東方を無理矢理FGOっぽくしてみた (Gasshow)
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狂政復讐西界 紅魔郷
全ての始まり


元々、自己満足で書いていたのですが、コロナによる学生さんの暇潰しになればなーと言う思い半々と、これだけ自由に書いて受け入れられるのか?と言う実験の意味合いを兼ねて投稿します。注意事項が多々あります。

*注意事項

・あくまで『FGOっぽくしてみた』ですので、FGOの設定を反映させていません。独自設定です。

・元々、後ろで息抜きに書いていた自己満足の自慰作品ですので、読者への思いやりがないです。

・上記の目的での投稿なので、学生の春休みが終わるであろう四月終盤には削除する予定です。要望が多ければ、こちらで完成した後に投稿する場合はあるかもしれませんが、基本はないです。

・元々書いていたものにコメントをつけて予約投稿しているだけなので、感想の返信が遅れる場合があります(それはいつもか……)。毎日、十九時に投稿します。

これらが受け付けない方は読まない方がいいかも……。
ホント、駄作なんで。


藤丸立香と言う男はどこまでも平凡であった。突出した頭脳も、他を追随させない程の身体能力があるわけでもない。能力的に見れば全てが平凡な男。それが“藤丸立香”と言う存在だった。その証拠に彼は大学生になった今でもその在り方を貫いていた。平凡な学校の平凡な成績を修めている一学生。それが彼の肩書きだった。

 

 そんな彼が夏の長期休暇で実家へ帰り、母親に買い出しを頼まれたことから全ては始まった。立花の自宅から近くのスーパーまではかなりの道のりがあり、車で行かなければ夕飯を作るのに間に合わない。よって立花は取り立ての自動車免許を持って、霧の深い山道を車で下っていた。霧はどこまでも深く、少し先でさえ全く道が分からなかった。ガードレールがあるにはあるが、それを越えてしまえば、崖とも言える程の急斜面を誇る山肌を滑り落ちることになる。そうなれば命は無いに等しかった。それ故に立花は慎重に車を運転していた。危ない対向車が来ていないか、自分はちゃんと決められた車道を走っているのか。周囲に神経を張り巡らせたながら、彼は運転していた。しかしどんなに警戒していても不慮の事故と言うものは唐突に訪れるものだ。

その傍迷惑な訪問は立花の頭上から現れた。始めは地鳴りだった。まるで空き缶の中に入れられて、揺さぶられているかのような恐ろしい揺れ。

 

「っ! 地震!?」

 

立香は思わずそう叫び、急ブレーキを踏む。車体からけたたましい音が鳴り、車は止まった。しかしそれに反比例するように揺れは段々と大きく、おぞましく成長していく。体中からありとあらゆる危険信号が鳴り響き、腹の奥から恐怖心が沸き起こる。鼓動がバクバクと胸を打ち、しかし足はピクリとも動かない。自分にできることはただこの揺れが収まるまで車内でじっとしているだけ、そう立香は判断した。しかしその判断が間違いだったことを彼は次の瞬間に思い知らされた。

 

「……………………え?」

 

そんな間抜けな声が漏れる。そんな気の抜けたような声が飛び出す。それもそのはず。立香はいつの間にか空に投げ出されていた。いや、正確に言うなれば突き落とされと言った方がいいだろう。では何に突き落とされた? 何が原因でこうなった? その答えは立花が目にしたモノが全てを物語っていた。それは土だった。土と岩。大量の土砂が彼と共に地面へと一直線に落ちていっていた。そこで理解する。あの地鳴りは地震ではなく、大規模な土砂崩れだったのだと。そして自分の乗っていた車はそれに押し出され、結果この有り様になった。しかし今、理解したところで全ては後の祭り。今更、自分にできることなど何一つとしてなく、ただ親から借りた乗用車と共にぺしゃんこに潰されるだけ。立香はその運命を受け入れる準備をする間もなく、意識を暗転させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ッ!」

 

体の隅から隅へと走る激痛で目が覚めた。全身の神経が一瞬、膨張したのではないかと疑ってしまう程の痛み。僅かな時間しか感じなかったはずのその痛みが、まだ全身に残っているようで、立花は起き上がりながらも思わず顔をしかめさせる。

 

「…………ここはどこなんだ?」

 

痛みが落ち着いたところで周囲を見渡せば、そこは深い森だった。誰もが息を吐くような、重さすら感じさせる深緑に、夜の暗さが相まってより一層、胸から不安の感情が沸き上がる。しかし折り重なる木々の葉から漏れる月明かりが幻想的で、その不安も徐々に収まりを見せた。そのお陰か、立花はすぐに冷静に状況を判断する思考を取り戻す。

ふと彼は自身の現状を確認する。動機の激しい心臓を(いさ)めようと大きく深呼吸をすると同時に、恐らく自分はあの崖から落っこちたのだろうと推測するが、もしそうなら非常に不味い状況だと立花は再び自分の中に不安が呼び起こったことを感じ取った。

しかし思考を止めればそれこそ自分の中の状況が良くない方向へ傾くと思い、今できる自分の精一杯を考えることとした。地面に胡座(あぐら)をかいて座り込み、ほんの十分程度、頭を捻らせた結果、ここに留まって助けを待つと言う方向へと方針が決定した。それは数日あれば確実に誰かが土砂崩れに気づくし、そして自分がいなくなったことについてはそれ以上の早さで両親が警察に連絡を入れるだろう。もしそうなればタイミング的に自分が土砂崩れに巻き込まれたと察してくれるかもしれない。ここで下手に歩き回るより、そうした方が確実に預かる道がある。そう判断した故に立花はここで待つこととした。ならば無駄に体力を消費しないためにもうとっとと寝てしまうことにする。

 

「よし! なら今日は寝床を作って寝よう」

 

立花は自分を激励するかのように大声でこれから自分がするべきことを叫んだ。その瞬間的だった。激しく(まばゆ)い光が木々をすり抜け、立花の前方を明るく照らした。そのあまりの光量に思わず目を閉じて片手を顔の前にやり、影を作る。その光はすぐに収まりを見せ、再び元の静けさと暗闇をを取り戻す。立花はぼう呆然と立ち尽くす。何があったのか? 何が起きたのか? 彼は頭の中でそれを反復させ、そしてそれを確かめたい好奇心に駆られ、その光が放たれたであろう光源の元へと歩みを進めた。堂々と立ち尽くす木に手を添え、足元に茂る草を踏み倒し、森をひたすらに進んでいく。やがて立花は森を抜けた。

 

「…………ッ!」

 

そしてそこで見た風景に思わず息を飲む。まず目にしたのは大きな湖だった。(ひら)けた場所にポツンと置かれたようにあるなだらかで大きな湖。夜だと言うのにその青々とした鮮やかさが目にしっかりと写し出されている。そしてそれを一層、美しく見せるのが視界の端に映る満月と満天の星々。立花はかつてこれ程までに美しい夜空を見たことがなかった。それはとても神秘的で、そして幻想的なもの。しかし立花が目を奪われたのはその二つのどちらでもない。本来ならばただそのどちらか二つだけを目にすれば、目の焦点をそこへ合わせ、感嘆の息を吐くことだろう。だが今、立花が視点を一点にして見つめているのは一人の少女だった。

少し離れたここからでも分かる幼児を証明する背丈の少女。西洋風の独特な服装を見に纏い、肩まで伸びた紫色の髪が風に揺られ(なび)いている。そして彼女の背からはその丈と同じ程の大きさがあるコウモリのような羽が生えていた。そんな少女の横顔は幼さがありながらも男ならば誰もが魅了させるような美しさと妖艶さと、濃艶(のうえん)さがあった。まるで男の望む女性を体現したかのような──そんな少女が立花の目の前に現れたのだ。その美しい湖畔(こはん)(きら)めく夜空でさえ、その少女を着飾るための一つの衣装に過ぎないようだった。

立花が少女の姿に我を忘れていると、ふとそのたどだとしい横顔がくるりと回り、彼女の持つ二つの眼球がふとこちらを見た。

 

その瞬間だった──

 

 

 

「うわっ!」

 

 

先程まで離れた位置にいた少女がまるで瞬間移動したかのように、一瞬で目の前に現れたのだ。立花はあまりにも唐突な出来事に腰を抜かし、後ろへと倒れこんだ。

 

「君は……」

 

驚きの表情のまま座り固まる立香をその少女は見下ろし、ポツリと呟く。そして一人納得がいったように喉元をうねらせた。

 

「…………なるほど。外来人と言う訳ね。まさかこんなタイミングで迷い込んでくるなんて。余程運が悪いのかしら」

 

立香の思考が立ち直っていない頭に、追い討ちを掛けるような意味の分からない言葉。一人置き去りにされた彼を放って少女は丁度いいわ、と呟き立花に手を伸ばした。

 

「立ちなさい」

 

「えっ?」

 

「立ちなさいと言っているのよ」

 

立香は状況が掴めないながらも、おずおずと言った風にこちらに伸ばされている少女の小さな手を握った。

 

「うおっ!」

 

するとこの小さな体からどこにこんな力があるのかと思うような強引さで、強制的に体を吊り上げられ立たされる。少女はそんな立花を見て満足そうに頷いた後、そっと彼の胸元に右手を添えた。その瞬間だった。頭に謎の言葉がこだまし、響く。立花の知らない言葉の羅列が、脳内の全神経を伝って充満していくのが分かった。それは彼女の手のひらを通して、文字が流れ込んで来ているようだった。

 

「…………なんだ……これ?」

 

立香は今まで体験したことのないような現象に困惑し、思わずそんな言葉が漏れる。

 

「拒まず受け入れなさい。そして恐れずに頭の中にあるその言葉をそのまま口にしなさい」

 

立香は訳の分からない怒濤(どとう)の展開に頭が書き乱される。つい数日間前がもう忘れられない程、昔の時のような錯覚を覚える。今までの記憶全てが少女から受け渡される文字で犯されているようだった。

 

 

「…………素に銀と鉄──」

 

だからなのか、いつの間にか立花は口を開いていた。

 

 

「礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ──」

 

 

今まで溜め込んでいた言葉が脳神経を通し、肺に送られ、空気をエネルギーに舌から滑り落ちるのを感じた。

 

  

 「閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 

繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 

一度口にすればそれは止まることなく続けられた。

 

 

 「────Anfang(セット)

 

 

自分の意識とは関係なく。

 

 

 「────告げる!」

 

しかし、不快感などは何一つと感じない。

 

 「────告げる。

  汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

  我が意思の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

何故か安心感すらあるその言葉は──。

 

 「誓いを此処に。

  我は常世総ての善と成る者、

  我は常世総ての悪を敷く

 

汝三大の言霊を纏う七天、

抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」

 

 

これからの立花の全てを変える言葉だった。

 

 

 

 

 

「くっ!」

 

突如、手の甲に熱さが宿る。激痛にすら思えるその熱さは、まるで焼けた鉄製の刻印を押されているかのような鋭いものだった。立香は思わず膝を着き、異常の起こったその場所に目をやった。

 

「何だ……これ?」

 

そこで見た自身の手、その甲には真紅の奇妙な印が刻まれていた。立香はまるでタトゥーのようだと、それを逆の左手で擦ってみたが、それが取れる気配は微塵もなかった。

 

「どうやら成功したみたいね」

 

その声でハッと我に返る。

 

「えっと……」

 

立香はこの現象を生み出した人物が何者なのか尋ねようとしたが、それは覆い被さるような彼女の言葉によって(さえぎ)られる。

 

「説明は後よ、取り敢えず私に着いてきなさい」

 

少女は膝を着いていた立香の手首を捻る持ち、早歩きで湖の畔に向かっていく。

 

「うわ! ちょっと!」

 

立香は無理やり手を引かれ、彼女に引きずられるよう、その後を着いていく。バランスを崩しながらも、なんとか少女が立ち止まるまで着いて来ることのできた立花は、次いでここに何があるのかと周囲を見渡した。

さして変わった箇所などないように思えるその風景。しかし、湖の水面(みなも)に視線を向けた時、その本来ならあり得ない現象に立花は驚きで両目を見開かせた。

 

「紅い月?」

 

そう、その水面に写し出されていた月は紅く染まっていたのだ。立香は思わず空を見上げ、自身の頭上に浮かぶ月を見直すが、しかしその月は黄金のように輝く、自分のよく知る色の月が浮かんでいるだけだった。

ならばどうして湖上で揺らめくこの月だけが紅いのか。立花は自身の知る常識や知識を総動員するが、当然のように得られるものは何一つとしてなかった。ならここへ連れてきた張本人ならば何か知っているかもしれないと、ふと立花はあの少女がいるであろう位置へと首を向けた。

 

その当の本人である少女は真剣な面持ちで紅い月を見据えていた。何かを考えているような、何かを吟味しているような、そんな顔中の表情筋を引き締めた鋭い目で彼女は紅い月に視線を送り続けていた。その緊迫した少女の様子に立花はかけようとしていた声をを思わず引っ込めてしまう。彼女は自分をここまで連れてきて何をさせようと言うのだろうか? ただその思考だけが立花の頭を巡り続けた。

そんな疑問が(よぎ)る中、少女は一歩、湖の前へと歩み出た。その様子で、その雰囲気で、立花は今から少女がしようとしている行動を察してしまった。

 

「えっと……もしかしてここに飛び込むつもり?」

 

立花はまさかと思いながらもそう尋ねた。

 

「ええ、そうよ」

 

それに対し、少女は何の変化も見せずにあっさりと返答する。立香は自分の読みが当たったことに驚きながらも、動揺のままにまた違った疑問をぶつけた。

 

「いや、でも何で湖なんかに……」

 

歯切れの悪い言葉に、少女は立香の方を向いて不機嫌そうに目を細めた。

 

「なに? 文句でもあるのかしら?」

 

「いや、文句というよりは……」

 

意味が分からないと言うか何と言うか。そんな言葉を立香は口を閉じ、喉の中へと押し戻す。立花からすれば、自分がどこにいてどういう状況にあるか分からず、いきなり知らない人物の意味不明な言動に振り回されている。そんな現状で彼がこうなるのは仕方がないことだった。しかし目の前の少女は立花の意思など知らないとばかりに、彼の手を取り、湖の方へと引っ張った。

 

「いいから、黙って貴方も着いてきなさい」

 

「うおっ!」

 

その言葉と共に立花は水面へと投げ出された。いや、違う。水中だと思っていたそこは、全く違う場所だった。そこは白い光源のなかだった。辺りを見回しても白一色。全てが白に染まりきっていた。立香は予想とは違った状態に晒されたことに驚きと混乱が脳内を駆け巡る。そしてそれが収まるのを待つことなく。周囲の白光はより強さを増し、立香を含め、全てを飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気がつけば広い草原に立っていた。視界の端には地平線が見えており、それを阻害するものなど一つもない。空は青々しい地面とは対極に、曇りがかった景色が広がり、全てを灰色に染め上げていた。立香はそんな光景をただボケッと眺めることしかできなかった。しかしそれは唐突に終わりを迎える。

 

「…………仮想現実? いえ、聖杯の造り出した異世界とでも言うべきかしら」

 

それはふと隣に聞き覚えのある声が聞こえてきたからだ。視線を右下に下げれば、そこには自分をここに連れてきたであろう張本人が、少し前までの自分と同じように、この光景を見渡していた。

 

「…………あの」

 

立香は僅かに躊躇(ちゅうちょ)した後、思いきって声をかけてみた。少女は無言で立花を見上げ、そのパッチリとした目で彼を見た。

 

「……そうね、貴方にも状況説明が必要よね」

 

少女はそう言い、自身の顎に手を添えた。さて、どこから説明しようかしらと呟いているが、立香からすれば何もかもが自分の理解の範疇を越えており、一から百まで全てを説明して貰いたいと言うのが正直な話だった。

しかしここで横槍を入れるのはまた話をややこしくするのではないかと思い、立花は少女が話始めるのを待った。そうして立花が大人しく待っていると、ふと少女は何かを思い出したようにハッとして唇を開いた。

 

「その前に、貴方が私と出会うに(いた)った経緯について教えてちょうだい」

 

「経緯?」

 

立香は聞き返す。

 

「ええ。その方が教える側である私の整理もつくわ」

 

それもそうかと立花は自分が土砂崩れに巻き込まれたことと、気がついたら森の中にいたこと。そして激しい光の光源へと向かったらいつの間にかこうなっていたことを説明した。立花の話を聞き終えた少女は理解したと言ったように、その小さい首で頷きを見せた。

 

「なるほど。だいたい分かったわ。では貴方の疑問を私が全て解消して聞かせてあげましょう」

 

それから彼女は立花を改めて見据え話を始めた。

 

「まず貴方が土砂崩れに巻き込まれて、たどり着いた森──と言うよりは世界ね。そこは幻想郷と呼ばれる世界よ」

 

「幻想郷?」

 

立花は初めて聞くその単語に疑問符を浮かべる。

 

「そう、幻想郷。そこには言わば怪異の住む世界。例えば座敷わらしや天狗、河童と言ったそう言った化け物たちの住む世界ね。ほら、私もそう。吸血鬼よ」

 

そう言って少女は振り向いて立花に自身の羽をよく見えるようにした。立花は信じられない気持ちが胸の中に溢れ出ていたが、しかし目の前に証拠があるのだから納得する他なかった。少女は少女で受け入れの早い立花に上から目線で説明することに機嫌を良くしたのか、段々と饒舌(じょうぜつ)になっていった。

 

「昔、世界には怪異と呼ばれる存在が多くいたの。しかしそれは人間たちの文化文明が発展して行くなかで徐々に力を失っていった。例えば“金縛り”を元に生まれた妖怪。昔は、怪異の仕業だと信じられていたけど、最近では“睡眠麻痺”と言う現象により引き起こされることが人間たちによって証明された。そうなれば彼らの力は弱まり、そして最後には消えてしまうの」

 

なるほど。と立花は納得する。怪異の仕業だと思われていた現象が、ただの自然の摂理だと分かれば妖怪そのものの存在理由が消えてしまう。つまり世界から抹消されると言うことになるのだ。

 

「そんな風に自分たちの消滅を(うれ)いた幾人かの大妖怪たちが、大結界で隔離した小さな世界を作り、そこに人間たちを住まわせ、自分たちの力が衰えないようにしたの。それが先程まで私たちがいた幻想郷。人間の発展を怪異が調整しているから、妖怪の力が衰えることはない」

 

つまり人間ごと世界の一部を切り取って、別世界とし、そこで人間を発展させないようにする。そうすれば怪異たちは消滅しないことになる。随分と大がかりなことをしたなと立花はその行動力を称賛しながらも、僅かに呆れた。

 

「人間と怪異が共存しながらも実質的には人間が支配される世界。貴方はたまたま外の世界から幻想郷に迷い込んでしまったのよ」

 

立花は一応、納得したがその瞬間、少女の言葉に引っ掛かりを覚えた。

 

「……ん? 先程までいた世界?」

 

その口振りだとまるでここが幻想郷でないと言っているようではないかと反射的にそんな考えが浮かぶ。すると少女はニヤリと僅かに口角を持ち上げる。それはまるで、大人にもなって実行したいたずらが成功したような、薄く重さのないものだった。

 

「貴方の疑問は的を獲ているわ。そう、ここは幻想郷ではない。先程、私と貴方は湖に飛び込んだでしょう? それで幻想郷からここへ移動したのよ」

 

立花は混乱してきた頭を建て直そうと目元を指で軽く押さえ、そしてため息と共に火照った脳の熱を吐き出した。そこで立花は一つの疑問を持つ。ここが幻想郷と言う場所ではないとするとここは──

 

「ここはどこなのか」

 

立花の思考を読んでいたかのように、少女は先行してそう言った。それから彼女は立花の周囲をゆっくりと、彼の全身を見るように穏やかに周り始めた。

 

「ここはどこ? 幻想郷ではない。なら外の世界?いいえ、違うわ。そうね……ここで簡単に、一言で簡素に、さらっと答えを言うのは簡単だけれど、でもその前に貴方には幻想郷での私の立ち位置を知ってもらう必要があるわ」

 

「立ち位置?」

 

立花は聞き返す。

 

「ええ。この私が幻想郷でどう言った存在なのか」

 

少女はそこで立花の周囲を回ることを止め、彼の真正面に立った。

 

「大した肩書きはないわ。私はね、紅魔館と言う大きな屋敷の主なのよ。もっと分かりやすく言えば幻想郷における勢力図の一角を(にな)っているの」

 

立花はそのことに対して疑念を浮かべることはなかった。確かに普通ならば、こんな幼い少女が大きな館の主で、怪異たちの世界である魔境のような場所有数の勢力を持っているなどヘソが茶を沸かすレベルの話だが、目の前の少女はそんな見た目など意に介さないような威厳と、力強さと、権威があった。恐怖さえ覚える彼女の美しい見た目も相まって、立花は終始、彼女に気圧され気味だった。

 

「まあとにかくね、そんな私だから一つや二つは強力な──そうね、魔具とでも言うのかしら? まあとにかく、強い魔法の道具を持っていたのよ。その道具の名前は『()()』」

 

「……何だか凄そうな名前だね」

 

「ええ。事実、かなり便利な代物よ。それは言うなれば魔力の貯蔵庫のようなものなの。魔力を貯めておける強大な倉庫。それが『聖杯』の力」

 

立花には魔力と言う概念はいまいち分からなかったのだが、とにかくなんとなく凄い物だと言うのは理解した。

 

「その溜め込んだ魔力が今回、何者かに使われたようね。『聖杯』の魔力を使えば願望器の真似事くらいはできるもの。その結果がこの仮想世界。言うなれば“幻想郷の特異点”とでも言うべきかしら。どうやらここは『聖杯』の魔力によって作られたみたいね。誰が何の為に、なぜこんな世界を創ったのかは分からないのだけれど」

 

彼女はそう言うと、瞳を細くし、身体中に怒気をまとわせた。

 

「とにかく私の道具が勝手に使われたことは事実。そうなれば取り戻さなくてはならない。それに放っておいたら何かしら、ろくでもないことが起こるのは目に見えているわ。だからこうしてここに飛び込んだのよ。聖杯の力が感知できたあの紅い月に」

 

なるほど。自分が巻き込まれた経緯は分かった。要は誰かに自分の持っていた『聖杯』と呼ばれる協力な道具を勝手に使われ、それを取り返すためにここに来たと言うことだ。しかしそうなるとどうしても気になることができてしまう。それは今、立花がここにいる根本的なものだ。

 

「じゃあ何で俺を連れてきたの?」

 

立花は間髪入れずに尋ねる。

 

「おやつ」

 

「…………え?」

 

「おやつよおやつ」

 

「……おやつって、あのおやつ!?」

 

立花は予想の斜め上過ぎる回答に対してそうリアクションするしかなかった。

 

「ええ、そのおやつよ。あの聖杯の起こした光に巻き込まれて紅魔館ごとこの世界に取り込まれそうになった時、力を使って抵抗したの。だから私の魔力は今、ほぼ空。それを補う為に私と貴方とで契約を交わしたの」

 

契約と聞いて、立花は一瞬何の事だと疑問符を浮かべるが、ふとここに来るまで前に行われた出来事を思い出し自身の手の甲を見た。

 

「契約……契約ってこれ?」

 

立花の目に映るのは何の模様か分からない、赤で描かれた赤いマーク。立花の思い当たる節とと言えばこれしかなかった。

 

「そう、これよこれ。それは大昔にシュバインオーグとか言う老害が怪異を使い魔にする為に開発した契約術。人間側は使い魔に魔力を送り、そして“令呪”と呼ばれる三回の絶対命令権で使い魔を抑制する。分かりやすく言えば、貴方は私に魔力──外の世界で言えば生命力を私に与え続け、貴方はその代わり私を使い魔とした。その手の令呪と呼ばれる三回の絶対命令権を有してね」

 

つまり、自分は彼女に力を与え続け、彼女の養分となる。対して自分は彼女に三回だけの強制的な命令できる権利を得たということだろう。立花はそう解釈した。

立花は本当にこんなもので命令なんてできるのだろうか? と思いながらまじまじと自身の甲に刻まれた令呪を見る。そんなことをしていると、説明をした張本人である少女が立花を睨み付けながら彼に近づく。そうして威圧を纏ったまま傲慢な様子で口を開いた。

 

「でも勘違いしては駄目よ。貴方はあくまでおやつ。どう間違っても自分が上だとは思わないことね。私の力があれば貴方が令呪を使う前にその首を刈り取ることもできるのだから」

 

それは暗に、お前の命は自分が握っていると言っているようなものだった。実際にそうなのだろう。少女からすれば、立花はたまたま舞い込んで来た餌のようなもの。彼が生きているのは少女の気まぐれ。ただそれだけでしかないのだ。立花は改めて自身の現象を理解し、何か些細な切っ掛けで自分の命が散るのだと察した。彼の頬にうっすらと冷や汗が(にじ)み出る。

 

「貴方が私の都合によって、この理不尽に巻き込まれたことは諦めなさい。運命が貴方を導いて、私がしたいようにした。ただそれだけのことなのだから」

 

余りにも身勝手で、自分勝手な言葉。自分のしたいようにして、他人の都合など知りはしない。そんな彼女の有り様は正に幼い子供で、我が儘な女王のようだった。

 

「私の名前はレミリア・スカーレット。紅い悪魔にして紅魔館の主」

 

少女は名を名乗る。自身の冠するその大きな名を。

二人はここで初めて出会ったのだ。

 

「さあ、貴方の名前を教えてちょうだい──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご主人様(マスター)

 

 

レミリア(彼女)は皮肉った口調と微笑みで俺にそっと手を差し伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 




独自設定ですので、ざっくりとした用語解説を載せます。

『外来人』
我々のいる世界から幻想郷に来た人々のこと。

『聖杯』
Fateと違い、今作では魔力、霊力、妖力と言ったあらゆる力をほぼ無尽蔵に貯蔵できる物となっている(普通にぶっ壊れ)。聖杯については多く設定があるのだが、ネタバレになるので取り敢えずはこれだけに。

『キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ』
Fateでは第二魔法すら使用できる人外の化け物であるが、ややこしくなるので今作では昔の凄い魔法使い程度に設定している。令呪契約システムを考案したと言う設定。

『令呪』
マスターが持つサーヴァントに対する絶対命令権。基本的には三画(三回)の命令が許されており、一回の命令につき手の平の紋様が減っていく。Fateでは間桐臓硯が考案しているのだが、この物語ではシュバインオーグがこの令呪契約システムを全て制作したことになっている。またFateでは聖杯からの魔力によって作られているが、今作では立花自身の魔力だけで作られている為、Fateのような大魔術的応用はきかない。令呪の効果そのものが催眠や洗脳に近いものとなっている。

『サーヴァント』
Fateを知らない人は使い魔みたいなものだとおもってもらえればいい。マスターと令呪による契約で繋がっており、今作では力の弱まったレミリアが立香から力を補う為の契約でレミリアがサーヴァントと言う形になっている。


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紅の故郷

立香とレミリアは二人してどこまでも広がる広大な平原を歩いていた。目を凝らして見れば、向こうに霞みがかった連なる山脈が薄すら見えるが、まだ夜と言うこともあり、その全貌を目にすることはできていなかった。そんな二人の当初の目的は、ひとまず落ち着ける所を探すことだった。主に理由は三つあり、一つは情報の整理。これはこの聖杯により作られた世界がどう言った場所なのか。周囲に人はいないのか。そう言った幾つか浮かぶ予測を落ち着いて確認する場所が欲しい為である。そしてもう一つは安全の確保。吸血鬼であるレミリア自身は空を飛んで移動することができるのだが、それをしないのは不用意に目立つことを避ける為だ。まだここがどこでどう言った場所なのか不明な以上、不特定多数の目に晒される行動は控えるべきだと彼女は分かっていた。そしてこれが最後の理由なのだが──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ち、ちょっとレミリア。そろそろ休憩にしない?」

 

立香が休息を求めているからだった。

 

「……貴方、もう少し頑張ろうと言う気概(きがい)はないの?」

 

レミリアは振り返り、五メートル程後方にいる立香に対し、呆れるようにしてそう言った。それに対して立香は申し訳なさそうに顔の歪ませる。

 

「うっ、ごめん。でも何故かいつもより疲れやすいような気がするんだ。息もよく切れるし」

 

そう。大学生になり、あまり運動をしなくなったとは言え、立香はまだ健康的な二十代になったばかりの青年だ。たった数時間歩いただけでここまで疲労を(あらわ)にすること自体おかしな話なのだ。しかしその疑問はあっさりとレミリアの言葉により解消される。

 

「あら、そんなの当たり前よ。貴方は私に力を吸われてるのだからそうなって(しか)るべき、当然の話じゃない。私自身も貴方に遠慮なく、一思に吸ってしまっているからいつもより疲れるのは仕方のないことよ」

 

立香はレミリアの説明を聞き、自分が今、情けない姿を晒している大半の理由が彼女にあると分かり、ほっとすると同時に僅かな(いきどお)りを感じた。

 

「いや、じゃあこれは全部レミリアのせいじゃない?」

 

それに対し、レミリアは悪びれもなく答える。

 

「生意気なことを言うわね。確かにそうかもそれない。貴方の言うことは正論よ。でもまがいなりにも男なのでしょう? ならもう少し踏ん張りなさい」

 

そう言われてしまえば立香は何も言うことができず、疲れた体に鞭を打って、いそいそとレミリアの横へ並ぶようにして移動した。

 

そうしてしばらく歩いて探索するうち、ふと彼らの視界の隅に森が見えた。大して大きな森ではないようで、どちらかと言えば林と言った方がいいかもしれないレベルの規模だった。立香とレミリアは今日、その森で休息を取ることに決め、その中へと入っていった。そして手頃な場所を見つけるとそこに座り込み、一時の休息を手に入れた。

 

「はぁ……疲れた」

 

立花は大きく息を吐き出し、両手両足を地面へと投げうつようにして寝転がった。レミリアもあまりおくびに出してはいないが疲労は溜まっていたようで、座ってすぐに両膝を胸に抱え、じっと体を休ませていた。しばらく無言のやり取りが交わされ、静寂がその場にこだまする。普通ならば虫の(ささや)きや、風の経過音が耳に聞こえてきてもいいものだが、なぜかその森が音を鳴らすことはなかった。まるで何かから隠れるようにしてひっそりと自分はここにいませんよと訴えているようにすら感じた。しかしふと、そこでそれを台無しにするかのようにレミリアが口を開いた。

 

「寒いことはないけれど、暖が欲しいわね。ちょっとふ菓子、何か落ちてる枝木でも拾ってきてちょうだい」

 

レミリアは膝と胸の間に隠していた顔を立香の方へと向け、そう言った。立香は始め、それを誰に言っているのだと思ったのだが、ここには彼女と自分しかいないと気づくと、いぶかしんだ様子でレミリアを見た。

 

「……あの、レミリア。ふ菓子ってのは俺のこと?」

 

立香は尋ねる。それにレミリアは当たり前だと言った表情で立香を見返す。

 

「ええそうよ。言ったじゃない。貴方は私のおやつだと。でもおやつと言っても一括(ひとくく)りでしょ? クッキー、プリン、タルト。様々なおやつがあるけれど、私からすれば貴方はふ菓子レベル。だから貴方のことをこれからふ菓子と呼ぶわ」

 

それは何ともレミリアらしい台詞だと立香は思った。一応、自分はレミリアの(マスター)であるはずなのだが、そんなことは知らないと言わんばかりの見下した台詞。それに対して腹を立てることはないが、せめてクッキーレベルでいて欲しかったと、立香はそんな少し的外れなことを考えていた。

 

「じゃあお望み通り、枯れ枝か何か拾ってくるよ」

 

立香はそう言って立ち上がり、木々の隙間から漏れる月明かりを頼りに拠点と決めた場所の周囲を散策することにした。

 

「ええ、頼んだわ」

 

レミリアはそう言い残すと再び膝に頭を埋め、休息の体制を取り始める。立香はそれを尻目に暗闇の中へと体を馴染ませる。正直なところ、立香には今この場所、この時期の季節をよく分かっていない。暑くもなく寒くもない。湿気もあるようでないような何ともあやふやな気候だ。しかし、それでも枯れ枝は多数落ちており、僅か数分散策するだけでも両手一杯の枯れ枝が手に入った。立香はそろそろ拠点に帰ってもいい頃だろうと来た道を戻るために後ろを振り返った。

その時だった。がさごそと近くにある(しげ)みが音を鳴らして揺ぎだす。立香は何だ? と思案し、何があってもいいように身体を構え、その茂みを凝視する。するとその時、そこから何か巨大な影が飛び出し、立香のすぐ側を通り過ぎていった。立香は反射的に影の過ぎていった方向へ反転する。

 

「い、(いのしし)!?」

 

そこには背に三人は乗せれるのではないかと思える程巨大な猪が、鼻息を鳴らして立香に対し威嚇の姿勢をとっていた。立香の全身から危険信号が止めどなく流れ出し、冷や汗が頬をそっと伝う。自分がこれからどうすればいいのか冷静になろうとするが、それを激しい心臓の鼓動が阻害する。立香が混乱と恐怖の渦中に呑まれる中、ふと突然、猪が何の前触れもなく立香の方へと突進してきた。

 

「ッ!」

 

立香は全力で横へ飛び、その突進を回避する。ドサリと地面に倒れ伏す立香が次に感じたのは巨人が地面に足踏みしたのかと錯覚してしまう程の大きな揺れだった。立香は急いで立ち上がり、猪の突進した方へ目を向ける。するとそこには“く”の字に折れ曲がった大木があった。その突進の威力に立香は思わず身震いをする。もし自分が先ほどの突進を受けていたらあの程度では済まなかっただろう。とそんな不吉な予測が自身の意思とは関係なく立香の脳裏に浮かぶ。猪が振り返り、再び立香の方へと向き直る。また来るのかと立香が身構えたその時、猪の横っ腹に深紅の槍が飛来して突き刺さる。猪は血を流しながら、けたたましい悲鳴と共に体制を崩した。

 

「やけに騒々(そうぞう)しいと思ったらこんなモノにに遭遇してたのね」

 

その猪のうなり声を伴ってに現れたのは、闇に浮かび上がる紅い目を持った少女──レミリアだった。

 

「れ、レミリア……」

 

立香は安堵のため息と共に彼女の名を呼ぶ。そんな様子の立香を見て、レミリアは呆れ顔を彼に向けた。

 

「なに情けない姿をさらしたいるのよ。でもお手柄よ。少しお腹が空いていたところなの」

 

レミリアは言いながら、猪と立香の間に位置を置き、手から深紅の槍を出現させた。

 

「貴方はそこで見てなさい。どうやら吸血鬼の恐ろしさを知らないようだから、今からそれをその気の抜けた目に叩き込んであげる」

 

首だけを後ろに、立香にそう言い放つレミリア。そして言い終わった瞬間、レミリアの姿がかき消えた。どこに行ったのかと彼女の姿を探すが、それは猪の雄々しい悲鳴により判明する。

 

「なっ!」

 

悲鳴のあった場所には驚愕の光景があった。そこには深紅の槍で猪を上から地面へ縫い付けるように貫いているレミリアの姿。流石の猪もこれにはかなりこたえているようで、後ろ足を曲げ、地面に膝を着くような体勢になっていた。その現象に思わず立香は呆けるように口を開けてしまう。

 

いつの間に……。

 

これが立香の思った全てだ。レミリアが吸血鬼なのは分かっていた。立香の持つ知識と、レミリアの話からなんとなくではあるが吸血鬼と言う種族が強大な力を持っていることも知っていた。しかしまさかここまでのものとは彼自身、微塵も思っていなかったのだ。これが吸血鬼。これがレミリア・スカーレットなのかと、立香は彼女に対する畏怖(いふ)を強めた。

 

「しぶといわね」

 

ふとその呟きを聞き、立香は呆然としていた意識を呼び戻す。彼の目の前には、身体を上から貫かれたと言うのに、まだ闘争心を折られてはおらず、なんとか背中に乗っているレミリアを振り落とそうと懸命に身体を揺らしている猪の姿があった。レミリアはそれに対し、鬱陶(うっとお)しそうに顔を歪ませる。そして苛立ちをそのまま彼女が腕にグッと力を入れる動作を見せた瞬間、猪は細切れの肉塊になって地面にどさどさと散らばり落ちた。

 

「これが……吸血鬼……」

 

立香は目の前で繰り広げられた吸血鬼の圧倒的な力を前にそう呟く他なかった。ただの人間である自分ではどうすることもできない獣ですら、レミリアの遊び相手程度も務めることはできない。ほんの少し前にレミリアが言った通り、立香はこのたった数十秒で“吸血鬼の恐ろしさ”を嫌でも知らさせることとなったのだ。

 

そんな立香の心情を知ってか知らずか、レミリアはどうだと言いたげな様子で立香に近づいてきた。彼女の服には返り血など一つもなく、先程まで戦闘があったとは到底考えられない姿だった。しかし立香にはそんなことより一つ気になることがあった。それはレミリアが猪と戦闘する前に言っていた“お腹が空いた”と言う発言。つまりはレミリアはこれからこの猪を食そうとしていることになる。そうなると一つの問題が出てくる。

 

立香はそれを伝えるべく、ゆっくりと歩みを進めるレミリアにこう言い放った。

 

「猪の肉ってかなり獣臭いと思うんだけど、レミリアは食べられるの?」

 

レミリアは立香の言葉を聞き、歩みをピタリと止める。そして視線を細切れになった猪に向かわせた後、無言でただひたすらにそれを眺め続けた。それからしばらくそうした後──

 

「ふ菓子。貴方、あの猪肉を使ってフレンチを作りなさい」

 

などと言う無理難題を彼に押し付けた。

 

「いや、どう考えても無理だと思うけど……」

 

レミリアに返したその返答は至極全うな正論であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局あれから、猪の肉は焚き火の炎で焼いて調理したものを立香だけが食べると言う形で収まりを見せた。いや、実際にはレミリアも一口は口にしたのだが、想像以上の獣臭さにその瞬間、彼女は(そく)ギブアップしたのだ。

そしてそれらが終わった今、彼らは焚き火を挟んで穏やかに無言のまま身体を休めていた。長い時間歩き続け、やっとのことで休めると思った矢先にあのハプニングだ。二人がこうなるのは当然だった。

日はすっかり落ちきり、焚き火による乾いた音と、風による森のさざめきだけが鼓膜を震わす。二人の目の前に強くたぎる光源と熱量が、外から皮膚を突き抜け、血液に乗せて身体中を駆け回る。そのお陰か、こんな言葉がふと外へと飛び出た。

 

「……情報の整理でもしましょうか」

 

レミリアの言葉に立香は顔を上げる。

 

「整理って……あまり目新しいものは無かったけど」

 

立香からすればただ歩き回って森で大猪に遭遇しただけ。分かったことと言えば、この世界がとてつもなく広い場所だと言うのと、自分の暮らしていた地域ではまずお目にかかれない程大きな猪がいると言うことくらいだ。

 

「確かにそうね。でも分かりやすいものだけが状況を確認する手段とは言えないわ。例えばそう、恐らくこの世界が何者かが聖杯を使ったことで生まれたと言うことは言ったわね」

 

立香は頷く。

 

「つまりここは聖杯使用者の望んだ世界と言うこと。ならばこの世界のことを知れれば、(おの)ずと犯人が何者なのか見えてくるはず。人物像、知識量、願い、理想。ここは一個人のそう言ったものの具現世界」

 

確かにと立香は納得した。しかしそうなればそうなる程訳が分からなくなる。何が目的でこんなだだっ広い草原などを具現化したのか。一通り考えを巡らせてみたものの、結局答えは出ない。もう少し考えてみるかと再び立香が思考の渦に潜ろうとしたところでふとレミリアが横槍を入れた。

 

「随分と考えてくれているようだけど、残念ながら貴方では答えにたどり着けないわ」

 

「えっと、それはつまり……」

 

自分の頭が弱いと言われているのだろうか? などと立香が思った所で再びレミリアが口を挟む。

 

「いえ、貴方が聡明であろうがなかろうが答えは出せないわ。何故なら貴方は知らないから。知らないことを考えても答えは出ないでしょう? でも私は知っている。いえ、身体で覚えていると言った方がいいかしら」

 

立香はその言葉を聞いて疑問が浮上する。身体で覚えている──それはまるで過去に自分がそこに行ったことがあるような物言いだと。流石にこれは自身で疑問を持ち続けても意味がないと立香が答えをレミリアに聞き出そうとしたところで突然彼女が立ち上がった。両手を空にかざし、上から降ってくる星たちを優しく抱き抱えようとするような、そんな穏やかな姿勢。そして僅かにその姿勢を続けた後、やがて彼女は口を開いた。

 

「この透き通った懐かしい空気、風の質感。そしてそれらを突き抜けて進む夜空に浮かぶ星々。懐かしい。あまりにも懐かしいわ」

 

そう言うレミリアの顔はその言葉とは矛盾するように、全くもっての無表情だった。喜びも、哀しみも、怒りも何もない。ただひたすらに平らな、摩擦さえ起こらないようなそんな表情。その表情のままレミリアはそっと手を下ろし、立香に向き直った。そしてそこから語られる彼女の言葉は、立香にとって到底信じられない言葉だった。

 

 

「ここは恐らく十六世紀前半のヨーロッパ。今から約四百年前の世界。ふ菓子、貴方の知るよしもない世界よ」

 

レミリアはそう言い放ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




『レミリア・スカーレット』
《クラス》ランサー
《種族》吸血鬼
《ステータス》
※()内が弱体化していない本来のステータス。
筋力 C+ (A)
耐久 C (B)
俊敏 B+ (A++)
魔力 C- (B)
幸運 D (D)

《クラス別能力》対魔力(C)真紅の吸血鬼(A)
《スキル》
カリスマ(B)
軍団の指揮能力、カリスマ性の高さを示す能力。団体戦闘に置いて自軍の能力を向上させる稀有な才能。Bランクであれば国を率いるに十分な度量。

吸血(E+)
吸血行為と血を浴びることによる体力吸収&回復。ランクが上がるほど、吸収力が上昇する。
吸血鬼ならば誰でもA以上のランクを保持しているのだが、レミリアは吸血が苦手な為、このランクとなっている。

黄金率《体》(EX)
女神の如き完璧な肉体を有し、美しさを保つ。どれだけカロリーを摂取しても体型が変わらない。
吸血鬼は人間を魅了する為か、体に合った最善の肉体美、体型を保ち続ける。



《スペル》
突き穿つ紅き神槍(スピア・ザ・グングニル)
Rank:B+
種別:対人
レンジ:2~4
最大捕捉:1人

レミリアの持つ紅き神槍(スピア・ザ・グングニル)を投擲するスペル。しかしその速度は人知を越えた恐ろしいスピードで飛来し、更には彼女の能力『運命を操る程度の能力』により、“槍が相手に当たる”と言う結果を(あらかじ)め付与した状態で投擲する為、この槍をかわすには彼女の能力をもねじ曲げる因果操作が必要となる。もしくは強大なエネルギーを以て紅き神槍(スピア・ザ・グングニル)自体を破壊しなければならない。

運命操作()
Rank:E~EX
種別:対界
レンジ:?
最大捕捉:?

レミリアの『運命を操る程度の能力』。因果率を操作し、先の結果を自分の思うように改変することができる。しかし操作する因果率の大きさに比例して消費する魔力も多くなり、場合によってはステータスを大きく下げてしまうこともある。
その能力の強大さ故に、彼女もまだ使いこなせていないようだ。




※現在判明している分だけの記載です。


評価基準は自分が東方の中で一番高いステータスを持ったキャラをEXとした時の評価です。例えば

星熊勇儀 筋力EX
射命丸文 俊敏EX

みたいな感じです。



自分なりに考えたレミリアのステータス情報です。今作ではFGOではなく、原作Fate寄りのステータス表に寄せています。また物語上、判明していない部分の説明は省かせてもらっています。物語が進み、追加情報が判明される度に更新したステータス情報を挙げていきます。面倒だったので、超適当に書いてます。ちなみにこのステータスは、力の落ちているレミリアのステータスです。落ちているのにちょっと高ステータス過ぎる気もしますが、レミリアお嬢様なんで多少は……ね。参考にしたのはランサーの兄貴です。宝具の説明とかまんまです。皆さんならどんなステータスを作成しますか?


