逸見エリカと七つの習慣 (ブネーネ)
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西住の呪縛
以上をご理解の上でお願い致します。
私、逸見エリカは日本最強を決める戦車道大会である『全日本選抜戦車道大会』において大学チーム代表として出場し、社会人チーム代表として決勝戦に表れた西住みほとの決戦を経て――――勝利を収めた。
揺れやすい幼心に種を宿し、多感な青春の中で芽吹いたそれが戦車と共に突き抜けた数年間の日々の想いを吸い上げ今花開いた。
試合の終わりを自覚した瞬間、現実の時間では一瞬だが、あの始まりの日からこの時に至るまでの思い出が永遠とも思える程の時間と共に走馬灯の様に駆け巡り、私の中で世界が広がるような感覚を掴んだ。
当時の私にとって、西住みほという人間に大きな関心は無かったがそれなりに交流はあった。
当時二年ながら隊長を務めていた西住まほの陰に隠れていた少女、姉妹の指揮官はメディア受けもよかった為に副隊長の座に押し込められた彼女。
いつもおどおどしているくせして、一度指揮を執れば適格な指示かつ緩みなし。
好きな物を語る時だけ饒舌になって、コンビニ行くと戻ってこなくていつもロッカーにマカロンが入ってるチームメイト。
私がトップに立つときはきっと隣にいる、そんな優しい変わった女の子。
―――黒森峰高校、悲願の10連覇を放棄する。この一文が黒森峰史上最低最悪の疵として刻まれるまでは
戦車道大会決勝、強豪プラウダ高校との試合は苛烈を極めた。
戦局は互いに損耗し互角、膠着状態を打破した勢力が相手を圧殺するだろう状況で黒森峰は動いた。
当時フラッグ車車長であった西住みほ率いる別動隊が足元に天候悪く濁流と化した川の流れる崖の狭路を進んで奇襲をかける、しかしてその作戦はプラウダに読まれていた、或いは同じことを考えていた。
擦れ違える道幅もなく激しい砲撃戦が始まる、その内のたった一発が地面に着弾し崖を崩した。
私が乗っていた戦車が徐々に傾き地面を滑る音が鋼鉄の肌を叩く雨の音の中でも大きく響いた、そして視界が回転し車内に荷物や砲弾と共にかき混ぜられ叩きつけられながら川へ落ちた。
特殊カーボンはさすがに浸水にまでは対応しておらず、狭い車内で絡まった状態から上下も分からぬ中狭いハッチから脱出する事も求められた。
パニックで叫び暴れながらもハッチに手を掛けるが開く兆しはない、水圧がハッチを押さえつけて開かない事に気付いた時ハッチを開ければ川の水が流れ込んでくる不安に恐怖はさらに加速していった。
しかしハッチは外から開かれた、顔は見えないが伸ばされた手にしがみ付き私達は救助された。
新鮮な空気が肺を潤し濡れた髪を搔き分けた時、岸辺には西住みほが横たわっていた。
何故、ここに副隊長がいるのか。そう思い視線を戦場の上に浮かぶ飛行船へ向ければ試合の決着が付いていた。
フラッグ車の戦闘不能、西住みほが指揮を放棄して救出に向かったその隙にフラッグ車を戦闘不能にされ試合は決着したとあとで知った。
世論は、これを勇気ある行動とは捉えなかった。
緊急事態の中、仲間を救う為に身を投げ出した英雄西住みほは存在しない。
好き勝手に発言するマスコミや黒森峰のOG達、遠い世界の様に無責任にネット上を飛び交う擁護と中傷の声、それは大海原の上に浮かぶ黒森峰の学園艦まで届いていた。
黒森峰戦車道の履修者の殆どは機甲科に所属しており、戦車道の履修を強く推していた分だけ生徒数も多く全校生徒の中でも大半を占める。
それだけ学園艦を覆う呪いの様な空気に蝕まれる生徒も多かった、外にも内にも逃げ場のない閉鎖空間の中では淀んだ空気を入れ替える事も難しく日々鬱屈した思いだけが濃度を濃くしていった。
しかし黒森峰は西住流として更なる綱紀粛正を持ってかつての統率を取り戻す事に成功した、乱れた環境を浄化させた要因とは一体何だったのか。
プラウダが「プラウダはこの決着には納得していない、次回の全国大会に真の決着をつける」と誇る事をせずに擁護したからではない。
各校の選手が代替わりと共に練習試合を代々的に行い、話題が風化したからではない。
次代の西住流家元候補の西住まほが臥薪嘗胆の思いを告げ一層の奮起を促したからではない。
西住流の恥さらし!
