吾輩は呂布である (リバーシブル)
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一部「打草驚蛇」
「再会」


 吾輩は呂布である。

 

 名前はある呂布、(あざな)は奉先だ。それはかつての名前だが。

 前世は現在でいう所の中華人民共和国のどこかで生まれた。

 人を裏切り、最後には自身も裏切られて死亡し–––––

 

 再びこの世に転生した。

 

「ば、ばっ化けもんがぁぁ──ごどわッ!」

 

 弱者の叫びを中断させたのは豪腕から繰り出された、現代ボクシングでいうところのジャブと呼ばれるパンチ。

 金髪を短く刈り上げた体格のいい男がボールを放り投げたように空を舞う。

 ボールも、人も、その男の前では等しく風の前の塵に同じ。

 人中の呂布。前世では飛将軍と呼ばれた漢。

 

「ちっ、雑魚どもが」

 

 男の前には無数の虫けらが這いつくばっていた。

 そんなゴミどもに一切の興味を持つことなく男は歩く。

 

 薄暗い町並みを抜け、呂布は最後の自由な夜を味わう。

 呂布は一度死んだ。そして再びこの世に生を受けた。理由はわからない。

 二度目の生を受けてからは喪失感だけが彼を突き動かしていた。

 

 

 前世の記憶は歳を重ねるごとに薄れていき、呂布と呼ばれていた事すら他人事のように感じる。

 現在の名で呼ばれる度に、今の名前に引きづられる感覚。もはや呂布と呼ばれた頃とは別の人間になっている。

 

 ある1点を除けば。

 

 記憶がどれだけ薄れようと、今なお、彼の中にある思い。

 前世で深く繋がっていた己の半身、何者にも替えることができない大切な存在。

 その人物のためならば己の命すら惜しくなかった、なのに自分をこれほど縛る人間の顔すら思い出せない。

 その事実に言葉では表すことのできない感情が呂布を支配する。

 

 

 奇跡のような再会を期待し夜ごとに街を探索する。けれど、これまで本人どころか、その人物の僅かな痕跡すら掴めずにいた。

 日に日に増していく焦燥感。気持ちは焦るばかりで何の手がかりも得られない。

 人が集まる場所に誘蛾灯に誘われるが如く(おもむ)き失望する。

 

 その度、己の中に抑えきれないほど大きな怒りが湧き上がった。その怒りを周囲の虫けらへと撒き散らし、発散させる。

 呂布の体は昔ほどの巨躯ではない。身長も日本人の一般男性の平均止まりだ。だが、呂布は生まれてから肉体を鍛え続けていた。

 

 生前にはなかった数々の武術を学んだ。時には誰かに師事して教えを請い、強さを求めた。けれど1人の師に長く教わることはなかった。

 呂布が持っていた天性の武術センスは衰えておらず、驚異的な速さで技術を習得し、また別の武を求めた。 

 そして今──彼は再び万夫不当(ばんぷふとう)の名に相応しい力を手に入れた。

 

 生前の呂布は数多の戦場を駆け抜け、文字通りの殺し合いを行ってきた人間だ。

 現代の日本。日常生活で命の奪い合いなど、ほぼなくなっており欲求不満のようなものを感じていた。

 一般人からは大いに畏怖(いふ)されるヤクザものですら、この漢から見れば狩られるだけの弱者にすぎない。いうまでもなく、街のチンピラや半グレなどが相手になるはずもなかった。

 

 だが比類なき強さを手にした呂布は、その力を振るうことに最近は虚しさを覚えていた。

 一昔前は感情が昂り、血が沸騰しているかの如き感覚に襲われた。怒りの感情が肉体を満たし、湧き上がる血の(たぎ)りを抑えられずに暴力を撒き散らした。

 その上、一度滾った血潮は暴力だけでは収まらず、女を再三抱いてようやく静まることも珍しくはなかった。

 

 鍛え上げ、研ぎ澄ましたおのが肉体。類を見ないほどに強大だが、その力の使い道も、理由もわからない。

 最近は力そのものが拒絶するように感じており、まるで使い道が誤っていると諭されているようだった。

 

 

 今夜が自由に探索できる最後の日だ。明日から行く場所が噂通りなら三年間は外に出てこれない。

 呂布は翌日から全寮制の学校に通う。

 彼の時代に学校という制度は当然なく、勉学が苦手な呂布は進学する気もなかった。だが、周囲からの説得と学生という便利な身分を手に入れるため、進学する道を選んだ。

 

 明日から通う高校は普通の学び舎ではない。卒業するまでの三年間、敷地内からの外出どころか、連絡すら禁止している特殊な学校。

 その学校は卒業すれば、どのような進路も就職も可能にすると評判の学校らしい。

 

 彼がその特殊な学校に入学する理由は、そのような評判を聞いたからではない。

 もし、尋ね人がその学校に通い、自分は別の高校ならば、外にいる自分は最低3年間出会うことが出来ない。

 その人がいるという僅かな可能性に呂布は期待していた。

 もちろん、勉学が苦手な彼でも、思い人がその学校に在籍する確率より、そうではない可能性が高いことぐらいわかっている。

 

 それを理解した上で、呂布はその特殊な学校とやらに惹かれた。

 飛将軍の勘か、虫の知らせのようなものを感じている。

 遠くない内に尋ね人は見つかると信じている。それなのに呂布は焦りを禁じえない。

 

 

 今日の探索も無駄に終わり、呂布は最後の夜を嵐の如く暴れ回る。

 

 ––––––––––––––––––––––––––––––––

 

 俺は制服に着替え、15年という短くない歳月を過ごした家を後にする。

 周囲は暗く、まだ夜の闇が残っていた。太陽が昇ってもいないのに朝早く家を出るのには理由がある。

 目的地まで自身の足で歩くからだ。

 

 前世とは大きく違う別の時代と遠く離れた場所に、理由もわからぬまま再び生を受けた。そのような身の上であるため、技術の進歩というものを他の人間より遥かに実感している。

 しかし、どうにも自分が操縦できない乗物とやらは落ち着かない。この時代での主な移動手段は馬での移動ではなく、代わりに自動車と呼ばれるものが一般的だ。どちらも俺は得意なのだが、後者は法律とやらの問題で運転していくことが出来ない。

 

 バスや電車の公共機関はなるべく使いたくない。他人に己の命を握られているようで、幼い頃から苦手だった。

 呂布であった頃と今の俺は大きく違う。今は記憶や感情に名残を感じる程度、命を他人に預ける事に忌避(きひ)的なぐらいだ。逆に言えばそれくらいの名残しかない。

 

 けれど、生まれた時から強くならねばならない。という強迫観念だけは一時(いっとき)たりとも消えることがなかった。

 この国では武力というものは表立って使えない。それでも俺は自分を鍛え、数多の武術を身に付けた。その技術の行使に一切の躊躇いはない。

 

 それなのに今の時代では、その鍛え上げた力も暴力と呼ばれ使い所を選ばなればならない。

 人を殴る事に大騒ぎするくせに、年間だけで何万人が自殺しても波風が立たない国。

 命が平等などという綺麗事がまかり通る時代。無論、そのようなことがあるはずもない。大義が建前になり誰もが嘘をつき、現実から目をそらしている。

 

 昔と今の思想の違いを考え、歩き始めた。

 1時間、2時間、3時間と時間が過ぎる。その間、一度も止まることもなく歩き続けている。さきほどの問の答えが出る前に目的地が目に入った。

 

 これから通うことになる学校と呼ばれる学び舎だ。学ぶといっても生きていく上で、大半が役に立たない事を教え、自己満足に浸るのが目的とされる。使う当てのない知識や不確かな過去を学ぶことに何の得があるのか。

 現代では最低でも高校とやらを卒業していなければ、厳しい立場に置かれると何度も聞かされた。

 俺はその意見に納得をしたわけではなかったが、他に選択肢もなく進学の道を選んだ。

 

 この学校にした理由は俺が何らかの気配を感じたからだ。 

 ここを紹介された時、ハッキリと胸の内にざわつくものがあった。己の、たったそれだけの直感を信じ、この学校へと進学することを決めた。

 

 なのに実際に校門の前に立つと、俺は不安に駆られた。あの時のざわめきは勘違いではないか。

 尋ね人が見つからずにいることに焦り、早合点を起こしただけではないのか。

 頭の中を次々と不安が襲う。

 

 ここに俺の目的の人はいるのだろうか。

 またもや徒労に終わってしまうのか。そう思うと次の一歩が恐ろしくなり、重く沈んでしまう。

 

 誰よりも何よりも、大切な存在だったということが俺の記憶、いや、魂と呼ぶべきものに刻みこまれている。

 次があるならその手を離さないと誓い、絶対に幸せにすると約束したのだ。

 

 ここで迷っていて何になる、俺は自分に活を入れ直す。

 歯を食いしばり、一歩また一歩と進む。校門をくぐり抜けた時、俺は何かを感じ取った。

 瞬間、今までに感じた事がない衝撃が全身に(はし)り震える。

 

 

 –––––––()()、この中にいる。

 

 

 俺の中の、何かが、叫ぶ。

 呂布奉先であった名残か、それとも魂と呼ばれているモノか、言葉では説明できない何かが間違いないと吠える。

 一体どこにいるんだ、誰がその人なんだ。ようやく見つけることができたのか、はやる気持ちを抑えきれず駆け出す。

 近くの人混みを見つけ、1人1人顔を見ていく。違う、コイツらではない。先ほどのような衝撃を微塵も感じない。

 

 周りを見渡すと何人かが怪訝そうにこちらを見ている。視線を無視し、人混みが見つめていたものに気づく。

 クラス表が張り出されおり、15年間使用している自分の名前を見つけた。

 ここではなく、既に校舎内にいるのか。

 

 クラス表によると新入生は4クラスに分けられているらしい。

 名前がわからない以上、全部のクラスを当たることにする。

 俺は風のように駆け出し、校舎内に急いで入っていく。

 

 校内に入ると、1年生のクラスを目指して駆け抜ける。

 まず一番近いのはAクラス。

 Aクラスの扉は開いており、迷うことなくクラス内に飛び込む。Aクラスの生徒は席を立ち、グループごとに纏まり会話をしている。全ての生徒に近づき、確認をしていく。

 結果は期待はずれに終わり、期待と焦りを共にして教室を後にする。

 

 気持ちが抑えきれずに段々と体に力が入り始める。

 次のBクラスの扉を蹴破るようにして開けた。

 扉の一番近くに座っていた女生徒が驚愕し、すぐに困惑の色が顔に浮かぶ。Bクラスは既に生徒全員が揃っており座席が全部埋まっていた。

 黒板の前の教卓に立ち、素早く全員の顔を見渡す。

 

 ここも外れだ。舌打ち混じりに教室を出て廊下を疾走する。

 

 半分を終えてしまった。残りは2クラス。C・Dクラスのみ。

 俺は新入生ではなく在校生、はたまた卒業生ではないかという考えが頭によぎる。

 

 先ほどまでの生徒には欠片も気配を感じなかった。

 次のクラスもまた外れではないのか、そんな焦りが俺を動揺させる。

 余程焦っていたのだろう、気がつくとCクラスを通り過ぎてDクラスの前にいた。

 

 Cクラスを飛ばしてDクラスに入った。

 まばらに席が埋まっており無駄話に花を咲かせている連中が目に入る。俺は冷静になるためにゆっくりと歩きながらクラス内を回っていく。

 何らかの気配を感じる気がするが、まだここに来ていないのか、どちらかはわからないが、確証は得られなかった。

 

 俺はDクラスに未練を残しながら、Cクラスへと足を向ける。

 いよいよ新入生最後のクラスだ。二度目の人生、15年間で最大の緊張が俺を襲う。

 

 廊下を移動して、Cクラスの扉の前に立つ。

 静かにドアに手をかけ、音もなく扉を開ける。

 

 

 

 

 –––––––––––––––いた。

 

 教室の中を覗くと、俺は自然と1人の生徒に目が釘付けになっていた。

 衝撃も何もなかった。だが、間違いなく俺が15年間探し、心の底から待ち望んでいた人だと分かる。

 

 ああ、この人がいるから二度目の人生があるという確信。

 俺は誓いを胸に歩きだす。

 

 その人の前に立ち、自分が今までに味わったことのない気持ちになっていく。

 視線に気づき不審に思ったのか、その人が顔を上げる。

 

「––––––なにか、御用ですか?」

 

「ええっと、俺は、いや、俺もこのクラスなんだが友達がいなくて。1人が寂しいから友だちになってくれないか?」

 

「え? ええ、構いませんけど……」

 

「ああ、すまない、いきなり話しかけてるのに名前も言わないで」

 

 俺は静かに今の名前を告げる。

 

「私は椎名ひよりといいます。佐伯(さえき)くんはこの学校初めてのお友達です。これからよろしくお願いしますね?」

 

 彼女は名前を告げ、俺は思い人を探し終えた。

 







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「動揺」

 俺は無粋な電子音で目を開けた。

 探し人である彼女の名は、椎名ひよりといい幸運なことにクラスメイトのようだ。

 

 肩口まで伸ばしてある、手入れの行き届いた長く美しい髪。

 すこし垂れ目なところもチャーミングだ。落ち着いた雰囲気を纏っている。

 恐らく今まで、俺のような人種とは関わっていないだろう。

 

 是が非でも彼女から好感を得たい。だが、コレには大きな壁が立ちふさがっている。

 彼女が持っているものは本、つまりBOOK。

 

 俺は今まで、ほとんど本を読んだことがない。共通の趣味から関係を深めていくのは定番だ。なのに今まで本と縁のない生活だった。彼女との接点を作ることは急務である。

 ならば、今すべきことは──。

 落ち着くために大きく深呼吸を行い、周囲を確認する。

 

 俺の席は椎名の隣で、不審に思われることなく会話を終われただろう。

 席が隣だと気付いたのは会話を終えてからだったが。内心、浮き立つ気持ちを抑え自分の席についた。

 現実をしっかりと認識するため、一度、目を閉じているとさきほどのチャイムに邪魔をされたのだ。

 

 どうやら定刻を知らせる音だったらしく、扉が開きスーツ姿の男が入ってくる。

 制服を着てないことや顔つきから見ると同級生ではなく、クラスの担任とやらなのだろう。

 

「えー新入生諸君。私はCクラスを担任する坂上数馬だ。数学を担当している。それとこの学校にはクラス替えがない。おそらく、君たちとは卒業までの長い付き合いになるだろう。

 今から1時間後に入学式があるが、その前に学校独自の特殊なルールを説明する。入学案内で内容を知っていると思うが、改めて資料を配るので一通り目を通してくれ。

 あー、それと最後になったが、入学おめでとう」

 

 教卓の前に立っている男はやはり、担任教師だったらしく、ごちゃごちゃとなにか言っていた。

 クラスの半分ほどは、バカみたいにマジメな顔して話を聞いている。

 隣の椎名を見ると彼女は配布された資料に目を通していた。

 椎名はきちんと人の話を聞くタイプのようだ、見習わなければ。

 

 いつのまにか俺の所にも資料が回ってきている。自分の分を受け取りさっさと後ろに回した。

 中身に目を通す。もちろん内容に覚えはない。

 そもそも、この学校とやらにはさほど興味がなかったので、この資料とやらも初見だ。

 

 俺が事前に知っていたことは二つだけ。

 敷地内から外出することはおろか、外部と連絡すらできずに寮生活を送るということ。

 もう一つは、就職と進路が希望通りになるということだけ。

 

 新たに今回の資料から、遊技場や喫茶店など数多くの施設が敷地内に存在することを知った。

 学校の敷地は60万平米らしいが、それがどれくらいの範囲なのか全くわからない。この国では普段はメートル表記のくせに、面積は固くなに平米などというものを使う。

 どうして統一しないのか、意味不明だ。

 

 新たな情報を得ていると、担任がまた耳慣れぬ言葉を話し始める。

 

「知っていると思うが、本校にはSシステムが導入されている。今から配る学生証カード、それを使って敷地内にあるすべての施設を利用でき、また売店などで商品を購入することも出来るようになっている。簡単に言えばクレジットカードのようなものだ。ただし、購入時にはポイントを消費することになるので注意が必要だ。そして学校内においてこのポイントで買えないものはない」

 

 知らねえよ、そんなもの。なんでSなんだよ。サービスのSなのか? AでもBでもいいだろ。

 俺の内なる疑問に、担任は当然ながら応えず話を進めていく。

 

「施設では機械にこの学生証を通すか、提示することで使用が可能だ。それからポイントは毎月1日に自動的に振り込まれることになっている。君たち全員には既に10万ポイントが支給されている。このポイントは1ポイント=1円の価値がある」

 

 学生証と一体化したこのカードでお買い物とやらをするのだ。

 ここにいる俺と椎名を除く38人から奪えば380万、他の3クラスを合わせれば1580万ほど稼げる。時代と校則やらが許せば、な。

 

 担任の言葉に教室内が一気にざわついた。

 まさか、俺の強奪計画が漏洩したわけではあるまい。ということは支給額について驚いているのか。

 10万と言う額が大きいのか、小さいのか、いまいちわからない。別の国と時代だろうが15年も生活すれば、ある程度の物価はわかっている。

 だが、そのくらいの金額はここに来る前から稼いでいたので驚くことでもない。

 クラスの連中とは驚きを共有できずにいると、担任がしたり顔で説明を始めた。

 

「ポイントの支給額が多いことに驚いたか? 入学を果たした君たちには、それだけの価値と可能性がある。そのことに対する評価みたいなものだ。ただし、このポイントは卒業後には全て学校側が回収することになっている。仮にポイントを使う必要が無いと思った者は、誰かに譲渡しても構わない。だが、無理やり奪うような真似だけはするな。昨今、学校はいじめ問題には敏感だ」

 

 どうやら、金額が多いことについてのざわめきだったらしい。

 そして俺の心を読んだかのように釘を刺された。

 流石にこの時代に表立って、強奪まがいなやり方が出来るとは思っていない。オモテだっては無理だろう。けれど加害者は被害者が認識されて、初めて存在できる。

 

 それでも毎月10万くれるというのは気前がいい。それともこの中の物価は世間の2倍3倍あるのか。それなら納得がいく、もしくは普通の高校生とやらはそれくらい必要なのか。

 

「説明は以上だが、なにか質問はあるか?」

 

 クラスの皆さんは、毎月のお小遣いの使い途で頭が一杯のようだ。

 誰一人手を上げることなく話は終わり、担任が入学式の時間を告げ教室から去っていく。

 追いかけるようにして出ていく生徒が1人。質問があるのか、便所に急いでるのかはわからないし、興味もない。

 なぜなら最も優先すべき相手、ひよりが俺に話しかけてきたからだ

 

佐伯(さえき )くんはあまり驚かれないのですね」

 

 本を読んでいたところから見るに、彼女がチンピラタイプを好むとは思えない。

 俺は今までに見てきた、人間に好かれてそうなニンゲンの表情をつくりあげる。

 

「ん? あー、ポイントね。俺は使い途が思いつかないだけだよ。椎名さんはなにかある?」

 

「ふふ、珍しい方ですね。私は本でしょうか、読書が好きなので。それ以外はとくに」

 

 ひよりはやはり読書が好きなのか、俺は今までまったく本を読んでこなかった。

 せっかくの機会だ、彼女との話題作りのためにも読書家になろう。

 

「それを言うなら椎名さんも珍しい側なんじゃない? でも、本が好きなんだ。俺も高校生だし本を読もうかな。なにかおすすめあるかな?」

 

「ありますよ! いっぱい、あります。おすすめを紹介しますね! あ、好きなジャンルとかありますか?」

 

「ないよ、というかあんまり本を読んでこなかったから初心者でも読めるやつでお願い」

 

 彼女はいきいきと本について話し出す。ひよりは本当に本が好きなようで、俺の知らないタイトルを次々と上げてニコニコと笑顔で語りだす。

 

 よし、どうやら俺の考えは間違っていない。

 今までの粗暴な態度は封印することを決断する。

 

「あ、ごめんなさい。いきなり話しだしてしまって、私の周りで本に興味を持ってくれる人がいなかったのでつい」

 

「大丈夫、俺もこれから本好きになるから」

 

「はい、佐伯くんには期待してます。あ、もう時間みたいです。いきましょうか」

 

 このまま彼女と会話をしたかったが、そういうわけにもいかず大人しく席を立つ。

 そのまま入学式とやらに参加する。

 

 結果から言うと、入学式とやらは全く意味のない無駄な時間だった。ひよりとの会話が100点満点だったので比べるのもおこがましいほどに。

 

 その日は昼前で解散。敷地内の一通りの説明を受けたが、何一つとして興味を惹かれなかった。彼女と知り合う前の俺ならば、喜び勇んで豪遊していただろうに。

 唯一、彼女が好きだと言ってた書店だけを記憶した。

 クラスの有象無象はバラバラに散っていく。俺は見失う前に目的の人物に話しかける。

 

「椎名さんはこれからどうするの? さっきの書店で買い物?」

 

「そうですね。やっぱり気になるので書店には行こうかと。佐伯くんはどうされるのですか?」

 

「俺もちょっと気になってたから書店には行こうかな。あと他の雑貨も見ておくつもり。よかったら一緒に行かない?」

 

「はい、喜んで。私たちお友達ですから」

 

 俺たちはその言葉に笑い合い、2人教室を後にする。

 

 –––––––––––––––––

 

 ショッピングモール内の書店で俺たちは買い物を終える。

 俺はひよりのオススメする本をいくつか選び、彼女は新作コーナーから購入した。

 

 その流れで日用品や必需品を買うため別の店に入る。

 俺が危惧した物価のインフレは起こっておらず、外部と大きな値段の違いは確認できなかった。

 

「へぇ、意外に中と外で値段に大差はない。本だけが同じってわけじゃないみたいだな」

 

「ええ、日用品も外部と値段の差はありません。それだけじゃないみたいです、あれを見てください」

 

 彼女の視線の先には、無料と書かれた商品が陳列されている。一月に三品まで無料とデカデカと表示さていた。

 

「無料ね……。タダより高いものはないと言うが、コイツはどうなのかな? 一応、数に制限はあるみたいだけど」

 

「ポイントを使い過ぎた人への救済措置、もしくは貰えるポイントが少ない方への物でしょうか?」

 

「前者はともかく、後者は思いつかなかった。ポイントが手に入らないこともあるってこと? 毎月振り込むとは言ってたけど」

 

「佐伯くん、坂上先生は毎月振り込むとは言われましたが、金額についての説明はありませんでしたよ」

 

 まずい、担任の話がまったく頭に入ってない。そういえば10万を初めに支給された事は印象に残ってるが、毎月10万やるとは言ってない気がする。

 

「椎名さんは記憶力がいいんだね。俺は全く気付いてなかった。そういえば、毎月10万支給するとは言ってないね」

 

「ふふ、もっと集中してお話を聞きましょう。そう考えるなら、この無料の品にも説明がつくと思いませんか?」

 

「耳が痛いよ。でも、たしかに最低限の救済措置としては成り立つね。じゃあ遠慮なく貰っておこうか」

 

「はい、それが良いと思います」

 

 俺たちは無料の商品と必要なものだけを選び、会計を済ませる。物々交換どころか、こんなカード一枚で必要なものが手に入るとは便利な世の中だ。俺にとっては不都合かもしれんが。

 

「一年だからって舐めてんじゃねえ、あぁ!?」

 

 店から出た俺たちの背後から、怒鳴り声が響く。

 うんざりしながら振り向く、雑魚ほどよく吠えるという。このような場所で声を荒げるなど、脳味噌が入っているのかすら疑わしい。無視をしたいが、ひよりの安全のためにも確認しなければならない。

 だが、目当ては俺たちではなく他の生徒、赤髪で剃り込みのある男子が3人の男子と対峙している。

 

「おー怖い。お前クラスはなんだ? 当ててやろうか──Dクラスだろ?」

 

「だったらなんだってんだ!」

 

 なにか騒いでいるが、俺たちには関係がなかったのでさっさと歩き出す。

 なぜこんなに目立つ所で、あんなにも大声で威嚇しているのか理解できない。

 あまりにも子供だまし過ぎて笑ってしまう。彼女は不思議そうに疑問を口にした。

 

「どうして笑っているんですか?」

 

「いや、つい、えっと、なんだかおかしい物を見た気がして。深い意味はないよ」

 

「でも気になりませんか? あの人たちはどうしてDクラスだと分かったのか、なぜそう推察できたのか」

 

 言われてみるとたしかにそうだ。あの頭が悪そうな赤髪は、自分が1年だということを叫んでいたがクラスについては一言も言及していない。

 

「Dクラスは不良しかいないとか? それともヤンキーは必ずDクラスに1人はいる?」

 

「そう、かもしれまんせんね。今の状況からでは、ちょっとわかりません。あ、佐伯くん連絡先を交換しましょう」

 

「もちろん、喜んで。えーっとどうやるんだっけ?」

 

「そっちではなく、こっちです。これで登録完了です」

 

 ひよりは迷うことなく携帯の画面を操作する、彼女の白くほっそりした指につい見とれてしまう。

 俺の携帯画面には、椎名ひよりの名前が表示され、彼女の携帯には佐伯 了(さえき りょう)の名前が浮かんでいる。

 

 俺たちは寮に入り1Fフロントで荷物を受け取り、エレベーターに乗る。

 別れの挨拶を口に出そうとした時にひよりが先に口を開いた。

 

「佐伯くん最後に聞くことではないかもしれませんが……どうして私に声をかけてくれたんですか?」

 

 挨拶とは違う、思いがけない質問が飛んできた。

 あなたのことが大切だから。とは、まだ言えない。

 でも、彼女には誠実でいたいし、嘘をつくことなく真実を答えよう。

 

「そーれはー、ね。クラス一の美人と仲良くなりたくて。つい我慢できなかっただけ。ぜひこれからも仲良くしてね」

 

「え、は、はい。ありがとう……ございます。こちらこそ、お願いします」

 

 彼女は動揺を隠しきれずに、顔を赤くして俯く。  

 俺たちは別れの言葉を交わして別々のフロアで降りる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああああああああああ、あれでよかったのか? 

 まさかあんなに綺麗な子だとは思ってなかった。

 彼女と再会を終えると、好かれたくて、口調も態度もできるだけ気をつけたがアレでよかったのか? 

 よくテレビで見る女性に人気があるらしい、いけ好かない男を真似たが問題はないだろうか。

 

 外ではそれなりの数の女を相手にしてきたし、その時は緊張など微塵もしなかった。

 だが彼女を前にすると、つい見栄を張ろうとしてしまう。

 出来るだけの好青年を演じてみたが大丈夫だっただろうか。

 

 

 なんだか、よくわからないままに行動したし、彼女の趣味に合わせるために本を読まないといけない。

 人生で数えるほどしか本を読んだことがないのに可能なのか? 

 

 だが、待て、少なくとも嫌いなやつと行動したり、連絡先を交換したりはしないはず。

 自分が童貞のような考えを取っていることに、気づかないほど混乱していた。

 

 大丈夫だ、落ち着け。まだ、学生生活は始まったばかりだ。

 取り敢えずは部屋に入ろう。



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「競技」

まえがきってなんだろう。


 俺はひよりと別れた後、自分の住まいとなる部屋に辿り着く。

 寮に入ると、管理人からカードキーと寮生活のマニュアル本を渡された。

 カードキーを使用し、これから自室となる部屋へと入った。

 

 安物そうな椅子に腰掛け、早速マニュアル本に目を通す。一通り中身をざっと見て、ゴミの日など必要なページだけを破り取り、マニュアル本体をゴミ箱に投げ捨てる。

 

 片付ける必要がないほど物を持たなければ、常に整理整頓された部屋でいられる。

 無論、俺は綺麗好きというわけではない。しかし、ここに客人が来てその際に汚部屋で幻滅されたくはない。まあ、彼女以外にはどう思われてもいいのだが。

 

 というか寮生活を送るとは聞いていたが、男女同じ寮だとは考えてなかった。安全対策は万全でセキュリティに不備はないのか。

 学校側は完璧な体制を敷いているつもりだろう。しかしこの世に完璧なものなどありはしない。どんなに強固な城も必ず弱点と呼べるものが存在する。

 

 だが、今は学校の対策を考えてもしょうがない。気持ちを切り替えるために自室の手狭な部屋を見回す。

 実家を離れて女の部屋に転がり込んでた時期があった為か、一人暮しにはさしたる感想はない。

 

 椅子から立ち上がり、制服から私服に着替える。俺はベッドに座り今日買ってきた本を読み始める。

 

 目を覚まし気がつくと日付は変わり、本は僅かにしか進んでいなかった。

 読書好きの道のりは遠く感じる。 

 

 –––––––––––––––––––––––––––––––

 

 学校二日目、俺が遅刻もせずに朝から通学してる。

 我ながら違和感がある。けれど彼女の前で初っ端から大遅刻なぞ出来るはずもない。

 授業初日は授業というより、進め方と軽い説明だけで終わった。

 

 教師陣は優秀なのだろう、教科書を念仏のように読み上げるアホウはいなかった。

 その教師連中と反するようにクラスメイト諸君は自由気ままに過ごしている。

 携帯をいじるもの、近くの生徒と会話するもの、睡眠学習に励んでいる勤勉な若人。

 

 俺も眠りたいが、隣の彼女は真面目にノートを取っている。新生活早々、不真面目な印象を与えるわけにはいかない。俺は必死に睡魔と戦いながら、黒板の文字をノートに写していく。

 

 ようやく睡魔との戦いの終わりを告げるチャイムが響く。

 昨日聞いたときは忌々しく感じたが、今日はなんと落ち着くのか。

 教師がノートに何かを最後に書き終えて、教室から去っていく。

 昼休みとやらになったのだろう。

 

「佐伯くんは学食には行かないのですか?」

 

「ん? あー、せっかくの一人暮しだから自分で作ってみた。っていってもおにぎりだけどね。椎名さんもお弁当なんだ」

 

 彼女が可愛らしい弁当箱を取り出すのを確認する。

 その上で俺も学校に来る前に握ったおにぎりを机の上に出す。正直、食についてはどうでもいい。何を食べても旨く感じるのだ。無意識に前世と比べているのかもしれない。

 

 彼女が学食に行ったら、この握り飯は晩飯になっていたが予定通りに昼飯として消化されそうだ。

 俺は特に言うこともない米の固まりを食し始める。

 

「ふふ、なんだか男らしいですね。おむすびだけなんて。でも作ってくることが大事だと思います」

 

 女が飯を作るのが当たり前の時代ではない。ならば俺が作っても問題はない……はずだが弁当は作ったことがないので料理技術という問題があった。入学前は女のところに間借りしていたこともあったが、家事というものを一度もしたことがなかった。

 

「そのうち、椎名さんにも負けない弁当を作ってくるから見といてよ。まぁ、今はおにぎりから卒業する必要があるけどね」

 

「ええ、期待してます。佐伯くんは先ほどの授業にはついていけそうですか?」

 

「どうかなー。付いて行くのに精一杯って感じがする。椎名さんは余裕そうだったけど、勉強は得意なの?」

 

「そうですね……。勉強は嫌いではありません。その分、体を動かすのが苦手なんですが」

 

「俺は逆に体を動かすほうが楽かな。机の前にいると体が痒くなる」

 

「やっぱり今日の授業が辛そうだったのは見間違いではなさそうですね。でもきちんとノートを取っていた分、他の人達より立派ですよ」

 

 なんだろう、他のやつにこんな事言われようものなら、何様だテメーと思うところだが、彼女に言われると素直に喜んでいる自分がいる。

 照れくさくなり、誤魔化すように話を変えた。

 

「この学校は自由が売りなのかな? テストの点数さえよければ、態度は気にしない学校なの?」

 

「そのようなお話しは聞きません。ですが、先生が誰も注意しないのは気になりましたね。皆さん教えるのが、お上手なのに不自然さを感じます」

 

 そうなのか、教えるのが上手いからこそ、授業を聞こうともしない奴らには目もくれないだけかと思ってた。

 俺が見栄を張って、同意をしようとしたとき、スピーカーから音声が流れる。

 

「本日、午後5時より、第一体育館の方にて、部活動の説明会を開催いたします。部活動に興味のある生徒は、第一体育館の方に集合してください。繰り返します、本日──」

 

 女の声でアナウンスが聞こえてくる。

 部活動か、まったく興味はないが彼女と同じ部活になら入っても良いかも知れない。

 

「椎名さんは、なにか部活に入る予定ある?」

 

「お茶を習っていましたので、茶道部に入ろうかと。佐伯くんはどうですか?」

 

 茶道か、男で入るやつはいるのだろうか。

 俺に茶道部は厳しい、興味がなさすぎる。まだなにか、体を動かす部活のほうが椎名にアピールできそうだ。

 

「うーん、まだコレと言った部活は決めてない。説明会に取り敢えずは行ってみようかな、椎名さんはどうする?」

 

「私も説明会には参加してみようと思います。1人では心細いですから、置いていかないでくださいね?」

 

「後が怖そうだから、ちゃんと待つよ。楽しそうなのがあればいいんだけど」

 

 その後、俺たちは食事を続け、雑談をして昼休みを終えた。

 

 ––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

 ────俺は後悔していた。

 

 放課後、教室で時間を潰して、説明会開始の少し前に体育館へとやって来た。

 既に1年らしき生徒たちが100人以上、揃って待機している。

 

 この邪魔な人混みにいるくらいなら、ひよりをお茶にでも誘えばよかった。

 集団から少し離れた位置に陣取り、時間まで待つことにする。

 

 体育館に入る際に配られた部活動の詳細が載ったパンフレットに目をやる。

 部数に限りが有ったせいか知らないが、一人分しか渡されなかったので、ひよりと仲良く頭を突き合わせて眺める。

 人混みも悪くない、雑魚どもにも役目があった。ここに来てよかった。

 

 もう少しストレスゲージが溜まったら、周りを一掃しそうになっていたが急激にストレスゲージが萎んでいく。ひよりと並んでいるだけで、気持ちが落ち着いていく。他の雑兵どもは感謝するように。

 

「お、茶道部あるじゃん。やっぱり女子生徒限定なのかな?」

 

「そういうわけではないと思いますが、一緒に入部しますか?」

 

「ぐへぇ、茶道部はちょっと。正座がアレだし、アレ」

 

「ふふ、私は構いませんよ。それに侘び寂びについてお勉強するのも悪くないと思います」

 

「一年生の皆さんお待たせしました。これより部活代表による入部説明会を始めます。私はこの説明会の司会を務めます、生徒会書記の橘と言います。よろしくお願いします」

 

 どこかで聞いたような女の声が室内全体に響く。体育館の舞台上に、ズラッと部の代表者が並ぶ。

 汚えゴリラから娼婦として抱きたくなるような女まで、色とりどりだ。

 そいつらが1人ずつ壇上に立ち、募集をかけ始める。

 

「どの部活も新入生獲得に熱がありますね。予算の関係もあるので、1人でも部員が欲しいといった所でしょうか」

 

「そうっぽい。経験者も初心者もカウントしたら同じだしね。モテなさそうだから柔道は遠慮しとくけど」

 

「凄い偏見に満ちた意見ですが、否定もしにくいです……。でも佐伯くんは部活動を女性に人気かどうかで決めるのですか?」

 

 ひよりがジトっとした目で見てくる。まずい、俺の理想の優男を演じていたらどうやら余計な事を言ってしまったようだ。

 すぐさま失点をカバーせねば。

 

「イヤ、そーいうことじゃなくてさ。例えば、椎名さんだって彼氏は華やかなで、カッコいいほうがいいでしょ? それと同じで柔道はちょっとね……」

 

「今の弁解で分かったことは、柔道に対するマイナスイメージが強すぎることだけですよ。佐伯くんは柔道に関してのイメージが酷すぎます」

 

 あれー? おかしい、どうしてディスってんだ俺。

 あの汗汚い柔道着を見ると、体を鍛えた際の鍛錬を思い出してしまうからか、つい罵ってしまう。

 

「あ、茶道部の紹介。やっぱり着物着てやるんだ、ちなみにあれって作り帯?」 

 

 丁度いいタイミングで茶道部の紹介が始まる。壇上で着物を着た女子生徒が新入生募集をかけている。

 

「茶道部ですから、着物を着ないというのはないと思いますよ。そうですね……、アレは形状を見るに結び帯でしょう」

 

「やっぱり椎名さんは茶道部にするの?」

 

 壇上では弓道着に身を包んだ女子生徒が立っている。弓道部か、俺は弓が得意中の得意だ。前世から大得意だったし、今でも射的もシューティングでも負ける気がしない。もちろん、動かない的など目を閉じていても当てれるし、百発百中の自信がある。

 

 だが、俺が部活動に参加してもいいのか? 動かない的に当てて喜んでるような連中だぞ? 

