鳴り続ける。

次の恋の話を聴かせて欲しいと、鳴り続ける。

 

 

 

トゥルルル……

トゥルルル……

トゥルルル……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしもし?

誰か、聞こえてますか?

 

あの、聞いてほしいんです。

コイバナを。

 

 

 

聞こえていますよ。

あなたの恋、ちゃんと聞こえていますよ。

 

 

 

だから話して。あなたのコイバナを。

だから聞いて。最後まで。

 

 

 

 

 

 

呼び出し音は途切れることなく響き続ける。




『電話バコ』

5187

もしもし
もしもし

あなたのコイバナ聞きたいな

5187

もしもし
私のコイバナ聞いてほしいな

箱の中に入れられ続けるコイのハナ
誰かに語る
誰かの恋

もしもし、もしもし
ちょっと聞いて
どんな最後になったって
お願い
最後まで聞いてほしい

これは誰かの恋の話

5187
5187


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出席番号12番「置き傘のこびと」

数え切れないほどこの世界にある傘には、小人(こびと)が住んでいる。

と、言い出したのは私のお祖父ちゃんだった。

 

彼は生前、たくさんのお伽噺を私にしてくれた。その全ては彼自身が考えたもの。かわいくて、優しくあたたかい彼のお伽噺たち。

 

その中でも特に私のお気に入りは、「傘の小人」という話だった。

傘には一本ずつ違う小人が住んでいて、持ち主の為に毎日手入れを欠かさない。

だから持ち主たちはどんな大雨でも濡れ鼠になることはないし、柄物の傘は鮮やかに開いてどんよりとした持ち主の気分を明るくする。

ただ、機嫌を損ねてしまうと彼らは傘からいなくなってしまう。傘に穴が空いたり、骨組みが曲がったり折れるのはそのせいなの。

いなくなったはずの小人たちは、コウモリの翼の下に隠れていたり、森の動物たちの共同傘となっている大きな樹に居候してたりするんだって。

そこでじっと新しい傘が生まれるのを待っているんだよ。

 

私が中学生の時、ぜったいあの傘小人が住んでる!っていうような傘を持っている人がいたんだけどね。

これはその話。

傘の小人がいるかどうか信じるのはあなた次第。

 

その子とは、中学生の三年間同じクラスだった。どこにでもいる男子生徒。

入学式の日が丁度雨で、その傘を借りたのが付き合いのきっかけだった。

恋人とかそういう付き合いじゃないんだからね!そういうことになったら、「あの子」に呪われちゃう。

 

その傘はね。

向日葵の絵がワンポイントで入っている、男の子が使うにはちょっとだけ可愛らしい折り畳み式の傘。

 

後で聞いたら、お母さんの趣味なんだって。少女めいたファンシーなイラストよりはセーフだけど、それでもやっぱり恥ずかしいみたい。

 

その傘を返したら、彼はすぐに後ろのロッカーへそそくさと仕舞いこんでた。

家に持ち帰って使わなければいいのにとも思ったけど、そうしないのは嫌いじゃないから。

でもね。

結局私は彼と三年間ずっと同じクラスだったから知っているんだけど…

彼、本当にその傘を自分では使わないのよね。かといってその傘が使われないかと言えばそうでもないの。

私の時みたいに他の子には貸すから、ちゃんと使われているのよ。

せっかくいい傘なんだから、使わないと勿体ないよって言ったこともあるなぁ。

それでも彼は頑なに使おうとはしなかったんだけど。

 

 

一ヶ月に一度使われるかどうかの折り畳み傘だったんだけど、結局その三年間で一度も壊れたり修理に出すことなく、使おうとしない彼のところにあったんだ。

 

中学卒業後、彼と会ったのは本当に偶然だった。

高校二年生の初夏、もうすぐ梅雨に入るかなっていうようなときだった。ショッピングセンターで本を見ていたら後ろから声がかかったの。

以前より声も低くなっていて、もう男の子って言うのも失礼な気もしたよ。

 

彼は私に相談があるって言ったの。

ファミレスで甘いものを奢ってもらいながら話を聞いたよ。あれはおいしかった。

 

彼は言うんだ。

高校生になって彼女ができた。でもいつも長続きしない。

別れた彼女たちは揃っておんなじことを言う。

「傘のおばけがこわい」

 

私はその一言で気付いた。

あの子か。って。

 

お前、何か知っているんだろ?

 

私はそこで初めてお祖父ちゃんの「傘の小人」の話をした。この話を他の人にしたのは初めてだったよ。

 

そんなのいるわけないだろ。

かもね。

じゃあ、なんで今その話をするんだよ。

君のあの傘、絶対いると思うよ?傘の小人。

いるはずないんだろ?

いるんだよ。君のには。

見たのかよ?

見てない。

じゃあ信じられねえよ。

証拠、あるよ?

…マジで?

まじで。残ってはないけどね。

どういうことだよ、それ。

中学の入学式の日、あの傘貸してくれたでしょ?

そう…だったっけか?

うん。君、貸してくれた。

でも、お前以外にも貸してるぞ?他の時。

あの日さー。帰り道で思いっきり車に水ぶっかけられたんだよねー。

…あの日って集中豪雨じゃなかったか?

そうそう!

俺は親の車に乗せてってもらったけど、お前は新品の制服をダメにしてたのか。

そんな哀れむような目で見ないで!それにダメにしてない!

ぶっかけられたんだろ?

ぶっかけられた。

 

思わず二人して「ぶっかけられた」というところだけ声が少し大きくなった。こういうノリは楽しい。ただ、他のお客さんからの視線が少しだけ痛かった気がする。気のせいか。

 

ぶっかけられたけど、無事だった。

いや、無理だろ。ほんとヤバイ雨だったぞ?

無事だった。てか、靴すら濡れずに帰れた。

カッパ…

着てない。

誰かを犠牲に…

してない。

どういうことだよ。

だから小人なんだって。傘の。

小人がいると無事なのか?

傘の小人が住んでる傘を使うと、絶対に濡れないってお祖父ちゃん言ってた。

だからあの傘に小人が住んでるって言い張ったのか。

それ以外濡れずに帰れた理由がわかんない。

 

実際は見ていないけれど、彼の持つあの折り畳み傘には小人が住んでいると私は確信していた。

ここまでは彼も納得してくれた。

さて、問題の「彼女喪失(笑)事件」なんだけど。

私はその小人が女の子たちにいたずらを仕掛けているとしか思えなかった。しかも嫉妬心からの。

これは女の勘だ。

 

傘の小人が住んでるとして、それと俺の彼女が逃げるのに何か関係あるのかよ?

こっからは私の想像なんですがね。

ほうほう。

その小人が彼女に嫉妬してる。

しっと?

嫉妬。

なんで?

君、あの傘かなり気に入ってるでしょ。

う…それがなんだよ。

多分小人も君のことかなり気に入ってる。

理由。

あれだけ使わない傘なのに小人が住んでる。小人がいなくなるとね、傘は壊れるんだよ?

実はさ…あの傘去年壊れ

てないよね?鞄からはみ出てる。

ちっ

舌打ち聞こえてますぅ~

単に住みやすいとかじゃないのかよ

折り畳み式って住みやすいかな

1DK?

恐らく1K。しかも風呂なし。

せま

でも住んでる。

あれだけ使わないとさ、私だったらひねくれるんだけど。

…俺のこと気に入ってるからそこは許すと?

いえす。

 

そして私は長年(といっても3年位)不思議に思っていたことを彼に聞いてみる。

 

なんで使わないの?

 

彼は黙る。

 

なんでかなー?

 

無言。

 

雨の日は普通に他の傘使ってたよねー?

 

無言。

 

本命は大事に大事にしたいんでちゅよねー?

 

お前、うっさい!ああそうだよ。あの傘が大好きだよ!母さんから誕生日に買ってもらった初めての個人傘だ!向日葵とか最高じゃないか!

 

のろけた。

 

じゃあ、なぜに使わないさ?

壊れるかもしれないと思うとびびっちまうんだよ!

 

そんな理由か。

なんだよ、こいつらリア充だったか。とか思いながら追加で注文したメロンソーダを啜る。しゅわしゅわ、うまい。

横目で彼の鞄に入っている件の傘を見ると、心なしか喜んでいるように見えた。

 

じゃあ、使いなよ。

壊れたらお前責任とれな。

いや、とらんし。しかも壊れんし。

 

傘の上で小人が胸を張る気配がした気がする。

 

小人が住んでる限り、その傘は壊れないんだってさ。いっぱい使ってあげなよ。

え…そうなのか?それなら…

というか、その傘通してそこにいる小人見てあげなよね。

あー、小人なー。

 

私たちには見えないけど、傘の上でその小人が「そうだそうだ!」と手を大きく振っている気がする。

 

だって3年以上側にいて、気に入ってる子がいるのに見てくれないんじゃ嫉妬もするよー。

自分がいるのにその女はなんだ?!って怒ったりもするよー。

うう

しかも好きなその子も自分のことが好きなんだってわかったらアピールも激しくなるよー。

ううう

 

ほれほれ。もう諦めちまいな。とつつく。

 

その日はそれでお開き。

あとはもう彼自身がどうにかするしかないよね。

 

後日、私の携帯にメールが来てね。彼女とは全部縁を切ったって。

 

これでいいんだろ?

いいんじゃない?

 

少し恥ずかしそうに笑ってあの折り畳み傘をさした彼の写真が一緒に送られて来た。

肩には満足そうに笑う小さな傘の小人の姿がはっきりと写っていた。

 

あーあ。小人(こびと)が恋人(こいびと)になっちゃったよ。

ははっ、と笑って私は彼に返事を送るのだ。

 

おめでと。君の肩にこびとが見えるよ。せいぜい相合い傘を楽しみな。リア充どもよ。

マジか?!

 

置き傘だったあの傘に住んでいる小人は、4年以上の片想いを経て、なんと。持ち主である彼の恋人へと昇進したのである。

 

なんと素敵なお話なのでしょう!

 

………

 

ここだけの話なんだけど。

ほんとのほんとに内緒だよ。

私、本当は彼のことが好きだったの。

あの入学式の雨の日に初めて話して、笑ってあの置き傘を差し出した彼に私は一目惚れをした。

 

でもね。

借りた傘は小人が住んでいるくらい素敵な傘で、彼に丁寧に扱われていた。

お姫様を扱うみたいにね。

だからなにも言わなかったし、これからだって言うつもりはないの。

 

今でも私と彼はいい「友人」を続けてる。

そこには小さな傘の小人がいつも寄り添ってる。

 

ねえ、傘のこびとさん。

私、あなたなら心から祝福できるわ。

私の分まで彼と幸せになってよね。

あなたは彼の「傘のこいびと」なんだから。

 

彼のもつあの傘とは別の、私だけの特別な傘をさして今日はここへやって来たわ。

ほら、みんな。とっても素敵な傘でしょう?

桜の花びらが散りばめられたこの傘は、「傘の小人」の話を聞かせてくれたお祖父ちゃんも使っていた古い古い傘。

 

1度だって壊れたことのない特別な傘。

 

うん。

きっとこの傘にも小人が住んでいるの。

 

ずっと一緒だったこの傘の小人だったらね。

私の気持ちも解ってくれる気がしたんだ。

たったひとりで消えていなくなるのは辛いよ。寂しくて、淋しくて、冷たくて、寒くて、悲しい。

 

だから、私この傘を一緒に連れていくことにしたんだ。

この傘だったら、きっとどんな冷たい雨だって私を守ってくれるはずだから。

 

ねえ、そうでしょ?

私の「傘のこいびと」さん?

 

足下の水溜まりには、傘をさして笑う私。そして、傘を持つ手に手を重ねて穏やかに笑う小さな青年の姿がはっきりと写っていた。




『置き傘のこびと』

傘には小人が住んでるの

気になるあの人が持ってるあの傘は
すごくすごく大事にされて
きっとそうよ
住んでる小人が恋してる
主人に恋して、雨さえはじいて、
可憐に華麗に開いてる

そんな傘を相手になんて勝ち目ない
私は初恋の傘を閉じた

この傘にはこびとの恋人が住んでるの


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出席番号13番「Hello my dear.」①

みんな、聞いて。
私、好きな人がいるんだ。
その人はね。私の隣に住んでいるの。


その人を初めて見たのは、大学を卒業する少し前。就職先もなんとか決まって、春からは一人暮らしをしようと部屋探しをしていた時だった。

実家からは少し離れた職場。不安ではあったけど、お父さんにもお母さんにも相談して、ここら辺がいいんじゃない? っていう地域をうろうろしてた。

やっとのことで見つけたのは小さなアパート。不動産の人に話を聞いて、とりあえず見てみます? ということになったから、その足で見学に行ったの。管理人さんに挨拶して、空き部屋になっている二階へ一緒に上がっていった。カンカンカン、と靴が階段の板を踏む音が新鮮だった。

私の実家は一階建ての平屋だから、二階建てってだけでどきどきするもんなんだよ。でもね。それとは別のどきどきがその時二階からやって来たの。それが彼だった。

狭い幅の階段だから、どっちかが隅に寄らないとすれ違えないんだよね。だから彼、私たちを見たとたんに、げって顔をしたの。わかりやすい。そんな顔をしときながら隅に寄って、お先にどうぞって言ってくれたの。ちょっと笑っちゃった。私は、ありがとございますって会釈をしながら早足で上っていったんだ。上がりきったところで後ろを見てみると、下に降りていく彼の頭がちらりと見えた。

なんとなく、私たちとは逆方向に向かう音が聞こえなくなるのが気になった。

 

初見はこんな感じ。

悪くは、ないでしょ?

 

見学をし終わった私はすぐに契約しようと決めた。別に彼がいるからって理由じゃないわよ。違うって。

そのアパートは二部屋にダイニングキッチン、お風呂にトイレ付き。新社会人としては十分な物件でしょ。……ほんとはそこしか空いてなかったのよ。他人と同じ屋根の下で暮らすなんてそれまで考えたこともなかったし、契約は早い方がいいと思ったの。

 

そんなわけで、私はそのアパートで一人暮らしを始めることになったんだ。

 

 

 

桜の花びらが舞う、春先のことだった。

 

 

 

 

私の隣の部屋に住んでいる人はね。

年が私のいっこ上の人なの。身長は私より頭一個分高いくらい。でも、彼はいつも厚底のブーツを履いているから、多分もう少し低いかな。髪は少し明るい焦げ茶色。いつも眉間に皺を寄せて、目付きが悪い。でも、本当は初めて見たときみたいに機嫌がわかりやすい。何かいいことあったんだな、ってときは、口元をゆるめて語尾が伸び気味になるんだ。本人は気づいているのかな?

 

そんな彼には同居人がいる。

年が彼のいっこ下。つまり、私と同じ年の女の子。彼と一緒にいるとこは見たことないけど、彼女から聞く限りでは仲がいいみたい。身長は私と同じくらい。髪は焦げ茶色のショートで、大体会うときは明るくて柔らかい色のニットの帽子を被っている。ロングのワンピースがお気に入りで、甘いものと猫が好き。よく笑う子で、彼がいないときはよく二人でお菓子を作るんだ。

彼女は、彼の妹だった。

 

生活リズムが違うんだって言ってたのはどっちだっただろう。

 

 

 

私の名前は五花。五つの花って書いて、いつかって読む。

桜が咲いて、散る頃になると毎年実家のある懐かしくて優しい故郷を思い出す。桜の名前を持つ町。桜ヶ原。もう就職して数年が経つけれど。仕事が忙しくてなかなか帰れない。

寂しいな。淋しいな。同級生に、会いたいな。お父さんとお母さんと三人でごはんをゆっくり食べたいな。

不意に、そんな風な気持ちが胸を過る時がある。仕事で失敗したとき。同僚が退職するとき。嫌なことがあったとき。ほんの些細なことだけど、なぜかあの町にかえりたくなる時がある。

そんなとき、私を癒してくれたのがその隣人たちだった。

 

お兄さんの方が十夜さん。十の夜って書いてとおや。

妹さんの方が十花ちゃん。十の花って書いてとおか。

 

私たち、名前が似ているねって笑い合ったのは、大学を卒業して新居であるその部屋に引っ越しをして間もない頃だった。引っ越しの挨拶をしに隣の部屋のチャイムを鳴らした時、顔を会わせたのが妹さんだった。

 

たったの四部屋しかない小さなアパート。その内一部屋は管理人さんが使ってる。一階のもう一部屋はお婆ちゃんが住んでて、時々お孫さんが様子を見に来てた。

年の近い私たちが親しくなるのは当然の流れだったのかもしれない。三人が揃うことはなかったけれど、二人でいる時間は長かったと思う。

朝、私が出勤するとき、大体同じ時間に出勤する十夜さんがそっけなくおはようって挨拶をしてくれるの。

夜、私が帰宅すると、電気がついたのを確認して十花ちゃんが夕飯のお裾分けを持っておかえりって笑ってくれるの。

冷えた心もあったまっていったよ。

まるで、兄妹ができたみたい。

 

十花ちゃんはね。ほんとにいい子だと思うよ。いつも、お兄ちゃんはね、お兄ちゃんねって、私に十夜さんのことを教えてくれるの。

はじめはちょっと、ううん、かなり、かな。兄妹ってこんなだっけ、って思ったんだ。同級生にも兄弟とか姉妹っていう人はいたけど、こんなに露骨に好きって言ってたっけ、って。いつも、大好きなお兄ちゃんがね、大好きなお兄ちゃんはねって言ってるの。

それで、気づいたんだ。

十花ちゃんが言ってる「好き」は「Like」を通り越して「Love」の方なんだな、って。

 

十夜さんの方は何も言っていなかったから、私もその事については何も言わなかった。言えないよね。

そんな十花ちゃんのこと、十夜さんは嫌ってるようには見えなかった。挨拶のついでか、「いつも妹が世話になってるな」って珍しく笑ってくれるのはドキリとしたよ。……胸がドキドキしてたのは彼の笑顔が素敵だったからなんだけど。

 

そんな兄妹との、ありきたりな隣人関係だったと思うんだ。

 

ほら、普通でしょ?

 

今、思うとね。十花ちゃんの気持ちにちゃんと気づいてこたえてあげれたら、また、結末は違ったものになったのかな。なんて、思ったりもするんだ。

 

いつから十花ちゃんがああいう風に言うようになったんだろう。「お兄ちゃん大好き」に「五花ちゃんも大好き」が増えていったの。

いつだったか、「五花ちゃん、あたしのお姉ちゃんになって」って十花ちゃんの口から飛び出した時は驚きが隠せなかった。彼女の兄姉は「Love」の対照だったんだもの。でも、もっと驚いたことがあるんだ。

私、その気持ちを気持ち悪いとか嫌だとは思わなかったの。

 

 

 

ねえ、みんな。私、おかしいかな?

 

 

 

私、その気持ちにちゃんと答えてあげれなかった。でも、拒否することもないで受け入れちゃったんだ。

 

 

 

ねえ、みんな。聞いて。

私、好きな人がいるの。

 

 

 

これはね。

ちょっとだけ変わった恋の話なんだ。きっと、みんなのする恋と違うのはほんのちょびっと。

どこかだけが違う、私だけの恋の話なんだ。




桜の花が舞い散る景色の中で、私は同級生たちへととっておきの話を披露する。
薄桃色の絨毯を敷き詰めて、その上に座っている懐かしい私の仲間たち。みんな、みんな、とても懐かしくて変わっていない。

だから、私は話すことができる。
この、ちょっとだけ変わった恋の話を。

頭上から、ひらりひらりと桜の花が降り注いでいた。
私の声以外、辺りに響く音はなかった。


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出席番号13番「Hello my dear.」②

ねえ、みんな。聞いて。私の部屋の隣に住んでいる人はね。


私は朝が強い。毎朝ゆっくり朝食を食べて、仕事のある日はお弁当も作って、通勤ラッシュに巻き込まれないように余裕に余裕を重ねた時間に部屋を出る。

そんな私と真逆なのが隣の住人なの。十夜さんは花屋に勤めていて、私より朝が早いはず。なのにね。いつもどこかしらに寝癖をつけて、私と同じ時間に部屋を出てくる寝坊助さんなの。ふふふっ。笑いながら「時間、大丈夫ですか」って聞いたとき「なんとかギリギリセーフ」って彼が答えるのが、一日の始まりだった気がする。おかしいよね。

後で聞くとね。私が部屋を出て来る時間に間に合えば、始業時間にギリギリ間に合うんだって。私、十夜さんの目覚まし時計じゃないですって言ったらね。その日の夜に、お兄ちゃんからだよって十花ちゃんが大きな花束を私にくれたの。「いつもありがとう」って書かれたカードが一緒に添えられていた。この兄妹は本当に私を笑顔にするのが上手だった。

本当に嬉しくてね。この時の花束は今でも私の部屋にのこってるんだ。ドライフラワーにしてね、長く長くその時の思い出と一緒にいたいと思ったんだ。

 

十夜さんとすれ違うときはね。いつだってふわりと花の香りがしているの。本人は気づいていないのかもしれない。

例えばユリの花。

例えば菊の花。

例えばカーネーションの花。

例えば蘭の花。

少し強めの香りを放つ花たちが、十夜さんの周りを漂っているみたい。十夜さんとただの隣人で友人だった頃は、それが何の花かわからなかったけど。

 

 

 

 

十夜さんとの関係が変わったのは、今から数年前。そのアパートに引っ越ししてから五年近くが経とうとしていた。

 

その日は雨が降っていた。

一階に住むお婆さんが亡くなった。私もよくしてもらっていたから、夜、お線香をあげに十夜さんとその部屋にあがらせてもらったの。お線香のあの独特な匂いに混じって親しい香りが鼻を掠めた。

十夜さんの、花の香りだった。

 

ちょっと。どんだけ嗅覚がいいとか言わないでよ。確かに彼の匂いは好きだったよ。でも、そうじゃないの!

 

その花の香りは、亡くなったお婆さんの棺に敷き詰められていたの。もう冷たく硬くなってしまったお婆さんの体を、真っ白な花たちは箱の中で飾っていた。そこからふわりと漂う香りは、毎朝十夜さんとすれ違う時に香るものとおんなじもの。

お婆さんの部屋から出て、二人で階段を上がっていた時だった。

「十花ちゃんは? 」

カンカン音がする階段の途中で私は十夜さんに声をかけた。彼は振り向かないで、一言こう言った。

「……今は、いない」

私は何も聞かないで階段を上がっていった。

 

階段を上がりきって、すぐに部屋の扉に着いた。じゃあ、って言って互いに隣の扉に手をかけようとした時、十夜さんから信じられない言葉が飛び出した。

 

「寄っていくか? 」

 

驚いた私は、何も言わずに彼の方を見た。彼はこっちを見てはいなかったけど。

 

「いいんですか? 」

 

私は彼に答えた。

 

その時の彼が何を思っていたのかわからない。

でもね。

私はこう思っていたんだ。

 

きっと、知らないことがあるんだ。

ってね。

 

いい機会だったんじゃないかな。私は彼のことを知らなかったし、彼も私のことを知らなかった。

ただの、隣人だったんだ。

その夜、私たちはたくさんのことを話した。変な想像しないでよ? 本当に、たくさんのこと。

私は私のことを。今までのこと、今思うこと、桜ヶ原のこと、これからのこと。

彼は彼のことを。今までのこと、仕事のこと。十花ちゃんのこと。それと、今思うこと。

 

みんな、聞いて。

私、好きな人ができたの。

 

その人はね。花屋に勤めているの。

花が大好きな、優しくて不器用な人。

 

十夜さんが勤めている花屋さんは病院の近くにある。それに、墓地と火葬場も近くにある、変わった場所にあるんだって。丁度、その三つを結んだ三角形の中心に花屋があるんだって。だから、よくそういう用途の花の注文が入るんだって。配達になると、頻繁に病院だけ、火葬場だけに通うことになるから担当が決まってた方がいいだろうっていうことで、十夜さんは火葬場への配達が担当になったらしい。

誰も進んで担当になろうとしなかった火葬場への配達。なんで引き受けたんですか? 私は彼に聞いた。彼は苦笑しながらこう言った。

「俺、霊感があるんだ」

たまに、そういうのが見えるんだよ。

十夜さんは続けた。

病院だと死ぬ間際の苦しい顔でこっちを見てくるんだ。墓地だと異様に数が多い。火葬場だとさ。最期の別れをしている親族に対して色んな表情をしている人の霊が見えるんだ。

泣いてたり、笑ってたり、困っていたり、それこそ様々。

そんなとこに花を持っていくとさ。大体みんな、穏やかな表情になるんだ。花ってさ、すごいよな。死んだ人まで癒してくれる。

 

私は黙って聞いていた。

十夜さんから香る花たちは献花でよく使われる花たちだって、その時に気づいたんだ。

亡くなったお婆さんの棺に敷き詰められていた白い花たち。バラ、カーネーション、キク、ユリ、どれも十夜さんから香ったことのある花たちだった。

そして、今もどこかの部屋からか香りが漂っていた。近くに、花がある。

 

十夜さんは言った。

 

「俺、花が好きなんだ」

 

まっすぐに、私を見て言った。

 

私の好きになった彼はね。花が好きなんだ。

それは五花なのか、十花なのか、それとも、両方なのか。はっきりと彼は言わなかったけれど。

 

 

 

この日の夜、花は落ちた。

恋という、夜に落ちていった。

 

 

 

その日を境に、私は十夜さんの部屋に頻繁に出入りするようになった。元々、十花ちゃんを私の方の部屋に招くこともあったんだけど、十夜さんに会うために私の方が彼の部屋に行くことが増えたんだ。といってもね。隣の部屋だからあんまり関係ないかもしれないけど、ここは気持ちの違いだよ。

私が彼の部屋に行くっていうことに意味があるんだ。

私の使う時間は誰かの為のものになった。私自身に、十夜さんに、十花ちゃんに。朝起きて眠るまでの時間は誰かの為に割かれているの。だから浮気なんてしちゃダメなんだよ。せっかくの誰かの為の時間に他の人を浮かべるなんて、もったいないよ。時間は有限だって、有名な人が言っていたでしょう。生きている人の時間には限りがあるんだよ。その貴重な時間を割くんだもん。誰の為にも、自分の為にさえならない時間は要らないんじゃないかって、私は思うんだ。誰かの為の時間に違う人が浮かんでいたら、それはもう誰かの為だけの時間じゃない。

だから、私は浮気は絶対にしないし許さない。付き合うことになった日に十夜さんにも言ってある。彼は厳しいなって笑って、自分もしないと誓ってくれた。

 

ほら、純粋な男女の恋愛話って思うでしょ? 違うんだな、それが。

 

私も十夜さんも浮気はしないよ。

だから、あの話をしっかりしたの。

 

十花ちゃんとのこと。

 

十夜さんの妹である十花ちゃんは、お兄さんである十夜さんのことが好き。それは彼女からは言われてないけど、きっと異性として好きということ。

そうだよね?

そうだよ。

私たちは二人で確かめあった。

もし私の思い違いだったらって気持ちもあったけれど、十夜さんも同じ気持ちだった。認識の違いは後でとんでもないスレ違いを招くんだって、恋愛の先輩が言ってたよ。些細なことでも言葉にしなきゃ、他人には通じないんだってさ。通じ合いたい相手なら、尚更丁寧に伝えないと勘違いしちゃうかもしれない。

だから、十夜さんに確認したの。

 

まあ、結局それも後日十花ちゃんにバレて、「五花お姉ちゃん、ひどい! あたしの純粋な気持ち、疑ってたの?!」って怒られたんだけど。十夜さんの方も同じ様に怒られたんだって。

私が思うに、十花ちゃんも十花ちゃんでちゃんと言ってくれてなかったと思うんだ。大好き! 大好き! って言いながら、その「好き」の意味を伝えてくれなかった。彼女は拒絶されるのが怖くて、妹として、友人として好きっていう言葉に本当の自分の「好き」を隠してたんだ。

ほんと、変なとこでそっくりだよね。十夜さんと十花ちゃん。そんなこと言うと、私も人のこと言えないだろって言われちゃうんだけどさ。

それでもね。私たちは三人仲良くまぁるく納まったんだよ。

好奇心とか浮気とか、そんな言葉で否定しないで。私たちの気持ちはまっすぐ二人に向いている。真剣に、向き合っているんだよ。

 

 

 

だからね。みんな、聞いて。

私、好きな人たちができたんだ。

その人たちは隣の部屋に住んでる人たち。

 

十夜さんはいっこ年上の花屋に勤めてるお兄さん。

十花ちゃんは同い年の花の香りがするお嬢さん。

 

私たちは、3人で付き合い始めました。

よろしくね。私の素敵なダーリンとベイビー。



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出席番号13番「Hello my dear.」③

私の朝は食パンとともに始まる。

寝坊助な愛しの彼の為に、毎朝挟む具を変えて朝食のホットサンドを作る。食パンの耳を切り落として、前日の夜に決めておいた具をパタパタ挟む。トーストするのは家を出るギリギリで。

少しでも温かい朝食を食べてもらいたいから、彼ほどではないけど苦手な朝だって頑張って起きるよ。

切り落とした耳はまとめて冷凍庫へ。量がたまったらおやつのラスクに早変わり。仕上げに砂糖と、愛しの彼女が好きなシナモンパウダーをさらりとかけて、私たちだけの女子会に一役買ってくれるの。

 

毎週金曜日の夜は彼女との逢瀬の時間。私は甘いお菓子を、彼女はそれに合う飲み物を用意するの。机の上に並べて、たくさんおしゃべりする。眠くなってきた頃に、私のベッドで二人で眠る。彼女から香る花の匂いは、疲れた心も体も癒してくれる。アロマセラピーってやつ?

ひんやり冷たい彼女は、いつだって私の手に指を絡めて眠った。互いに名前を呼びあって、笑ってこう言うんだ。

「あたしたち、幸せだね」

「私なんて、幸せすぎて涙出ちゃうよ」

私よりも小さい彼女の体は、シーツと私の腕で包んだだけで見えなくなってしまった。

 

毎週土曜日の夜は彼との逢瀬の時間。

この日だけは外に足を伸ばして外食をする。仕事終わりに待ち合わせをして、二人だけで食事をして、軽いお土産を買って帰ってくる。割り勘で、しかもファミレスとかラーメン屋とか、ショッピングセンターのフードコートとか、そういう所でのデートだったけどすごく楽しかった。

お土産はいつだって、十花ちゃんへの花だった。花のデザインの雑貨だとか、本物の生花だとか、私も一緒になって選んだ。彼はね。いつだって幸せそうに笑って、これはこういう花なんだって優しい声で私に教えてくれるの。

家に帰るとね。いや、家っていっても同じアパートで隣の部屋なんだけどさ。

その、あの、ね、ほら、男女の恋人ってことで、こう、えっちなこともしたいなー、なんて、思っちゃったりもするんでありまして。えーと、二人で、お風呂、入ります。でも! でも! いかがわしいことはしてないから! ほらそこ! ニヤニヤしない! ちゃんと隠してるから! 入浴剤入れてるから! 隠れてるから!

あー! もー! 言わなきゃよかった!こんなの同級生にする話じゃないよね!?

 

でもね。こんな私でも、ちゃんと男女のお付き合いはしてたんだよ。もちろん女同士のも。

手も繋いだし、キスもしたし、結婚のことも考えてた。二人の部屋を行ったり来たりだったけど、私たち三人は結婚を前提に「同居」してたつもりなんだ。

 

春が過ぎて、夏が過ぎて、秋も過ぎて、冬も過ぎて。すごく、すごく幸せな時間はあっという間に過ぎていった。

ずっと、このまま三人でいられるんだと思っていた。

 

 

 

亡くなったお婆さんの部屋に新しい人が入ったのは、私たちが三人になってから二年くらいが経っていた。

 

 

 

私と、十夜さんと、十花ちゃんには暗黙の了解みたいなものがあった。それは自然とそうなったもの。

 

一つ。三人が揃って会うことはない。これは私が引っ越してきてからずっと変わらないことだった。なぜか、これを不思議に思うことはなかったけど、望まないということではなかった。

ただなんとなく、三人が揃ってしまえばこの関係も終わってしまう気がしたの。

 

一つ。浮気をしない。するはずないけど、一応ね。

 

一つ。体の関係を持たない。つまり、性行為をしないということ。十夜さんと十花ちゃんは兄妹だから、もし赤ちゃんができても産めない。

十花ちゃんは言った。確かにお兄ちゃんは好きだけど、そういうことをしたいわけじゃないって。男の人と女の人がそういうことをすると、赤ちゃん、できちゃうでしょ? あたし、赤ちゃんいらない。ずっと、ずっと、三人のままがいい。四人目も五人目もいらない。あたしたちだけがいい。そう言ったの。十花ちゃんは絶対に性行為をしない。だから、私も十夜さんもしないんだ。私も、三人のままがよかったから。それは十夜さんも同じだった。

私たちの同居生活は、常に最低布一枚分は距離をおくものだった。私と十花ちゃんが同じベッドで眠るときはパジャマを着て、私と十夜さんが一緒にお風呂に入るときは水着を着て。

 

なんでそんな面倒なことをするのかって?

それが私たちの間の約束事だったからだよ。

 

なにかしらルールを作って守らないと、「同居」生活はうまくいかないの。例えば家事の役割分担、生活時間、門限、ペットの管理、ネットの利用時間と制限。ほら。誰かと住むと、こんなにも自然に決まってくるルールがある。どれも簡単なものでしょ? 私たち三人にとっての守らなきゃいけないルールがその三つだったってだけ。三人で暮らすために決めた、守らなきゃいけないルールがその三つなの。

 

 

 

私たちは「三人で同居」していたの。

「三人で」していたかったの。

三人でいたかったの。

 

 

 

だから当然、その空間の中に他人を入れることなんてしなかった。家族とか大家さん、管理人さん、業者の人は別にしてもね。もちろん、友人や同僚は外で会った。

 

でも、ある日。そんな私たちの近くに、空気の読めない土足で踏み込んでくる大馬鹿者がやって来たの。

下の階に女性が引っ越して来たようだった。




次回、クソキモババア来襲の回(笑)


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出席番号13番「Hello my dear.」④

こっち来んな。こっち見んな。キモババア。


その人への第一印象はキレイな女性。キレイに装った女だと思った。

 

その人は引っ越し挨拶の時、厚い化粧をした顔を笑顔の形に歪めて

「よろしくね」

と言った。年齢はわからなかった。わからないように化粧や服装で隠していた。そして、扉を閉じた後に

「ちっ。クソガキかよ」

という小さい呟きが聞こえた。そこにはまだ高級そうな香水の香りが漂っていた。

彼女は私が嫌いな類いの人だった。

 

朝、一階の廊下ですれ違っても挨拶の一言もない。狭い廊下なのに堂々と真ん中を我が物顔で歩いて、少しでも体が触れると

「ちょっと、狭いんだから退いてくれるぅ?」

なんて大声で怒鳴ってくる。

私が夜に職場から帰って来たとき、アパートの近くの駐車場で派手な服を着て電話をしているのを何度も見た。甲高い声で話す彼女の車は、そこにはなかったと思う。

ごみ出しの日なんて最悪だった。彼女は、分別なんて全くされていない袋を回収場所に放置するの。一度注意したことがあるんだけど、

「今日は燃えないごみの日ですよ」

「そんなの知ってるわよ。頭悪いわね」

っていう会話をしただけだった。もちろん、その後もごみの出し方は変わらない。あげくの果てに、回収日以外でもごみを出すようになった。

とうとう管理人さんから注意が入ったみたいだった。やっとまともになる。そう思ってた。でも、更に質が悪くなっただけだった。ごみ袋に名前を書いてから回収所に置くんだけど、彼女はね、私の名前を勝手に書いて置くようになったの。部屋の名札を見て書いたんだろうね、持っていってもらえないで残ったごみにはいつでも私の名前が書かれているようになった。それはすごく恥ずかしい。

 

管理人さんに相談した。もう、何年もお世話になっている管理人さん。呼び鈴を鳴らしてお邪魔すると、年配のお爺さんである管理人さんはソファに座るように促し、私の目の前に温かいお茶を用意してくれた。

まずは落ち着こう。私たちはお茶を啜った。

話し出したのは管理人さんの方からだった。

「彼女には本当に手を焼いています」

管理人さんは溜め息混じりに彼女について語り始めた。私としては彼女のことはどうでもよかった。でも、管理人さんが迷惑しているのはよろしくなかった。

私は一通り愚痴を聞くと、私の方はこうなんです、と報告だけしておいた。

 

もうそのときには、彼女のことは少し我慢すればいいかななんて思うようになっていた。私なんかより管理人さんの方がもっと迷惑していたんだ。それでも追い出せないのは、知り合いの人から頭を下げられてまでお願いされたからなんだって。ここが最後の居場所だからって。

 

管理人さんは言った。貴女が悪くないのはよく解っている、と。毎朝ちゃんと挨拶をして、ごみの日も出し方もしっかり守って、家賃も滞納しない。自分がぎっくり腰になった時には、彼と一緒に世話をしてくれた。隣の部屋のお婆さんが亡くなった時にはお線香をあげてくれた。本当に貴女と、二階の彼はいいこだよ。そんな風に言って、管理人さんは笑った。

ああ、管理人さん。私、貴方の白髪が禿げてしまわないか心配になっちゃう。そんなことを考えながら、私はその部屋を後にした。

管理人さんは私たちのことをしっかり見てくれていた。そのことが嬉しかった。きっと、私と十夜さんが付き合っていることも気づいているんだろう。それでも管理人さんは何も言わない。無理に踏み込んで来ないで一定の距離を保ってくれる、その優しさが嬉しかった。

 

私は、本当にこのアパートへ引っ越してよかった。十夜さんにも、管理人さんにも、それに十花ちゃんとも出逢えた。

 

だけど、あの女だけは好きになれない。ううん。好きになる必要なんてないよね。

私はあの女、大嫌い。あんな人、それまで生きてきて見たことない。できれば死ぬまで見たくなかった。でも、運悪く出会ってしまった。それも「隣人」として。

 

管理人さんの部屋を出て、その隣のあの女が住んでいる部屋の前を早足で静かに通り過ぎた。聞きたくもない音が扉の向こうから漏れていた。

 

もう! ほんと最悪!

 

階段を駆け上がって、自分の部屋に飛び込んだ。バタンとわざと音を立てて扉を閉めた。

無性に恋人に会いたくなった。

十夜さんに、十花ちゃんに会いたい。

 

 

 

明日は金曜日だ。

逢瀬の夜がやってくる。

 

 

 

いつものように、金曜日がやってきた。

 

朝、早起きをして十夜さんの朝食を作る。一緒に作った自分の分の朝食を食べて、部屋を出るギリギリのタイミングで包む。それを、すぐに取り出せるように鞄の一番上に乗せる。部屋を出て鍵を閉めると、大体同じくらいに隣の部屋から十夜さんが眠そうな顔で出てくる。

いつもだったらそうなんだ。いつもだったら。

でも、その日は違った。

 

その日は下の階から声がしたんで、そぅっと階段を下りずに様子を伺ったんだ。そしたら、あいつがいた。しかも、よりによって私たちの十夜さんと一緒にいるんだよ?! 信じられない!!

あの女は十夜さんの腕にがっしりと抱きついて、朝から着るとは思えないやたらと胸元が開いたワンピース姿で大きな胸を見せつけていた。更には見せつけるだけではなく、自分からぐいぐいと押し付けているくせに

「やぁん、えっちね」

なんて気持ち悪い声で恥じらう振りをしていた。そして、当の本人である十夜さんはというと、顔を歪めて一言こう言った。

「……やめろ」

彼は物凄く嫌な顔をしていた。見たことのない、私には絶対にすることのない表情だった。

多分、二階から見ていた私も同じような表情をしていた。

彼も、私も、あの女を嫌がっていた。

 

その晩、私と十花ちゃんは緊急会議を開いた。と言っても、いつもの女子会なんだけど。題材はもちろん、あの女のこと。

十花ちゃんはレモンパイをつつきながら一言こう言った。

「あのクソババア、許さない」

その顔は今朝の十夜さんとそっくりだった。さすが兄妹だね。私は十花ちゃんがあの女のことをババアと言ったことには追求しなかった。

「ほらそこ。女の子がクソなんて言わない」

「じゃあなんて言えばいいの?」

「キモ」

「合わせて?」

「「キモババア」」

バカな話だった。でも、笑顔でいることが大切なんだよ。どんなに嫌なことがあっても、好きな人と笑えれば全部吹き飛んじゃう。

もちろん、この日もたくさん笑った。

 

結局、あの女には何を言ってもだめ。できる限り関わらないようにしようということで落ち着いた。

十夜さんには明日、話してみるよ。

そう言って、私たちはベッドに潜り込んだ。

抱き締めた十花ちゃんからは、今日も花のいい匂いがしていた。

 

まさか次の日、あの女がとんでもないことをやらかして私たちの逆鱗に触れるなんて。誰も思っていなかった。

 

 

 

明日は土曜日。

夜は愛しの人との逢瀬の時間。

誰も邪魔しないで。もうひとつの愛しの花以外、私たちの間に入ってこないで。

 

 

 

いつものように、土曜日がやってきた。

 

今までみたいに、朝は十夜さんに挨拶して、出勤して、一日頑張り過ぎない程度に頑張って働いて、夜はまた十夜さんと二人きりで会って時間を過ごす。

 

そう。いつも通りだったの。

彼と二人で、手を繋いでアパートに帰るまでは。

 

夜、アパートに着いて二階へ上がる。静かに、静かに、気づかれないように。それは、私たちの関係が始まった頃からの秘密だった。

別に気づかれてもいい関係だったよ。でも、なんとなく隠した方がいいと思うものあるよね。特に、気づかれたくない人がいるならなおさら。

あの時ほど隠せばよかったって思うことは、きっと一生の中でもないと思うんだ。それは彼も同じだったみたい。

 

私たちはあの女に気づかれたくなかった。

見られたくなかったの。

 

通り過ぎたあの女の部屋からは、珍しく物音ひとつ聞こえてこなかった。

 

二階へ上がって、私と彼は一旦部屋へ戻った。机の上に鞄を置いた時だった。入り口の扉が忙しなくノックされた。私の部屋の扉を呼び鈴じゃなくてノックするのは、十夜さんと十花ちゃんだけだった。

急いで扉を開いた時、そこに立っていたのは泣きそうな顔をした十夜さんだった。

驚く私に十夜さんは震える声で言った。

 

 

 

「空き巣に入られた」

 

 

 

十夜さんの部屋へ戻ると、確かにいつもと雰囲気が違った。

いつもはしっかりと閉じられているタンスに所々隙間がある。机の上の雑貨の位置が違う。でも、貴重品は盗られていない。ベッドのシーツから香水の匂いがする。それは嗅いだことのある嫌いな匂い。あの、女の香水だった。

この部屋に、あの、女が入った。

その痕跡が残ることに、その事実に酷く嫌悪した。

でも、あの女が仕出かしたのはそれだけじゃなかった。

隣を見ると、十夜さんの顔は真っ青だった。私は彼の手を握る。俯いていた顔をあげると、彼はゆっくりと言った。

「十花の部屋が」

十夜さんの自室の隣にある十花ちゃんの自室。私たちはそこへ向かった。

 

いつもはきれいにされている彼女の部屋。物が増えることも減ることもないその部屋は、その時ぐちゃぐちゃにされていた。ベッドのシーツはズタズタに裂かれて、彼女のお気に入りだったぬいぐるみからは綿が飛び出していた。毎日、兄であって恋人である十夜さんが丁寧に生ける花は床に散乱していた。私が選んでプレゼントした花瓶も同じように床の上に横たわっていた。

そしてなにより、花に囲まれて飾られていたはずの十花ちゃんの写真が、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遺影が、

 

割られていた。




ぶらこんの恐ろしさを知るがいい(違う)


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出席番号13番「Hello my dear.」⑤

死者を愚弄することまかりならん。

 

死んでしまった人を、生きている人がバカにすることはしてはいけない。それはなぜか。死んでしまいこの世にいない人は、いくらバカにされても反論できる口を持たないから。死者はいくら悪く言われても、言った生者に届く声を持たない。

それ故に、死者はこの世では愚弄されやすいのだ。まだ生きて、この世を謳歌できる人に言いたい放題勝手なことを言われるのだ。何故なら、真実を知る本人は既に墓の中なのだから。

 

 

 

さて、それは一欠片の理由なのだろう。

 

 

 

生と死の境界に限りなく近い『桜ヶ原』という町がある。

そこでは、七不思議を始めとした様々な怪奇現象に出会うことが日常となる。

 

 

 

 

 

ねえ、そうでしょ?みんな。

 

 

 

隣の家の、亡くなったお爺さんに気に入られていた君。最期に素直になったお爺さんは死んだ後も君の横にいて、護ってくれてたね。

危険な危険な桜の根が眠る場所でコンビニを経営した後輩たちを持つ君たち。選んだ選択は満足できるものだったよね。

こびとが住む置き傘を持つ男の子に恋をした君。失恋したけど、今じゃ素敵なこいびと持ちね。

時間を越えてアイディアをやり取りした君。二人分の想いが込められた作品を完成させた作者は、もう立派な物書きね。

友人と廃病院へ肝試しに行った君。その後、ストーカーさんからはラブレターが届いたのかな? なんてね。

遠い遠い町での赤く染まった思い出を持つ君。思い出は、赤くて冷たくて悲しいものばかりじゃなかったはずだよね。

河童と酒盛りをする君。胡瓜とお酒を手にして彼らに会いに行く次の子どもは、きっと絶えることはないよね。

可愛い可愛いにゃんこの君。一緒の教室で学んでくれて、ありがとね。

 

桜ヶ原の七不思議。すべては七つ目「同窓会」が開かれる為の通過儀礼。

 

 

 

今年、同窓会の案内が私に届いた。

ちゃんと届いたよ、みんな。桜の木の下で同窓会が開かれるの、本当に楽しみにしてたんだ。

いつかくる、同窓会のこと。私はなんにも隠さないで大切な二人に話したの。

 

 

 

私は十三番。

出席番号十三番。

 

人よりちょっとだけ、死んだ人が見えやすい、桜ヶ原小学校の卒業生。

 

 

 

死んだ人をバカにしちゃいけない理由はね。

死んだ人より何倍も何倍も、生きてる人がバカだから。生きた時間を終えて死んだこともない人に、死者を愚弄するなんてもってのほか。死んだらなんにもできないなんて、誰が言ったの? いる世界が違うから、死者から声が届かないんだよ。遠すぎて聞こえないの。

だからね。

すぐ近くにいる死者をバカにしちゃいけないよ。ちゃぁんと、聞こえてるからね。そして、生きてる人なんかよりこわぁい報復を仕掛けるんだ。

だって彼ら、「死ぬほどこわい」のその上。「死んでもこわい」を知ってるんだもん。

 

死んだ人からこわい報復を受けない為に、死者を愚弄しちゃいけないの。

 

 

 

ああ、こわいこわい。

 

ねえ、そうでしょ?

十花ちゃん。

 

 

 

 

荒らされた十花ちゃんの部屋に私は言葉を失った。

『よくもやってくれたな、あの女』

ショックを受けてる十夜さんに、私の部屋のベッドで今夜は寝てと言った。私は、十花ちゃんの部屋をきれいにしてからここで寝ると言った。十花ちゃんと一緒に寝ると言った。幸いにも、次の日の日曜日は私も彼も休日だった。

『昨日も今日も一緒に寝れるなんて、ちょっとラッキーかも』

十夜さんを私の部屋に送って、まずは十花ちゃんと話をした。

 

「ほんと最低、あのキモババア」

「信じらんない。こんなことするなんて」

「あいつ、女の気配がする物に八つ当たりしてったの」

「八つ当たりって?」

「勝手な嫉妬」

「十夜さんとあいつは赤の他人でしょ」

「向こうが妄想しちゃって、自分が彼女って設定みたい」

「マジで?」

「大マジ。合鍵作って入ってきて、あたしの部屋見たとたん叫び出した」

「管理人さんは?」

「出掛けてたから、多分その時間狙ったんだと思う」

「何か持ってかれた?」

「お兄ちゃんのは大丈夫。でも、五花お姉ちゃんがくれたのと私のは全部ダメ」

「全部?」

「全部だよ。昔のは残ってない」

 

手を動かしながら話を聞いた。ある程度片付けが終わったところで、隣の十夜さんの部屋から予備のシーツを借りてきた。あの女の匂いがするベッドで寝るなんて絶対に嫌。十花ちゃんのベッドにシーツを広げて、そこに横になった。

ああ、十夜さんの匂いだ。

そこへ、十花ちゃんが潜り込んできた。私たちは、笑いあって目を閉じた。

ああ、十花ちゃんの香りだ。十花ちゃんの遺影に飾られていた献花の香りだ。

 

私は眠った。

 

今日は、キクの香りだった。きっと白いキクなんだろう。

腕の中から十花ちゃんの声が聞こえた。

「おやすみ、いい夢を」

十夜さんからスマホに一通のメールが届いた。

『おやすみ、いい夢を』

 

 

 

私は、眠った。



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出席番号13番「Hello my dear.」⑥

『五花ちゃんはみえないものが見えちゃう』

 

私は、昔から人によくそういう風に言われた。実際、他の人よりも『ちがう』ものが見えていた。伸びた尻尾の影が途中で二股になる昔から神社に住む猫。線路に座る両足のない女の子。暴走族のお兄さんの横にいる黒いフードを被った死神。首から上のない美容師さん。

桜の木の下で誰かを待ち続ける着物を着たお姫様。

どれも、普通の人には見えない『モノ』たち。見えてはいけない『モノ』たち。

 

小学生の頃、私は彼らが他の人には見えないのだと知らなかった。たまに見える人はいた。でも、いつも見える人は本当にごくわずかだった。同級生たちは信じてくれた。見えなくても、信じてくれた。彼らはそこにいるんだって。そして、教えてくれた。彼らを見ないことが、見えないことが幸せなんだって。

中学生になって、私は彼らの話をするのをやめた。それでも、確かに見えていた。

高校生になって、見えない振りをすることを覚えた。時折、小学生の頃の同級生に

「彼らは見えなくなったの?」

と聞かれることがあった。私は自分を指差して答えた。

「見えてるように見える?」

同級生たちは首を横に振った。私は、見えない振りをすることが上手くなった。

大学生になって、見えていることを忘れかけた。私は目の前のことから目を背けて、なおかつ目を閉じようとした。

 

これでいいんだ。そう思っていた。

 

でも、あのアパートで私は出会った。

十夜さんと十花ちゃんに。

 

十花ちゃんと初めて会ったとき、私たちはとても驚いた。私は、彼女がまるで生きているかのように『そこ』にいることに。十花ちゃんは、死んだ自分のことを私が見えていることに。

「はじめまして。私、五花っていうの。今日、隣の部屋に引っ越してきたんだ。よろしくね」

これが、私と十花ちゃんの出会いだった。

 

十夜さんの口から直接十花ちゃんのことが出たのは、意外と時間が経ってから。

ある日の朝、挨拶のついでに十夜さんが、妹のこと見えてるのか? って聞いてきたんだ。もちろん、私は見えてますよって答えた。まだ、私たちが付き合ってない時の話。

詳しいことを知ったのはそれから更に一年近く経ってから。

十花ちゃんの年齢はね、私と同じなんだ。でも、それにしては体が小さいの。身長は確かに私と同じ。でも、体が薄いっていうか細いっていうか。痩せてるとは違うんだ。それは、成長途中の未発達な体つきって言うのがしっくりくる見た目だと思う。

なんでだろうってずっと思っててね、十夜さんに聞いてみたんだ。そうしたら、十花ちゃんが亡くなったのは高校二年生の桜が咲く日。十夜さんの卒業式の日だったんだって。いつも自分の好きな花をくれる十夜さんに今日だけは絶対に自分から花を贈ろうって張り切って、当日までバレないようにって家から遠く離れた場所の花屋に通って、特別な花束を注文して、さあ受け取りに行くぞって時に。

 

トラックにはねられた。

 

その花屋は車通りの多い道の横にあったんだって。運が悪かったんだって、十花ちゃんはその時のことを笑って話してたよ。たまたまだったんだって。

そうだよ。たまたまで命は簡単に刈り取られて枯れていくの。だから、彼女は自分の命を奪ったトラックの運転手を恨んでいない。

でも私は釈然としないんだ。だって、本当に楽しみにしてたんだよ。花を贈ることも、贈られることも。

結局、十花ちゃんはその手で十夜さんに花を贈れなかった。それに、彼女自身が花を贈られるはずだった卒業式すら迎えることもできなかった。

贈られなかった花束はね。今でもちゃんと、十夜さんの部屋にあったんだ。ブリザードフラワーとして、彼の部屋の壁に大事に大事に飾られていたの。私は何度も何度も見てる。

 

 

 

もう、ないけれど。

 

 

 

 

 

よくもやってくれたな、あの女。

 

 

 

 

 

今回、あの女が仕出かしたことに対して一番怒っているのは十花ちゃん。呆れているのがこの私。じゃあ、十夜さんは?

十夜さんは哀しんでいる。

 

私と同じように、みえるはずのないものが見える十夜さん。私には受け入れてくれる友人たちがいた。でも、彼にはいなかった。彼はずっと受け入れてくれる人がいなかった。

唯一信じた妹はもうこの世にはいない。「死んだ妹が見える」と言う十夜さんに対して、周りはどんな視線を浴びせたんだろう。周囲は彼の個性を拒絶した。だからきっと、彼も周囲の視線を拒絶した。

そして、彼は十花ちゃんと二人きりの同居を選んだ。

普通の人から見れば一人暮らし。でもね。私から見たら幸せそうな二人暮らしだったんだ。

十花ちゃんから花の香りがする度に、今日も十花ちゃんは愛されてるなって感じるの。毎日忘れられることなく花が生けられているなって。

 

二人は本当に幸せそうなの。それを言ったらね、彼ら何て言ったと思う?

「五花(お姉ちゃん)がいるからもっと幸せになれたよ」

だって。

自分たちのことを理解してくれて、好きになってくれて、幸せだって。

 

 

 

 

 

 

ねえ、みんな。

私、本当に幸せなんだ。そんな二人と一緒にいられて、本当に幸せなの。

今までも、これからも、ずっとずっと、ずぅっと、一緒にいたいんだ。

だからね。

この同窓会が終わったら、二人をみんなに紹介したいんだ。

いいでしょ?

いいよね。

 

よかった。

大丈夫だよ。二人とも、ずっと一緒だって約束したんだもん。

三人で、ずっとずっと一緒だって、約束したんだもん。

 

こっちにくれば、ずっと一緒にいられるでしょ?

 

 

 

私は眠った。そして、次の日ちゃんといつも通り起きた。

十花ちゃんは、まだ私の横で目を閉じていた。ほんと、可愛い私の恋人。少しだけ、花の香りが薄らいでいた。私はもう一人の恋人に会うために、ベッドを降りた。

自室に戻ると、十夜さんはまだ眠っていた。相変わらず朝が弱いお寝坊さんだね。ちょっとした悪戯心から、彼が眠るシーツの中に潜り込んだ。あったかいなぁ。私はそのまま、彼が起きるまで二度寝をすることにした。こういうのも同居の醍醐味だよね。結局、起きた彼に怒られるんだけど。

 

起きた彼と朝食を食べながらどうするのか話し合った。警察に届けるか、ネットに晒すか。よし、ネットに晒すか。とりあえず、前日に撮影した荒らされた部屋の写真を一部ネットに載せた。もちろん身バレ防止はしっかりして、キモババアの罪をしっかり不特定多数の人に見てもらう。でもきっと、あの女はこんなことじゃ悔い改めない。こんなんじゃ罰にはならない。

「罰」は罪を自覚しないと罰にならない。

私たちは管理人さんに連絡しながら、これからどうするか考えていた。このままじゃ、あの女は同じことを繰り返す。そう思ったの。それだけあの女の日頃の行いが悪かったってこと。

十夜さんは警察に任せることを提案した。彼はおそれていたの。

仮にあの女を問い詰めたとして、何であんな女の子の部屋なんてあるのかと言われるのが関の山なんだよね。その時、何て答えればいいの? 妹の部屋だって? じゃあ、あの遺影は? 花は? 肝心の、その「妹」はどこにいるって? 正直に言ったところで誰も信じてくれないよ。数年前に死んだ妹がまだそこにいて、その妹の為に部屋を使っているなんて、私みたいに見えていない限り誰も信じない。

彼がおそれているのは信じてもらえないことと、自分が見ているものを否定されること。自分はおかしいんだって、言われること。

 

報告だけして、もう少し様子を見よう。そうなったの。

少なくても、彼の中ではそのつもりだったんだ。

 

でもね、私の中ではそうじゃなかった。十夜さんと十花ちゃんを傷付けた、哀しませた、バカにした。私の、私たちの大事なものに土足で踏み込んで荒らした挙げ句に、あの女は、あの女は!

十夜さんが自分のものだってアピールしてきたんだ。

なんという勘違い女。

 

十夜さんは私のものだ!私たちのものだ!

『十夜お兄ちゃんも五花お姉ちゃんもあたしのものだ!』

 

 

 

 

 

私は。

私たちは。

ほんの少しだけ他の人たちと見える世界が違った。愛した人が兄妹であったり、同姓であったり、他の人と違うものが見えたり。

 

死んでいたり。

 

死ぬ運命がすぐそこまで見えていたり。

 

もういない人と一緒に居続けたり。

 

ただ、見えている世界をわかりあいたくて、隣にいたくて。受け入れてもらいたかったの。自分の世界を。

だから私たちは同居しようと決めた。一緒にいることで、一緒に生きることで

 

私たちは互いに依存していこう

 

そう、言ったの。

 

 

 

ごめんね、十夜さん。

私、あの女を我慢できなかったの。

 

十夜さんが十花ちゃんの部屋に生ける為の花を用意すると言って部屋を出ていった。彼が忘れないで花を供えればね、不思議と亡くなった人も生前の様に生き生きとした姿になるの。だから、十花ちゃんもずっとあの部屋にいられたんだよ。

 

残った私は机に向かった。

さいごの言葉を書き残そうと、レターセットとペンを取り出した。

三枚の手紙を書き終わると、封をし宛名をそれぞれ書いてポストへ投函した。

そして、私はあの女の部屋の扉の前に立った。

 

さいごにどうなるのかは、なんとなくわかっていた。

 

私は




どうなるの?


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出席番号13番「Hello my dear.」⑦

そうして


これが私のとっておきの話。

 

え? それからどうしたのかって?

うーん、ここにこうして同窓会に出席してるって時点でわかんないかなー?

 

結果的に言うと、その女に殺されました。以上。

 

ごめん、ごめん! もっと詳しく話すから怒んないでよ!

えっとね、私はあの女の部屋のドアを叩いたんだ。ノックね。

あのアパートにはちゃんと呼び鈴はあるんだよ。あるんだけど、私は「叩いた」んだ。ちょっとした噂があってね。あのアパートでは扉をノックされると、ノックされた方は近いうちに亡くなるっていうのがあったんだ。で、その噂は誰が流したのかもわかんないんだけど、いつかは入居者の耳に届くだろうってことで契約時に管理人さんから話がいくの。こういう噂がありますよ、ってね。だからアパートに住む人は誰だって知ってるの。もちろん私も、十夜さんも、十花ちゃんも、そしてあの女もね。

 

だから私、叩いたの。

ちからいっぱい、ね。

 

 

 

『ダンッ!

 

ダンッ!

 

ダンッ!』

 

 

 

怪奇現象じゃなくても驚くくらいのノックだったと思うよ。

あははっ

それに、その噂を知っていたらもっと驚くんじゃないのかな。

 

それだけ私は頭にきてたの。

でもね、頭の中ではちゃぁんとわかってたんだ。逆上したあの女が包丁片手に出てくること。もし手に持っていなくても、それから私が言う言葉で絶対に殺しにくる。

 

 

 

『ガチャ』

 

 

 

私だとわかった瞬間、あいつは刺しにくるかもしれない。だから扉が開いた瞬間、あいつが出てきた瞬間、私は笑って言ってやったんだ。

 

 

 

『私たちの十夜さんに手を出さないでくれる?』

 

貴女、二階にある十夜さんの部屋に勝手に入ったでしょ。

貴女、女の子の部屋ぐちゃぐちゃにしたでしょ。

貴女、女の子の写真ダメにしたでしょ。

貴女、十夜さんのベッドでなんかしたでしょ。

貴女、自分がなに仕出かしたかわかってないでしょ。

 

ねえ、なにしてくれてんの。

ねえ、十夜さんがどんな気持ちか考えろよ。

ねえ、貴女がしたこと犯罪だよ。

ねえ、貴女気持ち悪いよ。

ねえ、

 

ねえ!

ねえ!

ねえ!

 

なんか言ってみなよ!

 

あの人は私たちのものだ!

貴女みたいなキモババアに入る隙なんてないんだよ!

ただの他人はお呼びでないの!

 

私の邪魔をするな!

あたしたちの邪魔をするな!

 

 

 

 

どこまで言ったとこだったかな。

あの女、急にガタガタ震えだしてね、部屋の奥に引っ込んだんだ。あ、その時は結局包丁は手に持ってなかったよ。戻ってきた時には持ってたかな。

 

あははっ

いい気味だっ

あははははははっ

 

はあ。それでね。

戻ってきて顔面真っ青な逆上したキモババアに刺されたってわけ。

ざっくり、とね。

 

 

 

『ザクッ』

 

 

 

その後どうなったのかは、さすがにわからないな。

 

私の記憶が正しければ、そうなったのは201×年のこと。同窓会の予定までまだ時間があった。

暇ですねー。

暇ですよー。

早めに集合場所に来て待っててもよかったけど、私には愛しい恋人たちがいたから一人にはできなかった。

だから、ここに来る直前まで十夜さんの部屋にいたんだ。もちろん、三人で。

 

 

 

私が最期に遺した手紙にはね。私が死んだ後こうして欲しいっていうことが書かれているの。

 

 

 

一枚目。管理人さんへ。

十夜さんの部屋が不法侵入され、荒らされたということ。その犯人があの女だということ。あの女が私を殺すかもしれないということ。その理由である、十夜さんと自分は交際をしているということ。

お世話になっていながらこういうことを招いたことへの謝罪。

家賃を振り込む口座にまとまった金額を入金したこと。死後、私の部屋の片付けは十夜さんに一任すること。

最後に、今までお世話になり、とてもよくしてもらったことへの感謝。

本当に、本当に、ありがとうございました。

 

 

 

二枚目。両親へ。

管理人さんへの手紙と同じように、そうなったことの経緯。

遺品について。見られて恥ずかしい物はない、と思う。

同窓会について。私は、出席するということ。

今まで育ててくれたことへの恩義、感謝、それと言葉にできないくらいの愛情。

大好きだったよ、私の二番目に愛した人たち。

最後に、別れの言葉と、遺骨の行き先について。

どうか、私の骨は桜ヶ原の桜の下に埋めて欲しい。私の、一番愛した人たちと一緒に埋めて欲しい。

そうすれば、またきっと、あえるから。

 

 

 

三枚目。十夜さんへ。

彼への手紙には特に何も書かなかった。書いたことといえば、そうだね。詳しいことは戻ってから話すから、お花を生けてね。それだけ。

彼が花を生けてくれる限り、私は彼の元に帰ることができる。私は信じている。だって、同じような世界を見てきたんだもん。

 

 

 

私たちはね。

同じ様に世界を見たいと思っていたの。でもね。そんなのできっこなかったんだ。全く同じ様に世界を見ることなんてできないの。

だって、私たちは別のひとなんだから。

違う道を歩いてきて、違うものとであって、違うように感じてきた。見え方は同じでも、見てきたものが違うんだ。

同じ一つの世界に生きている。そう、まるで大きな家に同居しているように。でも、生活の仕方も、起きている時間も、することも違う。

同じ一つの窓から見える景色は違っているんだ。

 

私は、桜が咲き続ける少しさびしい夕暮れの景色を。

十夜さんは、夜に花が咲く幻想的な景色を。

十花ちゃんは、時間を止めた枯れることのない花畑の景色を。

私たちは一つの窓から見ていたんだ。見えた世界は違っていた。

 

それでもね。

違う世界でも、似ているように見えてはいたんだ。

簡単に言っちゃえば、私たちの世界には花が綺麗に咲いていた。同じじゃないけど、それでいいんじゃない? 今は、そう思うんだ。

きっと、これから私たちが見る世界は一つになれる。同じ世界を同じように見ることができる。

夜を背景に、散らない桜が花畑の上で咲き続ける世界を、三人で見続けることができると思うんだ。

 

それが幸せなことなのかは、解んないけれど。




死んだ人といるとね。
ほんの少しだけ、おかしくなっちゃうんだ。


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出席番号13番「Hello my dear.」⑧ エンディング

ひらりと桜の花が舞い落ちる。

私は大きく両手を広げて、とっておきの話に、私の恋の話に耳を傾けてくれる仲間たちに語る。

 

「みんな。私の、かけがえのない大事な大事な友たちよ。

私の夢は世界で一番愛する人と、この美しい桜の木の下で永遠に一緒に居続けることだった。

同窓会は叶えられた。

素晴らしい同級生を持てて、私は本当に嬉しい! 長い時間をかけて、このクラスは再び集った。

だからこそ! 私は、今、ここで誓いたい!

私と、十夜さんと、十花ちゃんの愛は永遠のものであると!」

 

きっと、興奮して頬はあかく染まっている。口元も緩んで、だらしない表情をしているのだろう。

ああ、嬉しくて泣いてしまいそう。

私はずっとこの瞬間を待っていた。

 

ひらりと、桜の花が舞い散った。

止めどなく、桜の花は咲き乱れていた。

 

 

 

これが、私の話のエンディング。

 

 

 

「ねえ、みんな。聞いて。

みんなに紹介したい人がいるの。

その人たちはね」

 

私が世界で一番愛してる二人なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当だったらね。生きているときに、みんなに紹介したかったな。でも、しょうがないよね。

だって、この同窓会の参加条件の一つは「死んでいること」なんだもん。

この桜の木の下にいる同級生がみんな揃って集まるには、人生を終わらせないといけないの。

 

 

私を含めたここにいる同級生は、みんな、既に死んでいる。

それでも同窓会を開いて再び集うのは、桜ヶ原の七不思議「同窓会」のせい。私たちは七不思議の七つ目に辿り着いてしまった。

 

 

 

私たちは、桜ヶ原の七不思議に呪われたんだ。

 

 

 

 

 

ねえ、みんな。

死んだ人といるとね。ほんの少しだけ、おかしくなっちゃうんだ。

 

私も、十夜さんも。

ちゃんと生きていこうと願えばあのまま三人でいられたの。

でもね。怒りとか憎しみとか嫉妬とか、そういう感情が大きくなっちゃうときっと引きずられちゃうんだ。

 

狂って、死の世界に近づいちゃうんだよ。

 

私たちは、十花ちゃんに手を引かれたの。

 

 

 

 

ああ、でも。

三人でいられるならそれでも私は幸せ、かな。

 

 

 

 

 

私は十夜さんたちに言った。

いつか、自分は必ず死ぬ。それが同級生たちとの約束だから。でも、十夜さんと十花ちゃんとさよならはしたくない。ずっと一緒にいたい。だから、

 

死んでも一緒のところにいよう。

 

私が死んだら、きっと両親が生まれ育った町に連れ帰る。桜ヶ原という町に。そこで私の遺骨は埋められるのだ。

十夜さんは、また一人になるの?

私は約束した。十夜さんと、十花ちゃんの遺骨も一緒に埋めよう。埋めてもらえるように伝えておく。

 

私は笑って言った。

『ずっと、ずっと、一緒だよ。

桜ヶ原の同級生はね。私のことを受け入れてくれたんだ。だからきっと、十夜さんのことも十花ちゃんのことも受け入れてくれる。そう思うんだ。

私、みんなに聞いてもらいたいの。

この人たちが世界で一番愛してる二人です、って。

同窓会ではね。一生をかけて手にいれたとっておきの話を披露するの。そこで私は紹介するんだ。私の恋人たちのことを!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これで、私の話はおしまい。




『あははははははっ
これでみぃんな、あたしといっしょ!
ずっと、ずっと、ずぅっと一緒だよ!
十夜お兄ちゃん! 五花お姉ちゃん!』










一緒にい続けることが幸せなのか。
一緒にいようと引き留めたのが幸せだったのか。
一緒にいたいとしがみついたのが幸せの始まりだったのか。

それは誰にもわからない。


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出席番号14番・前編「砂時計」-眠りウサギ①

ふわぁ。

ねむいねむい。

ああ、ごめん。最近夢見が悪くてね。

 

ふぅ。よし。じゃあ、僕の話を始めようか。

僕たちの町にある七不思議、意外と昔からある話なんだ。だから、どれも確認しようとする人が後を絶たない。

 

これは、その七不思議の内のひとつ。

誰かが書き替えた七不思議の話。

 

 

 

 

 

七不思議、ひとつは『切り株』、ひとつは『バス停留所』。これは三つ目に当たるんだけど、七つの中でも特に際立って変な話だと僕は思うんだよね。

いや、変と言えば全部が変な話だって言えるんだけど。

 

僕を含めた同級生がこの町の七不思議を調べ始めたのは今から二十年位前かな。

実はこの町、「桜ヶ原」って名前に今はなっているんだけど。その前に「戦場駅」って名前だったんだって。

そう。この町の歴史は五百年近く前からのものだったんだ。

ふるいよね。

だから、この町と共にあった七不思議も同じだけふるい。

僕らが調べてきた二十年なんて軽い軽い。

だからさ。

七つのうち一つ位、内容が変化したものだってあるんじゃないかな。

いや、あるんだよ。

僕の出会ったこれがその七不思議。

 

 

 

まずは僕のことから話すね。

 

みんな、正夢とか覚醒夢とか予知夢って聞いたことあるかな。

僕は昔からよく予知夢を見るんだけど。

予知夢っていうのは未来のことを予知した夢のこと。夢が現実になるのが正夢で、現実になることを夢で見るのが予知夢かな。覚醒夢っていうのは夢だっていう自覚がある中で見る夢。

とにかく、僕は予知夢を見やすいってこと。

毎回ってわけじゃないんだけどさ。

いつの頃からか、同じような夢を見るようになったんだよね。

 

 

真っ暗な夜。

綺麗な月明かり。

月が写る大きな池。

 

僕はその池へざばざばと入っていく。

池は浅くて、深いところでも腰までの深さ。

真ん中まで進んで、池の底に沈んでいる物を拾おうと水の中へ腕を伸ばす。

顔まで水に浸かって掴むのは

冷たい水の中で横に倒れ、砂という時間を落とさなくなった

砂時計。

 

 

小学校を卒業するまで同じ夢を何十回も見た。

意識はないのに、何故かよく覚えている夢。

意味が分かんなくて、でも見ないようにすることもできなかったからそのままだった。

 

でも、あるときその夢の意味がわかったんだ。

 

 

中学生に上がったくらいの頃だったかな。

大雨が降ったんだ。本当に凄くて、これ、浸水で済むかな?と思いながら眠りについた。

その夜。

僕はいつもの夢を見たんだ。

いつもと違ったのは、その夢に続きがあったこと。

 

倒れた砂時計を掴んだ瞬間、パッと映像が切り替わった。

不思議なことに、二つの視界を別に見ているのに同じように情報が頭に入ってくるんだ。

だから余計に「これは夢だ」っていう自覚が強くなったんだと思う。

 

どちらも、雨が物凄い音を立てていた。

それと、なんか、すごい、轟音。

例えようがないんだよ。

でも、物凄い音。

 

自分は横になっていた。

寝ている…のかな?

 

視界は真っ黒。多分、目を閉じている。

雨じゃない凄い音は近づいてくる。

どんどん、近づいてくる。

 

片方の視界が開けた。多分、目を開いた。

急いで床下へ潜った。

床下?

そこには小さな墓が二つあった。

そこをザクザク掘って、小さな小さな骨がいくつか。

それをしわくちゃな手でぎゅっと握った。

凄い音はもう真横だった。

皺枯れた女性の声は最期にこう言った。

「やっと、あんたらのとこに逝けるわ」

女性は、笑っていたと思う。

横から、土砂が体を叩きつけた。

 

 

もう一つは、ギリギリまで、というか視界は最期まで真っ黒だった。

 

凄い音は近づいてくる。

どんどん近づいてくる。

どんどん、どんどん、近づいてくる。

バキバキという木が折れる音も混ざってきた。

凄い音はもう真横だった。

皺枯れた男性の声は最期にこう言った。

「悪かったな、○○」

呼んだ名前は、僕のよく知る同級生のものだった。

男性は、泣いていたと思う。

横から、土砂が体を叩きつけた。

 

 

そんな、夢だった。

 

目が覚めて外を見ると見事な晴天だった。

夢で名前を呼ばれた彼とは学校が同じだった。長年見てきた夢のことも知っていたから、僕はその日の朝、彼にその夢のことを話した。

彼は言う。

「確かに両隣の家に婆さんと爺さんが住んでるけど、まだ辛うじて生きてはいるぜ」

 

そして、その日の夕方。彼から電話があった。

両隣の家に住んでいた婆さんと爺さんが今日亡くなった、って。

 

 

君はどう思う?

僕の見た夢は正夢?予知夢?

僕はその二人の老人には会ったことがないんだ。同級生の両隣の家に老人が一人暮らししていたことも知らなかった。

僕の見た夢は現実だったのか?

 

 

 

いや、違うな。

ごめん。言いたいのはそういうことじゃないんだよ。

こんな夢を見すぎて、夢と現実の区別が曖昧になっちゃうんだ。

見た夢が「その人の夢」なのか、「僕の夢」なのか。区別が着かなくなるときがある。だって、その夢たちの視線は全部僕のものだから。

全部、僕の目で見た現実のように思えちゃうんだ。

 

実際はね。そのお婆さんとお爺さんは夢で見たみたいに土砂崩れに巻き込まれて亡くなったわけじゃないんだ。

だから、夢と現実は多少違った。

だから、このとき僕はただの「偶然見た夢」なんだって思うことにしたんだ。

 

本当に土砂崩れが起こるまでは

 

 

それから数年後に、今までの大雨とは比較にならないくらいの集中豪雨が数日続いた。同級生の彼が住む区画は地盤が弛くて、とうとう土砂崩れを起こした。

不思議なことに、彼とお爺さんが住んでいた家は無事だったらしいんだけど、さすがにお婆さんの方の家は全壊。もちろん家が無事だった彼も無傷だよ。

問題はその後。

彼は全壊したお婆さんの家の片付けを手伝ったんだ。そうしたら、なんと。床下からいくつかの小さな骨が出てきたんだって。

 

土砂崩れ

床下

お婆さん

 

僕はあの夢を思い出した。

全てが繋がった気がした。

 

お婆さんは先に亡くなった旦那さんと愛犬の骨の一部を床下に埋めていたんだ。

大切な大切な家族。

お婆さんは土砂崩れで亡くなったわけじゃない。でも、きっと。彼女は亡くなる時、あの夢のようにそこにはない骨たちを握りしめてあの言葉を言ったんだと思う。

 

 

さて、お爺さんの方なんだけど。

同級生の彼が言うには「雷おやじ」だったらしい。

周囲に対して厳しい。隣に住む彼に対しては更に厳しい。

僕の見た夢が最期の瞬間のイメージなんだったら、どうしてお爺さんは彼の名前を呼んだんだろう。

 

面白いことに、同級生の彼がお婆さんの家にあった骨を供養するため、これまた同級生の実家の寺へ行った時にそれは判明した。

なんと。その亡くなったお爺さんが彼に取り憑いているらしいんだ。

いや、悪い意味ではないよ。どうやら護ってくれているみたいだ。だから、あの土砂崩れでも無傷でいられたんだ。

本当はね。お爺さんは彼のことが気に入っていたんだ。でも素直になれなくてキツく当たってしまっていた。

だから、あの夢のように僕の同級生の彼に謝ったんじゃないかな。

 

 

どっちの夢も、それが本当かはわからない。

だって本人がもういないのだし、会えないんだから。

 

 

これはね。

僕が見た夢の話。

 

 

誰かが亡くなる瞬間を映した夢を見るようになった、僕の話。

「あの人は、最期に何を思ったんだろう。」

 



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出席番号14番・前編「砂時計」-眠りウサギ②

横断歩道。小さな腕に抱えるのは一匹の白い猫。

僕は知っている。この猫を。僕の、僕たちの大切な友だち

「さくらちゃん、おうちへ帰ろう!」

さくら。小学校で六年間、いや、今でも僕たちの友だちである白い猫。

おうちへ、帰る?

あれ?じゃあ、この女の子は

 

もも?

 

それを認識した瞬間、横から車が飛び出した。

車は僕の、ももという小さな女の子の体を押し潰した。

 

痛い!

 

僕は思わず悲鳴をあげようとしたが、口から出たのは驚く内容だった。

 

「さくらちゃん、守らなきゃ」

 

こんな、こんな小さな女の子が自分よりも他の命を守ろうとしている。

強く、だけど潰さないように優しく腕の中の命を抱き締める。

体はもう、動かない。

 

もも。さくら。

 

遠くで救急車のサイレンが聞こえる。

きっと、間に合わない。

 

僕のたった数ヵ月一緒に勉強をしたクラスメイト。小さな女の子が最期に言ったのは

「さくらちゃん、また、会いたいな」

また、会えるかな

また、会えるよね

 

未来の可能性を信じる、希望だった。

 

 

 

→ルート「にゃんだふるでいず」

 

 

 

 

 

暗くて冷たい通路の中。自分より先を駆ける足音を追いかけ、奥へと進む。

 

トンネルか?それにしては暗すぎないか?

 

前の足音が近づく。止まった。

前の足音に近づく。僕は止まった。

微かに見える、女子高生の左腕を掴む。

「つかまえた」

意外と思っていた以上に低い声が出た。

その瞬間

(ざくん)

 

 

片足が無くなっていた

 

(ざく、ざく、ざく、ざく)

 

来るな

来るな

クワレル

 

「食べないで」

 

女子高生の腕を掴んだまま、僕の視界は真っ暗に

 

目の前に白く鋭く光る何かが数本見えた

 

真っ暗に

 

(ざくん)

 

僕は女子高生の腕と一緒に「なにか」に食われ

 

おい!ちょっと待て!

彼女の腕離せって!

 

視界が真っ黒に覆われた。

最期の瞬間、ちぎれた女子高生の腕をきゅっと握り

「一回でいいから君と×××したかっ」

 

こいつまだ言うか!

 

暗闇の中、何かに食われた青年は。

死ぬまでただの変態であった。

多分、死んでも×××しか頭になかったんだろう。

 

 

 

→ルート「地下通路」

 

 

 

 

 

あるとき夢を見た。

 

白い部屋。目の前には白衣を着た男性。

僕はその男性に言う。

「一緒に死んで」

女性の声だった。

男性は困ったように笑う。

僕はもう一度言う。

「一緒に、死んで」

男性の首に細い指が絡まる。

ああ、あたしがこの人の首を締めてイルノネ。

不意に胃から何かが込み上げてきた。

げほ

口の中に血の味が広がる。

ああ、ダメよ。こんなんじゃ彼の首をキツくキツく締めてあげられないじゃない。

僕はもう立っていられなくなって、倒れた。

最期に女性の高い声はこう言った。

 

「ねえ、一緒に、死んでよ」

 

その女性が最期に望んだのは、愛する男性との心中だった。

 

 

 

 

 

白い部屋。目の前には口から血を吐き倒れている看護婦。

僕は彼女に近づき、首に指を当てる。

「君は、死んでもキレイだね」

 

何を言っているんだろう?

 

僕じゃない男性の声はうっとりしたように続ける。

「ボクをあげる代わりに、ボクの一番のお気に入りを頂戴」

僕は机からカッターを取り出した。

そして、倒れている彼女の指輪がはめられたキレイナユビヲ

 

やめて!

 

切り落とし、

「ああ、やっぱり君はキレイだ」

僕はそれに頬擦りして、そう言った。

 

再び机に向かうと、置かれている万年筆の横にあたかもそれが自然であるかの様に置いた。

この男性は、狂っている。

そう思っても夢は止まらない。

「約束だからね」

そう言うと、今度は自分の首に刃が当てられる。

血と熱が流れ落ちる感覚が

 

僕じゃない!

 

ゆっくりと倒れる中で狂った男性がこう呟いた。

 

「これが、ボクの愛の形なんだよ」

 

それは看護婦への言葉だったのか、自分自身への言葉だったのかわからない。

でも、コレガキットタダシイんだろう。

 

 

 

 

 

暗い部屋。電気もつけずに布団にくるまる。

こわいこわいこわいこわいこわいこわい

どこからか軽い音が聞こえる。

これは、手紙がポストに入れられる音?

かたん

かたんかたん

かたんかたんかたん

かたんかたんかたんかたん

かたんかたんかたんかたんかたん

かたんかたんかたんかたんかたんかたん

 

え、なにこれ。

何でこんなに

 

「あたしが何したっていうのよぉ」

震える女性の声が僕の口から出た。布団を握り締める指は震えている。

 

僕が何をしたっていうんだ

 

かたん(ざっ)

かたんかたん(ざっざっ)

手紙の投函音に人の足音が混ざりだす。

 

逃げて

 

逃げられない

 

逃げて!

 

逃げられない!

 

指先が白くなるほどきつく布団を掴む。

ふと

音が止んだ。

 

「…たす」

「キレイなお嬢さん。ボクの万年筆を返してイタダキタイ」

 

耳の、すぐ横から声が響いた。

 

ニゲラレナイヨ

 

僕は悲鳴をあげることさえできずに

 

違う!

 

ザクザクと体を

 

こんな、終わりなんて

 

切られ、持っていかれ

自分の髪に、指に、脚に、そして腹に何かわからない刃が沈むのを見ながら、女性はこう口を動かした。

 

『こんなはずじゃなかったのに』

 

声にはならなかった最期の言葉は、誰にも届かなかった。

 

 

 

→ルート「ラブ・レター」

 

 

 

 

 

知らない部屋の中。電気はつかず、外からガタガタ激しい音がする。

雨が屋根を叩きつける。

低いサイレンが空気を伝って鼓膜を響かせる。

 

「父さん!母さん!」

一階へ向かって声の限り叫ぶ。

ごぼ

水の音

ごぼごぼ

水が、溢れる音

 

浸水…してるのか?

それにしては…

 

「父さん!母さん!」

 

自分ではない低い声は階段の下へ落ちていく。

僕は見た。

階段の途中から先に波立つ水面を。

その水面に時折現れる人の手を。

 

もう、手遅れだ

 

僕は諦める。

でも、声の男性は何度も呼ぶ。

逃げもしないで。

 

ざぷん

水の音がすぐ近くに迫っている。

外から、雨が水面を叩きつける音が止まない。

 

コンナコトッテ

 

水が、足元を浸し始める。

 

モウ、テオクレナンダ

モウ、ニゲラレナイ

 

水は、ゆっくりと上に上がってくる

 

「と、さ…かぁ…さ」

 

最期に沈む直前、男性が呼んだのは助けだったのか。

それとも、自分と同じように沈む両親を目の当たりにした悲鳴だったのか。

 

 

 

 

 

狭い車の中。車の外では流れてきた濁った水とともに木や鉄の塊、ガラスなど様々な物が押し流されてきている。

 

危ない!外に出たら危ない!

 

窓を締め切って車の中でただ耐える。

 

水が引けば、きっと外に出られるだろう。

車の主は何も言わずに唇を噛む。

周りを見れば、同じように車に残る人の影。

外をキョロキョロ見渡し、出ようか迷っているみたいだ。

車がガタンと動く。

 

このままでいいのか?

 

外は危険だ。出れない。

 

外に出たい。出ちゃいけない。出なきゃ。出るべきではない。まだだ。どうする?

 

同じように外を見る人たち。

 

車が勝手に移動していることには気づかない。

焦りが思考を鈍らせる。

車内の空気が減っているのに気づかない。

焦りが視界を曇らせる。

 

あ、

 

と、思った時には既に遅い。

空気は残りわずか。息苦しい。

 

外に出なきゃ!

 

ドアを開こうとがちゃがちゃ音をたてる。

開かない。

 

なんで!?

どうして!?

 

全力で外に力をかけても開かない。

頭が働くのを放棄する。

一心不乱ではなく、一心乱乱にただドアを開こうとする。

窓を開けよう!窓からでも出れればいい!!

そこからも出られない。

 

水面はかなり高く、外から内側に向かって水圧がかかっているという知識さえ出てこない。

「窓を割る」という選択肢さえ出てこない。

苦しい!

 

クルシイ!

 

壁をドンドンと叩く。

外にその音は聞こえているのだろうか。

 

クルシイ

出して

ここから出して

 

「たす、け、だし、」

 

たくさんの車の中には、同じようにそこから出られなくなって息が止まった死体がきれいなまま残された。

彼らが最期に思ったのは、狭い空間からの脱出だった。

 

 

 

 

 

水没した部屋の中。電気はつかない。冷たい水は膝上まで来ていた。

 

「外へ出ろ!」

 

低い声が聞こえた。窓の外、それも上から聞こえる。

 

「窓から上に上がれ!順番にだ!」

「母さんは最後に行くから、気をつけて上に上がりな」

 

すぐそばの女性が、母さん、がぼくの肩を抱いてそう言った。

ぼくは、僕、は、目の前の小さな女の子の手を握って、努めて優しく声をかけた。

しっかりしなきゃ。ぼくはお兄ちゃんなんだから。

 

妹なんて僕にいたか?

 

「だいじょうぶ。ぼくも一緒に行くからね」

「うん。お兄ちゃんといっしょ」

 

女の子は、ぼくの妹は、笑って手を握り返した。

ざぶざぶと水を掻き分け、窓へと近づく。外は明るい。雨も止んでいた。あんなに激しい雨が嘘のように

 

雨なんて降っていたか?

 

窓から外を見ると、周りの家の一階は全部水の下だった。ぼくの家も同じだろう。

道路は大きな川となっていた。流れが速いその道にはたくさんの物が浮き流されている。

家の外に置いてあった物、家の中に置いてあった物、ゴミ箱、自転車、車まで。流れる。流れる。流れていく。

ぼくは信じられないものを見ていた。

全部、全部流されていく。

 

「早くしろ!水がまだ上がってきているんだぞ!」

 

父さんがぼくたちを急かした。

そうだ、早くしないと。

少しでも安全な所へ。

 

「急ごう」

 

先にぼくが窓の登って妹を引き上げた。

早くしなきゃ。大丈夫。屋根に上がれば大丈夫。父さんもいるんだから。みんな助かるんだ。大丈夫だ。

 

大丈夫。大丈夫。そう心の中で繰り返す。

 

妹が窓に上がった。よし、これで次は屋根に上れれば

 

横!!!

 

あ、と思う間も無くぼくたちは

 

真横から流されてきた木に、流木に連れ去られた。

父さんと母さんの声が遠ざかる。

体が押し潰され、

 

痛い

 

水中へと押し込まれ、

 

苦しい

 

それでも、

 

妹の手を離しちゃいけない。絶対に離さない。離すもんか!

 

小さな手を引き寄せて、ぼくは妹の体をぎゅぅっと抱き締め

 

 

小さな手のその先が千切れて無くなり、既に暗い水の底へ沈んでいたことにぼくは気づかなかった。

 

最期に少年が呼んだのは妹の名前だった。

しかし、妹は答えられずに兄の名前を呼び、助けてと思った。

二人の流された小さな体は見つかることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

雨の日に。

激しい激しい雨の日に。

彼らの命は奪われた。

信じられないくらい呆気なく奪われた。

 

最期に口にした言葉は、最期に思ったことはなんだったんだろう?

遺体は口にしない。

遺体すら見つからない。

 

彼らは声なき声で叫び続ける。

全てを連れ去り、押し流したあの雨はまた来ると。

彼らの、自分達の命がどのように奪われたのか、忘れてはいけないのだと。

 

雨は降り続ける。

遺された人々の心に降り続ける。

雨は降る。

自然という脅威は地球が生き続ける限り猛威を振るう。

雨は

 

雨は止まない。

あの日の記憶は、止むことのない雨の音と共によみがえる。

 

 

 

→ルート「雨の日」

 

 

 

 

 

電車の中。満員とはいえないが、そこそこ人が乗車している。座席は空きがない。

俺は、僕は、吊革に捕まって出勤途中だ。今日もまた疲れる仕事になるのだろう。

 

『まもなくー、○○ー。○○でございまぁす』

 

車内のアナウンスが入る。よしよし、今日は遅れていないな。

 

聞いたことがない駅名だな。

 

駅に着く。

降りる。乗る。

発車する。

いつもの通勤作業。

学生が増えたな。

社会人は眠そうに欠伸を堪える。

 

がきんちょどもめ。元気余り過ぎだろ。少しは落ち着け。

 

若いっていいよね。暴走しなきゃいいけどさ。

 

今日の若者はテストか。真面目だねぇ。

 

あ、あの子将来美人になりそう。

 

駅に着く。

降りる。乗る。

発車する。

いつもの風景。

大人は疲れが残ってる。

学生はスマホを弄ってる。

 

あ、あの人イケメンだ!ラッキー!

 

あんな大人にはなりたくねぇなぁ。

 

ヤバイ、お姉さんエロすぎる…

 

マジしんどい、今日のテスト。

 

いつもと変わらない電車の中。

そのはずだった。

がたん、ごとん

いつもと同じように電車は走っていた。

しかし

 

「うわっ!?」

 

甲高い音を立てて急ブレーキがかかった。

体が揺れる。

 

「きゃっ!」

「なんだ?!」

「うぉ」

 

車体と一緒に人の体もガクガクと揺さぶられる。

ここで電車が止まればいい。

止まるはずなんだ。

だって、だって。

 

この先には急カーブがあるんだぞ?

カーブの向こうは、カーブの先は、

 

何があったっけ?

もし、もしも止まりきれなかったら、

 

僕はどうなる?

 

甲高いブレーキ音が鳴り続ける。

 

止まれるのか?

止まれよ。

止まれ!

 

もう、誰も立っていられなかった。

視界もぶれて、

 

止まってくれよ!

頼む、止まって

 

揺れとは別の震えが体をガクガクと揺さぶる。

もし、止まれなかったら

 

怖くて恐くて外の景色を見ることができない。

ブレーキ音が甲高く鳴り続ける。

 

そして、

 

一瞬の無音と、

 

衝撃が、

 

僕らを襲った。

 

乗っていた誰もが、その瞬間何が起こったのか理解できなかった。

 

 

 

 

鉄道事故。

 

その電車に乗っていた人には何が起こったのかわからない。

何が起こっているのかわからない。

だって、鉄の箱の中にいるから外が見えない。

多くを知るのは先頭に乗る車掌なのかもしれない。でも、その車掌も生きて話してくれるかわからない。

何が起きたか知らないまま、彼らは天国行きの電車へと乗り換えさせられる。

 

脱線事故?衝突事故?それとも人身事故?

 

「何が起きたのか、わかりませんでした」

彼らは、最期の瞬間さえ理解できずに電車に乗り続けたのだろうか。

 

イマ、ナニガオキタノ?

 

 

 

→ルート「線路の先」

 

 

 

 

 

電気のつかない暗い部屋。朝日はまだ昇らない。暖房もつけられない。電気自体が停電しているのだから。

 

ずしん

 

部屋が重く揺れる。

 

寒い。吐く息が白くなる。外ほどではないけど、かなり寒い。

季節は冬。

 

ずしん

 

再び部屋が重く揺れる。

断続的な地震だ。

数日前、大きな地震があった。

 

布団を頭から被って寒さをしのぐ。

両親はまだ帰ってこない。いや、丁度昼間に地震があったから、働きに出ていた二人は道が遮断されて帰ってこられないのだった。

 

スマホに二人から連絡があった。

いつ帰れるかわからない。

おまえのことがすごく心配だ。

避難所で待っててくれてもいいんだよ。

 

私は返した。

もう高校生なんだから大丈夫!

