Cosplay × Lover (緑茶わいん)
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5/11(MON)

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5/11(MON) 13:55

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 月曜五限、世界史。

 午後一番の授業はいつだって気怠いけれど、その日の教室は特別緩い空気に包まれていた。

 

「なあ、帰りにラーメン食ってかね?」

「佳奈ってば先輩ともう別れたらしいよ」

「おっしゃ、レアドロきた」

 

 黒板を叩くチョークの音に隠れるように、あちこちで私語が囁かれる。

 内容はどれもろくでもない。

 遊びの相談や噂話はまだいい方で、スマホゲームに熱中してる奴や寝てる奴さえいる。堂々と騒いでないだけマシだけど、明らかに注意散漫だ。

 今年で四年目になる若い女性教師は授業に一生懸命で、生徒の様子まで気が回っていない。

 真面目で大人しい彼女の注意じゃ、どこまで通じるかもわからないけど。

 

札木(さつき)先生の授業ってつまんないよねー」

「教科書読んでるだけだしね」

「ノートだけ写せばテストも楽勝だし」

 

 うるさい黙れ。

 喉元まで出かけた台詞を俺はギリギリで飲み込んだ。

 みんなの言い分もわかるのだ。授業が単調なのは確かだし、必死にならなくてもついていける程度の難易度でしかない。GW(ゴールデンウイーク)が明けてまだ一週間、五月病が抜けきらないのもあるだろう。

 でも、先生が丁寧で真っすぐに教えてくれてるのがわからないのか。

 なんて、言ってもきっと意味はない。

 

 俺はため息をつくと顔を上げ、板書を写す作業を再開する。

 板書を終えた札木先生と目が合ったが、お互い何も言わなかった。

 

 札木(さつき)萌花(もえか)先生。

 二十五歳。担当は世界史。

 洒落っ気のない黒フレームの眼鏡に、後ろで縛っただけでロングヘア。肌の隠れる地味な服を三、四パターンくらいでローテーションしている大人しい女性。

 校内では悪い意味で有名人。

 歴史好きなのかと思えば授業は教科書の音読と板書がメインで、面白い小話なんて挟まない。場を和ませようとした生徒がプライベートな質問を飛ばせば恥ずかしそうに顔を伏せ、ぼそぼそと答えをはぐらかす。

 二年生になった今となっては男子も女子も「駄目だこれ」という目で見ている。嫌われてはいないけど、居ても居なくてもいい「どうでもいい先生」として扱われている。

 

 そんな札木先生は、他の先生方から押し付けられた結果、部員一名という廃部寸前の部活を去年から担当している。

 わかりやすい貧乏くじ。

 授業の準備だってあるのにそんな役割、さぞかし大変だろうと思いきや――。

 

 

 

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5/11(MON) 17:40

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「あ、7が出たっ。じゃあ、盗賊をこっちに動かして……うんっ。これで羽丘くんの街を止められるっ」

 

 放課後、月・水・金の週三回。

 文化部棟の隅にある小さな部室で『テーブルゲーム研究会』という地味でオタクっぽい部活を、これ以上ないほど楽しんでいたりする。

 向かい合うようにくっつけた机の上にはプレイ中のボードゲーム。そして俺達の手には、プレイ用の小さなカードが数枚ずつ。

 

「じゃあ、一枚もらうね? どれがいいかな……これっ!」

「うあ、貴重な麦が……!?」

「ふふふ、これで勝負がわからなくなったんじゃない……?」

 

 札木先生の顔は実に楽しそうだ。

 決して大声を出したりはしてないけど、声はどこか弾んでいるし、授業中なら絶対出ないような軽口まで飛び出している。

 まるで別人。

 でも、俺は知っている。素の彼女がこういう人だってことを。授業の時は大人しい性格が悪い方向に働いているだけなんだって

 この『テーブルゲーム研究会』に入部して一年、先生と一緒に細々と活動してきた俺だけはちゃんと知っている。

 

 こんな状況を歯がゆく思うこともある。

 せめて他に二人くらい部員がいればと思いつつ、今年の勧誘では一人も入部させることができなかった。

 でも、先生はこの部で遊ぶのを楽しみにしているらしい。

 こっちまで幸せになれそうな笑顔をぼんやり見つめていると、本人に気づかれた。

 

「羽丘くん?」

「あ、その。先生って可愛いですよね」

「……えっ?」

 

 照れ隠しの台詞は意外に効いた。

 先生の手からカードが落ち、机の上に散らばる。麦が二枚に粘土が……って、カウントしている場合じゃない。

 変な意味に取られたらしい。

 先生に嫌われるのは非常に困る。二人きりの部活にはクリティカルだ。だからぱたぱた手を振って、エロい意味じゃないことをアピールする。

 

「いや、変な意味じゃなくて。授業でももっと明るくすればいいのに、って」

 

 すると、上目づかいで見つめられた。

 

「本当?」

「もちろん、本当です」

 

 可愛い仕草に気恥ずかしさを感じつつも、目を見て答える。

 目を逸らしたりしたら余計に疑われる。

 見つめ合ったまま沈黙が下り、やがて先生はため息をついた。

 

「……明るくなんて無理だよ」

 

 容疑は晴れた。

 代わりに先生の表情は曇ってしまった。俯き、机に視線を落としたまま黙ってしまう。まるで迷子の子供のようだ。

 

「教壇に立つと緊張しちゃって、何を言えばいいのかわからなくなるの。教科書通りに進めてれば絶対間違いないし……」

「俺とは普通に話せるじゃないですか」

「ここだと二人だけだもん」

 

 先生は大人しくて引っ込み思案で、責任感が強い。

 授業が上手くいっていないこと、部員が一人しかいないことをいつも気に病んでいる。

 外野はわかってない。

 

「それに、羽丘くんは優しいから」

 

 優しくなんてない。

 優しいならもっと気の利いた言葉をかけられる。これじゃ単に親しい人を放っておけず空回ってるだけだ。

 でも、何もしないのも嫌だ。

 似たような会話は今までにもあった。その度に上手くいかなかった。

 真面目に話しても先生は気に病んでしまう。

 なら、

 

「……俺が優しい? 何の話です?」

「え?」

 

 俺は唇を歪めて低い声を出した。

 先生が顔を上げる。潤んだ目は真っすぐに俺を見ていた。恐怖なんて微塵もない子犬のような眼差し。

 罪悪感が刺激されるけど、止めない。

 マンガに出てくる下種な悪党のような悪い笑みを浮かべて、手をこれ見よがしにわしわし動かす。

 

「あんたを甘やかしてるのが優しさだって? 馬鹿じゃねーの。信用させてエロいことをするために決まってるじゃん」

 

 ほらほら、手の動きがなんなのかわかってきたでしょう?

 

「は、羽丘くん?」

「ぐへへ。先生って意外とエロい身体してるよな。ほーら、今こそ払ってもらおうじゃないか。今まで優しくしてきた分、その身体でさあ」

「きゅ、急にどうしたの? 冗談だよね?」

「冗談? はははっ。良い子ぶるなよ。わかってんだろ? 俺が何を言いたいのかくらいさあ」

 

 がたんっ、と、わざと音を立てて席を立つ。

 先生の身体がびくっと震えた。大きな音が怖かったのだろう。そうそう、少しくらい怖がってくれないとやりがいがない。

 厳しい現実ってやつを先生に教えてやろう。

 人間っていうのは誰もが悪意を持って生きていて、優しかった人にも裏があったりするものなのだ。

 

 だから。

 ゆっくり、ゆっくり、ゾンビみたいな動きで先生に詰め寄る。

 事態を理解していないのか、先生は椅子に座ったまま動かない。あまりにも無防備な姿で俺をじーっと見つめて、

 

「あ。そういう設定なんだっ?」

「設定とか言わない」

 

 一瞬で空気が吹き飛んだ。

 拍子抜けして転びそうになる。いや、そりゃもちろん設定だけど! あと十秒黙られてたら先生のところまで到達できてしまって逆に困ったけど!

 くそ、純真な目できょとんとしやがって。

 こうなったら本当に押し倒してやろうか。いや止めよう。本気で泣かれたりしたら後で絶対後悔する。

 

 空しくなった俺は手を下ろして席に戻り、咳ばらいをひとつ。

 

「簡単に人を信じるのも危ないって話です。俺だって男なんですから、エロいことの一つや二つ考えるんですよ? だから――」

 

 他の奴らと大して変わらない。

 そんなことが言いたかったんだけど、

 

「……うん。羽丘くんになら、いいよ」

「は?」

 

 今何て言いました?

 

「う、ううん。なんでも」

 

 にっこり笑って首を振られる。

 いや、難聴じゃないのでばっちり聞こえちゃったんですが……。

 なんだ今の。

 じっと見つめて動揺を探る。顔がちょっと赤いけど先生はいつも通り。なるほど嘘か。俺が変なこと言ったお返しだろう。

 他の生徒と世間話もできない人が急に告白とかしてくるわけがない。

 先生もそういう冗談、言うんだな。

 出会ったのは去年の四月。最初の方は二人きりで部活するのにいっぱいいっぱいだったし、最近になってようやく余裕がでてきたのかも。

 

「じゃ、ゲームの続き、しましょうか?」

「うんっ。……あれ、どっちの番だったっけ?」

「えーっと……。忘れたので最初からやりましょう」

「そうだね。あっ、私の盗賊……」

「いや、先生のじゃないですから」

 

 だとしたら、この部活がもっと先生の憩いになればいい。

 

 札木先生は大事な人だ。

 一緒にいて楽しい人。

 歳の離れた姉みたいな感じだろうか。

 狭い部屋に男女でいるわけだから誤解されそうだし、さっき自分で変なこと言ったけど、こんないい人に邪な感情なんて持てるわけがない。

 

 それに、俺には他に好きな人がいる。

 

 

 

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5/11(MON) 18:17

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 帰宅すると、さっさと部屋着に着替えてスマホを手に取る。

 ゲームのスタミナ消費は後に置いておいて、某有名なつぶやきアプリのアイコンをタップ。

 

「お、増えてる」

 

 目当ての人のつぶやきが、タイムラインの一番上に表示されていた。

 

 May@レイヤー @XXXXX・5月11日    

 次のイベントどうしようか悩み中

 ジャンヌコス、一回やってみたいんだけど今更になっちゃうかなあ

 

 自然と口もとがにやけていく。

 ジャンヌかあ。好きだって言ってたもんな。Mayさんのジャンヌコスは確かに見たい。似合いそうなのはオルタの方か? いや、むしろあのゲームからチョイスするなら刑部姫とか紫式部とか絶対似合うよな。

 そのまま彼女のページに飛んで、更にチェック。

 女性らしく華やかな、でもどこか品のある背景と、メイドコスで微笑むMayさんの写真。もう何回見たかわからない。百回以上見てるのは確実。

 

 ……キモイ? うん、わかってはいるんだ。

 

 May(メイ)さんは見ての通りコスプレイヤーだ。

 去年、大学か短大を卒業したらしいので、歳は二十一とか二十三とか。

 清楚な雰囲気の漂うロングヘアがトレードマークで、大人だけど「美人」じゃなくて「美少女」って呼びたくなるような雰囲気がある。いわゆる守ってあげたい系で、胸が大きい。

 あと胸が大きい。

 オタクで、マンガやゲーム、アニメが大好き。コスの自作をしてイベントに参加したり、自撮りをネットに上げたりしている。

 人気はそこそこ。企業に雇われたりテレビに出るような人よりは落ちる。女性レイヤーに詳しい人なら当然知ってるし話題にも出すけど、にわかなら「写真を見たことあるかも」くらい。

 

 高校入学の直後くらいに俺は彼女を知って一目惚れした。

 そう。

 俺の好きな人っていうのは、このMayさんだ。

 

 

 

 

=====

5/11(MON) 18:21

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 残念ながら、Mayさん単独のつぶやきは一つだけだった。

 タイムラインには他の人のつぶやきへの返信も乗っていたので、一番古い未読から順に追っていく。

 ちなみに、読み終わった後は既読を遡って余韻を楽しむことが多い。

 

「ジャンヌは割と好評か。お、戦艦擬人化娘のメイドコスか……それはまた王道」

 

 他人のコメントを見るのも面白い。

 でも、イラっとすることもある。たまに馴れ馴れしい奴がいるのだ。そういうのは悔い改めるべきだと思う。

 レイヤーさんとは礼儀をもって、一定の距離感で接するべきだ。

 Mayさんと面識がない。お気に入りに登録してるだけで友人でもなんでもない、単なるファンの一人。どうしても会いたくて一回だけイベントに行ったけど、写真撮影やら何やらで人がたくさんいて、話しかける余裕はなかった。

 

 俺なんかが彼氏になれるとは思ってない。

 

 一流ではなくても、Mayさんのファンは多い。当然、格好いい奴だっているから、付き合えるとしたらそういう奴だろう。

 それでもいい。

 ファンでいられたらそれでいい、そう思っていた。

 

 でも。

 コメントを目で追っていた俺は、一つの書き込みに目を奪われた。

 

 レイヤー大好きおじさん @XXXXX・5月11日    

 Mayちゃんは彼氏いないの?

 

 最大級にイラっとするコメント。

 

「それはマナー違反だろ」

 

 返信する必要はない。それでも、丁寧に応じるのがMayさんの良いところ。

 スクロールすると案の定、返信があった。

 

 May@レイヤー @XXXXX・5月11日    

 付き合ってる人はいません。でも、実は好きな人がいます……///

 

 初耳だった。

 

 レイヤー大好きおじさん @XXXXX・5月11日    

 どんな奴? 職場の同僚とか?

 

 May@レイヤー @XXXXX・5月11日    

 詳しくは言えませんが、職場関係の人です

 

 これには幾つも反応があった。

 内容は男女で大きく違う。男はショックを受けているか「そんな奴やめて俺と付き合おうよ」というのがほとんど。

 女の方は興味深々、いわゆる恋バナをしてるようなテンションが多い。

 

 あかね @XXXXX・5月11日   

 今度会った時に詳しく聞かせてもらおうかなー?

 

 May@レイヤー @XXXXX・5月11日     

 お手柔らかにお願いしますっ

 

 むしろ、女子の方がグイグイ行ってる。

 女同士だからこそ許されるんだろう。

 男だと身の危険があるけど、同性ならお互いの恋の話で盛り上がったり、コスプレの話とかもできる。

 イベント以外で会うような友達も何人かいるみたいだし。

 

「……でも、Mayさんに好きな人、か」

 

 スマホをスリープ状態にしてベッドに横になる。

 大の字になって天井を見上げると、無味乾燥な壁紙だけが視界に入った。

 

 ――好きな人くらい、居てもおかしくないよな。

 

 職場関係の人か。

 言い方を変えたってことは同僚じゃないんだろうか。なら上司? 可能性は低いけど部下かもしれないし、後は取引先の人とかの可能性もある。

 Mayさんが何してる人なのかは情報がないから、想像の余地は少ない。

 だけど、大人の女性だ。

 結婚を考えたりするかもしれない。

 告白すれば、あれだけ可愛いんだしOKされると思う。そうしたらキスして、お泊まりデートとかして、それから、

 

「あああああああ……っ!」

 

 死にたい気分になってベッドを転がる。

 我ながら、なんでコスプレイヤーなんか好きになったんだろう。好きになる前はそんなこと考えもしなかった。

 でも、好きになってしまったものは仕方ない。

 

 Mayさんのことを考えるだけで幸せになる。

 他の男に取られる想像をしただけで死にそうになる。

 

「……わかってるけどさあ」

 

 考えてしまう。

 俺だって本当はMayさんと付き合いたい。あの笑顔をひとり占めしたい。

 そこまで贅沢言わなくても、せめて友達になって仲良く話したい。

 

 仲良く。

 

 ごろごろしたまま考える。考えて、日が暮れても考え続けて、夜になっても考えていた。

 宿題も手につかない。

 世界史の宿題が出てる。他の教科なら適当でもいいけど、札木先生を悲しませるのはなんか嫌だ。付き合いたいとかそういうのじゃない。あの人のことは友達とか、家族とか、そういうのに近い意味で好きなんだ。

 性別関係なく付き合えるというか、そういうのを意識しなくていいというか――。

 

 性別。

 友達。

 コスプレ。

 

「……あ」

 

 気乗りしないまま無理にシャーペンを走らせていると、ふと閃いた。

 突拍子もない思いつき。

 だからこそ突破口(ブレイクスルー)になるかもしれない。

 スマホを持ち上げ、Mayさんが過去にした呟きを検索する。

 

 拓哉 @XXXXX・6月18日     

Mayちゃんはどんな人が好きなの?

 

 May@レイヤー @XXXXX・6月18日   

 そうですね。やっぱり、趣味を共有できる人がいいです

 一緒にアニメを見たり、マンガを読んだり

 

 趣味を共有。

 Mayさんはオタクで、趣味は色々ある。アニメも、マンガも、スマホゲームも。

 でも、一番の趣味は――決まってる、コスプレだ。

 

「は、ははは……! そうか、それなら!」

 

 俺は立ち上がって神に感謝した。

 机の中から、ロクに使ってないコンパクトミラーを取り出して、顔を映してみる。

 自画自賛できるような顔じゃないが、そんなに悪くはない。

 わかった。

 するべきことが見えた。

 

「女装レイヤーになってMayさんと友達になればいいんだ」

 

 この時の俺はちょっとおかしくなってたんだと思う。

 でも、その事に思い至るのは少し、いやかなり後になってからのこと。そしてこの思いつきが、これからの俺の人生を大きく変えることになる。

 

 良くも悪くも。

 

 

 

☆☆☆☆☆

X/XX(XXX) XX:XX

☆☆☆☆☆

 

 うう。

 好きな人、いるって言っちゃった。

 でも、これ以上は言えない。

 言えるわけない。

 私が学校の先生で、好きなのは同僚じゃなくて生徒なんです、なんて。

 

 ……羽丘くん。

 

 言えない。

 言えないよ。

 



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5/13(WEN)‐5/15(FRI)

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5/13(WEN) 17:40

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「これは……あー、5です」

「ブラフ」

「う。……はい、嘘です。5なんて出てません」

 

 悩んだ末についた嘘を即座に看破され、俺は苦笑と共に手元のカップを開いた。

 カップの中には|ダイス(サイコロ)が一つ。その目は3を示していた。宣言より低い目が看破されればダイスを一つ失うルールなので、手持ちが0になった俺の負けだ。

 崖っぷちでのはったりが必要なゲームではあるんだけど、今日は調子が良くない。

 これで三連敗。

 いつもは俺の勝ちが六割くらいだから、間違いなく絶不調である。

 

「時間が中途半端だし、今日は終わりにしよっか」

「今日は宿題が多かったんで、助かります」

 

 先生がそう言って道具に手を伸ばす。

 俺も頷いて片付けを始めたんだけど、ダイスをつまもうとした手が滑って、一個を床に落っことしてしまう。

 いけない、と、拾って顔を上げると、先生が心配そうな顔で俺を見てきた。

 

「羽丘くん? もしかして具合が悪いんじゃない?」

「あはは。すみません、ちょっと寝不足で」

「寝不足?」

 

 首を傾げて「本当?」と呟く先生。

 すっと腕が伸びてきたかと思ったら、手のひらが額に触れる。

 

「……うん、熱はないみたい」

「あ、あの、先生?」

「あっ。ご、ごめんね、つい」

 

 手はすぐに離れたけど、頬が赤くなるのは止められなかった。

 っていうか先生の顔も赤い。

 恥ずかしがるならやらなければいいのに、札木先生は時々、今みたいに距離を縮めてくる。ちょっと天然なところがあるのだ。

 でもまあ、熱がないのは納得してくれたようで、俺の向かいでスケジュールチェックを始めた。俺も教科書やノートを取り出して宿題を進める。

 

 まあ、五分もしないうちに雑談が始まったけど。

 

「新しいゲームでも買ったの?」

「いえ。ネットしてたら止まらなくなっちゃって」

「ネット……掲示板とか?」

「ああいうのはまとめサイトでチェックしてるので、あんまり本家には行かないですね。そういうのじゃなくて、ちょっと調べもので」

 

 なるほど、と、先生は頷いて、

 

「昨日も眠そうだったけど、終わりそう?」

 

 鋭い。

 週三日、部活で一緒にいるせいか、女とはそういう生き物なのか。俺の機嫌や体調は先生にはバレバレだ。

 気をつけようと思いつつ「まあ、なんとか」と曖昧に誤魔化す。

 女装のために情報収集してました、なんて絶対言えない。

 動機が「コスプレイヤーと仲良くなりたいから」だし、真面目な札木先生はきっといい顔をしない。学生同士で真っ当な恋愛を、とか正論言われるのは辛い。

 

 本当は俺だって話したい。

 誰かからアドバイスが欲しい。

 

 昨日と一昨日、女装やコスプレについて情報を集めた。

 女装レイヤーの写真やつぶやきを眺めたり、|女装関連のマンガ(さんこうしりょう)のタイトルをリストアップしたり、するとしたら必要なものを検索したり。

 でも、あまり上手くいってない。

 可愛いと思う女装レイヤーさんはいた。普通に女の子にしか見えない人も見つけた。ただ、どうやったらそうなれるのかイメージが湧かない。

 道筋さえつけられればやりようはあると思うんだけど、

 

「ね、羽丘くん」

「はい?」

 

 進んでいるようで進んでない宿題から顔を上げると、札木先生が年上のお姉さん、って感じの表情で微笑んでいた。

 

「困ってることがあったらなんでも言ってね? 頼りないかもしれないけど、できるだけ力になるから」

「……ありがとうございます」

 

 本当にありがたい。

 でも、「じゃあ女装コスプレの仕方を教えてください」とは、言わないでおいた。

 

 

 

 

=====

5/13(WEN) 18:20

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 さて、どうしよう。

 悩みながら帰宅した俺は、一つの決断をした。

 

 家族や親戚以外で身近な女性といえば札木先生だ。彼女に頼らないなら方法は限られる。

 男友達に頼むのは却下。良くて「何言ってんのお前?」と言われるだけ、悪ければ「お前ホモかよ。近寄らないでくんね?」となる。

 となると独学か、顔見知り以外に頼むか。

 一応、いるにはいるのだ。

 顔見知りではなく、かつ、あまり後腐れのない友人が。

 

 着替えを済ませた後、スマホからチャットアプリを起動する。

 有名なあのアプリじゃない、マイナーなやつ。有名な方もスマホに入ってるけど、「そいつ」とはお互いにハンドルネームだけで繋がってる。

 こっちに登録してるのはそいつ一人。一対一のルームが作りっぱなしになってるので、そこに入って発言するだけでいい。

 

ミウ 相談があるんだけど

 

 羽丘だからミウ。

 ネットの世界で女性名を使う、一種のロールプレイ。といっても、女主人公固定のスマホゲームを始める時、適当につけただけだ。

 ゲーム自体はとっくに辞めてしまったものの、仲良くなった一人とは今も連絡を取り合っている。

 

寒ブリ なんかゲーム始めんの?

ミウ  ちがう

 

 残りの宿題を片付けているうちに、相手から返信が来た。

 ハンドルネーム「寒ブリ」。

 可憐な美少女アバターに魚の名前が付いてて超シュールだったのを覚えてる。今はもっとひどい名前を幾つも知ってるけど、当時は慣れてなかったから見た瞬間に吹き出したっけ。

 で、反射的にフレンド申請を送って、たまに短いメッセージをやりとりするようになって、気がついたら意気投合していた。

 ゲーム内のメッセージじゃ不便だからと、ハンドルネームで登録できるチャットアプリを使い始めて今に至る。

 

 男だって言うタイミングを逃した結果、今までずるずるとネカマを続けてきたのが、まさかこんな形で役に立つとは。

 

ミウ 寒ブリって男だっけ?

寒ブリ お前と付き合う気はないぞ

ミウ 私だって嫌

寒ブリ 即答かよw 傷つくだろw

ミウ w

 

 寒ブリはこういう奴だ。

 男口調であっさりした性格。冗談が好きで、真面目な話はあまりしない。多分、リアルでも男。ただ、ネット上の性別なんてアテにならない。

 一応、あらためて確認してみたけど、この様子だと本当に男っぽい。

 ちょっと残念だ。

 

ミウ  女の子だったら化粧の仕方とか服のこととか聞きたかった

寒ブリ おっさん乙

ミウ  おっさんじゃないし!

寒ブリ 男に化粧の仕方を聞く女子がどこにいるんだよ

 

 ごもっとも。

 でも、そこで引けない事情がありまして。

 

ミウ 私、普段化粧とかしないし。でも、そろそろデビューしたい

寒ブリ 友達に聞けよ

ミウ   

寒ブリ あっ……

ミウ ちがう。恥ずかしくて人に聞けないだけ

寒ブリ 中学生かな?

ミウ ぴちぴち

寒ブリ 魚かな?

ミウ 魚はお前だ

 

 こいつと話してるとどんどん話が脱線する。

 普段、馬鹿な話かゲームの話しかしてないせいだ。どっちかが言いだしては新しいゲームを始めて、さんざん攻略情報を話し合った挙句、飽きて止めるの繰り返し。

 チャットはゲームの合間の雑談に使われている。

 寒ブリはなんだかんだ面倒見のいいやつで、たまーに、こいつこそ気のいいおっさんなんじゃ、と思うこともある。

 

寒ブリ 知らんけど、化粧なら化粧品会社のホームページでも見とけばいいんじゃね

 

 ほら、こんな風に。

 

ミウ そんなとこに載ってるの?

寒ブリ そりゃ売るくらいだから使い方くらい載せるだろ

寒ブリ ほら載ってた。http;//……

ミウ ほんとだ

 

 貼られたURLをクリックすると、本当に化粧品の使い方のページがあった。

 なんだこいつ、神か?

 寒ブリ先輩のハイスペックぶりに驚愕。

 ってことは、他の会社にも似たようなページがあるかも。いくつかハシゴすればそこそこの情報が手に入りそうだ。

 

ミウ じゃあ服屋のページをチェックすればファッションも?

寒ブリ や、服は正しい着方とか基本ないから

ミウ は?

寒ブリ 形ごとの名前の説明とか、後はモデルが着てる写真があるくらいじゃね?

ミウ じゃあどうすればいいの

寒ブリ 雑誌でも読め

ミウ その手があったか

 

 基本すぎて気がつかなかった。

 ああいうのって女が読むものだから俺には縁がないし。

 

寒ブリ でも、ファッション誌は雑誌ごとにテーマが全然違うから気をつけろよ

ミウ オススメは?

寒ブリ 女のファッション誌のこととか知らん。目的に合わせて自分で選べ

ミウ まさか寒ブリ、男なのに雑誌とか読むの? キモイ

寒ブリ 女の癖に化粧の仕方も知らない奴がなんか言ってるんだが

 

 醜い言い合いである。

 顔が見えないと気を遣わなくていいからすごく楽だ。女子設定のお陰でこういう話をしても怪しまれないし。

 向こうもおっさんだとしたら丁度いいんじゃないだろうか。

 

寒ブリ デビューしてどうすんの?

ミウ そこツッコむ?

寒ブリ 何したいのかわかんねーと答えようもないだろうが

ミウ 確かに

 

 まともにアドバイスしてくれるのは嬉しいけど、そこまで言っていいものか。

 うーん……まあいいや。

 しょせん寒ブリだし。言ってしまおう。

 

ミウ 最終的にはコスプレがしたい

寒ブリ 彼氏とコスプレセックスでもするのか

 

 返信が来るまでには少々間があった。

 

ミウ ちがう

ミウ 仲良くなりたいレイヤーさんがいる

寒ブリ なんて奴?

ミウ Mayさんっていう人

 

 寒ブリがまた固まる。

 検索でもしてたんだろうけど、

 

寒ブリ なあ、お前、本当にJCなんだよな?

ミウ 言い方古くない?

寒ブリ ……わかった。信じておく

ミウ なんの話?

寒ブリ 俺のせいで事件とか起こったら困るだろ

ミウ 私をなんだと

寒ブリ 大人のレイヤーにハマったやばいJC

 

 それはやばいな。

 本当は好きな人に近づきたいだけの健全な男子高校生だから心配ないけど。

 

ミウ もっと私を信じて欲しい

寒ブリ まあ、ある程度、常識のある奴だとは思ってるけど

寒ブリ 何かイベントがあったら都度俺に報告しろよ。いいな?

ミウ 解せぬ

寒ブリ 返事は?

ミウ いえっさー

 

 ため息をついてスマホを置く。

 ひどい奴だ。なんだかんだで長い付き合いなのに、俺が変なことをしない、ってことさえ信じてくれないとは。

 と、更に新着コメントがあって、

 

寒ブリ ああ、そうそう

寒ブリ ファッション自体に慣れてないなら、

寒ブリ コスプレする前に化粧とか外出に慣れた方がいいんじゃね?