 仮に俺が入部したら何を教えてくれるんだ? 

 

「他に興味深いものもありませんでしたから、茶道部にするつもりです。佐伯くんは、どうでしたか?」

 

 ひよりに良い所を見せれそう、そんな理由で弓道部に惹かれている俺がいる。

 それだけでは入部には至らないので保留とする。

 

「うーん、ちょっと興味ありそうなのもあったけど、決め手にはかける感じ」

 

 ひよりの視線が俺を通り過ぎ、壇上を見ている。

 

「随分熱い視線を送っていたのは弓道部ですね? あの弓道着に惹かれましたか?」

 

「ちゃう、違うよ。椎名さん、俺少し弓やってたからそれでね……」

 

 目ぼしい所の紹介は済み、入り口が人で混雑する前に俺たちは体育館から出ていく。

 俺は言い訳をしながら寮まで歩く。

 2人の間に笑顔が絶えることはなく、笑い合って一日が終わった。

 

 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

 入学してからはや一週間。

 俺はその間もひよりと友好を深めていた。

 

 他の生徒はなんだか、辛気臭い顔をしたヤツが多いクラスだがどうでもいい。

 彼女と過ごせるこのクラスが俺にとって最高なのだ。

 気の毒な男子生徒がイジメられようとパシられていようが、残念ながらそれが世の中だ。諦めてくれ。

 

 俺は水着に着替えながら、世の中の諸行無常について考える。弱肉強食ということで決着がついたので安心してプールサイドに移動する。

 しかし、体育が男女別でないとは珍しいのではないだろうか。他の雑兵がやけに落ち着きがなく、そわそわしており実に鬱陶しい。

 

 たかが、女子の水着にどれだけ興奮しているんだコイツら。童貞丸出しな態度に笑ってしまう。

 そんな童貞諸君にエールを送っていると、女子生徒が出てきて合流する。

 

「男子の皆さん、なんだか今日は行動が早いですね」

 

「アホだからね。しょうがない」

 

「え?」

 

「ごめん、なんでもないよ。そんなことよりも、椎名さん水着もかわいいね」

 

「え、あ、ありがとうございます? そんなに、じっと見られるのは恥ずかしいのですが……」

 

 他のアホどもよろしく俺も椎名の水着に釘付けになっていた。

 これは仕方ない。

 

「それにしても佐伯くん、なにか運動されてたんですか? 凄い、体だと思いますけど」

 

「むかーし、体を動かすのが趣味だったんだ」

 

 嘘ではないが、人を殴り、蹴り、ボコるために鍛えてました。など口が裂けても言えない。

 

「よーし、全員集合したなー?」

 

 体育会系と言えば、なんでも許されると勘違いしてそうな、マッチョ体型のおっさんが集合をかけ授業が始まる。体育の教師らしいが、男子からも女子からも、好かれてそうには見えない。

 

「見学者は13人か。随分と多いが、まぁいいだろう」

 

 明らかにただのサボりの生徒も混じっていただろうが、それを咎めることはなかった。

 いくらなんでも女子生徒のあの日にしては揃いすぎだろ。

 

「早速だが、準備体操をしたら全員の実力がどの程度か見たい。泳いでもらうぞ」

 

「あの先生、じ、自分あんまり泳げないんですけど……」

 

 一人の男子が自信なさげに手を挙げる。

 

「俺が担当するからには、必ず夏までに泳げるようにしてやる。安心しろ」

 

「え、そんな、悪いですよ。泳ぐ予定もありませんし……」

 

「そうはいかん。どれだけ苦手でも構わんが、克服はさせる。泳げるようになれば必ず役に立つ。それに彼女とプールに来た時に「泳げません」と言うつもりか? 必ずお前らの為になる」

 

 ごもっともな意見だ。無様にカナヅチなんです、など女の前で言えるわけもない。

 このおっさん、意外といいヤツなのかもしれない。

 

 全員で準備体操を始める。脳みそが股間と同化している何名かはチラチラと女子の様子を窺って止まなかった。

 それから50mを流して泳ぐよう指示される。

 現時点で、泳げない生徒は底に足をつけても構わないらしい。

 

 プールの端から端までの50mを適当に泳ぎ、プールサイドにあがり、ただ一人をみつめていた。

 俺はプールを眺めながら待ち人を待つ。

 ようやく姿を確認して水中に手を伸ばす。

 

「あ、ありがとうございます。佐伯くん、泳ぐの早いですね……」

 

 俺はひよりの手を掴みながら、ゆっくりと支える。

 

「まぁね、泳ぐの気持ちいいし。苦手じゃないよ」

 

「おーし、ほとんどの者は問題なく泳げるようだな。じゃあ競争すっか。男女別で50m自由形だ。女子は5人2組、男子は全員泳いだ後で、タイムの速かった上位5人で決勝な」

 

「げぇ、き、競争 マジっすか」

 

 泳ぎに自信がある生徒からは歓声が、自信のない生徒からは悲鳴が上がる。

 ちょーどうでもいい。何のメリットがあんだよ。適当に流して終わろ。

 

「男女共に1位になった生徒に俺から特別ボーナス、5000ポイントをやろう。代わりに一番遅かった奴には、逆に補習を受けさせるから覚悟しとけ」

 

 学校側がポイントを景品にしてきたか、バカ学生を釣るにはいいニンジンだ。

 人が力を発揮するのは、目の前の餌に釣られたときか、命に危険がある時の火事場の馬鹿力の二択だ。

 

 ポイントはどうでもいいが、せっかくこの無駄な身体能力を発揮できる。足の早いやつが小学生まではモテるという、なら泳ぎの早いやつはどうなのだろう。

 

「私は補修を受けずに済むようにがんばります……。佐伯くんは自信はありますか?」

 

「そうだねー。決勝までは残れるかもしれないけど、そこからは厳しいかな。あ、でも椎名さんがが協力してくれたら別だよ」

 

「男女別ですし、私が協力できることがあるとは思えませんよ?」

 

「あるある、ちょーあるって。椎名さんが応援してくれたら俺頑張るから、1位も取れちゃう。間違いなくね」

 

「ふふっ、そういうことですか。わかりました、佐伯くん1位目指してがんばってくださいね」

 

 彼女が柔らかい笑みを浮かべながら、応援をしてくれる。

 瞬間──俺の中で意識のギアが切り替わった。

 まんまとバカ学生が餌に釣られた図だ。釣るためのニンジンにしては、豪華すぎるけどな。

 

「おっけー、ありがとう。今のでエンジンかかったわ。そうだ、俺が1位取るからさ、明日の昼は学食ご馳走するよ。ちょうど、ポイント入るし」

 

「すごい自信ですね。1位が前提の発言なんですか? でもそれもいいですね。まだ学食を利用したことがなかったので、明日は学食にしましょう。それに佐伯くんにポイントが入らなくてもお昼のポイントぐらいはまだありますよ」

 

 ひよりは俺が本気で勝つ気でいる事に気付いていない。彼女からだと、ポイントを出しに学食を誘ったぐらいの認識だろう。

 俺は先ほどと違い、体中に力がみなぎっている。

 

 競争するのは女子からなので、男子はプールサイドで見学。

 心配して見ていたが、ひよりはなんとか最下位を免れて補修を受けずに済んだ。

 

 お次は俺たち、男子。

 やたらと気合が入ってる奴らがいる。水泳部か、前世が秋刀魚かなんかなんだろうな。

 とりあえず、ここで上位に入らなければならない。

 だが、1位になっては決勝での盛り上がりにかけるので3位通過で行くとしよう。

 

 ほぼ全員が前かがみになり合図を待つ、おっさんが笛を鳴らし一斉に飛び込む。

 前世が秋刀魚の男の少し後ろをキープする。特に問題なく50mを泳ぎ切り、狙い通りの3位通過で上位5人に入った。

 

 上位五人の決勝。今思うが、なんか変に目立っている気がする。

 そんなことよりもひよりとのランチの方が重要だ。

 

 再び5人で一列に並ぶ。前世が魚コンビが睨み合っている。きめぇ。

 競技開始の笛が鳴り、再度プールに飛び込む。たった50mしかないので手を抜きすぎると、追いつけない。なので俺は少し出遅れる形でのスタートを切る。

 

 慌てることなく速度を上げていく。腕を回す速度と水面を蹴るバタ足の威力を上げていく。

 1人、また1人、追い抜いていき最後の1人を抜き去り、タッチの差よりわかりやすい形で泳ぎ切った。

 

 見事に1位、これで明日の昼を気兼ねなく誘える。

 彼女に応援されて負けるなどダサすぎるし、勝つといった以上敗北などありはしない。

 水の中からひよりに向かって手をふる。

 俺が勝つと思っていなった彼女は驚いていたが、小さく手を振り返してくれた。

 

 教師のおっさんが、なにか言葉を発しているが興味はなかった。

 



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「片目」

 あと5分。3分。1分。

 30秒。

 5、4、3、2、1、0!

 

 キンコーンカンコーン、鳴り響いたチャイムはいつもより随分マシな音に聞こえた。

 社会科を教えている女教師が授業を終える。教壇に立っている女は、実に性的魅力に満ちたカラダをしている。オレ的愛人にしたい女教師ランキングNO.1。実に犯しがいがあり、性欲処理に具合が良さそうだ。

 と昔なら考えて手を出していただろうが、今は違う。

 

 彼女に知られる事を考えば、その様な馬鹿げた行動を取る気にはならない。あまりにもデメリットが多すぎるので、涙を飲んで撤退する。大人しく教室から去っていくのを見守るとしよう。

 

 ようやく午前中の授業が終わり、待ちに待った昼休みの時間が始まる。常日頃、たかが昼飯で浮足立つクラスメイト共に共感できなかったが、ようやく少し理解できる。 

 

 こいつらは授業が終わって喜んでいる訳ではなく、各人それぞれの待ち人との予定があるのだろう。それならばこの騒ぎっぷりも分かる。一時の逢瀬を楽しみたいのだ。ならばそのことについてアレコレいうのは無粋なことこの上ない。

 

 まぁ、このアホ共の顔を見るに飯を食いたかっただけなのかもしれんが。

 だかそんな雑兵連中の食事事情などどうでもいい。俺は俺の待ち人との約束を果たすとしよう。

 

「椎名さん、授業終わったしお昼に行こーよ。早く行かないとけっこう混むらしいしさ」

 

 ひよりは返事を返すことなく、いつもより柔らかい表情を浮かべて笑っていた。

 俺が戸惑っていると、彼女は笑いながら微笑を浮かべていた理由を話し始める。

 

「ふふっ、ごめんさい。佐伯くんの声がいつもより明るかったので、そんなに学食を楽しみにしてたんだと笑ってしまいました。やっぱり、毎日おむすびだと飽きちゃいますよね」

 

 どうやら彼女は、俺が毎回昼食は握り飯を食べていて、今日は学食で別の物が食べられるからテンションが高いと解釈したようだ。

 正直な所、ひよりと飯を食えるなら、なんでもいいのだが彼女の顔を見るとそんな言葉はどこかへ消えてしまう。

 

「バレバレだった? 実は授業中から楽しみでさ、昼飯のことばっかり考えて集中できなかったんだ。俺が飢え死にしちゃう前に学食行こう」

 

「そうですね。これ以上、お腹を空かせた人を待たせるのは忍びないですから。でも授業は真面目に受けないとダメですよ?」

 

「ごもっともです。午後は集中して受けるよ」

 

 彼女に飢え死にを心配されながら、学食へと歩いていく。

 

––––––––––––––––––––––––

 

 学食は俺が想像したよりも人が多かったが、混雑することなく列は流れている。それなりの人数の職員を配置しているのだろう、すぐに俺たちの番まで回ってきた。

 俺は自分の学生証を取り出す。彼女に昼食のメニューを訪ねようと振り返るとひよりもカードを取り出そうとしていた。

 

「昨日いったじゃん、俺が勝てば昼食をご馳走するって。ポイント振り込まれてたから好きなの選んで大丈夫だし、ソレ、しまってしまって」

 

「ですが、それは佐伯くんのポイントですし……。やっぱり自分の分くらいは、自分で……」

 

「いつもお弁当の椎名さんを学食まで引っ張ってるから気にしないで。ほら、後ろの人も待ってるし議論してる暇はないよ」

 

 ひよりは迷っていたが後ろを見て、俺を説得する時間も、状況でもないと判断してメニューボタンに手を伸ばす。

 俺も適当に昼食のメニューを決める。彼女と同じくらいの値段の料理を選び、合計金額が表示されカードで支払いを終える。食券の一枚を彼女に渡して、それぞれの料理を受け取りに行く。

 俺たち2人は、特にトラブルなく料理を受け取り手近に空いていた席に座る。

 

「ここも混んできたな。ていうか学食利用率高いね。俺たちみたいに自炊派は少数派みたいだ」

 

 フライ定食の揚げられたニンジンを箸で摘みながら話す。ようやく楽しい昼食が始まる。

 

「初めて学食を利用しましたが、値段もリーズナブルで料理も待たされることなく受け取れました。ポイントよりも時間や手間を惜しむなら、ここも悪くないと思います」

 

「なるほどね。でも椎名さんは自炊を続けるつもりなんでしょ?」

 

「はい、たまになら学食もいいと思いますが、私は自分でお弁当を作るのも楽しいですから。佐伯くんはどうされるのですか?」

 

 彼女が不安げな表情に見えるのは、毎日昼食を共にしてきた相手がいなくなることか、それともただの錯覚か。前者であってほしいし、俺も学食派に鞍替えするつもりもない。

 

「椎名さんに負けない弁当を作れるようになるまでは、俺も自炊するかな。技術的にまだまだ先は長そうだけど」

 

「よかった、私も1人で食べるよりお友達と食べるほうが美味しいです。それに佐伯くんのおむすびも日に日に形が整っていますし、成長は間違いなくしていますよ」

 

 俺の拙い握り飯はしっかりと観察され、技量の推移も見抜かれている。最近、自分でも手際が良くなった様な気がしていたが気の所為ではなかったようだ。

 初心者以下なことは、自覚しているがこうハッキリと褒められる機会というのはあまりない。

 

「なんだか恥ずかしいんだけど……。あ、それよりもここにも無料のメニューってあるんだね。選んでるやつはあんまりいなかったけど」

 

「ありましたね、山菜定食でしたか。見た所、普通の定食でしたが、評判はよくないみたいです。精進料理に近いので若い人の好みに合わないんでしょうね」

 

「毎月10万貰えるなら好きなもの食べるよね。そうはならないから、このメニューがあるんだろうけどさ」

 

 俺は別にその山菜定食とやらでも構わなかったが、彼女に金欠と誤解されそうで選ぶわけにはいかなかった。

 

「それだけの額を毎月受け取れるとしたら、このメニューにはほとんど意味がないでしょう。ですが、来月からはごく一般的な額になるのかもしれません。仮に一月で1万ポイントを支給とするなら、数々の無料の品も意味を持つとは思いませんか?」

 

 支給された10万という数字が大きく、1万では小さく感じるが高校生の小遣いならその程度で十分なのかもしれない。そこから食費を引くと多くは残らないが、そのために最初に10万を配ったとしたら一応の説明はつく。

 

「最初だけ景気よく振る舞って、後は節約生活ね。可能性はありそうだけど、それなら周りの2年生と3年生がもっと山菜定食を食べていても良さそうじゃない?」

 

 周囲を見渡しても山菜定食を食べている生徒の数は少ない。大半の生徒は普通の定食を選んでおり、そこまでポイントに苦労している様子ではない。

 

「あ、ほんとですね……。ということはポイントにバラツキがある?管理が大変そうですけれど」

 

「まぁ、来月には嫌でも分かることだし楽しみは先に取っておくとしよう。俺的には来月のポイントよりこのデザートが心配、溶けちゃうし」

 

「楽しみですか、どうなるかわからないもので悩むよりその考え方のほうが素敵ですね。このデザートも美味しそうです」

 

 俺たちは周りに邪魔されることなく、食事を終えた。

 

––––––––––––––––––––––––

 

 放課後、いつものように二人で寮までを歩く。

 ひよりの話では最近、男子が荒れているらしく心配されてしまった。傷やアザがある生徒が増えていると相談を受ける。

 全く周りに興味がなかったので、初耳だと告げると驚かれてしまう。野郎の顔なんざ、見ないしボス猿に誰が当選しようと問題ない。勝手にお山の大将を気取ってればいい。

 そんなクラスの近況を会話していると、彼女が突然立ち止まる。

 

「佐伯くん、あのお昼のお礼なんですが……」

 

「うん?あー、いや大したことじゃないし、別にいいよ」

 

「いえ、そういうわけにはいきません。提案なんですが、明日のお昼は私が佐伯くんのお弁当を作ってくるというのはどうでしょうか?」

 

「え?俺としては嬉しいし、椎名さんにぜひお願いしたいところだけどいいの?」

 

「ええ、もちろんです。佐伯くんは苦手なものとかありますか?」

 

 二人揃って寮とは逆方向の店の方に歩き出す。

 お互いの好物や本の進み具合を話して、会話が弾んだ。

 

––––––––––––––––––––––––––

 

 入学してから3週間が経った。

 その間に特筆すべきことは、椎名は料理が俺の想像以上に上手であるということ。

 約束通りに弁当を作って貰い、食してみたが文句の付けようがなかった。その際にクラスメイトの女と縁がなさそうな男連中から嫉妬の視線を多分に受けたが、気に留める必要はまったくない。

 

 もう一つは、ひよりと夕食を共にするようになったこと。一人分を作るのは効率が悪いので、お互いの部屋で料理を作りあっている。といっても俺が師事する立場で、彼女は今では俺の料理の師となっていた。

 

 俺は元々、刃物の扱いだけは問題がなかったので、彼女からの教えを受け格段に料理技術があがっている。

 昼食の握り飯だけを卒業し、週に1回はお互いの弁当を作る。内容は褒められる機会が増えたが、ひよりの弁当に比べると俺の弁当は数段レベルが落ちる。料理というのも奥が深い。

 

 他にはひよりからの報告を受けてから、周囲の気配を探ってみたがどうやらクラスのボス猿決定戦は終りを迎えたらしい。たかだか40人しかいないクラスなのにいつまで、小競り合いをしているのかと呆れてしまったが。

 

 以上が俺が記憶した出来事だ。

 追記するとしたら、ひよりは宣言どおりに茶道部に入部したことぐらいだろう。

 毎日活動するような部活ではないらしく、部活がない日は図書館で過ごすか、施設で買い物とちょっとしたお茶をするくらいだ。

 

 今日は彼女が部活の日なので、俺は図書館で時間を潰してひよりから部活終了の連絡を受け部室まで迎えに行くのがルーティンになっていた。

 本日、残るはあと一コマ、担任の授業である数学を残すだけ。

 そんないつもと変らない日常だった。

 

 プリントを抱えて担任教師が入ってくる。いつもと変らないメガネ姿。

 教壇に立つと早速プリントを配り始める。

 

「突然だが小テストを受けてもらう。受け取ったらプリントは裏にしたままで合図があるまで表にはしないように」

 

「聞いてないっすよ、そんなの。先に言っといてください」

 

 即座にクラスの一部から文句が飛ぶ。

 

「安心しろ、今後の参考資料にするだけだ。成績表には関係ない、今の実力を計るようなものだと考えてくれ」

 

 そりゃあ、テストなんだから学習度合いを計るのは当然なんじゃないか?

 他に何がわかるってんだ?

 しかし、俺も成績表に関係ないという言葉に少し、安堵する。

 図書館でひよりに勉強を見てもらうこともあるが勉強は得意ではない。それでも情けない点数を取るわけにはいかない。

 

「全員、プリントを受け取ったな?では、始めてくれ」

 

 俺も他の生徒動揺にプリントに名前を書き、中身に目を通す。1科目4問、計20問。各5点配点の100点満点のテスト。

 真剣に解いても、50点かそれより少し下になる手応え。数学の最後の3問は問題文すら理解できない。

 隣の椎名も最後の問題には頭を悩ませているようだ。

 

 俺は手を動かしテスト問題を睨みながら、片目で他の生徒の回答を盗み見る。正確な値は知らないが、俺の視力は 2.0 を大きく超えており、この距離なら片目でも問題にならない。見回っている担任に気づかれることなく不正行為(カンニング)を行う。

 

 だが、周囲の生徒も俺と大した出来の違いはなく、念の為問題文を確認してみたが中身も同じだった。拍子抜けしながら回答を埋める。恐らく、50点そこらの点数に落ち着くだろう。

 今晩のメニューを考えながら時間をつぶした。



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「解答」

 意味深な小テストの翌日、月も変わり5月1日を迎えた。

 早速、自分のポイントを確認してみる。俺の手持ちのポイントは約5万ポイントほど増えていた。

 

 ひよりの予想通り、10万ポイントは振り込まれていない。

 これが俺だけなのか1年全体なのか、それともクラス単位なのかは判断できないが大方予想通りの結果だ。

 

 そもそも5万も支給されたら普通の学生なら、余裕で一月程度過ごせるだろう。

 しかし、このポイントの使い途が単純なお小遣いだけなのか。

 ポイントの説明にあった買えないものはない。それがどういう意味を持つのか気になる所だ。

 

 俺はいつもよりも早い時間に寮を出て、自分のクラスへと向かう。

 なぜだか、ひよりもそうするような気がした。

 ほとんど生徒がいない時間に教室へとたどり着いた。クラス内には1人の生徒がいる。

 ひよりは出会った時と同じ様に本を読んでおり、俺が入ってくると顔を上げた。

 

「佐伯くん、おはようございます。今日は随分と早くお着きですね。なにかありましたか?」

 

「おはよう。椎名さん、わかってるのに聞いちゃう? 答え合わせがしたくてさ、ポイントはいくら振り込まれてた?」

 

 ひよりも俺も普段より幾分も早い時間の登校だ。それが何を意味するかなど聡明な彼女が理解していないはずがない。

 

「ちょっぴり焦らしたくなったのです。勿体ぶることでもないですし、私の今月の支給額は4万9千ポイントでした。佐伯くんはどうですか?」

 

「ビックリな事に同じだね。これが奇遇じゃないってことなら、支給額はクラス単位で統一されてるのかな?」

 

「そうみたいですね。今朝、ほかのクラスの人はポイントが支給されていないと騒いでいましたから」

 

「振り込まれていない? ってことは0か。うーん、クラスによってはハズレを引いたりするのかな。4クラスの内、大当たり、当たり、外れ、大外れみたいな?」

 

 だとするとこの4万9千は当たりなのか。0に比べれば当たりだ。けれど他の大当たりは桁が違うかも知れない。

 

 俺のただのおみくじなんじゃないかという、憶測じみた考えは即座に否定される。

 

「そのような運が絡んだものではないと思います。なんらかの基準を基に支給されるポイントの加点・減点を行ったのではないでしょうか。0のクラスは減点が上回り、ポイントがなくなってしまったと考えられませんか?」

 

「現状否定できるだけの材料はないね。でも根拠はなにかあるの?」

 

「不自然な点は佐伯くんも感じていたじゃありませんか。義務教育ではないとはいえ、先生方から授業中に一切注意がない点や、そこかしこにある監視カメラは学校として異様です。ですがこのカメラを通して学校側が採点を行っていたなら納得できます」

 

 ひよりは淀みなく根拠を告げてくる。今回のポイント騒動が運によってではなくクラス成績の結果だと言いたいらしい。

 そして俺に反論できる手札はなく、彼女の意見は実に理に適っていた。

 

「全く反論が浮かばないな、そっか、個人単位じゃなくクラス単位での成績だからポイントが同じなわけね。これは荒れるクラスが出てきそう」

 

「同感です。個人の減点がクラス全体のマイナスです。もちろん個人の加点もクラスのプラスになると言えますが、人は得てして悪い部分に目がいきます。減点された人が公表されるなら罰する動きになっても不思議ではありません」

 

「カメラが有るとはいっても死角がないわけじゃないからね。裏じゃどんな事がおきることやら。楽しい学校生活になりそうだ」

 

「佐伯くんは怖くはないのですか? 先日話した通り、男子生徒の何名かは暴力を振るわれた跡がありました。このクラスは既に直接的な行動に出ていると考えて間違いないでしょう。自分がその対象になるとは思わないのですか?」

 

「んー、標的になることで問題が起きるならね。どっちかっていうと俺のことより椎名さんが心配。なにかあったらすぐに言ってね。きっと力になるから」

 

「弟子に心配されるほどヤワではありません……。でも、ありがとうございます。私が困ったことになったら力を貸してほしいです」

 

 彼女が料理の師としての面目のためか強がりを言う。

 その後、改めて助力のお願いをしてきてまことに愛らしい。

 

「師を助けるのは弟子の役目でしょ。あ、ちょっとトイレいってくるね」

 

 –––––––––––––––––––––––––––––

 

 ひよりとの会話を一時中断して、廊下に出た。

 徐々に登校してきている生徒とすれ違う。やはり話題に上がっているのはポイントについての話ばかりだ。

 俺は他クラスに知り合いなどいないので会話を盗み聞きして情報を集めるとする。

 

 早速となりのクラスに足を向ける。

 

「まじ、なんでポイント振り込まれてないんだよ。ありえなくねー?」

 

「お前もかよ、俺も今朝ジュース買えなくて焦ったし。学校からは詫びポイントでも貰わないとやってけないわ」

 

 一番のハズレである0を頂戴したのはDクラスのようだ。

 クラスの外の廊下まで聞こえる声量で会話が丸聞こえしている。盗み聞くまでもなかった。賑やかといえば聞こえは良いが、騒々しいだけだ。

 

 まぁ、学生生活を楽しんでいるようでなによりだ。

 

 そのDクラスとは対象にAクラスは特に目立った混乱が見受けられない。優秀なブレーンがクラスを律しているのか、有無を言わさず恐怖で支配しているのか定かではないが不気味な沈黙があった。

 

 察するにポイントに増減があることを見抜いたヤツがいる。恐らくポイントの支給額に問題がなかったので静観しているのだろう。

 

 

 Bクラスにも立ち寄るが、なにやら不審な目で見られ長居はできないようだ。特に接点がないはずのBクラスからなぜこんな目で見られているのか。疑問は浮かぶが、大した問題ではない。

 気配を探ると、Aクラスほどではないが落ち着いた雰囲気を感じる。ここも当たりのクラスだったか。

 

 

 最後に我らがCクラスに戻る。

 クラス内にはひより以外の生徒が登校してきており姿が確認できる。だが先ほどのA・Bクラスに比べて落ち着きがなく支給ポイントが減額している事に騒いでいる。

 残念ながらハズレの分類のクラスのようだ。隣のDクラスは大ハズレを引いているが。

 

 

 しかしこのクラスが他の生徒から見てハズレだろうと構わない。

 ひよりが居るクラスならそれが俺にとって一番の当たりだ。しかし、他の雑兵が彼女に迷惑をかけ、害となるなら態度を改めさせるか無理ならば消えてもらうとしよう。

 

 俺は自分の席に戻る。

 

「男子トイレは大人気だったようですね。ポイントでも配られていましたか?」

 

 ひよりから声がかけられる。トイレの時間にしては長かったか。

 余計な言い訳をせずに正直に現状を報告する。

 

「目敏いね。他のクラスを偵察してきた。結論から言うと、0を引いたのはDクラス。残りの二つは少なくとも内のクラスより落ち着いてた。支給額にそこまで問題はなかったようだね」

 

「報告、ご苦労さまです。ですが、どうしてそういう楽しそうなことを1人でするんですか。私も探偵ごっこをしたかったです」

 

 ひよりがむくれる。他クラスのポイントより諜報活動の方が彼女は興味を持ったらしい。

 実に彼女らしく、つい笑ってしまう。

 

「ごめんごめん、今度はちゃんとホームズを誘うから。代わりにお詫びといってはなんだけど、今度評判の和菓子店に連れてくから許して。水まんじゅうが美味しいらしいよ」

 

「あ、それ私も耳にしました。茶道部でも話題になってて、絶品だそうです。しかし予約制で来月まで埋まってると聞いていますが?」

 

「え? そうなの!? ……というのは嘘です。実は先月から予約してましたー。ってわけで今週の土曜開けといて」

 

「ワトソン君は手際が良いですね。助手として見事な働きです。でも私で良いのですか、本来の誘うお相手の方がいたのでは?」

 

「誠に残念ながら、椎名さんを除くと友達どころか、知り合いもいないのです。のでお願いですから一緒に行ってくれませんか?」

 

「ふふっ、佐伯くんは妙な所でサプライズを仕掛けてきますね。ええ、土曜日楽しみにしていますよ」

 

 

 彼女に土曜日デートの約束を取り付けて終えると、予鈴が鳴る。

 担任教師が荷物を抱えて入ってくる。ようやく答えを貰えるらしい。

 

「おはよう。もう全員揃っているな? 早速だが皆の疑問について答えよう、ポイントの件についてだ。言葉での説明より実際に見たほうが早い」

 

 黒板に厚手の紙を磁石で貼り付け、全員がその紙に注目する。

 内容を理解するのに大した時間は必要なかった。ひよりが予想した通りの中身であって、彼女の考えを聞いていた俺は特に思うところがなかった。

 

 

 Aクラス 940cp

 Bクラス 650cp

 Cクラス 490cp

 Dクラス   0cp

 

 

「初めにcp(クラスポイント)というものを説明しよう。入学初日に言ったが、この学校は実力で生徒を測る。このポイントは各クラスの実力だと思ってくれ」

 

 そんな事を言ってたか? 入学初日の俺は彼女と出会った直後で、担任の話など記憶にない。

 まぁ、クラス単位での換算というのは想定してたし、このポイントを見るに加点式ではなく減点式なんだろ。

 

「まず、初めに言っておくと全クラスに1000 cp が与えられていた。日頃の生活態度を採点し、学校側が問題行動を確認したら cp から減点していた。各月の1日に支給されるポイントは1 cp につき100 pt (プライベートポイント)が支給される。このクラスの cp は490だから49000 pt が与えられたというわけだ」

 

 クラスポイントとやらを百倍する意味がわからない。計算をしやすくするためなのか?