不便があったら他の人を頼るし、タロちゃん(犬)もいるんだから怖くないよ!

そっちこそ、ちゃんとしてよね!

 

本当はすごく不安だった。

 

不安じゃない方がおかしいよ

僕だったら発狂してる

イマでも

 

タロちゃんが布団の中に潜り込んできた。癒される。

 

ずしん

ガタガタ

 

窓ガラスが音をたてる。

私はタロちゃんをぎゅっと抱き締めた。くぅんと鼻を鳴らしておとなしくしている。

 

ここ数日、雨が降っていて外の地面は乾ききっていなかった。この時間に外へ出れば余計に凍えることとなるだろう。

 

ずしん

バキバキ

 

何の音だろう?

 

布団から顔を出す。

タロちゃんが、なんかおかしい。急に唸りだしたと思ったら、不安そうにきょろきょろと辺りを伺いだした。

 

そして、

 

そのときは

 

襲いかかった。

 

ずしん

「土砂崩れだーーー!」

 

誰かが、叫んだ気がした

隣の おにいちゃ

 

わん

 

おとうさ

おかあさ

 

僕たちは飲み込まれた

 

 

時間が

 

止まった気が

した

 

犬のなく

 

声が

 

どこか遠くで

 

聞こえた

 

私、待ってるって言ったのに

 

誰か、僕を見つけて

 

寒いよ

 

暗いよ

 

ダレカミツケテ

 

ダレカ、ボクタチヲ

ミツケテ

 

私たちはここにいるよ

まだ、土砂に埋まった家の中で

帰りを待ってるよ

誰か見つけて

私たちを、見つけて

 

 

 

 

 

いつもの道。幼稚園に娘を迎えに走り、小さな手を引く。

いつもと違うのは町の雰囲気。みんな誰もが我先にと高台へ走っている。

 

「まま、はしれない」

「じゃあ、抱っこするから」

ママの鞄、ちゃんと持っててね?

 

私の足もがくがくいってる。でも、走らなきゃ。高い所へ、行かなきゃ。

 

数分前に大きな地震があった。

勤務先でそれを体験した私は、揺れが収まったところで上司からの大声を浴びた。

 

「お前、幼稚園に子どもいただろ?さっさと連れて高台へ行け!

津波が来るぞ!!」

 

テレビには津浪の恐れがあると出ていた。上司の勘はよく当たる。

私は急いで娘を迎えに行った。

幼稚園に着くと、娘はすぐに私に飛びついてきた。

「下がぐらぐらしてこわかったの」

私でさえあんな大きな地震は体験したことがなかった。

そして、更に怖いことが間近に迫っていた。

 

先生が

「すぐに避難してください!

警報が出ています!」

と、叫んでいた。

普段は大声なんて出さない先生。

 

子どもより先に逃げられないんだろうな、きっと

責任があるもんな

 

みんな連れて逃げることは、

できないのかな?

 

数が多かったら動けないよ

 

そもそも、レイセイになんていられナイんじゃないかな

 

冷静なヒトナンテあの瞬間にイタノカナ

 

私は娘の手をとって走り出した。

大丈夫

きっと助かる

 

そう信じて走り出した。

 

そして、

真後ろには

 

(ぅうううううウウウー)

 

低く、サイレンが街に響く。

後ろを走っていた人が、横をさっき抜けた人が、

悲鳴をあげた気がした。

後ろに顔を向けた娘が、泣きそうな声で、

 

ううん。私も娘も泣いていた。

 

「ままぁ」

 

私は最期に娘の名前を優しく呼んだ。

 

止まっちゃいけない

前を向いて

 

もう、助からないってワカッテテモ?

 

前を向いて走り続けなきゃいけない

後ろを、絶対に向いちゃいけない

後ろには、

 

数秒後に訪れる自分達と同じ姿が、津波に飲み込まれた街が広がっているんだから

 

意識を失う最期の最期まで前を向いていないと

 

ナンデソコマデ

 

だって、だって。

私はこの子のママだもん。

さいごまで諦める姿を見せたくないの

 

地震発生から津波到達まで×分。

その時間を命終了までのカウントダウンにするか、生き残るための足掻きにするかは最後まで希望を持てるかに左右される。

 

 

 

 

 

勤務先、会社のデスク。今日も電話が鳴り響く。パソコンは俺と一緒に頑張り過ぎて発熱しそうだ。

何時間前に淹れただろう。ホットだったはずのコーヒーはアイスへと変貌している。

 

今日頑張れば明日から連休だ。

家族サービスしてやるぜ!

愛しい嫁と最近ハイハイを始めた息子を思い出す。

 

…よし。これで半日はもつだろう。

残っていた栄養ドリンクを飲み干し、足下のビニールを広げた小さい箱へ放り込む。ガチャンと音がしたが、はて、何本目のドリンクであったか。

 

これを社畜というのか

こんな大人になりたくないな

なるのか?なってしまうのか?

 

時計を見るとまだ昼前。

ぐぐっと体を伸ばし気合いを入れ直す。

よし、やるか。

 

そんないつもの時間。

いつもと変わらない日常。

今日も

明日も

明後日も

ずっとずっと。

続くかと思っていた。

続くのが当たり前だと、当然なんだと。そう勘違いしていた。

 

幸せだとか、不幸だとか。

そんなの関係なしに。

生きていくんだと思っていた。

生きて、いけるんだと思っていたんだ。

 

ダレダッテソウダヨ

マサカ、ジブンガナンテ思ってもいない

 

隣の席の先輩も、前の席の今年入ったばかりの新人も。

みんな、みんな。当たり前に生きていたんだ。

 

そのときまで。

 

ふと、ぐらりと足元が揺れた気がした。

 

「?」

「先輩、今揺れませんでした?」

「揺れ、た、か?」

「揺れてるぞ!?」

 

先輩も後輩も、もちろん俺も焦った。

確かに揺れている。

地震だ。

 

そして、

 

ガタン!ガタガタッ!ガタガタガタ!

 

始めの揺れは前兆だった。

初期微動。

大学を卒業したての頭を持つ後輩が呟いた。

ああ、そんなこと習ったっけな。

じゃあ、初期微動の次に来るものといったら

 

「机の下に潜れ!」

 

先輩が叫んだ。

俺たちは急いで潜った。足が緊張でもつれたのか、揺れが大きくなったのか。どちらかはわからないけど、椅子を倒しながら滑り込んだ。

次の瞬間

 

ぐら

ぐら

ぐら

ガタガタ

ガタタッ

 

大きな大きな揺れだった。

主要動。

立っていることなんてできるはずがないくらいの大きな揺れ。

そう、揺れというよりもう

 

地面が「動く」感じ?

 

俺たちは机の脚にしがみついて動けなかった。上からはたくさんの物が滑り落ちてきた。ハサミがすぐ横をまっすぐ落ちるのを目で追ったときは、思考が止まった。頭の中が真っ白になった。

でも、まだこのときは余裕があったんだろうな。

 

金属の破片やガラスは降り注げば凶器にしかナラナイネ

防災頭巾、ドコニ閉マッタッケ

 

何度か体を揺さぶられ、とうとう俺の体が机からはみ出したとき、それは起こった。

 

「先輩、危ない!」

 

後輩の悲鳴とともに頭上を見れば

 

席の後ろにあったはずの棚が

 

倒れてきていた

 

地震は

 

続いていた

 

俺は、動けなかった。

いつも仕事が忙しくなると、帰りたいなーって思う。

 

カエリタイナ

 

棚の下敷きになるこの瞬間、俺は

 

カエレナイネ

 

ただただ、家族の元へ帰りたくなった。

妻と子の、愛しい笑顔が待つあの家へ帰りたくなった。

 

せめて、午前の休憩中にテレビ電話しておけばよかったな。

 

この瞬間、皮肉にも彼の家ではその妻と子が棚の下敷きに今まさになりそうになっていた。彼女は最期に何もわからない息子を手に抱いてこう思った。

 

この子と笑ってあの人をお迎えしてあげたかったな。

 

一つの家族へ棚が倒れ込む。

家族が揃って休日を迎えることは、もう二度とない。

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は戻らない。

地震が起き、津波が起き、土砂崩れが起きたあの場所にいなければ、きっと誰もが助かったのだろう。

 

大地は嗤う。

 

お前たちは運が悪かっただけなのだと。

何も悪くはない。

ただ、そこにいたことが不運であっただけなのだと。

 

ただ、それだけの話なんだ。

自然に対して抗えるはずがない。

だから、「あの場所」で地震が起きたことは全て不運としか言えない。

津波も、土砂崩れも同じだ。

予測不可能な事態はいつだって起こるもの。

 

でも、そこから発生する「災害」の大きさは人の努力によって少しは小さくできるのではないか。

あの時、こういう対処ができていたら。ここをこうしたら。必要な情報がちゃんと伝わっていたら。他の場所からこんな支援が送れていたら。

 

あの人は。あの人たちは死ななくてもよかったんじゃないか。

あんなに大変な思いをしなくてもよかったんじゃないか。

あんな。あんな哀しい思いをしなくても

哀しい思いをし続けなくてもよかったんじゃないか。

生き残った人も。亡くなった人も。

非情で冷たい空の下で、暗く冷たい土の下で泣き続けなくてもよかったんじゃないか。

 

そう思わずにはいられない。

災害が起こる度に、もっと自分に何かできたんじゃないか。

後悔せずにはいられない。

 

時間は戻らない。

亡くした人たちを生き返らすことはできない。

だから、生き残った人たちは忘れない。過ぎた時間を繰り返し思い出して、未来へ繋ごうと歩き出す。

 

きっと、歩き出せるはず。

すぐには無理でも、きっといつかは。

 

消えていった人たちの灯火は、想いは直接手渡されることはなかった。

最期の瞬間に伝えたかった言葉は物に押し潰され、水に押し流され、土砂に呑み込まれた。

誰にも届かずに消えていった。

 

もしも。

もしも、その言葉を手にすることができたら、自分たちは彼らに何と応えるのだろう。

いなくなった彼らのために、生き残った自分たちは何ができるのだろう。

 

 

→「Xデー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぐるぐるぐるぐる

視界が廻る

 

駅、じゃあな

校庭、後悔なんて

公園、約束だ

自宅、待っててね

道路、いくよ

病室、やっとか

 

ぐるぐるぐるぐる

世界が廻る

 

知ってる。僕、この人たちを知ってる。

コノヒトタチハ

 

僕の

 

ボクノ

 

トモダチ

 

ドウキュウセイ

 

大切な、タイセツナ

 

 

(ぶつん)

 

耳障りな雑音が(キキーーー、ドン)

鈍い音が(どす)

何かが潰れる音が(ぶしゃ)

高い電子音が(ピーーー)

 

嫌だ、聞きたくない

イヤだイヤだ、見たくない

こんなの

コンナ

 

トモダチのサイゴナンテ見たくない

 

「コレガ」

 

肩をトンと叩かれる。

一番近い場所で、ずっと知っていた声。

 

ボクノ

 

「サイゴダヨ」

 

こえ

 

はっと振り向くと、そこには

 

砂時計を顔の横に掲げる

 

頭半分が潰れ、血で真っ赤に染まる顔の横に砂時計を掲げる

 

僕がいた。

 

ボクノサイゴノコトバハ、

 

ボクノ、サイゴハ

 

(ぶつん)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『緊急!緊急!

みんな集まってくれ!』

 

俺のスマホに切羽詰まったメールが入ったのは唐突だった。

俺は地元で小学校の教師をしている、仲間内では有名な怪奇現象オタクだ。

仕事は終わっていたのですぐにアプリを起動させる。

メールの送り主は、これまた地元就職組の警官である同級生だ。

グループラインが開くと、既に何人かが来ていた。

みんな、俺の同級生だ。

 

「にゃぁ」

すとん、と膝に重みがかかった。

「にゃんかあったみたいだにゃ?」

額に桜の花弁のような模様がある白い猫。彼女もれっきとした俺の同級生だ。

一緒に画面を見ながら会話に参加する。

 

『どした』

『緊急搬送された』

『誰が?』

『あいつだよ』

 

 

 

 

七不思議、三つ目の担当をしてる「眠りウサギ」

 

 

 

 

 

→To be continued




『眠りウサギ』

眠れ眠れ夢を見ろ
誰かがどこかで死ぬ時の
誰かの中から夢を見ろ

最期の時間に何を言う?
最期の瞬間、何おもう?

墓場まで持っていく筈の欠片たち
夢に沈む砂時計

眠れ眠れ
最期の時まで眠るんだ

七不思議が三つ目、いざ参る
上書きで書き変えられた砂時計
真実はどこに眠る


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出席番号14番・後編「砂時計」-狸村の援軍- ①

『緊急搬送された』

『誰が?』

『あいつだよ』

 

七不思議、三つ目の担当をしてる「眠りウサギ」

 

 

 

 

 

同じ教室で過ごしていた時から眠ることの多かったそいつ。

ついたあだ名が「眠りウサギ」。

一時期は病気か?と疑ったこともあったけど、いたって健康だった。

でも、中学・高校と上がるに連れてそいつは変な夢を見るようになった。

今日はこんなだった。昨日はこんなだった。

俺はよく、そいつから夢の話を聞かされた。初めて変な夢を見た時も、真っ先に俺の方へ向かってきたそいつ。

 

俺たち同級生は仲がいいと思う。

他のとこがどんなかは知らないけど。

隠し事なんてあり得ないし、男女関係なく付き合いがあった。「いじめ」なんて言葉を知ったのは、進学でバラバラになって外に出た後のことだし、中には人ですらない同級生だっている。

事故で亡くなったやつの代わりに教室へ通い続けた猫。それがさくらだ。正式でないにしても、この猫は俺たちの同級生。

その関係は大人になっても続いている。中には同級生同士で婚約したやつらもいたし、地元に長い間帰ってこれないやつもいた。

でも、半分以上が地元に戻って就職するなりして外に出たやつらの帰りを待ってるんだ。俺は地元就職組の一人。

毎年、恩師の墓には大量の手紙と花が届く。

 

「また、みんなで集まろう」

そう俺たちは約束している。

誰も欠けることなく、また会えるんだ。

 

そんな「同級生」の中で何でそいつが俺に話を持ってくるかなんだけど。

単に俺が怪奇オタクだから。

UMAを信じてるやつとか、寺の家のやつとか、変なやつに好かれるやつとか。いろいろいるんだけど、怪奇現象全般に詳しいのは俺だな。

だから、大抵何が起こっても冷静に分析できるんだよ。あと、どんなはっちゃけたことでも信じる。

嘘だったら論破する自信はそこそこあるし、みんなからも何か変なことでわからなくなったらひとまず俺!ってくらい一目置かれてる。

 

だからだな。

そいつ「眠りウサギ」が俺に夢の話をしてたのは。

 

 

 

俺たちの地元にはさ。七不思議ってのがあるんだ。

あるきっかけがあって、その七不思議をクリアしよう。そう言い出したのは俺だった。

同級生に七不思議を割り振って、解明に乗り出したんだ。

 

バカだと思うだろ?

バカなんだよ。

バカみたいに信じた。

 

一つ目が「切り株」。

これは、母校の小学校に実際あったし、生徒の中でも話が有名だった。

さすが、一個目だよな。

この切り株は今でも学校にある。

ちゃんと探せば、古い文献も出てくるんだ。

 

二つ目が「バス停留所」。

これは、古い地図をもとに実際に回らないと話にならない。

大事なのは「地図」じゃなくて、「停留所」。辿る道のルートじゃなくてポイントさえ押さえればなんとかいけそうだった。

 

そして三つ目。

これが「砂時計」。

「眠りウサギ」が担当したやつだ。

 

 

 

さて、怪奇オタクの俺から「砂時計」の話をさせてもらうわけなんだけど、長くなるぜ?

 

あと、勘違いしないでくれよな。

この「砂時計」の話を解くのは眠りウサギであって、俺じゃない。

俺はただのヘルプなんだ。

 

本を漁って調べるのは簡単だ。でも、現実はその内容の通りとは限らない。

 

今、「砂時計」の七不思議を体験してるのはあいつなんだ。

 

それにさ。

俺の担当は七つ目なんだぜ?

 

 

 

 

じゃあ、始めるか。

 

 

 

『砂時計』

 

砂時計って知ってるか?

見たこと、あるか?

上と下に分かれていて、砂が落ちていくんだ。その時間が一定だから時計として使える。「時間を知る」というより、「時間を計る」時計だよな。

 

砂は上から下へ流れていく。

 

流れきった砂は、時計を逆さにすることでまた流れ始める。

 

砂時計っていうのはそういう物なんだ。

 

俺たちの町にある七不思議の「砂時計」の話、聞いてくれ。

これは、上書きされる前の七不思議だ。

 

七不思議、三つ目。

「砂時計」

この町のどこかにある池には砂時計が沈んでいる。

砂時計の中の砂は落ちきっている。だから、池から出して逆さにして欲しい。時間を進めて欲しい。

 

時間を進めてもらえたら、砂時計は何かお礼をしてくれるだろう。

 

そういう話が七不思議として残っていたんだ。

 

池の名前も場所もしっかり文献に示されていた、ちょっとファンタジー?な七不思議。

そんな印象を、始め俺は持っていた。

 

実際に体験したことのある人の手記やら何やらを調べた。

一つ目の「切り株」もそうだったけど、簡単な七不思議ほど体験談は多い。

 

それでわかったこと。

この「砂時計のお礼」っていうのは、未来予知らしいんだ。

ある人は自分の結婚する女性を。ある人は命の危険にさらされる事故を。ある人は人生で重要な影響を与える人との出会いを。

夢の中で見たらしい。

そして、それは的中する。

 

砂時計をひっくり返すだけでこんなお礼がもらえるんだったら、ラッキーだよな。

ただ、連続でこんな幸運は起こるはずないだろ?

まず、そもそも池があったとしても砂時計があるかは分からない。

沈んでる砂時計なんて見えねぇよ。

第一、砂時計って沈むほどの重さあるのか?

砂時計があったとしても、砂は落ちきっていないと「お礼」は発生しない。

そりゃそうだ。落ちている途中の砂時計は、いきなりひっくり返されても感謝しない。

運が良かったら更に運が良い「お礼」が手に入るんだろ。

そういうもんだ。

 

そういう七不思議だったんだ。

かつてはな。

 

悪意の全くない七不思議。

もし、砂時計を探そうと池に入って溺れても自己責任だ。七不思議は関係ない。

実際、そこそこ池での水難事故とかあったらしいけど欲を出した報いだ。

 

 

 

でも、今はそんな七不思議じゃない。

現に、眠りウサギはうなされて眠り続けている。体はげっそりと衰弱しているよ。

 

どうしてこんなことになったのかって?

この七不思議がこのままだったら問題なかったんだ。でも、変えられた。

 

 

 

池が埋め立てられたんだ。

砂時計は、もう時間を進められない。

 

 

 

 

まずは、眠りウサギから聞いていた夢の話からだな。

 

あいつの「変な夢」の始まりは、今考えるとまんまその七不思議だったんだ。

池の中に沈む砂時計を手に取る夢。

それを皮切りに、誰かの死ぬ時の夢を見始めた。それも、その死ぬ人の視点でだ。

 

なんでその「変な夢」が「誰かの死ぬ時の夢」かわかったかなんだけどさ。

ある時の夢の中であいつ、夢の中だと違う人なんだけど、同級生の名前を呼んだらしいんだ。そりゃ、知ってる奴の名前くらい夢の中でも呼ぶだろうさ。でも、夢が夢だったからその名前の奴に確認したんだと。

当時、俺たちは小学生。

名前の奴は、近場で亡くなった人はいないって言った。

名前を呼んだ声は、しゃがれた爺さんの声だったんだと。

確かに両隣の家にそれぞれ爺さんと婆さんが住んでいるけど、まだまだ元気だぜ?そうそいつは言っていた。

 

数年後、その両隣の家の爺さん婆さんが亡くなった。

 

たまたまだろ。俺たちはそう思った。

たまたま爺さんの夢と婆さんの夢を見た。それが本人たちかは分からないけど。

それでおしまい。

 

とはいかなかったんだな。これが。

 

「変な夢」が「誰かの死ぬ時の夢」だと断言する理由はその後にあるんだ。いや、実際は死ぬ瞬間の夢じゃなかったんだけどさ。

 

きっかけは大雨続きの末に起こった土砂崩れ。

名前を呼ばれた奴、「両隣の家」の奴な、そいつの家の一帯が土砂崩れに呑まれたんだ。

マジか!ってそいつの家だっただろう所へ行ったら変なことになってた。三軒続きのそいつの家。爺さん、そいつ、婆さんっていう風に家が横に並んでたはずなんだ。

土砂崩れってこんなだっけ?って笑うくらいの状況だった。

婆さんの家だけ綺麗に土砂に呑まれてて、他の二軒は無傷。な?笑えるだろ?こんなのあり得ねぇって。

 

ふざけて俺はそいつに言ったんだ。

「お前、なんか憑いているんじゃね?」

そいつは同級生の家の寺に行ったとき「憑いてますね」って言われたそうだ。泣いてたぜ、そいつ。

で、何が憑いていたかというと、隣に住んでいた爺さん。もう亡くなってた爺さんだ。

「え、憑かれるくらい親しかったのか?」って俺は聞いた。そしたらさ。そいつは逆だって言ったんだ。自分に対してずっと雷おやじだった、ってさ。いつもキツく厳しく当たられてたって。

 

でもおかしいよな。土砂崩れで無傷なのはその爺さんのせい以外考えられねぇじゃん?

 

それで思い出したんだよな。「変な夢」。夢の中で爺さんはそいつの名前を呼んで謝ってたらしいんだ。

こじつけかもだけど、その爺さん、最期に後悔してたんじゃないのか?

 

それともう一つ。その土砂崩れが起こって片付けるまで誰もしらなかった事実。

両隣の家のもう片方に住んでた婆さんなんだけどさ。床下に事故で先立った旦那さんと愛犬の骨を埋めてたそうなんだ。まさに「真実は墓場まで」ってな。

 

その婆さんが死んでも隠した、本人の意思で隠していたかは分からないけど、「骨を床下に埋めた」という事実。土砂崩れで家が崩壊するまで誰も知らなかったし、気づきもしなかったそうだ。

 

でも、ただ一人。いや、婆さん本人ともう一人と言うか。

知ってた奴がいるんだ。

 

そう。眠りウサギだ。

 

爺さんの夢とは別にあいつは、婆さんの「床下に骨を埋める」夢を見ていたんだ。

 

亡くなった本人以外知らないはずのことを夢に見た。

俺は、それを理由に断言した。

 

お前が見ている「変な夢」は、実際の瞬間かは別として「誰かが死ぬ時の夢」だ。

 

これがよくなかったのかもしれない。

あいつ自身が「これは誰かが死ぬ時の夢だ」って自覚しちまったんだ。

しかも、話だと夢の中じゃ「誰か」は「自分」。何回も何回も自分が死ぬ夢を見てるのと変わりないだろ?

しかも、夢を見る度にその「変な夢」を見るらしいんだ。

夢の相談をされたの、10や20じゃ納まらない。

 

あいつのあだ名。

「眠りウサギ」な。

学生の頃に付けられた名前なんだけど、その理由がこれなんだ。

 

熟睡できないんだよ。あいつ。

毎回そんな夢を見るんじゃしょうがないよな。だから、いつも時間があれば眠ってた。というよりも、あれは意識を失ってたの方が正しいかもな。

始めはまだまし、夢の内容も回数も、だったけど、段々ヒートアップしてきてさ。高校卒業は辛うじてできたけど、受験に受かった大学は中退した。

中退するって相談をそいつから受けたとき、目の下には濃い隈があって睡眠薬を常用しているって聞いた。眠っているのに眠れていなかったんだよ、そいつ。

週に数回だった相談が毎日になって、日に一度だったものが数回になって。

その度にそいつは、夢の中で死んでるんだよ。俺だったら耐えられない。

 

それでさ。

最近、妙なことを言い出した。

夢の中で君に会った。

同級生~さんと会った。

あれはきっと~くんだ。

 

その「変な夢」に俺たちが出てくる。

眠りウサギはそう言い出したんだ。

どういうことかわかるか?

夢の中で「同級生と会う」、「夢の中で自分が同級生になる」ってことの意味。

 

同級生の死ぬ時を見るって、そいつは言い出したんだ。

 

眠りウサギはな。俺たちのクラスの中でも気が弱いんだ。すぐに何かあると「どうしようどうしよう」「大丈夫かな」「こわいこわい」。すぐプルプル震えてさ。まさに弱虫ウサギ。でも、誰よりも俺たち同級生のことを大切に思ってくれてる。そんなやつなんだ。

そんなやつが俺たちの最期を見る。

そんなの耐えられるわけねぇよ。

 

やつれたあいつから話が来たとき、第一声から「どうしよう」だぜ?こっちが「どうしよう」だよ。話の最後になってくると、もう、泣いてた。

どうしよう、みんながあんな終わり方を迎えてしまう。どうしよう、僕には何もできない。

 

俺にもさ。何にも解決策はなかったんだ。

ただ、やつれていくあいつを見ていることしかできなかった。

 

どうしてそんな夢を見るのか。

俺には分からなかったんだ。

だって、当時の俺は、七不思議の三つ目がこんなことになるなんて予想もしていなかった。

池も砂時計も、まだちゃんと残っている。

そう思っていたんだ。

 

ちゃんと調べておけばよかった。

そうすれば、少なくともこんな風にあいつを苦しめなくて済んだのかもしれない。

 

 

 

 

 

話は現在。

あいつが緊急搬送された病院の、病室の前。

俺と、すぐに集まれた同級生たちが頭を抱えていた。

 

「どうすればいいんだよ」

「これって七不思議なんでしょ?」

「このままじゃあいつ」

 

決まってる。

 

「やるしかないぜ」

 

みんなの視線が俺に向けられる。

 

「この七不思議を解明する」

今起こっている、この七不思議を解明するしか眠りウサギを救う方法はない。

 

あいつは、俺たち同級生の最期を見てしまった。

耐えきれずに持っていた睡眠薬をありったけ飲んだんだ。全部終わらせよう、って。自殺未遂を起こしたんだよ。

 

これを招いたのは七不思議なんかじゃない。

俺たちの甘さだ。

なんとかなるだろうと甘く見たから、あいつを苦しめた。

 

ごめんな。

 

「これが七不思議の一つだったら、解明するしかないだろ。

俺たちの手で解明するんだ」

 

どうか、どうか、ひとつの願いのもとに集まった仲間たちよ。

 

「みんな、力を貸してくれ」

 

その場にいた全員が頷いた。

 

 

 

 

 

 

今、あいつはどんな夢を見ているんだろう?

たった一人で終わらない夢を見続ける「眠りウサギ」。

終わらない悪夢を見続ける「眠りウサギ」。

 

なんでこんなことになったんだろう。

 

俺たち同級生全員がのぞんだ「七不思議」の先は、こんな結果じゃなかったはずなんだ。

俺たちが望んだのは、あの人との××なんだ。

 

 

 

ああ、ごめん。

俺の独り言だ。

 

とにかく。

俺たちはクラス全員でこの「砂時計」の七不思議を解明することになった。30人、眠りウサギを除いてだから29人、全員でだ。

 

絶対、助けてやるからな。

信じて、待ってろよ?俺たち、友だちだろ?

 

俺は眠り続ける眠りウサギのベッドの横にイスを引っ張ってきて、一冊のノートを広げる。そこには、眠りウサギが「砂時計」に関して調べたこと、見た夢のことが細かく書かれている。

 

ほらみろ。あいつはしっかり努力しているんだ。

 

俺は居残り要員としてこの場所に残された。

 

 

 

 

まずは、わかりやすいところから。

 

あるはずの七不思議「砂時計」はもう話したよな。

それと、実際今七不思議を経験している眠りウサギがどうなっているのかも。

じゃあ、次は「今、以前の七不思議のやり方を辿ったら」だな。

 

もうすぐ連絡が入るはずだ。

砂時計が沈んでいるはずの池は近くだから。

俺が知っているのは、人づてに聞いた話だけ。

「その池、ちょっと前に埋め立てられたぜ?」

いつだったか、そんな話を聞いた。

実際には見に行ってないんだ。

 

ああ、電話だ。同級生の現場に行ったやつらからだ。

 

ああ、うん。おい、なんか犬吠えてるぞ?さくら連れてったんだろ?大丈夫か?

いや、それ犬か?犬なのか?おーい、さくら大丈夫かー?んー、まあいいか。

で、そっちどうよ?そっか。やっぱりな…さんきゅ。どうすっかな…

ああ、一旦戻ってきて

うわ!うるさ!おい、なんか変だって!それ、やっぱ犬じゃないって!

 

…あ、切れた

 

変な電話だったな…

同級生からだったぜ?池を見に行ったやつら。

池はもう影も形もないってさ。埋め立てられて、ビルが建ってるって。住所は確かだから間違いはないはず。

いつの間にこうなったんだろうな…

 

お、メールだ。

池のあった場所が辿った経緯がこれでわかるな。

 

よし。じゃあ、一緒に辿ってくぜ?

 

なんか外で犬が吠えてる気が…

いやいや、気のせいだ。

 

えー、まず埋め立てられた年。

俺たちが七不思議を調べ始めた時はまだ無事だったらしいな。そりゃそうだ。「この七不思議、もうありませーん」なんて言われてたら問題だ。

埋め立てられたのは高校生になってから。

意外と最近のことだったんだな。

で、埋め立てられた理由。

「池に飛び込む人が急増したから」

…嘘だな。

池に飛び込む人は元々いたって話だ。七不思議の砂時計目当てのやつらだな。

「砂時計」の七不思議自体はずっとあるんだ。それが今さらになって突然有名になるなんて、考えにくいだろ?他に原因があったとしても、地元民である俺たちが知らないはずない。

 

偶然…だよな?

背筋にぞくっとしたものがはしった。この15の数字が何を示しているのかは、俺には解らない。

 

埋め立てられた年の名前の名字は一個前とは違っていた。そして、それまで規則正しく並んでいた名前が、その年を最後にプツリと途絶えていた。

その年から、既に15と2年経とうとしていた。

 

今の…土地所有者ってどうなってるんだ?

単純に考えれば、「土地所有者」こそ一番その土地に詳しいと思う。だって、自分の「持ち物」のことは大体知っていているのが当然だろ?

 

うわ…わからん。

マジでこんがらがってきた…

 

……

………よし。

ここはあいつの登場だな。

元・学級委員長。

現・役所勤め!

こいつに聞けば一発だろ!

 

はい、電話ー。

(あいつのとこって確か、まだ黒電話だったよな。通じるかな?)

 

つー、つー、つー(がちゃ)

 

あ、俺だ。俺、俺!俺だって!俺なんだから分かるだろ?!

俺俺詐欺じゃないって!

だーかーらー!お…

あ、切れた。

 

あ、かかってきた。律儀な奴め。

 

あー、ごめんご。

ちょっと聞きたいことあってさー。ほら、眠りウサギのこと連絡あったろ。あれだよ、あれ。

砂時計なんだけどさ、あるはずの池が埋められてんの。年とかはわかったんだけど、どうしてそうなったのかがわからんの。

うん、そう。ふんふん。え、ヤバくね?

 

 

 

俺は、今は役所で働いている元学級委員長へ電話をかけ、片っ端から質問を投げ掛けていった。

俺は七不思議に関して極力こいつに頼みたくなかった。同級生みんなに七不思議のことを話したのは俺。でも解明しようと誘いをかけたのは、実は、この学級委員長だったんだ。責任感が人一倍強い学級委員長。今回の件も含めて、俺はこいつに全部を背負わせたいわけじゃない。

だから、遠ざけたかったんだ。

と言っても、結局は向こうもそれがわかっちまってるんだよな。

俺たちは仲が悪いわけじゃない。信頼してるから避けるんだ。あいつができないことを俺がやる。俺ができないことをあいつがやる。それでいいじゃないか。

 

だから、忘れないでくれよ。

『同窓会』の話にはきっと自分の番まであいつは出てこない。出席番号が一番最後の学級委員長。

誰とも関わっていないっていうことじゃない。首をあえて突っ込まずに見守ってるんだ。

だから。

頼るのは今回限り。

 

あいつのことは誰も語らないからな。

代わりに俺が語ってやる。

 

俺たちが同窓会で語る話に誰かしらの他の同級生が出てくるように、学級委員長もずっとそこにいるんだ。

学級委員長は誰よりも先にそこへいって、俺たちを待っているはずだから。

 

だって、あいつは。

学級委員長は

 

 

 

 

 

 

わりぃ。

話がずれたな。

 

 

電話は終わった。

必要なことは全部教えてくれたぜ。さすが、役所勤め。の、社畜。仕事が早え。

しかも、ちゃっかり電話を切る直前に「落ち着いてしっかりやれば、おまえなら助けられる」なんて言葉を残しやがった。

やーっぱ、わかってるんだよな。あの学級委員長は。

 

 

まずな。

15年ごとの土地所有者が代わるのはそのままの意味だ。名義の奴が死亡して、他の奴に所有権が移る。大体血が繋がった誰かだってさ。事故だったり、病気だったり。ここの関係性ははっきりとは言えない。

で、約17年前に今の名義になったらしい。その時、今までと違うことが一つあった。

この町出身じゃない奴が土地を所有したんだ。

つまりな。

元々そこの土地を持っていた人と全く関係のない人が名義に載ったんだ。今まではどんなに遠縁でも血の繋がりはあったそうだ。でも、その時、とうとう誰もいなくなった。

外から嫁いできたり婿入りした人は、様は「他人」。その子どもは血が繋がってる。「この町出身」ってことになるな。

理由は分からないけど、そこの土地を所有して15年でいなくなる。その時、大抵は周りの人、家族とかだな、も一緒だ。

ほんと、わけわかんねぇな。

 

俺たちのこの町にはな。結構古い話とかが色濃く残ってるんだ。

 

町中に植えられていた桜の木。

一番古い、公園に残る一本の桜。

七不思議。

変に強い地元の団結力。

他にも数えきれない位の伝承がある。

 

例えばさ。

俺たち同級生の団結力。異常だろ?

いじめとかが普通にある「外」から見るとキモいだろ。

でもこれが「俺たち」なんだ。

意識はしていないけど、「地元民」ってことだけで無条件に心を許してる。俺にはそう思えるんだ。

 

だから、逆に言えば「外」の奴らと一線引いてるとも言えるかもな。

いや、「外」の奴らが引いてるのかも。

 

名義が外の奴らに代わったとき、向こうはどう思ったかな。

土地が手に入ってラッキー?

池の管理なんて面倒だ?

地元の奴らが変な言い伝えを信じている、気味悪い?

 

多分どれも当てはまるよな。

 

現に、何百年も残っていたはずの池を呆気なく埋め立てたんだから。

俺たちにとっての価値が、そいつらにとっては無価値だったんだ。まあ、しょうがないさ。

土地が手に入るって話が出た段階で、池の埋め立てはほぼ決められたらしい。地元連中の話も聞かないで、というよりこっちには全く話がなかったらしいんだ。業者ももちろん外の連中。

気付いた時には池の水は抜かれてた。

 

 

もう、どうしようもなかったんだろうな。

 

 

本当に古い池だったし。

七不思議だって、時代と共に変わるもんなんだよな。

 

なーんて易々と受け入れてたまるかよ。

 

池の埋め立てはしょうがないとしても、問題はその後!

そいつら、マンション建てやがった。金儲け目的に池を潰してたんだ。やけに最近知らない奴増えたなー、って思ってたんだよな。

こういうことかよ。

 

ということで、砂時計が沈んでいるはずだった池は今じゃコンクリートの下。

 

はぁ…

 

でも問題があるんだよな。

 

こんなことになったら、七不思議「砂時計」なんて消えるはずだろ?

池が埋め立てられてから、もう15年以上経ってる。それでも今の今まで「砂時計」はまだあると俺は思ってたんだ。

 

俺は学校の教師をしてる。だから、そういった話題の時事的なネタもすぐに手に入るんだ。でも、「七不思議が変わった」なんて話、少しも聞いたことがない。池が埋め立てられたって話も、今回のことがなければ「ふーん」で終わってた。

俺だけじゃないぜ?

同級生の誰もが知らなかったんだ。

 

おかしいと思わないか?

 

で、だ。

俺、思うんだけどさ。

七不思議とか都市伝説っていうのは誰かが話を流さないと消えるもの。誰かが少しでも信じていれば、その話はまだ「生きて」いることになるんじゃないかって。

 

だからさ。

 

「砂時計」、まだ池だったとこに埋まってるんじゃないか?

 

じゃあさ。

もし元の七不思議みたいに砂時計を拾い上げて時間を動かせば、眠りウサギも目を覚ますんじゃ?

これしかない…のか?

というか、これくらいしか打開策浮かばねぇ。

 

(わんわんわんわん!)

 

うーん。と言っても、どうすんだよ。池はコンクリの下だぜ。

 

(わんわんわんわん!)

 

うるせぇ!

 

あー

そう言えば、眠りウサギも犬飼ってたっけな。変な犬。ちっさい頃に山で拾ってきた犬。

どっかの昔話みたいに怪我してたのを拾ってきて、手当てしておいといたらなつかれたっていうお決まりの話なんだけどさ。

ずいぶんと長生きしてるよな、あの犬。俺たちが幼稚園児の時の話なんだぜ?それ。

電話口で吠えてたのもあの犬かな?

犬じゃないような気もするんだけど…

 

その犬を拾った山も、半分もうないんだよな。池ほどじゃないけど、町を跨いであった山だから土地開発で切り崩されたんだ。今じゃ、俺たちの町に入ってる部分だけ辛うじて残ってる状態。

 

可哀想だよな。その山にいた生き物たち。

ああ、可哀想なんだよ。

その池にあった砂時計も。

勝手な都合で潰されて、消されて。

だから、もし砂時計に意思があったら俺たちにも怒っていいんはずなんだ。なんで助けてくれなかったのかってね。

 

今のこの現状ってさ。

もしかして「砂時計の呪い」じゃなくて「砂時計のSOS」なんじゃないか?

…考えすぎかな。

 

俺の勝手な想像だ。

 

なんにしても、眠りウサギを助けないことには話は終わらない。

 

さあ、どうすっかな。

どうすれば池のコンクリを打ち破れる?

どうすればコンクリの下の砂時計を取り出せる?

 

聞こえていたはずの犬の鳴き声は、いつのまにか遠くなっていた。

 

 

 

 

 

 

町の裏道を走る獣の影があった。

 

 

 

我は犬なり。

今は昔、眠りウサギなる人の子に助けられし身なり。彼の子どもも大きくなり、我も癒しとしての務めをはたして幾うん年。そろそろ彼の元を離れるのもよいかと考え始めた矢先であった。

 

桜ヶ原の七不思議とやらが一つ、砂時計が消えた。

 

我が生まれし山には村があり、桜ヶ原の七不思議の話は聞き及んでいた。

その地の七不思議は、多少変われども本質は不変のものであった。

そのはずであったのだ。

 

しかし、いつの頃かその一つである砂時計があるはずの池が埋め立てられたのだ。

あの池には昔から我らが一族の友と呼ぶべき種族がいた。

今では我らも彼らも住む場所を奪われた。

我らの山も、彼らの池も、かつての姿を残せていない。我ら一族は残った山の半分に村を作り、彼ら一族はこの地を去った。

我らの棲みかを奪ったのは人の子だ。

 

我を助けたのも、人の子だ。

 

我は走る。

助けを乞いに。

かつて我を助けた友を、今度は我が助けに。

 

 

 

我は犬なり。

 

「犬」という名を人の子に貰った、タヌキだ。

 

我は走る。

故郷である狸村へと。

 

助けてくれるだろうか。

砂時計をすくい出すことができるだろうか。

 

助けて見せる。

同窓会まで、まだ時間があるのだから。

 

我は犬なり。

犬という名の、狸なり。



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出席番号14番・後編「砂時計」-狸村の援軍- ②

ごぽり

 

口から気泡が浮かぶ。

ここは、どこだ

冷たい水を体に感じる。しかし、体は濡れていない。ただ、何かが纏わりつく感覚だけを感じている。

 

眠りウサギは眠り続ける。

深く、深く、冷たい池の中で。

これもまた、夢である。

 

うっすらと目を開くと、横に浮かぶ砂時計が目に入った。

 

砂が流れない砂時計。

そうだ。この、砂時計は。この、七不思議は

 

一瞬浮かび上がった意識は再び池の底へと沈み始める。

 

これは、眠りウサギが見た夢のひとつである。

 

 

 

 

 

 

 

季節は夏から秋へと渡っていった。

既に眠りウサギが眠り始めて3ヶ月が経とうとしていた。

俺たちは何もできずに、毎日あいつの病室を訪れて、話しかけ、唇を噛み締めながら病室を後にした。誰もが眠りウサギの薄くなった手を握って

「絶対に助けるから待っててくれ」

と声をかけていた。

「信じてくれよ。俺たち、友だちだろ」

眠る友に俺は語りかける。

何もできない自分に苛立つ。なんで、何もできないんだよ。時間だけが過ぎていく。

 

もうすぐ、冬になろうとしていた。

 

「砂時計を掘り出す」。ただそれだけのことができない。やるべきことは同級生全員が満場一致だった。だが、上には既に建物が建ってしまっている池からどうやって掘り出すかが壁となっている。池のどこにあるかもわからない、そもそも実際にあるかもわからない砂時計。そんなものを取り出したいと「外」の連中に話をしても無駄だった。

役所の連中も証拠がないからと、みんな頭を下げていた。

 

どうしよう

どうする

どうすればいいんだよ

 

俺たちは焦っていた。

眠りウサギの体は、日に日に薄くなっていく。

 

もう、眠りウサギも俺たちも限界かと思われたその日。

事件は唐突に解決へと転がり出した。いや、どちらかと言えば、転がされ始めたという方が正しいのかもしれない。

 

池の上のビルが倒壊した。

 

俺たち、何もしてないぜ?

さすがにテロリストにはなりたくない。

 

しかも、爆破とかそういうものじゃなくて、土台から崩れた様な感じだったらしい。地面、つまり埋め立てられた池の方に問題があったんだ。

 

俺たちはすぐに現場へ行った。

いやー、見事に崩れてたぜ。

 

はっきりと池の形に沈み込んだコンクリートの塊。そこからはごぽごぽと水が滲み出していた。

俺は思わず口元が緩んだ。誰かが興奮したように言った。

「おい!あの池、まだ生きてるぜ!埋め立てられてもまだ生きてやがる!!」

その通りだった。

池は生きていた。

俺たちの、桜ヶ原の七不思議「砂時計」はまだ生きていたんだ。

 

俺たちは声をあげて笑った。どれくらいぶりだっただろう。その声の中には、もちろん俺たち同級生以外の声も聞こえた。

 

 

 

ああ、七不思議は俺たちの予想の範囲を軽々と越えていきやがる。これだから「怪奇」現象はおもしろい。

 

 

 

さて。ずっと壁だったビルが倒壊して掘り出し作業に取りかかる。

 

とはいかなかった。

 

ぱっと見て、俺たちは倒壊した原因は池からの水だと思った。埋め立て不足だったんだろうな、って。一部の人は、池が息を吹き返したとも言うくらいだった。

 

でも違ったんだな、これが。

 

池が埋め立てられて15年以上経っていた。今になって埋め立てが不充分でしたなんてあり得ないんだよ。俺たちにしてみれば「結果オーライ」で、それより早く探索させてくれっていう気持ちの方が急いでいたから気にもしなかった。

専門家は下に穴が空いているのかもね~、という気の抜けた話をしていた。

その人は地元民だったけど、他人事だな。まあ、他人事なんだけどさ。

要は原因不明だったわけ。

瓦礫の片付けも含めて調査するからってことで、しばらく立ち入り禁止になったんだ。さすがに瓦礫がそのままだと俺たちも入れなかったからそこはよかったかな。

 

 

 

池の水は今日も溢れてきている。

季節はもうすぐ冬。

吐く息も白くなってきていた。

 

 

 

池の水が、凍ってしまう。

池が凍ってしまえば砂時計を探すことは不可能だ。氷がとける春まで待つしかなくなる。

待てるはずがなかった。

眠りウサギの体はもう限界だ。

 

 

 

俺たちは、瓦礫と重機が退かされる日の夜を待って行動に移すことにした。

 

 

 

 

 

話は変わるが、最近眠りウサギの家の庭にある犬小屋にイヌ以外の動物が出入りしているらしい。というか、イヌそっくりの動物らしいんだけどさ。

俺は思っている。あと、同級生のさくらも。

さくらはネコだ。

「あれって…タヌキだよな(にぇ)?」

 

幼い頃に眠りウサギが保護した「犬」は「狸」だ。

眠りウサギ本人は気づかないで、そのまま「イヌ」という名前をつけた。まあ、犬っぽいと言えば犬っぽいんだろうな。

だから、眠りウサギの家で飼われているのはタヌキ。

みんな「イッヌ!イッヌ!」とか呼んでいるから、気づいている人も「あそこの家のタヌキはイヌだ」ということになっている。

なんかもうわけわからん。

 

まあ、愛されるタヌキの「イヌ」ちゃんってことだ。

 

俺もあいつの家に行く度にイヌを呼んで撫で回しているから、いつも癒されている。

そのイヌそっくりの動物といえば、もうタヌキしかいない。

 

 

 

え、タヌキ大量発生?

もうすぐ冬なのに?

 

 

 

今日もふくふくと脂肪を蓄え、もふもふと冬毛に包まれたタヌキたちが眠りウサギの家に出入りする。

なんだかわんわん言ってる気がする。

 

おい、その中心にいるイヌ。

もうすぐおやつの時間だぞ。

今日は多めにジャーキー用意してやるからな。

みんなで分けろよ。

 

今日も俺たちは癒されるのであった。

 

 

 

 

 

そして、やっと撤去作業が終わった日の午後。

俺は同級生たちに「○時に開始。掘り出すぞ」とだけメールを一斉送信した。一度病院へ寄って、眠りウサギの顔を見てから池に向かうことにした。

池に向かう道で、なぜかイヌに会った。自由なタヌキは俺についてくるようで、首輪にリードを付けて一緒に行く。

辺りも暗くなってきて、池の周辺に人の気配も少なくなってきた。

 

メールに書かれた通りの時間に俺たちは集まった。半分集まればいいと俺は思っていたが、なんと全員集まっている。あの、学級委員長さえもだ。

 

おい、なんでお前までいるんだよ。

 

眠りウサギのためだ。数がいれば短時間で終われる。

 

そりゃそうだけどさぁ

 

 

 

おーい、懐中電灯足りないぞー

 

二人一組でやればいいんだってばー

 

長靴組みと懐中電灯組みでペアねー

 

貴重品ここにまとめておけよー

 

さくらが見張ってるにゃー

 

 

 

あちらこちらで声があがる。

お前ら、全員来たのかよ。

思わず笑みが浮かぶ。本当にどうしようもない同級生たちだぜ。

 

そうして俺たちは一晩かけて砂時計を探した。

 

砂時計は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、どうしようもなくて。

どうすることもできなくて。

 

俺たちは朝を迎えた。

 

砂時計はどこにあるんだよ。

砂時計はどうしてないんだよ。

そもそも

 

砂時計なんて本当にあったのか?

 

七不思議なんて、本当にあったのか?

 

砂時計も、七不思議も、本当は

 

はじめからなかったんじゃ

 

 

気づいたら俺は池の中で膝をついていた。水は首まで浸かっていて、沈まないように誰かが上に引っ張ってくれていた。

 

同級生たちの中でも、誰よりも限界だったのは俺だったんだ。

 

教師の仕事もこなして、毎日病院へ見舞いに行って、あいつの家の様子も見て、情報をまとめ、指示を出した。

 

しばらく休めと誰かが言った。

代わりは自分たちが何とかするから、と。

友だちだろ、信じてくれよ。

俺が眠りウサギに言った言葉を、今度は俺が与えられた。

 

土日にかけて俺は布団の住人になった。何もしないで、ただ体を休めて飯を食って、俺たちのアルバムを開いた。

そこにはかつての恩師が笑っていた。

 

先生、どうすりゃいいんだよ。

先生が教えてくれた、先生が話してくれた話が、俺たちを傷つけてる。

俺たちはただ、もう一度貴方に会いたいだけなのに。

 

外はもう暗くなっていた。

 

 

 

ふと、目が覚めた。

時刻はもう真夜中で、人なんてうろつかない時間だった。

窓の方からカリカリと音がする。俺は気にもしないでもう一度布団にもぐろうとしたときだった。

 

わん

 

小さく声がした。

聞いたことのある、犬にしては違和感のある声だった。タヌキだった。

 

俺は一度閉じた目を開いて、物音のする方へ目を向けた。

相変わらずカリカリと音をたてるそいつは、カーテン越しに影が月明かりに浮かび上がっていた。

「イヌ?」

どうしておまえ、そんなとこにいるんだよ?

ふらりと立ち上がって、俺は窓へ近づいた。そして、からりと窓を開けると、そこには。

 

そこには、一匹のタヌキがいた。そいつは首輪をして、野生とは思えないほどの毛づやをしている。

「イヌ」だった。

 

俺とイヌは窓ガラス越しに視線を交わした。イヌは何か言いたそうだった。座って此方を見ていた。早く気づけと、誰かが言った気がした。

 

「ちょっと待て」

俺は急いで服を着替えて靴を持ってきた。

そして、俺とイヌは白い息を吐きながら夜道を走り出した。

 

先を行くのはイヌ。俺がついていける速さを保ちながら、時々後ろに顔を向ける。その後ろを俺はただ追った。

 

月明かりの下、俺たちは走った。

切り株のある小学校、光が点滅する角のコンビニ、終電間近の駅、何かが潜みそうな地下通路の入り口、春には桜が咲く公園、廃病院が見える坂の下、花束が添えられる道路。俺たちはどんどん追い越していった。

行き先は、砂時計の眠る池。

 

その日は、満月だった。

池にくっきりと写し出された月は綺麗で。

でも、それすら忘れるくらいおもしろい景色に、俺は出会ったんだ。

 

 

ばしゃり

ばしゃり

 

池に着いてまず気づいたのは、大きな水の跳ねる音。そして、水面に浮かぶ大きな大きな甲羅たち。

その中に、がさがさと土を掘る音が交ざって聞こえた。

時折、わんだか、ぎゃぁだか、色んな鳴き声が聞こえた。

 

まだ水が戻っていない所でたくさんの獣たちが穴を掘っていたんだ。

たくさんのタヌキ、イタチ、ハクビシン、そしてネコ。多分、他にもいたと思う。その中に、一匹だけ首輪をしているタヌキがいた。横を見ると、いつの間にかいたはずのイヌがいなくなっていた。

水辺では相変わらず水音と甲羅が浮かんでは沈むの繰り返しだった。あんな大きな甲羅、海ガメくらいだ。

 

俺は地元の古い文献と同級生の話を思い出した。

『桜ヶ原の池にはかつて河童が集落を作っていた』

「俺の親戚の住んでるとこ、竜宮城と河童の伝承があるんだぜ」

 

その同級生と河童の話をしたとき、俺たちはこういう話をした。

「もしもさ。

俺たちの桜ヶ原にある池と、その親戚の所が繋がっていて、河童が行ったり来たりしてたら。おもしろいよな」

 

池が埋められた時、同時に住んでいた河童の集落も壊してしまったんだと思っていた。俺たちが追い出してしまった河童たち。

桜ヶ原には、もう、河童はいない。

河童は、もう住めない。

なのに

 

なのに

 

なんで

 

「わん!」

イヌが吠えた。いつの間にか下を向いていた顔を上げると、一つのコンクリの塊に乗り上げるイヌがいた。

まだ所々に小さな瓦礫は残っていて、それもその一つだった。

大きさは、

 

調度砂時計が一個納まるくらい。

 

水の中にはなかった砂時計。

もしかして、その中。

 

一匹の、一頭の?一人の?影がそこに近づいていった。月明かりがそれの姿をはっきりと浮かび上がらせた。

大きな甲羅。

頭に皿。

人の様に二本足で立って歩く。

両手に水掻き。

 

河童だった。

 

たくさんの書物で見てきた「河童」がそこにはいた。

河童は腕を振り上げると、信じられない速さで叩きつけた。すると、それがコンクリートという石の塊であったのが嘘のように、パカンと簡単に割れた。割れたように見えたが、一体どれ程の力でそうしたのかはわからない。

河童は数回頷くと、水の中に潜っていった。最後に、大きな甲羅がとぷんと沈んだ。

同じように次々と甲羅が沈んでいった。池の周りに集まっていた動物たちも、気づけば姿を消していた。

 

俺は呆気に取られて立ち尽くしていた。そんな俺の前にイヌが何かを咥えてやって来た。その後ろにはたくさんのタヌキたち。

 

『桜ヶ原の山には狸の村がある』

そんなことを思い出した。

 

俺はイヌが咥えてきたものを受け取った。

砂時計だった。

なんのへんてつもない、ただの砂時計。俺にはそれが「七不思議の砂時計」だと不思議とわかった。

 

 

ぽろりと涙が出てきた。

 

なんでかはわからないけど。

でも、なんでだろう。

砂時計に対して。

これまでの苦労に対して。

眠りウサギがやっと助かるという安堵。

そして、きっと、俺たちが今までやってきたことは、信じてきたことは、間違ってなかったんだという、安心。

そういうのがごちゃ混ぜになって、このとき溢れ出したんだと思う。

 

俺は、地面に膝を着いてイヌから砂時計を受け取った。

そして、彼らに頭を下げて

 

「ありがとうございます。

ほんっとうに、ありがとうございます」

 

感謝の意を示した。

 

 

 

 

 

俺たちの長い夜はもうすぐ明ける。

 

 

 

 

 

 

次の日、俺は早朝にメールを送信した。もちろん宛先は同級生。全員に一斉送信だ。

「砂時計がみつかった。

放課後、病院」

それだけのメールだった。

勤務先の学校ではいつも通り。通勤鞄の中では、砂時計がひっそりとハンカチにくるまれていた。

 

何時間経っても、返信は一件も来なかった。

生徒たちを見送って、同僚たちから見送られて、俺は眠りウサギの元へと向かった。

 

何十回も通った病室の前で息を吸って、吐いた。右手に砂時計を握り締めて。

 

戸を開けると、そこにはもう同級生たちが揃っていた。何人かはいないみたいだが、きっとメールが送られてくるだろう。

「待たせた」

それだけ言って、ベッドで眠る同級生の側へ行った。

 

本当に、待たせちまったな。

 

俺は彼の掌を開いて、上に砂時計を乗せた。下に砂が下がりきった砂時計。

 

俺たちがずっと探していた、七不思議の砂時計。

 

くるりと反転させる。

 

時間よ、動け。

時間よ、進め。

 

さらさらと、砂が落ち始めた。

 

 

俺は、眠る同級生の顔を覗きこむ。

ゆっくりと、ゆっくりと、彼の瞼が上がっていく。

 

「…おはよう」

「遅すぎだ」

 

 

 

俺たちの、長い長い夜は明けた。

 

 

 

 

 

 

空はオレンジに染まって、もうすぐ本当の夜がやってくる。そして、また朝がやってくるんだ。

今夜は誰もが夢を見ずにすむだろうか。

それとも、彼が見続けたような最期の夢を見るのだろうか。

 

眠るのが怖い。

夢が恐い。

 

夜が、暗闇がこわい。

 

そんなとき俺は思い出すんだろう。

 

 

 

「ながい夢だったよ。

こわい夢だった。

でも、目が覚めてみんなの顔が見れて、そんなの忘れちゃった」

 

 

 

眠りウサギがその後に言った言葉と、

 

笑う大切な仲間たちの顔を。

 

 

 

 

 

 

「おはよう、眠りウサギ」

 

 

 

 

 

 



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出席番号14番・後編「砂時計」-狸村の援軍- ③

さあ、これで俺の話は終わりだ。

おっと、大事なことを忘れてたぜ。

 

今回、俺たちは眠りウサギを助けたくて色々やったんだけどさ。

結局何もできないで終わっちまった。

 

誰が俺たちを助けてくれたんだろうな?そこを明らかにしておきたい。

 

あとちょっとだけ、俺の話に付き合ってくれな。

 

 

 

 

俺は、今回のことを通していくつか疑問が残ってる。

 

砂時計と眠りウサギの関係

代わってしまった七不思議「砂時計」の内容

建物の突然の倒壊

タヌキと河童と動物たち

 

大まかに言えばこの4つ。

順番にいくか。俺がわからないことは…他のやつが教えてくれるだろ。

 

まず、砂時計と眠りウサギの関係。

全ては眠りウサギが妙な夢を見始めたことから始まった。

人が亡くなる瞬間の夢だ。

いなくなる人は、最期に何を思うのか。そんな、夢。

詳しくは省くけど、俺が聞く限りあいつが見始めたのは小学生。もしかしたらそれより前かもしれない。

眠りウサギが大人になるにつれて見る夢も増えていった。

 

俺は、これはあいつが得た情報量の変化によるものだと思う。ニュースだとか経験、生きてきた中での出会い。そういうのがあいつの中で多くなったから、それに関連した夢をより見やすくなったんだと思う。

現に、最後らへんは俺たち同級生の夢を見ていたらしいから。

 

辛かっただろうな。仲のいい友人が死ぬ夢を見続けるなんてさ。

 

そして、とうとう自分が死ぬ夢を見始めた。これ以上近い「存在」はないだろう。次の夢はなかった。

あいつは倒れて病室で眠ってる間、ずっと自分が死ぬ夢を見ていたらしい。

 

 

 

さて。終わりははっきりしている。

でもさ、そもそもなんで眠りウサギだったんだ?

 

砂時計自体に関わったやつはもっといるはずだ。埋まっている間だったらもっと限定できる。

例えば、仮定の話なんだけど。

もし、この砂時計が「掘り出してもらいたい」ってSOSとして夢を見させていたのなら。

「砂時計の七不思議を使ったことのあるやつ」、「砂時計が池にあることを知っているやつ」、「地元出身の工事関係者」。そういうやつらに見させた方がすぐに掘り出してもらえないか?

夢に砂時計が出てくれば「砂時計に何かあった」、「砂時計の呪いだ」って思うと俺は思うんだけど。

 

 

 

うーん…

本当に仮定の話だからなあ。

「掘り出してもらいたい」イコール「時間を進めたい」って流れで俺は考えているんだけど、俺一人じゃまたわからん状態じゃねぇか。

 

きみ、たまに頭が固くなるときあるよね。

 

お、眠りウサギ。イヌ、もういいのか?

 

うん。さんぽもごはんも終わってぐっすりだよ。

きみが疑問に思っていること、眠りウサギことこの僕が答えてしんぜよう。

全部は無理かも知れないけどね。

 

お?言ってくれるな。怪奇オタク、なめんなよ?

 

じゃあ、改めて今回の話『砂時計』をまとめようか。

僕が見た夢の話と

 

俺が見た狸の話。

 

 

どこかで「わん」となく声が、風にのって聞こえてきた気がした。



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出席番号14番・後編「砂時計」-狸村の援軍- ④

僕たちの地元、桜ヶ原には昔から七不思議がある。

切り株、停留所、地下通路、地図、同窓会、そして、

 

砂時計。今回の、七不思議だ。

俺たちは小学校の同級生で、ある理由から七不思議を調査することにした。そして、さいごにはとっておきの話を持って集まろうと約束した。もちろんクラス全員参加だ。

この「集まる」っていうのが「同窓会」なんだ。

俺が担当している七不思議。

同じように分担を決めて七不思議を調査しようとした。

「砂時計」の担当は、こいつ。

 

僕、眠りウサギさ。

僕の担当する「砂時計」は三つ目の七不思議。この町のどこかにある池には砂時計が沈んでいる。砂時計の中の砂は落ちきっている。だから、池から出して逆さにして欲しい。時間を進めて欲しい。時間を進めてもらえたら、砂時計は「夢で未来を見ることができる」というお礼をしてくれるだろう。そんな内容が桜ヶ原にはずっと伝わっていた。

 

そう。伝わって「いた」んだ。

 

うん。

 

俺たちがまだ学生の頃。同級生みんなで七不思議を調べようと決めたとき。それはまだ変わらずにあったはずだった。だから、俺は眠りウサギに「砂時計」の七不思議を担当させた。

簡単な話だった。

そのはず、だったんだ。

 

うん。

僕もそう思っていた。

でも、実際はそうじゃなかった。

文献を読んで僕が辿り着いたのは、コンクリートで埋め立てられた池の姿。そして、その上に建てられたビル。

七不思議「砂時計」は見る影もなかった。

 

どうしてそうなっちまったんだ?

桜ヶ原は地元精神が強い土地だ。ここで育ったやつなら誰もが知ってる七不思議。それを壊すなんてこと絶対にしない。

昔からある七不思議の言い伝えの、更にはこの土地唯一と言ってもいい池が埋め立てられるなんてことあり得ないんだ。

 

答えは簡単。

池を含めたそこ一帯の土地所有者が替わったんだ。元々そこは一定周期で名義が変わる。それは、一定期間が経つと名義人になった人とその家族がなぜか亡くなるから。

何度も何度もそれを繰り返して、とうとうその血筋の人がいなくなった。だから全く無関係の、桜ヶ原の外の人が今回名義にあがっちゃった。

 

そいつらにとってこの土地は手に入ってラッキー。それっぽっちの価値しかない。

だから、簡単に埋め立てられた。

 

そう。僕も君も見た通り池は水が抜かれ、代わりにコンクリートを流し込まれた。

多分、その池にあるはずの砂時計ごとね。

 

その事実を知った後で、お前、眠りウサギは倒れた。

何ヵ月も眠り続け、変な夢を見続けた。

俺はこれを砂時計の呪いだと思った。砂時計が助けてくれと訴えているんだと。

さあ。まずはそこから話してもらおうか?

眠りウサギ。

もう、何か解っているんだろ?

 

では。

長い話となりますが?

 

もちろんそのつもりだ。

お前の七不思議『砂時計』、聴かせてもらおうか。

 

 

 

 

 

 

全ての始まりは僕たち同級生が七不思議を解明しようと約束したあの日。

 

 

 

よりも更に前。

 

僕が「眠りウサギ」と呼ばれるようになるきっかけとも言えるんだけど、僕は以前今回みたいに眠り続けることが一度あったんだ。

それは本当に偶然で、僕も君も、他の人たちも覚えていなかったこと。

今から30年近く前。僕が物心ついたかくらいの頃。

僕は池に落ちたことがあるんだ。

もう、父さんも母さんもいないから、証人はいないけどね。

そう。

それが、砂時計の沈むとされる今回のあの池。

僕が『砂時計』と関わったのは、今回が初めてじゃないんだ。

 

その時助けたのが、今僕の家にいるイヌ。

ははっ!当時の僕は本当に犬だと思って「犬だ!犬だ!」って喜んで、助けて家に置いた後も「犬」って呼び続けたんだよね。後で知ったんだけど、あれはタヌキ。近くの山に住んでたタヌキなんだよ。

でも、今さら呼び方を変えられなくて「イヌ」のまま。

でも、ま、それでいいんじゃないかな。

きみも大好きだろ?あのもふもふ。

 

ああ、ごめんごめん。

池に沈んだ砂時計の話だね。

 

あの時のことは本当に覚えていないんだ。なにせ、小さい頃の話だし、池からあがったあとしばらく入院生活だったみたいだし。

今回みたいにね。

ずーーーっと、眠ったまま。

池に落ちた時に砂時計を見つけたのか、眠っている間今回みたいに変な夢を見ていたのか。

そんなのもうわかんないよ。

でもね。僕が本当に小さい頃、池に落ちたのは確かだと思うんだ。

だってさ。家にその時助けたっていう「イヌ」がいるのが証拠だろう?

普通タヌキなんて家にいるはずないよ。

 

15年。

砂時計をひっくり返して15年。

七不思議と出会って15年。

七不思議がある土地の名義とされて15年。

 

この人たちみんなさ。

15年で亡くなっているんだ。

 

僕以外はね。

 

ここまで偶然に「15年」っていう時間が揃うことってあるのかな?

 

砂時計にはね。

それぞれに決まった時間があるんだ。砂が片方の空間からもう片方の空いた空間に流れ落ちるまでの時間。その時間は、形とか大きさによって違う。

 

3分のもの。5分のもの。30分のもの。1時間のもの。

造りによって違うんだって。

 

僕、おもうんだ。

この七不思議の砂時計ってさ。

 

「15年」の砂時計なんじゃないかって。

 

15年で砂が下に落ちきる砂時計。

 

うぅーん、単なる想像なんだけどね。

15年間同じ人の名前で池が保持されるでしょ?なら、砂時計も動かされないはず。砂が下に落ち続けるんだ。

 

さらさらさらー

 

ってね。

で、15年で上半分には何も残らない。

上半分が空になった砂時計。

池の名義が代わる。池を、まもる人が代わる。

 

くるん

 

砂時計はひっくり返されて、また15年分の砂が下に落ち始める。

 

え?変だって?

以前の七不思議は、砂時計をひっくり返すから、砂時計に感謝されて未来予知を与えられる。そういうものだったはずだって?

 

それって、本当にひっくり返したの?

 

本当に感謝されたの?

 

誰もそうだとは言えないよね。

 

本当にその人たち、「いいこと」を教えてもらったの?

 

事実だけを言えば、その人たちは15年以内で亡くなってる。それが予知されたことかは分かんないけどね。結局、その未来予知の夢って見た本人にしか分かんないんだよ。

僕が今回見てきた夢たちみたいにね。

 

夢は映画じゃないんだ。フィルムという記録が残っているわけじゃない。同じ夢を見ることはできないし、正確に他の人へ内容を伝えることもできないよ。

なによりね。

夢には「視点」というものがある。

見た人にとってはGood Endかもしれないけど、示すことはBad Endなのかもしれない。

最終的な彼らの結末は、どれも死を辿るものだ。

 

僕はこう思う。

以前の七不思議「砂時計」は砂時計に触れた者の死を予告するものだ、ってね。

だから、砂時計が池の中でどうなっていたのかわからない。

そうでしょ?

だって、きみが僕の為に探してきてくれた砂時計、どこから見つかったんだっけ?コンクリートの中からだよね。

砂時計は想像もできない状態で見つかった。水中でどうなっていたのかわからないんだよ。

 

この「砂時計」っていう七不思議は、その名の通りあの砂時計がキーポイントなんだ。

 

そう、それでね。

もう一つ思うんだけど、砂時計の中の砂。あれって

 




あれ?


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出席番号14番・後編「砂時計」-狸村の援軍- ⑤

あれ?


俺は眠りウサギの声を聞きながら、呆然とそいつの顔を見ていた。

うん

そうだ

納得できる

話の内容を理解しながら、どこか違和感が砂嵐のように時折襲い掛かる。

俺の知っている眠りウサギは、こんなだっただろうか。

 

こんなによく喋るやつだっただろうか?

 

触れると死を予告する砂時計。

それに昔触れた眠りウサギ。

数年単位でひっくり返される砂時計。

更新されずに時間の止まった砂時計。

予告された死の夢を見始めた眠りウサギ。

眠り続けた眠りウサギ。

 

眠りウサギの声が、やけに冷たく俺の頭に響く。

 

 

 

 

ねえ。

 

本当にこの話は、

 

good endだなんて

 

誰が

 

言ったの?

 

 

 

 

 

 

そうだ。

俺があの月明かりの夜に見つけたモノは

砂時計なんかじゃなくて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不意に意識が浮かび上がった。

いつから眠っていただろう。嫌な汗を身体中から流している。

ギシギシいう上半身を起き上がらせ、時計を探す。

 

今日は何日だ?

今、何時だ?

 

 

 

 

 

 

携帯にメールのランプが点滅している。俺はメールを開いた。

 

そのメールにはたった一文だけが載っていた。

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 

 

差出人は

 

眠りウサギからだった。

 

 

 

 

 

同級生の誰かから着信が入る。

夢から醒めた瞬間だった。

俺が、夢から醒めた瞬間だった。

 

 

 

どこからどこまでが夢だったんだろう。

 

いつから眠りウサギは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺があの夜見つけたモノは、眠りウサギの変わり果てた亡骸だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一つのおとぎ話をしよう。

俺たちの、桜ヶ原に伝わるおとぎ話だ。

 

昔むかし、桜ヶ原のお城にはとても優しいお姫様がいた。

小さなお姫様はどんな人にも、どんな動物にも優しくし、みんなから好かれていた。

 

ある時、お姫様が一匹のタヌキを助けた。

そのタヌキは、桜ヶ原の大山にある狸村のタヌキだった。ケガをしたタヌキを城へ連れ帰り、歩いて再び生活できるようになるまで面倒をみたお姫様。

タヌキは大層感激し、城を去るとき「このご恩はこの地の桜が全て枯れ死ぬまで忘れませぬ」と言い残した。

 

ある時お姫様が池で溺れた。

誰も見ていないところで溺れたお姫様。助けることができる者は誰もいなかった。

もちろん、何故お姫様が池に近づいたのかさえ誰にも知ることはできなかった。

 

お姫様の両親は悲しんだ。

そして、お姫様のいなくなったことを知った桜ヶ原の民もきっと悲しむだろう。ああ、彼らに何て伝えればよいだろうか。

その時、隣国との戦が近づいていた。士気が下がった国に攻め込まれれば勝利は難しい。

 

そこにポンと一匹のタヌキが現れた。お姫様が助けた、あのタヌキだった。タヌキは言った。

「姫様に助けていただいたこの命、使いましょう」

 

そして、戦は勝鬨を手にした。

城には変わらず優しく微笑むお姫様。

戦場には桜の紋の散る鎧を纏う兵と、毛皮をあしらった鎧を纏う兵が共闘したという。

彼らは「桜ヶ原のために。姫様のために。」と声を掛け合い、戦場を駆けていたという。

 

戦は終わり、毛皮の兵が城を去る日、お姫様が彼らと共に城を去ると言い出した。彼らの住む村へ行くのだと、お姫様は言った。

 

此度の戦に尽力をいただいた彼らへの褒美として姫が嫁ぐのだという。

嫁ぎ先は、彼らの頭である。

そういうことならばと、桜ヶ原の民は大いに喜び、城の家臣たちも笑顔でお姫様を送り出した。

 

かくして、お姫様は桜ヶ原から姿を消した。

見事な幕引きであろう。

 

 

 

お姫様の両親はタヌキに頭を下げる。

まずは毛皮の兵たちに助力いただいたことを。

そして、彼らと共にいるお姫様に「姫のさいごを演じていただいた」ことを。

 

目の前に立っていたはずの兵と姫は一瞬のうちにどろんと姿を変えた。そこにいるのはタヌキたちであった。

狸村に住む、化け狸たちであった。

 

「どうか顔をお上げください」

「我らはかの姫様にいただいた恩を返したまで」

タヌキたちはそう言って狸村へと帰って行ったそうな。

 

 

 

 

 

 

これが、『狸村の援軍』という桜ヶ原に残るおとぎ話だ。

助けられたタヌキが恩を返すために、死んだ姫と入れ代わった話だ。

 

 

 

 

なあ、眠りウサギ。イヌ。お前らはどうだったんだ?

 




どっから夢だったんだろう


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出席番号14番・後編「砂時計」-狸村の援軍- ⑥

部屋に着信の音が響いている。

 

これは俺の見た夢の話だ。

眠りウサギを助けることができなくて、疲れて疲れて、どうしようもなくなって、同級生たちから少し休めと言われ、

ある月明かりが綺麗な夜に起こった非現実的な話。

それに上書きした俺の願い。

 

この話はbad endだったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの夜、池の周りに集まっていた動物たちも、気づけば姿を消していた。

 

俺は呆気に取られて立ち尽くしていた。そんな俺の前にイヌが何かを咥えてやって来た。その後ろにはたくさんのタヌキたち。

 

『桜ヶ原の山には狸の村がある』

そんなことを思い出した。

 

俺はイヌが咥えてきたものを受け取った。

×××だった。

どこかで見たことのあるような、ただの×××。俺にはそれが「七不思議の砂時計」の不思議とわかった。

 

 

ぽろりと涙が出てきた。

 

なんでかはわからないけど。

でも、なんでだろう。

砂時計に対して。

これまでの苦労に対して。

眠りウサギがやっと×××××という安堵。

そして、きっと、俺たちが今までやってきたことは、信じてきたことは、間違ってなかったんだという、安心。

そういうのがごちゃ混ぜになって、このとき溢れ出したんだと思う。

 

俺は、地面に膝を着いてイヌから×××を受け取った。

そして、彼らに頭を下げて

 

「ありがとうございます。

ほんっとうに、ありがとうございます」

 

感謝の意を示した。

 

 

 

 

 

俺たちの長い夜は明けることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

受け取ったそれは、眠りウサギの頭だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風が静かに吹いていた。

日の光が水面に反射して、キラキラと光っている。

 

俺は、今、あの池を目の前に立ち竦んでいる。

眠りウサギが眠っていた池。砂時計が沈んでいると信じられている池。

 

もう、眠りウサギは目をさまさない。

 

これが最後だ。

ここまで付き合ってくれたみんな。

どうか聞いてくれ。

 

 

 

 

 

先に逝ってしまった眠りウサギの代わりに、俺が話をしよう。

これが、あいつの遺した七不思議だ。

 

 

 

触れた者に未来をみせる砂時計。

それは確かに桜ヶ原の池に沈んでいた。15年という周期ごとに砂時計を守る池の番人は入れ代わる。

 

くるりと

 

砂時計はひっくり返される。

 

さらさら落ちる中の砂。

 

未来を見せられた人はどうなる?

「死ぬ未来」を見せられた人は

 

砂時計の砂となって流れて、溜まっていく。

 

 

 

砂時計の「砂」とは、砂時計に触れた者の遺灰なんだ。

 

 

 

さらさら流れていく砂時計。

誰かが流れ落ちていく。また、誰かが落ちていく。

 

 

 

 

 

ああ、こんな七不思議知りたくなかった。

 

 

 

 

 

砂時計は「未来を見せる」と謳いながら、本当のところは獲物を待っているんだ。

 

七不思議の四つ目である「地下通路」も似ているかもしれない。町のどこかに長い地下通路が現れるらしいという七不思議。

どこかに、らしい、というのは目撃談がないから。どれくらい長いのかもわからない地下通路。そこから帰ってきた人はいないという。

 

ひっそりと池の中で誰かが触れるのを待っている砂時計。

ひっそりと誰かが中に入ってくるのを待っている地下通路。

両方に待つのは死んで餌となる結末だ。

 

いや、砂時計は生きていないから「餌」って表現は違うか。

砂時計は自分の中で落とす砂を探してる。砂時計は砂を落とすことで時間を進める。

ひっくり返さなくても、砂が下に落ちきれば時間は経過したことになるからな。砂が落ちきれば新たな時間を刻むためにひっくり返す。普通はな。

 

「触れたら」未来を見せる砂時計。

 

砂時計はひっくり返ってなかったら?

 

ひっくり返っていたと思っていたのは、砂時計の砂が落ちきった後に再び落ち始める砂が現れるから。

15年間溜めた遺灰が下に流れ始めるから。

 

下に流れ落ちたはずの遺灰はどこにいくんだろうなぁ

 

きっと、別の世界なんだろうなぁ

 

なあ、眠りウサギ。

お前は今どこにいるんだ?

 

 

 

 

 

 

 

ああ、悪い。

ひっくり返ってないっていうのはただの想像だ。

結局のところ、俺も、俺の同級生もこの七不思議「砂時計」は実際には見ていない。唯一見たのは、今はもういない眠りウサギだけ。

 

だから、俺から言えることはさ。

七不思議「砂時計」は触れた者を灰にして自分の中で流し落としている。

いや、落としていたっていうのが正しいか。

この七不思議は別のものに上書きされたんだから。

 

上書きしたのは今回のこと。

続き、聞いてくれよ?

 

これは砂時計とは別の話だ。

 

タヌキを助けた眠りウサギ。

まるでお伽噺を辿るように池で溺れる。

そこであいつが死んでタヌキと入れ代わったかは

 

 

 

わからないよな?

タヌキは化けるのが得意だ。俺たちなんか、ころっと騙されちまう。

でも確かに入れ代わっていたんだと、俺は思う。

眠りウサギは死んでいたんだ。

池で見つけた死体が証拠だ。ただな。いつ死んだかは本当にわからないんだ。

眠りウサギの死体は、まるで俺たちが砂時計の七不思議に辿り着くのを待つかのように綺麗だった。

全く腐敗していなかったんだよ。

 

眠りウサギの最期は本当に残酷なものだったと思う。

体がバラバラにされていたんだ。いつだったか、ここら辺でバラバラ殺人が連続で起こったことがある。

不思議と、いつだったかは誰も覚えていないが、眠りウサギは多分その被害者の一人となってしまっていたんだろう。

事件の犯人は…えっと、どうなったんだっけな?唐突に終わりを迎えて記憶にすら残らなかったのかもしれないな。

…えーっと、ニュースで…

ああ、そうだそうだ。犯人らしき人物は…

 

 

 

山の中で獣に食い荒らされて死亡。

そうだったよな?イヌ?

 

(わん!)

 

だーれが食い荒らしたのかなぁ?

なあ、イヌ?

 

(わふん?)

 

知らん顔するな。

タヌキを助けた眠りウサギ。

お前たちタヌキに好かれてないはずないだろ。

桜ヶ原で山は一ヶ所だけ。

そこには狸村があるんだろ?

生きたままタヌキたちに食われた犯人に同情の余地なし。

よくやったぞ、お前ら。

 

(わうん♪)

 

それに…

 

あいつを、眠りウサギを俺たちの元にかえしてくれてありがとな。

 

(わん)

 

どんな形であってもあいつがかえってきたのは喜ぶべきことなんだ。

首も、足も、手も、全部バラバラにされたあいつ。

それが「眠りウサギ」だって判ったのは本当に奇跡だ。

あいつの死体、死蝋化していた。外の世界と遮断された「池」という空間で変性し、死体は腐敗しないで蝋化していたんだよ。だから、死んだままの姿だった。

見つけること自体が難しかったんで、今回狸軍は地元繋がりである河童軍に力を借りたってわけ。

 

だからさ。俺たちはこう言ったんだ。

これじゃあ遺灰にできないね、って。

遺灰にできないってことはさ。遺灰を流し落とす砂時計の中には入れられない。七不思議「砂時計」に触れながらも、あいつは砂時計の向こうにいけないんだな、って。

 

バカな話だよ。

七不思議「砂時計」ってのはさ、触れて、死んで、砂時計の中に灰として入れられて落とされることで成立してたはずだ。

なのに、中途半端で落ちきっていない。

 

これが「夢」なんだなって俺は思った。

 

もしも、砂時計の上から下に流れ落ちる境が生と死の堺で、そのときに眠りウサギが見ていたような「死の間際の夢」を見るのなら。

落ちきれない眠りウサギは眠り続けて夢を見続けるはずだ。

 

 

 

 

 

 

これで、終わりだ。

 

七不思議「砂時計」は触れた者を遺灰にして中に取り込む。

遺灰は上から下に流れ落ちる。そして、その境を通過する時。生きている世界と死んでいる世界の境を通過する時、夢を見る。

 

俺たちの同級生、眠りウサギは偶然。本当に偶然、遺灰になることはなかった。

桜ヶ原のタヌキを助けた眠りウサギは、恩を返されるようにその遺体をタヌキに助けられた。

まるでお伽噺の『狸村の援軍』みたいにタヌキは眠りウサギの代役を演じて、俺たちが真実に辿り着くまでの時間稼ぎをしてくれた。

 

あいつは待っててくれたんだ。

ずっと、あの池で俺たちが自分の遺体に、七不思議「砂時計」に、真実に辿り着くのを。

ずっと、ずっと、終わりのない死の間際の夢を一人見続けながら。

 

 

 

これが、眠りウサギののこした話だ。

 

 

 

悪いな。最後は俺の語りになっちまって。

 

 

 

眠りウサギ。

俺たちの、大切な同級生。

クラスの中で、最初にいなくなってしまった同級生。

 

今年も桜が咲くだろう。

そして、散っていくのだろう。

 

なあ、眠りウサギ。

信じてくれよ。信じて、俺たちを待っててくれよ。友だちじゃないか。

俺たちもいつかは死んで、お前のいるところへ逝くんだ。

そのときにさ。

また、お前の見た夢の話を聞かせてくれよ。

 

だから、そのときまで、




がしゃん。

砂時計がまた音をたてて上下を入れかえた。

上書きされた七不思議。
生きている限り明らかにはされない砂時計の真実。
おいで、おいで、こっちにおいで。
君の未来(死)を見せてあげよう。

今日もまた、砂時計は池に沈み獲物がやって来るのを静かに待っている。

夢を見るかのように。


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出席番号15番「午前3時の神隠し」

バイトで酷使した体を、ぼすんとベッドへ投げ出す。

 

疲れた。

もう寝てしまおう。

 

今にも潰れそうな古いアパートの外からは、風の音と窓が軋む音しか聞こえてこない。

現在の時刻、午前1時。

 

明日はバイトは入っていないのだし、ゆっくり休もう。

 

そう思って眼を閉じた。

 

…ぐーーー

 

閉じていたはずの瞼をゆっくりと上げる。

空腹感からか、眼が覚めてしまった。

枕元にあるデジタル時計には、最後に見た時より少しだけ増えた数字が見えた。

それでも、時刻はまだ2時を少し越えたところであった。

 

腹がへった。

 

これではゆっくり眠れない。

たしか、一番近くのコンビニまで5分くらいで行けたはずだ。

行ってこよう。

 

ぎしりと音を立てて、下りるはずのなかったベッドから足を動かす。

 

これは、午前3時と午後3時に起きたたわいもない話である。

そう。たわいもない話から起きた一つの神隠しの話である。

 

大きめの器に入ったパスタを店員に温めてもらい、おにぎりと菓子パン、デザートにプリンを購入しペットボトルの紅茶を手にコンビニのイートインスペースへ移動する。

思っていた以上に空腹だったのと、こんな時間まで美味しそうに売り場で客を待つ健気な料理たちに眼が眩んだせいであったのだろう。

思わず財布を軽くしてしまった。

おにぎりと菓子パンは目覚めてから食べようと購入した物だったが、さすがに食べ過ぎかと気付いた頃には食後の一服をコーヒーマシンで淹れていた。

 

これ以上は店員に悪いと思い、カップに蓋をして店を出る。

 

外はそれほど寒くはなく、かといって暑いというほどではない。

近くの公園に寄って、温かい内に手に持つカフェラテを飲んでしまおう。

 

アパートとコンビニの間にある小さな公園には、当然誰もいない。

 

外灯に照らされるベンチに座ってカップを隣に置く。

 

夜空を見上げると、細い月が傾いていた。

 

もうすぐ30歳になる自分は、未だにフリーターを名乗っている。物書きを夢にみて選んだこの道だが、これもそろそろ限界なのであろうか。

 

書きたい

稼げない

書きたい

読んでもらえない

書きたい

評価されない

書いている

時間が足りない

書けない

アイデアが浮かんでこない

 

そんなことを続けた。

 

はあ、と息を吐き出しズボンのポケットから小さなメモ帳とボールペンを取り出す。

どんなに迷っても、最後は結局書きたい欲求が勝ってしまうというのが自分なのだ。

まだ温かいカフェラテを一口飲み、ボールペンを走らす。

 

 

毎日同じような生活は急には変わらない。

週のほとんどを占める時間の同じバイトをこなしていけば、もちろん同じように疲れてベッドへ倒れ込み、腹がへったと起き出すのも常である。

顔見知りのコンビニ店員は今日も弁当を温めてくれ、たまに自分の好きそうな新商品が入ったと声をかけてくれる。

 

そして、今朝もそうであった。

いつも通り深夜に起き出し、コンビニへ行き、公園に寄ってアパートへ帰ってきた。

いつも通りのはずだった。

 

ポケットの中身を除いて。

 

メモ帳がなかった。

おそらく公園のベンチに置いてきてしまったのだろう。

あのメモ帳には自分の小説のネタが書かれていた。

 

まずいと焦り、昼過ぎに気づいてすぐさま公園へ足を向けた。

深夜とは違い子どもの声が響く公園。あるとしたらいつものベンチだろう。

なかった。

ベンチの下や周囲も探すが、見当たらない。

 

一時間ほど探し、とうとう自分はあのメモ帳を諦めることにした。

幸い個人情報は分からないはず。

たしか、今朝の分のコンビニレシートだけが挟まっていたと思う。

 

ああ、まだじっくりあたためていた話がいくつもあったのに。

 

その日のバイトは、ミスはしなかったものの同僚に大丈夫かと心配されるほどには覇気がなかった。

時間通りに退勤をし、力ない足取りでアパートへ帰宅する。

荷物を一旦部屋へ置き、財布だけを持っていつものコンビニへ向かう。

 

今日はメモ帳を買おう。

ついでに、ボールペンも新調してしまおう。

だけど最後に

 

昼間はなかったはずのメモ帳。おそらく今行ったとしてもないはずだ。

それでも最後にもう一回。意味のない有無を確認しておきたかった。

知らず足早で公園へ向かう。

そして、いつものあのベンチへ足を向けるとそこにはなくしたメモ帳はなかった

 

否、そこにはきちんと自分のメモ帳が置かれていた。

 

は?

思わず呆けた声を出してしまったが、誰も聞いてはいない。

手に取り、ページをパラパラと捲ったが変わったところはないであろう。

そのままポケットへ押し込み、コンビニへ向かい、今度こそ食料と飲み物を購入しアパートへ戻る。

 

アパートへ戻り、レジ袋をその辺へ落とし、空いた右手でポケットの中を漁る。

戻ってきたメモ帳に安堵し、再びページを捲っていく。

すると、はらりと1枚の紙がメモ帳から滑り落ちてきた。

挟んだままであった昨日のコンビニのレシートだ。

レシートをつまみ上げ、何となく裏返すと真っ白だったはずの裏面には手書きの文字が並んでいた。

 

『~の話、主人公は男の子じゃなくて男の子が成長したお爺さん視点で書かれるのはどうでしょう?』

 

その下には手を握ってはにかんでいる幼い男女を目を細めて見ている車椅子の老人のイラスト。

男の子とお爺さんは同じ眼鏡をかけている。

 

自分ははっとした。

文字が指している話は、幼い男女の甘酸っぱい恋愛話となるであろう話であった。

ただ、そのまま書けば在り来たりでつまらないと思っていた。

 

もしも。

その考えた「在り来たりの恋愛話」をずっとずっと後になって懐かしい、そんなこともあったとお爺さんになった男の子が思い出していたら。

もしも、その恋愛話をお爺さんが孫に話しているとしたら。

 

書き方も表現の仕方も変わってくるだろう。

自分は急いでメモ帳に追記をした。

 

時刻は午前3時。

 

その後、書き終えたその話をネットのサイトへ投稿すると、いつもより読者の評価が良かった。

 

自分はレシートの裏に伝言を残した人に、お礼が言いたいと思った。

しかし、メモ帳を拾った人がいつベンチへメモ帳を残したのかが分からない。

 

自分は安易ではあるがある実験を試みた。

その実験とはこういうものである。

 

・いつものようにバイトから帰宅する。

・いつものようにコンビニへ行く。

・メモ帳に相手へのメッセージを挟み、公園のベンチへ置く。

・ほぼ1日放置する。

・バイトから帰宅し、コンビニへ行く時に公園のベンチを確認する。

 

以上である。

今回メッセージの台紙として使用したのはメモ帳放置直前に購入したコンビニレシートである。

これには日付もきっちり印刷されているため、いつ置いたのかもわかる優れものだ。

 

『メモ帳を拾っていただきありがとうございます。

~の話についてのアドバイスもとても参考になりました。

イラストとても雰囲気がいいです』

 

メッセージを書き、LINEのアドレス・ペンネームを記入し2つ折りにした上でメモ帳に挟み込む。

気付けば上々だ。

 

時刻は午前2時半。

実験開始である。

自分はメモ帳をベンチの隅へ置き、アパートへと帰った。

同日、午後4時。

ベンチにメモ帳なし。

 

翌日、午前2時。

ベンチにメモ帳発見。

中身を確認。

自分のメッセージを記入したレシートなし。

代わりに別のレシートあり。

『ありがとうございます。

(LINEのアドレス、ペンネーム)

(可愛らしい猫のイラスト)』

レシートの時刻は確認しなかった。

それから、自分とメモ帳を拾った「彼」の交流が始まった。

 

自分は、小説をメインに創作活動をしていること。

プロではないため、バイトで生計を立てていること。

メモ帳の中に眠っている物語の種たちのこと。

バイトを終えてから行くコンビニの商品のこと。

 

彼は、イラストや漫画をメインに創作活動をしていること。

自分と同じようにバイトで生計を立てていること。

猫や犬などの動物を描くのが好きだということ。

自分と同じようにコンビニ商品が好きだということ。

昼のバイトなのであの公園には朝出勤の時によく通るということ。

 

自分と彼はよく似ていた。

性別も年齢も同じで、夢も理解しあえる。

好みは違うがとても気が合う。

 

愚痴もよく語り合った。

文章も絵も上手いだけでは評価されない。

夢が必ずしも実るとは限らない。

いつまでも無駄な希望にすがりついているなと、周囲からの声がうるさい。

バイトがきつい。

 

作品についてもよく語り合った。

こうしたらどうだろう、とアドバイスを送り合うのも常日頃であった。

 

いつの頃からか、互いに言い合う愚痴の内容が激しくなってきた。

当たり散らすようなものではなく、相手に向けたものでもない。

互いが互いに理解出来る内容だからこそ、吐いた毒を甘んじて受け止めていたのだろう。

 

税金が

親が借金を

経費削減で

同僚がクビ

 

自分は?

 

自分も?

 

いやだ

まさか

どうして

こんな

 

自分は切羽詰まっていたのだろう。

耐えきれなくなって、ある夜忽然と姿を消した。

さいごに彼へとメッセージを送った。

『自分の作品たちを完成させて欲しい』

時刻は午前3時。

 

なんともあっけなく、自分はここからいなくなってみせたのであった。

 

 

………

 

「午前3時の神隠し」

 

現在、時刻は午前1時。

月さえ姿を消した新月の夜。

 

小さなテーブルの上には、かつて自分が使用していたメモ帳が置かれている。

その横にはいつものコンビニで購入したざるそばと抹茶どら焼き、ボトル缶のブラックコーヒーが袋に入ったまま床に置かれている。

手元にはプラスチック製の下敷きの上にルーズリーフが1枚、洗濯バサミによって磔にされている。

週に何度か使用している古いアパートには、創作活動の為に使用する参考資料である本などが積まれていた。

 

彼は自分のペンネームを使い、様々なジャンルの作品を生み出している。

 

コンビニへ行く道にあるあの公園のベンチを見ると思う。

××はどこへいったのだろう。

 

絵を愛した彼は、文を愛した自分に遺された作品たちを託された。

今ここにいるのは、午前3時にいなくなったはずの「自分」ではなく、後を継いだ「彼」なのである。

 

今日も彼は自分の作品たちに2人分の熱を注ぐ。



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出席番号15番「午前3時の神隠し-『あとがき』」

『あとがき』

 

ここまでが「自分」と「彼」の話である。

いや、ここからは口調を変えるね。これが本来のぼくの口調なんだ。

みんなは知っているよね?