寒ブリ いっぺんにやろうとすると混乱するから

ミウ 神か

 

 俺は一瞬で手のひらを返した。

 

 

 

 

 

=====

5/15(FRI) 16:40

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 結論。

 化粧もファッションも、めちゃくちゃ難しい。

 何しろ、まったくもって未知の事柄。一般女子が人生を通して学ぶものを一気に覚えようとしてるんだから、そりゃ難しい。

 女子は普通にやってるんだから別に大変じゃないだろ、とか考えるのは馬鹿だ。

 ……数日前までの俺のことだけど。

 

 ともあれ、寒ブリのアドバイスにより情報収集は捗った。

 道のりの遠さを実感できただけでも一歩前進だ。少なくとも道が見えたってことだから。

 というわけで意気揚々と部活に向かったんだけど、

 

「羽丘くん。何を調べてるのか教えて」

「へ?」

「へ、じゃないの。寝不足、まだ続いてるでしょ?」

 

 札木先生は俺を見るなりそう言ってきた。

 腰に手を当てて「怒ってます」のポーズ。正直、怖くはない。心配してくれているだけなのは見ればわかる。

 だからこそ申し訳ない。

 

「で、でも」

 

 充実した時間だったのだ。

 ゲームもそうだけどやり始めが一番楽しい。熱が高まっている時にどんどん進めないと後々残念なことになる。

 つまり必要な寝不足なわけで、

 

「でも、じゃないの」

「……はい」

 

 今日の先生は問答無用だった。

 彼女は「今日はゲーム無しにしよう?」と一方的に宣言すると、自分は椅子に座って仕事道具を取り出し始める。

 えー……? 俺、この部活、結構楽しみにしてるんだけど。

 あれか。寝不足の俺とやっても張り合いがないってことか。そこまで弱いつもりはないぞ。

 

「若い時はわからないかもしれないけど、睡眠をとるのは大切なんだよ?」

「先生だってまだまだ若いじゃないですか」

「そんなことないよ。……二十歳を超えるとね、ふとした瞬間に疲れたなー、って感じることが増えるの。お肌の調子だって、年々昔みたいにはいかなくなって」

「わ、わかった。わかりました! わかったので辛い話は止めましょう!」

 

 遠い目になって「ふふふ」とか笑いだす先生を見て、俺は慌てて言った。

 肌の調子かあ。

 そういえば、化粧関係のホームページでも睡眠はしっかりとれって書いてあった。したいことがいっぱいあるのに、寝ないと駄目なのか。

 なんか、時間が勿体ないというか、起きてる時間が忙しくなりそうだ。

 

「……女って、大変なんですね」

「そうだよ。羽丘くんも、女の子には優しくしてあげてね。羽丘くんなら、大丈夫だと思うけど」

 

 そう言われても、女子に優しくした覚えなんてない。

 とりあえず「はい」と頷いて、俺は仮眠を取ることにした。

 帰って寝る方が効率はいいんだろうけど、今の眠気で帰るのがダルい。ちょっと寝てリフレッシュしたい。

 机に突っ伏して目を閉じると、先生の声がした。

 

「……良かったら、膝枕、してあげようか?」

「遠慮しておきます」

 

 そういうのは彼氏でも作ってしてください。



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5/16(SAT)

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5/16(SAT) 11:32

=====

 

 週末、土曜日。

 俺は外出せず家でごろごろしつつ、そわそわと時を待っていた。

 ゲームをしたり、マンガを読んでもなかなか集中できず、結局、Mayさんのツイートを古いものからえんえん眺めるという、なんとも非生産的な作業をして時間を潰していると、待ちに待った報せが昼前にあった。

 知らない番号からの着信。

 迷わず取ると、気の抜けた若い男の声がして、

 

『〇〇運送ですけど、代金引き換えのお荷物のお届けがあります。これからお伺いしてもよろしいでしょうか』

「はい、お願いします」

 

 そう。

 通販で買った荷物が届くのである。

 一階に下りて居間に行くと、母親にその旨を伝える。ふうん、という気のない返事の後、何を買ったのかと聞かれ「マンガ」と答えた。

 嘘じゃない。

 正確でもないけど。

 

 数分後、荷物はきちんと届いた。

 

 待ってるとなかなか来なくて、トイレに行こうとした瞬間に来るのは勘弁してもらいたいけど、それはいい。

 ずっしり重い段ボールを抱えて部屋に運ぶ。

 すぐ昼食になる時間だったので開封は我慢。昼は焼きそばと野菜サラダというメニューだった。

 

「焼きそばとサラダって合わないだろ」

「健康のためにも野菜は食べないと」

 

 聞き飽きた両親の会話。

 俺と親父の分はかなり量が少なめなんだけど、実際、焼きそばと生野菜の組み合わせには抵抗がある。

 普段なら聞き流すか、親父の味方をするところ。

 ただ、今日に限っては違う聞こえ方をした。

 

「野菜ってそんなに健康にいいんだ?」

「そうよ。いつもそう言ってるでしょ? 肌にもいいし、病気もしにくくなるんだから」

 

 肌にいい。健康にいい。身体にいい。

 最近、よく聞くようになった気がする。

 野菜か。

 健康かあ。

 

「俺のサラダも次から増やしてよ」

「あ、やっと興味持ってくれたの?」

「裏切る気か」

 

 両親から正反対の視線を注がれたので、素知らぬ顔をした。

 

「健康に気を遣うなら、もうちょっと運動もしたら?」

「うえ、マジか」

 

 後から後からやること増やすのは勘弁してもらえないだろうか。

 

 

 

 

 

=====

5/16(SAT) 13:02

=====

 

 さて。

 昼食の後、部屋で段ボールを開封する。

 某大手通販サイトで買った、女装もののマンガとファッション誌、それに服。総額一万円ちょっと、高校生には高い買い物だった。

 しかも、今回はあくまでお試しだ。本格的に揃えようと思ったらいくらかかるか。

 

「……バイトするかな」

 

 脳内タスクに一件追加。

 本の類はひとまずどけて、服を取り出す。

 シンプルな白ブラウスと黒のスカート、それから黒のタイツ。童貞乙? 仕方ないだろ、こういうの好きなんだから。

 

「……おお」

 

 ベッドの上に並べると、妙な興奮があった。

 女物の服。

 いけないことをしてる気分だけど、これは新品で自分用で、きちんとお金を出して買ったもの。

 なんだかほっとした。女物の服を買うのって、もっとハードルが高いと思ってた。実際、店に行って買うなんて絶対無理だけど、通販なら店員さんから白い目で見られることもない。

 本当に女装、できるんだ。

 

「と、とりあえず、着てみるか」

 

 長時間出しっぱなしも危険だ。

 買ったのは安物。最悪この一回で駄目にしてもいいから、まずは軽い気持ちで身に着けてみよう……と、自己暗示をかけながら服を開封。

 服は全部Mサイズだ。

 俺の身長は163センチ。文化部だし身体を鍛えてもいないから、レディースのMで十分入るはず。

 

 服を脱ぎ、肌着とトランクスだけになってブラウスを手に取る。

 袖を通すとすべすべした肌触り。

 形も感触もワイシャツに近いけど、かっちり感が薄くてその分滑らかな感じ。あと、作りがちょっとタイトだろうか。これは体型のせいかもしれない。

 って、ボタンが留めにくい。

 そうか、男物と女物ってボタン逆なんだっけ。普段はボタンなんて無意識に留めてるから結構な違和感だ。

 

 次はスカート、と思ったけど、先にタイツを履かないと後がやりづらい。

 トランクスにタイツ。

 おかしな格好になるのは仕方ない。さすがに下着買う勇気はなかったし。

 思ったより薄くて伸縮性のあるそれを片方取って足に通そうとする。うまくいかない。靴下みたいに立ったまま履こうとするとバランスが崩れるので、ベッドに座って再挑戦。足を伸ばすようにして履くとうまくいった。

 長いのもあって、上まですっとは行かないので、少しずつ引っ張り上げるようにして履くみたいだ。

 両方履いてから足をぱたぱたしてみると、なんかエロい。

 男の足だから色白でもないし、ばっちり毛も生えてるわけだけど、その辺のもろもろがまとめて隠れるせいだ。

 すごいなタイツ。

 自分の足に履いてもエロいなら、女の子が履いたらもっとエロいに決まってる。

 

 さて、今度こそスカートだ。

 これはさすがにちょっと抵抗がある。ブラウスとタイツはまあ、物凄く大雑把に言えばワイシャツと靴下なわけだけど、こんなひらひらしたズボンがあるわけない。

 でも、ここまで来たら履くしか。

 どきどきしながら、ゴムになってるウエスト部分を軽く広げる。上から足を通すと、拍子抜けするほど簡単に入った。タイツの苦労はなんだったのか、というくらいにすとんと足が床につく。

 これで穿けたんだよな……?

 両足を通してウエストの位置まで引き上げたから、これでいいはずなんだけど、思った以上に安心感がないというか、解放感があるというか。ストレートに言うと、すごくひらひらしてる。ちょっと動くだけで揺れるし、空気が奥の絶対領域的な部分にまで入ってきてすーすーする。

 なんだこれ。

 半ズボンだってもうちょっと安心感あるぞ。

 

「……風吹いただけでパンツ見えるだろ、こんなの」

 

 いや、知ってたけど。

 偶然見えるのを期待したこともあるけど。恥ずかしくないのかと思ったこともあるけど。

 自分で穿いてみるとその恥ずかしさがよくわかる。

 

「うわあ。やばいな、これ」

 

 俺はしばらくの間、「あー」とか「うわー」とか言いながら、身体をひねったり軽くジャンプしてみたりした。

 そうして、若干気分が落ち着いてくるとようやく、全体を確認しようという気になった。

 ちゃんと立って、深呼吸をして、あらためて自分を見下ろす。

 

 白のブラウスに黒のスカート、黒のタイツ姿の俺。

 

 中は男物の下着だけど、外から見ただけではわからない。

 だから、案外、普通に女の子に見えた。

 

「……結構いけるんじゃね?」

 

 待て。決めつけるのはまだ早い。

 そうだ、鏡で確認しよう。

 ただし、俺の部屋に全身鏡なんて洒落たものない。あるのは小さなコンパクトミラーくらいだ。使えるとしたら洗面所の鏡だけど、この格好では降りていけない。

 夜中にこっそり? いやいや、待ってられるか。

 考えた末、俺は写真を撮ることにした。スマホで写真を撮れば似たような効果が得られる。

 

 ベッドに腰かけ、カメラを起動。

 インカメラにして胸の前に翳す。

 

「……あー」

 

 結論から言おう。

 興奮が一瞬で吹き飛んだ。何しろただ服を着ただけなので、当然、首から上はいつもの俺なわけで。俺が真顔でブラウス着てる姿を直視したら、興奮するどころじゃなかった。

 あと手がごつい。

 爪も短いし手入れもされてないから男の手って丸わかりだ。コスプレ舐めんなと、普段見る側にいる人間として思ってしまう。

 

「こういう時は服だけ写すもんだろ」

 

 化粧も何もしてないのに顔写したら笑えないに決まってる。

 あらためて何枚か、身体から下だけが移るように撮ってみる。胸とか、お腹から下半身にかけてとか、スカート中心の写真とか、タイツを履いた足とか。

 顔撮るんじゃなきゃアウトカメラの方が使いやすいと途中でモードを切り替えたり、鏡に映して撮ればもっと楽なんだろうなと思って「また鏡か!」となったりしながら、スマホ内の画像フォルダに結構な枚数の写真を溜めた。

 腕を伸ばしたり身体を捻ったり足を伸ばしてると段々疲れてきたので切り上げて、一枚ずつ眺める作業に移る。

 

 すると案の定。

 

「……案外いけるじゃん」

 

 顔と手を極力写さないようにしてみたら、画がぐっと良くなった。

 特に下半身。上半身の方は胸がないのと寸胴体型が隠しきれてないので女装の域を出ないけど、下半身はふわっとしたスカートに隠れてしまうせいもあって殆ど見分けがつかない。

 

「これいいな。これはボツ。こっちもなかなか……」

 

 なんか、普通にレイヤーさんの自撮り写真をコレクションしてるみたいでだんだん楽しくなってきつつ、出来のいい写真を残し、いまいちな写真を削除。

 全部残しとくと容量が気になるから仕方ない。

 選別を潜り抜けた写真は専用のフォルダを作り、パスワードをかけて保存した。記念に残しておこうと思う。

 

 でもこれ、客観的に見ても可愛いんだろうか。

 

 若干我に返った俺は、更に、誰かの目で評価してもらう方法を模索する。

 家族に見せる、却下。寒ブリに見てもらう、恥ずかしいので却下。学校の友人に送る、絶対無い。

 となると、やはりネット。

 こういう時は顔の見えない不特定多数に見せるに限る。その方が多くの意見がもらえるし、利害が入らない客観的な意見になるだろう。

 つぶやきアプリだとアレだし、このためだけにブログ作るのも大変だから――あそこか。

 

 大手ネット掲示板サイト。

 

 ハッキングから今晩のおかずまでをカバーするという例のところには、当然、女装関係の掲示板もある。

 その中から自撮りを晒すスレを見つけ、そこに書き込んでみることにした。

 といっても、書き込むのは初めてだからやり方を調べて……うわ、面倒くさ。一応目を通したけど、理解できてる自信はない。まあいいや、最低限「さげ」てあって、画像のファイルサイズが適切なら文句は言われないだろう。

 

 文章はどうしよう。

 別にコテハン(固定ハンドル。書き込みの常連のこと)になるつもりもないし、画像だけ見てもらえばいいんだから、気取る必要もないか。

 簡潔な内容を打ち込んで、

 

「送ったら、俺の女装写真が色んな人に見られるのか……」

 

 といっても、顔が映ってるわけじゃない。

 その他、変なものが映り込んでないかは徹底的にチェックした。身バレとか炎上とかの心配はない。

 後は、俺がどうしたいか。

 深呼吸をして、書きこんだ内容をしばらくじーっと見つめて、

 

「ええいっ!」

 

 迷いを振り払うように、送信。

 

『533 名前:女装が好きな名無しさん

 初女装の自撮りです。良かったら見てください。

 <画像><画像><画像>』

 

 更新された画面には、俺の投稿がしっかりと掲載されていた。

 三十秒くらい呆然と見つめた後、更新ボタンを押してみる。もちろん、そんなすぐにレスはついたりはしてなかったけど、目の前にあるのが現実だというのは理解できた。

 投稿してしまった。

 このスレを開けば、誰でも写真を見られる。反応があるかもしれないし、ないかもしれない。喜ばれるかもしれないし、罵倒されるかもしれない。

 どうなっても、もう取り返しはつかない。

 

「うああああああ」

 

 よくわからない悲鳴を上げて、俺はベッドに突っ伏した。

 情緒不安定にも程があるが、仕方ない。今になって羞恥心が襲ってきたのだ。

 そうしてしばらくごろごろとのたうち回って、ようやく落ち着いた後、俺はせっかく買った服に皺がついてしまってしまっていることに気づいた。

 

 ……正直に言おう。

 

 この時、既に俺はハマり始めていた。

 女装に。コスプレに。つまり、可愛く着飾って自分を魅せるという行為に。

 Mayさんとは関係のない別の部分で、深い沼に落ちていたのだ。

 

 

  ◇   ◇   ◇

 

 

『534 名前:女装が好きな名無しさん

 可愛い

 ぱんつの中も女の子なのかな?』

 

『535 名前:女装が好きな名無しさん

 細くて肌白くて裏山』

 

『536 名前:女装が好きな名無しさん

 まだまだだな

 下着を女物にしてウィッグ被って再投稿よろ

 顔はマスクしても可』



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5/18(MON)

=====

5/18(MON) 16:56

=====

 

「お待たせっ。さ、今日は何のゲームしよっか?」

 

 放課後。

 職員会議を終えてやってきた先生は、とても上機嫌だった。

 抑えきれない笑顔のままで鞄を置き、声を弾ませながら向かいに座る。金曜日、有無を言わさず俺を寝かせた時とは大違いだ。

 

「先生。何かいいことでもありました?」

 

 尋ねると、札木先生はほんわかと頷いて、

 

「うん。羽丘くんの体調が良さそうなのが嬉しくて」

「っ」

 

 どきっとした。

 いやもう、不意打ちは止めて欲しい。

 ただの天然なのはわかってるけど、普通、そんなことでここまで喜ばないし本人にも言わない。ああもう、俺の顔、絶対赤くなってる。

 照れ隠しにそっぽを向いて答える。

 

「土日は七時間以上寝ましたからね」

「健康的。すごくいいと思う」

 

 いかにも。

 睡眠時間を増やしたのは寝不足解消と健康のためだ。

 先生達も言ってたし、色んなサイトを見ても書いてあった通り、十分睡眠を取るのは身体も肌にもいいらしい。

 実際女装してみて化粧の必要性はわかった。ならベースを整える努力はしておきたい。基礎ステータスって重要だし。

 

 併せて食生活も気をつけようと思う。

 昼はお弁当を持たせてもらってるので、手始めに他の食べ物や飲み物――具体的には菓子やジュースを控えてみる。

 おやつにはミックスナッツでもかじるとして、飲み物を買う時は水かお茶、牛乳をメインとしよう。

 少なくとも身体に悪いことはないし、効果が無ければ止めれば。

 

 睡眠に関しては翌日の気分がすっきりして、授業にも集中できてる。

 それでもついつい夜更かししたくなるので、「十一時までには寝る!」とか書いて壁に貼っておこうか。

 などと考えつつ、先生と一緒にゲームを選んだ。

 しばらく読み合い系のゲームが続いたので、今日は気分を変えてパズルゲームをチョイス。

 某落ちモノゲームを連想させる様々な形のタイルを、広さの決まっているフィールドへ交互に置いていくシンプルなやつだ。

 ちなみにこれは四人用なので一人二役になる。

 これはこれで、自然と2vs2の雰囲気になって楽しかったりする。

 

 ぱちぱちとタイルを置いていると合間に雑談が始まって、

 

「調べものはもう終わったの?」

「……まあ、はい。一段落はつきました」

 

 嘘だ。

 あれはライフワークのように進めるものであって、そう簡単に終わりとか来ない。

 ひとまず道筋がついたのは確かだけど。

 

「本当?」

「もちろん」

「ふうん……?」

「な、なんですか?」

「あやしい」

 

 じーっと見つめられる。

 だから、なんでこう鋭いんでしょうか。

 

「何を調べてるのもかも教えてくれないし」

 

 根に持ってたのか……!

 怒っているというよりは「拗ねている」という感じの札木先生は正直可愛い。俺に後ろ暗いことがない時なら、からかって遊びたいくらいだ。

 ただ、今は状況が悪いので、しらばっくれるしかない。

 

「そ、それはアレですよ。アレ」

「アレって?」

「お、男には秘密の一つや二つあるんですよ?」

 

 ……何を言ってるんだ俺は。

 まあでも、あるよ。俺だってこの一週間くらいで、知らなかった女のこと幾つも知ったし。女が知らない男のことだってあるだろ。

 うまく誤魔化せたに違いないと――。

 

「……あっ。そ、そうだよねっ」

「……あれ?」

「羽丘くんも男の子だもんね。そういうのに熱心になっちゃっても、仕方ないよね……? あはは、うん、気にしないで」

 

 札木先生の顔が引きつってる。

 というか、真っ赤になってる。誤解された。エロい調べものをしていて寝不足とか、意味深にも程がある。

 いくら先生が大らかでも「元気だね(ジト目)」くらい言われても仕方ない。

 弁解したい。

 でも、このまま誤解された方が便利かも。

 心の中で葛藤した俺は、そのまま曖昧な笑みを浮かべて流すことにした。ゲームの方に集中するフリをすればそんなに不自然でもないし。

 

 ぱち、ぱち、ぱち……。

 

「……羽丘くんは、どういうのが好きなの?」

「勘弁してください」

 

 机に両手をつき、俺は深く頭を下げた。

 

「教えてくれないの?」

「札木先生にそんなこと教えるとか、恥ずかしすぎるじゃないですか!」

「私だって恥ずかしいよ! ……でも、顧問として、部員のことは把握しておかないといけないし……」

「いや、性癖まで把握しなくて大丈夫だと思いますけど」

「だ、だって、羽丘くんが変な事件起こしたら大変だし……!」

 

 真っ赤な顔のまま妙なことを言いだす先生。

 何言ってるのか自分でもわからなくなってるに違いない。でないと、俺が性癖的な意味でも素行的な意味でも信用されていないことになってしまう。

 それとも信用されてないんだろうか。いやいや、きっと大丈夫。

 遠い目で自分を納得させた後、俺は息を吐いて、

 

「……そんなの、普通ですよ。写真とかイラストとか、後はまあ、妄想とか」

「妄想って、例えば?」

「いや、その、だから、こういう子とこういうことしたい、とか、頭の中でイメージしたりとかするじゃないですか」

 

 俺は何を説明しているのか。

 でも、札木先生は真剣な顔で説明を聞いてくれた。聞いてくれた上で目を細めて、

 

「クラスの子とかで妄想するのは良くないと思う」

「な、なんで断定口調なんですかっ!?」

 

 してないとは言わないけど!

 

「しょうがないじゃないですか……。俺だって男なんですよ……?」

「で、でも、身近な子でそういうことするのは……」

 

 近すぎると興奮しないけど、遠すぎるとイメージが湧かないから、同じ学年とかクラスメートとかって便利なんですよ。

 別に妄想してるからって、それを実行に移すわけじゃないし。

 とまあ、そこまでは説明しなかったけど、先生は頬を膨らませつつも一定の理解を示してくれたようだった。

 

「……ちなみに、どういう子が好みなの?」

 

 一定の理解……?

 

「だ、だから人並みですって」

「胸が大きい子ってこと?」

 

 そうです。

 心の中で全肯定する。貧乳好きな男はいるが、巨乳が嫌いって男は殆どいない。つまりそういうことだ。

 俺の内心を察したのか、札木先生の視線が強くなる。

 しばらくの間じとっと俺を睨んだかと思えば、先生は自分の胸元に視線を落とした。意外と、っていうと失礼かもしれないけど、ゆったりした服が多いからわかりづらいだけで、先生も結構大きいんだよな……。

 なんとなく凝視してしまう。残念ながら修行が足りず、見ただけでサイズはわからない。でも本当、どうして彼氏いないんだろうこの人。

 癪な気がするから「札木先生って可愛いよな」とか誰にも言わないけど。

 

 と。

 先生とばっちり目が合って、

 

「駄目だよ?」

 

 先生、それは「私で妄想しちゃ駄目だよ(してね)?」っていう意味に聞こえるんですが……。

 

「誓ってしませんから安心してください」

「……そう。良かった」

 

 息を吐いた先生は、あんまり安心できないっていう顔をしていた。

 

 

 

 

=====

5/18(MON) 17:38

=====

 

 変な話題のせいでしばらく気まずかったけど、ゲームをしているうちにいつもの空気に戻った。

 

「……そうだ。ちょっと相談したいことがあるんだけど、いい?」

「俺にわかることならなんでも言ってください」

「ありがとう。大したことじゃないんだけど……」

 

 先生が俺に相談とは珍しい。

 彼女は少し困った顔を作って、言ってくる。

 

「友達の話なんだけど」

「途端に胡散臭くなったんですが」

「友達の話なのっ。……もう。その、友達がね、急にイメチェンしたいって言いだしたの。それで、そういうのってどうなのかなって」

 

 どうって言われても、先生が言って止まらないなら俺にはどうしようもない気がする。

 ただ、「知りません」で話を終わらせるのもアレなので、

 

「彼氏でもできたんじゃないですか?」

「ううん、違うらしいの」

「じゃあどうして?」

「……芸能人に憧れて、会いに行きたいからって」

「やばいやつじゃないですか」

 

 友達っていうことは同年代だろう。

 大人の女性が芸能人に被れて急にファッションに目覚め、会いたいと活動しだす――悪い大人か、もしくはその芸能人本人に「食われる」イメージが見える。

 頭のネジが外れ気味なんじゃないだろうか。

 

 俺の答えに、先生も不安そうな顔になる。

 

「やっぱり、そう思う?」

「はい。先生の友達なら、変な人じゃないんでしょうけど……定期的に連絡を取っておいた方がいいんじゃないかと」

 

 好きな芸能人に会うには自分も芸能界に入るのが一番、とか言いだして、変なスカウトに引っかかったりしないように。

 

「うん、頑張ってみる」

 

 こくんと、真剣な表情で頷く先生。

 きっと大事な友達なんだろう。それだけ想われてるっていうのは幸せなことだ。

 俺には何もできないけど、うまくいくことを陰ながら祈っておこう。

 札木先生は微笑んで、

 

「ありがとう、羽丘くん」

「別に大したことじゃないです」

「ううん。そんなことないよ。こういうのは、誰かに相談するだけで全然違ったりするんだから。……羽丘くんも何かあったらちゃんと相談してね」

「はい、もちろん」

 

 俺の場合は生徒だから相談しやすい。というか学校関係の悩み事なら、相談するべきは担任か、顧問の札木先生だ。

 まあ、今のところ相談ごとは特に無い――あ、あった。

 

「そうだ。それなら一つ聞きたいことがあるんですけど」

「え、なあに?」

 

 首を傾げる札木先生。

 心なしかわくわくしている彼女に、俺は質問をぶつけた。

 

「バイトしようかと思ってるんですけど、申請とかっているんですか?」

 

 

 

 

 

=====

5/18(MON) 18:12

=====

 

 勉強机の上に一枚の紙を置く。

 アルバイトの申請用紙。

 バイトがしたいという俺に、札木先生は早速この用紙をくれた。やっぱり学校側への申請がいるらしく、これに動機や想定している時間・期間などを記入して提出、許可をもらってから面接に行くように、とのことだ。

 面接に受かる前だと動機とか書きにいだろうと思ったけど、バイト先の方も学校から許可が出てないと雇えないんだとか。

 

『だから、履歴書に書く志望動機と違って、ふわっとした感じで大丈夫だよ。社会経験を積んでおきたいとか、大学に行く資金の一部を稼いでおきたいとか』

 

 もっともらしい理由でバイトをするんだってアピールしろということ。

 間違っても「遊ぶ金欲しさ」とか書いちゃいけないけど、学校側も動機が建前だっていうのはわかってるので、細かく出費をチェックしたりはしない。

 要は変なことはしませんっていう誓約書みたいなものだ。

 

「なら、ちゃちゃっと書いて出すか」

 

 大して項目もないので、書き終わるのに三十分もかからなかった。

 よほどのことがない限り却下はされないらしいので、まあ、許可の方は大丈夫だろう。今のうちに、何かいいバイトがないか探しておくことにする。

 「何かいいバイト知りませんか?」とか聞いてみたりもしたのだが、先生はしばらく必死に悩んだ末に「ごめんなさい」と言った。

 

『アルバイトだったら、こういうところで探すといいんじゃないかな』

 

 と、代わりに教えてくれたのが求人サイト。

 せっかくなので、まずはそこを見てみる。俺でも名前くらい聞いたことある大手のサイト。地域とか希望職種とか細かく指定できるようになっていて、漠然とバイトをしたいだけの俺には無駄なくらい便利だ。

 地域はとりあえず家と学校の近くを設定した。

 職種は……言っても軽作業とかレジ打ちとかだろ? と思ったら結構項目がある。言われてみるとそういうのもあるか、というのがたくさんだ。

 

 特に目が留まったのは、服飾・アパレルという項目。

 服屋でバイトなんて考えたこともなかったが、悪くないんじゃないか。服のことに詳しくなるのはコスプレの役に立つだろうし、従業員割引とかあるかもしれない。

 他のと一緒にチェックを入れて検索。

 

「結構あるなあ……」

 

 上からぼーっと見ていく。

 どれが良いのかよくわからない。アットホームないい職場です! みたいなのが地雷だっていうのは聞いたことあるけど。

 まあ、すぐ決めるつもりもないし、全部流し見で……。

 

「……お?」

 

 最後の方で手が止まった。

 ぽつんと、毛色の違う求人情報が一つ。レジとか、軽作業とか、あと一応アニメ関係とかも入れて検索したんだけど、それはアニメ関係と服飾関係、両方で引っかかったらしい。

 短い説明文を読んでみると、

 

『個人経営のコスプレ専門店です。接客・販売スタッフ募集。コスプレが好きな方、裁縫ができる方大歓迎です』

 

 コスプレ専門店って……そういうのもあるのか。

 もちろん聞いたことはあったけど、この辺にも存在したとは。考えてみると、コスプレするつもりならこういうところも「関係ない場所」じゃなくなる。

 場所は、学校からなら歩いて行けて、家からでも自転車なら十分通える距離だ。

 応募してみようか。

 

「……受からないとは思うけど」

 

 なんとなく、胸が高鳴るのを感じながら、俺はその求人情報を「お気に入り登録」した。



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5/18(MON)‐5/29(FRI)

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5/18(MON) 21:09

=====

 

寒ブリ 最近ログイン率減ってね?

 

 夜。

 部屋で女装もののマンガ(通販で買ったやつだ)を読みふけっていると、寒ブリのやつからメッセージが届いた。

 なんだよ、今、いいところなのに。

 主人公の女装が想い人(レズ)にバレるっていうタイミングだったので、テンションが下がるのを感じつつスマホを手に取る。

 それから、画面に表示された文面を見て納得した。

 

 一緒にやってるスマホゲームの件だ。

 確かにこのところログインの頻度は減ってる。毎日入ってはいるけど、忙しい日はログインボーナスの受け取って溜まったスタミナの消費だけしたら翌日まで放置していた。

 

ミウ イメチェンの準備で忙しくて

 

 そういや新しいイベント始まってるんじゃなかったっけ……?

 好きなキャラがメインだから期待して待ってたのに、すっかり忘れてた。走るか? いやでも、本気でランキング狙うなら課金必須だしなあ。

 資金が足りなくてバイト考えてる時に万単位で金使うのは気が引ける。

 

寒ブリ あの与太話は本気だったのかw

ミウ ひどい。もちろん本気

寒ブリ うp

ミウ おっさん乙

ミウ でも、暇を見つけて入るようにする

 

 止めるのも勿体ないし、ゲームだって俺の趣味の一つだ。

 

寒ブリ 別にいいけど、止めるなら言えよ。俺も止めるから

ミウ 止めどき探してませんか

寒ブリ そんなことはない

ミウ ↑(目逸らし)

寒ブリ 捏造乙

 

 ひとしきり馬鹿な話をしたかと思ったら、寒ブリからのメッセージはぱったり止まった。満足したんだろう。

 俺はマンガの続きに戻ろうとして、思い直し、件のゲームを起動した。

 とりあえずイベントに参加してスタミナだけ消費しておこうと思ったんだけど、やってみると熱中してしまい、溜めるだけになってたアイテムを吐きだして結構遊んでしまった。

 これも全部寒ブリってやつのせいだ。

 

 

 

 

 

=====

5/22(FRI) 16:56

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 バイト申請が承認されるのに、それほど日数はかからなかった。

 

「はい、これ」

「ありがとうございます」

 

 申請用紙に校長の名前とハンコが追加されて戻ってくる。

 この紙がそのまま許可証代わりになるらしい。

 

「でも、どういうバイトするつもりなの?」

「それはまだ迷ってます」

 

 札木先生にはとりあえずそう答えておいた。

 希望したところで雇ってもらえるかわからないし、なんか気恥ずかしい気がしたからだ。

 ともあれ、これで応募できる。

 とりあえずスマホから例のコスプレショップに応募。あとは帰りに履歴書を買っていこう。確かコンビニに置いてた気がする。

 っと、そういえば他にも欲しいものがあったっけ。それも買うとなると――。

 

 結局、俺は家の近くのドラッグストアに寄り道した。

 

 履歴書があるか心配だったけど、ちゃんと置いてあった。

 それと目的のもの――あった、ボディシェーバー。あと、洗顔用の石鹸と化粧水と乳液、ああ、一応ハンドクリームも買っておこう。あ、リップクリームなんてのもあるのか。じゃあこれも……。

 どれがいいのか下調べしてくれば良かったと思いつつ、あれこれカゴに放り込んだ結果、またしても結構な出費になってしまった。

 っていうか、買った内容が「女子か!」って言いたくなるようなものなんですが。

 

 しょうがない。

 本格的な女装をするには肌のケアが不可欠。そうなったら洗顔と基礎化粧品は絶対必要。爽やか系男子は割とこういうのも使ってるらしいから、別に普通だ。たぶん。

 

「母さん。洗面所にこれ置いといていい?」

「ん? いいけど、洗顔用の石鹸なら私の使えばいいのに」

 

 あるのか。

 いや、そりゃあるか。

 

「あー、まあでも、これメンズ用だし」

「ああ、そうね。……でも、ふーん?」

「なんだよ」

「いや、そういうの気にするようになったんだなって。好きな子でもできた?」

 

 好きな人ならとっくにいるよ。

 生きたMayさんを見たのは一回だけだから、殆ど二次元嫁と変わらないけど。

 

 化粧水とか乳液とかは部屋に置いておくことにする。

 さすがにそこまでやると勘繰られるかもだし、風呂上がりにも使うから部屋にある方がいい。

 着替えた後は日課を済ませた。

 

 May@レイヤー @XXXXX・5月21日    

 今度のイベントのコスは紫式部に決めました♪

 ちょっと思うところがあってジャンヌは断念です……

 

 来た!

 ジャンヌじゃないのは意外だ。でも、紫式部だと!? あのゲームでもかなり「でかい」部類に入るキャラじゃないか……!

 ついでに言うと、結構、胸を強調した衣装にもなる。

 Mayさんは巨乳が売りだけど、露骨に性的な感じのコスはあまりやらない。メイドとか、むしろ露出の低い衣装でさりげなくアピールすることが多い。そこに来ての直球。

 思うところって、一体何があったんだろう?

 彼氏? いや、普通の男なら露出を控えさせると思う。悪い男に捕まったとは思いたくない。正式に事務所所属が決まったから知名度を上げるため、とかだったらいいんだけど。

 

「やっぱり、仲良くなって確かめるしかない……か」

 

 俺は、あらためてMayさんに近づく決意を固めた。

 

 

 

 

=====

5/22(FRI) 19:46

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 手始めってわけじゃないけど、風呂上がりに早速もろもろの準備を始めていくことにする。

 まずはムダ毛の処理だ。

 俺には全くもって無縁の単語。でも調べてみると、男の毛が嫌いな女は意外に多いらしい。男だってムダ毛の生えてる女は嫌なんだから、当然といえば当然。

 

 剃るのは風呂上がりがいいらしい。

 適度な状態がいいので、風呂の途中は逆に駄目なんだとか。本当かどうかは知らないけど。

 専用のクリームみたいなのも売ってたので、今回はそれを使って剃っていく。ちなみにシェーバー自体は一番安かったやつだ。

 剃りたい部分にクリームを乗せて、力を入れすぎないように剃っていく。

 とりあえず足から、

 

「なんか妙な気分だな……」

 

 ぶっちゃけ、こんなことするのは初めてだ。

 剃った部分からクリームを取り除くと、つるつるになった肌が現れる。親の顔より見た自分の足が、まるで誰かほかの人の足みたいだった。

 こうして見ると綺麗だと思う。

 男らしくはないかもしれないけど、見ている分には男の足と女の足、どっちがいいかなんて考えるまでもない。

 悪くないんじゃないだろうか。

 

「どうせだからまとめてやっちゃうか」

 

 両足と腕、それから脇までを一気に剃ってしまう。

 

「おお。いいな、これ」

 

 手の甲とかも、毛がなくなっただけでだいぶ印象が変わった。

 これならブラウス着ても前ほど違和感ない気がする。下はタイツだから変わらないだろうけど。いや、待てよ。生足という手もあるのか?

