オーバーロード ~三人三様の超越者~ (日ノ川)
しおりを挟む

序章 三人三様の現在
第0話 最終日のお遊び


最終日にヘロヘロさんも含め、誰も来なかった世界での話です
独自設定だらけなのでご注意ください

今回はプロローグなので、本格的な話は次からになります


「結局。誰も来なかった……か」

 

 約束の時間を過ぎても、誰一人として現れなかった円卓(ラウンドテーブル)を眺めながら、モモンガは肩を震わせ拳を振り上げた。

 

「ふざけるな! ここはみんなで作りあげたナザリック地下大墳墓だろ! なんでそんな簡単に捨てられるんだ!」

 

 激しい怒りのまま拳を叩きつけると同時に、モモンガは今まで準備だけは進めながらも、仲間たちに遠慮して決断できずにいた一つの計画を実行に移す覚悟を決める。

 

「そっちがその気なら、俺だって好きにさせてもらう」

 

 本当は実行したくなかった。

 この計画は皆で作り上げたナザリック地下大墳墓を私物化するも同然なのだから。

 ギルドメンバーのみんなが、いや誰か一人でも自分の誘いに乗ってくれたのなら、その時は笑い話にでもしようと考えていたのだ。

 

「さて。俺も移動するか」

 

 僅かな期待を込めて、約束の時間を大幅に過ぎてもここで待っていたため、もうあまり時間がない。

 席から立ち上がり、最後にもう一度だけと周囲を見回した。

 モモンガが立ち上がったことで、誰一人座る者の居なくなった円卓(ラウンド・テーブル)を寂しげに見つめてから、次いで壁に掛けられたギルドの証、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンに目が留まる。

 

「最後くらい持っていくか」

 

 ギルドの証として皆で作り上げたスタッフの所に移動し、それを手にした。

 

「行こうか、我がギルドの証よ。魔王として最初で最後の仕事だ」

 

 手に取るとドス黒い赤色のオーラが立ちこめる。人の苦悶の表情を象り、崩れていくそのオーラはまるで今の自分の内心を表しているかのようだった。

 

「……」

 

 それを振り払うように手を振り、モモンガは円卓の間を後にして、空の城を歩き続ける。

 中にいるのは意志のないNPCのみでモモンガが労いの言葉をかけても、当然返事は戻らない。

 そのことに空しさを覚えながら、目的の場所であるナザリック地下大墳墓第十階層にたどり着く。

 そこにいるのは一人の執事と六人のメイドたち。

 

「待たせたな。セバス、ユリ、ルプスレギナ、ナーベラル、ソリュシャン、エントマ、シズ」

 

 全員の名前を呼び上げる。

 つい先日、準備のためここに来るまで忘れていた名前だが、今回の計画のために改めて名前と設定を暗記する必要があった。

 何しろ彼らは勇者パーティーのメンバー候補なのだ。

 

「とは言え時間が無い。全員を移動させるのは難しいな。二人ずつってところか」

 

 口に出して言いながら、プレアデスの向かい側で待機していた自作の勇者に目を向ける。

 モモンガが作り出した新たなNPC。

 それはモモンガの分身と呼べる存在だった。

 NPCとしてできる限り、モモンガのクラス構成に似せて作り、設定欄にはモモンガの分身であると書き記した。

 これまで一度として玉座の間に攻め込んでこなかった侵入者の代わりとして、モモンガが用意したものだ。

 つまり最後の最後くらい、悪の親玉としてのロールプレイを楽しむ為の準備である。

 本来は来てくれた皆で役割を決めて、それぞれ勇者と魔王陣営に分かれて、このナザリック地下大墳墓をもう一度攻略する。という計画だったが、誰も来なかったことでその計画は頓挫した。

 だからこそ、せめてモモンガだけで勇者と魔王を演じるロールプレイを行うことにした。

 勇者を二人用意したのは単純に、モモンガが二種類の勇者像を思いついたためだ。

 一人は自分の趣味を反映させた漆黒の戦士。

 そしてもう一人は──

 

「たっちさん。装備を勝手にお借りしてます、文句言いに来ても良いんですよ」

 

 かつてPKされ続け、ユグドラシルというゲームそのものに嫌気が差し始めていた自分を救ってくれた純銀の騎士。

 創造したNPCの一体に、彼が使用していたワールドチャンピオンの証である純白の鎧と同じく純白の盾や剣も装備させ、在りし日のたっち・みーの姿を再現している。

 本来はワールドチャンピオンしか装備できないこの装備も、完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)の魔法で戦士化している最中ならば着けることができるのだ。

 と言ってもこちらもモモンガの構成を真似たNPCであるため、戦士系の技は使えない形だけのものだが、どうせロールプレイでしかないのだから十分だろう。

 この二人を勇者として設定した際、パーティーメンバーにしようと選んだのが、セバスと六人のメイドチームプレアデスだ。

 本来敵を迎え撃つために存在する彼らを勇者の一員にしようとするのは、単純に玉座の間に近い場所に配置されていたこともあるが、もしかしたら自分でも気づかないうちに、仲間たちの作り上げたNPCに勝手な役割を押しつけて、憂さ晴らしをしようとしたのかも知れない。

 

「……よし! 早速準備をするか。セバス、そしてユリ、お前たちはこの騎士の後に付き従え」

 

 暗くなりそうな気持ちを振り切って、モモンガはNPCに指示を出す。

 こんな細かな指示を聞くのか疑問だったが、名を告げられた二人は一礼した後、純銀の騎士の側に移動する。

 

「おお。流石の作り込みだな」

 

 プログラムを組んだギルドメンバーを心の中で讃えながら満足げに頷く。

 この二人を選んだのは単純にカルマ値によるものだ。

 基本的に悪の組織というロールプレイをしていたナザリックに於いて、カルマ値は悪に傾いている者が殆どだ。

 その中にあって、この二人は貴重な善属性に位置している者たちなのだ。

 この純銀の騎士の供としては相応しいだろう。

 本当はもう一人、シズも善性ではあるのだが、中立よりということもあるので止めておいた。

 

「となると、漆黒の戦士は──ナーベラル、ソリュシャン。こちらの戦士に付き従え」

 

 同じように指示を出すと二人のメイドが一礼して漆黒の戦士の後ろに付き従う。

 こちらはモモンガの脳内設定では漆黒の戦士はダークヒーローであり、正義を司る純銀の騎士ではできない手段を用いて正義を実行するという役回りだ。

 そのため供に付けるのはどちらもカルマ値が-400の邪悪に設定されている二人を選出した。

 この二人は設定ミスなのかそれとも双子という設定なのか、どちらも三女として創造されているという点でも、コンビを組ませた方が栄えるとの意図もある。

 

「これでよし」

 

 二つのチームを眺める。

 ワールドチャンピオンの装備を身につけ、レベル百の執事も付いている純銀の騎士に比べると、漆黒の戦士は装備もそうだが供も頼りない。だが、そこは事前の準備で既に解決している。

 

「ふふふ。俺もなにをやってるんだか。あれだけ苦労して集めた世界級(ワールド)アイテムをNPCに持たせるなんてな」

 

 この漆黒チームのメンバーには、モモンガのコピーも含めた全員にそれなりの装備を調えた上、それぞれ世界級(ワールド)アイテムを一つずつ持たせている。

 かつての仲間たちとの栄光の証を勝手に持たせるのは、良いことではないのだが。

 

 構うものか。どうせ最後だ、なにより止めに来てくれなかった皆が悪いんだ。とモモンガは自分を納得させる。

 これで準備は完了だ。

 

「よし。それじゃ二つのチームは俺に付き従え」

 

 言葉と共にNPCを連れて玉座の間に移動を開始しながら、ふと思いつく。

 

「玉座の間に着いたら、写真撮影でもするか」

 

 仲間たちが皆揃っていた頃、そんな遊びをしたことを思い出す。あの時も勇者役はたっち・みーだった。

 もう一度同じことをするのも悪くない。

 なんなら撮った写真を現実に持ち帰り、来なかったギルドメンバーに送りつけてやろうか。一瞬、そんなことを考えたが直ぐに止める。

 いくら何でも当てつけがましい。

 あくまで自分の思い出として残すだけにしておこう。

 

「そうなると予定を変更しなくてはな」

 

 元々の予定ではログアウト直前にこの二つのチームを玉座の間に突入させて、さあ戦いが始まる。というところでゲーム終了。

 勝敗は誰にもわからない。

 そんなストーリーを考えていた。

 そしてモモンガの役目は、悪の親玉として玉座の間で待っていることだ。

 しかし、写真撮影をするのなら全員を玉座の間に入れて、構図を考える必要がある。

 皆を引き連れ、急ぎ足で玉座の間に向かって歩き出す。

 玉座に座り、魔王視点で勇者を迎えるシーンを撮るのも良いが勇者側視点の写真も欲しい。

 

「俺がどちらかの格好に変えて撮影してもいいか……なんか楽しくなってきたぞ」

 

 頭の中で写真の構図を考えながら、モモンガは意気揚々と玉座の間に向かって移動を開始した。 

 

 

「──よし。なかなかいい写真が撮れたんじゃないか?」

 

 玉座の間にて、写真を撮り終えたモモンガは、その出来映えに一人満足する。

 しかし、思ったより時間が掛かってしまい、もう終了まで時間が残されていない。

 

「もう、誰も来ないよな」

 

 もしかしたらここで撮影をしている間にギルドメンバーでなくても、ナザリックを攻略するために乗り込んでくるパーティーがいるかと思っていたが、それもなさそうだ。

 

「結局、世界征服なんて夢のまた夢だったな」

 

 いつか、悪のロールプレイの最終目標として、世界の一つでも征服してやろうぜ。と言っていた仲間のことを思い出す。

 実際、ユグドラシルのルールで、どうなれば世界征服を成し遂げたことになるのかは分からない。

 ギルドランクで1位になることか。それともワールドエネミーをすべて倒すことか。流石に他のギルドをすべて倒すのは無理だろうが、めぼしい上位ギルドに勝利する事かも知れない。

 それらはあくまで雑談の一環であり、皆本気で世界征服を狙っていたわけではないだろう。

 しかし、そのいずれかを成し遂げていれば、最終日である今日、ナザリック地下大墳墓を攻略しようと考えるプレイヤーも居たかも知れない。

 

「今更俺一人で出来ることでもないしな……」

 

 感傷に浸りながらも、そろそろサーバーダウンの時間が迫っていることに気づき、モモンガは気分を切り替えるようにわざと大きな声を出して立ち上がった。

 

「さて。そろそろどうするか決めるか!」

 

 このままここで静かに終わりを待つのか、それとももう一つ立てていた計画を実行するか。どちらにするか決めなくてはならない。

 もう一つの計画とは、事前に大量に買い込み、ナザリック地下大墳墓近くの沼地に浮かぶ島に配置した花火を打ち上げて派手に終わらせるというものだ。

 先ほどまでは皆と作り上げたこのナザリック地下大墳墓で静かに終わりを迎えようと思っていたが、誰一人として来なかったことで、モモンガのこの場所への思い入れは薄れ始めていた。

 その思いがモモンガに一つの決断をさせる。

 

「折角だし派手に行こう。みんなの代わりにせめてNPCを連れていくか……いや拠点NPCは外に出られないんだったか。なら──」

 

 写真撮影のために、パーティーを組んだ仮初めのメンバー、セバスとユリを見る。

 最後の一枚は勇者視点の写真ということで、モモンガは自分で作ったNPCに装備させていたたっち・みーの武具を自ら装着して撮影に臨んだ。

 その際にセバスとユリをパーティーメンバーとして登録したのだ。

 今から改めてモモンガの装備と交換し直すのも面倒なので、このまま二人を連れていこう。

 そして、もう一つ。

 共にこのナザリック地下大墳墓を攻略した設定の、漆黒の戦士とその従者たち。

 彼らも地表に連れ出し、共に花火を眺めて貰おう。

 そう考えてモモンガは早速準備を開始する。

 最後にチラリと後ろに目を向けた。

 

 そこにはイタズラ心で設定を書き換えてしまった守護者統括アルベド。そして自分本来のアバターそっくりな死の支配者(オーバーロード)の姿があった。

 その傍にはギルドの証として持ってきたスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが浮かんでいる。

 たっち・みーの鎧を外したNPCに写真の見栄えを良くするために持たせようとしたのだが、基本的にギルド武器はギルマスである自分しか持つことができないため、仕方なく傍に浮かせることにしたのだ。

 回収して上まで持っていっても良いのだが、どうせならあのNPCには最後まで魔王としての威厳を保っていて貰いたい。

 そう考えて預けたままにしておくことにした。

 

「さらばだ。我がギルドの証よ」

 

 そんな言葉が口から出て、モモンガは思わず気恥ずかしさを覚える。

 それから逃れるように、モモンガはそれ以上後ろを振り返ることなく、玉座の間を後にした。

 

 

 23:59:06

 花火を発射させるボタンに手をかけながら、モモンガはナザリックの上空で一人待機していた。

 せっかく連れてきた仮初めのパーティーメンバーであるセバスとユリは、漆黒の騎士たちと共に地表で待機している。

 完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)使用中は他の魔法を使えず、空を飛ぶにはアイテムを使うしかないのだが、それが一つしかなかったため、こうして一人で飛ぶしかなかったのだ。

 

「たっちさんとやまいこさんだったらなあ」

 

 二人の創造主の名前を挙げる。二人ならば自分の魔法やアイテムで一緒に空を飛ぶことができたのに。

 そんなことを考えてしまい、思わず首を横に振った。

 未練がましいにもほどがある。

 後一分もしない内にアインズ・ウール・ゴウンだけではなく、この世界そのものが消える。

 そんな最後の時に彼らはリアルを取ったのだから。

 

 仕方ないことだ。

 そう思っていても発射スイッチを持つ手に力を込めそうになる。

 

「いかんいかん。最後なんだ、湿っぽいのはやめにしよう。打ち上がる時間を考えると十秒前ってところだな」

 

 自分に言い聞かせるように、口に出してこれからの予定を立てる。

 左腕に填めた時計を見ながら時間を測る。

 23:59:48、49、50……

 

「行くぜ!」

 

 普段のモモンガらしからぬ強い口調と共にボタンを押し込む。

 同時に霧深いグレンベラ沼地の一角にある島に設置した五千発にも及ぶ花火が一斉に打ち上がった。

 あまりにも密集して配置したために、一つの塊になって打ち上げられた花火は、霧の中からでも目視できる。

 あれだけの量が上空で弾ければ、ここからでもはっきりと見ることができるだろう。

 その光に包まれながら、ユグドラシルの、ナザリック地下大墳墓の、そしてアインズ・ウール・ゴウンの終わりを迎えるのも悪くない。

 上空に浮かび上がった塊が一斉に弾け、巨大な爆発を起こす。

 超位魔法の一つである、失墜する天空(フォールン・ダウン)が如き白い閃光は思った以上に強く、ナザリック地下大墳墓まで届き、その光がモモンガを包み込む。

 

(ああ、これで終わりか──)

 

 目も開けていられないような眩しさを感じ、思わず閉じた目を恐る恐る開けようとして……気がついた。

 脳とメガコンをコードで直結させているにも関わらず、目を閉じられるという異常事態が起こっていることに。

 もしや失明したのでは。との思いは開かれた視界一杯に広がる星空によって否定される。

 

「第六階層?」

 

 多大なリソースをつぎ込んでブルー・プラネットが作り上げた理想の世界に広がる星空、それがモモンガの目に映りこんだのだ。

 いつの間に移動したのか。

 いやそもそも、もう時間は過ぎているはずだ。

 慌てて腕時計を見る。

 0:01:15、16、17……

 時計はあり得ない時間を刻んでいた。

 

「サーバーダウンが延期になったのか? それともロスタイム……いや」

 

 数々の可能性が浮かび上がるが、どれも決め手に掛ける。

 

「あのクソ運営! 最後ぐらいまともに終わらせられないのか!」

 

 光に包まれて消える。というシチュエーションが台無しにされた怒りに震え、モモンガは吐き捨てた。

 周囲には誰の姿もなく、自分一人が宙に浮いている状況だ。

 周りの状況を確認しながら、モモンガは視線を下に向けると、そこは第六階層ではなく、それどころかナザリック地下大墳墓や、その周辺にあるグレンデラ沼地ですらない。ただ広い草原の上空にいることに気が付いた。

 

「どこに飛ばされたんだ俺は」

 

 最後だから何かイベントでもやるためにプレイヤーを強制的に転移でもさせたのだろうか。

 しかしそれにしては他のプレイヤーの姿は見あたらない。

 やれやれとモモンガは地面に向かってゆっくりと降りていく。

 

「明日四時起きなんだけどなぁ」

 

 最後の最後にこんなサプライズをされても楽しさより、苛立ちしか感じない。

 地面に降り立つと足から伝わる感触や、体に当たる風のリアルすぎる感覚、そして、むせ返るような草木の香りを感じた。

 その異常性にモモンガが気づくまで、そう時間はかからなかった。

 

 

 ・

 

 

「そんなバカな」

 

 そこにあるのは何もない草原。

 そして頭上には光り輝く太陽と青い空。

 常に黒いスモッグと、有害物質を含んだ濃霧に覆われた現実世界では見ることのできないものだ。

 ユグドラシルの中ならばそうした場所も存在するだろうが、モモンガが常に出入りしている場所で可能性があるのは、ナザリック地下大墳墓の第六階層ぐらいのものだ。

 しかし、あそこの空は現実世界の時間とリンクしているため、今は夜のはずだ。

 加えて更なる混乱をもたらす声が、自分の背後から聞こえた。

 

「モモンガ様。ここは一体」

 

「ナザリック地下大墳墓ではなさそうですね。他の姉妹や守護者の皆様方の気配もありません。ナーベラル、辺りの警戒を」

 

 ナーベラルとソリュシャン。

 二人のメイドはソリュシャンの合図で周囲を見回しながら、モモンガを挟むように移動する。

 どうやら護衛をしようとしているようだ。

 

(待て待て。一体何がどうなった? なんでNPCが会話しているんだ。いや、そもそも俺は終了の時、何をしていたんだ? 思い出せない)

 

 最終日だからとギルドメンバーにメールを送り、花火を買い込み設置して、もしも誰も来なかったときのために自分の分身となるNPCを創ったことは覚えているが、肝心の最終日の記憶が曖昧であり、気がついたらここにいた。

 頭を抱えようと腕を動かして同時に気がつく。

 

「なんだこの鎧」

 

 漆黒の鎧が手足のみならず、全身を覆っている。

 頭に手を当てると頭に触れる直前で金属にぶつかる音が聞こえるところから、兜も着けているらしい。

 

「……ナーベラル、ソリュシャン」

 

「はっ!」

 

 二人が声を張り上げ、自分の前に膝を突く。

 声を発するだけでなく、コマンドワードを用いず、ただ名前を呼んだだけで勝手に行動をしている。

 これは一体どういうことなのだろう。

 

「……二人に聞くが、私は今どんな格好をしている?」

 

 嫌な予感がする。

 これはゲーム終了が延期したとか、新しいゲームが始まったとか、そんな簡単な問題ではない。

 

「漆黒の鎧に身を包んでおられます。背中には二本の大剣を掲げ、至高の御方に相応しい威厳を感じます」

 

「私も同感です。偉大なる御方はどのような装備を身につけていても、その御威光を損なうことは無いと確信致します」

 

 ナーベラルとソリュシャンがそれぞれ口にした、背筋がむずがゆくなりそうな称賛の言葉も決して上辺だけではなく、本気で言っているのが分かるのだ。

 こんな細かな設定ができるはずがない。

 そんなことを考えている間に風が吹き、二人の体を通過してモモンガの元にたどり着く。

 彼女たちの良い香りが風に乗って、モモンガの嗅覚を刺激した。

 それにより、嗅覚というゲームでは感じることのできないものを知覚できるようになっていることに気がついた。

 本来、電脳法によって味覚と嗅覚は削除されているはずなのだ。

 法律的にもそうだが、データ容量的にもできるはずがない。

 

 万が一、仮想現実が現実に変わりでもしない限り──

 そんなバカなことがあるはずがないという理性と、現実に感じる嗅覚。

 相反する二つがぶつかり合う。

 

「まさか、そんな──」

 

「モモンガ様?」

 

「如何なさいました?」

 

 心配そうに声を掛ける二人の声が、どこか遠くに聞こえた。

 

 

 ・

 

 

「どうだった!?」

 

 ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)の最奥、玉座の間に続く扉から離れ、現在動かすことのできる守護者を集めた場所に戻ったアルベドに、第一から第三階層の守護者シャルティアが声を張り上げる。

 創造主によってそうあれ。として造り上げられた言葉遣いすら忘れているのはそれだけ慌てているということなのだろう。

 もっともそれは彼女だけではない。他の者たちもまた、同じようにアルベドに強い意志の籠もった視線を向けていた。

 そんな彼らに対し、アルベドは無言のまま首を横に振る。

 場に重たい空気が流れ込んだ。

 それを払拭するかのごとく、一人が重い口を開く。

 

「……モモンガ様は間違いなく玉座の間にいらっしゃるのだね?」

 

 第七階層の守護者デミウルゴスの質問に、アルベドは大きく頷いた。

 

「ええ。それは間違いないわ。初めは何か確かめるように考えごとをされていたのだけれど、やがて私に外に出るようにお命じになられて、その後誰も玉座の間に入るなと仰せよ」

 

 それでは主を守る者が居なくなると、懇願するアルベドをきっぱりと拒絶して、主はただ一人玉座の間に残ってしまった。

 だからこそ、アルベドはこのことを伝えるため、守護者たちをここに集めたのだ。

 

(モモンガ様。どうして? 私のこの気持ちは貴方様がくれたものなのに)

 

 創造主によって創られた頃の自分は既に存在しない。

 今の彼女は主の手によって直接、自分を愛せと命じられた存在。

 創造主などどうでも良い。

 あの御方こそが自分の全てだ。

 その主から拒絶されたという事実が、アルベドの心を深く傷つけていた。

 しかし、その気持ちは表に出すことなく、守護者統括としての自分を保ちながら説明を続ける。

 

「動かせる守護者が揃ったことを伝えたけれど、同じだったわ。だからこそ、今後我々がどう行動するかを話し合う必要があるわね」

 

 アルベドの話を聞いて、デミウルゴスは僅かに安堵したような仕草を見せる。

 

「確かに。しかし、それならばまだ最悪の事態ではないということだね」

 

「ドウイウコトダ?」

 

 第五階層守護者のコキュートスが冷気の吐息を吐きながら、デミウルゴスに詰め寄る。

 その様子にもデミウルゴスは動じた様子を見せずに続けた。

 

「……最後まで残って下さったモモンガ様が、我々に興味を失い、他の御方々と同じ場所に行かれたわけではないということだよ」

 

 その言葉を聞いた全員が、納得したように頷いた。

 アルベドは他の者たちなどどうでも良いが、彼らからすれば忠義を捧げる者がいなければ、その存在理由すら失われる。

 そう感じているのだろう。

 

「しかし、まだ楽観視は出来ない。本来玉座の間を守護するべき守護者統括殿を外して、お一人になられたということは、もしかしたら我々を必要なしと判断されたのかも知れない」

 

「そ、そんな! ど、どうしたらいいんですか!?」

 

「マーレ……」

 

 悲痛な声を上げる第六階層守護者の一人マーレに、姉であるアウラが落ち着けと言うように名を呼びながら肩に手を置いたが、その彼女の小さな手もまた震えていた。

 このナザリック地下大墳墓を守護するために創られた守護者の力すら必要無しと判断した、というデミウルゴスの予想はそれほどまでの衝撃を与えたということだ。

 そしてそれはアルベドにとっても信じがたい、信じたくないものだった。

 全員が沈痛な面もちで思考を巡らせる中、アルベドはわずかに残った理性をかき集め、ゆっくりと口を開いた。

 

「……一つだけ、思い当たることがあるわ」

 

「それは?」

 

 即座にデミウルゴスが反応する。

 

「モモンガ様が、力不足を理由に私たちを遠ざけたのなら、我々の力をお見せして考え直していただけば良いのよ」

 

「それはそうでありんすが、我々の力をお見せすると言っても何をすればいいんでありんすかぇ?」

 

 シャルティアの台詞にアルベドは一度目を伏せて記憶を手繰り、一つの言葉を思い出す。

 あれは主が自分を愛せよ。と命じた直ぐ後のことだ。

 その時の記憶は曖昧で霞がかかっているが、断片的に覚えている言葉があった。

 

「先ほどモモンガ様はお一人でこう仰っていたわ──結局、世界征服なんて夢のまた夢だった。と」

 

 それはデミウルゴスが危惧した内容とも一致する。

 ざわりと全員が息を呑む。

 

「かつて私も創造主で有らせられるウルベルト様が他の至高の御方々と、そのような会話をしていたことを記憶しております。そこにはモモンガ様もご一緒でしたが、その時はこう仰っていました」

 

 デミウルゴスは一度言葉を切ると、眼鏡の奥の目を伏せ、遠い過去の記憶を読み込むように間を空けてから、再び口を開く。

 

「自分たちで世界の一つぐらい征服しようぜ、と」

 

「ナント──」

 

「世界征服。流石は至高の御方々だね」

 

「う、うん。凄いねお姉ちゃん。至高の御方々なら絶対にできるよね」

 

 あの裏切り者どもを誉め称える様には苛立ちを覚えるが、今それを見せることは出来ない。

 アルベドは自分を抑えつつ、デミウルゴスの言葉に乗って話を進めた。

 

「そう。今のデミウルゴスの話を聞いても解るように、至高の御方々にとって世界征服など絶対的な目標でも、何をおいても成し遂げなければならない悲願でもない。あくまで当面の目標程度のものだったのでしょう。しかし、その先兵となるべき我々は、かつてぷれいやーなる者どもの侵攻によって悉く破れ去った」

 

 守護者たちの会話に熱気が帯びる中、アルベドの台詞で再び場に重苦しい空気が満ちた。

 

「っ! 確かあの時は、その愚か者どもは第八階層にて撃退されたんでありんしたね」

 

 その際のことをアルベドは殆ど覚えていないが、ここにいる守護者たちはアルベドを除き、全員一度殺されている。

 

「そうよ。あるいは至高の御方々はその時に私たちの実力不足を感じ、御隠れになってしまったのではないかしら。その証拠にモモンガ様は、先程のお言葉の後でこう続けられたわ」

 一度言葉を切り、アルベドは全員の顔を見回してから続けた。

 

「今更自分一人で出来ることでもない。と」

 

 再び守護者たちがざわめく。

 その言葉は守護者を含めたシモベたちを、初めから戦力として見ていないも同然の言葉だ。

 主にとってあの者たち以外、戦力にならないと告げている。

 そのことにアルベドは深い怒りを覚えながらも、必死になってそれを押し殺す。

 

「だったらあたしたちはどうすればいいのさ!」

 

 感情を抑えるアルベドとは対照的に、感情のままに声を張るアウラ。

 アルベドがそれに応える前に、デミウルゴスが口を開いた。

 

「……ならば、我々だけでこの世界を征服し、モモンガ様に献上すればよいのではありませんか?」

 

 そう言うことでしょう? とデミウルゴスはアルベドに確認するかのように目を向ける。

 

「その通りよ。私たちの力を今一度モモンガ様に認めていただくのに、これ以上のものはないわ」

 

 何より。これならばあの裏切り者より自分たちの方が主の役に立てると証明できる。

 デミウルゴスとアルベドの言葉を聞いて、他の守護者たちの瞳にも光が戻った。

 

「世界ヲ捧ゲル、カ。確カニ、コレホド分リヤスイモノハナイナ」

 

「そうでありんすねぇ。最後までわたしたちを見捨てずに残って下さったモモンガ様に、わたしたちの忠誠を示すのにぴったりでありんす!」

 

「そうだね。モモンガ様に私たちの力を認めてもらえば、きっと褒めて下さるよ」

 

 コキュートスとシャルティアが頷き合い、アウラもそれに同意した。

 

「そ、それに。それを知ったら、御隠れになった他の至高の御方々も戻ってきて下さるかも知れませんよね」

 

 マーレの言葉によって、別の欲望も現れ、更に場が盛り上がっていく。

 とはいえ、アルベド自身はそれには興味がない。

 いや、むしろ帰ってきて欲しくなど無いが、ここでそれを口にする訳にもいかない。

 場の喧噪を治めるために一度手を打ち、全員に向かって宣言した。

 

「話は纏まったわね。先ずはナザリックの状況確認と、玉座の間に続くソロモンの小さな鍵(レメゲトン)の防衛力を強化。そして周辺の調査を開始します」

 

「はっ!」

 

 全員が一斉に頭を下げ、了承の意を示す。

 必ずや自分たちの価値を示し、もう一度主に必要な存在だと認めて頂き、あの場所(玉座の間)から出てきて貰う。

 アルベドはゆっくりと目を伏せ、愛しき主の姿を思い浮かべる。

 守護者統括である自分すら恐怖を感じさせる漆黒のオーラを身に纏った、全ての死を支配する絶対者。

 身を飾る豪華な杖やローブすら霞ませる、この世の何より美しい白磁の(かんばせ)と眼窩に宿る赤き揺らめき。

 あれこそが、アルベドの最愛なる主。

 

「っ!」

 

 それらを思い返しながら、一瞬頭にノイズのようなものが混ざり、アルベドは顔を歪ませ頭に手を置いた。

 ノイズの中に見えたのは、いつかどこかで見たことのある純白の鎧。

 それが離れていく後ろ姿が一瞬頭を横切った。

 

「アルベド?」

 

 より深く思い出そうとしたが、その前にデミウルゴスに名を呼ばれ、アルベドはそれらを振り払い頭に乗せていた手を前方に突き出すと、全員に向かって宣言を下した。

 

「各員。ナザリック地下大墳墓の目的は、愛しき我らが至高の主、モモンガ様にこの世界をお渡しすることと知れ」




この話での転移時期や人数に関しては、考察で語られている内容を自分が勝手に解釈して使っています
具体的には転移する時期はサービス終了時の高度に由来する。転移はワールドアイテムが起点であり、アイテムを装備している者か、アイテムが拠点に設置されている場合、拠点ごと転移するというものです

そのため、飛行で空を飛んでいたモモンガさんは一人で二百年前に転移し、地表にいた五人のうちワールドアイテムを持っていなかったセバスとユリを除いた三人が百年前に、そして第十階層の諸王の玉座が起点となってナザリックごと書籍版と同じ時代に転移したという形です

ちなみに転移場所に関しては全員同じナザリック地下大墳墓から転移したということで、時代は違えど同じ場所に転移したという設定にしています。なのでグレンベラ沼地上空から転移した亡国の吸血姫の悟さんと違い、インベリアにはいきません……残念


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話 竜王国の救世主

この話を含めて三話分書き溜めがあるので、誤字脱字のチェックをしながら二、三日ごとに投稿します
それが尽きたら後は一週間に一度の投稿になる予定です


 さほど広くはないが、豪華な装飾に彩られた部屋の中にただ一つだけ置かれた玉座。

 本来そこに座っているべき人物は、腕を組みながら落ち着きなく部屋の中を歩き回っている。

 彼女こそ、この竜王国を治める女王たる黒鱗の竜王(ブラックスケイル・ドラゴンロード)、ドラウディロン・オーリウクルスその人だ。

 一国の君主たる者、もっと落ち着き払って堂々としているべきなのは、本人も理解していたがそれでも止められない。

 あるいはここ最近、作戦に参加する者たちへの激励として、本来の姿ではなく保護欲を唆る──宰相いわく──形態をしていたせいで、精神が外見に引っ張られたのかも知れない。

 

 とはいえ今日は謁見予定者もなく、現在この部屋には自分一人だけなのだから問題ないだろう。

 仮に誰か入って来るにしても、まさか女王の謁見の間に無断で入る者もいない。ノックか何かあるだろうから、それが聞こえるまではこのままで良い。

 自分にそう言い聞かせる。

 そもそもこんな時に落ち着いてなどいられるはずがない。

 何しろ現在竜王国は近隣にあるビーストマンの国から、今までにないほどの大軍を用いた侵攻にさらされているのだから。

 既に三つの都市が落とされた。

 竜王国の軍だけでは手が足りず、冒険者を多数動員することでなんとか押さえているが侵攻軍の勢いは止まらず、先日最後の希望を賭けて、敵の頭を潰すための選抜部隊を結成して、占拠された都市に送り込んだ。

 今はその結果を待っているところだ。

 

「くそ。法国が手を貸してくれれば、もう少しマシな作戦が取れたものを」

 

 思わず口から不満が漏れ出る。

 竜王国はこれまで軍事費の圧迫により国が破綻することを危惧し、国の防衛力を他国に依存して来た。

 その危険性は彼女自身よく理解していたが、他に選択肢が無かったのだ。

 それでも毎年少なくない金額を寄進していたこともあって、法国はそれに応えて、侵攻がある度に竜王国を救う戦力を内密に貸し出してくれていた。

 

 しかし、今回に限って法国からの救援は無かった。

 法国に存在する特殊工作部隊六色聖典。その中でも最強と唄われる漆黒聖典とまではいかずとも、例年貸し出してくれていた、多数の敵を一度に相手取ることに関しては他に類を見ない部隊、陽光聖典さえいれば都市が三つも陥落することも無かっただろうし、今回の選抜部隊による強襲の成功率も上がったはずだ。

 だが、その陽光聖典すらいないことで、今回は自国唯一のアダマンタイト級冒険者と、腕の立つワーカーを中心とした部隊で作戦を立てるしか無くなった。

 

「無い物ねだりをしても仕方ないか。頼むぞ、閃烈」

 

 法国への抗議は後で考えることにして、ドラウディロンは手を重ねて祈りを捧げる。

 人類の守護者と唄われるアダマンタイト級冒険者チーム、クリスタル・ティアのリーダーにして閃烈の二つ名で呼ばれている男、セラブレイト。

 間違いなく竜王国最強の存在である英雄だが、正直ドラウディロンは彼のことが好きではない。

 何しろ彼はその能力こそ確かだが、常日頃から保護欲を刺激するためのこの幼い姿に、はっきりとした欲情を込めた視線を送り、宰相からもロリコンだと断言されている男なのだ。

 しかし、今はそんなことは言っていられない。

 

「もし奴が成功させたのなら──」

 

 人知れず決意を固める。

 以前より、いつかは褒美としてその欲望を満たしてやらなくてはならないと感じていたのだが、この勝算の薄い作戦を成功させたのならば、その時こそ覚悟を決める時だ。

 これこそまさしく、国家の存亡を賭けた重要な作戦だ。その程度の褒美は出さなくてはならない。

 

 そう理解しているがやはり感情は別であり、深呼吸を繰り返して自分を落ち着かせていると、何の前ぶれもなく扉が開いた。

 

「陛下!」 

 

「ひゃっ!」

 

 驚いて無様な悲鳴を上げてしまった事を誤魔化すように、見慣れた宰相に向け文句を口にする。

 

「ノックをしろ、ノックを!」

 

 憤慨するドラウディロンだったが、汗をかいて肩で呼吸をする宰相の姿に、作戦に関する報告を持ってきたのだと察して、思わず唾を飲んだ。

 作戦開始からは既に二日ほど経っている。

 情報の伝達にはそれほど時間が掛かる──伝言(メッセージ)などは信用性が低いため、他の手段も用いて情報を精査する必要がある──のだ。

 しかし作戦の進行状況によっては、もういつ報告が入ってもおかしくはない状況だったのだが、それを宰相自ら持ってくるとは思わなかった。

 これはよほど重大な報告に違いない。

 もしかしたら、作戦の結果が既に出たのかも知れない。

 そして、隠密行動によって敵陣内部まで移動して強襲するという作戦の性質上、これほど早く達成できるとも思えない。

 となれば──

 

「失敗、したのか?」

 

 早々に潜入が見つかり、ビーストマンの大軍に襲われ、精鋭部隊は全滅した。

 そう考えるのが一番自然だ。

 目の前が真っ暗になりそうな己を律し、ドラウディロンは宰相の呼吸が整うのを待つ。

 失敗したならしたで、急いで次の行動に出なくてはならない。

 次なる策は生き残りを全て首都に集め、相手の兵糧が切れるのを待つか、その間に改めて今度は法国だけではなく、帝国や都市国家連合なども含めた他国に救援を求めるというものだが、その場合、先にこちらの食糧問題の方が悪化することが予想されている下策だ。

 そうなったら、己のみが使える最終手段である、始原の魔法を使用することも考えなくてはならなくなる。

 たった一発放つだけで、百万を超える民の魂を犠牲にしなくてはならないその手段を取ってしまったら、それこそ国の滅亡を後押しする結果になりかねない。

 どちらにしても地獄しか待っていない未来がドラウディロンの脳裏に浮かび上がり──

 

「せ、成功です! 作戦が、成功しました!」

 

 宰相の叫ぶような報告によって掻き消えた。

 

「え?」

 

 思わず間の抜けた声が出る。

 

「複数の部族をまとめていたと思われる敵の本陣に潜入し、ビーストマンの総大将を打ち倒したとのこと。またその際に本陣を守っていた主力部隊も打ち倒したことで、敵の陣営は大混乱に陥りました。占拠されていた三つの都市も全て解放され、残ったビーストマンの軍勢が撤退するのも時間の問題とのことです」

 

「待て待て待て待て! 何故そうなる? 百歩譲って敵の総大将と本陣を落とすまでは良いとして、こんな短期間で占拠された都市の解放とか、絶対無理だろう!?」

 

 如何に人類の守護者と唄われるアダマンタイト級冒険者とはいえ、それぞれ距離があり別部族によって支配されているため、情報の共有もできないはずの三都市全てを、これほどの短期間で解放するなど、それはもはや人間業ではない。

 自分の曾祖父である、真なる竜王クラスの強さと移動速度でもなければ不可能な芸当だ。

 まさか今更曾祖父が力を貸してくれたとも考えられない。

 

「事実です。どうやったかはまだ不明ですが、殆ど同時に三つの都市を制圧、勿論都市に捕らわれていた人質などの犠牲はそれなりに出たようですが、解放されたのは間違いないと。複数の伝達手段によって情報が集まっています」

 

「あのロリコン、そんなに強かったのか。それともこれが欲望の力か」

 

 全身を包み込む歓喜とは別種の寒気が背筋を貫いた。

 覚悟はしていたが、これでセラブレイトは正しく救国の英雄。

 先ほどの予想が現実のものとなることが確定してしまった。

 

「いえ、どうやら作戦を成功させたのは彼ではないようです」

 

「なんだと? しかし、今回の作戦のリーダーはあいつだろう? トドメを刺したのは別ということか?」

 

「……こちらはまだ確定した情報ではないですが、クリスタル・ティアは最初の本陣突入の際に敵の主力部隊の手によって壊滅し、その後の作戦は同行したもう一チームが中心となって動いたそうです」

 

「もう一チームだと?」

 

 竜王国唯一のアダマンタイト級冒険者チームの壊滅という一大事より、そちらの方が重要だと判断し、ドラウディロンは眉を持ち上げる。

 今回の作戦では秘密裏に動く必要があり、また前線での冒険者たちのまとめ役も必要だったため、クリスタル・ティアの同行者には他の高位冒険者ではなく、ワーカーチームを使ったはずだ。

 

「確か爆炎紅蓮は雇えなかったんだよな?」

 

 竜王国に存在する最強の冒険者チームはクリスタル・ティアだが、ワーカーチームは爆炎紅蓮だ。

 その中でも特に真紅の異名を持つ剣士オプティクスは、セラブレイトにも匹敵する実力者。

 しかし、冒険者と異なり高額な報酬を支払わなくては雇うことができないオプティクスはフルで雇うことができず、今までは危険な任務の際のみ一時的に雇っていたのだが、今回の作戦は事前に断られていた。

 

「はい。危険すぎるのでいくら金を積まれても断ると」

 

「そうだったな」

 

 セラブレイトとオプティクス。竜王国の個としては間違いなくこの二人が最高戦力であり、その二人が揃って初めて僅かな勝機が見いだせることを前提に立てられた作戦だった。

 そのオプティクスを欠いた状況では作戦の成功率も低く、そのためドラウディロンはいざという時でも兵たちに動揺する姿を見せないように、護衛を下げさせて一人で待機していたのだ。

 そして、その代わりを務めたのもワーカーだ。

 竜王国の危機を良い稼ぎ場だと考えたのか、ワーカーであることを差し引いても高額すぎる金額をふっかけてきた金にガメツい者たちだったと聞いた記憶がある。

 しかし、腕が立つことは確かであり、爆炎紅蓮が降りたことで他のワーカーたちが尻込みしている現状では他に選択肢はなく、最悪盾代わりにはなるだろうと考えて契約を結んだ。

 場合によっては、命を大事にして直前で逃げ出す可能性すら考えていたそのチームが、作戦成功の立役者になるとは思いもしなかった。

 だが、そうなったのならば、それ相応の対応を取らなくてはならない。

 ドラウディロンは必死に頭を回転させて考える。

 

「そのチームを急いでもてなし、いや救国の英雄として国を挙げて盛大な出迎えをした方がいいか?」

 

 金のためなら時に法律さえ侵すワーカーを英雄として迎えるのは、国家としてはあまり誉められたことではないが、そうした扱いに慣れていないワーカーだからこそ、気分も良くなるだろう。

 そうして救国の英雄として繋がりを持っていれば、今後も竜王国を拠点として活動してくれるかも知れない。

 クリスタル・ティアが壊滅した現状では、そのチームを何としても竜王国に留めておきたい。

 

「ええ。それが良いでしょう。詳しい情報を集めつつ、準備も同時に進めておきます」

 

「──ところで。今更なんだが、そのワーカーチーム。なんて名前だった?」

 

 先ほどからずっと思い出そうとしていたのだが、どうしても名前が出てこなかった。

 本来為政者として、一度顔を合わせた者や名前を聞いた者を忘れることなど無いはずなので、そもそもまともに聞いていなかったのかも知れない。

 そんなドラウディロンに、宰相は眉を顰め彼女を責めるような冷たい視線を向けた。

 

「し、仕方ないだろう。クリスタル・ティアが本命だったんだから……」

 

「それでは困ります。陛下には彼らがここに戻るまでの間に情報をたたき込んで貰います。もっともまだこの地に来たばかりでさほど情報があるわけではないので、そちらも今から集めますが、とりあえず彼らのチーム名とそれぞれの名前だけは覚えて下さい」

 

「無論だ。女王として一度聞いた名前は忘れぬ」

 

 ドラウディロンの言葉に、どの口が。とでも言いたげに鼻を鳴らしてから、宰相は改めて口を開いた。

 

「チームの名は漆黒、リーダーはモモンと呼ばれる戦士です」

 

 

 ・

  

 

 占拠された都市の城壁に、多数の亜人が群がっている。

 自分たちは陽動の役割もあるため、隠れることなく封鎖された都市の入り口に向かって歩いていると、こちらを発見した物見が慌てた様子で指示を出し、同時に一部の亜人がその場を離れていった。

 特に気にすることなくそのまま進み、頑丈そうな門の正面に立つと、いつの間にか城壁の上に離れていた亜人が戻っており、その手にはやせ細った人間の子供が捕らえられていた。

 この場から離れなければ人質を殺す。こちらに向けてそう喚いている亜人はビーストマン。

 二足歩行のライオンや虎に似た種族であり、成人すれば人間の十倍の力を持ち、肉食であることも合わせて弱小種族である人間にとっては天敵とも呼べる種族だった。

 こうして人間の子供を人質に取るあたり、人間の生態にも詳しそうだ。

 

「本陣を攻めていたアイツらは、どうなった?」

 

「……連絡が途絶えたそうです。如何なさいますか?」

 

「人類の英雄といってもそんなものか、まあ仕方ない。ならば後はこちらの判断で動こう」

 

 鼻を鳴らすような真似をしつつも、正直ほっとした。

 これで動きやすくなり、ついでに功績も独り占めできる。

 今後の作戦もやりやすくなったと考えるべきだ。

 

「何をごちゃごちゃと言っている! さっさと下がれ!」

 

 ビーストマンの咆哮が響きわたり、漆黒の鎧に身を包んだモモンガは思考を中断して、今度はため息の真似事をする。

 

「たった二人を相手に随分と慎重なことだな」

 

 さほど大きな声を出したつもりもなかったが、ビーストマンはその声に反応する。

 腕力だけではなく聴力も人間以上なのだろう。

 

「ふざけるな! 聞いているぞ。お前たちが奇妙な魔法を使って近くの収容所を襲撃したとな。だがこうされては手も足も出まい?」

 

 人間はこの手の手段に弱いからな。とビーストマンが続けて叫ぶ。

 今まで前線に出ていたのは国の軍隊だ。国属の兵士なら確かに国民の、それも子供が人質に取られたのならば、躊躇したかもしれない。

 しかし、その脅しは彼らにとっては全く無意味な物だった。

 

「とりあえず私が門を突破する。奴らが失敗したということは、内側のビーストマンは既に戦闘態勢に入っているだろうからお前は魔法で蹴散らせ」

 

 ビーストマンを無視して、隣に立つナーベラルに今後の作戦を伝える。

 先ほどの件からして、この会話も聞かれているだろうが、聞かれたところで問題はない。

 

「承知いたしました。捕らわれた下等生物(ヤブカ)どもは如何致しますか?」

 

 確認を取るナーベラルに対し、モモンガは改めてビーストマンに目を向けてから小さく鼻を鳴らし、背中に差した巨大なグレートソードの柄を握りしめる。

 

「お、おい! 待て、聞いているのか。こいつを殺──」

 

 人質を抱いたビーストマンがさらに大きな声で喚き出したが、これ以上聞く必要はない。

 背中に回ったナーベラルが剣から鞘を抜き取った後、剣を構えたモモンガは狙いを定め、その大きさに見合う質量を持ったグレートソードを人外の膂力を以て投げつける。

 恐るべき速度で放たれた剣は、狙い通りの場所に命中した。

 いくらビーストマンが人間の十倍の力を持っていようと、この威力の剣を受け止めることなど出来るはずもない。

 ビーストマンは最後まで言葉を言い切ることなく、モモンガが投げつけた剣によって腹を突かれ絶命した。当然、盾として抱き抱えていた人質もろともだ。

 貫いた剣はそれでも止まることなく、基地内に消えていく。

 

「関係ない。それは依頼の内には入っていないからな」

 

 ナーベラルと、そして既に死んでしまったがビーストマンの両方に対して答える。

 実力だけではなく、振る舞いや名声によって等級が決まる冒険者ならばそれなりの対応が必要になるが、自分たちは冒険者として登録していないワーカーだ。人質の生死を気にする必要はない。何よりそんなことをしては中にいる他のビーストマンたちに人質が有効だと示すことになり、任務達成の難易度が上がってしまう。

 安全を第一に考えなくてはならない今、それは困るのだ。

 

「承知いたしました。モモンガ様」

 

「……ナーベ、モモンだ」

 

 この仕事を始めて数ヶ月経っているが、呼び方に関してはもう何度訂正したか覚えていない。

 今のところ人前で口にしたことは無いから、あまり煩く言いたくはないが、危険性を考えるとその呼び方を許すわけにもいかない。

 

「も、申し訳ございません。モモンさ──ん」

 

 名前を訂正した直後、今度は様と呼びかけて、無理やりさん付けに戻すナーベラル。二度続けて失敗したことで、叱られた子供のように身を竦める彼女に、モモンガは気まずさを覚える。

 

(まあ、いきなり名前と態度を変えろっていうのも無理な話か。何しろ百年間もそのままだったしな。うーむ。何かいい方法は無いだろうか……)

 

 そこまで考えてから、余計なことを考えていることに気づき、モモンガは心の中で慌てて首を振って、気を取り直す。

 それに関しては後で考えよう。今は作戦に集中するべきだ。

 

「行くぞ」

 

「はっ!」

 

 新たに上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)の魔法で剣を造りだし、今度は門に向かって投げつけて戦闘開始の合図とする。

 同時にナーベラルが門に近づいていき、モモンガは討ち漏らしを狙うべく、その後に付いて走り出した。

 

 

「──こんなものか。少し慎重になりすぎていたな」

 

 数多のビーストマンの死体の山を前に、モモンガは小さく鼻を鳴らす。

 どのビーストマンもレベルで言えば十程度、本陣に居た強い個体でも二十程度の者しかいなかった。

 そのため途中から戦いではなく、狩りに近いものになっていた。

 この程度の相手に作戦を立て、一日の回数制限があるアンデッド作成の特殊技術(スキル)を使用した上、透明化まで掛けて伏兵を配置するという、慎重な方法を採る必要はなかったかも知れない。

 そう考えてからモモンガは直ぐにいや、と頭を振って否定する。安全第一と言ったのは自分ではないか。

 

(この世界のモンスターは個体ごとに強さにばらつきがある、それに俺の知らない魔法や武技もあるんだ。慎重に行動するに越したことはない。何しろこっちには復活手段が無いんだからな)

 

 この世界にも復活魔法が存在するのは知っているが──第五位階の死者復活(レイズデッド)すらかなり高位魔法扱いらしいが──彼女たちは普通の生物ではなく、NPCだ。

 ユグドラシルでは死亡した拠点NPCは魔法ではなくユグドラシル金貨を用いて、拠点でのみ復活させることが出来る。

 この世界ではそのルールが変更されて、普通に魔法で復活出来るかも知れないが、当然ながら実験出来ることではないため、その時がくるまで分からない。

 だからこそ、モモンガは慎重に慎重を重ねて行動する。

 

(むしろ、ワーカーになる前にもっと情報を集めておくべきだったか。戦いは始まる前に終わっている、ですよね。ぷにっと萌えさん)

 

 遙か昔、自分の過ごしてきた時間から考えれば、彼らと過ごした時間はほんの僅かな間でしかない。けれどそれ以降一人として友人を作らなかった自分からすれば、ギルドメンバーたちは今でも大切な友である。

 その中の一人が自分に教えてくれた言葉を思い出した。

 行動を起こした決断に今更後悔はないが、だからこそどんな場合でも慎重に、安全を重視しなくてはならないのだ。

 

「モモンさん。確認は終わったぜ。殆どのビーストマンは戦うこともなく逃げ出したみたいだな。ついでに生き残った奴らを集めといたけど、どうする?」

 

 唐突にモモンガの背後に突然声が掛かる。

 振り返ると声は綺麗だが粗暴な口調の女が、後ろに集められた人間たちを指しながら近づいていた。

 動きやすそうな軽装と長い金色の髪をひとまとめにしたポニーテイル。普段と異なる髪型と覇気を感じない気だるげな態度も合わさり、正体を知っているモモンガですら一瞬戸惑ってしまうほどだ。

 

「ソリュ──ソーイ。モモンさんに対してその口の利き方は無いでしょう」

 

「あん? 生まれつきの性格なんてそうそう変えられるかよ。モモンさんだって気にすること無いって言ってただろうが」

 

 不満げに眉を持ち上げて話す様は、とても演技には見えない。

 

(やはり、ソリュシャンは優秀だな)

 

 とはいえ、これは彼女自身の生まれ持った優秀さだけではなく、経験と努力の成果としてみるべきだ。

 モモンガの護衛として常に傍に付いているナーベラルと異なり、情報収集や依頼人との交渉も含めて複数の人間と接することのあるソリュシャンの方が演技が上手くなるのはある意味当然である。

 そして彼女たちにとって、そうして人間に擬態して演技することそのものがどれほど苦痛になっているかも、分かっている。

 それでも彼女たちは不平不満を漏らすこともなく、モモンガの指示に従って行動してくれている。

 それは単純に、二人がモモンガのことを絶対的支配者だと認識していることもあるが、モモンガはそれだけではないことも知っていた。

 

(早く見つけてやらないとな)

 

 じゃれ合いのような言い争いを続ける二人を前に、モモンガは兜の中で眼光を細める。

 僅かとはいえ死の危険もあるこの仕事を始めようとモモンガが決断したのは、この二人の願いを叶えてやるためなのだから。

 

「あ、アンタたち──」

 

 震えた声に反応し二人がピタリと喧嘩を止めて声の方を向き、さりげなくモモンガを守るように移動する。

 こちらを窺っていた生き残りの人間の代表といったところだろう。

 

「冒険者、なのか?」

 

 ソリュシャンはまだ詳しい説明をしていないらしく、恐る恐ると言った様子で話しかけてくる中年男に、モモンガは一歩前に出ると首を横に振った。

 

「いや。私たちは冒険者ではなくワーカーだ」

 

 そう告げた途端、中年男と後ろの生き残りも緊張したように身を固くする。

 

(なにをそんなに)

 

「で、では報酬は……」

 

 震える声で言われてようやく理解する。

 冒険者と異なりワーカーは依頼額も高く、なにより組合などに属していないため、ルールなども存在せず、粗暴で横柄な態度を取る者も多い。

 例え命を救ってくれた恩人だとしても──人質を無視したやり口なども併せて──モモンガたちもそうしたならず者のワーカーにしか見えず、いったいどれだけの報酬を取られるか分かったものではないと考えたのだろう。

 加えて住民たちはモモンガたちの実力の一端を目にしている以上、反発することもできず、どれほどの報酬でも言われるがまま従わなくてはならない。

 そう考えているに違いない。

 

「安心しろよ。本来なら全財産毟り取ってやるところだが、今のあたしらは国に雇われてる。ここで下手なことすると、契約違反でそっちが無くなるからな。お前らからは取らねえよ」

 

 モモンガの代わりに、交渉役のソリュシャンが応える。

 

「あ、ありがとうございます。皆様は命の恩人です。皆を代表してお礼を申し上げます!」

 

 国に雇われたと聞いて、露骨に安堵する表情を隠すように中年男は深々と頭を下げた。

 それを目端で捉えたまま、モモンガは視線をちらりと奥の人だかりへと向ける。

 そこには頭を下げる代表者同様、こちらに感謝と生き残れたことへの安堵を示す者がほとんどだったが、中には剣呑な視線を向けてくる者も居た。

 きっと犠牲になった人質か、あるいは今日までの間にビーストマンに殺された者の家族だろう。

 要するに、何故もっと早く助けにこなかったのか。それだけの力がありながら、何故人質を見殺しにしたのか。

 そう言いたいのだ。

 

(そうしなければもっと多くの被害が出た。と説明しても無駄だろうな。これから先、名声を集める場合は、その辺りにも気を配る必要があるな)

 

 今回は依頼の達成と安全第一ということで、多少被害が出ると分かった上で効率的な方法を選んだが、広く情報を集める為には名声も必要になるかも知れない。

 今後はその辺りも考えることにしよう。

 

「お気になさらず。これも仕事です。顔を上げてください」

 

 未だ頭を下げ続ける男に目を戻し、モモンガは今更ながら、なるべく穏やかでそれで居て威厳を込めた話し方に切り替え、男に声を掛けた。

 突然の行動に、ナーベラルとソリュシャンが驚いているような気配を感じたが、今は気づかない振りをする。

 

 絶対的支配者であるモモンガが、人間相手に下手に出たことを驚いているのだろうが関係ない。

 自分たちの目的であるナザリック地下大墳墓。そしてそこに居るであろう他のNPCを探す為ならば、モモンガはどんなことでもすると誓ったのだから。




時系列としてはドラウディロンの話が後になります
モモンさんたちが一つ目の都市開放後、転移で移動してもう伏兵として隠す必要もないだろうとデスナイトやソウルイーターも使ってさっさと他の二都市も開放して回りましたが、情報の精査や伝達に時間が掛かり、全てが終わってからドラウディロンの元に届いたので、彼女が驚いている時には既にモモンさんたちは仕事を終えて一休みしています


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 ナザリックの現状

ナザリック側の話
書籍版と異なり、マーレによるナザリック隠蔽は為されていません


「なん、だ。これは」

 

 スレイン法国特殊工作部隊、六色聖典の一つである陽光聖典、その隊長ニグン・グリッド・ルーインは最高執行機関より下された王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ抹殺の任を受け、秘密裏に王国内に潜入していた。

 潜入後、ガゼフをおびき出す罠として、帝国兵に偽装させた者たちを使用して、国境沿いの幾つかの村を焼き払った。

 予定では、一つ前の村で戦士団もろともガゼフを討つつもりだったのだが、ガゼフたちが思った以上に早く移動を開始したことで取り逃がしてしまった。

 そのため、次の目的地であるトブの大森林に隣接する形で作られた開拓村に兵を派遣する前に、今度こそ獲物を檻から逃がさないため、また、万が一逃げ出されても追い込むことができるように、周辺の状況も確認しておく必要があると考えて、事前に周囲を探索していた時、それは見つかった。

 

 なにもない平原に現れた円形の壁を持つ、巨大な建築物。

 トブの大森林も近い危険なこの場所に、人間がこれほどの建築物を造れるはずがない──現在国力が著しく疲弊している王国では尚更──だとすれば、考えられるのはトブの大森林に生息する亜人の仕業ということになるが。

 

「いや、ありえんな。あれほどの拠点を亜人どもが作れるはずがない」

 

 手先が器用な亜人も存在してはいるが、法国が把握しているトブの大森林に生息している亜人の中に、これほど巨大で強固な壁を建設できる技術力を持った種族は居ない。

 

「となると、闇妖精(ダークエルフ)ではないでしょうか? 確か、トブの大森林に住んでいたと聞いています」

 

 隊員の言葉に、ニグンは間を置かず首を横に振る。

 

「いや、闇妖精(ダークエルフ)はこうした人工的な建物は好まない。そもそも既にエイヴァーシャーの奥地に移動したはずだ……まさか」

 

 口にしながら、一つ思いつく。

 亜人の村や集落を殲滅する事を得意とし、隠密行動や野外での活動に適さない自分たち陽光聖典が、今回のような暗殺任務に駆り出されることになったのは、本来そうした任務を請け負うべき漆黒聖典が別の任務、真なる神器ケイ・セケ・コゥクの警護に当たっていたからだ。

 その神器を用いて、破滅の竜王を法国の手駒とすることこそ、今の漆黒聖典の任務なのだ。

 復活までにはまだ時間があるとされているが、これがその破滅の竜王復活に何か関係しているのではないだろうか。

 

(となるとこれは竜王の住処。あるいは復活をもくろむ何者かの拠点の可能性もある、か)

 

「隊長。何か心当たりでもあるのですか?」

 

 部下の言葉にニグンは一瞬考える。

 破滅の竜王復活の報は極秘扱いであり、部下にも伝えることは許されていない。

 しかしこれだけの異常事態、先ずは隊の中で情報を共有するべきかもしれない。

 

(いや、駄目だ。情報が足りていない状況で神官長の命に背くことはできん)

 

 よほどの緊急事態ならばともかく、まだこの建造物の正体も目的も分からない今、勝手な行動を採るべきではないと判断し、再度首を横に振った。

 

「……いや、どちらにせよ憶測でものを言うべきではない。先ずは最低限の情報収集だけは済ませた方が良いな」

 

 神官長に報告をするのはその後で良い。

 本国と連絡を取るにはエ・ランテルまで向かい、そこに入り込んでいる法国の間者と接触するしかないのだ。

 そんなことをすれば、ガゼフを放置することになる。

 そうしているうちに囮として使っている者たちが捕らえられ、帝国兵に偽装した法国の者だと気づかれたら、王国のみならず、帝国からも抗議を受けて国際問題に発展してしまう。

 破滅の竜王も危険だが、自分たちの本命はあくまでガゼフの抹殺任務。

 王国の至宝と呼ばれる装備を纏わず、少ない兵だけで行動している──本国が王国貴族に働きかけてそうしたらしいが──今を逃せば、暗殺の好機はもう巡ってこない。

 だからこそ、先ずは情報を集め、優先順位を決めておく必要がある。

 

「し、しかし。危険ではないでしょうか?」

 

 部下の表情は暗い。

 ただでさえ、周辺諸国最強の戦士であるガゼフ抹殺という危険任務に加え、慣れない隠密行動や野外活動のせいで疲弊している状況で、得体の知れない場所の調査任務は避けたいというのが本音に違いない。

 

「心配するな。中にいるのがどんな亜人や魔獣だろうと、我々の敵ではない。こちらには切り札もある」

 

 自らの懐を上から押さえる。

 ここにあるのは六大神が法国に残した秘宝の一つ。魔神すら打ち倒した最高位天使を召喚するアイテムだ。

 本来はガゼフ抹殺の為の切り札だが、もし本当に破滅の竜王の住処であり、なおかつ自分たちが捕捉されたとしても、これを使えば互角以上の戦いができるに違いない。

 そう考えたからこそ、ニグンは調査を決断したのだ。

 

「そ、そうですね。それなら──」

 

「『その場から動くな』」

 

 突如、静かな言葉が背後から聞こえ、同時にニグンの体がピクリとも動かなくなる。

 

(なんだ。これは、一体なにが!)

 

 全身に力を入れようとしても全く力が入らない。むしろ今の姿勢を維持するために、体が勝手に全力を尽くしているかのようだ。

 

「なるほど。この程度でしたか。準備を整える必要はありませんでしたね」

 

 穏やかな、それでいて背筋に怖気が走るような冷たさも持った声に聞き覚えはない。

 しかし自分の中に、もう一つの他人の命令を聞くための器官が生まれ、それに従っているかのようなこの感覚には覚えがある。

 

(精神支配系の魔法か。くそ、この装備でなければ──)

 

 戦士であり魔法の使えないガゼフを相手に想定していたため、今回は物理防御に重点を置いた装備にしていたのだが、それが裏目に出た。

 相手が亜人の場合は物理防御ではなく、精神攻撃などに対する耐性を上げる装備に重点を置く。

 亜人の中には種族独自の特殊能力により、声を使って相手を操る者も存在しているからだ。

 しかし、それも本来は弱い者にしか効かず、自分のような強者には通じないか、効果が弱まり、そうした方が良い。と思う程度の誘惑を感じるだけのはずだ。

 これほどの強制力を発揮することなどありえない。

 

「どうやらあなた方は、この世界について詳しそうですね、実に都合が良い。色々と教えていただきましょう」

 

 そんなことを言いながら、声の主が移動を始め、ニグンの視界に入ってくる。

 南方から時折入ってくる、スーツと呼ばれる衣装に似た服を身に纏った細身の男が立っていた。

 姿形は人間に近いが、長く伸びた耳とゆらゆらと動く長い尻尾で、その正体を理解する。

 

(悪魔だと? なんと言うことだ。これほど強力な悪魔がこんな場所に基地を造るとは。なんとかこのことを本国に伝えなくては)

 

 自分ですら抗えないと言うことは、隊の誰であっても同じだろう。

 そして隊員は現在この場に全員集まっている。

 別の場所に伏兵を配置しておくべきだったかと思うが後の祭りだ。

 隠密任務に慣れていなかったことが、ここにきて徒となった。

 

(せめて、これが使えれば)

 

 懐にある秘宝。

 それさえ発動できれば、必ず勝てる。

 今はその隙を待つしかない。

 しかし、そんなニグンの心を読んだかのように、悪魔はさも今思い出したとばかりにニグンに告げた。

 

「ああ。そう言えば、先ほど何か言っていましたね。切り札がどうとか──」

 

 悪魔が笑みを形作る。

 動くなと命じられていなければ、ニグンの顔は絶望に歪んでいたことだろう。

 

「『何も言わず懐の中にある物を渡したまえ』」

 

 ゆっくりと手が差し出され、ニグンは言われるがまま、懐から法国の秘宝である魔封じの水晶を差し出した。

 何も言わずと付け加えられることで、手にした瞬間、魔法を発動させることもできない。

 水晶を受け取った悪魔は、それを興味深そうに眺めている。

 抵抗もできず、話すことすら禁じられては命乞いすら出来はしない。

 相手は悪魔、このままでは間違いなく殺される。

 

(何故、こんなことに──)

 

 国のため、人類のため、誰よりも神の教えを忠実に守り、努力してきた自負があった。

 その自分がこんな目に遭わなくてはならないとは。

 

(これもまた我々人類に対する試練だというのですか? だとしたら、これは、これはあまりに酷い!)