 

最後に書いた通り、ぼくは話の最初の「自分」じゃないんだ。ぼくはメモ帳を拾った「彼」の方。絵が好きな方ね。

文が好きだった彼は話通りある時いなくなっちゃった。

 

この「午前3時の神隠し」っていう話は、途中まで彼が書いて、彼の失踪後に机の上に置いてあった作品なんだ。

だから、彼がいなくなった描写から後はぼくが書いている。

そんな作品。

 

で、ね。

なんでわざわざ「あとがき」なんて章をつくって説明してるかっていうとね。

 

原本に変なとこがいくつかあったんだ。

意味が分からない文。レシートで時間を確認っていうようなこと、書いてあるでしょ?

あと、やけに今の時間っていうのを気にしてる。

 

始めはそういう性格、そういう書き方なんだろうなって思ってた。

でもね。

彼とぼくがアドレスを交換したレシートあったでしょ?

あれ、後から見て気付いたんだ。

彼のレシートの方、年が1年前だった。

あとね。彼がほぼ毎日行ってたっていうコンビニ、今ない。レシートに住所と電話番号載ってたから確認した。その角にあるコンビニは1年前に移店して、隣町に移ってる。今はもう、そこは空き家になってる。

 

ほら。多分君たちが言っていた後輩くんたちのコンビニだよ。

時期も重なるしね。

 

それと、これは偶然かもしれないけど。

彼がいなくなる前日にやり取りしたLINEのメール。

内容がこれね。

「いやだ

まさか

どうして

こんな」

錯乱してたのかもしれないけど、縦読みすると「いまどこ」。

これって偶然かな?

本当に彼が送ったものだと思う?

 

あと、原本とは関係ないんだけどさ。

彼の使ってたアパート、解約されないでぼくが使ってるの。

名義だけぼくの名前に移行させてもらってね。

オーナーさんもいいって言ってくれてた。

理由がね、失踪直前に数年分の家賃まとめて振り込んであったんだって。きっと彼が振り込んだんだろうな。そこそこの金額で返す人もいないから、ぼくに使ってもらいたいって。

 

だから今はね。親戚の、彼と同じように文が好きな女の子に使ってもらってるよ。

その子が成人した時に名義が彼女名義になるようにしてある。

 

部屋にはね。ぼくと彼の作品やら参考資料やらがたーーーっくさん残されてる。

彼女、才能もセンスもあって努力家だからきっといい作品を生み出すと思うよ。

 

 

 

ねえ。

ここまで読んだ人。

この話、どう思う?




『午前3時の神隠し』

二人の作者が書き上げた「午前3時の神隠し」
文が好きだった「自分」
絵が好きだった「彼」
ほんの少しの謎をのこす、その作品

書きたかった
完成させてと残した作者
書かなくちゃ
残されたものを完成させた作者

二人の作者の繋がりは
この作品に注がれた
君に託す、この話


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名のない物書きの作品『シュレーディンガーの猿』

あなたが小さいとき、こんなことはなかっただろうか。

同じクラスの友達が家出をしたとか。

その友達に同情して家出を助けたとか。

同情したのが自分だけではなく、クラス全員だったとか。

見つからないように、その家出した同級生はクラスメイトの家を転々としたとか。

その家出した同級生の両親が担任の教師に居場所を聞いても、教師は知らないの一点張りだったとか。

つまり、この話は一人の犯人と複数の共犯者たちによる大規模な家出であったのである。もちろん、共犯者の中には担任の教師も含まれている。

 

そんな話、あるわけないだろう。

 

では、あなたにはこんなことはなかっただろうか。

小さいときから近所に住む同世代の子どもにいじめられていたとか。

無視されたとか、悪口を言われたとか、物を隠されたとか、荷物を持たされたとか、物を盗られたとか、殴られたとか、蹴られたとか。

仲間外れにされたとか。いや、そもそも始めから仲間などではないだろう。ただの雑用係か下僕としてしか仲間として認められない。

友だちと呼べる関係なのだろうか。いいや、これも否定すべきである。強制的に首を縦に振らせる質問には意思は求められていない。

 

あなたには、このどれかに当てはまるものがあっただろうか。当てはまらなくとも引っ掛かるものがあっただろうか。

 

 

 

 

 

 

木下という青年は二つ目の話であるこれらほとんどに該当していた。

 

幼い頃、実家の近所に住んでいた子どもに目をつけられ、小学生、中学生、高校生、大学生、そして社会人となる今に至るまで「下僕」として扱われているのである。

 

木下少年自身はどこにでもいるような「普通の」少年であった。

もちろん、彼の他にもいじめられやすそうな所謂なよなよした弱虫の子どもは近所にも学校にもいた。しかし、木下少年は運悪く目をつけられてしまったのである。

そのような扱いを木下に課したのは後にも先にもこのいじめっこだけであった。

 

このいじめっこ、沙流という変わった名前を持っているのだが、中学校を卒業した後、離れた高校に進学したと思ったら数ヵ月で退学処分を与えられ数年間自宅周辺をうろうろしていた。もしかしたら夜間に定時制の高校へ行っていたのかもしれないし、通信教育でちゃっかりと卒業資格だけは得ていたのかもしれない。

しかし、木下にとっては沙流のことなど知らなくてもいい、知りたくもない情報であったのだからどうでもいいことである。

ただ、木下は沙流の居場所の把握と連絡先のブロックは欠かさずに行った。沙流と遭遇しない為に事情を知っている知人の協力を得て最新の情報を入手した。時には友人の力を借りて妨害まで行った。

携帯電話は2台以上用意した。もちろん、両方とも沙流の番号を拒否した上で所持する。SNSは使用しない。メールは沙流が言いそうな内容であるとすぐに消去した。出会い系などもってのほかである。

 

木下少年がまだ中学生の頃、クラスの女子から手紙を受け取ったことがあった。

知り合いから頼まれたのだとその少女は言って、可愛らしい封筒に入った手紙を手渡してきた。中には一言、連絡をください。そして、メールアドレスだけが書かれていた。

名前は、書かれていなかった。

 

木下少年はてっきり他のクラスの女子からの手紙だと思った。

沙流とのことだけを抜けば一般的な学生であった木下少年。優等生とも言えそうな真面目な性格。クラス委員長も務め、クラスメイトからの信頼も厚い。スポーツも勉強もでき、かと言えば話しやすい気軽さも持っていた。だから、ラブレターをもらうことも多々あったのである。

だからこそ、この時は油断してしまったのである。

木下少年はそのメールアドレスに返信をしてしまった。実はそのアドレスは沙流のもの。沙流はおとなしい女子の振りをして木下少年とメールのやり取りをし、ある程度経った頃にそのやり取りを拡散したのである。その内容の中には、もちろんプライベートなことも含まれた。そして、その内容を種に沙流は木下少年を馬鹿にして大声で笑うのである。それも決まって大勢がいる前で。

 

こうした手口は沙流の得意なものであった。

騙して、引っ掻けて、弱味を握って、自分の思うままに踊らせる。思い通りに進まなければ殴る蹴る。言うことを聞かなければわめきたてる。

彼らが子どもの頃はまだ子どもの悪戯として周囲には認識されていた。沙流が木下以外は目もくれていなかったからである。きっと、小さな時にお友だちになりたいという欲が変な方向に向いてしまったのだろう。誰もがそう思っていた。

しかし、成長と共に沙流の木下に対する執着は一層異常なものとなっていた。

 

 

 

高校生となったとき、木下は心底安心した。遠い土地にある学校を受験し、合格し、寮に入ったからである。

しかし、沙流はどこから入手した情報なのか、頻繁に、頻繁に、それはもう頻繁に連絡を寄越したのである。住所も携帯番号も教えるはずがない。それなのになぜか知っている。

毎日毎日届く封筒。毎日毎時間入っているメールの通知。木下は気が狂いそうであった。

せめてもの助けであったのは直接会わないということ位であった。

 

大学進学とともに木下は更に沙流から距離を置こうとした。むしろ、縁を切りたかった。ただひたすら縁を切ろうとする木下とは真逆に、沙流はいかにして距離を縮めようか模索しているようであった。

 

そうこうしているうちに木下は大学を卒業し、就職した。

 

結局、彼は成人式にも里帰りすることはできなかった。

 

沙流がそっちにいる限り、自分は帰れない。木下は両親へそう伝えていた。

その事は両親から沙流の家族へと伝わっていたようであった。だから、彼らも沙流を出来る限り遠くへ行かせないようにしていた。実際、沙流は市外へは出なかった。

 

「どんなに遠くへ行っても、すぐに自分のところへ戻って来るに決まっている。だって、木下は自分の子分なんだから」

 

沙流はいつだって自信たっぷりにそう言ってのけた。しかし、その実、木下が何処で何をしているのか知りたくてたまらないのである。

いつ自分から離れて行ってしまうのか。いじめっこはいじめられっこに執着し、依存していた。

 

 

 

しかし、そんな関係にも転機が訪れた。

 

木下が社会人となり、実家を離れてアパートで一人暮らしをするようになって数年が経ったころ。

ある日突然、沙流からの一方通行であった便りがプツンと途絶えたのである。

 

嵐の前の静けさであった。

 

 

 

 

 

 

1日、2日、1週間、1ヶ月と手紙もメールも、着信履歴さえ残されない日々が続いた。

木下は始め、冗談だろうと疑い背筋にうすら寒いものが這い回る感覚をおぼえていた。やがて、時間が経つにつれ、徐々にその警戒心は解けていった。

 

ああ、自分にもやっと普通の人生がやって来たんだ! 木下は歓喜した。

 

木下は会社に笑顔で休日申請を提出した。同僚たちが彼に彼女ができたのではないか、プロポーズが成功したのではないか。そのようなことを噂するほど、木下は目に見えて浮かれていた。

 

週末の定休日と合わせて数日間の連休が木下を待っていた。

部屋には大きめのトランクケースに荷物が詰め込まれ始め、それと一緒にたくさんの土産やプレゼントも丁寧に入れられた。

家から離れた間の時間に、彼が大切な人たちに贈りたかった、しかし沙流という存在が送ることを躊躇させた品々であった。

 

 

 

木下は、この連休、初めて実家へと帰宅したのである。

 

 

 

帰郷する当日の朝、新幹線を待つホームで木下は父親へ連絡を入れた。それは、何度も何度も繰り返し彼が聞いた内容であった。

 

「沙流はまだ町にいるのか」

 

いつだって返事はYes.であった。

幼い頃から息子を心配していた両親とは、木下はこまめに連絡を取り合っていた。

それは、再び沙流が自分の目の前に現れるのではないかという不安からであった。同時にそれは、木下の心の中には友人らが待つ故郷へ、家族が待つ家へと帰りたいという願いの表れでもあった。帰ってこいと言うことが安易にできない両親ではあったが、それでも木下の想いは伝わっていたのだろう。

しかし、状況が変わり沙流からの交流が途絶えたことを知った父親は、電話口で嬉しそうにいつでも帰って来いと言うことができたのである。

 

迎えた帰郷の当日となり、逸る気持ちとは裏腹に木下の腹の奥では長年の古傷が疑念を訴えてはいた。本当にあの場所には沙流はいないのだろうか。

いるなら自分は帰れない。かつて殴られた体の部分が、傷つけられた心の部分がじくじく痛んだ。

 

新幹線がホームへ到着するほんの少し前に、父親からメールが届いた。その内容を見て、木下は肩の力を抜いた。

 

「沙流くんはいない。ご家族の方が話したいことがあるそうだ」

 

沙流の家族が自分に言うこと。それは何だろうか。

 

ぶわりと風を舞い上がらせて新幹線が停車する。これから自分を故郷へと運んでくれる容れ物へと、木下は足をかけた。

 

 

 

 

 

 

木下は懐かしい家族にただいまと挨拶をした。沙流という存在で台無しにされた生活がそこにはあった。

母親も、父親も、笑っておかえりと言って木下を受け入れた。そのことが、より幸せに感じられた。

 

木下は実家にいられる時間のほとんどを誰かと過ごした。家族と、友人と、あるいはわざわざ足を運んで頭を下げた沙流の両親たちと、木下はただひたすら言葉を交わし続けた。

そして、その中で沙流の両親はこう言った。何故ここまであの子が君に数着するのか、理由がわからない。

謝罪を受けた木下は彼らに言った。

 

「あなた方が悪いわけじゃない。自分は、止めなかった人たちや助けてくれなかった人たちを憎んでいない」

 

ただ

 

沙流だけは一生許さない。

 

木下は、休暇の最後の日に尋ねた。

沙流はどうしたのか。

ある日突然姿を消した沙流の行方を、誰も知らなかった。

 

もしかしたら、誰かから聞いてお前のところへ行くかもしれない。

絶対に来て欲しくないけどね。

父親と息子は帰りの駅のホームで話をした。

 

何かわかったら連絡する。また来てくれ。そう言って父親と親しかった友人は手を振った。

 

帰りの新幹線が発車した。

明日から、また働こう。しっかり生きて、また帰ってこよう。

 

これから、「日常」がやってくる。

 

そう思いながら木下は帰路についた。

 

 

 

 

 

 

アパートの部屋の前で誰かが屈み込んでいる。

 

「よう、木下」

 

沙流であった。

 

 

 

 

 

 

顔を上げ、一言そう言ったのは間違いようもない沙流であった。

木下の脈が上がり、冷や汗が伝った。どうして、ここに。指が白くなるほど拳を強く握って、木下はそこに立ち尽くした。

 

成長した沙流は木下に向かって言った。

 

「早くお前の部屋へあがらせろ」

 

昔と全く変わらない物言いだった。

 

それから1ヶ月ほど、木下は再び暗闇から足を引っ張られることとなった。

朝起きれば沙流がキーキーと、出勤前まで沙流がキーキーと、帰宅するなり沙流がキーキーと、夜は沙流が眠るまでキーキーと。これをしろあれをしろこれは嫌だそれがいい。うるさいうるさいうるさいうるさい。

疲れているのに命令するな、不満なら自分でやれ、何様のつもりだ、嫌だいやだイヤだ。

木下はギリギリと歯を噛み締めた。頭をバリバリとかきむしった。爪をガリガリと咬んだ。

不眠で隈ができ、目が充血しだした。同僚たちはそんな木下を心配した。

大丈夫か。その声に木下は疲れた顔で無理やり笑顔を作って大丈夫と答えるしかできなかった。

 

彼の頭には幼い頃から繰り返されてきた沙流によるいじめの数々が甦る。心と体に刻まれたトラウマの数々は、木下に抵抗する力を奪っていたのだ。

 

 

 

そして、そのまま彼は1ヶ月堪えてしまった。誰にも言うことができないまま。

沙流は相変わらず木下の部屋に居座っている。働くことも、外出もしていないようだった。

いっそ、自分が出ていこうか。木下がそう考え始めていたときのことである。

 

職場での休憩時間に見た父親からのメールで、木下の考えは一転した。

 

 

 

「殺人で指名手配されている」

 

 

 

今日は寄り道して帰ろうか。

 

 

 

 

 

 

さて。

あなたは「シュレーディンガーの猫箱」というものをご存知だろうか。

 

まずは猫を用意しよう。黒猫がいい。

おや、いないようだ。仕方がないので手近にいるサルを使うことにする。

 

それと、箱を用意しよう。大きさは関係ない。材料が入り、密室に出来、中身が見えないものに限る。

その箱はダンボール箱でもいいし、外から鍵のかかる小さめのアパートの一室でもいい。今回はアパートを使用する。

 

 

 

木下は考えた。

人殺しなんて匿う理由がない。それに、殺した人が殺されても別にいいのではないだろうか。いいはずだ。

沙流が憎い。今までされてきたいじめの数々が木下を蝕む。

たとえ理由があったとしても、なかったとしても、人の人生をこれほどまで玩んでいいはずがない。

 

 

 

あなたは、「シュレーディンガーの猫箱」を知っているだろうか。

箱の中には猫と、猫が死ぬかもしれない材料が入っている。箱の中は、見えない。

箱を開かなくては猫が生きているか、死んでいるか、死にかかっているか、元気か、わからない。

この猫箱の実験の結果は、箱を開かない限りわからないのだ。

しかし、様々な要因を材料として結果を推測することは可能である。

 

「今朝は特に寒いから、しっかり窓を閉めようね」

 

木下はそう言って外出した。

 

花粉症である沙流が買ってこいと言った薬を木下は手渡した。

それは、強い睡眠薬だった。

 

猫箱の中には要因を用意しておく。

猫箱の中には実験対象となる猫を入れておく。

猫箱は密室となる。

 

外に出る直前、木下は見た。ソファーに倒れ込むようにして眠っている沙流の姿を。

それを確認した上で、簡単に窓の施錠と換気扇が動いていないことを見て回った。

そして、最後に、

 

七輪の上に練炭を置き、火を着けた。

火災報知器は鳴らないように設定した。

 

練炭は台所でパチパチと燃えていた。台所のすぐ近くの部屋には、沙流が寝ているソファーがあった。

 

猫箱の中には、猫が死ぬかもしれない危険な要因を猫と一緒に入れておく。

木下は部屋を出て、鍵を閉めた。

 

 

 

シュレーディンガーの猿箱となった部屋の中には、一匹のおバカなおサルさんが眠っている。

起きない限り、そこは密室とも言えるのだろう。そして、そこでは練炭が一酸化炭素を出しながら燃え続けている。

木下はぼんやりと思った。睡眠薬をほんの少しでも減らさなくてよかったのではないかと。

 

木下は外出した。

 

そして、近所の警官を連れて戻ってくるのである。

 

扉の前で木下は言う。

 

「開いて中を見てみてください」

 

結局、その箱の中は開かなければどうなっているのかわからないのである。

 

「中には、あいつがいます」

 

どうなっているのかわからないけれど。

 

 

 

 

 

 

開いてみなければ中がどうなっているのかわからない猫箱。

 

ここでいくつか仮定をあげようではないか。それを踏まえた上で、最後の問いに答えて欲しい。

 

まずは猫箱、もとい猿箱の状態である。

例えば、部屋のどこかが開いていたとか。

サルが実は賢くて、睡眠薬を飲んでいなかったとか。

この二つの場合、密室は成り立たなくなり、サルは既に外へ出て行ってしまった可能性もある。

 

次に沙流というサルについてである。

例えば、沙流が天の邪鬼でいじめていただけとか。

殺人、指名手配の情報が間違っていたとか。

 

実は沙流が

 

女性であった、

 

とか。

 

これらの場合、木下は沙流を猿箱の中に入れただろうか。

沙流が木下に対して向けていた想いが「好意」であったのならば。木下は沙流をこの猿箱の中に入れただろうか。

 

全ては仮定の話である。

しかし、この箱の中を開いてみない限り、もしくはこの沙流という人間を開いてみない限り、どうなっているのかわからないのである。

それが「シュレーディンガーの箱」というものである。

 

そして、もう1つだけ仮定を箱の中に入れておこう。

それは、箱の中のサルがもともと

 

死んで

 

いた

 

場合

 

 

木下の元に訪れた「沙流」は一体誰であったのか。訪れた者が数年会っていない「沙流」であるという確信はあったのか。

この仮定を箱に入れると、中に入れた「サル」は消えていなくなる。

生きている、死んでいるの他に、いないという答えが発生するのである。

 

あくまで仮定であり、可能性の話だ。

 

 

 

さて、最後になるが、ここに1つの質問をさせていただきたい。

あなたの考えを聞かせてもらいたい。

 

木下は人殺しか、否か。

 

 

 

扉の前に立つあなたよ。どうか開いて見てご覧いただきたい。

扉の向こうは、どうなっているだろうか。

 

後ろに気配を感じたら注意するといい。

逃げ出したサルが凶器を振りかぶっているかもしれない。



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同居人「十の夜の彼」

これは、五つの花の彼女と同居した彼の話である。


十花の追撃に耐えられなくなったあの女は、きっと自分から命を絶とうとするのだろう。だから、その前に。

俺は、十夜は、あの女の部屋の前に立つ。

五花がしたように扉をノックする為、一人で立つ。

 

 

 

十花が亡くなって数年、俺たちは兄妹でこのアパートで同居していた。そこで出逢った一人の女の子。十花も生きていればこのくらいだろうか。そう思いながら彼女を見ていた。

桜の香りがする、女の子だった。

 

その女の子は俺たちが住むアパートへ越して来た。それからだった。死んで、幽霊となって同居しているはずの妹がそわそわし出したのは。

俺は妹に聞いた。

「どうかしたのか?」

妹は笑って答えた。

「なんでもないよ?」

そんなに笑顔で、なんでもないはずないだろ。

妹は以前より笑うようになった。まるで、新しい花を植えて芽が出るのを待っているみたいに。

 

ある日、俺は隣の部屋に越してきた女の子に、五花に、尋ねた。

「見えているのか?」

五花は迷わず答えた。

「見えていますよ」

五花は俺と同じものが見えているらしかった。こんなことは初めてで、どうしたらいいのかわからなかった。どう彼女と接すればいいのかわからなかった。元々不器用な俺だから、余計わけがわからなくなった。五花を見ると、何も隠さないで十花のことが話せた。それがすごく安心できて、照れくさかった。そして俺は気づいた。この感じは、十花の時と似ている。

俺は、五花のことが好きになっていた。

 

俺は十花が好きだ。十花が生きているうちに伝えられなかった分、今の時間を大切にしたい。本当なら、もう別れの時間はとっくに過ぎているんだから。できればこの時間がずっと終わってほしくない。ずっと一緒にいたい。終わるな。終わらないでくれ。そう願いながら、俺は毎日十花の為に花を生けた。

そして、五花も好きだ。生きて、俺の隣に寄り添い、同じような世界を見ている一歳年下のあの子が好きだ。

俺は、同時に二人を好きになっていたんだ。

 

こんな俺を、二人は軽蔑するだろうな。

 

 

 

 

 

そう思っていた時、一階の、当時はお婆さんが一人で住んでいた部屋に扉をノックする音が聞こえた。このアパートには変な噂があった。呼び鈴があるのに扉をノックされる。そうすると、ノックされた部屋の住人は近いうちに亡くなる。そういう噂だった。

誰かがお婆さんの部屋をノックしている。

俺は階段の上からちらりと見た。すると、お婆さんの部屋の前にいたのは知らないお爺さん。

俺は気づいた。あのお爺さん、死んでいる。

死んでいるお爺さんが、お婆さんの部屋をノックしていたんだ。この事は誰にも言っていない。噂はただの噂だと思ったから。

 

数日後、お婆さんは亡くなった。

 

後日、お婆さんに線香をあげに部屋へ入ったとき、ちらりと一枚の写真が目に入った。お婆さんと、あのお爺さんが一緒に写った写真だった。このお爺さんは誰ですか、とご家族に聞くと、何年も前に亡くなったお婆さんの旦那さんらしい。

旦那さんは、妻のお婆さんを迎えに来ていたんだ。俺はそう思った。

お婆さんは最愛の人に先立たれて、残った人生を一人で過ごすことになった。それはどんなに寂しいことか。ずっと、ずっと一緒にいたかっただろうに。

 

俺は決心した。

五花に気持ちを伝えようと。一緒にいてくれと伝えようと。

 

生きているのなら、時間には限りがある。生と死では絶対に隔たりができる。

 

俺は、愛した十花に先立たれた。それを受け入れたくなくて、十花のことを忘れたくなくて、毎日花を生けて存在を繋ぎ止めた。でも、体温を感じない存在に寂しさを覚えるんだ。

五花はまだ生きている。俺もまだ生きている。生きたまま、あたたかいまま、一緒にいることができるんだ。

 

別れはきっと、いつかやって来るんだろう。それでも、俺は少しの時間でも一緒にいたかった。

 

その日、俺と五花と、十花の関係は変わった。

三人でいよう、と手を繋いだ。

俺の愛しい二人の恋人。ハニーとベイビー。

 

こんな関係もありだな。

そう、思えた。俺は幸せだ。

 

 

 

俺たちの「同居」が始まった日だった。

 

 

 

三人きりでいられた時間は素晴らしいほど幸せに満ちていた。

俺は俺のことを、彼女は彼女のことを話した。もちろん、十花も変わらない姿でそこにいてくれる。唯一驚いたことといえば、俺が五花を好きなように十花も五花のことを好きだということくらい。三人でいられることに変わりはないので、俺は気にしなかった。五花は、嬉しそうに笑っていた。

 

五花は俺たちに言った。

いつか、自分は必ず死ぬ。それが同級生たちとの約束だから。でも、俺と十花とさよならはしたくない。ずっと一緒にいたい。だから、

 

死んでも一緒のところにいよう。

 

五花が死んだら、きっと彼女の両親が生まれ育った町に連れ帰る。桜ヶ原という町に。そこで彼女の遺骨は埋められるのだ。

俺は、また一人になるのか?

彼女は約束した。俺と、十花の遺骨も一緒に埋めよう。埋めてもらえるように伝えておく。

 

五花は笑って言った。

『ずっと、ずっと、一緒だよ。

桜ヶ原の同級生はね。私のことを受け入れてくれたんだ。だからきっと、十夜さんのことも十花ちゃんのことも受け入れてくれる。そう思うんだ。

私、みんなに聞いてもらいたいの。

この人たちが世界で一番愛してる二人です、って。

同窓会ではね。一生をかけて手にいれたとっておきの話を披露するの。そこで私は紹介するんだ。私の恋人たちのことを!』

 

 

 

俺の最期の日、五花は笑って同窓会へ出掛けていった。

 

きっと、彼女は俺たちを待っていてくれる。

 

だから、俺はちゃんとケリをつけて五花のところへいくんだ。

 

 

 

俺は、あの女の部屋の前へ立った。

そして、

 

『ダン! ダン! ダン!』

 

扉を叩いた。

 

 

発狂した女が俺を刺し殺し、誰を刺したのか理解した後で自殺するのは。

まあ、目に見えてわかっていたことだろう。

 

 

 

 

これから俺たち三人はずっと一緒にいられる。

「一緒にいること」が「同居」なら、俺たちは最高の同居人を手に入れられたんだろう。

さあ、これから永遠の同居を始めよう。




これで、出席番号13番の話は終わり。

ね? ちょっとだけ変わった、どこにでもある普通の恋愛話だったでしょ?


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あの日の雨

人は死ぬとき、最期になにをおもうのだろう。

ある町の七不思議に『砂時計』というものがある。その砂時計は、触れた者の命を喰らい、残った体を遺灰として上部から下部へ流し落とすのだという。
上部は現世の世界、下部は死後の世界である。
上部から下部へ流れ落ちる瞬間、それは人が死ぬ瞬間である。
砂時計の境を通過する瞬間、人は夢を見るのだという。永遠に終わることのない夢を、見るのだという。それがどのような夢かは、見た者にしかわからないのだが。

今宵は満月である。
池にうつる満月がとても美しい。
それも、池に沈む件の砂時計が姿を現しそうなほどに。

砂時計の中の砂が落ちていく。
さらさら流れる砂時計。

今宵の砂時計の中で雨のように流れ落ちる砂は、誰のものであろうか。
もしも月の光が真実を写すのだとしたら、誰かの最期の夢が見えてしまいそうである。

これは、いつかのどこかの誰かの夢の話である。
砂時計に突っかかる「眠りウサギ」と呼ばれる少年が見た、夢の話である。


知らない部屋の中。電気はつかず、外からガタガタ激しい音がする。

雨が屋根を叩きつける。

低いサイレンが空気を伝って鼓膜を響かせる。

 

「父さん!母さん!」

一階へ向かって声の限り叫ぶ。

ごぼ

水の音

ごぼごぼ

水が、溢れる音

 

浸水…してるのか?

それにしては…

 

「父さん!母さん!」

 

自分ではない低い声は階段の下へ落ちていく。

僕は見た。

階段の途中から先に波立つ水面を。

その水面に時折現れる人の手を。

 

もう、手遅れだ

 

僕は諦める。

でも、声の男性は何度も呼ぶ。

逃げもしないで。

 

ざぷん

水の音がすぐ近くに迫っている。

外から、雨が水面を叩きつける音が止まない。

 

コンナコトッテ

 

水が、足元を浸し始める。

 

モウ、テオクレナンダ

モウ、ニゲラレナイ

 

水は、ゆっくりと上に上がってくる

 

「と、さ…かぁ…さ」

 

最期に沈む直前、男性が呼んだのは助けだったのか。

それとも、自分と同じように沈む両親を目の当たりにした悲鳴だったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

狭い車の中。車の外では流れてきた濁った水とともに木や鉄の塊、ガラスなど様々な物が押し流されてきている。

 

危ない!外に出たら危ない!

 

窓を締め切って車の中でただ耐える。

 

水が引けば、きっと外に出られるだろう。

車の主は何も言わずに唇を噛む。

周りを見れば、同じように車に残る人の影。

外をキョロキョロ見渡し、出ようか迷っているみたいだ。

車がガタンと動く。

 

このままでいいのか?

 

外は危険だ。出れない。

 

外に出たい。出ちゃいけない。出なきゃ。出るべきではない。まだだ。どうする?

 

同じように外を見る人たち。

 

車が勝手に移動していることには気づかない。

焦りが思考を鈍らせる。

車内の空気が減っているのに気づかない。

焦りが視界を曇らせる。

 

あ、

 

と、思った時には既に遅い。

空気は残りわずか。息苦しい。

 

外に出なきゃ!

 

ドアを開こうとがちゃがちゃ音をたてる。

開かない。

 

なんで!?

どうして!?

 

全力で外に力をかけても開かない。

頭が働くのを放棄する。

一心不乱ではなく、一心乱乱にただドアを開こうとする。

窓を開けよう!窓からでも出れればいい!!

そこからも出られない。

 

水面はかなり高く、外から内側に向かって水圧がかかっているという知識さえ出てこない。

「窓を割る」という選択肢さえ出てこない。

苦しい!

 

クルシイ!

 

壁をドンドンと叩く。

外にその音は聞こえているのだろうか。

 

クルシイ

出して

ここから出して

 

「たす、け、だし、」

 

たくさんの車の中には、同じようにそこから出られなくなって息が止まった死体がきれいなまま残された。

彼らが最期に思ったのは、狭い空間からの脱出だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水没した部屋の中。電気はつかない。冷たい水は膝上まで来ていた。

 

「外へ出ろ!」

 

低い声が聞こえた。窓の外、それも上から聞こえる。

 

「窓から上に上がれ!順番にだ!」

「母さんは最後に行くから、気をつけて上に上がりな」

 

すぐそばの女性が、母さん、がぼくの肩を抱いてそう言った。

ぼくは、僕、は、目の前の小さな女の子の手を握って、努めて優しく声をかけた。

しっかりしなきゃ。ぼくはお兄ちゃんなんだから。

 

妹なんて僕にいたか?

 

「だいじょうぶ。ぼくも一緒に行くからね」

「うん。お兄ちゃんといっしょ」

 

女の子は、ぼくの妹は、笑って手を握り返した。

ざぶざぶと水を掻き分け、窓へと近づく。外は明るい。雨も止んでいた。あんなに激しい雨が嘘のように

 

雨なんて降っていたか?

 

窓から外を見ると、周りの家の一階は全部水の下だった。ぼくの家も同じだろう。

道路は大きな川となっていた。流れが速いその道にはたくさんの物が浮き流されている。

家の外に置いてあった物、家の中に置いてあった物、ゴミ箱、自転車、車まで。流れる。流れる。流れていく。

ぼくは信じられないものを見ていた。

全部、全部流されていく。

 

「早くしろ!水がまだ上がってきているんだぞ!」

 

父さんがぼくたちを急かした。

そうだ、早くしないと。

少しでも安全な所へ。

 

「急ごう」

 

先にぼくが窓の登って妹を引き上げた。

早くしなきゃ。大丈夫。屋根に上がれば大丈夫。父さんもいるんだから。みんな助かるんだ。大丈夫だ。

 

大丈夫。大丈夫。そう心の中で繰り返す。

 

妹が窓に上がった。よし、これで次は屋根に上れれば

 

横!!!

 

あ、と思う間も無くぼくたちは

 

真横から流されてきた木に、流木に連れ去られた。

父さんと母さんの声が遠ざかる。

体が押し潰され、

 

痛い

 

水中へと押し込まれ、

 

苦しい

 

それでも、

 

妹の手を離しちゃいけない。絶対に離さない。離すもんか!

 

小さな手を引き寄せて、ぼくは妹の体をぎゅぅっと抱き締め

 

 

小さな手のその先が千切れて無くなり、既に暗い水の底へ沈んでいたことにぼくは気づかなかった。

 

最期に少年が呼んだのは妹の名前だった。

しかし、妹は答えられずに兄の名前を呼び、助けてと思った。

二人の流された小さな体は見つかることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨の日に。

激しい激しい雨の日に。

彼らの命は奪われた。

信じられないくらい呆気なく奪われた。

 

最期に口にした言葉は、最期に思ったことはなんだったんだろう?

遺体は口にしない。

遺体すら見つからない。

 

彼らは声なき声で叫び続ける。

全てを連れ去り、押し流したあの雨はまた来ると。

彼らの、自分達の命がどのように奪われたのか、忘れてはいけないのだと。

 

雨は降り続ける。

遺された人々の心に降り続ける。

雨は降る。

自然という脅威は地球が生き続ける限り猛威を振るう。

雨は

 

雨は止まない。

あの日の記憶は、止むことのない雨の音と共によみがえる。




あの日の雨は既に降り止んだ。だが、雨の流し去ったものは二度と戻らなかった。抉られた部分は、時間の経った今なお大きな傷跡となって痛みを与えている。
連れていかれたものたちと残されたものたちの耳にはまだ雨が降り続いているのである。あの日と同じように激しい雨が。
あの日のように、雨が降る。しとしとざあざあごうごうと、雨が落ちてくる。あの日のように、全てを奪い去る雨が降ってくる。

空は晴れ、人々には笑顔が戻ってくるのだろう。しかし、心のどこかでは雨は降り続いているのである。
雨はやむことがないのである。
雨音は、やむことがないのである。



最期の瞬間、人はなにをおもうのだろう。
一度雨によって大切なものを奪われた人は、きっと雨の夢を見るのだろう。永遠にやむことのない雨の夢を見続けるのだろう。


今宵はよく晴れた満月の夜。
砂時計からはいつかの雨音がきこえている。

さらさら流れる砂時計。

今宵は雨音、流れる砂時計。

雨音をきくのは、砂時計の中で眠る人だけであった。


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眠りウサギは砂時計の中で狸の夢を見るか

眠りウサギ。
俺たちの、大切な同級生。
クラスの中で、最初にいなくなってしまった同級生。

今年も桜が咲くだろう。
そして、散っていくのだろう。

なあ、眠りウサギ。
信じてくれよ。信じて、俺たちを待っててくれよ。友だちじゃないか。
俺たちもいつかは死んで、お前のいるところへ逝くんだ。
そのときにさ。
また、お前の見た夢の話を聞かせてくれよ。

だから、そのときまで、



その、時まで…







……



………





ふわぁ。

ねむいねむい。

ああ、ごめん。最近まだ夢見が悪くてね。

 

ふぅ。よし。じゃあ、僕の話を始めようか。

これが、最後だよ。

これが、僕のとっておきの話。

「出席番号14番、砂時計」だよ。

 

 

 

僕たちの町にある七不思議。何回も言ったね。

その中にある一つ、砂時計。それが僕の担当する七不思議だったんだ。

僕は解明まであと少しというとこまでいった。

「未来を見せる」という砂時計の噂。砂時計が沈んでいるという池の場所。「未来を見た」人のその後。15年という周期で代わる土地名義。

 

僕は限りなく砂時計に近づけたと思うよ。

 

ただね。

最後の最期に運が悪かった。

 

あ、僕、昔ここに来たことある。

そう思い出した日のことだった。

 

 

僕は殺された。

その時、町にはバラバラ殺人をして回る狂人がいた。僕はたまたま、偶然、その人に会ってしまったんだ。

そんな人に会ってしまったらどうなるか、わかるでしょ?

 

僕は同級生の中でも真っ先にbad endを引いちゃった。

ほんとに、運が悪いよね。

 

でもね。幸運だったこともあるんだよ?

七不思議を知るよりずっと前。僕は池で溺れるタヌキを助けたことがあった。そのタヌキは体が癒えるまで、僕の家で過ごすことになった。結局居心地が良かったみたいで住み着いちゃったんだけどね。

 

そう。その時に僕は池に沈んでいた砂時計に偶然触れちゃったんだ。

小さい頃すぎて忘れてたけどね。

 

あーあ。

自分の最期を夢の中で見ていたのに、未来は変えられなかったんだよね。

bad endは決まっていたんだ。

 

ただ、その夢の最期が訪れる前に手を打つことはできたんだよ。

まるでお伽噺の『狸村の援軍』みたいに、タヌキが僕に力を貸してくれた。

 

僕は。僕たちは、どうしても七不思議を解明したかった。

どうしても七つ目に辿り着いて、みんなで桜の木の下に集まりたかった。絶対に集まるんだと、約束したんだ。

 

でも、僕のこの最期じゃ何かが足りない。

七不思議「砂時計」は解明されていない。そんな気がしたんだ。

「砂時計」にはまだ何か隠されてる。生きてる誰もが辿り着けない真実が隠されてる。

そんな気がしたんだ。

でも、僕にはそれを解明する時間は残されていない。どうしよう。

 

そんな時、助けたタヌキがこう言った。「受けたご恩を返しましょう」。

まさに『狸村の援軍』じゃないか!

僕はそれまで調べあげたことを書いたノートをタヌキに託した。

夢で見た僕はバラバラになって、池の底に沈んでいた。この町に池は一ヶ所しかない。僕はきっと、砂時計と一緒に沈むことになる。

たった独りで、沈むことになる。

 

僕は泣きながらタヌキを抱き締めた。

タヌキは毛皮を涙で湿らせながらも、じっと僕が泣き止むのを待っていてくれた。

 

僕はタヌキにお願いした。

どうか、その時が来るまで僕が死んだことを隠して欲しい。このままじゃ、「砂時計」は解明されないままだ。だから、「砂時計」が本当に解明される時まで僕のフリをして欲しい。

 

 

そして、僕は沈んだ。

タヌキはしっかりと僕の代わりを演じてくれた。

 

もしかしたら、同級生の何人かは気づいていたかもしれない。

同級生の一人が刷り変わった、ってね。

でも、彼は気づかなかった。今も昔も変わらない「怪奇オタク」くん。他のことに関しては鋭いのに、こういうことには鈍いよね。

 

だから彼に託したんだ。

残ってしまった「砂時計」の真実に辿り着けるように。

いつか池に沈んだ僕を、見つけてもらえるように。

 

僕は彼が好きだったから。

 

一部は夢と混ざってしまったけど、きっといつか、彼もこの池に辿り着くと思うんだ。

だから、その時まで僕は眠って待ち続ける。

 

僕は「眠りウサギ」だからね。

 

それにしても、よく何年も気づかなかったなぁ。あんなに近くにいたはずなのに。

彼は「昔の僕」と「今の僕」の性別が変わったことにちっとも気づかなかったんだよ?

 

僕は「女の子」で、タヌキは「オス」だったのにさ。

本当に鈍いね、怪奇オタクくん。

 

 

 

 

 

 

今となっては、もうどうでもいいことなんだけどさ。僕は本当に彼のことが好きだったんだ。

だからノートを託したし、夢のことも話した。

 

よく彼がね。

「信じてくれ。俺たち、友だちだろ」

って言ってくれるの。

その言葉は僕の心にとても響いてた。もちろん、眠っている今も。

 

信じているよ。怪奇オタクくん。

誰よりも信じているよ。

 

だから僕は独りで眠り続けることができるんだ。

みんなを。同級生たちを信じているから、また、みんなで集まって笑って話せるって、信じているから。

僕は誰よりも早く死んで、眠り続けて、待つことができるんだ。

信じ続けることができるんだ。

 

 

 

 

そうそう。僕があの殺人鬼に殺されて、バラバラにされて、池の底に沈んだ後の話をしないとね。

 

一匹のタヌキ、イヌって名前だよ、彼は僕がいなくなったのを上手く隠してくれた。僕そっくりに化けて、あたかも僕が生きて生活しているように見せたんだ。

 

一方、本物の僕は眠って夢を見ていた。

 

冷たい、冷たい、明けることのない夜を、僕は眠っていた。

 

見る夢は、砂時計の中に取り込まれて落ちていった人たちのものだった。

知っていた人たち、知らない人たち。誰もが最期の瞬間に夢を見ていた。

 

誰もが、最期の瞬間に何かを想っていた。

 

砂時計の上から下へ。

生きていた世界から死にゆく世界へ。

自分がいるべき世界がかわるその瞬間の境界に、人は一瞬の長い永い夢を見るんだ。

 

僕は、今自分がこうなって初めて知った。

 

僕もまた、終わらない夢を見続けているのだから。

 

ただ、僕には他の人とはちょっと事情が違った。

僕には「同窓会の約束」があったんだ。その約束は砂時計の七不思議よりも強いもの。だって、「砂時計」は三つ目。「同窓会」は七つ目なんだから。

 

どこかで、女の人の声が聞こえた気がした。

「あなたには約束があるのでしょう?」

って。

その声はいとも容易く奇跡を起こした。

砂時計の下に落ちかかっていた僕を繋ぎ止めたんだ。まるで、桜の木の幹や根が体に絡み付いたようだった。

 

現実では、砂時計のあるはずの池が埋め立てられていた。水が抜かれ、代わりにコンクリートが中に流された。その時まだ腐っていなかった僕の体は、当然一緒に閉じ込められた。すると、まるで時間が止まったかのように僕の体たちは「保存」されてしまったんだ。

 

本来なら体がなくなることで遺灰として取り込まれ、落ちていくはずの「砂時計」という七不思議。

取り込まれて落ちていくだけの七不思議だったはずなんだよね。

だから、ほんの一瞬の「落ちきる寸前の境界」のことなんて誰も知らないはずだったんだ。

 

でも僕は落ちきれずに、こうして境に繋がれ夢を見続けている。

彼が、怪奇オタクくんがこれに気づいて、僕の体を見つけてくれるまで。きっと僕は眠り続けるんだろう。

 

 

 

ふわぁ。

ほんとに長い夢だね。

 

 

ねえ、怪奇オタクくん。

早く僕を見つけてね。

早く、「砂時計」の真実に辿り着いてね。

 

砂時計の七不思議は、もう以前のものではない。僕が上書きしちゃったんだ。僕の見る「最期の夢」たちで上書きしちゃったんだ。

 

最後にね。

君にヒントをあげるよ。

僕の見ている夢を、ちょっとだけ。

ほんの、ちょっとだけ。

君に、君にだけ。

見せてあげる。

だからね。

 

だから、

 

ボクヲ ハヤク ミツケテ

 

ココハ

 

クラクテ

 

ツメタインダ

 

ヒトリボッチハ

 

イヤダヨ

 

ネエ、怪奇オタクくん

 

ネエ、ミンナ

 

僕は待っているよ。信じて、待っているよ。

 

 

 

 

 

ハヤク、コッチヘオイデヨ




がしゃん。

砂時計がまた音をたてて上下を入れかえた。

上書きされた七不思議。
生きている限り明らかにはされない砂時計の真実。
おいで、おいで、こっちにおいで。
君の未来(死)を見せてあげよう。

今日もまた、砂時計は池に沈み獲物がやって来るのを静かに待っている。

夢を見るかのように。












ネエ、怪奇オタクくん。
ボクのミセタ夢ハドウダッタ?
ボクノ、ボクたちの上書キした七不思議はドウダッタ?

なあ、眠りウサギ。
お前はもうこっちにはいないんだな。
ごめんな。もう少しだけ、俺たちを待っててくれよ。



眠りウサギと怪奇オタクのいる世界は違うところにある。怪奇オタクが生きている人の隣で笑っているように、眠りウサギも他の屍と共に眠り続けるのだ。
同じ世界にいるもの同士が隣にいることこそ、きっとそれが幸せなのだろう。

死んでしまった眠りウサギは既に生きていた頃のように朗らかな笑顔をしていなかった。なぜなら、存在する世界がかわってしまえば人も変わるからだ。生きている人の横に死んでいる人が立てないように、死んでいる人の横に生きている人は立てないのである。
死んだ人は生きていた頃と同じではいられないのだ。

だから眠りウサギは。
死者は、生者においでおいでと手招きするのである。

お前も、自分と同じようにこっちへこいと。
死んで、自分の隣に立てと。

死者が生き返らないのと同じように、砂時計の中の砂ももとには戻らないのである。落ちてしまった砂は、落ちる前には戻れない。だから、次々と砂が上から下へ落ちていくのだ。落ちた砂が、更に落ちてくる砂を呼んでいるのだから。








ネエ、ミンナ。
ハヤク、コッチヘオイデヨォ。













桜の花が舞っている。
僕は、一人、木の下で待っている。

砂時計を片手に、待っている。

ねえ、みんな。
信じているよ。
いつか必ず、またみんなで集まるんだ。
笑って、みんなで話をするんだ。

僕は待っている。
同窓会が開かれるそのときを、待っている。



さらさら落ちる砂時計

生から死へと流れ落ちる砂時計

人は、死の瞬間何を思うんだろう。
流れ落ちる瞬間何を思うんだろう。

さらさら落ちる砂時計

永遠に落ち続ける、砂時計

人は

人はきっと

生から死の世界に流れ落ちる瞬間、永遠に終わることのない夢を見るんだろう。



ああ、ながい夢だね。


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出席番号17番「ラブ・レター」

ちょっと、みんな聞いてー。

私にはね、とっても大好きで素敵な親友がいるの。ちょっと変わってるかもしれないけど、そこも含めて大切な親友。

 

さてさて、これはそんな親友とのある体験談ですな。

 

 

 

ある日、あるホラー動画を観た。

 

山田さんという人が廃病院に行き、残されていないはずの電話が残っていて、それが急に鳴り出す。止まったけど、山田さんは電話をかけ直す。「移動しました」という案内が入る。そりゃそうだよねー、で終わると思ったら目の前のガラスにいないはずの女性が写る。

 

というもの。

 

私と友人はその廃病院に行ってみた。

友人っていうのは、最初に言った親友のこと。親友親友って軽く言ってると、何となくその価値も下がりそうな気がするから、友人って言うね。

その動画の病院が本当にそこなのかは断言できなかったけれど、地元でも同じような噂は聞いていた。

 

ただ、私の聞いていた噂はもう少し詳しかった。

 

ある看護婦と医師が付き合っていた。

彼女は嫉妬深い性格で、医師は見目が良かったため頻繁に他の看護婦と噂になった。

遂には彼女は彼と心中しようとした。

 

という話だった。

実際に心中事件はあって、それがどうなったのかは知らない。

 

止めておけばいいものを、私と友人は好奇心に負けて廃病院へ向かった。

まだ病院がやっていた頃には、何度も利用したこともあるその病院。そんな場所に夜中忍び込むなんて…

 

なんてドキドキワクワクするの!

 

 

私たちはホラーや絶叫系等のスリルがあるものが好きという共通の趣味を持っていた。

一緒にDVDを借り漁り、互いの部屋に泊まって、朝方まで興奮と震えが止まないまま手を繋いでテレビに釘付けになることなど数えきれないほど経験した。

 

私たちは、とても仲のよい親友だった。

 

出会いなんて覚えていないけれど。何でも話せる互いに唯一の人。

それが、私たちの共通の認識だった。

そんな私たちが近場に「おもしろそう」な穴場があると知った。これは行くしかない。

 

時刻はもう既に夜10時を過ぎていた。辺りはもう真っ暗だったけど、病院が近いということ、そしてふたり一緒だったことが背中を押してすぐさま向かうことにした。

 

病院に着くと外も中も真っ暗だった。

他にもそこへ行った人がいるのだろう、入り口の鍵は壊れ門は風にガタガタと揺れていた。

私たちは懐中電灯の光を頼りに「キャー、こわーい!」などとふざけながら動画が撮影されたであろう部屋へ向かった。

 

そして、その部屋へ着いた。

動画と同じように、部屋の中には電話があった。

私たちは自然に手を握りあっていた。

「ここ、よね?」

「うん、電話だけあるし、多分そうよ」

 

心臓がバクバクいっていた。

私の手が、ぎゅっと強く握られた。

私も強く握り返した。

 

そのとき。

 

電話が鳴り出した。

 

動画では、鳴った電話は取られなかった。

かけ直していたんだ。

じゃあ、私は。

 

 

「私、出るよ」

「え」

友人の手を引っ張って、空いている方の手を電話に伸ばす。

「やめなって!動画見たでしょ?!」

それでも、私は…

「男は度胸!女も度胸!」

 

がちゃ

 

「も、もすもす?」

電話をとった私の第一声は噛んだ。

あの動画のように。

 

「―」

「も、もしもし?」

「―」

「切りまーす」

 

がちゃ

 

電話の先は無音だった。本当になんにも聞こえなかった。

変な声や音が聞こえるよりも遥かにいいと思い、私はそのまま受話器を置いた。

 

置いた瞬間、するりと手に誰かが触れた気がしたが、気のせいだと思い込むことにした。

 

私は友人を見て

「ナニモキコエナカッタヨ。カエロー」

片言で言った。

内心、ものすごくビビっていたのだ。

「はは、ほらね」

友人も苦笑いをしながら返事をした。

 

そして、私たちは何事もなく帰路についたのである。

 

このとき、私は気づかなければいけなかった。

友人の手に、電話が置かれていた机の上に乗っていた万年筆が握られていたことに。

 

 

 

 

あの肝試しから数日が経った。

私は今日も何事もなく会社へ出社する。

 

昼休憩の時間、お茶を啜りながらメールを開くと友人から連絡が入っていた。

 

(どうかした?)

(今日、アタシの家来れる?)

(うん、だいじょーぶ)

(ちょっと見てもらいたいのがあるんだけど)

(おk。終わったら行くね)

 

「見てもらいたいのかぁ」

なんだろ?

湯飲みを洗いに席を立つ私の耳に、あるニュースが流れるのは届かなかった。

 

その日の終業後、私は慣れた足で友人の家へ行った。

家に着いてチャイムを鳴らすと、友人は疲れた顔で迎えてくれた。

友人と会うのは肝試し以来だ。

 

「お疲れ。上がって」

「うん、」

 

ソファで寛いでいると、友人がコーヒーを持ってきてくれた。私の大好きなミルクと砂糖たっぷりのお気に入り。何も言わなくてもスッと出してくれる位、私たちは親しい時間を過ごしてきた。

 

「ありがと。あつっ」

「貴女、いつもそれよねー」

「何回やっても学ばないんでー」

「ふふっ、はいはい」

ああ、よかった。笑ってくれた。

疲れてそんな顔してるあなたなんてらしくないわ。

 

「で、メールで言ってたのって?」

「うん、これ」

友人がテーブルの上に置いた物は、見たことがない万年筆だった。

「?これ、あなたの?見たことないけど」

友人が好むような物でもなかったと思う。

「この前、動画の病院行ったでしょ?電話が鳴ったあの」

「うん。それが?何もなかったよね?」

「あの後あったのよ」

 

友人は話始めた。

 

あの病院で、私が鳴るはずのない電話に出ている時、友人は同じ机に置かれたメモ書きと万年筆を見つけた。

きっとこれが動画に出ていたメモだ。

あの日二人で観た動画は、同じように電話が鳴った後出なかった。その代わり、机に残っていたメモの番号にかけ直したのだ。

そしてその後、ガラスに看護婦の姿が写る。

おそらく、噂の看護婦じゃないかと思う。

実は、二人が入った部屋の扉には「立入禁止」のテープが貼られていた。

何か事件があったということだ。あの病院で起こった事件と言えば、看護婦と医師の心中事件。

動画の看護婦はその看護婦で確定だろう。

 

で、私が電話に出ている間見つけたメモの横に置かれた万年筆を手にとって見ていたらしい。

そして、思わず。本当に思わずそれを持ってきてしまったのだと言う。

その万年筆が、今テーブルの上に置かれているそれ。

私を呼んだのは、一緒に万年筆を病院のあの部屋へ戻しについてきて欲しいのだという。

 

「行くけど、何で急に?」

「あのね、これ」

 

そして、次にテーブルに置かれた物に私は言葉を失った。

 

ばさりと音を立てて置かれた物は、大量の手紙であった。

 

「うわなにこれ」

「手紙」

「いや、見ればわかるけど」

「病院から帰ってきてから届くようになったのよ」

「はい?!全部?」

「全部よ。しかも、中身がマジヤバ」

 

中身?

1枚を手に取って広げて見ると、頭に1つの単語が浮かんだ。

 

ストーカーだー!!!

 

私が見た手紙にはこう書いてあった。

 

『一目見てあなたの可愛らしい笑顔に惹かれた』

更に次の手紙。

『細く美しい指をお持ちだ』

更に次。

『綺麗な目をしている』

次。

『よく手入れされた髪と爪だ』

つぎ

『ピアスはよくない』

『バランスの取れた体型だが、もう少し筋肉を減らそう』

『その日焼け止めは肌に合っていない』

 

 

私の顔は既にチベットスナギツネと化していた。

「…よくモテてるね」

「違うわ。これ、おかしいのよ」

「えっとー…何が?」

私はもう考えることを諦めていた。

 

「まずわね、手紙の封筒見てみて。全部同じだから1枚だけでいいわよ?」

私は見た。

見たことがある住所だった。そして、差出人。

消印は

なかった。

 

「…これ、おかしいね」

「そうでしょ?」

 

書かれた住所は病院のある場所だった。それも、あの廃病院のものである。

そして、差出人は男性の名前。

 

「アタシね。あの後この手紙が来るようになって事件のこと調べてみたのよ。そしたら」

 

心中事件の看護婦と医師は死亡している。

 

医師の名前は

「この差出人、その医師の名前と同じなのよ」

偶然?

 

「それに気持ち悪いわ。男からこんな手紙来るなんて」

 

アタシ、男なのに。

 

そうだ。私の友人は見た目ガッツリムキムキ男性だ。

言葉づかいや雑貨とかの好みだけは女の子だけど、れっきとした男性。オネエっていうの?

詳しいことは知らないし、全く気にしていない。だって、大事なのは「彼」が私の大切な友人だってこと。

 

とにかく、男性が男性に対して「可愛らしい笑顔」「細く美しい指」とか言うだろうか?

それに、なんかやけに体について褒めてるみたい。

ようは、キモい。

 

「内容がこれだから」

 

かたん

 

郵便口から音がした。

 

「今、郵便が」

「まって」

彼が私の手を強く握った。

手が、震えていた。

 

「あの病院から帰ってきてから、ずっと届くのよ。こんな手紙が。今みたいに」

 

かたん

 

また、郵便口から音がした。

 

「気持ち悪いわ」

 

そうだ。気持ち悪い。

「止めないといけないよ」

テーブルの上の万年筆を見る。

万年筆には、手紙の差出人と同じ名前が刻まれていた。

きっかけは、きっとこの万年筆。

 

「返したいんでしょ?これ」

私は笑って、彼の大きな手を握った。

 

答えはわかっていたのよ。

万年筆を元の所へ返せばこの手紙は止まるんだって。

一応、そのとき郵便口に入れられた手紙を廃病院へ向かう車の中で開いてみた。

すぐ閉じた。

他の手紙と一緒にコンビニの白い袋に詰めた。

帰りにでも、コンビニに寄って捨ててこよう。うん。

 

その手紙には

『あなたの体はとても魅力的だ』

『だから、僕の万年筆を返して』

と書かれていた。

 

万年筆を返してと言うだけなのに、こんなストーカー染みた「ラブレター」を大量に送りつけやがって。

 

廃病院に着いて、部屋へ行って。あの時と変わらない机の上に私たちは万年筆を置いた。

電話が鳴らないうちに病院を出た。

 

手紙がぎっしり詰まった白い袋は、角のコンビニのゴミ箱へ入れてきた。

すまん、コンビニ店員くん。

 

私たちは彼の家へ戻り、いつものようにひとつの同じ部屋で眠りについた。

 

郵便口からは、もう新たな手紙が届く音は聞こえなかった。

 

 

 

 

今回の「ラブレター事件」が相当堪えた私たちは、しばらく軽い気持ちでホラーを観たり肝試しをしなくなった。

 

廃病院へ行っちゃだめ。

廃病院で鳴った電話に出ちゃだめ。

更に、その電話にかけ直しちゃだめ。

更に更に、電話の近くの万年筆なんて持ってきちゃだめ。

 

 

 

後日、私は知り合いのストーカー相談を受けた。

不気味な手紙が来るんだって。どこかで聞いた話だと思って手紙を開いたら、彼に送られて来たラブレターとほぼ同じ内容。

 

お嬢さんや。どこかの病院に肝試しに行きはしませんでしたかい?

 

チベットスナギツネは知り合いである彼女に尋ねた。

 

はぁ?行ったけど…?

そこで万年筆とか、拾ってきませんでしたかい?

拾ったかもだけど、それが何?

 

私は自分たちに起こった「ラブレター事件」を彼女に話した。

話したけど。

「はぁ?そんなことあるわけないじゃん。

相談して損した」

 

彼女は私を信じなかった。

 

多分、万年筆はあるべき所に戻らなかったんだろうね。

それから1週間もしない内に、彼女は行方不明になった。

そして、発見された。

 

見るも無惨なバラバラな形で。

 

鼻の形が可愛かった彼女。

鼻がなかった。

長い髪が綺麗で自慢だった。

バサバサに切られ、ショートになっていた。

足がすらりと伸びていた。

片足なかった。

彼氏に指輪を貰ったと幸せそうに話していた。

指ごと指輪はなくなった。

ヘビースモーカーであった彼女。

肺がズタズタに切り裂かれていた。

妊娠したと最近報告をされた。

…赤ちゃん…

 

私はあの気持ち悪い「ラブレター」に込められた意味に気づいた。

万年筆を返して欲しい。結局最後はそうなのかもしれない。

でも、私がずっと感じていた得体の知れない気持ち悪さ。

 

この「ラブレター」を送った医師の「ラブ」は、「体の部位」に対して。

心中事件の医師は、外科医だった。

知り合いの彼女は、手紙で指摘された部分を持っていかれ、気にくわない部分は潰された。

 

「あなたは素敵だ」の言葉の裏には、「あなたの身体は物体として素敵だ」という闇が潜んでいた。

 

可哀想に、こんなことになるなんて。

彼女の葬式に参列して私は涙を流す。

 

「私のこともっと信じてくれてたら」

こんなことにはならなかったのかもしれない。

「ダメよ。あの子は貴女を信頼してなかったもの」

アタシみたいに手を伸ばすことも、繋ぐこともしなかったわ。

 

私の隣には、彼が手を握って一緒に立ってくれている。

 

貴方を守れてよかった。

貴女を信じてよかった。

貴方が隣にいてくれてよかった。

貴女がアタシを見てくれてよかった。

 

あなたがあなたでいてくれてよかった。

 

 

 

 

 

 

 

私は。

言葉で言わないような想いを手紙に乗せて送ることは絶対にしたくない。

伝えたい相手は隣にいるんだもん。

手を握って、顔を見て、しっかり目を見て。

本当のあなたを見つめて。

心からの想いを声に乗せて、直接あなたに送りたいの。

 

私と彼はとても仲のよい親友よ。

 

互いの指に違う愛を込めたリングがはめられても、きっとそれは変わらない。

歪むことのないその愛は、他の人には理解されないものかもしれない。

それでも、私たちはずっとずっと手を繋いで歩いていくの。

 

 

 

 

 

ねぇ、今日は何しよっか?

いつもの角のコンビニ寄って、新作スイーツ祭りっしょ!

おー!いーねー!その後見たかったホラー映画鑑賞といきますか!

アタシ、あれスッゴク楽しみにしてたのよ!

えへん、私の一番のオススメ作品だもんねー!

 

 

 

 

 

 

約束の日まで、私たちは互いの手を握って歩いていく。




『ラブ・レター』

私とアタシは親友なの
すっごく仲のいい、親友なの

廃病院でのきもだめし
後で起こった怪奇なストーカー事件
かたん
かたん
今日も手紙が送られる
差出人は死人から

二人で手をとり、何とかしよう
君がいるから大丈夫

私と彼は親友なの
周りにどう見えていても
大切な親友なの


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出席番号18番「地下通路」

私の町にはね。七不思議っていうのがあるんだ。

みんな知ってるでしょ?

 

一つは小学校にある「桜の切り株」。

一つは町をぐるりと廻るバスの「停留所」。

一つは池に沈んでいる「砂時計」。

そして、今から話すのが四つ目。

 

君はたどり着けるかな?

 

 

 

 

 

『地下通路』

 

 

 

 

 

 

これは私が高校生の頃。

部活動が忙しくて、勉強もやらなくちゃいけなくて、友人とも遊びたくて、好きなこともしたくて。もう、何一つ満足に時間も体力も使うことができなくって、焦りばかりが溜まっていく毎日だった。

そして、更に私を追い込む原因があった。

それは部活の先輩。やけに私に絡んできていた。

俗に言う「チャラ男」というもので、周りからも余り好かれていない人だった。物凄く迷惑で、一日のストレスのほとんどをその人が生産していた。物凄く迷惑だった。

 

それ以外は普通に高校生活を楽しんでいた私。

物凄く迷惑な先輩以外は、友人のみんなはいい人たち。

 

いつからだったかな?

あまりに迷惑すぎて、無視するようになったんだ。そうしたらその先輩、私をストーカーするようになっちゃったの。迷惑過ぎる。

家まで見つかっちゃって、登校も下校もその人の視線がビシビシ感じてた。

だから、鉢合わせしないように毎回帰り道を変えたの。朝は仕方ないから両親に送ってもらってた。

これが、私と七不思議の一つを結びつけたの。

「帰り道を毎回変える」っていうことが。

 

私たちの町にある七不思議は、大体何かの条件を満たせば誰だって経験できるもの。

ただ、四つ目だけは違っていて完全に運任せ。

七不思議、その四つ目は「町のどこかに長い地下通路が現れる」らしいということ。

どこかに、らしい、というのは目撃談がないから。

どれくらい長いのかもわからない地下通路。そこから帰ってきた人はいないんだって。

 

つまり、その地下通路はあったりなかったり。

いつも通る道がその地下通路になっていたりすることだって有り得る。ただし、それがどこに現れるのかはわからない。

 

そんな七不思議だった。

 

 

 

 

ある日、私はいつものように物凄く迷惑な先輩を避けて帰り道を変えて帰宅しようとした。

でも、その時に限ってその迷惑な先輩に見つかっちゃった。

ぎろりと、その先輩の目付きが変わったのを見た。ヤバイと思って、走って逃げた。

走って、走って、滅茶苦茶に角を曲がって、そうしたら私は道に迷っていたの。

後ろからは息を荒くして走ってくる先輩の気配。

 

怖かった。

 

私はすぐ近くの地下通路に走り込んだ。

そこに走り込んだのは本当に偶然よ。

まさか、あの「地下通路」に入ってしまうなんて。誰も思わないでしょ?

 

でも、その時は気づかないで奥の方へ走ったの。先輩が大声で私の名前を叫んでいた。

壁に反響して、すぐ横にいるみたいに聞こえた。

 

怖くて怖くて、私はどんどん奥へ進んだ。

そうしたら、やっと気がついたの。

 

出口が見えない

 

もう夕方を過ぎた時間で、季節は秋だったから、暗くて見えないだけかと思った。

地下通路の中も薄暗かったから。

 

だから、出口を目指して奥へ進んだの。

 

カツカツ、私の靴の音が響く。

ザッザッ、先輩の靴の音が響く。

どれくらい歩いたのかわからない。

出口は見えなかった。

 

私はとうとう止まった。

 

周りはやけに寒かった。寒いを通り越して冷たかった。

私は、もしかしてという可能性に気がついてしまった。

 

その時、後ろから

「つかまえた」

先輩が近づいていたことに、私は気づけなかった。

「ひ」

短い悲鳴しかあげられないまま、私は先輩に壁へ叩きつけられた。

 

壁が、異常に冷たかった。

 

息が、白く

(ざく)

先輩が、腕を引っ張って私を連れていこうとした

(ざく)

左腕を、引っ張って

(ざくざく)

こわくてこわくてこわくてこわくてこわくて

(ざくん)

 

次の瞬間、先輩の足は「なにか」に食いちぎられていた!

 

私も先輩も何が起こったのかわからなかった。

わかったのは足が

食われ

 

どさ

 

片足を失ってバランスを保てなくなった先輩の体は地面へ叩きつけられた。

 

そして、残った足を

 

ぐい

 

引っ張られた

 

「嫌だ…死にたくな、食わな、で」

顔面を真っ青にして、歯をガチガチいわせながら先輩は私の左腕を引っ張った。

タスケテ

そんな先輩の声と私の左腕ごと、そのなにかは

(ざくん)

 

 

引っ張られていたはずの左腕が急に軽くなった。

痛い。熱い。

それよりも怖かったのは、

あったはずの左腕の感覚がなくなったこと。

 

(ざく)

こんどは、わたしのばん

 

目の前で食われた先輩のように、私も体を食われるんだ。

目を見開いて涙を流しながら、私は思った。

その時、後ろから私の右手が引かれた。

小さな手は、そのまま私を引っ張って走り出した。

 

(ざく)

何かの音がどんどん遠くなっていく。

 

(…ざく)

足音は私のものしか響いていないのに、目の前に小さな女の子が手を引いて走っているのが少し不思議だった。

でも、その背中は懐かしいものだった。

私は、その女の子を知っていた。

きっと、みんなも知っているあの子よ。

(……ざく)

何かの音は、もうずっと遠くへ追いやってしまった。

その女の子と手を繋いでいると、冷たいくらいに体温は感じないのに心が温かくなった。

 

肩まで伸ばした柔らかい髪、両サイドを縛った可愛い桃色のリボン。

ひらひらと舞う、あの子のお気に入りだった赤いワンピース。桃色に赤い花が咲いた、あの子が逝ってしまった日にも履いていた靴。

 

あっという間に外の光が見えてきた。その時、女の子が手を離した。通路を抜けるかどうかの瞬間に、私は振り返った。

その子は笑って手を振っていた。

 

懐かしい私のお友だち。小さな小さな、私の同級生。今はもういない、大切だった親友。

その子は言った。

 

「まだ、こっちにきちゃだめだよ」

 

通路の口を抜けた瞬間に、私の意識は暗闇へ落ちていった。

 

次に目を開いて見たものは、病院の白い天井だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というのが私の経験した七不思議。

 

迷惑なストーカー先輩による偶然の産物だった気もするけど、あのどこまでも続く真っ暗な通路へは二度と行きたくない。

 

私が思うには、あの通路は死後の世界へ繋がっているんだと思うの。

私たちが小学一年生の夏に交通事故で死んだあの子と会ったのがその証拠。

 

生きているこっちの世界から死後の世界へ行くには体が不必要。

だからね。食べちゃうんだ。あの通路が生きている人の体を。

あの時の私たちみたいに此方から彼方へいこうとする人の体をね。

 

迷惑な先輩はもうこっちへ戻ってこない。

私は、辛うじて左腕をなくしたけどかつての親友に救われた。

 

 

 

迷って迷って、ふと見つけたちょっとだけ雰囲気の違う地下通路は入る前に気を付けた方がいいよ。

その通路はお腹を空かせていて、通ろうとする生きた獲物を待っているのかもしれない。

気がついたときには、もう

 

「ざくり」

 

と、食べられちゃっているかもよ。

 

これで、私の経験した話はおしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

経験「した」話はね。

 

さあ、今の話をしよっか。

 

その後私はそこそこ幸せな人生を送った。

左腕をなくしてちょっとだけ不自由だったけど、いい旦那様にも巡り逢えて、可愛い娘も産まれて。うん。幸せな人生だったわ。

 

そんな私の人生にも終わりがやって来た。

今、私は、あの時の地下通路の反対側の入り口から暗い通路を覗き込んでいた。

 

辺りは一面真っ赤な彼岸花。

命を溢して散ったような花びらは、それはもう美しい。

 

私は死んだ。

人生を終えて、今、この花畑の中に立っている。

花畑の向こうには、あの小さな女の子が笑って走り回っている。

 

地下通路の始めと終わりは、どちらも入口であって出口である。

あの日、出口だと思っていたこちら側から、今日私はもう一度通路を通る。体はもう火葬されて無いので、食べられる心配はない。

 

 

 

みんなと約束した同窓会が、今日開かれる。

とっておきの話をそれぞれ持ち寄って、楽しい同窓会が開かれる。

 

 

 

小さな親友に

「ちょっと、みんなに会いに行ってくるね」

と声をかけて、地下通路に吸い込まれていく。

「おみやげ、よろしくね!」

高い声が後ろから聞こえた。

残念。みんなきっと×××いるから食べ物も飲み物も期待できないかな。

 

あの暗い通路を進む。

進む。

進む。

進む。

地下通路は、あの時のように長い。

 

地下通路が冷たいのは、体の無い私たちが通るから。生きていた時の体の熱は今の私たちにはない。

だから、生きている人にとって冷たく感じるの。

 

途中、食い残しがポツポツと捨てられていた。骨とか。カバンとか。服とか。携帯電話とか。

ふと、懐かしいものが目を掠めた。

高校の学生証だった。

あ、と思った瞬間

「みぃつけた」

すぐ後ろに気配を感じた。

 

迷惑なストーカー先輩だった。

 

通路に体を食われた先輩は、出口からも入り口からも外へ出ることができずにこの地下通路をさ迷い続けていたのだ。

ただ、

 

(ざくん)

 

「ひ」

 

 

どこからか、あの音が聞こえた。

 

 

先輩は途端に怯えて震えだし、周囲を警戒しながら逃げていった。

先輩はあの時の死の恐怖からも逃げられずに、未だに迷っているのだ。

 

ちょっとだけ。ほーーーんのちょっとだけ、可哀想かな?と思ったり思わなかったりした。

 

そして、私は音の正体に気がついた。

地下通路が獲物を食べる音。

それは歯を噛み合わせる音。

 

地下通路の奥へ行けば行くほど、鋭い歯が壁にびっしりと生えていた。

奥というのは通路の一番深いところ。中間地点だ。

つまり、先輩と私の左腕が食われた場所。

 

死んでいる今の私だから見える「真実」だった。

この「地下通路」は生きている。

腹を、空かせている。

 

 

 

 

 

 

これが、私の見てきた七不思議「地下通路」。

 

あの通路が神出鬼没なのは生きているからだよ。

獲物が通るのを口を開いて待ち続けているの。

見た目はほんとに普通の通路だよ。

 

私たちはそれが「七不思議の通路」かは見分けがつかない。だから遭遇するかは運次第って言われるの。

でもね。あっちからすれば適当な通路に擬態して獲物が入ってくるのをじっと待っているだけなんだから、偶然でも何でもないよ。

そういう作戦。

 

こわいよね。

あっちからは見えるのにこっちからは見えないなんて。

 

ここへ来る途中にはね。

携帯電話とかの新しい物から、鎧や着物の古い物までたくさんの物が落ちていたよ。

それって、あれがどれだけ長くああいう風に在り続けているかの証拠だと思うんだ。

多分、これからも変わらず待ち続けるんだろうね。

 

 

 

 

 

じゃあ私、あの子が待っているからもう戻るね。

大丈夫。みんなとの約束も果たしたし、私もあの子ももう一人じゃないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それに、キミも一緒に来てくれるんでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

にゃあ

猫の鳴き声と桜の花弁が風に乗って運ばれてきた。

 




『地下通路』

突然あらわる地下通路
食われる前に引き返せ
七不思議が四つ目、いざ参る

追われて逃げ込む地下通路
暗く寒い通路から
ざくざく刃が鳴る音がする

追った方は喰われて帰れず
追われた方は片腕なくす
残った腕を引かれて逃げる
懐かしき友はいと強し

通路の先では生きてはいけない


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出席番号19番「伝染性吐血症害」

19××年、夏。

とてもとても暑い夏だった。

これは、俺の。俺だけのとっておきの話だ。

長い話になるけど、みんな、最後まで聞いてくれ。

 

あの年の夏休みを利用して、俺は母さんと一緒に父さんが働く工場のある町へと遊びに来ていた。

 

俺の父さんは何ヵ月か前に働いていた会社から異動の辞令が出て、その町の工場で働くようになった。

詳しくは知らないけれど、水質調査などの水管理が仕事だったらしい。

 

その町はそんなに大きな町ではなかった。ただ、父さんが勤める案外大きな工場と、近くにある大きな街から配信されるローカルテレビの意外と面白い番組が特に強く記憶に残っている。

 

町に着いてすぐ、俺は近所の同年代の子どもたちと親しくなった。子どもって、そういうところでは本当にすごいよな。

お前らとはすぐ打ち解けたわけじゃないけど。

 

その中にあの子はいた。

肩まである栗毛の、おとなしい女の子だった。

俺よりふたつ年下のあの子は、おにいちゃんと言っては俺の後ろをくっついて歩いていた。

俺も一人っ子だったんで、あの子のことを妹みたいに可愛がった。

 

あの日までは毎日一緒に遊びに出掛けて、夏休みの宿題をみてやって。

そうだ。一緒にスイカも食べたし、他のガキたちも一緒にうちで花火もやった。

 

みんな笑っていたんだ。

あの子も。新しい友だちも。父さんも。母さんも。

 

朝、ラジオ体操をしに公園へ行けば、帰郷してるっていう大学生のお兄さんがハンコを押してくれて。

小さな商店街へおつかいに行けば、肉屋のおばちゃんはコロッケをおまけしてくれた。

八百屋のおじいちゃんは手伝いして偉いと誉めてくれた。

扇風機が壊れて家電屋へ持っていったとき、直るのを待ってる間高校生のお兄さんとゲームの話で盛り上がった。

 

ほとんど毎日晴天に恵まれた。

 

俺がその町で過ごし始めてから、少なくともその日までは雨が1日も降っていなかった。

でも干上がるほどではなくて、畑の横に流れる水路は毎日潤っていた。

そこから水を汲んで野菜にかけてやれば、萎びていたトマトもキュウリも元気になってうまい飯が食べられていた。

町の何ヵ所かにあった井戸から汲み上げた水はいつも冷たくて、遊んで汗だくになった俺たちの喉を潤してくれた。

 

水路は町にある畑を巡るように、縦横無尽に流れていた。

井戸はほどんどの町の人が毎日使っていた。

 

豊かな水はその町の生命線だったんだ。

 

父さんが働く工場は、水源の上流にあった。

 

その日は珍しく空が曇っていた。

夕方くらいから雨が降るかもね。母さんは朝食を用意しながらそう言っていた。

俺は黒い雲を見ながら、今日は何をしよう、とのんきに考えていた。

 

朝食を食べ終わった俺は、あの子を家まで迎えに行った。

玄関を叩くと、入り口から顔を覗かせたのはあの子の母親だった。彼女は、あの子が夏風邪をひいたことを俺に教えてくれた。昨夜から咳が出て、今朝になって発熱してしまった。だから、今日はあなたと遊べないのだ、と。

 

そういえば夕方、あの子は怠いと言っていた気がする。

それに、その町以外でも夏風邪は流行っているとテレビで言っていた。

それじゃあまた今度、お大事に。そう言って俺はあの子の家をあとにした。

 

俺は一人でぶらぶら歩いた。そうしたら、近所の同い年の男子がやってきて、工場へ探検しに行かないかと誘ってきた。

考えたら工場へ行ったことがない。

俺はひとつ返事でオーケーした。

 

工場の周りをぐるりと囲むフェンスに開いた1ヶ所の穴。そこから俺たち4人は忍び込んだ。子ども一人が這ってやっと通れる穴。

俺たちはそこから静かに忍び込んだ。

 

それは昼前の話。まだ、雨は降り出しそうになかった。

 

工場内には警備員はいなかった。

まるでスパイになったような気分で俺たちは工場を歩き回った。見つからないようにと、心臓はどきどき速さを増していた。

 

しばらくして、俺たちは工場の中へ入る入り口を見つけた。そこは扉ではなくてシャッターになっていたから常に開けっぱなしで、中の暗闇が変に気味悪さを滲み出していた。

もともと人が少ないのであろうか、そこまでの道で見かけた大人は両手で足りる程度だった。

 

(入るか?もちろん。まだ引き返せるぞ?ここまで来て?入ってしまおうぜ!)

 

目で合図を送りながらタイミングをみて俺たちは中へ入り込んだ。

中は薄暗く、空気は湿っていた。

ぽたりと汗が首を伝っていく。

ふと、あの子が一緒でなくてよかったと何となく思った。

工場の中は大きな管の中を勢いよく水が流れていた。ザアザアという音が大きく響いていて、小さな俺たちの囁き声は簡単にかき消されてしまった。足音すら消されたのは好都合だったのかもしれない。

所々で水飛沫が上がっている場所が見える。そういうところには大抵人がいて、何かをチェックしていた。

管は傾斜をつけて場内を巡っており、それと一緒にキャットウォークと呼ばれる足場が組まれていた。

 

思っていたよりつまらないな。

一人がぽつりと言った。

 

確かに。町の中では唯一最新式の機械を使用していると聞いていた。

工場を作るとき町民がそこそこの金額を出し、更に工場のお偉いさんたちもある程度出資したらしい。それだけ期待され、通年水不足にならないという良い成果を町に与えているのだ。

といっても、難しい話俺たちも含めて町の人のほとんどは工場が具体的に何をしているのか知らなかった。

いや、工場が何か悪いことをしているとかいう話ではない。工場を経営している「上」が重要だったんだ。

今となっては既に遅いが。

 

もう帰るか。

 

先頭を歩いていた奴が出入り口を指差した。

音を立てないようにゆっくりと出入り口へ向かおうとすると、どこからかパリンとガラスが落ちるような音がした。それほど遠くないところからだったと思う。

気がついたのは俺だけで、他の奴らは動きを止めなかった。俺は一度止まって、周りを見渡した。

すると、

「…あ」

-父さん

数十mも離れていない所に作業着を着た父さんがいて、向こうも俺を見て驚いた顔をしていた。

ただ、見つかってバツが悪い顔をしている俺とは違う意味で父さんは驚いていた。

 

「と」

「来るんじゃない」

謝ろうと父さんの方に足を向けると、父さんは静かにそれを制した。すると、父さんは俺の足下を指差した。

俺の足のすぐ下には水の流れる管が通っていて、一度迂回して丁度父さんの方へ流れていた。

管を目で追うと、迂回した所で何人か大人が集まって何か激しく言い合っていた。彼らの足下には水の流れる管と、そのすぐそばに割れたガラス瓶が散乱していた。

「あっちに扉があるから、そこから出なさい」

父さんが次に指差して言ったのは、俺たちが入ってきたシャッターの所ではなくちゃんとした出入口だった。

ただ、シャッターの所より少しだけ離れていた。

「絶対にこっちへ来てはいけないよ。わかったね?」

俺は頷いて、父さんが示した出口へと向かった。

扉から外へ出るとき、ふと俺は後ろを振り返った。

 

工場内を縦横無尽に巡っていた水路から、少しずつ水が溢れだしていた。

溢れだした水は、既に何人かの大人の足を浸していた。

 

扉から外に出て他の奴らと合流し、すぐに家へ帰った。

帰る途中、喉が渇いたなー、と俺は汗だくになりながら言った。

「お前ら平気そうじゃん」

隣の奴を見ながら言った。

「だって、お前が出てくる前に工場の外にあった水道で飲みまくったし」

なるほど。お前ら、俺を待たずに水を飲んでいたのか。さぞ旨かったろうな。

軽口を叩いて笑いあった。

 

俺は、このときのことを思い出す度に胸がずんと重くなるんだ。

俺は、運がよかったのか。

悪かったのか。

今になってよくよく思い出してみると、偶然が重なり過ぎてはいないだろうか。

俺は、とてつもなく不安に落とされる。

 

夜になって雨が降り始めた。

 

父さんは、その日帰ってこなかった。

ただ、家に電話が一本かかってきた。

母さんが出て、長い電話をした。

長い長い電話だった。

途中、母さんは俺と電話を交代した。

母さんは、泣いていた。

電話に出ると、父さんは開口一番に俺の心配をした。

どこか体調は悪くないか。

周りで変な病気のようなものは出ていないか。

雨が降りだしてから家の外には出ていないか。

水道から直接水を飲んでいないか。

ごほごほと咳をしながら父さんは俺と話をした。

「父さん、風邪か?最近ここらで夏風邪流行ってるんだ。気を付けろよ?」

最後に会ったときはそんな素振りも見せなかった父さん。

「いいんだ。もう、いいんだ」

もう一度母さんと電話を代わってくれと、父さんは言った。

父さんはさいごに

「お前は絶対にこっちへ来てはいけないよ。どうか約束してくれ」

そう言った。

訳がわからなくて、俺は適当にわかったわかったと言い、母さんと交代した。

 

これが、俺が父さんの声を聞いた最期となった。

 

電話が終わり、もう寝ようと布団に入りかけたとき母さんが俺を呼んだ。

来週、この町を出てもといた家に帰ろう。

父さんがね、もう切符を用意してくれてるのよ。

母さんが言った。泣きはらした目は真っ赤で、見てるこっちが辛くなるほどだった。

あの子を思い出して帰りたくないと思った。

でも、首を横に振ることはできなかった。

わかったと小さな声で俺は言った。

あとね、明日でいいからこのノートの中身を読んで欲しいの。

母さんが俺に一冊のノートを差し出した。

ぱらぱらと捲ると、馴染みのある父さんの字でびっしりと何か書いてあった。

最後の方に、母さんの字で走り書きがされていた。

まあ、明日でいいなら明日読もう。そう思って枕元に置いた。

 

 

 

 

 

次の日、雨はあがって空には再び晴天が覗いていた。

 

台所へ行くと、母さんが鍋に水をいっぱい汲んで火にかけていた。汗をだらだらと、それこそ床に水溜まりができそうなくらい流して作業をする母さんに、異常さを感じた。

台所は蒸気で酷く蒸していた。

「母さん、おはよう。その、なんかあったの?」

俺に気づいた母さんは、一度手を止めて振り返った。

「ああ、おはよう。もう、水道の水は使っちゃダメよ。朝御飯食べたらお買い物に行ってもらいたいから、お願いね」

(水道?)

「手を洗ったりするのはこのお水を使ってね」

そう言って、大きな瓶を指差した。

「絶対に町の水路からの水は飲んじゃダメ」

町の水路。ふと昨日行った工場を思い出した。

「触ったりしてもダメよ?何があるかわかんないから」

(何があるか?昨日までそんなこと一言も言っていなかったのに?)

「お友だちにも伝えてあげてちょうだい。体調が悪かったら家から出ちゃいけないとも」

(体調?夏風邪のことか?

今年の夏風邪ってそんなにヤバイのか?)

「それとね

 

お父さん、今朝死んじゃったって」

 

(は、え?誰が

死んだ、って…)

 

時間が止まったかと思った。

部屋の蒸し暑さも、外のセミの鳴き声も、全て消え失せてしまったかのようだった。

俺の心臓の音がだくだくと響いていた。

汗が流れ落ちる。

嫌な、汗だ。

「だ、って、昨日でんわが」

うまく声が出せない。

(誰が、しんだって?)

 

「きっとこれから大変なことになるわ。だから」

母さんの声は淡々としていた。

(母さん?悲しくはないのか?父さんが)

「だからね。しっかりして。

お父さんの意思を大事にしてあげて」

母さんは、泣いていた。泣き声もあげずに。

「わかった。わかったよ、母さん。

俺、ちゃんとする。父さんの分もちゃんとするから」

母さんは頷いて作業を再開した。

机の上に置かれていた朝食を自分の部屋に持っていって食べた。何も考えないようにした。

布団はまだ敷かれたままだった。

このまま横になり、眠りにつき、悪い夢だったらと思った。

 

枕元には、昨日眠りにつく前に置いたノートがそのままになっていた。

(父さんの字が、父さんが何か書いていた、何を。)

 

俺は、やっとそのノートを手にとった。

 

一ページ目。日付は大体一年位前。書き出しは

『これより○○工場へ派遣されることとなった。工場の雰囲気は良い。ただ、スポンサーである△△企業に悪い噂を聞く。何もなければいいが。』

○○工場は、父さんが前にいた工場だ。

父さんの仕事は単純に体を使って労働しているものではない。どちらかといえば、技術面でアシスト・アドバイスをするというものらしい。

だから、工場内の人たちとはよく話をするらしい。

しばらくよくわからない記号や文(英語?ミミズが這ったような文字も時々入っている)がページを埋めていた。

多分仕事の技術的なことなんだろう。

 

俺は今まで、父さんの仕事について詳しく聞いたことはなかった。一度だけ、聞いたことがある。でも、全くわかんなくて。お父さんのお仕事は本当に難しいからねー。私も全くわからないわー。そんな風に笑いながら母さんも聞いていた。父さんは苦笑して、じゃあもうこの話はお仕舞いにしよう。そう言って俺の学校の友人について聞いてきた。

 

父さん、頭が本当によかったんだよな。

そう思いながらページを捲り続けた。

 

日付は半年前。丁度この町に異動になった頃だ。

そういう技術的なことが書かれたページが減った。時々焦ったような字で短い文がたくさん書かれている。箇条書きのところも多い。

俺は見つけた。

ノートの始めに書かれていた、父さんが心配していたスポンサーの企業。△△企業。

その名前が増えていた。

この企業、俺聞いたことがないな。まあ、興味ないから当然だけど。

それにしても、何をこんなに父さんは焦ってるんだ?

 

俺はページを捲り続けた。

 

日付は今年の春。ページの様子が一変した。

あんなに几帳面にびっしりと書かれていた文字が、半分以下に減っていたんだ。

 

(何があったんだ?)

 

ペラペラとページを捲る。すると、気になる言葉が書かれていた。

『ウィルス』『出血』『咳』『伝染』『水』

(ウィルス?病気?)

俺の頭に浮かぶ心当たり。

そして、次々と結び付き浮かび上がるひとつの可能性。

 

(まさか)

 

俺はページをとばし、日付を一番新しい、つまり父さんが書いた最後のページに進んだ。

最後のページには『ワクチンの製造方法』と書かれた難しい文。

そして、そして

 

「どうか生きて幸せに」

 

父さんが俺に向けて書いた最後のメッセージが、彼本来の丁寧で几帳面な字でしっかりと遺されていた。

 

(父さん、父さん!)

 

昨日最期に電話口で聞いた声と、工場で見た顔がよみがえる。

俺はノートを閉じてしばらくうつむいていた。

今考えるとさ、そんなことしてる場合じゃなかった。

本当にそのノートの通りなら、それからどうなるかわからないじゃないか。

 

ノートに書かれた最後のページには、昨日父さんが母さんに伝えたであろう内容がしっかりと記されている。

 

特に注意すべきことは水。

 

俺の出した答えはこうだ。

 

△△企業があるウィルス(病原菌?)を持っていた。あるいは作っていた。

それが昨日工場の水に溶けてしまった。多分、あの割れていたガラスの器に入っていたんだろう。

ウィルスが溶かされた水は工場内をめぐり、水道管や水路を通じてこの町に送られる。

父さんによると、そのウィルスは液体を介して感染するらしい。水に溶けたウィルスは、その水を飲むことはもちろん触れるだけでも感染させるだろうということだ。

 

だから、昨日工場で父さんは「こっちに来るな」と言ったんだ。あの時俺が立っていたのは父さんの立っていた所よりも上流だった。

俺と父さんの間には割れたあのガラスがあった。あの時父さんが水に触れていたのだとすれば、きっとウィルスに感染してしまっていたのだろう。

 

感染した人の初期症状は風邪に似ているらしい。咳が出るのだという。あと、微熱も。

 

電話がかかってきた夜、父さんは咳をしていた。

 

その後、急に吐血するらしい。

 

そして、その出血の量が多すぎて死に至る。

 

どうよ?

見事なSFだろ?

 

俺はこの町に来る前に読んだ小説を思い出した。

あるウィルスが街に撒かれて、人々が発症して次々と死んでいく。パンデミック・ホラーとかいう内容だったっけ?

あの病気の症状も風邪に似ていた気がする。

確かその病気はちょっと変わっていたんだっけな。

 

俺は母さんに一言言って外へ出掛けた。

 

昨日風邪気味で休んでいたはずのあの子の家へ駆け込み、緊急だと事情を話した。俺の父さんがあの工場で働いていることを知っていたあの子の両親は、町の状態を教えてくれた。幸いにも、あの子の父親は医者ではないけど大学で医学を専攻していたらしい。

その人は××という病気ではないかと聞いてきたけど、俺は違うと言った。その病気は父さんのノートにも書かれていたけど、大きく×印がついていたんだ。多分、すごく似ているんだろう。

 

俺は、まだ一度もこの町に潜むウィルスが引き起こす症状を目の前で見たことはなかった。

だから、強気でいられたんだ。

そのときは、な。

 

その人は、一度だけその似ている病気の患者を見たことがあるらしい。

だからこそ、町に同じような症状が溢れるのを酷く心配しているんだ。

他にも似た病気はあるが、私はあんな症状を二度と見たくない。その人は言った。

 

俺の想像の中では、テレビや映画の中で起こっているシーンをイメージしていた。

 

俺は父さんから貰った情報をその人に伝えて、母さんから頼まれていた買い物をしに商店街の方へ向かった。何か異変があれば、すぐに引き返してくるよう念を押された。

朝の時点で既に町全体には警報が出ていたらしい。それでも、その人は町長さんを経由して他の町の人たちに連絡してくれるそうだ。心強かった。

 

その家を出るとき、あの子がパジャマを着たままおにいちゃん、と寄ってきた。

風邪は大丈夫かと聞くと笑って、うん。もう平気。と言った。またあとで来るから宿題でもしてろよ、と俺は言って頭を撫でた。

熱は、ないみたいだった。

 

商店街への道を歩きながら、俺はウィルスについて、その病気について考えた。

あの子の父親も言っていたけど、小説にも載っていた恐ろしい病気。

名前は、『エボラ出血熱』。

エボラ出血熱。

致死率が50~90%の急性ウィルス感染症。

ワクチンはまだ、見つかっていない。

 

潜伏期間は2日~3週間。その間は感染力がない。

エボラウィルスを病原体とする、ウィルス性出血熱のひとつだ。

 

驚異の感染力を持つが、この感染力は発病してから発現する。つまり、潜伏期間中には感染力がないということになる。ないはずなんだ。発病してからの感染力はエボラウィルスの持つ特徴からのものらしい。確か、ほとんどの体内の免疫を突破するとか。

そのため、感染してからの致死率が異常に高いんだとか。集団発生の場合は致死率が90%に達する場合もあるらしい。

 

血液や体液を介して感染する。ただし、空気感染はしない。

つまり、感染し発病をした末に死亡した人の死体には触れてはいけないということだ。実際に過去の発病事例では死体に触れた人、医師や看護師が特に多いだろう、の発病も多いそうだ。

 

初期症状は風邪に似ている。発病時には突発的な高熱が出る。

症状自体には特徴的なものはないため、他の病気と区別するのが難しい。

ウィルスを顕微鏡で見てみないかぎり断言できないのは辛い。しかし、結局のところ同じように判断が難しいウィルス性の病気でエボラ出血熱のように危険なものはいくつもあるわけで、可能性があるとわかった時点で警戒しないといけないのだ。

 

自然界のウィルスのキャリア、持っているけど発病はしていないようなやつ、はコウモリが有力とされている。

ゴリラやチンパンジーがこのウィルスによって大量に死亡した事例もあるらしいが、あくまでこれは被害を受けてそうなったものだ。

大元の元凶というわけではない。

 

とかなんとか。

難しい話だが、難しい。

俺は自分でそんなに頭がいいとは思っていないから、なんでそんな小説を読んだか自分でも疑問に思う。

誰だよ、あの小説を俺に奨めたのは。

あ、お前か!難しかったよ!でも結果的には助けになった…か?とりあえず礼は言っとく!

