荒野のリボン付き (野獣後輩)
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第一話 GLACIAL SKIES

※リボン付きとありますが、主人公は04のリボン付きではありません。
 インフィニティの主人公、リーパーくんです。


『警告、強力なECM!』

『総員第一種戦闘配置!』

『上空に多数の敵機を確認! レーダー員は寝てたのか!?』

 

 山間部にある基地に警報音が木霊し、それをかき消すかのようないくつものエンジン音が空気を震わせる。それに混ざって聞こえてくるのは銃声。基地の一角で爆発が起こり、赤い火の玉が空へと立ち上る。爆発の度に、地面が大きく揺れた。

 

『こちらボーンアロー2。管制塔、状況は!』

 

 蛍光灯の光に照らし出される掩体壕の中、並んで駐機していた二機の戦闘機から甲高いエンジン音が鳴り響く。垂直尾翼に稲妻と蟹のパーソナルマークを描いたEF-2000(タイフーン)のパイロット、オメガが慌てた様子で管制塔を呼び出した。しかし先ほどまで出撃準備の指示を出していたはずの管制塔からの応答はない。この攻撃が始まった直後、管制塔は敵機の攻撃を受けて破壊されていたことをオメガは知らなかった。

 

『くそっ! あんなデカい機体、どうしてこんなに近づくまで気づかなかったんだ!?』

 

 開かれた掩体壕の扉から見える滑走路は、夕暮れ時のように真っ暗だった。今日の天気は曇り時々晴れ、しかし先ほどまでは雲の隙間から太陽が差していた。上空の何かが太陽の光を遮り、基地全体を暗闇に包みこんでいた。

 

『おいおい、この掩体壕大丈夫なのかよ? 奴らバンカーバスターとか使ってこないだろうな?』

 

 オメガがキャノピー越しに掩体壕の天井を見上げた。頑丈な鉄筋コンクリート製の掩体壕は、ちょっとやそっとの銃撃や爆撃ではびくともしない。しかしこの攻撃がちょっとやそっとの規模でないことは、先ほどから聞こえてくる爆発音が教えてくれている。

 近くで爆発が起き、掩体壕が震えた。もしかしたら掩体壕にも何発か爆弾が直撃しているかもしれない。

 

『ブロンコとゼブの機体は滑走路上でやられちまった。心配するな、脱出は出来たらしい。にしても離陸準備中を狙われるなんて、俺たちツイてないな』

 

 滑走路の上ではいくつかの戦闘機が、真っ二つになり赤い炎を噴き上げていた。この基地が奇襲を受けた際、地上で撃破された機体だ。スクランブルに上がる間もなかった。

 

 燃えている機体の中に、F-16F(ファイティングファルコン)MiG-29(ファルクラム)がある。どちらもオメガの僚機、ボーンアロー隊の仲間の機体だ。オメガたちよりも先に滑走路に出ていた彼らは、スクランブルに上がろうとしていた基地所属の機体もろとも爆撃を受けた。

 幸いブロンコたちは攻撃を受けた直後、地上で射出座席を使用して脱出に成功していた。今はどこかの掩体壕に逃げ込み、他のパイロットや基地要員と共に攻撃をやり過ごしていることだろう。

 

『スクランブル出来るのは俺とお前だけだ、リーパー。対地兵装のままだが、大丈夫か?』

 

 タイフーンの操縦席に座るオメガは、自機の隣に並ぶSu-30SM(フランカー)に目をやった。青と水色の制空迷彩を纏ったフランカーの翼には、無誘導爆弾(UGB)が鈴なりにぶら下がっている。

 

 敵の爆撃を受けたちょうどその時、オメガたちボーンアロー隊は今まさに出撃しようとしている最中だった。任務は敵地上部隊への攻撃。すでにエンジンには火が入っていて、ミサイルと爆弾の安全ピンも引き抜かれ、さあひと稼ぎの時間だと今まさに掩体壕から出ようとしていたその時に、空襲を告げるサイレンが基地に鳴り響いた。

 

「換装している暇はない、このまま出る」

 

 リーパーと呼ばれたSu-30SMのパイロットはそう答え、風防越しにオメガへサムズアップした。敵の第一波は過ぎ去り、基地にはつかの間の静寂が訪れている。

 

 複座であるSu-30SMの機体には、リーパーしか搭乗していない。戦闘爆撃機としても運用可能なSu-30SMの後席には副操縦士か爆撃手が搭乗することになっているが、今の後席を占有しているのは奇妙な機械だった。射出座席に固定された筐体と、そのてっぺんから突き出た黒い球体。後席キャノピーの両脇にはライトのラインが引かれており、淡く青く発光している。

 

『まーた、うちのエース様は無茶をするねぇ…』

 

 いつもと変わらないリーパーの様子に、オメガは嘆息した。どんな状況でも迷わず出撃、だからこそ彼はエースなのだ。

 既に整備員と共に確認は終わっていたが、この状況だ。改めて互いに機体の動作をチェックする。フラップ、エルロン、ラダー、エレベーター、すべて操作通りに動く。火器管制システム、異常なし。エンジン、電気系統にも異常なし。オールグリーン。

 

『敵の第一波が通り過ぎた。ボーンアロー隊、直ちに離陸せよ。滑走路までは対空砲が援護する』

 

 破壊された管制塔に代わり、生き残った管制官たちが退避した予備の管制室から指示が出る。『了解』と返し、オメガはリーパーに続いてスロットルレバーをゆっくりと前進させた。爆撃を生き残った対空砲が基地への再接近を試みる敵機へ向けて弾幕を張り、放たれた曳光弾が空に美しい軌跡を描く。

 

「地上で撃墜されるなよ、オメガ」

『うるせぇ! 墜とされるんなら空の上だ!』

「いや、まず墜とされないようにしようよ」

 

 二機の戦闘機がゆっくりと掩体壕から出て誘導路へタキシングを開始する。リーパーたちの隣を、空へ砲口を向けた自走対空砲(ツングースカ)が並走する。敵の第一波は通り過ぎたが、敵機がいくつかが反転して戻ってきている。基地の上空には未だに敵のラファールM戦闘機が何機か飛び回り、爆撃を生き延びた基地施設に向けて攻撃を継続していた。

 

『何としても死神を上げろ! 彼さえ空に上がれば俺たちの勝ちだ!』

『緊急発進急げ!』

 

 滑走路に向かおうとするリーパーたちの機体を認めた敵機が、高度を下げてまっすぐ突っ込んでくる。対空砲が火を噴き、基地の防空要員が肩に担いだ携帯SAM(地対空ミサイル)を発射した。フレアを放出してSAMを回避した敵機に対空砲の曳光弾が突き刺さり、赤と黒の機体がバラバラに引き裂かれる。炎の塊となった機体が、空の格納庫に突っ込んで爆発四散した。

 地面に突き刺さった翼の破片には、赤黒の帯に6つの輪になった星の国旗が描かれていた。ユージア連邦。今まさに世界に戦火を振りまいている連邦国家の軍隊が、この基地を襲っている。

 

『おいおいおい、地上でやられるのはごめんだぜ!』

 

 敵味方問わずに残骸が転がる地上を、三つの矢じり(アローズ)のエンブレムを纏った二機の戦闘機が滑走路へ向かって急ぐ。敵機から発射された空対地ミサイルが基地の一角で曳光弾を打ち上げる自走対空砲に命中し、その砲塔が吹き飛んだ。

 

『ボーンアロー隊、準備が整い次第離陸を許可する』

 

 こんな時でも管制官は冷静だった。いつもの通り風速、風向を告げる。指示を発する管制塔と敵機を捕捉できるレーダー群は爆撃で壊滅しており、地上からの管制は不可能。離陸後は各自の判断で敵と交戦。基地を襲撃した敵の重巡航管制機を撃墜せよ、と命令が下る。

 

 3本ある滑走路の内、二つは敵の爆撃を受けた上に、戦闘機の残骸が滑走路を塞いでいて使用不能だ。しかし第1滑走路のみ、路肩に大穴が開いているくらいの被害で何とか済んでいる。離陸は可能だ。

 

 リーパーはスロットルレバーを前に押した。アフターバーナーに点火し、推力変更ノズルから青い炎が噴き出す。滑走を開始した機体がふわりと宙に浮き、ランディングギアを格納した機体が一気に上昇する。続いて離陸したオメガのタイフーンもギアを格納し、二機の機体は灰色の空を駆ける。

 

『よし、死神が行ったぞ!』

『頼むぞリボン付き! 仲間の仇を討ってくれ!』

 

 ボーンアロー隊が離陸したのを見て、地上の味方から歓声が上がる。死神、リボン付き、と呼ばれたリーパー搭乗のフランカーには、確かにリボンのようにも見えるピンク色の∞のマークが、大鎌を抱えた死神のエンブレムの頭にくっついていた。

 

『酷くやられたみたいだな』

 

 地上の様子をうかがったオメガがそう漏らした。山間部に建設された基地のあちこちから、黒煙と炎が立ち上っている。撃墜されたのか、すでに基地上空を離脱したのか、すでに基地周辺に敵機の姿はない。消火班があちこちを駆けまわり、火の回りを食い止めようとしている。幸いなのは山間部にあるという特性上、基地周辺に巻き添えで被害を受ける民家がなかったことか。

 

『あら、空賊さん。久しぶりですね』

『その声は―――!』

 

 リーパーたちの機体の後方から、4機の機影が近づいてきていた。味方の識別信号を発しているその機体のパイロットの声に、オメガは聞き覚えがあった。

 

『リッジバックス隊! どうしてここに?』

 

 前進翼に加えて、双発エンジンを上下に束ねた特異な機体形状。それに加えてダークブルーの塗装と機体上部に走る一本の白いライン。国連軍第19特殊飛行隊「リッジバックス」のASF-X(震電Ⅱ)だった。

 正確には「元」第19特殊飛行隊というべきか。リーパーのボーンアロー隊もリッジバックス隊も、今や国連軍タスクフォース118「アローブレイズ」傘下の一部隊として編入されている。

 

空中哨戒(CAP)中にこの基地が敵の爆撃を受けたと一報が入って、急いで駆け付けました。ですが間に合わなかったようです、申し訳ありません』

 

 リッジバックス隊を率いる若き女性パイロット、エッジが言った。彼女の謝罪を聞いて、相変わらず生真面目な奴だな、とオメガは思う。しかし最初に出会った頃と比べると、だいぶ砕けた方だ。彼女が変わったきっかけは敬愛していたリッジバックス隊前隊長の死と、何よりリーパーと出会ったことだろう。

 

 

 それにしても、なんだあのデカブツは。オメガは西の空を見て、思わずそう呟いた。雪に白く積もった山脈が遠くまで連なり、その上空をまるでエイのような形状の航空機が悠々と飛行している。形状はB-2ステルス爆撃機に尾翼を生やしたようなものだが、大きさが違う。上空を飛んだだけで基地を暗闇に落としたその機体の大きさは、目測だが全幅は500メートルはあるかもしれない。

 それにしてはレーダーの反応が小さい。どうやらステルス性能を持った機体のようだ。護衛機に囲まれたその機体を見て、オメガは言った。あのシルエット、どこかで見たことがある。

 

『あれは…アイガイオンか?』

 

 以前東京(J4E)奪還作戦にて、リーパーやリッジバックス隊と共に撃墜した重巡行管制機。空中空母としての機能を持ち、さらには空中炸裂弾頭を備えた巡航ミサイルまで装備した空飛ぶ要塞だ。ユージア軍はアイガイオンを複数運用しているようで、さらに護衛機として航空プラットフォームのギュゲス、電子支援プラットフォームのコットスと共に空中艦隊を構成し、国連軍との戦闘に投入してきている。

 

『いえ、違います。XB-0、フレスベルグ。アイガイオンよりも前に作られた、いわばプロトタイプの機体です。以前は爆撃能力しか有していなかったようですが、あれはどうやら艦載機運用能力も加えられた改良型みたい』

 

 エッジがオメガの推測を否定した。追撃に上がったオメガたちを探知したのか、護衛機が何機か反転し、こちらに接近してくる。どうやら護衛機たちはフレスベルグから発艦したらしい。

 

『どうする、リーパー?』

 

 本来の任務では制空戦闘を行う予定だったので、オメガのタイフーンの武装は全て空対空ミサイル(AAM)だ。しかしリーパーは敵地上目標への爆撃を担当する予定だったので、翼端のランチャーに備えられた二発の自衛用AAM以外、ハードポイントは全て爆弾が埋め尽くしている。

 普通に考えれば制空戦闘は無理だ。しかし―――。

 

『ボーンアロー1、そちらの指揮下に入ります。命令を』

 

 エッジが進んで編隊に加わってくれた。以前の彼女たちであれば、空賊の指揮下に入るなんてとんでもない、自分たちだけでやる、とけんもほろろな態度だっただろう。

 しかしリーパーと共に飛ぶようになってから、彼女たちは変わった。プライドの高い精鋭部隊だが、最近はリーパーに感化され始めたらしく、発想が柔軟になってくれているらしい。今はいかにあの重巡行管制機を撃墜するか、それが重要だった。序列の争いなんてやっている暇はない。

 

「リッジバックス隊、敵護衛機を頼む。ボーンアロー隊は敵重巡行管制機に突入し、これを撃墜する」

 

 まだ若いリーパーの声が無線機から流れる。その指示に異を唱える者はいなかった。

 

『了解! リッジバックス隊、敵護衛機をやる。空賊たちに後れを取るな、腕を見せつけろ』

 

 エッジの言葉でリッジバックス隊の震電Ⅱが一気に加速し、敵護衛機のラファールMと交戦を開始した。空に青と赤の軌跡が描かれ、その中をフランカーとタイフーンがフレスベルグへ向かって真っすぐ突っ込んでいく。

 

『リーパー、お前は攻撃に集中しろ! 俺が背中を守ってやる』

 

 爆装したリーパーの機体で空戦は難しい。以前のアイガイオンは航空自衛隊やリッジバックス隊、そしてボーンアロー隊の総力を以てどうにか撃墜できたが、今この空域にいるのは六機だけ。しかし何を考えているのかは知らないが、リーパーはあのフレスベルグを撃墜する算段があるようだ。

 

 オメガは敵のラファールMの背後を取り、AAMを発射した。熱源感知式のサイドワインダーが、敵機のエンジンからの排熱を感知しまっすぐ突っ込んでいく。フレアを放出してミサイルを回避することは読めていたため、オメガは少し間を開けてもう一発ミサイルを発射した。

 予想通り、ラファールはフレアを放出した。ミサイルのシーカーは放出された火の玉を敵機の熱源と勘違いし、虚空へ突っ込んで爆発した。

 一発目を回避したことで安堵したのか、動きが鈍った敵機にもう一発のミサイルが命中する。燃料と弾薬に引火した機体が爆発し、内部から弾けた。

 

 一方リーパーの方も、爆弾をぶら下げていて重い機体にも関わらず、ドッグファイトで敵機を撃墜していた。敵機にぴったりと追随し、ヘッドアップディスプレイ(HUD)に表示されるレティクルを一瞬後に敵機がいるであろう未来位置に重ねる。リーパーが操縦桿のトリガーを引くと、機体に内蔵された単砲身Gsh-30-1機関砲が、一瞬で十数発の30ミリ弾を砲口から吐き出した。

 

 まさに死神が大鎌を振るうがごとく、曳光弾の混ざった砲弾が空中を走り、敵機をズタズタに引き裂いた。パイロットが脱出した直後、黒煙を吐いて落下する機体が爆発する。

 空中で開いたパラシュートに一瞬だけ目をやり、リーパーは機体をフレスベルグへ向けた。接近してくるリーパーのフランカーを探知したフレスベルグから、一斉に対空砲火が打ち上げられる。機体各所に搭載された対空機関砲が弾幕を張り、分厚い主翼と胴体に埋め込まれた垂直発射機(VLS)からSAMが発射された。

 

『敵機直上!』

『弾幕だ、弾幕を張れ! 敵機を寄せ付けるな!』

 

 フレスベルグの機内ではそんな言葉が交わされていることも知らずに、リーパーは機体を急上昇させ、フレスベルグの上方に躍り出た。そして一気に機体を下降させ、機首をフレスベルグの大きな主翼へ向ける。

 リーパーは武装をUGBに切り替えた。HUDに着弾予測地点を示す(ピパー)が表示される。しかしリーパーはピパーの表示を無視し、己の勘のみを信じた。ピパーはあくまでも地上目標を爆撃することを前提に表示されるもの。相手がいくら超大型だからとはいえ、飛行する航空機相手には役立ってくれない。

 

『まさか、爆弾でやるつもりか?』

 

 もう一機、敵機を撃墜したオメガが、フレスベルグへ向かって急降下していくフランカーを見て目を見開いた。飛行中の航空機を爆弾で撃墜するなんて正気の沙汰とは思えないが、リーパーはどうやら本気のようだ。まるで大昔の急降下爆撃機のごとく、リーパーはまっすぐフレスベルグへ向かって降下を続けている。

 

 リーパーの操るフランカーから爆弾が投下された。投下された3発の爆弾はフレスベルグの右翼へ埋め込み式で配置された三つのエンジンのノズル部分に直撃し、即座に起爆した。爆発でエンジンが破壊され、一気にフレスベルグの飛行速度が低下する。大きくバランスを崩した機体の中では、搭乗員たちがパニックに陥っていた。

 

『なんだ、何が起こった!?』

『第1から第3エンジン停止! 爆弾です!』

『バカな、飛行中の機体を爆撃だと…!?』

 

 フレスベルグの操縦士の一人が、今まさに自分たちの機体を爆撃した機体を目視し、呻く。

 

『死神だ! 俺たちを攻撃しているのはリボン付きの死神だ!』

『くそっ、死神を相手にするなんて! 第4から第6エンジン全開、姿勢を立て直せ!』

『全対空火器を死神に向けろ! 他の機体はいい!』

『もうダメだ、お終いだぁ…』

 

 一度フレスベルグの下を通り抜けてから、再び機首を上げて上空に戻ってきたフランカーが、再度フレスベルグへの急降下爆撃を敢行する。打ち上げられる機関砲弾を、対空砲の砲口の向きを見て躱す。ミサイルを回避するために放出したフレアが、灰色の空に天使の翼のような白煙の軌跡を描く。しかしフレスベルグの乗員たちには、それが死神の翼のようにしか見えなかった。

 

 左翼のエンジンにも爆弾を命中させ、推力を失ったフレスベルグがゆっくりと降下を始める。しかし乗員たちは、まだ操縦桿を手放していなかった。

 

『近くの町へ機体を落とす! 地上の連中も道連れだ!』

 

 フレスベルグが降下していく先には、小さな町があった。人口は数万人程度。燃料と弾薬を満載した全幅500メートルの機体が落下した場合、甚大な被害が出るだろう。

 

『奴ら町へ機体を墜落させるつもりだ!』

 

 オメガはその意図に気づき、フレスベルグへミサイルを発射した。ミサイルはフレスベルグの翼に命中したが、わずかに外装部品が剥がれただけだった。どうやらフレスベルグには分厚い装甲が施されているらしい。

 敵の護衛機を全て撃墜したリッジバックス隊も、オメガに続いてフレスベルグへ攻撃を開始する。しかし効果はほとんどない。エンジンを全て破壊され推力を失ったフレスベルグだが、グライダーの要領で滑空を続けていた。このままでは後数分で、あの巨体が町へと墜落する。

 

『町から住民を避難させないと!』

『間に合わない、あいつが地上に落ちる方が先だ!』

 

 いつもは冷静なエッジも、この時ばかりは慌てていた。ただ「敵」陣営に属している町というだけで、ユージア軍は何の罪もない人々が暮らす場所へ巨鳥を墜落させようとしている。

 

『リーパー、何をするつもりだ?』

 

 フランカーがまたもフレスベルグへ向かっていく。リーパーが何を考えているのかはわからないが、きっと何かをしようとしているのだろう。オメガとエッジはリーパーを援護すべく、未だに生きているフレスベルグの対空火器を攻撃した。

 

 フレスベルグの前方に躍り出たリーパーは、残っていた最後の爆弾の安全装置を解除した。先ほどは着弾と同時に爆発し、破片を撒き散らす着発信管の爆弾を投下したため、露出している脆いエンジンノズルにダメージを与えることが出来た。しかし機体自体にダメージを与えるには、着弾と同時に爆発では不十分だ。

 

 地上で搭載兵装を換装しなくてよかった、とリーパーは思った。スクランブルする前の本来の任務である敵要塞の攻撃用に搭載しておいた「とっておき」の兵装だったが、防御の固いフレスベルグを落とすには何よりの武器だ。もっとも、本来の用途とはかけ離れた使い方になるが。

 

『死神がこっちに向かってくる!』

 

 フレスベルグの副操縦士が叫び、機長は前を見た。胴体に爆弾をぶら下げたフランカーが、まっすぐ操縦席へ向かって突っ込んでくる。護衛機は全て撃墜され、対空砲も沈黙した。あの死神を阻むものは、何もない。

 

 だが機長はニヤリと笑い、操縦桿を握り直した。操縦席を覆うキャノピーは分厚い防弾ガラスで覆われ、戦闘機のAAMの炸薬程度ではヒビ一つはいらない。爆弾が表面で爆発したって、操縦席には被害が及ばないだろう。確かにフレスベルグはエンジンが破壊され、滑空することしか出来なくなっている。それでも自分たちが操縦桿を握っている間は、機体を落とさせはしない。何としてもこの機体を町へと墜落させ、反ユージアの連中たちをあの世への道連れとしてやる。

 

『構うな! 奴に出来ることはない、このまま飛行を続ける!』

 

 機長がそう指示を出した直後、乗員の一人が悲痛な声で叫んだ。

 

『敵機、爆弾投下!』

 

 せめてものあがきか。機長はまっすぐ突っ込んでくるフランカーを見据えた。その機体下部から切り離された爆弾が、フレスベルグへ向かってくる。

 そこで機長は気づいた。なぜ爆弾が真正面に見えるんだ? その答えはすぐにわかった。死神はこの操縦席を狙って爆弾を投下したのだ。

 

『バカな…!』

 

 いくら巨大な機体とはいえ、操縦席は大型貨物機と同じくらいの大きさしかない。そこをピンポイントで狙うだと? そんなこと、常人に出来るものか。

 いや、あいつは死神だ。人間ではない死神であれば、それくらいのことは当たり前に出来るのかもしれない。

 

 機長は出撃前に仲間から聞いた話を思い出した。国連軍の死神。大鎌を振るい、どんな敵であろうと次々に屠っていくリボン付きの死神。

 

『死神め…!』

 

 機長がそう罵った直後、バンカーバスター爆弾がフレスベルグの操縦席を直撃した。いくら頑丈な防弾ガラスでも、2トン以上の重量がある爆弾の直撃には耐えられない。

 風防が粉々に砕け、機長が冷たい風が顔に吹き付けるのを感じた直後、フレスベルグの操縦席を貫通したバンカーバスターが機内で爆発した。爆炎と破片が操縦席を吹き荒れ、機内に搭載された燃料と弾薬が誘爆する。

 コントロールを失った機体は大きく降下していき、雪山の山肌へとその巨体を叩きつけた。地上で大きな炎が吹き上がり、大地が震える。直後発生した雪崩が、燃え盛るフレスベルグの残骸を雪の下へと覆い隠していった。

 




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第二話 Home

『ボーンアロー隊、そしてリッジバックス隊。緊急のミッションにも関わらずご苦労だった』

 

 薄暗い搭乗員待機室のモニターに、眼鏡をかけた口髭の男が映し出される。男はリーパーとオメガの雇用主であるアローズ・エア・ディフェンス&セキュリティ社の代表にして、タスクフォース118指揮官を兼任するグッドフェロー。今は地球の反対側から、衛星中継でデブリーフィングを行っている。

 

『かろうじてXB-0が人口密集地帯へ墜落する事態は避けられた。リーパー、お手柄だったな。まさか操縦席をピンポイントで爆撃するとは思ってもいなかった。しかもレーザー誘導式のバンカーバスターを、無誘導で放り込むなんて』

「うちのエース様に出来ないことなんてないからな」

 

 なぜかオメガは自慢げだった。

 

 フレスベルグを撃墜したボーンアロー隊は、その足でリッジバックス隊の基地へと向かった。元いた基地は壊滅的な被害を被っており、到底着陸できる状況ではなかった。

 

『既に話は聞いていると思うが、あの機体はXB-0フレスベルグ。ユージア連邦が某国から接収した重巡行管制機だ』

 

 某国がぶち上げた空中艦隊構想の一環として建造されたモデルで、アイガイオンがギュゲスとコットスとの編隊を組んで真の威力を発揮する機体であれば、フレスベルグは爆撃から艦載機運用、電子戦に防空と全てを一機で賄えるように設計された機体らしい。その分全ての性能が中途半端になってしまったらしいが、アイガイオンと比較しコンパクトで、単機運用が可能というメリットがある。

 

「フレスベルグは以前、ヨーロッパ戦線にて他部隊により撃墜されたと伺っております。それが何故、また現れたのですか?」

 

 短い黒髪に整った顔のケイ・ナガセ―――エッジが、グッドフェローがこちらを見ているであろうカメラを向いて問う。この基地に来る途中で、リーパーたちもナガセから詳細な話は聞いていた。フレスベルグはヨーロッパのとある都市を一機で焦土に変え、国連軍に多大な被害をもたらした後、作戦参加部隊の4割損失―――つまり全滅だ―――と引き換えの決死の反撃で撃墜されたという。

 

「フレスベルグだけではない、アイガイオンやその随伴艦も、ここのところ各戦線において目撃される回数が増えてきています。アイガイオンに至っては我々の手で撃墜したというのに」

「二回も、な」

 

 オメガがナガセの言葉に付け加えた。一度目は東京上空で、もう一度は他の戦線で、リーパーたちはアイガイオンを撃墜していた。それもギュゲスやコットスといった、同じくデカブツの随伴艦と共に。

 それらの重巡行管制機が、最近あちこちの戦線で目撃され、国連軍に多大なる被害を与えているらしかった。

 

「あんなデカブツ、一機作るだけでどれくらいの金がかかると思う? 金だけじゃない、あんな巨体を飛ばすには広大な滑走路と工廠が必要だ。それを何機も運用できるなんて、ユージア軍はよっぽどの金持ちなんだな」

 

 ヨーロッパからアジアのユーラシア大陸にかけての広大な地域を統合する形で樹立された連邦国家、ユージア。世界一の軍需企業であるヴェルナー・ノア・エンタープライゼス社の軍事部門トップだった男、キャスパー・コーエンが、「世界が混乱の中にあるにもかかわらず、私腹を肥やす国家や官僚を粛正する」と宣言して生まれた国家。難民たちや国連の支援が行き届かない貧しい国々の賛同を得て樹立されたユージア連邦と、国連は今戦争の真っただ中にある。

 

 ユージア連邦はヴェルナー社の工廠や生産設備を接収。ユージア連邦に加わった国々から人員を募り、強大な戦力を有している。しかしそんなユージア軍でも、アイガイオンなどの空中艦隊やフレスベルグを次から次へと生産するのは難しいのではとオメガは思った。

 金と資源はどうとでもなったところで、どこで作るかという問題がある。全幅500メートルを超える重巡行管制機を、そこらの戦闘機や輸送機と同じ工場で作ることはできないし、どこから飛ばすのかという問題も起きる。

 

「あれだけの巨大な機体を作る工廠なら、衛星でとっくに見つかってるはずだろ? 何で国連軍はそこを叩かないんだ?」

『工廠が見つけられてないんだ、オメガ。あれらの機体がどこから飛んできたのか、どこで作られているのか、我々はまだそれを把握できてない』

「おいおい、じゃああれは四次元ポケットから出てきたとでもいうのか?」

 

 オメガがリーパーとナガセの顔をちらりと見て言った。確か彼らの生まれ故郷でやっている国民的アニメで、何でも出てくる未来のポケットを持ったタヌキ型ロボットがいたと聞いている。

 

『こちらでもユージア軍の主な兵器生産拠点は大方把握している。が、それらの工廠からあれらの超巨大兵器がロールアウトしたという情報はどこからも入っていない』

 

 モニターの向こうでグッドフェローが苦々しげに言う。宇宙条約で破壊を免れている偵察衛星を使えば、あの巨大機を作れる工廠など簡単に見つけられるだろう。フィルムで撮影した写真を現像し、虫眼鏡を使って分析していたのは冷戦時代まで。今の偵察衛星は地上に置いた煙草の箱の銘柄まではっきりと見えるし、赤外線カメラで人や物の動きまで把握できる。それでも国連軍が敵の工廠を見つけられていないのは、こちらの情報部がマヌケなのか、それとも敵の隠蔽能力が予想以上なのか。

 

『とにかく、こちらで今回襲撃してきたXB-0がどこから出撃したのか調査は継続する。それとボーンアロー隊、急だが移動命令が出た』

「移動? どこへ?」

『オーストラリアだ。次の大規模作戦の準備に当たってもらう』

 

 モニターに世界地図が映し出される。トルコからインド、朝鮮半島まで、ユーラシア大陸の広大な地域が赤く染められている。ユージア連邦が実効支配している地域だ。オーストラリア大陸は、かろうじてユージア連邦の支配下には入っていない。

 

『移動は一週間後、リッジバックス隊もボーンアロー隊に続いての移動となる。今のうちに荷物を纏め、ゆっくりと身体を休めておけ』

 

 再び地図が表示される。映っているのは日本の関東地区だ。

 

『出発はニホンの百里基地からだ。リーパー、たまには家に帰ったらどうだ?』

 

 グッドフェローの言葉に、今まで黙っていたリーパーが無言で首を縦に振った。

 

 

 

 

 

 デブリーフィング後、リーパーは基地の格納庫へ向かった。爆弾の直撃にも耐えうる頑丈な格納庫にはリッジバックス隊の震電Ⅱが駐機し、整備員たちが走り回っている。その隣にあるのはオメガのタイフーン。リーパーのSu-30SMはそこからさらに離れたところに駐機してあったが、今機体を取り囲んでいるのはツナギを着た整備員ではなく、白衣の研究者然とした男たちだった。

 

「グランダー社の連中、もう来てたのか。さっき基地が爆撃を受けたばかりだってのに、お仕事熱心だな」

 

 一緒についてきたオメガが、白衣の男たちを見て呟く。

 彼らは軍人でも、リーパーたち民間軍事会社の社員でもない。ヴェルナー社と並び、世界有数の軍需企業であるグランダーI.G.社の研究者だ。彼らはリーパーのSu-30SMの後席に取り付けられた奇妙な物体を取り囲み、そこからケーブルで繋がれたタブレット端末を見て何事か確認している。

 

 データ取り。それが彼らの仕事だ。

 事実上ユージア軍に接収されてしまったヴェルナー社に変わり、グランダー社が国連軍の使用する兵器の大半を供給することになった。さらにグランダー社は国連に対し、資金の拠出まで行った。「ユリシーズの厄災」後、世界経済の破綻で資金不足に陥っていた国連は、グランダー社の支援を諸手を挙げて歓迎した。

 

 代わりにグランダー社はユージア戦争の各戦線に社員を派遣し、兵器のデータ収集を要求してきた。ヴェルナー社の開発した兵器群に対抗するためという名目に、反対する者は誰もいなかった。ノーと言ってグランダー社が国連への兵器と資金の提供を止めてしまった場合、この戦争に打ち勝てる見込みはない。

 

 

 グランダー社はデータ収集のテストパイロットにリーパーを指名し、その見返りとしてアローズ社のパイロットが使う機体を無償で提供することを提案した。民間軍事会社―――平たく言えば傭兵の集まりであるアローズ社は、各国正規軍と異なり自分たちで使う機体を確保しなければならない。民間軍事会社の装備は国民の税金で買ってもらえる代物ではなく、自分たちで稼いだ金で戦闘機を購入し、次の任務をこなしていかなければ給料はもらえない。しかしグランダー社が機体を提供してくれるのであれば、資金面でかなりの余裕がある。

 

 グランダー社がリーパーを指名した理由は深く考えずともわかる。死神、リボン付き、悪魔、鬼神。今や誰も追いつけないエースとなったリーパーの二つ名は様々で、各地の戦線でリーパーは恐れられていた。死神が上空を飛んでいれば地上の士気は上がり快進撃を続け、死神のエンブレムを見たというだけで戦う前に逃げ出す敵もいた。リーパーのパーソナルマークに描き加えられた(リボン)のマークは、死神のマークを気味が悪いと思ったオメガがマシにしてやろうと描き加えたものだった。しかし今やそのマークは、撃墜数をこれ以上誰も数えられないという無限(インフィニティ)のマークとなってしまっている。

 

 グランダーI.G.本社から派遣された研究員たちは、リーパーと共に各地の戦線を移動していた。先ほどフレスベルグに爆撃を受けた基地にも滞在していて、ついさっき連絡機でこの基地にやって来たばかりだった。

 

 彼らが取り囲んでいるSu-30SMの後席に積まれた機械はコプロというらしい。何の略称かはわからないが、リーパーの機体から飛行データと戦闘データを収集しているようだ。またリーパーが飛行中に身に着けるヘルメットも特殊なものを用意されており、戦闘中にリーパーがどこを見ているか、視線移動を検出する機器とカメラが備わっている。

 

 あいつら、あれで何をやろうとしてるんだろうな。そうリーパーに問うても、彼は首を横に振るだけだった。グランダー社の研究員たちは、肝心なことを教えてはくれない。リーパーのフライトデータを収集して、それをどうするのか。何に使うのか、それをオメガはおろか、グッドフェローも詳しくは知らないようだ。

 グッドフェローはグランダー社の介入に反対したらしいが、国連上層部が押し切ったらしい。リーパーをテストパイロットにすることにも最後まで反対していたようだが、最終的にはグランダー社の要求が通る形となった。

 

「ま、きちんと給料払ってくれればそれでいいけどさ」

 

 それがオメガの偽らざる心境だった。 

 

 

 

 

 

 三日後、航空自衛隊百里基地。

 

 

 海を挟んでユーラシア大陸と面している日本は、ユージア戦争における極東戦線の最前線だ。自衛隊に加えて国連軍が各地の基地に駐留し、さらに大陸に築いた橋頭保に毎日のように兵員や物資が輸送されている。時折ユージア軍が海を渡って本土に攻撃を仕掛けてくるものの、今のところ防衛には成功している。

 

 その百里基地の滑走路上には大陸から戻ってきた輸送機の群れに加えて、二機の戦闘機が並んでいる。輸送部隊の護衛がてらやって来た、ボーンアロー隊のリーパーとオメガの機体だった。ボーンアロー3と4、ブロンコとゼブは先日の空襲が原因で負傷し、現在入院中だった。退院までは2週間かかるらしく、今回の移動はリーパーとオメガのみ先行することとなった。

 

「俺は観光に行くけどよ、お前はどうする?」

 

 国連軍専用に確保されている駐機場に機体を移動させ、タラップを降りたオメガがリーパーに尋ねる。今回の百里基地への移動には、グランダー社の白衣の連中はついてきていない。リーパーの機体に取り付けられたコプロも取り外され、Su-30SMの後席はがらんどうだ。何かシステムトラブルでも発生したのか、一度本社研究所に持ち帰るらしい。オーストラリアへの移動後、再度コプロを取り付けるようだ。

 

「家に帰る」

 

 リーパーはそう言って、空を見上げた。雲一つない、どこまでも澄み渡る青空。その遥か上空の衛星軌道上には、今も無数の小惑星片が漂っている。

 

 

 

 ユリシーズの厄災。ユージア戦争の原因となった20年前の惨劇。

 木製軌道上の小惑星ユリシーズに別の小惑星が衝突し、ユリシーズは1万個の破片となって地球へ降り注いだ。世界各国は隕石迎撃用超大型レールガン「ストーンヘンジ」等多数の迎撃手段を講じ、当初想定されていた人類滅亡という事態は避けられた。

 

 世界秩序の崩壊、という代償と引き換えに。

 

 

 この日本にもいくつかの隕石群が落着し、かつての首都だった東京にも大きなクレーターが出来ている。世界中に降り注いだ隕石群は文字通り厄災をもたらした。空から降ってきたのは悪いものばかりだ。

 

 

 

 

 リーパーは電車で実家まで帰ることにした。リーパーの実家は、百里基地から電車とバスで30分ほどの距離にある。平日の昼間と言うこともあってか、リーパーが乗り込んだ電車は空いていて、座る席を見つけるのにさほど苦労はしなかった。

 

 リーパーは駅のコンビニで買った新聞に目を通した。ここのところずっとユーラシア大陸戦線を転戦していたので、こうしてじっくりと新聞を読む時間もなかった。久しぶりに目にする日本語をどこか懐かしく思いながら、リーパーは新聞を捲る。

 

『未確認機の領空侵犯事件について防衛省がコメント。ユージア軍とは無関係』

 

 そんな記事が一面の片隅に載っていた。何でも一年前、真昼間に突如未確認飛行物体が首都上空に出現したのだという。休日の昼間ということもあってその未確認機は多くの人々に目撃されていて、その際に撮影された写真も載っていた。

 当初はユージア軍の戦闘機と思われたその飛行物体は、スクランブル発進した航空自衛隊機に捕捉され、付近の飛行場に強制着陸させられた。しかし一年にわたる調査の末、ユージア軍とは無関係の機体であったと言うことが、昨日防衛省によって発表されたというのが記事の内容だった。

 

「なんだ、こりゃ」

 

 その未確認機とやらの写真を見て、リーパーは思わず呟いた。前大戦末期に試作されたという骨董品じゃないか。

 名前は確か、震電と言ったか。リッジバックス隊が運用する震電Ⅱの、スピリット的なご先祖様と言える旧日本海軍が試作した局地戦闘機だ。

 

 

 カラー印刷された写真には、真っ赤な塗装が施された震電がビル街上空を飛行している様子が写っていた。第二次大戦中の機体とは思えない、一見ジェット機のようにも見える太い胴体と、主翼を後ろに配したエンテ翼が印象的な独特なシルエット。機体後部にあるはずのプロペラが無いように見えるのは、画像が粗いからだろうか?

 

 

 しかし、この震電はどこからやって来たのだろう? リーパーが覚えている限り、試作機だった震電を飛行可能な状態で保存しているという団体はない。現存するのはアメリカの博物館が分解状態で保管している一機のみだ。

 

 記事を読み進めていくと、震電のパイロットはどこかの商社の会長で、古い戦闘機のマニアなのだという。自分で震電のレプリカを作成し、つい飛行許可も取らずに離陸してしまった―――というのが防衛相の発表だった。機体は没収、パイロットは厳重注意処分で終わり。

 

 何か変だな、とリーパーは思った。この程度の事件なら、わざわざ一年もかけて調査した挙句に、防衛省が会見を開くほどのことでもない。バカな金持ちが昔の飛行機のレプリカを作って勝手に飛ばしました、終わり。と、一年どころか翌日にでも会見が開ける。さっさと無断で飛行したパイロットを警察に引き渡して、航空法違反なりなんなりで処分してしまえば済むことだ。

 にもかかわらず、去年の無断飛行事件について今さら会見を開く。本当は事件の裏には何か特別な事情があって、それを隠したがっているかのようだった。

 

 

 電車が駅に止まり、リーパーは新聞を畳む。久しぶりの帰省だな、と、リーパーは荷物の入ったダッフルバッグを担ぎ、座席から立ち上がった。バッグの中には甥たちに渡すお土産がたくさん詰まっている。

 




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第三話 Freefall

『ボーンアロー隊、タキシングを許可する。滑走路手前で待機せよ』

 

 管制塔からの指示で、リーパーはスロットルレバーをわずかに前進させた。ターボファンエンジンのタービンが回転する甲高い金属音と共に、Su-30SMの機体が誘導路を前進し始める。彼に続き、オメガの搭乗するタイフーンもタキシングを始めた。

 

『雨とはツイてないな』

 

 オメガが空を見上げて呟き、リーパーは「ああ」と短く返した。天気予報では晴れだったのに、十数分前から急激に雲が空を覆い始めた。灰色の空から降り注ぐ雨粒がキャノピーに当たり、重力に引かれて地面へ流れていく。

 

『タキシング中になんだが、忘れ物はないよな? 俺はきちんと土産を忘れずに買ってきたぜ』

 

 数日間の日本滞在をオメガは十分満喫したようで、彼が基地に戻ってきた時、その両手には土産が入った袋がいくつもぶら下がっていた。それらは彼の私物と共に、ハードポイントの一つに取り付けられたトラベルポッドにまとめて詰め込まれている。オーストラリアに着いたら、買ってきたお土産を堪能するつもりなのだろう。

 

 リーパーは後部座席をちらりと振り返り、「大丈夫だ」と答えた。いつも後部座席を占有していたコプロは取り外され、射出座席には人一人入れそうな大きなダッフルバッグが一つ、シートベルトで固定されていた。

 

『いいよなお前は。複座だから後ろに荷物を放り込めて』

「じゃあ機体を交換するか?」

『俺はタイフーンが良いんだよ。まあミサイル一発くらいなら下ろしても問題はないと思うが』

 

 リーパーとオメガの機体の翼には、これでもかとばかりにミサイルがぶら下がっている。オーストラリアは未だに国連勢力の地域だが、そこに行くまでにユージア軍の襲撃を受ける可能性がある。

 ユージア軍は太平洋進出を試みており、近頃は太平洋上でもユージア軍の偵察機や爆撃機が目撃されていた。航空戦力だけでなく海上戦力も、太平洋沿岸の基地に集結している。

 

 それだけでなく途中上空を通過する東南アジアでは、海賊や空賊がのさばっているとも聞く。海賊は言わずもがな、空賊は輸送機や旅客機を襲撃し強制着陸させて物資を奪ったり、人質を取って身代金を要求してくる連中だ。装備は旧式のMiG-21などがほとんどだが、その数は侮れない。

 ヴェルナー社が開発したAA(アドバンスト・オートメイテッド)アヴィエーション・プラントは、既存の戦闘機を安価で大量に生産することを可能にした。その結果中古の戦闘機が大量にブラックマーケットに流れ、ゴロツキ連中が戦闘機まで保有する事態を引き起こしてしまっている。

 

「何事も無ければいいけど」

 

 リーパーは機体に満載したミサイルを使わないことを願った。途中の着陸予定はなく、まっすぐオーストラリアへ向かうコース。機内タンクに加えて胴体下に増槽をぶら下げていても途中で給油が必要になる距離のため、太平洋上で空中給油機と合流する予定だ。

 

『ボーンアロー隊、離陸を許可する。良い旅を』

 

 管制官から離陸許可が下りる。スロットルレバーをさらに前進させ、エンジンを全開。あっという間に機体が加速していき、格納庫や駐機する機体があっという間に後方へと流れていく。キャノピーを打ち付ける雨粒も、筋になって流れて視界から消えていく。

 

 テイクオフ。

 

 リーパーはランディングギアを格納し、機首を南に向けた。地面を埋め尽くしていた田んぼはあっという間に見えなくなり、変わって高層ビルが立ち並ぶ無機質な都市部が下に見えてくる。日本国の旧首都、エリアJ4E(東京)

 視点を西に転じると、墨田川の近く、かつて押上駅があった場所に、巨大なクレーターが形成されている。かつて世界中に降り注いだユリシーズの破片。その一つは日本の首都であった東京にも落下し、甚大な被害をもたらした。クレーターの外縁部は山のように高く連なり、中心地点には海水が流れ込んでいて、まるで湖のようだった。

 

『懐かしいなあ。お前が最初のミッションに出撃したのも、ちょうどここだったよな』

 

 クレーターの上空を飛行しながら、オメガが感慨深げに言った。東京に出現した所属不明無人機の迎撃任務。それがリーパーがアローズ社に入り、初めて参加した作戦だった。

 

『あれからまだ二年も経ってないなんてな。あの時のルーキーが、今や誰も追いつけないエースパイロットだ』

「オメガのおかげだよ。アローズに入ったばかりの俺に色々教えてくれたし」

『へへ、まあな。感謝しろよ』

 

 リーパーはクレーターを見下ろして、自分が初めて実戦を経験してからそれほど経っていないことに驚く。もう何十年も空を飛んでいるような気がしているのに。

 たったの二年で、自分はどれだけの敵機を落としてきたのだろうか。リーパーは途中から数えることを止めていた。作戦記録を見ればわかるのかもしれないが、数える気は起きなかった。

 

 

 

 まだほんの少ししか実戦の空を飛んでいない。にもかかわらず今やリーパーは敵から恐れられ、味方から歓声と共に迎えられるエースパイロットとして名を馳せていた。二年目のパイロットと言ったらまだまだルーキー扱い、ペーペーの下っ端で当然なのに、リーパーはボーンアロー隊の隊長を任され、時折他部隊と行われる合同作戦においても、当たり前のように隊長を命じられた。

 それに異を唱える者はいなかった。それどころか「リーパーについていけば生き残れる」とばかりに、皆が進んでリーパーの編隊に入りたがった。「死神の下は安全地帯だ」、地上部隊ではそう言われていると聞く。

 他のパイロットたちは、リーパーの下で飛べば自分も生きて帰れると確信しているようだった。そしてリーパーは彼らの期待を裏切ったことはない。

 

 

 移動とはいえ、こうして久しぶりに戦闘以外で自由に空を飛べることが嬉しかった。守るべき味方も撃ち落とすべき敵機もない、ただ飛べばいいだけの任務。

 そういえば、なぜ俺は空を飛ぼうと思ったんだろう。ふとリーパーは思った。リーパーのTACネームを与えられる遥か以前から、彼は空を飛びたいと思っていた。だがその理由は今になっては思い出せない。子供の頃、俺はなぜ広大な空に向かって手を伸ばしていたんだろう―――。

 

 

 

『雲に入るぞ、着氷に注意しろ』

 

 オメガの言葉でリーパーは我に返る。前方には分厚く、灰色の雲が広がっていた。予定のコースを飛行するには、この雲の塊を突っ切らなければならない。

 

「了解」

 

 リーパーはそう返して、雲に突入した。あっという間に視界が真っ白に染まる。計器がなければ、上下の間隔を失ってしまいかねない。もっとも、リーパーは空間失調症になったことなど一度もないが。

 続いてオメガの機体が雲に入るのを、リーパーはレーダーで確認した。―――が、次の瞬間、一気に視界が真っ暗になった。まるで見えないブラインドが一斉に降りたかのように、操縦席から見える光景が一気に暗闇に包まれる。

 

 

 

 ブラックアウト―――ではない。操縦席内の計器類ははっきりと見えている。まるでキャノピー全面を黒いペンキで塗りつぶされたかのように、操縦席から見える周囲の光景が全て闇に包まれている。

 

「なんだ?」

 

 レーダーを確認する。スクリーンには、すぐ後ろをついてきていたはずのオメガの輝点(ブリップ)が表示されていない。

 まさか、また墜ちたのか? 一瞬そう思ったが、無線機からはオメガの喧しい声が聞こえてくる。

 

『おいリーパー無事か!? こっちのレーダーからお前の機影が消えた、今どこだ!?』

「わからない、真っ暗で何も見えない」

『真っ暗って、こっちは快晴だぞ? 雲の上は青空だ、それに今は昼間だぞ』

 

 どうやらオメガは無事のようだ。リーパーは内心胸を撫でおろした。

 しかし、これはどういうことだ? 自分より後に雲に突入したオメガが、自分より先に雲から出ている。

 

 

 突然機体が小刻みに振動を始めた。リーパーは計器を確認した。GPSと作戦本部とのデータリンクシステムがダウン。高度計、速度計、気圧計は正常に動いているようだが、周囲が暗闇に包まれているこの状況では、表示されている情報が正しいのかすら判断できない。

 自分が今どこを飛んでいるのか。そもそも前進しているのか静止しているのかすらもわからない。

 

「何も見えない、ここはどこだ?」

『GPSは使えないのか?』

「さっきからエラーのままだ。現在位置を見失った」

 

 しかしリーパーがこの漆黒の空間に突入した時と同様に、終わりも唐突にやってきた。機体の振動が止まる。いきなり視界が晴れ渡り、眩しい光が目に突き刺さる。

 

 

 

 

 

 見渡す限り一面の青空が広がっていた。雲一つない青空。先ほどまでの雨雲はどこへ行った? リーパーは周囲を見回し、そして絶句した

 地上には、見渡す限りの荒野が広がっていた。茶色い大地が水平線の彼方まで広がっている。

 

「ここはどこだ?」

 

 さっきまで自分がいた場所は、灰色の都会である東京上空だったはず。そのまま予定通り南に飛行していたら太平洋に出るので、下に見える光景はどこまでも続く大海原でなければならない。仮に雲の中で方向を間違えたのだとしても、こんな広大な荒野がどこまでも続く大地は、日本にはない。

 

 もしかして飛行中に意識を失い、気づかない間にユーラシア大陸まで飛行を続けていたのか? そう考えたが、腕時計の針はリーパーが雲に突入してから数分も経っていなかった。時計と自分の感覚を信じるなら、今いる場所は太平洋上でなければならない。こんな広大な荒野が視界に入るはずがないのだ。

 

『リーパー、無事か?』

「ああ、なんとか。そっちは?」

『俺も無事だ。現在地点は太平洋上、下に海上自衛隊の艦隊が見える』

 

 オメガとの無線通信だけは、辛うじて繋がっていた。どうやら彼は予定のコースを飛行中らしい。

 

『レーダー、目視共にお前の機体を確認できない。今どこだ、何か見えるものはあるか?』

「わからない、ここはどこだ? 下には一面の荒野が広がってる」

『荒野? 何を言ってるんだ、大地が見えるはずないだろ』

「でも現にここは…」

 

 

 周囲を見回したリーパーの視線は、青空の一点で止まった。青い空のど真ん中に、穴が開いている。

 

 言い方は適切ではないのかもしれないが、穴という以外に他に適切な表現が思いつかなかった。

 

 青空に大きな光る輪っかが浮いていて、輪っかの中はそこだけ周囲の空間と色が違って見える。何もない空間に冗談のように開いている穴の向こうの景色は水面のように揺らいでいて、そして唐突に穴が縮小を始めた。

 

 もしかして自分はあの穴を通ってここに来たのか? そう思ったリーパーは機体を反転させた。あの穴からここに出てきたのであれば、あそこを通れば元いた場所に戻れるかもしれない。しかし穴は急速に小さくなっていて、リーパーは穴の周囲に三つの輪っかが重なり合っているのを見た。細い雲のようにも見える輪っかは揺らぎながら、急速に離れていく。

 

 今まで重なっていた三つの輪っかは時間と共にさらに離れ、その距離が広がるにつれて穴の大きさもどんどん縮小していく。さっきまで戦闘機が入れそうなほどの大きさだった穴は、今は車一台がやっと通れるかというほどの大きさで、しかも揺らいで今にも消えてしまいそうだ。

 

『…い、聞こえ…か? 応……ろ』

 

 おまけに無線通信にノイズが混じるようになってきた。リーパーもオメガに呼びかけたが、彼がリーパーの言葉を受け取った気配はない。何度も自分を呼ぶオメガの声は、やがて完全にノイズにかき消された。

 それと同時に穴は完全に消滅し、空に浮かぶバラバラに離れた三つの輪っかだけが残った。その輪っかもしばらくすると消えてしまい、エンジン音を轟かせて飛行を続けるリーパーのSu-30SMだけが虚空に取り残された。

 




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第四話 Offline

 オメガとの交信が途絶えてから、リーパーは味方との通信を復旧させるためありとあらゆる手を試した。データリンクシステムを再起動し、司令部を呼び出した。しかし付近の空域で、リーパーの問いかけに答えてくれる味方はいない。

 GPSも電波が届かず、エラーの表示を吐いたままだ。衛星が撃ち落とされたり、強力なジャミングが掛けられているのでもなければ、軍用GPSは常に正確な座標を示してくれるはずだった。ユージア軍も馬鹿じゃないので、衛星を撃ち落とすような真似はしないだろう。宇宙条約破りの攻撃を仕掛けてしまえば、報復で自分たちが使っている衛星も国連軍に全て落とされてしまうからだ。半面こちらも、ユージア軍が衛星軌道上に設置した兵器システムへ手を出すことが出来ないのだが。

 

 ユージア軍がジャミングを仕掛けてきている様子もなし。仮にジャミングでGPSやデータリンクシステムが全て狂っているのだとしても、一瞬のうちに太平洋から無限に続く荒野に移動してきたことの理由がつかない。寝ぼけていてユーラシア大陸まで飛んでた―――なんて予想は、オメガとの交信で即座に否定された。オメガは予定のコースを飛行していたのに、一瞬で自分だけどこか遠くまで行けるはずもない。

 

 

 リーパーは最終手段として、オープンチャンネルで救難信号(メーデー)を発信することにした。これを誰かが聞いていてくれれば、こちらの座標を特定して救助を送ってくれるだろう。やってきたのがユージア軍だったらと思うと若干気が重くなるが、この状況から助け出してくれるのであれば誰でもよかった。

 もっともユージア軍がリボン付きの死神のエンブレムを目撃したら、こちらが救難信号を発していても彼らは容赦なく攻撃してくるだろうが。「リボン付きは発見次第最優先で撃ち落とせ」、などという命令がユージア軍には出ていると聞いている。

 

 

 

 リーパーはメーデーを発しつつ、周囲の状況を確認した。どこまでも続く荒野。ところどころに川や湖が見えるものの、海はどこにもない。となると、ここはどこかの大陸の上だろうか。

 もしかして目的地のオーストラリアに着いたのでは? などというバカげた想像をする。無論、オーストラリアのはずがない。着く前に燃料切れで墜落している。

 

 

 先ほど穴があった場所を中心に旋回を続ける。地上にはいくつか町が見えた。町と言ってもコンクリートで出来た高層ビルなど一つもない。何もない荒野の真ん中に、民家が寄せ集まってできている町。まるで昔映画で見た、開拓自体のアメリカのようだ、とリーパーは思った。

 

 奇妙なことに、どの町にも飛行場らしき設備がある。ユージア軍は大陸の各地に秘密の飛行場を構築し、そこから大量の戦闘機を発進させていると聞く。となるとあの飛行場がある町も、ユージア連邦に属しているのだろうか。

 

 

 もっと低空を飛行すれば町の詳細を把握できるのかもしれないが、あの町の住民たちが友好的であるという保証は何もない。ユリシーズの厄災後、貧しい人々や国家はかつての大国や国連から見捨てられ、その恨みからユージア連邦に加わっているものも多い。あの町がユージア派であれば、国連軍所属のリーパー機が近づいてきたら地対空ミサイル(SAM)を発射してくるかもしれない。ミサイルを警戒したリーパーは、高高度を保ったまま飛行を続けた。幸い離陸直後、しかも増槽を抱えているということもあって、燃料はほぼ満タンに近い。

 

 

 

 最悪の場合は、どこの勢力に属しているかもわからないあの飛行場に着陸するしかないか。リーパーが覚悟を決めたその時、HUDの下に取り付けられたモニターの一つにいくつかの輝点が表示された。レーダーコンタクト、航空機だ。

 大きい反応が2と、小さな反応が30から40。大きい輝点の動きは遅く、反面小さな輝点は激しく動き回っている。戦闘でも起きているのだろうか。

 

 敵味方識別装置(IFF)の反応がないということは、敵である可能性が高い。民間機の識別信号も無し。だがこの不可解な状況から抜け出せるのであれば、リーパーは相手が出来だろうと何だろうと構わなかった。もしユージア軍に遭遇したとすれば、それはそれでここが自分がいる地球だという証明になる。

 

 リーパーは操縦桿を傾け、未確認機のいる方向へと機首を向ける。マスターアームスイッチは、まだ解除しない。可能な限り、交戦は避けるつもりだった。

 

 

 

 

 

 

「3時方向、新たな敵機!」

 

 レオナの言葉でキリエは右を見た。三式戦闘機飛燕。強力な20ミリ機関砲で武装した戦闘機が4機、交戦中のキリエの機体にまっすぐ突っ込んでくる。

 

「ああもう、しつこい!」

 

 先ほどからキリエの機体にしつこく追いすがってくる四式戦闘機疾風が、翼内の20ミリ機関砲を発射した。曳光弾の群れが風防のすぐ脇を流れていく。キリエはバレルロールで追いかけてくる敵機の後ろを取ると、スロットルレバーの発射レバーを握った。機首の12.7ミリ機関銃から連続して銃弾が吐き出され、疾風の翼に穴が開く。

 被弾した疾風がふらふらと降下していったが、安堵するにはまだ早い。先ほど突っ込んできた飛燕に今度は後ろを取られ、またもや追いかけっこが始まった。

 

「なんなのこいつら! 空賊のくせに!」

「空賊じゃない、イサオ連合の残党」

「どっちもダニ野郎に変わりありませんわ」

 

 黒い塗装の疾風に銃弾を叩き込んだチカが叫び、それをケイトが訂正する。眉間にしわを寄せたエンマが、敵機のエンジンを撃ち抜いた。機首から炎を噴き出しながら、飛燕が高度を落としていく。

 

「連中を飛行船に近づけるなよ!」

「せっかく作り直した羽衣丸に傷一つでもついたら、マダムが怒るわね」

 

 レオナはとにかく敵を撃ち落とすことに専念した。彼女たちの後方には、二隻の飛行船が飛んでいる。

 一隻は彼女たちコトブキ飛行隊の雇い主、オウニ商会が有する羽衣丸。もう一隻はオウニ商会が拠点とする町、ラハマと友好関係を結ぶガドールの飛行船だった。

 

「随分と人気のようね、ユーリア議員」

 

 羽衣丸のブリッジでキセルを片手に、ルゥルゥは呟いた。無線機のマイクはその言葉を一言一句拾っており、ガドールの飛行船に登場するユーリアは目尻を吊り上げた。

 

「何よ、私のせいだって言いたいわけ?」

「反イサオ連合のトップだったあなたは色んな人から恨まれているものね。今回の襲撃もあなた目当てじゃない? あなたを殺せば自由博愛連合が復活するって信じてる人は多いわよ?」

 

 物資を輸送する飛行船を襲撃する空賊たちは、いまだにイジツの各地で跋扈している。しかし今回羽衣丸を襲撃してきた連中は、そこらのゴロツキではないとルゥルゥは直観していた。装備もいいし、腕もいい。反イサオ連合を率いていたユーリアに恨みを持つ、かつてのイサオ連合の残党だろう。

 

「そっちは積荷だけだからいいけど、こっちは人が乗ってるのよ!」

「あら、積荷だけとは失礼ね。これは私たちの生きる糧なのだけれど」

「とにかく、護衛に失敗したら報酬はナシよ!」

「護衛に失敗してもなお、あなたと私が生きていればね」

 

 以前羽衣丸―――今は無き、イケスカで穴に突入して失われた初代だ―――でユーリアをラハマまで運んだ時も、空賊たちが彼女を狙って襲撃してきたことがあった。今回も同じ手合いかと思ったが、敵の練度ははるかに上がっている。ガドールからユーリアの護衛でついてきた戦闘機隊は今回まだ一機も撃墜されていないが、逃げ回るのに精いっぱいなようだ。

 

 今はコトブキ飛行隊が敵を抑えているが、防衛線を食い破られれば一気に空賊たちは二隻の飛行船に接近してくるだろう。彼らの目的が積荷ではなくユーリアの身であれば、容赦なく攻撃を仕掛けてくるに違いない。

 

「6時方向、新たな機体を探知! これは―――!」

 

 レーダー担当のオペレーター、アディが息をのむ。「なになに、どうしたの?」と続きを促すサネアツ副船長の言葉で、彼女は慌てて口を開いた。

 

「速いです! 不明機、急速に接近!」

「うそぉ!?」

 

 サネアツが目を見開いた直後、まるで地鳴りのような音が轟き、羽衣丸のブリッジが震える。ドードー船長がぐええと鳴きながら翼を羽ばたかせた。雷鳴かと思ったが、羽衣丸の周囲には雲一つない。

 

「あれ!」

 

 操舵輪を握るアンナが、空中の一点を指さす。どこまでも続く青空を、何かが猛スピードで飛んでいる。

 コトブキ飛行隊の隼や、空賊の疾風と飛燕よりも速い。その何かは、羽衣丸の近くを通り過ぎた後、少し距離を取って周囲を旋回していた。

 

「あれは…戦闘機なの?」

 

 ルゥルゥが未確認の機影を見据え、ポツリと呟く。

 

 

 

 

 

「なんだ、ありゃ」

 

 レーダーで捉えた機影を目視で確認したリーパーだったが、視界に入ってきた光景に面食らった。飛行船だ、飛行船が飛んでいる。

 

 リーパーは飛行船をほとんど見たことがなかった。昔街の上空で、広告用の機体が飛んでいるのを見たことはあるが、その程度だ。しかし今見えている二隻の飛行船に広告の類はない。一隻には「羽衣丸弐」と漢字で書かれているのが見えたが、それだけだ。どう見ても広告会社が飛ばすような機体ではない。

 

 飛行船の機外には推進用のエンジンがいくつも突き出ていて、そこから伸びるプロペラが猛然と回転している。この時代にレシプロとは…と、リーパーは自分の中の違和感がどんどん大きくなっていくことに気づく。

 

 無論、飛行船がこの時代に飛んでいる合理的な理由を強引にこじつけようとしなかったわけでもない。高高度における通信プラットフォームや空中給油機として長時間滞空出来る飛行船を利用しようというアイディアは聞いたことがあるし、重巡行管制機とはまた異なる空中空母としての飛行船を研究しているという話も聞く。あれもその一種なのではないか、そう思おうとした。

 

 

 

 

 だが飛行船から離れたところで繰り広げられている光景が、リーパーから今度こそ、今見えているものに合理的な理由付けをしようという気力を奪っていた。青空を背景に、戦闘機の群れが空戦を繰り広げている。青空を曳光弾が切り裂き、被弾した機体から黒煙と炎が上がる。

 

 飛んでいるのはプロペラ機のみ、ジェット戦闘機は一機も見当たらない。そのプロペラ機も対テロ・ゲリラ戦で今でも用いられているようなスーパーツカノやAT-6などではない。とっくの昔に引退し、今は博物館にしか見当たらない第二次世界大戦時代の機体だ。

 

「あれは…飛燕か?」

 

 尖った機首が特徴的な機体を見て、リーパーは呟く。他にも飛んでいる真っ黒な機体は四式戦闘機で、それらに追いかけられている緑色の機体は一式戦闘機だろう。どれもこれも日本が戦争で負けた際に残らず破壊され、今はわずかな数がマニアの手で保存されているだけの戦闘機のはずだ。

 

 それが何十機も空戦を繰り広げている。どこかのマニアたちが実弾を使って空戦ごっこをしている―――と思おうとしたが、実際に目の前で撃墜されている機体がある状況ではその言い訳も空しい。

 

「なんなんだ、ここは…」

 

 見たところどうやら二つの勢力が戦闘を繰り広げているようだが、どちらもユージア軍ではないようだ。最初に遭遇したのが敵ではなくて嬉しい反面、謎がますます深まっていくリーパーは、数機の飛燕が飛行船の方へ向かうのを見た。

 

 隼が飛燕を追いかけようとするが、背後から追いかけてくる疾風がそれを邪魔する。どうやら隼が飛行船を護衛していて、疾風と飛燕がそれを攻撃しようとしているらしい。飛燕と飛行船の距離は徐々に詰まってきていて、あと1分もしないうちに飛行船は射程圏内に入るだろう。

 

 

 自分には関係ないと放っておくか、それとも介入して戦闘を停止させるべきか。

 リーパーは後者を選んだ。今の自分は一応国連軍の一員だ。目の前で起きている戦闘をただ眺めていました、なんて真似は許されない。

 

 

 リーパーはスロットルを上げて、飛行船に向かう飛燕を追う。最高時速がせいぜい600キロの飛燕に、マッハ2.3で空を飛ぶフランカーはあっさりと追いついた。リーパーは飛燕の上方にフランカーを張り付け、オープンチャンネルに設定した無線機で呼びかける。

 

「あー、あー、こちらは国連軍タスクフォース118。この空域を飛行中の全ての航空機に告げる。直ちに戦闘行為を停止せよ。繰り返す、直ちに戦闘行為を…」

 

 

 

 

 

 

「なんだ、あれ…?」

 

 隼の操縦桿を握るレオナは、ゴーグルを外して思わずそう呟いていた。羽衣丸へ敵機を近づかせまいとしていたが、空賊の数は予想よりも多かった。何とか抑えようとしたものの叶わず、空賊の飛燕を何機か羽衣丸の方へと逃がしてしまい、急いで追いかけている最中に「あれ」がやってきた。

 

 

 戦闘機、なのだろうか。見たこともない機影は甲高いエンジン音を轟かせながら、羽衣丸へ向かう空賊機の上空を占位している。パイロットの腕はいいのか、飛燕の直上を、ぴったりと追随して飛行を続けている。

 

 

 レオナはイケスカにおける空戦で、コトブキ飛行隊を近接信管付ロケット弾で襲撃してきた銀色の戦闘機を思い出した。プロペラがなく、後退角が付いた主翼が特徴的のその機体に積まれていたのは、ジェットエンジンという新型の発動機らしい。

 

 富嶽製造工場襲撃時にケイトが撃墜したイサオの震電にも、同じエンジンが積まれて修復され、イケスカでの空戦に参加してきたと聞いている。だが肝心の銀色の戦闘機は墜落時にバラバラになり、震電もイサオと共に穴の向こうに消えてしまったため、新型発動機についてわからないことはまだまだ多かった。今でもあちこちの都市が目の色を変えて新型発動機の研究を進めていると聞いている。

 

「何アレ? イケスカの連中の機体? イサオが残した秘密兵器?」

「にしては様子が変ね」

 

 空賊たちも突如現れた謎の機体に戸惑っているらしく、動きに乱れが生じていた。ザラはその隙に一気に敵機から距離を取り、今まで分散していたコトブキ飛行隊が再集結する。

 

「レオナより羽衣丸、空賊の飛燕が3機そっちに向かった。あと未知の戦闘機も一機、そっちに向かってる!」

『こちら羽衣丸! ケイトさん、何かよくわからない通信がオープンチャンネルで入ってます!』

 

 羽衣丸も羽衣丸で、慌てた様子のベティが通信を寄越してくる。レオナはベティの言葉を聞いて、無線機の周波数をオープンチャンネルへ切り替えた。若い男の声が聞こえてくるが、何を言っているのか理解できない。無線機から聞こえてくるのはイジツ語ではなかった。

 

「これは、ユーハング語」

 

 兄のアレンと共にユーハングの研究を行っているケイトだけが、唯一男が何を言っているのか理解することが出来た。「なんて言ってるの?」というザラの言葉に、ケイトは無線機から聞こえてきた言葉をそのまま通訳する。

 

「こちらは国連軍タスクフォース118。この空域を飛行中の全ての機体に警告する。直ちに戦闘行為を停止せよ。従わない場合、実力を持って阻止する―――と言っている」

「コクレングン? たすくふぉーす?」

 

 チカが首を傾げた。「少なくとも空賊の味方ではないようですね」とエンマ。

 

「こちらの味方と決まったわけでもない。キリエ、ケイト、飛燕を追うぞ!」

 

 未確認機に追われてもなお、飛燕は羽衣丸への攻撃を諦めていないようだ。ザラたちに他の空賊機の足止めを依頼し、レオナは3機の飛燕を追った。だが隼と飛燕では、飛燕の方が最高速度が上だ。スロットルレバーを全開にしても、全速力で飛行する飛燕に追いつくのは難しい。

 

「ユーハング…」

 

 キリエは前方を飛ぶ、青と水色に塗り分けられた未知の機体を見据えた。あの戦闘機もサブジーと同じユーハングから来たのだろうか? だとすると穴はもう一度繋がって、またユーハングの人たちがイジツへやってくるのかもしれない。

 

 

 

 突如、3機の飛燕を追いかけていた青い戦闘機が一気に上昇し、編隊から離れていく。そして飛燕の群れから距離を取ると、突然加速を始めた。青い戦闘機のスピードがぐんぐん上がっていき、まるで銃弾のようなスピードで飛燕の群れに突っ込んでいった。

 

 青い戦闘機は羽衣丸へ向かう3機の飛燕を掠めるように飛び去る。次の瞬間、飛燕の群れがまるで何か見えない手ではたかれたかのようにバランスを崩し、編隊が乱れた。3機の飛燕はてんでバラバラな方向に、ふらふらと逃げ去っていく。風防を閉めていても、耳をつんざく雷鳴のようなエンジン音が聞こえている。

 

「なに? 何をやったの?」

「衝撃波で飛燕を威嚇したと思われる」

「衝撃波? ケイト、何それ?」

「物体が音速を超えた時に生じる圧力の波」

 

 どうやらあの青い戦闘機は、羽衣丸へ向かう空賊を追い散らしたらしい。「味方…なのか?」とレオナは呟いた。

 

「6時の方向、敵機!」

 

 飛燕の群れを追いかけていたレオナたちに、空賊の疾風が攻撃を仕掛ける。それぞれ散開して攻撃を躱すが、空賊の機体の方が圧倒的に多い。しかしさっきまでの勢いがないように感じられる。あの青い機体がこの戦闘に乱入してきたからだろうか?

 

『直ちに戦闘を停止せよ!』

 

 ユーハング語でなおも警告が発せられている。おそらくこの警告をしているのは、あの青い戦闘機を操縦しているパイロットだろうとケイトは思った。

 

 あの青い戦闘機は、さっき羽衣丸へ向かう空賊たちを撃墜することなく、威嚇し追い払うに留めていた。あの速度が出せるのであれば、敵機に対して優位な位置につき、撃墜することも簡単だったに違いない。それでも飛燕を撃墜しなかったのは、単純に武装していないのか、それとも他に理由があるのか。

 

 

 空賊の疾風がレオナ機の尻についた。疾風の射線上に入らないよう、機体を左右に振る。放たれた20ミリの曳光弾が、機体を掠めて飛んでいく。

 

「このっ…!」

 

 レオナを追う疾風の後方にザラが追い付く。レオナ機も疾風も、敵の照準に入らないよう蛇のように曲がりくねった軌道を描きながら飛行している。

 

 

 突然、上から光の矢が降ってきた。少なくともザラはそう思った。重々しい機関砲の発射音と共に、隼を追っていた疾風の操縦席の真横を、数発の曳光弾が掠めた。いつの間にかザラ機の後方に移動していた、青い戦闘機からの発砲だった。

 

「へたくそ! 当たってないじゃん!」

 

 チカが叫んだが、今の射撃を間近で見ていたザラは、青い戦闘機がわざと狙いを外して撃ったのだとわかった。この距離では外す方が難しいし、闇雲に撃っている様子もなかった。青い戦闘機から威嚇射撃を受けた疾風が慌てて反転し、レオナの機体から遠ざかっていく。

 

「あっ、待て! 逃げんな!」

 

 疾風迅雷の異名通り、頭に血が上ったらしい。青い戦闘機の出現にパニックに陥り、この空域から離脱しようとする空賊たちをキリエが追いかけようとする。逃げる飛燕の後姿を照準器に納め、今まさに発砲しようとしたその瞬間、何かがキリエと空賊の間に割って入ってきた。

 

 青い戦闘機だ。あまりにも大きいその機体が空賊の飛燕を覆い隠し、まるで盾になるように照準を遮る。それだけでなく青い戦闘機からの排気をモロに浴びたキリエの隼は、気流に煽られ大きくバランスを崩して急降下した。

 

「うわっ!」

 

 キリエは慌てて操縦桿を引いて高度を回復させたが、その頃には空賊の編隊はこの空域から遠ざかってしまっていた。コトブキ飛行隊の任務はあくまでも羽衣丸とガドール飛行船の護衛、空賊の討伐は仕事のうちに入っていない。レオナは敵の追撃は行わず、羽衣丸への帰還を命令した。

 

「なんなのこいつ、敵なの味方なのどっち! コウモリ野郎じゃん、撃ってもいいよね撃つからね!」

「撃つなキリエ! 何か考えがあるのかもしれない」

「でもあいつ空賊を逃がしたんだよ! 敵の味方するなら敵じゃん!」

「だがさっきは空賊の飛燕を追い払っていた。味方ではないかもしれないが、敵でもない」

 

 レオナは轟音と共に飛行を続ける青い戦闘機を眺めた。見れば見るほど、レオナの知る戦闘機という概念から外れた機体だと思った。機体の大きさは隼の二倍はあるだろう。垂直尾翼が二枚と、水平翼は六枚もある。翼の下にいくつもぶら下げている物体は、ロケット弾だろうか?