 

 それにしてもDクラスはなかなか愉快なクラスだ。既に0ポイントとは。

 狙ってこの結果を出したなら肉を切らせて骨を断つ為に活発的な動きに出るだろう。失うものはないということはありとあらゆる無茶な事ができる。

 

「Aクラスだけポイントが殆ど減ってないじゃないですか、学校が贔屓とかしてるんじゃないの?」

 

 女子の一部がAクラスの持ち点に難癖を付け始める。Cクラスのポイントの減点について質問しない所を見るに問題があることは自覚しているようだ。

 

「安心していい、学校側は不正を一切していない。気づいているものがいるかもしれないが、この学校のクラス分けは適当に割り当てられているわけではない。優秀な生徒順にクラス分けをしている。君たちが平均より下の評価をされたというだけだ」

 

「その優秀な生徒とやらの基準は?」

 

 男にしては髪が長く、バンドマンみたいな生徒が短い質問を飛ばす。

 

 

「人事評価の内容については教えられない。だが明確な基準が存在しているとだけは伝えておく。さて諸君の1ヶ月の評価がこれだ。cp だけを見ても上から3番目、下から数えた方が早い。これだけを見ても学校側の評価が間違ってないことの証明になると思わないかね?」

 

 

 担任は暗にお前らが優秀ならクラスポイントの結果が、奇麗なクラス順にならないと言いたいらしい。

 尤もな意見だ。少なくとも依怙贔屓など言い出している時点で問題外だろう。

 

 

「厳しいことを言ったが、そう落ち込むこともない。下を見ても仕方がないがDクラスは度重なる問題行動の結果、全ての cp を吐き出した。これは歴代初の偉業だ。そしてクラス担任としては先月の間でポイントについて疑問を持ち、質問に来たことを嬉しく思うぞ、龍園(りゅうえん)

 

 

 他の生徒の視線の先には先ほどのロン毛の兄ちゃんがいた。豪快な見た目とは裏腹に細かいことに気付き質問をしたらしい。

 

「はん、このくらい俺の他にも気づいていたやつはいたさ。そんなことより、さっきの口ぶりからすると cp が引かれる問題行動とやらもマトモに答えるつもりはないんだろ?」

 

「察している通りだ。答えられる範囲で言うと、当たり前の行動をしておけば引かれることはない。そう考えたから君はクラスメイトに態度を改めさせたのだろう? 4月当初の生活態度を続けていたら cp は今の半分ほどになっていたぞ」

 

 

 クラスがどよめいた、どうやらボス猿としてはなかなかに優秀らしい。

 暴力を使いクラスをまとめたか。

 俺に被害が来なかったのは、彼女の前とは言え優等生な態度を取っていたからからだろう。

 

 クラス注目の男は気にもとめずに口を開く。

 

「仮にだがよ、俺たちが今回 cpを丸々1000残していたらどうなったんだ? 優秀なクラスと称した連中より、落ちこぼれクラスが上だった場合、学校側としての判断が間違っていたと謝罪でもするのか」

 

 

「面白い仮定だ、当然ながら謝罪などしない。が、その場合はこのクラスがAクラスに上がることになる。ここからが重要な点だが、Aクラスになる恩恵は、我が校で希望の進学、就職先を100%叶えられるのは卒業時にAクラスに在学している生徒のみだ」

 

 

 一段とクラスが騒がしくなる。この学校一番の旨味である話に後付で条件を追加されたのだ、当然と言える。落ち着いているのは俺のように初めから興味もないやつだけ。

 

 隣のひよりの様子を伺ってみると驚いてはいるようだが、そこまでショックを受けているようには見えない。

 

「君たちの頑張りによってはAクラスも夢ではない。クラスの中にはこの1ヶ月間減点なしで過ごしている者もいて悲観するには早いと言っておく。以上が学校の仕組みについてだ。最後にこれを知らせておく」

 

 

 黒板に、追加するように貼り出された一枚の紙。そこに載っていたのは先日の小テストの結果だ。

 名前と点数が記入され、全員の結果が一目瞭然になっている。

 点数の高い順に上から並んでおり、俺の点数は60点で真ん中より下の方にあった。ちなみにひよりはクラス最高得点で一番上に名前がある。

 

 

「今回のクラス平均は71.5点。今後行われる中間テスト、期末テストで1教科でも赤点を取れば退学となる。学校の定められたルールだ、勉学にも励んでくれ」

 

 

 平均以下の俺としては実に肩身が狭い。

 隣のひよりが心配そうに俺を見ている。穴があったら入りたい……。

 

「当然ながら退学は脅しではない。信じられないなら先輩方に聞いてみると良い、事実かどうかすぐに分かる。これで説明は終わりだが、なにか質問はあるかね? ……よろしい、では諸君の健闘を祈る」

 

 

 担任は説明べきことは告げたと言わんばかりに、教室から出ていく。

 残されたのは困惑しているクラスメイトたち。

 

 

 すぐに鐘がなり落ち着かないまま授業が始まる。

 今までと違い、誰も私語も居眠りもしない生徒諸君。

 







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「終着」

「さて、改まって自己紹介といこう。これからクラスを仕切る龍園 翔(りゅうえん かける)だ。ヨロシクする必要はないが、今後このクラスは俺に従え」

 

 放課後、HRが終わり担任が立ち去りボス猿宣言を始めるロン毛少年。

 彼の両脇にはオールドタイプの不良と人種による肌の違いでなければ肝臓を壊しているだろう巨漢が立っていた。さしづめ番犬ってところだろう。

 

 

「おつむが弱いお前らに説明してやるが、これから間違いなくクラス間での闘争が起こる。その際に学校側から落ちこぼれと評価された面子で他クラスと競っていくわけだ。だが他クラスの優秀な生徒とやらに纏まりのない烏合の衆で勝てる筈もない。見事にこの1ヶ月でその結果が出ているわけだしな」

 

「つまりお前らは龍園さんの指示通りに動けば良いんだよ。わかったか!」

 

 取り巻きAが騒ぎ立てる。心底鬱陶しい、消すか。

 けれど、龍園の言っていることも的外れではない。遅かれ早かれ誰かをクラスの神輿に担ぐ必要がある。

 ただでさえ劣勢な側なのだ。個人が好き勝手に動いてはお話にならない。

 

 

「石崎、かってに喋るな。しかし、その通りだ。坂上も言ってたが今回俺が動かなければ上位クラスとの差は広がっていた。この中にも疑問や異様さに気づいていたヤツはいるだろう。だが、実際に行動したのは俺だけだ。

 今後はクラスの王として命令を出す、まだ俺に従わねえヤツがいるなら何時(いつ)でも来い。相手になってやる」

 

 何名かが俯き視線を逸らす、既に牙を折られた負け犬どもの無様な姿が目に入る。クラスの連中を見るに反乱分子は既に潰しており、形式だけの儀式だ。用意周到なことで期待していいのかもしれない。

 これは自分がクラスの王として、正式に君臨することを認めさせる授与式に過ぎないのだから。

 

「どうやら反論もないようだ。1つ約束してやる。俺を王に仰いだからには必ずこのクラスをAクラスに上げてやる。俺の公約はこれだけだ。

 それからこの中から幹部を募る。俺に力を貸し、クラスの中枢に関わる人間を幹部として迎え入れる。もちろん、待遇は期待していいぜ。その能力に見合った報酬と立場をくれてやる。とりあえず今日から一週間が採用期間だ。

 一番でかいカラオケ屋の404の部屋を抑えてある。そこで俺が放課後から選別を行う。また、それとは別に相談事や陳情があるなら今のうちに来い」

 

 

 龍園がクラス全体を見回す。俺と一瞬だけ目が合うが、何を言うでもなく視線が通り過ぎる。

 誰一人として声を上げずに石崎が解散を言い渡す。

 クラスの王様御一行が教室から出ていき、教室に落ち着きが戻る。思ったより混乱がないのは初めから想定の範囲内だったようだ。小さなグループで話し合う姿は見られるが徹底抗戦の構えを取る生徒はいない。

 

 バラバラと教室から去っていくクラスメイト諸君。

 隣の彼女を見ると、帰りの準備を終えてカバンを持とうとしているところだった。

 

「椎名さんはクラスのリーダーにはならないの?」

 

「そうですね……。佐伯くんが補佐してくれるなら立候補してもいいですよ?」

 

 ひよりはイタズラっ娘のような笑みを浮かべて笑っている。

 

「それもいいね、女王の誕生だ。クラスの王様に問題というか、気に食わないところってあった?」

 

「まだあまり龍園くんの事をよく知りませんし、様子見といったところです」

 

 ひよりの言葉に納得を覚え頷きながら、教室を出ていく。

 今日は彼女が部活の日なので、俺は適当に時間を潰さなくてはいけない。

 部活棟で分かれる前に彼女から嬉しい提案をされた。

 

「佐伯くん、私たちが知り合って、はや1ヶ月です。そろそろ名前でお呼びしてもいいですか?」

 

「まじ? いいの? じゃあ、俺も遠慮なくひよりって呼ぶね」

 

「ええ、リョウくん。では私は部活なので、ここでお別れです」

 

 

 別れる寸前で大事な事を聞いておく。

 彼女を呼び止め質問をする。

 

「なんとなく聞いときたいんだけど、Aクラス行きってどう思ってるかな?」

 

「私はそこまで乗り気ではないというか……。いえ、もちろん上がれたら嬉しいですが。それに佐伯くんもAクラスに上がりたいでしょうからクラスに協力はしますよ」

 

「そっか、それだけ聞けたらよかったよ。ひよりちゃん、部活頑張ってね」

 

 手を振り彼女と別れる。

 放課後の予定は決まり、俺は足早に校内から立ち去った。

 

 ––––––––––––––––––––––––––

 

 

 カラオケ店は敷地内に何店舗かあったが、一番大きなカラオケ店はすぐにわかった。

 店員に1人での利用かを尋ねられるが 404 の部屋に用があることを告げる。

 奥の部屋であることを伝えられ、礼を言って奥へと進む。

 

 

 少し入り組んだ通路を歩くと目当ての部屋番号が見えた。

 扉の内側から制服が掛けられており室内が見えないようにされていた。乱交パーティーでもやっているのか。そんなバカな考えが頭に浮かび、すぐに消えた。

 

 

 さて王様とのご対面と行こう。躊躇うことなくドアを引いた。

 室内は薄暗く、照明を絞っているようだ。寮の自室よりは遥かに広く、大きめのソファーとテーブルが置かれているが、手狭であることを感じさせない。

 

 

 ソファーに1人だけ座りテーブルに足を乗せ、視線を携帯から動かそうとしない龍園。

 周りの連中は様々な態度だが、全員がこちらを値踏みしてくるような視線を飛ばしてくる。腕を組み睨みつけてくる男、直立不動のままこちらを見据える黒人、髪の毛を弄りながらも意識を向けてくる女。

 

 室内には4人の人間が居る。龍園、黒人、石崎、髪の短い女がいた。こいつらが王様と愉快な取り巻きの皆さんか。

 

 俺はテーブル近くまで歩き、手近にあった四角い椅子に腰掛け荷物を置く。

 タブレットを操作して飲み物を注文する。俺以外の分は既に机の上に置かれており、クラスメイトなのに仲間ハズレは寂しいからな。

 

 すぐに注文通りの品が運ばれてきて店員からグラスを受け取る。俺はグラスにストローを挿し、冷えたコーラを味わう。

 

 ふぅー、と一息ついた。周囲の人間のそれぞれ違った反応を見せる。女は呆気にとられており、石崎は侮辱されたと言わんばかりに顔が歪んでいる、黒人はサングラスをしており表情が読めない。

 龍園は携帯での用事を終えたのか、こちらに目を向けていた。

 

「こんなに早くクラスの人間が来るとは思ってなかった。それでお前は何をしに来たんだ?」

 

 俺は龍園の質問には答えず、ストローに息を吹き込んで泡をブクブクさせて遊んでいた。

 ていうか、これペプシじゃん。俺は品質偽装に愕然とした。

 

「オイ! テメー龍園さんの前でフザケてんのか!!」

 

「うるせえな。聞こえてるわ、叫ばないと会話できないのか?」

 

 俺は雑魚を無視して、龍園と視線をぶつけた。

 くくっと噛み殺した笑いが聞こえてくる。

 

「おいおい、今日は随分と乱暴な言葉遣いだな。その態度から相談事って線はないだろうから幹部の件か。日頃女の尻を追っかけてばっかのテメーが何のつもりだ?」

 

「ボス猿争いなどに興味がなかったが、そうも言ってられなくなった。それとお前らに丁寧な態度など必要あるかよ」

 

「テメエが動くのはAクラスへの昇格の件か。たしかに現状はトップとのクラスポイント の差は2倍近い。上位クラスへ上がること。それが一ヶ月間クラスに全く関与しなかった、お前が重い腰を上げた理由か?」

 

「そんなとこだ、ついでに王様とやらの実力を測りに来てやった。本当にクラスを率いるだけの器かどうか、な。龍園、お前次第だが手を貸してやってもいい」

 

「ほう? クラスを一月で纏めた俺に不服か。だが佐伯、お前に何が出来る。先日のテストでも平均以下の結果のお前が。手を抜いていたのか?それとも泳ぎが得意な事でも自慢するのか?」

 

「そんなつまらないことじゃないさ。もっとお前好みだろうよ。俺の出す条件を飲めば、クラス闘争に協力してやる」

 

「一応、聞いといてやるよ。条件は?」

 

「俺が指名する人物への危害をあたえないこと。これを確約するならお前の部下になってやる」

 

「指名か、どうせ椎名なんだろ? お前がクラスで他の人間と会話している所を見たことがねえよ。そこまで女1人に固執する理由が分からねえが、お前は交渉が下手だってことは理解した。

 話にならねえ、お前はバカすぎる」

 

「よくわかったな。俺の条件は彼女1人だけだ。返事は?」

 

「それだけ大事にしている女だ。これから椎名を狙うと言えば、お前は俺たちに偉そうな態度も反抗することも出来なくなる。自分の弱点を晒していることも気づかねえ、お間抜け野郎だ。

 そんなヤツの手などいらねえよ。誰がクラスの王なのか、理解させてやる。アルベルトッ」

 

「残念、交渉は決裂か」

 

 

 黒人がこちらに向かってくる、人種による身長差を感じる。かつての俺ほどではないが、それでも180cmを優に超えている長身だ。今の俺よりは遥かに大きい。

 俺は立ち上がりもせずに椅子に座ったまま、近づいてくる男を眺めている。周りが困惑し、戸惑っている気配を感じた。

 

 血に刻まれた本能の違いか、命令を果たすため迷うことなく近づいてきたアルベルトが一般男性の二倍はあるだろう太い腕を、俺目掛けて振り下ろす。

 真っ直ぐに顔面へ向けて放たれた拳を右腕、二の腕の内側で受け止める。どうやら彼は力自慢らしい。奇遇なことに俺と同じものが自慢の1つのようだ。

 受け止められると思っていなかった黒人がすぐに腕を抜こうとするが、俺はそのまま万力の如く締め上げる。押すことも引き抜くこともできず右腕は動かせなくなった。

 

 慌てた様子だったが、どうやら腕を引き抜くことを諦め、別の手段でねじ伏せることにしたようだ。

 左拳を叩き込もうと左腕を引き勢いをつけ、俺の横っ腹めがけて拳を打ってくる。俺はそれを拳で受け止めることにした。

 アルベルトが拳を放ってくる場所に俺も左の拳をぶつけ、相殺させる。一度だけでなく、何度も、何度も左拳がぶつかる。

 

 ゴンッ!ゴンッ!鈍い音が室内に響く。サングラスをしていて表情が読めないが、体中から汗が吹き出しており、順調とはいえないようだ。顔にも焦りが浮き出ている。それと対象するかのように俺の顔に笑みが浮かぶ。

 この学校に入学して一度も力を使わなかった。俺の体は暴力に飢えていたらしい。久しぶりの暴力を振るえる機会に体が歓喜の声をあげる。今は左拳への痛みすら心地良い。

 

 

 楽しい一時(ひととき)は呆気なく終わりを迎えた。十回を超える拳のぶつけ合いの結果、アルベルトが膝をついた。俺は押さえつけていた右腕を離してやる。何事か呟きながら左手を抑え始めた。

 

「あ、アルベルト……」

 

 なかなかにタフでパワーのある男だった。残りの三人も同程度なら楽しめそうだ。俺としては椅子から立ち上がらせる程度の頑張りは期待したい。

 

 残りの連中を値踏みする。女は顔色が青ざめ血の気が引いている。

 女と王様は後に取っておこう。俺は嫌いなものから食べる事にした。石崎に向かってニヤリと笑い、かかってこいとジェスチャーをする。

 

「うわぁあああ!」

 

 プレッシャーに耐えきれなくなった石崎が突っ込んでくる。ついため息が出てしまう。先ほどのアルベルトと違ってテレフォンパンチなどふざけているとしか思えない。殺意も込めれておらず、気合のみのスタイルなど児戯同然だ。

 

 石崎のノロマなパンチを払い除け、そのまま掌底を顎先にかすめる様に打ち込む。

 俺の狙い通りの場所にカウンターを喰らい、意識を刈り取られ石崎は後方に倒れる。奇麗な脳震盪だ、後遺症も残らないだろう。

 

「次はどっちが相手してくれるんだ? 一人ずつである必要もないし、2人がかりでも、手駒が足りないならダウンした2人を起こして4人でも問題ないぞ」

 

「お前が上から目線だったのはこれだけの力あってのことか。俺が相手をしてやる、そのニヤけた面を笑えなくしてやる……ぜ!」

 

 龍園は話してる最中にテーブルを蹴り飛ばしてきた。

 俺はテーブルを足で受け止める、想定の範囲内だ。いつのまにか机の上からグラスの1つが消えている。当然、龍園が持っておりグラスの中身をこちらにぶち撒けてくる。

 

 俺は濡れたくもなかったので、椅子から立ち上がり回避行動を取る。立ち上がる羽目になったか、王様らしからぬ卑怯な手段だが別に気にすることでもない。

 警戒していた追撃は行われなかった。龍園は右足を半歩引き、両手を顔の前に構え、腰を少し落として待ち構えている。

 

 先ほどのお遊戯から、俺がカウンターパンチャーだと判断したらしい。攻めるより守る方が楽といえば楽だしな。

 

 その誘いにノッてやる。龍園との距離を一瞬で詰め、一気に腰を落とし正中線が走る場所目掛けて拳をぶっ放す。

 龍園の反応出来ない速度で拳が放たれ、防御も間に合わない。一撃で大きく状態が逸れ、さらに2発立て続けに打ち込む。両手のガードが下がり、龍園の顔がガラ空きになる。勢いをつけたヘッドバットで吹き飛ばす。

 

 さきほどの連中に放った一撃よりずっと重いものを打ち込んだ。龍園は意識が朦朧としているようだが、クラスの王を名乗るだけあり立っているのは称賛に値する。

 このままノックアウトするのは容易いが先ほどのお返しに追撃はしない。

 

「グッ、て、てめえ」

 

 龍園はまだやり合う気のようだが、体が言うことを聞かず後ろのソファに倒れるように崩れた。意思とは裏腹に体が使い物にならないのだろう。

 

「王様が倒れちまった、次の相手をしてくれるか?」

 

 女は唇を噛んだまま動けないでいる。龍園はソファーに体を預けたまま、こちらを睨みつけてきた。

 

「クソが、今回はお前の勝ちだ。殴るなり、好きにしろや。だがテメェの弱みをこっちが握ってる事を忘れんじゃねぇぞ。必ずお前の隙きを突いて、俺が勝ってやる」

 

「そいつは困る、致命的な弱点だしそれに命より大事な人だからな」

 

「クックっ、どうする? この場で俺を潰して置かないと、後顧の憂いとなるぞ」

 

「龍園、後顧の憂いと言わずに。今、やれよ。そこの女使って拉致でもなんでもすりゃいい。

 だが、その扉から出た瞬間––––––––お前を殺す」

 

 先ほどのお遊びとは違う、本気の殺意を放つ。今後、彼女に危害を与えるならお前らに生命はない。

 俺の表情から笑みが消え、本来のモノが出てくる。

 

「これだけの圧力……。佐伯、てめぇ、どれだけの……」

 

「もう一度、聞く。彼女に手を出すな。返事は?」

 

 龍園と視線を合わせて、視線を逸らさせずに睨み合う。龍園の中に先ほどまでは存在しなかった感情が出てくる。俺の気配に当てられ、手が震え膝が笑いだす。

 先に折れたのは龍園だった。

 

「くっ……。わかった。今後、椎名には手を出さない。これでいいか?」

 

 俺はその返答に満足して殺気を収め、最近学んだ笑顔を作る。この部屋に溢れていた重圧が、消える。

 一番の重要事項に問題がなくなった、これでクラス間闘争に励める。

 

「ぜぇ……ぜぇ……」

 

 突然、異音が聞こえた。何の音かと思ったら、女が勢いよく呼吸している音だった。

 俺の殺意に晒され、呼吸すら出来なかったようで慌てて息を吸っている。立っていることも出来ずに座りこんでいた。

 弱者を無視して龍園との会話を続ける。

 

「合意できてよかった。話せばやっぱり、わかりあえるね人間てやつは。それとも王様ってやつの人徳かな?」

 

「どの口で言いやがる、テメェ。俺を王として認めるってことは命令は聞くんだろうな?」

 

「もちろんだ、不安なら今後の方針を俺に命令しろや。それにお前好みの能力だっただろ」

 

「カッ、抜かしやがる。だが聞いておきたいことが1つ。佐伯、お前が王にはならないのか?」

 

 龍園の立場からすると、至極まっとうな質問だろう。

 だが、今世で王として生きるつもりはない。そんなのものより遥かに大事なものある。

 

「あー、そういうのは散々やって懲りてるの。それに俺はポイントの件も気づけなかったし、まとめ役のリーダーとして向いてない。だから適材適所で行こうぜ」

 

「なら早速、他クラスのリーダーでも闇討ちして回るか? そうすりゃ烏合の衆を潰すだけだ。学校側がなんの実力を測るか、わかったもんじゃないが」

 

「それも問題はないがもうちょい、平和的に行こうぜ。それとお察しの通り、勉学には期待するな。まじでテストはアレ、精一杯だったから。俺の強みを活かせる命令にしとけ」

 

「贅沢な野郎だ、俺の提案を蹴りやがって。だが、切り札はとっておくか。そうだな……、佐伯、部活には入ってないんだろ? ポイントの為にも部活に入れ。お前、武道系なら余裕だろ」

 

「随分、学生らしくなったがポイントと部活に何の関係があんだ?」

 

「人の話を聞いてねえやつだ。坂上が言ってたはずだ、学校は実力を測ると。恐らくは部活等の活躍に応じてポイントの加点がある。それがどっちのポイントだろうと、あって困ることはない」

 

「なるほどね、部活には入るが汗くせー武道系は御免だ。入る部活は俺が決めるぞ?」

 

「何でも構わねーし、そこまで口出しする気はないが女の尻追っかけて文化系に行くんじゃねえぞ」

 

「わかってるわ。弓道なら問題ねーだろ? 柔道やらより、よほど向いてるんでな」

 

「テメェの強さを持って武道より”向いてる”と言い切る程か、楽しみにしてるぜ」

 

 俺たちの話し合いが一段落した所を見計らって、どうにか復活した女が会話に参加してきた。

 

「チョット待って。話の途中で悪いんだけど、アンタ達さっきまで本気でやりあってたのに、なんで平気な顔して話し合いしてるわけ?」

 

「ふん、お互いの目的の為にこれ以上争う必要がないだけだ。こいつはクラス昇格のため、俺は、この暴力装置を利用できる。ついでだ、伊吹。アルベルトを連れて治療用に包帯、その他必要な物を買ってこい」

 

「はぁ? どうして、あたしが……」

 

「こいつの暴力をお前も体験しとくか?」

 

 伊吹と呼ばれた女がアルベルトを伴って、扉を開けて叩きつけるようにして出ていく。

 

「じゃじゃ馬だな、お前の女か? 気の強いのが好みなのか」

 

「お前じゃあるまいし、そんなもので幹部を選ぶか。クラスの女で俺に刃向かってきたのが、あいつだけだった。それに武道の心得があった、まぁ、お前に比べたら児戯みたいなもんだったがな」

 

「う、どうなったんですか……?」

 

「おう、石崎戻ったか。座ってろ、まだダメージが抜けきってないだろ。決着はついた。こいつとは今後、協力関係になる」

 

 1人寂しく、放置されていた石崎君がようやく目を覚ます。よろけながらソファーまで歩き倒れるように座った。

 声をかけるべきか悩んだが、面倒いので放置。

 

「はぁん、女の好みを否定はしないのね。あ、そうだ。王様、俺が手を貸す条件で一個追加な」

 

 チッと舌打ちを鳴らし、しかめっ面で顔を上げる。後から、条件の追加などたまったものではないと言いたげだ。

 

「さっさと言えよ、どうせ碌なものじゃないんだろ?」

 

「そう悪い話じゃないさ。条件というより終着点だ。 俺が力を貸す以上、クラスの王なんて小さい所で満足してもらっちゃ困るぜ」

 

「学年ってことですか……?」

 

 恐れずに石崎が会話に入ってくる。俺にも敬語になっているのは、先ほどの戦闘の結果か? 

 

「学年だと160人そこらか、そんなチンケな所をゴールにしてもらうわけにはいかねー。当然、狙うのはトップ。学校の王様になってもらう」

 

「な、1年どころか、学校全体の……? 流石に無茶だ。さ、佐伯、さん、一年の他クラスも手強い。Bクラスは既にクラスとして団結してるし、Aクラスはほとんどポイントを失っていない、それに頭として優秀なヤツが二人もいます」

 

「クックック、イカれてるぜ。佐伯よぉ、お前この学校の勢力を知ってて言ってるのか? 

 一年はともかく、2年は既にクラス間の争いに決着が付いてるって話だ。それに三年の生徒会長は歴代1優秀だと評判だぜ。そんな奴らを相手に喧嘩しようってか」

 

「現状は誰一人として知らねーな。知ってることは、Cクラスのトップだけ。それとも、王様の看板を降ろすか?」

 

「いいぜぇ、その誘いにノッてやるよ。テメェこそ日和って、途中で降りるんじゃねーぞ」

 

「交渉成立だ。今後ともよろしく、王様。せいぜいこき使ってくれや」



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幕間「其の壱」
「三様」



 


 こうして狂犬は王様御一行の家臣となり、王様直々に勅命を受けた。

 命令事態も大したものではなかったので、二つ返事で返している。

 

 三人とも笑みを浮かべ、和やかな会談中にも見える。

 石崎くんの顔面が真っ青なままなのは、気のせいだろう。顔色の悪い部下の顔色など気にもとめずに王サマが話し始める。

 

「これで幹部が三人か。悪くないが、こうなるとあと一人は欲しいな」

 

 先にカラオケ屋に居た4人が、幹部だったと思っていたのだが、そうすると計算が合わない。

 俺って幹部扱いじゃないの? 別にどうでもいいが、一応、質問をしておく。

 

「三人? 石崎、伊吹、アルベルト、俺で四人じゃないのか?」

 

「おれ、いや、自分とアルベルトは幹部じゃありません。龍園さんの側近ではありますが」

 

 こんな気合でしか、暴力を使えない奴が幹部で大丈夫かと心配していたが彼は違うそうだ。

 優秀な手足とやらには全く見えなかったから驚くことでもないのか。というより、側近とか物騒というか、少々大袈裟な気もする。

 

「側近? なにそれ、どう違うの?」

 

「他のクラスからの盾や、王の言葉を伝える時に役に立って貰う。放課後のような話しをする時に必要だ」

 

 ようするに体の良い雑用係と鉄砲玉か。しかし不必要な存在か、と問われると否だ。

 地盤を固めるためにも王様自ら、些事に首を突っ込むわけにもいかない。そんな情けない王サマではいったい誰が従うというのか。書類に判子を押すだけで済むようになるのが理想だが、そう上手くは行かないだろう。

 雑用係はいいとして、もう一つの能力があるかのは疑問だけれど。

 

「盾ねえ、それにしちゃあ脆くね? もう少し鍛えたほうが良いんじゃないの。まぁ、ソレは置いといて、伊吹、俺、あと一人は?」

 

 ボディガードにしては、弱すぎる。アルベルトの方は、目をつぶって及第点まで少し足りないのぐらいだが、石崎は根本から鍛える必要がある。精神面も肉体もお話にならない。

 

「テメェと比べるんじゃねぇよ。それより幹部の件か、は、んなもん、椎名に決まってるだろ。考えるまでもねえ」

 

「まじで? テストはクラス一番だったけど、それだけで幹部? それともポイントの件で気づいてたから?」

 

「ポイントの件にも気づいてたか……。学力を買っているのも、もちろんあるが、一番重要な点はそこじゃねーよ」

 

「ほう? 外見だったり? ひよりちゃん、かわいいもんねー。 でも渡さねーよ。それはそうと、彼女をずいぶん高く買ってるんだな。俺からすれば当然だけど、どの点を評価したんだ?」

 

 龍園が呆れたと言わんばかりに鼻を鳴らす。

 そんなにひよりはクラスに欠かせない存在だったのか。

 俺にとっては欠かせない存在でも、他のヤツもそんな考えなのか? 

 

「そりゃあ、高く付くだろうよ。万が一、あの容姿に惹かれて手を出そうとしたマヌケがいた場合、そいつは五体無事では済まないだろうからな」

 

 改めて俺を見つめる視線が二つ。

 龍園どころか、石崎も同じ考えらしい。というか、彼女自身の問題と言うか、これは……。

 

「……あー、つまりクラスの幹部に据えることで、おじゃま虫が付かないようにするのが目的?」

 

「椎名自身の能力も加味してはいるがな。お前の存在が大きいのは間違いない。当然だろ? 他クラスの奴ならともかく、Cクラスの人間がお前に消されないための対策をするのは」

 

「なるほど……、早速リーダーシップを見せてくれるじゃん。自分の目が間違ってなかったことを喜んどくよ」

 

「抜かせ。言っておくが、これで伊吹は幹部と側近を兼任する形だ。伊吹には女どもを管理する役に当てようかと思っていたが、女の幹部が二人になったから椎名にも役割を分担させるぞ」

 

「彼女に負担がかからない程度になら、仕事を振ってくれても良いさ。それに、待遇には期待していいんだろ? それより側近とか幹部ってややこしいくね、クラスの奴らが勘違いしそうだし」

 

「クラスの連中には説明しない。あいつらからすれば、全員が幹部みたいなもんだ。俺たちだけが理解しておけばいい。それと幹部の件はテメェから椎名に伝えとけ」

 

 下っ端の兵隊に必要なのは命令に意義を唱えることではなく、速やかに従うことだ。

 クラスの王として君臨する以上、理にかなっている。

 

「あぁ、そういう感じ。まぁ、有象無象には必要ないか。わかった、幹部の件は伝えとくよ。あ、そろそろ時間だし用がないならこれで今日は帰るぞ」

 

「あー? まだ、詳細を詰めてねえだろうが。なんの用事があんだよ?」

 

 龍園が不満そうな顔を向けて文句を言ってくる。その横で石崎がハラハラとした表情でどうすべきか迷っているのが滑稽だ。

 

「ん? ひよりの部活が終わるから迎えに行く時間。今晩のメニューはハンバーグだし」

 

「……椎名がテメェをどうやって手懐けたか、詳しく聞きてぇな。チッ、なら今日は連絡先を交換して解散だ。後日幹部を招集する、バックレんじゃねえぞ」

 

 俺は携帯を取り出し、それぞれお互いの携帯番号とアドレスを交換する。

 野郎のアドレスなど欲しくもないが、仕方ないだろう。

 

「ひよりの代わりに教えてやるよ。愛だよ、愛。わかるか、龍園?

 それとは別で、王様の命令には従ってやるさ」

 

 龍園は俺の言葉を、完全に無視していた。石崎はジョークなのか、それとも本気なのか判断がつかずに半端な表情のまま、固まっていた。

 

 俺は荷物を背負って、立ち上がり、そのまま出口に向かって歩き出す。扉の前まで移動し、ドアノブに手を掛ける。

 

 扉を開く前に、ちょっとした好奇心が湧いた。

 話を聞いた時から感じていた疑問を、Cクラスの王はどう答えるか。

 興味が湧き、龍園に問うてみる。

 

「なぁ、龍園。疑問があるんだがよ、この学園内ではポイントで買えないものはないって話だったよな?」

 

 扉と向かいあったままの状態で話し始める。

 

「そう聞いてるな。それがなんだ?」

 

「いや、なに、仮にだが––––

  いくら払えば、()()()()帳消しにしてもらえんのかなぁ?」

 

 振り返って龍園を見つめる、先ほど力を振るった際に現れかけていた暴力的な笑みが、抑えきれずに浮かんでしまう。頬の筋肉が釣り上がり、声が上ずってしまう。

 買えないものはない、それはどんな事件もどのような犠牲も全て塗りつぶせるのか。俺の思考が黒黒としたもので、溢れそうになる。

 

「–––ッ。テメエ、なにを──」

 

「ふっふふ。ジョーダンだ、ジョーダン。つまらなかったか? なら、忘れてくれ。おっと、お姫様を迎えに行く時間だ。じゃあな」

 

 

 俺は返事を聞かずに手のひらをヒラヒラと振り、カラオケボックスを後にした。行くときは億劫だったが、なかなかに愉快な連中で楽しい時間を過ごすことができた。 

 

 予想より話が長引いてしまった。それに彼女の了承を得ずに幹部を引き受けてしまった。幹部の件で機嫌を損なうことはないだろうが、彼女は交渉ごっこに参加したかったと言うだろう。

 

 んー、困った。ひよりになんと言い訳しようか。今朝の事もあるし、彼女がまた除け者にされたとスネてしまう。彼女の少し怒った顔が俺は大好きだし、その後の笑顔がまた可憐だ。

 どうにかして、彼女には笑っていてもらいたい。やはり女子には甘いものだろう、帰りにスイーツでも買ってご機嫌を伺おう。

 

 俺は携帯で時間を確認する。いつもの時間までは余裕があるが、先に俺が待っておくことは大事だ。俺は小走りで待ち合わせ場所まで駆ける──。

 

 

 –––––––––––––––––––––––

 

 

 

「……石崎、奴は行ったか?」

 

「はい、龍園さん。店から出ていく所まで確認しました」

 

「そうか、出ていったか……」

 

 龍園はそう言うと、ソファーに背中を預け目を閉じゆっくりと深呼吸を繰り返している。まるで、自分が生きていることを確認するようだ。

 

 石崎は初めて余裕のない、疲弊している龍園を見た。

 知り合って1ヶ月と短い付き合いだが、この男がここまで疲労を表に出すことはなかった。

 Cクラスを纏める際に、跳ねっ返りの連中とやりあって、負傷した時も龍園は笑っていた。それは敗北した時も同じだ。現に龍園はアルベルトに何度か負けていた。その時ですら不敵に笑っていた。

 

 しかし、今回は疲弊を隠す余裕もないほどに疲れているようだ。

 ふと、自分の状態を確認すると、汗を全身にビッシリとかいている。右手は拳を握りしめてまま、力が入りっぱなしだったことに今更ながら気づく。

 

 いつのまにか、龍園は目を開けていた。態度もいつもの気丈なモノに戻っていた。

 いつもどおりの不敵な笑みを浮かべ話を始める。

 

「なんて顔をしてやがる、石崎。喜べCクラスは幸先がいいぞ。クラスの不確定要素は消え、有能な幹部は二人も決まり、協力する約束まで取り付けることが出来た。他のクラスと真っ向勝負できるコマまで見つかるとはな」

 

「たしかに、あの人ならAクラス、いえ、上の学年にも太刀打ちできると思います。……あれほどの暴力、いったいどうやって……。だけど、俺たちのゴールは遠ざかりました」

 

「佐伯も大きくでやがったな。学年どころか、まさか学校の王を目指すとはな。あいつはマジで全てを食い荒らすつもりだ。どうする? 石崎、今ならまだ、お前は引き返せる。引き返すなら今のうちだ」

 

 その言葉は最後通告だろう。そして龍園は既に選んでいる。

 改めて、先程の怪物を思い出す。人のカタチはしていたけれど、尋常ではない強さ。

 自分の人生を振り返り、石崎自身も答えを出す。

 

「……龍園さん。Aクラス行きどころじゃないほど、楽しくなりそうな学校生活を除け者なんて冗談じゃないですよ」

 

「ククっクッはっはっは。だよなぁ、あれほどの力がこの学校でどれだけ暴れるか。見てるだけの観客なんて御免だよなぁ、舞台に上がらなきゃつまらねえよ。ああ、最高にいかれてる王様ゲームだ」

 

 俺たちは顔を見合わせると、二人して大笑いをしていた。先程の未知の暴力を体験してなお、このゲームから降りない。その馬鹿げた選択に笑いがとまらない。

 

 それはクラス間での闘争への楽しみから来るものなのか。それとも–––

 買い物を終えた伊吹とアルベルトが戻ってきたが、それでも笑いが止まることはなかった。

 

 

 ––––––––––––––––––––––––––––

 

 

 

「それで晩ごはん前に寄り道までして、なにかお話があるんじゃないですか?」

 

 んー、鋭い。この一ヶ月で俺の思考パターンは完全に読まれている。

 ひよりが特別鋭いのか、それとも俺の考えが読みやすいのか。

 さてどちらだろう。

 

「いやー、実は、さっきまで龍園くんから、俺たち二人に幹部になってくれないかって相談されてさ。

 ひよりはテスト1位の学力を買われて、俺は──運動能力を買われちゃって。前の水泳の結果を覚えてたみたいだね」

 

 正直に、王様御一行をぶちのめしたなど言えるはずもない。

 ひよりの学力と比べるまでもなく、暴力的すぎる。道場破りの様な真似をしているわけだし、彼女からの評価が地の底まで落ちそうだ。

 

「私たちが、ですか? 龍園くんは思い切ったことをしてきましたね……。性格などまだ把握しきれていないでしょうに。他になにか頼まれた事はありますか?」

 

「そうだねー、俺は運動部に入ってくれないかって頼まれたよ。何でも、運動部の成績によっては、ポイントが貰える可能性があるからとかで。

 ひよりは、クラスの女子をまとめるのに力を貸して欲しいって言ってたかな。……それで幹部の件は受ける?」

 

「私が頼まれたのはそれだけですか? たかだか、小テストの結果を基に幹部を任せる?それにリョウくんへの要請も、ハッキリとしないものです。普通は既に部活に参加してなおかつ、評判の良い生徒を勧誘すると思うのですが」

 

 やはり俺如きの浅知恵では、彼女を納得させることなど不可能だったか。

 学力だけでなく観察眼でも圧倒的な差があるし、ここは下手に誤魔化すよりある程度は真実を話そう。

 

「すいません。実は最初に勧誘を受けたのは俺だけだったんです。えっと、弓道やってたから、ポイントの為にも入ってくれって。だけど、そのまま命令を受けるのも癪だったし、なら幹部として優遇してくれってね。1人じゃ寂しいから、ひよりも幹部でってお願いしちゃった……。ダメだった?」

 

 ひよりの様子をチラッと窺うと、やはりむくれていた。

 

「私が選ばれた理由は納得しましたが、リョウくんの行動を褒めることはできません。今朝も言いましたがそんなに楽しそうな事を独り占めはずるいです。私も交渉して、龍園くんから譲歩を勝ち取ってみたかったです」

 

 彼女が俺の思考を読めるように、俺も彼女がどう思うかぐらいは想定できている。ちょうど、目的のクレープ屋が目に入る。

 

「そう言うと思った。でも、今日はここのクレープで手を打って。なんか今度幹部だけで集まるらしいからその時、龍園を言い負かそうよ」

 

「それで遠回りしてこちらの道を……。じゃあ、いちごたっぷりですよ? それで許してあげます」

 

 ひよりに手を引っ張られ、クレープ屋までゆっくりと歩きだす俺たち。

 夕焼けに照らされた彼女は、今日一日を締めくくるには十分すぎるほどの笑顔だった。

 



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「遊戯」

 王様が宣言した翌日もCクラスに目立った混乱が起こることはなかった。

 龍園はクラスの反抗勢力となりうる連中を、念入りに叩きのめしているようだ。

 