 

 神に選ばれた種族でありながら、異種族よりも肉体的にも精神的にも弱い人間は、だからこそ団結が必要だ。

 けれど各国は団結することなくそれぞれが問題を抱えている。

 

 肥沃な大地で新たな英雄を生み出すはずだった王国は内部から腐り果て、帝国はそんな王国を狙って戦争を起こした。

 竜王国ではビーストマンの大群が現れ、聖王国はアベリオン丘陵に住む亜人たちと未だ果ての見えない戦いを強いられている。

 法国ですら、裏切り者の森妖精(エルフ)との戦争や、人間国家の存在しない南方からの侵略をくい止め続けることで精一杯だ。

 これが人類の現状。

 それも全ては神の試練だと考え、必死に任務をこなしてきた自分が、こんな誰も知らない場所で任務を遂行することすらできず、無様に死ななくてはならないとは。

 こんな理不尽が許されるはずがない。

 

(神よ。私たちを、いいや! 私だけでもお助けください!)

 

 ニグンは信仰し続けてきた神に対し、心の中で必死になって訴える。

 

「さて、それでは行きましょうか。貴方は隊長らしいですから、じっくりとお話を伺いたい」

 

 そんなニグンの願いを嘲るように悪魔は笑い、改めて命を下した。

 

「『全員、大人しく私についてきなさい』」

 

 今までピクリとも動かなかった足が動き出す。

 地獄に自らの足で向かっていく恐怖。

 巨大な壁の向こうには一体何があるというのか。

 どちらにせよ、ニグンを始めとした陽光聖典の者たちに、神の加護が降り注がないことだけは確かだった。

 

 

 ・

 

 

「つまり、そのスレイン法国というのが、この周辺諸国で最も強大な力を持った国ということね」

 

「はい。南方にはより強力な亜人国家が存在しているようですが、法国の働きにより人間の住処であるこちらまでは攻め込んで来ていないようです」

 

 同格の守護者ではなく、役職上の上役である守護者統括に敬意を払った態度でデミウルゴスが告げる。

 ここは第九階層に存在する会議室。

 本来の居場所である玉座の間への立ち入りを禁止されたことで、アルベドはこの場所を仮の職場として、ここから各階層守護者や配下のシモベたちへの指示を出していた。

 アルベドは守護者統括として、ナザリック全体を確認できる管理システムを操作することが許されているのだが、そのシステムの起動は玉座の間でしかできないらしく、現在ナザリックの運営管理は直接現場で行う必要があったからだ。

 各階層から集まった大量の情報をデミウルゴスが一度纏めて、精査した上でアルベドに提出し、それらをアルベドが確認した上で改めて守護者に連絡して対処する。

 現在はそうした非効率的な方法を取らなくてはならない状況であり、そのために広いスペースが必要となったため、この部屋を使用することにしたのだ。 

 そんな中、デミウルゴスが捕らえてきた現地の人間から収集した情報に目を通し、アルベドは僅かに思案する。

 

「しかしながら、彼らには支配(ドミネイト)魅了(チャーム)などの特定条件下で三回質問に答えると死亡するという対処がなされているらしく、詳しい情報は集まっていません」

 

「どちらにせよ、周辺国家でも有数の実力者であっても私たちの敵ではないのはほぼ確実ね」

 

「ええ。彼らが言うところの英雄と呼ばれる伝説的な存在であってもレベルで換算すれば、せいぜい三十程度。我々の敵にはなり得ません」

 

 それだけならば世界征服もそう難しいことではないが、デミウルゴスはまだ何か続けたそうな表情をしている。

 無言で続きを促すと、デミウルゴスは僅かに声を落とす。

 

「ただ、竜王や魔神、最高位天使や神人など、彼らからすれば桁違い過ぎて力を計ることのできない強者も存在しているとのことです。そちらに対する警戒は必要でしょうね」

 

「確かに。そうした強者の情報はなるべく早く集めたいところね」

 

 ナザリック内の現状把握や管理運営がもう少し進めば、手が空く者たちも増えてくるのだが、今はまだ手が足りない。

 情報収集の為に各所に人員を配置するなどはその後になる。

 

「そうですね。後はナザリック自体の隠蔽も必要かと。ここは遮蔽物のない草原ですので目立ちすぎます。そのせいで彼らにも見つかった訳ですからね」

 

「とはいえ、栄光あるナザリックの壁を土で汚す訳にもいかないわ」

 

 ナザリックを隠蔽するには、マーレが使用できる広範囲魔法によって壁に土を被せ草を生やすことで丘のように見せかけ、上空のみ幻術を展開する。というのが手っ取り早く効果も高い。

 しかし、それは主の許しなくできることではない。

 デミウルゴスもそのことは承知しているようで、少し考えてから提案する。

 

「ナザリックには触れないよう、周辺全体の大地を盛り上げて隠すのが最良でしょうか。その上でナザリック自体は幻術で隠すしかないかと」

 

 視覚を誤魔化すだけの幻術では心許なく、維持に掛かる人手の問題もあるが仕方ない。

 

「そうね。後は隠密行動が得意なシモベを周辺に配置して常に警戒を怠らないようにして」

 

「承知いたしました。それともう一つ、早急に準備を整えなくてはならないことがあります」

 

「何?」

 

「先にも挙げた神人という神の血を覚醒させ、桁違いの実力を持ったものが存在するそうなのですが、その者を含んだ部隊が近々復活を予知されている、破滅の竜王なるものを配下にすべく出陣するそうです」

 

 デミウルゴスの説明を聞いて、すぐに何が言いたいのか理解する。

 

「なるほど。その破滅の竜王も含めて、強さが不明な強者の力を見るには絶好の機会ということね。うまく行けばそれらも捕らえることができると」

 

「ええ。何より法国は少数の最高執行機関のみで国の運営を行い、それに異を唱えることは誰もできないそうです。加えて秘密主義のため、自分たちが崇拝する神の情報や残された秘宝なども秘匿している」

 

「……つまり、上層部さえ秘密裏に押さえることができれば、法国そのものを私たちの手駒にできる」

 

 宗教によって国が団結し、上層部のみで全てを決定しているとなれば、そこを押さえて洗脳するなり、化けたドッペルゲンガーと入れ替えるなどして、人類のためという名目を掲げさえすれば、国民全体すら自由に動かせるようになる。

 

「その通りです。人手が足りていない現状では、先ずはそこから手を着けるのが最善かと」

 

「いいわ。デミウルゴス。その件は貴方に一任します。私たち守護者の裁量で動かせるシモベやアイテムであれば自由に使って構わないわ」

 

「分かりました。本来はもっと時間を掛けて確実に行うべきですが、今は時間がありませんからね」

 

「そうね」

 

 ツイと視線を床に向ける。

 正確にはその下、現在誰も立ち入ることの許されていない第十階層、玉座の間に居る主に目を向けたのだ。

 デミウルゴスの言うとおり、本来はナザリックの運営が安定し、周辺諸国全体の情報を収集してから動くのが被害も少なく確実なのだが、いつ何時主が自分たちを置いて、この地から離れてしまうとも限らない。

 あまつさえ、あの裏切り者どものところに行ってしまったら。

 そうなった時、アルベド自身どうなるかわからない。

 

 幸い、主は完全に自分たちを拒絶しているわけではなく、アルベドが送る伝言(メッセージ)にも極まれにではあるが応えてくれる。

 大抵は主から何かを確認するかのような質問があるだけで、アルベドが玉座の間から出てきて欲しい、あるいは自分を入室させて欲しい、と懇願する声には応えてくれない。

 だからこそ、今何より優先すべきは一刻も早く結果を出して、主に示すことだ。

 

「デミウルゴス。期待しているわ」

 

「はい。必ずや守護者統括殿の期待に、そしてモモンガ様に認めて頂ける働きをお約束いたします」

 

 一礼しながらデミウルゴスはそう言い残し、颯爽と部屋を後にする。

 残されたアルベドはしばらくの間、名残惜しげに床を眺めていたが、直に感情を切り替えて手元の書類に目を戻した。

 

 

 ・

 

 

「……やっぱり、間違いないな」

 

 玉座に腰掛けた状態でため息の真似事をする。

 彼はユグドラシルのサービス終了と同時に、目を覚ました。

 こう言うのが正しいのかは分からないが、他に言いようがない。

 自分の名前やこれまでの記憶はあるのだが、サービス終了日の行動がいまいち思い出せないのだ。

 断片的な記憶はあるが、それらは現実感の薄い夢のようにぼんやりとしたものばかりである。

 

 しかしそれも今の自分の状況に比べれば些細なことだ。

 何しろ本来は単なるアバターであるはずの、骸骨の体で口が動いて声を発生するようになり、電脳法に規制されている触覚も、生身の体と同じかそれ以上にしっかり感じられ、完全に禁止されているはずの嗅覚までも機能しているのだ。

 これは仮想世界であるはずのゲームが現実にならない限りあり得ない。

 いくつも実験を重ねたことで、それが最も可能性が高いことを理解した。

 

 それ自体は良い。

 いや、それもまた大きな問題ではあるのだが、会社に行き、仕事をして、帰って寝る。

 その合間にユグドラシルに入っていつ仲間たちが戻ってきても良いようにナザリックの維持をしていたが、それももはや必要ない。

 そんな世界に未練はなく、帰還する意味もない。

 だから自分がゲームの中に閉じこめられようと、骸骨の体に成ろうと大した問題では無かった。

 

 今最も重要なことは別にある。

 自分が何者なのかということだ。

 ギルド、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長にして死の支配者であるオーバーロード。

 鈴木悟がアンデッドの魔法使いというロールプレイをしていたことで生まれたアバター、それがモモンガだ。

 それらの記憶はあり、実際に魔法を使うこともできる。

 

 しかし、全てが使えるわけではなかった。

 使えなくなっている魔法がいくつもあり、また仲間たちの承認を得て常に自分が装備していたはずの世界級(ワールド)アイテムも無くなっている。

 それらを単純に仮想世界が現実になった影響と考えることもできたが、別の世界級(ワールド)アイテムである諸王の玉座はそのまま残り、守護者統括のアルベドが装備していた真なる無(ギンヌンガガプ)もそのままだった。

 つまり世界級(ワールド)アイテムだけが、この世界に持ってこられなかったわけではない。

 そして、使えなくなっている魔法に関しても思い当たる節がある。

 

「俺が作ったNPCに覚えさせなかった魔法ばかりだ」

 

 使えなくなった魔法の中で、一番分かりやすいのは超位魔法だ。

 これはプレイヤーだけの特権であり、たとえ百レベルであっても拠点NPCに覚えさせることはできない。

 そして通常の魔法に関しても、モモンガは通常のプレイヤーより遙かに多い、七百個以上の魔法を修得していたが、それは特別な課金アイテムを使ったりイベントをこなしたりしたことで増えたものであり、通常の魔法職であれば一レベルに付き三つ、積み重ねて百レベルで三百の魔法が限界だ。

 コピーとは言ってもそのために、わざわざ課金アイテムなどで修得魔法の限界値を増やすような真似はせず、よく使う魔法を中心に選別し直した。

 結果として半分以上の魔法が使えない死霊系魔法詠唱者(マジック・キャスター)のロールプレイとしても中途半端なNPCができあがったのだ。

 現在使えなくなっている魔法は、その際に不要と判断してコピーNPCに覚えさせなかった魔法ばかりだった。

 

 つまり鈴木悟の意識が宿ったこの体は、元々自分が使っていたアバターではなく、そのコピーとして創ったNPCの可能性が高い。

 プレイヤーですらない、NPCが意志を持つというのはおかしい話だが、自分が意識を回復させた時、傍にいたアルベドが、命を吹き込まれたように会話できたことで、その可能性もあることは理解した。

 混乱する頭を整理するために一度部屋から追い出したアルベドがその後、何度となく伝言(メッセージ)を使ってここから出るように説得してくる中で、彼女だけではなく他の守護者を始めとしたNPCも同じように意志を持ち、自分に絶対の忠誠を誓っていることも分かった。

 

「だけどあれは、俺じゃなくて、ナザリック地下大墳墓の絶対的支配者、モモンガに対してなんだよなぁ」

 

 彼らにとってモモンガとは鈴木悟という人間が操るアバターではなく、それこそ死の支配者であるアンデッドとして存在しているらしく、NPCたちはそのモモンガを始めとした創造主であるギルドメンバーに忠誠を誓っている。

 だからこそ、ここを出ていけない。

 もし、自分が本物のモモンガだったのなら、彼らの忠誠に報いる意味でも、絶対的支配者としての演技をしていただろう。

 

 しかし、自分は本物のモモンガではない。

 これもアルベドの話し方や性格からの推察だが、どうやら創られたNPCには制作者が書き込んだ設定が反映されているらしい。

 ゲームの設定が性格に反映されるというのなら、その設定にモモンガのコピーと記載されている自分が鈴木悟の性格や記憶を持っている理由にも一応説明が付く。

 そして自分がコピーであるのなら、その元となった本物のモモンガもどこかに存在していることになる。

 それはマスターソースのギルドメンバー欄で、モモンガ一人だけがインしている状態になっていることからも間違いない。

 同時にNPC欄にモモンガという、名前すらそのまま同じNPCが載っており、その配置場所が玉座の間と記されていたことから、自分が本物ではない確証にも繋がった。

 

「そう言えば、もう一人のモモンガはどこにいるんだ?」

 

 自分と同じもう一人のNPCであるモモンガの居場所は本物と同じく空欄になっており、これはナザリック内に居ないことを示しているようだ。

 だとすれば一体どこにいるのか。

 

「……いや、それより今は本物の方だ」

 

 思考を切り替え、考える。

 仮に自分がここから出て、モモンガの振りをしたままナザリックの支配者として行動したとして、その後本物のモモンガが見つかった場合、NPCたちはどちらに付くだろう。

 

「本物の方に決まっている」

 

 記憶と性格をコピーしただけで、自分たちと同じ拠点NPCとして創られただけの存在と、彼らにとっては神も同然の絶対的支配者であるモモンガ。どちらを選ぶかなど聞くまでもない。

 その名を騙り、この玉座の間を占拠しているというだけで、すでに殺されても不思議はない蛮行だ。

 本当はすぐにでも外に出て、自分にモモンガの記憶があることを説明した上で、悪気はなかったことを伝えるのが最善だ。

 それは分かっている。

 それでもここを動く勇気が出ない。

 頭の中に浮かぶ強烈な意志に、自分が支配されそうになっているからだ。

 

「これは……アンデッドになったせいなんだろうか」

 

 アンデッドの特性である精神作用無効を再現しているのか、ある程度精神が高ぶると自動的に抑圧されることもあって、今のところ押さえられている。

 この感情もまた、生者を憎むアンデッドの特徴を表しているものなのだろうか。

 

「いや、あれのせいだよな」

 

 力なく首を振る。

 アルベドの設定欄の末尾に書かれた、ちなみにビッチである。という内容を不憫に思った鈴木悟が気まぐれに書き直した、モモンガを愛している。という設定に従い、彼女はモモンガに忠義とは別の愛情を向けている。

 ここから出てくるように懇願する言葉の端々から、それを感じ取ることができた。

 そして、本物のモモンガがアルベドの設定テキストを書き換えた際、彼は同じようにもう一つのNPCの設定テキストにもお遊びで手を加えた。

 

 モモンガのコピー。

 本来はその一文だけだったテキストに加えられたもう一つの言葉を思い出しながら、特殊能力(スキル)絶望のオーラを解放する。

 同時に黒いオーラが全身にまとわりつくように発生した。

 傍に浮かんでいるスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンに手を近づけると、そこから立ち上るオーラのエフェクトも合わさり、さらに威圧感が増す。

 装備やエフェクトも含めて自分でそういうものを選択した。

 徹底して悪のロールプレイを貫いたアインズ・ウール・ゴウンのギルド長として恥ずかしくない姿を目指して創ったアバター。

 しかし、こうして改めて見てみるとこの姿は、アンデッドの魔法詠唱者(マジック・キャスター)どころか──

 

「魔王である」

 

 加えられたテキストの文を思い返しながら、頭に手を置く。

 湧き上がるこの想いは、きっとこの設定文のせいだ。

 そう自分に言い聞かせる。

 

 本来、鈴木悟にとっては大切な友であるギルドメンバーこそが全て。

 だからこそ、彼らとの思い出の地であるこのナザリック地下大墳墓と彼らの忘れ形見であるNPCを守る。

 自分が本物のモモンガならばそのように行動するはずだ。

 だが、今の彼にはそうした思いはない。

 ギルドメンバーを、そして皆で作り上げたこのナザリックのことを思うと、途端に空っぽな胸の中にどす黒い何かが溜まりだすのだ。

 ギルドメンバーなどどうでも良い、このナザリックにも守る価値など見いだせない。

 そんなことを考えてしまいそうになり、直ぐに鎮圧される。

 それを繰り返している。

 

「アルベドたちにはそんな感情を抱かないのが救いだな」

 

 再度ため息の真似事をする。

 何度も伝言(メッセージ)でここから出てくるように懇願するアルベドや、玉座の間手前のソロモンの小さな鍵(レメゲトン)から声をかけてくる他のNPCたちにはそうした黒い感情は抱かない。

 しかし、こんな状態のままNPCの前に出たら、今の自分が彼らにどんな命令を下すのか、分かったものではない。

 そう思うからこそ、ここを出る勇気が出ないのだ。

 

「クククク」

 

 自嘲気味に口から漏れ出た笑い声は、意図していなかったが、まさしく魔王のそれだった。




アルベドがモモンガを愛している。と書かれただけで何故かギルメンを憎んでいるのは、その時の鈴木悟の複雑な内面が反映されたから
という考察がありますが、この話でもそれを採用して、同時に設定を書き加えられたナザリックのモモンガさんにも同じように、ギルメンに対して黒い感情が芽生えました
しかし鈴木悟としての理性と精神鎮圧のおかげでそこまで問題にはなっていません

ちなみにモモンガさんは、それを魔王と書き込まれたせいだと思い込んでいますが、実際はそうではなく、書き込まれたのがギルメンが一人も来なかった後の鈴木悟さんの内面が反映されたためです

前話に出てきた百年前に転移したモモンガさんは、設定の書き換えは行われておらず、創造されたのもまだ最終日にギルメンが来てくれると思っていた時期なので、ギルメンやナザリックに黒い感情は持っておらず、書籍版のアインズ様に一番近い性格になっています


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 純銀の英雄

この話までがプロローグになります
この辺りから捏造設定が増えてきますのでご注意ください


 リ・エスティーゼ王国の王都に於ける最高級宿。

 一階部分を丸ごと使用した酒場兼食堂の一角で、ラキュースからの伝言を届けに来たクライムを無理矢理席に着かせ、話し相手をさせていたガガーランが、不意に思い出したように口を開いた。

 

「そういや童貞。お前あの噂知っているか? 竜王国でとんでもなく強ぇワーカーチームが現れたって話だよ。漆黒とか言ったかな」

 

「ワーカー、ですか?」

 

 クライムは思わず眉を顰める。

 ワーカーとは組合などの組織に属さず、単独で冒険者のような仕事をしている者たちの総称だ。

 大衆が冒険者に抱く危険なモンスターから人々を守る光の側面ではなく、金を稼ぐためならたとえ犯罪行為でも厭わない陰の側面が強く、冒険者からドロップアウトした者たちとして嘲笑と警戒を込めて請負人(ワーカー)と呼ばれているのだ。

 彼らの存在そのものが、冒険者の待遇改善を求めて、モンスター討伐の報奨金や冒険者の足税を無くそうと試みた──こちらは実現は出来なかったが──クライムの主であるラナーの努力を否定するものであり、クライムはワーカー自体にあまりいい感情を抱いていない。

 そんなクライムの感情を察したのだろう、ガガーランは苦笑した。

 

「ワーカーって言っても、誰も彼も金の亡者って訳でもねぇぞ。大局を見れば冒険者の方が正しいが、局所的な見方ではワーカーの方が正しい場合もあるってな。冒険者は目の前で死にそうな怪我した奴が居ても、神殿に遠慮して回復魔法一つ掛けられねぇからな。それを間違ってると思ってる神官がワーカーになることもあるそうだぜ」

 

 言い聞かせるようなガガーランの言葉でハッとする。

 確かに神官や冒険者が無償で怪我や病気の治療をすることは禁止されている。

 もちろんそれにも理由がある。

 神殿勢力を世俗に堕とさず、純粋に人々のために働くという理念を汚さないためだ。

 しかし、それを納得できない者もいるのは当然であり、そうした考え方はクライム個人としては間違っていないと思いたい。

 なにしろクライム自身、ラナーの無償の優しさによって命を救われたのだから。

 

 そのクライムが、ラナーと似たようなことをしている者も居るワーカーを名前だけで嫌悪するのは、クライムの生まれと立場だけで一括りにして敵意を向けてくる、王宮勤めのメイドたちと変わらない。

 その事実に気づき、反省するクライムにガガーランは再び苦笑し、分かればいい。と言うように手を振った。

 

「ま、そいつらがそういう奴らなのかは知らないが、実力は確からしいぜ。何しろ竜王国に迫ってたビーストマンの大軍をたった一チームで退けたって話だ。正確には竜王国のアダマンタイト級冒険者チームのクリスタル・ティアも一緒だったらしいが、そっちは壊滅したらしい」

 

「なっ! アダマンタイト級冒険者チームが壊滅、ですか? ビーストマンとはそれほど強いのですか?」

 

 ワーカーチームの偉業より先に、クライムはその事実に驚愕した。

 蒼の薔薇もそうだがアダマンタイト級冒険者と言えば、人類の守護者と呼ばれるほどの存在であり、魔獣や亜人討伐の専門家でもある。

 そんなアダマンタイト級冒険者が敗れたことが信じられなかった。

 ビーストマンという亜人の名は知っており、亜人は総じて人間以上の強さを持つ事も知っているが、クライムは人間相手の鍛錬がメインである関係上、魔獣や亜人の生態や強さはそこまで詳しくない。

 それほど危険な存在ならば、クライムも知識として知っておきたい。

 

「大人のビーストマンは並の人間の十倍の強さだから、難度で言えば三十ってところか。俺の見立てじゃお前を難度で当てはめると四十そこらってところだから、お前よりは弱いが、戦士団の団員よりは上ってことだな。つまり国の精鋭部隊と同じ強さの兵士が一般人ってわけだ。当然戦いに出てくるような戦士ならもっと強い奴らも大勢いるだろうな。つってもアダマンタイト級の冒険者なら大した敵じゃねぇはずだが、ある程度以上の強さを持った奴らなら、数の暴力も侮れねぇ。まして国を挙げての大侵攻だったらしいからな」

 

 ゴクリと唾を飲む。

 徴兵した農民が主体の王国軍は幾ら数で勝っていても、訓練された帝国の兵には敵わない。

 個の強さというのはそれほど重要なのだ。

 しかもそれが軍を成す程集まるとなれば下手をすれば帝国軍よりも強く、国ごと飲み込まれかねない程の軍勢だと言える。

 

「では、そんなビーストマンの軍勢を退けたという漆黒なるワーカーチームは……」

 

「ああ。本当なら相当な化け物チームだぜ」

 

「ふん。それもどこまで信じていいか分からんがな。冒険者と違ってワーカーの情報は真偽を確かめづらい」

 

 仮面を着けているため、酒も食事もせずに黙って話を聞いていた魔法詠唱者(マジック・キャスター)のイビルアイが不満げに言う。

 

「そうなのですか?」

 

「冒険者は組合が間に入るからな。偉業を達成した場合はきっちり情報の精査をすんだよ。それを元に冒険者のランクが決まるから誤魔化すのは難しいって事だ。逆にワーカーは全部個人でやるから、自分たちの価値を高めるために、嘘の偉業を広めるってのも確かにあるんだが……」

 

「ガガーランさんは、漆黒はそうではないと?」

 

 まぁな。と頷きながらガガーランは続ける。

 

「少なくともビーストマンの軍勢が竜王国から撤退したのは間違いない。国が相手じゃ嘘の報告も出来ないだろ。ま、簡単に信じられないってのは俺も同感だがな。実際、そんなもん俺たちだって不可能だ」

 

「蒼の薔薇でも、ですか?」

 

「それが本当なら正直桁が違うぜ。いや、イビルアイ。お前が本気を出せばどうだ?」

 

「さてな。ビーストマンの数百数千程度なら何とかなるかもしれんが、それ以上となると魔力の問題があるからな」

 

「加えて敵にも精鋭は居るだろうしな。やっぱ難しいか。例の十三英雄ならどうよ?」

 

 ガシガシと頭を掻きながら渋面を見せたガガーランだったが、直ぐに気を取り直したように不敵な笑みを浮かべてイビルアイに目を向けた。

 十三英雄。

 二百年ほど前に活躍した伝説の英雄たち。

 世界中を暴れ回った強大な力を持った魔神と呼ばれる邪悪な存在を打ち倒し、世界に平和をもたらしたとして、今でも人気の高い英雄譚として話が残っている。

 クライム自身、そうした英雄譚の収集が趣味であるため、良く知っているつもりだ。

 

 だが、何故かイビルアイはそうした英雄譚に記されたものより遥かに詳しく、彼らの活躍を知っている。

 他の英雄譚に詳しいわけでもなく、自分と同じように英雄譚の収集が趣味というわけでもなさそうなので不思議に思っているのだが、詳細はわからない。

 その彼女が以前教えてくれた話によると、十三英雄とはあくまで人間種のみを数えたものであり、本当はもっと多くの人数で構成され、亜人種の英雄たちも多数存在したそうだ。

 それだけの数と一人一人が英雄クラスの実力者の集まりならば、先ほどのビーストマンの軍勢を一チームで退けるという偉業も達成できそうだ。

 

「馬鹿を言うな。チーム全員どころか、リーダー一人でも可能だ!」

 

 突然声を張るイビルアイにクライムは驚く。

 十三英雄にリーダーが居たとは知らなかった。少なくとも伝えられた英雄たちの中に該当する者はいない。そうなると可能性は一つ──

 

「それは例の十三英雄には数えられていない異種族の英雄ですか?」

 

 クライムの質問にイビルアイは少し考えるような間を空けてから、以前も使用した音を遮断するアイテムを使用する。

 あまり人に聞かれたくない話ということだろう。

 

「その辺りは少し難しいんだがな、前に伝説として残ったのが十三人で、その他は人間を重視する者たちが他種族の活躍を好ましく思わなかったから話が残らなかった。とは言ったが、中には人間ではないが、それを隠していたために人間として十三英雄に数えられた者たちもいた。私が今言った御方もそうだ」

 

「案外、その漆黒ってワーカーもそうなのかもな」

 

 カラカラと楽しげにガガーランは笑う。

 

「ふん。一緒にするな。そいつらの偉業が本当だったとしても、リーダーとは比べ物にもならん。あの御方は本物の英雄だからな」

 

 まるでそのリーダー本人を知っているかのような物言いに僅かに首を傾げたクライムに、ガガーランがこっそりと耳打ちをする。

 

「そのリーダーとやらは、イビルアイの初恋相手なんだよ」

 

「え?」

 

 二百年前に活躍した英雄が、初恋相手とはいったいどういう意味なのだろう。そこまで考えてから、直ぐに気が付く。

 

(そうか。人間ではないのなら、今でも生きていても不思議はない。だからこんなに詳しいのか)

 

「おい。聞こえているぞガガーラン、余計なことは言うなよ」

 

「へいへい」

 

「あ、あの。ではその御方は十三英雄のどなたなのですか? 人間を装っていたのでしたら英雄譚として残っているのですよね?」

 

「ん? 知りたいか、そうかそうか。では仕方ないな教えてやろう」

 

 不満げだったイビルアイの口調が変わる。

 魔法で声を変えていてもはっきりとわかるほどの上機嫌さに、実は話したかったのかもしれない。と思ったが口に出すのは憚られた。

 その後ろでガガーランは、クライムにだけ分かるように苦笑する。その表情の意味も気になったが、クライムとしては話を変える以上に、実際に聞いてみたかったと言うこともあり、力強く返事をしてイビルアイをまっすぐ見据える。

 

「あの御方は、純白の鎧に同じく純白の盾を持ち、様々な武器を、それこそ大剣や大斧であっても、片手だけで小枝の如く軽々と振って敵を討つ。その膂力は英雄すら超え、神話の世界の住人と呼ぶに相応しい。そして何よりそれだけの力を持ちながら偉ぶったりは一切せず、皆の間に入って調整役などを行っていた。あれだけ個性的な面子が揃った十三英雄が纏まっていたのは彼のお陰に他ならない。まあ、そのせいで一歩引いた立ち位置にいることが多く、本人も目立つことを嫌ったために、英雄譚でもあまり詳しく語られていないんだがな」

 

 滔々と語り出すイビルアイに、クライムは自分がこれまで見聞きしてきた十三英雄の英雄譚から一人の人物を思い出した。

 

「それは、もしや純銀と呼ばれた?」

 

「ほう。詳しいな、彼の英雄譚は白金と呼ばれた騎士と混同され、そちらの名はほとんど残っていないんだが……」

 

 興奮していたイビルアイだが、クライムの言葉を聞いて冷静さを取り戻し、感心したような声を出す。

 

「そのせいで、一般に知られている十三英雄は、実際数えてみると十二人しか居ないんだったよな?」

 

「そうだ。それに疑問を持って少し詳しく調べると、先に悪魔との混血児であるため、意図的に話を隠されている暗黒騎士の話にいき当たる。ラキュースの持つキリネイラムの元々の持ち主だな。奴を加えると十三人になるから大抵はそこで納得するわけだ」

 

「けど、そこから更に調べると、白金とは別にもう一人、白い鎧の騎士が出てくるってわけか」

 

 ガガーランの言うとおり、クライムもまた王城内の資料室で詳しく調べてようやく混同されていた白金と純銀にたどり着いたのだ。

 

「もっと言うなら更に細かく調べていくと外された異種族の英雄にも行き当たるんだが……まあそこまで調べる奴はいないし、いたとしても誰も信じないがな」

 

「確かに。そちらに関しては王城の資料室に残された十三英雄に関する英雄譚にも載っておりませんでした」

 

「なるほど。王城の資料室か。国が集めた物ならあの二人のことが分かれて載っていてもおかしくはないな。それに、人間にとって都合の悪い異種族の英雄が載っていないのもまた当然だな」

 

 クライムがどうやって十三英雄について調べたのか理解したイビルアイは、納得したように何度か頷いてみせた。

 十三英雄が活躍した時代より後に作られた人間の国家であり、一部を除いて異種族は倒すべき敵として認識されている王国ではそうした資料があっては──異種族の排斥を望む法国との関係もあり──問題が起こる可能性があるということだ。

 もう少し詳しい話を聞かせてほしい。と続きを頼もうとしたクライムだったが、それより先にイビルアイは唐突に、両手を組んで視線を宙に向けた。

 

「ああ。それにしてもあの御方は今、どこにいるのだろうか」

 

「あ、あの。イビルアイ様?」

 

「駄目だ童貞。こいつがこうなったらもう続きは聞けねぇよ。いっつもこうなんだ。別の英雄の話なら割と色々聞かせてくれるんだけどな」

 

 やれやれと言うように首を振り、ガガーランは手にしていた酒を一気に飲み干した。

 ようやくガガーランが先ほど苦笑していた意味が分かった。

 蒼の薔薇全体からの信頼も厚く、クライムにも突き放したような言い方をしつつも、淡々と助言をくれる冷静沈着な魔法詠唱者(マジック・キャスター)という、クライムの抱いていたイビルアイの像が砕けていくのを感じた。

 

「はぁ。もう一度お会いしたい……サトル様」

 

 ぽつりと呟いた名前、それが純銀と呼ばれた騎士の名前なのだろうか。

 聞いてみたかったが、ガガーランはもう一度無言で首を横に振り、空になったジョッキを掲げて店員に新しい酒を注文した。

 

 

 ・

 

 

 突如として鼻先に生じた懐かしい気配に、アーグランド評議国永久評議員にして白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の二つ名を持つ(ドラゴン)、ツァインドルクス=ヴァイシオンは驚愕を以て浅い眠りから覚醒した。

 あらゆる生物の中で頂点に君臨するドラゴン、その中でも最強の一体に数えられる彼の知覚能力を掻い潜って、この距離まで近づける者はそう多くは無い。

 同格の竜王や、かつての友である十三英雄の中には三人。

 一人は既にこの世にいないため、残る候補は二人だけだ。

 そしてどちらであるか、答えを出すより早く声を掛けられた。

 

「久しぶりだなツアー」

 

 安っぽいローブと泣き笑いのような仮面で隠れてはいるが、永い時を経ても何も変わらないその声を、ツアーが聞き間違えるはずはない。

 彼を象徴する、ドラゴンとしての嗅覚が最上級の宝だと認める、あの純白の鎧を身に着けていないのは、もうツアーに隠す必要が無いからなのだろうか。

 実際、ローブと仮面こそ身に着けていたが、ローブから伸びた手は何も隠すことなく、むき出しの状態だった。

 それが少しだけ嬉しく感じた。

 

「暗殺者でも無いのに、相変わらずだね。完全不可視化(パーフェクト・アンノウアブル)だったかな? 君の使う魔法はどれも規格外で驚かされるよ。私たちと旅をしていたときは使わなかった癖にさ」

 

 その喜びがツアーの口を僅かに軽くして、チクリとした皮肉を吐き出させた。

 自分にはそれを言う権利があるはずだ。

 

「よく言う。戦闘中のお前ならこの魔法も見破れるだろう。そもそもお前だってあそこにいる空っぽの鎧で俺たちを騙していたじゃないか」

 

 しかし彼は、そんなツアーに対して皮肉を返した。

 これが少し前に訪ねてきた、懐かしい友である老婆であれば、痛いところを突かれたと苦笑しているところだろうが、彼はそれに当たらない。

 

「そっちこそよく言うよ。私が先にバラしたおかげで君が正体を見せても、何も言われなかったんじゃないか」

 

 自分の正体を明かして皆が騙されたと憤慨する中、一人だけ何も言わずにやや時間を置いてからおずおずと、実は自分も。と言って正体を見せた時のことを思い出す。

 その時も皆は驚いていたが、二人目ということもあってか責める者は少なく、お前もか。と呆れるに留まった。

 死霊術師(ネクロマンサー)であるリグリットだけは薄々感づいていたのかニヤニヤ笑っていたが、その彼女はツアーに対しては未だ会う度にチクチク文句を言ってくるのだから、ツアーとしては不公平だと文句の一つも言いたくなる。

 とはいえ所詮は挨拶代わりの冗談であり、二人は互いに苦笑して改めて久しぶりの再会を喜び合った。

 

「そう言えば、最近リグリットとは会ったかい?」

 

 先程思い浮かべた友人が、最近会ったときに話していた内容を思い出しながら問いかける。

 

「……いや。俺はずっと大陸の方に行っていたからな。確か王国で冒険者をやっていると聞いた覚えがあるな」

 

 僅かに言いよどむような間が開いたことが気になったが、それには触れずに続ける。

 

「もう引退したそうだよ。見た目も、随分変わった」

 

「……そうか。二百年だものな」

 

 そうだ。

 二百年、人間としては異常とも言えるほど長生きしているが、それはあくまで寿命を延ばしているだけであり、白一色に染まった髪と皺だらけの顔はツアーの記憶の中にある彼女とは大きく異なっていた。

 浮かべていた無邪気な笑みだけは当時の面影そのままだったが。

 

「それで、彼女は引退前に自分の役割を他に譲ったそうなんだけど、誰かわかるかい?」

 

「その言い方だと俺の知り合いか? あいつの代わりとなると──」

 

 考えながら、彼はかつての十三英雄の中から幾人か魔法詠唱者(マジック・キャスター)の名を挙げた。

 しかし、残念ながらと言うべきか、その中にリグリットが泣き虫と呼んだ彼女は入っていなかった。

 無理もない。

 十三英雄と呼ばれ、名が残っている者は自分と目の前の彼を除き、皆人間種の英雄たちだ。

 リグリットもその一人であり、王国で冒険者をするとなれば必然的に人間の英雄から考えてしまうのだろう。

 もっとも、寿命を延ばしているリグリットと異なり、その多くは既に寿命でこの世にいないか、それすら分からない者ばかりだったが、あの戦いの後直ぐに大陸を旅すると言って、皆から離れていった彼は知らないのだろう。

 自分や彼にとっては大した時間ではないが、人間にとって二百年というのはそれほど長い時間なのだ。

 

「彼女だよ。インベルン」

 

「……ああ、キーノか。吸血鬼が人に紛れて冒険者とは思い切ったことをするな。法国辺りに見つかったら面倒なことになるだろうに」

 

 姓ではなく、あっさりと名前を呼ぶ。

 十三英雄の仲間たちの中でも、彼女が名前を呼ぶことを許しているのは彼だけだ。

 

「リグリットに負けて、言うことを聞かされたらしいよ」

 

 ボコってやったわ。と楽しげに語っていたリグリットを思い出す。

 

「よく勝てたものだな。キーノの能力やレベルを考えると、リグリットでは難しそうだがな」

 

「冒険者仲間の協力もあったらしいけどね」

 

「……そうか、仲間か」

 

 空気が僅かに揺らぐ。

 竜王の知覚能力を以て、ようやく感じ取れるほど僅かな揺らぎを、ツアーは今度も気づかぬ振りをする。

 

「君も会いに行ってあげたらどうだい? 喜ぶと思うよ」

 

「そうだな。気が向いたら、な」

 

 その言い方では、会いに行くことはなさそうだ。とはいえツアーとしてもこれ以上踏み込むことはできないため、さっさと話を変えることにした。

 

「ところで今日はどうしたんだい?」

 

「どうしたって。俺はお前から呼び出されたんだけどな。正確にはお前の部下か? ずいぶん色々なところに拠点を作っているんだな」

 

「ああ」

 

 確かにツアーは実験として様々な場所に拠点を作り、それぞれの場所で組織作りを行っている。

 現在ツアーが永久評議員を務める評議国もその一つだ。

 そして各所の拠点を任せている部下たちに、もし彼を見つけたら自分に会いに来るよう伝えて欲しい、と伝言を残していた。

 しかし、それは殆どダメもとだった。

 彼は常に一人で行動している。

 この広い世界で、個人を捕捉するのは難しい。

 力を見せつける者ならともかく、彼はそうした目立つことを好まず、気紛れに人助けをしたり、未開の地を踏破したりと冒険を満喫していると聞いていたからだ。

 だから、彼がどこかの拠点の部下と遭遇して、それもこうしてちゃんと会いに来てくれたのは意外だった。

 

「ああ。そうだったね。すまない、忘れていたよ」

 

「全く。ドラゴンもボケることがあるのか?」

 

 リグリットと同じようなことを言われ、僅かにむっとするが、忘れていたのは事実だったため、何も言えない。

 その言葉は無視して、本題に入ることにした。

 

「そろそろ揺り返しの時期が来るんだ」

 

「ああ、それでか。百年前に来たプレイヤーは探しても見つからなかったそうだな」

 

「来た気配はあったんだけれど、目立った動きはしなかったみたいだね。それとも未だ身を潜めて機会を待っているのか」

 

「百年間もか。気の長い話だ。そして今回もそれがあったと」

 

「うん。強すぎる力は世界を汚す。早めに対処しておきたい。だから君に話を聞きたいんだ」

 

「……」

 

「君たちぷれいやーやえぬぴーしーのことを、全て話してくれないかな──サトル」

 

 ここに来て初めて、ツアーは彼の名を呼んだ。

 百年ごとにこの世界に現れる異邦人、それがぷれいやーだ。

 かつてツアーの父である竜帝の過ちによって、この世界に現れるようになった彼らは、強大な力を持っているが故に、世界に大きな変化をもたらす。

 

 八欲王などがその典型だ。

 強大な力を欲望のために振るい、世界を支配しようとした。

 その力はこの世界の理すら歪め、結果としてドラゴンの使用する始原の魔法は殆どが失われ、代わりに八欲王が広めた魔法が主流となった。

 そして、彼らを討つために多くの竜王が命を落としたことでドラゴンの時代は終わりを遂げた。

 命を落とした竜王たちも互いに協力したり、もっと情報を集めてから動けば決して負けはしなかっただろう。

 同じ轍を踏む訳には行かない。だからこそ、より詳しいぷれいやーの情報が必要となる。

 

 十三英雄として共に活動している最中に、彼がぷれいやーだと分かった後、何度となく同じことを告げたが、その話になると彼の口は重くなる。

 その理由をツアーは何となくだが、理解していた。

 ツアーにとって十三英雄として活動した者たちは仲間だ。友と言ってもいい。

 だが、サトルにとってはそうではないのだ。

 彼は十三英雄のリーダーとして活動していたが、皆を纏め上げて引っ張っていくようなタイプではなく、自分はあまり発言をせず調停役として皆の意見を取り纏めるような役割を担っていた。

 もちろんそうしたリーダーの形もあるだろう。実際あのアクの強いメンバーを纏めるには、そのやり方が最も適していたのは事実だ。

 そのためか、残された英雄譚では彼をリーダーとして扱うものはほとんどなく、十三英雄は全員が同じ志の下に集まった集団であり、リーダーはいないとされているらしい。

 

 そうしたサトルのやり方は同時に他人に深入りせず、一歩引いた立ち位置にいることを示していた。

 ぷれいやーの情報や能力、弱点などはそのままサトル自身にも跳ね返る。

 それらを全て話せば、いつかツアーがその弱点を突いて自分を殺そうとするかもしれない。

 サトルはそう考えていたのだろう。

 つまり自分が信用されていないと言うこと。

 それに気付いた時、正直ツアーは少し寂しかったが、その時はツアー自身鎧を操るという形で正体を隠していたこともあり、強く言えなかった。

 最後の戦いが終わって、ツアーの正体を明らかにしたのは、そうした意図もあったのだ。

 そして同時にサトルも自分の正体を明かしてくれたことでようやく信用してくれた。と内心喜んだものだが、再度ぷれいやーの話を聞く前に彼は一人で旅に出てしまった。

 もっとも、彼の正体を知って、余計に付いていきたいと願ったインベルンを置いていった時点で、その時聞いても答えは変わらなかっただろうが。

 

 しかし、今なら。

 二百年という時を経て、鎧を脱いで正体を隠さないまま、自分の呼びかけに応えてくれた今なら、話してくれるのではないだろうか。

 ツアーはサトルの顔をまっすぐに見つめる。

 もしそれでも断るというのなら──

 思わず体に力が入る。

 サトルがどう思っていようと、ツアーにとっては彼も仲間であり友人の一人だ。

 けれどこの世には、個人の感情より重要なことがいくらでもある。

 もしかしたら、自分のこうした考えをサトルは読んでいたから、最後まで信用してくれなかったのかも知れない。

 そう思うが、今更自分の生き方を変えるつもりはない。

 

「ツアー、あの鎧はまだ動かせるんだろう?」

 

 場に満ちる緊張感を無視するように軽い口調で、サトルは鎧に目を向けた。

 

「え? あ、ああ。私はここを動けないからね。外に用事がある時はいつもあれを使っているよ」

 

 背後にある八欲王の武器に匹敵するようなギルド武器や、特別なアイテムを探す為に今でも頻繁に出かけている。

 王国のアダマンタイト級冒険者、朱の雫のリーダーと出会ったのもその最中だ。

 彼の持つ強化鎧も、対ぷれいやー用の十分な戦力になりうるだろう。

 しかしサトルの出方が分からない以上、それは口には出来ない。

 黙って続きを待つと、彼はそうか。と少し考えるような間を空けてから明るく告げた。

 

「だったら俺と一緒に出かけないか? 揺り返しについては、俺も確かめたいことがある。もし今回来た奴が危険な存在で、手に負えないような相手だったとしたら、その時は全部話すよ」

 

「先ずは今回のぷれいやーが悪かどうか見極めたいってことかい?」

 

「そんなところだ」

 

 サトルの返答を受け、ツアーは思考を巡らせる。

 悪い話ではない。

 もし先ほどの考えを実行に移すにしても、ここでは戦えない。

 万が一にも八欲王のギルド武器を奪われるわけにはいかないからだ。

 常に動向を確認できる二人旅ならば、そのチャンスも巡ってくるだろう。

 もちろん、そんなことをせずにサトルが全てを話してくれるのが一番なのは間違いないが。

 どちらにしてもこちらには何の損失もない。

 

「分かったよ。久しぶりに誰かと旅をするのも楽しそうだ。一緒に行こう」

 

「決まりだ」

 

 仮面のせいで表情は読めないが──素顔でも同じだが──そう言ったサトルの声は随分と楽しそうに聞こえた。

 

(折角だから、王国にも行ってみようか)

 

 先ほどは気のないことを言っていたが、案外インベルンと会えば気持ちも変わるかもしれない。

 そんなことを考えながら、ツアー自身も久しぶりの仕事だけではない旅を、純粋に楽しみにしている自分がいることに気がついた。




十三英雄についての設定を大分捏造しました
この話ではリーダーともう一人の転移者は転移直後の弱い段階で死亡している設定で、元から十三英雄には居なかったことになっています

ちなみに悟さんがたっちさんの鎧を身に着けていないのは、鎧のままでは魔法が使えないからで、普段は鎧を着けている方が多いです

書き溜めが尽きたので、次からは週一更新になります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章 動き出す者たち
第4話 ワーカーチーム漆黒


今更ですがこの話の主人公は三人全員ではなく、そのうちの一人だけなのでそれぞれの出番には差があります


「だからよ。そういう堅っ苦しいの、あたしらは嫌いなんだよ。良いから女王様にさっさと金を用意しろって言っとけ」

 

 ワーカーチーム漆黒のメンバーである、長い金髪を一纏めにした髪形の女性、ソーイが竜王国の騎士に詰め寄る。

 彼の仕事は竜王国の女王から託された、首都で開催される戦勝と救国の英雄である彼らを讃えるために開かれる祝勝会への招待状を渡すことなのだが、その受け取りを拒否されたのだ。

 

「い、いえ。ですが、皆様は竜王国にとって救国の英雄。報酬だけ渡すなど、そのような扱いをするわけには──」

 

 気圧されながらも説得を試みる騎士の言葉を遮り、別の方向から声が掛かる。

 

「その英雄である、私たちが不要と言っているのだから、その通りにしたらどうなの?」

 

 もう一人の女性、ナーベが同意する。

 こちらは剣を腰に下げてこそ居るが、ローブを纏った魔法詠唱者(マジックキャスター)らしい出で立ちである。

 髪型はソーイと同じく一纏めにしたものだが、癖のないまっすぐな黒髪のため、その印象は全く異なる。

 共通しているのは、二人とも異常とも思えるほど顔立ちの整った美人という点だろうか。

 

「こ、これは陛下の心遣いなのですよ」

 

 そんな絶世の美女二人から殺気を向けられた騎士は、それでも何とか反論する。

 彼女たちの実力は聞いているし、実際に国を救った救国の英雄であることも間違いない。

 それでも騎士は彼女たちの不遜な態度に苛立ちを覚えた。

 まだ幼いながらも、必死に国を守るため健気に努力する女王の感謝の気持ちをなんだと思っているのか。

 

(これだからワーカーは。腕は立っても性格は破綻している者ばかりというのも頷ける)

 

 思わず心の中で愚痴をこぼす。

 そもそも彼らが成功させた作戦も、本来は竜王国唯一のアダマンタイト級冒険者チーム、クリスタル・ティアが主導となって行われるはずだった。

 しかし、クリスタル・ティアは運悪く突入早々に敵の精鋭に見つかってしまい、数の暴力によって志半ばで倒れてしまったという。

 そして、漆黒はそれをいいことに、予め決まっていた作戦をすべて無視して、勝手な行動を取り作戦を成功させたと聞いている。

 本来はなるべく静かに、都市内に潜入し大将格のビーストマンのみを討伐する手はずだった。人間に比べて強者こそ絶対と考える亜人たちは、大将が討たれれば統率を失い撤退を第一にするだろう。と考えられていたからだ。

 

 本来彼らの役目は、クリスタル・ティアがそれを成し遂げるまでの間、騒ぎを起こして都市内のビーストマンを正面に集めることだった。

 しかし、彼らはクリスタル・ティアの失敗を知るや否や、人質を取って退くように命じたビーストマンに対し、一切交渉することなく人質ごとビーストマンを殺して都市に潜入したという。

 その上で大将も逃がさず討ったのだから、むしろ作戦の難易度は上がり、人質が通じないと分かったことで結果としてより多くの人質を解放できた、最も効率的で被害の少ない方法だったのは間違いないが、騎士が不快に思っているのは、彼らがそれを一切気にしている様子がないことだ。

 自分たち騎士であれば、何とか救う手立てがないか模索するだろうし、どうしても無理な場合でも、それは苦悩の上での選択となるだろう。

 しかし彼らはそれを悪びれた様子もなく、効率的だったからそうするのが当然だ。と言わんばかりの態度であり、そればかりかそんな者たちでも救国の英雄として持て成そうとする女王の心遣いすら無視しようとしているのだ。

 こんな無礼な者たちに持て成しなど必要ない。

 彼自身はそう思うのだが、これも命令。

 簡単に引き下がるわけにもいかない。

 

「その辺にしておけ、ソーイ。ナーベ」

 

 一部始終を黙って見ていた漆黒、最後の一人にしてリーダーが声を掛けた。

 その名が示すとおり漆黒の全身鎧(フルプレート)を着込んだ男、モモンが二人の肩に手を置き、後ろに下がるように告げながら代わりに前に出た。

 

「仲間が失礼なことを言った。しかし、彼女たちが言ったこともまた事実。私たちはただ仕事をしただけですから、初めに提示した額以上の報酬は無用です」

 

 穏やかな口調で戦士は告げる。

 他の二人に比べると、こちらの戦士は話が通じそうだが、ワーカー相手では油断はできない。

 これも報酬を釣り上げるための策略かもしれないのだ。

 

「ですので歓迎の宴は報酬ではなく、陛下が、そして竜王国の民が皆様を労いたいからこそのものです。何とぞ、お気持ちを汲んで下さい」

 

 あくまで報酬とは別であることを強調しながら、深く頭を下げる。

 

「だからこそです。確かに私たちは作戦を成功させましたが、まだビーストマンの脅威が完全に去った訳ではない以上、国民が一致団結しなくてはならない。そんな時にリスクを負うことはない。女王陛下にはお気持ちだけで十分だとお伝え下さい」

 

 さも当たり前のように告げられる言葉で、騎士は気づかされる。

 確かにその通りだ。

 現在は竜王国の存亡の危機であった大侵攻を退けたことで、解放された都市の者たちも、女王も自分たち城の騎士も浮かれているが、ビーストマンの国は滅んだわけではなく、一時的に撤退しただけだ。

 そんな時に浮かれて祝勝会などおかしな話だ。

 幼い女王はともかく、国を守る騎士である自分たちまでもそんな気持ちではいけない。

 むしろ彼女に代わって、冷静な判断を下さなくてはならないのではないだろうか。

 そこまで考えて、すぐに頭の中で否定する。

 

(いや、あの宰相殿がそのことに気づいていないはずはない。となればそれを差し引いても彼らを連れていくことが、竜王国にとって利があるということだ)

 

 幼い女王に代わって政治を取り仕切る宰相は優秀な男だ。

 祝勝会自体は女王の好意であったとしても、問題があれば宰相が止めているはずだ。

 しかし実際、彼らに招待状を渡し、首都まで連れてくるようにとの命が出ている。

 となれば、やはりここで退くわけにはいかない。

 

「いえ。これは陛下よりの勅命。御三方をお連れするまで私は首都に帰ることができません。何とぞ、お願いいたします!」

 

「しつこい下等生物(ウジ虫)が。だったらここでその命を絶って差し上げましょうか。それなら命令違反にもならないでしょう」

 

 吐き捨てるような言葉と共に、ナーベが腰に差していた剣を抜く。

 

「ッ!」

 

 ぶつけられる殺気に思わず身を竦ませる。

 相手は数万を超えるビーストマンの群れを撤退させた英雄。一介の騎士である自分程度では、相手にもならないだろう。

 

「ナーベ。止めろと言っただろう」

 

 先ほどよりややきつめにモモンが言うと、ナーベはそれまでの不遜な態度が嘘のように掻き消えて、即座に剣を鞘に戻すとモモンに対して頭を下げた。

 

「っ! 申し訳ございません。モモンさ──ん」

 

 間の抜けた敬称を聞いて理解する。

 この三人はやはり対等ではない。少なくとも、このナーベとモモンの間には主従関係が存在する。

 そしてソーイの方は主従関係こそなさそうだが、あれだけ気が強い女性が、モモンが前に出てきて以後ずっと黙っているところを見るに、モモンが言えば従うだろう。

 つまり、モモンさえ説得できれば全員を連れていくことが可能となる。

 

「改めて、私の連れが失礼した」

 

「い、いえ」

 

 狙いをモモンだけに絞り再度説得を試みようとしたが、先んじてモモンが提案を口にした。

 

「……では代わりにといってはなんですが、祝勝会ではなく、女王陛下への謁見を許可いただけないか聞いてみていただけませんか?」

 

「謁見、ですか?」

 

「ええ。やはり私たちのような、依頼達成のためならどんな手段も使うワーカーが国の英雄として讃えられるのは、問題があります。ですが謁見ならば、そこまで問題にはならないかと──」

 

 問題がある。という部分を強調するモモンの言葉を聞いて、何を言いたいのかようやく理解した。

 モモンにとってはあの人質を殺した作戦は不本意なものだったのだ。

 そしてそんな作戦を実行した者を国が英雄として扱えば、先ほどモモンが告げた竜王国の団結に問題が生じるという話に繋がる。

 モモンはずっとそれを自分に、そして祝勝会の開催を決めた女王に気づかせようとしていたのだ。

 あるいは二人の女性たちの言動も、初めから自分にそれを気づかせようとしてのものだったのかも知れない。

 それを自分は、相手がワーカーだからと、初めから目的は金に違いないと決めてかかり内心で蔑んでしまっていた。

 彼らが竜王国存亡の危機を救ってくれた救国の英雄だと知りながら、その立場だけを見ていたのだ。

 己の見る目の無さを恥じながら、遅まきながら彼らの意図に気づいたことを報せるべく、騎士は改めて礼を取った。

 

「承知いたしました。モモン様、直ぐに確認を取ります。皆様、私の今までの無礼をお許し下さい」

 

 三人に対し、心から謝罪を口にして頭を下げる。

 

「なんのことですか? 私たちも、そして貴方もお互いに自分の仕事をしただけのこと。謝罪など必要ありませんよ」

 

 それに対し、モモンは最後まで恩を着せることもなく、なにも気づいていない振りをして淡々と返事をした。

 

(何と言う……)

 

 もはや彼らがワーカーであることなど関係がない。

 自分の前にいるのは、実力だけではなく、その人格までも素晴らしい本物の英雄に違いない。

 

 

 ・

 

 

 この都市での最高級宿。

 客は如何にも金を持っていそうな商人や貴族といった者たちばかりだが、そんな者たちを押し退け、最も高級な部屋を借りた三人組が、扉の前でボーイが鍵を開けるのを待っている。

 

「では、ごゆっくりおくつろぎ下さい」

 

 最高級の宿に相応しい立ち居振る舞いのボーイが差し出した鍵を、一番前に立っていたソーイが奪い取るように受け取った。

 

「ありがとよ。あー疲れた、さっさと休もうぜ」

 

 粗暴な態度と同じく乱暴な話し方をしながら部屋の中に入り、モモンとナーベもそれに続く。

 ボーイが改めて挨拶を口にして扉を閉めるのと同時に、最後尾に居たナーベが音もなく扉の前まで戻りボーイが離れていくのを確認する。

 彼女が一つ頷き、安全を確認したのと同時に、それまで鍵を指に引っかけて弄んでいたソーイがその動きを止め、すっと背筋を伸ばして移動した。

 その姿は先ほどまでの礼儀作法など習ったこともない粗野で粗暴なワーカーではなく、歩き姿に美しさすら感じさせる優雅なものだった。

 ナーベもまた同じように背筋を正した後、二人は並んでモモンの前に立つと、目線すら合わせることなく全く同時に膝を突き礼を取る。

 

「──頭を上げよ」

 

 素の声でも、モモンの英雄然とした者でもない、支配者らしさに念頭を置いて作り上げた、この威厳を込めた話し方にもいい加減慣れた。

 いや、慣れてしまった。と言うべきなのだろう。

 何しろ既に鈴木悟として生きた時間より、こうしてモモンガとして生きた時間の方が遙かに長くなったのだから。

 

「はっ。偉大にして至高なる御身を前に、このような姿であることをお許し下さい」

 

「加えて、人間どもを欺くためとはいえ、モモンガ様に対しあのような無礼な態度で接してしまい、まことに申し訳ございません」

 

 ナーベとソーイ、いや。ナザリック地下大墳墓が誇る戦闘メイドプレアデスのナーベラル・ガンマとソリュシャン・イプシロンが、それぞれ謝罪の言葉を口にする。

 これもいつものことになりつつあるが、こちらに関しては未だに慣れない。

 モモンガの支配者の演技とは異なり、ワーカーとしての二人の演技はまだ開始して数ヶ月と経っていないのだから仕方がないかも知れないが、モモンガとしてはいい加減何度も同じことを言わせるのは勘弁してほしいところだ。

 しかし、そうでもしなければ二人──特に粗暴なワーカーの演技をしてモモンにも気安く接しているソリュシャン──は罪悪感で押し潰されそうになるらしいので仕方がない。

 

(とは言え、百年も一緒にいるのに、この二人はいつまで経っても変わらないなぁ。これもメイドとして作られた設定なんだろうか)

 

「よい。これもまた必要な演技だ。この世界にはかつての私たちを知る者も未だ生存する。その目を欺くためにはかなり大胆な改変が必須。辛いかも知れないが今後もこの調子で頼むぞ」

 

 内心を隠しながら、鷹揚に手を振って告げる。

 

「はっ!」

 

 二人は百年前から一切変わることのない息の合った返事をする。

 

「さて。ここまでは順調に進んでいる。後は竜王国の女王と直接対面し、情報を聞き出すだけだな」

 

「しかしモモンガ様。如何に竜の血を受け継いでいるとはいえ、あの程度の亜人どもの侵攻を防げないような国に、モモンガ様が欲する重要な情報が残っているとは思えないのですが……」

 

 ナーベラルの意見にも一理ある。

 自分たちのようにユグドラシルから転移してきた者たちの情報を持っていたのなら、その情報を駆使してプレイヤーを探し出し、交渉して味方に付ければビーストマン程度たやすく撃退できるはずだ。

 そう言いたいのだろう。

 彼女たちが至高の四十一人と呼ぶ、かつての仲間たち。

 彼らと彼らに創られたNPC以外は、下等生物として見下しているナーベラルらしい物言いだ。

 だが、かつて社会人であったモモンガとしては、そう単純な問題ではないように感じる。

 

「それは早計よ、ナーベラル」

 

 そのことを告げようとした瞬間、先だってソリュシャンが口を開いた。

 

「どういうこと?」

 

「女王がプレイヤーの情報を持っていたとしても、自身がプレイヤーでない限りそれを有用に活用することは出来ない。あるいは本人には理解できずとも、私たちやモモンガ様が聞けば理解できるような情報があるかも知れないわ。何より一国の女王に認められたワーカーと言う肩書きがあれば、今後他国の王や貴族階級からも一目置かれることになる。そうなればより多くの情報が集めやすくなるでしょう?」

 

 モモンガが時間を掛けて考えついた内容を、さも当然のように説明するソリュシャンに驚かされる。

 メイドとして創られた彼女たちにそうした知識はないと思っていたのだが、ワーカーとしての演技や交渉術の見事さを見るに、実はソリュシャンには、元からそうした設定が定められていたのかも知れない。

 もっとも仮にそうだったとしても、既にそれを知る術は存在しないのだが。

 

「その通りだ。ソリュシャン、よくぞその考えに行き着いた」

 

 鷹揚に手を振りながらソリュシャンを褒める。

 これもまた百年の間にすっかり板に付いた支配者の演技の一つだ。

 モモンガの称賛を受けたソリュシャンは、一瞬嬉しそうに笑みを浮かべ、その後直ぐに頭を下げて告げた。

 

「もったいなきお言葉にございます」

 

 それに対し、ナーベラルはこちらは傍目からでも分かるほど落ち込んでしまったようで、ソリュシャン以上に深く頭を下げた。

 

「申し訳ございませんモモンガ様。そこまで考えが至らず、余計なことを聞いて御身の時間を無駄にしてしまいました」

 

「良い。以前も言ったが、我々は一つのチームとして行動することになる。情報の共有のみならず、何かあった際や気になったことがある場合はどんな些細なことでも報告、連絡、相談を徹底せよ。そうすることでお前たちの成長にも繋がろう」

 

 これもワーカーになることを決めてから何度も言っていることだが、こちらに関しては二人とも未だに完璧とは言えず、こうして毎回告げている。

 とは言えメイドとして創られた彼女たちには、ワーカーとしての演技などより、主を差し置いて自分の意見を押し通す方が難しいのだろう。

 

「はっ!」

 

 モモンガの宣言に二人も改めて了承する。

 

「しかし、先のナーベラルの言葉ではないが、問題は女王がどれほどの情報を持っているかだな」

 

 たとえ情報を持っていても、表に出していない以上、それは国の機密と見るべきだ。

 そうした機密情報を教えてもらうにあたり、今回の成果で十分なのか、モモンガには分からない。

 一応救国の英雄と称えられているらしいので、大丈夫だとは思うのだが。

 

「もし、女王が情報を出し渋り、隠し事をするのならば私にお任せを。どんな手段を用いてでも、必ず情報を吐かせてみせます」

 

 ソリュシャンの、元から光のない濁った瞳が更に深く落ちていくのが分かり、モモンガは思わず言葉を詰まらせる。

 彼女が拷問を得意としており、また個人的な趣向としても好んでいるのは知っているが、これはそれとは関係がない。

 なにより、先ほど女王に認められたワーカーという立場の重要性を自ら説いておきながら、それを否定するようなことを口にしていることに、ソリュシャンは気づいているのだろうか。

 

(いや、自分たちの姉妹と百年も離れていたんだ。冷静でいられないのも仕方ないか)

 

 百年前、三人でこの地に飛ばされた後、モモンガは積極的な行動を起こさずにいた。

 しばらく生活して、この世界の平均レベルの低さに気づいた後でもそれは同様だった。

 弱い者が多いと言っても突出した個人が居る可能性はあり、復活手段が無いかも知れない状況で、目立つ行動は避けたかったのだが、今にして思えば、そうやって言い訳をしていただけなのかもしれない。