 

 

 青い戦闘機が翼を左右に振っ(バンクし)て、速度を徐々に落としていく。敵意はない、ということか。無線機では先ほどからオープンチャンネルで同じ男の声が聞こえていたが、レオナは相変わらず男が何を伝えようとしているのか理解できない。

 

「全機、私がいいと言うまであの機体を撃つな」

「撃っても当たるとは思えないけどね」

「だな…」

 

 悔しいが、ザラの言う通りだった。空賊の飛燕を吹き飛ばした際のあの速度を以てすれば、あっという間にあの青い戦闘機はこの空域から離脱してしまうだろう。一瞬の後にはこちらの銃弾が届かない距離まで行ってしまっているに違いない。

 

「とにかく、彼が何者なのか知りたい。ケイト、ユーハング語の通訳を頼む」

「了解」

「じゃあ、いくぞ。…あー、こちらオウニ商会所属コトブキ飛行隊。そこの青い戦闘機、所属と飛行目的を明らかにしてくれ」




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第五話 SKIES UNKWON

『こちらオウニ商会所属、コトブキ飛行隊。青い戦闘機のパイロットへ、所属と飛行目的を述べよ』

 

 無線機から日本語で女性の声が聞こえてきた時、リーパーは内心胸を撫で下ろした。どうにか言葉が通じる人間がいるらしい。先ほど飛行船に漢字が書かれていたので日本語と英語で交戦中の両勢力に呼びかけていたのだが、どちらも通じなければどうしようかと思っていたところだった。

 

「こちら、国連軍タスクフォース118所属ボーンアロー隊。当機は現在移動命令に従いオーストラリアへ向けて飛行中」

『オーストラリアとは?』

「ええ…?」

 

 リーパーは困惑した。地理に疎い人間でも、流石にオーストラリアのことくらいはわかるだろうに。

 リーパーは敵意が無いことを示すため、スロットルを落として隼の一機と並んで飛行していた。フランカーと付かず離れずの距離を保ちつつ、ぴたりと隣を飛んでいることから、パイロットの腕は良いらしい。

 リーパーは隣を飛行する、紫の矢印が尾翼に描かれた隼のパイロットが、銀髪の少女であることに気づいた。先ほどの空戦でどの隼も飛燕や疾風を一機や二機落としていたが、そのパイロットがこんな少女であるとは。

 

 リーパーはヘルメットのバイザーを上げ、酸素マスクを外した。この高度と速度であれば、呼吸困難に陥る恐れはない。

 

「あー、情けない話だが、当機は現在位置を見失っている。ここはどこか教えてもらえないだろうか?」

『遭難?』

「端的に言えば、そうなる。今飛んでいる場所はどこだろうか」

『ラハマ南西から50キロクーリルの空域』

「ラハマ? クーリル? すまない、何を言っているのかさっぱりわからない」

 

 リーパーの心の中で、一つの疑問が膨れ上がっていく。ここは本当に、自分がいた世界なのかと。

 現役の飛行船に、レシプロ機で行われている空戦。無論戦闘機は自分の生まれ故郷で作られた機体なのだから、きっと日本と何か関係はあるのだろう。しかしここが本当に地球なのか、リーパーは自信を持って断言できなくなっていた。

 

 

 

 

 

「どうやらあの機体は遭難したらしい」

「遭難って…乗ってるのは素人なの?」

 

 ケイトの通訳を聞いて、キリエは呆れた。自分の位置を見失うなんて、新米操縦士がやることだ。

 

「それにしても大きいね、この戦闘機」

「隼の二倍はありそうね」

「ねー、あの戦闘機の尾翼のマーク、エンマのに似てない?」

 

 通訳のケイトが青い戦闘機の真横を並んで飛ぶ間、他の機体はその後ろをぴったりとついていく。青い戦闘機の操縦士に交戦の意志はないようだが、それでも万が一に備えてだ。もしも不審な動きを見せたその時には、レオナは攻撃命令を出すつもりだった。

 

「まあ失礼な! あんな気味の悪いマークと一緒にしないでください」

「でも似てるじゃん、ほら大鎌描かれてるし」

「あれは死神でしょう!」

 

 チカの言う通り、青い戦闘機の尾翼には大鎌を携えた骸骨―――死神が描かれている。奇妙なのは、その頭にピンク色のリボンが上から描かれていることだった。確かにエンマのパーソナルマークである大鎌とバラという要素のうち、片方だけ当てはまってはいる。しかしエンマのマークが美しさを感じさせるものであれば、青い戦闘機のマークは不気味と言えた。

 

「だいたいなんですの、あれは。リボン付きの死神なんて、ますます気色悪いですわ」

「可愛くしたかったのかな?」

「だったらそもそも死神なんて機体に描かないと思うけどねぇ…」

 

 僚機の会話を聞きながら、レオナは無線機のチャンネルを切り替えて、再びケイトに通訳を依頼した。

 

「なぜ先程、空賊を逃がした? あなたは空賊の仲間なのか?」

『空賊? そう言われることもあるが…』

「空賊?やっぱこいつ敵じゃん!」

 

 早とちりしたキリエとチカが、青い戦闘機への攻撃位置に付こうとする。「早まっちゃダメよ」とザラがたしなめ、レオナは続きを促した。

 

『こちらからも質問だ。そちらはユージア軍と何か関係があるのか?』

「ユージア軍? なんだそれは?」

『ユージア軍も知らないのか…となるとやっぱりここは…』

 

 青い戦闘機の操縦士が、先ほど空賊を追い散らしつつ彼らを逃がした理由を話し始める。

 

 

 

 

 

「こちらとしては、あなた方と敵対する意図はない」

 

 リーパーは誠心誠意、自分の意志が伝わることを願って理由を述べた。もっとも、通訳してくれているのが無機質な声音の少女であれば、その誠意もどこまで伝わるか疑問だったが。

 

「国連軍としては現在行われている戦闘行為を見過ごすことはできない。そのため戦闘を停止させるべく、あのような手段を取るしかなかった」

『私たちや空賊を撃墜しなかったのは?』

「撃墜命令が出ていない。威嚇射撃をするのが精いっぱいだ」

 

 命令無しの独自判断で行う威嚇射撃も、本当なら軍法会議に送られても仕方ない行為なのだが。もしもこの場に命令と規律に厳格な早期警戒管制機(AWACS)の管制官がいたら、顔を真っ赤にして怒っているだろう。以前ヨーロッパ方面での作戦時に管制下に入った機体、名前は確かサンダー「石頭」ヘッドだったか。彼も相当頭の固い管制官だった。

 

「双方の交戦理由がわからない状況では、どちらか一方を攻撃することは出来なかった。その空賊連中があなた方を撃墜するのを見過ごすことは出来なかったし、逆にあなた方が空賊を撃墜することを手助けすることも出来ない」

 

 敵味方がわからない状況で、一方に肩入れすることは出来なかった。だからああして、双方を引き離すことしか出来なかったのだ。

 

『そちらが空賊でないことは理解した。もう一つ質問がある』

「なんだ」

『あなたはユーハングの人間か?』

 

 ユーハング。そんな言葉聞いたこともない。

 何かの勢力の言葉だろうか、とリーパーは思った。それか彼女たちにしか通じない意味を持っている言葉か。

 

「ユーハングとは何か?」

『70年前、「穴」を通ってこのイジツにやって来て、そして帰っていった人々。ユーハングとは「日本軍」とユーハングの言葉で呼称する』

「日本軍? こちらの所属は国連軍だが…」

 

 自衛隊のことか? と思ったが、どうやら違うらしい。それよりも引っかかったのは、イジツという単語と、「穴」のことだった。

 リーパーの中で何かが繋がった。ここがどこなのか、それがわかったような気がした。わかりたくない気もしたが。

 

「穴と言うのは、空に浮かんでいた穴のことか?」

『肯定。その穴を通り、ユーハングは他の世界からこのイジツにやってきた』

 

 他の世界。どうやらここは、リーパーの暮らしていた世界とは別の世界らしい。

 

 

 

 

 

 

『…私はユーハングではない。だが恐らく、その人々が来たのと同じ世界からやって来たと思われる』

「思われる、というのはどういう意味か」

 

 レオナが通訳を依頼する前に、ケイトが質問していた。口調はいつもの通りだが、そこに興奮の感情が浮かんでいることをキリエは気づいていた。

 無理もない。兄のアレンが長年研究していたユーハングの人間が、今この場にいるのだ。穴とユーハングのもたらすものを独占しようとしたイサオによって、アレンは飛行機を撃墜され重傷を負った。そのアレンの研究が一気に進むかもしれないとあれば、いつもは冷静なケイトですら興奮してもおかしくはない。

 

『私は自分の意志でここに来たわけではない。元の世界で飛行中、気づいたらここに迷い込んでいた』

「迷ったって、子供じゃないんだから…」

 

 大きい戦闘機に載ってるくせに、パイロットはルーキーなのか。キリエはそれが気に入らなかった。

 それに青い戦闘機自体も気に入らない。このエンジン音を聞いていると、イサオを思い出してしまう。キリエを撃墜寸前まで追い込んだ男。何とか一矢報いたものの、結局は自分の手で倒すことが出来なかったサブジーの仇。イサオは消えていく「穴」の中に飛び込んでいったが、今どこで何をしているんだろうか。

 

「生きててくれないかな? じゃないと私の手で倒せないし」

「物騒なこと言わないでくれます、キリエ? それにあのクソ野郎がまだ生きてたら、奴を殺すのは私ですわ」

 

 エンマの方が物騒じゃん、とキリエは思った。

 

「コトブキ飛行隊、一度状況を整理する。全員話を聞いてくれ」

 

 レオナがそう言って、無線機のチャンネルを切り替えるよう指示した。どうやら青い戦闘機のパイロットに聞かれたくない話らしい。

 

「あの青い戦闘機はユーハングの世界からやって来たものだそうだ。幸いなことに、空賊の一味ではない。そして私たちと敵対するつもりもないそうだ」

「ほんとかな?」

「今は信じるしかないわよ」

 

 ザラが言う。少なくとも、青い戦闘機がユーハングのものであることは疑う余地もない。あんな飛行機、イジツでは作れない。

 だが本当に彼はこちらと敵対する気はないのか。もしかしたら「穴」の向こうに消えていったイサオが、ユーハングで作った仲間なのではないか。そんな疑念が絶えない。

 

「そして彼は遭難してイジツにやって来て、今はユーハングの世界に帰還する手段を探している。マダム、聞こえていますか?」

 

 ケイトが通訳する青い戦闘機の操縦士との会話は、無線機越しに羽衣丸のルゥルゥに全て伝わっていた。

 ルゥルゥは敢えて、交信内容をユーリアには繋いでいなかった。70年ぶりに現れたユーハング。70年前イジツに飛行機や文化といった様々なものをもたらし、イジツの地に産業革命を起こした人々。イジツはユーハングがもたらしたものによって、人々の生活が飛躍的に進歩した。だが今のユーハングの世界は、それ以上の発達を遂げているらしい。

 あの青い戦闘機は金の塊以上に価値がある存在だった。あの青い戦闘機とそのパイロットを確保できれば、オウニ商会はさらなる発展を遂げられるかもしれない。いくら旧知の中とはいえ、ユーリアに青い戦闘機を渡すことは出来なかった。

 

「聞こえてるわレオナ。青い戦闘機のパイロットにこう伝えてちょうだい。『あなたが元の世界に帰還する手段が見つかるまで、我々が保護する』とね」

「元の世界に帰還するだけなら、穴を見つけてそこに飛び込めばいいだけでは?」

 

 サネアツが首を傾げた。

 

「馬鹿ね、宝の山をそう簡単に手放すわけないでしょ。それに…ケイト」

「最近出現する穴は、戦闘機一機が通ることが出来ないほど小さいものが多い。あの戦闘機では間違いなく入れない。赤とんぼでも難しい」

 

 「穴」を研究し続けていたアレンのおかげで、計算によって次に穴がいつどこに開くか大まかな予想は出来る。しかし当面、イケスカやラハマに空いたような大規模な「穴」は開かないだろうというのがアレンの予想だった。

 

 アレンが予想できるのは大規模な穴の出現だけで、不定期にイジツの各地に出現する小規模な「穴」の予測までは出来ない。今回あの青い戦闘機が迷い込んだのも、そういった計算で導き出せない小規模な「穴」からだろう。不定期に、しかもいつどこに現れるかわからない、さらに通れるかどうかもわからない穴の出現を待つのは、博打も同じだ。

 

「ということで、どのみち彼は当面イジツに留まるしかないのよ」

「断ったら?」

「それも一つの選択肢ね。まあこの状況じゃそれも難しいでしょうけど、話を受けるのも断るのも彼の自由よ。さ、ケイト。彼に伝えてちょうだい。一人でこの世界を当てもなく飛び続けるか、私たちの保護を受けるか」

 

 

 

 

 

 

 

『空の穴は不定期に開く。そのため、今すぐあなたが元の世界に帰還することは難しい』

 

 リーパーはその言葉を聞いてがっかりした。彼女たちの話を聞く限り、以前も地球からこの荒野が続く世界に迷い込んできたり、あるいは自らの意思でやって来た者たちがいたらしい。だがリーパーが通ってきた「穴」は、人工的に開くことが出来ないようだ。

 

「次に穴が開くのはいつか、わかるのか?」

『大まかな予測が出来る。ただし100%の保証が出来るものではないし、繋がった先がユーハングの世界とも限らない。直近の予測では、次に大規模な穴が開くのは1年後』

 

 1年か…とリーパーは呟いた。それに「穴」はリーパーのいた地球だけでなく、他の世界に繋がることもあるらしい。「穴」が開いているからと飛び込んでいった先が、人間の生きられないような世界だったらと思うと恐ろしい。

 

 ただし、「穴」が開いている間は元の世界と無線通信が可能であることは、オメガと通信が繋がっていたことではっきりしている。空に「穴」が開いていないか飛び回って、「穴」を見つけたら無線で元の世界か確かめて―――となると、気の遠くなるような時間が必要になる。

 

 だからと言って、この世界に1年も留まっているつもりはなかった。今のリーパーは国連軍の一員なのだ。次に行われるというユージア軍への大規模作戦を何としても成功させるために、早いところ元の世界への帰還の道筋を立てなければならない。

 

『こちらから選択肢を提示する。このまま一人で穴を探して燃料切れになるまで飛び続けるか、私たちの保護下に入るか』

「…タダで保護してもらえるわけではないんだろう? 何が目的だ?」

『現在のユーハングについて教えてもらいたい。政治、経済、軍事、技術、その他諸々。そしてあなたが搭乗しているその戦闘機についても、可能な限り技術開示を行ってもらいたい』

「断ったら?」

『あなたはこの荒野を一人で彷徨うことになる』

 

 実質的な選択肢はなかった。彼女たちの申し出を断れば、リーパーは何も知らないこの世界を一人で生きていかなければならなくなる。穴を見つけるまで飛び続けて燃料切れでどこかへ不時着し、機体をダメにするよりかは、彼女たちについていってこの世界の情報を集めると共に、元の世界へ帰還できる「穴」を見つけるまでの生活基盤を築いた方がいい。

 

 

 

 

 

 

『…了解した、そちらの指示に従う』

 

 青い戦闘機の操縦士がそう答えたのを聞いて、ルゥルゥはさっそくラハマと連絡を取った。あの戦闘機が着陸できるよう、飛行場を空けておいてもらわねばならない。この件に関してはオウニ商会が主導権を握れるよう、他の街に誘導するつもりはなかった。

 あの戦闘機はこのイジツに様々なものをもたらすだろう。それによっては、このイジツはさらなる発展を遂げられるだろう。あるいはさらなる混沌を招くか。いずれにせよ、あの青い戦闘機がもたらすものは、使いようによっては宝にも毒にもなる。

 

「70年前に来たユーハングは、良いものも悪いものも、美しいものも汚いものも、このイジツにもたらした。今度来た彼がもたらすものは、いったい何かしらね?」




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第六話 Intruder

 その日、ラハマの街はこれ以上ない混乱に包まれていた。ラハマを拠点とするオウニ商会。そして空賊や自由博愛連合から何度もラハマの街を守ってくれたコトブキ飛行隊から、緊急の通信が入ったのだ。

 

「ユーハングの戦闘機がラハマ飛行場に着陸する。受け入れ準備をされたし…って、いきなり無茶言わないで欲しいなぁ…」

 

 かつてラハマの貴公子とも呼ばれた町長が、そう嘆きつつ雷電の操縦席に太った身体を押し込む。この雷電はラハマの街が所有する、数少ない戦闘機のうちの一機だ。自警団の97式戦闘機に比べて圧倒的に火力も速度も上昇力も上、空賊にも十分太刀打ちできる街の守り神だが、町長はなぜだかこの雷電でもユーハングの戦闘機にかなわないのではないかという気がしていた。

 

 イケスカ動乱の話については、ラハマの街にも広く知れ渡っている。「ジェットエンジン」と呼ばれる新型発動機を搭載したイケスカの戦闘機が、あのコトブキ飛行隊の隼を次々撃墜していったらしい。ジェットエンジンはユーハングの最新技術であり、イジツでもあまり研究は進んでいないものの、今回やってきたユーハングの機体は、そのジェットエンジンを積んでいるようだ。

 

「ユーハング人が平和的な人だといいんだけどなぁ」

 

 もうすぐ町長選が始まる時だというのに、余計な問題は抱えたくなかった。

 しかしユーハング人がどのような者であれ、見ず知らずの者である以上警戒を怠るわけにはいかなかった。既に自警団を出動させて飛行場から住民を遠ざけた上で、対空砲を搭載したトラックを周辺に配置している。万が一ユーハング人がラハマを襲うつもりであれば、何としても撃墜する覚悟を固めていた。

 

 

 ラハマ自警団の97式に続き、雷電が離陸する。街の外れで、二隻の飛行船がラハマに向かって飛行を続けていた。オウニ商会の羽衣丸と、ガドールの飛行船だ。そこから少し離れたところを、7機の戦闘機が飛行している。

 

「なんだ、この戦闘機は…」

 

 町長は、コトブキ飛行隊に取り囲まれるように街へ向かって飛行している青い戦闘機を見て、思わずそう呟いた。少なくとも、町長の知る戦闘機の形とは大きくかけ離れている。プロペラが無いし、翼もまっすぐ伸びていない。まるで三角定規のような翼だ。

 

「ユーハングではこんなものが飛んでるんですかね…?」

 

 97式の操縦桿を握る自警団長も青い戦闘機に目を奪われつつも、コトブキ飛行隊と並んでいつでも射撃できる位置につく。もしも不審な動きを見せれば、容赦なく撃つ。それが自分の街を守るということだ。

 

 

 

 

『ユーハング機へ、着陸を許可』

「了解」

 

 リーパーはそう答え、街への着陸コースを取る。

 上空から見た街は、かなり小ぢんまりとしている。カラフルな屋根の民家が立ち並び、その中心を大通りが貫いている。郊外には飛行船が二隻は係留できそうな広大な飛行場が備えられているが、鉄筋コンクリートでできた高層ビルなどは一つも見当たらない。

 

 大通りのあちこちで、フランカーを見上げる街の人々が見えた。ジェットエンジンの轟音は、街の人々にとっては聞き慣れないものなのだろう。誰もかれもが皆ぽかんと口を開けて、上空を旋回するフランカーを見上げていた。

 

「着陸態勢に入る」

 

 誘導こそないものの、滑走路の広さは十分。着陸するのに支障はない。ギアを下ろし、フラップとエアブレーキで速度を落とし、いつも通り着陸。きちんと舗装されているおかげで、エンジンに異物を吸い込む恐れもなかった。管制官がいたら「見事だ、ボーンアロー1」と褒めてくれただろうか。

 

 爆撃機の銃座を転用したものなのだろうか。滑走路脇には荷台に風防付きの対空機関銃を搭載したトラックが数台並んでいる。銃口は空を向いているが、もしもリーパーが不審な動きを見せたら、あっという間にハチの巣にされるだろう。

 トラックの周りには、散弾銃やボルトアクション式ライフルを携えた男たちの姿も見える。同じく銃口こそ向けてこないものの、その顔にはどこか怯えや不安の色が見える。

 

『エンジンを切り、風防を開けてほしい』

 

 そう指示があったため、大人しく従うことにした。何かあればすぐに離陸できるようエンジンは動かしたままの方が良かったのだが、どのみち着陸してしまった今、自分の運命はこの街の人たちが握ってしまっている。今から離陸しようとしたところで対空機銃が撃ってくるだろうし、空にはコトブキ飛行隊の隼が旋回を続けている。逃げられはしない。

 

 リーパーは胸の前に取り付けたホルスターから拳銃を引き抜いた。スライドを引いて、いつでも撃てるようにする。

 

『万が一ベイルアウトした際に、敵の部隊に追われて丸腰だったらあっという間に殺されちまう。だから、きちんと銃は持っとけよ』

 

 この拳銃は「被」撃墜王ことオメガから、その言葉と共に誕生日プレゼントとしてリーパーが受け取ったものだった。しょっちゅう撃墜されるオメガは、そのたびに無傷で生還してくる。時には敵部隊と交戦し、時には同じく墜落した味方を救助しながら、いつも帰還していた。オメガの陸戦能力は陸軍一個中隊分、なんて冗談があるほど、地上がどんな危険地帯であってもオメガは帰ってくる。

 

 その時は「墜とされなければいい」と軽く考えていたが、今はオメガに感謝していた。この状況で丸腰、なんて事態は想像したくない。周りを対空機銃と十数丁のライフルが囲んでいる状況では拳銃一丁など非力も同然だが、あるのとないのでは大違い。

 

 いずれにせよ、これに頼る事態に陥りたくはないが。リーパーは拳銃をホルスターに戻し、キャノピーを開く。空を見上げると、コトブキ飛行隊の隼が着陸態勢に入ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

「初めての飛行場への着陸にしては見事ね。腕はそれなりにあるみたい」

 

 ザラは青い戦闘機の着陸を見て嘆息した。初めて訪れる飛行場へ着陸する際は、勝手を知らないので慎重になる操縦士が多い。慎重になりすぎて、滑走路の手前からではなく真ん中から降りてしまい、停止距離が足りなくなってオーバーランする者も珍しくない。

 しかしあの青い戦闘機は迷う挙動も見せず、滑走路の端から着陸した。度胸がある、ザラはそう思った。

 

 青い戦闘機は滑走路脇のエプロンで待機している。既にエンジンの火は落とされ、風防は開いていた。きちんとこちらの指示に従っている。

 

「なあケイト、アレンを呼んだ方がいいんじゃないか?」

「先ほどのエンジン音を聞いて、既に病院から抜け出していると思われる。呼びに行く必要はない」

 

 「穴」の調査中にイサオに撃墜され、車いす生活を送っていたアレンだったが、最近ではどうにか松葉杖を使って歩けるまでに回復していた。それでも病院でリハビリ生活を送っている彼だが、街中に響いた青い戦闘機のエンジン音を聞いて、いてもたってもいられなくなっているだろう。今頃は病室から飛び出して、飛行場に向かっているに違いない。

 

「コトブキ飛行隊、着陸する。いいか、くれぐれもユーハング人に失礼な真似はするなよ」

 

 レオナはそう言って着陸態勢に入る。見慣れたラハマの飛行場。しかしそこに迷い込んだあの青い戦闘機のせいで、なんだかここが知らない場所のように思えてしまう。

 

 

 着陸後、レオナはケイトを引き連れて青い戦闘機のもとへ向かった。他の者は青い戦闘機の操縦士が不審な動きを見せた場合に備えて、隼の中で待機している。もっともエンジンの火が落とされている今、あの操縦士に出来ることはこちらの指示に従って機を降りることだけだ。

 

「ケイト、通訳してくれ。こちらの指示に従って頂き感謝する。そのまま機体から降りてくれ」

 

 青い戦闘機はかなり大きいせいで、操縦席も高い位置にある。隼のように翼に足をかけて飛び降りる―――というのは難しいだろう。

 自警団員の一人が梯子(ラダー)を持ってきて、操縦席の脇に掛けた。操縦席の中で人影が立ち上がる。青い戦闘機の操縦士は警戒するかのように周囲を見回すと、軽く両手を上げ、その後ラダーを降りてきた。レオナはその操縦士の胸に、拳銃の収まったホルスターがぶら下がっているのを見逃さなかった。

 

「変わった格好ですわね」

 

 降りてきた操縦士を見て、隼で待機するエンマが言う。青い戦闘機の操縦士はヘルメットに濃緑色のツナギを身に着けていて、下半身にはさらに何かを纏っているようだ。さらにごてごてと色々なポーチが付いたハーネスを上半身に身に着けていて、あれでは動きにくそうだとエンマは思った。

 

「初めまして。私はコトブキ飛行隊の隊長、レオナだ。こちらは同じくコトブキ飛行隊の一員で、ユーハング―――あなたのいた世界の研究をしているケイト」

 

 レオナはそう言って手を差し出した。まだ若いな、と、青い戦闘機の操縦士を見て思う。歳はレオナとさほど変わらないか、もしかしたらもっと下かもしれない。キリエやケイトと同い年くらいだろうか。

 

 ユーハング人の操縦士はレオナとケイトの顔を見て、それから差し出された手を見た。そしてレオナの手を握り返す。ユーハングにも握手の文化はあるんだな、とレオナはどうでもいいことを考えた。

 

「私は国連軍タスクフォース118所属、ボーンアロー隊隊長のリーパー。着陸許可を頂き感謝する」

 

 ケイトがユーハング人の言葉を通訳する。彼の瞳には怯えや不安と言った色は見えなかった。周囲の様子を伺い、相手がどう動くか、自分はどう動くべきかを考えているらしく、その顔色はいたって冷静だ。

 

「リーパー、あなたがここに来た時の話を伺いたい。同行してくれ」

「…自分が乗ってきた機体はどうなる?」

 

 リーパーと名乗った操縦士が、背後の戦闘機を一瞥する。

 

「格納庫に移動させよう。それで構わないか?」

「ああ。ただし、くれぐれも扱いには注意していただきたい。それと移動目的以外、機体には手を触れないで欲しい」

「承知した。ではついてきてくれ」

 

 交渉成立だ。レオナはコトブキ飛行隊の面々に、エンジンを止めて降りてくるよう命じた。少なくともパイロットがいなければ、あの戦闘機が飛び立つことはない。

 早速自警団員が運転するトラックが滑走路に侵入してきて、青い戦闘機を牽引すべくランディングギアにロープを結ぶ。エンジンをふかして格納庫まで自走させたら、強風で色々なものが吹き飛ばされて滅茶苦茶になってしまうだろう。

 

 飛行場の一角に今まさに着陸しようとしている羽衣丸を、リーパーは興味深げに眺めていた。彼とルゥルゥが会談を行う場所は、まさにあの羽衣丸の中だ。

 

「飛行船が珍しいのか?」

「ああ。私の世界では飛行船などほとんど飛んでいない」

 

 レオナはその言葉に軽く衝撃を受けた。ユーハングではあんな戦闘機が飛んでいるのだから、てっきり飛行船ももっと進歩しているのではないかと思ったのだが。

 




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第七話 Blind Spot

「初めまして、ユーハングの方。私はこの羽衣丸を所有するオウニ商会の社長、ルゥルゥよ。あなたのことはリーパーとお呼びすればよろしいかしら?」

 

 会談場所である飛行船。その客室の一つで赤いドレスに身を包んだマダム・ルゥルゥが待ち受けていた。貴賓室なのだろうか。赤を基調としたやや広い部屋には、高級そうな家具やテーブルが置かれている。

 彼をここまで連れてきたレオナ、そして通訳を務めるケイトと共に貴賓室に足を踏み入れたリーパーは、ルゥルゥを見て「デカいな」と思った。存在感と威圧感、そして身体の一部的な意味で。

 

「いえ、リーパーというのはTACネームなので」

「TACネーム? 何かしらそれは」

「あだ名のようなものと思って頂ければ。私の名前は…」

 

 リーパーは本名を名乗った。TACネームは無線傍受されても個人を特定されにくい、同姓同名の隊員がいても誰かわかるという理由でパイロットごとにつけられている愛称だ。リーパーにもきちんと親がつけてくれた名前があるし、同僚のオメガにも名前はある。しかしパイロットは地上でもTACネームを使うことが多いので、名前を聞かれてついTACネームを名乗ってしまう者もいる。

 

「なるほど、あだ名なのね。でもあなた個人のことについて色々と知られるとマズいこともあるかもしれないし、リーパーと呼ばせてもらうわ」

「はぁ、ご自由に」

「それでリーパー、無線であなたとレオナの通信についてはこちらでも聞かせてもらっていたけど、改めてあなたの口から色々と説明してもらうわよ。あなたは誰でどこから来たのか、このイジツにどのようにやって来たのか」

 

 どのように、と言っても自由意志でここに来たわけではないのだがと思いつつ、リーパーはこれまでの経緯を正直に話すことにした。アローズ社のパイロットとして世界中の基地を飛び回った中で、何事も正直で嘘をつかないことが一番だというのがリーパーが得た経験則だった。嘘をつけば相手の信頼を損なうし、仮にその場をしのげたところで、新たな嘘をつかなければならない。何よりこの孤立無援の状況下では、イジツの住民の信頼を失うことは命取りになりかねなかった。

 

 リーパーは正直に話した。自分の所属。移動命令に従って離陸した直後、真っ暗な空間に突入し気づいたらここにいたこと。そこで遭遇したコトブキ飛行隊と空賊たちの戦闘を見過ごすことが出来ず、双方引き離すことで対処したこと。決して自分は彼女たちの言う「空賊」の一味ではないこと。

 

「なるほど。あなたはどこかの街の自警団員とかではなくて、雇われのパイロットなのね」

「いわゆる傭兵です。正規軍の一部では我々のことを空賊という者たちもいますが…」

「あら、別にあなたの生き方を責めているわけではないわ。為政者の掲げる下らない正義とやらのために空を飛ぶよりも、お金という目的のために空を飛ぶ人間の方がよっぽどわかりやすいし」

 

 リッジバックス隊辺りが聞いたら怒るだろうな、とリーパーは思った。彼らは国連の掲げる正義を誇りにして飛んでいる連中だ。

 

「しかし、傭兵会社があんな戦闘機を所有しているなんて、ユーハング…あなたの言うところの地球はとても技術が進んでいるのね」

「いえ、この飛行船を見て自分も驚きました。こんな巨大な飛行船が使われているなんて。しかも戦闘機の発着艦も可能だとか」

 

 リーパーが何より圧倒されたのは、その大きさだった。下手をすると米海軍の最新鋭空母並みに大きい船体が宙に浮かんでいて、しかも全通式の飛行甲板まで備えている。

 地球でも第一次世界大戦後に航空機を搭載できる飛行船を作って空中空母として運用していたらしい。だが羽衣丸のように飛行甲板など備えていなかった上に、実用的でないとしてすぐに廃れてしまったと聞く。空中空母というジャンルが確立したのは、某国が開発したアイガイオンやフレスベルクが実用化されてからだ。

 

「あら、地球では飛行船は飛んでいないの?」

「100年ほど前までは盛んに用いられていました。しかし大きな事故があって、危険だと判断されてからはほとんど飛んでいません」

 

 リーパーはこの飛行船は地球からしても宝の山だろうな、と思った。

 恐らくこの飛行船の浮揚ガスにはヘリウムガスが用いられている。戦闘すら想定に入れた飛行船に水素など使っていたら、あっという間に爆発炎上してしまうだろう。

 地球で飛行船が廃れた理由の一つに、浮揚ガスに爆発炎上しやすい水素を用いざるを得なかったことがある。地球でのヘリウムガスは90パーセントがアメリカ産で、戦略物資に指定され輸出を制限されたために飛行船の浮揚ガスには入手しやすい水素が使われていた。しかし水素ガスの飛行船の爆発炎上事故が起こったために、飛行船自体が危険な乗り物と見なされ廃れてしまったのだ。

 

 ヘリウムは医療分野やハイテク産業での需要が急増しており、地球ではヘリウム不足が深刻化している。しかしこのイジツでは、巨大飛行船をそれこそ何十隻でも飛ばすことが出来るほど、ヘリウムは豊富なようだ。資源会社がここを見つけたら、大喜びで採掘を始めるだろうな、とリーパーは思った。

 

「そう、ユーハングはこことまた随分違った発展をしているようね。ところで地球では、イジツのことについてどれくらい伝わっているのかしら?」

「いえ、まったく知られていないと思います。現に私も、ここに来るまで何も知りませんでしたから」

 

 リーパーが学校で習った歴史でも、昔々異世界との交流がありました、なんて記述はなかった。もっとも、政府のごく一部が今でも知っているという可能性はある。

 その昔、70年ほど前にこのイジツに訪れたのは、地球で日本軍と呼ばれる人々だったという。「穴」の存在が軍事機密に指定されていて、敗戦と共に全ての資料が処分されてしまったのなら、イジツの存在が現代に伝わっていなくてもおかしくはない。

 

「それじゃ、今後も地球から継続して人や物が定期的にやってくる、なんてことはないのね」

 

 リーパーの話に、ルゥルゥは少し落胆した。ルゥルゥとしてはユーハング人が今後定期的にやってくるようであればリーパーを通じて彼らとの繋がりを作っておいて、彼らがもたらすものをオウニ商会経由でイジツに供給できればと期待していたのだが。

 しかし元々リーパーは迷子と言う話を聞いていたので、落胆の度合いはそこまで大きくなかった。リーパーと彼の頭の中の知識、そして彼が乗ってきた戦闘機だけでも十分に価値はある。

 

「ところでこちらからも聞きたいことがあるんですが―――」

 

 リーパーが口を開きかけたその時、ドアの向こうで何やら騒がしい声が聞こえた。

 

「ちょっ、駄目ですってばユーリア議員!」

「ドードー船長以下の男はどいてなさい! ルゥルゥ、ユーハング人と一緒にここにいるんでしょ! 開けなさい、開けないとこっちから入るわよ!」

 

 言い終わる前に、貴賓室のドアが勢いよく開かれた。部屋の中に入ってきたのは、さっきまでガドールの飛行船に乗っていたユーリアだった。その後ろには彼女の阻止に失敗したサネアツと、興味津々と言った感じに貴賓室を覗き込んでいるコトブキ飛行隊の面々。

 

「あなた、何考えてるの!? せっかくユーハング人が来たってのに、独り占めする気なの?」

「あら、いけないかしら?」

「当然よ! なぜあなたがユーハング人の身柄を預かることになってるわけ? 一商会がユーハングとの関係を取り仕切るつもりなの?」

「でも彼はイジツ滞在中に、我がオウニ商会の世話になることを承諾しているわよ? まさか本人の意思を無視して、ガドールにでも連れていくつもりじゃないでしょうね?」

 

 それをやったらあの男と同じよ、とルゥルゥが呟くと、ユーリアは苦々しげにルゥルゥを睨みつける。あの男、というのはイサオのことだ。「穴」の向こうに消えていった男、彼がこのイジツに残していったものは良いものも悪いものも多い。しかしその強権的、独善的な手法をユーリアは嫌っていたし、彼がいなくなって一年が経過した今もその考えは変わらない。

 

 リーパーはルゥルゥとユーリアが何事かを言い合っているのを聞きながら、こっちも中々デカいなと思った。主に態度的な意味で。

 

「彼女は誰なんだ?」

 

 そう傍らのケイトに尋ねる。が、リーパーの言葉を聞いたケイトとレオナは驚きで目を見開いた。

 

「あなたはイジツ語が話せるのか?」

「驚愕」

「いや、正確には知りません。たださっきからあなた方の会話を聞いていると、地球での言語によく似ているなと思って」

 

 話を聞いている限りだと、イジツ語の文法や単語は英語とそっくりだった。いくつか意味の分からない単語やよくわからない発音もあるが、イジツ語は英語とよく似ている。

 ここに来るまでは色々なことがあって頭がいっぱいであり、彼女たちの話す言葉をよく聞いている余裕が無かった。しかし落ち着いて話を聞いていると、どうも彼女たちが話している言葉が英語によく似ていることに気づいたのだ。そして試しに英語を話してみたところ、見事にこちらの意図が伝わった。

 

「これは驚きね。ユーハングとイジツの言葉が似てるなんて」

「こちらの言語で書かれた本か何か頂ければ、より共通点がわかるかもしれません」

「後で新聞を持ってこさせるわ。それで、あなたはこれからどうするの?」

 

 なおも何か喚いているユーリアを無視し、ルゥルゥが続ける。無論、答えは決まっている。

 

「早急に地球への帰還を目指します。私には向こうでやらなければならないことがあるので」

「それは何かしら?」

「…向こうでは今、大きな戦争が起きています。私はその作戦に参加するため移動中でした」

「その作戦とやらは、あなたがいなければ成功しないものなの?」

 

 リーパーは何と答えるか迷った。はい、と答えればなんだか自惚れているような気がする。かといって「死神」だの「リボン付き」だの言われて敵味方に広く知れ渡っている自分が、作戦に参加しなかった場合どうなるか、それも読めない。今までもリーパーの参加を前提とした作戦が、国連軍では実行されていた。

 

「なにあんた、自惚れちゃってるわけ? 別にあんた一人いなくたって、仲間がいるなら何とかしてくれるでしょ。それともあんた、仲間を信用してないの?」

 

 リーパーとルゥルゥの会話を聞いていたキリエが言う。キリエはリーパーに空賊追撃を邪魔されて以来、彼のことが気に入らなかった。

 

「いや、そういうわけでは…」

「おいキリエ、彼に失礼だろう。何をそんなに怒っているんだ」

「別にぃ、怒ってませーん。あんたのせいで空賊連中を取り逃がしたことなんてこれっぽっちも怒ってないですよーだ」

 

 怒ってるじゃん、とリーパーは思った。

 

「すまない、彼女は頭に血が上りやすい性質(たち)でな」

「いえ、俺が彼女の邪魔をしたのは事実なので…」

「まあまあ、その点も含めて誤解を解くためにも歓迎会をするのはどうかしら? ジョニーに頼んでサルーンの用意をさせるわよ?」

 

 リーパーが腕時計を見ると、既に夕方だった。イジツの時間の流れが地球と同じであれば、だが。

 

「マダム、先ほど町長たちが歓迎会を開くかどうか協議していたようですが」

「あれについては私の方から明日やると言っておいたわ。どのみちあなたの戦闘機を見て、明日には大勢の人がこのラハマに押しかけてくるでしょうし。その前にしばらく行動を共にするコトブキ飛行隊と、親睦を深めておいた方がいいわよ」

 

 リーパーは素直にルゥルゥの提案を受けることにした。今のリーパーは外交官も同じだと言うことを自身も理解していた。

 今後「穴」を通じ、再びイジツと地球の交流が再開される可能性もある。その時に彼らは地球人を、リーパーのイメージを通して見ることになる。リーパーが失礼なことをすれば、地球人のイメージも悪くなってしまうのだ。そうなることは避けておいた方がいいだろう。

 

「マダムは参加されますか?」

「私は町長たちと打ち合わせがあるから遠慮させてもらうわ。それに、若い人たち同士の方が盛り上がるでしょ? 副船長、彼に部屋を一つ用意してちょうだい」

 

 羽衣丸はメンテナンスも兼ねて、ラハマの街にしばらく係留の予定だった。その間リーパーは羽衣丸で寝起きすることになる。ラハマの街はこれと言った観光名所も資源もないため、外から訪れる人も数もそう多くはない。アレシマやショウトならば賓客用のホテルでもあるだろうが、ラハマで用意できるのは旅人向けの粗末な宿だけ。そんなところにリーパーを寝泊まりさせるのは危険だとルゥルゥは判断した。

 

 

 しかし、面倒なことになりそうね。ルゥルゥは窓からガドールの飛行船を見て思った。ユーリアと共にラハマにやって来たのは、街同士の提携について話し合うべくガドールから派遣された議員たちだ。議員の中には企業のトップを務める者も多い。そんな彼らが金の卵も同然のリーパーと、彼の乗ってきた戦闘機(フランカー)を放っておくはずもなかった。

 

 ルゥルゥがリーパーをオウニ商会の保護下に置いたのも、オウニ商会の利益のためだけでなく、彼をガドールや他の街の権力者たちから守るためという一面があった。街の権力者には強欲な連中が多い。本人の意思などどうでもいいとばかりに、リーパーとフランカーを力づくで自分たちのものにしようとするイサオのような者たちが出てくるだろう。

 

 最悪の場合、リーパーを殺してフランカーだけ奪おうとする連中も出てくるかもしれない。確かにリーパーの持っている情報も重要だが、あの戦闘機はこのイジツにおける空戦の概念をひっくり返してしまいかねない代物だ。

 あのフランカーを手に入れて複製に成功すれば、あるいは使われている技術だけでも吸収することが出来れば、その街はイジツを征服することすらできるかもしれないのだ。

 

「とんでもないものが落ちて来たわね…」

 

 ルゥルゥは窓から空を見上げて呟く。リーパーの来訪は、このイジツに新たな混沌をもたらすだろう。




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第八話 Linkage

「それでは、ユーハングから来た我らが友人に乾杯」

 

 レオナが音頭を取り、ビールの入った樽がぶつかり合う。羽衣丸船内の酒場では、リーパーの歓迎会が開かれていた。

 もっとも主賓であるリーパーは、ビールの入った樽に目を落とし、どこか浮かない顔をしていた。テーブルに料理の盛り付けられた皿を運んできたリリコが、リーパーの顔を覗き込む。

 

「あら、どうしたの? 毒なんか入ってないわよ?」

「いえ、そういうわけでは…。こんなことをしていていいのかなって」

 

 あくまで民間軍事会社の社員とはいえ、今のリーパーは国連軍の一員だ。司令部からの作戦命令に従い、オーストラリアに向かうのが今の最優先事項だった。こんな宴会に参加していていいものか、そんなことを考えてしまう。本当ならば今すぐフランカーで離陸して、空に「穴」が開いていないか探して回りたい気分だった。

 

「君が元の世界に早く帰りたい気持ちはわかるよ。でも穴が開かない限り、どうしようもない」

 

 リーパーの隣に座る男が、さっそく樽のビールを飲み干して言う。ケイトの兄で、ユーハングの研究家であるアレンだ。70年前に穴の向こうに帰っていったユーハング人が、事故とはいえイジツにやって来たのだから、この集まりに参加しないわけがなかった。歓迎会が始まる前からリーパーにあれやこれやと質問を繰り出し、いつの間にか彼の隣の席に陣取っていたアレンの息は、既に酒臭かった。

 

「僕らも君がユーハングの世界に早く帰れるように協力するからさ、今はこうして楽しくお酒を飲もうよ。歓迎会ってめでたい場なんだから、たくさんお酒を飲んだって罰は当たらないさ」

「アレンはいつもお酒を飲んでいる。歓迎会は関係ない」

「あはは、ビールお代わり!」

 

 イジツ語が英語とよく似ているおかげで、リーパーとアレン達の意思疎通はほとんど問題なく行えていた。もっとも専門用語やスラングなどまではわからないので、アレンやケイトの通訳が必要だが。

 だがアレンの言う通り、今リーパーに出来ることは何もない。リーパーがイジツにやって来た時の「穴」は閉じてしまい、次にいつ開くかもわからない。歓迎会を固辞し一晩中フランカーで飛び回っていたところで、元の世界に帰れる「穴」を見つけられるかもわからないのだ。

 しかも知らない場所での夜間飛行は危険行為に他ならない。陽も落ちた今、リーパーに出来ることは何もなかった。

 だったら今はイジツの人々と交流を深め、少しでも友好的な関係を築いておいた方がいい。リーパーはそう思い直し、ビールの入った樽に口をつけた。地球のビールとほとんど変わらない味だった。

 

 

「それにしてもユーハング人って、本当にいたのね。話には聞いていても会ったことはなかったから、御伽噺の中の人かと思っていたわ」

「ユーハング人が帰っていったのって70年前だっけ?」

「その後も時折穴から迷い込んだ者がいたと思われる。ただし、記録には残っていない」

「こうしてユーハングの方とお会いしていることって、もしかしたらとてつもなく貴重な経験なのかもしれませんわね」

 

 唐揚げに醤油をかけていたチカが、「そうだ!」と何かを思い出して叫んだ。

 

「ね、ユーハングには海があるんでしょ? ウーミもいるの?」

「ウーミ?」

「これ!」

 

 チカが一冊の絵本をリーパーに突き出す。開かれたページには、大きい目玉の魚らしきキャラクターが描かれていた。

 

「なにこれ? ゆるキャラ?」

「ユルキャラ? 違うよ、ウーミだよ。えーっと、毒がある魚で…なんて名前だっけ?」

「フグ。主に海水魚だが、汽水や淡水にも生息種類がいる」

 

 ケイトがすかさず答える。これがフグなのか…とリーパーは絵本を見て思った。どこかの自治体のゆるキャラ、と言った方がまだ納得できる。

 

「そういえば、イジツには海がないんでしたっけ?」

「そう。大昔に海は枯れちゃって、今は僅かな湖と小さな川が残っているだけさ。海が消えた原因は、恐らく穴にあるんだと僕は考えてる」

 

 海が丸ごと消えるなんて、リーパーには考えられなかった。もし地球で地表の7割を覆う海が消え去ったら、水不足や魚資源の消失なんて騒ぎどころではないだろう。それこそ人類が絶滅していてもおかしくはない。

 

「それで、ウーミはいるの?」

「フグならいるけど、ウーミは見たことないな。でも、海の底はまだわかってないことが多いから、もしかしたらいるんじゃないかな?」

 

 子供―――あくまでもリーパーより年下という意味で―――の夢を壊さないよう、リーパーはそう答えた。実際に深海についてわかっていないことは多く、宇宙と並んで最後のフロンティアと呼ばれるくらいだ。今後海底の探索が進めば、海のウーミのようなフグも見つかるかもしれない。たぶん、恐らく。なので海洋研究開発機構(JAMSTEC)の方々頑張ってください、とリーパーは思った。

 

 もっともリーパーにとっては、シンファクシ級潜水空母やらユージア軍の機動部隊やら、最近の海に関する思い出は物騒なものばかりだった。特にシンファクシ級の散弾ミサイルについては、今も思い出したくない悪夢も同然だ。

 

「そういえばソメイヨシノもユーハングから持ち込まれたものですわよね?」

「ええ。春になると一面のソメイヨシノが咲いて、その下で皆で宴会をしています。花見って言って、食事を持ち寄ったりお酒を飲んだり」

「それは是非一度見てみたいですわ。私の家にもソメイヨシノの木がありますけど、一本しかないもので」

 

 そういえば日本で撮った写真の中に桜の写真があったな、とリーパーは思い出した。スマートフォンはリーパーが使う部屋に運ばれたダッフルバッグの中だが、後でエンマに見せてあげようとリーパーは思った。

 

「まあお酒、興味深いわ。ユーハングのお酒ってどんなものがあるの?」

 

 酒の話に食いついたのはザラだった。既にテーブルの上には空になった樽がいくつも並び、リリコが新しい樽を運んでくる。どうやら彼女もアレンと同じ大酒飲みらしい。

 それにしてもザラは、あの格好で空を飛んでいて寒くないのだろうか。リーパーは露出の多い彼女の服装を見て、どうしてもそう考えてしまう。色々と出るところは出ていて引っ込むところは引っ込んでいるスタイルのザラだが、欲情するよりもまず心配が先に出てくる。

 

「色々ありますよ。でもビールはイジツのものと同じですね」

「へえ、やっぱり世界が違ってもお酒は同じなのね」

 

 リーパーの持ってきた荷物の中に、酒瓶が二本入っている。グッドフェローに頼まれて日本で買ってきた芋焼酎と大吟醸で、オーストラリアで彼に渡す予定だったものだ。

 グッドフェローには悪いが、異世界交流のためにイジツの人々に進呈しよう。それにリーパーが行方不明になっている今、酒の一本や二本で騒ぐ男でもあるまい。

 

「ちょっと皆、肝心なこと聞き忘れてない?」

 

 今までパンケーキに被りついていたキリエが、リーパーに冷たい目を向けながら口を開く。

 

「あんた戦闘機のパイロットなんでしょ? 撃墜数(スコア)は?」

「おいキリエ…」

「まーどうせ大したことないんでしょーけどね! 空賊を撃たないで逃がしちゃうくらいだもんねー!」

 

 黙り込むリーパー。うーんと唸る。

 

「撃墜数か、数えてないなあ…」

「数えてない? 数えるほど落としてないの間違いじゃないの?」

「いや、200を超えたあたりまでは覚えてるんだけど…」

 

 その言葉で、酒場の空気が凍り付く。キリエがフォークを取り落とす音が響いた。

 

「に、200…?」

「無人機とヘリも合わせれば250くらいいってるかも。あ、地上撃破の分を数えてなかった。後で端末を見ればわかるかもしれない」

「…冗談よね? ちなみに、操縦士になってからどれくらい経つの?」

「訓練生時代を除けば、実戦に出てから2年くらいですね」

 

 キリエがナサリン飛行隊と初めて会った時の撃墜数が43で、コトブキ飛行隊全体のスコアは200オーバーだったか。その後の空賊や自由博愛連合との戦い、そして羽衣丸の護衛で順調にスコアを稼いで今はコトブキ飛行隊で合わせて300機以上の撃墜数を誇っている。他の飛行隊ではとても追いつけないほどのスコアだ。

 

 

 それをリーパーはたった一人で250機撃墜。しかももっと多い可能性もあるとくれば、皆が目を丸くするのも当然だった。

 しかもそれをたったの二年で。単純計算で一年で100機以上。七日に一回出撃するとして、一度の出撃で2機かそこらは撃墜していることになる。しかも出撃の度に敵機と遭遇するとは限らないから、恐らく出撃毎の撃墜数は2機では足りないだろう。

 

「…う、ウッソだぁ~。そんなに落とせるわけないでしょ」

「確かに自分でもそう思うことはあるけど」

「だったら私と勝負しろ!」

 

 キリエが握り直したフォークをリーパーに突き付ける。「はしたないですわよ」とエンマ。

 

「え? 隼とフランカーで?」

「無謀、困難。あのユーハングの機体と隼では、隼が勝てる見込みはほぼない」

 

 ケイトが言わずとも、コトブキ飛行隊の面々は直観的にそのことを理解していた。隼が得意とするのは格闘戦。しかしフランカーのあの速度では格闘戦に持ち込もうとも追いつくことすらできない。

 

「ぐっ…そんなのやってみなきゃわかんないじゃん!」

「まぁまぁ落ち着いて。でも、確かにあなたの乗ってきたあの戦闘機…なんだっけ?」

「Su-30SMフランカーF2、複座型多用途戦闘機」

「そうそう、とても速かったわね。一度乗ってみたいわ」

 

 コトブキ飛行隊が今まで目撃した中で一番早い航空機は、イケスカでの戦いの際に襲撃してきた銀色のジェット戦闘機と、イサオが搭乗していた震電改だった。だがリーパーの話を聞く限り、彼が乗ってきたフランカーはそれらよりももっと速く飛べるのだという。

 

「僕は明日乗せてもらうことになってるけどね」

「えー、アレンだけずるい!」

「僕には彼と一緒に、穴の調査をするって目的があるからさ」

 

 明日の朝、リーパーはアレンを後部席に乗せて今日自分がやってきた「穴」があった空域を飛行してみる予定だった。もしも「穴」が再び現れて、その向こうが自分がいた地球だということが確認できれば、そのまま帰還を試みるつもりだ。その場合後部席のアレンも一緒についてくることになるが、彼にとってはむしろ都合がいいらしい。

 

「~っ、とにかく! 一度私と勝負しろ!」

「うーん、そのうちで」

「逃げんなよ!」

 

 キリエはそういうと、再び猛然とパンケーキを口に運ぶ。リーパーはアレンにこっそりと聞いてみた。

 

「どうしたら彼女の機嫌が直るんだ?」

「キリエはパンケーキが大好物だからね、一度作ってみてあげればいいんじゃないかな? ユーハングのとびっきり美味しいパンケーキをさ」

「パンケーキかあ…お好み焼きなら作れるんだけどなあ」

 

 昔から家事を任されていた上に、ボーンアロー隊では新入りが料理を作るという決まりがあったので、料理の腕自体には自信がある。ただしパンケーキを作った経験はそれほど多くない。地球から持ち込んだタブレット端末の中にレシピ本の電子書籍があったので、後で見てみようとリーパーは思った。

 

「あの、こっちからも質問していいですか?」

「なにかしら?」

「どうして皆、唐揚げに醤油やソースをかけてるんですか?」

 

 パーティが始まってからずっとリーパーが気になっていたことだった。

 パンケーキをはじめ、イジツにも地球と同じ料理があることはテーブルの上を見ればわかった。カレーやステーキ、焼き鳥など。海がないせいで魚が食卓に出ることはほとんどなく、一般人の手が届かない料理だというのは衝撃的だったが。

 

「あら、地球ではソースをかけないの?」

「唐揚げには醤油に決まってんじゃん。パリッとした衣にジューシーな鶏肉、なのになんでそこにソースなの? 台無しじゃん!」

「唐揚げに醤油かけるチカの方がありえないよ。なんで醤油味の唐揚げにまた醤油かけるわけ? しょっぱくて食べれらなくない?」

 

 リーパーの不用意な一言で、唐揚げにはソースか醤油かの論争が始まってしまった。チカは醤油派、キリエはソース派らしい。

 

「まあまあ、二人とも落ち着いて。ユーハングでは唐揚げに何をかけて食べるの?」

「え? レモンですけど」

 

 ザラの質問に答えた途端、場が再び静まり返った。皆があり得ないものでも見るかのような目を、リーパーに注いでいる。

 

「えぇ、唐揚げにレモンかけるの…?」

「レモンって、あの果物のレモンだよな?」

「理解不能」

「私も唐揚げにレモンはありえないと思いますわ。そんな風に唐揚げを食べる人はちょっと…」

 

 どうやら地球人とイジツ人の間には越えられない壁もあるらしい。リーパーはそう実感した。




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第九話 Take off

 翌朝。ラハマ飛行場の周辺には大勢の住民が集まり、滑走路に引き出された一機の戦闘機を遠巻きに眺めていた。自警団員が集まる住民らを飛行場に入らないよう整理に当たっているが、その団員たちの視線も時折滑走路に向いてしまっている。

 

「なんだぁ? エルロンが垂れ下がってるじゃないか。故障か?」

 

 いつも通りのタンクトップ姿のナツオが、滑走路上のフランカーを間近で見ながら指摘する。整備士という職業柄、未知の機体に対する興味があるらしい。リーパーとしても機体の見学を断る理由はないので、時折ナツオから飛んでくる質問に答えつつ離陸の準備を始めていた。

 

「この戦闘機は隼みたいにケーブルでエルロンやラダーを動かしてるわけじゃないんです。操縦桿の動きを電気信号に変換して、アクチュエーターまで伝達しているんです。だからこうして駐機している時は電気信号が来ないから…」

「エルロンも力が抜けた感じになるってか。ケーブルに繋がった操縦桿を力いっぱい引くより、そっちの方が楽そうだな」

「まあ簡単に操縦桿の動きが反映されてしまうので、下手に倒すと急激な機動で気絶しかねないんですけどね」

 

 フライバイワイヤの機体は、キリエ達が乗る隼のように操縦桿を思い切り引かずとも、数ミリ動かしただけで機体が思い通り動いてくれる。その反面システムにバグがあったら即墜落、なんて事態もありうるので、アナログ式と比べて一長一短だが。

 

「こいつがジェットエンジンか。実物を見るのは初めてだな」

 

 ナツオがそう言って機体後方に回り込む。危ないのでエンジン始動時には離れるように注意しておいてから、リーパーは松葉杖をついてやって来たアレンの姿を視界の端に認めた。

 

「いやあごめんごめん、この耐Gスーツってのを着るのに手間取っちゃってさ」

 

 今のアレンはリーパーが貸した予備のパイロットスーツに加え、同じく予備で持っていた耐Gスーツを下半身に纏っていた。まだ完全に足を自由に動かせない彼にとって、着るのは難しかっただろう。

 

「この耐Gスーツってのは興味深い代物だね。急激なGがかかると膨らんで、下半身に血が溜まらないようにする。そうすることで失神を防げるってわけか」

「これがあれば、より大胆な戦闘機動を行うことも可能」

 

 アレンの着替えを手伝っていたケイトが、耐Gスーツを摘まみながら言った。ケイトは興味津々と言った感じで、アレンに負けず劣らずリーパーにフランカーや装備品のことを次々と尋ねてくる。最初見た時は無口な人なのかと思っていただけに、リーパーにとっては意外だった。

 

「邪魔かもしれないけど我慢してくれ。でないと飛行中に、上と下から色んなモノを垂れ流しながら気絶する羽目になる」

「ユーハングの最新鋭戦闘機に乗せてもらうんだ、文句は言わないさ。フライト前にお酒が飲めればもっと良かったんだけどね」

「朝っぱらから酒を飲まないでくれよ。吐いたら許さないからな」

「はは、わかってるって」

「本当にわかってるのかな…」

 

 アレンのパイロットスーツのポケットにスキットルが収まっているのを見て、没収。耐Gスーツをちゃんと着ていることを確認してから、フランカーの操縦席脇に立てかけられたラダーをアレンが上るのを手伝う。下から彼の身体を押し上げ、後部座席に座らせる。

 

「これが計器の代わりになるのかな?」

 

 アレンが操縦席に据え付けられたモニターを指さして言った。グランダー社の手によってグラスコックピット化された操縦席には、アナログ計器の類はほとんどない。必要な情報は全て、座席正面に取り付けられた数枚のモニターに表示される。

 操縦席にアナログな計器が無いことから、モニターが計器代わりになるのだろうという考えに至ったアレンはやはり研究者といったところか。リーパーはアレンの身体をハーネスで座席に固定しつつ、彼の洞察力の深さに舌を巻いた。

 

「そうだ。でも飛行中は一切触らないでくれ。一応後部座席の操縦系統と火器管制システム(FCS)はロックしてあるが、念のためだ」

 

 FCSという単語の意味は分からないだろうが、後部座席からの機体操作は一切できないことだけはわかったらしい。「了解。僕の運命は君次第だね」とアレンは笑った。

 

「座席の足元に黄色と黒のレバーがあるだろ? それは絶対に、俺がいいというまで触るなよ」

「これは何かな?」

「それを引くとキャノピーが吹っ飛んで、ロケットで椅子ごと上空に放り投げられる。緊急用の脱出装置だ。万が一機体が操縦不能になった際には俺が指示するから、それまでは絶対に引かないでくれよ。引いたらもう飛べなくなるからな」

 

 ダチョウ倶楽部じゃないからな、とリーパーが言うと、なんだいそれはとアレンは首を傾げた。だが射出座席のハンドルは引いてはいけないということはきちんと伝わったようだ。

 

「パラシュートの操作は出来るよな?」

「もちろん。こう見えても僕は飛行機乗りだからね」

「安心した。じゃ、万が一の場合でも大丈夫だな」

 

 ヘルメットを被らせ、酸素マスクの装着方法を教える。アレンの準備が終わったことを、隣で前席の様子を眺めていたケイトに伝える。

 

「それじゃあ、君のお兄さんを少しお預かりする」

「もしかしたら一緒にユーハングに行くかもしれないけどね」

「了解。兄をよろしく」

 

 ケイトがラダーを降りて、飛行場の一角に駐機する隼の群れへと走っていく。今回の調査飛行には、コトブキ飛行隊も同行することになっていた。先に離陸し、昨日リーパーがイジツへ迷い込んだ「穴」がある空域に向かうことになっている。

 

「それにしても、凄い人だかりだな。まるで航空ショーだ」

 

 コトブキ飛行隊が離陸したのを見計らって、リーパーも操縦席に収まる。羽衣丸のクルーがやって来て、ラダーを外す。ナツオたちはそのまま滑走路脇まで退避し、滑走路にはフランカーのみが残される。

 

「昨日あんなにエンジン音を派手に鳴らしてたからね、皆この戦闘機の存在に気づいてるさ」

「あのスーツ姿の人たちは?」

 

 滑走路内でユーリアと共に、十人ほどの恰幅のいいスーツ姿の男たちが、フランカーを見て何事か言葉を交わしていた。住民の滑走路への立ち入りは禁止されているはずだが、とリーパーは呟く。

 

「あれはガドールから来た議員たちだよ。皆どこかの商会の代表さ」

「ガドールって、ここよりも大きい街だっけ?」

「そう、イジツでも有数の大きさを誇る街。賄賂と汚職が蔓延する都市さ。きっとあの議員たちも、この機体に目をつけているだろうね。ユーハングの最新鋭の戦闘機、欲しがらない人はいないよ」

 

 イジツの航空技術については、70年前からほとんど変わっていないらしい。「穴」を通ってイジツにやってきたユーハング―――日本軍は、イジツの各地に工廠を建設し、技術を広めた。だがそこから技術の発展がほとんど起きていないのだという。

 ユーハングが残した工廠は今でも稼働しており、そこで多くの航空機が作られている。だがそこで用いられている図面は70年前のもので、自分たちで一から新しく設計した飛行機が作られたことはない。模倣はできても、創造は出来ていない。

 

 戦国時代に自動小銃とそれを作る工場が持ち込まれたようなものか、とリーパーは思った。イジツの文明が自力で飛行機を作るレベルに達していない状態で、ユーハングが飛行機を持ち込んだ。一から理論と技術の積み重ねがない状態だから、図面を自分たちで引くこともままならない。あるいは、求められている航空機のレベルが現状の第二次大戦レベルのもので良しとされているのか。

 

「自分たちでオリジナルの飛行機を作ろうとは思わなかったのか?」

「ユーハングが残した図面に頼らないで、自分たちで一から飛行機を作ろうって人もいるよ。エンジンや飛行機を分解(リバースエンジニアリング)して、技術と理論の蓄積を図っている人たちもいる。だけど、中々難しい。そういえば、ジェット戦闘機についてはユーハングでは試作レベルのものだったんだろう?」

「ああ。作っている最中に戦争に負けた。まさかこっちで実用化されているとは思わなかったけど」

「僕らはユーハングが残したものからしか飛行機を作れない。この世界を発展させるためには、もう一度ユーハングに来てもらうしかないという人もいるくらいだ。だからこの戦闘機はイジツに革命をもたらす。君たちの世界で70年分進歩した技術の結晶だからね」

 

 もしもイジツに地球並みの技術と文明があれば、今頃こっちでもフランカーが飛んでいたのだろうか。リーパーはそんなことを思いつつ、離陸準備を整えていく。

 

「フラップ、ラダーが動作しているか確認してくれ。まずは右からだ」

「右ね」

 

 ジェットフューエルスターターを起動。エンジンを始動させ、甲高いタービンエンジンが空気を震わせ始める。古い戦闘機ならば電源車が無いとエンジンを始動させられないが、この機体は操縦士がエンジンマスタースイッチをオンにすれば周りの手を借りずともエンジン始動が可能だ。リーパーはアレンに指示を出し、操縦桿やペダルを操作する。アレンは振り返り、指定した部位が稼働しているか目視した。

 

「問題なし」

「次は左だ」

「こっちも異常なし」

 

 続いて兵装システムを確認。可能な限り戦闘は避けたいが、万が一と言うこともある。こちらはアレンに頼まず、一人でチェックを行う。機体に常時自己診断プログラムを走らせている人工知能(AI)が、異常なしの反応を返す。

 機関砲は昨日の威嚇射撃で10発ほど消費してしまったが、まだ弾倉は9割が埋まっている。ミサイルはハードポイントを介して懸架されてものが、短距離と中距離合わせて12発。フレア、こっちは使っていないので一切損耗無し。

 燃料系統も問題なし。増槽を装備しているおかげで、機内燃料は満タンのままだ。急激な戦闘機動やアフターバーナーを多用しなければ、3000キロは飛行できる。

 

「ラダー、フラップ、スラット、問題なし。燃料、FCS、計器、問題なし」

「なんだかドキドキしてきたよ」

「頼むから吐いたりしないでくれよ。準備は良いか?」

「いつでもどうぞ」

 

 アレンのその返事で、リーパーはラハマ管制塔を呼び出す。離陸許可が出る。こちらでは航空管制もあまり発達していないのか、そもそも管制自体を行うことがないのか、地球での離陸に比べると随分おおざっぱな指示だった。

 エンジン出力を上げ、タキシングを開始。機体を滑走開始位置まで前進させる。最後に周囲を見回すと、リーパーはスロットルレバーを目いっぱい前進させた。

 

「ボーンアロー1、離陸する」

 

 

 

 

 

 轟音と共に滑走路を前進するフランカーを、ルゥルゥはサネアツら羽衣丸クルーと共に見つめていた。レシプロ機のそれとは比較にならないほどのエンジン音を轟かせながら、猛然とフランカーは加速を続けていく。そしてふわりと宙に舞った。

 

「凄い音…」

 

 アンナが呟いた直後、ランディングギアを格納したフランカーの機体が急上昇した。機首を天に向け、まっすぐ空へと昇っていく。隼であれをやろうと思っても、十分な速度を得られていないから無理だろう。この短距離、短時間で急上昇が可能なほどの推力を得られるとは。

 

「綺麗…」

 

 アンナの隣でフランカーを眺めていたマリアは、思わずそう口にしていた。あの戦闘機は、イジツのどの戦闘機とも違う。流線型のフォルムはまるでナイフのように鋭く、それでいてどこか美しさを感じさせるシルエットを描いている。イジツの戦闘機は武骨だが、フランカーは機能美というか、優雅さを感じさせる。

 

 飛行場脇でフランカーの離陸を眺めていたラハマの住人達がどよめく。急上昇したフランカーは翼の端から雲を引きながら、あっという間にラハマの町の脇にそびえ立つ丘の高さを超え、進路を変えてコトブキ飛行隊が飛び立った方向へ向かって飛び去って行く。隼や零戦、それどころか雷電ですら追いつけないほどの速度だった。ジェットエンジンの爆音を残して、フランカーはあっという間に空の向こうへ消えていく。

 

「あれがユーハングの戦闘機なんですね」

「そうよ。しかもそれが穴の向こうでは何百機、何千機と飛んでいる」

 

 そう言うルゥルゥの目は、フランカーが消えていった空に向いたまま。もうフランカーの機影はゴマ粒ほどの大きさにしか見えなくて、瞬きしたら見失ってしまいそうだった。

 

 ユーリアと共にやって来た議員たちが何事か言葉を交わし、彼らの周りを秘書らしき男たちが駆け回っている。恐らくガドールの街で自分が社長を務めている会社に一報を入れているのだろう。きっと今頃、あの議員たちは頭の中で算盤を弾いているに違いない。リーパーとフランカーを手に入れたらどれだけの利益が得られるのか、そして彼を自分たちの側に取り込むにはいくら金を積めばいいのか。

 

「世界が変わるわよ」

 

 ルゥルゥが言う。アンナは今、自分が歴史が変わる瞬間に立ち会っているのかもしれないと思った。




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第十話 Lifeline

「凄い機動だね、まるで踊ってるみたいだ」

 

 後席のアレンが手摺を掴みながら言う。離陸直後の急激な機動でも減らず口を叩けるとは、この男も意外といいパイロットなのかもしれない、とリーパーは思った。

 

「それで、ジェット戦闘機に乗った感想はどうだ?」

「最高だね。このままお酒を飲めればもっと嬉しいんだけどね」

「それはダメだ」

 

 フランカーは巡航速度を維持したまま、高度を上げていく。レーダースクリーンの端に、6つの輝点が表示される。リーパーに先立って離陸していた、コトブキ飛行隊だ。IFFなど搭載していないので当然敵味方の識別は出来ないが、距離と機数からコトブキ飛行隊で間違いない。

 

「凄いね、この距離でもうレーダーで捕捉できるなんて。羽衣丸搭載の物より性能がいいんじゃないかな?」

「地球での空戦は距離が命だからな。先に相手を見つけた方が勝つ」

 

 と言っても、最近では格闘戦(ドッグファイト)が当たり前のように発生しているが。地球に落下したユリシーズの破片に含まれていた特殊な鉱物が、粒子となって漂っているせいだ。

 特殊な磁気を帯びたその鉱物が風に吹かれて地球を循環しており、レーダー波を妨害してしまうことがある。AWACSやレーダーサイトの超強力なレーダーですら時折機能不全に陥ってしまうこともあり、目視可能圏内に入ってようやくレーダー探知、なんてこともある。

 ステルス戦闘機の登場で既存の戦闘機は全てただの的になるかと思われていたが、そんなことは起きなかった。むしろレーダーの不調が発生することで、既存の古い戦闘機でも十分戦える環境が発生している。アフリカの反政府勢力では、今もMiG-21やF-5Eといった古い戦闘機が主力として使われていて、しかもそれが活躍していると聞いたことがある。

 

「今の速度はどれくらいなんだい?」

「マッハ0.9」

「遷音速か、でもこれが最大速度ってわけじゃないんだろう?」

 

 リーパーはスロットルをわずかに前進させた。機体が加速し、マッハ1を超える。

 

「おめでとう。あんたは今、たぶんイジツで初めて音速越えの飛行機に乗った男になった」

「それは嬉しいね。できれば最大速度も体験してみたいんだけどな」

「燃費が悪くなるからダメ。こっちで調達できるんなら話は別だけど」

 

 隼や飛燕、疾風に搭載されているレシプロエンジンの燃料はガソリン。一方ジェット戦闘機に使われているのはケロシン―――つまり灯油だ。理論上ガソリンも使えないことはないが、不調が発生したら困る。リーパーにはエンジンをオーバーホールできる技術はないし、あったとしても部品が無い。地球への帰還を目指すには何としてもフランカーは飛ばせる状態を保っておかなければならず、ガソリンをぶち込むなんてのは言語道断だった。

 

「イケスカではジェット戦闘機用の燃料を精製していたと聞くけどね」

「イケスカ?」

「イサオっていうわるーい奴がいてね、そいつが市長をやってたイジツで最大の都市さ。ジェットエンジンを実用化していて、さらに地球から迷い込んできたジェット戦闘機も運用していたらしいよ」

 

 そのどっちも今はないけどね、とアレン。自分以外にも時折イジツに迷い込んでいた人がいたらしいことは彼から聞いていたが、ジェット戦闘機まであったとは。

 

「じゃあそのイケスカってところに行けばジェット燃料を入手できるのか?」

「それは難しいと思うよ。イケスカはイサオがいなくなってから内戦が勃発してね。今は何とか収まりつつあるみたいだけど、今も治安は悪いと聞いている。それに反イケスカ連合だった僕らがのこのこ出て行ったら、銃弾で挨拶をしてくるんじゃないかな」

 

 イサオが「穴」の向こうに消えてから、彼が率いていたイケスカを始めとする自由博愛連合に加わっていた街は分裂した。イサオがいなくなっても自由博愛連合の理念を掲げ、都市の統一に邁進しようとする者たち。イサオに成り代わってイジツを牛耳ろうと権力を求める者たち。そして自由博愛連合から脱退しようとして住民同士で意見が分裂する街。

 

「今じゃあちこちの街でマフィアが跳梁跋扈してる有様で、おまけに自由博愛連合の兵器類も空賊に渡ってしまってる始末だ。イケスカにジェット燃料が残っているかどうかも怪しいし、残っていたとしても快く譲ってくれることはないだろうね」

「それは残念だ」

 

 リーパーはそう返し、目視圏内に入ってきたコトブキ飛行隊の編隊を一瞥する。隼の二倍以上の速度で巡行するフランカーはあっという間にコトブキ飛行隊を追い越し、さらに遥かな高みへ向かって飛んでいく。

 

「~っ、あのやろー!」

 

 追い越しざま、フランカーがバンクしていったのを見てキリエが唸る。まるで「ここまでおいで」と馬鹿にされているかのようだとキリエは感じた。ムキになってフルスロットルでスピードを上げるが、隼とフランカーの距離は離れていく一方だ。

 

「こらキリエ、編隊を乱すんじゃない」

「あいつ私たちのことバカにして!」

「あら、単に挨拶しただけじゃない? 昨日話した限り、あの子、悪い子には見えなかったわよ。唐揚げにレモンをかけるのは別として」

「ちょっといい戦闘機乗ってるからって私らのこと舐めんなよ!」

「ちょっといいどころではないと思いますわよ」

 

 エンマはさらに高度を上げていくフランカーを見て、綺麗だと思った。無論自分の隼が一番であることに変わりはないが、それとはまた別の美しさを感じる。余計なものをそぎ落とし、性能だけを求めたものに宿る機能美だろうか。

 

「彼が昨日穴から出てきたのはこの空域だな?」

 

 レオナが地図を眺めながら、現在地を確認する。リーパーの記憶通りならば、彼女たちが今飛行している空域が「穴」が開いていた場所となる。下には街が見えるが、今はもう誰も住んでいない。地下資源が枯渇し、5年ほど前に住民が皆立ち去って廃墟となった街だ。

 

「チカ、空に異常は見えるか?」

「特におかしいところはないよ。穴も見当たらない」

 

 雲が出ているものの、「穴」が開いていればすぐに見つけられる。レオナは編隊を散開させ、円を描くように飛行を続けながら空を見た。チカの言う通り、「穴」はどこにもない。「穴」が出現する前兆とされる三つの輪っかも見当たらない。

 

 

 

 一方のリーパーもコトブキ飛行隊と共に旋回を続けながら、無線機で司令部を呼び出してみた。だが何回コールしても、応答はない。地球の衛星軌道上には無数の通信衛星が打ち上げられていて、地球のどこにいようともリアルタイムで国連軍司令部とのデータリンクと交信が可能だった。しかしそれが出来ないということは、「穴」は開いていないのだろう。

 

「やっぱりダメか…」

 

 事前に「穴」について話を聞いていたとはいえ、実際に帰り道が見つからないことはリーパーにショックを与えた。昨日の今日で「穴」が都合よく現れていてくれないかと期待していたのだが、やはり現実は厳しい。

 

「明日来たら開いてる…なんてことはないよな」

「君には申し訳ないけど、たぶん、ないだろうね」

「だよな…」

 

 「穴」の研究家でもあるアレンにそう言われてしまうと、そうなんだろうという気がしてくる。

 アレンの話によれば、大きい「穴」についてはある程度事前にどこに出現するかの予測ができるらしい。しかしその「穴」がリーパーが元いた地球と繋がっているかは出現するまで分からない上に、「穴」になりかけのまま消えてしまうこともある。そしてアレンの計算では、次に「穴」が出現するのは、短く見積もっても一年後だそうだ。

 リーパーが出てきた小規模な「穴」ならば、不定期で出現を繰り返している。だが同じ場所に連続して現れることは滅多にない上に、計算で次の出現時期と場所を予測することも難しい。

 

「つまり俺が帰るにはイジツの空を飛び回って穴を見つけるか、あるいは一年後まで待つしかないってことか」

「そうなるね。僕としては後者をお勧めするよ」

「だが一年も待ってられない、戦争はまだ終わってないんだ」

 

 ユージア軍と国連軍の戦線は膠着状態で、だからこそ次に行われる大規模作戦は何としても成功させなければならない。ここでユージア軍に対して大きな勝利を収めれば、ユージア連邦から離反する国々も出てくるだろう。逆にこちらが負けてしまえば、この戦争に対して態度を決めかねている国々がユージア連邦に加わってしまうこともあり得る。

 

「そういえば君が来た地球では戦争をやってるって話だけど、どうして戦争なんかやってるんだい?」

「それは…」

 

 ルゥルゥとアレンには戦争が起きていることだけは伝えたが、なぜ戦争が起きたのか、それがなぜ続いているのか、そこまでは話していない。話すとユリシーズ落下まで遡らなければならないし、それを彼女たちが理解してくれるかどうかもわからなかった。

 

 

 説明すべきかどうか悩むリーパーをよそに、レーダーに新たな機影が表示される。数が多い。リーパーは話を切り上げ、コトブキ飛行隊を呼び出した。

 

「こちらのレーダーで多数の機影を探知した。機数は約30、このコースだとラハマに向かうコースか。距離はおよそ300」

『そんな数の飛行機が来るなんて話は聞いていない。空賊だ』

「あるいは自由博愛連合の残党か。どちらにせよ、友好的な連中じゃないことは確かだろうね」

 

 アレンがレーダー画面を見ながら呟く。画面に映る機体はどれも小型で、戦闘機のようだ。

 

「そいつらが何でラハマを狙う? あそこに戦略的な価値はなさそうだが」

「空賊だったら単純に略奪。イサオ連合の残党だったら自分たちを敗北に追いやったコトブキ飛行隊と、反自由博愛連合の街への復讐っていったところかな」

 

 いずれにせよ、仲良くできそうな連中ではないらしい。既にコトブキ飛行隊からラハマの街へ一報が入り、今頃は自警団が大慌てで離陸準備をしているところだろう。ユーリアたちと共にガドールからついてきた護衛戦闘機隊も、同盟関係にあるラハマを守るために出撃するとのことだった。

 

「それで、君はどうするんだい?」

「どうするって、何を?」

「彼女たちを手伝うのか、それともここで高みの見物を決め込むか」

 

 レーダー画面には空賊が飛来する方角へ向かって飛んでいく6機の機影が表示されている。おそらく後30分もしないうちに、空戦が始まるだろう。6対30では、明らかに分が悪い。

 だがリーパーがこの空域に来たのはあくまでも帰還のために「穴」が開いていないか調査するためであって、空賊たちと戦うためではない。それに勝手にどちらか一方に肩入れして、現地の紛争に介入するのは最もやってはいけないことだった。事情もはっきり分かっていない内はどちらかの味方など出来ない。それで数多くの失敗を繰り広げてきたのが国連だ。

 

 

 

 

『…本機は当空域で待機する』

「あのヘタレ! いい戦闘機乗ってるくせに私たちを見捨てるっての?」

 

 リーパーが送ってきた通信に、キリエは失望し、そして怒った。昨日オウニ商会の世話になったくせに、空賊に襲われそうなラハマの街を見捨てるなんて。ユーハング人は臆病で情けない、恩知らずの連中なのか。

 

「よせキリエ、彼はこのイジツの人間じゃない。彼に私たちと一緒に戦えなんて言うのは、こっちの勝手だ」

「でも!」

「あの子は迷子なの、本当だったら私たちとは何の関係もない人よ。彼は自警団員でも用心棒でもない」

 

 ザラの言う通りだった。リーパーはあくまでもこっちの世界(イジツ)に迷い込んできただけで、自分の意思でやって来たわけではない。彼に地球(ユーハング)に帰還するという目的がある。

 自由博愛連合との戦いを経て、コトブキ飛行隊とオウニ商会には新たな契約がいくつかの都市と結ばれていた。それはその都市が空賊などに襲われた場合、近くを飛行中であれば救援に向かうという契約だ。契約を結んだ都市からは毎月契約金が振り込まれていて、今回ラハマに向かおうとしている空賊を撃退するもその一環だった。

 だがリーパーはその契約をどことも結んでいない。そして彼は自警団員でもない。いくら良い戦闘機に乗っていようが、リーパーには空賊と戦う義務も義理もないのだ。キリエもそのことはわかっていたが、納得は出来なかった。

 

「あんにゃろ~、地上であったら一発ぶん殴ってやる!」

 

 前方にゴマ粒をバラまいたかのような飛行機の機影が見えてくる。それらは見る見るうちに大きくなっていき、やがて数十の戦闘機の機影になった。

 機種は零戦21型が中心。塗装から考えて自由博愛連合の残党の機体だろう。

 

「全機、いつも通り2:2でやるぞ。互いにカバーしあうことを忘れるな。コトブキ飛行隊、一機入魂!」

 

 レオナの掛け声と共に、隼が零戦の群れへと突っ込んでいく。ここで時間を稼ぎ、ラハマ自警団とガドールの戦闘機隊到着まで持ちこたえなければならない。もしも突破を許せば、零戦の群れはラハマを空襲するだろう。

 

 

 

 

 

「戦闘が始まったみたいだね」

「だな」

 

 コトブキ飛行隊を示す輝点が、空賊たちの輝点の中に突っ込んでいく。IFFを搭載していないので、もはやどれがコトブキ飛行隊でどれが空賊なのか判別できない。こうなってしまえばもう、手を出すことも出来ない。

 

「別に君の判断を責めるわけじゃないけど、理由を聞いてもいいかな?」

「…ここで戦いに介入したら、俺は引き返せなくなる」

 

 もしも今後「穴」が開いて地球への帰還が可能になった時、この世界との関りが深ければ深いほど、帰るのが難しくなる。彼らに必要とされてしまうことがあれば、自分が帰った後にその人たちはどうなる? それにあくまでも迷子の立場である自分が、イジツの人々の戦いに首を突っ込んでいいのかという迷いもあった。

 ラハマの人々は自由博愛連合を悪いように言うが、リーパーはまだ自由博愛連合側の人々と話をしたことが無い。本当は彼らも正義を掲げて戦っているのかもしれない。もしかしたらユーリアたちが間違っているのかもしれない。あるいは両方正しくて、両方間違っているのかもしれない。

 

「だから今は戦えない」

「なるほど。でもそうも言ってられないみたいだよ」

 

 方位270、複数の機影を探知、とアレンがレーダー画面を見て言う。今いる場所から、ラハマを挟んで反対側の方向だ。そこに複数の輝点がレーダー画面に表示されている。

 

「なんだ、こいつらは…」

「この反応から見ると、どうやら大型機みたいだね。たぶん、爆撃機だろう。小さいのは護衛機かな?」

「爆撃機だと? 街には一般人がいるんだぞ、それなのに空爆するのか?」

 

 だがアレンの話では、自由博愛連合は以前も自分たちに協力しない都市に爆撃を加えていたらしい。イサオが「穴」を独占するための行動だったが、そのせいでいくつかの都市が焼け野原となった。

 

「ラハマ飛行場、聞こえるか? そちらに爆撃機が3機向かっている」

 

 しかし自警団の97式と雷電、そしてガドール戦闘機隊の鍾馗は既にコトブキ飛行隊に加勢すべく、爆撃機が飛来するのとは反対方向に向けて飛行してしまっている。今から引き返しても間に合わないだろう。不測の事態に備えて二機、自警団の97式がまだ地上で待機しているとのことだが、たったの二機ではどうしようもない。

 

「罠にかかったみたいだね。まさかあの数の戦闘機隊を囮にして、戦力がそっちに向かった際に本隊の爆撃機が来るとは」

 

 それで、どうする? アレンがまたリーパーに問いかけた。

 

「ここで高みの見物を続けて、ラハマの街が焼け野原になるのをただ見ているか。それとも街の人々を救うべく行動を起こすか。ユーハングの人間である君が、この世界の戦いに手を出す義務は確かにない。その結果大勢の人々が死んだとしても、君には関係ないことだろうね」

「…お前、意外と性格悪いな」

 

 アレンが笑う。リーパーは大きく息を吐いて、操縦桿を握り直した。機首を反転させ、爆撃機が飛来する方角へ向かう。

 

「何かあった時には、お前がちゃんと証言してくれるんだろうな? 俺は正しいことをしたって」

「いくらでもしてあげるよ」

「嘘だったら、松葉杖生活を2か月延長させてやる」

 

 それは困るなあ、とアレンが言うのを無視し、リーパーはスロットルを目いっぱい前進させた。マスターアームオン、交戦準備。




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第一一話 始まりの笛音

「こちらラハマ自警団哨戒二号機、空賊の爆撃機を視認! 富嶽が1、未知の4発爆撃機が2! 護衛機が6、ラハマに向かって真っすぐ飛行している」

 

 哨戒飛行に出たラハマ自警団所属の赤とんぼこと九五式練習機は、さっそく遠い西の空に複数の機影を見つけていた。後部席の団員が双眼鏡を覗き込み、一機の超大型爆撃機と、その両脇を飛行する二機の大型爆撃機を視認する。一機は以前、自由博愛連合が各地の都市を空爆するのに用いていた超大型爆撃機、富嶽だった。

 

「くそっ、空賊どもめ! こっちが本隊か」

「九七式が2機だけじゃ話にならないぞ。早くコトブキ飛行隊をこちらに向かわせてくれ! ガドールの鍾馗もだ!」

 

 ラハマ飛行場では待機していた自警団の九七式戦闘機が離陸したが、会敵することにはラハマまで目と鼻の先まで迫ってしまっているだろう。何より、7.7ミリ機銃を二挺しか積んでいない九七式では、装甲の厚い富嶽を落とすことなどできない。その前に護衛機に撃墜されてしまうだろう。

 ガドール議員団の護衛の鍾馗も2機、ラハマで待機していたが、出撃する気配はない。何をやってるんだと、赤とんぼの乗員は苛立った。

 

 ラハマの街では対空砲を積んだトラックを自警団が展開させ、住民の避難が始まっていた。普段は町長専用機である雷電を格納している飛行場脇の洞窟に、住民たちが続々と逃げ込んでくる。命は助かるが、爆撃で街は焼け野原にされてしまうだろう。裕福とは言えないラハマの街にとって、それは致命的だった。

 

 

 一方でガドールからやって来た議員団は飛行船に乗り込み、さっさと逃げ出す準備をしていた。飛行場に残していた2機の鍾馗に離陸するように命じたが、目的は爆撃機の迎撃ではない。ラハマを脱出する飛行船の直掩のためだ。

 

「ちょっとあんたたち、自分たちだけ尻尾巻いて逃げるなんて情けなくないの!? それでも市民に選ばれた議員なの?」

「私を選んだのはガドールの住民だ、ラハマの人間ではない!」

「こんな街のために命を危険に晒せというのか! まったく、こんなことになるなら訪問団に選ばれなければよかった」

「護衛機が2機では足らん。早く鍾馗隊を呼び戻せ」

 

 そう言って、コトブキ飛行隊の増援に差し向けていた残りのガドール所属の鍾馗隊を呼び戻そうとする。ユーリアはその議員が握っていた無線機のマイクを奪い取った。

 

「何をする!」

「30機を相手に6機で戦ってる彼女たちを見殺しにするの? ほんと最低な男たちね、このタマ無し野郎!」

「なんだと、我々を侮辱するのか!」

「まだ議員の地位を剥奪されたいようだな」

 

 羽衣丸に戻ったルゥルゥとサネアツは、ガドール議員団の醜態を遠巻きに眺めていた。ガドール飛行船のキャビンには、言い争うユーリアと議員たちの姿が見える。

 

「普段は威勢のいいことを言っておいて、いざ危険が迫ったら真っ先に逃げ出す。情けない連中ね」

「ルゥルゥ、我々もここを離れなくていいんですか? 爆撃機が迫ってるんですよ?」

「飛行船の速度じゃどのみち逃げきれないわよ。それに…」

「それに?」

 

 サネアツがそう聞き返した直後、レーダー画面を見ていたアディが口を開く。

 

「方位090、機影を探知。この速度はユーハングの機体(フランカー)です!」

「あら、やっぱり彼はいい人みたいね」

 

 ジェットエンジンの轟音で空気を震わせ、戻ってきたフランカーが飛行機雲の尾を引きながら、爆撃機が飛来する方向へと飛んでいく。

 

『こちらアレン、リーパーがやる気になったみたいだ。爆撃機は僕たちで何とかするよ』

 

 フランカーの後席に搭乗するアレンからだった。どうやら一緒に戦ってくれるらしい。だがサネアツは、いくらユーハングの戦闘機でも単機で何とかなるのか不安だった。

 

「コトブキ飛行隊でも撃墜するのにかなり手間取ったんですよ? 1機で何とかなるんですかね?」

「さあ? でもその性能を見せてもらういい機会にはなるわよ。双眼鏡はどこかしら?」

 

 ドードー船長が咥えてきた双眼鏡を受け取ったルゥルゥは、フランカーが飛んでいく方向にレンズを向ける。遠くの西の空に、針先ほどの大きさの機影が見える。今まさに、ラハマを焼き払おうと接近しつつある空賊の爆撃機の群れだ。

 

 

 

 

「さて、どうする?」

 

 羽衣丸との通信を終えたアレンが、前席で操縦桿を握るリーパーに問いかける。既にフランカーは哨戒飛行中のあかとんぼを追い越し、爆撃機をまもなく目視できる距離まで近づいていた。

 

「まずは警告する。従わなかったら、実力行使だ」

「その心は?」

「きちんとやるべきことはやった、って言い訳が立つようにするためだ」

 

 もしリーパーが地球に帰還し、その後イジツと地球の交流が再開された際、リーパーが問答無用で空賊を撃墜していたことが問題になるかもしれない。リーパーはラハマと空賊、どちらの味方でもないのだ。今はラハマの一般市民を守るため、という名目で爆撃機の迎撃に向かっているが、それでもいきなり撃墜するのは交戦規定上アウトだ。これは正規の作戦に基づいて行われる戦闘行動ではない。

 

 リーパーはヘルメットに取り付けられたカメラがきちんと作動していることを確認した。グランダー社が取りつけたもので、リーパーの戦闘機動を記録するためのものだ。今後リーパーが交戦したことを問題にされても、きちんと警告したという証拠が残っていれば罪には問われないだろう。