*以下小ネタ

レミリア「貴方、よくそんな獣臭いもの食べられるわね」

立香「贅沢は言ってられないからね。仕方ないよ。レミリアこそ何も食べなくて大丈夫なの?」

レミリア「大丈夫よ。いざと言う時の非常食があるから」

立香「へえ、そんなの持ってきてたんだ」

レミリア「ええ、今もその非常食がすくすくと育つのを眺めているところよ」

立香「……え?」


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隠れ村

「……西暦千六百年のヨーロッパ? 今から四百年前!?」

 

立香は驚きのあまり、思わずレミリアの言葉を復唱してしまった。目を見開き、大口を開け、顔全体の表情筋を引き伸ばす様は、何とも言えない間抜け(ずら)となっていた。

 

「何を驚く必要があるの? これはタイムスリップではない。聖杯による過去の再現よ。なら今から四百年前のヨーロッパに私たちがいたところで驚くことなんてないでしょうに」

 

レミリアが呆れたように言う。

 

「いや、俺が驚いているのはそこじゃなくて」

 

「ん?」

 

「レミリアが懐かしいって言ってたから」

 

それを聞いたレミリアは納得がいったと言わんばかりに頭を縦に軽く唸った。

 

「ああ、そう言うこと」

 

レミリアはそう言えば言っていなかったわね、と言いながら薪を挟んだ立香の対面に座り直した。

 

「貴方、私を見た目のままで判断し過ぎよ。私はこれでも五百歳。吸血鬼なのだから見た目通りのままな訳がないでしょう?」

 

「ッ!」

 

立香は驚きのあまり咄嗟(とっさ)に声が出ず、言葉にならない何とも詰まったような音が口から漏れた。

 

「……ホントに?」

 

立香はいぶかしみの目線をレミリアへとぶつける。

 

「私がここで嘘をついてどうするのよ」

 

レミリアは「はぁ」と小さく溜め息をついた。そんな時だった。遠くから森の木々や、草花を突き抜けどこからか狼の遠吠えが聞こえてきた。それによりハッと意識が本来あったであろう話の原点へと巻き戻される。いつの間にか話題が()れてしまっていた。これ以上話が逸れる前に、これは話題を元に戻した方がいいかなと立香がそう思い始めた時、レミリアから思わぬ提案が飛んできた。

 

「…………もう少し情報の整理をしたかったけれど、もう夜も深い。寝ることにしましょうか」

 

それは遠吠えが鳴り止んだ直後の言葉だった。

 

「整理はついたの?」

 

「まあなんとなくと言ったところかしら。完全ではないけれど、私の考えも貴方に伝わったでしょうし、まあ切り上げてしまってもいいでしょう」

 

その言葉でこのやり取りは自分に情報を渡すための行いだったことに立香は気づく。レミリアのことだから自分のことなどあまり気にしていないと思っていたが、実はそうではないのかもしれない。いや、ただ単に情報を共有している人物の多い方がこれから何かがあった時に便利なのだろう。立香はそう結論付け、頷く形でレミリアの提案を受け入れた。

立香の了承を受け取ったレミリアは、ふと手のひらを薪にかざしだした。するとオレンジ色に燃え盛っていた薪の炎が段々と小さくなっていき、(しま)いには完全に消え、そして暗闇が訪れた。

 

「本来なら私は夜行性なのだけれど、ここはマスターの貴方に合わせてあげる。私の魔力タンクである貴方はしっかりと休みなさい」

 

レミリアはそう言い終えた後、ゆっくりと身体を傾け、地面へと横になる。

 

「でも明日、疲れて動けないなんて言ったら死ぬまで血を吸ってやるわ」

 

そしてその言葉を最後に彼女は目を閉じた。立香はそれを聞き、柔らかく微笑んだ後に彼女と同じようにして横になった。

 

「おやすみレミリア」

 

立香はそう言い、視界を完全に閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢を見た。自分が到底見ないであろう夢。記憶にも、知識にも自分の中にはその片鱗すら在った試しはない。なのに何故か自分はそこにいた。自分がいるのは部屋だった。その部屋は紅かった。壁も床も、無駄に広いベッドでさえ紅に染まっていた。今は夜なのだろうか? カーテンは閉じられ、部屋の隅に立っている蝋燭(ろうそく)の灯りだけが視界を鮮明に明るく照らす唯一のもの。自分はそんな部屋の真ん中に座り込んでいた。何もすることはなく、ただそこにいるだけ。

そんな自分にふと後ろから声がかけられた。ただ一言、幼さをふんだんに盛り込んだ可愛らしい声。何と言っていたかは分からないがそれが自分の名を呼ぶ声だと言うことは何となく分かった。だから振り替えった。首だけではなく、足をずらして全身を後ろへと反転させた。その瞬間、身体に大きな衝撃が走る。何かが自分に向かって突っ込んでしたのだ。視線を下へと向ける。そこには少女がいた。金髪の髪を持ち、羽の生えた少女。しかしその羽が独特で、それは羽軸(うじく)だけが剥き出しになっており、そしてそこから宝石のようなものを垂らした飛べるのかどうかさえ怪しい羽だった。そんな少女はしばらく自身の体に顔を(うず)め、ふと金髪の少女が顔を上げた。そこには満面の笑顔が華々しく咲いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──し……」

 

意識がまだ身体の奥底でくすぶる中、誰かの声でそれが浮上する。

 

「──がし……」

 

靄が掛かっていた声が段々と晴れて鮮明になっていく。

 

「──ふ──がし」

 

輪軸が(あらわ)になり、隠れていた言葉がこっそりと顔を出す。それと同時に身体を揺すられる衝撃で目が覚めた。

 

「ふ菓子、起きなさい」

 

立香が(まぶた)を開けると、そこには幼くも恐怖さえ覚える程に整った少女の顔が目に飛び込んできた。僅か一瞬、誰だ? とそんな考えが彼の頭を過るが、すぐに昨日の出来事を思い出し、その少女の名前を呼ぶ。

 

「……レミリア?」

 

立香がその名を呼ぶと、彼はふと口に柔らかな感触が伝わるのを感じた。目を向ければ、そこには手で唇を覆うように自身の口を塞ぐレミリアの姿があった。

 

「静かに」

 

そう言われ立香は状況が把握しきれない中、言われるがままに呼吸を浅くし、そっと上半身を起こした。その様子を見たレミリアは立香の口に当てていた手をどけ、ある一点を視線で指し示した。そちらを見ろと言われているのだとるのだと察した立香は恐る恐るその方向へと視線を動かす。

 

「ほ、骨!?」

 

そこには列を成して彼らを横切るように進む骸骨たちの群れがあった。骨たちが二足歩行で歩き、行進していると言う異常な事態に立香は驚きの声を上げる。

 

「スケルトンよ。騒ぐ程でもないわ。所詮(しょせん)は下級の魔族。力を落としていると言っても私の敵ではない。問題はスケルトンたちが統率(とうそつ)をとって一斉にどこかへ向かっていると言う点」

 

「何かしら目的を持って行動しているってこと?」

 

「ええそうよ。もしかしたら何か聖杯に関する情報を得られるかもしれないわ。ふ菓子、後をつけましょう」

 

骸骨たちを見たお陰が、すでに寝起きの気だるさはない。立香は頷いてそっと立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立香とレミリアが骸骨たちの後ろを着けて始めて十分程たった頃、まるで森をくり貫いたような(ひら)けた場所が見えてきた。そこには遠目からでもハッキリと分かる木製の家屋(かおく)や、煉瓦でできた井戸などが見えた。外を箒で掃いている若い女性や、歓声ともとれるはしゃぎ声を上げながら遊ぶ子供たちの姿が見えた。

 

「ここは……村?」

 

立香は言う。

 

「……のようね」

 

レミリアも素直に同調した。だがその瞬間、まるで豆電球が点るように、一つの不穏な推測が立香の頭に過った。

 

「まさか!」

 

すると立香の叫びを合図としたかのように一斉にスケルトンたちが村を襲い始めた。甲高い悲鳴と泣き声が一斉にして鼓膜へと到達する。

 

「レミリア!」

 

立香はそう反射的に叫んでいた。レミリアはやれやれと言いた気な表情で首を左右へ振り、手に紅い槍を出現させる。

 

「仕方がないわね。あまり気は進まないけれど、ここで村人が全滅してしまっては、せっかく見つけた情報源を失ってしてまうわ」

 

レミリアはそう言って立香を見上げた。

 

「ふ菓子、貴方は混乱している村人を誘導させなさい。スケルトンの駆除は私がやっといてあげるわ」

 

「分かった」

 

立香の返事を聞くとレミリアは風のように去ってスケルトンの一段に突っ込んでいった。立香も遅れないように村の中へと足を踏み入れる。

村へ入った立香は辺りを見渡す。もう既に何人かが犠牲となってしまっているようで、血を流して倒れている男や、下半身と上半身が離ればなれになってしまっている小さな子供がちらほらと見えた。急いで安全な所に逃げないと! 立香の胸にそんな心境がいそいそと沸き上がってくる。

 

「皆さん! こちらに来て下さい! 話を聞いてください!」

 

立香はその感情をそのままに大声で周囲にそう呼び掛けた。しかし混乱と悲鳴により立香の声は届かない。

 

「くそっ!」

 

そう悪態はつくものの、立香は避難を呼び掛ける声を止めない。そして立香が酸素不足でくらりと頭が揺れそうになった時、彼の叫びが届いた。

 

「お主は?」

 

立香に声をかけたのは細めが印象的な初老の男性だった。うっすらと白みがかった髭と布でできた簡素な簡素な帽子を被っている男性。

 

「自分は通りすがりの者です! この村がスケルトンに襲われているのを発見したので助けに入ろうと。今、自分の仲間が戦っているので、スケルトンは直に駆除されます! それまで逃げ切れればいいのでどうか村人たちの誘導を!」

 

初老の男はそれを聞いて立香からそっと視線を反らし、レミリアの戦っている方へと目を向けた。

 

「…………吸血鬼か」

 

「えっ!? はい! 仲間は吸血鬼です」

 

立香がそう答えると初老の男は一瞬、何かを考える素振りを見せたが、次の瞬間にはギラリとした細目で(にら)むように立香に問いかける。

 

「……信じていいんだな?」

 

「ッ、はい!」

 

立香は間髪入れずに答える。その言葉に初老の男は微笑んだ後にこくりと頷いた。

 

「少年は子供たちを頼む。わしは大人を集めよう。恐らく顔の知らぬ者にあいつらは従わんからな」

 

「分かりました!」

 

立香は言葉を産み落とすようにしてその場を立ち去り、村の中心へと走っていく。

 

「頼んだぞ!」

 

後ろからかけられた熱い感情の乗った言葉。立香は前を向き走ったまま、右手を空へと高く掲げそれに答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立香は走る。走りながらも周囲を見渡し、子供の姿を探す。立香を追いかけてくるスケルトンもいるが。幸いスケルトンたちの移動速度は思っていたよりも遅く、青年である立香の走る速度であれば充分引き離すことができた。そしてそうすることしばらく、ふと立香の耳に幼い泣き声が潜り込んできた。立香は急いで足先の向ける方向を変え、その声の中心点へと向けて駆け出した。声の場所は木製の家屋、その裏側の影になっている所から発せられていた。立香が角を曲がった先、そこには幼い少女がいた。少女は血を流し、倒れ伏した男女の亡骸にすがり付きわんわんと声を上げて泣いていた。恐らくこれは少女の両親だろう。立香は痛む心を抑え、少女へと声をかけた。

 

「お嬢ちゃん、ここは危険だから早く行こう!」

 

立香の声に少女はそっと顔を上げ振り向く。

 

「……お兄ちゃんだぁれ?」

 

少女の顔は涙と両親の血でぐちゃぐちゃになっていた。透明な筈の涙が紅い鮮血で強い彩りを含んでいた。この場に不相応なことではあるが、立香はそれを何故か美しいと感じた。何がどうなってそう感じるのかは分からないが、それがとても尊く、同時に心臓を貫くような鮮やかさと痛みを象徴させるように感じたのだ。

 

「……助けに来たんだ。皆のいるところがあるから、一緒にそこへ行こう」

 

立香は複雑な心境をその言葉で押し留めてそう口にした。

 

「でも、お母さんとお父さんが……」

 

少女は視線を動かない両親へと向け、困惑を露にした。それを見た立香の顔が歪む。そしてそこで気がついた。先ほどまではこの状況と使命感で全くそんなことを感じる暇がなかったが……。

 

ああそうだ……。

 

そう言えば──

 

 

 

 

 

 

 

 

人の“死”を直接見たのは初めてだ。

 

立香はいつの間にか少女を抱き締めていた。それは少女を落ち着かせるためか、はたまた自分の心を冷静に保つためか。その心境を判断する余裕すら今の立香には無かった。

 

「……大丈夫だから」

 

言い聞かせる。誰に? 少女に? 自分に? そんな思考がぐるぐると彼の脳を巡り、止めどなく混合色が彼の思考を侵食した。

 

しかし、今はそんなことをしている場合ではないと、立香はその循環を力任せに断ち切り、自身の身体と共に少女を起き上がらせた。そして走る、少女を連れてひたすらに逃げるために走る。危険から、感情から、困惑から、思考から。全てを置き去りにするため立香は走った。だがそれはある簡単なことで止められてしまう。

 

「くっ! こんな所に!」

 

ふと立香の目の前にスケルトンが飛び出してきた。それが持つ()びにより(にぶ)く光った刀身が立香の心拍数を更に上昇させた。少女を連れて走っても逃げられないと察した立香は足元に転がっていたピッチフォーク(長い柄と長く広がった三本の歯がある槍のような農具)を拾い、それを構えた。

 

「はあ!」

 

スケルトンが攻撃を仕掛ける前に何とか隙を作ろうと、立香はピッチフォークを横へ()ぎ払うように振るった。しかしスケルトンはビクともせず、お返しとばかりに立香へと刀剣を縦へと振るう。立香は身体を横へと反らし、何とかそれを避け、今度はピッチフォークをスケルトンな腹部へと突き刺した。すると三本ある内の真ん中の歯が見事に背骨へと命中した。だがその瞬間、甲高い音と共にピッチフォークの歯がへし折られ、残骸が宙へと舞った。

 

「固っ!」

 

立香は思わずそう叫ぶ。そう、彼は失念していたのだ。それは彼のサーヴァントであるレミリアがあまりにも呆気なくスケルトンを(ほふ)っていたからか、それとも事前にスケルトンが下級の魔族と言う情報を得ていたからか。いや、立香は知らなかったのだ。たとえ下級であろうとも魔族である以上、それは藤丸立香(ただの人間)にとってとてつもない脅威に成り得るのだと言うことに。

 

ふと立香の頬にそっと冷や汗が垂れる。今更ながらにこの状況が自分手に負えない事態だと気づく。スケルトンがじりじりと間合いを積めてくる中、立香の後ろにいる子供が彼の袖をぎゅっと握りしめてきた。いよいよ後がない。この状況を打破する選択はないかと立香は懸命に頭を回し、可能性を模索しては捨て、模索しては捨てと自分たちが生き残る方法を探そうとする。そして、もうこうなれば子供だけでも逃がそうと。立香がその決断を実行しようとした時──

 

 

 

 

 

 

 

スケルトンの真横から深紅の光弾が飛来し、スケルトンにぶつかるや否や轟音を撒き散らし()ぜた。その音と衝撃で立香は思わず目をつむる。そして目を開けて見れば、彼の足下にはバラバラに砕け散ったスケルトンの破片が転がっていた。

 

「何してるのよ。 早く行きなさい」

 

その声で立香は状況を理解した。どうやらレミリアがスケルトンを駆除してくれたらしい。

 

「ありがとう、レミリア!」

 

立香はレミリアへと礼を言い、彼の後ろに控えていた子供の手を取って先へと急ぐ。もう彼らの逃走を邪魔する者のなど何もなく、二人は村の外へとただ走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからも立香は村の子供たちを探し出しては安全な場所へと運び、探しては運びを繰り返した。終盤にはレミリアによって大半のスケルトンが駆逐されていたので、始めのような命を危険にさらすことも無くなっていた。そして今はスケルトンの全滅により安全を取り戻した村、その中央にある家屋で、あの初老の男と机を挟んで対面していた。どうやら初老の男はこの村の長だったようで、話し合いの席を設けた今、彼が立香たちと同じ席に着くのは当然の話だと言える。

 

「この度は村の危機を救っていただいて感謝の言葉もない。お主らがいなかったら今頃、村人のほとんどは帰らぬ者となっておった」

 

村長は座ったまま、机に頭をつけるまで腰を折り、礼を言う。

 

「いえ、当然のことをしたまでです。流石に見殺しなんてことはできませんから」

 

立香は慌てたように手を振り、謙虚に返事を返す。そのやり取りを眺めていたレミリアは彼らの応酬に板を挟み見込むようなタイミングで口を開いた。

 

「……前置きはいいわ。私たちは貴方に聞きたいことがあるの。村を救ったのだからそれぐらいの報酬はあって(しか)るべきよね」

 

村長は立香の隣に座るレミリアへと意識を傾ける。

 

「ええ、なんなりと。私の知っていることであれば全て答えよう」

 

村長のその言葉を切っ掛けにレミリアは質問を開始した。

 

「まず一つ。この世界で何が起こっているのかを聞きたいの。私と彼は遠くからここへ来たからこの土地がどう言った場所なのか欠片も知らない。ここでは村がスケルトンに襲われる何て事態が簡単に起こる場所なのかしら?」

 

「いえ、そうではない。いや、正確に言えば一年前まではそうでなかったと言った方がいい」

 

「一年前までは?」

 

村長は頷く。

 

「ああ。約一年前、ここから西にある大きな渓谷の奥に、巨大で()()な色合いを持つ一邸(いってい)の館が現れたのだ」

 

村長がその言葉を口にした瞬間、レミリアの肩がピクリと跳ねた。

 

「レミリア?」

 

レミリアにしては珍しい反応に立香は思わず彼女の名を呼んだ。

 

「…………何でもないわ。続けて頂戴」

 

村長は話を続けた。

 

「突然現れたその館はどうやら一匹の吸血鬼によって支配されているようで、そいつは現れるや否や数多くの配下を従えてこの周辺の土地を襲い、支配していった」

 

村長の表情は段々と苦々しい表情になっていき、心なしか彼の手も力が入っているような気がした。

 

「奴らは村を踏み倒し、町を支配し、国を滅ぼした。僅か一年と言う期間でだ」

 

「たった一年……」

 

僅かその期間で数々の村や町、挙げ句の果てに国まで滅ぼした。立香はその村長が口にした事実を信じられないとばかりに呆然として聞くしかなかった。

 

「今や奴らはこの土地の王そのもの。実質的な支配者。幸いこの村は森に隠れていたが故に今日(こんにち)まで襲われることはなかったが、どうやらそれも今日で終わりらしい」

 

村長が語りが終わる。しんと部屋に静寂が訪れた。しばらくその状態が続き、そしてふと今までひたすらに黙って村長の話を聞いていたレミリアがふと突然口を開いた。

 

「……館を支配者している吸血鬼の名は分かるかしら?」

 

村長は首を振る。

 

「名前は分からん。……がそいつはこう呼ばれておる。『スカーレット・デビル』と」

 

『スカーレット・デビル』──紅い悪魔。

それだけの情報では相手がどんな存在なのか立香には検討もつかないが、しかしその名にピッタリ当てはまる人物なら彼は思い浮かべることができた。

 

「……何見てるのよ?」

 

立香がじっとレミリアを凝視していたからだろう、当の本人からそんなことを彼は言われた。

 

「ご、ごめん。何でもない」

 

その返しにレミリアは訝しげな様子で立香を見返したが、ふと興味を失ったように彼から視線を離した後、席を立った。

 

「よく分かったわ。その館はここから西に行けば見つけることができるのよね?」

 

「……まさか、行くつもりか?」

 

村長の目がそっと細まる。

 

「さあ? それは分からないわ。でも面白そうではあるから、暇があったら行ってみようかしら」

 

「止めておけ。いくらお主が同じ吸血鬼だからと言っても相手は国を滅ぼした化け物の集団。一人でどうにかなるものではない」

 

しかしレミリアはその忠告を無視するように部屋の外へと通じる扉へと歩きだした。

 

「ご忠告感謝するわ」

 

「ああ、忠告はしたぞ」

 

立香がレミリアの後を追おうと立ち上がった時、思い出したように村長が口を開いた。

 

「それは別として旅人たちよ。村を救ってくれたお礼だ。今晩は泊まっていかれよ。疲れているのはわしの目からも明らかだ」

 

「ええ、ご好意にあずかるわ」

 

「この家を出てすぐ右に建つ家を使われよ。もう住んでいる者は誰もいない」

 

立香は察した。住んでいるものはいない。いや、恐らく住んでいるものがいなくなってしまったのだ。それもつい先程。

 

「……では村長、ありがとうございました」

 

立香は立ち上がり、一つ頭を下げる。

 

「いや、こちらこそ重ねて礼を言う。今、村人たちの命があるのはお主らのお陰だ。また何か聞きたいことがあればいつでも来てくれて構わん」

 

そう言った村長の顔は立香が今まで見てきたどんな人物よりも複雑な表情をしており、そして堂々としているはずなのにどこか儚げなものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立香とレミリアは村長の自宅を出て、言われた通り右手に見える小さな家へと向かった。それは遠目から見てもそこまで大きくないことがハッキリと分かる大きさの家だった。小屋とまではいかなくとも、それに近いサイズで、恐らくこの家に住んでいた人物は独り暮らしなのだろうと容易に想像できる程だ。立香とレミリアはそんな家の扉を開け、中へと入る。やはりと言うべきか、内装も特別なものは何もなく、玄関から左右に別れる二部屋の構造。置いてあるものと言えば、一つの机に二つの椅子。そして精々食器や家裁道具のしまってある棚くらいであった。しかし机の上には皿に乗っている食べかけのパンが置いてあり、生活感のまだ残っているこの光景を目にし、立香は痛々しげに顔を歪ませた。

 

「ふ菓子……明日は西へ向かうわ。今日は身体を休めて準備しておきなさい」

 

二人が家へと入ってすぐ、レミリアは家の内装を見渡しながら立香にそう言い放った。

 

「西って……やっぱり行くつもり?」

 

「ええ、聞いたでしょ? 紅い館について」

 

立香はこくりと頷く。

 

「あれば恐らく聖杯の起動と共に消えた私の館──紅魔館よ。それに『スカーレット・デビル』と言うのも幻想郷で使われている私の呼び名の内の一つ」

 

「じゃあ……」

 

「ええ、何者かが私の名を名乗って私の紅魔館(所有物)を我が物顔で使っている可能性がある」

 

レミリアは言いながら家の奥へと進んでいき、部屋の隅にあったロッキングチェアへ腰を落ち着けた。

 

「それだから取り戻す。とても単純で、正当性に富んだ答えでしょ? それに恐らくだけど、聖杯は紅魔館にある」

 

それは立香も予感していたことだった。この世界に突然現れたと言う時点でその考えが自然と浮かんでいたのだ。しかし館へ向かうとなると一つ、懸念すべき問題が浮上する。それは今現在、二人にとって最も身近な問題だった。

 

「でもレミリア、まだ力が戻ってないんじゃないの?」

 

そう、それは立香とレミリアが契約を交わすこととなった根元足る理由。今のレミリアでもスケルトン程度を相手するには訳ないが、しかしこれから彼らが向かおうとしているのは国や町を滅ぼした魔族たちの根城だ。まだ全力ならまだしも、弱体化した彼女では厳しいことは目に見えていた。しかし、レミリアは態度を崩さない。ただ堂々として立香の言葉を聞いていた。

 

「関係ないわ。幸い貴方と言うおやつがいたから、力の回復も思ったより早い。明日になればもっと万全の状態に近づいているはずよ」

 

「だけど……」

 

立香は口ごもる。

 

「いいから黙ってなさい。貴方はただ私の決めたことに従っていればいい。立場を(わけま)えなさい」

 

レミリアにここまで言われれば立香は何も言い返せない。彼自身、レミリアの性格上ここで食い下がってたとしても、彼女の意見が変わらないことは何となく察っしていた。

何よりもレミリアは焦っているように見えた。苛立っているように見えた。それは当然だろうと立香は思案する。自分の大切な物を取られているのだ。彼女に待ってと言うことなどできるはずもない。

だからもう黙ってこの家の片付けでも始めようと立香が机の上にある皿を持ち上げた時、ふとレミリアから声がかかった。

 

「ふ菓子、何か飲み物はないかしら? あったら淹れて欲しいのだけれど」

 

何故だろうか? 立香はその何の変哲もない命令に思わずふふっと笑みを溢してしまった。

いや、奥底では分かっていた。先程までの争い、血肉、悲鳴。それらが急に離れ、やっと自分の知る“安寧(あんねい)”が訪れ、戻ってきた。それを自覚して自分は笑ったのだと。

そしていつの間にかこの我が儘で自分勝手な吸血鬼の命令に安らぎを感じていることに再び笑が込み上げてきた。

 

「何を突然笑っているのよ。何か面白いことでもあった?」

 

レミリアは立香へと不審なものを見るような目付きを送る。

 

「いや、ただ人間って不思議なものだと思ってさ」

 

立香のその返答を聞き、レミリアはこくりと不思議そうに首を小さく横へと傾ける。またその仕草が見た目相応の少女のようで、またうっすらと立香は微笑んだのだった。




《今作における吸血鬼(真祖)の定義》
Fateの世界には“吸血種”と“吸血鬼”は別のものと分類されています。血を吸う者を“吸血種”と呼び、その分類の中に“吸血鬼”と言う種族がいます。更に吸血鬼は“真祖”と“死徒”に別れており、“真祖”は生まれながらの吸血鬼、先天性の吸血鬼であるとされています。そして“死徒”は真祖、または他の死徒に吸血されたことで吸血鬼化した者のことを指します。
さて、ここからが本題です。それは『本作でレミリアがどう言った立ち位置なのか?』と言うことです。Fateでは現在“真祖”と呼ばれる立ち位置にいる吸血鬼は一人だけです(にわかなので定かではない)。そもそもFateの真祖とは人間に対して直接的な自衛手段を持たない星が、人間を律するために生み出した「自然との調停者」「星の触覚」と言った存在なのです。そうすると怪異としてのレミリアはこれには当てはまりません。ではレミリアは“真祖”ではないのか? と言ったことですが、今作ではFateとは全く違った世界と定義していますので、ここでの“真祖”はただ単純に『生まれながらの吸血鬼』と言う言葉通りの意味で捉えることとします。なので『レミリア・スカーレットは真祖の吸血鬼』と言うことにしておいて下さい。



・以下小ネタ

レミリア「ふ菓子、お茶」

立香「はいはい」

レミリア「ふ菓子、そこの本取って」

立香「はいはい」

レミリア「お母さん、夕飯まだ?」

立香「もうすぐよ」

レミリア(まさかボケを被せてくるとは……)


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貴方と出会えて

また夢を見た。前に見た時と同じような、あの酷く昔の話を聞いているような、そんな夢を。

 

 

 

ふと瞼を開ける。そこは相変わらず“紅”で侵食されていた。いや、違う。同じ紅と言っても場所が違った。そこは大きなホールと言っても言いサイズを持つ広場だった。天井にはシャンデリアがぶら下がっており、それを等間隔一定の距離を開けて囲うようにして太い柱が八本立てられていた。しかしその柱の何本かは折れてしまっており、更には床や壁に大きな爪痕のような傷や、まるで隕石が落下してきたのかと疑ってしまうようなクレーターが点在していた。そんな空間、そんな広場で空中に影が二つ浮かんでいた。一つはガタイの良い金髪の男。背中にあるコウモリのような羽をバサバサと靡かせていた。もう一つは金髪の髪と宝石をぶら下げたような羽を持つ小さな少女。彼女の目は遠目からでと完全に瞳孔が開ききっており、ただ一目見ただけでも彼女が感じている正気を失っていることが伺えた。対峙する二人。自分はそんな彼らに向けて何かを叫んでいた。その叫びは悲痛であり、悲願であった。自分では何もできない無力さをただ嘆いているようで、いつの間にか頬にはそっと涙が伝っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立香は意識の覚醒と共に体を起こした。体はびっしょりと汗に濡れており、そのせいで真冬ですらないのに肌寒さを感じていた。

 

「……何だったんだあの夢は」

 

立香は額に手を添えながらそう呟く。あまりハッキリとは思い出せないが、何かとてつもなく嫌な(もの)を見ていたのは覚えている。酷く胸が苦しくなるような痛み。心臓の古傷が(うず)く、そんな痛みだ。

 

「……今は何時だ?」

 

時計を持たない立香は今、自分がどの時間帯にいるのか全く把握できていない。しかし、窓から日差しがさしていないことから自分が床に着いてまだそこまで時間が経っていないことはだけ理解できた。

立香は体に掛けてあった麻布を取り払い、立ち上がる。流石にこんな気分のまま寝直そうと言う気にはなれなかったのだ。だが何かしようと行動する現状でも場合でもない。さて、どうしたものかと立香が考えを一巡させたその時、ふと視界の端に質素極まりないベッドが目に映った。そしてその上から、か細く可愛らしい寝息が聞こえてくる。その寝息を漏らしているのは誰でもないレミリアだ。そこで立香はベッドをレミリアに譲り、自分は床で寝ていたことを思い出した。そしてふとその浅い呼吸に吸い寄せられるようベッドの縁まで移動する。立香は床へと腰を降ろし、ベッドで寝ているレミリアを覗き込んだ。その顔は立香がレミリアに対し今まで見てきたどの顔とも違うあどけないものだった。“可愛らしい”、それが立香が思い浮かべた素直な感想だった。

 

「寝ている様子は本当にただの小さな女の子なんだけどなあ」

 

立香はそう言いながらそっと彼女はの頬へと人差し指を立て、伸ばす。レミリアの頬へと徐々に接近する立香の人差し指。もう触れるか触れないかと言った距離。そこでその距離はピタリとその数値を停止させることとなる。そう、レミリアの瞼が開けられることにより。

 

「……何を……しているのかしら?」

 

ジト目で睨まれる立香。彼の頬にそっと冷や汗が伝う。

 

「……ごめん」

 

そう言うしかなかった。そう言うことしかできなかった。自分の甘い考えでこのような行動に及んだことを立香は後悔した。

 

「…………………………」

 

「…………………………」

 

無言の時が続き、二人の視線が宙を行き来する。リンリンと涼しげに鳴く虫の音が妙に大きく聞こえた気がした。そうしてしばらく続いた硬直状態はレミリアが体を起こすことで終わりを見せる。

 

「……まあいいわ。今回は特別に許してあげる」

 

彼女はベッドの縁へ滑るようにして腰を降ろし、そっと立ち上がる。立香はその言葉にホッと胸を撫で下ろす。

 

「だけど次やったら血を吸うわよ。干からびるまで」

 

しかしその次に言い放たれた彼女の言葉は完全なる処刑宣告。立香は何も言わず無言で首を縦に振ることしかできなかった。そして誓う。もう二度と軽率な考えでレミリアに接触することは止めようと。そんな立香の決意を尻目に、レミリアは彼に背を向けた体制でぐっと背伸びをし、体の筋肉をほぐしていた。

 

「それにしても随分と眠ってしまったわ。半日までとはいかなくとも、それに近い時間まで眠ったからかしら」

 

そのレミリアの言葉に立香は思わず反応する。

 

「半日? でも外はまだ夜だけど……」

 

「……いえ、恐らく時間帯的には朝なのよ」

 

どう言うことだと立香は疑問符を浮かべる。

 

「ふ菓子、私たちがこの世界に来てから朝日を一度でも見たことがあったかしら」

 

「……ない」

 

言われてみればそうだ。しかしそれはたまたま自分たちの起きたタイミングがそうだったのでは? と立香は思わざる負えない。

 

「貴方の言いたいことは分かるわ。確かに偶然、私たちの起きたのが夜だっただけかもしれない。でも私はこの世界に朝がないと言う確率の方が高いと思ってるわ」

 

レミリアは振り向いて立香へと向き直る。

 

「この世界は聖杯所有者の造り出した世界。ならばここはその人物にとって都合の良い世界であるはず。それは前にも言ったわよね」

 

確かに聞いた。しかしそれでもまだ立香はレミリアの言わんとしていることが分からない。

 

「それが朝日の昇らない理由? でもそんなことがメリットになるの?」

 

朝日の昇らないことで生じる利点。少なくとも立香は直ぐにそれを思い浮かべることはできなかった。

 

「私が考えるに二つあるわ。一つは魔族が夜を好むと言う点。魔族にとっては夜が人間で言う昼のようなもの。彼らにとって過ごしやすい時間帯が夜なの。そして──」

 

 

 

 

 

 

 

「もう一つは吸血鬼が外を出歩けると言う点よ」

 

「吸血鬼?」

 

立香は聞き返す。

 

「ええそう。恐らく私の成り代わりで今、紅魔館を仕切っているのは吸血鬼よ。それはあのスケルトンを使役していた力からも明らか。吸血鬼は魔を従えるものよ。そして私はその吸血鬼が聖杯保持者だと睨んでいる。そうなると一つの可能性が出てくるの。吸血鬼は直射日光を嫌う。例えば私が昼間に外へ出れば、体が日光により焼け焦げてしまうわ。まあ、日傘をさせばその限りではないのだけれど」

 

立香自身も吸血鬼の特性は少なからず知っていた。吸血鬼は流れ水を泳いだり、渡ったりできない。十字架、更にはニンニクが苦手。そしてそのような多くある吸血鬼の弱点中に“日光に弱い”と言う特性がある。どうやらレミリアもそこは例外ではなかったようだ。

 

「まあでもまだ分からないわ。あくまでも私の推測。あと勘かしら? だから断言はできないけど、私はそう考えている……黒幕にも思い当たる節がないわけでもないしね」

 

立香は最後の呟きを聞き取ることはできなかったが、しかしこの世界に朝が来ない可能性があることは分かった。体が妙に軽く、疲労が殆どの抜けきっていることから、それが十分な睡眠時間を有した結果だと推測すると納得のいくものだった。

 

「ふ菓子、私はもう少ししたら西へと向かうわ。着いてく気があるなら準備なさい」

完全に活動状態へと移行したらしいレミリアは旅支度(たびじたく)を始めるためベットから離れ、そこで立香にこう言った。それに対する立香の返答は言うまでもなく決まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

村を出てひたすら西へと進む二人。森を抜け、平原を歩くことしばらく、一つの渓谷と呼べるような地形に指し当たった。まるで壁のように垂直に立つ崖が両側にそびえ立ち、その間に横幅百メートル程の通り道がずっと前まで伸びていた。そこは一本の草花すら生えておらず、ゴツゴツとした岩と乾いた地面が広がる完全な荒れ地だった。ただ先程までの自然豊かな情景とは対極にあるその様はまるで立香たちを地獄へ(いざな)っているようにすら見えた。

 

「……ここから一気に魔力の濃度が高まってる。恐らく紅魔館はこの先ね」

 

二人は渓谷を前に立ち止まり、前を見据えていた。

 

「……本当に行くの?」

 

先の道から漂ってくる気味の悪さを感じ取り、立香は思わずそうレミリアに尋ねる。

 

「当たり前でしょ。何のためにここへ来たのよ。まぁ、でも簡単にはたどり着けそうもないわね」

 

レミリアはじっと渓谷の先を見つめ、それから最低限の大きさで口を開く。

 

「この先に相当数のワイバーンがいるわ」

 

「ワ、ワイバーン!?」

 

ワイバーン。諸説(しょせつ)あるが、それはドラゴンの一種、またはドラゴンと似た別の生き物と言われている。ドラゴンと明確に違うを上げるならば、前足が羽になっていると言う点と、比較的サイズが小さいものが多いと言う点だ。細かい所を上げれば切りがないが、外見的な違いはそんな所。その為か、ワイバーンはドラゴンに負けず劣らずの強さを持つ。実際のワイバーンを知らない立香と言えども、その伝承だけは知っており、そこで彼らの強大さも薄々は感じ取れていた。そんなワイバーンがこの先で待ち構えている。それも一体や二体ではない、相当数だ。レミリアの言葉に立香が仰天の声を上げるのも無理はなかった。

 

「そう心配することはないわ。所詮は翼の生えたトカゲ。だけどあそこまでの数を相手取るとなるとかなり面倒。それに貴方もいるから立ち回り(ずら)さも考えるとここを抜けるのはかなり至難よ」

 

「……俺が着いていったのって間違いだったんじゃない?」

 

立香は自分が完全にお荷物な状態であることを悟り、遅すぎる後悔を口にする。

 

「いえ、私としてはどちらでもよかったわ。貴方が着いてくるメリットもあるもの。あまり契約者との距離が離れすぎると魔力供給(リンク)が希薄になって最悪切れてしまうからそれを防ぐと言う意味ではね」

 

レミリアがそう言い終えると、彼女は立香の背後に移動し、彼の脇腹を抱え、そのまま空へと浮き上がった。

 

「うわっ!」

 

突然足場が無くなったことに、立香は驚きの声を上げる。

 

「ふ菓子。貴方を掴んで一気に飛んで突き抜けるわ。それが一番手っ取り早くて楽な方法でしょうし」

 

「……それ大丈夫?」

 

その疑問には二つの意味があった。一つはレミリアがこれから人間一人を抱えて空中戦へと身を投げることによって負う大きなハンデについて。そしてもう一つは自分の身の安全についてだ。立香はこれからレミリアと運命を共にすることになる。むしろ吸血鬼でない彼の方が身の危険は多いかもしれない。ワイバーンの鋭い爪に引き裂かれたり、最悪レミリアの不手際で地面へとまっ逆さまに落下するかもしれない。そんなこれから起こり得そうな事態に対する疑問の言葉だった。

 

「大丈夫よ。改めて言うことではないでしょうけど、吸血鬼の筋力は人間のそれとは比較にならない力があるのよ。貴方程度の体重はあってないようなものだわ」

 

その返答は一体どちらの意味で返したものなのか。もしくは両方か。しかしどちらにしても立香がレミリアと共にワイバーンの群れへと突っ込んでいく事実は変わらないらしい。それなら黙って腹をくくろうと、立香は一人、命を掛ける心構えを整えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦闘はすぐに始まった。レミリアは両端にある崖の中腹当たりを高速で飛び、文字通りワイバーンの巣へと突撃したのだ。外敵に気がついたワイバーンは、過ぎ去っていくレミリアを追い、体当たりや鋭利な爪で彼女たちを切り裂こうと接近してきた。レミリアの方が飛行速度は完全に勝ってはいるものの、ワイバーンや、彼らの繰り出す攻撃をかわして進んでいる為、完全に抜き去ることはできない。少しずつ進んでは足止めをくらい、少し進んでは足止めをくらいを繰り返し、なかなか先へと進めない状況が続いていた。

 

「相当数とは言っていたけど、まさかこんなに……」

 

立香たちはワイバーンに周囲を囲まれ、完全に行き先を防がれていた。上、下、右、左、更には後ろにまで敵意と鋭い牙が立香たちに向けられている。

 

「口を閉じなさい。舌を噛むわよ」

 

空中で停滞していたレミリアが一気に速度を上げ、ワイバーンたちを振り切ろうと再び前へと前進を開始する。それに合わせるようワイバーンたちも動きだし、レミリアへ向かって攻撃を開始した。右からは鋭い爪による引っ掻きが、左からは尻尾による叩きつけが彼らを襲う。それをレミリアは僅かに後ろへ後退することでやり過ごす。すると今度は後ろから突進してくる個体が現れ、それに続くようその個体の後ろから五体程のワイバーンが勢いを着けてレミリアたちに向かってくる。レミリアはそれを下へ、まるで空気に潜り込むよう高度を下げ、それを避けた。しかしその瞬間、背筋にビシリと流れるようか悪寒が走った。それを感じ取ったのはレミリアではなく──

 

「レミリア! 上!」

 

立香だった。

 

「ッ!」

 

立香の声を聞き、レミリアは視線を上へと上げることすらもせず、横へ体三つ分、ステップを踏むように回避を行った。そして一瞬の間もなく、先程までレミリアたちがいた場所に、ワイバーンから繰り出された踏みつけが空を切った。そしてそれを切っ掛けに再び硬直状態が訪れる。しかし先程の出来事で分かったことがある。それはレミリアに疲弊が見られ出したと言うことだ。流石の彼女と言えども、緊迫したすれすれの状況を何度も迎えればこうなるのは仕方がないことだった。それと同時に立香は察した。自分たちがこの先を抜けることができる確立、それが決して高くないと言ことを。一旦、退くことを視野に入れるべきか。立香がそんなことを考えていた時、ふとレミリアが口を開いた。

 

「……ふ菓子、貴方がルートの指示を出しなさい。私は攻撃の回避とワイバーンの迎撃に意識を集中するわ」

 

今まではどこにどうやって向かうかをレミリアが周囲の状況を確認し、判断しながら一人で進んできた。しかし、レミリア自身もジリ貧気味なこの状況をそろそろ打開しなければならないと判断したようだ。その解決策が先程発せられた彼女の提案。それはレミリアからすれば、きっとただ最善と思い、下した判断だったに違いない。しかし立香からすればそれは戦闘の中で初めてレミリアの役に立つことができる状況になったと言うこと。それも彼女からの提案で。それは立香にとって大変喜ばしいことに他ならなかった。あの村の一件以来、立香は自分の無力さにどこか浅ましさを感じていた。だからこそ、立香にとってその言葉は何よりも嬉しいものだったのだ。

今でも自分たちが危機的な状況に置かれていることは変わらない。しかし立香は急に目の前が明るくなったような、そんな希望とさえ言っていい何が先に見えた気がした。

 

「了解! 任せて、レミリア!」

 

立香の力強い返事に対し、レミリアは満足そうに微笑むとまた同じように先へ先へと飛行を開始する。そして立香はなるべくワイバーンの群れる密度の低い箇所を探して彼女を誘導した。立香は激しい空中移動で揺られる脳と、ぶれる視界に阻害されながらも懸命に最善の一手を探し出し、レミリアのへと随時報告していく。右へ左へ、上へ下へ。ワイバーンの群れを掻い潜りながら少しずつ、しかし着実に前へと二人は進んでいった。そして周囲の状況やワイバーンの様子を注視していく中で、立香はふとあることに気がついた。頭に余念が残りながらもレミリアへと指示を出していき、そしてそうする中でその余念はやがて確信へと変わっていった。

 

「レミリア、下だ! このワイバーンたち、速い低空飛行が得意じゃない! 地面すれすれを飛んで一気にここを突き抜けよう!」

 

立香がこう言うのにはしっかりとした確証があるからだった。と言うのも、レミリアが攻撃を回避していく中で、たまたま地面に近い位置の低空飛行をした時、ワイバーンたちは彼女の真後ろを追うのではなく、そこよりやや高い高度を意識して飛んでいることを発見したからだった。

 

「よく見つけたわ、ふ菓子。誉めてあげる」

 

そう言うと同時にレミリアは一気に高度を下げ、立香の足が地面に擦るか擦らないかギリギリの位置で高速飛行を開始した。ワイバーンたちもそれに対処しようとするが、殆どの個体が彼女たちの近くを飛ぶことに躊躇いを見せ、そしてその隙に振り切られていく。そうなるとレミリアたちへと攻撃を行えるワイバーンの絶対値が減少し、結論としてレミリアは余裕をもって先へと進むことができるようになっていった。そもそもな飛行速度で負けているワイバーンたちは段々とレミリアに追い付けなくなり、最後にはもうただ二人を見送ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワイバーンの巣を抜けた二人は地面へと降り立ち、僅かに揺れる足取りで目的の場所へ向かって歩いていた。先程までの激戦があったのか疑ってしまう程に辺りは静かで、耳に入るのは崖に風が擦れる音だけだった。そんな中、立香がふとレミリアへと疑問を投げ掛けるために口を開いた。

 

「ワイバーンたちが急に追ってこなくなったけど、諦めたのかな?」

 

そう。立香の言う通り、ワイバーンはある程度の距離を進んでいくと急に追うことを止め、立ち止まってしまったのだ。まるで見えない壁があるかのように、ある地点を境にあっさりと巣へ帰って行った。

 

「いえ、諦めたと言うよりは何かに怯えているように見えたわ。この先へと進むことが怖くて怖くて仕方がないと言ったようにね」

 

「怯え……か」

 

それには立香も納得する部分があった。それはワイバーンの様子に対してではなく、ワイバーンがそう言う心理を持つことに対して納得したのだ。渓谷の入り口で感じていたあの形容しがたい禍々しい空気。肌にまとわりついて離れないあの感覚が、ここに来て一層強くなったように立香は感じていた。自身の体に、本能の底から『これは良くないものだ』と訴えかけられているとすら立香は感じていた。

 

そうして話をしている間に立香はふと遠目に大きな建物が見えることに気がついた。まだかなり先に建っているので輪郭は何となくしか分からなかったが、そんな中でもはっきりとその色だけは認識できた。それは“紅”だった。果実より深く、炎よりも鮮烈な血の色。そんな色が建物の外壁、そして屋根にまでふんだんに塗りたくられていた。

 

「あれが……」

 

「ええ、紅魔館よ」

 

紅魔館。本当に名前の通りだと立香はそんな感想を浮かべる。“紅い魔の住む館”いや、レミリアのいない今は“魔の住む紅い館”と言った方が言いだろうか。どちらにしろろくなものではないと、立香は警戒心を強めがら館を見据える。そこでふと、隣から何か気配の揺れとも取れる空間の歪みを感じ取った。ここ数日の中でそれが何なのか立香は理解していた。それは魔力の流れ。立香の隣にいるレミリアが何かに反応し、魔力を荒立たせているのだ。

 

「レミリア?」

 

「…………いえ、何でもないわ。先へ進みましょう」

 

レミリアはそう言うものの、遠くにある館のある一点を睨み付けるように見ていた。吸血鬼のような人知を超越した視力を持たない立香からはレミリアが何を見つけたのかは分からない。しかしそれは館との距離が近づくにつれて判明していった。

 

「……人?」

 

紅魔館の前にある、人の身長を遥かに越す大きさの門。その前に女性が一人、立っていた。中国で良く見られる緑色の漢服を崩した奇妙な格好をしており、頭にはその服と同じ色のプロムナード帽子にに似た物が乗っかっている。そして帽子の中からは腰に届くほどの赤髪が、垂れ下がっていた。彼女は目を閉じながらも、ピンと高層ビルのように背筋を伸ばし立っており、そこには一切の隙も見受けられず、目を閉じているのをいいことに、彼女を無視しようものなら、一瞬で自分の首が飛んで行くだろうということは戦闘経験の少ない立香でもすぐに分かった。

 

「あら美鈴(メイリン)、今日は珍しく起きているのね。いつもは門番のくせに門の前で寝ながら立っているだけの木偶(でく)の坊と化しているのに」

 

レミリアはその女性の十メートル前程で立ち止まると、そう彼女に言葉をかけた。するとその女性はゆっくりと顔と瞼を上げ、レミリアへと視線を向けた。

 

「……おや、そうでしたか? 私にはあまりそう言った記憶はないのですが。ただ気がついたら日付が変わっていることはよくありますが、決して寝ているわけではないのですよ、レミリアお嬢様」

 

いや、それって寝ているんじゃ? と立香が思わずツッコミを入れそうになった時、ふとレミリアが小声で立香に話しかけてきた。

 

「ふ菓子、あれは紅美鈴(ホン・メイリン)。紅魔館で門番をしている妖怪よ」

 

紅魔館の門番。ならば自分たちの味方である可能性もあり得るのか? とそう立香が思うも、どうやらその美鈴からは全く歓迎されている気配はない。

 

「では美鈴、門を開けなさい。主の帰還よ」

 

立香が美鈴を敵なのか味方なのか判断しかねていたところに、レミリアがいきなり核心を着くような一言を言って見せた。小細工など無用とばかりの直球。もしこれで門が開かれればとりあえずは味方と判断できる。しかしもし開かれない場合は──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それはできません、レミリアお嬢様」

 

──完全に敵と言うことになる。

 

「……それはどう言うことかしら?」

 

レミリアが目をすっと細め、美鈴に鋭い視線を送る。立香はレミリアの身体から水源のように魔力が溢れ出てくるのを感じた。

 

「話は簡単です。今、この紅魔館の主は貴方ではない。ならば私がその命令を聞く必要がどこにありましょうか」

 

レミリアが紅魔館の主でなくなっている。それはレミリア自身がここを出る前に、村の小屋で立香に言った一つの可能性であった。

 

『何者かが私の名を名乗って私の紅魔館(所有物)を我が物顔で使っている可能性がある』

 

先程の美鈴の言葉はレミリアの予測が見事的中したことを表していた。そしてそこでレミリアから溢れ出ている魔力の量が急激に上昇した。今までは地下から小川の畔へと流れ出る穏やかな水源のような魔力放出であったが今は違う。そう、今は周囲の水や、砂を巻き込んで押し上げているかのような、そんな激流へと変わっていた。

 

「…………そう。では今の貴方の主は一体誰なのかしら?」

 

そう発するレミリアの声も明らかに低く、重厚なものへと変化している。それは顕著にレミリアの怒りを代弁していた。味方であるはずの立香ですら、思わず足を折ってしまいそうになるオーラ。しかし対面しているはずの美鈴は全くその表情、姿勢、目線を変えることすらなく、こちらを見定めている。

 

「さあ? お答えする義務はありませんが」

 

その言葉がトリガーだった。レミリアの身体から今までの比でない程の魔力が放出される。彼女を中心に突風が吹き荒れ、砂埃が周囲に舞った。

 

「……そう。なら答えたくなるようにしてあげるわ美鈴」

 

次第に魔力の渦が静まり、静寂が満ちる。最早言葉による問答は終わった。これ以上言葉を重ねてもそれは世間話以下の応答になるだけだと立香も察する。後はもう、己の意見を通すための力比べ。それがもういつ始まってもおかしくはない。パンパンに膨れ上がった風船に針を向けるような不安定さがこの場所にはあった。そしてそれは呆気なく始まった。

 

「ッ!」

 

レミリアの姿がぶれる。そして次の瞬間にはレミリアの拳を受け止める美鈴の姿があった。レミリアは美鈴から大きく一歩後退し、手に深紅の槍を出現させる。それから彼女はまた先程縮めた距離を一歩で埋め、槍を横へと振るう。美鈴は身体を反らしそれを回避。そのまま後転し、レミリアの間合いから離れた。しかしそれを許さないのがレミリア。彼女は美鈴が開けた距離を一瞬にしてゼロへと戻し、蹴りを炸裂させた。吹き飛ぶ美鈴。彼女は地面を転がり、その勢いを利用してそのまま立ち上がった。

 

再び対峙する二人。またいつ戦闘が始まるのかと立香が手に汗を握っていたが、それは予想外に美鈴が口を開くだけに止まった。

 

「流石はレミリアお嬢様。スピードは私の及ぶ範囲を越えてしまっている」

 

美鈴の言う通り、先の戦闘でスピードはレミリアが圧倒していた。美鈴は彼女のスピードに殆ど対応できていなかった。

 

「ですが……」

 

しかし美鈴は余裕な態度を崩さない。

 

「本当にこれで全力なのですか?」

 

目の色が、身に纏う闘志が全く揺れていない。むしろその姿勢は自分の方が優位だと物語っているようにすら見えた。

 

その態度が気に食わなかったのか。レミリアはそれに言葉を返すこと無く美鈴へと突っ込んでいく。右へ左へと振るわれる凪ぎ払いや、素早く繰り出される突きの応酬。しかし美鈴は涼しい顔でそれを避けていく。そして終にはレミリアの懐へと潜り込み、掌底打ちを彼女の腹部へと放った。今度はレミリアが吹き飛ぶ。先程までレミリアが圧倒していたこと。それ自体が嘘だったかのような戦闘。ここで立香は気づいた。確かに筋力、俊敏さ、そう言った地力ではレミリアが上回っている。しかし、戦闘技術と言う面では相手の方が何枚も上手(うわて)だと言うことに。

 

「一つ確信したことがあります」

 

口元から血を伝わせながら立ち上がるレミリアを見据えて美鈴は言った。

 

「どうやら貴方は力を失っているようだ。本来の貴方はこんなものではない。私の技術など無意味とばかりに押し潰してしまう吸血鬼の力。しかし今の貴方にはそれがない。これではただ少し強いだけの妖怪だ」

 

完全に立ち上がったレミリアは美鈴を睨み付ける。状況は圧倒的に不利。しかし、レミリアは優雅とさえ言える振る舞いで美鈴へと向き直る。

 

「それがどうしたと言うの? 例え力を失っていても門番ごときに地面の塵を舐めさせることくらいわけないわ」

 

「ならばやってみるといい」

 

あくまでも挑発的な美鈴の構え。レミリアはぎゅっと槍を握る手に力を込める。

 

「……ふ菓子、魔力を回しなさい」

 

唐突にふられたレミリアの言葉に立香は頷く。そして確信する。レミリアが一気に決着を着ける気なのだと言うことに。立香は覚えたての感覚でレミリアへと精一杯の魔力を流す。これでしっかりとレミリアへ魔力を回せているのかと心配になりながらもそれを止めない。今のこれがマスターとして自分ができる精一杯のことなのだから。