黒森峰を敗北へ導いた戦犯!
西住みほ唯一人に業を背負わせ全ての責任を押し付け戦車道から追放したからに過ぎない!!
心身ともに負傷した私達が陸地の病院から戻って来た時には既に機甲科の名簿からみほの名前は除名された上に他の学科に追いやられ、みほの寮室は空になっていた。
検査と療養の為に学園艦から離れた間の詳細は不明だが、みほは一度西住家本宅へ呼び出されたことは確かなようだ。
それが決勝が終わった9月と10月の出来事、全ては取り返しのつかないところまで来ていた。
文部科学省曰く、スポーツとは『人間の体を動かすという本源的な欲求に応えるとともに、爽快感、達成感、他者との連帯感等の精神的充足や、楽しさ、喜びを与えるなど、人類の創造的な文化活動の一つ』を指すらしい。
そして戦車道は『礼節のある、淑やかで慎ましく、凛々しい婦女子を育成することを目指した武芸』だそうだ。
それがどうしてこうなった!!!
当然転居した先の寮室まで会いに行ったがみほの瞳からは光が失われていた、既に昼が来ているのにカーテンは閉め切られており奥に見えるぬいぐるみが不気味であった。
ただ一言、一人にしてほしいと言われた。
確かに今戦車道の人間と西住みほが近づくのは良くないと思いこれを了承した。
私が今まで通りの生活という欺瞞の日々を過ごす中でみほは一人真綿で首を締める様な日々を半年過ごす事となった。
――――春を間近に控える3月の末、西住みはは黒森峰女学園から煙のように消え去った。数々の汚名を被ったそのままで。
彼女に感謝の言葉を伝える事も出来ずに。
5月に行われた戦車道全国大会の抽選会場からの帰り道、偶然立ち寄った喫茶店ではあの子が気負うことなく柔らかな笑みを浮かべて仲間と談笑していた。
酷く勝手に私は酷い裏切りを受けたように目の奥が熱く、それでいて全身の熱が失われていくような感覚を覚えた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
私の二年目の夏は、大洗を率いる西住みほの手によって再びの敗北を喫する事となった。
西住流ではない自分の戦車道を示した彼女
不当に非難されても自らの意思を強く示した少女
初心者だらけのチームを率いて初出場した全国大会において優勝へと導いた大洗の軍神、大洗女子学園の廃校を撤廃させた大洗の英雄。
――――私があの時望んでいた彼女の姿がそこに在った。
全てが終わった第63回戦車道全国大会決勝戦から三日後のミーティングルーム、今は隊長と二人きりで他には誰も来ない。
部屋に入って初めに見えたのは、敬愛する黒森峰戦車道隊長、西住まほはそのまま顔を俯かせたまま静かに話を始めた。
「エリカ、来年からはお前が隊長になる、遅すぎたかもしれないが聞いてくれ。ここで話す様な事ではないが…まずはすまなかった、私が至らぬばかりで皆には迷惑をかけてしまった」
「そんな!隊長は立派に私達を率いてくださりました!」
「それがいけなかったんだ、結局は皆を私の勝手な独りよがりに付き合わせただけだ」
静かに握りしめた手が袖に皺を作るがすぐに緩められた、隊長は私に対して罪の告解しようとしているとでも言うのか。
不安を隠すかのように自らを腕に抱く西住まほの姿、涙こそ流してはいなかったが今にも親に怒られれるのではないかと怯える子供のそれだった。
「私は西住まほで、ゆくゆくは西住家の長女として、黒森峰女学園戦車道隊長として責任を果たす義務があった」
西住まほにはいつも由緒ある家柄の重責と、黒森峰に残る伝統とかつて栄光に苦しんでいた。
いずれも彼女の母親である西住流師範かつ次期家元候補筆頭である西住しほの影が差している。
「でも私は自ら望めばそれ以外の道だって進む事が出来たんだ、でも結局は私自身の義務を果たす事をしなかった。結果は、何もかもを手放し何も得る事が出来なかった」
戦車道大会優勝常連校の強豪黒森峰女学園は強力かつ豊富な戦力を軸にした、統率の取れた攻撃的な戦法に特化するが故に定跡外のイレギュラーに弱いという弱点があった。