 せっかくなので一式身に着けてみると、肌触りが違った。

 毛が邪魔をしてたのか、より直接的に肌に触れてる感じがする。ブラウスもタイツも、なんていうか気持ちいい。

 普通の寝間着に着替え直しても、肌への感触はやっぱり新鮮だった。

 

 決めた。

 女装を断念したとしても、定期的に毛を剃るのは続けよう。

 

「……まあ、剃れる場所はまだあるんだけど」

 

 そこはやめておこう。

 刃を当てるのは怖いっていうのもあるし、男として、そこに手を付けるのはもうちょっと、ちゃんとした決断が必要だ。

 化粧水と乳液を馴染ませて(先にやれば良かった)、リップクリームやハンドクリームを塗って、寝る前にマンガの続きを読もうと思ったら、早くもバイト応募の返信メッセージが届いていた。

 

 面接日の調整。

 俺は少し考えた末、幾つか提示された候補の中から金曜日の放課後を選んで返信した。

 初めてのバイト面接。

 決戦の地は、学校から歩いて十分ほどのところにあるコスプレ専門店だ。

 

 

 

 

=====

5/29(FRI) 16:34

=====

 

 俺は学校まで自転車で通っている。

 なので、学校からそのまま自転車で行けば例の店まで十分もかからない。

 金曜の放課後を指定したのは、休日だとお店が忙しいと思ったのと、制服の方が真面目そうに見えると思ったから。

 ホームルームは大きな遅延もなく終わった。

 面接時間には余裕があるので、このまま直行してしまうと早すぎるくらいだ。図書室にでも寄っていこうか考えつつ廊下を歩いていると、向こうから札木先生が歩いてくる。

 

「羽丘くん。これからバイトの面接だよね? 頑張って」

「はい。精一杯やってきます」

 

 申し訳ないけど部活はお休みにさせてもらった。

 一昨日、その旨を伝えると、先生は少し寂しそうにしつつも微笑んで了承してくれた。その時のことを思いだすとちくりと胸が痛んだ。

 

「すみません。わざわざ部活の日に」

「ううん。私も仕事がたてこんでるから、ちょうど良かった」

「……ありがとうございます」

 

 本当にいい人だ。

 これ以上は逆に悲しませてしまうと思い、俺は大袈裟でない程度に頭を下げて謝意を示した。

 やっぱり、部活をすっぽかすのは良くないな。

 先生とMayさん、どっちが大事かって言われたらそりゃMayさんなんだけど、恩師と好きな人は同じ天秤に乗せるものじゃない。

 バイトをするにしても、シフトはできるだけ調整しようと心に誓った。

 

 

 

 

=====

5/29(FRI) 16:54

=====

 

 目的の店は最寄り駅から歩いて二、三分のところにあった。

 うちの学校からだと駅を挟んだ向こう側。

 ちょっとこじんまりした一帯に立つ地味なビルの二階がその店だ。看板らしきものはビルの前に一つあるだけで、大きく宣伝してる感じじゃない。

 灯台もと暗し。

 駅には雨の日しか来ないのもあるけど全然知らなかった。こっちには生徒もあんまり来ないのか、放課後になって間もないのにひっそりとしている。

 穴場、って感じだ。

 コスプレに興味ある奴なんてそういないだろうし、これなら同じ生徒にでくわすこともほぼないだろう。

 

「……うん」

 

 悪くないと思いながら、意を決して階段を上がる。

 二階には何の変哲もないドアがあり、プレートに店名が書かれていた。

 

『コスプレ専門店 ファニードリーム』

 

 ここで間違いない。

 手をかけ、開く。からんからんと音がした。

 

「いらっしゃいませ」

 

 店内に入ると同時に穏やかな声がした。

 入り口付近にカウンターがあって、そこにエプロンを着けた女性が立っている。ショートヘアでスレンダーな体型の、さっぱりした女性。

 歳は二十代中盤くらいだろうか。

 彼女は俺を見て「お?」という顔をした後、すぐに「ああ」という顔になった。

 

「もしかしてバイトの応募してくれた子?」

「あ、はい。そうです」

「そっかそっか。じゃあ、こっちに来て」

 

 彼女はそう言って、カウンターの中に手招きする。

 言われるままについていくと、奥が事務所兼休憩室になってるみたいだった。

 

「ごめーん。面接入るから店番お願いしていい?」

「あ、はい。わかりましたー」

 

 大学生くらいの女性が答えて立ち上がる。

 俺に微笑んで出て行く彼女を見送ると、店長さん(仮)は店員さん(仮)が座っていたソファに腰をかけた。

 俺は向かいのソファを勧められ、「失礼します」と言って座った。

 

「あ、これ履歴書です」

「ありがとう。ええと……羽丘(はねおか) 由貴(ゆうき)君ね。へえ、珍しい。ゆきって読んじゃいそう」

「はい。男でも女でも平気な漢字を探したらしいです」

 

 小中学校の頃とかはよく名前でからかわれたから、男の名前としてありふれてるかというとノーだけど。

 店長さん(仮)はなるほどと頷いて名刺をくれた。肩書きは店長。合ってた。

 

「さっそくだけど、応募した理由を聞いてもいい?」

「あ、はい。実は、コスプレにちょっと興味があって、こういうところで働けたら詳しくなれるかと思ったんです」

「へえ。本当に?」

 

 ちょっと身を乗り出してくる店長さん。

 あれ? 俺、何か面白いこと言ったか?

 

「あ、ごめんね。高校生の男の子でコスプレって珍しいから」

「そうなんですか?」

「そりゃあね。男のレイヤー自体が少ないし。……あ、それとも、コスプレする女の子と仲良くなりたい的な?」

「それもありますけど、する方も興味があります」

「へえ。例えば何の作品のどういうキャラやりたいとかあるの?」

 

 ごめんねと言ったばかりなのに、更にぐいぐいくる。

 こんなお店やってるくらいだし、コスプレの話をするのが好きなんだろう。俄然、目がきらきら輝いてる。

 でも、何のキャラ、か。

 ちゃんと考えたことはなかった。今、言われてぱっと思い浮かぶキャラっていうと……。

 

 あ、女の子しか思いつかない。

 言いづらい。誤魔化すか? でも上手い誤魔化し方が思いつかない。

 動揺していると、店長さんの目つきが鋭くなる。

 

「どうしたの? 思いつかない?」

 

 はい、と言ってしまうのは簡単だけど、それじゃ駄目な気がした。

 いいや。

 どうせ駄目もとだったんだし、言ってしまおう。

 

「……虞美人、とか」

「虞美人? 英霊大戦のだと女の子だし、男体化した作品とかあったっけ? ……ん、あ、え、もしかして?」

「はい。……女装、興味あって」

 

 ぽつりと答えると、店長さんが乗り出した姿勢のまま硬直する。

 

「マジで?」

「はい」

「………」

 

 沈黙が下りる。

 痛い。辛い。帰りたい。

 内心で気持ち悪いとか思われてるんだとしたら、あまつさえ面と向かって言われたりとかしたらしばらく立ち直れない気が――。

 

「手」

「へ?」

「手、見せてくれない?」

 

 言われるままに左手を差し出すと、店長さんは両手で俺の手を取った。

 女の人に触られるとか久しぶりだ……って、そんな場合じゃないんだけど。

 何をされるかと思えば、何をするでもなく、俺の手をじっと見ているみたいだった。手の甲も、裏も。

 

「へえ、結構綺麗。毛、もしかして剃ってるの?」

「はい。その方が綺麗かと思って。あと、ハンドクリームも使い始めました」

「マジじゃない」

「……はい。まだ興味があるだけですけど」

「どうして女装? 君なら男のコスで十分いけると思うけど」

 

 男かあ。

 そっちをやるのが普通なのはわかるんだけど、いまいちそそられない。俺が見てて楽しいのが女の子のコスだから、やって楽しいのもそっちな気がするというか。

 何より、

 

「……仲良くなりたいレイヤーさんがいて、女の子のコスの方が気兼ねなく話せるかなって」

「ふむ……。なんていう人か聞いていい?」

 

 後で検索でもするんだろうか。

 いや、この人ならそもそも知ってるかもしれない。

 

「Mayさん、っていう人なんですけど」

「は?」

「へ?」

 

 店長さんの上げた間の抜けた声に、俺は思わずぽかんとしてしまった。



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5/29(FRI)‐6/7(FRI)

=====

5/29(FRI) 17:01

=====

 

May(メイ)って、あのMay? 次のイベントで紫式部やるって言ってる、May?」

「は、はい。そのMayさんですけど……?」

 

 何か問題でもあるんだろうか。

 はっ、なんだMayかー。そんな有名どころを挙げてくるとかただのミーハーじゃん、的な?

 と、そんな俺の内心を察したのか、店長さんがバツの悪そうな顔になる。

 

「ああ、いや、なんでもないの。まさか知り合いの名前が出るとは思わなかったから」

「え、お知り合いなんですか?」

「うん。っていうか、この店にたまに来るし」

「本当ですか!?」

 

 思わずがたっと立ち上がる。

 結構、声が響いてしまい、直後に我に返って座り直す。「本当に好きなんだ」って苦笑された。

 

「その様子だと本気っぽいね」

「はい。もちろん本気です」

「なるほど。そういうことなら応援してあげたいけど……ん? この学校って」

 

 履歴書を詳しく見始めた店長さんが何やらぶつぶつと言う。

 

「やっぱあの子の勤めてるとこだよね? 部活は――テーブルゲーム研究会!?」

「あ、はい。ボードゲームで遊ぶだけの部活なんですけど」

「へ、へー。ちなみに顧問の名前は?」

「札木萌花先生、ですけど」

「ふ、ふーん。札木萌花先生かあ」

 

 さっきからなんなんだ一体。

 難聴系主人公ではないのでだいたい聞こえてるんだけど、意味がわからないので意味がない。むしろ正確に聞こえているかが怪しい。

 

「ねえ、ドッキリとかじゃないよね?」

「なんの話かがわかりません」

「そっか。……ちなみに、私が萌花とも知り合いだって言ったらどうする?」

「地元の人なんですか?」

「あ、うん。これマジなやつだ」

 

 なんだか悟ったような表情になった店長さんは、うんうんと頷いた。

 よくわからないけど納得したらしい。

 

「オッケー。つまり君はMayのことが好きで、他の女の子のことは目に入らなくて、コスプレと女装に興味があるってことね」

「は、はい、そうです」

 

 そうやって並べられるとすごく変態に聞こえる件について。

 店長さんはにっこりと笑った。

 胸はMayさんや札木先生とは比べものにならないほど残念だし、顔も割と平凡な感じだけど、話しやすそうないい人だと思う。

 コスプレが好きで客商売を始めた、っていうのがなんか納得できてしまう。

 

「うん。そういうことなら、私としては文句ないかな」

「え、じゃあ……」

「なかなか応募がなくて困ってたし、採用。……と、言いたいところだけど、うちって男の子雇うの初めてだし。一応、他の従業員にも聞いてからにするから、後日連絡ってことでお願い」

 

 まあ、聞くって言ってもあの子一人なんだけど、と、店長さん。

 

「君がいるところで聞きづらいでしょ? この子と働きたい? なんて」

「そ、そりゃそうですね……」

 

 しかも女装好きの男子高校生だ。

 俺が相手の立場だったら嫌だ。ってことは、割と不採用の可能性もあるってことか。

 

「期待しないで待っておきます」

「そうしなさい」

 

 事務所を後にした俺は「その子、採用するんですか?」「あんたがOKすればね」「えー、責任重大じゃないですかー」とか言ってる二人に頭を下げて、店を後にしたのだった。

 

 そして、二日後。

 店長さんから電話で来た採用の連絡に、俺は思わずガッツポーズをした。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆

X/XX(XXX) XX:XX

☆☆☆☆☆

 

 札木萌花はとある私立高校で世界史の教師をしている。

 学生時代、交際経験のなかった彼女には、今、気になっている異性がいた。それはあろうことか、彼女が務めている高校の生徒で、しかも、担当している部活の部員だった。

 

 羽丘(はねおか) 由貴(ゆうき)

 

 現在高校二年生。

 特筆するほどの美形ではないものの、よく見ると整った顔立ちをしている。少なくとも萌花にとっては、世界で一番、好ましい顔立ちである。

 萌花は、間違いなく彼に恋をしていた。

 

 きっかけは一年と少し前。

 由貴が入学してきた直後のことだった。

 当時、萌花は新たに部活の顧問を任されて困っていた。テーブルゲーム研究会。名称は同好会時代を引きずっていたが、一応は部。とはいえ、現在の部員は一名。一度部に昇格した場合、降格する制度がないというだけの話だったが。

 唯一の部員である三年生は受験優先のために幽霊部員になることを宣言しており、実質的に、この年の新入生から新入部員を見つけないと廃部が決定してしまうという、がけっぷちの状態であった。

 もちろん廃部にしてもいいのだが、その場合、萌花には「せっかく顧問を任せたのに、何の成果も出せないまま一年で廃部にした」という実績が残ってしまう。ハメられたようなものだが、人手不足とオーバーワークが深刻な教育現場においては珍しいことではない。

 なんとかしようと部員募集のポスターを作り、貼りだしてみたものの、芳しい成果は得られなかった。

 

 教師としての本業も上手く行っていない。

 もともと引っ込み思案な性格は昔に比べてだいぶマシになったものの、大勢の人の前に立つとどうにも緊張してしまう。

 このままじゃ駄目だと思いつつも、現状を打開する良い手段も思いつかない。

 授業の準備をしっかりしながら、空いた僅かな時間でポスターを作り直すくらいがせいぜい。

 

 三度目のポスターを作った時だったか。

 飽和状態の掲示板に赴き、他のポスターに埋もれるようにあった部員募集の告知を剥がしていると、なんだか無性に悲しくなった。

 上に貼られたポスターのように、成功する人はいとも簡単に成功していく。

 自分には、他のポスターの上から画鋲を刺す、なんて真似はできない。

 下に隠れるようにひっそりと存在するのがお似合いなんだと思うと、どうしようもなく泣きたくなった。

 そこへ、声をかけられた。

 

「あの、手伝いましょうか?」

 

 一人の少年がそこにいた。

 羽丘由貴。

 当時は名前すら知らない、一生徒。ただ、純粋そうな瞳が印象的だった。

 心配させてしまったのか。

 生徒に縋るようじゃ駄目だと、浮かびかけていた涙を堪えて微笑む。

 

「ううん、大丈夫だから」

「でも、一人じゃ大変じゃないですか?」

「え?」

「掲示板、バラバラに貼られてるから、整理するのかと思って」

 

 思わず、ぽかんと口が開いた。

 雑然と貼られたポスターを整然と貼り直す。そうすれば貼れる枚数も増える。言われてみれば当然だが、目から鱗だった。他人の為したことに自分の手で干渉するというのが、萌花はひどく苦手だったのだ。

 違うんですか、とでも言いたげに見つめてくる彼が、なんだか凄い人物に思えた。

 

「じゃあ、お願いしてもいい?」

「はい」

 

 彼は嫌な顔一つせず、掲示板の整理を手伝ってくれた。

 五分もかからず作業が終わって、萌花は彼に「ありがとう」を言った。

 すると、少年が言ったのは思わぬことだった。

 

「他のところにも行きますか?」

「あ……えっと、ううん。大丈夫。後は私でもできるし、一つ貼れば十分かなって思うから」

 

 掲示板は校内に幾つかある。

 これまでの二回はそれぞれ律義に貼り付けていたのだが、勧誘のピークは過ぎかけているし、もういいかなと思った。

 少年は「そうなんですか?」と首を傾げて、掲示板に目を向ける。

 彼は真っすぐ、迷うことなく、萌花が描いたポスターを見つめた。萌花が手にしていたのがどれか、きちんと見ていたのだ。

 

「……こんな部活、あったんですね」

 

 とくん、と、胸が高鳴った。

 

「興味、あるの?」

「あ、はい。ゲーム、好きなので。こういうのも興味はあったんですけど、なかなか売ってないし、相手がいないとできないじゃないですか」

「うん」

 

 その通りだ。

 今のゲームはオンラインが主体で、ネットに繋げば二十四時間いつでも対戦相手が見つかる。リアルにプレイヤーを集めないといけないアナログゲームはそういう意味で不便だ。未だ根強い人気のあるTCGならともかく、ボードゲームジャンルはどうしてもマイナーになる。

 だけど、興味を持ってくれる人が、いないわけではないらしい。

 

 少しだけ、救われた気がした。

 

「札木先生」

「は、はい」

 

 唐突に名前を呼ばれてどきっとする。

 慌てて視線を向けると、彼もポスターから萌花に視線を移すところだった。どうやら、名前を呼んだのではなく、ポスターを読んでいたらしい。

 入部希望の方は世界史担当の札木萌花まで、と、彼女自身の字で書かれている。

 ああ、と、由貴が微笑んだ。

 

「札木先生」

 

 今度は、間違いなく名前を呼ばれた。

 妙にどきどきするのを感じながら、萌花は彼に向き直った。

 

「はい」

「入部したいんですけど、いいですか?」

 

 少しだけ、ではなかった。

 彼は、羽丘由貴は、萌花にとっての救世主に他ならなかった。

 

 

 

 

 こうして始まった活動は、顧問と生徒が一対一、手探りの状態で始まった。

 残る三年生の部員は宣言通りほとんど顔を出さないうえ、出してもすぐ帰ってしまうことが多く、サポートはしてくれない。

 萌花と由貴は部に所蔵されている多くのボードゲームをノーヒントで選び出しては、日本語だったり英語だったりドイツ語だったりするマニュアルを元に一つ一つ遊んでいくことになった。

 

 時には翻訳サイトを使って日本語のマニュアルを自作したり。

 日本語のマニュアル通りに遊んでいたらルールの不備を発見し、調べたら誤訳があることがわかったり。

 

 他に部員がいないと知った由貴が辞めてしまうことが不安だったが、幸い、彼も根気よく付き合ってくれて――気づけば、週三回、放課後に二人で遊ぶのが、萌花の日常になっていた。

 二人だけの空間はなんだかとても居心地が良かった。

 由貴が他の男子生徒のようにギラギラしてなくて、優しくて、話すのが得意じゃない萌花の話を根気よく聞いてくれたお陰だった。

 正直、貴重な放課後の時間を削られるのは仕事上痛い面もあったが、部活に出て張り合いが出るに従って、削られた分以上の成果を出せるようになった。

 

 最初はただの感謝だった。

 気づいた時には「好き」という気持ちに変わっていた。

 彼と過ごす時間が楽しくて、愛おしくて、自覚してからは部活の度にそれが大きくなって、そのうち自分でもどうしようもなくなっていた。

 こんな恋は初めてだ。

 学生時代に淡い恋心を抱いたことはあったが、萌花は未だ、本格的な恋というものを知らなかった。

 まさか、ずっと年下の男の子を好きになるなんて思ってもいなかった。

 

 生憎、由貴は萌花がどれだけはしゃいでも、あからさまな好意を向けても気づいてはくれなかったが、それでも、傍にいて話ができるだけで幸せで仕方がなかった。

 

 

 

 

 由貴のお陰か、趣味のコスプレ活動にも張り合いが出た。

 コスプレイヤーとしての活動は学生時代からだ。もともとオタク気質があったため、コスプレという世界を知ってからはどっぷりとのめり込んだ。

 成功したかというと、そうでもない。

 有名になるレイヤーはあっという間に人気が出て、階段を駆け上がっていく。萌花、いや、“May”は全く人気がないわけでもなく、かといって爆発的に売れるわけでもない、ごくごく平凡なレイヤーだった。

 

 特に不満はなかった。

 仲の良い友人もいたし、コスプレ自体が好きだったからだ。それで食べていけるとは最初から思っていなかった。自分が楽しくて、かつ、ある程度の評価が得られていれば十分だと思っていた。

 悪い言い方をすれば自己満足。

 

 恋をしたことで、Mayは人の目、特に男性の目を意識するようになった。

 見られたい相手はたった一人だったが、彼はどういう女性が好みだろう、と考えるうちに「見られ方」を考えられるようになったのだ。

 過度に媚びることはしない。

 ただ、由貴のことを思うだけで仕草や表情、視線に気持ちが乗るようになった。エロくなった、なんていう恥ずかしい感想も増えた。

 女として見られていないだろうとはわかっていても、たった一人の部員、助けてくれた男の子のことが、萌花は好きでたまらなかった。

 

 

 

 

新しいバイト雇うことになった

 

 由貴との出会いから一年と少しが経って、由貴が案外、自分のことを女として見ていることがわかって、割と浮かれていたある日。

 萌花の元コスプレ仲間にして、今はコスプレ専門店を開いて後進の育成に努めている女性から、そんなメッセージが届いた。

 

そうなんだ。どんな子?

可愛い子。遊びに来て直接確かめてよ

うん。じゃあそうしようかな

 

 一線を退いてからも、彼女とは良い付き合いを続けている。

 友人の経営するコスプレ専門店にも定期的に通っている。勤め先の最寄り駅からすぐなのがネックだが、知らない人はあまり立ち寄らない辺りだし、何より家から近いのが嬉しい。

 友人がそこまで言うならと、二つ返事でOKした。

 

あ。ちなみに来るときはおめかししてMayとして来なさい

どうして?

新しい子があんたのファンなの。いつもの気の抜けた格好で来ない方が身のためよ

わ、わかった

 

 いったいどんな子なのか。

 だんだんと興味を惹かれてきた萌花は、連絡が来てから一週間後の日曜日、友人の店『ファニードリーム』のドアを開いた。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆

6/7(FRI) 11:42

☆☆☆☆☆

 

「いらっしゃいませ」

 

 友人の声とも、顔見知りのバイトの子の声とも違う、男の子の声。

 新しいバイトって男の子なんだ、と思いかけた直後、その声のよく知っている響きにどきっとする。

 顔を上げて彼を見る。

 

「え」

「え」

 

 いるはずのない人物。

 羽丘由貴が、友人の店のエプロンをつけて、萌花を――コスプレイヤー“May”を見ていた。



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6/2(TUE)‐6/7(SUN)

=====

6/2(TUE) 16:55

=====

 

 バイトはひとまず火、木、日の週三日ということになった。

 俺の部活と店の都合を考えた結果だ。

 最初の出勤日は火曜日。

 放課後、若干緊張しながら顔を出すと、店長さんとバイトの人(先輩と呼ぶことにする)が揃って迎えてくれた。

 

「お、おはようございます」

「やっほー」

「あらためてようこそ、ファニードリームへ」

 

 事務所で一応自己紹介をした後、制服代わりのエプロンをもらい、更衣室の位置とかを教えてもらって、後は実地で研修という流れに。

 

「今更言うまでもないけど、このお店はコスプレ専門店。フロア的にも広くはない、まあ小さなお店」

 

 具体的に何を売っているのかというと、この『ファニードリーム』ではコスプレ衣装とコスプレグッズ、後は手入れ道具なんかを扱っている。

 コスプレ衣装っていうのはそのまま、メイド服やナース服、キャラクターものの服。

 コスプレグッズはウィッグ(かつら)とかカラーコンタクトとか、アクセサリーとか。

 手入れ道具もそのまま、ウィッグのメンテナンスに使う品とか、あと単純に裁縫道具とか。

 前回来た時は慌ただしくてちゃんと見られなかったけど、そういった品が各コーナーに分かれて整然と並んでる。

 

 特徴的なのは色だ。

 女物の服の売り場を通りかかった時なんかも色に驚くけど、この店はそれ以上だ。アニメキャラとかゲームキャラの服って、現実ではありえない配色してたりするからなあ……。

 でも、なんかわくわくする。

 コスプレ衣装がたくさん並んでるところなんて初めて見た。というか着用中じゃない衣装自体、ほとんど見た覚えがなかった。

 しかも、ウィッグとかの周辺用品まで売ってるってことは、ここに来ればコスプレができる、ってことだ。

 楽しくなるだろ、そんなの。

 

「ふふっ」

「へー?」

 

 説明がてら店内を見せてもらっていたら、店長と先輩がニヤニヤと俺の顔を覗き込んできた。

 

「な、なんですか」

「ううん。君の顔、お店に来る女の子によく似てるなーって」

「俺、そんな顔してます……?」

「してるしてる」

 

 うわ、マジか。

 仕事初日にそんな顔見せるとか、後々までからかわれるやつじゃないか……?

 とか言ってたら、衣装を物色していた女性二人組が寄ってきて、

 

「店長さん。その子、新人さん?」

「そう。初心者だから優しくしてあげてね」

「えー? じゃあコス興味ある子なの? ただのお手伝いじゃなくて?」

「凄い、どこから見つけて来たの?」

「求人出したらこの子の方から来たんですよ」

 

 すごーい、珍しいー、と、じろじろ見られた。

 完全に珍獣扱いだ。

 まあ、女だらけのところに男が入ってきたらこうなるか……。仕方ない、と諦めておく。女子校に一人で転入した男って考えればお得かもしれない。

 

 

 

 

=====

6/2(TUE) 17:47

=====

 

「……あの、これはなんですか?」

 

 レジの使い方を教わって、何度か会計をさせてもらったり、商品の整理を見て覚えようとしている時、コスプレ衣装コーナーの一角に、妙に値段の安い衣装があるのを見つけた。

 他の衣装の半額とか、それ以下とか。

 値札には『USED』という表示があるってことは……もしかして、

 

「中古?」

「そうだよー。うちは要らなくなったコスプレ衣装の買い取りもやってるの」

 

 と、近くにいた先輩が教えてくれる。

 

「クリーニング済みだから匂い嗅いでも無駄だよ?」

「しませんよ、そんなこと……」

「そう? 憧れのMayさんの衣装をくんくんしたいのかと思った」

「もう広まってる……って、あるんですか!?」

 

 Mayさんの衣装、実際に着たやつが、ここに?

 

「ないない」

 

 店長さんが歩いてきてぱたぱたと手を振る。

 

「あの子は基本、自分用のコスは売らないから」

「そうですか……」

「気を落とさない。君みたいな子にはどっちにしろ売ってあげないし」

「変なことはしませんってば」

 

 店長と先輩は顔を見合わせてくすくす笑った。

 

「査定は私かこの子がやるから、もし二人共いない時に買い取り希望が来たら、連絡先とか希望金額とかを書いてもらって、後日連絡する形にして。専用の用紙があるから」

「わかりました。……でも、思ったより色んなことやってるんですね」

 

 コスプレ専門店っていうから衣装だけ売ってるのかと思ったら、あの手この手でお店を充実させている。

 目立たない場所にお店を構えてるから商売っ気がないのかと思えば、きっちりできることはやってる感じ。

 

「店長、こう見えてコスプレ大好きだからね。この手のことには手を抜かないの。ほら、これとかも」

 

 と、先輩が示したのは『オーダーメイド承ります』の札。

 

「え、作ってもらうこともできるんですか?」

「うん。人手が足りないから、完成までに結構お時間もらっちゃうけどねー。店長、元はがんがんコスしてた人だから」

「それはそんな気がしましたけど……」

「新品のコスの中にもお店オリジナルのがあるよ。あと、中古と同じ感じで買い取りもしてる」

 

 買い取ったコスは他のコスに混じって販売される。買い取り金額と販売金額はコスの出来とキャラの人気次第だそうだ。

 製作元がどこかはわかるようになってるから安心。希望があれば製作者の名前も表示できるし、逆に匿名にしたいなら「有志製作」と表示される。

 

「ああ、Mayさんお手製の新品なら買い取ったことあったよ」

「ど、どれですか!?」

「あー、残念。もう売れちゃってる」

 

 先輩、絶対わざとやりましたよね……?

 

 

 

 

=====

6/2(TUE) 19:27

=====

 

 初日のバイトはあっという間だった。

 高校生の俺はもともと、平日はあまり長く入れない。だいたい二時間半くらい、特に役には立っていないまま、上がりの時間になった。

 

「お疲れ様ー」

「お疲れ様です。お先に失礼します」

「うん。また一緒になることがあったらお話しようねー」

 

 後から来た俺が先輩より先に上がるという事実。

 いやまあ、時給制だからズルをしてるわけじゃないんだけど。スキルに応じて昇給するらしいから、ど素人の俺と先輩じゃ大分時給が違うだろうし。

 それにしても、すごくフレンドリーな良い先輩だ。

 

「あの、聞きたかったんですけど」

「うん。なに?」

「俺が入ることになってよかったんですか? その、男ですし」

 

 それが不思議だった。

 店員に聞いてから、って店長に言われた時は「駄目だ」って思ったんだけど。

 先輩は「なんだ、そんなこと?」と笑った。

 

「だって、好きな人がいてコスプレに興味があって、女装もしたいんだよね? 特に危なくなくない?」

「いや、危ないかもしれないですよ。男ですし」

「危ないことしようとする人は『俺、危ないです』なんて言わないってば」

「……なるほど」

 

 納得してしまった。

 先輩はけらけら笑って、

 

「もし、それでも心配ならこうしようよ。……私でも店長でもお客さんでも、変なことしようとしたらMayさんに言いつける」

「本気で勘弁してください」

「ほら、無害だ」

 

 女子ってなんでこんなに強いんだろう、と、俺は心の底から疑問に思った。

 

 

 

 

=====

6/7(SUN) 11:40

=====

 

 店長と先輩が良い人だったお陰で、俺はなんとか初めてのバイトに馴染むことができた。

 お店に来るお客さん(九割以上が女性)も良い人ばかりで、男だからっておもちゃにされる以上の問題も起きなかった。

 考えてみると、コスプレする人って社交的な人が多いわけで、つまり人当たりも良かったりするのだ。

 ぶっちゃけ、楽しい。

 これでバイト代までもらえるとか天国なんじゃないか、とさえ思えた。

 

 問題は、もらったバイト代の大半があの店に消えかねないこと。あとは、そんなに力仕事はないとはいえ、慣れないせいで疲れるってことか。

 バイトのない日は札木先生と部活ができるので、その時間が最高の癒しである。

 

 そんな風にして、三回目のバイトの日を俺は迎えた。

 初めての長時間勤務。午前十時前に出勤した俺に、なんかニヤニヤしてる店長を怪しむほどの余裕はない。

 「どうしたんですか」と聞いたら「なんでもない」と返ってきたので、そっかー、と、深く考えずにスルーした。

 案の定、休日はお客さんが多い。

 意外と社会人のレイヤーさんもいるってことだろう。店内が満員になるほどじゃないけど、もたもたしてるとレジ待ちができるくらいにはお客さんが来た。

 

 多くのお客さんは衣装やグッズを買いに来てるだけだけど、中には買い取り希望だったり、サイズ違いの衣装がないか聞いてくる人なんかもいる。

 そうなってくると、店内を把握しきれていない俺だとてんやわんや。先輩はこの日は午後からなので店長を呼ぶしかないんだけど、そういう時に限って店長も対応中だったりする。すると「すみません、少々お待ちください」を連発するしかない。

 なんとか午前中のラッシュが落ち着く頃には俺はどっと疲れていた。

 

「お疲れ様。頑張ったじゃない」

「あ、ありがとうございます」

 

 ぐったりする俺の肩を、店長はぽんぽんと叩いて褒めてくれた。

 

「それじゃあ、私はちょっと裏で作業してるから」

「わかりました」

 

 店長はあれで忙しい。

 買い取り査定もあるし、オーダーメイドの衣装や商品になる衣装の製作もしなくちゃいけない。仕入れの連絡とか収支計算だってあるだろう。

 接客だけなら二人でも回せる店に俺が雇われたのは、店長が裏に入れる時間を少しでも増やすためなのだ。

 

 なら、少しでも貢献しないと。

 

 あらためて気合いを入れ直した直後、店のドアがからんからんと音を立てて――。

 

「いらっしゃいませ」

 

 不自然にならないように笑顔を浮かべながら振り返った俺は、硬直した。

 

「え」

「え」

 

 そこに、女神が立っていた。

 

 

 

 

=====

6/7(SUN) 11:43

=====

 

 店の入り口に立って、目を丸くしている女性。

 さらさらのロングヘアに細いチョーカー。春物のニットにフレアスカートを合わせた、清楚な印象のその人は、コスプレをしてはいないものの、間違いなく俺の想い人、レイヤーのMayさんその人だった。

 ああ、私服も可愛い。

 私服コーデも時々載せてくれるけど、頭からつま先までっていうのは滅多にない。もちろん、画像じゃなくて生で見るのは初めて。

 コスプレイヤーっていうと、よく画像加工がどうのって言われるけど、生で見ても綺麗だ。

 いや、生で見た方がずっと綺麗だ。

 

 店長と知り合いだとは聞いてたけど、まさか、こんなに早く会えるなんて。

 

 でも、どうしたんだろう。

 Mayさんまで俺みたいに硬直している。顔に何かついて……あ、男の店員がいるなんて知らなかったから驚いてるのか。

 初めまして、って挨拶した方がいいだろうか。

 でも、男が苦手なんだとしたらこっちから声をかけない方がいいかも。

 

「……あ」

 

 そんな風に考えているうちに、Mayさんが我に返った。

 ぎこちない微笑みを浮かべて寄ってきてくれる。

 

「新しいバイトの方ですか?」

「はい。羽丘です。よろしくお願いします」

「こ、こちらこそ」

 

 良かった、挨拶ができた。

 お互いに一礼した後、Mayさんは俺のことを上から下まで眺めた後、おずおずと言ってくる。

 

「あの、店長さんをお願いできますか?」

「あ、はい! すぐ呼んできます!」

 

 そりゃ、知らない男より知り合いの女性の方がいいだろう。

 俺は裏の事務所に首を突っ込んで店長を呼んだ。

 幸い店長はすぐに出て来てくれた。

 

「どうしたの? ……ああ、来たんだ。って、どうしたのいきなり腕を掴んで」

「いいから! ちょっと、こっちに来て!」

 

 必死、という感じで店長さんを引っ張っていったMayさんは、何やら頬を膨らませながらひそひそと話を始めた。

 できるだけ聞かないようにはしたものの「どうして」とか「聞いてない」とかそんなフレーズが耳に入ってくる。やっぱり、いきなり男がいたのがショックだったっぽい。

 

 ……あー、店長がニヤニヤしてたのはこれか。

 

 俺へのサプライズであると同時に、Mayさんへのサプライズでもあったわけだ。

 俺をからかうのはいいけど、Mayさんをからかうのはいただけない。俺の中で店長の好感度が下がった。

 Mayさんに会わせてくれた感謝分があるので差し引きプラスだけど。

 

「というわけで、あらためて紹介しよっか。こちら、新しいバイトの羽丘君。こっちは私の友人で、現役コスプレイヤーのMay」

()()()()()、Mayです」

「初めまして、羽丘です」

 

 挨拶のやり直し。

 これで手打ちってことだろう、と頷いていると、

 