 

レミリアの槍がまるで燃えているかのように深紅のオーラを纏いだす。そして彼女はトンと上へと飛び上がり、地面を見下ろすように宙で停止する。そこから槍を投げる構えを見せた。

 

「我が血による制裁。深紅なる裁き。死の一線をもって紅き月の供物となれ」

 

レミリアの手元にある槍が更なる魔力を帯び始める。立香が今までの見てきたレミリアの攻撃とは桁違いな威力であろうことは一目瞭然だった。

そして対する美鈴も大きく足を開き、拳を構え、身体中から虹色のオーラを放出する。そしてそれは段々と拳に集中して集まり、その密度を濃くしていく。二人共が自身の最大をぶつける。レミリアへと魔力を送り終えた立香には、ただその時を待つことしかできなかった。

 

突き穿つ紅き神槍(スピア・ザ・グングニル)!」

 

その言葉と共にレミリアは槍を投擲する。しかしその速度が異常で、立香にはただレミリアから美鈴に向かって一瞬、紅い線が引かれたようにしか見えなかった。そしてレミリアが槍を放った瞬間、美鈴も溜めに溜めていた魔力を拳に乗せて放った。

 

彩光風鈴(さいこうふうりん)!」

 

虹色のオーラを纏った拳が前に突き出された瞬間、それは爆発した。レミリアの槍と美鈴の拳。二つは拮抗して停止する。いつまでも続くかと思われていた力同士のぶつかり合い。しかしそれは呆気なく均衡が崩れる。

 

「くっ!」

 

レミリアの名状しがたい喘ぎが物語るように段々と槍の位置がレミリアの方へと押し戻される。レミリアも手を前に構え、何とか押し返そうとしているが、しかしその距離は一向に縮まっていく。

 

「レミリア!」

 

押し負ける。そう確信した立香は思わず彼女の名前を叫んだ。しかしその瞬間、レミリアの放った槍にヒビが入り始める。そして──

 

「ガアァァァァッ!」

 

紅い槍はバラバラに砕け散り、虹色のオーラがレミリアへと襲いかかる。まるで暴風により吹き飛ばされるかのようにレミリアは宙を舞い、そして地面へと落下した。立香は脇目も振らずレミリアへと駆け寄る。そして彼女の状態を確認する。死んではいないが、かなり消耗しているようで、浅い息遣いのまま完全に気を失っていた。

 

「私のスペルは相手の気功に影響を与えます。本来なら吸血鬼の再生能力を遅めるなんて芸当はできませんが、今のレミリアお嬢様ならばそれは例外です」

 

立香がホッとしたのも束の間。二人の側にいつの間にか移動していた美鈴は彼らに向かってそう言い放つ。立香は美鈴を見上げ、レミリアを抱き抱えながらジリリと後ずさった。

 

「名も知らぬ人間。命が惜しければレミリアお嬢様を連れて立ち去りなさい。ここから少し戻れば右手の崖に渓谷を抜けることができる洞穴があります。そこを通ればワイバーンたちに遭遇することなく帰れるでしょう」

 

「……殺さないのか?」

 

美鈴の言葉に立香はそう尋ねる。敵である彼女からすれば、今は自分たちを一方的に殺せる絶好の機会であり、なぜ彼女が見逃すような言葉をかけるのか、立香には理解が及ばなかった。

 

「私は門番。門を守ることが私の仕事です。決して殺しをすることではない。それに少なくともレミリアお嬢様を殺すのは我が主の意に反します」

 

主の意に反する。その返答によりますます立香は混乱する。しかしこの状況は少なからず立香にとっても好都合であり、ここでうだうだと考えるよりも、素直に彼女の言葉に従った方が良いと言うことは明白だった。

 

「……分かった」

 

立香はぐったりと四肢(しし)を放り投げているレミリアを背におぶり、立ち上がると紅魔館に背を向けて歩き出した。

 

「レミリアお嬢様にお伝えください」

 

しかし再び美鈴に声をかけられたことにより立花は足を止める。

 

「この世界は復讐により創ら(うま)れた世界、貴方の近しい方の思いが形になった場所だと」

 

 立花はそれに背を向けたまま頷き、また歩みを再開する。

 自分の歩く間隔に従って背中で揺れる少女。今まで強大な力をふるってきた少女がこんなにも軽いなんて、立花はそんな当たり前のことですらこの時まで気が付くことができなかった。

 立花はふと空を見た。視界に入ったのは夜空に浮かぶ紅い月。本来ならば月が紅いことに驚かなくてはいけない立花だが、しかしその時、彼が感じたのは呆れだった。

この世界に来てから幾度となく空を見上げたと言うのに……。

 

「月が紅いことを今知ったなんて」

 

そんな立花の湿り気を帯びた呟きは、その酷く乾いた地面が雨と間違えたかのように、そっと地下へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広大な草原のド真ん中。そこで風がゆるりと流れ、音はピタリと停止する。見える景色と言えば、地平線の上に乗っかる山々と、それを覆う夜空だけ。そんな場所で彼女は目覚めた。

 

「……ッ!」

 

自身のうめき声を目覚ましに少女は目を開ける。ぼんやりと曇り掛かったフィルターが網膜に張り付いており、彼女の視界は湾曲していた。ただ目の前に炎の明かりが(とも)っていることだけはかろうじて認識できた。

 

「レミリア、起きた?」

 

しかしその言葉でそれが一気に取り払われる。取り戻した焦点がある一点に収束していく。

 

「……ふ菓子」

 

レミリアは体を起こす。そこで彼女は自身の現状を把握した。だだっ広い草原の中心で、自分が寝ていたと言うことに。

 

「……どのくらい私は眠っていたかしら?」

 

レミリアは焚き火を挟んだ先にある立香へと尋ねた。

 

「一時間くらいかな? ここに着いてからそんなに時間は経ってないよ」

 

「…………そう」

 

そのやり取りを最後に二人は口を閉ざす。そのせいか暗闇を照らす焚き火の音が酷く鳴り響いた。レミリアにとってそれは不愉快な静寂ではない。決して悪いものではないのだ。ただ彼女にはどうしても口にしなくてはいけない言葉があった。それは自身の──“レミリア・スカーレットの敗北”。この世界に来てから唯一の頼りと言っても言い“力”が通用しない事態が起こった。確かにレミリアは全力とは程遠い力だったかもしれない。しかしそれでも事実は事実。それを素直に認めない愚かさはレミリア自身もよく分かっていた。だからこそ話さなければならなかった。これからのこと。自分たちがどう立ち回っていくのかを。そうしてレミリアが口を開こうとしたところで、意外なことに立香から先に口を開いた。

 

「休もう」

 

立香はレミリアを見据えて言う。

 

「今日は何も考えないで、何も話さないで、休もうレミリア」

 

重ねてそう言った。何でもないその言葉。何の力もない人間が発するその言葉。しかしレミリアはどうもこの言葉に逆らえそうになかった。相手を縛り付けるわけでも、相手を受け入れる甘い言葉でもない。それでもレミリアには何よりも抗いがたい言葉だった。

ふとレミリアは考える。ではなぜ自分がこんな何の力も無い、ただの魔力供給としか考えてなかった男の言葉に抗えないのか。レミリアは(さかのぼ)る。男と会ってこれまで二人で共有してきた時間を。

初めは湖でばったり会って、そして都合の良い人間としてこの世界へ無理矢理連れてきて、そして目的を見つけ、共に戦い、そして敗北した。それがレミリアの持つ立香と過ごした記憶全てだった。

ではもしこの男と出会ってなかったら、自分はどうなっていたのか?

レミリアは考える。 きっと自分一人だったなら村長と話をつけることもできなかったし、まだ紅魔館の存在も知ることがなく、一人草原で暖をとっていたかもしれない。例えそれができていたとしても、裏切られた家族に敗北し、何も分からない世界で味方もなく、話し相手もなく、ただ広いだけの草原で一人、寝転がって時を過ごしていたかもしれない。

もしそうなっていたら自分はどんな思いを抱いただろうか?

 

──不安?

 

──孤独?

 

──悲観?

 

実際にその立場になってみないと分からないが、きっとろくでもない感情(もの)であったのは明らかだ。そう思うと急に胸の奥から身体中に薄ら寒いものが流れ出ていくのをレミリアは感じた。何かに触れていたい。何かを感じていたい。そんな思いが溢れ出て止まらなかった。

 

 

そして気づく。

 

……ああ。

 

ほんの僅かではあるが、自分はいつの間にかこの男と出会えたことを──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嬉しく思っていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふん。休もうと言うのなら、こんな枕を私に用意しないで頂戴」

 

レミリアは自分がそんな思いを抱いてしまったことを隠すよう、先程まで頭に敷いていた布切れを手に取った。それは立香がずっと着ていた灰色に染められた無地のパーカーだった。

 

「ごめん、これしかなくて」

 

立香は申し訳なさそうに笑う。そしてその笑みが今、自分が浮かべている心情を逆撫でしているようで気に触り、レミリアは不機嫌そうにむすっとした表情を浮かべる。そしてその苛立ちを力に、疲れきった身体を無理矢理立ち上がらせた。それから彼女は焚き火を避け、胡座をかく立香の足の上へすっぽりと収まるように座った。

 

「ちょっ、レミリア?」

 

自分の足の上に座ると言うレミリアの突拍子もない行動に、立香は困惑の声を上げる。しかしレミリアはそれを無視し、立香を支えに背中をもたれ掛からせた。

 

「そんな布切れを枕にするよりよっぽどこっちの方が快眠できるわ」

 

「それだと俺が眠れないんだけど……」

 

立香は苦笑する。事実、立香へ完全に体重を預けているレミリアは、彼が寝てしまえば必然的に同じ体制になってしまう。しかしレミリアはそんなこと知らないとばかりに、頭に乗っかっている帽子を取り去り、自身の膝へと乗っけた。

 

「私が眠ったら貴方も横になりなさい。私は疲れたからもう寝るわよ」

 

それを最後にレミリアは全身の力を抜き、彼女の瞼も重力に抗うことを止める。立香はしばらく石になったかのようにピクリとも動かなかったが、レミリアから深い寝息が聞こえると、彼女を起こさないよう身体を横へと倒し、そっと寝転がった。

 

「……お休み、レミリア」

 

そうして立香も目を閉じる。

大きな草原のど真ん中、そんな場所に並んで横になる二人は(はた)から見れば兄弟か、はたまた親子のようで、それを微笑ましく思ったのか、彼らを見守る焚き火はゆっくりとその勢いを緩める。そして最後には(ほの)かな残り火となって彼らを優しく暖め続けた。

 

夜か昼かも分からないこの世界で、間違いなくその時だけは静かな、誰もが否定できない夜だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




美鈴がなぜこうなってしまったのかは後々分かります。
次話更新は明日の19時です。

紅美鈴(ホン・メイリン)
《クラス》アサシン
《種族》妖怪
《ステータス》
筋力 B+
耐久 B
俊敏 B+
魔力 D
幸運 E
宝具 C
《クラス別能力》気配遮断(C)領域守護(B)
《スキル》
・中国武術(A+++)
中華の合理。宇宙と一体になる事を目的とした武術をどれほど極めたかの値。修得の難易度は最高レベルで、他のスキルと違い、Aでようやく“修得した”と言えるレベル。A+++ともなれば達人の中の達人。

・門番(C)
門を守る経験や熟練度を表す値。値が高い程、門を守護する際に能力に補正がかかる。何十年と門を守る役職に就いていながら、美鈴はさぼりが多かった為Cとなっている。

・心眼《真》(B)
修行・鍛錬によって培った洞察力。
窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す戦闘論理。
逆転の可能性が1%でもあるのなら、その作戦を実行に移せるチャンスを手繰り寄せられる。

《スペル》
・彩光風鈴(さいこうふうりん)
ランク:C
種別:対人
レンジ:2~4
最大捕捉:1人

自分の体内にある気を拳に乗せて放出する。その気を相手に埋め込むことにより、相手の霊力、妖力、魔力等を狂わすことができる。



*以下小ネタ
レミリア「………………」

立香(やっぱり寝てる時は可愛らしいんだけどなぁ)






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マスター

紅美鈴(ホン・メイリン)に敗北を(きっ)し、それから休息を取った立香とレミリアは取り敢えず自分たちが救い出したあの村へ戻ることとした。それはこれからの方針を落ち着いた場所で決めたいと言うことと、もう少し村人たちから情報が得られるかもしれないと言う理由からだった。

来た道を(さかのぼ)り、草原から森へ、そして村へと帰った。するとそこでは村人たちが何やら荷物をまとめて荷台へと詰め込んでいる様子が映っていた。

 

「村長、これは?」

 

立香はその様子を眺めていた村長を見つけると、彼へと近より声をかけた。

 

「おお、お主ら帰ってきたのか。怪我は無いか?」

 

村長は驚いた声をで立香たちを歓迎した。彼は立香たちへどこへ行っていたのか、何をしたのか、そして向かった先で何があったのかは一切聞かなかった。

 

「はい、お陰様で。ところでこれは何を?」

 

立香は荷台へ荷物を乗せている村人たちへ目線を送りながら尋ねた。

 

「なに、この場所が紅魔館(てき)にばれてしまったのでな、もうこの村にはいられない。生き残った村人たちで別の場所へと避難しようとしていたところじゃ」

 

「避難って……宛はあるんですか?」

 

立香は尋ねる。

 

「ああ、実は行き場所のない人間たちを集めて魔族たちに抵抗しておる集団があるのじゃ。そこへ向かおうとしておる」

 

立香はこの世界にもそんな集団があったことに驚き、「へぇ」と感嘆の息を漏らした。

 

「前々から誘いは受けておったが、リスクを犯してまでそこへ向かおうと言う気はしなかった。しかし今回の件で逃げ場を無くし、決心が固まった」

 

村長の言葉を聞き、立香は今からこの村人たちがいつ死んでもおかしくない綱渡りをしようとしていることに気がついた。ここら一帯を歩いて分かったことだが、決してこの世界は不用意に出歩いていい場所ではない。ここに帰ってくるまでも、片手で数えられる回数ではあるが、魔族と戦闘を行った。まだレミリアと二人だったからこの回数で済んではいるが、数十人単位だともっと敵に見つかる回数は多くなる筈だ。

 

「……レミリア」

 

立香は隣に立っているレミリアへそっと目配せをした。レミリアは立香の言いたいことを察し、軽く溜め息を吐いた。

 

「仕方がないわね。それが貴方の意向というなら従ってあげるわ。私としてもその集団に興味が無いわけではないしね」

 

レミリアはそう言うと、一歩前へ足を運び、村長の前へ移動した。

 

「ご老人。もし良ければ私たちもその引っ越しに同行してもいいかしら?」

 

レミリアの言葉を聞いた村長は目を見開かせ、嬉しそうに口を開いた。

 

「おお、それは願ったり叶ったりじゃ。お主らが居れば移動中、魔族に襲われても心配はいらんからの」

 

そうして村長はよろしく頼むと言ってレミリアへと手を伸ばす。レミリアがその手を掴もうとしたところでふと、横から野太い声が割り込んだ。

 

「おい、少し待ってくれ」

 

声のする方へ顔を向けると、そこにはがたいの良い大きな男がいた。格好は他の村人たちと何の代わりもない、麻布で作られた質素な服装だったが、それを押し退ける髭と身長が存在感を浮き立たせていた。

 

「村長、俺は反対だぜ」

 

男はレミリアと村長の側で立ち止まると、ジッとレミリアを睨んだ。

 

「……ご老人、彼は?」

 

「こやつは村人の一人じゃ。名をバルド。普段はわしの手伝いをしておる年長者じゃ」

 

レミリアは品定めするかのようにバルドを上から下まで見渡す。バルドはその視線を不愉快そうにしながらも無視して立香を見下ろした。

 

「確かにあんたたちは村を救ってくれた。今、俺の命があるのもお前らのお陰かもしれねぇ。しかしそれとこれとは別だ。俺はよくも知らねぇ奴らを信用する程甘くはない。それが吸血鬼ともなれば尚更だ」

 

確かに、と立香は思わざる負えなかった。自分たちは勝手に村人たちの危機を救っただけであり、そして何よりもまともに話をしたのは村長だけ。更にはその片割れが紅魔館の現主である吸血鬼と同じ種族とあっては心休まりはしないだろう。

 

「……バルド。お主の気持ちは分からんでもない。しかし彼らがわしらに同行してくれれば道中の危険はぐっと減る。頭数の少なくなったわしらが魔族と会えば一度全滅。村長として危険の少ない道を通るのはわしの義務じゃ。ここはどうか気持ちを納めてはくれんかの?」

 

村長はバルドの大きさ、存在感に全く怯むことなく彼の目の前へ立ちそう進言する。バルドはしばらく村長を見やったが、ケッと一つ悪態をついて元の場所へと戻っていった。

 

「すまぬの。バルドは妻と子供を紅魔館のやつらに殺されとる。だから吸血鬼に対して他の者より敏感なのじゃ」

 

そう言う事情があったのかと立香は納得する。自分たちが着いていく方が利点の多いことは頭で納得しているが、心では納得していないのだろう。それであの態度になったのかと、立香は合点した。

 

「だが、これはバルドだけの話ではない。村人のの殆どがお主らを怖がっとる。だからそれを頭に入れた上でこれから言動には気を使ってほしいのじゃ」

 

立香はふと荷台の準備をしている村人たちを横目で見た。そこには子供たちは勿論のこと、大人の女性や男衆でさえも怯えた目でこちらを見ていた。

 

「分かりました、村長」

 

同行を願い出たのは少し早計だったかなと立香はこの先感じるであろう息苦しさを予感し、僅かに憂鬱な気分となった。そしてそんな立香の様子をレミリアは相変わらず呆れた様子で見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立香たちが同行を願い出て数時間後、村人たちの移動は始まった。移動の形としては、村長を先頭に馬に引かせた七台の荷台を一列で進むものだ。それぞれの荷台には雨が降っても大丈夫なように一台一台キッチリとした麻布の壁と屋根が取り付けられていた。そして前方の三台には荷物が、後方の四台には人を乗せるスペースが設けられていた。そしてその周囲を男たちが取り囲むようにして移動する。立香たちには一番最後の荷台が割り当てられた。当然、二人っきりだ。恐らくそうして姿を隠していないと村人たちに怖がられてしまうだろうと言う配慮だと言うこは言うまでもない。

 

「何か、凄く悪いことしてしまったね」

 

立香は馬車の震動に揺られながら、対面に座るレミリアへとそう言った。それは数限りある荷台を二人だけで占領してしまっている故の言葉だった。

 

「仕方がないじゃない。どうやら村人たちは私たちを──いえ、私を随分と怖がっているようだし。こうして気持ちだけでも隔離しておかないと、引っ越しどころではないのよ、きっと」

 

レミリアは目を瞑りながら澄まし顔でそう言う。

 

「そうだけど……辛くないの?」

 

それはレミリアが村人たちに恐れられていることについて彼女自身がどう思っているのか? と言う質問だった。

 

「何が辛いのかしら? 貴方は知らないでしょうけど、怪異にとって恐れられることは喜ばしいことよ。怪異は基本的に人間たちの恐怖から生まれる。だから人間たちに恐れられることは私たちにとってちょっとしたデザートを食べていることと同義なのよ」

 

「へぇ、そうなんだ」

 

立香は知らなかったと軽い頷きを見せる。その様子を片目だけ開けて眺めていたレミリアは唐突に立ち上がり、胡座をかいている立香の膝を頭に寝転がった。

 

「私は少し寝るわ。森を抜けたから馬車の振動もそこまで酷いものではなくなったし、今なら休息も取れるでしょう」

 

立香は仕方がないと言った風にレミリアの頭から帽子をどけ、彼女の頭を優しく撫でる。レミリアもそれをどうこう言うことなく、目を閉じた。

レミリアはあの美鈴に負けた夜以来、立香に対する態度を軟化させた。前ならきっと勝手に頭を触るなと手を払われていたが、今ではそんなことなく、立香に対し多少の融通は効くようになっていたのだ。何がレミリアをそうさせたのか、立香に思い当たる節はないが、こうしてレミリアとの距離を縮められたことに、彼は嬉しさを感じていた。

 

立香はレミリアの頭を撫でながら、ふと数時間前のことを思い出す。それは立香とレミリアが目覚め、村へと戻り始めた時のことだ。

 

『貴方が多少は使えることが分かったから、ふ菓子から駄菓子に呼び方を変えてあげる。光栄に思うことね』

 

まだ“駄菓子”のレベルではあるが、レミリアからの信頼を勝ち取ったと思えばそれは立香にとって喜ばしいことだった。

立香は膝の上で寝息を立てるレミリアを見て、優しく微笑み、そっと自分も目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「魔物だ! 魔物が出たぞ!」

 

場所の外から発せられた叫び声で立香とレミリアは目を覚ました。立香は寝起きで思考が定まらないながらも、荷台の後方へ這って移動し、麻布の仕切りを手で退けると、顔だけを外へと出した。暗闇でよく見えないが、武器を持った大人たちが先頭の方へと大急ぎで向かっているのだけは理解した。立香は尋常ではない外の様子に何かあると察し、より大きく荷台から身体を乗り出す。

 

「何かありましたか!?」

 

立香は後ろで武器を構えている男の村人へと声を張って尋ねた。男は立香の声にビクリと方を震わせたものの、次の瞬間にはその問に答えるべく後ろへ振り返った。

 

「ま、魔物だ! 魔物が現れた!」

 

立香はついに来たかと外へと乗り出していた身体を荷台へと引っ込ませ、荷台の中へと戻る。

 

「レミリア、いける?」

 

「もちろんよ。しっかり休息も取れたし、準備運動がてらにはなるでしょう」

 

立香はぐっと背伸びをするレミリアへ頷くと、勢いよく荷台の外へと飛び出した。レミリアもその後へと続き、立香の後ろへ低空飛行しながら着いていく。完全に停止した荷台をどんどん抜いていき、戦いの雄叫びを頼りに目的の場所へと進む。するとそこには全身を変色させ、気味の悪い動きをしながら襲いかかる人形の生物と戦う村人たちの姿があった。

 

「あれは……ゾンビ?」

 

「ええ、ゾンビね。スケルトンと違って普通の人間でもまだ余裕を持って倒せる種族ではあるけど、いかんせん数が多いわね」

 

レミリアの言った通り、目に見えるだけで、ゾンビの数は戦っている村人たちの倍はいる。今はまだ戦力が拮抗しているが、後から後から現れるゾンビたちを相手にしていれば、必ず息切れが訪れる。早くどうにかしないと。そう思った立香は、いざ戦闘を行おうとレミリアへ声をかけようとしたところで、彼女から待ったがかかった。

 

「駄菓子、折角だから練習よ。私に戦闘の指示を出しなさい」

 

「えっ、指示を?」

 

思いもしていなかったレミリアの言葉に、立香は戸惑いを口にした。

 

「そうよ、戦闘を行っている私より後ろで見ている貴方の方が周囲をよく見渡せる。あのワイバーンの巣を通った時のことを思い出しなさい。ただそれが空中戦でなくなっただけ。次に私がどの敵を倒せばいいのか、どのタイミングでどれくらい大きな規模の攻撃をすればいいのか、貴方が指示を出すの。理解したかしら?」

 

レミリアはそう言いながら数歩だけ立香の先を行き、それから首を回して後ろを振り返った。

 

「ただ勘違いしないことね。貴方が私を使っているのではないわ。私が貴方を使っているの。基本的に私は人間を使えない種族だと思っている。これで貴方が使える人間かどうか試してあげるわ」

 

相変わらず高慢な物言いだが、立香はそんなレミリアの態度に引っ掛かりすら覚えなかった。それは自分がレミリアの戦闘に指示を出すことを許された嬉しさが潤滑油となっていたからだ。これはただ単に彼女が敗北したことで生まれた改善策なのかもしれない。しかし、少なくとも自分を信頼してくれなければ口にしなかった提案。立香はそのことが嬉しくて、思わず身震いする。それから頬を両手で挟むように叩き、気合いを入れた。

 

「……分かった!」

 

立香はレミリアの提案を了承し、そして戦闘をしている村人たちを見渡す。状況は悪くない。基本的に知能が無いと思われるゾンビたちに対して、村人たちはしっかりと連携が取れており、今のところはさして問題がないように思える。しかし個々の戦闘力や、頭数では完全に負けてしまっており、更には村人たちが戦いに不馴れなことも端から見ているだけで分かる。悪くはない、ただ決して安心できるような場面ではなかった。

 

「レミリア、殲滅スピードよりこちらの被害が少なくなるように立ち回ろう。まずは数で負けている村人たちを助ける!」

 

「了解したわ、()()()()

 

そうして彼らの戦闘は始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その男はつい最近、スケルトンに母親を殺された男だった。魔族が、怪異が憎くて憎くて仕方がなく、その憎悪を源にゾンビと戦っていた。しかしふと自分が三体のゾンビをに囲まれていることに気がついた。そして唐突に自身の命、その終わりが見えたのだ。思考が現実に戻される。憎悪と言う麻薬が切れる。身体が自分の意思に関係なく震え出す。男はもう駄目だと絶望の表情を浮かべ、腰を抜かした。そんな彼にゾンビたちは手を振り上げ、もう数秒後にはその命が刈られようとしたそんな時……。

 

「…………えっ?」

 

次の瞬間には彼を囲っていたゾンビたちが細切れとなって地面へと落下した。唐突に引き離された自分の“死”に呆然とするしかない村人。そんな彼がふと上を見上げる。そこで見たのは深紅の槍を持ち、毅然と立つ幼い少女の姿だった。

 

──綺麗だ。

 

男はそう思った。闇に浮かぶ二つの瞳と禍々しい槍がそれぞれ紅色に光り、揺らめく様は幻想的に思えた。本来なら憎悪と畏怖の対象である背中から生えるコウモリの羽が、今は天使の羽のような尊いものにすら感じる。男は少女に見惚れていたが、しかしまた彼女は現れた時と同じように、消えるような速さでその姿を消した。男はその事に対して驚くことすらできず、ただ周囲の戦闘音を他人事に聞き流すことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

立香とレミリアが戦闘を始めてから数分。ゾンビたちは一気にその数を減らし、今ではもう一方的なまでの戦力差となっていた。立香の的確な指示により、軽い怪我人こそはいるものの、死者、重傷者は誰一人として出していなかった。

 

「すげぇ……もう戦況がひっくり返った」

 

村人の誰かがそう呟く。そう、それほどまでに立香とレミリアが参戦してから状況は有利になった。そうしてあまりにも上手くいって舞い上がっていたからだろう。立香は後ろから忍び寄る人影に全く気づけなかった。

 

「ッ! 駄菓子、後ろよ!」

 

遠くから気配を察知したレミリアは立香へとそう叫ぶ。立香はハッとして後ろを振り向いた。そこには今にも襲いかからんとしているゾンビが一体、立香の背後で身構えていた。突然のことに思考が停止し、身体が硬直する立香。レミリアは近くにいたゾンビを腕の払いで弾き飛ばし、手に持った槍を構えた。しかしその瞬間察する。

 

──僅か一秒だけ間に合わない。

 

しかしそう思ってもレミリアには槍を投げる以外に最善の手段はない。そしてレミリアは己を恥じた。戦闘に夢中で彼に近づく危険に気づくのが遅れたことを。しかしただレミリアは慣れていなかったのだ。人を気にかけて戦うことに。今までレミリアが戦ってきたのは自分一人だけで解決する戦闘。自分だけを気にしていればよかった戦闘。だからいつもの癖でレミリアは立香に指示は出されているものの、その司令塔を守ると言う概念をあまり意識できていなかったのだ。

しかし今さら気づいても遅かった。刻一刻と、立香へと死の手が伸びる。しかしそれは一人の男の手により断ち切られた。

 

「ふん!」

 

ぶおんと音を鳴らした剣が空気と共にゾンビの胴体を切り裂く。身体が二つに分断されたゾンビがそれでもしつこく立香の方へと手を伸ばす。しかし更にそのゾンビの頭上に容赦ない一裂きが舞い降りた。そうしてやっとゾンビはやっと活動を停止させた。

 

「バ、バルドさん!」

 

立香は驚きながら、自身の身を守った男の名前を呼ぶ。

 

「気をつけろ、坊主。まだ戦闘は終わっちゃいねぇぞ」

 

「はい、ありがとうございます!」

 

立香はバルドの背中へ感謝の言葉を送り、大きく安堵の息を吐いた。バルド立香に背を向け、戦場へと戻りながら手を振りそれに答える。たまたまの偶然かもしれないが、自分たちを認めていなかった彼がこうして守ってくれたことを立香は素直に嬉しく感じていた。

 

「大丈夫かしら?」

 

いつの間にか立香のすぐ側まで戻っていたレミリアがそう彼に問いかける。

 

「うん、ごめん。もう油断しない。気を引き締めるよ」

 

立香は戦場を見据えながら、握りしめた拳に力を入れる。今度こそ、この戦いを終わらせる為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゾンビたちに無事、勝利した村人たちは、見晴らしの良い草原で夜営をすることにした。太陽の沈まないこの世界が夜なのかどうかは分からないが、しかし村人たちからすれば今が夜と言う時間帯になっているらしいのだ。そうして立香とレミリアは村長に呼び出され、とある薪の前で暖をとっているところだった。二人を呼び出した村長と、そしてバルドと共に。

 

「今回も助かった。我々だけではかなりギリギリの戦いだった」

 

村長は座りながら対面にいる立香へと頭を下げる。

 

「いえいえ、お役に立てて何よりです。それに今回は自分も助けられたので」

 

立香は身体を少し横へずらし、バルドの正面を位置取り、頭を下げた。

 

「バルドさん、ありがとうございました。あそこでバルドさんが助けてくれなかったらと思うとゾッとします」

 

「いいってことだ。あそこにたまたま俺がいただけ。それより出発前はあんなこと言って悪かったな。やっぱり俺たちだけじゃこの先、進んで行けそうにない。同行感謝してるぜ。村人たちにも何とかお前たちを受け入れられるよう言ってみる」

 

「本当ですか!? ありがとうございます」

 

立香は喜色満面で礼を言う。どうやらバルドは先程の戦闘で立香たちを認めたようで、素直に自身の過ちを謝罪した。こうして彼らが意識や認識の擦り合わせを終え、話題は今後の話へと移行する。

 

「さて、まだ旅は始まったばかりじゃ。このペースだとこれから目的地まで3日以上は掛かる。それまでは気は抜けん」

 

その言葉を聞いたレミリアが忘れていたものを思い出すように尋ねた。

 

「そう言えば目的地は一体どんな場所なのかしら? 人の集まりだと聞いてはいるけれど、まさか町でもあるなんて言わないでしょう?」

 

「ああ、目的地は山の中腹だ。俺たちと同じように、木々を隠れ蓑として使っているんだろう。位置を正確に示した地図でもないと、なかなか見つけられない場所だ」

村長は懐から折り畳まれた地図を広げてレミリアへと手渡した。立香もレミリアの近くへと行き、それを横から見る。村長の言った通り、目的地は山の中腹にあり、ここを進むとなると馬車を乗り捨てる必要があるかもしれない。レミリアは一頻り地図を眺めた後、それを村長に返した。そしてその時だった。

 

「…………村長、村人たちを馬車の中へ戻しなさい」

 

レミリアの突然の言葉に村長はどうした? と言わんばかりの表情を浮かべる。

 

「魔力が感じられるわ。それもそこそこ大きなものが幾つも」

 

レミリアの言葉を聞いた村長は勢い良く立ち上がり、周囲に聞こえるよう大声を発する。

 

「敵襲じゃ! 皆、準備せよ!」

 

それを合図に、周囲から忙しない足音が響く。バルドさんも立ち上がり、馬車の一つへと駆け出した。

 

「……レミリア、僕たちも」

 

準備をしよう。立香がそう言いかけたところで彼女からそれを中断させられるように口を挟んだ。

 

「いえ、もうそうしている時間もないわ」

 

レミリアがそう言った時、ゾワリと立香の背筋に危険信号が走った。大きく目を見開かせ、焦ったように周囲を見渡した。立香の目に映ったのは黒いコートを羽織り、大きな三角帽子を深くかぶった集団が、大巻ながらに周囲を囲んでいる状況だった。その分かりやすいシルエットから立香は自分たちを囲んでいる集団の正体を看破する。

 

「ま、魔女!?」

 

立香の知識にある、幼い頃から聞いていたお伽噺(とぎばなし)にでてくるような存在──『魔女』。村人たちを含めた全員がそれに包囲されていた。これでは完全に動けない。先程のゾンビたちとは違い、魔女は人間以上の知識と知恵がある。それに個々の力も普通の人間とは桁違いな大きさ。有り体に言えばこの状況は完全に積んでいた。レミリアと立香だけなら逃げ切れるかもしれないが、村人たちも数に含めるとなるともう打つ手はなかった。それでも立香は諦めず、何か手はないかと思考する。眼球を動かし、何か見付けられないかと模索する。しかしそうすればそうする程、この絶望的な状況を再認識してしまい、更なる深みに落ちていく。

そうして村人たちも立香も動けない中、魔女たちの集団が横へと割れた。人二人分程の隙間が空き、そこから一つの人影が現れる。

 

「まさか貴方がいるなんて、思いもしなかったわ」

 

それは恐らく魔女だった。

 

「この一年、貴方を探したけれど、終には見つけることはできなかったもの」

 

周囲の魔女たちとは違い、一見そうは見えない格好をしていた。

 

「久しぶりね……いえ、貴方にとってはそうではないのかしら」

 

長い紫髪の先をリボンでまとめ、紫と薄紫の縦じまが入った、ゆったりとした服と帽子を身に纏った垂れ目の少女。

 

「レミィ」

 

それでもその風体は紛れもない魔女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・以下小ネタ

立香?「いけ、レミリア! でんこうせっかだ!」

レミリア(何!? その指示!)


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魔女の古城

立香とレミリアは魔女に包囲されながら、村人たちと共に、草原を馬車で移動していた。その馬車の最後車、その中の荷台で彼女たちは向き合っていた。そう、先程出会ったパチュリー・ノーレッジと言う魔女に。

どうやら彼女たち魔女は立香たちに敵意が無いらしく、ただ人間の集団が草原を進んでいることをいぶかしんで接触を図っただけのようだった

 

「それで、レミィ。貴方の隣にいるこの男を紹介してもらえないかしら? どうやらこの世界の住人ではないようだけれど」

 

馬車の振動に揺られる中、パチュリーはレミリアへとそう言う。

 

「ええ紹介するわ、パチェ。この男は藤丸立香。私がこの世界に向かおうとする直前で出会って、令呪による契約を結んだ外来人よ。ここまで言えば貴方ならもう分かるでしょ?」

 

パチュリーはちらりと立香の手の甲を見た。

 

「なるほど。ずいぶんと不幸ね、貴方。よりにもよってレミィに捕まるなんて」

 

立香はそれに苦笑で返すしかなかった。

 

「私はパチュリー・ノーレッジ。紅魔館の住人でレミリア・スカーレットの友人よ。もう気づいているでしょうけど種族は魔女、年齢も四百歳くらいかしら? 正確な数字は忘れたわ」

 

外見と実年齢が一致しないことを知るのは、レミリアでも一度経験したことだが、それでも立香は驚かずにいられなかった。一見、十代後半にしか見えない少女が、自分の何十倍も生きていると思うと、その言葉の現実味の無さと、しかし事実なのだろうと認めなければいけない認識力との瀬戸際を曖昧にされ、何か複雑な心境になる。

 

「それでパチェ。貴方はどうしてここに? 私はてっきり、紅魔館のメンバーとして私に敵対する立場なのかと思ったけれど?」

 

「紅魔館へ行ったのね?それなら話が早いわ」

 

立香が気持ちの整理を終えるのを待たずに会話は進んでいく。

 

「レミィ、貴方は疑問に思わなかったかしら? あの美鈴が紅魔館の主導権を握る人物が変わったと言うだけで、あんな簡単に他の人物へ付き従うなんて。あの娘なら、例え館を捨てることになろうが貴方に着いて行ったはずよ」

 

立香はレミリアと美鈴との関係を正確には把握してはいない。ただ館の主と、その館の門を守る門番と言う、言葉で表すことのできる表面的な部分しか知らないのだ。しかしパチュリーがそう言うのなら、二人は単なる主従関係を越えた絆で結ばれているのだろうと、思うのと同時に、ではなぜそんな二人が今回、争うことになってしまったのだろうか? と言う疑問が立香の脳天を突っつく。

 

「恐らく気づいているでしょうけど、今回の事件は何者かによる聖杯を使った記憶模倣世界の作成、および支配。その願いに取り込まれた者たちの一部は、何らかの精神操作とも言うべき影響を受けているのよ」

 

「なるほど。つまり聖杯を使った人物が、聖杯を取り込んだ人物に精神的な錯覚を与えられると言うことね」

 

「ええ。もしくは聖杯に割り当てられた役職に精神が引っ張られているか。聖杯により、美鈴の立場が紅魔館の門番と割り振られた以上、その紅魔館の主に割り振られた何者かに忠誠を誓わなければ、と言う錯覚が働いているのかもしれない。とにかく、いくら私たちが声で説得しようとも、彼女たちの立ち位置が動くことは難しいと言うこと」

 

パチュリーの説明を聞き、そこで立香に一つの疑問が芽生える。

 

「と言うことは、パチュリーさんには聖杯の力が及ばなかった、と言うことですか?」

 

パチュリーは疑問を口にした立香へと視線を移す。彼女の柔らかい声にふさわしい、半分ほど開けられた眠たそうな目に、立香は思わず自分がそこへ吸い込まれてしまうのではないかと幻覚させられる。

 

「レミィのマスターなのでしょう? ならパチュリーでいいわ、敬語も不要よ」

 

立香は一瞬、呆けたような表情を見せたが、少しして「分かったよ、パチュリー」とそう笑顔で返す。パチュリーもそれに頷き、薄く笑みを浮かべた。

 

「では疑問に答えるわ。それはNOよ。私にも精神操作が働いた。と言うよりは、精神操作をかけられそうになって、私が反射(レジスト)したと言うべきかしら。こう見えても私は優秀な魔女。幾ら強力だと言っても魔術的な側面が強い聖杯の精神操作なら、全力で挑めば抵抗くらいはできるわ。ただレミィみたいな因果操作はできないから、聖杯に取り込まれると言う未来は避けられなかったけれど」

 

レミリアの友人と言うからに、凄い人物であるのは何となく察していたが、まさかこんな世界を造り出してしまう聖杯の力に対抗できる程の人物だとは思っておらず、立香は大きく目を見開かせた。

 

「それで、パチェ。実はもう一つ聞いておきたいことがあるのだけれど。貴方、聖杯に取り込まれてから今日この日まで何をしていたのかしら?」

 

レミリアは尋ねる。それは立香も聞いておきたいことであった。どうやらパチュリーは、あの魔女たちのリーダー的な立ち位置らしく、ならばどういう経緯で魔女たちを取り仕切るようになったのか、立香としては知っておきたい情報だった。

 

「私が何をしていたのか……確かにそれは重要ね。では話しましょう。私、少し前に精神操作は反射できたけれど、聖杯に取り込まれる未来は変わらないと言ったわよね。だから私も紅魔館のメンバーとして取り込まれたらしく、この世界に現れた際、転移させられた場所は紅魔館だったの。私が住まいとしている紅魔館の大図書館。目覚めた時、私はそこにいたわ」

 

パチュリーは一つ呼吸をして続ける。

 

「それからしばらくは紅魔館のメンバーとして振る舞っていて、何とか解決するための策や準備を進めていたの。でもすぐに私が精神操作を受けていないとばれて、命からがら逃げたしたのよ。それからはこの世界の魔女たちを集め、反撃の機会を伺っていた。そこに私たちの拠点近くをうろついていた集団を見つけて、行ってみれば貴方たちがいたと言うわけ」

 

大雑把(おおざっぱ)な説明ではあるが、立香は大体の内容を把握できた。要はしばらく紅魔館に潜んでいたが、ばれて逃げ仰せ、対抗できる力を蓄えてきたと言うことだ。

突如舞い込んできた仲間に立香が幸先の良さを感じていると、パチュリーがふと何かを感じ取ったのか、終始伏せ気味だった目線を上へと上げた。

 

「もう少しお互いに話が必要でしょうけど、取り敢えずそれは後にしましょう。どうやら私たちの拠点に着いたようだし、そこで話しの続きができるわ」

 

そう。実のところ、この一団は当初、目指していた人間たちの生き残り(レジスタンス)の集落ではなく、パチュリーたち魔女の拠点へと向かっていた。それは安全地帯で一晩過ごせると言う事実と共に、あわよくばそこに留まり続けることが出来るかもしれないと言う期待もあったからだ。

 

「案内するわ。この時代、過激を極めた魔女狩りから逃れるため、魔女たちが幾重にも張った幻覚魔術や、人払いの結界の中に造った安全地帯、『魔女の古城』を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立香が馬車を出てすぐ目の前に飛び込んで来たのは、古ぼけた小さな城だった。構造的には恐らく三階建てで、城と言うよりは横に広い館と言う印象だった。そして城の周りは人間二人分程の高さがある城壁に囲まれており、城の前には何もない広間が広がっていた。憶測ではあるが、本来そこは庭だったのだろう。一部、不自然な盛り上がりがあるが、そこはもう雑草で他の場所とあまり区別のつかない地面となっていた。

村人たちはそこの広間に馬車を止め、一旦足を休めることになった。魔女たちは誰一人、一言も話さずに各々城の中へと消えていった。それは何とも不気味な光景で、この魔女たちがまるでからくり人形のように思えてしまった程だ。

そして残った立香とレミリアも、パチュリーに連れられ城の中にある廊下を三人で歩いていた。これから中断してしまった話の続きをするために、彼女の部屋へと向かうためだ。

 

「ねぇ、パチュリー。あの魔女たち、何か凄い無口だったんだけど、大丈夫なの?」

 

無言で廊下を歩いていた立香だったが、魔女たちと出会ってから長い間気になっていたことを思わず口にした。

 

「彼女たちも警戒しているのよ。言ったでしょ。本来この時代、ヨーロッパは魔女狩りの最盛期を迎えていた。国の軍隊からそこらにいるただの村人まで、魔女を見つけ次第殺していたのよ。この世界がどこの土地をモデルに創られた世界かは分からないけれど、もし魔女狩りの盛んだったドイツの風習も混じっているならば、彼女たちが見せたあの態度は当然のものよ」

 

「パチュリーもこの世界がどこを基準にして再現されているか分からないの?」

 

「分からないことはないけれど、全ては分かってないの。この世界は恐らく、体験でなく知識で創られた世界。風景画を描くのでも、実際に見て絵を描くのと、ただどんな場所なのか聞いて絵を描くのとでは違いが出てくるでしょ? だからその当時を正確に模倣できていないのよここは」

 

なるほど、と立香は納得した。ではこの世界を創った張本人は、レミリアたちと違い、実際に西洋に住んでいたわけではないと言うことになる。本や話、またふとした印象で西洋を再現したのだろう。

 

「あとは魔女って元々内気な性格が多いのよ。本来はああやって集団を成す種族ではないの。部屋に引き込もって研究を続けるのが主なライフワークよ。私も含めてね」

 

立香は現代で言う数学者みたいな感じだろうか、とそんな少し的外れなことを思った。

 

「さて、話をしているうちに着いたわ。ここが私の部屋よ」

 

長い廊下の突き当たり。そこには途中途中で見かけた他のものよりも、一回り大きな扉が張り付けられていた。何の装飾もない、質素な木製の扉だ。パチュリーはグッと両手でその扉を押し開ける。木々を力一杯、ねじ曲げたような乾いた音が、廊下に反響した。そうしてゆっくり慎重に押し広げられたその先。そこには知識があった。昔より人々が一枚一枚、知識を形にして残してきたその積み重ね──本。それを詰め込んだ縦長の棚が壁を埋め尽くすようにして並んでいた。部屋はさして大きくはないが、それでも部屋の壁をこれだけ本棚が覆えば、その数はきっと相当なものだろう。更にはそれでも収まりきれなかった本が、床や、部屋の中央にある四角いテーブルの上にまで平積みされていた。その光景はお世辞にも整っているとは言い難かった。

 

「貴方らしい部屋ね、パチェ」

 

「それは誉め言葉として受け取っておくわ」

 

呆れながらもレミリアは少し嬉しそうにして、部屋の中へと進んでいった。立香もそれに続く。

 

「さあ、かけてちょうだい」

 

大きな四角いテーブルには四つの椅子があり、レミリアとパチュリーは対面するように座った。立香はレミリアの隣へと腰かける。

しかしそこで思いもよらない事態が判明する。いや、もしかすると誰かは、この部屋の惨状を目にした時に薄々感じ取っていたかもしれない。この机に積まれた、山やビルをも感じさせる平積みされた本たちのせいで──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

対面するお互いの顔が全く見えないと言うことに。

 

「……………………」

 

「……………………」

 

「……………………」

 

レミリアたちはパチュリーの顔が、パチュリーはレミリアたちの顔が、本の側面に支配される。第三者から見ればあまりに滑稽なこの光景に、立香たちは時が止まったように誰一人動けないでいた。そうしてしばらく続いたこの情けない現状だが、それは立香の提案によって動き出した。

 

「…………あのさ、部屋の片付けから始めない?」

 

あまりに正当なこの提案、しかしそれに対し──

 

「…………私、片付けできないのよ」

 

パチュリーは戦力外の名乗りを上げ──

 

「…………ふ菓子、私は疲れたわ」

 

レミリアは我が儘を言う。

 

ここに来て初めて、立香は令呪の使用を本気で考えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・以下小ネタ

レミリア&パチュリー「フレーフレー立夏!頑張れ頑張れ立香!」

立香(やっぱり令呪を使おう)


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血を別つ

あれから結局、立香一人がこの膨大な本を片付けることになり、パチュリーはその指示を、レミリアはそれらを眺めることにより、この“パチュリーの部屋散らかりすぎ事件”は一応の決着となった。その結果、疲れ果てた立香は大きく息を吐きながら椅子へと落下するようにして座る。そこでタイミングを見計らったかのように、立香の目の前に紅茶の淹れられた一つのティーカップが置かれる。それを差し出したのは誰でもない、この部屋の持ち主パチュリーだった。

 

「私、片付けはからっきしにできないからどうしようかと思っていたけれど、貴方が来てくれて助かったわ」

 

パチュリーはそのまま自分とレミリアの前にもティーカップを置き、そして座った。

 

「これからは散らかさないように頼むよ」

 

「…………努力はするわ」

 

パチュリーの歯切れが悪いコメントに、立香は惨劇の再来を予感し、頬を引きつらせた。

 

「ご苦労様、駄菓子。これで話が始められるわね」

 

レミリアはパチュリーの置いたティーカップを持ち上げ、口元で傾ける。その紅茶を淹れたのはパチュリーであるし、部屋を片付けたのは立香。レミリアは本当にここまで来るのに何一つ働かなかった。戦闘の時とは表裏一転、本当にこう言った雑務は自分でしないなぁ、と思いつつも、それを受け入れている辺り、かなりこのレミリア・スカーレットと言う我が儘なお姫様に毒されているのかもしれない。などと立香はこの短い間で彼女の存在に順応した自分に思わず笑いが込み上げてくる。

 

「それで、何から話しましょうか? レミィ」

 

やっと話題が進むようになり、その口火を切ったのはパチュリーだった。

 

「先ずはこの世界について、貴方の考察を述べてちょうだい。そしてそこから分かる、犯人とその目的も。まあ紅魔館にいた貴方にとって、犯人は考察でなく事実を述べてくれればいいのだけれどね」

 

そう言えばそうだったなと立香は思い出す。しばらくの間、紅魔館に滞在していたパチュリーは、犯人を直接見ているに違いないのだ。だから今まで分からなかった聖杯の所有者が誰なのか。パチュリーはそれを確実に知っていることになる。

 

「そうね、ではまず私が思うこの世界の構造から話しましょう。前提をもう一度だけ言わせてもらうけど、この世界は誰かが聖杯に願うことによって創られた世界。少しものは違うけれど、虚数空間と言っても指し違いないわ。私たちがいるのは聖杯そのものの中にあるその場所に取り込まれたのよ」

 

これはレミリアが考えていたものと大体同じだった。

 

「では何を思ってこの世界が生まれたのか。そして生み出したのは何が目的かと言う話になるけれど、まずこの世界を生み出した人物は明確な土地を再現しないで“中世のヨーロッパ”と言うあやふやなイメージをこのモデルとした。それは果たしてわざとそうしなかったのか、それとも再現できる程の体験をしたことがなかったのか。答えとしては後者よ」