これまでの全てに抗おうとしていたのも知っている、その最たるモノがあの去年のプラウダ戦だったのだ。
制圧、機動、防御とこれまでの力押しだけではない連携とスピードが求められる新しいドクトリンを採用した。
結果は事故を発端に黒森峰の崩壊を招き、西住みほは私達の前から消え去り、残された私達から選択肢を奪った。
「それでも諦めるつもりは無かった、みほが一緒ならば成し得たかもしれないが、あの事故でみほも責務を放棄した時に…私は疲れてしまった―――黒森峰に本当に必要だったのは、みほだったのかもしれない」
―――私は隊長の頬に向けて強く拳を振り抜いた、我慢はできなかった。
「知ってますよ最初から!みほが…みほが…本当にすごい子なんだって!!でもだからって隊長が―――」
「そうだな…私がみほだったら…よかったのにな」
尻もちをついたまま力なく隊長が呟く、低く暗く、まるで呪詛の様に。
私はそんな西住まほを見たくは無かった、西住まほのこれまでが否定される事を恐れた。
確かに西住みほは結果を示してみせた、しかし私が憧れたのは強く毅然とした西住まほなのだ。
力不足だったわけではない、例え西住みほだって結局はあの事故の日まで何も出来なかった、黒森峰を率いて最後まで戦い続けた西住まほは間違っていなかった。
その言葉を彼女に伝える事は最後まで出来なかった、伝えていれば何かが変わったのだろうか。
「そんなの…だって私副隊長なのに、そんなことを今更言われたって…」
「ああ、そうか…こんな話をする事すら初めてだったんだな…」
全ては過ぎ去った事、しかしこのような事態になる前に本当は出来た事があったのではないか。
私達はもっと話し合うべきだったのだ、責任を押し付け合うような関係ではなく別の関係性を築き上げるべきだった。
「私達は、これからどうすればいいんですか…」
「…すまない…エリカ」
私達は弱点をわかった上で突き進むのが西住流の強者たる由縁だと思っていた、その上で私達の練習量が勝利を盤石にするのだと信じていた。
しかしまもなく彼女は黒森峰からいなくなる、残されるのは人形のような私達だけ。
ドイツの国際強化選手として現地で合流するまで残り3か月、期限は刻刻と近づいている。
「逸見エリカ、私の様にはならないでくれ、それだけはお願いだ…」
この言葉が、今でも私に呪いの言葉として残り続けている。
西住まほが居なくなった黒森峰で私は隊長として、かつての新型ドクトリンを取り入れる事にした。
私は西住隊長の最期の願いを叶える事が出来ずにいる、結局はあの時の焼き直しに過ぎないのだろうか。
私はきっと証明したいのだろう、これまでの私達の間違いを認めるのが今更になっても恐ろしいのだ。
西住まほと西住みほが正しくあれば、私達も正しかったと世界に言い訳できると信じているのだ。
黒森峰と西住の呪いから抜け出そうとしても抜け出せない、あの人の苦しみの一部を今更になって実感している。
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逸見エリカの罪
かつてない程の激戦となった大学選抜と大洗連合との殲滅戦は西住流二人の連携によって勝利を収めた。
島田流の後継者筆頭、島田愛里寿は大学選抜の紅白戦でも単機で制圧出来る、忍者戦法とも呼ばれる実力の持ち主だ。
そして大学選抜のメンバーは当然練度や体力、経験も上の強大な相手だった。
そんな中で私達が勝てたのは唯一、相手の士気の低さから来るモノだろうと推測された。
勝てば大洗女子学園廃校を後押しする悪役、日本の代表が女子高生の即席チームに負けてしまえばその存在に疵が残る。
大学選抜チームからすれば空しい戦いでもあった、その隙だけが私達の唯一の勝機だった。
―――本当に?
―――島田愛里寿が初めから全力で動かなかったのは、ギリギリの試合をゲームメイクしていたからではないか?