「羽丘君は近くの高校に通ってるんだって。Mayも知ってるでしょ、あそこ。って痛い痛い!」

 

 ニヤニヤしながら言った店長さんがMayさんに腕をつねられた。

 また何かやらかしたんだろうか。

 というか、Mayさんって意外とアグレッシブなのかな。意外でもないか。コスプレイヤーなんだから普通だ。

 意外と積極的なMayさん……うん、良い。

 

「あ、確か札木先生とお知り合いなんですよね?」

「っ!?」

 

 Mayさんがびくっとした。

 

「あ、ええ、はい。札木、先生のことは良く知ってます」

「あれー、May。あの子のこと、いつもはそんな呼び方しないじゃない?」

「え?」

「あ、ああ。うん。萌花ね。うん、萌花」

 

 その日、Mayさんはそんな感じで、なんだか終始ぎこちなかった。

 あと、よくわからないけど店長がすごく楽しそうだった。



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6/11(THU)-6/14(SUN)

☆☆☆☆☆

6/14(SUN) 14:12

☆☆☆☆☆

 

「……恨むからね」

「えー? 私はむしろ感謝して欲しいくらいなんだけど?」

「彼がいるなんて全然教えてくれなかったでしょ!」

 

 萌花の声は喫茶店中に響いた。

 視線が集まってくるのを感じ、赤面して顔を伏せた。目立つのは嫌いだ。少なくとも『萌花モード』の時は。

 恥をかいた恨みも込め、向かいに座った友人を睨む。

 

「どうして黙ってたの?」

「その方が面白いと思ったから」

「……む」

「ごめんごめん、悪かったってば」

 

 友人は苦笑を浮かべて謝罪してくれる。

 

「でもあんた、あの子のこと教えてたらうちに来なくなってたでしょ?」

「……それは」

 

 そうかもしれない。

 無理やり対面させられた今となってはどうでもいいが、もし、由貴の存在を先に教えられていたら、正体発覚を恐れて友人の店を避けたかもしれない。

 近隣にはあそこ以外にコスプレ専門店がないので、意外と難儀したことだろう。

 なんとなく釈然としないものを感じつつ、アイスティーをストローで啜る。友人の奢りだ。ケーキも追加してやろうかと思ったが、イベントに向けて甘いものは控えたいのでぐっと堪える。

 

「でも、どうして羽丘くんが『ファニードリーム』に……?」

「さあ? っていうかあんた、本当にあの子のこと好きなんだ」

「うん」

 

 躊躇なく頷いてから、「大好き」と付け加える。

 友人は「ごちそうさま」と息を吐いて、

 

「っていうか、最初はあんたの紹介かと思ったのよ?」

「ち、違うよ」

 

 友人から「いい子がいたら紹介して」とは言われていた。

 由貴に相談された時も店のことが頭をよぎったのは確かだ。しかし、さすがにコスプレ専門店を紹介する気にはなれず、『ファニードリーム』が求人を出しているサイトをさりげなく教えるに留めた。

 なので、間接的には紹介したことになるのかもしれないが。

 

「でしょうね。あんた、あの子にバレたくないみたいだし」

「当たり前でしょ……?」

 

 今の格好を見下ろして言う。

 札木萌花は大人しくて地味な世界史教師だ。量販店の安物をただ着ているだけの格好で、露出はないし、大きな胸も隠している。髪は後ろで縛っただけで、Mayとして活動する時はコンタクトだが、今は眼鏡。

 私服は私服でも公私(?)の区別はきちんとつける。

 普段の萌花とMayでは存在のベクトルが違いすぎるからだ。

 

「私がコスプレ好きだなんて知ったら、きっと幻滅されるもん」

「あの子、Mayのファンだけどね」

「それは、うん。羽丘くん、すごく楽しそうだったけど……」

 

 Mayとして会った由貴の表情はとてもきらきらしていた。

 楽しくてたまらないといった様子で――学校や部活での彼の表情が嘘だとは思わないものの、萌花が見たことがないほど生き生きしていた。

 思わず嫉妬してしまったくらいだ。

 札木萌花が、Mayに。

 

「いっそバラしちゃえば向こうから告白してくれるんじゃない?」

「それは駄目」

「どうして?」

「だって、Mayが私だって知られたら、きっと幻滅される」

 

 さっきとベクトルが逆だが、結果としては同じこと。

 水と油。違いすぎるペルソナは、印象としてはマイナスにしか働かない。

 

「じゃあMayとして付き合っちゃうとか」

「やだ」

 

 それではまるで、札木萌花がMayに好きな人を寝取られたみたいだ。

 

「うわ面倒臭」

「誰のせいだと思ってるの……?」

「一年も片思いしてる誰かさんのせい」

「う」

 

 言葉につまる。

 

「で、でも、そもそも羽丘君が私――Mayを好きとは限らないでしょ?」

「あー、まあ、あんたがそう言うならそうかもしれないわねー」

 

 妙に棒読みなのが気になったが、友人も「どうしたものか」と頭を抱え始めたので、言いたいことは伝わったらしい。

 と思ったら彼女はがばっと顔を上げて、

 

「いっそ私が羽丘君に告ってみようか」

「……うん。それは私には止める権利ないし」

「待った。急にスマホ取り出して何してるの? 止め、止めなさい! 冗談、冗談だから! 通販で練炭ポチるのは待って!」

 

 冗談じゃない。

 好きな人と大切な友人、両方を同時に失ったら、もう生きる意味なんてない。そんな辛い世界で生きるくらいなら死んだ方がマシじゃないか。

 

「あ、でもそうだよね、死ぬなら保険金降りる死に方しないと」

「あんたいつからそんなヤンデレになったの!?」

「恋を知ってから、かな?」

「もういっそ清姫のコスしなさい」

 

 その発想はなかった。

 悪くないが、もう既にコスの材料を作り始めてしまっている。やるとしても次以降のイベントになるだろう。

 

「……そうなるともう、あんた自身が告白するしかないんだけど、駄目なんでしょ?」

「うん。絶対断られると思う」

「まあ、あの子とは付き合い浅いけど、私もそう思うわ」

 

 羽丘由貴は誠実で一途な少年だ。

 好きな人がいるかは不明だが、いるなら他人からの告白は百パーセント断る。他に好きな人がいるから、と。

 好きな人がいなくても、ただの札木萌花じゃ彼とは釣り合わない。

 歳が違う。教師と生徒でもある。彼のクラスには可愛い子が何人もいる。あの子達に勝てるかといえば、全くもって自信はない。

 

 今まで彼女がいなかったのが不思議なくらいだ。

 

 誰かに片思いしてるんだろうか。

 可能性は高い。

 だとしたら、その恋が終わらない限りはチャンスがない。せめて好きな人がいるのかいないのか、それだけでも突きとめたい。

 

 由貴のバイト先がよりによって『ファニードリーム』なのだ。

 女性の利用率が非常に高いあそこの危険度は非常に高い。

 早くしないと事態が進展していく可能性がある。

 

「……Mayの方で仲良くなって、彼女がいるかどうか聞いてみる」

「普通に部活の時にでも聞きなさいよ」

「聞けないよ。変な風に思われたらゲームオーバーじゃない」

「絶対大丈夫だと思うけど」

 

 いや、恋の世界に絶対なんてない。

 これがゲームなら成功率がパーセント表示されるかもしれないが、現実にはそんな便利なものは存在しないのだ。

 

「あー、はいはい。もう好きにしなさい」

 

 何もしないよりはマシだろうし。

 友人は何故かげんなりした顔でそんな風に呟いた。

 

 

 

=====

6/11(THU) 18:07

=====

 

「ねー。後輩君は女装して働かないの?」

「ぶっ!?」

 

 平日バイトの手が空いた時間。

 コスプレ用品の種類と使い方くらいはひととおり覚えようと頭を働かせていたら、先輩から突拍子もないことを聞かれた。

 覚えた内容が一割くらい頭から飛んで行った気がする。

 

「できるわけないじゃないですか、そんなの?」

「えー? でも、店長はそのつもりで雇ったらしいよ?」

「は?」

「そのうち女装が板についてきたらその格好で接客してくれれば、お客さんもより安心してくれるかもーって」

 

 マジですか……?

 そりゃまあ、コスプレの店に女装したいって来たんだからそりゃそうなるのかもだけど。

 でも、そうすると女の格好で接客するわけだろ? この店、結構常連さんが多いせいか雑談になることも多いから、コスの話題とか服の話題とかで盛り上がったりして――あ、やばい。楽しそうだ。

 

「あ、興味出てきたでしょー?」

「いやいや。俺なんて色々調べてる段階ですから」

「そう? 毛の処理とかスキンケアとか気を遣ってるっぽいけど」

 

 言って俺の手を取る先輩。

 一瞬、びくっとしてしまったら、意味ありげに唇を歪める。完全に把握されてる。

 平常心、平常心。

 この人はただのバイトの先輩で、俺にはMayさんっていう好きな人がいる。つまり、同性の友達みたいな感じで接すればいいのだ。

 

「普段、着たりしてないの?」

「二、三回、試しに着てみたくらいです」

「えー、勿体ない。もっとがんがん着て慣れちゃえばいいじゃん」

「でも、中途半端な出来にはしたくないじゃないですか」

「ほほー?」

 

 あれ、真面目なことを言ったつもりなのにニヤニヤされた。

 

「つまり、後輩君は可愛い女装しかしたくない。興味本位じゃなくて本気でやりたいんだ、と」

「なんか言い方に悪意がありません?」

「そんなことないよー。可愛いなーって思ってるだけ」

 

 女の子に面白がられてるのって、男からしたらしたら割とストレスなんですよ、先輩。

 

「でもほんとに、調べるよりやってみた方が早いと思うよ? やってみないとわかんないこともあるし」

「それは確かに、そうかもしれませんけど」

「もしくは普段から女の子っぽいこと少しずつしてみるっていうのはどう? 裁縫とか」

「多分、俺を育てても売れる衣装は作れませんよ?」

「すぐに戦力になるなんて期待してないってば。でも、売ってないコスを着たくてお金もなかったら、自分で作るしかないんだよー?」

「……あ」

 

 そりゃそうだ。

 あのMayさんだってコスは自作してる。下手な市販品より上手く作れるから、っていうのもあるんだろうけど、その方が安いっていうのも大きいはずだ。

 差額が出るってことは、その分で小物を買ったり、多く衣装が手に入ったりするわけだ。

 

「勉強してみます」

 

 意気込んで頷くと、先輩もうんうんと頷いてくれた。

 

「その意気その意気。じゃあ、はいこれ」

「? 本屋の紙袋?」

「私と店長からのプレゼントだよー」

 

 中には「ゼロから始める裁縫 ステップアップレッスン」なる本が入っていた。

 なんとご丁寧に縫い針と縫い糸、端切れが付属品になっているらしい。

 

「コスプレ用品の名前覚えるのも大事だけど、君なら自然に覚えそうだし。暇な時間に練習するといいんじゃない?」

「やっぱり、ゆくゆくは手伝わせる気ですよね?」

 

 先輩は「なんのことー?」と視線を逸らした。

 

 

 

 

=====

6/11(THU) 20:13

=====

 

 裁縫ブックをプレゼントされた日の夜。

 俺は自分の乗せられやすさをあらためて実感していた。

 

「……やってしまった」

 

 夕飯を食べて、風呂も入って、剃毛(二、三日に一回)、スキンケア(毎日)を終え、後は寝るまで特別にすることはないという時間。

 親から呼ばれることも滅多にないということで、絶好のタイミングだった。

 何って、女装するのに。

 アイテムはこれまで通りブラウスとスカート、黒タイツ。

 身に着けてまず感じたのは自己嫌悪。しっかり勉強してからと思っているのに、先輩にも言われたし、と、うずうずするのを抑えられなかった。

 心地いい布の感触が着終わった瞬間からじわじわと「ときめき」のようなものが湧きあがってもいて、頭がくらくらしてくる。口元がにやけるのを抑えられない。傍から見たら完全にやばい人だと思う。

 

 駄目だ。

 やっぱり俺、完全にハマってる。

 Mayさんと仲良くなるためっていうのもあるけど、それ以前に、もっと女装したくてたまらなくなってる。

 女装は癖になるっていうけど、本当だったんだな……。

 遠い目になりつつ、俺は余計なことを考えるのを止めてベッドに上がった。寝るまでこの格好で過ごしてみるためだ。ほら、どんどんやれって先輩も言ってたし。

 

 ついでに女の子座りってやつをやってみる。

 正座した足を両側に崩すような感じにして、ベッドにぺたんと座るようにする。……っと、微妙に足がきついな、これ。

 やり方が違うのかと思ってネットで検索してみると、男は骨格的にこれができない、もしくはやりづらいらしい。体勢としても間違ってなさそうなので、俺がきついと感じてるのは正常ということだ。きついけど、繰り返しやってれば慣れそうなので、男としては向いてる方なんだろう。

 

「うわ、スカートでこれやるの癖になりそう……」

 

 ふわっと広がったスカートから黒タイツに覆われた足が伸びているのだ。

 足を伸ばしたり、持ち上げたりも自由自在。可愛い上にエロいんだから最強に決まってる。

 

 でも、ブラウスもタイツも汚れてきたな。

 

 特にブラウスなんて、普通は一回ごとに洗うものだろうし。

 捨ててもいいつもりで買ったとはいえ、せっかくなら洗って使いたい。といっても、うちの洗濯機を使うのは絶対怪しまれる。親がいない時にこっそり回すにしても洗剤の量とかでバレるだろう。

 となると、コインランドリーか。

 でも、俺が女物の服持って行くのも怪しいんだよな。夜行くと補導される可能性があるし……。先輩に頼むとか? いやいや、一回二回なら協力してくれるかもだけど、毎回お願いするわけにもいかない。

 じゃあ、女装してコインランドリーに行く?

 それなら怪しまれる確率はぐっと減る。問題は、この服を洗濯物にすると着られる服がないこと。俺がまだまだ女装初心者だってこと。

 

 ……買うか、新しい服。

 

 どうせコインランドリー使うならいっぺんに洗った方が経済的だし、どっちにしろ着替えは必要なわけだし。

 練習して慣れて行かないと、いつまで経っても外出なんてできないし。

 

「よし」

 

 自己暗示をきめた俺は新しく買う服を決めるためにブラウザを立ち上げ、通販サイトにアクセスした。

 何が必要だろう。トップス、ボトムス、靴下orタイツ、あと靴もいるのか。顔はある程度マスクで隠せるとしても、ウィッグも要るよな。まあウィッグは店でも買えるし先輩とかにも相談してみるとして……下着? 要るんだろうけど、心の準備が足りてない。でもどうせいつかは買っちゃいそうだしなあ。

 あ、洗う前提だとしたら水洗い可なのかどうかも確認しないといけないのか。うわ面倒臭。単に安くて可愛い服を選ぶだけで終わらせてくれないものか。

 あとは化粧品? うーん、それも先輩や店長に相談した方が良さそうだ。

 

 と、そんな風にあれこれ悩んでいるうちに夜は更けていって、結局、その日中には選びきれなかった。

 寝る時間のリミットである十一時を迎えた俺は泣く泣く、注文を翌日に回し、結果として授業中もえんえんと女装のことを考え続けたのだった。



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6/16(SUN)-6/18(TUE)

=====

6/16(SUN) 14:27

=====

 

「後輩君、ちょっと雰囲気変わった?」

 

 日曜日バイトの後半戦。

 ピークを過ぎて落ち着いた店内で、先輩が俺に話しかけてきた。

 

「そうですか……? 自分じゃよくわからないです」

「んー。確かにどこがどうってわけじゃないんだけど、なんだろ? 雰囲気が柔らかくなったというか、覚醒したっていうか」

「隠された能力に目覚めた覚えはないんですが」

「ふむ」

 

 笑って答えると、先輩はぴんと指を立てた。

 何やら俺をじーっと見て、

 

「後輩君。女装は好き?」

 

 何やら今更な質問をしてきた。

 

「は、はい。好きです……」

「今までに何回くらいした?」

「え。……っと、な、七回くらい?」

「やだこの子可愛い!」

「ちょっ……!?」

 

 歓声を上げて抱きついてくる先輩。

 待って、近い近い、良い匂いする! 柔らかい腕とか柔らかい胸とか当たるから、当たってるから! ちょっと落ち着いていただきたい!

 必死に離れてもらって、もう一回接近されないように警戒しながら、先輩に真意を問う。

 

「な、なんなんですか、いきなり」

「ふふー。後輩君、やっぱり覚醒したみたいじゃない?」

「……いや、まあ、その」

 

 自覚しちゃったから隠せなくなったっていうのはありますが。

 あらためて言われると妙に恥ずかしくて視線を逸らしてしまう。それでもなお、先輩はにやにやしながら俺のことをじーっと見つめていて、なんかもう、どうしていいかわからない。

 俺は女装が好きだ。

 ただコスプレするだけなら男装でいいのに女装を選んだのは、単純にそっちがしたかったからだ。

 

「いいと思うよー。別に、今時そんなの珍しくないし」

「いや、世間一般では十分マイノリティですから」

「本人が真剣で、かつ可愛いならオールオッケーじゃないかな?」

 

 そんな簡単に行けばいいんですけど。

 俺は苦笑しつつ、ふと、先輩への用事を思い出す。

 

「そうだ。……先輩、その、良かったらアドバイスもらえませんか? 写真撮ったんですけど、他人の目からどう見えるかって」

「え、写真あるの? 見せて見せて!」

 

 大喜びだった。

 拒否られたらどうしようかと思った。俺はほっとしつつ、スマホから写真を呼び出して先輩に見せる。

 昨日新しく撮った写真だ。

 前回と同じく、頑張って腕を伸ばして撮った。服は春夏ものだという水色のワンピースに、前のより薄手の黒タイツ。

 昨日届いて、その日のうちに写真を撮った。

 ワンピースを着るのも結構どきどきした。こういう服も男物にはない。ある意味ではブラウス+スカートよりも頼りない感じがして、どうしていいかわからなくなる。戸惑いが大きいからこそ楽しいっていう矛盾した気持ちが湧いてきてにやけるのが止められなかった。

 

「へー、ふーん、ほほうー?」

「……どう、ですか?」

 

 画面をスクロールする先輩が感嘆符しか発さないので、だんだん不安になり、俺は自分の方から聞いてしまう。

 先輩は、ふう、と息を吐くとスマホを返してくれて、

 

「辛さはどのくらいがいい?」

「その時点でだいたい予想ついたんですけど……?」

「まあまあ。じゃあ甘口で言うと……うん、可愛い! 後輩君、そんなに頼りなくは見えないけど、こうやって見ると細いよねー。ちゃんとMで着られてるもん」

「そ、そうですか?」

 

 そう言われると照れる。

 思わず口元を緩める俺。

 

「じゃあ、辛口で言うと?」

「ダサイ」

「うっ」

 

 ストレートすぎる言葉が胸に突き刺さった。

 クリティカルだ。ギリギリ生き残った感じ。これが「キモイ」だったら即死だった。

 がっくり肩を落とすと、先輩はけらけら笑って、

 

「まあ、お洒落かどうかなんて主観だからねー。あんまり気にしなくていいよ」

「気にしますよ……」

「ほんとに気楽でいいのに。後輩君の場合、本格的に可愛くなるのはこれからでしょ?」

「ん? えーっと……?」

「だって、アクセもつけてないし、顔も写してない、ってことはお化粧もしてないよね? お洒落って全体のイメージが重要だし、その人に似合ってるかどうかが一番だし。それに――下着も、まだつけてないよねー?」

「っ」

 

 びくっとした。

 なんでこう、みんなして俺のことを見透かしてくるのか。

 恐ろしいとさえ思う。

 それから、すごく羨ましい。

 

「持ってないの?」

「……持ってます」

 

 ワンピースと一緒に買った。買ってしまった。

 

「でも、着けるの恥ずかしくて」

「手伝ってあげようか?」

「なっ!?」

「冗談だよー」

 

 本当に冗談だったのか……?

 じーっと見つめてみても、俺には第六感なんて備わってない。

 

「最初は服の下に着けてればいいじゃん。学校じゃなくてここでさ。それならバレても平気だし」

「な、なるほど?」

 

 バレにくく、かつ気分を味わう方法として「下着女装」が結構ポピュラーだというのは俺も調べて知っていた。

 外側は普通に男物なので、学校とか職場でも気軽にできるのがウリらしい。

 ただまあ、男にはバレないけど女には割とバレるって話もあった。ブラの線とか、結構気づかれるんだそうだ。

 その点、この店なら、俺がブラをしていようが「ふーん」で終わる……か?

 

「でも、Mayさんが来るかもしれないんですよね……」

「あれ? 女装してMayさんと仲良くなりたいんでしょ?」

「そうですけど、見せるなら完成系がいいじゃないですか」

「あー、それはわからなくもないなあ」

 

 先輩もちらっと言ってた通り「可愛いから許す」っていう概念は割と存在する。

 そして、可愛いと思われるかキモイと思われるか、一番のキーポイントは第一印象。最初こそ、できるだけ良い状態を見せるべきなのだ。

 

「なんか恋バナしてる気分になってきた」

「俺的には完全に恋バナだったんですが」

「そうじゃなくて、女の子とってこと」

 

 ああ、なるほど……って、マジですか。

 なんか恥ずかしくなって目を逸らすと、先輩が何か言おうと口を開いて――。

 からんからん、と、入店を知らせる音が鳴った。

 

「「いらっしゃいませー……あっ」」

 

 打ち合わせてもいないのに声がハモった。

 

「こんにちは」

 

 天使か女神のような笑顔で、Mayさんが現れた。

 

 

 

 

=====

6/16(SUN) 14:39

=====

 

 今日のMayさんは薄手のセーターにカーディガンという服装。

 外は日が出ているからか、彼女はするりとカーディガンを脱いで腕に乗せる。すると、下に着ているセーターがノースリーブだということが判明する。

 くらっときた。

 これが写真なら頭を左右に傾けて色んな角度から堪能するところだけど、目の前に本人がいる状況ではできないし、それどころでもない。

 

 Mayさん、素肌は破壊力が強すぎます……。

 

「こんにちは。店長は裏ですけど、呼びましょうか?」

 

 迷わずカウンターに歩いてくるMayさんを見て、先輩が尋ねる。

 

「ううん。今日は大丈夫」

 

 言って、彼女が視線を向けたのは――え、俺?

 正面に立って、真っすぐに目を見てくる。綺麗な目だ。吸い込まれそうに感じると同時に、無性に気恥ずかしくて、むずむずする。

 ずっと見ていたいのに、今すぐここから逃げたい。

 緊張して声が出ない。

 今、どんな顔をしてるだろう。こんな近くにMayさんがいて、俺のことを見てるなんて夢みたいだ。

 

「ごめんなさい」

「え?」

「先週会った時、無視するみたいになっちゃったでしょう?」

「あ、ああ」

 

 現実感がなさすぎて、何を言われたのか一瞬わからなかった。

 先輩も横目に驚いたような顔をしている。

 

「気にしないでください」

 

 ともあれ、俺は笑顔を浮かべて答えた。

 

「むしろ、俺は嬉しかったくらいです。Mayさんと会えるなんて思ってなかったから」

「本当?」

 

 Mayさんの口元が綻ぶ。

 可愛い。ええと、可愛い。駄目だ。思考が吹き飛んで「可愛い」以外に何も考えられない。とにかく可愛い。

 これ、もう、目標達成なんじゃないだろうか。

 しばしトリップしていると、Mayさんの視線が俺の胸元へ向けられる。

 

「ええと、羽丘くん?」

「は、はい」

「下の名前はなんだっけ?」

 

 片手で髪をかき上げながら、上目遣いに見てくるMayさん。

 

「ゆ、由貴です」

「由貴くん。……由貴くんね、うん、覚えた」

 

 ああ、もう死んでもいいや。

 なんだこれ。これだけで金取れるぞ。むしろアイドルになればいいのに。そしたら必死にバイトして、バイト代全部貢ぐ自信がある。

 

「由貴くん。また、お話しに来てもいい?」

「もちろんです」

「ありがとう」

 

 微笑んで、Mayさんはカウンターを離れていった。

 それほど広くない店内をゆっくりと、可愛らしく回り始めた彼女をついつい眺めてしまっていると、先輩が寄ってきて耳元で囁く。

 

「……後輩君、何したの?」

「え?」

「Mayさんってすごくガード固いんだよ。普通、男から声かけられても当たり障りないことしか言わないの。自分から近づいて下の名前で呼んだりとか絶対しない」

「そう、なんですか?」

 

 じゃあ、さっきのはなんだっていうんだ……?

 会ったのはこれで二回目。

 一回目の時はただの店員とお客さんとしてで、しかも、大した話はしなかった。気にしてるわけじゃないけど、フレンドリーに話せるほどの仲ではない。

 だとしたら、どうして。

 言われたことをそのまま受け取るなら、

 

「……案外、後輩君に気があるのかもね?」

 

 意味ありげな先輩のささやきに、俺は「まさか」と答えたながら、内心では動揺しまくっていた。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆

6/16(SUN) 21:33

☆☆☆☆☆

 

『羽丘君、あんたのことが気になって仕方ないみたいよ』

『ほんと?』

『本当。……誘惑、したんだって?』

『ゆ、誘惑なんてしてないよ。ほんとはもっとお話したかったけど、恥ずかしくてすぐ離れちゃったし……』

『え? わざと見えるところで服脱いだうえ、近づいていって甘い声で名前を囁いたって聞いたけど?』

『ち、違うもん! 脱いだのは暑くなっちゃっただけだし、名前、呼んだ時だっていっぱいいっぱいで……』

『はいはい。早くくっついて結婚式の招待状送りなさい』

『け、結婚……!?』

『しないつもりだったの? ……っていうか、イベントにまで招待しなくて良かったんじゃない?』

『だって、仲良くならないと恋バナなんてできないし……』

『……あんたって、変なところで積極的よね』

 

 

 

=====

6/18(TUE) 18:55

=====

 

「こんばんは、由貴くん」

「こんばんは、Mayさん」

 

 表向きは爽やかに応じつつ、俺は内心で「なんだと……?」と声を上げていた。

 これまでは一週間おき、日曜日に来ていたMayさんが平日夜に来店した。しかもレディーススーツに眼鏡という格好でだ。

 髪はアップにまとめていて、足元はローヒールのパンプス。肩からは小さめのバッグを下げている。

 綺麗だ。

 お洒落な感じの格好いい眼鏡がいい感じに印象を引き締めて、できる女というイメージを作り上げている。

 

「お仕事帰りですか?」

「うんっ。仕事が早く終わったから、つい寄っちゃった」

「そうなんですね」

 

 仕事、何してるんだろう。

 社会人二年目だって話だけど、気になる。本人が仕事帰りだってバラしてきたんだし、聞いても大丈夫か……?

 

「あの、差し支えなければでいいんですけど……OLさん、なんですか?」

「え?」

 

 きょとん、と、目を丸くするMayさん。

 見当違いだったか? それとも「店長さんから聞いてないの?」的な反応だろうか。

 内心びくびくしていると、小首を傾げて微笑んでくれる。

 

「うん、そうなの。近くの会社でちょっとした仕事を」

「へえー」

 

 当たりだったのか?

 それにしては濁された感じあるけど、やっぱ個人情報は言いづらいのか。

 イメージ的には秘書か何かやってそう。

 いや、駄目だ。秘書とかエロい妄想しか出てこない。実際はそんなことないんだろうけど、でも、社長とか重役の愛人率は高そうな気がする。

 

「め、眼鏡だと雰囲気変わりますね」

「あ、これ?」

 

 慌てて話題転換。

 Mayさんも嬉しそうに手を持ち上げてフレームに触れる。

 

「お仕事する時だけかけてるの。実はそんなに目、良くないんだ」

「結構ゲーマーですもんね」

「知ってるの? うう、恥ずかしいなあ」

「そんなことないです。ゲームする女の人、いいと思います」

「本当? そういう女の子、好き?」

「は、はい。好きです」

「良かったぁ」

 

 嬉しそうに微笑むMayさんを前に、俺の胸はうるさいほど高鳴っていた。

 そういう意味じゃないとしても、好きな人に好きっていうのは恥ずかしくて、緊張する。

 

「そうだ」

 

 そこでMayさんは思い出したように鞄を探り、一枚の紙を取り出した。

 

「由貴くん、コスプレのイベントに興味あるんだよね? 良かったら、ここ、どうかなって」

「これ……Mayさんが次に出るイベントですよね?」

「知ってるんだ。じゃあ、良かったら来て。ね?」

 

 イベント概要の書かれた紙が渡され、手がぎゅっと握られる。

 温かい。

 柔らかくて、すべすべの、女の人の手だった。

 

 イベントは来週の日曜日。

 店長にシフトの調整を相談してみようと心に決めた。



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6/18(TUE)‐6/20(THU)

=====

6/18(TUE) 20:31

=====

 

 ああ、今日は焦った。

 Mayさん、忙しいから平日は来ないだろうと思ってた。平日でも来てくれるとなると、

 

「やっぱり、リスクあるよなあ……」

 

 ベッドの上に置いた、封も開けていない女性下着を見て呟く。

 

「今回は即実践しなくて良かった」

 

 先輩に言われたその日から実行してたら、ブラをつけて会うことになってた。

 なんだ、その羞恥プレイ。

 Mayさんが来てくれるのは嬉しいけど、そうするとつけるタイミングがなくなってしまう。それはちょっと困る。

 

 下着のパッケージの横にはMayさんからもらったイベント情報がある。

 彼女が紫式部で参加するイベント。

 Mayさんも日々活動している。近づくには立ち止まっていられない。

 今日会って、男に興味がありそうだってわかった。職場関係の人に片思いしてるって話もある。先輩も驚いてたみたいに、もしかしたら思ったよりも思わせぶりで危ういところに立っている人なのかもしれない。

 

 店長からはシフトを土曜日にズラす許可をもらった。

 先輩も行くから、どうせなら写真を撮って店のブログにイベントレポートを上げろ、と言われた。

 それと、一つ忠告も。

 

『あの子、君と付き合う気はないんじゃないかな』

 

 Mayさんから聞いたわけじゃない、という前置きの上だったけど、その言葉はうわついていた俺の心に突き刺さった。

 

『ごめんね。でも、大人の女の言動を素直に信じすぎないこと』

 

 あの人にその気がないんだとしたら、猶更、努力するしかない。

 

「……よし」

 

 念のために部屋の鍵をかけてから、パジャマを脱ぐ。

 今までだったら肌着とトランクスは残してたけど、今日は完全に裸になる。

 下着を開封して、ごくりと喉を鳴らしつつ手に取った。

 

「これが、か」

 

 男物と違う、という意味では下着が一番違うだろう。

 フロントについた小さなリボン。身体を締め付けるブラのデザイン。こんなので大丈夫なのか、と言いたくなるようなショーツの小ささ。

 滑らかで優しい肌触りも含めて、何もかも、素朴な男物とは違う。

 

 買ったのは福袋的な三組セット。

 白、ピンク、青の中から清楚なひとまず白を選んだ。

 タグを外して、まずはショーツから。

 

 形としてはシンプルな三角形の下着。

 強いて言うならブリーフに似てるけど、あんなものと比べるのはおこがましい。もっと可愛くて、控えめで、品のある何かだ。

 どうすればいいかは悩む必要がない。

 穿くための準備はできてる。一昨日の夜、剃毛は「ばっちり全部」済ませている。剃った当初こそ落ち着かなかったものの、その後トイレに行ったりしたら、むしろ気楽で衛生的に感じた。体育の着替えでも下着までは脱がないから見られる心配はないし。

 恐る恐る、緊張しながら足を通す。

 するり、と両足が順に穴を通過。引き上げれば、柔らかな布地が俺の下腹部をぴったりと包んだ。

 

「っ」

 

 ぶるっと身体が震えた。

 着け心地は悪くない。頼りなく思えるのを除けば肌触りはいいし、動きの邪魔にもなりにくい。ただこれだけだと寒いので、ブラの前にタイツを履いた。

 うん、あったかい。タイツは冬寝る時とかも重宝しそうだ。

 

「で、こっちか……」

 

 なんの変哲もない(と思われる)バックホックのブラ。

 初めての童貞はだいたい手間取ると評判な曲者。どうせ大袈裟に言ってるだけだろ? と思いながら予行演習してみると、評判通りに外しにくかった。

 ジーンズなんかのホックとはモノが違う。

 ごくごく小さなホック、というかフックが縦に二つあって、これを正確に引っかける。外す時は正しく力を入れないとうまく外れない。裏にあて布があるから肌を傷つける心配はないけど、ノーヒントでやったら何回もミスしただろう。

 

 何度もつけて、外して、ある程度自信がついたところでいざ挑戦。

 

 左右の肩紐の間に腕を通す。

 先に肩紐の長さを調節するらしいんだけど……やりづらい。調整する器具がやっぱり小さくて頼りないからだ。不安だったのでいったん脱いで調整し、また腕を通して、という作業を何度か繰り返した。

 OK。

 腕を動かしても肩紐がほとんどズレなくなったので、いよいよ本番。

 腕を背中に回して、どうなってるか見えない状態で小さなホックを引っかけにかかる。って、言葉にしただけで難しいのがわかる。

 後ろ前に装着してホックを引っかけてから前後入れ替える、なんて技もあるらしいけど、なんかそれをやると負けな気がした。数分間、悪戦苦闘した末になんとか成功する。

 

「ま、まあ、慣れれば簡単になるだろ」

 

 ホックがかけられたことでブラは機能する状態になった。

 平たい布に胴を締め付けられる感覚は未知のもの。

 柔らかめのワイヤーを採用、って書いてあるのを選んだからか、苦しいとまではいかないまでもむずがゆいような感じがする。

 でも、見下ろしてみると、下着しかつけてないのに『女の子』を感じた。

 ……Aカップ相当のブラの中身はAAもない平坦な胸だけど。

 っと、それで思い出した。箪笥から適当に靴下を引っ張りだして、丸めてブラに詰める。するとほら不思議、まるで胸があるように見える。触ってみてもふにふに、と、まあ、そこそこそれっぽい感触がする。

 俺が本物を知らないからじゃありませんように。

 

 と、そこからは上にワンピースを身に着けてベッドに座った。もちろん女の子座りだ。

 何度か繰り返したせいか、女装をしてるとその方が自然に思える。

 

「あー……」

 

 下着まで女物にしてベッドにぺたん。

 癖になりそうな感覚はこれまでとは比べものにならなかった。

 ここまできたらクッションとか欲しい。可愛いやつ。抱きしめたままスマホ弄りたい。

 どんどん湧き上がってくる欲求を、俺は抑えることができなかった。

 

 

 

=====

6/19(WEN) 18:24

=====

 

 二人の人魚姫が海を渡り、薬の材料を求めて争奪戦を繰り広げる。

 人間になりたい人魚姫がどれだけいるのか、同じ国の姫なのか他国の姫同士なのか気になりつつも、姫に扮する俺と札木先生もまた白熱していた。

 

「二人だとフィールドが広いけど……」

「効率よく回ろうとすると結構迷うよね」

 

 真剣に盤面を見つめつつも、先生は笑顔。

 既にゲームは終盤戦。

 宝物(薬の材料)は五種類あり、全種類を集められないと大幅に減点される。俺は序盤に妨害を狙った結果、まだ一種類を集められていない。勝利を確信しての笑みなのか、それとも。

 

「いや、まだまだ負けませんよ」

「私だって、負けないよっ」

 

 ラストスパート。

 互いに海流に乗り、辿り着いた先に待っていた運命は――。

 

「やった、私の勝ち!」

「く、届かなかったか……」

 

 宝物チップに裏向きがあるのがポイントだよな。もともと宝の数にはバラつきがあるけど、確率論で行くと思わぬ偏りに痛い目を見ることがある。狙ってないSSRほどガチャで出やすいのと同じようなものだ。

 

「ふふっ、最近調子がいいかも」

 

 にこにこしながら片付けを始める先生。

 そういえば、ここのところ機嫌もよかったかもしれない。

 

「仕事、うまくいってるんですか?」

「ん……お仕事じゃなくて、プライベートかな?」

「へえ」

 

 先生がプライベートの話をするなんて珍しい。

 

「何があったのか、聞いてもいいですか?」

「うーん、どうしようかなー」

 

 手を動かしながら、ちらちらこっちを見ては考える素振りをする。

 目が生き生きしてるせいか、いつもより綺麗に見える。

 先生、素材は絶対いいからなあ。こんな風に笑顔なら人気も上がると思う。

 と、そんなことを考えていると、

 

「やっぱり内緒」

「え、それはずるくないですか」

「だって、恥ずかしいもん」

「恥ずかしいようなことを言おうとしてたんですか」

「う、うん」

 

 頬を染めて俯く先生。

 え、あの、そこでそう来られると困るんですが……。

 

「羽丘くんこそ、最近楽しそうだよ? いいこと、あったんじゃない?」

「いいこと……そうですね、確かに」

 

 憧れのMayさんからイベントに誘われた。

 一緒に行くわけじゃないけど、現地で話くらいできるかもしれない。もしかしたら写真撮らせてもらったりとかも。さすがに望みすぎか?