 

パチュリーは迷うことなくそう断言した。

 

「まず前者だったのならそれはきっと自分が聖杯を使った人物だと悟らせないために、中世を自身の知識だけで作り、当時の中世を知っている紅魔館の住人を犯人に仕立てあげたいと言う狙いが考えられるわ。でもそうしてしまえば逆説的に私たちが犯人ではないと大袈裟にばらしてしまうことにもなるのよ。だって私たちだったら、無意識にでもこんな大袈裟な世界を創ることはできない。絶対にどこかは自分の知っている土地を再現してしまうわ。だからもうその瞬間、私たちが犯人ではなくなってしまう。結局は意味の無い行為になってしまうのよ」

 

「聖杯保有者がそこまで思い当たらなかったって言う可能性は?」

 

立香は尋ねる。

 

「確かにそれはあるかもしれない。でも本来、この聖杯は紅魔館の一番厳重に閉ざされた地下室にあったのよ。空間固定の魔法まで使っていたから、その場所に転移することもできない。貴方は誰だか分からないでしょうけど、隙間妖怪にだってそうそうあの部屋に侵入することはできないわ。それを私たちに悟らせず、こんな事件を起こすなんて、そこまで頭の回らない人物だとは到底考えずらいわ」

 

なるほど、と立香は納得する。確かにこんな世界を創ることも可能な願望機をレミリアたちがそう簡単に近づける場所に保管するはずはない。それなのにパチュリーたちは犯人の影すら見ることなくこの世界に取り込まれたのだ。余程、計画を練らないとそんな芸当を実行し、現実とさせるのは不可能だろう。それができる人物が賢くないはずはないのだ。

 

「それでは後者だった場合、当時のヨーロッパをあまり知らずに、犯人は何故かこの世界を創ったことになる。目的はまだハッキリと分からないけれど、それでも聖杯保有者が中世のヨーロッパに何かしらの思い入れがあるのは間違いない。だって聖杯に願ってまで創った世界なんですもの。そうなると思い当たる節が一つ現れる」

 

パチュリーは顔だけを正面のレミリアへと向き直した。

 

「レミィ、貴方も薄々は気づいていたでしょう?」

 

レミリアはそれに何の飯能も見せずにただ黙ってパチュリーを見つめるだけ。ただ横からみたその瞳に僅かな揺らぎがあったことを立香は見逃さなかった。

 

「そう、この世界を創りだしたのはフランドール・スカーレット。レミリア・スカーレット、貴方の妹よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖杯保有者の名前が明らかになったタイミングで、レミリアが「パチェと二人だけで話がしたい」と言ったことで、立香は部屋の外へと出ることとなった。そんな彼が今いるのは、城の二階にある小さな個室だった。そこに置いてあるのは部屋の隅にあるベッドと、四角い小柄な机、あと二つの椅子だけ。そして控えめな窓が一つ壁に張り付けてある、そんな質素をそのまま形にした部屋だった。パチュリーが「ここらにある部屋は自由に使っていい」と言っていたので、立香は多くある個室から一つを選び、ここを選んだのだ。そして彼はそこにあるベッドで寝転がっていた。

そんな立香が頭に巡らせていたのは、先程パチュリーが口にした名前──フランドール・スカーレットについてだった。立香はレミリアから妹がいると言う話を聞かされていなかったので、それに驚くと同時に、なぜレミリアの妹がこんな事件を引き起こしたのか疑問に思っていた。しかし幾ら考えても紅魔館の住人でもなく、ましてや数分前までフランドール・スカーレットの存在を全く知らなかった立香にその答えを見つけることはできなかった。

ごく平凡で、平和的な家庭に生まれた立香には、身内に牙を向けられる体験をしたことがなかった。しかしそれが余程のことなのは理解できる。それはあの時、レミリアが浮かべた儚く揺れる瞳からも明らかだった。立香はあの不安定に揺れ動く瞳が頭から離れないでいた。蝋燭のかがり火を連想させるあの瞳。それが立香の脳裏を焼き、黒い刻印を刻み付ける。しっかりと前を見ている筈なのに、息を吹けば消えてしまいそうな彼女の瞳を思い出す度、立香の胸は酷くざわめくのだ。

そのせいか、疲れているはずなのに立香は眠りにつくことができなかった。ただぼうっと天井を見つめ、無作為に時間を過ごすだけ。次第に思考も働かなくなり、今では置物の人形と変わらないものになってしまった。

そんな時だった。こんこんと部屋の扉が叩かれる音が鳴ったのは。

 

「駄菓子、いるの?」

 

その音が鳴り止んだそのすぐ後に、扉をすり抜けるような柔らかい高音が室内へと侵入した。

 

「レミリア?」

 

聞き覚えのある声に立香が返答すると、ドアノブが慎ましげに回され、扉が静かに開いていく。やがて扉が半分ほど開けられ、その先には立香が名前を呼んだ通り、レミリアが立っていた。

 

「ここにいたのね。部屋が多かったからどこにいるか探したわよ」

 

「ごめん、別れる前に言っておくべきだったよ」

 

立香はベッドの上で上半身を起き上がらせ、ベッドの縁に腰かける。決して新しくないベッドから木の軋む音が鳴った。

レミリアは開けていた扉を優しく閉め、部屋へと入る。それから彼女は迷う素振りすらも見せず、立香の隣に座った。

部屋にある椅子を譲るつもりでベッドに腰かけたのに、自分の隣に座ったレミリアを立香はわずかに驚きの表情で見る。レミリアはそれに気づかなかったのか、それとも気づいた上で無視しているのか、何もなかったかのように話を始めた。

 

「部屋を追い出して悪かったわね。少し紅魔館の住人同士だけで話がしたかったの」

 

「うん、分かってる。全然気にしてないよ」

 

事実としてそうだった。レミリアとて、出会ってから日の浅い自分に話せることが多くないことを立香はよく分かっていた。それがまた身内のいざこざとも言えることとなると余計にそうだろう。

立香はそんな考えの元に言葉を返したのだが、レミリアはただそれに何も返さず、少し居心地が悪そうに体をよじらせていた。立香も唐突に無言となるレミリアに対して何か話題を見つけることができずに口を閉ざす他なかった。不意に現れる沈黙。二人の間に出会ってから一度もなかった気まずさが漂う。しばらくそうした時間が過ぎ、ふとその空間を断ち切ったのはレミリアからだった。

 

「ふ菓子、私は貴方に話さなければならないことがあるの。この世界に無理やり引っ張り込んだ私だからこそ、貴方には話しておかなければならないの」

 

レミリアはいつにも増して真剣な眼差しで立香を見上げる。しかし彼女の瞳の奥には、立香がパチュリーの部屋で見た、あの不安定な揺らぎが見えてとれた。

 

「貴方も聞いたでしょうけど、今回この事件を起こしたのはフランドール・スカーレット。私の妹よ。パチュリーが紅魔館にいた時、あの娘が紅魔館の実権を握っていた。彼女がその目で見たとなれば誰が聖杯を持っているかは一目瞭然よ」

 

紅魔館にいたパチュリーが言うのだから間違いない。それは決定的な証拠であり、何よりも明らかな証明だった。

 

「……レミリア。どうしてレミリアの妹がこんなことを?」

 

立香は踏み切ったこの質問を尋ねようか迷った挙げ句、しかし最後にはそう口にした。

レミリアは数秒程、沈黙し、何かを考えるように目尻を下げる。そうしてしばらくしてから考えが纏まったのか、きゅっと袋口を閉じるように唇を結び、それから緩めた。

 

「少し昔話をしてもいいかしら。時代にしてこの世界と同じくらい昔の話。まだ私がもっと幼く、そして紅魔館の主ではなかった頃の話を」

 

それはレミリアが自身の過去を話すということ。立香にレミリア・スカーレットと言う吸血鬼の内をさらけ出すと言うことだ。そんな覚悟を持った彼女の言葉を耳にしてしまえば立香は頷く他なかった。何より彼自身、レミリアの過去は知りたいものの一つであった。

 

「……私の生まれは西トラキア。今で言うブルガリアの南西部。そこで私は当時、紅魔館の当主である父と母との間に生まれたの。もちろん二人とも吸血鬼よ」

 

立香の了承を得たレミリアは、ぽつりぽつりと話し出した。彼女の過去、そして構成を。

 

「その当時、吸血鬼はトラキアで数こそ多くはないものの、絶大な力を振るっていた。それはそこがヨーロッパの中でもアジアに近い場所だったから、西ヨーロッパにあった中央教会がこっちまで手を伸ばせなかったのが原因よ。でもそれはあることを境に一気に崩れることとなる。それはオスマン帝国の侵略。それによりトラキアはオスマン帝国の領地になりその結果、元々複雑化していた宗教が更に混雑を極めた。だけどそれがトラキアにいた吸血鬼たちに多大な被害を与えることとなるの」

 

オスマン帝国。確かそんな国を高校生だった頃、世界史の授業で聞いたことがあったなと立香は断片的で朧気な記憶を思い起こした。

 

「トラキアを侵略し、おざなりとは言え、ある程度その土地を安定させたオスマン帝国は、未だにそこで力のあった私たち吸血鬼が邪魔な存在になったのよ。だから駆逐することを決めた。そうして人間と吸血鬼の戦いが始まったのよ。勿論、吸血鬼たちは闘った。だけど教会か国の軍隊としか戦ってこなかった吸血鬼たちにとって、他の宗教を元にした呪術師や霊媒師を相手にすることはあまりに未知で、段々と吸血鬼は数を減らしたわ。そんな中、私は生まれたの。スカーレット家長女として紅魔館でね」

 

レミリアは自身のの出生に至った経緯を他人事のように語った。いや、事実そうなのだろう。誰しも自分が生まれた時の事など覚えてはいない。しかしレミリアはまるでどこか知らない国の童話を読んでいるかのような口調だった。淡々と心を消してただ目から入ってきた文字列をそのまま喉を通して口から垂れ流しているような、そんな口調だった。

 

「そしてその五年後、フランドール・スカーレットと言う妹が生まれた。だけどその子は生まれながらに莫大な力と破壊の能力を持っていて、それを制御できず、時たま狂ったように物や生き物を壊すことがあったのよ。その結果、戦時中で余裕のなかった私の両親はフランドールを紅魔館の地下へ幽閉し、力に精神が追い付くまでそこで育てることにした。でも私は嫌だったの。たった一人の姉妹なんだもの。妹だけ地下へ行くのは可哀想と思ったし、私ならそんなことはしないと心の奥で決意もした。だけどそれはあっさりと波状したわ」

 

他人事の言葉は続く。自分が経験した事なのにも関わらず、自分がかつて抱いた思いを口にしたのにも関わらず、それはどこまで行っても朗読の域を出なかった。立香はその平坦で出っ張り一つないはずの言葉を聞くたびに胸が痛くなった。ここまで自分のことを他人事に話せる彼女に、何故だか悲しみが沸き上がり、そしてそれが心臓を突き上げる。

 

「始まりはこの紅魔館にも人間が攻めてきたことが切欠。両親が私たちを屋敷ごと転移させて逃がし、自分たちはその足止めをするために外へと飛び出した。その命を引き換えに。こうして私は幼いながら紅魔館の主になったの。私は紅魔館の主として人間たちから館を守る必要があった。そうなると未だ情緒不安定なフランドールを外へ出すことはできなかったの。その立場になって初めて両親の行動を理解することができた。フランドールには必ず外へ出してあげるといいつつ、結局はそうすることができなかった」

 

そう言い終えたところで初めてレミリアは感情を言葉に乗せた。いつの間にか朗読は終わり、会話が始まっていた。

そこで立香は初めて気がついた。レミリアは『妹を外へ出す』と決意した自分とその決意を実行へと移せず『妹を幽閉し続けた今の自分』とを完全に別の者だと思っているのだと言うことを。それはきっと後悔や羞恥(しゅうち)、そして現実と言う刃によって両断されたもう一人の自分なのだろう。

立香もふと思い出す。“現実”を知らずに“今”を夢見た自分を。そして“今”が見えて“現実”を知った自分を。

昔、誰彼構わずに夢をおおっぴろげに語ることのできた小さかった頃。恥ずかしげもなく「僕が君を守るから」何て言えた無知だった自分。立香はそんな過去の自分を他人事のように思い起こした。懐かしいなどとは思うことのできない。それは“記憶”ではなく“記録”だった。

 

「……どうしたの? 駄菓子」

 

立香が完全に意識をレミリアから外していたからだろう。レミリアは疑問符を浮かべながら立香の顔を覗き込む。

 

「ごめん、何でもない」

 

レミリアは(いぶか)しげに表情を歪めたものの、あまり気にとめても仕方がないと判断したのか、続きを話し始めた。

 

「それからはあまり関係のないことだから省略するけれど、年月がたって私たちは幻想郷にたどり着き、今現在ここにいるわけよ。けれどそのせいで私はフランドールに憎まれてしまった。パチュリーは目的が何か分からないとは言っていたけど、きっと今回の騒動はそんな私に対するフランドールの憎悪から始まったのよ。私に復讐するために聖杯を使い、昔を再現し、何かをしようとしている」

 

「……何かって?」

 

立香は尋ねる。

 

「さあ? それはまだ分からないわ。例えばだけど、妹と姉の立場を入れ換えて、私を地下へ幽閉する、なんて復讐が目的だとしても理解はできるわ。パチュリーから聞いた話だと、今は取り敢えずこの世界を支配する所から始めているみたいね。わざわざ自分が支配者である世界を作らないで、なぜ作ってから支配しようとしているのかは謎だけれど」

 

そこで会話は終わった。長い長い話が終わり、その後に残ったのは沈黙だけだった。レミリアがこの部屋を訪れた時に現れたあの沈黙。体に異物が紛れ込んでしまったような気持ち悪さが漂う静寂が部屋を満たす。立香はそれを何とかしようと声を出そうとするが、しかし喉が塞がってしまったかのように空気の振動が彼の口から飛び出ることはなかった。しかし立香はそのことに関して疑問に思ってはいない。理由は単純、立香は分からないのだ。何を言えばいいのか。何を伝えればいいのか。その迷いが喉に溜まり、詰まる。そのせいで声が出せないと言うことを立香自身よく理解していた。だからもう自分の思いや、レミリアの過去に対して何かを口にすることを立香はしないことにした。レミリアに対して迷ったままの適当な発言を立香はしたくなかったのだ。だから立香は言うべきことだけを言うことにした。聞きたいことだけを聞くことにした。

 

「……レミリアはこれからどうするの?」

 

この疑問はレミリアとずっと行動を共にした立香だからこそ聞きたいものだった。今までは誰かも分からない犯人を追い続け、そして聖杯の回収を目標として来た。ではその犯人が身内だと判明した今はどう行動するのか。それをまず立香は聞きたかったのだ。

 

「変わらないわ。私たちのやるべきことは一つ。聖杯を取り戻すこと。確かに私はフランドールに負い目がある。けれど紅魔館の主として──いえ、姉として妹のけじめはつけなければならない。この事で多くの人妖を巻き込んで被害を出しているのは事実だもの。貴方も含めてね」

 

「いや、俺が巻き込まれたのはレミリアのせいなんだけど……」

 

「あら、そうだったかしら? 私忘れてしまったわ」

 

レミリアは意地の悪い笑みを浮かべ、それからリンリンと鈴が鳴るような透き通った笑い声を出す。立香にはそれが本心から笑っていると同時に、何かを誤魔化す為の覆いを自分にかけているように見え、それが立香の胸をそっと締め付ける。何か言わなければいけない気がして、しかし言うべき言葉が見つからない。それでも何か言いたくて、立香はただ思った言葉を口にする。

 

「レミリアはどんな時のレミリアもレミリアだよ」

 

それは言葉未満の文字列だった。口の中で完成する前に外へと飛び出したその言葉は、出来損ないのガラクタ。レミリアが受け取れば、その瞬間に崩れ落ちてしまう不出来なものだった。しかしレミリアはそれを笑うでもなく馬鹿にするでもなく、ただ微笑みを浮かべ、受け止めた。それからただ無言で立香を見つめ続け、突然何かを考えるように口を結んだ。

 

「…………駄菓子。貴方の名前、何だったかしら?」

 

今更!? ──と立香は叫びたくなる気持ちを何とか押し留め、口を紡ぐ。自分から聞いたはずなのにそれを忘れるとは何とも傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な吸血鬼だと立香は思うも、もしかすると建前上聞いてはみたものの、元々覚える気がなかったのでは? とそんな推測が立香の脳裏に(よぎ)る。一瞬、聞いてみようかと逡巡(しゅんじゅん)するが、余計なことは言わないでおこうとただ素直に聞かれたことだけを答えることにした。

 

「えっと、藤丸立香だけど」

 

レミリアはその答えに対し、ただ「そう」とだけ返すと、一拍だけ空白を飲み込み、優しく(ついば)むように小さく口を開ける。

 

「ねぇ()()

 

「……何?」

 

突然にして初めて名前を呼ばれたことに立香は驚駭(きょうがい)するが、それを悟られないよう、波打つ心臓を深い呼吸で圧殺した。

 

「話すことはもう全部終わってしまったけれど、もう少しだけこの部屋にいてもいいかしら? 私が特別に紅茶を淹れてあげるわ」

 

レミリアの言葉。それはいつも誰かに紅茶を淹れさせる彼女が自主的に行動すると言うこと。当然、立香も興味が湧かないはずもなく、ほぼ反射的に首を縦へと振る。

 

「待っていて。用意してくるわ」

 

レミリアはヘッドから立ち上がると、そのままいそいそと扉の前まで移動し、部屋の外へと出た。扉の閉まる振動が石床(いしどこ)から立香の足裏に伝わる。風が城を横切る音がそれに答えるように鼓膜へと潜り込む。

 

「…………家族か」

 

立香はポツリと呟く。どこか近いようで遠い、そんな中途半端な空間を見つめてそう呟く。ふと彼は窓を通して外へと視線を移した。そこからは城の低い城壁とどこまでも広がる草原が見えた。それは立香が生まれてから初めて見る景色で、とてもではないが彼にとって馴染みのある場所とは到底言えなかった。

いつまでも空に浮かんでいると思っていた月も今は雲に隠れてしまっているのか、彼の視界に映ることはない。いつの間にか風は止み、立香はそっと目を閉じる。ずっと狭いと感じていた部屋が今では妙に広く感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・以下小ネタ

レミリア「どうしたの?早く感想を聞かせて♪」

立香(猫舌なんだよね……俺)


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魔の力

レミリアとのティータイムを過ごした後、立香は眠りについた。怒濤の日々の中で、まともに寝床と呼べる場所で睡眠を取れたのは今回が初めてであり、そのせいか、立香は死ぬように意識を深く沈めた。放っておけばいつまでも寝ていたであろう立香を眠りから現実に戻したのは痛みだった。

 

「ッ……ん?」

 

顔に感じる違和感により瞼を押し上げる。そして何かの気配を感じ、その方向へと視線を向けると、そこには小さな蝙蝠(こうもり)がいた。

 

「うわっ!?」

立香は反射的に体を起こし、驚きの声を露にする。蝙蝠は立香が起き上がるのを確認し、飛んで部屋の天井に吊り下がった。何が何だか分からない立香はしばらく呆然とその蝙蝠を眺めていたが、やがて一つの結論を導き出した。

 

「……もしかしてレミリアの?」

 

今、このタイミングで蝙蝠がここにやって来たと言うことは、吸血鬼であるレミリアの使いではないか? そんな確信に近い予測を頭に浮かべた立香は、ベッドから出て立ち上がり、部屋の外へと通じる扉を開けた。するとそれを待っていたかのように、天井に張り付いていた蝙蝠は外へと飛び出た。立香もそれに続くように扉を大きく開き、室外へと一歩、進み出る。

あの蝙蝠はどこへ行ったのか?

部屋を出ですぐに浮かんだ疑問を解消するべく、立香は辺りを見渡す。石造りの長い廊下、その側面に一定の感覚で貼り付けられている四角い窓たちが一斉に自分へと視線を送っているような気がして、彼は目を背けた。するとその先に、立香の探していたものがいた。あの蝙蝠だ。蝙蝠はまたもや天井にぶら下がりながらも、立香をじっと見つめているような気がした。

 

「ついて来いってこと?」

 

立香は恐る恐る蝙蝠へと近づく。するとまたもや蝙蝠は天井から離れ、そして立香から逃げるようにもう少し先の天井へとぶら下がる。

やはりこれはついて来いと言うことなのだろう。そう解釈した立香は再び蝙蝠へと近づく、そして案の定、蝙蝠は立香から距離を取る。そんな追いかけっこを繰り返し、城内を進んでいく。するとやがて一つの扉の前へと行き着いた。その扉に立香は見覚えがあった。そう、パチュリーの自室だ。

立香は扉のノブへと手をかけ、そっと押し開いた。するとそこには本にまみれた部屋の中で、机を挟み、紅茶を口にするレミリアとパチュリーが目に入った。

 

「おはよう立香。どうだったかしら? サーヴァント()からマスター(貴方)へ送る愛しのモーニングコールは」

 

レミリアは何の悪びれもなく、澄まし顔でティーカップを口元へ運ぶ。そんなレミリアの頭上にはいつの間にかあの蝙蝠がぶら下がっていた。

 

「……おはようレミリア。愛しのモーニングコールならもう少し優しく起こして欲しかったかな」

 

立香はそう言いながら、レミリアから少し離れた場所にある椅子へと腰掛ける。すると丁度、立香の斜め前に座っていたパチュリーから声がかかった。

 

「おはよう。よく眠れたかしら?」

 

「うん。お陰様で調子がいいよ」

 

立香の返事にうっすらと微笑んだパチュリーは、椅子から立ち上がり、机の側にある台車の上からパンと器に入った白いクリームスープを手に持つ。そしてそれらを立香の前へと置いた。

 

「軽く朝食を用意したから、食べながら話を聞きなさい。これから私たちがどうするかを話しましょう」

 

立香は「ありがとう」と一つ礼を言って頷く。彼の視界にはスープの湯気がゆらゆらと揺れながら上へと昇っていくのが見えた。穏やかに上昇し、そして空気に溶けるよう消えていく湯気の様子に立香は束の間の安息を覚える。

 

「聖杯を取り戻す。私たちと貴方たちの目的は一緒なわけだけれど、ここでわざわざ別れて行動する必要はないと思うの。貴方たちもこれからどうすればいいのか行き詰まっていたと思うし、それならどうかしら?ここで手を組むと言うのは」

 

立香が話を聞ける状態になったことを横目で確認したパチュリーは前置きなど不要とばかりに本題へと直接入った。

その内容は協力の申し出。これから聖杯を回収するまで、協力しようと言う話だった。立香としてはその申し出を断る要素は無い。むしろこちらからお願いしたいくらいだった。しかしそれは個人の意見。これを自分の一存で決めるわけにはいかなかった。

立香はレミリアの方へちらりと視線を向ける。

レミリアはそれに対し、何も言わずこくりと頷くだけ。それは紛れもない同意の返事だった。

 

「うん、協力しよう。よろしくパチュリー」

 

立香はテーブルから体を乗り出してパチュリーへと手を差し出す。パチュリーも何をすればよいのか察し、立香の手を自分の手に重ね握り返した。

 

「では話を進めましょうか」

 

パチュリーは立香との握手を終えると、再び座り直し、そう切り出した。

 

「これから聖杯を取り戻す為に行動を開始するわけだけれど、そこで必ず必要なものが出てくる。それは戦力よ」

 

戦いにおいて必ず付いて回り、そして最も基本的な部分である戦力。基本的なことだからこそ一番大事な部分ではあるが、立香たちと紅魔館とではその差に大きな開きがあった。こちらには未だに万全とは言い難い吸血鬼にへっぽこマスター。そして新たにくわわたパチュリーと二十人程の魔女。残るは小さな村の住人たちだけ。

魔族やワイバーンを多数従えている紅魔館にはどう戦っても踏み潰されるのが目に見えていた。

 

「貴方たちも一度、あそこに行ったのなら分かるでしょうけど、ただたどり着くだけでも至難の技なのに、妹様たちと正面から戦うとなると先ず勝てない。そこで私はこれからレジスタンスに協力を扇ごうと思うの」

 

「レジスタンス?」

 

立香は新たに出てきた予想外の言葉に疑問を浮かべる。

 

「ほら、村長が言っていたでしょう? 行き場所のない人間たちを集めて魔族たちに抵抗しておる集団があるって。元々、私たちが目的地としていた場所よ」

 

レミリアの言葉で、立香は村を出発する前に村長と交わした会話について思い出した。パチュリーは村長の言っていた集団をレジスタンスと呼んでいるのだと理解して、納得の首肯をする。

 

「レジスタンスと協力して準備が整った段階で紅魔館へと攻め入る。まだ向こうの戦力を把握していないし、具体的な作戦も練れない状態だけれど、仲間を増やしておいて悪いことはないわ。今まで噂には聞いていて、接触を図る為に私たちも何度か捜索してきたんだけど、結局彼らの居場所は分からなかった。どう言う方法を取っているのかは知らないけれど、何かしら隠蔽に特化した能力か道具を持っていると見るべきね」

 

確かにと立香は頷く。今までレジスタンスが紅魔館に見つかっていないことがその証明だった。

 

「でも幸運だったのは貴方たちがレジスタンスの拠点の場所を知っていたこと。これでやっと前へと動けるわ」

 

「それじゃあ、これからの第一目標はレジスタンスとの接触ってこと?」

 

「いえ、その前にやっておきたいことがあるの。それは立香、貴方の強化よ」

 

「俺の……強化?」

 

パチュリーの言う自分の強化。なぜそんなことをする必要があるのか──正確にはレジスタンスへの接触を後回しにしてまでしなければいけないことなのか疑問に思い立香は疑問の声を漏らす。

 

「ええ、力が落ちているとは言え、レミィはこちらの最大戦力の一つ。ならそのマスターである貴方がただ指示を出すだけの人間では困るのよ」

 

「でも、俺はそんな戦えるような力なんてないし……」

 

「別に直接戦えと言っているわけではないわ」

 

ならどうするのだろうか? と立香は軽く困惑するが、パチュリーはその答えを口にすることなく、勿体ぶるように立香の目の前にあるパンと食器を指差した。

 

「取り敢えず朝食を食べてしまいなさい。紅茶が冷めてしまうわ」

 

立香としては自分に大きく関わることなので、そんなことより早くパチュリーの考えを知りたかったのだが、折角用意してもらった料理や紅茶が冷めてしまうのは確かに良くないなと思い、彼は素直にパチュリーの言葉に従うことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立香たちは城の地下に繋がる長い螺旋階段を下っていた。立香の朝食が終わった段階で、パチュリーについて来てと言われ、素直に立香たちが従った結果こうなっていた。人がギリギリ二人並んで通れるような狭い通路の両端に、頼り無い火が点いた蝋燭が規則正しく、一定の距離を保って立ち並んでいた。

そんな不気味溢れる階段を下り続けて五分程。立香たちは広大な地下室にたどり着いた。縦、横、高さ共に数十メートルはあろうスペースがあり、地下にこれだけ大きな場所があったのかと立香は思わず周囲を見渡す。

部屋の地面には、何に使うのか分からない鉱石や、紫色の液体が入った瓶等、この部屋の暗さに似合った不気味な物が数多く散らばっていた。

壁にはパチュリーの部屋で見たように、幾つか本棚が貼り付けられており、その近くにテーブルもあったが、そこまで数は多くないようだった。

 

「ここは工房。私たち魔女や魔術師なんかが魔法を扱う際に色々と都合の良いな場所よ。まあ、魔法を扱わない者からすれば、何だかごちゃごちゃとした広い部屋にしか見えないでしょうけど」

 

未だに唖然と部屋を見渡していた立香だったが、パチュリーのそんな台詞で彼は意識を取り戻す。

パチュリーはそれを確認すると、部屋の奥へと進み始めた。立香たちもそれに黙って着いていく。

しばらくそうしてパチュリーはとある机の前でピタリと足を止め、その上に乗っかっている何かを持ち上げ、立香たちの方へと振り向いた。

 

「これは……服?」

 

そう、パチュリーが手にしていたそれは服だった。白い上着に黒いシンプルなズボン。上着の胸部と腰部分に黒いベルトを巻いたような装飾があることを覗けば、随分とシンプルなデザインだった。

 

「パチェ。貴方、服なんか作ったの? いえ、作れたの?」

 

どうやら長年の友人関係にあったレミリアですらパチュリーの持っていた物が意外だったのか、多少なりとも驚きを示していた。

 

「ええ、と言っても裁縫をしたわけではないわ。特殊な素材でできた布に魔力を通して作っただけ。そもそも私がそんな器用でないことは貴方もよく知ってるじゃない」

 

立香から見てもパチュリーは器用そうに見えない。いや、“魔”に関するものならそうではないかもしれないが、少なくとも彼女が裁縫をするイメージがどうしても立香は浮かべることができなかった。

そんな失礼とも言える考えを浮かべていた立香に不意打ちを食らわすよう、パチュリーが手に持っていたその服を立香へと差し出した。

 

「これは魔術礼装。魔術の儀礼を行う際に使用される装備、または道具。貴方にはこれを着てもらうわ。魔術を使う為のサポート用品とでも思えばいい。実は聖杯もこれに含まれるのよ」

 

立香はパチュリーから服を受け取ると“魔術礼装”と言う言葉を頭の中で反復させた。今まで知らなかった単語を知識として身に付けるように。

 

「この魔術礼装の効果はある三つの魔術を使う為のサポートをすること。今まで神秘に触れてこなかったような人間でも、これがあれば簡単に魔術を扱えるようになる。と言っても三つが限界だけれどね」

 

つまりパチュリーはこの魔術礼装を着せて立香に簡単な三つの魔術を習得させようとしているのだった。これがパチュリーのいう自分への強化だと言うことを理解した立香は、その服を持つ手にそっと力を込めた。

そんな中、パチュリーはふと立香へ手を突き出し、人差し指を立てる。

 

「その魔術礼装に込められた魔術の内一つは応急手当。対象の傷を軽度ではあるけど癒すことができるわ」

 

そう言い終えると、パチュリは人差し指の隣にある中指を立てる。

 

「二つ目は瞬間強化。これは対象が持つ力の源を僅かな時間だけ強めることができる。腕力であれ、魔力であれ、妖力であれ、まあ本当に一瞬ではあるけど」

 

続いて次に彼女は薬指を立てる。

 

「最後は回避付与。別名、俊敏強化とも言うわ。対象の速力を本当に一瞬だけ強化する。これも効果は一瞬だから攻撃に使うよりは回避として使うことが殆どね」

 

パチュリーはそう言い終えると、立てた三本の指と共に腕を下ろした。

 

「……俺がこれを着れば、それらの魔術を使えるようになるの?」

 

「ええ、少しコツはいるけれど、今まで魔術を知らなかったド素人でも小一時間あれば使えるようになるはずよ」

 

パチュリーの言葉を聞いた立香はじっと手の中に収まる魔術礼装を見つめる。

今でも実感は沸かないが、自分はこれから魔術を扱うことができるようになる。指示を出すだけではない。本当の意味でレミリアをサポートすることができるようになる。立香からすればそれは今まで自分がやりたくてもできないことを可能にする、特別な意味が込められた思いだった。

 

「確かにこの魔術礼装は便利な物よ。但し、これらはそう連続して使えるモノではない。三つ全て幾らかのインターバルが必要になる。だから使い所はしっかり見極めなさい。それも含めてマスターの役目よ」

 

「分かった。ありがとう、パチュリー。大切にするよ」

 

立香が真っ直ぐにパチュリーを見つめそう言うと、パチュリーも微笑みを立香に返した。

 

「さて、では練習も兼ねて少し戦ってみましょうか。今のレミィ──いえ、貴方たちがどれだけ戦えるのかも把握しておきたいし」

 

「えっ!? でも俺、この魔術礼装……だっけ? これの使い方もよく分かってないし。なにより、こんな所で戦ったら工房が無茶苦茶になるんじゃない?」

 

確かに工房の広さは戦えるだけのスペースがあるものの、辺りには魔法関連に使うであろう資源や道具がちらほらと設置してある。もしここで戦闘をおこなえば、確実にそれらの幾つかが破損することは目に見えていた。

しかしそんな立香の心配を他所にパチュリーはレミリアと立香から距離を離し、しばらくしてピタリと止まった。これは所謂、戦闘体制であった。

 

「使い方は習うより慣れろよ。この礼装に魔力を通して、イメージするだけ。これまでレミィと令呪のパスを繋いできた貴方なら、そのくらいはできるはず。それに工房の心配もする必要はないわ。余程の攻撃でなければ、小物も含めてこの部屋にある物は壊れないようにプロテクトしている。魔女なら当たり前の措置よ。実験が失敗して何かあったら大変だもの」

 

つまりこの工房にある物は柔な模擬戦程度では壊れないとパチュリーは言っているのだ。しかし立香は未だに決心がつかない様子で困惑の表情を浮かべたままだった。

 

「立香、いい機会よ。これは実戦ではないのだから、気楽に受ければいいのよ」

 

そんな立香の後押しをしたのは誰でもないレミリアだった。この二人が了承しているのに、自分だけが渋っているのは申し訳ない、と言うよりは馬鹿馬鹿しく思えた立香はパチュリーと戦う決心をし、姿勢を低く構える。

 

「分かった。行こうレミリア」

 

「ええ、じゃあしっかりとしたバックアップを期待しているわ」

 

レミリアは立香の前に出て、紅い槍を出現させる。パチュリーもいつの間にか取り出した魔術書を開いており、戦闘を始める体制は既に整っていた。

 

「パチェ、貴方と戦うのは久しぶりだけれど手加減はしないわ」

 

「あら、弱体化している貴方が私を倒せると?」

 

二人の間を飛び交う挑発。まだお互いの牽制でしかなかったがそれは一気に崩壊する。

 

「フッ!」

 

瞬時に移動したレミリアがパチュリーに向かって槍による突きを放つ。目にも止まらない早業だったが、それを阻むかのようにガキンと言う効果音が響き槍先はパチュリーの前で停止する。その様子はまるで彼女の間に見えない壁があるかのようだった。

 

「流石レミィ。万全でなく、そのパワーとスピード。恐れいったわ」

 

「難なく受け止めておいてよく言うわ」

 

二人は僅かな言葉を交わし距離を取る。いや、違う。形としてはレミリアから一方的にパチュリーが距離を取ったようだった。恐らく吸血鬼相手に魔女である自分が近距離戦に持ち込むのは悪手だと判断した故の行動だろう。

そうして距離を取ったパチュリーは宙へと浮いて自身の周囲に色鮮やかな光弾を出現させる。そしてそれを一斉にレミリアへ向けて放った。レミリアはそれに対応できていなかったのか、光弾が自分の方へと向かってくる様を眺めているかのように動けないでいた。

 

──ッ、回避付与!

 

立香は咄嗟に魔術のイメージを脳内に巡らせ、スキルを発動させる。実際のところスキルが発動できるのか心配していた立香だったが、そんな心配は何だったのかと思う程に呆気なくスキルは発動した。

立香はスキルが発動した安堵感で一瞬嬉しそうに頬を緩めるも、それを書き消すような爆音が彼に向かって飛来する。

風圧で思わず目を閉じる立香。それから巻き起こった爆音が耳から剥離したところで立香は瞼を持ち上げる。するとそこにはご立腹な様子で自分を見上げるレミリアの姿があった。

 

「…………ちょっと、立香」

 

「は、はい」

 

「あの程度なら回避付与しなくても避けられたわよ」

 

レミリアの指摘に立香はキョトンと瞼を数回上下させた後、驚きの表情を露にする。

 

「……えっ!?本当に?」

 

「ええ、直前まで光弾を避けなかったのは相手の攻撃の特徴を見分ける為。決して私が動けなかったわけではないわ」

 

レミリアは言うこと言ったと言うように体を反転させ、再度パチュリーへと向き直る。

 

「まあ、戦闘経験が皆無な貴方には難しいでしょうけど、今はそうも言ってられない。頼りにしてるわよ、マスター」

 

立香はレミリアの言葉に頷きながら、己の過失を再確認する。それはスキルを無駄に使ってしまったこと。一見、大したことのないように思えるが、スキルを使えばそれに応じたインターバルが発生する。もし本当に使用しなければいけないタイミングでインターバルに掛かる時間が終わっていなければスキルを使用することはできない。これは戦闘において致命的なスキとなる。

 

──もっと適切な判断を。

 

立香は一つの目標を己の胸に刻み付け、気を引き締めて直す為、深く肺に息を取り入れる。

 

「もういいかしら? レミィ」

 

「ええ、お陰さまでね」

 

レミリアがそう返事をした瞬間だった。パチュリーがレミリアに手の平をかざし、炎の塊を放出させる。レミリアはそれをかわそうとしたが、しかしそこであることに気がつく。

 

──自分の後ろに立香(マスター)がいる。

 

もしここで炎を避けてしまえば、立香が炎によって丸焦げになるのは確実だ。

そう判断したレミリアは回避の為に羽ばたかせていた翼を急停止させ、大きく槍を振るう。誰もいない空間に向けて槍を振るう様は、まるで素振りをしているかのようだったが、しかしそうではなく、レミリアが槍を振るった箇所から魔力の暴風が吹き荒れ、周囲の物を吹き飛ばす。それはパチュリーが放った炎も例外ではなく、あれだけの熱量をもった赤と朱が混じった塊は呆気なくその姿を消した。

 

「……なるほど、今度は私の訓練と言うわけね」

 

レミリアは何かを理解したようにつぶやく。

その時だった。いつの間にか立香の周囲に赤、青、黄、緑の色をした巨大で長細い宝石のような石が四つ現れる。その一つ一つが立香の背丈程の高さを有しており、何か不思議な力を宿しているような輝きを放っていた。

「賢者の石よ、我が敵を滅せよ」

 

パチュリーの号令により立香の周囲にある石たちの輝きが増していく。美しく神秘的にすら思えるその輝きだったが、立香からすればそれは自分の死を招く恐怖そのものでしかなかった。

生命誰もが持つ死に対する本能的な怯え。それから逃れようと立香は思考を回転させるが、どれを選んでもたどり着く結末は一つだった。思考がついに停止しかけ、体が石のように硬直した立香だったが、それを融解させる声が彼の元へと届けられる。

 

「立香、周りの石は無視しなさい。パチュリーが攻撃を仕掛ける前に決めるわ」

 

無意識だった。考える暇もなかった。脊髄反射とも言うべき勢いで立香はレミリアへと顔を向け、一つの単語を頭の中で浮かび上がらせる。

 

──瞬間強化。

 

立香のスキルがレミリアへと送られ、レミリアの魔力が、力が一瞬だが底上げされる。

レミリアはそれを確認すると、翼を一回だけ羽ばたかせ、宙へと浮く。そしてそのまま空気を蹴るようにして、パチュリーに向かって突っ込んだ。まるで弾丸のようなスピードで飛来するレミリアに周囲の空気は荒れた大海原のように波打つ。

流石にこれを無防備で受けたら不味いと判断したパチュリーは賢者の石に割いていた魔力を手のひらから放出させ、防御壁を展開させる。

その瞬間、爆発的な衝撃波が生まれた。肌から皮膚が剥がれてしまうのではないかと錯覚してしまう程の空気振動に立香は思わず尻餅を着く。

そしてそれに平行するかのようにパチュリーもレミリアに吹き飛ばされ、轟音を伴って部屋の壁へと激突した。どうやら防御壁を展開したものの、衝撃を吸収させることはできずに防御壁ごと後ろへ吹き飛んでしまったようだった。

塵と部屋に点在していた紙きれがばらまかれる中、立香は「いや、やり過ぎじゃない?」と至極真っ当な感想を浮かべていた。

吸血鬼のレミリアならまだ安心できる部分はあるが、あまり耐久があるとは思えない魔女のパチュリーがあんな威力の攻撃を受けて無事であるとは立香は思えなかった。

しかしそんな立香の心配を否定するかのように、塵の煙幕から一つの人影が現れた。

 

「……ちょっとは遠慮しなさいよ、貴方たち」

 

そんな愚痴と、そして小さな咳と共にパチュリーはこちらに歩いてきた。如何にも不機嫌そうな顔で、立香とレミリアを交互に睨み付ける様は一見、恐怖を覚えるが、しかし彼女が無事である事実を表している証明でもあった。

 

「それは貴方もでしょう。私はてっきり立香の訓練だと思っていたのだけれど、何しれっと私のことも試しているのよ」

 

そう、これは立香だけでない。レミリアの訓練でもあった。これからもレミリアと立香がペアとして動いている以上、個としての力が弱い立香は狙われる対象になる。それを守りながら戦い、そして時としてはそれを逆手にとり立香を囮にする。そのように柔軟な対応ができるのかパチュリーは試したのだ。普通ならそんな危なっかしい真似はできないが、これは圧倒的スピードを持ち、相手より先手を打てる吸血鬼だからこそできる戦法だった。

 

「まあ、とにかく一先ずはこれで終わりましょう。もう、私も身体中が痛いし」

 

パチュリーは顔を歪ませ、腰を擦りながらそう言う。

 

「ええ、そうしましょうか。それで立香、貴方はどう? 少しは魔術を使った戦いが分かったかしら?」

 

「うん、何となくだけど」

 

「そう、まあ私のマスターなのだからそれぐらいしてもらわないと困るのだけれどね」

 

立香の返答にレミリアは納得したようで、満足を薄塗りした表情を浮かべる。

こうして立香は初めて、魔術と呼ばれるものに触れた。完全な自力で行ったわけではないが、それでも本来なら知ることすらなかったものを扱えるようになったのは事実だった。

それから、その日は解散となり。翌日、立香たちはレジスタンスの元へと向かう為の準備と休息を取ることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パチュリーからの指導を終えた立香は一人、古城の中庭へと足を運んでいた。それはここに来てからしばらく会っていなかった村の人間たちのことが気になった為であった。

相変わらず古城の中庭は雑草が散らかるように生えていたが、どうやらここに来て村人たちが僅かながら整備したようで、初めにここに来た時よりは随分と整えられてはいた。

 

「村長」

 

立香はそんな中庭に足を踏み入れてすぐ、目に入った既知の人物へと声をかけた。

 

「おお、お前さんか」

 

村長は顔を上げて、立香の方へと足を進める。どうやら彼はテントのような簡易住居を他の村人たちと共に組み立てている最中だったようだ。

立香が見る限り、その周囲にも同じような物がちらほらと建てられており、彼らは現在、その中で暮らしているようだった。

 

「どうです? 皆の様子は」

 

立香は早速、ここに来た目的となる疑問を口にした。

 

「うむ。まだ魔女たちに怯えは見せているものの、安全に生活しておる。ワシらとしては幸運だったと言えよう」

 

確かにと立香は同意を示す。このまま先へ進み続けるよりは、こうして安全地帯を確保してしばらくとどまる方が生存率は上がるはずだ。少なくともレジスタンスと言う集団を観察する時間は確保できた。これだけでも立香たちにとっては道中、パチュリーに合流できたのは幸いと言える結果だった。

 

「明日、元々向かう予定だった生き残りの集団の元へ向かう予定です。そこで話がまとまれば、またそちらに移動しましょう。今は安全だと言っても、村人たちのことを考えるといつまでもここにいるわけにはいかないでしょうから」

 

「おお、そうか。それは助かる。お主たちには感謝してもしきれないな」

 

村長はそう言い終えると、暫し考えるように口を閉じ、それから立香に向き直った。

 

「お礼と言っては何だが、こちらで食事を用意しようと思う。お主も参加してはくれないか?」

 

「えっ? でもお邪魔なんじゃ……」

 

立香は遠慮がちに言う。

 

「そんなことはない。皆ももうお主たちを怖がっているものは少ない」

 

村長の言葉に立香は驚きを露にする。自分たちが知らぬ間に村人たちにそんな変化があったとは思いもよらなかったからだ。

立香はしばし、考えるように体の動きを停止させ、それから恐る恐る口を開いた。

 

「なら、お願いします。あの……レミリアも呼んでいいですか?」

 

自分はレミリアのマスター(パートナー)だ。ならば村長の招きにレミリアが参加できるなら参加しよう。そうでなければ断ろうと考えた末に導きだ出した答えを立香は返した。

 

「おお、もちろん歓迎しよう」

 

村長は何の迷いも見せずに、「なんだ、そんなことか」

とでも言うような軽い調子で柔和に微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「立香お兄ちゃん、遊ぼうよ!」

 

「レミリアお姉ちゃん、空飛んで!」

 

それは周囲の暗い情景を無視するかのような声だった。幼さだけを全面に押し出した、可愛らしいと言う言葉が似合う声だった。幼さ故か、その声が男のものか女のものかすら判別する事は難しく、どこか統一感に満ち溢れていた。

乾きを弾けさせたような音を奏でる焚き火の前で、そんな声を一身に受けているのは、立香とレミリア。村人たちを魔の手から救った二人だった。

パチュリーから貰った白い魔術礼装(ふく)を四方八方に引っ張られ、困ったような笑みを浮かべる立香。そして珍しがった子供たちから羽を突っつかれたり、撫でられたりして、不機嫌そうに仏頂面を浮かべるレミリア。そんな奇妙な状態に置かれた二人はもう自分たちではこの状況をどうすることもできないと察したのか、子供たちの成すがままになっていた。

しかしそれを見なかねたのか、村長が子供たちに向けて一つ優しい叱咤をした。

 

「これ、お前たち。少し向こうに行っていなさい」

 

「えー」

 

子供たちから不満の声が上がる。

 

「ほら、言うことをお聞き」

 

再び村長がそう言い聞かせると、子供たちは渋々と言った様子で立香たちから離れ始める。それから「バイバイ」、「また遊んでね」等と言い残して各々、自分たちの親の元へと去っていった。

 

「すまんの」

 

村長は呟くようにそう言う。

 

「いえいえ、自分としては少し嬉しかったですし」

 

立香がそう返答すると、村長はにっこりと微笑んで焚き火にかけていた鍋の蓋を取った。中には野菜と肉を煮込んだ、スープ料理が入っていた。濁りがかった黄金の料理は、湯気を発しながら沸々と小さく煮えたぎっている。それを村長は木で作られたお玉のような器具ですくい、それを皿の中へ慎重に流し込む。それをもう一度行い、出来上がった二つの皿を立香とレミリアへ渡した。

 

「ほれ、夕食じゃ。こんなものしか用意できないが、これまでの感謝として受け取ってくれ」

 

「ありがとうございます」

 

「いただくわ」

 

皿を受け取った立香とレミリアは、スープと平行して渡されたスプーンを手に持つ。皿に溢れんばかりのスープに立香は一瞬スプーンを入れることを躊躇ったが、レミリアが隣でスープを口に運んでいるのを目にし、習うように同じことをした。

 

「それで、どうですかな? 明日は元々我らが目的地にしていた場所へ向かうと聞いておるが」

 

立香とレミリアが食事を始めてしばらく、村長はそう話を切り出した。

 

「正直、会ってみないと分からないわ。拠点を見つけたところでまともに話を聞いてくれるかすら怪しいし。立香がどう立ち回るかにかかっているわ」

 

今のところ考えうる一番の問題がこれだった。明日、レジスタンスの元へと向かうのは立香、レミリア、パチュリー。現在、人間たちはかなり緊迫した状況にあるはずだ。そんな中、魔女と吸血鬼がいきなり自分たちの拠点に現れたら当然、向こうは敵対行動をとるに決まっている。となれば、レジスタンスのメンバーと同じ人間である立香がどう彼らに話を持ちかけるかに全てがかかっていた。

 

「何人か村人を同行させた方がよろしいか?」

 

村長はレミリアの言わんとしていることを察し、そんな提案をするが、レミリアな首を振ってそれを拒否する。

 

「いえ、止めておくわ。人数が多くなれば移動速度が遅くなる可能性もあるし、それに同行させた人間を貴方たちの元に帰せる保証もない。メリットよりデメリットの方が大きいわ」

 

確かに人間を数多く連れていけばレジスタンスの信用を得る確率は上がるかもしれないが、旅をすることに慣れていないただの人間を同行させて、何が起こるか分からない道を進んで行く気にレミリアはなれなかった。

 

「なるほどの。まあ無理せず、無事に帰ってきてくだされ」

 

村長は頷く代わりに顎を軽く撫でる。それから腰に重りを付けていたかのように彼はゆっくりと立ち上がる。それに応じるように焚き火を発生させていた組み木がガラリと崩れた。

 

「量は少ないが、酒があっての。舌に合うか分からんが、どうじゃ?」

 

レミリアは村長の提案を聞いて興味深そうに目を細めた。

 

「せっかくだし貰おうかしら。立香、貴方も貰っておきなさい」

 

「えっと……。じゃあ、お願いします」

 