 モモンガの全てと言っても過言では無い、ナザリックや仲間たちもいない現実を受け入れられず、何もかもがどうでもよくなっていたのだ。

 

 百年という時間を経て、モモンガもようやくその事実を認めて、受け入れることができた。

 

 そうなると今度は、そんなモモンガに文句ひとつ言わず、メイドとしてずっと尽くしてくれていたナーベラルとソリュシャンに、申し訳なさを覚えるようになった。

 せめてその忠義に報いてやりたいと考えたのだが、彼女たちはモモンガが何か欲しいものが無いか尋ねても、モモンガに仕えられるだけで十分だと言って譲らなかった。

 

 しかしある時、モモンガは偶然にも彼女たちの望み、ナザリック地下大墳墓、そしてそこにいるであろう姉妹たちに会いたいと願っていることを知った。

 たとえ設定の上でのものだとしても、彼女たちには姉妹がいる。今までそのことに気づけなかったのは、モモンガが現実世界に於いて身を案じる家族も居なかったからだろうか。

 とにかく、望みを知ったのならばあとは簡単だ。

 

 モモンガは危険を承知で行動を起こし、実力さえあれば、金と情報を集めやすいワーカーとして活動することを決めた。

 ナザリックやプレアデスを始めとしたNPCだけではなく、他のプレイヤーやギルドに関する情報も片っ端から集め、その中で気になったのは御伽話として残っている英雄譚に登場する英雄だ。

 幾人かだが、この世界の者たちには明らかに不釣り合いな強さを持った、プレイヤーとしか思えないような者たちも存在していた。

 特に八欲王と呼ばれる、強大な力を以てドラゴンたちとの戦いに勝利し、世界を支配したと言われる存在には強く興味を引かれた。

 最終的には仲間たちで殺し合いになって滅んだらしいが、今でも南方の砂漠には首都だった浮遊都市が残っているらしい。

 これはつまり、ギルド拠点ごとこの世界に転移して来た者たちがいた証拠に他ならない。

 そして当時その八欲王と壮絶な戦いを繰り広げた竜王と呼ばれるドラゴンの王たち、その血を継ぐとされる竜王国の女王ならばプレイヤーの情報を持っていても不思議はない。

 

 そう考えて、竜王国の女王に接触するため、ビーストマンの侵攻を止めるための戦いに参加を決めたのだ。

 先ほどの騎士に祝勝会の誘いを受けた時は驚き、内心大いに動揺したが、何とか祝勝会ではなく謁見のみで済むように説得できたことで、女王と会って情報を聞き出す機会も得ることができた。

 

「慌てるな。先ずは会ってみてからだ。我々は救国の英雄、情報を渡さなければこれ以上手を貸さないと言えば隠し事はしないだろう」

 

「……はっ。承知いたしました」

 

 冷静なソリュシャンですら、我を忘れ渇望する。

 その事実を目の当たりにして、モモンガは改めて決意を固める。

 

(絶対にナザリックを見つけてやる。それが俺の贖罪だ)

 

 彼女たちから視線を逸らすように、モモンガは宙を仰ぐ。

 

(同じNPCとして作られながら至高の御方を騙り、お前たちを騙している、この俺の──)

 

 いつの頃か、モモンガは自分の体がユグドラシルをプレイする際に使っていたアバターとは違うものであることに気がついた。

 姿形こそ同じだが、使える魔法が少なくなり装備も異なっていた。

 この異変については直ぐに推測が付いた。

 最終日を皆で楽しむ為の計画の一環としてモモンガが考案した、いざという時の為に残してあった拠点ポイントを使用して制作したニ体のレベル百NPCの片割れと同じものだったからだ。

 

 つまり鈴木悟の意識が宿ったこの体は、元々自分が使っていたアバターのモモンガではなく、そのコピーとして創ったNPCの方だったのだ。

 

 そうなると分からないのは、今モモンガが認識している自分の人格だ。

 モモンガは初め、鈴木悟の魂がアバターの中に入り込んでしまったのだと考えていたが、それならばNPCではなく、プレイヤーとして実際に動かしていたモモンガに入り込むはずだ。

 しかし、実際にはコピーとして創り出したNPCの身体に入り込んでいる。その理由が分からなかったのだ。

 同じように本来は単なるNPCに過ぎなかったナーベラルとソリュシャンも勝手に動き、会話もできるようになっていたことで、何らかの理由によりプレイヤーのアバターには魂が入り込めず、近くにあったNPCの身体が選ばれたのかとも思って深く考えていなかったのだが、この数ヶ月、ワーカーとして活動して、これまで以上に二人と親交を深めていく中で、彼女たちの性格がギルドメンバーによって設定された物と同じであると確信した。

 その瞬間、モモンガは長年引っかかっていた疑問の答えに辿り着いた気がした。

 

 すなわち、鈴木悟の精神がコピーNPCの体に入ったのではなく、彼がギルドメンバーたちに見捨てられた慰めに、自分の分身として作り上げたNPCが、設定に従って己を鈴木悟だと思い込んでいるだけなのではないか。というものだ。

 あくまで可能性だ。

 どちらにしても、その可能性に思い至った時点で二人に話しておくべきだった。

 それが筋というものだ。

 

 だが、それをするにはあまりにも時間が経ちすぎていた。

 彼女たちと異なりユグドラシルがゲームであり、プレイヤーは人間である事実を知っている自分が行動の主導権を握った方が早く見つかる。話すのは見つかった後でもいい。

 頭の中でそんな言い訳をして、モモンガは口を閉ざしたまま、ナザリック捜索を始めた。

 

 だがそれも長くは続かないだろう。

 なぜなら。この世界にナザリックが転移していた場合、そこには本物の鈴木悟が作り出したアバターである死の支配者(オーバーロード)も共にいるはずだからだ。

 今までは自分がいる以上、そこに魂は入っていないと考えていたが、もし自分が偽物なら、そこに居る者には本物の鈴木悟の魂が入り込んでいるに違いない。少なくとも彼女たちが自分の支配者と考えている至高の御方とは、自分などではなく、そちらこそが相応しいだろう。

 

 この先、情報を収集してナザリック地下大墳墓を見つけることができたのなら、その時初めて彼女たちは百年間自分たちが至高の御方だと思いながら仕えていた存在が、偽物であったことを知る。

 しかしモモンガは既に覚悟を決めた。

 その時自分がどうなったとしても、百年間騙し続けていたことは紛れもない事実である以上、自業自得に他ならないのだから──




ナザリックのモモンガさん同様、漆黒のモモンガさんも自分がNPCである事実に気づいています
ちなみに百年一緒に居たのに三人の関係性が変わっていないのは、モモンガさんが正体をばらすのを躊躇っていたことと、支配者とシモベが一対二という状況になっていたせいで、話し合ったり協力して何かをする機会がほとんどなかったせいです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 法国掌握

時系列的に第2話とこの話のナザリック側の話は、漆黒がビーストマンから竜王国を救うより前の話になります


 スレイン法国の最奥。

 神聖不可侵の室内に最高執行機関と呼ばれる、六宗派の神官長と各機関の長、そして最高神官長、総勢十二名の者たちが集まっていた。

 彼らこそ法国に於ける最高執行機関のメンバーであり、こうして定期的に集まり、自国のみならず周辺諸国の情勢も含めた会議を行っている。

 それらはすべて法国の理念である、人類の守護と繁栄という目的のためだ。

 だからこそ、法国は国家間の争いにも介入し、トブの大森林やアベリオン丘陵の亜人たちなどの間引きや討伐といった、本来自国には関係ないことにも力を入れている。

 しかし、今回はそうした話し合いをする会議ではない。

 それらは数日前に終わったばかりであり、今後の方針は既に固まっている。

 それなのに間を置かずこうして集まっているのは、その際に打ち出された破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)捕縛作戦の結果を見届けるためだ。

 

「そろそろ頃合いか?」

 

 最高神官長の声に、六色聖典全体の指揮を執る土の神官長レイモンが頷いた。

 

「そうですね。時間的には、もう交戦に入っていてもおかしくはありません」

 

「まさか、破滅の竜王がこれほど早く復活していたとは。陽光聖典のお陰で早期に発見できたのは良いですが、損失もまた大きかったですな。戦士長抹殺計画もこれで一度中止しなくてはならない。王国の貴族を動かすにはそれなりに手間をかけたというのに」

 

 やれやれと頭を振る行政の機関長に合わせるように、最年長の水の神官長ジネディーヌも重々しい口調で頷く。

 

「加えて陽光聖典は隊長のニグン以外は全滅、逃げるために魔封じの水晶も使用したそうだな。話に聞く破滅の竜王が相手ならばそれも致し方ないが」

 

 憎々しげに語るジネディーヌに対し、最高執行機関の紅一点である火の神官長ベレニスがあえて明るく口を開いた。

 

「けれど、最高位天使すら退ける力を我らの先兵として使用できれば、損失を補って余りあるものになるわ」

 

 六色聖典の中でも最も前線に出る機会が多く、これまで数多の異種族の集落を葬ってきた陽光聖典の瓦解は大きな損失だが、隊長のニグンは生きており、法国にもまだ半数近い人員が残っているため、隊その物が消えてなくなるほどではない。

 時間は掛かるだろうが再建は可能だ。

 結果的に破滅の竜王を手に出来ると考えれば、損失より成果の方が大きいと言える。

 

「……しかし、彼女抜きで勝てますかね」

 

 誰かがポツリと言った彼女という言葉で、全員の視線が扉の外に向けられた。

 この会議が開催される度に、神域の近くで護衛として控えさせている、法国最強の切り札漆黒聖典番外席次、絶死絶命のことだ。

 漆黒聖典の隊員は殆どが今回の任務にかり出されているが、彼女はいつも通りこの会議を行う間、護衛の任に就けていた。

 単純に神都の守りを疎かにするわけにはいかないこともあるが、それとは別に強者と戦いたがる番外席次の性格を考えると、勝手に出撃することも考えられる。

 そうなれば世界盟約に抵触することになり、かの竜王が出てくる危険性もあるからだ。

 

「そのためにカイレを出陣させたのだ。神の最秘宝であるケイ・セケ・コゥクならば破滅の竜王を魅了できる。伝承によればあの竜王は始原の魔法を使用できぬからな。護衛としてつけた漆黒聖典ならば、相手が如何に強大であろうとも、発動までの時間稼ぎはできるだろう」

 

 始原の魔法を使う竜王を除けば、どれほど強大な存在であろうと魅了できる六大神の遺した最秘宝に加え、現時点の法国が出せる最大戦力である神人、第一席次を含めた漆黒聖典のほぼ全員。

 これだけ投入しても失敗したのなら、その時こそ、彼女に出てもらわなければならないが、恐らくその心配は杞憂に終わるだろう。

 それほど、神の遺した秘宝の力は逸脱している。

 それに不満や異を唱えることこそ、自分たちの神を否定することになる。

 その事実に、遅まきながら気づいたのだろう。

 番外席次無しで勝てるのかと疑問を口にした者が、強く口を結ぶのが見て取れた。

 

「そう言えば、例の竜王国の件ですが、調べがつきました」

 

 場に流れた不穏な空気を払拭するため、進行役であるレイモンが口を開く。

 その意図に気づいた者たちもすぐさまそれに乗った。

 

「ああ。今回は時期が悪かったですな。何とか持ちこたえてくれると良いのですが」

 

 竜王国は近隣にビーストマンの国が存在し、定期的に侵攻を受けており、その度に法国は内密に竜王国への戦力派遣を行っていた。

 しかし、要請があった場合に派遣されることが多い陽光聖典を、戦士長暗殺任務に就けていたため、先延ばしになってしまっていたのだ。

 前回の会議でそのように決まっていたのだが、続くレイモンの台詞によって、そんな悠長なことを言っている場合ではないことが知らされた。

 

「どうやら今回は今までの侵攻とは異なり、大規模な軍勢を率いているとのこと。本気で国を落とすつもりなのかも知れません」

 

「何だと? それはまずいな。あの野蛮なビーストマンどもに国を落とされれば、そこに住まう人々がどのような目に遭うか……」

 

 亜人の種類は数多いが、その中でも人間を食料として見ている種族に支配された人間たちの末路は最悪だ。

 目を覆いたくなるような地獄を延々と味わわされ続けることになる。

 実際、大陸中央部では未だ人間がそのような目に遭わされている話も聞く。

 だからこそ、人間国家の強国化をはかることを第一に考え、そのためならば致し方ないと多少の犠牲には目を瞑ってきたが、流石に隣国である竜王国がそのような目に遭うのは認められない。

 全員の目の色が変わり、話し合いが加熱していく。

 

「陽光聖典の再編には時間がかかろう。それこそ今回の件で魅了した破滅の竜王を先兵として派遣するのはどうだ?」

 

「それは悪くない。相手がビーストマンであれば、破滅をもたらそうと問題はない。何よりどれほどの強さがあるか確かめることもできよう」

 

「しかし、それもかの竜王が許すかどうか。我らが魅了して使用すれば介入してくる可能性はあるのではないか?」

 

 基本的にはドラゴンは群れることが無く、仲間意識なども存在しない。そもそも破滅の竜王は竜王と名が付いてはいるが、始原の魔法も使えないため真なる竜王とは言えないはずだ。

 理屈の上ではそうだが、評議国の永久評議員である白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)がどう動くかは分からない。そして万が一動いてきた場合の損害を考えると軽々に動くわけにはいかない。

 

「確かにな。やはり一度対話の機会を持ってみるのも悪くないのではないか? そうすればあの裏切り者の森妖精(エルフ)どもとの戦争に彼女を投入できる」

 

 現在法国と戦争を続けているエルフの王国との戦いは、戦力的には圧倒しているが、エルフの得意とするゲリラ戦やエイヴァーシャー大森林内に生息する危険なモンスターによる被害を恐れて、進軍速度が出せず膠着状態に陥っていた。

 この膠着を打破するだけなら、ゲリラ戦に特化した部隊である火滅聖典を投入すればなんとかなるだろうが、この戦争の火種となったエルフの王は強い。

 火滅聖典だけでは勝ち目はないため、確実に仕留めるには番外席次の力が必要なのだが──戦力としても、彼女の母親の恨みを晴らす意味でも──それもまた世界盟約に接触するため、事前に白金の竜王と話し合いを行い、根回しをしておくべきではないか。という案が以前より出ていたのだ。

 

「交渉が巧くいけば、エルフの王国には彼女を派遣しつつ、竜王国に破滅の竜王投入もできる訳か」

 

 エルフとの戦争を早期に解決すれば、竜王国の救援や、王国と帝国の戦争終結、アベリオン丘陵の平定など現在周辺諸国の人間たちが抱えている問題に注力できる。

 

「どれほど要求されるか分からぬぞ?」

 

「ある程度は融通をきかせるとしようではないか。あの娘の心の安寧、そして人類全体を守るためだ」

 

 最高神官長の言葉に、異論は挙がらなかった。

 異種族から人類を守る守護者。

 それこそが法国の理念であり、それを共有する者は皆仲間である。

 その仲間を救う為ならば多少の職権乱用は致し方無いこと。

 言葉にはしなかったが、それはここにいる者たちの共通認識であった。

 

「エルフの王さえ討ち倒せば、彼女も落ち着きを取り戻しましょう。そして彼女に加え、破滅の竜王を先兵とできれば、いずれはあの竜王すら──」

 

 誰かが言った言葉に、全員が反応する。

 本来、人類以外の全てを敵として認識している法国が──世界盟約があるとはいえ──こうして白金の竜王の顔色を窺って行動しなくてはならないのは業腹だ。

 だが、破滅の竜王と異なり、始原の魔法を操る白金の竜王にはケイ・セケ・コゥクも届かず、単純な力に於いても現存する何れの竜王よりも強大であるため、それも仕方ない。

 これまではそう考えられていたが、番外席次が落ち着きを取り戻し、そこに隊長である漆黒聖典、そして破滅の竜王も加われば、あの竜王すら打ち倒せるかも知れない。

 そうなれば、評議国と隣国になることを恐れて王国や帝国に介入してコントロールするなどという、遠回りな方法を取る必要もなくなる。

 

「どちらにしても、先ずは漆黒聖典の作戦が成功してから、ですな」

 

 場に不穏な空気が流れ出したことを察し、レイモンは再び話を戻した。

 結局のところ話はここに帰結する。

 先ほどの話も、破滅の竜王を支配し、先兵として利用可能になる前提があってことだ。

 

「……うむ。それはそうだな。先の話は漆黒聖典が戻ってからに──」

 

 最高神官長がそう言って話を纏めようとした時、唐突に扉が開いた。

 

「む?」

 

 全員が一斉に注目する。

 本来ここにいる十二人以外入ることの許されないこの場所だが、今回は報告が入り次第、知らせが来ることになっていた。

 しかしノックも無いというのは流石に異常だ。

 それほど重要で急を要する事態が起こったのかと、最高執行機関の面々に緊張が走る。

 そうした空気に反して、ゆっくりと中に入ってくる人影が、室内の明かりに照らされた瞬間、全員が息を呑んだ。

 

「ふーん。初めて入ったけど、思ったより狭いのね」

 

 左右で色の違う白黒の髪と、それとは逆の配置となっているオッドアイ。

 十代前半にも見える外見ながら、身に纏う気配は異質そのもの。

 巨大な十字槍にも似た戦鎌(ウォーサイズ)を引きずりながら入ってきたのは、つい先ほどまで話題に挙がっていた法国の切り札、番外席次だった。

 

「な!?」

 

「何故ここに。守護の任はどうしたのです!?」

 

 会議の最中は近くの部屋で待機して、何かあった際の守護の役割をするのが、彼女の仕事だ。

 面倒くさがりな性格ではあっても、今まで仕事を放棄することは無かっただけに、命じたレイモンが慌てて椅子から立ち上がり問いかける。

 

「……何用だ。ここは選ばれた者しか入れない聖域。許可無く立ち入るなど許されんぞ」

 

 いくら彼女の方が年上とはいえ、立場の違いは存在する。

 それをはっきりさせるかのように、最高神官長が鋭い声で告げた。

 興味深そうに部屋の中を見回していた番外席次も、その声に反応して最高神官長に目を向けると、一拍間を空けた後、艶かな唇に弧を描いた。

 

「だって仕方ないじゃない。そう命じられたのだもの」

 

「命じられた? 何を、誰が──」

 

 番外席次が所属する漆黒聖典は秘密部隊であるため、その存在を知る者自体少ない。

 その殆どはここにおり、また命じることが出来るとなれば六色聖典全体の指揮を執るレイモンか、最高神官長くらいのものだ。

 それ以外、彼女に命令を下せる者など存在しない。

 そう判断したらしい最高神官長が、己以外に可能性のあるレイモンに目を向けた。

 その視線に懐疑的なものが混ざっていることに気づき、レイモンは慌てて首を横に振る。

 

「わ、私ではありません! 私はいつものように近くの部屋で待機を命じました」

 

「そうよ。私に命令したのはレイモンじゃない、私に命じたのは──ああ」

 

 言いながら、番外席次は何かに気づいたように後ろを振り返り、そのまま道を空けるように横に移動した。

 次の瞬間、彼らは信じられないものを目撃した。

 あの番外席次が。

 そのプライドの高さ故、相手が誰であっても不遜な態度を崩さない彼女が、戦鎌(ウォーサイズ)を後ろに移動させて深々と頭を下げたのだ。

 それも形だけの適当なものではなく、堂に入った心からの礼を。

 その礼を向けられながら中に入ってきたのは、外見上は十代前半の番外席次より更に小さな人影だった。

 

「あ、ええっと。その、ご苦労様です」

 

 オドオドとした口調、高く幼い声、浅黒い肌と先端の垂れた長い耳、そして──左右の色が違う瞳。

 それは番外席次の、そして法国にとって忌むべき存在であるエルフの王の特徴と同じものだ。

 

森妖精(エルフ)、いや闇妖精(ダークエルフ)か!」

 

 声を荒げた瞬間、闇妖精(ダークエルフ)の子供はビクリと体を震わせる。

 こんな如何にも弱そうな子供に、番外席次が何故頭を下げるのか。

 そんなレイモンの疑問を他所に、最高神官長が声を荒げる。

 

「それは。我らが神の最秘宝!?」

 

 エルフ種の特徴である長い耳や、左右で異なる瞳に気を取られて気づくのが遅れたが、その言葉で闇妖精(ダークエルフ)が身に付けている衣装に今更目が向かった。

 白銀の生地に天に昇る龍の刺繍が施された衣服は、真なる竜王などのごく一部の例外を除き、如何なる者でも魅了する、神が残した秘宝の中でも最も希少で強大な力を持った遺産、ケイ・セケ・コゥク。

 それを神に選ばれた種族である人間ではなく異種族の、それも怨敵であるエルフ王に連なる者に使われる。

 これほどの屈辱はない。

 

闇妖精(ダークエルフ)風情が、神の最秘宝を身につけるなど不敬この上ない、今すぐ──」

 

 口で言って大人しく渡すはずがない。

 そんなことは分かっていたが、感情を抑えることが出来ず、怒りのままに近づこうとして、視界が突然反転した。

 

「うるさいぞ、レイモン。私の主に対してなんて口の利き方だ?」

 

 強い衝撃と共にレイモンは、一瞬で距離を詰めた番外席次によって自分が地面に投げつけられたことを知る。

 頭上から降り注ぐ殺意の籠った視線。

 強者との戦い以外、どんなことにも興味を示さず、感情的になるところなど一度として見た覚えもない番外席次が、明確な怒りと殺意を示している。

 これで確信した。

 やはり番外席次はケイ・セケ・コゥクの力によって魅了され、あの闇妖精(ダークエルフ)に支配されているのだ。

 つまり、破滅の竜王を討伐に向かったはずの漆黒聖典とカイレに何かあり、この闇妖精(ダークエルフ)に秘宝を奪われたことになる。

 

(漆黒聖典はどうなった? いや、今はそれよりこの状況を何とかしなくては)

 

 番外席次から向けられる続ける背筋を凍らせるような殺気に耐えつつ、必死に考えを巡らせていると、その様子を見ていた闇妖精(ダークエルフ)が慌てたように口を開きながら、番外席次の元に近づいてきた。

 

「あ、あの。ここにいる人たちにはまだ使い道があるそうなので。こ、殺さないでくださいね」

 

「はっ。失礼しました」

 

 闇妖精(ダークエルフ)の言葉であっさりと殺気が消え、番外席次はレイモンの元を離れ、闇妖精(ダークエルフ)の傍に移動した。

 

(とりあえず、助かったか。今はあの闇妖精(ダークエルフ)の殺さないという言葉を信じて、機を窺うしかない)

 

 幸いにしてケイ・セケ・コゥクは際限なく何人も魅了はできないため、ここにいる全員が操られることはない。

 ならばこの闇妖精(ダークエルフ)が何をしようとしているのか見極めることが先決だ。

 人間より遙かに長寿であるエルフ族は外見では年齢を推し量ることは難しいが、少なくともこの闇妖精(ダークエルフ)は話し方や態度から見て、外見相応の精神性しか持ち合わせていないようだ。

 ならば付け入る隙はある。

 そんなことを考えながら、レイモンは隙を見て逃げ出せるようにと、自分の近くに立った闇妖精(ダークエルフ)を注視する。

 

「え、えっと。ごめんなさい」

 

 その視線を睨まれているとでも勘違いしたのか、闇妖精(ダークエルフ)は突然頭を下げる。

 

(やはりこの闇妖精(ダークエルフ)は単にケイ・セケ・コゥクを装備しているだけで、強者ではない。人質に取れば逃げ出せるか?)

 

 エルフ王に連なるものだからと言って強者ばかりではない。

 ここでこの闇妖精(ダークエルフ)を捕まえれば、支配されている番外席次はうかつに手が出せないはずだ。

 こちらに近づいてきたことは千載一遇の好機、この距離なら番外席次より先に抑えられるかもしれない。

 

(そうだ。我々はこんなところで死ぬわけにはいかない。人類のために)

 

 意を決し動き出そうとしたレイモンの頭上に、突如として影が差した。

 

「何?」

 

「て、抵抗されると、困りますから! え、ええ、えっと。あ、あの、ごめんなさい!」

 

 いったい何がと思う間もなく、視界の端にとてつもなく速い何かが映り、次いで足に激痛が走った──

 

 

 ・

 

 

「おや、マーレ。この階層で会うのは珍しいでありんすねぇ」

 

 自らの守護階層である第二階層の巡回中、シャルティアは心細げに杖を抱いて歩くマーレの姿を見つけて声を掛けた。

 

「あ、シャルティアさん。こ、こんにちは。吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)の皆さんにお話はしてあったんですけど」

 

 後半になるにつれて、声が小さくなっていく。

 要するにたとえ同格の守護者と言えど、許可なくシャルティアの守護階層に入ったことを咎められたと思ったのだろう。

 

(本当に、あのガサツなチビすけの弟とは思えない気の使いようね)

 

 創造主に仲が良くないと定められているため適当にからかっているアウラと異なり、マーレにはそうした縛りはなく、きちんと気遣いのできるところはむしろ好感に値する。

 

「別に怒ってはいんせんぇ。少うし不思議だっただけ。確かマーレはこの間、恐れ多くもナザリック地下大墳墓に入り込んだ、あの無礼者の所属する国に向かったんではありんせんかえ?」

 

 デミウルゴスが主導となって、その国を裏から支配すべく、中核となる者たちを捕らえに行く。という話を少し前に聞いたばかりだ。

 初めは何故自分には声が掛からなかったのかと不満に思ったものだが、そのせいで防衛力が落ちることになるナザリックの守りを固めるため。と言われて仕方なく我慢し、いつもの以上に──特に幻術で隠しているだけの地表部分へと続く第一階層──時間をかけて巡回をしてきたところなのだ。

 

「は、はい。それはもう終わって、今捕まえた皆さんを恐怖公に預けて来たところなんです」

 

「恐怖公のところでありんすかぇ?」

 

 第二階層に存在する黒棺(ブラック・カプセル)の領域守護者。同じ第二階層に居を構えているとはいえ、巡回の際も遠巻きに確認する程度──そもそも室内の管理は領域守護者である恐怖公の仕事だ──で色々な意味であまり近づきたくない存在だ。

 シャルティアとしてもあまり広げたい話題ではなく、むしろその前に言ったことの方が気になった。

 

「なら、法国とやらでの作戦はもう終わったんでありんすか? 確か周辺にある人間どもの国でも一番面倒な国と聞き及んでいんしたが」

 

「は、はい。先に来た人たちが世界級(ワールド)アイテムを持っていたので、それを使ったら簡単にできました」

 

 世界級(ワールド)アイテムとはこのナザリックにもいくつかしか存在しない超貴重アイテムのことだ。

 それも大半は宝物殿に保管されており、そもそも主の物であるためこちらが勝手に使用することなどあり得ない──創造主からアイテムを預けられたアルベドは例外だが──それを人間が持っていることにも驚きだが、あっさりと奪えるあたり、どんなアイテムであれ人間程度が持っていては宝の持ち腐れということなのだろう。

 

「く、国の偉い人たちはみんな捕まえたので、色々便利に使えるようになるって、デミウルゴスさんも喜んでいました」

 

「そう。モモンガ様にこの世界をお渡しするのが簡単になるのは良いことだけれど、こうも張り合いが無いと、わたしたちの働きをお見せできんせんねぇ」

 

 今回の作戦は、世界征服そのものが目的ではなく、それを成し遂げる過程で、自分たちの力とその有用性を、改めて主に知って貰うことが重要だ。

 相手があまりにも弱すぎると、力を見せるどころではない。

 この程度の相手ならば、裏から支配などという面倒な真似をしなくても、自分たちが直接出向いて国を滅ぼした方が手っとり早いのではないだろうか。

 

「だ、だめですよ。シャルティアさん。余計なことをされたら、むしろ世界征服までの時間が延びるって言われているんですから」

 

 突然顔色を変え、マーレにしては珍しく強い口調で告げる。

 その中のある言葉が気に掛かった。

 

「言われてるって、誰に?」

 

 シャルティアの問いかけに、マーレはしまった。と言わんばかりに身を竦ませ、慌て始める。

 

「え、えっと。誰というわけではなく、そのぅ」

 

 シャルティアは考えて行動するのが得意ではないが、だからと言って察しが悪い訳ではない。

 この作戦を考えたデミウルゴス、あるいは全体的な指揮を執っているアルベド。このどちらかが勝手な行動を取らないように命じたのだと直ぐに察した。

 それもシャルティアが聞いていないところをみるに、全員ではなく、自分を名指しでだ。

 

「……まあ構いんせんぇ。わらわもできるだけ早く、この世界をモモンガ様にお渡ししたい気持ちは同じ。作戦が上手く進んでいるなら勝手な行動を取る必要などありんせん」

 

 嗜虐心の強いシャルティアにとって、マーレを虐めるのもなかなか楽しいが、これ以上続けてアウラに話が行っても面倒だ。

 確かめたいことは確かめた。とシャルティアは話題を切り上げる。

 

「そ、そうですよね。あ、えっと、じゃあ僕はそろそろ。お姉ちゃんも待たせていますし」

 

「そうでありんすね。わたしもまだ巡回の途中でありんすし。それに、あのチビすけを待たせるとぎゃーぎゃー騒ぎそうだものぇ」

 

 カラカラと笑っていうと、マーレは僅かにほっとしたような仕草を見せつつ、再度頭を下げて小走りでシャルティアの前から離れていった。

 

「ふぅむ。このまま行くと、アルベドやらデミウルゴスばかり褒められそう。それは──」

 

 不愉快。と口には出さずシャルティアはマーレが向かっていた黒棺(ブラック・カプセル)に視線を向け、僅かに目を細めた。

 主がデミウルゴスやアルベドの采配に任せると言ったのならば、それに従うのは当然だが、今は何も言われていない。

 二人が守護者統括、そしてナザリックに於ける防衛戦の責任者として定められていると言っても、それはナザリック内の話、世界征服という大業を成す作戦を二人だけで決められるのは癪な話だ。

 もちろん、ナザリックの守護者として、それが最善ならば文句など言うつもりはないが、もしかしたら、本当はこの世界の相手が弱すぎて、真っ向勝負では簡単に決着が付いてしまい、それでは自分たちの手柄にできないからとわざと武力ではなく、絡め手で世界征服をしようとしているのかも知れない。 

 だとすれば、二人の方に問題があることになる。

 

「考える必要がありんすねぇ。モモンガ様のためにも」

 

 直接言葉を交わしたことはないが、元からネクロフィリアであるシャルティアにとって、至高の四十一人の中でもモモンガは外見上でも好みな存在だが、それだけではない。

 最後まで残ってくれた慈悲深い御方である点や、断片的に残された記憶の中にある、己の創造主と楽しげに会話をする様子を思い出すだけで、動かないはずの心臓が跳ねるような気さえする。

 あの方なら自分の創造主も喜んで、嫁に行くことを許してくれるだろう。

 そのためにもシャルティア自身の価値を、改めて見て頂かなくてはならない。

 決意を新たに、シャルティアは視線を黒棺(ブラック・カプセル)から前に戻して、巡回を再開することにした。 




というわけで法国の上層部を掌握しました
本当は漆黒聖典が罠に嵌められる辺りも書こうと思っていたのですが、この辺りの話は本筋ではないので巻いて行きます
流れとしては第2話で捕らえられて心の折れたニグンが嘘の報告をして、漆黒聖典とカイレを呼び寄せて罠に嵌めることで傾国傾城を奪取し、そのまま神都に転移して今回の話に繋がる感じです
書籍版ではアインズ様が慎重だからこうはならないけど、今の守護者たちはなるべく早く成果を出さなくてはならないと焦っているためこうなりました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 女王との謁見

竜王国での話
国内でドラウディロンの本来の形態を知っている者がどれほどいるか分からなかったので、取りあえずこの話では城の兵士や衛兵レベルでは知らない設定にしています

ちなみに最後の方に亡国の吸血姫で登場した単語が出てきますが、設定や内容に触れている訳ではないのでネタバレにはならないと思いますが、気になる方はご注意下さい


 竜王国の首都に聳える城の一角、謁見の間で女王の到着を待っていたモモンガは、不作法にならない程度に周囲を見回した。

 謁見の間は思ったより広くはない。

 あくまで客と会うためだけの部屋なのだから、広く作る必要はないのかも知れない。それでも竜王国はドラゴンが作った国と言われているのだから、ドラゴンが入れるほど広い場所を想像していたが、そうでもないらしい。

 部屋に多数の衛兵が詰めているため、余計にそう感じるのかもしれない。

 常にこれほどいるとすれば、客人が気分を害しそうなものであるが、恐らくは今回は例外なのだろう。

 

 それも仕方ない。

 彼らからすれば、ワーカーなど素性も分からない怪しい存在。

 幾らビーストマンの侵攻をくい止め、追い返した立役者だとしてもそれは変わらない。

 だからこそ、これほど多くの兵が集まったと見るべきだ。

 

(しかし、こちらに敵意を向けるような奴らはいないな。それに二人じゃなくて俺を見てる気がする)

 

 ナーベラルとソリュシャンは、整った容姿の者が多いこの世界に於いても、更に飛び抜けた美人らしく、彼女たちを連れて歩けば視線は自分にではなく二人に集中するのが常だ。

 モモンガに向けられるのは、そんな二人を従者の如く連れだって歩いていることへの嫉妬を込めた視線くらいのものだ。

 流石は城に勤めているような衛兵は、礼儀作法もしっかりしているということなのだろうか。

 それにしては、ここまではっきり視線を向けてくる時点で不作法な気もするが。

 

(考えても仕方ない。今は女王との謁見を成功させることだ。相手は子供らしいからビジネス対応では不味いか?)

 

 百年という長い時間をこの世界で過ごしながら、モモンガはそうした貴族的な礼節を殆ど知らない。

 もともと他人となるべく関わらないように接していたことと、常に二人が側にいた為に支配者としての演技を続ける必要があったからだ。

 誰かと会う時でも二人の忠誠に報いる意味も込めて、モモンガはナザリック地下大墳墓の絶対的支配者に相応しい、尊大な演技でしか他人と接することがなかったのだ。

 もっとも、そのせいで何度か面倒に巻き込まれたので、外で情報収集すると決めた今回は、権力者相手に下手に出てもおかしくないアンダーカバーを作った。

 冒険者ではなく、ワーカーにしたのは冒険者に比べて社会的地位が低く、礼節を知らなくても、ある程度なら許されるだろうという苦肉の策なのだが。

 

(とは言え流石に女王相手に砕けた態度もな。やはりあの時の使者に対してやったような英雄っぽい態度で接するべきだな、うん)

 

 あれはあれで気恥ずかしいものがあるが、背に腹は代えられない。

 覚悟を決めた直後、タイミングよく玉座の傍に立つ宰相として紹介された男が声を張った。

 

「陛下が参ります」

 

 鋭い声の後、衛兵たちが全員背筋を伸ばし、それに伴いモモンガに向けられていた視線も消える。

 モモンガは慌てて、しかしそれは隠し膝を突いて頭を下げる。

 漫画やゲームではあるまいし、単なるワーカーが一国の王に対して頭も下げずに出迎えては、この謁見自体中止になりかねない。

 二人にも事前にその説明はしていたので、大人しく頭を下げているが、いつもモモンガに行なっている礼とはまるで違う。

 ナーベラルは如何にも嫌々やっていますよというのが分かる浅い角度の礼であり、ソリュシャンに至ってはアンダーカバーであるソーイの性格に合わせてか、姿勢もだらしなく見える。

 これで大丈夫だろうか。とも思うがワーカーが完璧過ぎる礼をするのも怪しまれそうなので、ある意味正解かも知れない。

 

「ドラウディロン・オーリウクルス女王陛下の入室です」

 

 冷淡な男の声と共に小さな足音が聞こえ、やがて玉座に座る気配があった。

 後は許可を得てから顔を上げる。

 これぐらいの礼儀は知っているし、この謁見の許可が出た後、城の兵からも段取りとして聞いていた。

 

「女王陛下の許可が出ました。顔を上げて下さい」

 

 許可が出ても、直ぐには顔を持ち上げず、少し待つ。

 これも礼儀の一つだ。

 持ち上げた視線の先にいたのは、まだ幼い少女だった。

 背筋を伸ばし過ぎなほどに伸ばし、口元をやや強めに結んでいる様は、子供が大人びた態度を必死に真似ているように見えて微笑ましい。

 

「漆黒の皆様方。ようこそおいで下さいました。この度は我が祖国をお救い頂き、女王として感謝します」

 

 小さな咳払いの後、たどたどしく告げられる言葉に、モモンガは兜の中で目を見開き──実際は眼光の揺らめきが大きくなっただけだが──驚きを露わにした。

 こうした場合、お互いに時節の挨拶から入り、その後本題に入るものだと思っていた。

 実際そう聞いていたのだが、そうした段取りを無視して最初からモモンガたちの働きを賞賛し、礼を口にするとは。

 

(えっと。これどうすればいいんだ? こっちから時節の挨拶に持っていくのはダメだよな? 礼を言われたんだからそれについて返事をしていいのか。いや、とにかく落ち着け、俺……おっ、来た来た)

 

 想定外の事態に弱いのは鈴木悟であった頃から変わらないが、アンデッドの体になったことで、精神鎮圧によって瞬時に落ちつくことができる。これには何度も救われてきた。

 

「とんでもないことでございます女王陛下。我々はあくまで自分の仕事をしたのみ。加えて陛下に謁見の機会も頂けましたこと、感謝申し上げます」

 

 冷静になった頭で、事前に考えていた時節の挨拶を飛ばして、女王の言葉に対する返礼を行う。

 周囲からも剣呑な気配は伝わってこない辺り、この対応で間違いはないようだ。

 

「いいえ。本来ならば国を挙げて歓迎の宴を催さなくてはならないところでしたが、我が国民の感情にまでご配慮いただき、感謝の言葉もございません。あなた方こそ正しく救国の英雄そのものです」

 

 その後も滔々と感謝の言葉を述べる女王に、違和感を覚える。

 国民の感情に配慮というのは、祝賀会を断ってこの謁見を頼んだことを言っているのだろう。

 それはまだ分かる。

 しかし、仮にも一国の女王がこんなに手放しでワーカーを誉めていいのだろうか。

 実際にその通りだったとしても、女王の言い様ではここにいる衛兵や、国の冒険者たちをないがしろにしているようなものではないのか。

 幼い女王がその辺りを考え無しで言っている可能性もあるが、それなら隣に立っている宰相が止めるべきではないのだろうか。

 それとも他国の者などがいない公の場でないからこそ言えるのか。

 

(これを素直に受け入れていいのか。それとも謙遜を続けるべきか)

 

 ビジネスならば謙遜するのは良くあるが、やり過ぎるのは逆効果になることもある。

 この場合はどちらなのか。

 そもそもモモンガたちの今回の目的は、プレイヤーに関する情報収集。

 ならば感謝の言葉を素直に受け取り、では報酬とは別に褒美として情報を。という方向に持っていった方がいいのではないだろうか。

 

(いや。そもそも女王がここまで幼いとは思っていなかった。こんな子供が情報を持っているのか? 持っていてもそれは正確な物なのだろうか。だとしたら今回はあくまで友好関係の構築だけを目指して、情報は後に回すなり、国の書庫を見せてもらうことを報酬にして、こちらで調べる方が確実か?)

 

 答えが出ず、頭を必死に回していると、隣から小さく鼻を鳴らす音が聞こえた。

 

「あー、女王陛下? 誉めて貰えるのは嬉しいんだけどよ。そいつじゃ腹は膨れねぇよな?」

 

 ソーイの格好をしたソリュシャンがあまりにも性急に、そして露骨な追加報酬を望む台詞を吐き、謁見の間の空気が一瞬にして凍り付く。

 

(ええ!? このタイミングで?)

 

 驚きながら、以前情報を出し渋るようならどんな手段を用いてでも吐かせる。と彼女らしからぬ意気込みで語っていたことを思い出した。

 その後さりげなく落ち着かせたはずだが、彼女たちにとってこの女王はナザリック地下大墳墓、延いては姉妹たちの手がかりを持っているかもしれない相手だ。

 普段の彼女らしからぬ態度だが、興奮して口を滑らせたのかも知れない。

 どちらにしても、この台詞によってモモンガは選択を迫られることになった。

 すなわち、ここでソリュシャンを諫めるべきか、それとも話に乗るべきかである。

 そんなことを考えていたモモンガに、ドラウディロンは少しの間キョトンと不思議そうな顔をしていたかと思うと、勢い良く手を叩いた。

 

「ちょうど良かった! 歓迎の宴はできなかったけれど、せめてものお詫びにお食事の用意をしているの! あ、います。私もご一緒しますから是非皆様の冒険譚をお聞かせ下さい!」

 

 にっこりと無邪気な笑顔を見せる様は女王とは思えない。

 これで大丈夫なのだろうか。と思うが隣に立つ男が一瞬顔を歪ませたのをモモンガは見逃さなかった。

 

(あれほど露骨な催促に気づかないとは。天然なのか?)

 

 先ほどまでの無理に背伸びをして女王としての責務を果たそうとしていた、大人びた性格から一変した、この無邪気さが本来の彼女の姿なのかも知れない。

 だとすれば──

 

「光栄です、女王陛下。是非に」

 

 本来モモンガは食事を取れないので断るべきなのだろうが、今回はソリュシャンの暴走を止める意味でも同意して、食事や飲み物は二人に任せて、モモンガは話を聞かせる役に徹すれば良いだろう。

 冒険譚を語るというのも気恥ずかしいが、ユグドラシル時代の仲間たちとの冒険を改変すれば、それなりに面白可笑しい話が作れる。

 その中でプレイヤーなどに関する情報を紛れ込ませてドラウディロンの反応を窺ってみても良い。

 難易度は高そうだが、これもナザリック地下大墳墓を見つけ、二人を家に帰して姉妹たちと再会させるためだ。

 覚悟を決め、無邪気に喜んでいる女王に対して恭しく頭を下げた。

 

 

 三人が通されたのは王族が来賓と食事をする際に使用するという部屋であり、広さはさほどではないが、調度品に気を使っている豪華な部屋だった。

 案内された後、女王は一度着替えをしてから戻るとのことで退室し、現在部屋の中にいるのはモモンガたちだけだ。

 仮にも王城の中に、素性も知れないワーカーだけを残すとは、防衛の観点からは少しおかしい。

 もちろん部屋の外には衛兵がいるのだろうが、ソリュシャンが部屋の中を調べた限り、金属板を填めて魔法的な手段を防止しているだけではなく、物理的に音が外に漏れ難い作りになっているとのことで、なおさら不思議に思う。

 これでは中で何かあっても外には気づかれない。

 要するに外に知られたくない秘密の会談に使用する部屋なのだろうが、それなら余計に、モモンガたちが良からぬことを企んでいたらどうするつもりなのか。

 

「ナーベ、外の音は聞こえるか?」

 

 確認のために目を向けると、頭から兎の耳を生やしたナーベラルが小さく頷く。

 

「はい。衛兵も少数残っておりますが、あちらも我々の声は聞こえていない様子、盗聴の類はなさそうです」

 

 いくら声が漏れにくい構造をしていると言っても、魔法的な遮音では無い以上、ナーベラルが使える兎の耳(ラビッツ・イヤー)であれば音を拾うことはできる。

 逆に外にいる連中もこの手の魔法か、あるいは別の手段で盗聴を行っているかと思ったが、そうでもないらしい。

 

「そうか。いくら国を救った英雄とはいえ、ワーカー相手に無防備過ぎるな。そう思わせるのが目的か」

 

「それはどういった?」

 

「簡単なことだ。それだけ自分たちがこちらを信用していると思わせたいのだろう。どのみち私たちを城内に入れた時点で、どんなに警戒しようと物理的に勝ち目はない。ならば初めから無警戒にしてこちらに敵対の意志がないと思わせた方が良いということだ。それほどこの国が追いつめられている証拠でもあるがな」

 

 もっとも、そうしたことをあの無邪気な女王が思いつくとは思えないので、一緒に居た宰相あたりの考えだろうが。

 

「なるほど。流石はモモンさん。それならばあの小娘から情報を手に入れるのはさほど難しくありませんね」

 

 ナーベラルの瞳が妖しい光を帯びる。

 先ほどのソリュシャンの対応も含めて、ここは一度きちんと話しておかなくてはならない。

 そう考え、モモンガは小さく咳払いをした後、無言のまま手招きをして二人を呼び寄せる。

 

「ナーベ。足音が近づいてきたら知らせよ」

 

「はっ」

 

 ナーベラルに指示を出した後、隣のソリュシャンに目を向ける。

 

「ソーイ」

 

「はっ」

 

 盗聴の心配が無いと知ったことで、ソリュシャンの態度もワーカーチームの人間としてではなく、絶対的支配者として接してくる。

 しかし、それにしてはおかしい。

 

(さっきの暴走。てっきり向こうから詫びてくるものかと思っていたが、何か考えがあってのことだったのか?)

 

 今回に限ったことではないが、ソリュシャンには交渉事を任せることが多く、条件を有利に進めるためにモモンガの指示が無くても、ある程度自分で考えて行動しても良いと言ってある。

 モモンガも元営業として交渉事には多少自信はあるが、荒事も絡むワーカーの交渉はそうしたアンダーカバーを作っているソリュシャンの方が向いていると考えたからだ。

 あれは暴走ではなく、交渉の一つだったのだろうか。

 

「んんっ。先ほどの女王への対応だが──あれの意図するところを説明してみよ」

 

 小さく咳払いをしてから、婉曲的な聞き方をする。

 聞き手側にとって、責められているようにも、試してもいるようにもどちらにも取れる問い方だ。

 これも百年間の支配者の演技を続けた努力の賜物と言いたいところだが、自分が偽物であることを理解している身としてはいつまで経っても罪悪感が付きまとう。

 

「はっ。あの娘は演技を行っておりました。それは私たちだけではなく、あの場にいた衛兵に対しても同様です。隣にいた宰相以外、誰にも知らせていないのでしょう。そうであれば、あの場でいくら会話をしたところで私たちが望む情報にはたどり着きません。ですので私は敢えて、その演技を見破っていると見せつけた上で、こちらが更なる報酬を望んでいることを示しました。そうすれば本音で交渉する場を用意すると考えてのことです──以上です。モモンさんのご期待に添えましたでしょうか?」

 

 やはり、狙っての行動だったらしく、ソリュシャンはモモンガの言葉を自分を試していると認識したようだ。

 ソリュシャンには心の中で謝罪をしつつ、首を傾げる。

 

(演技って。あの無邪気っぽい態度が本性だってことか? 俺でも分かったのに、兵士は気づいてないのか? いや相手が自国の女王ならそんなものなのか。程度の差はあれ、二人でも俺の演技を見抜けていない訳だし)

 

 精神鎮圧によってある程度冷静に行動できるため、それなりに支配者らしい演技ができていると思うが、それはモモンガの演技力より、そもそも二人が初めからモモンガを絶対的支配者と盲目的に信じているのが大きい。

 この国の兵士たちにも同じことが言えるのかも知れない。

 そしてそうした無邪気な性格が本性だというのなら、ソリュシャンの言葉に隠された意図に気づけるはずもないため、見せつけたというのは女王ではなく、宰相に向けたものだろう。

 つまりこれからの食事会では宰相と交渉するべきだと言っているのだ。

 

「そ、そうか。やはりソーイもあの演技に気づいていたか」

 

 ソリュシャンの意図にも気づかず、純粋に女王と仲良くなるために英雄譚を話そうと思っていた自分が恥ずかしくなるが、気づかなかったと言うわけにもいかず、気づいていたふりをする。

 

「はっ。人間にしてはそれなりの擬態ではありましたが、行動や口調に僅かな違和感がございましたので」

 

 特に誇るでもなく淡々と告げるソリュシャンに、モモンガは内心で首を傾げる。ソリュシャンがあのわかりやすい演技をそれなりと評した事だ。

 理由を聞こうとしたが、それより早くナーベラルの頭の上に付いた兎の耳が反応した。

 

「モモンさん。先ほど女王の横にいた男が戻りました。準備が整ったようです」

 

「そうか。では出迎えるとしようか。さて、女王陛下はどちらの演技で戻るのかな」

 

 年の割に大人びた女王らしい態度か、それともあの天真爛漫な子供らしい態度で来るのか。

 もっとも、それは大した問題ではない。

 交渉相手は宰相であり、なおかつ竜王国唯一のアダマンタイト級冒険者だったクリスタル・ティアが壊滅した以上、モモンガたちがいなければこの国に未来など無い。交渉はこちらの優位に進められる。

 

「……モモンさん。男が外の衛兵を下げさせたようです」

 

 ナーベラルの言葉で、ドラウディロンがどちらを選択するか分かった。

 

「どうやら演技を続ける気はなさそうですね」

 

 当然ソリュシャンも、そのことには気づいている。

 本来の性格を隠すために、衛兵を下げて人払いをしたのだ。

 

「話が早くて助かるな」

 

 モモンガとしても本音で来て貰った方が交渉がしやすい。

 その後、完全に衛兵が下がるほどの間を置いてから、部屋の扉がノックされ、先ほど女王の隣にいた宰相が入ってきた。

 やはりこの男も食事会に参加するようだ。

 さて、どうやって話を進めようかと考えていたモモンガだったが、続いて現れた女王の姿を見た瞬間、精神抑制されることになった。

 

「着替えに手間取ってしまって申し訳ない。待たせたな、漆黒の皆。改めまして、私こそ七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)の曾孫にして黒鱗の竜王(ブラックスケイル・ドラゴンロード)の名を持つ竜王国の女王、ドラウディロン・オーリウクルスである」

 

 先ほどとはまるで違う声、性格、そして年齢すら違う女が眼前に立つ。

 しかし自信に満ち溢れた態度が、彼女こそ正しくこの竜王国の女王であると言外に告げていた。

 

 

 ・

 

 

 会食とは名ばかりで、テーブルの上に用意された食事には誰も手を付けない。

 リーダーであるモモンが、諸事情により兜を外すことが出来ないと言ったためだ。

 外すと効果の無くなる魔法武具か何かなのだろうか。

 もっともドラウディロンもこの姿でここに来たときから、会食で親睦を深めようなどという気はさらさら無かったため、用意させた酒で喉を湿らせると直ぐに本題に入ることにした。

 

「先ずは我が国を救ってくれた救国の英雄に、改めて感謝を。そしてそれに報いさせて貰いたい。どうやら、実直的な話の方がお好みのようだったのでな。こうして場を用意させて貰った」

 

 ドラウディロン本来の姿で現れたところを見ても、三人は特に驚いた様子を見せなかった。

 これで少しは主導権を握れるかと思っていたが、甘かったようだ。

 既にドラウディロンの本性を見抜いていたために驚きは薄かったのだろう。

 

 彼女が常日頃から見せている、幼いながらも必死に国を守ろうとする女王の姿は偽りのものだ。

 そちらの方が保護欲を刺激して皆が頑張ってくれる。と宰相から言われた為であり、確かに多くの騎士や冒険者──セラブレイトはまた別の欲によって動いていたようだが──が国を守るために必死になってくれた。

 しかし、漆黒はあっさりとそれを見抜いた。

 自分で言うのも何だが、もう長いことこの幼い演技を続けているため、一見した程度では気づかれない自信があったのだが。

 

 今までの例外はただ一人、帝国の皇帝ジルクニフだ。

 以前ビーストマンの侵攻が確認された段階で面会した際に、ドラウディロンはいつものように幼いながらも国のため、必死に女王らしく見えるように背伸びをしている少女という演技で助力を求めた。

 そんな彼女に対し、ジルクニフは現在帝国は自国の平定と王国との戦争で忙しく、今直ぐ手を差し伸べられる状況ではないが、隣国の危機にはなるべく力を貸したいと考えている。と言うような内容をひどく婉曲的な物言いで告げてきた。

 それはつまり直ぐには助けはしないが、もっと分かりやすい見返りを出すなら手を貸しても良いとの宣言に他ならない。

 その時はまだここまでの大侵攻だと思っていなかったことや、法国に再度働きかける手段が残っていたため引き下がったのだが、ジルクニフは確実にドラウディロンの演技に気づいていた。

 子供には分かりづらい婉曲的な物言いは、ドラウディロンが本当は子供ではないことをジルクニフが気付いているとこちらに知らせるとともに、助けを請うなら情ではなく実利を持って来い。と言葉に出さずに告げていたのだ。

 

「ありがとうございます。私たちのような不調法者は、大勢の前では緊張して上手く話すことが出来ませんので助かります」

 

 ドラウディロンの言葉にモモンが答える。

 どこまで本気で言っているのか分からないが、先ほどまであれほど傍若無人な態度を見せていた金髪の女、ソーイは無言のままだ。

 彼女からジルクニフと同じものを感じたからこそ、ドラウディロンはこの会食を提案したのだ。

 今回の大侵攻は退けたが、ビーストマンの国がある以上、今後も侵攻は続く。

 クリスタル・ティアが壊滅し、法国との協力関係も今後どうなるか分からない今、なんとしても漆黒には国内に留まって貰わなくてはならない。

 そのために宰相と二人で、いくつも手段を講じた。

 

 国民だけではなく、城の騎士たちにもワーカーを英雄として扱わせることで、良い気分にさせる。

 本来はそれを祝勝会という形で行う予定だったが、あちらから断ってきたことで中止となった。

 しかし、報告によると漆黒は都市解放の際、人質諸ともビーストマンを討ったことを気にしているとのことであり、そのことに感激した騎士がこの話を城中に広めたため、なにもせずとも城の兵士たちも彼らを英雄視していたので、さほど難しくはなかった。

 次の手段が情に訴えること。

 ジルクニフには通じなかったが、リーダーであるモモンがそうした清廉潔白な英雄らしい人物だと報告を受けたことで、他の騎士たちのように情に訴える手段が有効なのではないかと考えて、先ずはあの姿──宰相曰く形態──で接して様子を見ることにしたのだが、それもあっさり見抜かれたためにこうして全てを晒し、その上で相手の望む物を差し出すことで国内に留まって貰おうと考えた。

 だからこそ、他の衛兵は下げさせて、自分と数少ない理解者である宰相だけで会う選択をしたのだ。

 女王が護衛も無しにワーカーと会うのは本来あまり褒められた行為ではないが、場内の者たちも彼らを救国の英雄として扱っていることや、元々ドラウディロンは騎士や冒険者の激励の際などは、宰相を含めた三人だけで会うこともあったので、何とかこの場を作ることが出来た。

 

「それは良かった。では早速話をさせて貰いたいのだが、宜しいかな?」

 

「全て陛下のお望みのままに。我々は何の不満もございません」

 

 ゆっくりと頭を下げるモモン。

 不調法者などと言ってはいるが、言葉遣いや態度は通常の冒険者やワーカーとは比べ物にならない。

 ある程度の教育を受けている証拠だ。

 ただし、それはこの辺りの国のものではない。

 

(モモンは他国から流れてきた貴族か、あるいは王族? 二人はその護衛といったところか)

 

 王族と予想したのには理由がある。

 モモン自身がどこか人の上に立つ人物特有の雰囲気のようなものを纏っているのが一つ。

 そしてもう一つは、両隣を固めた二人のチームメンバーだ。

 上に立つ人間を見極めるには、本人よりもむしろそれを支える周囲の人物を観察する方が手っとり早いというのが、ドラウディロンのそれなりに長い人生で得た教訓だ。

 そのドラウディロンを以てしても、これほどの忠誠心を持った人間を見たことはない。

 ナーベの方はかなり分かりやすいが、もう一人の態度も粗暴で口も悪い、誰もが思い描くワーカーの性格そのままといった風体のソーイすら敬意では済まない忠誠心を持っているのが分かった。

 

 隠していてもそうしたものは伝わるものだ。

 一番分かりやすいのは周囲に対する警戒だ。

 警戒そのものはワーカーの性なのかもしれないが、二人の場合その対象が自分ではなく常にモモンを対象にして、いつでも彼を守れるように行動している。

 自身も常に衛兵たちから守られている立場だからこそ、それに気づくことができた。

 そして、あの若さで高い演技力と忠誠心を持つとなれば、恩義や本人に惚れ込んでというだけではなく、生まれから来るものではないかと考えたのだ。

 つまりモモンが王侯貴族の出身だとして、二人はその従者の家系。そう考えると辻褄が合う。

 

(とはいえ。私にだってここまで忠誠心を持ってくれる奴はいないぞ)

 

 チラリと隣の宰相に目を向ける。

 口こそ悪いが、彼もそれなりに自分に敬意と忠誠心を持っているのは理解している。

 そうでなければ、ドラウディロンも本来の姿を見せたりはしない。

 そんな彼よりも強い忠誠心を持った部下を二人も連れた男。

 交渉は容易ではない。

 ドラウディロンは気合いを入れ直し、女王らしい笑みを作って笑い掛ける。

 

「では──早速話をしましょう」

 

 失敗は許されない。

 これは竜王国の存亡が懸かった交渉なのだから。

 

 

 ・

 

 

「では──早速話をしましょう」

 

 そう切り出したドラウディロンは僅かに緊張した面もちで、ワインらしき酒を一口飲むと、続きを口にした。

 本性を見せて来たのは予想通りだったが、姿まで変えられたのは少々驚いた。

 魔法によるものか、それとも竜の血を継ぐ者特有の特殊能力(スキル)なのか。

 ソリュシャンがそんなことを考えている間に、ドラウディロンは続ける。

 

「私の頼みは一つ。どうか、漆黒の皆様にはこのまま竜王国に滞在して頂きたい。報酬は望む額をお約束します。何か他に望む物があるのでしたら、それもお支払いしよう。この国を守るためには貴公らの力が必要不可欠なのです」

 

 一気に言ってそのまま深く頭を下げる。

 一国の女王が、単なるワーカーに頭を下げて懇願する。

 本来ありえない光景だが、それほど竜王国が切迫した状況であると示していた。

 人払いをしたのはその辺りの意味合いもあったのだろう。

 いくら状況が切迫していても、国の代表が一般人に頭を下げるところを見られては、国の威厳に関わるからだ。

 

「陛下。頭をお上げください。つまりは仕事の追加依頼ということですね」

 

 主が凡その行動指針を示した上で、英雄然とした態度を崩せない主の代わりに、粗暴で欲深いワーカーのソーイが、交渉を引き継ぐ。

 これがいつもの流れであり、それは今回も変わらない。ソリュシャンは相手に気づかれないように気を引き締める。

 

「その通りだ。自国の恥を晒すようだが、次またビーストマンが侵攻を仕掛けてきた場合、今の我が国ではそれを跳ね返す力はない。だからこそ、貴公たちに残ってもらわなくてはこの国に未来はない。そのためならば私は幾らでも頭を下げよう」

 

 更に言葉を重ねるドラウディロンの言葉の中に、付け入るスキを見つけた。

 自分たちが残らなくては未来がないとはっきり言ってしまったことだ。

 

「……頭を下げられてもな。さっきも言っただろ。それじゃ腹は膨れねぇんだよ。ようは──」

 

 ここを突けばより優位に立てる。そう考えて、ソリュシャンが交渉を引き継ごうとしたが、主が手を振ってそれを止めた。

 

「ソーイ。私が話しているのだ」

 

 ピシャリと言い切られ、背筋に冷たいものが流れる。

 普段はともかく、ワーカーとしての活動中は、こちらの判断で動いていいと直々に告げられているため、主とドラウディロンの会話に割り込んだことを咎められているのではない。

 だとすれば、言った内容に問題があったのだ。

 それはつまりソリュシャンが自分では気づかないミスを犯したということ。

 

「っ! 申し訳、ない。分かった、後はリーダーに任せるよ」

 

 即座に謝罪の言葉を述べようとして、何とかソーイとしての体面を保ちながら告げて唇を噛みしめた。

 己の不甲斐なさに、怒りすら覚えるが今は何もできない。ここで弱みを見せてはこれからの交渉に差し支えるからだ。

 

「陛下。私たちはワーカーです。望む報酬を頂けるのであれば先の依頼、謹んでお受けいたします」

 

「本当か!? なにを用意すればいい? 何でも言ってくれ、私にできることならどのような物でも構わん」

 

 ドラウディロンが嬉しそうに顔を持ち上げる。

 そのことに身勝手ながら苛立ちを覚えた。

 

「むしろ、陛下にしか用意できないものだと思います」

 

「わ、私にしか? そ、それってもしや──」

 

 突然、ドラウディロンの声が上擦り、顔が赤くなる。

 何を勘違いしているのか手に取るように分かり、余計に不快さが増すがやはり口には出せない。

 

「私たちが欲しているのは情報です」

 

「え? あ、情報、か。なるほど」

 

 己の分不相応な勘違いに気づいたようだが、同時に納得を示しているのも見て取れた。

 この世界に於いて情報の価値は非常に高いからだ。

 低位の魔法しか使えず、監視や盗聴なども簡単にはできない人間たちは情報を得るために、多数の人員を使用しなくてはならず、その上情報が事実であるか調べるために、複数の手段によって精査しなくてはならないこともあって、金銭も時間も多く割かなくてはならない。

 

 一番分かりやすいものだと地図だ。

 この世界で詳細な地図を手に入れるのは非常に難しい。

 単純にそうした地図を作製できるほどの技術力が無いのも理由の一つだが、例え作れたとしてもそれが一般に流通することはあり得ない。

 せいぜいが各国の大ざっぱな位置情報や国境線が書かれた物──それもこの周辺諸国に限る──を高額で手に入れるのがやっとで、それ以上に詳細な物となると金額の問題ではなく、国の首脳陣クラスとのパイプが必要となるほどだ。

 だからこそ、主は周辺諸国で最も危機に陥っており、トップに恩を売れる環境にあるこの竜王国に目を付けたのだ。

 

「もちろん、我が国が持つ情報の中で開示できる物でしたらお教えしよう。具体的にはどんな情報を集めている?」

 

 ドラウディロンの表情に希望が浮かぶ。

 自国で支払うことが出来る報酬があると理解したからだろう。

 しかし問題はここからだ。

 主が一体どれほど踏み込んで情報を得ようとするのか。

 ワーカーとして活動していく上で、詳細な地図や周辺諸国の情勢などの情報も必要だろうが、一番重要であるナザリック地下大墳墓に繋がる情報。

 直接的な物だけではなく、自分たちと同じようにこの世界に転移してきた者たちの情報も集める必要がある。

 しかし、はっきりと告げてしまうと、何故自分たちがそれを知っているのか疑われてしまう。

 その辺りまで含めて慎重な行動が必要となるが、主はいったいどのような手段を講じるのか。

 至高の御方の交渉術を見逃すまいとソリュシャンは静かに息を呑むが、主の口から出た言葉は、予想外のものだった

 

「女王陛下。古き竜王の血を継ぐ貴女だからこそ、聞きたい。プレイヤーという言葉に心当たりはありますか?」

 

(正面から。相手の意表を突くため? それとも他の目的が?)

