「ベレト」とベレス先生 (俺田マコト)
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序章 復活の代償
「ここで……終わるのか……」
1181年弧月の節、士官学校の教師ベレトは帝国兵の凶刃に倒れた。時を戻す「天刻の拍動」も使い果たし、最早生き延びる術はなかった。彼の意識は暗闇へ沈んでいった…。
─ ─ ─
「おぬし!」
…!
「おぬしおぬしおぬし!疾く目を覚ますのじゃ!」
ゆっくりと目を開ける。見紛うこともない、緑の髪の少女。ソティスが目の前に立っていた。
「消えたと思っていた」
「消えてなどおらぬわ!『ひとつになる』と言ったじゃろう」
「何故ここに?」
「そうじゃ!おぬしが開口一番消えたなどと言うから忘れておったわ」
ソティスはいつもの玉座に座って、すうと息を吸い──
「この大馬鹿者っ!時を戻す力が枯れるほどまでに乱用して、そこまでして死ぬとは何事じゃ!」
「すまなかった」
「言い訳はきいてやろう。いったい何の為にこんなことをしたのじゃ?」
少し考えてから口を開く。
「生徒たちが誰も死なない、平和な世界にしたかった」
「おぬしのことじゃからな、そんなことじゃと思っておった…。じゃが、三国の主たちの師たるおぬしが死んでしまった今、この世界の未来には闇しかないじゃろう。犠牲の上に成り立つ平和すらも、おぬし無しには実現しないじゃろうな」
「…!」
自分の存在がそこまで大きなものだとは思っていなかった。
「そこでじゃ。おぬしに生き返るチャンスをやろう」
!?
「そんなことができるのか」
「忘れておるかもしれんが、わしは『はじまりの者』神祖ソティスじゃ。容易くとはいかんが蘇生くらいできるわ」
なるほど、そういうことか。
「さて、その方法なのじゃが…、厳しいぞ。その覚悟はあるか?」
「もちろんだ」
迷うこともなく即答する。
「そうか…。では、説明するぞ」
「生物を蘇生させるには、それ相応の代償が必要じゃ。今からおぬしには、他の世界を救うことで代償として貰う。おぬしが望んだ、『誰も死なない世界』をひとつ、作るのじゃ」
「その世界は、今のところほとんどおぬしが居る世界と同じじゃ。違うところはまずひとつ、世界の未来の鍵を握る、その世界のおぬしは女性じゃ。名はベレス。そしてもうひとつ、おぬしが干渉するということじゃ」
「ベレスや生徒たちの選択を助け、或いは否定し、戦乱を起こさぬよう導くのがおぬしの役目じゃ。人の決意を曲げるのは厳しいじゃろうが…、おぬしなら出来ると信じておるぞ」
ソティスは話し終え、ほうと息を吐いた。
「さて、おぬしはこれから帝国歴1180年、大樹の節、19の日のルミール村近くの森に送られる。翌朝には級長たちが村を訪れる。それまでにベレスに会うのじゃぞ」
「わかった」
「おぬしとは、しばしお別れじゃ。この世界と、もうひとつの世界を救うため、おぬしの全てを尽くすのじゃ!」
ソティスが両手を広げる。
辺りに光が満ち、そして───。
「誰も死なない世界」を目指したベレトが、挑戦を続ける為、他の世界線のフォドラを戦乱から救うことになります。
処女作なので及ばぬところも多々あると思いますが、よろしくお願いします。
内容の補足
ベレトは平和な世界の実現の為に色々な選択を一からやり直しているので、「天刻の拍動」の回数は使い果たしています。自分の担当学級を選ぶ前まで戻ったりもしているので、「白雲の章」にあたる部分は4ルート全てを経験しています。
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大樹の節1 必然ではなかった出会い
…世界の移動は、終わったのか? ソティスは森の中に転移されると言っていたはずだが、この体を包む感触はまるで羽のように柔らかで、温かい。自分は今、どこに居るのだろう。ゆっくりと目を開けてみる。
「おっ!」
「気がついたか?」
「平気か?」
まだ何が何やらわからないが、頷く。
「おお、俺ゃもうダメかと…」
「そんなこと言うなよ、兄ちゃん。こいつはちゃんと生きてるぜ」
「そ、そうだな。まあどっちにしろ、あんなとこで寝てたら風邪引いちまってただろ」
そこまで聞いて気づいた。ここはジェラルト傭兵団の天幕、今話している彼らは兄弟傭兵のガープとベリアルだった。士官学校へ行ってからはあまり会っていなかったので、すぐには気づけなかった。
「ベリアル、団長に目を覚ましたって伝えてきてくれ。俺が話を聞いとくよ。」
「おう!」
ベリアルが部屋を出て、団長…この世界の父さんの部屋のほうへ向かっていった。
「よし。ちょっと色々と聞かせてもらうぞ。一応あんたは素性の知れない謎の男だからな…。あんた、何であんなところで倒れてたんだ?」
いつか聞かれるとは思っていたが、まだ何も答えは用意できていない。正直に「世界を救いに来た」などと言っても、信じては貰えないだろう。ここは少し不自然かもしれないが、賊に襲われたということにしておこう。
「盗賊に襲われたんだ」
「盗賊だと? このジェラルト傭兵団が守る村に近づくなんて、そうとう馬鹿なやつだな。…それは置いといてあんた、何のために森の中なんて歩いてたんだ?」
「故郷の村から、ガルグ=マクに向かおうとしていた」
「おう、ガルグ=マクか! 俺たちは行く予定が無いから、送っては行けないな…」
ガープは、少し人を信じやすい。彼が信じたおかげで殺されなかった盗賊が傭兵として働いていたりするが、皆からは騙されないか心配されている。そんな性格が、今は自分の役に立ったというわけだ。
「おーい、団長を連れてきたぞ」
ベリアルが戻ってきた。後ろにはジェラルトがついている。
「ガルグ=マクへ向かう最中で盗賊に襲われちまったらしい」
ガープが話を進めてくれる。ジェラルトは、俺の目をじっと見つめてから口を開いた。
「そうか。あんた、名前は?」
「ベレトです」
この世界の自分はベレスという名前だから、本名でも大丈夫だろう。
「ベレト、あんたガルグ=マクへ向かっているって言ってたな?もう今日は遅い。一晩くらいなら、ここで泊めてやることもできるぞ。まあ、明日の夜明け前にはここを発つ予定だから、早起きに自信があればの話だが。」
明日の朝には級長たちと盗賊団、そしてアロイスたちセイロス騎士団もここへ来るだろう。
「では、お言葉に甘えて。お世話になります」
「そうか、俺はジェラルトだ。分からねえことがあったら何でも訊いてくれよ。荷物を賊に奪われちまったんなら、そこそこの物なら貸して、いや貰ってくれて良いぞ。」
ガープだけでなく、父までもが自分を疑うということをしないのには驚いた。そればかりか、出発の用意まで整えてくれると言う。警戒されて当然だと思っていたのだが。そんなことを考えていたのが顔に出たのか、ジェラルトがその答えを口にした。
「なあに、何か礼でも貰おうってわけじゃねえ。お前の目は悪いやつの目じゃなかった。それだけさ」
何故かはわからないが、ベレトにはジェラルトが嘘をついているように見えた。
その夜、傭兵団はルミール村での最後の日を村人たちの手料理で催された宴で楽しんだ。ベレトも成り行きで参加することになり、自分の世界でも同じことをしていたのを思い出し、とても懐かしい気分になった。その時に自分が座っていた席 ─ ジェラルトの隣 ─ には、女性が座っていた。隣で肉を食べていたベリアルが視線を捉えて、教えてくれた。
「あいつは団長の娘さん、ベレスだ。手を出そうなんて考えるなよ? 団長が殺しにかかってくるぜ」
ベレスは、当然といえば当然だが、自分をそのまま女性にしたような見た目だった。袖が特徴的な上着、髪や目の色、感情の出にくい表情(自分も生徒たちによく言われていたが、やっと納得した)などだ。それに、周りの男たちを差し置いて、とてもたくさん食べる。
後々の為にしっかりと目に焼きつけていると、ベレスもこちらを見て、ジェラルトに何やら質問した。ジェラルトの答えに頷くと、向こうもこちらをじっと見つめてきた。そのままこちらからも観察を続けることにしたが、彼女の顔にはときどき少し不思議そうな色が浮かんでいた。あちらも自分との共通点に気づいたのかもしれない。
そして盛り上がりが最高潮に達した頃、ジェラルトが明朝早くの出発に備えて寝るよう指示し、別れを惜しみながらもそれぞれが寝床へと戻って行った。
ベレスを見て気になったことがあったので、寝床へ入る前に鏡を見てみた。髪と目の色は、ソティスの力を得る前の色、今のベレスと同じ色に戻っていた。
この世界では、ベレスの髪をあの色にするようなことはさせない。そう決意した。
毛布に包まり目を閉じても、この世界を救う使命と、明日の明け方待ち構える級長たちとの出会いのことを思うと眠れなかった。どうすれば未来を変えられるのかということや、この世界では他人とはいえ父と丁寧な言葉遣いで話すのには違和感があるな、ということを考えているうちに、いつのまにかこの世界では初めての眠りに落ちていた。
─ ─ ─
次の夜明け前、ベレトは周囲の傭兵たちとほぼ同時に目を覚ました。ベリアルが声をかけてくれる。
「おっ、寝起きは良いほうか?もうそろそろ出発の時間だ。荷物は俺とガープで用意しといたからな」
「ありがとう」
数日ぶんの旅荷物が入った包みの中身を確認していると、向こうから会話が聞こえてきた。
「またあの夢でも見てたか?」
「少女の夢……」
「お前の話を聞く限り、そんな奴には会ったことはねえんだがな……。まあいい、そんなもん忘れちまえ!」
ということは、ベレスもソティスの夢を見たということだろう。そしておそらく、あの戦争の夢も。
「次は王国での仕事だ。少し距離があるから、夜が明けたら出ると言っといたろ」
「そうだっ…たね」
「……まったく。お前以外はもう外で待ってるぞ」
あれは「そうだっけ?」と言おうとした時の声色だった、とベレトは思った。性別は違っても、自分のことは自分が一番よくわかっている。
と、そこへ一人の傭兵が駆け込んできた。
「ジェラルトさん!すまんが、来てもらっていいか?」
「どうした?」
この先の未来を握る、重要人物たちが現れたようだ。
その傭兵について、外に出る。ジェラルトとベレス、そしてベレトや興味を持った何人かの傭兵たちが続く。
「突然、申し訳ありません!」
「こんな時間に、ガキどもが揃って何の用だ?」
そこに居たのは、見紛うこともない、三人の級長たちだ。黒鷲のエーデルガルト。青獅子のディミトリ。金鹿のクロード。
「実は私たち、盗賊団に追われているんです。どうか力を貸していただけませんか?」
「盗賊、か……」
「ええ、野営中に襲撃されたのです」
エーデルガルトが答える。この頃にはもう教会や王国との戦争を計画し終わっていたのだろうか。
「上手いこと仲間と分断されて多勢に無勢、金どころか命まで盗られるところでしたよ」
「その割には随分とのん気な……。ん? その制服……」
そこへ、ガープが走ってくる。
「村の外に人影! チッ……かなりの大所帯だ」
「来やがったか。ったく、ガキどもはともかく、この村を見捨てるわけにはいかねえ……。おい、行くぞ。用意はいいな?」
ジェラルトは周囲の傭兵たちを見回し、ベレトに目を留める。
「あんた、戦えるか?あまり客人を巻き込みたくはないが、戦力は多いほうが良い」
「ええ、戦えます。武器はありますか?」
「助かるな。ベリアル、ベレトに剣を一本貸してやれ。…よし、行くぞ!」
傭兵たちと盗賊たちが雄叫びをあげ、剣と斧がぶつかる。ベレトも剣を振り払い、もう何度目かわからぬ戦場へ、足を踏み入れた。
「ぐっ…!」
「うがあっ!」
二人の盗賊をまとめて斬り倒し、さらに次の賊の攻撃を防ぎ、また斬る。あの時は少し苦戦した盗賊相手にも、のべ4年の教師生活で能力が上がったベレトの前にはかなわなかった。
「やるな、あんた!」
「賊も傭兵もびっくりだよ!」
近くで戦っていたガープとベリアルがその動きに驚き、感嘆の声をあげている。
「ずっと鍛えていた。昨日の盗賊は汚い手を使ってきたが、正々堂々の勝負なら負けはしない」
四年間鍛えた体で盗賊に負けたことへの言い訳だ。実際は負けていないし、違和感があるのは当然だが、傭兵たちには戦いの中でそんな事を考えている余裕はない。
「…だいたい片付いたな」
数分後、ベリアルが最後の1人を斬りながら言った。
「思ってたより早く終わったなあ。あんたのおかげだよ、ベレトさん!」
「団長たちを援護しに行くか?」
「いやあ、団長とベレスなら援護なんて要らないだろうな。あのガキたちも士官学校の生徒なんだし、弱っちいやつらじゃあないだろうさ。まあどっちにしろ、指示を聞き逃すわけにはいかないし、団長のところへ行くぞ」
「おう!」
木々の間から聞こえるジェラルトの掛け声のほうへ、ベレトたちは向かった。
「て、てめえ……まさか、“壊刃”のジェラルトか!? 何でそんな凄腕の傭兵が、ここにいやがるんだ!」
ベレトたちが森の端に着いたとき、ちょうどジェラルトが賊の頭と戦闘を始めたところだった。
「文句を言いてえのは、巻き込まれたこっちだ……」
そんなことをぼやきながらも、ジェラルトの槍はしっかりと盗賊頭の体を捉える。体勢を崩したところへ、ベレスが追い討ちをかける。
「これで決める!」
その一撃が、盗賊頭を吹き飛ばした。
「いやあ、さすがは団長の娘だ! 格好いいなあ!」
ベリアルが興奮した様子で言う。確かに今のベレスの一撃はとても良かったと思うが、まだこれで終わりではないことを知っている。
倒れていた盗賊頭がさっと起き上がり、エーデルガルトに向かって斧を振りかぶった。エーデルガルトが短剣を取りだそうとするが、間に合わない。
「危ない!」
ベリアルが叫ぶ。エーデルガルトの体を盗賊頭の斧が捉える、その直前。ベレスが間に割って入り、斧を弾き飛ばした。未来を読んだかのような素早い行動は、「天刻の拍動」で時を戻したからだ。ベレスも、ソティスと出会ったということだろう。
「おーい!」
クロードとディミトリが駆け寄ってくる。ベレトやほかの傭兵たちもベレスの周りに集まってくる。
「ベレス? お前、今何か……」
ジェラルトはベレスの動きに違和感を感じていたようだ。そこへ、今度は別の聞きなれた声が響きわたった。
「セイロス騎士団、ただ今参った! 生徒を脅かす盗賊ども、覚悟せええ……い?」
セイロス騎士団を率いて現れたのは、アロイスだった。
「おい、盗賊が逃げていくではないか! 貴殿らは後を追うのだ! さて、級長たちも無事のようだな。……と、そちらは……?」
「おっと……面倒な奴が来ちまった……」
以前自分の世界で見たのとまったく同じように、アロイスはジェラルトに気づいた。
「やはり、ジェラルト団長ではないですか! うおおお!! お久しぶりですなあ!! 私のこと、覚えておられますか!? 自称“あなたの右腕”、アロイスですぞ!! 団長が突然いなくなってから20年、ずっと生きていると信じておりました!」
「相変わらずうるせえ奴だな、アロイス……」
ジェラルトたちは話に花を咲かせている、というよりほとんどアロイスが一方的にまくし立てていた。と、アロイスがベレスに気づいた。
「おや、もしかしてそちらの若者は、団長のお子さんですか?」
「はい、そうです」
「そうであったか! 見た目はともかく、雰囲気は団長にそっくりであるなあ。で、そちらはご兄弟ですかな?」
今度はベレトのほうを向く。ベレトは昨日のうちに、騎士団の新兵として雇ってもらい、ガルグ=マクで行動するという計画を立てていた。そのためにも、アロイスの好感度を上げておくのが良いだろう。アロイスは冗談が好きだ。
「逃げ遅れた盗賊の一味だ」
成功した、と思った。アロイスは満面の笑みで冗談に笑ってくれた。
「あっはっは! またまたそんな冗談を。団長と雰囲気がそっくりではないか」
「いや、アロイス。残念ながら、こっちは俺の息子じゃあない。行き倒れてるところを、たまたまうちのやつに見つけられてな。一晩泊めてやってたんだ」
「むう、それにしては何だかよく似ているような気も…。まあそれはそれとして、娘さんにも是非、大修道院を見てもらいたい。同行願えるか?」
ベレスは頷いたが、ジェラルトは何やら喉の奥で唸った。
「どうかしましたか、団長。まさか逃げようなんて思ってませんよね?」
「かのセイロス騎士団を相手に逃げ出せるなんて、流石の俺も思ってねえよ」
視界の端で、ベレスが少しビクッとし、それから頷いた。自分もこの頃は、ソティスに話しかけられると驚いてばかりだった。
「さて、もちろんお前たちも大修道院まで着いて来てくれるよな?」
「もちろんだ!」
「例え火の中、水の中! 団長に着いて行きます!」
傭兵たちが応える。
「ベレト、あんたも大修道院に行くんだったよな。一緒に来るか?」
「はい、そうしましょう」
数分後、ルミール村からジェラルト傭兵団とセイロス騎士団、そして級長たち、ベレトという列が出発したのだった。
内容の補足
・ここでのベレトは神祖の力を持たない普通の人間なので、ベレスの「天刻の拍動」を感じることもできませんし、ソティスの声も聞こえません。もちろん自分で「天刻の拍動」もできません。
あまりにも更新が空いているうちに、FEH公式マンガでベレトの一人称が「僕」だと判明しましたが、こちらは「俺」のままでいこうと思います。
それでは、次回をお楽しみに!(もう一度言っておきます、遅くならないよう頑張ります)
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大樹の節2 傭兵騎士団と新任教師
さて、今回はやっとガルグ=マク大修道院に到着します。それでは、どうぞ。
「なああんた、ちょっといいか?」