立香は二十歳になったばかりで、外の世界にいた時もさほどアルコール飲料を飲んだことはなかった。そんな自分が五百年前の地酒を飲むことができるのか?と一瞬疑問に思ったが、レミリアが勧めるので、立香はそれに従った。

村長は立香とレミリアの返答を聞き、ほくほくとした笑みを口の端に張り付けた。それから村人たちのテントにゆっくりと一人で向かい始めた。

 

「立香。あまり彼らに入れ込んでは駄目よ」

 

背を向けて立香から去っていく村長の後ろ姿をしばらく眺めていたレミリアだったが、唐突にそう言って口を開いた。

 

「分かってはいるでしょうけど、彼らは聖杯が造り出した思念体のようなもの。現実として本当の生命を持っているわけではないわ。だからどれが最優先のものかしっかり見極めなさい」

 

聖杯に取り込まれたのは紅魔館と、その近くにいた者たちだけ。だからレミリアの見覚えがない者たちは聖杯の記録や、聖杯を造り出した者によって作成された生命の疑似体と言うことになる。故にあの村人たちは確固たる“生命”ではない。言うなれば、ゲームのNPCのようなものだ。

 

「…………うん。大丈夫」

 

立香は哀惜(あいせき)と欲求とをまぜこぜにしたような表情で村人たちのテントへ顔を向ける。それは葛藤とも取れる表情だった。

“もしも”のことがあれば、自分はあの村人たちを見捨てなければならない。頭では分かってるが、感情がそれを阻害する。

 

深く、強い暗闇を照らす焚き火から再びガラリと音が鳴った。

 

 

 

 

 

 




『パチュリー・ノーレッジ』
《クラス》キャスター
《種族》魔女
《ステータス》
筋力 E
耐久 D
俊敏 D
魔力 A++
幸運 B
宝具 A+
《クラス別能力》
陣地作成(A)道具作成(A)病弱(B)

《スキル》
・高速詠唱(E~A)
魔術の詠唱を高速化するスキル。一人前の魔術師でも一分は必要とする大魔術の詠唱を半分の三十秒で成せる。
本来ならばパチュリーは魔女の中でもトップクラスの詠唱速度であるのだが、体が病弱で喘息持ちなので、体調によって大きく前後する。

・属性魔術(EX)
元素魔法を操る技術。西洋魔術では、世界を構成する要素は四大元素(火水風地)とされ、東洋魔術では五大元素(地水火木金)であるとされる。パチュリーはこの五大元素にプラスして日と月が操れる。


・賢者の石(A)
自ら精製した強力な魔力集積結晶、フォトニック結晶を操る技術。ランクは精製の度合いで大きく変動する。
パチュリーは主に魔術元素(月日地水火木金)を結晶化することで、それぞれの賢者の石を半自動的に敵を攻撃する装置として運用している。

《スペル》
日符・小さき太陽(ロイヤルフレア)
ランク:C
種別:対軍
レンジ:5~25
最大捕捉:1人

巨大な火の球体を打ち出す。その様は小さな太陽のようである。……終わり。



・以下小ネタ

パチュリー「ちょっと、どうしたのよ立香は。ぐでんぐてんじゃない」

レミリア「お酒を飲んだのよ。どうやらお酒は強くないらしいわね」

パチュリー「明日、出発なのにどうするのよ?」

レミリア「だから貴方の所に来たんじゃない。パチェ、治癒魔法を頼むわ」

パチュリー「……はっ倒すわよ。貴方のマスター共々」



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宵闇の人喰い妖怪

村長たちと言葉を交わした翌日。立香はレミリアとパチュリーと共に草原を歩いていた。そよ風に揺られる草花たちが、月明かりに照らされ様々な表情を見せる。その奥にはごうごうと立ち並ぶ山脈が圧倒的な存在感で頓挫していた。

もう既に見慣れてしまったこの広大な景色だか、何度見てもこれが聖杯によって作られたとは考えずらいなと立香は一人思う。それ程までにこの景色が、今まで自分の見てきた自然と何ら変わらない景色なのだ。

 

「ああそうそう。一つ言い忘れたことがあったわ」

 

そんな風景を突き進む中、ふとパチュリーがそう話題を切り出した。

 

「もしこの先、どうにもならないことがあったら私を囮に逃げなさい」

 

唐突な忠告、と言うよりは命令に立香は驚き、パチュリーへと大きく拡張された瞳を向ける。パチュリーはそれに知らぬ振りをして話を続けた。

 

「貴方はこの世界で自分が死ねばどうなるか分かる?」

 

「えっ? 普通に死ぬんじゃないの?」

 

「ええ正解よ」

 

パチュリーは質素に答えた。

 

「でもね、私は……私たちは違うの」

 

“私”、“私たち”。その区切りが何を意味しているのか立香は分からなかった。魔女という事だろうか? それとも人ではない者と言う大きな枠の話だろうか? 立香がそんな考えを頭に巡らす中、彼の求める答えはあっさりとパチュリーの口から吐き出された。

 

「知らなかったでしょうけど、聖杯に取り込まれた者と、自分から聖杯のシステムに侵入した者とでは明確な差が生まれるの。聖杯に取り込まれた者、つまり私はこの世界で死んでも実際に肉体として死を迎えることはないわ。聖杯の記憶容量、メモリとでも言いましょうか。そこで眠り続けることになるけどね。でも貴方たちは違う」

 

パチュリーは一度言葉を区切ると立ち止まって、立香とレミリアを交互に見た。

 

「今の私は聖杯と言う魔術礼装における一つのパーツとなっているよ。言うなれば聖杯の一部とでも言いましょうか。でも貴方たちは違うでしょう? 貴方たちは侵入者でこの世界において一個人として独立している。聖杯からすれば貴方たちは自分の体に入ってきた不純物なのよ」

 

立香は念頭にも過らなかった言葉を聞いて驚きを露にする。つまり聖杯の起動と共にこの世界にやって来た人物たちは聖杯から体の一部だと認識をされている。しかしそれ以外の方法でここに来た自分とレミリアは要らないものとして聖杯に認知されていると言うことだ。

人間でも自分で小指を引き抜いたり、目玉を抉る者はいないが、体の内部や外部にある要らないものは自分から分離させる。つまりはそれと似たことだ。

 

「でもパチュリー。そうなった場合、どうやってそこから目覚めるの?」

 

そう。もしパチュリーたちがこの世界で死に、聖杯の記憶領域で眠ることになった場合どうなるのか? 立香はそんな疑問をパチュリーにぶつけた。

パチュリーはそれに対して、一瞬だけ考えるよう自分の顎に手を添え、それから小さい彼女の口は儚げに開かれた。

 

「そこは私も確信があるわけではいないけれど、誰かが聖杯を回収する。つまり、この世界が消えてなくなれば、自動的に私たちも目を覚ますことができるはずよ。少なくとも聖杯の中身を空にすれば良いだけだから、何とかなるはず。だからこの世界における私の命の優先度は貴方たちより低いわ。この先に何が待ち構えているか分からない以上、そのことは念頭に置いておきなさい」

 

パチュリーはそこでこの話題を区切りとした。

立香はパチュリーの言葉に頷いたが、現実としてそんな場面に出くわせば自分がどう動くかは分からなかった。

パチュリーは仲間だ。まだ出会ってから数日しかたっていないが、それでも立香はパチュリー・ノーレッジと言う人物をそう認識していた。立香は彼女から多くのものをもらった。それは現物的なものもしでもあるし、概念的なものでもある。だから立香は少しでもパチュリーの役に立つようなことがしたかった。そんな彼女をいざ置いていかなければならないような場面に出くわした時、自分がどんな感情を持って、どのような行動をとるのか分からないのだ。

立香がそのように起こるかも分からない未来に頭を悩ませているその傍らで、いつの間にかパチュリーとレミリアは別の話題を話し始めていた。

 

「それにしてもパチェ、よくそんなことを知ってたわね。検証のしようもないのに」

 

「一応は魔女の端くれだもの。魔術礼装がどのような作用で働いているのか、その程度は分かるわ」

 

歩きながらなおも話し続ける彼女たちだったが、そこでピタリと二人同時に足が止まる。しかし立香は考え事をしていたせいか、それに気がつかないで一人先を行こうとする。

 

「ぐぇっ!」

 

レミリアはそれを彼の襟首をつかむことで停止させた。まるで蛙を潰したような音が草原に吹く風に流れ、草花を撫でる。

 

「ど、どうしたの?」

 

自身の喉を労るように擦りながら、立香は後ろの二人へとそう問いかけた。

 

「貴方がディナーのメインディッシュになりそうだったから、代わりにキャンセルしてあげたの」

 

「メインディッシュ?」

 

立香が疑問符を浮かべた瞬間だった。立香たちの周囲を囲うように地面の一部が幾つも盛り上がり、そこから人間の腕が生え出てきた。そしてそれを機転にどんどんと人の形をした何かが地面から姿を表す。しかしその姿は肉がただれて、その血色も彼らが這い出てきた土のような黄土色だった。立香はこの生物を一度、見たことがあった。

 

「ゾンビか……」

 

立香は小さくそう呟く。パチュリーに出会う前に村人たちと戦った怪異の名前を。

ワイバーンやスケルトンよりは弱いと言う印象があるが、一度命を奪われかけた相手なだけあって、立香はどうにもこのゾンビと言う怪異に苦手意識を持っていた。

 

「ええ、この程度の相手なら敵ではないわ。何も考えずに体を動かしていれば全滅させられるような相手。ならば少し試してみましょうか」

 

そんな立香の事情を知らないパチュリーはそう言い彼にゆっくりと近づく。それから彼の右手を拾い上げ、小さな呪文を呟き、自分の手の甲で立香の令呪に軽く触た。その瞬間、金属同士を打ち合わせたような甲高い音が鳴り響き、立香の手の甲に刻まれた令呪が赤く光り出す。

 

「な、何を?」

 

唐突なパチュリーの行動に困惑の色を示す立香だったが、そこでハッと何かに気がついたようで、パチュリーをジッと凝視する。

パチュリーはその視線を振り切って立香の前へと進み出て口を開いた。

 

「一時的だけれど、私も貴方のサーヴァントになったの。この戦闘で、私とレミィを使いこなしてみなさい。私たちは貴方の指示にのみ従う。自分で判断はしないから、全てが貴方にかかってるわ。それでいいわね、レミィ」

 

「パチェの悪い癖が始まったわね。マスター、そう言うことだから頑張りなさい」

 

二人のやり取りを聞いて立香は理解した。この場においてもパチュリーは自分を試そうと、あるいは鍛えようとしているのだと。もしかすると連携を取り易くするための練習の一貫なのかもしれないが、どちらにしても立香がやることは変わらない。

立香は頭を切り替え周囲を見渡した。地面から完全に抜け出たゾンビたちが緩やかに、しかし確実に四方八方からこちらへと迫っている。

 

「……パチュリー、レミリア。ゾンビたちに囲まれてるから一旦この囲いから出よう。俺の走る方向の進路を確保してほしい」

 

「了解したわ」

 

「仕方ないわね」

 

サーヴァント二人の返事を聞いた立香は一番ゾンビたちの数が少ない場所を見つけ出し、その方向へと一直線に走り出した。レミリアとパチュリーは立香の盾になるよう彼の前を陣取って、迫り来るゾンビたちを切り裂き、燃やし尽くし、あるいははね除けていった。

そうしているうちに彼らはゾンビを包囲網を抜ける。そのタイミングで立香は立ち止まると同時に振り返り、次の指示を飛ばす。

 

「レミリアはそのまま白兵戦でできるだけゾンビを自分の周りに集めてくれ。パチュリーは遠距離からレミリアの援護を。レミリア、もし危なくなったら一旦こちらに引いて欲しい」

 

「あら、それは私への挑発と受け取ってもいいのかしら?」

 

ニヒルな笑みを浮かべたレミリアに立香は同じような笑みで返す。レミリアはそれを見て、「生意気ね」と嬉しそうに呟き、立香に指示された通りゾンビたちの群れへと突っ込んでいった。

ゾンビたちは立香とパチュリーには目もくれず、ただ自分の一番近くにいる敵──つまりレミリアにのみ近づき、攻撃を仕掛けようとする。パチュリーの遠距離から放たれる魔法によって、同胞が次々と倒されていると言うのに、彼らはまるでレミリアしか見えていないかのように彼女の元だけに殺到する。それはゾンビたちの知能指数が限りなく低いことを表していた。

 

「パチュリー、何か広範囲を攻撃できるスペルはある?」

 

レミリアの元にほとんどのゾンビが集まったところで立香はパチュリーへとそう問いかける。

 

「ええ、あるわよ」

 

「ならいつでも打てるよう準備をしていて欲しい」

 

パチュリーへとそう告げた立香は、目の前でゾンビたちを容赦なく肉片へと変異させているレミリアへと声を張り上げた。

 

「レミリア、俺の側に!」

 

立香の声を耳に受けたレミリアは、地面を蹴ることで空中へと舞い上がり、それから滑空により一瞬にして立香の隣へと降り立った。

 

「パチュリー、スペルを!」

 

そのタイミングで立香からの指示がパチュリーへと飛ぶ。パチュリーは手に持っていた本を開ける。すると本を開けたページから燃え盛る一つの玉が浮かび上がった。多大な熱量と光を発するその玉が、パチュリーの頭上に達すると、それは一気に膨れ上がり、その体積を何十倍も増幅させた。

 

「灰となりなさい。『日符・小さき太陽(ロイヤルフレア)』」

 

パチュリーがそう言い放つと同時にパチュリーの頭上にあった炎の玉が、ゾンビたちの塊へと真っ直ぐに向かっていく。レミリアによって集められていたゾンビの集団にそれは到達し、爆炎が舞い上がった。

 

「熱っ!」

 

距離を離していると言うのに、熱風と爆風により立香は自分の皮膚が焼かれるような錯覚を覚えた。目をつむり、腕を盾に顔を守る。轟音が鳴り響き、その余韻が耳に留まり続ける。

砂や小石が立香の全身に叩きつけられ、それが収まったタイミングで立香は目を開けた。

まず目に入ったのは草原に酷い傷痕を残した証である爆心地だった。緑の草花があったはずの地面は深くえぐられ、土が見えていた。そしてそこを中心にゾンビたち部位が辺りに転がっている。どうやら動けるゾンビは一匹足りとも残っていないようだった。

 

「まあ、及第点ね」

 

戦闘が終わったと判断したパチュリーは立香の評価をその一言で表した。

 

「て、手厳しいね」

 

パチュリーによって下された評価に立香は思わず苦笑いを浮かべる。

 

「パチュリーは照れ屋だもの」

 

「……レミィ」

 

横槍を入れたレミリアにパチュリーは鋭い視線を送った。昔からの友人と言うだけあってレミリアはパチュリーがどう言う人物なのか良く理解しているようだった。立香はまだ二人と出会ってから長い時間を共に過ごしたわけではない。二人の知らない部分が多くあることも立香は理解していた。しかしそれでも、これから先の道はこの現状を打ち消す程、愉快なものになるのではないか。そんな予感が、ふと立香の盾に頭に入り込み、絡まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この世界に朝はない。どれだけ空を仰いでも、首がへし折れてしまうほど上を眺めたとしても、太陽と言う地球から見れる一番巨大なランプは姿を現すことはない。

しかしそれでも、幸いと言うべきか、この世界の月は明るかった。障害物や影が無い場所であれば、普通に生活ができる程には光で大きく苦労することはない。

だがやはり例外と言うものもある。そしてその例外に分類される場所に立香たちはいた。

 

「グペッ!」

 

風が木葉を揺らす音に紛れて、そんな情けない音がこだまする。立香とレミリアとパチュリー。三人を囲む木々が彼らを見下すように笑っていた。

いや、正確には木の根に足を引っ掛け、前屈みに転けてしまった立香をと言った方がいいかもしれない。

 

「ちょっと、何やってるのよ」

 

レミリアが呆れたようにそう言い、立香へと手を差し出す。

 

「ごめん、レミリア。でもこの森、暗くて足場も不安定だから結構危ないんだよ」

 

立香はレミリアの手をつかんでゆっくりと立ち上がる。それから再び歩き出すが、またもや足に何かを引っ掛けバランスを崩す。

一見、彼がどんくさいように見えるが、これは仕方のないことだった。この森は村人たちの住んでいた森よりも木々の数も、葉の密度も段違いに多い。それ故に空から降り注ぐ月の光はほとんど入らない。

パチュリーやレミリアと違い、浮けるわけでも夜目が効くわけでもない立香には危険すぎる場所だった。

 

「今日はここで夜営しましょう。急いでも仕方がないもの」

 

立香の様子から彼に旅の疲れが出始めたと判断したパチュリーは立ち止まってそう言い放つ。

それから彼女は周囲を見渡し、手頃なスペースのある場所へと手をかざし、何か呪文のような言葉を呟き始める。すると地面が盛り上がり、次第に形を変えていく。地面に意思があるように、その土壌は別のものへと変化していく。それはまるで巨大な粘土遊びをしているようだった。立香が唖然としている中でもそれは変化し続け、やがてそれは四角い土の箱になったところで落ち着いた。

四角の一面には人が一人通れる大きさの長方形にくり貫かれた穴があった。そのことから立香はパチュリーが簡易な家を造ったのだと察した。

 

「何も無いよりはマシでしょう?」

 

確かにそれは最もな言葉だった。しかしそれを実現させてしまうパチュリーに、立香は最近、彼女に対して思い始めた印象が更に強まった。

 

「なんと言うか、凄い便利屋だよね。パチュリーって」

 

「……それはどう言う意味かしら?」

 

パチュリーは立香をジト目で見る。それに立香はごまかすよう無理矢理に笑う。パチュリーから発せられる露時期のような重い威圧感が立香にのし掛かる。

そんな時だった。

 

「うがぁぁぁああぁぁぁぁあぁ!」

 

ふと唐突に荒々しい蛮声が三人の耳に届いた。何事かと立香は叫び声のする方へ顔を向ける。そこで目にしたのは障害物となる木々が見えているのか怪しい程、愚直に突っ込んでくる謎の少女だった。全体的に黒いワンピースのような服を来ており、髪は金髪のショート。そしてその金髪を赤い纏め上げていたのは赤いリボンだった。

謎の少女は血走った目で立香を凝視しており、そこから垣間見える切羽詰まった余裕のない表情は狂気的にすら思えた。

 

「……宵闇(よいやみ)の妖怪。どうやら巻き込まれて、たまたまここに来たようね」

 

ふと呟かれたレミリアの言葉に立香は眉毛を僅かに引き上げる。

 

「知ってるの?」

 

「ええ、幻想郷にいる人喰い妖怪よ」

 

「ひ、人喰い!?」

 

思いもしていなかった回答に立香は驚きで肩を跳ね上げさせる。そして同時に察した。

もしかすると、この少女が必死になってまでターゲットにしているのは──

 

「タベラレルニンゲン!」

 

自分なのではないか? と言うことを。

 

「うがぁぁぁああぁあ!」

 

喉を裂いたような咆哮が周囲へ広がる中、立香は自分の嫌な予想が当たってしまったことに、右の口端を引っ張り上げた。

間違いない! この少女は完全に自分のことを食料としか見ていない! と、一瞬にして食物連鎖の王座から陥落させられた立香は、考える力を完全に奪われてしまった。

 

「なるほど。空腹で理性を失ってるのね。この世界には人間がいないからこうなったと見るべきかしら?」

 

人間がいない。いや、正確には“聖杯から生まれていない人間(本当の人間)”がいないと言った方がいいだろう。

と言うのも、恐らくこの少女も聖杯の始動に巻き込まれここにいる。とすればパチュリーと同じく、少女は聖杯の一欠片としてその世界に現存していることとなる。しかしそれでも、根本的に彼女は聖杯外の人間なのだ。人食い妖怪は人間を口にして、飢えを解消させる。しかし口にしたそれが聖杯の作り出した人間(にせもの)だったとするならば、この人食い少女の飢えの解消は殆ど意味がなく、満足にいくものとは言えなくなる。だから少女にとって、“聖杯から生まれていない人間(本当の人間)”である立香は何よりも得難いご馳走であった。

 

「ど、どうするの?」

 

そんなことなど露知らない立香は、しかし本能と直感で自分の置かれている立場を何となく察する。ただこの場をどうにかしなければならないとすがるようにパチュリーへと助言を求めた。しかし彼女から返ってきたのは思いもしない答えだった。

 

「殺すわ」

 

ただ一言。たった一言の意思。しかしその中には何事にも勝る理不尽さと冷酷さが内包されていた。

 

「……殺すの?」

 

「ええ。少し前に言ったでしょ。ここで死んでも現実として実際に死ぬわけではない。聖杯を回収したら元に戻れるのだから、それまで眠ってもらいましょう」

 

パチュリーらしい、合理的で一方的な判断だった。

 

「人喰い妖怪と言っても力のある妖怪ではないわ。レミィは立香を守って頂戴。私一人で十分だわ。立香、戦闘の指示を。練習の続きよ」

 

目の前の少女を殺す。いや、実際に殺すわけでなないが、それでも今まで戦ってきた魔族を相手に戦闘するのとは訳が違う。種族が人喰い妖怪だとしても見た目はまんま、小学生くらいの女の子なのだ。その娘を今から殺す。自分たちが、自分の命令が、彼女を殺すのだ。

 

「うがぁぁあぁあ!」

 

まだ決心がついていない立香だったが、しかし迷っていては殺される。

そう、自分とレミリアだけはこの世界で死んではいけないのだ。心臓で血液を身体中に循環させるよう、その言葉を何度も何度も自分の胸の内で反復させた。

そして目を一度閉じ、開く。瞼を開けた奥にあったのは、迷いを完全に捨てた力強い意思だった。パチュリーはそれを見て安堵するように微笑み、立香の前へと進み出る。

依然としてこちらに突っ込んで来ている人喰い妖怪の少女に、立香はさてどう対処しようかと考えを纏め始める。その最中、ふと彼の隣にいるレミリアが口を開いた。

 

「宵闇の妖怪、名前はルーミア。自分の周囲を闇で覆う能力を持ってるわ。でもその闇は相手だけでなく自分の視界も閉ざしてしまう。何ともお間抜けな妖怪よ」

 

それは情報だった。今から自分が戦う相手の名前、特徴。今、一番必要なものをレミリアはそっと差し出すように立香へと提示した。恐らくこれはレミリアなりの気遣いなのだろう。そう判断した立香は「ありがとう」とレミリアへはにかんだ後、表情を引き締めて前を見据えた。

 

「パチュリー、引いて弾幕を張ろう。あの状態ならあまり相手は避けられないと思う」

 

パチュリーへ向けた始めの指示。それを彼女は忠実に実行へと移した。彼女の手の平から色とりどりの光弾が発射される。

 

「うぎっ!」

 

理性を失い、尚且つ勢いに乗って進んでいたせいだろう。宵闇の妖怪──ルーミアはパチュリーの弾幕を避けられずに直撃する。小さな連続した爆発が巻き起こるが、ルーミアはそのまま顔を歪めながらも強引に前へ進み続ける。

 

「無理矢理にでも突っ込むつもりね。マスター、私が避けてしまえばそのまま貴方の所に来そうだけれど、どうする?」

 

受け止めるのか、それとも避けていいのか。パチュリーは弾幕を張りながら立香の指示を待った。

 

「……大丈夫、そのまま回避してスペルの用意を。あとレミリアは手を出さないで欲しい」

 

まさかの指示に驚いたのはパチュリーではなくレミリアだった。なぜなら立香が言っていることはルーミアと自分で一騎討ちしたいと言っているようなものなのだ。一瞬とはいえ、敵であるルーミアと自分のマスターを対面させる。それはレミリアにとってあまり良い選択肢とは言えなかった。しかしそれでもマスターが言っているのならば、従うのがサーヴァントの在り方。そう思っているが故にレミリアは妥協を口にすることを決めた。

 

「……分かったわ。でも本当に危なくなったら、その限りではない。覚えておいて頂戴」

 

「うん、ありがとう」

 

立香の返事を聞いたレミリアは、僅かに横へと移動し、彼から離れる。完全とは言わないまでも、戦闘から孤立した立香。そこに一直線へとルーミアが突っ込んだ。

 

「ごぁぁあ!ニンゲン!」

 

ただ真っ直ぐに食欲と言う名の導きに従い、ルーミアは盲目的に立香の元へ進む。そしてルーミアが立香に跳びかからんとした時、彼は地面を蹴り、真横へ体をずらした。

 

「うぐっ!」

 

立香が身体をずらしたことにより、ルーミアは地面と正面衝突した。相手が理性を失っていることから、直線的な突進程度なら避けられると判断した故の行動だった。

こうして自分を囮にしたことでルーミアに大きな隙が出来た。ならば、次に彼がすることは決まっていた。

 

「パチュリー!」

 

立香は大声でパチュリーの名を呼ぶ。これの意味することはすなわち一つだ。

 

「天高く舞い上がりなさい。『土金符・翠の大都市(エメラルドメガロポリス)』」

 

パチュリーの声に呼応するよう、地面から翡翠色の長方形が勢い良く飛び出した。数にして八本。材質は恐らく石だと思われるが、その詳細は見ただけでは判断がつかなかった。

 

「うがぁぁぁあああぁぁ!」

 

絶叫が空中に投げられる。振動が枝木を震わせた。

端から見れば、いきなり生えてきた翡翠色のビルにルーミアが下から突かれたような光景だった。

 

「追撃するわ、いいわね?」

 

パチュリーの確認にレミリアは頷く。

了解を得られたパチュリーは空中へとうち上がったルーミアに近付いて手の平を添えた。するとパチュリーの手の平から水色の魔方陣のような紋様が浮かび上がった。

 

「潰れなさい」

 

魔方陣がより一層、輝きを増し、幅広く膨張する。そしてそれが限界に達すると、そこから勢い良く大量の水が噴射された。

ルーミアは悲鳴を上げる暇もなく、水の噴射により地面に突き刺さる。水流の勢いで、地面はえぐれ、幾つかの樹木に深い傷が刻まれる。

 

「ううっ……」

 

水飛沫が上がり、視界が悪くなる中、ルーミアの呻き声が微かに聞こえた。まだ戦闘は終わっていない。そう判断した立香は、ルーミアのいるであろう方向を隙無く見やる。

 

「『宵闇に差す光(ムーンライトレイ)』!」

 

予想は当たった。まるで不意を突くかのように発動されたスペル。それはルーミアの『闇を操る程度の能力』によって産み出された暗闇から始まった。

 

「これは!」

 

立香は驚きの声を上げる。それもそうだろう。唐突に自分の視界が黒に──いや、闇に犯されたのだから。

何が起こったのか判断がつかなくなり、一瞬にして思考が停止する。自分が何をすればいいのか? 何ができるのか? その選択が根底から崩れ去った立香は、言葉を詰まらせ、無意識に呼吸を浅くしていた。

 

「落ち着きなさいマスター。これがルーミアの力よ」

 

いきなり自分に降りかかる現象に戸惑っていた立香だったが、レミリアの声により我に返る。視界が遮られているのに──いや、視界が遮られているからこそ、その声は立香の脳に程よく入り込んだ。

 

「ありがとう、レミリア。もう大丈夫」

 

「そう、良かったわ」

 

レミリアとのやり取りで調子を取り戻した立香は今度こそ自分がするべきことを考える。視界の遮られた中で何ができるのか、何が正解なのか。そこで一つ、ルーミアと戦う前にレミリア言っていたことを思い出す。

 

 

“宵闇の妖怪、名前はルーミア。自分の周囲を闇で覆う能力を持ってるわ。でもその闇は相手だけでなく自分の視界も閉ざしてしまう。何ともお間抜けな妖怪よ”

 

 

つまりルーミアは自分がどこにいるのか、相手がどこにいるのか分かっていないのだ。ならばまず前提条件として自分が声を出すわけにはいかない。

そうすれば必ずその方向に攻撃が飛んでくることになるからだ。

しかしそう思っていた矢先に、立香の右隣で爆音が鳴り響いた。

 

「…………えっ?」

 

まさかまさかの攻撃に立香は間抜けな呟きを漏らす。なぜ自分に攻撃が飛んでくるのか? ルーミアは自分も視界が閉ざされるのではなかったのか? それとも無意識に音を立ててしまったのか? そんな疑問が立香に沸き上がるが、それは彼から離れた場所で再び爆音が鳴ったことで全て解消された。

 

そう、これは見えているんじゃない。無差別で適当に攻撃しているのだと。

一見、馬鹿らしい攻撃に見えるが、実際に相手をしていると何とも厄介な攻撃だった。ルーミアがどこから攻撃しているのか分からず、視界が効かないので対処することも難しい。

さて、これはどうすればいいのだろうか? と立香が頭を捻っている時にその声は聞こえた。

 

「マスター、終わらせましょう」

 

パチュリーのそんな宣言。それは間違いなく戦闘を終わらせようとする意志が感じられた。どう言った方法かは分からないが、どうやらパチュリーはこの状況を打破できるらしい。

ならば立香のできることは一つだった。

 

──瞬間強化。

 

視界が遮られた中で自分ができる唯一の支援。概念礼装から放たれたスキルは、パチュリーの魔力を一時的に向上させる。

視界が効かず、何も見えないが、肌に伝わる空気からパチュリーが膨大な魔力を練っているのが伝わる。魔術について素人の立香でもそう感じるのだ。そこからもパチュリーの本気度が伺える。

 

「終わりね、『日月符・光輝の輪(ロイヤルダイアモンドリング)』」

 

パチュリーの言葉と共にバチリと電撃が走ったような音が鳴る。ルーミアの闇は光に類するもの全てを呑み込むと言うのに、立香は目の前で電撃が走ったような錯覚を覚えた。

 

「うがぁぁああぁぁ!」

 

そして次の瞬間、ルーミアの絶叫と共に、雲が爆風で消し飛ぶかのように暗闇が消え去った。

そして視界が晴れた先で立香が見たのは光輝く美しい輪っかだった。その輪っかがぐるぐると回り、そこから分離するように、雷の弾幕がルーミアへと殺到していた。

まるで雷の段幕が一つ一つ意思を持っているかのように、ルーミアを目指して飛んでいく。

そして最後の一つがルーミアに届くと同時に、彼女は力を失ったように地面へと倒れ付した。

 

「目標にした生体反応を検知して、そこへ攻撃を自動追尾させるスペルよ。視界があろうがなかろうが関係ないわ」

 

スペルの発動が終わり、パチュリーは立香の元へと歩き近づく。魔族たちより激しい戦闘を行ったせいか、彼女の全身から気だるげな雰囲気が漂っていた。

 

「ううっ……」

 

そんな中、ふとか細い(うめ)き声が聞こえてきた。立香の隣にいたレミリアの両耳がピクリと跳ねる。その声に三人共に心当たりがあった。声色は違うが、しかしこの状況で(うめ)き声を上げる人物など、ここでは一人しかいない。

 

「生きてるのね。結構本気の威力だったはずなんだけど」

 

パチュリーは無感情にそう言い放ち、手の平をそっと倒れ伏すルーミアへと向けた。どうやら止めをさすようだった。

 

「…………おなか……へったよぅ」

 

そんな時、ルーミアからそんな言葉がこぼれ落ちる。今まさに、自分の命が(つい)えようとしているのに、彼女が口にしたのは命乞いでも、恨み言でもなかった。ただ単純な空腹の訴え。飢えの吐露。その一転だけだった。

何故だろうか、それを聞いて立香の足は勝手に動いていた。

魔法を発動させようとしていたパチュリーの横を過ぎ去り、立香はルーミアの元へと一歩一歩近づいた。

 

「立香?」

 

後頭部に投げ掛けられる疑念の声を置き去りにし、彼はルーミアの側でしゃがみ、多様性があるからと古城から拝借したナイフで自分の腕を十センチ程切り裂いた。

 

「痛っ!」

 

「ちょっと、立香!」

立香の唐突な行動に、パチュリーもレミリアも目を大きく見開く。そして慌てた様子で彼の元へと寄って近づいた。立香はそれを尻目に、ナイフで切り裂いた傷口をルーミアの口元へと持っていった。

 

「ごめん、でもやっぱり殺すのは可愛そうだよ。それが例え、一時的なものだとしても」

 

立香の言葉を聞いたパチュリーはまるで眼球の質量が増したような目で立香を見据える。レミリアも鋭い眼光を携え、目を細めた。

 

「……立香、甘いことを言ってる自覚はあるかしら?」

 

「うん、分かってる。ごめん」

 

パチュリーの言葉に立香は同じ言葉をもって謝りはしたが、彼の瞳は一寸の揺らぎも存在していなかった。

そんな立香の様子にレミリアは呆れたように顔の力を緩める。

 

「まあ貴方らしいわね。パチェ、一時的とは言え立香は貴方のマスター。ならば彼の意向にはなるべく従うのが筋と言うものではないかしら?」

 

レミリアは未だ、立香に否定的な態度を見せているパチュリーへと意味あり気な視線を送る。

しばらく不格好なにらめっこが行われていたが、パチュリーは諦めたように小さく息を吐く。

 

「……はぁ、仕方ないわね。ホント、治療をする私の身にもなって欲しいわ」

 

パチュリーの言葉に、立香は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

「ありがとう、パチュリー」

 

パチュリーへと感謝の言葉を述べた立香は、自分の腕に走る切り傷をぐっとルーミアの口元へと寄せる。

 

「ほら、肉は食べさせて上げられないけど、血なら大丈夫だから」

 

ルーミアは意識朦朧(いしきもうろう)とする中でも、人間の血を口にできることが分かっているのか、ゆっくりと、しかし確実に自分の口を立香の傷口へと重ね合わせた。

 

「うぐっ!」

 

傷口を刺激された激痛に、立香はぐもった声を発する。血液が腕から吸い出されることにより、その部分から温度が急激に抜け落ちていくのを自覚する。

ピリピリと腕が痺れをきたし、感覚が抜け落ちる。この腕がもう自分のものではないのでは、と疑ってしまう程にそれは加速し続けた。

 

「おいしいよぅ」

 

立香の腕にしゃぶり付きながら涙ながらに言葉を漏らすルーミア。立香はそんな彼女を見て微笑む。

 

──殺さなくて良かった。

 

立香は自分の選択が間違いではなかったことを、この瞬間確信した。

しかしそこでぐらりと体の芯が崩れた。かすれた視界と共に、世界が横へと傾く。何が起こったのか? なぜこうなったのか? その先を考える思考能力すら、自分から欠損していることに立香は気づくことすらできなかった。まるで自分を支えにしていた背骨がまるまる引き抜かれたように立香は地面へと倒れる。

 

「ちょっと、立香!?」

 

視界がかすれ、聴覚が擦りきれる。最早この声が誰の声かすら判断ができなくなっていた。

段々と意識が闇へと沈む中、立香が感じることができたのは、鉛を纏ったような気だるさと、誰かが身体を揺する僅かな感覚だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

始めは痛みだった。体の脳天から爪先までを繋ぐ一本の線に電流が走ったような痛み。それが目覚めのトリガーだった。

 

「ッ!」

 

ぐもった声と共にパチリと瞼を開ける。瞳から視神経を伝う情報量が、脳の隙間を埋めた。

どうやらそこは屋内のようだった。決して高くはない茶色の天井が、どこからか灯る淡い光に照らされていた。

 

「起きた!」

 

立香が状況を把握する為に上半身を起こすと、突然幼い声と共に腹部へ謎の物体が飛来してきた。

一瞬、息が詰まるが、立香はそれを難なく受け止める。何が飛んできたのか疑問に思い、彼が視線を下へと向けると、そこには金髪の少女が自分へ抱きついている様子があった。

そこで思い出す。自分が倒れたこと。そして倒れる直前の出来事を。そして無意識に浮かんできた名前を口にする。

 

「……ルーミア?」

 

そう、“ルーミア”。自分が倒れる前に戦闘を行った人喰い妖怪。この少女の名前を立香は思い出したのだ。

 

「ん、どうしたの?」

 

ルーミアは立香の腹部に埋めていた顔を上げ、そう言う。

 

「え、えっと……」

 

未だに正確な状況が把握できていないのか、立香は次の言葉が出てこない。(から)まり始めた思考回路をほどこうと、懸命に頭を回すが、全身の倦怠感(けんたいかん)がそれを阻害する。

しかしその問題は一気に解決する。とある人物の口添えによって。

 

「貴方、気絶してたのよ。血を吸われたのもあるでしょうけど、それ以上にこれまでの疲れと、激しい痛みによって身体が防衛反応を起こしたんでしょう」

 

立香はハッとして声のする方へと顔を回した。そこには薄暗い中で土製の椅子に座り、本を読むパチュリーの姿があった。

そしてそのタイミングで立香は自分が周囲をよく見ていなかったことに気がつく。なぜならそれは自分が今、どのような場所にいるのか、そこで初めて知ったからだ。

どうやらここは家の中のようだった。いや、家と言うよりは、土を固めて造った小屋と言った方がいいだろう。窓もなく、密閉に近い状態にあるその小屋。その小屋の中を照らしているのは石だった。オレンジ色に光る幅三十センチ程の石。それが優しく、儚げな光を灯し続け、小屋の内部を照らしていた。恐らくパチュリーの魔道具か何かだろう。地下工房で似たようなものを立香は目にしていた。

そんな時ふと、この小屋に心当たりがあることに気がつく。それはルーミアと戦う前、ここで一旦休息を取ろうとパチュリーが提案した時に彼女が作成した土の小屋。それがこの部屋なのではないかと立香は思い至った。

 

「それで体調はどう? 少しはマシになったかしら?」

 

立香が思考の渦にはまっているところで、そんな声に引っ張り出される。

その声の主はレミリアだった。彼女は部屋の際で土製の椅子に座っていたが、立香が起きたことで彼の側へと歩いて近づく。それから立香の顔色を伺うように、鼻先を彼の顔に寄せていった。

 

「うん、良くなったよ。ごめん、レミリア」

 

立香が素直に謝ったからか、それとも立香の顔色が良かったからなのか、レミリアは顔を引いて、それから少し不機嫌そうに口を歪める。

 

「……いいわよ、別に」

 

確かに立香は自分勝手な判断をしたかもしれないが、それを補助したのはレミリアだ。倒れるまで血を提供することに思うところはあるものの、そのせいであまり強くは言えなかった。

 

「ねぇねぇ」

 

立香とレミリアの会話が一段落したタイミングで、未だに立香へとへばりついていたルーミアが口を開いた。

少し前まで狂気をはらんでいたように見えた瞳には、好意的な光がきらめいており、少なくとも、もう襲われることはなさそうだった。

 

「どうしたの?」

 

立香はルーミアへと微笑み、そう言葉を返す。するとルーミアも笑顔を浮かべ、立香の瞳を真っ直ぐに見返した。

 

「助けてくれてありがとう。とてもお腹が減ってたから凄く嬉しかった。私に自分からご飯をくれる人間は貴方が初めてなの」

 

立香は「どういたしまして」と言いながら、ルーミアの頭へ手を持っていき、優しく撫でる。ルーミアは気持ちよさ気に目を細め、成すがままになっていた。

そんな微笑ましい光景が続くと思われていたが、それはパチュリーのたった一言によって打ち切られる。

 

「さて、立香。貴方がこの娘を助けたのだから、それ相応の責任と言うのを取らなくてはいけないわ。ルーミアは人喰い妖怪。だからこれからも人間を食べないと飢えはしのげない。その事を忘れたわけではないわよね?」

 

立香はルーミアを撫でていた手を止める。決して目を反らしていたわけではない。自分がルーミアを助けると決断した時点で、その問題は必ず付いて回と理解していた。

しかし、いざ現実的な問題として目の前に突き付けられると、自分の発言がいかにノープランだったのかを立香は嫌でも分からせられる。

 

「人間が食べる食べ物じゃ駄目なの?」

 

立香の問いに、ルーミアは首を横へと振る。

 

「普通のご飯を食べたいと思う餓えと、人間を食べたいと思う飢えは別物なの。だから駄目。この感覚は妖怪にしかないかも」

 

ルーミアの言う妖怪特有の“飢え”が理解できない立香は言葉を詰まらせる。

足りない知識、知恵を懸命に絞り出そうと、立香は唸り声を上げるが、出てくるのは自分の情けなさを助長する感情だけ。それでもこの問題を作り出したのは自分だと言う考えから、立香は思考を止めるわけにはいかなかった。

 

「……一つだけ解決する方法があるわ」

 

そんな立香の様子を見かねたのか、パチュリーが明天とも言える言葉を投げ掛けた。立香は思わず目を見開いてパチュリーへと視線を向ける。

 

「ルーミアと令呪でパスを繋ぐこと。それが解決法の一つよ。人間である貴方の魔力をルーミアに流すことで、多少なりとも妖怪としての飢えはしのげるはず」

 

令呪のシステムをよく知らない立香だが、その解決法は妙に納得してしまうものだった。パチュリーが言うのだから、と言う部分もあったかもしれないが、令呪による生命力の供給ならば、確かにルーミアの飢えをどうにかできそうではあった。

しかしその提案に賛同しない声が一つ上がる。

 

「ちょっとパチェ、私は反対よ!」

 

そんな耳を貫くような甲高い音を発したのはレミリアだった。

 

「もう既に立香は私とパスを繋いでいる。これ以上、パスを増やしたら立香の負担は大きくなるわ!」

 

レミリアは珍しく声を大にしてパチュリーの案を否定する。どんな時でも揺るがなかった彼女の表情はどこか焦っているようにすら見えた。

しかし、そんなレミリアの言っていることは事実正しかった。立香は魔術の才能がない。保有している魔力量も、魔力を扱う技術も知識も、サーヴァントを扱うには能力が足りていない。そんな状況なのにも関わらず、これ以上、令呪による契約を増やすのは完全に容量オーバーだ。パチュリーのような仮契約ならまだしも、ずっとパスを繋いでいるとなると話は別だった。

しかしパチュリーはレミリアがそう言うことを予測していたのか、間髪入れずに口を開いた。

 

「レミィ、そこは貴方が立香から摂取する魔力を抑えれば解決することよ。力もかなり戻ってきた頃でしょう?それに……」

 

パチュリーは一旦、台詞を切り、未だに立香へと抱きついているルーミアへと視線を移す。

 

「独占欲は見ていて美しいものじゃないわよ」

 

パチュリーの言葉にレミリアは大きく目を見開き、それから不機嫌そうに顔を歪め、閉口した。

どうやらパチュリーとレミリアによる意見のぶつかり合いは前者に軍配が上がったようだった。

もうレミリアがこれ以上、反論をしないと判断したパチュリーはルーミアへと顔を向ける。

 

「ルーミア、立香から離れて彼の手に触れなさい」

 

パチュリーにそう言われたルーミアは素直に頷き、彼女の言われた通りにする。ルーミアの幼い手が立香の令呪へと優しく触れた。

そしてそれを覆うように、パチュリーはルーミアの手を自分の手に重ねる。

 

「おおっ!」

 

その瞬間、金属を打ち鳴らしたかのような鋭い音が部屋の中にこだまする。部屋の端々にぶつかった高音は、やがて暗闇に溶けるよう、己の姿を静めた。

 

「これで貴方は立香のサーヴァント。餓えももうあまり感じることはなはずよ」

 

パチュリーはそっと手を退いて、平坦な瞳を立香の令呪へと添えた。

 

「サーヴァント?」

 

ルーミアは聞き慣れない言葉を口にし、疑問符を付属させる。

 

「使い魔みたいなものよ」

 

「そーなのかー」

 

本当に分かったのか怪しい返事をしたルーミアは、身体を回転させ、立香へと向き直る。

 

「ねぇ、何て呼べばいい?」

 

突然、ルーミアにそう言われ、立香は今の今まで自分の名前を彼女に教えていなかったことに気がついた。

自己紹介をする暇がなかったとはいえ、それが完全に頭から抜け落ちていたことを立香は反省する。

 

「俺の名前は藤丸立香。呼び方は何でもいいよ」

 

遅まきの自己紹介に対して、ルーミアは腕を組んで唸り始める。恐らく彼女の頭は、立香をどう呼べばいいか頭を捻らせているのだろう。他者からすれば、それは枝葉末節(しようまっせつ)──ほんの些細なことなのだろうが、どうやらルーミアからすれば、それは大事なことのようだった。

幼い唸り声が木の葉の揺らめく乾いた音と同調する。風が止むことの無いように、ルーミアのそんな声もずっと終わりが来ないかのように思えた。しかし、それは意外な結末で呆気なく終焉を迎えた。

 

「……サーヴァントなのだから無難にマスターでいいんじゃない?」

 

それは何気ない言葉だったのかもしれない。もしかすると私欲に溢れた意図的な言葉だったのかもしれない。

とにかく、この場で彼女が──レミリアがポツリと置き捨てるように呟いたその言葉は、今の状況を変えるだけの力が備わっていた。

 

「おーよく分からないけどそれにする」

 

あれだけ悩んでいたと言うのに、ルーミアはレミリアの提案を驚く程あっさりと、素直に聞き入れた。

何の抵抗もなく、するりと樹になっていたリンゴが地面へと落下するように、ルーミアはそうした。

 

「よろしく、マスター!」

 

ニヒッと子供特有の笑みを顔にぶら下げ、ルーミアは出会いの二歩目を踏み出した。

 

「うん。よろしく、ルーミア」

 

立香もそれに合わせて一歩、前へと進み出る。

 

深緑溢れる小さな小屋で結ばれた、おざなりのような一つの契約。慈悲か、善意か、はたまたエゴかで生まれた切欠だが、しかしそこに何一つとして後ろ向きな感情は存在しなかった。

 

 

 

 

 

 




ルーミアってどんな口調にすればいいんだろう?
普通でもいいけど、少し特徴がありそうな気がしないでもない。東方キャラを書いてて初めて口調で躓きました。


『ルーミア』
《クラス》アサシン
《種族》妖怪
《ステータス》
筋力 C
耐久 C
俊敏 C
魔力 D
幸運 B

《クラス別能力》気配遮断(B)
《スキル》

捕食(A)
食した時に得られるエネルギーの効率を向上させるスキル。

暗黒行動(E-)
暗闇に対する空間把握能力。E-となると、ほぼ効果は得られない。

《スペル》
宵闇に差す光(ムーンライトレイ)
Rank:D+
ルーミアが指定した箇所を中心として一定範囲を暗闇へと変貌させ、レーザーのような光線で攻撃する。彼女の作る暗闇は光自体を拒絶し、光の存在を書き消してしまうため、吸血鬼の眼を以てしても視界を確保することは不可能となる。しかしルーミア自身もこの暗闇を看破する手段を持たない為、その中にいれば必然的に彼女も盲目同然となってしまう。




*以下小ネタ


立香「いけ、パチュリー! 10まんボルト!」

パチュリー「……燃やすわよ」









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妖精の森

相変わらずその森は暗かった。木々の葉が月明かりを独占していると言うのに、植物たちは光を欲しがっている様子もなく、青々しさで己の調子を表していた。

人の通ることなど一切考えられていない自然の街道。そこを立香たちは進んでいた。足を踏み下ろす度、地面たちはしばらくぶりに触れられた驚きで縮こまって萎み、沈んでしまう。

しかしそれに気がつく者など誰もおらず、今までしてきたことと同じように彼らは先へ先へと進んで行く。そんな中で唯一交わされている会話があった。

それは立香とルーミア、二人の会話だ。

 

「じゃあマスターたちは紅魔館を取り戻して、聖杯? って言うのを回収するのが目的なんだね」

 

「うん、そうなるね。元の世界に帰る為に、聖杯の回収が必要なんだ。ルーミアも幻想郷に戻りたいでしょ?」

 

「うん、戻りたい」

 

立香は自分たちの目的、それからそれを現実とする為の方法をルーミアへと教えていた。

ルーミアは気がついた時には聖杯の内部に巻き込まれ、何も知らないままこの世界をさ迷い続けた。だから立香はこの世界の成り立ちを一から教え、これからするべき自分たちの行動も情報として共有化していたのだ。

しばらくそんな揺ったりとした時間が流れていたが、少ししてパチュリーはずっと地図に落としていた目線を上げた。

 

「もうすぐ目的の場所につくはずよ。正確な位置は分からないけれど、この辺りにあるのは間違いないわ」

 

そう言い終えた瞬間、パチュリーは急に足を止めた。

そして前を向いたらまま、人差し指と中指、薬指の三本をそっと立香へと見せた。

これはハンドサイン。古城を出る前に三人で作った無言の言語。今回は指が三本立てられた。これが意味することは一つ。

 

「……二人共」

 

「分かってるわ」

 

「ご飯の匂い?」

 

──‘’敵影あり‘’。

 

「「「うおおおぉぉっ!」」」

 