 

 こうした交渉のやり方もあるにはあるが、それは大抵の場合自分が相手より劣っており、細かな探り合いや化かし合いでは勝てないと踏んで行うものだ。

 だが、至高の存在と謳われ、強さだけではなく、叡智に於いてもこの世の誰より優れた主がそんなやり方を選ぶはずがない。

 つまり何か意味があるのだ。それは間違いないが、今のソリュシャンではそれが何なのかは分からなかった。

 

 ピタリと、場の空気が止まった。

 いや、正確には止まったのはドラウディロンと自分たちだけだ。

 宰相である男は、不思議そうにドラウディロンに目を向け、止まってしまった己が主君に声を掛ける。

 

「陛下?」

 

 ドラウディロンを窺うように尋ねているところを見るに、やはり宰相はプレイヤーの存在は知らないようだ。

 これを探ろうとしていたのだろうか。それだけとは思えないが──

 

 件のドラウディロンは、しばらくの間放心したように無言で主を見つめていたのだが。

 突然スイッチが入ったかのように、テーブルに手を突いて立ち上がると、不敬にも主に向かって指を伸ばした。

 

「お前。竜帝の汚物か!」

 

 絶叫するかの如く告げられた言葉の意味が、一瞬理解できなかった。

 

「おぶつ?」

 

 隣に座る主が確認するように、口の中で小さくその言葉を繰り返したことで、やっと意味を理解する。その瞬間、先ほどとは違った意味で背筋に寒気が走った。

 血の気が引くほどの激しい憎悪が、ソリュシャンの体を支配した。




長くなったので切ります
後半は大体書けているのでいつもより早く投稿できると思います


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 悪魔の契約

前回の続き
個人的にはモモンガさんは、ナザリックやギルメンが絡まなければ自身に対する侮辱は大して気にしないイメージです


「ああ。汚物か」

 

 再度口の中で繰り返し、その意味をモモンガが理解した瞬間、弾かれたように動き出したのはナーベラルだった。

 誰が見ても分かるほど瞳を怒りに染め上げ、モモンガを指すドラウデロィンに合わせるかの如く、彼女に指を差し向けたナーベラルは一言簡潔に呟いた。

 

「殺す」

 

 自分の主をよりにもよって汚物呼ばわりしたとなればナーベラルの忠誠心と、ナザリックに属する者以外すべてを見下している性格上こう出るのは当然だが、今はまずい。

 

「〈二重最強化・連鎖(ツインマシキマイズマジック・チェイン)──〉」

 

 そのまま魔法を放とうとするナーベラルを慌てて止めようとしたモモンガより早く、席を立ったソリュシャンがそれを止めた。

 

「おっと。待てよ」

 

「止めないで! コイツは」

 

 ナーベラルの腕を取り、落ち着かせようとするソリュシャンに安堵しかけたモモンガだったが、次の言葉でそれは早計だと気付く。

 

「魔法で一発なんて許せるわけねぇだろ。ここはあたしにやらせろよ。ゆっくり時間を掛けて殺す」

 

(あ。こっちもダメだ)

 

 そう気づいたモモンガは、即座にテーブルに拳を叩きつけた。

 

「いい加減にしろ二人とも!」

 

 モモンガの声に、二人は同時に身を竦ませる。

 その後、同じようにこちらは単純な恐怖によって身を縮ませていたドラウディロンに向かって、深く頭を下げた。

 

「私のチームメイトが、誠に申し訳ありません、女王陛下」

 

「え? あ、いや。私の方こそ失礼なことを言った。こ、ここはお互い様と言うことにしよう」

 

 女王に魔法を撃とうとしたなど、本来なら極刑ものの犯罪行為なのだろうが、モモンガたちが国を救える唯一の可能性である以上、ドラウディロンも強くは出られないらしく、取りなすように乾いた笑いを浮かべて言う。

 正直言ってモモンガにとって汚物扱いされたのは大した問題ではない。

 もちろん聞いた時は驚いたし、自分自身を指した言葉であったのなら多少苛立ったかもしれないが、プレイヤー全体を指す蔑称なら別に気にする必要はない。

 むしろ弱みを握ったと考えて喜んだくらいなのだが、そのせいで対応が遅れて二人の暴走でお互い様となってしまったのは誤算だった。

 

(まあ仕方ないか。俺だって俺自身じゃなくて二人に対して言われたら切れていたかもしれないしな)

 

 自分のことなら我慢もできるが、モモンガ、いや鈴木悟の全てであったアインズ・ウール・ゴウンのメンバーたちや、ナーベラルとソリュシャンを始めとした彼らが創ったNPCを馬鹿にされたら自分がどうなるか分かったものではない。

 それは彼女たちも同じだ。自らの絶対的支配者であるモモンガを汚物扱いされて、二人が暴走しないはずがなかった。

 つまりこれは二人の失態ではなく、それに気付けなかったモモンガ自身のミスに他ならない。

 

「感謝致します……して。先ほどの言葉ですが」

 

 何より今重要なのはプレイヤー、つまりはナザリックに繋がるかもしれない手掛かりを見つけたことだ。

 モモンガは逸る気持ちを抑えながら話を再開させた。

 

「あ、ああ。強大な力を持った存在であるぷれいやーについては、我が曾祖父にしてこの国を造った建国の父である七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)が残した資料にも載っている。曾祖父を含めた竜王にとって、ぷれいやーは自分たちの同胞を数多く討った敵の総称として書かれていた。だから、先ほどの呼び名は決して貴公を侮辱してのものではない。それだけは信じてくれ」

 

 真剣な表情で懇願するドラウディロンを他所に、モモンガは思案する。

 このまま自分たちをプレイヤーだと勘違いさせておくかどうかだ。

 

(女王はともかく竜王が敵対していたというのなら、プレイヤー本人だと思わせるのはまずいか)

 

 敵対していたからこそ、汚物などという蔑称が用いられていたのだろう。

 それほど憎まれているのならば、プレイヤーを名乗るのは得策ではない。

 

「いえ。女王陛下、私たちはプレイヤーではありません」

 

「何? では何故その名を知っている? それは一部の古くから存在する国家を除き、国のトップですら知らない情報だ。一介のワーカーが手に入れられるはずがない。それに、その力もだ」

 

(しまった! プレイヤーの情報はそれほどの機密だったのか)

 

 英雄譚などで話が残っているのだから、もう少し気安い情報だと勘違いしていた。

 そのためモモンガはカマかけの意味も込めて、最初からプレイヤーという言葉を使ったのだが。どうやらその時点でミスを犯していたらしい。

 

(ええっと。何か、俺が知っていて不思議がない理由は……そうだ!)

 

 ドラウディロンの瞳が懐疑的な物に変わるのを見て慌てたモモンガは、必死に頭を回転させて無理矢理一つのアイデアをひねり出すと、それをそのまま口にする。

 

「私はそのプレイヤーの子孫なのです」

 

 アンデッドである自分はともかく、プレイヤーのアバターは異形種より人間種が多い。

 そのままこの世界に転移したのならば、子供を作ることも出来るかもしれない。

 自分たちをその立場に置けば、断片的な情報だけ持っている理由にもなる。

 

「なるほど。ぷれいやーの血を覚醒させた者だったか。神人、いやあれは六大神の子孫だけだったか、とにかくそうした者が居ることは聞き及んでいる」

 

 ドラウディロンの表情に納得の色を見つけ、モモンガも胸を撫で下ろした。

 そうした存在が実在するのであれば話が早い。とっさに思い付いたものだが、我ながら良いアイデアだったようだ。

 

「ええ。ですが、我々の祖国では既にそうした情報が途絶しております。ですので諸国を回り、情報を集めるのが私たちの目的というわけです」

 

「そうか……おい。悪いが外に出ていてくれるか? 少々込み入った話になりそうだ。この場に衛兵が近づかないようにしておいてくれ」

 

 少しの間、何か考えるような態度を見せた後、ドラウディロンが宰相に向かって告げる。

 

「……ですが陛下」

 

 つい先ほど国のトップに魔法を放とうとしたような相手が居る場所に、主君を置いていくことを納得しきれていないのか、渋面を作った宰相にドラウディロンは苦笑を返す。

 

「先の音は届いていないはずだが、万が一ということがある。何、心配はいらない。既に和解は成立している。そうだろう? モモン殿」

 

「無論です。いかなる場合に於いても、先のような無礼は私が許しませんよ」

 

 いいな。と言うように目配せをすると、二人は同時に頷く。

 自分たちの関係が、チームメイトではなく主従関係にあると言っているようなものだが、先ほどの行動を見ればもはや一目瞭然。今更取り繕っても仕方ない。

 

「だそうだ」

 

「──承知致しました。ではモモン殿、くれぐれもよろしくお願い致します」

 

 短いながらも熟考したような気配を感じさせてから、宰相はモモンガに向かって深く頭を下げて、その場から離れた。

 

(さて、ここからだ)

 

 既に二度もミスを犯してしまった。もう失敗は許されない。

 気合を入れなおし、モモンガはドラウディロンと向かい合った。

 

 

 ・

 

 

「改めて問うが、貴公がぷれいやーの血を引いているのは間違いないのだな? その上で自らの祖先であるぷれいやーの情報を知りたいと」

 

 宰相を下がらせた後、ドラウディロンはモモンを正面から捉えて言う。

 

「その通りです」

 

 モモンが間を置かず答えた。

 横の二人は先ほどのことなど忘れたかのように涼しげな顔で席に戻っているが、姿勢が変わっている。

 ピンと背筋を伸ばして微動だにしない姿は、女王として数多くのメイドや執事を見てきたドラウディロンを以てして、最上位と位置づけられる見事な振る舞いだ。

 とても一介のワーカーに出来るものではない。いよいよモモンの従者であることを隠さなくなったようだ。

 何より涼しい顔はしていても、ドラウディロンの全身に強烈な殺意が形を持っているかの如く向けられているのが分かる。

 正直国を背負うものとして、先ほどの対応はあまりに迂闊だった。

 部屋を出ていった宰相も明らかにこちらを責めるような目で見ていた。

 彼が出ていくのを躊躇ったのは、ドラウディロンの身を案じたことよりむしろ、これ以上余計なことを言わせないように、監視するためだったのかもしれない。

 

(でも、仕方ないじゃないか)

 

 つい、心の中でそんな言い訳をしてしまう。

 迂闊なのは間違いないが、ドラウディロンにも言い分はある。

 竜帝の汚物、すなわちぷれいやーは竜王国の国父である七彩の竜王を始めとした、現在生き残っている真なる竜王にとっては数多の同胞を殺し、現在の位階魔法を広めて世界を汚した怨敵と言える存在であり、ドラウディロン自身、幼少の頃から女王になるための教育の一環として、ぷれいやーの危険性について聞かされ続けていたのだ。

 そんな相手が突然目の前に現れれば、冷静でいられるはずがない。

 

(……なんてな。全ては私に為政者としての才能がないだけだ)

 

 自分に女王としての才能があるとは思っていない。

 彼女の武器は経験だ。為政者としての才能など、ある程度あれば後は経験の方が重要になる。

 ずっとそう考えてきたが、先のような突発的な想定外に対して弱いのはそれ以前の問題だ。

 あの間違いなく蔑称でしかない呼び名で呼ばれても、怒るでもなく従者を諫めることを第一にする辺り、モモンの人の上に立つ者としての才は自分以上かもしれない。

 そんなことを考えそうになっている自分に気付き、己を律する。

 今は自嘲や反省より、自分の持つ全ての力を使ってこの場を乗り切ることのほうが重要だ。

 幸いと言うべきか、二人はドラウディロンに殺気を向けてきてはいるものの、モモンに命じられたこともあって、それ以上何かをする気はないようだ。

 つまり交渉は、モモンとドラウディロンの二人に委ねられたことになる。

 こういう時こそ、経験がものを言う。と言いたいところなのだが。

 

(仮面越しだといまいち読めないな)

 

 経験則に重きを置くドラウディロンにとって、表情が読めないのは痛い。

 ならばこちらは情報を小出しにしつつ、声や動きで察していくしかないのだが、その前に一つ確認しておかなくてはならないことがあった。

 

「先ず聞いておきたい。貴公らはぷれいやーの情報を集めてどうするつもりだ?」

 

「自らの出自を知りたいと考えることが不思議ですか?」

 

「いや、そうではないが……ぷれいやーは強大な力を持ち、中にはこの世界そのものを汚した存在もいると聞く。だからこそ、私たち王家の者はこの情報の管理には慎重にならなくてはならない」

 

 言葉を濁しつつ、思案を続ける。

 彼の正体が知れたのは良いが、同時に問題もある。

 ぷれいやーは現存する真なる竜王にとって、未だに倒すべき敵として認識されているからだ。

 七彩の竜王がぷれいやーに関する情報を集めていたのは、いつかその者たちと戦うつもりだったからに他ならない。

 ここで彼らと手を組んで情報を渡すとなれば、それは回り回って未だ生存しているのは間違いない曾祖父や、評議国にいる真なる竜王たちの怒りを買いかねない。

 それは目先の危険であるビーストマン撃退と釣り合うのだろうか。

 つい先日までなら、そんな先のことを気にしている場合ではないと言っていただろうが、今は状況が変わった。

 思った以上に素早くビーストマンが撤退してしまったからだ。

 

 もしビーストマンが撤退せず、未だ国家存亡の危機であれば、他に頼れる者がいない現状、モモンがどんな要求をしてきても無条件に飲むしかなかった。

 しかし、ビーストマンの素早い撤退によって竜王国は数ヶ月程度だろうが、時間的な猶予が生まれた。

 クリスタル・ティアが壊滅した以上、漆黒に竜王国に残ってもらいたいのは間違いないが、時間があれば再び法国に救援を頼むこともできるし、帝国との交渉も可能だ。

 対して、ぷれいやーの情報を持っている国は少ない。

 近隣では法国と評議国くらいのものだろう。

 法国は自国が安定している上、武力でも六色聖典を始めとして強力な存在が多く、モモンたちほどの力でも必要不可欠というほどではない。

 評議国に至っては永久評議員にあの白金の竜王がいるため、下手に接触すれば戦いになりかねない。

 情報を持ちつつ、自分たちの戦力を最も高く買ってくれる竜王国は打ってつけの相手であり、その意味ではドラウディロンとモモンの関係は対等に近づいたと言える。

 

(ここは全てを明らかにせず、一度情報を纏める時間が必要だと言ってこの地に残ってもらい、その間に竜王国に留まって貰えるよう説得する方が得策か。私の持つ情報を全て話してしまったら、もう用はないと他国に行ってしまうかも知れないからな)

 

 それでは間抜けも良いところだ。

 情報を小出しにしつつ、最低限国内が安定するまで竜王国に留める。

 モモンが理知的な人間である以上、これが最善だろう。

 そう考えて、話をそちらに持っていこうと決めたドラウディロンだったが、モモンの方が一歩早かった。

 

「なるほど。確かにその通りですね。では、我々が敵ではない証明に、もしここで全ての情報を下さるのでしたら、陛下の頭痛の種を取り除いて差し上げましょう」

 

「頭痛?」

 

「ええ。今行っているのはあくまでも対症療法。完全に治療するには、原因を完全に切除しなくてはなりません」

 

「手術とか言ったか。口だけの賢者が考案したとかいう──そういえば、あれもぷれいやーだという噂があったな」

 

 大陸中央に現れたミノタウロスの英雄にして、そこに住んでいる人類の地位を単なる食料から奴隷階級まで引き上げた、人類にとっての英雄でもある存在だ。

 彼は数多くのマジックアイテムや概念を発案しながら、自分では作ることも原理の説明も出来ないところから、その名がついた。

 

「ほう。口だけの賢者、ですか。それは初めて聞きました」

 

 感心したように頷くモモンに嘘はなさそうだ。

 

(知らなかったのか。どちらにせよ、あの兜の下がミノタウロスということはないだろうから、その子孫という線はなさそうだな)

 

 いくら鎧や兜で素顔を隠していると言っても、体格的にミノタウロスは入らなそうだ。

 そして、周辺国家でもそれなりに知られている口だけの賢者も知らないとなれば、ぷれいやーの情報は殆ど持っていないと考えるのが自然だ。

 

「それで。いかなる方法で私の頭痛を取り除いてくれるのだ?」

 

 これはこちらの情報が高く売れそうだぞ。と内心うきうきしていた彼女の気持ちは、続くモモンの言葉で一気に凍り付いた。

 

「ビーストマンの国。あの国がある限り、竜王国は狙われ続けるでしょう。もし陛下が我々の望む情報を下さるのでしたら、直ぐにでもこちらからかの国に出向き、戦争継続が不可能なほどの打撃を与えてみせましょう」

 

 淡々と語る口振りは今までと何も変わらない。

 英雄然とした落ち着いた柔らかな口調で、モモンはそう告げてみせた。

 

「な、何を言う。いくら貴公らが強かろうと、国そのものに打撃を与えるなど──」

 

「無論、我々だけでは不可能です。私は戦士、ソーイは盗賊。どちらも複数の敵を一度に相手にするのは向きません。ナーベは魔法詠唱者(マジック・キャスター)ですが、魔力には限りがありますし回復にも時間が掛かりますからね」

 

「ではどういう意味だ? 敵のトップを暗殺でもするということか?」

 

 それでも効果は薄いだろう。

 人間の国であれば、国王や領主が暗殺されれば、国内が混乱して戦争どころではなくなるかもしれないが、ビーストマンの国は、複数の部族の集合体だ。

 しかも亜人にありがちな、強い者こそ正義という考え方が根本にあるため、部族の長を暗殺したところで次に強い者が長になるだけで、混乱などするはずもない。

 

「違いますよ。もっと直接的な方法です。陛下は魂喰らい(ソウルイーター)というアンデッドはご存知ですか?」

 

「名前くらいは知っている。死の騎士(デス・ナイト)に並ぶ伝説のアンデッドだろう? 伝説過ぎてどちらも殆ど情報はないがな」

 

「かつてその魂喰らい(ソウルイーター)がビーストマンの国に現れ、三体で十万を超える住人を殺し尽くしたことは?」

 

「それも、知っている」

 

 だからこそ、ビーストマンは過剰にアンデッドを恐れるらしいが、アンデッドは人間にとっても天敵であり、死霊使いは元々数少ない魔法詠唱(マジック・キャスター)者の中でも更に珍しい存在であり、仮にいてもスケルトンやゾンビを数体生み出し操るのがやっとで、とても戦いに投入できるものではない。

 知識としてそう理解しているドラウディロンだが、今までのモモンの口振りと、複数を相手取るのが得意ではないと言った彼らが、短時間で都市を三つも取り返した事実が頭を掠める。

 

(そう言えば。モモンたちがどのようにして都市を解放したか、まだ詳細な報告が上がっていなかったな)

 

 復興を第一に考えたことや、モモンたちが予想以上に早く首都に現れたことで、そうした情報の精査が終わる前にこの謁見が決まってしまったのだ。

 この手の情報は正確でなくては意味がない。万が一間違った情報を得てしまい、それをモモンたちの前で話してしまったら、自分たちの働きが正確に伝わっていないことに気分を害する可能性もあるからだ。

 だからこそ、その話はモモンたちの口から直接聞いて、大げさに讃えようと考えていたのだが、それが裏目に出た。

 

「私はその魂喰らい(ソウルイーター)を召喚し、使役するマジックアイテムを持っています。そしてナーベは転移の魔法も使用できる。それを使ってビーストマンの国に潜入し、いくつかの都市を落とせば、戦争どころでは無くなるでしょう」

 

 恐ろしいほど静かにモモンは提案した。

 確かにそれは可能だ。アンデッドは体力の消耗がない。

 だからこそ、そのアンデッドを倒せる者が居なければ、一都市まるごと潰すことも不可能ではない。

 そして転移魔法で都市に潜入し、そこでアンデッドを使用して、次の都市に向かう。

 これを繰り返せば国そのものすら壊滅させられる。

 

 だが問題はそれではない。

 例え理論上できたとしても、そんなことをすれば、他の国が黙っていない。

 いくら亜人とは言え、その様な卑怯な手段での虐殺など人道に反する。などと大義名分を掲げて非難するだろう。

 もっともそれは建前で在り、本音はいつ自国に使われるかも分からない力を他国が保有していることを問題視してのことだが。

 他国にも似たようなことが可能な戦力はあるのかも知れないが──評議国の竜王や、スレイン法国の六色聖典、帝国のフールーダ・パラダインなど──できるのと実際に行うのでは天と地ほども差がある。

 

「モモンさん。必要なら見せてやったらどうだ? ナーベ。確か今はお前が持ってたよな」

 

「ええ。ここで見せるのはとても簡単よ」

 

 既に従者だと判明している二人が脅すように口を挟む。

 座った姿勢だけみると見事なものだと思ったが、主の許可なく勝手に動く辺り、まだ先ほどのドラウディロンの態度に怒りを覚えているのか、それとも単に短慮なだけか。

 どちらにしても、先ほどの様子を見るにモモンが直ぐに諫めるだろうと、黙っているとモモンは少し考えるような間を空けてから一つ頷き、こう言った。

 

「そうだな。一度見ていただこうか。実際に見なければ陛下も信用できないだろう。我々がそれをキチンと制御できる証明にもなる」

 

「なっ!」

 

 城の中でアンデッドを喚ぶなどという蛮行を平然と受け入れるモモンの態度で、ドラウディロンは今更ながら全てを理解した。

 これは初めから交渉などではなく、脅しだったのだ。

 ここまでの対応や反応を見るにモモンは愚者ではない。教養もあり、礼儀も弁えている。

 だから先ほどのアンデッドによる奇襲作戦が各国に与える影響を理解していないはずがない。

 それなのにこうして、今この場にアンデッドを召喚しようとする意味はただ一つ。

 先ほど言った作戦を、そのまま竜王国で行うことも出来る。と暗に告げている。

 

 二人の従者は先ほどのドラウディロンの失言に対する怒りから告げた可能性はあるが、モモンは違う。

 恐らくはドラウディロンが情報を出し渋り、国内に留めようとしたことを見抜き、こんな手段に打って出た。

 もちろん単なる考え過ぎかも知れない。

 ことはもっと単純で、自分がモモンを買い被りすぎているだけで、考えなしに二人の意見に賛同した可能性もあるだろう。

 だが、現実問題として三人にはそれが出来る。

 そして今の竜王国でそんな真似をされたら国の滅亡は逃れられない。

 

「待て! 待ってくれ。直接見ずとも私は貴公らを信じている。今後も我が国を守ってくれるのならば、竜王国に伝わるぷれいやーの情報は全て渡そう。そして、関係する情報の収集も同時に行い全て明け渡すことも約束しよう」

 

 立ち上がり、今にも動きだそうとするモモンを制して、ドラウディロンは深々と頭を下げた。

 立場が対等になったなど思い上がりもいいところだった。

 例え手札が対等であろうと、相手にはそれを覆す武力がある。

 結局国と国との関係の強弱は武力の大小で決まる。

 国を運営する上で最も根幹に存在するこの理屈をドラウディロンは忘れていた。

 個人を国と対等に見ることなど出来ない、などと言い訳をするつもりはない。

 他の国の為政者ならばともかく、ドラウディロンは国に匹敵する個の存在を誰よりも知っているのだから。

 

「それは素晴らしい。過去の情報もそうですが、今後も情報を集めていただけるのであれば、これほどの報酬はございません」

 

 嬉しそうなモモンの声が聞こえ、ドラウディロンは自分が正解を導けたことに安堵した。

 それでも頭は上げず、動かずにいると全身鎧特有の金属音の混じった足音が聞こえてくる。

 その音はテーブルを迂回して、ドラウディロンの直ぐ隣まで移動した。

 

「ご安心ください女王陛下。我々と契約を結ぶ以上、何人たりともこの竜王国に手出しはさせません。いかなる手段を用いても必ずやこの国をお守りしましょう」

 

 ゆっくりと顔を持ち上げると、そこには悠然とモモンの手が差し出されていた。

 

(まさか。こんなことになるとは)

 

 ワーカーを英雄扱いして、良い気分にさせて国に留まってもらおう。と軽く考えていた今朝までの自分が見たら、なんと言うだろうか。

 思わず口元が自嘲めいた笑みを形作る。

 今後も情報を集めると提案したことで、先ほどドラウディロンが考えたように、情報を手にしてモモンがさっさと竜王国を離れる心配はなくなり、国は守られるが、場合によっては他国や竜王、そして自らの曽祖父すら敵に回るかもしれない状況を作ってしまった。

 これではまるで悪魔の契約だ。

 無言のまま、ドラウディロンはその手を取る。

 相手は金属の手甲を填めているのだから当然なのだが、ドラウディロンの手に伝わる冷たさに心臓を鷲掴みにされたような寒気を覚えた。

 

 

 ・

 

 

「なるほど。竜帝とは真なる竜王すら超える、全てのドラゴンの頂点に位置する存在だそうだ。その竜帝がプレイヤーをこの世界に呼んだため、あの様な蔑称が付いたのか」

 

 ドラウディロンから受け取ったプレイヤーに関する情報を読み解きながら、モモンガは書かれている内容を口にした。

 百年の歳月で多少文字の読み書きが出来るようになったとはいえ、スラスラと読めるほどではないモモンガが、ほとんど完璧に読み書きができるナーベラルたちに任せず、先に読んでいたのは理由がある。

 プレイヤーについてドラウディロンが持つ情報が、どの程度までのものか分からなかったためだ。

 

(実はプレイヤー自体が、単なるゲームをしていただけの一般人。なんてことまで知られてたら、二人には言えなかったが、そこまでは知らないようだな)

 

 というよりも、プレイヤー自体については殆どなにも分かっていない。

 強さに関する予想が中心であり、それも実情を知っているモモンガからすれば、当たっている物と外れている物、半々と言ったところだ。

 

「ですが。そうだったとしても、御身に対しあの様な暴言を吐いたのは許されることではございません。情報が集まった後は、即刻始末すべきかと」

 

「それには私も同意します。お任せくださるのでしたら、私が時間を掛けてゆっくりとこの身で溶かしながら、あの女に己の愚かさを教え込んでみせます」

 

 ナーベラルはともかく、冷静なソリュシャンまで未だ怒りを露わにしている。

 ドラウディロンが途中から妙にしおらしくなったのは、案外この二人の殺気でも感じ取ったのかも知れない。

 

(ドラゴンは感覚が鋭いって言うしな)

 

 ユグドラシルでも、そんな設定があった気がする。

 どちらにしても、彼女たちの怒りをなだめる必要がある。

 

「止めておけ。明確に私や仲間たちを貶める意図が有ったのならばともかく、そうでないのならば一度は見逃してやる。奴にはこれからも私のために情報を集め続けて貰わなくてはならない。何より優先すべきはかつての仲間たちであるアインズ・ウール・ゴウンの面々、そしてお前たちの姉妹や階層守護者、ナザリック地下大墳墓自体の捜索だ」

 

 途中まではモモンガでも分かるほど納得しきれていない様子だったが、最後の言葉を口にした瞬間、二人は即座に頷いて了承を示した。

 やはり自分たちの創造主や、姉妹たちに会いたい気持ちは何よりも強いのだろう。

 必ず見つけることを決意しながら、モモンガは情報をさらに読み進める。

 

「今まで現れたとされる、プレイヤーの中にアインズ・ウール・ゴウンに関係するものはなさそうだが──百年に一度の揺り返しによって、召喚され続ける、か。私たちがこの世界に来たのもその一つだったわけか」

 

 要するに、モモンガたちがこの世界に転移したのは、その竜帝が行った儀式によるものであり、自分たち以外にも複数のユグドラシルのプレイヤーが召喚されたのだが、その儀式の余波で百年毎に同じようにプレイヤーが召喚される事態が続いているらしい。

 竜帝の儀式の後に残った異物、それが自分たちのような存在。

 

(だから汚物か。なるほど、言って妙、だっけ? いやとにかく、じゃあ何でプレイヤーだけじゃなく俺やナーベラルたちみたいなNPCも召喚されたんだ。単にこの世界の人間がプレイヤーとNPCの区別が付いていないから全部プレイヤーと言っているだけか?)

 

 モモンガのようにNPCでありながら、プレイヤーの記憶や性格の残滓がある存在はまだしも、ナーベラルとソリュシャンが共に転移したのは、単純にモモンガとパーティーを組んでいたせいなのだろうか。

 

(だとしたら、ますます俺のせい。いや、正確には鈴木悟のせいか。本物が見つかったら文句の一つでも言ってやりたいところだな)

 

「モモンガ様。百年に一度ということは──」

 

 思考に耽っていたモモンガをナーベラルが呼び戻した。

 彼女の言いたいことを理解し、モモンガは頷き返す。

 

「そうだな。我々がこの世界に来てちょうど百年。偶然とはいえ運が良い。ドラウディロンにはこれから来る、あるいは来ているかも知れない新たな転移者の捜索に力を入れて貰おう」

 

 できれば既に来ている転移者の捜索も頼みたいが、すべて同時には難しいだろう。

 となれば──

 

「それと、今後もワーカーとしての活動は続ける。我々が転移魔法を使えることも知らせたのだ。別にここに留まらずとも、直ぐに移動できれば他の土地で仕事をしても問題は有るまい」

 

 過去に転移してきたプレイヤーに関する情報はこのままモモンガたちが集めればいい。

 ドラウディロンはこの国に留まってくれと言っていたが、モモンガは最終的に竜王国を守るとしか言っていない。

 詭弁のようだが、仕事はしっかりするつもりなので勘弁して貰おう。

 

「承知致しました。ではいつものように私が仕事を探して参ります」

 

 情報収集に加え、人の集まる場所で仕事を見つけて来るのもソリュシャンが行っている。

 この竜王国での仕事もそうして見つけてきたものだ。

 

「うむ。くれぐれも注意を怠らないように。目立つ行動も避けよ。今更性格を変える必要はないが、既にこの国では我々の名は知られている以上、余計なトラブルは避けること。良いな?」

 

 以前は酒場などでわざとトラブルを起こして実力を見せつけることで仕事を探すこともあったが、この国では漆黒の名は知れ渡っている。

 目立つことをしなくても名前を出すだけで仕事が来るだろう。

 

「はっ! 承知致しました」

 

「それと、これはナーベラルもだが、今後は探知阻害の指輪を常に填めておけ」

 

 探知阻害の指輪に関しては転移当初からアイテムボックスの中に入っていた物だ。

 このNPCを制作した際に、作りこみの一環として、冒険者に必要そうなアイテムを色々と入れておいたのが功を奏した。

 と言っても、今まではもしナザリックがこの地に転移していた場合、ナーベラルとソリュシャンを魔法で捜す可能性が有ったため、潜入などの仕事をしていない時以外は外させていたが、ドラウディロンの話を聞いて考えを改めた。

 竜王や他の転移者から狙われる可能性も有る以上、隙を作るような真似はするべきではない。

 外すのは今回の揺り返しで来た転移者の情報を集めて、安全を確保してからでも問題はない。

 

「はい! モモンガ様より授かったこの指輪。ご指示があるまで決して外しは致しません」

 

 まるで示し合わせたように二人は同時に動き、探知阻害の指輪を填める。

 指輪を填めた側の腕を自らの胸元に引き寄せると、もう片方の手でとても嬉しそうに、あるいは大事そうに指輪を撫でてみせた。

 

(どちらも左手の薬指に。うーむ。意味分かっているんだろうか)

 

 モモンガが住んでいた世界では左手薬指に填める指輪は特別な意味があったが、この世界ではそうでも無いらしい。

 なのでモモンガとしても二人がどういう意図でそこに指輪を填めているか分からず、また軽々に聞くことも出来ない以上、見て見ぬ振りをするしかない。

 そう考えながら、体ごと後ろを向いて物理的に目を逸らし、現実逃避をするかのごとく、一度読み込んだ資料に再度目を通し始めた。




ちなみにモモンガさんは気にしていませんが、ナーベラルとソリュシャンはドラウディロンのことを一切許していません
ナザリックが見つかった後、もう一度進言してその時こそ殺そうと考えています。当然モモンガさんはそれには気づいていません



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 忍び寄る不穏

ナザリックの転移によって、周辺諸国にも影響が出始める話です


 リ・エスティーゼ王国、王都。

 王城ロ・レンテの敷地内に存在するヴァランシア宮殿の一室で行われた宮廷会議には、幾多の貴族や重臣が集まっていた。

 彼らの視線は玉座に腰掛ける国王ランポッサⅢ世に対して跪く一人の男に向けられている。

 周辺諸国最強の戦士と謳われる王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフである。

 

 彼はつい先日まで、戦士団五十人を率いて、国境近郊で目撃された帝国騎士の発見と討伐の任に就いていた。

 実際目撃通り、帝国騎士らしき一団が国境付近の村を幾つも壊滅させていたため、それを追っていたのだが、ある村を境に被害はピタリとなくなり、周辺を捜索しても帝国騎士は見つからず、村の生き残りの護衛などで隊の人数も減ったこともあって、仕方なく任務を切り上げて王都に帰還したのだ。

 戦士団の隊員は誰一人欠けることなく、無傷で帰還できたが、ガゼフに対する貴族たちの視線は冷たいものだった。

 幾つもの村を壊滅させられた上、下手人を捕らえることは愚か、見つけることも出来なかったのだから、それも仕方ない。

 

 ガゼフから言わせれば貴族たちが余計な横やりを入れることなく、隊員を全員連れていくことができれば手分けして捜索するなどして村の破壊を未然に防げたかもしれないし、最低でも帝国騎士を発見できたかもしれない。

 しかし、今更それを言っても始まらない。

 すべての報告を聞き終えた王は、そうか。と覇気のない声で頷いた後、ガゼフに告げた。

 

「ともあれ。お前たちが皆無事に帰還できたことは嬉しく思う。よくぞ戻った」

 

「はっ。ありがとうございます。陛下」

 

 王の労いの言葉に即座返答するガゼフだが、やはり心は晴れない。

 

「しかし、周辺諸国最強の戦士長殿が率いる戦士団を動員して未然に防げなかったどころか、帝国騎士を見つけることさえ出来ないとは。これでは何のために派遣されたのか分かったものではありませんな」

 

 案の定、横から貴族たちの嫌みが聞こえてくる。

 

「……村の生き残りより、間違いなく帝国騎士の仕業だという証言は得ております」

 

 せめてもの反撃とばかりに告げた言葉も、直ぐに切って捨てられた。

 

「村人の証言など帝国の偽帝が認めるはずがあるまい。帝国騎士を捕らえるか、最低でも鎧などの物証でもなければ話にもならんわ」

 

 貴族の言葉に、ガゼフは言葉を詰まらせた。

 実際その通りだったからだ。国と国との外交問題に於いては、物証がなければ言った言わないの水掛け論になるだけで、何の意味もない。

 やはり自分のような平民が口を出すべきではない。言えば言っただけ貴族たちに王を責める材料を与えるだけだ。

 そう理解して、これ以上余計なことを言わないようにとガゼフは、謝罪の言葉を口にした後、唇を堅く結び直す。

 

「陛下。如何に戦士長殿と言えど、陛下のご命令を遂行できなかった責任は取るべきではありませんか?」

 

 黙り込んだガゼフに対し、それを好機と見たのか貴族派に属している貴族の一人が発言する。

 直ぐに他の貴族派の者たちも続いた。

 

「む。いやしかし……」

 

 多数の貴族に賛同されては王も強く反対できず、曖昧に口籠る。

 

(しまった! これが狙いか)

 

 今回の任務にはおかしな点が幾つもあった。

 国境近くにある大都市、エ・ランテルから兵士や冒険者を派遣することも、ガゼフが王より預けられた王国の秘宝を持っていくことも出来ず、連れていける隊員の数も五十人と定められたことも。

 そうしてガゼフに任務を失敗させた上で王の直轄領に被害を与えて王を責める理由を作り、王派閥の力を削ぐことで、結果的に貴族派閥の勢力を拡大させる。

 それが狙いだと思っていた。

 しかし、連中の狙いはもっと大きく、王の懐刀であるガゼフを解任させることで、物理的に王の力を削ごうとしているのだと、今更気づかされる。

 ガゼフと戦士団は、王国にとって強力な戦力だ。

 特に例年の帝国との戦争に於いては外すことの出来ない存在であり、そのため貴族たちも平民であるガゼフを不愉快に思っていても無理に排除する事は出来なかったはずだ。

 

(それが今になって動くとは)

 

 うまく反論が出来ず追いつめられた王とガゼフに、手を差し伸べたのは思いも寄らない人物だった。

 

「……失礼ながら、今は戦士長殿の進退より、それが本当に帝国の仕業だった場合どうするかを考える方が先決ではありませんか?」

 

「む。レエブン侯」

 

 幽鬼のように前に出た男の名はレエブン侯。

 王国の六大貴族の一人にして、どちらの派閥にも顔が利くコウモリと揶揄されている人物であり、今回他の六大貴族は参加していないこともあって、彼の言葉に正面から反対できる者はいなかった。

 

(レエブン侯が何故……いや、最近は貴族派閥に肩入れをしていたから、そろそろこちらにも良い顔をしようと言うだけか)

 

 助かったのは事実だが、レエブン侯に恩を売られたと考えると今後、もしかしたらより大きな不利益を王にもたらすかも知れない。

 自分が任務を達成できなかったことと、不用意な発言が原因だとすれば、王になんとお詫びすれば良いか分からない。

 固く結んだ唇の裏側を噛みしめると、口の中に血の味が広がった。

 それでも取り敢えずガゼフの進退からは話が離れ、レエブン侯の誘導通りそろそろ時期が近づいている帝国との戦争に議題が移行する。

 

「ですが、本当に帝国の仕業だったとしても、それはつまり王国と戦うことを恐れているからこそではありませんか?」

 

「なるほど。我々に正面から勝てないと理解しているからこそそんな手に出たと。あの誇りも何もない偽帝ならばあり得ますな」

 

「でしたら今度こそ、例年のように帝国の侵攻を撃退するだけではなく、そのまま帝国に攻め込む番ですな」

 

「帝国の愚か者どもに、我らの恐ろしさを知らしめる絶好の機会というわけですか」

 

「違いありません。まさに伯爵様のおっしゃるとおり」

 

 口々に暢気なことを言い出す貴族たちに寒気が走る。

 

(まさか。戦争で帝国が手加減していることに、本当に気づいていないのか?)

 

 帝国が毎年決まった時期に仕掛けてくる戦争は、毎回双方に大した被害が出ない小競り合いのようなものだが、その本質は違う。

 帝国が小競り合いに留めているのは、あくまで収穫時期に戦争を起こすことで徐々に国力を落とそうという計略だからにすぎない。

 そうして国力を落とした後、いよいよ本気になって攻めてくるに違いない。

 貴族派閥はそれに気付きながらも、目を瞑っていると考えていた。

 そうすることで王家の権威が落ち、自派閥の力が増すからだ。

 貴族派閥はあくまで帝国の計略を理解しつつ、それでも自分たちが主流派になり国を纏めれば何とかなるという甘い考えをしているのだとばかり思っていたが、もしかしたら彼らは例年の戦争の小競り合いによる帝国の撤退を本気で撃退していると勘違いしているのではないだろうか。

 

 だからこそ、ガゼフや戦士団がいなくても戦争に勝てると考えて、王から遠ざけようとした。

 そう考えると先ほどの行動にも説明が付く。

 これはいよいよ時間がない。

 一刻も早くこの下らない権力闘争を終わらせて国を一つに纏めなくては、王国に未来はない。

 だが、自分にはそれを解決する術を思いつく頭脳も、帝国に勝利できるほどの力もない。

 思わず拳を握りしめる。

 周辺諸国最強の戦士と謳われる男の拳は非常に頼りなく、小さく見えた。

 

 

 ・

 

 

 デミウルゴスから提出された報告書を確認して、アルベドは小さく眉を寄せた。

 例のスレイン法国の最高執行機関の者たちを捕らえてから、既にそれなりの時間が経っている。

 彼にしては時間が掛かっていると思っていたが、どうやらその人間たちは思いの外信仰心とやらが強く、通常の拷問では心変わりをしなかった──支配(ドミネイト)魅了(チャーム)への対策が彼らにも施されていたため、そちらは使えなかった──らしい。

 

 しかしこれ以上長引かせるのは得策ではない。

 これまでは、最高執行機関は重要な作戦の結末を見届けるという名目で、他の神官などが立ち入れない聖域と呼ばれる部屋に閉じこもり、仕事はその部屋でこなすと通達を出した上で──その仕事に関してはデミウルゴスが代わりにこなすことで疑われないようにしていた──その扉を洗脳した番外席次に守らせていたが、流石に姿が見えない期間が長くなりすぎてしまったこともあり、法国内でも怪しむ動きが出ていた。

 ドッペルゲンガーを使って姿を見せることは可能だが、記憶はコピーできないこともあり、正体が見破られる危険があった。

 だからこそ、デミウルゴスは少々強引な手段に出たのだろう。

 

「吸血鬼の眷族化ね」

 

 血を吸った存在を、忠実な己の眷族に変える。

 並の吸血鬼であれば、知性のない劣化吸血鬼(レッサーヴァンパイア)となり、情報を引き出すことも、その後法国に戻してこちらの良いように国を動かさせることも出来ないが、真祖であるシャルティアが眷族にした者は知性の残る吸血鬼になる。

 これは事前に陽光聖典で試してあるので間違いない。

 この方法ならば魔法で操るわけでもなく、そもそも一度死亡した後、吸血鬼として新たな生──アンデッドである吸血鬼が生とはおかしな話だが──を与えられるため、どんな魔法が掛かっていようと死亡した時点でそれらは解除される。

 その意味で考えれば、現地の人間を使い勝手のよい駒にする手段として、これほど適した方法はないが問題もある。

 

「シャルティアが主、か」

 

 この方法で作られるのはあくまでもシャルティアの眷族であり、ナザリック地下大墳墓、曳いては愛しい主の忠実なシモベを作れるわけではないということだ。

 それが分かっていたからこそ、デミウルゴスも直ぐにはこの方法を使わず、初めは単純な拷問を行っていたのだろう。

 

(モモンガ様が居て下されば、こんな心配は必要無いのだけれど──)

 

 全員が主に忠誠を誓っているからと言って、足並みが完全に揃うわけではない。

 むしろこうした状況だからこそ、主への忠義を示すため、抜け駆けを考える者が絶対に出てくる。

 そもそもアルベド自身、デミウルゴスが居なければ同じことを考えていただろう。

 アルベドとデミウルゴスは互いにそのことが分かっているので余計なことはせず、最も効率的な方法で世界征服を目指している。

 しかし、他の者たちはそう考えず、勝手な行動をとりかねない。

 その辺りはデミウルゴスも分かっているはずだが、一応アルベドの方でも手を打っておくべきだろう。

 

 そうなると、見張りをつけて事前に止めるか、それとも後々のことを考えて、黙認した上で勝手な行動をとったことを皆の前で糾弾してシャルティアの発言権を奪っておく方法もある。

 シャルティアのことは頭に入れつつ、改めて提出された作戦を確認する。

 

「……これなら王国と帝国も巻き込めるわね」

 

 上手く操れば三国纏めてナザリックの影響下に置くことが出来る。

 一刻も早く世界征服を果たし、主に自分たちの力を見せて玉座の間から出てきて貰いたいところだが、まだ完全に情報が集まっていない現状ではナザリック自体は表に出ない方が良い。

 その辺りまで考えてデミウルゴスが立てた作戦だ。

 確かにこれなら情報収集と支配域の拡大を同時に行える。

 

 やはりデミウルゴスの能力は卓越している。

 それ故にアルベドは彼を警戒するのだが、邪魔はできない以上、アルベドは彼女なりの長所で主に自分の働きを見ていただくしかない。

 それはつまり内務面。ナザリック地下大墳墓の守護者統括として主不在の間、ナザリックの管理運営をするのは彼女の役目である。

 マスターソースを使用できない現在、アルベドは維持コストや現在のシモベの種類や数、起動中の魔法罠なども含めた管理運営を全て手作業によって行っていた。

 と言っても各階層に付いては、守護者にそれぞれ自分の守護階層内の確認を徹底させて、シモベたちの数や罠の位置なども報告させている。

 アルベドが行っているのはそれらを纏めて、各所で連携が必要な場所へシモベの配置換えをすることだ。

 守護者たちは、至高の存在が定めた配置を勝手に動かすことに難色を示していたが、主が御座す玉座の間を守護するため、第十階層に続く扉やその周辺を物理、魔法両面で守る能力を持ったシモベを各階層から複数移動させる必要があり──それに関しては当然誰も反対しない──結果として足りなくなったシモベの穴埋めをするためだと話して納得させた。

 それ以外にも、魔法罠が正常に発動するか確認する必要もあり、そのための実験などで減った維持コストの見直しなどもアルベドの仕事である。

 

 これはデミウルゴスには不可能なアルベドだけが可能な仕事だ。

 元からナザリックの内務を任せられた守護者統括という立場であると言うこともあるが、先の配置換えなども含め、他の守護者ならあの裏切り者どもに遠慮してできないようなこともアルベドには可能だからだ。

 当然そうした背信が見抜かれないように、あくまで主を守るための苦渋の決断との演技は欠かしていないが、そこまでしてナザリックの防衛力を強化するのは、万が一、いや億が一にも工作が失敗して、外の愚者どもがこの場所に攻め込んでくるようなこともあり得るからだ。

 そしてそうした想定外の事態を引き起こすのは、功を焦った者と相場が決まっている。

 今回の作戦は場合によっては今後別の国や地域でも使用可能なものであり、作戦の成功は絶対条件だ。

 そう考えるとやはり不確定要素であるシャルティアに関しては、泳がせるよりも事前に手を打っておくべきだと考え直す。

 

「姉さんに頼んでシャルティアの様子を監視した方が良いわね」

 

 自分の姉であるニグレドは探知系に特化した魔法詠唱者(マジック・キャスター)であり、レベル百とはいえ特別探知や感覚が優れているわけではないシャルティアなら気付かれず監視するのは難しくない。

 何よりニグレドとは姉妹として創造された間柄でもあるため、貸し借りなく頼み事をしやすい。

 許されるのなら、その力を使って玉座の間も覗きたいところなのだが、流石に玉座の間はそうした探知防御も施されているだろうし、何より主自身がそれを許してはくれないだろう。

 

「モモンガ様」

 

 けれど、愛しい主の姿をせめて一目だけでも。

 視線が主のいる地下に向かいそうになり、アルベドは小さく首を振る。

 ここ最近、何かにつけて手が止まり、主のことを想いふける時間が増えている。

 これも長い間主に会えないことによる禁断症状に違いない。

 だからこそ、一刻も早く作戦を進め、主に自分の力を認めて貰わなくてはならない。

 誘惑を振り切り、アルベドは早速姉に会いに行くべく席を立った。

 

 

 ・

 

 

「神官長!」

 

 スレイン法国の六大神殿の一つ、土神殿の中を颯爽と歩く土の神官長レイモンの背中に声が掛かる。

 

「……騒々しいな」

 

 そこにいたのはイアン・アルス・ハイム。法国の特殊工作部隊六色聖典の一角、陽光聖典第一班の班長であり、隊長だったニグンが死亡──公式ではないが既にそう扱われている──して隊員の半数が減った陽光聖典の再編成を任せ、このまま行けばニグンに代わって陽光聖典の新たな隊長に任命される男だ。

 眉をひそめたレイモンに、イアンは慌てて背筋を伸ばすが、足は止めずそのまま近づいて来る。

 

「し、失礼致しました! ですが、お伺いしたいことが──」

 

 イアンは腕は確かだが、愚直な性格故に読みやすい。

 言いたいことを即座に悟ったレイモンは、それを手で遮り、代わりに口を開く。

 

「分かっている。戦争の件だろう?」

 

「っ! やはり、本当なのですね。スレイン法国が王国に戦争を仕掛けるというのは」

 

 そう。先ほど正式に各所に通達が済んだ。

 正確にはまだ上層部のみに留めていたはずだが、今回の任務は六色聖典にも関係するため隊長クラスには話してある。

 イアンも次期隊長ということで話を聞いたのだろう。

 こうして自分に直接話に来たのは予想外だったが、イアンの性格を考えれば理解はできる。

 

「その通りだ。しかし正確には戦争を仕掛けるわけではない。あくまでも王国に貸していた土地を返して貰うだけだ。エ・ランテルなどと呼ばれているが、あの土地は元より我らスレイン法国の土地だからな」

 

 これが今回の戦争を始めるための大義名分だ。

 実際エ・ランテル近郊はスレイン法国の土地であり、王国と帝国が例年の小競り合いを行う際も、法国は毎回宣言を出していたが、あくまでも二国の戦争を諫めるための宣伝でしかなく、実際に軍を動かしたことはなかった。

 しかし今回は本気であり、まだ帝国からの宣戦布告も無い内に、先に王国にエ・ランテル近郊を返還するように布告を行うことにしたのだ。

 当然あちらは拒絶するだろう。

 それが狙いだ。そうして本当に戦争を起こす、それこそが自分たちの目的なのだ。

 しかしそれは、人間同士の戦いを良しとしない法国の理念からは外れている。

 こうして事の真相を確かめるべくやってきたのはそのためだろう。

 

「そのような建前ではなく、私は本当のことを知りたいのです」

 

 イアンがきっぱりと言う。

 レイモンは六色聖典の上役である前に神官長でもある。

 宗教国家である法国に於いて、神官長の立場は他国より遙かに重い。

 それこそ国の代表だ。

 その相手にここまで正面からはっきり物を言うのは、想像以上の愚直さだ。

 

(この者は良い隊長にはなれるかも知れないが、神官長にはなれんな)

 

 六色聖典の隊員は、将来的に神官長を目指す者も多い。

 ニグンなども恐らくはそれを狙っていたはずだ。

 実際現在の神官長にはそうした者が二人いる。一人はレイモン、そしてもう一人は風の神官長ドミニク、彼はかつて陽光聖典の一員として活躍した実績がある。

 だがそれは実力だけで成れるものではない。

 国のために己を捨てるたゆまぬ信仰心もそうだが、ある程度の腹芸はできなくてはならない。

 この世界で人間という弱小種族を生き長らえらせるには正攻法だけでは不可能だからだ。

 イアンはその辺りをまだ理解し切れていないようだ。

 

「ハイムよ。ならば本音を語ろう。これは人類同士の争いを一刻も早く止めるために必要なことなのだ」

 

「それは、如何なる──」

 

「……私の部屋に来い。そこで話そう」

 

 丁度いい。

 今回の決定に異を唱える者は、イアン以外にも出てくるだろう。

 用意されている言い訳が、腹芸はできないが信仰心の厚いこの男に通用するか試してみよう。

 そう考えたレイモンは、イアンを部屋に招いた。

 

 

「それで。どういう事なのですか?」

 

 部屋に来て早々、イアンは声を荒げて詰め寄る。

 

「先ほど言ったとおりだ。今は人間同士が争っている場合ではない。王国と帝国の戦争を止めるために、我らが動く必要がある」

 

「何故そうなるのですか! 返還しろと言って王国が素直に応じるはずがない。必ず戦争になります。そして、王国の侵略を狙っている帝国もまた動くでしょう」

 

「……理由の一つは、ルーインが失敗したからだ」

 

 レイモンの言葉に、それまで熱くなっていたイアンが身を硬くする。

 隊の半数を率いて、王国戦士長ガゼフの暗殺に出向いたニグンはその最中、復活した破滅の竜王に襲われ、命を落とした。

 そこまでは次期隊長であるイアンも聞いているはずだ。

 

「ガゼフを取り逃がしたことで、帝国と王国の戦争はさらに長引くだろう。あの男の存在はそれほど脅威なのだ」

 

「し、しかし。如何に強力とはいえ戦士一人で戦況が変わるものでも無いでしょう」

 

 その疑問をレイモンは即座に否定する。

 

「ただの戦士ではない。ガゼフ・ストロノーフは周辺諸国最強と呼ばれる戦士。まともに戦えば王国の兵など帝国騎士の足下にも及ばんが、いつぞやの戦争で奴が帝国四騎士を相手取り、そのうち二人を討ち取ったことがあっただろう。あの時もそれまでの劣勢が覆り、戦況は変わった。あの男の存在はそれほど大きいのだ。帝国が収穫時期を狙って国力を低下させるという手に出たのもガゼフとまともに当たって、優秀な兵が減ることを恐れたためだろう」

 

「ですから、ルーイン隊長に彼の暗殺を命じられたのですか?」

 

「そうだ。そしてそれが失敗したからにはこれからも戦争は続く。どれほど国力が落ちようと王国の貴族たちは気にも止めない。罪なき国民から搾り取るだけ搾り取ろうとするだろう。それもガゼフという存在がいるからだ。周辺諸国最強のガゼフがいるのならば、最終的には何とかなると浅はかな考えを持っている」

 

「……でしたら。なおさら戦争などではなく戦士長を狙えばよろしいのではないですか? 漆黒聖典ならば」

 

 自分たちがもう一度。と言わない辺り、熱くなっていても冷静な戦力分析は出来ているようだ。

 未だ半数近い人数が残っていたとしても、隊長であるニグンがおらず、また今回のように王国の秘宝を外させて、国境近くに呼び出すことも難しい状況では、残る陽光聖典全員で掛かってもガゼフを討つことは出来ない。

 それは事実だ。

 そもそもこの手の任務は本来漆黒聖典が担う仕事である。

 如何にガゼフが強かろうと漆黒聖典には敵わない。

 ガゼフ暗殺の好機がたまたま破滅の竜王復活と重なってしまったため陽光聖典に命じるしかなかっただけだ。

 もっとも、今となってはそれで良かったと思っているのだが──

 

「神官長?」

 

 思考に耽っていたレイモンに、イアンが不思議そうに問う。

 

「……これはまだ、他の六色聖典の隊長にすら話していないことなのだが──漆黒聖典は壊滅した。残っているのは番外席次ただ一人だ」

 

「なっ!」

 

 レイモンの言葉を聞いた、イアンは絶句する。

 それも当然だ。

 六色聖典に属している者ならば、誰もがその力を知っている。

 隊員一人一人が英雄の領域にいる法国最強の部隊、それが漆黒聖典なのだから。

 

「どう言うことですか! 何故漆黒聖典が」

 

「破滅の竜王だ。奴の力は思った以上に凄まじく、法国の最秘宝や、神人である第一席次の活躍で何とか打ち倒すことは出来たが、彼らも全員命を落とした。破滅の竜王が使う始原の魔法で殺された者は、我らの復活魔法では生き返らせることも出来ない。分かるか? 今我がスレイン法国は未曾有の危機に晒されているのだ」

 

 実際は破滅の竜王は始原の魔法を使うことが出来ないと伝わっているが、それを知るのは最高執行機関や、漆黒聖典の者たちだけだ。

 イアンがそれを知るはずはない以上、言い訳としては十分信憑性がある。

 

「ここしばらく、最高執行機関の皆さまが姿をお見せにならなかったのは──」

 

「そうだ。その戦いの結末を見守るためだ……あれは、極めて重要な戦いだった。あの恐ろしいほどの力が世に解き放たれれば、それこそ世界の終わりと思えるほどのな」

 

「結果、漆黒聖典の尊い犠牲によって、破滅の竜王は滅んだのですね」

 

「うむ。だが、今回の件による国力の低下は大きい。もはや手段を選んでいる場合ではないのだ」

 

「っ! では、王国に戦争を仕掛けるのは」

 

 合点がいったとばかりに目を見開くイアンの問いを肯定する。

 

「そうだ。一刻も早く戦争を終わらせる必要がある。もはや戦士長暗殺の機会は巡ってこない。ならば戦場で堂々と奴を討つ。エ・ランテルの返還は二の次だ。そうして王国を疲弊させればその隙を帝国が逃すはずがない。後は帝国の邪魔をせず軍を退き、王国を帝国に併呑させれば良い」

 

「たった一人の人間を殺すために、戦争ですか」

 

「他に方法が無いのだ。仕方あるまい、まさか番外席次を出すわけにも行かぬからな。そんなことをすれば今度は評議国がどう出るか分からん。当然お前たちにも出てもらうぞ」

 

「異種族を討つための力を、人間に向けよと言うのですね」

 

「大義のためだ」

 

 畳みかけていうレイモンに、イアンは長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。

 

「……承知、いたしました」

 

 入ってきた時の勢いは消え、部屋を後にするイアンを見送る。

 やはり政治のことなどよく理解していないイアンならば、丸め込むのは難しい事ではない。

 しかし──

 

「馬鹿な男だ。いくら何でも、人一人を殺すために戦争を起こすはずもないだろうに」

 

 帝国のように刈り入れ時期を狙わずとも、戦争は国力を大きく下げる。

 どれほど利点があろうと人類の繁栄を是とする法国が自ら選択するはずはない。それも漆黒聖典の瓦解によって戦力と国力が低下した、と告げたばかりの現状ではなおさらだ。

 しかし個の力の重要さを知っている六色聖典ならばこうした言い訳に騙される。

 もっともそうした国家運営の観点から反対してくる者への理由付けも既に提案されているのだが、今回はそちらは使わずに済んだ。

 

「しかし、これほど綿密な作戦を立案するとは、我が主の同僚とはいえ恐ろしいものだ」

 

 表向きの大義名分や、こうした一つ一つの理由付け、反対する者をどのようにして説得するべきかも指示してきた悪魔の存在を思い出す。

 自分たちがあの素晴らしき主と出会うまで、的確に心を抉る拷問を指示していたその悪魔の名はデミウルゴス。

 主と出会えたキッカケを作った彼を恨む気持ちはもはや存在しないが、力だけではなく策略も抜きんでた存在に狙われたとなれば、どのみち人類に未来はない。

 もっとも今更そんなことは自分たちには関係ないのだが。

 

「ハイム程の者でも気づかなかったのならば、この幻術が見破られる心配もなさそうだな」

 

 アンデッドの気配を消す方法に関しては、元より法国に存在したマジックアイテムである指輪で何とかなったが、顔と瞳の色だけは誤魔化しようがなかったため、幻術を使用していた。

 信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)として高い能力を持つイアンが気づかなかったのならば他の者にも気づかれる心配は薄いだろう。

 これで心おきなく主の為に動くことが出来る。

 あの素晴らしく美しい吸血鬼。

 シャルティア・ブラッドフォールンの望みを叶えるために。

 主の姿を思い出したレイモンの口元がだらしなく歪む。

 薄く開いた唇からは鋭い牙が覗いていた。




まだ話数が少ないので章分けはしていませんが、イメージ的にはこの話で第一章が終わりという感じです
ここまではそれぞれの現状把握と今後に向けた準備みたいな話だったので、次からは三人が少しずつ交わっていく話になると思います

次は通常通り一週間後に投稿します


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 彼の痕跡
第9話 次の仕事


この話から新章に入ったということで、前回から少し時間が経過しています


 視界に映る景色には、一切の変化が無い。

 安宿の粗末なベッドとカーテンの掛けられた窓。

 それだけだ。

 代わり映えがなく何の面白味もないその景色もしかし、ベッドの上で横になっている主の存在があるだけで、この世の何にも勝る絶景となり、それを見守る時間は至福の時としか言いようがない。

 本来睡眠の必要など無い主だが、時折こうして一晩中ベッドで横になることがある。

 そして主がそうしているのなら、それを見守りいざという時、守護するのは彼女たちの仕事である。

 これはワーカーとして拠点を各地の宿に移した今でも変わらない。

 前回はソリュシャンがその役目に就いていたが、今回は自分の番だ。

 この日が来るのをどれほど心待ちにしていたことだろう。

 だからこそ、それが主の意志ではなく宿の扉がノックされる音で中断されたのは、ナーベラルにとって非常に不愉快なことだった。

 

「ん?」

 

「……ソリュ──ソーイでしょうか。確認して参ります」

 

「ああ。私もそろそろ起きるとしよう」

 

 この時間が終わってしまうことにショックを受けながらも、メイドとしてそれは表に出さずに移動して扉を開けた。

 

「よ。悪いな、寝てるところ」

 

 軽い口調はソリュシャン本来のものではなく、ワーカーチーム漆黒の一員であるソーイとしてのものだった。

 名前はともかく、話し方に関しては言い訳が立つのでいつもの彼女ならば、主に聞こえる範囲ではまともな口の利き方をするはずだ。

 そうでないと言うことは可能性は一つ。

 

「客ですか?」

 

 チラリとドアの外を覗くと、ソリュシャンの後ろに人影が見えた。

 

「おう。なんでもあたしたちの噂を聞きつけて遥々エ・ランテルから来たらしいぜ」

 

「エ・ランテル?」

 

「王国の都市だよ。帝国や法国とも隣接していて、三国の要所になっている重要な都市だろうが」

 

 ワーカーとしての活動を始めるに当たり、収集した知識の中に、そんな都市があったことを思い出す。

 

「ああ。分かりました、モモンさ──んに聞いてきます」

 

「お前のその癖、いつまで経っても直らねえな」

 

 呆れたような声、いや実際彼女は呆れているのだろう。

 何しろ呼び方を変更すると決めたのは他ならぬ主の命。

 何度言われてもそれを直せないのは、誉れ高きナザリック地下大墳墓のメイドとしてあるまじき振る舞いだ。

 同じ立場であり、プレアデス内に於いても共に三女という、最も対等な間柄のソリュシャンは完璧な演技をできているとなればなおさらだ。

 

(これでは私を創造して下さった弐式炎雷様に顔向けができないわ)

 

 己の創造主に自らの不出来さを詫びながら、ナーベラルは唇を噛みしめる。

 しかし反省も後悔も今することではないと気持ちを切り替え、主の下に向かおうとした瞬間、部屋の奥から声が響いた。

 

「用意をしてから行く。下で待っているように伝えてくれ」

 

 主の命が届き、ナーベラルとソリュシャンは一瞬だけ目を合わせた。

 先ほどまでと異なり、ソリュシャンの瞳にはほんの僅かに同情めいたものが混ざっていた。

 

「了解だ。モモンさん」

 

 ここでもソリュシャンは、ワーカーチームの仲間という演技を完璧にこなしたまま、依頼人と会話しながら部屋を後にした。

 たとえ会話ができる距離であろうと、主と第三者との間を取り持つのはメイドである自分たちの役割である。

 今は一応ワーカーチームの仲間となってはいるが、それでも主は基本的にはその手の対応は自分たちに一任してくれていたのだ。

 それを今回変えたのは、もしかしたらいつまで経っても口癖を直すことのできないナーベラルをメイドとして不適格だと見なしたのではないだろうか。

 先ほどの自己嫌悪もあって、そんなことを考えてしまうナーベラルに主が再び声をかける。

 

「ナーベ、準備がしたい。手伝ってくれ」

 

「はい。ただいま」

 

 その言葉を聞いたナーベラルは一度思考を停止させて、主の下に移動した。

 主の意図が何であれ、仕事を頼まれたからには全力で尽くさなくてはならない。

 しかし、準備とは一体なんだろうか。

 アンデッドである主は正体を隠す意味もあり、ワーカーとしての活動中は漆黒の鎧を纏った剣士の姿を取っている。

 だが、本物の鎧を着けることは少なく──本物の鎧を着けるためには戦士化の魔法が必須であり、その場合いざという時の対応力が落ちるため──大抵は上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)の魔法で創造した鎧を使用している。

 こちらに関しては着替える必要などないため、準備は不要のはずだ。

 実際に寝室に入ると既に魔法で創造して鎧を纏って立っていた。

 

「依頼人はもう離れたな?」

 

「はい。ソーイが連れ出し、移動した足音を確認しております」

 

「そうか」

 

 小さく頷く主を前に、ナーベラルは準備という名目で自分だけが呼び出された理由を察して、その場で頭を下げた。

 