騎士や傭兵たちの列がガルグ=マク近郊の森に入った頃、ジェラルトがベレトに声をかけてきた。
「ルミール村では、なかなか鋭く剣を振るってくれたそうじゃないか。ベリアルから聞いたぞ。そこで、なんだが…、ジェラルト傭兵団に入る気はねえか? もっとも、たぶんこれからはセイロス聖教会の傭兵になるはずだ。騎士団の端っこみたいなもんだな。ガルグ=マクに行きたいって言ってた気がするが、どうだ?」
思ってもみなかった好機だ。もとよりガルグ=マクへは騎士として入り込むつもりだったが、傭兵なら正規の騎士よりも自由に動きやすい。何より、自分自身は毎回学級の課題にジェラルト傭兵団を同行させていた。
「ええ、喜んで。よろしくお願いします、ジェラルト団長」
「おう。ベレト、だったよな? よろしく、ベレト」
こうしてベレトは、この世界のジェラルト傭兵団の一員となった。
ジェラルトは前方のアロイスたちのほうへ行ってしまった。
それからほどなくして、前方から級長たちの話し声が聞こえてきた。
「……では、修道院は初めてか。良ければ後で案内しよう」
「このフォドラの縮図のような場所さ、いろんな意味でね」
「……もうすぐ嫌でも目に入るわ」
森を抜け、級長たちとベレスの顔に陽の光が当たる。そして、目の前には壮大な建築物が広がっていた。
「あれが……、ガルグ=マク大修道院よ」
ベレスにとっては初めての、ベレトにとってはもう何度目か知れぬ、ガルグ=マクだ。
「レア様……」
ジェラルトが呟く。
その遥か上のテラスで、大司教レアも呟いていた。
「時のよすがに……手繰り寄せられたのでしょうか……」
一団はガルグ=マクの市街に足を踏み入れた。大修道院に集った者たちが暮らす街だが、戦乱の時代には戦場にもなった。ベレトが自分の世界で倒れた戦場も、この市街である。そして門を抜けると、市場に出る。市街にも商店はあるが、大修道院の職員や士官学校の生徒たちはたいていここを利用する。石段の上では門番さんが出迎えてくれている。
「皆さん、お疲れ様です! 本日も異常なしであります!」
「うむ、うむ! 土産話も土産物もたっぷり用意しておるぞ」
「ええ、楽しみにしています。アロイスさんと話していると、いつもとても楽しいですからね!」
「むっ、褒めても何も出んぞ。はっはっは!」
そんな会話を繰り広げてから、一行は建物の中へと進む。
「生徒諸君! いろいろとあったが、今日のところはこれで解散! 自分の部屋でゆっくり休むといい。騎士団も、休息をとるように」
生徒と騎士たちがわらわらと寮へ戻って行く。玄関ホールには、ジェラルト傭兵団が残っていた。
「ジェラルト殿、ベレス殿も、大広間の2階、謁見の間へ来てください」
「謁見の間だな。行くぞ、ベレス。レア様と会うのも何年ぶりか…」
そんなことを呟きながらジェラルトは大広間へ向かった。ジェラルトは扉を出る直前に振り返って、アロイスにほかの傭兵たちを兵舎に案内するよう言った。
「たぶん、俺は騎士団に戻ることになるだろうからな。その時は、こいつらも一緒だ」
「長年の仲間意識というやつですな。さすが団長、仲間想いですな。では諸君、これから貴殿らをセイロス騎士として扱うことになる。まあ騎士と言っても、セイロス教団が雇い主の傭兵、といったところだ。仕事の内容はさして変わらんはずだぞ」
困惑しているような一部の傭兵の顔に気づき、アロイスが補足する。
「では、こちらだ。付いてきてくれ」
案内された騎士たちの寮は、騎士の間の裏手だった。この方面は生徒たちが立ち入り禁止なうえ、騎士団や傭兵団の面々もだいたいの場合は騎士の間か訓練場で見つかるため、こちらへはあまり来る機会はなかった。
案内された騎士の寮は、生徒や教師の部屋とは違い相部屋ではあったが、そのぶん広い。傭兵団の天幕よりも、ひとりひとりの空間がとれそうだ。日々新兵が増えることを見越してか、部屋は綺麗に整えられている。傭兵たちは、ちょっとした興奮状態だ。
「さあ、ここが貴殿らのための寮だ。基本的には1階を使ってくれ。女性諸君は2階へ。あとで団長も来るだろうから、それまでゆっくりと休んでおいてくれ」
アロイスが立ち去り、傭兵たちがひとしきり騒ぎ終わった頃になってから、ジェラルトとベレスもやって来た。
「おいお前ら、騒ぎすぎじゃあねえか? 俺たちの天幕が狭かったのは認めるが、そこまではしゃぐこたあねえだろ。それは置いておいて、急にセイロス騎士団に入れることになっちまって、申し訳ない」
「いやいや、こんな凄い部屋に住めるんなら全然大丈夫だよ!」
さっきまで寝台で跳び跳ねていたベリアルが応える。
「随分と楽しんでるな、ベリアル。俺は騎士団長の部屋を使うことになるから、ここには居ないぞ。それから、ベレスは教師をやることになったから、お前らとは別だ」
ここであちこちから驚きの声があがった。
「教師?!」
「まさか、士官学校の?」
ベレトも、わかりきったことではあったが驚いたふうに見せる。
「いちばん驚いてるのは、わたし本人だけど」
「いや、たぶん俺だ。アロイスが推薦したのも、レア様が認めたのも、全部驚きだ。レア様が何を考えてるのか、さっぱりわからん。」
ベレスとジェラルトは2人でぼやき合っている。確かに自分も、教師になることを初めて聞いたときはかなり驚いた。その驚きのなかで傭兵たちの寮に来たとき、自分もそんなことを言っていたかもしれない。
「それじゃあ、わたしは生徒たちの様子を見てくることにするよ。どの学級を受け持つかも決めないといけないし」
「そうか。お前らも、騎士団の奴らと仲良くしとけよ」
ベレスとジェラルトは寮を出ていった。
その後すぐにアロイスが呼びに来た。セイロス騎士として初めての訓練をするそうだ。訓練場へ向かう途中、エーデルガルトと何やら話しているベレスを見かけたが、ベレスはもう士官学校に馴染んでいるようだった。
訓練場では、何名かの騎士が待っていた。カトリーヌの姿も見える。
「よう、アンタたちが噂のジェラルト傭兵団か? 待ってたよ。アタシはカトリーヌだ。よろしくな」
「よろしくお願いします」
返事をしたのはベレトだけだった。ほかの傭兵たちはカトリーヌの「雷霆」が気になっているようだ。
「なんだよ、活気がねえなあ。さーて、今日はここに居る奴らと打ち合ってもらう。あんたらがどれ程の実力か、見極めさせてもらうよ。ああ、さすがにこの『雷霆』は使わないから、安心しな」
ベレトには、周りの傭兵がほっと息をつくのが聞こえたような気がした。
「それじゃあ、さっそく始めようか」
傭兵たちは、騎士との打ち合いを始めた。どの組も接戦で、カトリーヌとアロイスも端のほうで見ている。
「さすがだな、兄ちゃん!」
「ははっ、ありがとな、ベリアル」
ガープが騎士との打ち合いに勝って戻ってきた。次はついに自分の番だ。
「よろしく頼む」
相手の騎士に声をかけ、訓練用の木剣を構えて向かい合う。順番が最後だったので、試合を先に終えた傭兵たちの視線を感じる。試合開始だ。傭兵時代と、4年間の教師生活で身につけた技で、相手を翻弄する。
決着はすぐについた。騎士の首もとに木剣を突きつける。
「勝負あり! なかなか強いな、アンタ。名前は何ていうんだ?」
「ベレトです」
「ははっ、良い名前だな。気に入ったよ、アンタの剣さばき。傭兵らしさも騎士らしさも感じる剣だったよ」
他のほとんどの傭兵たちよりも長い間、しかも強い意志を持って訓練してきたのだから当然といえば当然だが、べた褒めだと思った。いつだったか、シャミアが褒められると伸びるたちだと言っていたのを思い出したが、カトリーヌは褒め方を心得ているのだろうか。
「それじゃあ、今日はここで終わりにしよう…」
「…待て」
何者かが、カトリーヌの言葉をさえぎった。声がした入り口のほうに目を向けると、いつの間に入ってきたのかイエリッツァが居た。そういえばベレトの世界でも、この日イエリッツァは訓練場前に居た。
「どうしたんだ、イエリッツァ」
カトリーヌの言葉には耳を貸さず、イエリッツァはまっすぐにベレトの目の前に来た。
「お前の剣は見事だった。俺と、死合え」
イエリッツァの言う死合いとは、手合わせのことだ。ベレトの世界でも、何度か死合った。
「…今は、断らせていただく」
仮面に隠れてよく見えなかったが、イエリッツァの顔に不満の色がよぎった。ベレトとしても手合わせに応じたいのはやまやまだが、今はそうできない理由があるのだ。
その理由というのは、イエリッツァが剣で相手を判断することだった。ベレトの剣は、4年ぶんの教師生活を経たとはいえ、ベレスの剣と同じだ。イエリッツァこと死神騎士がベレスと戦う際に、自分の剣を通してベレスの動きを読まれ、ベレスが敗れるなどということがあってはいけない。少なくとも、ベレスが死神騎士と一度戦うまでは手合わせはできない。
「またいつか、こちらの準備ができるまで待ってもらいたい。その時には、全力で臨ませてもらう。この約束は違えない」
「…その刻が、近い日であることを祈ろう」
意外にもあっさりと、イエリッツァは去っていった。
「いやあ、まさか断るなんてなあ。アタシも予約を入れておくことにするよ。楽しみに待ってな、ベレト!」
カトリーヌは冗談なのか本気なのかよくわからない口調だったが、こちらともいつか手合わせをすることになるだろう。
「皆、見事な剣さばきだった。さあ、それでは寮に戻るぞ。いや、この時間なら食堂に行ったほうが良いかもしれん」
確かに空はもう夕焼けで、美しい赤色に染まっていた。
食堂へ向かう道中、大広間の2階から降りてきたベレスと出くわした。
「先生1日目はどうだった、ベレス?」
ベレスの女傭兵仲間、アスモデが声をかける。
「受け持つ学級を選んだんだ。金鹿の学級だよ」
ベレトも、最初は金鹿の学級を選んだ。だが、戦争が始まる未来を変えるため、何度も学級を選ぶ前に時間を戻したのだ。
2度目の選択では、帝国に味方してエーデルガルトを内部から説得するため、だがエーデルガルトの意思は強く、戦争を止めることはできなかった。
3度目の選択では、青獅子の学級を選んだ。エーデルガルトが戦争を始めたことに最も驚いていたようすのディミトリなら、エーデルガルトとの親交もあり、説得できるかもしれないと考えた。しかし、ディミトリは心を病んでしまい、むしろ王国と帝国の戦争を激化するような結果になってしまった。
そして最後には、何か変えることができる部分を探した末に、黒鷲の学級を受け持ちながら、エーデルガルトを裏切ることにした。もちろん未来が変わるはずもなく、遂には時間を戻す力も使い果たし、戦場に倒れたのだった。
「昔、父さんに師匠として教えてもらったらしい子がいてね」
もちろん、これはレオニーのことだ。選んだ理由も、自分とまったく同じだ。
「金鹿の学級といや、同盟領の生徒たちだよな」
「自由そうな学級だなあ。うまく取りまとめてやれよ!」
傭兵たちからの声援にうなずいてみせ、ベレスは士官学校の教室へ向かった。
それからの数日間は騎士団の任務や訓練などで忙しかったが、ベレスの教師としての初陣、学級対抗戦の日にはジェラルト傭兵団が揃って同行することを許された。ジェラルトとその傭兵団に見守られながら、ベレスたち金鹿の学級は見事勝利を収めた。ベレスとレオニーの大活躍で、あくまで公平な立場のジェラルトも嬉しそうに見えた。
こうしてベレスは、士官学校の新任教師としての第一歩を、軽やかに踏み出したのだった。
今回も読んでいただきありがとうございます。
ここからのストーリーは、金鹿ルートで進行することになります。ただあくまで主人公は騎士団員のベレトなので、全クラスの生徒がまんべんなく登場します。ご安心ください。
ちなみに、ジェラルト傭兵団の傭兵仲間として登場しているガープ、ベリアル、アスモデは、「ゴエティア」に登場する悪魔の中で、ベレトと並んで王の地位の悪魔たちです。
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竪琴の節1 鹿の台地の実戦演習
さて、それでは本編、どうぞ!
もとジェラルト傭兵団の面々がセイロス騎士団として活動する準備をしているうちに、フォドラは竪琴の節を迎えていた。
11の日のお昼ごろ、訓練を終えた後に食堂を目指して歩いていると、教室から出てきたらしいクロードに声をかけられた。
「やあどうも。この前は助かりましたよ。改めてお礼を…」
「いや、困っている人の助けになることは当然のことだから、構わない」
「ははあ、器が広いですね、ジェラルト傭兵団ってのは。おっと、まだ名乗ってませんでしたね。俺はクロード=フォン=リーガン」
「ああ、ベレス先生から聞いて知っている。金鹿の学級の級長だったな」
ベレスは、教師生活が始まってすぐに、傭兵仲間たちに助けを求めてきた。ベレスよりは社交的な傭兵たちの力も借りて、なんとか教師としてやっていくことができているようだ。その時に、金鹿の学級の生徒たちについても話してくれたので、ベレスから聞いたというのは嘘ではない。
「そう、級長です。では、早速本題といきましょうか。」
そう言ってベレトを見たクロードの目は、クロードらしい腹の中の読めない目だ。
「ベレス先生について、知ってることをできるだけ話してほしいんですよ。級長として、担任のことはよーく知っておきたいんでね」
こう言ってはいるが、目的はベレスの弱みを握ることだろう。クロードなら間違いなく、弱みを握れない相手を近くに置きたくはないだろう。
今、この世界でベレスについて一番よく知っているのは、おそらくベレス本人を除けば異界の同一人物であるベレトだ。しかし今のベレトは、ベレスに初めて会ったのはたった1節前という設定で、ガルグ=マクに居る。あまりよく知っていては不自然だ。
「すまない、俺はつい最近ジェラルト傭兵団に入ったばかりで、ベレス先生に初めて出会ってからの期間も、君たちと同じくらいだろう。ベレス先生のことは、まだあまり知らないんだ。」
「へえ、そうだったんですね。てっきり、かなりの古参かと。若いわりに剣術が完成されていて、傭兵歴も長いような感じがしまして」
さすがはクロードだ。ただの新人傭兵でないことは既に見透かされている。
「ああ、ジェラルト傭兵団に入る前から、傭兵はやっていた。観察眼には自信があるのか?」
「人を見る目に限れば、まあそうですかね。じゃあ、自分はこの辺で失礼します」
クロードは教室に引っ込んでしまった。
自分の正体に関してのことは明かさなかったつもりだが、クロードには間違いなく何かしらを隠していることを読まれてしまっただろう。いつかは正体を明かし、戦争を止めるために協力してもらうつもりではあるが、今はまだその時ではない。
もとの世界でもクロードは担任のベレトについて探っていたのか、ということは考えないことにした。
食堂に着くと、ベレスとアロイスが居た。何やら話をしている。ベレトが近づくと、こちらに気づいたようだ。
「おおっ、貴殿は確か…。先日、私が団長の息子と勘違いした方だったな! ジェラルト傭兵団の一番新しい団員になったのであったな。となると、先生の課題にも同行するのであろう?」
「ええ、そうですね。よろしくお願いします、ベレス先生」
「ええと、堅苦しいのは苦手だから、普通に接してくれていいよ。傭兵団ではわたしが先輩だけど、歳も近いみたいだし」
「それじゃあ改めて、よろしく、ベレス」
「こちらこそよろしく、ベレト」
「はっはっは! やはり、団長の元に集う者は皆、仲良くなるのだなあ」
これからのために、ベレスとは良好な関係を築いておきたい。その第一歩は踏み出せたようだ。
と、そのとき、ベレスのおなかが鳴った。
「…それじゃあ、もっと仲良くなるのも兼ねて、食事でもどうかな。アロイスさんやベレトのことを、よく知っておきたいから」
「おおっ、このアロイス、団長のご子息と共に食事ができるなど、まさに幸運というものですぞ!」
アロイスの笑顔が、もっと笑顔になった。
今日のメニューは、アロイスの好物である豪快漁師飯。特に好き嫌いのないベレトとベレスは、腹を満たせるならたいていのものが嬉しい。
「ルミール村で初めて会ったときから思っておるのだが、貴殿らはお互いによく似ておるなあ。まるで双子の兄妹のようだ! はっ、まさか本当に…?」
もちろんあたりまえのことだが、今はその理由を明かしてしまうわけにはいかない。
「いや、俺の両親はもう主の御許へ逝ってしまいましたからね。ありえないと思いますよ。ジェラルト団長が実は幽霊だった、とかではない限りは」
「ま、まさか。見たところ、まだ団長には足がありましたぞ。…騎士として情けないことではあるが、私はどうもこの手の話が苦手でなあ」
ちょっとした冗談のつもりが、怖がらせてしまったようだ。思い返してみれば、怪談は苦手だと言っていた気がする。相手を間違えてしまったようだ。黙々と魚を食べ進めるベレスの表情からは、どう思っているのかは読み取れない。洒落がうけなかったときのアロイスの気持ちがわかったような気がした。
話題を変え、ベレスに話を振ってみる。
「今節の課題の準備はどうだ?」
「生徒たちにとっては初めての実戦だから、その前にもう少し戦闘の訓練をさせたいかな」
「うむ、各学級セイロス騎士団との実戦演習を行う予定であるな。たしか来週の週末だったはずだが」
緑の多い高地での演習だった。ベレトも、前週にジェラルトに配備してもらった騎士団の三部隊を率い、本格的に兵法を覚え始めた頃だった。
「騎士団の指揮は問題なさそうか?」
「ジェラルトが兵法の本を貸してくれた」
「うむ、それならば問題無かろう。騎士団長の部屋の本棚には、指揮でもなんでも、戦いに必要なことは全部敷き詰まっておるからな。指揮だけに。はっはっは!」
「うん、役にたつことがたくさん載っているよ」
アロイスの洒落を完全に受け流し、ベレスは話を進めるのだった。