 

「さて、それじゃあユーハングの最新鋭戦闘機の実力を見せてもらおうかな」

「最新鋭じゃないんだけどな。こいつが初飛行したのは30年以上昔だ」

「ということは、もっと優れた戦闘機もあるのかい? それは楽しみだな」

 

 そう言いつつ、アレンが機内に持ち込んだ双眼鏡とカメラを用意する。レーダー画面上には、大型機の反応が3つと、その護衛機らしき反応が6、合計で9つ表示されている。

 

不明機(ボギー)は9。護衛機は爆撃機1機につき2機か、少ないな」

「戦闘機はコトブキ飛行隊をおびき出すための囮部隊に回しているんだろうね。でも、自警団の九七式が二機だけじゃ太刀打ちは無理だ」

「敵爆撃機の種類は?」

 

 アレンが双眼鏡を覗く。

 

「富嶽が1、それと4発爆撃機が2。4発機は連山かな?」

「富嶽? そんなものが飛んでいるのか?」

「地球じゃ富嶽は飛ばなかったのかい?」

「試作どころか、工場を作る前に『これは無理があるでしょ』って放棄された代物だ」

 

 太平洋を横断し、アメリカ本土を爆撃するための6発超大型爆撃機「富嶽」。しかし当時の日本には富嶽を作る技術も資源もなく、設計図の段階で開発が中止になっていた。それをイジツでは70年かけて完成させていたとは。イジツの技術者は優秀なのかもしれない。

 

 連山も日本軍が開発した4発爆撃機で、それまでにない重武装と爆弾搭載量、高速性と防弾性能を誇っていた。しかし試作機が完成したのが戦争末期であったため、量産に入る前に終戦を迎えてしまった。

 

「あんな爆撃機、どこで作ってるんだ?」

「イサオが各地で確保していたユーハングの兵器工廠は、まだそっくりそのまま残されているらしいからね。自由博愛連合の残党が接収して、完成させたんじゃないかな?」

「まだ、ってことは前にも作ってたのか?」

「もちろん。以前もラハマを富嶽が5機編隊で爆撃しようとしていたね。その時はコトブキ飛行隊が4機落としてくれたけど、結局1機は最後まで撃墜できなかった」

 

 残った一機がまさにラハマに爆弾を投下したタイミングで、その時ラハマ上空に開いていた「穴」に撃墜された富嶽が突っ込み、搭載された爆弾が爆発した。その爆発で穴が消失し、その際に周囲のものが投下された爆弾を含めて吸い込まれてしまったため、奇跡的にラハマの街は被害を受けずに済んだ。

 

「前はどうやって撃墜した?」

「高高度を飛行中にロケット弾を撃ち込んで、低高度では翼とエンジンを集中的に狙った。コトブキ飛行隊がね」

「隼で高高度は難しいんじゃないか?」

「まあね。その時はロケットブースターを取り付けて無理やり飛ばしたけど、この戦闘機なら必要ないだろ?」

 

 アレンの言う通り、前方に3機の爆撃機を中心とした編隊が見えてくる。中心の緑色の超大型爆撃機が富嶽で、その両脇の銀色が連山。護衛機として疾風が6機、爆撃機を囲むように飛行している。

 

敵機視認(エネミータリホー)。まずは警告だ」

「素直に帰ってくれればいいんだけどね」

「そうなることを祈っててくれ」

 

 リーパーは大きく迂回するコースを取って、ラハマへ向かう爆撃機編隊に背後から接近した。そして無線をオープンチャンネルにする。

 

「あんたがやってくれ」

「僕が?」

「俺がもし間違ったイジツ語を話して、向こうを刺激しちゃかなわないからな」

「ま、フランカーに乗せてもらってるんだし、それくらいのことはするよ。あー、こちらオウニ商会。ラハマへ向かって飛行中の爆撃機に告げる、直ちに進路を180度変針し、引き返せ。指示に従わない場合、撃墜する」

 

 アレンが告げる。リーパーはスロットルを上げ、フランカーが爆撃隊の前に躍り出る。突然現れた正体不明のジェット戦闘機に驚いたのか、編隊が乱れた。だが進路は変わらない。

 

「聞いてないみたいだね」

「もう一回警告を頼む」

「はいはい、っと…!」

 

 アレンが言い終わる前に、富嶽の機体上部に設置された20ミリ連装機関砲が火を噴いた。連山からも対空砲火が上がり、青空を曳光弾が引き裂く。リーパーは操縦桿を倒し、一度編隊から離れる。爆撃隊を守るためか、疾風が数機、フランカーを追ってくる。

 

「撃ってきたね。どうする? もう一回警告するかい?」

「…こうなったらもう仕方がない。相手に引き返す意思はないみたいだからな」

 

 速度を活かして追撃してくる疾風を容易く振り切ったリーパーは、フランカーを爆撃隊の後方数キロの位置につけた。逃げたと思ったのか、疾風の群れが編隊に戻ろうとする。爆撃隊は後数分で、ラハマの上空に到達するだろう。

 

 

 HUDに表示される富嶽の機影に、緑色の目標コンテナが重なる。火器管制レーダーが照射され、富嶽に重なったコンテナがアラームと共に赤く変わる。

 ロックオン。後は引き金を引くだけで、ミサイルは獲物を見つけた猟犬のごとくまっすぐ富嶽に向かって飛んでいくだろう。

 

 リーパーは大きく息を吸い、吐いた。もう迷わなかった。

 

「FOX3」

 

 操縦桿の発射ボタンを押す。胴体下に懸架されていた中距離空対空ミサイル(AAM)が発射され、白煙の尾を引きつつ一直線に富嶽へ向かって飛翔する。

 この距離からならば母機からの中間誘導は必要はなかった。発射と同時にミサイルは搭載したレーダーを起動させ、母機がロックオンした目標―――富嶽へと突っ込んでいく。数キロの距離をミサイルはあっという間に飛びぬけ、そして富嶽の直上で近接信管を作動させた。

 

 爆発。富嶽の機体を無数の破片が引き裂き、途端にその大きな機影が炎に包まれる。主翼が折れ、黒煙の尾を引きながら富嶽が急降下していく。燃料と満載した爆弾に引火したらしい、ひときわ大きな爆発が空中で起こり、その機体が大小いくつもの破片となって地面に降り注ぐ。

 

 空賊たちが驚く間もなく、続いて二機の連山が火だるまになった。バランスを崩した連山が一機、すぐ近くを飛んでいた護衛機を巻き込んで墜落していく。爆撃機の乗員たちが脱出する間もなく、一機は空中で爆発し、もう一機は地面に叩きつけられてバラバラになった。

 

「なんだ! 何があった!」

「攻撃です! ロケット弾です!」

「馬鹿な、あの距離からロケット弾が命中するものか…!」

 

 しかし護衛部隊の隊長は、本能的にこの場に留まるのは危険だと察知していた。今まで見たこともないあの青い戦闘機。あれは自分たちがどうにか出来る相手ではない。きっと今爆撃機を撃墜したのも、さっき猛スピードで飛び去って行った青い戦闘機だろう。自分たちの疾風では、あの機体には勝てない。空戦で磨いたパイロットとしての本能がそう告げている。

 

「撤退だ。爆撃機を落とされては作戦を続ける意味がない。陽動部隊にも撤退するように伝えろ」

「陽動部隊からコトブキ飛行隊を見つけたと連絡が入りました。あいつらを撃墜するまで帰投しないとのことです」

「あの馬鹿どもが! 死にたい奴らは死なせておけ」

 

 隊長はそう言って、進路を反転させた。命あっての物種だ。青い戦闘機は追って来るかと思ったが、何もしてこない。

 隊長はすれ違った青い機体の尾翼に、死神のマークが描かれているのを見た。ピンク色のリボンを付けた死神、なんて不気味なのだろうか。

 

 青い戦闘機は撤退していく護衛機には見向きもせず、今まさに陽動部隊がコトブキ飛行隊と戦闘中の空域に向かって飛行していく。あの速度の機体に追われていたら、きっと逃げることも出来なかっただろう。あるいは何が起きたのか自覚する間もなく、機体が爆散していたに違いない。

 

 どうやら自分は、死神が振り下ろした鎌を間一髪避けられたらしい。隊長はその事実に安堵していた。

 

 

 

 

 

 ラハマの街からも、空賊の爆撃機が撃墜された様子は目撃されていた。

 遠くの空で突如爆発が起こったかと思うと、続けて二回爆発が起きた。双眼鏡を持った住民が空を覗くと、炎上しながら墜落していく爆撃機の残骸が見えた。

 すぐに自警団の赤とんぼから通信が入る。街へ接近していた爆撃機は全機撃墜され、護衛機は撤退していく。撃ち落としたのは昨日やって来たユーハングの戦闘機だと。

 

「富嶽をあっという間に…」

 

 ルゥルゥも流石にこの展開は予想していなかった。まさか一分もしないうちに、3機の爆撃機を撃墜してしまうとは。あの戦闘機の性能は、予想以上のものらしい。

 

 ラハマの住民たちが洞窟から出てきて歓声を上げる。その上空を、死神のエンブレムを描いたフランカーが飛び去って行く。

 

 

 

 

 

 

「敵爆撃機、3機撃墜。さすが、あっという間だね」

 

 カメラを構えていたアレンが驚嘆の声を上げる。コトブキ飛行隊が6機がかりで、しかも必死になってどうにか撃墜した爆撃機を、リーパーは瞬く間に撃墜して見せた。

 

「護衛機は追わないのかい?」

「連中の任務は失敗した。逃げていく連中に無駄弾は使いたくない」

 

 それは事実だった。ミサイルを使えばレシプロ戦闘機は簡単に落とせる。先ほど試しに連山の一機に対して赤外線誘導方式の短射程AAMを発射したが、シーカーは問題なくレシプロエンジンからの排熱も感知し、命中して見せた。レーダー、赤外線のどの誘導方式であっても、この時代の飛行機を撃墜することは容易だろう。

 しかしミサイルは撃ったらそれっきり、補充はない。今後何があるかわからない以上、今は極力武装を温存しておきたかった。

 

「それで、次はどうする?」

「コトブキ飛行隊を助けに行く」

「お人よしだね、君は」

「たまに言われる」

 

 スロットルを上げ、コトブキ飛行隊が戦闘中の空域に急行する。速度を上げると燃料消費量が急激に増えてしまうが、今は現場に急行することが第一だった。

 レーダーに表示される機影は僅かに減っていたが、味方が優勢なのか劣勢なのか画面の輝点を見るだけではわからない。IFFがあれば一発で味方機を見分けられるのだが、ないものねだりをしても仕方ないだろう。

 

「こちらアレン、爆撃機は全て片付けたよ。これから敵の零戦と交戦するから、近くを飛行中の機は注意してね」

『こちらレオナ。爆撃機を全て撃墜したというのは本当なのか?』

「本当だよ。それじゃ…うおっと」

 

 アレンが言い終わる前に、リーパーが機体を加速させる。自警団の九七式戦闘機が、空賊の零戦に付きまとわれている。

 あっという間にフランカーと零戦の距離が詰まっていく。HUDに機関砲のレティクルが表示され、リーパーは操縦桿のトリガーを引く。30ミリ機関砲弾が連続して吐き出され、零戦の機体をまるで紙屑のようにバラバラに引き裂く。いくつかの破片に分解しながら燃える零戦が、地面に落ちていく。

 

 交戦中のコトブキ飛行隊に、背後から襲い掛かろうとする零戦が数機接近しつつある。流石凄腕用心棒集団といったところか、コトブキ飛行隊に被弾した機はまだ一機も無いようだ。だがこれ以上相手にする機が増えるのもよろしくないだろう。

 

 リーパーはコトブキ飛行隊と零戦隊の距離が開いている間に、赤外線追尾式のミサイルを発射した。距離が詰まってしまえば、IFFを搭載していない味方の隼に命中してしまう可能性もある。

 発射されたミサイルは零戦隊のど真ん中で爆発し、破片の直撃を受けた2機の零戦から炎が上がる。防弾装備が整っていない零戦は、被弾に弱い。もっとも第二次大戦中の戦闘機なら、どんな機であろうとミサイルの被弾に耐えられるはずもないのだが。

 

「爆発?」

「なんか飛んできた。ロケット弾っぽいけど」

 

 キリエは青い戦闘機(フランカー)から何かが発射された途端、零戦の編隊の中で爆発が起きたのを見逃していなかった。ロケット弾にしては距離がありすぎるし、あの距離から命中させるのも困難だ。これもイジツの70年先を行くユーハングの兵器なのだろうか。

 

「どうやら助けてくれたっぽいね」

 

 チカの言う通り、フランカーは空賊の零戦を追いかけまわし、機関砲弾を浴びせ、撃墜していく。さっきまでは空賊に追いかけまわされていた自警団の九七式も、フランカーが時間を稼いでいる間に集結し、零戦に集団で格闘戦を仕掛けて追い込んでいる。

 

「なんだ、意外といい奴じゃん」

 

 さっき上空で待機するなんて言ってた際には情けない奴だと思ったし、我が身可愛さ故に高みの見物を決め込むのかと失望したけれど、案外そうでもないようだ。本当に冷たい奴だったら、ラハマに迫る爆撃機など放っておいて、さっさと逃げていただろう。

 

「この機を逃すな、敵を叩くぞ!」

 

 空賊の零戦は突然現れた未知の機体に総崩れとなっていた。連携が乱れ、逃げ出そうとする敵機をコトブキ飛行隊と自警団、ガドールの鍾馗が次々と撃墜していく。

 何機か逃げたようだが、彼らはもう戻ってこないだろう。尾翼に死神を描いた未知の機体。数キロ離れた場所からでも正確に攻撃してくるユーハングの戦闘機がラハマにあると知ったら、空賊たちが今後ラハマを襲うことはなくなるに違いない。




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第一二話 Shattered Skies

『えー、それではラハマを救ってくれた我らがユーハングの友人に対して乾杯したいと思います。乾杯!』

 

 ラハマの一角、土俵のような屋外会議室が設けられた広場には、大勢の人々が集まっていた。町長を始めとしたラハマの住人、そしてオウニ商会のようにラハマを拠点として活動している商社の人間だけでなく、普段は街で見かけることのないスーツを着た身なりのいい人間もいる。ユーリアと共にガドールからやって来た議員団と、今日やって来たばかりの各都市の商社代表や記者たちだった。

 

 人々が集まった目的は、リーパーを歓迎するためだった。70年ぶりにやって来たユーハングの人間。ラハマの住民は街を襲った空賊を撃退したリーパーに感謝の意を伝えるため。そして外からやって来た人々はユーハングの最新鋭戦闘機に関する情報を集め、少しでもリーパーと繋がりを作っておくため。

 

 それだけ大勢の人間が集まれるホテルなどはラハマには無い。そのため広場を開放しての立食会が開催されることとなった。街の規模を考えると豪華な料理がいくつもテーブルに並び、人手が足りないということで駆り出されたジョニーやリリコがラハマの人々と共に調理を行う。町長の合図で皆がグラスを掲げ、さっそくリーパーはスーツの男たちに囲まれた。

 

「いやあ、あの戦闘機は素晴らしいものですな。流石ユーハングだ」

「爆撃機をあっという間に撃墜した時は信じられませんでしたよ。まさかあの富嶽をたったの1機で撃墜するとは」

「是非、近くでじっくりと見てみたいものですな」

「ユーハングではあのような戦闘機が主流なんでしょうか?」

 

 誰も彼も恰幅のいい立派なスーツを着た男たちだ。どこかの会社の社長や銀行の代表、といった肩書と共に男たちが名乗るが、彼らにもみくちゃにされるリーパーは一々名前など憶えていられなかった。愛想笑いと共に、怒涛の挨拶ラッシュを受け流していく。

 

「ユーハングからも今後大勢人々がやってくるのでしょうか?」

「さあ、私は迷子みたいなもので…」

「迷子? それは大変だ。ユーハングと再び交流が再開するその日まで、是非我が社でお世話させていただきたい。ご安心を、何一つ不自由な生活はさせませんよ。ユーハングの進んだ文明に比べれば劣るでしょうが…」

 

 この世界(イジツ)での居場所がないというリーパーに対して、保護を申し出る者もいた。もっともその狙いはリーパーの持つ地球の知識と、何よりフランカーだろう。

 

 

 

 ラハマを空爆しようとした爆撃機編隊を撃墜し、ついでとばかりにコトブキ飛行隊や自警団と交戦中だった零戦を撃退したリーパーは、ラハマの住民の歓声に迎えられ飛行場に着陸した。そのフランカーは今は町長専用の雷電と共に洞窟に格納されており、中に誰も近づけないよう自警団員たちが見張っている。

 数キロ先からでも正確に目標まで到達し、爆撃機を一発で撃墜するロケット弾。隼の倍以上の速度で巡行が可能で、最大速度はそれよりも遥かに速いジェットエンジン。300キロ以上先の目標まで正確に探知するレーダー。どれもこれも、今のイジツでは作れないものだ。

 イジツの空を飛んでいる飛行機は、地球で言えば第二次世界大戦時の技術レベルのものばかり。ユーハングか去ってから、イジツの航空技術はほとんど進歩していない。

 

 あのフランカーを複製出来れば、その会社は大きな利益を上げることが出来るだろう。既存の戦闘機が全て空飛ぶ的になってしまうフランカーは、誰もが欲しがるに違いない。あのフランカーを手に入れることが出来れば、それこそイジツを自分の手で統一することだってできるかもしれないのだ。

 

 だから議員や社長たちは、今のうちにリーパーと繋がりを作っておくことを目論んだ。もしも彼が自分のところに来れば、セットでフランカーもついてくる。あるいは今後ユーハングとの交流が再開された時、リーパーに恩を売っておけば彼がユーハングに口利きして、自分たちに有利になる取引を持ってきてくれるかもしれない。

 最悪フランカーだけでも手に入れたいが、それを動かすためにはユーハング人であるリーパーの存在が必須だ。それに彼の頭の中には、イジツの70年先を行くユーハングの知識がぎっしりと詰まっている。その知識も、きっと金になるだろう。

 

 

 

「彼、大変そうね」

 

 議員や会社の重役に取り込まれるリーパーを見て、ビールの樽を片手にザラが呟く。地上に降りてから、コトブキ飛行隊の面々はまだ一度もリーパーと話していなかった。

 着陸するなりリーパーはユーリアとガドール議員団に取り囲まれ、雨霰と質問を浴びせられていた。それが終わったら今度は町長に呼び出され、そのままこのパーティに直行だ。

 

「ああ。一度礼を言っておきたいんだが…」

 

 ラハマにはレオナが育った孤児院(ホーム)もある。もしも爆撃機がラハマに到達していた場合、もしかしたらホームの子供たちに被害が及んでいたかもしれない。ホームを支えるために用心棒稼業を始めたレオナにとって、子供たちは何としても守るべき対象であり、爆撃機を撃墜して子供たちを守ったリーパーに対しては是非礼を述べたい気持ちだった。

 

「そういやキリエ、地上で会ったらぶん殴るとか言ってなかったっけ?」

 

 カレーのスプーンを口に運びながら、チカが茶化す。しかしリリコ特製パンケーキの皿を手にしたキリエの顔に、怒りや苛立ちといった表情は見られない。

 

「よく考えたらさ、あいつってこの世界で独りぼっちなんだよね」

「独りぼっち?」

「もしも私が穴を通ってユーハングの世界にいきなり放り出されたら、きっと凄く怖いと思う。知らない街に、知らない人たちばかりでさ。そこにはレオナもザラもエンマもケイトもチカも、羽衣丸の皆だっていないんだよ? もしも隼が一緒だったとしても、とても不安になると思う」

 

 しかしリーパーは戸惑いの表情を見せることはあっても、怯えたり不安そうな顔は見せていない。内心きっと怖いだろうに。そう考えるとキリエは、彼に酷いことを言ってしまったのではないかと思う。

 

「私のことをバカにして、って思ってたけど、よくよく考えたらあいつはこっち(イジツ)のことを何にも知らないんだよね。きっとそんなつもりなかったんじゃないかな、って思った。私が勝手に頭に血が上ってただけかもしれない」

「まあ、キリエが自分から反省するなんて。明日は嵐になりそうですわね」

「意外」

「私だって自分の行動を落ち着いて顧みることくらい出来るし!」

 

 キリエはそう言ってパンケーキを口に運んだ。ユーハングにもパンケーキはあるのだろうか、とふと思う。

 思えばキリエがこれまで出会ったユーハング人はサブジーだけだ。サブジーも変わり者で知られていたが、リーパーもだいぶ変わった奴だと思う。

 もしかしたらユーハングはああいった変わった人ばかりがいる世界なのかもしれない。そんなことを考えつつ、キリエはパンケーキのお代わりを貰いに行った。

 

 

 

 一方町長も、大都市の議員や商社の幹部相手の接待に奔走していた。

 ラハマは財政的に余裕がない街だ。主な特産品と言えば岩塩程度で、その他にこれと言った地下資源もなく、また街を支えるような産業もない。コトブキ飛行隊とオウニ商会の活躍でその名が知られるようになったものの、まだまだ知る人はそれほど多くない小さな街のままだ。

 

 今はまだ岩塩が出ているからいいとして、将来その岩塩すら枯渇してしまったらどうなるか。町長はそれが心配でならなかった。ラハマの近くにあるキマノがそのいい例だ。キマノの街は10年前に地下資源が枯渇してしまったため住民が次々と出て行ってしまい、今では廃墟しか残っていない。

 

 もうすぐ町長選で自分の任期が終わるとはいえ、今さえ良ければそれでいいというわけにはいかない。そのためにも大都市からの投資を誘致したり、新たな産業を育てる必要がある。ガドール議員団の来訪にその望みを賭けていた町長だったが、リーパーの来訪でガドール以外からも人がやって来た今はチャンスだった。

 

 大会社の重役たちにお酌をして回り、世間話からラハマに何か誘致が出来ないか話を探る。もっともやって来た議員や社長たちの話題の的は当然リーパーとフランカーのことであり、ラハマの街に関する話はそう多くはない。

 それでも70年ぶりにやって来たユーハング人が最初に訪れた街ということで、ラハマの街を重要視する者もいる。今後新たにユーハング人がやってきたら、リーパーの口添えでここが新たな交流の場所となるかもしれないと考えているのだ。

 

「もしも今後ユーハングとの交流が再開されたら、ラハマにも大勢ユーハング人がやってくるんでしょうなあ」

「今のうちにラハマにも投資をしておくのはどうだろう?」

「この街には外部の人間が泊まれるだけの施設がない。ユーハング人を迎え入れるためのホテルを建設してはどうだ?」

「問題はいつ新たなユーハング人がこちらにやってくるかと言うことだ。彼らの技術を最初に手に入れた者が、このイジツの行く末を左右することが出来る」

「他の商社に渡すわけにはいかないぞ」

 

 

 

 

 

 

 一方企業の重役や議員に囲まれていたリーパーはトイレの名目で人の輪をなんとか抜け出していた。

 こういう歓迎会の場は嫌いではない。だが主賓が自分となると話は別だ。散弾ミサイルのように雨霰と浴びせられる質問を何とかかわし、愛想笑いを顔に張り付け続けているのは苦痛以外の何物でもない。その点、昨日のコトブキ飛行隊の歓迎会は、規模も小さく歳が近い人ばかりと言うこともあって、さほど苦にはならなかった。

 

「あ…」

 

 用を足し、トイレから出た直後、同じくトイレから出てきたレオナと出くわした。会釈して戻ろうとしたリーパーを、レオナが引き留める。

 

「少し、いいかな?」

 

 二人はそのまま近くのベンチに腰かけた。周りには誰もおらず、広場での喧騒が嘘のように静まり返っている。

 

「昨日と今日、君には助けられた。礼を言わせてくれ」

 

 そう言って頭を下げるレオナ。

 

「いえ、礼を言われるなんてことは…それに昨日なんて場を引っ掻き回してあなたたちに迷惑を掛けてしまいましたし、今日だって俺が行かなくたってコトブキ飛行隊だけで空賊に対処出来てたでしょうし」

「だが君が爆撃機を撃墜していなければ、この街は炎に包まれ焼け野原になっていただろう。私はこのラハマで育ったんだ、この街を守ってくれた君には礼を言っても言い切れない。この借りはいつかきっと返す」

「いや、借りなんて…」

 

 生真面目そうな人だなとは思っていたが、やはりその通りらしい。頭を下げるレオナに困惑したリーパーは、思わず空を見上げた。星空のど真ん中に、満月が浮かんでいる。

 

「やっぱり、ここは地球じゃないんだ…」

「え?」

「月の模様が地球と違うんです」

 

 まるでタヌキが逆さ吊りされているかのように見える月の模様に、改めてリーパーはここが自分がいた世界ではないことを実感する。生まれ故郷を離れ、世界各地を転戦し続けてきたリーパーだったが、まさか異世界にまでやってくることになるとは思ってもいなかった。

 

「地球では、月の模様はどう見えるんだ?」

「俺の国ではウサギが餅をついてるって言われてますけど、他の国ではカニだとか、女の人の横顔だとか、色々言われています」

「面白いな。月の見え方ひとつとっても、人によって見方が変わるなんて」

 

 星も地球に比べると、遥かにはっきりと見える。光害が無いためだ。ラハマの街にも明かりは灯っているが、地球の同じ規模の街と比べると遥かに暗い。だから星がはっきりと見えるのだろう。

 それにイジツにはユリシーズが落下していないのも、星が良く見える一因かもしれない。地球に落下したユリシーズの破片は大量の粉塵を舞い上げ、それらは今も気流に乗って地球の大気を漂っている。目には見えないし人体にも影響のないサイズの微粒子だが、それでも気象条件によっては雲一つない環境でも空がぼやけて見えた。明かりのほとんどない山奥の基地でさえ、星があまり見えないこともあった。

 

「君はこれからどうする? 元の世界へ帰れるまではオウニ商会で面倒を見るとマダムが言っていたが」

「さあ…どうしたらいいんでしょう」

 

 いつ元の世界に帰れる「穴」が開くかはわからない。不定期に、しかもどこに開くかもわからない穴を探してイジツを飛び回るのは現実的ではないし、一年後に開くという「穴」を待ってもいられない。おまけに一年後に開く「穴」だって、地球に通じているという保証はないときた。もしかしたら、一生地球に帰還できない可能性だってある。

 今頃地球はどうなっているだろうか? オメガはきちんとオーストラリアに辿り着けただろうか? 家族には自分が行方不明(MIA)になったと伝わっただろうか? 脱走扱いされてないだろうか? 次に行われる作戦は自分抜きでも成功するだろうか?

 

 今まで考えないようにしていたが、やはりどうしても考えてしまう。これからどうすべきか、何を頼りに生きていけばいいのか、まったく分からない。考える余裕も無い。リーパーは途方に暮れていた。

 

「その、私に出来ることがあったら何でも言ってくれ。助けてもらった礼をしたい」

 

 レオナはそう言ってくれたが、何をすればいいのか自分でもわからない。

 だが、嘆いてばかりもいられないだろう。当面はこのイジツで暮らしていかなければならないのだ。誰かの世話になろうが、帰還できる日まで一人で生きることを決めようが、まずは情報が必要になる。

 だがこちらが情報を得るためには、相応の対価が求められるだろう。恐らくイジツの人々は、地球(ユーハング)がどのような世界か知りたがるに違いない。

 

 先ほどパーティの場でイジツの人々と話していると、どうも彼らは地球を理想郷(ユートピア)か何かと勘違いしているようだった。

 無理もない。70年前突如やって来たユーハングは、イジツの人々に様々なものをもたらしていったのだ。飛行機を始めとする技術や文化は、今でもイジツに大きな影響を与え続けている。ユーハングがもたらしたものの中には悪いものや汚いものもあった。だが良いものが多かったことに違いはなく、イジツの人々は今でもその恩恵を受けている。

 

 何よりも自由博愛連合のトップ、イサオが「穴」を独占しようとしていたのがその裏付けとなる。

 イサオは「穴」とそこから出てくるものを独占しようとしていた。「穴」から良いものが出てくるからこそ、イサオは独占しようとしていたのだ―――イジツの人々がそう考えても仕方はない。

 

「なあ、一つ聞いてもいいか?」

 

 恐る恐るといった感じで、レオナが切り出す。なんでしょう、と返すと、彼女は意を決したようにリーパーに尋ねた。

 

「ユーハング―――地球でも、イジツのように争いは起きているのか?」

 

 そんなもの、戦闘機が飛んでいる時点でわかるでしょう。リーパーはその言葉を飲み込んだ。

 きっとイジツの人々は、ユーハングは平和で争いのない豊かな世界だと思っているのかもしれない。イジツは空賊や街同士の争いが絶えない世界で、大都市を除けば生活だって豊かとはいえない。

 だからこそイジツの人々はユーハングに夢を見る。ユーハングがまたイジツにやって来てくれれば、彼らは色々なものをもたらしてくれる。イジツの人々の生活を豊かにして、争いのない世界だって作ってくれるかもしれない。パーティの場で色々な人と話していると、皆が地球に対して過度な期待を抱いているのをリーパーは実感していた。

 

「ええ、ありますよ。昔から、そして今でも」

「…そうか。地球もイジツと同じなんだな」

 

 そういうレオナの顔は僅かに落胆したような、それでいてどこか安心しているように見えた。ユーハングの人々もイジツと同じ人間なんだな、と呟く。

 

 だがレオナは恐らく知らないだろう。70年前イジツにやって来たユーハングの人間は、世界を相手にして数百万の犠牲を出しながら戦争をしていた人々だと。

 その昔空が砕け、無数の隕石が落下し、数千万の人々が死んだことを。

 そして現在進行形で血で血を洗うような戦争が続いていて、毎日大勢の人々が命を落としていることを。

 

 再び、空を見上げる。

 都会の喧騒もジェット機の騒音も、銃声も爆発音も人々の悲鳴もない、静かな空だった。




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第一三話 よみがえる記憶

 翌朝。起床するなりコトブキ飛行隊はマダムに呼び出され、彼女と共にジョニーズサルーンへと向かった。副センことサネアツ、そしてアレンも一緒だった。

 

「マダム、これから何をするんですか?」

「あなたたちにも見てもらいたいものがあるの」

「えー? じゃあ朝ごはんは?」

「食べながら見ててもらえばいいわ。もうジョニーに用意してもらっているから」

 

 そんなサルーンの様子はいつもと違っていた。先にいたリーパーが、椅子を並べ替えたりジュークボックスを退かしたりして何かを用意している。壁には真っ白なシーツが貼られ、反対側の壁際に置かれたテーブルには、見慣れない機械が置かれていた。その機械から伸びるケーブルは、いつもはジュークボックスの電源として使われているコンセントに繋がっている。

 

「すいませんジョニーさん、急にここをお借りしちゃって」

「いやいや構わないで。マダムのお願いごととあれば何なりとだからね」

 

 リーパーは壁のシーツと相対するように、人数分の椅子を並べていく。準備が出来たのか、「じゃあ座ってください」と言った。朝食がまだのメンバーのために、リリコが人数分のパンケーキを運んでくる。

 

「マダム、これは…?」

「今日は歴史の勉強をしてもらうわ」

「私歴史の勉強嫌いなんだけどなあ」

「ユーハングの歴史、って言ったら興味を持ってもらえる?」

 

 それを聞いたチカが、面白そうと言って椅子に座る。他のコトブキ飛行隊の面々も顔を見合わせながら、とりあえず椅子に座った。当然のごとく、アレンとケイトが最前列に座る。

 オウニ商会の保護を受けるにあたり、ルゥルゥは色々とリーパーに条件を出していた。地球(ユーハング)に関する現状を知りたいと彼女が望んだため、こうして朝からオウニ商会の面々を集めて歴史の講義の真似事をすることとなったのだ。

 

「それじゃ、電気を消しますね」

 

 部屋が真っ暗になったが、それも一瞬のことだった。すぐに壁のシーツが、青い光に照らし出される。シーツには何かが映し出されていた。

 

「これは映画かい?」

「え、副セン映画見たことあるの?」

「前に一度だけ。あまり面白くはなかったけど…」

 

 イジツでは映画という文化はあるらしいが、地球ほど一般的な娯楽ではないらしい。見られる場所は限られているし、内容も単調だと聞いている。

 

「ええ、そんなものです。見て頂くのは映画ではありませんが」

 

 プロジェクターとスピーカーを持ってきていて良かった、とリーパーは思った。映画鑑賞が趣味であるリーパーが、オーストラリアへの移動に際して私物として持ってきたものだった。

 電源は、サルーンのコンセントがそのまま使えた。恐らくユーハングが使用した規格を今でもそのまま使っているのか、コンセントの電圧や電流が日本の物と全く同じだったのだ。

 

 リーパーはプロジェクターに繋いだタブレット端末を操作する。アローズ社の社員全員に支給される端末で、軍用スペックを満たした代物だ。リーパーはとあるアイコンをタップし、言った。

 

「ハイ、クヴァシル。歴史の授業を頼む」

「あいつ誰に向かって話してるの?」

 

 よくわからない機械に向かって話すリーパーに、チカが首を傾げる。しかし次の瞬間、スピーカーから電子合成された男の声が聞こえた。

 

『おはようございます。古代、中世、近世、近代、現代、どの歴史に致しましょうか?』

「現代の歴史、第二次世界大戦終結後から2020年までの世界情勢について簡単に頼む」

 

 リーパーが持っている端末と会話しているらしい、とキリエはようやく気付いた。無線機か何かで、どこかの人と話しているのだろうか? 同じことを思ったらしいザラが、手を挙げて尋ねる。

 

「それって、今他の場所にいる人と話してるの?」

「違います。この端末の中に人工知能(AI)―――簡単に言うとこっちの質問に答えてくれる機械が入ってるんです」

 

 もっとも、今はオフラインなので簡単な受け答えや通訳くらいといったアシスタント機能しか使えないが。アローズ社のネットワークに繋がっていれば、哲学的なものを除けばあらゆる質問に答えてくれる。このAIソフト「クヴァシル」は、アローズ社の社員全員に支給された端末に標準でインストールされている。

 アローズ社に入社する若者の中には、満足に教育を受けられなかった者もいる。そう言った連中のために、基礎的な世界情勢や社会についての知識が学べるアプリケーションが端末にはインストールされていて、今回リーパーが参照しているのもその一部だった。

 

「これは驚きだな。機械が質問に答えてくれるなんて」

「驚愕、摩訶不思議」

 

 これはアレン達も興味深いだろうな、とキリエは思った。というか、キリエ自身面白そうだと感じている。まだ見たことのない、ユーハングの機械。きっとユーハングには、あんな便利なものがたくさんあるのだろう。

 

『承知いたしました。それでは1945年から2020年にかけての世界情勢についてご説明致します』

 

 画面が切り替わり、いくつもの写真とムービーが再生される。最初は興味津々と言った感じで画面を眺めていたキリエ達だったが、その顔はだんだんと険しい表情に変わっていった。

 東西冷戦。世界を何度も滅ぼしかねない核兵器の存在。自由主義陣営と共産主義陣営の争い。幾度となく繰り返される戦争。そのたびに生まれる何十万人と言う死者。そして宇宙にまで波及する、両陣営の競争。

 

 地球(ユーハング)の社会や政治体制がイジツと全く異なることはなんとなく理解できた。だが一度の戦争で何万人も死者が出るなんてことは、キリエ達の理解の範疇を超えていた。

 

 

 9年前、リノウチでイジツ史上最大規模の空戦が起きた。その戦いで新米操縦士だったレオナはイサオに助けられたが、大勢の操縦士が命を落とした。墜落した飛行機は民間人にも被害を及ぼし、この戦いで親を失った大勢の孤児が出たと言われている。

 だがそれでも、死者は一万人も出ていない。そんな数の死者が出たら、イジツでは街がいくつか消えてしまうだろう。だが地球では、それが珍しくも無いのだ。

 

 

 キリエはユーハングは素晴らしい世界なんじゃないかと思っていた。だが機械が淡々と告げるユーハングの世界は、イジツよりも過酷で、残酷なもののように思えた。

 優れた技術を持っているということは、それが兵器にも応用されると言うことだ。技術が進めば進むほど、兵器もより高性能に、そして大勢の人間を殺せるように発達していく。

 

 淡々とした説明が続く。やがて冷戦は共産主義陣営の脱落という結果に終わり、自由と民主主義の潮流が世界を形作っていくと誰もが信じた。だが―――。

 

 

『1994年、長い楕円軌道を描く一群の小惑星が発見されました。それは木星軌道上の小惑星「1986VG1ユリシーズ」に、未知の小惑星が衝突してできた破片でした』

 

 太陽系図がシーツに投影される。木星軌道上のユリシーズが無数の破片となり、地球へ向かっていく。

 

『この「ユリシーズ小惑星群」は地球との衝突軌道にあり、地球に一万個の隕石が降り注ぐと判明します』

 

 地球へと降り注ぐ隕石のイメージ。隕石が流れ星と同じものだということはキリエも知っている。

 だが流れ星が地上まで落ちてきたなんて話は聞いたことが無い。しかしリーパーのいた世界では、それが起きてしまったようだ。

 

『全ての軌道変更は不可能なため、小惑星と隕石を迎撃・破壊する最後の手段として超巨大地対空レールガン施設の建造が開始されます』

「レールガン?」

「物体を電磁誘導によって加速し、撃ち出す装置。イジツではまだ理論段階」

 

 ケイトがいつもの通り答える。

 

『そして1999年7月、小惑星群が飛来します』

 

 映像が表示される。飛行中の戦闘機から撮影された映像。青空をいくつもの流れ星が光の尾を引いて落下していく。昼間だというのにその軌跡ははっきりと見えていた。

 映像が切り替わる。そこに表示されていた街は、イケスカよりも遥かに発展していた。いくつもの高層ビルが立ち並び、地面をどこまでも家々が埋め尽くしている。

 これはどこの街なんだろう。そうキリエが口を開く前に、その大都会に落下していく流れ星が画面に映る。落下の瞬間画面が真っ白に染まり、そしてノイズと共にブラックアウトする。

 

『レールガンにより被害はごく僅かに抑えられました。世界秩序の崩壊程度でしたがね』

 

 地球のモデルが投影される。青い海と、緑に包まれた大地。イジツとは全く異なる星に、いくつもの流れ星が落下していく。

 

『これが有史以来、人類が初めて経験する未曽有の大惨事。「ユリシーズの厄災」です』。

 

 地球の各地が真っ赤に染まっていく。その脇にカウントされていく数字は、死者数だろうか? 地球(ユーハング)の文字が読めなくてよかったとキリエは思った。いったいどれだけの人間が死んだのか、考えたくもないし数えたくもない。

 

『既存インフラの喪失により世界経済は混乱し、特に被害の大きいユーラシア大陸ではアジア諸国、南欧州諸国が破綻を免れるために地域ごとに共同体として再編。軍事予算を削減し、復興予算にその多くをつぎ込みました』

『領土縮小によるエネルギー資源の枯渇はどの共同体でも大きな問題となり、天然資源を求めての紛争が激化していきます』

 

 空を飛ぶ戦闘機の群れ。爆発と共にその機体がバラバラになり、地上に降り注いでいく。

 炎を背景に立ち並ぶビル。大きな荷物を抱え、地平線のかなたまで連なり道路を歩く人々。

 やがて難民たちはユーラシア大陸の一か所に集まっていく。しかしそれは、先進国が難民たちを一か所に閉じ込めたというようにも見えた。

 

 世界は復興していく。ただし難民や貧しい国家に目を向けず、あくまでも先進国目線での復興が。

 世界各地で巻き起こる反大国のテロや武力行使。発展する多国籍テロリズムネットワーク。国連は彼らをテロ組織と認定したが、難民たちは国連を支持しなかった。自分たちを見捨てた国連を憎み、テログループに加わり、賛同する者たちが続出した。

 

 そして難民たちは決起した。東ヨーロッパから極東にかけての広大な地域を、ユリシーズ難民による国家「ユージア連邦」として独立すると。「失われた世代」と呼ばれる難民出身者たちが大国のいいなりとなり弱体化した国連に変わり、新たな秩序となり強力な統治機構で世界の窮状を救うのだと。

 

 世界を巻き込む戦争が始まる。毎日大勢の人々が死んでいき、陸と空、そしてイジツには存在しない海で血で血を洗う戦いが今も繰り広げられている。国連とユージア、どちらが地球に秩序をもたらすかを掛けて戦い、そんな戦いの空をリーパーは飛んでいた。

 

「これが、今の地球(ユーハング)です。ユーハングはあなた方が思うほどいいところではありません。むしろ、こちらよりも酷いかもしれない」

 

 

 その映像には誰もが言葉を失った。まさかイジツに様々なものをもたらしてくれたユーハングの世界が、今こんな酷いことになっているなんて。理想郷とは程遠い、それどころかこの世の地獄のような光景さえもが繰り広げられていそうだ。

 

「俺が懸念しているのは、イジツの存在が地球に知られることで、戦争がさらに長引くのではないかということです。イジツには恐らく、地球の技術でならば採掘可能な資源がまだ大量に眠っているでしょう。もしもユージアがイジツを見つけて先にやって来た場合、彼らはこちらで大量の兵器を作り、戦争継続のための資源を確保し、地球に送るに違いない。そうなったら戦争はいつまでも終わりません。もっと多くの血が流れることになる」

 

 ユージア連邦の目的は、現体制の打破。すなわち国連を中心とした各国協調の世界秩序ではなく、難民であり虐げられてきた民たる自分たちユージア連邦が、世界を全て支配するということだ。ユージア連邦が敗北しない限り、彼らは戦いを止めようとは思わないだろう。そして第二の地球も同然のイジツをユージアが見つけてしまった場合は、戦いがさらに長引くことは容易に考えられる。

 

「これは、ここの人々には見せてはいけないものね」

 

 ルゥルゥが険しい表情で呟く。

 

「ユーハングで戦争が起きていて、しかもそれにイジツが巻き込まれるかもしれないとなったら、自由博愛連合が復活する可能性は大ね。イサオの奴、空賊に対抗するために各都市をまとめ上げて強力な常備軍を編成するって言っていたから」

 

 かつて自由博愛連合を率いていた男、イサオ。彼の目的は「穴」とそこからもたらされる物を独占することで、自由博愛連合はあくまでもそれをやりやすくするための手段に過ぎなかった。だがその理念に共感し、連合に加わった都市や人々が大勢いたのも事実だ。

 

「穴の向こうに強大な軍事力を持った勢力がいて、それがイジツにやってくるかもしれないと言うことを知ったら、皆恐怖を抱くでしょうね。あの戦闘機(フランカー)を見た後ならば、イジツの兵器では到底太刀打ちできないと皆実感するはず」

 

 しかもユージア軍は何百万人という兵士を抱えている。それがもしイジツにやってきたら、内戦前のイケスカ飛行隊だって敵わないだろう。

 

「もしも侵略されるかもしれないと皆が思ったら、イジツを守るために各都市を強力な統治機構でまとめ上げて対抗しなきゃいけないってなるでしょう。そうなったら、私たちがやったことは全て無駄になるわ」

 

 自由博愛連合はその名に反し、全体主義的な側面を持った思想を持った集まりだった。各都市や個人の権利を制限し、義務を定め厳格なルールを課して上から下まで各都市を統制する。その反面空賊に対抗できるほどの自警団を有していない都市のために強大な常備軍を組織し、協力して治安維持に当たることを計画していた。もっとも組織された常備軍はイサオが他の都市を空爆するために使われたのだが。

 

「しかし、皮肉なことね。穴の向こうのユーハングでは、イサオが目指していた自由博愛連合のような政治で世界が回っているなんて」

「地球ではどんな政治体制がいいのかを決めるために、何百年も多くの血を流し続けてきました。今は一応そのイサオさんという方が掲げていた理念が今のところ一番上手くいっているというだけで、本当はもっと他にいいやり方があるのかもしれませんが」

 

 無制限の自由を認めていては人々が互いに傷つけあう自由すら容認してしまう。だからルールを課して自由を制限し、権利を定めた。共同体の構成員は各々に課せられた義務を果たさなければならないが、その代わりいざという時には共同体で守ってもらえる。なるほど、イサオが掲げていた自由博愛連合の思想に似ている。

 国連も似たようなものだ。だが今まで国連が理念通りに活動出来ていたかということについては、正直なところ疑問もある。だが他に上手いやり方が無いと言うことも事実だし、国連が世界平和のために活動しているは間違いない。

 

「一つ聞いても良いでしょうか?」

 

 今まで黙って話を聞いていたエンマが手を挙げる。

 

「あなたが所属しているのは今ユーハングの主流勢力である国連という組織でしたわね? そしてそれに反旗を翻しているのが、難民たちが作った国家とやらのユージア。この認識に誤りはございませんか?」

「はい、その通りです」

「話を聞いていると、そのユージアという方に私は同情してしまいますわ。今まで誰も助けてくれなかった、だから自分たちが世界を変えて新しい仕組みを作るんだというのが目的だったら、それはそれで正しいんじゃありませんの? あなたはそのユージアという国家を悪だと思ってらっしゃるようですが、あなたの所属する国連とやらが悪ではないとどうして言い切れますか? その国連とやらも、イジツを見つけて侵略しないという保証はないのでしょう?」

 

 エンマの指摘はもっともだった。これまで国連が大国のいいなりとなって活動してきたことについては、誰も否定できない。そのためにユリシーズ難民に支援を行き渡らせることが出来ず、彼らを失望させ、大勢の人々の死を招いてしまったことも事実だ。

 そして国連がイジツを見つけた際に、こちらを侵略しないということも言い切れない。国連も所詮は国家の集まりだ。イジツに手を出そうという大国が現れた時、それを止めることが出来るのか。むしろユリシーズ難民をイジツに放り込んで、代わりに資源を搾取するなんてこともあるのではないか。

 

 

 だがリーパーはユージアよりも国連の方がマシだと思ったからこそアローズ社に残留し、国連軍の一員として戦っている。グッドフェローやエッジ、オメガもそうだ。

 不完全で完璧ではないが、それでも国連は世界を良くしようとして今日も戦っている。だがユージアがやろうとしているのは、世界を自分たちが支配しようという侵略に過ぎない。

 

「ユージアは難民のためと言いながら、戦争でさらに多くの難民を生み出しています。そして家族や家を追われた彼らを、ユージアは顧みることはない。それに何より、俺は彼らを許すことが出来ない」

 

 昨年行われた東欧への上陸を目的としたバンカーショット作戦。劣勢に追い込まれたユージア軍は、軌道上に漂うユリシーズの破片を落下させるという凶行に及んだ。

 

 ヴェルナー社が開発した軌道清掃プラットフォーム「OLDS」。軌道上のユリシーズの破片にレーザーを照射し、隕石表面を気化させて進路を変更。外宇宙へ排除するか大気圏に落下させて燃やすためのこのプラットフォームを、ユージア軍は兵器に転用した。意図的に大気圏で燃え尽きないコースでユリシーズの破片を落下させることで、地上を攻撃したのだ。

 

 そのせいで大勢の兵士が命を落とした。また隕石は作戦地域外の街や海に落下し、隕石の直撃を受けたり発生した津波で民間人にも多大な被害が出た。戦いに敗れそうになったから、無関係の民間人をも巻き込んで無差別攻撃を行う連中。そんなものは悪以外の何物でもない。

 

「確かに国連も正義とは言えないでしょう。でも、もし国連がイジツを侵略しようとするのであれば、俺が何としてもそれを止めます。たとえそれが反乱になるのだとしても」

「…なるほど、あなたの覚悟はよくわかりましたわ。今はあなたの言葉を信じましょう」

 

 だがいずれにせよ、「穴」の向こうの争いがイジツに持ち込まれるかもしれないとなれば、イジツの人々が恐れを抱くのも当然だ。それに対抗するために、せっかく倒した自由博愛連合を復活させようという話も出てくるかもしれない。

 コトブキ飛行隊とオウニ商会、そしてルゥルゥや他の飛行機乗りたちも、自由が一番だと思ったからこそ自由博愛連合と戦う道を選んだ。だが自由博愛連合が復活すれば、多くの犠牲を払って得た勝利も無駄になる。

 自由博愛連合は地球の脅威に対抗するという名目の下、さらに強権的な各都市の統治を進めていくだろう。自由を捨て、満足な権利も得られないまま、為政者だけに都合のいい政治が行われる。そんな未来は誰も望んではいなかった。

 

「とりあえずこの件については、ユーリアに話をしておくわ。他の議員に話したところで無用なパニックを起こすだけよ」

「なんだかんだでユーリア議員のことを信頼してるんですね、ルゥルゥ」

「勘違いしないで頂戴。彼女が一番話の通じる人間だというだけのことよ」

 

 恐らくユーリアも、自由博愛連合が復活するような事態は望んでいないだろう。かといってこのまま地球の関する情報を隠蔽し続けていくわけにもいかない。もしも今後永遠に地球(ユーハング)との交流が再開しないというのであればその問題もないが、アレンの計算では一年後に大規模な「穴」が開く。その時になって慌てて対策を立てるよりも、今のうちから備えておく必要があった。

 




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第一四話 HANGAR

「もしこいつが何かトラブっても、直すのは無理だな」

 

 リーパーの顔を見るなり、開口一番ナツオが言った。その手にはいつものイナーシャハンドルではなくレンチが握られている。

 

「ですよね」

「部品がありゃ何とかなるかもしれないが、その部品すらないんじゃあな。しかもこいつはこんぴゅーたー? とかいうものがあちこちに使われているんだろ? しかも真空管じゃなくてよくわからない基盤回路を使ってる。私たちの手には負えないな」

 

 朝食後、リーパーたちは町長専用の雷電を格納している滑走路脇の洞窟を訪れた。そこにはナツオ達羽衣丸の整備士たちが集まっていて、さっそくフランカーの様子を確認していた。彼女たちにとっては未知の機体だろうが、それでも興味の方が勝っているらしい。あちこちのパネルを開き、内部を覗き込んでは何事か話し合っている。

 

 地球に帰還するその時まで、フランカーは何としても飛べる状態を保っておかなければならない。この機体は孤立無援と言っていいリーパーの最大の武器であり、そして生き残るための術でもあった。

 リーパーはラダーを昇って操縦席に乗り込み、機体に備え付けてあるメンテナンス用端末を取り出した。そしていくつかの項目を確認する。今のところ、機体にトラブルは発生していないようだった。

 

 ヴェルナー社が開発した画期的な航空機生産方式で、供給される戦闘機の数は大きく増加した。戦闘機の増加はパイロット不足と同時に、整備士不足という深刻な問題も生み出した。それを解決するために、先進各国では戦闘機や兵器への人工知能(AI)の導入が積極的に進められた。

 

 部品を始めとして機体各所にセンサーを配置し、AIが常に機体の状況を把握する。部品の劣化や故障が発生した場合は直ちに各種端末にトラブルの個所が表示され、これにより以前は一々パネルを開けて目視で探すしかなかったトラブル箇所や劣化部品が、パイロット一人で把握できるようになった。またエンジン等の部品自体の耐久性と信頼性が向上したこともあって、定期的に行われる整備やオーバーホールの頻度を大幅に減らすことが可能になった。

 

 もっとも飛行時間や回数ごとの定期的な整備は欠かせないし、部品が故障すれば交換する必要もある。だがイジツにはジェットエンジンについての知識を有する整備士はほぼいないだろうし、各種センサーが取り付けられた部品だって存在しない。何より機体を飛ばすためのソフトウェアについては、恐らく誰も何も知らないだろう。

 

 つまり壊れたらそれっきりということだ。全部あるいは一部でも代替出来る部品があれば遠慮なく飛ばすことも出来るのだが、それは無理なことだ。

 

「これは何?」

 

 いつの間にか隣にやって来ていたケイトが、リーパーの持つメンテナンス端末を興味深そうに眺めている。

 

「あー、これは機体のメンテナンス用端末だ」

「ブラウン管よりも薄く総天然色での表示が可能。興味深い」

「見る?」

 

 頷いたケイトに端末を渡す。ケイトは端末に表示される機体の3D図と実機を交互に眺め、何かを確認しているようだ。彼女にとってこの機体は宝の山みたいなものだろう。タップしただけで画面が切り替わることに驚いているようだが、すぐに操作方法を把握したらしい。機密事項にはロックがかかってるから見せるくらいなら問題ないと判断し、リーパーはケイトにしばらく端末を貸すことにした。

 

「うわー、改めて見ると大きいな。雷電が子供みたいだ」

 

 チカがフランカーと、隣に駐機する町長専用雷電を見比べる。コトブキ飛行隊が使用する隼よりも一回り大きいサイズの雷電だが、フランカーはさらに全長も全高も雷電の二倍はある。フランカーの胴体に雷電をぶら下げて飛べそうだ、とチカは思った。

 

「ねえ、これってどのくらいの速さで飛べるの?」

「最高速度はマッハ2.3だね」

「マッハ?」

 

 聞き慣れない単語に首を傾げたチカに、「音の速さの2.3倍ってことさ」と上から声が降ってくる。いつの間にかフランカーの操縦席に座っていたアレンだった。

 

「隼の最高時速が520キロ程度だから、だいたいその4倍以上の速さで飛べるみたいだね」

「凄い、私たちじゃ追いつけないや」

 

 チカが今まで遭遇した機体の中で、一番速かったのがイケスカの戦いでケイトを撃墜した銀色のジェット戦闘機と、イサオが乗っていた震電改だ。だがそのどちらよりも、このフランカーは速く飛べるのだろう。

 

「随分重そうな機体ですが、重量はどれくらいなんでしょう?」

「えーと、大体17トンですね」

「ということは、隼の9倍…それでいて隼の4倍以上の速さで飛べるなんて信じられませんわ」

 

 恐らく羽衣丸に搭載したら、重さで飛行甲板が抜けてしまうに違いない。重爆撃機である飛龍が二機分の重量。それでいて爆弾搭載量は飛龍の8倍以上。イジツからしてみれば驚きの塊の機体だろう。

 イジツの―――元は70年前にユーハングが持ち込んだものだが―――戦闘機とは根本的に設計思想が異なるのだろう、とエンマは思った。隼が格闘戦で敵を制するための機体であれば、フランカーは遠くから戦闘空域まで急行し、長射程の兵器を以て敵機を撃墜するための機体。昨日聞いたところによるとフランカーのレーダーは150キロ以上先の戦闘機を探知し、同じ射程距離の誘導式ロケット弾で撃墜できるのだという。求められている用途が異なるのだ。

 

 もっとも、格闘戦性能は同時代の戦闘機の中でもフランカーは1、2を争うらしい。高速性能に加えて格闘戦能力も求められ、さらに航続距離と兵器搭載能力まで要求された結果、このような大型機になったとエンマはリーパーから説明を受けた。値段が高いことを除けば優秀な戦闘機だとリーパーは言った。

 四式戦闘機「疾風」や五式戦闘機のようなものか、とエンマは思った。あれらも速度や武装、防弾装備の優れた高性能戦闘機だ。隼ほどではないが、格闘戦能力も優れている。

 

「おーい、ちょっと来てくれ」

 

 ナツオがリーパーを呼ぶ。彼女の足元には、フランカーの機体から外された増槽が台車に乗せられ横たわっていた。昨日の戦闘でほぼ増槽内の燃料を使い切ってしまったため、機動性と燃費向上のために取り外したのだ。機内燃料はまだ満タンに近く、オーストラリアへの長距離飛行のために普段は搭載しない増槽を装備していたのが幸いだった。

 

「こいつがジェット燃料か。灯油…とはまた違うんだろ?」

 

 増槽内にわずかに残っていたジェット燃料が入ったボトルを、ナツオが手に取る。

 

「主成分は灯油とほぼ同じですが、色々な添加剤が入ってます。あと上空で氷結しないように水分も除去したり。可能であればそれと全く同じものが入手出来ればいいんですが…」

「完全な再現は難しいだろうな。取引先のナンコー石油で分析してもらうが、作れるかどうかはわからない」

 

 灯油でも飛べることには飛べるが、極力リスクは避けたい。ただでさえ交換用の部品が存在しないのだ。可能であればJP-8規格のジェット燃料を使いたいところだが、最悪の場合は灯油で飛ばすことになるだろう。

 

「こっちは、作れるかどうかは運だな」

 

 そう言ってナツオが手に取ったのは、フランカーの機関砲の弾薬ドラムから取り出した30ミリ砲弾だった。「うわっ、でかっ」とキリエが目を見開く。

 

「やだ、すごい大きい…」

 

 ザラが砲弾を見て呟く。なんか引っかかる言い方だなとリーパーは思ったが、確かに30ミリ機関砲弾は大きい。イジツのどの航空機関砲の砲弾よりも、遥かに大きいだろう。

 

「確かにこんなものを食らったらバラバラになるな。隼の12.7ミリ弾の2倍以上はある」

 

 搭載されている30×165ミリ弾は、薬莢の長さだけで隼の12.7×81ミリ弾の全長を超えてしまう。太さに至っては牛乳瓶並みに太く、まるで杭のようだった。

 レオナは昨日の空戦でフランカーに撃たれた零戦がバラバラに吹き飛ぶのを見たが、この砲弾を見ればそれも納得だ。リンクで繋がれた30ミリ砲弾が10発ほど、パネルを開けて露出された機関砲から引き出されてくる。機関砲自体の大きさも、隼のホ103とは比べ物にならないほど大きい。

 

「この機体には何発機関砲弾が装填されているんだ?」

「150発ですね」

「少ないな。発射速度は?」

「毎分1500発から1800発、ってところですね。引金(トリガー)を引きっぱなしにしてたらあっという間に弾切れですよ」

 

 ミサイルが主体の現代の航空戦では、機関砲を使うこと自体があまり多くはない。それでも最近のユージア軍との戦闘では格闘戦(ドッグファイト)がしょっちゅう起きていて、機関砲を用いた戦闘も重視されるようにはなってきている。

 隼のホ103機関銃の発射速度は毎分800発で装弾数が一丁辺り270発。それに対しフランカー搭載の30ミリ機関砲は発射速度は倍以上だが、砲弾の搭載数は半分近い。彼我の速度があまりにも速い現代戦闘機同士でのドッグファイトでは、敵機があっという間に照準から外れてしまう。照準に納めた一瞬のうちに、どれだけの砲弾を送り込めるかが重要であるため、1秒で数十発も発射できるサイクルとなっているのだ。

 

 一昨日の威嚇射撃と昨日の空戦で、既に30ミリ弾は50発ほどが消費されてしまっている。機関砲弾の複製が出来れば丸腰で飛ぶこともなくなるのだが、問題は使用している砲弾が電気発火式の信管だということだ。

 

「単純な撃発式なら複製も簡単なんだろうが、電気発火式はな…。ユーハングの戦闘機に搭載されてるのは、ほとんどが撃発式信管を使う機関銃だ」

「じゃあ作るのは無理そうですね…」

「いや、昔ユーハングが持ち込んだ数少ない電気発火式の機関銃があるらしい。まうざーだかもーぜるだかは忘れたが、その機関銃の銃弾を作っている工廠があるって誰かが言ってたな。そいつらなら、もしかしたらこの砲弾を複製できるかもしれない。お高くなるだろうが…まあ知り合いを当たってやるよ」

 

 リーパーが頭を下げると、「いいってことよ。こっちも面白いモン見れたからな」とナツオが笑う。弾倉から取り出した30ミリ砲弾を15発、複製のためにナツオに預ける。作れるかどうかは運と金次第だろうが、希望は持てる。

 

「だが、これは無理だな。どう考えてもイジツじゃ作るのは無理だ」

 

 そう言って背伸びしたナツオが手を触れたのは、ハードポイントからぶら下がるミサイルだった。リーパーも、その点は最初から期待していなかった。

 

「イジツの技術では近接信管付ロケット弾の複製が限界。それもイケスカ内乱が起きている今は、作れるかどうかも怪しい」

 

 リーパーが渡した端末を片手に、ケイトがミサイルのシーカーを眺めながらナツオの後を継いで続ける。イケスカでコトブキ飛行隊を襲撃したジェット戦闘機は、どうやらリーパーと同じく地球から迷い込んできたものらしい。

 ケイトが描いてくれた戦闘機の絵と、それが搭載していた兵装から、リーパーはイケスカが運用していたのがF-86D戦闘機だろうと推測した。初期のジェット戦闘機で、爆撃機を撃墜するため機銃ではなくロケット弾のみを搭載した機体だ。

 近接信管の製作には高度な技術力を要するし、作った後の品質管理も厳格に行わなければならない。イジツで最も発展していたイケスカであればそれも可能だっただろうが、内戦中の今もその技術力を保っているかどうかは怪しい。

 

「結論。複製可能なものは燃料と機関砲弾のみ」

「まあ、わかってはいたけどさ…」

 

 ラハマの住民も他の街からやって来た議員や会社の重役たちも、フランカーを無敵の戦闘機か何かと勘違いしている。確かに満足な補給と整備が受けられるのであれば、きっとフランカーはイジツの空では敵なしだろう。しかしミサイルも機関砲も撃ち尽くしてしまえば、後はただ飛ぶことしか出来なくなる。それ以前に燃料が無ければ飛ぶことだって出来ないし、故障した部品を使い続ければ墜落する可能性だってある。

 

 フランカーは文字通りリーパーにとっての命綱だ。地球に帰還する手段として、そして地球に帰還するその日まで、自分の価値を高めておいてくれる道具。こいつが使い物にならない事態は考えたくもない。

 

「これからどうやって生きていけばいいんだろうな」

 

 オウニ商会に保護してもらうとはいえ、いつまでもただ飯を食らうわけにはいかない。帰還の目処が付くその日まで、自分に何かできる仕事をしながらこのイジツでの生活基盤を築く必要がある。もしかしたら、一生地球に帰れない可能性だってあるのだ。

 

 大都市からやって来たという議員や重役たちの世話になるつもりは全くなかった。彼らが狙っているのはリーパーの持つ知識とフランカーだけで、それらを得るためならばどんな真似をしてくるかわからない。最悪の場合、リーパーを拷問してでもユーハングの知識を得ようとするだろう。昨日のパーティで、リーパーはそのことを肌で感じ取っていた。

 

 ルゥルゥもユーハングの知識とフランカーに興味を持っているようだが、なぜだか彼女は信頼できる気がする。パイロットの勘ではないが、リーパーはそう感じていた。

 

「あんた飛行機飛ばせるんでしょ? なら私たちみたいに用心棒になればいいじゃん」

 

 頭を抱えるリーパーに、キリエが「何を悩んでるんだ」とばかりに言った。

 

「用心棒?」

「そう、あんたもユーハングで似たような仕事してたんでしょ? だったらユーハングに帰れるまでこっちでも用心棒やってればいいじゃん」

「用心棒といったって、あいつは気軽に飛ばせないしなあ…」

 

 リーパーが見つめる先には、今まさにナツオやアレン、ケイトによってあちこちを弄繰り回されているフランカーの姿。飛ばせば飛ばす分だけ、故障のリスクは高まり部品の消耗も進む。それに武装だって残弾に余裕はないし、補充だって利かない。フランカーはイジツの空では無敵だろうが、用心棒稼業に用いるにはオーバースペックの上に、あっという間に戦えなくなってしまう。

 

「別にあの戦闘機じゃなくたってさ、隼とか九七式とかでさ。それともあんた、良いのは戦闘機だけで操縦士としての腕は別なの?」

「…言ってくれるじゃないか」

 

 キリエの言葉で、リーパーの中である程度の覚悟が決まった。元の世界に帰還できるまでオウニ商会の世話になりつつ、こちらでパイロットとして働かせてもらおう。

 

 聞けば羽衣丸は物資輸送の関係であちこちの街を定期的に訪問しているらしい。各地を回るということは、その分不定期に開く「穴」に遭遇する可能性も増えるのではないか。自分ひとりであちこちを飛び回って「穴」を探すより、羽衣丸で用心棒として飛びつつ、「穴」に関する情報を各地で集めた方が、一年後に開く「穴」を待つよりも早く地球へ帰還できるかもしれない。

 

「ありがとう。君のおかげで覚悟が固まったよ。えーと…」

「キリエだよ。一昨日はいきなり突っかかってごめん、私よく頭に血が上りやすいって言われてさ…」

「隊長さんから聞いてるよ」

「あんたはリーパーだよね? 変わった名前」

「リーパーってのはあだ名だ。本名は…」

 

 キリエに名前を名乗ると、彼女は目を丸くした。

 

「あんたの名前ってサブジーに似てるね。もしかして家族?」

「サブジー?」

「私に飛行機の飛ばし方を教えてくれた、ユーハングの人。今はもういないけど…」

「その人も操縦士だったのか?」

「うん。たぶんもう、生きてない」

 

 悪いこと聞いたかな、と思ったが、キリエは気にしてないようだった。

 そのサブジーとやらは仲間と共に「穴」の向こうに帰らず、こちら(イジツ)に残ったのだという。なぜ彼が地球へ帰らずイジツに留まる道を選んだのか、それは誰も知らない。

 「ユーハング人」である自分も、そのうちサブジーの気持ちがわかるのだろうか。今は一刻も地球に帰りたい気分だが、やがて帰りたくないと思うようになるのだろうか。

 

 

 

 

「ところで、一つ聞きたいことがあるんだが」

「なに?」

「あのナツオって整備班長、歳はいくつなんだ?」

「うーん、詳しくは知らないけど大人のはずだよ?」

「…本当に?」

「本当に」

「どう見てもロ…子供にしか見えないんだが」

「本人にそれ言わない方がいいよ、イナーシャハンドルで殴られるから」

「イジツって不思議な世界だなあ」




ご意見、ご感想お待ちしてます。


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第一五話 Free Flight

「展示飛行…ですか?」

 

 ラハマに来てから4日目。呼び出され羽衣丸の社長室を訪れると、そこには申し訳なさそうに部屋の隅で縮こまる町長と、いつも通りキセル片手のルゥルゥが待ち構えていた。

 

「そうなんだよ。君のおかげでこのラハマに大勢の人が来たのは良いんだけど、『ユーハングの戦闘機は飛ばないのか』って皆うるさくて」

 

 リーパーがラハマに飛来して以降、この小さな町を訪れる人の数は以前と比べ大幅に増えていた。ユーリアと共にやって来たガドールの議員たちは言わずもがな。他にも70年ぶりに再来したユーハング人とその戦闘機を目当てに大都市からも議員や大企業の重役が訪問し、それを追って新聞記者たちまでもが詰めかけている。ユーハング最新鋭戦闘機飛来のニュースはあちこちの街に伝わり、一目見ようとフリーの飛行機乗りたちまでもが集まってきてしまっている。

 

 おかげでラハマの飛行場は飛行船と輸送機がひっきりなしに飛び交い、通りには人が溢れている。どのレストランやバーも満員で、旅館はとっくに部屋が埋まった。泊まる場所がない人々の中には、仕方なく野宿している者すらいるという。

 

「このままだと人が集まりすぎて事故が起きそうなんだ。だからいったん彼らを収めて帰ってもらうためにも、どうか一度皆の前で飛んでもらいたいんだ」

 

 街を訪れる人間が増えるのは、ラハマにとって悪いことではない。飛行場は使用料の収入が増えるし、レストランや旅館も客が増えることを望んでいた。だがこのペースだと、街全体がパンクしてしまう。バーやレストランの従業員は休みなしで働き続けているし、飛行場はもう駐機スペースがない。

 彼らの目的はリーパーが乗ってきたフランカーだ。それを見たら帰ってくれるだろう。せっかくの客を返してしまうのはもったいないが、受け入れ態勢が整っていない以上、この状態が続けば大きなトラブルが発生しかねない。

 

「もちろんお礼はします。街を救ってくれた君にこんなお願いをするのも悪いとは思うけど…」

「…マダムは何も言わないんですか?」

 

 町長が話している間、ルゥルゥはずっと黙ったままだった。何か言ってくるかと思っていただけに、思わずリーパーはそう尋ねていた。

 

「この話、受けるか受けないかはあなたが決めることよ。一応オウニ商会で面倒を見るとはいえ、何かを強制するような真似はしないわ」

「そうですか…」

 

 リーパーは腕を組んだ。残燃料はまだ余裕が十分ある。部品の劣化も一回程度の飛行では進まないだろう。何より今は資金が必要だ。

 ひとまずオウニ商会で用心棒として働かせてもらいたい、ということはルゥルゥには伝えてある。だが用心棒になるにはまず、戦闘機を買うお金が必要だ。ここで展示飛行をしてその代わりにお金を貰えれば、当座の目的である戦闘機の購入に大きく近づけるだろう。

 何よりフランカーを維持するための燃料代と弾薬代も必要だ。ナツオが伝手を当たってくれたことで、時間はかかるかもしれないがジェット燃料と30ミリ機関砲弾は入手できるかもしれない。だがどちらも需要のなさからハンドメイドで作るのは目に見えており、入手には高い金が必要になるだろうとナツオは言っていた。

 

 何より、この世界には自分以外にも地球から迷い込んできた者がいるかもしれない。もしも自分以外にも地球からイジツにやって来た者がいたら、協力して帰る道を探すべきだろう。そう言った人のためにも、フランカーを飛ばして存在をアピールするということには意義がある。

 

「…わかりました、やりましょう」

「本当かい? 助かったぁ」

 

 町長がほっとした顔で胸を撫で下ろした。展示飛行など地球でもやったことはないが、まあ何とかするしかない。

 

 

 

 

 

 

 翌朝、ラハマの街はこれまで以上の賑わいを見せていた。

 前日に町長から「ユーハングの最新鋭戦闘機が展示飛行を行う」と街中に連絡があり、住民も観光客も企業の重役たちも、揃って見学席に指定された飛行場脇の広場に集まった。

 広場には出店も並び、さながら祭りのようだ。休暇のコトブキ飛行隊もリーパーの展示飛行を見学するべく、広場に向かう。

 

「あっ、いらっしゃーい」

「ジョニーじゃん、どうしてここに?」

 

 広場の脇に並ぶ屋台の一つでは、パンケーキとカレーを販売していた。パンケーキにつられて屋台に向かったキリエは、店主の顔を見て驚く。普段は羽衣丸でサルーンをやっているジョニーが、屋台を開いていた。

 

「いやあ、これだけお客さんが集まってるからね。稼げる時に稼いでおかないと」

「どっちかと言うと、集まってる人はリリコさん目当てだと思うけど」

「…だよね~」

 

 その言葉でジョニーが肩を落とす。ジョニーの隣ではリリコがいつもの恰好で、いつもと変わらない態度のまま客に包みに入った食事を渡している。その美貌と意外と露出の多い恰好に、他所からやって来た男たちが皆屋台に並んでは彼女に声をかける。だがリリコは冷たい態度で次々と男たちの誘いをあしらっていく。

 

「おーいキリエ、こっちこっち」

 

 先に場所を確保しておいたらしいチカが、大きく手を振ってキリエを呼ぶ。見物客たちは地面にシートを広げて既に酒盛りを始めており、チカの隣に座るザラもビールを手にしていた。足元には、既に空になった樽がいくつか転がっている。

 

「ザラ、真昼間からそんなに飲んで大丈夫なの?」

「これぐらい平気よ。それにしてもあの子、よく飛ぶ気になったわね」

 

 燃料と部品の消耗は何としても避けたいと言っていたから、てっきり断るのにとザラは思っていた。それをリーパーは二つ返事で引き受けてしまったらしい。今まで色々な人と出会ってきたが、あの子はよくわからない子だな、とザラは思った。

 

「そういえばユーハングだと自由に空を飛べないんだって」

「え? チカ、それ本当なの?」

「昨日言ってたよ。飛行機を飛ばすには資格を取得して、飛ばす時もきちんと飛行計画を提出して、その通りに飛ばなきゃいけないんだってさ」

「それは窮屈そうですわね。アレシマで戦闘機を飛ばす時も面倒ですけど、そのさらに上をいく面倒くささなんて耐えられませんわ」

 

 大都市であるアレシマは発展している反面、用心棒も飛行機乗りも全て当局に届け出をしなければならない。そういった点から街全てを管理するというイサオの思想に賛同し、自由博愛連合側についた。

 

「だったら彼も今日は嬉しいんじゃないか? ラハマだと自由に飛行機を飛ばせる」

「ああ、確かに。だから引き受けたのかもね」

「展示飛行って何をするんだろう? 単にまっすぐ飛ばすだけじゃ来た人が怒りそうだけど」

 

 その時、松葉杖をついたアレンが、ケイトに支えられてやって来た。彼の片手には酒が入ったスキットル。アレンもここで飲むらしい。「こっちこっち」とキリエが手招きし、アレンがよっこいしょとシートの上に座る。

 

「アレン、今日は乗せてもらわないの?」

「さすがに今日は止めとけって言われたよ。吐かれたりしたら困るって」

「そんなに凄い機動するつもりなのかな」

 

 キリエが首を傾げると、「出て来たぞ!」と観客が誰か叫んだ。滑走路を見ると、格納庫からトラックにけん引されて、フランカーが姿を現す。

 滑走路上に引き出されたフランカーから、ジェットエンジンの轟音が響き渡る。レシプロエンジンとは比べ物にならないその音に、観客たちがどよめいた。エンジンの回転数が徐々に上がっていく。

 

 

 

 

『リーパー、離陸を許可する』

 

 ラハマ飛行場の管制塔から、自警団員のトキワギがそう告げる。昔はいい加減だったラハマの航空管制も、空賊や自由博愛連合の襲撃を受けてからしっかりと行われるようになったらしい。それでも地球と比べると、なんだか物足りなかった。

 

「高度制限及び飛行制限空域はあるか?」

『ああ? そんなもんねえよ』

「それはいいことを聞いた」

 

 地球の空では考えられないことだった。アクロバットチームも高度制限や飛行可能な空域に頭を悩ませ、その中で四苦八苦しながら演目を決めているというのに。ブルーインパルス辺りが見たら、涎を垂らして羨ましがる環境だろう。

 

 リーパーはスロットルを上げ、機体がふわりと宙に浮く。これだけ大勢の人が見ている前で、恥ずかしい飛び方は出来ない。

 

 

 

 

 

 

「飛んだぞ!」

 

 誰かが叫び、シャッター音がそれに続く。大都市からやって来た新聞記者たちだろう。記者たちは広場の最前列を確保し、ユーハングの最新鋭戦闘機の一挙手一投足まで見逃すまいとしているようだった。

 

 離陸したフランカーはランディングギアを格納すると、すぐさま急上昇した。空気が震え、それだけで観客が歓声を上げる。離陸直後の急上昇など、イジツの戦闘機では出来ない。

 フランカーは逆スプリットSをきめ、それからロールした。翼の端から飛行機雲(ヴェイパー)の尾を引きながら、大きな円を描いて旋回する。そして広場の上空をフライパスすると、機首の角度を上げて再び上昇を始めた。

 

「テールスライドやるのかな? レオナの十八番だけど」

 

 上昇するフランカーの速度が徐々に落ちていき、やがて完全な失速状態に陥る。そのまま機首を下げるのだろうとチカは思ったが、一向にフランカーの機首は上を向いたままだ。まるで糸で宙に吊られたかのように、機首を上に向けたまま、その機体が徐々に降下を始めている。まるで手品でも見ているかのように、観客は皆ぽかんと口を開けて空を見上げていた。

 

「うっそ、どうやったらあんなこと出来るの!?」

「推力偏向ノズルと大馬力のエンジンなら可能」

「すいりょく…?」

 

 聞き慣れない言葉に、キリエがオウム返しに尋ねた。

 

「なにそれ?」

「推進力を機首とは異なる方向へ向けることが可能なエンジンノズル。機体の運動性能が向上する」

「それって私たちでも出来る?」

「プロペラ機では不可能」

 

 フランカーは凧のように、斜め上を向いたままほとんどその場に静止していた。ようやく機首を下げると、何事も無かったかのように飛行を再開した。

 

 続いて再び上昇し、失速してから機首を真横に倒すハンマーヘッドターン。これくらいならキリエだって出来る。だが失速反転したフランカーは、まるで独楽のように回転しながら降下を始めた。機首と尾部が外側になって、ぐるぐると回りながら高度を落としていく。フラットスピンだ。

 対処を誤ればそのままスピン状態から回復できずに地上へ墜落することになり、観客の中には悲鳴を上げる者もいた。だがフランカーのスピン状態はあっという間に収まり、再びエンジンを吹かして観客の上空を一直線に飛んでいく。

 

 意図的にスピン状態に陥るなんて―――とレオナはリーパーの腕に内心舌を巻く。無論、空中接触等でスピン状態に陥った際に備え、回復させる技術は飛行機の理として身に着けておかなければならない。だがわざと機体をスピンさせるような真似をする奴はいないだろう。それにスピン中は無防備だから、空戦でその技術を使おうとする者もいない。事故に繋がる可能性があるにも関わらずわざとそれをやるということは、自分の腕に自信があるか、機体の性能が優れているか、あるいはその両方だ。

 

 

 観客の頭上で水平飛行中のフランカーが、徐々に速度を落としていく。そして一気に機首を持ち上げた。上昇するのかと思ったが、高度は変わらない。機首が上を向いているにも関わらず、ほとんど同じ高度で機体は垂直のまま前進を続けている。機体全体がエアブレーキの役割を果たしたのか、一気に速度が落ちた。それでも失速からの墜落、なんて気配は全くない。

 

「あれはなんていうの?」

「コブラ機動。失速状況での機動性に優れた一部の機体しか出来ない曲芸飛行。実戦向きではない」

「ケイト、どうしてそんなことを知っているのですか?」

 

 エンマの問いに、ケイトは手にした板を指さした。昨日リーパーから借りたという、タブレット端末とかいうユーハングの機械だ。

 

「ここにユーハングの空戦技術の教本が入っている。非常に興味深い」

 

 機首を上げたまま前進を続けていたフランカーが、ようやく機首を下げる。そして旋回して戻ってくると、再び機首を上げた。同じコブラ機動かと思ったが、今度はなんと機首を中心としてその場で一回転した。クルビット機動というが、ケイト以外はその名前を知らない。イジツの戦闘機では見れない機動に、観客が大歓声を上げる。

 

「なるほど、あれに乗ってたら確かに吐くかもしれないわね」

「僕としては、是非操縦席であの機動を体感したかったんだけどね」

 

 そう言いつつアレンは、持参したスキットルを呷った。

 その後もフランカーは、キリエ達が見たことのない機動を続けた。まるで子供が飛行機の模型を手にして、遊んでいるかのような無茶苦茶な機動ばかりだった。機首と進行方向が全く一致していなかったり、空中でドリフトするかのように最小半径で旋回したり。

 

「彼、楽しそうね」

「え?」

「自由に空を飛んでいる、って感じが伝わってくるわ」

 

 ザラに言われてみると、確かにそうかもしれないとレオナは思った。同じ戦闘機が飛んでいるはずなのに、先日の空賊襲来時とは全く異なる印象を受ける。

 様々な枷から解き放たれた者。まるで空が自分だけのものであるかのように振舞う天界の王。リーパーを見ていると、レオナは何故だかイサオを思い出した。無茶苦茶な機動でコトブキ飛行隊を追い詰めたイサオも、空が自分のものだと言わんばかりに飛び回っていた。

 

「私たちも、いつかあんな風に飛べるのかな」

 

 ジェットエンジンの轟音が空気を震わせ、それに負けない観客の歓声と口笛が上がる。飛行を終えたフランカーが、ラハマ飛行場に着陸する。

 

 

 

 

 

「いや~、助かったよ! ありがとう!」

 

 夕刻。羽衣丸を訪れた町長は、その言葉と共にリーパーの手を固く握った。

 ユーハング製最新鋭戦闘機の展示飛行に満足した観客たちは、午後になり徐々に帰っていった。中には今日も泊っていく者もいるが、明日には帰るのだという。人で溢れかえっていたラハマの街は、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。

 もっとも、大企業の重役や議員連中、そして新聞記者たちが帰る気配はない。彼らはしばらくラハマに残り、何としてもリーパーとフランカーについて情報を集めるつもりだろう。

 それはそれで、お客様が増えるからいいことなんだけどね。町長はそう言って笑った。

 

「あ、そうだ。はい、今日の展示飛行のお礼です」

 

 そう言って町長が、札束の入ったカバンをリーパーに渡す。中に詰まった札束は、折れたり皺が出来ていたり。ラハマを訪れた観光客たちから得た儲けらしい。

 

「あの、これってどれくらいの金額になるんですか?」

 

 ラハマの通貨事情に疎いリーパーは、ルゥルゥに助けを求めた。ポンドや銭といった単位が入り混じったイジツの通貨レートは全く分からない。金額が高いのか低いのか、妥当なのかそうでないのかも把握できない。