複数の雄叫びが重なり合い、立香たちを囲むようにして木の隙間から六つの人影が飛び出してきた。彼らの手には斧や剣、槍が握られており、それぞれが四人を狙って突っ込んでくる。

パチュリーは展開した防御壁で、レミリアは真紅の槍で、ルーミアは手のひらで払うようにそれぞれ武器による攻撃をいなす。金属同士が激しくぶつかり合ったような甲高い音と共に、大きな旋風が舞った。

自分たちの奇襲が失敗したと悟った六つの影は大きく後ろへと下がり、現状を仕切り直す。そこで立香たちは奇襲を仕掛けてきた人影の正体を知る。

その人影たちは人間の男だった。服装は立香のよく知る村人たちと酷似しており、魔力や妖力と言った人外の種族が持ち得る(もの)は何一つとして感じられない。

人間たちは誰もが殺意と闘志に満ち溢れた顔で立香たちを見据えていた。

その事に立香を含めたレミリアとパチュリーの三人は驚きを隠せなかった。それは今まで出会って来た人間たちのほぼ全てが、人外の種族に対して恐怖や不安を全面に押し出した態度をとっていたのに対し、この人間たちは奇襲が失敗したと言うのにまだ向かってくる姿勢を見せ続けているからだった。

 

「本当にただの人間のようね」

 

お互いに様子見をしている最中でポツリとレミリアがそう漏らす。同時にこの人間たちがどのような立場にいるのか予想がつく。このような場所で人外たちに攻撃を仕掛けてきたただの人間。つまりはレジスタンスの可能性が高い。そう判断した立香は戦闘よりも言葉を交わすべきだと思考を切り替え、口を開く。

 

「えっと、どうか落ち着いて聞いて欲しいんですけど……」

 

「何を! 貴様の声に耳を貸す者がどこにいる! くたばれ悪魔め!」

 

どうにか交渉に持ち込もうと立香が話を切り出すが、彼らは立香の言葉を興奮と怒りでバッサリ切り捨てた。立香たちからすれば彼らはレジスタンスに繋がるかもしれない貴重な情報源だ。どうにかしてこちらに敵意が無いことを示したいところだが、この様子を見る限りそれは無理なように思えた。

 

「立香、駄目よ。言葉だけで現状をひっくり返すのは難しいわ。ひとまず私たちの話に耳を傾けなければいけないような状況を作りましょう」

 

「……つまり?」

 

立香の頭に嫌な予想が横切る。

 

「貴方の想像通りよ」

 

「だよね~」

 

立香の予想、それは無力化。つまり無理矢理にでも話を聞かざる負えない状況にすると言うことだ。

 

「ルーミア。殺しちゃ駄目だからね」

 

立香は一番加減のできなさそうなルーミアに釘を刺す。

 

「食べるのは?」

 

「駄目」

 

「む、マスターの言うことなら仕方がない」

 

これでこの男たちが死ぬことはない。そうなれば立香のすることは一つだった。

 

「皆!」

 

立香の声でレミリア、パチュリー、ルーミアは一斉に動き出す。レミリアとルーミアは種族による身体能力の差で一気に接近戦へと持ち込み、パチュリーはポツリと小さく何かしらの言葉を呟いた。

 

「うぉっ!」

 

男たちも突然の反撃に同様を隠せず、彼女たちの攻撃に対応することができない。レミリアの槍による凪ぎ払いで武器は粉々になり、本人たちは吹っ飛ばされ、ルーミアが駄々をこねるように腕を振り回せば、それに巻き込まれる形で呻き声が上がる。そしてパチュリーは魔法で作ったであろう光の縄のようなもので相手を縛り、動きを完全に止めていた。

 

「く、くそっ……」

 

レミリアが吹き飛ばした二人のうちの一人が、顔を歪めながら悪態をつく。まだ向かってくる気力はあるものの、体がそれに追い付いていないようだった。

しかし客観的に見れば勝敗は明らか。体はボロボロで武器も破壊されている。ただ人外に弱味は見せないと言う矜持(きょうじ)だけが彼を支えているように見えた。

 

「どう? 話を聞く気になった?」

 

「誰がお前たち悪魔なんかに!」

 

もう自分たちに対抗する力がないと言うのに、言葉に乗せた気迫は衰えるどころか圧力を増していた。しかしパチュリーはその気迫をそよ風が通りすぎたように気にも止めず、ただいつものどこか眠そうな目付きで目の前の人間を見つめ続ける。

 

「確かに私たちは人間では無い。私は魔女だし、あの娘は吸血鬼。だけど全員が全員と言うわけではないわ」

 

パチュリーの言葉にその男は眉を潜め、しばらく沈黙を保っていたが、それから何か気がついたようにハッと目を見開き、とある方向へ目線を向ける。そこにはただ一人、先程の戦闘で直接戦っていないとある男に向けられていた。

そう、立香だった。

 

「もしかして、お前は……」

 

男は立香が人外に類する者でなく、自分と同じ人間と言うことを察し、動揺に揺れる瞳を浮かべながら、呟くようにそう言った。

立香はやっと話ができる状態になったと、膝を曲げ、男と同じ目線になるようにかがんだ。

 

「僕たちは紅魔館に属する者ではないです。むしろ敵対している立ち位置にいます。つまり貴方たちの思っているようなことはありません」

 

客観的に見ればこの言葉は荒さが目立つ説明だった。ただ立香はゆっくりと説明をするより、自分たちの立ち位置と敵対の意志が無いことを最優先に伝えた方が良いと考えた。まずは話を作れる状況を作ることが大切だと判断した故の言葉だった。

 

「だ、だが……」

 

男は迷っているようだった。立香の言っていることが嘘か、本当か。彼らが敵か、敵ではないのか。迷いが決断を鈍らせ、口元を濁らせる。

 

「罠でも、拠点を暴くための嘘でもないわ」

 

未だに迷い続ける男に業を煮やしたのか、パチュリーはそう言って、懐から一枚の地図を取り出し、男に見せる。

 

「これは……」

 

「そう、貴方たちがよく知る場所へ向かうための地図よ。私たちはもう貴方たちの拠点の場所を知っている。もし私たちが紅魔館の者なら貴方たちを生かしてはいないわ。だって貴方たちを尋問する必要がないんですもの」

 

大きく目を見開かせ、地図を呆然と見つめる男に追撃するよう立香は言葉を重ねる。

 

「同盟を持ちかけに来ました。この暗い夜を終わらせる為に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立香たちは六人の人間に囲まれるようにして連れられ、森の中を進んでいた。誰もが誰も言葉話さず、どこか水に油薄く張ったような緊張感が走っていた。人間たちも未だに立香たちを横目で見ているところから、警戒心を解いている様子はなかった。

そのような状態でしばらく進んでいた一行だが、ふと目の前に自然にできたとは思えない神秘的な光景が現れるた。

 

「これは……」

 

その光景は確かに森だった。今まで自分たちが進んできた“森”と言う場所で違いはない。しかし立香はその光景に目を奪われた。それはその場所が森であると同時に一つの集落として形を保っていたからだった。大樹が立ち並ぶ一帯に、自然と混ざり合ったような家の数々。木の枝や幹の大半を利用してその集落は作られていた。ある家は木の根を柱として建てられており、ある家は木の胴を支えとして頭上高くに掲げられていた。頭上に上げられた家は互い同士をつり橋で繋げ、通路として確立させていた。その光景はまるで人がこの場所を造っているのではなくて、木々たちが人々に住居を提供しているようだった。

 

「随分と思い切った構造にしたわね。でもここまで自然と一体になった集落なら確かに見つかりにくい。合理的ではあるわね」

 

パチュリーは集落を眺めながらそんな感想を口にする。立香もそれに胸中で同意した。“自然に逆らわず、自然と共に有る。”そのような集落であるからこそ、いままで誰にも見つけることができなかったのだと。

しかしそうなると一つの疑問が生まれてくる。立香はそれを素直に疑問として口から放り投げた。

 

「誰がこのような構造を考えたんですか?」

 

そう、これは到底普通の人間に考え付くような発想ではないのだ。それは立香がここに来て間もなく出会った村人たちからも明らか。拠点としている森の規模と言う違いはあれど、普通ならば人間の住みやすいような住居を建てるのが一般的だ。しかしこの場所は人間の利便性を減らし、自然との親交を結ぶような構造になっている。このようなファンタジーとも呼べる集落を普通の人間ならば建てようとは思わない。だからこそ立香は気になった。この集落の構造を考えた人物を。

そしてその答えは直ぐ様答えとなって帰って来た。

 

「親分だ」

 

「親分……と言うと貴方たちのリーダーですか?」

 

立香は続けて尋ねる。

 

「ああ、そうだ。親分が森が痛くないような家を造れと言うからこうなった」

 

随分と面白い表現をするな。立香は彼の言葉にそんな感想を抱いた。まるで森の声を聞けるような、そんな言い回しだと。

 

「凄いね~マスター」

 

そんな中、しばらく興味津々に集落を見回していたルーミアは興奮気味な様子で立香の腕へと抱きついた。

 

「そうだね。でも幻想郷にはこう言うのはなかったの?」

 

吸血鬼の館があるくらいなのだからこのような光景なら幻想郷のどこかで見れそうだと立香は勝手な想像をする。

 

「うん、なかった。幻想郷は何て言うか……えっと……」

 

「和風かしら?」

 

「そう、和風な建物ばっかりだから」

 

言葉に詰まった所をレミリアに助けてもらう形でルーミアは答えを返す。

そして立香はなるほど、と返答の裏に書かれた意味も理解する。

幻想郷はあくまで日本の怪異たちが造り上げた場所だ。だから幻想郷の基盤は何をどう身繕っても“和”がベースとなるのは当然だ。紅魔館のような建物の方が幻想郷では珍しいのだろう。それならばルーミアがこのような光景を珍しがるのは自然なことと言えた。

こんな様子で集落に関しての様々な反応をしているうちに、随分と集落へ近づいてきた。

そんな時だった。

 

「偵察部隊だな。こいつらは何だ? 捕らえたようではないようだが」

 

レミリアたちが集落の中へと入ろうとしたその時、そう言いながら近づく二人の男が現れた。どうやら二人は集落の警備をしている者たちのようだった。

 

「親分に会わせたい。どうやら話があるようだ」

 

それを聞いた警備の内の一人が品定めをするように立香たちを眺める。

 

「……信用できるのか?」

 

「……ああ、俺たち六人は信用できると判断した。後は親分の判断に任せたい」

 

立香たちを連れていた男の言葉に、警備の二人は御互いに横目で目線をぶつけ合う。それから片方の男がこくりと首を小さく縦に振った。

 

「……少し待っていろ」

 

そう言って警備に当たっていた二人の内一人は振り替えって集落の奥へと消えていった。どうやら親分と呼ばれる人物の指示を聞きに行ったのだろうと立香は推測し、時が来るまで大人しく待つことにした。

立香はその間、今一度この集落を見渡す。遠目からは見えなかったが、どうやら多くの人間がこの集落で暮らしているようだった。大人は薪を割ったり、洗濯をし、子供は歓声を上げながら遊びにふける。何気ない日常がこの深い森の中で形成されていた。

殺伐としたこの世界でここまで穏やかな場所があったのかと立香は思わず微笑みを浮かべる。そんな立香の様子に触発されたのかルーミアは甘えるかのように彼の足に抱きついてはにかむ。そして立香はルーミアの行為に答えるように彼女の頭を優しく撫でた。

 

「随分と親分とやらを信用しているのね」

 

そんな時ふと、レミリアが回りにいる人間たちへとそんな言葉を投げ掛けた。

 

「ああ、親分は紅魔館の奴等によって居場所を奪われた俺たちをまとめ上げ、こうして俺たちが住む場所を作り上げてくれた。ここにいる者は皆、親分によって救われた人物なのさ」

 

彼の言葉を聞く限り、“親分”と呼ばれる人物はこの集落の創設者でありリーダーであるらしい。そしてこの集落の人物たちは親分を慕い、大きな信頼を寄せている。ただ一言二言、言葉を交わしただけでそれがよく伝わってきた。

 

「親分はどう言った人物なのかしら?」

 

レミリアは親分と呼ばれる者に興味が湧いたのか、続けて質問をぶつけた。

 

「見た目は弱そうに見えるんだが、実際は魔族を一人で屠れるくらいの力を持ってらっしゃる。何せご本人も自分のことを最強だと常々口にしておられるからな」

 

気前よく質問に答えた男だったが、何故かレミリアは男の話を聞き終えると軽く顔をしかめ、親から小言を言われているようなげんなりした表情を浮かべた。

 

「…………ねぇレミィ。私、嫌な予感しかしないのだけれど」

 

「…………奇遇ねパチェ。私もそうよ。あわよくばその予感が外れることを祈るわ。私、寒いのは苦手なの」

 

レミリアとパチュリーがそんなやり取りをする。会話の内容に違和感を感じ、立香はいぶかしみを覚えるが、さして追及をすることでもないだろうと、疑問を喉の奥へと押し込んだ。

そしてそのタイミングで親分の指示を聞き終えたであろう警備の男がこちらへ戻って来たことに立香は気づいた。

 

「着いて来い」

 

警備の男はそう言うや否や、再び来た道を引き返し、集落の中へと進んで行く。どうやら話をすることが認められたようだった。

先を歩く男を先頭に、立香たち四人と偵察部隊の六人は集落の中を歩き続ける。その最中で集落の住人たちから様々な感情を乗せた目線が、彼等を四方八方から突き刺した。興味や畏怖、困惑や不信感。立香たちがあの村で浴びた視線と酷似したものがレミリアを中心に集まっていた。やはりこの世界での“吸血鬼”は紅魔館による影響で悪い印象が強いようだった。

そんな視線の集中砲火を掻い潜り、彼らは進み続ける。

 

「ここだ」

 

立香たちを連れていた男が止まったのは集落にある他の家よりも一回りばかし大きな家だった。横から見たその家は太い円柱型で、言ってしまえば巨大な丸太を地面に置いただけのようだった。しかしそこには窓やドアと言った家として必ずあるものが備わっており、そのことからこれがちゃんとした一住居だと言うことは明らかだった。

警備の男はその家の扉を二回叩き、「入ります」と一言声をかける。それに直ぐ様「入れ!」と許可の意味が含まれた返事が返ってくる。警備の男は許しを得たとこで扉を前に押し開くが、立香はそのことに意識を向けてはいなかった。と言うのも、立香は自分が聞いた「入れ!」と言う一言──いや、と言うよりは声そのものに引っ掛かりを覚えたのだ。何故ならその声があまりにも甲高く、幼く、そして無邪気であったからだ。つまり立香の聞いた声は紛れもない子供の声だった。

 

と言うことは──

 

立香が己の疑問に一つの解答を導き出そうとしたその時、まるで芽を摘むかのように視覚情報として答えが提示された。

 

「ふっふっ、よく来たわねあんたたち! そう、あたいがここの親分、絶対無敵の最強妖精チルノよ!」

 

「ちょ、ちょっとチルノちゃん! ちゃんと挨拶しなくちゃだめだよぉ」

 

扉を開けた先にいたのは二人の幼子だった。一人は青い髪に青い服。見ただけで寒気のするような色合いを持っており、今まで目してきた光景と鏡見ればどこか少し浮いているように感じた。それに反しもう一人は緑の髪に主体が青で肩から腕にかけては白いワンピースを着ており、その様は自然の豊かさをそのまま体現しているような容姿だった。そしてよく見れば彼女たちの背中にはそれぞれ羽が生えていた。青色の娘には細長いクリスタルのようなものが右に三本、左に三本の合計六本が、緑の髪の娘には蜻蛉のような薄く大きな羽が左右に一本ずつ。それはこの娘たちがレミリアたちと同様に人間の類いでないことを表していた。

そんな二人がいるのは正方形の大きな部屋の奥に一段だけ上げられた段差の部分、名前にするならば上座だ。簡単に言うなれば時代劇などでよく、上役の人物が座っている場所とでも言えばいいだろうか。ともかくそんな場所に彼女たちは座っていた。

 

「「……はぁ」」

 

立香は娘二人に対して呆気に取られていたが、そのタイミングで落胆をそのまま口から吐き出したようなため息がレミリアとパチュリーから漏れた。

 

「えっと、二人ともお知り合い?」

 

「まあ、知っていると言えば知ってるわね」

 

パチュリーはそう言って説明を始める。

 

「彼女は幻想郷に住む氷の妖精よ。で、その隣に居るのがその友人の大妖精。どうやらルーミアと同様に巻き込まれてしまったようね。まさか彼女がレジスタンスのリーダーをやってるとは思いもしなかったわ。でもそれなら話が早い」

 

パチュリーはそう言って上座へと一歩前へと進み出た。そしてその瞬間、青い髪の娘は大きな驚愕を露にする。

 

「って、お前たちは紅魔館の! 何でここに!」

 

あまりにも間抜けなそのリアクションに、パチュリーはめんどくさそうに再びため息を吐く。

 

「でも筋金入りの馬鹿ではあるからそれを考えると差し引きゼロかしら」

 

彼女はそう言って、ただでさえ重たそうな瞼を更にもう一段階落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




各々の立香の呼び方

『レミリア』

絆レベル0~2 ふ菓子

絆レベル3 駄菓子

絆レベル4以降 立香 (戦闘時 マスター)


『パチュリー』

立香 (契約時かつ戦闘時 マスター)


『ルーミア』

マスター



・以下小ネタ

チルノ「どんなやつが来ようともあたいが最強だから負けるはず無かったわね! バーカ、バーカ!」

立香(……なるほど。こう言う()か)






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抵抗する者たち

レジスタンスのリーダーをしていた青い髪の娘が立香たちを紅魔館の住人と認識してから、話し合いが始まった。いや、正確には話し合いと言うわけではない。先ずは自分たちが信頼を得るための弁解だ。

何故紅魔館の住人である自分たちがここにいるのか、そして何故このような大事が起こったのか、それをパチュリーは子供でも分かるように優しく丁寧にかいつまんで説明した。その結果二つ分かったことがある。一つは目の前の青髪の娘がチルノと言う名前だと言うこと。

もう一つは彼女が──

 

「なるほどなるほど、つまり……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あたいが最強ってことでしょ?」

 

とてつもない馬鹿だと言うことだ。

 

 

「「「「「…………………………」」」」」

 

立香たち一行と、チルノの横に座っていた大妖精が絶句する。しかしそれは仕方のないことだ。パチュリーは“猿でも分かる今回の異変”と言う本を出版してもおかしくない程、丁寧に内容を分解し、時には例え話を用いて誰にでも分かるように説明したはずだった。それなのに返ってきた答えがこれだ。更にたちが悪いのが……

 

「「流石は親分! 痺れます!」」

 

それに完全なる肯定を示す二人の男。そう、立香たちをここまで連れて来た男たちだ。何が流石で、何に痺れるのか皆目検討も着かないが、ともかくこの二人も話の内容を全く理解していない馬鹿だと言うことは理解できた。そしてそんな光景を見て腹が立たない筈のない人物が一人。

もう言うまでもないだろう。何せその人物は、目の前の馬鹿にでも分かるよう頭を働かせ、通常より倍以上の時間を説明に割いたのだ。しかし返ってきた言葉がこれで、追い討ちをかけるようにそれを煽るヤジが二つ。だから家の一つや二つを燃やしても仕方がないかもしれない。

 

「『日符・小さき(ロイヤル)──』」

 

このように。

 

「だ、駄目だよパチュリー!」

 

完全に据わった目で魔導書を開くパチュリーを立香は全力で止めに入った。立香も気持ちは分からなくもないが、もしこれが実行されてしまえば全てが台無しになる。それだけは避けねばならなかった。

そんな時、まるで救世主のような一つの証明が現れる。それはパチュリーの説明が全て無駄ではないと言う証明だ。

 

「え、えっと。ここに至る経緯と要件は分かりました」

 

このどう収拾をつければいいのか分からない空間に終わりをもたらしたのはチルノの横にいる緑髪の娘だった。彼女の一言でパチュリーはピクリと動きを止め、何事もなかったかのように座り直した。立香はいつものパチュリーに戻ったことに安堵し。ほっと小さく息を吐く。

 

「正式な自己紹介がまだでしたね。私は大妖精と言います。そして私の隣にいるのがこの集落のリーダーをしているチルノちゃんです」

 

「そうあたいが最強無敵の──」

 

大妖精と名乗った緑髪の娘は横で一人騒ぐチルノを無視して話を続ける。

 

「この状況、そしてここに来たメンバーを考えると貴方たちが嘘をついているようには見えません。私たちもその……幻想郷に帰りたいですし」

 

「つまり?」

 

「はい、貴方たちに協力したいと思います」

 

どうなることかと思われた交渉がトントン拍子に進んだことに立香は愁眉(しゅうび)を開いた。

大妖精はそんな立香に優しく微笑んだが、次の瞬間には困ったように眉を眉間に寄せる。

 

「協力をするのに不都合はないのですが、具体的に何をすればいいのか私には分かりません。紅魔館を攻め、その……聖杯を回収すればいいのは分かるのですが、この集落の戦力だけではやはり足りないと思います」

 

立香は大妖精の言葉に頷く。いくらここが人間たちの集落と言っても、その数はたかが知れている。しかも相手をするのはワイバーンやスケルトンと言った魔族だ。大妖精の言った通り、戦力が足りているとはお世辞にも言えない。

しかし嘆いていても現状は変わらない。ならばやるべきことは一つだった。

 

「ではこれからそれについての話し合いをしましょう。この現状をどう打破するかのね」

 

パチュリーはそう言った後、ちらりと立香たちをここに案内した男二人に目をやった。それを見ていた大妖精はパチュリーの意図を察したのか、彼等の方を向いて申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「ご、ごめんなさい。少し席を外していただいてもよろしいですか?」

 

“ここからは幻想郷の住人だけで話がしたい。”パチュリーの視線に含まれている意図はそれだった。

 

「「はい、(アネ)さん!」」

 

大妖精のお願いに元気よく快諾(かいだく)する男二人。しかしお願いをした当の本人である大妖精は困ったように目尻を下げた。

 

「えっと……その“(アネ)さん”って呼ぶの。止めて欲しいなぁ……なんて」

 

「「はい、姉さん!」」

 

「で、ですからぁ~」

 

なんと言うか、とんでもない集団に協力を持ちかけてしまったかもしれない。立香はそんな思いを抱き、少しだけ行く先が不安になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立香たちは先ほどまでいた部屋から一つ離れた別の小部屋に案内され、そこで話し合いをすることにした。そこは大きな正方形の机が一つ置いてあり、その一辺に三つの席が(もう)けられていた。まず、チルノが大妖精と横に並んで座り、その左にパチュリーとレミリアが、右に立香とルーミアが座る形となった。

こうして人が座ることにより、あまり広いとは言えない個室が更に狭く感じられた。

 

「では始めましょうか」

 

話し合いの口火をきったのは、いつも通りパチュリーだった。

 

「まず私たちがしておきたいのは戦力の確保。これはどうあっても必要だわ」

 

どのような戦いにおいても戦力は全てにおいての基礎値。相手との戦力差がまず戦いにおいての優劣を判断する。そう言う意味ではどうしても戦力を少しでも確保しておきたいと言うパチュリーの発言は的を得ていた。

 

「戦力って言っても、人間なんてもうほとんどいないよ? ご飯を求めて放浪していた私が言うんだから間違いない」

 

パチュリーの発言に対して自信満々にそう言い放つルーミア。それに立香は苦笑するしかなかった。

しかしそんなルーミアの言葉におずおずと遠慮がちに大妖精は言葉を返す。

 

「あの、人間さんなら実は他にも……」

 

「いるのかしら?」

 

レミリアは尋ねる。

 

「はい、私たちは人間さんたちの生き残りを保護するのが一番の目的で作られた組織ですから。そう言う情報は多く持っています。それに人間さんたちはよく森に隠れてらっしゃるので、妖精である私たちは捜しやすいんです」

 

大妖精の言葉に立香は首を傾げる。つまり彼女は『妖精だから森にいる人間たちは見つけやすい』と言っていることになる。どう言うことだと疑問符を浮かべていた立香に気がついたのか、パチュリーが補足の説明を始める。

 

「妖精は怪異とは全く異なる者よ。何と言えばいいかしら。そうね……“生きた自然現象”とでも言うのかしら。妖精たちは自然そのものであり、ある意味で別の生き物。理解したかしら?」

 

「いや、全然」

 

あまりにあやふやな説明に立香は全力で首を横へと振る。

 

「まあ確かに理解するのは難しいけれど、取りあえずは“自然そのもの”と言う解釈をしていればいいわ。例えばそうね……妖精って体が木っ端微塵に破裂しても死なないのよ」

 

「えっ!?」

 

パチュリーの言葉に立香は目を見張る。

 

「言ったでしょう。自然現象そのものだって。妖精が死んでも自然はなくなってないでしょ。だから死なない。詳しい時間は知らないけれど、数時間後には元通りよ。この世界ではどうなるのか知らないけれどね」

 

パチュリーが一先ず説明を終えると、それに付け加える形で大妖精が付言する。

 

「はい、私たちは自分たちの生息している場所の自然そのものが無くならない限り死にはしません。擬似的な死は体験しますけど。私たちはこれを“一回休み”と呼んでいます」

 

一回休みとはまた随分可愛らしい名前だなと立香は内心でどうでもいいことを思い浮かべる。

まるで子供の遊戯のような名付けに、妖精の特性がそのまま現れているようだった。

 

「ちなみにですが、恐らくこの世界で死んでしまった場合は一回休みになることなく死んでしまうと思います」

 

語尾は濁しているが、大妖精は半ば確信しているかのようにそう言った。

 

「そうなの?」

 

「えっと……はい。この世界の自然は確かに自然ではあるんですけど、根本的な部分は違うと言うか……」

 

言葉で説明するのが難しいのか、大妖精は口を開閉して言葉を探す。立香は何とか大妖精の言わんとしている意味を汲もうと彼女の言葉を脳内でで反復するが、何一つとして理解することは叶わない。

説明に苦しむ大妖精と、理解に苦しむ立香。そんな二人を見ていられなくなったのか、レミリアは肩をすくめ口を開いた。

 

「つまりは偽物と言うわけよ。ルーミアがここの人間では空腹を満たせなかったのと同じ理由ね」

 

レミリアから添えられた言葉で立香は納得する。つまりは聖杯により作られた自然の模型では妖精としての特性が十分に働かないと言うことだ。

 

「それでも一応、自然(にせもの)の力を借りて人間さんたちがどこにいるのか何となくは分かるんですよ」

 

「だからまだここに来ていない人間も分かると」

 

「はい」

 

パチュリーの言葉に大妖精は頷きで返す。

ならば戦力の確保は思ったよりも容易かもしれないと、立香は安堵の表情を浮かべるが、それに対してルーミアは思案顔で眉を潜めていた。

 

「ん~でも人間だけをかき集めて本当に勝てるのかー?」

 

そんなルーミアの言葉で立香は気がつく。これから自分たちが相手をしなくていけないのは魔族や魔物と言った強大な力を持つ存在。それに対して脆弱なただの人間だけを集めたとして勝てる見込みはあるのか? と立香は神妙な面持ちで脳内を傾けた。

「ルーミアの言うことは最もね。ただ人間だけを集めても勝てるわけないわ。そこから勝てる要素を少しでも増やしていかないと」

 

パチュリーはそう言ってから、人差し指を一本立てた。

 

「一つは作戦。まあ、これはおいおい考えていきましょう。二つ目は道具よ」

 

「道具?」

 

立香は尋ねる。

 

「ええ。村人たちの装備を見たかしら。あんなのは武器とは言えないわ」

 

そこで立香は魔女の古城へ行く前に起こった村人たちとゾンビとの戦闘を思い出した。一部の人間は剣や槍を持っていたが、大半は薪を割る為の斧や農作物を刈る為の大鎌であった。確かにこれでは多くの人数を揃えたとしても満足な戦いをすることはできないだろう。

 

「じゃあ武器を作ればいいってこと?」

 

「ええ。それも手持ちの武器だけじゃない。集団用の兵器をね。これは私たち魔女が担当するわ」

 

パチュリーの自信あり気な様子を見て、これなら装備の心配は大丈夫そうだと一つ頷いて解決したことを

 

「他には……」

 

立香が何か戦力を向上させられるような要素はないものかと脳内を探っている時、呟くようにそれは発せられた。

 

「……吸血鬼」

 

「ん?」

 

「吸血鬼の力があるわ」

 

そう言ったレミリアに立香は目を向ける。それに対し、レミリアも目線を重ねるように

 

「よく考えてみなさい。紅魔館が魔族を従えているのは吸血鬼の力よ。吸血鬼は魔を従える。恐らくフランは聖杯で力を上げているでしょうけど、私だってもう万全の状態に近い。魔族の百や二百は従えられるわ」

 

「でもどうやって?」

 

吸血鬼が間属を従えられることを立香は分かっていた。しかし、どうやればその魔族たちを集められるのか。その手段を立香は知らない。

 

「死体が多くある場所にいけばいいわ。そこならスケルトンやらゾンビやらを従えられるでしょう。滅びてしまった町やら村を巡ればおおかたは集められるはずよ」

 

それを聞いた立香はなるほど、と呟いてこくりと頷く。

 

「大体やることが決まったわね」

 

話し合いが一段落した所でパチュリーはそう言い、指を三本立てる。

 

「一つはまだここに来ていない人間たちの勧誘。二つ目は武器制作。三つ目は魔族たちの確保。これらが整い次第、紅魔館へ攻撃を仕掛けましょう」

パチュリーがこれからの方針をまとめて話し終えた所で、大妖精はパンと手のひらを叩き、思い付いたように口を開いた。

 

「では話し合いも終わりましたし。とりあえず今晩はここに泊まっていかれてはどうですか?」

 

立香はどうする?とレミリアへ問いかけの視線を向ける。それに対してレミリアは小さく頷く。

 

「いいんじゃない?」

 

「そうね、古城へは魔法を使えば一瞬で飛べるんだけど、折角だからそうしましょうか」

 

「えっ!?そうなの?」

 

さらっと流されたパチュリーの言葉に対し、立香は反射的にそう叫んだ。

 

「ええ、自分の作った工房に飛ぶくらいわけはないわ。だから帰りは楽々よ」

 

パチュリーのそんな言葉を聞いて立香は思った。やっぱりパチュリーは便利だと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森の集落に一晩泊まることになってしばらく。夕食を食べ終え、各々が個々に与えられた部屋で自分の時間を過ごす中、立香は集落の端にある平地に寝転がっていた。平地と言ってもそれほど大きなスペースではなく、ただ周囲に何もない平々凡々とした場所だった。周囲に障害物はなく、風も吹いていない。立香の他にあるのは小さく声を発する虫たちの鳴き声だけだった。

しかしそんな立香を訪れる小さな人影か一つ現れる。

 

「あら、ここにいたの」

 

その人影の持ち主は立香の側に立つと、一言そう言って彼の真横に腰を降ろした。

 

「よく見つけれたね、レミリア」

 

立香は横たわっていた体を起き上がらせ、レミリアと同じように地面へと座る。

並ぶ形で座ることになった二人は、そのままお互いに視線を交わす訳でもなく、どこか空虚を見るように目の前の地面を呆然と見つめていた。

 

「貴方とは令呪で繋がっているのだから、見つけること自体はさほど難しくないわ」

 

そう言えばそうだったね、と立香は小さく返事をして優しく口許を結ませた。

 

「星が見えるわけではないでしょうに」

 

「うん。でも綺麗だよ」

 

立香はそう言って下げていた目線を上へと向ける。視界ほとんどが樹木の枝や木の葉に覆われていたが、その隙間から入る月明かりが、まるで淡い太陽の光のように地面へと差し込んでいた。

 

「それで、レミリアは何でここに? 多分、用があって来たんだろうけど」

 

ふと今気がついたのか立香はレミリアへとそう問いかける。

ここ数日で多少なりとも知り得たレミリアの性格から、立香はレミリアがただ気まぐれで自分の元を訪れたのではないかと言う考えが念頭に過ったが、それは次の瞬間あっさりと否定される。

 

「一つ言っておきたいことがあったのよ。いえ、釘を差しに来たと言った方がいいかしら?」

 

レミリアの言葉に立香は首を傾げる。咄嗟に思い付く限り、思い当たることがなかったからだ。

そんな立香を顔の向きは変えず、横目でそれを目視したレミリアは悪戯気に口角を上げた。

 

「心当たりはないみたいね。あんなに堂々と浮気しといて」

 

「う、浮気!?」

 

立香は大きく目を見開き、反射的にレミリアの方へと顔を向けた。

 

「ええ、今日の出来事を思い出してみなさい」

 

動揺しながらも頭を働かせ、立香は今日の出来事を振り返る。古城での出来事、そしてそこから外へ出でこの集落へたどり着くまでの出来事。そうして何度も今日と言う日を頭の中で繰り返していく。そこでふと今まで通り抜けていた“心当たり”の網に一つの出来事が引っ掛かった。

 

「……まさかルーミアのこと?」

 

それは今日、正式に契約を結んだもう一人のサーヴァントのこと。命を助け、その責任を取る形で令呪で繋がることとなった常闇の妖怪のことだった。

レミリアは立香の答えに言葉や仕草で肯定するでもなくただ半目で睨むように彼を見つめるだけだった。しかしそれが最早、肯定を意味していることは誰の目から見ても明らかだった。

 

「でもあれは仕方なく……」

 

立香は焦った様子でレミリアが納得するような言葉を探すが、冷静を失った頭ではその答えを導き出せるはずもなく、開いては閉じてを繰り返し、体の奥で()った言葉を何度も喉から出し入れさせる。

レミリアはそんな立香の様子をおかしく思ったのか、くすりと綻ぶような笑みを浮かべる。それから今まで回すことのなかった首を横へと回し、立香を顔の正面で捕らえる。

 

「私だって頭では理解しているわ。でも事実は事実よ。貴方は浮気者で私は被害者。それは変わらないわ。ねえ色男さん」

 

レミリアにそう言われ、立香は困ったように苦笑し、頬をかく。

 

「ただの人間である貴方が、夜の王である私と契約しておいて、まさか他の怪異と契約するなんて、私を侮蔑しているとしか思えないわ」

 

レミリアは一度言葉を切ると、自分の顔をグッと立香へと寄せる。

 

「いいかしら?貴方と最初に契約したのはこの私。それを忘れて、あの“ルーミア(まっくろくろすけ)”ばかりにかまけることがないように」

 

立香はそこで理解した。ここに着た理由である“釘を差す”とレミリアが言った意味を。

どうやらルーミアとの契約はプライドの高いレミリアを刺激してしまったようだ、と立香はこの状態を作り出した原因に納得した。

そして、そこでようやく返すべき言葉を見つける。あれだけ探しても見つからなかった言葉が、今は何の苦労も見せずに目の前にあった。立香はそれに手を伸ばし、迷うことなく掴んだ。何故ならそれは嘘偽りのない彼の本心なのだから。

 

「大丈夫。レミリアを蔑ろにするわけないよ。だってレミリアは俺が最初に契約を結んだ相棒(サーヴァント)なんだから」

 

立香はそう言ってニッと無邪気な笑みを浮かべる。混じり気のない、心から生まれた素直な思いを言葉に乗せて立香は笑う。

レミリアはそれを見て満足気に表情を変え、立香に向けていた顔を再び正面へと戻す。

それから口を開いた。

 

「貴方は私のモノよ。それを今一度、頭に刻んでおきなさい。そうしたら──」

 

それに続く言葉を彼女は立香へと発する。その言葉はどう言う意図があるのか。どこまでが本心か分からなかった。しかし、ただどこか暖かみのある言葉なのは間違いがなかった。そんな不確かで掴み所のない彼女の言葉はこんなものだった。

 

 

 

──私も貴方のモノになってあげる。

 

 

 

立香は放心したようにポカンと軽く口を開けてレミリアを見つめる。両目もその間抜けに開かれた口と同調するように丸く形を変えていた。

レミリアはそんな立香の顔を一頻り眺めた後、満足したのかすっと静かにその場で立ち上がった。

 

「もう寝るわ。お休みなさい」

 

そして就寝の挨拶をその場に置いて、集落の方へと足を向ける。

 

「え? うん、お休み」

 

反射的にそう返したものの、立香の顔は未だ間抜けさが微塵も抜けきっていなかった。

 

 

 

 

静かで穏やかなそんな夜。差し込む月明かりがその場に留まり、地面を淡く照らし続けた。それはきっと太陽が空に昇るまで続けられるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 



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古城戦

それはいきなりのことだった。大妖精たちの気づかいで家を貸してもらい、その中の小さな部屋で睡眠をとっていた立香。

何もなければそのまま体の疲れが取れるまで目を開けることはなかっただろう。そう、何もなければ。

 

「立香、起きなさい」

 

バン!と空気が震えるほど大きな音を立てて立香に割り当てられていた部屋の扉が大きく開かれた。

 

「うえっ!?」

 

突然のことに意識をいきなり覚醒させられた立香は体を勢いよく起き上がらせ、ぱちくりと目を見開かせる。そして音のした方へと目をやると、そこには開け放った扉の前に立つレミリアとルーミアがいた。

レミリアの引き締まった真剣な表情から、何か大事が起こっていると判断した立香は、まだ意識がはっきりしないながらもベッドから起き上がり、床に足を着けた。

 

「二人共、一体どうしたの?」

 

取り敢えず何が起こったのか把握しなければとレミリアとルーミアにそう問いかける立香。するとルーミアは近づいて立香の手を取り、彼を見上げてこう言った。

 

「マスター緊急事態!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サーヴァント二人にせっつかれ、急いで外出の準備した立香は家を飛び出し、集落の中を走っていた。しかし集落自体は焦っている二人とは対照的に、穏やかで静かな様子。どのような緊急事態が起こっているのか立香は皆目検討がつかなかった。

 

「古城で何か不測の事態が起こっているの」

 

そんな立香の疑問に答えるよう、レミリアは口を開いた。

 

「古城で!?」

 

「ええ。パチュリーが古城に設置していたトラップが作動したみたい。今分かっているのはこれだけ。でも異常が発生しているのは確かだわ」

 

それは確かに不安が募る。古城には村人たちを置いてきた。もし魔物が古城を襲えば──

そこまで考えて立香はふと思い出した。パチュリーは何も自分の本拠地をがら空きにするほど馬鹿ではない。トラップを設置していたこともあるが、それ以外に拠点を防衛する手段は残していた。

 

「向こうにいる魔女たちに連絡は?」

 

そう魔女たち。ほとんど何もしゃべらず、無表情を貫く不気味な彼女たちであるが、味方なのは間違いないのだ。パチュリーはその魔女たちを束ねる立ち位置にいる。言わば彼女たちはパチュリーの部下だった。古城に何かあれば魔女たちが魔術なりなんなりを使ってパチュリーに連絡するはずだ。

しかしそんな立香の考えをレミリアは首を振って否定する。

 

「取れないみたい。いえ、本来なら取れるはずなのだけれど、何かがそれを妨害しているようね」

 

なるほど、だから緊急事態なのか、と立香は納得し、足に込める力をより一層強めた。

集落内を走りながら思うのは自分たちが古城へと残していった村人たち。立香がこの世界に来て初めて出会った人間だ。ここは聖杯の造り出した世界であるから、その村人たちは所詮紛い物──幻想に近い者なのかもしれない。しかし立香はそう考える事ができなかった。

大変な状況の中、自分たちを信じてくれた村長。村人思いで、それでいてどこか暖かみのあるバルド。そして無邪気に自分たちになついてくれた子供たち。他にも立香はあの村人から多くの安らぎをもらった。紛い物とは思えないあの村人たちに立香はしっかりと人の心を感じていた。だから心配する。どうか無事であってくれと。どうか生きていてくれと。

運動によって早まる心臓の鼓動と重なるよう、焦りが立香の頭へと流れ込んでくる。段々と表情が険しくなり、立香は両の手をぎゅっと握りしめた。

 

「……大丈夫?マスター、怖い顔してるよ」

 

そんな様子に気がついたのか、走る立香を見上げ、ルーミアはそう言う。そこで立香はハッとする。そうだ、ここで焦っても仕方がないと。焦っていては何かあった時、冷静に頭を回すことができないと。

 

「うん、ごめんルーミア。少し焦っちゃって」

 

立香は柔らかな笑みをルーミアに向ける。それにルーミアは安心したのか、立香と同じような笑顔を彼に返した。しかしそれは次の瞬間、中断されることとなる。

 

「あいたっ!?」

 

立香の額に素早いデコピンが突き刺さる。それは他の誰でもない、レミリアだった。彼女の目は細く伸ばされており、その顔はむすっと軽く膨らんでいた。

 

「言ったそばからね、色男さん。もしかして私よりも更に小さい娘が好きなのかしら?それはもうロリコンでなくてペドフィリアよ」

 

「ええっ!?誤解だよ!」

 

立香は声を大にして否定する。確かに自分のサーヴァント二人は一般的に幼く見える容姿をしているが、それは意図して自分がそうしたわけではない。だから違うと。

どうにかレミリアの言葉を否定しようと言葉を探していると、ふふっと艶のある笑みがレミリアから発せられた。そこで立香は気がつく。また自分はからかわれたのだと。

 

「もう、冗談よ。何も私はそんな器量の狭い女ではないわ。それよりもどうかしら?少しは肩の力が抜けたかしら?」

 

そこで立香はレミリアに気を使われたのだと気がつく。

 

「うん、ありがとう二人共。もう大丈夫だから」

 

レミリアはその言葉にこくりと頷く。そうだ。焦っても仕方がない。感情ばかり先立っても仕方がない。今は自分のできることをしよう。

立香は前を向く。そして駆ける。一秒でも早く、村人たちの元へ戻るために。

そうした決意を固めていると、ふと目の前に見覚えのある紫色の服を着た女性が立っているのが見えた。パチュリーだ。そしてその側には大妖精とチルノが並んで立っていた。

 

「いきなり呼び出して悪かったわね」

 

三人の目の前で足を止め、息を切らせる立香にパチュリーはそう切り出す。

 

「大丈夫。それよりも早く古城に行こう。一刻を争うかもしれないんでしょ?」

 

「状況の理解はしているようね。なら話は早いわ。私たちは今から古城へ戻る。目的はそこで何が起こっているかの把握。もし向こうで何か不測の事態があればそれの解決よ。一番考えられる可能性があるのは何者かの襲撃だけれど……」

 

「もしその予想が当たっていれば?」

 

理解は息を整えながら尋ねる。その場合、自分たちのするべき行動を。

 

「古城にいる者たちを全員こちらに避難させること。今後、必要になるであろう資材や道具の回収。そして古城の消滅ね」

 

立香はそれを聞き、驚きの表情を見せる。前の二つは理解できる。しかしまさか拠点そのものを消滅させるとは立香も思っていなかった。

 

「古城を残していると私たち魔女の手の内が読まれる可能性がある。だから消滅させる必要があるのよ。安心しなさい。もしものことを考えてその準備は古城に住み着いた時から終わらせてあるから」

 

その疑問を解消するようにパチュリーその理由を答えた。つまりは相手に情報を渡さないように、古城ごと全てを消し去る必要があるのだ。しかしもう既に準備ができていると言うことは、最後に関しては何も考える必要はないと言うこと。実質立香たちがすることは人員の避難と物資の回収だけである。

 

「では話を次へ進めるわ。もし敵襲を受けていたら私たちがどう動くかの説明しましょう。まずは敵の迎撃。それはレミィとルーミア、それと──」

 

パチュリーは言いかけてチラリと横に目線を移す。

 

「チルノ、貴方に任せていいかしら?」

 

唐突に名前を呼ばれたチルノは一瞬呆気に取られたようだったが、次の瞬間には大きく胸を張ってニヒルな笑みを顔に作り出す。

 

「ふっ、任せなさい!あたいは最強だからどんなヤツが来ようとも楽勝ね!」

 

心強いようなそうでもないような返事に立香は苦笑する。

 

「パチュリーは?」

 

「私は大妖精を連れて資材や道具の回収を行うわ。もし敵襲を確認したら集落の人間にも手伝ってもらうつもりよ。だからその時間を稼いでもらう必要があるの。それも含めた敵の迎撃よ」

 

つまりは古城の人間を全て避難させたとしても物資の回収ができていなかった場合、まだ敵と戦い続ければならないと言うことだ。

最悪、物資を全て回収することを諦めたとしても、そうすれば今後が苦しくなる。それを考えるとどのみちギリギリまで戦う必要が出てくる。

立香は思わず顔が険しくなるのを自覚する。

 

「これはあくまでも敵襲にあっていると言う最悪のケースの場合よ。何もなければそれが一番なんだけれど」

 

パチュリーはそう言うが、状況的にそれはほとんど望み薄なのは間違いない。ともかく何が起こっても対応できる心構えでいようと立香はきゅっと己の身を引き締めた。

そんな時、今まで話を黙って聞いていた大妖精がパチュリーへと声をかける。

 

「あの、パチュリーさん。その古城へはどう行くんですか?」

 

そう言えばそうだと立香も大妖精と同じ疑問を浮かべる。パチュリーは一瞬で戻れると言うから何かしら魔法を使うのだろうが、結局どうやって古城へと戻るのかは全く聞かされていなかった。

パチュリーはそれを聞くと、大妖精の疑問には答えないで、何やらホソボソと小声で言葉を呟きだした。それから数秒後、パチュリーの目の前に紫色に光る魔方陣が地面へと浮かび上がった。直径十メートル程の大きな魔方陣は、周囲の暗闇を怪しく照らし、吹く風に揺らめくことなくただしっかりと地面に張り付いていた。

 

「この魔方陣を使って飛ぶわ。場所は私とレミィが戦っていた地下工房。戻る時もそこからしか戻れないから注意してちょうだい」

 

どうやらこの魔方陣で飛ぶのだと理解した立香は納得したように小さく唸る。

 

「準備はできてるかしら?ならこの魔方陣の上に乗ってちょうだい」

 

元々準備をしてから部屋を出ていた立香は頷いて紫色にに光る魔方陣の上へと足を乗せる。それに続いてレミリア、ルーミア、チルノに大妖精と続く。全員が魔方陣の上へと乗ったことを確認したパチュリーは最後に自分もそうして目を瞑った。

 

「じゃあいくわ」

 

パチュリーが呪文を紡ぐ。長いようにも短いようにも取れる言葉の羅列が音として周囲に流れ、その時間に応じて魔方陣の光がより一層に輝きを増す。

そして最後には目の前を埋め尽くす閃光の白が立香たちの視界を包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白い光に思わず目をつむり、そこから再び目を開けるとそこは見覚えのある暗い室内があった。以前、立香がパチュリーから魔術を教わった場所であり、戦闘訓練を行ったら広い地下室。蝋燭と怪しく光るランプが不気味にその部屋を演出していた。立香の頭の中にある光景とそれは完全に一致していた。

そう、それは前回ここに来た時とまるっきり風景が変わっていないことを意味している。

 

「変わった様子はなさそうだけど……」

 

しばらく周囲を見渡して立香はそう結論付けた。だがそれに対しレミリアとパチュリーは表情を引き締め上を見上げていた。一体どうしたのだろうか?と立香が疑問を持った瞬間──。

 

「っ!?」

 

「揺れ!?」

 

まるで地震が起きたかのように部屋全体が揺れる。机の上にあった魔道具や本がそれと同調するように振動する。

それはまるで地面が恐怖を覚え、自身の体を震わせているようだった。

これでもう間違いない。この上で()()()()()()()()()

 

「上に行くわよ」

 

レミリアの呼び掛けに続くよう全員部屋を飛び出し、地上へと繋がる螺旋階段を駆け上がる。六人分のけたたましい足音が、回りながら上と下の両方に反響する。

時間をかけ、異様に長い階段を上切り、地上へと到達する。そして古城一階から小さな城門を見ることのできる窓に手をかけ、外を見た。

 

「魔物が!?」

 

立香が外を見てまず目にしたのは城壁内にある庭で魔女たちとスケルトン、ゾンビたちが戦闘を繰り広げている様子だった。更にそこから上へと目線を上げれば、同じように魔女とワイバーンの空中戦が見える。そう、ここは既に戦場だった。

恐らく城門を無理やりこじ開けたのだろう。古城唯一の出入り口は最早巨大な木片となっており、村人たちが臨時の住居として城の庭に立てていた天幕は踏み潰され、ぺしゃんことなっていた。

 

「……スケルトンにゾンビにワイバーン。その他、多種に渡る魔物たちがこんな統一性のある動きをできるわけがない。普通はね」

 

普通は──そう、確かにスケルトンやゾンビは決して知能指数の高い魔物ではない。人間で言えば赤子程度の賢さしか持ち合わせていないのは確かだ。だからスケルトンたちが陣形を保って戦闘を行っている目の前の光景は異様とそう表現するしかなかった。

しかし立香は──立香たちは知っている。それを可能にする力を、組織を実際に見てきたのだから。

 

「……紅魔館」

 

「ええ、そのようね」

 

ポツリとパチュリーは呟き、レミリアがそれに同意する。

そう、こんな多種多様の魔物たちをまるで軍隊のように扱う力。それを紅魔館は持っている。故にこの敵襲は紅魔館からのもの。そうなればこれは予想していた中でも最悪の状況と言えた。

最早、一刻の猶予も許されない。そう判断したのか、レミリアは手に真紅の槍を出現させてパチュリーへ目線を向ける。

 

「話していた通り、私たちは人員と物資の回収をする為の時間稼ぎをするわ。パチュリーそちらは頼んだわよ」

 

パチュリーはレミリアの言葉にこくりと頷くが地下室に戻る気配を見せず、自分の持つ垂れ目を鈍く輝かせた。

 

「その前に一つ、言っておかなくてはならないことがあるの」

 

そう言って彼女は人差し指と中指の二本の指を立て、自分の顔の前へと持ってきた。

 

「私がここに来ていること、それと私が貴方たちと協力関係にあることは紅魔館に漏れてはならない。これを念頭に置いた言動をしなさい」

 

なぜそんな事が必要なのかと一瞬疑問に思うが、その答えを考える暇もなくパチュリーは答えを口にした。

 

「手の内がさらされるのを防ぐ為よ」

 

つまりはパチュリーがレミリアたちと協力関係にあるとが相手にばれれば、それを知った上での立ち回りをされることになる。それを防ぐ為になるべく自分の情報は黙秘したい。

パチュリーはそう言っているのだ。立香はパチュリーの考えを理解し、承認の頷きをする。それに満足したのか、パチュリーは階段の方へと体を切り替える。

 

「行くわよ、大妖精」

 

「は、はい!」

 

その言葉を置いて、カツカツと階段を降りる音が断続的に聞こえ、最後には戦場の音に書き消され消えていった。パチュリーたちはするべきことをしに、地下へと戻っていった。ならば立香たちがすることも一つだった。

 

「こっちも行こう。レミリア、ルーミア、チルノ!」

 

「ええ」

 

「うん!」

 

「任っかせなさい!」

 

四人による戦闘を開始する合図。それが今、激化する戦火の中で木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二階から下へと降り、戦場へと赴いた立香は思わず足をすくませた。

辺りを見渡せば爆炎や雷が地面を焦がし、上を見上げれば怪物と人外のデッドヒート。城の庭で行われるにはあまりにも大きな殺意の応酬。今まで経験してきた戦場とはレベルの違う死の近さに、立香の足が止まるのは仕方がないことだった。

しかし立香がそうしていたのは僅か数秒。次の瞬間には前を向き、しっかりとした足取りで地面を掴んでいた。何が立香をそこまで奮い立たせているのか。その大きな理由の一つは“懸念”と言う感情だった。

 

「まずはここにいた村人たちがどこにいるのかを把握する! だから始めは近くの魔女たちの元へ向かって話を聞こう」

 

そう、立香は心配しているのだ。今、戦場と化しているこの庭は元々村人たちが自分たちの住居として使っていた場所。しかし辺りを見渡してみても村人たちの気配は全く感じられず、見えるのも村人が臨時の住居として建てていた天幕だけ。しかもそれは踏み潰されているかのように地面へと倒れていた。

 

──村人たちは無事なのか?