それから程なくして、三人は漁師飯を食べ終わった。
「いやあ、やはり三人以上での食事は格別であるなあ。楽しい食事であったぞ! では、私はこの後任務があるので失礼する!」
「頑張って」
「この程度の任務、ちょちょいのちょい、よ! すぐに片づけて帰ってこよう!」
アロイスは玄関ホールのほうへ去っていった。食堂にはベレトとベレスが残された。
「俺たちも、来週の演習を共に頑張ろう」
「うん、そうだね」
もう一度お互いに声を掛けあい、食堂を後にした。
- - -
18の日。今日は騎士団との実戦演習だ。前節の模擬戦よりも多くの生徒が、出撃準備をしている。ジェラルト傭兵団、セイロス教団兵、セイロス傭兵団も装備を整えている。ベレスは、クロードから騎士団の運用を教わっている。
そんな中、ひとりの生徒がベレトの目に留まった。青獅子の学級の生徒のはずの、シルヴァンが居る。何故金鹿の学級の出撃に来ているのだろうか、と思ったが、すぐに納得のいく結論が出た。今の金鹿の学級の担任は男のベレトではなく、女のベレス。女好きのシルヴァンなら、十中八九ベレスの授業を受けるためだろう。…ベレトが教師だったときは、マヌエラが担任の学級には移動していなかったはずだが。
そうこうしているうちに、模擬戦の開始時刻になった。ベレトたちジェラルト傭兵団は、ベレスの後ろで配置につく。
「…それでは、開始!」
兵士の声が響きわたる。開戦だ。
「クロードたちの部隊は、北側に進んで。こっちの部隊は、わたしと一緒にこっちの森に入ろう。視界が悪いから、敵の攻撃を一旦避けてから反撃する。森の向こうで合流しよう」
ベレスがてきぱきと指示を出し始める。生徒たちも、それに従って行動を開始した。
「よしラファエル、攻撃を受けれるか?」
「おう、任しとけえ!」
北に進んだラファエルに、兵士たちが先制攻撃を仕掛けてきた。ラファエルは少し怯んだものの、耐えて反撃を繰り出し、勢いをつけてもう一度攻撃して、先頭の兵士を撃破した。だが、その後ろからふたりの兵士が迫っている。
「はっはは、やるねぇ。俺たちも、この武勇にあやかろうか。リシテア!」
「はいっ!」
クロードの矢と、リシテアのドーラΔがそれぞれ兵士を捉える。ローレンツが連携し、片方の兵士を撃破した。
「ヒルダさん、貴女も早く追撃してくれたまえ!」
「ええー、あたしは後方支援ですってー」
「その斧は何のために持っているんですか」
「ああもう、仕方ないなー」
こんなやり取りをしている間も律儀に待っていてくれた兵士にヒルダが一撃を入れ、撃破する。
「次は実戦だからな、ヒルダもこんなこと言ってられなくなるだろ」
「ちょっとー、怖いこと言わないでよクロードくん」
「ヒルダ、クロード、次の敵に備えますよ」
リシテアの注意で、戦闘に意識を戻し、敵の位置を探る。
「よし、あっちの森を回り込んで、先生たちと合流しよう」
クロードの部隊は、東へ進み始めた。
その頃、ベレスの部隊は森の中で東の部隊を迎撃していた。
木の陰から繰り出された兵士の槍を躱し、反撃の二連撃を叩き込む。次の兵士の攻撃も躱して反撃したが、追撃は避けられてしまった。まだ撃破判定にはなっていない。
「レオニー!」
「あいよ、先生!」
レオニーが後ろから飛び出し、確実に槍を当てる。これで森の中に居る敵はあとひとりだ。
「イグナーツ、当てにくいかもしれないけど、あの兵士を狙ってみて。シルヴァン、イグナーツと連携して攻撃を仕掛けて」
「おうさ!」
「やってみます!」
まず、シルヴァンが攻撃を仕掛ける。見えにくいところから不意をついたが、こちらも反撃を受けてしまった。が、兵士が次の手を繰り出す前に、イグナーツの放った矢がしっかりと兵士を捉えた。
「やったあ、やりましたよ!」
ベレスは喜ぶイグナーツに「冴えているね」と声をかけて、周囲の状況を確認している。
「北の2つの部隊を、クロードたちと挟撃しよう。森を抜けて、攻撃の準備をするよ。マリアンヌ、みんなを回復してあげて」
「は、はいっ」
「くっ、挟まれたか…。迎撃隊形で迎え撃つぞ!」
兵士たちの部隊は、合流して陣形を組み始めた。
「敵が固まっているから、あの手を使ってみよう。ジェラルト傭兵団、突撃用意!」
ベレスの指示で、ベレトたちも計略の準備を整える。兵士たちの頭の向こうには、クロードたちが見える。そちらでも計略の準備が整ったようだ。
「逃がさない! 突撃っ!」
ガープを先頭にして、ジェラルト傭兵団が一斉に突撃する。ベレトも、かけ声とともに走り抜け、剣を兵士に当てる。
「援護しよう、今だ!」
「こういうときは、みんな、頑張って行ってきてねー!」
敵陣の向こうからクロードとヒルダの声が聞こえた。
ジェラルト傭兵団が駆け抜けたころ、セイロス教団兵とセイロス傭兵団も、計略で兵士たちの陣に押し寄せた。その猛攻で陣形は崩れ、兵士たちは動揺している。
「続きます!」
「手伝うぜ」
ほかの生徒たちも、続々と追い打ちをかける。兵士たちはつぎつぎと撃破されていく。
「ぶっ飛べえ! うおりゃああ!」
最後に残った敵将も、ラファエルの強烈な一撃を受けて撃破された。金鹿の学級の勝利だ。
「よし、やったねみんな。節末の課題出撃は、もう大丈夫かな?」
「ああ、俺たちならやれるさ。な、みんなそうだろ?」
「そうだな、僕も貴族としての債務を果たすことができそうだよ」
生徒たちは、わいわいと話し始めた。この調子なら、課題出撃は大丈夫だろう。少なくとも今節の終わりまでは、心配することはなさそうだ。
そうこうしているうちに、敵役の兵士たちも装備を整えたようだ。
「みんな、大修道院に戻ろうか」
勝利に浸る金鹿たちが、ガルグ=マクへと列を成して戻っていった。
- - -
25の日。金鹿の教室では、ハンネマンが弓術と理学についての講習を行っている。ベレトはその前を通り過ぎ、訓練場へ向かった。
だが、訓練場に入る前に、奇妙な人影を発見した。生徒寮と浴室への階段の間、薄暗い場所に何者かがいる。念のため腰の剣に手をかけ、近づく。
「おい、ここで何をしている?」
その男はびくっとして、警戒した目でベレトを見つめる。
「あんたは…。騎士さんですか。失礼しました、私は地下に戻りますよ」
「地下…? ガルグ=マクに、地下があるのか?」
思わず疑問が口をついて出る。去りかけていた男が、振り返って答えた。
「…ガルグ=マクの地下をご存じない? あそこは、地上にいられぬ者の楽園ですぞ。ここで手に入らない品でも、地下では手に入れられるかもしれませんな」
次回、アビス編です。次の更新までに、ぜひともサイドストーリー 煤闇の章をプレイしてみてください。春休みを活用してもう少し進めたいです。
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竪琴の節2 アビスとの遭遇
それでは今回のお話、どうぞ。
「…ガルグ=マクの地下をご存じない? あそこは、地上にいられぬ者の楽園ですぞ。ここで手に入らない品でも、地下では手に入れられるかもしれませんな」
男はそう言って、にやりと怪しい笑みを浮かべた。
地上にいられぬ者、ここで手はに入らない品、普通に考えれば、とても危険なものであるようだ。だが今のベレトは、今まで関わることのなかったそういったものの中に、戦争を止める鍵が見つかるかもしれない、と思った。
「では、俺を地下へ案内してくれないか? 少し、調べたいことがあるんだ」
「私はべつに構わないのですが…。地下には、騎士嫌いの者や、地上の者を恐れる者もいます。じゅうぶんに、気をつけてくださいますね?」
男に向かって頷いてみせる。
「では、こちらへ…」
男は地面の石畳を探り、床の隠し通路を開いた。その中に体を滑り込ませ、ベレトに手招きする。通路を覗き込むと、梯子が下へと伸びていた。
しばらく歩くと、通路に座りこんでいる男がいた。
「や、あんたは…騎士さんですかい。俺は、ここで番人みたいなものをさせてもらってます。厳しく見張るというよりは、のんびり眺めるほうですけど」
番人ははあーっとため息をつき、面倒くさそうに顔をあげた。
「あんたのせいで、今日は異常ありですよ。久しぶりに番人らしいことでもしてみますか。おーいユーリス、ちょっと来てくれえ」
「呼ばれなくてもいるさ。簡単にアビスへ入られちゃ困るんでな、誰か来たらわかるようになってんだ」
番人の背後の通路から、薄紫色の髪の青年が現れた。
「俺がユーリスだ。率直に聞くが、あんたはなんでここへ来たんだ?」
「この人からアビスのことを聞いて、気になったんだ。少し探検でもしてみたいと…」
「た・ん・け・ん? そう仰いましたか? 騎士団員というのなら、ここをどこだかご存知ない、はずはありませんわね?」
いつの間にやらユーリスの隣に現れていた、貴族令嬢らしき風貌の少女が口を挟んできた。
「言い訳が下手ですわね。貴方の真の目的、この私が言い当ててさしあげましょう! ずばり、アビス住民の排除を目論む教団の指示で、介入の口実を探しに来たのですわね!」
「そのへんにしとけ、コンスタンツェ。騎士団だって、全員が全員、何でも知ってるわけじゃねえ。それに、つい最近、有名な傭兵団が騎士団傘下に入ったそうだ。おおかた、そこ出身の傭兵が、初めてのガルグ=マクを端から探検してる、ってとこかもな」
ユーリスに諫められ、コンスタンツェと呼ばれた少女は不満げながら口を閉じた。
「だいたいそんなところだろ? なああんた」
「まあ、そうだな」
「なら、ひとつ聞きたいんだが…。この商人、フィルマンと一緒に入ってきたってことは、ここの存在はこいつに教えられたんだよな。ここは、探検してみたいほど魅力的だったか?」
確かに、ベレトは商人フィルマンの言葉を聞いて、ここへ来た。世界を救う目的のために何か見つからないかと期待してのことだが、明かすわけにはいかない。ある程度濁して答えることにした。
「ああ。地上にないものが見つかるなら、自分が探しているものもあるかもしれない、と思った」
しばらくの沈黙の後に、ユーリスが口を開いた。
「まったく信じられないほどじゃあねえが、微妙なところではあるなあ。もうひと押しほしいところだが、その探し物とやらをずけずけ訊ねるのも野暮だろ。仕方ねえ、あいつを呼ぶとするか」
そう言ってユーリスは、コインを一枚、床の石畳に落とした。チャリーン、という音が、地下通路に響く。
数秒の後、通路を曲がって男が走ってきた。
「今、金の落ちる音が…って、ユーリスかよ?!」
「悪い悪い、お前を呼び出すにはこれが一番早えと思ってな」
「確かに間違っちゃいねえが、何か根本的に間違ってるような気がするぜ、俺は」
現れた男は、戦闘慣れしていそうながっしりとした体格だった。傷も何ヵ所か見える。
「さて、こいつはバルタザールだ。バルタザール、こちらは地上から地下探検に来た騎士さんだ」
「騎士だとぉ? なるほど、探検なんてつまらねえ嘘に俺たちが引っかかるとでも思ったか? てめえから地下を護るために、この『レスターの格闘王』ことバルタザール様の力が必要なんだな?」
「そうじゃねえ、まあそう焦るな。ところであんた、格闘は得意か?」
ベレトは頷いてみせた。格闘は、昔から剣と同じくらい得意だった。
「だったら話が早い。バルタザール、お前の『相手のことを知りたきゃ、まず拳で語り合う』を実践するときが来た」
「何ですって!? そんな気品の欠片もない方法で、人の真髄を見通せるとでも言うつもりですか、ユーリス?」
コンスタンツェが驚きの声をあげる。
「ああ、そうさ。だいたいは俺の目と耳で確認したつもりだが、別の方面からも攻めてみないとな」
ユーリスは大して表情も変えずに答えている。
「確かにそうかもしれませんけれど、もう少しほかの方面もあったのではなくて?」
「まーいいじゃん。バルトはそれで今までやってきたわけだし」
またひとり、通路の奥から少女が現れた。リンハルトを思い起こすような、眠たげで面倒くさそうな表情だ。
「キミたち、うるさすぎてハピ寝れないし。もうちょっと声落としてよ」
「悪いハピ、邪魔したな。ちょっと、外からお客さんでな」
「うん、だいたい聞こえてたし。バルトと拳で語り合うんでしょ? ずっと寝れなくてため息つく前に、さっさと終わらせてよ」
ため息をつく前に、とはあまり聞かない例えだ。それとも、このハピという少女にはため息をつきたくない理由でもあるのだろうか。
「んじゃ、ちょっと移動するか。ここじゃ狭いからな。こっちだ」
ユーリスの後をついて行くと、通路が少し広がった空間に出た。番人とフィルマンとは先ほどの通路で別れ、ベレトとユーリス、バルタザール、コンスタンツェ、ハピという面子が揃った。
「さて、ここが今日の戦場だ。準備は良いか?」
「おう、任せろ!」
「ああ、いつでもいける」
バルタザールと向き合い、構える。
「よし、存分にやり合え! 開始!」
お互いに籠手は装備せず、素手格闘が始まった。
「『レスターの格闘王』の拳、受けてみな!!」
バルタザールが先制攻撃を仕掛けてくる。
「見えたっ!」
連続で繰り出される左右の拳をひらりひらりとかわし、こちらも反撃する。そのまま攻勢に移行したが、籠手をつけていないので腕がいつもより軽く、感覚を掴みにくい。連撃のとどめを回避されてしまった。
「甘えな、ほれい!」
反撃の一撃が横腹を掠める。直撃していれば、大ダメージを受けていただろう。それでも怯まずに、こちらも追撃する。蹴りも織り交ぜ、反撃の隙を与えない。
「逃がさない!」
相手が少し怯んだ隙をつき、強い一撃を叩き込む。バルタザールは、尻餅をつくような形で床に倒れた。しかし、笑っている。
「へっへっへ…。なかなか強いじゃあねえか…。だが、俺にはわかるぜ。手加減してるな?」
確かに、ベレトは少し加減していた。傭兵時代から鍛え続け、更に教師として奮闘しつつ4年ぶんの時を過ごしたのだから、ベレトの戦闘力はかなり強まっているはずだ。バルタザールの「拳で語り合う」方法は、意外にも正確なようだ。
「しっかしだ。俺はそれでもお前に勝てない。でかい実力差があるのがわかるぜ。だったら、俺が勝つには…」
バルタザールの目が、ぎらっと光った。
「手加減してもらってるうちじゃなきゃあな! 吹っ飛べ!」
バルタザールの強烈な一撃が、ベレトの胴を捉えた。体が吹き飛ばされる。
「ぐっ…、」
「追い詰められるほど、力が湧くってな! お前が俺様を追い詰めてくれたおかげさ!」
地面に倒れたベレトに、バルタザールが迫る。
「風穴空けてやるぜ!」
バルタザールは大きく右腕を振りかぶり、ベレトに向かって振り下ろした。
先ほどの打撃でぼんやりとしていた意識が、急にはっきりしてきた。振り下ろされる拳が、妙にゆっくりと見えた。素早く横に転がってかわし、立ち上がる。
「! なに…っ」
攻撃がはずれて驚いた様子のバルタザールに、そのまま二連撃を打ち込む。
「これで決める!」
ベレトが放ったとどめの一撃はバルタザールの胸を強打し、今度はバルタザールが吹き飛ばされた。
「そこまでだ! バルタザール、命を取ろうってわけじゃねえんだから、やりすぎるな。騎士さん、あんたもだ」
ユーリスがふたりの間に割り込み、お互いを制した。
「すまなかった」
「いやあ、久しぶりに俺様が本気を出しても死なねえくらいの奴と戦ったぜ。血が滾っちまった」
バルタザールは、腰や胸のあたりをさすりながら立ち上がった。
「で、バルタザール。騎士さんの素性はどうだと思う?」
「ああ、そういやそのための戦いだったな。ひとりの戦士として、尊敬したいような感じだったな」
「そうか、それなら大丈夫そうだな。ふたりとも、今回の健闘を称えて握手しな」
ベレトとバルタザールは、ユーリスに促されるままに握手した。先ほど初めて会ったときとは違い、戦友を見るような目をしている。
「んじゃ、改めて自己紹介だな。俺はユーリス。こいつがバルタザールで、そこのご令嬢…いや、元ご令嬢がコンスタンツェ。あっちで寝てるのがハピだ」
「ベレトだ」
「よろしくな、ベレト。これからはいつでもアビスに来てくれて構わないが、安全は保証しないぜ。まああんたなら、襲われても大丈夫だろうが」
ユーリスがにやっと笑う。ベレトも微笑み返した。
「ユーリス、本当にこんないい加減な方法で判断しても大丈夫なんですの?」
「もっともな意見だが、これでも俺はバルタザールの腕を買ってるんでね。もしベレトがアビスを襲撃したって、一応策はあるからな」
ユーリスはまたにやりとしたが、今度は目が笑っていなかった。
「んじゃ、街のほうへ戻るか。起きな、ハピ。終わったぞ」
「ううーん…。あ、おはようユリー」
ユーリスが、いつの間にか眠っていたらしいハピを起こしに行く。
「街に戻るぞ。とりあえず、このベレトは大丈夫だって判断になったから、友達みたいに接してやれ」
「ユリー、キミはこの人の母親か何か? あ、よろしくレトさん」
「こちらこそ」
ハピが手を振ったので、こちらも振り返した。「レトさん」という呼び名は、少し気に入った。
こうして、地下に新しい仲間ができた。地下にしかない情報網には、世界を救うためのヒントが引っかかっているかもしれない。ベレトはそう期待しながら、アビスの街へ続く通路を歩くのだった。
今回も読んでいただき、ありがとうございました!
まあどうせまた期間が空くでしょうが、読み続けてもらえると幸いです。
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竪琴の節3 谷の盗賊、地下の盗賊
いちおう前回の内容を復習しておくと、ベレトとバルタザールが拳で語り合い、ユーリスの信頼を得たところですね。この説明でわかる方はたぶんこの小説をしっかりよんでくれてます、ありがとうございます。
それではどうぞ!