 町長が持ってきた支払通知書を見たルゥルゥが言う。

 

「あら、この金額だとあと少しで中古の隼1型くらいなら買えるわよ」

「え? そんなに貰っちゃっていいんですか?」

「いいよいいよ。どのお店も君が来てくれたおかげで商売繁盛して、過去最高の売上を出してるからね。飛行場の収入だって素晴らしいもんさ。これで自警団の戦力も増強できそうだよ」

 

 意外とリーパーが行った展示飛行の経済効果は良かったらしい。ほくほく顔の町長を見ていると、リーパーはありがたく頂いておこうと思った。もっと吹っ掛ける、なんて選択肢はなかった。このラハマの住民とは、可能な限り良好な関係を長く続けていたい。

 

「ところで、相談なんだけど…」

「何ですか?」

「今日やってくれた展示飛行、またやってもらえないかな? お客さんの中にまた見たい、今度は友達も誘って来るって人が大勢いてね。またやってもらえると、こっちとしてもありがたいというか…」

 

 ユーハングの最新鋭戦闘機の展示飛行を見たいという人は大勢いるだろう。今日フランカーを見た人が友達や親しい人にそのことを話し、それを聞いた人たちがラハマへやってくるかもしれない。そうすればラハマの街は、岩塩以外にも観光客から収入を得ることが出来る。

 

「もちろん君が無理というのならばこれっきりで全く問題ないよ! あの飛行機が壊れたら直せないっていうのはわかってるから」

 

 町長はそう付け加えたが、本心としてはまたリーパーにフランカーで飛んでほしいのだろう。定期的にフランカーが展示飛行をしてくれれば、それを目当てにした観光客も訪れる。継続した観光収入が得られるかもしれないのだ。岩塩以外に特に産業のないラハマにとって、このチャンスを逃さない手はない。

 

 リーパーは腕を組んで考えた。今日の展示飛行は10分程度だったということもあり、さほど燃料の消費量は多くなかった。着陸後に行ったメンテナンスでも特に異常は出ていない。もう一度やってほしいと言われたら、オーケーと言えるレベルだ。

 それにこうして展示飛行を行えば、その分得られる収入も増えるだろう。何があるかわからないイジツの世界で生きていくためには、収入が多いに越したことはない。

 

「わかりました。ただし、条件があります」

「なんだい?」

「展示飛行は多くても一か月に一回程度。機体への負荷を考えると、それが限界です」

 

 一年後に帰還できるとして、それまでフランカーを飛ばせる状態を保っておく必要がある。もっとも、一年後に開く「穴」が地球に通じているのが前提だが。もしも「穴」が地球に繋がっていなければ、それこそ一生をイジツで終える覚悟をしなければならない。

 

 

「この条件でオーケーならば、今後も展示飛行をやりましょう」

「わかった。是非頼む…と言いたいところだけど、一度会議で確認してもいいかな? たぶん皆、賛成だと思うけど」

 

 わかりました、と言うと、町長は今にもスキップしそうな軽やかな足取りで帰っていく。きっと今晩は安心して眠れるだろう。

 

「嬉しそうね」

「え?」

 

 ルゥルゥの言う通りだった。ただ飛行機を飛ばすだけでお金が貰えるなんて、これ以上に楽な仕事はない。

 それに何よりも、イジツの空では自由に飛べる。高度制限も管制もなく、自分の好きな速度で好きなように飛べる。空気を切り裂き、どこまでも。それがリーパーにとっては一番嬉しかった。 




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第一六話 Armory

「おっ、ようやく戦闘機買えたのか」

 

 羽衣丸の飛行甲板に運ばれてきた一機の戦闘機を見て、ナツオがリーパーに声をかけてきた。ペンキの入ったバケツを持ち、機体に何かを描いていたリーパーが振り返る。

 

「ええ、これからよろしくお願いします」

「任せときなって、何かあっても部品さえあれば完璧に直してやるよ。もっとも、機体を大切に使わねえとイナーシャハンドルケツにぶち込むけどな」

「気をつけます」

 

 リーパーは新しく自分の愛機となる戦闘機を見回した。一式戦闘機隼。優秀な運動性能で格闘戦能力に優れた機体だ。それなりの防弾性能もある。不満な点と言えば武装が12.7ミリ機銃が二挺と貧弱な点だが、現状手に入る戦闘機の中ではこれが最も優秀だった。

 

 

 

 

 

 

「え? これじゃ足りない?」

 

 展示飛行と諸々の仕事でどうにか隼を購入できる金額が手に入り、リーパーは飛行機業者を訪問したのは昨日のことだった。業者に用事があるというコトブキ飛行隊も同行する。イジツでは戦闘機を始めとした航空機を販売する業者があちこちにいるのだという。

 リーパーたち民間軍事会社の社員も戦闘機を使って仕事をしているが、基本的に機体は会社の支給品だ。いくら大量生産で値段が下がったとはいえ、それでも戦闘機など個人の手が届く装備ではない。

 もっともMiG-21やF-5Eと言った古い機体はほぼ投げ売り同然で兵器市場に流れているらしく、リーパーの指導役だったヴァイパーが搭乗していたMiG-21も、自分で買ってカスタムを重ねていき、第4世代機に負けないほどの性能を持っていた。それにリーパーがイジツに乗ってやって来たSu-30SMも、テストパイロットを引き受けたグランダー社からのプレゼントで、所有権はリーパーにある。

 

 イジツでは空賊が蔓延り、用心棒稼業が盛んだ。だからこうして飛行機業者も成り立っており、用心棒たちは自分で戦闘機を購入し、どこかの商会と契約を結ぶ。修理に掛かる費用や弾薬、燃料代も自腹だが、仕事を成功させればそれ以上の収入が得られる。

 

 リーパーが訪問した飛行機業者は中古の機体も扱っており、コトブキ飛行隊やナツオたちとも取引のある信頼できる業者だった。だがリーパーが業者を訪れると、彼は申し訳なさそうに上記の言葉を述べたのだ。

 

「最近空賊連中が増えていて、そのせいで用心棒の飛行機乗りが増えて戦闘機の需要が高まってるんだ。ここのところ、毎日機体の値段が上がってる。一週間前ならその金額でも隼が買えたんだが、悪いな」

「そうだったんですか…」

「九七式辺りなら買ってもお釣りが返ってくるぞ?」

 

 リーパーの手元にある金額では、目標の隼2型にわずかに足りない。それより安い機体となると九七式戦闘機くらいだ。だが九七式は格闘戦能力なら隼以上だが、固定脚で速度が出ないし武装も7.7ミリ機銃二挺と隼よりさらに貧弱だ。貧しい街の自警団か、操縦士になりたての人間が買う機体だろう。練習機である赤とんぼもあったが、非武装の機体など論外だ。

 

「ガドールのおっさんたちが金くれるって言ってたじゃん。そいつらから貰ってくればいいんじゃないの?」

「あの人たちとはあまり関わりたくないんだよなあ…」

 

 一緒にやって来ていたチカの提案に、リーパーは苦い顔をした。この世界で迷子も同然のリーパーを保護しようと申し出る商社や都市の議員たちは何人もいたが、その目当てはリーパーの持つ知識とフランカーだ。

 そういった連中の中には大金を積んでリーパーを自分たちの手元に置いておこうとする者もいる。彼らのところに行けば中古の隼どころか、新品の飛燕だって買えるだろう。だがあからさまに金儲けのための道具としか自分を見ていない彼らを頼る気には全くなれず、リーパーはそれらの誘いを全て断っていた。彼らのところにいたら、イジツ中を回って帰る手段を探すことが出来なくなる。恐らく、一生軟禁状態に置かれるだろう。

 

「仕方ない、出直すか…」

 

 そう遠くないうちに、もう一度展示飛行をしてほしいと町長からお願いされている。その時の代金も持ってくれば、機体を買えるかもしれない。もっとも、さらに値上がりしている可能性もあるが。

 

「どれくらい足りないんだ?」

 

 リーパーが帰ろうとしたところで、レオナが業者に尋ねる。業者が見せた金額に、レオナが顎に手を当てて何事か考える。

 

「そのくらいの金額なら、私が出そう」

「え?」

「前に助けてもらった借りがあるからな」

 

 そう言って財布を取り出そうとするレオナ。

 

「いや、悪いですよ。自分で何とかしますって」

「君には爆撃機から孤児院(ホーム)を守ってもらった礼もある。こんな形で借りが返せるとは思えないが…」

「いやいや」

「遠慮するな」

「いやいやいや」

 

 財布から金を出そうとするレオナと、それを押さえるリーパー。意外と力が強いんだな、と彼女の財布を握る彼女の腕を抑えて思う。

 

「あら、いいじゃないの。ここは素直にレオナの好意に甘えておけば?」

 

 金を出すか出させないかで奇妙なバトルを繰り広げる二人を、微笑ましく眺めていたザラが提案する。

 

「いえ、色々お世話になってるのにこれ以上頼ってしまうのは迷惑じゃ…」

「じゃあ、ここはレオナから借りておくってのはどう? これでレオナも貸し一つよ」

 

 これから一緒に仕事をするかもしれない人から金を借りるのもなんだか悪い気がしたが、一か月先まで何もせずグータラしているわけにもいかない。リーパーはありがたく、レオナの提案を受けることにした。

 

「それにしてもあなた、こういう機体は飛ばしたことがあるの?」

「ええ、昔に。訓練生だった頃、最初に飛ばしたのがレシプロエンジンのプロペラ機です」

 

 アローズ社に入社後、最初の実機飛行訓練で使ったのがかつて航空自衛隊で使われていたレシプロの単発機だった。自衛隊が新型練習機を導入する際に払い下げられた機体を、アローズ日本支社が自社訓練機として買い取ったものだ。計器は全てアナログで、レーダーも射出座席も備えられていない機体だった。飛行特性は異なるだろうが、機体の操縦方法については同じ感覚で出来るだろう。

 

 

 業者が倉庫の奥から引き出してきたのは、状態が良好な中古の隼だった。現在もユーハングが残した工廠で各種の戦闘機が作られているが、新品の戦闘機は資金力のある大都市お抱えの飛行隊に回されてしまうことが多い。それは飛燕や疾風、五式戦といった高性能な機体も同じで、飛行機業者もそういった戦闘機は既に在庫切れだとお手上げだった。

 

「懐かしいな…」

 

 アナログメーターだらけの計器盤に、思わず初めて乗った練習機を思い出す。操縦桿を引くと、フランカーに比べると意外なほど重かった。操縦桿と繋がったケーブルで、ラダーやエレベーターを操作するのだから当然だ。だがきちんと操縦桿を倒した通りに、機体は反応してくれる。

 

「いい機体ですね」

「でしょ~」

 

 なぜかキリエが「どうだすごいだろう」と言わんばかりの顔をしていた。

 初期の戦闘機で全体的な性能は後発組に劣るものの、それでも隼であれば十分戦うことが出来るだろう。可能であれば武装も速度も充実し、格闘戦能力も優秀な四式戦闘機「疾風」や、陸軍最優秀戦闘機と言われた五式戦闘機ならば良かったのだが、ないものねだりをしても仕方がないし、そんなものはとても手が届かない。

 アローズに入社したばかりの頃のように、徐々にステップアップしていくしかないだろう。今でこそSu-30SMなどという高性能戦闘機を任されているが、最初の頃は型落ちのF/A-18や初期モデルのF-16くらいしか乗せてもらえなかったものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして買った隼を、これからの職場となる羽衣丸へと飛ばして帰る。フランカーに比べるとパワーがない、速度もない、操縦桿も重い上にレーダーもないと何から何まで異なる機体だったが、離陸してから数分後には、まるで昔から飛ばしていたかのようにリーパーは隼に馴染んでいた。

 

「もう乗りこなせるようになったの? すごいじゃん」

「まあ、地球だと色々な戦闘機に乗ってたからな」

 

 キリエの言葉で、リーパーはアローズ社で飛ばした戦闘機の数々を思い出す。古いものから最新鋭のステルス戦闘機、空軍機や海軍機を問わず、さらにはA-10のような攻撃機まで任務によっては飛ばしてきた。開発国も設計思想もバラバラだったが、それらに乗り込んで今まで数々の作戦を成功させてきたのだ。今さらレシプロ機くらい飛ばせずどうするという気持ちもある。

 

 

 

 そして羽衣丸でナツオら整備員たちの帰りを待つ間に、リーパーは隼にパーソナルマークを描くことにした。隼の機体は業者から引き渡される際に、注文した通り、フランカーと同じ青と水色を基調とした迷彩に塗り替えられていた。

 

「そういやさ、なんで死神がリボンをつけてんの?」

 

 四苦八苦しながら元のパーソナルマークを描くリーパーを眺めながらキリエが尋ねる。そうだ、とばかりにエンマも続けた。

 

「死神だけならまだしも、ピンクのリボンを着けるなんて。あなたの趣味はよくわかりませんわ」

「どっちも俺が選んだものじゃないんですよ。死神のエンブレムは社長が選んだんだ」

「じゃあリボンは?」

「俺の上司から引き継いだもので、同僚が勝手に描いたんです」

 

 かつてのボーンアロー隊を率いていた、敵にも名が知られるエースパイロット「ヴァイパー」。リボンのようにも見える(インフィニティ)マークは、元々ヴァイパーが機体に描いていたエースと隊長の証だった。だがヴァイパーはパイロットを引退し、隊長の座はリーパーに受け継がれた。その際に∞のマークも一緒に引き継がれたのだが…。

 

「俺の同僚が勝手に『気色悪いマークだな、可愛くしてやる』って…」

「逆に不気味になってなくない?」

「まあ、一度見たらたぶん忘れられないマークにはなりますわね」

 

 おかげで敵味方から目立って仕方がない。おまけに敵には「リボン付きは見つけ次第撃墜せよ」と命令が下っていると聞く。本当だったら死神なんてただでさえ不気味なものをパーソナルマークにしたくはなかったが、今さら他のものを選べと言われても特に思いつかない。好きだろうと嫌いだろうと、このエンブレムは既にリーパーのシンボルとなってしまっている。

 

 さらにリーパーは、三つの矢じりを模した所属部隊のエンブレムも機体に描く。今も所属していることになっている、国連軍タスクフォース118「アローブレイズ」のエンブレムだった。

 リーパーは羽衣丸で用心棒として働くものの、当面はパイロット一人の飛行隊だ。一人で飛行隊を名乗っていいものか悩んだが、ある程度自由に動くためだ。羽衣丸の護衛の際にはかつてのナサリン飛行隊のように、コトブキ飛行隊と協力して飛ぶことになる。

 

「飛行隊の名前はどうするんだ?」

 

 レオナにそう問われ、リーパーは迷わず答えた。

 

「『アローブレイズ飛行隊』で」

 

 たった一人の飛行隊。当面はコトブキ飛行隊と協力し、用心棒として羽衣丸護衛任務やオウニ商会が受けた仕事をこなしていくことになる。編隊(エレメント)を組む僚機がいないのは寂しいが、それでもリーパーはどこか奇妙な安堵を覚えていた。

 これで僚機の命を背負って飛ぶ必要もない。自分の命にだけ責任を持って飛べばいい。誰かから隊長と呼ばれることなく空を飛ぶのは、随分と久しぶりのことだった。




「荒野のコトブキ飛行隊」でサネアツ副船長を演じられた藤原啓治さんが亡くなられました。

頼りなくてクルーたちからぞんざいな扱いをされているサネアツですが、いざという時にはきちんとやる彼のキャラクターが大好きでした。「荒野のコトブキ飛行隊」の登場キャラの中では1、2を争うくらい好きなキャラです。
藤原啓治さんのご冥福をお祈り申し上げます。


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第一七話 初陣

 結局、他の街から来た議員団や企業の重役たちは、リーパーとフランカーを入手できないまま帰ることとなった。イケスカ動乱において名を上げたコトブキ飛行隊と契約を結び、イサオが独占しようとしていた「穴」に飛行船を突っ込ませることで、結果的にイサオ排除の立役者となったオウニ商会。自由博愛連合が引き起こした一連の騒動でオウニ商会はあちこちの街や組織と繋がりを有しており、オウニ商会を敵に回すと言うことは、その背後の大勢の人々と敵対するということにもなる。

 

 だからといってユーハングの最新鋭戦闘機を入手するという目的が諦められたわけではない。彼らが帰る時には再度リーパーのところに挨拶に来たし、考えが変わればいつでも連絡してくれと名刺が束になるくらい渡された。

 リーパーは用心棒として羽衣丸に乗り込むことになるが、その間フランカーはラハマの街に置きっぱなしになる。フランカーを狙う輩が強奪を試みる可能性もあるが、町長や自警団が協力してくれて、町長専用機の雷電と共にフランカーは厳重に保管されることとなった。またランディングギアには頑丈な鎖が巻かれ、リーパーが携行する鍵でしか外せないようになっている。

 

「君が無事に穴を見つけられるのを祈ってるよ」

 

 その言葉と共にアレンに見送られ、リーパーはタネガシ向けて出航する羽衣丸の一員として、隼と共にラハマを飛び立った。最初の一日は何事もなく終えることが出来たのだが…。

 

 

 

 

 

 

「あれ、ケイトじゃん。もうご飯食べたの?」

 

 羽衣丸がラハマを出立した翌日。昼食の時間にキリエたちがジョニーズサルーンを訪れると、そこには既に先客がいた。部屋に姿を見せていなかったケイトと、ノート片手に何やら難しい顔をしているリーパーだった。

 

「まだ食べていない。これから」

「何やってんの?」

「彼にイジツ語を教えている」

 

 ケイトとリーパーが座るテーブルの上には、新聞紙と辞書。リーパーがそれらを交互に見比べながら、ノートに何事かを書き留めていた。

 

「イジツ語は難しいの?」

「いえ、そんなには。ある程度法則性が掴めたら、なんとなくは読めます。細かいスラングはわかりませんけど…」

「勉強もいいけど、あまり根を詰めちゃダメよ? いつ出撃がかかるかわからないから」

 

 ザラの言葉にリーパーが頷く。素直な子だな、とザラは思った。

 

「しかし、イジツ語は奇妙なもんだなあ。アルファベットとキリル文字とカタカナが混ざってるなんて」

「こちらこそ地球の言語は興味深い。ユーハング語以外にも様々な言葉があるとは知らなかった」

 

 イジツで使われているのはほぼイジツ語のみだ。しかし地球では日本(ユーハング)語の他に中国語、英語、ロシア語、フランス語その他諸々と、それこそ少数部族で使われているような言語を含めれば7000は種類がある。自分たちの言葉が通じない地域がある、というのはイジツでは考えられないらしい。

 

「なにそれ。じゃあ他の場所に行ったら言葉が伝わらないってこと? 凄い不便じゃん」

「そうなんだよね。かといって一つの言語に統一するってのも難しいことだし」

「何で? 皆が一つの言葉を喋れたら便利じゃん。ちゃんと自分が考えてることが伝わるんだし」

 

 ジョニーにカレーを注文しつつ、「何を言ってるんだ」とばかりにチカが首を傾げる。

 

「言語ってのはそこに住んでる人たちのアイデンティティだから、簡単に『今日から他の言葉を使いなさい』ってことは出来ないんだ。それをやったらその人たちの尊厳や歴史を否定することになる。それに、新しく使うことになる言語に、自分たちだけで通用する意味のある言葉が含まれているとは限らない」

「一つの言語だけを使うことは多様性の否定に繋がる。文化の消滅を招きかねない」

 

 ケイトが補足した。「難しいことはよくわかんないな」とチカがスプーンでカレーを口に運んだ。

 

「それにしても勉強なんて、学生時代を思い出しますわ」

「エンマさんも学生だったんですか?」

 

 ラハマには学校らしい学校というものが無かったので、リーパーはてっきりイジツには学校というものがないのかと思っていた。昔でいう寺子屋というものが主流で、子供たちは最低限の読み書きができるようになってからすぐ働くようになると聞いていたのだが、どうやら違うらしい。

 

「ええ。といっても他の街にある学校ですけれど。地球でも学校に通う子供は多いのでしょう?」

「一応、6歳から15歳までの子供は全員学校に通う義務がありますね。その後どうするのかは人それぞれですけど、大抵はもう3年から7年、学校と大学に通います」

 

 リーパーは高校卒業後、すぐにアローズ社に入社したため、大学には通っていない。通信教育で単位を取り、大学を卒業したものの、いわゆるキャンパスライフなどは送っていなかった。もっとも昔と違い、ユリシーズの厄災後は経済の混乱で大学まで子供を通わせられる余裕のない親も多く、高校卒業後に働く者も増えている。

 

「羨ましいな、全ての子供が学校に通えるなんて」

「レオナは孤児院(ホーム)を出たら、すぐに飛行機乗りとして働き始めたのよね」

「ああ。ホームで読み書きは教えてもらったけど、学校なんて行く余裕はなかったからな」

 

 聞けばレオナが飛行機乗りの用心棒として働き始めたのは、貧しい孤児院の運営を支えるためだという。仕事の報酬の大半を、今でも孤児院に寄付しているらしい。

 

「リーパーはさ、どうして飛行機乗りになったの?」

 

 パンケーキを頬張りつつ、キリエが尋ねる。「食べながら喋らないの」とザラ。

 

「俺の家系は昔から戦闘機乗りだったから。曾祖父も祖父も父も兄も姉も、全員パイロットだ。だから俺も、大きくなったら戦闘機に乗るもんだと思ってた。兄と姉はどっちも輸送機の操縦士だけど」

「ふーん、なんとなくってこと?」

「…まあ、そうなる」

「じゃあ、何のためにリーパーは空を飛んでるの?」

 

 その言葉に、リーパーは虚を突かれた気持ちになった。何のために空を飛ぶのか。イジツに来る前に考えていたことだ。

 思えばそれを考えたことはほとんどなかった。昔は、何のために飛ぶのか理由はあった気がする。だけど今はそれを思い出せない。戦闘機パイロットとなり、戦争で数多くの敵機を撃墜し、ルーキーの身分で隊長を任され部下を率いて飛ぶことになっても、「何のために飛ぶのか」という理由を見いだせていない。

 

「俺は…」

 

 そう言いかけた直後、突如船内に警報が響き渡る。敵機に遭遇したか、あるいは索敵レーダーを照射された際に自動的に発報されると事前に聞いていた。空賊だろうか。

 すぐさま場の雰囲気が変わる。食べかけの食事をテーブルに残し、サルーンにいたコトブキ飛行隊の面々や羽衣丸のクルーが即座に持ち場に走っていく。

 こうやって艦上で敵襲を受けるのも久しぶりだな。そんなことを思いつつリーパーはノートをポケットに丸めて突っ込むと、愛機が待機している飛行甲板へと向かった。

 

 

 

「敵は2集団。方位360と180、本船から3時及び9時方向から接近中」

「この距離だと後15分で会敵します」

「またウチを狙うの? もう勘弁してよ…」

 

 帽子を被り直しつつ、サネアツが戦闘配置を下命する。船内の照明が非常灯に切り替わり、各所に設けられた対空機銃にクルーが向かう。

 

『リーパー、君は羽衣丸の直掩につけ。敵機の迎撃はコトブキ飛行隊で行う』

 

 隼の状態をチェックしている最中、無線機でレオナの指示が入る。所属人員一名のみのアローブレイズはあくまでも独立した飛行隊という位置づけだが、当面はコトブキ飛行隊を率いるレオナの指示に従って飛ぶことになる。独自に行動できるのは、何回か戦闘を重ねてからになるだろう。リーパーは「了解」と返し、フランカーで使っていたヘルメットを被る。

 

 エンジンを始動させたコトブキ飛行隊の隼が、次々と飛行甲板から飛び出していく。最初に羽衣丸から発進する訓練をした際には、トンネルから飛び出していくような発進方法に驚いたものだ。まるでアイガイオンのようだが、羽衣丸の飛行甲板は双発機でも十分発着艦が可能なほど広く作られている。よっぽどのへまをしない限りは、壁にぶつかって墜落、なんてことはない。

 

 飛行船からの発進が空母からの発艦と異なるのは、カタパルトを使用せずに自力滑走する点だ。最初はカタパルト無しで大丈夫なのかと思ったものの、羽衣丸の飛行甲板は米軍の最新鋭空母以上の長さを持つ。機体の軽いレシプロ戦闘機であれば、自力滑走でも十分な揚力を得られる。

 

『アローブレイズ飛行隊、発進を許可します』

 

 ブリッジからベティの指示が入り、リーパーは了解の意を伝えてエンジンスロットルを上げた。一気に機体が加速していき、そしてすとんと落下するかのように飛行甲板の端から飛び出す。空母のカタパルトで射出された時のように一度機体が大きく沈み込み、そして緩やかに上昇を開始する。

 

 空の状態は雲が出ていて、視界はそれほど良くない。羽衣丸は雲の上を飛行しているが、下方からの奇襲にも気を付けるべきだろう。羽衣丸にもレーダーは備えられているが、構造上どうしても後方から接近する機体の探知が難しくなる。それをカバーするのが今回のリーパーの役割だった。

 

 今回は昼間の襲撃だが、腕に自信のある空賊は夜間にも奇襲を仕掛けてくるのだという。空賊たちは飛行船を襲撃し、物資は略奪し乗員は人質として捕らえて身代金を要求してくる。イサオが自由博愛連合を結成してから、一時的に空賊の活動は抑えられた。だが自由博愛連合は大人しくなった空賊たちに物資と飛行機を渡して私兵として運用し、その自由博愛連合の勢力が弱まってからは却って空賊が以前よりも勢力を増してしまっている。

 

「レーダーとIFFがあればなあ」

 

 既にコトブキ飛行隊は二人一組の編隊を組み、南北から接近しつつある空賊の迎撃に向かっている。リーパーは羽衣丸の後方に付き、もしもコトブキ飛行隊が敵機を撃ち漏らした際の直掩に入る。

 

『敵機は零戦52型! この辺りを根城にしている空賊ハゲタカ団か、良い装備をしている』

 

 イサオが台頭する前、空賊の装備はそこまで強力ではなかった。安価で入手しやすい九七式戦闘機が主力で、よくて一式戦闘機隼や、まれにスクラップから再生した零戦などが混ざっているくらいだった。

 

 しかしイサオが自由博愛連合を結成するにあたり、邪魔な勢力を妨害するために空賊を利用するため、高性能な機体をバラまいてからは事情が変わった。空賊たちは飛燕や紫電改といったそれまでとは比べ物にならないほど高性能な機体を入手して、さらにその脅威も増した。

 

『頼むよ皆、また羽衣丸を作り直すなんてことは御免だからね』

 

 サネアツが情けない声を上げる。いくら凄腕のコトブキ飛行隊が護衛についているとはいえ、空賊の数はこちらより多い。既に戦闘が始まっているのか、遠くの空で飛び交う曳光弾が見える。コトブキ飛行隊は互いにカバーしつつ、着実に空賊たちを追い詰めていく。

 

『一機撃墜!』

 

 キリエの声が聞こえ、北の空でぱっと何かが燃えた。撃墜された零戦だろう。

 空中でパラシュートが開き、炎上する零戦が雲海に突っ込んで見えなくなった。他にも続々と、敵機撃墜の報告が入ってくる。なるほど、エリート飛行隊と言われるだけはあるな。リーパーは彼女たちの機動を見て思った。

 

「今回の出番はないな…」

 

 その言葉通り、僚機を次々と撃墜された空賊たちは撤退を始めた。コトブキ飛行隊の撃墜数(スコア)は、全機合わせて11。その上一機も損失無し。空賊たちは目標である飛行船に近寄ることすらできず、リーパーは一発も撃たずに初出撃を終えた。

 

『どう? 私たちの腕は』

「良い腕だ」

 

 自慢げなキリエに、リーパーは素直に賞賛の言葉を送った。一番大事なのは僚機を失わないこと。それが出来ている彼女たちは素晴らしい腕を持った飛行隊であることに間違いない。

 

『でしょ~? 私は3機撃墜、チカは?」

『私は2だけどキリエの1機は私と一緒に落とした奴じゃん! キリエは2.5!』

『落としたのは私だから3機撃墜! チカは2だよ!』

 

 ぎゃあぎゃあと言い合いが始まる。空賊を撃退したコトブキ飛行隊の面々が、羽衣丸の周囲に戻ってくる。

 

「…もしかして、いつもこんな感じなの?」

『いつもこんな感じですわ。ああ、気にしないで聞き流してくださいな』

「そうします」

 

 喧嘩するほど仲が良い、というのだろう。たまにどこまで本気なのかわからないような喧嘩もしているが。いずれにせよこういったやり取りが出来るほど、彼女たちはお互いに信頼し合っているのかもしれない。仲が良いのは良いことだとリーパーは思った。

 

 

 

 

 

 

「ふう、今回は無事に済んでよかったぁ。このまま何事もなく到着できればいいなぁ」

 

 羽衣丸の船橋では、空賊の撤退を確認したサネアツが帽子を取って汗を拭う。そんな彼に「もっとしゃっきりせんか」とばかりに、船長帽を被ったドードー船長が鳴く。

 

「コトブキ飛行隊、着艦態勢に入ってください。アローブレイズ飛行隊はコトブキ飛行隊の収容が完了するまで待機」

 

 レーダースクリーンには未確認機の表示はない。交戦で燃料と弾薬を消耗したコトブキ飛行隊を先に収容し、万が一に備えてリーパーには羽衣丸周辺での空中警戒待機が命じられる。コトブキ飛行隊が集結し、着艦態勢に入るべく羽衣丸の船体後方についた直後、ベティが叫ぶ。

 

「救難信号受信! タネガシの飛行船です」

「タネガシ? これから向かう街じゃないか」

 

 空賊を退けたばかりとはいえ、救難信号を無視するわけにはいかない。さっきの嫌な予感が当たったと、サネアツは自分が呪われているのではないかと思った。良い予感は当たらないのに、悪い予感だけは当たる。

 

『こちらタネガシ二号! 現在空賊の襲撃を受けている。空賊の数は約20、護衛機が次々墜とされてもう保たない!』

「こちらオウニ商会羽衣丸。タネガシ二号、そちらの現在地を教えてください」

『オウニ商会? コトブキ飛行隊がいるオウニ商会か? 頼む助けてくれ、こちらの現在地は…』

 

 タネガシの街が保有する飛行船「タネガシ二号」の現在位置は、羽衣丸が飛行している位置から南東で、彼我の速度も考えるとおよそ30分で到着が可能な距離だった。積荷は鉱石で、タネガシへ向けて輸送中のところを空賊に襲われたらしい。護衛機は空賊に次々と墜とされていて、こちらが全力で救援の機を飛ばして到着まで、ギリギリ持ちこたえられるかどうかという状況だった。

 

 空賊が蔓延るイジツでは、救難信号を受信したら近くの飛行船は救助に向かうことが暗黙のルールで定められており、またそれに疑問を持つ飛行船乗りはいない。困ったときはお互いさまで、相手を助けなければ、今度は自分が困ったときに誰かに助けてもらえなくなるからだ。無論救助に掛かった費用などは、あとで救助された側に請求するのだが。

 

「救難信号?」

 

 いつの間にか船橋にやって来ていたルゥルゥがサネアツに尋ねる。

 

「はい、これから向かうタネガシの船です。空賊に襲われているとか…」

「だとしたら、尚更見捨てるわけにはいかないわね。オウニ商会の名に傷がつくし、何より恩を売ることが出来るから。あの子たちに救援に向かえるか聞いてちょうだい」

 

 タネガシ二号の船長も災難だろうな、とサネアツは思った。きっとルゥルゥは高い金額を請求するに違いない。空賊に襲われて身ぐるみ剥がれて最悪命を失う可能性に比べれば、まだマシなのだろうが。

 

「こちらレオナ。各機、燃料と弾薬の残りはどうだ?」

「こちらキリエ。機銃はカンバン、燃料も足りないよ」

「チカだけど、こっちも同じ」

 

 空中戦は激しく燃料を消耗する。どの機も先ほどの戦闘で残燃料が心許なく、タネガシ二号のいる空域に到達できるくらいの量しか残っていない。そんな状態で辿り着いても、燃料消費の大きい空中戦は無理だ。それに機銃弾が無ければ、空賊を追い払うことも出来ない。

 

「レオナです。一度燃料と弾薬を補給しないと、現地についても空戦は出来ません。このまま向かうのは無理です」

 

 だが今から羽衣丸に着艦し、どんなに急いで燃料と弾薬を補給したとしても、再度の発進まで15分から20分は掛かる。それから現場の空域に到着するまで30分。その頃にはタネガシ二号は空賊の手に落ちているだろう。

 だがリーパーは違った。ずっと羽衣丸の後方で空中警戒に当たっていたリーパーの隼は、一発も機銃を撃っていない。それに空戦もしていないので、燃料消費もコトブキ飛行隊と比べると抑えられていた。

 

『こちらアローブレイズ飛行隊。当機は弾薬消費は無し、燃料も十分残ってます。俺が先行して時間を稼ぎます。補給が完了後、コトブキ飛行隊も合流してください』

「だけど君は1機だけだろ? 無謀じゃないか?」

 

 地球(ユーハング)でエースパイロットだったという、リーパーの腕を信用していないわけではない。だが20機相手に1機で突っ込んだところで、それは自殺行為でしかないのではとしかサネアツは思えなかった。

 しかしルゥルゥの考えはサネアツとは違うらしい。彼女は少し口角を上げると、無線機のマイクを握った。

 

「あなた、20機を相手にする自信はあるの?」

『地球じゃしょっちゅうですよ、マダム。敵機を撃墜できなくても、コトブキ飛行隊の皆さんのために時間稼ぎくらいはしてみせますよ』

「いい度胸ね。行きなさい、きちんと報酬はタネガシに請求しておくから」

『了解。アローブレイズ飛行隊、これよりタネガシ二号の救援に向かいます』

 

 リーパーの青い隼が船橋の脇を通り抜け、タネガシ二号が飛行中の空域に向かって飛んでいく。翼を振った隼は、あっという間に羽衣丸から遠ざかっていく。

 

『マダム、1機で向かわせるなんて無謀すぎます!』

 

 着艦を開始するコトブキ飛行隊。レオナがルゥルゥに抗議の声を上げる。

 

「あら、あなたあの子を信用していないの?」

『信用するしないの問題ではありません! たった1機で先行させるなんて危険です。我々と合流した上で改めて…』

「それじゃ間に合わないわよ。それに、あの子の実力を見るいい機会でもあるでしょ」

 

 ルゥルゥはリーパーが飛んでいった方向を見つめた。既にその機影は、針の先程の大きさしか見えなくなっている。

 もしもリーパーがコトブキ飛行隊の到着まで時間稼ぎが出来ていたら、彼は十分腕のある操縦士だと言うことになる。そんな操縦士であれば、たとえユーハング人でなくとも、この先も手元に置いておきたいものだ。




ご意見、ご感想お待ちしてます。


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第一八話 エスコート

「オウニ商会からの援軍はまだなのか!」

 

 タネガシへ向かって全速力で航行中の飛行船では、船長がマイクを片手に今にも泣きそうな目をしていた。明日にはタネガシへ到着できるというタイミングで空賊に襲われるとは、まったくもってツイていない。

 近くに街はなく、一番近くを飛行中の飛行船が「あの」コトブキ飛行隊が所属するオウニ商会の羽衣丸だったのは幸運だった。だが彼女たちの到着までこのタネガシ二号が持ち堪えられるか、正直なところ怪しいものだ。

 

「また1機撃墜されました! 護衛機、残り3!」

 

 船橋のレーダー員が叫ぶ。タネガシ二号を襲ったのは、この辺りを根城としているスナネズミ団と呼ばれる空賊たちだった。以前から目撃情報があり、その時には隼1型を使用していると聞いていたのだが、今日襲ってきた連中はどこかで手に入れたらしい三式戦闘機飛燕に乗ってやって来た。

 タネガシ二号にも護衛機はいたが、いかんせん数が少ない。護衛機8機に対し、空賊は20機。既に5機が撃墜され、残った機も逃げ回るので精一杯だ。

 

『とっとと飛行甲板を開けて降伏しやがれ! でないと護衛機を全部撃ち落とした後でブリッジに鉛弾をぶち込むぞ!』

 

 オープンチャンネルの無線機からは、荒々しいスナネズミ団長の降伏勧告が聞こえてくる。空賊の狙いは輸送中の鉱石だ。飛行船ごと乗っ取って、後で飛行船共々どこかで高く売りさばくつもりだろう。

 空賊たちは飛行船を丸ごと捕獲したいのか、まだ船体に損害はない。だが護衛機が全て撃ち落とされたら、もう出来ることは無くなる。そうなる前に何としてもコトブキ飛行隊に駆けつけてもらいたいところだが―――。

 

「来ました! 羽衣丸からの援軍です!」

「来たーっ! 早くコトブキ飛行隊に空賊を撃退するよう言ってくれ!」

「それが…コトブキ飛行隊ではないようです。援軍は単機、6機ではありません」

「単機だとぉ?」

 

 イケスカの戦いで活躍したコトブキ飛行隊のことならば、飛行船乗りであれば誰もが知っている。6人の女性パイロットで構成されるエリート用心棒集団。単機で来るはずがない。

 

「敵か?」

「通信が入っています」

 

 まさか空賊側の増援ではないよなと思いつつ、船長は無線機のマイクを握り、ヘッドホンを耳に当てた。

 

『こちらオウニ商会所属、アローブレイズ飛行隊隊長のリーパー。これよりタネガシ二号の援護に入る』

「アローブレイズ飛行隊? 聞いたことないぞ! それに1機だけの飛行隊があるものか、コトブキ飛行隊はどうした!」

 

 無線機から聞こえてくる若い男の声に、船長はがっかりした。今さらたった1機で何が出来るものか。護衛機が何機か撃ち落としてくれたとはいえ、敵はまだ10機以上残っている。

 

『コトブキ飛行隊は空戦で燃料、弾薬を消耗し補給作業中だ。当機に遅れて到着する』

「1機だけでこの状況が何とかなるものか! もうおしまいだぁ…」

『コトブキ飛行隊が来るまでの時間稼ぎはしてみせる。敵機とそちらの護衛機の機種は?』

 

 何とかなるとは思えないが、コトブキ飛行隊が来るまで時間を稼いでもらえるならばそれでいい。船長は藁にも縋る一心で、リーパーと名乗った男に空賊の情報を伝えた。

 

 

 

 

 

『敵はスナネズミ団という空賊だ。三式戦闘機に乗ってるが、細かい型式まではわからん。まだ15機残ってる』

「了解。そちらの護衛機は?」

『紫電だ。急いでくれ、もう3機しか残っていない!』

 

 船長が悲鳴のような声を上げる。事態は切迫しているらしい。

 コトブキ飛行隊の補給を待たずに先に出発した判断は正解だった。もしも補給を待って編隊を組んでいたら、今頃護衛機は全て撃墜されていただろう。

 

 リーパーは機体を傾けて窓の外を見た。下の方に飛行船が一隻と、その周辺を飛び回る戦闘機が見える。追われているのは、タネガシ二号の護衛機である紫電だろう。悪い機体ではないそうだが、いかんせん数で押されている。

 

 だがこういう状況を、リーパーは以前にも経験したことがある。ユージア連邦から亡命する技術者と、その家族を乗せた2機の旅客機の護衛。たまたま哨戒飛行中だったリーパーが現場に急行し、その護衛を行った。運悪くエレメントを組んでいた仲間の機体が不調で帰還していたこともあり、単機で十数機の敵機と渡り合いながら旅客機を護衛する羽目になったものだ。

 

「始めるか」

 

 幸いリーパーの高度は空賊たちより上で、しかもまだ気づかれた気配はない。飛燕は武装と速度では隼よりも上だが、旋回性能では隼の方が優れている。

 まずは奇襲で一撃を加えてから、場を引っ掻き回してやる。リーパーは無線機のスイッチを入れ、眼下で追われている紫電に呼びかけた。

 

「翼に1と書いている紫電、聞こえるか? これよりそちらに加勢する。三つ数えたら、大きく右旋回しろ」

『あんたは誰だ!』

「早くしろ。そっちももう限界だろう?」

 

 長時間の空戦を続けているためか、護衛機のパイロットたちには明らかに疲れが見える。それは空賊たちも同じだが、数が多い分空賊たちの方がまだ良いコンディションなのだろう。何機もの敵に追いかけまわされ続けていられるのも、あと少し。このままでは動きが鈍ったところを撃墜されてしまう。

 

「カウントする。1…2…」

 

 相手の返事を待たず、リーパーは機首を下げた。重力に引かれ、隼の機体がぐんぐん加速していく。紫電を追いかけまわしている空賊たちは、目の前の獲物に夢中で頭上から迫る隼に気づいていない。

 機体が軋み、操縦桿が震える。空中分解しないギリギリの速度を保ちつつ、隼は上から飛燕の群れに襲い掛かる。

 

「3、今だ」

 

 リーパーの言葉を信用したのか、はたまたたまたま回避行動をとったのか、紫電が大きく右に旋回した。それにつられて後を追う飛燕も、右に旋回する。リーパーが狙った通りの軌道を、飛燕の群れが描く。

 

 スロットルレバーに備えられた発射ボタンを引くと、軽やかな銃声と共に12.7ミリ弾が放たれる。照準器の先には今まさに紫電を追って旋回した飛燕があり、放たれた銃弾が飛燕の翼に吸い込まれていくように突き刺さる。旋回中にエルロンが吹っ飛んだ飛燕が、くるくると回りながら編隊から脱落し、下降していく。

 リーパーは降下を続けながらさらにもう一機を照準に納め、再び射撃。今度は飛燕の機首に命中し、銃撃を受けた飛燕が機首から黒煙を吐いて落ちていく。

 

「なんだ!?」

「上だ!」

 

 突然二機を墜とされた空賊たちが周囲を見回し、一人が上から降下してくる隼に気づく。すれ違いざまに、その青い主翼に大鎌を持った死神が描かれているのが見えた。何かの冗談なのか、ピンク色のリボンが頭についている。

 

 隼は紫電のさらに下へと降下し、そして地表近くで機首を上げた。急降下からの急上昇で、機体が大きく震える。機体の振動がダイレクトに操縦桿に伝わってくるのは、フライバイワイヤが基本の現代機では味わえない感覚だな。空戦の真っただ中であるにも関わらず、そんなことを思う。

 

 そのままほとんど垂直に上昇し、頭上を紫電が通り過ぎたところで発砲。ちょうど隼の真上を通り過ぎる形となった飛燕が、下からエンジンを撃ち抜かれる。失速する前に機体を水平に戻す。

 

「このやろ、ふざけやがって!」

 

 空賊の団長は紫電を追いかけるのを止め、突如乱入してきて3機も部下を落とした謎の青い隼を追いかける。だが旋回性能に優れる隼は、団長が発砲しようとする直前で右へ左へと旋回し、それにつられて機首を振る団長の飛燕は、徐々に速度を落としていく。速度を活かして一撃離脱に徹すればよかったのかもしれないが、今まで乗っていた機体と同じ感覚で格闘戦を挑もうとしてしまった。

 

 ハイGターンで大きく旋回した隼に、団長も追随しようとする。しかし旋回性能の差は大きく、あっという間に隼は団長の後方に回り込んだ。

 

「くそっ、撃てない!」

 

 団長を助けに入ろうとした仲間の機体だが、隼は団長の乗る飛燕の背後にぴったりとくっついて離れない。団長が回避運動を行っても、そのすぐ真後ろの位置をキープして味方に射撃をする隙を与えない。発砲したら確実に団長の機体まで巻き込むのは目に見えており、仲間を撃ち落としたらと思うと空賊は引き金を引けなかった。

 

「おい、早く何とかしろよ!」

 

 隼に背後を取られ追いかけまわされている団長は恐慌状態に陥っていた。隼は団長がいくら回避運動をしても、まるでその機動を読んでいたかのように後をついてくる。自分がいつ撃たれてもおかしくはない状況だと思うと、団長の気は狂いそうだった。

 こいつは死神だ。必死に操縦桿を右に左に倒し、何とか追跡を振り切ろうとする団長は、隼に描かれていた死神のマークを見てそう感じた。死神が大鎌を振り上げて、いつ自分を殺そうか狙っている。その頭に描かれていたリボンのピンク色が、団長の目に焼き付く。

 

 隼が発砲した。翼を銃弾が貫通し、燃料タンクに引火する。団長の操る飛燕が、炎に包まれながら降下していく。

 

「よくも団長を!」

 

 隼の後を追っていた空賊が、団長が落とされたのを見て激昂する。発射ボタンを押し込むが、目の前にいた隼は一瞬のうちに照準器から外れてしまっていた。

 どこへ行った? そう思ったのもつかの間、頭上を何かが遮り操縦席の中が暗くなる。見ると団長を撃墜したばかりの隼が、バレルロールを打って飛燕の背後に回り込んでいた。

 

 これが狙いだったのか。空賊は隼の操縦士がなぜ団長に中々発砲しなかったのか理解した。考えなしに団長の機体を撃墜していれば、同士討ちの恐れがなくなりすぐに後続の飛燕に撃墜されてしまう。だからタイミングを見計らっていたのだ。

 団長を撃墜した直後に、後続の仲間が発砲してくることは簡単に予想できる。こちらが射撃を開始するタイミングを読んで、隼は団長機を撃墜すると同時に、バレルロールを打ってすぐ後ろについていた飛燕の背後に回り込んだ。前方と後方に同時に注意を払いつつ、双方との距離を見計らわなければできない芸当だった。

 

「こいつ、後ろにも目がついてるのか…?」

 

 再び隼が発砲。機首の12.7ミリ機銃が火を噴き、水平尾翼を吹き飛ばされた飛燕がコントロールを失いふらふらと降下していく。空中にパラシュートが二つ開き、地面に激突した無人の機体が爆発炎上した。

 

「なんだコイツ…!」

 

 他の護衛機を追いかけまわしいたぶっていた空賊たちも、本能的にこの隼は危険だと認識したらしい。タネガシ二号の護衛機である紫電から離れ、青い隼を追いかけようとする。ドッグファイトから解放された紫電が3機、一時離脱して再度編隊を組む。

 

 今度は追いかけられる側となった隼だが、その高機動性を巧みに活かして中々照準に入らせない。低空ギリギリを飛行し、渓谷や丘陵の地形にぴったりと追随して地面すれすれをキープしている隼相手には、飛燕の速度を活かした一撃離脱戦法は難しい。下手に上空から降下すれば、そのまま地面に激突してしまう。空賊たちは弾を無駄にばらまきながら、ムキになって青い隼を追う。

 

『味方が1機やられた! 用心棒の増援だ!』

 

 突然、上空から青い隼を狙おうとしていた飛燕が、黒煙を吐いて降下していく。その上空には緑を基調とした迷彩を施した、6機の隼。

 

『コトブキ飛行隊!? くそっ、逃げるぞ!』

 

 オレンジの円に赤い二翔のプロペラマーク。そのエンブレムを知らない空賊はいない。今まで数々の空賊たちを撃墜してきたコトブキ飛行隊だ。まともに戦って勝ち目のない相手であることは、この場にいる誰もが理解していた。

 続けてもう1機飛燕が撃墜され、空賊たちは青い隼の追撃を中止して逃げ始めた。飛燕に乗っていてよかった、と空賊の一人が思った。最高時速は隼よりも飛燕の方が上だ。逃げ足だけなら速い方がいい。

 

「あーっ、あいつら逃げてく! せっかく急いで来たってのに!」

「全員やっつけようよ!」

「キリエ、チカ、深追いは無用だ。それに隼ではどのみち、飛燕には追い付けない」

 

 レオナの言う通り、逃げる飛燕との距離はどんどん離されていく。キリエは唇を尖らせ「了解」と返し、進路を反転し機首をガドール二号の方へと向ける。今まで低空で空賊と追いかけっこを続けていたリーパーの青い隼が、高度を上げる。

 

「遅くなってごめんね。損傷はない?」

「大丈夫です。あのまま10機相手に追いかけっこを続けてたら、俺も墜とされてました」

「それにしてはずいぶん余裕があるように見えるけど」

 

 リーパーの隼には、一発の被弾痕もない。おまけに不意をついた形とはいえ、どうやら空賊の機体を5機も撃墜したようだ。

 何が「時間稼ぎをする」だ、とザラは思った。もしかしたらコトブキ飛行隊が増援に入らずとも、リーパーだったら残りの空賊たちもすべて撃墜していたかもしれない。

 風貌越しに見えるリーパーが、ヘルメットのバイザーを上げる。その顔には疲労の色は全く見えない。

 

 空賊たちの動きには、どこか恐怖があるように見えた。何としてもここで撃墜しなければ、次は確実に自分たちが喰われる番になるという恐怖。だから空賊たちは操縦士が疲弊して動きが鈍っていたタネガシの護衛機を放り出し、全機でリーパーの追撃に向かったのだろう。

 

「まさか単機で5機も墜とすとはな…」

 

 レオナも同じ感想らしい。羽衣丸を襲った空賊との戦闘で消耗した弾薬と燃料を補給し、大急ぎでリーパーの後を追ってきたコトブキ飛行隊だが、結局発砲したのは前衛として突っ込んでいったキリエとチカだけ。残った空賊も、コトブキ飛行隊を見て逃げ出してしまった。

 

「ユーハングではどうだったか存じ上げてはおりませんが、腕が良いというのは確かみたいですわね」

「同意。地球での戦闘記録閲覧を所望する」

「それは後だ。コトブキ飛行隊は周辺警戒をしつつ、撃墜された護衛機乗員の捜索を行う。リーパー、君は一度タネガシ二号で補給を受けろ。燃料はもう限界だろう?」

 

 レオナの言う通り、リーパーが搭乗する隼に燃料はほとんど残っていなかった。タネガシ二号のいる空域まで飛ばし、さらに空賊たちと空戦を繰り広げていたため、燃料消費が激しい。

 既にタネガシ二号の飛行甲板のハッチが開かれ、生き残った護衛機の紫電が着艦を始めている。リーパーが着艦と補給の許可を求めると、タネガシ二号からは二つ返事でオーケーが返ってきた。

 

「この世界じゃ、空中給油機は必要ないな」

 

 飛行甲板を備えた飛行船が飛んでいて、いつでも補給に戻れるのであれば、長距離飛行でも空中給油機は必要ない。燃料だけでなく、弾薬までも補給できるのだから。ユージア軍がアイガイオンやフレスベルグといった空中空母を運用したがるのもわかる気がした。

 

「アローブレイズ飛行隊、着艦態勢に入ります」

 

 そう告げて、リーパーは編隊から離れた。

 初めてのレシプロ機での空戦にしては、うまくやった方だろう。もっとも今回は相手が空賊で、凄腕の用心棒というわけではない。コトブキ飛行隊ほどではないにせよ、凄腕の用心棒操縦士はあちこちにいる。そういった連中を相手にしても、生き残らなければならない。

 この程度の勝利で浮かれていては、次の戦いで堕とされてしまう。リーパーは気を引き締め、タネガシ二号への着艦態勢に入った。




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第一九話 Tutorial

「初スコアおめでとう。かんぱ~い」

 

 ザラが音頭を取り、ビールの樽がぶつかる乾いた音がジョニーズサルーンに響く。テーブルを囲んでいるのはコトブキ飛行隊と、先ほどタネガシ二号から帰還したばかりのリーパーだった。

 イジツで初撃墜を成し遂げたリーパーの祝勝会…という名目だが、実際にはザラがそう言っているだけに過ぎない。サルーンにいる時で、酒を飲んでいないザラの姿をリーパーは見たことが無かった。

 

「あんた凄いな! 最初の出撃で5機も撃墜するなんて、ほんとに腕がいいんだね!」

 

 ジュースのグラスを手に、チカがリーパーの背中をバシバシと叩く。飲んだばかりのビールでむせそうになりながらも、「どうも…」とリーパーは何とか返した。

 

「おかげでタネガシ二号からも救援の報酬が頂けて助かりますわ」

「エンマたちは何もしてないけどね。敵を撃墜したのは私とキリエだけだし」

「あのダニどもにもう少し甲斐性というものがあって、逃げていなければ私たちが遠慮なく叩き潰して差し上げたのですけど」

 

 タネガシ二号を襲撃していた空賊が撤退した後、目的地が同じだということで羽衣丸とタネガシ二号は合流し、ともにタネガシを目指すことになった。幸い護衛機の操縦士たちは全員無事に脱出に成功しており、重軽症を負ってはいるものの、全員命に別状はない。

 

 空賊からタネガシ二号を救助したことで、リーパーたちには事前の取り決め通り報酬が支払われた。タネガシ二号の救助に際し、撃墜数の大半はリーパーが稼いでいたので、レオナはその報酬の8割はリーパーが受け取るべきだと主張した。しかしリーパーは7等分してコトブキ飛行隊の全員も平等に受け取るべきだと譲らず、結局リーパーの意見通りになった。

 

「でも、いいの? チカの言う通り、私たちは何もしてないわよ? なのに報酬は7等分って…」

「いえ、俺一人であのまま飛んでたら墜とされてたかもしれません。空賊が撤退したのは、皆さんが増援に来てくれたからです。コトブキ飛行隊が来たからあいつらはビビッて逃げた、だから皆さんも報酬を受け取る権利は十分にあるはずですよ」

「あなたはお人よしですわね。お人よしは早死にすると言いますわよ?」

「よく言われますよ」

 

 ザラはレオナがなにやら険しい顔をして、テーブルと睨めっこしていることに気づく。「そんな顔してたらビールがマズくなるわよ」と声をかけると、レオナは慌てて顔を上げた。

 

「また借りを作った、とか考えてないわよね?」

「いや、そんなことは…」

「レオナってさー、いっつも貸し借りとか難しいことばかり考えてるよね。ここはさ、ありがたく貰っておけばいいじゃん。せっかくくれるって言ってるんだし」

 

 キリエがパンケーキを切り分け、フォークで口に運ぶ。そしてそのままヤキトリ丼を掻っ込む。パンケーキとご飯を一緒に食べる人は初めて見たな、とリーパーは軽く衝撃を受ける。どうやらキリエにとってパンケーキは主食らしい。

 

「そうそう、借りとか借金なんて踏み倒せばいいんだよ!」

「驚異の経済論」

「それは違うと思いますけど、何でも貸し借りで考えるのもレオナの悪い癖ですわ。前にも言いましたけど、もっと他の人に頼っていいんですよ?」

「そうそう。隊長だからって、何でも責任を感じたりする必要はないのよ」

 

 そこでザラが、「そういえば、あなたも隊長だったのよね」とリーパーを見る。

 

「え? 私たちと同じくらいの歳なのに隊長なの?」

「まあ、一応」

「貸してもらった端末に興味深い記事があった。それによるとリーパーは初の実戦後、半年で飛行隊の隊長まで昇格している。その後の複数の飛行隊が参加したいくつかの作戦では、実質的な現場指揮官を務めている」

 

 淡々と語るケイト。彼女に一時貸し出していたリーパーのタブレット端末には、アローズ社の社内報も載っていた。そこで何度かインタビューを受けた時の記事を読んだのだろう。

 

「そうなのか? 君も隊長だったなんて…」

「いや、レオナさんと違って隊長らしいことなんて何も出来てなかったですよ。勝手に飛んで、敵を墜とすのに夢中になって周りが見えなくなる。良く言われましたよ、『もっと周りを考えて飛んでくれ』とか」

 

 特にオメガにはいろいろ愚痴を言われたものだが、それでも彼はいつもリーパーについてきてくれた。キャリアで言えば遥かにリーパーより上なのに、それでもリーパーが隊長に選ばれた時には自分のことのように喜んでくれたいい奴だった。

 

「それでも隊長として皆がついてきてくれたってことは、よほど信頼されてたのね」

「まあ、そうだといいなって思います」

「チカが隊長を務めるようなもんかな? チカっていつも好き勝手に飛んでるし」

「それは…ちょっと考えたくはないですわね」

「悪夢」

「なにそれ酷くない?」

 

 むくれるチカを見て、皆が笑った。ザラに宴会に誘われた時には参加するかどうか迷ったものだが、やっぱり参加してよかったかな、とリーパーは思った。

 目的地のタネガシには明日到着する。タネガシでは休養と荷下ろしのため二日ほど滞在する予定だ。その間リーパーはイジツの他の街を見物し、ついでに情報収集のためにタネガシを散策する予定だった。

 

 聞けばタネガシはマフィアが多くいる街だという。今はなんとかというマフィアに統一されて抗争など起きてはいないようだが、それでも地球人からすればマフィアと言う人種は近寄りたくはない。

 気を付けて出歩くことにしよう。リーパーはオメガから貰った拳銃の出番がないことを祈った。

 

 

 

 

 羽衣丸にはビリヤードやダーツが楽しめる会議室兼用の娯楽室がある。夕食後、各々が部屋に戻る中、リーパーはアローズ社支給の端末を持って一人娯楽室に向かった。中には誰もおらず、リーパーは端末をテーブルに置くと、ヘルメットに取り付けられていたカメラのメモリーカードを挿入する。

 今日の戦闘の振り返りのためだった。戦闘の後はこうして映像で自分の戦闘機動を振り返ることが、イジツに来る前からの日課となっている。いつもは撮影したデータはグランダー社のエンジニアにも渡っているのだが、彼らはここにはいない。

 

 映像を再生する。戦闘中は思った通りの機動が出来ていたと感じていたのだが、こうして映像を見ているとやや動きに甘いところがあるのが自分でもわかった。それに弾薬をやや多く消費している。やはり12.7ミリ機銃が二挺では威力不足だな、とリーパーは感じた。

 なるべく早くもっと強力な武装を多く装備した機体を入手するか、あるいは隼の武装を20ミリ機関砲に換装して3型相当にしてもらうのもいいかもしれない。イジツでは航空機の発達に伴い、個別に戦闘機を改造する業者もいると聞く。新しく機体を購入するよりも武装のみ換装の方が費用も安く仕上げられる。

 

「あとは照準器だな…」

 

 地球のジェット戦闘機はヘッドアップディスプレイ(HUD)の装備が当たり前だったので、隼1型の眼鏡(スコープ)式の照準器は中々慣れない。敵機を正面に捉え、さらに照準器を覗き込むという動作が必要となるため、少しでも頭を動かしてしまうと正しく照準を定められない。また、照準器を覗き込まなければならないので、視野も狭くなる。照準器を覗かず曳光弾の軌跡を元に弾道を修正するという手もあるが、それだと無駄弾をバラまいてしまう。

 

 その点パイロット正面に設置されたレンズに照準(レティクル)を投影するタイプの光像式照準器であれば、HUDと同じ感覚で照準を定められることが出来る。何より、操縦士が頭を動かしても照準はズレない。隼2型からは眼鏡式に代わって光像式の照準器が搭載されているとのことだが、先に照準器だけでも交換しておきたいところだった。

 

 スロットルレバーに機銃の発射ボタンが付いていることにも違和感はあるが、こればかりは機体の構造上仕方がない。早く慣れるしかなかった。

 

 

 娯楽室の窓から外を眺める。窓の外には、並んで飛行するタネガシ二号の航空灯が見える。それ以外にも荒野の所々に、小さな町や集落のものらしき光が輝いていた。だが地球で見たような、大都会の人々の営みが発する、夜空の星々さえもかき消してしまうような都会の光というものは、ここには無い。

 

 

 

「あら、ここにいらしたのですか?」

 

 娯楽室の扉が開かれ、コトブキ飛行隊の面々が顔を覗かせた。だがザラとレオナの姿は見えない。ザラはまだサルーンで酒を飲んでいて、レオナは今日の戦闘についてルゥルゥに報告に行ったのだという。

 

地球(ユーハング)でのリーパーの戦闘記録閲覧を所望する。イジツより70年以上進んでいる地球ではどのような空戦が行われているのか、非常に興味深い」

「私らも暇だからついてきちゃった。またあの映画? 見せてよ」

 

 グランダー社がデータ収集のためリーパーのヘルメットに取り付けていたカメラの映像は、機密部分に当たる個所を削除してアローズ社にも提供されている。無論テストパイロットたるリーパーもデータを受け取っており、端末の中には一年分近いデータが入っている。

 外部の人間に見せていいのかは判断がつかないが、アローズ社では「リーパーに学べ」とばかりに戦闘の記録映像を社員たちに配信して、その空戦技術を学ばせようとしていた。一応、見せるだけならば大丈夫だろう。

 

「わかりました。じゃあプロジェクターを…」

「部屋まで取りに行ってもらうのは恐縮。その端末で十分」

「早く早くぅ」

 

 キリエとチカが急かすので、投影ではなく端末で直接見ることになった。一応、12.3インチの大画面だから、少人数であれば十分見られるだろう。

 

「それで、どんな戦闘の映像をご所望で?」

「地球での一般的な空戦の映像を希望する」

「了解」

 

 データベースを漁ると、該当する映像記録はいくつも出てくる。その中でリーパーは、半年ほど前に行われた作戦の記録を呼び出した。その作戦は既に終了していて、戦闘の経過も新聞などで大々的に報道されている。現在進行形で行われている作戦の映像は流石に見せられないが、一般的にも知られている戦闘記録ならば見せても問題ないだろう。

 

 リーパーは「戦域攻勢作戦計画4101」と記載されたファイルをタップし、端末をテーブルに置く。再生が開始されたのは、国連軍が半年前に行った運河の強行突破作戦だった。

 

「ちょっと、チカもっと詰めてよ」

「えー、キリエそっちに行ってよ」

「二人とも、始まりますわよ。静かになさい」

「狭い。もう少し間隔を開けることを提案する」

 

 




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第二〇話 戦域攻勢計画4101号

『ブリーフィングを始める』

 

 グッドフェローの言葉と共に、搭乗員待機室のスクリーンに世界地図が表示される。カーソルが地図上を移動し、紅海を中心に拡大する。

 

『先日国連海軍インド洋方面艦隊が敵襲を受け、空母ヴァルチャーが被弾損傷、ドッグ入りすることとなった。そこで大西洋艦隊から空母ケストレル打撃群が、インド洋艦隊の増援も兼ねて現地へ向かう』

 

 洋上を航行する空母を中心とした艦隊の映像がスクリーンの端に表示され、「KESTREL」と表示された輝点(ブリップ)が大西洋から地中海を抜け、スエズ運河を通ってインド洋へ向かう進路が地図に重なる。

 

『なんでスエズ運河なんだ? 一応紅海の両岸は国連が抑えてるが、すぐ北のイランとイラクはユージア勢力内だろう? 危険が大きすぎやしないか?』

『その通りだ。だが一週間後、インド洋方面で大規模な作戦が実施されるため、そこに空母の投入は不可避となっている。それに…』

 

 スクリーン上のアフリカ大陸の地図が移動し、今度は南端の喜望峰を中心とした表示に切り替わる。喜望峰周りの航路がいくつか表示されるが、そのどれもが赤線で×印が付けられている。

 

『アフリカ大陸南部は反政府勢力の活動が激しく、海賊の出没も多い。ユージア軍も現地の反政府勢力に人員と兵器の支援を行っている。またここ最近では喜望峰周辺における敵潜水艦の活動も活発だ。作戦実施までの時間を考えると、喜望峰を迂回するルートは危険な上に間に合わない』

 

 再び地図が紅海を中心とした表示になる。

 

『ケストレル打撃群は先日スエズ運河を通過し、現在は紅海上をアデン湾に向かって航行している。だが、敵もケストレルのインド洋到達を何としても阻止しようとするだろう。現地でのユージア軍および反政府勢力に動きがあるとの情報も入っている。敵は、アデン湾でこちらに攻撃を仕掛けてくるつもりだろう』

 

 地図がズームアップされ、アデン湾をケストレル戦闘群が進んでいくイメージが表示される。アデン湾の北側、サウジアラビアは国連に協力的だが、内戦が続くイエメンではユージアが支援する反政府勢力が攻勢を強めている。そのためサウジアラビアは味方を示す青、イエメンは敵を表す赤に地図が塗り分けられていた。

 

『そこで、ケストレル戦闘群のアデン湾通過及び、アデン湾一帯の海上優勢確保を目的とした大規模な協同作戦計画の実行が決定した。本協同作戦計画を「戦域攻勢計画4101号と呼ぶ』

 

 ケストレル戦闘群から三つの線が伸び、それぞれ異なる方向へと向かっていく。一つはアデン湾の北側、もう一つはケストレル戦闘群の前方、そして最後の一つはそこからさらにアデン湾からインド洋へとつながる、いわゆる「アフリカの角」と呼ばれる半島北端まで伸びていく。

 

『戦域攻勢作戦計画4101号は3つの局地的航空作戦任務で成り立っている。1つを『ゲルニコス作戦』と呼ぶ。本作戦はユージア軍航空部隊及び地上兵器を殲滅する対地・対空攻撃任務である』

 

 アデン湾北、イエメン南部が円で囲まれ、そこに出現が予測される敵戦力がCGと共に表示される。長距離対艦ミサイルを搭載した爆撃機と、地対艦ミサイル部隊が予想される敵勢力としてマップに描かれる。

 

『1つを『ラウンドハンマー作戦』と呼ぶ。本作戦はユージア艦隊を殲滅する対艦攻撃任務である』

 

 アデン湾の出口に陣取るユージア艦隊がマップに重なる。ミサイル艇から巡洋艦まで、ユージア連邦が運用する海上戦力は強大だ。中にはシンファクシ級潜水空母などという怪物艦もあるが、それに関してはリーパーたちが別の作戦で撃沈していたので、今回の作戦には出現してこないだろう。

 

『1つを『コスナー作戦』と呼ぶ。本作戦は原子力空母ケストレルを中心とする艦船の護衛任務である。いずれの作戦でもユージア軍の激しい攻撃が予想される』

 

 ケストレルを中心とした艦隊はイージス艦から補給艦まで十数隻の艦艇で構成されているが、そのうち何隻が無事にインド洋に到達できるだろうか。イージス艦の防空能力は強力だが、アデン湾の北岸には敵の対艦攻撃部隊が展開している。そこからの長距離ミサイル攻撃を捌きつつ、敵航空部隊の迎撃も行わなければならない。

 

『ボーンアロー隊にはケストレル護衛が任務のコスナー作戦に参加してもらう。リッジバックス隊は敵艦隊攻撃を行うラウンドハンマー作戦を実施。他にも空母ケストレル所属の航空部隊と、現在アフリカで対テロ及び海賊掃討任務にあたっているタスクフォース108から増援を受け、本計画を実施する』

 

 ゲルニコス作戦に参加する部隊には『ウォードック』、『ウォーウルフ』の名前が見える。どちらもユージア戦争で名前が知られた国連軍飛行隊だ。

 

『凄い、オールスターじゃないか』

『ここまでしなければケストレル打撃群のアデン湾突破は困難だということだ。これから君たちもケストレル打撃群に合流してもらう。事前に説明した通り、今回の任務は空母艦載機を使用して臨んでもらう。リーパー、君にはグランダー社がF-14を用意している。後席にはいつも通り例の機械が乗っているが―――まあ君ならどんな機体でも大丈夫だろう』

『ちぇ、今回はタイフーンはナシか』

 

 オメガが最後に愚痴をこぼし、スクリーンが消灯される。同時にガタっと何かが動く音がして、画面にリーパーの顔が大写しになり、そしてブラックアウトする。

 

 

 

 

 

 

 

「空母って何?」

 

 開口一番そう尋ねてきたのはチカだった。

 

「飛行甲板を備え、洋上での航空機運用を可能とした船舶の一種」

「羽衣丸みたいなもん?」

「まあ、そんな感じ。海の上に浮かんでる滑走路だな」

 

 ケイトの言葉を補足したリーパーは、続きを再生する。さっきまで再生していたのが、リーパーたちが空母ケストレルに移動する前に受けたブリーフィングの映像。これからはいよいよ、コスナー作戦当日の映像が再生される。

 

 

 

 

 

 

『もうゲルニコス作戦とラウンドハンマー作戦は始まってる。リッジバックスの連中、上手く敵艦隊を沈められてるんだろうな』

 

 空母の狭い通路を歩くオメガの姿が画面に映る。視線の位置が低いのは、リーパーがカメラ付きのヘルメットを腰に抱えているからだった。すれ違う水兵たちが、リーパーのエンブレムを見て敬礼する。

 

『先行する艦隊がグアルダフィ岬沖で敵艦隊と交戦中。現在のところ作戦は順調に進行中。各員、アデン湾突破まで気を抜かないように』

 

 艦長が館内放送で呼びかける。名前はウィーカーと言ったか。退役した前艦長の後任として、新たにケストレルに着任したばかりの艦長だ。

 

『せっかくの真夏の海だってのに、泳ぐんじゃなくてドンパチしに来るとはな』

『ベイルアウトすれば下は一面の海だ。好きなだけ泳げるぞ』

『勘弁してくれ。ナイスバディのねーちゃんとならともかく、サメとなんか遊びたくもないぜ』

 

 オメガがそう言って、通路の先の扉を開ける。二人が出た先は空母の艦載機格納庫で、今まさに発艦準備中の機体が整備員らの手によって最後の調整を受けていた。爆弾やミサイルを満載したトーイングカーが、リーパーとオメガの横を走り抜ける。

 

『F/A-18とはな。随分久しぶりに乗る機体だ、新入社員以来か?』

『オメガが昔乗ってたのはレガシーホーネットだろ? こっちは最新型のアドバンスド・スーパーホーネットだ。せっかくの最新鋭機だ、また墜とすなよ』

 

 オメガが笑って、ラダーを上りF/A-18Eの操縦席に乗り込む。カメラの視点が動き、リーパーがヘルメットを装着した。そして目の前の巨大な機体を見上げると、操縦席の脇に立てかけられたラダーを上る。今作戦におけるリーパーの搭乗機は、グランダーI.G社によって改造が施されたF-14D戦闘機だった。

 後部座席にはいつもの通り、コプロが陣取っていてリーパーの戦闘データ収集に努めている。発艦準備のアナウンスが流れ、リーパーは操縦席に乗り込んだ。

 

 機体に問題が無いことを確認すると、リーパーのF-14はトーイングカーに牽引され、舷側のエレベーターに後ろ向きで押し込まれる。トーイングカーが離れていくと、エレベーターが昇り始め、ビルのようにそびえ立つ艦橋が目に入ってくる。

 

『カタパルト圧力上昇。70,80,90。ポイント15、48、32、確認』

『OKです! 打ち出し準備完了です!』

 

 無線機を通じ、クルーたちが発艦準備を行う様子が聞こえてくる。目の前の広大な飛行甲板に設けられた4基のカタパルトのレールからは水蒸気が立ち昇り、ある種幻想的な風景を醸し出していた。

 アングルドデッキには今まさに発艦しようとしている2機のF/A-18が並んでいた。クルーが大きく腰を落として前方を指さすと、それを合図にカタパルトで戦闘機が打ち出される。翼下に大量のミサイルをぶら下げたF/A-18がカタパルトで打ち出され、一瞬視界から消えた後、空高く上昇していく。

 

『次来るぞ! 準備急げ』

 

 クルーの合図でリーパーは機体を前進させ、艦首カタパルトまでF-14を移動させる。緑のジャケットを着た誘導員の合図で機体を停止させると、クルーたちがカタパルトのシャトルとF-14の主脚に取り付けられたローンチ・バーを引っかける。

 

『シャトル接合完了!』

 

 赤いジャケットを着た兵装係がミサイルの安全ピンを外し、チェックして回る。他の白いジャケットの安全担当クルーも機体の下に潜り込み、機体とカタパルトの最終確認を行う。

 

『準備完了! 機体の最終チェックどうぞ!』

『バリアー上げろ!』

 

 カタパルトの後方、F-14の背後で、排気からクルーたちを守るジェットブラストシールドがせり上がる。

 管制官の指示で、リーパーはいつも通り各種機器や機体が問題なく動作するか確認する。展開した可変翼とラダー、フラップ、スラット、火器管制システム、レーダー、その他諸々。後方を振り返りながら、フラップやエルロン、エレベーターがきちんと操作した通り動くかチェックする。その間周囲のクルーは片膝を立てた耐ブラスト体勢で待機を続ける。

 

 操作系統に問題が無いことを確認したリーパーは、右手を額に当ててカタパルトオフィサーに敬礼した。

 

『ボーンアロー1、発艦を許可する』

 

 黄色いジャケットを着たカタパルトオフィサーが腰を落として姿勢を低くし、片手を突き出して前方を指さした。その合図でカタパルトが射出され、リーパーの乗ったF-14は一瞬のうちに時速300キロ近くまで加速され、そして甲板から放り出された。機体が一瞬沈み込み、そして上昇を開始する。続いてオメガの乗ったF/A-18も射出され、ボーンアロー隊が編隊を組む。

 

『ボーンアロー隊、方位200より接近中の敵機を迎撃せよ。敵機は4グループ。高度は…』

 

 強力なレーダーを装備する早期警戒機(AEW)から目標の指示が入る。『了解』と返し、リーパーはボーンアロー隊の面々に指示を下す。

 

『いつも通りワンとツー、スリーとフォーでエレメントを組む。最優先目標は空母を狙う敵攻撃機だ』

 

 ケストレル打撃群に南西から接近中の機影はおよそ4つの集団に分かれ、リーパーたちにはそのうちの1グループが割り当てられる。機数はおよそ20から30。

 ユージア連邦に同調する、アフリカの反政府軍が送り込んだ機体だろう。反政府軍と言ってもその実力は侮れず、最近では傭兵やユージアの軍事顧問団が大量に送り込まれ、さらには最新鋭の機体まで装備していると聞く。

 青い空に眩しい太陽。視界を下方に転じれば、どこまでも続く海。オメガの言う通り、ここが戦場でなければ泳ぐのに絶好の場所だろう。だが敵機に撃墜されてしまえば、サメが群れる海で否が応でも海水浴を楽しむ羽目になる。

 

『お仕事の時間だ』

 

 スロットルを上げ、F-14の可変翼が後退する。機体が雲に突入し、窓に着いた水滴があっという間に後ろへと流れていく。

 

 

 

 

 レーダーが目標を捉え、中距離空対空ミサイル(AAM)の射程に入る。敵機がボーンアロー隊を捕捉した様子はなく、戦闘はボーンアロー隊が有利な状況で開始された。

 

『FOX3』

 

 隊長機のリーパーがミサイルを発射し、続けてオメガたちも発射する。発射されたミサイルは母機(F-14)からの指令を受け、100キロ以上彼方の敵機へ向けてまっすぐ飛翔していく。目標集団に接近したミサイルは今度は弾頭部に備えられたレーダーで敵機を探知し、自ら目標を識別して突入する終末誘導に切り替わる。そのタイミングでリーパーは第二波のミサイルを発射した。

 

敵機撃墜(スプラッシュ1)!」

 

 データリンクでAEWから送られてくる敵機の輝点が、レーダー画面上からいくつか消える。恐らく何もわからないまま、突然ミサイルの突入を食らったに違いない。第二波のミサイル群が終末誘導に入るタイミングで第三射の発射命令を下そうとしたリーパーだったが、突然レーダー画面に靄のようなノイズが走る。

 

『電波障害だ。各機、交戦に備えろ』

 

 ユリシーズに含まれていた特殊な磁気を帯びた鉱石が、微粒子となって今も大気圏内を風に乗って漂っている。普段は電子機器の動作に影響を及ぼすことはないものの、風の流れによっては粒子の濃度が高くなり、レーダーでの目標探知や通信に障害をもたらすこともある。アフリカ大陸には複数のユリシーズの破片が落着していたため、特に電波障害が起きやすい地域となっていた。

 

 こうなってしまえばレーダーは頼りにならない。時折粒子が途切れてレーダースクリーンがクリアになるものの、基本的には目視で敵機を探すしかない。近距離まで接近すればレーダーでの探知も可能となるが、探知したら1分以内に格闘戦が始まる。

 

 リーパーはレーダー画面と空を交互に見ながら、時折表示される敵機の輝点の方向へと進んでいく。最初に会敵したのはボーンアロー3(ブロンコ)4(ゼブ)のエレメントだった。

 

『敵機はMiG-29(ファルクラム)Su-24(フェンサー)! 敵の対艦攻撃部隊だ』

『了解、すぐそっちに行く』

 

 既に格闘戦が始まっていた。対艦ミサイルをぶら下げたSu-24を攻撃しようとするF/A-18に、MiGがしつこく絡みつく。F/A-18が発射したミサイルを、Su-24がフレアを放出して回避した。そのまま艦隊からのレーダー探知を逃れるべく、低空へと降下していく。

 

『やるぞリーパー!』

 

 オメガが言わずとも、リーパーは既に敵機を捕捉していた。味方機に食らいつくMiG-29をロックオンし、ミサイルを発射。敵機が回避行動に移ったところでもう一発を発射する。一発目を避けて安堵からか動きが鈍っていたMiG-29が、ミサイルの直撃を受けて爆散する。

 

『こいつは死神だ!』

 

 電波障害で無線が混信しているのか、敵パイロットが驚愕する声が聞こえた。リーパーはそれに構わず、オメガの後方に陣取っていた敵機にミサイルを撃ち込む。近接信管が作動したミサイルが炸裂し、破片を浴びたMiG-29が翼をもがれてくるくる回りながら降下していく。

 

『なんてこった、死神だ!』

『くそっ、ツイてないぜ! まさか死神が相手とは』

『全機、死神を優先して狙え。他の機には構うな、単機での交戦は禁止』

『あいつを墜とせば名が上がる! やってやる!』

 

 機体に描かれたリボン付きの死神のエンブレムを認めた敵パイロットからの声が聞こえてくる。それと同時に、レーダー画面に映るようになった敵機が、一斉にリーパーの方へと殺到してくるのが見えた。敵機にロックオンされていることを告げる警報が鳴りっぱなしだ。リーパーは一度雲に進入し、敵の視界から逃れる。

 

『リーパー、後方に敵機!』

 

 オメガが告げるまでもなく、バックミラーに移る敵機を認めていたリーパーは、ハイGターンで敵機と相対する。軽量小型で格闘戦能力の高いMiG-29だが、F-14も自動制御される可変翼のおかげで格闘戦も十分こなせる。

 ヘッドオンの状態から即座にミサイルを発射し、同時にフレアを放出しつつ急降下し、正面の敵機が発射したミサイルを躱す。敵機も回避運動を取ったためにリーパーが放ったミサイルは命中しなかったが、回避運動から戦闘に復帰したのはリーパーが先だった。リーパーはさっきまで自分を追っていた敵機の背後に着くと、操縦桿のトリガーを引く。毎分6000発の発射速度を誇るバルカン砲から一瞬で数十発の20ミリ機関砲弾が吐き出され、MiG-29の機体をズタズタに引き裂いた。

 

『FOX2、FOX2!』

 

 リーパーが敵の護衛機と戦闘を繰り広げている間に、オメガたちも続々と敵機を撃墜していた。低空に降りたSu-24に、F/A-18が背後から追いつく。Su-24は回避運動を取り始めたが、機体の重い戦闘爆撃機は機動力が劣る。

 

『ミサイルを抱えたまま墜ちやがれ』

 

 海面近くで爆発の華が咲き、対艦攻撃部隊はミサイルの発射位置につく前に全機撃墜された。残っていた護衛機も肝心の戦闘爆撃機が撃墜されたためか、はたまた死神のエンブレムを恐れたのか、反転して撤退していく。

 

『艦隊に接近中のSu-24を味方機が撃墜! 死神の部隊です』

『流石だ…話には聞いていたが、この目で死神の戦いを見るのは初めてだ』

 

 攻撃してきたのはアフリカの反政府勢力だろうか。元々貧困や飢餓、民族間紛争で争いが絶えないアフリカ大陸だったが、数年前から『アフリカを取り戻す』のスローガンの下、各地の反政府勢力やテロリストが統合され、組織化された軍隊と化している。装備も充実した彼らは、小国の正規軍なら圧倒できるほどの戦力を整えていた。そこへユージア軍が兵器や人員を供与しているので、その実力は侮ることが出来ない。

 

『ボーンアロー隊、そこから方位080、30マイルの地点でガーゴイル隊が敵機と交戦中だ。押されている、至急援護に向かってくれ』

 

 管制官の指示に『了解』と返し、リーパーは編隊の状況を確認した。被弾した機は無し。ミサイルも各機残り2発か3発程度しか残っていないが、燃料も十分残っていてまだ戦える。

 

『本艦に接近する新たな高速小型目標を探知、敵対艦ミサイルと思われる! 方位180、距離―――』

『ESSM、攻撃はじめ!』

『インターセプト5秒前、スタンバイ!』

『艦隊、輪形陣に移行。本艦をケストレルの盾にする、何としてもケストレルだけは通すんだ』

 

 アデン湾を東に向かって航行中の艦隊も敵の攻撃圏内に入ったらしく、先ほどから無線は敵の対艦ミサイルを迎撃する味方艦隊の通信が飛び回っていた。リーパーたちの部隊は敵対艦攻撃機を全機撃墜したが、他の部隊では撃ち漏らしたところもあるようだ。

 それにアデン湾の両岸には、偽装を施した敵のゲリラ部隊が潜んでいて、トラックに搭載された長距離ロケット弾や対艦ミサイルで、湾のど真ん中を進むケストレル打撃群に攻撃を仕掛けている。事前にゲルニコス作戦で敵の大規模な対艦ミサイル部隊は掃討されているが、広大な砂漠に点在するようにして隠蔽された敵攻撃部隊を全て潰すのは困難だった。

 さらに沿岸部に隠匿されていたミサイル艇なども活動を開始し、遠距離から対艦ミサイル攻撃を開始している。艦隊もそのことを覚悟して、航行を続けていた。

 

艦対空ミサイル(SAM)が撃ち漏らした一発、来ます!』

『主砲撃ちーかた始め! 用意、撃て(てー)!』

『CIWS、迎撃開始(コントロールオープン)

『駆逐艦アイオライト、フリゲート艦ピトムニク被弾! 損傷軽微、戦闘継続は可能です』

 

 撃沈された艦こそ未だに出ていないものの、ユージア軍の攻撃の手は止まない。艦隊がアデン湾を突破するまで、あと30分といったところか。

 

『この分だと、何隻か沈むのは覚悟しないとな…』

『安心しろ、上空の護衛機は死神だ。あいつの下なら安全だ』

『それは本当か? 希望が見えてきたな』

 

 「リーパー、期待されてるぞ」とオメガ。「やるだけやるさ」と返し、リーパーは味方編隊の援護に向かう。

 

 

 

 

 

『こちら空母ケストレル艦長ウィーカーだ。我が艦隊はアデン湾の通過に成功した』

 

 30分後、艦隊はアデン湾を抜けてインド洋への進出を果たした。既にミサイルを撃ち尽くし、機銃のみで敵機を追い回していたリーパーは、ケストレル艦長の通信と共に敵機が撤退していくのをレーダー上で確認する。数隻が被弾していたが自力航行不能な状態にまで追い込まれた艦はなく、また最重要目標の空母は無事だった。

 

 アデン湾の出口はユージア艦隊が封鎖していたが、ラウンドハンマー作戦により敵艦隊は壊滅し、残存戦力もケストレル打撃群からの対艦ミサイル攻撃で無力化された。生き残った敵艦は這う這うの体で撤退していき、ケストレル打撃群が敵の救命ボートの収容に当たっている。

 

『本艦隊の損害は極めて軽微。航空部隊の諸君に感謝する』

『…終わったな』

 

 やれやれと言った感じで、オメガが一息ついた。リーパーもヘルメットのバイザーを上げ、周囲の味方機を確認する。

 ボーンアロー隊に被弾機は無し。救援に向かったガーゴイル隊は何機か墜とされたようだが、撃墜された者も無事にベイルアウトに成功して、今は洋上で救難ヘリを待っている。そのガーゴイル隊もリーパーたちが援護に入ってからは、1機も墜とされていなかった。

 

『さすがは死神だ。あいつと一緒に飛んでいれば生き残れるぞ』

『あいつがいればこの戦争に勝てる』

『死神のマークが頼もしく見える日が来るとは思わなかったぜ』

 

 無線機ではリーパーを称賛する声が飛び交っているが、当の本人は何も言わない。代わって、『うちのエースは誰にも墜とせないのさ』とオメガが自慢げに応える。

 

『任務完了、帰投する』

 

 そう告げて、リーパーはF-14の機首をケストレルの方向へと向ける。その後をぞろぞろと、ボーンアロー隊とガーゴイル隊がついていく。

 

『ボーンアロー1、レーダー上で貴機を確認した。着艦体勢に入れ』

 

 ボーンアロー隊が味方艦隊上空に戻ると、既に戦闘を終えた艦載機部隊が続々と着艦を開始していた。管制官の指示でリーパーはランディングギアとアレスティングフックを展開し、空母後方から接近して着艦体勢に入る。

 

『デッキOK。ボーンアロー1、着艦を許可する』

 

 今の時代はどの艦載機にも自動着艦装置が備わっていて、ボタン一つ押せばコンピューターが勝手に機体を制御し、誤差30センチの範囲内で速度のコントロールから着艦まで全てやってくれる。だが腕が鈍る、機械を信用できないというパイロットも多く、手動で着艦するパイロットがほとんどだ。リーパーもよっぽどの事情がない限り、自分の手で操縦桿を握って着艦を行っていた。

 

『進入コース適正。その状態を維持せよ』

 

 着艦信号士官(LSO)の指示に従って減速、コース修正、機首角度修正を行い、目の前に広大な空母の飛行甲板が近づいてくる。こうして間近で見ると巨大な空母だが、空の上からでは広大な海原に浮かぶ落ち葉ほどのサイズにしか見えなかった。

 F-14Dの機体後部から伸びたアレスティングフックが飛行甲板に張られた4本のワイヤーのうち、一番手前のアレスティングワイヤーに引っかかり、リーパーはスロットルを絞った。機体が急減速し、ハーネスが身体を締め付ける。ランディングギアが甲板に触れ、一気に速度が落ちた機体は、着艦甲板であるアングルドデッキの中ほどで止まった。

 

『いい腕だ、ボーンアロー1。駐機スポットへ移動、次の指示を待て』

 

 リーパーが了解と返し、F-14が駐機スポットへと自力で移動を開始する。リーパーが大きく息を吐く音と共に、映像の再生が終了する。

 

 

 

 

 

 

 

「…なんかよくわかんないけど、あんたが凄いことだけはわかった」

「キリエ、それは矛盾している。わからないのかわかったのかはっきりしてほしい」

 

 映像の再生が終了し、最後にデブリーフィングの内容が表示された。ケストレル打撃群はインド洋への進出に成功。今後のインド洋方面における作戦成功のカギとなるだろう。以上。

 リーパーたちが交わす細かい用語などキリエにはさっぱりだったが、それでも彼の腕がいいであろうことは、映像を見ていても思った。リーパーは味方から賞賛され、敵からは恐れられている。一度の戦闘で4機から5機を撃墜していることからも、彼の腕の良さがなんとなくわかった。

 

 もしも自分が同じ戦闘機を操縦していたとして、同じような戦果を挙げることが出来るだろうか。キリエは今日の戦闘の結果も併せて、リーパーへの認識を改めた。最初に200機以上を撃墜したと聞いた時には大ぼら吹きかと思っていたが、本当なのかもしれない。良い機体に乗ってるからそんなに戦果が良い、というのも誤りだろう。

 

「地球の海ってあんなに広いんだね。見渡す限り水たまりが広がってるなんて凄いな、きっとウーミもあの海のどこかにいるんだろうね」

 

 一方チカは別のところに感動していた。リーパーのヘルメットに取り付けられたカメラは、戦闘中ほとんど空か海を映していた。以前に海の映像をチカにも見せていたのだが、何度見ても素晴らしいと感じているらしい。

 

「しかし、ユーハングでは船がそんなに重要なのですか? 空路での輸送はイジツほど盛んではないと聞きますが」

「船では重量物も大きいものも運べますからね。それに飛行機と違って、動力を失っても墜落する恐れがない。こちらの飛行船以上に、船での輸送は重視されています」

 

 イジツでは陸路での輸送が盛んでないことにリーパーは疑問を抱いていたが、広大なイジツに点在する街を繋ぐインフラを整備するには、膨大な時間と費用と物資が必要になるに違いない。それに作った後も保守点検しなければならず、その上空賊もいる。

 せっかくインフラを作っても、あっという間に風化してしまうだろうし、空賊に破壊されてしまえばお手上げだ。おまけに一部の地域では瘴気と呼ばれる毒ガスのようなものが地表を覆い、おまけに古代の生物が進化した怪物もいるらしい。そんな状況では車両を使った陸上輸送よりも、用心棒の飛行隊をつけた飛行船での輸送が主流になるのも当然だった。

 

「この映像は非常に参考になった。見せていただき感謝する」

「いつかイジツでも、あんな戦闘機が飛ぶようになるのかな?」

「私は隼一筋だし! どんな戦闘機だって隼で撃墜してやるもんね! イサオの震電だって撃ち落としたんだから!」

「キリエ、あなたあのケツ頭野郎は撃墜してないでしょう? 結局あのクソ野郎が死んだところは誰も見ていないまま、震電は穴の向こうに消えたんですから」

「あいつの機体を穴だらけにしてやったんだから、撃墜したも同然でしょ!」

 

 ふふん、と自慢げに胸を張るキリエだったが、リーパーは何やら首を傾げていた。

 

「ん? どしたの?」

「今震電が穴の向こうに消えたって言った?」

「言いましたけど、それが何か?」

「その震電って、どんな色でしたか?」

「趣味の悪い赤色だったけど、それがどうしたの?」

 

 リーパーがなにやら苦い顔をする。なぜリーパーがもういないイサオと、その震電のことについて聞きたがったのか、キリエはわからなかった。

 

「…俺、そのイサオって人を知ってるかもしれない」

 

 リーパーはイジツに来る前に見た新聞のことを思い出す。一年前に突如首都上空に現れた、商社の会長が道楽で作ったという赤い震電。あれはもしかしたら、そのイサオとやらのことではないか?