ギリギリで勝利した場合、勝って当然の大学選抜から世論と共に大洗女子学園擁護の動きを作る事も出来るだろう。
ギリギリでもしも負ければ…その瞬間から世界が大洗女子学園の味方になる。
どちらにせよ、大洗女子学園へ健闘を称える事で大学選抜の名誉は守られる。
そこまで考えて頭を振り妄想は止める事にした、そもそも島田愛里寿がこちらに情けをかける必要がない。
相手も負けてもいいとは思っていないだろう、気乗りでなくても本気の筈だ。
―――では何故勝てたのだろうか。
本来であれば負けも当然の試合、総合的な戦力も練度も上の相手に勝利出来たのは何故か。
例えば同じ様に本来であれば勝利出来た筈の私達が大洗に負けたのは何故か。
どうすれば、――――――に勝てるのだろうか。
何に勝ちたいのか、何故勝ちたいのか、それだけが私の中で虚ろになったままの私。
戦車道は戦いだ、私は戦車道で勝ちたい。
私は、勝ちたい。
黒森峰女学園に島田愛里寿が体験入学に訪れたのは、あの試合から間もなくの事であった。
彼女はその才覚を以て飛び級し、齢13にして中学高校に入学する事なく直接大学生となった経歴を持つ。
その際も大学強化選手の代表という前提の下に入学している為、座学よりも戦車道に比重を大きく置いた生活を送っていたらしい。
その様な生活の中には学生生活といった浮いた風景は無く、唯一の娯楽は変な熊のぬいぐるみ関連だけだったという。
島田愛里寿が身に纏う緩そうな黒森峰の制服、そのポケットから覗かせているのがその熊か、前にみほに勲章として渡していたからまた別の熊なのだろう。
「逸見さん…あの」
「着替え終わった?…ついて来て、案内するわ」
小柄でもじもじとして、声は小さい、不安そうに視線を泳がせている、あの時の島田愛里寿とはまさに別人のようだ。
まるで…かつての西住みほを思わせる様な姿。
「まほさん…西住隊長は今不在だから貴女の対応は私が担当するわ、何かに気になる事があれば私に聞いて」
「…あの、私のクラスは」
「私と同じよ、授業の内容はもう知ってるかもしれないけど、真面目そうに聞いてなさい」
島田愛里寿はしばらく私と同室で過ごし、同じ授業を受け戦車道の練習に参加する。
みほに近い雰囲気もあって態度があの子寄りになってしまったが、今更丁寧に戻すのも違和感が出ると思い諦めた。
これまでの環境等と比べて退屈かもしれないが、学園生活を実感したければさせてやろう。
まずは朝食から、無難にシリアルと牛乳で済ませて出発する準備をする、…遅刻という体験も一つありなのだろうか。
私が通っている黒森峰女学園機甲科、名こそ機甲科ではあるがその実態は戦車道に特化しているスポーツ科だ。
午前中は基本的に座学がある為、荷物を置くこともかねてまずは校舎に登校するのだが規律を重んじる校風の黒森峰女学園機甲科と言えども結局は10代の女子高生にすぎない、……私もだけど。
つまりは、さっそく愛里寿は好奇心旺盛なクラスメイト達に囲まれて質問攻めにあっていた。
「ウッソ、逸見さん見て見て可愛い!!」
「逸見さん!この子!この子ってもしかしてこの前の!」
「静かにしなさいよ五月蠅いわね!そうよ、大学選抜の島田愛里寿―――さんよ」
ホームルーム前の騒がしさに呑まれた様子の愛里寿、大学の方がもっと騒がしいのかと思ったがそうでもないのだろうか。
或いは島田の名が人を遠ざけるのかもしれない…あるいは人見知りが過ぎて自分から避けているのか。
一度戦車に登場すれば無双の強さを誇る少女も形無しだ、人に囲まれ空気に圧倒される姿からは想像もつかない。
「ねぇ!島田さんはなんで黒森峰に来たの!?」
「好きな食べ物は!?」
「珍しいお名前だね!」
「あーもう五月蠅い!授業始まるわよさっさと座りなさい!!」
―――逸見さんずるーい
―――愛里寿ちゃん後でねー
賑やかしたクラスメイトが元の席に戻っていく中、愛里寿は一番後ろの列にある私の席の隣に座る。
「さっそく騒がしくて、申し訳ないわね」
「…いい、ありがとう」
開いた教科書で顔を隠すように、こちらの表情を覗き見る少女の姿はやはりあの子の姿を彷彿とさせた。
私の隣の空席は、かつては西住みほの席だった。
―――島田愛里寿は強い。
愛里寿の体験入学から三日、これまで練習の見学だけしかしていなかった愛里寿に紅白戦の提案を持ちかけた。
結果は一日で全試合完敗、愛里寿が乗った戦車は常に後ろで控えており直接戦闘には参加せず、いずれもこちらに動きに対応されて潰された形だ。
どうしてこんなにも強いのだろう、私はどうしてこんなにも弱いのだろう、元々なかった自信が更に歪んでいくのを感じていた。
まるで人目を避ける様にあの日、西住まほを張り倒したブリーフィングルームのソファーに寝転び天井をただ眺めていた。
時折目をつぶって瞑想とは真逆の反省を行う、何故を求めて只管に思考を巡らせるのだ。