 クラス全体が、龍園を王として受け入れるのに不服ではないように感じられる。龍園を認めるのに時間を必要としなかったのは、既に手柄を上げているからだろう。

 担任も言っていた学校の仕組みを見抜き、クラスポイントの大幅な減点を食い止めたのは大きな加点だ。

 既に結果を出しているのなら、反抗するより王として認めたほうがクラスにとってプラスと判断しても不思議ではない。

 

 宣言から一日でクラスを掌握した龍園の手腕は見事だ。

 しかし、万事が思い通りというわけにはいかなかった。

 俺という存在を見誤った結果──、派手に躓きかけてしまった。

 

 これには龍園も冷や汗をかいただろう。話し合い次第では、クラス内で内乱が始まるところだった。

 そうなってしまうと、他クラスとの闘争どころではなくなる。

 だが結果的に俺は龍園の傘下に収まり、内容だけ見ればCクラスの戦力は整いつつある。

 

 それでもまだ、上位のクラス──Aクラスには及ばないだろう。個々人ならともかく、クラスの総合力では勝負できない差があるとみえる。

 Aクラスは最初の一ヶ月でクラスメイトが僅か、60ポイントしか減少していない。流石は優秀と言われるだけのクラスだ。評判通りと言ったところだろう。

 

 現状、Aクラスには二通りの可能性が考えられる。

 まずAクラスには優秀な頭脳(ブレーン)がいて、その人物がクラスを纏めている。あるいは、トップではなく参謀として指示を出している。

 どちらにしろ、クラスを纏めている人間がいる。二つ目に比べるとこの可能性は非情に高い。

 

 統率が取れているということは、龍園が一月かかったクラスの掌握を序盤で終わらせたことにほかならない。

 その点だけでも、こちらの方が劣っている。これは龍園だけの責任とは言えないが。

 

 考えにくいが、二つ目の可能性は文字通りにAクラスが優秀だった場合だ。

 Aクラスの生徒には減点されるような行動を取る間抜けがいなかった。それならばリーダーどころか、クラスとして纏まる必要もない。個々人で切り抜ければいい。

 

 だが現実的にありうるのは、やはりリーダーがいる場合だ。二つ目は次点のBクラスのクラスポイントを見るに可能性が高いとは思えない。Cクラスとは150ポイントしか開きがなく、生徒の質というのは考えにくいためだ。

 

 どちらにしろ、()()()から争っては、現時点では勝負にならないと考えられる。

 

 真っ向から競うなら、そうだろう。

 だが、別に正々堂々と勝負しなくてはいけない理由など有りはしない。

 仮に優秀なリーダーがいるなら、そいつを消せばいいだけ。頭のいない有象無象など恐れるに足りない。

 

 校則、法律、モラル、常識、倫理、道徳、全てはキレイ事だ。

 それらを気にする必要などない。死人だけが沈黙を確約してくれる。この世界は敗者に容赦なく牙をむく。

 勝てば官軍。負け犬の戯言では誰の耳にも届くことはない。

 

 結果が全てであり、それだけに意味がある。

 ああ、──絶対に彼女を敗者などにはさせない。

 そのためになら、俺はどのような悪行も、この手を汚すことにも躊躇いはしない。

 

 –––––––––––––––––––––––

 

「今日は弓道部の方に行くのですよね?」

 

「うん。別に行きたくもないんだけどね。でも、顧問がうるさくて」

 

 宣言のあった日から、さらに2日が過ぎた。

 王様の命令に従うべく、担任に入部届を提出しようとした。ところが、担任は入部届を受け取れないと言いやがる。

 

 

 理由を聞くと、提出期限が過ぎているらしい。

 俺としてはそこでさっぱりと諦めてもよかったのだが、クラスのため──というか、彼女のためにもそんなことは出来なかった。

 

 担任に食い下がり、他の方法を詳しく聞いた。すると、あっさりと担任は話してくれた。

 部活顧問に直接提出して受理されたら、別に問題はないらしい。

 

 そんなわけで、先日、いやいやながらも弓道場に出かけ、部活顧問に提出した。その場で無事に入部届は受理された、ところまではよかった。提出は済んだにも関わらず、なぜか翌日。つまり今日の放課後、必ず弓道場に来るようにと言われてしまった。

 

 弓道部顧問は、30過ぎの男性教諭だった。若者と呼ぶには老けていて、おっさんと呼ぶには若すぎる年齢だ。

 

 そんな部活顧問は入部届の期日が過ぎていることを、とやかくはいわなかった。ただ、半端な時期で、それに一人というのが気になったようだ。

 

 弓道部に友人が居るわけでもない、部活の見学に来たこともなければ、やる気があるようにも見えない。そんな俺を、部活顧問が不審に感じ、よく思わなかったのは不思議ではない。

 入部届を見て急遽、部活顧問はこう告げてきた。

 

『明日、弓道に必要な道具一式を用意しておくから必ず来るように』

 

 よほど、俺の顔に表情が出たのだろう。顧問はさらに言葉を続ける。

 

『来なければ、自分が探しに行く』と念を押されてしまった。

 

 むさ苦しい男に付きまとわれるわけにもいかないため、放課後、珍しいことに俺と彼女は別行動をした。

 ひよりは図書室で読書をするらしく、図書室へと向かっていった。

 

 俺は、ひよりと別れた後、後髪を引かれながら、足取り重く弓道場へと歩いてる。

 なぜ、彼女を放っておいてまで、男と合わなければならないのか。

 

 そもそも今日は弓道部が休みのはずだ。

 弓道場に貼り付けられていた部活予定表では、そう予定されていたにも関わらずである。

 なにが目的なのか。

 ひよりは、大会も近いから実力を試したいのではと言っていた。それにしても、一年の力をアテにするものだろうか。

 

 他にはどんな理由が、あるだろうか。

 強豪校の野球部には、入部試験があると聞いたことがある。

 それと同じようなもので、選抜試験があるのかもしれない。流石に入部させないとはいかないにしろ、しばらくは雑用だけ。

 もしくは技術とは全く関係のない精神論を説いてくるかもしれない。

 

 昔、武術を学ぶ際に、そんな事を言ってくる連中が少なからず居た。武道だの、思いやりだの、初めは雑用など、実にくだらない。

 どれだけ綺麗事をほざいても、所詮は暴力。その事を誤魔化すだけの方便など一切必要ない。箒とチリトリをもって、強くなることなどありはしない。

 

 相手を打ち負かし、叩き潰すだけ。それだけの事を高尚なものと勘違いしているヤツらの言葉など、聞く価値がない。

 しかし、現代、特にこの国では、よほどその建前が大事らしい。が、全く理解できなかった。

 

 武術を習得する際に、そのような事を言ってきた連中の所には二度と行くことはなかった。

 だが、それとは逆に戦闘を前提として技術を教える場所も存在した。そこでは如何に素早く、かつ、的確に人体を破壊するかに重きを置いていた。

 

 懐かしい日々だ。力の練磨。己を鍛え上げ、刃の様に研ぎ澄ましていく。

 様々な暴力を学んだ。その中には弓もあった。弓自体は今の俺になる前、昔からヒドく相性が良かった。

 

 そんな昔を懐かしみながらも歩いていると、目的地に到着した。

 弓道場に着きドアを開け、中へと入っていく。

 しかし、そこには誰も居なかった。明かりは点いているが人の気配は感じない。

 

 中央には弓道着が一着と、弓、その他がご丁寧に置かれている。

 わざわざ弓道着に付箋を貼り付けて、佐伯・了と書かれているのは親切のつもりなのだろうか。嫌がらせにしか見えない。

 

 それにしても呼び出しておいて待たせるとは、どういう了見なのか。

 ポケットから板ガムを取り出し苛立ち混じりに噛みならす。

 

 ガムを膨らましながらも周りを改めて見渡す。遠的用の的が目に入り、足元にある久しぶりの弓に惹かれた。

 どうせ誰もいないし、暇つぶしにちょうどいいか。

 

 上着を脱いでそこらに投げる。足元にある弓を、足で蹴り上げた。

 適当な強さで蹴られた弓が、空中をくるくると周りながら俺の手に収まる。

 

 弓道に従事していない者ですら、眉をひそめる行為だろう。けれども俺からすれば、こんな殺人道具に何を求めているのか。

 ガムを噛みながらも俺は矢をつがえる。的までの距離は、およそ60m弱。

 近すぎる距離だし、大きすぎる的だ。動くわけでも、障害物が出てくるわけでもない。

 

 弦を引き絞り、弓が悲鳴を上げるようにキリキリと音が奏でられる。

 一瞬の間を置いて弓を引く。

 矢はビュンと風切り音を残して、一直線にふき飛ぶ。

 

 結果は分かりきっている。カンッという乾いた音が場内に響きわたる。的を射た音だが、感情が揺れることもなかった。

 矢筒からさらに矢を取り出し、次の矢を構え弓を引く。その行為をただ、十回ほど繰り返した。

 

 矢筒の矢を全て手放した所で、拍手が聞こえた。

 

「お見事、お見事。全射的中だ。噂どおりのいい腕だな。先生から話は聞いていたが、いや、想像以上だ」

 

「調子が良かっただけです。遠的で、的に(あた)ったのはマグレですよ」

 

「下手な謙遜だな。たしかに距離は60mの遠的だが、アレは近的用の的だぞ? 大きさが半分以下の的を正確に射れられるとは恐れ入った」

 

 ……弓はたしかに得意だが、弓道とやらに詳しいわけではない。

 距離に応じて、的のサイズが変わるなど知らなかった。

 そもそも的の詳細な大きさなどに興味もない。当てればそれでいいだけ。

 

「……まあ、この距離は(あて)ることが難しいかもしれません。ですが、的はそこに在ります」

 

「ほう? 噂とは違うな。話では謙遜さとは無縁の男だと聞いていたが。それと気にならないのか? なぜ、おまえのことを知っているのか」

 

 この口ぶり、入学前の俺のことを知っているようだ。

 武術を学ぶために、さまざまな場所に顔を出していた時期があった。その際に名前が人知れず知られたか。

 もしくは俺がかつて師事した人間の知り合いかもしれない。

 

「俺が実は謙虚な人間だったように、噂などあてにならないものです。人違いや、勘違いも往々にしてありえます。それに過去は、あくまでも過去でしょう」

 

「いやいや、弓の技術もさることながらその気配。間違いなはずがない。俺にはおまえに教えられる技術などなにもない。

 だが、弓道の礼儀作法はまるでなっていない。必要な所作を覚えろ。残心すら行わないとは思わなかったぞ」

 

「苦手なんですよ、その所作? ってやつが。(あた)れば文句はないでしょう」

 

「おまえが言ってることもわからなくはないが、弓道とはそういうものだ。それにこの時期に入部したということは、ポイントの件もあるのだろう? なら、文句を付けられないような振舞いを覚えておいてこれからに損はないぞ」

 

「……精々努力します」

 

「弓を蹴り上げるなど、言語道断だ。それに今後はちゃんと弓道着に着替えて、部活に望むように。そのほうが高月先生も喜ぶだろう」

 

「……あそこと繋がりがあるのか。つーか、蹴り上げてる所から見てたのかよ。よく入部させる気になったな」

 

 誤魔化すのを諦め、素の状態で話をする。

 かつて、師事したことのある人間の名前まで出されては、人違いで通すことも出来ない。

 

「いろいろと工夫はしていたさ。それと今回だけだぞ、狼藉を見逃すのは。おまえの素行の悪さと才能は、話に聞いているからな」

 

「まだ生きてんのか、あの爺さん。もう年だろ」

 

「まだまだ、元気だぞ。最後の弟子を取ってから調子がよくなったそうだ。部活の話に戻るが、普段の部活は隣りの近的競技場を使っている。が、おまえはこちらで一連の動作を覚えろ」

 

「え、まじ?」

 

「まじもクソも、おまえにそれが出来たら、なにも教えることがない。自分より腕の有るヤツに指導なんて出来るか」

 

「ち、毎日は来ないからな」

 

「おう、好きにしろ。だが、きちんとした所作は覚えてもらうからな」

 

 道具を片付けようと動き出した俺を顧問が止める。この後、自主練で使うらしく必要ないとのことだ。

 個人のロッカーに案内され、そこに弓道着を押し込む。ご丁寧にネームプレートまで用意されていた。佐伯の文字が妙に腹ただしい。

 

 俺は上着を羽織り、弓道場を後にした。

 おっさんと長話をしたせいか、ひよりを迎えに行く足はいつもよりも早かった。

 

 ––––––––––––––––––––––––––

 

 ようやく週末を迎えた。

 この一週間はなんだか、いろいろと忙しかった気もする。

 

 それにしても、実力を測る学校とは笑わせてくれる。

 だれが、なんの、どの、基準でいったい何を測るというのか。

 

 たかだが、十年二十年ほど、先に生まれただけの人間が大きくでやがったものだ。

 

 これを考えたのは年寄りの老人共かもしれないが、どちらにしろ救いようがない。

 

 けれども、この学校も捨てたものではない理由も確かにある。

 明日はひよりとのデート。それだけで、少々気に食わないものも許してやれそうだ。

 

 俺は体調に万全を期すため、いつもよりも早い時間に眠りについた。

 



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二部「以逸待労」
「幹部」


「はーいチ〜ズー。いいよ〜いいよ〜。ちょーキュート。俺、今後は携帯の待受これにするね」

 

「ちょっと恥ずかしいですが、可愛く撮れてますか?」

 

「うんバッチリ。これ以上ないくらいかわいい」

 

「きゃっ。リョウくんにそんなに褒められると、照れます」

 

 ある日の休日、バカップルのようにきゃきゃっとじゃれ合っている俺たち二人。

 約束していた休日のデートを満喫していた。場所は予約が一月先まで取れないと評判の和菓子店。

 店内はその噂に違わぬ盛況ぶりで空席は見当たらない。客の多くは女性客、もしくはカップルでの利用客が大半のようだ。男性客が一人では非常に利用しづらいので無理もない。

 

 店の熱気にあてられ、俺たちも存分に浮かれていた。

 流行りのSNSに写真を載せるため、写真を撮っている連中に気づいた俺はその手があったことに愕然とした。携帯電話の機能には写真を取るという恐るべき機能がついていたのだ。

 

 そして和菓子なんぞと比べるのもおこがましいほど輝いていたひよりを撮影することに俺は夢中となっていた。

 休日なので彼女は白を基調としたワンピースを着用しており、極めて可憐である。もちろん、日常的に見ている制服姿も甲乙付けがたい、ということは言わずもがなだ。

 

 そんなわけで注文していた和菓子に手を付けることもなく、学校支給である携帯のメモリーをひよりの画像で圧迫することに邁進していた。

 

「そろそろ頼んでいたヤツ食べようか」

 

「いいですね。あ、ちょっとまってください。私も待受にする写真がほしいです」

 

「ん? ひよりの写真送ろうか?」

 

「違いますよ。私じゃなくてリョウくんの写真です」

 

 いや、それは……。はずい。嬉しい。はずい。嬉しい。嬉しい以下同文。

 

「え、それは恥ずいよ〜」

 

「いいじゃないですか、一枚ぐらい。あんなに私を撮影したんですから」

 

「ん〜。それとこれとは……。あ、そうだ。すみませーん」

 

「はい、ご注文のほうでしょうか?」

 

 店員の教育が行き届いているらしく、表面上は嫌な顔ひとつ見せずオーダーを聞きに来る。

 

「すんません。写真撮ってもらっていいですか?」

 

 ぽかんとした表情の店員だったが、差し出された携帯を見て、要件を察したらしくすぐに笑顔を貼り付けている。

 

「はい、じゃいきますよ〜」

 

 向かいあって座っている俺たちは先程より体を接近させる。

 

 ピロンと撮影音が鳴り、携帯が手元に戻ってきた。

 別のテーブルから声がかかり、失礼しますと言ってカメラマンが風のように去っていく。

 さきほどのツーショットの写真をひよりに送信してみる。

 

「ね、これでどう?」

 

 ひよりが無言のまま携帯を操作している。

 作業が終わりこちらにずいと画面を向けた。

 携帯の待受が花の画像から、さきほど撮影した写真に変わっている。

 

「写真を撮るのが上手な店員さんです」

 

 ──────

 

 和菓子の味は無駄に予約が必要だというのも納得の味だった。

 俺もひよりも満足して店を後におり、彼女が気になっていたといたという映画があったので映画館内へと足を運んだ。

 二人仲良く手を繋ぎ、お行儀よく鑑賞していた俺は今までにないほど上機嫌だった。

 

 上映終了後、本屋へと向かっている途中に携帯が何度も振動し、どこのバカだと思いながら画面を確認すると携帯のディスプレイには龍園と表示されている。

 ふぅ、クラスリーダーの彼は幼稚舎を卒業する際、デート中に連絡をしてはいけないと学ばなかったようだ。

 休日にも関わらず仕事の連絡をよこしてくる上司の電話は無視するに限る。そんな話をどこかで聞いた覚えがある。

 俺も先人の知恵に習い携帯の電源をオフにした。

 

 ひよりがじっくりと新刊を吟味してる間、俺は目についた本を適当に立ち読みして時間を潰す。

 入学当初と比べ活字を読めるようになっている。そうはいっても以前の自分と比較して、という前提だが。いうまでもないが読書家である、ひよりと比べれば月とスッポンほどにはスピードと読解力に差がある。

 

 何冊目かの本を棚に戻しているとひよりが買い物を終え、書店から出たときには日は傾きはじめ夕暮れ時となっていた。

 楽しい時間というのは時間が経つのを忘れさせる。

 

 晩飯のメニューを話し合いながら、寮へと足を進めていると見覚えのある男の姿があった。

 

「佐伯、てめぇ携帯の電源切ってんじゃねえよ」

 

「こんばんは龍園くん。こんなところでなにしているのですか?」

 

「おお、誰かと思ったら龍園さんじゃん。あらら? 携帯の電源切れてた? ごめんね。あ、このあと晩飯だから。そんじゃ」

 

「待てこら、オイ。デートは楽しかったか? ああ、言わなくていい。てめぇの満足そうな顔見てると吐き気がしてくる。

 チッ、佐伯、椎名、前にも言ったが幹部会を行う。当然、おまえらも参加しろ」

 

「え? 聞いてないけど? そんなこといってないんじゃない?」

 

「相変わらず人の話を全く聞かねえやつだな。てめぇが晩飯がどうのこうのといって、抜けたんだろうが。後日、詳細を詰めるといったはずだ」

 

 そんなこともあったような。カラオケ屋での会話なんぞ記憶の遥か彼方である。

 

「そもそも私は幹部を受けるかどうかのお返事をしていませんが……」

 

 龍園がそれはてめぇがどうにしかしろという顔で俺を見てくる。

 

「まあ、その……、リーダーのお眼鏡に叶ったことだし、クラスに協力してあげようよ」

 

「リョウくんがそういうのなら、お話を受けましょう」

 

「ひよりありがとう。これで怖いものなしだ」

 

「ふふ、それは大げさですよ」

 

 クラスの王の前でじゃれ合い始めた俺たち二人を龍園は、心の底から、うんざりだといわんばかりの表情で、ツバを文字通り地面へと吐き捨てた。

 

「ちょっと。リーダーのあんたがポイントが減るような真似はやめてくれる?」

 

 寮から出てきたばかりの女子生徒が、龍園に怖気づくことなく注意をする。

 

「やっときたか。椎名、伊吹を連れて買い出しに行ってこい」

 

「買い物ぐらい自分でやりなさいよ」

 

「俺には他にやることがある。命令だ、さっさと行ってこい」

 

 伊吹からの文句を命令だと言い、有無を言わせず取り合わない。

 

「女子二人では大変そうなのでリョウくん、着いてきてくれますか?」

 

「いいよ」

 

 もちろん悩むことなく即答した。

 

「よくねえよ、佐伯には他にやることがあんだよ。荷物持ちはアルベルトが店で待っている。途中で合流してこい」

 

「いや、それよりもリョウくんって呼び方もそうだけど……」

 

 伊吹の視線は俺たち二人の繋がれた手へと固定されいた。

 

「伊吹さん。どうかしましたか?」

 

「どうしたの。なんか俺達についてる?」

 

 ひよりとお互いの顔を見合わせ、身だしなみを確認する。

 ひよりが可愛すぎるという点以外におかしなところは見当たらない。

 

「伊吹、そこについては放っておけ。無駄だ」

 

「……リーダーっていうのも大変ね」

 

「立ち話は終わりだ。椎名、必要なものは二人に伝えてある。買い物を終えたら佐伯の部屋に来い」

 

 俺の部屋かよ。何も聞いてねえぞ。

 まあ、見られて困るものなどなにもないので別に構わないが。

 

「じゃ、いくわよ」

 

「はい」

 

 ひよりと手が離れてしまい名残惜しく手を動かしていると、龍園が呆れ顔で口を開く。

 

「佐伯、骨抜きにされて日和ったんじゃねえだろうな」

 

「かもな、龍園。確かめてみるか?」

 

 先程と打って変わった態度で寮へ向かいながら、迷うことなく言葉を返す。

 

「ククッ。そっちの顔のほうがよっぽど似合ってるぜおまえには」

 

「そうかもな……。で? これからなにすんだ」

 

 寮の中に入るとエレベーター前に大荷物を抱えた男子生徒が立っていた。

 

「おう、石崎。問題なかったか」

 

「お疲れさまです、龍園さん、佐伯さん。ばっちり借りてきました」

 

「佐伯、少し荷物を持ってやれ」

 

「いえ! 佐伯さんのお手を借りるわけには!」

 

「石崎、そいつは学校からの借り物だ。破損させた場合はおまえに弁償の請求が行く。それだけのポイントが払えるのか?」

 

「うっ、それは……」

 

「別に荷物持ちぐらいかまわねえよ」

 

 石崎が恐る恐る担いでいたバックを渡してくる。よほどデリケートな物が入っているらしい。

 

 野郎3人がエレベーターに乗り込み、男臭さで充満する。

 帰りたい。あ、ここが寮だった。

 しばしの沈黙。なんか気まずい。でも特に話すことないし。目の間の石崎をジッと見ていると目があってしまう。

 

「す、すんません……」

 

 カツアゲされるのを察したガリ勉くんみたいな態度だ。

 俺がなにをしたというのか。地味に気にかかっていたことを口にする。

 

「いや、いいんだけど。そうだ。石崎クン、俺のことサン付じゃなくて呼び捨てでいいよ」

 

「え!? むり、むりっすよ! それは!」

 

「まーまー、そう言わずに。それに同じ王様に仕える部下じゃない。不自然だし敬語はいらないよ」

 

「クク、だとよ石崎。よかったな、これからはさん付けはいらねえってよ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

  頼みの綱の龍園からこう言われては返す言葉も見つからないようだ。

  感謝の言葉を決して感謝していないであろう諦め顔が吐き出した。

 

 クラスメイトと朗らかに交友を深めながら、自室へと戻ってきた。

 そういえば、ひより以外の人間を入れるのは初めてだ。なんとなくイヤな気持ちが湧いてくる。

 

「お、意外と整頓されてるな。掃除の手間はいらねえようだ」

 

「失礼、します」

 

 背負っていた荷物をカーペットの上に置いて、とりあえず人数分のお茶を出した。

 振り返ると二人は対象的な行動をしていた。

 部屋の隅に腰を下ろし正座して固まった石崎。

 家主の許可なく部屋を物色している龍園。

 

「ちっ、エロ本の一つも見当たらねえ。部屋にあるのはつまらねー本ばかりか。ん、こいつは……」

 

 龍園が手にしていたのは一冊の本、タイトルは「女性の心を鷲掴みにする話し方ベスト100」

 何を言うでもなく本をベッドに投げ捨てやがる。

 

「てめえの気持ち悪りぃ口調はこれが原因か。こんなもんエロ本以下だろ、捨てちまえ」

 

「俺はソレ読み終わったから、龍園クンにあげるよ」

 

「まじでその喋り方はきめーよ。どこ目指してんだ」

 

「役に立つのに……。それで荷物を運んで終わりか?」

 

「なわけねーだろ。石崎、準備しろ」

 

 石崎クンは荷物を開いて何やら準備し始めた。

 バックから出てきたのはタブレットPC一台。

 小型のプロジェクターが一台。

 プロジェクターを載せる台。

 折りたたみの椅子。

 プロジェクター用のスクリーン。

 

「龍園さん準備できました」

 

「よし、本題に入るぞ」

 

 折りたたみの椅子にどっかりと腰を下ろし、龍園が手元のタブレットを操作してプロジェクターがスクリーンに映像を映し出す。

 

「まずは学校の注意人物を覚えておけ」

 

「おい、それは三人が戻ってきてからがいいんじゃねえか?」

 

「買い出し組が戻ってくる前に説明するのは上の学年のやつらについてだ。一年はともかく、二年、三年についてなんざ、現段階じゃいらねえよ。俺たち以外にはな」

 

 買い出しに行っている三人は俺たちが、同じ一年どころか、上級生である二年、三年とも事を構えることを知らない。

 現時点で、そんなことを伝えたら頭がおかしいとしか思われないだろう。

 

「なるほど。わかった続けてくれ」

 

 メガネをかけた男子生徒が映し出されている。

 

「コイツは三年A組、堀北 学(ほりきた まなぶ)。現・生徒会長だ。噂だが歴代一()()()()()だとよ。今の三年は一度もAクラスが下位クラスに落ちなかったらしい」

 

 優秀のところをバカにした発音で茶化す。

 龍園も俺も他人がした評価をあてにしていないらだろう。

 そういえばいつぞやのカラオケ店で、優秀な三年がいると聞いた覚えがある。

 

 それがこいつか。もう一度しっかりと男の顔を覚えておく。

 顔立ちはそこそこに整っており、気に食わない優等生ヅラをしていた。

 メガネをかけているということは、すくなくとも視力検査では俺が完勝するな。だからなんだという話だが。

 

「文武両道、勉強もスポーツもできるって話です。聞き込みしたところ、人望も厚く、評判通りって感じでした。あ、それと一年Dクラスに妹がいます」

 

 石崎は手元のメモを見ながら話している。

 ただの置物かと思っていたが最低限、解説の役割を果たしているようだ。

 

「ほー、それはご大層な評判だ。でも、妹のほうはDクラスか。兄妹揃って優秀ってわけでもないようだな」

 

「いや、そいつは違うぜ佐伯。妹はなかなかの上玉だ。なあ、石崎」

 

 龍園が件の女子生徒を思い浮かべ、獰猛な笑みを浮かべている。

 

「え、まあ、正直なところ、めっちゃ美人っす」

 

 少し照れながらも美人だと肯定する石崎。

 特に興味もないので、妹から兄のほうへと話題を変える。

 

「上玉か、そいつはなによりだ。話を戻すが実際のところ、三年とやり合う機会があるかは微妙だろ。現実的に」

 

 もちろん邪魔するやつらは全員ぶちのめしていくつもりだが、まずは同学年のやつらを平らげた後になる。三年ではこちらのクラス体制が追いつかないだろう。

 

「お前の言う通り、たしかに三年とドンパチやる機会は少ねえだろうな。だが、こいつは説明した通り生徒会長サマだ。この学校の生徒会は他所とは大きく違う。佐伯、おまえの生徒会ってやつのイメージは?」

 

「教職員のパシリ。学校に媚び売っておきたいカス。余計なことばかりしようとするマヌケ。そんな感じだ」

 

 俺の率直な感想を龍園が鼻で笑いながら、生徒会の実情を説明してくる。

 

「クク、実におまえらしいクソみてえな意見だな。この学校では生徒会に一定の権力があるらしい。過去の例をあげると、生徒同士のケンカでの裁判役。そんな些細なところまで生徒会が介入してくる。お前ら二人とも、目をつけられねえようにしとけ。ま、手遅れかもしれねえがな」

 

 なるほど、全く対決する機会がないというわけでもないらしい。

 

「ご忠告はありがたいが、目をつけるとしたら(あたま)のおまえを真っ先にマークするだろ」

 

「俺はハナから隠すつもりがねえからな。今のところ、名前が聞こえてくる三年はこいつだけだ。他は特に聞かねえし、なにより一度もAクラスを引きずり下ろすことができなかったマヌケ共だ。たいしたことがねえのは明白だ」

 

 一度も下位クラスに落ちなかったということは、それがこの男が頭としての優秀さの証明でもある。

 それは他の連中の実力不足であることの裏返しでもある。

 スクリーンに次の人間が映し出された。

 

「俺達は二年のこいつらから直接的にやり合う可能性が十分にある。一つ上の連中だからな。そして、こいつは歴代一と評判の生徒会長と並ぶくらいには優秀な副会長サマだ」

 

 歴代一というが、そもそもこの学校にそんなに深い歴史があるとは思えない。

 その看板がハリボテではないことを祈ろう。

 

「どいつもこいつも優秀って言われて羨ましいもんだな」

 

「名前は南雲 雅(なぐも みやび)。こいつは二年Aクラス所属なんですが、入学当初はBクラスだったらしく、Aクラスに成り上がったって話です。……あと、個人的にいけ好かないイケメン野郎っす」

 

「石崎のやっかみは無視するが、面白いことに現段階で二年はクラス間での闘争が終わったらしい。Aクラスに上がる際にこいつが敵対した人間を全て叩き潰し、負け犬は無様に退学していった。結果、残ったのは牙の抜けた腰抜けどもだ。二年の現状はAクラスの一人勝ちってところだな」

 

「俺たちとは存分に気が合いそうだな。ブチのめしたやつを退学させているところとか、特によ」

 

「ククク、ああ、まったく気に入らねえな。俺たちの方針とは相容れるはずがねえ、いずれぶつかることは間違いねえ」

 

 俺と龍園が反対の意味を持つ言葉を口にしたので、石崎は意見が別れたと思ったらしい。

 だが、Cクラスの王とその狂犬は互いの真意を違えることはなかった。

 

 



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「双頭」

「二年、三年の連中についてわかっていることは現時点でこんなところだ。本腰入れてやり合う前にもう一度詳しく調べさせるが、今はそこまで重視する必要もねえだろうかな」

 

「上とやるには地盤を固めてからじゃねえとな。そのまえに同学年の連中だ」

 

「ああ、まずは目障りな一年の上位二クラスと最下位のDクラスだ」

 

「……ほんとうに上とやりあうんですね」

 

 その言葉は俺たち二人に向けて呟いたというよりは、自分へ向けた言葉だったのだろう。

 

「当然だろ、石崎クン差別はよくないぜ。一年だけじゃなく、上のやつらも食い荒らさねえとな」

 

 石崎がやけに大きな音で、ごくりと音を鳴らす。

 

「佐伯、それ以上圧力(プレッシャー)をかけてやるな。石崎がカーペットに漏らしたらどうすんだ。コイツのあだ名が小便小僧になっちまうぞ」

 

「この程度なら石崎クンはダイジョウブだよ、な?」

 

「はぃ」

 

 蚊が泣くような声の返事だった。

 

「話を戻すが、二年、三年について聞いておきたいことはあるか?」

 

「そうだな……。んー、ホントにクラスの入れ替えがあるんだな」

 

「それがルールだからな。成り上がりがある以上は、没落もあってしかるべきだろ」

 

「入学当時はAクラスで優秀な人間だったのに、Bクラスに取って代わられたら負け犬に早変わりか」

 

 諸行無常、世の中の縮図のような学校と制度である。

 優勝商品の景品が少ししょぼいが、参加する以上は勝つしかない。

 それは学校も社会とやらも同じなのだろう。

 

「Bクラス落ちの理由が、頭の違いか、兵隊の違いか。どちらに原因があるのかはしらねえがな」

 

 Aクラスから転落した原因はリーダーにあったのか、それとも従う連中の問題なのか。

 その理由を知っているのは勝者から敗者へと落ちた連中だけだろう。

 

「Bクラスの頭だけの問題ではないだろ。強制的な集団競技なんだ、個人ではどうしようもない部分が出てきても不思議ではない」

 

「クラスのカスどもに不平不満があるなら、てめえで纏めるなりなんなりしろってことだ。文句をいうだけなら誰にでも出来んだよ」

 

 龍園の身も蓋もない台詞だが的を得ていた。

 アレが悪い、コレが悪かった。

 愚痴なら誰でも言えるし、そんなものには一銭(いっせん)の価値もない。

 重要なのは自分がどうすべきか。それだけだ。

 兵隊の質が悪いのなら叩き上げるなり、尻を蹴り飛ばすなどで意識改革を行う必要がある。それが出来ないのはリーダーの能力不足である。

 つまり良くも悪くも全て、頭となる人間次第だということだ。

 

「確かに、違いねえな。そう言われたらやはり個人競技かもな」

 

 上の連中について一通り話したところで、一息ついてお茶へと手をのばす。

 ほとんど会話について口を挟んでこなかった石崎が疑問を投げてきた。

 

「あの、お二人ともCクラスの連中で本当に上位クラスと争えると思いますか?」

 

「おいおい、石崎クンよ、やり合ってもないのにもう日和ったの?」

 

「クク、佐伯、石崎が言いてえのはそこじゃねえだろうよ」

 

「ん? どゆこと?」

 

「石崎はこう言いてえのさ、学校側に落ちこぼれと評されたCクラスのカスどもが、優秀と認められているA・Bクラスとやりあって勝算があるのかってことだ」

 

「あの、その、そこまでは思っていませんが……」

 

 そういうことらしい。

 

「それについてお前はどう思う?」

 

「そんなことか。まぁ、たしかにBクラスは置いておくにしても、Aクラスはクラスポイントだけ見たら二倍はあるわけだし。石崎クンがそう思うのも無理もないのかな」

 

「えっと??」

 

「落ちこぼれねぇ、そこってそんなに重要か? いや、それはいいとして。改めて見るとクラス分けがすげえ不自然だよな。考えてみろ、俺とひよりちゃんの学力一つとってみても、おかしいだろ。なんせ、彼女と俺の間には天と地の学力の差がある。

 じゃあ、石崎くんと俺は? 学力だけみたら大した開きはないだろ。けれど、運動能力ではどうだ? 彼女と俺ほどに離れているはずだ。ここで不思議な点が一つ、まるでいいとこなしの石崎クンも、学力と運動力が突出している俺たちと同じCクラスに分けられている」

 

「椎名もCクラス内きっての学力、佐伯はクラス内どころか、校内トップの運動力。にもかかわらず、俺たちと同じCクラス。

 じゃあ、Bクラスはこいつら二人が入れねえほど、学力や運動能力が高い集団なのか? 無論、そんなはずがない。Bクラスとうちとのクラスポイント差はわずか、150ポイントほどだからな。要するに学校側が採点したモノは他にもあるってことだ」

 

「他に……?」

 

「学力、運動能力、それだけが採点基準じゃないってことだろ」

 

「クク、さっき石崎のことを良いとこなしだと言ってたが、本当にそうか? 例えば何一つ、何一つとして、佐伯に(まさ)っている部分がねえのか? おい、佐伯、クラスメイトは何人の名前を覚えている? 何人の連絡先を知っている?」

 

「ひよりちゃん、龍園、石崎、アルベルト、伊吹、あとは……担任かな。番号は上の三人だけだ」

 

「こういうことだ石崎、ひでえもんだろ。たしかにコイツは運動能力はずば抜けているし、それは認める。だが、一月経ってもロクにクラスメイトも知らねえし、会話すらしていない。そもそも覚えようともしない。こいつ、クラスの担任すら認識してねえぞ。椎名も似たようなもんだろ。佐伯よりは周りを見ているようだが、周囲と関わろうとはしてねえからな」

 

「クラスの連中ぐらいは覚えましたけど……」

 

 それが一体なんなのかと言いたげな表情だ。

 

「一応、運動能力が加味されているとしか考えられない理由はコイツの存在が大きい、おまえも知っての通り人間性に大きく問題がある男だからな」

 