 これまで自由博愛連合のトップだったイサオという男が、イケスカの戦いで「穴」の向こうに消えたという話は聞いていた。だがもういない人についてどうこう考えても仕方ないと言うことで消えた時の詳しい話は聞いていなかったのだが、もしも彼が地球に来ていたとしたら?

 あのユーリアって議員が聞いたら怒るだろうな。彼女がイサオについて話していた時のあの嫌そうな顔を思い浮かべたリーパーは、しかし黙っておくことは出来ないとキリエ達に新聞記事のことを話した。

 




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第二一話 GAUNTLET

 タネガシ。湖に囲まれた山のような地形のこの街は、貴重な水源地帯ということで昔からマフィア同士の抗争の舞台となってきた。血で血を洗う抗争が幾度となく繰り返され、そのたびに大勢の死者が出たという。そんなタネガシだが、今は一つのマフィアがタネガシ一帯を治め、大規模な抗争は起きていないらしい。

 

 タネガシ二号と羽衣丸は目的地であるタネガシに到着後、荷下ろしと乗員の休養で数日滞在することとなった。タネガシ二号を襲っていた空賊を撃退したリーパーは、船長からうちで働かないかとの誘いを丁重に辞退し、レオナと一緒に街へと出かける。他のコトブキ飛行隊の面々は、それぞれ行きたい場所があるのか自由行動を取ることになった。

 

「マフィアが牛耳ってるって聞いたからもっと治安が悪いと思ったんですけど、そうでもないみたいですね」

「彼らも無駄に血を流すことを好む連中ではないからな。住民としてもきちんとみかじめ料を納めておけば、有事の際にはマフィアに守ってもらえる。実際に空賊連中への対処は自警団ではなく、マフィアが主体となってやっているそうだ。持ちつ持たれつといった関係だな」

 

 リーパーの前を歩くレオナが、まあ悪い話でもないと続ける。地球、それも日本だったら考えられないことだろう。癒着だ暴対法だと騒がれ、街から追い出されているに違いない。それにニュースを見ていると、とても反社会勢力のアウトローたちが良い人のようには思えなかった。

 だが街の治安がいいということは、実際にマフィアたちがきちんと活動していることの表れなのだろう。皮肉なことにこのタネガシの自警団は団長の汚職で一度解散する羽目になり、現在は再編途中らしく、彼らの分までマフィアが治安維持活動を担っているとのことだった。

 

「拳銃、持ってくる必要はなかったですね」

「いや、最近タネガシでもガラの悪い連中がまたうろつきだしたらしい。マフィアじゃないが、空賊まがいの用心棒連中だ。イケスカの内戦で雇われてる連中が、こっちに流れていると聞いている。使わないに越したことはないが、持っておいた方がいいな」

 

 そのマフィアの一人に、リーパーとレオナは用事があった。レオナはタネガシを納めるマフィアの幹部の一人と面識があり、その幹部は情報通とのことだった。

 リーパーが元の世界に帰るには、イジツの空に不定期で現れる「穴」を見つけなければならない。そのために羽衣丸に搭乗して各地の空を飛ぶことになったが、自力で見つけるにも限界はある。一応ラハマの自警団に貸しを作った関係で、ラハマ近郊に「穴」が開いたらすぐに教えてもらう手筈になっているが、それだけではやはり足らない。各地に人脈を作っておく必要があった。

 

「すいません。自由時間なのにわざわざ付き合わせてしまって」

「いや、気にするな。君も元の世界に帰りたいんだろう?」

「もしかして、借りを返したいって考えてます? それなら―――」

「いや、これは貸し借り抜きの話だ。困っている人がいたら助けたい、そう思っただけだよ」

 

 

 

 二人が訪れたのは、一軒のバーだった。目的のマフィアの幹部と関係のあるバーらしく、「自分に用があったらここに来い」と教えてくれたらしい。

 

「そんなに仲が良いんですか? どんな関係で?」

「彼女と初めて会ったのはアレシマでね、そこで素晴らしいものを売ってくれたんだ」

「素晴らしいもの?」

「おへやではしるくんというトレーニング器具だ! しかも一台しかない貴重なものなんだぞ。アレのおかげで飛行船の中でも走ることが出来てとても便利なんだ」

 

 なぜかトレーニングの話になると、レオナは目を輝かせる。ランニングマシンみたいなものか、とリーパーは思った。確かに飛行船の中ではランニングが出来ない。飛行甲板には戦闘機が係留されているし、ナツオら整備員たちが作業をしているので自由に走る、と言うことも出来ない。通路は狭く、走ったら迷惑だ。

 

「ちょっと待っていてくれ、彼女と連絡を取ってくる」

 

 レオナはそう言って、カウンターに向かいマスターと何事か言葉を交わしている。恐らく、そのマフィアの幹部とやらに会いたいと告げているのだろう。マスターとレオナはそのまま店の裏に行ってしまい、姿が見えなくなった。

 彼女の話を邪魔するわけにもいかず、リーパーはウェイトレスにサイダーを注文した。レオナを待っている間、客が置き忘れたのであろう新聞が隣の椅子に置いてあったので、なんとなく拾い上げて読み始める。

 

 ケイトからある程度のイジツ語の読み方は習ったが、まだ一々イジツ語から英語へ変換し、そこから日本語へと理解するのは中々時間がかかる。それでも、新聞に何が書かれているのかはわかった。

 

『イケスカの内戦終結へ。協和派が勝利』

 

 イサオがいなくなった後、彼が率いていた自由博愛連合はいくつかの勢力に分裂した。自由博愛連合に加盟していた中でも最大の都市、イケスカでは、複数の勢力による内戦まで勃発していたことは、リーパーもある程度話は聞かされていたので知っている。

 

 リーダーを失った自由博愛連合は過激派と協和派、そしてその他諸々の勢力に別れて、自博連における主導権争いをしていたのだという。過激派は「イサオの意思を継ぐもの」を称し、彼が行っていたような過激な行為を続けていた。空の駅に銃撃を加え、反自博連勢力の飛行船を襲撃したり、街に爆撃を行ったり。以前もコトブキ飛行隊とその過激派の間でひと悶着あったらしい。空賊みたいな連中だ。

 

 協和派は、自博連の理念自体は素晴らしいものだという考え方の勢力で、イサオが表向き語っていたような「協力してイジツの諸問題を解決しよう」という勢力だった。イサオのせいで自由博愛連合の威信は地に落ちたようなものだが、それでもその理念自体は正しいと思う人は大勢いる。その理由の一つが、空賊の跋扈だ。

 空賊は未だに大勢の人々を苦しめており、その空賊を強力な武力を以て撃退するという自由博愛連合の方針に共感する人は多いらしい。特に空賊やならず者のせいで家族を失ったり、家を失って難民になった人々の支持を得ているようだ。他にも空賊の被害に悩まされている小さな街も、多くが口には出さないものの自博連に賛同している。

 

 その協和派と過激派が今まで内戦を繰り広げてきたが、協和派の勝利となったと新聞には書かれている。過激派のほとんどは降伏し、リーダー格だった連中は軒並み処刑された。今は協和派主導でイケスカの復興が始められている。

 

「どこの世界も似たようなもんだな」

 

 リーパーは運ばれてきたサイダーを口にしつつ、そんなことを思った。地球でもイジツでも、主義主張による争いは無くならないらしい。

 

 

「なんだオメェ! 俺と一緒に酒が飲めねえってのか!」

 

 空気を震わせる罵声が背後から聞こえ、リーパーは思わず振り返った。ボックス席に座ったいかにもガラの悪そうな男たちが、ウェイトレスの腕を掴んで無理やり自分たちの席に引き寄せようとしている。酔っぱらっているのか、それともここをキャバクラか何かと勘違いしているのか。

 

「お客様、ここは女の子と遊ぶ店では…」

「うるせえんだよ! こっちは金を払ってんだ、少しくらいサービスしろよ!」

 

 若いウェイトレスはそれなりに整った顔をしており、男たちが手を出そうとする気持ちもなんとなくわかった。だがここはバーであって、キャバクラではない。店員の言う通り、女の子と遊びたいのなら他の店に行くべきだろう。

 だが男たちは嫌がるウェイトレスの姿を見て増々興奮したのか、彼女を強引に自分たちの隣に座らせた。怯えるウェイトレスに向かって顔を近づけ、ニヤニヤしながらその身体を撫でまわす。黒いジャケットを着たリーダー格らしき男が、気味の悪いニヤケ面でウェイトレスに迫る。

 

「なあ、俺たちイケスカの内戦に行ってたんだよ。だから疲れてるんだ、マッサージしてくれよ」

 

 そう言って男の一人がウェイトレスの手を掴み、自分の股間に持っていこうとしたのを、流石にリーパーも見過ごすことは出来なかった。余計なトラブルは御免だが、かといって何もしないわけにはいかない。

 

「おい、その辺でやめとけ」

 

 だが男たちはウェイトレスに夢中で、リーパーのことには気づいていない。マスターとレオナは店の裏に行ってしまっていて、残っている店員たちもどうすればいいのかおろおろしている。男たちに絡まれているウェイトレスは、今にも泣き出しそうだった。

 

「やめろって言ってんのが聞こえないのか」

 

 こうなっては仕方ない。リーパーは立ち上がり、ウェイトレスを掴んでいた男の手を払う。そして強引にウェイトレスを立たせると、カウンターの方へと押し出した。

 

「んだテメェ! 引っ込んでろ!」

「これから俺たちはその子とお楽しみタイムなんだよ、邪魔するんじゃねぇ」

 

 黒ジャケットの周りで、次々と男たちが立ち上がる。その人数は10人。酔っぱらっているのか、それともストレスが溜まっているのか、その発散する矛先を欲しがっているようだ。

 

 マズかったな、とリーパーは自分の向こう見ずさを少し悔やんだ。黒ジャケットの仲間がこれほど多いとは思わなかった。だが人数が多くても少なくても、恐らく自分は行動を起こしていただろう。

 

「舐めてると殺すぞ、この野郎」

「俺たちを誰だと思ってんだ? イケスカの内戦で20機を撃墜したマキシ飛行隊だぞ。てめえみてえなガキが舐めた口聞いて許されると思ってのか?」

 

 バーの客たちが一斉に黒ジャケットとその仲間たちから遠ざかる。だが怖がっているのではない、むしろこれから起こるであろう喧嘩を楽しんでいるようだ。「さっさとやれ!」と誰かが煽る声が聞こえた。

 男たちがリーパーを取り囲む。一対一、もしくは一対二程度であれば、何とかなる自信はある。だが10人全員となるとキツイ。なるべく人を殺すような事態は避けたいが、最悪の場合は拳銃(これ)に頼らなければならなくなるかもしれない―――。

 

 

 

「お前ら、ここがどこだかわかってんのか!」

 

 突如、若い女の声が店中に響いた。その声がした方向、店の入り口を見ると、一人の少女が腕を組んで仁王立ちし、男たちを睨みつけている。

 黒い帽子を被り、ジャケットをマントのように肩から羽織る少女。だがデカい。身長のわりに態度も身体の一部もデカい。

 

「あ? んだこのガキ?」

「ガキだと? このわたしを誰だと思ってる? ゲキテツ一家幹部の―――」

「うるせえチビ、引っ込んでろ」

 

 ぶちり、と何かが切れる音が聞こえた、ような気がした。

 

「チビ、だとぉぉぉおっ!? お前、このフィオ様をチビって言ったな!? もう許さないからな!」

 

 フィオと名乗った少女が、一番手近なところにいた男の一人に頭突きをくらわした。うげえ、と男が呻き、口からさっき食べたものを吐き出しながらのたうち回る。

 

「んだこのチビ! ガキでも容赦しねえからな!」

「いい度胸じゃねえか、お前ら全員ぶっ飛ばしてやる!」

 

 男たちがフィオに向かっていく。だがフィオはその小柄さを活かし、男たちが繰り出す拳を避け、カウンターパンチを叩き込み、さらに蹴りを入れていく。

 

「このクソガキ!」

 

 男の一人が椅子を持ち上げて、フィオに殴りかかろうとしたので、リーパーは思わずそいつの肩を掴んでいた。そして自分の方を向かせると、その顔面にパンチをお見舞いする。多勢に無勢のようにしか見えないフィオを、放ってはおけなかった。

 

「おう? にーちゃんわたしに加勢してくれんのか?」

「まあ、女の子一人でチンピラ10人を相手にするのは大変だろうなと思って」

「この私を誰だと思ってる? ゲキテツ一家のフィオ様だ! この人数ならタイマンだって負けやしない」

 

 リーパーは殴りかかってきた男の腕を掴むと、そのまま背負い投げを決めた。背中から床にたたきつけられた男に、フィオがジャンピングエルボーをお見舞いする。突進してきた男を避けたついでに足払いをして、床とキスをした男の脇腹に蹴りを入れた。

 横から男が殴りかかってきたので、両手でその腕を掴む。そして思いっきりその身体を振り回して、壁に叩きつけてやった。その横ではフィオが男たちの懐に飛び込んで、アッパーカットを繰り出す。

 

「やるじゃねえか、にーちゃん」

「とはいえ、二人でこの人数は…」

 

 男たちがリーパーとフィオを取り囲む。どいつもフィオとリーパーに殴られ、蹴られ、鼻血を出していたり歯が欠けてしまっている。だが闘争心の方が強いのか、痛みをほとんど感じていないようだ。

 

「この野郎、よくも舐めた真似してくれたな…」

 

 先ほどフィオに顔面にパンチを食らい、鼻を潰されていた黒ジャケットの男が、懐から何かを取り出す。彼の手に握られていたのは、刃渡り20センチはありそうなナイフだった。

 

「おいおい、タイマンに武器を持ち出すのは反則だろ」

 

 そう言いつつも、どこか余裕の表情を見せるフィオ。彼女はいったい何者なんだろう、とリーパーは思った。さっきゲキテツ一家と言っていたが、その名前を最近どこかで聞いたことがあるような気がする。

 

 

 ナイフを大きく振りかぶった黒ジャケットが、まっすぐ二人に向かって突っ込んでくる。相手が武器を持っているのであれば仕方がないと、リーパーも拳銃を引き抜こうとしたその時、店内に銃声が響き渡った。

 同時に黒ジャケットが握りしめていたナイフが、刃が根元から折れて柄だけになっていた。黒ジャケットの男はいきなり刃が吹き飛ばされたナイフを見て、戸惑いの色を顔に浮かべていた。

 

「そこまでよ。それ以上やるなら、今度は貴方を撃ちます」

 

 リーパーが振り返ると、店の入り口にまた女性が立っていた。銃口から硝煙が立ち昇る拳銃を構えた、金髪で長身の美女。彼女が黒ジャケットのナイフを撃ち抜いたらしい。

 

「おいローラ、せっかくいいところだったのに…」

「ローラ、だと?」

 

 フィオの言葉を聞いた男たちがざわめく。

 

「死神のローラだ、あいつはヤバい!」

「逃げろ、命あっての物種だ!」

「くそっ、覚えてやがれ!」

 

 ローラ、という名前を聞いた途端、男たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。男たちは彼女の持つ拳銃ではなく、彼女そのものを恐れているようだった。「あっ、あいつら金払ってねえ!」とフィオが言ったが、後の祭りだった。

 

「まったく、逃げ足だけは速いみたいだな。おいにーちゃん、怪我はないか?」

「まあ、何とか」

「手間かけたな。本当ならああいった空賊崩れの連中は、私らゲキテツ一家が対処するんだが…」

「ゲキテツ一家?」

 

 首を傾げるリーパーに、「あん? ゲキテツ一家を知らないのか?」とフィオが目を丸くする。

 

「すいません、何分ここら辺には来たばかりで。それで、ゲンナリ一家ってなんですか?」

「ゲキテツ一家だ! 私らはここら一帯を納めてるマフィアだ」

「ああ、思い出しましたよ。昔はこのタネガシは抗争ばかりだったけど、ゲンメツ一家ってマフィアが今はここを納めてるって」

「ゲ・キ・テ・ツ・一家だ! 最初と最後しか合ってないぞ!」

「それで、フィオさんでしたっけ? あなたがそのオゲレツ一家の幹部だと」

「ゲキテツ一家だぁぁぁあっ! お前、ふざけてんのか!」

 

 肩で息をするフィオに、「二人とも、怪我はない?」とローラ。

 

「ごめんなさい。堅気の人間を巻き込んでしまったわね」

「いえ、こちらこそ助けていただきありがとうございました」

 

 リーパーはそう言って頭を下げる。「こちらこそ、ゲキテツ一家のシマを守ってくれてありがとう」とローラも頭を下げた。いい人そうだな、とリーパーは思った。

 

「あーあー、うちの店で派手にやってくれちゃったっすねぇ」

 

 食器の破片や椅子が散乱する店内に、ひょいと一人の女性が顔を覗かせる。その後ろには、自分がいない数分のうちに荒れ果てた店の惨状に困惑するレオナ。どうやら、彼女がレオナと知り合いのマフィアらしい。

 

「レミ! お前どこをほっつき歩いていたんだ! 自分のシマの店くらい、自分で守れ!」

「私も用事があったんすよ~。でもよかったじゃないっすか、誰もケガしなかったっすから」

 

 レミと呼ばれた頭にバンダナを巻いた女性が、ひょいとリーパーの顔を覗き込む。

 

「君がユーハングから来たパイロットっすね~? さっきレオナさんから話は聞いたっす。手前はゲキテツ一家幹部のレミ。流れ雲のレミともよばれてるっすよ。どうぞよろしくっす」

 

 そう言ってレミが手を差し出してくる。その手を握り返しながら、ノーブラか…とリーパーは思った。こちらも中々デカいものをお持ちのようだった。

 

「ここで話すのもなんだから、うちに来てくださいっす。あ、よかったらフィオとローラもどうっすか?」

 

 散らかった店の中では、さっそく店員たちが掃除を始めていた。だが他の客が帰る様子はなく、また酒を飲み始めている。どうやらイジツでは、あの程度の喧嘩は日常茶飯事らしい。

 




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第二二話 ANNEX

「ん? にーちゃん面白いエンブレム付けてるな」

 

 レミ組の屋敷に向かう途中、フィオがリーパーの来ているフライトジャケットを見て声をかける。リーパーがフライトスーツの上に着ているジャケットは、地球から持ってきた荷物の中に入っていたものだ。右肩部分に死神のパーソナルエンブレム、左方にはボーンアロー隊のエンブレムワッペンが貼り着けられ、背中にはタスクフォース118の紋章であるスリーアローヘッズが刺繍されている。せっかくだし皆でお揃いのジャケットを作ろうと誰かが言い出し、タスクフォース118の隊員に販売されたものだった。

 

「そのエンブレム…死神か? にしては頭にリボンが着いてるが。なんだか気味が悪いな」

「ちょっとフィオ、失礼でしょ?」

「ああスマンスマン、悪かったなにーちゃん」

 

 ローラに注意され、素直に頭を下げるフィオ。「着いたっすよ~」とレミが案内した屋敷は、数人の男がたむろする洋風の建物だった。

 

「クロ、客人が来たんでちょっと人払いしてほしいっす」

 

 クロと呼ばれた男にレミがそう言うと、あっという間に屋敷の中から人の気配が無くなる。マフィアというより、暗殺者みたいな連中だな。リーパーはなんとなくそう感じた。

 

「改めて、手前はゲキテツ一家幹部のレミ。よろしくっす」

「私はオウニ商会所属、コトブキ飛行隊隊長のレオナ。レミさんとは面識があるが、あなた方とは初めましてになる」

「おお! あんたがあのコトブキ飛行隊の! わたしはゲキテツ一家幹部のフィオだ、よろしく」

 

 レミはレオナと知り合いらしいが、フィオとローラはそうでもないらしい。だが彼女たちの活躍は広く知れ渡っているので、名前は知っているのだろう。レオナが差し出した手を、フィオががっちりと掴む。有名人と会えて嬉しい、という顔だった。

 

「どうも。俺は…」

「あなたのことは知ってるっすよ。ユーハングから来たパイロット、通称リーパー。ラハマを襲った自博連残党の爆撃機3機を、たった1機であっという間に撃墜して見せた。話題になってるっすよ」

「なに? ローラ知ってたか?」

 

 初耳だと言わんばかりにフィオが尋ねると、ローラは呆れたような顔をする。

 

「フィオ、あなた新聞は読まないの?」

「マフィアにそんなものは必要ない。必要なのは腕っぷしと部下とシマの住民の尊敬を集める人柄だ!」

「つまり活字が苦手ってことっすね」

「うぐっ…」

「新聞くらい読まないとダメっすよ。情報収集の基本っすから」

 

 そう言ってレミがテーブルの上にあった新聞をフィオに手渡す。新聞には大空をバックに飛ぶフランカーのモノクロ写真が、一面に大きく掲載されていた。「新たなるユーハング人、来る」、そんな見出しが新聞には踊っている。

 

「飛行機乗りの間じゃ話題になってるっすよ。速度も機動もイジツの戦闘機じゃ全く太刀打ちできないって、こぞって皆が情報を集めてるっす」

 

 それに…とレミが続けた。

 

「タネガシ二号の船長から聞いたっす。何でもタネガシ二号を襲っていた空賊15機を、たったの1機で蹴散らしたとか」

「それは本当か?」

「確かっすよ。船長がしきりにウチの護衛に引き抜きたいって言ってたっすから」

「そうか。にーちゃん、ありがとう。礼を言わせてくれ。タネガシの船を守ってくれて感謝する」

 

 そう言ってフィオは頭を下げる。「どうもっす」「ありがとうございました」と、レミとローラも続いて礼を述べた。

 

「最近空賊どもが増えているって話は聞いていた。本当だったらゲキテツ一家(うち)でこのタネガシの飛行船も守らなきゃならないところなんだが、何分人手が足りなくてな」

「空賊が増えているのは、やはりイケスカの内戦が終わったことと関係があるのか?」

 

 レオナの問いに、レミが頷く。

 イケスカの内戦では各勢力が用心棒を雇って戦力を増強し、その中にはかつてイサオと繋がりのあった空賊連中まで含まれていた。大勢の用心棒が、職を求めてイケスカの空を飛んでいたという。

 だが内戦が終わってしまえば用心棒の需要は減る。優秀な連中は新しいイケスカの飛行隊として今後も雇われることになるだろうが、それ以外の連中―――ほとんど空賊みたいな用心棒たちは、契約が打ち切られて行き場がなくなった。そうして職にあぶれた用心棒たちが、空賊になって各地で飛行船や街を襲ったり、さっきのバーのように街で暴れたりしているのだという。

 

「最近は街同士のやり取りも増えて飛行船の発着回数も増えていて、護衛が追い付かないんです」

「飛行機乗りの需要は増えてると聞いていたが、そういう事情があったとは…」

「おまけに最近はああいったガラの悪い輩がこのタネガシをうろつくことも増えてきてるんだ。ゴロツキどもと空賊、両方に対処しなきゃならん」

 

 みかじめ料を貰っている以上、マフィアは街の治安を守らなければならない。もしも街にゴロツキやチンピラがのさばっていても、ゲキテツ一家が何もしなければ、あっという間に堅気の人間はマフィアを信用しなくなるだろう。彼らの心はゲキテツ一家から離れ、街から追い出されるかもしれない。

 だからバーの時のように、ゲキテツ一家が街を見回って治安を守っている。だが街と街を結ぶ飛行船まで守るとなると、どうしても手が足らない。街の飛行船には用心棒を雇って自衛してもらうしかなかった。

 

「はいはい、空賊の話はそこまでっす。そろそろ本題に入るっすよ。それでレオナさん、私らに依頼したいことがあるっすよね?」

「ああ。彼が元の世界に帰るための手助けをしてほしいんだ」

「手助け? 何をすればいいんだ?」

 

 まだ何も言ってないのに、さっそく助けてくれそうな雰囲気のフィオに、少しリーパーは警戒した。もしかして手助けすると言って、その見返りに何か高額な代金をふんだくられるのではないか。送り付け商法とかあるしなあ…とリーパーは少し不安になる。

 だがフィオはリーパーの考えていることがわかったのか、笑って言った。

 

「そんな怖い顔するな、にーちゃん。別に金を取ったりはしないさ」

「え? いいんですか?」

「にーちゃんにはバーであのチンピラどもを追い払ってもらったし、タネガシ二号も守ってもらった礼があるからな。義理と人情がゲキテツ一家のモットー、恩人から金を取ったりしたらマフィアの名が廃る!」

 

 こういう気骨が地球のマフィアやヤクザにもあればいいのだが。大きな胸を張るフィオを見て、リーパーはそう思う。

 

「空に開く穴がイジツとユーハングを結んでいるのは皆さんご存知だと思いますが、その穴がこのタネガシ近辺に出現した場合、そのことをすぐに連絡してほしいんです」

「穴と言うと、完全に開かなくてよく途中で消えると聞くけど?」

「その状態でも構いません。穴が完全に開いていなくても、無線でユーハングと連絡さえ取れればいい。俺の無事を知らせて、現在の向こうの状況を知りたいんです」

「なんだ、そんなことでいいのか。それくらいならお安い御用だ」

 

 どやぁ、と自慢げな顔をするフィオ。タネガシ一帯を取り仕切るゲキテツ一家にしてみれば、それくらいの情報収集など朝飯前なのだろう。

 

「他には何か知りたいこととかないっすか?」

「あるっちゃありますが、俺以外にもユーハングから来た人がいたら、その人も一緒に連れて帰りたいなって」

 

 リーパーの言葉で、「あー…」とゲキテツ一家の三人が顔を見合わせる。何かマズいことを聞いてしまったのだろうか、とリーパーは少し警戒する。

 

「あー、ユーハング人っすね。まあ、いるっちゃいるっすけど。いないと言えばいないっすね」

「なぞなぞですか?」

「あー、他言はしてほしくないんだが、そのユーハング人ってのはうちの親父なんだ」

「親父? フィオさんのお父さんですか」

「ゲキテツ一家の首領っす」

 

 このタネガシを統べるゲキテツ一家。その首領はユーハングから来た人間らしい。と言っても、このイジツにやって来たのはかなり昔のことらしいが。

 首領であるゲキテツは抗争が続くタネガシのマフィアをあっという間に納めてしまい、一大勢力を築いた。かつてゲキテツはユーハングのタネガシ方面司令官だったが、自分たちの持ち込んだ兵器がイジツにおける争いを激化させたことに責任を感じ、「穴」が閉じた際に一人残ったのだという。

 

「そのゲキテツさんはどこに?」

「にーちゃんが来るしばらく前に穴が開いてな、ユーハングに帰った。向こうで続いてる戦いを終わらせるってな。タイミングが悪かったな、にーちゃん。親父がいたら次に穴がどこに開くかわかったかも知れないんだが」

 

 ゲキテツは旧日本軍の軍人だったのだろう。ゲキテツは今でも太平洋戦争が続いていると思ったのか、それとも彼が終わらせたいと思ったのはまた別の戦争なのか。

 地球に帰ったゲキテツは驚くだろうな、とリーパーは思った。かつての敵は味方となり、地球規模での戦争が起きているのだから。それとも彼には、そのことも想定済みだったのだろうか。

 

「親父はいつかイジツに帰ってくるって私と約束したんだ。そういやにーちゃん、ユーハングで親父を見なかったか?」

「いや、そういった人が来たとは・・・イサオさんとやらが来たのは知っていますが」

「イサオだと? イサオがユーハングにいるってのか?」

 

 レオナがイサオが地球でまだ生きているかもしれないことを告げると、彼女たちは一堂に嫌そうな顔をした。リーパーがルゥルゥにそのことを告げた時も、ゲキテツ一家と同じような反応が返ってきたものだった。

 

「あのイサオってやつ、直接会ったことはないけどなんか胡散臭い奴だったよな」

「私も正直言って、好きにはなれなかったわ。言ってることは正しいってわかるけど…」

「マフィアも厳しく取り締まるって言ってたっすからねえ。あのまま自由博愛連合がイジツを納めてたら、わたしら縛り首っすよ」

 

 総じて、好意的な評価は得られなかった。主張はわかるし、自由博愛連合の理念が正当なものであることも理解はしている。だがなんとなく好きにはなれなかった。自由博愛連合を巡る戦いには巻き込まれていなかったタネガシだが、そこの住民たちも自博連は好きになれない者が多いという。もっとも、タネガシはマフィアに守られているからこその意見かもしれなかったが。

 

「とにかく、タネガシ近辺で穴が開いてたり、その予兆があればあなたに伝えればいいのね?」

「ええ。あと、他の場所でそういう話を聞いた場合も、出来れば教えてもらえると助かります」

「わかった! にーちゃん、このフィオ様に任せておけ! わーっはっは!」

 

 高笑いするフィオを見ていると、なんとなく安心するリーパーだった。この先訪れる街でも、こうして地元の人々といい関係を築ければいいのだが。情報が多いに越したことはないし、もしも「穴」に関する情報提供者が多ければ、それだけ帰れる日が早くなる。




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第二三話 Inferno

 羽衣丸は荷物の積み替えと乗員の休養を終え、いよいよタネガシを出立する日がやってきた。次の目的地はイズルマという、飛行船建造で栄えている街だ。この第弐羽衣丸も、その前の羽衣丸も、そのイズルマで建造されたという。

 今回イズルマを訪問するのはタネガシで積み込んだ商品を運ぶだけでなく、定期点検も兼ねてのことらしい。大規模な損傷などは受けていないが、それでも空を飛ぶものである以上、定期点検を怠るわけにはいかない。現地では3日から4日程度滞在する予定とのことだった。

 

「タネガシ管制塔、こちらコトブキ飛行隊。離陸許可を求める」

 

 出立当日、コトブキ飛行隊とリーパーはタネガシ飛行場の滑走路で離陸許可を待っていた。羽衣丸を始めとした飛行船にも飛行甲板はあるが、係留中は使用不可能となる。その時に空賊などの襲撃を受けては応戦が出来ないため、飛行船を係留する時は護衛機は全て地上に下ろすのが一般的だった。

 

 既に羽衣丸は係留塔を離れ、街を出ようとするコースを飛行している。羽衣丸がタネガシの郊外に出たところで、後から離陸したコトブキ飛行隊とリーパーが合流する予定だった。

 

「…返事がないな」

「寝てんじゃない?」

 

 チカが呑気そうに言った直後、ようやく管制官から応答があった。だがその口調はどこか慌てている。冷静沈着が求められる管制官がこの状況では、何かあったに違いない。

 

『コトブキ飛行隊、アローブレイズ飛行隊、離陸を中断せよ。緊急事態が発生した』

「緊急事態?」

『空賊に襲撃され、被弾した輸送機が緊急着陸する。一時待機せよ』

 

 あらまあ、とザラが口に手を当てる。空賊が空を行き交う飛行船や輸送機を襲撃するのは珍しくないことだが、このタネガシ近辺でもそんなことが起きるとは。

 

「あれ!」

 

 キリエが東の空を見て叫ぶ。見ると青空をバックに、黒い煙の線が走っている。その出どころは1機の百式輸送機からで、その機体は今にも墜落してしまうのではないかと思うほど、左右にふらついていた。

 

「護衛機が見えないな。撃墜されたのか?」

「あれ、マズくない?」

 

 被弾した輸送機は何とか着陸態勢を取ろうとしているようだが、エンジンをやられているのか十分な推力が得られていないようだ。それに主翼にも被弾しているらしく、ロールしそうになる機体を無理やり抑え込んで、どうにか水平を保っているようにも見える。

 

 滑走路に飛行場の消防車と救急車が入ってきて、輸送機の不時着に備える。だが輸送機の機体は既に限界を迎えていたらしい。突如右エンジンから火が噴いたかと思うと、急激に高度を落としていく。空中で複数の爆発が起き、そのたびに輸送機が大きく揺れた。

 

 地上からでもパイロットの必死の形相が、風防越しに見えた。何とか滑走路を塞がないようにと最後まで頑張っていたのか、それとも単純に操縦不能に陥っていたのか。

 斜めに傾いた機体が滑走路脇の誘導路に接触したかと思うと、轟音と共に地上で待機しているコトブキ飛行隊の隣を、火の塊となった輸送機が滑っていった。

 

「くそっ!」

 

 着陸に失敗した輸送機の破片が周囲に飛び散り、機体に破片が当たる乾いた音が響く。墜落した輸送機はいくつかの破片に分裂し、その中で一番大きい胴体部分が誘導路脇の格納庫へと転がっていく。爆発音と共に、脱落したエンジンが派手に吹き飛んだ。

 

「うわ…」

 

 チカが思わず言葉を漏らした。あの状態では、パイロットの生存は絶望的だろう。消防車が駆け付け消火を始めたが、火の勢いは弱まらない。

 

『レオナ、聞こえる? 緊急の依頼よ』

 

 管制塔の指示を待っていたコトブキ飛行隊とリーパーに、先に離陸していた羽衣丸のルゥルゥから通信が入る。

 

「マダム、依頼とは?」

『タネガシに多数の空賊が接近中よ。恐らく、今墜落した輸送機を襲った連中ね。そいつらを迎撃してほしいと、今タネガシの市長から連絡があったわ』

「空賊が到達するまであとどれくらいですか?」

『10分から15分といったところね。低空を飛行して、タネガシまで接近してきたみたい』

 

 タネガシにも自警団はいるが、現在再編中の上に練度も低いと聞いている。おまけにさっき墜落した輸送機が転がっているのは、自警団の戦闘機がある格納庫の前だ。格納庫自体は無事のようだが、輸送機の残骸を退かさないと出撃できないだろう。

 

『報酬は普段の3倍出すと市長は言っているわ。それで、どうするの?』

「受けるしかないでしょう。今対応できるのは私たちしかいない」

 

 いいな、皆。とレオナ。ノーと言える状況ではなかった。今すぐ対応できるのは、離陸準備中だったコトブキ飛行隊とリーパーたちだけ。自警団は出撃出来ないし、自警団に代わって実質的に街を守っているゲキテツ一家の連中が今から離陸準備を始めたとしても、最初の機が上がる頃には空賊がタネガシの目と鼻の先まで迫っている。

 

「リーパー。君もこの依頼を受けてくれるな?」

「もちろん」

「…ということだ。管制塔、離陸許可を」

 

 既に管制塔にもコトブキ飛行隊が空賊に対応するという話は伝わっていたらしい。すぐに、離陸許可が出た。

 

「墜落機の破片を踏まないように注意しろ。指示は離陸後に出す。リーパー、今回も君は私たちと一緒に行動してくれ」

「了解です」

 

 頼りにされてるのか、それとも手元に置いておかないと何をしでかすかわからないと不安なのか。リーパーは前者であることを願った。

 破片が散乱する滑走路に、ゆっくりと7機の隼が進入を開始する。戦闘機ということである程度の不整地運用も想定されている隼だが、鋭利な金属片を踏んでしまえばタイヤがパンクしてしまう。地上の作業員が完全に滑走路上の破片を除去してから離陸するのが望ましいが、それでは手遅れになる。

 

 

 レオナ機を先頭に、コトブキ飛行隊が離陸を開始する。彼女らに続き、最後にリーパーも離陸を開始しようとしたその時、格納庫の脇を誰かが走っているのが見えた。

 

「あれは…」

 

 ゲキテツ一家のフィオだった。子分らしき男を何人か引き連れた彼女は、滑走路を指さして何事か怒鳴っている。だがいつまでもその様子を見ているわけにもいかず、リーパーも滑走を開始した。

 

 離陸速度に達し、操縦桿を引き起こす。破片でタイヤをパンクさせることもなく、リーパーが乗る隼はふわりと宙に浮いた。ある程度まで高度を上げたところで主脚を引っ込め、離陸失敗時に備えて脱出しやすいように開けていた風防を閉める。

 

『こちらタネガシ管制塔。空賊はタネガシの東、方位080から接近中。数はおよそ40。距離は約20キロクーリル、高度は600クーリル。街の上空に到達する前に撃退してくれ』

「了解した」

『頼むぞ、コトブキ飛行隊!』

 

 下を見れば一面の民家が広がっている。もし戦闘空域が市街地の上空に移動してしまえば、撃墜された機体の残骸が人々に向かって降り注ぐ事態となる。それだけは何としても避けなければならない。空賊が街に到達する前に、全機撃退する必要があった。

 

「空賊の連中、なんでまたわざわざタネガシを襲うんだろうね? ここってゲキテツ一家ってマフィアが街を治めてるんでしょ? そんな人たちに喧嘩売ってタダで済むと思ってんのかな?」

 

 リーパーも全く同意見だった。だが最近になってゲキテツ一家のシマにちょっかいを出してくる空賊連中は増えているらしく、また他の街のマフィアもタネガシに勢力を伸ばそうとしてきているのだという。

 

 ゲキテツ一家の評判に泥を塗ろうとする連中の仕業だろうとリーパーは思った。もしも空賊の襲撃を防ぎきれずに住民に被害を出してしまった場合、ゲキテツ一家の評判は下がる。せっかくみかじめ料を払っているのに、ゲキテツ一家は何をやっていたんだと街の住民は思うだろう。そう思う住民が増えていけば、ゲキテツ一家は反感を買いいずれ街を追い出されることになる。

 

「リーパー、君は前衛だ」

「了解です。編隊は組みますか?」

「まだ君と連携する訓練はしていない。周囲の状況を確認しつつ、自分の判断で交戦しろ。ただし、離れすぎるなよ」

「了解です。ボーンアロー隊、コトブキ飛行隊の指揮下に入ります」

 

 連携の取れない味方は敵より恐ろしい。が、この状況でリーパーの戦闘力を放っておくわけにもいかなかった。タネガシ二号の時の戦闘で、彼の実力はある程度分かる。一人でも十分戦えるだろうと判断したレオナは、敢えてリーパーを編隊には組み入れなかった。

 もっとも、それはリーパーを一人で戦わせると言うことではない。いざという時には自分とザラがサポートに入るつもりだった。

 

「彼、なんだか嬉しそうね」

 

 隊員らに指示を出した後、二人だけの周波数でザラが話しかけてくる。「そうか?」とレオナは返した。

 

「私は特に何も感じなかったけど」

「もう、レオナはやっぱり鈍いわね。彼、指示を出してもらえるのがなんだか嬉しいみたいよ。ユーハングだと、いつも隊長として飛んでいるからかしら?」

 

 ザラと二人で始めたコトブキ飛行隊だが、隊員が6人になるまでには時間がかかった。それでも長いこと、レオナは隊長としてザラたちを率いて飛んでいる。だがリーパーは初めての実戦から、ほんの半年で隊長を任されたのだという。

 

 レオナも駆け出しのころに経験したリノウチ大空戦の直後、ザラと出会ってコトブキ飛行隊を結成し、隊長として飛んできた。そういう意味ではレオナとリーパーには、どこか似たところがあるのかもしれない。

 

「確かに、部下の命を預かって飛ぶことには重責を感じるよ」

「やっぱり誰かの下で飛んでみたいと思うことはある?」

「ああ。自分の判断一つで皆が死ぬかもしれないと考えると、そう感じることもあるよ。だが今の私はコトブキ飛行隊の隊長だ、責任から逃げ出したりはしない」

「それを聞いて安心したわ。…っと、お客さんみたいね」

 

 遠くの空に、ゴマ粒をバラまいたかのような機影が見える。それはあっという間に、40機近い戦闘機の形となってコトブキ飛行隊に接近しつつあった。

 

「翼の下にガンポッド、紫電ね」

「これはまた良い機体だな、空賊にはもったいない」

 

 とはいえ、隼が一番なことに変わりはないが。レオナはいつも通り、2機ずつの編隊を組むように命令した。キリエとチカ、ケイトとエンマ、そしてレオナとザラの3編隊だ。リーパーは、キリエ達と一緒に前衛を任せることになる。

 

「行くぞ。コトブキ飛行隊、一機入魂!」

 

 はい! と5人が返事した。だが、リーパーだけは何も言わなかった。リーパーはスロットルを上げ、敵機の群れに突っ込んでいく。瞬く間にヘッドオンで2機を撃墜し、それを合図に空戦が始まった。

 

「あいつ、いきなり突っ込んでいくなんて…!」

 

 バカ、とレオナは呟くと、自らもザラと共に空賊を追いかける。空賊たちはいきなり突っ込んできたリーパーに混乱しているようで、動きが乱れたところにチカとキリエが後に続き、空賊たちにドッグファイトを仕掛けていた。

 

 

 

 

 

 

「ヘイハチ、早くしろ! この街はゲキテツ一家が守るんだ、カタギに任せてられるか!」

「ですが親分、まだ誘導路に破片が…」

「全部綺麗にする必要はない! わたしの紫電が滑走路に入れるくらいの隙間だけ破片を取り除いてくれればいいんだ!」

 

 一方滑走路脇に並ぶ格納庫の前では、格納庫から引き出された紫電一一型の操縦席に収まったフィオが、フィオ組副長のヘイハチをどやしつけていた。

 墜落した輸送機が誘導路に破片をバラまいてしまったせいで、それらを取り除かなければ格納庫の機体は滑走路へ進入できない。フィオは空賊接近の一報を聞きつけて、他のゲキテツ一家幹部と共にタネガシ飛行場でゲキテツ一家が占有している格納庫へと向かった。だが運悪く直前に墜落した輸送機で誘導路が使えなくなってしまい、今はゲキテツ一家の組員を総動員して路面の掃除と整備をしているところだった。

 

「早くしろ~早くしろ~」

「フィオったら、そんなに急いでるなら自分も掃除した方がいいんじゃないの?」

 

 同じくゲキテツ一家幹部であるシアラが、自らも愛機の雷電に搭乗しつつからかうような口調で言う。既にローラたち他の幹部も機体に搭乗していたが、誘導路が使えるようになるまでもう少し時間がかかりそうだった。

 

「急いで当然だ! タネガシを守るのはこのゲキテツ一家だ。いくらあのコトブキ飛行隊とはいえ、カタギに任せてたらマフィアの名折れだ!」

「首領が留守の間に攻めてくるとは、空賊たちも意外と頭がいいようだな」

 

 会合に出席していたため遅れてやって来たイサカが、零戦二一型の座席に座りつつ言う。ゲキテツ一家首領がいない間にタネガシを守るのは、残留する幹部たちの役目だった。コトブキ飛行隊に任せて自分たちは何もしなかった、なんて報告はしたくはない。たとえ滑走路を使えるようになるまで時間がかかったという理由があったとしてもだ。

 

「それにしても、あの青い戦闘機のパイロットは誰かしら? コトブキ飛行隊は6人で構成されているのよね?」

「あの青い隼っすか? 尾翼にピンクのリボンを付けた死神が描いてあったから、例のユーハングから来たパイロットじゃないっすか?」

「死神にピンクのリボンなんて趣味わる~い。フィオならピンクのリボン、似合うんじゃない? 子供っぽくてかわいく見えるかもよ?」

「うるさいシアラ! 誰が子供だ!」

 

 ぎゃあぎゃあと言い合う間にも、組員たちが滑走路に散らばった破片を取り除き、墜落時に抉れた路面には土を盛って均す。フィオたちがやって来て10分もしないうちに、ひとまず誘導路は復旧した。

 

「行くぞ! 皆私に続け!」

「ちょっと~、何勝手に仕切ってるの?」

 

 フィオたちの搭乗する戦闘機たちが誘導路を通り、滑走路へと向かう。そんな中、ニコはただ一人黙ったままだった。

 

「(…フィオにピンクのリボン。絶対にかわいい、見たい。今度プレゼントしようかな)」

 

 ニコがそんなことを考えていることなどつゆ知らず、先頭に立つフィオが紫電を離陸させる。空戦が得意というわけではないが、タネガシを守るためには苦手だなんだと泣き言を言っているわけにもいかなかった。

 




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第二四話 無慈悲な摂理

 一人で何でも出来るなら、編隊なんて組む必要はない。レオナは以前、ザラに言われた言葉を思い出していた。あの言葉でレオナは、それまで拘っていた「誰かに借りを作りたくない」という気持ちから抜け出し、本当の意味でコトブキ飛行隊の皆に頼ることが出来た。

 一人で何でも出来ないからこそ、皆で助け合う。それがコトブキ飛行隊だ。だが―――。

 

「あいつは―――」

 

 レオナは空賊の群れに真っ先に突っ込んでいったリーパーの隼を見て、思わず言葉を失った。ヘッドオンで二機を撃墜し、さらに敵機の群れをかき乱しつつ一機を撃墜。今は空賊の紫電の背後を取って追いかけまわしている。

 空賊たちも突然単機で突っ込んできたリーパーに驚いたのか、動きが乱れている。この好機を見逃すわけもなく、レオナは攻撃を命じた。二機編隊を組んだ隼が、紫電の群れに食らいつく。

 

「リーパー、一人で無茶をするな!」

「了解」

 

 一言だけ、返事が返ってきた。

 リーパー機の機動は、どこか異質だった。リーパーは紫電の一機の背後を取り、ひたすら追いかけている。数十メートルの距離まで近づき、右に左に旋回して振り切ろうとする紫電にぴったりと追随している。中々撃たないのは、必中を狙っているからなのだろうか。

 

 空賊の紫電がバレルロールを打って、リーパー機をオーバーシュートさせようとする。だがそれを見越していたかのように、リーパーの隼が全く同じタイミングで、しかも空賊の紫電と全く同じ軌道でバレルロールを打った。バレルロールでリーパー機を躱したと思ったのか、安堵したらしい紫電の戦闘機動が一瞬鈍くなる。だがリーパーはぴったりと背後についたままだった。

 

 ようやくリーパーが発砲した。放たれた銃弾は至近距離から紫電の操縦席を背後から撃ち抜き、風防が割れ赤い液体がべっとりと飛び散る。機体がふらふらと降下を始め、その頃にはリーパーは他の機体を追いかけていた。

 

「まるでエンマね…」

「ああ、だがどこか違う。やろうと思えばいつでもやれたはずだ」

「そうですわ。第一私は、あんないたぶるように敵を追いかけ回したりはしませんわよ」

 

 エンマも空戦では、目を付けた相手を追い回すことが多い。リーパーも先ほど敵機を追い回し、その末に撃墜していたが、もっと早く撃墜出来ていたはずだ。なのに彼は中々撃とうとしなかった。

 

「死神のエンブレムは伊達じゃない、ってことか…」

 

 いつ相手を殺すかタイミングを伺う死神。あの距離まで近づいていれば、機銃を撃ちまくれば何発かは当たったかに違いない。だがリーパーは確実に、一撃で敵機を撃墜出来るタイミングを伺っていた。そしてリーパーが放った銃弾は全て敵機に命中し、確実にパイロットの命を奪った。

 

「後ろに敵が…」

 

 リーパー機の背後から二機の紫電が迫っていることに気づき、キリエが警告しようとする。だが最後まで言い終える前に、まるで最初から背後の敵機に気づいていたかのようにリーパーは回避行動を取っていた。後ろにも目があるみたいだ、とキリエは思った。

 機動性に勝る隼の特性を活かし、リーパーがハイGターンを決める。旋回中にリーパー機が発砲し、背後からならば気づかれていないだろうと慢心していた紫電を一機撃ち落とす。そのままリーパー機はもう一機の背後を取り、攻守が入れ替わった。また追いかけっこが始まり、数秒後、紫電が撃墜される。

 

「なんだコイツは!」

 

 一方空賊たちも、次々と確実に仲間を仕留めていくリーパー機の存在を脅威と捉え始めていた。最初はリーパーの機体よりも、コトブキ飛行隊の方を脅威と考えていた。だが流石のコトブキ飛行隊でも数で圧倒できるだろうと余裕をこいていられたのもつかの間、空賊たちの意識がコトブキ飛行隊に向いている間に、次々と仲間がリーパーに落とされていた。

 

 死神のエンブレムを付けた隼はいつの間にか背後に忍び寄っていて、こちらがいくら回避行動を取ってもまるで見えない糸でつながっているかの如く正確に追随してくる。そしてこちらの機動が鈍ったその一瞬に、必中の銃弾を叩き込んでくるのだ。

 こちらが背後を取っても、トリッキーな機動でいつの間にか背後に回られている。それが一対一であっても、一対二であっても同じだ。それ以前に、中々背後を取ることすらできない。まるで後ろにも目がついているかの如く、攻撃が回避されてしまう。

 

「なんだこのバケモンは…」

 

 空賊たちは本能的な恐怖を抱いていた。コトブキ飛行隊を相手にしている時は、まだ人間と戦っているという気がする。だがこの青い隼は何かが違う。淡々と、だが烈火の如く次々と空賊たちを屠っていく。

 

「捕食者だ…」

 

 誰かが呟いた。自分たちはあの死神のエンブレムの機体にとって、「獲物(ターゲット)」でしかない。撃墜して経験値(ポイント)を稼ぐだけの標的でしかない。

 

 

 

「凄いや、7機目を撃墜!」

 

 また1機、リーパーが空賊機を撃墜する。その様子を見て、チカが驚嘆の声を上げた。コトブキ飛行隊が連携して空賊に挑んでいる間に、リーパーは次々と敵機を屠っていく。

 今も紫電に追われているリーパーの機体が、突然180度ロールして背面飛行になると、そのまま下方向へ逆宙返りを行った。スプリットSだ。自機を追ってきていた空賊機と高度差がある形で正対し、下方から紫電に向けて発砲する。下からエンジンを撃ち抜かれた紫電が、黒煙を吐きながら急降下していく。

 

「何かイサオみたいだね」

 

 かつて自由博愛連合を率い、コトブキ飛行隊と激戦を繰り広げた、「天空の奇術師」と呼ばれた男。リノウチ大空戦では一回の出撃で12機を撃破し、レオナの命をも救った男は、反自由博愛連合同盟との戦いでも自ら操縦桿を握って戦った。その機動はどんなパイロットでもついていくことが出来ず、多くの機体が彼によって撃墜された。

 

「あら、どちらかというと一心不乱のレオナじゃありませんこと?」

「いや、彼は確実に敵機を仕留めてから次に移っている。私とは違うよ」

 

 今はこうして隊長機として飛んでいるからこそ、好き勝手な飛び方は出来ないものの、かつてのレオナはともすれば敵機撃墜以外のことを考えられなくなるようなパイロットだった。その結果ついたあだ名が一心不乱のレオナ。だが一心不乱モードと呼ばれる彼女の空戦機動にも弱点があり、敵機に攻撃を命中させると確実に撃墜できたか確認せず次に移ってしまうところがあった。

 かつてアレシマを空賊が襲撃した際、イサオと共にこれを迎撃したことがある。その時のレオナはキリエのように頭に血が上り、ひたすら敵機を追いかけまわしていた。あの時撃墜されなかったのは単純に運がよかったのと、ケイトがレオナを庇って被弾したことで冷静になれたからだった。

 

 リーパーもひたすら敵機を撃墜することだけを考えているようにも見える。だがあくまでも冷静だ。そして炎のように激しく敵を屠っていく。全くタイプの違う人間だが、確かにイサオのようだった。

 

「よくあんな機動していて疲れないね」

「ジェット戦闘機に掛かるGはレシプロ機よりも遥かに大きい。彼にとってこの程度のGは十分耐えられるレベルと推測」

 

 自らも空賊機を撃墜しながら、冷静に語るケイト。その目はさっきから、自由に飛び回るリーパーの方へと向いていた。

 

「ケイトのように冷静で、チカみたくトリッキーな飛び方が出来て、その上レオナのように激しく戦い、エンマの如くしつこく敵を追いかけまわす。一人でコトブキ飛行隊四人分の働きね」

「彼はユーハングでもあんな風に戦っていたのかな」

 

 タネガシ二号を救援した時には、既に戦いはほとんど終わっていたので直接リーパーの腕を見る機会はなかった。だがこうしてリーパーの戦闘を見ていると、彼が地球(ユーハング)でもエースパイロットだったという話は本当だったのだと実感する。

 

「私たちも負けてられないね!」

「ああ、タネガシには絶対に近づけるなよ!」

 

 レオナは敵機の一機を照準に納めると、スロットルレバーに取り付けられた発射レバーを握る。軽やかな銃声と共に12.7ミリ弾が機首の機関砲から吐き出され、曳光弾が空を引き裂く。空賊の紫電の翼に機銃弾が突き刺さり、炎に包まれた機体からパイロットが脱出し、パラシュートが荒野に向かって降下していく。

 

『オラオラ、空賊ども覚悟しろ! ゲキテツ一家ただいま参上!』

 

 無線機からやかましい声が聞こえ、直後6機の機影が戦闘空域に突っ込んできた。機種はそれぞれバラバラだが、機体にはリボルバー拳銃の弾倉を象ったエンブレム。ゲキテツ一家の幹部たちが、ようやく空賊撃退のために到着した。

 

『手間を掛けさせた。私はゲキテツ一家幹部のイサカ、後は我々が引き受ける』

 

 零戦二一型がコトブキ飛行隊と並んで飛び、翼を振って仲間だと示す。その後遅れてやって来たいくつかの機体は、彼女たちの子分の機体だろう。

 空賊たちは旗色が悪くなったと見たのか、続々と逃げ出し始めた。「一機も逃がすな!」とイサカが言うと、「イサカ、勝手に仕切るな!」とフィオが返す。

 

「凄い暴れっぷりっすねえ」

 

 零戦五二型に搭乗するレミが、逃げる空賊を追撃するリーパーを見て呟く。彼女たちが見ている前で、また空賊の紫電が墜ちていく。やったのはやはりリーパーだった。

 

「隊長さん、迷惑かけちまったな。あと、タネガシを守ってくれてありがとう。後は私らでやるよ」

 

 レオナの機体と並んで飛ぶフィオが、風防越しに手を振る。ゲキテツ一家が迎撃に出たのならもう大丈夫だろう。レオナはそう判断し、羽衣丸への帰船を命じた。逃げる空賊たちが、ゲキテツ一家の手で次々と撃墜されていく。空賊たちが街を襲う余裕はもうないだろう。

 

「リーパー、撤収だ。羽衣丸に戻るぞ」

「了解」

 

 その返事と共に、今まで散々暴れまわっていたリーパーの隼が、急に敵機の追撃を止めて引き返してくる。てっきり全機撃墜するまで戦い続けることを選ぶかと思っていただけに、彼が素直に命令を聞いたのは意外なことだとレオナは思った。

 

「青い隼のパイロット…もしかして昨日のにーちゃんか?」

「ああ、リーパーだ。今はこうしてコトブキ飛行隊と行動を共にしている」

「そうか。ありがとな、コトブキ飛行隊。それとにーちゃん、あんたに助けられたのはこれで二度目だな。礼を言う。この借りは絶対忘れないからな、何か困ったことがあったらいつでも私らを頼ってくれ!」

 

 リーパーは黙っていた。しばらくして、「…輸送機のパイロットはどうなりました?」と返ってくる。

 

「輸送機のパイロット? 飛行場に墜落した機体か?」

「はい、パイロットは…」

「残念だが死んだ。最後に滑走路を塞がないように頑張ったんだろうな。この落とし前は空賊どもに絶対に払わせる、安心してくれ」

 

 イジツではしょっちゅう人が死ぬ。街での乱闘、喧嘩、決闘。街を一歩出れば空賊たちが跳梁跋扈していて、護衛機をつけていても襲われる。人の命が機銃弾一発並みに軽い、それが今のイジツだ。

 だから空戦で人が死ぬのは当然のことだとレオナは思っているし、コトブキ飛行隊の中でそう思っていないメンバーは誰もいないだろう。今までは運よく隊員に死人を出さずにやってこれたが、これから先も上手くいくとは限らない。次の出撃で、誰かが死ぬかもしれない。もしかしたら、自分が死ぬ番が来るかもしれない。

 

 リーパーのいた地球でも、世界を巻き込んだ大きな戦争が起きているのだという。そして彼自身、今まで200機以上の敵機を撃墜してきた。その過程で何人も敵機のパイロットを殺してきただろうし、何人も味方が死ぬのを見て来ただろう。だからリーパーも自分たちと同じく、人の死には慣れているに違いない。レオナはそう思っていた。

 

「…くそっ」

 

 無線機から、小さくリーパーがそう呟く声が聞こえた。何かを後悔するような、そんな声。

 空賊の追撃から戻ってきたリーパーの青い隼が、コトブキ飛行隊と並んで空を飛ぶ。レオナは風防越しに、その操縦席を覗いた。

 リーパーは被ったヘルメットのバイザーを下ろしたままだった。その顔がどんな感情の色に染まっているのか、レオナは伺い知ることが出来なかった。

 

「…戻りましょう」

 

 何かを察したように、ザラがそう促す。レオナとしても、ゲキテツ一家がやって来た以上長いことこの場に留まる必要もなかった。それに空戦で燃料と機銃弾を消耗してしまっている。早いところ羽衣丸に合流して、護衛という本来の仕事に戻らなければならない。

 

「そうだな。コトブキ飛行隊、これより羽衣丸に帰還する」

 

 レオナが先頭に立ち、コトブキ飛行隊がそれに続く。少し遅れて、青い隼が後を追う。

 




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第二五話 UNEXPECTED

「あら、彼は来てないの?」

 

 夕食の時間になっても、リーパーはジョニーズサルーンに姿を見せなかった。既にコトブキ飛行隊や手の空いた羽衣丸クルーが夕食のためにサルーンにやって来ているが、その中にリーパーの姿はない。空賊を撃退し羽衣丸と合流してから、彼の姿を誰も見ていなかった。

 

「病気かなぁ?」

「顔色、歩行共に問題はなかった。体調不良の可能性は低い」

 

 首を傾げたキリエに、ケイトがすかさず返す。

 

「あっ、班長! リーパー見なかった?」

 

 整備士たちと共にサルーンにやって来たナツオにキリエが尋ねたが、皆首を横に振った。

 

「あいつか? いや、見てないぞ。機体の整備が終わったのを確認してから、それっきりだ」

「そういえば、どこか落ち込んでいるようにも見えましたわね」

「落ち込む? 何で? 空賊もやっつけて、報酬もたくさんもらって、悪いことなんて何もないのに」

 

 チカがリリコの運んできたカレーうどんを口にしながら、何をバカなことをと笑う。

 タネガシを襲おうとしていた空賊を撃退した後、タネガシの役所から飛行機で今回の報酬が運ばれてきた。今回は全員で空賊撃退に当たったため報酬は七等分したが、それでも結構な額だった。どうやらゲキテツ一家が礼として、大目に報酬を支払ってくれたらしい。

 タネガシの街に被害はなく、報酬もいつもより多くもらえた。チカの言う通り、悪い話など何一つない。だがリーパーは羽衣丸に戻ってからも、明らかに喜ぶ様子はなかった。

 

「彼、自分を責めてるのかもしれないわね」

「責める? 何を? 空賊を全員撃墜出来なかったこと?」

「私たちが離陸する前に、空賊に襲われた輸送機が墜落していただろう? あれを救えなかったのを後悔しているのかもしれない」

「でも、あの輸送機は私たちが離陸するはるか前に空賊に襲われていましたわ。あのタイミングでは、私たちが何をしようとあの輸送機を救うことは出来なかったと思うのですが」

 

 滑走路に墜落した百式輸送機の乗員は、全員死亡していたらしい。本来タネガシへの着陸予定はなかったが、タネガシ近郊で空賊に襲われ緊急着陸を試みていたようだ。輸送機の護衛機も全滅していたという。

 確かにエンマの言う通り、目の前で空賊に襲われていたのならばともかく、自分たちが離陸する前に離れた場所で襲われていたのでは、何も出来なくて当たり前だ。そのことで誰もリーパーを責める者はいない。あの輸送機の乗員たちは、ただ運が悪かった。それだけの話だ。

 

「何でそこまで自分を追い詰めるかな? もっと気楽にやればいいのに」

「能天気なキリエには自分を責めるとかいうことは出来ないもんね」

「うっさい、バカチ!」

 

 ぎゃあぎゃあと騒ぐチカとキリエ。キリエの言う通り、リーパーももっと肩の力を抜いて飛べばいいのに。ザラはそう思った。

 だが隼から降りた時のリーパーの顔を見て、ザラはレオナと初めて会った時のことを思い出していた。あの時の彼女もリーパーも、どちらも自分を責めて思いつめた顔をしていた。駆け出しだったレオナは、リノウチ大空戦での自分の未熟さを思い知らされ打ちのめされていた。その時のレオナの様子は、今でもよく覚えている。

 

 

 

 

 コトブキ飛行隊と羽衣丸のクルーが夕食を終え、一時間ほどたった後、客が誰もいないサルーンにリーパーが一人やって来た。グラスを磨いていたジョニーが「いらっしゃい」と声をかける。

 

「注文は?」

「サイダーを」

「食べないの?」

 

 リリコの問いかけに、リーパーは無言で頷く。その目は伏せがちで、テーブルの上で組んだ自分の両手を見つめている。

 リリコがサイダーの入ったタンブラーをリーパーの上に置いた。「ありがとうございます」と返したものの、その手がタンブラーに伸びることはない。

 

「ここにいたのね。あなたの部屋に行ってみたんだけど、行き違いになっちゃって」

 

 その声で顔を上げると、ザラがリーパーの前に立っていた。

 

「あら、まだお腹が空いてたの?」

「飲み直しよ。ビール2人分お願い」

 

 そう言ってザラが、リーパーのテーブルの椅子に座る。運ばれてきたビールを一樽、リーパーの前に置いた。

 

「ほら、飲んで。私の奢りよ」

「いや、もう頼んで…」

「まだ一口も飲んでないじゃない。せっかく生きて帰ったのに、そんな辛気臭い顔してちゃダメよ」

 

 かんぱーい、とザラが樽を掲げる。リーパーは戸惑いつつも彼女が差し出したビールの樽を掴み、乾杯した。

 

「やっぱり仕事の後のビールは最高だわ。あなたはお酒飲まない方なの?」

「いや、そういうわけでは…。一人の時はあまり飲まないだけです」

「じゃ、二人だからお酒飲みましょ。ほら、飲んで飲んで」

 

 ザラにそう言われ、リーパーはビールの樽をぐいっと呷った。苦い味が口の中いっぱいに広がる。大人になればビールの良さが分かると子供のころから父親に言われていたが、今になってもあまりよさはわからない。

 

「…あの輸送機の人たちのこと、気にしてるの?」

 

 答えるべきか迷ったが、リーパーは黙って頷いた。空賊との戦闘後、ずっとそのことが頭から離れなかった。

 

「あの人たちの死に、あなたには何の責任もないわ。ただ運が無かった、タイミングが悪かった。イジツの空を飛ぶと言うことは、常に死を覚悟しなければならないということ。いつ自分が死んでもおかしくないという覚悟を持って、飛ばないパイロットはいないわよ」

「ええ、それはわかってます。わかってるんですけど…」

 

 あの時点でリーパーに出来ることは何もなかった。飛行中ならともかく、地上の戦闘機に出来ることなど何もない。ザラに言われるまでもなく、リーパーもそのことは理解している。

 

「でも、考えてしまうんです。もし数分、離陸してるのが早かったら。俺はあの人たちを助けられたんじゃないかって」

「意外ね。ユーハングでエースパイロットと呼ばれるほどのあなたでも、そうやって悩むことがあるなんて」

「…いつも悩んでばかりですよ。でも、空を飛んでいる間だけは悩むことを忘れていられる」

 

 そう言ってリーパーはビールに口をつけた。地球でもイジツでも、やはりビールは苦いものだ。

 

「奇跡でも起きない限り、あの人たちをあなたが救うことは出来なかった」

「奇跡を起こすことを義務づけられてるんですよ、俺は」

 

 酒が入ったせいか、リーパーはいつもより饒舌だった。彼自身そのことを自覚していたが、止めるつもりはなかった。ここにはアローブレイズ隊の面々も、国連軍の仲間もいない。地球では決して吐き出せなかった感情が、リーパーの中から溢れてくる。

 

「俺はいつも誰かに何かを期待されて飛んでいる。俺が出撃すればその作戦は成功する。死神の下は安全地帯だ、死神と一緒に飛んでいれば生き残れる。そう言われてずっと飛んでいた」

 

 最初は新米(ルーキー)ということで、リーパーに向けられる目は他の新人パイロットと同じものだった。だが周囲が彼を見る目が変わっていったのは、ストーンヘンジ攻略作戦空だった。

 あの時リーパーは壊滅した地上部隊に代わって、危険を冒してストーンヘンジに突入し、それらを完膚なきまでに全て破壊した。誰もが無理だと思っていたが、リーパーはそれをやり遂げた。

 

 それからだ。死神のエンブレムが、味方にとって幸運の象徴だと言われ始めたのは。

 作戦中に味方から助けを求められることも格段に増えた。そしてリーパーは、それらの助けを求める声に全て応えた。地上部隊が包囲されていれば近接航空支援で反撃の機会を与え、敵機に追いかけられている味方機がいたら助け出した。

 助けられた味方は口々に言った。「彼は奇跡を起こすパイロットだ」「死神は幸運の象徴だ」「死神についていけば生き残れる」「死神の下は安全地帯だ」「死神が味方ならこの戦争を終わらせられる」。

 

「俺はただただ、助けを求めている人たちを助けようとしただけです。…だけどいつの間にか、俺はどんな絶望的な状況でも勝利をもたらす者として、皆から扱われていた。そして俺自身、そうするのが当然だと思っていました」

 

 だからリーパーは、あの輸送機が墜落する瞬間に、「助けられなかった」と思ってしまった。今目の前でまさに死にかけていて助けを求めている人がいたのに、自分は何も出来なかった。あの時点で出来ることは何もなかったのだと自分に言い聞かせても、輸送機のパイロットの必死な形相が頭に染み付いて離れない。

 

「わかってはいるんですよ。どんなに手を伸ばしたところで、助けられない人もいるって。でも…」

 

 俯いたリーパーを見て、ザラは彼も普通の若者なのだと言うことを実感した。

 ザラも似たような経験をしたことが何度もある。最初の頃は自分を責めたし、他に何かできたのではないかと考えることもあった。だが用心棒として空を長いこと飛んでいる内に、自分にはどうしようもないこともあるとそれを受け入れられるようになった。

 

 だがリーパーは、まだ戦闘機のパイロットになってからまだ二年も経っていないという。技術だけは超一流だが、普通のパイロットが長い間かけて体得していく考え方や観念などを、彼はまだ身に着けていない。

 ほとんど挫折を味わったことが無いのも、彼が今こうして打ちのめされている原因かもしれないとザラは思った。リーパーは凄腕のパイロットだ。それはザラにもわかる。だが彼は凄腕であるがゆえに、本来誰もが通る道である「失敗」や「挫折」をほとんど経験せずに、エースパイロットとしてもてはやされるようになってしまった。

 

 もしもリーパーが普通のパイロットであれば、彼もここまで悩むことはなかっただろう。自分の力ではどうしようもないこともある。自分の手が届かず、目の前で人が死んでしまうという経験も味わっただろう。そうして皆挫折し、その経験をバネに歩き出す。

 

 

 だがリーパーはどんな絶望的な状況でも「何とかしてしまった」。本来死ぬはずだった人たちを、彼は片っ端から救ってきた。助けを求める声があれば、その全てに応えてきた。リーパーにはその技術があった。

 だからリーパーには挫折という経験がほとんどない。彼は今まで一度たりとも、自分の参加した作戦が失敗に終わるという経験がないからだ。

 

「エース故の苦悩ね…」

 

 いつかリーパーも、失敗を経験し挫折を味わうことがあるのかもしれない。あるいは、ずっと失敗などすることなく、これからも飛び続けるのかもしれない。だけど彼が味わっている苦悩とやらを理解できる人間は、このイジツにどれだけいるだろうか。

 

 今や凄腕の用心棒パイロット集団ともてはやされているコトブキ飛行隊だが、誰もが何かしら失敗や挫折を味わっている。全員一度は被撃墜経験があるし、自由博愛連合との戦いではみすみす敵の罠に引っかかったり、爆撃機全機撃墜という目標を達成できなかったこともある。だから誰もが失敗を経験している。

 

「人生の先輩として、アドバイスしていいかしら?」

「…どうぞ」

「人間、何事も経験よ。今のうちにいっぱい悩んでおきなさい。悩むのを止めるってことは、何も考え無くなるってことだから。もちろん空戦の最中に悩むのはダメだけど、こうして飛行機を降りている間くらいは、悩んだっていいのよ。そしてもっと成長するの。今回の経験だって、きっといつか役に立つわ」

 

 コトブキ飛行隊に入る前に、色々やっていたザラだからこそ言えることだった。ザラも昔は、自分はこのままでいいのかと悩んでいたものだ。そんな時にレオナと出会って、コトブキ飛行隊を結成し空を飛ぶという道を選んだ。

 だがそれまでにやって来た別の仕事の経験が、全て無駄だったかというわけでもない。それらを経験したからこそ、今の自分がある。そう考えれば、無駄なことなど何もないのだ。

 

「あと、もう一つアドバイス。どうしようもなかったことで悩んでいる時は、お酒を飲んで、仲間に愚痴を聞いてもらうのも一つの手よ。もっとも、お酒に逃げるようになっちゃダメよ?」

「ザラさんが毎日お酒を飲んでるのも、何か悩みがあるんですか?」

「あら、私は単にお酒が好きなだけよ? ほら、ビールが冷えてるうちに飲まないと。美味しいビールの飲み方は、冷たいうちに飲むことなんだから」

 

 既に樽が空になっていたザラは「もう一杯追加ね~」とリリコに言う。リリコが運んできた樽を受け取り、「かんぱ~い」とザラ。リーパーは半分ほど中身が減ったビールの樽をぶつける。

 酒は苦手だが、今はこうして酒で気分を紛らわせるのもいいのかもしれない。それが大人の特権というものだろうか。




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第二六話 砂漠の電撃

 羽衣丸の船体が大きく揺れる。目的地のイヅルマに近づくにつれ、風が強くなってきた。目的地付近の天候はよくないらしい。

 

「戦闘機の固縛急げ! 船が揺れたから戦闘機ぶっ壊したなんてことになったらイナーシャハンドルケツにぶち込むぞ!」

 

 羽衣丸の飛行甲板では、ナツオがクルーを指揮して戦闘機の固定作業を進めていた。イヅルマ一帯の天気は雷雨、そして嵐とのことだ。先ほどから羽衣丸の船体は左右に揺れていて、このままだと飛行甲板の戦闘機が衝撃で破損する羽目になりかねない。

 

「こういう天気って、よくあるんですか?」

「イヅルマ付近だと雷雲が発生しやすい場所があるんだよねぇ。今回は上手く避けられるかと思ったんだけどなぁ」

 

 羽衣丸の操舵室では、船長席に座ったサネアツがアンナとマリアに指示を出していた。強風の中、巧みに操船の指揮を行い、前方に広がる雷雲を避けるコースを取る。やることが無いリーパーは、操舵室で外の様子を眺めていた。

 

「おまけにこの辺りにはイカヅチ団って空賊が出るらしいんだ」

「イカヅチ団?」

「なんでもこの辺り一帯の天候をかなり把握していて、雷雲が出現するポイントを正確に予測できるらしいんだ。雷雲に敵機を追い込んで逃げられないところを襲って来る、かなり厄介な空賊だと聞いてるよ」

「確かにそいつは厄介ですね…」

 

 基本的に現代の航空機は、落雷を受けても飛行に全く支障は起きない。雷は金属製の機体の表面を抜けていくから内部の乗員は安全だし、燃料タンクなども落雷を受けても爆発などが起きないように厳重にテストが行われている。落雷で機体表面に小さな穴が空いたり、電子機器にトラブルが発生したりするだろうが、雷の直撃を受けただけで航空機が墜落することはない。

 