幼い頃、戦車道に出会ってから続けている習慣だ、何故を突き詰める事で答えを導き今の自分を作り上げて来た。
身じろぎ唸りながらも時間だけが経過していき夕焼けの向こうに夜空が見え始めた頃、ゆっくりと扉が開き顔を覗かせたのは意外にも島田愛里寿だった。
「こんなところに居たんだ逸見さん…もう下校時間すぎてるよ。ここで何してたの?」
「反省よ、最近の私は負けばかりで…大した活躍もないから」
身体を起こして帰宅の準備を始める、幾ら夏の終わりとは夜は冷える、体調管理の為にも早めに帰ったほうが良さそうだ。
家に帰って二人の夕食を用意したら明日の為の戦略を組みなおす為に更なる反省と準備を行う事にした。
―――そんな時、ふとした思いがよぎった。
時間的に誰もいないブリーフィングルームに天才と二人きり、いずれは黒森峰を去るこの少女にその強さの秘訣の欠片でも自分の物に出来ればという出来心だった。
「ねえ愛里寿…何で貴女は強いの?」
「…いきなり、どうしたの」
「ここ最近の貴女には完敗だったわ、だから何故勝てないのかを知りたいの」
「…逸見さんはどう考えるの、自分で負けた理由は分かる?」
一言アドバイスを貰えれば儲けものと尋ねた質問に、島田愛里寿は想像以上の反応を返された。
島田愛里寿は私に教えを施すつもりなのだろうか、一先ず現時点での考えを述べる事にした。
「愛里寿は常に後方で動かないから、戦力は必然的に私側の方が多いわ。なのにいつも私達は有利な場面を作る事が出来ずにそのまま圧倒されたから…かしら」
「それは過程と結果であって何で負けたのかが結局分かってない、誰に戦車道を習ったの?」
「えっと…中学までは地元のチームのコーチで、黒森峰に入学してからは隊長から…」
「呆れた、せっかく西住まほの下で西住流の教えを受けてそれなの?そういう所は本当に西住流の悪い所ね」
この少女は私が弱い理由を知っている、そしてそれを語る表情は…まるで憐れんでいるような、そして呆れているかのようだった。
「私、さすがに体験入学してから三日だからまだ人数の多い機甲科の人たちの事余り分からないの、勿論ある程度の特徴を掴むようにはしてるけど」
「それはそうよね、それなのに愛里寿のチームの連携は見事だったわ、まるで互いの事を知り尽くしているような連携だったわ」
「当たり前よ、これまで一緒に過ごしてきたんだから。…ヒント1」
愛里寿は当然の様に矛盾した発言をした、出会って三日の筈で今回チームを組んだ些細なコミニュケーションしかなかった筈だ。
首を傾げる私を見て、島田愛里寿の眼が半目になって更に呆れた視線を隠さない様にしてきた。
「さっきも言っていたけど私は後方で指示を出していただけよ、西住流の戦い方でね…ヒント2、そろそろ分かる?」
―――島田流の人間が西住流の戦い方で戦っていたですって?
その発言を基にこれまでの試合を振り返る、そう確かにあの電撃戦の様な攻撃はまさに西住流だった。
だが結局ハッキリとした回答を用意する事が出来ずにいる、ヒントの数を示す指が三本に増える。
「最後のヒント。さっきも逸見さんが言った通り私は有利な場面を作っているの、逸見さんに対しては常に先手を取ってるよ、じゃないと勝てないから」
「…私達は常に後手になる、そして対応される前に毎回潰されてるから?」
「じゃあ勝つためには?」
「先手を取らせないか、適切な対応行う事で形勢を互角以上に戻せばいい」
「具体的には?」
「えっと…戦力はこっちの方が多いから空いた一両分を独立して偵察に回すとか、先手を取られたら無理に交戦せずに後退するとか?」
「そうだよね、でも私との試合で全部やったよね?後は?」
「…他には、特に思いつかないわ」
「だからだよ、思いつかないから逸見さんは負けるの」
当然のように言ってのけた言葉は、私からすれば天才らしくない泥臭い根性論の様に聞こえた。
「逸見さんは戦車道の本を読む?あるいは何冊読んだことある?」
「…教本くらいなら、十冊位」
「逸見さんは戦車道歴私より長いよね?それで十冊?」
彼女は何が言いたいのだろうか、まさか読んだ本のページ数がそのまま実力に繋がるとでも言うのだろうか。
「私達は生まれて十数年だけど今私達が使っている言葉や技術は遥か過去から綿々と受け継がれるもの、なのに過去から学ぼうとしないのは何故?たった十冊で全てを学んだつもり?」
「それは…」
「逸見さん、今日は一人で反省してたよね?成果は?誰かと一緒に反省しようとは考えなかったの?」
「…さっきのが精々よ、それにもう隊長は居ないから反省するのは私一人よ」
「逸見さん…戦車道で本当に勝ちたいと思ってる?」
先程から好き放題言われている筈の自分の心に、怒りは湧かなかった。
ただ心がそれを理解する事を拒んでいた、気づいてはいけない、聞いてはいけないと悲鳴を上げている。
「逸見さんは結局誰かに依存して、自分の時間は一人で無駄に過ごすだけ。だから自分を率いてくれる人が居ないと勝てないし、自信がないのに独りよがりで、たった一人で戦車道をやろうとする―――だから限りある人生を只管に無駄にするの」