 でも、札木先生には教えられない。

 そうすると俺も秘密にするしかないのか。なるほど、いいことだからって言えるとは限らないんだな。

 でも、先生は「どんなこと?」とは聞いてこなかった。

 

「やっぱり。なんだか顔が生き生きしてるもん」

 

 それはひょっとするとスキンケアのせいかもしれませんが。

 

「ちょっとはイケメンに見えますか?」

「うん。元から格好いいけど、清潔感があって格好良くなった……かも」

「褒められ過ぎて逆に嘘っぽいんですけど……」

 

 女装って身体にいいんだな。

 ほっこりしながら照れ隠しを口にしたら、「どうしてそういうこと言うの?」と先生にしこたま怒られ、むくれられて、その日はそれから帰る直前まで口をきいてくれなかった。

 解せぬ。

 

 

 

=====

6/20(THU) 17:16

=====

 

「……ブラの着け心地はどうかなー?」

「ひうっ!?」

 

 会計が終わって、出て行くお客さんを見送った直後。

 耳元で囁かれた俺は変な声を上げてしまった。

 振り返れば、ニヤニヤした先輩の顔がすぐ近くにあった。

 

「なんで当たり前のように見抜いてくるんですか……」

「だって、いつもより着替えの時間が長かったし」

 

 なんでそんなもの計ってるのか。

 でも、着替えに手間取ったのは確かだ。今朝、鞄に下着を入れてきた俺だけど、学校で着ける勇気はなかったので、バイト先の更衣室で着替えた。下着を着けるには当然、下着を脱がないといけないので、時間がかかる。

 いつもはワイシャツ&ズボンの上からエプロン着けるだけだから、下手すると一分で済んでた。

 

「後ろから見ないとブラ線は見えないから安心しなさい」

「な、なぞらないでくださいっ!?」

「ふふふ」

 

 背中をつーっと指でいじられて俺はたまらず悲鳴を上げた。

 先輩もさすがにそれ以上は刺激してこず、近くで作業を始める。

 

「いいねー、後輩君、どんどんステップアップしてるじゃない」

「Mayさんには負けてられませんからね」

「ああ、イベントの件ね。後輩君の方は目的の女装コスプレまではまだ道のり長いもんねー」

「声が大きいですよ……」

 

 この店内とはいえ恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 誰かに聞かれた結果、Mayさんに伝わったりしてもアレだし。

 Mayさんといえば、もし今日も来てくれるようならブラ&ショーツの存在をなんとしてでも隠し通さないと。

 背中側を見せると危ないらしいので、徹底的に正面を見せる方向でいこう。

 

「で、着け心地は?」

「一種の催眠効果がある気がします」

「あ、わかるー。可愛いもの身に着けてると自分も可愛くなってくよね?」

「はい。恥ずかしいんですけど、その、楽しいっていうか」

「あーあ。後輩君、もう戻れないね」

 

 このまま突き進みたくなってるあたり本当に手遅れだと思う。

 

「――そうすると、次は外出かしら?」

「わっ。て、店長!?」

「なんでそんなの驚くの。私の店なんだけど」

 

 店長が背後でジト目をしていた。

 いや、急に後ろから現れたらそりゃびっくりするでしょう。

 なんとなくその場から離れようとしたら、肩に手を置いて逃亡を封じられる。振り払うことは簡単だけど、女性かつ雇い主にそれをするのは結構怖い。

 ふぅっ、と、耳に息が吹きかけられて、

 

「不特定多数の人に見てもらうと、もっと気持ちよくなるわよ?」

「なんか言い方がいかがわしいんですが」

「視線っていうのは気持ちいいものなのよ。じゃなかったら、アイドルなんて職業があんなに人気あるわけないでしょ?」

「確かに」

 

 見る方じゃなくてする方の話。

 売れれば有名人だけど、多くは夢で終わっていく世界。金のためだけなら、アイドル志望はあんなに多くないだろう。

 可愛い格好をして、色んな人に見られて、賞賛を向けられる。それ自体がある種の報酬になっているからこそ憧れるのだ。

 それは多分、コスプレイヤーだって同じこと。

 アイドル志望の子が「今、売れているアイドル」を目標にするように、コスプレイヤーは「今、売れているコスプレイヤー」や「ゲームやアニメのキャラクター」を目標にする、ただそれだけのことだ。

 

「学園祭でメイド喫茶が流行った時期は、それで女装して目覚めちゃう男の子が全国に急増したらしいですよね」

「っていうか今でもいるわよ。あれ以来、定番の一つにしてる学校が割とあるし」

「マジですか」

 

 合法的に女装させてもらえるとか、

 

「逆にご褒美なのでは? とか考えてるなら、君はもうどっぷりこっち側ね」

「だからなんでそんなに筒抜けなんですかっ!?」

「男の子がわかりやすいだけじゃない?」

 

 店長は不敵に笑って、俺と先輩を交互に見て、

 

「っていうか、どうせ二人ともイベントに行くんだし、イベントで女装外出初体験しちゃえばいいじゃない」

「え」

「は?」

 

 俺と先輩は硬直し、顔を見合わせた。

 いやいや、そんな簡単に行くわけないじゃないですか。そりゃスキンケアは続けてますけど、化粧も何も未経験なんですし、

 

「それいい!」

 

 キラキラと目を輝かせた先輩(うらぎりもの)がいた。



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6/23(SUN)

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6/23(SUN) 8:21

=====

 

「やっほー、こっちこっちー」

 

 日曜日。

 初めて外で会う先輩は、エプロンを着けてる時と同じくらい――いや、それ以上に明るくて小悪魔的だった。

 イベントだからか、ちょっと気合の入った感じの私服姿で、こうやって見ると大人っぽい。Mayさんに比べたら歳が近いはずなんだけど、高校生は子供で大学生は大人っていう、不思議な線引きがしっかり機能してるのがわかってしまう。

 

 俺達が集合したのは『ファニードリーム』最寄りの公園。

 日曜とはいえ、時間が早いせいかあまり人気はない。体操してるおじいちゃんがいるくらいだ。そんな中、カートを手にした先輩とリュックを背負った俺の存在は、なんだか妙に浮いているような気がした。

 こんなところにこんな時間に集合したのもアレなんだけど、それについては仕方ない。イベントの開場が午前十時だから、遅れないように準備しようとするとこれくらいの時間になる。

 

 先に来ていた先輩の元へ小走りに到着すると、先輩は「おはよう」と言うやいなや、俺の顔に手を伸ばしてきた。

 さわさわ、ふにふにと触ってみせて、

 

「ん、ちゃんと昨夜は寝たみたい。よしよし」

「おはようございます。……その、さすがに恥ずかしいんですけど」

「ん、何が? 下着女装でここまで来たのが?」

「それもそうですけど」

「そのくらいで恥ずかしがってたら、これから外歩けないよー?」

 

 何気ない仕草で手を引かれた。

 先輩に導かれるように向かったのは公園の多目的トイレ。着替えに使うのはあまりよくないかもしれないけど、いかがわしい行為をするわけじゃないし、他に適当な場所もない。

 中に入って鍵を閉めると、先輩は「ほら、脱いで」と言った。

 

「いや、一人で着替えますから」

「その後お化粧とかするんだから一人じゃ無理でしょ」

「う」

「ほら、そのために中は着けてきてもらったんだから」

 

 下着を装着済みということは、全裸にはならなくてすむ。

 家から下着をつけてこいという指令はそう言う意味だったのか。周到さに舌を巻きつつ服に手をかけて一枚ずつ脱いでいく。

 視線が恥ずかしい。

 でも、先輩の方は特に気にしていないようで、うんうんと頷くと俺のリュックに手をかけた。

 

「服はこの中?」

「あ、はい」

 

 水色のワンピースに黒いタイツ。

 引き出された服は幸い、特に皺とかにはなっていなかった。

 

「うん。じゃあ、服着る前にこれね」

「これは……パッド?」

「そ。ティッシュとか靴下でもいいけど、やっぱりちゃんとしたやつの方がそれっぽくなるよ」

 

 胸の形状に近いそれを靴下の代わりに仕込むと、より自然な形状になった。

 サイズ的にはAカップ相当なのでそんなに目立たないけど、確かに膨らんでる。それから、手渡された服をタイツ、ワンピースの順に身に着けた。

 ちなみに、下着は青いやつだ。色味が似てる方が透けにくいだろう。

 

「これで、大丈夫ですか?」

 

 俺は全体を見下ろしつつくるりと一回転する。

 ふわりと広がるワンピースの裾。

 ゆったりしたデザインで体型が出にくいので、ちゃんと可愛く見える。

 靴は安物だけどレディースのスニーカーを履いてきた。一見するとメンズとそんなに変わらないから男物と合わせても違和感薄いけど、よく見るとフォルムが丸いしちょっと可愛い感じがする。ワンピースを着ても当然、普通に溶け込んでいた。

 

「うん。……あー、この子ってば服変えただけで可愛くなっちゃって」

「?」

「可愛いから悔しいってこと! 肌すべすべで羨ましい!」

 

 俺的にはもっと肌白くなりたいし、まだまだケアも必要だと思うんですが。

 

「はい、ウィッグはこれ使ってね」

「ありがとう。でも、これはどこから?」

「お店の備品。店長が貸してくれたの。その代わり記念写真に写ってもらうからね」

 

 先輩という可愛い店員さんで釣った上、さりげなく販売グッズを写りこませるつもりらしい。さすが店長、抜け目ない。

 渡されたウィッグはセミロングくらいの長さがあるものだった。

 短い地毛の上から被って固定すると、髪が首筋にかかる感覚。今までには床屋を面倒臭がって伸ばしすぎた時くらいしか感じたことはない。

 そうしたら後ろ向きで立たされて、ゴムを手にした先輩に髪を弄られる。長めの髪を左右で一つずつの房にして垂らし――って。

 

「これはまさか」

「うん、ツインテール」

「あざとすぎじゃ?」

JK(じょしこうせい)が何言ってるのかなー?」

 

 俺、DK(だんしこうこうせい)です。

 いや、女装もコスプレっちゃコスプレなわけで、つまりこれは私服女子高生のコスプレといえる……のか? 高二でツインテールも似合わないと痛いだけだろうけど。

 鏡を見るのはお預けされたまま座らされて、化粧品やら何やらを取り出した先輩にあれこれ顔をいじられる。

 チークにマスカラ、アイシャドウ、アイライナーなどなどなど、てきぱきと手を動かしつつも説明をしてくれるんだけど、速すぎて追いつかない上に半分くらいしか理解できない。

 ただ、慣れない感触と匂いが鼻を、顔を、心をくすぐるのを受け入れるしかなかった。

 

「あー、なにこれ可愛い。嫉妬したくなる。けど可愛い。うん、一周回って楽しくなってきた」

 

 先輩が無軌道に吐きだす呟きが怖いようなくすぐったいような、やっぱり怖いような。

 ベースメイクから顔全体に化粧を施され、眉を若干整えられたりしつつ、おしまいを宣言されるまで体感三十分。でも、実際にはその半分くらいしか過ぎていなかった。

 

「じゃあ、鏡、見てみよっか?」

「なんか怖いんですけど……」

「大丈夫大丈夫。……可愛いから」

 

 だから、そこでトーンが変わるのが怖いんですってば。

 先輩は意味深に囁いた上で俺の肩を掴み、逃がさないとばかりに鏡の前に連行した。くそ、こうなるくらいならウィッグ被った段階で一度鏡を見たかった。

 まあ、どっちにしても化粧を落とすには鏡に向き合わないといけないわけで、つまり俺はもう逃げられない。

 変わり果てた俺の姿と直面しなければならない。

 

 どきどきする。

 

 期待と、それを上回る不安が胸を渦巻いて、どうにかなってしまいそうだ。

 目を閉じて鏡の前に立つ。

 ギリギリまで逃避していたいという心の現れだったけど、それが結果的に、ファーストインプレッションを高める効果を担ってしまった。

 

「ほら、目を開けて」

 

 言われるまま、俺は目を開いた。

 そして見た。

 

「………………え?」

 

 硬直した。

 鏡の中で、一人の女の子が目を丸くして俺を見ていた。

 界隈でよく言われる馬鹿の一つ覚えで、俺自身、幾つかの女装マンガを読んでみて「使われすぎだろこのフレーズ」と思うんだけど――それでも、俺の心情を表すのに一番いいと思うので、そっくりそのまま使わせてもらうと、

 

「これが、俺?」

「そうだよ」

 

 後ろに立った先輩が催眠暗示の如く答える。

 

「これが君。ううん、()()()

 

 胸の鼓動がうるさい。

 とっくに高鳴っているのに、更に速くなっていってる気がする。

 可愛い。

 ウィッグを被ったことで髪形が変わり、化粧によって肌の色、唇の色、眉の形、目のぱっちり感などなどを補正された俺は、青いワンピースを着たツインテールの女子高生そのものだった。

【挿絵表示】

 

 

 正直に言おう。

 俺は、俺自身に一目で見惚れてしまった。

 Mayさんとどっちが可愛いかと聞かれればMayさんだと即答するが、彼女のことを知る前の俺がもし、今の俺に告白されたら、二つ返事でOKしていたかもしれない。

 少なくとも、先輩と一緒に立つことに何の違和感もなかった。

 

「うん、我ながらいい出来。……あなたも、気に入ってくれた? なーんて、聞かなくても顔見ればわかるけどね」

「先輩」

「ん?」

「恨みます。こんな完成系見せられたら、もう本当に、絶対止められないです」

 

 道具と化粧で、こんな風に可愛くなれる。

 なら、道具を揃えて化粧を身に着ければ、俺にだって「これ」を再現できる。

 髪形や服を変えれば違うスタイルだって。

 更に言うなら、もっと可愛くなることだって、できるかもしれない。いや、きっとできる。

 口もとに笑顔が浮かぶ。

 可愛く笑うのなんて慣れてないから、どうにもぎこちない感じだったけど、それでも、鏡の中の俺ははっきりと俺に向けて微笑んでいた。

 

「ね、後輩君。ううん、後輩ちゃん?」

「なんですか、先輩?」

「記念撮影。まずは一枚、いい?」

 

 店長に送るから。

 そう言って、スマホのカメラを鏡に向ける先輩に、俺は笑顔のまま頷いた。

 

「お願いします」

 

 撮影したツーショットは、店のグループチャットルームを通して俺のスマホにも保存された。

 

 

 

 脱いだ服はリュックの空きスペースに詰め込んだ。

 先輩はカートの中からぺしゃんこになったショルダーバッグと、小さなポーチを取り出すと、はい、と俺に渡してくれた。

 

「これは私物だから帰りに返してね」

「貸してもらっちゃっていいんですか?」

「男物のリュックじゃ可愛くないでしょ?」

 

 心遣いが嬉しい。

 ショルダーバッグは買った同人誌なんかを入れる用で、ポーチは財布代わりに使えばいいとのこと。もともと持っていたあれこれが使えないとなると、つくづく色んなものが入り用になるものだ。

 ワンピース買った時の通販では鞄とかは見送りしてしまったし。

 小遣いじゃ限界があるし、お年玉貯金だってそう多くはない。考えてみるとバイト始めてまだ一か月なわけで、初めてのバイト代だってまだ出てない。なのに欲しいものが多すぎる。

 

 男の時でも女の時でも使えるようなデザインを探してみるかなあ……。

 

 ともあれ、準備は完了。

 俺達はついでに本来の使い道で利用してから(もちろん交代で外に出てた)多目的トイレを出て、そそくさと公園を後にした。

 

「あ。駅までゆっくり歩こうね。時間はまだあるから」

「はい。でも、どうしてですか?」

「大股で歩いたら女の子っぽく見えないでしょ?」

 

 釘を刺された。

 男の仕草だと変に思われるから気をつけろ、ってことだ。そう言われても細かい仕草を一つ一つ制御するなんて急に無理だから、せめて動きのスピードを意識して緩めるようにする。

 歩幅を小さめにゆっくり歩けば、自然と服や靴の違いを意識できる。

 ブラの締め付け、唇に塗った口紅の感触、ほのかに香る化粧の匂いが「今は女なんだ」と継続的な暗示をかけてくる。

 

「女の子のペースに慣れると、デートでも役に立つかもよ」

「本当ですか?」

「ほんとほんと」

 

 他愛のない雑談がなんだかいつもと違って感じられる。

 先輩みたいに抑揚をつけて、高い声で喋れるようになりたいと思った。

 

 リュックは駅のコインロッカーに収納した。

 ちょっと身軽になった俺は、肩にかけたバッグとポーチの位置を直し、先輩と一緒に改札を抜けた。

 

「そのワンピは長めだから平気だろうけど、スカートの時は階段気をつけてね。さりげなく手で押さえるか、鞄を後ろに回すこと」

「はい」

 

 幸い電車には並んで座れた。

 ワンピースのスカートを敷くようにしてぎこちなく腰掛けた俺は、先輩の真似して足をしっかりと閉じた。さりげなくじーっと見ていた先輩がよしよし、と頷き、監督と同時に採点までしていることを知らせてくれる。

 ふとスマホを見たら店長から「もうこれで仕事しなさい」とか返信が来てて悶絶し、先輩にニヤニヤされて恥ずかしくなり、

 

「そういえばさ」

「はい?」

「あなたのこと、なんて呼べばいい?」

 

 言われてみると、どうしよう。

 この格好で「羽丘君」と呼ばれるのはなんとなく抵抗がある。いつもの「後輩君」も同じだ。下の名前をもじって「ユキ」とか名乗ってもいいけど、身バレが怖い。

 

「源氏名とかないの?」

「源氏名って」

 

 飲み屋の女の人じゃないんですから。

 

「じゃあ女装名?」

「ハンドルネームとかでいいじゃないですか」

 

 声を潜めてからかわれた俺は、これまた小さな声で言い返した。

 いや、そうか、ハンドルネームか。

 それなら「アレ」を使えばいいか。

 

「じゃあ、ミウって呼んでもらえませんか?」

「ミウ。ミウちゃんか。あはは、可愛いかもー」

「ちょっ、抱きつかないでくださいっ」

「いいじゃない、女の子同士なんだから」

 

 男子だって知ってる人が何言ってるんですか!

 とか言いながら、女子扱いされるのは悪い気がしない俺だった。




※挿絵はNovelAIで作成した大まかなイメージです


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6/23(SUN) part2

=====

6/23(SUN) 9:42

=====

 

 今回のイベントはナントカ会館的な場所を借りた、小さめの同人誌即売会だ。

 俺達としては会場が近いのが嬉しい。

 電車で数駅。駅からは歩いて五、六分の道のりだ。

 

「ちょっと早めに着けますね」

 

 有明のビッグイベントと違って大渋滞なんてことにはならない。

 開場時間までに着いておければ十分楽しめるはずだ。

 

「ん、更衣室は三十分前から使えるらしいから、欲を言えば先に押さえたかったけどねー」

 

 今回のイベントにおいてコスプレはおまけ。

 撮影会場も広いわけじゃないみたいだけど、レイヤーさん向けの配慮はきちんとされているようだ。

 

「すみません、俺のために」

「楽しかったから気にしないで。っていうか、『俺』じゃ駄目でしょ、ミウちゃん?」

「あっ……」

「ほら、訂正して。私って。あたしでもボクでもいいけど。あ、漢字で僕は禁止ね」

「わ、私でいいです」

「そう? じゃあ言って。ほら言って」

 

 うう、そう意識させられると滅茶苦茶恥ずかしいんだけど……。

 

「私のために、ありがとうございます」

「うん、合格」

 

 なんて言っているうちに会場に着いた。

 二人分の受付を済ませて、薄いパンフレット(注意書き付き)を受け取る。ついでに「写真撮ってブログに載せていいか」って聞いたら「許可取ってる人以外の顔が判別できなければOK」と言ってもらえた。

 レイヤーさん以外は写さないか、許可を取るか、写ったら修正すればいいわけだ。

 

「それじゃあ私は着替えてくるから、開いたら適当に回ってて。一段落したらコスプレ会場に来てくれれば会えるだろうし」

「わかりました」

「くれぐれもナンパとかに引っかかっちゃ駄目だよー?」

「されませんし、引っかかりません」

 

 俺は今回、コスプレをしない。

 衣装がないし、今の女装モードでいっぱいいっぱいだ。先輩と別行動してる間は一人でなんとかしないといけない。

 ここまでの道中を思い出しつつ、できるだけ違和感のない仕草や言動を心がけないと。

 

 開場まではあと十分。

 メインとなるホールにはサークル参加者しかまだ入れないので、邪魔にならないところで待つ。残念ながら椅子なんかはもう埋まっていた。仕方なく壁を背にして立つ。

 参加者はやっぱり男が多い。

 即売会のテーマはスマホゲーム。コスプレ・同人誌ともにスマホゲー以外のテーマは禁止だ。まあ、有名どころのアニメは大抵ゲーム化してるからくくりとしては緩いけど。女性向けのスマホゲーって意外に少なく、キャラゲーはもっと限られる(パズルゲーとかが多い)から、美少女キャラ目当ての青年・おっさんが多くなるのは当然だ。

 

 っていうか、他人事みたいに言ってる俺も男だし……。

 

 漏れ聞こえてくる話も濃い。ゲームにアニメにマンガの話題。アーティストの話題が混じったかと思えばアニソン歌ってる人だったり。

 パンフを開いてサークル一覧を見てみると、英雄大戦メインのサークルがやっぱり多い。後はアイドルゲームと古戦場から逃げちゃいけないあのRPGあたり。レイヤーさんもそのあたりが多いか……っと、某戦艦擬人化ゲーも結構強いな。侮れない。

 

 開場待ちの人の中にMayさんの姿は見えなかった。

 彼女もレイヤーさんだから、今頃は更衣室だろう。紫式部コス、絶対見て帰らないといけない。っと、今のうちに開場前の様子も撮っておいた方がいいか。

 先輩とそれぞれに撮影して、使えそうな写真をピックアップする話になってるのだ。

 ショルダーバッグのポケットからスマホを取り出して何枚か写真を撮る。できるだけ人が小さく写るように気をつけながらだ。

 っていうか、今使ってるスマホケースってシンプルすぎて男っぽいな。女装の時用にもう一個買おうかな。でも、今買っちゃうと機種変が難しいよな……。

 

「お待たせしました。開場しまーす」

 

 瞬間、周囲にピリッとした何かが走った。

 戦が始まる感じ。そういえば開場前からイベント会場にいたのってこれが初めてだ。イベント自体がこれで二回目だし。

 今回は焦らず、雰囲気を掴むのに専念しよう。

 入り口はあんまり広くない。開場された瞬間に歩き出す人。視線で周囲を威嚇し良いポジションを確保しようとする人。高機動モード(リュックを身体の前にする)へ移行する人。色んな人がいるのを見て、肌で感じて、その全てを思い出にする。

 この服で早歩きや小走りは危険だから、入場していく人が落ち着くのを待つ。だいたい五、六分くらいすれば牽制も何もなく入れるようになったので、悠々と入る。

 

 今回、あんまり前情報は入れてこなかったんだよな。

 初めての時は各サークルの同人誌をジャンルどころかキャラまでチェックして、ルートを脳内シミュレートしたりしたんだけど、結局、思った通りになんて全然回れなかった。有名どころの同人誌はさっさと売れてしまうし、そういうところには驚くほど人が殺到する。

 軍資金にも限りがある。

 会場を出る時間によっては夕飯を食べてくことになるかもしれないし、あんまり使うと服に使う金がなくなってしまう。

 ここは散歩感覚でふらふらしながら、目についたものを幾つか購入することにする。

 

 会場内は独特の熱気に包まれていた。

 サークルさんは長机とパイプ椅子で露天っぽい感じにひしめいていて、多くの男女(男が九割)が見本を手に取ったり、近づくなり購入を決めたりしている。

 みんな見るからに楽しそうで、なんだかわくわくしてくる。

 のんびりしてたら時間がいくらあっても足りなさそうだけど、ここはぐっと堪えてスローペースを心がける。

 歩きながら机の上に視線をやって、どんな本なのかを確認。

 そうしていると、好みの絵柄の本を発見。

 

「あの、見せてもらってもいいですか?」

「ど、どうぞっ」

 

 近づいて声をかけると、上ずった声が返ってきた。

 なんで緊張してるんだろう。

 イベントあんまり参加しない人なんだろうか、とか思ってから、オタクっぽい男性二人(人のことは言えないけど)が俺をちらちら見てるのに気づく。そっか、女子に見えるからなのか、これ。

 これが素の俺だったらどうなっていたのか。

 

「すみません、一部ください」

「はい。500円です」

 

 おお、落ち着いた声。

 ぱらぱらめくってるうちに後ろから来た男性客のお陰で確認することができた。ってことは、俺、ちゃんと女の子に見えてるのか。

 そっかそっか、そうなんだ、へー。

 

「私も、一冊ください」

「どうぞ持っていってください」

「おい、まだお代もらってないぞ」

「あっ」

 

 もちろんお金はちゃんと払った。

 ありがとうございます、とお礼を言ってその場を離れ、本は折れないように気をつけながらショルダーバッグへ。更にふらふらと会場をめぐって、目についた本を見せてもらい、ビビッと来たのがあれば買い求めた。

 そういえば、先輩は欲しい本とかなかったんだろうか。俺が確保しておくこともできるんだけど。でも、今からスマホで聞いても忙しいだろうしな。

 早めにコスプレ会場に行って直接聞いてみるか。

 と、思いつつ、最初のサークルさんで気分が良くなったせいか、ついつい散歩と散財が捗ってしまう。一冊買う度に鞄も重くなるので自重しないと。後一冊、とりあえず後一冊買ったら移動しよう……。

 

「こんにちは」

 

 と、横手から声をかけられた。

 振り返ると、近くの長机の向こうに女性が座っていて、その人と目が合った。にこりと笑って手を振られる。

 珍しい。女性でサークル参加なんだ。

 なんだか同族を見つけた気分になって(注:気のせい)、近寄りながら笑みを浮かべてしまう。

 

「一人で来たんですか?」

 

 彼女の方もつい声をかけたって感じで、そんなことを尋ねてくる。

 

「いえ。知り合いと一緒で。その人はコスプレしてるんです」

「じゃあ、私と一緒だ」

 

 その人は一人で売り子さんをしている。

 聞けば、もう一人の女性と一緒に来ていて、彼女はコスプレ会場で宣伝を兼ねて写真を撮られているらしい。

 

「あなたはコスプレしないの?」

 

 と、早くも敬語じゃなくなってる。

 相手の人の方が明らかに年上だから嫌な気はしないし、むしろ親しみを持ってもらって嬉しい気さえした。

 

「私はイベント初心者なので、今回は見学です」

「そっか。高校生?」

「はい。二年生です」

「うわー、いいなー、若いなあ。私、この趣味ハマったの大学入ってからだもん。もっと早く始めてればなあ」

「まだ全然若いじゃないですか」

「そんなことないよー。もう二十五だもん」

 

 やばい、なんか女子っぽい会話してる。

 二十五歳ってことは札木先生と同い年。なんだ、やっぱり全然若い。二十五で歳だとか言ってたら、Mayさんもあと二年で賞味期限切れの可能性がある。そんなわけない。

 

「始めるなら早い方がいいよー。歳取るほど恥ずかしくなるから。アイドルとかゴスロリとかと一緒」

「そうなんですね……」

 

 早い方がいい、か。

 先輩とか店長とかが「やっちゃえ」って言うのはそういう実感も関係してるのかも。

 俺だって、ちょっと昔に騒がれてたマンガを後から読んだら超面白くて、もっと早く読めばよかった……って後悔したことあるし。

 

「ありがとうございます。知り合いとも相談してみます。これ、一部ください」

 

 笑顔でお礼を言って、財布代わりのポーチを取り出す。

 アイドルゲームの純愛百合本。見慣れないカップリングで、興味のあるラインからは離れてるけど、この人の描く本に興味が出た。読んでみたら新しい世界が開けるかもしれない。

 

「ありがとう。あ、良かったらプレゼントするよ?」

「いえ、払わせてください」

 

 さっきのアドバイスだけでも本の値段分くらいの価値はある。

 ちゃんとお金を払って本を受け取って、ぺこりと頭を下げた。

 お姉さんはにっこりと笑って「またね」と手を振ってくれた。

 

「私、定期的にイベント参加してるから、どこかで会えるの期待してるね」

「はい。また、是非」

 

 胸の中がほっこりするのを感じながら俺はお姉さんと別れ、サークル巡りを再開――しそうになって、慌てて我に返り、コスプレ会場に向かった。

 

 

 

 

 会場の男女比は更に偏っていた。

 いや、ちゃんと女の人もいるんだけど、女性はほぼ例外なくカメラさんに囲まれてる、つまりレイヤーさんで、そこに男が群がってるからむさくるしく見える。

 カメラさん達を見ずに輪の内側だけ見てれば非常に華のある画ではある。

 先輩とMayさんを探しつつ、せっかくなので俺もスマホを取り出して写真を撮らせてもらう。まあ、コスプレメインのイベントじゃないとはいえ、カメラさんの数はそこそこいる。彼らを押しのけるなんてできるわけもなく、遠いところからになっちゃうけど。