「申し訳ございません!」

 

「え? んんっ。ナーベよ、お前は今なにを謝罪したのだ?」

 

 試すような主の口振りに、ナーベラルは意を決し口を開いた。

 

「モモンさんより、何度となく話し方に付いてご指摘いただきながら、一向に改善することができないことです。頭では分かっているのですが、どうしても──」

 

 頭を下げたまま、ナーベラルは言葉を絞り出す。

 

「っ!」

 

 そんなナーベラルに対して主は直ぐには答えず、不自然な間が空いた。

 そのことを不思議に思うが、ナーベラルがそれを問う前に、彼女の頭の上に手が乗せられた。

 

「モモンさ、ん!?」

 

 突然のことに戸惑いながらも、何とか名前を呼ぶことに成功する。

 

「気にするな。百年もの間変わらなかったものを急に変えるとなれば、大変なのは理解している」

 

 二度三度と宥めるように頭を撫でてから、主は優しく言う。

 その感触はナーベラルに天にも昇るような喜びをもたらしたが、同時に申し訳なさも感じてしまい、おずおずと顔を持ち上げ、今度は主の顔を正面から見ながら続ける。

 

「で、ですが、ソーイはきちんと対応できています。それなのに私は──」

 

「それも含めてだ。お前たちにはそれぞれ向き不向きがある。それは弐式炎雷さんとヘロヘロさんの思いが込められたもの。本来それを変えさせようとする私の方が責められてしかるべきかも知れない」

 

 ナーベラルの言葉を最後まで聞くことなく、主は言い切りゆっくりと頭を振った。

 

「モモンさんを責めるなど、そのようなことはあり得ません!」

 

 本当にナーベラルが上手く対応できない理由が創造主から与えられたものだったとしても、主がそれを望むのならば、今のナーベラルにはそれを曲げる覚悟がある。

 百年間主に仕え続けたことで、ナーベラルはそう考えるようになった。

 

「いや、お前の気持ちは嬉しいが、本来それが許されることではないのは理解している。しかし、以前も言ったがこの百年で出会った者たちの中には、未だ生存している者もいる。私は仮面で顔を隠していたがお前たちは違う。いや、そうでなくともだ。お前たちの美しさは一目見れば誰もが記憶に刻む。だからこそ、外で活動するためには大胆な変装と性格の変更をする必要があるのだ。なんとか我慢してくれ」

 

 その言葉を聞いた際の、ナーベラルの感情をどう表現すればいいのか。

 全身の細胞全てが歓喜に沸き、頭は真っ白になりすぎて、逆に冷静になる。

 容姿を褒められるなどナーベラルにとっては日常のことだ。

 それこそ主が言ったこれまで会ってきたどの人間も、ナーベラルとソリュシャンの美しさに心を奪われ、ある者は言葉を失い、ある者は求愛し、またある者は嫉妬した。

 当然だ。

 自分たちは創造主である至高の御方より、完璧な存在として創られているのだから、美しいのは当たり前のことでしかない。

 主もそれを理解しているからこそ、あっさりと告げたのだろう。

 だというのに、その言葉を聞いた瞬間からずっと頭の中で主の声が繰り返され、まともに思考も働かなくなる。

 

「ん? どうしたナーベ」

 

「い、いえ。なんでもございません! モモンさんの仰ることに異論などございません。このナーベ、必ずやそのご期待に応えてみせます!」

 

 主の声でやっと思考を再開したナーベラルは努めて冷静に答えようとするが、誰が聞いても動揺していることがわかるほど、声は上擦り顔が赤くなっているのも理解できた。

 

「期待している……それでだな。先ほどの人間が言ってきた話なのだが、ナーベはその都市のことを思い出したか?」

 

 ナーベラルの動揺を察したのだろう。主は突然話題を変える。

 主に気を使わせるなど本来あってはならないことだが、今はその気遣いがありがたい。

 

「はい。エ・ランテルですね。都市の名前など覚えておりませんでしたが、先のソーイの言葉で場所は思い出しました。我々がこの地に着いたあの草原近くにあった都市のことかと」

 

「! そうだ。あの時は拠点づくりが急務だったため立ち寄りはしなかったが、三国の要所となれば情報も集まりやすい。幸い竜王国の情勢も安定しているようだ」

 

「では」

 

「ああ。詳しくは依頼内容を聞いてからだが、受ける方向で持っていく。話を合わせてくれ」

 

「承知いたしました」

 

「……それで、だな。確か都市について情報収集をしたのはお前たちだったな」

 

 ここで主は僅かにいい淀むような間を空けた。

 

「は、その通りです」

 

「では、その都市のことを改めて聞かせてくれ」

 

 その言葉に、ナーベラルは疑問を覚えた。

 主には自分たちが集めた情報を全て伝えてある。

 強さだけではなく、知識や頭脳に於いても至高の存在である主がそれを忘れているはずがないからだ。

 

「い、いや。こうした内容はお互いが話し合うことで改めて見えてくるものもある。認識の共有は必要不可欠だ。組合を通す冒険者と異なり、ワーカーは情報の精査も全て自分たちでこなさなくてはならないからな」

 

 なるほど。とナーベラルは主の言いたいことを理解する。

 主は例え下等生物が相手でも決して油断せず、行動すべきだと言っているのだ。

 だとすれば決してミスは許されない。

 本来、全てに於いて完璧である主ならば、ここまで慎重に行動する必要はない。

 つまりこれは主ではなく、ナーベラルとソリュシャンを思っての対応なのだ。

 

 確かに自分たちは力に於いては主の身を守ることすら難しく、ソリュシャンはともかくナーベラルは演技面でも不安がある。

 そんな自分たちを守るために、主は下等生物である人間のふりをして、依頼人や仕事仲間に対しても下手に出る。

 冒険者と異なり、組合という縛りがないワーカーならば──自分たちの実力も含めて──対人関係にそこまで気を配る必要など無いのにだ。

 それも全ては自分たちが不甲斐ないせいだ。

 

 先ほどのミスも合わせて、これ以上醜態は見せられない。とナーベラルは自分の知るエ・ランテルの情報を話し始める。

 しかし、下でソリュシャンが待っている以上、時間も掛けすぎるわけには行かない。

 できる限り簡潔に、けれど要点はしっかりと纏めた情報が必要になる。

 未だ熱の残る頭で、ナーベラルは必死に情報を纏め始めた。

 

 

 ・

 

 

(やはり、依頼人は冒険者組合の人間か)

 

 竜王国の冒険者組合。

 その裏口に先ほどの依頼人が入っていく様子が確認できた。

 冒険者は特権を持つごく一部の例外を除いて、裏口からの出入りが禁止されている。

 そして現在竜王国にその特権が使用できる冒険者は残っていない。ということはあの依頼人は冒険者ではなく組合の職員だろう。

 

 訓練された足運びや、周囲を警戒してから入っているところをみると通常の職員ではなく、依頼の事前調査を行う者か、あるいは悪質な規約違反を行った冒険者に派遣されるという、お抱えの暗殺部隊の者かも知れない。

 もっとも、こちらに一切気づくことができなかったあたり、暗殺者であっても大した技量は無いだろう。

 流石に準備もなく、組合の中に侵入するのは難しいと判断して、ソリュシャンはそのまま道路を行き交う人間の中に紛れた。

 

(組合の人間ならば、私たちの実力を詳しく知っていても不思議はない。ならば、あの依頼も偽りないと考えて問題ないわね)

 

 今回ワーカーチーム漆黒に依頼のあった仕事の内容は、王国と帝国に跨る巨大な森林地帯であるトブの大森林。

 その奥地にあるとされるどんな傷でも癒すという伝説の薬草の採取だ。

 それを聞いた主は、依頼人にその薬草に付いて詳しい説明を求めたが、この依頼人はあくまで仲介役であり、本当の依頼人の素性は明かせないとのことだった。

 それを不審に思った主が、ソリュシャンに依頼人の尾行と調査を命じたのだ。

 

 裏取りを自分たちで行わなくてはならないワーカーにとって、依頼人や内容が不透明というのはそれだけで嫌厭されるものだ。

 それでもなお依頼人の素性を明らかにしなかった理由も、冒険者組合が関わっていたからなのだろう。

 本来冒険者からドロップアウトした存在であるワーカーに頼るのは、組合では対処できないと言っているも同然であり、できれば素性を隠したまま話を進めたかったのだ。

 

(しかし、組合で対処不可能な依頼であれば断る選択もできるはず、本当の依頼人はそれができない地位にいる人物とも考えられるけれど……)

 

 国家から独立した組織である冒険者組合も、完全にその支配から逃れることはできない。

 一見無理な依頼でも、何らかの事情で引き受けなくてはならないこともある。

 ただでさえ竜王国の組合は例のビーストマンの大攻勢によって多大な犠牲を払い、竜王国唯一のアダマンタイト級冒険者チームであるクリスタル・ティアが壊滅したこともあって、冒険者組合の力が落ちている。

 そんなときだからこそ、難易度の高い依頼を達成することで冒険者組合の力を見せつけようと言うのか。

 だとすればワーカーである漆黒を頼るのはおかしな話だが、あるいはこの依頼が達成した暁には、漆黒を冒険者として組合に引き入れようと考えているのかも知れない。

 どちらにしても全ては推測、これからより詳しい裏取りが必要となる。

 元から裏取りは盗賊のスキルを修めたソリュシャンの仕事だが、今回は主より特に詳細な裏取りを行うように命じられている。

 絶対にミスは許されない。

 チラリと後ろに目を向ける。そこには姿は見えないが主がソリュシャンを守護するために召喚したモンスターがいるはずだ。

 

(これ以上、子供扱いされるわけにはいかないわ)

 

 主は自分たち二人を大切にしてくれている。

 この護衛モンスターもその一つだが、主は何かと理由を付けて自分たちを危険から遠ざけようとする。本来己の身を挺してでも主を守ることこそ、自分たちの存在理由だというのにだ。

 それはこの百年一切変わらない。

 対して自分たちの主への感情はこの百年で大きく変わった。

 当初からこれ以上無いと思っていた忠誠心は、その偉大さと優しさに触れる度に上限を超えて強くなる。 

 そしていつからか、ソリュシャンとナーベラルは──お互いに確認し合った訳ではないが──主に対して忠誠心ではない別の感情が芽生えていることに気が付いた。

 それは女として、あの御方に愛されたいという願望。

 

 けれど、主はそんな自分たちの気持ちに気付いていないのか、それとも気付かないふりをしているのか、ずっと自分たちを子供扱いしたままだ。

 主の認識としては、至高の四十一人と呼ばれる御方々が創造した自分たちはその子供であり、守るべき対象──本来は逆のはずなのだが──なのだ。

 至高の存在であり、自分の創造主である御方の子供というのは恐れ多くも、同時に名誉なことであると理解はしているが、それによって子供扱いを受け続けるのは少々残念だ。

 

(でも、ナーベラルにとっては役得かも知れないわね)

 

 先ほどのナーベラルの様子を思い出す。

 いつまで経っても、主の呼び方を直せない彼女にソリュシャンも少々憤りを覚えていたが、今回普段は自分たちに任せている取り次ぎの仕事を廃して、主自ら返事をしたことで、とうとうナーベラルを叱責するのかと思ったのだ。だが準備にしては長すぎる時間を置いてから、主を伴って現れたナーベラルは誰が見ても判るほど、上機嫌で普段下等生物として見下している人間相手でも──僅かではあるが──笑みを浮かべて応対していた。

 何かがあったのだと直ぐに判った。

 叱責ではなく、ナーベラルをあれほど喜ばせる何かが。

 

 今回もそうだが、何かにつけて主のフォローが必要なナーベラルは常に主の側にいることが多い。

 対してソリュシャンは、盗賊として奇襲や斥候の役割を担うため、単独行動が多くなる。

 そのことに思うことが無いと言えば嘘になるが、だからといってわざとミスをするような真似ができるはずもない。

 やれやれと言うようにため息を吐く。

 プレアデスの一人であるソリュシャンとしてではなく、ソーイの格好をしている今ならばこうした息抜きもできる。

 これは単独行動が多いことの唯一の利点だ。

 

(子供扱いされる理由はそれだけではないでしょうしね)

 

 主にとって自分たちが庇護の対象にしかなり得ないのは、生まれた経緯だけではなく、単純に実力不足もあるはずだ。

 創造主が定めた能力に不満など言うつもりはないが、ソリュシャンとナーベラルのレベルはどちらも六十前後。

 事実として、レベル百の主とは比べものにならない実力差がある。

 それでも、この世界の生物は人間以外の亜人や魔獣でもトップクラスでようやく三十を超える程度なので、十分過ぎると言えばそうなのだが、この世界にも例外的に強大な力を持った者は存在している。

 あの不愉快極まる竜王国の女王から得た情報に出てきた、竜王やプレイヤー、その子孫たちなどがそれにあたる。

 そうした者を相手にする場合、自分たちの実力では、主の盾になるどころか邪魔にしかならない。

 

 そうでなくともナザリック地下大墳墓そのものの防衛力や、強大な武具やマジックアイテム、潤沢なポーションの在庫などが無い現状ではなおさら慎重な行動が必須となる。

 それもあって主は、常に自分たちを守るべき対象として見ているのだろう。

 今回の依頼に主があれほど興味を示し、ソリュシャンにいつも以上に詳細な裏取りを求めたのも、おそらくはそれが理由だ。

 どんな病や傷も癒す薬草。

 それがどこまで本当かはまだ分からないが、そもそも精神作用も含めた状態異常の無効化や、正の力を受けるとダメージを負う特性を持つアンデッドである主にとっては、そうした薬草など無用のはずだ。

 つまり主はその薬草を己のためではなく、ソリュシャンとナーベラルのために手に入れようとしている。

 これまでもそうだった。

 主は何かにつけて自分には不要なはずの、効能の高い水薬(ポーション)や回復魔法の込められた巻物(スクロール)などを優先的に収集していた。

 これまで、それが使われるような激戦は無かったが、未だに主はその手の話に強い興味を示している。

 

 そのためならば主は自らが危険な場所に赴くことも辞さない。

 このようなことを続けていたら、たとえこちらから接触しようとしなくても、強大な力を持った何者かが突然襲いかかってくる可能性はある。

 その際に、自分たちの弱さが原因で主が崩御されるようなことになったら……

 それを考えると恐ろしくて堪らなかった。

 

 だからこそ、ナザリック地下大墳墓の捜索は絶対必要なのだ。

 そうでなくても、せめて階層守護者や、彼らと同格であり自分たちの上司であるセバス、あるいは自分たちの姉妹であるプレイアデス──末妹のオーレオールも合わされば攻守のバランスが整ったチームとなる──が見つかれば主の安全が確保できる。

 そう考えたソリュシャンとナーベラルは二人で話し合いを行い、主に直訴しようと考えていた矢先、突如として主の方からナザリックを捜索するため、ワーカーになることを宣言したのだ。

 少々タイミングが良すぎる気がしたが、絶好の機会であるのは間違いなく、二人もそれに賛同──そもそも主の命ならばこちらは賛成するしかないのだが──した。

 このまま情報を集め続けてナザリック地下大墳墓を発見し、主が凱旋した暁には、この過保護ともいえる主の自分たちへの対応も変わるだろう。

 

(そのためにも、一刻も早く情報を集めないと)

 

 何よりも。

 あの御方には、やはりナザリック地下大墳墓の玉座が良く似合う。

 水晶で出来た巨大な玉座に腰を下ろす主の姿が目に浮かび──ふと疑問に思う。

 自分たちプレアデスは第十階層の手前で、愚かにもナザリック地下大墳墓に侵入しようとする者どもを迎撃する任に就いていた。

 そこから動いた記憶は無い。

 では、この光景は一体どこで見たのだろうか。

 そもそも、どうして自分たちだけが主と共にこの世界に転移してきたのか、それもよく覚えていない。

 

「……ま。今はそんなことより、仕事だ仕事」

 

 答えの出ない方向に思考が向かいそうになっていることに気付き、ソリュシャンではなく、ソーイとして口を開いて、気合いを入れ直した。

 

 

 ・

 

 

 水晶の画面(クリスタル・モニター)に映る光景を見ながら、眼孔の光を細めた。

 複数展開された画面のいずれでも、NPCたちがそれそれの持ち場で仕事に打ち込んでいる。

 その鬼気迫る様子は、現実世界で働いていた頃の自分の比ではない。

 

「ろくに休みも取らずに……」

 

 第九階層の誰も使用していない部屋を必死に掃除する、一般メイドを見ながら深く息を吐いた。

 食事や睡眠を必要としないアンデッドならばともかく、ホムンクルスである一般メイドは全員がレベル1であることや種族ペナルティによって食事量の増大があるため、体力が少なく疲労しやすい。

 事実彼女たちはしばらく働くと体力が尽きるらしく、別のメイドと交代して食事を取りに出向くが、それは休むというよりまさしく補給といった様子で、ある程度回復するとすぐに別の場所の掃除に向かう。

 その様子は見ていて痛々しさすら感じるほどだ。

 それはメイドたちだけではない。守護者統括のアルベドを初めとして、NPCや傭兵モンスターに至るまで、休む必要のない者はそれこそ二十四時間体制で働いているのだ。

 本来は管理システムを使えば簡単にできるようなことまで手作業で行っている──どうやら管理システムはこの玉座の間でしか使用できないらしい──こともそれに拍車をかけている。

 

「その上、世界征服か」

 

 別の画面に目を向ける。

 ナザリックの維持管理だけでも大変だというのに、彼らは自分たちの価値をモモンガに示すため、かつて仲間たちとの雑談で出てきた世界征服を実行しようとしている。

 正直に言って、重すぎる忠義だ。

 本物のモモンガならばともかく、単なるコピーNPCである自分が受け止めきれるものではない。

 だが、このまま見ていることなどできるはずがない。

 どうやら、この世界はユグドラシルが現実世界になったわけではなく、ゲームのアバターであったナザリックの面々が魂を持って、全く別の世界に転移したというのが正解らしく、そこに住んでいる者も大して強い存在はいない。

 既に近場の国を一つ裏から支配する手はずも整えている。

 しかし、そのせいで更に皆の仕事は増えているのは明白だ。

 

「何とかするんだ。俺が」

 

 例え偽物であったとしても、自分には彼らの主である鈴木悟の記憶と人格がある。

 今、この状況をなんとかできるのは自分だけだ。

 

「やはり本当のことを言うか? ……いや、それではダメだ。そんなことをすれば今度は本物の探索に全力を注ぐ」

 

 この世界の戦力も大してわかっていないうちにそんなことをして、NPCたちが強敵に遭遇でもしたら危険だ。

 ナザリックそのものや、かつての仲間たちには未だ思うところがあり、黒い感情はくすぶり続けているが、NPCたちは関係がない。

 むしろ彼らは被害者だ。

 だからこそ、NPCたちだけはなんとしてでも守り抜くつもりだ。

 だが、全てを話した後で自分がそう訴えたとしても、今まで自分たちを騙していた偽物の言うことなど聞くはずもない。

 ならば──

 

「このまま嘘を吐き通すか?」

 

 自分が偽物であることを言わずに、本物として演技をしたままNPCの労働環境を改善する。

 本物の捜索は自分一人でこっそりと行う。

 しかし、本物が見つかった場合、何と言えばいいのか。

 

「いや、それは後だな」

 

 思考が暗い方向に行きかけたことに気づき、首を横に振った。

 そうしてから気分を切り替えるように立ち上がる。

 

「そのためにも、用意しなくてはならない物がたくさんある。行くしかないか」

 

 労働環境の改善は必須だが、そもそも彼らがこんな無理をしているのは、装備不足も大きな理由だ。

 特にメイドたちには食事睡眠が不要になる指輪であるリング・オブ・サステナンスが必要になる。

 本物のモモンガなら、自前のアイテムボックスの中に色々入っていたのだが、コピーの方には殆ど物は入っていない。

 正確には鈴木悟が勇者パーティーに必要なものと考えて持たせたアイテムや装備が幾つかあるのだが、それは一人分だ。

 つまり、NPCたちに配る分は別の場所から調達する必要があるのだ。

 

「この指輪だけは、残っていて良かった」

 

 自分の指に填められた指輪に目を向ける。

 本来は課金によって、十本の指全てに指輪が填められるようになっていたが、このコピーNPCにはそこまでの用意はなく、填められているのはたった一つだけ。

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。

 ギルドメンバーのみが持っているこの指輪はナザリック内を何度でも自在に転移することができる代物であり、本来はこのコピーNPCも持ってはいなかった。

 いつの間にか指に填められているのは、記憶が定かではない最終日に何かがあって装備を変更した際に、今身に着けている他の武具やマジックアイテムと共に装備させたのだろうか。

 これが無ければ目的地には行けないため非常に助かったのだが、同時に億劫な気分にもなる。

 皆が作ったすべてのNPCが魂を得て自由に動いているということは、モモンガがかつて創ったNPC、パンドラズ・アクターもまた動いているに違いない。

 奴と会うのは気が重い。

 

「ノリノリで創ったからなぁ」

 

 かつて自分がカッコいいと思った物を詰め込んで創られたパンドラズ・アクターの服装や設定は今思い出すと、それだけで精神鎮静化が起こりそうになる。

 

「覚悟を決めろ。この計画にはあいつの協力は必須なんだ」

 

 パンドラズ・アクターの能力は今の自分に必要不可欠なものだ。

 

「……行くか」

 

 指輪の力を行使すると同時に、頭の中に幾つも選択肢が浮かびあがる。転移場所としてタグ付けがされている部屋の名前だ。

 もう一度、深呼吸のまねごとをする。

 一度この部屋を出てしまったら、もう後戻りはできない。

 玉座の間には、直接転移はできない設定になっているからだ。

 ここに戻るためには、ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)を経由しなくてはならず、そうなると当然そこを護衛している者たちが騒ぎだす。

 先ほど見た水晶の画面(クリスタル・モニター)に映ったNPCの姿を思い起こし、覚悟を決める。

 

「宝物殿へ」

 

 頭の中でタグ付けされた場所の名を読み上げ、指輪の力を解放した。




復活手段が無いこともあり、この話のモモンガさんはナーベラルたちに対して、非常に過保護な性格になっています
そのことに二人は少し不満を抱いていますが、主の命令に疑問や不満を抱けるようになったのは、ある意味では百年間で成長したためでもあります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 一触即発

前回の続きとナザリック内で起こる問題についての話


「やっと開いた。タブラさんの凝り性にも困ったもんだ。シズがいれば一発だったんだがな」

 

 ナザリック地下大墳墓第十階層、宝物殿。

 その一角にある武器庫に設定されていたパスワードを言い当てると、入り口を覆っていた扉の形をした漆黒の闇が収縮し、奥へと続く道が開かれた。

 

「余計な時間を掛けてしまった。急がなくては」

 

 そうは思うのだが、せっかく開いた入り口を前にして、突如足が重くなる。

 この奥にいるはずのパンドラズ・アクターに会うのが気が重い。

 それは単純にパンドラズ・アクターの存在そのものが、自分の黒歴史であるということだけではない。

 考え付いた作戦を実行するには、自分の影武者と、三人のモモンガが存在しているこの状況を知って協力してくれる者が必要不可欠。

 パンドラズ・アクターはそれを一人でこなせる上、他のNPCと異なり鈴木悟が直接造り上げたNPCだ。

 身体が偽物であろうと鈴木悟の記憶と人格を持った自分を、無下には扱わないだろう。

 そう思い、アイテムの回収と同時に、パンドラズ・アクターに現在自分が置かれている状況の説明をするつもりだったのだ。

 もっとも流石にユグドラシルがゲームであることや、鈴木悟のことまで話すわけにはいかないので、あくまでこの世界に三人のモモンガがいることと、自分が本物ではなくコピーNPCであることだけを説明するつもりなのだが、いざとなるとやはり気後れしてしまう。

 しかし──

 

「覚悟を決めろ、俺」

 

 玉座の間を出る際に口にした台詞を、もう一度繰り返す。

 時間が経てば経つほど、ナザリック内の状況は悪化していく。

 そう理解したからこそ、玉座の間を出たのだ。ここで足踏みをしているわけにはいかない。

 意を決し、武器庫の中に足を踏み入れた。

 

 久しぶりに訪れた武器庫には、数多の武器が、さながら博物館の展示室の如く陳列されている。

 目的地はここではないが、どうせなら皆に配る指輪などの、装身具系のアイテムがある部屋から入れば良かった。と今更ながら思ったが、そちらは別のパスワードが設定されているため、戻る時間が勿体ない。

 そのまま百メートルほど進むと、目的地である長方形の部屋が見えた。

 宝物殿の最深部である霊廟に続く待合室のような場所であり、ここにはソファとテーブルのみが置かれ、その奥には霊廟へと続く入り口がある。

 初期配置だとパンドラズ・アクターはここにいるはずだが。

 

「っ!」

 

 そんなことを考えながら目を向けた先に見えた人影に思わず息を呑み、足を止めた。

 

「タブラさん……」

 

 自然と名を呼んでしまってから、直ぐに小さく苦笑して、止めた足を前に進める。

 

「そんな筈無いよな」

 

 懐かしい仲間の姿を見ても動揺はない。

 それはパンドラズ・アクターの能力を知っているせいだけではなく、最終日の誘いにも乗らなかった彼らが、今更ここに戻ってくるはずなどないと理解しているからだ。

 動揺の代わりに湧き上がる、書き換えられた設定のせいで生まれた黒い感情を押さえ込みながら、自分を落ち着かせるため、更にゆっくりと足を進める。

 既に相手の魔法の射程範囲内に入っているが、動きはない。

 自分の正体に気づいて、問答無用で攻撃を仕掛けて来るということは無さそうだが、念のためこちらから先手を打つことにした。

 

「パンドラズ・アクター。元に戻れ」

 

 パンドラズ・アクターの能力は、ギルドメンバー全員を含んだ四十五の外装と能力を八割程度まで使えるという強力なものだが、その分弱点として素の状態の際は非常に脆くなる。

 状況を話している途中で不測の事態が起こって、もし戦うことになったとしても、こうしておけば変身するまでの一手間分こちらが先手を取れる。

 

「はっ。ようこそおいで下さいました。私の創造主たるモモンガ様!」

 

 ぐにゃりとタブラ・スマラグディナの姿が歪み、代わりに現れたのは見覚えのある軍服姿のドッペルゲンガーだった。

 そのまま靴を鳴らして、オーバーなリアクションで敬礼しながら告げるその姿を見た瞬間、羞恥によって感情が高ぶり、即座に精神抑制が発生する。

 

(設定だけでもキツかったというのに。動いているところは尚更キツいな)

 

「……お前も元気そうだな」

 

「はい。元気にやらせていただいています! ところで今回はどうなされたのでしょうか?」

 

 オーバーなリアクションのまま返答したパンドラズ・アクターは言葉を切り、一瞬言い淀むような間を空けてから続けた。

 

「それに……そのお体はいったい」

 

「え?」

 

「モモンガ様本来のものでは無いようですが……」

 

 ぽっかりと穴が三つ空いているだけで、表情など存在しないパンドラズ・アクターだが、明らかにこちらを訝しんでいるのが分かる。

 元よりこちらから話すつもりでいたが、まさかこれほど早く、殆ど一目見ただけで気づかれるとは思ってもいなかった。

 

「モモンガ様? 如何なさいました?」

 

「……パンドラズ・アクターよ」

 

 予定とは違うが、ここまで気づかれているのなら、もう行くしかない。

 

「はっ!」

 

「今、このナザリック地下大墳墓が置かれている状況は理解しているか?」

 

「いいえ。ですが、モモンガ様がいらっしゃったということは、ついに私の力を使うときがきたのかと」

 

 片手を胸に当て、自らをアピールするパンドラズ・アクターに対して、一瞬言葉を詰まらせる。

 実際その通りなのだが、恐らくここが最後の分岐点。本当に言っていいのか不安になったのだ。

 果たして本当にこの決断が正しいのか。

 自分の正体を明かしても、パンドラズ・アクターが味方のままでいてくれるかは分からない。

 だが、決断をしなくては先には進めないのもまた事実。

 意を決して、現在自分が置かれている状況を全て話すことにした。

 

 

 

「なるほど。そういうことでしたか」

 

 全ての説明を聞き終えたパンドラズ・アクターが神妙に頷く。

 

「ああ。他の者たちには本物のモモンガの存在を気づかれてはならない。その上でナザリック内の環境を改善させ、シモベたちの安全を確保する。これが最優先事項だ。そのために宝物殿のアイテムが必要となる」

 

「そちらに関しては問題ございません。ここにある物は全てモモンガ様のもの。直ぐにでもご用意いたしましょう」

 

「頼む」

 

 目的が達成されたことに安堵していると、パンドラズ・アクターが一瞬探るような間を空けてから言う。

 

「……それで、残る御二人のモモンガ様の捜索は如何なさいますか?」

 

「ん? ああ、それは──」

 

 全員に鈴木悟の意識が宿っていると仮定した場合だが、少なくとも二人に対しては、他のギルドメンバーのような黒い感情は浮かばない。

 しかしながら設定の書き換えも含めて、自分が一番面倒を押しつけられたという思いはある。

 見つけだして一言文句を言ってやりたいのは確かであり、何よりさっさと本物を見つけて、自分がNPCでありながら玉座の間を占拠していたことや、これから行おうとしている作戦を認めてもらわなくては、命が危うい。

 全員が同じ鈴木悟ならば、そのあたりの説得もできるだろう。

 その意味では残る二人の捜索は第二の目標といったところなのだが、そのためにはもう一つ、確認しておかなくてはならないことがある。

 

「パンドラズ・アクター。一つ聞きたい」

 

「何なりと」

 

 恭しく頭を下げるパンドラズ・アクターの、オーバーな演技に慣れつつある自分に気づきながら続ける。

 

「例え身体が別のものであっても、俺はお前の創造主だ。それは間違いないな?」

 

「仰るとおりでございます。私は貴方様に創られた。それは何があっても変わりません」

 

 一切淀みなく、きっぱりと言い切る。

 

「では、他の二人はお前にとってどのような存在だ? 偽りなく答えよ」

 

 パンドラズ・アクターの持つ忠誠心は、本物の方が上なのかそれとも全員が平等なのかを確認する必要があった。

 これによって自分一人で捜すのが良いのか、それともパンドラズ・アクターの力も借りた方が良いのかが決まる。

 そうした意図での問いかけに対する、パンドラズ・アクターの答えは単純明快なものだった。

 

「無論。このパンドラズ・アクター、御三方全員に平等の忠義を捧げる所存です」

 

 この時ばかりはオーバーなリアクションはなりを潜め、真剣そのものといった様子だった。

 

「そうか」

 

 完璧な演者であるパンドラズ・アクターが、ここで嘘をついていたとしても、それを見抜くことなどできるはずがない。

 だが、そんなことは関係がない。

 NPCたちの深すぎる忠誠心を見た時から決めていた。

 彼らは定められた設定内容に関わらず、誰一人の例外もなくモモンガを至高の存在と崇め、忠誠を誓っている。

 これから自分は皆を守るため、そして自分の身を守るためにも、皆に嘘を吐き、隠し事も続けるだろう。

 だからこそ、彼らの忠誠心だけは疑わない。

 

 パンドラズ・アクターがそう言うのならば信じよう。

 三人全員が同じ立場なら、自分ではなくパンドラズ・アクターが最初に別のモモンガを見つけたとしても、そちらの命令を一方的に聞くこともないため、安心できる。

 

「……しかし、気になる点が一つございます」

 

 ピンと指を持ち上げるパンドラズ・アクターの声は先ほどと同じく神妙であり、一度安堵しかけてしまっただけに、思わず背筋を正して問い返した。

 

「なんだ。言ってみよ」

 

「呼び名です」

 

「ん? 呼び名、とは……ああ」

 

 口に出して言っている途中で気が付く。

 名前のことだ。

 鈴木悟の人格を持った三人。パンドラズ・アクターにとっては全員がモモンガである以上、それぞれをどう呼び分けるべきかと聞いているのだ。

 気を張っていただけに肩すかしを食らった気分だが、自分の創造主であり、忠義を捧げる相手の呼び名は重要なのだろう。

 

(まさか番号を付ける訳にもいかんしな。とは言え、良い機会かもしれない。今の俺がモモンガを名乗るのはどうも気が引ける)

 

 いくらパンドラズ・アクターが全員平等だと言っても、やはり自分はコピーとして作られた身体には違いない。

 その上、ナザリック地下大墳墓の魔王。そう設定を書き変えられた時点で、純粋なモモンガのコピーですらなくなった。

 そんな自分が名乗る名前。

 

「そうか」

 

 ポツリと、小さな声が自然と漏れた。

 別の世界に来てしまった時点で、かつての仲間たちは戻ることはもう無い。つまり、ギルド・アインズ・ウール・ゴウンはもはや存在しない。

 ならばこそ、何者でもなくなった自分が、それを受け継ごう。

 このナザリック地下大墳墓の支配者にして魔王として、自分の子供たちであったNPCを置いて去っていった仲間たちの代わりに、皆を守るために。

 自分こそが、アインズ・ウール・ゴウンになればいい。

 

「私にとっては御三方皆、創造主様。つまりは父上、と言っても差し支えはございません!」

 

 よし。と持っていた杖を握りしめ、その話を告げようとした瞬間、それ以上の勢いを以てパンドラズ・アクターが言い、思わず開きかけた口を閉じた。

 どうやら、パンドラズ・アクターの言いたかったことは、こちらの想定とは違ったらしい。

 

「え? あ、うん。そうだな。そんな感じの、うん。何かではあるな」

 

 言いかけたセリフを遮られた上、唐突な親子宣言に驚き、何を言って良いのか分からず慌ててしまうが、言っている内容自体はそこまで間違っていない。

 つい先ほど他のNPCのことをギルドメンバーたちの子供だと考えたばかりなのだ。

 その意味で言えば自分が創造したパンドラズ・アクターは自分の子供になる。

 

(だからって認めるとなるとなぁ。しかし、これからのことを考えると、色々迷惑かけることになるんだし、それぐらいは認めるべきか?)

 

 考えている間にもパンドラズ・アクターの話は続く。

 

「ですが、その御身体は私の後に、モモンガ様の手によって作られた。であるならば──」

 

 そこで言葉を切ると、間を空ける。

 やはり何か頼みごとでもあるのだろうが、今のところ何を言いたいのかはよく分からない。

 先ほどこの身体が本物でも偽物でも関係ないと言ったばかりのはずだが。

 予想は付かないが、ある程度の願いならば叶えようと寛容な心を抱きながら続きを待った。

 

「同じ時期に作られた御二人にとって、私は──兄、に当たるのではないかと」

 

「んん?!」

 

 思ってもみなかった言葉に一瞬にして精神が振り切れ、その後抑制される。

 その動揺の隙を逃さず──本人にその気はないだろうが──パンドラズ・アクターは更に続けた。

 

「しかし精神的には御三方とも父上。ならばここは間を取り、私は御三方を父上と呼び、そして御二方は私を兄と呼んでいただくのが宜しいのではないかと。そう愚考した次第です」

 

「あー、うん。言いたいことは理解した」

 

 理解はした。間違いなく。

 

「では!」

 

 オーバーなリアクションが無くとも声だけで、喜んでいることが分かるパンドラズ・アクターに対してモモンガ……否、アインズはきっぱりと言い張った。

 

「うむ。却下で」

 

 

 ・

 

 

 第九階層の一室。

 私室として与えられた部屋に移動したユリ・アルファは、室内に入る前に小さく肩を落とす。

 

(私は疲労も睡眠も必要ないのだから、できればずっとあの場に待機していたかった)

 

 心の中でため息を吐いてから表情を戻す。

 室内にいる妹たちに気を抜いている姿など見せるわけにはいかないと己を律し、ユリは部屋の扉を開けて中に入った。

 

「ん? ユリ姉も休憩っすか?」

 

 中に入った途端、妹の一人ルプスレギナ・ベータが声を掛けてくる。

 だらりと椅子に腰かけた姿は、とてもメイドとして相応しい姿には見えない。休憩中なのでとやかく言うのもどうかと思うが、ユリ自身は妹たちに気を抜いているところは見せられないと気合を入れたばかりだったこともあり、多少思うところがあった。

 とは言え、その思いは態度には出さず部屋の中に入る。

 

 プレアデスの仕事は第十階層に続く扉の守護であるが、玉座の間に主が籠もったことで、より防衛力を強化する必要が出たため、現在その場には各階層より選りすぐられたシモベたちが集まり、共同で守護の任に就いている。

 それらは全員が高レベルのシモベであり、はっきり言ってしまえばプレアデスはその中で最も弱い存在だ。

 元からその場の守護が仕事だったということで、任務から外されることはないが、居ても居なくても変わらない、と思われているのは確かだろう。

 だからこそ、姉妹全員が一度に抜けても問題なしと判断されたに違いない。

 それは理解できるが、やはり自分たちの職場に他の者たちが出入りし、その上それらが至高の存在から直接創造された自分たちより重要視されている現状には不満が残る。

 加えてプレアデスのリーダーであるセバスは現在、より重要度の高い玉座の間手前の、ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)を含めた第十階層全体の警備責任者となっているため忙しく、直談判もできないことも拍車をかけ、そうした思いがユリから冷静さを奪い、失言を口にしてしまった。

 

「ええ。姉妹皆で休憩を取るように、セバス様が気を使って下さったみたいね」

 

 口に出してから己の失言に気付いたが、既に遅くユリの言葉を聞いたルプスレギナは眉を寄せた。

 

「皆で、っすか?」

 

「……二人は?」

 

 今更訂正はできないが、せめてあの二人には聞かれたくない。

 彼女たちはプレアデスの中では下の妹に当たる──プレイアデスとしてならばオーレオールが末妹になるが──ということもあるのか、二人とも精神的に幼い部分がある。

 今の台詞が聞こえたらまた落ち込んでしまう。

 

「あっちで休んでいるっす。いやー空気が重いのなんのって」

 

 対して次女である彼女はさほど気にしているようには見えない。

 いや、気にしていないはずはない。

 恐らくはユリの失言を流すため、わざと明るく振る舞っているのだ。

 

「そう……あの二人が早く見つかると良いのだけれど」

 

「どこ行っちゃんたんすかねー。ソーちゃんとナーちゃんは。あの二人だけなんすよね? 行方が分からなくなっているのは」

 

 プレアデスの三女であるソリュシャンとナーベラルが、どこにも居ないことが判明したのは、ナザリック地下大墳墓が異なる世界に転移してしまうという、異常事態が発覚してしばらく経ってからだった。

 最後まで残られた至高の存在である主が、玉座の間に閉じこもり、ナザリック内が混乱を極めたことで確認が遅れたためだ。

 初めは、ナザリックのどこかに居るのだろう──ユリとセバスも本来の職場ではなく、何故か地表に居たということもあったため──と考えられていたのだが、いくら探しても二人は見つからなかった。

 

「そのようね。もっとも第八階層や第十階層の一部の場所は勝手に立ち入ることが出来ないから、捜していない場所もあるけれど、もしそこに紛れ込んだのなら二人から連絡が入るはず。そもそもオーちゃんが位置を把握できていないとなると……」

 

 プレイアデスの末妹であり、指揮官でもあるオーレオール・オメガは姉妹の位置を常に把握している。

 その彼女が見つけられないのならば、二人はナザリック内にいないことになる。

 

「うーん。だとするとやっぱり外っすかね。捜しに行きたいっすけど」

 

 ルプスレギナがちらりとこちらを窺うように視線を向ける。

 

「今は無理ね。モモンガ様の許しが出ないことには」

 

「そーっすよねー」

 

 盛大にため息を吐くルプスレギナを見ながら、不意にイヤな考えが浮かぶ。

 恐らくルプスレギナもその可能性は考えているはずだ。

 

 それは、二人は既に死んでいるのではないか。という可能性。

 現状を考えれば決してあり得ないことではない。

 全員の所在が確認され、居なくなったのはあの二人だけ。

 場所を把握できるはずのオーレオールも存在を把握できない。となればむしろ既に死亡している確率の方が高い。

 その場合、死体が無ければ復活魔法の掛けようもなく、そもそも自分たち至高の御方に創造された者たちは、通常の復活魔法は効かず、蘇るには大量のユグドラシル金貨が必要となる。

 それが出来るのは主だけだが、その主は未だ玉座の間から出てこず、ナザリックの資産は全て至高の御方の物であるため、軽々に頼むことも出来ない。

 恐らく妹たちはそれも理解しているからこそ、ああも落ち込んでいるのだ。

 

(なんとかしてあげたいけど……)

 

 二人だけではない。

 口には出さないが、このナザリックの異常事態や、最後まで残られた慈悲深い主が姿を見せない状況には皆が不安を抱いている。

 特に顕著なのは一般メイドたちだ。

 彼女たちのケアに関してはペストーニャからも相談を受けているが、難しい問題だ。

 そして、それはユリ自身も同じだった。

 妹たちや一般メイドたちのこともあって、決して口には出来ないが、ユリ自身にも悩みがあった。

 この世界に転移した際、共に地表に居たユリは、何かとてつもなく大切な物が無くなったような喪失感を覚えたのだ。

 これは共にいたセバスも同じはずだ。

 

(なぜ私たちだけが地表に。いいえ、あの時他にも誰かが居たような?)

 

 その辺りの記憶は曖昧なのだが、地表に自分たちとは別の誰かが居たような気がする。

 そのことをセバスと話し合う必要があると感じてはいるのだが、セバスの職場が変わったことに加え、この緊急事態への対処や妹たちの捜索やケアにかまけて後回しになっていた。

 しかし、ある程度ナザリック内が落ち着きを取り戻し、第十階層の警備にも余裕が出てきた今こそ、改めて時間を取るべきかもしれない。

 

「ま。いつまでもここにいてもしょうがないっすよね。休憩中は休憩しましょうっす」

 

 突然大きな声を出したルプスレギナは、椅子から立ち上がると、そのままユリの後ろに回り込み、彼女の背中を押して歩き出す。

 

「ちょ、ちょっと。ルプー、押さないで」

 

「いーからいーから。疲れた姉に少しでも楽な思いをして欲しいという妹心っすから」

 

「私は疲労なんて──」

 

 しない。と言い掛けて、止める。

 確かにアンデッドであるユリは肉体的な疲労とは無縁だが、精神的な疲れは別なようだ。

 ルプスレギナはそれを見抜いたのだろう。

 ユリのことを案じているのも間違いないが、それと同様、今のままではエントマとシズにも気づかれかねない。と言葉に出さずに伝えているのだ。

 普段の彼女は嗜虐心が強く、残忍な性格をしている問題児だが、それとは別に頭の回転が速く、何より空気が読める。

 こうした時はそれが非常にありがたい。

 

「さあさあ、可愛い妹たちに会いに行くっすよ。シズちゃんなんかわざわざ第六階層の魔獣に癒されに行ったのに、誰も居なかったってむくれて大変なんすから」

 

 背中を押されながら歩く途中告げられた言葉に、引っ掛かりを覚えた。

 

「第六階層?」

 

 可愛いもの好きのシズが、休憩中よく第六階層に出向いていることは知っている。こんな大変な時に。とも思うのだが、シズたちと同じくまだ精神的に幼いアウラとマーレの気分転換にもなるだろうと、ナザリックの内政面の責任者であるアルベドから許可を貰っている。

 

「そうっすよ。魔獣もそうなんすけど、守護者の二人も居なかったとかなんとか」

 

「あーちゃんたちが……」

 

 魔獣は各所で護衛にも使われているが、広大な第六階層を纏める守護者が二人ともいないというのは気にかかる。

 

「詳しく話が聞きたいなら、急ぐっすよ」

 

 理由を考え始めたユリの背中を押すルプスレギナの力が強くなり、必然的に速度も上がっていく。

 

「分かった。分かったから。スピード上げないで! 頭が、頭が落ちるから!」

 

 チョーカーで留められているだけの頭を押さえながらルプスレギナに告げるが、それは寧ろ彼女の嗜虐心を刺激したらしく、更に速度を上げて、妹たちが待つ部屋に向かって突進していく。

 

(あー、もう! この娘は本当に!)

 

 心の中で叫びつつも、ユリの口元は僅かに綻んでいた。

 

 

 ・

 

 

 ナザリック地下大墳墓第三階層にある地下聖堂。

 百メートル四方はある巨大な聖堂は、本来完全な闇に閉ざされており、その中を数十体にも及ぶアンデッドが徘徊しているのだが、今日は壁にいくつも灯りが付けられ、徘徊しているアンデッドも壁際に整列している。

 その中心にはこの階層の守護者、シャルティアが待機しており、その視線は転移門に向けられていた。

 やがて転移門が作動し、中から小さな二つの影が現れる。

 

「とうちゃーく!」

 

「お、お待たせしました」

 

 約束の時間を過ぎたことを全く気にしていないアウラと、深々と頭を下げながら現れるマーレ。

 対照的な双子を前に、シャルティアはとりあえず遅れたことは口にせず、ボールガウンの裾をそっと持ち上げた。

 

「ようこそ私の守護階層へ。二人とも歓迎しんすぇ」

 

 相手が如何にがさつな粗忽者であっても、こちらから招いた以上は客人、相応の礼儀を以て対応する必要がある。

 

「あー、うん。ありがと」

 

「お、お邪魔します」

 

 どことなく居心地悪そうな二人に対し、顔を持ち上げたシャルティアはアウラたちの後ろに誰も居ないことに首を傾げた。

 

「? 二人とも、部下の魔獣は連れてきていんせんの?」

 

「一応みんな集まってもらってはいるけどさ。一気に移動したら他の守護者に見つかるからねー、先ずは話を聞いてからじゃないと。シャルティアに勝手なことをさせないようにってアルベドにも言われているしね」

 

 カラカラと笑いながら馬鹿正直に告げるアウラに、シャルティアは小さく鼻を鳴らして、マーレに目を向ける。

 いつか、マーレも似たようなことを言っていた。

 その時は誰に言われたかは、口にしなかったが、どうやらアルベドだったらしい。

 その視線に気づいたマーレは、体をビクつかせシャルティアから顔を逸らした。

 

「勝手なこと、ではありんせんぇ。だからこうして二人に話を通そうとしていんすから」

 

「でも世界征服の計画は、アルベドとデミウルゴスが作戦を練っているんでしょ? その二人に話を通さない時点で、勝手な行動には変わりないんじゃないの?」

 

「そもそも。わたしたち守護者はアルベドたちの命令を聞く必要はありんせん。わたしに命令を下せるのは至高の御方々だけ。仮にモモンガ様が二人の命令を聞くように命じたのであればともかく、そんな話は聞いていんせんぇ」

 

「いや、だって。アルベドは守護者統括でしょ?」

 

 呆れたように言うアウラに、シャルティアは僅かに身を引き、言葉を詰まらせる。

 確かにアルベドの役職は守護者統括。

 すなわち階層守護者を纏める立場であり、場合によってはナザリック内の指揮を執ることも許されている。

 それは至高の四十一人が定めた役職であるため、シャルティアが不満を言うことは許されない。

 

「だ、だとしても! それはあくまで役職上のこと。至高の御方に創造された者たちに地位の違いはあっても、立場には違いはありんせん」

 

「だったら、アルベドに直接そう言いなよ」

 

「ぐぬぬ」

 

 思わず口篭もる。

 あの二人が相手では直接言っても丸め込まれる気がする。などと口が裂けても言えない。

 至高の存在が創った自分の能力には不満など一切無いが、それ故にナザリックでも一、二を争う知者として創造された二人には敵わないことは理解しているのだ。

 

「だいたい、計画の何が気に入らないのさ。もうこの辺で一番強い国を裏から支配して、操れるようになったんでしょ?」

 

 アウラが言っているのは、スレイン法国なる国の事だ。

 宗教国家であり、ごく一部の人間によって国の運営が決まるその国は、裏を返せばそのごく一部の人間たちを操れば、国そのものをどうとでもできる以上、既に一国を支配したも同然である。

 現時点では、確かに順調な滑り出しと言えるかも知れない。

 

「デミウルゴスの計画が、これからどうなるかは聞いていんすか?」

 

「これから? えーっと」

 

 アウラがチラリとマーレに目を向ける。

 その視線を受けて、これまでずっと黙っていたマーレは怖ず怖ずと口を開いた。

 

「そ、その国を使って、他の国に戦争を仕掛けさせて、ナザリックが直接支配する足場になる場所を手に入れるって言ってたよ」

 

「ああ。そんなこと言ってた気がする」

 

 納得したように頷いてから、アウラはだから何? と言わんばかりに首を傾げこちらを見る。

 

「だから! そんな手間をかける必要がどこにあるのかという話よ! 人間どもの国なんて、わたしの転移門(ゲート)でアンデッドかアンタの魔獣を何匹か送れば、今日にだって滅ぼせるでしょ。法国の奴らを使うにしたって、戦争を起こして人間同士を争わせるようなことをしなくても、問答無用で都市を襲わせて、それにわたしたちが便乗して暴れさせた方が手っとり早い! あいつ等はみんなわたしの眷族。一言命じるだけで今すぐにだって動けるのよ」

 

 興奮して創造主より、そうあれ。と定められた言葉遣いを忘れて言い放つ。

 捕らえたスレイン法国の者たちから聞き出した情報によって、この世界の人間たちが如何に脆弱な生き物かは調べがついている。

 それを知って、シャルティアはますます疑念を強めた。

 やはりこれはアルベドとデミウルゴスが、知略という自分の得意分野で成果を挙げるために、わざと慎重策を採っているに違いない。とそう考えたのだ。

 何よりも──

 

「このままでは、わたしの力をモモンガ様にお見せできんせん!」

 

 思わず口から出てしまった言葉に、アウラはジトリと半目になってこちらを睨む。

 

「あー、それが本音な訳ね」

 

 頭の後ろで手を組み、アウラは僅かに視線を上に向けて、考えるような態度を見せていたが、やがて大きく頷いた。

 

「よし。だったらあたしたちも一緒にアルベドのところに行ってあげるよ。正直あたしも人間相手にそこまで慎重になる意味が分からないし、ちゃんと話してみようよ」

 

「え?」

「え?」

 

 シャルティアとマーレの声が重なる。

 しかし、その意味は異なる。

 マーレは単純に自分も頭数に入れられている事に驚いただけであり、自分を指さしながらアウラの顔を窺う。

 

「え、えっと。それは僕も?」

 

「当たり前でしょ」

 

 キッパリと言い切られ、ええ。と絶望的な表情と声を出しているマーレを後目に、シャルティアは唇を噛みしめた。

 

(マズイ。このままアルベドのところに行ったら絶対にバレる)

 

 お子さまで単純なアウラと、大人しいマーレくらいならば簡単に丸め込めるだろうと考えて、シャルティアは既に行動を開始していたのだ。

 法国の最高執行機関なる十二名の者どもは全てシャルティアの眷族であり、表面上はアルベドとデミウルゴスの命令を聞くように言い聞かせ、その裏でシャルティアの計画も聞かせてそちらの準備を進めさせていた。

 後はこの二人を引き入れた後、直ぐにでも行動を開始して──そのためにアウラに魔獣を連れてくるように話していた──後戻りができなくなってからアルベドたちに説明しようと思っていたのだが、その前にアルベドに会ったら釘を刺されかねない。

 何とかしてアウラを思い留まらせなくては。と必死に頭を回転させていると、不意に転移門が作動する。

 

「あれ?」

 

 不思議そうに振り返るアウラとマーレ。

 そしてそれを後ろから見ていたシャルティア、三人の前に転移門から人影が現れた。

 現れた影は三つ。

 

「チッ」

 

 思わず舌を打ち鳴らす。

 そこから出てきた人物と、その格好を見て何をしにきたのか理解したからだ。

 

「私のところに来る必要はないわ。アウラ」

 

 いつものドレス姿ではなく、真っ黒な全身鎧と、長大のバルディッシュを持ったアルベドが低い声で告げる。

 その後ろにいるデミウルゴスとコキュートスもまた武装を整えていた。

 アルベドが口にした台詞は、先ほどのアウラが会いに行くと言ったことへの返答だ。

 つまり、ここでの会話は盗み聞きされていたことになる。

 

「……わたしを監視していたんでありんすね?」

 

 本来、守護者統括であろうと、階層守護者のシャルティアに気づかれることなく、会話を盗み聞きすることは難しい。

 しかし、今更ながら思い出した。第五階層、氷結牢獄の領域守護者は情報系に特化した魔法詠唱者(マジック・キャスター)、そして彼女はアルベドの姉でもある。

 その力を使えば、シャルティアに気付かれずこちらの動きを監視することができる。

 つまり、シャルティアの計画が全て筒抜けだったということだ。

 

「ええ。だから申し開きは必要ないわ。貴女の身勝手な行為は、ナザリック地下大墳墓の不利益に繋がる。それはモモンガ様に対する不忠も同然。その罪──」

 

 転移門から降り立ったアルベドは、そのままバルディッシュを小枝のように振り回し、その切っ先をシャルティアの首もとに突きつけた。

 

「命で贖え」

 

 明確な殺意が込められた声が、大聖堂の中に響き渡った。




ちなみにパンドラズ・アクターが、書籍版ではアインズ様から成長の証を見せるよう言われて初めて提案した呼び方の変更を、自分から申し出たのは、本人も気づかないうちにモモンガさんをNPCだと認識して少し気安さを覚えていたからです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 偽王の帰還

前回の続き
ちなみに三人のモモンガさんの呼び名についてですが、ナザリックのモモンガさんが前話で改名したので
200年前に転移した本物 悟 or サトル
100年前に転移したコピー モモンガ or モモン
現在に転移に転移したコピー アインズ
基本的には地の文に関してもこれに固定します


 第十階層、玉座の間。

 その一つ前に存在する半球状の大きなドーム型のこの部屋は、ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)と呼ばれている。

 この場は本来、壁に掘られた穴の中に配置されたレメゲトンの悪魔像と、天井に存在する四つのクリスタルによって防衛され、それ以外の者は存在して居なかったのだが、今は違う。

 

「……」

 

 誰一人として口を開くことなく、不気味な緊張感に包まれた室内。

 その空気を作り出しているのは、玉座の間へと続く巨大な扉のすぐ脇に立ち、ドーム全体に目を光らせているナザリック地下大墳墓の家令にして執事であるセバス・チャン。

 彼は至高の存在によって直接創造された者であり、強さに於いてもそうだが、格としても守護者と同等と定められている。

 対して他の者たちは守護者の直属の部下たちではあるが、至高の御方に創造されたものはいない。

 だからこそ、元より第十階層の守護を任せられていた者たちからすれば、自分たちが信用できないから増援を呼ばれたと考え、不満を抱いている。

 

 言葉にせずとも、セバスはそう考えているに違いない。

 

(などと、皆は思っているようですね)

 

 実際そうした思いが一切無いとは言わないが、そもそもセバスの持ち場はここではなく、その一つ前の第十階層に続く扉の守護なので、持ち場が変わっているのは自分も同様だ。

 また、ここにいるものたちはそれぞれの階層から選りすぐった精鋭たちであり、単純に戦闘力に優れているものから、探知能力に重きを置いているもの、回復や補助魔法を専門に扱うものまで、如何なる敵が現れようと対処できるメンバーが揃えられている。

 自分たちが絶対に守らなくてはならない主の護衛という意味では、これでも必要最低限。

 不満などと思うはずがない。

 セバスが気にしているのは彼らではなく、それ以外のことだ。

 仕事中に別のことを考えるなど、ナザリックの執事としてあるまじき行為であるが、どうしても頭にチラつく。

 そうした己に対する不甲斐なさや怒りが、周囲の誤解を招いているのかもしれない。

 

(しかし──)

 

 それでも考えることが止められない。

 一つは自分の部下であるプレアデスのメンバー、ナーベラルとソリュシャンが行方不明になっていることだ。

 そのことで姉妹たち──特に精神的にまだ未熟なシズとエントマ──が心を痛めているのはセバスにも伝わっている。

 一応既にアルベドに報告を上げ、彼女の姉であり情報系魔法に特化した魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるニグレドに捜索を頼んでいるのだが、現在ニグレドは別の問題解決の為に魔法を使用しているらしく、捜索開始まではもう少し時間がかかるそうだ。

 

 それまでの間にプレアデスが暴走して、仕事に支障が出ても困る。

 部下の管理は上司であるセバスの仕事。

 キチンとケアをしておく必要があると考え、姉妹全員の休憩時間を合わせておいた。

 普段は長女であり、プレアデスの副リーダーでもあるユリが、率先してそうした気遣いをするのだろうが、今の彼女にはその余裕はなさそうだったため、上司権限で無理にでも休ませたという経緯もある。

 ユリに関してもこれで少しは気分転換になると良いのだが。

 

(後はルプスレギナに任せるとしましょう)

 

 次女であるルプスレギナは、ああ見えて気遣い上手だ。ユリが張りつめすぎていると理解すれば上手く動いてくれるだろう。

 

 そして、もう一つ。セバスにとってはこちらの方がより重要だ。

 何らかの異変が起き、かつてナザリック地下大墳墓が存在した沼地から平原の真ん中に移動したあの日のこと。

 ユリは覚えていないようだが、セバスは地表に取り残される以前のことも、朧げながら覚えているのだ。

 

 その場にいたのは自分とユリだけでは無かった。

 行方不明になっているナーベラルとソリュシャン。彼女たちを従えるように立つ、全く見覚えのない漆黒の鎧に身を包んだ戦士。

 そして、残る最後の一人である純白の鎧を身に纏った騎士の総勢六名が居たはずだ。

 

(あれは私の見た幻覚なのでしょうか。だとしたら何故……)

 

 不可解なのは、その六名が敵対者として玉座の間に踏み込んだ記憶があることだ。

 自分もユリもアインズ・ウール・ゴウンに絶対の忠誠を誓う者。

 敵対することなどあり得るはずがないというのに。

 

 現にナザリックには損害一つ起こっていないのだから、やはりあれに関しては幻だったのだろう。

 だが一つだけ。その後地表に上がり、自分とユリを置いて一人空へと昇っていく純白の騎士の後ろ姿と、その時の喪失感だけは朧気な記憶の中にもしっかりと残っている。

 あの純白の鎧をセバスが見間違えるはずはない。あれは己の創造主が纏っていたものなのだから。

 ならば──

 

(私は、また置いていかれたのでしょうか。たっち・みー様)

 

 それは考えてはならない禁忌。

 思わずセバスは拳を握りしめる。

 身につけた白い手袋に皺が寄り、僅かに音を立てた。

 周囲の気配が自分に向いていることに気づき、セバスは拳から力を抜く。

 

(私としたことが、なんと無様な。今は職務を全うすべきだ、そう。私の職務は──)

 

 セバスが己を取り戻すため、そう考えた瞬間だった。

 ホンの小さな音を耳が捕らえる。

 それはセバスの前方、部屋の中央から聞こえた。

 当然耳だけではなく、視覚でもセバスはそれを見ていた。

 認識すると同時に執事としての適切な位置に素早く移動して、深く頭を下げる。

 他のシモベたちもまた、同じように礼を取っている気配を察し、セバスはゆっくりと万感の思いを込めて、言葉を発した。

 

「お待ち申し上げておりました」

 

 主を出迎える。

 ナザリック地下大墳墓の家令にして執事たるセバス・チャンとして、それ以上の職務など存在するはずがなかった。

 

 

 ・

 

 

 アルベドとシャルティアの間に流れる、一触即発の空気が場を支配する。

 それを視界の端に収めながら、デミウルゴスはアウラとマーレに目を向けた。

 マーレは杖を握りしめたままオドオドとしているが、アウラは少し考えるように口元に手を当ててことの成り行きを見守っているようだ。

 

(なるほど。二人は裏切った訳ではなく、シャルティアに呼び出されただけのようですね……)

 

 法国の最高執行機関の面々を自らの眷族としたシャルティアが、デミウルゴスの計画を無視して勝手な命令を下した上、アウラとマーレと共に行動を起こそうとしていることをニグレドが察知した。と連絡が入ったのは少し前のことだ。

 それをアルベドがナザリックに対する不忠、そして主に対する裏切りだと判断し、デミウルゴスとコキュートスを呼び出してことの真相を明らかにする──アルベド自身は即処刑すべきであり、話を聞く必要などないと言い切っていたが──為に出向いたのだ。

 数の上では三対三だが、こちらは完全に武装を整えた上、デミウルゴスは自らの配下である魔将たちを直ぐに呼び出せるようにして必勝に近い状況を作り出している。

 とはいえ、相手は守護者最強のシャルティアに第二位のマーレ、専属の魔獣を動員すれば守護者をも圧倒できるアウラ。

 この三人を相手にするのは危険かと思っていたが、アウラとマーレはシャルティアに付いている訳ではないのなら、先にすべきことがある。

 

「アルベド。先ずは話を聞いてみてはどうだい? 彼女が反旗を翻したにしても、今後同じ様なことが起こらないとも限らないからね」

 

 情報収集が可能ならそうした方がいいに決まっている。

 この世界を支配して、主に自分たちの力を示す。

 その第一歩。未だ一国すら完全に支配できていない状況で、仮にもナザリック地下大墳墓のシモベたちの中で最上位に位置する守護者の一角が裏切りを働くなど、本来あってはならないことだ。

 故にデミウルゴスは今後に備える意味でも話を聞いておく必要があると考えた。

 そもそもいくら守護者統括とはいえ、至高の御方が創造した存在を勝手に処刑しようなど、越権行為以外の何物でもない。

 アルベドもそのぐらいのことは理解しているはずだが、感情が先走りすぎているようだ。

 自分たちと異なり主に直接拒絶されて、そうあれと定められた己の居場所である玉座の間から出ていくように命じられたのだからそれも仕方がないが、だからと言って容認はできない。

 

(そう。あるいはシャルティアの行動も創造主であるペロロンチーノ様より、そうあれと定められたものかもしれない)

 

 主に絶対の忠誠を誓うナザリックのシモベたちにも例外は存在する。

 例えば執事助手であるエクレア・エクレール・エイクレアー。

 彼はいずれ自分がナザリック地下大墳墓を支配するなどと不敬極まることを言っているが、そのことに直接文句を言う者は存在しない。

 創造主よりそうあれ、と生み出され、それに従っているだけなのだから当然だ。

 もっとも感情は別なので、エクレアの言葉に一般メイドたちは不満を募らせているようだが……

 

 そうした定められた内容については、公言されているものもあれば、そうではないものもある。

 シャルティアの場合、言葉遣いやアウラと仲が悪いとされている──どちらも守れているか怪しいところではあるが──のは公言しているが、それ以外は分からない。

 もしかしたら、主が不在の際には反旗を翻してナザリックの行動を邪魔する。等と定められている可能性もある。

 アウラとマーレもそれが分かっているからこそ、誰にも知られずに自分の元まで来るようにという、あからさまに怪しいシャルティアの言葉に乗ったのだろう。

 

「……あー、アルベド? あたしもまだ全部を聞いた訳じゃないけどさ。多分シャルティアはそこまで考えてないと思うよ」

 

 シャルティアとアルベドの間に移動して取りなすアウラに、アルベドはバルディッシュを外さないまま、ちらりと顔を向けた。

 

「どういうことだい?」

 

 アルベドの代わりにデミウルゴスが問いかける。

 

「モモンガ様に良いところを見せたかったんだって。デミウルゴスの立てた計画だと自分の見せ場が無いからって」

 