「『格闘王』の名が台無しだぜ、まったく…」
地下の通路を歩きながら、バルタザールがぼやいた。
「なあベレト、お前レスターの出身か?」
「いや、そうではないと思うが…」
ジェラルトの日記には、ガルグ=マクに居た頃に赤子が産まれたと書いてあった。
「んじゃあ、『レスターの格闘王』の座はひとまず安泰ってとこだな」
「おまえはそれで良いのか、バルタザール?」
呆れたような顔でユーリスが聞き返す。
「いいや、そりゃもちろん目指すは『フォドラの格闘王』さ。ちっとは名乗れるような二つ名を立てときゃあ、びびって逃げるような借金取りを追い返す手間がはぶけるってもんよ」
「それ、絶対さっさと借金返したほうが早いし」
そんな話をしている間に、一行は先程の番人が居る角へ戻ってきた。番人が軽く手を上げて出迎えてくれる。
「やあ、あんた勝ったんですね。じゃあ、あんたは追い返さなくてもいいんですよね。正直俺じゃあんたに勝てそうもないんで、良かったですよ」
「おいおい、仮にも番人なんだからそんなんじゃあ困るぜ。俺様が稽古でもつけてやろうか?」
「遠慮しとくよ。それに、バルタザールもこの騎士さんに負けたんだろ?」
「まあ…返す言葉もねえぜ」
番人とバルタザールの問答が一区切りついたところで、ユーリスが軽く咳払いをして注意を引き戻した。
「さあ、ベレト。こっちが、アビスの町だ。訳あって地上にいられねえ者たちが、助け合いながら暮らしてるんだ」
「そう、なのか…」
ベレトは、地下の町の様子に圧倒されていた。地上とも変わらないほど活気に満ち、子供たちが駆け回っている。しかし、来ている服は汚れて、繕ったあとも目立つ。生活の苦しさが伝わってくるが、助け合って生きているのだと聞き、住民たちの絆も伝わってくる。
「大修道院の地下に、こんなに大きな町があったとは…。すごいな」
「だろ? まあ、ここに居るやつらを見ればわかるだろうが、住んでるのは一癖も二癖もあるやつばかりだがな」
入り口で呆気にとられていたベレトを促して、ユーリスが広い通りに出た。
「さて、あんたは大事な『客人』だ。俺様直々に、案内してやるよ。あんただけじゃ、地下のやつは怖がるだろうからな」
「怖がる、というと…」
「ああ、みんな地上のやつを怖がってるんだ。地上から逃げてきたようなやつが多いんだよ」
「そうか…」
地上の国どうしだけでなく、地上と地下の間の確執もどうにかしなければならないようだ。
「まあ、俺と居りゃ問題ないさ。たぶんな」
ユーリスは地下のいろいろなところを案内してくれた。地下の住民たちが集う酒場、地上では読めないような書物が収められた書庫、時々占星術師が現れるという部屋。ベレトは特に地下書庫に興味を持った。今までに知り得なかった情報を見つけることができれば、目的の達成にも役立つと思ったからだ。時間を見つけてまた来ようと決めた。
そして、最後に紹介されたのが「灰狼の学級」の教室。
「俺たち『灰狼の学級』は、アビスで秘密裏に開かれた、第四の学級だ」
「教団の枢機卿が一人、アルファルド様が、地上で行き場を失った「元」士官学校生を助けるために設立されたのですわ!」
「第四の学級、か…」
「まあ、学級と言ったって、必然的に、面白い奴かやべえ奴ばかりが集まってるな。で、それをまとめてる、実質的な級長みたいなのがユーリスだな」
その「やべえ奴」たちをまとめあげるユーリスの手腕には感心せざるを得なかった。アビスを案内されるうちに出会った者の中には、明らかにごろつきという感じの者もいたが、大きな争いは起こっていないようだった。
「俺に案内できるのはだいたいこの辺りかね。これ以上の探索はおすすめしないぞ」
「ああ、ありがとう。おかげで、新しい世界を見ることができた」
「そりゃ地上のもんから見りゃ新鮮かもしれないけどよ、ここはそんな大したとこじゃねえ」
ベレトは、地下の様子とユーリスの人となりに、すっかり感心しきっていた。ユーリスにこう言われても、ベレトには薄暗いアビスが輝いて見えていた。
「で、ベレトさんよ。アビスに入れてやって、案内までしてやったんだから…タダってわけにはいかねえのは、わかるだろ?」
「…! 悪いが、今は持ち合わせが…」
「そう身構えるなよ。金なんかじゃねえ。ちっとばかし、手伝ってほしいことがあるんだよ。騎士であるあんたに、アビスを守ってもらいたいんだ」
「どうしたことか、このところ地上の者がアビスを襲ってくるのです。セイロス騎士がこの地下を守っているとなれば、賊も手を出しにくくなると思いましたの」
コンスタンツェの説明を聞き、納得する。地下でしか暮らせないような弱い者たちを、さらに虐げようとするなど、放っておくことはできない。
「暇なときだけでいい。引き受けちゃくれねえか?」
「もちろんだ。全力を尽くそう」
「あんたならそう言ってくれると信じてたぜ」
もう一度、ユーリスと握手を交わす。
「じゃ、ハピの出番減らせるよね。助かったよレトさん」
「残念ながら、キツかったとこがせいぜい普通になったくらいだ。お前の出番は減らないぜ」
「あっそ。ため息出そう」
事あるごとにため息のことが持ち出されるのは気にかかるが、今はまだ理由をきかないことにした。もう少し、食事やお茶会を共にしてじっくりと親交を深めてからだ。
「これから、何度もここに来させてもらおうと思う。やりたいことがあるんだ」
- - -
その言葉どおり、ベレトは騎士としての任務や鍛練の間をぬってアビスを訪れた。明朝には赤き谷に向けて出発するという日の日暮れ時にも、ベレトは地下書庫にいた。読んでいるのは「フォドラの虫大全」という本だが、その中身は教団が禁忌としたものの目録だった。
「よう、調子はどうだ?」
階下から、張られた縄の下をくぐってユーリスが現れた。
「あー、その本か。セイロス騎士のあんたからしちゃ、教団への忠誠心に関わるんじゃないか?」
「ああ、教団がこれまで隠してきたものの大きさに驚かされるな。ここに載っているものだって、正しく使えばフォドラの技術が大いに発展するはずだ。確かに危険性はあるが、教団は保守的だな」
自分の正体すら隠し続けていま大司教レアなら、この程度の隠し事は山ほどあるはずだ。ある程度譲歩するよう説得することが、戦争を止めることに近づく手段のひとつになり得るだろう。
「あんたもそう思うか? …教団は、都合の悪いことは全部無かったことにしようとするからな。今度の金鹿の課題だってそうだ」
「…というと?」
「いくら追われてるといったって、わざわざ教団の聖地に逃げ込む馬鹿は居ねえよ。俺の推測では、裏で動いてるもっとでかい計画の捨て駒にされた、ってとこかな」
裏で動いている計画。
今まではただの賊だと思って気にかけていなかったが、赤き谷の盗賊たちが、自分の使命に関わる重要な存在になるかもしれない。
「なるほど。その盗賊団について、なにか詳しく知らないか? その『もっとでかい計画』について、調べられるかもしれない」
「俺の情報網をなめんじゃねえぞ。これでもフォドラ中に子分たちが居るんだ。いいか、よく聴けよ?
盗賊団『鉄の王』の頭はコスタス。頭の回る男じゃねえし、実力も士官学校生と良い勝負ってとこだ。そのくせ金のためには何だってやる。この前も貴族子弟を暗殺しようとしたらしい」
ルミール村周辺での、夜営訓練の襲撃のことだろう。
「あまり良い印象は持てないな」
「おっと、まだ話は終わってないぜ。…やつらがそこまで金に固執する理由はな、孤児を養ってやってるからなんだよ」
「…!」
初耳だった。課題出撃のあとは、すぐに生徒たちと共に帰還していたので知らなかった。後の処理をしていた騎士たちに保護されていたのだろうか。
「狙う相手も貴族ばかりで、貧しいやつは狙わない。だが、負け戦はしない。不意討ちが『鉄の王』の基本戦法だ」
確かに、盗賊団からしてみれば安全に奇襲をかけたはずが、たまたま伝説の傭兵が近くの村にいたのでは敵わないだろう。
「そんな彼らが、わざわざセイロス騎士団を敵に回すようなことをするとは思えないな」
「そう、そこが明らかにおかしいのさ。たぶん、もうコスタスは自分の意志では動いちゃいない。金に目が眩んでやばい仕事を引き受けたか、誰かに脅されてるんだろうな」
「そうか。明日、彼らとよく話してみようと思う。…余裕があれば、だが」
「おう、頑張れよ。コスタスのことはどうでもいいが、孤児たちの保護は全力でやれよ」
ベレトは、どうすればコスタスを説得できるかを考え始めていた。
- - -
そして、課題出撃の当日。ベレスたち金鹿の学級と、ベレトたちセイロス騎士団が、赤き谷の入り口に詰めていた。
「ここが赤き谷か? 別に赤くはないが……。まあいいや。さっさと始めようぜ、先生。賊は谷の奥に追い詰められてるようだ。事前の情報どおりで実に面白味がないが」
「…そうか。それなら、新しい情報でもやろうか?」
クロードの気を引く発言。これがベレトが立ててきた計画だ。
「なんだ、そりゃ面白そうだな。ベレトさん、新しい情報ってのは?」
「実は…この盗賊団は、孤児を保護しているらしい」
「…!」
「あいつらが?!」
クロードだけでなく、近くで聞いていたベレスや他の生徒たちにも驚きがはしる。
「わざわざ教団に喧嘩売るなんて、子供を養う意識が低くないかね?」
「そう、そこが不自然なんだ」
クロードがいい具合に食いついてきた。
「そこで、考えたんだが…。誰かに命令されて、仕方なくこんなところに行かされたのではないか、と俺は考えている」
「…盗賊団を操っているやつが、別にいるということ?」
「確かに、俺たちが出会ったルミール村の件のときだって、3つの国の後継ぎをまとめて始末したい誰かに動かされてたと考えりゃ、自然だな」
ベレスとクロードの推論は、完璧だ。
「だから、できれば…。盗賊を討伐せずに生け捕りにして、真の黒幕を突き止めたいと思うんだ。騎士団や教団の決定でもなく、ただ俺個人の希望ではあるが」
…さて、彼らはどう出るだろうか。
「裏で暗躍している黒幕を引っ張り出すことができれば、黒幕がこれから起こすかもしれない事件を防げるかも。わたしは、この案に賛成」
「俺もだ。最初に言ってた孤児たちも、盗賊とはいえ、育ての親が死んじまったら辛いだろうしな」
「うんうん、きっと盗賊たちも戦うのはめんどくさいだろうし、なるべく戦わないようにしよ?」
「私も、女神様が降り立ったこの地で、血を流すのには抵抗があります…」
「裏で操る黒幕とやらが居るのなら、そちらを炙り出すほかあるまい」
ベレスとクロード、他の生徒たちも賛同する。側で聞いていたセイロス教団兵の隊長も、賛同してくれた。
「ありがとうございます。俺ひとりの勝手な自己満足に付き合ってくださって」
「なに、見えない敵の正体を探り、子供たちを救うとあらば、セイロス騎士として当然のことだ!」
これで、何かこの先に繋がる情報を得られるかもしれない。期待を胸に抱きつつ、傭兵団の仲間たちとともに、ベレトも配置についた。
「さ、先生。出撃の指示を出してくれ」
「うん。
「…クソッ! 騎士団の奴らか? こんなところまで追ってきやがって……!」
「お頭、もう逃げましょうよお! 奴ら相手に勝てっこないですよお!」
「…馬鹿野郎、今更どこへ逃げるってんだ! 死ぬのが怖くて盗賊やってられるかよ!」
我ながら、良い台詞を言うもんだ。そう、死ぬのは怖くなどない。ガキを養うために別のガキを殺すような馬鹿には、お似合いの最後だ。
「…俺が死んだら、無駄な抵抗はやめてさっさと捕まれよ。義理のために死ぬまで戦うなんざ、騎士のやることだろうが。盗賊なら、泥水すすってでも生き残りやがれ!」
「なら、お頭も一緒に投降しましょうって! きっと、一緒に…」
「馬鹿野郎、俺が逃げたところで、どうせ騎士団の代わりにあの仮面の野郎が殺しにくる。俺が死ぬまでは、団ごとやつらの命令に縛られてんだ。頭の俺が死にゃ、お前たちは自由だ。…ガキどものことは、任せる」
「お頭…」
谷の向こうでは、最前線の盗賊たちが騎士団と戦闘を始めているのが見える。
「気合い入れろ! 騎士団のやつらを迎撃するぞ!」
「へい!」
橋の上に布陣していた盗賊たちは、弓や魔法で弱ったところを叩く戦法で、撃破されていった。
「ひいっ…! 命だけは助けてくれ!」
「民の暮らしを守るのが貴族の責務…。君たちも守るべき善良な民になるよう、改心したまえよ」
死なない程度に怪我をさせられた盗賊たちは、各々武器を捨て、投降していく。
「初めて本気で戦ったけどよお、オデ、わりと強えんじゃねえか?」
「よしっ、戦える……! わたしの鍛え方、間違ってなかった!」
初めての模擬戦ではない戦いに、生徒たちは手応えを覚えているようだ。
「前回は不意を突かれちまったが…ま、盗賊なんてこんなもんか。ところで先生、西側に裏道があるらしい。西側と正面で、二手に分かれりゃあ、奥にいる敵を挟撃できるかもしれないぜ」
「確かに、普通の戦闘なら挟撃のほうが効果的だけど、今回は無駄な戦闘を避けたい。戦力はひとつにまとめよう」
「了解、先生」
ひとかたまりになって進軍し、盗賊たちを次々と戦線離脱させることに成功した。が、いつまでも順調というわけにはいかなかった。
死角から現れたアーチャーに陣形を崩され、間をすり抜けた盗賊たちが後衛の生徒たちに突撃したのだ。
「死ねえッ!」
「マリアンヌちゃん、危ない!」
まさにマリアンヌに斬りかかろうとしていた盗賊を、ヒルダが斧で吹き飛ばした。すぐにリシテアの魔法が飛び、盗賊は動かなくなった。もうひとりの盗賊も、イグナーツの矢が胸を貫いていた。
「後ろで見てるだけのつもりだったのにー。マリアンヌちゃん、大丈夫?」
「は、はい…。でも、あの人は…?」
「うわ、すごい血…。助からない、かな…」
「そんな…。主よ…赦したまえ…。この者の魂を、救いたまえ…」
「…あんたたちの死は、無駄にはしませんから」
敵とはいえ、死者が出たことで、動揺が走る。
「ご、ごめんなさい…。こうするしか…」
「謝る必要はないよ、イグナーツ。戦場では、何よりも自分の命を守ることが大事。そのためには、討ちたくない敵を討つことも、仕方がない」
やはり元傭兵、ベレスが教師らしく教える。
「今は違ったけれど、普通は全部、こうなんだ。…早く、慣れたほうがいい」
「そ、そう…ですよね。やっぱり、傭兵って…すごいなあ」
「感心するようなものでもないよ」
「ま、仕方ないこった。恨まれはしないはずさ」
危機を乗り越えたことで、生徒たちの心は成長し、仲間としての絆も生まれたようだ。お互いに励まし合いながら、進軍を続けていく。
「…ありゃ、騎士団も混じってるが…士官学校のガキ供か? 騎士団じゃなくガキをぶつけてくるたあ、なめられたもんだな!」
谷の奥で待ち構えるコスタスは、舌打ちした。あの時仕留め損ねたガキをここで殺っちまえば、あの仮面の野郎も文句はねえだろう。
「苦労も知らねえ貴族のガキどもが…。今度こそおとなしく死にやがれ!」
盗賊団「鉄の王」は、コスタスのほか数名を残して、大多数が既に投降していた。金鹿の学級の面々はコスタスが陣取る遺跡の周りを包囲していた。
「…自分が、頭を説得してくる。みんなは、ここで待っていてくれ」
「俺も行かせてくれよ。こういう奴らの手口なら心得てるぜ。それから、もちろん先生も来るだろ?」
「いや、それは…。まあいい、来るといい」
正直、説得できる相手かは不安だった。ここはおとなしく2人の力を借りることにしよう。
「賊の頭コスタス、武器を捨てて投降しなさい!」
ベレスが呼びかける。
「てめえは、まさか…この間の傭兵か! 騎士団の連中と手を組んでやがったとはな!」
「今投降すれば命は助けてやれる。あんたも死にたくはないんじゃないか?」
「へっ、ガキが説得か? 生憎、俺はもう死ぬ覚悟決めてんだ。何人道連れを増やせるか、ってとこだ」
今のところは説得に応じる様子は無さそうだが、こちらには切り札がある。
「思い残すことは無いんだな。…ここで、死んでもいいと?」
「ああ。てめえら騎士様みたいに、守るべきもんなんてのはねえぜ」
「それなら、ひとつ訊いておきたいことがある。面倒をみている孤児たちのことはどうする気だ?」
コスタスはしばらく黙り込んだ。
「…俺の知ったことじゃねえ。ガキどもは俺の手下が面倒みるさ」
「本当にそれでいいのか? 子供たちは、育ててくれた優しいコスタスさんが居なくなって、悲しいだろうなあ?」
「どうせすぐ忘れちまうだろうよ。覚えてて得なんてねえからな」
コスタスは頑なに投降しようとはしない。孤児たちの話題を出されても、せいぜい少し動揺した程度だった。期待していた反応とはまったく違う。
「さあ、剣を抜きな。俺はいつでもてめえらを叩っ斬る準備は出来るからな!」
コスタスはまた斧を構えている。目には、殺意が浮かんでいるようだ。
…仕方がない。話ならば、手下たちからも聞くことができるだろう。コスタスは、斬るしかないか。
ベレトは、腰の剣の柄に手をかけた…が、その手が押し止められた。
「まだ諦める時じゃないと思うぜ、ベレトさん。俺に任せてくれよ」
「クロード!」
「さっきも言ったように、俺はこういう奴らの手口を心得てる。あいつが何を考えてるのか、わかるぜ」
ベレトの右手を離し、クロードは前に進み出た。荒い息をしているコスタスに近づいていく。
「コスタス、あんた多分、戦いたくもないのに戦ってるよな。生にしがみつくのが仕事のはずの盗賊が、自ら死にに行くなんて、おかしいじゃないか?」
「苦労も知らねえ貴族のガキに、盗賊の何がわかるってんだ!」
「生憎、貴族には貴族の苦労があるんでね。まあ、俺の場合はそこらの貴族よりは平民寄りの苦労ではあるが…。ま、これでもあんたらに理解はあるつもりなんだ」
ベレトは、かつてクロードが言っていたことを思い出した。俺もぬくぬくと育ってきたわけじゃない。クロードの出自は、他の貴族とは明らかに違うらしい。
「へっ、そうかよ。だから何だってんだ。俺が死なねえようにできるのかよ?」
「できるかもしれないぜ。あんたらを裏で操って、最後には都合よく始末しようとしてる黒幕のほうを、先に処理しちまえばな」
「…! あの仮面の野郎を、知ってんのか?」
「そういうのは、俺よりこっちの騎士さんのほうが詳しいと思うぜ。ベレトさん、『仮面の野郎』に心当たりはあるか?」
コスタスの言う『仮面の野郎』はおそらく炎帝のことだ。今のうちに炎帝の動きを掴んでおけば、戦争を起こすために行動を起こすのを防ぐことができるかもしれない。
「仮面に炎が描かれていて、このくらいの身長か?」
エーデルガルトの身長のあたりを、手で示してみせる。
「間違いねえ、そいつだ!」