「そんなに褒めるなよ、照れちゃうぞ」

 

「欠片も褒めてねえからな。つまり学校側は学力だけでなく、運動能力でもなく、別の基準で、もっと大きな枠組みでのクラス分けを行っている。他に含まれる要素でいくつか考えられるのは、生活態度、人間性、コミュニーケーション力、あとは……協調性なんかもありえるな。こいつら二人には欠如しているとしか思えねえ」

 

「カカ、龍園おまえに協調性を問われるとは思わなかったぜ」

 

「クク、俺も他人の協調性について、とやかく言う日がくるとは想定してなかったぜ」

 

「簡単に言えば総合力的なモノでクラスが別けられているってことですか……?」

 

「クラス別けの基準を説明してこない以上は推測にすぎねえがな。A・Bクラスにこいつと同等か、それ以上の怪物がいるとは到底思えねえ。いや、いてたまるか」

 

「だから、石崎クンそんなに悲観することもないよ。学校側は協調性やコミュニーケーション能力を重視していて、Aクラスに配属される必須条件ということもありえるわけだし」

 

「ま、クラスの総合力って点で劣っていることは間違いねえけどな」

 

「はっ、所詮は15、6年分だ。そのくらいの差なんぞ、どうにでもなるさ」

 

 代わる代わるに貶し誹りあう俺たち。

 

「なん、とか、やれそうな気がしてきました! お二人ともそれがわかってたから、自信があったんすね!」

 

「佐伯も俺も学校側の落ちこぼれ評価なんざ、初めから気にしてなかっただけだ」

 

「俺は別にそこまで理解してなかったけどね。ひよりちゃんと俺が同じクラスの時点で学力基準でないことは明かだ。それに優秀って学校に褒められたいわけでもないし、後はどうにでもなると踏んだにすぎない」

 

「同感だ。俺に従う兵隊がいるなら、いくらでもやりようはある。落ちこぼれどものほうが支配するのも扱うのも楽だ」

 

「なるほど、そういう見方もあるか」

 

 石崎クンは納得したような表情でお茶の缶を飲み干した。

 

「あ、すみません。ちょっとトイレ借ります」

 

 石崎クンがトイレ休憩を求め、一時中断。

 

 龍園と軽い雑談をして時間を潰す。

 

 

 

 買い出し組もそろそろ戻ってくる頃合いだろう。

 ところが、慌てた様子で戻ってくるのはむさ苦しい石崎だった。

 

「あの! 佐伯さんどうして、食器類が色違いのペア物で揃ってるんですか!?」

 

「気づくのがおせえな、石崎」

 

「セットで買ったほうが安かったとか、来客用で置いてあるだけとか、別にそんなに不思議なことでもないでしょ?」

 

「いや、どうみても使用済みで、手付かずには見えませんって!」

 

「あーそーだな、一日ごとに茶碗を変える癖とかあんじゃね?」

 

「そんなやついねえだろ」

 

「友達が遊びに来て、食事したとか」

 

「クラスメイトすらまともに覚えてねえ、あんたに友達がいるもんかよぉぉお!」

 

 石崎クンが急に絶叫している。

 どうしたんだ、プレッシャーを浴びすぎてついに頭がおかしくなったのか。

 

「石崎、興奮して気づいてねえだろうが、洗面台を見てみろ」

 

「えっ? はい、あ、龍園さんこれは!!??」

 

「別におかしなものはないだろ」

 

「いやいや、いや! なんで! 歯ブラシが二本! コップも2つ! しかも、色は青とピンク!」

 

「なんだ、色が気に食わねえのか。それかわいいだろ?」

 

「どうして二本もあんだよっ!」

 

「……朝と夜で使い分けているとか?」

 

「そんやついるかああああ!」

 

 先程までの敬語はどこに置いてきたのか。

 便所中に常識やモラルまで流してしまったのか。トイレだけに? クソみてえだ。

 石崎がコップに手を伸ばそうとしている。

 

「おい、そっちのピンクのコップの方は触んなよ。俺のじゃないから」

 

「えッ!!」

 

「ぎゃーぎゃーうるせえな。ひよりのだから汚え手で触んなって言ってんの」

 

「ぐふっ」

 

 どさりと床に崩れ落ちた石崎。

 真っ白に燃え尽きたらしく動かない。

 なにか悪いものでも食ったのか、別に興味もわかない。

 

「石崎は好きにしてもいいが、時間もあるし、一年のこともさわりだけ説明しておく。物覚えがおまえは格別に悪いからな」

 

「否定できないところが悲しいな」

 

 ****

 

 チャイムの音が聞こえ、龍園との会話を切断して玄関へと急ぐ。

 モニターで確認する時間も惜しい。

 待ち人への元へと急行する。

 

「おまたせ! ひよりちゃん、買い物おつかれさまッあ!??」

 

 部屋に閉じこもりがちで、読書ばかりしているせいか、色白い肌の彼女ではなく色黒い巨漢がドアの前に立っていた。

 瞬間、風を切る音と同時に右ストレートをぶっ放す。

 

「ただいまです。リョウくん、みなさんと仲良くしていましたか?」

 

 ひょこっとドアの隙間からひよりが顔を出していた。

 目標を破壊する寸前、咄嗟に拳を壁に叩きつけることで黒人の殺人を免れた。

 よく見るとドアの前に立っていたのは、荷物を抱えたクラスメイトであるアルベルトだ。

 

「もちろん、大丈夫だったよ。ひよりちゃんが居なくて寂しいことを除けばね。おかえり」

 

「さびしんぼですね。リョウくん、正直にいえたから、ぎゅっうしてあげますよ」

 

「いぇい!」

 

 荷物を持った状態でぴょんと飛びついてきた彼女を抱きしめる。

 ひよりを抱きしめたまま、くるくると回って、一周したところで声がかかった。

 

「あのさー、もう好きにしていいから、せめて部屋の中でやってくれない?」

 

 伊吹が白けた顔でこちらを見ていた。アルベルトは自分は何も見ていませんと、言わんばかりに遠いところを眺めている。

 

「そうですね、伊吹さんの言う通り続きはお部屋の中でしましょう」

 

「そうだね。そうしよ」

 

「本気でまだ続けるの? そのメンタルどっからくんのよ、あんたら……」

 

 アルベルトが両手を上にして、やれやれだぜと古臭いジェスチャーをしていた。

 

「ようやく戻ってきたか、どこで道草を食ってたんだ?」

 

 部屋へ戻ると早速、龍園が茶々を入れる。

 

「あんた、店の指定から細かい注文が多いのよ!」

 

「まあまあ、Cクラスの初めての合同会ですよ? 楽しくいきましょう」

 

 いちいち良い反応を返している伊吹と柔らかく宥めていくひより。

 対象的な対応で、龍園と俺の好みがはっきりと別れたことがわかる。

 これをただの色ごとだとバカには出来ない。昔から女がトラブルの引き金になったことなど枚挙にいとまがない。

 その点、龍園と俺が女で揉めることはなさそうで安心した。気の強いじゃじゃ馬がよほどタイプなのだろう。こいつ、潜在的にMなんじゃねえかな。

 

「……まあ、たしかに。ていうか、石崎はなんで床にキスしてんの?」

 

「まだしたこともねえよ! キスなんて!」

 

「うわ、生きてた」

 

「そんなことより、準備しようぜ」

 

「そうですね。温かいうちに食べましょう」

 

 各々がテーブル周りの空いていたところに座りっていく。

 俺はひよりの隣へと腰を下ろした。

 

「おまえらさっさと準備しろ」

 

 買ってきた料理と飲み物がテーブルに所狭しと並べられていく。

 テーブル中央にはデリバリーピザがデカデカと鎮座している。

 

「まったく、デリバリーできるんだからピザは配達させなさいよ」

 

「お店まで取りに行けば半額ですから。その程度の手間は仕方ないですよ」

 

「yes,pizza」

 

 流暢な発音のぴぃっつぁぁが聞こえた。

 石崎は龍園の好みをわかっているらしく、注文を聞きもせずグラスへ炭酸水を注いでいる。

 

「佐伯さんは飲み物をどうしますか?」

 

 飲み物を聞かれたので石崎の方へと顔を向ける。

 なにがあるのか尋ねようとした時、慌てて石崎が訂正を初めた。

 

「あッ! ああ、佐伯はなにがいいだっけ!?」

 

 挙動不審としか言いようがない。絵に書いたような不審者ぶりである。

 駐車違反を取り締まるしか教えられていない警察官にも捕まりそうな態度だ。

 

「そうだね。じゃ、ハイボールで」

 

「ふふ、リョウくんお酒は二十歳からですよ」

 

「石崎クンが面白いから、ちょっとボケてみた。コーラでいいよ」

 

「あ、私が注ぎますよ。伊吹さんとアルベルトくんはどうしますか?」

 

「烏龍茶で……」

 

「please.cola!」

 

 外人の血がそうさせるのか、やはりピザにコーラは欠かせない。

 コイツ理解っているな。俺が頷くと、アルベルトも親指を立てた。

 

 ひよりの分の飲み物は俺が用意する。

 これで全員に飲み物が行き渡った。ようやく龍園が椅子から立ち上がる。

 

「さて、クソ長ったらしい演説は無しだ。食えよ、乾杯」

 

 Cクラスの王はぶっきらぼうに言い放つと椅子に座り直した。

 男連中が掛け声とともにグラスを派手にぶつけ、快音を鳴らす。

 それと打って変わったようにひよりとはグラスをコツンと上品にあてていく。

 

「あれ、龍園さんどちらに?」

 

「便所だ。おまえらは気にせず、飲んでろ」

 

 龍園はそう言って部屋から出ていった。

 俺たちはその指示通り、再びグラスをぶつけ合う。

 伊吹は完全にアホを見る目で眺め、乾杯を無視して黙ってグラスに口をつけ始めた。

 それを見つけた石崎が飲んでいる最中の伊吹のグラスへぶつけ、アルベルトがぶつけ、引き続き俺もぶつけ、そして継続しひよりもぶつけた。

 

「ゔぶっ!?ちょっ!! 飲んでる、飲んでるから!!!」

 

「いや、これはおまえが悪い。乾杯せずに飲もうなんて虫がよすぎるぜ」

 

「そうだな、これは石崎クンが正しい」

 

「そうですね。石崎くんの意見は一理あります」

 

 ノリの悪い伊吹に対して妙なところで、奇妙な団結を見せたノリの良い幹部だった。

 

「ないわよ! 仮にあったとしても飲んでる最中の人間にはやらないでしょ!?」

 

「That's justice」(それが正義だ)

 

 アルベルトもそれが正義だと、したり顔だ。

 

「アルベルトもこういってるしな」

 

「石崎あんた絶対、アルベルトの英語わかってないくせに!」

 

「ばあか、俺とアルベルトは言葉の壁なんてとっくに超えてるっつうの!」

 

 伊吹の周りがまるでお漏らしたかのように、濡れている。

 いや、実際、こいつ漏らしたんじゃねえの? 

 そんなわけもなく、ぷりぷりと怒りながらタオルで顔を拭いている。

 

「やってないやつがいる……」

 

 伊吹がぽつりと呟いた。

 

「あ? なんだって?」

 

「石崎、あんた言ったわよね? 乾杯せずに飲もうなんて虫がいいって。まだ乾杯をしてないやつがいる」

 

「えっ、それはっ!」

 

 巻き込まれた伊吹を含め、Cクラスの幹部は全員が乾杯のグラスを鳴らしている。

 当然、残っているのはCクラスの王のグラスのみ。

 石崎は窮地に立たされた。

 

「あんたたちも聞いてたわよね、知らないとは言わせない!!」

 

「いや、でも……」

 

「うん。これは伊吹の言うとおりだ」

 

「たしかに聞きました。伊吹さんの仰るとおりです」

 

「 There are another of justice」  (それもまた別の正義だ)

 

 ノリの良かった石崎に、ノリの悪かった伊吹が反撃を初めた。

 残ったノリの良い幹部が全力で乗っかかる。

 石崎はこのまま、反論できずにいたら王さまにグラスを叩きつけなくてはいけない。

 

 なんとか、起死回生を図ろうと石崎は必死に考えている。湯気がでそうなくらいに脳味噌が回転しているのだろう。

 足りない頭で必死に考える、恐らくやつが入学して以来はじめての頭脳労働だ。

 けれど、無情にもここでタイムアップ。

 王の帰還だ。

 

「なんだ。さっきまでうるせえくらい騒いでと思ったら、今度は葬式か?」

 

 龍園が舞い戻った、不吉な台詞とともに。

 事と次第によってはこれから石崎の葬式が行われてしまう。

 クラスの王は玉座である、折りたたみの椅子に腰を掛けた。

 Cクラス幹部一同は龍園の一挙手一投足 (いっきょしゅいっとうそく)を見守る。

 

 そう、まだ可能性は残っている。

 口を付ける前に俺たち幹部と乾杯をすればいい。

 だが、この龍園 翔という男が自分からうぇ〜いと乾杯をする未来は想像できない。

 神に祈る石崎、悪魔の如く笑う伊吹。

 見守ることしか出来ない俺たち。

 龍園が膝を組む。手元に置いていたグラスを掴む。どうするんだ。

 やるのか、うぇ〜るのか? そんなキャラだっけ? 

 乾杯の音頭すら、ぶしつけだったのに。

 

 そして──

 龍園がグラスへ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 口を付けた────

 

 

「うぐぅっ」

 

 石崎の口から声にならない悲鳴が漏れた。

 伊吹が笑う、邪悪に笑うッ! 

 無情にも神は悪魔にほほえみ、石崎は宣言通りにこれから王に向かってうぇ〜いするのだ。

 まるで酒でも飲んでいるかのようにグラスを持っている龍園だが、それはアルコール0%の炭酸水だッ。

 

 どうする石崎。

 いや、選択肢など初めから存在しない。

 

 幹部が見守る中、石崎が一歩を踏み出した。

 ギロチンの階段を進むように一歩、一歩、踏みしめていくッ! 

 

 

 

 

 

 

 

「か、かんぱーいっ!!」

 

 

 

 

 



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「方針」

 はじまりは、何だったのか?

  運命の乾杯は、いつ鳴りだしたのか?

 

 学生特有の悪ノリから

  その答えをぶつけあげるのは、

      石崎にとって不可能にちかい……

 

 だが、たしかにCクラスの幹部連中は、

   おおくの悪ノリを愛し、

      おおくの歓声をあげ……

   石崎はボコられ、

      龍園が炭酸水を滴らせて……

 

 それでも、泥酔したかのように乾杯を掲げていた

   俺の部屋で、絶叫を響かせながら……

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 水も滴るいい男、かどうかは定かではないが、室内で髪の毛から水を滴らせている男がいる。

 性格には炭酸水だが──

 

 原料がなにかなど、誰一人として気にしていないだろう。

 夏場には、蒸れに蒸れることが予測される長いロン毛から水滴を落としていた。

 この男こそ恐怖でCクラスを支配し、王として君臨する人物だ。

 

 毛ほどもその威厳がなくなっていたが。

 いったいなにが、どうやってこうなってしまったのか。

 

 

 室内を重い沈黙が包んでいる。

 石崎が緊張の余り、手元を誤りグラスと龍園の顔面を乾杯させただけなのに。

 これから石崎クンの葬式が執り行われるかのような空気である。

 

 それもそのはずだ。石崎は死人の如き顔色である。

 それとは逆に龍園は茹でダコのように顔が真っ赤である。

 Cクラス幹部会、会場は唐突に葬式式場へと早変わりしたのか。

 

「諸君、石崎くんの勇気ある行動に乾杯っ!」

 

 なんとかしようと努めて明るく俺が宣言した。

 葬式とやらは意外と陽気なものらしいのでワンチャンあるかもしれない。

 いぇーいとやけくそ気味に俺とアルベルトが石崎クンのグラスを殴りつける。

 

 瞬間、石崎くんの顔面とグラスが乾杯していた。

 やれやれどいつもこいつも手元が滑ったらしい。

 それとも最近は顔面での乾杯が流行っているのか。

 

 そのまま、石崎クンの、頭で、腹で、顎で、肩で、肘で、

 

「「「「「かんぱぁ───い!!!!!」」」」」

 

 こうして第一回Cクラス幹部会は最高の盛り上がりを見せ、お開きと相成った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────はずがなかった。

 

「まあ、アレは石崎クンが悪いよね」

 

「いきなり顔にグラスをぶつけるのは流石に擁護できません……」

 

「That's right」(その通り)

 

「いや、あれワザとじゃない? あいつなりの意思表示じゃないの? 俺がクラスの王だっていう。だとしたら、石崎のこと見直したわ。……ほんのすこしね」

 

 各人が思い思いの一言、というなの好き勝手な感想を口にする。

 

「ごほ、なわけある、か」

 

「お、生きてた。おかえり勇者よ。生還の乾杯をしようか?」

 

「勘弁、してください……」

 

 龍園は石崎をボコった後、そのまま風呂場へと消えていった。

 流石に炭酸水を浴びたままでは我慢できなかったようだ。

 全身を洗わないにしろ、髪の毛ぐらいは洗うのだろう。

 

「腹も減ったし、料理も冷えるから食べちゃおうぜ」

 

「そうですね。龍園くんもすぐに戻ってくるでしょうから」

 

「あんたら、本当にいい度胸してるわ……」

 

「Seriously crazy」(まじ狂ってるわ)

 

 様子を窺っていた二人だったが俺たちが食べ始めるのを見て、観念したように手を伸ばし始めた。

 石崎クンはカーペットの上に倒れたままだが。

 

 しばらくクラスのことやテレビ、日常生活の話題で盛り上がる。

 石崎は倒れたままだ。

 

「へー、アルベルトって料理してるんだ。意外ねー」

 

「料理ならリョウくんもしていますよ。一生懸命やっているので、最近はメキメキと上手くなってます」

 

「ソレを言ったら、ひよりちゃんには全く敵わいよー。俺なんてまだまだぜんぜん」

 

「ふふ、師匠ですから。簡単に抜かれたら立つ瀬がありません」

 

「あー、はいはい。あんたらのノロケ話はけっこうよ」

 

「きゃっ、ノロケだなんて。照れますね」

 

「伊吹サンは恥ずかしがり屋だねー」

 

「もう、ほんと、どんな神経してんのよ」

 

「Love and Peace」(ラブアンドピース!)

 

 和気あいあいとCクラスの幹部と交友を深めていく。

 普段はひよりとしか会話しないので新鮮ではある。

 もちろん、彼女との会話に飽きてなどいなし、話さずとも隣りにいるだけで常に幸福感が得られるので、どちらが上かなどは比べるまでもない。

 

「おまえらの図太さを見誤っていたぜ。俺の想像以上だな」

 

 おっとようやく王の帰還だ。ざっと髪を洗い流しさっぱりとした表情だ。

 勝手に人のタオルを使って髪を拭いているのは、王様だから不問としてやろう。

 

「遅かったなカケルくん。料理、先食べてるよ」

 

 タオルを無断使用したので名前呼びしてみた。

 

 俺が言い終わる前に顔面へと拳が繰り出される。

 パシィンと肉と肉が弾けるような音が室内に響く。

 龍園の拳を見向きもせず掌で受け止める。

 

「俺とも乾杯したかったんだな」

 

 空気が一瞬だけ、ヒヤリとするものへと変わるが、すぐさまその気配は霧消した。

 

 龍園の拳の上にてりやきピザを一欠片置いてあげる。

 俺との力量差を見て、争うのも無駄だと悟ったのか王は玉座へと戻っていった。

 

「ちッ、おい石崎、いつまで寝てんだ。全部食われちまうぞ」

 

 龍園は忌々しげに拳の上のピザを摘み、口へと押し込んでいく。

 アルベルトが寝たままの石崎の顔をぺちぺちと叩いて起こした。

 

「う、龍園さん、すんませんでした……」

 

「もういい、さっさと食え。アルベルト飲み物を寄越せ」

 

 龍園が炭酸水の入った瓶を受け取り、グラスに注がず直接口を付けて喉を鳴らし始めた。

 石崎には改めてグラスを渡し、取りやすい位置に食べ物の位置を移動させる。

 

「リョウくん、この味だけは簡単に再現できないでしょうね」

 

「あー、ピザって作るのが大変そうだ。こういうジャンクなやつは、なんていうか売り物だからこその味がするし」

 

「……ちょっとわかる、それ。ハンバーガーなんかもそうじゃない?」

 

「どれも美味しいのですが、ハイカロリーなので。私達にはちょっとネックですね。伊吹さんはスタイルが良いですけど、なにかされているんですか?」

 

「昔は格闘技やってたけど、今は軽いランニングくらいよ。てかスタイルならあんたのほうが……」

 

「?」

 

 伊吹が自分とひよりの体の一部を比べたらしく、声がか細いものへと変化してく。

 恵まれるものと、貧相なものに世界は別れている。それがこの世の摂理なのだ。

 強く生きよ、伊吹。

 どうにか復帰した石崎がなんとか食事をしている。

 龍園は自分用の皿に一度に取り分け、それを時折摘んでいた。

 

 ポテトを指で弾き、アルベルトの口に入れる遊びを開発した。

 ひよりちゃんに怒られた。反省。

 

 テーブルの上にあった食べ物が一通りなくなった頃を見計らって、王が声をあげる。

 

「一先ず、食うのをやめろ。これから、この会の本題にはいる」

 

「楽しいお食事会だけではなかったのですね」

 

「まさか、まだ本題があったなんて……」

 

「嘘くせえ、芝居はやめろ。臭くてみてられねえよ」

 

「うぃ」

 

「まずはこれからのクラス方針だ。最低限Cクラスを纏めはしたが、他のクラスとやり合うには情報が足りねえ」

 

「まずは各クラスの主要メンバーってこと? うちでいうリーダーや幹部を調べるわけ?」

 

「他のクラスの詳しい情報も必要だが、一番に手に入れるべきはこのゲームのルール情報だ」

 

「げーむ?」

 

「るーる?」

 

 俺と伊吹には話が高度すぎて、理解できずに脳内がエラーを起こしていた。

 

「なるほど、つまり龍園くんはポイントについての詳細を知りたいのですね」

 

 発言者である龍園以外に理解を示したのはひよりだけだった。

 

「理解したのが一人だけな点を除けば、素直に喜べるんだがな。椎名もいったようにこのゲームは基本的な情報が開示されていない。根幹部分であるクラスポイントについてすらな」

 

「現状では、どうやればポイントが増えるのか、また何をしたら減るのかさえ、私達は把握していません。クラス間でポイントを競い合うならば必須と言える情報でしょう」

 

 なるほど、そこまで説明されてようやく俺たちは内容を理解した。

 

「ですが、たしか坂上の野郎は当たり前の行動をしておけばポイントは減らないと」

 

 しばらくぶりに石崎の声を聞く気がする。

 遠い昔に担任が言った台詞を覚えてるとか、こいつ変態かよ。

 

「石崎、その()()()()()()()ってのはなんだ?」

 

「え、それは……」

 

「そうだ、答えられないだろ。学生として当たり前の行動? そんな曖昧なモノがルールであるはずがない。明確な線引があり、それに(のっと)りポイントの減額をしているのは間違いねえ」

 

 学生としての当たり前の行動をしておけば、ポイントは減らない。

 改めて問われれば、学生として、当たり前、とはいったいなにを示すのだろう。

 すぐに思いつく減点項目は遅刻、欠席、授業中の私語などだ。

 サボりとしか認識されず、学生として当たり前だと胸を張るやつはいない。まあ、サボれるのも学生だけだと思っているやつはいるかもしれんが。

 

 仮に、ケンカはどうだろうか。

 もちろんケンカも良いものではない。

 だが、学生同士の揉め事なんぞ、学校にはありふれたものだ。学校生活で同級生と衝突することなど珍しくもない。

 学生として学友と殴り合いのケンカ。このケンカもある種、学校生活での当たり前といえるはずだ。

 それら全てを許すのか、はたまた許さないのか。

 

 同じ様なものとしてイジメも挙げられるが、喧嘩と同じとはいえない。

 イジメも学生にはありがちだが、流石にそれを許容することなど教育機関として認めることはない。現実では社会に蔓延しているとはいえ、綺麗事とはいえ建前上、絶対にありえないと断言できる。

 

 俺たちはこの学校のルールを全くといっていいほど、把握してないことに気づいた。

 

「ようやく、俺が何を言いてぇのかわかったようだな。初めにやることは減額される条件の把握、およびセーフラインの見極めだ」

 

「セーフラインですか?」

 

 石崎が即座に説明を求めた。

 龍園はその質問を予測していたらしく、咎めることもなく説明を続ける。

 

「俺はクラスを纏める際、何度もクラスの連中とやりあっている。石崎、アルベルトそうだろ?」

 

「はい」

 

「yes,Boss」

 

「だが、何度もクラスの連中とやりあったにしては、ポイントの減りが少ねえ。この現象について知りたい。例えば、ケンカは同じクラスの生徒なら問題ないのか。教師へ報告をして、初めて問題として認識されるのか。なら他のクラスのやつらとはどうなのか。そんなところだ」

 

 伊吹が龍園の聞き捨てならない台詞に噛み付く。

 

「ちょっと、Cクラスの人間が他のクラスの生徒を締め上げたら、間違いなくCクラスのポイントが減額されるでしょ」

 

「伊吹、おまえアホだろ。なんで、うちの兵隊使ってそんなことやんだよ。試すならCクラスの生徒へ暴力を振るわれた場合だ。俺たちは被害者サマ、上手く行けば他クラスの加害者を合法的に処罰させることができる」

 

「なるほど……悪どいわね、あんた」

 

「そんなもんとっくに知ってたはずだろ、おまえらは」

 

「このゲームをクリアするためには、情報が必要なんでしょ? 動作説明(チュートリアル)から始まるのがゲームってやつだしね」

 

 俺が同意の意見を述べておく。

 龍園が静かに話を聞いていたひよりへと目を向けた。

 

「椎名、最初に喋ってから黙りこくったままだが、俺の方針に不服か?」

 

「いいえ、学校のルールを暴くという狙いは理解できます。リーダーとして、クラスの方針をその様に定めたのにも不満はありません。ただ──」

 

「ただ?」

 

「ただ、これまでの龍園くんの行動と、今、幹部の方々に一つ一つ説明されている状況が意外だっただけです」

 

「……それほど驚くことでもないだろ。仮にもクラスの中心となる幹部に今後を話すことは」

 

「その行為だけ取り上げれば違和感はありません。けれど、私は一月ほどクラスでの龍園くんを見ています。それに幹部とおっしゃいますが、龍園くんが必要としていたのは自分の指示通りに動く人ではなかったのですか? 言い方は悪いですが、命令に忠実な駒を、あなたは求めていると想像していました」

 

「クク、佐伯と常日頃、居るだけあって肝が座ってやがる」

 

「ふふ、当然ですよ」

 

「おいてけぼりでやんす……」

 

 賢い者同士の会話は、幹部連中の大半を置き去りにしていた。

 そんなアホどもに気を使うこともなく、龍園は話を進めていく。

 

「椎名の予想もあながち外れってわけではないが、俺から言えるのはこの状況が全てだと言っておく」

 

「……そうですか。わかりました」

 

 よかった。ひよりにはわかったらしい。俺にはちんぷんかんぷんだったが。

 6人中の2人も理解したのなら大丈夫だろ。

 そのうちの一人が彼女なのだから、問題があるはずがない。

 

「方針は今言ったとおりだ。ちょっとした実験と学校規則の情報を収集する」

 

 一同が了解の態度を取っているなか、約一名が不満そうにしている。

 

「伊吹、俺のやり方に不満か」

 

「どうせ、あんたのことだし汚いやり口なんでしょ」

 

「くく、俺のことがよくわかってるじゃねえか。だが、よかったな。今回メインに動くのはクラスの連中だ。伊吹、おまえには他と別の仕事がある」

 

「どうだか……」

 

「幹部に嘘はつかねえよ。信じるかどうかは勝手だがな。よし、クラス方針の次は、各クラスの状況を知らせておく。石崎、タブレットを寄越せ」

 

「はいっ」

 

 龍園がタブレットを受け取り、再びプロジェクターが映像を映し出す。

 

「一年Aクラス、クラスポイント940、現状はダントツ一位。流石に優秀と言われるだけあって、ほぼクラスポイントが減っていない。下位クラスより落ち着いたやつが多い印象だ」

 

「あんたらと比べるなら、そこらの不良だって優等生よ」

 

「それは言えてる」

 

  伊吹の尤もな意見に本音がポロリ。 

 

「ちっ、余計な口をはさむな。調べさせたところ、Aクラスを仕切ってるのは二人。

 一人目は、葛城 康平(かつらぎ こうへい)。部活動には入っておらず、あくまで噂だが、生徒会入りを希望していたがはねつけられたらしい」

 

「コイツはッ!」

 

 映し出された人物を見て、即座に俺が反応するッ! 

 

「知ってるんですかッ、佐伯さん!」

 

「まったく知らん。こいつは出家でもしてるの?」

 

「……佐伯の残念なおつむにも印象が残るだろう人間だ。詳しくはしらねえが、先天性の病気らしい。別に坊主なわけでも、実家が住職やってるわけでもねえよ」

 

 なるほど、つまりは宦官(かんがん)か。

 若い身で大変だろうに。

 なぜ、その道を選んだかのを聞いてみたくなる。

 

 スクリーンには特徴的なツルリとした頭部が写っていた。

 俺が坊主と勘違いしたのも不思議ではない。

 

「生徒会入りを希望したことからも理解るように、お硬くてクソ真面目な性格だ。Aクラスはこの葛城派ともう一派で今、クラスの権力争いをしている」

 

「へー、仲良くお手々を繋ぐことはできなかったのか」

 

「無理だろうな。今映した二人目のリーダーである

 坂柳 有栖(さかやなぎ ありす)は葛城の野郎と相容れねえ方針のようだ。リーダー格が手を携えるのには条件がある。すくなくとも同じ方向性でなくちゃ手を組むことはない」

 

 名称のわからない帽子を頭の上に載せた小柄な女子生徒を眺める。

 杖をついており、足が不自由なのだろうか。

 

「Aクラスはしばらくの間、クラス内での権力争いが起こなわれるということですか」

 

「というより、もう既に起きているだろうな。明確にどちらが上か、白黒つけるまでやりあうつもりだろ」

 

「あの龍園さん、いくらクラスでの仲が悪くても、流石に他のクラスから攻撃されたら、その、協力しあうと思うんですが」

 

「昨日の敵は今日の友ってか? そんなもんを信じてるお人好しばっかなら、世界はとっくに平和になってんだよ。つい先日までバチバチやりあってた人間をすぐに信用できるわけがねえ」

 

 いつの世も人は裏切るものらしい。

 なんと愚かな種族なのか。

 とてもじゃないが俺が言えた台詞ではない。

 

「悲しい現実だね。この手に持っている杖はなんなの?」

 

「こいつも先天性の疾患で杖が手放せねえらしい。Aクラスの条件は病気持ちなのかもな」

 

「……ちょー不謹慎なやつ」

 

「Aクラスの現状はこんなもんだ。現状、手駒が多いのは坂柳みてえだが、そこは葛城のお手並み拝見といったところだな。葛城、坂柳、どちらに軍配があがるにせよ、俺達がAクラスにあがるためには避けては通れねえ」

 

「ま、そうよね。クラス昇格のためには、上のクラスを引きずり下ろすしか方法はないわけだし」

 

「みんなが仲良くするのが一番なんですけどね」

 

「まったくだよ。争わずに済む方法がアレばいいのにね」

 

「Take it easy!」(気楽に行こうぜ?)

 

「トップのAクラスの事情はこんなとこだ。次、一年Bクラス、クラスポイント650、おまえらも知っての通り目下のところBクラスは、Cクラスが最初に片付けるべき相手だ。俺たちとのクラスポイント差は160ポイント。十分に射程圏内だ」

 

「簡単に言うけど、どうやってポイントを増やすのかもわかってないじゃない」

 

「はっ、このままお行儀の良い学校生活なんざ続くはずがねえよ。話を続けるが、Bクラスは先のAクラスと違ってクラスのリーダーは決まり、権力争いはやっていない。その点は俺たちに似ているのかもな」

 

「あんたみたいなのが、クラスの王に就任したわけ?」

 

「いいや、残念ながら同じなのはクラスの権力を握っているところだけだ」

 

 スクリーンに快活そうな顔の女子学生が写りだされる。

 腰に届くほどのストロベリーブロンド色の髪が特徴的だ。

 伊吹と違って写真上からでも、胸が豊かなことが一目でわかる。

 

「名前は一之瀬 帆波(いちのせ ほなみ)。文武両道、眉目秀麗、それだけじゃなく、うちのクラスの女どもと違って、社交性まで良いときている。まさにクラスのリーダーとして相応しい逸材ってやつだな」

 

「悪かったわね。どうせあたしには社交性なんてないわよ」

 

「人付き合いは昔から苦手で……」

 

「ひよりも負けてないけどね。むしろ勝っている。な、石崎」

 

「う!? はいぃ! もちろんですッ!」

 

「石崎クンは理解っているね」

 

「リョウくん……嬉しいです」

 

「お前ら石崎で遊ぶのもそこまでにしろ。Bクラスは権力争いを行っていなければ、俺のように恐怖でクラスを支配しているわけでもない」

 

「あくまでそれは表面だけでしょ? 裏のところはどうなのか、わかんないじゃない」

 

 無駄に一之瀬と比べられた伊吹の声は苛立(いらだ)たしげだ。

 

「伊吹、それはねえと思うぞ。4月の中頃から見てたけど今と変わらずに、リーダーである一之瀬を中心に仲良くしてたからな」

 

「石崎の言う通り、Bクラスは既に集団として纏まった。それも恐怖支配でなく、自然と団結した形での統一だ。一之瀬が頭として優秀なのか、他の連中にマトモなのがいなかったか。どちらかだ」

 

 どこまで信じて良いのかは不明だが、石崎の目からみて不審な点はみつからなかったらしい。

 

「クラスの仲が良いのは羨ましいです」

 

「ほんとだよね。うちの王様とは違うね」

 

「佐伯おまえは黙ってろ。一年Cクラス、クラスポイント490、上から3つ目、下から二番目の落ちこぼれども。それが学校から俺たちへの評価だ」

 

「王サマの写真は映さなくていいのか?」

 

 龍園がCクラスの主要人物であるにも関わらず、プロジェクターはなにも投影しない。

 クラスのトップが自分の写真を映すことを拒否っていた。

 

「黙ってろと言ったはずだ、佐伯。クラスの方針もさっき言った。最後は一年Dクラス、クラスポイントは0。ポイントすべてを一月で吐き出し、学年を震撼させた不良品どもだ」

 

 Dクラスの説明に移ったにもかかわらず、スクリーンは真っ白のまま、誰の写真も写っていない。

 プロジェクターの不備か? 