思わず顔がチベットスナギツネ。

 

現実と小説はもちろん違うんだけど、当てはめて考えた方が今後行動しやすいと思う。

まあ…イメージトレーニングも役にたつってことだ。

 

歩く道の横には水路がある。

そこには昨日までと変わらず水がひかれていた。ただ、少し少ない気がする。流れもない。

工場からの水が止められていたんだろう。

 

あの工場は、あの後どうなったんだろう。

(そういえば)

 

俺は足を止めた。

 

(潜伏期間。

ウィルスに感染してから発病するまでの期間。

 

工場に行ったのが昼過ぎ。そこで汚染が起きたとして、父さんの発病は同日の夜。

いくらなんでも早すぎないか?

 

いや、参考がエボラ出血熱だ。違う病気ならあり得ることなんじゃ?

確かエボラ出血熱は『急性ウィルス疾患』、症状が進むスピードが早い病気だったはず。それより更に早いぞ?数時間だ。

インフルエンザだって数日はかかるだろ。

感染してすぐ発病する病気なんてあるのか?

 

そもそも、感染したのは本当に昨日だったのか?)

 

俺は考えた。でも、夏休みに入ってからこの町に来た俺には町の異常なんてわかるはずもない。だって通常の町の状態を知らないのだから。

 

(今考えても遅いか。

だって、もうウィルスは水に溶けて水路で巡ってしまったんだから)

 

俺は止めていた足を再び動かし出す。

 

(町は、どうなっているんだろう)

商店街に着くと、雰囲気はほとんど昨日と同じだった。

いや、昨日よりは風邪気味の人が多いかな?

所々でごほごほという音が聞こえた。

でも今年は夏風邪が流行ってて…

 

(夏風邪?)

 

ローカルテレビでやっていた、今年は夏風邪が流行っていますねというニュース。

 

工場から流れ出てしまった、初期症状が風邪に似ているらしいウィルス。

 

(たまたまだろう?

だって、ウィルスが流れたのは昨日のことなんだから。

たまたま夏風邪がこのタイミングで流行っただけだって)

 

嫌な予感に胸がどくどくした。

(まさか、な)

 

商店街の入り口で立ち止まっていると、おーい、と声をかけられた。昨日工場へ一緒に行った三人だった。

 

「どうしたんだよ、んなとこで止まって」

「あー、なんでもない」

「ごほ、おまえ元気そうでよかったわー。俺ら、あの後風邪気味になっちまってさ」

 

三人とも咳をしていた。

それが気になった。

周りから聞こえる「ごほ」という咳の音に、何かが混じっている気がした。

 

「来週さ、俺元の所に帰ることになったんだ」

父さんとウィルスのことは伏せて話をする。

不安にさせたくなかったから。

「そっか。淋しくなるよな…ごほ」

「お前ら咳出てるなら、家で休んでろよ」

「いやいや、今日な、隣町からテレビ来るんだって。映らなきゃ損でしょ」

笑いながら言ってた。

笑ってたんだ。

 

そのときは。

 

昼近くになって、町の中心にある公園へ行くことになった。

最後だからって、一緒にテレビに映ろうってことになったんだ。

それがあんなことになるなんて、誰も思っていなかった。

 

咳が酷くなってきたそいつらに、俺は強制的にマスクを着けさせた。

効果があるのかわからないけど。

 

父さんの遺したノートには、ウィルスへの対策が書かれていた。

水を媒介にするが、加熱によって死滅すること。これが主な対策だった。

だから今朝、母さんが大量の水を沸騰させていたんだ。

そう。水が、水を、水で。ウィルスが感染する。

 

感染した後は?

 

咳が出る。熱も出るかもしれない。

そんな風邪の様な症状が出た人は、その後どうなるんだ?

 

エボラ出血熱では名前の通り高熱が出て、ウィルスによって内臓とかがダメにされて、内出血も起こる。だから、吐血や出血・下血が起こる場合もあるわけだ。

 

じゃあ、昨夜咳をしていた父さんも辿ったであろう末期症状はどんなものなんだ?

 

公園へ着くと、三人はベンチへ怠そうに腰かけた。

大丈夫かと聞くと、咳混じりに平気平気と答えた。

ごほごほと周りから聞こえる咳の音はやけに大きく聞こえていた。

(どれくらいの人が夏風邪なんだ?)

 

そもそもこれは「ただの」夏風邪なのか?

 

嫌な予感がひたひたとすぐ近くまで来ていた。当たって欲しくない、まさかという可能性。

 

汗がぽたぽた垂れる。

「俺、あっちにある自動販売機でなんか飲み物買ってくる」

そう言って、その場を離れた。

テレビに間に合うかわからないぞ、と言われたがそんなの俺にはどうでもよかった。

 

自動販売機の飲み物ボタンを押して、残してきたあいつらの方をちらりと見る。

 

テレビのクルーが到着したようだった。

 

まもなくテレビの中継が始まり、マイクを持った女性レポーターがインタビューを開始した。

この町についての簡単な概要から始まり、それでは住人の方にお話を伺って見ましょうと続ける。

テーマは、今年の夏についてだった。

 

カメラが回り始め、やがてマスクをした三人の少年たちにもマイクが向けられた。

 

「今年の夏も終わりですが、どうでしたか?」

「すごく楽しかったですよ!」

「新しい友だちもできてな!」

「うんうん」

俺のことだ。

「すっごくいいやつなんすよ!」

お前らもすっごくいいやつらだよ。余所者の俺のこと受け入れてくれて、一緒に遊んで。

「今日も一緒だったんすよ。さっき飲み物買いに行っちゃったけど」

「ほら、今日も暑いし」

 

彼らの顔を見ると、少し青白かった。

 

(暑い?お前ら、汗全然かいてないじゃないか。顔、青白いぞ?

帰って薬飲んで休んでいろよ)

俺は買ったスポーツドリンクを飲み干しながら、そのインタビューを見ていた。

 

「体調悪そうですが、大丈夫です?」

「ごほ。大丈夫、大丈夫」

「最近夏風邪が流行ってて、俺らも昨日からそうなんすよ。ごほ」

咳が更に酷くなってきた三人に対して、女性レポーターは失礼だと思ったのかインタビューを切り上げようとした。

 

 

そのとき

 

 

 

 

 

 

「ごほごほっ、ごぼっ!」

 

一人がマスクを真っ赤に染めて血を吐き出した。

 

昨日の会話が頭によみがえる。

『喉が乾いたなー』

『お前ら平気そうじゃん』

『だって、お前が出てくる前に工場の外にあった水道で飲みまくったし』

 

工場の外。水道。飲んだ。

 

ああ、こいつら、ウィルスに汚染された水を飲んでしまっていたんだ

 

辺りに女性の甲高い悲鳴が響き渡った。

地面にぼたぼたと赤い液が降り落ちていく。

 

血を吐き出したやつは、声も出さずに次々と口から血だけを流し続けた。

周りはどうすることもできずに見ていることしかできない。

 

もちろん、俺も。

 

しばらくして。

本当に少しの時間だった。

あいつの体は地面に崩れ落ちた。

もう、動かなかった。

 

 

 

その後は、はっきりとは覚えていない。

俺はショックでその場を動けなかったんだと思う。

でも、この時テレビのカメラが回っていたんだ。

 

生中継だったんだよ。

子供が口から血を吐き出して、倒れて、動かなくなるところが放送されてしまったんだ。

ドッキリかと思ってテレビを見ていた人も多いと思う。

でも、続けて一人、もう一人と血を吐き出して同じように地面に転がった。ついさっきまで笑ってマイクを向けられていた子供たちだ。

レポーターは悲鳴をあげて混乱し、カメラマンはカメラを置いて子供の体を揺さぶっていた。

 

揺さぶって、

 

 

自分が何を言ったのか覚えていない。本当だよ。後日、そのときの放送を録画された物を見せてもらって初めて知ったんだ。

 

触るな

感染する

ウィルスが

水を飲むな

工場から汚染された水が

 

それと。

 

風邪じゃない

ウィルスの初期症状だ

 

 

 

 

 

そう。俺たちが風邪だと思い込んでいたのは、

 

あのウィルスの初期症状だったんだ。

 

町は既に感染者で溢れかえっていたんだよ。

 

 

 

 

 

俺は近くにいた大人に家に帰るよう言われた。

まっすぐ家に帰りなさい、と。

俺はその人を知っていた。その人は町にある小学校の先生だった。先週三人と学校に忍び込んで怒られた。

その人も、咳をしていた。

 

俺は走った。

走って走って走って走って、

家に駆け込んだ。

玄関の扉を閉めて、そのまま座り込んだ。

ガタガタ震えながら、耳を塞いだ。

 

途中で聞こえた気がした知っている「音」たち。

ごほごほ、咳をする音

ごぼ、何かを吐き出す音

泣き声、悲鳴

ぼたぼた、液が落ちる音

そして

どさ、重いものが崩れ落ちる音。

 

全部知っている。

知っているんだ。さっきまで、昨日まで一緒にいて笑いあって話をして。

動いてて。

あたたかくて。

生きていた、俺の大事な「日常」たち。

 

どうして、どうしてこんなことに

 

町では赤く染まった「人だったもの」の数が増え続けていた。

 

まるでドミノ倒しみたいに、たかが咳をする程度の症状だったはずなのに一気に吐血するほどの、死に至るほどの症状へと感染したウィルスは伝染していったんだ。

 

 

気づくと、外は薄暗くなっていた。

家の中はやけに静かだった。

母さんがいるはずなのに?

ふらふらしながら靴を脱ぎ、いるはずの母さんを探す。

「母さん?」

何度も呼んだけど、返事がない。

電気をつけて家中を探す。

 

残りは父さんの部屋だけになった。

アパートがなくて、一軒家を借りる羽目になったと苦笑いを浮かべて言っていた父さん。普段はその部屋と台所とかの水回りしか使っていなかったみたいだ。

 

 

「母さん?いるの?」

ゆっくりと戸を開く。

 

 

そこに、母さんはいた。

 

 

母さん「だった」ものが「あった」。

赤く染まり冷たくなった体が机の前にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一晩明けた。

俺は、母さんが生きている間に用意してくれた食事と飲み物と水で体を満たした。

 

母さんは父さんの写真を抱き締めながら倒れていた。

父さんと母さんは本当に仲がよかった。

しかも、死ぬ前に残された俺のことを心配して色々用意すらしてくれた。

 

俺の手元には父さんの遺してくれたノート、この町から出て元の町に帰る為の切符、そしてもうひとつ。母さんから俺に宛てた手紙がそこにあった。

 

手紙には、俺を独り残したことへの謝罪と、あの子の父親を通じて知ったウィルスや病気専門の団体へ連絡を取ったことが書かれていた。

明日、つまり今日の朝には到着するだろうということだ。

 

俺は独りになってしまった。

 

(そうだ、あの子は?

きっと他のみんなと同じようになってしまったんだろうな。

だって、三日前から風邪気味だったんだから。

 

ははっ、そうだよ、風邪気味だったんだよ。

泣きたくなった。

ふざけんな。

たかが風邪だってみんな言ってたんだ。

誰も、誰もこんな風になるなんて思ってなかった。

なんでこんな風になるんだよ。

「風邪」だろ?みんな風邪だったんだって言えよ。

すぐ治ってまたいつもみたいに、できるって)

 

頭の中はもうぐちゃぐちゃで、現実から逃げたかった。

 

 

 

(そういえば)

 

父さんのノートの、最後の、ページ

たしか

「ワクチンの製造方法…」

俺はノートを、そのページを広げた。

ワクチン。

(もう、意味ないじゃないか。生きてるうちに打たないと。みんな死んじゃったんだぞ?)

 

俺はほとんど諦めていた。生存者なんかいないんだと。もう、手遅れなんだと。

 

そして、その中に書いてある内容は更に俺を打ちのめした。

「『発症後回復した人の血液には抗体ができる。それを使用し』…血液からワクチンを作るのか?まんまエボラ出血熱と同じじゃないかよ。」

エボラ出血熱では何%かの確率で発症後回復する人がいるらしい。その人の血液からワクチンを作る。

「生きてる人、いるのか?それに…」

今更ワクチンを作って誰に使うんだよ。

昨日の町中の惨状が頭をよぎる。

次から次へと血を吐き出し始める人々。やがて倒れて、動かなくなる。

多分、あの段階までいけば生きてるのは無理だ。血を吐き出し始める、いや。咳が酷くなる前にワクチンを打たないと。

なんであれ、今は「生きている」人を探さないと。

 

俺は家を出た。

 

そして、いないだろうと思っていた生存者はあっけなく見つかった。

 

あの子が、生きていたんだ。

 

あの子は家の中の自分の部屋に鍵をかけて閉じ籠り、ぐすぐす泣いていた。

あの子の両親は母さんと同じように手遅れで。

 

俺はあの子を連れて家に帰った。

父さんの部屋には母さんがいるんで、近寄らないようにし、残していた食事を食べさせた。

 

昨日の朝の会話を思い出せば、俺とあの子はもっと早く安心できたんだった。

あの子は三日前の夜に初期症状が出て、昨日の朝には治っていたんだった。

あの子の両親がいつ発症したのかわからないけど、夜はたった一人にさせてしまった。

本当に悪いことをした。

俺は「おにいちゃん」なのにな。

 

食事が済むと、あの子はうとうとと船を漕ぎ始めた。当然昨晩は眠れなかったんだろう。

俺は自分の布団を敷いてやって寝かせた。

 

あーあ、この子がもうちょっと大きかったら可愛い彼女なのになー

そんなバカなことを考える余裕さえ出てきた。

あの子がいてくれるだけで、俺の絶望まで沈んでしまった心が息を吹き返すようだった。

心に羽が生えてどこかに飛んで行けそうだ。

 

うっわ、自分でも寒いポエムになっちまった。忘れろ。今のところ忘れろ。

 

俺は電話をかけた。

母さんが連絡をとった専門団体だ。

今、町の中と工場を探索しているって言われたから、俺はワクチンのこと、回復したあの子のこと、それと簡単にこれまでのことを話した。

町は封鎖されているみたいだった。

 

俺の家に向かえるようになったら連絡すると言われた。昼までには行けそうだと。

 

俺は待った。

一時間位。

いや、二時間…?

その間、頭の中を整理した。

 

あのウィルスは、初期症状が出てから末期症状に移行するまでがとてつもなくはやいのでは?

初期症状が出始めたのがいつかわからないけど、それでも父さんやあの三人のことから死亡するまで一日以内。

 

じゃあ、感染してからの潜伏期間はどれくらいなんだ?

そもそもだ。

いつ感染したんだ?

 

父さんは工場で。

多分一昨日のガラス容器の中に入っていただろうウィルスのもと。

 

それが工場の水路の水に溶けて、流れ出した。

 

工場の外の水道からその時水を飲んだ三人も、この時感染だろう。

 

で、汚染された水が町に流れる水路を伝って広がった。

それを飲んだりして町の人は感染した。

 

 

 

いや、違う。

違う!違う!

もっと前からだ。

町の人たちが感染したのも、初期症状が出たのも。

 

この夏は少し前から「風邪」が町で流行っていた。これはあのウィルスの初期症状だ。

今年の風邪は長引く、なかなか治らないとニュースで流れていた。

これが、もし。

初期症状が出た人が、ずっと初期症状を発症し続けていたのだとしたら?

末期に至らずにずっと初期症状が継続していたのだとしたら?

 

わからない。

 

俺は頭が良くない。

父さんみたいに複雑で難しい技術的なことは解らない。

母さんみたいに先を見越して何かを準備することもできない。

 

わからない。

違う。

考え方を変えろ。

考え方を壊せ。

 

インフルエンザだと思え。

ウィルスが体に入った。感染した。

潜伏期間を経て発症。これが基本だ。

エボラ出血熱もそうだ。

潜伏期間の差があっても同じような流れだ。

 

感染

潜伏

時間

発症

 

 

もしも。

もしもだ。

もしもだぞ?

 

 

 

感染の条件が、「一定量以上になること」だったら?

 

潜伏期間はウィルスが体内に入って悪さをするまでの時間だろ?

インフルエンザとかは一匹(?)でも体内に入れば増えて、悪いやつ軍団を作って攻撃を始める。

 

あのウィルスに「自分たちで増える」能力がなかったら?

水に溶けたウィルスたち。

汚染された、ウィルスが溶けた水を飲めば飲むほど体内にいるウィルスの数は増える。

たくさん水を飲む人は当然その分早く一定量に到達する。

 

これなら発症まで時間がかかるし、個人差もある…と、思う。

 

じゃあ、父さんたちが発症して末期になったのが早かった理由は?

 

「一定量以上」が条件なら。

溶けているウィルスの、濃度。

濃い水を飲んだから、一気に末期症状までいった?

 

ちょっと待て。

なんか引っ掛かってる。

 

発症の条件が「時間」とか「数」だとしても、現に一昨日よりも前から発症はしてたんだろ?

それって。

 

「もっと前からウィルスが水に溶けていた?」

 

俺の出した「答え」はこうだった。

 

汚染源が他にあった。

一昨日のガラス容器じゃなくて、もっと前にウィルスは水に流れ出していたんだ。

それはじわじわと町の飲み水に、畑の水に溶けていって、最終的には町の人たちの体に入ってしまった。

 

でも、体にコップ一杯程度入るくらいじゃ発症はしなかった。

一杯、また一杯とごくごく飲めば飲むほど「それ」は体に溜まっていく。

でも、発症する数のウィルスが体内に入るまでは無害だったんだ。

 

例えば、そう。

花粉症ってそういうやつだよな。

ある量までいかなければ花粉症にならないってさ。

 

時間が経つにつれてそれまで飲んだ水も増えてきた。

体内に溜まったウィルスの数も多いだろう。

だから、「一定量以上」になる人が出てきた。

 

あのウィルスの症状は二段階ある。

初期症状と末期症状。

初期症状は風邪っぽいくらいの些細な症状。咳とかな。

末期症状はその咳が酷くなって、血を吐き出す。そして

 

死に至る。

 

この二段階の症状も、体内のウィルスの量によって変わる。

一定量以上で初期症状が出る。更にその上のラインの以上の量で末期症状が。

今までは 末期症状レベルの量までいく人はいなかったんだ。血を吐いたなんて話、小さな町じゃ大ニュースなんだぜ?

 

でも、追い討ちがあった。

一昨日のガラス容器だ。

あれにはきっと、濃い濃度のウィルスが入っていたんだ。

だから、近くにいた父さんはあっという間に末期症状で。

町を水が巡りきるまでにはたくさんの水が追加される。汚染された水もそこそこ薄くなるんだ。だから、その大本の工場の水は一番濃い。その水道の水を三人は飲んだんだ。

当然発症も早い。

 

今までとは比べ物にならない濃度のウィルスが入った水を飲んだ人たち。

元々ウィルスが体内に入っていたせいで、末期症状になるのもあっという間で、あんなことになってしまった。

 

それに、俺は気づいたんだ。

 

夏休みになってこの町に来た俺も、感染しているんだって。

水、飲んでいたからさ。

 

俺にはワクチンが必要だった。

それに、この町以外の人でも感染して初期症状になっている人が近くの町でいるんだってさ。

 

専門団体の人たちが来た。

俺は、あの子を起こして一緒にこれからのことを話した。

 

俺は、父さんが残した切符で帰ることになった。

 

あの子は、ワクチンを作るために団体の研究所へ連れてかれることになった。

 

父さんや母さんや、町の人たちだったものは全部焼却しないといけないそうだ。

エボラ出血熱もそうだもんな。

そんなことを言ったら、団体の若い人が驚いて、そんなことよく知ってるね、と言った。

 

 

 

 

俺は自分の荷物をリュックに背負った。持っていけるだけの遺品と、あの子がくれた思い出の贈り物を両手の鞄に詰め込んで、父さんが住んでいた家の鍵を閉めた。

 

何か、忘れ物はないか?

???

何か、大切なことがある気がする?

何だろう?

何か、引っ掛かっている。

 

俺は、元の町の家に着くまで気づけずにいた。

がたごと がたごと

俺はたった一人で電車に乗っている。

 

 

 

 

 

俺を誉めた、あの団体の若い人が町から出る電車に乗る直前まで見送ってくれた。

その時、個人的な連絡先を君なら特別にって言ってメモに書いてくれた。

後日、といっても家に着いて次の日に電話がその人からかかってきた。

その人はまず、自分が団体を辞めたことを俺に告げた。

それと、自分の兄があの町で小学校の先生だったことも。多分、俺たち四人を怒った、あの時まっすぐ家に帰れと言った人だと思った。面影が似ていたな。

 

 

 

元の町に帰った俺を待っていたのは、誰もいない家だった。

俺はその夜、一人で泣いた。

 

もう九月に入って学校も始まっていたけど、しばらく落ち着ける所で休んだ方がいいっていうことで、俺は母さんの実家へ行くことになった。

 

 

 

がたごと がたごと

電車に揺られながら、俺は父さんのノートを開く。

ページには、あの町に行った初日にみんなで撮った集合写真が挟まっている。

みんな笑っている。

みんな笑っていたんだ。

たった一夏の思い出。

俺の、大切な大切な思い出。

 

 

 

団体を辞めた人、兄さんと呼ぶぜ。兄さんはあの町の調査した事実を教えてくれた。

まず、生存者はやっぱり俺たち二人だったこと。

ウィルスは水路だけでなく、水路からとった水を使用していた畑も汚染していたこと。

あの工場の偉い人が、何ヵ月も前に失踪していたこと。

あとは大体俺の考え通りだった。

 

俺は兄さんに気になることを聞いた。

まず、あの子は元気かということ。

兄さんは沈黙した。

実は、あのウィルスは致死率が異常に高いため発症途中で治るなどあり得ないそうだ。

団体はあの子からたくさんのデータをとって、「今後」に「役立てる」つもりらしい。

つまり、実験体だ。

せっかく生き残ったのに?

 

あの子にはもう会えないだろう。そう、言われた。

あの子はつれていかれてしまった。

あの子は、もういなくなってしまったんだ。

 

俺は気落ちしたままもうひとつだけ聞いた。

△△企業って知ってますか?

もしかして、失踪したその人がウィルスを流していたとか?

兄さんは首を横に振った。

失踪したその人は発見されたらしい。工場の中で。

工場の一番奥にある、大元の水を汲み上げて溜めておくタンクの

 

中 に

 

沈んでいたそうだ。

腕には注射器で刺された痕。

 

え?ぅえっ!

俺は思わず吐きそうになった。

直感的にわかってしまった。ただ、受け入れたくなかったから、兄さんに聞き返した。

 

あのー、その人、感染してます?

感染してました?

あー、そうですよねー。

いやー、知りたくなかったかなー、俺。

 

あー、そうですよねー。

 

オブラートに包むと、俺たちその人のだし汁(血だよ、血)飲んでたんだよなー。

出てきてたのヤバいウィルスだったけど。

はははははは

はぁ…

 

兄さんからもこれには苦笑いしか返ってこなかった。

しばらく水はコンビニでミネラルウォーター買うことにした。根本的な解決ではないと思うけど。

 

あと、俺が名前を出した△△企業。

兄さんはそれが理由で団体に見切りをつけたって言った。

△△企業が作った団体が、今回俺が世話になった団体。兄さんがいた団体だったんだ。

大きい企業だし、別にいいと思うだろ?

 

実はさ。父さんが調べていたんだ。

ウィルスの出所。

△△企業だって。

 

△△企業はあの父さんの勤めていた工場、感染源になってしまった工場のスポンサーだったんだ。

俺はそれをすっかり忘れていた。

団体の人が「△△企業から来ました××団体です」って紹介してくれた時に気づくべきだった。

 

はっきり言って、自作自演だったんだ。

 

工場のお偉いさんが邪魔になったから、変なウィルスを着けてタンクに沈めた。

それに工場が気づきそうだったから、ウィルスがたくさん入ったガラス容器を水路の飲み水に溶かした。

工場だけ変な病気が流行ったら、町の人たちに怪しまれる。なら、町ごと病気にさせてしまえ。

運悪く生き残った子供がいたら、遠くへやってしまえ。どうせ覚えていないだろう。

ワクチンの材料が手に入ればなんてラッキーだ。

 

あいつら、人の命をなんだと思ってるんだ。

 

兄さんもそう怒って抜けてきたんだってさ。

 

 

 

 

俺さ。思うんだ。

思い出はきれいなままであるべきだって。

 

どんなに嫌で汚くて酷い終わりを迎えても、大切な過去の思い出はずっとずっと、宝箱や宝石箱の中身みたいにキラキラ輝いていて欲しい。

きっとそれが、辛くて挫けるような時のエネルギーになってくれる。

 

ただし、これは過去の思い出のこと。

 

今、大きくなった俺は、二度とあんなことが起こらないように必死に現実にすがり付いてカッコ悪くも足掻き続けている。

大学に進学して専門的な知識を身に付けた。

そして、父さんと同じように水質調査を主とした専門分野で働いている。

 

過去は戻らない。いなくなった人たちは、もう二度と戻らないんだ。

 

それを知っているから、俺は後悔しないように大切なものにすがり付くんだ。

失ってからじゃ遅い。

 

あの後で俺は兄さんから貰ったワクチンを打った。だから、もうあのウィルスで発症することはない。

生かされているんだよ、俺は。あの子に。

あの子の血からつくったワクチンに。

 

 

 

父さんや母さんやたくさんの人に守られた。

あの町の出会いに助けられた。

あの子に生かされた。

 

みんな、みんないなくなってしまった。

守れたはずのあの子も、いなくなってしまった。

みんなと過ごしたある日の夕暮れのように赤く染まったあの夏は、たくさんのものを持っていってしまったんだ。

でも、ここに残ったものもある。残してくれたものがある。

 

 

 

 

 

俺はこれから生きていく。

貰ったものを握り締めて、限りある命を燃やしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、まあ、そんな風に思って生きてきたわけだ。

結構まっすぐな人生をおくったつもりだぜ?

でもさ、やっぱりあのスポンサー△△企業は未だに潰れてないし、世界でも真実が隠された事件ってたくさんあるだろ?

悪者が正しい真実を隠してのうのうと生きてる。

 

 

 

だからさ。

俺、「紹介状」を送ったんだ。ここに来る前に。

一足先に「学校七不思議」の話を一つ目だけ聞かせてもらってた俺は、あの兄さんにこの桜ヶ原のことを話したんだ。

一部だけだけどな。

 

 

もし、兄さんに覚悟と復讐心があったら。

あの企業の奴らは俺たちの町で裁かれるんだろうなぁ。

 

ああ、ざまあみろ。

あの子と父さん、母さん。

そして、あの町のみんなのかたきだ。

 

 

俺は心底嬉しそうに笑うのだった。




『伝染性吐血症害』

あの夏の夕暮れのように
全ては真っ赤に染まっていった

キラキラ輝く宝石みたいに
記憶の中に仕舞われた美しい思い出たち
いつまでも変わることない宝物

嗤って水に毒を注ぐ悪者たち
水は全てをさらって流れていく
悲鳴は赤く染まっていく

絶対絶対忘れない
俺の赤い夏休み


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出席番号20番「甲羅干し」

みんな。竜宮城の話、知ってるか?

むっかしーむっかしー

うーらしーまはー

たーすけーたかーめにー

つーれらーれてー

りゅーぐーじょーへ

きーてみーればー

えーにもかーけなーい

うーつくーしさー

 

あれな。

 

簡単に言うと、

浦島さんはいじめられていた亀を助ける。

実は亀は竜宮城のお姫様の乙姫様の使いだった。

亀に乗って竜宮城へ。

亀を助けたお礼に乙姫様は色々もてなしてくれて時間が経つ。

やばいと思った浦島さんは帰りますって乙姫様に言う。

乙姫様からお土産の玉手箱を貰って浦島さんは帰還。

家に帰ると知らない人が。

実は竜宮城と現実は時間の流れが違っていて、浦島さんが帰ったときはもう何十年も時間が経っていた。

なんでやー!と、浦島さんは玉手箱を開ける。

 

後はいくつか説があって、浦島さんの時間が正しく経過してお爺さんに…とか。

鶴になって飛んでいった…とか。

そういう「竜宮城の話」。

 

俺の親父の地元じゃ結構有名な話なんだ。

すぐ近くに海があったり、大きな川が流れてたりして。

だから、亀って言ったら竜宮城の亀を連想するらしいんだ。

そんで、竜宮城への憧れもかなり大きいらしい。なにせ、「絵にも描けない美しさ」らしいからな。

これは俺の親戚、親父の兄貴の話だ。

最初に言うけど、俺は自業自得ってこういうことだなって思ってる。

欲が深いとろくなことにならないんだな、って。

 

親父の兄貴、伯父さんだな。

伯父さんは結構パチンコとか麻雀とかの賭け事が好きだった。

さすがに借金するまではいかないけど、結構使った。って聞いてる。

要はさ、伯父さんは一攫千金狙うタイプだったんだよ。

 

ある年、親父が里帰りして伯父さんと出掛けた時の話だ。

ぶらぶらと実家の近くにある大きい川に釣りに行った。

戦果は上々。さあ、帰るか、という時に俺たちは見つけた。

 

大きい大きいカメ?を。

川だったけど、海ガメ級の大きさ。

というか、俺としては本当にカメか?というレベルだった。

その日はいい天気で暖かくて、布団を干したいって感じの陽気。

そのカメ?は動いてなくて、岸に乗り上げてる状態だった。多分、甲羅干ししてるんだなって感じ。

微笑ましい光景だったよ…大きさ以外は。

具体的に言うと、ランドセルより大きい。多分、ランドセル3個分位はありそうだった。

俺と親父は、うわぁ凄いもの見ちゃったな、位にしか思ってなかった。

 

でも、伯父さんは違ったんだよな。

 

数日後、俺たちは実家から帰った。

それから約一週間後、また実家に戻ることになるなんて思いもしなかった。

家に帰って数日後。

実家から電話がかかってきた。伯父さんの様子が変なんだってさ。ちょっと前に会ったばかりだし、その時はいつもと変わりなかった伯父さん。でも、俺たちと丁度入れ替わりで実家に戻った伯父さんの息子が変化に気付いて電話をかけてきたんだ。

俺とそいつは同い年で親しかった。

 

聞くと、今までの数倍以上の水分をとっているらしい。

まあ、まだまだ暑いしな。

聞くと、でも痩せていってるらしい。それもガリガリに。

病気か?食欲はあるのか?

聞くと、魚とキュウリをよく食べているらしい。

なぜにキュウリ?

 

それは確かにおかしい。

それと、そいつは見てしまったと。

 

『父さんの部屋にあるはずのないものが…

はぁ?あるはずのないもの?

でっかい甲羅があった。

甲羅?………あ!!』

 

俺は思い出した。川にいたカメ?を。

 

『なんか知ってるか?

あのさ、それって尋常じゃないくらいどでかいやつだよな?

うん。

俺、親父たちと川に釣りに行ったんだ。その時いたやつかも。

でもさー、カメ、関係ないよな。

ないよなー。』

 

そんな感じで原因は分からなかった。

分かったのは伯父さんがかわいていること。

まあ、暑いしな。

伯父さんは常に喉が渇いているし、物理的にも乾いていた。

まあ、暑いしな。

 

それでしばらく放置してたんだ。カメ?のことも。

伯父さんも病院には行ったらしいけど原因不明。

どうしようもなくて日に日に伯父さんは乾いていく。

そして、とうとう伯父さんは倒れた。

それだけならやっぱりかで済ますんだけど、それだけで済まなかった。

倒れた次の日の朝には伯父さんは実家からいなくなったんだ。動ける状態じゃないのにって、あいつから電話が来たからすぐに実家に向かった。親父は時間がとれなくて俺一人。

実家に着いてすぐ、俺はあいつに連れられて伯父さんの部屋へ向かった。

時間はもう夜中になり、満月が高くのぼっていた。

 

向かう途中、ピチャン、と水音が聞こえた気がした。

そして、雨も降っていないはずなのに、あの独特の雨が降る直前の臭いが庭に立ち込めていた。

 

部屋に入ると、何となく生臭い臭いがした。

魚臭いっていうか、血なまぐさいっていうか。

それに、キュウリが食い漁られた跡があった。

キュウリかよ?伯父さんそんなに好きだったっけ?

 

でも、よく見ると変だった。キュウリの食い口がギザギザだった。明らかに人の歯で食べた跡じゃない。

じゃあ、何が食べたんだ?

 

それと、あれがなかった。

でっかいでっかいカメ?というか、甲羅が。

川に帰ったか?と俺たちは思った。

 

実際、その考えは合ってた。

そのカメ?は川に帰ったんだ。

伯父さんを連れて。

 

ある日、ある日、伯父さんは

でっかいカメに連れられて

竜宮城へ来てみれば

 

って話。

 

 

 

だったらよかったんだよ。

伯父さんも憧れていた竜宮城の話。

 

現実はそんなに甘くなかった。

むしろ非常だった。

 

 

 

伯父さんと親父の実家がある地域には、竜宮城とは別の話が強く残っている。

そう。

カッパだ。

 

 

 

川に棲む妖怪。頭に皿のようなものを乗せて、甲羅を背負っている。

キュウリが好物。

人を水辺に、引き込む。

それと、その地域にはもうひとつ。

カッパは非常食として好んで人を食べている。

 

 

俺たちが伯父さんの部屋へ行ったとき、部屋から外へ水跡が続いていた。いや、外から部屋へかもしれないけど。

どちらにしても、その先には伯父さんがいる。そう思って後をつけたんだ。

その水跡は家の外へ。

そして、俺と親父、伯父さんが釣りをした川に続いていた。

 

川に着いて、辺りを見回すと変な音が聞こえた。

水の音、枝が折れる音

ピチャン、パキ、ポキッ、バキッ

 

そして、

 

 

 

人の呻く

 

声。

 

 

 

月明かりの下で、影だけが浮かび上がっていた。

大きな甲羅を背負ったなにかと、人の形をしていたはずのもの。

 

俺たちは怖くて恐くて、その場から動けなかった。

 

ほんの一瞬だけ、俺は見た。

音をたてているのは枝じゃなくて、人の形をしていたものだった。

 

伯父さん、だった。

 

ミイラのようにガリガリに痩せた伯父さん。

腕を割かれ、足をもがれ、乾いた音を立てながら喰われていく。

まるで、乾物のスルメを食べるかのように易々と喰らい尽くしていく影。

音が止み、影がひとつだけになった頃。

甲羅を背負った影は満足そうに体をぐぐっと伸ばすと、川に入っていった。

最後に、ちゃぽん、という音と共に甲羅は水に沈んだ。

 

 

 

川の脇の草むらからは、虫の鳴き声だけが聞こえていた。

 

 

 

俺たちは泣きながら帰った。

恐怖からなのか、悲しさからなのか。

 

 

俺たちは笑われることを覚悟で、ありのままを話した。

不思議なことに、誰も疑わなかった。

 

遺体がないから、後日寺の和尚さんが実家に来てお経だけ詠んでくれた。

その時に、和尚さんは俺たちに教えてくれた。

 

年に数回、同じようなことがあるんだと。

 

ふと甲羅をどこからか拾ってきて、ガリガリに痩せ細っていく。まるで何かの呪いにかかり、体から水分が奪われていくように。

最後には、甲羅を拾ってきた者は「痩せ細る」を通り越して、乾物の様にミイラとなる。

そして、姿を消す。

 

伯父さんのように。

 

その先は、俺たちが見た通りなんだろう。

 

 

 

変な話だって言うなよ?

俺、カッパってかなり賢いと思うんだ。

 

あんなに目立つ甲羅を「ほぅら、気になるでしょ~?」と言わんばかりに堂々と干しておく。

売れば結構な金にもなるだろうし、伯父さんみたいに「竜宮城」の話に憧れを持ってる人は特に…持って帰るだろう?

それでさ、その甲羅には何かの呪いをつけておく。例えば水分を奪うとか、な。

甲羅を持っていった人は乾いていく。

 

笑うなよ?

俺、この段階でカッパは非常食を作ってるんだと思うんだ。乾物な。保存きくように水分しっかり抜いて干しとくんだよ。

良い感じになったら取りに来る。

それまで放置すればいいんだし、楽だろ?甲羅を干しておくだけなんだから。

 

単に人を食べるつもりだけなら川でもどこででも襲えばいいだろ?

それでも腹が減ったら非常食を食べればいい。

 

賢いな、おい。

 

更に腹が減ったら、畑を漁ってキュウリを盗むしさ。

魚だって乱獲して生で食べるだろ。外来種、もっと食べていいんだぜ?ワニとかアリゲーターガーだっけ。あいつらには気を付けろよ。

 

伯父さんにはほんと悪いんだけどさ。

あんた、夢見すぎだろって思う。精々カメ助ければ竜宮城へにでも連れてってくれるかもとでも思ってたんだろ?

 

(ぽりぽり)

 

伯父さんが亡くなった後、息子のあいつがどうしたか知ってるか?

伯父さんの部屋の物、全部売っ払ったんだ。

あの人の賭け事で奥さんとか親父も泣かされたからな。あいつもあいつで悪いと思ってたんだよ。

俺はあいつが悪いとは欠片も思ってないんだけどな。

 

おう、もっと食えよ。

 

(ぽりぽり)

 

無駄に欲を出すとろくなことにならないって。

伯父さんの結末もそうだし、やたらと人を襲おうとすれば俺らだって黙っちゃいないんだぜ?

 

適度、ほどほどが一番なんだよ。

 

(ぽりぽり)

 

じゃあ、俺帰るな。

あいつのこと、助けてやってくれよ。

 

(がぁ)

 

あ、最後にさ。

 

(ぽりぽり)

(がぁ?)

 

お前の甲羅って、結局お前の一部?それともマジでカメの?

 

(くいくい)

 

ああ…そっち。

 

川の岸には山になって眠るカメたちと、その中に混ざる幼いカッパがいるのだった。

スッポンもいくらか混ざっている気がする。

 

俺の横には、あの夜伯父さんを喰らっていたであろうカッパが手土産であるキュウリの浅漬けを食べていた。

 

 

 

 

 

伯父さんの息子のあいつは、その後議員となった。地元の自然を残した住みやすい町を造ろうとしてる。

それをよく思わない奴がいるのも事実で、危険な目にあうこともあるそうだ。そういうときは、こっちもちからわざで応戦する。

 

地元の天然記念物「カッパ」はこっちの味方だ。

 

あるかも分からない「竜宮城」よりも、今では俺たちと彼らカッパの距離はかなり近くて。

それでも辛うじてエンカウント(遭遇)しない絶妙な距離。

 

これが俺たちが望んだ「お伽噺」との距離だ。

 

 

 

 

 

今日も川岸にはでっかい甲羅が干されている。

 

 

 

何かが沈む水音が、確かに俺の耳に聞こえた。

 

 

 

 

幽霊とか、妖怪とか、都市伝説とか、怪談とか。そういうのは「普通に」生きていれば出逢わないものだろ?

でもさ、確かにすぐそばにはあるんだよ。

目に見えなくてもすぐ隣に立っている。

まさに共存しているって言ってもいいくらいだ。

 

俺たちの桜ヶ原に桜がありつづけたように、あいつの町にカッパが住み続けるように。

違和感が全くない程溶け込んで、世界があるんだと思う。

 

それに気づけた俺たちはさ。

特別に幸運なんだなって俺は思うわけよ。

 

 

これが、俺が一生をかけて気づいたとっておきの話。

 

 

 

 

なあ、桜のお姫様。

俺たち、どれだけあんたの近くに来れたんだ?




『甲羅干し』

大きな大きな甲羅が干される川の横
そこは竜宮城の言い伝えと
河童の伝承が共存しておったとさ

甲羅を持ってく欲見せりゃ
そいつは河童の非常食
干物にされて食われちまう

守って守られる関係望めば
あいつらだって応えてくれる

キュウリと酒で一杯やろうぜ
俺らは友だち
肩を組め!


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ホラー動画を探し隊・山田「移動しました」

某動画実況グループ「ホラー動画を探し隊」、一人目は山田。


毎度、ご利用ありがとうございまぁす。

ホラー動画を探し隊、山田でぇっす!

えー、今日は動画を紹介じゃなくって

(画面が少し上下に揺れている)

(暗い中、道を歩いている)

(足音と虫の鳴き声だけが聞こえる)

自分たちで動画を作ろうってことになりました!

いぇーーーい!パフパフ!!

ということでぇ

さくさく進めていきましょう!

第一回目はこの山田がお送りする「病院」!

(→ここまでオープニング)

(ばばーーーん!)

(効果音と共に字幕が現れる)

 

「以前ここには病院があった。別に事件があったということではないが、他にいい感じの場所が見つかった為移動することに。

機材やら何やらはもちろん全て運び出され新しい病院へ。古い方にはもう何も残されていない、はずである。」

 

そう。何も残っていないはずなんですよ。

でもね。新しい病院での営業が始まってから、変な噂が流れ出したんですよ。

 

(後ろに真っ暗な病院が。電気はひとつも着いていない)

古い方の病院のとある部屋には、まだ電話が残っている。ってね。

はーい、失礼しまーっす。

 

(がちゃ)

(病院の入り口を開けて入っていく)

(画面下に許可は得ていますの文字が)

(懐中電灯の灯りだけで病院の廊下を進んでいく)

(カツンカツンと靴の音だけが響いている)

でぇ、その電話が残っているという部屋がこちらです。

 

(懐中電灯の灯りに浮かび上がった扉)

(プレートには編集でモザイクがかかっている)

 

おかしいですよねぇ、電話だけ残っているなんて。

で、噂には続きがあります。

その部屋に入ると電話がなるんだと…

んなバカな…

というわけで…

いってみよーう!

 

(ぎぃ)

(鈍い音と共に扉が開かれる)

(真っ暗な部屋)

(物は何もない)

(机と椅子が残っている)

 

(懐中電灯で部屋をぐるりと一周照らす)

(一瞬電話が写るがスルー)

 

ほらー。やっぱり何もな…

???!!!

(電話を二度見)

 

あったー!

ありやがったーーー!

まさかここで鳴るなんてこと…

(電話が鳴り出す)

 

鳴ったー!

電気とか来てないはずなのに

鳴ったーーー!

(電話のコードをアップにする)

(コンセントは刺さっていない)

(コードは途中で切れている)

 

そんなばなな!?

(字幕で死語(笑)と出る)

 

やばい…

ここは出るべきか、否か…

 

ここは…

(字幕で

→出る

出ない

と出る)

俺は、出ない!!

 

(しばらくして電話が鳴り止む)

 

セーフ!セーフ!!

今の出たら絶対ヤバイやつだった!

(額の汗を大袈裟に拭きながら)

ふいーーー…んんん?

 

(電話が置かれている机の上に万年筆とメモ書きが)

(近づいてアップに)

(「御用の方はこちらへおかけください」)

 

かけよっか。

 

(ボタンを押して電話をかける)

どーせかかんないってー

 

(3コール目で繋がる)

?!?!

もっもすもす?!

(字幕で噛んだ(笑)と出る)

 

「お電話ありがとうございます。

こちら○○病院、受付でございます。

当病院は移動しました。

繰り返します。

当病院は移動しました。」

 

(女性の声で案内が入る)

ありゃ?

移動したって案内じゃんか。

しょーがねーなー。

これで動画はおわ

 

(目の前に大きなガラス窓)

(懐中電灯を着けているためガラスに自分の姿が写る)

(電話をかけている男(自分))

(その後ろに写る

 

看護婦の姿

 

自分以外いるはずない。

いるはずないのだが、窓にははっきりとナース服の女性の姿が写る。

その女性も受話器を手に持っている。

 

今、俺が聞いている案内をしているのは、あの女だ。

俺、この部屋に一人のはず。

窓に写っている女は…?)

 

窓に写る女と目が合う。

女はにやりと笑った。

真っ赤な口紅に塗られた唇が目をひいた。

う し ろ に い る よ

女の口がゆっくり動く。

 

俺の うしろ

う し ろ

 

(ぞくっ)

ぎゃーーーーーーーーーーーーーーー!!!

 

(大声をあげて逃げ出す)

 

(画面に大きく「しばらくお待ちください」と出ている)

 

(→ここからエンディング)

というわけで、山田は無事に帰還しました!

いぇーーーい!

怖かった!俺が!怖かった!

廃病院に電話が残ってても!

もしその電話が鳴っても!

みなさん、無視してください!

ましてや、かけ直しちゃいけません!

山田お兄さんとの約束だぞ☆

 

では、次回の「ホラー動画を探し隊」を楽しみにしてください!

チャンネル登録よろ!

 

そいえば、かかってきた電話にすぐ出てたら別ルートに?

に、二度目は行かないんだからね!!

 




『ニュースです。
本日市内にて絞殺死体が発見されました。
場所は○○アパート、被害者は山田○○さん、32才、男性、職業ユーチューバー。
繰り返します。
本日…』










後日、僕はあの動画を再び見ると、「女性がうしろにいるよと言っている」シーンで女性の手が山田さんの首に伸ばされていることに気がついた。
初めて見たときはこんなことになっていなかったのに。

昼にやっていたあのニュースは、「あの」山田さんのことだ。
山田さんは一応顔出しユーチューバーだったから。
この動画と何か関係があるのだろうか。




あるのだろうな。


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ホラー動画を探し隊・鈴木「あのトンネル…暗い!」

音声のみの配信となります

 

 

 

 

 

 

ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーぶち

 

 

 

お。これでいいか?

ちゃんと映ってるか?

よしよし、オレできるじゃん。さすがイケメン。

 

久しぶりに配信するゼ。ホラー動画を探し隊、伊達男の鈴木。顔はイケメン、声もイケメン。オレに、惚れんなよ。なーんつって。

 

「ぐい」

 

んあ? 誰か引っ張ったか?

んなことないか。車に乗ってんの、オレ一人だもんな。

あー、もうずっと連絡取れねえわ。四人で隊だったのに、一人じゃつまんネ。でも約束だかんな。オレは最後になっても配信する。

 

んじゃいっくぜー。

と、赤信号赤信号。

うげ、前の車信号無視だ。ざけんなよ。

 

オレの題材はトンネル。廃トンネルとかあるあるだよな。何番煎じってハナシ。

山がある限り穴は掘られる。トンネルは掘られる。

 

「アタシの出番よぉ」

 

んんん?! 何か寒気が!

き、気のせい! 気のせい!

 

「プップー」

 

お、さっきの信号無視捕まってらァ。ざまーみろ。

 

でェ、オレが今から行くのは何処に繋がってるのかわかんないトンネル。地図を見ても行き先は白紙。いつ頃作られたとかも不明。でも何故か地元民には知られた謎トンネル。

ふふふ、オレは全てを知ってしまった。何故ならオレがイケメンだからである。

ってのは冗談で、毎度お馴染みの出席番号25番からの情報だ。奴は五人目なのかもしれない。いや、探し隊はオレらの四人だけなんだけどさ。

とにかく、そのトンネルは実在している。実在しているから、今オレは華麗に車を飛ばしてそこに向かってるってトコ。

 

「ドン♪ チキ♪ ドン♪ チキ♪」

 

あ? この着信音、あいつのじゃん。え、何処からかけてんの?

おい、待て待て。止まれねェよ。待てコラ、出るまで待て山田。

 

「ドンチキドンチキドンチキドンチキ♪」

 

マジで待ってくれてるわ。草。でも着信音が加速してるー。

 

「ドンドンチキチキドンチキドンチキドドンチキドンドンチェケラ♪」

 

待て。アレンジするな。誰だこんな設定にしたの。佐藤だろ。絶対あいつだろ。なんだ最後。

あ、やべ。今のとこ右折だ。

うー、さすがに切ったか。かけてこれるなら山田は生きてると考えていいよな。後でかけ直そ。

 

は? 着信履歴、残ってないんすけど。

 

と、とにかくトンネルの話!

 

あー、オレってさ、よくコメントで四人組の中で蛇足的な存在って言われるんだよな。イケメンに対する当て付けよ。

おネエの田中を敵に回すとケツがアブねえだろ? 山田は陽キャだから叩いても意味ナシ。佐藤はクールにスルー。だから残ったオレを標的にする。イケメンだしな。

他の三人がいなけりゃ何もできない。アイツはいなくてもいい。なくてもいい。蛇の足。蛇足。オレはよくそう言われる。もうネタなんだよな。鈴木は蛇足。

そこから今回の話が来たんだよ。

 

「がががっ」

 

もう周りに家とかなんもないな。木ばっかじゃん。いや、何か変な生え方してね? これかァ、25番が言ってたのって。

 

オレがもともと調べてたのは蛇に関係する場所。ネタで蛇足だからな。

そしたらヒットするのは妖怪とか祠とか、あと有名な♂蛇池。某ホラーゲームの舞台も出たな。

地味なんだよ。パッとしない。

もう別のテーマにしようかって時に25番からメールが来た。

蛇に関係するらしいトンネルが地元にありますよ。

 

そいつからの連絡自体スッゲエ久しぶりだった。配信が止まって、山田も佐藤も田中もいなくなった。

ぶっちゃけ寂しかったんだよな。だからそのメールに浮かれた。オレが配信すればアイツらはきっと観る。

アイツらからの連絡が欲しかった。オレたち四人で始めた動画配信だ。また、四人揃って配信したい。そう思ったから。

 

一人で、配信する。

 

 

 

 

 

 

「ホー、ホー」

 

結構走ったな。ほぼ森、てか山だ。

 

「呼んだ?」

 

ん? 何か聴こえたか? フクロウか。

25番が伝えてきたトンネルはちゃんと地図にも載ってる。さっき言ったみたいに入り口が、な。

でも変なんだよ。トンネルっていうのは、こう、山を突っ切る為の通路だろ? 障害物があって、回り道しないで突っ切る為の道。

そのトンネル、多分山を突っ切って隣町に出る為に作られたんだ。いや、作り始めた、のか? それなら完成してないっていうのが正しい。トンネルは

 

「ガササササササッ」

 

なんだ。だからオレが今向かってるのは、その唯一の入り口。

こういうトンネルってあり得るのか? あるかもしれない。でも現実にはその一ヶ所しかわかってないんだ。

不幸だよな。よりによって土砂崩れで入り口が埋まるなんてさ。

もしかしたら本当は完成してて隣町にあるはずの出口も埋まってるだけ、なーんてことだったら。

 

「モクテキチマデアト×キロメートル」

 

よし。やっと近くだ。

今何時だよ。

ゲェ、真夜中じゃん。今夜はこのまま動画撮って車泊か。イケメン、泣いちまう。泣かんけど。

 

で、そのトンネルの名前が

 

ピーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

知ってる人は知ってるって25番は言ってたけどさ、オレは知らないな。

 

「がたん」

 

はい、とおちゃーく。

車は、入れないのか。え、これって噂の結界?! じゃなくて有刺鉄線、だよなー。マジで立ち入り禁止じゃん。

 

「ピンポーン」

 

え、通知誰だれこんな時に。は、佐藤?

普通に生きてんじゃん。なんだよ、配信観てんのか。

あ、やめてやめて地味に長い説明のメールマジやめて。あ、でもタメになるメールだ。えーと、

 

「そのトンネル、有刺鉄線あり」

 

知ってるって! っていうかもう目の前!

 

「立ち入り禁止ではない」

 

確かに、禁止の看板はないみたいだな。じゃあなんで有刺鉄線が張られてるんだよ。

 

「危ないから」

 

いや、そうだろ。危ないから以外にないだろ。それって立ち入り禁止と何が違うんだって話なの。

 

「危ないから」

 

うーわー、意味不明だ佐藤。

でも25番も立ち入り禁止とは言ってないんだよな。じゃあ入っていいのか? このトゲトゲの結界の中に?

 

行く?

行っちゃう?

イケイケゴーゴーでしょ!

 

 

 

てことで、まずは入り口前で記念写真な。はい、チーズ。

 

「ぴろり~ん」

 

 

 

 

 

 

入れないからもう車は外に置いてきた。でもさー、中には車やらバイクやらバスやら。明らかに誰か来てるよなー。

うわー、暗い暗い、オレのイケメンが輝くくらい暗い、なんつって。

 

ん?

これ、いくらか前に製造中止になった車じゃなかったっけ。あれ、これも。

 

「かつん」

 

古い、車ってことか? いや、あっちのバイクは今年出たばっかのやつだ。

 

「かつんかつん」

 

えーと、そう。このトンネルのウワサは出れないトンネル。さっきも言ったけどさ、土砂崩れで埋まってんの。オレが入ってきてる入り口は唯一無事だったとこ。

進めば行き止まり、のはずだゼ。埋まってんだからな。出れないんだよ。このトンネル。先がねえの。

 

「カツカツカツ」

 

金がなかったんかねェ。それとももう用済みだったのか。トンネルは修復されなかった。放置されたんだ。

当時はもっと酷くて入れなかっただけかもしれない。

オレ、そういうのに遭ったことがないからさ、よくわかんねえけど。逃げられるのか? 助かるのか? そういうのに遭遇した場合って。

 

「かつん、かつん」

 

あ、これ。そうだ、こういうことか。

トンネルの中に残ってる車、土まみれなんだ。ほら、見えるか? 多分土砂崩れがあった時に放置したやつだ。動かなくなったんだろ。

で、バイクは新しい。有刺鉄線とか放置車で車は入れなくても人単独かバイクくらいは入れる。俗に言うキモダメシ組だ。でもなんでこいつらも乗り捨てしてるんだ?

 

何かから、逃げて

 

ピーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

おい、やっぱ変だよ。気のせいかと思ってたけどさ、やっぱ変だ。

足音が

 

「ざっ」

 

オレ、今止まってるんだぜ? ならこの足音は誰のだよ。それに、長くないか? このトンネル。埋まってんじゃねェのかよ。

 

「ざっざっ」

 

もう、一時間は歩いたぞ? こんなに長いトンネル、あるのか?

長い。

長過ぎる。

突き当たりに、当たらない。

 

「ざっざっざっざっ」

 

やべェ。やべェよ。

オレ、何かに追われてる。後ろから何か来る。

出ねェと。こっから、出ねェと。

 

「急げ。急げ」

 

わかってるよ。ヤバいモノからは遠ざかる。

トンネルから出ねェと。

目指すは入ってきた方向。

振り向くのか。オレはこのまま振り向くべきなのか。

出ないと。ここから出ないと!

 

ヤベェ! ここは噂の出れないトンネルだった!

 

「ざっざっざっ」

 

くぅ~~~! オレは振り向く!

生きて帰ってみせるゼ!

 

「うっそ~ん」

 

誰も! いない!

でも何か映ってるかもしれねェ! 閲覧注意!

こっからはスピード勝負! 走れオレ!

 

「急ぎなさぁい」

 

なんか、寒い! トンネル内って息白くなるくらい寒かった?!

 

「バタバタバタバタバタバタ」

 

ヤバい! ヤバい! 語彙力欠如さーせん! まだ追ってくる!

追って、追って?

 

あ?

 

「バタバタバタバタ」

 

あ、あ?

そーいう、こと?

 

「かつん」

 

はあ、奥に進まなくてよかった、のかな。さっむ。

 

「考察せよ」

 

このトンネル、わからんけどめっちゃ長いんだ。土砂崩れで埋まってない部分。いや、オレは土砂崩れ自体あったのか確認してない。だからこっからは推測な。

 

「かつん、かつん」

 

 

 

このトンネル、単純に長過ぎて出れないんじゃないか? 土砂崩れで機能しなくなって放置されたトンネル。電気もきてない。

真っ暗だ。

行きだけで徒歩一時間以上。相当長いだろ。先は全く見えなかった。

本当に、本当に土砂で先が埋まってるんだとしたらさ。

 

「かつん」

 

人が埋まったんだとしたら。

 

「かつん」

 

人が、逃げられないまま、土の下に埋まったんだとしたら。

 

「かつん」

 

苦しいだろうな。寒いだろうな。

可哀想だ。可哀想だよ。

 

だから幽霊になってまだ此処にいてもおかしくない、だろ?

このトンネルにはオレ以外の足音が聴こえてた。それも一個や二個どころじゃない。何十人、いやもっとだ。いないはずの足音たちだゼ。

そいつらは後ろから聴こえてくる。奥に進めばもちろん出れない。でも振り返っても後ろから聴こえるんだ。オレの後ろから、足音が聴こえてくる。誰もいない。何も見えない。

人は振りほどけない何かに怯える。

焦る。冷静でいられない。

はあ。

追われる。追われる。影も見えないヤツらに、追われ続ける。

げほ。

こんな暗い道を逃げ続けるんだ。冷静でなんていられないさ。

終わらないトンネルの中を歩き続ける。気が、遠く、なりそうだ、ゼ。

 

「ガンッ」

 

くっそぉ! げほ。げほ。

はあ、はあ。

わかんねえよ、もうどっちから来たかわかんねえ。

 

このトンネル、マジで埋まってるんだ。進めば進むほど空気がなくなってくる。苦しい。息が、息が。

あの足音は、ビビらせるためのものじゃない。迷わせるための足音だ!

くっそぉ! くっそぉ!

どっちに行けばいい?! どうやってここから出ればいいんだよ!?

 

「こっちだぞ」

「こっちだ」

「こっちよ」

 

死にたくないよ! こんなとこで!

独りでなんて死にたくない!

 

「こっちだぞ、鈴木くん」

「こっちだ、鈴木」

「こっちよ、鈴木ちゃん」

 

助けてくれよ、山田さん。何か言ってよ、佐藤さん。ふざけないでよ、田中さん。

みんな、みんな、いなくなっちまった。四人でやろうって言ったのに!

オレだけ置いて逝かないでよ。

 

「此方へ」

 

どっちへ行けばいいんだよ。教えてくれよ。オレ、一人じゃ

 

「此方へ」

 

あ。

 

「かつん」

 

光、が。

入り口、だ。

オレ、オレ、助かった、のか?

 

「いけ」

「其方へ」

「いけ」

 

オレ、オレ、生きて

 

「ザクザクザクザクザクザク」

 

 

「ザクッ」

 

アーーーーーーーーー!!!!!!

 

 

 

 

 

 

ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



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オトシモノ「赤いぬりえ」

地下通路にはたくさんの落とし物が落ちています。

おや?
あんなところに一個のカバンが…


今日も地下通路の中から悲鳴と音が鳴り止まない。

 

ざく

ざくざく

ざくざくざく

 

おや。あんなところに一つのアタッシュケースが。

 

これは、そのアタッシュケースの中身に纏わる赤い話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくのいえにはね。

パパがくれたぬりえがあるの。

まいにちまいにち、パパがかえってくるまでいいこでぬりえしてまってるの。

きょうもパパはおしごとでおそいけど。

ぼくはいいこでぬりえしてまってるの。

ちいさなおへやでひとりでずっとまってるの。

 

 

<ケース1>未成年誘拐、及び監禁事件

 

5才の少年を誘拐し、数ヶ月自宅にて監禁した30代男性。少年は無傷で保護された。

男性は少年に対し「自分は少年の父親だ」と言いくるめ、懐中電灯のみの明かりの中押し入れにて監禁を行った模様。

少年には食事・風呂・トイレ等の日常生活は与えていた模様。

 

ただし、これは当時の話である。

 

 

あれから20年以上経った。

あのときパパから貰ったぬりえは今でも机の上に置いてある。

パパはあの日からずっと帰って来ない。

こんなにぼくはいいこにしてまっているのに。

パパは赤いクレヨンしかくれなかったけど、ぬりえはきれいにキレイに真っ赤に塗られている。

寂しいなあ、寂しいなあ。パパがいなくて寂しいなあ。

そうだ。それならぼくが「パパ」になればいいんじゃない?

また二人で真っ赤なぬりえで遊ぼうよ!

 

 

5才の少年を誘拐し、数ヶ月自宅にて監禁を行った30代男性。彼は20年以上前の「未成年誘拐、及び監禁事件」の被害者であった。

被害者であった少年は、年月を経て加害者へとなってしまったのである。少年を監禁していた部屋には大量の赤いクレヨンと一冊の塗り絵が置かれていた。塗り絵はどれも真っ赤に塗り潰されていた。

警察は男性に精神異常の可能性も含めて調査を行っている。

 

これは現在の話である。

 

 

 

 

 

わたし、学校へいくのがすごくきらい。

だってみんなわたしの嫌なことするんだもん。

わたしのだいじなかばんをトイレにすてたり、机にたくさんきたないこと書いたり、くつをかくしたり、みんなで無視するの。

でもね。保健室の先生だけがわたしのみかた。

かわいいぬりえをくれたし、口紅みたいにキレイなクレヨンもくれたの。

先生はいつも笑顔でやさしく話をきいてくれるのよ。

あるときね、わたし先生に言ったの。

将来、先生みたいなすてきな先生になるって。

先生は笑顔でこう言ったわ。

「それなら、将来貴女みたいにすごく辛い思いをしている子にこう言ってあげてね」

 

 

<ケース2>生徒自殺誘導事件

 

某小学校で自殺及び自殺未遂が連続で発生する事件が起きた。

調査の結果、校内でいじめが頻繁に発生していたことが明らかになった。

重要なことは、このいじめ被害者たちに対して極めて不適切な処置をした教員がいるということである。

「保健室の先生」と呼ばれるその教員は、いじめを受けている生徒に対し「そんなに辛いのならばこうしたらいい」と自殺・自傷行為をアドバイスしていたことが判明した。

追記ではあるが、この教員も幼少期にいじめ被害にあっていた。そして、当時それに対応した教員もまた生徒に不適切なアドバイスをしていたと判明し解雇されていた。

今回の事件とこの教員の過去が関係しているかは未だ明らかになっていないが、警察は何らかの関連性があると調査を行っている。

なお、教員が使用していた「相談室」には異常とも思われる数の赤いクレヨンと、それを使用したと思われる真っ赤な塗り絵たちが発見された。

通常絵を書かせて精神状態を見極めるという方法はあるらしいが、それにしてもその真っ赤な絵たちは異常としか言いようがないものであったと警察は言う。

 

 

 

 

 

 

おれの父さんはすごく母さんが好きなんだ。

でも恥ずかしがって、おれの寝てる時に母さんを可愛がってるんだって。

母さんは「あの人は私のことすごく愛してくれるから、いつも○○してくれるの」って笑って言ってた。

父さんは「母さんのことが心配だから、いつも○○するんだ」って笑って言ってた。

○○の意味はよくわからなかったけど、父さんからこうするんだぞって教えてもらったから、好きな人ができたらおれも○○するんだ。

でも、どうしてだろ?

あんなに仲が良かったのに父さんと母さんはこわそうなおとなの人たちに連れていかれちゃった。

おれは今日もぬりえして待ってる。

 

 

<ケース3>妊婦暴行事件

 

某所にてある女性が暴行を加えられているのを近隣住民が保護した。ただし、暴行を加えていたのがその女性の夫であったため厳重注意で終えようとしたところ、直後女性の体調が急変し病院へ搬送されたところ流産したとの報告あり。

詳しい状況を確認中。

 

 

俺の彼女はすごくかわいい。

優しくて、いいこで、仲だって最高だ。

だから俺は20年前にいなくなった両親の言葉を思い出す。自分たちは本当に愛し合っているんだよ。だから、お前が生まれてくるとき痛くて痛そうでかわいそうだった。愛してる人にもうあんなに辛い目にあってもらいたくない。

だから父さんは○○するんだよ。

初めて俺は彼女を愛したとき、その事を彼女に言った。

そのあと、俺は。

彼女を。

彼女の。

はらを。

 

彼女は泣いてた。どうして? 愛してるのに。

○○はいいことなのに。ほら、笑えよ。笑ってよ。

こうすれば、○○すれば俺たちは幸せになれ

 

 

某所にて婦女暴行事件発生。

男性は女性の腹を殴る、蹴るなどして暴行を働いていたと近隣住民から通報あり。その後間もなく警察が現場へ押し入り確保した。

女性は当時妊娠していた様だが、此度の暴行により流産したと報告あり。

 

男性は暴行を認めている。

詳しい状況を確認中。

 

 

なあ、父さん母さん。

○○は、暴行は悪いことだったのか?

だって暴行すれば子どもはできないんだろ?

二人で幸せになれるんだろ?

どうしてだよ?俺はただ幸せになりたくて暴行しただけなのに。

 

部屋に残された塗り絵は、赤いクレヨンと彼女の流した血で赤黒く染まっていた。

 

 

 

 

 

 

<報告>赤いクレヨン及び塗り絵について

 

ここ数年、異常とも見られる内容の事件が多発している。さらにそれらの事件の半分以上には共通点が見られることが分かった。

・犯人の年齢が30才前半

・犯人の所有物の中に赤いクレヨン及びそれを使用したと思われる塗り絵がある

・犯人の幼少期、同じような事件に巻き込まれたもしくは身近で事件が発生したことがある

 

これらの共通点をふまえて調査を行ったところ、以上のことが明らかになった。

 

・クレヨンのパッケージに記載された販売業者は存在しない。つまり、犯人が所有していた赤いクレヨンは購入されたものではない

・この赤いクレヨンの成分に麻薬成分が確認された。これらの事件で発見されたクレヨン全てに同じものが検出されたため、出元が同じといえる

 

検出された麻薬成分について

…10~20年という長期に渡って精神を侵し、主に思考異常障害を発生させる。

摂取時期は2~10代という極めて狭い範囲の年齢。

クレヨン単独では体内に摂取されず、細かくすりつぶし吸い込むことで摂取される。

例)幼児がクレヨンで絵を書く

 

詳細は未だ明らかになっていないが、年齢が25~40才の健康及び対面調査を至急行うべし。

 

真っ赤な塗り絵にご用心あれ。

 

 

「よし、終わりっと」

僕はそう呟いて報告書をファイルに閉じる。

これを先輩に提出しなきゃ。

ついでに飲み物も持っていってあげよう。

 

幼い時に近所の交番に勤務していた先輩の親父さんに、僕は赤いクレヨンを貰った。

今では、彼の息子である先輩と自分は同じ交番に勤務する警官となっていた。

 

「ふふっ。先輩、喜んでくれるかなぁ?」

 

先輩に持っていくコーヒーの中に、僕は睡眠薬を10粒ほど落とした。

 

 

 

 

 

 

あかい ぬりえに ごようじん あれ

 

 

 

 

 

 

アタッシュケースの中にはたくさんの赤いクレヨンが詰められていた。

今では使われることのない赤いクレヨンたち。それを渡す大人の手も、それを使う子どもの手も、この地下通路には何処にもない。

 




ダレ ノ オトシモノ ダロウ ネェ?


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お疲れ蚊取りブタ

昔むかし、それはそれは昔の話。
どれくらい昔かというと、煙を出す蚊取り線香の仕事がコードに繋がれた電気蚊取り機器にまだ奪われていなかったころ。つまり、ここ数年前の話である。



蚊取り線香という線香がある。
除虫菊を原料の一つとした、虫除けを目的とした線香である。形は様々であったが、改良の結果渦巻き型に落ち着いたらしい。
それの一部に火を着け、線香を燃やす。線香からは煙が出る。その煙には除虫成分が含まれる。

夏の夜に耳元で聞こえる羽音。
ブーン…
ブーン…
姿が見えなくても、何処かにいる。ただでさえ蒸し暑く、眠れない夜。耳障りな音は精神を引っ掻くだろう。
小さな小さな吸血鬼が宙を飛ぶ。獲物に牙を突き立て、甘美な血を啜るために。

所謂、吸血鬼に対するニンニク臭が蚊に対する蚊取り線香だと思って欲しい。
間違っているかもしれないが、この話の主役は蚊取り線香ではなく、蚊取り線香を燃やすための容器として作られる彼らなのである。蚊取り線香についての知識など曖昧でいい。
そのように、蚊取りブタは言う。


蚊取り歴二十年。

小さな白い蚊取りブタは、今年もまたあつい夏を迎えようとしていた。

 

 

 

この蚊取りブタのことを、仮に白ブタと呼ぼう。

白ブタは陶器であった。しかし、陶器は白ブタではなかった。

 

陶器は割れる。いつかは壊れる。直しても直しても、いつかは直らなくなる。それが道具の寿命なのだ。

この白ブタは、今でこそブタの形をした蚊取りブタであるが、始めからブタの形をしていたわけではない。

以前は全く別の形と用途をしていた。それがある日、唐突にパリンと割れてしまった。寿命が尽きた瞬間だった。

直すこともできないそれは、四つの大きな欠片に別れた。

 

例えばの話なのであるが。

貴方は生まれかわりや転生を信じる方であろうか。

なあに。信じないなら信じないでその様に聞いてくれればいい。

白ブタも黙って蚊取りブタとしての働きをしてくれるだろう。

 

割れて四つの欠片になったそれは、四つの形を得て別々の道を辿ることとなった。それは魂がわかれたかのように、一つ一つ別の物語を歩み始めたのだ。

三つは割れた後、土へと還っていった。残りの一つは土に還る前に掬い上げられた。

この時既に欠片たちには魂が宿っていた。らしいと後に白ブタは語る。

 

「自分たちにはもともと大きな魂があったんだブタ」

 

最初の形は杯。つまり、カップであった。杯にはいつもとっぷりと酒が注がれる。それならば、誰のカップにも魂が宿るのか。いいや、そういうものでもない。

その杯は、神の元に捧げられる神聖なお神酒が常に注がれた。そして、それは恭しく奉納されるのである。

神が触れし道具。それが彼らであったのだ。

 

「神様が何度も触れば、流石に何かは宿るブタ」

 

白ブタは言う。

何年何十年、もしかしたら何百年と、その杯は神に捧げられた。丁寧に、丁寧に、扱われた。

人の手で作られ、信仰する神の為に浄めて注ぎ、神が手にして口にする。そのようなことが何度も何度も繰り返された。

丁寧に、丁寧に扱われた道具。

 

「でも、いつかは壊れるブタ」

 

だって、世界のどこを探したって、永遠なんて物はあり得ない。形を得てしまった以上、生まれた瞬間から制限時間が設けられる。それはこの世界のルールなのだ。

神様が創ったルールを破れるのは神様だけ。だから、人も動物も物もいつかは壊れる。

 

「だから、ブタたちは壊れたんだブタ」

 

杯は杯という物でしかない。

白ブタは自分が「物」であることをよく理解していた。

理解していたからこそ、このようなこともやすやすと言う。

 

「ヒトもモノも同じブタ」

 

人も物もいつかは壊れて、命が終わってしまうじゃないか。

白ブタは溜め息をつく。蚊取りブタではあるのだが。

 

「同じはずなのに、なんで物だけ自由に動けないんだブタ」

 

 

 

蚊取りブタであった。

砕けた四つの欠片の内、一つは再び物として再生された。砕けた破片を更に細かく砕いて、どこかの気まぐれな職人が次の新たな作品の中に混ぜ込んだのである。そうして生まれたのがこの蚊取りブタであった。

 

「ブタブタ」

 

そもそも、生き物の豚はこの様には鳴かない。表すならば、「ぶぅ」とでも言うのだろう。「ブタ」とは決して鳴かない。

白ブタは生き物の豚の真似をしているつもりなのである。

 

「あいつらはいいブタ。自分で動けるんだからなブタ」

 

再び物として生まれかわってしまった白ブタ。夏の夜は毎晩蚊を追い払う仕事に精を出す。

 

「あー、羨ましいブター」

 

動けない四つ足でしっかりと立ち、腹の中で渦を巻く線香を燃やし続ける。

 

 

 

夏の夜になると、その白い蚊取りブタからは忙しなく煙が立ち上る。

そして、毎回その煙を追って三匹の獣がやって来るのである。

物陰からタヌキとキツネとネコがひょこりと顔を出した。

 

今宵も砕かれたはずの四つの欠片が集まった。

結局、何度生まれ変わったとしても元は一つの魂である。何度でも、何度でも、探して集まって、一つになろうとするのである。

 

いつまでたっても小さな子ブタの形のままではあるが、白い蚊取りブタは何処かに置かれ続けるのだろうか。

かつて一つであった同胞たちは、産まれ、成長し、老いて、やがて死ぬ。それを物である蚊取りブタは目の前で見届けなくてはならない。

それが、土に還る前に掬われた一つの欠片の運命なのだ。

 

「ああ、早く自分も」

 

土に還りたい。彼らと同じように、いつぞやの主の下で眠りにつきたい。

白ブタは今日も溜め息とともに煙を吐き出す。

 

 

 

つい、と煙が細く空へと上っていった。




お疲れ様、蚊取りブタくん…

こぶた→たぬき→きつね→ねこ→こぶた
の謎繋がりで発生した話でした。
これまでの話の中に「タヌキ」「キツネ」「ネコ」は既に登場しています。


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とある吸血鬼とどこぞの眠りウサギ「復活の呪文」②

ふわぁ。

ねむいねむい。

ああ、ごめん。最近夢見が悪くてね。

 

ふぅ。よし。じゃあ、僕の話を始めようか。

 

 

 

君たちは知ってる? あれだよ、あれ。ええっと、何て言ったっけ?

そうそう。何でも復活させられる呪文。

「復活の呪文」。

昔流行ったよね。ゲームの中で死んだら、生き残ってる仲間がそれを唱えるんだ。教会とかお寺とかでさ。

その呪文が失敗したら、残念だけど、諦めるしかない。

死んだままならまだいいよ? でも、中途半端にその呪文が効いていたらゾンビになって起き上がる。そしたら仲間は全滅。

戻ってきて欲しい仲間に食い殺されちゃうんだ。

 

バカだよね。呪文を唱えた人。

 

僕、どんなゲームでもそれだけは使わないんだ。だって、死んだら負けでしょ?

死んだら終わりなんだ。生き返るなんてありえないんだよ。

それが、たった一回の人生っていうものでしょ?

 

 

 

誰かが復活させてくれるなんて思ってたら、甘えちゃって全力で生きられない。次があるって思っちゃうと、たった一回しかないチャンスを無駄にしちゃうんだ。

失敗してもいいんだよ。僕なんて失敗だらけさ。

 

 

 

スキナヒトニスキトモイエナイデ

 

ゼンブオシツケテ

 

 

 

なかなか来ないチャンスを待つことだって必要だよ。今だ! っていう時に力を出せなかったら、それってすごくかっこわるくない?

 

アノヒイケニオチタイヌヲタスケタミタイニ

 

その時まで生きてないとさ、そこから先に落ちてるはずのチャンスを捨てることになっちゃうんだ。

せめてそれに出会えるまで生きていようよ。頑張ってさ、生きることにしがみついていようよ。

 

 

 

ボクガデアッタチャンスハイヌトノデアイ

(わん! わん!)

 

 

 

もし本当にさ、現実に死者を生き返らせるっていう呪文があったとしたらね。おかしくない?

何で毎日何処かしらでお葬式が行われているの? はっきり言ってね、お葬式って面倒だよ。色々準備して、体を燃やして、色々やって、灰やら骨やらを埋める。お金だってかかるよ。

ごめん、不謹慎だったね。

でもそう思ってる人だっていると思うんだ。寂しい、悲しい。それと同じくらい面倒だな、手続きどうしよう、費用なんてないよ。そう思うんだろうな。

 

 

 

僕自身、死んでから何年も放置されてきたからそう思うんだけどね。

僕ってさ、実はとっくに死んでいるんだ。知らない人に殺されて、何処かにぽいっと棄てられちゃった。

でも、あたかも生きていますよって見せていた方が僕たちには都合がよかった。

 

何のことかわからなくてもいいよ。ヒントは僕の初恋の人に残してきた。彼ならきっと、ううん。絶対に気づいてくれる。僕の亡骸を見つけてくれる。

 

 

 

ナンネンタッテモボクハマチツヅケルヨ

 

 

 

まあ、つまりさ。

この世には死んだ体を生き返らせる方法なんてないと思うんだ。

どんなに不思議な魔法を使ったって、ゾンビや人形にならない限り死体は動き出さない。そこには心なんてないよ。

一回壊れてなくなった心は、どんなことをしたって動かない。

 

じゃあ、死んだはずの僕がどうしてこう語っているのか。

簡単だよ。

僕の体は死んでるけど、心は辛うじて生きている。それだけなんだ。

 

 

 

ホントニソウカナ

 

 

 

僕の心は、「桜ヶ原の七不思議」という怪異に引っ掛かっている。あの世とこの世の境。そういうものかな。

 

もしかしたら、その「復活の呪文」は僕みたいな中途半端なモノにこそ効果があるのかも。

死んで落ちたら引き揚げるのは難しいでしょ? でも、途中で引っ掛かっているのを引き揚げるのは意外とできる。結構簡単なんじゃないかな?

 

 

 

アアソウカ

 

ダカラダネ

 

 

 

 

 

 

ああ、そうか。だからだね。

最近じゃ「復活の呪文」なんて聞かないでしょ? あれが流行ったのはちょっと昔のこと。

あれ、きっと効果があったんだよ。効果があって、唱える人によっては力を持ちすぎて本物になっちゃう。だから今度は「言っちゃダメ」っていう噂になった。

 

亡くなる人もなくすものも多い時代が過ぎて、それでも僕らは生きてきた。残された人はなくしたものが復活することを望んでその呪文を唱えたんだ。

唱えた人の気持ちはわかるし、僕には解らないよ? だって、僕は唱えられる側だもん。みんなをのこして死んでいった側だから。

戻ってきて欲しいっていう声には応えたい。でも、死んだ僕らが生きている人の横に立っちゃうとね。何かがおかしくなっちゃうんだ。生きている人と死んだ人は隣に立てない。

 

 

 

タッチャイケナイ

 

タチタイ

 

タタセテ

 

 

 

立っちゃいけないんだ。みんなわかってるよ。だから、立たないんだ。

 

 

 

タタセナイデ

 

コンナボクヲタタセナイデ

 

 

 

それなのに、復活の呪文は僕たちを戻そうとする。

僕たちは戻りたくない。生きてる人はなくした人をこいしがる。僕たちは戻っちゃいけないのに、生きてる人は戻そうとする。

 

 

 

復活の呪文っていうのはね。

ただの、生きてる人の我が儘なんだ。

生きてる人たちは何度だって起き上がれるでしょ? それを起き上がれない僕たちに強要する。

 

 

 

ホントハモドリタイヨォ

 

カエリタイヨォ

 

ミンナトイッショニイタイヨォ

 

 

 

死んだ僕たちは解ってる。途絶えた命は戻らない。どんなに願っても、どんなに祈っても、現実に在る命はゲームみたいに復活しない。一回きりの、人生なんだ。

 

 

 

オワッテシマッタラモドラナイ

 

戻れ

 

モドレ

 

終わってしまったら戻れない

 

モドッチャダメダヨ

 

戻っちゃだめなんだ。

 

でも、

 

 

 

デモデモデモデモヨンデルヨンデルイカナイトイコウヨイコウイッチャオウヨンデルヨンデルボクヲヨンデルイヤダイヤダイヤダイヤダシヌノハイヤダイタイノイヤダヒトリハイヤダ

 

 

 

僕たちは解ってるんだよ。

戻れないことも。

帰れないことも。

僕たちは、

 

 

 

 

 

 

シンダンダ

 

 

 

 

 

 

でもさ。それでも生きてる人の中にはその呪文を唱える人がいるんだよ。

僕たちはダメだよってコンナニイッテルノニ。

 

 

 

ソレナラコタエルシカナイヨネェ

 

アハハハハハハハハハハハハ

 

 

 

復活の呪文で復活した命は、もう前の僕たちじゃない。そこには絶対に違和感とかよくわからないようなものが憑き纏う。

 

 

 

だからね。まだ生きているきみたちに言いたいんだ。

 

僕たちを復活させないで。

どんなに恋しくても、どんなに寂しくても、それを乗り越えて生きて見せて。

絶対に「復活の呪文」なんかに踊らされないで、僕たちの死を受け止めて。

本当は僕たちも寂しいんだ。でも、戻ってはいけない。それがこの世のルールだから。

 

もし、きみがルールを破るなら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オイデヨコッチニオイデヨボクタチサビシインダミンナデマタアソボウオイデオイデオイデオイデキミモイッショダヨズットイッショダヨイッショイッショコッチニオイデコッチニコイコイコイオマエモイッショダシネシネシネシネシネシンデシマエソウスレバイッショダヨネヒトリジャナイネコッチニコイヨォ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕たちは君を呼ぶよ。

寂しいのはみんな同じだ。生きてる人も。死んだ人も。

だからこそ、復活させないで。ゾンビでもいいからとか言わないで。僕たちはいつだって君たちにあいたい。今すぐにでも。

でも、禁忌を犯しちゃいけないんだ。やっちゃいけないことには理由がある。

僕たちは。僕たちはね。復活の呪文を唱えられたら応えたい。でも応えちゃいけない。じゃあ、どうするのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呼んだ誰かを、僕たちの世界に呼ぶんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふわあ。

眠いな。

まだみんなが来るまで時間がありそうだ。

 

それじゃあ誰かさん。

僕はもう一眠りするから、

 

 

 

オコサナイデネ





で、結局本当のところ「復活の呪文」なんてあるの?

あったわよ。昔ね。

今は?

知らないわよ。
誰かが信じ続けて残していれば、何処かに転がっているんじゃないの?

そういうもん?

そういうもんよ。
そもそも、貴方と私じゃすんでいる世界が違うもの。その「復活の呪文」を唱えて何が起こるかなんて知らないわ。
私はファンタジー。貴方はホラー。
世界のルールそのものに違いがあるの。おわかり?

おわかり。そうか、僕の世界には吸血鬼なんていないもんね。

死んだ後も狂わずにいられるなんて、どんなニンゲンよ。

どっちにしてもさ。復活させるならせめて楽しかった思い出までで終わらせて欲しいよね。
ふわあ。
そろそろ僕、眠り直すよ。夢の中で桜の姫様が待っているんだ。

あら、それはいいわね。
じゃあ、私も眠ろうかしら。

それがいいよ。
話せて楽しかった。

ええ、私もよ。

おやすみ、吸血鬼お嬢様。

おやすみなさい、眠りウサギ。
よい夢を見なさい。






二人のメインキャストは居るべき世界へと戻っていった。
彼らが語らっていた小さな部屋を灯していたろうそくが、ふ、と誰によってか静かに消されたようだった。



此れにて終演。


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とある吸血鬼とどこぞの眠りウサギ「復活の呪文」①

これはとある吸血鬼お嬢様と、どこぞの眠りウサギと呼ばれる死人の語りであります。


ごきげんよう、みなさま。

いかがお過ごしかしら。

 

 

 

さて、突然だけど。

あなたたち、今にも死にそうね。

 

 

 

失礼。でもほんと、今にも死にそうな顔をしているわよ。

真っ青で、まるでそこらを彷徨いてるゾンビのよう。

吸血鬼である私が言うのもなんだけど、あなたたち、とっても不味そうよ?

そんなに生きているのが辛い?

 

ふぅん。

そう。

 

そんなに命を終わらせたいのね。

どうせ、すぐに転生できるから~とかとでも思っているのでしょう?

 

いいことを教えてあげるわ。

この世界には「転生」なんてルールはどこにも存在しないの。「生まれ変わって」「次を」期待するなんて不可能なのよ。それでもいいなら、とっととその今あなたが手にしている「命」という奇跡を終わらせるといいわ。

奇跡と名のつくものは、二度は起きないもの。私だったら、そう簡単に手放したりしないけどね。

それでもいいなら、とっとと終わるといいわ。

 

あら?

なによ、その顔。

生まれ変われるとでも信じていたの?

おバカさんね。

じゃあ、あなたは何の生まれ変わりだと言うの?

ほら、言ってみなさいな。

ほら。ほら。

言えないでしょう? 覚えていないのでしょう?

所詮そんなものよ。

 

生まれ変わったとしても、覚えていなきゃ「続き」も「やり直し」も意味がないわ。次に生まれた時はまっさらなベイビーちゃん。それでいいじゃない。

あなたは消えて、誰かに道を譲る。

誰だってそうよ。

いつかは吸血鬼の私もいなくなる。

いなくなった私の場所はぽっかり空くでしょう。でも、別の誰かがすぐにその場所を埋める。

世界ってそういうものよ。

 

がっかりするものでもないわ。

誰だってそうなんだもの。

チョウだって、トンボだって、イヌだって、ネコだって、コウモリだって。きっとバラだってそうよ。

 

それでも、同じ場所に居続ける存在がいるとしたら。

それって、呪われているんじゃない?

命が終わっても別のとこにいくことさえできやしない。

お前はずっとそのイスに座り続けろ。私にはそう言われているとしか思えないわ。

 

そうがっかりしないでよ。

死にそうな顔が死んでる顔になってるわよ。

 

 

 

そんなあなたにいいことを教えてあげる。

 

 

 

 

 

 

私が住むこの世界にはね。

誰でも使える「復活の呪文」というものがあったの。どんなものでも復活させることができる呪文。

今じゃ誰も信じてなくて、使う人を見たことがないけどね。

 

でも、その呪文は確かにあるわ。

ほぉら。目をそんなにキラキラさせて。

ちょっとお待ちなさいな。

確かにそんな呪文はあったわ。誰でも使えてもいた。

でも、その呪文には決まった形がなかったのよ。つまり、誰かに伝える術を持たなかったってこと。

残念ね。

私、あなたに教えてあげることができないわ。

 

 

 

ふふふっ。

なあんてね。

 

 

 

ちゃんと詳しく教えてあげるわよ。

 

 

 

その呪文はね。文字に起こすことができないの。

それにね。使うひとによっても違ってくるわ。誰が使うか。誰に使うか。どんな場面で使うか。全部違うと思うわよ。だから、私からは伝えられないの。

それに、どれだけの想いを込めるかで成功率も変わってくるかもね。

こらこら、すぐ試そうとしないの。

どうせ失敗するんだから。

 

 

 

マア、シッパイシタラワタシガタベテアゲルンダケド

 

 

 

なあに? 変な顔をして。

ほら、続きを聞きなさいな。

 

復活の呪文を使うときに忘れちゃいけないのが「何に」使うか。

誰に使いたい? 恋人? 親? 友人? それとも見ず知らずの可哀想に思ったその他大勢の他人?

どちらを助けますか? っていう質問、よくあるでしょう。復活の呪文があれば両方助けられちゃうわね。本人にその気があれば。

「両方助けたい」が「両方助けなくてもいい」に変わらなきゃいいけど。ほんとなら、復活なんてできないのよ。この呪文があるからって甘えてると、復活できなかったとき何も戻って来ないわよ?

私だったら使わない。使えても、使わない。

 

復活の呪文が使える対象は物体にも適応されるらしいわ。よかったわね、壊し放題よ?

ペット? 折れた剣? 砕けた盾? 親から継いだ家? それとも愛しい人とお揃いの指輪?

どんな物だってすぐに直るわよ?

だって、復活の呪文なんだから。

だからペットを殴っていいのよ。一番重要な場面で役立たずの剣も盾も飾り続けなさい。中身が空っぽの家に居場所はあるの? お揃いをつける人の心はどこに行っちゃった?

ほら。物だけ復活しても何かが欠けてる。物に添えられた時間や思い出、絆なんてものは元通りには戻らない。

だって、呪文を唱えた人の思いは「物」に向けられているんだもの。それ以外は壊れたままよ。

 

 

 

ソレニシテモノドガカワクワネ

 

 

 

あとね。この呪文を唱えても復活しないものがあるの。

それは、命を失ったもの。

復活の呪文なのに変だって?

そうよ。復活の呪文だから、命を失ったものには効果がないの。

復活は甦りや蘇りの呪文じゃないわ。体は元に戻っても命は戻ってこない。言ったでしょ? 命という奇跡は二度起きないの。

覚えておいてね。息を吹き返せるのは、まだ命が続いているものだけ。

復活の呪文で復活できるものは、始めから物だったものと、まだ死にきっていない者だけ。

失敗しちゃうとゾンビになっちゃう。

 

 

 

アレハ、ソウ、トテモマズイ

クライツクナライキテイルホウガイイ

 

 

 

ゾンビよ? ゾンビ。

さっきまでのあなたみたいな、生きていることにすがりついてる死にたがり。あれって絶対自分は生きてるって信じているわね。

「復活の呪文」を受けたんだから、自分は復活している。そう思っているんでしょう。

死んだことを受け止めきれていないんだわ。そういう子たちは。

 

自分は死んだ。そう素直に思える子はね。「復活の呪文」の声に応えないの。

死んだ後でそれに応えても、帰る場所がないって解っているのね。

ゾンビになんて、あんな姿になるなんてイヤだもの。

 

『かえっておいで』

『だいじょうぶ』

『まだまにあう』

 

ほら、聞こえてくるでしょう?

これが「復活の呪文」よ。

 

ゾンビみたいに死にそうな顔をした誰かさん。これはあなたを復活させるための呼び声よ。

聞いたことのある声でしょ? 知ってる人の声でしょ?

ほら、あなたが還ってくるのを待ってる人たちの呪文よ。応えてあげなさい。

 

いい加減、顔を上げてしゃんとしなさい。

笑って「ただいま」って言ってあげなさい。

「復活の呪文」があなたに届くくらい、この人たちはあなたのことを想ってくれているのよ。

 

ほら、復活の時間よ。

 

こんな真っ暗な夜に溺れていないで、

 

 

 

ニガサナイ

 

 

 

こんな冷たい闇を彷徨ってちゃいけないわ。

 

 

 

ハラガヘッタ

 

 

 

あなたは、今、復活できる。

復活できるのよ。

 

 

 

ニクダ、チダ、イキタエモノダ

 

 

 

あなたは、まだ。

生きているの。

そんな顔しないで。

まだ、復活できる。

生きている限り、何度だって復活できるのよ。忘れないで。

だから

 

 

 

「××××××」

 

 

 

 

 

 

復活の呪文は無事にあの子へ届いたようね。

 

エモノヲニガストハ、キュウケツキノナオレダゾ

 

うるさいわよ。どうせ、私じゃなくて貴女が食べたいだけでしょ。

 

オマエモワタシダ

 

貴女も私だけど、そんなに食い意地が張ってたかしら。ああ、おなかがすいた。

 

スグニノドモカワクワ

 

それで人を襲うって?

 

クウフクニハカテナイ

 

それが吸血鬼というもの。

 

ソレガキュウケツキトイウイキカタ

 

生き方は自分で決めるわ。

 

ワタシノイキカタハモウキマッテイルノ

 

邪魔をするな。

 

ジャマヲシナイデ

 

夜が長すぎて気が昂る。

 

アサハマダ?