 だがそれは、あくまでも「現代の」航空機の話だ。イジツで使われているのは、地球から70年前の機体。その頃の機体には落雷対策が十分でないことが多い。最悪の場合燃料タンク内の可燃ガスが雷で引火し、爆発するなんてことも起きうる。基本的に、雷雲は避けるに越したことはないのだ。

 

「船長、イヅルマの管制塔から連絡です。現在イヅルマ市内は荒天のため、郊外で待機されたし…とのことです」

 

 ベティの言葉に、「あちゃー」とサネアツが頭を抱える。

 

「しょうがない、この辺りで停泊しよう」

「ここで、ですか?」

「このまま進むともっと荒れた天気になってそうだからねぇ。無理やり進んで事故が起きたりしたら大変だし、この分だと向こうも着陸許可は出してくれないだろうね」

 

 頼りない上にクルーからも粗雑な扱いをされているサネアツだが、航行に関する判断だけは的確だ。嵐が通り過ぎるまで、羽衣丸はイヅルマ郊外の渓谷に停泊することとなった。イヅルマへ輸送中の貨物はあるが、到着予定日まではまだ余裕がある。

 

 それにしても、酷い揺れだ。リーパーは窓の外を見て思った。遠くの空には黒雲が浮かんでいて、時折空が光っている。海がないというイジツだが、雷雨や嵐は発生するらしい。まるで船に乗っている時のように、強風で船体が揺れる。

 

「副船長、レーダーに感あり。方位350、距離10キロ。機数は6。この反応だと戦闘機と輸送機です」

 

 レーダー画面を見ていたアディが報告し、サネアツが顔をしかめた。

 

「空賊かな? 勘弁してほしいな…」

「いえ、違うようです。所属不明機から通信が入っています」

 

 空賊ならばわざわざ通信を寄こしてきたりなどしない。サネアツは無線に応えるようベティに指示を出す。

 

 

 

 

 部屋に戻ろうとしていたリーパーは、突然鳴り響いた警報と共に『コトブキ飛行隊、アローブレイズ飛行隊、至急船橋(ブリッジ)へ集合してください』との放送を聞いて、元来た通路を引き返した。自室で待機していたらしいコトブキ飛行隊も、すぐにブリッジへ集まってくる。

 無線機のマイクを手にするサネアツの顔は険しかった。彼がこんな顔をしている時は、大抵何か問題が起きている時だということを、最近リーパーもなんとなくわかってきていた。

 

「お休み中のところ申し訳ない。実はさっきこの近くを飛んでいた戦闘機から救援要請が入ってね」

「救援要請? 誰からですか?」

 

 トレーニング中だったらしく、やや顔が赤いレオナが尋ねる。

 

「イヅルマのカナリア自警団って飛行隊と、あと…」

「あと?」

「…ハルカゼ飛行隊」

 

 その名を聞いた途端、コトブキ飛行隊の面々の顔色が変わる。一方リーパーはそれが誰なのかわからず、隣に立つキリエに尋ねた。

 

「…誰?」

「私らの後輩…みたいなもん? レオナのホームの後輩だって」

 

 なるほど、知り合いということか。であれば彼女たちの顔色が変わるのも当然だとリーパーは思った。

 ハルカゼ飛行隊はイヅルマへ飛行中の輸送機を護衛していたが、その途中で先ほどリーパーとサネアツの話に出てきたイカヅチ団という盗賊に襲われたらしい。飛行隊は二手に分かれ、一方は輸送機の護衛を続行。もう一方は空賊の足止めをすべくその場に留まって戦闘中とのことだが、かなり押されているようだ。

 またイカヅチ団を追ってイヅルマのカナリア自警団もやって来てハルカゼ飛行隊と共に戦闘中とのことだが、雷雲に囲まれての空戦ということで苦戦しているらしい。今回の救援要請は、輸送機と共に戦闘空域を脱出したハルカゼ飛行隊から発せられたということだった。

 

「報酬が出るかはわからないけど、どうか引き受けてくれないかなぁ?」

 

 襲われている輸送機を救助したというのならばともかく、今回救援要請を出しているのはその輸送機を護衛していた飛行隊だ。彼女たちを助けたところで、輸送機の雇い主が報酬を出してくれるとは思えない。かといって、新米飛行隊のハルカゼの面々が報酬を出せるはずもないだろう。

 

「マダムはなんと?」

「君たちに任せるってさ。どっちにしろ、早いところ決めないと飛行甲板からの発進も難しくなる」

 

 強風にあおられ、羽衣丸は左右に揺れている。地球の航空母艦同様、揺れが激しいと発進すらできなくなってしまう。それに空賊と戦闘中のハルカゼ飛行隊と自警団がどこまで持ちこたえられるかもわからない。決断のタイミングは今しかなかった。

 

「皆、すまないがついてきてくれるか? 私はユーカたちを見捨てたくはないんだ」

 

 レオナの言葉に反対する者はいなかった。知り合いであってもそうでなくても、報酬が出ないから助けを求めている人たちを見捨てるなんて真似は、彼女たちには出来ない。

 

「ハルカゼの皆には、今度一回サービスで働いてもらうってのはどう?」

「ああ。そうとなったら早く出よう。リーパー、君は…って、聞くまでもないって顔だな」

 

 タダ働きと言う形になるが、リーパーもハルカゼ飛行隊の救出には賛成だった。無言で頷いたリーパーに、レオナが頭を下げる。

 

「こんな悪天候で緊急発進たぁ、正気か?」

 

 飛行甲板では緊急発進を告げる警報を聞いて、ナツオが顔をしかめていた。外は荒天、雨も風も強まっている。

 

「せっかく固定が終わったのに…」

「黙って手を動かせ! コトブキの連中が来るまでに発進準備が出来てないと、ケツに蹴り入れっからな!」

 

 整備士のボヤキを一喝し、ナツオは悪天候に備えて行っていた戦闘機の固縛を解き始める。緊急発進が出来るように素早く解けるよう工夫はしてあったが、それでも7機分の固定を一斉に解くのは時間がかかる。しかしナツオは整備員たちの尻を蹴とばすようにして、数分以内に再び戦闘機を発進出来る状態に整える。

 

「すまない班長!」

「気にすんな! それよりしっかり仕事をしてこい! あと、隼をぶっ壊すなよキリエ!」

「何で私だけ!?」

「お前がいっつも機体を壊して帰ってくるからだろうが!」

 

 コトブキ飛行隊の面々が、隼の操縦席に乗り込んで飛行前のチェックを始める。操舵、燃料、武器。最後にやって来たリーパーも自分の青い隼に搭乗して飛行前点検を始めたが、火器管制装置やらレーダーやらを搭載したジェット戦闘機と違い、確認項目がそれほど多くないことが救いだった。

 

 主翼の下に潜り込んだナツオら整備員たちが、イナーシャハンドルを回してエンジンを始動する。隼の栄エンジンに火が入り、プロペラが軽やかなエンジン音と共に回転を始める。

 

「ハッチ開け」

 

 船橋のシンディの操作で、羽衣丸飛行甲板の前後を塞ぐハッチが倒れ、飛行甲板の一部となる。途端に、船内に強風と共に雨水が吹き込んできた。天候はますます悪化している。

 

「全機、無事に帰ってくてくれよ…」

 

 船橋ではサネアツが、今まさに発進していく隼の群れを見て祈っていた。先ほどまで遠くに見えていた雷雲は、徐々に羽衣丸にも近づいてきている。早くことを終わらせなければ、帰還した彼らを収容することも出来なくなってしまう。

 

 

 

 

 一方、発進したコトブキ飛行隊も、大自然の猛威に晒されていた。吹き付ける強風で機体がふらつき、風防をひっきりなしに雨粒が叩く。ハルカゼ飛行隊と自警団が戦っているのは、今まさに目の前に広がっている雷雲の向こうだった。

 

「前方に機影を確認、ハルカゼ飛行隊とその輸送機みたいね」

 

 事前にレーダーと無線で位置を確認していたので間違いない。空賊から辛くも逃げ切った輸送機が、こちらの編隊に向かって飛んでくる。その周囲を飛んでいるのは、護衛のハルカゼ飛行隊だろう。青を基調とした塗装に、ピンクのラインが走る隼三型が4機、ふらつきながら飛んでいる。だが機体の挙動が不安定なのは、強風が吹いているからだけではなかった。

 

「こちらはコトブキ飛行隊。ハルカゼ飛行隊、無事か?」

『はい、レオナさん。何発か被弾しましたが、まだ何とか飛べます』

 

 そう返事をしたのは、ハルカゼ飛行隊副隊長のエリカだった。彼女たちの機体のあちこちに、いくつか弾痕が空いていた。エンジン等に致命的な損傷はないようだが、それでも傷ついた機体で無理は出来ないだろう。

 

「付近に空の駅がある。そこに退避しろ。足止めのために残っているのは二機だけか?」

『ユーカとベルが。それとイヅルマのカナリア自警団という方たちが一緒に空賊と戦ってます』

 

 ガデン商会に所属しているハルカゼ飛行隊だが、今回は別の商会の護衛を請け負っていたらしい。イヅルマへ輸送機で物資を運ぶ仕事の最中に、件のイカヅチ団という空賊に襲われたという。

 護衛対象である輸送機を守るべくハルカゼ飛行隊は戦ったが、空賊の数と立ち込める雷雲のせいで状況は良くなかった。そこへイカヅチ団盗伐のために出動していたカナリア自警団がやって来て、後は彼女たちに任せて被弾した機は輸送機と共に離脱してきたとエリカは語った。

 

『レオナさん、ユーカとベルをお願いします。このままじゃ…』

「わかった。その前にまず自分たちの心配をしろ。イヅルマは荒天のため着陸許可は下りない。空の駅に退避して、天候の回復を待つんだ」

『はい!』

 

 まだ若く、元気な返事が返ってくる。付近の空の駅に向かって進路を変更するハルカゼ飛行隊を見送り、コトブキ飛行隊は彼女たちがやって来た方向へと機首を向ける。

 

『こちら羽衣丸。雷雲のせいで探知精度が下がっていますが、そちらの前方に複数の機影を確認。方位350、距離6000』

 

 羽衣丸でレーダーを担当するアディから通信が入る。詳細な機数まで把握したいところだが、雷雲のせいで探知は難しい。雲の向こうの機影を捉えられただけでも御の字だ。レオナはアディに礼を言って、機首を北に向ける。

 

 まるで大きな黒い綿あめのような雷雲が、前方に広がっている。標高が高いせいか地表付近まで立ち込める雷雲の切れ間から、雷とは違う一筋の光が見えた。戦闘機の曳光弾の航跡だ。

 

「見えた! …って、雲で見失っちゃったけど」

 

 強風で雲が流れ、さっき見えた複数の機影は雷雲の向こうに消えてしまった。このまままっすぐ突っ込んでいけばすぐにハルカゼ飛行隊のユーカ達に合流できるだろうが、そのためには雷雲の中を飛行しなければならない。被雷する可能性や強風で地面に叩きつけられる可能性を考えると、雷雲を避けて戦闘空域まで向かう必要があるとレオナは考えた。

 

「レオナさん、まっすぐ行かないんですか?」

 

 ふと、今まで黙っていたリーパーが口を開く。最後尾を飛ぶ彼は強風の中でもほとんど機体をふらつかせることなく、むしろ風に乗っているかのように安定した飛行を続けていた。

 

「ああ。時間はかかるが仕方ない。雷雲の中を飛ぶのは危険すぎる」

「あの何とかって飛行隊の人たちは、今も戦っているんでしょう? 一々雷雲を避けていたら、間に合わなくなるかもしれない」

「被雷したら墜落するかもしれないんだ。隊長として、可能な限り部下の命は危険に晒したくない」

 

 レオナも5人の隊員の命を預かる身だ。雷雲の中を飛べ、なんて自殺行為も同然の命令を出すわけにはいかない。

 レオナの言葉に、リーパーは無言だった。納得してくれたのか、と思ったレオナは、雷雲を避けて飛行するコースを選択する。そこかしこに雷雲が立ち込めているせいで、迷路を進むようにまっすぐ行くことは出来ないだろう。

 

「まるで雲の迷宮ですわね」

 

 風貌の外を見てエンマが呟く。入ったら出てくることが出来るかもわからない、雲の迷宮。この迷宮を突破しなければ、ハルカゼ飛行隊の二名を救うことはできない。

 

「また光った!」

 

 チカが雷雲の向こうを見て叫ぶ。仲間を逃がすために残ったユーカ達は、今も空賊と悪天候と戦っているのだろう。隊員の命を危険に晒すことが出来ないためとはいえ、まっすぐ彼女たちを助けに行けない自分を歯がゆく思ったその時、突然最後尾のリーパーが進路を変えた。

 

「おいリーパー、どこに行く!」

「先行して援護に向かいます。皆さんは後から合流を」

 

 そう言ってリーパーの機体は、黒い雷雲の中に突っ込んでいった。すぐさま、雲に呑まれたその機影が視界から消える。止める間もない、あっという間の出来事だった。

 

「ちょっ、あいつ雷雲に突っ込んじゃったよ!?」

「無謀、命知らず」

「あの方、冷静なようでとんだ大馬鹿野郎みたいですわね」

 

 後を追いかけるべきか迷ったレオナだったが、結局雲を避けて飛ぶコースを選んだ。仲間の命を危険に晒せないという思いもあったし、何より雷雲の中に突っ込んでいくだけの度胸がなかった。

 

「行かせていいの?」

「いいも何も、行ってしまったんだから仕方ないだろ。今の私たちに出来ることは、急いで彼と合流―――」

 

 レオナが言い切る前に、さらにもう一機、編隊から離れた。キリエの機体だ。

 

「私も行く! あいつだけに任せてらんない!」

「あっ、キリエおい待て―――!」

 

 キリエの機体が雷雲に飛び込んだ直後、まるで龍のような紫の稲妻が地面に向かって走っていった。直後、爆発音のような雷鳴が耳をつんざく。リーパーの後を追っていったキリエの機体も、雷雲の向こうに消えてしまった。

 

「あのバカ…!」

「彼も中々、キリエと同じで無茶する子みたいね」

「もっと冷静で後先考えて行動する奴だと思ったんだがな。二人とも後で説教だ!」

 

 説教するためには、二人に無事に帰ってきてもらわなければならない。頼むから敵と戦う前に落ちてくれるなよ。そう思いつつ、レオナは大きく操縦桿を傾け、雷雲の間をすり抜けていく。




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第二七話 Two Pairs

 リーパーを追って衝動的に雷雲に飛び込んだキリエだったが、乱気流にもみくちゃにされ、何とか進路をまっすぐに保つのが精いっぱいだった。機体が細かく振動し、操縦桿から一瞬でも手を放してしまえば、その瞬間に強風で吹っ飛ばされてしまうのではないかと思うほどだ。

 

 それなのにキリエの前を飛ぶリーパーの機体は、吹き付ける強風の中でもいつもと同じように飛んでいる。キリエにはそう見えた。まるでそこだけ風が避けて行っているように、嵐の中でもリーパーの機体はふらついていない。

 

「あんた、どうやったらそんなにまっすぐ飛ばせんの? こっちは何とか飛ばされないようにするだけで精いっぱいなのに」

 

 本当に同じ戦闘機に乗っているのかと思うほどだ。ガタガタ揺れる機体の中、必死に操縦桿を抑えるキリエは思わずそう呟いた。

 

「飛行機は飛ばすもんじゃない、自然に飛ぶもんだ。パイロットはそれに寄り添うだけだ」

「え、それって…」

 

 どうしてサブジーの言葉を知ってるの? キリエが言いかけたその時、「前方に敵機」といつもと変わらず落ち着いた口調でリーパーが続ける。機体が雷雲を抜け、風防を叩きつけていた雨粒の群れが後方に流れて消えていく。

 

 雷雲と雷雲の間を、必死に逃げ回っている二機の戦闘機がいた。隼三型、ハルカゼ飛行隊の機体だ。

 その背後を飛んでいる雷電は、恐らくハルカゼ飛行隊を襲撃したという空賊イカヅチ団の機体だろう。黄色い稲妻が描かれた雷電が20ミリ機関砲を発射し、曳光弾が風雨を切り裂いて黒い雷雲を照らし出す。

 隼は格闘性能に優れた機体だが、雷雲の間に追い込まれてしまっては自由に動くことすらままならない。下手に空戦機動を取ろうものならば雷雲に突っ込んでしまいかねないし、軽い機体では強風で地面や渓谷に叩きつけられる可能性もある。それに常に強風が吹きつけている中では、思った通りの戦闘機動すら出来ないだろう。

 一方で雷電は機動性は劣るが馬力は隼よりも遥かに強力で、エンジン出力にモノを言わせて強風の中を突き進んでいく。こうして雷雲の壁に獲物を追い込んで、身動きが取れなくなったところを撃ち落とすのが、イカヅチ団とやらのやり方らしい。

 

 雷電が二機、ハルカゼ飛行隊を雷雲の方向へと追い込もうとしている。時折その翼内の機銃が火を噴くが、放たれた20ミリ弾は隼には当たっていない。外れているのではなく、外しているのだとキリエは感じた。空賊たちは背後を取って発砲し、ハルカゼ飛行隊が焦る様子を楽しんでいるのだ。

 

「リーパー、やるよ! あんたは右の奴をやって、私は左!」

「了解」

 

 出会った時の印象があまりよくなかったのでハルカゼ飛行隊はどこか苦手なキリエだったが、だからといって彼女たちが死んでもいい存在だなんてこれっぽっちも思っていなかった。大切な後輩たちだ、何が何でも守らなければならない。

 

 

 

 

 

 

 一方雷電に追われるユーカとベルも、いよいよ体力が限界に近づいてきていた。

 空賊たちに追われ、被弾した機と輸送機を逃がすためにこの場に留まり、そこへ空賊たちの討伐にやって来たカナリア自警団と合流出来たところまでは良かった。だがこの空域では空賊たちの方が一枚上手なようで、ユーカ達はカナリア自警団と分断され、ひたすら雷電に追いかけまわされている。

 

「ダメ、もう…手が…」

 

 ユーカと並んで飛ぶベルの機体が、フラフラと高度を落とし始める。嵐の中で機体をまっすぐ飛ばすだけでもかなり体力を使うのに、その上空賊の機体に背後を取られているのだ。

 二人の機体はまだ致命傷こそ負っていないものの、このままでは雷雲の壁に行く手を阻まれ、袋の鼠だ。隼三型の優れた格闘性能も、この強風の中では空戦機動を取ることすらできない。一方雷電は単調な動きしかしてこないものの、馬力があるおかげて強風の中でもそこそこまっすぐ飛べている。このままいけば疲労で機体をコントロールできず、雷雲に突っ込んでしまうかもしれない。

 

「諦めないで! エリカたちが助けを呼んでくれる。あと少しで助けが来るよ!」

 

 とはいうものの、助けが来るまであとどれくらいかかるだろうか。ユーカたちは空賊に追われている内に、いつの間にか雷雲立ち込める空域に入り込んでしまっていた。

 助けが来るとしても、雷雲を避けてやってくるだろう。となれば相当時間がかかるに違いない。それまで二人とも体力が保つだろうか?

 

 イチかバチか雷雲に突っ込む、という手も考えたが、ユーカには出来なかった。目の前で幾筋もの稲妻を地面に降らせている雷雲を見ていると、その中に突っ込もうなんて気はこれっぽっちも起きなかった。仮に空賊を撒けたとしても、被雷して機体が爆発するかもしれないし、強風で機体が地面や渓谷に叩きつけられるかもしれない。何より雷雲に近づいただけでも機体を持っていかれそうなほどの強風なのだ。強風で機体がバラバラになってしまうのではないかとすら思うほどだった。

 

「わっ!?」

 

 ユーカの機体のすぐそばを、一筋の曳光弾が掠め飛んでいった。翼に20ミリ弾が命中したが、角度が浅かったのか銃弾が弾かれる。深刻なダメージはないが、次は操縦席に命中したっておかしくない。

 

「ユーカ、前!」

 

 ベルが叫ぶ。いつの間にか二人の前には、黒く大きな雷雲が立ちはだかっていた。紫の稲妻がいくつも地上に落ち、隼の操縦席を明るく照らし出す。

 

「追い込まれた…!」

 

 空賊たちの狙いはどこか甘いところがあると感じていたが、これが狙いだったのか。ユーカは自分の迂闊さを呪った。空賊たちは自分たちをわざと雷雲のある方向へと追い込んでいたのだ。無邪気な子供が虫をいたぶって殺すように、空賊たちもユーカたちが右往左往して逃げ回っている様子を楽しんでいたに違いない。

 

「私たちで遊んでいたっていうの!?」

「ベル逃げて! あいつらは私が何とかするから!」

 

 空賊たちの機動が明らかに変わった、とユーカは思った。今まではどこか遊んでいるような動きだったのが、こちらが雷雲を前に身動きが取れなくなった途端、まっすぐユーカに突っ込んでくる。

 ベルに逃げてと言ったものの、かといって何かが出来るわけでもなかった。空戦で銃弾も燃料も消耗し、さらにこちらの体力消費も著しい。

 さらにヘッドオンでの撃ち合いとなれば明らかにハルカゼ飛行隊が不利だった。隼の風防は防弾ガラスでない上に、武装も12.7ミリが二挺だけ。それに対して雷電は正面風防に防弾ガラスが施され、その上武装も20ミリが四挺だ。正面から撃ち合っても勝ち目はない。強風の中では優れた格闘性能を活かすことも出来ず、速度で逃げ切ることも出来ない。

 

「ーッ!」

 

 真正面から迫りくる雷電、その20ミリ機銃の黒い銃口が見えた。次の瞬間には機銃が火を噴き、そこから吐き出された20ミリ弾が隼をズタズタにしているだろう。

 

 ユーカは思わず目を閉じかけたその時、真正面から迫りつつあった雷電の横腹に、複数の曳光弾が突き刺さった。()()()()()()飛んできた銃弾が雷電の垂直尾翼を撃ち抜き、ヨー方向の安定性を失った雷電が風に吹き飛ばされてくるくる回りながら降下していく。

 

「え? 何? 誰!?」

 

 ユーカが目を見張った瞬間、黒い雷雲の中から一機の隼が飛び出してきた。青を中心とした迷彩を施した機体。その機体に描かれた死神のエンブレムが、ユーカの目に焼き付く。頭にピンクのリボンを付けた死神なんて、気味の悪いエンブレムだなというのが正直な感想だった。

 

 続いてその後を追うように、もう一機隼が雷雲から出てくる。銀色に緑の塗装を施したその機体のロゴマークと、垂直尾翼に描かれた赤い猛禽のエンブレムには見覚えがあった。

 

「キリエさん!」

『ごめん、遅くなった!』

 

 そう言ってキリエはもう一機の雷電を追う。ユーカたちと同じく、まさか雷雲の中を通り抜けてくる戦闘機がいるとは思わなかったらしい。もう一機いた空賊の雷電の反応が一瞬遅れ、その隙に背後を取ったキリエが機銃弾を叩き込む。

 

『後方、さらに敵機』

 

 ユーカとキリエの通信に、知らない男の声が混ざる。青い隼のパイロットだろう。

 空賊の雷電がもう一機やってきて、青い隼の背後を取ろうとする。だが青い隼は機体を90度傾けて水平旋回の姿勢を取った次の瞬間、ほとんどその場で180度機首の向きを変え、一瞬で真後ろを向いていた。

 

 空賊は青い隼の背後を取り、有利になったと油断していたらしい。まさか一瞬で青い隼がこちらを向いているなんてことに理解が追い付かず、動きが固まった。動きが鈍い雷電に、青い隼がヘッドオンで銃弾を叩き込んでいく。エンジンを撃ち抜かれた雷電が、雨の中炎を噴き上げて地面に墜落していった。

 

『え? 今のどうやったの!?』

『風を利用してフック機動の真似事を試してみた。まさか出来るとは思わなかったが』

 

 驚くキリエと、冷静な男の声が無線機から流れる。ユーカもキリエと同じ気持ちだった。

 吹き付ける強風に乗って、その場で180度機首の向きを反転させるとは。ユーカは青い隼のパイロットが同じ人間だとは思えなかった。

 しかも彼は、自分たちが飛び込むことを躊躇した雷雲の中をいとも簡単に通り抜けてきた。キリエも同じく雷雲を抜けてきたが、恐らくあの青い隼のパイロットを追いかけて来たんだろうなとユーカは思った。

 

 二機の隼1型が、ユーカ達に近づいてくる。青い隼のパイロットは、バイザー付きのヘルメットを被っているせいで顔が見えない。

 

『あんたたち、ケガはない?』

「はい、なんとか…機体もまだ飛べます」

『ハルカゼの他の子たちも無事だよ。ここから南に空の駅があって、皆そこに退避してる。あんたたちも早く!』

「はい、キリエさん。何とお礼を言えばいいか…」

『話せる余裕があるうちに離脱しろ。我々は何とかという自警団の救援に向かう』

 

 青い隼のパイロットは至って冷静だった。何度礼を言っても足りないくらいだし、何ならキリエたちと一緒にカナリア自警団の救援に同行したいくらいだったが、既にユーカとベルは長時間の空戦機動でふらふらだった。それに、燃料にも余裕がない。

 

 青い隼がバンクして、再び雷雲の中に突っ込む。『待ってよリーパー!』とキリエが言い、後に続いて雷雲の中に消えた。

 

「キリエさんたち、凄いわね…流石コトブキ飛行隊ね」

「あの青い隼を操縦してるのは誰なんだろう? コトブキ飛行隊の人じゃないよね?」

「さあ…でもベテランであることに変わりはないでしょうね。あんな飛び方をしてるんだもの」

「きっと私たちよりもずっと年上で、もう10年くらい飛んでるパイロットなんだろうなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、再び雷雲に飛び込んだリーパーとキリエだったが、今度はさっきまでとは違い無傷ではいられなかった。

 

「ぎゃーっ!?」

 

 耳をつんざく爆音。それと共に突如キリエの視界が真っ白に染まったかと思うと、いきなり機体ががくんと下を向いた。ぐんぐん数値を減らしていく高度計。ようやく、自分が雷に打たれたのだとキリエは理解した。慌てて操縦桿を引き、何とか地面とキスだけはせずに済んだ。

 

「落ち着け。エンジンは無事か? 燃料漏れは起きてないな?」

 

 一緒に飛んでいる仲間が雷に打たれたというのに、リーパーは相変わらずだった。キリエは計器類を一通りチェックし、機体に問題が無いことを確認する。燃料計の減り方に異常は見られず、ナツオ達が整備してくれたエンジンも快調に動いている。通信がノイズ交じりであることを除けば、飛行に支障はない。

 

「あんた、なんでそこまで落ち着いてられんの?」

 

 だがリーパーが答える直前、彼の機体にも雷が落ちた。キリエがそうであったように、リーパーの隼も機首が一瞬だけ下がったが、すぐに持ち直した。そのまま二機の隼は、黒い雷雲から飛び出す。

 

「………」

「ちょっと、何言ってんのか聞こえない」

「前方に複数の機影。紫電と雷電だ」

 

 ノイズ交じりのリーパーの声が聞こえる。彼の言う通り、いくつかの機影が前方に見える。白い塗装の紫電が、イヅルマのカナリア自警団の機体だろう。自警団員は全員で六人とのことだが、今見えるのは三機だけだ。他の機体は、別の場所で戦っているのかもしれない。

 それを追う雷電は六機。まだ雷雲から出てきたキリエ達には気づいていない。まさか空賊たちも、雷雲の中を突っ切ってくる大馬鹿野郎がいるとは思わないだろう。

 

「行くよ、リーパー!」

 

 返事はノイズで聞こえなかったが、キリエは迷わずカナリア自警団を追う雷電の群れに突っ込んでいく。きっとリーパーなら一緒に来てくれるだろう。なぜだかその確信があった。

 二機の隼が、背後から雷電の群れに襲い掛かる。不意を突かれた雷電が慌てて回避行動を取り、その間に追われていたカナリア自警団の紫電が集結する。

 

「よし、二機!」

 

 キリエが撃墜した雷電が二機、嵐の中地上へと降下していく。同じく二機を仕留めたリーパーだったが、空賊の新手がやって来て、彼の背後にぴったりとくっついた。援護に行きたいキリエだったが、撃ち漏らした二機が反撃を始め、それの相手をするのに精いっぱいだった。

 

 追われるリーパーの隼と、空賊の雷電の距離はかなり近い。さっきの空戦機動を取っても、機首が後方を向く前に撃たれてしまうだろう。だがリーパーなら何とかする。キリエはそんな予感がして、そしてその予感は間違っていなかった。

 

 追われるリーパーの隼が機首を上げたと思うと、一瞬でその機体が地面と垂直に立つ。機体全体がブレーキの役割を果たし、一瞬で急減速した隼を雷電がオーバーシュートし(追い越し)てしまう。

 追う者と追われる者の立場が瞬く間に入れ替わる。機首を水平に戻し、雷電の背後を取った隼が12.7ミリ機銃を発砲する。翼が折れた雷電が、雨の降り注ぐイジツの荒野へ落ちていく。

 

 今の動きは以前リーパーがフランカーで見せてくれた、コブラという空戦機動にそっくりだった。プロペラ機では出来ないとケイトが言っていたが、それをリーパーはあっさりとやってのけた。恐らく吹き付ける強風があるからこそできた芸当なのかもしれないが、不安定な気流を読み、そしてそれを利用しようと思いつき、なおかつそれをやってのけるだけのリーパーの度胸に、キリエは内心舌を巻いた。

 

「あれでまだ2年目なんて…」

 

 歳も自分とさほど変わらないのに、リーパーの機動はベテランパイロットのそれだった。ひどく荒れた空でも機体を自分の手足のように操り、自由に飛び回る天空の王。

 

「サブジー…」

 

 なぜだか彼の機動を見ていて、キリエは思わずその名を口にしていた。かつて自分に飛行機の飛ばし方を教えてくれた頑固なユーハング人。トンビみたいな飛び方だったとイサオに称えられ、そして彼の手下に撃墜されたキリエの大事な人。

 なぜその名が出てきたのかはわからなかった。だがリーパーを見ていると、どこかサブジーを思い出す。

 

『キリエ! リーパー! 二人とも無事か!?』

 

 突如無線機からレオナの声が聞こえてきて、それと共に雷雲の間から五機の隼が姿を見せた。遅れてやって来たらしい、レオナたちの機体だった。

 

『こちらはカナリア自警団団長のアコです! あなたたちは?』

『我々はオウニ商会所属、コトブキ飛行隊だ。そちらの救援に来た』

『あのコトブキ飛行隊ですか!? お会いできて光栄です!』

『挨拶は後だ、早くここを脱出しよう』

 

 レオナたちの機体の後ろには、もう三機の紫電が並んで飛んでいる。先に他のカナリア自警団員を助けてから、リーパーたちに合流したらしい。被弾した機体もあるようだが、致命傷は負っていないようだ。

 

 一方でイカヅチ団も、相手が多すぎて不利だと判断したらしい。突如機首を反転したかと思うと、雷雲の間を通り抜けてどこかへと去っていく。

 空賊を放置しておくのはマズいが、かといって嵐の中追いかけっこをするわけにもいかない。それに目的はあくまでもハルカゼ飛行隊とカナリア自警団の救出だ。その両方を救助した今、いつまでも嵐の中に留まっておく理由はない。

 

『全機、帰還だ。カナリア自警団も我々についてきてください、空の駅まで誘導します。それとキリエ、リーパー!』

 

 突如レオナに大声で名前を呼ばれ、キリエは思わず背筋を伸ばした。これは本気で怒っているな。長い付き合いの中で、キリエはレオナが怒る時の前兆をだいたい理解していた。

 

『羽衣丸に戻ったら覚悟しておけ』

「…はい」

『リーパーは?』

『了解』

 

 雷雲の中で雷を食らい、この分だと羽衣丸に戻ってからもレオナの雷が落ちるだろう。食らうならどっちの雷の方がマシだろうか。キリエは雷雲の中に逃げ込みたい気分に駆られた。




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第二八話 A Fresh Youngster

「こんの大馬鹿野郎!」

 

 羽衣丸の飛行甲板に、ナツオの怒声が響き渡る。覚悟はしていたがその大きな声に、キリエは思わず首をすくめた。

 

 空賊と戦っていたハルカゼ飛行隊とカナリア自警団を救出し、近くの空の駅へ誘導した後、コトブキ飛行隊は羽衣丸へ帰投した。着艦するなり、キリエとリーパーはナツオに頭をぶん殴られた。

 

「雷雲の中に突っ込むなんて何考えてやがんだ! おかげでこっちはお前らの機体を総点検しなきゃならんだろうが!」

 

 お冠のナツオの背後では、キリエとリーパーの隼に取りつき、あちこち覗き込んでいる整備士たちの姿。戦闘機に雷が落ちると、機体の表面に小さな穴が開く。

 翼の外板にほんの一ミリか二ミリ程度の穴が開いたところで、飛行に支障はない。だが問題は燃料タンクだ。燃料タンクに穴が開いて中身が漏れてしまったら、何かの拍子で気化したガソリンが爆発しかねない。そのためナツオたちはキリエとリーパーの機体が戻ってくるなり、燃料タンクに穴が開いてないかチェックする作業に追われていた。

 

「でも、結果的に皆無事だったから良かったんじゃない? ハルカゼも何とかって自警団も全員助けられたし」

「偶然と幸運と根性に頼るのはパイロットとして下の下だ!」

 

 ナツオの代わりに口を開いたのは、二人の前で腕を組み、仁王立ちするレオナだった。整備班の班長と、コトブキ飛行隊の隊長。その二人が揃ってお説教という光景は、なかなか見られない。

 

「確かに今回は幸運にも全員無事に帰ってこれた。だがお前たちのスタンドプレーで全員を危険に晒す可能性だってあったんだ。キリエ、スタンドプレーは慎めと何度も言っているだろう?」

「それに落雷で機体が花火になってたらどうするつもりだったんだ?」

 

 レオナとナツオの言っていることは理解している。レオナの命令を無視し、勝手にリーパーについていった自分も悪いということはキリエも自覚していた。だが全員助けられたんだからそれでよかったじゃないか、というのがキリエの偽らざる感想だった。

 

「リーパー、お前も無茶をし過ぎだ。名目上は別の飛行隊ということだが、当面は私の指示に従えとマダムに言われているだろう? なぜ私の指示を聞かなかった?」

 

 うって変わって、今度は諭すような口調でレオナがリーパーに尋ねる。キリエと違い弁明も口答えもせず、機を降りてからずっと黙っていたリーパーが、ようやく口を開く。

 

「…あのままだと、レオナさんの後輩たちの救援が間に合わないと思ったからです」

「確かに、雷雲を避けて飛んでいたら時間はかかっただろう。君が彼女たちを危ないところで救ってくれたことには感謝している。だがそれとこれとは話が別だ。なぜ、わざわざ危険な真似をする?」

 

 リーパーはハルカゼ飛行隊の面々とは一度も会ったことが無いはずだ。顔も名前も知らない、そんな人たちのために、リーパーは危険な雷雲へと突っ込んでいった。彼をそこまで突き動かすものは何なのか、この場にいる面々は誰も知らない。

 

「もう二度と、目の前で誰かが死ぬのは御免なんですよ」

 

 

 ―――リーパー、またな。スラッシュ、ベイルアウトする。

 

 

 リーパーがボーンアロー隊に入ってすぐの頃、何かと突っかかってきた国連軍のエリート。嫌味な奴だったが、悪い奴でもなかった。そんな彼と何か通じ合えたと思った直後、彼はリーパーの目の前で死んだ。被弾した機体から脱出したところを、無人機に攻撃されて。

 

「だけど俺が指示に従わなかったことは事実です。大変申し訳ありません」

 

 命令違反は重罪だ。コトブキ飛行隊は軍隊ではないが、そのことは指示に従わずに好き勝手に動いていいという理由にはならない。

 

「まぁまぁ、今回は彼の判断も間違っていなかったってことでいいんじゃない? 全員無事に戻ってこれたんだから」

「そうですわね。レオナも彼も、どちらの判断も正しかったということでよろしいのではないですか?」

 

 リーパーが頭を下げると、横からザラとエンマが助け舟を出してくれた。レオナはなおも険しい顔をしていたが、頭を下げるリーパーを見て、ふーっと息を吐いた。

 

「…確かに今回は君の判断も間違っていなかったと言える。あのままでは私たちがハルカゼ飛行隊の救援に間に合わなかった可能性もあった。だから、今回の君の行動は不問に付す」

「やったぁ!」

「調子に乗るなキリエ! お前には罰として廊下の掃除を命じる」

「ええっ!? なんでわたしだけ!?」

「お前はコトブキ飛行隊の一員だからだ。それに命令を無視してスタンドプレーに走るのはこれで何度目だ」

 

 口をとがらせブーイングを飛ばすキリエ。そんな彼女を見て、チカがニヤニヤ笑う。

 

「じゃあ頑張って掃除してね、キリエ。掃除が終わった後埃が残ってないかチェックしてやるからさ」

「うっさいバカチ! やな小姑かあんたは!」

 

 ぎゃあぎゃあといつものように騒ぎながら、キリエ達がそれぞれ自分の部屋へと戻っていく。リーパーは彼女たちの後に続かず、ナツオのところに向かった。

 

「班長、今回は申し訳ありませんでした」

「まったくだ。あんな無茶な真似する奴、今まで見たこともないぞ」

「はい。レオナさんに怒られました」

「これに懲りたらもう二度と雷雲になんか突っ込むじゃねーぞ…って言っても無駄だよな。そんな目をしてる」

 

 やれやれ、といった感じでナツオは溜息を吐く。

 

「それにお前、随分な空戦機動をしたみたいだな。あちこちガタが来てるぞ。こいつは整備に時間がかかりそうだ」

「…すいません」

「まあ、こっちも性能を限界まで発揮してくれるような奴の機体は整備し甲斐があるよ。もっとも、ぶっ壊されるのは御免だけどな」

 

 再びリーパーは頭を下げる。だがナツオは背伸びして手を伸ばすと、オイルに塗れた手袋を外して彼の頭をごしりと撫でた。

 

「ま、今回は誰も死なせずに帰ってきたんだ。大目に見てやるよ」

「ありがとうございます」

「礼なんて必要ねーよ。それに、わたしらが整備した機体で墜落とかされちゃ、気分も悪いしな」

 

 ナツオはそう言って、「お前ら、穴一つでも見逃したらケツにイナーシャハンドル突っ込んでかき回してやるからな!」と整備班にハッパを掛けた。

 

 

 

 

 

 

「うー、私だけ掃除なんて…」

 

 夕食が終わり、皆が部屋に戻る中、キリエだけはモップとバケツを手にひたすら羽衣丸船内の廊下を磨いていた。清掃員などいない羽衣丸ではクルーが交代で掃除を行っているが、時折こうして何かの罰として、一人で掃除を命じられることがある。羽衣丸の船内はそれほど広くないし、廊下も狭いが、それでも一人でこなすにはかなりの面積がある。

 

 ぶつぶつとレオナの文句を言いながらキリエがモップを床に擦りつけていると、廊下の曲がり角からリーパーが姿を見せた。あくまでもコトブキ飛行隊の一員ではないという名目で、キリエと違い彼は罰を受けていない。

 

「何よ、人が苦労してるところを笑いに来たの?」

「いや、手伝おうと思って」

 

 そう言うリーパーの手には箒と塵取りがあった。キリエの返事を待つことなく、リーパーは手早く廊下を掃いていく。

 

「命令違反で罰を受けたのは私だけなんだけど」

「でもきっかけを作ったのは俺だし、勝手に動いたのも俺だ。レオナさんは俺がコトブキ飛行隊のメンバーじゃないから罰は与えなかったけど」

 

 リーパーは口を動かしながら、手慣れた手つきで素早く廊下の隅に積もっていた埃やゴミを塵取りに集めていく。さらに雑巾で床を拭き、あっという間に廊下が綺麗になっていくのがキリエにも目に見えてわかった。

 

「あんた、掃除も上手いね」

「元いたところじゃ新入りが掃除洗濯炊事当番って決まってたからな。否が応でも上手くなる」

「え? でもあんた隊長だったんでしょ?」

「隊長でも俺が一番の新入りだったんだよ」

 

 コトブキ飛行隊の隊員たちにパシリ扱いされるレオナの姿を思い浮かべたキリエは、「ないな」と思った。いくら新入りでもリーパーのような人間に掃除を押し付けられる彼の同僚は、どんな人たちだったのだろうか。きっとチカみたいに図太い神経の持ち主に違いない、とキリエは自分を棚に上げて思った。

 

「そういやさ、あんたハルカゼの連中を助ける前に言ってたこと覚えてる?」

「…なんだっけ?」

「『飛行機は飛ばすもんじゃない、自然に飛ぶもんだ』って。あの言葉、どこで知ったの?」

 

 かつてキリエに飛行機の操縦技術を教えたユーハング人のサブジー。彼はイサオの謀略に手を貸すことを良しとせず、キリエに何も言わぬまま彼女の前から去ってしまった。そしてそのまま、イサオたちの手によって撃墜されてしまった。

 リーパーが言っていた言葉は、そのサブジーがキリエに教えてくれた言葉だった。同じユーハング人とはいえ、リーパーはサブジーと面識はないはずだ。それなのになぜ彼は、サブジーの言葉を知っているのか?

 

「俺のひい爺さんが教えてくれたんだよ。ひい爺さんは―――というか俺の家系は代々パイロットで、ひい爺さんがよく言ってたんだ」

「ひい爺さん? その人もパイロットだったの?」

「ああ。海軍…って言ってもわからないよな。海で戦うパイロットだった。お爺さんと親父は空自で、俺はアローズ社。さっきの言葉もお爺さんと親父から教えてもらった」

「そのひいお爺さんは今も生きてるの?」

「俺が子供の頃に病気で死んだよ」

 

 一瞬、リーパーのひいお爺さんがサブジーなのではないかと思ったキリエだったが、サブジーは穴が閉じた時にユーハングに帰らず、それから70年もイジツに留まったままだった。リーパーのひいお爺さんはもう何年も前に、ユーハングで死んでいるという。サブジーがリーパーのひいお爺さんであるはずがない。

 

 だが黙々と床を拭いているリーパーの横顔が、どこかサブジーと重なってキリエには見えた。頑固そうな真一文字に結ばれた口と、どこか強い意志が籠っている瞳。そして卓越した空戦技術。

 

「ねえ、そのひいお爺さんの写真とかってある?」

「あるかもしれないけど…今手元にあるかな?」

「あったら私に見せてよ」

「いいけど、どうして?」

「私の知り合いがあんたによく似てるんだよね。その人もユーハングから来てさ、あんたみたいに変わってて頑固でへんちくりんなひとだった」

「それって遠回しに俺を貶めてないか?」

 

 困ったようなリーパーの顔を見て、こんな顔も出来るんだとキリエは思った。普通というか、どこか抜けてそうな奴なのに、戦闘機に乗ったら誰も手が付けられない死神になる。人は見かけによらないなと思った。

 彼と戦ったら、その強さの秘訣を知ることが出来るのだろうか。もっとリーパーのことを知りたい。キリエは心からそう感じる。

 

「ねぇ、今度私と模擬戦やってよ」

「模擬戦? 別にいいけど」

「私が勝ったらパンケーキ食べ放題の店で奢ってね! あんたが勝ったら…私があんたにパンケーキを奢ってあげるよ」

「どっちにしてもキリエがパンケーキを食べることに変わりはないんだな…」




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第二九話 Fire Youngman

 イヅルマ。巨大な建物が並ぶ大きな街で、空から見下ろした街並みは迷路のように入り組んでいた。飛行船製造で有名な街ということで、大きな工場がいくつも立ち並び、飛行場もかなりの規模がある。

 嵐の翌日、羽衣丸は空の駅に避退していたハルカゼ飛行隊とカナリア自警団を伴い、イヅルマに到着した。コトブキ飛行隊がイヅルマの飛行場に着陸するなり、先に降りていたハルカゼ飛行隊の面々が彼女たちに駆け寄る。

 

「お疲れ様です、レオナさん! 昨日は助けていただきありがたく存じ上げまする!」

 

 機を降りたレオナに、開口一番そう言ってユーカが頭を下げる。ハルカゼ飛行隊の隊長である彼女に倣い、他の面々も感謝の言葉を述べた。

 

「コトブキ飛行隊の方々に来て頂かなければ、あのまま空賊に撃墜されていました」

「すいません、私たちが未熟なばっかりに迷惑を掛けて…」

 

 落ち込む副隊長のエリカ。彼女はエリカとベルに護衛されて輸送機と共に戦闘空域を離脱した機を纏めていたが、何も出来ずに逃げ回るしかない自分たちの不甲斐なさに腹が立っているのだろう。唇をかみしめる彼女を見て、レオナは「落ち着け」とでもいうように両手を掲げた。

 

「全員無事なら何よりだ。それに、礼を言うべき相手は私じゃないだろう?」

「そうだ! 昨日雷雲を突破してきたあの青い隼のパイロット! あの方がギリギリで私たちを助けてくれたんですよ!」

 

 駆け出しで空戦の経験はさほど多くないユーカであったが、青い隼のパイロットがコトブキ飛行隊並みに優れた腕を持っていることは、なんとなくわかっていた。それに最短コースを飛ぶために雷雲を突破し、風を味方につけて予測不可能な機動をするその腕前。きっと大ベテランのパイロットに違いない。

 

「凄いよなー、雷雲を突破するなんて。アタシらはどうにか雷雲に入らないように右往左往して逃げるしか出来なかったのに」

「いや、それが普通だと思うわよ?」

 

 ボーイッシュなオレンジの髪をした少女、アカリの言葉に、ザラが微妙な笑顔を浮かべて答えた。ザラも長いこと空を飛んでいるが、あんな無茶をするパイロットにはそうそう出会ったことがない。

 

「それで、その青い隼の操縦士の方は?」

「彼ならもうすぐ着陸するわよ、ほら」

 

 ザラが指さした方向を見ると、ランディングギアを下ろして着陸態勢に入った青い隼が目に入る。隼は模範にしたいくらいの見事な軌道で滑走路に着陸し、駐機場まで前進した。

 

 中に乗っているのは一体どんなパイロットなんだろうとユーカは息を呑んだ。あんな空を知り尽くしたようなパイロットだ、きっと自分たちやレオナよりも遥かに年上の大人に違いない。ハルカゼ飛行隊の面々も同じように考えているのか、緊張で固まっているようだった。そんな彼女たちの様子を見て首を傾げるレオナと、反面彼女たちの思い込みに気づいているらしく悪戯っぽい微笑みを浮かべるザラ。

 

 

 

 エンジンの止まった隼の風防が開き、中からヘルメットを被ったパイロットが姿を見せる。バイザーを上げ、ヘルメットを脱いだその下から現れた顔に、ユーカは少し驚いた。

 

「え? あの人ですか? まだ私たちよりほんの年上くらいにしか見えないんですけど」

「驚いたでしょ? でも昨日あなたたちを助けようとして無茶をしたのは、まぎれもなく彼よ」

「あの年であんなに凄い動きが出来るなんて、きっともう何年も空を飛んでいるんでしょうね」

 

 感心したように言うベルの背後で、「いや、二年目のペーペーだって」とチカが口を挟む。

 

「えっ!? じゃあガーベラたちとほとんど同じじゃん!」

「ひょぇぇ…きっと人間じゃないんだよ…」

 

 口々に驚きを示すガーベラとダリアをよそに、ユーカは青い隼のところへと駆け出していた。隼から降りてきた若い男―――リーパーが、駆け寄ってくるユーカを見て首を傾げる。

 

「あの! あのあのあの! 昨日は助けていただきありがとうございましたっ!!」

「ええと、君は…ああそうだ、レオナさんの後輩だっていう…」

「はい!」

「ソヨカゼ飛行隊だっけ?」

 

 真顔でそう言ったリーパーに、ユーカはずっこけた。そんなリーパーを見て、キリエが助け舟を出す。

 

「ハルカゼ飛行隊だよ。あんたって名前を覚えんの苦手なの?」

「まあ、そんなところ。そうか、君がレオナさんの後輩か」

「はい。改めてお礼を言わせていただきたく…」

「あー、全員無事だったならそれでいい。怪我も無かったんだろう?」

 

 空賊の襲撃で機体に穴は開いたが、奇跡的に全員ケガもなく、あの空域を離脱することが出来た。もしもコトブキ飛行隊とリーパーの救援があと少し遅れていたら、きっと殿として空賊の相手をしていたユーカとベルは撃墜されていたに違いない。

 

「あの! まだパイロットになって二年目って本当ですか!?」

「訓練生だった頃を含めればもっと長いけど、実戦に出てからって意味じゃ確かにそうだけど」

 

 訓練生時代が3年、実戦に出てから1年半程度。それがリーパーの飛行経験だ。地球の基準ではペーペーもいいところだが、イジツでは特に操縦免許等も必要ないので、子供の頃から飛行機を飛ばしている者も多いと聞く。

 

「二年目であんな飛び方が出来るなんて…」

「はいはーい! 質問です! どうしたらあんな風に飛べますか!」

 

 感心するベルの横で、ユーカが再び手を上げた。そんな彼女たちを見て、エンマが呆れたように言う。

 

「あなたたち、彼の機動は真似するものではありませんわ」

「え、どうしてですか?」

「命がいくつあっても足りない」

 

 ケイトが端的に、しかし本質を突いた答えを言う。雷雲に突っ込み、強風を利用して本来出来ない無茶な機動をする。命知らずの大馬鹿野郎にしか出来ない空戦だ。下手に真似をすれば、それこそ敵と戦う前に墜落しかねない。

 

「失礼ですが、お名前を伺っても?」

「ああ、俺は―――」

「こいつはリーパー。ユーハング人だよ」

 

 リーパーが本名を名乗る前に、キリエが先にエリカに答えていた。ユーハング人、という言葉にハルカゼ飛行隊がざわめく。

 

「ユーハング人? 本当にいたんだ」

「アタシたちと同じ人間なんだね」

「話でしか聞いたことなかったから、本物を見るのは初めてだよぉ」

 

 まるで珍獣でも見るかのような視線で上から下まで眺められ、リーパーは少し困惑する。興味津々といった彼女たちに、「はいはい、彼はこの後用事があるからその辺にしてね」と、ザラが手を叩いた。

 

「用事? どっか行くの?」

「『穴』の情報がないか、ここの自警団本部で教えてもらいに」

「そういうわけで、私たちはこれから自警団の本部に言ってくる。また後で会おう」

「はい、お疲れさまでした!」

 

 ユーカ達はそう言って、自警団本部の方へと歩いていくコトブキ飛行隊を見送った。その少し後ろを、興味深そうに周囲を見回しながらリーパーがついていく。

 

「ユーハング人かぁ、でもそれなら凄い空戦技術を持ってるのも納得だなぁ」

「飛行機はユーハング人がもたらしたものだから、ユーハングだとイジツ以上に飛行機が発達していて、誰もが空を飛べるようになっているんでしょうね」

「ユーハングの話聞きたいなぁ、どんな世界なんだろ」

 

 ハルカゼ飛行隊の面々が口々にユーハングへの想いを語る中、ユーカは昨日のリーパーの戦闘を思い出していた。悪天候すらも味方につけているのではないかと思うような、縦横無尽で予測不可能な戦闘機動。自分もあんな風に戦闘機を飛ばすには、あとどれだけ頑張ればいいのだろうか。

 

 

 

 

 一方自警団本部に向かってイヅルマの市街を歩くリーパーは、迷路のような街並みに目を取られていた。

かつての東京ほどではないものの、大きな建物が並ぶイヅルマは、イジツでもかなり発展している部類に入るのだという。

 

「危ない」

 

 街並みに見とれていたリーパーは、突然背後からケイトに腕を掴まれてその場に立ち止まった。そんな彼の目の前を、汚れてボロボロの衣服を身にまとった少年たちが、腕に果物やパンなどが詰まった箱を抱えて走っていく。

 

「待て!」

 

 そう叫び、警棒を掲げて少年たちの後を追うのは、自警団と思しき格好の男たちだった。どうやら少年たちは泥棒らしい。だが自警団が既に動いているのであれば、わざわざ手助けをする必要もないだろう。

 

 転んだ少年の一人に自警団員が馬乗りになり、その顔に警棒を振り下ろす。顔を庇おうと少年の動きが鈍ったところで、もう一人の団員が手錠を嵌めた。

 

「お前たちは残りの連中を追え! 俺はこいつを詰所に連れていく」

 

 団員たちが二手に分かれ、残った連中が拘束された少年を乱暴に立たせる。そして警棒で小突きながら、元来た道を引き返していった。

 

「この泥棒が。子供だからって許されると思うなよ、牢屋にぶち込んでやる」

「ここんとこ毎日お前らみたいなコソ泥の相手だ。いっそのこと浮浪者は全員追い出しちまった方がいいんじゃねえか?」

 

 捕まった少年が助けを求める視線を周囲の人々に投げかけるが、彼を見つめる人々の視線は冷たい。子供とはいえ泥棒で捕まったのだから当然ともいえるが、それにしては何か様子がおかしかった。

 

「また難民かよ、いったいどれだけやってくるんだ?」

「自警団だけじゃ足りねえ、俺たちの手で難民どもを追い出してやらなきゃな」

 

 あからさまに少年に敵意を向ける者もいた。リーパーは引き留めてくれた礼をケイトに行ってから、尋ねた。

 

「このイヅルマって街は治安が悪いのか?」

「イヅルマの治安はイジツの諸都市の中でも良好、だった」

「だった?」

「最近は難民の流入が増加し、それに伴う問題も発生していると聞いている。今の子供たちも難民と思われる」

 

 難民、ここでもその言葉を聞くとは。難民たちが作り上げた巨大国家と戦っていただけに、リーパーが難民に対して抱く気持ちは複雑だった。

 

「それにしても、なぜ難民が? 紛争でも起きてるのか?」

「色々な原因があるのよ。空賊に襲われて逃げ出してきたり、そもそも住んでいた街の資源が枯渇して収入が無くなったり」

 

 ザラが代わりに答えた。空賊は都市間を行き交う飛行機や飛行船を襲うだけでなく、街を襲うこともあるらしい。大きな街では自警団の戦力が充実していたり、そうでなくとも裕福であれば腕利きの用心棒を雇うことが出来る

 だが小さな街ではそれが出来ない。ラハマがそのいい例だ。小さい街では自警団の戦力は質も量も乏しいか、そもそも自警団すら存在しないところもある。そういう街を空賊は襲って、なけなしの金や収穫されたばかりの作物などを丸ごと奪い取っていくのだ。

 

 そういった街の人々が取る手段は二つ。一つは屈辱に耐え空賊に大人しく望むものを差し出し、彼らが暴れないで帰ってもらうように祈ること。もう一つは街に見切りをつけて出て行くことだ。生まれ育った町を捨てることになるが、空賊に生殺与奪を握られるよりはよっぽどマシ、と言うことだろう。

 

 

 

 人々が街を出て行く理由はもう一つ、資源の枯渇だ。

 ラハマはかろうじて質のいい岩塩が算出され、それを主な交易品として何とか成り立っている。だが仮に岩塩の算出が途絶えてしまったら、ラハマの街は収入を得る手段は無くなる。観光資源はなく、かといって投資を呼び込めるような産業の土台があるわけでもない。だからこそ町長はリーパーがフランカーでエアショーをやってくれることを期待しているのだが、資源枯渇とそれに代わる新たな産業の発展という問題が解決されたわけではない。

 

 石油でも鉱物でも、算出が途絶え収入が無くなってしまえば、途端に街は立ちいかなくなる。人々は税金を払えなくなるし、街も生活サービスの提供が出来なくなる。その結果街はどんどん貧しくなり荒れていく。

 リーパーは行ったことはないが、ラハマの近くにはキマノという街があった。10年前までは栄えていたが、主要な産出品である地下鉱物が枯渇してしまったために、どんどん人口が流出しついには廃墟になってしまったという。そうやって無くなっていく街が、最近ではどんどん増えているというのだ。

 

「そうして住むところを失った人々は、大きな街へと向かう。そこなら仕事があって、豊かな暮らしが出来るんじゃないか。安心して暮らせるんじゃないかと思って」

「でも実際には簡単によそ者なんて受け入れてくれるわけもないし、元から住んでいる人たちも自分たちの仕事が奪われるんじゃないかって警戒しちゃうのよね。根無し草が簡単にお金を稼げる職業に就けるわけもないし」

 

 レオナが連れていかれる少年を見て、どこか悲しそうな目をしていた。孤児院で育ったレオナとしては、親が無く貧しいが故に盗みに手を染めてしまった少年にどこか同情する気持ちもあるのかもしれない。

 地球でもイジツでも、同じ問題は起きるんだなとリーパーはどこか虚しくなった。同じ人間である以上、同じ問題が起きるのは当然なのかもしれない。もう何十年にもわたって地球で起きている問題が、ようやくイジツでも起き始めたということか。できればそういった悪いところまで、地球の水準に追いついてほしくはなかったのだが。

 

「イサオがいなくなってからだよね、空賊たちがまた暴れ始めたの」

「難民問題もあちこちの大都市で起きていると伺っていますわ。大都市がその力を背景に小さな街から不当に安く特産品を買い叩いて、結果小さな町がどんどん貧しくなっているとか」

「…私たちがイサオを倒していなければ、こんなことにはならなかったんだろうか」

 

 レオナが溜息を吐く。自由博愛連合を結成しイジツを支配しようとしていたイサオだったが、自博連の理念は傍から見れば立派なものであったとレオナは思うし、実際に自博連のおかげで空賊たちの脅威が鳴りを潜めていた時期もあった。

 それに自博連は各都市の特産品の専売制を進めることによって、価格の安定化や不当な買い叩きの阻止なども目標にしていたと聞く。もしも自博連がイジツを統一していたら、空賊たちはいなくなり、小さな街も安定した収入を得て発展出来ていたのではないか。最近各地で起きている問題を聞くたびに、レオナはそう考えてしまう。

 

「あら、私はあんなクソ野郎に支配される世界なんて御免ですわよ?」

「そーそー、それにイサオって結局自分のことしか考えてなかったじゃん。イサオの奴がトップになったところで、本当にイジツが平和になってたか怪しいもんでしょ」

 

 そう口々に言うエンマとチカ。

 

「ケイトも同意。そもそも自博連はイサオのカリスマによって成り立っていたもの。仮にイサオが欲望の塊のような人物でなくとも、一個人の存在に全てが左右される巨大組織は必ず立ち行かなくなる」

 

 仮にイサオが清廉潔白な人物だったとしても、結局独裁になってしまうことに変わりはない。どんなに立派な人間でも堕落はするし、そうでなくとも巨大組織の上から下まで全て一人で管理監督するのは不可能だ。必ず目の行き届かないところで誰かが好き勝手してしまう。そう考えると、イサオのカリスマによって成り立ち、イサオが全てを支配する自博連は最初から無理がある組織だったのかもしれない。

 

「そうよレオナ、私たちがやってきたことは無駄じゃなかった。少なくとも今は、そう思いましょう?」

「…ああ、そうしよう」

 

 隊長の自分が、今までの決断を後悔するようなことを言ってどうする。レオナはそう思い、意識を切り替えることにした。すぐそこまで、目的地のイヅルマ自警団の大きな建物が見えてきていた。




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第三〇話 CONTACT

艦これの梅雨イベントが終わったので再開です。
何とか20個目の甲勲章が取れました。
あと燃料と弾薬とボーキが3桁にまで減りました。ナ級Ⅱは絶対に許されない。


「まったく、困るよ君たち。今回は何事も無かったからいいけど、もしも君たちの誰かが撃墜されていたら私だって責任を取らなきゃいけなかったんだよ?」

 

 太ってチョビ髭を生やしたカナリア自警団の責任者、アルバート部長のお説教は長々と続いた。今回のイカヅチ団との戦いはそもそもカナリア自警団の仕事ではなく、訓練飛行中にハルカゼ飛行隊の救援要請を聞いたアコが飛び出して行ってしまったのが原因だったのだが、それにしたってイヅルマ周辺での治安維持は自警団の仕事なのだから別に問題ないではないかとアコは思う。

 

「まあまあ部長、皆無事に帰ってきたのですからいいじゃないですか?」

「まあ、エルくんがそういうなら今回はお咎め無しということにしよう。ところでエルくん、今日の夜一緒に食事でも…」

「残念ですけど今日は別の予定が入ってますので。また今度誘ってくださいね」

 

 エルへのセクハラ―――本人はセクハラと自覚してないだろうが―――で気が済んだらしい。

「次からは気をつけてよ。君たちの実力は認めるけど、カナリア自警団の目的はあくまでも自警団の広報なんだから。君たちに何かあったら市民の皆だって心配になるんだからね」

 

 そう言って部長は仕事と称して外に出て行く。仕事と言ってもコネで今の地位に就いたのだから、それほど重要な仕事でもないだろう。とはいえようやくお説教から解放されたことに変わりはなく、「あー、やっと終わった」とリッタが大きく背伸びした。

 

「自分らだって人助けしたんだからもっと褒めてくれたっていいじゃないですか!」

「でも私たちが空賊に圧倒されてたのは事実だから…あのコトブキ飛行隊が助けに来てくれたから良かったけど、もしかしたら部長が言っていた通り誰かが撃墜されていたかもしれません…」

 

 呑気なリッタと異なり、どこか思いつめた表情のアコ。宣伝目的で創設されたカナリア自警団とはいえ、今まで何度か空賊などとも戦い、それなりに腕はあるとアコは自負していた。だが昨日のイカヅチ団との戦闘は、アコに改めて自分がまだまだ未熟であることを痛感させた。

 

 ハルカゼ飛行隊の救援要請を受け、何とか現場に急行し彼女たちを逃がすことは出来たものの、今度はカナリア自警団が空賊に狙われることとなった。何機か空賊を撃墜したものの、雷雲という未知の環境の中での戦いでアコたちは自然の力に翻弄され、飛ぶことで精いっぱいだった。そんな彼女たちをコトブキ飛行隊が助けてくれたのだが―――。

 

「それにしても、無茶をするパイロットがいたものね。まさか雷雲の中を突っ切ってくるなんて」

 

 イヅルマの自警団でも一、二の操縦技術を持つシノが、腕を組んで考え込む。

 昨日救援に来た戦闘機のうち、片方はアコも知っているコトブキ飛行隊だった。奇妙な縁で、隊員の何人かとは知り合いである。だが彼女らと一緒にいた青い迷彩塗装の隼は、アコの知らない機体だった。

 

 その時受付から内線で、カナリア自警団に面会希望者が来ていると連絡が入る。誰だろうと思いつつ応接室に行くと、そこにはアコたちの見知った顔があった。

 

「コトブキ飛行隊の皆さん! 昨日はありがとうございました!」

 

 応接室の椅子に座っていた面々を見て、アコは頭を下げた。そんな彼女を、「いや、気にしないでもらいたい」とレオナが制する。

 

「それより、今日は頼みがあってきたんだ」

「頼み、ですか?」

 

 そこでアコは、ソファーの一番端っこに座っている男の存在に気が付いた。女用心棒集団であるコトブキ飛行隊の一員―――というわけではないだろう。男が着ている見慣れない飛行服の袖には、不気味な死神のワッペンが縫い付けられている。

 

「その方は?」

「彼はユーハングから来た人よ。そして昨日、無謀にも雷雲に突っ込んでいってレオナに雷を落とされたパイロット」

 

 リーパーという渾名のその男をザラが茶化して言ったが、そこでアコはようやく昨日の青い隼のパイロットが目の前の男であることを知る。あのような機動が出来るパイロットなのだからもっと年上のベテランかと思っていたのだが、男はアコとさほど変わらない年頃のように見える。

 何よりユーハング人というのが驚きだった。イジツを発展させたユーハング人はほとんど70年前に「穴」の向こうに帰ってしまったと聞いている。わずかな人が自分の意志でイジツに残ったという話もあるが、本物は見たことがない。

 

「あなたが昨日の…危ないところを助けてもらい、ありがとうございました」

「どういたしまして。ところで折り入ってあなた方にお願いがあるんですが…」

「なんでしょう! 私たちにできることなら何なりと」

 

 アコはさほど大きくはない胸を張る。助けてもらった相手に恩返しをしたいという気持ちもあるし、何より自分は自警団の一員であるという自負があった。困っている人を助けるのが自警団の仕事だ。

 

「俺があなたたちの言うユーハングから来たということはさっきザラさんに説明してもらいましたが、なるべく早く元いた世界に帰らなきゃいけないんです。なのでその協力をしてほしい」

「協力?」

「空の穴がユーハングに通じているかもしれないということはご存知だと思いますが、その穴が開いていたら、俺に教えていただきたい。可能な限り早急に」

 

 穴、という言葉に、アコたちは顔を見合わせた。昔々ユーハングがやってきて、そして帰っていった時に通っていった「穴」。その穴を巡って一年半前、イジツを巻き込んだ大きな争いまで起きた。幸いイヅルマはその戦いに巻き込まれこそなかったものの、戦いの影響は今も続いている。

 ただ、アコたちはその穴を実際に目撃したことはない。イケスカ動乱の際に撮影された「穴」の写真なら見たことはあるものの、穴がどういうものか理解できているという自信はなかった。

 

「つまり、イヅルマ周辺で『穴』が現れたらあなたに連絡すればいいのね?」

 

 シノが要約する。先ほどユーハング人という言葉を聞いた時に一瞬顔色が変わったように見えたが、気のせいだろうとアコは思った。

 

「穴とはまた厄介ですねえ。イケスカ動乱のせいで皆『穴』がお金になるものだと思って、最近は目の色を変えて探していると聞きますよ?」

 

 自由博愛連合を結成し、イジツのために行動していたと思われていたイサオではあったが、その最終目的が「穴」の独占にあったということは既に多くの人々に知られている。そしてユーハングがイジツにもたらしたものを考えれば、「穴」は宝の山だと考える人間が出てくるのも当然だった。

 そういう人々がこぞって「穴」を探して回っている、という話は自警団にも伝わっている。中には「穴」が開くと予想される空域を独占しようと近づく機体は無条件で撃ち落とし、情報を持っていそうな人を襲撃する空賊みたいな連中もいると聞く。

 

 だがこのリーパーという男はそう言った輩ではないだろうとアコは思った。そんな男であれば、あのコトブキ飛行隊がわざわざ紹介したりしない。それに昨日危険な行為を冒してまで自分たちを助けてくれた男が、そんなことをするとも思えなかった。

 

「わかりました。もしイヅルマ周辺をパトロールしている哨戒機からそのような連絡があったら、すぐにお伝えします」

「ありがとうございます!」

 

 リーパーと呼ばれる男の顔が明るくなる。口数が多くないから暗い人なのかと思っていたが、そうでもないらしい。

 連絡先としてオウニ商会とラハマ自警団を彼が伝えた直後、テーブルに置いてあった水のグラスがカタカタと揺れ始めた。やがてディーゼルエンジンが空気を震わせる重々しい音と振動と共に、応接室の窓の外を何かが横切っていった。

 

「なに、あれ?」

 

 退屈そうにしていたチカが、窓際に駆け寄って今通り過ぎていった物体を指さす。応接室の外には自警団の訓練場が広がっていて、そこを何かが走っていた。

 

「ブルドーザー…じゃないよね?」

 

 履帯で走るそれはユーハングが持ってきたという農機具に似ているが、運転席はどこにも見当たらない。ブルドーザーは貴重品で一つの村に一台あるかないかということで、キリエも今まで二、三度しか見かけていないものの、今訓練場を走っているモノがブルドーザーのようにはとても思えなかった。

 

「あれはセンシャっていうらしいですよ?」

「センシャ?」

 

 リッタの言葉にエンマが首を傾げる。足回りだけ見ればブルドーザーのようにも思えるが、その車体の上に載っているのは砲塔だった。

 

「戦車とは火砲を搭載し装甲を施した車両。人員輸送ではなく攻撃用途に用いられ、主に無限軌道を備えた悪路走破性の高い兵器」

 

 いつもの通り、ケイトが淡々と解説する。キリエからすれば走る鉄の塊にしか見えないが、あれは兵器らしい。

 

「なにあれ、初めて見た」

「ユーハングが昔拠点防衛用に使っていたものらしいです。つい最近イヅルマの郊外で何十台も見つかって、自警団で修復して使おうとしているらしいですよ」

「え? あんなんでどうやって戦うの? 動きは鈍いし対空砲だって積んでないから空賊と戦えないじゃん。まだトラックに機関砲積んだ方がマシじゃない?」

「そーそー。硬くったって空飛べないんじゃ意味ないよ」

 

 戦闘機に乗って襲って来る空賊に対しては、あまりにも役に立たないだろう。爆弾を落とされたら一発で破壊されてしまうに違いない。チカもキリエと同意見のようだが、ケイトとリーパーはどうやら違うようだ。

 

「そうでもない。自警団が戦う相手は空賊だけとは限らない。また戦車は戦闘機に出来ない仕事が出来る」

「どんなことが出来るの?」

「敵地の占領、及び敵歩兵の制圧」

「占領って…それではイヅルマがどこかを攻撃しようとしているみたいでは?」

 

 エンマが言ったが、その言葉にカナリア自警団の面々が(爆睡中のヘレンを除いて)顔を見合わせる。

 

「そういえば、最近自警団の人数も増えてきましたよねぇ。陸戦隊もかなり増員されていると聞きますし」

「あの戦車を使って建物を制圧する訓練をしているのを最近見たわ」

「自警団なのに爆撃機まで導入を始めましたからね…いったいどうなっているんでしょう?」

 

 どうやらここの情勢は相当きな臭いらしい、とリーパーは窓の外の戦車を眺めながら思った。訓練場のど真ん中で停車した戦車が砲塔を回転させ、その主砲が火を噴く。窓ガラスが震え、その大きな砲声に何人かが一瞬身体を震わせた。

 リーパーは戦車はあまり詳しくないほうだが、それでも訓練場を走っている戦車がかつてのユーハング―――日本軍が持ち込んだらしいものであることはわかる。リベット止めの装甲と小さな砲塔。軽戦車だろうか。

 

 確かに荒野がどこまでも続き、街同士も離れているこのイジツでは、キリエの言う通り戦車の使い道など考えられないだろう。せいぜいが拠点の警備くらいだ。

 だがケイトの言う通り、イヅルマがどこかの街を攻撃したり、占領しようとするのであれば戦車は大変有効な兵器に代わる。航空輸送が発達し、戦闘もほとんど空戦で行われるのがイジツだが、航空機では都市を制圧することは出来ない。街を丸ごと更地にするのであれば爆撃を繰り返せばいいが、最終的には歩兵を送り込まなければ敵地の占領は行えないからだ。

 そして地上戦が発生した場合には、戦車は敵歩兵に対する最強の兵器となりうる。その装甲で銃弾を弾き返して味方の盾となって進軍をサポートし、主砲で敵歩兵をバリケードごと吹き飛ばすことだってできる。航空機では行えない精密な攻撃だって可能だ。

 

「自警団の上層部はあくまでも治安維持のためって言っているけど、どこまでが本当か怪しいものね」

 

 シノが溜息を吐く。彼女自身、自警団を信用しきれていないという態度だった。

 

「最近ではイヅルマ以外の都市も地上戦用の兵器を集めていると聞いている」

「ということは、どこかを攻撃するつもりなのか?」

 

 レオナの問いに、「わからない」とケイトは首を横に振る。

 

「考えられない話じゃないわね。イサオが悪い奴だったと皆知ったとはいえ、イジツの問題は根本的に解決していないもの」

 

 自由博愛連合を率いてイジツを支配しようとしていたイサオは、コトブキ飛行隊によって倒された。だがイサオが自博連結成の方便として用いていた地下資源の枯渇による都市消滅の危機は、依然として去っていない。

 収入源である地下資源が無くなってしまえば、その都市は廃墟となるしかない。掘削技術の飛躍的な発展や、新たな資源地帯の発見も難しいのでは、問題の解決方法は一つしかない。

 

「どこか他の街を占領して、自分たちの植民地にするしかない…ってことか」

 

 これまでは自博連の脅威があったから、反自博連の街同士で結束することが出来た。だが資源枯渇という危機にこれ以上目を瞑っていることも出来ない。

 選択肢は三つある。一つ目は少なくなっていく資源に合わせて自分たちの生活レベルを落とす。もう一つは何もしないまま運を天に任せ、資源が無くなったら皆で街を出て行く。最後の一つは、まだ資源がある他の街を攻撃して、資源を奪うかそこに移り住む。

 

「ユーリア議員が懸念していた通りになりそうですわね。人間、一度贅沢をしてしまえばもう元の生活には戻れませんもの。ただ、そのために誰かを襲って何かを奪うというのは空賊にも劣るダニの所業ですわ」

 

 生活レベルを落とすことも、荒野を彷徨う難民になることも誰も望まないだろう。となると最後は戦争しかない。ユーリアはたとえ気に食わない奴でも共倒れは御免で、だから助け合って生き延びる術を探さなければならないのだと言っていたが、現実は少ないパイを奪い合う醜い争いが始まりそうだ。

 

 

 本当にイサオを倒したのは正しいことだったのか、と改めてレオナは自問自答した。イサオは確かに自分の欲望に基づいてイジツを支配しようとしていた。だが彼が結成した自由博愛連合が、人々の役に立っていたことも否定できない。

 コトブキ飛行隊はイジツの自由のために戦った。そのこと自体に後悔はないし、正しいことをしたのだとレオナは自信を持って言える。だがその自由が人々を互いに傷つけ、争わせてしまうのではないか―――。

 

「…どこも変わらないもんですね」

 

 リーパーが呟く。

 ユリシーズ落着による世界秩序の崩壊と、復興のための資源を巡って勃発したその後の戦争。地球でも資源を巡って争いが起きることは珍しくない。石油の算出地帯である中東は常にどこかでドンパチが起きているし、地下資源が発見されれば途端に国家間の対立が発生する。

 

 結局世界が変わっても、人間は同じだということだろうか。リーパーは窓の外を走る戦車を見て思う。

 それともユーハングが飛行機や武器をこのイジツに持ち込まなければ、もっと変わった世界になっていたのかもしれない。もしかしたら地球とは異なる歴史を辿る、平和な世界になっていたかもしれない。

 

 

「…とにかく、穴っぽいものを見つけたらあなたに連絡すればいいのよね?」

 

 重い雰囲気を振り払うかのように、エルが明るい声で言う。リーパーが頷くと、「では私たちはこれで」とレオナが立ち上がった。そろそろ羽衣丸に戻る時間だ。

 

「あなた、ちょっといいかしら?」

 

 コトブキ飛行隊に続き、応接室を出て行こうとするリーパーを、シノが背後から呼び止める。振り返ったリーパーを、シノが「こっちに来てくれる?」と廊下に連れ出した。

 

「あなた、ユーハング人なのよね?」

「はい。といっても70年前の人たちのことは知りませんが…」

「トキオという男性について知っている? 10年前、穴を通ってユーハングに行った人間よ」

 

 シノの質問に、リーパーは首を横に振った。リーパー自身「穴」とイジツの存在について知ったのがつい最近で、自分がイジツにやって来た時に初めて知ったくらいだ。10年前と言えばまだ子供で、「穴」があることもイジツという世界があることも知らなかった。

 それに10年前と言えば、ユリシーズの悲劇で激変する世界情勢のニュースが新聞記事を埋め尽くしていた時代。当時はさほど新聞やテレビのニュース番組に関心を持っている年頃ではなかったが、それでも異世界から誰かがやって来たなんて話は聞いたことが無い。

 

「そういう話は何も…すいません」

「いえ、急にこんな話をされても困るわよね。謝るのは私の方よ」

「お知り合い…ですか?」

 

 リーパーがそう尋ねると、シノは背後を振り返った。そしてアコが近くにいないことを確かめると、リーパーに顔を寄せて囁く。

 

「そのトキオって人は、アコの父親なの。事故で死んだってことになってるけど、当時の証言を集めると、急に出来た穴を通ってユーハングに行ったみたい」

「…なんだか他人事とは思えませんね」

 

 自分も今頃、地球では死亡扱いになっているのだろうか。それとも脱走扱い? リーパーは思った。

 

「だからもしあなたが穴を通ってユーハングに戻れたとしたら、そのトキオって人を探して欲しいのよ。迷惑に思われるかもしれないけど…」

「いえ、元の世界に帰るお手伝いをしてもらうんだからそれくらいはやりますよ。可能な限り情報を集めたいと思います」

「それと、この話はアコには秘密にして頂戴。彼女の母親からそう頼まれたから」

 

 当然だろうな、とリーパーは思う。帰ってくるかもわからない、生きているかどうかすら怪しい父親のことを考えて毎日を過ごすより、死んだという扱いにした方が残された者たちも気を病まずに済む。それが正しいことかどうかは別として、だが。

 

 

 

 

 コトブキ飛行隊とリーパーが帰り、さあ仕事の続きだとカナリア自警団の面々が執務室に戻ると、なにやら自警団の職員たちが慌てた様子で走り回っていた。書類の束を抱えていたり、壁際のイヅルマ周辺の地図を見て何かを協議していたり。何台か置かれた電話には、全て自警団員が張り付いている。

 飛行機のエンジン音がしたので外を見てみると、哨戒に出ていた九五式練習機(赤とんぼ)が戻ってくるところだった。しかし帰還してきたのは赤とんぼだけでなく、訓練飛行に出ていた自警団の紫電も続々と飛行場に向かって着陸態勢を取っている。

 

「おかしいですね、訓練終了までまだ時間があるはずですけど…」

 

 ミントが壁際の動静一覧ボードを見た。イヅルマ自警団の各飛行隊の予定が記入されているが、この時間に戻ってくる機体があるとは書いていない。

 

「皆眠いから帰ってきたんじゃな~い?」

「ヘレンさんじゃないんですから、それはないですよ」

「故障か事故でしょうかね?」

 

 リッタが言い終わる前に、「ああ、いたいた!」とその太った身体を揺らして部長のアルバートがアコたちのもとへ駆け寄ってくる。汗だくで、なにやら慌てた様子だ。

 

「どうしたんですか、部長」

「大変だよ君たち、イケスカから使節団が来るんだよ!」

「イケスカから…?」

 

 自警団の慌てっぷりもその使節団の来訪が絡んでいるらしい。アコたちは互いに顔を見合わせ、面倒なことが起きそうだなとなんとなく感じた。




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第三一話 異動命令

「リーパー、あの端末を貸してほしい。それと手伝ってほしいことがある」

 

 羽衣丸がイヅルマを出立した日の夜、その言葉と共にケイトがリーパーの部屋を訪れた。空賊の襲撃などもなく、二段ベッドの下で地球から持ち込んだポータブルプレイヤーで音楽を聴いていたリーパーは、ヘッドホンを外して身を起こす。

 

「端末を貸すのはいいけど、手伝いって?」

 

 同じく地球から持ち込んだタブレット端末をリュックから取り出しつつ、尋ねる。地球の技術や文献に興味津々のケイトはよくリーパーからこうして端末を借りては電子書籍を読んでいたが、手伝いまで頼まれるのは珍しい。

 

「明日以降の作戦の立案。皆に説明するための資料を作成したい」

「作戦? マダムからは何も聞いてないけど…」

 

 イヅルマを出発した羽衣丸は、南にあるカイチという街へ向かっているはずだ。カイチにはハルカゼ飛行隊を雇っているガデン商会の本拠地があるというが、そこまでの道程で何か仕事があるという話は聞いていない。

 

「この仕事は極秘。イヅルマを出立した直後にケイトも聞かされた」

「他の人たちは?」

「レオナは知っている。他の隊員に明日の仕事の内容を説明するための資料をこれから作成する」

 

 急に入った仕事―――というわけではなさそうだ。どうやらルゥルゥは何かの理由があって、今までこれから引き受ける仕事の内容を黙っていたらしい。

 

「よし、わかった。じゃあさっさと終わらせよう」

 

 パイロットというのはただ飛行機を飛ばせばいいものではない。飛行計画、ブリーフィング資料、報告書やら申請書やら、その上隊長ともなれば決済などもしなければならない。意外と書類仕事が多いのだ。

 だからパソコンで説明用のスライドを作成し、投影するなんて朝飯前だ。幸い端末は2in1仕様でキーボードとマウスが付属しており、文字入力なども苦にならない。資料の投影には小型プロジェクターを使えばいいだろう。

 

「感謝」

 

 ケイトはそう述べると、テーブルに持ってきた地図を広げた。

 

 

 

 

 

 

 翌朝、キリエたちは朝食後まもなく、レオナに会議室を兼ねた娯楽室へと呼び出された。

 

「朝早くから呼び出して悪いわね。緊急の仕事よ」

 