「なら、仮面の人物についての情報を出せば、情報料くらいなら支払える。ガルグ=マクなら、身の安全も守れると思うが…」
「そうかよ。なら、俺は降伏する。てめえのとこのガキが言うとおり、俺は死にたかねえ。天下のセイロス騎士団なら、俺ひとり守るくらい容易いもんだろうしな」
そう言って、コスタスは斧を捨てた。
「好きなようにしろ。処刑する以外なら、抵抗しねえよ」
「ああ。協力に感謝する」
手を挙げて、コスタスは投降した。
「あっ、出てきたよ!」
遺跡のそとで待っていた他の生徒たちが、集まってくる。
「ほう、本当に賊の頭を説得するとは…。お前はなかなかに弁論の才があるようだな、クロード」
「お褒めにあずかり光栄、ローレンツくん。さてみんな、大修道院に帰るぞ」
「はー、やっと帰れるー! 汗かいちゃったし、汚れちゃったし、帰ったらまずは浴室かなー」
ガヤガヤと話しながら、生徒たちは帰還の準備を始めた。ベレスも生徒たちに囲まれ、遺跡の中でのことを話してやっている。
「ベレト、いいか?」
セイロス教団兵の隊長だ。
「我々は盗賊団が保護していたという孤児たちを探してくる。投降した盗賊たちは、我々が後から輸送する。君たち傭兵団は生徒たちと共に修道院に戻り、今回の件について大司教様に報告するように」
「了解しました」
「帰還中も、生徒たちのことを守ってやるのだぞ」
もう全員がすっかり荷物をまとめ終わった頃、クロードが話しかけてきた。
「なあベレトさん、先生を見なかったか?」
「こちらには来ていない…」
「いつの間にか居なくなっててなあ。いったいどこに…って、あっちに居るじゃないか。どうも、ベレトさん」
クロードの視線の先には、ザナドの景色をぼうっと見つめるベレスの姿があった。
「先生? 何してるんだ、こんなところで。無事に帰るまでが課題だろ?」
クロードがベレスを呼んで戻ってきた。ベレスも、なにやら首をひねりながら後をついてくる。
かつて女神ソティスが暮らしていたという谷の景色は、ソティスの記憶が教えてくれた。だが、なぜザナドが赤き谷と呼ばれているか、ということはソティスも知らなかったようだ。何度ここを訪れても、それを思い出すことはできていない。
「ベレト、どうした?」
考えに耽っていたので、ベレスとクロードに話しかけられて驚いた。
「いや、何でもない。…良い場所だな、と改めて思って、見ていた」
「うーん…先生といいあんたといい、この谷はそんなに魅力的かねえ。俺にはわからないけどなあ。まあいい、修道院に戻ったら、我らが初めての課題達成を祝って宴でもするか」
「おいクロード、課題の達成くらいでいちいち宴を催していては、月に一度は宴を開くことになるぞ」
「ははっ、宴はそのくらいが適量さ!」
生徒たちの騒がしさは、その中に居ると心が落ち着く。生徒たちに囲まれるベレスを見て、ベレトも教師だった頃が懐かしくなってきていた。
- - -
「盗賊を討伐ではなく、生かしたまま捕らえることができたのですね。ザナドの地を再び血に染めることがなかったのは、喜ばしいことですね」
ベレトは盗賊団のことを、ベレスは課題の成果を報告するため、謁見の間に来ていた。
「なぜ彼らが生徒たちを狙ったのか…背後にあるものを調べねばなりません。ベレト、捕らえた賊の頭に対して、ザナド侵入の背景を聞き出すことを命じましょう。彼らは騎士寮裏の牢へ収監されるはずです」
「わかりました」
牢の存在は聞いたことがあったが、実際に見たことはなかった。教師をやっていると、生徒立ち入り禁止の騎士寮方面にはあまり行く用がないのだ。
「それから、盗賊団は孤児を集めて養っていたようです。子供たちも騎士団が保護して、大修道院へ連れ帰る手はずになっています」
「本当に、多くの命を救ったのですね。あなたの働きに感謝します」
「はい。報告は以上です」
報告を終え、ベレトは謁見の間を後にした。
騎士寮に戻ろうと歩いていると、セテスが向こうからやって来た。
「やあ、君がベレトという騎士だな。ザナドでは、懸命な判断をしてくれたと聞く。私からも礼を言おう」
「いえ、無駄な血を流したくはありませんからね」
「ほう、そうした理想を掲げた者は多くいたが、ここまでやり遂げた者は、私もあまり知らないな」
自分だけでなく、他の騎士や金鹿の皆が協力してくれたおかげである。
「ところで、セテスさんはどちらへ?」
「ああ、私はな、盗賊団のところの孤児たちについて大司教と相談しようと思ってな。盗賊たちの懲役期間が終われば、また共に暮らさせてやることも考えているのだ」
「そのほうが、子供たちも嬉しいでしょうね」
「君もそう思うか。では、私は行くとしよう」
セテスの後ろ姿を見送りながら、ベレトは孤児たちのことを思った。親代わりだった盗賊たちが自分たちに殺されていた世界では、彼らはまた寂しい生活に戻らざるを得なかった。もしかすると、親代わりを殺した騎士団や生徒たちに復讐心を抱くこともあったかもしれない。
結果的に、ということではあるが、小さな平和を生んだことに気づいたベレトは、少し嬉しい気持ちで外に出た。
遅くなった言い訳をさせてください。説得シーンが本当に難しいです。コスタスが急にいい人になったりしてしまって、ここだけでも何回も書きかえました。次の敵将登場までに文才を磨いておきます…。
ちなみに孤児たちは主人公↔ディミトリ支援A会話に出てきた少年の話を参考にしています。どこの盗賊団かは出てないですけど、コスタスたちのところと仮定して書いてます。
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花冠の節1 暗雲の兆し
花冠の節、1の日。牢に囚われたコスタスに話をきくため、ベレトはいつもより少し早く起きた。服を着替え、泉から引かれた冷たい水で顔を洗う。空はよく晴れ渡っていて、清々しい朝だった。
「おはよう! 今日は早いのだな」
日課だという走り込みの最中らしいアロイスが、元気な挨拶をくれた。
「おはようございます。今日はちょっと、捕虜牢のほうへ用があって…」
「ああ、先日貴殿らと金鹿の生徒たちが捕らえた賊の尋問だな? 牢へ行くのなら、注意を怠らぬようにな」
「はい、捕らえられているとはいえ、もとは賊ですからね」
「ああいや、確かにそれもそうだが、実はな…」
ここでアロイスは急に声を落とした。
「あの牢獄には、『出る』らしいのだ…」
「出る、というと?」
「牢の中で果てた罪人の霊が、無念のままにこの世に留まり、悲痛な叫びをあげる、と。どうにも恐ろしくて夜も眠れん…ということもないが、気にかかるのは確かだ」
そういえば、アロイスは幽霊の類いが苦手だった。
「なるほど…。霊にも気をつけておきましょう」
「ああ。では、頑張ってくるのだぞ」
そう言って歩きかけたその時、どこからともなく恐ろしげな叫びが響いた…。
先ほど聞いた話のせいで、特段幽霊などが苦手ではないベレトも、さすがに少し鳥肌がたつのを感じた。アロイスはというと、若干腰が抜けかけ、青い顔で辺りを見回している。
「い いいい今のは…いや、ま まさか、な…」
「牢のほうから、ですね。行ってみましょう」
「わ、私もか…? …いや、私も…騎士だからな。覚悟を、決めるぞ…!」
牢まで駆けつけた2人は、ベレトを前にして通路を進んでいった。足音を聞きつけたのか、奥から「早く来てくれ!」と呼ぶ声もする。
そして、盗賊団「鉄の王」の面々が収容されている牢屋の前へたどり着いた。恐怖の表情を浮かべた盗賊がひとり、鉄格子に貼り付いていた。
「あっ、あんた、お頭を助けてくれた騎士さんだよな! お頭が、大変なんだ! 助けてくれ!」
「さっき叫んだのは、君か?」
「そ、そうだ。お頭が、お頭が…!」
その焦燥した様子に、脱走はしないだろうと判断して、牢屋の鍵を開き中に入る。盗賊たちの人垣がさっと割れた先に見えたのは、寝台の上で眠っているようなコスタスだった。
寝台のわきにかがみこみ、そっとコスタスの手首に触れる。…脈はなかった。
「…アロイスさん、セテスさんへ報告をお願いします。盗賊の頭が急死した、と…」
「あ、ああ。わかった」
アロイスは青い顔のまま、走っていった。
「あまりわからない、わね」
1時間ほど経ち、牢屋の中にはベレト、アロイス、セテスにマヌエラが揃っていた。マヌエラがコスタスの死体を検屍した末に発した言葉である。
「武器で斬られた傷も、黒魔法の痕跡も、新しいものは無いわね。持病もなし、毒物も出ないし、攻撃の白魔法か闇魔法を受けたのかしら」
「他の賊たちは、夜の間は何も見なかったと話しております。注意深い盗賊たちが気付かないのだから、派手な白魔法ではなさそうですな」
幽霊でないとわかってからは、アロイスもある程度冷静になっていたが、顔色はすぐれないままだ。何の思い入れもない賊の頭とはいえ、人が1人殺されたのだから、当然だろう。
「ふむ、成る程…。マヌエラ、朝からご苦労だった」
「闇魔法の使い手で、かつこのガルグ=マクに居る者となると、かなり絞られるのでは?」
「だが、巡礼者などに紛れて闇の魔道士が出入りしていても、気付くことは難しいだろう。それに、初級魔法のドーラΔくらいなら、使える者も少なくはない」
ベレトとしては書庫番のトマシュに成り替わっている闇の魔道士ソロンを怪しんでいたが、トマシュの正体がわかっていない今は、誰も理解を示さないだろう。
「他の盗賊の中に何か知っている者が居るかもしれません。彼らにもっと話を聞いてみましょう」
隣の牢屋に移されていた盗賊たちは、皆打ち沈んだ顔をしていた。
「君たちの頭は、何者かによって殺されたようだ。なにか、心当たりはないかね?」
「…俺たちは盗賊だ。恨みなら、いくらでも買ってるさ」
「命を救ってもらった俺たちやガキたちにとっちゃ、コスタスの旦那は英雄だった。でも他のやつから見りゃ、ただの薄汚い賊だからな」
盗賊たちは、心当たりがないというよりは、心当たりがありすぎてどれかわからないという様子だ。
「オ、オレ…心当たりがあります!」
そう言って手を挙げたのは、少し気の弱そうな盗賊だ。
「お頭は、騎士団に追い詰められたときに、こう言ってたんです。逃げたところで、騎士団の代わりに仮面の野郎が殺しに来る、って…。お頭は、そいつに殺されたんじゃ…?」
「確かに、コスタスが投降した時に話していた、生徒を襲うよう依頼した人物は、仮面を着けていたと。炎の紋様が入った仮面を着けた、小柄な人物とのことでした」
ベレトも補足説明をする。
「なるほど…それは有り得るな。騎士団に、謎の仮面の人物について調べさせよう」
それからしばらく話を聞き、ベレトたちが牢屋を離れようとした時、ひとりの盗賊が言った。
「…どうか、お頭の敵を討ってくれ。…頼む」
「ああ、約束しよう」
盗賊たちに向かって強く頷き、ベレトは牢を後にした。
- - -
コスタスが謎の死を遂げてから、1週間が経った。犯人の捜索は進展もなかったが、ベレトには目下解決すべき問題がもうひとつあった。それは、今節の課題で討伐されることになるロナート卿、彼の命を救うことだ。
ロナート卿の一隊は、霧の中でセイロス騎士団の包囲をすり抜けてしまったため、混乱の中で討たれることとなった。もし予定どおり捕縛されていたなら、大司教暗殺の件などについての詳しい尋問などもできるようになるだろう。そうすれば、その裏に潜むソロンたちにも近づけるかもしれない。
…それと、アッシュの心の傷が深くならないことだ。今、ベレトの視線の先には、大聖堂のベンチに腰かけ床を見つめるアッシュがいた。
「…ベレト?」
突然名前を呼ばれて驚いて振り向くと、ベレスがそこにいた。
「ベレスか、考え事をしていて気づかなかった。こんなことでは、奇襲を防げないな」
そうは言ったものの、自分やベレスは傭兵時代からの癖で、普段から足音を消しているらしい。こちらが奇襲するぶんには良いのだが。
「それはそうと、もう聞いていると思うけれど、今節の課題はロナート卿の反乱の鎮圧だ。それで、ひとつ伝えておきたいことがある」
「もしかして、アッシュのこと?」
「そうだ。ロナート卿は、アッシュの父親のような存在だからな。もし直接戦うことになったとしても、討たずに説得してみてほしい」
「努力はする」
ベレスは頷いてくれた。
「それから、『課題協力』という仕組みがある。それで、課題出撃にアッシュを同行させてみると良いと思う。説得の助けになってくれるはずだ」
「わかった。そうしてみよう」
それからベレスがアッシュの元へ向かうのを見送った。
不安そうな表情のアッシュに、ベレスが語りかけている。
「君自身が説得してくれれば、ロナート卿も、討たれる前にあきらめてくれるかもしれない。一緒に来てくれないかな?」
「僕で、力になれるなら…。ぜひ、やらせてください!」
「ありがとう、アッシュ」
「そんな、お礼を言うのは僕のほうです。絶対に、ロナート様を止めてみせます…!」
アッシュはまだ不安そうだったが、少し希望の光が見えたようだ。アッシュのことは、ベレスに任せておくことにした。
大聖堂を後にしたベレトは、アビスを訪れた。
「ベレトさん、お疲れさんです。ここは本日も異常ありですよ。ここじゃ異常ありが日常なんで、異常ありで異常なし、なんですけどね」
アビスの番人が、いつもどおり緩く話しかけてくる。
「あんた、よくアビスに来ますよね。宝探しでもしてるんですか? 確かに地上にはないお宝があるかもしれませんけど。あんたにとってのお宝が何なのか、俺にはわかりませんけどね」
「探しに来た宝物…情報、だろうか。ここには、地上では絶対に見つからない情報がごろごろある」
「確かに、書庫にあるのは禁書みたいなもんばっかりだし、ユーリスはすごい情報通ですしね。なんか知りたい情報がありゃ、ユーリスに聞くといいですよ」
言われるまでもなく、ベレトはユーリスを訪ねてきていた。
「おう、あんたか。ロナート卿が反乱を起こしたんだって? いずれこうなるだろうとは思ってたよ。その兆しみたいなのはあったんでね。むしろ今までよく蜂起しなかった、ってくらいだ」
「兆し、とは?」
「うーん、騎士のあんたになら教えてもいいか。事のそもそもの発端は…って、何か聞こえねえか?」
確かに、かなり急いだ足音らしき物音が聞こえる。どうもこちらへ向かってくるようだ。
通路の曲がり角から姿を見せたのは、コンスタンツェだ。息を切らしている。
「ユーリス! やーっと見つけましたわ! 私に、はあ…捜し回らせて…はあ…」
「いや知らねえよ…。まあ落ち着けって、日陰女」
「日陰女!? 私の一番気にしていることを! 今日という今日は消し飛ばし…」
コンスタンツェは慌てて咳払いした。
「で、何の用だ? 一刻を争う事態なんだろうな」
「そ、そうですわ。それと言うのも皆の個人的な情報が記された裏名簿が賊に盗まれたのです」
「名簿? そんなもんアビスにあったか?」
「ありますわよ!」
ユーリスはあまりピンと来ない様子だ。ベレトも、士官学校の名簿以外にそんなものがあるとは初耳だ。
「ともかく! そんなものが世に出回ったら一大事。即刻、取り返すべきではありませんこと?」
「その名簿ってやつは、世に出回ったら一大事な内容なのかよ? 個人的に内容が気になるって理由で良けりゃ、協力するぜ。ベレト、あんたも一緒にどうだ?」
これはまたとない好機だ。その名簿に、何か有益な情報が載っていたりするかもしれない。
「自分も内容が気になるな」
「いや、そういうことじゃ…。まあ、とりあえず協力はしてくれるんだよな?」
「そうと決まれば、早速賊を追いますわよ。こちらですわ!」
コンスタンツェは駆けて行こうとしたが、その背中をユーリスが引き留めた。
「落ち着け。騎士もいるとはいえたった3人で賊の一味を相手する気かよ。相手の人数にもよるが、あと2人くらいは欲しいところだな」
「た、確かにそうですわね…」
「協力してくれそうな人をもう少し探そう」
今度は、3人揃って出発した。
正直、私は課題協力を使ったことはないです。
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花冠の節2 裏に潜むもの
「ねえ、なんでわざわざハピまで呼んだわけ? ユリーとコニーにバルトが揃って、おまけにレトさんまで居たら大丈夫でしょ」
「少なくて困るよりは多くて困るほうが良いだろ。金だってそうだ。多くて困るなんてなかなかに贅沢なもんだ……」
「お金とハピを一緒にしないでよ。そっちが困らなくても、ハピは困るし」
結局バルタザールとハピを加えて、5人で盗賊団の拠点を目指すことになった。
「……ところで、その名簿ってのは、盗まれると何かまずいのか?」
「まずいどころの騒ぎではありませんわ! あれには私たちの情報が満載…。皆の氏名や出身地、性格はもちろん、少し恥ずかしい秘密まで……」
「少し恥ずかしい秘密!? なんだよそりゃ!!」
コンスタンツェの発言に、4人は驚くばかりである。「少し恥ずかしい秘密」なら、ベレトが最初に思ったよりも情報の価値はなさそうだが……。世界を救うためというよりは、純粋な好奇心で名簿に興味が出てきた。
「そうですわね……。私が以前確認した時は、ハピは大修道院内で最も多く、猫に逃げられた旨が書いてありましたわ」
「えっ!? そんなの、いつ見てたの!?」
ハピがびっくりして思わず足を止める。
「え、えっと……。内容はともかく、ハピたちの情報が敵に漏れるのはまずいし。コニーの言う通り、すぐ取り返さないとね」
「やっとハピもやる気になったか。んじゃ、行くぜ」
一行は地下通路の終わりにたどり着いた。外の光が差し込んできている。外に出ると、陽光がまぶしい。
ユーリスたちも外に出てきたが、コンスタンツェの姿だけが見当たらない。振り返っていると、コンスタンツェは通路の出口で立ちすくんでいた。
「どうしたんだ、コンスタンツェ?」
「あー、気にするな。あいつが地下から出れねえ理由のせいでな」
コンスタンツェが外に出られない理由とは、何なのだろう? コンスタンツェは、まだ通路の中にいる。
「……おーい、どうせ外には出なくちゃいけねえんだ、諦めろ」
「……ああっ、もう! そちらに行けば良いのでしょう!? 行けば!」
「……」
コンスタンツェは、黙り込んでいる。ベレトのほうを見たコンスタンツェは、なんとなくマリアンヌを思い起こすような影のある顔をしていた。
「ああ、怪訝な顔をされておりますわね……。私の不可解な体質のせいで、貴方様には無駄な悩み事をさせてしまいましたわ。この命をもってお詫びいたします……」
見た目だけでなく、性格まで豹変してしまっているようだ。
「……これは、いったい?」