 

あの日だまりが懐かしいわ。

 

ズットヨルノママデイイ

 

愛しい人たちに会いたい。

 

イトシイエモノヲカリタイ

 

気が狂いそう。

 

モウクルッテル

 

獲物を探しに行かなきゃ。

 

クライヨミチヲサガシニイカナキャ

 

誰かに奪われる前に、私が奪ってあげなきゃ。

 

寒い、寒い、夜が寒い。

 

ヨルガマトワリツイテクル

 

夜は好き。でも、昼も好き。あの人の笑顔がよく見えるもの。

 

ハヤクヨルニナラナイカナァ

 

夜の空を飛ぶのが好き。人魚の歌を聴きながら。

 

ニンギョハキライ、アメヲフラス

 

満月も好き。月明かりの下、あの人とおどるの。

 

アノヒトヲウバッタノハダレダ

 

ああ、暗い、暗い、真っ暗だ。何も見えない。こんなのイヤだ。

 

スベテワスレテクルッテシマエ

 

イヤだ。イヤだ。私は私だ。私は

 

タスケテオニイチャン

 

私は誰だ

 

ミツケテオニイチャン

 

私は何だ

 

オナカガスイタネ

 

おなかがすいた

 

カリニイカナキャ

 

命を狩りに行かなきゃ

 

ダッテ、キュウケツキダカラ

 

だって、私は。

吸血鬼なんだから。

 

 

 

 

 

 

愛しい人たちよ。

お願い、どうか私を呼んで。私をこの暗闇から復活させて。

餓えた吸血鬼でいたくないの。飢えたゾンビとして復活したくないの。

お願い、どうか私を復活させて。復活の呪文を、私のために唱えて。

 

もうすぐ夜がやって来る。

明けない夜がやって来る。

飢えたケモノが貪り合う時間がやって来る。

お願い、助けて。私はその仲間入りをしたくない。

忘却の森に棲むワガママ魔女の様に、全てを忘れてわらっていたくない。

 

お願い、唱えて。復活の呪文を、いつか唱えて。

それは今じゃない。

いつか再び、夜が正しい陽の光に照らされるその時に。どうか私をもう一度、月の照らす夜に復活させて。

アナタと出会うために、復活させて。

 

だから、おやすみなさい。

愛しい人たちよ。

私は信じて目を閉じる。これ以上狂いたくないから、これ以上自分を壊したくないから。私は眠る。

 

 

 

せっかくの夜に眠るなんて、もったいないかもね。

私は吸血鬼お嬢様。自分に誇りを持ったまま、復活を待ちたいの。

私はロリータ・ナイトタイム。バラの花さえ眠るこの夜に、信じて眠りにつきましょう。

 

あなたたちがこの森に。この「記録の森」に復活を望むというのなら。

私たちはその声に耳を傾けるわ。

誰かの唱えた「復活の呪文」に応えるわ。きっと。きっとよ。

 

それまで命をたちたくないから、私は眠るの。

奇跡は続く。生きて奇跡は起き続ける。

復活の呪文の声に応えるために、私は生きて眠り続ける。

 

 

 

 

 

 

おやすみなさい、みなさん。

 

よい夢を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人の吸血鬼が眠りについた頃、終わらない夜が世界を包み込んだ。

消えてしまった太陽の代わりに、月が世界を守り始めた。

 

 

 

「復活の呪文」は、まだ聞こえない。



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出席番号21番「狐狸霧中」ケダモノ食堂

タヌキはワンと鳴きますけん


俺たちの住んでる町の、隅の隅の、すみーの方。端っこの端のそのまた端。普段ならだぁれも行かないような所にさ。

すんげぇ美味い料理が出てくる屋台があるんだよ。

 

知ってるー。

 

行ったことあるー。

 

うますぎ。

 

そうそう、そこだ。

しかも、とんでもなく安い。

多分ちゃんとした営業してる店じゃないんだろな。でも、そんなの気にしないくらい美味い。

地元民なら聞いたことくらいあるだろ?

 

山の麓にある謎の屋台。

 

営業は不定期。

 

美味いし安い。

 

でも、いつやってるかはわかんない。

 

そう、そこだ。

看板もないから、俺たちはそこをこう呼んでる。

 

ケダモノ食堂!

 

ケモノではなく!

 

ケダモノ! 食堂!

 

屋台だが!

 

みんな大好き! ケダモノ食堂!

 

…あ、腹へってきた。

 

落ち着け落ち着け。

よぉし、落ち着いたな?

そこはほんとに穴場で、行ったとしても知り合いになんて会わないだろうって所だ。

なんてったって、町のすみーの方にあるからな。行ってもやってないことだってあるから、特別な時じゃなきゃ行かねぇわ。

 

何回か行き損したー。

 

ちょっと遠いよねー。

 

バスもないしー。

 

でも美味いんだよなぁ。

 

それそれ。

 

安いし、大満足!

 

また行きたいって思う。

 

リピーター続出なりー。

 

そんな食堂、いや屋台か? 次も行きたいって思うんで、俺は特別な時はそこを利用するんだ。

まあ、行ってやってなかったらそういう運命だったんだなって諦めるんだけど。

俺の特別な時っていうのは、友人、それも町の外、要は余所者とこの町で会う時。

 

彼女はー?

 

彼氏はー?

 

深く聞くなよなー。

もちろん含まれるに決まってんだろー。友人ってのは深い仲…

おいやめろ。ニヤニヤすんな。

親密な! もっとそいつのことを知りたい! 自分のこと知ってもらいたいって奴のこと!

肉体関係想像すんな!

 

デートだぜー、あなた。

 

デートよねー、おまえ。

 

変な想像やめろ!

つまりだ。

わざわざ遠いとこからこんな田舎にやって来て、しかもその田舎の端っこにあるよくわからん屋台で一緒に飯食おうって奴だぞ?

どんだけ暇人だよ。

 

ぼっちー。

 

暇人の極みー。

 

俺なんかに付き合ってくれるそんな暇人はさ。ちゃぁんと俺のこと理解してくれんの。理解しようとしてくれんの。

だから俺の方からも理解してやりたいって思うわけよ。

一回さ。それまでで一番だってくらいの親友を誘ったことがあるんだよな。喧嘩してて。でもそいつもうすぐ引っ越しちまうって時で。今仲直りしないと次はないって思ったんだ。後悔だけはしたくない。

お前らだってそうだろ?

喧嘩別れなんて真っ平ごめんだ。

だから、最後の試しでメールしたんだよ。ここに来てみろ。美味い飯が食えるぞ。ってな。

そいつもわかってたんだろな。

ちゃぁんと来てくれたよ。

 

ええ話や。

 

はい終了ー。

 

解散かいさーん。

 

おい待て、まだ続くぞ。

 

はい集合ー。

 

喧嘩してたんだよ、俺らは。それなのに飯誘ったくらいではい仲直りー。んなわけねぇだろ。

その日はちゃんと屋台も出てた。

あの屋台ってさ、注文の仕方が変だろ?

メニューはなくて、店員がこう聞いてくる。

 

『キツネですか?』

 

『タヌキですか?』

 

にっこり笑って、それだけ聞いてくる。俺はタヌキを選ぶ。タヌキ好きだからな。で、あいつはキツネを選ぶ。キツネ好きだからな。

喧嘩の原因は些細なもんなんだよ。俺はあいつの好きなキツネが嫌い。あいつは俺の好きなタヌキが嫌い。

ほーんと、くっだらない些細なこと。

最後の最後に、好き嫌いで大喧嘩なんてさ。

バカだったよ。

椅子に座って俺が注文したのはタヌキ。あいつはキツネ。何にも言えないし、顔も見れないし、もちろん挨拶もなし。最低な客だっただろうさ。不貞腐れた顔でやって来て、椅子に音を立ててどっかり座る。あげくの果てには机に肘をついたまま無言。

そんな俺たちの前に出てきたのはうどんとそば。

 

もちろんタヌキうどんとキツネそばだろ?

 

逆だってば。

 

真っ赤な赤いキツネうどんと。

 

は?

 

赤い?

 

一面緑色の緑のタヌキそば。

 

は?

 

緑?

 

ちょ、何が乗って。

 

その日は夏だった。最高気温を更新した炎天下の真夏だった。なのに、出てきたのは熱ーいうどんとそば。更に、キツネうどんには赤い唐辛子がたっぷり。それとちょこんと乗った小さなお揚げ。

タヌキそばには青唐辛子がこれまたたっぷり。それと気持ち程度に乗った揚げ玉。

下を向いていた顔を上げたら、そこには笑顔で店員が立っていた。笑ってなかった。

 

それ、めちゃくちゃ怒ってんじゃん。

 

マナー最低じゃあ仕方無し。

 

うはぁ。

 

俺たちが悪かったからさ、ちゃんと食った。激辛だった。

二人して泣きながら謝ってさ。泣きながら屋台ののれんを潜って、目が合ったんだ。顔を真っ赤にして鼻水まで出てる。バカな顔だよ。俺もそうだっただろうな。そんだけ辛かったから。

あいつも俺の顔見て、多分おんなじこと思ったんだろうよ。

 

破廉恥?

 

真っ赤なほっぺでちゅね?

 

ちげぇわ。

もっと単純。俺たち、なにバカなことで喧嘩してたんだろって。

タヌキだキツネだ言っても、化かされてみりゃ大して変わんねぇよ。あいつら、俺たちからかって笑ってやがる。

 

『ケーンケーン』

 

『ワンワン』

 

だから俺たちも笑って、全部水に流したんだ。

また来いよ。

また来るよ。

また、会おう。

そう言って、手を握ったんだ。

 

『ケーン』

 

『ワオーン』

 

その後、俺はその屋台に二回行った。

一回目は秋に。注文したのは、キツネ。あいつが好きだったキツネだ。

聞いてくれよ。あそこのキツネうどんってさ、本当は紅葉の形に飾り切りされたニンジンや赤いオクラ、赤い大根が添えてあるんだ。それにふんわり膨らんだお揚げが乗ってる。

二回目は春に。注文したのは、タヌキ。俺が今でも好きなタヌキだ。

タヌキそばはさ、山菜と葉野菜が山ほど乗ってて緑の山になってんの。蕾が開きそうな花野菜がかき揚げにされててちょこんと乗ってる。

どっちもすんげぇ美味い!

 

『ケンケン!』

 

『ワッフン!』

 

一年経った夏にさ、思ったんだ。

去年一緒にうどんとそばを食べたあいつに会いたいなって。

また、一緒に食べに行きたいなって。

今度はちゃんと美味いキツネうどんを食べさせてやるぞ。

そう思ったんだ。

よし! お前ら、食べに行くぞ!

あの屋台に行って冷やかしてやろうぜ!

今なら絶対やってる!

 

あたし赤いキツネー。

 

俺もー。

 

僕、緑のタヌキがいいなー。

 

私もタヌキー。

 

 

 

これが、件の「ケダモノ食堂」の話。

 

 

 

 

 

 

また、笑って隣で食おうな。

そう伝えられなかったあいつを思いながら、俺は件の屋台に向かった。

 

あいつが亡くなったという報せを受けたのは、一緒に食べた夏から一年経った夏の日だった。

あの日と同じ、暑い日だった。




キツネはケンと鳴きますわん


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出席番号21番「狐狸霧中」夜見世①

今宵も眠れぬ丑三つ時。毎夜毎夜、闇と共に暑い夜がやって来る。

眠れぬならば、いっそ何処かをさ迷い歩こうか。帰る道さえ忘れて、何処かへいってしまおうか。

 

 

 

夏になると夜が長い。暑さで眠りが浅くなり、意識が起きている時間が長くなるから。私はそう思う。

夢の中の時間より現実にいる時間の方が長く感じないだろうか。夢の中には時計はない。底の抜けた砂時計がくるくる回り、時間の感覚を狂わせているのではと思うほどである。

 

くるくるサラサラくるくるサラサラ

 

夢の中の時間は流れる。水のように、あっという間に流れていってしまう。

現実は時計の針が正確に時間を刻み続けるものだ。カチ、カチ、と、刻むものは命の時間。心臓が動くものと似ている気がする。

 

カチカチカチカチチクタクチクタク

 

つまり、夢の中に入れない夜は長い。それだけのことである。

 

 

 

そうだ。ある友人の話をしよう。

彼はある夏の夜、ふらりと出かけて帰ってこなかった。その話をしよう。

 

 

 

 

 

 

 

ある夏の夜。今日のように暑い夜である。暑くて暑くて、眠ることもできない熱帯夜。冷房の効きが悪かったのか、彼はどうしても眠れない。

穏やかな音楽を聴いてみた。冷やしたタオルで体を冷まそうとした。何度も何度も冷房の様子を見てみた。

しかし、どうしても眠れない。

彼はちょっとだけと思い、外を出歩くことにした。手拭い一枚に小銭入れ。それだけをポケットに押込み、彼は部屋を出た。

 

 

 

空は満月で、蛙の鳴き声が五月蝿く木霊していた。

ゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコ

蛙はとても鳴いていた。昼の蝉のようにそれはそれは鳴いていた。

彼は意味もなく夏の夜の中を歩いた。とても蒸し暑い夜だった。

 

 

 

自動車も自動二輪も道路を滅多に走らない時間だった。自転車は通りすぎるかもしれない。しかし、それも彼と同じように眠れない人の暇潰しである。

彼は自分のためだけに用意されたかのような、長く伸びる道を行った。

部屋に敷く布団の上で過ごしていた時よりずっと時間が速く感じられた。ただし、周りの暑さだけは変わらなかった。

彼は何も考えずに歩いた。時に空の星座を見て、時に真ん丸な月を見つめながら歩き続けた。

 

 

 

辿り着いたのは寺に程近い場所にある公園だった。

遊具が風に揺られて金切り声を呟いた。電灯がチカチカと瞬いた。

誰もいない公園だった。誰もいるはずのない時間の公園だった。

ゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコ

カエルが鳴いている。カエルだけが鳴いていた。

彼はなんとなく公園の入り口までやって来た。帰ろうと振り返った時である。

 

「もし、そこのお方」

 

背後より彼は声をかけられたというではないか。誰もいないはず。気のせいかと思いながらも、彼は去ることができない。足が進まない。暑い空気がねっとりと首を舐める。

 

「もし、そこのお方」

 

もう一度、彼は背後の何かから声をかけられる。

しまった、これはもう逃げられない。ならばいっそ、振り返ってしまおうか。彼は振り返った。

 

振り返ってしまったのでございます。

 

振り返ること自体は悪くはない。声をかけられたのならば応えるのも悪いことではない。

不運だったのは、彼がそれと視線を合わせてしまったことである。

視線が合う、交わるということは、互いに互いを認識するということだ。彼は何を見てしまったのか。何を見て何が其処にあると認識してしまったのか。

 

見ています。見ていますぞ。私めはあなたをよぅく見ておりますぞ。

 

気のせいだと思ったのなら、暑さで気が狂ったと思い込むこともできたのである。しかし彼は素直に受け入れてしまった。それと相対し、目の前にあると頭が受け入れてしまったのである。

 

 

 

 

さて、其処には何もあるはずがなかった。深夜の丑三つ時。誰もいるはずがなかった。

時間は再びゆっくりと時を刻み始めたように彼は感じた。先程までの流れるような時間はなんだったのかと感じるほどである。

 

チク、タク、チク、タク

 

なんとそこには、一台の屋台が居るではないか。祭りなどで見る、あの夜店である。

 

「どうぞご覧なさってくだせぃ」

 

金魚の形を模した飴細工。真っ赤な林檎をこれまた真っ赤な飴で閉じ込めたりんご飴。ふわふわの綿菓子。キラキラ光りそうな金平糖たち。水に浮かべられた水風船。金色の箱に入ったチョコレート。鈴の形に焼かれたコロリと鳴りそうな焼き菓子。

どれも懐かしい顔ぶれであった。

 

チク、タク、チク、タク

 

彼はじっと覗きこんだ。幼い頃の記憶を紐解き、過去へと戻った。

 

 

 

長い長い夜だった。

 

 

 

彼は朝がやって来ても帰ってくることはなかった。どこを探しても、彼を見つけることはできなかった。彼だったものさえ見つけることはできなかった。

 

 

 

彼は何処へ?

 

 

 

 

 

 

その店がなんだったのか、わかるはずもないでしょう。あるはずもない店なのですから。

ただ、これだけは確かに言えましょう。

ふらりと夜に出かける時には、帰るつもりの場所が必要なのです。特に、その熱帯夜のように暑さで頭がぼんやりしている時などなおさらでございます。

彼は何処にいってしまったのでしょうか。

 

始めから言ったでしょう?

あるはずもない道を通り、あるはずもない店に辿り着く。そこはあるはずもない世界なのです。

彼は戻ってきません。

店の主にでも化かされたのでしょう。夢でも、見させられたのでしょう。

 

そんな、夏の夜の話でございます。



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出席番号21番「狐狸霧中」夜見世②

はてさて、そのような夏の夜の話でございました。彼は一体何処へ消えてしまったのでしょう。

あるはずのない店で魅せられた品の数々。彼にはどのように見えたのでしょうか。

 

おや、知ったような口をきくなとあなた様は申しますか。

死者を愚弄するなと。ふむふむ。

おかしいですね。私は一言も彼が亡くなったとは申しておりません。彼が既にこの世にはいないと決めつけているのはあなた様ではございませんか。

それとも。彼がそのまま命を絶ってしまったというエンディングを、あなた様は望んでいるのでしょうか。そちらの方が夏の話としてはおもしろいと。

 

ケンケン

 

よいでしょうか。私はあなた様に楽しんでいただくためにこのような話をしているのではありません。

あなた様が今立っているこの道。この蒸し暑い夜。この月さえ眠りそうな丑三つ時。この、

ゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコ

五月蝿い蛙の鳴き声。

どこかで聞いたような話ではございませんでしょうか。

 

何処かへ、いってしまいたくならないでしょうか。

 

 

 

カチカチカチカチチクタクチクタク

 

 

 

今宵は長い夏の夜のようでございます。

今一度、私の語りに耳を傾けてはいただけないでしょうか。

 

なあに。ほんの少し、現ではない世界へ足を踏み入れるだけでございます。

 

 

 

ケーン

 

 

 

 

 

 

チク、タク、チク、タク

チク、タク、チク、タク

チク、タク、チク、タク

チク、タク、チク、タク

 

 

 

 

 

とある公園にて現れる夜店。実はそれを出しているのは何を隠そうこの私めでございます。

本来ならば彼方のお山の麓に相方であるけものとともに一軒の食堂を営んでおるのですが、なにぶんこのご時世。毎日仕入れや仕込みをして利を得ることは存外に難しいのでございます。

私めらは相談し、満月と新月の宵は別の地にて店を開こう。そのようなこととなりました。

機会がございましたらお探しくだされ。何処かでうどんを売っている屋台が見つかるかと。

 

私めは本来、細かい細工を施すのを得意分野としております。相方は少々雑な部分がございまして。

ですから、件の店に置いてあるものも自慢の物ばかり。いや、趣味を兼ねた仕入れ品もございましたか。

金魚の形を模した飴細工。キラキラ光りそうな金平糖たち。水に浮かべられた水風船。鈴の形に焼かれたコロリと鳴りそうな焼き菓子。それと、いなり寿司。

どれも自慢の逸品でございます。

 

ケンケン

 

多少値が張ってしまっても、仕方がないでしょう?

それでも欲しがる方々は多くおります。そう、彼もそんなお一人でした。

 

 

 

 

彼を見つけたのはある満月の夜のことでした。今日のように蒸し暑い、真夏の夜でございます。

私めは縁の深い公園にて店を出しておりました。まあ、何と言いますか。丑三つ時であったのです。その時分は。

人でなければ堂々と諸手を振って歩けるのですが、あいにく彼は人様でした。気づいてはおらぬようでした。彼は周りからじっとりと見つめられていたのです。

人ならざるモノたちから。

 

ええ、ええ。丑三つ時とは夜の住人が騒ぐ時間でございます。

 

現の世界から

 

カチカチカチカチチクタクチクタク

 

在らざる夢の世界へ、

 

くるくるサラサラくるくるサラサラ

 

歯車がいれかわるのでございます。

世界の主役は化け物たち。人ではございません。

ですから、彼は周りからじっとりと見つめられていたのですよ。まるで真夏の蒸し暑い夜のように異様な熱気を伴って。

 

 

 

公園の入り口にぽつりと立つ彼を見た時、私めはこう思いました。

 

「嗚呼なんと

 

ケケッ

 

うまそうな獲物がいるものだ」

 

 

 

ケンケン

 

 

 

私めが彼に声をかけたのは助けるためでも何でもありません。そこに獲物がいたから、声をかけた。それだけなのです。

 

「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」

 

彼は熱心に商品たちを見ておりました。

知らぬことですが、彼にも思うことがあったのでしょうねぇ。

特にお気に召されたのが飴細工でございます。今にも游ぎ出しそうな飴金魚。ほら、これでございます。愛らしいでしょう?

彼は金魚に魅せられたかのように、あの暑い中ただひたすら見つめ続けておりました。

 

私が見つけた彼の様子をお教えいたしましょう。汗は地面に水溜まりを作り、服は雨にでも濡れたかのようにびっしょり。目は血走って真っ赤。唇は逆に真っ白。走ってもいないのに息は荒い。顔は真っ青。腕には鳥肌。

彼はそのような状態で金魚を見つめ続けていました。

私めは手元にあったいなり寿司を頬張りながら見ておりました。おや、失礼。

 

お分かりでしょう? あなた様も人なら。

程度が過ぎた暑さ寒さの中では、命が手から滑り落ちやすいのでございますよ。そんな落ちた魂と肉体を好んで貪る化け物もたくさんいる。

 

ご存知でしょう?

 

ケーン

 

生きているからこそ魂と肉体を伴ってそれは「命」と言えるのです。生きていなければただのなにか。

 

ゴゾンジデショウ?

 

 

 

彼はかろうじてなにかではございませんでした。その時まではかろうじて、ね。

 

 

 

 

 

 

ほらほらカチカチほらほらチクタク。時間は刻一刻と刻まれる。彼の時間は残り僅か。

それなのに彼はじぃっと私めの揃えた品々を見つめるのです。

私めは尋ねました。

 

「何をお買い求めで?」

 

わかっておりますとも、彼が何を求めているのか。

理由はどうであれ、彼は心から求めるものと出会ってしまったのでしょう。

彼は焦点の合わぬ目で私めを見、そして一つの品を指差しました。

 

「これを」

 

声はガラガラに渇れておりました。まるで我ら一族のように。そして、ぶるぶると震える指で飴金魚を示したのです。

私めは答えのわかりきっている問いを彼に投げ掛けました。

 

「代金はこれほどですが、旦那、お持ちで?」

 

そう、飴金魚は一匹これほどでお売りしております。お高い? お安い? 彼は仰いました。

 

「そんな金、持っているはずがない」

 

ええ、ええ。わかっておりましたとも。人にこの価値が解るとは思っておりません。

 

ケンッケンッ

 

ですから、私めは最初から売るつもりなどなかったのです。

しかし彼は往生の間際にも関わらずそれをねだりました。今それを手に入れても、あちらには持っていけぬというのに。

何のことかと? 彼は欲しい欲しいと諦められなかったのです。

 

 

 

 

 

 

しかし彼はもう。

 

 

 

 

 

 

私めが品を入れ換えていたのにも気がつかず、とうとう手持ちの財布の中をすべて差し出しました。

どうでしょう。この飴金魚は全財産と引き換えにしてでも手に入れる価値があると、くぅん、あなた様はお思いになられますか?そんな価値、ないでしょうね。

しかしそれでも私めは彼にこれを売ることはできませんでした。この飴金魚の価値は一両。一両なのです。

私めが代金として欲しいのは小判一枚。それ以上もそれ以下もいらないのです。あの金色に輝く古き貨幣。

 

どうです? 払えないでしょう?

人の世にはもう出回っていないはずの金ですから、当然彼も持っていません。払えるはずがないのです。

しかし、なんと! 彼はどうしても欲しい。何としてでも欲しいと言うではありませんか!

目の前に並べられた「商品」を指差して!

 

ケーンケンッ

 

なんともあわれな!

その指差す先の品々は、既に他の買い手が持っていってしまいました。私めは代わりに木の葉をそこへ置いて差し上げました。

しかし彼はその事にすら気がつかないのです。

 

 

 

ゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコ

ゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコ

 

蛙の声がその夜も五月蝿く響き渡っておりました。満月の、いつにも増して蒸し暑い夜のことでした。

 

 

 

 

 

 

 

彼の目は、もう見えてはおりませんでした。

私めが化かさなくとも彼の時間は底に着いていたのです。

 

 

 

 

 

ぱくり。私めはまた一ついなり寿司を頬張りました。

ならば、と。私めは一つの提案を彼に出しました。

 

「でしたら、あの地下通路を通った先にある花畑へお使いにいってはもらえませんでしょうか。そこにいる女の子にこの菓子を渡してもらいたいのです」

 

帰ってきたときに、駄賃としてこの飴金魚をあなた様に差し上げましょう。そう言って桃の形をした饅頭を一つ、よく目立つ真っ赤な包み紙にくるみ彼に渡しました。

ほら、あの地下通路でございます。

 

彼は頷き、先程までなかったはずの道をいき地下通路へと入っていきました。

 

 

 

 

 

 

後のことは知りません。

 

 

 

どうせ戻っては来れぬのですから。

 

 

 

 

 

 

ですが、欲しいものが手に入るかもしれない。その希望が目の前に垂らされているのですから、足取りは軽かったでしょう。

 

ケーンケン

 

 

 

これにてあの夜の話は終いでございます。

あなた様も彼と同じ道を辿りたくなければ、早々に帰路へとお着きなされ。

 

 

 

しからばごめん!

 

どろん

 

 

 

 

 

 

その蒸し暑い夏の夜に残されたのは、狐に化かされた人の子であった。

 

 

 

 

 

 

これが、件の「夜見世」の話。



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出席番号22番「にゃんだふる☆でいず」

わたしはさくら。

おでこに桜の花びらみたいな模様がある猫!

おねぇちゃんはももちゃん!

小学校1年生の女の子!

 

ある夏の日、わたしはももちゃんに助けられて病院へ行った。

脚が痛くて痛くて、公園でうずくまっていたのをももちゃんが気づいてくれたの。

ぎゅっと抱き締めて、

「だいじょうぶ、わたしがなんとかしてあげる」

って言ってくれたのを覚えてる。

白いふわふわで脚をぐるぐるして、

「よし!さくらちゃん、おうちへ帰ろう!」

と、ももちゃんが今度はふわっと抱き締めてくれた。

わたしは長い尻尾をゆらゆらさせて、ももちゃんに抱かれていた。これからこの子と、ももちゃんとずっと一緒なんだ!そう思っていたとき。

 

 

 

横から車が突っ込んできた

 

 

 

突然、ドンッってかたいものがぶつかってきた。目をぎゅっとつむって、開いたときに見たのはわたしと同じように目をつむってるももちゃんの顔だった。

わたしはももちゃんを呼んだ。

 

「にゃあ?(だいじょうぶ?)」

ももちゃんは返事をしなかった。

わたしはもう一度呼んだ。

「にゃぁ?(ももちゃん?)」

 

ももちゃんの目は、二度と開かれることはなかった。

 

暑い暑いある夏の日。

小学校1年生の夏休み最後の日。

明日から2学期が始まる、8月31日。

 

わたしとももちゃんが出会って、お別れした日。

 

家にあるももちゃんのランドセルには、終わった夏休みの宿題が収まっていた。

 

 

 

 

わたしがぱぱとままに出会ったのは、冷たくかたくなったももちゃんがお花いっぱいの箱で眠っているときだった。

ももちゃんのそばでわんわん泣く大きな人がふたり。

この人たちがももちゃんの、これからわたしのになる、ぱぱとままだった。

 

どうしてももが

こんなに小さいのに

返して

酷すぎる

 

ももちゃんとわたしにぶつかった車に乗っていたのは、まだ若い男の人。気の良さそうな人で、ぱぱとままに「本当に申し訳ない」と頭を下げて何度も謝っていた。

だから、二人も本気で怒ることはできなくて、もう過ぎたことだからって諦めちゃった。

 

でも、本当は全然納得できてなくて、悔しくて。

 

悲しくて、でもそのどれもを誰かにぶつけることはできなかった。二人とも、とっても優しい人だから。

 

猫のわたしは人の世界のことなんてわかんないけど。でも、おかしいと思った。変だと思った。

道路でぶつかった車に乗っていたの男の人は、お酒臭かった。

 

飲酒運転だった。

 

何時間も何時間もももちゃんだったものの側から二人は離れられずに、ずっと泣いていた。

あんまりにかわいそうだったから、わたしは二人に声をかけた。

 

「にゃあ(ぱぱ、まま)」

二人はわたしに気づいて、泣きながら笑ってくれた。

「どうしたんだい?小さな猫ちゃん」

「にゃ…にゃ…」

「ん?」

「にゃかにゃいで(泣かないで)」

二人は目をまんまるにしてビックリしてた。

 

それからわたしは、ももちゃんの箱の側で二人に何があったのかを話した。

 

(なんで猫が話せるようになったのかを気にする人は、そこにはいなかった)

 

わたしとももちゃんの出会いと、出会ったきっかけ。

名前のこと。

これから、家族になろうって言ってたこと。

それと…

 

ぶつかってきた車に乗ってたひと、嫌いってこと。

 

だって、わたしからももちゃんをうばった。

ももちゃんと過ごすはずだった時間をぜんぶうばった!

猫の一生は人よりすっごく短いよ。だから、だいじにだいじに遊んで食べて寝るの。

なのに!なのになのに!!

わたしからももおねぇちゃんをうばったの!

わたしにくれるはずだったももちゃんの笑顔を全部!全部全部、うばって!

「申し訳ない」の一言で終わらせた!!!

わたし、あの人嫌い!だいっっっきらい!!

 

わたしは白い体と長い尻尾、高い声を全力でくしして伝えた。

 

始め泣いていたぱぱとままは、いつのまにか笑ってた。

 

「ももはもういないけど、家族になろう」

「もものかわいい妹ちゃん、これからよろしくね」

 

ももちゃんはその後、真っ赤な炎の中に消えていった。

外に出て、お空に高く高くのぼっていく煙を見た。

 

わたしがぱぱとままに出会った日だった。

 

 

 

 

がっこうへいった。

ももちゃんが楽しみにしていたがっこう。

二学期の一日目をむかえられなかったももちゃん。

 

わたしは高い木によじよじして、ももちゃんのくらすを見た。

 

みんな、暗いかおをしてた。

一個だけ、台の上にお花がかざってあった。

いなくなった人の机にはお花をかざるんだって。

たくさんのお花の中に、本物じゃないお花が混じってた。

今はもう咲いてない、「桃の花」。

ももちゃんの机だった。

 

おへやの中では大人の人が一人黒い板の前で腕を上げてた。他の子たちはいすに座って静かにしてた。

 

わたしはそぉっとおへやに忍びこんだ。

まだ誰もきづいていにゃい…

いすに座った。

 

大人の人が気づいた。

その人はくちもとを少しだけゆるませて、なにも見てないふりをした。

 

その時間、わたしずっとももちゃんのいすに座ってた。

 

キンコンカンコン、音がなった。

 

みんな、立ち上がった。

 

わたしも、立ち上がった。

 

「猫がいる!!」

 

気づかれた。

というか、やっと気づいたにゃ

 

男の子が言った。「そこはももの机だぞ!」

女の子が言った。「ももちゃんの席からどいて!」

みんな泣いてた。

ぱぱとままとおんなじ涙だった。

みんな、ももちゃんがいなくて泣いてる。

 

大人の人が言った。

「この子はももの妹さんだよ。先日ご両親が話してくれた。最期の時も一緒だったそうだ」

 

みんなが叫んだ。

「「でも猫だよ!」」

わたしも叫んだ。

「シャーーー!」

 

なんか変だったけど、みんなの気持ちはなんとなく伝わってきた。きがする。

みんなさみしいんだ。

お友だちが急にいなくなってさみしいんだ。

 

 

 

そうかそうか。

 

 

にゃらば、わたしが一毛玉吐いてやろう。

(人の場合は一肌脱ぐとも言う)

 

 

 

わたしは黒い板の前の机に飛び乗った。

 

「わたし、ももちゃんのいもぉと!

にゃまえはしゃきゅりゃ…にゃにゃにゃ!

にゃまえはさくら!」

まだうまく回らない舌で宣言する。

「ももちゃん、がっこぉ楽しみにしてた。すっごく。

だから、わたしがかわりにくる」

ももちゃんはがっこうへ行ってみんなと会えるのをすっごく楽しみにしてた。

みんなと大きくなるのを楽しみにしてた。

でも、ももちゃんはもういない。

 

だから、わたしがももちゃんの代わりにがっこうへ行く!

ももちゃんの分までおべんきょする!

それで、立派な猫ににゃる!

 

学校と猫は関係なかった。

 

大人の人がみんなに言った。その顔は満足そうでいて、楽しくてたまらないっていうかおをしてた。

「みんな、この子は今日からこのクラスの一員になる友だちだ。猫だけどね。

ももはもう二度と一緒に授業を受けることはできない。

…ももは死んだんだ。

 

でもね。あの子が遺していったものがある。

あの事故で消えるはずだった小さな命だよ。

ももは立派にこの子を守ったんだ。

友だちとして誇るべきことだ」

 

みんな静かに聞いていた。

わたしはちょっとあくびをしていた。

 

「僕はこの猫をクラスメイトとして新たに迎えようと思う。ももの代わりじゃなくて、新入生だ。」

 

しんにゅうせい

 

後日、侵入生として語りつがれる猫小学生のたんじょうだった。

 

みんなやっとももちゃんのことを受け入れられそうだった。

 

一人の女の子が言った。

「さくらちゃん、これからよろしくね!」

ももちゃんの笑顔を思い出すような笑顔だった。

その子は、ももちゃんの親友だった。

 

 

 

次の日、ももちゃんのお花がかざられた机はかたづけられ、ダンボールとぼうさいずきんがおへやのすみに置かれていた。

 

「おはようございまーす!」

元気なあいさつがおへやにひびく。

「にゃにゃにゃー!」

子どもたちの声に混じって元気な猫の声がおへやにひびく。

 

わたしとみんなが出会った日。

 

 

 

 

わたしがあの小学校に新入生として通い始めたのは、まだ暑さの残る九月のこと。

あれから卒業までだいたい六年間。

 

秋には運動会。かけっこでは負け知らず。

でも、水泳の授業では浮き輪を持参。

クリスマスはわたしの家にみんなを招いて毎年パーティーをした。

パパとママの作るケーキはたまらない。

にゃにゃ。その前にハロウィンがあったか。

わたしは黒猫の仮装をして、魔女の仮装をする女の子の足下でポーズをとった。

新年、干支には猫がいないということで、寅年の年賀状には虎模様のメイクをしたわたしの写真がクラス中で使われた。

 

二月、ももちゃんの誕生日。

家には溢れる位の桃の花が届けられた。

 

三月、桜の花が咲く時期。

みんなで昼間公園に行って、お花見をした。

 

八月三十一日、ももちゃんが亡くなった日。

あの道路にお花を供える。

 

六年間先生もクラスメイトも変わることなく、わたしはずっと出席番号22番のままだった。

 

いっぱい遊んだ。

いっぱい勉強した。

ももちゃんの分まで。わたし自身の分まで。

みんなと一緒に過ごした六年間。

 

どれだけ大きくなったかな?

どれだけ大人になったかな?

 

六年生、最後の日。

わたしたちは胸に花を咲かせて、それぞれの道を歩いて生きます。

わたしは猫。みんなは人。

おんなじ道はひとつだってない。

猫と人であったら尚更違う。

 

でも、きっとまたいつか、あえるって信じてる!にゃ!

 

卒業式の日、順番に名前が呼ばれていく。

六年間ずっと聞いていた先生の声に、安心してみんな元気よく返事を返していく。

 

次はわたしの番。

「22番、さくら」

「にゃい!」

 

桜の花が舞い散る卒業の日。

 

保護者席ではパパとママがももちゃんの遺影を持って座ってる。

卒業証書は手に添えるだけ。

これは、わたしとももちゃんのふたり分の証書。

 

みんな笑顔で旅立っていく。

そして、いつかみんなで集まって、また笑うんだ。

 

涙と笑顔が交ざる、卒業の日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある秋の日。

謎の地下通路を発見したわたしは、じっと様子を伺っていた。

なにこれ、こわい。なんか、ざくって食べられる感じがする。

わたしは全身の毛をぶわっと立たせて体を縮めていた。

 

すると、突然女子高生が入り口から倒れ出てきた。左腕は真っ赤に染まっている。

にゃ、違う!腕が、ない!!

それ以上に驚いたことは、その女子高生はももちゃんの親友の女の子だったってこと。

気を失っているその子に駆け寄ると、なんとか息をしているみたいだった。

ほっと安心して、通路の入り口を見ると小さな影が見えた気がした。

それから。

懐かしい声が聞こえた。

 

 

 

「さくらちゃん、後はよろしくね」

 

 

 

あの夏の日に亡くなったはずのももおねぇちゃんの声だった。

 

 

 

「にゃ」

わたしは知らず、涙を流していた。

ももちゃん、わたしたちまたあえるの?

 

それから急いで人を呼び、ももちゃんがしたようにわたしはももちゃんの親友を病院へ運んだ。

救急車が来るまで、血に濡れた顔をペロペロして拭った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校を卒業してから何回も何回も春が訪れた。

わたしは、猫としては長生きをしていた。

体は少し怠かったけど、小学校のOBとして後輩の世話をちまちましてあげていた。

 

パパとママは、もう充分頑張ったんだからいつお休みしてもいいんだよ、って言ってくれていた。

自慢の娘だって。

 

パパとママも年をとった。

白髪もしわも増えたけど、優しい二人の雰囲気を更に柔らかくしていて、わたしは似合っていると思う。

 

もうすぐお別れのとき。

 

わたしは、パパとママに出会えてすっごくすっごく、すっごーーーく。幸せだよって最期の日に甘えながら伝えた。

伝わってるといいな。

 

それと、もうひとつ。

わたし、みんなと同窓会を開くんだよ、って。

また、みんなと会えるんだよ、って。

 

小学校の時のクラスメイトは、なぜか早死にしてしまっている。

今じゃ半分くらいしか残ってないかな?

でもあの日、わたしたちは約束をした。

同窓会の案内状が届いたら、あの場所で待ってる。

 

みんなが、まってる。

 

そう言って、わたしは体の力をくたりと抜いた。

 

眠りに沈む最期のその瞬間に、パパとママが頭を撫でて

「ありがとう、さくら」

と言った気がした。

 

先に逝くね。パパ、ママ。

 

お休みにゃー…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これがわたしのとっておきの話にゃ。

わたしの、みんなと出会って生きてきた全部がとっておき!

 

白い猫はかつてのクラスメイトたちの前で胸を張って語り終えた。

 

懐かしい懐かしいクラスメイトたち。

わたしの大好きなお友だち!

 

わたしたちはまた約束の下に集った。

笑顔でこんなこともあったと。

あの後あんなことになったんだと。

それぞれのとっておきの話を終えて、

 

じゃあ、またね

 

ってみんなで別れを惜しんだ。

また会えるかもしれないし、会えないかもしれない。

卒業の日とは違うさびしさが胸を重くする。

 

それでも、わたしは言いたい。

「みんにゃ!今までありがとう!」

笑ってね。

 

 

 

 

同窓会の後、わたしはももちゃんの親友の後についていった。

左腕を無くしたその子は、

「おみやげ、絶対喜ぶと思うんだ」

と言って地下通路へ入って行った。

 

あの、恐怖の地下通路だった!

 

今なら大丈夫だよ、って言って手招きしてるけど、それでも!それでも!

野生の猫の本能が危険だと叫ぶ!!

とりあえず威嚇しながら地下通路へ入っていく。無駄だと思いながらも止められにゃい…

 

 

 

出口が見えてきた。

 

 

 

小さな影が向こうから手を振っている。

 

 

 

懐かしい声が、聞こえる。

 

 

 

「おかえりー!」

「ももちゃーん!おみやげ連れてきたよー!」

 

 

 

気づけばわたしは走り出していた。

 

ももちゃん!

ももちゃん!!

ももちゃん!!!

ももおねぇちゃん!!!!

 

長い尻尾と一緒に涙の粒が後ろに流れていく。

 

あの日欲しかったあの子の笑顔が、今すぐ側にある。

 

真っ赤な彼岸花が咲き乱れる花畑で、わたしは再びももちゃんと出会ったのだった。

 

喜びが永遠に咲き乱れる、再会の日。

桃と桜が咲き続ける、あたたかい幸せな日。




『にゃんだふる☆でいず』

守られた命だから
精一杯生きて見せるのにゃ
叶わなかったあの子の願いだから
じぶんが代わりに叶えるにゃ!

ねこだけど
学校に通うにゃ
ねこだけど
みんにゃのにゃかまにゃ。

空いた出席番号22番
代わりに座った猫一匹
今日も一緒に猫、登校
明日も一緒に猫、登校

にゃ


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「笑う老婆の絵」

作者不明の絵画がわらう。


ここに一枚の絵画があります。御覧いただけたでしょうか。

何の変哲もない、無名の絵画でございます。

描かれているのは一人の老婆。腰から上を描かれた彼女は、決して美人とは言えないでしょう。深い皺をいくつも肌に刻んだ彼女もまた、どこの誰かとも知られぬ女性でございます。

この絵の特徴は、強いて言えば鮮やかな色彩とでも言いましょうか。いえ、線の柔らかさ? 背景の繊細さ?

どれも違います。

この絵には特徴などありません。上手くもなく、かといって下手でもない。ただ、一人の老婆がわらう。そんな絵なのです。

 

いかがでしょうか。この絵を譲り受けてみる気はございますでしょうか。

 

描いた作者は不明。描かれた女性も不明。描かれた年も、場所も、何もかもが不明。しかしなぜか、誰の手元にあったのかは知られているのです。

始めはイタリア、次にフランス、イギリス、アメリカ、中国を渡ってロシアへ。世界各地を巡って、今ここにあるのです。どうです。運命の様なものを感じませんか? 感じませんか。

 

いえ、いいのです。

 

なぜその様に世界を巡ったか。その理由は単純に持ち主がいなくなったからであります。

持ち主であった人たちには共通点がありました。時代も年齢も場所も違ってはいましたが、全員女性だったのです。

 

そう、女性だったのですよ。私や、貴女のように。

 

どういう経緯を辿ってか、この絵は彼女らの元へと辿り着いたのです。きっと大切に飾られ、毎日彼女らの視線をこの老婆は受け止めたのでしょう。

ええ、私もこのように飾っております。

 

私はもともと、絵画などには興味ありませんでした。しかし、知人の女性にしつこく勧められ手元に置くこととなったのでございます。

もしかしたらそれまでの持ち主たちも同じように些細な理由でこれを手にしたのかもしれません。

私も初めは興味もなかった絵なのですが、せっかくなので飾ることにしました。毎日毎日、この絵は飾られ続けました。ほら、埃など積もってはいないでしょう? ちゃんと飾ってあったのです。飾ってはあったのです。

ですが、興味はない絵。

ちゃんと観賞する機会などありませんでした。絵の正面に立って、じっくりとこの老婆を見る時間などあり得なかったのです。

 

ところで、どうです。この絵、貴女の部屋に飾ってみたくはありませんか?

ああ、嫌ならいいのですよ!

 

はあ。そうですよね。

押し売りではありません。押し付けでは、ありますよね。

それなりに気に入ってはいるのですよ。

ただ、気になることがあります。

 

以前までの持ち主ははっきりしているのです。その理由は、持ち主となった女性全員が行方不明となっているためです。事件性を危惧してか、警察に届け出れば資料が作られる。

しかも、大抵は絵を譲り受けた女性が届け出る。私へこの絵を贈った知人も行方不明となりました。

 

最近、視線を感じるのです。それも痛々しいほど鋭い視線を、すぐ近くから。

この絵が嫌いというわけではないのです。ですが、この老婆が笑っているのを見ると不安になるのです。

自分もいつか、それまでの女性たちと同じような末路を辿るのではないのかと。

 

 

 

お願いします。どうか、どうかこの絵画をもらっていただけないでしょうか。

私から彼女を引き離してもらいたいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう言った彼女は、私に絵を手渡す前に行方不明となった。

 

今、私の目の前で老婆の絵が笑っている。貴女は知っているの? 彼女が何処へいったのか。

 

 

 

ただの知り合いであった彼女が行方不明となって一週間が経とうとしていた。彼女は見つからない。

彼女は何処へ行ってしまったの? あんなに絵を押し付けようとしていたのに。

彼女が最後に渡そうとしていた絵画は、今私の目の前にある。

一人の老婆が、私の目の前で笑っている。

 

一体、この絵がなんだというの?

上手くもないし下手でもない絵画。このくらいだったらどこでも見つけられる。そんなレベルの絵画。

この絵に何があるっていうの?

 

私は毎日その絵を見た。絵にはそこそこ興味があったから。

知り合いだった彼女は戻らない。

ある日、ふと気づいた。

この老婆は、椅子に座っているのだと。

 

絵画には老婆の上半分しか描かれていない。でも何故か彼女は座っている。そう、思った。

絵の中の老婆は笑っているだけだった。

ただ、その目が。

その、目が?

 

下を、見ている?

 

老婆が、嗤っていた。

 

コンドハ、アナタネ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都内で女性が行方不明となる事件が相次いで発生しているようだ。

行方不明となった女性の手元からは、一枚の絵画が消えていた。

 

 

 

今、老婆はどこでわらっているのだろうか。

 

 

 

老婆の足下からは、行方不明となったはずの女性たちの悲鳴が聞こえていた。



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「わらう老婆の絵」from 桜ヶ原

この町の何処かに、誰が描いたかわかんない絵があるんだって。詳しいことは何にもわかんなくて、タイトルでさえわかんない。わかっているのは、その絵は老婆がわらっている。そういう絵っていうことだけ。

 

何でそんな絵のことを話すのかって?

だから、この町の何処かにその絵があるらしいんだって。

 

その絵を持ってるとね。視線を感じるらしいよ。誰から? 決まってるじゃん。この話の流れだと、絶対に描かれてる老婆からの視線。

で、ね。その絵を持ち続けていると、行方不明になっちゃうんだって。絵だけ残して、持ち主は消えちゃう。

残った絵は、しょうがないから別の人の手元に行く。なんでか、女性の所が多いらしいよ!

それを繰り返して、巡り巡ってこの町に来たってわけ。

 

何処にあるんだろうねぇ。

 

何で探してるのかって?

その絵は「外」から入ったヤツなの。余所者だよ。

そんなヤツにこの町のか弱い女性を行方不明にされてみなよ。か弱くない? そこはいいの。とにかく、この町で好き勝手にされるなんて地元民のプライドが許さない!

 

ねえ、そうでしょ?

余所者さん。

貴女が誰であれ、この町に入ったからには好きにさせない。

この町は、桜ヶ原は、貴女が思っているよりもずっと面倒なんだよ。

 

そう言って私たちが見る先には、件の老婆が絵画の中でわらっていた。

 

 

 

 

 

 

桜ヶ原の図書館に、新参物が仲間に加わったのはつい最近のことだった。

古くさいにおいのする展示物の中にそれはあった。壁にかかった一枚の絵画。題名が記されていない、異国の老婆がわらう絵である。訪れた人たちはその絵を「わらう老婆の絵」と呼んでいる。

 

老婆は一人、今日もわらっていた。

 

 

 

「まじ、信じらんなーい! なによ、ここ!?」

 

絵画の中で、誰かが不満を叫んでいた。老婆の声ではない。しかし、発しているのは「老婆」の姿をした誰かであった。

高い、少女の様な声を彼女が絵の中で発して いた。

 

ここは、飾られた絵画の中の世界。

動く現実の世界に向かって、彼女はいつだって表情を変えることはなかった。そう、今までだったらそうであったのだ。

世界各地を転々とし、持ち主となった女性を絵画の中へと引きずり込む。引きずり込んだ女性は。

 

現実の世界で行方不明となった女性たちは。

 

老婆の胃袋の中へと収まった。

 

老婆は、絵画の中で生き続けていた。

 

 

 

彼女は何処か遠い、この星とは別の次元からやって来た異星人であった。そう言えば満足だろうか。

理解を越えた何かの力によって彼女は一枚の絵画の中に亜空間を作り上げた。そして、棲みついた。空腹となった彼女は、食事となるニンゲンの側にのうのうと座り込んだ。一枚のただ、飾られる絵画として。

 

そんな話、聞いたことない。そんな話、あり得ない。あるはずない。

 

そう。そう思ってくれて構わない。

なにせ、この話の絵画は描かれた物ではないのだから。

これは「怪奇」なる「不思議」な話である。

 

「マジでなによ、ここー! アタシよりヤバい奴らの巣窟じゃない!」

 

こんな所では落ち着いて食事を捕ることもできやしない。老婆の仮面を被った若い女性は、とうとう泣き目を見ることとなってしまった。

男は不味い。筋肉と筋だらけで歯が通らない。

できれば女がいい。もっと言えば若い女がいい。

欲を言えば子どもがいい。だが、子どもがいなくなれば親が探す。町の警備が厳しくなる。子どもも女も男さえも手に入らなくなる。彼女は妥協した。空腹には勝てない。こうなったら女でいい。だが、若い女だ。これ以上は妥協できない。

彼女は笑った。絵画の中でひたすら女性が目の前に立ち、近づいてくるのを待ち続けた。

 

そして、近づいてきたところを。

 

「え」

 

ずるりと引きずり込んだ。

材料を手に入れた彼女は人知れぬ時間に調理し、優雅に口へと運んでいった。肉を削がれた女性らはどこへ行ったのか。

カランカランと音をたてて、彼女の足下へと落とされていった。

 

今、絵画の中で椅子に足を組んで座る彼女の下には、白骨の山が出来上がっていた。

 

「あー、おなかすいたわー」

 

いつも満腹であった彼女がなぜ再び空腹を訴えているのか。それは、絵画が桜ヶ原という町へやって来たためである。

 

絵画の前には美味しそうな女がたくさんいる。獲物は選びたい放題なのである。

しかし、その町では捕食者の数が多すぎた。角のコンビニ跡には桜の木の根が残っている。何処かには地下通路と呼ばれる大蛇がぽっかり口を開いている。化け狸と喋る猫は町を闊歩し、死人を運ぶバスが毎日走る。美しい言い伝えで上書きされた砂時計は手に取られるのを待ちわび、子どもたちが七不思議を謳い続ける。

どれも長年いきつづけた強者である。そんな中で新入りが生き残るのは容易くない。

 

「あー、もういっそのこと帰っちゃおうかなー」

 

一枚の絵画がこの世界から消えるのも近いことかもしれない。

空腹続きでは、わらってばかりいられないのだから。

 

 

 

絵画に棲む彼女は誰なのだろうか。

 

 

 

彼女は、此処とは別の世界からやって来たとある魔女である。




彼の魔女の名を「レディ・ペイント」という。


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あのビョーキ『お小言病』

ねえ、知ってる?
あのビョーキ。


『お小言病』

 

 

 

ねえ、知ってる? あのビョーキ。

ブツブツ呟く、言葉にしたくて堪らなくなる、あのビョーキ。

「小言」っていうのは、本来の意味だと「文句を言うこと」。でもね。このビョーキの「小言」はそのままの意味。「小さな声で言う」ってこと。

 

何を言っているのかって?

大したことじゃないよ。今日も疲れたな、とか。暑いな、とか。ありがとうとかの挨拶だってある。

とにかく何でもいいんだよ。

そう、何でもいいんだよ。

 

何でもいいから、小さな声でひたすら呟く。それが、そのビョーキの特徴なんだ。

なんで何かを言い続けるのか。

それは、自分がまだ生きているって自覚したいからだよ。意思を持って、表現して、誰かに伝えたい。

聞いてもらいたい。

単なる音としてじゃなくてね。ちゃんとした「人間」だって認められるように「言葉」を聞いてもらいたいんだ。

 

じゃあ、なんで小さな声で言うのか。

それは自分が気づかれたくない「何か」がいるから。

そのビョーキにかかったことがないから上手く言えないんだけど、なんでも後ろにピッタリと何かが憑き纏う気配がするんだって。

そいつは、自分が声を発さなくなると連れて逝っちゃうんだって。何処へ?

決まってるじゃないか。

あ・の・世。

そいつに自分の場所を気づかれないように声は小さくなる。でも、自分は生きてるって他の人に伝えたい。

だからひたすらブツブツぶつぶつ小言を言うようになるんだってさ。

 

だから、そのビョーキの人がいなくなるのは大抵真夜中。それか睡眠不足で倒れた時。

だって、眠っている時は喋れないからね。

予防法とか薬なんてあるわけないよ。

いくら後ろを振り返ったとしても、そこには誰もいない。誰かいるように感じるのはただの気のせいさ。

だから。それは思い込みなんだよ。

お・も・い・こ・み。

いるはずないじゃん。だぁれもさ。

 

そのビョーキにかかる人は、自分の死期がすぐそこに来てるって自覚しちゃった人なんだよね。

自分はもうすぐ死ぬ。

でも死にたくない。しにたくない。シニタクナイ。死にたくなんてない!

 

例えばもういらない老人、例えば治らないって言われちゃった不治の病、あとそうだな。

「殺される」って自分で思っちゃうようなことをしちゃった人。

そんな人たちがこのビョーキにかかりやすい。

死にたくないよね。死にたくないよ。

だから、少しでも自分は生きてますって声に出すんだ。

生きてますよ。いきてる。イキテルイキテル。だから、連れていかないで。

 

こんな風に言葉に出さないとやっていけない状態は、かなりの重度だよ。大丈夫大丈夫、まだ大丈夫だよ。

まだ死ねない。まだ生きていけるよ。

ほら、大丈夫だろ。

薬も何にもないんだから生きることにしがみついていなきゃすぐにアイツがやって来ちゃうんだ。

だからもうちょっと話を聞いてよ。

話を聞いていてよ。お願いお願い話を終わらせないで

まだ死にたくないしにたくないんだシナセナイデお願いお願いまってアイツがアイツがすぐ後ろに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『言い残したことはないか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんでもいいから話をしていたくなる。

話が止まらなくなる。

話を聞いていてもらいたくなる。

それは、自分の命がまだそこにあると自分が安心していたいから起こす行動なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『みいつけた』



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あのビョーキ『人魚症』

ねえ、知ってる?
あのビョーキ。


『人魚症』

 

 

 

ねえ、知ってる? あのビョーキ。

ほんと、酷いんだって。

そのビョーキの対策はね。それが出ちゃった場所に行かないこと。ワクチン、あったっけ? あっても多分間に合わないと思うよ。

 

そのビョーキの名前は『人魚症』。

 

まずね。

気がつかない。

 

その道のプロの人だって判断できないんだってさ。そのビョーキにかかったこと。

 

でさ。

かかってからが、あっという間。

数時間らしいとは言われるけど、ほんとのとこもっと速いんじゃないのかな。

 

一度だけテレビか何かでやってた。

もしかしたら授業とかの映像資料だったかも。

絶対、戦争の話に続いてえげつないことになるよ。大体最後はその写真や映像を撮ったカメラマンもかかってさ。本人が死んで、その場所も生存者なしでカメラだけが回収されるって落ち。

だからさ。言ったでしょ?

現地に行っちゃいけないの。

 

見たやつの話をするね。

 

直前までその人は普通に生活してる。

笑って、食べて飲んで、ケガもしてないし、動いてるし、咳とかだってしてない。

その瞬間が来ると、その人は突然ガタガタ震え出すんだ。

 

「寒い! 寒い!!」

 

顔を真っ青にしてさ。

まるで、こおりみずの中に投げ出されたみたいに。

そうなるともう動けなくなって、立ってもいられないな。座り込んで、寒い寒い言って震えながら体を横たえるんだ。

そこから数分後、両腕を擦ってた手が自然とお腹の方に行く。で、ワケわかんない変なことを呟き出す。

 

「なんかいる。なかに、なんかいる」

 

かかった人はみんな同じこと言うよ。

幻覚とかそういうもんじゃないんだよ。

実際に、その人のお腹に何かがいる。

突然、お腹がぼこって膨らむんだ。

一気に、ぼこって。

 

妊娠してるみたいに、お腹が膨らむんだ。

 

そうなると、もう何にもできなくてただ自分のお腹をぼんやり見ているしかできない。「妊娠しちゃった」お腹を、ぼんやりと見続けるんだ。

 

その映像にはさ。床に倒れてる妊婦や妊夫が映されるんだ。一人一人じっくりとじゃなくて、180度カメラを回してぼとぼと落ちてる腹が膨れた人たちを映すの。

顔なんて写るのはほんの一瞬で、誰かなんてわからない。

 

それで、いいんじゃないかな。

 

横たわりながら息をはぁはぁ荒くつき始めると、もう終わり。

突然歌をうたうみたいに悲鳴をあげるの。

 

で、

 

足の間から

 

ずるりって

 

「こども」が出てくるんだ。

 

出産の瞬間って見たことある? あそこから頭が見えてきて、滑り落ちるみたいに体が出てきて、

 

少しだけ鱗が貼り付いた尾びれが

 

ずぅるり、って

 

そんなわけない?

そうなんだよ。だって、これは『人魚症』っていうビョーキなんだから。

かかった人は、人魚の姿をしたこどもを出産する。女も、男も、年齢も関係ない。体の中身を全部ぜんぶ、ぜぇんぶ持っていかれたみたいに、出産する。

人魚を産んだ人がどうなったか。

知りたい?

 

こどもとへその緒で繋がったまま、自分の産んだこどもを見て

かたまるんだ。

 

 

 

生きてるのかって?

そんなわけ、ないじゃん。

 

産んだ人も、産まれた人魚も。

 

 

 

生きてるわけ、ないじゃん。

 

 

 

どう? こんな奇病。

この奇病の怖さは、まず発症までの速さ。気づいた頃には腹がぼこり。

で、もうひとつ。

一人でも出ちゃった地域は全滅する。

 

 

 

このビョーキ。感染するんだよ。

人魚が産まれた瞬間に立ち会った人の一人が、確実に。絶対。感染する。

 

 

 

原因がね。

このビョーキの正体は寄生虫なんだってさ。

大きなこどもが産まれるのと同時にちいさーい、ほんとに小さい線虫みたいなのが一緒に出てきて、するーっと

誰かの体に

入っちゃう。

 

気づかないよ。それだけ小さいんだから。

だから、発症が確認されてる地域は出入りが禁止されるの。

 

 

 

痛いかなんてわかんないけど、知り合いが、友人が、親が、兄弟が、姉妹が、子が、孫が。

 

恋人が。

 

好きな人が。

 

そんな姿になったらさ。

 

駆け寄りたくなるよね。

心配するよね。

 

だから、そのビョーキはあっという間に広まる。

 

 

 

立ち入り禁止のそこにはさ。

水揚げされた人魚みたいな姿で、放置された死体がゴロゴロ転がってるんだ。

死体はずっとずっと放置される。

 

ボクの恋人も

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ぼこり。』

 

 

 

 

 

 

あ゛



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あのビョーキ『伝染性吐血症』

ねえ、知ってる?
あのビョーキ。


『伝染性吐血症』

 

 

 

ねえ、知ってる? あのビョーキ。

風邪みたいな症状が出る、あの町で流行ったあのビョーキ。

 

ごほ

 

今はもうない、生存者ゼロっていう噂のあの町発症のあのビョーキ。

 

そのビョーキは夏によく発症するんだって。

外に出たら水でいいからガブガブ飲みたくなる、あのあつーい夏。

夏風邪じゃないの? 始めはそう言われてたよ。

 

その年は別に寒くもない普通の年。電気の使いすぎはよくないってことで、町をあげて節電した。つまり、クーラーのコンセントは大抵抜かれて、扇風機様がどの家でも大活躍。

むしろ熱中症が大発生しそうな条件だった。

 

ごほ

 

いつもと違ったのは、乾燥していたことくらい。町の住人たちの喉はかわいて、いつもより水を欲しがった。

だから、ごくごくゴクゴク飲んだ。

蛇口から流れ出る水を。公園の水飲み場から吹き上がる水を。

住人たちは何の不安も持たずに飲んだ。

 

それと、春からずっと風邪が流行っていた。

住民は毎日咳をしていた。中には微熱を発する人もいるようだった。

 

ごほっ

 

その日は何かの撮影で何処かのテレビ局のカメラが公園に来ていた。インタビューで自分より少し年上の子どもが三人、ふざけながら並んで撮されていた。

 

自分は体が弱くて、ちょっとの風邪でもすぐに動けなくなる。だから両親に、その町に一緒に住んでいた家族に、家を追い出された。大きな病院のある街に住む医者夫婦の親戚の家に、その夏休みはお世話になれと追い出されていた。

親戚の家のリビングにあるソファーに座って、自分はその中継を見ていた。

生放送の中継だった。

 

それは突然だった。

子どもの一人が酷い咳をし始めて、

 

ゴホッ

 

血を吐いた。

 

ごほっ

ゴホッ

ごほっ

 

咳と血は止まらなくて、やがてその子は倒れて動かなくなった。

呆然と見ていたもう一人も血を吐き始めて、そこでやっとリポーターが悲鳴をあげた。

 

ゴホゴホ

 

カメラマンが子どもに駆け寄った。吐いた血がカメラマンの肌に、顔にかかった。その子どもも倒れて動かなくなった。

最後の一人も同じだった。

 

 

 

カメラはその様子を全部生中継してしまった。

 

 

 

ごほ

 

 

 

画面からは悲鳴と咳の音が溢れていた。

ただの咳をしていた住民も、一人二人と赤いものを吐き出し始めた。

その中に、余所者であるはずのカメラマンとリポーターが加わった。

 

 

 

ゴホッ

 

 

 

全部、カメラとテレビを通して発信されてしまった。

 

 

 

自分はそのニュースを知った親戚の夫婦に隔離処置された。

窓もドアもしっかり閉じて、鍵をかけた。カーテンを閉めて、薄暗い部屋に持ってきた荷物と一緒に閉じ込められた。

 

ごっほ

 

一日に数回、食事と飲み物がドアの隙間から渡された。

部屋にはラジオが置いてあった。そこから、町がどうなったのかを自分は知った。

 

 

 

原因不明の伝染病により、町は壊滅。生存者はなし。

一定期間封鎖し、その後消毒する。

 

 

 

町には両親も兄妹もいた。

友人もいた。

誰も、助からなかった。

 

 

 

ゴホッ

 

 

 

もう、誰も生きていなかった。

 

 

 

これが、『伝染性吐血症』。

突然、血を吐き出して、その血に触れた人も感染するビョーキ。

 

原因が何処にあるのかは…

 

わからない。

 

死亡率百パーセントの伝染するビョーキ。

かかればみんななくしてしまう。

家族も。友人たちも。

帰る場所さえも。

 

 

 

 

 

 

ゴホッゴホッゴホッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ピンポーン)

 

『すいません、◯◯さんはいますか?』

 

『ああ、お待ちしておりました。まだなんとか持ちこたえているようです』

 

『わかりました。では、いただいていきますね』

 

『はい。これであの子も帰れるでしょう』

 

 

 

誰かがやって来たようだ。

ドアをノックする音がぼんやりと聞こえる。

 

 

 

ゴホゴホ

ゴホッ

ごほっ

ごぼ

 

 

 

もしもそのビョーキにワクチンがあるなら。

そのワクチンは、かかった人の血から作られるそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全ての真実は、水の中。

 

 

 

 

 

 

ごぼっ



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あのビョーキ『コレクター』

ねえ、知ってるかい?
あのビョーキたち。


『コレクター』

 

 

 

ねえ、知ってるかい? あのビョーキたち。

 

 

 

ごきげんよう。みなさん、お加減はいかがかな?

さて、近頃妙な病気たちが流行っているようだね。

なになに? 小言病に人魚症、伝染性吐血症だと? 聞いたことがない病気たちだね。

ぼくはね。これでも医者なんだ。

まあ、俗に言う闇医者というものなんだが。

何年も前に免許を剥奪されてしまった。それからは治療というものは一切行っていない。

治療は、ね。

 

研究は変わらず続けているんだ。現役だった頃からの研究テーマは変えていない。

簡単に言えば、未だ未解明となっている病のプロセスを解明するということだな。

わかるかい? プロセス。過程だ。

どのように発症して、症状が進行して、重症化し、最終的にどうなるか。

ぼくが知りたいのはそれだけだ。

 

真っ当な医者だと思うかい?

どうやらそうではないらしいのだよ。残念だがね。

 

未知の病のプロセスを知れば対処方法だってわかるだろう。ワクチンだって作れるかもしれない。

まあ、どれもぼくの興味を掻き立てるものではない。

いくつかの病のワクチン製造には携わったこともあるさ。論文だって出した。医者としてちゃんと働いていたさ。

 

だって、そうしていた方がぼくの研究材料を手に入れやすくなるからね。

 

 

 

 

 

 

さて諸君。

そろそろぼくのコレクションを御覧いただこうではないか。

 

 

 

何の変哲もないこの扉の向こうに、ぼくの集めてきた研究材料たち。サンプルが揃っている。

どれもぼくのコレクションたちだ。

驚かないでくれたまえ。

 

 

 

まずはあの小さな檻の中にいる、ああ君たちは小言病を知っていたね。

そう、そのサンプルだ。

どうも背後に何かしらの気配を感じるようで、広い場所へ移すと酷く怯える。容器も限りがあるから、結局あの大きさに落ち着いたのさ。

電気を消すと、どうも言葉数が多くなるらしい。他者の存在を認識すれば落ち着くようだね。

 

だからぼくは普段、消灯するようにしているよ。

 

同じ病の他のサンプルの頭部を解剖したことがあるけど、異常は見られなかった。

精神的な病なのかな。

これはまだ、『ビョーキ』の区分の範囲内だ。

 

 

 

次は、おっと。あれはそろそろ産まれそうだな。

何がって? 人魚さ。

人魚症のサンプルは数を特に多く持っているんだ。症状の進行速度が特に速いからね。

だからこうして、失礼。よっと。

出産前に冷凍するようにしているんだ。人魚症の特徴として、冷凍すれば症状の進行が止まるというのをぼくは発見した。止まるだけで治るわけではないがね。

 

このビョーキの原因は寄生虫だ。知られていないのは、その寄生虫がどのようにして孕ませ人魚を産ませているか。いや、実際は排出に近いものなのかもしれない。

しかし面白い。

解剖したところ、人魚にはヒトとほぼ同じ臓器が出来上がっていた。逆に産んだ方には全くない。症状の進行に伴って胎内で何が起きているのか。これは解剖のしがいがある。

寄生虫の方は全てホルマリン漬けだ。試験管一本で事足りる。

 

 

 

さて、その一画にあるカプセルなのだが。つい最近手に入れたばかりでね。まだ新鮮だから時々動くかもしれない。

起こさないように注意してくれたまえ。

私がやっと入手できた貴重なサンプルなのだよ。病名は伝染性吐血症。感染経路は水、血液だ。

 

大元の原因が何処にあるのか、そんなことはぼくには関係ない。調べるのは警察や国の仕事だろう?

 

それとも、知られたくない原因が何処かにあるのかね。

 

ぼくはこのサンプルの血液を事細かに検査するよ。だがそれまでだ。

既にワクチンは完成しているらしいが、どうやって作ったのかなんて企業は公開しない。

このサンプルはもう助からないんだ。

それを見越して関係者はぼくにこれを譲ったのだからね。最後の血液一滴まで有効に使わせてもらうとするよ。

 

 

 

 

君が知っているビョーキはこの三つでよかったかね?

では、最後にぼくのコレクションを紹介しよう。

今までのは何だったのかって? あれらはサンプル。献体さ。

コレクションは部屋の一番奥の棚。

ごらん。見事だろう?

 

目玉に耳に心臓、臓器の一部、指の一本、脳に皮膚の切れ端。

全て、ぼくの友人たちだ。

 

殺したのかって?

いいや、彼らはみんな自ら献体となったのさ。

ぼくを『コレクター』と呼んだかつての同僚たちは、ビョーキを解明するために進んで感染し、発症していった。

ぼくは、彼らを新鮮なうちに。つまりね。生きたまま解剖した。

彼らはぼくを信用していたよ。ぼくには無限の時間があったからね。

 

わかるだろう?

この薄暗い部屋の中でも見えるだろう?

ぼくのかかっているビョーキは『吸血不老症』。所謂、吸血鬼さ。

ぼくの体の成長は十代の始めで止まってしまった。

喉が渇く。腹は減らない。血が欲しい。喉が、ただただ渇くんだ。

 

ぼくは、輸血用のパックを食事にした。あれは清潔な血液だよ。

戦争中は大変だったな。

眼が赤いから、色眼鏡は手放せない。

 

入り口に指輪をした細い手があっただろう。あれは、ぼくの伴侶さ。

あの子だけが、ぼくの伴侶なのさ。

これからも。

あの子は、『人魚病』だった。『人魚症』ではないよ。『人魚病』。ぼくらの仲間内では、そう呼んでいた。

所謂奇形児だ。両足がくっついて一本になっていた。だから、人魚の尾びれのように見えた。当時はそういう子がたくさんいたんだよ。

 

ぼくは彼らの、大切なヒトたちを解剖したあと一部だけを残した。そうして部屋の奥の棚に並べたんだ。

ああやって。

大切に、ね。

 

献体のサンプルはサンプルでしかないよ。治る見込みのある病気なら、ああやってわざわざ解剖したりしない。サンプルは治らないサンプルなのさ。

だから別に敬意を抱いたりなんかしないで、物としてぼくは扱う。

 

解剖しきって、結果が出て、成果が出るからこそ。

ぼくは別の棚にカルテと一緒に一部だけを並べるんだ。

ありがとう、参考になったよ。ってね。

ちょっと扱いが雑かな? さすがに麻酔はかけた方がいい? いや、やっぱり保存用として使用する防腐剤に金はかけた方がいいんじゃないかな。症状で既に苦しんでいるんだからさ、今さらメスが体に食い込む痛みなんてなんでもないって。まだ生きてる状態で捌くのが解剖として一番いいんだよ、きっと。

 

 

 

ああ、ほら。

うるさくしたから小言病の子が騒ぎ始めた。やっぱり鼓膜は破いといた方がいいかな。

それでも何か聞こえるなら、神経系の異常だ。

とりあえず鎮静剤だな。

 

 

 

さあ、そろそろ時間だ。

週に一度やって来る、肉を処理してくれる知人がベルを鳴らす頃だ。

『狂犬症』の彼が喜ぶ量を今回は捌けたからね。狼男なんだから、たまには自分で狩ってみろとも思うけど、昔とは情勢が違う。満月の夜以外は、彼もおとなしくしているだろう。

 

君も彼に会ってみるかい?

遠慮しなくていいんだよ。

 

 

 

 

 

 

だって君もぼくたちの仲間

 

『 病』というビョーキ持ちなんだろう?

 

ぼくにはわかるよ。

 

 

 

 

 

 

 

誰だって、目に見えないビョーキを抱えているんだろう。

目に見えないビョーキはやがて芽を出し、明らかな症状となって身を蝕む。薬なんて存在しないよ。

原因という種さえ姿を見せないのだから、枯らすことなどできやしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、そんなのいいじゃないか。

誰だっていつかは死ぬんだから。




あなたはどれを知っていた?


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招待状

私、貰うとしたら誕生日プレゼントの次にクリスマスプレゼントが楽しみだったの。

ラッピングされたプレゼント。

自分のために用意されたプレゼント。

何が入っているのかな? どきどきワクワクしたよ。

○○ちゃんへ、××より。そう書かれたカードも心を弾ませるひとつだった。あの子が私のためにこれを用意してくれた。私のためにこれを選んでくれた。すごく、すごく嬉しかった。

 

もちろん、誰かのためにプレゼントを用意するのも楽しいね。

誰か喜んでくれるといいな。そう想いながら交換するためのプレゼントを選んだ時間もすごく素敵。

 

喜ばれない時だってあるよ。残念だけど、そういうプレゼントだってある。

その時はね、ごめんねって心の中で謝って静かに箱を閉じるの。乱暴にしちゃダメだよ?

それでね。もう一度その箱が開かれる時まで仕舞っておくの。忘れないように、その仕舞った日が年に一度来る度に思い出すんだ。

それだけでいいよ。

いつか渡したいって思った時にそっと出してきて、もう一度ラッピングして、誰かに渡すんだ。あなたのためのプレゼントです。そう言って眠っていたプレゼントを渡すんだ。

 

今日はクリスマス。

私たちにはあまり関係ないかな?

 

ケーキを食べて、ツリーを飾って、靴下を吊るして、みんなで大騒ぎ。

夜になったらいい子になって、おやすみなさい。

朝になったらプレゼントを探すの。

いい子になったからプレゼントください。

大人になってもそう言いたいよね。

いい子で頑張ったんだから、プレゼントくださいな。

ちょっとワガママになってもいいんじゃない? だって、今日はクリスマスなんだもん。一年で一回しか来ないクリスマス。

転ばない程度にはしゃぎたい。

 

そう思う私は、まだまだお子さまかな。

 

ごめんね、神様。

あなたの誕生日を祝うこともしないで私はワガママになる。

教会も行かないで、讃美歌も歌わない。もちろん献金もしないで礼拝なんて行ったこともない。

そんな私だけど、「クリスマス」というだけで気分が浮わつく。意味も考えないでクリスマスソングを歌う。

もろびとこぞりて

もろびとって誰?

主はきたれり

誰のための主?

きよしこのよる

どうしてこの日は清いの?

ほしはうたい

今夜の星はいつもと違う?

何にもわかってない。

何にも知らない。

 

ごめんね、神様。

こんな私で。

それでも困った時には神頼みをする。神様なんとかしてよ。神様助けてよ。神様、神様。

ねえ、神様。あなたは神様なんだから何だってできるでしょう?

空に向かってお祈りする。こんな私の祈りなんて神様は聞いてくれないんだろうな。それくらいわかってるよ。

でも、そんなときくらい祈らせて。届かなくてもいいから祈らせて。

誰かへの贈り物に、誰かの幸せを祈らせて。

自分勝手に私は祈る。

知ろうともしない神様にすがって、私は勝手に祈る。

ごめんなさい、神様。

こんな私で。

 

 

 

なんでもないんだよ。うん。なんでもない。

悪いことがあったとか、すごくいいことが今日あったってことじゃないの。

ただね、今年もクリスマスプレゼントの中にひとつだけ誰から贈られたものかわからないプレゼントが入っていたんだ。

毎年混ざっている、一枚のカード。

 

一枚の、招待状。

 

『卒業式の日に約束したあの場所、あの時間でお待ちしております。』

 

そう。

同窓会の招待状。

 

それにはあの子の想いが込められていた。

「忘れてないよね。きっと来てよ。きっとだよ」

そんな風に毎年言われているようだった。

 

 

 

 

 

 

毎年送られてくる同窓会の招待状のカード。

みんなにだって送られてきてたでしょ? 一年に一回は必ず。私の場合、それがクリスマスだったの。

ルンルン気分で開いてみたら招待状。

忘れるわけないよ。

あんなにしっかり約束したんだもん。誰も忘れるはずない。そうでしょ? そうだよね?

 

私はその招待状をちゃんと仕舞っておいたの。一年ごとにそれは溜まっていった。そこには毎年同じことが書かれていた。

 

「あの場所で待っているよ」

 

ひらり、ひらりとカードは溜まる。

 

「忘れないでね」

 

桜色をしたカードは、年を追うごとに増えていく。

 

ひらり

ひらり

 

桜の花弁みたいに、その招待状は散っていく。

 

ひらり

ひらり

 

散った花弁は地面に積もって、桜色の絨毯となっていく。

 

ひらり

ひらり

ひらり

 

 

 

一枚目の招待状は、差出人のあの子の想い。たった一人分の待ってるよという想い。

私は感じた。二枚目にはほんの少し、一枚目よりも重い想いが込められている。二枚目にはあの子と、次にいった子の想いが込められている。三枚目、四枚目と想いは増えていく。

「待ってるよ」

「待ってるよ」

私を待ってるよ。

送られてきた招待状は、みんなからの「あなたを待っている」という想いが込められている。

カードが増えて、いってしまった人も増えて、私は思った。

 

 

 

ああ、そろそろ私の番なのかな。

って。

 

 

 

私には来年クリスマスプレゼントが贈られることはないんだと思う。あんなに楽しみにしていたクリスマスプレゼント。そして、それに紛れている桜色の招待状。待っているよというメッセージが込められた一枚の招待状のカード。

 

カードの数は逝ってしまった同級生の数。

カードの重さは逝ってしまった同級生たちの想い。

 

桜の木の下で、私を待っているよというメッセージ。

わかっているよ。忘れてなんかいないよ。

ちゃんと、覚えているよ。

 

 

 

今度のクリスマスには最後の招待状が届くだろう。

ちょっとだけ残念だとも思う。楽しいクリスマスが一夜で終わってしまう。そう言って子どもの頃にぐずったように。

でもね。

きっと、特別なプレゼントが私に届く。私と、私と一緒に卒業していったあの同級生たちに、特別なプレゼントが届く。

 

 

 

同窓会への案内状が、今度は届く。

 

 

 

今までで一番の贈り物だよ。そうに決まってる。

ずっと、ずっと、待っていた。

私たちは、その時を待っていた。

 

 

 

待っているよという想いをのせた招待状。それが『案内状』に変わった時。

 

私たちは迷わずそっちへ足を踏み出すんだろう。

 

 

 

次のクリスマスには、プレゼントの箱じゃなくて花束が私には贈られる。手に取ることができない綺麗な花束たちが、私の墓には贈られる。

 

 

 

ねえ、みんな。

とっておきの話は用意できたかな?

 

 

 

今まで送られてきた招待状の数だけとっておきの話は語られる。

 

 

 

さあ、今度は私の番だ。

 

 

 

何処かに仕舞っておいたはずの招待状たちが、ひらひらと舞って何処かへ消えた。

 

私たちの心にたった一言のメッセージだけを降り積もらせて、招待状は雪のように消えていった。

 

忘れてないよ。覚えているよ。

 

今度は、私の番だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約束の時間が迫っている。



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どんな話「転生先はいつも猫」

桜ヶ原の世界は転生することを信じられています。
信じられているだけで、実際に転生するかはわかりません。


どこかの世界では次に生まれてくる先、つまり転生先と言われるもの、それを選ばしてくれる非常に親切な神様がいるらしい。

もちろん、生きている間に転生先を決めておかなければ意味のない選択肢ではあるが、大抵の人は人づてに聞いてその神様の存在を知っている。死んだらこれになりたい。次に生まれてくるならこれがいい。人も、人じゃない動物も、もしかしたら何も考えていないであろう植物も、そんな夢を見ながら一生を過ごすのであった。

 

 

 

そんな夢を見ながら、一生を終えていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

な~ご

 

 

 

 

 

 

第何次転生ウェーブである。

今年の流行りは干支に習って竜になりたい。そんな夢に夢を見るチャレンジャーが後を絶たない。そんな年があった。

現実的に考えて竜という生き物は存在しないし、空想上の獣だということくらいほとんどの人は知っている。しかしそれでも多くの人は言うのだ。

 

「竜にしてください」

「ドラゴンにしてください」

「ラスボスじゃなくていいから、迷宮の門番的な竜にしてください」

「長くない方の竜がいいです」

「コイから頑張って進化してもいいです」

 

何と言われても竜なんて生き物は現実には存在しない。

神様は考えた。

妥協して恐竜に転生させたようとした時もあった。失敗した。転生させた瞬間に化石となってしまい、残ったのは目を据わらせた転生待ちの魂だった。

 

「竜に転生させてください。恐竜は違います」

 

ある時はバレないようにそれっぽい生き物に転生させたこともあった。

タツノオトシゴ、リュウグウノツカイ、トンボ、リンドウ。神様は頭をひねった。

意外と「竜」と名の付く生き物は強かったので、満足度はそこそこ。ただし、雄に転生した人は雌に対して頭を上げられなくなるらしかった。自然界の雌は強い。

それでも竜に転生したい人の波は治まらなかった。

 

世界は疲れていた。一生を道具のように酷使され、搾取され、塵のように棄てられる。

戦争が起こった。一個しかないはずの命には価値がない。こんなことのために生きてきたのではないと泣いた。こんなことのために産まれてきたのではないと哭いた。声は届かなかった。

やりたいことを見出だして努力した。どんなに頑張っても周りからは認められなかった。結果を出せなかった。あげくの果てには否定される。意味もなく罵倒される。お前は何をやっているのかと、切り捨てられる。

世界に生きる人々は疲れていた。

 

こんな道をいきたかったんじゃない。誰しもが最期の瞬間には天を仰ぎ、後悔をした。

たった一回の命なのに、たった一回しかない人生なのに、人は簡単に狂わされる。

生きる道も、生きようとする意志も、生きたいと思う意思も簡単に狂わされ、あっという間に転げ落ちる。

崖の下に突き落とされる。

 

助けようとしてくれた手もあった。助けようとした手もあった。

だが、その世界の人は落ちる瞬間に微かな希望を持ってしまう。

 

「次があるから」

 

転生させてくれる存在がいるということは、そういうことなのだ。

たった一つの命にしがみつくことを忘れさせてしまう。もういいや、もう終わりたい、終わらせたい。

そんな風に思わせてしまう光を、神様は世界の人々に与えてしまった。

希望を持たせ破滅を与える光を、神様は生きる命に夢見させてしまったのだ。

 

疲れた世界が夢見たのは、おとぎ話のファンタジー。空想の世界であった。

頑張った分だけ自分に返ってくる。そんな世界を人は夢に見た。

 

そんな経緯で「竜に転生したい」ウェーブは発生したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なごなご

 

 

 

 

 

 

全世界統計によると、人口は激減しているらしい。原因は色々あったが、色々あったので、結果的に人口は減っている。そういう話である。

人類は色々頑張った。色々頑張ったが、やっぱり色々あったので人口の減少を止めることはできなかった。

人類は減った。しかし、一部の人にとってはいい塩梅に減った。一定数を保って人口は落ち着いた。そこまで増えないし、そこまで減らない。

人と人との距離は絶妙な具合で開くようになった。近すぎず、離れすぎず、自分の時間と空間を持つことができるようになった。

過去の人は無駄に技術を向上させてくれたため、残された子孫はその恩恵に預かることができた。彼らは楽に生活することができた。

 

人口はその後増えなかった。増えなかったが、減りもしなかった。

別の言い方をすれば、人に転生したい魂が毎回同じになった。御新規さんは滅多に現れなかった。

では、それまで世界にうじゃうじゃとはびこっていた人類の大半はどこへ逝ったのか。どこへ転生したのか。

 

 

 

第何次転生ウェーブ猫の乱である。

 

 

 

ある時は竜になりたいと夢見ていた人々は、これではいけないと現実と向き合った。その結果、猫の素晴しさに気づいてしまった。

なんて猫は自由なんだ!

なんて猫は愛らしいんだ!

なんて猫はネコでぬこなんだ!

自分も猫になりたいな。猫になって、一日中ごろごろしていたいな。

猫生を謳歌したいという人が後を絶たなくなった。そして実際に一生を終えて神様の前に立ったとき、彼らは言うのだ。

 

「転生先は猫がいいです」

 

神様は転生不可能な竜よりよっぽどいいと、彼らをみんな猫に転生させた。

 

 

 

第何次転生ウェーブ猫の乱の始まりであった。

 

 

 

猫に転生した人はみんな満足した。猫として産まれ、猫らしく死んでいく。転生猫たちは満足だった。

人の時間ではできなかったことをして、本懐を遂げた。憧れた猫らしく自由に生きた。

本能に忠実に生き、時に野生へと還った。彼らは猫らしく猫だった。

 

だから車の走る道路へ平気で飛び出した。

ロードキルした。

ロードキルした。

ロードキルした。

人が減って、自動車も減った頃には野生のシカやイノシシに牽かれた。

ロードキルした。

ロードキルした。

ロードキルした。

死体は処理されなかったので、キレイに喰われた。

彼らは猫らしく猫だった。

 

急激に猫の数が増えたため、皮膚病も増えた。ダニもノミも元気にぴょんぴょん跳んで、花粉症ではないのに痒かった。

そして当然、ハゲた。

ハゲた。

ハゲた。

地域的につるっつるのスフィンクスが大量発生する事態となった。

 

春が毎年やって来た。猫たちは燃え盛った。子猫が増えた。子猫はトンデモ級に可愛かった。

人は可愛い猫と子猫たちにごはんを与えたくなった。野良猫であっても餌を与えたくなった。与えた。なつく姿に癒された。もっと餌を与えた。

猫たちは肥えた。

太った。

デブになった。

それでも可愛かったため、人々は猫たちに餌を与えることを止めなかった。

はっぴぃデブ猫天国が現実のものになった。

 

人が減ったため、 猫のために開発されたおいしいおやつの生産量が激減した。例の、ちゅ~るとかいうヤツである。

猫たちは悲しんだ。

憤怒した。

爪を研いだ。

最終的に工場へ押し寄せ、とっとと作れと三日三晩抗議デモを行った。ここら辺は人っぽかった。デモ集団の主体は、猫に転生する以前にも経験したことがあるような慣れた動きをしていた。

夜は大運動会だった。ここら辺は猫っぽかった。

急かされた工場を所有していた企業たちは結託して、全作業を機械化し安定供給を実現した。

材料は秘密である。

ヒ・ミ・ツ。で、ある。

 

人が減り、猫が増えたことで一番困ったことは縄張り争いであった。猫は自分のパーソナルスペースを主張する。家ネコは当然飼われてやっている家を縄張りとする。では、屋外ネコはといえばどうしているのだろうか。

とにかく被る。

被る。

ばったりどころではない頻度で他のネコに遭遇する。

ボスネコなるものもいるにはいるが、ボスが全員強くてリーダーシップを発揮するカリスマネコだとは限らない。つまり、まとまらない。

更にはエサをくれる人の数は限られる。陣取り合戦ならぬ餌取り合戦の開幕である。

結局いつも勝負はつかず、太陽が数センチ動く頃にはおのおの散ってもろもろの箱の中へ納まり、各々日向を求めてジリジリと動いているようではあった。

猫はどんな時代も猫であった。

しかし、いつまでも戦国時代であっては安心して子育てもできない。おやつなどもっての他である。

 

 

 

 

 

 

何処かの猫は考えた。

何処かのネコも考えた。

考えているうちに寝転んでいた。そのまま昼寝した。

知らず時間が流れた。

太陽は何度も上って、疲れたように落ちていった。月は猫ノ眼の様に細くなり、開き、再び細くなるのを繰り返した。

 

猫は生きた。

ある猫は月を眺めて生き続けた。

ある猫は仲間の命が流れていくのを見ながら生き続けた。

ある猫は人の命が散っていくのを隣で見ながら生き続けた。

猫は生きた。

神様の下へと逝くこともなく、自分の時間をただただ生き続けた。

 

 

 

ふと、誰か言った。

「猫が化けたようだ」

 

 

 

長く永い時間を生きた猫は尾を割かせ、化けてしまった。二股に分かれた尻尾。長い尻尾も短い尻尾も関係ない。化けネコと呼ばれる彼らには普通の猫にはない二本目の尻尾がある。

踏まれやすくて嫌になるにゃぁ。

そんな声も聞こえないこともない。彼らはヒトの言葉も話せるのだから。

 

地域のボスネコさえも頭が上がらず尻尾も巻いてしまう猫界の親分。それが化けネコであった。

 

化けネコとは別に火車と呼ばれるネコならざるネコもいたが、そっちはちゃんと職を持っていたため話が別となる。全国へ出稼ぎに行くため、猫としてはかなり忙しいらしい。

火車は葬式や墓場から死体を奪う妖怪として名を馳せていたため、神様としては高級ネコ缶で誘き寄せてとっとと転生してもらいたいネコちゃんであった。

火車は真面目で仕事熱心であったようだ。

 

話は戻るが、化けネコは猫である。

ちょっと長く生きてしまった猫である。どれだけ長くと言えば、猫の抜けた毛の本数ほどの年である。誰も数えたことはないが、例えばそれくらい長くということだ。

それだけ長く生きれば、ほとんど死や転生などという言葉とは無縁となる。彼らにとって「死」とは、世界から消えるということなのだ。

 

 

 

化けネコたちは見た。

次の転生を夢見て眠りにつくヒトの子らを。ネコの子らを。

時に今生を全うし、時に今生を諦め魂たちはこの世を去っていく。そして、化けネコたちにとっては一欠伸にも満たない次の瞬間にその魂たちは転生してこの世に産まれ落とされる。落ちた魂はいとも容易く砕けて天へと上っていく。

化けネコたちはそれをじっと見ていた。

 

誰だって死にたくない。

誰だって死にたい。

命はいつだって矛盾を抱えてきらめいている。揺らめいている。

その輝きが美しいからこそ、神様は気紛れに「転生」という可能性を与えてしまったのかもしれない。

化けネコたちはその「転生できる」という権利を放棄した。変わっていく世界の中で変わりものの代表として居続けた。

 

化けネコは見た。何度も何度も転生を繰り返す世界を。

疲れきった世界で猫に転生した魂は二度と戻ってこなかった。猫に産まれ、生き、眠った魂は、神様の下へ辿り着くとみんなこう言った。

 

「猫がいいです」

「ネコでいいです」

「ねこしかいや」

 

こうして永遠と猫であり続けるのである。

何度ロードキルしても、ハゲても、デブっても、おやつと戯れに飽きても、猫は猫として生き続けるのだ。その末に、次の転生先も猫にすると言うのである。

それはなぜか。

猫はするりと逃げて語らない。

 

 

 

化けネコは言う。

奴等は何も考えていないのだにゃ。

 

猫がいいというわけではない。ただ、猫になると何も考えられなくなるのである。

猫は何も考えていない。

それがよくて、それでいいのだろう。

猫は猫だ。いくら転生前が有名な学者であっても猫に転生してしまえばただの猫。何も考えていない。

考えることを放棄した転生猫たちは幸せなのだろうか。それは彼らの顔を見ればわかるだろう。彼らは立派な猫だ。

 

猫に憧れた人は猫に転生した。沼にはまって永遠と猫に転生することを繰り返した。

そして、猫が好きな人は決して猫に転生しようとはしなかった。猫が好きな人は猫になりたいわけではない。猫を愛でたいだけなのである。愛くるしい猫を見ていたいだけなのである。

なにより、そういう人たちは知っていた。

猫が何も考えていないということを。

 

一度コタツに入れば脱出は困難をきたす。

一度猫になってしまえば、永遠に猫転生ルートを巡り続ける。

 

 

 

それはそれでいいのだろう。

 

 

 

第何次転生ウェーブ猫の乱であった。

 

 

 

 

 

 

化けネコは言う。愚かに殺し合って、罵り、互いに無益に傷つくよりは、こんな世界の方が幾分かましなのだろう。

何も考えず、日なたぼっこをして気ままに過ごす。そんな幸せを、なあ? 忘れがちではありませんかにゃ?

何かを成したくなったその時に、次があるとは限りませんにゃ。その瞬間のために立ち上がる力を温存しておくのも、なあ? 必要な戦術ではありませんかにゃ?

 

今宵も月を眺めよう。飽きたら雲を追ってネコジャラシの森へ迷い混もう。

 

 

 

 

 

 

そんなことを言う化けネコは、何処かの神様が転生した姿であったりもする。

 




今日も何処かの誰かが亡くなった。墓では火車がせっせと亡骸を掘り起こしている。
そんな日常を横目で見ながら、化けネコは隣の町へと脚を伸ばすようだ。
天へと魂が上っていった。
明日は何処かで子猫が産まれそうだ。



二股の尾が月を追って路地裏を駆けていった。
音もなく、駆けていった。


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こんな話「文化祭」

上映開始のブザーが鳴る。
照明が落とされ、スクリーンにその映画が映し出され始めた。
ポケットから着信を知らせるバイブの振動が伝わってきた。私は、席を立った。


文化祭で映画が流れたんだ

ずっと昔の、アイドルをやってたらしい先輩たちが主演の映画

女の子四人のユニット

その人たちが、更に昔の話を題材にしてつくった映画だった

内容はよく覚えてない

私は途中で席を外したから

見たのは最初と一番最後の絵だけ

本当に、内容は知らないの

その先輩たちが海で×××の××を×××したらしい話だったって誰かから聞いた気がする

絵には先輩たち四人と海が写っていた

覚えてないの

でも、体育館でその映画を誰かが流したらしいの

どこにそんなのが残ってたのか、誰も知らない

知ってるはずないの

だって、ずっと昔の作品なんだから

だから、知らないんだって

そんな作品が学校に残ってたなんて

知らないよ! 知らないの!

聞かないでよ、知らないの、見てないの、私は!

 

その先輩たちが何を題材にしたのか、なんでそんなことを題材にしたのかはわかんない

わかんない

わかんない

わかんないけど、その映画を先輩たちはつくっちゃったの

その先輩たち

 

先輩たち

 

五人の

 

五人?

 

絵に写ってた、五人?

 

四人の、先輩たちは、亡くなったんだって

ほら、ずっと昔の先輩たちだから

ずっと、昔の話だから

変な、死に方だったんだって

まるで

 

なにかに

 

ノロワレタ

 

みたいな

 

変な死に方だったんだって

その映画の内容は知らないの

覚えてないの

覚えてない!