 娯楽室でキリエ達を待っていたのはルゥルゥとサネアツ、そしていつぞやの時みたいにプロジェクターの準備をしているリーパーとケイトだった。緊急の依頼と聞いて、キリエ達は顔を見合わせた。

 娯楽室の扉には「立ち入り禁止」の札が張られ、レオナがドアに内側から鍵をかける。どうやら他の船員たちには聞かれたらマズイ仕事らしい。否応なく、娯楽室の空気が張り詰める。

 

「あなたたち、イケスカの現状は知っている?」

「イサオがいなくなってから悪い奴らで殺し合ってるんでしょ?」

 

 ルゥルゥの質問に、「それがどうした」とでも言うようにチカが答える。

 コトブキ飛行隊がイサオを倒してから、イケスカは自由博愛連合の残党が勢力争いの内戦を繰り広げていると新聞には書かれていた。そのおかげでかつてイジツの中心とまで言われたイケスカを訪れる者はほとんどいなくなり、危険だからと新聞社も記者たちをイケスカから引き揚げさせてしまった。

 

 そのせいで今のイケスカについてはほとんどが伝聞か噂話、あるいはイケスカから帰ってきたごく少数の命知らずがもたらす情報しかイジツには伝わっていない。イジツ最大の都市であるイケスカは、今や外界から隔絶された存在も同然だ。時折イケスカの内戦に参加していたという連中が酒場で手柄自慢をしているが、あれだってどこまで本当の話か怪しい。

 

「そう。でも今はイケスカの内戦も収まって、復興が進められている。そこで新しいイケスカの代表者が、今度イヅルマで各都市の代表と今後について協議するためにやってくるの」

「ははーん、わかったよ。つまり運ぶのはその代表者ってことだね」

 

 キリエがどやぁと胸を張ると、「正解だ」とレオナ。羽衣丸は以前もユーリアをガドールから運んだことがあったので、そのことを思いだしたようだ。

 

「でもそれならば、なぜ我々に仕事の依頼を? そもそもイヅルマで会談が行われるのであれば、来訪者の護衛と移動に責任を持つのはイヅルマ自警団のはずでしょう?」

「そうですよルゥルゥ、私は何も聞いてませんよ?」

 

 エンマに続いて、サネアツが声を上げた。だがルゥルゥはサネアツの顔を見て、一言。

 

「当然よ、あなたに教えるのは最後って決めてたもの。外部に漏らされたら困るから」

「私はそんなに口が軽い人間じゃありませんよ!?」

「冗談よ。もっとも、今回の仕事のことをギリギリまで黙ってたのも、先方からの依頼の条件なの」

 

 どゆこと? とチカが首を傾げた。護衛を依頼しておきながら、そのことを直前まで伏せておいて欲しいとは。

 

「そのことについてはこれから説明するわ」

 

 ルゥルゥが目配せすると、頷いたケイトが談話室のライトを消す。リーパーがプロジェクターを操作すると、談話室の壁にイヅルマ周辺の地図が投影された。昨日の夜、ケイトが持ってきたものをリーパーのタブレット端末で撮影し、データとして取り込んだものだ。

 

「ブリーフィングを始める。今回の輸送、および護衛対象はイケスカの新市長。顔は私も知らないが、名前はレナというそうだ」

「あら、よく似てる名前ね」

 

 コトブキ飛行隊の隊長であるレオナと、イケスカ新市長のレナ。名前からして女性だろうか? そんなことを考えつつ、リーパーはマウスをクリックした。

 

「現在イケスカからは複数の隊に別れて使節団が向かっている。一隊はイケスカからイヅルマへ最短コースで向かう。飛行船にその護衛機が一個中隊と、規模が大きい。イヅルマ自警団もこの飛行船と合流すべく、今頃発進している頃だろう」

 

 地図に飛行船のアイコンが表示され、イケスカからまっすぐ西のイヅルマへと矢印が伸びる。イケスカからも戦闘機のアイコンが東に向かって伸び、途中の荒野でそれらが交わる。

 

「普通に考えれば護衛が多い方に代表が乗るはずだけど、そうしない理由があるのね?」

「ああ。イケスカの新市長は多くの勢力に命を狙われているらしい」

「まあ、物騒ですわね」

「なんで殺されそうになってんの?」

 

 キリエが尋ねる。

 

「イケスカの内戦は終結したが、レナ市長と敵対していた勢力が完全にいなくなったわけじゃない。そう言った連中が攻撃を仕掛けてくる可能性がある。それと…」

「新市長の主義主張が、各都市を治める議員や大企業の方々と真っ向からぶつかるものなのよ」

 

 ルゥルゥがレオナの後を継いで言った。

 イケスカの新市長はイジツの人々の平等を謳っているらしい。曰く、各都市の大企業は自分たちだけ儲かっておきながら、その利益を市民に還元することはない。その上物資輸送を担う商会などは離れたところにある小さな街に対して過大な運賃を請求しており、困窮する地方都市をさらに追い込んでいる。

 税制などを改正し、大企業や銀行に対する税率を引き上げ、その収入で貧しい人々を支援すべきだ―――イケスカ新市長の主張はそのようなものらしい。

 

「うわぁ、そりゃ色んな人に狙われて当然だね」

「大都市の議員は皆、大企業や銀行の代表者ですもの。自分の利権にしがみつくダニどもですわ。そんな連中に喧嘩を売るような真似をするのだから、命を狙われてもおかしくはないですわね」

 

 おまけに、イケスカは自由博愛連合の本拠地だったこともある。たとえ新代表にその気がなくとも、自博連の復活を危惧する人々からすれば、危険の芽は小さい内に摘んでおいた方がいいと考えることもあるだろう。

 

「そういうわけで、新代表は飛行船には乗らずに別ルートを使う。つまり陽動だ」

「厳重な警備でいかにも重要人物が乗ってますって形を装って、裏口を使うってわけね」

「そうだ。この飛行船を使い、イヅルマ自警団と合流する進路を第一ルート。もう一つを第二ルートと呼ぶ」

 

 レオナの合図でリーパーがマウスを操作すると、さらにイケスカからもう一本、矢印が今度は南西に向かって伸びていく。

 

「つまり私らは、もうかたっぽのルートで来る人たちを迎えに行けばいいんでしょ?」

「いや、このルートも陽動だ。ここには私たちとは別の商会が合流のために向かっている。第二ルートで来るのは百式輸送機と護衛一個小隊だが、新代表は乗ってない」

「え? なんで!?」

 

 スライドに映る地図に、新たに矢印がアニメーションで描き加えられた。イケスカからまっすぐ南に向かい、途中で西に転進するルートだ。

 

「このルートを第三ルートと呼称する。ここには新代表が乗った二式複座戦闘機屠龍と、護衛機が一機ずつやってくる予定だ。羽衣丸は彼らと合流する」

 

 羽衣丸の現在地から北東に矢印が伸びていき、第三ルートと交錯して派手に点滅する。昨日の夜張り切ってアニメーション効果まで付け加えてしまったが、ここまでやる必要はなかったかなとリーパーは少し反省した。

 

「なんでここまでやる必要あるの?」

「それはね、新体制のイケスカ内部にスパイがいる可能性があるからよ」

 

 レオナに代わり、ルゥルゥが答えた。

 新しいイケスカとその代表を脅威に思う企業や議員は多い。そんな連中がイケスカにスパイを送り込んで、情報を外に流している可能性もある。だからルートを三つに分けたのだ。

 

「第一ルートは陽動で、第二ルートを使って新代表が移動すると知らされているのはイケスカの幹部の中でも少数。もしも第二ルートを移動するイケスカ使節団が襲撃されれば、イケスカ幹部の中にスパイがいるということになるわ。ルートを三つに分けたのは理由は単に襲撃の可能性を減らすだけじゃなく、イケスカ内部のスパイをあぶり出すことも目的みたいね」

「この第三ルートの存在を知っているのは?」

 

 エンマの問いに、「私たち、オウニ商会だけよ」と答えるルゥルゥ。

 

「ああ、もう一人いたわね。この話はユーリア議員経由で私に持ち込まれたの」

「ユーリア議員が…それはまたどうして」

「反自博連同盟の先鋒に立っていた彼女に敢えて自分たちの移動ルートを正直に教えることで、自分たちが自博連とは違うとアピールしたいんじゃないかしら? 仮に第三ルートが襲撃されなければ、ユーリアはひとまず話が出来る相手と向こうは判断できる。仮に第三ルートを使った新代表が襲われれば、それはユーリアが誰かに襲撃を命じたことに他ならないと判断できるでしょう?」

 

 イケスカの新代表は、ユーリアが信用できる人物か否か、それを確かめたいらしい。それに自分たちの移動ルートを素直にユーリアに教えることで、彼女からの信頼も得られる。

 新しいイケスカがかつての自博連と同じように、イジツの支配に乗り出すのではと警戒している人間は多い。ましてや、それが成り行きとはいえ反自博連同盟を率いていたユーリアなら尚更だろう。いくら自分たちは自博連とは違うとアピールしたところで、聞く耳を持たず問答無用で攻撃しようとする連中もいるはずだ。

 

 自分たちの移動ルートを正直に彼女に教えてしまうのは一種の賭けだ。もしもユーリアがイケスカの新代表を信用していなければ、合流地点にオウニ商会は現れず、第三ルートも襲撃を受けるだろう。だがユーリアがイケスカ新代表と話し合う機会を設けたいと考えれば、依頼通りに羽衣丸がやってくる。イケスカ側としても、今後話し合える人間は誰かを判断するいい機会になるというわけだ。

 

「ユーリア議員が我々を指名したのは…」

「なんだかんだで、彼女も私たちを信用してくれているってことでしょうね」

 

 ルゥルゥの言葉に、サネアツが嬉しいような、あまり嬉しくないような、そんな微妙な表情を見せる。あんなにキツイ女性は、サネアツも苦手なのだろう。リーパーは以前ユーリアと会った時のことを思い出した。

 

「それにしても護衛機が一機だけって危なくない?」

「そうですわ。仮に情報漏れが無かったとしても、途中で偶然空賊の襲撃を受ける可能性だってあります。いくら新代表の乗機が複座戦闘機とは言え、実質的に戦えるのは一機のみというのは危険と思いますが」

 

 チカとエンマが懸念の声を上げる。第三ルートでは情報漏洩を防ぐべく最小限の人数と機体での移動を余儀なくされたのだろうが、エンマの指摘した通り、道中で空賊に見つかって襲われる可能性はある。その際に護衛機が一機だけというのは、あまりにも危険ではないかとリーパーも思った。

 

「大丈夫、向こうの護衛機はかなりの手練れそうよ」

「手練れ?」

「イケスカの内戦で活躍した用心棒らしい。今の新代表が率いる勢力が勝利したのも、その用心棒のおかげだそうだ」

「へー、誰なの?」

 

 キリエの質問に、レオナが手元のメモを捲る。だがその前に、ケイトが口を開いた。

 

「詳細は不明。だがそのパイロットは『片羽』の異名を持つと新聞に記載されていた」

「片羽?」

「交戦中に片方の主翼が大破するも、脱出せずにそのまま基地に帰還したことからその異名がついたとされる」

 

 それはすごい奴がいたもんだ、とリーパーは思った。最新鋭のジェット戦闘機であれば、多少の不安定な姿勢なら電子制御と大出力のエンジンで何とかなる。実際に過去にはF-15戦闘機が空中衝突した際に片方の主翼が吹っ飛んだものの、パイロットがそのことに着陸するまで気づかなかったという例すらある。しかし電子制御も何もないレシプロ機では、片方の主翼が大破したらそのまま墜落しかねない。

 

「凄腕とはいえ、たったの二機よ。だから私たちが迎えに行って、イヅルマまで彼女たちを運ぶのよ」

「合流は4時間後の予定だ。何事も無ければ私たちの出番はないが、いつでも出られる準備をするように」

 

 レオナがそう締めくくり、作戦会議が終わる。船橋(ブリッジ)に戻ったサネアツは、早速進路変針をアンナに命じた。アンナとマリアが操舵輪を回すと、南に向かっていた羽衣丸は大きく回頭して北東へ向かう進路を取る。

 

「それにしても、なんで私にもっと早く教えてくれなかったんですか? これでも一応、羽衣丸の副船長なんですが」

「だってあなた頼りないもの」

「はい、頼りない人間ですいません…」

 

 情けない声と共に項垂れるサネアツと、「まーたやってるよ」とばかりに振り向きもしない操舵室のクルーたち。ルゥルゥはしょんぼりとするサネアツを見て、少し笑った。

 

「冗談よ。でも、あなたにも教えられないほど、これが大事な仕事だということはわかって頂戴」

「はぁ…確かにイケスカの新代表を運ぶなんて、責任重大な仕事ですね」

「万が一『お客様』に怪我一つでもさせたらオウニ商会の信用に関わるわ。そこのところ、わかってるわよね?」

「はいっ! 細心の注意をもって仕事に臨みます!」

 

 背筋を伸ばすサネアツ。だが「それでも…」と続けた。

 

「そのイケスカの新代表という方、本当に大丈夫なんでしょうかね? イサオ前市長みたいなことをしなければいいんですけど」

「イケスカの新市長がどんな人間なのか、それはこれからイヅルマで明らかになるでしょうね」

「発言と行動が、我々が理解できるような人間であればいいんですけどね」

「それはどうかしらね」

 

 ルゥルゥは船長の椅子に座ると、キセルを取り出して火を点けた。煙を吸い込み、そして吐く。

 

「その新代表が言ってること、やってることがまともなこと、正しいことであっても、こちらがそれを受け入れられるとは限らないわ」

「それは…どういうことです?」

「世の中は理想論や正論、綺麗ごとだけでは回らないってことよ。もっとも、内戦があったイケスカの人間であれば、そんなことは百も承知でしょうけどね」

 

 内戦を勝ち上がったイケスカの新代表と、利権に塗れた各都市の代表者たち。彼らが何を話し合い、どんな選択をするのか。そのためにもこの羽衣丸は、何としてもそのイケスカ新代表をイヅルマまで送り届ける仕事を全うしなければならない。




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第三二話 First Contact

「荒野のコトブキ飛行隊 完全版」MX4Dを視聴致しました。
コトブキ飛行隊結成初期のエピソードを見られて妄想が捗ります。
あとイサオについて掘り下げてくれたのも良かったです。フクセンことサネアツが漢を見せたのもGOOD。

不満点はTV版11話、12話に当たる部分を除いて駆け足気味だったことです。まあ全12話のアニメを2時間の映画に納める以上仕方ないことですが。
あとなんでブリッジクルーのお風呂シーンがあったのにコトブキ飛行隊の分はないんですか(憤怒)。


「まもなくイケスカ機がレーダー圏内に入ります」

 

 羽衣丸の船橋(ブリッジ)で、レーダースクリーンを注視するアディが声を上げる。進路を反転してから4時間、そろそろユーリア経由で伝えられた、イケスカ内でも極秘のルートを使ってやってくる新市長と合流できる時間だった。

 

「正面に機影、機数二。戦闘機と思われます。こちらに向かって飛行中」

「お客さん…かな?」

 

 この辺りは空賊もそれほど多くはない土地だが、だからといって油断は出来ない。時間と方位、進路から考えて間違いなく今回の輸送対象となるイケスカ新市長とその護衛の機体だろうが、万が一ということもある。コトブキ飛行隊に空中警戒と接近する機影の確認のために上がってもらおうと、サネアツはマイクを手に取った。

 

「隊を二つに分ける。キリエとチカ、ザラは羽衣丸周辺の警戒。ケイトとエンマは私と共に新市長を迎えに行く」

「俺はどうすれば?」

「君も私たちと来い。ユーリア議員が私たち以外にこの話をしていなければ何も起きないはずだが、念のためだ」

 

 頼りにされてるということか。リーパーは愛機の操縦席に身を沈み込ませ、ヘルメットを被った。「今度雷雲に突っ込んだらタダじゃおかねーぞ!」とイナーシャハンドルを振り上げるナツオに、「今日は晴れなんで大丈夫ですよ」と返す。

 

「そういう意味で言ったんじゃないんだが…まあいい。行ってこい」

 

 整備員たちが隼の下に潜り込んで、イナーシャハンドルを回す。エンジンを始動した隼の群れが、羽衣丸の飛行甲板を動き出す。

 

「なんで私たちは羽衣丸の警備なの?」

「それはお前たちの辞書にマナーという言葉が載ってないからだ。相手は仮にも大都市の市長、お前たちの言動は向こうへの失礼に当たりかねない」

「えーっ!? そんなことないよ! まあキリエの口が悪いのは本当のことだけどさ」

「うっさいバカチ! あんただってよく街でいろんな人に喧嘩吹っ掛けてんでしょ! だいたい、私らが駄目ならなんでリーパー連れてくのさ! こいつなんて無愛想の塊みたいな奴じゃん!」

 

 ぶーぶーと口を尖らせるキリエとチカ。そんな彼女たちを見て、「お子様ですわね…」とエンマが呟く。

 

「あら、確かに彼は愛想がありませんが、必要ない時には黙っていられるというのはあなたたちには出来ない真似ですわよ? 少なくとも、何か非礼に当たる言動を取る心配はありませんから」

「エンマ! あんたどっちの味方なの!」

「そーだそーだ! それに無愛想だって言われてリーパー傷ついてるぞ!」

 

 チカの言葉で、エンマはリーパー機の操縦席を見た。被ったヘルメットと下りたバイザーで、リーパーの顔はよく見えない。

 

「まぁまぁ、羽衣丸の護衛も重要な任務よ? 皆が帰る場所を守るっていうのは大事な仕事なんだから」

「そういうこと。ザラ、そちらの指揮は任せる」

「りょーかい」

 

 信号灯が赤から緑に切り替わり、次々と隼一型が飛行甲板から青空へと飛び出していく。いつも通り、リーパーは最後に発進した。ザラが率いる空中警戒待機(CAP)チームが、大きく旋回して編隊を離れていく。レオナを先頭に、4機の隼がイケスカ新市長との合流地点(ランデブーポイント)へと進路を取る。

 

「イケスカの新市長がどのような方なのか、興味がありますわね。イサオのような糞野郎でなければよろしいのですけど」

「レナ氏は市民からの評価が高い人物と聞いている。このイジツをより良い世界にすることを主張しているようだ」

「それは本当なのですか?」

 

 エンマの問いに、「あくまでも新聞に書いてある噂に過ぎない。イケスカの現状を正確に把握している者はほぼいない」とケイト。

 

「前は人も物も金も、あらゆる情報すら集まる都市だったのにな」

「イケスカってそんなに大きな都市だったんですか?」

「ええ。イケスカ動乱の前は世界の中心と言われるほど、人も物もお金も集まっていた都市ですわ。もっとも、あなたに見せて頂いたユーハングのトーキョーほどではありませんが」

 

 だが今となってはイケスカは陸の孤島も同然で、そこで何が起きているかを正確に知っている者はほとんどいない。イケスカの内戦では数多くの用心棒が雇われていたようだが、内戦が終結に向かうにつれ、契約を解除された。

 それでも多くの用心棒が新イケスカ飛行隊のパイロットとして今も雇われているようだが、契約を解除された用心棒たちは半ば追い出されるようにしてイケスカを後にしたらしい。おかげで、現在のイケスカの情勢については誰もわからない始末だった。

 

「新聞の噂が本当なら、その新市長さんは皆のために働いてくれる立派な方なんでしょうね」

「甘っちょろいですわね、リーパー。世界のために、皆のために、自由のためになどという言葉は最も信用なりませんの」

「え、なんでです?」

「世界のために、といういかにもな大義名分を掲げて人々を惑わし、皆のためにという言葉で集団への無償での奉仕を要求し、挙句の果てに自由のためになどと言いながら、本当は自分の自由のために他者の自由を侵害するような輩がほとんどだから、ですわ。あのイサオだっていかにもな大義名分を掲げて自由博愛連合を結成しましたが、その目的はただ一つ、自分の欲望のために穴を独占するということだけ」

 

 エンマの実家は貴族の家系で昔は裕福だったが、お人好しな彼女の両親は空賊から詐欺紛いの要求をされ、財産を巻き上げられてしまったらしい。だから彼女は空賊や、善良な人間を装う輩が大嫌いなのだとキリエは言っていた。

 

「私は理想も大事だと思うけど。まずは信じてみるってことも必要だ」

「レオナは甘いですわね。イサオを信じてみたせいで酷い目に遭ったことを忘れたのですか?」

「それは確かに…そうだな」

 

 昔のことを思い出し、レオナは口籠る。富嶽製造工場を襲撃した際、レオナはイサオにかつて受けた借りを返すことばかり考えていて、現在の彼がどんな人間かをよく知ろうともしなかった。当時抱いた勝手なイメージでイサオは立派な人間だと信じ込み、結果本性を現した彼に撃墜された。

 

「もうすぐ合流地点」

 

 ケイトが地図とコンパスを見比べながら告げる。あと数分もしないうちに、イケスカからやって来た二機の戦闘機が視認できるだろう。

 

 

 

 

 

「…っ、これは」

 

 その頃羽衣丸の船橋では、レーダー担当のアディが僅かに目を見開いた。コトブキ飛行隊とリーパー、そしてイケスカ新市長機とその護衛機。さっきまでレーダースクリーンには6つの輝点(ブリップ)が表示されていたが、そこに唐突に新たな機影が現れた。

 

「副船長、イケスカ使節団の後方に複数の機影を探知。機数4。速度と高度から考えて戦闘機、低空に潜んでいた模様」

「え、敵襲!? このルートはユーリア議員以外知らなかったんじゃないの!?」

 

 このルートはオウニ商会と彼らに話を持ってきたユーリア、そして今回やってくる新市長とごくごく一部の人間しか知らないはずだ。もしも新市長を狙った襲撃者だとしたら、どこかで情報漏れが起きたか、あるいはユーリアが襲撃を命じたということになる。

 

「コトブキ飛行隊、護衛対象に不明機が4機接近中。直ちに急行してください」

 

 サネアツが無線機のマイクを握る前に、ベティが既にコトブキ飛行隊へ警告の一報を出していた。不明機が空賊なのかそれとも暗殺者なのか、あるいはまったく無関係の民間機なのかはレーダーの輝点からではわからない。だがサネアツはこの4機が、偶然現れた空賊であることを願った。

 

 

 

 

 

「…了解した、直ちに急行する」

 

 一方新市長一行との合流を目指すレオナたちも、羽衣丸からの警告を受けてスロットルを上げ、全速力でイケスカ機のもとへ向かう。

 

「まさかユーリア議員が?」

「その可能性は少ない。もしユーリア議員がイケスカ新市長の抹殺を図っている場合、オウニ商会に護衛の依頼を行う必要性がない」

 

 ケイトの言う通り、仮にユーリアがイケスカ新市長を危険視し、排除に乗り出したのだとしたら、そもそもオウニ商会に話を持ってくるはずがないだろう。最初から新市長らの抹殺を目的とした部隊を、第三ルートの合流地点に差し向ければいい。

 

「機数も4と少ない。確実に新市長の排除を図るのであれば、もっと襲撃者の数は多いはず」

「となると、空賊の可能性が高いってことか…」

 

 空賊はどこにでも現れる。今回はたまたまこの近くを根城としていた空賊が、乗っているのがイケスカ新市長だと知らずに襲いにかかったという可能性が高い。

 だが相手が暗殺者だろうが空賊だろうが、新市長一行の編隊が狙われているということに変わりはない。レオナは無線機の周波数を、事前に指定されていたものへと切り替えた。

 

「こちらオウニ商会所属、コトブキ飛行隊。イケスカ機へ、そちらの後方から4機の戦闘機が接近している!」

 

 返事はない。新市長とその護衛の機体は、発見されるのを防ぐために無線封止を行い、一切の電波発信を行わないことになっている。こちらから呼びかければ向こうには伝わるが、向こうは合流するまで返事をしてくれない。

 

「現在そちらへ急行している。合流地点まで急いでくれ」

 

 とはいえ、全速力で飛ばしても合流地点まであと2分はかかる。その間にイケスカ機がやられてしまえばおしまいだ。

 

「羽衣丸、イケスカの編隊はどうなっている?」

『こちら羽衣丸。イケスカ編隊の内、護衛機と思われる1機が反転しました。不明機に向かっていきます。まもなく交戦に入るものと…えっ?』

 

 シンディが息を飲む様が、無線機を通じて伝わってきた。「どうした? 何があった?」とレオナが問い質す。

 

『4機の不明機がレーダースクリーンからロスト。護衛機に撃墜されたものと思われます』

「この一瞬でですか?」

 

 羽衣丸のレーダー画面では、護衛機が空賊と思われる不明機に向かっていくところまでは把握できていた。だがレーダーの走査が完了した次の瞬間には、4つの輝点が一瞬にしてスクリーンから消滅していた。

 残っているのは元の進路を維持するイケスカ新市長の機体と、再度反転してその後を追う護衛機と思われる二機のみ。空賊と思われる4つの機影は影も形もなかった。

 

「前方に黒煙を確認。撃墜された機体のものと思われる」

 

 ケイトの言う通り、遥か遠くにうっすらと、荒野から立ち上る黒煙が数本見えた。黒煙の数は4本、さっき出現した空賊と思われる機体の数も4だ。

 

「向こうの護衛機は腕が立つ、というのは本当らしいな」

「その通りですわ。…前方に機影。双発機と単発機が1機ずつ、お客様ですわね」

 

 エンマが隼の照準眼鏡を覗く。立ち上る黒煙をバックに、二機の戦闘機がコトブキ飛行隊と交錯するコースでまっすぐ飛んできている。ユーリアから事前に伝えられていた通り、二式複戦屠龍と護衛の単発機だ。

 護衛機は灰色の零戦(ZERO)だ。「片羽」の異名の通り、右の主翼端が赤く塗装されている。イケスカ編隊はコトブキ飛行隊を視認し、警戒態勢に入ったらしい。屠龍を庇うように、零戦が前に出る。

 

「こちらはオウニ商会所属、コトブキ飛行隊。ガドールのユーリア議員より依頼を受けてイケスカ新市長移送のためやってきた。こちらに攻撃の意図はない」

 

 レオナの隼が先頭に出て、翼を振っ(バンクし)て味方であることを伝える。数秒の後、無線機のスピーカーから若い男の声が聞こえた。

 

『こちらはイケスカ空軍(・・)ガルム飛行隊、ピクシー。そちらが味方機ならば合言葉を知っているはずだ』

「ユーリア議員から聞いている、どうぞ」

『おしゃべり小僧』

「チョッパー」

 

 ルゥルゥから合言葉を教えられた時は何の意味があるんだと思ったが、向こうが指定してきた合言葉なのだから仕方ない。「お喋り小僧チョッパーってなんですの?」とエンマが零したが、この場でその意味を知る者は誰もいない。もっとも、合言葉に意味などないのかもしれないが。

 レオナが合言葉を答えると、ピクシーと名乗った護衛機のパイロットは『確認した、確かにユーリア議員の派遣した者のようだ』と返す。

 

『コトブキ飛行隊か、噂は聞いている。かなり優秀な女用心棒集団らしいな』

「そちらもかなり腕が立つと聞いている。さっき撃墜したのは空賊か?」

『ああ、偶然この辺りを狩場にしていた連中だろう』

「イケスカ新市長の命を狙っている者たちがいると聞く。その手の連中の息がかかった奴らではないと?」

『襲ってきたのは古い一式戦が4機、おまけにパイロットの技量も未熟だった。本気で新市長を殺しに掛かってきたなら、腕の立つ連中を優秀な機体に乗せて、一個中隊は送り込んできているだろう。あんな素人同然の集団じゃ話にならない』

 

 つまりさっきイケスカ編隊を襲ったのは、政治的な思惑もバックに誰かがついていることもない、はぐれ空賊連中だったということらしい。たったの2機と侮って襲い掛かったのだろうが、相手が凄腕の用心棒だったことが空賊たちの運の尽きだった。

 

「了解した。これよりオウニ商会の飛行船羽衣丸まで案内する」

『よろしく頼む』

 

 コトブキ飛行隊と、イケスカ使節団の機体が交錯する。レオナはすれ違うその一瞬に、「片羽」と呼ばれる用心棒の零戦に、赤い猛犬のエンブレムが描かれているのを見た。

 鎖を咥えた地獄の番犬(ガルム)。彼がどのような人物かは知らないが、空賊4機を一瞬で撃墜するとなれば、相当腕が立つ用心棒であることに間違いはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 一方羽衣丸では、ルゥルゥとサネアツがイケスカ新市長を出迎える準備をしていた。イジツ中に名を知られるようになったオウニ商会とルゥルゥだが、彼女は羽衣丸の社長室でふんぞり返ってイケスカ新市長が来るのを待つつもりはなかった。

 

「わざわざ飛行甲板まで出向く必要はなかったのでは?」

「仮にも相手は大都市の市長よ? 失礼があってはいけないわ」

「副船長である私が来る理由は…」

「あら、ドードー船長の方がよかったかしら?」

「いえそんなことはないです、はい」

 

 ルゥルゥとサネアツが見守る前で飛行甲板のハッチが開き、まずはレオナとケイトの隼が降りてきた。その後をイケスカ使節団の零戦と屠龍、最後にエンマとリーパーの機体が羽衣丸へ着艦する。ザラとキリエ、チカの機体は空中警戒待機を続行中だった。

 

「なんだあの機体、零戦52型…か?」

 

 飛行甲板に降りてきた赤い番犬のエンブレムの零戦52型、だが手が加えられている機体だと長年の経験からナツオは見抜いていた。

 左右の主翼からそれぞれ2本ずつ突き出した銃身を見れば、火力向上を図った零戦52型丙がベースとなっていることが分かる。20ミリ機関砲に加え、火力向上のため13.2ミリ機銃を主翼にそれぞれ1丁追加。さらに機首左舷の7.7ミリ機銃を撤去した上で右舷側の機銃を13.2ミリに換装した零戦52型丙は、数が少ないながらもナツオは見たことがあった。

 だが今下りてきた機体は、武装が撤去されているはずの機首左舷にも13.2ミリ機銃を搭載し、合計4丁の13.2ミリ機銃と20ミリ機関砲を装備と、火力のさらなる向上を図っているようだ。

 

「それにエンジン音も52型の栄とどこか違うな。エンジン積みかえたのか、改修したのか」

 

 触ってみたいと整備士魂が疼くが、他の都市の代表一行に失礼があってはならないとナツオも理解している。遠くから眺めるに留めていると、屠龍の後部キャノピーが開き、一人の小柄な女性が身を乗り出した。

 

 短い黒髪に透き通るような白い肌の若い女性だった。零戦から降りてきたパイロットが彼女に手を貸す。こちらは金髪で容姿端麗な、同じく若い男だった。

 

「初めまして。オウニ商会社長のルゥルゥと申します」

「イケスカ市長のレナです。この度は迎えにお出でいただきありがとうございます」

 

 レナと名乗ったイケスカの新市長は、そう言って頭を下げる。年頃はレオナたちとそう変わらないか、とルゥルゥは思った。零戦に乗っていた男の方は、レオナより少し年上といったところだろう。

 

「私はこの羽衣丸副船長、サネアツです。この度は当船をご利用いただきありがとうございます。さぁさ、こちらへ」

「副船長? 船長はブリッジに?」

「ええ、まあ…」

 

 船長がドードーだと教えたら、この新市長はなんて顔をするだろうか。

 サネアツについて貴賓室に向かおうとしたレナを、零戦の男が呼び止めた。レナがルゥルゥたちと挨拶を交わしている間、屠龍のパイロットから何かを伝えられていたらしい。

 

「レナ、第二ルートのグラーバク隊から通信が入った。予定通り(・・・・)、所属不明勢力の襲撃を受けたらしい。襲撃者は一個中隊で、それなりに腕が立つ連中のようだ」

「やはりね。こちらの被害は?」

「損害はゼロ。予定通りに第二ルートで待機していたガデン商会と合流済みだ」

「無事で何よりね。彼らも腕の立つ人たちだから、墜とされることはないと思っていたけど」

「敵は7機撃墜された時点で撤退した。現在は尋問のため、撃墜した機体のパイロットを捜索している。無駄だとは思うがな」

「実行犯が知っていることは少ないでしょうね。でも、これで誰が内通者なのかだいぶ絞り込める」

 

 その会話は、隼を降りたレオナたちの耳にも入っていた。

 

「仲間を囮にするなんて、捨駒として見ているのかそれとも信頼しているのか、どちらだと思います?」

 

 エンマの問いに、レオナは腕を組んだ。少なくとも、レナが悪い人間のようには見えない。もっともイサオの例もあるから、人は見た目だけで信用してはいけないことも十分理解しているが。

 

「仲間の無事を喜んでいるようだから後者だろう。だがあのレナという新市長、目的のためには手段を選ばないタイプに見える」

「ケイトもレオナに同意。スパイを突き止めるためとはいえ、仲間を敢えて危険に晒す行為を取れる人間は少ない」

「少なくとも、レオナには無理な真似ですわね」

 

 我らが隊長は、仲間を危険に晒す前に自分から危険に突っ込むタイプですから。エンマはそう続けた。




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第三三話 始まりの指導者

「荒野のコトブキ飛行隊 完全版」二回目の視聴終了。
エンドロールで爆睡しているキリエの腹筋が素晴らしいと思いました(小並)。
多分キリエの方がつくべき所についていると思うんですけど(名推理)


「パンケーキ♪パンケーキ♪ あパンケーパンケーパンケーキ!」

 

 哨戒飛行が終わり、早めの夕食を取るべくジョニーズサルーンに向かうキリエたち。重要人物が乗っているということで、コトブキ飛行隊はリーパーも加えて24時間の哨戒飛行を行っている。そして今しがたキリエとザラのコンビの哨戒飛行が終わり、手すきのメンバーは早めの夕食を取ることとなった。

 

 リリコ特製の甘いシロップのかかったパンケーキを思い浮かべながら、サルーンの扉を勢いよく開くキリエ。この時間はまだ羽衣丸クルーが利用する時間帯ではないはずだが、今日のサルーンには先客がいた。

 イケスカ新市長のレナと、その護衛の男たちだった。レナはパンケーキをナイフで切り分けつつ、微笑んで一礼する。「あ、どうも」と返し、キリエはずかずかといつもの壁際の席に向かう。

 

「いらっしゃいませ。ご注文は?」

「パンケーキで!」

「だと思ったわ」

 

 ザラとレオナ、ケイトはビールを、チカはオレンジジュースを注文する。エンマはリーパーと共に、2時間の哨戒飛行に出たばかりだった。通常は哨戒飛行など空賊が多い空域を通る時以外には行わないが、今の羽衣丸にはレナ新市長が乗っている。今のところ情報漏れによる襲撃の兆候はないものの、万が一を考えてのことだった。

 

「昨日もパンケーキ、今日もパンケーキ。明日も明後日も10年後もパンケーキ! ああ、何と素晴らしいことか! パンケーキ万歳!」

 

 リリコが運んできたパンケーキを、キリエがさっそくナイフで切り分ける。すると「パンケーキが好きなのですか?」と背後から女性の声が聞こえた。

 声の主はレナ新市長だった。

 

「うん! 私パンケーキ大好き! ふわっふわで甘くて…! あなたもパンケーキが好きなの?」

「おいキリエ…」

 

 仮にも大都市の市長に対して失礼にならないかとレオナが声を上げたが、「私も好きよ」とレナ市長。

 

「パンケーキ、初めて食べた時はこんな美味しいものが世の中にあるんだって感動したわ」

「そーそー! パンケーキ最高! パンケーキの素晴らしさをわかってるなんて、あなた中々できるね」

「ふふ、どういたしまして。あなたがコトブキ飛行隊のキリエさん…でいいのかしら」

 

 あれ? キリエは思った。まだ自己紹介をしていないはずなのだが。

 

「イケスカの人間であなたたちコトブキ飛行隊を知らない人はいないわ。特にパンケーキが大好きなキリエさん、あなたのことはよく知っていますよ」

 

 あのイサオ氏を撃墜されたとか。その後のレナ市長の言葉で、一気にサルーンの空気が悪くなる。「え? え? なに?」と慌てるジョニー。

 自由博愛連合の本拠地があったイケスカ。そしてレナ市長はそのイケスカの内戦を制し、新たな指導者となった人物だ。イケスカ内戦の原因となったイサオの消失と、彼を撃墜したコトブキ飛行隊。キリエ達を恨んでいてもおかしくはないのではないか―――レオナはそう思った。

 

「ああ、あなたを責めているのではありません。彼は間違ったことをしていた、私はそう考えています」

「てっきりイケスカの人だから、イサオの信者かと思ってたんだけど」

 

 チカの言葉に、「そういう人もいますね」とレナ。

 

「確かに彼の言葉は立派だった。だけどその根底に私利私欲があったのが間違いだった。世の中の全てを自分が取り仕切った方が上手くいくと考え、そのために全てを欲したのが彼の敗因。私はそう考えています」

「イサオたちが立派? 言うこと聞かない街は爆撃して、自由を奪おうとしていた連中が?」

 

 さっきまでパンケーキ仲間を見つけたとばかりに友好的な雰囲気だったのに、疾風雷神の異名の如くキリエは喧嘩モードに入っていた。彼女が自博連とイサオにされたことを思えば当然だが、喧嘩はしていい時と悪い時があり、そして今は間違いなく後者だった。

 止めた方がいいかしら? とザラは横目でレオナを見た。たとえキリエが正しいことを言ったのだとしても、議論をしていい時と場所がある。そして今はその時ではない。正しいことを言っても反感を買うことはあるし、その相手の地位が高い場合、こちらが何か不利益を被ることだってある。

「言い争いになりそうだったら止めよう」とレオナが目で告げていたので、頷いて前を向く。キリエが声を荒げても、レナ市長は微笑んだままだった。

 

「あなたたちにとって、自由とは何かしら?」

 

 レナが問う。

 

「全部自分で選んで、自分がやったことは全部自分で責任を持つこと!」

「立派です、模範解答と言っていい。でも世の中には自分のやったことにさえ責任を持てない人が多い。世の中全ての人がキリエさんみたいな方であれば、問題は何も起こらない」

「だからイサオは自分たちで全て管理するんだって言ってたけど、あんたもそういう人?」

 

 チカの言葉に、レナが首を横に振る。やや険悪な雰囲気に、レナの護衛―――片羽の異名を持つ金髪の若い男が顔をしかめた。

 

「いえ、自由は何よりも尊重されるべきものです。ですが、各々が無制限に自分の自由を追求していった場合、それは他者に対する不自由になる」

「は? なにそれ?」

 

 キリエが反論のために口を開く気配が伝わってきたので、流石に止めた方がいいだろうとレオナとザラが立ち上がりかけた時だった。

 

「レナ、そろそろ部屋に戻る時間だ」

 

 片羽が立ち上がり、わざと大きな声で言う。

 

「あら、もうそんな時間かしら?」

「明日は朝から多くの人に会うんだ。今から休んでおかないと倒れるぞ」

「もう身体は良くなったのだけど。でも、あなたの言うことなら従うべきね」

 

 いつの間にかパンケーキを完食していたレナが、「ごちそうさまでした」と手を合わせて立ち上がる。

 

「明日他の都市の議員の方々と討論会を行うの。ラジオでも生放送する予定だから、よろしかったら聞いていただけませんか?」

 

 レナはリリコとジョニーに礼を言って、サルーンを後にする。彼女について出て行こうとした片羽を、レオナは呼び止めた。

 

「助かった。あのままだったらキリエとチカが市長を怒らせていたかもしれない。止めて頂き感謝する」

「レナに休息が必要なのは事実だ。それに彼女は議論が好きだからな、止めなければ朝まで続いていただろう」

 

 片羽と呼ばれる傭兵のジャケットには、機体に描かれているのと同じ番犬のエンブレム。リーパーが着ているのと似ているな、とレオナが思ったのも束の間。片羽は今度こそサルーンを出て行った。

 

 

 

 

 

 

「そういえば気になっていたのですが、リーパー、あなたは何故パイロットになりましたの?」

 

 一方その頃、羽衣丸の周辺を哨戒飛行中のリーパーに、編隊を組むエンマが唐突に問いかけた。そう言えば彼女とはあまり話す機会がなかったな、とリーパー。

 

「うーん、何ででしょう。昔から飛行機乗りの家系だったっていうのはありますけど…」

「なんとなく、ということ?」

「そうじゃないんです。ただ、どうして最初に空を飛びたいと思ったのか、それを忘れてしまって」

 

 エンマさんはどうしてパイロットに? とリーパーが尋ねる。

 

「私の家系は貴族で」

「没落したんでしたっけ?」

「直截的なその言い方、嫌いではないですが、好きでもありませんわよ?」

「すいません」

「…まあ、間違ってもおりませんわ。それでも昔はまだ裕福で、タミルと共に全寮制の学校に通う余裕はありましたの。でもある日、空賊に両親が財産を巻き上げられたことがわかって…」

 

 エンマの両親は中々のお人よしらしく、空賊に財産を巻き上げられた後も、彼らにたかろうとする人々を無条件に信じてしまい、時折騙されそうになっているようだ。

 今度こそエンマの実家は完全に没落。大事な屋敷すら維持するのが難しいという状況にまで追い込まれてしまったエンマに、高額の学費がかかる学校に通い続ける選択肢はなかった。

 

「両親がまた騙されないように、そして屋敷のソメイヨシノを守るために、ラハマで仕事を探していたらレオナにコトブキ飛行隊へ勧誘されましたの」

「学校辞めてまで働くなんて、立派ですねぇ…」

「差し支えなければ、あなたのご両親について伺っても?」

 

 リーパーは空を見上げた。荒野の彼方に沈んでいく太陽と、反対側からやってくる夜の闇。その二つが混じり合った夕方の空は、地球で見上げたそれと何ら変わりなかった。

 

「親父はまだ生きてます。空自―――って言ってもわからないか。自警団みたいなところで戦闘機のパイロットをやってます。そろそろ地上勤務の歳ですが」

「まだ、ということは、お母上は…」

「死にました。俺が子供の時に」

 

 空を見上げる。一番星が輝く空に、一条の光が走る。

 流れ星だ。この世界でも流れ星が見えるんだな、と妙なことで感動するリーパー。彼だけでなく、地球の人間にとって流れ星は良いものではなかったが。昔は流れ星に祈ると願いが叶うと有難がっていたようだが、今は厄災の象徴でしかない。

 

「それは…悪いことを聞きました」

「いえ、もうとっくの昔のことです。母が一緒にいてくれた時間より、いない時間の方が長いんですから。それに兄と姉もいて、いつも遊んでくれたのでそこまで寂しくはなかった。食事と掃除と洗濯を押し付けられたのはあまりいい思い出じゃありませんけどね。そのおかげで料理と洗濯と掃除のスキルが身について、アローズ社に入った時に苦労せずに済んだのは良かったですけど。あの頃はなんだかんだで楽しかったなぁ」

 

 そこでエンマは気づいた。どこかリーパーの言葉が震えている。

 

「中学も高校も友達がいて、楽しかった。アローズに入ったせいで連絡は途切れがちになったけど、今でもメールのやり取りやってるんです。外国の写真を送るとあいつら驚いて…そういや今、オメガたちはどうしてるんだろ。俺がいなくても大丈夫かなぁ」

 

 無言。ややあって、リーパーが呟く。

 

「…なんで俺、こんなところにいるんだろう?」

 

 凄腕のパイロットということでエンマはすっかり忘れていたが、リーパーはまだまだルーキーなのだ。そして社会に出てから数年しか経っていないし、飛行機に乗って実戦の空を飛ぶようになってからまだ二年も経っていない。

 普段はあまりしゃべらないせいで気づかなかったが、彼もまたエンマと同じく普通の若者なのだ。故郷に懐かしく思い、そこにいる人々と会いたいと感じるのも当然だ。

 

 エンマも学校の寮にいた頃は、ホームシックになることがあった。こうしてコトブキ飛行隊で働き、羽衣丸でイジツを回って長い間ラハマから離れなければならない時も、時折ラハマのことを思い出しては早く帰りたいと思うことがある。

 

 だけどエンマの周りにはこれまで色々なことを一緒に成し遂げてきた大切な仲間がいる。それに仕事を終えてラハマに帰れば、両親も友人も彼女の帰りを待っていてくれる。だからエンマは今日もイジツの空を飛ぶことが出来ている。

 

 しかしリーパーにはそれらが無い。彼が帰るべき故郷は、遥か「穴」の向こうにある。いくら手を伸ばしても届かず、何日飛行機を飛ばしても辿り着けない遥か彼方。無線を使って大切な家族や友人と言葉を交わすことすらできない。

 

 以前キリエが言っていた。もしも自分が羽衣丸の仲間たちも誰もいない、まったく知らない世界に放り出されたら不安になるだろうと。

 不安どころではない、とエンマは思った。きっと耐えられないだろう。コトブキ飛行隊の仲間にも会えず、大切な両親とソメイヨシノが待つ家にも帰れない。誰も自分を知らない世界で生きていかなければならない。そんな状況に置かれたら狂ってしまう人だっているかもしれない。

 

 普段からあまり口数が多くないリーパーだが、きっと今まで一人孤独に耐えていたのだろう。解決できないこの悩みを一人で抱え込み、苦しみ、それでも顔や言葉に出すことなく今まで飛び続けていた。

 

 「穴」はいつ開くかわからない。空いたところでリーパーのいた地球に繋がっているという保障はないし、そもそも開くかどうかすらわからない。アレンの計算だって100%正しいわけじゃないから、一年後に穴が予測した通りの場所に開くかは不明だ。

 

「…きっと帰れますわ」

 

 だからリーパーの地球への帰還について、エンマに手助けできることは何もなかった。出来るのはせいぜい、こうやって彼を励ますことくらいだった。

 エンマ自身は、優しいだけの根拠のない言葉に意味はないと思っている。それに嘆いているだけで何もしない奴には助ける価値もない。

 

 だけど故郷に帰ることも出来ず、もう家族や仲間に会えないかもしれないと悲しむ同年代の若者を罵倒するほど、エンマも鬼ではなかった。

 




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第三四話 HANDFUL OF HOPE

マリア様のイジツ富士を称えよ!
マリア様のイジツ富士を称えよ!

今からでも遅くないからOVAで水着回を出してください(懇願)


 その日、イヅルマ自警団は創設以来最も多忙と言える一日を迎えていた。

 全てはイケスカ新市長が、イヅルマでイジツの諸都市首長を集めた会議を開催したいと申し出てきたのが発端だった。イサオによる自由博愛連合の結成とその後のイケスカ動乱により、一時はイジツ混乱の諸悪の根源として扱われ、内戦中はあらゆる都市から見捨てられたといってもいい状況のイケスカだったが、現在でもイジツ最大の都市であることに変わりはない。

 

 そのイケスカも内戦中はほとんど陸の孤島と化し、忘れられていた存在だったが、内戦を制した「協和派」のトップであるレナが市長に就任してから状況は一変した。レナは各都市に使者を送り、イジツの全都市による協調と発展を訴えているのだという。かつてのイサオの再来かと警戒する都市も多かったが、話を聞かないことには彼らが危険な存在なのかどうかもわからない。

 

 そのため会議が開催されるイケスカには、イジツの諸都市の市長らが集合し、天と地がひっくり返ったような大騒ぎが繰り広げられていた。大都市がゆえにイヅルマの飛行場は大きい方だったものの、各地から集まる飛行船とその護衛機でたちまち駐機場は埋まってしまう。仕方なく自警団や企業が所有する施設飛行場まで借り受けて、各都市からやってくる市長たちを迎え入れている有様だった。

 

「こちらはカナリア自警団です。安全な飛行にご協力頂きありがとうございます」

「アレシマ一号はイヅルマ自警団飛行場への着陸をお願いします。誘導するのでついてきてください」

 

 イヅルマ自警団員も航空管制に誘導、さらにはパトロール飛行に駆り出され、目の回るような忙しさだった。カナリア自警団も飛行船や護衛機の誘導の仕事を割り当てられ、慌ただしく離着陸を繰り返している。

 

「それにしても大した数ですねぇ」

「これで小さな町からも人が来ていたら、それこそ駐機場が足りなくなっていたわね」

 

 今回イヅルマにやってきたのはほとんどが大都市、あるいは中規模の都市の首長がほとんどで、オウニ商会の本拠地があるラハマのような小さな町から代表者が来ることはなかった。地方の小さな町では遠く離れたイヅルマまでの旅費を捻出することが難しく、加えてアレシマやイヅルマ、ガドールといった大きな都市とは違い、他の街への影響力もほとんどない。そのような小さな町が会議で何を言おうと、取るに足らない意見として扱われてしまうだろう。

 

「飛行場から連絡です。市営飛行場の駐機場はもう余裕がないので、各都市代表団以外の一般利用者については、今後郊外の臨時飛行場に誘導するようにとのことです」

 

 アレシマからの飛行船を誘導していたミントが、編隊に戻ってきて報告する。下を見ると、市営の飛行場の駐機場は戦闘機でいっぱいだった。各都市の代表団が引き連れてきた、護衛の機体だ。

 

「こんなにいっぱい護衛機を連れてくるなんて、自分たち自警団を信用してないんでしょうか?」

「違うと思うわ。イケスカ新市長に対して、自分たちの力を誇示したいんでしょうね」

 

 リッタの言葉に、シノがそう返す。飛行船の護衛機は各都市の自警団の機体だが、どの都市も一個中隊かそれ以上は護衛を引き連れてイヅルマにやってきていた。自分たちの都市の代表が乗っているのだから当然といえば当然だが、一方で過剰な戦力のようにも思える。各都市の護衛機だけで、100機近くはいるだろう。

 

 どの都市もイケスカを警戒しているのだ。自由博愛連合は崩壊し、新たな市長が就任したが、それでもイジツを支配しようとした自由博愛連合の再来を多くの都市が恐れている。あのユーハングですら実用化を諦めた戦略爆撃機「富嶽」を完成させ、さらにはジェットエンジンまで作り上げたイケスカが、高い技術力を持っていることは疑いようがない。

 

 そのイケスカが再びイジツの支配に乗り出そうとしたら―――そう考える都市の代表者が多いのも当然のことだ。だからこそ彼らは過剰な戦力を引き連れてイヅルマまでやってきて、レナ新市長を威嚇しているのだろう。自分たちはこれだけ戦力を持っている、変なことを考えるなと。

 

「すぴー」

「こらヘレン、寝ちゃダメよ!」

「皆朝から働きづめですもの、眠くたって仕方ないわ」

 

 エルの言う通り、イヅルマ自警団は朝からずっと休みなく働いている。市内の治安維持に当たっている部署を除けば、ほぼ総出で今回の事案に取り掛かっていると言っていい。ヘレンが寝こけているのはいつものことだが、このままでは疲労による事故が発生する懸念すらあった。

 

「あと1時間で私たちも休憩です。それまで頑張りましょう!」

「あれ、あの飛行船は…」

 

 リッタが、また新たにやって来た飛行船を見て首を傾げた。つい数日前にイヅルマを出立したばかりのオウニ商会有する羽衣丸だ。

 

『こちらイヅルマ自警団本部。カナリア自警団、オウニ商会の羽衣丸を自警団飛行場まで護衛・誘導せよ』

「え? 都市の代表者以外は全て郊外に誘導すると…」

『これは命令だ。直ちに羽衣丸を自警団飛行場まで誘導せよ。また、羽衣丸へは他の機体を近づけさせるな。警告を無視し羽衣丸へ接近する機体があれば、直ちに撃墜せよ』

「げ、撃墜!?」

 

 突如飛び出した物騒な言葉に、アコは耳を疑った。だが自警団本部は『命令を復唱せよ』と重ね、アコに質問する余裕すら与えない。

 

「…了解しました。これよりカナリア自警団は、オウニ商会羽衣丸を護衛し、自警団飛行場まで誘導します」

 

 有無を言わさぬその口調に、アコは疑問を胸の中にしまい込んだ。イケスカ動乱で名を馳せたあのオウニ商会とはいえ、あくまでも一企業に過ぎない。それを自警団飛行場まで護衛とは、あの飛行船にはよほど重要な人物が乗っているのだろうか。

 

「自警団飛行場が慌ただしくなっているわ。急に対空砲やら自警団員が集まってる」

 

 別の飛行船を誘導するため飛行場に向かっていたシノは、地上に何やら動きがあるのを確認した。トラックに搭載された対空砲の砲口が空を向き、銃を手にした自警団員たちがトラックで飛行場まで乗りつけていた。さっき誘導したばかりの飛行船は、上空で一時待機を命じられている。

 

「よほど重要な人が乗っているでしょうか?」

「わかりません。とにかく、私たちは自分たちの仕事をしましょう」

 

 ミントが抱く疑問はアコにとっても同じだったが、今そのことを考えても仕方がない。それに今ここにいるのは多くが各都市の代表者、全員が重要人物であるようなものだ。

 それにしても、無断で接近する機体は撃墜せよとは。そんな事態が発生しないことを祈りつつ、アコは羽衣丸の誘導に向かった。

 

 

 

 

 

 

「もーっ、私らいつまでここで待ってればいいんだよ!」

 

 一方イヅルマ郊外では、市営飛行場への着陸を認められなかった飛行船が、臨時飛行場への着陸許可を求めて順番待ちの列を作っていた。ガデン商会の飛行船もその中の一つで、娯楽室ではアカリがいつまで経っても着陸許可の出ない現状に頬を膨らませていた。

 

「まぁまぁ、短気は損気って言うし…」

「もう半日近く待たされてるじゃんか! なんで私らは飛行機で先に下りちゃいけないんだよ」

「そーだよね。なんでガーベラたちはダメで、あの人たちは良かったんだろ?」

 

 ガーベラの言う「あの人たち」というのは、一昨日この飛行船に乗りつけてきた飛行隊の連中だった。

 珍しく社長のウッズが「急な仕事だ」とハルカゼ飛行隊を引き連れ、自らも飛行船に乗ってカイチを出立したのが数日前。「急な仕事」の詳細については教えてもらえなかったが、どうやら人を運ぶらしいということだけはわかった。

 

「あの飛行隊の人たち、なんだか怖かったわね」

 

 ベルが腕を組む。その運ぶ相手とやらは輸送機に乗った「とある人物」とその護衛とのことだったが、ガデン商会が彼らと合流する直前、多数の機影が輸送機に向かうのを飛行船のレーダーが確認した。

 ウッズは急いでハルカゼ飛行隊に出動を命じたものの、結局彼女たちの出番はなかった。ハルカゼ飛行隊が発進する前に、護衛機が襲撃者たちを撃退してしまったからだ。護衛機はたったの4機に対し、襲撃者は十数機。にもかからわず護衛機の被害はなく、襲撃者たちの機体は7機が撃墜された。

 

「しかも社長怒ってたよね。騙されたとかなんとか」

 

 おまけに肝心の輸送機はガデン商会と合流することなく、墜落した襲撃者たちの機体からパイロットを救助すると、元来たルートを反転して戻ってしまった。結局、ガデン商会の飛行船に乗り込んできたのは、四式戦闘機「疾風」に搭乗した一個飛行隊4人のパイロットだけだった。今回ガデン商会が運ぶべき「とある人物」は、そもそも輸送機に乗っていなかったらしい。

 

「体のいい囮として使われた、ってことかしら」

「でも囮って何のために?」

「さあ…でもあの飛行隊の人たち、只者じゃないわね」

「名前なんだっけ? ぐら…ぐら…グラタン飛行隊だっけ?」

 

 手を叩いたユーカに、「グラーバクよ」とエリカが訂正する。蛇のエンブレムに、白、灰、黒の迷彩が施された疾風に乗ってきた連中。それがつい数時間前までガデン商会と行動を共にしていた「グラーバク飛行隊」を名乗る男たちだった。

 

「なんだったんだろうね、あの人たち」

「少なくともそこら辺の用心棒、ってわけではなさそうだったわ。雰囲気が違う」

「まさにプロ、って感じだったよね!」

 

 その時娯楽室のドアが開き、「お前らも一応プロだろうが」と禿頭が特徴のガデン商会社長、ウッズが顔を覗かせた。

 

「あっしゃちょー! 私たちいったいいつになったらイヅルマに降りられるんですか?」

「飛行場が混んでるから当分は無理だとよ。少なくとも、今日は無理だな」

「えーっ!? せっかくのイヅルマなのに」

 

 ガデン商会の本社があるカイチはそれほど大きな街ではなく、生活必需品などは手に入るものの、それ以外となると他所の街に行かなければ買えないものばかりだ。対してイヅルマは飛行船製造で栄えた大都市であり、人も物も金も、娯楽ですらイジツ中から集まっている。こういう大きな街にはプライベートでは滅多に訪れることが出来ず、だからこそこうして護衛や輸送の仕事で大都市を訪れた際には、そこで遊び倒すのがハルカゼ飛行隊だった。

 

「しょうがねぇだろ。それに今のイヅルマは街中が厳戒態勢だ。行ったところで店なんか閉まってるだろうよ」

 

 ラジオのニュースを聞く限り、イヅルマでは市民の外出禁止令が発令されているという。その原因は、明日にも開かれるイケスカ新市長とイジツ中の都市の代表者との会談だ。

 今のイヅルマには、イジツ中の重要人物たちが集まっている。イヅルマ自警団に加え、各都市の代表者たちが連れてきた飛行隊や護衛隊がイヅルマ中を闊歩し、テロ攻撃に備えて目を光らせている。銃を持った人間がそこら中にいるのに、楽しく遊ぶ気にはならないだろう。

 

「じゃあ、しばらくここで待機ですね」

「ああ。それにしても、厄介者が早々に出て行ってくれて助かったぜ。あいつらを一秒でも長くこの船には乗せておきたくなかったからな」

「厄介者?」

 

 首を傾げるユーカに、「さっき出て行ったあいつらだ」と、ウッズは飛行甲板の方を示した。

 

「あのグラーバク飛行隊とか名乗ってたおっさんたちのこと? 別に騒いだりしてなかったよ?」

「そりゃおめーらがうるさ過ぎるだけだ、ガーベラ」

「じゃあお金を払わなかったとかですか?」

 

 金に厳しいベルの目から、一瞬光が消える。だがウッズは残り短くなった葉巻の火を消すと、「いや、金はきちんと受け取った」と答えた。

 

「それもかなりの額をな。だが、二度とあいつらを乗せる気にはならねぇ」

「なんで? お金いっぱいもらえて、しかも船の中で大人しくしてた人たちじゃん」

「あのなアカリ、お前あいつらのヤバさに気づいてないのか? 連中はイケスカの奴らだ」

 

 ウッズはこの仕事を受けなければよかったと思っていた。イケスカの評議会から重要人物の移送に協力してもらいたいと打診を受けたのが数日前。胡散臭いとは思っていたものの、高額な報酬は魅力的だった。それに使用するルートは空賊が滅多に出没しない地域であったし、自警団の活動範囲なので安全と判断し、ウッズはその仕事を引き受けることにした。

 

「あいつら、俺たちを囮として使いやがったんだぞ。今回は向こうが襲撃してきた奴らを蹴散らしたから良かったが、敵が多かったら俺たちだってヤバかった。人を運ぶ分には構わんが、囮扱いは許せねぇ」

「そういえばあの人たち、凄い腕前でしたよね。たったの4機で14機相手に立ちまわって、その半分を落としちゃったんだから! ああいうのをプロって言うんでしょうね!」

「ということは、お前らはプロじゃないってことか。だったら給料は見習い飛行隊の等級まで下げるか」

「あはは冗談デスヨー。私たちだってもう見習いじゃないんですから!」

 

 胸を張るユーカだったが、「私たちもついこないだ、またコトブキ飛行隊に助けられてたよね」というダリアの言葉に項垂れる。見習いから一人前の飛行隊に昇格し、機体もコトブキ飛行隊と同じ隼に乗り換えたハルカゼ飛行隊だったが、凄腕と呼ばれるには程遠い。

 

「そういえばあの青い隼のパイロットも、私たちと同じくらいの間しか飛んでないんだよね…」

 

 窓の外を眺めたユーカは、イカヅチ団から彼女たちを救助したパイロットの一人を思い出した。ユーハングからやって来た異邦人。そしてあのコトブキ飛行隊に勝るとも劣らない腕前を持つ男のパイロット。

 

「また会えないかな…」

 

 どうしたら短い間であんな飛び方が出来るようになるのか。また会う機会があったら、是非その質問をしよう。窓の外を飛んでいくイヅルマ自警団の紫電を、ユーカは目で追った。




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第三五話 BRIEFING 1

普通の兵器が噛ませにしかなってない作品きらい。噛ませでも頑張るような作品すき。
1機2000億円のB-2がボンボン落とされたり、1機350億円のラプターがホイホイ墜とされるなんて、米軍と財務省が発狂するでしょ。


まあエスコン世界じゃ原子力空母やB-2やら重巡行管制機やら金のかかった兵器が主人公一人にボカスカ破壊されているんですけどね。
ストレンジリアル世界の世界経済は謎だ。


「えー、あー、作戦会議を始める。カーテンを閉めてくれたまえ」

 

 カナリア自警団の部長を務めるアルバートが、大きな咳払いと共にアコに言った。アコが大会議室のカーテンを閉めると、会議室の中心に置かれたスライド映写機が起動し、壁にイヅルマを中心とした地図が映し出される。

 

「部長、緊張してますね。さっきなんか手と足が同時に出てましたよ」

「当然ね。あの部長がこんなに人が集まる前で、作戦会議の進行役なんかやらされてるんだから」

 

 ガチガチに固まった手をどうにか動かし、指揮棒を壁に映る地図に向けているアルバートを見て、リッタが不安そうに言う。そんなリッタとは打って変わって、シノはいつも通り落ち着いていた。

 

 

 

 

 イヅルマ行われるはずだったイケスカ新市長と各都市の代表団との会談は、急遽延期となっていた。イヅルマの近郊に空賊の大集団が集結していることが明らかとなり、その討伐任務が各都市合同の飛行隊に下されたのだ。

 空賊たちが何のために集結しているのかその理由は判明していないものの、彼らがイヅルマを襲撃する可能性は高いと考えられた。今のイヅルマには各都市の市長や議員が集まっている。その中の一人でも人質に取ったら莫大な身代金が手に入る可能性は十分にある。あるいはイジツに混乱をもたらすために、各都市の有力者たちをこの機会に一網打尽にしようとしているのか。

 

 いずれにせよ、空賊たちの存在はイヅルマでの会談実施に大いに脅威となるということで、空賊が討伐されるまで会談は延期となった。代表団の護衛としてやって来ていた各都市の飛行隊は、合同作戦ということで空賊団盗伐に臨むこととなった。

 

「しかし、肝心のイケスカ飛行隊が外されてるのはどうなんでしょうね?」

「市長が変わったとはいえ、イケスカを警戒してるのよ。だから今回の空賊討伐で、各都市の飛行隊の力を見せつけて、『下手なことはするなよ』って圧力をかけるつもりなんでしょう」

 

 つまり、空賊討伐の名を借りたイケスカへの示威行為だということだ。この空賊討伐任務にイケスカからやって来た飛行隊は参加する予定はない。イヅルマ周辺での哨戒と、レナ市長の護衛に当たるとアコは聞いていた。もっともイケスカ側からも討伐任務に参加の申し出があったらしいが、議員たちが断ってしまったらしい。

 

「えー、空賊たちがこのイヅルマ近辺に集結しつつあるという情報が、我が自警団の哨戒機からの連絡で判明した。あー、空賊たちが集まっているのはえーっと、その…」

 

 アルバートがカンペを見ながら指揮棒を振るが、地図のどこを指せばいいのかわからないようでしばらく固まっていた。ようやく思い出したのか、イヅルマの北東、隣のイケスカから見て北西方向に描かれた、円形に隆起した山脈を指し示す。

 

「ここだ。円卓と呼ばれている山脈の南側に集結している」

 

 ミントが映写機を操作し、地図を切り替えた。「円卓」と呼ばれた地域を中心とした大きな地図が表示される。

 

「空賊の規模は50機から60機ほど。目的は不明だが、このイヅルマを攻撃しようとしているのは間違いないだろう。そこで我々は…」

「我々の任務は空賊の討伐だ。ここには各地の飛行隊の中でも腕利きが集まっていると聞いている。その実力を遺憾なく発揮してほしい」

 

 もたつくアルバートを見かねたのか、横からイヅルマ自警団長が彼の手からマイクをひったくり、続けた。立場が上の団長にマイクを取られてしまってはどうすることも出来ず、アルバートはその場に立ち尽くすしかない。そわそわするアルバートには目もくれず、団長が話を続ける。

 

「今回は各都市飛行隊合同作戦となる。まずイヅルマ、ガドール、ショウト、アレシマ飛行隊から成る部隊を合同第一飛行隊と命名。第一飛行隊は円卓の空賊集結地点に対し、西側から攻撃を仕掛ける」

 

 団長の指示で、ミントが映写機に置かれた地図の原板にフィルムを重ねた。会議室前方のスクリーンに投影される地図に、円卓に向かって西側から伸びる赤い矢印が映し出される。その向かう先には、円卓の外輪山の一角に点線で空賊集結地を表す円が表示された。

 

「その他の都市飛行隊から成る部隊を、合同第二飛行隊と呼称する。第二飛行隊は南側から空賊集結地に接近。第一部隊と共に空賊たちを挟み撃ちにする」

 

 再び映写機にフィルムが重ねられ、今度は南側から青い矢印が伸びた。倍の戦力で二方向から同時攻撃、常識的に言えば成功する作戦だと会議室に集まった誰もが思った。

 

「空賊どもは各地から集まった寄せ集め集団。対してこちらは各都市の精鋭が100機、数は倍だ。君たちの力を是非見せて欲しい」

 

 そう言い終えると団長はマイクをアルバートに押し付け、会議室から出て行った。話は終わったとばかりに集まったパイロットたちが立ち上がる中、「えー、それでは解散」とアルバートの声が虚しく響く。

 

 

 

 

「せいぜい50機程度の空賊に100人がかりとは、大袈裟ですわね」

 

 イズルマ自警団での作戦会議を終え、羽衣丸が係留されている飛行場へ向かうコトブキ飛行隊。彼女たちは公営の飛行隊や自警団員ではないが、イケスカ動乱における大活躍ぶりはイヅルマでも広く知られていて、自警団長から是非今回の作戦に参加してほしいと要望を受けた。マダムの許可もありこうして作戦会議に参加したわけだが、レオナはこれだけ各都市の飛行隊が集まっているのだから、自分たちは別に要らないのではと思っていた。

 

「ん? なんか難しい顔してるけどどうかした?」

 

 そんな中ついでとばかりについてきたリーパーが難しい顔をしているのに気づき、チカがその顔を覗き込む。リーパーが名ばかり隊長を務めるアローブレイズ飛行隊は今回の作戦に直接お呼ばれされてはいないが、その戦力は無視できないとのレオナの判断で一緒に参加することになっていた。

 

「いや、円卓って懐かしい言葉を聞いたなと」

「チキュウにも同じ地名があるの?」

「あくまでも通称で、正式名称はエリアB7Rって名前だけど」

 

 アメリカのネバダ州に広がる米軍の特殊飛行試験区域。円形に隆起した大地と、各国から集まったエースパイロットが階級に関係なく戦技訓練でしのぎを削ったという経緯から、エリアB7Rは円卓の通称で呼ばれることとなった。ユージア戦争においても米国本土攻撃の足掛かりとして幾度も戦闘の舞台となり、リーパーたちも己の技量の全てを掛けた戦いを繰り広げたものだった。

 

「円卓とはイヅルマ北東に広がる円形に隆起した山脈に囲まれた直径約100キロの地域。円形の山脈が形成された理由は太古の海底火山噴火の痕跡とも、隕石落下後のクレーターとも言われているが詳細は不明」

「コトブキ飛行隊がまだ私とレオナしかいなかった時に一度行ったくらいかしら。あそこは電波状況が悪いし、危ない人たちも多いから」

「電波状況が悪い? どうしてです?」

 

 ザラに代わってケイトが口を開く。

 

「円卓と呼ばれる地域の地下には膨大な鉱物資源が埋蔵されていると言われている。その鉱物資源が特殊な磁気を帯びているため、通信障害が発生するとされる」

「その地下資源を巡ってあちこちの都市が戦いを繰り広げてきたんだ。もっとも今は都市間の協定で立ち入りは制限されているから、昔のような大規模な戦闘は起きていないみたいだけどね」

 

 他にも円卓の地上には危険生物が多く生息していて、中心部に進むほど危険は増していくのだという。そのため企業による円卓の開発も外縁部のみに留まっていて、各都市の飛行隊も遭難を恐れて円卓には立ち入ろうとしない。そのおかげで空賊たちが円卓の内側に根城を築き上げ、度々民間機を襲撃しているようだ。

 

「だけど事前情報が本当でしたら、それほど手こずることはなさそうですわね。戦力はこちらが倍、熟練者揃いですから」

「事前情報が本当ならね。油断は禁物よ」

 

 いずれにしても作戦開始は明日の昼間だ。それまでに飲むなり寝るなり、体調を整えておかなければならない。とはいえ今のイヅルマは要人が集まっているせいで厳戒態勢が敷かれており、銃を携えた自警団員が巡回し、店はほとんどシャッターが下りてしまっている。食事も休息も羽衣丸で取るしかない。

 キリエはイヅルマで最近有名らしいパンケーキ店に行きたがっていたが、店が閉まっているとなってはどうしようもなかった。さっさと空賊たちを撃退して、レナたちの会談も無事に終われば店も再開されるだろう。

 

「あっ、あれナサリンのおっさんたちじゃね? おーい!」

 

 チカがそう言って手を振った先には、神父の恰好をした髭面の男と、茶色いジャケットを羽織った軽薄そうな男。コトブキ飛行隊とも馴染みの深い、ナサリン飛行隊の面々だった。相変わらず二人で行動しているということは、隊員の募集は上手くいっていないらしい。

 

「おう、お前らもイヅルマに来てたのか。…って、その兄ちゃんは誰だ?」

 

 茶色いジャケットを着た男、アドルフォが、コトブキ飛行隊にくっついて歩いているリーパーに気づく。「新顔…というわけではなさそうだ」とは、神父服のフェルナンドの言葉。

 

「彼はリーパー。事情があって今オウニ商会で面倒を見ている」

「その兄ちゃんもパイロットなのか? なんかふにゃ~っとしてる感じだが」

「ええ、相当の腕利きよ? もしかしたらレオナより強いかも」

 

 初めて羽衣丸で一緒に仕事をした時、アドルフォがレオナとザラを口説こうとした時のことを思い出したのだろう。ザラが悪戯っぽく言う。

 

「本当なのか? だったら兄ちゃん、良かったら俺たちのナサリン飛行隊に入れよ。ちょうど今隊員を絶賛募集中だぜ?」

「ちょうど、じゃなくて毎日だろう。加入希望者は今まで誰一人として来ていないぞ」

「うるせー! ナサリン飛行隊復興のためにも、今はメンバーが必要なんだよ。俺はアドルフォ山田、こう見えて既婚者だぜ? 飛行機と女の扱いならお手のもんさ」

「ついこの間ナオミに出て行かれたばかりだろう。俺はフェルナンド内海、ナサリン飛行隊の隊長を務めている。アドルフォは口は悪い奴だがいい奴だ。さっきも言った通りナサリン飛行隊は現在隊員が二名しかいない、もし飛行隊で働くことを考えているならいつでも連絡をくれ」

「あなたたちは明日の作戦には参加しないの?」

 

 ザラの問いに、「二人ぽっちの飛行隊に用はない、だとよ」とアドルフォ。

 

「まあこれだけ各地の飛行隊が集まっているのだから、わざわざ用心棒を雇う必要はないということだろう」

「せーっかく星を増やすチャンスだと思ったのによ。ま、とにかくナサリンで飛びたくなったらいつでも連絡をくれや。ナンコーを拠点にしてっから、その気になったらいつでも来い」

 

 そう言ってアドルフォたちは、別の方向へと去っていった。飲み屋の一軒も開いていないから、今日は大人しく宿に帰るのだろう。

 

「あらまあ、早速スカウトなんて」

「彼らも腕は良い。もし今後も一人で飛び続けるつもりじゃなければ、一度話を聞きに行ってもいいんじゃないかな」

「ええ、そうですね…その前に『穴』が開いて地球に帰ることが出来ればいいんですけど」

 

 リーパーの言葉に、レオナは迂闊なことを言ったと反省した。どこかの飛行隊で働くことを薦めるなんて、リーパーが地球に帰れることはないだろうと言ってるようなものではないか。

 リーパーの顔色を窺ったが、彼がレオナの言葉に傷ついた様子はない。だが彼が地球に帰りたがっていることは、言わなくてもわかった。

 

 

 

 

 

 その頃イヅルマ郊外の臨時飛行場では、ようやく地上に降りたユーカ達が飛行船に戻る途中だった。ガデン商会の飛行船から「厄介な荷物」ことグラーバク飛行隊が出て行って一日。着陸申請の順番待ちは結局日を跨いでも続き、今日の昼にようやく臨時飛行場への飛行船係留を認められたところだった。

 せっかくイヅルマに来たのだからと郊外の臨時飛行場から一時間近く歩いて市内に入ったものの、どの店も閉まっていて街には銃を持った自警団が歩き回っていた。そんな状況でイヅルマ市内を歩いても楽しいとは思えず、夕暮れも近くなったので帰ることにしたのだ。

 

「だから言ったじゃない、今のイヅルマは厳戒態勢が敷かれてるからどこのお店も閉まってるって」

「エリカはそう言ったけど、結局ついてきたじゃんか」

「でも結局何も見られなかったね…ご飯も食べられなかったし…」

 

 ダリアの言葉で、皆の腹の虫が一斉に鳴く。レストランくらいは開いているかと思ったがそんなことはなく、結局昼ご飯は食べられないまま、こうして飛行船に戻ることとなった。出店の一つも開いてないので、軽食すら買えない。

 

 久しぶりのイヅルマを満喫することも出来ず、しょぼんと飛行船への帰途を辿るハルカゼ飛行隊に、背後から近づく人影。「よう、辛気臭い顔してんじゃないか」と声をかけてきたのは、ユーカ達とさほど歳の変わらない少年だった。

 

「ジェームズ、あなたなんでここに?」

「どこかの飛行隊に良い腕の奴らがいないか探しに来たんだよ。これだけ飛行隊が集まってるんだから、俺のお眼鏡に適う奴だっているだろうし」

「あんた、まーたそうやって上から目線で仲間探ししてんの? どうせまだ一人ぼっちで飛んでるんでしょ?」

 

 ガーベラに言われ、「俺が一緒に飛びたいと思う腕のいい奴がいないのが悪い」と胸を張った。

 ジェームズと呼ばれた少年に、ハルカゼ飛行隊は面識があった。ジェームズは用心棒としてこれまでガデン商会に度々雇われており、その度にハルカゼ飛行隊と何かと張り合っていたものだった。

 

「お前らまだ97式戦闘機乗ってるのか? まぁ、お前たちにはぴったりな機体だと思うけど」

「私たちはもう隼乗ってるもんねー! それよりあんた、まーだ親の脛齧って飛燕なんか乗ってるんじゃないの?」

「あれは俺の金で買った機体だ!」

「親にお金出してもらってた癖にぃ。このボンボンめ」

「もうきちんと返済したさ! 今は全部自分の金でやってるよ」

 

 ジェームズはどこかの大都市にある製パン会社の御曹司らしいが、飛行機に乗って用心棒として働くという夢を捨てきれず、家を出てきてしまったらしい。それでも家族仲は良好で未だに彼のもとには実家から大量のパンが送られてくるそうだ。実家の会社は姉が継いだことで、家族ともそれほど揉めなかったらしい。

 

 ジェームズはユーカ達とさほど飛行時間も変わらないが、新米用心棒にはとても手が出せないような金額の飛燕を愛機にしていた。どうやら親から貰っていた小遣いをせっせと貯め、それで飛燕を買ったようだが、小遣いだけで飛行機が買えるというのだからその金額はどれだけのものだろうか。その話をする時、決まってベルの瞳から光が消えていたように見えるのは、きっとユーカの気のせいではないだろう。

 

「俺は一人でやってくんだよ。もしも俺の下で飛びたいって奴がいたら、まあ考えてやらないでもないけどな」

「相変わらずの上から目線…あんたどこかの飛行隊に入るつもりなの?」

「凄腕のパイロットがいるような飛行隊なら入ってやってもいいけど。だけどどいつもこいつも期待外れだな」

 

 生意気な…とアカリは思ったが、新米用心棒にしてはジェームズの腕が良いことも事実だった。ハルカゼがまだ予備隊だった時にジェームズと何度も模擬空戦をしたことがあったが、結局ジェームズに勝てたのはほんの数回だけだった。飛燕と97式では機体性能に差があることも敗因なのだろうが、やはりジェームズがいいパイロットであることもその一因なのだろう。

 

「まあ、とにかくしばらくこの街をうろついて、腕の良さそうな奴を探してみるさ」

「明日の空賊団盗伐には参加しないの? コトブキ飛行隊は是非参加してくれって言われたみたいだけど」

「空賊討伐は都市飛行隊だけで充分、用心棒はお断り。だってさ。まったく、せっかく俺の腕を色んな奴に見せつけられると思ったのに」

 

 じゃあなと言ってジェームズが別の方向へと歩いていく。ユーカ達は空腹を訴えるお腹を押さえつつ、郊外の臨時飛行場を目指して歩き続けた。夜が近づいていた。




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第三六話 Scramble

コトブキ飛行隊のアプリが終了するという悲しみ。
せめて物語だけは閲覧できるように残しておいて欲しいです。
あの荒野の世界にいつでも戻れるように…


 その日、イヅルマ飛行場には各都市の飛行隊が集まり、さながら戦闘機の見本市のような光景が繰り広げられていた。イジツ中の戦闘機を集めたのではないかと思うほどの数の戦闘機と、ありとあらゆる種類の機体。そこかしこを整備員たちが駆け回り、始動したエンジンが空気を震わせる。

 

「あらぁ? コトブキ飛行隊の皆さんじゃないですかぁ」

 

 駐機場の一角で機体のメンテナンスを行っていたコトブキ飛行隊に気づき、一人の女性が駆け寄ってきて、派手に転ぶ。肩と胸元が大きく露出したボンテージに身を包み、くねくねと身体を揺らしているのは、ショウト自警団長のカミラだった。

 

「一騎当千のコトブキ飛行隊の皆さんが一緒ならぁ、この作戦は成功したも同然ですよねぇ」

「え、ああ…だが油断はしない方がいいと思う」

「それもそうですよねぇ。富嶽製造工場襲撃の時も、油断で酷い目に遭いましたもんねぇ」

 

 独特なテンションが苦手なのか愛想笑いを浮かべるレオナと、それに気づかないのかやたらと絡んでくるカミラ。レオナが戸惑う間にも、勝手に話は進んでいく。

 

「そういえばぁ、シノってヒドいんですよぉ。せっかくイヅルマに来たんだからシノの部屋に泊めてもらおうと思ったらぁ、シノったら部屋の鍵かけてどっか行っちゃってたんですよぉ」

「はあ…それは大変ですね」

「だから私ぃ、イヅルマ自警団の部屋で寝ててぇ…あれ? そちらの方は誰ですかぁ?」

 

 パイロットにしては奇抜過ぎる格好のカミラを唖然と見ていたリーパーに気づいたのか、素早くカミラが近づいてくる。絡んだら面倒そうだから関わらない方がいいと頭の中で警報が響いていたが、時すでに遅し。

 

「もしかしてぇ、コトブキ飛行隊の新入りさんですかぁ?」

「いや、俺は…」

「ですよねぇ。女用心棒集団のコトブキ飛行隊に男がいるなんておかしいですよねぇ。あ、じゃあ整備士さんですかぁ? でも整備士っぽくない恰好ですけどぉ」

 

 見かねたらしいザラが、「彼は今オウニ商会で面倒を見ているの」と助け船を出す。ユーハングの人間であるということは、伝えたらさらに面倒くさいことになりそうなので、敢えて言わなかった。

 

「そうだったんですかぁ。じゃあ、あなたもどこかの飛行隊にぃ?」

「いえ、今はフリーランスみたいなもんで…」

「フリーならぁ、ショウト自警団が現在人員を募集中ですよぉ! 街の復興やら空賊撃退やらでぇ、もう人手が足りなくってぇ」

 

 あははそうですねぇ、考えておきますねと、愛想笑いを浮かべるリーパー。今できるのは適当に相槌を打って、さっさと彼女が別のものに興味を持ってもらうようにすることだけだ。

 それにしても、奇抜な格好だと改めて思う。ボンテージに加え、ハイヒールとは。まるでどこかの悪の組織の女幹部のようだ。鞭を持たせたらさぞかし似合うことだろう。ハイヒールなんかで戦闘機のペダルをちゃんと踏めるのだろうかと、リーパーは不思議に思った。