「陽に当たると、こーなるんだって。だからコニーは地下に籠もってるわけ。……ほら元気出して、コニー」
「お前しか賊の居場所は知らねえんだ。要するに、お前が必要なんだよ」
「ああ、私などには勿体ないお言葉。そうおっしゃるのでしたら、私はあなた方を案内する仕事に徹するしかありませんわ。さ、こちらですわ……」
ひととおり喋りきるとコンスタンツェは黙り込み、そのままスタスタと歩き始めた。
一行は、ガルグ=マクの郊外にある、使われていない古い砦にやって来た。
「ここが賊徒の根城であるはずですわ。私などの推論に従うのが最良の選択とは思えませんが……」
「いや、ここで良いだろ。中を調べるぞ」
ユーリスを先頭に、中へ突入する。ユーリスは見張りらしき男を華麗な剣技で圧倒し、あっという間に喉元に剣を突きつけていた。
「ひいいっっ!」
「情報を吐け。そうすりゃ命は助けてやる。ここに居るのは何人だ?」
「い、今は俺1人だ。お頭たちは盗みに出てる」
「盗品の隠し場所は何処だ?」
「あっちの、奥の部屋だ!」
「そうか。じゃ、これでお前は用済みだ。何処にでも行けよ」
ユーリスがおまけでもう一度腰を蹴り飛ばしてやると、見張りの賊は逃げていった。
その言葉に従って奥の部屋に進むと、盗品や金が並べられていた。
「これが、その名簿ですわね」
いつの間にか元の性格に戻っていたコンスタンツェが、積まれた書物の間から名簿を取り出した。
「他のものも、きっとどこかの町からの盗品ですわね。これも全て取り返しておいたほうが……」
「馬鹿、こんな量全部持てるかよ。ベレトさん、また後で騎士団と一緒に制圧しといてくれないか? 賊の頭が居るときにな」
「頼まれた」
民の暮らしの安寧を脅かす盗賊団とあれば、騎士団の出撃も許可されるだろう。とりあえず名簿だけを持ち、ベレトたちは盗賊団の根城を出た。
「早く大修道院に……」
「おいてめえら、待ちやがれ!」
突然怒鳴り声に呼び止められた。声のしたほうを見ると、盗賊団が戻ってきていた。
「俺たちのお宝を横取りしようったって、そうはいかねえ……。全員、ぶっ殺してやらあ!」
「時間かけすぎだし。面倒なことになっちゃったじゃん」
「いや、見ろ」
ユーリスが指差した男は、さっき逃がした見張り番だった。
「あいつが頭に知らせたんだろうな」
「くそっ、ぶちのめしとくべきだったか……?」
「これまでの行動に反省は尽きませんが、今はまず身を護ることを考えましょう」
そう言っている間にも、賊たちは迫ってくる。
「あいつらを全滅させるぞ!」
「おう!」
ユーリスの言葉に、とっくに臨戦態勢だったバルタザールが応える。
「自分とユーリスとバルタザールで、前衛を張る。コンスタンツェとハピは、魔法で援護してくれ!」
久しぶりに指揮をとって、ベレトは少し教師時代を思い出していた。元より実力十分な灰狼の学級の生徒たちは、ベレトの指揮でより生き生きとした戦いを見せてくれた。
「俺の頭じゃあ、こんな戦法は思い付かないな!」
賊の顔面に拳を叩き込みつつ、バルタザールが言う。
あっという間に盗賊団は壊滅し、最後に残った盗賊頭がユーリスに斬られて倒れた。
「ぐああっ!」
「場数が違うんだよ。俺を誰だと思ってやがる」
足元の盗賊頭に目線を合わせるように、ユーリスがかがみこんだ。
「さて、交渉の時間だ。俺は"狼の牙"って組織の頭だ。盗賊やってりゃ聞いたことくらいはあるよな? ここで死ぬか、俺の子分につくか。どっちにする?」
「……俺はてめえに負けた。好きなようにしろ」
「じゃあ決まりだ。正直、殺しは趣味じゃないんでね。ガルグ=マクのアビスで待ってるから、好きなときに来な。うし、帰ろうぜ」
ユーリスがさっと立ち上がり、仲間のほうを振り向く。
「見事な説得だった」
「その顔、ロナート卿の説得に使えるとでも思ったか? 残念だが、こいつは賊どうしでしか通用しないぜ」
今節の末にロナート卿との決戦を控えたベレトは、ひとつでも多くロナート卿を生き残らせる方法を考えておきたかった。
「そういや、あんたにロナート卿について話そうとしてたんだったな。アビスに戻ったら色々話してやるよ」
アビスに戻り、コンスタンツェも元気を取り戻すと、ベレトはずっと気になっていたことを尋ねた。
「その名簿は、いったい誰が書いたんだ?」
「ああ、それは……」
コンスタンツェはそう言いかけて、地下酒場の扉を開けた。
「こちらにいらっしゃいますわ」
中に入ると、奥の椅子に座っていた男がこちらに気づいた。
「おお、名簿を取り返してくれたのか。これはありがたい」
「この人は?」
「この人はやらかして士官学校を追放された元教師さ。教師としての能力には定評があったらしいぜ」
ベレトやベレスにとっては、先輩教師にあたる人らしい。
「教師を辞めてからも、どうも人の成長を見守るのが趣味になってしまっていてね。こうして、今の生徒も名簿にまとめているというわけさ。……そうだ、君は確かジェラルト傭兵団の一員だったかな」
「そうです。それで、どうかしましたか?」
「新任教師は、ジェラルト殿の娘だそうじゃないか。この名簿を、その新任教師に渡してやってくれないか。きっと教導の役に立つ」
確かに、ベレトも始めのこの頃は、右も左もわからないような教師生活を送っていた。情報満載のこの名簿があれば、どんなに生徒と親しくなるのが容易になるだろうか。
「なるほど……!それは良い考えですね」
「見ず知らずの私が出る幕ではないからな。君から渡してくれるとありがたい。受け取ってくれ」
男から名簿を受け取ったベレトは、ベレスに渡す前に自分も一読しようと決めた。
「ほう、良いもん貰ったじゃねえか。んじゃ、ロナート卿の話をしてやるから、こっちに来いよ」
ユーリスに呼びかけられ、男に感謝を込めて一礼してから地下酒場を出た。
「んで……なんだったか? そうそう、ロナート卿の反乱の兆しがどうたらって話だな」
灰狼の教室のベンチに落ち着き、ユーリスが話し始める。
「あんた、『ダスカーの悲劇』は知ってるよな?」
「ああ。知り合いを喪った人とも、よく関わっていたから」
ファーガスの国王一行が、ダスカーで暗殺された事件だ。そのファーガス王というのは、言うまでもなくディミトリの父ランベール。亡くなった騎士たちの中には、フェリクスの兄でイングリットの婚約者であるグレンもいた。また、事件の後には報復として、ドゥドゥーの同胞であるダスカー人たちが逆殺された。青獅子の学級の生徒の多くに、現在まで影を落とし続ける事件だ。
「それで、教団はその『ダスカーの悲劇』に関わった廉で、ロナート卿の倅のクリストフを処刑したんだ。これくらいなら、あんたも知ってるだろ?」
確かに、関係者であるアッシュやカトリーヌから、ある程度の話は聞いていた。
「で、ロナート卿はそれを冤罪だと思ってる。本当に冤罪なのかもしれない。真偽はどうあれ、それでロナート卿は教団に恨みを持ってるわけだ」
「それは……そうだろうな」
「そんなこと知ってる、みたいな顔すんじゃねえよ。本題はここからだぜ?」
ユーリスに真剣な顔で言われ、ベレトは思わず座り直した。
「クリストフの処刑は、もう4年前の話だ。そこからずっとロナート卿は教団への復讐心をくすぶらせてきたわけだが……最近になって、西方教会がどうもそれを後押ししてるらしい」
「西方教会は、ここ数年中央教会との対立を深めているんだったな?」
アビスの書庫で読み漁った書物のひとつに、そう書いてあったおぼえがある。
「そうだ。西方教会にしちゃ、中央教会に対抗する仲間としてちょうど良かったわけだ。そこで問題なのは、西方教会のとある噂だ」
「噂?」
もっとよく話を聞こうと、ベレトは身を乗り出した。
「ああ。西方教会に、妙な魔道士が干渉してるって噂さ」
これは、ソロンやクロニエのような「闇に蠢く者たち」のことだろう。ベレト自身も、マグドレド街道脇の森で、霧を発生させている闇魔道士と戦ったことを覚えていた。
「やっぱり、心当たりがありそうな顔だな。何しろ、この闇魔道士たちの噂はたくさんあるからな。いくつか表に出てても不思議じゃねえ。
フリュム家の反乱だったり、七貴族の変だったりみたいな、反乱が起こる時には必ずと言っていいほど謎の闇魔道士の話が出てくる。もっと大昔まで遡れば、王国の独立戦争の時代にもあった。軍師パーンが……いや、この話は置いとこう。
と、まあ、この闇魔道士たちが、フォドラを混乱させようと裏から煽動してるのはほぼ間違いねえだろう。そんな奴らが西方教会とガスパール城に入ったということは、そろそろ反乱が起きるってことだろうな。
……ってのが、俺が言う兆しだ。もちろん裏で操る闇魔道士は噂にすぎないし、確証はねえがな」
話し終えたユーリスは、深く息をついてベレトを見た。
「……話してくれて、助かった。ありがとう」
「参考になりゃ良いがな。じゃ、月末は頑張ってくれよ」
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花冠の節3 霧中の調和
「霧が出るかもしれないな。たいまつを買っておこう。」
「さすがにこの時期に霧はないんじゃないか?」
「いや、なんとなくそんな気がするんだ。」
マグドレド街道への出撃前夜。出撃準備中にガープと交わした会話だ。
ロナート卿との戦いでは、魔道士が霧を発生させていた。視界が狭まっては、不都合なことが多い。霧に紛れて襲ってくる民兵を殺してしまわないように、細心の注意を払わなくてはいけない。
マグドレド街道には、やはり霧がたちこめていた。
「報告! 敵が接近中です! 避けられません! 敵の兵力が予想以上に多く、霧のせいで騎士団の包囲をすり抜けてきます!」
「おっと……ベレス、任務変更だ。総員、戦闘準備にかかれッ!」
カトリーヌがベレスと生徒たちに檄をとばすのが聞こえる。
「こう霧が濃くちゃ、どこにどれだけ敵がいるんだか把握できないね。」
「カトリーヌさん、たいまつを用意してあります。何人かの生徒に持たせておけば、視界が確保できるはずです。」
「おっ、気が利くねえ。」
たいまつに明かりを灯すと、一気に視界が広がる。霧の中から奇襲をかけようとしていた民兵たちが、後退していくのが見えた。
「セイロス騎士団とまともにやっても、おらたちじゃ無理だあ!」
「くっ……ひとまず撤退だ! 態勢を立て直せ!」
「まさか街のみんなまで戦場に……!? ロナート様は、どうしてこんな……!」
その民兵たちの声を耳にして、アッシュが動揺した声をあげる。ベレトは、カトリーヌに声をかけた。
「反乱に参加したとはいえ、ほとんどは民兵です。なるべく命を奪わないよう心がけて進軍するのが良いかもしれません。」
「へえ、アタシにはそんな発想なかったよ。レア様に敵対しようとする者はみんなぶっ倒すのがアタシの流儀だったからさ。」
そう言ってカトリーヌは、霧の奥に目を向けた。昔を思い出すかのように、ゆっくりと話し始める。
「そもそもこの反乱だって、もしあの時のアタシが、ぶっ倒す以外の選択をしてりゃあ……。……いや、アンタにするような話でもなかったな、忘れてくれ。」
大きく息をついて、首を横に振る。
「とにかく、血を流さずに終われればそれに越したことはないよな。こっちでも最大限努力はするよ。」
「お願いします、カトリーヌさん。」
これでカトリーヌたちが民兵を倒してしまうことは防げるだろう。マグドレド街道での戦闘では、カトリーヌ隊が先行してほとんどの敵を倒していたような記憶がある。カトリーヌの過去の出来事が、偶然助けになったようだった。
「さあ、進むよ! ロナート卿の目を覚まさせて、戦いを終わらせるんだ!」
それからの戦いは、前節の赤き谷と同じように、ゆっくりと進んだ。しかも今回の敵のほとんどは民兵で、戦闘に慣れている者も少なく、不意打ちを受けて混乱するというようなこともなかった。そしてそのまま、何事もなく魔道士が隠れている森まで進軍できた。
「ロナート様には近づかせぬ……!」
ガスパール兵長が森の中から現れる。改めて見ると、彼の装束は聖墓の襲撃・ルミール村事件・禁じられた森などの際に現れたソロンらの仲間の魔道士と同じものだと気づいた。
「正規兵なら斬っても問題ないよな。……いや、それとも生け捕りにして尋問でもするかい?」
「そうですね。この反乱には、不可解なことが多すぎる。できれば情報を得たいところですね。」
「なら、そいつで決まりだ。死なない程度にブチのめしてやるよ!」
その一声とともに、雷霆が一閃。一瞬のうちに勝負は決した。
ガスパール兵長が昏倒するのと同時に、彼の魔道で発生していた霧が晴れてゆく。霧の向こうから、ロナート卿の姿が現われた。
「カサンドラ……雷獄のカサンドラ! 我が息子を裏切った狂信者め!」
カトリーヌの姿を見据え、恨みの籠もった声をあげる。
「……アタシの名はカトリーヌだ。」
カトリーヌも、ロナート卿に強烈な視線を返しつつ、言い返す。
「女神の僕たるセイロス騎士団の剣、その身で味わいな!」
「霧は晴れても、我が息子の無念は晴れぬ! 腐った中央教会に、主の裁きを……!!」
ロナート卿の周囲には、正規兵も民兵も、多くの兵士が集っていた。
「焦らず戦おう。倒すにしろ、説得するにしろ、この状況で無理はできない。」
ベレスが生徒たちに呼びかける。
「こうも入り混じってちゃ、民兵を手にかけないというのもなかなか難しいんじゃないか? 多少の犠牲は覚悟して全力でかかろうよ。」
「敵が密集しているので、計略でまとめて揺さぶれるかもしれません。あちらからの攻撃を制限できれば、敵を攻撃せずとも進軍できるんじゃないでしょうか。」
「イグナーツ、良い着眼点だ。計略で民兵たちを足止めして、その隙に一気に進軍しよう。」
「そういうことなら備えは万全だ。騎士団、突撃用意!」
「俺も手を貸すぜ。弓兵隊、準備はいいな?」
クロードの号令に合わせて、無数の矢が一斉に放たれる。さらに、ローレンツの配備した騎士団が敵陣を攪乱する。
「うわああっ!」
突然の攻撃に、民兵たちは大きく動揺した。これなら攻撃される心配もないだろう。
「よし、今の内に進軍しよう。」
ベレスを先頭に、他の生徒たちは敵陣の横をすり抜け進軍していく。
「アッシュ、君も一緒に。……まだ、説得の余地は残っているはずだ。」
「そう……ですね。でも、ロナート様が僕の話に耳を傾けてくれるかどうか……。」
「今は信じることしかできない。だが、やってみなければ分からない、だろう?」
「……はい!」
まだ迷いを捨てきれない様子だったアッシュに声をかけてやると、彼は強い意志の宿った瞳をあげた。そして、ロナート卿の待ち構える街道の奥へと駆けていく。
「アッシュ……そこをどくのだ。わしは悪鬼どもを討たねばならん! 必ず!」
ロナート卿はこちらの陣営の中に目ざとくアッシュを見つけ、強い語気で諭そうとする。
「ロナート様……もうおやめください! なぜ、こんな無謀な振る舞いを……!」
「レアは民を欺き、主を冒涜する背信の徒だ! 大義は我らにあり、主の加護も我らにある!」
「だからって、こんなことは間違っています! 街の人たちまで動員するなんて!」
「……ならば遠慮なく、刃をわしに向けよ! わしはもう、後には引けぬのだ……!」
アッシュの必死の説得にも、ロナート卿は耳を貸さない。アッシュがその気概を受け継いだように、ロナート卿にもまた強い意志で正義を貫いているのだ。……しかし、このままでは今までと同じにロナート卿を討つことになってしまう。何を言ったらロナート卿を説得できるだろうか?」
「ロナート卿、話を聞いてください!」
「お前もあの女狐に誑かされているのか……。わしが真実を知らしめてやるしかない!」
ロナート卿が説得に応じる気配は見えないどころか、完全に敵意をもって武器を用意している。
(他にすべはない、か……?)
何も説得の言葉を思いつけないまま、ベレトも剣を構えた。しかしその時、ロナート卿はベレトの背後のカトリーヌに注意を移した。
「貴様だけは、貴様だけはこのわしが……!」
「アンタは正義を、すっかり見失っちまったんだな。」
カトリーヌが呟いた、正義を見失ったという言葉がどうも引っかかった。かつてのロナート卿は、どんな正義を見据えていたのだろうか……?
戦闘は避けられなかった。ロナート卿の槍を剣で受け止めながら、ベレトは問いかけた。
「ロナート卿。あなたの正義は、いったいどこにあるのですか。」
「知れたこと! 我が息子に無実の罪を着せ処刑したあの女狐を討ち、無念を晴らしてやるのだ……!」
激しい憎しみの籠もった声。しかし、同時に同じくらい深い悲しみが感じられた。
「あなたは、我が子のために戦っていると。……ならば何故、アッシュの願いを聞かない? アッシュもあなたの子供ではないのか。それとも、養子だからと切り捨てるつもりなのか? そうではないはずだ。アッシュがあなたをこれほどまでに慕っていたということは、あなたもまた彼を愛していたからではないのか?」
「……。」
黙りこくったロナート卿に向かって、ベレトは言葉でたたみかけた。
「ロナート卿、確かに亡くなった息子さんの敵討ちは、あなたにとって大切なことかもしれない。それでも、愛する息子の為を思うなら、アッシュのことを思うなら、ここで剣を引くべきではないのか。」
「……。」
「それに、アッシュはあなたのことを本当に慕っている。その気持ちを踏みにじるというのなら、あなたは父親失格だ。」
「ロナート様……こんなことは、どうかもう、おやめください。義兄さんに報いるための方法なら、他にもきっとあるはずです。」
アッシュも言葉を添える。ロナート卿はしばらくじっと黙りこくっていたが、やがて大きく息をつき、武器を下ろした。
「……ガスパール全軍に告ぐ。戦いをやめ、撤退せよ!」
「ロナート様……!」
「すまなかったな、アッシュ。わしは復讐にのまれ、大切なものを忘れてしまっていたようだ。礼を言おう、若きセイロス騎士よ。お前の説得が、わしにそれを気付かせてくれた。」
どこか憑き物の落ちたような声で、ロナート卿は言った。それからカトリーヌに目を向け、少し険しい表情で続けた。
「カサンドラ。貴様とレアが憎いという気持ちは変わらぬ。また別の形で決着をつけさせてもらうぞ。」
「ああ。アタシとしても、アンタとの因縁がこんな形で決着を見るのは不本意だったさ。……だが、レア様がこんなことを認めてくださるか?」
そう言われて、ベレトも気づいた。ここでロナート卿とカトリーヌを説得したところで、大司教たるレアがロナート卿の処断を命じれば、すべては無駄になってしまう。レアは今までも、背教者に対してはかなり厳しい罰を課してきた。レアをも説得することはできるだろうか?