 

「ねえ、ちょっとDクラスのリーダーが写ってないんだけど?」

 

「機械の故障か?」

 

「機械は壊れてねえよ。映すべき(キング)がいねえだけだ」

 

 

 

 

──────────────

 

 

 

 

 

 

 高度育成高等学校学生データベース

 

 氏 名 佐伯了 さえき りょう

 クラス 1年C組

 部活動 弓道部

 誕生日 9月10日

 

 ──評価──

 

 学 力 D-

 知 性 C

 判断力 C

 身体能力 A+

 協調性 E-

 

 ──面接官からのコメント──

 

 突出した運動能力を誇り、小、中学校ともに様々な武道大会での優勝経験を持っている。高校進学時も多数の有名校から特別待遇生の勧誘を受けていた。反面、生活態度および人格面に数多くの問題が見られる。遅刻、欠席の常習犯であり、クラスメイトとも関わり合うことなく過ごしている。また、補導経験や犯罪歴こそないものの夜の街を遊び歩いており、当校での行動にも注意が必要である。

 

 ──担任メモ──

 目立った問題行為をすることなく真面目に授業、学校生活を送っており、クラスメイトである女子生徒の一人と非常に仲が良い。この調子で他の生徒とも打ち解けてほしい。

 



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「始動」

「一月経ってるし、クラスポイントの発表からもう一週間よ。目ぼしいやつを見つけられなかったの?」

 

「唯一、俺らよりも下のクラスだからね。人数を割かなかったとしてもおかしくはない」

 

 四クラスの内、Dクラスだけは俺達よりも明確に下だ。

 他のクラスを重視しても間違いではない。

 

「おまえらの言いたいことはわかるが、俺はDクラスにも人を出している。判明したことは、Aクラスのように派閥争いが起こることもなく、B、Cクラスのように頭となる人間がいるわけでもない。Dクラスは未だ、クラスの舵を取る人間が現れてねえだけだ」

 

 手が回りませんでした、という情けない言い訳が出てくるかと思ったが、(キング)がいないとはそのままの意味だったらしい。

 

「Dクラスの情報も、もちろん集めました。一応、男女それぞれに中心となる人間はいますが、それだけです。そいつらがクラスを仕切っているわけでもないみたいで……」

 

 石崎のその言葉に他クラスながらも心配してしまう。

 対応があまりにお粗末だ。

 

「おいおい、随分悠長だな。最下位の自覚はあるのか? さっさとクラスをまとめねえと不利なだけだろうに」

 

「さあな。そんなことも理解ってねえから、Dクラスなのか、それとも自分たちが落ちこぼれの不良品だと認めたくねえのか。どちらにしろアホな連中だ」

 

「それにしてもよっぽどじゃない? それか石崎たちが上手く騙されてるだけとか」

 

「その可能性はある、俺たちを欺いてるかもしれない。が、いずれ上に立つ人間は表に出てくる。出てこなければ、Dクラスに浮上の目はない」

 

 不利な状況で手をこまねいてるだけで、状況が改善されることなどありはしない。

 劣勢なら劣勢側のやり方がある。

 

 現状ではCクラスの頭は龍園となったが、もしいなければ俺がトップに立っていただろう。 

 どちらが上手くクラスを運営できるかは、今後の龍園の手腕を見ていかなければわからない。が、一つ確実なのは今が天国に思えるほどにクラスを■■■■をするだろう。

 

「これで全クラスの状況とCクラスの方針がわかりました。今日のお話は以上ですか?」

 

「いや、最後に話しておくことがある」

 

「へー、まだなにかあるの? 炭酸水は意外と気持ちいいとか?」

 

 正直なところ、もうこの話し合いには飽きている。

 なので石崎クンを生贄にしてみた。

 

「佐伯さん、勘弁してくださいよ……」

 

「……携帯についてだ」

 

「携帯? 昼間、電話をシカトしたことまだ根にもってんのか。いい加減に許せよ」

 

 部下のお茶目なジョークくらいは、笑って流せる上司でいてほしい。

 そんな真っ当な俺の願いに対して苛立ちげな声で返事が帰ってきた。

 

「着信をシカトとか、そんな低次元の話じゃねえよ。つーか電話には出ろボケ、話が逸れるだろ。ちっ、俺たちの携帯電話は全て学校から支給されたものだ」

 

「そんなこと誰でも知っているわよ」

 

 伊吹は当たり前だと言いたげな表情だ。

 

「俺は携帯(コイツ)を信用できねえ。キナ臭すぎる」

 

 自称:電波が見えてる人のようなことを龍園が言い始めた。

 脳味噌は大丈夫だろうか、頭にアルミ・ホイルを巻き始めたら俺たちは止めるべきなのか。

 それとも暖かく見守り写真の一つでも撮影すべきなのか。

 その答えはわかりそうにない。

 

「学校側にメール内容を傍受されている可能性を、龍園くんは危惧しているのですね」

 

「そういうことだ。メールだけじゃなく、携帯は常に位置情報を送っている……。この学校なら、そこに手を入れ探ってきても不思議じゃねえ」

 

 どうやら危ない電波を受信したわけでも、自然のパワーに目覚めたわけでもないらしい。

 

「ちょ、そんなの、プライバシーの侵害でしょ!? 学校がやっていいことじゃない!!」

 

「それがバレたらな、そして俺達に確かめる術はない。とはいっても、常日頃から全校生徒のメールを監視するほど、時間と人が余っているとは思えねえ。無駄でしかないからな」

 

 学校側が調査として携帯のメールを確認する。

 普通なら絶対にありえないだろうが、この学校は少々特殊だ。

 

「じゃあ、いったいどんな時に?」

 

「ありえるとしたら、有事の際でしょうね。当然」

 

「ああ、なんらかの事件が起こった際に、目ぼしい生徒の携帯履歴を漁って捜査ぐらいはあるかもな」

 

「でも、あくまでもあんたの憶測でしょ? 確証はないみたいだし」

 

「まあな、だが用心するに越したことはない。クラスの連中にも伝えておくが、幹部のおまえらは特に注意しろ。見られているかもしれない、その意識だけは持っておけ」

 

「ってことは証拠として残ると、マズイものは直接会って話をしなきゃな」

 

「それが一番手っ取り早い。メールでの指示は暗号や幹部内だけの言葉を用いるなどで対応していく」

 

「……そこまでする必要がある?」

 

「取り越し苦労ならそれでいい、対した手間でもねえ。だが、万が一ということも考えられる。気づいておきながら手を打たねえ、そんなマヌケな話はねえからな」

 

 龍園が正論を振りかざす。

 邪悪な奴が唱える正論ほど腹が立つものはないが、反論は浮かばない。

 

「同感だ。前もって準備することは大切だよ」

 

「そうですね。私も賛成です」

 

「もちろん俺も了解です!」

 

「me too」

 

「わかったわよ、証拠になるようなモノは残さない。これでいいでしょ!」

 

 Cクラス幹部全員が同意した。

 改めて思うが、幹部なのにクセが強いやつが多いぞ。Cクラスは幹部を色物で選んだと誤解されないか、不安でしょうがない。

 

「よし、これで話しておくことは全部だ。なにか質問、言いたいことあるやつはいるか?」

 

「石崎くんのアレはやっぱり、挑戦状だったですかッ!?」

 

「ちょっ! アンタしつけえ!」

 

「なにもねえみてだし、これで解散だ。片付けるのに人手は必要か?」

 

 龍園はこちらを見向きもせず話を進めていく。

 

「私が残りますから、皆さんはお先にどうぞ」

 

「そうか。なら後は任せた。おら、おまえらさっさと部屋に戻るぞ」

 

「二人で大丈夫? あたしも残ろうか?」

 

「ゴミの分別と食器を洗うくらいですから大丈夫ですよ。伊吹さん、お気遣いありがとうございます」

 

「そう、ならいいけど」

 

「片付け、すんませんがお願いします」

 

「Thanks」

 

「皆さん、お疲れさまでした。おやすみなさい」

 

「おやすみ」

 

「おさきっす」

 

「good night」

 

「携帯の電源は切るなよ」

 

 騒がしく別れの挨拶を残して部屋をさっていく幹部ども。

 静けさが戻ってきた。

 

「では、片付けるとしましょうか」

 

「手早くやりますかっ!」

 

 二人だけ室内が再び、騒々しさを取り戻した。

 

 

 

 ──────

 

「おまえらに解散するまえに命令を出しておく。石崎、わかってるな」

 

「うっす、引き続いて各クラスの偵察と見極めっすね」

 

 龍園からの問に石崎は自信を持って答える。

 

「そうだ。こちらから手は出すなときつくいっておけ。一線を超える必要もない。今はあくまでも見極めるだけだ」

 

 龍園が石崎にしっかりと注意事項を言い聞かせ始める。

 

「はぁ、で、あたしは誰にその嫌がらせをするわけ」

 

 伊吹が不満そうな顔で尋ねた。

 

「伊吹、おまえは別だと言ったはずだ」

 

「……ああ、そういえば、そんなこともいってたわね。で、なにをすればいいの」

 

 初めから命令内容には、期待もしていないといった態度だ。

 

「喜べ、重要な役だぞ。指示は護衛及び対象者の身の安全を守ることだ」

 

「重要かもしれないけど、あんたの護衛を喜べるわけないでしょ。それにボディーガードならアルベルトのほうが適任じゃない?」

 

「勘違いすんな。護衛対象は俺じゃない」

 

「じゃあ、一体誰よ」

 

「決まってるだろ──、Cクラス、椎名ひよりの護衛だ」

 

「はぁ? 何いってんのあんた。椎名の隣にはアレがいるのよ? 誰が何できるっていうわけ」

 

 伊吹の言い分は尤もだ。

 学校一危険な場所であり、また学校一安全な場所にいる。

 それが──椎名ひよりの居場所だ。

 

「俺たちが一番に警戒すべきはなんだ?」

 

 伊吹の問を無視して、龍園が問いかける。

 

「ちょっと、いきなり話が変わったと思うんだけど?」

 

 伊吹は質問に対する答えではなく、不満を口にした。

 龍園と付き合いが長い石崎が答える。

 

「やっぱり、Aクラスの動きですか? それとも、Bクラス?」

 

「AでもBでも、ましてやDでもねえ。身近にいんだろ、警戒すべき化物が」

 

 その言葉が誰のことを指しているのか、瞬時に全員が理解した。

 クラスに潜んでいた怪物。

 

「oh……」

 

「龍園さん、それは!」

 

「アレとの話は済んでるでしょ……。まさか、やり合うつもり? 冗談じゃない、自殺は一人でやって」

 

 拒絶反応ともいうべき対応(リアクション)が帰ってくる。

 大げさと笑うものもおらず、その場にいる人間が正しい反応だと理解していた。

 

 そんな中ただ一人、龍園だけは淡々と理由を話し始める。

 

「おまえ、俺より血の気が多いな。今、アレと事を構えるつもりはねえよ。けれど他の連中はどうだ? クラスの男で、幹部に手を出す度胸があるやつはいねえ。

 だが、Cクラスの女子生徒が買収でもされて、椎名に危害を加えてみろ。それこそ目も当てられない。女しか入れねえトイレや更衣室にはヤツの目も届かない」

 

「そんなことが起これば……間違いなく血を見ますね。他のクラスはともかく、うちの人間から出たら……」

 

「どちらにしろ大惨事は避けられない。最悪ゲーム盤ごと破壊しかねないわ、アレは」

 

「俺が何を危惧したか、理解したようだな。四六時中張り付く必要はないが、椎名を一人にさせるなよ」

 

「ていうか、これって重要どころか、荷が重すぎない?」

 

 伊吹はようやく命令の重さに気づいた。そして後悔した。

 赤の他人に嫌がらせをしていたほうが、比べようもないほど気楽だったことに。

 

「しかたねえだろ、男にはできねえからな。それに卑劣な手段は嫌いだったろ」

 

「今は心底、男でよかった。殺意に満ちたあの人とか、むり」

 

 石崎の偽りのない本音が漏れる。

 隣でホッとしている石崎とアルベルトを見て、伊吹は無性に腹が立った。

 苛立つ気持ちで尻を蹴飛ばす。

 

「ouch!」

 

「いでぇ! でも残念でした、俺もアルベルトも女子トイレに入れねえし! 安心しろよ、おまえの分までやってやるからよ!」

 

 再び石崎の尻に蹴りが叩き込まれた。

 

 ***

 

 あっという間に休みが終わり、また月曜日がやってくる。

 たまには不規則に金・土・日・日・日・日みたいにならないのか。

 融通が利かないやつだな、サービス精神を感じない。

 月曜日なんぞ未来永劫に必要ないだろ。

 

「リョウくん、おまたせしました」

 

「ひよりちゃん、おはよ」

 

「おはようございます」

 

 朝からニッコリと挨拶をしてくる彼女を見ただけで、憂鬱な気分が吹き飛んだ。

 うーむ。昨日までの私服姿も眼福だったが、制服を着ている彼女もまた眩しい。恐らく太陽よりも輝いていると思われる。

 ひよりと手を繋ぎ教室までの道のりを歩いていく。

 

 こんなにも幸せ溢れる学校なのに、周りの生徒はどこか死にそうな顔をしている。楽しい月曜日は始まったばかりだぞ。

 

「中間試験が近いせいか、どこか空気が重いですね」

 

 ……ちゅうかんしけん? 

 

「……! 、そうだね。赤点取れば退学だから、ピリピリもするよ」

 

 脳味噌が聞き慣れなれていない、中間試験という言葉を理解するのに時間が必要だった。

 この学校はイカれていることに赤点を取れば、即退学という他に類を見ないだろう素敵なルールが存在する。

 

「厳しいルールです。クラスのみんなが乗り越えてくれるといいのですが」

 

「ひよりは大丈夫だろうけど、僕は大丈夫かなぁ」

 

「授業中だけでなく、時には放課後もお勉強してますから。自信をもってください」

 

 その言葉から自信を持ったわけではないが、実は余り心配をしていない。

 今回のようなペーパー試験には対して必殺技が俺にはある。

 必殺技と大層なことを言った割に中身はしょぼいが。

 

「王サマがどうでるかだね」

 

「Cクラスは良くも悪くも龍園くん次第ですから」

 

「じゃあ、その手腕に期待するとしようか」

 

 

 ────

 

 

「龍園さん! 中間試験やばいっすよ! どうしますかっ!」

 

 放課後、いつぞやのカラオケ店で、静寂を破り室内に陳情が響く。

 

 龍園はできの悪い三流コメディアンを見るような目で、石崎は怪獣が流暢(りゅうちょう)な日本語で話しかけてきやがった! みたい顔をしやがる。

 

「何の真似だ、佐伯。ついに狂ったか、いや元々が(イカ)れてたなてめえは」

 

「場を和ませる愉快なジョークだ。笑えよ」

 

「ジョークに対し、笑えと恐喝するピエロがどこの世界にいんだよ。石崎を見てみろ、胃袋を吐き出しそうな顔だぞ。これがジョークを聞いた人間のツラか?」

 

 俺がアイスブレイクのつもりで放った会心のギャグは、氷を砕くどころか木っ端微塵にしてしまったようだ。

 

「石崎クンは最初からそんな(ツラ)だ、問題はない。そんなことよりもどうすんだよ、中間試験。赤点取ったら退学だぞ、退学。そこのところ、おまえわかってる?」

 

「今日、椎名に言われてから、ようやく思い出したであろう男よりかはな」

 

「なんでひよりちゃんってわかった!?」

 

「てめえが他に誰と会話すんだ。お前がカチコミに来るずっと前から手は打ってある。学力に不安なやつは、勉強が出来るやつの元で勉強をさせてんだよ」

 

「あれ? じゃあ、おまえらこんなとこじゃなく、その勉強会にいけよ」

 

 俺の心からの助言(アドバイス)に龍園はそっけない態度だ。

 

「ボケが。俺の策が、勉強会なんて、誰もが思いつく事なわけねえだろうが。Cクラスから退学者を出さずに済むようにやってんだ」

 

「お優しいことで。見直したよ。Bクラスのリーダーとやらに触発されたか?」

 

「欠片も思ってねえこと抜かすな。今日は椎名が部活でいねえなら、おまえも勉強会に突っ込ませるぞ」

 

「いやー、ひよりちゃんがいなかったら、勉強とかむりっす。それにペーパー試験なら奥の手があるからね」

 

「佐伯さんっ、もしや抜け道を見つけたんですか!?」

 

「ヌケミチ? いや、そんなんじゃないよ」

 

「どういうことっすか! 教えて下さいよっ」

 

「別にいいけど、石崎クン。君、視力なんぼ?」

 



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「器具」

 カンニングとは古来より続く由緒正しい不正行為だ。

 昔々の中国(そのときは中華人民共和国なんて名前ではなかったが)に科挙と呼ばれた今でいうところの役人、いや官僚採用試験があった。

 この試験に合格すれば絶大な権力を手にし、本人どころか、合格者一族の繁栄と安寧が約束されたという。

 

 上級国民も真っ青な待遇だ。もちろん、そのような力が簡単に手に入るはずもない。この試験に合格する難しさは歴史上最高の難易度を誇るともいわれている。

 あるものは精神が狂い、あるものは試験の重圧に耐えきれずに自殺するなど、その手の話には事欠かない試験だ。

 

 名誉のため、金のため、女のため、多くの人間が挑戦し、失敗に終わった。

 あまりにも難関な試験だったためだ。

 それでも、それでもなお、合格したいと思う人間は出てくる。

 

 後がない人間が行き着く先は一つしかない。

 そう、不正行為である。現代ではカンニングと呼称される行為だ。

 

 科挙試験を実施していた国はとっくの昔に滅亡したが、不正行為の証拠は国が亡びさっても現代にまで残っている。

 当事者たちもカンニングの証拠が、まさか現代まで残るなんて考えもしなかっただろう。掌に収まるサイズで書き写された写本や、びっしりと文字が書き込まれた下着などが今も現存している。

 

 以上が──この間、ひよりが俺に話してくれた内容だ。実際にはもっと詳しく中国や科挙制度について教えてくれたのだが、理解できたのはごくわずか。

 悲しいほどに知能の差とやらが現れてしまった。

 

 ちなみにこの科挙試験は重要な国事であったため、不正行為がバレた時の罰則は最悪、死刑もあったそうな。

 俺たちが通う東京都高度育成高等学校にそんな物騒なペナルティは存在しない。せいぜいが退学(クビ)だ。

 昔と比べれば実に平和的な罰則だといえるだろう。

 

「ってわけで、バカな奴等は頭のいい人の答えを見ればいいじゃん」

 

「見ればいいじゃん、じゃねえよ。何考えてんだ? 不正がバレた時のペナルティは退学だぞ。割に合わねえよ」

 

 クラスの王様はこういうが、果たしてそうだろうか。

 どうせ赤点取って退学なら覚悟を決めてカンニングしたほうが良くない? 

 

「そうか? 赤点取ったら退学なら、カンニングして一か八かに賭けてもおかしくはないだろ」

 

 バレるか、バレないか。

 確率は二分の一だ。十分に勝算はある。

 

「というか、そんな都合よく他人の回答なんて見えませんし、それに見えたとしても文字が都合よく読める保証はありませんよ……」

 

 現代っ子は携帯や電子機器の弄りすぎで視力が悪いようだ。まったく、けしからんやつらだ。狙撃手は目が命だと、乱世で学ばなかったのか。

 

「んー。ならよ、頭のいい人に話を通して答案を見せやすくしてもらうとか? あ! 見えないなら、メガネをかける! それでよくない?」

 

「よくねえ。お前が思うほどメガネは万能じゃない。それに不自然だろ、テスト当日、バカどもがメガネ付けてたら」

 

「そか……。いや、閃いた! 木を隠すには森の中。メガネを隠すなら眼鏡の中。クラス全員がメガネ付けたらセーフだろ!」

 

「もれなくアウトだ。奇妙を通り越して不気味だ」

 

「くそ、完全に裏をかいてやったと思ったのに……」

 

「裏っていうか、場外ですよ。その意見……」

 

 俺の完全無欠なプランに思わぬ落とし穴が存在した。

 まさか、視力が足りないとは……。このもやしどもめ。

 

「そもそもてめえにオベンキョウなんて期待してねえよ。大人しく椎名と仲良くやってろ」

 

「なにか考えがある──と?」

 

「少なくとも視力矯正器具に頼るなんて馬鹿げた案じゃなくな」

 

「石崎クン、言ってやれよ。お前もそこそこに馬鹿だって」

 

 龍園は勉強が出来そうな顔をしているが、ここにいる三人ともそこそこ、いや、普通にアホだ。少なくともお世辞ですら、お勉強が得意とはいえない。

 ひよりちゃんを除いたCクラスの幹部は、前衛タイプの脳筋キャラばかりだ。

 指示できる作戦が、ガンガンとブチのめそう! のみとはCクラスの未来は暗雲が立ち込めておる……。

 

「ちょっ、巻き込み禁止っす。どうして他人を巻き込もうとするんすか」

 

「今回Cクラスから退学者を出すわけにはいかねえ。退学時のペナルティが不明な上に、クラスを支配する上での士気に響きかねないからな。中間試験まで三週間ほどあるが、それまでには攻略してやるさ」

 

「見つけられなかったら全員メガネ?」

 

「くたばりやがれ」

 

 

 ──────

 

 

 

 退学の可能性もある中間試験前ということもあり、Cクラスだけでなく1年生全体に落ち着きがない。

 特に下位クラスであるD・Cクラスは、特にアホが多いようで暗い顔をしている人間が随所に見られる。

 

 Dクラスリーダーのことは知らないが、Cクラスはリーダーである龍園が、勉強のできないアホなのだ。よくそんなのを頭に据えたものである。今からでもお勉強のできる賢いやつにすべきじゃないのか。

 

 うぇ〜いお茶の缶を握り、しみじみと思ふ。

 優雅に過ごす、ある日の放課後。

 

 1年Cクラス幹部会議、御用達になりつつある、いつものカラオケ店。

 いつものお店。

 いつもの部屋。

 いつもの幹部。

 見慣れない顔。 

 

 青ざめた顔の男子生徒が龍園に腹パンされ、石崎クンに尻を蹴飛ばされている。

 おお、石崎クンが偉そうなところを初めてみたぞ。

 なんだか感慨深いものがある。

 

 会話から察するに、石崎クンにシバかれていた気の毒な生徒はどうやら、Cクラスの生徒らしい。

 一月以上経っているのに未だ、クラスメイトを覚えられない。

 というか、覚える気がない。

 だが、せっかくの機会だ。この少年くらいは記憶しようか。

 顔をジッと見たが、なんだか特徴がないし、興味もないし、必要性ないし、やっっぱり、いらない。

 

 一見SMクラブのように見える激しいプレイが行われていたが、そもそもここは歌を唄う場所であって、決して性的倒錯者が集う場ではない。

 折檻を受けている名前も知らない彼は、なにやらちょんぼをしたらしい。

 他クラスと余計な騒ぎを起こし、わざわざ塩まで贈ってあげたそうな。

 やれやれおっちょこちょいなやつだぜ。

 一通り二人にボコられた哀れなクラスメイトがよろよろと室内を去っていく。

 部活で欠席しているひよりと用事でいないアルベルト以外は、Cクラスの幹部が一堂に会している。

 

 中間試験まで二週間を切り、龍園は宣言どおりに解決策を手に入れていた。

 去年、一昨年に使用された中間試験の問題及び解答である。

 

 教師の手抜きなのか、はたまたそういうルールなのか、なんなのかは知らないが最初に受ける中間試験は同じ問題を使いまわしているらしい。

 本当に学力を測る気があるのかと問いただしたくなるが、お勉強が苦手な俺としては非常に楽である。

 

「中間試験はこれで赤点を回避できる。ここにいる連中の分は用意してやったから受け取っておけ。言うまでもないが紛失するようなマヌケな事態は勘弁しろよ」

 

 初めに納得していない顔の伊吹がいつもどおり、龍園に口を出す。

 

「二年連続で同じだったからと言って、今回も同じという保証はどこにもないでしょ?」

 

「あえて今年は使わないとかありえるよな」

 

 伊吹の言うことにも一理あり、追従してみた。

 だが、龍園は即座に意見を否定する。

 

「今回の中間試験に限りそれはない。先日受けた小テストも二年分あるが、問題は今年と変わってない。坂上が言っていた、赤点連中を救う手段がコレなんだろうよ」

 

 俺の点数は平均以下の結果だった小テストか。ひよりの心配そうな顔を思い出す。

 二度あることは三度あるという。三年連続ということは四年連続なのか。たしかに不自然だ。

 

「そもそも今回の中間試験が落とすための試験とは考えにくい。坂上の妙な言い方といい準備運動(ウォーミングアップ)みたいなもんだ」

 

「二年、三年の連中が、この中間試験でほぼ退学したやつがいないのはそういうことですね!」

 

「ああ、学校のやり方に慣れさせるとかそんなナメた理由だろう。よかったな、これで佐伯の馬鹿げた案が消えた」

 

「至極、残念だ。せっかくいい案だと思ったのに」

 

「一応、聞いておくけど、どんな案だったの?」

 

「クラス全員がメガネを付けて、頭のいい人の答案を見るっていう案」

 

「……ほんとに馬鹿げてるわね」

 

 身も蓋もない言葉だった。

 

「このプリント、すぐクラスの連中に配りますか?」

 

「ここに居るやつはともかく、クラスの連中への配布は少し待て。そうだな、一週間前まではせいぜい真面目に勉強をさせておけ。アホだと手駒にする分には楽だが、馬鹿すぎると使い物にならねえからな」

 

 いうほどそんなに賢くもないカケルくんからの有り難いお言葉。

 

「了解です」

 

 見た目通りのアホな石崎クンは即、二つ返事を返した。

 

「一先ずこれで目先の問題は解決した。石崎、例の件を報告しろ」

 

「はい。龍園さんの指示通り、クラスの連中でBクラスにいろいろとやってみましたが、効果があるようには見えないです。こちらからの煽りには一切、乗ってきませんでした」

 

「ケンカっ早いうちとは違うわね」

 

「Cクラスだと即、()り合っているのにね」

 

「まったく、血の気が多いやつが沢山いて助かるな。もう一つの件はどうだった?」

 

「クラスの中心から外れているやつに声を掛けてますが、懐柔は難しいです。裏切り者(スパイ)まではなかなか……」

 

 不甲斐ない結果のため、石崎クンの声が小さくなっていく。

 俯瞰的に見ていた外野が野次を飛ばす。

 

「うちと違って本当に仲がいいわけね。一致団結ってやつと縁遠いもの、私達は。リーダーとして見習いたいところでしょ」

 

「そうだ! そうだ! 髪を切れ! 見た目が鬱陶しいぞっ!」

 

「いやいや! 会話が成り立ってないっす!」

 

「ちっ、鬱陶しいのはてめえの戯言だ。このボケが」

 

「石崎クン、好き放題に言われてるぞ! 言い返してやれ!」

 

「お二人のケンカに巻き込まんといてくださいよ……」

 

「ちょっと、石崎はどうでもいいけど、話はこれで終わり?」

 

「なわけあるか。獲物は決まった、Dクラスの人間をハメるぞ」

 

 先日言っていた「他クラスの生徒から暴力を振るわれちゃった、犯人を罰してよ作戦」のことか。

 ケンカが起きた際にどのように裁くのか、誰が判決を下すのか、諸々を調べるための試金石だ。

 だが獲物がDクラスという点が不可解である。

 Cクラスである俺たちが狙うなら、まずは一つ上のBクラスを落としたいのだが。

 

「Dクラス? Bクラスじゃなくてか?」

 

「私達より下のクラスじゃなくてもいいでしょ。引きずり下ろす目的なら、上のクラスじゃないの?」

 

「てめえらの言いたいことはわかるが、石崎の報告からもあったようにBクラスは動きそうにない。校則の実験に使うモルモットは誰でもいい。いや、頭が悪く不良品の集まりであるDクラスがうってつけだ」

 

「なーるほど。A・Bクラスの人間を簡単にハメれるはずもないか」

 

「奇しくも今日、その候補者が見つかったしな」

 

 どうやら先程ボコられていたクラスメイトAくんはDクラスの生徒と揉めたらしい。

 

「でもいくらDクラスといっても、そんなに上手く罠にかかる? 手を出せば不利になることくらいわかるでしょ」

 

 伊吹の言うことも尤もだ。

 いくらなんでも煽られたくらいで手を出すものだろうか。

 

「何があったのか石崎、説明してやれ」

 

 石崎クンが頷き口を開いた。

 

「今日昼休みに起こった出来事を簡潔に説明すると、図書室内でうちの山脇を含めた他数名の人間とDクラスの生徒たちの間でひと悶着ありました。

 他愛もない口喧嘩だったんですが、最終的に手が出ていてもおかしくなかったとか。特に相手方の一人が、Dクラスであることを馬鹿にされると、殴りかからんばかりの勢いで食いつきてきたと話しています」

 

「典型的な脳筋バカだ。力があることを必要以上に見せびらかし、考えなしに動いたあげくに問題を引き起こす。己の感情のコントロールすらできない、クラスのお荷物以外の何物でもねえな」

 

 酷い言われようだがそんなマヌケが驚くほどにいるのが、世の中というものである。力を少々持っている連中にありがちな行動だ。

 一人もニンゲンを殺したことがないにもかかわらず、二言目には『殺す』と喚き垂らしている。

 いっちょ前にその脅し文句を口にするのならば、相応の覚悟と殺意を持つべきだ。当然ながら、時代が許さないだろうけれどもね。

 なによりも腕っぷしの強さなど誇るほどのものではない。

 

「龍園さん、すぐにでも仕掛けますか!」

 

「いや、情報をまだ集めたい、それに中間試験が終わるまでは騒ぎを起こしたくはない。動くのは中間テストが終わり次第だ」

 

「兵隊に自信がないなら龍園、手を貸してやろうか?」

 

 握っていたお茶の缶から顔を上げ、クラスの王へと目を向ける。



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「余談」

うーむ?



「正直さー驚いてるぜー。連中が()()()()()やるとは。実際、おまえ予想してた?」

 

 パチ。

 

「質問に答えてやると、率直に言えば俺も想定外だったな」

 

 パチン。

 

「う、ていうか、おまえも信じてなかったのか。いいのかよ、それで。クラスのりーだーなんだろ?」

 

 パチリ

 

「クク、どこぞのクラスみてえにお手々を繋いで、仲良しこよしでやれって? お前が手本を見せてやるっていうのなら、一考してやってもいいぜ」

 

 パチン。

 

「うぐっ。知らねえのか? 下々の仕事は上のヤることに文句を付けることだ」

 

 パチン! 

 

「それは悪手だな……。そもそも王の仕事は平民どもの顔色を伺うことじゃねえ。指導者に必要なのは結果だ。利益と結果を出すのなら、愚民どもはサルにだって喜んで頭を下げるぜ」

 

  パッチン。

 

「くそ……。お前の言っていることは正しい。クラスの連中も失態が続けば、いずれは従わなくなる」

 

  パチッン!

 

「ああ、その通りだ。ついでにいえば、王手」

 

 パチンィ! 

 

「っああ!」

 

 高校に入学して初めての夏を迎えていた。梅雨も上がり、本格的な夏の到来で、これからはもっと気温が上がっていく季節だ。

 

 7月某日、時刻は五時をまわった放課後である。

 ここは中庭にある一角。風当たりのいい場所で、この時間帯は校舎が日陰となり、さらに快適な空間となる。人通りも少なく、備え付けのテーブル及びベンチと静けさだけが存在する。

 ひよりと、そこそこの頻度でランチや読書の時間をこの場で過ごしている。たまに本の感想や勉強を見てもらうこともあり、お気に入りの場所と呼べるだろう。

 

 

「詰んだな。賢い頭を隠し持ってなくて、実に残念だ。お前が本当にバカだと認めてやる」

 

 そんな神聖な場所で、なぜか俺は将棋を指していた。

 違う。問題なのは将棋を指していることではなく、その相手だ。特段、見たくもない男と(ツラ)を合わせていた。

 

「くそったれ。お勉強が出来るのなら隠すかよ、おまえこそアホだろ」

 

 勉強が出来るのなら、テストは彼女に良いところを見せる絶好の機会だ。そんなことも判らない龍園こそ、やはりアホだ。

 

「いいや、お前が万が一に賢かった場合、椎名に勉強を教えてもらう名目の為だけに点数を下げている可能性がある」

 

「……そんな、ことは、ナイよ」

 

 自信を持って断言する。……したんだっ!

 俺の余裕あふれる態度を龍園が切り捨てる。

 

「ほら見ろ、いつものウザイ態度はどこにいった」

 

 普段おちょくりまくっている龍園が逆襲してくる。なんだこいつ、恩知らずかよ。

 いつも愉快なトークをしてくれてありがとうぐらい言ってみろ。たまには悪態以外の言葉を吐いたらどうなんだ。

 まあ、もしそんなことを言おうものなら病院に連れて行かねばならないが。

 

「……んなことよりも、なんで今回、俺を使わなかったんだ? あの三人の怪我を完璧に偽装できたのに。額に裂傷か骨の一本でも折っておけばよかったんじゃないか? そうすりゃ弁論の余地なく有罪だろ」

 

 先の事件で相手をハメるため、言い逃れ不可能な証拠を俺なら作り上げることができた。自信を持っていえるが、学校内の誰よりも俺は上手に人体の骨を折れる。この技を披露する機会になかなか恵まれないのが残念でならない。

 今の時代だと相手の骨を砕くことに精神的な忌避感があるらしい。よくわからないが、平和ボケの代償だろう。

 人の死や怪我に責任とやらが問われてしまう。責任という言葉に、既に責任がないというのに。

 

「だろうな。お前の技量なら疑念の余地のない怪我を創れるだろうよ」

 

 おお! なんという麗しき主従関係。互いが互いを信頼し、信用している。現代ではなかなかお目にかかれない友情とやらだ。お互いをあだ名で呼んで、抱きしめ合い、キスのひとつでもすれば完璧だ。

 もちろん──

 俺たちの間にそんなものはない。

 

「ヒュー。厚い信頼関係。でも使わない理由にはならないね。どうした? 友人に汚い真似をさせたくなかったか? 泣けるな、龍園くんよ」

 

「クク、まったくその通りだ。素晴らしきクラスメイト同士の結束、手に手を取り合うナカマ! 