 

「あ、これですかぁ? 大丈夫ですよぉ、きちんと私の飛燕のペダルには金具が付いてますからぁ」

 

 なぜ考えてることがわかった、とリーパーは思った。こんな見た目だが自警団の団長ということもあるので、意外と鋭い人間なのかもしれない。

 適当な相槌と愛想笑いでカミラの話を聞き流すリーパー。そんな彼に向かって滑走路を走ってくるのは、カナリア自警団のアコだった。

 

「あっ、いたいた! おーい、リーパーさん!」

「えーと、あなたは…」

「私ですよ! カナリア自警団の…」

「ああ、アカさんでしたっけ?」

 

 真顔でそう答えたリーパーに、思わずずっこけるアコ。「あらあら」とザラが微笑ましくその様子を眺める横で、キリエは「相変わらず名前を覚えるのが苦手なんだね」とリーパーを小突いた。

 

 そういえばイサオも中々人の名前を覚えようとしない奴だったな、とキリエは思った。アレシマで警護したにも関わらずレオナの名前を忘れていたり、キリエの師匠であり自分の手で撃墜したサブジーの名前すら憶えていなかったり。それでいて空戦の腕前は誰よりも高い。性格は正反対だが、リーパーとイサオは似ている。

 

「アコです! アコ!」

「すいません、名前を覚えるのが苦手で」

「この間会ったばかりじゃないですか! それより、リーパーさんにお伝えしたいことがあって来たんですよ!」

「伝えたいこと?」

「はい! さっき戻ってきた自警団の哨戒機からこんな写真が届いて…」

 

 アコは脇に抱えていた封筒から、コピー用紙ほどの大きさの写真を取り出した。モノクロ印刷で鮮明ではないものの、映っているのは空のように見える。

 その空のど真ん中に、変わった形の雲が浮かんでいた。輪っかのような雲が三つ、今まさに重なり合おうとしている瞬間の写真だ。

 

「これは穴が発生する前兆。過去にラハマやイケスカでも、穴が発生する時にこのような雲が発生していた」

「あ、私もアレンと一緒に見たことある!」

 

 キリエが見た雲は結局「穴」には成長しなかったし、その後イサオの手下に襲撃されて観察どころではなくなってしまったが、写真に映っているのは確かにアレンと一緒に赤とんぼで見た「穴」が発生する際に現れた雲だった。三つの輪っかのような雲が重なり合って一つになると、別の世界へ通じる「穴」へと成長する。

 

「この前『穴』が開いたら教えてくれって頼まれていたので…あれ?」

 

 胸を張るアコだったが、リーパーはそんな彼女には目もくれず、写真を穴が開きそうなほど見つめていた。

 もしかしたら帰れるかもしれない―――彼がそう考えていることは、この場にいる誰もがわかっていた。そのためにリーパーはオウニ商会と共に各地を回り、「穴」に関する情報を集めているのだ。故郷であるユーハングの世界に帰るべく。

 

 そして今まさに、その手段が現れた。今のリーパーは空賊討伐任務への出撃待機中の身ではあるが、空賊を倒すのと故郷へ帰るのと、どちらが大事かと言われれば考えるまでもない。それを察したレオナは、「行った方がいい」と先に声を掛ける。

 

「せっかく君の故郷に帰れるかもしれないチャンスがあるんだ。早く行くべきだ」

「そうよ。空賊退治は私たちに任せて、あなたは『穴』に向かうべきよ」

 

 レオナとザラにそう言われ、リーパーは写真とコトブキ飛行隊の面々を交互に眺めた。そして大きく息を吐くと、彼女たちの目をまっすぐに見つめる。

 

「すいません、俺はこっちに行きます」

 

 そう言って写真をかざすリーパー。もしも自分たちが同じ立場だったら、きっと元の世界へ戻ることを優先するだろう。キリエはそう思った。そもそもリーパーはこの世界にとっての部外者、イジツの安全を守るための戦いに彼を巻き込む道理はない。

 

「案内をお願いします。ここから距離はありますか?」

「いえ、飛行機で30分ほどの距離です。ちょうどカナリア自警団が『穴』付近の警備に向かうように命令があったので、私たちについてきてください」

「ちょっと、あんたが乗ってきた戦闘機はどうすんの? あれに乗って帰らないの?」

 

 チカが言っているのは、リーパーがイジツに迷い込んだ時に乗ってきたSu-30のことだろう。今あの機体は、遠く離れたラハマの洞窟の中だ。行って戻ってくるまでに、相当時間がかかる。フルスロットルで隼を飛ばしても、一日で戻ってこれる距離ではない。

 それにラハマからイヅルマまでは距離があるので、その分フランカーの燃料を消費してしまう。こっちに来る頃には、燃料タンクの中身がほとんど空になっているだろう。そのまま「穴」に突入しても、あっという間に燃料切れで墜落だ。

 

「偶然出現した穴の場合、世界間の接続が安定しないことが多い。ラハマに戻る間に穴が消える可能性もある。このまま行くことを推奨する」

 

 ケイトの言う通り、アレンの計算外で出現した「穴」であれば、大きさは安定していないだろうし消滅までの時間も短いだろう。過去に何度もそういった「穴」が短時間で現れては消え、イケスカのF-86Dのようにイジツに迷い込んできた者も多い。リーパーもその一人だ。

 

「このまま隼で行きます。海のど真ん中でもない限り、何とかなるでしょう」

 

 増槽無しでも隼ならば1000キロ以上は飛べる。「穴」の開いた先が太平洋のど真ん中でないことを祈るばかりだが、その場合は無線で遭難信号を発して救援を要請するしかない。

 それにリーパーはこうなった時に備えて、常に衛星携帯電話をリュックの底にしまい込んでいた。イジツでは使い道のない道具だが、フランカーに搭載してある無線機を取り外して持ってくるわけにもいかない。仮に地球に戻れた時には、この衛星携帯でアローズ社か国連軍に連絡を取ることが出来る。

 

「もし俺が地球に帰れたら、フランカーはオウニ商会で引き取ってください。あと、羽衣丸に置いてきた荷物で使えそうなものは皆さん自由に持って行って構いません。俺の端末はケイトが持ってた方が役に立つでしょう」

「感謝」

 

 イジツにおける航空戦を一変させかねないフランカーを、金や権力のことしか頭にない大企業や悪徳政治家に渡すのは不安だ。だがオウニ商会であれば信用が出来る。イジツの発展のためにフランカーを研究するにしろ、危険な存在と見なして破壊するにしろ、ルゥルゥたちが決めたことであればどんな選択であっても納得は出来るだろう。

 

「わかったわ、気をつけてね」

「幸運を祈っていますわ」

「安全祈願」

「もしユーハングに戻ったらウーミ探してね、絶対だよ!」

 

 別れの言葉とも、激励ともとれる言葉を交わす。「頑張れ」とレオナの言葉に頷き、リーパーは自分の隼に飛び乗った。既に他の飛行隊は離陸を始めていて、ちょうどコトブキ飛行隊の順番が来ている。

 

「…帰れるといいね」

「ああ。そっちも気をつけて」

「はいはい」

 

 キリエとそう言葉を交わし、リーパーは隼のエンジンの始動準備を始めた。地上に降りたナツオら羽衣丸クルーがいつものように機体に取りつき、イナーシャハンドルを回してエンジンに点火した。ここ数週間で隼のエンジン音とその振動も、完ぺきではないシール部分から洩れるオイルの臭いも、すっかり自分の身体の一部のように馴染んでいる。

 

 尾輪式のため前方に持ち上がっているエンジン部分で視界は遮られ、蛇行して前方を確認しつつ7機の隼は滑走路まで前進する。イヅルマの管制塔から離陸許可が出て、レオナの機体を先頭にコトブキ飛行隊が離陸を開始した。そこからやや遅れて、リーパーの乗る青い隼も滑走を開始する。

 

 

 この荒野の世界ともこれでおさらばできるのだろうか。ふわりと浮いた隼の操縦席で、リーパーは思う。地球に戻れたら、まずは何をすべきなのだろう。自分が今まで見てきたことや聞いてきたことを全て報告したところで、まともに取り合ってもらえるとは思えない。しばらく休んだ後、またいつも通り任務に就く。そんなところかもしれない。

 

 任務。そこでリーパーは、地球ではまだ戦争が続いていることを思い出す。ユリシーズの厄災から続く、何千万人もの人々の命を奪ってきた戦争。自分はまた、あの破壊と死しかない空で飛ぶこととなるのだろうか。リボン付きの死神と称えられ、恐れられ、命令に従って人を殺す。あの日々に戻るのだろうか。

 

 どこまでも果てしなく荒野が続き、そこら中に危険が転がっている世界であるイジツ。レーダーもGPSもなく、少しでも方向を間違えば不毛の荒野を彷徨うことになり、不時着したところで誰かが必ず助けに来てくれるわけでもない世界。空でも陸でも死は当たり前、ほんの些細なことでも死につながる世界だ。

 

 

 だが、ここには破壊が無い。たった一発で、ほんの一瞬で戦闘機の編隊すら消し飛ばすほどの散弾ミサイルや、脱出したパイロットまでも無慈悲に殺す無人機もない。戦いでものを言うのは己の腕だけ。互いの空戦技術の差が勝敗を、生者と死者を分ける世界だ。

 イジツでは争いが絶えないが、街同士が離れているから陸戦は滅多に起きない。一隻船が沈むだけで大勢死者が出る海戦は、海が無いイジツでは当然起こりえない。市街地の上空でドンパチやるのでもない限り、荒野で起きる空戦で死ぬのはパイロットだけ。一度の戦いで何百人、何千人も死ぬような地球の戦争とは違う。

 

 本当に帰っていいものか。帰ればまた、あの破壊しかない空に戻ることになる。それよりもこの荒野がどこまでも続く世界で、自分の好きなように飛んでいる方が楽しいんじゃないか? そんな考えが頭をよぎったが、リーパーはランディングギアを格納すると、操縦桿をコトブキ飛行隊が向かうのとは反対方向へと傾ける。

 

 今の自分は国連軍の兵士だ。それに地球ではリーパーの帰りを待っている人々が大勢いる。リーパーの家族や友達だって、行方不明になった彼を心配しているだろう。彼らを安心させるため、彼らの信頼と期待を裏切らないためにも、今は帰らなきゃいけない。

 

 いくら心が惹かれていても、地球こそがリーパーの故郷だった。イジツは自分のいるべき場所ではないし、帰りたいという気持ちも本当だった。

 

 リーパーはコトブキ飛行隊の編隊と離れ、先に離陸していたカナリア自警団の紫電を見つけると、そちらに機首を向ける。彼を待っていたアコたちはリーパーの隼が追い付いたのを確認すると、「穴」の前兆らしき雲が確認された場所へ進路を取った。

 

 




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第三七話 DARK BLUE

カナリア自警団の紫電の後をついていくリーパー。今同行しているのはアコとリッタだけだが、残りの団員は現地で合流する予定だった。カナリア自警団は今回の空賊討伐には参加せず、街の付近のパトロールを命じられていたらしいが、「穴」が開いたということで、その防衛に命令が変更されたらしい。

 

「『穴』が開いてからどれくらい経つんですか?」

「自警団の哨戒機が見つけてからもう1時間くらいですね。燃料がギリギリなのでついさっき帰投すると連絡がありましたから、その後はどうなっているか…」

「『穴』って確か不安定なものなんでしたっけ? 私もイケスカ動乱の新聞で読んだくらいなのでよくわからないんですけど」

 

 リッタはそう言うが、リーパーですら『穴』についてはアレンから聞いたことくらいしか知らない。イジツにやって来たのだって不慮の事故でしかないのだし、『穴』についてはイジツの人間ですら知らないことの方が多い。アレンたち研究者はユーハングの残した資料などから『穴』について情報を集めているものの、『穴』が何故開くのか、どういう条件で開くのか、どれくらいの大きさでいつまで開いているのかといったことは、ほとんど占いと同じレベルの予測しか出来ない。

 

 

「リーパーさんはユーハングでどんなお仕事をしてるんですか?」

「俺は…傭兵ですよ」

「え? そうなんですか? なんかふにゃーっとしてる人だからそんな風には見えませんでしたよ」

 

 アコもリッタと同じ感想だった。傭兵というともっと荒々しい人だと思っていたが、地上で会った時のリーパーはそんなイメージとは全く真逆。何を考えているのかわかりにくい人間だと思った。

 

「それにしても、その紫電に描かれてるエンブレムは何ですか?」

「え? これですか? カナリア自警団のマスコットのカナリアくんですよ!」

 

 自身がデザインしたということもあって、アコは胸を張った。

 

「カナリアというと、あの鳥の?」

「はい、そうです!」

「え、それが鳥なんですか? てっきり蛙かクスリでもやってる鳥のお化けかと思いましたよ」

「え゛ぇ゛!?」

「やっぱりそう思いますよねぇ」

 

 ショックを受けるアコと、当然と言わんばかりの態度のリッタ。聞けばアコが直々にデザインしたカナリアくんはぬいぐるみなどのグッズ展開もしているが、その見た目のせいで山のような在庫があるのだという。

 

「自分の家ではカナリアくんのぬいぐるみを庭に置いたら、鳥が近寄らなくなりましたよ。魔除けのお守りとかにお一つどうですか?」

「遠慮しておきます」

「ですよねぇ」

「二人ともひどいですよ!」

 

 そうこうしている内に、他のカナリア自警団の面々もアコらに合流する。いくつかの編隊に別れてパトロール飛行を行っていたが、「穴」の出現で任務が変更されたらしい。

 

「もうすぐ『穴』が現れたという空域よ。もしかしたら『穴』を狙う連中が襲って来るかもしれないから用心して」

 

 70年前にユーハングをイジツにもたらした「穴」。ユーハングがやって来たことでイジツが発展したことから、「穴」からは何か素晴らしいものが落ちてくるに違いないと思っている人は多いし、それを独り占めして自分だけの利益にしてしまおうと考えている者もいる。その最たる例がイサオだ。

 そういった連中は「穴」が現れたり、これから現れると予測している場所に出没しては、「穴」の周辺から人を追い払って強引にでも自分たちのものにしてしまおうとする。そういった連中から「穴」を守るために、カナリア自警団が派遣されたのだ。

 

「あれが、『穴』…」

 

 遠くの空に浮かぶ、奇妙に揺らめく青い円状の空間。写真や絵などで「穴」がどういうものか知っているつもりだったが、こうして実物を目にするのはアコも初めてだった。

 一方リーパーは、自分がイジツにやって来た時とは穴の様子が異なるのに首を傾げていた。リーパーが飛び込んだ穴はまるで電源の入っていない液晶画面のように真っ黒で無機質なものだったが、今目の前に開いているのはまるで水面のように揺らぎ、形も安定していない。色も群青(ダークブルー)で、「穴」の向こうの空が透けて見える。

 

「何か違う…」

 

 アレンの言う「不安定な状態」の穴なのだろう。完全に別の世界とは繋がっていない穴のようだ。

 このまま待っていれば「穴」は別の世界に繋がるかもしれないし、逆にこのままどこにも繋がることなく霧散してしまうかもしれない。だがいつまで待てば「穴」の状態が変化するのかは、アレンも知らないという。このまま状況が変化するまで待つしかない。

 

 

 

 

 だがそうも言っていられないようだった。

 

「お姉さま、3時方向から複数の戦闘機です!」

 

 ミントの言葉でそちらを見ると、確かに戦闘機が6機、「穴」のある空域に接近しつつある。飛燕が一機と、疾風が5機。青い塗装に緑のラインが入った飛燕と、くすんだ水色をベースに、黒と赤の禍々しいラインが入った疾風は、どう見ても自警団の機体ではない。

 空賊か、とアコが警戒態勢を取るよう命じようとしたその時、無線機のスピーカーから女性の声が流れる。

 

『こちらはパロット社特殊防空隊です。私はウタカ社長の秘書を務めるツバメと申します』

「パロット社?」

「イヅルマで一番大きな会社です。飛行船製造で有名なんですよ」

 

 アコがそう解説した。飛行船製造だけでなく戦闘機の改良なども手掛けており、イヅルマでは知らない者はいないどころか、イジツ有数の大企業であるパロット社。イヅルマ議会でもその影響力は強く、さらにはイヅルマ自警団まで彼らの影響を受け始めている。資金不足からそれまで伝統の名のもとに使われ続けていた紫電から、パロット社の提供した紫電改への機首転換が自警団でも始まっていた。

 

「自分たちで傭兵や用心棒を雇って私設軍隊すら有しているとは聞いていたけれど、まさか本当だったとはね」

 

 シノが苦々しげにツバメ率いる特殊防空隊に目をやる。規律を重んじる彼女からしてみれば、大企業とは言え一企業が自警団に匹敵するほどの戦力を有する軍隊を持っているなど、受け入れがたいに違いない。

 

『我々はイヅルマ市長より自警団の支援を行うよう要請を受けて来ました。これより、「穴」の周辺警備は我々が引き継ぎます。皆さまはお引き取りを』

「何ですって? 何の権限があってそんな…」

『パロット社は日頃からイヅルマ自警団の皆様のサポートをさせていただいておりますので、その一環かと。皆さまは通常の哨戒任務に戻るよう伝えるようにと仰せつかっております』

 

 ツバメと名乗る女性の顔は見えないし、丁寧な口調だが、その実カナリア自警団を見下しているのが言葉の節々から伝わってくる。自分たちが圧倒的に優位な立場だと思っているらしい。

 

「でも、自警団本部からそのような命令は受けていないわよ?」

『きっとお忙しいのでしょう。何せ各都市の飛行隊がイヅルマに集結している上に、空賊討伐の一大作戦の真っ最中ですから』

 

 エルの言葉もひょうひょうとかわすツバメ。嘘だ、とアコは思った。流石に自警団上層部が、大事な「穴」の警備を一企業に委託してしまうなんてことは考えられない。

 

「自警団本部から命令が入っていない以上、私たちは最後に与えられた任務を続行します」

『我々は「穴」を防衛し、たとえ誰であっても「穴」に近づく者を排除せよと命令を受けています。たとえそれが自警団でも…』

「面白いじゃない、私たちとやりあうつもり?」

 

 「穴」を中心に旋回を続け、睨み合うカナリア自警団とパロット社。一方リーパーはそんな両者と少し距離を取りつつ、かといって「穴」から離れすぎない距離を保ち、持ってきていた衛星携帯電話を起動した。

 リーパーがイジツに来た時、「穴」が消えかけている間も無線通信は地球と繋がっていた。もしこの「穴」が地球と繋がっていれば、電波が届くかもしれない。そう思って電源を入れたリーパーだったが、画面に表示されるのは「NO SIGNAL」の文字だった。

 

 位置が悪いのかと、「穴」にさらに近づいてみる。するとたちまち特殊防空隊の疾風が殺到してきて、直ちに退去するようリーパーに迫る。

 

『こちらはパロット社特殊防空隊だ。現在この空域は我々が管轄している。直ちに180度反転し、この空域から退去せよ。従わない場合、撃墜する』

 

 そう告げて隼の背後についた疾風が、威嚇射撃の曳光弾をリーパーの頭上に放った。だからといって「はいそうですか」と引き返すわけにはいかない。リーパーは背後についた疾風の様子を確認する。大企業が金で腕利きを集めたとだけあって、腕は良さそうだ。

 

「ちょっと、何やってるんですか!? いきなり民間人に向かって発砲するなんて!」

 

 どうやって撒いてやるかと考えていた時、アコの紫電が隼と疾風の間に割り込んできた。流石に彼女たちも、威嚇射撃はやり過ぎだと思ったらしい。アコの紫電が疾風を遮っている間にリーパーは旋回すると、再び穴へと接近する。

 

 衛星携帯電話は相変わらず電波が入らない状態で、リーパーは飛行服のポケットから小型ラジオを取り出した。暇つぶし用として荷物の奥底に入っていたものだが、ラジオの電波なら入るかもしれない。

 

『直ちにこの空域から退去してください』

「上司の命令でもなければ勝手に離れることは出来ないわ。あなたたちこそ『穴』を狙って私たちを追い返そうとしてるだけじゃない?」

『我々はイヅルマ市長の要請で自警団の任務の補助を行っているだけです』

「だったら自分たちを追い出す必要はないじゃないですか!」

 

 カナリア自警団とツバメがなにやら言い合っているが、リーパーの耳にそれらの言葉は届いていなかった。ひたすらラジオのダイヤルを弄り、チャンネルを日本の放送に合わせる。だが聞こえてくるのはノイズだけだ。

 

 

 

 ふと「穴」を見ると、その空間が唐突に大きく揺らぎだしていた。まるで池に石を投げ込んだかのように、「穴」のある空間が波打ち、急速にその色彩を失っていく。ダークブルーの空間が、リーパーの隼と同じ空の青へと色が変わっていき、雲のような三つの輪っかが揺れ動きながらそれぞれ別の方向へと離れて行ってしまう。

 

「穴が消える…」

 

 アコの言葉と共に、「穴」―――正確に言えば、その成りそこないは完全に消失してしまった。後に残ったのは雲状の三つの輪っかだけ。それすらすぐに霧散してしまい、さっきまであった「穴」の痕跡はすっかりなくなってしまった。

 その間わずか数分。さっきまで今にも空戦をおっぱじめかねない雰囲気だったカナリア自警団とパロット社は、黙ってその様子を眺めていることしか出来なかった。

 

『…どうやら「穴」は不完全なモノだったみたいですね。我々は帰還します』

「あっ、ちょっと待ちなさい!」

 

 シノの呼び止めにも関わらず、パロット社の編隊はあっさりと180度変針し、イヅルマへと戻っていく。彼らの目的が「穴」にあることは間違いないとアコは思った。

 巷で言われている通り、「穴」が莫大な利益をもたらすものだとしたら、大企業のパロット社が喉から手が出るほど欲しがっても不思議ではない。「穴」とそこから降ってくるものを手に入れればさらに会社の利益を拡大させ、パロット社をイジツ最大の企業にまで成長させることだってできるだろう。反対に誰かが「穴」を手に入れてしまったら、今度は自分たちの立場が危うくなる。

 

「『穴』が消えてしまった以上、私たちの任務は終了です。ひとまず自警団本部の指示を仰ぎましょう。リーパーさん、あなたはどうされますか?」

 

 イジツに迷い込んだユーハング人ということで連れてきたリーパーだったが、アコの問いかけに無言だった。「リーパーさん?」と再度問いかけると、「…コトブキ飛行隊と合流します」とようやく返事が返ってくる。

 どこか元気がなさそうだったが、それも当然だろう。何せ目の前で元の世界に帰れるかもしれない「穴」が消えてしまったのだ。もしかしたらどこにも通じていない「穴」だったのかもしれないが、期待していた分失望も大きいのかもしれない。

 どんな慰めの言葉を掛けたらいいのかも分からず、アコは「気をつけてくださいね」と返した。コトブキ飛行隊は空賊の討伐任務へ「円卓」に向かったから、リーパーも空賊退治に参加するつもりなのだろう。

 

 リーパーの機体が「円卓」のある北東へと向かっていくのを見送りながら、アコは自警団本部を呼び出した。監視対象である「穴」は消失してしまったが、かといって勝手に帰還していいということにはならない。きちんと「穴」が消えたことを報告し、その上で今後の指示を仰ぐ必要がある。

 

「部長、こちらカナリア自警団のアコです。イヅルマ郊外に出現していた『穴』ですが、先ほど突如不安定になり、消失しました」

『消失? それは良かっ…じゃなくて残念だね』

「今良かったって言おうとしませんでした?」

『だって「穴」なんて開いたら面倒なことになるじゃないか。あっちこっちから「穴」を狙う連中がやってきたりするかも…』

「とにかく、今後の指示をお願いします」

 

 パロット社が介入してきたことは、後で聞いた方がよさそうだった。今ここで話してしまえば、小心者の部長のことだから、「自分が何かしでかしたのではないか」と気が気ではなくなるだろう。イヅルマ市長や自警団長を交えて、事実確認を行う必要がある。

 

『おっと、こうしてる場合じゃない! 君たち、早く「円卓」に向かってくれ!』

「私たちの任務はイヅルマ近郊のパトロールのはずですが…」

『それどころじゃないんだよ! 味方が押されてて、さっきから救援要請が入りっぱなしなんだよぉ!』

 

 




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第三八話 THE ROUND TABLE

 空賊討伐に向かった各都市の飛行隊は、この任務に対してかなり楽観的だった。数が多いとはいえ、所詮は空賊。それに対してこちらは各都市の精鋭飛行隊が同じ数だけ集まっている。

 普通に戦えば、どうやったって負けることはありえない。星を稼ぐだけ稼いで、さっさと帰ろう。そんな気持ちで空賊討伐に臨んだ合同飛行隊だが、その甘い考えは脆くも崩れ去ることとなった。

 

『本部より入電、合同飛行隊は戦力の40%を喪失!』

『編隊長がやられた、誰か指揮を引き継げ』

『こんなの聞いていたのと話が違うぞ!』

 

 きちんと整備され、綺麗な塗装の飛行隊の戦闘機が、薄汚れて荒々しいデザインが機体に施された空賊の戦闘機に追い回される。被弾した機体が曳く黒煙の尾が、茶色い大地と青い空に線を描く。

 

『もうダメだ、撤退だ!』

『どこに逃げるってんだ、すっかり包囲されてるんだぞ!』

 

 事前の情報に漏れがあったのか、それとも空賊風情と侮って満足な情報収集も行っていなかったのか。空賊が集結している「円卓」と呼称された地域に向かった合同飛行隊が目の当たりにしたのは、事前情報の倍以上の数の空賊の群れだった。

 しかもただ数が多いだけではなく、中には元自由博愛連合の残党と思しき編隊もいた。自博連がコトブキ飛行隊に敗れ、イケスカでの勢力争いにも敗れた自由博愛連合だが、未だに残党は活動を続けている。そういった連中はイケスカ動乱の初期から生き残っている連中ばかりで、経験も腕もある優秀な戦闘機乗りが多い。

 

 対して各都市の飛行隊は公営ゆえ、比較的実戦の経験は少ない。それに大都市ほど空賊の襲撃を受ける機会も減るし、中には外注としてさらに用心棒に仕事を投げるような場所もある。それでも都市飛行隊ということで腕は良かったが、いかんせん倍の数の敵に取り囲まれてしまえば、多少の腕の差ではどうにもならなかった。

 

「また一機やられた!」

 

 大混戦の最中、キリエの前方を飛んでいたどこかの飛行隊の紫電が被弾し、炎を機体から噴き出しながら墜落していく。操縦士は機体が炎上する直前に脱出し、今は落下傘で空中を漂っているが、下に広がっているのは「円卓」。電波状況は悪く、環境も過酷。既に脱出したパイロットは敵味方問わず大勢いるが、救助が来るまでに何人が生き残れるだろうか。そもそも、脱出したパイロットを見つけられる保障すらない。

 

『…いたぞ! コトブキ飛行隊だ!』

 

 電波障害で無線も混信していたのか、そんな通信が聞こえる。「キリエ、上!」とチカの叫ぶ声でキリエが頭上を見上げると、風防越しに編隊飛行するコトブキ飛行隊目掛けて急降下してくる四式戦闘機「疾風」の群れ。

 

「あの塗装は…」

「自博連の残党」

 

 茶色い迷彩の機体には見覚えがある。ケイトの言った通り、何度も戦ってきた自由博愛連合の機体だ。もっともイサオがいた頃はピカピカだったその機体もかなり薄汚れ、あちこちに補修の痕が見える。イサオがいなくなった後も、自由博愛連合の残党は戦い続けてきたのだろう。

 

『あいつらさえいなければ俺たちは!』

『あのコトブキ飛行隊を落とせば名が上がる、やってやる!』

『ここで会ったが百年目だ、死んでもらうぞ』

 

 次々と殺到してくる疾風の群れ。それだけでなくコトブキ飛行隊と聞いたのか、それまで他の飛行隊を追い回していた空賊たちが、続々と彼女たち向けて飛来してくる。その間に空賊に追い回されていた合同飛行隊はどうにか戦闘空域から脱出することが出来たが、今度はコトブキ飛行隊が空賊に囲まれる状況となってしまった。

 

「あいつら全員こっちに来てるよ! レオナどうする!?」

 

 返事を待つ間もなく、曳光弾の雨が上下左右から飛んでくる。この状況で孤立しては確実にやられてしまうが、かといって密集していればすぐに被弾してしまうだろう。

 

「各機散開! ペアと離れるなよ!」

 

 レオナはそう指示を下しザラと、ケイトはエンマと、そしてキリエはチカとペアを組んで、二機編隊でそれぞれ別の方向へと散開していく。空賊たちは散開した彼女たちを追ってそれぞれてんでバラバラな方へと飛んでいくが、それでもまだ数は多い。

 

「この後どうすんの?」

「被弾した味方機が脱出するまでの時間を稼ぐ!」

「その後は?」

「どうにかする!」

 

 とはいえ、多勢に無勢だった。レオナが攻撃、ザラがその援護を担当し、向かって来る空賊機の中へと飛び込む。すれ違いざまに二機ほど落としたが、まったく空賊の数は減らない。

 

『いたぞ、翼端が緑の隼! あいつが隊長機だ!』

『隊長機を狙え、指揮系統を乱せるぞ』

『他の機体と分断しろ、リーダー機をまず墜とせ』

 

 混信のノイズと共に、零戦五二型が10機ほど、レオナたちの編隊に突っ込んできた。空賊は二手に分かれ、それぞれザラとレオナの間に割って入る。レオナの援護を担当するザラだったが、自分も狙われているとあっては回避に徹するしかない。可能な限りレオナとの距離を保とうとするザラだったが、空賊たちに追われて徐々に距離が開いていく。

 

「ザラ! くそっ…!」

 

 ザラに纏わりつく零戦を一機撃墜したレオナだったが、すぐさま背後から銃弾の雨が押し寄せてくる。機銃弾が翼端を掠め、レオナは一気に隼を急降下させた。だが空賊たちも手練れなのか、即座に彼女の動きに追随してくる。あっという間にレオナはザラと引き離され、零戦に追いかけ回される形となってしまった。

 

「ザラが危ない、助けないと!」

「どうやって!? エンマ行ける?」

「無理ですわ!」

 

 レオナ機が空賊に追われている様子を目の当たりにした他の隊員たちだが、彼女たちもそれぞれ空賊に追われる身だった。何度も自由博愛連合に煮え湯を飲ませ、ついにはイサオを倒し自博連を瓦解させたコトブキ飛行隊は、空賊たちにとって格好の獲物というよりも、何としても復讐しなければならない相手だった。味方機の損害にも構わず、空賊たちはキリエたちに突っ込んでくる。

 

 

 一方零戦の群れに追われるレオナは、どこか懐かしい気持ちを抱いていた。一瞬でも気を抜けば容赦なく墜とされるという状況なのに、感慨にふけってしまう。

 

「あの時と同じだ…」

 

 もう何年も昔、まだレオナが駆け出しの戦闘機乗りだった頃。リノウチ大空戦と呼ばれる戦いがあった。イジツ中を巻き込んだその戦いには大勢の戦闘機乗りが参加し、育った孤児院(ホーム)を支えるべく戦闘機乗りになったレオナも、一稼ぎすべく参戦した。

 だが蓋を開けてみれば戦いが始まるなり熱くなって突っ走ってしまい、味方の編隊から離れて孤立。複数の零戦五二型に追い回され、挙句の果てに被弾した。

 

 その時と異なるのは彼女が「駆け出し」から「エリート」と呼ばれるようになったこと、そして乗っているのが九七式戦闘機ではなく隼であるということか。必死の回避運動で敵機の射線から逃れ、なおかつ敵機をオーバーシュートさせて何とか反撃のチャンスを作ろうとするレオナだったが、空賊たちもあの時の零戦のように恐ろしい相手だった。

 急減速とバレルロールで一機を前方に押し出し、何とか撃ち落としたものの、依然5機もの零戦がレオナを狙っている。自分たちも狙われている状況では、ザラやキリエたち他の隊員も回避運動に徹するのに精いっぱいだ。

 

「レオナ!」

 

 思わず叫ぶザラ。だが追われているレオナ機の後方から、1機の戦闘機が接近しつつあることに彼女は気づく。

 

 

 

 突然、レオナ機を追っていた空賊機の一機が、翼から火を噴いて墜落していく。さらにもう一機、後方から飛んできた曳光弾にラダーを吹き飛ばされ、独楽のように回転しながら茶色い大地へ重力に引かれて落ちていった。

 

「誰だ!?」

 

 自分たちの後方に敵機がいることに気づいた零戦が一機、レオナ機の追撃を止めて回避運動を取ろうとした。だが飛んできた曳光弾はその機動を読んでいたかのように零戦の右主翼に命中し、インテグラルタンクに引火した零戦があっという間に火達磨になる。

 残った二機もそれぞれレオナ機の追撃を中断し、回避行動に移ったが、無駄だった。後方から飛来する機銃弾はまるで吸い込まれるかのように、その二機の胴体を貫いた。

 

 瞬く間に5機の零戦が落とされた。こんなことをする奴は誰だ。そう背後を振り返ろうとしたレオナの頭上を、一機の青い隼が飛び抜けていく。

 

『無事ですか?』

 

 その声と、機体に描かれたピンクのリボンを結んだ死神のエンブレムには見覚えがあった。レオナ機を追い越した隼は挨拶するかのようにバンクし、その光景が再びレオナを懐かしい気持ちにさせる。

 

「イサオ…」

 

 かつて自由博愛連合を率いていた男、イサオ。彼もまたリノウチ大空戦にイケスカ飛行隊のパイロットとして参戦し、1回の出撃で12機を撃墜して「天上の奇術師」と呼ばれた。そんな彼に、まだ新米だったレオナは助けられた。

 

 だが今目の前を飛んでいるのはイサオではない。戦闘機は五式戦ではないし、何よりパイロットは雄弁でお調子者のイサオとは程遠い、口数は少なく大人しい男だ。共通しているのは空戦スキルくらいだろうか。

 

『違います』

「いや、今のは独り言だ。リーパー、また助けられたな。ありがとう」

『どうも。機体の損傷は? 疲れたなら一回下がった方が良いかと』

「大丈夫だ、まだいける」

『なら安心しました。しばらく休んでてください』

 

 そう言ってリーパーの機体は別の空賊機へと向かって行く。その向こうではザラ機に纏わりついた空賊機に、見たことのある零戦52型が銃撃を浴びせていた。

 

「あの機体は…」

 

 イケスカから市長を護衛してきたという片羽の零戦52型丙だ。リーパー共々、いつの間にやって来たのだろうか。

 近くの敵機には高威力の20ミリ機関銃を撃ち込み、離れた敵には弾道特製が良好な13.2ミリ機銃を放つ。まるで見えない手ではたき落とされるかの如く、次々と敵機が落ちていく。その中を駆け抜ける片方の主翼を赤く塗られた零戦は、さながら次々と獲物を食い殺していく地獄の番犬のようだ。

 

「ザラ、無事か!?」

「ええ、何とか…彼らに助けられたわね」

「無理はするな、限界なら帰投しろ」

「まだ大丈夫、少し休めばまたいけるわ」

 

 そういうザラの息はすっかり上がっていて、レオナも身体の節々がまだ痛んでいた。回避行動で高いGがかかる旋回運動を続けていたのだから当然だった。高いGが身体に掛かり続けたせいで意識はブラックアウト寸前で、何度気絶しそうになったかわからない。

 空戦は非常に体力を消耗する。ドッグファイトは常に高いGが身体を襲う中で、どちらが先に音を上げるかの勝負でもある。そしてその勝負に先に負け、回避運動が鈍った方が死ぬ。

 

「ああ、まただ」

 

 リーパーの隼と片羽の零戦は二機編隊を組むと、他の味方機を追い回している空賊機へと向かって突っ込んでいく。彼らは数日前に少し会っただけのはずなのに、長いこと編隊を組んでいるかのようにその息はぴったりだった。




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第三九話 Dogfight

 ――――――十数分前。

 

 

 結局、『穴』は地球へと繋がらなかった。その可能性は高いと予想はしていたし、覚悟もしていたつもりだったが、こうして実際に目の前で希望が失われる様を見なければならなかったのはかなり堪えた。

 もう帰るのは無理なのかもしれない、とリーパーは思いつつあった。アレンの話では1年後に『穴』が開くということらしいが、その『穴』だって繋がる先をアレンは予想できていない。元の地球に帰れる保証などどこにもない。

 ならばいっそ、イジツで人生を終える覚悟が必要かもしれないな。リーパーは空賊討伐任務が行われている「円卓」に向かって隼を飛ばしつつ、頭の片隅でそんなことを思った。

 

 

 ふと視界の片隅に、同じ方向へ向かって飛ぶ一機の戦闘機が見えた。向こうもリーパーの隼に気づいたらしく、翼を振って接近してくる。右の主翼の端だけが赤く塗られた、見覚えのある零戦だった。

 

『そこの青い隼、お前はもしかしてオウニ商会の用心棒か?』

 

 やや掠れたような、若い男の声。間違いなく、数日前にイケスカ市長の護衛機としてやって来たピクシーという傭兵の声だった。

 

「そうだ。そちらはイケスカ空軍のピクシーで間違いなかったか?」

『正確に言えば傭兵だが、そう思ってくれて構わない』

「まだ市長はイケスカにいるはずだが、どこへ行くんだ? 先にイケスカへ帰還するのか?」

 

 市長の護衛としてやって来たイケスカ飛行隊だが、イヅルマ側は彼らを警戒しているのか空賊討伐任務には参加させず、周辺空域の哨戒任務を押し付けたらしい。だからリーパーもイヅルマを離れて飛んでいるピクシーの機を見て、イケスカへ帰るのかと思ったのだが、返事は予想外のものだった。

 

『聞いていないのか? 円卓において合同飛行隊が現在苦戦している。至急増援をという話が来たから向かっているんだが』

「苦戦? 敵は空賊で数もこちらより少ないという話は?」

『事前の情報が誤っていたようだ。現在の味方の損耗率は30%。イケスカ空軍だけでなく、イヅルマにいる用心棒にも片っ端から声がかかっているという話だ』

 

 その言葉を裏付けるように、この空域を飛んでいるのはリーパーとピクシーだけではなかった。塗装も機種もバラバラの戦闘機たちが、円卓に向かって飛んでいる。

 

『報酬は普段の三倍出すそうだ。お偉方も空賊を叩き潰すつもりが逆に叩き潰されちゃ敵わんと思っているんだろう。面子にかかわるからな、なりふり構っていられないみたいだ』

「こんなバラバラな面子で統率が取れるか怪しいもんだが」

『そうだな。ところで、リーパーと言ったか。お前僚機はいないのか?』

 

 コトブキ飛行隊が僚機と言えばそうなるかもしれないが、厳密な意味での僚機はいない。リーパーが隊長を務めていることになっているアローブレイズ飛行隊は、現在人員一名のみだ。

 

「いや、いない。俺は別行動中だったが、今はコトブキ飛行隊の支援に向かっている」

『そうか、なら編隊を組もう。リーパーと言ったか、お前の腕前は聞いている。中々優秀なパイロットらしいな』

 

 いきなりの提案にリーパーは少々面食らった。普通編隊というものは、きちんと同じ訓練をした仲間同士で組むものだ。それをいきなり出合ったばかりの人間と組もうと言い出すのは、よほど腕に自信があるのか。

 だが悪い話ではない。たった一機で戦うよりも、即席とはいえ編隊を組んでいた方が、背中を守ってくれる仲間がいるだけ安心して戦える。リーパーはピクシーの提案に乗った。

 

『隊長はお前がやってくれ、リーパー』

「俺でいいのか?」

『お前の腕前を見せてもらいたい』

 

 即席の編隊長が自分でいいのか、と思ったが、どうせほとんど初対面の相手だ。互いの背中を守って戦えるなら、それで十分だろう。

 

「了解した。それじゃ円卓へ急ごう」

 

 

 

 

――――――現在

 

 

 リーパーを始めとした急遽動員された用心棒たちが作戦空域に到達した時には、状況は混迷を極めていた。各都市から集まった合同飛行隊は空賊たちに追い回され、味方の損耗率は40%を突破。後退を始める部隊もあり、味方の統制がほとんど取れていない。

 

『こんな状況だが…どうするリーパー?』

「とりあえず味方を援護、敵を墜とす」

『シンプルだな…っと。10時方向、あれはお前の仲間じゃないか?』

 

 ピクシーが示した方角を見ると、空賊と思しき零戦数機に追われる隼の機影。その機体に緑色のラインが走っているのを見たリーパーは、それがレオナの機体だと確信した。空戦機動も彼女のものだ。

 

「コトブキ飛行隊だ。まだ墜とされてはいないようだが、このままだとマズい」

『助けに行くか?』

「あんたがついてきてくれるなら。ついて来なくても行くつもりだけど」

『わかった。それじゃ、花火の中に突っ込むとするか』

 

 コトブキ飛行隊は味方の後退を援護するため、前線に踏みとどまっているようだった。そのせいで多数の敵機から狙われている。レオナだけでなく、他の面々も空賊に包囲されていた。

 

「俺はレオナ隊長を援護する。あんたは他の機を頼む」

了解(ウィルコ)

 

 太陽を背にして急降下。機体が空中分解しないギリギリのところをキープし、速度を稼ぐ。太陽を背にしているためか、はたまた目の前の獲物に夢中になっているのか、レオナを追う5機の零戦は急降下して接近してくるリーパーに気づいていないようだった。

 

 リーパーは機首を起こして減速し、空賊たちの背後についた。そしてそのまま一番近くの機を照準に納め、発砲。Su-30の30ミリ機関砲に比べたら遥かに軽やかな発砲音と共に、数発の曳光弾が空に軌跡を描いて零戦の主翼に命中する。燃料タンクを内蔵した主翼はたちまち赤い炎を噴き出し、撃たれた零戦がコントロールを失って急降下していく。

 

 もう一機、レオナを追う機体に照準を合わせた。敵機はレオナ機への攻撃に夢中になっていて、回避運動を取る素振りもない。敵の機動を先読みする必要すらなかった。リーパーがそのまま発砲すると、放たれた12.7mm弾は零戦のラダーを吹き飛ばし、コントロールを失った零戦がくるくる回りながら茶色い大地へ向かった落ちていく。途中で白い落下傘が空中に花を咲かせ、ゆらゆらと降下していった。

 

 流石に二機を落とされ、空賊もリーパーの存在に気づいたらしい。一機がレオナ機の追撃を止め、旋回して回避しようとした。だがリーパーはその回避軌道の先を読み、発砲。自ら銃弾の進路に飛び込む形となった零戦は、右の主翼から炎を噴き出しながら墜落していく。

 

 残った二機もそれぞれ機首を引き上げ離脱しようとしたが、リーパーには不思議と彼らの機動がわかった。「恐らくここを通るだろう」と予想した場所に照準を合わせて発砲すると、その通りに敵機が射線に飛び込んできて銃弾が命中する。レオナを追っていた機体を全て撃墜したリーパーは、彼女の機体の前に躍り出て翼を振っ(バンクし)た。

 

『ピクシーよりリーパー、こちらは敵機を全て撃墜した。そちらはどうだ?』

 

 見るとピクシーの零戦52型丙も、ザラ機を追っていた機体を追い散らし、撃墜しているところだった。数える暇はなかったものの、撃墜数(スコア)はリーパーと同じくらいだろうか。

 

「こちらも敵機を全て撃墜した。他の味方機の救出に回ろう」

『了解、指揮は任せたぜ』

「よし、編隊再集結(リジョインフォーメーション)。2時方向の飛燕隊の救助に向かう」

 

 コトブキ飛行隊の支援を終え、リーパーはピクシー機と再び編隊を組んだ。塗装から見ると、追われているのはショウト飛行隊の飛燕隊だろう。隊長であるカミラの指揮が上手いのか、まだ墜とされてはいないようだが、それでも追われ続けていれば体力にも限界が来る。

 

「とにかく敵機を落として、味方機の離脱を支援する」

『了解、報酬上乗せに期待だな』

 

 

 

 

 一方の空賊たちは、空戦の流れが変わりつつあることに気づき始めていた。

 各地から集まってきた空賊や自博連の残党が結集し、討伐にやってきた合同飛行隊を逆襲したところまでは良かった。こちらの数は合同飛行隊の二倍、それに加えて歴戦の自博連残党パイロットたちも大勢いる。負けるはずが無かった。

 事実戦闘開始直後は空賊たちが圧倒的に優勢だった。大都市の公営飛行隊を集団で嬲り、撃墜する様に快感すら覚えられるほどだった。空賊たちは合同飛行隊を圧倒的な数を以て分断し、各個撃破に追い込んでいく。

 

 これまで空賊という惨めな立場に甘んじるしかなかった鬱憤を晴らすかのように、空賊たちは合同飛行隊へ苛烈な攻撃を加えた。流石に脱出したパイロットを攻撃するようなタブーこそ犯さなかったものの、空域からの離脱を試みる機体ですら容赦なく撃墜するほどだった。

 このまま徹底的に敵戦力をすり潰して、全滅させたのちはイヅルマへ攻撃を仕掛けてやる―――。そんなことさえ考えていたのに、気がつけば味方機が次々と墜とされている。

 

『ヤバい奴らに追われてる! 誰か助け―――』

 

 ノイズ交じりの交信が途切れ、空中で爆発の華が咲いた。その中を飛び回っているのは空色の一式戦闘機と、片翼が赤く塗られた零戦だった。

 

『おい、やべえぞ片羽だ!』

『片羽!? なんで奴がこんなところに』

『片羽とコンビを組んでる奴も相当ヤバい、誰か奴を墜とせ!』

 

 右の主翼を赤く塗った零戦に乗る「片羽」という凄腕の用心棒がいるということは、空賊たちの間にも知れ渡っていた。何でも一年ほど前に突然現れた凄腕の用心棒で、とある戦闘で右の主翼を損傷しつつも、無事基地に帰還するほどの実力の持ち主だという。これまで数多くの自博連残党や空賊が片羽に墜とされていて、「右の翼が赤い零戦には気をつけろ」が空賊たちの共通認識となっていた。

 その片羽も今はイケスカに雇われていて、内戦終結に一役買ったらしい。そんな片羽がこの空域にいることは空賊たちにとっては悪夢も同然だったが、それでもまだ何とか勝てるだろうという認識はあった。

 

 凄腕の用心棒とはいえ、所詮は一人。取り囲んで一斉に攻撃すれば墜とせる。事実そう考えて攻撃を仕掛けた空賊の編隊もあったが、彼らは悉く返り討ちに遭う末路を辿った。

 

『あの青い隼はなんだ? 片羽もやべえが、あいつも凄腕だ』

『あの二機が戦況をひっくり返してやがる、このまま放っておいたらマズいぞ』

 

 機種も塗装もバラバラの二機だったが、息はぴったりだった。空賊たちは二機の前に次々と墜とされ、代わりに追い込まれていた合同飛行隊が息を吹き返しつつある。これまでは圧倒的な数の前に追われる一方だった合同飛行隊が、編隊を組み直して果敢に反撃に移り始めていた。

 確かにこのままあの二機を放置しておけば、せっかく有利な状況をひっくり返されかねない。それに「片羽」は名の知られた用心棒で、撃墜することが出来ればそのパイロットの名が上がるのは間違いない。いずれにせよ、ここで墜としておくべき敵だった。

 




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第四〇話 MAYHEM

「おい、あの青い隼を見ろ」

 

 『円卓』での空戦の最中、遅れてやって来たナサリン飛行隊のフェルナンドは、今まさに大暴れしている隼と零戦の編隊を見て何かに気づいた。彼に言われて僚機のアドルフォも隼に目をやると、機体に死神のエンブレムが入っているのが見える。

 

「あのマーク、昨日コトブキと一緒にいた兄ちゃんが来てたジャケットにあった奴じゃねーか」

「腕利きっていうのは本当らしいな。いや、それ以上か」

「あっちの零戦は…って、あれは片羽じゃねーか!」

 

 右の主翼だけを赤く塗りつぶした零戦の噂は、用心棒をしていれば嫌でも耳に入る。1年ほど前突如現れた凄腕の用心棒。イケスカの内戦に協和派として参戦し、内戦終結に貢献したというパイロット。

 イケスカ新市長の護衛としてイヅルマまで来ているという話は聞いていたが、それが円卓に乗り込んでいたとは。しかもどういうわけか、リーパーと編隊を組んでいると来た。

 

「あの二人、どういう関係なんだ?」

「さあな。だが、息はぴったりなようだ」

 

 二人とも長い間編隊を組んでいるかのように、互いの動きがわかっているかのようだ。二人とも手あたり次第に敵機を撃墜しているかのようで、その実互いの死角をカバーする動きを取っている。

 

「片羽が凄腕だというのは当然として、あの兄ちゃんもすげえ」

「ああ、無駄弾をほとんど使っていない」

 

 リーパーは敵機の進路に向かって銃弾を放つと、敵機が自分からその中に飛び込んでいっているかのようだった。偏差射撃は自機と敵機の速度と高度と進路、そして重力に引かれる銃弾の弾道も考えて行わなければならない。簡単なのは敵機に命中するまでトリガーを引きっぱなしにすることだが、その場合は無駄弾も当然多くなる。

 だがリーパーは敵機に弾が命中する前に射撃を止めてしまっている。まるで「これくらい撃てば十分だろう」と確信して引金を引いているかのようだ。

 

 一方片羽は大火力を瞬時に投入し、敵機を撃墜する方法を取っているかのようだ。20ミリ機関砲を2丁、13ミリ機銃を4丁搭載した片羽の零戦52型丙改は、隼の12.7ミリ機銃2丁と比べると圧倒的な大火力を誇っている。機動性は劣るものの、それを補って余りある武装量だった。

 

 今もまた、空賊の三式戦が片羽の零戦に追い回されている。片羽は射撃位置を確保すると、スロットルレバーのトリガーを引いた。瞬時に6丁の機関銃から銃弾が吐き出され、あっという間に敵機がバラバラの金属片と化し、地上に降り注ぐ。

 

「なあアドルフォ、まだあのパイロットをナサリンに勧誘したいと思うか?」

「考えが変わった。俺たちじゃついて行けねえ」

 

 昨日会った時は人員2名のナサリン飛行隊に勧誘していたものの、今の戦いっぷりを見たらその気も無くなった。きっとリーパーをナサリンに引き入れたところで、アドルフォとフェルナンドではとてもついて行くことなど出来ないだろう。二人とも自由博愛連合との戦いを生き残り、それなりの撃墜数(スコア)を持つエースパイロットだと自負しているものの、リーパーの腕前はそれ以上のようだ。

 

「こりゃコトブキ、いやイサオ以上の人材かもしれねえ」

「俺たちじゃ、宝の持ち腐れだな」

 

 また一機、リーパーに狙われた空賊機が火を噴いて荒野に墜落していく。数が足りないと駆り出されたナサリン飛行隊だったが、結局一発も撃たずに終わりそうだとフェルナンドは思った。また一機、空賊機が炎に包まれながら地上へ機首を向ける。

 

 

 

 空賊たちは突如現れたたったの二機に情勢をひっくり返され、混乱の極みにあった。

 先ほどまでは倍の数で圧倒し、これまで散々自分たちを追いやってきた大都市の飛行隊を嬲り殺しに出来ると思っていたのに、乱入してきた片羽が赤い零戦と青い隼が戦況をひっくり返してしまった。最初は片羽という名が知れた用心棒を撃墜することで、自分の名を上げようと息巻いている空賊も多かった。だが彼らはとっくに機体と共に爆散するか落下傘で空中を漂う身であり、自分の愚かな判断の結果をその身を以て知ることとなった。

 

 青い隼はどうせ大した用心棒でもないと舐めてかかっていた者たちも、あっという間に落とされてしまった。さっきまでの勢いはどこへ行ったのか、空賊たちは片羽とリーパーのコンビから逃げ回るのに必死だ。しかもその間に態勢を整えた都市飛行隊が戻ってきて、組織だった戦闘を再開している。

 

「容赦ない攻撃だ! 全てを焼き尽くすつもりか」

 

 また一機、黒煙の尾を引いて落ちていく空賊機を目の当たりにして、誰かが呟く。今のリーパーはまさしくエンブレムの通り死神と化していた。空賊たちは、その死神が振るう大鎌の先に自分がいないことを祈るしかない。もしも死神に狙われてしまえばお終いだと、この場にいる誰もが直感していた。

 

『至急至急、こちら空賊シロヘビ団! イケスカ空軍のグラーバクが…』

 

 ノイズと共に通信が途絶え、爆発炎上する機体の黒煙の中から4機の四式戦闘機「疾風」が姿を現す。灰色と黒の迷彩を施したその機体は、新市長の護衛役としてイケスカからやって来たグラーバク飛行隊を名乗る連中だった。

 片羽と共に、その名は空賊たちの間でも知られている。何でもイケスカ動乱の前から凄腕の傭兵としてイサオの指揮下に入っていたとか、内戦中のイケスカでは烈火の如き活躍で片羽と共に内戦終結に一役買ったという話もある。その腕を買われ、新生イケスカ市と創設されたイケスカ空軍において、教導隊(アグレッサー)としても働いているほどの実力の持ち主だという。

 

『なんでグラーバクの連中が!? こっちには来ないって話じゃなかったのか?』

『俺が知るかよ! くそっ、アイツらには絶対敵わねえ!』

『命あっての物種だ、逃げるぞ!』

 

 4機の疾風はまるで掃除をするかの如く、進路上の機体を次々と墜としていく。彼らが通った後には火を噴き堕ちていく機体と、爆発の黒煙しか残らない。

 その圧倒的な技量を知る空賊たちは、当然逃げる道を選んだ。せっかく各都市の飛行隊を壊滅させ、イヅルマへ攻撃を仕掛けるチャンスだったが、死んでしまってはどうしようもない。イヅルマに各都市の首脳が集まると聞いて密かに連絡を取り合い、総攻撃を仕掛けるつもりだった空賊たちだが、こうなってしまえば作戦は失敗だった。

 

 ならば逃げるしかない。何事も命あっての物種だ。そもそも彼らだって貧しく飢えて死にたくないがゆえに空賊になったのであって、戦って死ぬために空賊になったわけではなかった。

 

『連中は総崩れだ、逃がすな!』

 

 いつの間にか戻って来ていたイヅルマ自警団の団長が、退却を始めた空賊たちを見て叫ぶ。今まで空賊たちに追い回され、戦力をすり潰されていた各都市の飛行隊は、撤退する空賊たちに我先にと追撃を開始した。

 

『おい貴様、そいつは俺が狙っていた獲物だ!』

『知るか早い者勝ちだ』

『誰だ今俺を撃った奴は!? 空賊もろとも墜とす気か!』

『お前がトロいんだよ馬鹿野郎』

 

 さっきまで助けを求めて逃げ回っていた情けなさはどこへ行ったのかと思うほどの威勢のよさだった。各都市の飛行隊は撃墜数(スコア)を少しでも稼ごうと、撤退する空賊たちに目の色を変えて背後から銃弾を浴びせていた。

 

「あの人たち、さっきまで悲鳴を上げて逃げていたのを忘れていらっしゃるのかしら」

 

 そんな都市飛行隊のパイロットたちを見て、エンマが呆れた声を上げる。そんな彼女たちは既に銃弾をほぼ撃ち尽くし、逃げる空賊たちの背中を見つめることしか出来なかった。逆に言えば今空賊たちを追撃している連中は、それまで逃げるのに必死でロクに戦ってすらいなかったということだ。

 

「本当ね、他人の手柄を横取りする男は嫌われるわよ」

「ああ、確かに大手柄だな…」

 

 ザラの言葉に、どこか含みのある答えを返すレオナ。その視線は、戦闘を終えて周辺警戒に当たるリーパーの隼に向けられている。

 リーパーは逃げていく空賊たちには興味が無いようで、既に帰投する準備に入っているようだった。敵とはいえ背中から撃つ卑怯な真似をしたくないのか、それとも単純に弾切れか。

 だが彼が十分と言えるほどの活躍を上げていることは、この場にいる誰もが把握していた。空戦の合間にリーパー機に目をやると、そのたびに彼は敵機を撃墜していた。

 

 レオナの救援に入った時に5機、それからさらに数機を撃墜しているのを確認している。ずっとリーパーを注視しているわけにもいかなかったから正確な撃墜数は把握していないが、僚機である片羽の報告と味方機の目撃証言を突き合わせれば、確実な戦果がわかるだろう。

 

「コトブキ飛行隊、帰還する」

 

 被弾こそしているものの、全機無事であることを確認したレオナは、そう発して機首をイヅルマの方角へ向けた。

 恐ろしい奴だ。鬼神の如きリーパーの戦いっぷりに、そう感想を抱いたレオナだった。

 

 




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第四一話 The Journey Home

「何一人で黄昏てんの?」

 

 空賊が撃退されたイヅルマの街には活気が戻りつつあった。今でも市民の外出制限は続いているものの、空賊撃退任務から帰還したパイロットたちはその限りではない。そんな彼らを労うために市内で一番大きなバーが開放され、パイロットたちは自分たちの無事の帰還と、そして帰ることが出来なかった仲間たちのことを想って酒を酌み交わしていた。

 

 お酒が苦手なキリエだったが、パンケーキが食べれると聞いてその宴会に参加することを即座に了承した。酔って尻や胸に手を伸ばしてくる男どもを蹴り飛ばし、パンケーキをお代わりし、そしてちょっとだけ飲んだお酒のせいかトイレに行ってきたその帰り、バーの外のベンチに一人腰かけているリーパーに気づいた。

 

「あんたのこと話題になってるよ。行かなくていいの?」

「別に。酒はそれほど好きじゃない」

 

 そういうリーパーの手にはサイダーの瓶。キリエはああいう騒がしい場所が嫌いではないしむしろ心地よく感じる時すらあるが、外のベンチで一人サイダーを飲んでいるリーパーを見ると、静かな雰囲気も悪くはないかなと思う。

 

「隣座るよ」

「お好きにどうぞ…って何を持ってるんだ?」

「自販機のパンケーキだよ。さっきトイレに行く前に見つけたからつい買っちゃった」

「…トイレに持って行ったそれを食べるのか?」

「いいじゃん捌に! トイレの床に落っことしたわけじゃないんだから。あ、これ私のだからあげないからね」

「別に欲しいとは一言も…」

 

 くれと言ってもパンケーキ狂のキリエは一つもくれないだろうが。そのことはわかっていたのでリーパーも余計な口は開かない。

 

「…皆あんたのこと話してるよ。なんかとんでもない奴が現れたって」

「まぁ、そうだろうな」

 

 リーパーは昼間の戦闘を思い出してそう返す。自慢するわけじゃないが、あれだけの暴れっぷりを敵味方に見せつけたのだ。地球と同じく話題の的になって当然だ。

 

「さっきの戦いであんた13機も落としたんだって? イサオ以上じゃん」

「そうか、そんなに落としてたのか」

「そうかって…あんた自分の撃墜数くらい数えてないの?」

 

 驚いたことに、あれだけの戦闘を行い13機も敵機を撃墜したにも関わらず、帰投したリーパーの機体にはまだ銃弾が残っていた。隼に搭載されている12.7ミリ機銃の弾数は一丁当たり270発。一機墜とすのに20発も使っていないことになる。

 

「敵機を落とすのに一心不乱だったからな、いちいち数えてられない」

「はぁ、エース様のお気持ちは私にはわかんないや」

 

 そう言ってパンケーキを口に放り込むキリエ。

 

「そういやあんた、まだここにいるってことは帰れなかったの?」

「見りゃわかるだろ」

「だよね。それで、あんたこの先どうすんの?」

 

 それはこっちが聞きたいくらいだ、とリーパーは言いたくなった。もしも「穴」が地球に繋がっていたら、今頃はどこかの基地に辿り着いていただろうか。

 期待していた分、落胆も大きかった。ようやく元の世界に戻れると思っていたのに、希望は目の前で失われてしまった。今度こそこの世界で腰を据えて生きていく覚悟を固めていく時が来たのかもしれない。リーパーが帰るべき家は、あのダークブルーの穴の向こうへと消えてしまった。

 

「どうするって言ってもなあ…今まで通りオウニ商会で雇ってもらうか」

「そういや昨日ナサリンのおっさんたちに声かけられてたじゃん、あっちは?」

「いや、さっきその件で話に行ったら先に断られた。『俺たちじゃ足を引っ張りかねん』って」

「まぁ、あんたと組める奴なんかそうそういないだろうね。私だって無理だと思うよ」

 

 とはいえこのまま金魚のフンみたくコトブキ飛行隊の後をくっついて回るというのもどうかと思うし、いつかは独り立ちしなければならない。問題は、組んでくれる相手がいるかどうかだ。

 

「そういや私の知り合いで一人でフリーランスやってる人がいるんだけど、あんたもそうしたらいいんじゃない?」

「フリーランス? 一人で?」

「そ、ナオミって人」

 

 聞けばキリエと同じくサブジーとやらの弟子で、気の赴くまま色々な勢力を渡り歩いては戦いの日々を繰り広げているらしい。「楽しいから」という理由で空賊と組むこともあるようで、キリエとは何度も戦った間柄だそうだ。そのキリエもナオミの正体を知る前は、彼女に殺されかけたこともあったらしい。

 

「フリーランス、ねぇ…」

 

 巨大隕石ユリシーズの落下とその後の戦乱が続く地球では、陸海空を問わず傭兵稼業が盛んになった。とはいえ多くの傭兵はリーパーのように軍事企業に雇用されて働いており、フリーランスで色々な会社を渡り歩くという傭兵はそこまで多くはない。

 戦闘というのは結局チームワークが重要であり、普段からお互いを知ることが必要だからだ。そしてチームワークを必要としないような奴は調子に乗っている愚か者か、あるいは自分一人で全てを出来てしまう凄腕のどちらかだ。

 

「それもいいかもしれないが、今は誰かと一緒に飛びたい」

「なんで? あんたの腕なら一人でもやってけるんじゃないの?」

「一人で飛ぶには、この空は広すぎる」

「何恰好つけてんのあんた」

 

 

 

 

 リーパーとキリエが外のベンチで話し込んでいる一方、バーに集まった用心棒たちは昼間の空戦の話でもちきりだった。各々が自分の撃墜数を競う一方で、まだ酒に酔っていない面々は自分たちの部隊に引き抜けそうな実力の持ち主がいないか冷静に店内を見回している。

 

「あいつは?」

「まだ外から戻って来てないわよ。キリエもね」

「そうか」

 

 そう返してレオナはコトブキ飛行隊専用に用意されたボックス席へと腰かける。有名なコトブキ飛行隊ということでバーのマスターが気を利かせて用意してくれた席だが、カウンター席と違いナンパ目的の輩が隣に腰かけようとできないのでありがたいとレオナは感じていた。

 

「せっかくのタダ飯なんだからもっと食えばいいのに。もったいない」

「チカ、口にケチャップが着いていますわ。はしたないですわよ」

 

 しかしチカはエンマの言葉などどこ吹く風といった体で、ケチャップ丼を掻き込むのに夢中だった。その隣ではケイトがお盆に山積みになったハンブルグサンドの包みを開いている。今回の空戦でコトブキ飛行隊に助けられた者も多く、彼女たちの食事代は奢りという形になっていた。もっとも、それをダシに近づこうとする輩もいるのだが。

 

 

 突然、それまで騒がしかった店内が一瞬で静まり返る。何事かとレオナがバーの入り口を見ると、ひとりの男が入ってくる様子が見えた。リーパーが着ているようなフライトジャケットを纏い、肩には鎖を咥えた犬のエンブレムのワッペン。短く刈り込んだ金髪には見覚えがある。

 

「片羽…」

 

 宴会が始まった時には姿が見えなかったものだから、てっきり護衛対象の市長のところにいると思ったのだが。店内にいた皆が片羽に気づいて会話を止め、無言で彼の前から退いて道を作る。既に名の知られたパイロットである片羽だが、昼間の戦闘で誰もが彼の実力を目の当たりにしていた。

 畏怖と敬意の視線を向けられる片羽。そんな彼とレオナは目が合った。レオナの姿を認めた片羽は、まっすぐ彼女の元へと歩いてくる。

 

「あいつはいるか?」

「あいつ? リーパーのことか? 彼なら今外にいるはずだが」

「見当たらなかった。入れ違いになったかな? まあいい、あんたたちに話がある」

 

 話し合うレオナと片羽を見て、周囲の用心棒たちがひそひそと何か言葉を交わす。そんな彼らを横目に、「ナンパならお断りよ?」とザラが冗談っぽく言う。

 

「そのつもりはない。俺をしばらくリーパーと組ませてくれ」

「組ませる? 彼を引き抜くということか?」

「いや、違う。あんたたちとリーパーはオウニ商会に雇われているんだろう? 俺もしばらくの間在籍させてもらいたい」

「マダムにあなたを雇えと?」

 

 話を聞いていたエンマが胡散臭そうな目を向けるが、片羽は首を横に振った。

 

「いや、金は要らない。ただしばらくの間、奴と一緒に飛ばせてくれ。弾薬代と燃料代、整備費用だけ負担してもらえればそれでいい」

「タダより怖いものはない、とも言いますわよ?」

「その通りだ。何が目的なんだ?」

 

 片羽は凄腕の用心棒だ、それはこの場にいる誰もが認めている。もしも彼がオウニ商会に雇われるようになったら、商会の名はますます上がるだろう。羽衣丸の護衛任務もさらに楽になるに違いない。

 だが片羽の意図はそういうことではないようだ。彼はオウニ商会ではなくリーパーに用があるらしい。

 

「リーパーの腕を見極めたい。そして奴が俺たちの期待に適うような人物であれば、引き抜きたい」

「引き抜くというと、イケスカに?」

「その通りだ」

「堂々とよその人間を引き抜くって言っちゃって大丈夫なの? もしもそれをマダムの前で言ったら、かなり吹っ掛けられるわよ?」

 

 コトブキ飛行隊やリーパーはオウニ商会に雇われて仕事を請け負っている。それを引き抜こうとするのであれば、当然オウニ商会トップのマダムルゥルゥが難色を示すだろう。彼女自身は隊員らに自由が一番だと言っているし、以前引き抜きの話があった時も「自由にすればいい」と言っていたが、それと金の話は別だ。発生する違約金は当然引き抜きの話を持ってきた側が負担することになるが、その金額がどれほどのものになるか、考えただけでも恐ろしい。

 

「金は問題じゃない、必要なのは腕のいいパイロットだ。パイロットは金さえかければ集められるかもしれないが、『本物』は金を積んだだけじゃ見つけられない」

「なるほど。どこに行くかは結局のところリーパーが決めることだから、私は何も口を出す権利はない。だがあなたをオウニ商会で飛ばせるかについてはマダムが決めることだ」

 

 コトブキ飛行隊の行動については隊員が全員一致で決めることだが、オウニ商会が誰を雇うかという話にまでは口を出せない。最終的にはマダムが決めることだが、どういう結果になるかはレオナも予想できなかった。

 

「それで構わない。話を通しておいてもらえるか?」

「わかった。それでは明日、羽衣丸まで来てくれ」

 

 レオナがそう言うと、「感謝する」と言って片羽は去っていった。彼が店から出た瞬間、再びバーが騒々しくなる。今の会話に聞き耳を立てていた者たちがどれだけいただろうか。

 

 レオナが交わした約束はあくまでもマダムに話を通しておくということだけなので、その後話がどう転ぶかは片羽とマダムの交渉次第だ。だがもしあの二人が並んで飛ぶようなことになれば、その時はイジツのどんな飛行隊も敵わないようなコンビが誕生するのではないか。今日の昼間の光景を思い出し、レオナはそんなことを考えた。

 

 もしリーパーと片羽を相手にするようなことがあれば、自分たちは勝てるのだろうか。

 




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第四二話 THE STAGE OF APOCALYPSE

 二機の戦闘機が宙を舞う。

 青い迷彩塗装を施した一式戦と、片羽の先端を赤く塗りつぶした零戦。互いに背後を取り合い、縦横無尽、上下左右を入れ替えつつ戦うその様は、まさに互いの尻尾を追いかけ合う犬の喧嘩(ドッグファイト)だった。

 隼が零戦の背後を取り、射点につこうとしたその瞬間、零戦が機体をロールさせて地面へ急降下を始める。スプリットSからの急上昇で、今度は零戦が隼の背後についた。今度は隼が回避機動を始め、零戦を射点につかせない。

 

「あいつら、まだやってんの?」

 

 呆れた様子でそう言ったのは、トイレに行っていたキリエだった。一緒にいたチカは既に空戦を眺めるのに飽きたらしく、どこかへ行ってしまったらしい。

 

「焚きつけたのはお前だろう?」

「別に私はそんなことしてないし」

「お前が『どっちが強いの?』なんて言わなきゃよかっただけの話だ」

 

 レオナの言葉にバツが悪そうに顔を逸らすキリエ。さっきからリーパーと片羽が行っている空戦は、もとはと言えばキリエたちが発端だった。

 

 

 オウニ商会に自らを売り込んだ片羽だったが、マダムはどうやら彼の真意を測りかねているようだった。片羽は腕のいいパイロット―――リーパーをスカウトする一環で、しばらくオウニ商会と行動を共にして彼の実力を見極めたいらしい。

 腕のいいパイロットは貴重で、それが各地で名の通っているような奴なら尚更だ。オウニ商会はコトブキ飛行隊と契約を結んでいるとはいえ、最近は各地で出没する空賊も多いし、凄腕のパイロットはいくらいても困らない。

 

 熟慮の上、マダムは「仮採用」ということで片羽を雇うことに決めた。彼の売り込みを一蹴するのは簡単だったが、優秀なパイロットは欲しいし、マダム自身も片羽を通じてイケスカの真意を見極めたいのだろう。

 

 

 

 そして始まったのがこの模擬空戦だ。最初は片羽の実力を見るということで、一対一での空戦が始まった。―――が、コトブキ飛行隊で片羽に勝てた者は未だ誰一人いない。ムキになったキリエとチカが二対一で片羽に挑んだものの、それすらあっという間に撃墜判定を食らっていた。

 

 コトブキ飛行隊の3機に対し、片羽とリーパーの2機での模擬空戦も行われたが、それすらも5分もしないで返り討ちに遭った。何回も負けて頭にきたキリエが「あんたら二人でやってみろ」と言ったのが、今まさに頭上で繰り広げられているドッグファイトの顛末だった。

 

 

「それにしてもまだ続いていますの? そろそろ身体も限界だと思いますけれど」

 

 優雅に紅茶を嗜みながらエンマが言う。このドッグファイトが始まって既に5分以上が経過している。身体に強烈なGが掛かる空戦機動は長時間続けられるものではない。空戦機動が激しいほど身体への負担は増す。体内の血液は身体の上下に忙しく押し付けられ、二人の視界は赤くなったり黒くなったりしているに違いない。

 

「二人の実力が高いのはわかった、その辺にしておけ。燃料だってタダじゃないし、いつ仕事が入るかわからないからな」

 

 レオナが無線機にそう言うと、「了解」の声が二つ返ってきた。二機の戦闘機は模擬空戦を止め、滑走路への着陸態勢に入る。

 

「何、仕事?」

「いや、いつ入ってもおかしくない状況ってだけだ」

「なーんだ、さっさと悪い奴らをぶっ飛ばしたいな」

 

 指をぽきぽきと鳴らすチカを見て、また頭に血が上って無茶な戦いをしなければいいのだがと心配するレオナ。だがいつ仕事が入ってもおかしくない状況というのは本当だった。

 

「今じゃあっちこっちの街でパイロットを募集してるものねぇ」

「オウニ商会にもひっきりなしに護衛の仕事が入っている。でも料金を見て帰っていく者も多い」

 

 コトブキ飛行隊は腕利きの用心棒とはいえ、今はオウニ商会と専属契約を結んでいる。彼女らに依頼をするにはまずマダム・ルゥルゥに話を通す必要があるが、自社で雇っている腕利きを派遣する以上通常料金でとはいけない。そこらの並の飛行隊であれば三つか四つは雇えるほどの報酬を要求され、諦めて帰っていく使節も多かった。

 

「レナ市長の話は本当なのでしょうか。今のところ彼女が嘘をついていないという保証は無いのでしょう?」

「本当のことを言っていないという保証も無い。しかし彼女が提示したデータは十分に信頼できる」

 

 エンマとケイトの会話を耳にして、レオナは空を仰ぐ。彼女たちがイヅルマまで護衛したイケスカのレナ新市長。彼女が議会で行った話が、今やイジツのあらゆる都市を混沌の底に叩き込んでいた。

 

 

 

 

 

 イジツの各都市の代表が集まり、イヅルマで行われたイケスカの復興に関する会議。だが会議とは名ばかりで、集まった議員たちはイヅルマの新市長を吊るし上げるつもりだった。

 イケスカの前市長であるイサオの暴挙により、何らかの被害を受けた都市は多い。イサオが穴を独占するために空爆されたり、彼が雇った空賊たちに襲撃を受けたり。大なり小なり、イサオと彼が率いた自由博愛連合により迷惑を被っている。

 

 だからこそ各都市の議員たちは会議の場でイケスカを吊るし上げて、イケスカの有する資産を根こそぎ取り上げようと画策していた。内戦で多くの住民が街を離れたとはいえ、イケスカはまだイジツ最大の都市であり、資源や資産、資金も豊富に残されている。「損害賠償」という名目であれば、イケスカから資産を収奪しても誰も批判することはできない。

 

 その上イケスカは未だ強大な軍備を保有し続けている。内戦終結後、諸勢力が有していた戦力は全てイケスカ「軍」に統合された。その上パイロットたちは内戦で実力を磨き、その戦力はイサオがいた頃を上回っている可能性だってある。再びその矛先が自分たちに向けられたらと思うと、各都市の議員たちは気が気ではなかった。

 

 だからこそ彼らは自由博愛連合の本拠地だったイケスカを徹底的に給弾し、賠償の名目でその資産と戦力を分割して各都市に引き渡すことを要求しようとしていた。そうすればイケスカはもはや自分たちの脅威ではなくなり、ただの一小都市に成り下がる。後は自分たちで好き放題に蹂躙してやればいい。やられたことをやり返そうと議員たちはほくそ笑んでいた。

 

 

 

 

 しかし会議が始まると、いかにイケスカの新市長を甚振ってやろうかと嗜虐的な笑みを浮かべていた議員たちの顔色が変わった。

 レナ市長の挨拶は、まず謝罪から始まった。前市長のイサオと、彼が率いた自由博愛連合のせいで各地に迷惑を掛けたこと。被害を受けた都市の復興にイケスカは全面的に協力すること――――――その次に彼女の口から出た言葉は、イヅルマに集まった各都市の議員たちを―――いや、イジツの全住民を混乱の坩堝に巻き込むものだった。

 

『イジツに存在するあらゆる都市は、30年後に滅亡します』

 

 その言葉と共に議員たちに配布された資料には、イケスカが内戦の傍ら収集した情報や、航空写真がいくつも掲載されていた。

 

 

 

 

 瘴気という有毒ガスがある。地表の荒廃によって生まれたのか、あるいは地下に閉じ込められていたものが地上に噴出してきたのか。火山の有毒ガスにも似たこの瘴気は、ここ十数年で急速に確認される場所が増えた。

 瘴気自体はガスマスクなどを身に着けていれば耐えることは出来る。が、瘴気が滞留する中では普通の生活など望めるはずも無いし、農作物や家畜も全滅してしまう。都市の近辺で瘴気が発生してしまえば、住民は生まれ育った街を捨てて別の場所に行くか、四六時中ガスマスクを身に着けて耐え凌ぐ生活を送るしかない。そして後者を選ぶ人間はほとんどおらず、瘴気に包まれた街は程なくして廃墟と化してしまう。

 

 瘴気はどこかで発生し、風に乗って流れてきているらしいということまではわかっている。これまで瘴気を無毒化する研究と共に、瘴気の発生源についてもあちこちの都市が調査を行った。だが空賊が蔓延る中では満足な調査活動も行うことが出来ず、結局瘴気が出てくるところについてはわからずじまいのままだ。

 

 

 配布資料にはイケスカ軍が行った調査の結果が記載されていた。イジツの各地に航空部隊を派遣し実施した調査の結果、瘴気の発生源は地面に空いた穴―――かつてイジツに海があった頃、海底火山か何かだった場所から噴出していることがわかった。しかも瘴気の発生源は一つや二つではなく、それまで何もなかった場所にもある日突然噴出孔が発生することがあるという。

 

 

 噴出孔の発生個所と発生のペースから今後の予想を行った結果、イジツにある5割の都市は残り10年以内に瘴気に飲まれ、9割以上の都市が30年以内に消滅するという。

 イヅルマ、ガドール、タネガシ、さらにはイケスカまで。規模の大小に関係なく、それらの都市はあと30年以内に瘴気によって滅亡すると報告書には書いてあった。

 

 

 イケスカを吊るし上げるための会議は、すぐさま対策会議の場に変わった。議員の中には「この調査結果はイケスカが捏造したものだ」となおもイケスカを糾弾しようとする者もいたが、今はそれどころではなかった。報告書が事実であれば、自分たちの都市も瘴気によって滅ぶのだ。

 

 

 瘴気のやってこない安全な場所へ移住を進めようという意見があったが、現実的ではなかった。30年後には今知られている都市の大半が瘴気に飲まれ、無事な土地は僅かにしか残らない。それですら、50年後や100年後にどうなっているかもわからない。

 

 未だ探索されていない地域を調査し、安全な土地を探そうという意見もあった。荒野が延々と続くイジツだが、今自分たちが知っている場所だけが全てではないということは誰もがわかっていた。

 東はイケスカ、西はラハマ。そのあたりまでが今知られている「イジツ」という世界。地球と違い海が無いイジツでは、世界の果てまで行くには飛行船で飛んでいくしかない。だが空賊や悪天候に阻まれ今なおイジツの果てを目にした者はおらず、荒野の向こうに未知の世界が広がっている。

 そこならば安全な土地もあるだろう。もしかしたらそこは荒野ではなく、海が残る緑豊かな大地が広がっているかもしれない。そんな願望を口にする者もいた。

 

 

 そして最も多く出た意見が、「瘴気を何とか無毒化、あるいは噴出自体を止めることが出来ないか」というものだった。

 瘴気を無害化する研究は昔から進められているものの、ユーハングですら解決できなかった問題だ。そして瘴気の噴出孔は小さいものは車一台ほどの大きさの穴だが、大きいものだと飛行船一隻がすっぽりと入ってしまうものすらある。小さいものは爆破して埋めるなりすることが出来るかもしれない。しかし後者のような巨大な穴を完全に塞いでしまうことが出来る強力な爆弾は、今のイジツには存在しなかった。

 

 

 

 混乱する各都市の代表たちを横に、レナ市長は「イケスカはこの現象に対応するため全力を尽くす」と宣言するとともに、イジツ一丸となってこの問題に対応することを提言した。

 各都市がバラバラに解決策を模索していたのでは無駄が多いし、リソースの配分も非効率になる。こんな時だからこそイジツの各都市を糾合した統一政府の樹立が必要であると。

 

 

 それはイサオが提言していた自由博愛連合の再来ともいえるものだったが、それに面と向かって反対出来る議員は誰もいなかった。結局レナ市長を誰も非難することが出来ないまま、彼女はイケスカへと帰っていった。

 

 

 

 あと30年でほとんどの都市が滅亡すると言われても、レオナはいまいちピンとこなかった。用心棒として生きるか死ぬかのイジツの空をずっと飛び続けていたせいだろうか。明日も命があるかわからないのに、30年後のことなんて考えたことも無かった。

 だが既に各地で瘴気の発生は増えており、それに伴い町を追われて難民と化す人々も増加の一途を辿っている。故郷も同然のラハマだって、いつまで無事かわからない。

 

 滑走路に降りた隼から、飛行服姿のリーパーが下りてくる。

 彼の元いた世界―――ユーハングがやって来た地球でも、未曽有の大災害が起きたという。大きな星が落ち、空は砕かれ、無数の光の矢が世界に降り注いだ。

 地球では自分たちが滅亡の瀬戸際に立たされていると知った時、人々は一致団結してその危機に立ち向かったという。だが滅亡を免れた後、結局また世界は争いで満たされることとなった。

 

 

 イジツでは人々が協力して、この危機を乗り越えることが出来るのだろうか。滅亡の危機を乗り越えた世界の住民であるリーパーに、その質問をしたいとレオナは思った。飛行機から降りてきたリーパーの瞳はゴーグルで遮られ、その向こうにある瞳は見えない。

 彼が今何を想っているのか、無性に知りたくなった。




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