自分を信じていられないから誰かに依存する、そうすれば強くなれる気がするから。
そんな勝ち馬に乗って虎の威を借りる狐となり、散々威張り散らしていた。
その方が人生が楽だからだ、悩まず、苦しまない人生。
その結果は―――自分を助けてくれた西住みほを見捨てた上に罵倒した、自分を捨てたのだと勝手に激昂して西住まほを更に傷つけた。
「私は今日のチームメンバーに西住流で戦ってもらって、後は少し修正はしたけど方針だけ伝えて細かい部分は任せたわ。逸見さんは今日、黒森峰女学園に負けたの」
これまでの自分をふり返りとてつもなく強烈な吐き気を覚えた、悪い夢を見ているかのようだ。
被害者のフリをしていた自分が、自らを苦しめる一番の加害者であり黒森峰を腐らせる悪性の腫瘍だったとは。
「私が強くしてあげようか?他の学校にも西住流にも負けない力を逸見さんにあげる」
天声が静かに部屋が響く、島田愛里寿という劇薬が目の前に差し出された。
愛里寿の扱いを誤れば己を死に至らしめる毒だが、波を乗り越える事が出来れば強壮の薬となるだろう。
正直今は何も考えていられない、覚悟もなく開いた現実にトラウマを発症しそうだ、それでも残ったたった一つの答え。
「愛里寿、私を誰よりも強くして。でも―――絶対に貴女も倒すわよ」
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逸見エリカの断罪
島田流の一人娘、島田愛里寿。
私は揺り籠ではなく戦車で育った、子守歌は演習場から遠く聞こえる戦車の駆動音、絵本は全て戦車の教本だった。
初めて喋ったのは覚えていないが戦車の名前だったらしい、それについては未だに母は嘆いていているのだが。
人生の何たるかは理解していないが、島田流に生まれた自らの立場は理解しているつもりだ。
だから戦車道以外の学問に対しても勉強に明け暮れ、飛び級もした今では大学選抜の大隊長だ。
なんとつまらない日々をこれからも送り続けるのか、それはただひたすらに空しい、最近思うのはそればかりだ。
結局は空っぽな人間だ、ただ存在価値として与えられた島田流に依存して自分からは何もしないままでいる。
島田流は戦車道の歴史であり、真剣勝負の歴史だ。
勝負が成り立つのは互いに勝利を望んでいる事が前提にある、負ける事を許容しては勝利を超えた先の栄光などあり得ない。
そして相手が余りにも弱すぎれば、勝負により得られた勝利の価値がなくなってしまう。
良き淑女を育成する戦車道に憑りつかれた彼女達はそれ故に強者との真剣勝負を求める、自らの優秀性を示すに相応しい好敵手を求め続けている。
いつしかそれは強者を呼び寄せる為、或いは強者を育成して我が力として喰らう為に強者達は自ら覇を唱えた、それが現在に数多存在する流派の前身であり、島田流や西住流のオリジンである。
勝利こそ誉れ、勝利こそ誇り、勝利こそが正義。
それが常に勝負の上に在り、勝利を原則とする人間の生き方であり、勝利を至上とする流派の鎖である。
―――戦車道で私は、本気になれない。
例え相手が校戦車道の中でも優秀な選手を集めて作り上げた選抜チームだとしてもだ。
実際私は強いし勝利の為に戦っている、手を抜いているつもりは無い、ただ気分が乗らないのだ。
最近で調子が上がったのは大洗女子学園連合戦にて起こった西住流を二人同時に相手した時ぐらいだ。
母はそんな消極的な私を見て思う事があったのだろう、遠まわしに一度戦車道から離れる様に私に奨めた。
これまで与えられなかった時間を私に返す―――訳ではない、そんな気遣いはあの母にはない。
私に見せる思いやりも、私に与えるやさしさも全ては島田流の利益の下に存在している。
例えば大洗女子学園連合の条件として提示した島田流がボコミュージアムのスポンサーとなる件は私が負けたとしても元々与えるつもりであったのだろう。
私としても最高の保養の地であり、人質のような物なので遺憾ながらもう少し母が望む戦車道を継続する予定である。
しかし誰にも想像しえなかった最大のイレギュラーが存在した、それがあの逸見エリカだ。
強くあろうとする外面だけで評価され、最も重要な内面を育成されずに弱者のまま強者の教育を受けた現代戦車道の歴史の被害者の体現。
最初はちょっとした好奇心だった、手解きするのは先達者の務め、そう思っての問いかけだった。
強くしてあげようか? とただ一声をかけた。
するとどうだろう、己を恥じ入るばかりと悶えていた女が力のないか澄んだ声で答えたのだ。
―――愛里寿、私を誰よりも強くして。でも、絶対に貴女も倒すわよ
彼女程度の小さなプライドも何もを投げ捨てて、その上で含みもなく言ってのけたのだ。
逸見エリカ『ごとき』が、島田流の中でも最強の一角である私を倒すなんてよくも言えたものだ!