 糞だな、ハッキリいって。安心しろ、てめえを動かさなかったのは打算とこれからの利益を計算したまでだ」

 

 う〜ん。やっぱり俺たちの間に涙ぐましい友情とやらは存在しないようだ。

 必要としてないことは互いに理解しているから悲しくもない。それはそれで悲しむべきなのかもしれない。

 

「打算的な女は嫌われるぜ、龍園? おまえが髪を伸ばしている理由が、女を目指しているかもしれないので一応、忠告してやるが」

 

 男子というか男性? にしては髪を伸ばしすぎていると常々思っているのだ。視界に入るだけで伐採欲求に駆られる。

 実際にやったらマジギレするのが目に見えてるいるので、おちょくる程度で済ませてやっているのだ。やっぱりこれはユウジョウかもしれない。

 

「俺にここまでの口を叩けるのは佐伯、お前ぐらいのものだ。クラスの奴が見たらさぞ驚くだろうよ。幹部と椎名を除いてな」

 

「かもね。で、結局理由はなんなの?」

 

 打算的な考えと利益とは一体何のことやら。思い当たる節が見当たらない。

 

「利益だといったはずだ。お前は今週やるべきことがあるだろ」

 

「……? なんの話?」

 

 見に覚えがなさすぎて新手の詐欺を疑う。

 龍園はまだ、頭にアルミホイルは巻いていないようだが、煽りすぎてついに狂ったか。即刻、別のやつをリーダーとして立てる必要があるな。

 

「てめえは自分が所属する部活の大会日程すら知らねえのか。椎名以外の情報は保存できない記憶媒体かよ」

 

「ああ──、そんなのもあったね! かんっっぺきに脳内から消してたわ。そんなものもあった気がする。つか、よく知ってたな」

 

 練習にまったく参加しないせいか、自分が弓道部に所属していた事実すら忘れていた。

 先々週、全国大会出場のための予選が有ったばかりといのに。今週は予選を通過した者だけが参加できる本戦が行なわれる予定だ。

 無論、俺は予選大会を全射的中させ無事に本戦出場を果たしている。無事、という言葉が今回、当てはまるのかどうかは定かではない。敢えて云うのなら当然、というべきか。

 

 そもそも、当たった、外れた、で一喜一憂している連中の大会に参加すること事態が問題だろう。動かない的など百発百中で当てて然るべき。

 他の参加者は、俺と技量を競い合えるステージに達していない。

 

「逆にお前が覚えてないことに驚きを隠せねえよ。おい、それよりも今回の大会、個人戦にエントリーはしているが、団体戦のメンバーから弾かれたらしいな。

 俺の耳には、この学校が弓道の名門だという話は聞かねえぞ」

 

 校内一の技量ということは揺るがしようがない事実なのだが、まともに部活に参加しなかった結果。団体戦のメンバーに入ることが出来なかった。

 

「まずさ、一年で大会に出れるっていうことを褒めないか?」

 

 よく分からないが一年で大会に出ることが一般的にスゴい?のではないだろうか。

 いや、よく知らないけど。補欠だったことが一度たりともないので判断できない。

 

「そもそも弓道部が大した規模でもない。その上、一年でも他・何名かは、個人戦に出場するっていう話じゃねえか。なんだ、佐伯くんは上級生様には腕が及ばなかったのか?」

 

 龍園が日頃、煽られている鬱憤を晴らすか如く追求してくる。

 ウザイ、うざすぎる。

 今度ポカしやがったら憤死するまで煽ってやる。固く心に誓った。

 

「ちっ、クソうぜぇ。単なるサボりすぎだ。部活なんざ、まともにでてねえし、三年の連中がどうしても出場したかったとさ」

 

「カッコいい言い訳だな。まさか来週も聞かせてくれるのか? 今回の件からお前を外した意味がなくなっちまうが」

 

「けっ。来週を楽しみにしとけ」

 

「ああ、佐伯クンのマヌケな口上をぜひな。それと、ようやく本日の主賓がきたぞ」

 

 振り返ると石崎クンを含めた三人のクラスメイトがこちらに歩いてきた。

 三人とも顔の目立つ場所に、白いガーゼや絆創膏が貼られている。痛ましいというより嘘くさいものを感じる。

 石崎が代表して口を開いた。

 

「お疲れ様です」

 

 神妙な顔をした石崎クン達。そんな顔できるんだ。などという巫山戯た思いを抱いているとつゆ知らず、三人は後ろで腕を組んでいる。

 

 彼らはなぜここへ来たのか、ことは中間テストが終了した頃に遡る。

 

 

 

 

 ──────

 

 

 

 中間テストは龍園が事前に入手していた過去問の結果、Cクラスだけでなく一年生全体で脱落者が出なかった。

 他クラスが同じ手段を用いたかは定かではないが、残念ながら退学時のペナルティは不明なままだ。

 誰もが退学にならなかったことを喜んでいる。どのクラスの人間もそう考えていたはずだ。

 Cクラス一部の人間を除いて──。

 

「お前ら、今日の放課後、決行だ。予定通りに上手くやれ」

 

「うっすっ!」

 

 昼休み、龍園とその他が集まり最後の打ち合わせを行っていた。

 俺の善意による協力提案は撥ね付けられ、今回行なわれる

 『他クラスの生徒から暴行されました。学校は処罰しろや!』作戦のメンバーとして、なぜかカウントされていない。

 

 そもそも絶対に参加しないといけない理由はないので、クラスメイト諸君の活躍を陰ながら応援していた。嘘だ、欠片も応援などしていない。

 Dクラスの生徒がミンチになろうが、Cクラスの生徒がどうなろうと知ったことではない。

 何よりも優先すべき、ひよりとテストについて話をしていたところで邪魔が入った。

 

「おい、佐伯。ちょっと来てくれ、龍園さんが話があるってよ」

 

 名前も知らない男子生徒が俺に声をかけてくる。

 ……クラスメイトの前で堂々と、俺に話すことはねえ、という訳にもいかない。

 クラス王である男の顔を立ててやる必要がある。面子というのは存外に大事なのだ。特に恐怖でクラスを統治するのなら、下っ端に侮られていては話にならない。

 

 彼女に断りをいれ、偉そうに踏ん反り返っている王様の元へと向かう。

 

「龍園サン、お呼びでございましょーかー? 何でもお話があるとかー」

 

「……ああ、お前に命令だ。例の場所、一帯を確認してこい」

 

「下見は済んでいるのではー?」

 

 言外に決行日、当日にやることじゃねーよというニュアンスだ。

 当然だ、今まで何をしてたたんだ?慌てん坊のサンタさんとやらも慌ててるぞ。

 

「だから最後にお前の目で、確かめてこいつってんだ。わかったか?」

 

 王様は念の為、仕上げ要員として使いたいらしい。

 他の奴を信用してないのか、手駒の質が悪いのか。はたまた両方か。

 従順な臣下である俺は素直に指示に従うことにする。

 

「なるほどぉー。了解しました。ではさっそく行ってまいりまーす」

 

 会話を打ち切り、振り帰ることもなく廊下へと歩き出す。

 舌打ちが聞こえた気がしたが、気の所為だろう。俺に一切の不備が見当たらいので疑う余地もない。

 

 

 

 

 

 目的地である特別棟は無駄に暑く、龍園の狙い通りに監視カメラは存在しなかった。

 それなりに神経を注ぎ、周辺を見回ったが俺の警戒反応にはなにも引っ掛かるものはなかった。隠しカメラもないようだ。

 完全に無駄足だった。ひよりと話しを続ければよかったとすぐさま、後悔した。

 

 暑さに苛立ち壁に拳を叩き込む。鉄筋コンクリートの壁はびくともせず、裸拳の衝撃を余すことなく吸収した。

 

 掃除が行き届いてないのか、材質の問題なのか、壁に拳の跡が残ってしまった。

 これも全て龍園のせいだ。間違いない。

 昼休みの残りが少ないため、急ぎ気味に教室へ戻っていく。

 

 

 

 放課後、ひよりと教室を出ていく前に報告だけは一応しておいた。

 部下の鑑としか思えない。ホウレンソウってやつだ。ホウチョウがなぜ部下に必須なのかは知らないが。

 

「龍園サン、場所の問題はなし。報告は以上です。お疲れサマっす」

 

「そうか、ご苦労」

 

「どーいたしましてー」

 

 ドアの前に立っていた彼女と合流し、教室を後にした。

 ひよりと並んで廊下を歩き、重たげに口を開く。

 

「クラスのリーダーである龍園くんが決めたこととはいえ、今回の一件、私は気乗りしません」

 

 心優しい彼女は、今回のやり方に良い気持ちは抱かないだろう。

 俺からすれば彼女のためならば、同じクラスの生徒すら生贄に出来るので、他クラスの人間なんぞ初めから眼中にない。

 それこそ死のうが生きようが───。

 

「たしかに、良いことではないし。まー、でも相手が乗って来なきゃ、意味ないから。徒労に終わることも十分にありえると思うよ」

 

「……そうですね」

 

「何か気になることでも?」

 

「いえ、龍園くんが決行に踏み切ったということは、それなりに勝算があると踏んだ筈です。正直、計画通りにいく可能性は高いでしょうね」

 

「……ひよりが気に入らないなら、今すぐ中止させるよう龍園にオネガイしてこようか?」

 

 あくまで今回は情報を収集すること。他に手段はいくらでもある。クラスなぞ、ひよりに比べれば二の次三の次だ。優先度はそこまで高くはない。それに情報が欲しいのなら()()()()()()()()()()、誰でも歌うように口を開かせてやる。

 彼女がノーを告げるのなら即座に教室へと向かおう。

 

「リョウくん、それは……。いえ、劣勢である私達は何れにせよ、情報の収集を行う必要があります。龍園くんが言っていることは間違ってはいませんから。それに予測が外れることも往々にしてありえますね」

 

 ひよりがここまで頭を悩ませたのだ。Dクラスの生徒はお役目御免、もう死んでも構わない。後腐れが気になるのなら殺す。

 

「そっか。じゃあ、お茶しに行こうよ!」

 

「ふふ、元気一杯です。そうですね、悩んでいても仕方ないことでした! 早速いきましょうか!」

 

 

 手を繋ぎ直し、校内へと出ると夏の暑さが待ち受けていた。

 だが、俺たちも夏の暑さに負けてない熱さだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに余談だが──

 Dクラスの生徒は龍園の仕掛けた罠にまんまとハマったことを報告しておく。

 

 

 

 

 



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「領分」

 

 

 

 時刻は再び、7月某日の放課後。

 中庭へとやってきたクラスメイトの三人、彼らはみな顔色が悪かった。その中でも石崎くんは特に酷い。顔色は真っ白で足は生まれたての子鹿のように震えている。よほど怖い思いをしたらしい。

 

 今回の1件で神経をすり減らしたのは間違いない。色々と龍園が予想していなかったことも起きたわけだし、仕方のないことだろう。

 

「まあ、予想外だったのはあちらもだろうけどね」

 

「どうなったのか、石崎。報告しろ」

 

「はい。今回の一件をご報告します────」

 

 

 

 :::::::::

 

 

 

 

 Cクラスの朝は騒々しい。

 

 国民全員が必修していると思われる、言葉のマジックである言い換え。響きの良い方に変換するなら、Cクラスの朝は賑やかだ、と表現できる。活気があるともいえるし、喧しいだけともいえる。

 コインの表と裏みたいな話だ。単純に見る者の視点によって捉え方に差異が生じる。

 

 そもそも、我らがCクラスだけ特別に五月蝿いというわけでない。16歳の高校生というやつは、どのクラスも同じように騒がしいのが基本らしい。

 

 暴力という恐怖政治で統治されているCクラスだが、人間という生き物は逞しいもので、三ヶ月も経てばクラスメイトの諸君はこの環境にも慣れていた。

 人間も飼いならされると、家畜のように従順になる。

 が、クラスの王である龍園からすれば、この状況は歓迎すべきものだ。

 他所のクラスと比べ一部の例外を除くとアホばっかりなのがCクラスの特徴だ。

 まあ、残念なことにアホ筆頭である生徒は俺自身というオチだが。

 

 実際Aクラスのように内乱を行う余裕すらないのが実状だ。

 Cクラスは強引な手段でクラスを纏めた男を、クラスの王に据えざるを得ないだけ。

 だが、幸か不幸か、龍園はクラスのリーダーとして有能な面を見せていた。入学当初のクラスポイント減少を防ぎ、中間試験では過去問での攻略という結果を叩きつけている。

 Dクラスというポイント全てを吐き出したクラスが隣にいる以上、龍園の影響力は日々強まっていく。

 曲がりなりにも幹部なので喜ぶべきところだろう。本音としては何だっていいのだが。

 

 

 クラスの暴君がいる、いない、に関わらず教室内はお喋りが活発だ。人数の違いはあれど、あちこちにグループが形成され無駄話に花を咲かせている。

 意外なことに龍園は言論統制を行なわず、言論の自由を認めていた。人の口に戸は建てられないというし、この判断は正しいと思われる。

 

 日付が変わった今日、7月1日。

 朝のホームルーム前から、クラス内はいつもより浮足立っていた。

 それもそのはず、毎月1日に振り込まれるプライペートポイントが支給されていない。更にクラスを騒然とさせたのは三名の生徒が負傷していたことだ。

 これ見よがしな手当の後は同情よりも、失笑を生みそうなものだが他の生徒は違うらしい。

 また、この三名というのが龍園の側近である石崎を含めた連中だ。感の鋭い人間なら、ポイントの未支給とこのタイミングで怪我をしている生徒が無関係とは考えないだろう。

 なんらかの事件として、二つの騒動を結びつけるのは難しくない。

 

 落ち着き払った態度で椅子に腰掛けているのは一部の人間のみ。

 クラスの王である龍園、

 既に事件を知らされていたCクラス幹部、

 そして今回立派にやられ役を演じた三人。

 

 この一見、無様としか言いようがない怪我も、全てが龍園の計画の内にすぎない。

 ひよりの心優しい考えを無下にするかの如く、Dクラスの生徒はものの見事に釣られてしまった。ハニートラップならぬサンドバックに手を出すとはマヌケ極まれりといったところだ。

 

 ガヤガヤとした教室に担任である坂上が入室してきた。いつぞやのように黒板へ厚紙を貼り付けていく。

 前回と同じく用紙にはクラスポイントが記載されている。一番重要な内容の数字だけが違う。今回、全てのクラスが100近くクラスポイントを増やしていた。

 その中でも4クラス中、最下位の増加量なのが、何を隠そう我らがCクラスである。

 

 書かれている数字に驚くことはない。先日話していた見極めの影響だろう。

 情報というのは時に(ポイント)よりも優先すべき事項だ。

 高く跳ぶために一度しゃがむ必要があるのと同じ。先行投資だ、これをケチっていては後で痛い目を見る。言い切れるのは俺自身が体験したから。

 Bクラスとの差は200ポイント近くになったが、許容範囲だ。最終的には、Bクラスどころか、Aクラスを追い落とす以外に道はないのだから。

 

 それはそうと、現状を把握してない連中としてはたまったものじゃない。

 特に二ヶ月間0ポイントで過ごすしているDクラスは喉から手が出るほどにポイントが欲しいはず。

 Cクラスは下から2つ目のクラスポイントとはいえ、5万近くを毎月支給されている。ポイントの配布が少々遅れたからといって、首が回らなくなる生徒が続出するとは考えにくい。

 

「先日の試験を無事に突破した一年生、全クラスにポイントが加点されました。皆さん、よく頑張りましたね」

 

「センセー、ポイントが増えたのは嬉しいけど、まだあたしたちの元に振り込まれてないみたいですけどー?」

 

 不満たらたらな声色で女子生徒が声をあげる。

 

「ふむ。今回ちょっとしたトラブルで、一年生へのポイント支給が遅れると連絡がありました。申し訳ないが少しの間、手持ちのポイントだけでやりくりをお願いします」

 

 担任は言い淀むこなく事情の説明を始めた。

 自分のクラスから訴えがあるのだ、事情を知らないはずがない。

 

「えぇ〜? そういうの困るんですけど」

 

「学校側の判断です、私を責めたところで判断が変わることはない。それに遅れるとはいえトラブルが解消され次第、ポイントは支給される。問題はないでしょう」

 

 どうにもならないと断言し、坂上は一度だけ龍園へと目を向けた。しかし、一言も発することなく担任は教室から出ていった。

 なにが起こっているかぐらいは把握しているようだ。

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

「うーん、ハンパだなあ。やっぱり、一本いっておこうか」

 

 朝食を選ぶような言い回しで目の前の男が、さらりと、とんでもないことを口にする。

 男はパンに手を伸ばす気軽さで、右腕が自分へと迫ってくる。腕がゴキりと(きし)み兵器のような音を立てた。

 

 暴力を振るう時、多くの人間は興奮状態に陥っている。石崎自信も他人へ暴力を使う際に、相手を叩きのめす高揚感を何度も味わったことがある。だが、目の前の男からは何も感じられない。

 顔色一つ変えず、ガラス玉のような双眸がこちらを見つめ、瞳の奥では恐怖し怯えている己の姿だけが映っていた。

 

 力を振るう喜びも、反撃される恐怖も、支配する愉悦も、男からは微塵も感じない。

 そこにあるのは虚無と呼ばれる闇だけが広がっていた。

 

 この間、罠にハメたDクラス生徒、須藤とは比べるまでもないほどの圧力が周囲を支配している。子供と大人ほどの差、いや、まだ手出しをされていないにもかかわらず反抗する戦意すら湧き上がらない。

 カラオケ店での敗北が重くのしかかっていた。

 

 

 顔見知り以上の仲だとは考えていたが、目の前の怪物(さえき)躊躇(ためら)いなく行動することを悟った。怪物が怪物たる所以(ゆえん)をまざまざと見せつけられている。

 いつもと変わらない態度と表情で、()()()()()()()()()

 動くことすら叶わず、一秒が永遠のように感じる。逃げることも抵抗することも出来ない。

 

 全てを諦め(まぶた)を閉じた。普段と同じ声色で怪物が話しかけてくる。

 

「綺麗に折ってあげるから、大丈夫。一月もすれば治るよ。じゃあ、歯を食いしばりたいなら、食いしばれ」

 

 綺麗に折ってくれるのか。それはよかった。

 

「さん」

 

 恐怖の、いや、天国へのカウントダウンが始まった。

 この恐怖から開放されるのなら、それに(まさ)る喜びはない。

 

「にい」

 

 逃れようのない痛みを堪えるため、奥歯が砕けんばかりに歯を食いしばる。

 

「ぃ……」

 

「何をしている。お前には今回手出し無用だと伝えたはずだ」

 

 腕の骨が砕ける寸前、支配されていた空間を裂き第三者の声が響く。

 普段使われない特別棟の男子トイレに思わぬ乱入者が現れた。

 瞼を開けると、怪物(さえき)(りゅうえん)の視線がぶつかり火花が散っていた。

 

「善意による協力だ、龍園。おまえがやってることが半端だから、見るに見かねたのさ」

 

 クラスの支配者である王と底しれぬ暴力が隠すつもりもない敵意を撒き散らしている。

 言葉こそ穏やかだが、お互いの腹の中を探りあっているのは明白だ。

 

退()け、余計な真似をすんじゃねえ」

 

 (龍園)は一歩も譲るつもりもないことが口ぶりから判った。

 静寂が痛いほど室内に響く。

 怪物(さえき)の右手は抜き手の形を保ったまま、右腕が、暴力が、開放される瞬間を待ちわびている。

 冷や汗が背筋を伝う。須藤(チンピラ)が可愛く見えるほど、禍々しい気配を纏っている。

 

「……りょうかーい。王様の提案に従うよ、幹部だしねぇ。カカっ」

 

 一触即発の状態にあった二人だが、何か思うところがあったのか佐伯は右腕を下ろした。

 男子トイレに満ちていた異常な気配が嘘のように消えていく。

 

「さっさと失せろ。椎名の尻でも追っかけておけ」

 

「言われなくてもそうする。石崎クンじゃあね」

 

 怪物(さえき)が挨拶を残してトイレから退出した。

 

「運がよかったな、石崎。五体は無事なままだ」

 

「……龍園さん、どうして止めたんですか?」

 

「なんだ、佐伯にボコってほしかったのか。そいつは悪いことをしたぜ」

 

「いえ、そういうわけじゃ……。あの人もなんらかの考えがあったと思いますし……」

 

「ねえよ」

 

 わずか一言で龍園は切り捨てた。

 

 ────────

 

 

 

 あれから、あの人は龍園さんの指示通り一切の関与をしなくなった。

 暴力事件はCクラスの狙い通りに進んでいる。

 証拠として怪我をした生徒が三人、そして須藤の日頃の態度から状況はこちらに分があった。

 全てが筋書き通りだった。

 この時までは──

 

「いつまで続けても話し合いは平行線を辿るでしょう。こちらは怪我をした生徒、そちらの証拠も決定的ではない。互いに嘘をついていると、水掛け論を延々と繰り返すだけの不毛な展開にしかなりません。

 そこで須藤くんには二週間の停学。Cクラスの生徒たちに一週間の停学。その辺りが落としどころだと思いませんか」

 

 目標の一つであった、須藤のバスケ部レギュラーを白紙撤回。

 停学によりDクラスは再びクラスポイントが0に落ちる。

 確たる証拠も掴めず、Dクラスは落とし所という名の敗北が待ち受けている。

 あとはその提案を受け入れるだけ──

 

「理解いただけなかったのなら、改めてお答えします。私達は須藤くんの完全無罪を主張します。Cクラスの提案は到底受け入れられません」

 

 Dクラスの女子生徒がCクラス担任、坂上の提案を力強く蹴り飛ばす。

 目の前にあったゴールが遠ざかるのを感じた。

 

 頭の中で男の幻聴が響く。

「だからあの時、折っておけばよかったのに」

 

 

 ────────

 

 

 暴行事件は翌日の4時に再審議となった。

 男の声が頭から離れない。幻聴は呪いとなり石崎を苦しめていた。

 だが、この忌まわしい声もこれまでだ。結局、Dクラスは明確な証拠を用意できずに敗北で終わる。かぶりを振って雑念を頭から追い出す。

 

 メールで指定された場所。特別棟の暑さにうんざりしながら、石崎たち三人は現場へとやってきた。

 

「……どういうことだ。なんでお前がここにいる」

 

「櫛田はここに来ないぞ。アレは嘘だ。彼女に頼んで無理メールさせた」 

 

 Cクラスの三人はDクラス女子、櫛田桔梗に呼び出しのメールを受けていた。

 それが蓋を開ければ、冴えない男子生徒が呼び出したという。

 石崎たちが怒るのも当然だ。

 

「ふざけやがって。何の真似だ、あぁ?」

 

「こうでもしないとお前らは無視するだろう? 話し合いがしたかったんだよ」 

 

 冷静な口調で一年Dクラスの男子生徒が話し始める。

 

「話し合い? この暑さでイカれたか? てめえと話すことなんざ、なに一つねえんだよ」

 

 石崎はシャツを仰ぎながら、苛立たしげに睨みつける。

 

「事実はいつも一つだ。俺たちは須藤に呼び出され殴られた。それだけだっ」

 

 Dクラスの野郎と話すことは何もないと態度で示し、元来た道へと引き返そうとした。 

 そのタイミングで、もう一人の部外者が退路を塞ぐ。

 

「観念した方がいいと思うよ、君たち」

 

 役者が揃うのを待っていた一之瀬が軽い足取りでこの場に姿を現す。

 一之瀬 帆波はBクラスの生徒であり、今回の騒動には全く関係がない。

 

「い、一之瀬!? どうしておまえが!?」

 

 Cクラスの三人は隠しようもないほど狼狽した。

 この事件に何の関連性もないBクラスの人間が、突然に現れれば無理からぬことだ。

 

「どうしてって? 私もこの一件に一枚噛んでいるから、と言っておくよ」

 

「有名人だな一之瀬」

 

「あははは。Cクラスとは色々あってね」

 

 龍園の策略、Bクラス生徒への嫌がらせ及び挑発行為はBクラスの頭である一之瀬の悩みのタネであった。

 思わぬ人物の登場により石崎を含めた三人は明らかに動揺している。

 

「Bクラスは何の関係もねえ、引っ込んでろ」

 

 石崎が強い口調を改めずに口を開く。

 

「確かに関係はないよ。でもさ、嘘で大勢に迷惑をかけるのってどうなのかな?」

 

「俺たちは嘘をついてない……。かわいそうな被害者なんだよ、俺たちはっ。こんな風に言われるのも心外だぜ!」

 

「白々しいよ石崎くん! えーい、悪党は最後までしぶといっ。そろそろ年貢の納め時だよ!」

 

 一之瀬は全てお見通しだと言わんばかりに声を張り上げる。

 

「今回の事件、君たちが嘘をついたことや最初に暴力を振るったこと。それらは全部バレバレなの。これ以上、問題を大きくすれば後悔するから訴えを取り下げるべし」

 

「あ? 訴えを取り下げろ? 笑わせんじゃねえよ、お前らの戯言にこれ以上は付き合いきれねえ。それにあれは須藤が喧嘩を仕掛けてきたんだ」

 

「ここは日本でも有数の学校で、政府公認だってことは知っているよね?」

 

「……だからどうした」

 

「だったらもう少し頭を使わないとダメじゃない。君たちの作戦なんて初めからお見通しだよ?」

 

 石崎たちに最初の威勢はなくなっていき、反対に一之瀬は饒舌になっていく。

 嘘をついているという自覚が、彼らの勢いを削いでいた。

 

「今回の事件を知った学校側の対応、随分とおかしくなかった?」

 

「あぁ?」

 

「君たちが学校側に訴えた時、どうして須藤くんがすぐに処罰されなかったのか。数日間の期間を与えて挽回するチャンスを与えたのか」

 

「須藤の野郎が学校に泣きついたからだ。あいつは卑怯にも真実を隠蔽しようとしやがったのさ」

 

「本当にそう思うの? 本当は別の狙いがあったんじゃないかな──────」

 

 

 

 

 後は探偵役の一之瀬が後付された監視カメラを見せつけ、

 Cクラスが訴えを取り下げ、この一件はそれで終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はずだった。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 空気だけが唇から漏れている。

 ────諦めの言葉は喉元を通り過ぎ口元まで到達していた。

 なのに体はソレを拒否していた。

 脳裏に思い浮かんだ最初の人物は、クラスの王である龍園翔。

 そして次に描かれたのは、Cクラスに潜んでいた怪物。

 

 幻聴が聞こえる。この場にいないはずの男の声が、聞こえる。

「だから、骨の一本を折っておくべきだったろう?」

 

 耳元ではなく頭の中で、確かに声が聞こえた。

 男の声は残響となり、脳内でやまびことなって反射している。

 

「ぃッ!」

 

 初めて対峙した時の記憶。

 思い出さぬようしっかりと蓋を閉じていたはずなのに、敗北が、諦めが、忌まわしき記憶を掘り起こす。

 

 化物(さえき)の姿を。

 笑みを浮かべ、底しれぬ暴力を孕んでいるアレが、俺に膝をつくことを許さない。

 先程まで感じていた茹だるほどの熱さは完全に消え失せ、震えるほどの悪寒が体を襲う。

 生存本能が、体が覚えていた恐怖が、一息の呼吸をさせた。脳に酸素が送り込まれ、否応なく現状を把握させる。

 

 あいつらが、話していることが正しいのかもしれない。

 学校側は全て知っており、罰を受けるのはこちらかもしれない。

 クラスの王である龍園の考えより上回っているのかもしれない。

 その結果、苦しい立場や学校を追われるかもしれない。

 

 暴行が学校に認知されており主犯の俺たちには、停学もしくは退学の罰則。

 入学したばかりの学生生活で()()()()()()()()()

 それだけは避けたい? 

 本当に、本当にそうだろうか? 

 俺が、いま一番回避しないといけないことはそんなことか? 

 

 違うだろ。停学? 退学? 

 そんな些細なことではない。

 最悪──とはその程度じゃない。

 

 そんなもの──アレと比べるなら。

 ここで諦め、それが佐伯(かいぶつ)の逆鱗に触れるなら。

 アレと対峙するのなら。

 

「ははっ、はっ、くくっっはは!」

 

 口からは諦めの言葉ではなく、笑いが漏れていた。

 なにを自分は悩んでいたのだ。

 初めから選択肢など()()()()()()()のだと、思い知らされ失笑してしまった。

 

「……なんで笑っているのかな。石崎くん」

 

 犯行前、最後の下見に駆り出され、そして問題ない、と佐伯・了は断言した。

 これほどの確証があるものか。あの佐伯(かいぶつ)が、あんなカメラを見逃す? 

 くくっ、馬鹿げている。

 

「自分のバカ、いいや、()()()加減に笑っただけだ。くくっ! 一之瀬ぇ、お前如きじゃ役者不足だったてことだ!」

 

「いきなり……なんの話しをしているの、石崎くん。大人しく諦めたほうがいいと思うけど」

 

「お、おい。石崎、ヤケになるなって……」

 

「落ち着けよ、石崎っ!」

 

 急に笑い初め、勢いよく話し始めた俺を見て二人は自暴自棄になったと勘違いしている。

 

「バカ、俺は死ぬほど冷静だ。くくっ、どうやって手に入れたかは知らないが、お前らも偽のカメラまで用意してご苦労様だぜ。全部無駄になっちまったけどな」

 

「なんの確証があって偽のカメラだと言い切れるのかな。それに監視カメラがあるかないかなんて普通の人は気にしないからね。それを口にするってことは、後ろめたい犯人だと自白していると同じでしょ」

 

 死に体だったはずのカラダが息を吹き返し勢いを取り戻していく。 

 化物(さえき)という恐怖が、一之瀬を小さく見せる。比較するまでもない迫力の違いが俺を突き動かしていた。

 

「くかかっ、確証? あるに決まってるだろ! なんせ、俺たちは無実なんだからなっ! 

 普通の人? くく、生憎だがCクラスにそんなやつはいねえ。カメラを気にしないのはてめえらだけの普通だ。俺たちはカメラを気にするのが普通なんだよっ!」

 

 仮にあのカメラがホンモノだったとしても、どちらにせよ俺に降りる選択肢はない。

 アレからの提案を蹴った上に、この脅しに屈せば確実に粛清される。

 後ろに戻れば明確な死が待ち受けているのだ。茨の道だろうが前に進むしかない。後方に控えているのは、茨どころではないのだから。

 

「……それはなんの証拠にもなってないよ」

 

「どうした一之瀬よお、さっきまでの威勢はどこにいったんだ? それに証拠か、了解したぜぇ? 今から生徒会に行き、お前もその目で映像を確認してくれよ」

 

「えっ……?」

 

 一之瀬は()()()。いってしまうと矮小だ。先の二人が大きすぎるせいか、そのように感じてしまう。格が、文字通りの格が違う。

 クラスの王(龍園)怪物(さえき)を見た後では、一之瀬帆波は恐れるに足らない。

 

「問題ないだろ? 初めからカメラがあると、お前は言い張ってんだ。まさか、Cクラスをハメる為だけにカメラを仕掛けた、なんてことあるはずないしなっ。須藤に殴りかかられる可愛そうな俺たちを見に行こうぜっ!」

 

 一番に危惧しなければならないのは他の二人だ。俺が降りずとも、小宮と近藤は折れる可能性がある。恐怖(さえき)を知らないクラスメイトが一見、楽に思える白旗を振ることは防がねばならない。

 その為にはこの場の空気を掌握しなければならない。

 怪物(さえき)のように有無を言わせず、場を支配するなどできやしない。あんな人間離れした芸当ができるはずがない。

 

 可能なことは声を荒げ、無理矢理に威圧することだけ。

 

 だから──笑え。あの二人のように腹の底から笑え。やつらが見れば、無様だと笑うだろう。

 でも、やらずに終わるのだけは、それだけは出来ない。

 この(イカ)れたゲームに乗ると決めたのは、俺自身なのだから!

 

「っ!」

 

「どうしたんだ。一之瀬、お前に不都合な理由なんざ一つもねえだろ? それとも自分の不正がバレるのが怖いのか。くく、おい見てみろよ、二人とも! こいつらは偽のカメラで無実の俺たちをハメようとしやがった。汚え連中だぞっ!」

 

 状況を窺っていた二人に大声で声をかける。

 小宮、近藤の心が折れていないことを信じるしかない。

 

「なんて卑怯な連中だっ! ふざけた真似しやがってっ!」

 

「やり方が薄汚え! なんでDクラスなんかに手を貸したんだっ。理由はなんだ、須藤に惚れてんのかよ? 一之瀬ぇ! 趣味が惡りぃぞ!」

 

 小宮と近藤は一之瀬が勢いをなくしたのを見て、ここぞとばかりに乗ってきた。二人ともどうやら腹を決めたらしい。

 

「私は……そんな理由じゃ……」

 

「それについては俺から────」

 

「てめえは黙ってろ! 今はBクラスとうちの問題だっ! 引っ込んでろや!」

 

 今まで傍観していたDクラスの生徒に口を挟ませない。この熱さの中、平気な顔をしているこいつは不気味だ。

 どことなく化物と雰囲気がダブり、気味が悪い。

 ここで長引かせて余計な入れ知恵(かいにゅう)をされるわけにはいかない。

 

「これ以上は無駄だっ! 話し合いがしてえなら一之瀬、この後の再審へ出てもらうぞ! 