 

立香はそれを一刻も確認したかった。だから止まっている暇はない。この焦りにも似た不安感。それを払拭するには村人たちの安否を把握する必要があった。

立香は周囲を見渡し、自分たちから一番近い魔女たちを確認すると、その方向へ指を自分の指した。

 

「今からあそこへ向かう。レミリアは先頭に立って進路の確保を。ルーミアとチルノは敵か近づいていたら迎撃をお願い」

 

それを聞いた三人は立香の指示通りに動く。チルノがちゃんと自分の言葉を把握できているのか立香は心配だったが、見たところ一応は指示通りの動きをしているので立香は安心の息を漏らす。

ゾンビたちはゆっくりながらも確実に立香たちに迫り、スケルトンもまた武器を使い四人に襲いかかる。それをレミリアは真紅の槍で一閃し、ルーミアとチルノは弾幕でそれぞれ近づく敵を打ち倒していく。

しかしその中で、迫り来る化け物を倒していくうちに立香は気がつく。

 

「こいつら、今まで戦ってきた奴らより……強い!」

 

そう。今まで戦ってきたゾンビやスケルトンは何も考えず近づいてきた者をとりあえず攻撃する単調な動きしかしてこなかった。しかし今戦っている魔物たちは違った。相手の攻撃を見て、それを対処する技能。更には耐久面、攻撃面と言う単純なステータスも強化されていた。

その証拠に、レミリアの攻撃を受け止めるスケルトンや、ルーミアの弾幕を相当数、受けたのにも関わらず倒れないゾンビを立香は何度も目撃していた。

 

「うがぁー。コイツら鬱陶しいわね!」

 

チルノは中々数を減らせない魔物に苛立ちの声を上げる。立香もそれには同意する。思っていたよりも進むペースが遅い。気持ちが急いているのもあり、小さな苛立ちが立香の胸をざわつかせる。

 

「恐らく何かしらの力で強化させてるんでしょう。今はまだいいけど、囲まれると厄介ね」

 

レミリアは言いながら、それでも吸血鬼と言う種族のアドバンテージを生かし、どんどんと魔物を殲滅していく。

 

「マスター、急いだら駄目。体は急いでも、気持ちは冷静に」

 

段々と厳しい表情になっていた立香を見てルーミアはそう言う。

 

「……うん、そうだね。その通りだ。ありがとう、ルーミア」

 

ルーミアに言われ、立香は呼吸を整え、周囲を見渡し、頭を冴え渡らせる。今一度、この状態を確認し、最善の行動を導き出す。今、自分が何をすべきなのか? それを客観的に見て、その情報を元に答えを構築していく。そしてそこで一つの結論を出した。

 

「魔女たちの元へ向かうのは中断しよう」

 

「へっ?」

 

立香の言葉に、すっとんきょうな声を出したのはチルノだった。

 

「何言ってるのよ?あんた馬鹿?それじゃあ村人たちがどうなったか分からないじゃない」

 

チルノの言葉にルーミアはキッと彼女を睨み付ける。自分のマスターを馬鹿にしたことが気に触ったようだった。

 

「ごめん、言葉が足りなかったね。向かいはするんだ。けど、皆で固まって動くのは止めよう。それじゃあ時間が掛かりすぎる」

 

立香は言葉を切り、ルーミアとチルノを交互に見る。そして自分の考えを話し始めた。

 

「ルーミア、チルノ。二人は固まってお互いに援護しつつ、魔女たちにパチュリーが来ていること。そして人員と物資の回収の為の時間を稼いで欲しいこと。最後にそれが完了したら地下の工房から逃げることを伝えて欲しい。それがある程度済んだら、またこちらに戻って欲しいんだ」

 

立香の指示を聞き、レミリアは彼がどんな結論を出したのかを察した。立香は目的を一つずつ達成するのではなく、全体の目標を同時進行で進めることにしたのだ。

今、自分たちがすべきことは魔女たちにこちらが立てた作戦を伝え、実行することと。そして村人たちの安否の確認及び保護だ。

だから立香は飛ぶことのできない自分からルーミアとチルノを分離させ、本来の機動力を取り戻した二人に情報伝達させることにしたのだ。そして自分たちは近場の魔女たちから村人たちの安否を聞く。危険性は増すが、それならば立香たちの役目を迅速に果たすことができる。

 

「敵を倒すのは後回しでいい。なるべく早く、魔女たちに作戦を伝えたいんだ。できる?」

 

立香の指示を聞き、ルーミアは小さく頷く。

 

「分かったのだー。でもマスターたちは?」

 

「俺とレミリアも同じようにする。二人は空にいる魔女たちを優先して欲しい」

 

ルーミアは微笑んでそれから上空へと飛び立っていく。

 

「あっ、ちょっと待ちなさいよ!」

 

チルノもそれに続くよう空へと昇る。それをしばらく眺めた立香はレミリアへと視線を落とす。彼女は満足そうな顔で立香を見上げていた。

 

「よし、俺たちも行こう」

 

「ええ、賢明な判断ね。見直したわ」

 

そのやり取りを合図に二人は走る。レミリアが近く敵を屠り、立香は空いた道を進んで、近くの魔女たちとの距離を縮める。

時間にして数分戦った後、唐突にレミリアは立香の体を掴んだ。

 

「レミリア!?」

 

「この距離ならいけるわ」

 

「それはどう言う──」

 

立香がレミリアの真意をしたところで彼の視界がぶれた。そしてかすれる視界と共に飛来するのは全身を包む風の感覚。凄まじい暴風が立香を襲った。

しかしこの感覚には見覚えがあった。それは立香がレミリアと共に紅魔館へ向かう際にワイバーンと空中戦を繰り広げたあの感覚。

そう、立香はレミリアに片腕で抱えられて空を飛んでいた。いや、正確には空とは言えないかもしれない。なぜならレミリアは地面すれすれを飛びながら槍で目の前の魔物をたちを弾き飛ばしながら進んでいたからだ。

それはレミリアが空を飛ぶワイバーンに目をつけられないように考えた故の行動だった。

 

「ぐえっ!」

 

先程まで凄まじい速度で飛んでいたレミリアが急停止したことにより、立香は腹に多大な衝撃を受けた。

 

「大丈夫かしら?」

 

立香を地面へと下ろしたレミリアは地面に両手両膝をつく立香へそう尋ねた。

 

「ま、まぁなんとか」

 

立香はそれに片腕を上げる形で返事をする。

 

「少々無理はしたけど、お陰で着いたわよ。邪魔物は排除しておくから、ゆっくりとお話しなさい」

 

未だに苦しそうにしていた立香だが、その言葉ではっと顔を上げる。そこには無表情でこちらを見る少女の姿があった。紫色のローブを来て、頭にはくたびれた三角帽子を被る姿。それは立香たちが目指していた魔女の姿だった。その魔女は突然現れた立香たちに驚いた様子も見せないで、ただ無表情に彼を見ていた。長く黒い前髪から覗かせるその目は、まるでガラス玉のように綺麗で無表情だった。

立香は先程まで苦しんでいたのも忘れたように、表情を引き締めゆっくりと立ち上がる。それからその魔女の正面に立ち、口を開いた。

 

「えっと……実は作戦を伝えたくて。まあ、パチュリーからの伝言だと思って貰えれば」

 

「……はい、分かりました」

 

目の前の魔女のあまりにも希薄な人間性に立香は思わずたじろぐが、彼は続けて説明をする。

 

「今、パチュリーが古城内にある必要な物資を回収しているんだ。あの地下の工房にある……」

 

「……ワープホールですか?」

 

「そうそれ!ワープホールを使って。それで自分たちは今からその為の時間を稼ぐことになっている。そしてパチュリーが物資の回収を終えたら全員ワープホールから逃げる。逃げるタイミングは何かしらパチュリーが教えてくれると思う。これが作戦なんだけど……」

 

 

「……理解しました」

 

説明を終えた立香は目の前の少女の顔色を伺う。唐突に伝えられた大きな作戦に対して何かしらの反応があるのではないかと思ったが、魔女はコンクリートで顔を固めたように表情を崩すことはなかった。その様子は生気を感じとれず、立香は自分が先程まで話していた彼女が本当に生き物であるのか一瞬、疑問を持ってしまう。

その間、立香が何も話さないので説明が終ったと判断したのか、魔女は戦闘に戻ろうと立香に背を向ける。そこで立香は慌てて彼女を呼び止める。

 

「少し待って、実は一つ聞きたいことがあって」

 

そう、もう一つの目的。半分はそれを聞くために彼女へ接触したのだ。今は見る影もない、彼らの居場所を聞くために。

 

「ここの中庭にいた村人たちはどこに行ったのか分かる?ここにはいないようだけど……」

 

魔女は止めた足を百八十度回転させ、再び立香に向き直る。そうして彼女は告げた。何てことのないように、まるで明日の天気を告げるように彼女は告げた。

 

「……全員亡くなりました」

 

「…………えっ?」

 

「……魔物が攻めてすぐ、全員亡くなりました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レミリアが立香の異変を察知したのは、彼が魔女と話してしばらくだった時だった。まるで思考が停止したかのように、ここが戦場だと言うことを忘れてしまったかのように、立香は呆然とその場に立ち尽くしていた。戦闘による轟音とは無縁の場所に独り彼はいた。

それは立香と話していていた魔女が彼から離れても終わる様子はなかった。

 

「……立香」

 

レミリアはそう呟き、切りかかってきたスケルトンを吹き飛ばしつつ、急いで立香の元へ急行した。

先程去っていった魔女と入れ替わるように、未だに立ち尽くす立香の正面に立った。そこでレミリアは始めて立香の顔を見た。立香は口許を震わせ、瞳も動揺しているせいか揺れ動いていた。

恐らく悲しんでいるのだろう。恐らく憂いているのだろう。でもそれ以上に放心と言う言葉が似合う様子だった。

 

「立香」

 

レミリアは再び彼の名を呼ぶ。今度ははっきりと、どこかにさ迷わせた思考を取り戻させるように、優しいような、それでいてどこか叱咤(しった)するような口調で彼の名を呼んだ。

しかしそれに対する反応は希薄なものだった。

 

「……死んじゃったみたい」

 

立香は脆弱に唇を動かした。

 

「殺されて、それでそのまま魔物になったんだって」

 

立香から語られた村人たちの結末。それはこの世界ならばどこにでも転がっているような呆気ない結末だった。

これまで何度も行われてきた人間の死。しかし立香はまだ二十年近くしか生きていない。だからつい最近まで言葉を交わしていた人物が死んでしまう、そう言った出来事を立香は一度も経験したことがなかった。

 

「分かってるよ。ここにいる人たちは聖杯が作り出した偽物(幻想)だってことは。それでも自分たちを受け入れて、それで暖かく接してくれたと言う事実は本物だと思うんだ。だから……」

 

立香は口を止めた。きっと、言いたいことがもっとあったはず。きっと、胸には多くの感情が渦巻いているはず。しかし立香はその先を口にしなかった。いや、もしかするとできなかったのかもしれない。未だに現実味のない事実が邪魔をして、立香の感情が外に漏れだすのを塞き止めているようだった。

 

「ええ、それでいいのよ人間」

 

そんな立香にかけられたのは、まるで不特定多数に向けられるような言葉だった。

 

「貴方たちはそう言う生き物だから」

 

しかし、そのベクトルは確かに一個人へと向けられていた。

 

「怪異よりも心の機微に鋭い。合理性より感情に左右されやすい。それが貴方たち人間よ」

 

誰でもない一人の人間──“藤丸立香”。レミリアは怪異として人間へ、年長者として年下へ、そしてサーヴァントとして自分のマスターへそんな言葉を彼へと送る。

 

「例え偽物(幻想)でも、作り物(紛い物)でもそれは貴方の中にあったのでしょう。ならば素直に悲しみなさい。素直に惜しみなさい。私はそう言う貴方だからこそ守ろうと思うのよ。でも、もうそんな姿の貴方はあまり見たくはないわ」

 

ぶれていた立香の視界が定まる。放棄しかけていた思考が軸を帯びて明確となる。先程まで動かぬ人形だった立香がそっと顔を上げる。そしてその目にレミリアを捉えた。

 

「……ごめん、レミリア。うじうじして」

 

先程まで力の抜けていた立香の顔に、今はハッキリとした力強さが見えた。彼らしい前向きさ、それを確認できたレミリアは、からかうように口を曲げ、立香を見やる。

 

「思っていたよりも立ち直りが早いわね。あと数日はこうしているのかと思ったわ」

 

「うん、そうだったかも。でも、失ったものに引きずられて、今をなくすことはしたくないから。だから悲しむのは帰ってからにするよ」

 

レミリアは思わず微笑む。そうだ、だからこそ私は貴方を認めたのだと。

決して何か突出した才能があるわけではない。頭脳も、体力も、魔力も、あらゆる能力が平凡なただの人間。そんな自分が彼をマスターとして認めた要因の一つは、その前向きさだ。くじけることなく先へ進む者であるからこそ、自分は藤丸立香の従う者(サーヴァント)であってもいいと思えたのだ。

 

「なら行きましょうマスター、今を──未来を守るために」

 

立香にも負けない前向きなレミリアの言葉。それに答えるよう、立香はニッとはにかむ。そうして再び二人は混濁する戦場へ赴く──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──はずだった。

 

「えっ?」

 

何の前触れもなく、切っ掛けもなく、突如として二人は銀に輝くナイフに囲まれていた。人が通れるような隙間もなく、その数十にものぼるナイフの切っ先は、立香とレミリアを中心に向けられていた。そしてそれら全てが勢い良く二人に襲いかかる。

 

「ッ!」

 

奇襲にしては濃すぎる密度の攻撃。しかしレミリアはそれに気がつくと一瞬で立香の足をすくってこけさせ、手に持った槍で幾つかのナイフを弾きながら立香に覆い被さった。

一瞬のことで何が起こったか分からずに、立香は呆気に取られる。しかし自分の頬にポタリと生暖かい雫が垂れることでハッと思考を浮上させる。

 

「レミリア!」

 

立香は叫ぶ。レミリアが自分を庇って負傷した。彼女の腕や背に刺さっているナイフがそれを証明していた。

 

「……大丈夫よ」

 

レミリアはそう言い、立香に覆い被さっていた体制から立ち上がる。それから忌々し気に体に刺さっているナイフを抜いて、地面へと放り投げる。

不思議なことに、レミリアから離れたナイフは地面へと落下すると、白い光の粒子となって消えていった。それはまるで、ナイフが空気に溶けるようだった。

 

「お変わりになりましたね、レミリアお嬢様」

 

レミリアが全てのナイフを抜き終えたその時、声が聞こえてきた。

凛とした、まるで雪解け水を思わせるような美しく透明な声だったからかもしれない。戦闘による轟音や、ワイバーンの咆哮が轟く中だと言うのに、その声は妙にハッキリと立香の耳へと潜り込んできた。

その声の持ち主はゆっくりと、それでいて優雅にこちらへと近づいてくる。

女性だった。月を反射する艶やかな銀髪のショートカットと、ミニスカートのメイド服姿が印象的な女性。顔はまるで超一流の芸術家が造り上げたかのように整っており、こちらを射抜く視線の元にある二つの瞳は、真冬のような冷たさを感じさせる青色だった。

 

「……貴方程じゃないわ。主人に刃を向けるなんて、随分な狂犬になったじゃない」

 

 

 

 

 

 

──ねぇ咲夜。

 

 

 

 

 

 

レミリアはそんなメイドの女性を正面から見据え、そう言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・以下小ネタ

立香「……レミリア!」

レミリア(痛くて泣きそうだけど、マスターの前でカッコ悪いところ見せたくない……)


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狂った指針

──咲夜。

 

レミリアの口から出たその名前は、目の前のメイドの名を指しているのだと立香は自然と察することができた。そして彼女たちの会話から、二人の関係性も察することができる。

 

──主人と従者。

 

恐らくそう言った関係なのだろう。紅美鈴と同じ、紅魔館で働いていた者、それが聖杯による力でレミリアに対立する立場となった。

そんな結論を出した立香は自然と体に力が入る。それはあの日、レミリアが敗北した日を思い出したからだ。紅魔館に属する者が普通のはずがない。それは先程、自分たちが一瞬でナイフに囲まれたことからも分かること。その現象は恐らくこのメイドが起こしたのだろう。だから立香は心配する。もしここでレミリアが負けたら…と。

 

「こんな所でレミリアお嬢様にお会いできるとは思いもしませんでした。美鈴(メイリン)から存在は聞かされていましたが、まさかここの魔女たちと結託しているとは」

 

「私もまさか貴方がいるとは思いもしなかったわ」

 

「私はこのアンデットたちの指揮を任されていますので」

 

「紅魔館のメイド長も魔物を従えるまで出世するとわね。そんな権限与えたつもりはないのだけれど」

 

立香の心配を他所に二人は会話を重ねていく。きっといくら重ねたところで先の未来は変わらないと言うのに。それはもしかすると、主従関係であった頃の名残なのかもしれない。(たわむ)れと言える程の可愛さはないが、恐らくそれに似た会話を二人は交わしているのだ。

しかしそんなものが長く続くはずもない。ちょっとした切っ掛けで、そんな細い糸のようなやり取りは終わりを見せた。

 

「残念ながらレミリアお嬢様。現時点で貴方様は紅魔館の主ではないのですよ。そんな権限は今の貴方にはない。故に──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「邪魔をなさるなら排除するまでです」

 

咲夜はそう言っていつの間にか手に持っていたナイフをレミリアに向けて投擲した。レミリアは突然の攻撃にも焦る素振りすら見せずに、こちらに向かってくるナイフを受け止め、それをそのまま握り潰した。

 

「メイドごとぎが、この私にたてつくと言うの?思い上がりも良いところね。恥を知りなさい」

 

レミリアの低く重厚な声と殺気が彼女の周囲から放たれる。ここは既に戦場だと言うのに、立香はここより更に危険な場所へと放り込まれたような錯覚を覚えた。そのことからレミリアと咲夜の戦闘が始まるのは秒読みだと察知した立香は後ろから自分のサーヴァントへ声をかける。

 

「レミリア!」

 

立香はレミリアの名を呼ぶが、彼女は振り向かない。しかしそれでも十分だった。いや、分かっていたと言うべきだろう。レミリアが敵を目の前にして、相手から視線を外すような馬鹿な真似はしないと。

だからマスターとして立香は言うべき言葉をかける。立場がどのようなものであれ、体裁だけだとしても自分はマスターでレミリアはサーヴァント。

だから──

 

「俺がいるから」

 

だから一人ではないのだと。

レミリアはその言葉を受け取ると、前を向いたまま小さくこくりと頷いた。レミリアの後ろに立つ立香からは彼女の表情を見ることはできない。挑戦的に笑っているのか、それとも真剣に顔を引き締めているのか。しかしこれだけは言えた。きっと今の彼女は自分が安心できるような、そんな頼もしい顔をしているに違いないと。

 

「はっ!」

 

先に仕掛けてきたのは咲夜だった。彼女が手に持った銀のナイフを投擲する。それは真っ直ぐレミリアへと向かっていく。この程度ならレミリアが傷つく要素はない。しかし次の瞬間、ナイフが分裂するように増え、それが一斉にレミリアへと襲いかかった。一つのナイフが一瞬にして数を増やし、刃の壁と化す。

しかしレミリアは慌てた様子を見せずに、魔力を帯びた槍を凪ぎ払い、真紅の暴風を発生させ、ナイフの全てを吹き飛ばした。

 

「奇襲のつもりかもしれないけれど、貴方の能力を知っている私には通用しないわ」

 

レミリアは咲夜を見据えたままそう言い放つ。咲夜も攻撃が全て防がれたと言うのに、余裕の表情と立ち振舞いを崩さず、済まし顔でレミリアに答えた。

 

「それはそうかもしれません。流石はレミリアお嬢様。しかし──」

 

そう言い残した瞬間、レミリアの周囲をナイフが覆う。それは始めに咲夜がレミリアに対して行った攻撃と全く同じだった。レミリアは槍でナイフを弾くと同時に横へずれ、ナイフの包囲網から抜け出る。その瞬間だった。

 

「それは私も同じことです」

 

レミリアの目の前に、いきなり咲夜が現れた。そして咲夜は手に持ったナイフで素早くレミリアへと切りかかる。月を反射してギラリと鋭く光る刃物の切っ先が、レミリアの頬をかすった。

レミリアはそれを気にする様子もなく、槍の持っていない手で咲夜の腕を掴むと、そのまま前方へと投げ飛ばす。そしてその方向へ追撃するように蝙蝠のシルエットを模した紅い光弾を三つ手の平から打ち出した。

投げ飛ばされ、宙を舞っていた咲夜が地面へと着地したタイミングで、その三つの光弾が咲夜に襲いかかる。咲夜は横へと走り抜け、その光弾を避けようとするが、まるで本物の蝙蝠のように光弾は咲夜を目掛けて追従する。

避けきれないと察したのか、咲夜はナイフを投擲し、その蝙蝠の光弾を相殺させる。爆発が起き、その風で砂煙が舞った。そしてその砂煙を切り裂くように、レミリアは咲夜との距離を素早く詰め、真紅の槍で突きを放つ。そのあまりのスピードに咲夜は対応する暇もなく、槍に貫かれる──と思ったが次の瞬間には彼女の姿はどこにもなかった。

立香は咲夜がどこに行ったのかと周囲を見渡す。魔物と魔女たちが戦う戦場で彼女を見つけるのは難しいかと思われたが、彼の探す人影は呆気なく簡単に見つかった。

 

「…………レミリアお嬢様の戦い方や弱点を熟知している私がこうも押されるとは」

 

咲夜はレミリアから少し離れた場所に、毅然とした態度で立っていた。しかしその態度とは裏腹に、彼女の右手からは少なくない血が流れ出ている。腕から指先に流れる紅い線はまるでレミリアの持つ槍のような色であった。

 

「さっきので仕留めるつもりだったんだけれど。ホント、相手にしてみると厄介ね。貴方の『時間を操る程度の能力』は」

 

「『時間を操る程度の能力』!?」

 

立香は予想していたよりも数段、凶悪な能力に思わず驚愕の声を上げる。いきなりナイフが増えたり、瞬間移動したように見えたのは確かだが、まさかそこまでの能力とは思ってもいなかったのだ。

 

「時間を操ると言っても制約は多いわ。大層な名前ではあるけれど、必要以上に恐れる必要はない。まあ強力な能力であることは間違いないのだけれど」

 

レミリアは立香を安心させるように咲夜の能力についてそう説いた。それを聞き、立香は安堵の息を吐いた。それはレミリアの言葉の内容を聞いてそうしたのではない。彼女の口調が、態度が──「私が勝つから問題ない」とそう(さと)しているように感じられたからだ。

故に立香は安心する。レミリアがそう言うのなら間違いないと。その言葉が外れることはないと。そしてレミリアもそんな立香を見て思わず微笑みを漏らす。それは自分の言葉に対して、立香が信頼を寄せたからだった。

そんな二人のやり取りを黙って見ていた咲夜は、ふとその蒼い瞳から放たれる視線を、すっとレミリアから彼女の後ろにいる立香へと移す。今まで眼中になど無いと無視されていたと言うのに、いきなり自分に彼女の注目がいったことに立香は思わずたじろぐ。

咲夜はしばらく観察するように立香を眺めていたが、やがてそっと口を開いた。

 

「今のお嬢様は冷静でいて、そしてどこかしっかりとした芯のようなものを感じます。お嬢様は何百年と生きておられますが、どこか子供のような幼さ、と言うよりは危うさがあるのです。しかし今はそれが全く感じられない」

 

咲夜は立香に目線を向けながらスッと目を細める。

 

「どうやら貴方がお嬢様の強さ本元のようですね」

 

そう言い終わるや否や咲夜は手に持っていたナイフを一本、立香へ向けて投擲する。いかに人間らしからぬ身体能力を持っている咲夜の投擲とて、三十メートル程離れた距離ならば立香も避けることができる。

 

──そう、本来ならば。

 

「ッ!」

 

立香は驚愕で反射的に目を見開く。それは咲夜が投擲したナイフが想像の何倍ものスピードで飛んできたからだ。先程までレミリアに投擲していたナイフのスピードとは比較にならない速さ。人間が投げたにしてはあまりに不自然なスピードに、立香はとある推測が頭によぎった。

 

──まさかナイフの移動時間を短縮している!

 

咲夜の能力を加味した推測が思い浮かぶが、しかし今さら気がついたところで遅い。既にナイフは咲夜の手元から離れ、立香に迫っている。立香自身も咲夜の奇襲のせいで、体が反応できていない。このままいけば鋭利な刃先が立香の体に突き刺さるだろう。

しかし彼のサーヴァントであるレミリアは焦った様子も見せずに、足を動かす素振りすら見せない。レミリアも立香と同じように反応できなかったのだろうか?いや、違う。彼女は気がついていたのだ。立香の元に自分と同じ立場の少女が来ていることを。

 

ボン!と咲夜の投擲したナイフが横より被弾した水色の光弾によって弾かれる。小さな爆風により立香は思わず目を目を閉じ、顔を両の腕でガードする。そうして爆発が収まったところで彼が目を開けると、そこには自分のもう一人のサーヴァント──ルーミアが目の前で背を向け立っていた。

 

「マスターは私が守る!」

 

ルーミアはそのままの姿勢で堂々とそう宣言した。咲夜は立香を守るように立つルーミアを冷ややかな目で見つめながら、再びナイフを手の中に出現させる。

 

「弱小妖怪ごときが私を止められるとでも?」

 

咲夜の挑発とも取れる言葉にルーミアは返事をせず、グッと目元に力を入れて彼女を睨む。

 

「ルーミア、ありがとう」

 

立香はルーミアに守られたことへの礼を言葉で表す。ルーミアはそれを聞いて、立香の方へ首だけを回し、にっこりと微笑んだ。

 

「私はマスターのサーヴァントだから当然なのだ」

 

ルーミアの頼もしい返答に立香は背中を支えて貰っているような頼もしさを覚える。

しかしそこで立香は一つの疑問を口にする。

 

「チルノは?」

 

ルーミアとチルノは二人で魔女たちに作戦を伝えて回る手はずだった。しかしここにはチルノの姿はなく、ルーミアただ一人だけが立香の目の前に現れた。だから彼はそんな質問をしたのだ。

 

「もう魔女たち全員に作戦を伝えたから、他の所の援護に行ってる」

 

どうやらルーミアたちは最低限のノルマはクリアできたようだと立香は内心でよく頑張ったと二人を誉める。

ならば後は自分たちが撤収までの時間を稼ぐだけだと、目の前に立ちはだかる強敵に意識を集中させる。

 

「レミリア、ルーミア行ける?」

 

「口にするまでもないわ」

 

「大丈夫!」

 

二人のサーヴァントによる頼もしい返事。これなら大丈夫だと確信した立香は二人に指示を出す。

 

「今回は作戦遂行を第一に考えよう。無理に倒さなくていい。できるだけ時間をかせいで」

 

「了解よ」

 

「分かったマスター」

 

立香の指示に二人が頷いた瞬間だった。咲夜が再び大量のナイフを投擲する。敵が二人に増えたからなのか、その数は今までよりも遥かに多かった。

しかしレミリアとルーミアは迫り来る刃の群れに臆することなく、弾幕を放ち、ナイフ一本一本を的確に相殺していく。お互いの遠距離攻撃がぶつかり合う中、その騒音に紛れて咲夜の凛とした声が響き渡る。

 

「『血濡れの串刺し人形(殺人ドール)』」

 

咲夜を円形に囲むようナイフが回転しながら出現し、それらが規則正しく縦列になってレミリアに襲いかかった。凄まじい速度でナイフの群れが一本の線として飛来する様はまるで銀のレーザーのようであった。

 

「『悲惨なる運命の鎖(ミゼラブルフェイト)』」

 

咲夜の生み出したレーザーに対してレミリアもスペルを放つ。レミリアの周囲に五本の紅い鎖が出現し、それぞれがナイフのレーザーに向かってて正面からぶつかり合う。

金属同士が勢いよく衝突した甲高い音が轟音となって立香の鼓膜を大振りに叩いた。

衝撃波とその音に立香は思わず視界を瞼と腕で遮る。

そして立香が目を開けた瞬間、そのタイミングを見計らったようにルーミアがスペルを発動する。

 

「『夜光鳥(ナイトバード)』」

 

ルーミアのスペル宣言が行われると同時に、咲夜を包むよう彼女は黒の球体に飲み込まれた。それからルーミアは手を左右に振りながら水色と青色の段幕を咲夜に向けて展開する。どうやらルーミアの『闇を操る程度の能力』で咲夜を暗闇で覆っているようだった。これで視界を遮り、遠方から弾幕で攻撃するスペルのようだ。

 

「小賢しいスペルですね。ですが──」

 

一瞬、忌々しげな声が黒い球体の中から発せられる。しかし次の瞬間には──

 

「こうしてしまえばいいことです」

 

その声はルーミアの後ろから聞こえてきた。

 

「うがッ!」

 

背後を取られたルーミアは咲夜に背中をナイフで切りつけられ、そのまま後ろ蹴りにより地面へ吹き飛ばされる。

 

ルーミアは自分のスペルが呆気なく破られたことに驚愕の表情を漏らすが、それは何ら不思議なことではなかった。確かに戦闘において視界を潰すのは大きなアドバンテージになる。しかしそれを克服する(すべ)は決して少なくない。それはパチュリーがルーミアを倒したことからも明かだった。

 

「ルーミア!」

 

立香はルーミアが負傷したことを察すると、魔術礼装によって使用できるようになった“応急手当”を発動させる。着ている服もろとも裂けていたルーミアの肌は、まるで逆再生するかのように元通りになっていく。

立香の治療により傷がふさがったルーミアは荒れた息を整えながら、上半身だけを起き上がらせ顔を上げた。

するとそこには無機質な目でこちらを見下ろす咲夜の姿があった。

 

「所詮貴方はちっぽけな存在。弱々しい弱小妖怪。どうやら貴方の主人はレミリアお嬢様と同じのようですが、主を守れない従者など何の価値もありません」

 

「ッ!」

 

咲夜が冷たく言い放った台詞にルーミアは顔を歪め、歯を食い縛る。

そこで咲夜がルーミアに向けてナイフを振り下ろそうとした時、横から真紅の弾幕が咲夜を襲来した。咲夜はルーミアへ振り下ろそうとしていた手を引っ込めて、そのまま後方へと跳んで下がる。

 

「主人を裏切った貴方がそれを言う資格は無いわ咲夜。彼女は仮にも私が立香のサーヴァントであることを認めた。なら貴方が横槍を入れるのは無粋と言うものよ」

 

レミリアは弾幕を放つ為に上げていた手を下げ、それから咲夜が退いた方向へ立ち直った。

その隙にと立香はルーミアの元へ駆け足で寄り、膝を折って未だに立ち上がっていない彼女の顔を覗き込んだ。

 

「大丈夫? ルーミア」

 

「……うん。ごめんなさい、マスター」

 

ルーミアは枯れてしまった花のように顔を歪め、目尻を下げる。今まで雑じり気の無い無邪気なルーミアの顔しか見ていなかった立香は、僅ながら始めて見せる彼女の表情にどのような声を掛ければいいか迷う。

心無い反射的な言葉はきっとルーミアを傷つけてしまう。そんな悩みを頭に巡らせているその時、まるでそれを強制的に中断させる声が遠方より飛来した。

 

「立香さん、皆さん!」

 

自分たちの名前を呼ぶ声の方向に顔を向け、視線をやると、そこには空を飛びこちらに向かってくる大妖精とチルノがいた。

 

「準備が整いました!撤退しましょう!」

 

彼女たちは攻撃してくるワイバーンを弾幕で払いのけながら、立香たちへ必死にそう叫ぶ。

周囲を見てみれば、魔女たちも各々魔物を迎撃しながら古城の方へと向かっていた。

 

「二人とも、撤退しよう!」

 

「ええ、貴方たち私に捕まりなさい」

 

レミリアはそう言い、吸血鬼の飛行速度で一気に立香とルーミアを両手で抱えてそのまま古城へと一気に向かう。

そのスピードは凄まじく、こちらに撤退の知らせを告げに来た大妖精とチルノを抜き去ってしまう程だった。

魔女たちの殆どは既に古城の内部へ撤退し、それを追うのは立香、レミリア、ルーミア、大妖精にチルノの五人。魔物たちはそれをただ攻撃していくが、遠方より魔女たちの魔法による援護が入る。しかし妙な所は魔女たちが使う魔法が攻撃魔法より、動きを止める“バインド”等の魔法を使っている点だった。

そんな戦況をじっと観察していた咲夜は目を細め、そっとこう呟いた。

 

「……なるほど。そう言うことですか」

 

そう言い終わった瞬間、咲夜の姿がその場から書き消える。そして、瞬きをする間もなく、咲夜はレミリアたちの前へと現れた。既に咲夜は立香とルーミアを抱えるレミリアにナイフを振り下ろす体勢が整っていた。

 

「逃がしません」

 

「ッ!」

 

ナイフを咲夜が振るった瞬間に視界がぶれる。それがレミリアが咲夜のナイフを避けたことによって起こった現象だと立香は遅れて気がつく。

咲夜の攻撃が失敗に終わったことに安堵した立香だったが、それも束の間、今度は真横から当然飛んできたワイバーンによる爪の刃がレミリアを襲った。レミリアはそれを紙一重で避け、そのままそのワイバーンを蹴り飛ばした。

 

「ルーミア。いつまで私の手をふさいでいるのかしら?貴方も立香のサーヴァントならそれに相応しい働きをしなさい」

 

「……うん。ごめんなさい」

 

レミリアはルーミアの謝罪を合図に彼女を抱えていた手を離す。まだ表情に曇りは見えるものの、その目はしっかりと眼前の敵を捉えていた。

 

「ちょっと、置いていかないでよ!」

 

「ま、待ってくださ~い!」

 

そのタイミングでレミリアたちの後ろを追っていたチルノと大妖精も合流する。かなり急いで来たようで、二人の体から焦りと疲労感が漂ってきていた。

立香はごめんごめんと謝りながら、苦笑いを浮かべる。

 

「さて、マスター。ここからどうするの?」

 

まだ撤退できていない五人が揃い、レミリアは現状直面している問題について尋ねる。

目の前には時を止めることができる咲夜。そして周囲には咲夜が従えるワイバーン。地面にはスケルトン等の魔物たち。四面楚歌とはまさにこの事だった。

この敵の包囲網をなるべく早く突破して、古城の地下工房に戻らなくてはならない。でなければ時間を稼いでくれている魔女たちの戦況が崩れ、自分たちの撤退する余裕がどんどんとなくなってしまう。

立香はレミリアに抱えられながらも、目を閉じてこれからどう行動すればいいのかを考える。どうすればこの包囲網を突破できるのか? どうすれば一刻も早く魔女たちと合流できるのか?

脳の血流が速まるよう、立香の思考もそれに合わせて加速する。そして彼は一つの作戦を思い付いた。

 

「……このまま空中戦でいこう。とにかく撤退を優先する。ねぇルーミア、古城全体を闇で覆うことはできる?」

 

立香は自分の横に浮いているルーミアへと尋ねる。

 

「できる……とは思うけどそこまで力を使っちゃうともう戦う力は残らないかも」

 

「俺からも魔力を全力で渡すから、お願いしていいかな?」

 

「うん、分かった」

 

「それから──」

 

立香は一人一人に指示を出し、作戦の内容を伝える。その様子をいぶかしんで目を細めていた咲夜だったが、次の瞬間、彼女は大きく目を見開くこととなる。

 

「『黒檻』!」

 

「これはッ!?」

 

突如として視界が全て黒へと染まる。ただ目を閉じた時よりも深く、暗い闇が彼女の世界を塗りつぶした。咲夜は直ぐ様、これがルーミアの能力だと察するのと同時に、その意図を理解する。

恐らくこの暗闇に乗じて古城へと逃げ込むつもりだと。

 

「させません!」

 

咲夜は反射的に能力を使い、周囲の時を止める。しかしそこで察したのだ。

時を止めたところでこの暗闇の中からレミリアたちを探し出すのは不可能に近いと言うことに。

レミリアたちは視界が働かなくとも、ただ城のある一方向を目指せばいいが、咲夜は特定の人物を探さなければならない。その難易度の違いは比べるまでもないだろう。

 

「ッ! やってくれますね!」

 

咲夜は忌々し気にそう吐き捨て、時の制止を解除する。無駄に時を止め、力を消費するのを避けたかった為だ。

しかしその瞬間、古城を覆っていた暗闇が一気に消え去り──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──鼻先数センチに紅い光弾が迫っていた。

 

「がっ!?」

 

咲夜は理解が追い付かないまま全身に幾つもの衝撃を受け、空から地面へと落とされる。そして彼女の体が地面に落下した瞬間、今度は目の前に青い妖精の姿が見えた。

 

「『完全なる氷結(パーフェクトフリーズ)』!」

 

そして彼女の全身は針を刺されたかのような冷たさで覆われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今のうちに!」

 

地面へ縫い付けられるよう、全身を氷漬けにされた咲夜を確認した立香は全員へ伝わるようにそう叫ぶ。

それが伝わったのか、四人はワイバーンの攻撃を避け、時には迎撃をし、古城へと一直線に向かう。

端から見れば、なぜ咲夜がこうなったのか理解し難らいと思うが行ったことは簡単だった。

ルーミアの能力で古城全体を暗闇で覆い、自分たちがそれに紛れて古城へ向かったと思わせる。そこで魔力の感知をされない程度の攻撃を咲夜に当て、そして咲夜を一瞬無力化した隙に、チルノのスペルで凍らせる。

本来なら暗闇の中で攻撃をピンポイントに当てるのは至難の技だが、レミリアの『運命を操る程度の能力』を使い因果率を操作すればそれは難しいことではない。そして咲夜の時を止める力も彼女の体自体を封じてしまえば、何の意味を成さない。

これが立香の立てた作戦の全てだった。

 

「一応、咲夜の足は止めたけれど、彼女なら氷の溶ける時間を早めて直ぐにでも復帰するわ。急ぎましょう」

 

レミリアの言葉に全員が頷いて、各々古城へ進む速度を上げていく。ワイバーンたちが邪魔をしてくるが、魔女たちの魔法による援護がその驚異を大きく下げていた。

そしてそのまま五人は飛び込むように古城の内部へと入り込む。

 

「着いた!」

 

怒濤の撤退劇を繰り広げた立香は古城の床へとレミリアに体を下ろしてもらった瞬間、思わずそう叫んだ。

 

「まだよ、ここから森へ帰るまで油断はできないわ」

 

レミリアの引き締まった要慎な言葉に立香は頷く。そして魔女たちと共に古城の地下工房へと繋がる大きな扉を目指し始める。カツカツと幾つもの足音が古城の廊下に響く中、後ろから魔物たちの咆哮がこちらを追従するように聞こえてきた。

しかし立香はそれが聞こえない程、無心にただ足を前へ前へと動かす。一歩でも前へ、一秒でも早く。彼の走りにはそんな意志が垣間見えた。

その甲斐あってか、立香の視界に目標としてきた大扉がハッキリと見えた。古びた木でできた大扉は立香たちを迎え入れるように左右へと大きく開かれている。

そこに魔女たちと共に飛び込むように入った立香は後ろを振り向く。そして魔女たち全員が扉の内側に来たことを確認した立香はルーミアへと指示を出す。

 

「ルーミア、道を塞いで!」

 

「了解、マスター!」

 

ルーミアは立香の指示を受け、地下工房へと繋がる階段の周囲に光弾を放つ。それにより瓦礫はガラガラと音を立てながら落下し、階段の入り口を完全に塞いでしまう。

 

「チルノ、ここを凍らせられる?」

 

「アタイを誰だとおもってるのよ? それぐらいラクショーよ!」

 

崩れた瓦礫に吹雪のような冷風を当て、凍り付かせるチルノ。それが終わると五人は急いで階段を下り、地面の底へと潜っていく。先程まで様々な轟音が響いていたと言うのに、今はただ世話しなく鳴る靴音だけが寂しく耳を撫でるだけだった。

こうして数えるのも億劫になる程の石段を踏み、立香たちは地下工房へとたどり着く。そこで待っていたのは立香たちと共に戦った魔女たち。そしてそれを束ねる紫色の魔女──パチュリーだった。

 

「よくやったわ。お疲れ様」

 

パチュリーは立香たちを視界に入れると、労いの言葉を口にした。

立香はそれに微笑みで返す。その顔には一言では表せられない様々な感情が見て取れた。

安堵、喜び、疲労──そして哀しさ。それらが一つの塊となって混じり合ったかのような弱々しい笑み。

今、彼の顔を飾っているのはそんなモノだった。

パチュリーはそんな立香の顔から、彼の後ろに位置する階段にチラリと目線をずらした。

 

「……これで全員かしら?」

 

「……うん」

 

「……分かったわ」

 

パチュリー返事をすると、後ろを向いて呪文を口にする。工房に大きな紫の魔法陣が浮かび上がり、そこにいる全員を覆っていく。そして次第にその魔方陣の光が強くなり。最後には真っ白な閃光と共に彼らの姿は跡形もなく消え去った。

 

それと同時に、紫の禍々しい破壊の光が太く巨大な塔のように天を貫き空へと消えていった。

魔女たちの住んでいた、古びた小さな城と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見事に作戦を完遂(かんすい)できた立香たちに対し、その祝いと歓迎を込めてささやかな祝宴が開かれた。集落の中央にある大きめな広場で、村人たちによる歓迎の声がこだまする。村人たちも、もう立香たちを仲間だと認識したのか気軽に声をかけ、料理を運び、空になった盃に飲み物を注いでいく。里を上からも横からも囲む大樹たちも、その賑わいに混じるよう、木葉を揺らし騒ぎ立てていた。

焚き火が闇を照らし、その火の先が騒音や風で揺らめく中、立香は地面に敷かれた敷物の上に腰を下ろして宴の風景を眺めていた。立香の横にはレミリアとパチュリーが彼と同じように座り、各々赤ワインの入った盃にそっと唇を着けていた。

 

「何とも品の無い宴会ね。幻想郷を思い出すわ」

 

レミリアは手に持っている盃をくるくると回しながら、呟くようにそう言った。

 

「幻想郷の宴会ってこんななんだ」

 

「ええ、似たようなものよ。騒ぐ者は騒いで、静かに呑む者は呑む。今を語る者もいれば、過去に()せ、未来を紡ぐ者もいる。言ってしまえば混沌(カオス)ね。酷いものよ」

 

レミリアはそう言うが、口角は軽く上に上がり、どこか暖かく優しい微笑みを浮かべていた。

立香は「そっか」と力が抜けるように笑い、手に持ったアルコール濃度の低い酒を口にする。

そんな立香を横目で見ていたレミリアはふと思い付いたと言わんばかりに眉を上げ、今度は顔を立香の正面へと回す。

 

「この異変が解決したら貴方も参加すればいいわ。誰かの宴会を待つと長くなるかもしれないから私が主催する。貴方が外の世界に帰るまでに開催しましょう」

 

「ええっ!?」

 

レミリアの突発的な発言に思わず口にした飲み物を吐き出さそうになる。それから戸惑ったような手つきで盃を地面へと置いた。

 

「でもそれって迷惑じゃない?」

 

「何を臆することがあるのよ。貴方は主催者(わたし)のマスターなのだから、堂々としていればいいのよ」

 

呆れたようにそう言ったレミリアの言葉に、今まで黙って二人の会話を聞いていたパチュリーは可笑しそうにクスリと笑った。

 

「他の参加者はさぞ驚くことでしょうね。あのレミリア・スカーレットを従者(サーヴァント)にした人間がいることに。もしかしなくとも天狗の新聞にあることないこと書き込まれるわよ」

 

「ふん、言わせたい奴には言わせておけばいいのよ」

 

レミリアはどうでもいいと言わんばかりに言い放ち、再び馬鹿騒ぎの起こっている宴会の中心である場所を見た。立香もそれに合わせるよう、その方向へ視線を移す。

そこではチルノが訳の分からない演説をしながら、飲み食いしている様子があり、それを煽る村人と、収めようとする大妖精の攻防戦が行われていた。

何とも彼女たちらしいと思わず笑みを溢した立香だったが、そこで何かこの空間に足りないモノがあることに気がついた。

立香は周囲を見渡し、闇のように黒い服と冴えるような金髪が特徴の少女、そのシルエットを探す。しかしいくら目を見開き、光を多く取り込んでも、その姿を見つけることはできなかった。

 

「……ルーミアは?」

 

「やっと気がついたのね」

 

レミリアは面白く無さげにそう言い放ち、指先でとある方向を指し示した。その白く透明な道案内の先は光の遮られた木々の群れがじっと仁王立ちしていた。

 

「ここから少し離れた所に一人でいるわ。理由は貴方から聞き出しなさい」

 

彼女はそれだけ言って、盃に入っている酒をチビりチビりと飲み始めた。まるで立香を意識から完全に外してしまったかのように。

 

「ありがとう、レミリア」

 

立香はそう言い残し、レミリアが指差した方向へと歩き始める。足がアルコールにより左右へとつつかれながらも、確実に向かうべき方向へと進む立香。

そんな彼が探していた後ろ姿を見つけたのは、宴の光が(かす)かに見える集落の端っこだった。足を折り畳み、体全体で三角形を作って座るその背中はいつも以上に小さく、縮こまっているように見えた。

 