西住の教えを間違って受け続けていたのに今度は島田流の人間を頼るとは!あるいは西住の人間に見切りをつけたつもりだろうか!!
私の背筋にゾクりと衝撃が突き抜けて行った、絶対に表情には出さないがここに来るまでの憂鬱な感情が吹き飛んだ。
戦車道に憑りつかれた彼女達はそれ故に強者との真剣勝負を求める、自らの優秀性を示すに相応しい好敵手を求め続けている。
口にこそ出さなかったが今なら分かる、結局は私も島田流の―――戦車道から逃げられない。
ならばこの逸見エリカを鍛えながら世界に示して見せよう、無所属にて無名の逸見エリカは全ての流派を悉く根切りにさせよう。
流派に属するだけで自分が強くなったように錯覚している愚鈍な連中の頭を蹴り飛ばそう!
後は目を覚ました選手だけで戦って戦って戦って、そうして西住も島田も関係なく戦って、戦車道の歴史を洗濯しよう!
そして私は最強の逸見エリカを倒して、その勝利の先にある極みを味わいつくそう!
そうなれば私も戦車道を心から好きになれる!束縛される事なく自分の意思で戦える、私の島田流だけで強い人たちと戦いつくしたい!
それが出来たら、きっと島田愛里寿は幸せだ!
これから逸見エリカには島田流ではないが、人間を構成する上で必須である『原則』を叩き込もう。
そして物事を教えると言う事は、教える側も新たに教訓を得る事に繋がる。
逸見エリカを通じて、私という存在を鍛え上げ共に最強になろう。
―――簡単には手放してあげないからね、私の可愛いエリカさん。
※※※※※※※※※※※
夕日が沈みきり街灯が灯る頃、ミーティングルームには二人の陰が未だ残されていた。
「これから話す内容は人生における重要な要素である七つのポイントの序章に過ぎない」
淀みなく書き終えたであろうホワイトボードの中心には何故か大きく空白が開いていた、そしてその空白を囲むように散りばめられたキーワードに指し棒で強調していく。
「まず初めに、現代に至る人間とは『飽きる』『忘れる』『面倒くさがる』という性質を持つ。そしてあらゆる物事に不安と恐れを感じ、そして欲求においては即物的であり、自らを持たずに己に対する理解を周囲に求め続け、あらゆる責任を他者へ転嫁する惰弱な生物である」
「そのような人間が集まった時に起こり得る事態は大きく二つ、『共依存』と『妥協』である」
「共依存とはつまりお互いに相手が動く事を期待し、そして互いに自ら何も始める事をしない。非生産的な愚の骨頂である」
「妥協とはつまり、お互いの意見の相違を埋め合わせる事で円滑に進めようとする手法である。しかし大抵は我儘で程度の低い相手の意見に合わせる事が殆どなのでそれが成功する見込みはとても小さくなるだろう」
「ではこの様に自分から動きたくいが、自分の意見を通したい場面において起こり得る行動とは何か。エリカは分かる?」
島田愛里寿の口から溢れる人間は愚かであるという人間論、そして私は先日同様に愚かな人間であると宣告されたばかりである。
そうであれば自分に置き換えて考えてみよう、自分が隊長として隊員が言う事を聞いてくれない、しかも好き勝手に意見してきた場合。
「…私だったら怒る、それか隊長権限で無理やり意見を通そうとする」
「そうなるだろう、多くの人間はその問に対する解決手段として『自分の有利を出来る限り勝ち取る』事を選択する。そうなれば建設的な解決は大いに遠ざかる」
愛里寿の手がホワイトボードの中央の空白を強く掌で叩き、部屋中に音が大きく響く。
「ここに足りないものが、エリカの本当に必要な物、それが――――」
大きく強く飾らない二文字がホワイトボードの中心に書き込まれる。
「『自分』、いつ如何なる時においてもこの自分が存在しない限り成功は訪れない」
指し棒とマーカーを置き愛里寿が歩み寄って来た、只管に耳が痛い話だったが身に染みる物があった。
「これが自己中心的となるか自立して自分を確固たるものと出来るかはエリカの覚悟次第、これまでの自分を断罪し、如何なる場合を以てしてもやり通す意志と覚悟が必要になる」
黒森峰女学園戦車道隊長だった西住まほは妹である西住みほの後を追うように、敗戦における負の責任を引き受けまるで幻の様にドイツへ留学した。