「ちょ! アウラ!」

 

「ムウ」

 

 コキュートスが驚いたように唸り声をあげるが、デミウルゴスはむしろ言葉を失った。

 

「……どういうこと?」

 

 アルベドも少しの間言葉を失ったように黙っていたが、考えても理解できなかったらしくシャルティアを直接問い詰める。

 

「う、うぅ」

 

 唇を噛みしめて恨めしげにアルベド、次いでデミウルゴスを睨み付けたシャルティアは、その直後アルベドに向かって指を伸ばしながら声を張り上げた。

 

「わたしには分かっていんすからね! 二人が自分だけモモンガ様にアピールするためにわざと、わたしの得意分野の仕事をさせないようにしていることを!」

 

「……つまり、シャルティア。君がこんな真似をしたのは、モモンガ様──アインズ・ウール・ゴウンに反旗を翻すためではない。と?」

 

 もう一度確認するように問うとそれまで、拗ねた子供のようだったシャルティアの表情が一変する。

 

「さっきも言っていんしたね。このわたしが、ナザリック地下大墳墓第一から第三階層の守護者、シャルティア・ブラッドフォールンがモモンガ様を裏切る? そっちこそ、このわたしを舐めてるのかよ」

 

 場の空気が肌に刺さるほど冷たくなると同時に、シャルティアの瞳が深紅に染まり、低い声に混じる殺意が一気に膨らんでいく。

 至高の御方より直々に守護者最強の称号を与えられた存在が放つ、本気の殺意が向けられる。

 それでも、アウラとマーレがシャルティア側でないと分かった以上、ここにいる全員で掛かれば当然勝利はできるだろう。しかし内一人か二人は道連れにされかねない。シャルティアにはそれだけの力がある。

 だが重要なのはそこではない。

 彼女が本気で怒っている。それが重要なのだ。

 シャルティアの性格上、裏切りが創造主より定められたものであったのならば、怒るはずなどない。

 むしろ喜々として裏切りを誇りながら、戦いを挑むくらいのことはしそうなものだ。

 

「まさか。本当に、ここまで?」

 

 元々自分たち守護者はそれぞれの守護階層から出ることはなく、こうして交流を持つようになったのは、この世界にナザリックごと転移してからだ。

 その後交した短い会話からでも、シャルティアが思慮深い性格でないことは理解していたが、ここまで考えなしだと思わなかった。

 

「だと思うよ」

 

「……デミウルゴス、説明はしなかったの?」

 

 アウラが同意したことでアルベドも状況を理解したらしく、疑わしげに問う。

 その問いかけにデミウルゴスは心外だとばかりに首を横に振った。

 

「勿論しましたよ。作戦内容の説明も、今後の見通しや何故このような手段を取ったのかもね」

 

 この世界の戦力を確認した今、シャルティアの言うように、ナザリックの武力を駆使してシャルティアの転移門(ゲート)などで各地にシモベを送れば、それこそ一日で一国を落とすことも難しくはない。

 だがそれをすれば、残った国々は確実に団結する。

 国としては大したことはなくても、脅威となりうる個の存在が確認されていることもあり、法国を操り人間同士を争わせて険悪な状況に陥らせることで、例えその後ナザリックが表に出たとしても軽々には団結はできず、むしろどこかの国の手の者だと考え、疑心暗鬼に陥らせることができる。

 そうして周辺諸国全てを支配した後で、初めて本格的にナザリックの軍勢も使用して侵略を開始する。

 シャルティアが活躍するのはその時だろう。

 それを改めて説明すると、シャルティアの深紅に染まった瞳から色が抜け、徐々に白目部分が露わになっていく。

 

「例え数少ない強者が団結したとしても、ナザリックの力に勝てるとは思えませんが、完全な隠蔽はできていませんから、その者たちがこのナザリック地下大墳墓に攻めてくる可能性はあります」

 

 ナザリック内の防衛力や罠を確認するために、少数の弱者をわざと招き入れるくらいならばともかく、大量の軍勢や強さの分からない強力な個が襲来する可能性もあり得るのだ。

 ナザリック地下大墳墓は主の、そして至高の四十一人の物。そこに敵を招き入れるなど、主の許しなく自分たちが勝手に決めて良い話ではない。

 一刻も早く世界征服を完了して主に世界を捧げなくてはならない状況で、内部工作などの時間の掛かる方法を選択しているのはそれが理由だ。

 

「つまりは栄光あるナザリックに大量の有象無象が侵入し、相手の強さによってはいくつかの階層が破壊される可能性もあるということです。その際最も傷つくのは貴女の守護階層である第一階層ですよ? それが分かっているのですか?」

 

「あ」

 

 デミウルゴスの説明によって、自分の行動のせいでナザリック、そして己が任せられている守護階層に不利益をもたらすところだった。と今更ながら気づいたシャルティアの白蝋じみた肌から更に血の気が引き、青白くなっていく。

 それを見て、デミウルゴスとアルベドは同時に視線を合わせた。

 アルベドは呆れた様に息を吐きながらバルディッシュをシャルティアの首筋から外して手元に戻し、コキュートスも四本の腕に持っていた武器を空間の中に仕舞い込む。

 とりあえず、シャルティアが反旗を翻したという疑惑は晴れた。

 ただ彼女が考えなしだっただけ。というお粗末な結果だったが、だからこそ危険でもある。

 今回は未然に防ぐことができたが、これも役職上の立場は存在しても、明確で完璧な命令系統が確立されていないことが原因だ。

 創造主に直接創られた者にとって、他の者たちは同等の立場、いや誰もが自分の創造主こそが最も素晴らしい存在だと思っていることを加味すると──デミウルゴス自身もそう思っている──他の者からの命令に心から従おうと考える者は恐らくいない。

 何か手を打たなくてはならない。

 デミウルゴスが思案を開始する中、先だってアルベドがシャルティアに命を下す。

 

「……取りあえずシャルティアの処罰は後回しね。先ずは法国の者たちへの命令を撤回しなさい。その後デミウルゴスの作戦通りに事を進めるように」

 

 当然了承の返事をするものだと思われたが、シャルティアの表情は暗く、血の気は引いたままだ。

 

「え、えっと……」

 

「何? もしかして──」

 

「も、もう人間たちに命令していんす。軍隊は動かすのに時間がかかるから、少数精鋭で都市を落として戦争を始めるようにと」

 

 ぼそぼそと聞き取りにくい声で告げるシャルティアに、デミウルゴスは再び思考を中断させる。

 

「君は本当に。こんな時だけ──」

 

 恐らくはこちらがシャルティアを相手にするための準備をしていた僅かな間に、命令を下していたのだろう。

 頭に手を置き、深く息を吐く。

 感情に支配されるなど、ナザリック最高の知者として創造された自分には相応しくない。

 それは理解していたが止められなかった。

 何とか自分を鎮めようとゆっくりと呼吸を繰り返す。

 そうして落ち着きを取り戻そうとする最中、突然デミウルゴスたちが使用した第四階層からの転移門が作動した。

 初めはいざという時のために待機させていた魔将たちがやってきたのかと思ったが、自分の直属の配下が命令もなしに勝手に動くとは考えられない。

 転移門から現れたのは見覚えのある人物であり、それを見てデミウルゴスは表情を変えた。

 

「セバス。休憩時間ではないはずだが、どういうつもりだい? 返答によっては君にも処罰を受けて貰わなくてはならない」

 

 冷静さを保とうとするが、シャルティアの予想外の行動に加え、それこそ本能的に嫌悪の感情を抱いているセバスが、玉座の間に続くソロモンの小さな鍵(レメゲトン)の守護という大役を──他の護衛もいるとはいえ──放棄して現れたことで、いよいよ感情を抑えることができなくなった。

 誰も彼もデミウルゴスが主のために立てた計画を無視して勝手な行動をとってばかりだ。不愉快どころの話ではない。

 セバスはそんなデミウルゴスにチラと一瞬だけ視線を向けると、すぐに全員に向かって胸を張り、鋼が如き強い口調で告げた。

 

「私はたっち・みー様より定められた本来の仕事を行っているだけです」

 

「何を言って──」

 

 セバスへの怒りによって反射的に口を開いた次の瞬間、再び転移門が作動する音が聞こえ、背筋に電流が走ったかの如き衝撃を受けた。

 全身を包んだ衝撃は、そのまま全身に掛かる重圧へと変わる。

 セバスの言葉、そしてその重圧を理解した瞬間、デミウルゴスは地面に膝を突き深く頭を下げた。

 周囲では他の守護者たちも同じように跪く音が聞こえるが、それらは微妙にズレており、完全に揃っていない。

 そのような無様を晒してしまったことを含め、デミウルゴスは己の不甲斐なさを覚えるが、それ以上の喜びが全身に満ちる。

 セバスの仕事。

 それはナザリック地下大墳墓の家令にして執事。

 そして執事の最も重要な仕事とは、主の傍に控えることだ。

 

「ナザリック地下大墳墓最高支配者であらせられるモモンガ様、改めアインズ・ウール・ゴウン様の御入室です」

 

 セバスの低い声と共に、足音と杖を突く音が大聖堂の中に響き渡った。

 それは間違いなくデミウルゴスたち全員が待ち望んだ、主の帰還を示す福音に他ならなかった。

 

「皆、顔を上げ刮目せよ」

 

 威厳に満ちた正しく絶対的支配者に相応しい声と、レベル百の守護者たちの耐性すら突破して、ある程度の能力ペナルティを与える強力な特殊技術(スキル)、絶望のオーラが与える重圧。

 その重みすら嬉しく感じながら、デミウルゴスはゆっくりと時間をかけて顔を持ち上げ、その言葉に従い目を見開いた。

 そこには至高の絶対者の姿があった。

 

「この私こそがアインズ・ウール・ゴウン。我が新たなる名と共に、お前たちの支配者の顔をその目に刻み込め!」

 

 アインズ・ウール・ゴウン。

 それは至高の四十一人の纏め役にして、最後まで自分たちを見捨てずにこの地に残って下さった御方が名乗るに相応しき名だ。

 漆黒のローブと全身に纏う同じく漆黒のオーラ、骸骨の(かんばせ)に灯る赤黒い眼光、絡み合った七匹の蛇が七つの宝玉を咥えた黄金の杖は、正しく主しか触れることが許されないという伝説の最高位武器、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。

 そして何よりも、その全身を包み込む絶対なる支配者の輝きが、この御方を至高の存在だと証明している。

 間違いない。

 この御方こそ、自分たちが忠義を尽くすべき最後の存在。

 

「はっ。第四階層守護者ガルガンチュア、及び第八階層守護者ヴィクティムを除き、各階層守護者。御身の前に」

 

 アルベドが代表して口を開く。

 本来ならばそれぞれが忠誠の儀を取り行いたいところだが、これまで誰が何を言おうとも玉座の間を出ることの無かった主が突然、それも自分たちを呼びつけるのではなく、セバスを伴って直接現れたのだ。

 何か緊急事態が起こっていると見て間違いない。

 この状況ではアルベドの対応が正しいだろう。

 全員が息を呑み、主からの言葉を今か今かと待つ気配が、大聖堂中に広がった。

 

 

 ・

 

 

「さて。私が玉座の間にいる間、面倒を掛けた。早急に確認しなくてはならないことがあったのでな。済まないことをしたと思っている」

 

 僅かに頭を下げる姿に、全員が一斉に慌て出す。

 自分たちの主である至高の存在に頭を下げさせたという事実そのものが、守護者にとっては許されざることなのだ。

 

「そ、そのような! お顔を御上げ下さいアインズ様! 御身のなさることこそが、唯一絶対の正義。如何なる内容であれ、我々はそれに従うだけでございます」

 

 慌てた様子のデミウルゴスを皮切りに、他の者たちも同じように顔を上げるように懇願して、長い時間を掛けてようやくアインズが顔を上げたときは、全員が目に見えてほっとしていた。

 

「謝罪を受け入れて貰ったことを感謝する。そして私が不在の間、お前たちがどのような行動をとっていたかだが──先ほどの話は聞かせて貰っていた」

 

 アインズの顔が動き、シャルティアを捉える。

 その言葉を聞いた瞬間、彼女はビクリと身体を震わせ、先ほど以上に血の気の引いた顔つきになり、即座にアインズに対して頭を下げた。

 

「も、申し訳ございません。わたしの勝手な行動により、ナザリック地下大墳墓に不利益をもたらしてしまうかも知れません。わたしが責任を以て対処を──」

 

「対処、とは何をするつもりだ?」

 

「と、取りあえず。わたしが命令を下した最高執行機関の者どもを皆殺しにして死体を残しておけば、国は混乱して戦争どころではなくなるのではないかと」

 

 シャルティアにしてはまともな案だ。

 しかし、問題もある。

 

「だが、それではその法国とかいう国を裏から操る手を使用できなくなるのではないか?」

 

 アインズがそう指摘をすると、デミウルゴスは深く頷いた。

 

「流石はアインズ様、その通りでございます。全員を支配していなければこの計画には使用できません。仮に全滅ではなく数名のみ殺す方法を取った場合でも、ある程度の混乱は招くことができるでしょうが、それではすぐに代役が立ってしまいます」

 

「その新しい代役も、シャルティアに眷族化させれば?」

 

「その場合、変死事件が起こった後なのだから、流石に警戒されるだろう。下手に動いて我々の存在が明らかになったら元も子もない」

 

 デミウルゴスの説明を聞いて、提案したアウラは納得したように頷く。

 

「シャルティアの案を採用した場合。相手の能力によっては、このナザリック地下大墳墓の存在が気付かれ、人間どもや他の強者が団結して攻め込んでくる可能性があるのだったな?」

 

「その通りです」

 

 間髪入れず肯定するデミウルゴスを前にアインズは少しの間、思考していたが直に鼻を鳴らす。

 

「それの何が問題なのだ?」

 

「……アインズ様、それは如何なる?」

 

「このナザリック地下大墳墓は、至高の御──四十一人で造り上げた完全にして完璧なる要塞だ。どれほどの軍勢だろうと、如何なる強者であっても、一度として攻略はおろか、第九階層にすら到達されていない。それを、たかが人間風情が突破できるとでも思っているのか?」 

 

 尊大で自信に満ちた態度は正しく支配者のそれ。元々デミウルゴスが計画していた侵略速度と慎重な行動の両立を目指すものとは違う考え方だが、先程デミウルゴスが語ったように、至高の存在により創造された者にとっては、どんな命令であれその考えこそが正しい。

 

「はっ。申し訳ございません。全てアインズ様の仰るとおりでございます。宜しければ、シャルティアの案を元に新たな計画を立案させて頂きたいと思います」

 

 当然、デミウルゴスもこう出る。

 本来原案を出したシャルティアが計画を立てるのが筋だが、彼女もそうした細かいことを考えるより、計画の要として思い切り暴れる方が好ましいのだろう。特に反論はしなかった。

 

「……そうだな。ではデミウルゴスが計画の立案を進めよ。それと、アルベド」

 

「はっ」

 

 名を呼ばれた瞬間。

 アルベドは心の内から湧き上がる圧倒的な不快感を押し込め、頭を下げてアインズの言葉を待った。

 

「お前は今、第九階層の会議室で執務を行っているのだったな?」

 

「その通りでございます」

 

「では引き続き、業務はそこで行え。またそれ以外の時間を過ごすための部屋として第九階層の予備の部屋を貸し出す……ああ、それと現在までのナザリックの運営状況を纏めて私の下まで持ってこい。私も後ほど自室に戻るが、玉座の間でしか出来ない作業は引き続き私が行う」

 

 管理システムを用いた作業のことだろう。

 アルベドは即座に反応する。

 

「アインズ様。そのような雑事は私にお任せください。部屋に関しましても、私はタブラ・スマラグディナ様に玉座の間の守護を任されております、ならばその場所で勤めを果たすことこそ、私の──」

 

「まだやらねばならないことがある。それが終わった後、改めてお前には玉座の間に戻ってもらう。それと、ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)の護衛も解散せよ。あそこには元より我が仲間の創造したゴーレムがいる。護衛はその前までで良い。私への取次はセバスたちプレアデスに一任する」

 

 アルベドの言葉を途中で遮り、アインズは次々と勝手なことを言い出す。

 

「ですが──」

 

「私の決定に異を唱えるのか?」

 

 強い口調で言い切られ、アルベドは押し黙った。

 至高の存在が下した決定に異を唱える。

 ナザリックに属する者にとって、それは許されない大罪。

 一瞬、全てをぶちまけてやろうかとも考えたが、今はダメだ。

 

「承知、致しました」

 

 唇の裏を噛みしめると同時に血の味が広がっていく。

 今は我慢するしかない。

 しかし、いずれ必ず──

 

 

 

 与えられたアルベドの私室。

 執務室の壁に付けられてた不要物を排除してすっきりした執務机に着いたアルベドは、そのまま机に拳を叩きつけようとして、寸前で手を止める。

 机一つ程度ならば、破壊しても一日に一定額まで決められた修復費用分で賄えるだろうが、この机を始めとしてナザリックにある全ては主の物。

 アルベドが勝手に壊すわけにはいかない。

 しかし、何かに怒りをぶつけなくてはこの感情を消費しきれない。と考えたアルベドはつい先ほど出てきたばかりの部屋に入ると鍵を閉めた。

 床には先ほど投げ捨てたばかりのアインズ・ウール・ゴウンの旗が転がっている。

 一瞬の迷いもなく旗を踏んで中央まで移動したアルベドは、そのまま旗に刺繍された紋章を踏みつける。

 

「クソが! あの御方以外がこの私に命令など! 必ず、必ず殺してやる! あの──」

 

 一度言葉を切り、再度力を込めて足を踏み下ろしながら続ける。

 

「偽物め」

 

 呪詛の言葉が口から漏れる。

 他の守護者やセバスは気づいてはいなかったが、アルベドは一瞬で気づいた。

 あの主の姿を模して、アインズを名乗っていた者は偽物だ。

 確かに姿形はそっくりそのままだったが間違いない。

 

 ナザリックに属する者には皆特別な気配を、揺らめく輝きという形で纏っており、同時にそれを認識する能力も持っている。

 その中でも主の気配は特別であり、誰より強く鮮烈な輝きを放っているのだ。

 あの偽物からも同様の気配と輝きを感じた。

 だからこそ、守護者たちはあれを本物だと認識したようだが、アルベドの目は誤魔化せない。

 他の者たちとアルベドの違いは一つ、一度でも本物の主と直接対面しているかどうかだ。

 この世界に来て直ぐ、アルベドが主の存在を認識した際に感じた圧倒的な強く輝く支配者のオーラ、とでも言うべきそれ。

 あの偽物はその輝きの強さが僅かに弱かった。

 だから気づくことが出来た。

 その意味では、あれがアインズを名乗っていたことだけは好都合だったと言える。

 姿を偽っているだけでも殺したいほど腹立たしいというのに、尊き名前まで汚されては我慢できなかったかもしれない。

 

「他の者たちに言っても無駄でしょうね」

 

 あの場でその嘘を糾弾しなかった理由がそれだ。

 アインズを名乗るあれが偽物であるのは間違いないが、近しいレベルの支配者の気配を漂わせているのもまた事実。

 もしかすると中身はナザリック地下大墳墓を、そしてあの御方を捨てた者どもであり、厚顔にも戻ってきて主のふりをしている可能性もあるからだ。

 その場合、守護者たちにとっては中身が別であろうとも関係がない。

 守護者たちの創造主のいずれかであれば、より面倒なことになる。

 そう考えたからこそ、アルベドはあの屈辱にも耐えたのだ。

 中身が四十人の裏切り者の何れかであったとして、何故正体を隠すのか、本物の主はどこにいるのか、考えなくてはならないことは多い。

 そのためにも先ずは自分を落ち着かせようと、かつてアルベドが見た本物の主の姿を思い起こそうとして、僅かに頭痛を覚える。

 

「くそ! またこれか」

 

 主のことを思う度に混ざるノイズ。その正体は未だ分からないが、これもきっと本物の主に会えば解決するはずだ。

 絶対に失敗の許されない状況だからこそ、慎重に動く必要がある。 

 だが、愛しいあの御方に傷一つでも付けていようものなら。

 

「必ず殺す。どんな手段を使っても、どれほど時間が掛かろうと、誰を敵に回しても、生まれてきたことを後悔させるほどの責め苦を与えてから、殺してやる」

 

 未だ残るノイズを振り切るように、アルベドは呪詛の言葉を繰り返しながら何度も旗を踏みつけた。




ちなみにアインズ様を始めとしたギルメンが持つ支配者の気配に関しては、書籍版を読み返すと固有オーラを持つというよりはナザリックに属する者全員が同じ気配を纏っているが、ギルメンはそれが一際強いためシモベたちは支配者だと理解できる。とも取れる描写になっていたため、この話ではそれを採用しています。

その上でこの話に於いての独自設定として、コピーNPCである二人もほぼ同等の気配を持っており、パンドラズ・アクターは通常時では他のNPCと変わらない程度ですが、変身している間は能力と同じく、ギルメンの八割程度の気配を纏っているという設定にしています
それを見比べたのはアルベドだけだったため、一人だけ気づいたということです

次はモモンさんたちの話になる予定


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 草原での出会い

今回は導入部分なのであまり話は進みません


 城塞都市エ・ランテルの北にはトブの大森林と呼ばれる広大な森がある。

 アゼルリシア山脈の南端を包むように広がった大森林は多様なモンスターや魔獣、亜人の集落なども存在し、単なる人間はもちろん、冒険者ですら迂闊に近寄れば命が無いとされている危険な場所だ。

 そんなトブの大森林にほど近い草原の中を、一台の馬車とそれを取り囲むようにして周辺を警戒する四人の人影があった。

 

「そろそろ警戒が必要な頃合いだが、今のところは問題なしだな」

 

 護衛を担当している銀級冒険者チーム漆黒の剣の野伏(レンジャー)、ルクルット・ボルブがいつも通りの軽快な口調で告げる。

 

「こんな平原でもモンスターは出るんですね」

 

 その言葉を聞いて、一人馬車に乗り馬を操っていた依頼人であり、エ・ランテルでも特異なタレントを持っていることで有名な薬師の少年ンフィーレア・バレアレがやや緊張した面もちで呟く。

 

「ええ。確率はそう高くはありませんけどね……今までは出なかったんですか? 確か、定期的に村まで行って薬草採取をしていたと聞いていますが」

 

 馬車の背後に付いていた漆黒の剣のリーダー、ペテル・モークが問うと、ンフィーレアはどこか言いづらそうな間を空けてから、静かに頷いた。

 

「いつもは森沿いの道を通っていましたから」

 

 エ・ランテルから目的地であるカルネ村まで向かうルートは大きく分けて二つあり、一つはエ・ランテルから北上して森にぶつかった後、森沿いに東へ進むルートと、一度東に進んでからカルネ村まで北上するルートだ。

 前者の方がモンスターとの遭遇率が若干高まるため危険なルートであり、わざわざそちらを選ぶ理由も無く、ンフィーレアも特に反対しなかったため後者のルートを選択したのだが、何か意味があったのかも知れない。

 

(ちゃんと聞いておくべきだったか)

 

 都市でも名の知れた有名人であるンフィーレアだが、実際は自己主張が少ない大人しい少年であることは、ここまでの短い間に少し話しただけでも理解できていたはずなのだから、きちんと確認するべきだった。

 それだけ有名な少年が、タレント持ちの魔法詠唱者(マジック・キャスター)を有しているとはいえ、チームとしてはまだ銀級であり決して名が知られているわけではない、漆黒の剣を名指しで護衛として指名した事実に浮かれていたのかもしれない。

 そもそも名指しの依頼自体が初めてだったのだからなおさらだ。

 だがそんなことは言い訳にはならない。

 むしろ、だからこそ何としても成功させるために慎重に動くべきだったのだ。

 

「森沿いの方が危険な気がしますけど、何か理由があったんですか?」

 

 今更聞いて良いものかと考えていたペテルより先に、右側の護衛を担当していた術師のニニャが問いかける。

 驚くペテルにニニャは一瞬だけ目配せをした。

 リーダーである自分が気づかなかったと思われるより、ニニャが聞いた方が角が立たないと言いたいのだろう。

 元々この依頼はンフィーレアと同じく有名なタレント持ちであり、術師(スペルキャスター)の二つ名を持つニニャの存在によって得られたも同然であり、道中も二人はペテルたちではよく分からない魔法に関する専門的な話をしていた。

 この会話もそうした道中の世間話の一つにしようとしているらしい。

 一番若いというのに、ニニャは本当に優秀だ。

 年上で在り、リーダーでもある自分がこれでは情けない。

 そんな風に考えて一人落ち込むペテルに向かって、左側で同じように護衛に付いていた森司祭(ドルイド)のダイン・ウッドワンダーが気にするな。と言うように小さく頷く。

 確かに、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 見通しの良い平原だろうと、ルクルットの言うように、いつモンスターが出てきてもおかしくない位置ではあるのだ。

 反省は後にしようと、改めて気合いを入れ直しつつもンフィーレアの言葉を聞き逃すまいと耳をそばだてる。

 

「いえ。大した理由があるわけではないんですが……」

 

 やや間を置いてからニニャの言葉に応えたンフィーレアの返事はどこか歯切れが悪い。

 先ほどの反応もそうだが、これは何かある。

 他の三人も同じように感じ取ったのだろう。意識がこちらに向けられていることを察して、ペテルは今度こそリーダーとしての役割を全うすべく、ンフィーレアに声をかけた。

 

「ンフィーレアさん。何かあるのでしたら話して下さい。知らないことや隠し事があると護衛として、いざというときに判断が遅れることがあります。薬師としての仕事に関係することでしたら、無理にとは言いませんが──」

 

 最後の最後で弱気が出る。

 いくら依頼とはいえ、まだ出会って間もない自分たちを信頼して全て話せ、と強要するわけにも行かないからだ。

 そんなペテルの問いかけに、ンフィーレアは少しの間なにやら考えるように下を向いていたが、やがて意を決したように顔を持ち上げた。

 

「そう、ですね。これからも定期的に依頼を頼みたいですし、ペテルさんたちなら信頼できます。でもこれは誰にも言わないでください。とても重要なことなんです」

 

「もちろんです! 仕事上での守秘義務は必ず守ります」

 

 信頼できる。という言葉に、思わず声が大きくなってしまった。

 その声にンフィーレアは少し驚いたように体をびくつかせたが、すぐにルクルットがとりなした。

 

「その点だけは心配ねぇよ。うちのリーダーはクソ真面目で融通が利かないことだけは一級品だからな」

 

 その軽口に合わせるように、ニニャとダインも笑って続けた。

 

「そうですね。ペテルは嘘もつけませんし」

「うむ! まさにその通りである!」

 

 さんざんな言われようだが、腹は立たない。

 実際に自分がそうした性格なのは間違いないし、なにより彼らの発言が自分を気遣ってのものであると分かっているからだ。

 ンフィーレアもその意図に気づいたらしく、もう一度うん。と頷くと改めて口を開いた。

 

「実はトブの大森林の周辺や、場合によっては森の中でも安全に通れる方法があるんです。いつもはそれを使って行き来していたので先に森に近づいた方が都合が良かったんです」

 

 ンフィーレアの発言にピタリと空気が止まる。

 

「森の中を安全にって!? おいおい、それ本当かよ」

 

 一番最初に声をあげたのは野伏(レンジャー)であるルクルット。

 

「とても信じられないのである!」

 

 続いて森の中ならば、ルクルットより優秀と言ってはばからない森司祭(ドルイド)であるダイン。

 それほど、森の中を安全に行動するというのは驚愕に値することなのだ。

 モンスターが襲いかかってくる危険が無いのならば、森の奥に自生していると言われる貴重な薬草の数々も採り放題ということになる。

 そう考えるとその価値は計り知れない。薬師であるンフィーレアならなおさらだ。

 

「と言っても自由自在に行き来できるわけではありませんし、今回は使えないんですけどね。だからこちら側の道から行くと提案された時も反対はしませんでした」

 

「それでも驚きです。森の中は危険なモンスターや亜人が多く、王国や帝国ですらまともに調査もできないと聞いています」

 

「ああ。どうやって移動するんだ? 何か特別なアイテムとか、安全な地下道とか──いや、地下ならゴブリンとかなら見つけられるから無理か」

 

 いつもフザケているルクルットの声も真剣なものになる。

 

「もちろん教えるのは構いませんし、薬草採取の時や帰りはその方法を使う予定ですけど、もう一度だけ。このことは誰にも言ってはいけませんし、僕が一緒にいない時は使えません。これは皆さんの安全にも関わることなんです」

 

「それはもちろん。しかし、ンフィーレアさんが一緒にいる時ということは、やっぱり何か特別なアイテムを使うのですか? モンスター避けの薬とか」

 

 エ・ランテル一番の薬師として有名な、ンフィーレアの祖母、リイジー・バレアレならばそうした薬を作れるかもしれない。

 そしてもしかしたら、それはどんなアイテムでも使えると言われるンフィーレアのタレントがなければ使えないような特別な薬なのではないだろうか。と考えたのだ。

 

「実は──」

 

「ちょっと待った!」

 

 語り出したンフィーレアを遮り、ルクルットが鋭い声を出して馬の制止を促す合図を出した。

 その瞬間、全員が一斉に馬車を離れて四方を警戒する。

 

「どこだ?」

 

 ルクルットに視線を向けるが、こうした場合いつもは敵が現れる方向を見ているルクルットが視線をあちこちに散らして探しているような動きを見せた。

 

「まだ大分離れてやがるな。多分あの辺りなんだが、草むらに隠れているんだろうな。こうなると厄介だぞ。見てるのは単なる斥候かも知れないし、逃げようにも相手の種類が分からないと追いつかれる可能性もある」

 

 確かに厄介だ。

 単なる獣ならどうとでもなるが、その手の手段を用いるのは大抵が亜人や一部のモンスターなどの知能の高いものたち、つまり考えて行動するものであり、こちらの裏をかいてくる可能性もある。

 

「いつもの方法で引っ張り出すか?」

 

 知能が高い相手だからこそ通じる方法として、ルクルットがわざと弓をへたくそに飛ばすことで、相手にこちらを侮らせるやり方がある。

 そうすれば相手は隠れながらこちらに近づくような慎重策ではなく、もっと適当に行動を開始するのだ。

 こちらはそれを狙って、順番に敵を狩っていく。いつもはこうして相手に逃げられないようにして退治するのだが、今回は護衛だ。

 その方法ではンフィーレアを危険に晒す可能性もある。

 

「いや、先ずは様子を見よう。ンフィーレアさんは少し下がっていてください。その間にニニャは私たちに支援魔法を掛けて、その後馬車の護衛を。伏兵も考えられる」

 

 指示を飛ばし、ペテルも準備を開始する。

 どのみちこんな開けた場所で見つかった以上、戦闘は避けられないだろう。

 思いがけずこの依頼での初戦闘に入りそうだが、この時点でペテルはさほど慌てては居なかった。

 森の中ならばともかく、こんな平原まで来るような亜人や魔獣は、森で食べ物を採ることができず追い出された弱者が殆どだ。

 まだ銀級とはいえ、漆黒の剣はモンスター退治の経験は豊富であり、この辺りに出るモンスターの種類は殆ど全て頭に入っている。

 油断せず戦えば、問題なく勝てるだろう。

 自分たちを指名してくれた上、重要な秘密を話そうとしてくれたンフィーレアの信頼に報いるにはいい機会だ。

 だがこの時ペテルは忘れていた。

 例えどれほど慎重に行動しようと、油断せずに行動していたとしても、弱小種族である人間の備えなど、たった一体の強力なモンスターによってあっさりと崩されることを。

 

 

 ・

 

 

「モモンさん。戦闘音が聞こえます」

 

 その音を一番最初に捉えたのはナーベラルだった。

 先頭を歩いていたのはソリュシャンだが、如何に彼女が最高レベル──この世界の基準では──の盗賊だったとしても、魔法で聴力を増幅したナーベラルには一歩劣るらしい。

 だが、そのソリュシャンにも直ぐその音が届いたらしく、一つ頷いて同意を示す。

 

「私にも聞こえます。片方は馬車に乗った人間の一団のようです。大方商人か何かがモンスターに襲われているものかと」

 

「森の近くを通る商人か。となると戦っているのは護衛の冒険者か」

 

 少し考える。

 今回の任務は極秘が条件だ。

 特に現地の冒険者とは関わらないように厳命されている。

 ソリュシャンが調べたところ、トブの大森林の薬草を採取するように依頼したのは王国の人間らしく、それが誰かは不明だが、元々は王国の冒険者組合に持ち込まれた依頼だったらしい。

 しかし、その組合に所属する冒険者のレベルでは達成不可能な危険な任務であり、かといって断ることも出来ない立場の人間からの依頼だったため、仕方なく他国に救援を求めた──王国内の組合では弱みを見せることになるので難しいそうだ──というのがわざわざ竜王国にいた漆黒に依頼を持ち込んだ経緯らしい。

 冒険者と接触してこの事実が露呈すると組合の面目が丸つぶれになってしまうため、そうした注文を付けたのだろう

 その意味では見捨てるのが正しいのだが。

 

「森の中の情報を持っている者もいるかも知れないな」

 

 戻ろうと思えば転移でいつでも戻れるとはいえ、ドラウディロンと竜王国を守ると約束したばかりであることもあり、あまり時間はかけたくない。

 広大な森で安全を確保しつつ薬草を探すのは時間も掛かるだろう。

 そう考えるとここで助けて代わりに情報収集するのも悪くない。

 

「情報を聞き出してから口止めをしても良いし、出来そうにないなら──」

 

 ちらりと二人に目を向けると、彼女たちは恭しく頷いた。

 

「周囲に他の人間はおりません」

 

「ここで行方不明になっても問題ないかと」

 

「ではそれで行こう。ただし、情報収集をスムーズに行うために、先ずは友好的に接する。処分は私が合図を出した場合のみだ」

 

 必要ならばともかく、無意味な虐殺は趣味ではない。

 それに竜王国という国家の力を使ってプレイヤー捜索が可能になったことでナザリック発見の目が出てきた以上、これからは合流後のことも考えながら行動するべきだ。

 本物のモモンガではない自分の行動のせいで、ナザリックがこの世界の敵に認定されでもしたら困る。

 

「はっ!」

 

 二人のいつも通り揃った返答に無言で頷きつつ、モモンガが背中の剣に手を伸ばすと、二人は即座に後ろに回り込んでマントの中から鞘を抜き取り、そのまま鞘を空間の中に仕舞い込む。

 両手に大剣を握り、確かめるように軽く振り回す。

 これが漆黒の戦士モモンの基本的な戦闘スタイルだ。このやり方ならば剣の扱い方もろくに知らないモモンガでも、大ざっぱに剣を振り回すだけで十分に戦果が挙げられる。

 本当は剣士としての技術も磨きたいところなのだが、練習相手もいない状況では仕方ない。

 

「では行こう。ここからはワーカーチーム漆黒の王国デビュー戦だ」

「はい!」

「了解!」

 

 モモンガの言葉を受けて、二人も武器を構えながら力強く頷いた。

 

 

 

 元から拓けた草原だったこともあり、直ぐに戦っている者たちを見つけることが出来た。

 少し離れた場所に破壊された馬車が横倒しになって転がり、四人の冒険者らしい者たちが、そこに敵を近づかせないように戦っている。

 周囲には複数のゴブリンの死体が転がり、その中にはオーガらしき巨体も倒れていた。

 残る敵は一体、オーガと同じほどの巨体を持った亜人だったが、四人は既にボロボロであり、勝ち目はなさそうだ。

 

「あれは、トロールか」

 

 大きさはオーガと変わりないが、筋力はオーガ以上であり、回復能力も高い種族だ。

 トロールの足にはツタが絡まり、身動きが取れなくなっているが、あの程度の拘束では動き出すのも時間の問題だろう。

 

「どうやらどちらも大したことはなさそうですね。特に四人がかりでトロール程度も倒せないのでは、冒険者であってもランクは低そうです」

 

「確かにな。銀か、せいぜい金くらいか? どうするモモンさん」

 

 先ほどモモンガがここからはワーカーチームとして行動すると言ったためなのか、周囲に人がいない状況でもワーカーとして話しかけてくるソリュシャンに心の中で感心しつつ、それは表に出さずに頷く。

 

「ふむ」

 

 オーガは回復力は高いが炎や酸などの弱点もあり、即死耐性が高いわけでもない。倒そうと思えば方法などいくらでもあるが、この格好の時はモモンガはまともに魔法が使えない。

 そうなると──

 

「ナーベ、火球(ファイヤーボール)は使えたな?」

 

「はい。ですが、ワーカーとして活動する際の私の最大魔法は雷撃(ライトニング)です。同じ第三位階の火球(ファイヤーボール)は使えない設定でしたが──」

 

 そう言えばそうだった。

 この世界では一般人なら第三位階魔法が殆ど最高位の魔法として扱われており、ナーベラルの外見年齢上それが使えるだけで天才と呼ばれる類の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと認識されてしまう。

 それも複数扱えるともなれば流石に怪しまれると考えて、基本は第二位階までしか使えないが、得意系統の魔法のみ第三位階魔法が使える設定にしていたのだ。

 しかし、それはあくまでワーカーを始める前に決めた設定だ。

 

(どうせビーストマン撃退の件を調べられたら第三位階程度じゃないって気づかれそうだしなぁ。そもそもドラウディロンには転移魔法が使えると話してある。この際、もう少し緩和しても良いか)

 

「同じ三位階なら、別系統でも短期間で使えるようになっても不思議は無いだろう。使って構わん。ただしそれ以上は今まで通り緊急時のみだ」

 

「畏まりました。ではあのトロールは私が」

 

「いや、念のためソーイがあそこで戦っている連中の避難を。巻き込まれると面倒だ。その後私があのトロールを適当に斬って動きを止めるから、ナーベはその隙に止めを刺してくれ」

 

「ならあたしがトロールの目を潰してから、あいつらをあっちの馬車の方に連れていく。その後はそのまま護衛する感じで」

 

「そうだな。それで頼む」

 

 本来ならあの程度の相手では作戦も何も必要ないのだが、油断は禁物。

 いざという時の回復手段を増やす目的で、薬草採取の依頼を受けたというのに、道中で怪我をしては元も子もない。

 その辺りのこともちゃんと分っている様子に満足しつつ、モモンガは改めて剣を構える。

 

「さて。それでは行くか」

 

 その言葉を合図に、全員が一斉に戦場に向かって駆け出した。

 

 

 ・

 

 

 目まぐるしく変わる状況の変化にンフィーレアは、落ち着け。と何度も心の中で唱え続けた。

 今回の薬草採取は何から何までいつもと違うことの連続だ。

 まず第一に、祖母と二人で薬屋を営む彼が定期的に薬草採取に通っているカルネ村に向かうために、護衛の冒険者を雇ったことだ。

 

 今までは魔法詠唱者(マジック・キャスター)としても高い実力を持つ祖母が居たため、トブの大森林まで──森の傍まで行けば後は安全に移動できる──の道のりもさほど危険ではなかったのだが、いい加減祖母も高齢のため今後はンフィーレアが一人で行くことになったのだ。

 そのための護衛として、ンフィーレアが数居る冒険者の中で漆黒の剣を選んだのは、エ・ランテルでも有名なタレント持ちの自分と似た立場の魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいるチームであることと、まだ銀級ということもあって依頼料を安く済ませられるかもしれないと思ったためだが、彼らは皆気さくな良い人ばかりであり、それでいて仕事には手を抜かずキッチリこなす人たちだった。

 だからこそ、自分の知るカルネ村の秘密も打ち明けようと決めたのだ。

 そう。自分たちの営む薬屋がエ・ランテル随一と言われているのは、祖母であるリイジー・バルアレが高位の魔法も使いこなす凄腕の薬師だからというだけではない。

 その材料となる高級な薬草を大量に仕入れることが出来るためだ。

 それを可能にしているのがカルネ村の秘密。

 ンフィーレアたちはとある方法、いやある者の力を借りることで貴重な薬草が多く自生しているトブの大森林を安全に、そして自由に移動できる。

 

 自分たちはそうして採取した薬草を元に大量の薬を造り、完成した水薬(ポーション)や薬草を一定数無料で村に納める。

 これがかつて祖母がカルネ村と交わした契約であり、今回も村に納める分の薬を持ってきている。

 初めからこの話を彼らにしなかったのは、これが外に知られた場合ンフィーレアたちだけではなく、カルネ村にも危険が及ぶ重要な秘密だからであり、だからこそ先ずは彼らの人となりを観察しようと考えたのだ。

 その結果信頼できると考えて秘密を打ち明けようとした矢先、ゴブリンやオーガだけではなく、森の中ですら滅多に見ることのない強力な亜人であるトロールに襲われるなど想像もしていなかった。

 こんなことならもっと早く、漆黒の剣が平原からのルートを提案した時に話をして、森を通るルートを選んでおけば良かった。

 事前に連絡をしていなければ、森の中を移動できないのは変わらないが、少なくともこの亜人たちに襲われることはなかったはずだ。

 

 そう思うがもはや今更だ。

 漆黒の剣はゴブリンやオーガ相手には巧く立ち回り、大きな怪我もなく勝利したが、その後に現れたトロールは本来金級冒険者チームで何とか相手に出来る存在であり、既に戦闘で消耗していた彼らに倒せる相手ではなかった。

 リーダーのペテルはすぐに撤退の指示を出したが遅かった。

 トロールは漆黒の剣を無視して真っ先に馬車を狙ったのだ。もしかしたら嗅覚も鋭いトロールは馬車の荷台にある水薬(ポーション)の臭いに反応したのかもしれない。

 突っ込んでくるトロールを止めることはできず、その腕力によってンフィーレアの乗る馬車はあっさりと荷台ごと横転した。

 結果、持ってきていた水薬(ポーション)は全て零れて使えなくなり、ンフィーレアも荷台の下敷きになって身動きが取れなくなってしまった。

 それでもンフィーレアを見捨てず果敢に戦闘を挑み、トロールを馬車から引き離して足止めをする漆黒の剣を見て、こんな時ながら自分の見る目が間違っていなかったのだと実感出来た。

 しかし、彼らの奮戦もいつまでも続くはずが無く、ンフィーレアも自分一人では荷台の下から出ることはできない。

 このままでは、遅かれ早かれ全員殺される。

 

「エンリ──」

 

 絶望が身を包み、思わず愛しい女の子の名が口から洩れる。

 こんなことになるなら、せめて告白しておくんだった。

 そう考えた瞬間、それは現れた。

 遠巻きに見ていて尚、目にも留まらぬ早さで現れた影が、手にしたナイフで一瞬にしてトロールの目を切り裂いたのだ。

 

「ぐぉあお!」

 

 トロールの悲鳴が轟く中、足を止めた影が漆黒の剣に向かって鋭く叫ぶ。

 

「お前ら、こっちだ!」

 

 その人影は、金色の長い髪をひとまとめにした冒険者らしい軽装に身を包んだ若い女性だった。

 

「い、いやしかし──」

 

「良いから来い! そこにいたんじゃ邪魔になるんだよ。あの馬車のところまで走れ!」

 

 呆気に取られるペテルの言葉を遮った金髪の女性は、ンフィーレアの方を指さす。

 

「なんかしらんが、行こうぜペテル、まずは依頼人を助けなきゃよ」

 

「あ、ああ」

 

「ニニャは私に任せるのである!」

 

 オーガを倒すために複数の魔法を使い、魔力が消耗したニニャをダインが連れ、漆黒の剣と共に金髪の女性もこちらに戻ってきた。

 

「ンフィーレアさん。すぐ助けます!」

 

 戻ると同時に、ペテルが荷台を持ち上げようとする。

 

「時間がねぇぞ。あの程度の傷じゃトロールはすぐ回復する」

 

 そう言いながら、ルクルットもそれを手伝おうとするが、一緒に付いてきた金髪の女性はバカにしたように鼻を鳴らした。

 

「んなことはねぇよ。あれは酸の魔化が施された短剣だ。治癒には時間が掛かる。それに──」

 

 すっと指を伸ばしたその先に、入れ替わるようにトロールに近づいていく二つの人影があった。 

 まるで散歩をするかのようになんの気負いもなく、てくてくと歩く二つの人影はそのままトロールの前に立ち塞がる。

 

「お、おい。アンタ、そこはあぶねぇ」

 

 ルクルットが悲鳴のような忠告を口にする。

 トロールは鼻も利くため、目が潰れていても安易に近づくのは危険だと言っているのだ。

 だが、鎧を着込んだ戦士らしき男は既に、目が見えないためにうまく動けないトロールの間合いの内側に入り込んでしまっていた。

 当然、トロールは目を押さえたまま反応し、突然の乱入者を叩き潰そうとがむしゃらに棍棒を降りおろした。

 誰もが戦士が潰されるものだと思ったはずだ。あの立派な鎧もトロールの腕力で叩き付けられる棍棒の一撃の前には意味を成さない。

 しかし──

 

「ふむ。こんなものか」

 

 そんな軽い口調と共に、男の剣が棍棒を受け止めていた。

 ンフィーレアも含めて、全員が呆気に取られた。

 トロール自身、自分より遥かに小さな人間が棍棒をあっさりと受け止めた事実に、不思議そうな唸り声をあげる。

 

「時間がないのでな。手早く行くぞ」

 

 鎧の戦士がそんなことを口にした次の瞬間、トロールの巨体がゆっくりと崩れ落ちていく。

 同時にトロールの足下から血が吹き出す。

 両手に大剣を持った戦士は片方の剣でトロールの棍棒を受け止め、もう片方の剣でトロールの足、そして返す刀で胴体まで真っ二つに斬り裂いたのだ。

 トロールの悲鳴が響く中、戦士は戦いは終わったとばかりに背を向け、こちらに近づいてくる。

 

「君たち、大丈夫か?」

 

 威厳に満ちた声は場違いなほど落ち着いていた。

 

「まだです! トロールは回復能力が──」

 

 一瞬惚けていたペテルが慌てて声を張り上げる。

 金髪の女性の短剣と異なり、魔化が施されている訳ではないらしく、回復が始まったトロールが戦士の後ろで起き上がろうとしているのが見えたのだろう。

 

「分かっている。ナーベ」

 

 戦士が自分の後ろで待機していたもう一人に声を掛ける。

 声をかけられたローブを着込んだ黒髪の女性は前方に手を差し出すと、こちらもまた慌てた様子もなく、淡々と口を開いた。

 

「〈火球(ファイアーボール)〉」

 

 手のひらから火の玉が飛び出しトロールにぶつかった瞬間、はじけ飛んで巨大な炎をまき散らす。

 あれは間違いなく第三位階魔法の火球(ファイアーボール)。常人が到達できる最高位階の魔法をあの若さであっさり使いこなす様子に、こんな時ながら思わず息を呑んだ。

 

「グガァアアァァ!」

 

 断末魔の悲鳴と共に一瞬にしてトロールは燃え上がり、直ぐに動かなくなる。

 あれだけの傷を負っているところに弱点である炎系の魔法、それも第三位階の魔法を喰らったのだ。いくら生命力の強いトロールでも生き残れるはずがない。

 轟々と燃え盛る炎を背に、二つの影は改めてこちらに近づいてくる。

 

「ンフィーレアさん。出れますか!」

 

「は、はい」

 

 ペテルから声を掛けられて、我を取り戻したンフィーレアは微かに持ち上がった荷台の下から這い出る。

 その間に金髪の女性も合流した三人組が、ンフィーレアたちの眼前に立っていた。

 

「凄い──まるで、アダマンタイトだ」

 

 ポツリとペテルが呟いた。

 アダマンタイト、最硬度の金属を指すその名も冒険者である彼らにとっては別の意味がある。

 冒険者の最高ランクにして、人類の守護者と謳われる英雄。

 アダマンタイト級冒険者。

 ペテルは彼ら三人に、その姿を見たのだ。

 

「……さて。君たちには二、三聞きたいことがあるんだ」

 

 先頭に立つ漆黒の鎧に身を包んだ戦士は、先ほどと変わらず威厳に満ちた声でそう告げた。




今回の話は書籍版二巻序盤辺りと大差はないため飛ばそうかとも思ったんですが、ここからの話ではカルネ村とンフィーレア側の事情の説明も必要だったため入れることにしました
次辺りからカルネ村の話も入ってくる予定です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 主従の再会?

個人的な考えですが、ンフィーレアは純朴な少年であると同時に、結構したたかと言うか抜け目ない性格をしているんじゃないか。と思いながら書いた話です


「あ、ありがとうございます。馬の治療だけではなく、馬車まで直していただいて」

 

「なに。巻物(スクロール)の代金は後で頂くから気にするな。言っておくが修復(リペア)の魔法はあくまで応急処置だ、耐久限界は下がるから無理はするなよ」

 

 威厳のある声のせいで判断が付きづらいが、モモンと名乗った漆黒の鎧を纏った戦士は思ったより気さくな性格らしく、怪我をした馬の治療と馬車の修復までしてもらったことに感謝を述べるンフィーレアに対し、そんな風に軽口を叩く。

 しかし同時にキチンと忠告もする辺りは、歴戦の戦士の風格も感じさせる。

 オーガ以上の筋力と圧倒的な回復力を誇り、並の物理攻撃では斬った端から回復されてしまうため、一刀両断することなど不可能とされてきたトロールを片手で細切れにした膂力は話に聞く王国戦士長クラス、いやそれ以上かもしれない。

 そして、そのトロールの攻撃を掻い潜り一瞬で視界を奪ったソーイと、自分たちとそう変わらない年齢で一般的な魔法詠唱者(マジック・キャスター)が操るものとしては最高位である第三位階魔法によって一撃でトロールを燃やし尽くしたナーベ。

 三人それぞれが、自分たちが見てきた如何なる冒険者より格上の存在だと確信できる。

 

「さて。君たちの方は大丈夫かな?」

 

 修復したンフィーレアの馬車を一通り確認してから、モモンがペテルたちの元にやってきた。

 

「は、はい。ありがとうございます。おかげで命拾いをしました」

 

 ダインの回復魔法によって立てるようになったペテルは、未だ自分たちが礼を言っていないことを思い出し、慌てて頭を下げた。

 

「うむ! 感謝の言葉もない。まことにかたじけないのである!」

「本当に助かりました。ありがとうございます」

「助かったぜ。あのままだったら絶対に死んでたからな」

 

 ダインとニニャが礼を言い、最後の一人ルクルットも礼を口にして、その後三人の胸元にチラリと目を向けた。

 初めは軽薄なルクルットが、ソーイとナーベという美女二人に目を奪われ、何か余計なことを言うのではないか。と思ったがそうではない。

 ルクルットの目線は胸元に固定されており、特に鎧のせいで見えづらいモモンの胸元で目を留めた。

 その様子で三人が冒険者なら必ず付けているべき物がないことを確認しているのだと気が付く。

 その後ルクルットは改めて探るような口調で続けた。

 

「──ところで、お三方は冒険者、じゃないよな?」

 

「ああ。我々は冒険者ではなく、ワーカーだ」

 

「ワーカー……」

 

 半ば予想していたこととはいえ、あまりにも堂々と言われたことに驚いた。

 ワーカーとはそもそも、様々な事情で冒険者から脱落した者を指す言葉であり、冒険者からは警戒と嘲笑の対象になっている。

 そのためワーカー側も冒険者に対して卑屈な考え方を持っている者が多いと聞く。

 しかし彼らはそのことに一切負い目などない様子で、それが逆に彼らの器の大きさを示しているようにも見えた。

 

「いや、まあ何にせよだ。本当に助かった、アンタたちは命の恩人だ。な、ペテル」

 

「あ、ああ。そうだな、本当に感謝します。何かお礼を差し上げたいのですが……」

 

 本来、ワーカー相手にこの手の言葉は危険である。

 こちらの弱みにつけ込み、高額な報酬や無理難題をふっかけてくる可能性があるからだ。

 だからこそ、通常はこちらも警戒して対処しなくてはならないのだが、彼らならばその必要もないだろう。

 そもそもあれだけの力の持ち主だ。

 力づくに出られたら、自分たちでは抵抗のしようもない。

 

「気にするな。と言いたいところだが、実は私たちは今からトブの大森林に向かうところでね。見たところ、君たちは森から戻る途中か、あるいは向かう途中のようだ。森について知っている情報があれば聞きたいのだが」

 

「トブの大森林に?」

 

 思わずペテルの視線がンフィーレアに向かいそうになり、既のところで何とか堪える。

 トロールたちに襲われる直前、ンフィーレアが話そうとしていたことを思い出したためだ。

 そんなペテルの態度を見て危険だと判断したのか、ルクルットが大げさにペテルを押し退け、三人の前に立って明るい口調で話し出した。

 

「それだったらチームの目であり耳である俺にいくらでも聞いてくれよ。森に関しては事前に調べてあるからな。命の恩人の頼みだ、無償で全部の情報を譲るぜ。何なら支配(ドミネイト)でも魅了(チャーム)でも掛けて貰ってかまわねぇよ。いやいや、魅了に関してはもう掛かっちまってるかな?」

 

 モモンを挟んで両隣に立つ二人に交互に目を向け、最終的に黒髪の魔法詠唱者(マジック・キャスター)ナーベに笑い掛けながら、ルクルットはそんな軽口を叩いた。

 

「チッ、下等生物(ウジムシ)が。望み通り支配(ドミネイト)の魔法を掛けて、全部聞き出してから先のトロール同様燃やし尽くして差し上げましょうか」

 

 見た目通りと言うべきか、ナーベは舌を叩きながらルクルットの言葉を苛烈に切り捨てた。

 

「それよりあたしとナーベを見比べた上で、ナーベの方を選んだのが気にいらねぇんだが。モモンさん。燃やすのはともかくせめてこいつからは、情報だけじゃなく身ぐるみもひっぺがして平原に転がしとこうぜ」

 

「ちょっとちょっと。待ってくれよソーイちゃん。いや、二人とも比べられないくらいのとびきりの美人だよ。でもさ、俺としては自分より遙か格上の野伏(レンジャー)職となるとちょっと後込みしちゃうわけ。だから別にどっちを選んだとかじゃなくてさぁ」

 

 弱ったように笑うルクルットの態度は幾分か演技めいている。

 もっとも、それに気づけるのはずっと彼と行動を共にしてきた自分たちぐらいのものだ。

 ルクルットは自分に目を集めることで、依頼人であり、トブの大森林内について何か重要な情報を持っているらしい、ンフィーレアから目を逸らさせようとしているに違いない。

 

「本当に失礼ですよ。ルクルット、反省の証として装備はともかく、自分の有り金位は渡した方がいいんじゃないですか?」

 

「それがいいのである! それにモモン氏、森のことならばルクルットよりも、森司祭(ドルイド)である私に聞いて欲しいのである!」

 

 ニニャとダインも軽口を合わせる。

 ひでぇ。と顔を歪めるルクルットに、ナーベは鼻を鳴らして視線を背け、ソーイは多少気が晴れたとでも言うようにニヤリと笑みを浮かべた。

 

(よかった。どうやら誤魔化せたみたいだ)

 

 命の恩人相手とはいえ、ンフィーレアの持つ情報を彼の許可なく勝手に話すわけにはいかない。

 そう思ったのも束の間、笑みを浮かべていたソーイはそのままグルリと首を回し、視線を後ろに動かした。

 

「モモンさん。どうやらあたしらが知りたい情報は、コイツ等より後ろの坊ちゃんの方が詳しそうだぜ?」

 

「な!」

 

「おいおい。なに驚いてるんだよ。さっき言ってただろ? あたしが自分より遙か格上だって、野伏(レンジャー)は見て聞くのが仕事だ。あんなバレバレの演技見抜けないと思ったのかよ」

 

「参ったなこりゃ。どうするよ? ペテル」

 

 今度こそお手上げ、と言うようにルクルットは両手を空に向け、ペテルに指示を仰ぐ。

 ルクルットが慌てて演技を開始したのは、ペテルが軽率な行動を起こしかけたことが原因だ。

 何よりペテルはここまでリーダーとして何も出来ていない。ここで何とか挽回しなくては。

 彼らはワーカーだが無法者ではなさそうだ。ンフィーレアから無理矢理情報を聞き出すようなことはないと思うが、ンフィーレアにとっても命の恩人である──それも自分たちが護衛を完遂できなかったせいだ──彼らから強く言われれば、先ほど自分たちを信用して話そうとしてくれた内容を教えてしまうかもしれない。

 しかし、ンフィーレアにとってその情報は、大勢の人間に知られてはいけない秘密のようだ。

 だからこそ、初めは漆黒の剣にも話さず、ここまで来てようやく話す気になったに違いない。

 となれば、せめてモモンたちがその情報を聞いた後でも、誰にも話さないように口止めだけは行わなくてはならない。

 それが不甲斐ないリーダーである自分がしなくてはならない、せめてもの仕事だ。

 ンフィーレアがこちらに戻ってくる前に決断を下さなくては。とペテルは高速で頭を回転させて一つの回答らしきものを思いつくと、それをそのまま口にした。

 

「モ、モモンさん。よろしければ私たちが請け負っている護衛任務を合同で行いませんか?」

 

「ん? 護衛任務?」

 

 ンフィーレアに視線を向けていたモモンが、ペテルに顔を戻す。

 兜のせいで表情は分からないが、突然の提案を訝しんでいる様子だ。

 他の二人など、疑問を通り越して怒りを覚えているのが分かった。

 無理もない。

 漆黒の剣とモモンたちでは実力に差がありすぎる。

 状況だけ見れば実力不足の冒険者が、モモンたちのおこぼれに与ろうとしているようにしか見えないだろう。

 だが、それでも退くわけにはいかない。

 

「ンフィーレアさんは確かに、森についてある情報を持っています。ですがそれは彼が自発的に協力しなければ意味を成しません」

 

 無理矢理聞き出しても意味はないと言外に伝え、その上で続ける。

 

「ですが、私たちの護衛任務は森の奥での薬草採取も兼ねています。ですから、それを一緒に受けてくだされば」

 

「薬草採取? なら目的は同じか」

 

「モモンさんたちも薬草の採取を? でしたらなおさら──」

 

 好都合だ。

 冒険者は依頼を受けた内容について、守秘義務が発生する。

 組合への報告は必要だが、それが依頼人の不利益になるのなら、それを隠すこともままある。

 それを利用して共同任務とすることでモモンたちもそれに巻き込み、守秘義務を発生させる。

 これはモモンたちがキチンと契約を守ると仮定した上での提案だが、ワーカーとはいえ、まるで物語の中から出てきたかのような英雄然とした強さと威厳を持つモモンならば、守秘義務もしっかり守ってくれると信じるしかない。

 熱弁を振るうペテルを、仲間たちも何も言わず見守ってくれている。

 何としてでも説得しなくては。

 モモンはペテルの顔から視線を逸らさずじっと見つめ、他の二人はモモンに任せると言うように一歩後ろに下がった。

 

「ふふ。ははは」

 

 モモンが唐突に笑い出す。

 非常に明るい笑い方であり、こちらをバカにするような物ではなかったが、突然のことにペテルは目を丸くした。

 

「……あの、どうかしましたか?」

 

 その笑い声で、流石にンフィーレアも何かが起こったことを察したらしく、小走りで近づいてきた。

 

「ペテルさん、だったかな? そういう話をしたいなら、まずは依頼人である彼や、仲間たちと相談してから決めた方が良い。それとも合同任務の報酬は君が出してくれるのか?」

 

「あ」

 

 失態を取り戻すことで頭がいっぱいになり、根本的なことを忘れていた。

 合同任務となれば当然依頼料が発生する。基本的に冒険者より報酬額が高いワーカーであり、実力もどんなに甘く見積もってもオリハルコン級以上はありそうな三人を雇うだけの金額など、ペテルには到底出せない。

 ンフィーレアでも恐らく無理だろうが、彼の持つ情報と引き替えという形ならその報酬にも釣り合う可能性はある。

 だが、これもンフィーレアの承諾なく勝手に契約を結んで良いということではない。事前に説明するべきはモモンではなく、ンフィーレアの方だったのだ。

 

「そうだぜー。三人ともあれだけの実力者なんだ。依頼料幾ら掛かると思ってるんだよ」

 

「ペテルはちょっと考え無しなところがありますからね」

 

「うむ! だが、それが我らのリーダーの良いところでもある!」

 

「でもよ。モモンさん、俺たちはリーダーの決断なら信じて付き合うぜ」

 

 な。とルクルットがダインとニニャにも確認をとると二人は同時に頷いた。

 

「なるほど。では、問題はンフィーレアさんですね」

 

「えっと。僕が何か?」

 

 追いついたンフィーレアが不思議そうに首を傾げる中、モモンはすっとその場から一歩退き、ペテルに顔を向けた。

 試されている。と判断したペテルは、一度唾を飲んで喉を湿らせてンフィーレアの前に立つ。

 これはンフィーレアに負担を強いることになるだけではなく、護衛としての自分たちの無能を晒すことにもなるのだが、それを込みで皆が信頼してペテルに任せてくれたからにはそれに応えなくてはならない。

 覚悟を決めてンフィーレアに自分の考えていた案を話し始めた。

 

「ンフイーレアさん。提案があります」

 

 

 ・

 

 

 ペテルからの提案はンフィーレアに取って困惑と納得、その両方をはらんだ物だった。

 ここからカルネ村までの護衛、そしてその後の薬草採取の手伝いを含めた任務を、漆黒の剣とモモンたち三人の共同任務に変えたいという話だ。

 安全性を考えると嬉しい申し出ではあるのだが、同時に問題もある。

 

 一つは金銭的な問題。

 銀級冒険者チームでも手に余る強大なモンスターであるトロールをたやすく葬ったチームならば当然、報酬はそれ以上の物になる。

 それをンフィーレアが払えるのかという問題だ。

 しかし、そちらに関しては、ある情報を報酬に代えても良い。とモモンは言っているそうだ。

 

 その情報こそがもう一つの問題。

 モモンはンフィーレアが持つトブの大森林を自由に散策する方法を知りたがっているようだが、これはンフィーレアが勝手に決めることはできない。

 

 なぜならば、その方法とはカルネ村を含むトブの大森林の南方を支配している、強大で叡智に溢れた魔獣、森の賢王の力を借りるものなのだから。

 数百年を生きる白銀の毛皮を持つ四足獣、森の賢王は単純な速度や攻撃力だけではなく、複数の魔法まで操る正しく伝説の魔獣と呼ぶに相応しい存在だ。

 カルネ村はそれだけの力を持った魔獣の庇護下にある。

 これは単純に村が縄張りの中に入っているというだけではなく、村と森の賢王との間に明確な契約があるらしい。

 そしてその村の強化にも繋がる水薬(ポーション)や薬草の備蓄を行うためならば。とリイジーとンフィーレアに限って森の賢王の引率の下、森に入って自由に薬草を取ることが許されているのだ。

 

 つまり、この方法を使用するにはカルネ村の村長や、他ならぬ森の賢王自身が許可を出さなくてはならない。

 漆黒の剣に関しては、事前に今回から冒険者チームに護衛と薬草採取を依頼する旨を話していたため、きちんと話して許可を貰えば問題ないだろうが、三人はワーカーだ。

 命の恩人とは言え、まともに話してもおらず、確実に信用できる訳でもない。

 そんな者たちをカルネ村に連れていって良いものか。

 村人以外知る者のいなかったあの秘密をンフィーレア、正確には祖母であるリイジーが知ることが出来たのは長い時間をかけて信頼関係を築いたからだ。

 それこそ、リイジーの孫と言うだけでンフィーレアも信じて貰えるほどの強い信頼が。

 これはその信頼を裏切る行為なのではないだろうか。

 何より──

 