ちがう

 

その、映画

その映画をつくってみんなに見せて、亡くなった先輩たちの話だった

だから私、先輩たちがどうなったか知ってるんだ

奇妙な死に方

四人の先輩

 

内容は、ほんとに知らないの

見てないの

でもね、始めの絵と最後の絵だけ、ちらりと見えたの

 

始めは海をバックに四人の先輩の顔が写ってた

アップだったから、一人一人の顔がよく見えた

可愛い女の子

笑っている、四人の女の子

今より昔の女の子

 

見てないの

私、そこにはいなかったんだから

席をはずしたの

戻ったのは映画が終わる頃

ほんとよ

ほんとだってば!

最後に見えたのは、始めと同じ絵だった

同じ、だったんだ

戻ってその絵を見たとき、始めと同じ絵だと思ったんだ

でも、

 

五人、だった

 

写ってたのは、

 

五人の、

 

女の子だった

 

始めと同じ場所に四人の先輩

バックには同じような海

多分、海で何かがあった

そんな話じゃないのかな

知らないよ

 

でも、五人、だった

 

先輩たちの顔が、どんどん苦痛に歪んでいった

女の子とは思えないくらい歪んで、ぐちゃぐちゃになって、人とは思えない最期だった

先輩たちは、あんな風に死んでいったんだ

奇妙な死に方

不可解な死に方

ショックだった

同じ年代の女の子が、なんで、あんな、死に方を?

 

何があったのかは、知らない

知りたく、ない

こわくて

 

こわくて

 

こわくて

 

知らない、女の子の顔だった

 

先輩たちよりさらに昔の雰囲気があった

女の子?

大人の女性って言ってもいい年齢だったかもしれない

若く見えてたのかも

老けて見えてたのかも

わかんない

よく見てないんだ

 

こわくて

 

彼女から、目を、反らした

 

その映画は、確かに動く絵だったよ

先輩たちが

目の前で

目の前の絵の中で死んでいったみたいに

絵は動いたの

映画だったの

 

五人目の、彼女も、

 

動いたの

 

目をあわせたくなかった

こっちに気づかれたくなかった

見ないで

見ないで!

私、知らないよ!

見てないよ!

貴女のことなんて知らない

貴女のことなんて見てない!

お願い、見ないで

見ないで!

その映画の題材は、五人目の彼女だった

先輩たちは、彼女のことを知ってしまった

だから、呪われた

だから、変な死に方を、した

 

そう、なの?

 

彼女は自分のことを知られたくなかった

貴女は、知られたくなかったの?

だから、貴女を知った人たちを呪ったの?

 

知らないよ

私、貴女のこと知らない

お願い、許して

私、貴女のこと知りたくない

見てない

見てないよ!

知りたくない!

見たくないよ!

だからお願い、こっちを見ないで!

 

その映画は、偶然誰かの目に留まってしまったんだと思う

不幸にも

その映画には、彼女の秘密そのものが写っていたのかもしれない

彼女は、秘密を、自分を暴かれたくなかっただけなのかもしれない

 

私は、その映画を見ていない

だから貴女の名前を呼ぶこともない

 

 

 

私が上映されていた体育館に戻ると、

もう、

息をしている人は誰もいなかった

みんな、貴女をみてしまったから

その映画を、みてしまったから

みんな、映画の中の先輩たちとおんなじ表情をしていた

呪われた人の顔をしていた

同級生も先輩も後輩も先生も

みんな、みんな、

死んでいた

 

 

 

知らないよ

だからこうして、誰かにその時のことを話せるの

知らない

知らない!

知らない!!

みてない!

私は、何も見ていない!

 

 

 

 

 

 

私は、映画のフィルムが回り続ける体育館の扉を、何も言わずに閉じた。




これが、私の高校生活最後の文化祭だった。


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出席番号25番「ホラー動画を探し隊」①あの廃病院…移動しました

まずは。

僕は暇だった。
暇すぎて暇が余っていた。
観たかった映画も、読みたかった本も漫画も、聴きたかったCDも、終わらせたかったRPGのゲームも。全部、全部、尽きてしまった。
面白くなかったわけじゃない。でも、一通り終わってしまうと、「さあ、2回目だ」とまではやりこもうと思えない。できれば次の新しいものが欲しい。

僕はホラー風味が好きだった。
「風味」というのは、もうコッテコテのドッロドロに恐怖のどん底へ叩き落とされるようなホラーよりも、これやらせか? 編集か? というくらいのわざとらしさが多少ある、所謂B級ホラーと呼ばれる作品が僕にとっては好ましかった。
しかし、この好みの線引きは微妙である。当たりハズレがあるのだ。だからなかなか「これだ!」というものに出会えない。
ホラーというジャンルを抜きにしても、いつだって僕の好みのど真ん中をいく作品は本当に少なかった。

そんなときだった。

僕は、SNSで変なものを見つけた。
アカウントの名前は「ホラー動画を探し隊」。そのままな名前だったけど、ホラー動画が好きな僕としては気になる名前だった。
早速フォローしてみると、プロフィールに書かれていたのは「ホラー動画を探したいメンバーその1山田」。
どうやら全部で4人いるらしい。
というか、名前そのまんまじゃないか笑。
メンバーは山田の他に佐藤、田中、鈴木がいる。おい、名前笑笑。
僕は確信した。これ、絶対本名だろ。って。

彼らの投稿する内容は簡単。その名の通り面白いホラー動画を探して記事に載せる。ちゃんと引用元も出てて、なかなか面白い。何より4人の性格・好みがはっきり出てて、更にコメントが笑える。
とりあえず4人全員フォローをして、僕は更新を楽しみにしていた。

彼らは国内はもちろん、海外の動画も紹介してしっかり説明も加えてくれる。
一本の動画自体はそれほど長いものじゃないから、空いた時間にさらっと見ることができた。更新の間隔も3日に1回位でかなり早い。

気づけば彼らは僕のオススメユーザーになっていた。

彼らは本当に趣味でやっているらしくて、動画サイトや掲示板と呼ばれる、書き込み板? みたいなところには投稿していないらしかった。本当にそのSNSだけ。
コメントを送れば全部じゃないけど返信もしてくれて、「どういう動画見てみたい?」って向こうから聞いてきてたりもしてた。

ある日、彼らはこういう内容を載せた。

「自分たちで動画作ってみることにした!
楽しみにしてて!!」

それが載ってから、もう数月が経った。

僕は心配になってて、ある時急に更新されたそれを見たとき、とうとうやっちゃったなって思ったんだ。
いつか、彼らはやるかもしれないと思っていた。良い意味でやらかしてくれるかも。悪い意味でやってしまうかも。その両方を感じていた。

僕は、その記事を笑いながら開いた。


まずは。

一人目、山田さんの動画をご覧いただきたい。もしかしたら、もう観たことがある人もいるかもね。

 

動画のタイトルは、これ。

 

『あの廃病院…移動しました』

 

 

 

 

 

 

毎度、ご利用ありがとうございまぁす。

ホラー動画を探し隊、山田でぇっす!

えー、今日は動画を紹介じゃなくって

(画面が少し上下に揺れている)

(暗い中、道を歩いている)

(足音と虫の鳴き声だけが聞こえる)

自分たちで動画を作ろうってことになりました!

いぇーーーい!パフパフ!!

ということでぇ

さくさく進めていきましょう!

第一回目はこの山田がお送りする「病院」!

(→ここまでオープニング)

(ばばーーーん!)

(効果音と共に字幕が現れる)

 

「以前ここには病院があった。別に事件があったということではないが、他にいい感じの場所が見つかった為移動することに。

機材やら何やらはもちろん全て運び出され新しい病院へ。古い方にはもう何も残されていない、はずである。」

 

そう。何も残っていないはずなんですよ。

でもね。新しい病院での営業が始まってから、変な噂が流れ出したんですよ。

 

(後ろに真っ暗な病院が。電気はひとつも着いていない)

古い方の病院のとある部屋には、まだ電話が残っている。ってね。

はーい、失礼しまーっす。

 

(がちゃ)

(病院の入り口を開けて入っていく)

(画面下に許可は得ていますの文字が)

(懐中電灯の灯りだけで病院の廊下を進んでいく)

(カツンカツンと靴の音だけが響いている)

でぇ、その電話が残っているという部屋がこちらです。

 

(懐中電灯の灯りに浮かび上がった扉)

(プレートには編集でモザイクがかかっている)

 

おかしいですよねぇ、電話だけ残っているなんて。

で、噂には続きがあります。

その部屋に入ると電話がなるんだと…

んなバカな…

というわけで…

いってみよーう!

 

(ぎぃ)

(鈍い音と共に扉が開かれる)

(真っ暗な部屋)

(物は何もない)

(机と椅子が残っている)

 

(懐中電灯で部屋をぐるりと一周照らす)

(一瞬電話が写るがスルー)

 

ほらー。やっぱり何もな…

???!!!

(電話を二度見)

 

あったー!

ありやがったーーー!

まさかここで鳴るなんてこと…

(電話が鳴り出す)

 

鳴ったー!

電気とか来てないはずなのに

鳴ったーーー!

(電話のコードをアップにする)

(コンセントは刺さっていない)

(コードは途中で切れている)

 

そんなばなな!?

(字幕で死語(笑)と出る)

 

やばい…

ここは出るべきか、否か…

 

ここは…

(字幕で

→出る

出ない

と出る)

俺は、出ない!!

 

(しばらくして電話が鳴り止む)

 

セーフ!セーフ!!

今の出たら絶対ヤバイやつだった!

(額の汗を大袈裟に拭きながら)

ふいーーー…んんん?

 

(電話が置かれている机の上に万年筆とメモ書きが)

(近づいてアップに)

(「御用の方はこちらへおかけください」)

 

かけよっか。

 

(ボタンを押して電話をかける)

どーせかかんないってー

 

(3コール目で繋がる)

?!?!

もっもすもす?!

(字幕で噛んだ(笑)と出る)

 

「お電話ありがとうございます。

こちら○○病院、受付でございます。

当病院は移動しました。

繰り返します。

当病院は移動しました。」

 

(女性の声で案内が入る)

ありゃ?

移動したって案内じゃんか。

しょーがねーなー。

これで動画はおわ

 

(目の前に大きなガラス窓)

(懐中電灯を着けているためガラスに自分の姿が写る)

(電話をかけている男(自分))

(その後ろに写る

 

看護婦の姿

 

自分以外いるはずない。

いるはずないのだが、窓にははっきりとナース服の女性の姿が写る。

その女性も受話器を手に持っている。

 

今、俺が聞いている案内をしているのは、あの女だ。

俺、この部屋に一人のはず。

窓に写っている女は…?)

 

窓に写る女と目が合う。

女はにやりと笑った。

真っ赤な口紅に塗られた唇が目をひいた。

う し ろ に い る よ

女の口がゆっくり動く。

 

俺の うしろ

う し ろ

 

(ぞくっ)

ぎゃーーーーーーーーーーーーーーー!!!

 

(大声をあげて逃げ出す)

 

(画面に大きく「しばらくお待ちください」と出ている)

 

(→ここからエンディング)

というわけで、山田は無事に帰還しました!

いぇーーーい!

怖かった!俺が!怖かった!

廃病院に電話が残ってても!

もしその電話が鳴っても!

みなさん、無視してください!

ましてや、かけ直しちゃいけません!

山田お兄さんとの約束だぞ☆

 

では、次回の「ホラー動画を探し隊」を楽しみにしてください!

チャンネル登録よろ!

 

そいえば、かかってきた電話にすぐ出てたら別ルートに?

に、二度目は行かないんだからね!!

 

 

 

 

 

 

『ニュースです。

本日市内にて絞殺死体が発見されました。

場所は○○アパート、被害者は山田○○さん、32才、男性、職業ユーチューバー。

繰り返します。

本日…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、僕はあの動画を再び見ると、「女性がうしろにいるよと言っている」シーンで女性の手が山田さんの首に伸ばされていることに気がついた。

初めて見たときはこんなことになっていなかったのに。

 

昼にやっていたあのニュースは、「あの」山田さんのことだ。

山田さんは一応顔出しユーチューバーだったから。

この動画と何か関係があるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

あるのだろうな。

 

 

 

そうそう。この廃病院の動画なんだけど。

多分出席番号17番さんが観たやつだよ。

あいかわらずイイ趣味してるね。

 



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出席番号25番「ホラー動画を探し隊」②あのコンビニ

まずは。
二人目、佐藤さんの動画をご覧いただきたい。この動画は長いから、いくつかに区切ってる。で、後半はリアルタイムでの生放送だった。

動画のタイトルは、これ。

『あのコンビニ』


『あのコンビニ』

 

 

 

画面に砂嵐が流れる

砂嵐が治まる

 

「どうも。ホラー動画を探し隊、佐藤です」

 

佐藤です…佐藤です…佐藤です…

(という演出。エコーは自演)

 

「ホラー動画を探し続けてはやうん年。我ら隊員はとうとう自分でホラー動画制作に乗り出した」

 

ざざ…

砂嵐が一瞬流れる

 

「隊員ナンバー1、山田。

彼は、地元にあるとある廃病院にて実証実験を行った。

その後、彼は…」

 

ざざ…

砂嵐が一瞬流れる

 

ぱっ、と画面が切り替わる

白い壁を背に青年が笑って手を振っている

「どーもー!山田どぇーす!

みんな、元気かなー?

俺はねー

 

ぶつっ。

唐突に画面が切られる

 

「彼はいつも通り。」

 

声だけが黒い画面の動画に流れ続けている

コメントなしのテロップのみが白く浮かび上がっている

 

「俺の動画は、純粋ホラーを目指した。

とあるコンビニだった場所にカメラを仕掛けて録画した。

今回は前編だ。まずは、そのコンビニについて知ってもらいたい」

 

ざざ…

砂嵐が流れる

ゆっくりとタイトルが浮かぶ

 

 

『あの角のコンビニ』

 

白く浮かび上がった文字は、砂嵐に紛れて消えていった

そこからは淡々と佐藤の声が響き、同じ内容の文章が画面の上から下へゆっくりと流れていくだけであった

 

「地元にある、なんの変鉄もないコンビニ。そんな印象だった。

俺も何度か利用した。

いつもの角にあるコンビニ。

その場所はなぜか頻繁に店が代わる、出入りの多い所だった。

 

立地は悪くないはず。

車もそこそこ停められる分の駐車場だってあった。

でも、なぜかすぐに店が代わる。

 

またか、と思っていた時にそのコンビニに代わった。

24時間のどこにでもある名前のコンビニ。

初めて利用したとき、雰囲気のいい店だなと思った。品揃えも店内の広さも素晴らしいとは言えないものだったけど。

オーナーの人柄っていうのか、その人を中心にその店は回っていた。

 

丁度俺の友人が、オタクの引きこもりだったんだけど、そこでバイトを始めていた。

 

限定のおまけ付きの菓子だかドリンクだか、よく覚えていないがそれが欲しくてそのコンビニに付き合った。

行くと、直前の客が俺たちと同じ賞品を買い占めようとしてた。結構人気のあるアニメだったんで、幼稚園児から大人までの客層があったんだ。だから、大量に入荷してたんだけどさ。

 

販売初日だったのにその客は「あるだけ全部売れ」って言ってんの。

店員も他の客も「うざい客だ」って顔してるんだ。当然だよな。俺の友人も「あれはダメだ。他のとこ行こう」って出ようとしてた。

 

そこで出てきたのが、そのオーナー。どうするんだ?と思って俺は様子を見ていた。」

 

変わりなく動画は続いていく

ホラー動画とは思えない流れだ

 

有名な菓子と某アニメのファイル、ミニノート、メモ帳、付箋が画像で写し出された

商品名は隠されている

 

「オーナーは頭を下げて全部は売れないってことを言っていた。それでも客は諦めない。でも、オーナーも引き下がらない。その客の対応はオーナーだけでやっていたんだ。他の店員は通常業務。

 

おいおい、いいのかよ。大丈夫なのかよ。そう思いながら俺は見ていた。

そうしたら、オーナーが時間をくれるなら今ある分と同じ量を用意するって言い出したんだ。客はそれならって妥協して、可能な個数だけ買っていった。夕方来るって言ってな。その時の時間は朝7時。コンビニの朝ピークの忙しい時間だ。

 

オーナーは一人の女性、オーナーの次に偉い店長だろうな、に何か言って外に出ていった。

その場はそれで終わり。俺たちはお菓子を買って「大変だったな」の一言で終わらせた。

 

で、俺は同日の夕方そのコンビニに2度目の来店をした。家の冷蔵庫が空だったからだ。そしたら、丁度いた。朝の客だ。

 

だが、朝はあんなにイライラした顔をしていたのに、その時は申し訳ないという顔をしていた。その手には件の菓子が山盛りだ。

 

俺はその件がどうやって終わったのか知らなかった。

友人がそのコンビニにバイトしに行くようになるまではな。

友人も気になっていたようで、後日オーナーに聞いたらしい。

 

簡単に言うと、オーナーが他の店をいくつか回って買ってきたそうだ。代金はオーナー自身の財布から。様は先払いだ。

客の方も、実はいいやつだったらしい。息子の入っている野球クラブが地区優勝したとかで、ご褒美としてチーム全員が共通して好きなアニメのおまけを買ってやりたかったらしい。

 

俺が驚いたのは、半日ほどでオーナーが一人で対応したということだった。多分、普通はしないやり方なんだろう。オーナーは友人に口止めしたそうだ。

 

缶コーヒーとチョコで。

 

口止めされていないぞ?

 

まあ、オーナーなら出来ると他の店員から信頼されてもいたんだろうな。

 

そんなオーナーがいる店。」

 

一旦、BGMが止む

ざざ…

一瞬砂嵐が入る

背景は夕暮れの空へ、BGMはゆっくりとした、だがさっきより暗めの音楽へと代わった

 

「でもある日、その友人から信じられないことを聞いた。

 

オーナーが失踪した。

 

しかも、失踪する2日前に入籍していたのに、だ。

婚約者はあの女性の店長。

 

その頃、俺の友人は脱引きこもり(ただし、オタクは顕在)していた。バイトも長期間続けれていたんで、真面目さ(オタクの度)が評価された。

 

評価されて、時間別のシフトリーダーを任されるほど。

 

そんな友人から聞いた情報なんで確かだろう。

 

友人は空いたオーナーの分も時間を増やした。

それから聞いた話なんだが。

夜勤に入るようになった婚約者が、ある時間の店内放送が変になるらしい。

 

無音になったり

何か引きずる音が聞こえたり

 

 

友人がいる時間はそんなことないそうだ。

もちろん、他の店員の時間も。

ただ、その婚約者だけの時間にそんなことが起こるらしい

 

それからしばらく経って」

 

画面一面にガラスの開閉式ドアが写し出される

(バン!)という音と共に、そのドアに貼り紙がされる

『諸事情のためにしばらく休業します』

 

「婚約者も行方不明になった」

 

再び背景が黒くなる

 

「なんでそうなったのかは誰も知らないまま、そのコンビニは休業となった。

 

そして、しばらくして」

 

同じようにガラスの開閉式ドアが写し出される

(ぽん)という音と共に、そのドアに貼り紙がされる

『当店は移店となりました』

 

再び背景が黒くなる

 

「だから、その場所にはもう何の店も入っていない。ただの空き店舗となっているようだ。

 

そんな、元コンビニの場所」

 

ザーッと、砂嵐が流れる

 

ピタリと止まり、1台のカメラが写される

 

「友人の話だと、オーナーたちは無事に戻ってきたらしい。

戻ってきてすぐに、店員たちに頭を下げて謝罪したそうだ。

そして、すぐに店の場所を変えると言い出したらしい。

 

そのオーナーは今でもどこかでコンビニを続けているそうだ。もちろん、その店には俺の友人が働いている。

 

後日談となるその話を友人に聞かされながら、俺はそいつに1枚の紙を渡された。それは、コンビニの見取り図だった」

 

背景が白くなる

 

「どこにどういう商品があるか覚えるために、友人が自分で書いた見取り図。どこに何があるか、細かく書かれていた。

その中に数ヶ所、×印がついていた」

 

白い背景の数ヶ所に×がつく

 

「これは、防犯カメラが設置されていた場所だ」

 

今回、俺はこの場所にカメラを設置した。もちろん、音も録音している。

全部の場所には無理だったから」

 

画面に手が写る

長い指がゆっくりと×印を3つ差す

 

「ここと、ここと、ここ。

入り口と、店の後ろから前に向かってと、事務所。この3ヶ所に設置した。期間は3日間。

当時のオーナーの婚約者が勤務していた時間を含めて録画を行う。

回収後、早回しで実況を行う。

 

何が写っていても後悔するなよ?

 

一旦、ここで切る」

 

ザーッっと砂嵐が流れる中、動画が終了する

 

 

 

 

 

 

こういう人なんだ。佐藤さんっていう人は。いつだって何故か一番ヤバい所を引き当てちゃう。多分、この時もそうだったんじゃないかな。

この動画の言ってる「コンビニ」が何処か、僕にはすぐにわかった。なんて言ったって、地元民だからね。ふふん。

だから、一本目の動画が配信されてすぐに僕は彼にメールを送った。

信じてくれるといいな。信頼されてるといいな。そう、思いながらね。

 

そのメールが次のやつ。

 

 

 

『出席番号25番のメッセージ』

 

ホラー動画を探し隊の佐藤さんへ

 

お久しぶりです。いつもお世話になっています。出席番号25番です。

 

先ほどご投稿なさってた動画、コンビニだったとこの録画です、についてです。

 

そのコンビニ、桜ヶ原というとこにありませんか?○○系列の。でしたら、地元です。

まず、公開前には桜ヶ原にある○○寺というとこでお祓いをしてください。同級生の実家なので、話を通しときます。

次に、公開時には次のものを用意してください。

・塩

・一応ファ○リーズ

・桜餅

以上です。

 

多分、映像には何かしらの怪奇現象が写っていると思います。

佐藤さんのご期待に添えられるものであると僕は思います。

当日の公開、楽しみにしています。

 

出席番号25番より

 

 

 

 

そうメッセージを送り、僕は出掛ける準備をした。

まずは同級生の実家へ電話をして話を伝えなくては。次に、あの角のコンビニだったところへお供えものをしなくては。

財布を持って、桜餅を買いにいこう。

ああ、それから。

一応、桜の木のある公園へも話をしに行かなくては。

 

桜餅は2個かな。

 

その日は雨。準備をすると、僕は傘を広げて雨の中へ出掛けていった。

冷たい雨は止みそうにない。

靴の中は、既に水が染み込んでぐちゃぐちゃになっていった。

 

そう。その時はまだ助けられる可能性があると思っていたんだ。でも、あのコンビニ跡にある桜の根は一筋縄じゃいかなかったらしい。

確かにヤバいことになるとは予想してた。だからこそ、どうか命まではって姫様のところにお願いしに行ったんだ。彼は、彼らは悪い人じゃないから。って。

 

うん。悪い人じゃない。

 

でもさ。

 

悪い人より善い人の方が好かれるって、美味しいんだって。誰がそんなこと思う?



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出席番号25番「ホラー動画を探し隊」②あのコンビニ(動画①)

続きだよ。


ザーッという音とともに砂嵐が画面に写っている

 

ピタッっと止まり、画面が真っ黒になる

 

「ホラー動画を探し隊、佐藤です。

今回は前回の後編。

コンビニだった空き店舗にカメラを置いて3日間録画した。もちろん、そこは曰く付き。

詳しくは下のURLへ飛んでくれ」

 

画面の下にURLが表示される

 

「録画した映像は俺もまだ見ていない。もしものことがあるといけないから、手元に塩とファ○リーズ、それと…」

 

机が映し出される

順番に

・紙の上に山積みになった白い粉(塩と思われる)

・ファ○リーズ

が机の上に置かれる

 

「それともう一つ。Twitterアカウントのフォロワーさんのアドバイスだ。アカウント名''出席番号25番''さん。

いつもありがとう。

25番さんのアドバイスで桜餅を用意するといいらしい。」

 

たん。

机の上に桜餅が乗った小皿が追加される

 

画面下にコメントが流れる

(桜餅?wwwwww)

(ファ○リーズさまーーー!)

(ちょwwwおまwww25番てwww)

(なぜそこで桜餅www)

 

「下、少しだまれ。うるさい。

今回は生放送ということで、コメントを画面下に流してる。悪質なものは放送止めて警察に報告するぞ。

隊員の鈴木に特定させて田中にシメさせるから。」

 

机の上にSDカードが置かれる

録画した映像が入っているらしい

 

塩と桜餅に変化はない

 

「出席番号25番さんはこのコンビニだったところの市内に住んでいるそうだ。前編を投稿した後、すぐにメッセージが届いた。住所まで特定して、コンビニの名前まで言い当てたから確かだと思う。

……桜餅の意味はわからないけど。」

 

画面下にゆっくりとコメントが流れていく

 

「じゃあ、公開時間だ。」

 

画面がゆっくりと暗くなる

画面下に白い文字でコメントが流れていく

佐藤の声が異様に響く

 

「録画した映像は3日間。早回しで流す。異常事態が起こったら止めて放送中止。すぐにお祓い行きだ。

もう一度言うが、まだ俺も見ていない映像だ。

 

できれば止めずに見たい。」

 

画面が3つに分けられる

 

「設置したカメラは全部で3つ。

入り口、事務所、店内後方から。それぞれに表示が出ているからわかると思う。」

 

画面でカウントダウンが始まる

 

3

 

2

 

1

 

「スタート」

 

 

 

 

 

僕のメールはちゃんと彼のところに届いたみたいだった。

生放送が始まった時、彼が録画データをすぐに放送するんじゃなくて、ちゃんと注意事項を説明したことに安心した。これで、何かあったらすぐに放送を中止させられる。

佐藤さんの判断を、僕は信じていた。

 

全部が終わった今なら、彼にはっきりと言えるんだろうな。

 

そこに行っちゃいけない。行かないで。って。

 

あのコンビニはさ。たとえ怪奇現象が録画されて放送されても呪われるってことはないんだよ。桜の根は呪わない。呪う程度の思慮がないんだよ。

でもね。獲物が近づいて来たら迷わず飛びかかる。あの桜の根は、いつだって飢えているから。

こんなこといくら言っても、全部、遅いんだけどさ。

 

僕も、あの場所の桜について知らなすぎた。だって危険すぎて、誰も近づきたくなかったんだからさ。

 

ごめんね、佐藤さん。



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出席番号25番「ホラー動画を探し隊」②あのコンビニ(動画1~2日目)

緊急☆生放送
ホラーショップの現在を密着録画!
あのコンビニにはなにがいるのか?!


 

『一日目』

 

 

 

カメラ①入り口

8:00 録画開始

10:00 異常なし

12:00 異常なし

14:00 外の道で車が事故を起こす

16:00 警察が去っていく

18:00 外で女性が立っている

20:00 外で女性が立っている

(以下、同じ女性が外で立ち続けるため、その報告は省く)

22:00 暴走族が外を通過

24:00 暴走族が戻ってくる

一日目終了

 

外で立ち続ける女性の特長

・髪が長い。

・入り口ドアに背を向けて外を見ている。

・中には入れないはずなので外にいる。

・着物?を着ている。

 

カメラ②事務所

8:00 録画開始

10:00 異常なし

12:00 一瞬画面が暗くなる

14:00 机下のタイルがずれている

16:00 机下に靴が片方残っている

18:00 机下のタイルが戻っている

20:00 ネズミが走っていく

22:00 机下の靴が消えている

24:00 一瞬画面が暗くなる

一日目終了

 

カメラ③後方から

8:00 録画開始

10:00 異常なし

12:00 異常なし

14:00 異常なし

16:00 異常なし

18:00 異常なし

20:00 ネズミが走っていく

22:00 異常なし

24:00 異常なし?

一日目終了

 

音声

(放送画面が一つのため、どのカメラが拾った音かわからない)

8:00 「ザッ」という雑音が混じる

10:00 無音

12:00 チャイムの音「ピンポーン」

14:00 車が突っ込む音「ガガッ、ドカン」

16:00 サイレンの音「ピーポーピーポー」

18:00 子どもの声「あそんでよー」

20:00 チャイムの音「ピンポーン」

ネズミの声「チュー」

22:00 ネズミの声「キキー!」

24:00 子どもの声「キャハハハ」

チャイムの音「ピンポーン」

一日目終了

 

・頻繁に入るチャイムの音は、コンビニの入店音をイメージしてほしい。

・子どもの声は複数である。

・二回目のネズミの声は悲鳴である。

 

画面下に流れるコメント

『え、この日事故?

警察さーーーん

チャイム?

入店音!

誰この女

誰この女

ちょ誰この女

まだいる?

まだいる

んん?

ようじょのこえ

チャイム?

ねずねず

ひぇ

どした!?ねずっち!

ちゃいむ

帰れよぉ

パラリラパラリラ

この時間に子ども?!

えちょ女

実は幽霊?

まだいる』

一日目終了

 

 

 

 

 

 

『二日目』

 

 

 

カメラ①入り口

2:00 一日目と同様に女性が立っている

4:00 一瞬画面が暗くなる

6:00 女性が立っている

8:00 画面が揺れる

10:00 異常なし

12:00 異常なし

14:00 外を子どもたちが走っていく

16:00 数人の学生が店内を覗き込んでいる

18:00 異常なし

20:00 数人の学生が無理矢理店内に進入する

22:00 異常なし

24:00 異常なし

二日目終了

 

・女性は常に画面に写っている。

・画面が暗くなった後、女性は店内に立っているようにも見える。更に、店内(カウンター、もしくは事務所?)の方を向いているようにも見える。

・学生は進入する際、画面にずっと写っている女性の横をまるでいないかのように素通りする。女性を通り抜けているようにも見える。

・進入した学生は入り口から進入したが、入り口へは戻ってこない。

 

カメラ②事務所

2:00 異常なし

4:00 画面が揺れる

6:00 異常なし

8:00 異常なし

10:00 一瞬画面が暗くなる

12:00 異常なし

14:00 一瞬画面が暗くなる

16:00 机下のタイルがずれている

18:00 異常なし

20:00 机下のタイルの隙間から何か…?

22:00 画面が暗くなることが頻繁に起こる

24:00 画面が激しく揺れる

二日目終了

 

・タイルの隙間から出てきているものは何かわからないが、動いているようにも見える。

・「画面が暗くなることが頻繁に起こる」時間は、画面がチカチカと点滅しているように見えるほど一瞬暗くなることが頻繁である。

 

カメラ③後方から

2:00 異常なし

4:00 画面が激しく揺れる

6:00 異常なし

8:00 異常なし

10:00 異常なし

12:00 異常なし

14:00 異常なし

16:00 異常なし?

18:00 異常なし

20:00 何回か学生と思われる頭部が写り込む

22:00 画面がしばらく暗くなる

24:00 異常なし?

二日目終了

 

・「異常なし」は全く異常が見られない。「異常なし?」は異常が見られないように一見見える。

・学生が画面に写ったのは、カメラ①の覗き込む場面と入り口から進入する場面。カメラ③の頭部の一部が数回写り込む場面だけに見える。

 

音声

4:00 画面が揺れる音「ガタガタッ」

10:00 チャイムの音「ピンポーン」

14:00 子どもたちの笑い声「キャー」「あはは」「キャハハハ」

18:00 チャイムの音「ピンポーン」

何かが這いずる音が微かに聞こえる「ずるっずるっ」

20:00 入り口をこじ開ける音「ぎーーー、がちゃ」

数人の足音「ザッザッ」

物音「ガタッガタガタッ」

途中から無音となる

22:00 無音

24:00 無音

二日目終了

 

・子どもたちの笑い声は、明らかに外を走っていく人数と声の数が違う。声の数の方が圧倒的に多い。

・「何かが這いずる音」に対してはノーコメント。

・足音は店内に進入した学生のものである。

・「無音」は音が全く入らない状態である。他にも記述していない音は通常では入っている(例えば外の道路を走行する車の音など)。つまり、音声関係の録音装置が全く機能していない状態であるといえる。

 

画面下に流れるコメント

『まだいる

何時だよ

えーーー?

風?

建物の中だぞ

なに?

え?

揺れてる

めっちゃ揺れてる

なおった

ん?

どした

あれ

ねじゆるい?

この暗くなるのなんだろ?

カメラ古い?

接続?

げんきゆうき

おこちゃま

見てる

女注意しろ

ガキ注意

チャイムどこから

時間決まってる?

何の音

なに?

きこえん

みみわる

入ってきた!

入れんの?

カメラも設置できたし

え、無視?

女?

スルーwww

おかしくね

異常じゃ…

見えてる、よな?

おいこれ

女、中にいないか

外にいたろ

まだいるぞ

動いてんのか?

マジで幽霊説

ヤバくね

マジ?

何時間たった?

まだ戻んねぇの?

なんか見えた

んんん

音は?

あれ

音、入ってない?

チカチカしてる

女、こあい

おーい

戻ってこーい

聞こえんぞー

マイクテス、マイクテス

音声どこ

壊れた

警察呼んだ方が

女まだいるよ

おわ

揺れてます揺れてます

んん

もう帰ってたり

出口は?

帰ってた

直んない

ピンポーン』

二日目終了

 

 

 

 

 

 

その動画の二日目を終えた時点で、既に違和感に気づいた人のコメントがちらちらと画面下に流れ出していた。

僕はこのコンビニがどこにあって、なんで移転したのか知っていた。そして、その結末も。だからこそ、佐藤さんの身に何かあってはいけないと思って公開前に連絡をした。

佐藤さんは僕のことを信じてくれただろうか。ああ、でも、信じてくれたとしても全て遅かったのかもしれない。

だって、もう全て録画されてしまったんだから。

 

 

 

一日目。

外の道路で事故が起きた。

あの道は本当に事故の頻度が高い。週に2、3回は警察があそこに行く。昔からずっとそうだ。どんな看板を立てても、標識を用意しても、声かけを行っても、あの場所では事故が無くならない。それはきっと、あの角が悪いということではないんだ。あの角のところに「あの場所」があるからなんだ。

「あの場所」にはお腹を空かせた桜の根がいる。

 

あの場所については僕が語ることじゃない。

僕が語るべきなのは四人のホラー動画好きが作った動画のこと。

今回は、たまたまその内の一人が「あの場所」にあった「角のコンビニ」について興味を持ってしまっただけ。

 

続けよう。

 

事務所だったところの机の下。

もともとこの机の上にはパソコンが置かれていたらしい。今は…ないよね。

パソコンがないんじゃ、この時々聞こえる入店音のチャイムは鳴るはずない。そもそも電気だってもう通ってないんだよ。カメラとかはバッテリーでもたせてる。

じゃあ、この入店音はなんなんだろうね?

机の下のタイルを剥がすと、そこには大きな空間があるらしい。その奥には…

だから、タイルが動かされているってことは何かが出入りしているってこと。「誰か」と「何か」がその空間から出たり、入ったり、入れられたりしているんだろう。

 

入り口の外に女性が立っている。この女性は明らかにおかしい。こんなに髪が長くて着物を着た人を僕はこの町で見たことがない。それに、長時間ずっと動いていない。場所だけじゃなくて、本当に身動きひとつしていない。合成じゃないかと思うくらい動いていないんだ。これは二日目の朝、入り口のカメラの映像が暗くなるまで確かなこと。

映像が暗くなっても女性は映っているけど、立っている位置が違う。気づかない人は気づかないくらい些細な違いだけど、この女性。入り口の内側に立ってる。

そこで僕はこの女性の異常に気がついた。服の合わせ目からして体は外に向いている。つまり、見ているこっちに背中を向けているんだ。だから、顔も外を向いていると思いこんじゃう。

でも、違う。

 

顔は、店の中を見ている。

体と頭が逆を向いているんだ。

 

違和感に気づいた人のコメントが上がっている。具体的に指摘はされていないけど。

店内の方を、カウンターの方だね、もしかしたらその奥の事務所かもしれない、そっちを頭だけで見ている女性。この女性は誰なんだろう?

 

事務所の床に靴が片方落ちている。誰も入れないはずなのに、どうしてこんなところに?時間が経って真夜中になった。靴はいつのまにか消えている。いつのまに。

事務所の机の下のタイルがずれていたこと、ネズミの悲鳴、タイルが戻っていたこととなにか関係があるのかな?

 

ああ、そういえば。

 

腹を空かせた桜の根は雑食、なのかな?

 

夕方、急に子どもの声が画面からした。本当に唐突に。でも、子どもはどこにもいない。外にも店内にもいないんだよ。

 

外を暴走族が走っていく。おかしいな。ここの暴走族はあの道を通らないはず。もしかしたらどこからか追われて迷い混んじゃったのかも。追いかけていたのは誰?もしかして、遊んでもらっていたのかな。聞こえた子どもの声を思い出す。追いかけっこ、楽しかったかい?

 

 

 

日付が変わる。一日目終了。

 

 

 

二日目。

女性は変わらず立っている。

 

画面が激しく動いた!

…治まった。なんだったんだろ。

 

女性が店内に立っている。

外から中に数cm移動しただけ。だけど、隔てるガラスの扉は大きいよ?

 

画面が時々暗くなる。なんでこれが起こるのか。暗くなった時、何が起きているのか。考えても知るはずないね。

 

鳴らないはずの入店音が響く。

実際に鳴っているのかな?それとも、カメラが何かの音を拾っている?

 

外を子どもたちが走っていく。危ないよ。こんなところで遊んじゃダメだ。画面から聞こえる子どもたちの声は、明らかに子どもの数より多かった。

 

通りかかる学ランを着た学生たちが、チラチラと店を覗き込む。「見てんじゃねーよ」とこっちが言いたくなる。

夜、その学生たちが無理矢理入ってきた。

そして、

 

あー、これ、ダメなやつだよー。この学生たち戻ってこないよ。戻ってこれないよ。それに、女性のこと無視するなんて無理でしょ? これは完全に「見えてない」状態だよ。

佐藤さん、止めて! お願い、止めて!

ダメだよ! これ、お食事タイムだ。

あー、なんか出てるぅ…

あー、あー、あー、

……

あー?

 

あ、セーフ?

怪奇現象過ぎて、寧ろセーフになった?

グロは入らないのね。

映像飛び飛びだし、音声も何も拾われてないからセーフ… か?

まさかこんなとこで怪奇現象がプラスに働くなんて。

 

学生たちはバカだったんだね。

食べられちゃってもう戻ってこないよ。

今後捜索されても、遺体だって見つからないだろうな。

 

コメントもすっごく動揺してる。

何が起きているのかわからないからこその動揺だ。

 

女性は変わらず立ち続けている。

じっと、事務所の方を見ながら、立ち続けている。

 

 

 

日付が変わる。二日目終了。

 

 

 

 

 

とうとう三日目が公開される。

 

嫌な予感が僕の中で膨らんでいた。

これは。この動画は

 

もしかしたら、公開させてはいけないものだったのかもしれない。

 

そう思うのは、もう世界に向けて映像が発信された後だった。



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出席番号25番「ホラー動画を探し隊」②あのコンビニ(動画②)

画面が暗くなって佐藤の声だけが流れる

 

「これで終わりだ。

色々言いたいことはあると思うが、今回は生配信。俺からは説明はできない。

だって、俺も今この場で初めてこの動画を見たんだから」

 

黒い画面を背景に、クレジットタイトルが流れ出す

 

「コメントは自由にしてくれ。

長くなったから、検証できるかはわからない」

 

前回の動画と比べて少しだけ、口調が早口になっているような気もする気のせいか

 

「ただ、今回の動画データは全部供養してもらう。

出席番号25番さんの勧めてくれた寺にお願いしに行こうと思う。

げほっ、げほっ」

 

佐藤の咳が聞こえる

実況なのだから途中で止めることもできない

仕方のないことだ

 

「長く、なった。

これで終わりだ。

コメント、評価等はいつも通りで。チャンネル登録もしてくれたら嬉しいと思、う。

 

試聴、ありがとう」

 

砂嵐が流れる

数秒の後、ぶつりと映像が終了した

 

 

 

 

 

 

これで終わり。

そう、これで終わりだったんだ。佐藤さんの動画は。

 

三日目の二十四時で佐藤さんの動画は終わっていた。

本当はあるはずの、四日目のカメラ回収までの残りわずかな時間の動画が消えていた。

 

佐藤さんの動画はこれが最後となった。

 

佐藤さんの動画生配信は大盛況だった。でも、それも数日のうちだけ。

すぐに別の動画がランキングを塗り替えていって、更新のない動画はすぐにランク外。佐藤さんは、その後更新しなかった。

きっとすぐに、誰もがそんな動画が配信されていたことすら忘れていくんだろう。これもいつものことだった。

僕は同級生の実家である地元の寺へ連絡をいれた。佐藤さんは動画のデータを供養すると言っていた。動画の配信後、彼は寺へ行ったのか。僕は、それだけを聞きたくて受話器を手に取った。

答えはNO。誰もそんな人は来ていないとのことだった。

 

彼はあの後どうしたんだろう。

時間だけが過ぎていった。

 

 

 

そんなとき、一つのニュースがテレビの中を流れていった。

 

『ニュースです。本日、◯◯市某所で変死体が発見されました。所持品と歯の治療痕から、都内在住の佐藤さん(35才)・職業ユーチューバーだと特定されました。

死体の損傷が極めて激しく、殺人事件の可能性が高いとされています』

 

『ニュースです。先日発見されたユーチューバー・佐藤さんの変死体遺棄について、警察は事故死としての見解を明らかにしました。

発見数日前から佐藤さんは徒歩にて◯◯市へ向かったきり行方がわからなくなっていたようです。

死体の発見された場所周辺では、野犬の目撃証言が多くされていたようです』

 

あの佐藤さんのことだろうか。

僕はニュースの詳しい内容を調べようとした。そして同時期に、僕の元へと郵便が届いた。

 

一枚の茶色い封筒。差出人は、あの佐藤さんだった。消印は。

 

佐藤さんの最後の動画が公開された、当日。

動画自体は夜に公開された。だから、昼間にそれを送ったのかな。

僕はそう思って封を切った。

中に入っていた物はビニールに入った三枚のマイクロSDカード。そして、一枚のメモ切れ。

メモにはこう書いてあった。

 

「ごめん

 

たのむ」

 

メモの端々には赤黒いものがこびりついていた。

 

僕は一枚カードをパソコンに入れた。その中身は、あの動画データだった。




佐藤さん………!?


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出席番号25番「ホラー動画を探し隊」②あのコンビニ(ラスト)

『四日目』

 

 

 

カメラ①入り口

2:00 女性が立っている

4:00 砂嵐

6:00 女性はいない

8:00 (エンドロール)

 

カメラ②事務所

2:00 画面が暗い?

4:00 タイルが少しずつ開いていく

6:00 タイルが少しずつ開いていく

8:00 タイルが全開となっている

 

カメラ③後方から

2:00 画面が黒く?見えている

4:00 異常なし?

6:00 一瞬何か動くのが何度か起こる

8:00 真っ黒

 

音声

2:00 時々念仏、経が聞こえる

4:00 機材を取り外す音

6:00 物が動く音「ガタ」

8:00 子どもの笑う声「キャハハ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それだけの動画だった。

ただそれだけが写ったはずの動画データだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『動画の録画を開始します。』

 

はあい♥️みんなのアニキ、田中ちゃんよ♥️

最近山田ちゃんと佐藤ちゃんに会えなくって寂しいわぁ。

とにかく、今回はアタシの番よ。アタシのテーマは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

佐藤さん。佐藤さん。

あんた、なんていうものを撮ってしまったんだ。

佐藤さん。

きっと、もう、この世にはいないだろう動画投稿者。

 

なんで佐藤さんはあのコンビニをテーマにしようと思ったんだろう。よりによって「あの」コンビニを。

せめて他の場所だったら命は救えた?

そんなことわからない。廃病院の動画を作った山田さんだって行方不明になったんだ。

いや、違う。

二人の人生のラストはどちらも「不可解な死」となってしまった。彼らが望んだものとは別かもしれないけど、ホラー動画を探し続けた人としては充分に「らしい」エンディング なんじゃないかと僕は思う。

 

 

 

では、ここにいる君たちだけに公開しよう。佐藤さんが遺した、とっておきのエンディングを飾るホラー動画だよ。

ご覧あれ。

 

 

 

カメラ①入り口

2:00 女性が立っている

4:00 砂嵐

6:00 女性はいない

8:00 (エンドロール)

 

カメラ②事務所

2:00 画面が暗い?

4:00 タイルが少しずつ開いていく

6:00 タイルが少しずつ開いていく

8:00 タイルが全開となっている

 

カメラ③後方から

2:00 画面が黒く?見えている

4:00 異常なし?

6:00 一瞬何か動くのが何度か起こる

8:00 真っ黒

 

音声

2:00 時々念仏、経が聞こえる

4:00 機材を取り外す音

6:00 物が動く音「ガタ」

8:00 子どもの笑う声「キャハハ」

 

 

 

ここまでが「投稿動画」として成り立つ部分。問題は、そう。この後。

 

佐藤さんがカメラを回収しに来たのは朝8時以降。カメラは順番に回収されていく。されていくはずなんだ。

後で知ったことなんだけど、佐藤さんは始めカメラを回収しに来る気はなかったそうだ。同じグループの田中さんに聞いた話だと。ダカラ、ダレカガカレヲソコニヨンダハズナンダ。ダレガ? ナニガ?

山田さんみたいに自分でカメラを持って直接撮影しながら実況するスタイルだと、何かあった時の対応が難しい。山田さんは臨機応変にできる人だったから廃病院へ乗り乗り込んで行った。

この「何か」っていうのはケガとか機器の故障みたいなアクシデント。それと、怪奇現象が実際に起こった場合。

意外なことだけど、山田さんはそれなりに霊能力って言われる類いのものを持っていたんだってさ。「見える」し「感じる」。だからホラー動画を観てホンモノかニセモノか判断できる。

ホンモノなら目を合わせないようにできるし、ニセモノなら指摘できる。まあ、ごたごたが嫌いな人だったから批判コメントはしなかったらしいけど。

それに対して佐藤さんはそっち方面の人じゃなかった。全くの零感ってわけでもないけど、強いていえば現代人。機械に強い。

心霊現象否定派じゃないよ。そうだったらホラー動画探し隊なんてグループ入ってるはずないって。

彼は「見えない」代わりに冷静なコメントをする人だった。「見える」人の意見を尊重して、分析する。だから好んで「ヤバい」って言われる件を踏むような人じゃないんだ。

 

何かきっかけがあったのかも。それか、縁があったか。どっちにしろ悪い方へ向かうものではあったね。

命が向かう方向は誰にもわからない。それこそ、神様の御心次第だ。

僕が「あのコンビニ」の動画のことを聞いたのは事後だった。もう、製作のことが決まってしまった後。

自分でもウザイだろうなって思うくらい口出しした。なんだこいつって思われても仕方がないコメントばっかり送った。それを佐藤さんはちゃんと読んでくれて、内容を信じてくれて、僕に返事をくれた。

 

あの場所には何回も行くべきじゃないんだ。できれば一度だって行くべきじゃない。行っても帰ってこれるかわかんない。帰してくれるか怪しいヤツがいるんだから、まさに行きはよいよい帰りはこわい。

佐藤さんは、そうなっちゃった。

僕の忠告を無視したんじゃないよ。もうあのコンビニの動画を投稿することは決まっていて、一部では告知までされていた。佐藤さんは引けなくなっていたんだ。

その時にはもう、一人目の山田さんは。

 




その動画のラストは、三つの画面それぞれに映るナニかのアップだった。
二つは、手。爪が剥がれた指先が真っ赤だった。
そして、残りの、一つに。
口を真っ赤にして笑う子どもの顔が移っていた。
その子は、楽しそうに、楽しそうに、口を開いて、笑っていた。


一瞬、入り口に立つあの女性が映り込んだ気もした。






これで、コンビニの話は終わりだよ。


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「時報」、そして今日も何処かで「雨天」

ときを報せる音がする。


ちっ

ちっ

ちっ

ちっ

ぽーん

 

ちっ

ちっ

ちっ

ちっ

ぽーん

 

ちっ

ちっ。(ぴ)

ちっ。(ぴ)

ちっ。(ぴ)

ぽーーーん

 

ちっ

ちっ

ちっ

ちっ

ぽーん

 

 

 

 

 

 

(ジジッ…)

 

 

 

(ジッ…)

正午をお知らせいたします

ただいま30秒前

 

(ジッ…)

20秒前

 

(ジッ…)

10秒前

 

あと5秒

コァーーーン

正午をお知らせいたしました

 

 

 

(ジジッ…)

 

 

 

 

 

 

(ジジジ)

 

 

 

警戒警報

警戒警報

 

×××は××を×××

×××××時に××を×に向かって×××

×××は××、××××を×××…

 

 

 

(ジジジ)

 

 

 

 

 

 

 

 

ぅウウウウウウウウウウウウーーーーーー

ぅウウウウウウウウウウウウーーーーーー

ぅウウウウウウウウウウウウーーーーーー

ぅウウウウウウウウウウウウーーーーーー

 

 

 

 

 

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どおん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちっ

ちっ

ちっ

ちっ

ぽーん

 

ちっ

ちっ

ちっ

ちっ

ぽーん

 

ちっ

ちっ。(ぴ)

ちっ。(ぴ)

ちっ。(ぴ)

ぽーーーん

 

ちっ

ちっ

ちっ

ちっ

ぽーん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空から何かが降ってくる。

 

 

空から何かの雫が落ちてくる。

 

その音は何の音だろう。

その音はどんな音だろう。

その音は、誰の音だろう。

 

もうすぐ何かが落ちてくる。

 

 

 

雨の音は、寂しい。

誰かが何処かで泣いているようではないか。

ザアザア

ワアワア

ああ、また誰かが泣いている。涙を流して泣いている。

 

雨は落ちてくる。水の粒は空から落ちてくる。

傘を上に向けて差す。傘を広げる。空を見上げ、天を仰ぎ、傘の向こうにどんな空を思い浮かべるだろうか。

 

 

 

空から何かが降ってきた。

ぽとりポトリと目の前を何かが落ちていった。

落とした空はどんな色だろうか。

降らせた天はどんな色だっただろうか。

 

 

 

雨の音が聴こえる。

雨が地面にぶつかる音が響いている。

 

 

 

ぽちゃんと落ちた一雫の粒。

雨が始まる雨天の音。

 

落ちて。

墜ちて。

堕ちて。

おちて 弾けた。

 

空から雨が落ちてきた。

 

昨日は雨。

今日も雨。

だからきっと明日も雨。

ああ、こんなに続くと嫌になる。

雨の音は止むことなく弾け続ける。

 

 

 

空から何かが降ってくる。

今日もまた何かが降ってくる。

 

 

 

 

 

 

お願いです神様、もうそんなものを落とさないで。どうしてですか神様、どうしてそんなものを地上へ落とすのですか。

雨の音が今日も聴こえてくる。

何処かで誰かが泣いている。

 

 

 

 

 

 

 

雨の音が聴こえている。

命が終わる、雨の音。悲鳴と絶望に染まった雨の音。

涙が落ちる、血が流れ落ちる。人の命も容易く崩れ落ちる。

 

 

 

今日も雨の日。空から何かが落ちてくる。

 

 

 

鉄の塊が落とされた瞬間、人にぶつかる音がした。

爆弾の雨からはどんなに強い傘を広げても避けられない。

 

 

 

 

 

 

雨の音が、今も何処かで聴こえ続けている。

 

 

 

 

 

 

空から何かが降ってくる。

 

サラサラ

ヒラヒラ

桜の花だ。

ハラハラ

シトシト

涙の粒だ。

 

桜の姫様、貴女はどうして泣いているのですか。

地べたに伏した私たちには知るすべはない。

 

 

 

今日は雨の日。

水と一緒に赤い血が流れ去っていく。




人は繰り返す。


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その下に「アイ マスク」

いつだったか世界規模の感染症が流行ったことがあったよね。覚えてる? 覚えてるよね。あれで亡くなった人、たくさんいたんだもん。もちろん今だって後遺症で苦しんでる人たちがいる。

誰が悪いとか、そんなのないよ。でもいつだって不幸なことがあると誰かのせいにしたくなる。楽になりたくなっちゃうの。

本当に苦しいのはいなくなっちゃった人たちなのにね。

 

 

 

こんなんじゃなかった。こんなはずじゃなかった。

 

こんなつもりじゃなかった。

 

 

 

そう思い残しながら逝くのって、辛いよね。

 

 

 

火葬して燃えた煙が空へ昇っていくのを見るたびに私はそう思う。

 

 

 

あっけないって思う? 残された人の方が後が大変だ?

そうだよ。大変だよ。辛いよ。苦しいよ。でもそんなのは生きているから感じること。

人は苦しみながら生きていくの。苦しまなきゃいけないってことじゃない。

味を感じられるってことは、美味しいものも不味いものも味わうことができるってこと。味を感じられる心があるってこと。

生きてるよ。苦しんでるあなたも、私も、生きてる。苦しみが解るから生きてるって言えるんだ。きっとね。

 

 

 

 

 

 

さて、その感染症がまだまだ猛威を振るっていた全盛期の頃。生きている人、生きていたい人たちは物理的に苦しかった。

感染症の原因のウィルスは人から人に伝染するものだった。汚染された水とか、奇妙な寄生虫が原因ってわけじゃない。もっと簡単なもの。人が原因だった。

例えば風邪とかインフルエンザ。そう言えばわかるよね。そのウィルスは咳とかくしゃみの飛沫で伝染した。詳しく言えばもっといろんな要因があるよ。でもそんなの知識もろくにない私みたいな一般人が聞いたとこで理解できないよ。

ざっくり言って、マスクをしましょう。そういうことだった。

 

私たちはマスクをした。人と人が近づきすぎないように壁を作った。

いつの間にかワクチンもできて、それは治まっていった。

 

 

 

 

 

 

まあ、そういう話。

感染症が治まるまではずっとマスクに頼りっぱなしだった。でもなかったらもっと酷いことになっていた。

ありがとう! マスクさん!!

助かったよ! マスクさん!!

 

 

 

 

 

 

そのマスクじゃないんですー。

口と鼻を隠すあれでも、眠るときに着けたいあれでもないんですー。

 

 

 

確かにあのマスクにもお世話になった。大変大変お世話になった。

でも私が言いたいのはそのマスクじゃないのよ、これが。

 

 

 

マスクっていうのはそもそもは「覆うもの」っていう意味。仮面って言ったら通じるかな。

仮面を着けたパーティー、仮面舞踏会。あれはマスカレード。偽りの仮面を被ってかりそめの一夜を楽しむ男女。ロマンチックだなぁ。

真実と本音を覆い隠すアイテム。それがマスク。

 

私たちが感染症防止のために着け続けたのは目元から下、口元を覆うマスクだった。だから、表情が見えにくくなった。それに、声が聴こえにくくなった。

この人、目元は笑ってるけど本当に笑ってるの? 声が聞こえにくいから伝えることを疎かにしてない?

顔の下半分はマスクで覆われて全く見えない。見えないならなくてもいい。聞こえないなら言わなくていい。そんな風に、思ったりしてなかった?

目元を覆うマスクだって同じだよ。目は口ほどに物を言うらしいね。感情が目に表れるの。

口から上が隠れるだけで感情のどれだけが相手から見えなくなるんだろう。それとも、見せたくないのかな?

 

人と付き合うことは簡単だとは思わないよ。面倒なことだって多いし、難しい。伝えたいことがうまく伝わらないとイラつくし、逆に伝わらなくてもいいことが相手に伝わっちゃうとこれもまた面倒。

だからね、ほら。こうやって顔を隠すの。何を考えてるかわかんないように。

 

両手で顔を覆うの。

見せたくない。見ないで。見るな。見るな!

それは自分を守るための行動。どうしようもなくなって、外の世界を強く拒絶してる。

目を隠すの。

目の前の現実を見たくない。自分を見られたくない。自分を見る相手を見たくない。

それは逃避の行動。視界を閉じて、世界から孤立したい。

口を隠すの。

言いたくない。聞かれたくない。

口からものが出ないように、強く押さえるの。言いたくなくてもなにかは勝手に外へ出ようとする。それをもう一度飲み込むために、口を隠すの。飲み込む口の形さえ見せたくないから。

 

私たちは、マスクに助けられていたんだよ。「マスクを着けなければいけない」っていう理由が世間で一般的になった。

だから、顔を隠すことが当たり前になったの。楽になった、かな。

相手の顔色を伺わなくても済むっていうのかな。ご機嫌取りで作り笑顔をしなくてもいい。辛いときに無理矢理笑わなくてもいい。

無表情でいられる時間が、私たちには多くなった。そう思うんだ。だって、隠してくれる「マスク」っていうフィルターが助けてくれるんだもん。

マスクは覆う物。隠して当然の物。

「私は隠しています」ってみんなが顔に出せるのは、今の時代に必要なことだったんだね。

 

 

 

じゃあ、マスクを着けなくてもよかった時は? マスクが状況的に重要じゃなかった時。

その時だって、みんなマスクを顔に着けてたんだよ。見えないマスク。まさに仮面って言ってもいいもの。

表情だよ。それも意図的に作り出した表情。

接客業で怒ったり泣いたりしないでしょ? どんな嫌なことがあったって笑っていなきゃ商売にならない。それがお仕事なんだもん。

家の雰囲気を壊したくないから家族の中で誰かは自分を殺さなきゃいけない。笑って自分の意思を曲げ続けてる。そんな人、あなたじゃない? 学校でも、職場でもそうだよ。

 

笑ってさえいれば悪い方には滅多に行かない。そう。それが仮面なんだ。

笑った顔をした誰かの仮面。自分の本当の顔じゃない、偽りのマスク。物じゃない、見えないマスク。

 

 

 

かなりの人がそんなものを顔に張り付かせていた。でも悪いものじゃない。なければ自分が保てない。自分の心を守ることができない。

だから、私たちはにっこり笑ったマスクを着けるの。死ぬまで着け続けるの。

 

 

 

 

 

 

火葬される直前の、人の死に顔を見たことがある。

その人はいつも笑っていた人だった。私も笑顔になった。みんなもそうだった。そうだと思っていた。

死んで冷たくなって、棺の中で眠るその人の顔を見た時に、私は理解した。

 

マスクは死後の世界には持っていけないものなんだって。

 

笑顔っていうマスクを外したその人の顔は、ずっと無理をしていたんだな。そう感じずにはいられない本当の表情を示していた。

 

 

 

泣いていた?

怒っていた?

 

 

 

マスクの下で、本当のあなたはどんな顔をしているの?

 

 

 

 

 

 

鏡を見てみて。今、目の前の鏡を見てみて。

死ぬ前に一度でいい。あなたの本当の気持ちと向き合ってみて。

マスクをしていない、何にも覆われていないあなたと向き合ってみて。

 

 

 

死んで失ってからじゃ、何もかもが遅いんだよ。




私は、笑顔を顔に張り付かせながら、そう言った。


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こんなドキドキ「手に触れて」

『ドキドキ』、

するでしょ?


手が触れた時、ドキッとする。

前触れもなく唐突に触れた瞬間、まるで静電気が走ったように、まるで火花が散ったように衝撃を感じる。それは体のどの部分でもそうだというわけではなく、手の、それも指の先に触れたからドキッとするのだと感じる。

 

ほら、あなたにもあるだろう?

胸がドキッと跳ねるあの瞬間。

指先が、

 

ふっ

 

と触れたあの瞬間。

 

胸がドキッとする。そうだろう?

 

誰だって覚えのある感覚だ。

そして、ドキッとした瞬間の後にその『ドキッ』が何処から来たのか。それを探す人もいるのではないだろうか。

 

気になるだろう? 気になってしまうだろう?

その時、あなたの胸はドキドキと高鳴っている。

『ドキッ』は『ドキドキ』の始まりの合図。何かが始まる予感の音なのだ。

 

ドキドキ

 

炎が燃え始めたように胸は高鳴る。叩かれたように鼓動はどんどん速くなる。

 

ドキドキ

ドキドキ

 

その『ドキドキ』は何処にあるのだろうか。

 

 

 

何かに触れた時、胸はドキドキする。そのドキドキの元はすぐ近くにある。

ドキドキしている心臓。

ドキドキしている心。

そして、ドキドキさせる何か。

 

きっかけを与えることで胸はドキドキを始める。何故『ドキッ』で終わらずに『ドキドキ』が続くのか。

それはドキドキさせているものが近くにあるからである。ほら、あなたのすぐそばにもいるだろう?

わからないのなら、手を伸ばしてみればいい。そうすればきっと思い出すはずだ。

 

 

 

 

 

 

こんなものはどうだろう。

何年も昔に書いた手紙。初恋の人に贈りたいと何夜も考えて書いた力作は、結局渡せずに仕舞われたまま。

出来がとてつもなく悪かったテストの答案。珍回答の書かれた紙は黒歴史になる前に抹消したはずだったのに。

何週間も前に配られた学校からの便り。自分には関係がないと丸めて丁寧に鞄の底へ。洗わずに放置した弁当箱と一緒に発見されるのも時間の問題だ。

 

こんなものはどうだろう。

なくしたはずのお小遣い。意外と大金。どうしよう、何に使おう、ワクワクを通り越して大興奮。貯金になんてするもんか。

机の引き出しの奥深く。出てくる出てくる無限に出てくる筆記用具の数々。忘れたはずのどうでもいいことが恐ろしいほど無限に湧いて出てくる。

 

 

 

ほら、ドキドキするだろう?

おや、しない?

ではこんなものはどうだろう?

 

 

 

机の下。

棚と床の微かな隙間。

そこには黒い空間が広がっている。

何か落とした。

しまった、そこに入ってしまった。

取らなくては。

そこに、手を、入れなくては。

 

よくあることだろう?

 

黒い空間はよく見えない。

何かがあるかもしれない。何かがいるかもしれない。でも見えない。

取らなくては。手を伸ばして、触れなくては。

黒くて暗くて狭いわずかな隙間。

そこに手を突っ込んだ時。

 

 

 

ドキドキ、するだろう?

 

 

 

別に何かがあるということではない。ただ、「あるかもしれない」「いるかもしれない」という可能性がそこには転がっている。

見えない場所には、特にそれらが転がっている。

 

手を突っ込んだ時、もし何かに触れたら、触れてしまったら、ドキッとするだろう?

何かわからないものに触れてしまった。「触れた」ではなく、思いがけず「触れてしまった」という状況は胸をドキッとさせるものだ。

そしてあなたは考える。

 

「今触れてしまったものは何なのだろうか」

 

何なのだろうか。

物かもしれない。

生き物かもしれない。少し嫌だな。

では、あるはずもいるはずもないモノだとしたら?

 

あなたは考える。想像する。

暗闇に入った指先から感じ取ろうとする。

触れたものが何なのか、あなたは想像する。

考える。考える。考える。

 

実際そこにいるかいないかは関係ないのだ。ただ「かもしれない」ということが燃料となって胸をドキドキと燃やす。不安が、恐怖が、好奇心が、あなたの胸をドキドキさせる。

 

ドキドキ

どきどき

ドキドキ

どきどき

 

ふと触れたものがあなたの胸をドキドキさせる。それは特別なものだろうか。それは違う。

いつだってそれらは何処にでも転がっているようなありきたりのものばかりだ。では何故それらはあなたの胸をドキドキさせるのか。

あなたは知っているのではないだろうか。

 

 

 

ふとした瞬間、ドキッとする。触れてしまった。

次の瞬間、あなたはそれに魅了される。触れてしまったそれは、あなたの手を掴み、握り。

 

 

 

 

 

 

何処かへ引き摺り込もうとする。

 

 

 

 

 

 

ほら。

ドキドキするだろう?

ドキドキ、しているだろう?

 

 

 

おや、していない。

それは残念。

 

 

 

 

 

 

 

こんなものはどうでしょう。

 

 

 

 

 

 

一人きりのコンビニ

誰かいる? 誰もいない?

一人きりのコンビニ

 

ふと、いつもの店内放送が途切れる

ザッ…ザザッ…

誰もいないはずのコンビニ

私しかいないはずのコンビニ

でも

何処かに何かの気配がする

何処かに誰かの気配がする

どこから? どこから

棚の下から。倉庫の方から。トイレから。事務所の方から。

 

誰もいないのに入店音

誰も来ないのに扉が開く

 

なんで? なんで

 

この店、きっとなにかがある

 

誰かいますか? 誰もいない

いるはずないのに声が聴こえる

子どもの笑い声

老人の呻き声

若者の怒号

それに それに

私の名前を呼ぶ声

知ってるあなたの助けを呼ぶ声

誰もいないのに

どうして

なんで

 

何かと何かの間には、暗くて黒い闇が挟まっている

何処かへ通じるクライ穴

気になる キニナル

コッチヘオイデと誰かが手を招く

あなたはだぁれ

笑い声だけが聴こえてくる

 

暗闇に手を伸ばすのは怖い

手を引っ張られる気がするから

胸がどきどきする

こんな風にあなたも一人で思っていたの?

いなくなってしまったあなたは今何処に

 

暗闇には手を伸ばしてはいけない

何かが自分を連れ去ってしまう気がするから

胸がどきどきする

痛いくらいにどきどきする

こんな風にあなたも一人で怯えていたの?

いなくなってしまったあなたは今何処に

 

手を出してはいけない

そんな暗闇を振り切った

油断した先は奈落の闇

机の下にはぽっかり開いた闇の口

椅子に座ればどうなるか

考えもしないで座ったら

 

 

 

『みぃつけた』

 

 

 

そこには誰もいないはず

いないはずのなにかがそこには巣食ってた

引き摺り込まれた

もうだめだ

 

助けて タスケテ

誰かたすけて

悲鳴さえ呑み込む暗闇が

今日も何処かで待っている

 

誰もいなくなった

一人きりの夜のコンビニ

 

 

 

 

 

 

こんな話はどうでしょう。

 

ドキドキ、するでしょ?

 

しない?

それは残念。

 

 

 

今度はあなたの番ですよ。

 

心臓が張り裂けるくらいドキドキどきどきする話、私たちに聴かせてください。

 

 

 

ドキドキするっていうことは、ドキドキできる心臓がまだ動いているっていうことなんです。まだ、生きているっていうことなんです。

それとね。ドキドキできる、ドキドキを感じることができる心がまだあるっていうことなんです。

 

ほら、ドキドキって色んな種類があるでしょ?

そのどれもが生きてるっていう証なんです。自分がまだここにいるっていう証なんです。

もし体が死んでもドキドキしているなら、それってまだ心が何処かで生きてるってことなんじゃないかな。逆に体が生きていてもドキドキできないなら、それって心が死んでるってことなんじゃないかな。

 

ドキドキしてください。

いつまでも、ずっとずっとドキドキできるように、ドキドキが感じられるように、手を伸ばしてください。

あなたをドキドキさせる何かや誰かに触れていてください。

 

 

 

そして、それに引き摺り込まれないように

 

 

 

「あなた」であり続けてください。

 

 

 

あなたのドキドキはあなただけのドキドキです。

 

 

 

あなたがドキドキする話、私たちに聞かせてください。

世界からいなくなってしまった人たちにドキドキを思い出させるような話、聞かせてください。

聞かせてくれているあなたは、まだ「ドキドキ」できるでしょ?

生きて、いるんでしょ?

 

 

 

 

 

 

『ドキッ』




『ドキッ』

は、始まりの合図。


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出立

出立は旅立つということ。


ある日、少女が旅立った。

春を未だ待つ、息も白く凍る冬の日だった。

 

 

 

 

 

 

彼女はその日、学校を卒業した。学を修め、友たちとの別れを惜しんだ。

恩師に頭を垂れて感謝の意を表し、涙すら流した。

 

幼い少女が描いた青春という記憶は、人生の中ではほんの一瞬にすぎない。しかし貴重でかけがえのないものである。

大人になってから、彼女はきっと何度も何度も思い出すだろう。苦しく辛い時ほどあの頃はよかったと振り返るだろう。それだけ時間を、彼女はその学舎で手に入れることができたのである。

 

 

 

彼女は母校となった学校をあとにした。

卒業式の日は、彼女が入学した日と同じように青空を桜の花弁が舞っていた。卒業証書を手に校舎を去る彼女の姿は、数年前よりも大人びていた。

 

 

 

 

その日、彼女は暗い夜道を一人で歩いていた。

打ち上げと称して学校にも近いファミレスで彼女は同級生と飲食をしていた。集まった仲間たちは誰もが気が置けない友人たちだった。授業や部活が同じで、互いに切磋琢磨しながら学生生活を送ってきた。

安価なフリータイムの飲み放題を使い、これが最後だからと楽しい時間を過ごした。多少会話の声は大きくなってしまったかもしれない。だが、他の客に迷惑のかからない範囲で彼女らは羽目を外した。喫煙も飲酒もしなかった。何の問題もなく時間は過ぎていった。

問題があったと言えば、終わった時間が少しだけ、遅い時間となってしまった。それだけだった。

 

最後だから、最後になってしまうからと彼女らは話を終わらすことができなかった。一緒にいられる時間を惜しみ、子どもでいられる時間を惜しみ、彼女らは別れの言葉をなかなか口にすることができなかった。

結局時間は押しに押して、最後は誰かの携帯にかかってきた親からの着信でお開きとなった。

 

彼女の家は学校からも、打ち上げを行ったファミレスからも近かった。だから、多少遅い時間になったとしても迎えはいいと彼女は家族に伝えていた。その通りに彼女は一人で夜道を歩くこととなった。

 

 

 

 

 

 

家までの道には公園があった。昔からある、電灯が少ないため薄暗い公園だった。

 

公園には石像があった。キツネだか、タヌキだか、イヌだか、オオカミだか、よくわからない石像だった。それなりに大きく、なんとなく可愛げもあった。

石像はいくつかあった。座っていたり、伏せていたり、吠えていたり、各々が異なるポーズをしていた。顔の表情も違っていた。

公園には石像がある。だが場所はよくわからない。木が茂っていて、昼間でも薄暗い公園の中では石像たちは隠れてしまっていた。

だが、確かに石像たちは公園の中にいた。

 

彼女は、その公園にはオオカミの石像たちがあるのだと思っていた。

 

 

 

その公園の中を突っ切れば学校と家を突っ切ることができた。だから、彼女は公園の歩道がどこをどう通っているのか知っていた。

電灯がなくても携帯のライトがあれば夜でも歩けた。だって、彼女は毎日と言っていいほどその公園を通っていたのだから。

彼女はその公園に慣れていた。

 

その日も彼女は歩いた。日が出ている昼間にその道を通った。

彼女は気を抜いていたのかもしれない。だから、その公園の石像にこんな噂があったことを忘れていた。

 

 

 

『あの公園にある石像たちは、夜中になると動き回る』

 

 

 

その夜も彼女は公園を歩いた。家へと帰るために、公園の中の道を歩いた。

卒業式も終え、打ち上げも終わって彼女は気を抜いていた。遅い時間で、当然辺りは真っ暗な闇が広がっていた。でもいつも通りの道だと、彼女は油断した。

 

 

ふと、通りがかった自動販売機に目が行った。公園の出口に近い場所にあった。

いつもなら彼女はそんなことはしなかった。すぐに帰ろうとしただろう。

でも彼女はその日、卒業したのだ。大人の入り口が目の前に見えているタイミングでもあった。子どもの出口を出たばかりの、微妙な期間だった。

 

彼女は、自動販売機でコーヒーを買って、飲み終わってから帰ろうと思った。思ってしまった。

道路には車が滅多に通らないくらい遅い時間だった。

 

自動販売機の前に立ち止まって、彼女はコーヒーを買った。がこん、と缶が落ちてくる音だけがやけに大きく響いた。屈んで缶を取り出した。

風が強く吹いた。冬の終わりの冷たい風だった。

スカートが捲れた。下にはタイツを履いているから別にいいかと気にしなかった。

こんな時間に誰もいるはずがない。いても、こんな暗闇じゃ見えるはずがない。彼女はそう思って、何も気にしなかった。

買ったコーヒーは、あっという間に空になった。

 

帰ろうと出口に向かおうとした時のことだった。どこからか唸る様な音が風に乗って聞こえてきた。

獣が唸る様な音だった。

彼女は思い出した。

 

『公園にある石像たちは、夜中になると動き回る』

 

体を強張らせた彼女はすぐに出口へ向かおうと振り向いた。

その時、暗闇の中に浮かぶ光る目を見つけてしまった。その二つの目は、はっきりと彼女を捉えていた。

 

オオカミだ!!!

 

彼女の手から空の缶が滑り落ちて、コンクリートの地面に落ちた。カラン、と高い音が場違いに響いた。

 

暗い草むらの中からオオカミが高く吠えた。

 

 

 

逃げなくちゃ! 公園から出なきゃ!

 

彼女は出口へ向かって足を踏み出した。だが前に進むことはできなかった。

出口のすぐ近くには、別の目がきらめいていた。オオカミは一匹ではなかった。

出口からは出られない。混乱した彼女は入り口の方へと踵を返して走り出した。

後ろから遠吠えが聞こえた。

 

出口はすぐそこだった。だから、反対に入り口は遠かった。冷静に考えられればわかったはずだ。冷静ではなく、混乱している彼女にはそんなことはわからなかった。

彼女はとにかく公園から出たかった。ただ、その一心だった。

 

横の木々の間から吠える声が聞こえた。

別のオオカミだった。

背後から追い込むようにオオカミの声が迫ってきた。出口の方にいたオオカミだろうか。

声と足音は近づいてくる。

 

彼女はコンクリートの道を外れた。

公園の外へ出る道から外れてしまった。

 

彼女は慣れた公園だからと、夜の公園を侮ってしまった。夜の公園はオオカミたちの絶好の狩場だった。

 

オオカミたちは道を外れた彼女を楽し気に追い込んだ。一匹、二匹、三匹とオオカミの群れは大きくなった。暗闇で何匹集まったのかはわからない。光る目と吠える声、迫る足音だけが彼女に恐怖を与えていた。

 

彼女は泣いた。公園なんて通らなければよかったと後悔した。

手には携帯電話が握られていた。しかし、それを使って助けを呼ぶことなどできなかった。

彼女は暗闇で足元が見えていなかった。石につまずいて転んだ。タイツが破れて膝から血が滲んだ。

それを見たオオカミたちは喜んだ。

 

オオカミたちは彼女を自分達のテリトリーへと追い込むくせに飛びかかってはこなかった。獲物が怯える様子に興奮していた。

 

彼女は立ち上がって逃げた。小さく母に助けを求めたが、風と木の葉の擦れる音で掻き消された。

オオカミたちは追った。近付く度にギャンギャンと吠えたて、離れるとわざと草や葉を揺らして音を立てた。

彼女を恐がらせる為に、暗闇の中から姿を見せることはしなかった。

 

 

 

彼女は夜の公園を逃げ惑った。

オオカミたちに追われ、夜の暗闇を駆けた。彼女は気づかない。オオカミたちが追いやる先には深い闇が広がっていることに。

 

彼女は、暗闇の奥へ奥へと逃げていった。

 

オオカミたちの声が暗闇の中、深く響き渡っていた。

彼女の悲鳴は誰にも届かないまま、消えていった。

 

そして彼女は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうなった?




そんな春の出来事だった。


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そこに犬はいない

しょうもない話である。
コブタ、タヌキ、キツネ、ネコ♪
そこにイヌは入らない。


どこぞの町でこんな話があるという。

大事な何かが割れてしまった。それは四つに割れてしまった。

割れた三つは土へと還った。一つは掬われ持ち去られた。

大事な何かはそれはもう大事なものだった。だが物だった。物はいつか壊れる。だからそれは割れてしまったのだ。

それは大事な物だった。大切で貴重で神聖な物だった。だからそれには何かが宿った。何かはわからないが確かにそれには何かが宿っていた。だがそれは四つに割れた。

宿った何かは四つになった。四つになって別の物語を歩み始めた。

 

 

 

一つ、コブタ。白い小さな蚊取りブタ。唯一物として物語を紡ぐ、仲間の生を見届ける長寿のブタ。

一つ、タヌキ。タヌキの村からやって来た。病気ではないが何故か白いタヌキ。

一つ、キツネ。キツネの村を失った。稲荷の下でいなり寿司を食らう白い一尾のキツネ。

一つ、ネコ。何処にでも現れる白いネコ。もうすぐ尾がわかれそう。

 

 

 

大事な何かは四つに別れた。しかし元は一つの物である。

四つはもとに戻ることができないと理解しながらも懲りずに集まる。互いを探して、今でもこの世に在るのだと語り合うのだ。

 

 

 

コブタ、タヌキ、キツネ、ネコ♪

そこにはイヌは入らない。

 

 

 

どこぞの町の話からすると、四つに割れた何かはブタ、タヌキ、キツネ、ネコの四つになったのだとわかる。そこに意味はないのだろう。だからそれは他の何かに変わることがない。

ではもし五つだったら、六つだったら、その中にイヌはいるのだろうか。答えはいない。どんなに増えても、おそらくそのどれもはイヌではない。

ネコはよくて何故イヌはだめなのか。タヌキとキツネはよくて何故イヌはだめなのか。ブタはもう蚊取り豚なのだからそれしかない。あっても招き猫で、ネコは二回もいらないだろう。

何故イヌはそこにいないのか。

 

 

 

 

 

 

まずは最初の話である。

割れる前の大事な何か、それは土地の神へ奉納された御神酒が注がれる杯であった。人は御神酒を杯へ注いで神が口にするところを見ることなく去っていく。

御神酒と杯は神が舞い降りるまでその場に放置されるだろう。それは危険なことである。誰かが見守らなければ御神酒は奪われ汚される可能性もある。せっかくの御神酒なのに。

杯は御神酒を神の口へと運ぶ役目がある。他者の介入には無防備だ。たとえ盗まれようと、溢されようと、杯は何も抵抗ができない。

だから別の何かが見守らなくてはならないのである。それは動くことのでき、目に見える形のあるもの。そして、人と神の橋渡しができるもの。

狛犬である。

イヌは杯が割れる前からそこにいたのだ。だから割れた杯の四つの欠片にはならない。

 

四つの欠片は仲良く杯を囲む。イヌはそれを外から見守る。

イヌには犬相応の仕事があったのだ。

 

さて、これで話が終わりということでもない。イヌがそこにいないのはもう一つ理由が考えられる。

割れた杯に宿った何かというのは、所謂怪異である。大事にされ続けて宿ったというのはよく聞くが、物に宿るという時点で説明できない現象である。

つまり、バケモノということになる。いや、形を変えたのだから化け物と呼ぶ方が正しいだろうか。とにかくその四つは化けた、化けることのできる存在だったということである。

実際どうだったかはわからないが。

 

 

 

もうこの際、蚊取りブタは窓際へ置いておこうじゃないか。タヌキ、キツネ、ネコについて話そう。

彼ら、もとい奴らの共通点は何だろうか。化けることである。有名な話だろう。奴らは「化ける」ことが得意なのだ。

というより、奴らは人をバカにしたところがある。化けてバカにしてくる。

そういう点では奴らは気が合うだろう。蚊取りブタが少し哀れに感じる。

イヌは可愛いものだ。化けたイヌなど聞いたことがない。あいつらはバカにするのではなく、人と一緒にバカにされる側なのだ。

化け犬なんてものを聞いたことがあるだろうか。イヌの鳴き声は魔を祓う神聖なものである。犬神というものはあっても、あいつらは自ら化けるものではないのではないだろうか。

 

 

 

化け狸、化け狐、化け猫。その類いに化け犬はいない。

そもそもイヌは化けられるほど賢くない。おっと失礼。噛むな噛むな、噛まないでくれ。

 

 

 

 

イヌについて語ろうか。ついでだ、ネコのことも少しは語ろうか。これは断じて「イヌ」という呼び名をつけられたタヌキの話ではない。

 

全てのイヌは愛されるために生まれてくる。イヌに限ったことではない。全ての愛玩動物は飼い主からの愛情を知り、その身に受け生涯を終えることを存在意義とする。何故なら彼らは愛玩動物だからだ。

それ故に彼らは管理されなくてはいけない。それぞれの生態に相応しい環境で飼育されなくてはならない。何故なら彼らは愛玩動物だからだ。

彼らは人が勝手な理由で作り出した種であり個体である。

だからと言って人が彼らの命を玩ぶ権利など何処にあるだろう。

 

去年は涼しい。今年は暑い。来年は全く読めない。そんな気象条件の下で愛玩動物は外で生きていけない。

コンクリートの地面は熱い。目玉焼きが焼けるのではないかというまでに熱い地面は肉球を文字通り焼く。桃色の肉球は想像でしかない。

年に何回台風は来るだろう。嵐は人の命を拐っていく。それより小さな動物の命など、誰かが守らなければ一掃される。

人が透明で清潔なミネラルウォーターのボトルを飲む横で、何故バケツに入った泥水を飲まされなければいけないのだろう。

愛玩動物はおもちゃではない。一部の人はそんなことも忘れて愛誤活動に精を出す。それはただの自己満足ではないか。

よくペットを外飼いにしようとする人がいる。もしくは室内と外を自由に行き来できるようにする人がいる。ペットの自由を尊重して、人は言う。

しかし人の言う「外」とはどこのことだろう。一度外に出たら戻って来れないかもしれない。外では鉄の馬が走り回っている。

人は忘れている。「外」は人の手が入った「庭」ではないのだ。外では外のルールがある。それは人の理解できない野生の法だ。

 

要は、イヌネコはしっかりと飼育して最期まで看取ってもらいたい。捨てないでもらいたい。見殺しにしないでもらいたい。

 

 

 

あくまで「もらいたい」という願望である。実際には人はよくバカをする。それは人である人の方がよくわかるだろう。

人は時にわざと難しい言葉を用いる。それは理解させないためである。それは理解していると思い込ませるための手段である。だがそれらに意味はあるのか。

人語は人にしか通用しない。それも統一された知識を持って教育され、教え込まれたという前提があってこそだ。

イヌに読み書きなぞ教えるものか。教えてもらっても覚えるものか。イヌには既に他の言語がある。

イヌもネコも他言語を覚えるほど暇ではない。遊び、食べ、眠ることに毎日忙しい。人がそうつくったのだろう。彼らは融通の聞く道具ではない。

外で旅などさせられたら眼もつり上がるというものだ。「外」の「森」はそれだけ酷しい。

 

人に獣を飼い慣らせるか。人は無駄な胸を張ってはいと答えるだろう。だが当の獣は興味のない顔をして無言を貫くだろう。

イヌちゃんはご主人が好きですか? 散歩に連れてってくれる人が好きです。あとおやつ。

ネコちゃんはご主人が好きですか? ちゅーるをくれたら撫でさせてやってもいい。シャンプー嫌。

人は本当に飼い慣らせているのだろうか。近所のイヌネコの返事は味気ない。

 

人は獣を飼い慣らしているか。牙を抜いて首輪を着けて、都合が悪くなれば命と居場所を奪うか。それでもまだ、人は獣を手の中で操っていると言い張るのか。

手に負えないから、今、火が立っているのだろう。消すことが困難なたき火を、何故人は次々と起こそうとするのだろう。イヌは不思議でならない。

 

 

 

イヌもネコも、人が家で飼育するべき動物である。動くなら自由にすべき。そうして放置するのは生き物の命ということをカイヌシサマは知らないのだろう。

カイヌシサマはお偉いのだから。カイヌシサマはお忙しいのだから。カイヌシサマはお優しいのだから。カイヌシサマは御主人であらせられるのだから。

ケガをした我らを助けるカイヌシサマはなんてお優しいのだろう。病気を治せるカイヌシサマはなんて賢いのだろう。餌をくれるカイヌシサマは、おいもっと寄越せ。

自惚れているカイヌシサマほどろくでもない。なんにもわかっていない。おやつをくれない。遊んでくれない。撫でてもくれない。褒めてもくれない。

溜まる溜まるトイレに糞がたまっている。おまけに鬱憤がたまりきっている。地べたに泥団子が撒かれている。道路に血肉が散乱している。余計な命は潰されて当然だと、悲鳴も断末魔も聞いてやくれない。

お前に何がわかる。お前は何をわかってくれる。わかろうともしないくせに。

 

わかる主人は気づいてくれる。

神様ではないが違うということに気づいてくれる。

お腹がすいた。喉がかわいた。暑い。寒い。痛い。寂しい。楽しい。

いつもと違う何かが我らに起こっているのだと、ずっとのおうちの主人は気づいてくれる。わかってくれる。見て見ぬふりするな、これから遊びの時間だぞ。

 

人は神様ではない。だから間違う。

完璧なんて望めないことを我らは知っている。それでも愛玩動物は生まれてしまった。産まれてしまった。産んでしまった。

人は間違う。道を誤る。だから気づいて欲しい。この道は違うのだと。

間違うことは恥ずかしくない。我らもトイレを何度も間違える。たまにわざと間違える。だから知って欲しい。これは違うのだと。

人は間違える生き物なのだろう。間違いを正そうとすることのできる賢い生き物なのだろう。ならば声を掛け合って道を正して欲しい。

ここよりもっと良い道があるのだと、探して欲しい。

そのおもちゃよりこっちのおもちゃの方が我は好きだ。いや、やっぱりそっちだ。いつだって些細な変化に気づいて欲しい。

 

 

 

人が始めた道なのだろう。責任という業を背負って最期まで面倒をみよ。

途中で投げ出すことは許されない。

 

 

 

イヌもネコも見ている。なんでこの生き物は自分のために頑張ってくれているのかと。

人よ、もっと寄越せ。我らは愛情を知らずに逝きたくない。

 

 

 

タヌキとキツネの話である。奴らは近所の何処にも住んでいない。そこが我らとの境界線である。

 

我らイヌはタヌキに似ている。というか、明らかにネコより近いと思う。キツネもだ。だが人と住めるのはイヌとネコだけだ。

奴らは違う。いや違う。イヌネコが他と違うのだ。

 

 

 

たまにタヌキと話をする。

最近どうだい。

タヌキは答える。

毛が抜けて抜けて、ハゲそうだ。

疥癬症の気がした。そいつから距離を取った。我はハゲたくなかった。

結局はただの換毛期だったのだが、あれになればタヌキは数週間で天国行きらしい。

 

 

 

それはさておき、狐狸事情も様々である。やれ巣作りだ、やれ子作りだ、やれ子育てだ、やれ引っ越しだ。奴らも奴らで忙しいようだ。

ただ、我は思う。奴らには明日があるのかわからないのだ。数分後には息が絶えているかもしれない。数分後には車に牽かれてただの肉になっているかもしれない。銃で撃たれているかもしれない。食われているかもしれない。側溝に嵌まっているかもしれない。

次の瞬間に何が起こっているのかわからない。その可能性から守ってくれる主人はいない。

奴らはそんな世界にいる。我らが知らぬ「外の世界」だ。

 

我らは甘えているだけなのかもしれない。人の作った「庭」の中で、温かい毛布に包まれて眠ってもいいという名札を貼られたことに。値札を貼られ、安全な檻の中に入れられたことに。

 

奴らは駆けていく。木の葉の舞う森の中を。其処しか奴らは知らないのだ。そして、其処が奴らの居場所なのだ。

狐狸は可哀想だろうか。首輪をもらえない獣は可哀想なのだろうか。

可哀想なのは奴らを可哀想だと思っている愚かな者どもだ。そんな者ほど奴らにバカにされるのである。

 

 

 

昔ほど化けなくなったと奴らは言う。その昔がどれくらい昔なのかは知らない。昔、なのだろう。

きっと人がマンモスを追いかけていた頃の話に違いない。

 

化けても気づかれなくなったそうだ。人には映画だかゲームだかラノベだか課金だかクラファンだか、実に様々な楽しみができたらしい。その中でも夢のようなことを現実にする、まさにそれまで化かされていたことを今度は人が形にしでかした。

慣れてしまったのだ、人は。もう、多少のことでは驚かない。感性というものを失ってしまったかのように、人は冷たくなった。天ぷらを揚げずにテンプレなるものを掲げ、悲劇を喜劇だと傍観しては皮を剥がれる。

それは本来化けるものの性分だったはずだ。

タヌキやキツネが楽しむはずの分野を人は侵した。

 

奴らは化けなくなった。

絶世の美女である妲己に化けてもオスには交尾できればそれでいいらしく、キツネは誉められない。隆々とした筋肉を持つ日本男児に化けてもメスには金の方が大切らしく、タヌキは讃えられない。かぐや姫も乙姫も古すぎる。灰かぶりを望むくせに魔法使いは想像しない。

なんてつまらない。タヌキとキツネはただの毛者に成り下がらなくてはいけないのか。奴らは御立腹である。

 

タヌキとキツネは走り去っていく。

人にはもう化かされるだけの価値がないのだと。昔は良かった、今はこうだ。そんな風には奴らは言わない。今さらなのだ。今さら言ったところで全ては遅い。

奴らは人から離れるべきなのかもしれない。

 

 

 

そんなことを言ったとて、我らはイヌである。人から離れられない。

国が違ってもイヌは人を見て、人にすり寄る。居心地がいい場所を求めて歩き回る。

何と言われようと、我らはイヌである。イヌ集団なのである。

 

 

 

 

しかしてイヌイヌ。我らとていつまでも駄犬でいるはずもあるまい。

人は変わる。人は捨てる。命を容易くもてあそぶ。たとえそれが同じ人の命であろうと、人はそれを遊戯として転がし始める。

人は思い上がっている。この場所全てが自分達のものなのだと。自分達こそ一番偉いカイヌシサマなのだと。

タヌキやキツネこそ知っている。外の森には生まれながらに「化け物」として生を受けた生き物がいるということを。

ネコは知っている。人ほど奇妙な生き物はいないのだと。

イヌは知っている。人が我らに何を求めているのかを。

 

人はきっと寒いのだ。温もりを忘れて震えている。だって人には毛皮がない。このふさふさな毛を見よ。あ、今換毛期だった。

人は愛したいのだ。愛した分だけ自分も愛されるのだと信じている。それが間違った愛誤だとしても、自分は正しいと信じて泥沼に落ちている。

だから、イヌもどんな扱いをしてたとしても人の側にいてくれるだろうと信じている。だってイヌなのだから。

 

我らは人に愛されることを知っている。人が我らに教えたのだ。だが、我らはタヌキやキツネやネコとは違う。長い目で人を見ることができない。

我らはそれほど賢くない。待ては待ちきれない。お手はおかわり催促。おかわりもおかわり催促。ダメなことはちゃんと守ろう。ほら、褒めてもいいんだぞ。

 

 

 

タヌキとキツネは山から学ぶ。人がどれ程愚かなのか。木の葉に埋もれたどんぐりときのこを探す時のように、奴らは人を値踏みする。

そうして言うのだ。

 

化かしてやれ、と。

 

奴らにとって人は愛するか、愛されるかの対象ではないのだ。自分達にとってどれ程化かすに値するかの価値しか持たない。それは昔から変わらないことである。

 

ネコは路地裏で行う集会で学ぶ。行われないはずの集会の報せが回り続ける限り、人は奴らを満足させられていない。

奴らにとって人は遊び相手なのだ。互いの距離は近づいている。そう信じたいのはネコも人も同じであって欲しい。たとえ草むらの中に小さなネコたちの死骸が山積みになっていようと。

それに人が気づかないからネコは化ける。長い年月を生き抜いて、尾を分け、バケネコとして集会を仕切り出す。

 

では、我らイヌはどこから学ぶ。

イヌは人から学ぶ。人の足元に座り、一歩後ろを歩き、お膝下で飯を食う。そして、人に心を許す。信頼する。助力する。従う。

全て、人から学んだことである。

愛されることも。

愛することも。

憎むことも。

恨むことも。

 

可愛いだろう? 愛らしいだろう?