「……ならば、これを渡せ。」
そう言ってロナート卿は、書簡を取り出した。
「こいつは……?」
「西方教会の者どもが立てた、レアの暗殺計画が記されている。暗殺計画を告発してやったとなれば、あやつもわしを切って捨てるとは言えぬはずだ。」
「レア様の、暗殺計画……?! それも、西方教会の連中が……。助かるが、いいのか?」
「構わぬ。納得のいく答えを得る前に死なれては、わしが困る。」
「そうかい。確かに受け取ったよ。……アタシも、いつかアンタに全てを話してやるよ。納得がいくかは分からないけどね。」
カトリーヌは書簡を受け取り、懐にしまった。
「では、わしはガスパールに戻る。民たちを労ってやらねばな。」
「ロナート様、僕も行かせてください。弟たちの様子を確かめたいので。」
「それじゃ、アタシらで戦後処理だな。ベレト、アンタも手伝ってくれ。」
こうして、ロナート卿の反乱は、一応は平和的な結末を迎えたのだった。
― ― ―
大修道院に帰還してしばらくすると、ベレトはレアから呼び出しを受けた。レアとセテスの待つ謁見の間に一人で向かう。
「カトリーヌから事の顛末は聞いています。ロナート卿を説得したのは、あなただと。単刀直入に問いましょう、何故そのようなことをしたのです?」
レアの声は穏やかだったが、同時に淡々ともしていた。
「彼を討つことは、最善の道ではないと考えたからです。」
「具体的に説明してくれ。」
セテスが厳格な口調で問う。
「ロナート卿は、最愛の息子を教団に処刑されています。そして、それが無実の罪であると信じていたようです。フォドラの多くの民にとって安寧の証たるセイロス教団も、ロナート卿にとっては憎き仇でしかなかったことをご理解いただきたい。」
「どのような理由があろうと、他の信徒に危害を加えかねない罪深き者には、罰を下さねばなりません。」
「それだけではありません。」
レアの有無を言わさぬ口調にもひるまず、ベレトは主張を続けた。
「ロナート卿は、多くの領民から慕われていました。多くの領民にとって良き領主であったロナート卿を討てば、彼らは教会に不信感を抱くことになるでしょう。そうなれば、また新たな反乱の種を撒くことになります。そもそも、ロナート卿の反乱も教団による処刑が原因でした。教義に背く姿勢を見せた者を片端から処刑・討滅していれば、自然と教会への不信は募る一方でしょう。今回はいち領主のみの行動でしたが、これが複数の大貴族、あるいは国家規模での蜂起であれば、どうでしょうか。重要なのは、敵を滅ぼすことではなく、敵を作らないことなのでは。」
「……。」
レアは沈黙していたが、やがてセテスのほうが口を開いた。
「……確かに君の言うことももっともだ。だが、それは君自身にも言えることだと思う。事前に相談があれば、我々も別の策を検討できただろう。今後は、まず行動するのではなく報告してほしい。」
「分かりました。以後、気を付けます。」
「大司教、この者の指摘は、私も以前より気にかかっていたことです。急進的でなくとも、少しずつでも体制を変えていく必要があると、私も考えています。」
レアは、またしばらくの沈黙ののち、いつもの穏やかな声で答えた。
「……良いでしょう。ただし、セテスの言うとおり、行動で示すことはせず、事前に相談するようにしてください。今回の件は不問とします。ロナート卿に関しても、あなたの指摘について検討する必要があるでしょう。」
「ご理解いただき感謝します、大司教。」
ベレトは頭を下げ、謁見の間を後にした。結局レアを直接説得することにはなってしまったが、ひとまず今後の糧となりそうな種を蒔くことができた。一人でも多くの命を救うため、これから何ができるかを再び考え始めるベレトであった。
今回が約9か月ぶりの投稿であることからもご理解いただけるとおり、とんでもなく遅筆です。ただ、書き始めた以上は完結させようと思っているので、長く待てるという方は今後ともよろしくお願いいたします。
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青海の節1 地駆ける灰狼
今節は、女神再誕の儀が行われる。ただでさえ厳重な警備が敷かれる中で行われる儀式であるうえ、前節にロナート卿が告発した西方教会の暗殺計画の件もあり、ベレトもセイロス騎士団の一員である以上は警護に専念せざるを得ないはず。今節は大した行動はできないだろう……と思っていた矢先に、レアからの呼び出しを受けた。
「ベレト。今節、貴方には特別任務を命じます。」
「特別任務……ですか?」
「ええ。詳しい内容説明は、このアルファルドから受けてください。」
「紹介にあずかりました、アルファルドです。ジェラルト傭兵団のベレト君ですね。どうぞよろしく。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
アルファルドという名に聞き覚えはなかったが、彼の顔には見覚えがあった。いつだったか、母の墓前に花を供えたいと申し出てきた修道士だ。口ぶりからして、両親のことは昔から知っていたらしいが、それ以外のことは何もわからない。
「後のことは任せましたよ。」
レアは執務室へと戻ってゆき、その場にはベレトとアルファルドだけが残された。
「では、改めて自己紹介を。私はアルファルド。教団から、アビスの管理を任されている者です。あなたは、ここ最近アビスに出入りしているそうですね?」
「どうしてそれを……?」
「おや、そんなに驚かないでください。責めるつもりはありませんから。管理者である以上、アビスで起こったことは自然と耳に入ってくるのです。前節は、灰狼の学級の生徒たちに付き合って、盗賊団を討伐してくれたと聞きましたよ。彼らを手伝ってくださって、ありがとうございます。」
「いえ、大したことはしていません。」
このアルファルドという男、穏やかな物腰の裏に、何か得体の知れないものを感じる。それが何なのかまでは掴めないが……。そういえば、花を供えに来ていたとき、不祥事で教団を追放されたというような話をしていた気がする。これから先、彼が教団を追放されるような不祥事を起こすというのも、妙な納得感がある。
「それでは、そろそろ本題に入りましょう。まず一つ目は、帝国貴族ゲルズ公爵家領まで出向いていただきたい。」
「ゲルズ公爵?」
「帝国の外務卿を務める六大貴族の一角です。教団は、公爵が不法に保有している『英雄の遺産』の引き渡しを要求し説得を続けているのですが、今のところ応じる気配はありません。そこでこの度、公爵の知己である灰狼の学級のコンスタンツェに交渉役として白羽の矢が立ったわけです。彼女を含む使節団の護衛が、あなたの任務です。こちらには、あなたの他にも騎士団員が同行することになっています。」
「わかりました。」
非公式の学級であるはずの灰狼の学級の生徒が、教団の正式な使者として派遣されるというのは、なんとも奇妙な話ではある。そこに頼るということは、頼らざるを得ない状況であると考えるのが無難だろう。ゲルズ公との交渉は、相当に難航しているらしい。
「二つ目の任務は、『女神再誕の儀』が行われる間の、アビスの見張りです。アビスの住人の中には、賊やごろつきという類の者も少なくはありませんからね……こういう時になると、どうしても教団からは冷たい目で見られがちになります。どうせ騎士を遣るのなら、彼らにとっても顔見知りであるあなたが適任と思い、セテス殿に推薦したのですよ。」
「なるほど。」
「では、頼みましたよ。最初の任務には今週の末に出立となりますから、それまでに用意を整えておいてくださいね。帝国から帰って来次第、二つ目の任務にあたってください。」
― ― ―
そして出立の日の朝。玄関ホールには、ゲルズ領への使節団としてコンスタンツェとベレト、そして他に数名のセイロス騎士が集まっていた。その中にはガープたち、ジェラルト傭兵団の面々の見知った顔もあった。そして―――
「いったい、なぜ貴方たちがここにいるんですの!?」
ユーリス、バルタザール、ハピが揃って姿を現したのだ。
「ゲルズ家にある遺産ってのをこの目で一度拝んでみたくてね。」
「俺は帝都に用があってな、どうせ帝国に行くならついでだろ。」
「で、三人とも行くならハピもついてこうかなって。一人で留守番じゃ寂しいじゃん?」
「……つうわけで、俺たちも同行させてくれねえか?」
「つうわけで、ではありませんわ!」
コンスタンツェの激しいつっこみが入る。
「これは教団の正式な仕事ですのよ! そんな軽い気持ちでほいほいとついて来させるわけにはいきませんの。特にユーリス、貴方は何か企んでいるとしか思えませんし。そうでしょう?」
「自分に聞かれても……。」
突然同意を求められ、ベレトは困惑する。
「だが……自分個人としては、別に構わないと思う。この三人なら実力もあるし、たとえ何か企んでいたとしてもこれだけの数の騎士がいれば対処できるはずだ。」
「だそうだが、どうだ? コンスタンツェ。」
「くっ……どうせ私に貴方たちを止める権限はありませんもの。仕方ありませんわね。」
「というわけで決まりだな。よろしく頼むぜ。」
というわけで、最初の予定よりも随分賑やかな一行でゲルズ領へと向かうことになったのであった。
― ― ―
ゲルズ領までは、特段これといった事件もなく、旅路は順調かに思われた。しかし、異変は突然に起こった。
「もう間もなく、政庁が見える頃かと思われます。」
「……待て、何か騒がしいぞ。ありゃ……盗賊か?」
ユーリスの言葉通り、前方に見える街のほうには、賊らしい風体の者たちが何人も見える。そんな中、コンスタンツェは目ざとく見覚えのある顔を見つける。
「そんな、あれは……! ゲルズ公爵閣下が襲われておられる模様……微力ながら救援に参りましょう。」
「クソッ、何でこんな状況に……! とにかく、さっさとゲルズ公と合流するぞ!」
ユーリスとコンスタンツェが先陣を切って駆け出す。ベレトたちもそれに続いた。
「コンスタンツェ、お前はゲルズ公を助けに行け! 俺はこっちの賊を片付ける! バルタザール、ハピ、お前らはコンスタンツェと公爵の援護だ!」
「ガープ、ベリアル、三人の援護に向かってくれ。残りの皆で盗賊たちを抑える。」
ユーリスとベレトがそれぞれ指示を飛ばし、戦闘が始まった。
「おいてめえら、どこの盗賊団だ? 何が目的―――」
「うああぁ……あああぁ……! 邪魔……するなああっ!」
「うおっ、何だこいつら! 正気じゃねえぞ……! 気をつけろ!」
ユーリスが問い詰めようとした盗賊は、目が血走り理性を失ったような状態で襲い掛かってきた。他の盗賊たちも皆同じような状態で、焦点の合わない目をギラつかせて武器を振り回している。
「くっ……盗賊風情に不覚を取った。この遺産を奪われるわけには……!」
遠くでは、ゲルズ公が魔法で応戦しつつ、盗賊から必死に逃れようとしていた。
「む……? あれは……まさか教団の手の者か?」
遠くにセイロス騎士団らしき一団を見つけ、ゲルズ公は複雑な表情を浮かべた。できれば教団にも遺産を渡したくはないが……命あっての物種だ。渡さぬ口実は身の安全を確保してから考えれば良い。
「やむを得まい、今は救援を求めるか……!」
騎士団がこちらへ着くまで、耐えるほかあるまい。終わりのわからぬ地獄よりは、まだ希望があるだけましというものだろう。
「ゆび……わ……置いて……うあ……お、おおおおお!」
「遺産に触れるな! これは奪わせんぞ!」
また斬りかかってきた賊の攻撃を躱しつつ、反撃にファイアーを撃ち込む。炎の魔法弾はしっかりと命中し、敵は確かに絶命した。そのはずであったのだが……
「ゆび……わ……よこ……せえぇェェアガアアァァッ!!!」
「な……!?」
ゲルズ公は我が目を疑った。倒したはずの賊の身体から黒い霧のようなものが立ち上り、それが徐々に形を変えてゆく。
「な、何だ、この化け物は……!?」
「ギャオオオォッ!!!」
ゲルズ公を襲っていた盗賊は、魔獣の姿に変わり果てた。
「公爵閣下に近づいた賊徒が異形の獣に……! いったい何が……?」
天馬を駆り、ゲルズ公に近づこうとしていたコンスタンツェは、信じられない光景に目を見開いた。
(このようなことが自然に起こるとは考えにくいでしょう。闇の魔道か呪詛の類のはず。ならばどこかに術者が……)
空の上から戦場を俯瞰して、コンスタンツェは注意深く辺りを観察し始めた。……いた。怪しげな黒衣の魔道士の集団が、ゲルズ公の様子を窺っている。
「おい、コンスタンツェ! どこ見てやがる?」
「あちらに、この騒動の黒幕らしき人物を発見致しました。彼らを討てば、事態を収められるやもしれません。」
「でも、先にゲルズ公を助けたほうがよさそーじゃない? けっこうまずそうな状況だけど。」
見れば、さらに別の賊も魔獣に姿を変え、ゲルズ公へと迫ってゆくところだった。そして、さらにもうひとり……。
「閣下ほどのお方が魔獣程度に後れを取るとは思えませんが、数が増えれば万一ということもあるでしょう。ゲルズ公が亡くなられては困りますわ。死者とはお話しできませんので。まずは魔獣どもを殲滅するのが先決ですわね。」
コンスタンツェは天馬の手綱を引き、ゲルズ公と魔獣たちの間に舞い降りた。
「君は……コンスタンツェか!? あのヌーヴェル子爵家の……」
「お懐かしゅうございますわ。たいそう危ない状況のようですわね。」
「君に私を助ける義理はないだろうが……手を貸してもらえぬか?」
「どうぞご命令なさってください。従えぬはヌーヴェル家の名折れでございます。」
へりくだった態度で挨拶しつつ、魔獣に向け魔法の雨を降らせる。ハピとバルタザール、騎士たちも追いつき、コンスタンツェとともに魔獣への反撃を開始した。
「魔獣の相手なら得意だし。さっさと終わらせちゃおうよ。」
「魔獣だけじゃなく、盗賊も近づけさせるなよ。魔獣になる前に倒しちまうぞ!」
ゲルズ公を取り囲むように防衛線を張る。
……その様子を遠巻きに見つめていた者がいた。先ほどコンスタンツェが見つけた黒衣の魔道士―――ミュソンだ。
「邪魔が入ったか……獣どもめ。増援を出せ。あの男の持つ指輪を奪うのだ……。」
ミュソンの合図に合わせ、市街の各地から増援が現れ始める。こちらは賊ではなく、彼らの正規兵だ。
「増援のご到来ですの? 申し訳ありませんが、邪魔なさらないで。」
「これは……あまり余裕がなさそうだな。自分たちも公爵の援護に向かおう。」
ベレトやユーリスたちも加勢に加わり、戦いは激しさを増していった。何度か危うい場面はあったものの、大半の盗賊は魔獣化する前に対処できており、正規兵たちも人数をかけて当たればさほど苦労する相手でもなく、気づけば敵軍はほぼ全滅し、残るはミュソンと周囲の一団だけとなった。もちろん、ベレトはじめ騎士団の面々が多くの敵を捌いていた。
「このまま敵将を撃破するぞ。目にもの見せてやれ!」
ジェラルト傭兵団が敵軍に一斉突撃し、相手が動揺したところを一気に叩く。
「これで決める!」
ベレトの剣がミュソンを捉え、その身体を吹き飛ばした。
「ぬう……力ばかり強い獣どもめ……。遺産の回収はならず、か。……まあ良い。実験の成果があれば問題なかろう……。それに……」
ミュソンはベレトへどこか恨めしげな視線を向けたかと思うと、転移の魔法で姿を消した。街は、突然に静寂を取り戻した。
「助かった、か……?」
「はあ……クソッ、散々な目に遭ったな。何だったんだよあいつら……。」
「私めのような不詳の身では、疑問にお答えすることなど到底できませんわ。」
「……心当たりはある。また追々説明しよう。」
敵兵たちの青白い肌、正気を失った賊たち、魔獣と化す人間。ソロンたちのおぞましい所業の数々が、それらに重ね合わされる。こんなところにまで彼らの魔の手が及んでいたとは、知らなかった。
「ああ、公爵閣下がご無事で何よりでございます。遺産も盗られませんでしたし。」
「ああ……君たちのおかげだ。今日ほど肝が冷えた日はなかったよ。」
「ええ、スレンの冬よりも冷えましたわ。私どもには荷が重たい相手でございました。不本意に操られていたばかりであろう方たちを救えなかったのも、首魁らしき方を取り逃してしまったのも、すべて私の責、私が無能だったゆえ……。公爵閣下と遺産を守り切れたことのみが、まさに奇跡と言えましょう。」
「コンスタンツェ……見る影もないな。過去の出来事が、君をそこまで……。」
知己らしいゲルズ公とコンスタンツェは言葉を交わしている。公爵は、コンスタンツェが二重人格であることを知らないらしい。地下で見たような、自信に満ち満ちているコンスタンツェしか知らなかったのなら、この豹変は確かに衝撃的だろう。
「……だが、君は私を救ってくれた。その恩には必ず報いたいと思う。いや、今日の恩だけではないな。私は君の両親にも大きな借りがある。教団が君を派遣したのも、それを見越してのことだったろう……。」
「両親はともかく、私に恩を感じることなど無用ですわ。報いていただく必要も……」
「いや、そこは素直に報いてもらえよ。遺産が必要だろ?」
ユーリスが呆れたように口を挟む。それを聞いてゲルズ公は、持っていた『英雄の遺産』らしき物を差し出した。いくつもの指輪が細い鎖で繋がっていて、ちょうど片手に嵌められそうな形をしている。
「ああ……これを持っていってくれ。受け取れなければ君の仲間に渡そう。『ドローミの鎖環』という。オーバンの紋章に対応する英雄の遺産だ。ダグザに伝わっていた宝物でね、講和の際、彼らが友好の証として差し出してきた。」
「なぜダグザに英雄の遺産が?」
「古の時代、聖セイロスは十傑やそれに与する氏族たちを討伐していったという。氏族の長の中には、討伐の手から逃れ、海の向こうを目指した者がいたのかもしれない。」
「なるほど。ではもうひとつ、なぜ教団の要請に応じなかったのです?」
「私は帝国の外務卿だ。手札は何枚あっても困ることはない。特に教団に対しては切り札にもなる。近年、帝国と教団の関係は冷え込んでいるしな。だが……私は外務卿失格だな。私情を優先してしまった。今は亡き友人と、その娘への恩返しに……手札を手放そうとしているのだから。」
「公爵閣下……。」
コンスタンツェは胸を打たれた様子で、静かに俯いた。
「さて……私はそろそろ政庁へ帰らねばな。達者で過ごすのだぞ、コンスタンツェ。」
「閣下こそ。どうか、お元気で……。」
ゲルズ公はベレトたちに頭を下げ、去って行った。
「さて、遺産も無事に手に入ったことだし、俺たちも大修道院へ戻ろうぜ。」
「ああ、そうだな。あの魔道士たちのことも報告しなければ。」
「あー……ちょっと待っちゃくれねえか?」
完全に帰る雰囲気になったところで、バルタザールが呼び止める。
「なんだ、金でも落としたか?」
「いや違えよ。そもそも落とす金なんてねえよ。で、本題なんだが……そもそも俺がここに来た理由、覚えてるか?」
「ん? ……ああ、何か帝都に用があるとか言ってたな。一人で勝手に行くもんだと思ってたが。」
「いや、これがそうも言ってられない事態かもしれなくてな……。最初は地下の面子だけでなんとかなると思ってたが、もしかすると騎士団の力も借りなきゃならんかもしれんのさ。」
「バルト、いったい何やらかしたのさ。」
「なんでおれがやらかした前提なんだよ! まあいい、とにかく聞いてくれ……。」
バルタザールは真剣そのものという顔つきで語り始めた。
「さっきの魔道士、遺産の回収がどうとか言ってたよな。だったら奴らは、他の遺産も狙ってくる可能性があるだろ? だから、奴らに奪われる前に遺産をこっちで回収しなきゃならねえ。」
「確かにそうですわね。しかし、英雄の遺産はすべて教団の管理下にあり、所在地も王国や同盟の貴族家のはず。何故帝都に話が繋がるのか、私の浅学では到底理解することは叶いませんが……。」
「今まさに教団の管理下にない例外を回収したばかりだろうが。……こいつの他にも管理外の遺産があるんだな? で、それが帝都にあるってわけか。」
「話が早くて助かるぜ、ユーリス。そうだ、その通り。もともとは、おれの母の故郷で大切にされてた、一族の秘宝みてえなもんらしくてよ。それがどっから情報が漏れたのか、この間、盗まれちまったんだ。」
「遺産が、盗まれた……?」
「おう。そしてその遺産が、帝都の闇市に出るって噂があるのさ。……こいつを取り戻しに行きたいんだ、おれはよ。」
バルタザールは、重々しくそう告げた。
作者がかなり多忙でして、次回の更新はかなり先になってしまいます。早くても2024年2月か3月まではかかるかと……。お待たせしてすみません!