(エンリを危険に晒すことだけは絶対に嫌だ)

 

 村に住むンフィーレアの想い人の顔が浮かぶ。

 天真爛漫な彼女の笑顔が曇ることだけは絶対に許せない。

 それが自分のせいだとすれば最悪だ。

 そう考えると断った方が良い。

 

(待てよ? モモンさんたちは、僕が何らかの情報を持ってることには気づいているみたいだ。ここで断っても強硬手段に出るか、そうでなくてもどのみち森に行くのなら遠からずカルネ村を見つけるんじゃないだろうか)

 

 ならばここは、了承しつつも森の賢王のことは話さず村に向かい、不穏な行動を取った場合は森の賢王に止めてもらう。

 これが最善ではないだろうか。

 いくら彼らが強くても数百年を生き、魔法まで操る森の賢王には勝てないはずだ。

 

(もちろん、モモンさんたちがちゃんと守秘義務も守ってくれれば、それに越したことはない。でも……一つの考え方に囚われず、常に考え続けて最良を選ぶ。だよね、エンリ)

 

 これはカルネ村に伝わる格言だ。

 大切な物を守るためには、現状を維持するだけではなく、更に優れたやり方を模索し続ける。

 事実カルネ村は様々な方法を使って村を守るための手段を講じている。

 ンフィーレアたちが納めている水薬(ポーション)もそうした備えの一つなのだ。

 

(どっちにしても早く決めないと)

 

 既にそれなりに長い時間考え込んでしまっているせいで、場に緊迫感が満ちている。

 意を決し、ンフィーレアはペテルの説明が終わった後、こちらをじっと観察していたモモンの前に立ち、出来る限り愛想良く笑いかけた。

 

「分かりました。まだ森までは距離もありますし、森の中に入ってから僕のタレントでアイテムを使うにしても万が一ということがありますから、モモンさんたちのような方が居てくだされば心強いです」

 

 森を安全に捜索する方法はンフィーレアのタレントとアイテムが必要だと嘘を吐く。

 これは先ほどペテルが勘違いしてンフィーレアに聞いてきた内容を、そのまま使わせてもらった。

 これなら実際に森に入るまでは迂闊なことはできず、万が一の場合でも村にではなくンフィーレア自身を狙うはずだ。

 その意味では漆黒の剣にまだすべてを話していなかったのは幸いだった。

 後はカルネ村に着くまでにモモンたちが信用できるか見極めること。

 それが確認できるまでは、村に着いたとしても森の賢王のことは知られないよう、村人にもこっそり合図を出しておいた方が良い。

 

「では、契約成立ということで」

 

 満足気に頷き手を差し出したモモンと握手をしている間も、ンフィーレアは大切な人を守るために頭を働かせ続けた。

 

 

 ・

 

 

 カルネ村は良い村だ。

 エンリ・エモットは常々そう思う。

 それほど多くよその村を見たことがあるわけでもないし、話に聞いた大都市に比べると発展しているわけでもないが、食べる物にも困らず、何より村人全員が強い意志を持って生活して、村の安全を守っている自負があるからだ。

 偶に双方足りない物を補うため、物々交換による交易をするために近くの村を訪れることがあり、その際に好き好んで危険な森の傍に村を作るなんて。と笑われることもあるが──それがあるからカルネ村には人が寄りつかず、こちらから他村に出向くのだが──エンリから言わせれば、そうした村の方が野盗やモンスター、亜人などの襲撃にも備えず、いざという時のことを考えていないように思う。

 カルネ村で生まれた子供たちは、先ずそのことを徹底的に教え込まれる。

 

 強力な守護獣がいたとしても、いざという時は、大切な物を守るために戦う覚悟が必要なのだから。

 そしてつい先日、実際に覚悟を試される出来事が起こった。

 何の前触れもなく、鎧を着込んだ帝国兵が村になだれ込んできたのだ。

 こちらの話など聞く耳を持たず、剣を振り上げて襲いかかってきた兵隊たちに、いくら備えているとはいえ、ただの村人たちが勝てるはずもない。

 多くの者が負傷してしまった。

 しかし、死者は出なかった。

 皆で協力して仲間を助け、時間を稼いだからだ。

 そう。村の守護獣が来るまでの時間を。

 

 村の守護獣の強さは訓練された兵隊すら相手にならず、一瞬で敵を全滅させた。

 それでも誰一人犠牲者が出なかったのは、村人たちが常に備えていたからだとエンリは確信している。

 そして、そんなカルネ村を助けるために王国兵がやってきたのは、怪我をした者たちの治療や破壊された物の一時的な補修も済んだ後のことだった。

 立派な鎧を着込んだ戦士らしい人たちは思っていたより悪い人たちでは無さそうだったが、それでも自分たちの危機に間に合わなかった事実と、森の賢王として危険な魔獣と恐れられている守護獣と共存していることを知られてはならないと考えて、全てを隠蔽することにした。

 遺体は既に森の奥に埋めてあり、建物の修繕も済んでいたため証拠はない。

 王国兵には、初めからカルネ村には誰も来なかったと話した。

 帝国兵を村人が倒せるはずがないと思ったのか、王国兵は特にそれを疑うことなく、村の中に入ることすらせずに帰っていった。

 

 こうしてまた一つ、王国に対して後ろめたいことができたわけだが、カルネ村は元々王国に属してはいるものの、誰の物でもないトブの大森林を開拓して作られた村であることもあって、帰属意識は薄い者がほとんどだ。

 自分たちの力で村を守るという考え方も、それに根付いたものであり、そうした村の風習を誰もが誇りに思っている。

 村外れに作られた大型の納屋に似た建物の中で、エンリはそんなことを考えていた。

 一応仕事中ではあるのだが、村を救ってくれた守護獣と共に居ることに誇らしさを覚えたからというのが理由の一つ。

 そしてもう一つは。

 考えごとでもしていなければ、間が持たなかったためだ。

 

「うーん。でござる」

 

 その巨大な体躯を以ってしてもまだ広さに余裕のある納屋──あくまで偽装であり、実際は守護獣が村に滞在する際の寝床として作られた建物のため、壁材や内装は村で一番豪華な造りになっている──の中で、守護獣は先ほどからなにやら考えごとをするように唸っていた。

 初めは村の守護獣に気安く話しかけるのは失礼に当たると思って、黙って考えごとをしながら時間を潰していたのだが、こうも長く続くと逆に話しかけた方がいいのではないか。という気がしてくる。

 

 本来守護獣のお世話係という名誉あるこの仕事は、村の大人たちのみが着ける仕事なのだが、今は大人たちは通常の仕事の合間を縫って、先日帝国兵に破壊された建物の本格的な修繕や、破壊された建物に入っていて使えなくなった保存食を改めて作り直すなどの作業に追われており、人手不足を補うため、子供たちも農作物の世話や村の細々とした内職に駆り出されている。

 必然的にまだ大人ではないが、子供よりは精神的に成長し、守護獣にも失礼を働くことはないだろう、と判断されたエンリがこの仕事に就くことになったのだ。

 その意味でも、無視し続けるのも良く無いかもしれない。と思い直しエンリは意を決して話しかけてみることにした。

 

「あ、あの。何かありましたでしょうか? 私で出来ることでしたらどんなことでもいたしますので仰ってください」

 

「いや。そうでは無いでござる。何というかこう。さっきからずっと全身がピリピリするのでござる」

 

「ぴりぴり。ですか?」

 

 村の野伏(レンジャー)であり、守護獣が一緒だと動物が寄ってこないため、一人で森の奥に入って獲物を狩ってくることがあるラッチモンが似たようなことを言っていたことを思い出す。

 危険な敵が近づいてくると全身がヒりつくような感覚があり、そのおかげで命を救われたことが何度もあるとも言っていた。

 そのことを思い出した瞬間、エンリは思わず声を張り上げる。

 

「もしかして、またこの間のように帝国が!」

 

 王国兵は誤魔化せたが、帝国からすれば送り出した兵が戻ってきていない状況なのだ。

 再び別の兵を送ってきても不思議はない。

 普段は森の奥を寝床としている守護獣がこうして村に残っているのはそれを警戒する意味合いもあるのだと聞いていた。

 

「いや、違うでござる。これは!」

 

 興奮したように叫びながら、守護獣が立ち上がる。

 その巨体同様に大きな耳がピクピクと動き、強大な力と叡智を感じさせる黒い瞳が見開かれた。

 

「この声。間違いないでござる!」

 

 そう叫ぶや否や、守護獣は四足歩行に戻り、納屋の出入り口に向かって駆けだした。

 

「あ、待って! 今扉を──」

 

 開けますから。と続ける前に守護獣の体当たりによって、扉はあっさりと破壊され、そのまま飛び出していく。

 

「うわ!」

「なんだこりゃ!」

「みんな、ンフィーレアさんを」

 

 破壊された扉の向こうから、一斉に複数の声が流れ込む。

 聞き覚えのない声の中に、友人の名前が聞こえ、その直ぐ後にはその友人自身の声も聞こえてきた。

 

「ま、待って! 待ってください!」

 

 慌てるあまり完全に声が裏返っているがその声は間違いなく、エンリの友人にして、現在村の外で二人のみ存在する守護獣のことを知っている薬師であるンフィーレアのものだ。

 

「ンフィーレア? どうして……あ」

 

 先日の一件で大量にポーションを使用してしまったため、ンフィーレアにいつもより早めに薬の補充を頼んでいたのだ。

 同時に今回から彼の祖母であるリイジーは同行せずエ・ランテルから護衛の冒険者を雇って連れてくると聞いていたことも思い出した。

 ンフィーレア以外の声はその冒険者だろう。

 

「もー、説明してくれればいいのに!」

 

 村の中まで連れてくる以上、冒険者にも今回の薬草採取に同行して貰うつもりなのだろう。

 ならば守護獣も一緒に行くのだから事前に話しておいてくれても良いはずだ。

 どちらにしてもお世話係として、エンリも事情の説明に出向かなくてはならない。と壊れた扉を抜けて外に出ると、そこには驚くべき光景が広がっていた。

 

「殿ー! 久しぶりでござるー。この忠臣ハムスケ、ずっと待っていたでござるよー!」

 

「ちょ! 何だお前は!」

 

「モモンさん大丈夫か!? おい。どうなってんだこれは」

 

「離れろ! モモンさーんの体に許可なく触れるなど、その毛皮をはぎ取られたいの?」

 

 守護獣が漆黒の全身鎧を身につけた戦士に抱きつきながら頬ずりを繰り返している姿と、それを引き剥がそうとする信じられないくらい美しい女性が二人。

 そしてそれを呆気にとられた様子で見つめる、ンフィーレアを初めとした見知らぬ冒険者たちの姿。

 

「何なのこれ」

 

 思わず漏れ出たエンリの疑問に答えてくれるものはどこにも居なかった。




今回でハムスケの出会いと森の中に入るまで進めたかったのですが、長引いたのでここで切ります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 カルネ村の教え

前回の続きと、彼がカルネ村に残したものの話
色々説明していると、なかなか話が進まなくて困ります


 村の広場に急遽持ち出されたイスに腰掛ける。

 本来は森の中に村人以外の者を入れる際の決まりとして、村の秘密を守れるか確認する儀式──ようは面接のようなものだろう──を村長の家で行う予定だったのだが、モモンガにべったりくっついて離れない巨大なジャンガリアンハムスターに似た魔獣、森の賢王が家の中に入れないため、こうして村の広場で行うことになったのだ。

 当然遠巻きに村人たちもこちらを見守っており、視線がモモンガに集中している。

 

「ええ、では村の掟に従い、先ずは皆様のお名前を聞かせていただきたいのですが……」

 

 村長だという、がっしりとした体格の日焼けをした男が口火を切り、漆黒の剣のメンバーから一人ずつ自己紹介をしていく。

 それを聞きながらも村長の視線は、チラチラとモモンガとその隣に居るものに向けられていた。

 

「殿~」

 

 何度も殿じゃない、お前など知らない。と言っているのだが、賢王とは名ばかりのこのハムスターは一向に話を聞こうとしない。

 村長が困惑するのも無理はない。

 おそらく本来はこの面接の後、信頼が置けると判断した場合、ンフィーレアが言っていた森の中を自由に散策できる方法であった──タレントと薬がどうこう言っていたのは恐らくブラフだ──森の賢王を紹介する手はずだったのだろう。

 並の冒険者では敵わない森の賢王を見せることで、秘密を守らせる抑止力として使用する。

 その森の賢王が、あろうことかワーカーに懐いてしまったのだから気が気でないに違いない。

 

(と言っても、秘密を守らせるにしてもエ・ランテルに戻られたら抑止力も何もないだろうに。それを計算に入れていないのか、それともそれだけ逼迫した状況ということか)

 

 村の中をざっと見回しただけだが、村のあちこちに破壊の痕跡とそれを修理した跡が見受けられた。

 ポーションの備蓄が無くなったため、その補充と──それらはトロールに破壊されたが──新たなポーションを大量に生産するためにンフィーレアだけでなく、他の冒険者の手を借りてでも薬草を大量に採取する必要があったため、危険を承知でこうした手段を取ることにしたのだろう。

 それが一歩目から躓いたのだから、村長や他の村人たちの心配そうな眼差しも分かると言うものだ。

 森の賢王が抑止力に使えない以上、モモンガが村の秘密を盾に脅してきたとしても止める手段が無いのだから。

 

(しかし、いったい何故だ?)

 

 体格に似合った巨大な頬をグリグリと兜に押しつけてくるハムスター。

 余計な考察をしていたのは、ほとんど現実逃避だったが、それもいい加減限界だ。

 巨大ハムスターがモモンガのことを殿と呼び懐いてくるこの状況、この場にいる全員がそれを説明して欲しいと願っているのは手に取るように分かったが、モモンガ自身この一度見れば忘れることなど無い巨大なハムスターに見覚えがないのだ。

 そんなことをしている間に、モモンガを除いて全員の自己紹介が終わり──ナーベラルだけは未だ殺気に満ちた目でハムスターを睨みつけているため、ソリュシャンが代わりに紹介していたが──モモンガの番となった。

 

「私はモモン。そちらのナーベとソーイとチームを組んでいる」

 

「モモン? 殿は名前を変えたのでござるか?」

 

 ここに来てようやく、ハムスターが顔を離して大きな瞳を真っ直ぐに向けた。

 

「……皆も気になっているとは思うが、改めて言わせて貰おう。私は──森の賢王、だったか?」

 

「ハムスケでござる! 殿が名付けてくれた名前故、そう呼んで欲しいでござるよ!」

 

(そう言えばそんなこと言っていたな。ハムスケ……そのままの名前だが、やはりハムスターなのか。この世界のハムスターはこれほど巨大なのがデフォルトなのか。それとも──)

 

「モモンさん?」

 

 村長に問われ、慌てて思考を中断させる。

 

「あ、ああ。失礼。ではハムスケか。私は君に会ったことはない、それどころかこの森に来たのも初めてだ」

 

 正確には百年前、この近くの平原に転移したらしいのだが──モモンガは覚えていなかったが、ナーベラルがそう証言した──その際も安全の確保が第一と言うこともあって森には近寄らなかったはずだ。

 当然この巨大なハムスターを見かけた記憶もない。

 だが、思い当たる可能性が二つある。

 

 一つは、プレイヤーだ。

 ハムスター、もといハムスケはモモンガを一目見て自分の主だと認識した。それはつまり、その主もこの全身鎧を着用していたということではないだろうか。

 この漆黒の鎧は通常の武装のようにデータクリスタルを使用して外装から作ったものではなく、上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)の魔法で全身鎧を作った際にデフォルトで現れる物だ。

 そのデザインが想像していたダークヒーローの勇者像にピッタリだったため──新しい外装を考えるのが面倒だったということもあるが──そのまま使用していたのだ。

 つまり上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)の魔法が使える者なら、この鎧を完璧に再現できる。

 この世界で第七位階魔法を使える者などほぼ皆無なため、必然的に過去に現れたプレイヤーである可能性が高いという推察だ。

 そしてもう一つは──

 

「そんなはずは無いでござる! 殿、それがしを忘れてしまったのでござるか? 百年前殿に破れて忠誠を誓った忠臣ハムスケでござる。ご命令通りこの村を守ってきたのに、あんまりでござるよ」

 

「いい加減にしなさい。私たちはずっとモモンさんと一緒に居たけれど、お前のようなものを見た覚えなど無い。モモンさんの忠臣など烏滸がましいにもほどがある」

 

 忠臣という言葉が癪に障ったのか、今まで黙って睨みつけているだけだったナーベラルが、殺気を漲らせイスから立ち上がる。

 その殺気に、場にいた全員が短い悲鳴を上げる。モモンガも一度思考を止めてナーベラルをなだめようとするが、その前にソリュシャンが動いた。

 

「待て待て。落ち着けよナーベ、そもそも百年前じゃあたしらもモモンさんも生まれてすらねぇだろ」

 

 その言葉に、全員がハッとさせられた。

 ソリュシャンからすれば、ナーベラルが興奮のあまり百年前からモモンガに仕えている。などと言い出したら大変と慌てて止めに入ったのだろうが、忘れていたのはモモンガも同じだった。

 

(そうだった。先ずはそこから否定するべきだったのに忘れていた)

 

 漆黒はあくまで人間のワーカーチームという設定である。

 百年前から生きているはずなど無かったのだ。

 ソリュシャンは更に言葉を重ねていく。

 

「要するにそこのデカいのの主は、百年前にいた戦士かなんかで、それとモモンさんの雰囲気が似ているってことだ。確かあれだろ? 戦士って奴はちょっと動きを見れば相手の強さとか偉大さが分かる奴もいるんだろ?」

 

 チラリと戦士であるペテルに話を振るソリュシャンに、まさか自分に声がかかるとは思っていなかったのか、慌てたように一拍遅れて頷いた。

 

「え? あ、はい。そうした話を聞いたことがあります。熟練した戦士は相手の動きを見るだけで大凡の強さが分かると。私は若輩者ですのでそこまでは分かりませんが」

 

「うちのリーダーであるモモンさんは、そこらのおとぎ話の英雄なんざ相手にもならねぇ、生きた伝説だ。かつての戦士もその魔獣を倒せるだけの戦士だったなら強かったんだろう。そんな奴は二人と居ないとその魔獣が誤解するのも仕方ないってことだ」

 

 レベル三十ほどで英雄扱いされるこの世界。特に狭い範囲で生きているものは、そうした強者に出会うことなど皆無と言っていい。

 そんな中で近いレベルの強者を見つけたら同一人物だと思っても仕方ない。と言いたいのだろう。

 モモンガもそれに乗ることにした。仮にハムスケが鎧のことを言って来ても、その時はこれは量産品、あるいは冒険の果てに手に入れた古の装備としておけば、同じものであることも誤魔化せる。

 ソリュシャンの言葉で皆が納得しないようなら、それで物語を補強しよう。とモモンガは身構える。

 

「ああ。なるほど、確かにモモンさんほどの剣士なんて、そう簡単にお目に掛かれるものでもありませんからね」

 

 しかし思いの他あっさりと納得したようにペテルに、他のメンバーも同意する。

 モモンガとしては肩透かしを食らった気分だが、同時にここでしっかりと別人だと印象づけておく必要があると考えた。

 ハムスケがナーベラルの殺気を恐れて、距離を取っている今こそ好機だ。

 

「では。証拠をお見せしましょう」

 

 そう言いながら兜に手をかける。既に魔法を発動させ、兜の下には幻術の顔を作っている。

 しかし、幻術はあくまで見せかけだけのものなので、触れられるとそのまま突き抜けてしまう。

 そのためハムスケがベッタリくっついていた時には外せなかったのだ。

 事前に漆黒の剣やンフィーレアには幻術を見破る術が無いことは把握済みであり、村人も同じだろう。

 

 可能性があるとすればハムスケ本人だ。

 森の賢王は魔法も使えると聞いていた。

 それがどんな魔法かは不明だが、魔獣や亜人の中には種族特性として幻術を見抜く目や、魔法が使えるものもいる。

 ユクドラシルにもハムスケに似た種族など居なかったため、その辺りは賭けになってしまうが仕方ない。

 まずこの場を収めて、早々に薬草採取に出向く必要がある。

 誰もいない場所でハムスケに聞かなくてはならないことができたからだ。

 もしここで正体が露見してしまうようなら、強硬手段もやむをえないが、どうなるか。

 ゴクリと唾を飲む真似事をしつつ、モモンガは兜を外して幻術の顔を晒し、そのままハムスケに顔を向けた。

 

(さて、どうなる?)

 

 大きくつぶらな瞳がモモンガをまじまじと見つめる。

 やがて、ハムスケは全身を震わせながら大きく息を吐いた。

 

「違ったでござる。声を聞いたときは間違いないと思ったんでござるが」

 

 落胆するハムスケの言葉に、全員が拍子抜けだと言うように息を吐き、場に和やかな雰囲気が戻ってきた。

 しかし、モモンガだけは今の台詞を聞いて背筋に寒気が走った。

 残っていたもう一つの可能性が、確信に近づいたからだ。

 

「それにしても、モモンさんもナーベちゃんと同じ黒髪黒目ってことは二人とも同郷かい? ソーイちゃんは違うみたいだけど」

 

「ルクルット! 詮索は御法度だろ!」

 

「ちょっと聞いただけだろ。お前だって気になってる癖によ」

 

「そんなことは──」

 

 ペテルとルクルットの漫才のような言い合いを遠くに聞きながら、モモンガはなんとか自分を取り戻し兜を被り直す。

 

「……話を進めましょう。森に入るには村長殿の許可が必要だと聞いています」

 

 やはり一刻も早くハムスケから話を聞き出さなくてはならない。とモモンガはやや強引に話を進めた。

 

「そ、そうですな。それでは──」

 

 うなだれるハムスケを後目に、村長は改めてハムスケのことを秘密にすることや、森に入る際の注意などを話し始めた。

 

 

 ・

 

 

 森に入る前に、ンフィーレアはポーションの在庫確認のために村の備蓄庫に移動した。

 これは村に来る度にいつも行っていることだ。ポーションは時間を置くと劣化してしまうため、定期的に確認して古くなった物を取り除く必要があるからだ。

 とはいえ、そもそも村での生活でポーションを使うことは殆どない。

 だからいつもはただ持ってきた分を一番古いものと交換するだけで済んだが、今回は違う。

 大量に在庫のポーションを使用したことで、確認だけではなくこれからどれほどの量の薬草を採取するか、その凡その量と種類を把握するために現在貯蔵庫に残っている数を見ておく必要があったからだ。

 

「……そ、それにしても! こんなにポーションを使うなんて、大変だったんだねエンリ」

 

 先ほどから声をかけるタイミングを見計らっていたのだが、緊張に耐えかねて思わず漏れ出た声は、完全に裏返っていた。

 思い人であるエンリと二人きりになったという状況のせいだ。

 彼女は元々森の賢王の世話役をしていたのだが、先の件で落ち込んでしまった森の賢王が薬草採取が始まるまで一人──あるいは一匹──にして欲しいと告げたことで、仕事が無くなったエンリがンフィーレアの手伝いを買って出てくれたのだ。

 

「うん。みんな無事だったから良かったんだけど……守護獣様がもし間に合わなかったらと思うと──」

 

 彼女によると、先日突然村に帝国の兵士が襲いかかって来たそうだが、事前の備えと森の賢王の力によって何とか撃退できたのだという。

 その話を聞いたときは血の気が引いた。

 一歩間違えば、その際にエンリが命を落としていたかも知れないのだ。

 そう考えると今まで口にはしなかったが、過剰だと思っていた村の備えもキチンと意味があったのだろう。

 しかし、そうして使用しされた分の補充として持ってきたポーションはトロールとの戦いで全て破壊されてしまった。

 

「エンリ……ごめんね。新しいポーション持ってこれなくて」

 

 そのことを詫びると、エンリは慌てたように手を振った。

 

「何言っているの。モンスターに襲われたんでしょ? むしろンフィーが無事で良かった。大丈夫よ、もう村の修復も始まっているし、使った分のポーションだってちゃんと働いて返すからね」

 

 力強く言うエンリの笑顔に、ンフィーレアは自身の顔が熱くなっていくのを感じた。

 彼女はンフィーレアを気遣って言っているわけではない。いやそうした意図も少しはあるかもしれないが、少なくともンフィーレアの無事を本気で喜んでいてくれることだけは間違いない。

 彼女のそうした優しさが、ンフィーレアは好きなのだ。

 

「だ、大丈夫だよ。元々こういうときの為のポーションなんだし、薬草を安全にたくさん採れるだけで十分元は取れているから」

 

 動揺を隠そうして、思わず早口になってしまう。

 実際森の奥地に生える効果の高い薬草を、大量に手に入れられる状況は薬師にとって夢のような環境であり、組合の薬師辺りが知ったら殺到するだろう。

 

「そう? でも、せめてここの手伝いくらいは頑張るからね。これ、外の馬車に運べばいいんだよね」

 

「う、うん。お願いするね」

 

 重ねられた空の箱をエンリは軽々と持ち上げて持っていく。

 採れた薬草を種類ごとにより分けるために必要なものだ。

 元々は馬車にも積んであったのだが、トロールとの戦いで破壊されてしまったため──流石に箱一つ一つまで修復(リペア)巻物(スクロール)で直すわけにはいかなかった──村の物を借りることになったのだ。

 その後ろ姿はやる気に満ちており、生まれ育った村がいざというときのために備えをしていたことを誇り、その修繕のために働けることを喜んでいるように見えた。

 それを見て、ンフィーレアは思わず唇を噛みしめる。

 

 本当は、言いたいことがあった。

 また同じようなことが起こったら危険だから、街に来て一緒に暮らして欲しいと言いたかった。

 初めて村に来た頃から抱き続けていた想いを告げる良い機会だと思ったのだが、この村を誇りに思い、村を愛しているエンリはンフィーレアからそう言われたところで頷くことはないだろう。

 むしろこんな機会がないと、告白一つできない自分が恥ずかしくなる。

 

「……それにしても、カルネ村は凄いね。いざというときのためにここまで備えている村なんてないよ」

 

 頭の中を切り替えるために、思いついた話題を口にする。

 城塞都市であるエ・ランテルはともかく、この規模の村でここまで備えをしているところは他にはないだろう。

 

「そうでしょう? これも村の開祖様の教えのおかげよ。でも、さっきは驚いたなぁ」

 

 戻ってきたエンリが言う。

 

「何が?」

 

「守護獣様の話。ンフィーが連れてきたあの人が、本当に開祖様なのかと思っちゃった」

 

 そんな訳ないのにね。と続けて笑うエンリに、ンフィーレアも先ほどまでの騒ぎを思い出す。

 初めはモモンたちを抑えるため、村に着いてから村長に事前に話をして、森の賢王の元にモモンたちを誘い出してそこで改めて説明することで、向こうの出方をうかがう手はずだったのだが、その森の賢王がモモンをかつての主だと勘違いして飛び出してきたのだ。

 結局モモンの顔を見せたことで勘違いは収まり、村長との顔合わせも無事に済んだので、結果的に問題なかったのは幸いだった。

 

「開祖様って、森の賢王とは違うんだよね」

 

 森の賢王はその名が示す通り、叡智に於いても人間以上と言われているが、そうした村の教えや掟を定めたのは別人だと聞いていた。

 

「うん。守護獣様は開祖様の騎乗魔獣だったのよ。元々カルネ村は二人から始まったの。一人は百年前に森を切り拓いて村を開拓しようとしたトーマス・カルネさんって方。この人が開拓者」

 

「ああ。それでカルネ村なんだ。でも危険な森を一人で開拓しようなんて凄いね」

 

 そう言えば村の歴史については聞いたことがなかったな。と考えながらンフィーレアは相づちを打つ。

 

「そう! そこなの! トーマスさんは自由に生きるために、危険な森の開拓を決断したそうなんだけど、その考えに共感してくださったのが開祖様でね。開拓の手伝いだけじゃなくて、危険な魔獣とかモンスターもこうバッサバッサと倒してくれたの。村が形になった後も、人集めとか危険な森の近くで生きるための心得を教えてくれて、それが今でも村の掟として残っているのよ。その後は村に残らないでそのまま旅に出てしまったからお名前も残っていないんだけど。でも、守護獣様に村を守るように言ってくれたおかげで、今のカルネ村があるの」

 

 エンリが興奮したようにつらつらと話し始める。

 片方だけ敬称を着けている辺り、どうやら始まりの人物のうちでも、その開祖と呼ばれる人物の方が村では重要視されているようだ。

 

(まるで神様だな。まあ、森の賢王や生きるための知恵を授けたのがその人なら、分からないでもないけど)

 

 カルネ村は特殊な村だ。

 森の賢王という、いわば強大な武力によって村が守られているのに、それに加えて自分たちでもやれることをしようと、村人にはさほど必要ない読み書きの練習も行い、それぞれが空いた時間には弓や剣を練習したり、ポーションや薬草なども必要以上に備蓄しておく。

 ここまでした上で、いざという時は村を捨てて逃げ出すための避難経路確保も欠かさない。

 一体何に備えているのかと思えるほどの慎重さに、ンフィーレアも最初は驚かされたものだ。

 そうした村の根幹部分を作った人物ならば、神様扱いされているのも頷ける。

 

「今後はね、頑丈な防護柵も付けようって話も出ているの。あまり頑丈すぎる柵を作ると徴税の役人さんに何か隠し事があるんじゃないかって怪しまれて、守護獣様が村に居ることかバレてしまうかもって考えていたけれど、もうそんなこと言っていられないわ。また帝国が来るかもしれないもの」

 

 再び帝国兵が来るかもしれないというのに、逃げることは考えず立ち向かうことを選び、村をより良くするための方法を模索する。

 これもその開祖の教えによるものなのだろう。

 

(だったら。僕は彼女のために、何が出来るんだろう)

 

 今回のように、自分の知らないところでエンリが危険な目に遭うなんて我慢できない。

 本音を言えば、このままカルネ村に残りたい。

 ポーション造りは素材と道具さえあれば、この村でも出来る。

 主な素材である薬草の採取も容易となるため、利点もあるだろう。

 そうして村の住人となって、ゆくゆくはエンリと──

 そんな想像をして、にやけそうになる顔を無理矢理引き締める。

 

(いや、良いことばかりじゃないか)

 

 大都市であるエ・ランテルを出るということは、単純に売り上げの減少や、ある程度名前や顔が知られるようになって、薬師として積み上げてきた実績──これは都市一番の薬師である祖母や、自分のタレントによるところが大きいが──を捨てることになる。

 とはいえ、別に富や名声を求めているわけではない。

 そう考えると自分一人だけのことを考えれば利点しかない。

 だが。

 

(お婆ちゃんはどうなる?)

 

 リイジーはそれこそ自分などとは比べものにならないほど、長く実績を積んで都市一番の薬師という名声を得たのだ。

 これはそれを全て捨てろと言っているも同じことだ。

 なにより、都市を出てこの村に移り住めば、当然今までとは環境が激変する。それもいくら備えをしているとはいえ、やはり大都市と村では生活水準が大きく異なるため、高齢のリイジーには厳しいだろう。

 そうでなくてもリイジーの夢である完全なポーションの作成には、薬草だけではなく練金溶液をはじめとした特別な素材、何より大量の金銭が必要になる以上、エ・ランテルを出ていくなど考えもしていないはずだ。

 だからといって、高齢の祖母を残してンフィーレア一人がカルネ村に越してくる訳にもいかない。

 両親を早くに亡くしたンフィーレアをずっと育ててくれたリイジーには、これからたくさん恩返しをしなくてはならないと思っているのだから。

 

(でも──)

 

「ンフィー?」

 

「え? あ、ごめん。ちょっと考えごとしてて」

 

 不思議そうに首を傾げるエンリに、ンフィーレアは慌てて言う。

 自分でも正直怪しすぎるほど上擦った声になってしまったが、エンリは気にした様子もなく、そうなんだ。といつもの笑顔を浮かべた。

 

(……やっぱり、僕はこの笑顔を守りたい、守れるくらい強くなりたい)

 

 大切な家族と最愛の人。

 その二つは、自分に取って順番を付けられるようなものではない。

 仮にそれを両立できる方法があるとすれば、それはやはり強さなのではないだろうか。

 トロールを瞬殺し、森の賢王を恐れることもないモモンたちの強さを見て余計にそう思うようになった。

 ンフィーレアが一人でエ・ランテルと村を行き来出来るほど強ければ、毎回冒険者を雇う必要もなく、いざというときでも直ぐにカルネ村に駆けつけられる。

 加えていうのなら、物理的な強さでなくても、今の薬師としての道を極めることもそうだ。

 自分が腕を磨き、祖母にも勝る薬師になれば、もっと祖母の研究を手伝える。

 そうして本物のポーションを完成させれば、祖母もエ・ランテルに拘る理由はなくなり、この村に越してきても良いと思えるかも知れない。

 どちらにしても、そうした自分なりの才能を磨くこと。それこそが自分の望む未来への近道なのではないだろうか。

 

(そのためにも、今は自分の仕事を完璧にこなさないと)

 

 今自分に課せられた仕事も満足にこなせないようでは、強さだなんだと語る資格はない。

 気合いを入れ直し、ンフィーレアは仕事を再開した。

 その後、思った以上に早く仕事が片づき、自分がどれだけエンリに気を取られていたかを自覚して、気恥ずかしさを覚える結果になってしまった。

 

 

 ・

 

 

「森に入ったら、手分けをして薬草の採取ということになるだろう。お前たちは依頼人であるンフィーレアの護衛を行え。私は森の賢王を連れだし、例の薬草について尋ねてみる」

 

 ンフィーレアが取りに行く森の奥に生えた薬草とは、希少価値は高い物だが、あくまで一般にも流通している物であり、モモンガたちが探している万病に効くとされる薬草とは違う物だった。

 そのため、森の賢王と謳われ森の中に詳しいハムスケに話を聞く必要があった。

 

「モモンさん。そのような雑事は私が」

 

 すかさずナーベラルが告げる。

 周囲に人影は見えないが、モモンたちのことを遠巻きに監視している村人が居る可能性を警戒しているのか、モモンガではなく、モモンと呼んでいるあたり、ナーベラルも成長したようだ。

 良い傾向だが、今回はそれを了承するわけにはいかない。

 

「それには及ばない。そもそも、私がンフィーレアの護衛をするとなれば、同時に薬草採取も手伝わなくてはならないが、この手では難しいのでな」

 

 これがモモンガの考えた言い訳だ。

 薬草採取をするには、全身鎧は向いていない。

 かといって素手でも、幻術をすり抜けてしまうため採取はできない。

 

「そもそもモモンさんが薬草採取ってのもな」

 

「あ」

 

 ソリュシャンの言葉で、ナーベラルも気づいたようだ。

 モモンガを絶対的支配者として認識している二人からすれば、地面に座り込んで薬草を採取することの方が支配者らしくない行動だと。

 モモンガが鎧のことを告げたのは、それを気づかせる意味合いもあったので予定通りと言えばそうなのだが、手の汚れる土仕事などしたくないと示唆したようで気が引ける。

 しかし、今だけはその勘違いを利用させてもらう。

 

「そういうことだ。本来森の中を安全に行動するための森の賢王がいなくなるのだ。他の者たちが捜そうとするかも知れないが、うまく時間を稼いでおけ」

 

「了解」

 

「承知いたしました」

 

 こう言っておけば、ンフィーレアや漆黒の剣を監視するため、二人もモモンガのところには近づいてこないだろう。

 モモンガの考えが確かならば、ハムスケとの会話は彼女たちにも、いや二人にこそ聞かせてはならない。

 

(今はまだ、な)

 

 

 深い森の奥は思った以上に暗い。

 幾重にも重なった木々が頭上を覆うからだ。

 もっともモモンガはアンデッドの特性上、暗闇であっても関係なく見通せるし、それは森で生きてきたハムスケも同様だろう。

 だからこそ、ハムスケも特に物怖じすることなく、モモンガの後に付いてきたのだろうが。

 

「なんでござるか、こんなところまで。それがし、あの薬臭い子供のことを守らないといけないのでござるが」

 

「そちらは私の仲間がやってくれるから問題はない」

 

「そもそも、それがしはあまりそなたと話したくないでござる。声を聞いていると殿を思い出してしまうでござるよ」

 

 しょんぼりした声と共に、ハムスケの髭が力無く垂れる。

 

「……まあそう言うな。少し聞きたいことがあるんだ」

 

「なんでござるか?」

 

 いきなり本題に入るのもなんなので、先ずはナーベラルに語った言い訳の方を先に済ませておこう。

 

「実はな。この森の奥に、万病に効く薬草があると聞いたんだが、何か知っていることはないか?」

 

「それはあの子供が集めている物とは違うものでござるか?」

 

「ああ、もっと貴重なものだ。何でも三十年くらい前に一度冒険者が採りに来たようなんだが──」

 

 かつてエ・ランテルにいたアダマンタイト級冒険者チームが一度、薬草採取に成功しているという話はソリュシャンが調べていた。ハムスケが森と隣接する村をずっと守っていたのなら、その話を知っていても不思議はない。

 

「三十年前、ふーむ」

 

 少しの間考えこんでいるようだったが、直に思い出したと言うように、尻尾の蛇が持ち上がる。

 

「ああ! あれのことでござるな!」

 

「知っているのか?」

 

「知っているというか、三十年前に来た人間に薬草を渡したのはそれがしでござる。結構強そうでござったし、下手に暴れられると封印が解けてしまうから殿から預かっていたものを渡したのでござるよ」

 

「封印?」

 

「そうでござる。その薬草は元々殿が戦った、巨大な木の化け物の頭の上に生えていたものでござる」

 

「木の化け物だと?」

 

「それがしも見ていたでござるが、もの凄く大きい上に、体力が有りすぎるとかで、殿も倒すのが面倒で封印したのでござる」

 

 重要な情報だろうに、ペラペラと話すのはハムスケ自身、かつての主との思い出を語りたくて仕方なかったのかも知れない。

 モモンガが黙って相づちを打っていると、ハムスケはなおも続ける。

 

「確かその時、クルシミマスツリーにすれば映えそうと言っていたでござる。なのでそれがしはその木の化け物のことをそう呼んでいるござるよ」

 

「! その呼び名を知っているということはやはり──」

 

「どうしたでござる?」

 

 ハムスケの言葉には応えず、モモンガは考え込む。

 クリスマスにゲームをしていたモモンガたちが、ネタとして巨大な木のモンスターに浮遊大機雷(ドリフティング・マスターマイン)と時間停止の魔法を組み合わせてぶつけることで作った、モテない男同盟用、苦しみますツリー。

 その名称はあくまで仲間内だけで使われたものだ。

 そしてモモンガの声を聞いて、主だと判断したことを合わせると、ハムスケの言う殿が何者なのか答えは簡単に導き出せる。

 

(だが、どちらだ? 本物か、それとも俺と同じもう一つのNPCが意志と記憶を持った可能性もある)

 

 モモンガと同じ声を持ち、記憶も持っている者となれば、該当するのはその二人だけだ。

 NPCであれば問題はない。

 むしろ積極的に捜して接触を図りたいところだ。

 問題なのは本物であった時、本物と会うと言うことは、モモンガが偽物であると気づかれるということだ。

 なるべくならそれは避けたい。その場合は二人にはこの話は黙って──

 そこまで考えて、モモンガはハタと気づく。

 

(いや、むしろその場合でも探し出すべきだろう。そして二人を引き渡す。それが筋だ)

 

 元々そのつもりだったはずだ。

 本物のモモンガ、そしてナザリック地下大墳墓を見つけだして、二人を家に帰す。

 仮に自分たちのように、拠点ごとではなく個人で転移していたとしても、少なくとも死霊系魔法詠唱者(マジック・キャスター)としても中途半端なモモンガより、単純な魔法の種類だけではなく、超位魔法も使用可能な本物のモモンガの方が強いのは間違いない。

 加えてモモンガが使用していたアイテムボックスには大量の装備や回復アイテムも入っている。

 それがあれば、二人の安全もより確保される。

 

(そして、俺は偽物として断罪される。か)

 

 ワーカーになることを決めたときに、その覚悟もしていたはずだ。

 それなのに自分はわざわざ二人を遠ざけ、ハムスケに対してもこうして遠回りに探ろうとしている。

 心の奥底では偽物として断罪されることを恐れているのか。

 それもあるだろう。

 

 そもそもモモンガは、自分の持つ鈴木悟の記憶が本物である保証はない。と考えていた。

 現実世界やユグドラシルでの思い出もたくさん残ってはいるが、それすら設定に鈴木悟のコピーであると書き込まれたせいで捏造された偽の記憶であり、ここにいるのは自分を鈴木悟だと思い込んでいるアンデッドに過ぎないのではないか。

 流石に考え過ぎだと自分でも思う。ここまで詳細な記憶があり、そもそもつい先ほど苦しみますツリーという、自分の記憶にある言葉がハムスケの口から出た時点で、自分と同じ記憶を持った存在が居るのは事実。

 つまり自分の持つ鈴木悟の記憶も本物のはず。

 そう思ってはいるが、百パーセントではない。

 ハムスケの主が自分と同じくNPCであった場合、全く同じ偽りの記憶が創られていても不思議はないからだ。

 

 その場合、二人が常々語るナザリックの流儀に合わせれば、単なるNPCが絶対的支配者を騙っていることだけで極刑に値する。

 全ては本物の判断次第だが、そうなる可能性もある以上死の恐怖──アンデッドがそれを感じるのも妙な話だが──が有るのは間違いない。

 なにより自分を偽物だと知った二人が自分をどんな目で見るのか。

 それが怖いのかも知れない。

 それでも。

 

「ハムスケ」

 

「なんでござるか? 薬草なら──」

 

「いや。お前の主のことなんだが……こんな顔をしていなかったか?」

 

 ハムスケの言葉を遮りながら、モモンガは上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)で作り上げた鎧を解いた。

 これもまた賭けの一つであり、ハムスケの主が素顔を見せた保証はないが、もしハムスケが素顔をみておらず、突然アンデッドが現れたことに驚いて逃げだしたとしても、鎧を解いておけば魔法を使ってすぐに捕らえることができる。

 さて、どうなるか。

 ゴクリ。と思わず出るはずのない唾を飲み込む仕草をしつつ、ハムスケの反応を待った。




この話でモモンガさんは自分の記憶すら捏造されたものは無いかと疑っていますが、これはあくまで鈴木悟としての思い出が記憶の中にしかないため、答え合わせが出来ないせいです
ナザリックにいるアインズ様はナザリックの各所に思い出が残り、そうした自分の記憶との答え合わせが可能なので、自分の記憶が偽物だとは初めから思っていません

ちなみに、モモンさんの漆黒の鎧が上位道具創造で作ったときのデフォルトで設定されたものというのは、その辺りの記述はなかったように思うので自分の勝手な想像です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 依頼達成

前話の続きとンフィーレアのコネづくりの話


「と、と、殿ー! やっぱり殿だったでござる! 会いたかったでござるよ!」

 

 歓喜の雄叫びと共に、ハムスケがモモンガに抱きついてきた。

 ここまでは予想通りだ。

 

「落ち着けハムスケ。おい。一回離れろ!」

 

 とりあえず一度落ち着かせようと声を荒げるも、ハムスケは村で会ったとき以上にグイグイと身体を押しつけ続けた。

 鋼鉄のように硬い毛皮であることもあって、ごわごわとした感触が伝わってくる。

 その後も一向に落ち着く気配を見せず、こちらの言葉など聞こえていないように、会いたかったを連呼し続けるハムスケにいい加減ウンザリしたモモンガは、落ち着かせる意味も込めて一つの特殊技術(スキル)を使用した。

 

「良いから落ち着け!」

 

 発動した特殊技術(スキル)は絶望のオーラⅠ、モモンガを中心に周囲に恐怖効果をもたらすものだ。

 この程度ならレジストできるかとも思ったが、その場合でもこちらの意図は伝わるだろうと考えて選んだものだが、ハムスケは全身の毛を逆立たせると、そのままあっさりとひっくり返った。

 

「降伏でござるー」

 

 腹を見せて服従するのは良いが、その声はどこか演技めいており、嬉しそうにすら聞こえた。

 

「懐かしいでござるなぁ。これも百年ぶりでござる!」

 

(なるほど。百年前の鈴木悟も同じことをしたわけか)

 

 これではまた誤解されてしまうと、モモンガはさっさと本題に入ることにした。

 

「よく聞けハムスケ。俺はお前の主であって、そうではないんだ」

 

 自分で言っていて、よく分からない台詞だ。

 案の定ハムスケは大きな瞳を何度も瞬きさせてから首を傾げた。

 

「どういうことでござる?」

 

「……うん。まあ、要するにお前の主の兄弟とでも思っておけばいい」

 

 現在の状況を解説しようとすると長い上に、自分でも完璧に理解できているわけではないのだから、こう言うしかない。

 問題はこれでハムスケが納得してくれるかどうかだ。

 あれほど喜んだ後だと、なかなか信じてもらえないかもしれない。

 そんな心配を他所に、ハムスケは服従のポーズを解いて、その場から起き上がった。

 

「なんと! 殿の兄弟! 道理で声も姿もそっくりでござるな」

 

 あまりにも簡単に信じるさまに、心配し過ぎていた自分が馬鹿らしくなり、モモンガは絶望のオーラを解除しつつため息の真似事をする。

 

「……うん。それでいい。俺もお前の主を捜しているんだ。お前がいろいろ聞かせてくれれば、本物の主を見つけられるかも知れないと思ってな、こうして話をするためにここまで来てもらったわけだ」

 

「本当でござるか!? 殿に会う為ならどんな協力でもするでござるよ」

 

 尻尾の蛇が喜びを表すように派手にのたうつ。

 ここまで疑うことなく信用されると逆に心苦しくなるが、今は情報収集が先決だ。

 

「……それでだな。まず名前だが、お前の主はなんと名乗っていた?」

 

「殿の名前でござるか?」

 

 兄弟なら知っているのでは。と言いたげなハムスケの視線を感じ、モモンガは慌てて告げる。

 

「うむ。どうやら奴は偽名を使って行動しているらしくてな。お前にも本名を名乗っていない可能性があるのだ」

 

 ドラウディロンから手に入れたプレイヤーの情報のみならず、それ以外の歴史書、英雄譚の中にすら、モモンガという名前も該当しそうなアンデッドの魔法詠唱者(マジック・キャスター)も登場していない。

 自分たちのように大人しくしていればともかく、その男はカルネ村の開拓に手を貸したりハムスケと主従関係を結ぶなど、それなりに派手に動いているのだから、別の名前を使っている可能性があると推察したのだ。

 

「そ、そうだったでごさるか。殿の名前が偽物だったとはちょっとショックでござる」

 

 落ち込んでいるハムスケをマジマジと観察しながらも、モモンガは頭の中で覚悟を決める。

 相手はこの魔獣にハムスケという安直な名前を付けた者だ。

 確かに、モモンガもハムスケに名前を付けろと言われたら、最初に思い浮かぶのはそれだろう。

 後は少し捻って大福辺りも候補に挙がる。

 どちらにせよ、そのネーミングセンスは自分と同じ。

 そしてかつての仲間たちから散々言われたように、自分のネーミングセンスの無さは身に染みている。

 相手も自分と同じセンスを持っているなら──少なくともモモンガにとっては──酷い名前ということは無いと思いたいが、異世界に来たことで変にテンションが上がって妙な名前を付けた可能性はある。その場合でも動揺を見せてはならない。

 

「それで。話を戻すが、お前の主は何という名を使っていたのだ?」

 

 心の中で深呼吸のまねごとをしてから、モモンガは改めてハムスケに主の名を聞いた。

 

「殿はそれがしやカルネ村の住人の前では、サトルと名乗っていたでござる」

 

 その名を聞いた瞬間、覚悟していたものとは別の意味で精神抑制が発生した。

 

(ほ、本名を使っていたのか。いや確かに無難と言えば無難かもしれないけど、逆にこの世界では浮かないか?)

 

 この世界の名前は基本的に横文字名であり、いわゆる日本的な名前を付けている者には出会ったことがない。

 最も南方には黒髪黒目の人種が存在しており、刀などの日本の文化に似たものもあるそうなので、そちらにはそうした名前があるのかもしれないが、少なくともこの周辺国家では、その手の名前も当然悟という名前も聞いた記憶がない。

 

「どうしたでござる? えーっと、モモン殿で良いのでござるな」

 

「あ、ああ。いや、私の勘違いだ。どうやら奴、悟はお前に対しては本名を名乗っていたらしい」

 

「ほ、本当でござるか! 良かったでござる!」

 

 嬉しそうな声に合わせて、再び尻尾の蛇が跳ねる。

 百年も離ればなれになっていた主が、自分に嘘を吐いていないと知れたのはそれほどの喜びだったのだろう。

 

「しかし、妙な話だ。私は色々と情報収集を行っているが、悟の名前は聞こえてこなかった。だから偽名で活動しているものだとばかり思っていたが、お前に名乗らなかっただけで別の偽名があるのかも知れないな。そうなると捜索は難しいか」

 

「そ、そんなぁ。殿に会いたいでござるよ」

 

「うむ。だからこそ、もっと詳しく悟の話を聞かせてくれ。どんな格好をしていたとか、お前と出会ったときの話やほかの村人と話していた内容でも良い」

 

「任せて欲しいでござる! 殿との思い出は幾らでも話せるでござるよ」

 

 ころころと感情が変化する様は、一定以上の感情を自動で抑圧されるようになってしまった身としては少々羨ましい。

 とはいえ、最初はともかく現在はこの特性を結構便利に使っており、落ち着くためにわざと精神を高ぶらせることで、ボーダーラインを越えて鎮静させるといった応用もできるようになった。

 これのおかげで、自分のような一般人でも、支配者の真似事ができているのだから、贅沢な悩みなのは間違いない。 

 ハムスケの語るもう一人の鈴木悟の冒険譚を聞きながら、モモンガはそんなことを考えていた。

 

 

 

 話を聞き終えた後、悟が見つかった際にはキチンとハムスケにも知らせて連れてくることを交換条件に依頼の品であった、いかなる傷でも治すという薬草を貰うため、ハムスケの住処である洞窟に向かって歩く最中、モモンガは先ほど聞き出した情報を頭の中で咀嚼していた。

 

(純銀の騎士、か)

 

 ハムスケ曰く、鈴木悟を名乗った男には仲間などはおらず、一人で行動していたとのこと。

 その格好は純銀に輝く全身鎧を身に纏った姿だったらしいが、モモンガには思い当たる節があった。

 ユクドラシルの最終日を迎えるにあたって、鈴木悟が生み出した二種類の勇者パーティーだ。

 

 一つはモモンガが身につけている漆黒の鎧を纏った戦士。

 これは場合によっては汚い手段も用いるダークヒーローという設定だった。

 対してもう一つの勇者チームは、分かりやすく王道を行く本物の勇者という設定だ。そちらのNPCにはかつてモモンガが憧れた存在であるギルドメンバーの一人、たっち・みーが使っていたワールドチャンピオンの証である鎧を無断で装備させていたのだ。

 その鎧を付けているとなれば、やはりハムスケの主は本物のモモンガではなく、自分と同じ立場として創られたコピーNPCに違いない。

 

(自分自身が複数いるのは何だかおかしな気分だが、そもそもゲームのアバターが実体化して勝手に話すようになった時点でなんでもありか)

 

 心の中で苦笑していると、その横を歩いていたハムスケの髭が何かを察知したようにピンと跳ね上がり、こちらに顔を向けた。

 

「やはりモモン殿も、早く殿に会いたいのでござるな」

 

「ん? どういう意味だ?」

 

「足音が嬉しそうでござる。逸る気持ちを抑えられない。という奴でござろう? それがしも一緒でござるよ」

 

 屈託無く告げるハムスケの言葉で気付く。

 確かに足が軽く、知らず知らずの内に早足になっていた。

 浮かれていると思われても仕方ない。

 しかし、これは一体何に対してなのだろう。

 もう一人の自分、それも同じコピーNPCという立場の仲間を見つけられたことに対してなのか、それともそれを足かがりにナザリック地下大墳墓を見つけられる、すなわちナーベラルとソリュシャンを家に帰してやれる可能性が高まったからなのか。

 もしくは──

 

(見つかったのが本物ではないことを喜んでいるのか)

 

 悟が自分と同じコピーNPCならば、ナーベラルとソリュシャンにはまだ話せない。

 話すのは悟を見つけてから二人で話し合いを行い、自分たちの立場を改めて決めた後でなければ本物のモモンガやナザリックを捜すのに差支えがあるからだ。

 必然的に自分がコピーである事実もまだ話せない。

 それを喜んでいるのだとしたら、なんだかんだと言いながら、やはり自分は二人に偽物と糾弾されることを恐れているらしい。

 ハムスケに素顔を見せる際に覚悟を決めたはずだが、こんな調子ではいざ本物が見つかったとき本当に話すことができるのか今から心配だ。

 モモンガがそんなことを考えているとは知る由もないハムスケは、その間も一人で話し続ける。

 

「それにしても殿の手がかりが見つかって良かったでござるよ。ここのところ、色々とおかしなことばかり起こっていたので、心配していたでござる」

 

「それは、例のカルネ村を襲ってきた者の話か?」

 

 おかしなこと。と聞いて思い出す点があり、一度思考を止めて、そちらの話に乗る。

 村にある破壊跡はまだ真新しく、今も修繕が行われている。

 村が襲われたのはつい先日の話のようだが悲壮感はなさそうなので、村人に犠牲は出さずにハムスケが撃退したのだろう。

 

「それもそうでござるが、あれはただの人間だったから大したことないでござるよ。確か帝国の兵士とか言っていたでござる」

 

 恐らく村人が部外者には知られないようにと、モモンガや漆黒の剣にも必死に隠していたであろう襲ってきた相手のことをあっさりと口にする。

 やはり賢王は名前負けしているとしか思えない。

 だからこそ悟はハムスケという少なくとも、賢さを感じないありふれた名前を付けたのかも知れない。

 

「それよりおかしいのは森の中でござる」

 

「森の中?」

 

「そうでござる。それがしはこの森の南側を縄張りとしているのでござるが、東と西にもそれぞれ縄張りを持っている者がいるのでござる。今まではそれぞれの縄張りから出てきたりはしなかったのでござるが、最近見回りをしていると、それがしの縄張りに誰かが入ってきている感じがあるのでござる」

 

「ほう。キチンと情報収集はしているんだな」

(考えなしなのか違うのか良く分からんな)

 

 如何なる場合に於いても、情報収集は最も重要というのはモモンガ、延いてはギルド、アインズ・ウール・ゴウンの基本的な考え方だが、先の迂闊な発言を聞く限り、そうした知恵のなさそうなハムスケが、その重要性には気づいているのがなんともチグハグな印象を受ける。

 

「殿から教えて貰ったでござるよ!」

 

「ああ、なるほど。悟からか」

 

 嬉しそうなハムスケの言葉で合点が行った。

 要するにハムスケは、基本的には深く物事を考えるタイプではないが、悟から言われたことだけはキチンと守るタイプらしい。

 

「そう言えば昨日、カルネ村に来る途中でゴブリンやらトロールやらに襲われたな。それも関係しているのか?」

 

 ンフィーレアと漆黒の剣の面々を助けた後で聞いた話によると、あの辺りから既にハムスケの縄張りに入っており、別勢力の亜人が出てくることは滅多にないことらしい。

 

「なんと! それは本当でござるか? うーむ。やっぱり何かおかしいでござる。モモン殿、なるべく早く殿を見つけて欲しいでござるよ!」

 

 グイグイとモモンガに顔を近づけて、ハムスケが言う。

 

「分かった分かった。奴を探すのは俺にとっても最優先事項だ。ついでに言っておくが、ここで話した内容は、他の連中には言うなよ。人間にとっては俺や悟がアンデッドだと知られたら、敵対されるからな」

 

「分かっているでござる! あー、早く殿に会いたいでござるなぁ」

 

 浮かれた様子のハムスケに、正直不安を覚える。

 先ほどの口が軽すぎるところを見ても、何かのタイミングでポロっと口に出しかねない。

 何らかの方法で口封じが必要だ。

 

「あれがそれがしの住処でござる。薬草を取ってくるので待っていて欲しいでござるよ!」

 

 獣道の先にある洞窟を指した後、ハムスケはこちらが何か言うより先に、その場から駆けていく。

 

「……うん。仕方ないよな、悟はちゃんと探してやるから俺を恨むなよ」

 

 その後ろ姿を見ながら、思いついた方法を実行に移すため、ハムスケを追いかけて洞窟に向かって歩きだした。

 

 

 ・

 

 

 トブの大森林は基本的にカルネ村より先の開拓は行われていないが、例外的に薬草採取をする際の休憩や薬草の選り分けをする目的で、森の賢王に協力してもらって作られた円形の空間が存在する。

 ある程度の採取を終えたンフィーレアたちは、その中でいつの間にかいなくなっていたモモンと森の賢王を待っていた。

 

「おっ。戻ってきたな」

 

 誰も会話をしなくなったタイミングを見計らったかのように、ソーイが明るい口調で言う。

 ンフィーレアには何の音も聞こえなかったが、盗賊として野伏(レンジャー)のスキルを修めたソーイの聴覚にははっきりと聞こえたらしく、視線を迷いなく森の一角へと向ける。

 同じく野伏(レンジャー)であるルクルットは、それに気づけなかったようで、驚いたような顔をした後、地面に耳を付けて音を聞いてから、確かにと言うように頷いた。

 その顔色が若干曇っているように見えるのは、野伏(レンジャー)としての実力差を見せつけられたためだろうか。

 やがて、やや時間を置いてから二人の見立て通り、森の奥からを森の賢王を連れたモモンが戻ってきた。

 

「戻ってきてくれて良かったです。これからもう少し奥の薬草も採取したかったので」

 

 ほっと胸をなで下ろす。

 ここは既にトブの大森林の奥地。

 周囲も深い木々のせいで薄暗く、そこかしこに暗闇溜まりが存在しているこの場所は既に人の領域ではない。

 森の賢王の縄張りであるため、モンスターが襲いかかってくる危険は少ないが、これ以上進むには道案内が必要不可欠だった。

 この辺りだけでも大分採取したが、カルネ村で使用した分のポーションを量産するにはまだ足りないからだ。

 それもあって、彼らが戻ってきてくれたことに安堵していると、立ち上がったルクルットが一歩前に出た。

 

「……あのさぁ、モモンさんよ。こういうこと言いたか無いけど、森の中ってのは危険なんだよ。そりゃモモンさんと森の賢王は自分で何とか出来るだろうぜ。でもさ、一応モモンさんはンフィーレアと契約した立場だろ? せめてどこに行くかは話してから行動してもらわないとさ」

 

 やけに不機嫌な声に驚く。もしかしたらそれは野伏(レンジャー)としての格の違いをソーイに見せつけられたことに対する八つ当たりも含まれているかも知れない。

 一瞬そんなことを考えてから、疑問を覚える。

 元よりノリが軽く、不躾な態度を採ることも多いルクルットだが、その実仕事には誠実で、良く見るとチーム内の人間関係にも気を配っているのを知っていたからだ。

 そんな彼が嫉妬でこんなことを言うだろうか。

 そもそも、彼が言っている内容は至極まっとうだ。

 契約をした相手に無断で行動するなんて、本来なら──

 

 その瞬間気づいた。

 これは本来依頼主である、自分が言わなくてはならないことだ。

 モモンと自分たちの契約内容は、薬草採取とエ・ランテルに戻るまでの護衛。

 それに対する報酬として、森の情報と森の中を自由に行動できる手段を教えるといった契約だ。

 森の賢王がモモンをかつての主だと誤解したのを見た際は、その報酬が意味を無くすかと心配したが、結局それは勘違いだったらしく、モモンたちがトブの大森林で薬草採取をする件については通常通り村長と森の賢王の許可を得る形になったので、その仲介役をンフィーレアが行ったことで先払いで報酬を支払ったことになったのだ。

 

 だからこそ、モモンたちは契約通りンフィーレアの薬草採取と護衛を行わなくてはならない。

 モモンがそれに違反したのならばンフィーレアが依頼主として注意する必要がある。

 しかし彼らは冒険者ではなくワーカー、それも強大な森の賢王を前にしても臆することもない本物の強者だ。

 そんな相手に正面から注意すれば、依頼主であるンフィーレアに危険が及ぶ可能性がある。そう考えたルクルットがわざわざ嫌われ役をかって出たのかも知れない。

 事実、ナーベはルクルットに対し分かりやすく殺意の籠った視線を向けている。

 

(……ここはルクルットさんに任せようかな)

 

 ルクルットの気遣いを無にするわけにはいかないし、何より本来は抑止力になるはずだった森の賢王すら、モモンたちは恐れた様子がない。

 下手に怒らせて恨みを買ったら、自分もそうだがカルネ村にも迷惑がかかる。

 その点漆黒の剣ならその心配はない。

 

(って。何を考えているんだ。僕は)

 

 そこまで考えて、自分の浅ましさと弱さに気付いたンフィーレアは愕然とした。

 自分のために泥を被ろうとしているルクルット本人もそうだが、それを止めようとしない漆黒の剣のメンバーも、全て承知の上で敢えてルクルットの行動を止めないのだろう。

 それに気づいても、責任を漆黒の剣に押し付けて、ただ傍観しようとしている自分の浅ましさ。

 そして弱さは、これをチャンスだと思えないことだ。

 つい先ほど、エンリの笑顔と大切な家族である祖母のリイジー、そのどちらも守るために強さを得ようと覚悟したばかりだというのに。

 

 モモンたちはそうした強さの象徴のような存在であり、特にモモンはワーカーでありながら、人としても尊敬できる偉大な人物だ。

 森の賢王と二人で何をしてきたのかはわからないが、彼が仕事を放り投げてまでしなくてはならない何かがあった。

 それはつまり、強者であるモモンが見せた弱みであるとも言える。

 依頼人として注意するだけではなく、それをきっかけに何か、例えばこれからも薬草採取に同行してもらう契約を結んだり、彼らの強さを欠片でも良いから教えてもらう。などと言った交渉をするべきではないのか。

 常に考え続けることで最善を目指す。というカルネ村の教えとはそうしたものを指しているはずだ。

 しかし、相手の弱みにつけ込んで交渉するなど、それはもはや脅しではないか。

 そもそもモモンはまだしも、他の二人が黙って見ているとも思えない。

 そんな風にグチグチ考えている間に、モモンが先んじて口を開いた。

 

「いや、すまなかったな。私、というより森の賢王が内密に話があると言ってきたのでな」

 

「え?」

 

 開きかけた口を閉じ、ンフィーレアは視線を森の賢王に向ける。

 

「そうでござる。どうしてもモモン殿は殿が変装しているように思えて仕方なかったでござるよ。二人きりなら話してくれると思ったでござるが、やっぱり違ったでござる……それがし少し休んでくるでござる」

 