 

 コスプレイヤーさんはやっぱりいい。

 可愛く着飾った女性が笑顔を振りまき、自分とコスを人前に晒している。それは、自慢のドレスを着て臨む舞踏会のようなものだ。

 見られてもいい。むしろ見てほしいと、可愛く、優雅に、華麗に振る舞う。

 二次元の空想のキャラを演じるんだから、そうなるのは自然で、当然だ。

 

 取り巻くカメラの数は人によって違うけど、俺には彼女達の全員がまぶしく見えた。

 晴れの舞台に立てる。

 多くの視線に晒されながら笑顔で振る舞えるというのは、それだけで凄いことだ。羞恥心を抑えて快感を受け入れなければそれはできない。

 羨ましくて尊敬して、憧れる。

 夢中で画面を覗き、シャッターボタンを押していると、カメラの向こうにいるレイヤーさんがこっちを向いた。

 彼女はにっこり笑って、そのまま視線を固定してくれる。思わずシャッターを押す。良い一枚が撮れた。

 偶然? もしそうだとしても嬉しい。

 俺は小さく頭を下げて、彼女に感謝を示した。

 

 更に何人かのレイヤーさんを撮影した。

 不思議なことに、俺がカメラを向けると多くの人が目線と笑顔をくれた。男ばっかりの中で目立つからだろうか。嬉しくてありがたい反面、真剣に撮影している人達に悪いような気もして、俺は何枚か撮影しては頭を下げて、さっと離れることを繰り返した。

 

 先輩達はどこだろう。

 先輩の人気は良く知らないけど、Mayさんはきっと大勢に囲まれてるはず。

 人の多い方に行けば見つかるかと歩いていくと、ひときわ大きな人垣を発見。回り込んで確認すると、いた。

 まさかの二人とも、いっぺんに発見。

 

「あっ。ミウちゃーん、やっほー!」

「『ミウ』ちゃん……?」

 

 紫式部コスでその豊かな胸を晒したMayさんは、眉を顰めて首を傾げる。

 そして、()()()()()()をしてMayさんと並んだ先輩は、楽しげに、無邪気に、俺に手を振ってきた。



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6/23(SUN) part3

=====

6/23(SUN) 13:03

=====

 

「お待たせー。さ、休憩しよ?」

 

 Mayさんと先輩が撮影会をひと段落させるまで、俺はカメラさんの仲間入りをして、ひたすらシャッターを押していた。

 結果、Mayさんの写真がいっぱい溜まったのは不可抗力だ。

 先輩の写真もまあ、おまけで溜まった。

 

 カメラさん達が撤収していった後、近くのベンチに移動して三人で座る。

 俺、先輩、Mayさんの順番。

 昼食はあらかじめ買ってある。サンドイッチと野菜ジュース。同人誌の重みで潰れかけてたそれを取り出していると、向こう側から視線を感じた。

 

「あの、その子は……?」

 

 Mayさんが訝しげな表情で俺を見ている。

 

「ああ。私の後輩なんですよー。ね、ミウちゃん?」

「は、はい」

 

 笑いかける先輩におずおずと頷く。

 でも、Mayさんはますますわからないといった顔。

 

「この子も新しいアルバイト?」

「あー、いえいえ。ミウちゃんは私の母校の子です。ねー?」

「そうなんです。先輩とはたまたま趣味が合って」

「そうだったの」

 

 ようやく表情が和らいだ。

 警戒されてたのかな? そりゃそうか、今の俺は単に知り合いの知り合いってことになるし。

 

「じゃあ、あなたもコスプレするの?」

「あ、いえ。まだなんです。したいなあ、って思ってるんですけど……」

「興味はあるのね」

 

 Mayさんは微笑んで頷いてくれる。

 一方で、口元に手を当てて何かを考えてるみたいだけど、俺にはその意味がわからない。

 先輩がくすくす笑って、

 

「ミウちゃんは、Mayさんに憧れてコスプレに興味もったんだもんねー?」

「……えっ?」

「そうですけど、なんで先輩が言っちゃうんですか」

 

 割と本当にむっとして、俺は先輩を似合う。

 紫式部と虞美人。ゲームも揃ってるし、東洋系のキャラってことで共通項もある二人は、よくお似合いだ。

 知り合いでもあるので、一緒の撮影でも息が合っていた。

 腹立たしい。

 俺の機嫌が悪いことに気づいたのか、先輩は「ん?」と首を傾げ、ぽんと手を打った。

 

「もしかして、私が虞美人コスしてるのが気に入らない?」

「どういうこと?」

「この子、Mayさんが紫式部やるって聞いて、じゃあ自分は虞美人やりたいって言ってたんですよ。……ミウちゃん、私が虞美人やることにしたのはMayさんより前だからね?」

「別に聞いてないです」

「あ、やっぱり怒ってる。まあ、私の方がミウちゃんより似合うもんねー?」

 

 イラっとした。

 

「貧乳の癖に」

「む。ミウちゃんなんかぺったんこの癖に」

 

 いや、そりゃ男だからぺったんこですけど。

 このタイミングで言われるとコンプレックス刺激されたみたいなるのは何故だろうか。

 

「私のおっぱいは触ったことあるでしょ?」

「触ってません。先輩が押し付けてきたんじゃないですか!」

「ほら覚えてる」

「っ。ううう~~」

「怖い怖い。あなたって怒らない子かと思ってたけど、さすがに嫉妬は別か」

 

 嫉妬。

 そう指摘されて、俺はそれが図星だと自覚する。

 筋違いな怒りを抱いているのは、俺がやりたかったコスで、俺が並びたかった人と並んでいるからだ。

 俺にはできない着こなしで、振る舞いで、たくさん写真を撮られていたからだ。

 

「……すみません」

 

 理解してしまうと、炎が急速に収まっていく。

 今度は自己嫌悪に襲われながら、俺は先輩に謝った。

 先輩は苦笑して「別にいいのに」と言った。

 

「本気で憎まれちゃうのはアレだけど、憎まれ口叩き合うのも意外と楽しいんだよ? ミウちゃん大人しいからむしろほっとしたかな」

「先輩……」

「あ、ちょっとは私のこと見直した? でも惚れないでよ」

「惚れるわけないじゃないですか、馬鹿なんですか?」

「馬鹿とはなんだ」

 

 結局、睨み合いになる俺達。

 と、ぽかんと見ていたMayさんが突然、くすくすと笑いだした。

 

「仲がいいのね」

「あー、そうですね。知り合ったのはそんなに前じゃないんですけど、この子、可愛いじゃないですか」

 

 いじめると楽しい的な意味ですね、わかります。

 

「うん、わかるかも」

「わかります? それなら可愛がってあげると喜びますよ」

「先輩は私をいじって遊んでるだけじゃないですか」

「だって可愛いんだもん」

 

 うん、でもなんか、先輩に反撃するのがちょっと楽しい。

 普段いじられてるのも決して嫌じゃないんだけど。アニメとかでも、仲の良い同士のちょっとした言い合いって見てて楽しかったりする。

 と、Mayさんがお腹を押さえだした。

 

「ごめんなさい。なんだかおかしくって」

 

 俺は先輩と顔を見合わせ、なんだかほっこりした気分になった。

 話を変えるならここだろうか。

 意を決して口を開き、Mayさんに話しかける。

 

「あの、Mayさん。私、先輩が言った通り、Mayさんに憧れてコスプレに興味を持ったんです」

「……うん」

 

 ようやく笑いを収めたMayさんは、表情をあらためて俺を見つめた。

 緊張が高まるけど、ここまで来たら言わないといけない。

 

「だから、その、良かったら、私とお友達になってくれませんか……?」

 

 胸が締め付けられるように痛くなる。

 まるで愛の告白をしたみたいだ。

 いや、俺にとってはある意味、告白そのもの。でも、本番はもっと痛かったりするんだろうか。そう考えると少し怖くなる。

 Mayさんの目を見るのも怖い。

 でも、思いきって見つめながら返事を待つ。

 

「ありがとう。女の子でそんな風に言ってくれる子、あんまりいないから嬉しい」

 

 笑ってくれた。

 

「私で良かったら、お友達になってください」

「~~~っ!」

 

 衝撃が胸を貫いた。

 甘くて痺れるようなそれは、まさに『幸せ』だった。

 友達。

 Mayさんと友達。にやけるのが抑えられない。踊り出したい気分、というのはまさにこういうのを言うんだろう。

 

「じゃ、じゃあ、連絡先、交換してもらえますか……っ?」

「うん、もちろん」

 

 言って、スマホを取り出すMayさん。

 やった。まさかこんなチャンスがあるなんて、女装して良かった。先輩や店長のアドバイスを聞いて本当に良かった。

 Mayさんの気が変わらないうちにと、俺はスマホを取り出そうとして――。

 

「あ」

「どうしたのミウちゃん? スマホ持ってないわけじゃ……あっ」

 

 先輩も気づいたらしい。

 当たり前だが、俺が持っているスマホは「羽丘由貴」のものだ。「レイヤー志望のミウ」のものじゃない。呟きアプリのアカウントは使えない。

 電話番号とメールアドレスは教えても平気かもしれないけど――先輩が「駄目、絶対」とアイコンタクトしてきている。

 

 別に教えちゃってもいい気はするんだけど、万一、何かの形で「ミウ=羽丘由貴」とバレた時が怖い。

 多分、Mayさんは俺を普通の女の子だと思ってるだろう。

 流れで普通に自己紹介したのが失敗だった。ここでバラしたら「二人にからかわれた」+「男だって黙って近づいてきた変態」という判定になりかねない。というかなる。

 

 そうなると、手はあれしかない。

 ミウのハンドルネームで登録されてるチャットアプリ。

 

「どうしたの?」

「あ、あの、実は私、本名が好きじゃなくて、明かしたくないんです」

 

 不思議そうにするMayさんに嘘をつく。

 一応弁解するなら、まるきり嘘ではない。女みたいな名前って言われるという意味で「羽丘由貴」という名前はあまり気に入ってないし、明かしたくないのも本当だ。

 

「だから、別のアプリを使ってて、それじゃ駄目ですか?」

「そうなんだ」

 

 Mayさんは完全には笑顔を崩さなかった。

 ただ、困ったような笑い方になって、首を傾げる。

 

「気持ちはわかるから協力してあげたいけど、なんていうアプリ?」

「えっと――」

 

 アプリの名前を口にする。

 すると、Mayさんが口をぽかんと開けて硬直した。

 

「それなら、アプリはもう入ってるから……IDだけ教えてくれる?」

「そうなんですね」

 

 レイヤーさんも公私の使い分けが大変だろうから、その辺の兼ね合いなんだろうか。

 俺はチャットアプリを起動して、MayさんにIDを伝えた。

 Mayさんは「やっぱり」と呟いて、スマホを見つめたまま動かない。どうしたのか心配になって声をかけようとしたら、

 

「それなら、登録はいらないね」

「え?」

「もう登録されてるから」

「は?」

 

 言われた意味がわからなかった。

 もう登録されてるって、ハンドルネーム同士では知り合いだったってことか? でも、俺がこのアプリに登録してるのは一人だけだ。

 一人だけ。

 Mayさんは、それはもう困った顔をして呟いた。

 

「……もう、ミウちゃん。中学生だって言ってなかった? 今、高校生くらいだよね?」

「か、寒ブリ?」

 

 Mayさんが、寒ブリ?

 

「うん。まさか、こんな形で会うとは思わなかったけど」

「え、二人、知り合いなんですか?」

「偶然だけどね。May名義じゃない秘密のハンドルで知り合ってたみたい」

「うわ、そんな偶然あるんですね……」

 

 呆然としてる間にどんどん話が進んでいく。

 本当に寒ブリなのか。

 ってことは、俺とMayさんは以前から繋がっていて、話をしていた?

 いや、待った。あんなことやこんなことを話していた相手がMayさん? ノリのいい男子中学生とかでも、暇を持て余したおっさんでもなく?

 俺、けっこうきわどいことも言ってた気がするんだけど!?

 

「……Mayさんだって、男だからファッションのことわからないとか、言ってたじゃないですか?」

 

 恥ずかしさが高まりすぎて逆に冷静になった俺は、ちょっとばかり責任転嫁をする。

 Mayさんは照れたように笑って、

 

「ごめんね。その方が気楽だったから、男の子のロールプレイを楽しんでたの」

「まあ、私も、ゲームの話とかできて気楽でしたけど……」

「ふふっ。二人で『おっさん乙』とか言い合ってたもんね」

 

 ほんとだよ。

 俺はこんな綺麗で、可愛くて、素敵な人をおっさん扱いしてたのか。罰が当たるぞ。

 

「ふーん。Mayさんだってミウちゃんと随分仲良しじゃないですかー?」

「だ、だって、前からお話してたんだって思ったら、なんだか親近感湧いちゃって……」

 

 うん、それはある。

 Mayさんがあのゲームとかこのゲームとかやってて、このキャラが好きで、って全部わかるから、すごく親しみが持てる。

 気負わずにゲームの話していいんだな、って思える。

 

「でも、会えて良かった」

 

 俺の方を見て、Mayさんが言う。

 

「変な人に捕まったりしないかって、ミウちゃんのこと心配してたの。本当に、私に会いに来てくれるなんて嬉しかった」

「Mayさんは私の憧れなんです。他の人なんて目に入りません。……変な人には捕まっちゃいましたけど」

「ミウちゃん? それは私のことかなー?」

 

 睨んでくる先輩を敢えて無視してやると、Mayさんがまたくすくす笑った。

 

「お友達になってください、なんて言う必要なかったね。ミウちゃん、いつでもなんでも話してね? 私は、ちょっと恥ずかしくて素になっちゃうかもだけど……二人だけのチャットがあるんだから」

「は、はい。私も、Mayさん相手じゃ今まで通り喋れないかもしれませんけど……」

 

 二人だけのチャット。

 Mayさんとプライベートチャットなんて、世界で他の誰にもできない、俺だけの特権じゃないか。

 ああもう、一生分の運を使い果たしたんじゃないだろうか。

 

「っていうか、いい加減ご飯食べませんか? お腹空いちゃいました」

「あ、そうですね」

「うん。そうしよっか」

 

 気づくと、俺達三人の間で流れる空気はとても柔らかなものになっていた。

 サンドイッチを小さくかじり(頬張ると口紅が落ちるからと先輩に注意された)、ストローでジュースをちゅーちゅー啜りながら、Mayさん達と他愛ないことをお喋りするのはとても楽しかった。

 

 どうやら、先輩は俺――『羽丘由貴』とは別口で来てることにしたらしい。

 当の俺がここにいるわけだから、そうとでもしておかないと辻褄が合わなくなる。

 

「羽丘くん、来てくれたのかな……?」

 

 Mayさんはちょっとしょんぼりしていた。

 そりゃそうだ。

 彼女が誘ったんだから、来てなかったら「何かいけなかったのか」って思う。

 そう思ったら、俺は口を開かずにいられなくなっていた。

 

「羽丘君なら、さっき会いましたよ。『Mayさんに話しかけるのは恥ずかしいから』ってこそこそしてました」

「え? ミウちゃん、羽丘君とも知り合いなの?」

「え? ……あー、えーっと。はい。あいつとは中学が一緒だったんです。高校は違うんですけど、先輩のつてで再会して」

「そうだったの」

 

 こくり、と、Mayさんは頷いて、

 

「じゃあ、羽丘くんとお付き合いしてるとか……じゃ、ないんだよね?」

「ま、まさか! なんで私があんなやつと!」

 

 自分と付き合うことはできないので、それだけは天地が裂けてもありえません。



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6/24(MON)

=====

6/24(MON) 15:03

=====

 

「店長。あの二人、どう思います?」

 

 二人きりの店内。

 以前からのバイトである彼女とは勝手知ったる仲。気も合うので、こうして雑談になることもよくある。

 仕事があるので話してばかりもいられないが、話しながらでもできる仕事はお互いにこなしている。

 

「そうね。正直、さっさと結婚して欲しい」

「ですよねー」

 

 うんうんと頷く彼女。

 イベントの報告は既に聞いている。とても楽しかったと笑顔で言っていたが、一方、由貴とMay――萌花の関係については思うところがあったようだ。

 

「後輩君はMayさんのことが好きで、付き合いたい」

「あの子は羽丘君のことが好きで、付き合いたい」

 

 それぞれに呟いて顔を見合わせる。

 

「なんでまだ付き合ってないんですか?」

「もう一年以上、もたもたしてるらしいわよ」

 

 ぶっちゃけ両想いである。

 当人にも言ったようにさっさと末永く爆発して欲しいものだが、二人にもそれなりの事情というものがある。

 なんというか微妙にややこしい事情が、だ。

 

◇羽丘由貴

・高校二年生。テーブルゲーム研究会所属

・レイヤー名はミウ。ハンドルネームもミウ

 

◇札木萌花

・高校教師。テーブルゲーム研究会顧問

・レイヤー名はMay。ハンドルネームは寒ブリ

 

 まず、前提として上のような状況がある。

 由貴が好きなのはMay。萌花が好きなのは由貴。

 

 由貴と萌花は先生と教え子。

 ミウとMayは友達。

 

「ミウちゃんはMayさんと仲良くなれて大満足って感じでした」

「萌花も嬉しそうに報告してくれたわ」

 

 前からチャットしてた友達とリアルで会ったら可愛い女の子だった、と。

 あれは全く疑ってない。

 ミウが羽丘由貴だと知ったら尋常じゃないくらいに驚くだろう。

 

「問題は、二人ともレイヤーの顔と素の顔を結び付けたくないと思ってることと……」

「後輩君はどうしてもMayさんと付き合いたいわけじゃない、ってことですね」

 

 さっさと正体をバラせばそれで済むのだが、それは駄目。

 

 また、由貴は「絶対にMayさんと付き合う」とまで思っていない。Mayが告白すればもちろんOKするだろうが、ミウとして友達になっただけで割と満足している。

 でも別にMayへの想いを捨てたわけじゃないので、萌花が告白しても断る。

 

「ミウちゃんの存在が余計ややこしくしてますね」

「そこは私とあなたのせいでもあるけどね……」

 

 由貴にとってMayは高嶺の花。

 歳の差がある上に、ある種の有名人だからわからなくもない。Mayの時も好意がだだ洩れなんだから脈ありって気づけという話だが、先入観があるせいで気づけなくなっている。

 

 萌花の方は余計に面倒臭い。

 素の彼女はコンプレックスの塊。せめて由貴がフリーになり、かつ、状況が切迫してくれないと、彼女の方からは告白しないだろう。

 

「つっつくなら羽丘君の方よね」

「後輩君にMayさんへ告白させるんですね?」

「そういうこと」

 

 MayがOKすれば良し、告白が失敗しても由貴がフリーになるから萌花としてはチャンスだ。

 

「でも、どうやって告白に持って行きます?」

「もちろん、Mayの方をつつくのよ」

 

 きっと今、自分は悪い顔をしているだろう。

 そう思いつつも、店長はどうにも楽しくて仕方なかった。

 

 

 

=====

6/24(MON) 16:35

=====

 

 気を抜くと口元がにやけるんだけど、どうしたらいいだろう。

 

「ふ、ふふふ」

 

 あと少しで「ふはははっ!」とか笑いだしそうな勢いでテンションが下がらない。

 帰りのHR(ホームルーム)が終わって、札木先生が来るまで部室に一人きりだから、意識するべき人目もない。

 そうするとついつい、スマホを手に取ってチャットアプリの画面を眺めてしまう。

 

ミウ 今日はありがとうございました

ミウ でも、なんで寒ブリなんですか?

寒ブリ こちらこそありがとう。とっても楽しかった

寒ブリ それは……えっと、恥ずかしいから内緒

ミウ えー。教えてください

 

 表示されているのは昨日、家に帰ってから寒ブリ――Mayさんとやりとりした内容だ。

 お互い口調は変わってしまったけど、使ってるチャットルームはそのまま。俺とMayさん、一対一の秘密のトークだ。

 

寒ブリ 笑わない?

ミウ 約束します

寒ブリ えっとね、好きなの。お魚。特に鰤が

ミウ 食べる方ですか?

寒ブリ ……うん

ミウ Mayさん可愛い!

寒ブリ 笑わないって言ったのに!

ミウ 笑ってません。にやけてますけど

寒ブリ ミウちゃんずるい

寒ブリ ミウちゃんこそ、なんでミウなの?

ミウ 可愛い名前を適当につけただけです

寒ブリ ずるい

 

 なんでもない会話が楽しくて仕方なかった。

 しばらくこんなどうでもいい掛け合いを続けた後、俺達は「おやすみなさい」を言い合ってチャットを打ち切った。

 俺がしたかったのは、目指していたのはこういうのなんだ。

 気の置けない同士だからこそできる、じゃれ合いみたいな会話。

 

 今日も話しかけていいだろうか。

 

 でも、ただの友人だし、あまり頻繁に接触するのもウザいかも。

 男友達とか一か月音沙汰なしとかザラだしなあ。女子が普通の友達とどれくらいの頻度でやりとりするのか、なんて全然わからない。

 先輩に聞いてみようか。

 なんか今すぐ女装して、ベッドの上でじたばたしたくなっていた。やばい、ちょっとテンション落として顔をなんとかしないと変に思われる。

 

 飲み物でも買ってくるか。

 イライラならカルシウムだけど、楽しい気分を落ち着かせるにはどうしたらいいんだろう。すっぱいのか苦いの飲めばテンションが落ちるか?

 と、思っていると、部室のドアが開いた。

 

「こんにちは」

「こんにちは、札木先生」

 

 微笑んで挨拶する。

 先生はそんな俺を見て微笑みかけて、何故か思い直したように「ふんっ」と顔を背けた。

 

「今日は何のゲームするの?」

 

 あれ、なんか怒ってる……?

 どうしたのかと顔を覗き込もうとしてもやっぱり避けられる。

 仕方なく、そのままゲームを選んで机に置く。機嫌が悪い先生が喋らなくて済むゲーム……と考えたら結構難しかったので、結局チェスにした。

 OGOBが置いていったのか、この部にはコンパクトなやつじゃない、ちゃんとしたチェスセットがある。俺が黒で先生が白。悪いけど先行は勝手に取らせてもらった。

 

 両者、無言で駒を進める。

 

「先生。俺、何かしましたか?」

「ううん、何も」

「じゃあ、何か悲しいことでもあったんですか……?」

「………」

 

 答えがないまま数手が過ぎて、

 

「友達の話なんだけどね」

「だからそれ本人なやつじゃ――」

「友達の話なの! ……その子がね、気になってる男の子を誕生日に家に呼んだんだって。そしたら、その男の子は来なくて、プレゼントだけ送ってきたの。どう思う?」

「……悲しいですね」

 

 付き合ってはいなかったんだろうけど、誕生日に家に呼ぶなんて告白も同然。なのに相手は来なかった。来ないなら来ないで音沙汰無しの方が良かったかもしれない。プレゼントを贈るってことは祝う気はあるってことだ。

 だったら普通に行けばいいだろう。

 

「それ、友達の話なんですよね?」

「……そうだよ?」

 

 上目づかいになる先生。

 

「私の話だったら、どうするの?」

「そいつが誰なのか教えてください。ぶん殴ってきます」

「え」

「先生が勇気を出して誘ったのに、何もわかってない。いや、わかってて無視した。一発くらい殴ってもいいでしょう」

 

 先生は目を見開いて、涙を滲ませた。

 

「……本当に、そういうところだよ」

「え、っと」

 

 何の話かよくわからないけど、

 

「友達の話なんですよね?」

「うん、友達の話」

 

 目元の涙を拭って、札木先生はくすりと笑った。

 彼女は「勝手に怒ってごめんね」と言って、駒を手に取った。

 

「ところで。週末は何か面白いことあった?」

 

 良かった。機嫌を直してくれたみたいだ。

 

「日曜日は友達……いや、友達だと失礼か。知り合いの人に誘われて、発表会? みたいなところに行ってきました」

「ふふっ。……その人とは会えたの?」

「いえ。会えなかったっていうか、照れくさくて会いませんでした。でも、晴れ姿はちゃんと見られましたよ」

「格好良かった?」

「それはもう、すごく格好良かったです」

 

 即売会とか言わずにうまく説明できたんじゃないだろうか。

 

「そっか。格好良かった、かあ」

 

 先生はその後、最初の不機嫌が嘘みたいに上機嫌で、放っておくと鼻歌まで歌い始めるくらいだった。

 歌ってたのがアニソンなのが気になって気になって仕方なかったけど、アーティストが普通の歌手の人なので聞くに聞けなかった。

 

 

=====

6/24(MON) 20:42

=====

 

寒ブリ ミウちゃん、もう寝ちゃった?

ミウ 起きてます!

 

 最近恒例になりつつある、用のなくなった時間のこっそり女装。

 ショートパンツとスウェットというラフな服装を試しつつスマホをいじっていると、寒ブリことMayさんからメッセージが届いた。

 秒で反応し、返信を送信。

 

寒ブリ 良かった

寒ブリ あのね、聞きたいことがあるんだけど、いい?

ミウ 何でも聞いてください!

 

 Mayさんと話せるっていうだけでテンションが上がっている俺は、当然のごとくそう返信する。

 でも、その結果、聞かれた内容は予想外のものだった

 

寒ブリ 高校生くらいの男の子って、何をもらったら嬉しいと思う?

 

 え……?

 スマホを握ったまま、俺は硬直した。

 高校生男子の好み? なんでそんなものを俺に聞いてくるのか。ミウは女子高生という設定になっているんだけど。

 まさか、バレてる?

 

ミウ えっと、どうして私に?

寒ブリ 身近に高校生の子って他にいないから。やっぱり、困っちゃう?

ミウ そんなことないですけど

 

 バレてはいない、のか?

 泳がされてるだけなのか。でも、Mayさんの歳で高校生と交流がないっていうのは普通だと思う。弟とか妹がいれば別だろうけど、そんな話は聞いたことない。

 なら、普通に答えればいいか。

 

ミウ 誕生日プレゼントとか、ですか?

寒ブリ ううん、ただのプレゼント

 

 部活での先生との会話が頭にあったから聞いてみたけど、そういうのとは違うみたいだ。

 じゃあ、Mayさんの好きな人ってわけじゃないか。職場関係の人って話だし。男子高校生が職場関係者になる仕事ってなんだ。保険医とか? Mayさんの白衣姿は似合いそうだけど……って、そうじゃなくて。

 記念日とかお祝いとかじゃないプレゼント。

 なら、もらう方も高いものだと困るだろう。ぶっちゃけ男子高校生なら、Mayさんからもらえば何でも嬉しいだろうし。

 自慢じゃないが男子高校生の生態ならそこそこ詳しいぞ、俺。

 

ミウ それなら、手作りのモノがおススメです

寒ブリ セーターとか?

 

 うん、超欲しい。

 俺なら超欲しいけど、他の奴にそんなもの渡されてたまるか。

 私欲を抜きにして考えても、今渡しても使えるのは半年後とかだから、セーターとかマフラーとかは避けた方がいいと思う。

 

ミウ 普段のちょっとしたプレゼントなら、お菓子とかで大丈夫です

ミウ クッキーとか、チョコレートとか

 

 俺なら誕生日プレゼントでも大喜びするけど。

 

寒ブリ そんなのでいいの?

ミウ 高いものより、心の籠もったものが嬉しいんです

 

 Mayさんが自分のために作ってくれたとなれば、それだけでもうイチコロだ。

 ……あれ、イチコロじゃ駄目なんじゃ?

 俺は慌てて他の案を打とうとするけど、

 

寒ブリ なるほど

 

 納得した感のあるスタンプと一緒にそんな返信が来てしまった。

 あ、やっちゃったんじゃないだろうか、これ。

 

寒ブリ ありがとう、ミウちゃん。すごく参考になった

ミウ いいえ、頑張ってください!

 

 とはいえ、やってしまったものは仕方ない。

 友達で我慢すると決めた以上、Mayさんの恋路を応援するのも俺の務め。いや、恋路って決まってないけど。

 それはそれとして、

 

ミウ ……もしかして、好きな人にあげるんですか?

 

 そこは確かめておきたくて、そう聞いてしまう。

 すると、返信はちょっとだけ間を置いてからあって、

 

寒ブリ 内緒♡

 

 この一言に、俺は枕を抱えてごろごろ転がりまわる羽目になった。

 そうしてその日、俺はMayさんにおやすみなさいを言った後、彼女から手作りお菓子をもらう誰かさんに呪詛をたっぷり送ってから、寝た。

 

 数日後。

 

 店を訪れたMayさんから手作りお菓子を渡され、俺はもう一度愕然とすることになるのだが、そのことはまだ、この時には知らなかった。



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6/25(TUE)‐6/28(SUN)

=====

6/25(TUE) 17:01

=====

 

「むむむ……」

 

 店の備品のノートPCを睨みながら呻く。

 レジが空いたのを見計ってブログ作りの手伝いである。

 撮ってきた写真は転送済み。昨日のうちに先輩が作ってくれていた草稿を元にイベントレポートを完成させればいいんだけど、これがなかなか難しい。

 草稿は先輩が撮ってきた写真を元に作られている。俺の分を決め打ちで書かれてるところもあるけど、それにしたって、俺の写真を使おうとすると文を改変しないといけない。ただ、改変すると文から発生する女子力が落ちる気がして踏み切れない。

 

 文章そのままで入れられるところに写真を入れたり、誤字脱字を直したり、読みやすく句読点を追加してみたけど、この程度だと「手伝った」とは言いづらい。

 でもやっぱり、文章は俺が書くより女の子が書いた方が読んでて楽しいと思うんだよなあ……。

 

「お悩み、ミウちゃん?」

「わっ」

 

 後ろから囁かれてびくっとする。

 店長が背後に立ってニヤニヤしていた。

 

「いつもいつもびっくりしすぎよ」

「店長が気配を消すからですよ……。っていうかミウちゃんは止めてください」

 

 今は女装してない。

 自分で化粧を覚えないと外には出られないから当たり前だ。今のところ、ミウの外出はあれ一回きりにするしかない。

 

「こんなに可愛いのに? 本人もノリノリに見えるけど?」

「それはまあ、楽しかったですし」

「楽しかったのはイベント? それとも女装?」

「……どっちもです」

「へえ」

 

 徹底的にからかわれている。

 でも、写真の中のミウ(おれ)が良い顔してるのは事実だ。草稿のトップにも俺と先輩のツーショットが添付されていた。

 女性店員によるイベントレポートとなれば閲覧数も上がるだろう。

 

「でもこれ、俺も店員に見えません?」

「その通りだからいいじゃない」

「そうですけど」

「そのうちミウちゃんにも接客してもらうし、別にいいでしょう?」

「うう」

 

 ミウで接客すること自体は嫌じゃない。

 いや、むしろ、お客さんとより自然に話ができるんじゃないかとわくわくしてる自分がいる。服の話とかコスの話とかメイクの話とか、色々聞いてみたい。

 ただ、働くとなると「羽丘由貴=ミウ」がバレてしまいそうで怖い。

 ただ一人、Mayさんにだけ隠せればいいんだけど、

 

「さっさとカミングアウトして付き合っちゃえばいいのに」

「それはちょっと、タイミングを見てからで」

「ヘタレね」

「自覚してます……」

 

 なんとも情けない自白に、店長はジト目をした後、「んー……」とブログの草稿を流し読みして、言った。

 

「あの子の文章をできるだけ変えたくないなら、ミウちゃんのレポートを付け加えればいいんじゃない?」

「え。……あっ」

 

 なるほど、そんな手があったか。

 

「レポートは一つじゃなくてもいいんですね」

「記事としては一つにしても二つにしてもいいけど、せっかく二人で行ったんだからね」

「ありがとうございます。それなら書けるかもしれません」

 

 ミウとして、か。

 トップに持ってきた写真も先輩とミウのなんだし、二人の感想を一つの文章にまとめるより、二人のそれぞれの感想があった方が確かにそれっぽい。

 俺の感想よりミウの感想の方が先輩の文とも馴染むだろう。

 俺が文に悩んでたのは、実際にイベントに行ったのはミウだからピンとこない、っていうのもあったかもしれない。

 

 そっと胸のあたりに手を乗せて、下にあるブラを感じる。

 

「……ん、よし」

 

 そこからは、嘘のようにさくさく進んだ。

 会計や陳列の手直しをしつつ進めた結果、バイト終わりまでには完成したので、店長に見てもらってOKをもらった。

 

「なるほど。あの子のコメントとミウちゃんのコメントを色分けして並べたんだ」

「はい。先輩のだけで文章量があったので、ミウの分はピンポイントでいいかなって」

 

 開場からイベント終了までの流れを二回読ませるのもアレだし。

 書いてみると文字色を使い分けたことで画面が華やかになって、いい感じになった。

 

「いいと思う。お疲れ様。明日、あの子に最終チェックしてもらって、アップするわ」

「お願いします」

 

 頭を下げてその場を離れる。

 と、一、二歩行ったところで用事を思い出した。

 

「そうだ、店長。お願いがあるんです」

「お願い?」

「はい。ウィッグとかメイク道具とか色々揃えたいので、暇な時にアドバイスをもらえないかと――」

「お買い上げありがとうございます」

「え?」

「お買い上げありがとうございます♪」

 

 いや、買いますけど。

 ウィッグとかはここで買うつもりでしたけど、いきなりすぎじゃないですか……?