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青海の節2 闇に入らずんば光を得ず
長くお休みしてしまいましたが、連載を復活します。
きちんと完結まで連載予定ですので、今後の投稿もお待ちください。
帝都アンヴァルの片隅。怪しげな商人たちが簡素な市を並べ、傭兵ともごろつきともつかない用心棒たちが道行く人々の顔をじろりと睨んでいる。帝都の人々は、漂う陰鬱な雰囲気に怯えるように、自然とその区画を避けて通っていた。アドラステアの繁栄の象徴たるアンヴァルの、もうひとつの姿だ。
「目的のものは手に入れた……。これがあれば、我が娘が……!」
「はい、必ずやお嬢様を救えましょう!急ぎ領地に……」
そんな人通りのほとんどない通りを、足早に駆ける一団がいた。薄汚い闇市に似つかず整った身なりをした男と、彼の従者らしき女性が数人。男の手には、とげとげしい形の籠手らしきものが握られている。
「閣下、お待ちください!何やら街のほうが騒がしい様子……。」
「な、何だ! 賊か? これだけは守り切らねば……! ……追手と戦う用意をしてくれ。」
「はい、承知いたしました!」
ー ー ー
同じ頃、闇市の別の片隅。バルタザールの故郷から盗まれたという謎の遺産を求めて闇市を訪れた一行は、用心棒のごろつきたちに囲まれていた。
「先程から言っているとおり、自分たちにはこの市を取り締まろうという気などない。ある品物を手に入れたいだけだ。」
「さすがにその格好で取り締まる気がねえってのは無理があるぜ、騎士さんよお。油断させておいて襲うつもりなんだろうがよ? 俺たちも黙ってしょっ引かれるつもりはさらさらねえんだわ。」
セイロス騎士の正装のままで来たのはまずかったか。闇市の者たちに無用な警戒をさせてしまったらしい。いかにこちらがセイロス騎士団の精鋭といえども、さすがにこの数を相手にするのは厳しいかもしれない。なんとか説得を試みるべきだろうが……。
「そう焦るんじゃねえ。俺様に任せときな。」
そう言って前に進み出たのはユーリス。
「ところでてめえら……裏の社会に生きてるからには、俺様の顔くらいは見たことあるんじゃねえか? この世に二人といねえ美少年の顔をよ。」
「あ? ……! てめえは、まさか……“狼の牙”の頭か!?」
ごろつきたちの一人がユーリスの正体に気づく。他の者たちも、“狼の牙”の名を聞いた瞬間に顔色を変える。
「よくわかってるじゃねえか。なら、誰に従うべきかもわかるよな?」
「へ、へい! なんでも好きなように見ていってくだせえ!」
「物分かりのいい奴で助かるぜ。さーて、探し物といこうか。」
「おう。……ユーリスお前、帝都でも顔が利くのか。なら、ついでに顔を貸してほしい件があるんだが……」
闇市の中に進みながら、バルタザールが何か思いついたらしい顔でユーリスに声をかける。
「俺様の顔は高いぞ。たぶん、てめえの借金よりな。」
「まだ借金の話とは言ってないだろ!」
「なんだ、違うのか?」
「いーや、図星だ。お前の名前で借金のひとつやふたつ消せやしないかと思ったんだが、どうもこいつは頼む相手を間違えたみたいだな。」
バルタザールはぼやきながら、市の商品をひとつひとつ確認していく。騎士たちも市の中に踏み入り、バルタザールの言う謎の遺産を捜索する。
「ん……あっちの人たち、なんかやけに急いでるみたいだけど。逃げてるみたいで、怪しいし。追いかけたほうがいいかな。」
ハピが走り去っていく一団に気付いた。
「コンスタンツェ、天馬で回り込んでくれ。自分も後から追いかける。」
「承知いたしましたわ。」
コンスタンツェとベレトで挟み込むように一団に接近する。貴族らしい風体の男は、手元に何やら抱えている。布で覆い隠されているが、端から棘のようなものが覗いている。‟遺産”と同じ材質のように見える。
「待て。止まって、手元の物を見せるんだ。」
「くっ、セイロス騎士に見つかってしまったか……! これを渡すわけには……なに、回り込まれたか!?」
「失礼いたしますわ。誠に僭越ながら、逃げ道は私が塞いでおりますわ。」
逃げ道を塞がれた男は、明らかに焦燥している。
「さあ、その手に持っているものを、こちらに渡していただこう。」
「き、貴様ら、近寄るな! こうなってはこの力を使うしか……!」
「!」
男は手の中の布を投げ捨てた。奇妙な形をした籠手らしいものが、男の手に嵌まっていた。
「やめろ! そいつは英雄の遺産と同じシロモノだ! 紋章を持ってねえ奴が振るえば、恐ろしい獣になっちまうぞ!」
「うるさい! 娘のためなら命など惜しくもない……!」
ベレトの背後でバルタザールが叫んだが、男は聞く耳を貸さない。力づくでも包囲を抜けるつもりのようだ。
「何の恨みもないが……許せ、家族のためなのだ!」
男の振るう謎の遺産と、従者であろう女性の魔法がベレトを襲う。しかし、相手が悪かった。時を何度も戻し、繰り返したベレトにとって、扱い慣れない武器での攻撃など、恐るるに足らない。ベレトは最低限の動きで攻撃を回避し、男の手を狙って剣を振るう。斬るのではなく面で叩き、男の手から籠手を弾き飛ばした。男は籠手に飛びつこうとしたが、ベレトが先に籠手を回収すると、諦めたように大人しくなった。
「よし、いいぞ。……悪いが、こいつはおれの大事なものなんだ。それに、危険なものでもある。あんたの事情は知らないが、こいつを渡すわけにはいかない。」
「……それに、人の命がかかっているとしてもか?」
「なに?」
「我が娘が人質に取られているのだ。“英雄の遺産”を差し出せば娘を助けてやると、青白い肌の魔道士に取引を持ち掛けられている。だから……私はどうしても、その“遺産”が必要なのだ。」
男は懇願するようにバルタザールを見据える。と、コンスタンツェが何かに気付いたようだ。
「恐縮ですけれど……もしやそのお顔、オックス男爵では? 私の記憶の正確性は甚だ怪しいものですが、おそらく数度お目通りしたことが。」
「……ああ、その通りだ。私はオックス家の当主だ。セイロス騎士団ならば、我が娘が……モニカが、数節前に行方不明になったことは把握しているだろう?」
なるほど、この男はモニカの父親だったのか。となると、“英雄の遺産”の取引を持ち掛けたのは、クロニエかその仲間だろう。偽モニカがガルグ=マクに潜入してくる角弓の節までには、本物のモニカは殺されてしまうのだろうが……今、青海の節に、彼女はまだ生きているのだろうか? これから先の未来に起こることを知っているベレトとしては、少し引っかかる部分がある。偽モニカがガルグ=マクに現れたのは角弓の節。モニカが攫われてから、ゆうに6節もの時間が経ってからだ。単に偽モニカを潜入させることだけを考えるなら、それほど長く待つ必要はないはずだ。その理由は何だ? ベレトの立てた仮説では、それは「本物のモニカが生きているから」だ。万一、本物のモニカが彼らの隙を突いて脱出するようなことがあれば、偽モニカの正体が明らかになってしまう。本物のモニカを完全に亡き者にしてから、やっと偽モニカを潜入させたのだろう。
人体実験なども平気で行う者たちの下にいる以上、無事に、という保証はできないにせよ、モニカがまだ生きている可能性は信じるに足るはずだ。かといって、遺産を馬鹿正直に渡したところでモニカを救えるかというと、望みは薄い。
「一方的に遺産だけを奪われてしまう可能性が低くない以上、これを渡すわけにはいかない。だが、別の方法で力になることはできるかもしれない。……来節の末まで待ってもらえないだろうか。それまでには必ず、ご息女を救出してみせる。」
「なに、来節だと? それまでの間にモニカの身に何かあればどうするのだ。」
「信じてもらうより他はないが……来節までは、自分の推論が正しければ、だが彼女が生きていることは保証できると思っている。」
「正直、信じ難いな。しかし、残念なことに、私にはお前たちに抗ってそれを奪い返せるほどの力もない。今、私が取れる選択肢の中で最も確実なのは……お前を信じることだ。だが、来節までの間も、私なりに娘を救う努力は続けさせてもらうぞ。どうかそれだけは許してくれ。」
「協力に感謝する。」
よし、なんとか遺産を手中に留めることには成功した。あとは、男爵を裏切らぬよう、モニカを救出するだけだ。
― ― ―
「遺産を守り切れたのはいいが……男爵の娘ってのを、本当に救えるめどは立ってるのかい?」
今度こそ大修道院への帰路についた時、バルタザールが訊ねた。
「ああ、策はないわけではない。ただ、少し不確実ではあるな。」
「博打ってわけか。燃えてくるねえ。」
「人の命が懸かった賭けに燃えるんじゃねえよ。……いいか、ベレト。俺からひとつ忠告だ。『勝てるかもしれない賭け』になんて挑むなよ。必ず『勝てる賭け』に挑むんだ。どんな賭けだって、あらゆる可能性を予測して備えときゃ、必ず勝てるようになるもんだ。」
「半端な覚悟では挑むな、ということだな。わかった、あらゆる手を尽くそう。必ず、助け出すことができるように。」
ユーリスの忠告を受け、ベレトは改めて自分の策を見つめなおした。……まだ、改善の余地は多くある。
― ― ―
「ご苦労様でした、ベレト。思いがけず、ふたつもの“英雄の遺産”を回収できたようですね。回収されたふたつの遺産は、“灰狼の学級”の生徒たちに貸し出すこととしました。」
「大司教が彼らと話し合い決定したことだ。節末の『女神再誕の儀』の警護では、彼らは君の管轄の下にある。もしものことがあれば、彼らの持つ遺産の力が役立つだろう。」
帰還後、他の騎士から報告を受けたレアとセテスに呼び出され、ベレトは謁見の間にいた。
「そして、オックス男爵の件についてです。これまで一切の足取りが掴めていなかったモニカについて、このような手がかりを発見できたことは大きな進歩です。」
「他の騎士とも連携し、捜索に臨むように。行動の際には、必ず報告することを忘れないでくれ。以上だ。」
セテスに念を押され、ベレトは謁見室を出た。モニカ救出のための最初の一手を打つ。そのために、ベレトはイエリッツァを捜し始めた。
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青海の節3 死合い
イエリッツァは、予想通り訓練場で見つかった。ベレトが話しかけるよりも早くこちらの存在に気付き、視線を向けてくる。
「私と、死合う気になったか。」
「ええ。手合わせを申し込ませてください。」
仮面に隠された上からでも、その表情の変化は読めた。驚きと困惑。しかし、それ以上に……悦び。
「ただし、日付けは今日ではありません。今節の、27の日。『女神再誕の儀』の翌日です。」
「そうか……今すぐにでも貴様と死合えぬのは残念だが……決して違えるな。」
やや不満げではあったが、条件は呑んでくれた。これで、最初の準備は整った。剣を交えれば、イエリッツァは間違いなく気づくだろう。……ベレトの「本質」に。
- - -
「やあ、お疲れさんです。本日は珍しく異常なしですよ。あんたがいる以外はね。」
アルファルドから任されたもうひとつの仕事、アビスの警備は、意外にも楽に終わりそうだった。ユーリスいわく、わざわざ騎士団の警護が厳重になる今、何かしようとするような馬鹿はいない、とのことだ。
「毎年、青海の節だけはアビスが静かになる。大事な儀式の間に事件なんて起こそうもんなら、たちまち騎士団が飛んでくるんでね。地上の奴らにとっちゃ、介入の口実なんていくつあってもいいからな。」
とはいえ、任務を放棄するわけにもいかない。仕事を取られて(普段にも増して)暇そうな番人の隣で、雑談などしつつ、本当に異常がないか目を光らせるのだった。
しかしそれも杞憂に終わり、女神の塔で儀式が行われている間、聖廟でベレスたちが死神騎士と激闘を繰り広げている間も、アビスは静かだった。むしろ、どこからか大修道院に賊が乱入してくるらしいと聞きつけて、撃退しようと暴れる準備をしている者もいた。これはバルタザールのことだ。
聖廟への侵入者は撃退され、ベレスは天帝の剣を手にした。これはベレトのいた世界と変わりない。変わるのはここからだ。明日に控えた「死合い」が、新たな分岐点になる。
- - -
「……始めよう。」
翌朝、訓練場に入るや否や、先に待っていたイエリッツァは短くそう告げた。ええ、とベレトも短く応え、剣を抜いた。
一瞬の後、剣と剣がぶつかり合い、激しい音を立てた。剣が弾かれ、イエリッツァの次の一手がベレトの胸に迫るが、ひらりと躱して逆にイエリッツァを狙う。しかし、先ほどまでベレトに向いていた筈の剣がいつの間にか反転し、ベレトの一撃を受け止めた。ベレトは怯まず連続で追撃を仕掛けて、その内幾度かはイエリッツァの身体を掠った。
元の世界でも、何度かイエリッツァと手合わせをしたことはあった。だが、今は「手合わせ」ではなく、文字通りの「死合い」であることを肌で感じる。一瞬でも油断すれば、命に刃が届く。相手から感じる気は、「イエリッツァ」というよりも、「死神騎士」のものに近かった。そこにあるのは、ただ、強者と闘うことへの悦び……そして、純粋な、殺意。
連撃を受けながらも、一瞬の隙に殺意を纏った刃を返し、ベレトを斬り裂こうとする。身を捩ると、次の刃が回避先へ現れた。剣を使って攻撃を受け流した隙に、もう一方の手を突き出し、蹴りで追撃する。体術で体勢を崩されながらも、イエリッツァは寸分違わず心臓を狙って剣を突き出す。
「見えた!」
「……!」
それが、決まり手だった。無理な体勢のままでなお攻撃を繰り出したイエリッツァは、次の攻撃を避けられなかった。確実に捉えた筈の敵は、気付けば己の首に剣を突き付けていた。
「そこまでだ。」
よく知った声が響き、「死合い」の終わりを告げた。訓練場の入り口で、シャミアとカトリーヌがこちらを見ていた。
「まったく、朝からえらいものを見せられた。決闘でもしていたのか?」
「手合わせで真剣はやめとけって、いつも言ってるだろ、イエリッツァ。アンタがうっかり本気なんて出したら、へたな相手ならお陀仏だよ。」
「この者ならば、本気の私とも互角に渡り合える……そう判断した。そして、ベレトはそれ以上の立ち回りで、私を凌駕した……。」
イエリッツァは、半ば夢想するように応えた。
「それにしても、イエリッツァを相手に一本取るとは、あんたもなかなかやるな。ジェラルト傭兵団の新人だったか?」
「ああ、前に話したろ? イエリッツァの手合わせを断ったヤツだよ。イエリッツァにしちゃ、今になってやっと念願叶った、ってとこらしいね。」
「ああ、あれか。随分と肝の据わった奴だと思っていたが、あんただったか。」
シャミアから半ば感心するような、半ば呆れたような視線を向けられる。
「ところでイエリッツァ、ベレトでもいい、アタシと今から打ち合わないか? アタシも体を動かしたい気分なんだ。」
「ああ、構わん……三つ巴でどうだ。」
その後しばらく、3人は剣を交え続けた。その中でも、イエリッツァが自分に意識を向けていることは感じていた。剣を通じ、ベレトを見定めようとしている。
「お前に、訊ねたいことがある。」
カトリーヌたちが去った後、イエリッツァはベレトを呼び止めた。訓練場の中には、2人きりだ。
「今日、私はお前と初めて剣を交えた。しかし、私はお前の剣を知っていた。……何故だ?」
「ええ、きっとそうだろうと思っていました。」
焦らないよう、淡々と返す。
「そして、あなたは……同じ剣の持ち主と、昨日戦った。そうではないですか?」
イエリッツァの表情は、彼の仮面のように静かだった。しかし、その仮面で動揺を隠すことは能わなかった。しばらくの沈黙の後、押し殺すような声が返される。
「お前は……何者だ。どこまで知っている。」
「あなたが昨日戦ったのと同じ人物だ。ただ、今年の終わりまでに起きることはすべて知っている。実際にこの身で体験してきた。」
彼ならば自分の正体を言いふらしたりする心配はないだろう。そう判断したうえで、さらに深くまで切り込んでゆく。
「“
イエリッツァは、また少し沈黙した。そして、ゆっくりと頷いた。
「……わかった。しかし、そこから先は、私の判断するべきところではないだろう。どうなるかは、わからない。」
「ああ、構わない。」
イエリッツァは去った。ただひとり取り残されたベレトは、次の一手を考え始めた。
- - -
翌日の夜。この日もアビスの書庫を漁っていたベレトは、闇の中を騎士寮へ向かっていた。アビスの住人たちの夜は遅い。アビスにいると、どうも時間の感覚がなくなってしまう。
昼間は生徒たちでにぎわう士官学校の教室も、今は既に灯りが消され、真っ暗だ。辺りは静まり返っている。だが……
「そこに誰かいるな。何者だ?」
「おや、気付かれてしまいましたか。」
現われたのは、ヒューベルトだった。
「奇襲でも仕掛けて差し上げようと思ったのですが、索敵能力は一流以上のようですな。もっとも、我が主の剣となると豪語するのですから……この程度は当然ですかな。」
そう言いつつ、ヒューベルトは後ろ手に黒鷲の教室の扉を開いた。
「さあ、こちらへ。要らぬ者に漏れ聞かれては困りますからな。」
ヒューベルトが燭台のひとつに火を灯すと、教室内は一気に明るくなった。それでも、その光も隅々までは届かず、影を不気味に揺らめかせている。
「さて、単刀直入に伺いましょう。何が目的ですかな。未来を知ってなお、我が主の剣となりたい理由は?」
ただ彼女の力になりたい、などというような言葉で騙せるような相手でもないだろう。本来の目的のとおりに、話してみよう。
「今のエーデルガルトのやり方では、その過程で生まれる無用な犠牲が多すぎる。それをなるべく減らしたい。」
「その第一歩が、かの者たちと手を切らせることですか。確かに彼らならば、どんな非道な行いも躊躇なく実行するでしょうな。懐刀にするには少々危険です。安全な武器に持ち替えられるものなら、間違いなく我らの利となるでしょうが。」
ここでヒューベルトは、しかし、と間を置いた。
「問題は、貴殿がいささか信用ならないという点です。現状、貴殿は我々の救世主にも、彼ら以上の脅威にも、容易に転じ得ます。そこで、貴殿には明確な忠誠を示していただきたい。」
「……自分は、何をすればいい。」
「簡単なことです。ただ、これから指定するとおりに、ある盗賊団を討伐していただければ良いのですよ。」
この小説を書き始めた頃にはまだ無双が出ていなかったのですが、このへんは後から無双の展開を参考にしながら作ってます。書き始めた頃は冒頭と最終盤しかストーリーを考えてなかったので、後から中を埋めてるんですね。
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