全て、人が我らに教え込んだものだ。

 

 

 

コブタ、タヌキ、キツネ、ネコ♪

その中にイヌはいない。化けることと、人を疑うことを知っていた奴らの中にイヌはいない。

 

 

 

 

 

 

 

だから間違えるな、ニンゲンドモよ。我らに向けた手のひらを返すな。我らイヌは環境に順応する能力を持った生き物だ。我らは愛されることと愛することを学ぶ生き物だ。

それらをもし覆すなら、我らはこの姿を化えようぞ。

 

人は我らを化けさせる術を生んでしまった。我らは化ける存在ではないのに、何故、何故、そんなことをするのか。

 

 

 

人は何故そんなにも憎もうとするのか。死した後も憎み恨み怨むなど、疲れるだけではないのか。

人は学ぶ。そして学ばない。いつの時代も、本当に大切なことを学ぶのは自分たち人間の行いからなのに。

 

 

 

 

 

 

生もない話である。

 

 

 

 

 

 

我は家へ帰った。主人たちが暮らしていた、あのあたたかい家へと帰った。

 

 

 

もう、誰もそこにはいなかった。

我は穴を掘って其所で眠った。冷たい土の中は寂しかった。とても、とても、寂しかった。

 

 

 

土の中に残ったのはただの骨だけである。

我は其処にはいない。

 

 

 

隣町のイヌが我を探しにやって来た。仲が良かったイヌである。

だが我は其処にはいなかった。

 

 

 

其処に残ったのは二人の主人と一匹のイヌの骨だけであった。

 




我が家へ帰った時、既に父はいなかった。だが母はまだ残っていた。
たった一人きりの母は孤独だった。我のふさふさだった毛皮はもう何処にもない。

母は我らの骨をほんの少し、家の下に埋めた。彼女は我らを恋しく思ってくれた。
だから我は待った。彼女が我らと共に来るその時を。我は待った。あの最期の嵐の夜。まさに土砂が押し寄せてくるその時に、彼女は我らの骨を抱き締めた。だから、我も彼女を抱き締めた。



伝わっただろうか、あなた方が教えてくれたこの愛が。



あなたが家の下に埋めなくとも、我らはあなたとずっと一緒にいたのだと。






生もない話だが、しょうもない話ではないだろう。


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●「くろいくろ」●

「くろ」はどこかの方言で「隅(すみ)」という意味。


いつだってまっすぐ前を見て生きていきたい。まっすぐ、まっすぐ、迷わず、まっすぐ。

自分に自身を持って歩いていけたらいいな。まっすぐ、まっすぐ、背筋を伸ばして、堂々と。

 

そんな自分になりたいな。

そんな自分になれたらいいな。

 

現実はそんなでもなくて、あっちにうろうろ、こっちにうろうろ。

迷って、惑って、下を向く。上を向く。そっぽを向く。見向きもしない。

それが現実で、当然のことなんだ。

 

涙は見せたくない。下を向け。

笑顔は全面に。もっと前を向け。

もっと先を目指すなら。上を向け。

見たくない。そっぽを向いて目を背ける。

気にならない、その程度。見向きもしない。

気づかない、ただそれだけ。目を閉じてる。

 

前を見て生きていきたい。逃げずに勇気を持って、目を開き続けたい。

それでも、どうしようもなくなってうずくまりたくなる時もある。あるよね。あるんだよ。

そんな時でも目を閉じちゃいけない。泣きながら下を向いたっていい。でも、目を閉じちゃいけないんだ。

この世から逃げちゃいけないんだ。

 

どうしようもなくなって動けなくなったらさ、後ろを見ればいいよ。今まで自分がどういう風に歩いてきたか、きっと残ってるはずだから。そこではね、前を向いていた時よりも広い世界が広がっている。そういう気がする。

後ろに広がっているのは過去の世界。過ぎてしまった、もう選べない世界。あの時こうだったら、あの時こうしていたら。全部、過ぎてしまったから言えること。

後悔するといいよ。あの時できなかった。あの時選べなかった。あの時、間違ってしまった。

そんな風に、後悔するといいよ。

後悔できるのは前に進んだから。いい方へか悪い方へかは関係ない。前に進んだから後ろを向ける。

後悔できるのは生きているからだよ。生きて、頭がまだ働いてるから。考えることができるから。まだ、自分の中に心があるから。

 

でもね、忘れないで。後ろに進むことはできないよ。

どんなに後ろを向いたっていい。でも、いつかは前を向くしかないんだ。

前を向け。

前を向け!

最期の瞬間まで目を開いて、前を向け!

 

 

 

強がりなんかじゃない。

だって、同じ場所を目指す同級生たちがいる。

僕たち、私たちは約束した場所を目指して前を向く。

 

 

 

 

 

 

視界の隅には見えないなにかが潜んでいる。どこかの方言では「隅」は「くろ」とも呼ばれるそうだ。隅はすみ、炭からきたの?

知らないけれど、くろとも呼ばれる。

視界の隅には薄汚れた黒いなにかが、きっと、潜んでいる。

 

前を向いて歩きたい。

前を向いて歩いてきた。

前を向いて歩いていきたい。

前を、前を、前だけを。

 

前だけしか見ていなくて、隅の方にいるなにかを視界から追い出してる。見ていない? 見たくない?

そうじゃなくて、きっとそれは見てはいけないものたち。

だから、前を向く人たちは無意識にそれらを視界の隅に追いやる。見ないように、黒いなにかを隅に追いやる。

それでもどこかで感じてる。すぐそばに、その黒いなにかはいるっていうことを。

今は見えていないくろは真っ黒に蠢いている。

 

 

 

イルヨ

イルヨ

スグソバニ

 

 

 

隅はくろ。だから黒いことが当たり前。

 

 

 

そのくろを、今は見てはいけない。目を合わせちゃいけない。

でも、気づいてる。

 

くろいくろにはなにかが潜んでる。

 

 

 

前を向け。

隅に潜むなにかに怯えながら、それでも前を向いて歩いていけ。

 

 

 

そんな風に、今日も前を見て歩いていく。

歩いていける。




サブタイトルの意味、わかりましたか?


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同窓会の案内状③「彼らの約束」

同窓会の案内状が、彼らに届いた。


桜の木の下で私たちは出逢って、遊んで、学んで、一緒の時間を生きてきた。それが一時のことだったとしても、私たちは幸せだった。楽しかった。どこか、懐かしかった。

そういうのを愛しいって言うのかな。すごく、すごく大事で大切な時間だった。

 

知ってたよ。そんな時間こそずっとは続かないって。楽しい時間ほどあっという間。だから俺たち、みんなで約束をしたんだ。

 

 

 

「またみんなで、ここに集まろう」

 

 

 

同窓会の案内状にも書かれていたアレだね。

 

ちゃんと覚えてたよ!

 

忘れるはずないわ!

 

うん、覚えてた。覚えてるんだ。でもさ、その約束って、ほんとは違うもののはずだったよね。

 

あー、もっと簡単なやつ?

 

あれかな? 「選ばれし勇者たちよ、今こそ我が名の元に再び集いたまえ」ってやつ?

 

あはは! そんな遊びもやったっけ!

 

あたしはこっちが好きだったなー。「集まれー。そして散れー」

 

ぶは、集まった意味がない!

 

それ、集めた集めた!

 

みんなで集まるんじゃなくて、花びら集める遊びでしょ! それ!

 

あ、そだったー。間違い間違いテヘ☆

 

毎日よく飽きずに遊んだよな。散ってく桜の花びら、地面に着く前にどれだけ掴まえられるか、とかさ。

 

町中探検隊とかガチだった。

 

うん、マジだった。

 

その延長の七不思議捜索でしょ?

 

そうとも言う。

 

え、そうだったの?

 

そういう気分の連中もいた。俺がその一人。

 

あ、実は私もそうだった。

 

え、君も?

 

実は僕も。

 

お前もかよ!

 

じゃなくて。案内状の文って、もともとは「また明日」の約束だったって話。

 

 

 

「またね」

「また明日」

「また今度」

 

 

 

全部、別れの言葉?

 

さよならみたいな。

 

でも「また」っていうからは次を望んでるんでしょ?

 

そうだよね。次もまた、もう一度っていう願いを込めた別れの言葉。ぼくはそう思うな。

 

っていうか、明日も集合な! っていう挨拶。決まり文句。実際みんな来てたじゃん。

 

卒業まではね。

 

あ、それ言っちゃう?

 

言う言う。小学校卒業して別のとこ行ったやついただろ? さすがに毎日は会えねえの。

 

ずっと一緒だったのにね。

 

高校行ったら更に分断。 残ったの、どんだけいたっけ?

 

大学行くなら完全に上京の流れだよね。近場で専門すらないから。

 

 

 

「またね」

 

 

 

またねの「また」っていつになるんだよ。って話になってくる。

 

何日が何週間、何ヵ月、何年になっちゃうのよね。

 

最後まで誰が残ってた?

 

あたしじゃないよ。

 

私でもない。

 

俺も違う。

 

誰も、覚えてないの?

 

 

 

「またね」「マタネ」「またね」「マタネ」「またね」「マタネ」「またね」「マタネ」

「絶対に、また会おうね」

「ゼッタイダヨ」

 

 

 

ねえ、誰が私たちをまたここに呼んだの?

 

え、約束だったでしょ? また会おうって。だからあたし、またここに来たんだよ?

 

そうだよ。またみんなで集まろうって。みんなで、集まるんだって。

 

全員が、そう思ってた? 思わなかったやつは?

 

いないよ。いるわけない。だって、だって!

 

同窓会の案内状が、来たから。

 

うん、来たんだよ。同窓会の案内状。みんなで集まる約束を思い出させた。集まれって、誰かが呼んだんだ。

 

いかなきゃって、思ったの。それを見たとき。

 

自分の番だって、自分を呼んでるんだって。

 

誰が、出した?

 

誰が俺たちに案内状を出した?

 

え、お前だろ?

 

違う。俺にも、送られてきた。

 

じゃああの約束はなかったってこと?

 

ちゃんと私たち約束したよ! みんなで! あの桜の木の下で、約束した!

 

同窓会をしようって?

 

同窓会って、言ったっけ?

 

誰が言い出したんだよ。

 

でもさ、確かに集まろうって約束したよね。それが次の日の遊びでも何年後の同窓会でも、変わらないと思わない?

 

理由はどうあれって?

 

うん、みんなでまた揃って会えるなら、ぼく理由なんてどうでもいいな。

 

約束、してなくても?

 

約束すればさ、約束を守らなきゃって思うでしょ? 守らなかったら罰ゲーム。それがいつものぼくたちでしょ?

 

そうだね。約束は守らなきゃ。

 

ちゃんと約束したよ。忘れちゃったの? ほら、あの日。

 

ああ! あの日! そうだ、俺たち約束した!

 

あの日、あの日。先生が、亡くなった日?

 

そう、僕たちの恩師。あの人が亡くなった時、約束したよ。ほら、思い出して。

 

そうだ、桜の木の下で、約束した。

 

 

 

「約束、シチャッタヨネェ」

 

 

 

だから、私たちのとこに同窓会の案内状が来たの?

 

約束を守れって?

 

俺たちが決めたことだよ。みんな納得して、あの約束をした。集まろうって、集まるって約束したんだ。

 

それで、こうなった?

 

 

 

「最期の同窓会を、みんなで開こう」

 

 

 

こう、なっちゃったんだ。

 

約束したんだもん、しょうがないよ。

 

そうだね。みんな一緒だし、いいんじゃない?

 

 

 

「誰が案内状を出したか、知りたくないの?」

 

 

 

犯人探しはしない。みんなで集まって、ワイワイ騒ぐことのどこが悪い?

 

むしろ、最期に集まれてラッキーって思うくらいがいいんだよ。

 

 

 

 

 

 

「ほら、また会えたね!」

「おかえり、待ってたよ」

「ただいま、遅れてごめん」

「信じてた、戻って来てくれるって」

「遊ぼう! みんなでまた!」

「いっぱい話そう」

「言いたいこと、たくさんあるんだ」

 

 

 

「これがさいごだ!」

「サイゴの同窓会だ」

「集まろう!」

「集まれ!」

 

 

 

「あの場所へ」

 

 

 

「桜の木の下へ」

 

 

 

「あの日約束したものを果たそう」

「とっておきの話を、みんなでしよう」

「マッテルヨ」「待ってたよ」

「あの日言えなかったことを伝えよう」

 

 

 

「またね」

「また会おう」「また会えるね」

「ぼくたちは

 

 

 

また、あえる。桜の木の下で。

 

 

 

 

 

 

だって、あの日、約束したんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桜の木の下には死体が埋まってるという。有名な話だろう。

だから、その桜の木の下から三十一人の死体が出てきても。

全くおかしなことじゃない。

 

笑い声が聞こえる。

桜の木の下で同窓会を開くという彼らの笑い声が。

もう一度、その桜の木の下で会おうと約束した彼らの声が。

 

桜ヶ原という小さな町の七不思議、最後の一つ。それは同窓会。

 

生きてきた間に得た「とっておきの話」を、死後集まった同級生に披露するという同窓会。

 

彼らは約束した。確かに約束したのだ。

それは、桜の木の根本に埋められた古い缶の中身が物語っている。

いつか埋めたタイムカプセル。今はもうどこにも見られない古いパッケージのお菓子の缶。包装が剥がれ、錆びた金属の缶。

その中に、彼らが書いた「約束」の契約書が入っている。

 

その契約書の最後には、彼らの名前がずらりと直筆で書かれている。そして。

 

 

そして、その名前の上に被さるよう、一人一人の血で印が押されていた。

 

 

 

彼らは誰もその約束から逃れることはできない。

約束は、守らなくてはいけない。誰かが言ったように。

 

それは、彼らの卒業の日に笑いながら約束したものとは違っているのかもしれない。

だがそれでもいいじゃないか。

結果として、彼らはまた会えるのだから。

また会おうって、約束したじゃないか。だから、それでいいのだ。

彼らはその命を散っていく桜の花びらのように一枚一枚散らしていくだろう。それもまた、風情があっていいのかもしれない。

 

人の命は儚く散っていく一時のもの。なんとあわれで美しいものか。

 

 

 

契約書は、いつの間にか赤黒い血で染まっていた。




誰が送った案内状だったのだろう。


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落としもの「出席番号1番は見る」表

さあさあ、語り手は戻って戻って最初へ戻って。
覚えておりますか?
「せんじょうえき」を語った出席番号1番です。

あの人、交番勤務の警察官になったんですよ。
そこから繋がる「赤いクレヨン」の話。そう、「赤いぬりえ」です。


みんな知ってるように、俺は警察官っていう職についてる。

新人の下っ派だからっていう理由じゃないけど、地元の交番勤務。だからさ、意外といろんな人との出会いがあったりするんだ。

どんな出会いかって言うと、迷子に酔っぱらい、認知症の老人に迷子の大人、逃げたのか犬、事故った若者、暴走し過ぎた暴走族。たまに血を見る事件沙汰になるようなことを起こした狂人もいた。

迷惑なことを押し付けられるのが「警察」っていう仕事だっていうのはわかってたよ。わかってて俺はそこを目指した。

将来の夢は警察官。

昔っから俺、そう言ってたよな。

迷子になって泣いてた俺を助けてくれたのが今の先輩の父親。あんな大人になりたいって憧れたよ。

憧れたんだ。

 

現実にはさ、その人は事件を起こして捕まった。「赤いクレヨン事件」って知ってる? 知らないならそれでいいよ。

簡単に言えば、ヤバい成分が入ったクレヨンを一部の子どもにあげてたんだ、その人。クレヨンを使った子どもは精神が狂ってく。大人になって事件を起こす。

そのクレヨンが共通して「赤い」から、俺たちの間で「赤いクレヨン事件」って呼ばれてるんだ。

クレヨンを配ってた犯人はその人だけじゃなかった。でもさ、憧れたその人が犯人の一人だって知ったときは、うん、それなりにショックだった。

だけど憧れたんだ。迷子の俺を助けてくれたあの人。今でも思い出せるよ。

 

その人の息子はあの人によく似てた。俺の先輩で、すごく世話焼きな先輩。俺と俺の同期のあいつに厳しく指導してくれた、尊敬する先輩。

尊敬してた先輩。

同期のあいつに睡眠薬を大量に飲まされて。

俺の同期のあいつ、赤いクレヨンを使ってたんだ。だから、おかしくなってた。それに気づけなかった。

 

 

 

もう終わったことなんだ。あの事件も。

 

 

 

ほら、暗くなるなって!

メインの話はこれじゃないんだ。

 

 

 

 

 

 

俺が警察官になって出会った人たちの中で特に多かったのが学生。小学生だったり中学生だったり、その辺の幅は広かった。でもみんな共通してたことがあった。

 

ふらふら未成年が出歩いていい時間じゃないのに歩いてる。どこかの店に入ってる。

そういうやつらはみんな声を揃えて言うんだ。

 

「家に帰りたくない」

 

理由を聞くとこう言う。

 

「親に叱られる」

 

成績が落ちたんだと。テストの点数が落ちたんだと。試験に落ちたんだと。

だから、親に叱られる。

本当だったら自分の為の勉強なんだよ。でも最近じゃ特にそういう傾向があるらしいんだ。

親に怒られない対策として勉強する。最低レベルさえキープすれば親は自分を叱らない。

そういう話をする子どもの親って、大抵は子どもに興味がないやつらなんだ。自分の、自分達の子なのにな。中には片親のやつもいる。一人の親と一人の子のはずなのに、家の中にいても独り暮らし。

興味がない、もしくは邪魔、もっと悪いといない方がいい。そんな家庭環境の子どもが増えてるんだ。

親は些細なことで怒り出す。こわい。うるさい。思うことはそれぞれ違うんだろうけど、結局みんな同じ方向を向く。それが「帰りたくない」。

 

家の玄関の扉を開いて、そのまま出ていったっきり。そんな子どもたちの頭には「帰ってくる」っていう選択肢が存在してないんじゃないかな。

 

俺はそんな子どもたちと何度も出会った。大抵は夜。一見何にも持っていないような格好をしてる場合が多い。身軽な格好だ。

中には学校の制服を着ている子どももいた。カバンはどこにも見当たらないんだけどな。もちろん私服のやつもいた。でもそいつらもカバンは持っていない。

身一つ、身軽で散歩に出掛けたんじゃないか。そうも見えるかもしれない。

でも、俺にはどうしてもそうは見えないんだ。

 

ずうん、って音がしそうなくらい重い荷物を抱えてる。何かの罰ゲームみたいに重すぎる荷物を抱えさせられてる。本人は望んでいない。本人は嫌で嫌で捨てたくなるようなものだろうけど、背負わせた誰かが荷を降ろすことを許さない。

どうすれば体が軽くなるのか。心を軽くすることができるのか。それがわからなくてどうしようもなくなった。

彼らはそんな顔をしている。

 

俺と目があった瞬間、そいつらは怯えた表情をするんだ。ヤバい、見つかった。悪いことをしている自覚があるんだろうな。

だから俺はそいつらに飲み物を奢るんだ。ココア、コンポタ、コーヒー、紅茶、抹茶オレ、おしるこ、何でも好きなのを一本奢ってやる。酒はダメだけどな。

それで買った飲み物を飲みながら話をするんだ。飲み物一本分の時間。

飲み終わってゴミ箱に捨てる時に、俺はそいつに尋ねる。

 

「一緒に荷物を取りに行こうか?」

 

夜、身軽な格好でうろうろしている子どもは、大抵荷物をどこかに置いている。というか、落としてきたって言うのかな。それは、その子どもが背負いたくないものだ。

それをもう一度背負わせるのかっていうとそうじゃない。落とし物は取りに行くべきなんだ。じゃないと誰も取りに行かない。中身が何であっても、落とした本人が「落としました」って言って出ないとずっと放置されたまま。

落としたことを受け入れることが大切だと俺は思うんだ。自分はそれを持っていた。その事実を受け入れなきゃいけない。

自分は、何を落としたのか。

知らなきゃいけない。

 

もう一度落とすにしても、その落とし物の中身を知らなきゃいけないんだ。

辛かったら一緒に行く。重かったら手を貸す。

落としてきたものを、俺はそいつに思い出させるんだ。思い出してもらいたいんだ。

 

 

 

 

 

 

俺のやってきたことは勝手で我が儘なことだよ。何の解決にもなっていない。

こうしろああしろなんて言わないけどさ、結局言ってることは大人のキレイゴトなんだ。正義ぶった夢絵空事を理屈で固めて、あたかも正しいように見えてしまう。俺が望まなくても。

俺が言ってることは「正しい大人の警察官が示してくれること」として彼らの耳に届くんだ。それが本当に正しいか間違ってるかなんて子どもの彼らには関係なくて、単なるアドバイスでもなくて、もちろん説教とかでもない。

彼らが欲しがってるのは、多分、迷ってる自分たちに希望を持たせる言葉なんだ。

明日も生きてみてもいいかな。ちょっと頑張ってみようかな。なんだ、こんなちっぽけなことだったんだ。

そんな風に思える、自分に思わせてくれるような言葉を彼らは欲しがってる。だから、それを言うのは俺じゃなくてもいいんだ。

俺は「警察官」っていう職業柄、そんな風に迷ってる子どもと接する機会が多い。ただ、それだけなんだ。

 

でもさ、それでも、そんな中にでも、俺の思いはちゃんとあったと思うよ。どうかこうしてくれ。こうしないでくれ。どうか、君たちはそうあってくれ。

いつだって彼らの姿を自分たちの過去の姿に重ねてきた。苦しくて、どうにもできなくて、痛みを感じ、憤りを覚えた。

俺たちも君と同じだったんだよって、俺は彼らに伝えたかった。同じような道を辿って歩き続けて、今こうして生きているんだよって、伝えてあげたかった。

 

俺は子どもだったから。同じように子どもで、それでもなんとか大人になれた、そんな人間だったから。

立派になれなくてもいいんだよ。失敗だってしていい。迷っても、怒っても、泣いていい。その分、笑って欲しい。笑って、生きていって欲しい。

 

 

 

ほら。俺の言ってることは彼らのためにならないだろ?

警察官の制服を着てるとどうしても「正義の味方ぶった」考えに近づいちゃうのかな。

 

 

 

俺はそんな話を何度もした。

 

 

 

荷物を拾ってまた歩き出せた子どもはいいよ。でも全員がそうなれない。

それも仕方がないことだ。だって、俺たちは弱くて脆い子どもなんだから。

いつまでだって待ってられるよ、俺は。急かしちゃいけない。自分で立って歩けるようになるその時まで見守るのも、大人になった人の役目だ。

 

しっかりやれよ、みんな。

「子ども」がどんなものか知ってるのは子どもだった大人だけだ。子どものままでいる大人には「子ども」を語れない。理解できない。

彼らを支えられるのは同じ「子ども」じゃないんだ。一緒に悪戯をして怒られるのに怯え、間違えを繰り返す同胞じゃない。

守って、育てることができる大人が彼らには必要なんだ。

子どもが自由に外で遊べるために。頑張ろうな、同級生。

 

 

 

ああ、違う違う。

こんな説教じみたことを言いたいんじゃない。ごめんな、俺、こういうこと苦手でさ。

言葉にするより聞き手に回った方がいいんだ。辛抱強く何時間だって人の話を聞いていられる。アドバイスなんて求めるなよ?

俺は出席番号1番だったから、自分の話は短くとっとと終わらせて、あとはずっと聞き手。それが俺の立ち位置なんだ。

 

うん、じゃあ聞いてくれよ。俺の話したいこと。

 

 

 

結局は「落ちてきた話」になるんだ。

成績が落ちてきた。自信が落ちてきた。気分が落ちてきた。

だから家に帰ろうと思えない。

そんな子どもたち。

そんな子どもたちから話を聞く俺。というか、大人の警察官。

最後には子どもを家に帰す。それが仕事だからな。

 

それで終わればいい話、なんだろうなぁ。

 

彼らの中には当然帰らない、帰れない子どももいる。なんとか俺たち警察官は帰そうとする。家に帰せなくても交番で預かったりとかさ。

できる限り自分の意思で帰らせるのが一番なんだ。

どこかに置いた荷物を取りに行って、取りに行かせて、現実に帰る。

うん、まあ、面倒だよ。

でもそれが警察官の仕事だろ。

 

ああ、違う。ううん、えっとな、何を渋ってるのかって言うとさ。

帰らなかったやつもいるんだ。

 

そりゃいるだろって簡単に流すなよ。

俺が渋ってるのはさ、その最後があんまりいいものじゃないからだ。

 

うまく話せないから、結論から言うぞ?

後悔するなよ? いいのか?

じゃあ、さ。

言う、な。

 

 

 

帰らなかった子どもは自殺した。

みんな、飛び降り自殺だ。

 

残念だったなって顔するな。続きがあるんだからさ。

 

彼らは俺を憎んでた。

いきなり何を言うのかって?

だから、憎んでたんだよ。

怒ってたとも軽蔑してたとも違う。あれは絶対に憎んでた。

 

何時間も親身になって話を聞いてくれた警察官。自分は帰りたくない。帰りたくない。

俺は言う。そうだよな、帰りたくないよな。

警察官は言う。でも、それじゃいけないんだ。

自分のことを理解してくれたと思った目の前の人が自分の思ってたことと真逆のことを言う。自分は間違ってる。わかったと、同情してくれたのに!

 

そいつらは俺を同志とでも思ったんだろうな。

でも違う。俺はただの子どもだった大人だ。子どものことは解る。でも、大人の世界のルールには従わないといけない。俺は、警察官だから。

だから、警察官は迷子の子どもに「帰ろう」って言うんだ。

彼らは自分を裏切った警察官を許さなかった。でもできることはない。いつだって子どもは大人には敵わない。

 

 

 

だから、彼らは落ちてきた。

 

 

 

俺の目の前に。

 

 

 

投身自殺をする時、下にいた人を巻き込むっていう事故があるだろ? あれって、意図的にできると思うんだ。下にいる人を特定して、落ちる速さと高さを計算して。

帰りたくないって悩む子どものほとんどは頭がいい。頭がいいから、余計なことを考えて感じてしまう。

そんな頭で、下にいる人にぶつかるタイミングを計算し出す。じゃあ、逆もできる。そういうことだろ?

彼らは賢いんだ。地獄まで一緒に行くよりも辛いことを選んで、俺にそれを背負わせた。

俺の真上じゃなくて真ん前に落ちるように計算して、彼らは屋上から身を投げたんだ。

屋上には直前まで履いていてまだほんのり熱が残る靴。それと、ノートを破って書かれた遺書。

遺書の中身は俺に話した内容と同じもの。彼らが何を背負って苦しんでいたか書かれた紙切れだ。

それを靴を重石にして置いておく。

 

どこでどうやって知ったんだろうなぁ、あんなこと。ああ、そうだ、テレビでいつもやってるじゃないか。

大人たちが彼らにこうやるんだって教えたんだ。苦しくて苦しくて、現実から逃げたい時の方法。

こういう逃げ道もあるんだぞって、大人が子どもに教えてるんじゃないか。

それに、そうしたくなるような世界にしてるのも、俺たち大人じゃないか。

 

 

 

子どもに自分で身を投げて自分を殺させる。

 

ああ、なんて酷い世の中なんだろう。

 

そんな中で迷った彼らの話を聞いて味方になった。味方になったように思わせて期待をさせた俺。

なんて酷い大人なんだろう。

 

 

 

彼らは最期の最後に俺を憎んだ。最後に会った俺を憎んだ。親でも友人でも先生でも知らない大人でもなくって、「警察官」の「俺」を憎んだんだ。

だから、彼らは、

彼は、

彼女は、

俺の

目の前に

落ちて

来た。

 

地面に衝突する直前の顔。

覚えてるよ。

不思議なくらい、ハッキリと見えてさ、表情もしっかり目に焼き付いてさ。

目が、合うんだよ。

目が、俺に訴えてくるんだよ。

 

「おまえのせいだ」

 

彼らの最期の言葉は遺書の中にはない。それは俺が全部聞いたから。辛いんだ、苦しいんだ、痛いんだって、彼らの言葉で俺は聞いた。

でもそうじゃないんだ。

それじゃないんだ。

彼らの最期の言葉は、あの落ちて来た瞬間の目に全部込められてるんだと、思う。

なんで裏切ったの。なんで守ってくれなかったの。信じたのに。信じたかったのに。

死にたくないよ。

本当は死にたくないよ。

助けて。助けて。

もう、終わっちゃうんだね。

 

 

 

俺を憎むことで少しは心が軽くなったのかもしれない。誰かのせいにして自分は悪くないって思うことで痛みが和らいだのかもしれない。

 

その表情は穏やかだとは言えないけど。

 

でも全部を置いて、彼らは俺の前に落ちて来たんだ。

 

 

 

「さよなら」

 

 

 

少しはさ、俺みたいな大人がいるってわかってくれたかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これで落ちてきた話は終わり、かな。

 

もう疲れたよ、何回も何回も俺の目の前に落ちて来るんだからさ。え、だから、投身自殺した子どもは一人じゃないんだって。さっきから言ってるだろ? 「彼ら」ってさ。

全員が置いてきた荷物を取りに行った直後だよ。身を投げるのは。

 

全員、落ち着いたように見えたんだけどなぁ。何がダメだったんだろう。

 

そういえば、彼らはみんな身元がはっきりしてるんだ。なんでって、俺が荷物を取りに行かせたから。

鞄の中には学生証やら携帯やらが入ってた。すぐにどこの誰だかわかるんだよ。

 

 

 

 

 

 

あ。

あ!

あ?

ああ?

あー、そうか。そういうことか。

一人だけさ、身元がわかんない遺体があったんだ。その話、最後にさせてくれ。

 

 

 

 

 

 

そいつは他のやつらと同じように帰りたくない、帰れないって言ってたんだ。細かいことは覚えてない。

というか、顔も声も、聞いたはずの名前も、性別だって覚えてない。でも確かに飲み物を奢って、話を聞いたんだ。

そいつは何も持っていなかった。

どこかの制服を着ていたかもしれない。でも上着はなしだ。白いシャツ。黒いズボン。それと、黒い革靴。

どこにでもいるようなやつだった。そう思う。

飲み終わって、最後に俺はそいつに聞いた。

 

「おまえの持ってたはずの荷物はどこにある?」

 

そいつはわらって指差した。

 

「あのコンビニに置いてきたよ」

 

一瞬そっちに顔を向けて、またそいつの方に向き返ったらもういなかった。

次に見たのが落ちて来た時だった。

他のやつらと同じように俺の目の前に落ちて来た。目が合った。

俺は気を失ったよ。だって、そいつが初めて俺の所に落ちて来たやつだったから。

自殺した瞬間なんて見るもんじゃない。

飛び込み自殺もそうだけど、目に焼き付いてずっと離れないんだよ。そいつの最期の顔。

それに死体だって。人の形をしていない、ついさっきまで自分と同じように生きて動いていた肉の塊。

見るべきものじゃ、ない。見ちゃいけないものだ。

初めて見ちまった俺はショック過ぎて倒れた。

 

次に目を覚ました時には何もない。他の人に聞いてもそんなことはなかったと。誰も自殺なんてしてなかったんだ。

本当にそうかと思って、そいつが指差した先のコンビニに俺は行った。そしたら、パンパンに膨らんだリュックが置いてあった。

店長に聞いたら忘れ物だと。

いつから置いてあるか聞いたら、なんと俺が倒れた日から。

やけに膨らんだリュックサック。水筒にどこかの学校の上着。一セット、そのままそいつはコンビニに置いていったんだ。

学生証とかで身元はわからないのか。連絡先は? 全くわからない。

なんでって、そのリュックサックの中を誰も確認しなかった。できなかったんだ。

リュックが膨らんでたのは中身が詰まってたから。そりゃそうだよな。でももうひとつ、理由があった。

中身が膨張してた、膨らんでたんだよ。中身はナマモノ。

普通リュックは開くだろ? 紐をほどいたりして。そのやり方じゃダメだったんだ。

お優しいやり方じゃ出てこない中身。俺はナイフでリュックの布を破った。

 

 

 

中身は

 

 

 

 

 

 

俺が話してたはずのあいつだった。

 

 

 

名前も住所も知らない。顔も思い出せない。でも、一緒にベンチに座って話してたはずの子ども。

それがリュックから出てきた。もちろん、死体は腐ってた。

 

 

 

俺が話してたあれは誰だったんだろう。

いや、何だったんだろう。

 

 

 

あいつがリュックに詰めて置いてきたものはあいつ自身だった。あいつの全部、まるごと。

俺はただ、自分で取りに行ってもらいたかったんだ。忘れて落としたものをさ。でもあいつは自分では行かなかった。行けなかった。

あいつが落としてきたものは「自分」なんだから。

 

じゃあ、俺の目の前に落ちて来たものは何だったのか。幽霊? 残った意思?

俺を憎んだ目で睨みながら落ちて来たあいつ。もう既に死んでたはずなのに、何でよりによって俺の目の前に落ちて来るのか。

 

忘れるなってことだろうな。

 

俺は誰も助けられない。どんなに優しい顔をして話を聞いても、それは根本的な解決にはならない。

近くにいたはずの先輩も、同僚も、俺は誰一人助けられなかった。気づいたのはもう手遅れになってから。

そいつも手遅れだったんだ。俺が見つけた時にはもう。なのに偽善者ぶって救おうとするな。そいつはそう言いたいのかな。

こんな身勝手なこと、もうやめろって言いたいのかな。

 

 

 

そいつを最初にして、何度も子どもが投身自殺をするようになった。増えたのかはわからない。元々起こってたことに気づいてなかっただけかもしれない。

ただ、投身自殺をする子どもは決まってコンビニにリュックやらの荷物を落として置いていくらしい。

 

自分を、置いていくらしい。

最初のあいつと同じように。

 

全部置いて、落として、なぜか俺の目の前に落ちて来る。

 

 

 

 

 

 

 

ああ、そうだよ。わかってるよ。

自殺するやつの顔がどんなだか、俺にはわかる。でもどうしようもないんだ!

もうどうしようもない、手遅れな顔をそいつらはしているんだよ!

希望の欠片もなくて、頼れる大人も友人もいなくて、夢は眠っている時にだけ見る。生きていたくない。生きていけない。辛い。苦しい。

本人にさえもう手遅れだって解ってしまうくらい、もう終わりなんだ。

成績やテストの点数が落ちてきたってだけで飛び降りる。そんなやつらを、俺なんかがどうやって助ければいい?!

どんなに話を聞いたって無駄なことくらいわかってるよ。

オマエラがそんな目で見なくてもわかってるんだよ!

 

 

 

でも仕方ないじゃないか。

助けたいんだ。ちょっとでも可能性があるなら、助けたいんだよ。

だからオマエラの飛び降りる建物の真下に俺は立っていたんだ。俺の上に落ちてこいって。もしかしたら俺だけ死んで、オマエラが生き延びるかもしれないだろ?

お前らを、助けたかったんだよ、俺は。

 

 

 

 

 

 

これで俺の話は終わりだ。

最期に話を聞いてくれてありがとな、みんな。

 

 

 

 

 

 

 

ああ、また誰かが俺の所に落ちて来た。

リュックの中に自分を詰めた、あいつの顔をしている。

なあ、お前はリュックの中に入るくらい軽かったのか? それとも、重かったのか?

お前は、お前自身がそんなに重荷だったのか? そうなるように、生きてきちゃったのか。

体も命も落としたお前はどれだけ軽くなった? 何が、残った?

 

 

 

また、お前が俺の目の前に落ちて来た。

何度目だろう。

 

 

 

 

 

 

大丈夫だって。

俺はお前のこと、忘れてない。忘れないよ。

だから、もう何も憎むなよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、もう自分を責めなくてもいいんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

人の命は軽くない。誰のものだって重い。大切な、たったひとつのもので大事に扱って欲しい。

でも、重く見すぎるのはどうだろう。自分の抱える重い命。それは時にお荷物となって自分にのし掛かってくる。

誰かの命。自分の命。最後に守れるのはたったひとつなら、それは自分のものだけだって決まってる。誰かのものを他人が守れるはずないんだ。だって、それなら守ってもらった人は何を守る?

それもまた、誰かか自分。どちらかを選ぶしかない。

 

他人の命は軽いかもしれない。手に乗せることもその本当の価値を知ることができないから。

 

でも自分のものだったらどうだ。自分の手の中にあるこの命。

死にたくない。苦しいのは嫌だ。痛いのも嫌だ。楽になりたい。楽しくなりたい。体を癒して。心を潤して。生きたい。生きていたい。

もっと、生きていきたい。

俺は、「そう」思う。

だからきっと、他の命もそうなんだ。

 

自分の命と他の命を同じ重さではかることなんてできないよ。いつだって自分の方が重く傾く。

だからってそいつをはなしたいとは思わない。関係ないって言って見ない振りを決めて、それがなくなってくのを遠くで見ている。それだけ。

それだけの繋がりなんて、俺は嫌なんだ。

 

自分の重さを知っている。

これっぽっちだと捨てたくなる。

重すぎて置いていきたくなることもある。

でもこれが、俺の背負う命の重みなんだ。

俺は、俺の背負う命の重さを知っている。だから目の前で全部を捨てて、重さをゼロにして、マイナスにして、天国へ飛び立って逝こうとするあいつらにすがりつきたくなるんだ。

おまえたちはそんなに軽くないんだぞって、言ってやりたくなるんだ。

 

 

 

俺の目の前で地面に向かって落ちていくあいつら。自分で自分の命を終わらせた、自殺者たち。

何処かへ置きっぱなしにしたリュックの中に全部を詰め込んだ、身軽になろうとしたあいつら。

軽くなって、重みを忘れて、天国へのぼっていこうとした可哀想なあいつら。

 

おい、おまえら、本当に天国へいけると思ってるのか?

 

頭を下にして落ちていったその先は天国じゃない。地獄だ。

おまえたちが逝こうとしているのは地獄なんだよ。

 

命の重さを無視して落ちていくあいつらに言ってやるべきだったんだ。

「おまえは本当にそれでよかったのか?」

俺は後悔している。何にもできなかった自分が悔しい。生きている間に、助けられなかったそいつらと会うことができなかったことが悔しい。

一人でも多く助けたくて警察官になったのに、最期まで何も救うことができなかったんじゃないのかって。

俺は、一生アイツの顔を思い出して引きずりながら生きていくんだろうな。

 

生きて、いくんだろうなあ。

 

重いな。

でも、これが生きていくってことなんだろうな。

 

俺、忘れないよ。助けられなかった人たちのことも一緒に背負って生きていく。

どんなに重くなっても、俺は絶対に何処かへ置き忘れたりしない。

 

 

 

 

 

 

何処かでまた会えたらさ。また、一緒に缶ジュースでも飲もうや。

 




舞台は戻って同窓会へと。
同級生はこの話をどう思う?


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落としもの「出席番号1番は見る」裏

舞台は戻って同窓会へと。
出席番号1番が見た話を聞いた同級生たちがどう思う?


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ねえ。

 

ねえねえ。

 

ねえってば。

 

これ、おかしくない?

 

うん、俺も思った。

 

誰かこのこと、知ってた?

 

この町って、そんなに自殺多かったの?

 

知らない、テレビでもラジオでも言ってないと思う。

 

え、じゃあ僕たちが見落としてただけってこと?

 

でも飛び降りなんでしょ? 誰か話してるはずだよ!

 

子どもの飛び降り自殺、誰か、いなくなったって話は?

 

俺の子どもからそんなの聞いたことない。

 

お前の子どもって、俺たちみたいにあの学校行ってって流れだっけ?

 

そう、高校まで俺と同じ。

 

じゃあ。

 

いや、そんなのひとっことも言ってない。家出とかは普通にある話らしいけど、ここには、ほら、怪異の話が多いから。

 

子どもたちは信じてるの?

 

地元民はいつだって信じてるさ。

 

いつまでだって?

 

じゃなきゃ姫様が怒るよ。ご乱心だ。

 

彼が言ってる話は嘘だと思う?

 

嘘、なのかな。

 

あいつは絶対嘘は言わない。

 

人一倍正義感も強かったからね。うん、絶対嘘は言わないよ。

 

じゃあ、あの話は何なんだよ!?

 

あの。

 

ん?

 

リュックが置いてあるって言ってたコンビニって、あのコンビニ?

 

あ、あの角の?

 

おい、お前の後輩のコンビニって。

 

違う。俺、オープンからずっと知ってるけどそんな忘れ物なんてなかったはずだ。

 

別のコンビニってことか。

 

コンビニで忘れ物あった時ってどうするの? 警察に届けるの?

 

あ、俺コンビニバイトしてたことある。そういう時って大体連絡待ち。

 

それでいいの?

 

いいのいいの。大事なもんだったら取りに来るだろ? それこそあいつの話みたいに。

 

中身が、話みたいに、でも?

 

いや、なまものはさすがに気づくと思う。開けないくらいパンパンに発酵してるらしいじゃん。

 

うわ、やば。

 

ヤバすぎ。

 

あ、私、その話は聞いたことあるかも。

 

え、リュックの?

 

うん。死体遺棄、だったかな。でもこの町の話じゃないよ。

 

「外」の話? なんだってそんなのをあいつが持ち出してくるんだよ。

 

あ、警察って訓練みたいなのあるんじゃない?

 

公務員だ!

 

国の狗だ!

 

くっ…よもや刺客だったとは…

 

バカどもはほっといてー。外に出てた間の話ってこと?

 

中じゃなかったら外だよねぇ。

 

外でそんなことがあったなんて、誰か聞いてる?

 

だーかーらー。誰も聞いてないんだって。

 

誰にも話してない、ってことだよね。

 

話したくなかった?

 

あり得る。助けられなかったって、ずっと引きずってるのかも。

 

高校生の時みたいに?

 

警官になった分、自分のこと追い詰めてるのかもな。

 

同僚の人たちの話、ボク聞いたよ。自分以外が一気に全員総異動しちゃったって、しょんぼりしてた時期があった。こういうことだったんだね。

 

ほら、赤いクレヨン使うの注意されたことあったじゃない?

 

あったあった。

 

詳しいこと知らなかったけど、まさか、ねえ。

 

やけに何度も言われたから変には思ってたの。

 

しかも「赤」限定だったし。

 

赤って言っても、ほら、色々あるじゃない?

 

色的に?

 

色々。

 

青とか緑とか黒でもなくって赤なんだよね。

 

クレヨンだしさ、その時には俺たちとっくに幼稚園なんて卒業してたよ。

 

それなのに「赤いクレヨン使っちゃダメ」なんてキツく言うんだ。僕たち使ってないのに。

 

使い続けたらどうなるか、知ってたんだね。

 

どれが「例の赤いクレヨン」かなんてわからないから、神経質になってたんだね。

 

クレヨンもだけど、今はリュックの話。

 

うーん、これって、彼は幽霊と話してたってこと?

 

だよね。

 

コンビニにリュックが置かれた時点で、中身はそいつだったんだろ?

 

そうとしか考えられないっすね。

 

でえ、なんで落ちてきた? あいつの目の前に。

 

忘れんなって言ってるらしいよ。

 

話してる時に言えばよかったじゃん。自分のこと忘れないでください~、って。

 

もう死んでるのに?

 

死んでる人って飛び降り自殺できるんだね。

 

いや、意味ないだろ。

 

じゃあなして。

 

うーん、飛び降りってインパクトある気がする。あと飛び込み。

 

ああ、他人に迷惑をかける自殺方法ベスト3的な。

 

そうそう。する方は一瞬で終わるけど、したのを見た奴の頭には一生焼き付いて離れない。

 

うっわー、マジ迷惑極まりない。

 

だから目の前に飛び降りたって?

 

リュックの時点でかなり刷り込まれているんだけど。

 

最期の一押しってやつ。

 

それな。

 

いや、押してこなくていいって。

 

え、誰か背中を押したの?

 

何の話だよ。

 

え、ほんとに誰か押したんじゃねえの?

 

は?

 

もし一人目が原因で自殺者が増えてたらって話。

 

怪異になった一人目が仲間を増やしたいから、飛び降りさせてるって?

 

可能性の話だよ。可能性。

 

解釈違いかもね。

 

でもあいつも運が悪いよな~。

 

どういうこと?

 

だって、あいつが見てる飛び降りたやつってさ。全員死んでるやつなんだろ?

 

既に死んでる、って子どもたちでしょ?

 

あいつには関係ない話じゃんかよ。どう頑張ったって、もう死んでるやつを助けることなんてできないって。

 

あー。

 

そりゃそうだよねー。

 

無関係な話だ。

 

でもあいつは助けられなかったとか、何か思いながら一生引きずるんだろ?

 

優しいやつだからな。

 

だから彼は警察官なんだよ。

 

 

 

 

で、何の話だったっけ?




一人称視点はあくまで「自分」が見て感じたままの話。
現実と真実はそこからかけ離れたものなのかもしれない。



で、何の話だったっけ?


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その続き「泥を被っている出席番号2番」表

盗みをする人は悪い人だ。

理由があっても盗むという行為は悪いこと。俺はずっとそう言われて育ってきた。だから泥棒は悪いやつ。

 

盗みを繰り返す人は汚れている人だ。

盗むことが悪いとわかっているのに繰り返す。盗むことがやめられない。

そんな人は、悪いということに慣れてしまっている。

悪いことをその手で繰り返す度に、手は汚れて染まっていく。その汚れがきたないと感じることさえ忘れた心なんて、どれだけ穢いものに慣れてしまっているんだか。

だから、盗みを繰り返す人はきたないやつ。そうに決まっている。

 

そう、思っていた。

 

 

 

 

 

 

俺の母さんの話だ。

俺の母さんは心筋梗塞で亡くなった。それなりに高齢だったし、よくある話だよな。その時の話だ。

 

 

 

その夜はいつもとなんにも変わらない夜だった。雨も降っていない、月もそこそこ綺麗に見える夜。

いつもと同じ夜。

父さんは自治会の会合で家にはいなかった。もちろん、俺もいない。

家にいたのは母さんと飼い犬の柴犬だけ。名前は柴。

柴犬は勇敢だから一人でも大丈夫ですって、母さんは父さんに言った。その柴犬は母さんの足下で尻尾をブンブン振ってた。

うちの柴は母さん大好きっ子。少しはその愛情をこっちにも分けてくれって、父さんの方が嫉妬するくらいの懐きっぷり。

それでも番犬としては有能だったから、父さんは母さんのことを柴犬に任して家を出た。

 

家には母さんと犬一匹。

 

母さんはいつもと同じように風呂に入った。いつもと同じように。

柴もいつも通りリビングのケージで母さんが出てくるのを待っていた。お気に入りのクッションに顎を乗せて、母さんを待っていた。

 

目を閉じて、母さんが自分のことを呼ぶ時を待っていた。「まて」をしていたんだ。

母さんは、風呂に入ったまま出てこなかった。

 

柴の耳がピクリと動いた。鼻がひくりとふくらんだ。何かの気配を嗅ぎとった。

何者かが家に入ろうとしている。自分のテリトリーである家に、誰かが小汚ない靴のまま土足で上がろうとしている。犬にはそれがわかった。

柴犬は犬の中でも警戒心が強い犬種らしい。あんな顔でも。だからというわけでもないけど、犬は自分の大切なものを盗もうとする泥棒の気配を察知した。

柴の大切なもの。それは母さんだった。

 

柴は吠えた。吠えたてた。

来るな。入ってくるな。

勇敢に、主人を守ろうと誰かに向かって声をあげた。

それでも誰かはズカズカと家の中にも押し入ってきた。泥を被って汚れた姿。その姿にも怯まずに、犬は声をあげ続けた。

そいつが向かった先は風呂場だった。母さんがまだいるはずの風呂。

 

風呂の扉を開いた時、母さんは。

母さんは。風呂に入っていた。

風呂に、浸っていた。

柴の声が家中に響いていた。

それなのに、母さんは指先さえ、瞼さえピクリとも動かさなかった。

母さんは眠っていた。二度と目覚めることのない眠り。つまり、永眠。つまり。

死んでいた。

 

心筋梗塞で、母さんは亡くなった。風呂に入っている間のことだった。

 

いつもと変わらない姿で、母さんは最期の時を迎えた。

 

 

 

死んだら体の中にあったはずの魂は何処へいくんだろう。いつ、体を離れるんだろう。

魂の中にはきっと心も入っているんだと俺は思ってる。そうじゃなきゃ、死んだ後も心が体に残ってることになるだろ? じゃあ、心は最後に何処へいくんだよ。

心はきっと、魂と一緒にあの世へいくんだ。魂が心を連れていくのか、心が魂に引かれていくのか。それはわからないけど。

 

 

 

風呂の中に沈んだ母さん。その体の中にはまだ魂はあったのかな。

あったんだろうな。

だからその誰かは母さんがある風呂場へとやって来た。

 

そいつは泥棒だった。泥を被った、な。ついでに盗っ人で盗人だった。土足で俺の家に上がり込んで、柴犬にワンワン吠え立てられても出ていかないこそ泥だった。

何を盗みに俺の家にやって来たか。俺の母さんを。人身売買じゃなくって、ちゃんとした盗みだった。

母さんの体から魂を盗んだんだ。

 

そいつの正体はなんと、死神だった。死を運ぶ死神。

生きている人のところへ死を運ぶんじゃない。死んだ命をあの世に持っていくのがそいつの役目だった。

 

犬は吠えた。

連れてかないで。持っていかないで。

大好きな母さんを連れてかないで。

犬は鳴いた。

 

父さんが帰ってきたのは、そいつが盗み去った後だった。

 

 

 

犬はずっとないていた。鳴いて、泣いて、母さんがもうこの世にはいないって父さんに教えていた。

父さんも泣いた。声が枯れるくらい。でもそれは犬とは違う意味合いでだった。

 

母さんは風呂に浸かりながら亡くなったんだ。うちの風呂は追い焚きシステム。だから、さ。

だから。

母さん、亡くなった後も風呂の中で追い焚きされていたんだ。

酷い話だろ?

止める人もいないから、父さんが帰ってくるまで延々と追い焚きが繰り返される。

水は渇れることなく補給され続ける。加熱され、湯へと沸かされ続ける。

中にある遺体と共に。

ぐつぐつグツグツ、母さんの体は焚かれ続けた。

そうするとさ、人の体はどうなると思う? ヒトもブタもニワトリも、同じなんだよ。その時は、たまたま、具材がヒトだっただけで、さ。ヒトのスープが出来上がるんだ。

ヒトが、母さんが、煮込まれていた。それを父さんは見てしまった。

泣いても泣いても母さんは戻ってこない。いや、戻ってくるべきじゃない。

煮込まれて膨張してしまった体に魂は入るべきじゃない。

だからさ、母さんの魂は盗まれてよかったんだ。追い焚きされる前に器から抜き取られて、苦しい思いをしなずにすんだ。

 

 

 

父さんも言っていたよ。あんな姿になるまで意識が少しでもあったら、自分だったら死にたくなる。死なせて欲しいと望んでしまう。

動けない体の中で、ただ自分の体が追い焚きされていくのを待つだけ。そんな時間、死を待つことより苦しいよ。

助けられなかったことは辛いだろうな。でも、母さんが最期にそんな思いをするくらいなら、死を自分から欲してしまうくらいなら、中身だけでも盗まれたことは幸いだったんだろう。俺はそう思ってる。

きっと、父さんもそう思ってくれるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

この終わりに納得しないやつがいた。

あの柴だ。

 

母さんを突然盗まれた柴は、母さんの遺体が浴室から運び出される時でさえ吠え続けた。ちゃんとした救急隊員の人や近所の人にも警戒心を顕にして、あいつは声の限り叫び続けたんだ。

遺体が火葬を終え、仏壇に線香の煙がたなびく頃には柴はケージから出てこなくなった。

食べる量もかなり減って、散歩も家の周りをぐるりと一周する程度になった。

明らかに元気を失った柴を父さんは酷く心配した。ぐでんと脱力した体勢で毎日寝てばかりの柴。まだ若いのに毛づやも悪くなった。

この子さえ自分を残していくのだろうか。父さんは不安で溜まらなかった。

それまで懐いていないように感じていた犬が、自分の最後の家族となってしまった。そう考える度に父さんの目からは涙が溢れ落ちた。

そんな父さんを見ながら、柴は目を閉じてあの日のように顎をクッションの上に乗せていた。クッションにはまだ、母さんの匂いが残っているようだった。

 

 

 

一日一日と柴は痩せ細っていく。とうとう水さえ飲まなくなった柴はケージからも出られなくなった。

父さんは寝るときもケージの側に布団を敷いて、柴から離れなくなった。離れてしまえば母さんの時みたいに持っていかれてしまう。そう思ったのかもしれない。

なんとか点滴だけでもさせよう。そう考えながら、父さんの目蓋は閉じられていった。

 

 

 

その夜、家に二回目の泥棒がやって来た。母さんの時と同じように泥にまみれた盗っ人だった。

そいつはまたしてもずかずかと土足で家に上がり込んだ。今度は何を盗むつもりだと思う?

犬だよ。柴犬の柴をそいつは連れていこうとしていた。

今度は誰も吠えることがなかった。静まり返った夜の家の中を、そいつは足音もさせずに歩き回った。

ケージの中で伏していた柴をそいつは見た。

母さんを失ったと同時に生きる気力までなくしてしまった可哀想な犬。病気なんてしたことがない健康で若い犬だった。それなのに、その時そこにいたのは痩せ細って立つことすらできない老いた犬だった。

 

やって来たそいつはそんな柴を盗もうと手を伸ばした。

 

 

 

父さんは目を覚ました。突然、起きなくてはいけないと感じ、無理やり意識を引き戻した感じだった。

しまった。うたた寝をしてしまった。

父さんは柴のためにずっと起きているつもりだった。でも疲労が積もって眠ってしまったらしい。

慌ててケージの中を覗くと、そこにはいつも通り柴がクッションを枕にして横になっていた。父さんはほっと息をついた。でも次の瞬間、背筋を寒いものが走った様に目を見開いた。

触ってもいないのに同じ空間にいるだけで、「生き物」か「剥製」かっていうことはわかってしまうんだろうな。

そこにあったのは硬くなった犬の死骸だった。

父さんが恐る恐る触れたそれは冷たくて、もう命の温もりなんて感じられなかった。

 

父さんは泣いた。母さんを盗まれたくなくて必死に吠えたあの日の柴みたいに。

誰だ! 誰が柴を連れていった!

返してくれ。その子をかえしてくれ!

誰も、応えなかった。

 

柴が最後の家族だったんだ。

父さんにとって。

だから、もうがむしゃらに家中を探した。いるはずもない生きている柴の姿を、父さんは探し回った。

もちろんいるはずないよ。柴は死んだんだから。

 

 

 

 

 

 

でも父さんは見てしまった。

玄関から誰かと一緒に出ていこうとしている柴の姿を。

 

 

 

 

 

 

「柴!」

 

父さんは声の限り叫んだ。戻ってきてくれという願いと一緒に。

それと同時に、一人と一匹の姿を父さんはよく見た。

 

柴の首にはケージの中の体と同じ首輪がされていた。そこから伸びるのは母さんがいつも使っていたリード。散歩に行く時には絶対使われる、柴のお気に入りのリードだった。

それを手にしているのは泥で汚れた泥棒の手。

そいつは頭から爪先まで泥まみれだった。一見、ふざけてるように見えるかもしれない。子どもの悪戯みたいに思えるかもしれない。でもそいつは、犬を盗もうとしてる盗っ人だった。

 

「柴」

 

父さんはもう一度呼んだ。今度は静かに、息を吐き出すかのように。

誰にも聞こえないくらい小さな声だったんだ。それでも、ゆっくり歩みを進めていた目の前の柴は立ち止まった。

そして父さんの方を振り返って、鳴いた。

 

「わん」

 

母さんが生きていた時によく聞いた、元気な柴の鳴き声だった。

 

父さんの目から涙がボロボロと流れ落ちた。

逝ってしまう。あの子がいなくなってしまう。妻のあとを追って、逝ってしまう。

そう思ったら、もう涙は止まらなかった。

 

 

 

父さんは泥棒に言った。

 

「お願いだ、もう、なにも持っていかないでくれ」

 

そいつの足下にはポタポタと泥水が溜まっていく。そして、顔をあげて父さんに言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「 」

 

 

 

 

 

 

 

父さんは独りになってしまった。

母さんも、愛犬も、息子も亡くし、たった一人で余生を生きていかなくちゃいけなくなってしまった。

可哀想な父さん。

 

その後、父さんは親戚の人にお世話されながら生活していたんだけどさ。時々、家の中を探し回ってないない呟く姿が見られたらしい。

泥棒に盗まれた。

そう言って父さんが探していたのは、きっと母さんや柴の姿だったんだろうな。もう、世界の何処を探してもあるはずのないもの。

父さんだって頭ではわかってるんだ。でも、最後にその姿を見てしまったから、まだどこかでっていう希望が心から捨て去れないんだろう。

 

 

 

大丈夫。いつかその父さんの前にも現れるよ。

黒い布を被って大きな鎌を持った死神じゃない。泥を被った盗人が魂を体から盗み取ろうと、父さんの目の前に現れる時がやってくる。

だから、どうかその瞬間まで大切に持っていてほしいと俺は思うんだ。

どんなに辛くても、その最期の瞬間まで懸命に生きてほしい。

 

 

母さんたちの分まで。

 

 

 

盗みをするやつは悪いやつだ。そう、それがどんな理由であったとしても、盗むやつは悪い。

盗んだものがどんなものでも、盗んだ元が誰であっても、盗みは盗み。それは悪いことなんだ。

 

だから、命を刈り取っていく死神は悪いやつ。いくら死「神」様っていっても、魂を盗んでいくのは悪いこと。

そう俺は思ってる。

これからもその考えは変わらないよ。

 

 

 

生きてることがどんなに辛くても、それから勝手に道を外させちゃいけない。外れるのか、そのまま真っ当に進んでいくのか。それは歩いている人次第だ。

母さんと柴の話はさ。ほんと言うと、父さんはその泥棒に感謝している部分もあったんだ。

見れた姿じゃなくなっていく自分の体の中に、息はしていなくても魂はまだある。心はまだそこにある。

そんなことになっていたら、死んだ母さんも見つけた父さんも、会わす顔がないんじゃないのか。

醜い最期の姿を、母さんはきっと見てもらいたくないと思う。誰だってそうだろ?

でも、そうなっちゃった。醜い姿になって最期を迎えてしまった。なら本人は、母さんはその場にいない方がまだ救われる。見られたのはただの体っていう器。本当の姿は、遺影の中みたいにいつも通り笑ってる。

そうならいいなって。

柴もそうだよ。まだ若い犬だった。元気に外を走り回って、うるさいくらい声をあげて、疲れたらすぐに寝て起きてまた遊ぶ。あんなヨボヨボの犬じゃなかったんだ。毛だってツヤツヤで、気持ちよくなってくるとすぐにゴロンと腹を出す。そんな愛嬌のある犬だった。あんなに犬っぽい犬、俺は他に知らない。

 

元気な人ほど、美しい人ほど、強い人ほど、賢い人ほど。「そうじゃない」自分を見せることは苦痛なんだ。こんなの自分じゃない。そう、自分で自分を否定してしまう。

人生の終わりがそんなのって、イヤだよ。イヤだよな。

 

 

 

生きてる時と生きてない時は見た目から全く違う。中に大切なものがあるか、ないのか。

つまり、中に魂が入ってるのか入ってないかの違いなんだけど。こいつ、生きてないな。こいつ、死んでるな。そういうことって一目でわかるもんなんだ。

 

うん、父さんも気づいたよ。

この泥棒、もう死んでる。って。

だから追いかけられなかったんだ。柴ももちろん気づいたさ。犬はそういうモノに敏感だから。だから追っちゃった。泥棒についていっちゃったんだ。

向かう先は母さんのいるところだから、さ。

 

 

 

 

 

 

 

じゃあ、これで泥を被った泥棒の話は終わり。

「泥」棒だから泥を被せてみた、俺の話でした。

 

御後が宜しいようで。なぁんちゃって。



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その続き「泥を被っている出席番号2番」表の裏

なんだよ。なんでこんな話をしてるのか? 言ってるだろ、俺の家族の話だよ。

そうじゃない? ああ、まるでその場にいたみたいに話してるって思ってるだろ。当然じゃないか。俺、その場にいたんだから。

 

 

 

親の死に目に会えないって言葉、あるだろ。さあて、ここにいる何人が会えなかった?

お前は? お前は?

なんだ、ほとんどじゃないか。

俺も会えなかった一人。親より先に死んだ親不孝者。

 

 

 

今度は俺の話な。

俺がいなくなったのは雨の日。妻と子を家に残したきり帰らなかった。何で外に出たのかなんて、もう覚えていない。でも、大雨の日に外へ出ていったんだ。

降り続けた雨は土砂となって川を流れた。どこかで地面が崩れたのかもしれない。雨は土砂降りになって俺を襲った。

 

覚えているのは、それが最期だった。

 

雨が止んだ次の日に俺の体は見つけられた。冷たくなって泥に埋まっていたそうだ。

 

気づいたか?

俺がさっき話した泥棒、言い方が間違っているかな、魂を盗んでいった盗人の話。

あれ、俺だ。

俺が母さんと犬の魂を盗みにいったんだよ。

もう死んでる俺は何日も何年も独りだった。泥の中に埋まって体はドロドロ。

ああ、俺、何してるんだろう。あの世にも逝かずに、こんな泥を被ったあの日と同じ姿で。

 

そんな時、母さんの命が消えかかっていることに気がついたんだ。

母さん、死ぬんだな。そう思ったら、迎えにいきたくなった。

母さんが死ぬのに、俺、なんでか嬉しくなったんだ。母さんが「こっち」にくる。もうひとりじゃない。

ヒトリボッチデイナクテモ、モウイインダ。

おかしいよな、俺。

 

死ぬと、生きていた時みたいに笑えなくなる。どこか欠けてさ、狂った笑い方になる。

そんな時があるんだよ。

それに気づいたとき、ああ、俺、死んだんだ。その現実が、その過去が、覆い被さってくるんだ。

あの日の泥みたいに。

 

 

 

寂しいんだ。寂しいんだ。冷たい。寒い。

ヒ ト リ ハ ヒ ト リ ハ ヒ ト リ ハ ヒ ト リ ハ

暗いんだ。空っぽで。足りなくて。飢えている。

イヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ

雨の中も。泥の中も。

きっとコンクリートの中も。海の中も。土の中も。何処かの水の中も。

ヒトリボッチデ眠るには辛すぎる。

 

 

 

だから、俺は母さんを迎えにいったんだ。 泥を被ったまま。

それは、俺が死んだ時のままの姿だ。俺の時間はあの瞬間に止まっている。

 

 

 

カチ。カチ。カチ。カチ。

時計は進まない

カチ。カチ。カチ。カチ。

時計は戻らない

 

 

 

あとは話したままだよ。

 

あの話の盗人が何で泥を被っているのか。その答えはここにある。

泥を被って死んだやつが盗人としてその家にやって来たから。

 

俺が、そうやって死んだから。

 

母さんの時と同じように柴をこっちに連れてくるとき、俺は父さんと目が合った。すごく、懐かしかった。

悲しくなった。欲しく、なった。

デモイマジャナイ

盗んでしまいたかった。あの体から、まだイキテイル魂を盗み出してしまいたくなった。

でも、まだソノトキジャナカッタ。

 

 

 

だから俺は父さんに言ったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サヨウナラ、父さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほら、やっぱり盗みをするやつは悪いやつだろ?

自分の欲を満たすためだけに何かを盗む。

俺はワルイやつだ。

 

 

 

 

 

 

最初からそうだったのか、何かが欠けたからそうなったのか。それは誰にもわからない。

でも、何かが変わってしまったんだ。俺の中で。

雨と泥を被って眠ってしまった、あの最期の夜に。



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その続き「泥を被っている出席番号2番」裏の裏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おいおい。

 

うーん、これって。

 

あのさぁ。

 

あいつ、結局何が言いたかったの?

 

うん、俺も思った。

 

とっておきの方はわかったよ。それぞれいろいろあるんでしょ?

 

いろいろあるって知ったんだろ?

 

人生色々、十人十色、隣のお家は柴の色。

 

お、やるねぇ。机の数は三十一個、されど話は三十個。

 

べべべん、雷爺さん背中に背負い、ババアの床下骨埋まる。

 

だよねぇ。

 

そういう話、なんだよねぇ。

 

よくある話、なんだよなぁ。

 

そうそう。土砂崩れだって経験してる人は他にもいるよ。

 

はいはーい、ここにいまーす。って言っても巻き込まれてはないけど。

 

巻き込まれたらそこで終わりだろ。

 

運が良かったら生きてるよ。

 

運が悪くて良かったらな。

 

雷爺さんって結構有名でさ。そん時の子どもが間では、さ。ほんとに気難しい爺さんだったんだ。

 

うんうん。

 

あたしも見たことある。挨拶したけど無視された。

 

公園で遊んでたらうるさいって怒られたなー。

 

そうそう。そういう爺さん。

 

婆さんは、俺、知らないな。

 

え、そう? 旦那さんと一緒によく犬の散歩してたよ?

 

旦那さんと犬、亡くなってたんか。

 

奥さんと犬の話じゃなくて?

 

え。

 

あ。

 

あ。

 

え?

 

あ。

 

あ?

 

か、雷爺さん、ツンデレだったんだな!

 

そ、そう! ツンデレだったんだよ!

 

ツンデレだね!

 

ツンツンデレだったんだね!

 

ツンデレ言うな! 天邪鬼言え!

 

はは、で、婆さんの話なんだけど。

 

床下に骨を埋めただけでしょ?

 

うん、そうなんだけどさ。

 

土砂崩れが彼と雷爺さんの家を避けた。

 

雷爺さんの幽霊が守ったってことなの?

 

わかんない。

 

そうじゃねえの?

 

うーん、ボクはこっちかもって思うな。お婆さんの家が土砂を引き寄せた。

 

は? なにそれ。

 

お爺さんと彼の家に来るはずだった土砂も含めて、お婆さんの家に土砂が来た。避雷針になったってこと。

 

爺さんじゃなくて、婆さんの方があいつを守ったって?

 

その場合ってこと。わかんないよ。

 

お婆さんっていうか、床下の旦那さんと犬が、ってこと?

 

んんんー。更にわかんない。お婆さんなら彼のこと親切にしてくれてたんだから、死んだ後も守ろうとしてくれる、のかも。

 

ダメー。全然わかんない。そもそも私たち、彼とその両隣の家の人たちの関係を知らないんだもん。正解なんて出るはずないよ。

 

だから色々あるんだろうな。

 

彼ってさ、言葉足らずなとこあるよね。うまく言葉にできないの。きっと色々言ってないこともあると思うよ。

 

うんうん。

 

でもあれが彼のとっておきの話なんだ。受け取ってあげようよ。

 

まあ、そんなとこもあいつらしいよな。

 

でも想像なんだけどさ。その旦那さんと犬が亡くなった後も寂しくて、婆さんを連れていったとしたら?

 

でさ、雷爺さんはそうなることわかってて彼を巻き込まないように守っててくれたとしたら?

 

隣には隣の話があるんだな。

 

隣の隣の話?

 

隣と隣の話。

 

 

 

 

 

 

で、何の話だったっけ?

 

 

 

 

 

 

はいはい、それでは続きの話でごんす。

 

これもよくある話なんだよね。

 

そうそう。

 

ただ、この話って彼が死んだ後の話なんだよね。

 

うん。彼のお母さんが亡くなったのは彼が死んでかなり経ってからだよ。私、お通夜出たもん。

 

でも普通に語ってるんだよね、彼。

 

これははっきり言ってるな。死んだあいつが亡くなった母親と犬を迎えにいった。

 

死んでるね、彼。

 

死んでるな。

 

あいつ、俺たちの中でも死ぬのは早かった方だよ。

 

待ってた?

 

見守ってた?

 

さあ、どっちかねえ?

 

たださ、あたし思うんだけど。お母さんをあの世に連れていったんでしょ? 彼。

 

迎えに来たんだからそうなんじゃないの?

 

で、犬も?

 

連れていったんでしょ?

 

え、往復? 往復?

 

でしょ? お母さんをあの世に連れていって、戻ってきて犬を今度は連れていった。そういうこと?

 

かもなあ。

 

RPG状態って考えは?

 

なにそれ。

 

後ろに新たなメンバーを引き連れてー。

 

列になってる!?

 

ちょ、それって。

 

お父さんを連れていけばグループが完成しまーす。彼、お父さんが亡くなるの待ってるかも。

 

グループ完成してからみんなであの世にいくってか。

 

ありそう。

 

ありそで怖い。

 

どっちにしろ彼が連れていった感じだよね。

 

彼ってそんな人だったっけ?

 

え、そんなんじゃなかった。ビビりだったし、気が弱いけど優しい、そんなやつだった。

 

だよね。

 

だよなぁ。

 

なあ。

 

彼、変わった?

 

なあってば!

 

え、なに? なに?

 

あいつには雷爺さんが憑いてたんだろ? それなのに何であんな早死にしたんだよ!?

 

え、え、彼、そんなに早かったの?

 

結婚自体が早くて、その流れで子どもも若いうちにできてた。あれって一歩間違えば学生婚だよ。

 

そんなに?!

 

確かに早かったよね。

 

うん、早い、ね。あれ? 早すぎない?

 

生き急ぐっていうの?

 

何を急いでるんだよ。

 

生きるのを…

 

結果、早死になってる!

 

爺さん、守っててくれたんでしょ?

 

守ってなかったら?

 

守ってなかったら土砂崩れの時に死んでるんだよ、彼。

 

爺さんは守っても守ってくれなくても憑いていた。それは確かなんだろうな。

 

そういう前提だよ。

 

じゃあなんであんなに。

 

彼、自分で出ていったんだって言ってなかった? 雨の日に…

 

爺さんが守ってくれるのわかってたから、死ぬようなことしたって?

 

わかってたけど、の間違いじゃないの?

 

なんでそんなこと…

 

なぁんかさあ。あいつの話って、誰かに呼ばれたみたいな話だったよな。

 

呼ばれた?

 

あ、確かに。

 

どういうこと?

 

話してるあいつ、自分で気づいてなかったみたいだけどさ。死ぬような雨の日に外へ出ていくなんてあり得ないんだよ。

 

死ぬかもって思ってなかった、とか?

 

かもしれない。

 

彼、元気だったよ。あの日まで。お爺さんのこともあっただろうけど、彼は絶対に早死にするような人じゃない。

 

ああ、だからこそあっちに呼ばれたみたいに感じるのか。

 

そう、呼ばれたんだよ。きっと。

 

呼ばれたって、誰に。

 

何に?

 

 

 

 

 

 

で、何の話だったっけ?

 

 

 

 

 

 

 

そろそろ終わろうぜ。

 

まあ待て。もうちっと知恵を搾ろうじゃねえか。

 

で、何に呼ばれたって?

 

誰に?

 

何に? の方?

 

誰だよ、呼んだの。

 

あのさ、彼って遺体は全部見つかった、んだよね?

 

は? 今さら何だよ。

 

泥に埋まってたんでしょ? 隣の家のお婆さんも、床下に旦那さんと犬を埋めたんでしょ? で、そのお婆さんも土砂に埋まったんでしょ?

 

おいおい、何言い出すんだよ。

 

あのね、「骨を埋める」って言葉、あったよね。

 

ドコニ?

 

お前の場合は「骨が埋まる」だろ?

 

でも彼、ミツカッタんでしょ?

 

見つけてやったよ。見つけてやったさ。

 

あのね! あのね! 私、思ったんだけど。

 

ん?

 

彼、×がなかった、気が、するんだ。

 

 

棺の中の彼に挨拶しようとして、私、彼の顔よく見たんだ。

 

だからって何の繋がりが。

 

彼の一部が、まだ、あそこに埋まったままだったら。

 

見つからないよ、そんなとこ。あたし気がつかなかったもん。

 

だからって、あ。だから「骨を埋める」って話なのか?

 

骨を埋めに、あの場所へ行った?

 

彼が自分で埋めに行ったってこと?

 

あ、そういえばさ。あー、何があいつを呼んだかって話なんだけど。

 

うん。

 

不動産の奴が言ってた。あそこって、元々墓地だったらしい。

 

え。

 

げ。

 

そんなことって。

 

あるの? あり得るの?

 

マジか。

 

つまり、あいつを呼んでたのは墓地に埋まる骨たちってこと。

 

うげ。

 

そいつが言うには別の町の不動産がやらかしたって話。

 

やらかしたなぁ。

 

とんでもないことを、また。

 

ホラネ。やっぱり彼は呼ばれたんだよ。一人っきりで土の下は寂しいんだ。だから見つけて欲しいんだ。だから墓地に埋まる骨たちは誰かを呼んじゃう。

 

婆さんは旦那さんと犬に呼ばれたのか。

 

じゃあお爺さんは?

 

墓の下になら同じような境遇の人、いくらでもいるって。独り身で子どももいない人。そんな人が同じような人を呼ぶのはおかしくないよ。

 

でもさー。それって彼らしくないよねー。

 

誰かを巻き込んで呼ぶこと?

 

うんうん。

 

ああ、だってさ、埋まってるあいつが呼んでるなら違うだろうさ。

 

埋まってるのは一部であって、カレラの全部じゃないんだよ。

 

俺たちのとこに帰ってきたのだって、あいつの全部じゃないんだ。ほら、あいつ、自分で何かが変わっちまったって言ってただろ。変わったんじゃなくて、欠けたんだ。

 

土砂の中に埋まりっぱなしの彼の一部が欠けちゃってたんだね。

 

あーあ、聞かなきゃよかった。そんな話。

 

だなぁ。一緒に骨を埋めろって呼ぶんだろ?

 

骨の一部を埋める。一部は全部に戻りたい。寂しい淋しい。だから呼ぶ。

 

はい、まとめてまとめてー。

 

彼の家が建っていた所は「骨が埋まる場所」、墓地だった。以上!

 

埋まっちゃった彼、気づいてないみたいだけどね。

 

で、あいつ、どこが欠けたままだって?

 

歯だよ。

 

は?

 

 

 

 

 

 

で、何の話だったっけ?



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深夜●時「出席番号3番と4番の後輩のあの店」

ピンポーン


深夜のコンビニ。あの、角にあるコンビニ。

 

 

 

店の中には自分一人。店員はなぜか、何処にもいない。

店内放送は鳴り続ける。いつも通りのいつもと同じ音楽と案内を垂れ流す。

 

なのに誰もいない。

 

ポテチとジュースと雑誌を持ってレジに行っても誰もいない。

 

「すいませーん」

 

声を出しても誰もいない。店内放送だけが流される。

 

「すいませーん」

 

もう一度呼んでも、誰も来る気配はない。

諦めて帰ってしまおうか。商品をカウンターに置いたまま出入り口へと向かう。

 

 

 

誰もいない。

 

誰も来ない。

変なコンビニだ。

 

 

 

その時、突然何の前触れもなく店内放送が途切れた。電気は消えていない。流れ続けていた音だけが突然途切れた。

夜の静けさの中で機械音だけが暗く響く。うるさいと感じていた程の賑やかな放送が消え、店内は電気がつけられただけの夜の空間へと変わってしまった。

自分の胸が膨らみ、萎むのを意識してしまう。ドクドクと脈打つ心臓と、流される血液を意識してしまう。息が荒くなっているのがわかる。興奮ではなく、緊張から体が高ぶっていた。脳内ではノルアドレナリンが分泌されている。心よりも体の方が素直に顕著に反応を示す。

 

 

 

ただ、店内放送が途絶えただけなのに。

 

 

 

ただ、深夜のコンビニにいるだけなのに。

 

 

 

ただ、誰もいなくて、自分しか其処にいないだけなのに。

 

 

 

明るい店内を得体のしれない夜の闇が這いずってくる。何処からか、床を這って近づいてくる。

そんな不安を、恐怖を、言葉にできないナニカを感じ始める。

 

頭上からは微かに雑音が聴こえてくる気がする。沈黙ではない方が救われる。その静けさの中にいたくない。

 

外へ出てしまえばいい。其処から逃げてしまえばいい。

そう頭では思っているのに足が動かない。床に縛り付けられたかのように一歩も動かすことができない。

 

ぐるりと首を回す。

山積み谷積みの商品棚。その下の床と棚板の僅かな隙間。其処に目がいく。

手がやっと入り込める程度しかない僅かな暗い隙間。おそらく屈んでも奥まで見えないだろう隙間。

其処に何かがいる気がする。

誰もいないのに。

其処にはナニカがいる気がする。

其処からナニカがやってくる気がする。

 

 

 

背中から誰かが笑う声が聞こえた気がした。

 

 

 

振り返っても誰もいない。

 

 

 

「だ、誰かいますかー」

 

 

 

声をかけても誰もいない。

 

誰も。

 

いない。

 

誰も。

 

 

 

店内放送は途切れたままだ。外の道路をバイクが通り過ぎたようだった。その音は聞こえただろうか。

 

 

 

誰かの視線を感じる気がする。何処から。何処から。すぐ其処から。近い。近い。すぐ近くから見られている。誰だ。誰だ。すごく近い。

 

 

 

ふと、カウンターの奥にある扉に目がいった。僅かに開いた扉。電気のつけられていない暗い部屋。其処から聴こえてしまった。

 

 

 

 

 

 

タスケテ

 

 

 

 

 

 

背中から誰かが笑う声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

足に何かが絡まった。五本指なのか、わからない何かが絡まった。

自分は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逃げられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰もいないコンビニだった。

何かがいたコンビニだった。

 

 

 

ある時間、店内放送がぶつりと途切れた時、聴こえてはいけないナニカが這い寄ってくる。

 

その静けさの中で、誰かを引き摺る音だけ残したコンビニは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

××××××××××××××××××

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな深夜●時のあのコンビニの話。




只今時刻は丑三つ時。
草木も眠る、バケモノ共の起きる時間。












アソボゥヨオ
オナカスイタオナカスイタオナカスイタオナカスイタオナカスイタオナカスイタ
キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハ
カーゴメカゴメ



ピンポーン



誰かが御来店なさったようだ。
こんな時間に身の程をわきまえない誰かが御来店なさったようだ。






サイタサイタマッカナオハナガマッカッカ
ツマンナァイ
アソンデねえアソンデねえねえアソンデ
ミーチャッタ
オヤスミナサイ



誰かが御来店なさったようだ。何故貴方は彼の地へいらっしゃった。何故貴方はこのいうな時間においでになられた。



ピンポーン



扉の開く音がする。
来店を告げる呼び鈴の音がする。



ピンポーン



只今時刻は●時をお知らせします。
バケモノ共はぽっかりと腹を空かせて獲物を待ちわびる。そんな時間。

常識の通らない非常識が通じる現実とはかけ離れた時間。

貴方の知らない、貴方のいるべきではない時間。






オイシイネエ





ミィツケタ












ゴチソウサマ












あのコンビニには、もう、誰もいなくなった。いなくなってしまった。
時刻はまもなく、「あの」●時を告げようとしていた。






何処からか地面を引き摺る音が聴こえて


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出席番号××番、女子「ガーネットに揺られて」

明日は特別な日だからね。今夜はゆっくりとお風呂に浸かるの。

最後に会ったのは四十八日前になるのかな。大好きなあなたに、私は明日会いに行く。明日だから、会いに行く。

 

 

 

 

 

 

シャンプーで髪を洗っていく。頭を真っ白にして、綺麗にする。

コンディショナーで整えてサラサラにする。何も残らないように、水に流していく。

石鹸を泡立てて体を洗う。爪の先から指の間、細かなところまで忘れずに。

歯もよく磨く。爽やかなミントの味のする歯みがき粉を使って。キスなんて期待していないけど、あなたに会うのは最後だからしっかり磨く。

 

 

 

そうしたら、熱めのお湯を湯船に溜めていく。お茶やコーヒーを淹れる時みたいに、じっくりじっくり注いでいく。

 

 

 

子供の頃はこの時間がつまらなかった。早く早くと急かして、急いで、焦って、転んで。おとなしく待っていることもできなかった。

待つことを覚えて、この時間が楽しくなった。本を読んで、歌を聴いて、映画を観て、同じ時間を楽しむ方法を知った。

そこでやっと、待つ間の時間も楽しいと知った。

 

 

 

湯船にお湯は溜まっていく。

 

 

 

大人になって自分を磨くことが楽しくなった。好きなことを学んで、お化粧をして、服で着飾って。スポーツもした。旅行で行ったことのない場所の景色を見た。

他人の意見を聴くようになった。自分の意見を言うようになった。

もちろんお金もかかるようになった。でも、その時にはもう大人だったから。自分でお金を稼ぐようになった。稼いだお金を自分の好きなように使うようになった。

お金の価値を知った。働くことの意味を知った。お金の使い方を学んだ。自分の使い方を学んだ。

私は大人になった。

私たちは、大人になった。

 

 

 

ほら、もうすぐお湯が溜まる。

 

 

 

 

 

 

 

産まれて生きて死んでいく。

それはあっという間の出来事で。本当は待っている暇もないくらい貴重な時間。それに気づくのはお湯が溢れる間際のこと。

 

 

 

明日は特別な日だからね。今夜だけはゆっくりとお風呂に浸かるんだ。

あなたと私のお気に入りの入浴剤。何処かへ置いたままだったとっておきの入浴剤を持ち出して、最後のさいごを染めるんだ。

 

 

 

一粒の赤い球をお湯に沈める。お湯は真っ赤に染まっていく。

真っ赤に、真っ赤に、染まっていく。

 

 

 

あなたと最後に会った日からもう四十八日が経ってしまった。明日、私はあなたに会いに行く。

この体ひとつで、あなたに会いに行く。

 

 

 

ゆっくりと真っ赤に染まったお風呂へ体を沈める。綺麗にした体を、赤いお湯が包み込む。

あなたの好きだったガーネット。私も好きになったガーネット。この色で、さいごを彩らせてほしいの。

思い出の詰まった赤いガーネット。私の記憶を、最後にそれで塗り潰してほしいの。

 

 

 

もうすぐ日付が明日に変わる。

目の前が真っ赤に染まっていく。

 

 

 

とても綺麗なガーネット。赤に揺られて、私は眠る。

 

 

 

 

 

 

 

もう二度と見ることはできないけれど、きっとそれは残酷なくらい鮮やかなガーネットの色をしている。

 

 

 

 

 

 

あなたが亡くなってから、今日で四十九日。特別な日だから、私は今日あなたと同じように逝なくなる。

この命を絶って、あなたに逢いに逝く。

 

 

 

 

 

 

『今朝未明、××在住の××××さんが自宅浴室で亡くなっているのが発見されました』

 

 

 

 

 

 

最期を染めたガーネット。

私はその色がとても好きだった。

だって、その赤は生きている証の色でしょ?

だから、好きだった。

だから、最期の時間はその色に見送られて揺られたかった。懐かしい赤く染まったお湯の中で、静かに眠りにつきたかった。

 

 

 

 

 

 

久しぶりだね、×××くん。×××ちゃん。

 

 

 

あなたの最期も、こんな色で染まっていたのかな。



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出席番号××番、男子「キャンドルに揺られて」

今日は特別な日だからさ。

行儀よく椅子に座って、たった一本の蝋燭の火を消すんだ。そう、息を吐くみたいに。

 

 

 

暗い部屋。真っ暗で、真っ黒な夜の部屋。自分の手も足も暗闇に呑み込まれる。そんな錯覚さえ覚える部屋。

部屋の真ん中には大きなテーブル。それと、たくさんのキャンドルたち。それぞれに火を灯した、キャンドルたち。何本あるだろう。きっと三十本はあるはずだ。だって、それらの意味するものを自分はよく知っているから。

 

一本、二本。キャンドルの火が消えていく。

三本、四本。キャンドルがテーブルから姿を消していく。

残りはあと何本? 残った数を数えることには意味がない。消えていったキャンドルの数を数えないと、自分の番がわからない。

モウスグジブンノバンガクル。

どきどきドキドキ、心臓が焦り出す。そう、それはまるでタノシイパーティーの前夜のように。

自分の番まで、あと何本? 消えたキャンドルは戻ってこない。

 

周りをふんわりと照らし続けてくれた一筋の蝋燭の炎。キャンドルたちの中にいる、自分だけの特別な一本の蝋燭。

もうすぐ溶けてしまう一本の蝋燭。

役目を終えたそれらはゆっくりと沈んでいく。ゆっくり、ゆっくりと、沈んでいく。そして、さいごには誰しもが灯した火を消していく。

溶けた蝋は雨みたいに下を濡らすだろう。ポツリ、ポツリ。どこかの水溜まりみたいに真ん丸の形を作って蝋は固まるだろう。キシリ、キシリ。真冬の水よりも速く、温度を奪われて蝋は固まるだろう。

溶けてしまった蝋燭は再び固まっても同じ形にはなれない。同じ材料を使っても元の一本には戻ることがない。だってその蝋燭はもう終わってしまったんだから。

欠けてしまった部分は元の在りし形を覚えてはいない。

 

 

 

アツくてツメタい一本の蝋燭。そこに灯されたあかい炎。

燃えている。

燃やされている。

命が。心が。

体が。時間が。

どちらが。

どちらも。

蝋燭と炎。二つが揃ってこそ、それは一本の特別な蝋燭と呼べる。火が灯されている蝋燭という姿が、生きている姿を示している。

だから、今、生きている。蝋燭はテーブルの上で火を灯している。

キャンドルたちはまだ燃えている。

キャンドルの集団の中で、自分だけの特別な一本が他のものと一緒になって燃えている。

 

 

 

ああ、まだゆらゆらと揺らめいている。

目の前で、揺らめいている。

 

 

 

まだ蝋は溶けきっていない。まだ役目は終えていない。

きっと、まだ時間は残されている。

そう信じたいのは、まだやり残した未練があるからだ。ある、んだろうなぁ。

 

 

 

 

今日は特別な日だからさ。

行儀よく椅子に座って、その時を待つんだ。テーブルの上で肘をついたり、首を乗せるなんてことしないよ。

人が乗せられるほど大きなテーブルの上には、自分のために用意されたはずのない料理たち。まだ、ほんのりあたたかい料理たち。

 

ほら!

懐かしいだろ?

懐かしいあの味だろ?

覚えているか。覚えているだろ。

思わず涙が溶け出した。

 

目の前に座る客たちも舌を長くして待っている。

そうだ、今日は特別な日。

暗い部屋の中には七人の奇妙な客が囲む大きなテーブルが用意されていた。

 

 

 

一人は暗闇の中で更に黒いマントを羽織る影だった。影が椅子に座っていた。傍らには大きな鎌が立っていた。

一人は金髪で軍服を着た男性だった。制帽を目深に被って、目を閉じていた。長い足を組んでいるのが遠くからでもわかった。何か歌を口ずさんでいるようだ。外国語は自分には解らなかった。

一人は一つだった。椅子の上には、丁寧に砂時計が置かれていた。外側がほんの少し濡れているそれの中には、砂ではない何かが流れ落ちていた。

一人は長い長い蛇だった。椅子に巻き付く蛇だった。それも尻尾のない、終わりのない蛇。両端にくっついているのは頭だった。

一人はキツネとタヌキだった。一脚の椅子を半分こしながら座っていた。違う。よく見たらキツネの顔にはタヌキの模様。タヌキの耳はキツネの尖った耳だった。

一つはよく見えなかった。まだ、自分の目には見ることができなかった。

一つは何も座っていなかった。ただ、火の消えたキャンドルたちがそちらへ押しやられて逝くのを自分は見ていた。きっともうすぐ、自分も向こうへ逝くのだろう。

そして真ん中に飾られた桜の蕾が膨らむ枝。 懐かしい公園に住まう、桜だった。

 

みんな、新しい料理が運ばれてくるのを待っている。

 

ゆらりと蝋燭の炎が揺らめいた。懐かしい匂いと臭いが記憶を呼び起こした。キャンドルが燃える、蝋燭が燃えるそのにおいは、懐かしい友人たちのにおいがした。

 

ゆらりと、炎が揺らめいた。

 

炎の動きと一緒に七つの客たちの姿に影を作り出す。どこか見覚えのある客たち。

どこで? いつ?

ゆらり、と炎が揺らめいた。自分の意識も一緒に揺らめいた。それは今思い出すことではないらしい。

 

思い出せない。

それでいいか。いいんだな。

意識は再び部屋に立ち込める暗闇の中へと沈んだ。

 

 

 

テーブルに乗った蝋燭が、一本、寂しげに佇んでいる。そこに火はまだ灯されたままだった。

 

血が滴るステーキ。

骨まで煮込んだスープ。

脳が溶けるクリームパスタ。

腸が詰められたソーセージ。

 

どれもうまそうだ。手元には食器は並ばない。あるのは揺れる炎だけ。

ああ、どれも時間をかけていい味を出していそうだ。

だけどそこにはデザートがない。

 

甘いケーキがそこにはない。

 

今日は特別な日なのに、甘いデザートが食べられないんだ。甘い、夢みたいなケーキがまだ食べられないんだ。

料理が次々とテーブルに並ぶ。気づけばキャンドルの数が減っている。

 

ハヤク! ハヤク!!

 

眼を輝かせた客のひとつが急かしてる。

おまえも早くと、行儀悪くテーブルを叩き始める。

そうだ、早くしなきゃ。

だってもう、特別な日が来てしまったのだから。

蝋燭の火が揺れる。風がないのに揺れるのは何かが揺らしているからじゃなくて、それ自体が揺れているから。

ゆらりと揺れるそれは、誰かの心のような、魂のような、命のような光を放つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、いつから自分はこの部屋の椅子に座っていたんだろう。

ジブンハドコニイルンダロウ。

本当に今いるのは、椅子の上なのか?