「ルーミア、こんな所で何してるの?」

 

立香はその小さな背中を撫でるような柔らかい口調でそう問いかけた。

するとルーミアは後ろを振り返り、小ぶりな唇を儚げに動かす。

 

「……マスター」

 

自分を指し示す単語言葉を受け、立香はルーミアの横に並ぶよう地面へと腰を下ろした。

それを歓迎するよう、頭上でかさりかさりと乾いた音が鳴る。

 

「ごめんなさい、もうすぐ戻るつもりだったの」

 

「うん、俺もルーミアがいないと寂しいからね」

 

立香のそんな言葉を聞いたルーミアは綿のように柔らかな微笑を浮かべ、「やっぱりマスターは暖かいね」とそんな台詞を添えた。

それに伴い、立香の中にある違和感が浮上する。

 

「……何か考え事?」

 

ルーミアの元気で明るい様子はどこへ行ってしまったのか。彼女はそれを遮るような暗い表情でどこか遠くを見るように前を向いていた。

そして語り出す。弱々しく、稚拙な声で。

 

「ねぇ、マスター。私ってマスターのサーヴァントでいていいのかな?」

 

彼女は言葉を切り、きゅっと両手で膝を抱える。小さな体を更に小さく、そして凝縮させた。

そのまま放っておけば最後には見えなくなる程小さくなってしまうのではないか? 彼女の様子はそんな不必要な心配を思わせる程だった。

 

「あのね、マスターは私の飢えを押さえてくれて、命まで助けてくれた。だから私はマスターの役に立ちたい。でも私がしているのはマスターの魔力を奪っているだけ。今日の戦いでもあんまり役に立てなかった。咲夜にもやられちゃったし」

 

ルーミアは前から立香の方へと顔を回す。

 

「私、マスターを守れるほど強くないの」

 

ルーミアの瞳はどこか不安げに揺れていた。先程まで見ていた宴、そこで揺らめく炎の先端のようにゆらりゆらりと揺れていた。風が通れば大きくぐらついてしまう、そんな炎のように。

立香はそんなルーミアの心の内を聞き、安心したように肺の空気を外へとおざなりに吐き出した。いや、事実安心しているのだろう。何故なら彼は、どこまでも澄んだ真っ直ぐな瞳でルーミアを見つめているのだから。

 

「何言ってるの。ルーミアは十分俺の役に立ってくれてるさ。魔物からも守ってくれたし、それに古城に逃げる時もルーミアの力がなかったらあんな簡単には逃げれなかった」

 

立香は未だ、不安定に揺れ動くルーミアの瞳を正面から受け止める。

 

「ルーミアは確かにレミリアや咲夜さんよりは弱いかもしれない。それでも俺は十分過ぎるほど助かってる」

 

そして嘘偽り無い、自分の体の奥底から溢れ出る言葉を飾らず、そして削らず全てそのまま声で表す。

 

「こんなに凄いサーヴァントの為なら俺の魔力なんか安いものだよ」

 

そう言いきり、立香は手を上げ、赤子に触れるような手つきでルーミアの頭に手を置いた。

 

「だからルーミアは俺の自慢のサーヴァントだ」

 

言葉をもって、行動をもって、態度をもって、彼の全てをもって立香はルーミアへと表した。

感謝、信頼。自分がルーミアと言うサーヴァントをどれだけ必要としているのかを立香はただ純粋に語ったのだ。

ルーミアは立香の言葉に何一つとして偽りがないと感じたのか。柔和にひっそりと小さく微笑んだ後──

 

「そーなのかー」

 

そう言って彼女は“常闇の妖怪”に似合わない真昼のような満面の笑みを浮かべた。

古城に帰ってから、明るい顔をしていなかったルーミアの生き生きとした笑顔が見れたからか、立香も彼女に負けじと頬を切り裂くように口を大きく開けてはにかんだ。

 

「さあ、宴会に戻ろうか」

 

「うん!」

 

立香は立ち上がって、大きく背を反らす。まるで月に向かい威嚇しているようなその動作は、まるで周囲の大樹に負けじと背丈(せたけ)を伸ばしているようだった。

体の筋肉を伸ばし終えた立香は宴の場所に戻ろうと足を前へ出そうとした。しかしそこでルーミアが未だに座ったままで、そしてじっと真ん丸な瞳で自分を見上げていることに気がついた。一体どうしたのだろうかと疑問を口にしようとした直後、先にルーミアの口が開かれた。

 

「……ねぇ、マスター」

 

「ん?」

 

「手、繋いで欲しいな」

 

姿勢はそのままに、片手を真っ直ぐ立香に向かって伸ばすルーミア。弱々しさを感じさせるか細く幼い手。しかしその手は暖春(だんしゅん)に立つ若木の枝のような強剛(きょうごう)さで形を保っていた。

立香はにっこりと笑いルーミアの願いを頷いて了承する。そしてルーミアの小さな手を覆うように、自分の手を彼女と重ねる。そしてどちらともなく、ぎゅっと二人の手は結ばれた。

力を込めて少女を立ち上がらせる立香。

助けられる形で、男に引き上げられるルーミア。

並び立つ二人の影は、繋がり二つとなった。

そして二人はそのまま、賑やかな声が響き、夜を照らす炎の明かりの方へと進んでいった。

どちらに合わせるでもなく、仲良く並んで歩くその姿。

それは主人と従者と言うよりは、仲の良い兄妹のよう見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ルーミアは元々、「すっごく好き」って感じじゃなかったんですけど、書いてると何故か好きなキャラになってしまった。
自分はあんまり書いてるものに自己投影しない派の人間(特に今回は主人公が既存キャラなので)なのですが、後半もしかすると無意識にそうしてしまったのかもしれない。

と、書き終わった後に思いました。



・以下小ネタ

立香「咲夜さんって、時間止めれるんですよね?なら男湯とか覗いたりするんですか?」

咲夜「……貴方、将来の夢がハリネズミだったりするのかしら?私なら叶えてあげられるわよ」


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あれから七日間後

立香の目覚めはいつも、ある一つの音によって始まりを迎える。

 

──コン、コン。

 

チルノたちから借りている小さな一軒家。その外から規則的に聞こえるそんな乾いた音。断続的に途切れることなく、それは地平線に伸びる一本の線のように終わりが見えなかった。

 

「……ん」

 

意識が覚醒させた立香は小さなうめき声と共に瞼を持ち上げた。そして誰かに操られるよう、ベッドから体を起こし、寝巻きからパチュリーに製作してもらった魔術礼装へと着替え始める。

未だに寝ぼけているのか、どこか危うい足取りで今にも転んでしまいそうになりながらも、無事に立香は着替えを終わらせる。

 

──コン、コン。

 

立香が着替え終わった今でも、外からはあの乾いた音がいつまでも響き渡る。少しも変わることのないその音は、まるで自然から起こる人為的ではないようなものにすら思えてくる。

 

「……さて」

 

外出の準備を終えた立香はそう一人でに呟き、玄関から家の外へと出ていく。外には太陽の代わりをするよう、仄かな月明かりが上から地上を淡く照らしていた。

そしてそこで、先ほどから聞こえていた音の正体が判明する。

 

「おはようさん」

 

立香が家から外に出ると、野太いながら気さくな挨拶が彼の横から聞こえてきた。そこにはぶつ切りにした木の幹を割り、薪へと変えている一人の男性がいた。首には橙色の麻布がかけてあり、額はうっすらとかかれた汗により光っていた。

 

「おはようございます」

 

立香もその男に挨拶をし、足を止める。朝が来ないこの世界において、“おはよう”と言う挨拶はどうなのかと疑問に思うかもしれないが、もう立香はそんな違和感すら感じさせない様子だった。

 

「今日も親分たちの元へ行くのかい?」

 

男は薪割りを中断させ、肩にかけている麻布で額を拭きながらそう尋ねる。

 

「はい、もうすぐ戦いの準備が整うので」

 

「ほう。なら俺がこの薪割りで鍛えた体を披露する日もそう遠くないってことだな」

 

男は挑戦的な笑みを浮かべながら、腕を曲げ、力こぶを作り出す。盛り上がった二の腕が彼の着る服を圧迫し、ギチギチと音を鳴らす。

そんな服の悲鳴が続く中、男は表情を人懐っこい笑みに変える。そして大きく手を上げ、それを立香向かって左右へと振る。

 

「気をつけてな。親分にもよろしく」

 

「はい、行ってきます」

 

男からの見送りの言葉を受けとると、立香はある方向へと歩き始める。迷いを見せることなく、村の中を進み続けると、目の前に土塊でできた真四角の小さな建物が見えてきた。それは以前、立香たちがルーミアと戦う前にパチュリーが造った簡素な小屋に酷似していた。立香は扉を開け、その小屋に入る。

小屋の中には家具や置物と言った、本来部屋にあるべきものは何も置かれておらず、ただ天井から吊るされている灯りの点いていないランプが一つぶら下がっているだけだった。本当に一見すれば何も無い空の空間。しかしよく目をこらして見れば、床から地下の奥底へと続く階段が息を潜むようにポツリと設置されていた。

立香はその階段へと近付き、一歩一歩その段差を降りていく。彼の足の裏へと伝わる硬い感触は、粘土を焼いたような陶器を連想させ、段差に色や形の境目がないこともそれを加速させていた。

そんな階段をしばらく丁寧に降りていき、全ての段差を踏み終えると、今度は目の前に真っ直ぐ伸びる廊下に出た。土の色に統一された床や天井、壁はまるで鋭利な刃物を使って果物を切ったかのように真っ直ぐで、その平らな面が合わさり四角を形成してその通路を作っていた。

直線に伸びた通路の壁には等間隔で木の扉が備え付けられており、その正確な並びはまるで訓練された軍隊の整列を見ているかのようだった。

しかし立香はそんな扉たちには目もくれず、廊目の前の暗闇一点を見て進んでいく。するとすぐに行き止まりが見えた。ただ行き止まりと言っても壁だけがあるわけではない。そこには一つの扉があった。他の扉と全く違いのないその扉は、立香の視線を一身に受け取っていた。

立香はその扉から終ぞ視線を反らさず、流れるように取っ手を掴み開け放った。

 

「あら、おはよう立香」

 

扉を開けた瞬間、立香を出迎えたのはそんな挨拶だった。

その挨拶をした人物は片手に湯気の伸びたティーカップを持ち、真紅な瞳でこちらを見て薄く唇を横へ引く。地下の暗い部屋にいるせいか、ティーカップを持つ彼女のほっそりとした指がまるで透き通った水晶のように美しさを感じさせた。

立香がそんな少女に気を取られている時だった。

 

「おはよう」

 

「おはよう、マスター!」

 

「おはようございます」

 

「おはようね!」

 

始めの挨拶に続くよう、次々と朝の挨拶が立香に投げ掛けられた。

それらは立香の知る人物たち──レミリア、パチュリー、ルーミア、大妖精、チルノ──からだった。

そんな人物たちがいるのは、本棚に囲まれた大きな部屋。いつぞやの古城にある一室を連想させる、随分と物々しい雰囲気のある部屋だった。彼女たちはそんな部屋の真ん中にあるテーブルの椅子にそれぞれが腰掛けていた。

 

「おはよう、皆」

 

立香は数多くの挨拶に微笑みながら、同じ言葉を返した。そして視線を微かにさ迷わせ、彼女たちが座っていない、空いている席を探す。すると、レミリアとルーミアの間の席が一つ空いており、そこには移動し座ることにした。

 

「もしかして遅刻した?」

 

立香は木製の簡素な椅子を引き、席に座ると心配気な口調で周囲へとそう投げ掛ける。

それにすぐさま反応したのはチルノだった。

 

「アンタが最後だったけど、遅刻じゃないわよ」

 

立香はそれを聞くと「よかったよ」と返し、緩く結ばれた口をほどいた。

 

「はい、立香さん」

 

ふと立香の目の前に紅茶の入ったティーカップと白いパンが置かれる。平べったいながらも僅かに膨らんだその表面には、このパンが焼かれたと言うきつね色の証明判子が押されていた。

立香は大妖精にお礼を言い、白い湯気の立ち上ったティーカップを口元へと運ぶ。まだ立香が飲むには少し熱すぎたが、何故か心が落ち着くような暖かさを彼は感じ取れた。

 

この一連の流れを彼らはこの一週間、繰り返していた。朝になると魔女たちの住居であるこの地下に行き、そこにあるパチュリーの部屋で朝食を取る。そしてその日、紅魔館を攻め入る為の作戦、またはその準備を決める。これが彼らのルーティンワークだった。

 

「さて、全員揃ったところで、最終決戦の準備。その最終段階の話をしましょう」

 

立香が一頻り落ち着いたのを確認したパチュリーはいつものようにそう言い放った。いや、いつもよりどこか張り詰めたように言い放った。それはパチュリーが『最終段階』と言ったことからも察することができるだろう。

 

「私たちが古城からここに拠点を移し、一週間がたったわ。人間たちの勧誘。武器制作。そしてレミィの能力による魔族たちの確保。これが私たちがしなければいけない三つのこと。でもこの一週間で完遂できているのは、武器の製作だけ。そろそろ他の二つも終わらせる必要があるわ」

 

そう、この一週間。パチュリーたちが主に行ったのは武器の作成と人間たち──言うなれば戦力の確保だった。武器の製作は主に魔女が、勧誘はそれ以外の者たちが行う。この七日間と言う時間、彼女たちはそれらをひたすらにやり続けた。無事に武器作成の方は十分なものを用意できたのだが、勧誘の方はまだ少しやり残しがあるのだ。あと一つだけ、勧誘の便りは送ったもののここに来れていない集落がある。なぜ来ていないのか? もしくはなぜ来れないのか? その詳しい理由は立香たちも、まだ把握できていなかった。

 

「でもパチュリー。武器の製作は二週間は必要って言ってたのに随分早く終わったね」

 

ルーミアは朝食として用意されたパンをチマチマと口に入れながらそう言った。

 

「パチュリーたちが頑張ってくれたお陰だね」

 

「ええ。お陰様で三徹目よ」

 

立香の言葉にパチュリーはいつにも増して重そうな瞼を更に細目ながらそう返す。よく見てみれば、彼女の目の下にはくっきりと寝不足を表す証が貼り付けられていた。

 

「と言うことで明日、残りの二つを一遍(いっぺん)に終わらせましょう。難易度自体は決して高くないはずだから、それでも十分いけるわ」

 

言うなればパチュリーは残り一つの集落の勧誘と、レミリアの力を使った魔族たちの従属を明日、一気に終わらせてしまおうと言っているのだ。まるで火急な用事でもあるのかと問わんばかりのパチュリーの案にくってかかったのは、立香にとって一番予想外な人物だった。

 

「ねえ、パチュリー。武器の製作が本来の半分の時間で終わったんだから、そんなに急がなくてもいいんじゃないの?」

 

机に肘を着け、ただそう疑問を口にした人物。その人物を見て、先程まで眠そうに細めていたパチュリーの目が一瞬ではあるが、僅かに見開かれる。

 

「……チルノ、貴方からそんな最もらしい質問が来るなんてね。驚いたわ」

 

パチュリーの言葉に誰もが同意を示したが、当の本人は「それってどう言う意味よー」と不満の声を漏らす。

パチュリーはそれを尻目に先程投げ掛けられた疑問を実際に言葉として回答する。

 

「いいえ。確かにそうかもしれないわ。だけど紅魔館が何を目的にこんなことをしているのかまだ分からない以上、何かが起こる前に早く決着を着けなければいけないのは確かよ」

 

チルノはなるほどと頷いてはいるが、本当に意味を理解しているのかは、少なくとも立香からは分からなかった。

ただ立香もパチュリーの考えには完全に同意だった。いつ何が起こるか分からない以上、少しでも早くこの異変を解決すべきだ。まだ猶予があると思い込み、後々何かしら取り返しのつかないことになっては遅いのだ。

パチュリーは自分の意見に異論がないと判断したのか、先程まで途切れていた話題を繋ぎ会わせる。

 

「さて、話を戻すわね。長々と言ったけど、私たちは明日、人間たちの勧誘と魔物の確保を同時に行う。そこでチームを二つに分けたいと思うの。人間を勧誘するチームと、レミィと共に操る魔族を確保するチーム」

 

パチュリーは言葉を切ると大妖精の方へと顔を向けた。

 

「大妖精。もう目ぼしい集落はあと一つなのでしょう?」

 

「はい。もう私の知る限り集落と呼べる場所はそこしかありません」

 

「なら大妖精。貴方はチルノとルーミアを連れて人間を勧誘する方へ回ってくれるかしら? 私たちの団体の人間を取り仕切っているのは実質貴方。私たちが行くよりも筋が通っているし、成功率も高いはずよ」

 

「……はい、分かりました」

 

パチュリーの提案に大妖精は引き締めた表情のまま頷く。立香から見ても肩に力が入っているのが分かるのは、随分と緊張しているからだろう。

しかしこの使命を誰かに投げるわけにはいかない。それを誰よりも分かっているのは誰でもない大妖精本人だった。

 

「二人もそれでいいわね?」

 

「うん」

 

「ちょっと待ちなさい!子分たちを取り仕切っているのはアタイなんだか──」

 

パチュリーは快く二人が了承したのを確認すると、今度はレミリアの方へと向き直る。

 

「レミィは当然、魔族の確保よ。滅んだ都市を探して魔族を連れてきてちょうだい。と言っても、不測の事態に供えて私も同行するわ。これでチーム分けは終わりよ」

 

パチュリーはおっとりとした口調で話を閉じる。大妖精のチームにはチルノとルーミアが。レミリアのチームにはパチュリーが着くこととなった。

しかしそこで異論の声がある人物から飛び出る。

それはそう。この場にいて唯一名前を呼ばれなかった人物である。

 

「ち、ちょっと待って! 俺は!?」

 

立香は焦ったようにパチュリーの方へと上半身を突き出す。

パチュリーは悪戯が成功したと言わんばかりにクスリと笑い、立香の名を呼ばなかった訳を話した。

 

「立香、貴方には選んで欲しいのよ」

 

「選ぶって言うのは……」

 

「どちらのチームに着いていくかよ」

 

立香は予想外の言葉に目を見開く。

 

「私は──いえ、私たちは貴方をお荷物でも何でもなく戦力として数えているわ。だからこそどちらのチームに着いてもそれぞれの役割がある」

 

パチュリーはふとお盆を持つ給仕のように左手を顔の横まで持ってくると、そこから翡翠色の蝶々を掌から出現させた。蝶々はおとなしくレミリアの手のひらに留まり、呼吸をするようなリズムで羽を開いては閉じ、開いては閉じてを繰り返していた。

 

「大妖精たちに着いていく分には、単純な戦力の増強として。仕方がないことだけれど、私とレミィが抜ける分、そちらのチームの戦力は決して安心できるボーダーではないわ。だから貴方が入ることによってそれを少しでも緩和させる」

 

言い終えると今度は右手を同じように上げ、今度は手のひらから紅色の蝙蝠を出現させた。そのコウモリはパチュリーの手にぶら下がり、風もないのに小さくゆらゆらと揺れていた。

 

「私たちに着いていく場合は何か不測の事態が起こった時に広く対応できる為よ。私たちがこれから向かうのは落ちた城や滅んだ都。だから何が起こるか分からない。もしそんな場面に出くわした時、一人でも人数が多くいれば、できる対応も変わってくる。それがこちらのチームにおける貴方の役割よ」

 

まあ単純な戦力増加もあるけれどね、とパチュリーは自分の言葉をくっつけるよう後ろから補強した。

立香は突然、現れた大きな選択肢に思考が纏まっていなかった。どちらのチームに参加した方が役に立てるのか? この集団としてのメリットになるのか? それを瞬時に判断できるだけの頭脳も、知識も、経験も立香は持ち合わせていなかった。

 

「今すぐに決める必用はないわ。作戦決行は明日だからそれまでに決めてくれればいい」

 

悩む立香の様子を見ていたパチュリーは彼にそんな言葉を投げ掛ける。

それは立香にとってありがたい提案だった。何せこの事に対して自分の回答を見出だすのに時間がかかることを立香は自覚していたのだから。

 

「……分かった」

 

「さて、それじゃあ今日は各々明日の準備をするように。解散よ」

 

立香の返事を聞いたパチュリーは宣言するように話し合いの終わりを告げた。

各々が部屋を退室する中、立香の顔は終始何かを考えるようにしわが寄せられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは紙幣を擦り合わせるような音だった。水気など無く、乾き尖った擬音が断続的に立香の頭上から降り注ぐ。それは風が強く吹けば同じように強くなり、風が弱まれば弱くなった。そんな集落の中を立香は穏やかな足取りで歩いていた。どこに向かうでもなく、目標も無い。ただ立香は頭を働かせる為の道具として集落の中をぐるぐると回っていた。

立香をそこまでさせるのは朝にパチュリーから投げ掛けられた一つの問題だった。

『どちらのチームに着いていくのか?』立香はずっとそれについて悩んでいた。客観的に見ればそこまで悩むことはないと皆が言うだろうが、ただの平凡な人間としてこの世界を進んできた立香にとってこれは大きな問題だった。と言うのも、パチュリーは立香のことを戦力だと言っていたが、当の本人はそう思っていないからだった。

いくら二人の怪異のマスターをしているとは言え、結局自分はただの人間だ。だからこそチームの足を引っ張るわけにはいかない。

立香の胸の奥にはそんな考えが渦巻いていた。故に立香は悩んでいた。自分が彼女たちにとってマイナスではなく、プラスに働くことができるのはどちらなのだろうと。

あるけば歩くほど、時間が過ぎれば過ぎるほど、思考の海へと沈んでいく立香。そんな深く沈んだ場所から引き上げたのはただの幼い一声だった。

 

「あっ、立香さん」

 

立香は自分の名前が耳に投げ込まれたことにより、思考に埋もれていた意識を一気に覚醒させる。幼く、しかし日溜まりのような温かさを内包した優しい声。その声に聞き覚えがあった立香は天を仰ぐように上を見る。その声が自分の頭上から聞こえてきたからだった。

案の定、そこには蜻蛉のような薄い羽を背に生やした少女──大妖精が、ニ十メートルはある樹木の太い枝に腰を落ち着かせていた。

大妖精は立香が自分の事に気がついたのだと理解すると座っていた枝から飛び降り、フワリと綿毛が舞い落ちるように立香の前へと着地した。

 

「大妖精、こんな所で何してたの?」

 

立香は疑問に思ったことを尋ねた。

 

「明日の作戦を考えてたんです。実はここ、私のお気に入りの場所で」

 

大妖精の言葉を聞き、立香は先程まで大妖精がいた大木の枝に目を向けた。今一度、じっくりと見てみると不思議な枝だと立香は思案を巡らす。

その枝は何故か他の枝から独立したように一本だけ真横に生え伸びていた。そのお陰か、周囲に葉が生い茂っている訳ではなく、人間の一人や二人は何の邪魔もなく座れるようなスペースがいくつもあった。

 

「立香さんも登ってみますか?」

 

立香がそのように枝を凝視していたせいだろうか。大妖精から思ってもみない提案が立香に提示された。

 

「えっ……でも……」

 

しかし立香は言い(よど)む。それはそうだろう。空を飛べる大妖精には関係のない事かもしれないが、普通の人間である立香からすればそれは命を伴う行為だった。

 

「大丈夫です。ちゃんと落っこちないようにしますから」

 

立香の様子から彼が言い淀んでいる理由を見抜いたのか、大妖精は微笑みを浮かべながらそう言った。

 

「うん、じゃあ頼もうかな」

 

立香も大妖精がそう言うなら問題ないと了承する。

大妖精はレミリアが抱えるのと同じように立香の脇に手を回し、抱きつくよう後ろから(かか)え空へと浮かび上がった。レミリアの時とは違い、ガラスの作り物を扱うような優しい運び肩に立香はどこかむず痒さを覚える。

ぐんぐんと地面から遠ざかり、先程まで自分が立っていた大地がどこか他人行儀に見えるのを立香はただ見送るばかりだった。

 

「高い所、得意なんですか?」

 

大妖精により立香が樹木の枝に座った時、大妖精からそんな問が立香になされた。それは普通の人間なら恐怖する高さ、それも自分を支えているのが樹の枝一本だけなのにも関わらず立香があまり怖がっている様子を見せなかったからだった。

 

「別にそう言う訳じゃないんだけど、多分慣れたのかな?」

 

「慣れ?……ですか?」

 

「うん。ここに来てからレミリアに抱えられて飛ぶことが何回かあったから」

 

「なるほど。古城の時もそうでしたね。確かにレミリアさんのスピードで飛ぶのに比べたらこのくらいは何ともないのかもしれません」

 

大妖精は口許に手を添え、日溜まりのように微笑む。日の昇らないこの世界において、その様子はじわりと立香の胸に温かさを浸透させるのには十分だった。

しかし突然、まるでスイッチが切り替わったかのように大妖精から落ち着きが無くなった。丁寧に揃えられた足をすり合わせ、目線も立香の方を何度もちらちらと伺うように揺れ動いていた。よく見てみると頬には僅かな赤が敷かれており、表情には躊躇いと羞恥が見て取れた。

 

「あの……でも、もし落ちたら危ないので……いいですか?」

 

おずおずと呟かれたその言葉に立香は疑問符を浮かべる。しかし自分が座っている枝に添えていた手、そこにちょこんと何かが当たる感触があり、立香はそこで大妖精の言わんとしていることを察した。大妖精は立香が木から落ちても大丈夫なように手を握ろうとしていたのだ。

立香は自分の手に触れていた大妖精の指先をそっと家に招くよう迎え、握りしめる。その事に大妖精は一瞬、驚いた表情を見せるが、すぐに微笑んで立香の手を握り返した。

 

カサカサとした音が耳に馴染む。立香は先程までどこか一線を引いて立香を見守っていた“自然”が、今は身内のように自分の近くにいる気がしていた。

吹く風が、揺らす木葉がまるで自分を迎え入れようと手招きしているように立香は感じた。

ふと目を閉じればそこは不思議な場所だった。

今、自分がいる場所、理由、意義。そして己の存在すらも些細なことに思え、誰かの大きな手に包まれているかのような安心感を覚える。このような感覚に立香は初めて出会った。

そんな、まるで異世界に旅立ったかのような陶酔感から立香を呼び戻したのは、手を握っていた少女の一言だった。

 

「ここ、私のお気に入りの場所なんです」

 

立香は目を開け、視線を大妖精の方へと向ける。

 

「そうなの?」

 

「はい。ちょっとした思い出がありまして」

 

そう言う大妖精の横顔は昔、大好きだった絵本をたまたま見つけたかのような慈しみと懐かしさが交差した不思議なものだった。

立香は大妖精にそんな表情をさせる“思い出”に興味が湧き、その内容を尋ねることにした。

 

「その思い出、聞いてもいいかな?」

 

立香の問いに大妖精は躊躇いながらも、しかししっかりと首を縦に振る。

そして目を閉じ、大妖精はそっと口を開いた。

 

「それは幻想郷から訳も分からずこの世界に連れてこられた時のことです。私──正確には私とチルノちゃんは突然、どこか分からない未開の地に放り投げられました。全く思い出当たりの無い場所で、どうにか帰る場所を探そうとかなりの時間を歩き回りました。そうして判明したのが、この世界が私たちの生きていた世界より何百年も過去だったと言う事実。私は愕然としました。まさか私たちの元いる世界から離れていたのは距離ではなく時間だったからです。距離なら何とかなったかもしれませんが、時間ばかりはどうしようもありません。いきなり目の前が暗闇の呑まれたかのよう真っ暗になったのです」

 

まるで我が子に本を読み聞かせるように黙々と思い出を読み上げる大妖精。その一言一言に想いが詰められ、感情が込められていた。彼女は記憶のページを一つ一つ丁寧に捲るのだ。慈しむように、撫でるように、そうしてその時の自分自身を語っていた。

 

「そんな絶望に私が打ちのめされていた時、救ってくれたのはチルノちゃんでした」

 

大妖精は閉じていた目を半分ほど開く。その奥にある瞳はしっとりと濡れ、月明かりを余すこと無く反射した。

 

「チルノちゃんは呆然と涙を流す私の手を取って、この場所に連れてきてくれました。そっと手を握って、引っ張ってこの場所に。そして言ったんです」

 

──大ちゃん、ここの世界も綺麗だよ!

 

「私、思わず笑ってしまいました。チルノちゃんはこの世界に悲観的な印象ばかり抱いていた私とは全く見ているものが違うんだなと思って。そして思ったんです。こんな所だけど、チルノちゃんとなら大丈夫。なんとかなるって」

 

大妖精はにっこりと笑い立香の方へと顔を向けた。

 

「だから私にとってこの場所は大切なんです。例え偽物だったとしても。消えてしまえば、何も残らない場所だったとしても」

 

大妖精は何の躊躇いも無く、迷いもなく、純粋で透明な思いを告げた。彼女の持つ薄い羽がそれを確信付けるかのように、向こうの景色を美しく透かし見せた。

 

その光景を見て立香は思わず小さく息を吐く。綺麗だった。今見える景色が、大妖精と言う存在が、そして何よりも二人の関係が。そのどれもが立香の心を感嘆させ、心臓の鼓動を緩やかなものにさせた。

 

「……いい友達だね。羨ましいよ」

 

「はい、一番の親友です」

 

立香は大妖精の笑顔を見て微笑む。しかしそこでふと我に返るよう、立香に一つの疑問が生まれる。

 

「でもよかったの?そんな場所に俺を連れてきて」

 

そんな思い出の場所を最近会ったばかりの人間に教えるのはどうなのかと言う立香の疑問。しかし大妖精とは何の問題もないとばかりに表情を変えることはなかった。

 

「良い場所なんですから、私とチルノちゃんだけが知っていてももったいないです。それに立香さんなら良いかなって。何ででしょう? そう思えるんです」

 

そう言った後、大妖精ははたと思うように言葉を繋いだ。

 

「そう言えば立香さん。明日、どちらのチームに着いていくのか決めました?」

 

「いや、実は凄く迷ってて……」

 

大妖精と出会う前、どちらのチームに着いていくか迷って出歩いていたので当然、立香はまだ自分がどうしたら良いのか決めかねていた。

困ったように頬をかき、そう言った立香の言葉を聞き、大妖精は小さく安堵の表情を浮かべた。そして躊躇(ちゅうちょ)するように唇を結んでは解いてを繰り返す。

 

「あ、あの……ちょっとした案と言うかなんと言うか」

 

そしてそのままの様子で彼女は口を開いた。

 

「も、もしよかったら私たちと一緒に行きませんか?」

 

「大妖精たちと?」

 

「は、はい!」

 

唐突な大妖精の提案に立香はポカンと間抜けな顔になった。そしてそんな状態のまま二人はお互いにしばらく見つめ合う。

時間にして僅か数秒。固まったように動かない二人だったが、ハッとしたように大妖精の顔から赤みが増す。

 

「い、いえ! 別に深い理由があるわけではないんです! ただ私の我が儘なようなものでして!」

 

早口であわあわと慌てるようにそう言う大妖精だったが、それは段々と収まり、沈静化していく。しかしその代わりとでも言うように彼女の頬から羞恥の証である赤色が浮かび上がってくる。

そして彼女は風船が萎むような小さな声でこう言った。

 

「り、立香さんと冒険できたらその……楽しそうだなって」

 

それは立香に聞かせると言うよりは、自分の考えを再認識させるようなものだった。思っていたことが不意に言葉として外へと漏れてしまったかのような。言ってしまえばそれは呟きに近かった。

大妖精は自分が失言したことに気がついたのか、慌ててブンブンと首を横へと振った。

 

「ご、ごめんなさい! こんな子供みたいなこと言ってしまって!」

 

大妖精は脳が容量を越えたのか、混乱したように目を回す。普段、幼いながらも落ち着きを見せる大妖精の知らない一面を見て、立香は口許を緩めた。

 

「ありがとう、少し考えてみるよ。俺も大妖精と冒険するの楽しいと思うしね」

 

きっとそうなのだろう。きっと楽しいのだろう。立香はそんな確信された未来を予感しながら、とりあえず大妖精を落ち着かせる方法を考えることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立香に与えられている家は集落の中心から少し外れに位置した場所にあった。と言っても、数分も歩けばチルノたちの暮らす中央部に行くことができるので、距離だけで言えばそこまで遠いと言う訳ではない。

そんな立香の家だが、外から見ればこじんまりしていて、家と言うよりは小屋に見えてしまう。しかし中は人が暮らすには十分なスペースの部屋が一つにトイレと浴室があり、立香としては文句もなく非常に満足していた。そんな自分のテリトリーとも呼べる場所に立香は体を休ませる為に帰ることにした。

七日間で見慣れた場所を通り、家の扉に手をかけ、中に入る。その瞬間、立香は思わず目を見開いて驚きを露にする。それもそうだろう。ただ自分の家に帰り、中に入るといきなり目に、自分のサーヴァントの一人、レミリアがベッドの上に腰掛け座っていたのだから。

 

「お邪魔してるわ」

 

「ビックリした。来てたの?」

 

立香は言いながら、扉を閉めて家の中に入る。レミリアはそんな立香の言い様にブスッと不満げな表情を浮かべた。

 

「何かしらその言いぐさ。失礼ね。私が来たのだから盛大に歓迎して舞踏会の一つでも開きなさい」

 

「急な来訪にそこまでするマスターってレミリア的にどう?」

 

「ないわね」

 

立香は予想していた返答に思わず苦笑いを浮かべる。

 

「それで? ここに来た理由は何なの?」

 

軽口を交わした後、立香はレミリアを見て思った疑問をぶつけた。そして、その疑問の返答はなんともレミリアらしい、我が儘で一方的で、そして魅力的なものだった。

 

「暇だからお茶に付き合いなさい。パチュリーは今、手が離せないようだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かちゃりと土器同士がぶつかる音が鳴る。そっと遠慮がちに、その土器たちがまるで恥じらうように鳴らした音は、ただ何者にも邪魔されず、小さな部屋を反響した。

立香はそんな些細な出来事に意識を引っ張ることなく、自分の目の前にあるティーカップを持ち上げ、口元でそれを傾けた。彼の喉が躍動(やくどう)し、口元から離したティーカップから湯気が散乱した。

 

「レミリアの淹れるお茶は美味しいね」

 

立香は持っていたティーカップを受け皿(ソーサー)の上に起き、自分と対峙するように座っているレミリアへ向けてそう言った。

 

「あら、ありがとう。それに対して貴方の淹れるお茶はそうでもないわね」

 

レミリアはそう言いながらも、機嫌が良さそうに自分のティーカップを口へと運び、中身を喉奥へと差し込んだ。

 

「でも嫌いじゃないわ。これからも淹れてちょうだい」

 

立香は頷く。そしてこう思った。いつかレミリアが満足できるような、そんなものを淹れようと。

そこでふと、立香はに疑問が沸き上がった。本当にちょっとした、些細な疑問が。

 

「レミリアは普段、自分で淹れて飲むの?」

 

これ程までに美味しい紅茶を作れるのだから、もしかしてそうなのかと立香は尋ねる。

 

「いいえ、咲夜が淹れていたわ。それが紅魔館メイド長である十六夜咲夜の仕事の一つだったもの」

 

その事に立香はハッした。今までの敵対心から忘れていたが、十六夜咲夜と言う女性は紅魔館のメイドだったと。

立香のそんな表情を見て、彼が何を思っているのか察したのか、レミリアは繋げるように言葉を紡いだ。

 

「貴方からはそう見えなかったかもしれないけど、あのメイドはもっと物腰柔らかくて人間味のある性格なのよ。この異変が終わったら彼女も正常な常態に戻っているでしょうから、同じ人間同士じっくりと話してみるといいわ」

 

「……うん。そうだね」

 

同じ人間──あのような力を持った人物を同じ人間と表現することが適切なのかどうかは置いておき、レミリア・スカーレットに仕え続ける人間がどのような人物なのか? その事においては純粋に立香の好奇心は刺激された。

 

そんな話題があって後、彼女たちは更に話題を重ねていく。ある者はその光景を見て、“空虚なものだ”と言ったかもしれない。またある者は耳を傾ければ“不必要だ”とそう断言したかもしれない。だがそう言われても、この二人は一切迷わず言うだろう。

「自分たちはこの時間が好きなのだ」と。

だからこそ二人は顔を合わせ、言葉を向け合うのだ。

 

そんな時間が流れる中、立香はレミリアに今現在、自分が抱えている問題を話すことにした。レミリアに相応しいマスターでありたいと思うからこそ、一人で問題を抱え込まないように。

 

「ねぇレミリア。実は相談があるんだけど」

 

「相談? 何かしら?」

 

レミリアは立香が自分に相談を持ちかけてきたことが意外だったのか、ピクリと僅かに眉を上げた。

 

「実は明日、どちらのチームに着いていくかまだ決めてないんだ。それでどっちのチームに着いていったらいいかなって」

 

「あら、私にその相談をしたら帰ってくる返答は一つしかないわよ」

 

「そうなの?」

 

「ええ」

 

レミリアは迷う素振りすら見せずにそう断言する。

 

「私はこう答えるわ。私たちのチームに来なさいって」

 

「何で?」

 

反射的とも言える速度で回答を提示したレミリアに、立香はその理由を尋ねる。

きっとそこまで言うからには理にかなった言葉が返ってくる。立香はそう思っていた。

 

「そんなの、私が貴方から離れたくないからに決まっているじゃない」

 

「えっ!?」

 

思ってもいなかったその理由に立香は思わず声を出していた。理論や意義など意にも介さない、私利私欲に満ちたその理由は如何にもレミリアらしかった。

立香の頬がそっと赤くなる。それはレミリアから直接、彼に向けられた好意の言葉だったから。立香はレミリアの言葉にどう返していいか分からず、まるで石になったかのように全身を固まらせる。

しかしそれは、レミリアが小さくクスクスと笑い出したことで終わりを見せる。

 

「……もしかしてからかってる?」

 

「さあ? どうかしら」

 

レミリアは目をスッと細める。そのせいか、立香にはレミリアの真意を読み取ることができなかった。

 

「どちらにしても決めるのは貴方よ。貴方が選び、貴方が決め、そしてその方向に進む。今までだってそうだったでしょう?」

 

「……うん」

 

「そして何があっても後悔がないようにしなさい。何があっても誇れるように。選んだ先に何があろうとも、自分の選択が間違ってなかったと言えるような行動をしなさい。それが結果的に答えとなるわ」

 

レミリアは言い終えると、ティーカップを持って口元へと近づける。

その仕草一つ一つが優雅で、美しく、妖艶であった。立香は思わずその光景に見とれる。彼が初めて、彼女を見た時のように。あの湖の畔で契約を交わしたあの日のように。

レミリアはそんな立香に気がついたのか、ティーカップを机の上に置くと、姿相応の少女のように小さく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立香は扉の前に立っていた。集落の地下にある、一室に備え付けられている扉。そこは今日の朝、立香たちが集まって話し合いをしていたパチュリーの自室だ。

立香は一つ大きく息を吸った後、コンコンと目の前の扉を手の甲で叩いた。

するとこの部屋の持ち主である、一人の少女の声が返ってきた。

 

「誰?」

 

「俺だよ、パチュリー」

 

「ああ、立香ね。どうぞ。入ってちょうだい」

 

部屋を訪ねてきたのが立香だと分かるとパチュリーはすんなりと入室を許可した。

立香は扉を開け、中へと入る。そしてそれと同時に自分がここへと来た理由を説明しようと、視線をパチュリーの方へと向けた。

 

「実は相談が……ってごめん!」

 

しかしその瞬間、立香は開いていた扉を巻き戻すように急いで閉め直し、謝りの言葉を入れる。

その突然の行動にパチュリーは疑問符を浮かべたが、今している自分の格好を見て、その理由を理解した。

彼女は寝巻きとしてネグリジェを着ていたのだが、そのネグリジェが問題だった。パチュリーは暑いからと言う理由で、桃色の非常に薄い生地でできたネグリジェを着ていたのだ。そのせいで、パチュリーは(はた)から見ればほぼ下着姿のようなものだった。

女性としての体つきがありありと見て取れるパチュリーのその姿は男性の立香からすれば非常に妖艶に見えただろう。

 

「……いえ、私も気づかなかったわ」

 

パチュリーは扉越しに立香へとそう言って、近くにある上着を羽織った。

 

「もういいわよ」

 

それから入室を促すとおずおずと言った様子で立香は扉を開ける。そしてパチュリーの格好を見てホッと安心したように顔の筋肉を緩めた。

 

「それで、どうしたの?」

 

ようやく話ができる状況になったと見て、パチュリーは立香の言う相談事の内容を尋ねた。立香はそれに答える。今日、様々な人に話した自分の迷いを。

 

「実は明日、どちらのチームに着いていくかまだ決めてなくって」

 

「それで私に相談しに来たのね」

 

立香は頷く。

 

「取り敢えず座って。今、何か飲み物でも持ってくるわ。紅茶でよかったかしら?」

 

「うん。ありがとう」

 

パチュリーは立香の返事を聞くと、部屋の隅にある食器棚に向かって行った。立香はそれを僅かに眼球で追った後、ふと先程までパチュリーが座っていたであろう作業机に目を向けた。そこには何やら難しそうな数式のようなものと、何を表しているか分からない魔方陣のような模様が描かれた古紙が幾つも置かれていた。日本語でも英語でもない言語で書かれている為、立香にはその紙が何を記しているのかは一切分からなかった。しかしそんな立香でもパチュリーがこんな夜遅くまで身を削って作業をしていることだけは理解できた。

そんな風にしばらく作業机に目を馴染ませていた立香だったが、飲み物を淹れ終わったパチュリーが戻ってきたことでそれは終わりを告げた。

彼女は両手に持ったティーカップを机の上に置き、立香と対面する位置にある席へと座った。

 

「さて、どちらのチームに着いて行けばいいか分からない……だったわよね。相談しにきてもらって悪いけど、本当にどちらでもいいのよ。と言うか、私が決められなくて貴方に投げた問題だから。私もこれと言ったアドバイスはできないわ」

 

「そうなの!?」

 

パチュリーは座るや否や、立香の悩みに対して答えをだしたが、その予想の範疇を越えた答えに立香は思わず驚愕の声を漏らす。

 

「ええ。作戦の難易度を考慮してチーム分けをしたのだけれど、どうしても貴方を入れるとどちらかのチームのパワーバランスが傾くのよね。本音としては貴方が二人いればよかったのだけれど」

 

パチュリーは少し困ったように目尻を下げた。

 

「だから正解は終わってからでないと分からない。言ってしまえば結果論なのよ。例えるなら二つ箱があって、もしかしたら片方に何か予想外のものがあるかもしれない。それどころか二つともに入っているのかも。でもそんなことは杞憂で二つともに何も入っていないかもしれない。そんなところね。だから気軽に選んでちょうだい。なんならコインの裏表でもいいわ」

 

「なんて適当な」

 

立香は思わず苦笑いを浮かべる。パチュリーから明確な答えを貰い、胸が軽くなったのは確かだが、しかしその返答が返答なだけに素直に喜ぶことはできなかった。

そんな中で立香が紅茶の入ったティーカップを手にその中身に口を着けようとしたところでふと立香は気がついた。目の前に座るパチュリーの目元にうっすらと隈ができていることに。

 

「パチュリー。ちゃんと寝てる?」

 

立香は思わず尋ねる。

 

「……まあ、あまり寝ていないわね」

 

「駄目だよちゃんと寝ないと。俺が来る前まで何か作業してたんでしょ。これ、今日中に終わらせないと駄目なものなの?」

 

立香はそう言って、あの古紙が幾つも置いてある作業机の上を指差した。

 

「いえ。新しい魔法を少し思い付いてね。もう終わりそうだから最後までしてしまおうと思って」

 

「どうせそんなこと言って、終わる頃には朝になるんでしょ」

 

「むきゅ……」

 

パチュリーは珍しくばつの悪そうな顔をし、少し俯いた。

これは放っておくと作業を再開するなと思った立香は立ち上がってパチュリーの手を取った。

 

「ほら、今日はもう寝よう。明日はパチュリーもレミリアについて行くんでしょ?」

 

「うっ。でももうすぐ……」

 

「ダメダメ。ほら、ベッドに寝て」

 

渋るパチュリーの腕を引っ張り上げようと、立香は腕に力を加えるが、そこで放たれたパチュリーの思いもしなかった一言に立香は固まることとなった。

 

「……なら、貴方が寝かしつけてちょうだい」

 

「……ん?」

 

「だから私を寝かしつけてちょうだい。それなら寝るわ」

 

「ええっ!?」

 

立香は驚愕の声を口から放つと同時に、握っていたパチュリーの手を思わず離した。そしてそこから急速に頭が回転させる。脳内の奥底にある思考の海に深く沈んでいく。

 

──なぜ?

 

──どうして?

 

──何の意味が?

 

繰り返し行われる選定と判別が様々な回答を導き出していく。普段なら絶対にそんなことを言わないパチュリー・ノーレッジと言う魔女の意図は何なのか?

その答えを探し続け、そして立香は自分なりの答えを見つけた。

 

そうだ。きっとパチュリーは自分がこう言えば退いてくると思ったのだと。

 

そしてその答えから導き出される最善の返しを立香は返すことにした。

 

「い、いいよ」

 

立香の返答があまりに意外だったのか、パチュリーは大きく目を見開かせる。しかし次の瞬間には、再び瞼の力を抜いて言葉を付け加えた。

 

「やっぱり一緒に寝てくれないと寝ないわ」

 

「い、一緒に!?」

 

更に過激な内容と貸したパチュリーの条件。しかしそれで退いてしまえばきっとパチュリーが寝ないで作業机に向かうであろうことは誰の目に見えても明らかだった。

だからこそ立香は曲げるわけにはいかなかった。自分の中の答えを。

 

「…………いいよ」

 

乾いた雑巾から水分を絞り出すような声で立香はそう言った。

 

「……まさか乗ってくるとはね」

 

パチュリーは敗けを認めたように小さく溜め息を吐いた。

 

「少し待ってちょうだい」

 

そう言った後パチュリーは立ち上がって、棚から小さな霧吹きを取り出した。そしてそれを自分の首元と手首に振り掛ける。

その瞬間、立香の鼻にふわりと優しい香りが飛来した。不思議な匂いだった。具体的には何に似ているかとか、何から作られたのか答えることのできない独特の匂いだった。ただ鼻から入り込んだその香りが全身に行き渡り、体の奥から全身を寝かしつけていることだけは理解できた。

 

「それは?」

 

立香は尋ねる。

 

「リラックス効果のある香水よ。せっかくなら質のいい睡眠をしたいでしょ?」

 

パチュリーはそう言うと、そのままベッドに入り、立香に背を向けるよう横になった。そして頭だけを出して掛け布団を体の上に敷いた。

その様子を見た立香はもう大丈夫だろうと部屋を後にしようとする。そっと音を立てないよう足を忍ばせ、彼が部屋の外へと続く扉の前にたどり着いた瞬間、そこで彼の背中に声がかかる。

 

「どうしたの立香? 早く来て」

 

「えっ!?ホント一緒に寝るの!?」

 

立香は驚きの形相で後ろを振り向き、そう叫ぶ。

 

「……あら、そうしないなら私はこのまま作業を続けるわよ」

 

「ん~」

 

立香は困ったように唸るが、パチュリーにそんなことを言った手前、このまま部屋から出るわけにはいかなくなってしまった。

立香は顔を歪ませ頭をかきながら、上着を脱いでそれを椅子に掛ける。

それからなるべくパチュリーから距離を離し、ベッドに入ろうとする。しかしどう工夫してもどこか体の一部が当たってしまう為、立香は諦めてパチュリーと背中合わせになるようにベッドに入った。

立香がベッドに入ったことを確認するとパチュリーは細々と口を開いた。

 

「おやすみ、立香」

 

「おやすみ、パチュリー」

 

二人はその言葉を最後に口を閉ざす。

地上ではなく、地下だからか、いつもは寝る際に聞こえる風の音や虫たちのさざめき声が今はすっかり鳴りを潜めていた。ただパチュリーから聞こえる小さな寝息だけが立香の耳の中を支配していた。

だからこそ考えてしまう。こんな強引な方法でパチュリーを休ませたのは本当に正しかったのかと。その答えを得るために、立香はパチュリーの表情を思い出そうとするが、パチュリーがずっとこちらに背を向けてベッドに寝ていたことに気がつく。

 

だからパチュリーがどんな表情をしていたかは分からない。

 

分からないが──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと見えた彼女の頬はどこか赤く染まっていたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




取り敢えずここまでです。短い間ですが、ありがとうございました。四月の終わりまでこの話は残しておこうと思います。中途半端ですみません。

あと最後にもしよろしければアンケートに答えて下さい。
自分で決められなくて……。


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