 だが、その時は覚悟しろよ? お前がのこのこと議論に出てきた場合、Cクラスは一之瀬、お前を、いやBクラスを訴えてやるっ。内容はもちろん、Dクラスと共謀して無実の俺たちを陥れようとした罪でなっ!」

 

 肉を切らせ、骨を断つ。身を切る覚悟、それを即断即決できるのは一握りのモノたちだけ。

 仲間思いの一之瀬にそんな真似ができるはずがない。下手をすれば自分ひとりだけでなく、Bクラスの足を引っ張ることになるのだから。

 どんな理由があってDクラスに手を貸したかは知らないが、お人好しでは()()()()()

 

「……っ」

 

「くく、これで話しは終わりだな。小宮、近藤、行くぞ!」

 

「正義は勝つんだよっ、バーカっ!」

 

 近藤が捨て台詞を吐いて振り返ることなく進む。

 歩き出す俺たちを呼び止める声もなく、一之瀬が再審の場に現れることもなかった。

 

「お、おい石崎……。今更だけど、あそこまで言って大丈夫なのかよ……」

 

 心配げな表情の小宮へ顔を向ける。その時、小宮の後ろ、コンクリートの塗装が一部剥げている箇所が視界に映った。

 大きさは人間の拳程度で、よほど強力な一撃が打ち込まれたのだろう。

 

「くく、もう俺たちが出る幕じゃねえ。

    後は────────化物どもの領分だ」

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

「ご報告します────

 今回の一件、Dクラスの生徒(須藤)に二週間の停学。

 俺たち、Cクラスは無罪放免、何のペナルティもありません。

                    ────報告は以上です」

 

 

 

 

 

 




──


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幕間「其の弐」
「買物」


 

 

 

 

 石崎が報告を終え、ようやく三人組の顔色に血色が戻ってきた。

 役目を終えたことで緊張が解けたのだろう。後ろの二人が龍園と同じテーブルに座っている俺を不思議そうに眺めている。

 教室で影の薄い生徒が王である龍園の御前で不遜な態度を取り続けているのだ。奴らの視点なら理解できないのは無理もない。

 

「ひとまず報告ご苦労。結果にも満足だ。約束していた報酬だが、色を付けておいてやる。だが俺からポイントをお前らに渡せば、つまらない勘ぐりをうけかねない」

 

 どうやらピエロ三人衆に報奨金ぐらいは出すらしい。何の旨味もなしにこんな馬鹿げた茶番に付き合ってられないか。

 名も知らぬ生徒二名は報酬への不安を隠しきれずに物憂つげな顔だ。

 

「そう心配そうな顔をすんじゃねえ。ポイントはきっちり払ってやる。直接じゃないが、ここにいる佐伯を経由してポイントを使え。コイツにポイントを送っておく、時間を見つけて好きにやれ」

 

 なるほど。クラスの頭である龍園から、事件の当事者3人にポイントを渡せば新たな火種を起こしかねない。いらぬ勘ぐりというか、Cクラスの策略でDをハメたのだ。余計な詮索を避けるのは当然だ。

 しかし、どうせ関係ないと高をくくって話半分に聞き流していた俺にお鉢が回ってくるとは。寝耳に水だ。

 

「あざっす……。では、自分たちはこれで」

 

 やったな、これで新しい服が、飯でも食いに行くか、などお小遣いの使い道で盛り上がりながら三人が去っていく。

 早速、部外者が消えたことで上司に文句をつける。

 

「おい、龍園。そんな話は聞いてねえぞ。他のやつを使えばいいだろ」

 

「あ? てめえが勝手に動こうとした罰だ。大人しく買い物に付き合ってやれ」

 

 たしかに今回の石崎との一件は何の相談もしなかった。俺の自己判断により動いたし、身勝手と揶揄されても仕方のない行動だった。

 だが納得はできねえな。

 

「別に問題はなかっただろうがよ」

 

 石崎はきっちり自分の仕事をやったのだ。俺が被る責任も存在しない。

 空気が重いものへと変わっていく。

 

「寝言抜かすな。結果が良かったから、問題ありませんが通るわけねえだろ。仮に、てめえが石崎の骨をへし折った後、奴が血迷って学校側にチクったらどうするつもりだったんだ。少しは頭を使え」

 

「……」

 

「ポイントやその他で寝返らない保証がどこにあった。それともなんだ、お前は石崎に(タマ)、預けるほど信頼してんのか。卒業後、暴力(おまえ)に追われる生活なんざ御免だ」

 

「ちっ……。わっーた。買い物に行けばいいんだろ」

 

 腹立たしいことに龍園の理屈は筋が通っていた。

 裏切りは人間の常、それを知らない俺じゃない。

 石崎たちの虚偽の告訴とはわけが違う。ヘタをすれば俺は詰んでいた。

 

「最初からそう言え」

 

 石崎に嵌められないとも限らなかったのだ。あいつの腕をへし折った場合、暴行として学校側に告訴されれば間違いなく退学(クビ)だろう。

 今回の一件、たしかにいらぬ関与だったのは認めよう。

 

「だが、こんなもんアルベルトや他のやつでも構わないだろ。俺である必要はない。ポイントの持ち逃げでも警戒してんのか?」

 

 報酬がいくらかは知らないが、毎月のポイントと比べても遜色ない額のはずだ。

 金の持ち逃げを警戒するのは当然だが、龍園の配下連中すら使えないとは思えない。

 

「アルベルトや伊吹でも問題はない。その二人なら持ち逃げもしねえだろうからな。だが、お前を選んだのには理由がある」

 

「あ?」

 

「石崎の後ろにいた二人は誰だ?」

 

「……知らんけど。たぶんクラスメイト」

 

 思い出そうとするが既に顔もあやふやだ。まあ、恐らくはCクラスの人間だ。

 

「最低限、Cクラスの人間とは関わりを持て。名前も知らねえとかナメてんのか」

 

「うっせえな。教師か、おまえは」

 

「なら、口出しされずに済むよう心がけろ。雑事は以上だが、本題だ。来週からお前にも表に出てもらう」

 

「あー、いよいよか」

 

 Cクラスの主な人間だけが正式な幹部を把握している。けれど、他の生徒にはまだ知らされていない。

 ひよりちゃんは既に幹部として告知されていた。彼女はテストでの学力という功績が有ったため、幹部だと知らされても疑問視されることもないためだ。

 が、俺は違う。現状、影の薄いクラス生徒その一にすぎない。まだ一般生徒と同じ扱いだ。

 

「大勢の人間からすれば、今のてめえはなんの実績も持たない一生徒だ。いきなり幹部にまで押し上げても不審だろうからな。幹部候補の成果として、今週の大会で実績を作ってこい」

 

「候補? 幹部じゃなくて?」

 

「まずは幹部の候補としてだ。なに、大会での実績さえあれば問題ない。優秀なら正式な幹部への昇格も遠くないだろ。なあ、佐伯くんよ?」

 

 いちいち癇に障る言い方だ。おちょくらないと会話ができねえのか。

 

「たかが団体戦から外れたくらいでしつけーな。結果を出せば文句はねえだろ」

 

「まったくその通りだ。さて、冗談はこれくらいにしておくか。佐伯、今後は幹部としての役割を果たしてもらう」

 

「お手柔らかに頼むぜ、まだ一般人なんでな」

 

「くく、負け惜しみはいつ聞いても心地いい。それがてめえなら尚更な。まず手始めにお買い物だ。お前にポイントは送った、あいつらと行ってこい。石崎は勿論、残りの二人も手駒として使うこともある。否が応でも接する機会は増えるぞ、名前と顔を知らねえと仕事に支障をきたす」

 

 今後の役割よりもこの口調は鬱陶しい。マジメに話すという初歩的な技能がないのか。

 苛立ちながら携帯を確認する。

 画面を見れば龍園から30万ほど送金されていた。

 

「おいおい、このポイントどっから引っ張ってきたんだ? 節約したって無理だろ」

 

 下から2つ目のCクラスでは最初の10万ポイントに加え、三ヶ月分のポイント15万しか手に入らないはずだ。

 4ヶ月無給だったしても不可能な額である。

 

「……それについてはクラスの前で説明したはずだ。Cクラスの全員から、実際にはてめえと椎名を除く37名だが。毎月ポイントを徴収してんだよ。過去問の入手や今回のような報酬に使うためにな」

 

 龍園がどうやって過去問を手に入れたかは聞いていなかったが、金をちらつかせたらしい。幹部としての特権か、俺たち二人はポイントのカツアゲ対象ではないようだ。

 

「ああ、そうだったの? けど、一人10万は高くね」

 

 他クラスの生徒から軽傷を受けるだけで10万。

 これから学校ではCクラスの当たり屋が横行するかもな。

 

「多少の色は付けたがポイントをケチる意味はない。人間、金ですぐに転ぶからな」

 

「それは同感。というか、別に俺からもポイントを引いても構わないが? ひよりちゃんは駄目だけど」

 

「くく、必要ねえ。幹部としての権利だ。それにその分は労働で徴収する」

 

「さいですか」

 

 

 ────────

 

 

 翌日の放課後。

 ひよりちゃんは伊吹と女子会をするらしく別行動だ。

 ちょうど時間が空いたので被害者? 三人衆との買い物に時間をあてたのだが、やる気が起きない。

 

 だるい。

 なにが悲しくて野郎共とウィンドウショッピングをせねばならんのか。

 

 帰りたい。ひよりとならば何時間でも買い物やお茶に付き合えるのだが、アホ三人衆では五分と持ちそうにない。人選ミスだ。クラスの王は目が腐ってやがる、俺の予想では危険な電波を受信した影響だ。でなければ夏になっても切ろうとしないあの髪型に説明がつかない。

 

 脳天気な会話が繰り広げられているのも耳障りだ。

 

「へへ。Dクラスをハメた甲斐があったな。なんせ二ヶ月分のポイントだぜ」

 

「マジで龍園さんも気前がいいよな。約束の分より増やしてくれるなんて」

 

「近藤、声がでけえよ。それとおかしなこと言うな、俺たちは被害者だろ」

 

 石崎が周囲を警戒しながら、他の二人の発言を訂正させていく。

 

「ああ。そういや、そうだったな。わりーわりー。ポイントが嬉しくてよ。てかなんだよ石崎、今日なんかテンション低くね?」

 

 近藤と呼ばれた生徒が石崎に悪びれた様子もなく謝罪の言葉を口にする。

 

「……そんな、ことねえよ。大金入って使いみちを考えてるだけだ」

 

 石崎はチラリと視線をこちらに寄越す。地獄のような試練を耐えている俺になにか言葉をかけることもなく視線が通り過ぎた。

 ご苦労さまですの一言もねえのか。あれ、お疲れ様だっけこの場合使うのは? 

 

「どうでもいいから、さっさと買い物を終わらせてくれ」

 

 心の底から、嘘偽りない魂の叫びだ。

 アホ二人が勘違いして見当違いなことを言い始める。

 

「なんだよ、佐伯。一人ポイント貰ってないからスネてんのか? これは正当な報酬だぜ。なんせ俺たちはクラスの為に尽力したんだ」

 

「それにDクラスの暴力を受けた可愛そうな被害者だしなっ!」

 

 ゲラゲラと馬鹿笑いをかます二人。もう一人が俺の肩を馴れ馴れしく叩き、更に笑い声をあげる。

 一部始終を見ていた石崎の顔色が真っ青になり、脂汗を滴らせ始めた。

 

 

「あ、ああ、小宮、その……早く買いに行こうぜっ! せっかくのあぶく銭だしよ!」

 

「おっ! 石崎、やっとらしくなってきたなっ!」

 

「おうよっ、ま、待ちきれねえのさ。だから早く、早くいきますので!」

 

「なんだよ、その変な敬語は」

 

 なぜか石崎が駆け足で走り出した。その後を二人が追いかけていく。

 足を引き摺るようにして進んでいくと、三人が駆け込んだ先はスポーツショップだった。

 

「この新発売のウェアさ、まじかっこいいよな。コレ欲しくて、ポイント貯めてたし。今回の件でその必要はなくなったけど」

 

「俺はやっぱマイボだ。個人練習だと一年には古いボールしか使わせてくれねえしな。須藤さまさまだぜ。ほんと」

 

 二人はどうやらバスケ部のようで、部活に必要な運動着やボールを選び始めた。

 先に来ていた石崎は離れた場所で店員と話し込んでいる。似合わない真剣な表情だったので放っておこう。

 店内に椅子が置いてあったので腰掛けくつろいでいると、肩を叩かれ振り向く。小宮が話しかけてきた。

 

「なあ、佐伯。これどっちが良いと思う?」

 

 ド派手な色した赤い服と落ち着いた黒い服を両手に持ち、1人で見比べている。

 

「あー? 俺、バスケのことなにも知らんぞ」

 

 体育の授業とやらは真面目に受けたことがないので、全くの素人だ。

 

「いや、そんなんじゃなくて。その、純粋にどっちが女の子ウケいいのかなって」

 

「え?」

 

 思いがけない言葉を投げかけられ一瞬、ムカつく気持ちを忘れる。

 

「この中で唯一の彼女持ちじゃん? しかも相手はクラストップの美人、椎名さんだしよ。頭もいいしウチの幹部! それをこの短期間で付き合うとかマジ凄すぎ。俺も彼女が欲しいし、だからアドバイスを頼む!」

 

 ひよりがクラス内どころか、少なくとも校内トップだと叩き込んでやろうかと思ったが、一先ずその評価で納得してやろう。

 

「たしかに、そうだわっ。俺のも頼む佐伯、いや、佐伯さん! 恋愛マスターとして、女子受けがいい服選んでくれよっ!」

 

 それを聞いていた近藤もまた追従してくる。

 名乗るのも口に出すのも憚れる異名が付けられそうになっていた。

 その意味不明な称号はやめろ。アホすぎるだろ。恋愛マスターってなんだよ。

 恋愛マスター佐伯? 死にたくなる前に相手を殺したくなるぞ。でもまあ、ひよりちゃんを美人だと思っているのなら今回は許してやろう。

 

「そもそも練習着だろ? 女子ウケとか関係なく、動きやすい服を選べよ」

 

 素人の意見よりもてめらのほうが詳しいだろうに。

 

「バカ。弓道部と違って、バスケ部の服装ってのは幅広いんだよ。同じ体育館で女子バス、女バレもやってるから練習着を見られる機会は多い。頼む、俺達のセンスだとウケがよくねえんだ」

 

 弓道は弓道着オンリーなのでバスケのような選択肢は存在しない。

 弓道の服装はさほど、狂ったものではないため気にしたことがなかった。柔道着に比べれば月とスッポンだからな。あの道着に比べれば、何でもマシだ。嘘偽りなく大嫌いで仕方がなかった。

 

「女子ウケもクソもないと思うが。まあ、選ぶっつうなら、俺ならその正気を疑われそうな赤い服は買わない」

 

 なんだその血に塗れたような赤と黄色の線が混じった服は。そんなものよく手に取ろうと思ったな。センス以前に眼科へと行ってこい。

 

「戻してくるわっ!」

 

 慌てた様子で服をラックへと返しに走り出す。

 

「これはどうなんだ!?」

 

「色は良いけど、なにその柄。なんで全面に英字が描いてあるの。どこの広告塔だよ」

 

 二人して次から次へと服を持ってきては感想を求めてくる。

 もう好きに選べよ。

 二、三十分後。ようやく満足な枚数を選んだらしく、少し落ち着いた。

 

「へへ、これで俺もモテモテだ。佐伯、ありがとな」

 

 服装が変わったくらいで異性がすり寄ってくるとは思えないが、本人が満足そうなのでよしとしよう。

 

「ああ、彼女持ちは頼りになるな。あ、そうだ。まだポイント余裕あるし、お礼に一着買ってやるよ」

 

「それ良いな。じゃあ、俺が短パン、小宮がシャツ。上下ワンセットを今回の礼にするか」

 

「いや、特に欲しくもないんだが……」

 

「遠慮すんなって! バスケする機会あるかもしんねえし! それに部屋着やジョギングにも使えるぞ!」

 

「お前も弓道での道具に結構ポイントかかってるだろ。俺たちもバッシュやらなんやらで金欠だったし。それに羨ましいデート費用も必要だしな」

 

「かーっ。デート費用でポイントが足りないとか言ってみてえよ!」

 

 こいつらが金欠なわけが、不思議といえば不思議だった。

 改めて違いはなにかと考えてみたが────

 俺、部活に必要な物を何一つ買ってない。

 

 弓道着も、個人の弓も全て用意されていた。てっきりそういうものだと思っていたが、この二人の会話からさっするに部活での私物は自腹らしい。

 そりゃそうだ、流石にそこまで学校側も面倒は見てくれないだろ。

 

 だとするならば俺の分は誰が用意したんだ? 

 アレ? ポイントが自動的に引き落とされている? いや、見に覚えのない出費はなかったはず。

 いったいどういうことだ? 

 まさか龍園クンが、個人投資を────

 ない。それはない。まだ俺が無意識の内に窃盗して、盗品を愛用している説のほうが信じられる。

 

「なんだか、一気に仲良くなったみたいっすね」

 

 買い物を選び終えた石崎が近づいてくる、なにやら大きな缶と袋を抱えていた。こいつ、非常食でもかったのか? スポーツショップに売ってんのかな。防災グッズって。

 

「おう、石崎っ! 佐伯がモテる練習着をコーディネートしてくれてよ! わりいが、独り身は一抜けさせてもらうからなっ!」

 

「えっ? さ、えきが、練習着を!? な、なんで?」

 

「ん? いや、ほら佐伯は彼女いるじゃん。だからその実績を信用したわけ。意外と選ぶセンスもよくてさあ。流石は彼女持ちなだけあるぜ。誰しも取り柄の一つはあるもんだよな!」

 

「……あ、ああ。そう、か。でも、それだけじゃーないんじゃねーかー?」

 

 石崎クンは目が泳ぎまくっていた。50mプールならとっくに折り返しているだろう。

 

「どうでもいいよ。で、石崎は何買ったんだ?」

 

「俺はもっと鍛えたくてプロテインとアンダーウェア類っす!」

 

「石崎、マッチョなんて流行んねえよ。それ戻して佐伯に服を選んで貰えって。彼女ほしいだろ?」

 

「彼女もほしいが、それよりもお前らの度胸が欲しいな。俺は」

 

「そんなモノは売ってない。レジ行くぞー」



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「小咄」

「あんたアイツを放って置いて、私なんかと話してていいの?」

 

「彼とお話する時間はたくさんありますから。それに放課後、同じクラスの女子生徒とお茶をしてるだけで、問題を起こす人ではありませんよ」

 

 その発言を聞いてなお、表情を緩めず対面に座っている女子生を見やる。

 ”正式な”Cクラス幹部、椎名ひよりがこともなく口にした台詞を信じきれなかったためだ。

 

 件の人物は入学以降、たしかに目立った言動及び行動はしていない。

 実際に問題となるアクションを起こした回数でいうならば、クラスのリーダーである龍園こそよほど注意が必要だろう。現に暴君と呼ばれても仕方のない振る舞いは留まることなく続いている。

 だが、クラス内での反発は日に日に小さくなっていた。

 行動そのものに目をつぶれば結果は出ているためだ。

 Cクラスは暴君の恐怖と綱渡り的な結果の上に成り立っている。どちらを欠いてもクラスの秩序は乱れる。そのことについては確信めいた自信があった。

 

「ふふ。それにしても澪さん。あの人の事は名前で呼んであげてください。”アイツ”なんてあまりに寂しい言い方ですから」

 

 龍園の命令でこの少女の警護することになり、会話する機会も増え彼女からの提案により、名前で呼び合うようにもなった。

 その結果────

 ”アレ”との接触も増えた。が、苦手意識は未だ拭えずにいた。

 

「それは……」

 

 ごく一部の人間が、細心の注意で取り扱っている生徒だ。その一部にはクラスの王である龍園すらも含まれている。

 一度だけ。たった一度だけだ。アレが行動を起こしたのは。

 だが、その一度は余りにも過激な一幕だった。

 Cクラスの過激派を一蹴し、更なる暴力で叩きのめした男だ。 

 過敏になるな、という方が土台無理な話である。

 

「龍園くん達と同じように気軽な感じで大丈夫ですよ。あ、もしかして、私に気を使われてますか? それならご心配には及びませんが……」

 

 ひよりがとんでもない勘違いをしていた。

 気を使っているのは確かだが、気配だけで人を呼吸困難に追いやることができる化物に恋慕など、ましてや恋愛感情など持てるはずがない。

 慌てて避けていた人物の名を口にする。

 

「はあ。佐伯ね……。もう名前で呼ぶけど、ひより、あんたも大概よね」

 

「ふふ。”Cクラスの幹部”ですから。当然です」

 

 嫌味のつもりで放った軽口はサラリと受け流された。

 あの男と四六時中いるだけあって彼女も一筋縄ではいかない。穏やかな口調と見目麗しい外見からでは想像しにくいが、この少女も強かだ。

 常日頃は微笑みを浮かべている物静かな女子生徒。クラスへの干渉もほとんどなく優雅に本を読み毎日を過ごしていることが多い。

 けれど物事の本質を見抜く、確かな目を持っている。これまでに交わした会話からその聡明さを強く感じ取った。

 

「それにしても、あんたらの仲がいいのが不思議よ。だって正反対じゃない? 読書家でインドア派のひよりと、その、なんていうか……ちょっとアウトロー気味の佐伯とでは」

 

 彼女の優秀な頭脳が、あの比肩する者なき暴力を、冷酷無比に扱えばCクラスはおろか、学年全員が無視できないだろう。

 幸いなことにその優秀な頭脳の持ち主は争いごとを好まぬ性質だ。が、もう片方はいつ暴発するかはわからない。ひよりという存在が一種の安全装置にはなっているが、果たしてどこまで効力を発揮するかは不明だ。

 無論、安全装置の動作確認を行う、などという馬鹿げた考えは龍園を含め誰一人考えてはいない。万が一に暴走した場合、一体誰が止められるというのか。

 少なくともひよりの前では、態度も丸くなるのでこれからも発揮してもらわなくては困る。

 

 以上を踏まえた上で、先程の発言を口にした。

 アレについては苦し紛れの濁した評価である。自身の発言に怒ることもなく、その反対で、ひよりは笑みを零していた。

 

「そうですね。私と彼は同じ種類の人間ではありません。だから、上手くやっていけてるのかも」

 

「いやそれにしたって方向性が違いすぎるでしょ。一方は本やペンしか持ったことがなさそうな文学少女と、もう片方は広辞苑で筋トレしてそうな男よ」

 

 その言葉に嘘はない。

 男の方はスポーツマンの身体というよりは軍人のように鍛え上げられた肉体。あれほどの力と、いざという時は躊躇いなく踏み込める精神を持っているのだ。

 本来は誰かの下につくような人間とは到底思えない。

 その正反対の位置に存在する彼女が、上手く関係を築いてることがよほど不思議だ。

 

「私も、もう少し重い物ぐらいは持ちますよ。それに流石の彼も筋肉トレーニングの際は、ダンベルを使うと思います」

 

「そうかしら? ……。図書室では、鬼のような形相でバトル漫画を読んでるような男よ? ていうか、アレは一体なんだったわけ?」

 

「ふふ。それは彼の本嫌いを克服する為の一環です。重度の活字アレルギーでしたから。まずは文字の少ない漫画から始めたんですよ」

 

「ああ、そういうこと……。図書室で殺人鬼と遭遇するとは思ってなかったから、慌てたわ」

 

 あの時は大層驚いだものだ。室内に足を踏み入れた瞬間、刃物を突きつけられたような鋭く張り詰めた空気が出迎えてきたのだから。

 

「それは少し大げさでは? 眉間に皺がちょっと寄るくらい────

 ですよねリョウくん?」

 

「そだね。お恥ずかしながら本が難しくて」

 

 背後に音もなく問題の人物が立っていた。

 

 ──────ー

 

 

 

 

「ん? ……おまえは一年Cクラスの、たしか龍園だったか。なんだ、弓道部への入部希望か?」

 

「つまらねえジョークだ。弓道関係者は笑いのセンスが微塵もねえ。それとも笑えない冗談が入部の条件か?」

 

 生徒にあるまじき態度を咎めることなく、弓道部顧問は愉快げに笑う。詫びの言葉を言いながら、向かい合う生徒に目を向ける。

 

「あんたとは初対面のはずだが、自己紹介の必要はねえようだ」

 

 見定めるような眼光に怯むことなく、龍園が口を開く。

 

「それはお互いさまだろ? Cクラスは上手くやっているようだな」

 

「くっく。お陰様で順調だ。とぼけた見かけの割に、おしゃべりな小鳥でも飼っているのか」

 

 挑発にのることもなく、淡々とした態度で生徒からの疑問を答えていく。

 

「いいや、他のクラスのことは知らん。が、こと1年Cクラスに関しては違うだけだ」

 

「あ?」

 

 教職員が持つであろう情報網の存在を真っ向から否定し、己のクラス情報は筒抜けだと指摘され龍園が睨みを効かせる。

 

「なに、大したことではない。大規模な事件や重大な問題が起こってないのがなによりの証拠だ。佐伯が大人しくしている、これが順調でないはずがないだろう」

 

「……その口ぶり。佐伯のことは入学前から知ってるらしいな」

 

「おっと、個人情報の保護で詳しくは話せないぞ」

 

 昨今は個人情報の取り扱いには細心の注意が求められている。クラスの中心人物だろうと、それが問題児の情報であっても例外はない。

 

「だが他の生徒とは明確に線引をしている」

 

「ほう……なぜそう思う?」

 

「ヤツの部活で必要な道具一式、てめえが用意したな。個人の道具を顧問が手配するなんざ初耳だ。ましてや自腹を切ってまでとはな」

 

「……」

 

「あの馬鹿は疑問にも思ってねえがな。こっちで道具を調べてみたが、安くはない額だ。なのにヤツが金銭に苦労している様子は欠片もない」

 

 部活動で使用する道具は生徒個人のポイントで賄うのが通常だ。

 弓道部の必須品は道着を含めた道着などの装備一式。それに加え、一番に値が張る弓が必要だ。

 が、入部したての初心者やポイントの関係で購入できない者は、部で購入している弓を借りることができる。現に一年生は約一名を除き、全員が部活所有の弓を使用していた。

 

「それで部活顧問が自費で用意した、という結論に至った。なるほど……。佐伯が頭にならないはずだ」

 

 佐伯了という人間を知っているものからすれば、疑問に思わぬはずがない。

 過去の根も葉もない噂から確証のある話を含めて、誰かの指示に従うような男ではない。弓の技量はいうに及ばず、15,6の多感な生徒とは考えられないほど、精神面も、良くも悪くも一線を画している。

 そんな問題児が一応は大人しくしている。

 龍園翔という生徒の器もまた、計り知れない。

 

 現に様々な教師が己の部活に強く勧誘しなかったのは扱える自信がなかった為だろう。毒薬としてはあまりに強すぎ、自分が担当する部活を壊滅させられてはたまらない。

 

「普通は金の出処ぐらいは気にする。なんせ、タダより高えもんはねえからな。しかし、不可解な話だ。大会での実績があるわけでもない生徒に、そこまで入れ込む理由が見当たらねえ」

 

 龍園は一通り、過去の大会記録を調べたが弓道での記録は見当たらず、代わりに出てきたのは合気道や空手、マラソンでの大会記録のみだ。

 確かにその実績は輝かしいが、どれほどの原石であろうと大会実績もない生徒を優遇するのは不合理である。特にスポーツ分野はそれが顕著だ。

 それが、如何に底しれぬ佐伯了であろうとも。

 では一体どんな理由があるのか。龍園からすれば当然の疑問であった。

 

「実績か……。まあ、公式には無名だからな。先ほども言ったが、個人情報にあたる部分は喋れない。けれど投資理由ぐらいなら話せる。それでいいなら疑問に答えよう」

 

 龍園が無言のまま続きを促す。

 

「単純な話だ。身銭を切るだけの価値があると踏んだに過ぎない。一月や二月、程度の給料で奴が買えるのなら安い。他所の部に逃げられないために機嫌ぐらいは取っておくさ」

 

 佐伯が予想外の落ち着きを見せ、考えを改めた顧問も多かった。あれほどの逸材なら弓道以外でも大いに活躍が期待できるだろう。磨く必要のないダイヤを他所に引き抜かれるのを黙って見過ごすわけにはいかない。

 ハズレのない宝くじのようなものだ。一人の生徒には破格だが、それに見合う価値がある。

 

「公私混同に取られても問題ない、と?」

 

「これがポイントの譲渡や娯楽の品だったら問題だろう。だが今回は部活で必要な道具を生徒に与えただけ。いうならばこれは先行投資だ、期待している生徒へのな」

 

「十分なリターンがあると踏んでのことか。随分、佐伯を高く買ってるな」

 

「聞くが、お前はヤツを他の生徒と同じ様に扱ってるのか?」

 

「くく、わけねえだろ」

 

 両者が頬をあげ、笑う。バカバカしく可笑しい冗談だ。

 あんなものを、一様に触れられるはずがない。

 

「そういうことだ。安心しろ、佐伯から脅迫されたわけではない。疑問には答えられたかな?」

 

 佐伯が部活顧問を脅迫、あるいはそれに準じる行為を考えていたであろう、龍園の思い違いを指摘する。

 部活の結果で査定にプラスされるのは生徒だけではない。教員もまた結果で測られている。

 

「折角だ、最後にあんたの予想を聞いておこう。次の大会で、佐伯の順位は投資に見合うものなのか」

 

「そんなことか。最後に意味のないことを聞いたな。

 なら順位の予想ではなく結果を告げておく────」

 

 



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「小話2」

おひさ


 買物を終え、店を出た。小宮と近藤の二人と別れ、気がつけばクラスの王(龍園)を除き、もっとも緊張する相手と連れ立って校内を歩いている。

 内心の恐怖を悟られないよう、たわいもない会話を続けながら校内を進んでいく。

 ほどなくすると中庭の一部、屋根が突き出た場所へと出た。

 そこで俺にとっては喜ばしくないことに一組の男女と相対した。

 

 こちらを睨むように注意深く視線を向けてくる一人の男。

 メガネをかけ、痩せぎみだがしっかりした身体と鋭い眼つきが特徴的。外見は優等生そのもの。見た目の正直な感想はいけ好かない印象。

 

 その男の一歩後ろ、付き従うように女子学生が立っている。状況を理解していないようで、隣の男とこちらへ忙しなく交互に視線を動かしている。

 

 少し前に立っていた佐伯は動じることなく、風景でも眺めているような表情のまま。

 相変わらず誰であろうとその態度は相変わらずだ。

 

「佐伯了か……。今は大人しくしているようだが、何を考えている」

 

 隣の人物を見据え、立ちはだかる男が静かに口を開いた。

 一体どう言葉を返すのかと、不安で心臓の鼓動が早くなるのを感じる。

 緊張した状態を解くことなく身構えていると突然、佐伯がこちらへと顔を向けた。

 

「佐伯さんっ! お知り合いですか⁉」

 

 想定していなかった言葉をぶつけられ、咄嗟に頭が真っ白になる。

 いや、え、あんた……何言ってくれてんの⁉

 口をパクパクと間抜けに開き、言葉にならない音が抜けていく。

 

「くだらない真似をするな。隣の1ーCの生徒とは先日の審議で既に顔を合わせている」

 

 割り込むように男の声が切り込んできた。

 誤魔化すのを諦めたのか、ふざけるのを止めたのか定かではないが、つまらなそうに男の方へ視線を戻す。

 

「なんだなんだ。いつの間にやら俺も有名になったな。まあ、他の誰に名前を知られても嬉しくねえけど。特に野郎だと、な」

 

 飄々とした態度で、男へ言葉を返す。

 先程のおどおどした感じは微塵も感じられない。

 

「てか、石崎クンの知り合いなの? どなたよ?」

 

「いや、生徒会長っすよ。ほら、あの眼鏡……」

 

 やはり相手が何者なのか認知していなかった。

 これは予想通りだ。この男が他者へ興味を示すことなど、ましてや他人を記憶するはずがない。

 もちろん、たった一人を例外として。

 

「あー……? あぁ、こんなんだったかナ? へー。初めまして。佐伯了でーす。自己紹介はいらないみたいだけど、ネ」

 

 相手が生徒会長と認識し、上級生であっても、佐伯は態度を改めるつもりはないらしい。

 この間の一件で生徒会長と面識を持った自分はともかく、佐伯は全くの初対面のはずだ。なのにもう警戒されている。

 龍園からも注意するようにと言われていたのだが……。やはりクラスの王である龍園の言いつけをなんとも思ってないのだろう。

 

 佐伯と龍園。二人の力関係は未だ理解できない。

 我ながらお世辞にも出来が良いとは言えない脳みそだが、両者とも己の手に負える存在でないことだけは身にしみている。

 性格も似ているようで似ていない。まぁ……両名ともに暴力の行使に躊躇いがない点だけは同じだが。

 

「僕みたいな善人を捕まえてどうしましたッ? そういえば、これは秘密なんだけど、隣のクラスには暴力的な問題児がいるらしいゼ。そっちを注意しといたほうがいいんじゃねえのカッ?」

 

 先日の一件を蒸し返す発言。判決を言い渡したのが生徒会長その人なのだ。秘密も何も、言われるまでもないことは明らかだ。

 相手を完全に舐めくさっている台詞。年上だからといって敬語を使うような人間ではないと思っていたが、相変わらずこの男は狂れている。

 その証拠に先程から口調が乱れに乱れている。恐らく、敬語を使うことに慣れていない弊害だろう。でなければ日常生活に影響が出てしまうレベルだ。

 それに敬っているというよりは、バカにしているとしか思えない。

 そう、感じたのは俺1人ではなかったようだ。もう1人の部外者にも、そう、聞こえたらしい。

 

「ちょっと!? 貴方がどんな人か知りませんが、堀北会長にその口の聞き方はなんですか! 失礼ですよ!」

 

 いままで黙っていた女子生徒が怒りの声を上げる。

 当然だ、と思う前に佐伯の反応が気にかかった。

 なぜなら今日は既に小宮と近藤が褒められた対応をしていない。

 流石に同級生、それもクラスメイトだから処刑こそしなかったのだろうが、その怒りの矛先がこの二人に向けられないとも限らない。

 八つ当たりとも言える暴風雨。だが、ここにはそれを収められる安全装置(椎名)も、クラスの王もいない。

 

「喚くなよ、お団子ヘアーちゃん。場を明るくするジョークだヨ。お気に召さなかったかな?」

 

 わかっていたことだが、いつもながら笑えない冗談だ。

 無論、相手に浮かぶのは笑顔ではなく、苛立ちのみ。 

 

 生徒会長は意外にも気にした様子はない。

 そのままゆっくりと口を開く。

 

「……言葉はやはり無意味か」

 

 呟き終えるやいな、胸の前で拳を構えた。

 敵意が顕になり、その圧で俺と女子生徒が思わず後退る。

 噂以上に好戦的な態度と予想を上回る威圧に思わず動揺した。

 文武両道、お勉強だけが得意じゃないという噂は本当らしい。

 

「ッ……!」

 

 言葉にならない台詞が口から漏れた。

 油断ならない強敵に、身体に緊張が奔る。

 

「橘、下がっていろ」

 

 連れ立った女子生徒へ、短いが配慮の言葉がかけられる。

 信頼関係の為せる技だろう。女子生徒は戸惑いながらも生徒会長の命令に従っていく。

 そして反論することもなく、己が安全だと思う位置まで下がった。そこにあるのは生徒会長、堀北学に全幅の信頼を寄せている瞳だけがあった。

 

 強い。生徒会長の前評判は聞いていた、文武両道は伊達ではないことが嫌というほどわかる。

 この学校に来て何度か体験した有無を言わせない(プレッシャー)

 それは……俺では、クラスの王と怪物の二人と比較しても遜色ないモノだ。

 

 しかし、そんな生徒会長の圧すら、隣の怪物には意味をなさない。

 圧すら、どこ吹く風といった様子。いつもの減らず口が開かれ、さらには茶化される。

 

「下がる? 下がるだけでいいのか? 女の前で恥かくのは嫌だろ。じゃあ、正しく言おうぜ。来た道の角を戻って女子トイレにでも隠れてろ、って、ナ」

 

「……」

 

 言葉の後は互いに視線をぶつけ合う。

 それはいつかの再現。つい先日、クラスの王と揉めた時と同じように空気が張りつめる。

 

 二人は対照的な格好で対峙している。

 

 生徒会長は右足を前に重心を落とし、拳を構えている。

 喧嘩なれしている俺の目から見ても隙が見当たらない。細く見える体型だが、注意深く観察すると鍛えられた肉体だということがわかる。恐らく、何らかの武道経験者であることは間違いない。伊吹に近い気もするが、確証はない。

 理解できたのは、侮れなれない強者ということだけ。決して、お勉強だけが優等生だけの存在ではない。

 

 一方の佐伯了は両手を下ろしたまま。拳を構えるどころか、あろうことか、ズボンのポケットに両手が隠れている。

 立ち姿だけ見れば、争う意思がないように思えるが────。

 

 

 ソレは誤りだ。その反対で戦意が満ち溢れている。

 カラオケ店での一戦が思い出される。あの時と何ら変わることのない表情と態度。

 欠片も強者であることを感じさせない。アレは何かの間違いや、別人だったのではないかと疑っている自分がいる。

 

 だが、それは違う。

 立ち姿に騙され、迂闊に踏み込もうものなら、そこは怪物の領分(テリトリー)

 獲物を手ぐすね引いて待ちわびている。その結果は火を見るより明らか。それはいつかの再現。

 

 

 先日の一件で調査した際に知ったが、ここにも監視カメラはない。

 当然、生徒会長も承知だろう。

 下手をすれば今、ここで生徒会と一戦交えることになる。

 時間が経つにつれ、空気は重く呼吸すらままならくなっていた。

 

「ハっ……」

 

 短くバカにしたような響きの笑い声が静寂を破る。

 その音が消える間に、佐伯了(怪物)が動いた。

 ────誰も動けなかった。 

 下がっていた女子生徒も、見ていた俺も、戦闘態勢をとっていた生徒会長も。

 誰一人として、佐伯了の動きを捉えることはできなかった。

 

 生徒会長の横へと音もなく動いた佐伯は右腕をポケットから抜き出した。

 反応が追いつかない。堀北学は、ガラ空きのボディを晒している。

 ジャブでも、ストレートでも、あの一撃を受ければ致命傷であることは明白。それを見逃す佐伯ではない。

 だが、次の行動は全員の予想外だった。

 

「いや、いや、スマンせんねッ。 いやー。この間、同級生感で暴行事件があったばっかで、無駄に緊張しちゃいましたわ。ビビったっすよー。ネッ! 石崎クンッ!」

 

 気味の悪い笑顔を浮かべ、生徒会長の肩を叩いている佐伯了がそこにはいた。

 勘弁してくださいよー、と上司に媚を売るような台詞が続く。つい先程までの重く、冷たい空気が自分の思い違いのようだ。

 ほっとしている顔の女子生徒。生徒会長、堀北学の威圧感に気圧され、つい、一年生は見栄をはったのだと。本気でそう思っている。

 

 しかし、俺には怪物が獲物を見定めているようにしか見えない。

 まだやるなら、殺す、と言外に銃口を突きつけている。

 ポケットから抜き出され、肩をたたいている右手は死神が持つカマのように見える。

 兵器のように感じたこともあるあの右腕。それが必殺の間合いに入り込んでいた。

 そこから繰り出されるは防御不可能の一撃。俺の目には甲乙付けられなかったはずの格付けも、今となってはそれさえも済んでいる。いや、初めから済んでいたのだ。

 いつでも、お前のクビなんぞ取れる。そう雄弁に語っていた。

 

「もうー。人が悪いですよー。なぁ、石崎クン!」

 

 ギョロリと佐伯の目が無機物な動きで、こちらを見た。

 そこには意思も、なにもない、あの時と同じ色の闇がこちらを見ていた。

 

「ぁ、ああー、ブルっちまったぜー。なー……さえきー」

 




 なぜ投稿が遅くなったッッ!??
それは石崎くんの視点だったからです!!!
他人視点やりずらい。

頭の中では2年生辺まで進んでますが、
色んな邪念が邪魔をッッ‼ 

感想と評価くれてもええんやでッ!
……感想が欲しいイッッッ!


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