今いるのは、テーブルの上じゃなかっただろうか。

 

だって、椅子は七脚しかない。

客は七つしかない。

 

自分には始めから座るための席は用意されていなかった。

 

だから、行儀よくその時が来るのを待つしかなかった。




アーア、オモイダシチャッタのね


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出席番号××番 「今日のよき特別な日に」

今日は特別な日。さいごの特別な日。

だから。だからさ。

さいごくらいは行儀よく椅子に座ってその時を待つんだ。

自分の番が来るのを、静かに静かに待つんだ。

 

 

 

目の前には蝋燭に灯った炎。ゆらりと揺れる、その炎。それを見ていると、意識もゆらりと揺れるんだ。揺れるだけじゃない。時折、ぶつりと意識が途切れるんだ。

そう、それは自分が事切れる音。

だけど炎がなくたって人は其処にいられるものさ。火を灯していない蝋燭なんて、この世界にはいくらでもいる。いくらだっていたんだ。

そういう蝋燭は燃える瞬間を待っている。心に火がついて、何かを燃やしながら何かを成す瞬間を待っているんだ。

だから、突っ立ったままのお飾りなキャンドルなんていくらでも目につく。そういうもんなんだ。自分もそうだった。

 

目の前のテーブルの上にはゆらゆら揺れるキャンドルたち。よく見れば同じものなんて一本もない。

そのキャンドルたちの集団の中に、自分だけの特別な蝋燭は揺れている。

炎に揺れて。

他の存在に揺れて。

揺られて。

一本の蝋燭は燃えている。

そうやって自分達は生きてきた。そうやって自分は燃えて、燃やされてきた。

 

人の人生っていうものはその他大勢の中に紛れる時間だ。他の人たちと同じ。他のキャンドルと同じ。

変わらないんだと。たかがキャンドル一本が消えたって世界は変わらないんだと思っていた。でも、知ってしまえば現実は違った。

そっくり同じものが大量生産できると思っていたキャンドルは、蝋燭だったんだ。材料も、作り手も、色も、形も。全部が同じものなんて一つもない。一人もいない。

それは誰かの特別な一本だったんだ。

 

その「キャンドルの集団」が揺れるのは、全部がそれぞれ違うから。同じ動きをしないから重なり合って、邪魔をし合って、独特な空気の動きを作り出す。

それが「自分たちの世界」だったんだ。

 

 

 

もうキャンドルの残りが少なくなってしまったな。

もうすぐ、蝋燭の蝋が溶けきってしまう。自分の、時間が、終わってしまう。

 

 

 

それでもいいんだ。それで、いいんだ。

 

いつかは宴に幕が降りる刻がやってくる。

タノシイ時間に終わりが告げられる。

 

 

 

 

 

 

キャンドルたちから懐かしいにおいが漂ってくる。人の焼ける臭いだった。

 

ああ、きっとこの蝋燭の材料にも、人の、自分の、体が、使われているんだな。

今燃えているのは自分であり、同じ時間を共有した友人たち、同級生だったんだ。

 

 

 

ゆらゆらと、それらは燃えていた。

 

 

 

 

 

 

テーブルの上には数々の料理たち。その中にはまだケーキだけが登場していない。甘い甘いケーキ。特別な日に用意される、甘い夢が詰め込まれた甘いお菓子。まだ、登場していない甘い夢。特別な日の最後を彩る、甘い夢。

 

ゆらりと揺れる。

もうすぐ蝋燭が終わろうとしている。火が、これまでずっと一緒だった火が消えようとしている。

それでもいいさ。

これからは暗い闇の中でだって甘い夢を見続けていられる。甘いケーキがないから、同じくらい甘い夢を闇の中で見ていよう。

 

 

 

さいごのキャンドルのひとつを、今、吹き消した。

 

「ふ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は特別な日だから。

これからは終わらない夢の中で揺らめいていられるんだ。あのキャンドルたちに灯った炎のように。

もう、火は灯らないけど。もう、この蝋燭にも火は灯らないけど。

 

テーブルの真ん中には火の灯らないキャンドル。それと、甘いケーキが置かれる。

そのケーキは、素晴らしく甘い夢と涙の味がしたそうだ。

 

 

 

 

 

 

テーブルの下には骨だけが山積みにされていた。

からん、と自分の亡骸もその上に置かれた。

 

桜の木の下には死体が埋まってる。そんな話、ありきたりだよ。

 

今までずっと、どこかで怯えていた。何かに恐怖を抱いていた。暗い暗い、真っ黒な部屋の中で、闇に喰われることに怯えていた。

たくさんのとっておきの話を同級生たちから聞いたよ。自分も、とっておきを披露した。

今日は特別な日だから。全てが終わる、特別な日だから。

その恐怖から解放されて、自分たちは眠り始めるんだ。甘いケーキみたいな夢の中で、覚めない夢を見始めるんだ。

 

今日は特別な日。

七つの不思議な客と、桜の姫様の宴が終わる、特別な日。狂った楽しいタノシイ宴の時間は終わりを告げた。

だから、今日は自分たちにとっても特別な日なんだ。

全てが終わって、終わらせて、再会した同級生たちと眠りにつく、特別な日。

まるで誕生日のように特別な日。全てが始まったあの日のように笑っていられるよ。笑って、蝋燭を吹き消すことができる。

今、恐怖の先には安堵というプレゼントが置かれている。

 

 

 

 

 

ハッピースペシャルデイ。今日のよき特別な日に、幸あれ。

 

君たちのこれからに、どうか幸あれ。

 

 

 

 

 

 

これからの続きがないってことは、みんな知っていた。

 

 

 

だから笑って吹き消すんだ。

 

 

 

その部屋には、もう、一つも蝋燭は燃えていなかった。




『今日のよき特別な日に』

今日のよき特別な日に
キャンドルを吹き消そう
ふ、と
だって今日はこんなにも特別な日
ふふふ、と笑っちゃうくらい
はしゃいだっていいじゃない

出会えたことに感謝をしよう
始まりと終わりに感謝をしよう
これはとっておきの話
そう、みんなのとっておきの話

君の笑顔を忘れない
君の涙も怒った顔も
ずっとずっと忘れない
思い出させてくれたね
懐かしいあのガーネットの夕陽
また会えた桜色の景色

今日はよき特別な日なんだから
最高の別れを君に言おう
惜しむ時間は残っていない

これがさいごの宴の時間
ねえ、こんなとっておきの話
どうだったかな


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出席番号「追って追われて」

おいかけっこするもの、このゆびとまれ


おにごっこ。覚えてる? 鬼事だよ。

けいどろ。覚えてる? 警察と泥棒だよ。

 

昔から追われる遊びが嫌いだった。

鬼に追われる。捕まれば鬼になる。

警察に追われる。自分は泥棒役。捕まれば刑務所行き。

追うのも追われるのも嫌いで苦手だった。早く終わらせたくて遊びから逃げた。

何が楽しいんだろう。自分には理解できなかった。

何が苦手だったんだろう。幼い自分は「キライ」とだけ決めつけて、その遊びの何が苦手なのか考えることを放棄した。

考えてもわからないことだった。いつまでも答えは出ない。でもやりたくない。

自分は逃げた。

 

 

 

大人になって、あの遊びをしなくなって、やっと気づいたことがある。

ああいう遊びは一人じゃできない。追われる役と追う役がいるから成り立つ遊びだ。

追われる役は前をいく。追う役がいるのを知っているから、捕まらないように駆けていく。設定が何であれ、追う役は自分を追いかけてくる。

追う役は後ろをいく。追われる役を捕まえるために工夫して、前をいく背中を追い続ける。

そうだ。両者は互いの姿が見えていないとつまらない。前にいる、後ろにいることを知っているから「遊び」として成り立っていた。

「遊び」だと認められる人とした「ごっこ遊び」だから楽しかったんだ。ふざけて笑えるから楽しい。そういうものなんだ。

走るのが苦手でもお遊びで終わるから苦しくない。それなのに、何で自分はあれほどあの遊びを嫌ったんだろう。

 

だからさ、ほら。「遊び」の中に「遊びじゃないもの」が紛れていたからだよ。

 

 

 

ねえ覚えてる?

追いかけてくる人の中に知らない人が混ざっている、あの時の恐怖。知らない笑い声が中に混じって、親しげに言葉をかけてくるあの恐怖。

後ろから聞こえる足音がひとつ多い。ふたつ多い。みっつ多い。

振り返っちゃいけない気がする。見てはいけない気がする。追いかけてくるモノは誰なのか。それとも何なのか。知ってはいけない足音が聞こえた、あの時の恐怖。

 

ねえ覚えてる?

追わなきゃいけない人の足がやけに速くて速くて、絶対に追いつけない恐怖。

いくら走っても追いつけない。捕まえなきゃ遊びは終わらない。だからそれは遊びを終わらせてくれない。終わらせる気がないんだ。

帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。終わりたい。帰りたい。終わらせて。帰らせて。帰らせて。お願い。お願い。帰らせて。

夕暮れが闇に沈んでも、月が夜空で嗤っても。朝が来ても昼が来ても、また、太陽が役目を終えて沈み始めても。

それは家に帰らせるつもりなんてない。終わらないつもりで遊びを始めるんだ。

 

そういうのとは、「ごっこ遊び」であっても最初から付き合っちゃいけない。

知らずに始めて、後戻りができなくなって、いなくなっちゃった人。知らないかな。

人であっても人じゃなくても、そういうものを中に入れて遊んじゃいけないよ。特に、追われる系の遊びは、ね。

 

自分達だってそうだったよ。招きたくなかったのに招いてしまった。中に入れたくないのに入れてしまった。

自分達だけのアソビだったのに、関係ないものまで遊びに入れてしまった。

 

 

 

お遊びは楽しかったかい? 自分は苦しかった。辛かった。

でも、みんなが追われているのに自分だけが外れて逃げるなんてできないよ。だから追いかけた。みんなを追いかけた。

みんなが追われた先に何があるのか、よく見えた。みんなの表情もよく見えた。

自分もそうなんだってわかった。追われる人の様子が見えてしまったから。でもごめんね。それでも自分はみんなの後ろを追いかけることしかできなかった。

自分達の後ろを振り返ることはできない。だって、あの笑い声が聴こえるんだ。

これはお遊びなんだって。絶対に帰してやらないって。あいつらが笑いながら言うんだ。

 

 

 

ほら。だからこんな遊びは始めちゃいけなかったんだ。

追いかけられるのは嫌いだ。追いかけるのも嫌いだ。

ねえ、はやくこんな遊びは終わりにしようよ。みんなで別の遊びをしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ねえ、みんな。待ってよ。置いていかないでよ。

ひとりにしないで。

待ってよ。待って。

どこにいくの。置いていかないで。

 

サイゴノヒトリニしないでよ!

 

 

 

 

 

 

そうか。

自分はひとりになるのが嫌で、みんなを追いかけ続けたのか。

 




ごめんね、みんな。
でも、追いかけるのをやめることはできないんだよ。
だって、まだ後ろから足音が聞こえてくるんだから。



これはごっこ遊びなんかじゃないよ。捕まったら本当にそれでオシマイなんだ。
だから捕まるわけにはいかない。絶対に。

みんな、逃げて。後ろからあの足音が聞こえてくる。
待ってて。みんなの後ろを追いかけるから。
みんなで一緒に逃げきろうね。






そんな自分にはもう追いかけるための足がのこされていないんだけどさ。


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過去から「時報」

ちっ
ちっ
ちっ
ちっ
ぽーん

ちっ
ちっ
ちっ
ちっ
ぽーん

ちっ
ちっ。(ぴ)
ちっ。(ぴ)
ちっ。(ぴ)
ぽーーーん

ちっ
ちっ
ちっ
ちっ
ぽーん















どうか聞いてください。
話す人がいなくなれば、この話も聞く人はいなくなります。だから今、聞いてほしいのです。そして、できれば覚えていてもらいたいのです。

どうか聞いてください。

どうか、聞いてください。
私の声が出なくなる前に。この話を、私の口から出るこの話を、どうか聞いてください。
私の口が動かなくなる前に、私からあなたへ、この話をいたしましょう。














ちっ
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ちっ。(ぴ)
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ちっ。(ぴ)
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ちっ。(ぴ)
ぽーーーん

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あなたは何年生まれでしょうか。令和? 平成? 昭和? もしかして大正? まさか明治なんてこと、ありませんよね。

19××年? 20××年? おや、まだまだお若いではありませんか。

 

生まれる前にあったことなど他人事。そう、思ってらっしゃるでしょう。

大空襲、大地震、大飢饉に大津波。疫病、公害、人災。どれも経験したことがなければ他人事としか思えないですよね。

私とてニュースで見ただけのことは「だろう」としか言えないのです。見ていない、聞いていない、触れていない、感じていないことなど他人のこと。自分のことではございません。

「他人の気持ちになってみて」。そんなのただの想像でしょう? 感情移入するだけのただの同情です。本当の痛みも、ソノ瞬間も、当人にしか理解できないのです。

 

 

 

マモナク、時報ガ聴コエテクルデショウ。

 

 

 

どうか聞いてください。

 

私の。

 

ぼくの、見たことを、感じたことを、きいてください。

 

 

 

あなたがまだ平和な世界に生きていられているのなら、どうか、ぼくの声をきいてください。

 

 

 

 

 

 

(ジジッ…)

 

 

 

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(ジジッ…)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アノ時、ぼくは国民学校に通っていました。年の数は両手で足り、まだ赤紙はいただいてはおりませんでした。

父も、上の兄も、下の兄も、既に赤紙によって遠い戦地へと旅立って行かれました。皆、お国のために誇らしい姿で旅立って行かれました。

残されたぼくは母と二人の妹とともに疎開しました。家族揃って住んでいた町は、とうに焼け野原となっているらしいというラヂオを先日ききました。帰る家はございません。

 

疎開したところは母方の実家でした。ぼくは妹たちの世話をしながら学業に勤しみました。そして、近所の子どもたちと兵隊さんごっこをしながら来るべき赤紙を受け取る日を待ちました。

ぼくの名前が書かれた赤紙が届くより先に、兄の死亡通知が手元に届きました。間をおかずして、父の死亡が電報にて通達されました。

妹たちは泣きました。ぼくはそれを隠しました。母が泣くところは見てはおりません。見ていないのです。

ぼくはみていない。

みていない。

ナイテハイケナイ。お国のためだ。

ダカラ、ぼくはミテイナイ。

 

赤紙は未だ届かず。

 

 

 

 

 

 

(ジジッ…)

 

 

 

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(ジジッ…)

 

 

 

 

 

 

アノ日、ぼくは国民学校へと向かっておりました。年の近い子どもたちと一緒に、集団登校をしておりました。

いつも通りの朝でした。

 

いつも通りの道でした。

 

いつも通りのみんなでした。

 

いつもと同じ朝だったのです。

だから、登校中に警戒放送が流れることもよくあることだったのです。

 

 

 

 

 

 

(ジジジ)

 

 

 

警戒警報

警戒警報

 

×××は××を×××

×××××時に××を×に向かって×××

×××は××、××××を×××…

 

 

(ジジジ)

 

 

 

 

 

 

バクダンを積んだ戦闘機はぼくたちの方へと向かっていました。逃げることはできません。教わった通りに、ぼくたちは一列になって脇の側溝へ入りました。

身を屈めて小さくなりました。頭を抱え込みました。

目を閉じて、目を閉じて、空をやって来る戦闘機の音に怯えました。

そして。

 

 

 

 

 

 

ぅウウウウウウウウウウウウーーーーーー

ぅウウウウウウウウウウウウーーーーーー

ぅウウウウウウウウウウウウーーーーーー

ぅウウウウウウウウウウウウーーーーーー

 

 

 

 

 

 

そして、頭を抱え込みながら、目を閉じて、両手で耳と目を押さえました。口は少し開いて、荒い息をしていました。

 

 

 

まっくらな中で、ぼくは爆弾が近くに落ちたことを知りました。

音なんてきこえません。ただ、ものすごい風と、乱暴に体を叩きつける衝撃がぼくたちを襲ってきたのです。

ぼくたちはただ教わった通りに隠れるしかありませんでした。

 

 

 

長い時間でした。長い長い時間でした。

ぼくは痛む体からやっと力を抜けるようになると、目を開けました。

頭がくらくらしました。

周りがよく見えませんでした。

地面がえぐれて、木が折れていることがわかりました。

誰かが咳をする音が遠くで聴こえました。それはぼくのすぐ後ろに並んだ妹のものでした。耳が、よく聞こえなかったのです。

 

前から「生きているか」という声が聞こえました。一番の年長さんの声でした。

ぼくたちは側溝から這い出しました。妹の一人は鼻血を出していました。もう一人は耳鳴りがすると言います。ぼくは、叩きつけられた肩が痛むだけですみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年長さんの点呼に全員が変わらず応えることはありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思った以上に近くへ落とされたらしい爆弾は、地面の中へめりこんでいました。

近くには家がなかったことが幸いし、火事にはなっていませんでした。

 

ぼくたちはカレラを置いて、学校へと向かいました。向かわなくてはいけなかったのです。

遺品だけを持ち、ぼくは泣くこともなく立派に兄を務めたのです。

カレラはそこに残されました。

ぼくが、置いていったのです。

 

 

 

カレラの中には数時間前まで仲良く話をしていた親友もいました。

彼は、高い木の上から上半身だけとなってぼくを見ていました。

 

ぼくは、彼に最期手を振りました。

風に揺られて、彼の手も振られました。

 

ぼくたちはカレラをその場に置いていったのです。

そうするしか、なかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴメンネ、××くん。君と約束した明日はもうコナイヨ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

 

 

 

 

 

よくあることです。

そう、よくあることなのです。

 

あちらの町には爆撃機が何機もやって来たと。遠い地では兵隊さんたちが敵をやっつけたと。別の地ではすごい作戦が展開されているのだと。

 

 

 

やがて戦争は終わりを告げるのだと。

 

 

 

 

 

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

 

 

 

 

 

その噂の通り、季節が一回りもしないうちに終戦を迎えました。

我が国は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どおん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が国は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カチ。

 

カチ。

 

カチ。

 

カチ。

 

カチ。

 

カチ。

 

カチ。

 

カチ。

 

カチ。

 

カチ。

 

カチ。

 

カチ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かえってきたひともいました。かえってこなかったひともたくさんいました。

ぼくたちは、ぼくたちは、なんのために産まれてきたのでしょう。

なんのために生きてきたのでしょう。

 

 

 

天皇陛下のお声をラヂオでききながら、ぼくは思いました。

 

 

 

 

 

 

今でも覚えております。あの夏は酷く寒かった。

私たちは飢えていた。着るものもなかった。

 

結局最期まで、私の元には赤紙が、召集令状が届くことはありませんでした。

その後どうなったか、私よりも歴史の勉強をされたあなたならお分かりでしょう。

 

大日本帝国は戦争に敗れたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ぽーん

 

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ぽーん

 

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ちっ。(ぴ)

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ぽーーーん

 

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ぽーん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は今でも怖くなります。頭上を、あの金属の塊が飛んでいると思うと。また、私たちの町に爆弾を落としていきやしないかと。

サイレンの音がこわいのです。敵がこちらに向かってきていると告げられるのではないかと。

 

私たちはたくさんのものを壊し、奪いながら生きてきました。だから奪われても仕方がないのです。壊されても仕方がないのです。

特にあの数年間、どれだけのものが世界から消えていったか。

 

 

 

なくしたものはもどらないのです。

ぼくたちは、戦争に勝てば全部もどってくるのだと思っていた。そういう部分もあったのかもしれません。

自分たちがなにをしているのか、おとなもこどもも理解していなかったのです。

 

 

 

後悔した時には全てが遅く、何十年も後になって「あれ」が間違いだったと気づかされるのです。私たちは愚かだった。

その愚かさに気づかぬほど、気づけないほど、世界は「戦争ごっこ」に夢中となっていたのです。

 

 

 

 

 

 

みなさん、聞いてください。

これは私が幼かった、もう何十年も昔の話です。過去の話です。

 

若いあなた方にはわからないでしょう。ですが、この国のこの町で、確かに起こったことなのです。

昭和二十年×月××日の××時××分に起こったことなのです。

 

 

 

もうすぐ私ハ事切れるデショウ。

毎日毎日思い出すのです。あのサイレンの音を。落とされた爆弾のことを。亡き親友のことを。父のことを。二人の兄のことを。

いつもおもうのです。この日本の地で焼かれ苦しみながら、亡くなっていった人たちのことを。遠い祖国ではない国の地で亡くなっていった兵隊さんたちのことを。

 

 

 

 

 

 

ナンデ、ウマレテシマッタノカ。

 

 

 

 

 

 

全てのものが終わるために始まるというなら、それでいいでしょう。ですが、なぜそのために私たちはあれほどの苦しみを受けなければならなかったのか。

「平和」である世に産まれたあなたにはわかりますまい。ええ。解らなくていいことなのです。

そのために私たちは死んでいくのです。

 

 

 

知らなくてイイのです。

ですが、聞いてください。私の声を。

私たちの、声を。

 

理解してくれなくてもイイのです。

ですが、聞いてください。私の話を。

私たちの話を。

 

 

 

ああ、もうすぐ時報のオトがキコエテクル。

 

 

 

 

 

 

そういえば、木の上から振られた親友の手。あれは、アレハ、ソウ、テデハなかった。

だって、カレの手はぼくの足下に落ちていた。草むらから、カレの靴をハイタ足が見えていた。そう、アレハ、アレハ、カレの、彼の、腹からタレテいた。

 

 

 

 

 

 

あの日の時報の音が私の耳に聴こえた。爆撃機の飛ぶ音と、子どもの悲鳴が、その音に、紛れていた。

 

 

 

 

 

 

(ジジッ…)

 

 

 

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(ジジッ…)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

私の心電図モニターが、今、停止を告げた。




一人の人の歩く人生は一本でございます。
人の目はふたつ、鼻はひとつ、耳はふたつ、口はひとつ。私の場合はそうでした。
一人の人のみるものはひとつなのです。後になって知ることはあれど、その時みえるものはたったひとつだけ。

戦争という事柄において、私はあなたにそのひとつの話を聞いてもらいたいのです。もちろん他にも話はあります。しかし、あえて私はその話をするのです。あの日「ぼく」がみたものを伝えたいのです。
そう、カレが後世にノコセと言うのです。






ぅウぉウウウぁウウウウぉウーーーーーー
ぅぁウウウぉウウウウウウウーーーーーー
ぅウぉウウぁウウぉぉウウぁーーーーーー
ぅウウウぉぉウウウウぉウウーーーーーー






別のカタは別の話をノゾムでしょう。ほら、また時報がきこえる。時報がきこえる。時報がキコエテクル。






(ジジッ…)



(ジッ…)
ネェ…をお知らキャァたします
たゴブいま3ゲホ秒前

(ジッ…)
20秒前

(どおん)
10秒前

あとボト秒
コァーーーーーーン
正午をお………いたしまイタ



(ジジッ…)






過去をうつしたフィルムなど、何処にも残っていないのです。あれらは全て燃やされました。
一枚の写真から何を得ろと言うのでしょう。そこからは音など聞こえてきません。動かぬ絵から学べることなど、ほんの紙一枚の厚さしかないのです。






カチ、

カチ、

カチカチ、

カチ、

カチ、カチ、カチ

カチ。

カチカチカチカチカチカチ

カチ、

カチ。カチカチ。

カチ、

カチ、

カチ、カチ、カチ、






聞いてください。
みなさん。
聴いてください。

ソノ音を、きいてくだサイ。

ソノ音を、よぉくきいてみてクダサイ。
ほら、聞こえるでしょう?
ほら、ほら、聞こえてくるでしょう?



カチ、タスケテ、

カチ、カチ、

カチ、ア、

カチ。カチ。カチ。

カチ、

……、オ、

カチ、

カチ、

カチ、

アアアアアアアアアアアア

カチ。カチカチ、

カチ、



知っていましたか?
時報は、時間を報せる音なのです。

知っていましたか?
その時報は、時間を刻む音なのです。

ほら、また時報がキコエテクル。

その時報には、



カチ、カチ、

イタイ、イタイ、イタイ、アツイ、カチ、

ガチ、ガチ、カチカチカチカチカチカチカチ

カチ、ガチャン、

ああああああああああああ、カチ、ああああ

カチ、あああああああああああああ、カチ。

カチ、

カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ

カチ、

カチ、

ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッ

カチ、



カレらの音が、



(ジジッ…)



(ジッ…)
(ザザッ…)をお知らせいたします
ただいま(ザザッ…)

(ジッ…)
(ザッ)秒前

(ジッ…)
(ザザッ)秒前

あと(ザザッ…)秒
コァーーーーーーン
(ザザッ…)をおジラゼいダしましア



(ジジッ…)



カレらの、××が。






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ちっ。(ぴ)
ちっ。(ぴ)
ちっ。(ぴ)
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ちっ
ぽーん
ぽーん















どうか聞いてください。
話す人がいなくなれば、この話も聞く人はいなくなります。だから今、聞いてほしいのです。そして、できれば覚えていてもらいたいのです。

どうか聞いてください。

どうか、聞いてください。
私の声が出なくなる前に。モウデナイケレド。この話を、私の口から出るこの話を、どうか聞いてください。
私の口が動かなくなる前に、私からあなたへ、この話をいたしましょう。マダマニアウ。

どうか、聞いてください。
この時報を聞いてください。時が刻まれたあの時報を。私たちの×が刻まれた時報を。
この声を。
あの時言えなかった秘密を。あの時言えなかった言葉を。感情を。真実を。



告白しましょう。時が流れた後世にうまれたあなたに、告白しましょう。
聞いてください。
聞いてください。
これは告白なのです。














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「時報」未来へ

僕の曾祖父が亡くなった。老衰だった。

 

 

 

亡くなる前、僕は彼とたくさん話をした。僕と彼は見ている世界がよく似ていた。聴こえる音がよく似ていた。

 

校庭に誰か立っている。それは黒くて切り株の上に立っているんじゃないのかい?

また知らないバスが来た。手を振ると金髪の軍人さんが返事をしてくれるよ。

肝試しに誘われたんだ。可哀想に、その子達は帰ってこれないね。

 

中でも僕が一番よく覚えている話は「時報」の話だった。

彼はよく時報の音に別のものを聞き取っていた。時には叫びだし、ごめんなさいと涙を流した。時にはベッドのシーツにくるまって、その時間が過ぎるのをじっと待っていた。

僕は彼にたずねた。

 

「何がきこえるの?」

 

彼はこう言った。

 

「お前にはきこえないのかい?」

 

僕には何もきこえなかった。ただ、時間を告げる単調な音だけが聞こえていた。

そして、亡くなる直前にあの話をしたんだ。戦時中の、登校途中で落とされた爆弾の話。亡くした親友。どうしてそんな話を今するのか、僕は彼にたずねた。本当に今にも息が止まりそうな状態だったから余計に。

 

「だって、あのカレがお前に伝えろと言うんだ」

 

彼は言った。彼が言う「カレ」とは誰のことなんだろう。

 

「お前にもわかるさ。今に、きこえるようになる」

 

そう言って、彼は息を引き取った。

 

 

 

彼が出棺されるとき、長くクラクションが鳴らされた。

火葬され、彼がただの灰になるだろう時に昼を告げる時報が鳴った。

その時から、僕は彼の言った言葉の意味を知るようになった。

 

 

 

節目節目の時間を告げる音。例えば時報だったり、学校のチャイムだったり、行方不明者の捜索を呼び掛ける放送だったり。そう、終戦の日の昼に黙祷を促すサイレン。

誰もが聞いたことのあるあの音たち。僕もその時まで当たり前に聞いていた音たち。

僕の耳は彼が世界からいなくなった瞬間から別の音を拾い始めた。

 

誰かの悲鳴。呻き声。足音。銃声。クラクション。ブレーキ音。何かが落ちる音。水の音。

何かの音。誰かの声。

意味がわからない、別の音たち。聴こえるはずのない音たち。

そんなものが「時報」と呼ばれる音に混じっていた。

 

彼が、曾祖父が死ぬまで聞き続けていた音だった。

 

それが何かわかったのは彼の一周忌でのことだった。

仏壇の前で僕は手を合わせた。その部屋には鳩時計がかかっていた。カチカチ時計が鳴る。節目の時間に機械仕掛けの鳩が鳴きながら時計から出てくる。

その時、僕は聞いてしまった。

 

 

 

僕の名前を呼ぶ彼の声を。

 

 

 

亡くなった曾祖父は僕を呼んでいた。声をきけと、その音を聴けと僕を呼んでいた。

あの声で名前が呼ばれた瞬間、僕には解ってしまった。

彼に話せと言っていた「カレ」の声はこれなんだ、と。

 

 

 

 

 

 

どうかみなさん、聞いてください。

話す人が亡くなれば、誰も語らなくなります。だから聞いてください。

彼らは、話すことのできた彼らはもういないのです。もう、どこにもいないのです。

だから聞いてください。その音を。

 

時報の音は、時間を刻む音なんです。過去になってしまう現在を未来に残すために刻む音なんです。

聞いてください。聴いてください。

繰り返される時報の音には、刻まれた過去の音が混じっているんです。亡くなった人の声。災害の音。その日も響いていたはずの音たち。それが今も繰り返されているんです。

彼らの声は、今も同じ時間に繰り返されているんです。

 

刻まれた彼らの音。いつか刻むだろう僕の音。

過去から未来へ。

誰かにきいてもらうために、知ってもらうために、その音たちは繰り返します。繰り返しているんです。

 

僕にはきこえている。曾祖父の親友だったカレが亡くなった時間になると、少年の声が聴こえるんです。知らないカレは、僕の曾祖父の名前を呼びます。

そして、こう言うんです。

 

 

 

ゴメンネ、××。君と約束した明日はもうこないよ。

 

 

 

曾祖父は死ぬまでその声を聞き続けました。

カレは確かに生きていたんです。そして、もういないのです。

 

 

 

どうかキイテ。きいてください。

今も時間は刻まれている。刻み込められた時の音が、この世に響き渡っている。

 

 

 

 

 

 

今日も時報がきこえてくる。悲鳴が混じったサイレンがきこえてくる。

 

曾祖父の、泣き声が、きこえてくる。

 

なくしたものは戻らない。時間も、戻らない。

 

だから聞いてください。その音を聞いてください。

あなたがこれからを生きるなら、どうかその音に耳を傾けてください。

きこえるでしょう? ねえ、きこえているんでしょう?

 

 

 

あの音に刻まれた死の音が。

 

 

 

死んでから刻まれるその音は、生きている人に秘密を告白するみたいに囁いている。

僕にはきこえる。きこえている。

 

ねえ、きいてください。

 

僕も、あなたも、今ここにいるのなら。今ここに生きているのなら。

 

 

 

 

 

 

その音を知るべきだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちっ

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あなたも、知るべきだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

カチ、

 

 

 

 

 

 

また、あのときを刻んだ時報が聞こえてくる。

また、時が時報に刻まれていく。

 

 

 

 

 

 

ねえ、キイテクダサイ。



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ページをひらいて「扉の先に」

扉を開けば別世界。

その扉は何だっていいよ。部屋の窓だって、玄関の戸だって、冷蔵庫やロッカーやタンスだって。何だっていいんだ。

ほら、目蓋を閉じて。

ほら、目蓋を開いて。

これでもう別世界だよ。

簡単だよね。

いつだって違う世界を見られるんだ。いつだって簡単に違う世界へ行けられるんだ。そういう世界に生きている。

 

扉を開くのは簡単さ。でもその先は? その先には? どうやって行くの? いつ行くの?

勇気を出して、ほら、勇気を振り絞って。足を前に出すんだ。手を前に伸ばすんだ。勇気を出せって。

そうすれば扉なんか飛び越えていける。別の世界に飛び込んでいける。

 

大丈夫だよ! 大丈夫!

ほら、一緒に行こう!

別世界なんてすぐそこだよ!

扉はいつだって開かれている。みんなを歓迎して、大きく大きく開かれている。

 

 

 

 

 

 

そう言った友人は、何処かの扉を潜ったっきり消えてしまった。

 

 

 

 

 

 

扉の向こうは別世界。

確かにそうだったのかもしれない。考え方によってはそうなんだろう。それが友人の表現だったのかもしれない。

でも、現に友人は消えてしまった。

 

探しに行った。その友人も、その何処かにあるはずの扉も。

見つからなかった。

何処にもいなかった。

何処にも、そんな扉はなかった。

友人は帰ってこなかった。

 

何年も経ってやっとわかった。友人は別世界に行ってしまったんだと。

何処かわからない、知らない世界へ行ってしまったんだと。

きっともう、帰ってこないんだと。

 

別れは悲しかった。突然すぎて、会えないことを頭が理解していても心が追い付かない。涙が止まらない。

落ち着いたと思っても、ふとしたことで心が波立つ。涙が止まらない。

そんな日も突然終わってしまった。激しい夕立がいつのまにか通り過ぎてしまうように、友人を失った悲しみも心の底へ沈んでしまったようだった。

涙はいつか止まってしまった。そのことも悲しかった。悲しくて悲しくて、もう涙は出なかった。

 

目蓋を閉じた。キツくキツく、閉じてしまった。

友人と自分の世界は別れてしまった。

涙が止まったある日に、そう思うことにした。友人は、もう自分のいるこの世界には帰ってこない。

 

 

 

さよなら。

大切な友人。

 

さよなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、思っていた時期が確かにあった。

友人は未だに帰ってこない。

そう思ってしまうのは、自分の中に微かな希望が残っているからなんだろう。

また会いたい。また会えるかもしれない。また会えるのではないか。

「また」に次を期待する。

昔友人と言い合った「また明日」みたいに、もう一度を願う。

またいつか。またどこかで。またきっと。

いつだって「また」の中にもう一度を願った。もう一度、もう一度。もう一度がずっと続くといいな。また今度。またね。またね。

ずっと、次を信じていた。

 

 

 

次が来ないことを、信じたくなかった。

 

 

 

だって。

自分と友人は「友だち」なんだから。

友だち、なんだからさ。

ずっと、ずっと、会えなくたって、友だちなんだから。

信じていた。

信じていたかった。

 

 

 

さよなら。

大切な友人。

 

またね。

大切だった友人。

 

 

 

 

 

 

と、思っていた時期もあったと思う。

目の前には扉がひとつ。後ろにも、右にも、左にも、天井にも、足の下にも扉がある。

これは何だ。何なんだ?

あるはずのない扉が視界にへばりつく。

 

友人が言っていた。もう、いなくなってしまった友人が。

扉の向こうには別世界がある。違う世界が、向こうにはある。

扉は全て閉じられていた。

ただの扉だった。どこにでもある、閉じられた扉だった。扉の向こうはもちろん見えない。

 

足を一歩踏み出してみる。

ほら、勇気を出して。

扉の向こうにある世界を恐れずに、扉へ近づいてみる。

何の扉だろう。その先は何処へ続いているんだろう。

口を閉じた扉へ、一歩足を踏み出して近づいてみる。その存在に怯えることなく、安易に足を踏み出してみる。

扉は固く閉じられていた。

 

きっと、友人もそうだったんだろう。その扉たちが気になってたまらない。扉の向こうが気になって気になって、目を合わせずにはいられない。

冒険の予感がするのか、胸が高鳴る。ドキドキざわざわ。やけに胸が熱くて苦しいのに、酷く寒い。ドキドキぞくぞく。

そうしてるうちに、目の前でそうなっていくようにゆっくりと。

ゆぅっくりと。

扉が開いていく。

開かれていく。

開いていってしまう。

開いて、しまった。

 

 

 

扉の向こうは別世界。そんなはずないと思っていた。

でもその扉は間違いなく「別世界」へ繋がっている扉だった。

 

 

 

扉の向こうは真っ白で、何も見えなかった。見えないから、もっとよく見よう、扉の向こうを見たいと思った。顔をそれに向けた。その先に何があるのか知りたかったから、扉の中を覗き込もうとした。

 

その時、後ろから声がした。

 

友人の声だった。

 

もういなくなったはずの、友人の声だった。

 

「ねえ、そっちじゃなくてこっちの世界に来なよ」

 

振り返った先には懐かしい友人の顔があった。その友人の背後には別の扉がぽっかりと口を開いていた。

 

「また会えたね」

 

友人は言う。

そうだ、また会えたんだ。嬉しい。

嬉しい、はずなのに何かが違う気がする。友人の背後には真っ黒な別世界が広がっていた。

 

「また、会えたね」

 

友人の顔は笑っている。そうだ、また会えた。でもなんでだろう。もう、会ってはいけないと思うんだ。

 

「こっちへおいでよ」

 

友人は言う。

こっちって、どっち?

友人のいる世界? 友人は真っ黒な中に立っている、と思う。足は見えない。胸も、腕も。見えているのは最後に会った時と同じ顔だった。

 

「どこにいるの?」

「君とは別の世界だよ」

「君の言ってた?」

「違うね。いきたかった世界じゃない」

「いきたくなかった?」

「うん。来たくなかった」

「もう、こっちに来れないの?」

「うん。もう、そっちにはいけない」

「もう、会えないの?」

「会えるよ」

 

君がこっちへ来れば、また会えるよ。

友人は笑いながら言った。

 

その時、見てしまった。見なければよかった。見たくなかった。

友人の足があるはずの場所から、別のものが生えていた。足だった。毛の生えた、獣の足だった。蹄のある、人の持つべきではない足だった。

肩から先が一瞬見えた。見えてしまった。そこに生えているものこそ足だった。友人がいなくなった日に履いていたはずの靴をひっかけた、ヒトの足だった。

 

 

 

 

 

 

もう一度友人の顔を見た。笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

扉の向こうに真っ黒な闇に食われた友人の顔が浮かんでいた。

友人は変わってしまった。もう、あの頃の友人には会えない。自分と友人にはもう「また」はなかった。もう、「次」はなかったんだ。

だから、笑いながら友人に言った。

 

「さよなら」

 

ずっと言えなかった別れの言葉を、今度こそ友人に言った。

 

「まって!」

 

友人に背を向けた。友人の潜った扉と丁度対面に位置している扉に向かって足を踏み出した。

 

「なんで!」

 

開かれた扉の向こうには真っ白な世界が見えていた。友人のいる世界とは別の世界だと一目瞭然だった。

 

「きみが!」

 

背後からは友人の声が飛んでくる。それでもいかなくちゃいけない。

勇気を出して、別の世界へ飛び込んでいかなくちゃいけない。

 

「きみがさきにいったんだろ!」

 

 

 

何処か遠くで、それでいてすごく近くでなにかがわらう音を聴いた。

開かれた口の中に、自分は飛び込んでいった。

たくさんあったはずの扉の中から「それ」を選んだのは偶然だったのかな。本当は、友人じゃない何かに「こっちにこい」と呼ばれていたのかもしれない。

もう、思い出せないけど。

 

 

 

 

 

 

 

扉の向こうは別世界。だから、扉という線を境に此方と彼方では世界が異なる。こっちからは向こうが、向こうからはこっちが、違う世界だと感じる。見える。そう、なってしまう。

友人も扉を潜ったことでああなってしまった。変わってしまった。そう、見えた。

あの友人からは自分はどう見えていたのだろう。別れた時と同じように見えていたのだろうか。

 

 

 

ああ、でももう、全部遅い。自分も扉を潜ってしまった。

友人を食ったものとは違うものに食べられてしまった。

きっと、もう、自分も、変わってしまった。

 

 

 

扉を潜った先に友人がいた。

いなくなる前の、自分がよく知る懐かしい友人だった。もう会えないと思っていたはずの友人だった。

嬉しくなった。涙が出た。

無くなった手を伸ばして、自分は言った。

 

「また会えたね」

 

扉に食われた自分は、もう以前の自分ではない。もう、自分にも、会えない。

 

 

 

 

 

 

寂しいんだ。こんな別世界に来てしまって。

悲しいんだ。寒いんだ。冷たいんだ。

たったヒトリキリでは言葉も凍る。

 

 

 

ダカラ、呼ぶんだ。

扉の先に見えてしまった過去の友人を。

自分と同じコッチ側にこい、と。

さよならなんて言いたくなかったんだ。サヨナラなんてしたくない。

どんなに別の世界にいたって、同じ世界を友人と見たい。

扉の向こうは別世界。扉を潜ってしまえば世界も自分も変わってしまう。もう、変わってしまった。

 

 

 

本当は、君に言わなければいけない。

友人を、自分を変えてしまって

 

「ごめんね」

 

 

 

 

 

 

世界を別ける扉がただの扉のはずないじゃないか。

それは大きく口を開いて獲物が飛び込んでくるのを待ってる「バケモノ」だ。

 

 

 

 

 

 

そういえば、いつ自分は最初の扉に食われたんだろう。

まあ、いいか。自分が死んだ時のことなんてもう覚えていない。覚えていてもしょうがない。

 

 

 

 

また、自分は会ってしまうのだろうか。

あの扉と。

 

扉の向こうは別世界。扉の先にまた扉。

全部の世界は扉でわけられていて、そいつがいなかったら繋がっているのかもしれない。

 

また、会えてしまうのだろうか。




























ジャア、マタネ。












この同窓会に参加してくれたみんな。












そして、サイゴノサイゴマデ見ていてくれた












そこのきみ。


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ナナフシギ肆

樹齢を100年越えた樹には精霊が宿ると云われている。



私は桜の精。
長い永い時間をかけて私は私をこの町に根付かせてきた。根付いた私は咲き続けた。
美しく。
美しく。
人が望むままに。

私の生は人と共に在った。
彼らは優しく、愚かで、とても、とても、弱かった。
桜の花が咲いては散るように、彼らの命も芽吹いては散っていった。散った命は戻ってこなかった。
たった一度の人生という。死んでしまえばそれで終わり。なんて儚い人の夢。

それでも私は咲き続けた。
それが私の生き様よ。私は咲き続ける。
これからも。
この町と人がある限り。
私は咲き続ける。


例えばこんな世を見たわ。そう、四つ目の話よ。

 

人という生き物は孕むことと孕ませることがお好きみたいね。

相手に欲を植え付けて、相手に欲を向けさせる。愛されたい、愛したい。愛してる、愛されてる。

その結果の一つが妊娠。

相手との子なんだからきっと愛しい。きっと大切にできる。

じゃあ教えて。

何で親が揃って存命なはずなのに、夜に一人で家にいる子がいるのか。

何で産んだ子を箱に入れて外や押し入れに放置する親がいるのか。

何で子殺しがあるのか。

何で親殺しがあるのか。

何で、人は殺し合うのか。

 

いつの時代も人は人に刃を向けるということを止めやしない。人はすてる生き物なのよ。自分以外を切ってすてる生き物。いいえ、もしかしたら自分さえも蔑ろにしてしまっているのかもしれない。

私からすれば人は捨てすぎる。もっと背負って生きるべきだわ。

歴史も、人の想いも、責も、夢も希望も、絶望も、現実も。全てを背負って生き、死んでいく。それが人の在るべき姿ではないの?

それこそ孕むだけでは済まないくらいに、人は負うべき咎をその性に持ち続けている。

 

 

 

その子たちもそんな性を持っていたのかもしれないわね。そう、人は運命と呼ぶのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

ある時、ある女が身籠った。男は喜んだ。そして同時に狼狽えた。

腹は膨れ、やがて臨月となった。

女の腹から出てきた子は二人だった。それを見た女と男は酷く焦った。一度に二人も育てることはできない。何もかもが足りない時分だった。特に食料が。

村で二人目の子供は許されなかった。男と女は決断を迫られた。

生かすか。死なすか。

女はどうしても生かしたかった。男も生かしたかった。しかしその出産を公にするわけにはいかない理由が二人にはあった。

二人は兄妹だった。同じ腹から産まれた者は交わってはいけない。村には掟があった。

 

親となった二人が兄妹であること。産まれた子が双子だったこと。

この出産はなかったことにしなければならない。

 

 

 

二人は言った。

 

「隠してしまおう」

 

 

 

その場で殺すことができなかった二人は、倉に隠して育てようと言い合った。

 

村には内緒で二人は子育てを始めた。暗く冷たく湿った倉の中。赤ん坊の鳴き声が外に洩れないように、口には布を押し込んだ。

女から出てくる乳はわずかだった。大人でさえ食べる物が不足していた。双子の赤ん坊の体力はどんどんなくなっていくばかりだった。

やがて村が男女のおかしい行動に気がついた。

 

「赤ん坊がいるぞ!」

「隠していたな!」

「なんて穢らわしい」

「信じられない」

 

「お願いです、見逃してください!」

「せめてこの子達だけは!」

 

「よく見てみろ! もう死にかけているぞ!」

「殺せ! 川へ流してしまえ!」

 

「やめて!」

「いやあ!」

 

双子は川へ捨てられた。泳ぐことなどできないと、二つ揃ってただ水の中へ投げ込まれた。

その後、男と女の首は跳ねられた。

 

 

 

よくある話よ。昔ならよくある話。

でもこの話はここでは終わらなかった。

 

 

 

 

 

 

流されたはずの双子は生きていたの。

 

 

 

 

 

 

どうやって助かったのかは誰も知らず。

ただわかったのは双子が二人揃っていたから生き延びたということ。一人ならばそれは叶わなかった。

流れ着いた別の村で二人は育った。

そして、まぐわった。

 

彼らは互いに運命の人だったの。唯一であり、自分の欠けた存在。

だから惹かれ合った。だから愛した。

だからまぐわった。

 

それは禁忌だった。

 

その村でも双子は卑しい穢れた存在として殺された。今度こそ。

首を跳ねられた双子は別の場所へ埋められた。

 

 

 

それからよ。

双子が殺される度に、殺した村が双子を産むようになったのは。

 

 

 

双子という存在は望まれなかった。一度に育てられるのは一人の子が限界だったからよ。二人も子がいれば村は飢える。

ならば間引くしかない。

片方残して片方間引く。

それで済めばいい。

 

でも双子は呪った。

片割れを奪われた子は後を追った。

子を絶やした村は次の子を期待する。でも次に産まれる子も双子だった。

その村は双子しか産まれなくなった。双子を養う力は村にはない。

だから村は双子を二人揃えて間引くことにした。間引かれた二人は埋められた。

 

村には双子さえ産まれなくなった。

 

 

 

 

 

 

これで、終わり。

 

ごめんね、まだ続くのよ。

 

 

 

 

 

 

間引かれたはずの双子、どうなったと思う?

土の中から何処かへ消えたわ。

 

埋めて数日、夜になると土の中から変な音がするの。

ずる、ずる。何かが這う音。

まるで蛇が這い回る音。

そして何処かへ去っていく。

その音は双子を埋めた辺りから聴こえたそう。だから何かあったのかと掘り出した。

掘り出されるはずの屍体は何処にもなかった。代わりにあったのは大きな通路。二つの屍体を繋ぐ通路よ。

その先には二人が通れる程度の通路が続いてる。

 

誰かが言ったわ。

あの双子は二人で地中深くに潜ってしまったんだ、と。

 

何度も産まれてきた双子。その魂は同じものだったのかもしれない。同じ双子が片割れを探して生まれ変わってきていたのかもしれない。

二人で手を繋ぎながら生きていきたかったのかもしれない。村人は思ったわ。

 

でもどうすることもできなかったのよ。

二人を育てることはできなかった。

二人を別けて、せめて養子として別の人生を送れたらよかった。でも彼らは惹かれあってしまった。

どんなに離しても互いを探す。それこそ、頭を失った死体となった後でさえ。

それでも二人の子は心のどこかでは悪いことだと思っていたの。村の人たちに、世間さまに顔向けができなかった。双子の親が倉の中で彼らを育てたように。

 

双子は生きたかったのでしょうね。

でも二人では生きていられない。一人でも生きていられない。

彼の双子はそういう運命だったのよ。

 

本当はね、呪ってなんかいなかったのよ。

ただ片割れにあいたい。

片割れと一つになりたい。

一つに戻りたい。母親の胎内で眠るよりも前と同じように。

そう願ったから、彼らは何度も生まれ変わっては同じ胎内に宿るの。

 

 

 

 

 

 

全ては過去の話よ。

あの双子はもう産まれてこない。そう、それでいいのよ。

あの子たちはあるべき姿を手に入れた。

 

一つの魂、割かれて二つに。

二つの命、まぐわい一つに。

絡み絡まり、ほどけぬよう。二度と双子として産まれ落ちぬよう。

 

双子はそれでよかったのよ。

でも困ったことが残された。

 

 

 

そう、あの通路よ。

双子が何処かへ消えた時に通った地下通路。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七不思議が四つ、いざ参らん。

 

 

 

 

 

 

 

この町には七つの不思議と一本の桜がある。

桜はご覧の通り、この私。

そして四つ目は「地下通路」。この双子が作る地上と地下を繋ぐ通路よ。

 

神出鬼没の地下通路。腹を空かせた口に飛び込めば生きて戻ることまかりならん。

 

双子が揃って潜った地下への道。そこには誰もいない。通ったはずの双子でさえも、そこにはいない。

誰もいない。

もう、誰もいない。

だあれもいない。

だあれも。誰も。

 

だからお通りなさい。

七不思議を求めるあなたが、その道をお通りなさい。

 

誰もいないその道を、あなたの足で歩くのです。

 

あの双子が通った血濡れの道を。

あの双子が這った暗く冷たい道を。

 

今度はあなたの血が通ったその足で歩くのです。そして落とすがいい。

落としながら進めば身も軽くなろう。

進めや進め。

迷わず進め。

止まるな、決して立ち止まるな。決して振り返ることなく道をいけ。

 

 

 

「地下通路」という七不思議はそれこそ地下へと続く道。言わずもがな、辿り着く先はこの世ではなくあの世でしょう。

だからこそ町に現れたその入り口から地下通路を通る時には振り向くべきではないのよ。未練を残したまま地下へと入るべきではない。

 

いいえ、違ったわね。

この世に未練を残すことはいいのよ。きっと誰かが絶ってくれる。

地下に入るときに恐ろしいのは、未練を連れたまま入ること。例えばあなたと、未練がましい誰か。

暗い通路をいくあなた。後ろから追いやってくる誰か。

人でも人ではなくても、その誰かはあなたにとってよろしくない。何せ、現世からあの世にまでついてくるのよ。あれね。今流行りのストーカー。そんなものと一緒にその通路をいってはいけない。

 

あの双子の通路はね。逃げ道なの。

私はあの子達を誰よりも長い時間見てきた。本当は生きたかった双子。でもどうしてもその道は開けない。だから二人で地下へ潜った。

人にはどうしても道が得られない時もあるでしょう。双子は誰よりもそれを体感している。

七不思議の四つ目は「死」への道。誰も帰っては来れない。よくそう言われるわ。でも違う。真実は別のところにある。

この世とあの世を繋ぐ通路。この世から入るのは生者。あの世から入るのは死者。

生は死を、死は生を受け入れる。反対方向からやって来たものを受け入れる。

一歩、一歩と変わっていくわ。通路を通ると音がする。澄んだ鋏の音。先にある口から出るために必要な何かを刈り取る音。

 

 

 

 

 

 

シャキン

シャキン

 

 

 

 

 

 

それは丁寧でなければならない。

通路を歩いて、歩ききって、その先を目指す者にとって大切な儀式でなくてはならない。通路の先を目指す者には相応の覚悟があるのだから。

 

覚悟なき者にとっては苦痛でしょう。悪戯に、遊び半分で立ち入っていい場所ではない。それを知らぬ愚か者を、双子は帰さない。

 

それはね、大抵先をいく人には覚悟があるのよ。その通路が何か知っている。だから先を目指す。

でもそれを追う人にはない。

双子がかつて地下へと潜った時、誰も追おうとはしなかったわ。何かしら理由を捲し立てて、あたかもそこには誰もいなかったかのように墓を埋め直した。

恐れたのよ。双子を。その通路の先にある世界を。

理を解する存在は通路を己の意思で進もうとする。知るだけで解さない存在は近寄らない。では、知ることも解そうともしない愚か者は?

 

 

 

 

 

 

嗚呼、お腹がすいてきたわね。

 

 

 

 

 

 

あの双子は私の下でお利口にしてくれてるわ。ただ、四つ目にしては地上に顔を出しすぎじゃない? って私は思うのよね。

七不思議は一つ目が一番出逢い易い。順に二つ目、三つ目、四つ目は中間。七つ目なんてほとんど知られていないじゃない。

だから偶然ではなくて、あの子たちが自分の意思で人の前に現れる。そういう怪異なのかもね。

どういう意思かって? ヒトだった頃の意思よ。まだ双子が一つに戻れず二人でいた頃の。あの子達の中にはまだヒトらしい心が残っていると思うわ。

 

地下通路への入り口は、特に助けや救いを求めて彷徨う人の目の前に現れる。姿を現す。

 

 

 

さあ、お入りなさい。お進みなさい。

そう言うように、地下への通路は口を開く。

お通りなさい。あなたが欠片でも望むなら、その道をお通りなさい。

 

 

 

いつだったか、ストーカーに追われる女の子が通路に入ったことがあったわね。

女の子を追うストーカーも、当然同時に入ったことがあったわね。

出てきたのは女の子だけ。しかも入った入り口から。

 

双子は優しいのよ。女の子が望んだことか気づいていた。

ストーカーから助けるために姿を現し、女の子を元の世界へ帰してあげた。ちゃっかりストーカーを制裁してね。

 

今だから言うわ。

双子は一つになるために生まれた運命の子よ。だからってその通路を使う女の子とストーカーは運命なんかじゃない。

「君と僕は運命の赤い糸で繋がっているんだ!」

なんておこがましい。

ストーカーとあの子は一つにならない「運命」なのよ。理解なさい。

 

 

 

あの通路にはどちらの口からも出られない愚か者がごろごろ転がってる。このストーカーがいい例よ。

それが間違って怪異として伝わったのね。「生きて帰さない地下通路」なんて、誰が言ったのか。

 

 

 

もう一度言うわ。地下通路は時に逃げ道となる。この女の子とストーカーの話もそう。双子は逃げたい者の味方をする。

 

特に、特に。私はあの通路の存在をこれ以上感謝した瞬間がないという時間があった。

それは戦争の時代。人が人を殺す時代。空から降る鉄の塊から人々は逃げた。中には別の国の兵隊から逃げる人もいた。

どうしても逃げられない、避けられない時代。人々は死を覚悟した。

でも、彼らは殺されることを受け入れられなかった。人に殺される、人に命を奪われる。

その理由が理解できなかった。

 

人は死ぬために産まれるのでしょう。生きるために殺すのでしょう。

では、何のために同じ境遇の「人」を殺すのか。殺さなくてはいけないのか。殺そうとするのか。そんなの誰にもわからない。理解なんてできない。

だってそれが「戦争」なのだから。

解さなくていいのよ。理解できるものなんてあの時代には何もなかった。

 

 

 

 

 

 

ほら、答えなんてとうに出ているでしょう?

 

 

 

 

 

 

時代から逃げようとした人々はこの土地にも溢れかえった。もう、何処にも逃げ場はなかった。

 

 

 

だからよ。あの双子はこの土地を廻った。

 

 

 

 

巡って廻った双子は人々の前で口を大きく開いた。

 

「さあ、お通りなさい」

 

人々はわかっていた。その口を潜って、通路を通り抜けた先にあるものを。先なんて、未来なんてないということを。

人々は己の意思で地上通路に入った。

 

 

 

誰も、地上へは戻らなかった。

 

 

 

それでいいのよ。

 

 

 

双子は火の嵐から人々を導いた。

 

かつて双子が通った道よ。

 

地上には居場所がない。

 

冷たく、暗い道。

 

手を繋いで。

 

ほら、冷たく硬くなった手を繋いで。

 

私たちは一人じゃない。

 

あなた達が向かうべきなのは、地下通路を通ったその先よ。

 

ほら、双子が導いてくれる。

その胎に体を食らって、あなたを導いてくれる。

 

 

 

それは双頭の蛇。

二つが一つになった、彼らの運命。

一つの体に二つの頭。双子は二人のまま一つになった。

 

あの子たちが望んだのは地上でも地下でもない。その過程よ。

一つの頭はこの世へ。一つの頭はあの世へ。彼らは口を開く。息をしようと。誰かを招こうと。

 

自分達のように誰もがいつかは地下を目指す。

 

 

 

 

 

 

死の先に、別の世界を見てしまう。

 

 

 

 

 

 

それは孤独よ。

二人で同じ世界は見られない。

 

双子は独り子にはなりたくなかった。

だから二人で一つになりたかった。

 

 

 

きっとアナタモそうなのよ。

独りだから二人を望む。

二人だから一つを望む。

 

 

 

通路を通ってみて。

それをしってる双子があなたの余計なものを全て剥がしてくれるわ。

どちらの口から出るにしてもそれは要らないもの。

 

双頭の蛇の長く続く胴体は地下を這う。

 

巡る。

 

廻る。

 

ぐるぐるめぐる。

 

 

 

 

 

 

嗚呼、お腹が空いてきた。

 

 

 

 

 

 

命を残して生きなさい。

魂を遺して逝きなさい。

 

あの蛇は運命の双子。

生まれた瞬間からこうなることが決まっていたの。だって運命だったんだから。

 

その通路を通り抜けるには温もりなんて必要ない。

双頭の蛇が血肉を剥ぎ取ってしまうのだから。




これが七不思議の四つ目、「地下通路」。

双頭の蛇が護る、あの世とこの世を繋ぐ道。



お通りなさい。

さあ、お通りなさい。


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星隠しのおまじない

大事なものと引き換えに願い事を叶えよう。大事なものが大きいほど、大きい願い事は叶うだろう。

 

 

 

それは星を隠すおまじない。

 

 

 

大事なものを隠してしまおう。そして願い事を決めるのだ。

見つからなければ願い事は叶う。

願い事が叶えば大事なものは見つかる。

何かでみたおまじないである。幼い子どもたちは誰もが知っていた。だから、誰かが何かを隠そうとするときは願い事があるときなのだと知っていた。

子どもたちは時に探し、時に共犯として隠蔽した。

決めた願い事は、隠した本人にしかわからなかった。

 

大人になれば、それがどんなおまじないなのか理解した。おまじないはオマジナイであり、呪いであった。

大人は隠される度に探し出そうとした。隠した者が子どもであれ、大人であれ、まじないの結果は決まっているのだ。

だから子どもは隠した。隠したことすら隠そうとした。探し出されれば願い事は叶わない。だから、必死で隠そうとした。

 

隠されたものは隠した者にとって大事なものである。大事なものであればあるほど、願い事は大事になった。

隠したものは大事なものである。だからなくてはならないものである。願い事が叶ったとき、それは戻ってくる。しかしそれは望んだ形とは違っている。

大事なものをなくしたくなければ、このおまじないは行うべきではない。大事なものをうしなうことと引き換えにしてでも願い事を叶えたい者だけが、このおまじないをした。

 

 

 

おまじないというものは。

願い事を叶える、実現するためのものではなく。

願い事を願うことに意味があるのかもしれない。

叶うまでの過程で何かを失えば、それはおまじないのせいである。もし叶わなかったら、それもおまじないのせいである。

全てを「おまじない」のせいにする。全てが「おまじない」のせいになる。

おまじないというものはそういうものなのだ。

 

だからおまじないは特別なオマジナイとなり、悪質な呪いと成り変わる。

 

大事なものは決まって願い事をしたものの近くにある場合が多い。それは大事であるが故だ。そして、それが見つかったか、見つかりそうかいち早く察知することができるように、隠したものは目の届くところに隠すときが多い。

見つかりそうなら見つかる前に隠し直せばいい。他の人に見つかることがおまじないの失敗なのだと子どもたちは考えた。

願い事をした人は叶えるために必死だった。

 

人はいつだって何かを願う。

ただ、それが何に願うかで結末は大きく変わってしまう。何を願うかはさして重要ではない。

人は願うのだ。目を閉じ、叶え叶えと念じ続ける。願うだけなのだ。



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星隠しのオマジナイ

女の子がいた。

女の子はある男の子が好きだった。

女の子はその男の子が欲しかった。

 

別の女の子がいた。

仮にその子を少女としよう。少女は女の子と親友だった。少女は女の子よりもお姉さんだった。

少女は女の子がある男の子のことを好きだと知らなかった。

 

女の子は少女に言った。

 

「あのオマジナイ知ってる?」

 

少女は女の子に言った。

 

「知ってる!」

 

そして、女の子はこう言ったのだ。

 

「じゃあさ、××××××?」

 

少女は頷いた。

 

女の子と少女は星を隠した。

 

女の子は二本の大事なものを箱に仕舞い、何処かへ隠した。

彼女は見つからないよう、二本をそれぞれ別の場所へと隠したのである。

 

女の子はなんでもないように大事なものを自分から切り離した。そして、笑いながらこう言うのだ。

 

「×××××××!」

 

狂ったカセットテープのように何度も何度も繰り返し言いながら、女の子は箱に入れたそれを隠した。

女の子は笑っていた。

女の子は笑っていた。

女の子は

 

 

 

少女は亡くなった三匹のペットたちの遺品を隠そうとした。隠そうとしたが、少女は迷った。

願い事よりも遺品の方が少女にとって大事だったのだ。亡きペットたちの遺品を少女は片時も放したくなかった。

それに、おまじないをすることは単純に女の子との付き合いであった。少女自身には叶えたい願いはなかったのである。

少女は迷った。そうしているうちに時間だけが経ってしまった。

少女は女の子が気づく前に遺品ではない適当なものを隠した。

 

 

 

そして、女の子と少女は罰せられた。

 

 

 

そのおまじないはしてはならないものだったのだ。

 

 

 

学校の教官によって罰せられた女の子は監禁された。少女はおまじないの形だけをしたため、厳重注意で終わった。

 

少女の隠したものは少女が自ら回収した。こんなもの意味がない。彼女はそう思った。

しかし、女の子の隠したものが見つからない。

少女は教官と他の子どもたちと一緒に探した。

 

女の子の隠した大事なものは見つからなかった。

 

 

 

何日も経って、何日も経った頃に、女の子は其処へと戻ってきた。

 

まるで夢から醒めたような目をして、女の子は男の子に言うのだ。

 

「お前が取ったな!」

 

監禁されているはずの女の子は右手に大きなナイフを持ち、子どもたちに突き立てた。その中には女の子が好きだったはずの男の子もいた。

同じ部屋で勉学をした学友を真っ赤にした後で、女の子は少女に向かって笑いかけた。

 

「おまじない、叶ったよ」

 

 

 

女の子の左手にはあるはずの指が二本消えていた。

 

 

 

彼女は大事な指を二本も使っておまじないをしたのだ。

笑う女の子は以前と同じだった。

以前と同じように狂っていた。

女の子は壊れていなかった。変わってもいなかった。最初から狂っていたのだ。

ただ少女が知らなかった。それだけである。

少女は願った。彼女とずっと親友でいられるように、と。

 

女の子は再び姿を消した。

彼女の机の裏からと、彼女がよく弾いていたピアノのイスの裏から、細い指の入った小さな箱を少女は見つけた。

焼いてしまえと教官は言った。

その教官はナイフを体に突き立てられた姿で次の日に見つかった。

 

 

 

それは禁じられたおまじないだったのだ。

 

 

 

女の子は見つからなかった。

 

 

 

少女は小さな二つの箱を何処かへ隠しながら、女の子のあの狂った笑顔を思い出す。彼女にとっては愛しい親友の思い出なのだ。



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星隠しのお呪い①

お呪いの読み方は「おまじない」です。


女の子がいた。

女の子は私の友人だった。

女の子は遠い街に住む子だった。

 

 

 

その子とは夏休みのキャンプで出会った。新聞のチラシに掲載されたキャンプの募集。場所は、多分一生に一回だって行かないだろう、名前だって知らない離島。そこで私たちは一週間を過ごした。

島へ渡る船を私は一人で待った。

周りは知らない子どもたち。名前は当然、中には会話できるか不安になる言葉を話す子もいた。自分はどうだろう。すごく不安になった。

そんな私に声をかけてくれたのがあの子だった。

 

あの子は私の三つ上、知らない街に住んでいる一人っ子だった。

私は小学生、あの子は中学生。とても大人に見えた。そう、とてもオトナだった。

あの子は私を妹として面倒をみてくれた。私もあの子を姉として慕った。私たちは二人とも一人っ子だったから、「姉」と「妹」が欲しかったの。

 

キャンプの一週間は自由だった。一日の大半を拘束されることなく好きな場所へ行って好きなことをする。

危険な場所へは行かなかった。特に火や水の事故には注意した。寝泊まりするコテージを離れる時にはスタッフの大人に声をかけることも忘れない。

私たちは本当に自由だった。

 

島の住人は僅かだった。高齢化が進みきり、残されたのは孫も子もいない老人たち。

彼らは地元の土を踏み荒す私たちを歓迎してくれた。それだけじゃなくて、島の案内や説明までしてくれた。冥土の置き土産だなんて言いながら、本当はきっと寂しかったんだ。私たちは彼らの声に熱心になって耳を傾けた。

田舎を通り越して大自然しかない島は面白かった。見たこともない植物や動物、風景は私の心を洗い流した。

毎日楽しかった。その瞬間はいつだってあの子と一緒だった。

 

 

 

あるお婆ちゃんが私たちにあのオマジナイを教えるまでは。

 

 

 

明日はとうとう帰らなきゃいけない。その夜に、きもだめしは行われた。

仕掛人は島の人たち。キャンプでやって来た私たちは大人も含めて何にも知らなかった。ただ、きもだめしをしよう。それだけだった。

コテージから近い場所にある集落の集会場にまずは行け。そこで婆さんが待っている。

私たちは二人一組で集落へ向かった。私はもちろんあの子と一緒。夕日が沈んでいく道を二人で歩いた。

もうすぐお別れだね。そんなのイヤだ。

まだ覚えているよ。あの時の会話。

あんなにお別れがイヤだったことなんてそれまでもそれからも片手で足りるくらいしかなかった。大事だった。あの子は私にとって大事で大切な存在だったの。

だから約束した。

キャンプが終わっても、家に帰っても、連絡を取ろう。電話でも手紙でもなんでもいい。それで、また会おう。

私たちは約束した。

約束がなくならないように、しっかりと手を繋いだ。

 

集落までは一本道だったと思う。周りに何にもない道。遠くから海の匂いと波の音が風に乗って通り過ぎていった。

しばらく行くと古い家がぽつぽつ見えてくる。でもそこには明かりがない。

誰も住んでいない家。人が入らないと建物はあっという間に朽ちていく。人の手は植物や風や雨に負けないよう、壁を押さえ続ける。屋根を直し続ける。床を踏み続ける。その上で火を起こして光とあたたかさを守り続ける。

それが生活するってことなんだ。スイッチ一つで何でもできる世の中じゃ忘れちゃうよね。でもその島はまだそうやって生きていた。

 

 

 

もう誰もいない島には明かりはない。



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星隠しのお呪い②

無人の家が並ぶ道を進んでいくと、明らかに人が住んでる感じの家が混ざってくる。そこは雨戸が閉まってても誰かがいるっていうのがはっきりわかる。それくらい有人と無人は違った。

私たちは迷うことがなかった。人のいる方へ行けばいい。それが道標だった。

 

集落の奥へ奥へと行けば、他の家より大きな建物があった。其所だけ明かりがついている。きっとここが集会場だと、私たちは足を速めた。

玄関から入ってすぐのとこ、私たちが靴を脱がなくてもいい場所にそのお婆ちゃんはイスに座って待っていた。そのお婆ちゃんの手に指は五本揃っていただろうか。戦争の時代を生きた人にはよくあることだと誰かが言っていた。だから、私たちは数えなかった。

 

お婆ちゃんが私たちに語ったのは古いおまじないだった。

大事なものを隠しながら願い事を決める。それが見つかっちゃえば願い事は叶わない。もし見つからなければ、その願いは叶う。

星隠しのおまじない。

お婆ちゃんは最後に、私たちの繋いだ手を見てこう言った。

 

「大事にしなね」

 

懐かしいものを見るように、お婆ちゃんは笑った。

私たちはお婆ちゃんの手を見ないようにした。そこが誰かの手と繋がっているように思えたから。

 

 

 

そのお婆ちゃんを見たのは、それが最初で最後だった。

彼女が誰だったのかは今でもわからない。

 

 

集会場の次は山が見える方向へ向かった。私たちが夜でも歩けるように、道の脇には看板と松明が一定の間隔で立って待っていた。

新しいそれに、島の人たちが余所者のためにわざわざやってくれたんだと知った。夜の闇は全く怖くなかった。

道の先に何があるのかは私もあの子も知らなかった。でもきもだめしだ。何が待っていると思うか、どきどきしながらあの子に聞いた。あの子は悪戯っぽく笑って声を潜めた。お墓かもよ。

私は怖くなかった。だって隣にはあの子がいるんだもの。怖くなんてない。だからわざと怖がったふりをして、手を強く握った。絶対に放さないでねと言いいながら。

私たちはわざとゆっくり歩いた。

明日にはさよならだ。少しでもこの時間を伸ばしたくて、私たちはゆっくりと歩いた。

 

ゆっくり、ゆっくりと、歩いた。

 

 

 

それでもその場所は見えてきた。木造の廃れた建物。家とは違う横に長い大きな形。そこは学校だった。

島には子供なんて一人もいない。そこは廃校だった。

私が通ってる学校よりもずっとずっと小さかった。でもどこか同じ雰囲気を感じる建物が其処には残っていた。

あの子もそれが学校だとわかったみたいだった。学校には教室がいくつもある。何処へ行けばいいのかわかるだろうか。芝生みたいに草が生えてしまった運動場の前で私たちは止まった。

学校の名前が書かれていただろう看板を見つけることはできなかった。

入り口はすぐにわかった。大きく口を開くように戸が開けられていたから。でも誰もいない。そこから入った後のことを私は心配した。

他の人はどうしたんだろう。私が思ったことを、あの子が言った。

 

試しに持たされた懐中電灯で校舎を照らしてみた。光は届かなかった。でも他にどうすればいいのかわからなくて、懐中電灯を振り回した。

運動場の草原には誰かが入った様子はない。草が一本も倒れていないのが証明していた。

私は校舎の方しか見ていなかった。いつも見ている校舎。それだけに気を取られていた。

懐中電灯を投げ捨てそうなくらい私は苛立ち始めた。その時、隣からあの子が手を引っ張るのがわかった。

そっちを見るとあの子が自分の懐中電灯で運動場の隅、草が生えていない変な場所を照らした。

そこにはアーチがあった。多分昔には藤とかの棚を作る植物が植えられていたのかもしれない。もう残ってはいなかったけど、そこの地面だけは草が生えていなかった。

アーチは校舎の方へと伸びていた。

あの子が私の手を引いて、行こうと言った。その子は私なんかよりもずっと大人だった。

 



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星隠しのお呪い③

校舎の中は外から見るほど傷んではいなかった。床には穴が開いているところもあったし、窓ガラスも何枚か割れていた。

誰もいなかった。先生も、子どもたちも。誰も、いなかった。誰も。誰も。

誰もいなくなった学校がこんなにも寂しいのかと思った。

私は、あの子の手を握りながらみんなに会いたくなった。

きっと廃校というものはそういうものなんだ。いなくなったものに会いたくなる場所。いなくなったものを待ち続ける場所。

学校は子供がやって来るのを待っている。年齢の話じゃないよ。「子ども」はいつまでも「子ども」なの。

ただ、待って、待って、待ち続けても誰も来なくなった場所は、どうなるんだろう。

私はまだそんな場所に出会ったことは一度もない。

 

板張りの廊下を土足で歩いた。ギシギシ音を立てながら。足音が二人分じゃなくても驚かないくらい廃校は古かった。でも埃は積もっていない。それは人が入った証拠だった。

私たちは闇雲に歩いたわけじゃない。木造の壁には道順を示す紙が貼られていた。紙の中の矢印の向きに従って私たちは歩いた。懐中電灯の明かりは見るべきものだけを照らしていた。

あの子は気づいていたかな。ギシギシ鳴る音が私たちのものだけじゃないということに。私は後ろを振り向かなかった。

 

その部屋はすぐにわかった。開いた戸からチカチカと光が漏れている。切れかけの蛍光灯じゃない光の点滅に、私は思い当たるものがあった。

夜中のリビング。スイッチを切り忘れたテレビ。画面の中で動く映像。

私はてっきりテレビが置いてあるのかと思った。職員室とかにあるのをよく見たから。でもそれは現代の話だった。その学校が閉じたのはどれくらい前なのか、私にはそれを想像するだけの知識はなかった。

だから部屋に入って見た物にすごく驚いた。あの子は黙ってそんな私を見ていた。

 

真っ暗な部屋の中で動いていたのはテレビではなかった。どちらかと言うと、そこは映画館みたいな雰囲気さえあった。

カタカタ回る映写機。大きなスクリーン。映し出されるアニメ。

音楽なんてないアニメだった。色も黒と白のモノクロ。何て言ってるかわからないセリフが早口で回る。

同じセリフが、狂ったように繰り返される。

 

私はそれをじっと見ていた。何も考えていない。ただ、ただ、そうだ。そのアニメが頭に焼きついて離れなくなったのはその瞬間だった。

何日経っても何年経ってもはっきりと覚えている。暗い部屋の中で浮かび上がる、二人の女の子が主人公のアニメを。

あの子も同じだったはず。何も言わないで、早く行こうと急かすこともしなかった。

私たちは二人、そのアニメをただじっと見つめていた。

 

 

 

そのアニメは、集会場で会ったお婆ちゃんが語っていたおまじないの話だった。

 

 

 

大事なものを隠す。見つからなければ願いは叶う。

星を隠すおまじない。

 

 

 

そのアニメが終わった時、映写機が置かれた机の上には二つの箱が乗っていた。

私たちは、それが何なのか知らないはずだった。きっときもだめしでこれを持ち帰らないといけない。そう思い込んで、手に取って、ポケットに入れた。

小さな箱の中からは乾いた音が聴こえる。

私は、中身を見てはいけないと思った。それを見つけちゃいけないと思った。

 

 

 

廃校を後にしてコテージへ戻った後も、そのアニメとおまじないと、箱のことだけは一度も触れなかった。

私は何も言わずに荷造りをした。隣ではあの子が荷造りをしている。

私は見た。

あの子があの箱をリュックの中に仕舞っているのを。

私は小さな箱を同じようにリュックの中へと仕舞った。

 

次の日、私たちはキャンプを終えて別々の街へと帰るだろう。

 

「また会えるよ」

 

そう約束をして、私たちは繋いだ手をほどいた。

 

 

 

何度も何度も願った。

あの子に会いたいと。

 

手紙だけのやり取りは続いた。その度に私は書く。あなたに会いたいと。

あの子も手紙の最後にはいつもこう締め括っていた。あなたに会いたい。会って話したいことがたくさんある。会いたい。会いたい。

私たちの願い事は叶わないままだった。

 

机の引き出しの中にはあの箱が眠っている。

眠っていたはずだった。だって、しっかり鍵をかけて隠していたのだから。会いたいという願い事と一緒に、仕舞っていたはずなんだから。

 

でも「大事なもの」は再び表舞台へと姿を表した。

古い小さな箱は蓋が開かれ、中身を露にしている。乾いた小さなそれが何か気づいた時、あのアニメを思い出したの。

そして、私は大事なものを隠そうと思いました。大事な、大事な、本当に大事なものです。

私はおまじないをします。

大事なお星さまを隠します。

 

願い事は決まっている。

 

 

 

 

 

 

「あの子に会いたい」

 

 

 

 

 

 

探さないでください。私たちの願い事を叶えてください。

お願いです。

探さないで。見つけないで。

 

 

 

私たちの願い事は、まだ、叶っていない。



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星隠しのお呪い④

私が成人式を迎える前に、あの子から手紙が来た。私の大事な大事なお姉さんのあの子から。

私は跳び跳ねて喜んだ。その頃、何度あの子に手紙を送っても返事が返って来なかったから。心配で心配で何も手につかなかった。だからその瞬間、すごく安心したの。

 

でも現実は優しくなかった。

 

あの子が送ってきたのは住所だけだった。それも調べたら病院のもの。

一体どういう事かパニックになった。これは就職先なのか、入院しているのか、それとも誰かの時みたいに何か他の意味があるのか。

わからない。何を言いたいのか、何を私に伝えようとしているのか。全くわからない。

病院は名前も知らない遠い場所にある。キャンプの時と同じように。行ったことのない外の場所。またたった一人で余所者扱いされる。怖かった。

でもそれ以上に恐かったのは、あの子が送ってきた手紙の中身だった。

住所だけだなんて、普通の人はそんなもの寄越さない。あの子は今、きっとフツウの状態じゃない。

私は知っていた。私たちは知っていた。普通じゃないほど言葉が少なくなる。フツウじゃないほど言葉が異様に増える。どちらも本当の事を隠してしまう。

 

私は外に出た。あの子の送ってきた住所にある病院を探して、見つけ出して、入り口を潜った。受付の看護師さんにあの子がいないか訊いた。

 

 

 

 

 

 

あの子は其処にいた。

 

 

 

 

 

 

白いベッドの上にいた。

 

 

 

管に繋がれていた。

 

 

 

 

 

身長が伸びていた。でも体は酷く痩せていた。

髪がとても伸びて二つに縛っていた。キャンプの時、私がそうしていたように。でもあの時みたいな艶はなかった。

 

 

 

 

 

目を開いた。

私を見た。

驚いた顔をした。

とても、とても、驚いた顔をした。

 

私は呼んだ。

あの子の名前を。

あの時より大人になった声で、あの子を呼んだ。

 

あの子は。

笑った。

あのキャンプで出逢って、島に行く船に乗るまでの間に声をかけてくれた、あの笑顔で。

あの子は、笑った。

 

 

 

そして、掠れた声で、私の名前を、呼んだ。

 

 

 

 

 

 

あの子の手首には包帯が巻かれていた。

 

 

 

 

 

 

その包帯を見て何も察しないほど私は子どもじゃない。利き腕と反対の手首にある傷。きっとアレだ。でも何故だ。何でそうしなきゃいけなかったのか、私にはわからなかった。

 

私たちは話をした。山ほど積もった話を。あの子はベッドで横になって、私はベッドの隣のイスに座って。たくさん、たくさん、たくさんたくさんした。

でも本当に訊きたいことは言えずにいた。

あの手紙はなに? その腕の傷は? どうして入院しているの? いつから

それはきっと聞かれたくないこと。どうしてなんでのお子さま時代はもうとっくに卒業している。でも私はあの子をなくさないために彼女を傷つけなくちゃいけなかった。だから私、言ったの。一言だけ。

私のこと、信じてくれるかって。

信じて、全部を任せてくれるかって。

私はもう大人だった。あのキャンプの時の子どもはもうどこにもいない。ここにいるのは大人になった子どもなの。

私は彼女を守りたかった。どうしても、何があっても、彼女を守りたかった。そのために自分や彼女が傷ついてもいいと思った。なくさなければ傷は癒すことができる。でも繋いだ手だけは絶対に放しちゃいけないことを、私は知っていた。

取り返せなくなる前にどうか、どうか。私は彼女を信じた。彼女が私を信じてくれることを望んだ。

そうするしかなかった。他に、方法はなかった。

 

握ったあの子の手は、骨と皮だけだった。

生きているのに、其処にいるのに、骸骨みたいだなんて。そんなの、そんなの、だめだよ。だめなんだよ。

あの子は生きていなきゃだめ。ちゃんと笑って生きていかなきゃ。

だから賭けたの。

 

 

 

あの子は黙って窓際にあるテーブルを指差した。そこには花が活けられるのを待っている花瓶が一つ置いてある。それじゃない。

あの子はテーブルの下のチェストを指差している。三段に積み重なったチェストは一番上だけが鍵つきだった。そこじゃない。

あの子は二段目の印象の薄いチェストを指差している。鍵つきじゃないそこは大したものが入っていないように感じられる。そこだ。

私は立ち上がって窓際に向かい、その二段目のチェストを引っ張った。何か重いものが引摺り出されるような感覚があった。出たくない、見つかりたくない。そんな風に何かが言ってるように感じた。

私はそれでもチェストを引き出した。

 

其処にそれはあった。

大きめのお菓子のアルミ缶。私はテーブルの上にそれを置いて、蓋を開いた。中には見知った手紙の山と、隙間を埋めるみたいにぴったりと別の箱がはまっていた。

手紙たちは私があの子に送り続けた物だった。ああ、全部残していてくれたんだな。そう思うと胸が熱くなった。でもそれじゃない。あの子が伝えようとしているのはそれじゃない。

箱の中に入れられた箱が気になった。私は窓を閉め、カーテンを引いた。誰にも見られたくないと思ったから。それから、あの子を見た。

あの子は何も言わないでじっと私を見ていた。

 

 

 

私は箱の蓋を開いた。

そしてすぐに閉じた。

 

 

 

其所にはあの小さな箱があった。



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星隠しのお呪い⑤

きもだめしの夜がすぐ後ろまで迫ってきていた。病院の真っ白な壁が汚れた木造の校舎になる。まだ太陽が眠りにつく時間じゃないはずなのに部屋の中は影が這いずり回る。

ふと映写機の回る音を聴いた気がした。カラカラ回る乾いた音を。

そして目の前にあのアニメが映し出された。どこかおかしいあのアニメを。

二人の主人公。まるで今の私たちみたいに仲がいい。二人は隠した。何を。何を。何を、何処に。

 

『オマジナイヲシヨウ!』

 

甲高い女の子の声が頭を叩いた。

不思議と思い出したのは、おまじないを私たちに語った老婆だった。ほんのわずかな時間しか同じ場所にいなかったはずなのに、何故かその瞬間、ぱっと鮮明に顔が浮かんだ。その老婆は私に言う。

 

『大事にしなね』

 

ほんのまばたきをする間のことだった。

 

私は閉じた箱の蓋をもう一度開いた。中には古い小さな箱。

私は知っている。だって、同じ物を私の部屋の何処かに隠したのはこの私自身なんだから。

 

心臓がうるさいくらい動揺していた。私はそれを見つけたくなかったのかもしれない。

教えてもらったおまじないなんて必要とする時が来るはずないと、ずっと思っていたのかもしれない。

でも私はそれを見つけてしまった。見つけたのは、二回目だった。

あのきもだめしの夜と、今この場所で。

 

私は崩れそうなくらい古いそれを丁寧に持ち上げた。

私の手は、震えていた。

箱から乾いた音がした。あの時気にもしなかった中身が、今大事なものだと感じている。誰かの隠した大事なものなんだと。

これは、私たちが持っていていいものなのか。

ゆっくり振り返ってあの子を見た。何も感じない顔で私を見ていた。

何かがおかしかった。何かが変だった。

彼女が見せようとしたのはこの箱なのか。

彼女が何を考えているのかわからなかった。何を言おうとしているのかわからなかった。彼女は何も言ってくれない。

でも絶対何かあるんだ。ないなら私にあんな手紙なんて書くはずない。

彼女は私に何か伝えようとしている。でも言えないんだ。それとも、言いたくないの?

それは私が見つけなきゃいけないことだった。

 

彼女は何も言わなかった。

 

 

 

私は部屋から立ち去った。彼女にまた来ると約束して。

あの小さな箱は、もとあった場所に戻した。家に帰れば同じ物がある。私が持ち帰った物が。

誰かのおまじないは終わったはずだった。願い事は叶っただろうか。

 

 

 

 

 

 

病室から出た所で一人の看護師さんに声をかけられた。女性だった。

「××さんのお友達?」

「お見舞い、誰も来られないのよ」

「あんなことがあったんじゃ仕方ないと思うけどね」

「今が一番辛いのよ」

「立ち直ってくれるといいんだけど、難しいわね」

その人は私が知らないことを教えてくれた。あの子が言えないことを。

それを聞いて、あの子に訊かなくてよかったと心から思った。私だったら言えない。言いたくない。それだけ現実は酷いものだった。

 

 



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星隠しのお呪い⑥

家に帰った夜、私は本棚の上に乗せたお菓子の缶を手に取った。脚立を使わないと届かない場所に置くものなんてたかが知れているだろう。そう思って私は其所にそれを隠した。

缶の蓋を開いた。ビー玉や昔好きだったマンガの付録、缶バッチがざらざらと出てきた。そういうものたちに埋もれてあの箱は眠っていた。

病室の時と同じように、私は丁寧にその箱を手に取った。今度は震えないように覚悟した。

 

そして、それを、ゆっくりと、ゆっくりと、本当は開きたくなかった、だけどそれをゆっくりと、開いた。

 

中には、乾いた短く細い棒が一本だけ、入っていた。

 

私にはそれが何かわかった。わかってしまった。

老婆の話と、あのアニメの映像を観ていたから、私にはわかってしまった。

 

 

 

それはオマジナイだった。

 

 

 

オマジナイの残骸だった。

 

 

 

小さな箱に誰かは入れた。大事な指を切って、その中に隠し入れた。

そして願い事をした。

願い事は叶っただろうか。

 

 

 

私は見つけてしまった。私たちは見つけてしまった。この箱を。この小さな箱に入れられ続けた大事なモノを。

 

私はおまじないをするだろう。

この指を切った誰かのように、何かを願うのだろう。

 

 

 

その願い事は私の大事な大事なあの子を守るためのもの。

だからお願いです。私の隠したものを見つけないでください。

どうか私の願い事を叶えてください。お願いです。お願いです。見つけないでください。

私を、私たちを見つけないでください。

 

 

 

私は眠った。

 

 

 

机の上には閉じられた小さな箱が、月明かりに照らされて浮かび上がっていた。

誰かのおまじないは終わったのだろうか。

 

 

 

次の日から私は必死に調べモノをした。 どうやって何を調べたかは聞かないで。

毎日毎日必死に動いた。大学はやめた。バイトもやめた。両親からは勘当されそうになった。でもされなかった。

私が泣きながらあの子のことを訴えたからだ。もし私が正しく彼女を守れなかったらどうなる。私はただの犯罪人となるだろう。それでもあの子だけは守ってあげたかった。

あの子は私にとって特別な宝物だった。外の世界にいるお姫様だった。ずっと笑っていてほしかった。ずっと笑って、幸せになって、将来の夢を叶えて、生きていってほしかった。

それの何が悪いの?

私が手にできない未来をあの子に託して何が悪いの?

あの子は私にとって特別な女の子なの。守ってあげなきゃいけない女の子なの。

私は両親に訴えた。

私がもし間違えた時、両親はきっと正しい方法であの子を守ってくれるだろう。だって私の信じたお父さんとお母さんなんだから。

両親は何も言わない代わりに頷いた。

ごめんなさい、お父さんお母さん。

私はやっちゃいけないオマジナイに手を出します。どうか見つけないでください。どうかどうかこのオマジナイを見つけないでください。



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星隠しのお呪い⑦

それからはあっという間だった。

私は、出来る限りの力を尽くしてあの子が伝えようとしたものを手に入れた。それは私を酷く憤怒させた。

私はもう迷わなかった。「私」という餌でそいつらを誘き寄せた。それも、あの島に。手段なんか選んでいられない。選ぶ必要なんかない。そいつらは笑いながらやって来た。

あの子にしたように、そいつらは私で遊ぼうとした。私はその時の事を証拠として残した。あの子の時の事もそいつらは口を軽く開いた。

だから私は口を閉じてやった。口を閉じてやった。口を、口を。口を。私が、あいつらの、口を、閉じてやったの。みんな、みんな、私が。私が、やった。

あの子の傷は癒えるのかもしれない。でもなかったことにはならない。私が、したことも。

わかってる。わかってるよ。わかっててしたの。これは私が望んだこと。なくならないことを理解した上で、私はやった。

 

誰もいなくなったあの島に残ったのは、昔と変わらない廃校だった。

きもだめしの夜。笑って手を繋いだ子どもの私たち。

 

全部なかったことにできたら。あの頃に戻れたら。

そんなの叶わないってわかってる。でも願わずにはいられない。

あの子のために。私のために。

私は願いたかった。

 

 

 

あんな傷、知りたくなんてなかった。でももう戻れない。過去は、起こってしまったことは取り返しがつかない大事になってしまった。

こんな風におとなになんてなりたくなかったよ。子どものままでいたくもなかった。別の道が、もしかしたらあったのかもしれない。もう選べない別の道が。

 

 

 

今さらもしもなんて言わないよ。全部私が自分で決めて進んできた道なんだから。

現実を、受け入れなきゃいけない。もうやってしまったんだから。

 

ああ、でも、でも。

 

私たちは見つけてしまった。

願い事を叶えるオマジナイといふ術を見つけてしまった。

 

 

 

全てが偶然だった。

全ては運命だった。

全てが必然となった。

私たちは見つけた。私たちは選んだ。そして私は進んだ。

このおまじないはなんなのだろう。このオマジナイは、お呪いだ。呪われている。禁じられている。

知っている。知っていた。

それでも大事な人の笑顔を思い出すと願わずにいられない。あの人に会いたいの。あの頃のように。笑っていてほしいの。

私は願わずにはいられない。

 

どんなに狂っていると言われてもいい。 でも解るはずだよ。この想いが。

 

 

 

私は隠します。大事なものを。

見つけないでください。私の願い事を叶えてください。

お願いします。どうか、どうか、見つけないでください。お願いします。

どうか見つけて。私たちを見つけないで。隠した私たちを見つけないで。どうか隠れた私たちを見つけて。その箱を開かないでください。お願いです。お願いです。

私は、隠しました。隠したんです。

おまじないをしました。

取り返しのつかないおまじないを施しました。願いは、願い事は。

 

 

 

たとえ願い事が叶っても、それは望む結果にはならないだろう。

 

だから私たちはここに何かを残していくのです。どうか見つけないでください。どうか見つけてください。

 

きっと、このおまじないは。

 

 

 

なんだったのだろう。

 

 

 

 

私はもう何処にもいない。

 

 

 

どうか




「星隠しの」

キラキラ光る
キラキラ光る
キラキラ光る
何処かで光る

見つけないでください
お願い事をしたから
見つけないでください
隠した大事なキラキラを

キラキラ光る
暗闇で
キラキラ光る
何かが光る

信じたまじないは変わってしまった
キラキラ光る
あなたの涙

あなたは何を隠したの?


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「またあした」

ポケットの中には何が入っていると思う? きみだよ。ほら、そこの君。君のポケットの話さ。

はは、探したって何も出てこないよ。だってそのポケットの中にはこれから誰かが入れるんだから。

 

嘘じゃないよ。きっと誰かが君のために入れてくれる。だから待ってておいで。その時が来るのを。

それはこれからのことなんだ。明日かもしれない。明後日かもしれない。もしかしたら何年も先かもしれない。

君は僕とこんな話をしたことすら忘れてしまうかもね。それでもいいんだ。いいんだよ。

 

ポケットの中には何が入っていると思う? そう、君のポケットの中だよ。まだ何も入っていない、その空っぽのポケットの中にだよ。

僕はね、そこには未来が入っていると思うんだ。

これから何を入れよう、何が入るんだろう。そう考えながら何も持っていない手を突っ込む。

そこでさ、何か掴めたら嬉しいだろう? 入れたはずのない何かがそこにあったとしたら。

入れたのは過去の話、見つけるのは未来の話。今を基準に考えたらそうなるね。うん、正解だ。よくできました。

でもそんなのつまらないじゃないか。僕ならこう考える。未来で見つける話を入れた。言いたいことは同じだよ。変わらない。ポケットに入っているものも変わらない。

飴を入れたら見つかるのは当然飴だ。ビスケットを入れたら見つかるのはビスケット。同じ物しか見つからない。

どうせ同じならちょっとワクワクしながら見つけたいだろう? 僕だったらワクワクしながら隠してワクワクしながら見つけたい。同じ物であっても、ね。

未来の君が見つける何か。それがポケットの中には入れられる。きっと。きっとだよ。

 

君たちはきっと手にするだろう。ほら、毎日毎日何かが足りない。

きっと君たちはこの話を思い出す。ポケットの中に未来の自分へ宛てられた何かが入れられたその瞬間に。君たちは、きっと思い出す。

だからポケットの中に手を入れて探るのを忘れないようにね。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、またあした」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちの恩師はそう言いました。私たちの卒業するその日の、最後の帰りの会で。

黒板を背にして壇上にたつあの人の姿を今でも覚えています。あの人の笑った声を、今でもよく覚えています。

 

 

 

その人は、もういません。

 

 

 

もう、いないのです。

 

 

 

あの先生は、もうこの世にはいないのです。

 

 

 

同窓会の案内がポストに届きました。家のポストに届いたのです。

でも私は、私たちはみんな、その時ポケットに手を入れたのです。同窓会の約束が届いたのは、大人になった私たちのポケットの中だったのだと思います。

忘れもしない恩師の最後の話。

 

あの人は、未来の私たちに何かを残していきました。形のないものです。また会おうという、約束です。

そして、私たちが今、ポケットに手を入れて手にした同窓会の案内がまさにそれなのです。あの人はこの世を去る前に、未来の私たちが手にするだろう案内状を書いたのです。送ったのは別の人であろうとも、私たちにはあの人が書いたものだとすぐにわかりました。だって、六年間もあの人の字を見続けたのですから。

 

私たちはみんな違う道を生きてきました。自分で選んだ自分の人生です。

孤独になりました。一人になりました。

だって、人は自分のために生きていくのです。自分の選んだ道しか歩けません。

それがたとえ誰かに用意されたものであっても、誰かに命令されたものであっても。歩くのは結局自分なのです。自分一人の足なのです。

私たちはみんな忘れませんでした。あの卒業式の日のことを。恩師が言ったあのポケットの中の話を。

あの日には何も入っていなかったポケットに、いつか何かが入れられる。そう信じて、手をポケットに入れました。

まだ来ない、まだ来ない。待ち遠しくもありました。

 

 

 

私たちは。

 

 

 

私たちは、その時が来るのを待っていたのです。

あの人が望んだ、私たちが夢に見た再会の瞬間を。

 

 

 

死んだ人とはもう会えない。そんなこと、誰だって知っています。私たちだって。

それでも私たちは望むのです。あの人が望んだように。未来でまた会えると信じて、私たちは生きてきました。生きてきたのです。

死んだ人と会えるはずがない。でもきっと会える。私たちはその意味を知っていました。理解していました。

 

 

 

だから同窓会の案内を手にした時、思ったのです。

 




「自分の番まであとどれくらいかな」


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