全国大会終了後に行われた新型ドクトリンへの引継ぎの補助を行った後にささやかな送別会が行われたが、私から終ぞ彼女に謝罪する事が出来なかった。
自らの義務と責任を果たす事をしなかった、西住隊長の言葉だ、でも私は義務と責任に向き合う事すらしなかった。
西住まほでも出来なかった事が、私に出来るわけがない。
「確かに強くなりたいと言ったわよ…でも私にはそんな強さは――」
弱虫の私が涙を流す数歩手前まで来ていた、いつの間にかどんどん話が大きくなり自分のキャパシティーを圧迫していく。
「私は確かに『逸見エリカ』の声を聴いた、本当のエリカは勝ちたいって言ったよ、私に勝つって…言い切った!!」
初めて出会った時は違う爛々とした瞳を湛えながら、愛里寿は私の手を強く強く握って語り続ける。
「私は自分の言葉に義務と責任を持つ、エリカが西住流の家元とお母さまに勝つまで島田流にもう戻らない」
余りの常識を飛び越えた内容に堪えきれずに一度口許を抑えて嘔吐を堪えた、数秒の思考の遅れの後に全身の血の気が引いていくのを感じる。
―――最悪だ!よりによって…日本戦車道の最強格に向けていつの間にか果たし状を勝手に叩きつける算段まで立てられている!!
そんな私の心境など見透かしたかのような面持ちで愛里寿は私の握り拳を開かせて、あやす様に指で撫でながら話を続ける。
「私にもリスクがあるって言ったでしょ?私は次期家元の権利を失う覚悟でいまここにいる」
島田愛里寿は悪魔だ、言葉に対して何よりも真摯であり例え己を脅迫材料にしてでも望みを叶えようとする。
「ここまで来てまだ逃げるの?また惨めに人生を浪費するだけの自分になりたいの?」
「でも私…!!」
「立ち向かうしかないよ、私達に逃げ場なんてもう何処にもないんだから」
私には勝ちたいという意思が確かにある、ずっとずっとそうだ、そして最初から全てを投げ出す事が出来なかった。
―――何で私は勝ちたいのだろうか。
私を貶めていたものは本当は違った、勝ちたい理由に何故を問うのはナンセンスだった。
何故私は勝てなかったのかも愛里寿が教えてくれた、私が弱いからだ、弱いくせに何もしなかったからだ。
愛里寿はずっと私に『強くあれ』と言い続けているのに、私は何を恐れているのだろうか。
決まっている、『自分』というモノが生まれる為にはまず今までの自分の罪を認める事に成る事を未だに恐れているのだ。
そうして己に生じる変化を消化するする事への変化を恐れて『飽きる』『忘れる』『面倒くさがる』という本能が成長を阻害しているのだ。
でももう逃げる事は許されない、弱い自分とはお別れをしないといけない、無償の愛に依存する幼子を卒業する時が来たのだ。
あらゆる苦難や困難が待ち受けようとも一人の人間として、戦士として立ち向かう日がついに訪れた、ただそれだけの事だった。
―――さようなら西住まほ、さようなら西住みほ、貴女達はもう私に必要ない。
貴女達を言い訳にするのはもうお終い、ふらふらしているかもしれないけれど、私は自身の足で歩いていける。
「…覚悟、決まったわ」
「エリカ…」
「二言はないわ、誰が相手になったとしても戦って…勝つわ」
「エリカ…!!じゃあ早速、島田流本家へ道場破りに行こう!」
「やっぱり辞めさせていただきます」
後日、正式に黒森峰女学園戦車道隊長、逸見エリカとなって初めての仕事は新たな教官を受け入れる為の準備に奔走する事だった。
新型ドクトリン用の練習メニューを副隊長となった赤星小梅に任せ、自らは教官に当てられるゲストルームを急行する。
―――クマクマクマ、部屋一面を埋め尽くすクマのぬいぐるみ。
上流階級という人種はそのシンプルかつ圧倒的な財力と権力を以て無理を無理なまま道理を通すものらしい。
西住流のバックアップを受けている筈の黒森峰女学園機甲科は今、島田流の娘である島田愛里寿に支配される事となった。
「もしかして…これも私のせいなの…?」
「エリカ、今日からよろしくね」
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