 でも、ミウの状態で外出できるようになったら、今度はコス衣装が欲しくなるだろうし、バイト代の半分くらいはこの店に消える気がする。

 

「わかった。あの子とも話して、よさそうなの選んでおいてあげる」

「助かります」

「ちなみに予算はどのくらい?」

「えっと、貯金から出して、後からバイト代で補填するつもりだったので……」

 

 初のバイト代だし、両親にケーキか何か買って行ってやりたいので、その分の費用を抜くと、

 

「四、五万くらいで」

「あ、この子駄目だわ」

「なんでですか!?」

「バイト代を殆ど全部、服と化粧品に使おうとしてる男の子って駄目じゃない?」

「……駄目ですね」

 

 駄目という割に店長は楽しそうで、上機嫌に俺に手を振ってくれた。

 

「この機会に初心者用メイク道具みたいなの仕入れてみるのもいいかも? 需要あるかどうか微妙なところだけど、ああいう子が他にもいる可能性も――」

 

 なんかぶつぶつ言ってたので、いい感じに商売の方のスイッチも入ったらしい。

 あの人なら大丈夫だろうと思いつつ、暴走しないことを祈るばかりである。

 

 

 

=====

6/28(SUN) 9:45

=====

 

「おはようございます」

「おはよう。……って、どうしたのその荷物?」

 

 日曜日に出勤した俺はいつになく大荷物だった。

 休日は鞄さえ持ってこないこともあったのに、今日は大きめのスポーツバッグを下げている。店長が目を丸くするのも当然だ。

 

「いや、この辺のコインランドリーなら知り合いにも会わないかな、と」

 

 最初に買ったブラウスとか、イベントの時に着てた服とか、毎日夜に着けてる下着とか、まとめて洗ってしまおうと持ってきた。

 女装外出できるようになってからと思ってたけど、我慢できなかった。

 マスクして顔を隠してればまあ大丈夫だろう。

 一応、そのために、手持ちの中から比較的ユニセックスっぽい服を選んで着てきた。一、二か月くらい髪切ってないし、もしかしたら女子に間違えてくれる可能性も……あったらいいなあ。

 

 なるほど、と、店長は頷いて苦笑する。

 

「オープンにできないと結構大変ね」

「さっさと一人暮らししたくなってきました」

「なら、先に受験して受からないとね」

「そうなんですよね……」

 

 何が困るって、グッズが増えてきた時の隠し場所だ。

 貸し倉庫というかコンテナボックスみたいなのを借りてしまおうかと考えたりもしたけど、高校生バイトでそこまでするのはちょっと、経済的に厳しい。

 もういっそ一人の部屋が欲しい。そこで自由に女装したい。

 女装するために一人暮らしをするために遠方の大学を受験する……って、なんかすごくアレな気がするけど。

 

「遠距離恋愛は鬼門だから気をつけなさいよ」

「あはは、俺、彼女なんていませんし」

「じゃあ彼氏作れば?」

「残念ながらそっちの趣味はないです」

 

 Mayさんと付き合えるならそれは遠方受験も悩むけど。

 あの人、好きな人がいるみたいだし、何かあったわけでもないのにプレゼントを贈るような高校生男子もいるみたいだし、俺にチャンスがあるとは思えない。

 失恋したらしばらく引きずるだろうから、大学進学までに彼女なんてできないだろう。

 

「俺、モテないですしね」

「へー。ふーん」

「なんでジト目で睨まれるんですか」

 

 なんて話をしてからエプロンを着け(日曜日は危険なので下着は男物)、開店を迎えた。

 今日はMayさんに会えるだろうか。

 そんなことを思っていたら、からんからんと店の入り口が開いた。

 

「こんにちは」

「え」

 

 待ち人が、まるで開店を狙ったかのように現れた。

 

 

 

 

=====

6/28(SUN) 10:07

=====

 

「どうしたの? こんな時間に来るなんて珍しい。まるで待ちきれなかったみたいじゃない」

「あはは……。うん、ちょっとね」

 

 何故かニヤニヤしている店長の問いかけに、Mayさんが恥ずかしそうに答える。

 開店早々にやってきたMayさん。

 今日は清楚な白のワンピースを身に纏っている。俺がミウとして着たような安物とは一線を画す、お嬢様風の一品(注:贔屓目が入ってます)。

 心なしか化粧にも気合いが入っているような気がしないでもない。

 

 ……ああ、デートか。

 

 待ち合わせ時間か電車の時間に余裕があるからちょっと寄ってみました、的な。

 ということは、会う相手は例の高校生男子か。

 くそ、爆発しろ。

 

「こんにちは、由貴くん」

「こ、こんにちは」

 

 邪なことを考えていたら、Mayさんがこっちに歩いてきた。

 澄んだ声に呼ばれると、それだけで胸が高鳴って思考が吹き飛ぶ。

 でも、一つ言っておかないといけないことがある。

 

「先週はすみませんでした。行きはしたんですけど、恥ずかしくて声をかけられなくて」

 

 イベントの件だ。

 先生の友達の話なんかを聞いて、俺も悪いことをしてしまったと思った。俺的にはミウとして沢山話ができて満足だけど、Mayさんとしては不満だったはずだ。

 頭を下げて謝ると、Mayさんはにこりと微笑んだ後、わざとっぽく頬を膨らませた。

 

「もう、本当だよ。恥ずかしくても声をかけて欲しかったな」

「本当にすみません」

 

 再び謝る。

 すると、Mayさんの口からはくすくすという笑い声がこぼれた。

 もう怒ってない、っぽい?

 

「見てくれたんだよね? 私のコス、どうだった?」

「最高でした」

 

 間髪入れずに答えると、きょとんとしてしまった。

 いけない。

 急に最高とだけ言われても、適当に言ってるようにしか思えないだろう。

 

「いつものMayさんより攻めてる感じがして、新しい挑戦に見えました。でも、それでいてMayさんの持ち味はそのままで……つまり、最高です」

「そっか。そうだったんだ。ありがとう、由貴くん」

 

 Mayさんが、肩に下げていたバッグから小さな包みを取り出す。

 お洒落なラッピング。

 店で買ったっていうよりは手作りな感じがあるけど、

 

「これ、来てくれたお礼。良かったら食べてくれる?」

「食べ……?」

「中身はチョコクッキーなの。お菓子作りはあんまり得意じゃないんだけど」

 

 手作りのお菓子。

 主語が抜けてて、実は行きつけのお店の店長さん(40歳男性)が作りました、なんてオチじゃないだろう。

 Mayさんの手作り。

 何日か前、ミウとしてしたチャットの内容が頭をよぎる。

 

ミウ 普段のちょっとしたプレゼントなら、お菓子とかで大丈夫です

ミウ クッキーとか、チョコレートとか

 

 Mayさんは男子高校生にプレゼントをあげるって言ってた。

 男子高校生。

 

「………」

「食べて、ね?」

 

 手を差し出したまま放心する俺に、Mayさんが包みを握らせてくれる。

 握らせてくれる時に、細くて柔らかな指が俺に手に触れた。

 上目づかいになったMayさんの瞳は、少しだけ不安そうに揺らめいているように見えた。

 

「はい」

 

 答えながらも、俺は心ここにあらずの状態だった。

 包みを落とさないように支えて、エプロンのポケットに入れたのは覚えてる。心臓がばくばく言ってる中、ありがとうございますを言ったのも覚えてる。

 だけど、Mayさんとどうやって別れたのか、その後の仕事をどんな風に終えたのか、後から振り返って見ても記憶になかった。

 

 残ったのはチョコレートクッキーの入った包みだけ。

 

「ちゃんと持って帰って食べなさいよ」

 

 終わり際、店長が小さく俺に言った。

 言われなくても食べるつもりだったけど、放心していた俺は、そのままだったらエプロンに入れたまま忘れていってしまったかもしれない。

 取り出して表面に触れる。

 そんなわけないんだけど、Mayさんの温もりが残っているような気がした。

 

 ここまで来たら、俺だって気づく。

 

 こんなこと、普通の男子高校生に、ただの友人の店のバイトにすることじゃない。

 

「店長。Mayさんって、俺のことが好きなんでしょうか?」

 

 俺とMayさんの物語が、急速に動きだそうとしていた。



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6/28(SUN)-6/29(MON)

=====

6/28(SUN) 17:40

=====

 

 俺はコインランドリーのベンチに腰かけたまま、ぼんやりとしていた。

 広くない空間には二十代と思われる女性が一人。でも、実際こうして来てみると見向きもされなかったし、俺自身もほとんど気にならなかった。

 他に気がかりなことがあったせいだ。

 

「………」

 

 洗濯物が乾くにはまだ時間がかかる。

 俺は荷物の中からMayさんがくれたお菓子を取り出して、ラッピングのリボンを解いた。するり、とリボンが一本に戻ると包みの口が開いて、中身が取り出せるようになる。

 チョコレートに浸かったと思しき一口大のクッキーが、透明な袋に入っていた。

 一つを手に取って口に放り込む。

 

「……美味しい」

 

 客観的に評価すれば「普通に美味しい」といったところだろう。

 でも、俺には何よりも美味しく感じた。

 Mayさんの手作り。

 俺のために作ってくれたお菓子。

 

 ――ぶるっと、スマホが震えた。

 

 しばらく前に送ったチャットの返信が来ていた。

 

ミウ プレゼントの件、どうなりましたか?

ミウ 今日あたり渡しちゃったり?

寒ブリ うん、渡しちゃった。

寒ブリ 黙っちゃって、喜んでくれたのかよくわからないけど

 

 やっぱり、心配させてしまった。

 ずき、と胸が痛む。

 

ミウ 大丈夫です!

ミウ 男って恥ずかしがり屋ですから、照れくさかっただけだと思います!

寒ブリ そうなのかな……。ありがとう、ミウちゃん

 

 ミウの言うことは正しいです。

 だって、俺の分身ですから。

 

 スマホをしまって、クッキーを一つずつ口に放り込む。

 ゆっくり食べたつもりだったけど、あっという間になくなってしまった。もったいない。食べ物じゃなかったら家宝として置いておきたいくらいだったのに。

 こんなことなら食べ物を薦めるんじゃなかった。

 

 Mayさん。

 Mayさんが、俺のことを好き。

 

『店長。Mayさんって、俺のことが好きなんでしょうか?』

 

 店長は明確なアドバイスをくれなかった。

 

『さあ……?』

『さあ、って』

『だって、私が何か言っても意味ないでしょ? 結局はMayがどう思ってるかと、君がどうしたいか、それだけなんだから』

『それは』

 

 その通りだった。

 店長に「そうだ」と言われても「違う」と言われても、多分、俺は納得しなかっただろう。ごちゃごちゃと理由をつけてぐるぐると思考の堂々巡りを続けたはずだ。

 俺はどうしたいのか。

 Mayさんのプレゼントが「そういう意味」なのかどうかは関係なく、今の俺が、どうしたいと思っているのか。

 

 彼氏になんてなれないと思ってた。

 なれなくていいと思ってた。

 でも、クッキーをもらったことで、俺は夢を見てしまった。幸せを感じてしまった。感じてしまったら、もうそれを忘れることなんてできない。

 もっと。もっと欲しい。

 抑え込んでいた欲求に手を伸ばしたくなってしまった。

 

 ピーッ、ピーッ。

 

 乾燥終了を知らせる音で意識が現実に戻ってきた。

 包装を丁寧に折りたたんでスポーツバッグのポケットに入れると、俺は乾いた服や下着をバッグに放り込んだ。

 あまりにも適当な手付きに女性が不思議そうに振り返ったけど、俺は会釈だけしてさっさとその場を離れた。

 

 頭の片隅で、もやもやはまだ続いている。

 

 考えて。

 考えて。

 考え続けて。

 

 意を決してスマホを手に取ったのは、午後九時を過ぎてからのことだった。

 

ミウ Mayさん、起きてますか?

寒ブリ うん。どうしたの?

ミウ 羽丘君から伝言があるんです

 

 反応に間。

 

寒ブリ どうしてミウちゃんのところに?

ミウ 先輩経由で伝言が来たんです。

私なら確実に伝わるからって

寒ブリ そうなんだ

寒ブリ どんなこと?

 

 ごくりと、唾を飲み込む。

 

ミウ 明日。二人だけで会いたいそうです

ミウ 七時か八時くらいに

ミウ 大切な話らしいんですけど、どうですか?

 

 また、間があった。

 

寒ブリ 八時

寒ブリ 八時に北口の駅前で

寒ブリ 絶対行くから

ミウ わかりました。伝えます

 

 それで話は終わった。

 俺もそれ以上は送らなかったし、Mayさんも送ってこなかった。

 その日、俺は女装をしなかった。

 

 

 

=====

6/29(MON) 17:30

=====

 

 部活の後、用があるから遅くなると言って家を出てきた。

 授業中は割と普通にしていられたと思う。

 心が決まってしまったから、迷う余地はもうない。その代わり、胃が盛大に痛かったけど。

 

 部活にもちゃんと出られた。

 ゆっくりめにやってきた先生とオセロをして、一勝一敗の成績をつけて、

 

「そろそろ終わりにしましょうか」

 

 いつもの部活終了時間よりも早く告げる。

 札木先生もそれに「うん」とただ頷いた。

 

「ごめんなさい。我が儘言っちゃって」

「気にしないでください。大事な用なんですよね」

「……うん。大事な用なの」

 

 用があるから早めに部活を切り上げたい。

 今日、部室に来るなり、先生は真剣な顔をしてそう言った。それなら今日は無しにしようって言ったんだけど、そこまではしなくていいというので簡単なゲームを選んだわけだ。

 どんな用事なのかはわからない。

 そこまでは聞かなかったし、聞けなかった。大事な用があるという意味では俺も同じだ。俺は逆に、手持ち無沙汰な時間が増えてしまうけど、それはまあ、多いか少ないかという話でしかない。

 

「それじゃあ、私は行くね」

「はい。戸締りは任せてください。……それと」

「?」

「頑張ってください」

「……ぁ」

 

 先生はぽかんとした顔になった後、こくんと頷いた。

 

「……うん」

 

 扉が静かに、余韻をもって閉じられた。

 一人になった部室で俺は呟いた。

 

「俺も、頑張らないとな」

 

 いつもの時間に部室を閉めて、職員室に鍵を返した。

 空いた時間はどうしようか。

 せっかくだから店に寄っていこうかと思ったけど、気持ちが鈍りそうなので止めておいた。これは、ミウじゃなくて俺がやらないといけないことだから、女装のことを考えない方がいい。

 家に帰るのもやめておく。

 持ってきていた私服に公園のトイレで着替えて、ハンバーガーのチェーン店で軽くお腹を満たして、スマホをぼんやりといじった後、席を立った。

 

 約束の時間はもうすぐだった。

 

 

 

=====

6/29(MON) 19:50

=====

 

 服は変じゃないだろうか。

 手持ちの中では格好良く見えそうなものを選んだつもりだ。皺が寄っていたりしないかもトイレで確認してきたから大丈夫だとは思うんだけど。

 ええい、落ちつけ。

 深呼吸して無理やり気持ちを鎮め、姿勢を正して立つ。

 

 来てくれるかな。

 

 絶対行くって言ってくれたけど、仕事とか、急な用事が入ることだってある。

 来てくれなくても待とう。

 時間的にあまり長くは待てないけど、一時間くらいなら大丈夫なはずだ。

 

 でも、きっと来てくれる。

 Mayさんは約束を破らない。

 予定が変わったなら、ミウのところに連絡が来るはずだ。

 

「……Mayさん」

 

 思わず、口に出して呟いた時、

 

「はい」

 

 声が聞こえた。

 振り返ると、そこに彼女が立っていた。

 

「Mayさん」

「お待たせ。待った、かな?」

「いいえ、全然」

 

 俺は首を振って答え、彼女を見つめた。

 前にも見た仕事帰り姿。清楚で可愛くて、でも凛々しい、Mayさん。

 こんな。

 こんな綺麗な人が、俺のために来てくれた。

 

「平日に呼び出しちゃって、すみません」

「ううん。私こそ、遅い時間にしか来られなくて……。時間、大丈夫?」

「大丈夫です。最悪、友達のところに泊まるって言えば帰らなくても」

「っ」

 

 ぴくん、と、Mayさんの肩が震えた。

 泊まりっていうフレーズに反応したのかもしれない。

 そこまで考えて言ったわけじゃないんだけど。

 

「Mayさん」

「待って」

「……っ」

「場所、変えない?」

 

 言って、Mayさんは返事を聞かずに歩き出す。

 ヒールがこつこつと床を叩く音。

 顔を上げて周りを見れば、駅前だけに人気がある。確かに、ここじゃ恥ずかしいかもしれない。学校とは反対側だから俺はセーフだけど、逆に言うと店のある方面で、買い物帰りのお客さんと鉢合わせる可能性もある。

 

 Mayさんの半歩後ろをついていくように歩く。

 わざと足並みは揃えなかった。

 気持ちを整える時間が必要だと思ったからだ。

 お互いに。

 

「ここなら、大丈夫だよね」

 

 辿り着いた場所は近くの公園。

 一週間ちょっと前、先輩と着替えをしたところだった。

 でも、朝と夜では全然印象が違う。

 他に人のいない公園に入って、自販機で飲み物を買う。何がいい? と聞かれたのでレモンティーをお願いした。

 奢ってもらってしまった。

 Mayさんは「そのレモンティー、私も好き」と微笑んで、同じもののボタンを押した。

 

 並んでベンチに座って缶を開ける。

 

「話って、なに?」

「はい」

 

 こんなシチュエーション、自分が体験するとは思わなかった。

 なんとなく月を見上げながら口を開く。

 

「俺、前からMayさんのファンだったんです」

「うん」

「一年ちょっと前、高校に入学した後にたまたま見かけて、一目でファンになって――それから、ずっとファンです」

「ありがとう」

 

 Mayさんの声は落ち着いていて、柔らかい。

 俺の用件はもうわかってると思うんだけど、どう思ってるのか全然読み取れない。

 

「だから、実際に会えた時は本当に嬉しかったんです。嬉しすぎて挙動不審になるくらいで」

「私なんて、大したことないのに」

「そんなことないです。どのレイヤーさんより、俺はMayさんが好きです」

「―――」

 

 嘘偽りない俺の気持ち。

 

「クッキー、食べてくれた?」

「はい。すごく美味しかったです。いくつでも食べられそうでした」

「そっか。嬉しいな」

「嬉しかったのは俺の方です。嬉しすぎてわけがわからなくなって、何も言えなくなってました」

 

 沈黙。

 息を吸い込んで、告げる。

 

「どうしてなのかって言われたら、理由なんてありません。一目惚れです。でも、実際のMayさんに会った今も気持ちは変わりません。むしろ、前より気持ちは強くなってます」

 

 顔を横に向けて、Mayさんを見つめる。

 

「あなたが好きです。俺と、付き合ってくれませんか?」

 

 答えなんて最初から決まっていた。

 好きだって気持ちを自覚してしまった時点で、告白しないなんていう選択肢はなかったんだ。

 小数点以下でも確率があるか、それともゼロか。

 言わずに終えることなんて、できっこなかった。

 

「ありがとう」

 

 Mayさんが振り返る。

 月明りに照らされた彼女は輝いていた。誇張じゃなく天使や女神にさえ見えるくらいに、彼女は綺麗だった。

 微笑んでくれる。

 俺に向けて、俺だけのために、微笑んでくれた。

 

「ごめんなさい」

 

 表情が曇って。

 夜の静寂の中、俺にだけ聞こえるように、その言葉は紡がれた。

 

「私は、由貴くんとは付き合えません」

「……ぁ」

 

 なんて、言われた?

 自問した俺は、「そんなことわかっているだろう」という冷たい声を聞いた。

 わかってる。

 ただ、俺は理解したくなかっただけだ。

 

 認めた途端、ぐらり、と平衡感覚が失われた。

 どこまでも落ちていくような、逆に上に引っ張り上げられているような現実感のなさを味わいながら、俺はなんとか言葉を紡いだ。

 

「そう、ですか」

 

 俺はどんな顔をしているだろう。

 わからないけど、ろくな顔をしていないことだけは確かだった。

 

「あはは。……ありがとうございました、すっきりしました」

 

 本当に俺は駄目なやつだと思う。

 昨日、同じようなことをしたばかりだっていうのに、また、その後のことが記憶から飛んでしまった。

 何かを言って帰ったんだとは思う。

 気づいたら家に居て、ベッドの上に寝転がっていて、スマホの震えで気がついた。

 正直、何をする気力もわかなかったけど、何か予感があったのか、俺はぼんやりとスマホを持ち上げて操作していた。

 

寒ブリ 由貴くんから告白されちゃった

 

 ああ。

 Mayさんからのチャットだった。

 ミウ宛ての。

 顔文字も絵文字もスタンプもない文章からは、彼女がどう思っているのかは伝わってこない。

 たぶん、ミウも関係してるから教えてくれただけなんだろう。

 でも。

 

「……知ってますよ。振ったんですよね」

 

 俺にはそれが、無慈悲な宣告としか思えなかった。

 

 どうして。

 どうして俺を振ったんですか、Mayさん。

 振るならどうして、あんな思わせぶりな態度を取ったんですか。

 

「あ、あああ……っ!」

 

 いったん思考が戻った途端、せき止められていた涙が溢れてきた。

 

 わかっていたはずなのに。

 諦めはついていたはずなのに。

 我慢できなくなって告白した結果は、無慈悲だった。

 

 いくら止めようとしても、涙は全然止まらなかった。




※前振りです


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6/29(MON)-6/30(TUE)

☆☆☆☆☆

6/29(MON) 21:07

☆☆☆☆☆

 

「あんた、なんで告白断ってんのよ」

「だって」

 

 札木萌花――Mayは落ち込んでいた。

 閉店したばかりの『ファニードリーム』の事務所にて、ソファに腰かけ、クッションを抱きしめて、地の底まで落ち込まんという有様だった。

 向かいには店長と女性店員の二人。当然といえば当然だが、どちらも呆れ顔をしている。

 

 二人の視線も辛いが、もっと辛いのは約一時間前の出来事。

 付き合えないと告げた後の由貴の表情。

 

『ありがとうございました、すっきりしました』

 

 必死に笑顔を取り繕っていたが、今にも泣きだしそうな表情だった。

 好きな人に振られたのだ、そうもなるだろう。

 

「Mayさん、後輩君のこと好きなんですよね?」

「好きだけど、私は私と付き合って欲しいんだもん」

「Mayは札木萌花(あんた)でしょうが」

「そうだけど、違うの……!」

 

 萌花にとっては重要な問題だ。

 ただ、そのせいで由貴を落ち込ませることになった。

 

「羽丘君、今頃家で泣いてるんじゃない?」

「うう」

「かわいそー。好きだった人と両想いなのに振られたとか、普通ありえないですよ」

「わ、私だってちゃんと考えてるもん……!」

 

 二人がかりでちくちくやられ、萌花は思わず声を荒げた。

 店長達はそれを怒ったりはしなかったが、ジト目をじっと向けてくる。

 

「そこまで言うんだから告白するのよね?」

「……うん。ちゃんと告白する。私が、私から」

「言質取りましたからね。やっぱり止めた、はナシですよ」

 

 Mayにとっては親しい後輩で、この前のイベントでは一緒に撮影までしたレイヤーの彼女も、さすがに視線が厳しい。

 

「もたもたしてるなら私が後輩君もらいますから」

「するもん、ちゃんと……! するから、絶対駄目っ」

 

 由貴が告白してくれた。

 萌花にとっては何よりも嬉しい出来事だった。

 あの嬉しさと今の申し訳なさがあれば、告白くらいきっとできる。

 

「わかった」

 

 店長がため息をついて頷く。

 

「なら、ちょっとだけサポートしてあげる」

「……サポート?」

「どうせ羽丘君、明日バイトに来ても役に立たないだろうからね」

 

 さっさと告白しなさい、と言う親友に、萌花は頭を下げた。

 

「ごめんね。ありがとう」

 

 

 

★★★★★

6/29(MON) 21:31

★★★★★

 

 Mayは意気揚々と帰っていった。

 あの様子なら何かしらの結果は出すだろう。たぶん、きっと。おそらくは。

 

(羽丘君が頑張ったんだからね)

 

 約一か月前に会ったばかりの新人バイト。

 蓋を開けてみれば、Mayや萌花との因縁もあって随分と入れ込んでしまった。仕事の覚えもいいし、仕事熱心だし、あれ以上の子はなかなか見つからないだろうから、ここで辞められるのはちょっと困る。

 ちゃんと告白して立ち直らせて欲しいものだ。

 

(それにしても)

 

 Mayが告白を断ったのも驚いたが、それ以上に驚いたのは、

 

「……私が後輩君もらいますから、ねえ?」

「なんですか」

 

 わざとらしく言って顔を覗き込めば、彼女はぷいっと顔を逸らした。

 ちらりと見えた頬は赤い。

 

「Mayさんを焚きつけるために言っただけです。嘘に決まってるじゃないですか」

「ふうん。ならいいけど、ね」

「そうです。後輩君はからかうと面白いし、結構使えるし、それだけなんですから」

「長期的に見て戦力になるように育成中だしね」

 

 調子を合わせながら、店長は思った。

 

(本当になんとも思ってないなら、言い訳が多すぎるのよね)

 

 恋心というのは難儀なものだ。

 絶対に振り向いてくれない相手だろうと好きになる時は好きになるし、自分自身の一側面に嫉妬するようなことにさえなってしまう。

 

「本当に。さっさとくっついちゃいなさい」

 

 呟いて、彼女は羽丘由貴に一件のメッセージを送信した。

 

 

 

=====

6/30(TUE) 16:32

=====

 

 身体が重くて仕方ない。

 なんだかんだで睡眠は多少取れたみたいなんだけど、気力が不足しているのか、ちょっと動くだけのことが億劫で仕方なかった。

 ひどい顔してる、と、クラスの女子からも心配された。

 

「……帰って寝よう」

 

 バイトは休みだ。

 店長から昨夜メッセージが来ていたのだ。

 

『明日、野暮用で店は臨時休業です。仕事はないから来なくていいわ』

 

 まさかの戦力外通知。

 なんて、へこんだりはさすがにしない。多分、Mayさん本人から聞いて気を遣ってくれたんだ。俺が落ち込んでるんじゃないかって。

 ありがたい。

 まさに大絶賛落ち込みまくってる。

 

 ふらりと立ちあがって鞄を掴む。

 

 失恋ごときで仕事や学校を休むとか現実にはありえないと思ってたけど、うん、今日は休めば良かったかもしれない。

 まあでも、なんとか学校も終わったし――。

 

「羽丘くん」

 

 顔を上げる。

 教室の入り口に、札木先生が立っていた。

 

「今から、ちょっとだけ時間もらえないかな?」

「……はい」

 

 本当は今すぐ帰りたかったけど、札木先生のお願いじゃ断れない。

 できれば会わずに済ませたかった。

 こういう時に限って、いつもと違うことっていうのは起きるものだ。

 

 先生が俺を連れて行ったのは部室だった。

 中に入ると、先生は内側から鍵をかけた。二つしかない鍵は今、俺と先生が持ってるから、外からは誰も開けられない。

 でも、なんだろう。

 ゲームの整理とかだったら、別に部活中にやればいいと思うんだけど。

 

「部活の日以外に来るの、なんだか変な感じだね」

 

 言って窓際まで歩いていき、カーテンを閉める先生。

 

「先生。職員会議はどうしたんですか?」

「さぼっちゃった」

 

 振り返った先生は悪戯っぽく微笑んでいた。

 

「さぼった、って」

「ちゃんと『欠席します』って言ってきたんだよ? 大事な用があるからって」

「いや、それだって……」

 

 仮病みたいなものだ。

 俺に何の用か知らないけど、生徒の一人くらい待たせておけばいい。職員会議を休むほどの理由にはならない。

 先生にそんなアグレッシブなところがあったなんて知らなかった。

 じゃなくて、そんなこと、今はどうでもいい。

 

「俺は、何をしたらいいですか?」

「ううん。何もしなくていいよ」

 

 何を言っているのかわからなかった。

 未だ笑顔のままの先生を見て、からかわれているような気分になる。たぶん、出会ってから初めて、百パーセントの苛立ちから彼女を睨んだ。

 それでも札木先生の笑顔は変わらなかった。

 

「何もしなくていいの。ただ、私の話を聞いてください」

「………」

 

 意味はわからない。

 でも、からかわれてるんじゃないのはわかった。

 俺はその場に立ったまま、話の続きを待つ。

 先生の唇が動いて「ありがとう」と言葉を紡いだ。

 

「羽丘くんと会ってから、もう一年以上経つんだよね」

「……そうですね」

 

 先生と会ったのは偶然だった。

 

「掲示板の前で困ってた私に、羽丘くんが声をかけてくれたの」

 

 ポスターを手に途方に暮れている札木先生が何故か気になって、気づいたら声をかけていた。

 

「嬉しかった。手伝ってくれただけでも嬉しかったのに、羽丘くんは『テーブルゲーム研究会』に入りたいって言ってくれた」

 

 本当は部活に入るつもりなんてなかった。

 入学案内に書かれていた部活一覧は眺めたけど、特に入りたい部活がなかったから。運動はそんなに得意じゃないし、吹奏楽部とかのガチな文化部に入ると時間が取られすぎる。

 テーブルゲーム研究会の存在はあの時初めて知って、楽しそうな部活だと思った。

 ゲームは好きだったし、ボードゲームの類にも興味があった。

 

「誰も部員が入ってくれなかったら、私、きっと他の先生方に怒られてた」

 

 先生の顔が泣きそうに見えたのはそういうわけだったのか。

 

「神様っているのかもしれない、って思った。ううん。羽丘くんが神様に見えた」

「言いすぎです」

 

 俺はただ、面白そうな部に入っただけだ。

 まあ、入ってみたらちょっと、想像してたのとは違ったけど。

 

「三年生の子も幽霊部員だったから、大変だったよね」

「……全部手探りでしたもんね」

 

 あれはひどかった。

 ゲームの整理もされてないし、マニュアルが入ってたり入ってなかったりしたし、日本語だったり英語だったり、誤訳があったりもした。

 

「一緒に頑張ったんだよね」

「大変でしたけど、あれはあれで楽しかったですよ」

「そうだね。楽しかった」

 

 そう、楽しかった。

 先輩方が色んなゲームを教えてくれて、みんなでわいわい――みたいな楽しさはなかったけど、別の楽しさがそこにあった。

 一歩一歩、初心者と初心者が協力して進んでいく楽しさ。

 

「でも、楽しかったのはきっと、部員が羽丘くんだからなんだよ」

「顧問が札木先生だったからですよ」

 

 優しくて真面目で大人しいこの人が相手だったから、俺はゆったりとした楽しい時間を過ごせた。

 同じマニュアルを読みながら意見交換ができたし、勝った負けたで喜び合えた。

 

「違うよ。羽丘くんが優しくて、真っすぐで、全然怖くない子だったから、私は部活を続けてこれたの」

「そんなこと」

 

 思ってたのか。

 いつの間にか、俺は失恋のショックも忘れて、先生の話に聞き入っていた。

 それじゃあ、俺達はお互いに……。

 

「俺は札木先生のことを尊敬してます。先生に会えて良かったと思ってます」

「私は、羽丘くんに感謝してる。羽丘くんに会えたことが、私の生きてきた意味なんだって思うくらい」

「幾らなんでも大袈裟です」

 

 思わず声が上ずった。

 それじゃあまるで愛の告白だ。俺がしたことなんて大したことない。先生の人生で一番になるなんておこがましい。

 でも、先生は笑顔で首を振る。

 

「そんなことないよ。羽丘くんに会うまでの私は憶病で、卑屈で、行き止まりで立ち止まったまま震えてたの。でも、羽丘くんに会って、部活っていう楽しい時間ができて『頑張ろう』って少しは思えるようになった。新しい道が見えた気がしたの」

「俺は、先生のこと全然助けられてません」

「助けられてるよ。十分に。……ううん、これ以上ないくらいに」

「クラスの奴らが先生のこと馬鹿にしてても、止められないのに?」

「そんなの、どうでもいいよ」

 

 大人しくて引っ込み思案な先生が、周囲の評価をばっさりと切り捨てた。

 

「羽丘くんがいてくれることが、私の救いなの。この部活が私の楽しみなの。あなたのお陰で趣味にも張り合いが出た。こうやって、生まれて初めて、誰かに告白しようって思えた」

「え。……先生?」

 

 他に誰もいない部室で。

 外からは喧噪の響く、静かな部室で、札木萌花先生は、真っすぐに俺を見つめて言った。

 

「羽丘由貴くん。あなたのことが好きです。どうか、私の恋人になってください」

 

 それは。

 生まれて初めて受けた愛の告白だった。

 

 ――冗談、のわけがない。

 

 先生の顔は真っ赤で、よく見ると身体は震えてる。

 一生懸命に勇気を振り絞ったんだ。

 恋人。

 言われた言葉が、甘く、とろけるように、俺の胸を満たす。

 荒んだ心に染みこんでいく。

 

「……知りませんでした」

「言わなかったもん」

 

 俺の呟きに、優しい声が返ってくる。

 

「いつから、ですか?」

「たぶん、掲示板で声をかけてくれた時から」

「ほとんど一年じゃないですか」

「あっという間の一年だったよ」

 

 ああ。

 こんな俺でも、誰かに想われていたんだ。

 誰かの救いになれていたんだ。

 

「……ありがとうございます、先生」

 

 救われた気がした。

 俺こそ、札木先生に救われていた。

 

「すごく嬉しいです。……でも、すみません。それはできないんです」

 

 俺は。

 それでも、先生の告白を拒絶する。

 先生は動かなかった。

 身体を硬直させ、頬の紅潮を消しながらも、微笑みを消さなかった。

 

「どうしてか、聞いてもいい?」

「昨日、失恋したんです。先生以外の人に」

「……うん、知ってる」

「……え」

 

 知ってる? どうして?

 思わぬ言葉に混乱する。

 でも、そこは重要じゃない。

 

「なら、わかるでしょう? そんな簡単に忘れられません。きっと、少なくとも半年くらいは引きずります」

「それでもいい、って言ったら?」

「言いわけないじゃないですか! そんなことしたら、俺はきっと、先生をあの人の代わりにします! 先生と話しながら、あの人のことを思いだして泣いたりします!」

「いいよ、泣いても」

「っ。何言って……!」

 

 わけがわからない。

 いっぱいいっぱいのところに優しい言葉をかけられて、涙が溢れてくる。

 

「大丈夫だから。羽丘くんは悪くないよ。私が、全部悪いの」

「な、何言ってるんですか!」

 

 一歩ずつ近づいてくる先生。

 俺は一歩ずつ逃げながら、感情のままに喚く。

 

「好きなんです、Mayさんのこと! 今でも! 振られたのが辛くて仕方ないんです! 先生のことなんか、考えてる暇ないんです!」

「わかるよ。そうだよね。ごめんね。……私も、由貴くんにごめんなさいって言われて、その気持ちがわかったよ」

「な……っ!?」

 

 今、先生、名前で。

 その声が、言葉が、Mayさんと被って、どうしようもない強い衝動が湧きあがって、俺の心を無軌道に揺らした。

 発散しないと心が壊れてしまいそうなくらいに。

 

「な、なんで、先生が……っ!」

「それは、私がMayだから」

「は……?」

 

 何、言って。

 硬直した俺は、見た。見せられた。

 先生が眼鏡を外し、髪を縛っているヘアゴムを取り去る。

 すると当然、素顔になって、長い髪はストレートに――。

 

「ぁ……?」

 

 あった。

 記憶の中に、一致するイメージがあった。

 何百回、何千回と見てきた顔。

 ベースの顔が一緒なのだ。気づいてしまえば、なんで気づかなかったのかと言いたくなるくらいに当たり前のこと。

 

「May、さん?」

「うん。Mayは私のハンドルネーム。昨日、由貴くんを振ったのは私。私が、あなたに告白したかったから」

 

 ごめんなさい。

 そう言われた俺は、まさしく完全に言葉を失ってしまった。



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6/30(TUE)‐7/02(THU)

=====

6/30(TUE) 16:52

=====

 

「い、いやいや。待ってください」

 

 復帰するまでに一分くらいかかった気がする。

 その間、先生は辛抱強く待っていてくれた。

 

「先生がMayさんなら、なんで今更俺に告白してるんですか。俺、昨日振られてるんですよ?」

「それは、だから、私があなたに告白したかったから」

「……?」

 

 先生がさっと視線を逸らした。

 

「本当は、由貴くんにコスプレのことは知られたくなかったの。だから、素の私として付き合いたかった」

「子供ですか」

「し、仕方ないでしょ……!」

 

 っていうか、札木先生の口からコスプレって単語が出るとは。

 

「え、あの、まさか本当にMayさんなんですか?」

「どう言ったら信じてくれる……?」

「一番最近したコスプレは?」

「英雄大戦の紫式部」

「つぶやいたーのアイコンは?」

「メイド・イン・メイドっていう古いゲームのメイド服」

「あれ元作品あったんですか……って、まさか、本当に?」

「『ファニードリーム』に問い合わせればすぐにわかるよ」

 

 嘘だろ……?

 先生がMayさん? 俺はMayさんとプライベートチャットをしてたどころか、週三回、二人っきりでボードゲームやってたのか?

 はっ。この前、先生に膝枕を薦められた時に受け入れていれば、間接的にMayさんに膝枕をしてもらえたってことか……?

 

「……世間が狭すぎませんか」

「運命なんだよ。私と、由貴くんは出会う運命だったの」

「確かに、それくらい凄い偶然ですけど」

 

 なんだこれ。

 

「じゃあ、勤め先関係の好きな人って……」

「私が学校の先生で、好きな人は生徒です、なんて言えないもん」

「あれ俺のことだったんですか……?」

「他にいるわけないでしょ……?」

 

 いや、俺、そいつに何度も何度も嫉妬してたんですよ?

 プレゼントの時もそうでしたけど、実は俺でしたって……俺が送った呪詛が全部俺に返ってきてるんじゃないだろうか。

 

「だったら、もっと早く言ってくれればいいじゃないですか」

「言えないよ。学校の先生なんだよ? 趣味はコスプレです、なんて。男の子には特に言えない。恥ずかしいもん」

 

 顔を赤らめる先生はぶっちゃけ可愛い。

 Mayさんだと知ってから見ると三割増しくらい、というか世界一可愛く見える。

 そりゃまあ、オタク趣味は恥ずかしいかもしれないけど。

 

「コスプレ趣味があったくらいで、先生のこと見損なったりするわけないでしょう」

「そ、そんなのわからないでしょ!」

 

 あ、先生がムキになり始めた。

 色々カミングアウトした反動でよくわからなくなりつつあるらしい。

 頬を膨らませて、至近距離から俺を見て、

 

「もういいの、言っちゃんだから……っ! お願いします、私とお付き合いしてください」

「すいません、無理です」

「どうしてっ!?」

 

 先生はもう完全に涙目だった。

 泣きそうな顔もすごく可愛いんだけど、別にこれが見たくて断ったわけじゃない。俺はそんなドSじゃない。

 

「……俺も、先生に言えない秘密があるんです。きっと言ったら幻滅されるから言えませんし、付き合えません」

「そんなこと……? 私、どんな秘密があっても、由貴くんのこと嫌ったりしないよ?」

「なんでそんなことがわかるんですか」

「さっき由貴くんだって同じこと言ったじゃない……!」

 

 いや、それはそうなんですけど。

 俺の秘密はちょっとインパクトが違う。幾ら心構えをしていようが意味がない。

 

「……でも、Mayさんにだけ言わせるなんて良くないですよね」

「そうだよ。ね? 言って? どんなことでも大丈夫だから」

「そこまで言うなら……。聞いてください、見てください。そして幻滅してください」

 

 なんか主旨が変わってきてる気がするけど、ツッコミ役がいないのと怒涛の展開で頭がやられてるせいか、俺達は気にしていなかった。

 俺はスマホを取り出し、チャットアプリを立ち上げて晒す。

 

「これ、なんだかわかりますか?」

「え? チャットのアプリ? あれ、ミウ、って。それにこのスマホ……?」

 

 さすがにすぐに気づいてくれた。

 なにせ、ミウとチャットしている相手は寒ブリ、Mayさん、先生自身だ。

 

「え? あれ、だって、ミウちゃん……」

「なんですか、Mayさん」

「え? え?」

「ミウは俺です。俺、女装の趣味があるんです。それとコスプレにも興味があります。もちろん女装の。Mayさんに友達になってくださいって言ったのも、そうすればもっと話ができると思ったからなんです」

「え……?」

 

 先生が固まった。

 冷静に考えるとドン引きされたら負けなんだけど、そこまで気が回ってない俺はドヤ顔になった。

 どうですか先生、さすがにこれは度量の大きい先生でも無理――。

 

「あれ、秘密ってそんなことなの……?」

「は?」

 

 え、全く効いてない?

 先生はきょとんとした顔で首を傾げて「だから?」って顔をしている。

 

「待ってください。女装ですよ? 男が女のフリしてたんですよ?」

「でも、私と仲良くなるためだったんだよね? 似合ってたし、ミウちゃんとお話できて楽しかったし……。変なことするためじゃないんでしょ? トイレとか――」

「男子トイレ使ったに決まってるじゃないですか」

 

 いくら女装状態でも女子トイレは禁止。

 それくらいのルールは知ってるし、徹底した。イベント会場では人気のないトイレを探して行ったからあんまり恥ずかしくなかったし。

 

「じゃあ問題ないよ」

「いや、彼氏が女装って絶対問題あるでしょう?」

「どうして? 由貴くんも一緒にコスプレしてくれるってことでしょ? 楽しそうだし、コスプレなら私が先輩だから、色々教えてあげられるよ?」

 

 Mayさんから直々にコスプレ指導、だと……?

 

「でも、その、気持ち悪くないですか? 一緒にコスプレなんて」

「ううん。だって恋人同士なんだよ? キスだってしたいし、えっちなことだって……。それを考えたら普通でしょ?」

「え、えっちなこと?」

「うん、いいよ、由貴くんなら。好きなコスプレしてあげるし、もししたいなら着たままだって……いいんだよ?」

「Mayさん、もっと自分を大切にしてください」

「だから、好きな人にしかしないって言ってるの!」

 

 え、あ、そうか、俺が好きな人で彼氏候補なわけだから問題ないのか……?

 やばい、やっぱり相当混乱してる。

 

「ほら、他に何か問題ある?」

 

 同じく混乱魔法を喰らっていそうな先生が、俺の手を取って尋ねてくる。

 

「ええと……ない、ですね」

「じゃあ、いいよね? お付き合いしてくれるよね?」

「いや、それは」

 

 まずい。まずいと思うんだけど、

 

「……何で付き合わないって話になったんでしたっけ?」

「私にわかるわけないじゃない」

「そうですよね」

 

 考えてみると何の問題もなかった。

 札木先生のことは好きだ。Mayさんのことはもっと好きだ。先生がコスプレイヤーだったからって、何の問題もない。むしろポイントが加算されてよりお得だ。

 

「由貴くん?」

「……うう、ああもう、後悔しても知りませんからね!」

 

 良くわからなくなった俺はやけになって頷いた。

 

「好きです、Mayさん。札木先生。こちらこそ、よろしくお願いいします」

「うんっ」

 

 涙を浮かべながら微笑んで先生は、感極まったように俺の身体を拘束し、責め苦を与えてきた。

 もっと簡単に言ってしまえば、いきなり抱きついてきた上にぎゅっと密着してきた。

 

「えへへ。由貴くんっ。私のこと、捨てないでね? 末永く、よろしくお願いしますっ」

「俺が捨てるわけないじゃないですか。捨てられるとしたら俺の方ですよ」

「ふふっ。じゃあ、私達、一生離れられないねっ」

 

 一生、か。

 それこそ、俺としては願ってもないんだけど、

 札木先生の、Mayさんの体温を感じながら、俺は恋人になった女性の顔をじっと見つめた。

 彼女は、俺の視線に気づくと頬を染めて目を閉じる。

 

 そして、俺達は初めてのキスをした。

 

 

 

=====

7/02(THU) 17:52

=====

 

「それで? もうセックスしたの?」

「するわけないじゃないですか!」

 

 二日後にバイトへ出勤したら、店長から嬉々としていじられた。

 なんでも「やきもきさせられた分の仕返し」らしい。

 店長と先輩は俺とMayさんの事情をあらかた把握していたそうで、それはもう、大変だったことだろう。そう思うと文句も言いづらいので、俺は甘んじて受けることにした。

 

「どうして? あの子のことだから、君が望めばすぐにでもさせてあげそうだけど」

「だからできないんじゃないですか……。Mayさんのことは大切にしたいんです。そんな玩具みたいに適当に弄ぶなんて絶対できません。ちゃんと時間のある時に、ムードを整えてからにします」

「ふうん? なんか、どっちが乙女なんだかわからないわね。……まあ、あの子から聞いて知ってたけど」

 

 と、店長は聞いておいてしれっと言ってのける。

 考えてみたら当然だ。

 Mayさんとこの人は親友なわけで、俺以上に深い繋がりがある。事の顛末なんて全部聞いてるに決まってる。

 そもそも、今、仕事中だし。

 

「知ってるならもういいですよね?」

「駄目。君の口から聞かせなさい。キスした後どうなったのか」

「……別に、大したことはなかったですよ?」

 

 前置きした上で、俺は店長に答えた。

 俺とMayさんはしばらくしてから、どちらからともなく唇を離した。舌も入れてない。触れるだけの優しいキスだ。

 ぶっちゃけそれでも幸せ過ぎて死にそうなくらいだったけど、そこからの時間も馬鹿みたいに甘い空気が流れていた。

 羞恥心が限界突破した結果、無敵モードに入ったらしいMayさんは俺にくっついたまま離れようとしないので、俺達は揃って床の上に座り込んだまま、これからのことを話した。

 

 まず、学校ではなるべく今まで通りを装うことにした。

 要するにただの教師と生徒。

 名前で呼んでくれるのは嬉しいし笑顔を見せてくれるのも幸せだけど、訴えられたら負けるので隠すに越したことはない。

 例外は『テーブルゲーム研究会』の部室。そこなら鍵もかかるし、どうせ他に誰も来ないので、名前で呼び合うくらいは問題ない。

 これからは部室での話題にも困らない。

 札木先生=Mayさん=寒ブリってことは、彼女は俺=ミウの趣味を全部把握してるってことだ。ゲームもアニメもマンガもラノベもいける口だということが分かってしまった以上、お互いに遠慮する必要がない。

 

「萌花さんには前よりリラックスしてもらえるんじゃないかと」

「萌花さん。萌花さんね」

「いいじゃないですか。彼女なんですから」

 

 部室かプライベート以外では「先生」で統一するし。

 でも「Mayさん」よりも「先生」よりも「萌花さん」って呼ぶ方が喜んでくれるのだ。俺も「由貴くん」って呼ばれるとむず痒い嬉しさがこみ上げてくるから、その気持ちはよくわかる。

 

「女装はどうするの?」

「続けますよ。っていうか、萌花さんの方が乗り気なくらいです」

 

 化粧も裁縫もコスプレも教えてあげる、と、大張り切りだった。

 俺としては知りたかった知識についてまるごと師匠ができた感じ。まあ、Mayさんに近づくために勉強してたのに、そのMayさんに教えてもらうことになってるわけだけど。

 

「ミウとしてならデートもできるんじゃないかって」

「萌花でもMayでも、君があの子とデートするのは問題あるのよね」

「そうなんですよね……」

 

 コスプレイヤーのファンもアイドルや声優のファンと同じく、推しに男がつくのを嫌うことが多い。俺自身、Mayさんの「好きな人がいる」発言に複雑な気持ちになったので、彼らの気持ちは残念ながらよくわかる。

 じゃあ萌花モードでデートすればいいかというと、教師と生徒なのでそれもまずい。Mayモードと萌花モードで化粧や服装をきっちり分けてるとはいえ、気づく人は気づくだろう。俺と違って。……俺と違って。

 そこで、俺がミウになればいい。

 

「Mayとミウちゃんが一緒にいる分には、後輩のレイヤーと仲良くしてるようにしか見えないか。なんなら『デート』って表現しても問題ないし」

「女の子同士で出かけるのを『デート』っていう文化は割とありますし、ガチだとしても百合なら許容されやすいですからね」

 

 男と付き合うのは駄目だけど女同士でいちゃいちゃするならOK、という層は割といる。

 俺だって、萌花さんが他の男と付き合うのと先輩と付き合うのだったら、後者の方が許せる。いや、悔しいのは悔しいんだけど。

 

「じゃあ、君はあの子とミウちゃんモードで買い物に行ったり、ご飯食べたり、映画見たり、お茶したり、水族館に行ったりするわけね」

「そうですね。それはそれで楽しいんじゃないかと」

「あの子の家行ったりもするわけね」

「さすがにちょっと緊張しますけど、ミウの状態なら見られても問題ないですよね」

「なんか、普通に化粧とか裁縫の話して、一緒のベッドで寝て帰ってきそう」

「ありそうですね」

「ありそうですねじゃない」

「あいたっ!?」

 

 頬をつつかれた。

 

「いいじゃないですか。俺達が満足してるならそれで」

「あの子から『彼が全然手を出してくれない』とか相談されそうな気がするのよ」

「そしたら教えてください」

「他力本願か」

「痛い」

 

 頬をつねられた。

 良い意味で遠慮がなくなってきたというか、惚気を聞かされてる鬱憤を晴らされてる気がする。教えろって言ったの店長なんだけど。

 

「まあ、なんでもいいけどね」

 

 言って店長は何やらスマホを操作して見せてくれる。

 詳しいやり取りまでは読み取れなかったけど、昨日今日とグループチャットの履歴がずらっとあるのはわかった。

 

「あの子、滅茶苦茶嬉しそうだし」

「俺も惚気ていいですか?」

「止めて」

「はい」

 

 目がマジだった。

 店長は深いため息をついて、

 

「とにかく。あの子のこと大事にしなさい。簡単に別れるのだけはナシ。本気で自殺しかねないから」

「あはは、それはさすがに大袈裟――」

「君、あの子に『実は遊びだったの』って捨てられたらどうする?」

「死にます」

「似た者同士じゃない」

 

 いやまあ、死ぬは言いすぎだけど、死ぬほど落ち込むのは確かだろうなあ……。

 

「大丈夫です。俺、Mayさんのこと大好きですから」

「知ってる」

「Mayさんからも一生一緒にいようって言われましたし」

「でしょうね」

「なんか適当じゃないですか?」

「そんなことないよー」

 

 適当だった。

 店長は聞きたいことは聞いたのか、俺の傍から離れて事務所の方に戻っていく。

 離れ際「あの子も難儀な恋ばっかりするわよね」とか聞こえたけど、意味はよくわからなかった。萌花さんのことだとしたら、うまくいったんだからいいような気もするんだけど……。

 あ。店長にシフトの相談するの忘れた。

 萌花さんは土曜も仕事をしていることが多くて、休日は日曜だけになりやすい。それならデートより休んだ方がいいんじゃ、とも言ったんだけど「デートしたいの……!」と言われた。彼女がそう言うなら俺だってデートしたい。

 なので、土曜出勤にできないか早めに相談しないといけない。

 退勤前にするか。店長を追いかけたら店に誰もいなくなるし、今話しても「また惚気か」ってげんなりされる気がする。

 デート費用を稼ぐためにも、バイトを頑張らないと。

 

 デート。

 Mayさんと付き合えることになったのは、今でも信じられない部分がある。

 何しろ一度は振られてるわけで、あの部室での出来事が実は夢か何かだったんじゃないか、って思ってしまったりするのだ。

 でも。

 これが現実だっていう証拠はちゃんとある。

 

 スマホが震えて、チャットの着信を知らせてくれる。

 

寒ブリ 大好き♡

 

 愛しい恋人からのメッセージに、俺はすぐに返信した。

 

ミウ 私もです♡

 

 俺と萌花さんが、店長や先輩から「バカップル」とか呼ばれるようになるまで、あまり時間はかからなかった。



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7/06(MON)

=====

7/06(MON) 14:10

=====

 

 月曜五限の世界史は相変わらず気怠い。

 昼休み後の眠気に加え、黒板の方から聞こえてくる甘い声が、俺を強制的にリラックスさせてくるせいだ。

 

「次は教科書の四十三ページです。千六百――」

 

 萌花さんの眠りパワーは前より上がった。

 前より読み上げが流暢になり、心なしか声も通るようになった。おかげでヒーリング音声のごとく、耳にすらすら入ってくる。

 もともと綺麗な声だし、俺にとってはこれ以上ない凶器だ。

 

「ダルい」

「相変わらず札木ちゃんの授業退屈だわー」

「ねー、今日どこ寄ってくー?」

 

 |他の生徒のひそひそ声(ノイズ)のお陰で若干マシだけど……。

 うるさい、先生の声を遮るんじゃない、と言いたい気持ちもなくはない。

 

 萌花さんの声だけ録音できたら眠れない夜にピッタリだろうな、なんてことを思いながら必死に板書を写す。

 写す、写す、写――うつ、う……。

 

「羽丘くん?」

「っ!」

 

 名前を呼ばれてびくっと目覚める。

 

「寝るなら、バレないように寝てくださいね?」

「……すみません」

 

 羞恥を感じながら頭を下げる。

 周りでくすくす笑いが起こり、それに混じってクラスメートの驚いたような声が聞こえた。

 

「札木先生って注意するんだ」

「羽丘は自分とこの部員だからだろ」

 

 生徒を注意するのは当たり前のことなんだけど、今までの萌花さんなら滅多に注意なんかしなかった。

 たとえ相手が俺であっても、何も言わず授業に集中していただろう。

 あらためてシャーペンを持ち直し、黒板とノートを見比べながら、俺は密かに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

=====

7/06(MON) 16:50

=====

 

「お待たせ、由貴くんっ」

「こんにちは、萌花さん」

 

 部室にやってきた萌花さんはさっそく声を弾ませていた。

 俺は立ち上がって彼女を迎えた。

 すると萌花さんは駆け寄ってきて、笑顔で俺を見上げてくる。

 

「由貴くん。……えへへ、由貴くんっ」

 

 可愛い。

 この人と恋人同士? 最高じゃないですかね?

 今すぐ抱きしめたい衝動を抑えつつ、至近距離で見つめあう。

 

「萌花さん、鍵は……?」

「……閉めたよ?」

 

 言って、萌花さんは軽く背伸びをして目を閉じる。

 俺は、彼女の柔らかな唇にそっと唇を重ね、一秒待ってから離れた。

 

 ――キスくらいならセーフだろう、たぶん。

 

 鼓動の高鳴りを感じながら、思う。

 萌花さんも、どこかうずうずするような表情を浮かべつつも、荷物を置いて自分の席に歩いていく。

 

「ぶ、部活しよっか?」

「そ、そうですね」

 

 付き合いだしてからの部活はこんな感じだ。

 いや、むしろ、これでも少しは落ち着いてきてる。

 

 先週の水曜、付き合うことになった翌日の部活はひどかった。

 俺も萌花さんも、前日に言いたいこと言い合った反動で恥ずかしくて恥ずかしくて、お互いの顔が見られないくらいだった。

 それでもなんとか活動しようとすれば、向かい合う度に真っ赤になって目を逸らす。

 結局、盤面に集中できる将棋を始めて、ほとんどずーっと下を見てた。っていうか最近、定番のテーブルゲームばっかりになってるな……。

 

「そうだ。あれ、持ってきてみたんだけど」

「あ。じゃあ、やりましょう」

「うんっ」

 

 心なしかわくわくした様子で、萌花さんが鞄を探る。

 取り出されたのは二つの小さな箱。

 片方には格好いいドラゴン、もう片方には美少女キャラの絵が大きく描かれている。カードを集めてデッキを作り対戦ができる、いわゆるトレーディングカードゲーム(TCG)というやつだ。

 Mayさんが持ってきたのは、初心者でも遊びやすいように、あれかじめ内容の決まったカードがセットになっている「構築済みデッキ」。未開封のが二つあるというのは、つまり、

 

「一度やってみたかったけど、やってくれる人がいなかったの」

「女の人ってこういうの、あんまりやりませんよね」

 

 友達いない宣言に聞こえかねない台詞を無難な相槌でキャンセル。

 実際、Mayさんには店長もいるし、レイヤーの友達も複数人いたはずだから、別に友達がいないわけじゃない。

 

「うん。お金がかかるからね。女の子は買うもの色々あるし」

「ああ。服とか化粧品とか、いくらあっても足りないですよね」

「そうそう、そうなの」

 

 我が意を得たりとばかりに頷くMayさん。

 そのあたりも俺も実感としてある。お洒落には際限がないから、そっちに興味のある女子はなかなか手を伸ばしにくいだろう。

 ちなみに言っておくと、男のお洒落を否定するわけじゃない。単に俺が興味ないだけだけど、でも、女子ほど金使わなくないか?

 

「これ以上お金かからないからって言ってもなかなか付き合ってくれなくて……ううう」

「だ、大丈夫です。俺ならいくらでも付き合いますから」

「本当……?」

「もちろんです」

 

 ああ、涙目の上目づかいが本当に可愛い。

 

「俺もこういうの興味ありましたから」

 

 それに、Mayさんも本格的にプレイしたいってほど熱意はないっぽい。

 あくまで絵柄が綺麗だから遊んでみたいって程度で、だからこそ、構築済みデッキ二つだけなら、と手を出せたようだ。

 もし「本格的にやりたい」と言われたら……バイトを増やすか、金のかからないデッキを模索しなければならない。高く売れるレアカードを徹底的に調べるくらいは辞さない。

 

「萌花さん、カードゲームは経験ありますよね?」

「うん。由貴くんと一緒にデジタルのをやってたでしょ?」

「はい。覚えてます」

 

 虎とかライオンとかドラゴンとかを好んで使ってたのを覚えてる。

 あの頃は男だと思ってたから何の違和感もなかったけど、遡って考えると、もっと小動物とか使えばいいのに、と思わなくもない。

 

「由貴くんはどっちがいい?」

「えっと、そうですね……」

 

 あの頃の記憶から考えると、萌花さんの好みは、

 

「こっちにします」

「♪」

 

 美少女の方を手に取ると、萌花さんが目を輝かせた。

 よし、正解。

 俺は頷き、包装を剥がしながら苦笑した。

 

「ドラゴンとか好きですよね」

「由貴くんこそ、妖精とかうさぎとか大好きだよね?」

「あれはあいつらがゲーム的に強かったからですよ」

「そう? お家にうさぎのぬいぐるみが余ってるから、お裾分けしようかと思ってたんだけど――」

「ください」

 

 全く格好がつかなかった。

 中にはカードの他に簡易マニュアルなども入っているので、ざっと流し読みした後、デッキをシャッフルして対戦を開始。

 萌花さんのドラゴンの方はバランスが良く、小型ユニットから大型ユニットに繋いでいく戦闘主体のタイプ。俺が担当する美少女の方はユニット以外のサポートカードを使いつつ、美少女をいっぱい並べてわーっとする、ちょっとテクニカルなタイプだった。

 一番勝敗を左右するのが、美少女デッキが回るかどうかという、駆け引きを楽しみたい勢にはやや物足りないものの、勝った負けたで一喜一憂するにはいいバランスになっていた。

 

「由貴くんはこういうのやらないの?」

「資金が心もとないですし、相手がいなかったので」

 

 デジタルカードゲームなら無料でできるし。

 でも、テーブルゲーム研究会ならTCGやってる人もいるかもと、部員実質ゼロという状況を知る前はちょっと期待してた。

 

「ふふっ。じゃあ、ちょうどよかったねっ?」

「はい。萌花さん様々です」

 

 俺も男なので勝負事は勝ちたくなるけど、ガチ勢になるほどの熱意もない。

 萌花さんとわいわい楽しむくらいがちょうどいいかなと思う。

 

「そういえば、萌花さん。俺がこういうカード使うのは嫌じゃないですか?」

 

 ひらひらした服の可愛い女の子が満載だ。

 最近のカードゲームは攻めてるから、結構エロい絵もある。

 すると萌花さんは首を傾げて。

 

「二次元の子に嫉妬するほど心狭くないよ?」

「女神ですか」

「普通だよ。……それに、私だって三か月ごとに嫁が変わったりするし」

 

 アニメの感想とかも普通につぶやいてますもんね。

 

「だから、私より二次元にならなければ気にしないよ」

「ありがとうございます」

 

 お礼を言うと、くすりと笑われる。

 

「由貴くんの場合、嫁のコスプレがしたいって言いだしそうだし」

「……難しいですね。『したい』のか『して欲しい』のかはキャラによると思います」

「どう区別するの?」

「体型ですかね、って痛い痛い!」

 

 頬をつねられた上にジト目で見られた。

 

「男の人ってそんなにおっぱい好きなんだ?」

「すみません、大好きです」

「でも、私の胸はあんまり見てくれなかったよね?」

「Mayさんの写真は穴が開くくらい見ましたけど、札木先生の胸を見るのはセクハラじゃないですか」

「好きな人が見てくれなかったら、魅力ないのかなって思うじゃない……?」

「萌花さんの地味な格好って男避けなんだとばかり」

「好きな人は別なの!」

 

 難しい。でも、わかる。

 わかるけど、見て欲しいって要求が無茶なのもわかって欲しい。女性教師の胸を見るのは普通に駄目だ。

 駄目だけど、恋人同士になったわけだし、二人っきりのところでならいいかな……?

 

「じゃあ、これからはちらちら見てもいいですか?」

「う、うん。恥ずかしいから、少しだけね……?」

 

 本当に恥ずかしそうに頬を染める萌花さんをそっと、じっと見つめる。

 相変わらず野暮ったいくらいの地味な服装。でも、よく見ると大きいのがわかる。柔らかそうで、形もいい。

 紫式部コスの写真と脳内合成すれば再現するのは余裕だ。

 うん。前から綺麗だと思ってたけど、Mayさんだったなら納得だ。一目惚れした相手そのものなんだから、好みドンピシャに決まってる。

 

「も、もう終わり……っ!」

「残念です……」

「ま、また見せてあげるから、ね?」

 

 えっちなことをさせてくれるって話はどこに行ったんでしょうか。

 って、その場の勢いだったのは知ってるので、無理に要求したりはしないけど。

 腕を交差させて胸を隠した萌花さんはため息をつく。

 

「うう、女の子ばっかり不公平だよね」

「男だって見られたら恥ずかしいんですよ……?」

「男の子の恥ずかしいところは隠れてるじゃない」

「攻撃されたらクリティカルなんですから隠させてください」

 

 ズボンで隠れてても人目が気になる時もあるし。

 

「由貴くんもミウちゃんの時に体験すればいいんだよ……」

「それはむしろ体験してみたい気もしないでもないです。俺には似合わないと思いますけど」

「そんなことないよ。肩幅が広めだし、身長もあるから、おっきくしても違和感ないんじゃないかな。それで可愛い格好したら、きっと――」

「きっと」

「オタサーの姫みたいになりそう」

「それ絶対褒めてないですよね……?」

 

 その単語に可愛いという意味合いは含まれていない。

 レアリティ的にはSSRかLRくらいあるから、高く売れそうではあるけど、俺には萌花さんがいるから売れ残りで構わない。

 げんなりする俺を見て、萌花さんはくすくすと楽しそうに笑っていた。

 

 でも、胸か。

 

 詰め物によって「ほぼゼロ」から「巨乳」まで可変なのは、男、というか女装の数少ない利点かもしれない。

 ずっと付いてると肩凝りとか色々大変なんだろうけど、自分の胸元にああいう曲線を生み出せるのは絶対楽しいと思う。Aカップ相当のパッドでもかなり楽しかったし。

 

「由貴くん、今はブラはつけてるの?」

「いえ、今は。夏服だと透けそうですし」

「薄着だから気を遣うよね」

 

 クラスの女子がどれくらい透けてるか、透けてる子の色は何か、端からチェックしたい衝動にかられたけど、今のところは我慢している。

 いかがわしい意図がなくても変態にしか見えない。いや、女装の参考にするんだから十分に変態か。

 

「じゃあ、デートの時に思いっきりしようね?」

「化粧とか、手伝ってもらえますか?」

「もちろん。あ、でも、どこですればいいのかな? 私の家はまずいよね?」

 

 確かに。

 女装状態なら訪問できるけど、それはつまり、女装するために訪れるのは無理ってことだ。

 

「イベントの時は公園の多目的トイレを使ったんですけど……」

「ああいうところはあんまり占領しない方がいいと思う」

「ですよね。……あ、開店時間以降なら『ファニードリーム』を使わせてもらえないですか?」

「あっ。それなら大丈夫そう」

 

 お客さん用じゃなくて従業員用の更衣室を使うなら迷惑にもならないだろう。

 

「あ。今週からはシフト変えてもらえたので、出かけられますよ」

「本当? 良かったぁ」

「でも、無理はしないでくださいね? 萌花さんの体調が一番なんですから」

「はぁい。……でも、もし風邪ひいちゃったら、看病してくれる?」

「したいですけど、一人で女装できるようにならないとお家まで行けないです」

「あ。……もう、早く由貴くんにお化粧覚えてもらわないとっ」

 

 あらためて奮起する萌花さん。

 だからあんまり頑張りすぎないようにって言ってるのに……。

 と。

 そんな感じで、その日の部活時間は緩やかに過ぎていった。

 

 そして、俺達の恋もずっと続いていく。




これでひとまずお話は終わりです。
お読みいただきましてありがとうございました。

ネタを思いついて、まとまった量が書けたら続きを投稿したいと思います。


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