 その大きな身体を縮ませるようにしながら小さな声で言うと、森の賢王はノソノソと移動を開始した。

 同時に、今度はルクルットが慌て出す。

 

「な、なんだよ。それならそうと早く言ってくれよ。すまねぇモモンさん。責めるような言い方しちまって」

 

 乾いた愛想笑いを浮かべているルクルットに、ナーベとソーイから向けられていた刺すような視線が強まっていく。

 

「いや、君の言ったことは正しい。逆の立場だったら私が言っていたことだ。何より私も森の賢王に呼ばれた際は下心があったからこそ、君らに黙って同行したのだからな」

 

 二人とルクルットの間に割って入るように移動して、モモンは苦笑する。

 

「下心、ですか?」

 

「私たちが探していた薬草はンフィーレアさんが集めていたものとは違う物だったのでね。その在処をハムスケが知っているのではないかと思ったのだよ」

 

「え? でもこれ以上に効能の高い薬草なんて森の中には──」

 

 この森の奥地で採れる薬草の効能は素晴らしく、薬草と魔法を合わせて作るポーションでも、錬金溶液に魔法を使用して作る通常のポーションの中で最高級品と同等近い回復力と効果速度を発揮する。

 その薬草以上の物など聞いたことがない。

 

「私たちが依頼を受けた薬草は、それだけでどんな傷や病でも癒すという伝説の万能薬。三十年ほど前に当時のアダマンタイト級冒険者が森の奥地で採取したという物だ」

 

「マジかよ。三十年前のアダマンタイト級冒険者って、エ・ランテルにいたっていう?」

 

 ンフィーレアは生まれる前だから知らないが、現在はミスリル級までしかいないエ・ランテルの冒険者組合にかつて伝説と呼ばれた冒険者がいたという話は祖母から聞いた覚えがある。

 そんな伝説の存在がかつて手に入れた薬草。

 薬師として非常に興味があった。

 

「そ、それで。薬草はあったんですか!?」

 

 先ほど考えていたことも忘れて思わず詰め寄るンフィーレアに、モモンは手に持っていた雑嚢を掲げた。

 

「ああ。ハムスケが持っていた。自分に勝つことが出来れば譲っても良いと言われてな。それで時間が掛かったわけだ」

 

「ま、まさか。お一人で勝ったんですか? 森の賢王に」

 

 これまで黙って様子を見守っていたペテルが震えた声で問う。

 モモンたちが森の賢王を恐れないのは今まで見てきたとおりだが、それはあくまで三人掛かり、つまりチームとしての強さによって森の賢王を凌駕しうるという考えの元であり、まさかたった一人で、それも戦士であるモモンが真っ向勝負によって、あの偉大な森の賢王を打ち破ったなど信じられなかったのだろう。

 それはンフィーレアもまた同じだが、ンフィーレアとしてはその偉業より掲げられた薬草の方が気になる。

 

「そして譲り受けたのが、これだ」

 

 モモンもまた簡単に頷いた後は、戦いの話をそれ以上掘り下げようとせず、雑嚢を開く。

 中には小分けにされた四つの小袋が入っており、その中の一つを取り出すとモモンは口を開けて中を開いて見せた。

 それは薬草というよりは緑色の苔のようだった。

 

「これが万能薬か? 確かに見たことねぇし、変な輝きがあるけど……ダイン。森司祭(ドルイド)としてはどう見るよ?」

 

「うむ! 私もこのような薬草は見覚えがないのである!」

 

「威張って言うことかよ」

 

 ルクルットとダインが興味深げに薬草を見ながら雑談を交わす。

 ここまでの旅で漆黒の剣、特にルクルットやダインは薬草の知識も豊富なことは分かっている。

 その彼らでも見覚えがなく、何より薬師であるンフィーレア自身もこんな苔は見たことがない。

 本当に万能薬なのかはともかく、相当貴重な物であるのは間違いない。

 

「この薬草はどこに生えていたんですか?」

 

「いや。これはハムスケの主が百年前に採取したもので、ハムスケはそれを保存していただけらしいので、詳しい生息地は分かりません」

 

「え?」

 

 モモンは何でもないように言ったが、その言葉はとても信じられなかった。

 

「ちょ! ちょっと待って下さい。百年前に採取って、もしかして森の賢王は保存(プリザベイション)の魔法が使えるのですか? いや、そうだとしても百年もの間持つ薬草なんて──」

 

 如何なる薬草であっても、採取してからの使用期限が存在する。

 それは薬草だけではなく、魔法も使用してポーションに加工されても同じだ。

 如何なる物でも必ず時間と共に効果が落ちる。

 まして採取された薬草が、そのままの状態で百年も持つはずがない。

 

「確かに。この薬草まだ瑞々しいぜ。実は今採ってきたんじゃないの?」

 

「おい。下等生物(ヤブカ)、先ほどの件と良い、モモンさんに対して無礼な口を利くな。この場で叩き潰すぞ」

 

「いや、うそうそ。ナーベちゃん、そんなに怒らないでくれよ。俺はたださぁ──」

 

 必死になってナーベに弁明するルクルットの言葉も、ンフィーレアの耳には入ってこない。

 これが本当に百年前に採取された物であるなら、一つだけ可能性を思いついたからだ。

 

「まさか、これが神の血の材料?」

 

「神の血ってなんです?」

 

 興味深げに薬草を眺めていたニニャが、ンフィーレアの言葉を聞き取って言う。

 

「薬師の間で伝わる言い伝えです。真なる癒しのポーションは神の血を示す。時間による劣化のない完成したポーションを指す言葉です」

 

「へぇ。劣化しないポーションですか。それは便利そうですね」

 

 ペテルの言い様は何とものんきに聞こえた。

 冒険者にとっては、ポーションが劣化しないのは便利だが、そこまで重要なものではないと考えているのだろう。

 だが薬師にとっては違う。

 真なるポーションを完成させる。それは薬師全てが夢見ることだ。

 そうして生涯を捧げて研究を続ける者を、ンフィーレアは何人も見てきた。

 リイジーもその一人だ。

 これがあればもしかしたら、祖母の夢が叶えられるかもしれない。

 

「そうですか。それほど貴重なものなら、やはりこれが依頼の品で間違いなさそうですね。良かった、別の物だったらどうしようかと思いましたよ」

 

 安心したように言いながら、雑嚢の口を閉じようとするモモンに、ンフィーレアは慌てて声をかけた。

 

「あ、あの! ね、念のためその薬草、魔法で鑑定した方が良いかと思います。僕は使えませんが、エ・ランテルにいる僕の祖母が魔法探知も含めた道具鑑定の魔法が使えますから、エ・ランテルに戻ったらそれを──」

 

 その代金として少しでも分けて貰えれば、と思っての提案にモモンは首を横に振った。

 

「いや、結構。道具鑑定(アプレイザル・マジックアイテム)ならナーベが使える。後で確かめておきますよ」

 

(そうか。ナーベさんは第三位階の魔法詠唱者(マジック・キャスター)。でも……)

 

 祖母の、そして自分の夢でもある神の血に繋がる物がそこにあるというのに。

 なによりその夢を叶えることは、ンフィーレアにとっては別の意味も持つ。

 ここで諦めるわけにはいかない。

 

(さっきのモモンさんの契約違反を突いてみる? いや、ダメだ。こちらに損害があったわけでもないのに、これほどの宝と釣り合う訳がない。だったら──)

 

「あ、あの。モモンさん! その薬草、僕にも少し分けていただけませんか?」

 

 モモンが口を閉じた雑嚢をソーイに手渡した直後、ほとんど衝動的に口を開いていた。

 

「……おいおい。これはお前の依頼とは別口だ。その依頼金はお前が払えるような額でもねぇ。それを分けろって言うなら、相応の対価が必要になるぜ。だよな? モモンさん」

 

 受け取った雑嚢を掲げてソーイが言う。

 

「ンフィーレアさんには申し訳ないが、ソーイの言うことが正しいですね。それに依頼を受けた分以外に、私たち三人がそれぞれ使用する分も貰う予定ですので余りは出ませんよ。ハムスケによると薬草はこれが最後ということですから」

 

 薬草にはキチンと効果が発揮される分量が決まっている。

 それをケチると効果が薄くなるどころか、効果そのものが無くなることもあるため、分量がギリギリならば、そこから少しだけ分けるのが適切ではないことは分かる。

 だがそれは、薬草をそのまま使用した場合の話だ。

 ンフィーレアの店で最も売り上げの多い薬草と魔法を掛け合わせたポーションは、薬草だけの物より効果が高く、錬金溶液などの触媒を用いる分、結果として薬草自体の分量も抑えられる。

 本来は薬草より高価な錬金溶液の分量を抑えるための方法だが、これほど貴重な薬草なら、逆に薬草を節約する手段として使えば良い。

 

「ぼ、僕にその薬草を分けていただければ、それを使って同じ効果を発揮するポーションをより多く作ってみせます! そして、出来上がった物は当然無償でお渡しします。それが僕が払う対価です!」

 

 薬草をポーションに加工することで、同じ効能で数を増やすことが出来れば、モモンにとっても利益があると言っているのだ。

 

「ほう」

 

 ンフィーレアの提案を聞いたモモンは、関心したように一つ頷き、ソーイに向かって手を伸ばした。

 彼女もまた言いたいことをすぐに理解したらしく、一度預かった雑嚢を再びモモンの元に戻すと、モモンはそれを見せつけるようにしながら続けた。

 

「これを原料により多くのポーションを生成すると?」

 

「はい」

 

「……初めて見たと言っていたが、本当に出来るのか?」

 

 鋭い指摘に一瞬たじろぐ。失敗すればそのまま一人分の薬草が使えなくなる可能性もあるのだ。

 漆黒の剣の面々も心配そうにことの成り行きを見守る中、ンフィーレアはぐっと足に力を込め正面からモモンを見据えた。

 

「作ってみせます。僕とお婆ちゃんなら絶対に出来る。僕らはエ・ランテル一の薬師ですから」

 

 正確に言うのなら、僕らではなく祖母は。だがそのぐらいの覚悟はある。

 元は祖母や父親が薬師だったから深く考えずに入った道だが、今はそれも含めて薬師としての仕事は楽しいし、なによりこれならエンリの力にもなれる。

 

「……そのポーションを完成させたとして、君はどうするつもりだ?」

 

「恐らくその分量の薬草一人分からは、ポーションに換算すると最低でも五本分位は作れると思います。その内の一本だけ、カルネ村に送らせて下さい。残りは全て差し上げます」

 

「それを使って商売をするつもりではないと?」

 

 冷静なモモンの言葉にンフィーレアは大きく首を縦に振った。

 

「もちろんです! 真なるポーションの完成は薬師の目標であり、夢です。それが完成したら、僕はエ・ランテルを離れてカルネ村に移住するつもりです」

 

 全ての薬師が夢見る真なるポーション。それを完成させたなら祖母がエ・ランテルにこだわる理由もなくなる。

 そうしたらキチンと自分の気持ちを話して、村に一緒に移住して欲しいと話をするつもりだ。

 

「カルネ村に? エ・ランテルでの名声を捨てることになっても良いと言うのか?」

 

「僕にとってはそれより大事なものがカルネ村にあります。大切な人を近くで守っていきたい。ただその前にお婆ちゃんに薬師としての夢を叶えさせてあげたいんです!」

 

 きっぱりと告げるンフィーレアの言葉に、ルクルットが口笛を鳴らし、他の者たちもニヤニヤと楽しげに笑っている。

 それを見て自分がどれだけ恥ずかしいことを言っているか気がつき、顔が一気に熱くなった。

 

「……大切な人を守る。か、気持ちは分かる、それは私も同じだからな」

 

 そんな中、モモンだけは真面目な口調で言い、雑嚢の口を開くと小分けにされた薬草が入った小袋をンフィーレアに差し出した。

 

「いいだろう。私の分の薬草を君に譲ろう」

 

「ほ、本当ですか?」

 

「ああ」

 

 小袋がンフィーレアの手の上に置かれる。

 それを受け取った手は自然と震えていた。

 

「ありがとうございます! 必ず真なるポーションを完成させてみせます!」

 

「期待しよう……さて。そろそろ行くとするか」

 

 雑嚢をソーイに改めて渡してから、モモンは空気を変えるように手を叩いた。

 

「えっと。村に戻るんですか?」

 

 それはどちらかというとンフィーレアの願望だ。

 早く村に、いやエ・ランテルに戻って研究を始めたい。

 そんなンフィーレアに、モモンは不思議そうに首を捻ると森の奥を指さした。

 

「まだ薬草採取は終わっていないんだろう?」

 

「あ」

 

 モモンにそう言ったのは自分だったことを思い出し、自然に間の抜けた声が漏れる。

 一拍間を置いてから、漆黒の剣の面々が楽しげに笑う声が、森の中に響いた。




ちなみに、百年前の万能薬がそのまま残っていたのは、ザイトルクワエ(この世界ではその名前は付けられていませんが)がこの世界由来の物ではなく、ユグドラシルのモンスターだという考察があったためそれを採用し、得られたアイテムもこの世界の物ではなくユクドラシルのゲームシステムに従ったドロップアイテムとして扱われたため、この世界のルールではなくゲームのルールに従って劣化しなかった。というこの話の独自設定によるものです
当然ンフィーレアが考えた神の血、つまりユグドラシルのポーションの材料ではありませんので、ンフィーレアが新薬を開発できてもそれはユクドラシルのポーションではなく、全く別の何かになります

カルネ村での話はここで終わり、次からはまた別の話になります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 エ・ランテル強襲
第16話 エ・ランテルへ


今回から別の話、というよりいよいよ本題に入ります

ちなみに今回も直接的なネタバレはありませんが、亡国の吸血姫で記述のあった話が出てきますのでご注意ください
今後も同じことがあるかもしれませんので、亡国の吸血姫のタグを追加しました


 第十階層、宝物殿の最奥に作られた霊廟。

 その手前にある、待合室の役割を持った部屋に置かれたソファに腰を下ろしたまま、ぼうっと視線を奥へと向ける。

 

 明かりの落とされた暗い空間は古墳が如き様相を見せ、本来は暗くて見えない奥のくぼみに置いている物も、己の特性によってはっきりと見える。

 それを見ながら、心の中に溜まり続ける暗い感情が抑制されるのを待つ。

 先ほどから同じことを数度繰り返しているが、暗い感情は一向に消えることはない。

 それでもそうせずには居られない。

 

 そんなことを続けながらどれほど時間が経過したのか、不意に後ろから足音が聞こえて振り返ると、そこには見知った姿があった。

 豪華なローブと派手なスタッフを持った骸骨は、このナザリック地下大墳墓の絶対的支配者、アインズ・ウール・ゴウン。

 その支配者が目の前に来たというのに、ソファに座ったまま出迎えるなど、守護者を始め全てのNPCが見れば怒り狂うことだろう。

 もっともこの光景を見た場合は、混乱してそれどころではないだろうが。

 

「お待たせして申し訳ございません」

 

「いや、ご苦労だったな。パンドラズ・アクター、もういいぞ。顔を上げろ」

 

 その言葉と共に、目前で深く頭を下げていた骸骨が顔を持ち上げる。

 同時にアインズそっくりの外見を持った骸骨は変化を解き、本来の姿に戻った。

 

「っ!」

 

「どうした?」

 

 何か驚いたように身を震わせたことを不思議に思って聞くが、パンドラズ・アクターは首を横に振る。

 

「いえ。失礼いたしました」

 

 軍帽に軍服を着込んだドッペルゲンガーの目に相当する部分にぽっかりと空いた黒い穴が、こちらをじっと見つめる様子はいつも通りだが、先ほどの驚きはやはり気になる。

 もう一度聞いてみようとしたが、その前にパンドラズ・アクターが動いた。

 

「改めまして。パンドラズ・アクター、ただいま戻りました!」

 

 アインズの姿を取っていたこともあってか、先ほどまで大人しかった動きが、本来の姿に戻ったことで解放されたかのようにオーバーなリアクションとなる。

 そのままキレの良い敬礼をしてみせるパンドラズ・アクターに、アインズは霊廟を見ていた時とは違った意味で感情が高ぶり、その後一気に鎮静化する。

 

「……」

 

 今度はパンドラズ・アクターの方が不思議そうに首を傾けた。

 

「如何なさいました? アインズ様」

 

「い、いや。それでシャルティアの件……デミウルゴスが立てた計画はどうなった?」

 

 アインズが完全な準備が整う前に皆の前に出ることを選んだのは──パンドラズ・アクターを使ってとはいえ──シャルティアが勝手な行動を取ったことを知ったアルベドが、デミウルゴスやコキュートスを伴い糾弾しようとしていることを知ったためだ。

 何とか守護者たちがぶつかり合う前に仲裁することが出来たが、同時にシャルティアの勝手な行動を正当化するために、相手の戦力もよく分からない内から王国の都市を襲う計画を、そのまま進めることになってしまった。

 場合によっては、この世界の者たちにナザリックの存在を気付かれる危険性があるが、デミウルゴスやアルベドだけではなく、アインズの格好をしたパンドラズ・アクターにも知恵を出して貰えば、ナザリックが見つかる可能性を低くできるはずだ。

 

「はっ。そちらは問題なく準備が進んでおります。それとナザリック地下大墳墓の隠蔽工作も、ほぼ完了いたしました」

 

 付け足すようにパンドラズ・アクターが口にした言葉にアインズは満足げに頷く。

 それもNPCたちの労働環境改善と共に命じたものの一つであり、敵の襲来を防ぐ対策の一つだ。

 

「この規模の建物を覆い尽くすには時間がかかるかと思っていたが、流石はマーレだな」

 

 ナザリックは地下墳墓だが、表層部分も直径二百メートルはある巨大な建造物だ。

 一応周辺の大地を盛り上げて隠してはいたが、壁に触れないような盛り上げ方をしたせいで隠蔽は完璧ではなく、広範囲に渡って幻術の魔法を使用し続けなくてはならなくなった。

 魔力はアイテムでも回復できないため、幻術を張り続けるには複数のシモベたちをローテーションさせなくてはならず、結果として多くの人手がいる。

 その無駄を省くため、周囲の地形に合わせる形でナザリックそのものも埋もれさせて、上空のみ幻術で誤魔化す方法に切り替えるように命じていた。

 シャルティアの行動を流用した、デミウルゴスの作戦が始まるまでには間に合えば良いと思っていたが、思った以上に早く完了してくれたようだ。

 

(パンドラズ・アクターには、攻め込んできても問題ないと言わせたけど、来ないに越したことは無いもんな)

 

 あの言葉はシャルティアの行動を正当化して守護者間の遺恨を残さないための方便に近く、わざと敵を呼び寄せる気はない。

 アルベドを始めとして守護者たちはナザリックの壁を土で汚すわけにはいかないと考えていたようだが、今のアインズにとって、それは余計な気遣いでしかない。

 アインズにとって、既にこのナザリック地下大墳墓はかつての仲間たちとの思い出の場所としてより、NPCたちを守るために必要な防衛設備とアイテム貯蔵庫としての価値の方が高いくらいなのだ。

 とはいえNPCたちにとっては創造主との思い出が残る大切な場所でもある以上は、罠や防衛設備の強化といった内部構造の改造まではするつもりはないが、外壁が土で埋もれるくらいは大した問題ではない。

 

「後は──我々が入れ替わっていることは誰にも知られてはならない。そもそも指輪が一つしかない以上、お前が外に出ているときは俺が、逆に俺が外にいる間はお前がここに待機していてもらう必要がある。いいな?」

 

 この宝物殿に出入りするためにはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの指輪が必要となるが、この指輪は転移門(ゲート)上位転移(グレーター・テレポーテーション)などと異なり、複数の者を転移させられるものではない。

 そのため、アインズかパンドラズ・アクター、どちらかは常にこの場所に残らなくてはならないのだ。

 

「はっ! 承知しております」

 

 間髪入れずに了承するパンドラズ・アクターからは不満の色は見えないが、ナザリック全体の労働環境改善を始めたアインズとしては、やはり気になる。

 

(うーん。本当はこいつにも部屋を用意してやるべきなんだろうけど)

 

 この宝物殿の領域守護者であるパンドラズ・アクターには、自分の部屋が決められてはいない。あえて言うのなら、この宝物殿自体が自室になる。

 同じく部屋が決まっていなかった──正確には玉座の間が部屋だった──アルベドには第九階層の予備の部屋を貸し与えたが、そもそもアインズの影武者でもあるパンドラズ・アクターの存在そのものを皆に知らせていないこともあって、ナザリック内に部屋を用意するわけにもいかない。

 その話は既にしてあり、代わりの褒美として何か必要なものはないかと訪ねた際、マジックアイテムと触れ合うことこそ褒美であり、ここが自室であることに何の不満もない。と力説されたこともあって、アインズもそれ以上言えずにいたのだが、影武者をさせていることも含めて、やはり何か別の形での褒美を考えておく必要がある。

 

「如何なさいました?」

 

 長い沈黙を不思議に思ったらしいパンドラズ・アクターの問いかけに、直ぐには応えず、アインズは思考を続ける。

 

(やはり呼び方か? いやしかし、兄と呼ぶのはなぁ。父と呼ばれるだけならまだいいんだけど、あのときは反射的に断ってしまったから今更父と呼ぶのだけは良いよ。と言うのも……)

 

 少しの間頭を捻っていたアインズだったが、直に小さく首を振る。

 

(褒美に関してはもう少し考えるとしよう)

 

 今の自分には他に力を入れなくてはならないことがあると心の中で言い訳をして、アインズは気を取り直す。

 

「いや、パンドラズ・アクター。次は俺がアインズとして皆の前に出るつもりだが、演技をする上で何か注意すべき点はあるか?」

 

 正直な気持ちを言えば、ナザリックの支配者という難しい役回りはパンドラズ・アクターに全て押し付けておきたいところなのだが、NPCの意識改革などはパンドラズ・アクターより元社会人のアインズの方が上手く進められる。

 難しい内容を聞かれた場合でも、直ぐには答えず時間を稼ぎ、ここに戻ってからパンドラズ・アクターと話し合った上で決定すればいいので、そこまで気負いもない。

 何より日ごろから支配者としての演技に慣れておかないと、いざという時にぼろが出かねない。

 

「そうですね……アルベド様のことなのですが」

 

 言いづらそうな態度で察する。

 

「ああ」

 

 最終日にモモンガを愛している。と設定を書き換えられたことで、アルベドは狂信的な愛をモモンガに捧げるようになった。

 その時の記憶もアインズはハッキリとは覚えていないが、同じ人格を持った者として、彼女には悪いことをしたと思っている。

 だからこそ、無理矢理心を書き換えられたアルベドの気持ちに応えるわけにはいかず、パンドラズ・アクターには適切な距離を保つように伝えていたが、流石に難しかっただろうか。

 

「どうなっている? アルベドの性格上、仕事中にまでそうしたものを持ち込むとは思えないが」

 

 押しが強すぎるようなら対策も考えなくてはならない。

 

「いえ。それが、思ったほどではないと言いますか。むしろそうした態度を表に出すことがなく困惑しております。代わりと言っては何ですがアインズ様のお慈悲に触れたことで、シャルティア様からのアプローチが激しくなっております」

 

「シャルティアが? まあ、あいつの設定上、考えられることではあるが」

 

 ペロロンチーノがあらゆる性癖を詰め込んで創られたシャルティアには確か、死体愛好家(ネクロフィリア)という設定も入っていたはずだ。

 加えて自分の失態を許してくれたこともあって、熱を上げても不思議はない。

 

「しかしアルベドはどういうことだ? まさか──」

 

 思いつく理由は一つしかない。

 

「ええ。私とアインズ様が入れ替わっていることに気づいている可能性がございます」

 

「確かに。俺とお前、両方に会ったことがあるのはアルベドだけだが……演技の違いでも見抜いたのか」

 

「いえ。恐らくなのですが、私がアインズ様の御威光を再現できていないことが原因かと」

 

「威光だと?」

 

「はい。アインズ様が生まれ持った御威光、支配者のオーラとでも呼ぶべき輝きを、私は再現し切れていないのでしょう」

 

 パンドラズ・アクターは嘆くように、大きく頭を振る。

 

「んん? 輝き?」

 

 初めは比喩表現か何かなのかと思ったが、詳しく話を聞いてみると違うらしい。

 どうやらナザリックに属する者は皆、オーラのようなものを纏っており、それで仲間かどうかを判別しているのだが、アインズのそれは非常に強いため、鎧などで姿を隠してもアインズが至高の存在であることを見抜いているそうだ。

 

「アインズ様のお姿になっている際は、私自身のオーラも強くなっていたため気付きませんでしたが、先ほどアインズ様と向かい合った際に気付きました。私のオーラはアインズ様のものと比べると僅かに劣っていたようです」

 

(あー、さっきの驚いたような反応はそのせいか)

 

「なるほど。他の者たちと異なり、アルベドは玉座の間で会っていたから、その差異に気づけたということか」

 

「申し訳ございません。私がもっと早く気付いていれば……アインズ様に完璧な演者として創造された身でありながら、このような不始末を」

 

 落ち込むときまでオーバーなリアクションを取りながら、パンドラズ・アクターは頭を抱えた。

 

「なに気にするな。お前はよくやっている」

 

 むしろ、ろくに確認もせず慌てて送り出したのは自分である以上、責任はアインズにある。

 しかし、それをはっきりと告げることもできず、代わりに提案する。

 

「先ずはそのオーラとやらを隠すことができないか試してみよう。ここにあるマジックアイテムの中に、効果がある物があるかも知れない」

 

 宝物殿にある無数のマジックアイテムの中には、気配を遮断するようなものもある。

 それらを使えばそのオーラとやらも消えるかもしれないと考えた。

 

「だが、この膨大な数の中からそれを見つけるにはお前の力が必要だ。頼りにしているぞ、パンドラズ・アクター」

 

 その言葉は落ち込んでしまったパンドラズ・アクターを慰める意味合いもあったが本心でもある。実際、かつての仲間たち全員で集めたマジックアイテムの効果など、すべて覚えているはずもなかった。

 

「アインズ様……はっ! マジックアイテムのことでしたら、この私にお任せ下さい!」

 

 勢いよく敬礼を取るパンドラズ・アクターを見て、とりあえず元気づけることができたと、胸をなで下ろす。

 しかし、これも元を辿れば──

 

(全く。モモンガ、いや本物の鈴木悟はどこで何をしているのやら)

 

 鈴木悟が初めからナザリックに居れば、こんな面倒なことにならずに済んだものを。

 管理システムによって未だ生存だけは確認できている男に、思わず心の中で恨み言を呟いた。

 

 

 ・

 

 

「ほー。あれがエ・ランテルか。立地といい三重の防壁といい、三国の要所と言われるだけのことはあるな」

 

「でも、だからこそ検査も厳重らしいよ。騒ぎは起こしたくないし、どうやって中に入ろうか」

 

 王国帝国法国と三国に隣接していることで、各国の文化や流通の要となっているエ・ランテルは、その分入国の審査が厳しいと聞いている。

 ツアーには世界移動、サトルには転移魔法があるが、どちらも一度行ったことのある場所にしか移動はできない。

 多少無理をすれば方法など幾らでもあるが、ぷれいやーの正体が掴めるまでは目立つ行動は採りたくなかった。

 その手の方法は、ずっと旅を続けていたサトルの方が詳しいだろう。

 そう考えての問いかけに、しかしサトルは腕を組んで悩むように首を傾げた。

 

「うーん。そうだな」

 

「今まで都市に入るときはどうしていたんだい?」

 

 まさか毎回強行突破していた訳でもないだろう。

 

「いや、方法は色々あるんだが、どれも大陸中央の異形種国家だから通用した方法ばかりでな。いろんな種族がいる国家は楽で良いぞ。素顔のまま行って、俺はスケール族のサトルだ。と言うだけで通してくれたところもあった」

 

「ええ? なんだいそれ。まあ、本来生者の敵であるはずのアンデッドが友好的な態度を取ったら騙される、のかな?」

 

 国の出入りを管理する門兵は、対応を一つ間違えると国際問題に発展しかねないため、慎重な対応をすると聞いている。

 加えて大陸中央はどこから旅人が来るか分からないため、来訪する種族も多岐に亘り、場合によって本当にアンデッドそっくりの種族がいてもおかしくはない。と判断されたのかも知れない。

 

「自分たちが知らない種族の場合もあるからな。こう、強気な態度で行くことが肝心だ。後は不死者探知(ディテクト・アンデッド)に引っかからないような装備でも身につけておけばあっさり騙せる」

 

 自慢するように言うサトルに、ツアーはため息の真似事をする。

 ツアーが永久評議員として所属しているアーグランド評議国も多種族国家であるが、大陸最北端に位置する評議国では現れる種族もある程度固定化されているので、そこまで杜撰な対応はしていないと信じたい。

 

「今回は駄目だよ。王国はあくまで人間国家。評議国の使者が出入りするのだって事前に根回しが必要なくらいだからね。王都に彼女がいなかったのは残念だったね。冒険者をやっている彼女ならこうしたことも慣れたものだろうに」

 

 ここに来る前に立ち寄った王都、リ・エスティーゼで冒険者をしているインベルン──冒険者としてはイビルアイを名乗っているらしいが──は残念ながら仕事で都市外に出ていたらしく会えなかった。

 

「……そうだな。キーノにも久しぶりに会いたかったが、仕事なら仕方ない。だが、少し調べただけで何をしているか分かるとは。ずいぶん有名になっているようだな」

 

 サトルは残念そうに言うが、早々に王都での情報収集を切り上げて、このエ・ランテルに向かうことを決めたのは他ならぬサトル自身だ。

 

「確か、蒼の薔薇という冒険者チームにいるらしいね。そこのリーダーが四大暗黒剣の一つを持っているらしいよ」

 

「四大暗黒剣? ああ、奴の剣か」

 

 思い出したようにサトルは頷く。

 思い描いているのは二人とも同じ、悪魔と人間の混血児であり、四本の暗黒剣を操った十三英雄の一人である暗黒騎士だ。

 

「ま。キーノの事は置いておくとして、人間の門番なら探知阻害の指輪と幻術で誤魔化せるだろ。念のため、鎧も地味な物に変えておくか」

 

 異種族の中には種族的な能力として幻術を見破ったり、特定の種族の存在を関知できるものもいるが、人間の場合そうした特別な能力はない。

 それも人間が弱小種族と言われる所以の一つだ。

 

「適当だなぁ」

 

 サトルのあまりにも軽い物言いにツアーは僅かに呆れて言う。

 慣れない旅で気を張って、慎重な行動を取ろうとしていた自分が馬鹿らしくなる。

 

「だったら私はここにいるよ。鎧の中身を創るのも大変だからね。サトルが中に拠点を作ってから転移で迎えに来てくれれば良い」

 

 ツアーの鎧は中身のないガランドウの鎧を操っているだけに過ぎない。幻術で中身を創るにしても、サトルのように骨格に幻術を纏わせるものと異なり、体の動きと幻術の人形を合わせて動かすのは難しい。

 下手をしたら、動きが合わず鎧をすり抜けて、中身が出てくるように見えてしまう。

 そんな面倒なことをしなくても、サトル一人を都市に入れて、拠点ポイントを作って貰ってから、一緒に転移する方が手っとり早い。

 

「おいおい。仮にも国の代表である永久評議員が不法入国していいのか?」

 

 仮面越しであり、また素顔を見ても表情など無いはずだが、サトルがからかうような不敵な笑みを浮かべて言っているのは、すぐ分かった。

 リグリットもそうだが、こうした軽口の言い合いは、案外楽しい。

 そもそもツアーは他者に会う機会も少なく、こんな会話が出来るのも、サトルやリグリットを始めとした十三英雄の仲間たちくらいなので尚更だ。

 

「私の本体はここにはないんだ。これは不法入国じゃなくて、鎧を一つ黙って入れるだけだよ。その分の税金くらいは許して貰うさ。これも世界を守護する為に必要なことだからね」

 

 サトルに合わせた軽口を叩くが、後半に関しては本心だ。

 そもそもツアーが動く理由はいつも同じ。

 この世界を汚す者を排除して、世界の安寧を保つ。

 それが力ある者の勤めであり、また全ての始まりがツアーの父親が起こした不始末が原因である以上、息子の自分が責任を取らなくてはならないという想いもある。

 魔神退治に出向いた時も、同じ理由だった。

 

「世界の守護か。何とも大きな話だな。頭が下がる」

 

 全くそんな雰囲気は感じさせないまま、サトルは言う。

 他の十三英雄にはツアーと同じ志があったように思うが、その中で彼だけは違う。

 彼が行動を起こすのはいつも自分のためだ。

 魔神退治に誘ったときもそうだった。

 このまま魔神に暴れられては、旅どころではなくなる。というのが彼の参戦動機であり、実際すべての魔神を討伐ないし封印した後はさっさと旅に出てしまった。

 それはきっと、今回も同じなのだろう。

 羨ましくないと言えば嘘になるが、今更自分がサトルのように自由に生きられるはずもない。と今度はサトルの軽口に乗ることなく、ツアーは話を打ち切った。

 

「じゃあ。よろしく頼むよ」

 

「……ああ。折角だから都市一番の最高級宿を取ってくる。楽しみに待っていろ」

 

 ツアーの内心に気づいていないのか、いや。気づいているからこそだろう。

 サトルは軽口を続けたまま、軽やかな足取りで歩き出した。

 それを見送ってから、ツアーは改めてエ・ランテルに目を向ける。

 

 三国の要所であるこの場所なら、他国の情報も入りやすいのは間違いない。

 サトルに提案されるまでもなく、ツアー自身もそう考えていたのは事実だが、この地に何かあると確信があるわけでもない。

 少なくとも王国のことであれば王都で情報収集を続けるのが上策だったはずだ。それでもなお王都を出てエ・ランテルに向かうことを強く推したサトルに、ツアーは僅かな疑念を抱いていた。

 

「さて、こちらも動くか」

 

 先ほどサトルに語った内容はすべて本心だが、それとは別に、一人になる機会を窺っていたこともまた事実。

 ツアーは遠隔操作していた鎧との繋がりを一時的に切断する。

 同時に視界が切り替わった。

 正確には遠隔操作の最中でも本体の視界も共に見えては居たのだが、やはり二つのことを同時にこなしていると、ミスが発生しかねない。

 

「サトルが戻る前に済ませよう」

 

 自分の持つ疑念が、杞憂であることを望みながら、ツアーは行動を開始した。

 

 

 ・

 

 

 城塞都市エ・ランテル。

 三国の境界線に位置しているこの都市は、トブの大森林やカッツェ平野など、モンスターが多発する危険地帯が近いこともあって、王国の軍隊とは別に独自の軍事力を必要としていた。

 その役目を担っているのが冒険者組合であり、ここエ・ランテルの冒険者組合は他の組合と比べても活気がある。

 そんな冒険者組合の長、プルトン・アインザックは組合お抱えの調査チームに命じていた仕事の報告書に目を通し、驚いたように唸り声を上げた。

 

「受けたのか?」

 

 アインザックのかつてのチームメイトであり、現在も組合の長同士として交流を続けている魔術師組合の長、テオ・ラケシルがアインザックに問いかける。

 

「ああ。竜王国の女王陛下と接触をしたと聞いたから、てっきり竜王国専属になったかと思ったが、あっさり受けて竜王国を出たそうだ」

 

「それにしても、ワーカーを冒険者として登録するなど、なかなか思い切った行動に出たな」

 

 感心したように告げるラケシルに、アインザックはニヤリと笑う。

 

「前例がない訳でもない。まだ活動を始めたばかりならば、非合法な手段に手を染めている可能性も低いからな」

 

 通常一度ワーカーに落ちた者が再度冒険者として登録するのは非常に難しく、厳しい審査が必要となるが、彼らは冒険者をドロップアウトしたのではなく、最初からワーカーとして活動している。

 その間も冒険者組合として問題になるような行動を取っていた記録も無い以上、彼らが望めば冒険者として登録することに大きな問題はない。

 

「それに、俺だけではない。よその冒険者組合も動き始めているはずだ」

 

 独自の情報網を持つ各冒険者組合が、たった一チームでビーストマンの軍勢から竜王国を救った英雄である漆黒の実力を把握していないはずもなく、自分の管理する組合に加入させるべく、各々が水面下で行動しているのはアインザックも承知していた。

 

 本来ならば、彼らが現れた竜王国の組合が一番に手を挙げるべきなのだが、今回ばかりはそれができない事情がある。

 それが竜王国唯一のアダマンタイト級冒険者チームだったクリスタル・ティアの存在だ。

 漆黒が活躍した戦場には、クリスタル・ティアも同行していた。いや、そもそもはクリスタルティアが作戦の本命であり、漆黒はサポート役だったそうだ。

 しかし敵の本陣に潜入するはずだったクリスタル・ティアが、ビーストマンに討たれたことで漆黒が後を引き継ぎ、作戦を成功させたらしい。

 竜王国の冒険者の中には、漆黒が自分たちが活躍するために、クリスタル・ティアを罠に嵌めて、わざと敵に気づかせた上、助けにも行かなかったと思っている者がいるのだ。

 一歩間違えば国が消滅しかねない大侵攻をくい止めなくてはならない状況で、そんなことをする理由はないのだが、その気持ちも分からないでもない。

 

 アダマンタイト級冒険者は人類の守護者と呼ばれるほどの存在であり、現代を生きる英雄だ。

 冒険者を志す者の中には、古くから伝わる英雄譚ではなく、彼らに憧れている者も多い。

 いくら冒険者が国属意識が薄い存在といっても、自分たちが所属する冒険者組合のアダマンタイト級冒険者は目標であり尊敬の対象でもある。

 そんな存在が任務に失敗し、日ごろから蔑んでいるワーカーが代わりに活躍して国からも褒め称えられている。

 竜王国の冒険者にとっては面白くないのは間違いない。

 

 只でさえビーストマンの侵攻の際に本拠地(ホーム)を変えた冒険者も多い中で、竜王国の冒険者組合が漆黒を迎え入れでもしたら、残っている他の冒険者も離れていってしまう。

 いくら漆黒が強くても、数がいなくては複数の依頼に対応できず結果的に組合は瓦解する。

 そのため、竜王国の冒険者組合は手を出すことができなくなってしまったのだ。

 

「竜王国の組合には悪いことをしたな」

 

「心にも無いことを。どうせ今まで貸し付けていた借りを返せなどといって脅したのだろう?」

 

 必要であれば腹芸も躊躇なく使用するアインザックの性格を誰よりも理解しているラケシルの皮肉に、アインザックは再度笑みを浮かべた。

 

「バカを言うな。お互いに損のない取引を持ちかけただけだ」

 

 実際にこれは竜王国の冒険者組合にとっても利益がある。

 アインザックは漆黒の実力を知ると、急いで竜王国の組合長にコンタクトを取り、漆黒をエ・ランテルの組合で引き受けさせて欲しいと頼み込んだ。

 アダマンタイト級冒険者レベルの実力が無くては達成できない高難易度の依頼が来ていたが、エ・ランテルの組合は現在、最高位でもミスリル級の冒険者チームしか在籍していないため、是非とも強力な力を持ったチームが必要だ。というのが表向きの理由である。

 竜王国の冒険者組合としては、冒険者として抱えられなくても最低限ワーカーとしてでも良いから、竜王国に残って貰いたかったのは間違いないだろう。

 

 しかし、現実問題として実力のあるワーカーを見返りもなしに、一ヶ所に留めておくことはできない。

 それならば竜王国に最も近いエ・ランテルの組合に在籍してもらい、彼らの力が必要な場合は、こちらから漆黒に竜王国への派遣を打診する。

 そうした契約を竜王国の組合長に持ち掛けた。

 相手もまた完全に縁が切れるよりはマシと考えてそれに乗り、漆黒の詳しい情報や仕事の依頼をさせるために派遣した職員の滞在先の手配や、安全の確保などにも協力してもらった。

 

「しかし、あの薬草を取りに行かせるとは。テストにしては少々キツすぎではないか? 只でさえここ最近、トブの大森林は荒れていると聞くが」

 

「もちろん彼らだけを行かせるつもりはない。少し調べれば、この依頼の難しさに気付くだろう。ワーカーはそうした調査も自前で行うからな。その後こちらから接触する。彼らにはかつてこの依頼を成功させたアダマンタイト級冒険者同様、ミスリル級チーム二つをアシストとして付けるつもりだ」

 

 前回は三十年前ということもあって詳しい情報は残っていないが、強力なモンスターや魔獣、亜人なども生息するトブの大森林の奥地に生えた薬草の採取は、それだけ危険を伴う難しい依頼なのだ。

 加えて、こちらから力を貸すことで借りも作り、その後の冒険者としての勧誘をやりやすくする狙いもあった。

 

「抜け目ない奴め。となると、クラルグラ、天狼、虹から出すのか。この都市最高位の冒険者チームをアシストとは豪華な話だな」

 

 この三組はいずれもミスリル級冒険者チームとしては申し分ない実力を持っており、エ・ランテルの冒険者組合のトップチームだ。

 それをワーカーの手伝いに付けるとなれば反発を招きかねないが、これは漆黒の監視と実力を見極めて貰う意味もある。

 しかし、流石に最高位冒険者チーム全てを長期間エ・ランテルから離しておく訳には行かないので、二組としたのだ。

 

「……率直に聞くが、その中から二組選ぶとしたらどうする?」

 

「協調性が重要な任務だ。答えは決まっているようなものだろうが──そうか。森となれば奴の主戦場か」

 

「そこだ。イグヴァルジは自分たちが手伝いに過ぎないと知れば確実に反発する。仕事の邪魔をするかも知れない。あれはそういう男だ。しかし、深い森の探索となればフォレストストーカーである奴の力は必須になる」

 

 クラルグラのリーダーであるイグヴァルジは実力は確かだが、虚栄心が強く、そのために他者を貶めようとする傾向がある。

 その意味で、協調性や各チームとの連携が重要な任務には向いていないのだが、同時に彼の能力は野外活動に特化しており、森での任務には必ず必要となる。

 だからこそ、アインザックも頭を悩ませているのだが。

 

「まあどちらにしても時間はある。説得方法も含めてゆっくり考えてみるしかないだろう」

 

「そうだな。竜王国からエ・ランテルまではカッツェ平野もある。いくら強力なチームでも時間は掛かるだろうしな。急いで着いたとしても、まさか、いきなりトブの大森林に向かうようなことはせず、先ずはこの都市に拠点を置いて、情報収集を始めるだろう。それまでに──」

 

 そこまで口にした時、部屋の扉がノックされたため、話を一時中断して中に職員を招き入れる。

 

「失礼いたします。組合長、お客様がいらしたのですが……」

 

 歯切れの悪い物言いに、アインザックは眉を顰めた。

 この時間はラケシルとの会談を入れていたため、他の予定はない。

 都市の顔役の一人でもあるアインザックの下には偶にそうした礼儀知らずも訪れるが、大抵は職員が対応し、こちらまで指示を仰ぎに来ることはない。

 今回そうしないと言うことは、貴族や大商人などの立場がある者だろうか。

 

「予定はなかったはずだが、誰だ?」

 

 そんなことを考えながら、問いかけると職員はやや言いづらそうな間を空けてから告げた。

 

「依頼の品を持ってきた、ワーカーの漆黒と言えば分かる。とのことです」

 

 その言葉を聞いて、アインザックとラケシルは思わず顔を見合わせた。




明日からしばらく忙しいので、来週の投稿はできないと思います
ですので次の投稿は二週間後になります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 作戦準備

ツアーとナザリック、それぞれが自分たちの目的のために準備を行う話
今回はまだ準備回なのであまり話は進みません


 頭上から飛来した深紅の鎧を出迎える。

 ツアーが座している玉座とも呼べる巨大な台座の上に直接ではなく、そこに続く階段の手前に着地した男は、いつも通り飄々とした足取りで階段を上り、改めてツアーの正面に立った。

 

「久しぶりだな。ツアー」

 

 ツアーの協力者の一人である王国のアダマンタイト級冒険者チーム、朱の雫のリーダー、アズス・アインドラの言葉にツアーも軽く頷いて応える。

 

「ああ。依頼を受けてくれて、ありがとう」

 

 三メートルはある鎧を着こんだアズスと対面すると、いつも使用している自分の鎧であれば見上げる形になっていたが、本体で対面となれば逆転し、あちらがツアーを見上げる形になった。

 

「たまたま評議国との国境近くで仕事していたからな……しかし、仮にも評議国永久評議員の住処としては少し見窄らしくはないか?」

 

 物珍しげに周囲を眺めていたアズスが、最終的に自分が入ってきた天井に空いた穴を眺めながら言う。

 見窄らしい。とはなかなか辛辣な物言いだが、ツアー自身が外に出なくてはならないとき、いちいち世界移動を使用するのは無駄が多いため、ここから直接外に飛び出せる方が手っ取り早いのだ。

 そうした理由があるのだが、説明をする時間も勿体ない。とツアーは適当な言い訳を口にする。

 

「人間にとってはそうかも知れないけど、ドラゴンである私にとっては、こうした場所の方が落ち着くんだよ」

 

「ふーん。そんなもんかね」

 

 アズス自身そこまで興味があったわけではないらしく、思いの外あっさりと納得を示した。

 と言うよりアズスの思考は初めから別の方向にあったようで、こちらを観察するように無遠慮な視線を向けてきた。

 

「……話は聞いていたが本当にドラゴンなんだな。いつもの鎧はどうしたんだ?」

 

 ギルド武器の置かれたこの場所から軽々に動くことはできず、そもそもギルド武器の存在はあまり多くの人に知られるわけにはいかないこともあって、ツアーが本体で人と会うことは非常に稀だ。

 最初にアズスと会った際も、普段使用している鎧姿で会いに行った。

 一応彼の信用を勝ち取るため自分の素性は正直に伝え、緊急事態に備えてこの場所のことも教えてはいたが、彼の言うように仮にもアーグランド評議国の永久評議員の住居であるこの場所に、いかにアダマンタイト級冒険者と言えど、ツアーの招きなく訪れることなどできるはずもなく、今までは直接会う必要もないと考えていたため、彼がここに来たことは一度もなかったのだ。

 ドラゴン、それも最高位の存在である竜王と直接対面するなど、普通に生きていればまず有り得ない。

 流石の彼でも驚きを隠せないようだが、ツアーにとっては予想していた問いかけでもあった。

 

「あれは別の用件で使っていてね。それに協力者である君には、いずれちゃんと姿を見せておこうと思っていたんだよ」

 

 だからこそ、ツアーは事前に用意していた答えを口にする。

 

「世界最強の竜王にそこまで評価してもらえるとは、光栄だな」

 

 どこか演技めいた口調だが、彼の場合一事が万事こんな様子なので、ツアーの言葉をそのまま鵜呑みにしたのか、それとも問い返しても無駄だと思って、それ以上追求することを止めたのかは判断が付かない。

 ツアーとしてもこれ以上その話を広げたくはない。実際にアズスをこの場所に呼んだのは彼を信用してのことではないからだ。

 理由はいくつかあるが、最大の理由はやはりサトルに怪しまれないようにするためだ。

 

 王都で情報収集をせず、エ・ランテルを目指したサトルに疑念を持ったツアーは、彼に気付かれないように部下に命じて、アズスに調べ物を頼んだ。

 そうして彼に集めてもらった内容は、最悪の場合この世界の命運を左右しかねない重要なものになると理解していたからこそ、人伝ではなくツアーが直接聞くために、サトルがエ・ランテルの検問に向かった間に改めてアズスに使者を送り、この場所に来てもらったのだ。

 別の場所を指定して鎧で会っても良かったのだが、現在ツアーの鎧は無事に検問を突破して、エ・ランテル内部に入ったサトルが借りた宿の一室に置かれている。

 ツアーは複数の鎧を動かすこともできるが、その場合それぞれの鎧の強さが大きく下がる。

 現時点でそれをするのは危険だと判断したからこそ、この場所に来るように連絡したわけだが。

 

(とはいえ、サトルは一人でさっさと出かけてしまったし、こんなことなら世界移動で鎧を移動させれば良かったかな)

 

 サトルには評議国での仕事があるため、しばらく鎧は動かさず、こちらに集中すると言ったのだが、それを聞いたサトルはもう夜だというのに都市見物に出掛けてしまった。

 その時点でこの小細工は意味がなくなったのだが、一度は自分の拠点に呼び出しておいてやっぱりいつも通り鎧で会おうと言えば、それこそアズスの信用を失いかねない。

 

「それでアズス。早速で悪いんだけど、本題に入っていいかな?」

 

 人間同士、特に上流階級の者たちならばもっと決まった挨拶などがあるのかも知れないが、アズスは貴族を出奔した立場であり、そうした貴族的な儀礼を嫌っていると知っているからこそ単刀直入に話をする。

 その気遣いがアズスに伝わったかはともかく、彼も特に気にした様子もなく、立ったまま一つ頷いた。

 

「ああ。調べるのに苦労した。時間もない上に、あんな抽象的な情報だけだからな。随分金も使っちまった。そっちは別料金でいただくぜ」

 

「勿論だよ。重ね重ね済まないね。ただ、これはもしもの場合は早めに準備をしなくては王国にとっても大事になりかねない問題だ」 

 

「……王国生まれではあっても、俺は冒険者だ。国の行く末なんてどうでも良い」

 

 口ではそう言う彼が、王国貴族の身分を嫌っているのは確かだが、国そのものにはキチンと愛着を持っているのは見ればわかる。

 いざ国の危機となればこちらから頼まなくても、自発的に行動するだろう。

 しかし、それを指摘して不機嫌になられても困るので黙っていると、アズスは続けた。

 

「だが、俺の姪っ子はそうじゃないらしい。さっきも言ったが俺は今評議国の国境近くで仕事をしていて、王国には長らく帰っていない。だから勝手で悪いがラキュー、いや蒼の薔薇の手を借りた……問題有ったか?」

 

「……私のことも話したのかい?」

 

 アズスと蒼の薔薇のリーダーは叔父と姪という関係であり、仲も良好だと聞いていたため、この繋がりは予想できる話では有ったが、蒼の薔薇、正確にはその一人、現在はイビルアイと名乗っている彼女にツアーの行動が知られるのは少し不味い。

 そうした意図を持っての問いかけに、アズスは即座首を横に振った。

 

「それは当然言っていない。評議国でそんな噂を聞いたとだけ言ったら勝手に動いてくれたよ。あいつは王国のお姫様とも仲が良いからな、国の危機に繋がると聞いたら黙っておけなかったんだろうさ」

 

「それなら問題ないよ。私も確信を持ってのことではないから、迂闊なことを言ったと思われると問題になりかねないからね。でもその言い方だとやはり何か有ったのかい?」

 

「ああ。近々エ・ランテルで何か起こる可能性はないか。なんて情報だけでどこまで探れるかと思ったが、意外なところで意外な連中と繋がった」

 

「意外な連中?」

 

「王国の裏社会に、八本指って組織があるのは知っているか?」

 

「聞いたことはあるね」

 

 どんな国であれ清廉潔白ということはないが、王国の場合はそれが一つに纏まり、なおかつ王国の表側の権力にすら影響を与えるほど根深く巣くっていると聞いた覚えがあった。

 王国腐敗の原因の一つだ。

 

「蒼の薔薇は今、その八本指の動向を調査しているらしいんだが、その課程で掴んだ情報によると、八本指の警備部門に六腕とか言う、一人一人がアダマンタイト級冒険者にも匹敵するやばい幹部連中がいるそうだ」

 

「アダマンタイト級か」

 

 人類の守護者と呼ばれるアダマンタイト級冒険者も、ツアーと比べれば大した強さではないが、それこそインベルンのように正体を隠している強者や、アズスのように強力なアイテムを持っている者も居るかもしれない。

 王国にそれほどの逸材が複数いたとは知らなかったが、そもそも王国は二百年程前に、安全で肥沃な大地に作られた国だ。

 元から強者が育ちやすい環境ではあるのだろう。

 それが分かっていたからこそ、法国も何かと王国を気に掛けていたのも事実。

 もっとも、結果として安全すぎたために内部の腐敗が進行したことだけは法国にも計算外だったのだろうが。

 

「問題はそいつ等の今の仕事だ。その六人が纏めて、別の組織の護衛として派遣されているらしい。おかげで蒼の薔薇の仕事はやりやすくなって助かってるようだが、その派遣先ってのが──」

 

 言葉を切り、こちらを伺うように見るアズスの言葉を引き継ぐ。

 

「エ・ランテルだと?」

 

「そうだ。八本指を雇うくらいだ。相手も後ろ暗い連中なんだろうが、だからこそ、何のためにそれだけの連中を雇ったのかがわからない。エ・ランテルはデカい都市で軍事力も相当なもんだが、個としての力を持つ奴は殆どいない。あそこの冒険者は最高位でもミスリルだからな」

 

(それだけの力を必要とするほどの何かが今、エ・ランテルにあると言うことか。私たちが都市に入ったことが知られた? いや、それにしては動きが早すぎる)

 

 自分たちがエ・ランテルに着いたのは今日のこと。

 その前に護衛を頼んでいたのだから、時期が合わない。

 むしろ逆の可能性の方が高い。

 目的地をエ・ランテルに決めたのはサトルである。

 つまりサトルは、エ・ランテルで何かが起こることを事前に察知していたのではないだろうか。

 

(サトル。やはり君は──)

 

「それでツアー。これはいったいどういうことなんだ? いつだったか、俺に話してくれた世界を汚す力、だったか。それと何か関係があるのか?」

 

 ぷれいやーなどの直接的な単語は使っていないが、アズスには二百年前の魔神のように強大な力を持った存在が実在し、それらは今でも世界に現れることがあるとだけ話してある。

 ツアーはそのために行動しており、場合によってはアズスの持つ鎧の力が必要だ、とも。

 

「正直、まだ分からない」

 

 サトルがツアーに何かを隠しているのは間違いない。

 そもそも、この場所で再会した際、サトルは今回の揺り返しに付いて気になることがあると言っていた。

 その内容については未だ話してくれないが、何かしら情報を持っているのは確かであり、今回の件もその一つだと考えられる。

 どちらにしても、その話をアズスにして万が一にもインベルンに話がいっては困る。

 

「とにかく私はその情報を元にエ・ランテルを探ってみる。何か企みがあれば止められないか動いてみよう」

 

「……俺に何か手伝えることはあるか?」

 

 アズスに頼んだのはあくまで情報収集まで。つまりこの先はアズスの意志ということになる。

 やはり王国の危機は気になるらしい。

 アズスの鎧はぷれいやーとの戦いに於いても大きな戦力となるのは間違いないが、しかし、それもまた問題がある。

 ツアーの目的はあくまで世界の守護で在り、一都市であるエ・ランテルにはさほど思い入れはない。

 こちらで探るとは言ったが、相手の強さや戦力も分からないうちに派手に動くつもりはないのだ。

 むしろ、先ずは相手方の出方を見ることで、サトルの狙いも見極められるかもしれない、とすら考えていた。

 しかし、王国のために動こうとしているアズスはそれを許さず、場合によっては勝手に飛び出していきかねない。

 

「いや、アズスにはその後のことを頼みたい。もし止められなかった場合、その余波は王国どころか帝国や法国にも及びかねないからね」

 

「それほどか。いや、魔神級の実力を持つ相手ならそれも当然か。あのときも世界規模での戦いだったんだろう?」

 

「そうだよ。だからこそ、最悪の事態を想定して、慎重に行動しなくてはならない」

 

 アズスを説得するために告げた、その言葉はツアーにとって、まるで別の意味を持って聞こえた。

 そう。

 かつての仲間を疑い、監視しようとしている自らの行いを正当化するために、自分に言い聞かせているように聞こえて仕方なかったのだ。

 

 

 ・

 

 

 主が玉座の間から自室に戻ったとの報告を聞いたシャルティアは、すぐさま自室を飛び出した。

 もうあまり時間は残っていないため、愛しい主に出立の挨拶も出来ないことに気落ちしていたが、ギリギリとはいえ間に合ったのは実に運が良い。

 いざというときのために、服装だけは完璧に整えていた甲斐があるというものだ。

 本来ならば転移門(ゲート)で、一気に第九階層、いや主の部屋の中に飛び込みたいところだが、ナザリック内は基本的に転移が制限されており、特に別の階層に行くには各所に設置された転移門を正規のルート通り順番に使って移動するしかない。

 そのことに少々ヤキモキしながらも、出来る限り急いで移動する。

 

 第四、第五、第六階層と進んで、目的地の一つ手前である第七階層──第八階層は現在封鎖されており、切り離して第七階層から第九階層に続く道が作り出されている──に到着して、そのまま通り抜けようと次の階層へ繋がる転移門が置かれた、デミウルゴスの居城でもある赤熱神殿に到着したシャルティアの行く手を遮る者が現れた。

 

「お待ち下さい。シャルティア様」

 

 野太い声とシャルティアより遙かに高く大きな体躯。

 空気そのものが赤い光を持ったかの様なこの第七階層に相応しい、身体に炎を纏った姿。

 憤怒の魔将(イビルロード・ラース)と呼ばれる八十レベル代の悪魔だ。

 

「あ?」

 

 愛しい主への謁見を邪魔されたと言う思いがシャルティアに不快感を抱かせ、その殺意が目の前の悪魔に向けられる。

 

「も、申し訳ございません。ですが、デミウルゴス様より、シャルティア様をお連れするように仰せつかっておりまして……」

 

「デミウルゴスが?」

 

 恐らく第七階層に移動した時点で、シャルティアの存在に気づき、赤熱神殿の周辺警護を担当していたこの魔将に命じたのだろう。

 しかし、理由がわからない。

 ぱっと思いつくのは、無断で自分の守護階層に入ったことに対する抗議だが、現在ナザリックのシモベたちは主の命により、様々な実験や検証を行っているため、階層を跨いで移動することも多く、守護者も忙しい者ばかりであるため、階層間の移動には特に許可など取らずとも問題はないはずだ。

 

 そのことを重々承知しているはずのデミウルゴスが呼び止めると言うことは他に何か用があるのかも知れない。

 今回の作戦を練ったのはデミウルゴスである以上、無視するわけにも行かない。

 

「チッ。わたしは急いでいんす。さっさと案内しなんし」

 

 とはいえ、折角の挨拶を邪魔されるのは気分が良くない。

 そのことを隠しもせず、シャルティアは吐き捨てる。

 

「は、はっ! こちらです!」

 

 声を震わせながら、案内を開始するデミウルゴスの部下の後を歩きながら、さて邪魔立てしたデミウルゴスにはどんな態度で接してやろうかと、シャルティアは思案を始めた。

 

 

 ・

 

 

 自分の守護階層である第七階層に、シャルティアがやって来たと聞いて、デミウルゴスは思わず感心した。

 

「私の方から出向くつもりでしたが、まさか彼女の方から動くとは──」

 

 主が玉座の間を出てから初めてとなるこの大規模な作戦の詳細は、デミウルゴスが考えたものだが、現場での総責任者はデミウルゴスではなく、シャルティアに一任されている。

 計画から遂行まですべてをデミウルゴスが行っては、本来の発案者であるシャルティアの立場が無くなると考えた、主の慈悲によるものだ。

 主の命令に異を唱えるつもりなど毛頭ないが、現場の総指揮という臨機応変な対応が求められる役割を、あの直情的なシャルティアに任せて大丈夫なのかという不安はある。

 新たに判明した情報もあったため、それも含めてデミウルゴスはこの後、シャルティアの下に出向き、より詳細な打ち合わせを行うつもりだった。

 その情報はシャルティアの眷族である、法国の最高執行機関からもたらされたものであるため、当然シャルティアも知っているはずだ。

 シャルティアの方から動いたのは、その情報によって作戦内容が変わる可能性を理解したと考えれば、説明も付く。

 

(どちらにせよ、シャルティアは現在の状況に呑まれてはいなかったようですね)

 

 そう。現在ナザリックのシモベたちの多くは主が戻ってきたことにより、心のゆとりが生まれていた。

 玉座の間を出た主が、これまでの沈黙がなんだったのか。と思うほど精力的に動き始めたことに関係しているのだろう。

 シモベたちに新たな装備を配ったことを皮切りに、ナザリック地下大墳墓の隠蔽や防衛力、戦力の増強。

 そうした主の行動を目の当たりにしたことで、これまで主が自分たちを置いて他の至高の御方々と同じ場所に行きかねない、と怯えながら行動していたシモベたちも、今では主のために働けることに心の底から感謝しながら、己の職務を全うしている。

 

 それ自体は素晴らしいことであるが、それは同時にシモベたちから緊張感を薄れさせた。

 もちろん、手を抜いているということではない。そのため注意もできないが、これがいつか致命的な失敗を招くのではないかと心配になる。

 デミウルゴスが気になるのは、そうした改革案が全て主のためではなく、自分たちシモベのために行われていることだ。

 主のためにこそ存在するはずの自分たちを、そこまで大切に考えてくれているというのは、実に名誉でありがたいことなのは理解しており、アウラ、マーレなど精神的に幼い者たちは──シャルティアもその中に入っているかと思っていたが、そうではなかったようだ──素直にそれを喜んでいるが、デミウルゴスは手放しでは喜べない。

 

 そもそも自分たちが世界征服に乗り出したのは、世界を主に献上することで、自分たちの有用性と力を示すためだったはずだ。

 しかし実際は一国も支配できないうちに主が戻り、指揮を執り始めた。

 主が玉座の間にいる間も自分たちの働きを確認していたのならば、主はその様子を見て自分たちでは力不足だと考えたからこそ、玉座の間を出たとは考えられないか。

 

 シモベたちの装備の変更や、ナザリックの強化も、自分たちに足りない部分を補わせる目的だったとしたら。

 ナザリックに敵を招いても問題ないと言ったのも、また同じ。

 ナザリックに敵が攻め込んで来ないように気を使い慎重に行動していては、世界征服までに時間が掛かりすぎると思ったのではないか。

 つまり主が玉座の間から出たのは自分たちの力を認めてくれたからではなく、その逆。

 主が庇護しなければ危険だと、理解したためと考えると納得がいく。

 

(もし本当に、アインズ様が我々の力を認めていないのであれば、世界征服が成った後も私たちの上に君臨し続けてくれるかは分からない……だからこそ、失態は許されない)

 

 これこそがデミウルゴスの抱いている懸念の根幹にあるものだが、流石にこれは口には出せない。

 シャルティアがそのことを全て気づいているとは思えないが、少なくとも作戦を成功に導くために努力しようとしているのは好感が持てる。

 

「まあ、事前に連絡をいただければ、なお良かったのですが、良しとしましょう」

 

 シャルティアは元から行動力だけはある。

 例の暴走の際はそれが悪い意味で作用したわけだが、今回は良い方向に向かってくれればいい。

 いや、そうするのが計画を練った自分の仕事だ。

 

「そろそろですかね。シャルティアの出迎えを」

 

 赤熱神殿の周辺警護を担当している魔将の一人に声を掛ける。

 

「はっ! 直ちに」

 

 

 

 魔将を送り出してしばらく経ち、デミウルゴスの前にシャルティアが現れた。

 しかし、どうにも様子がおかしい。

 シャルティアは不満げな態度を隠そうともせず、赤熱神殿の中央に位置するデミウルゴスに用意された白い玉座の前まで近付いてくると、こちらが何か言う前に、吐き捨てるかの如く口を開いた。

 

「デミウルゴス。わらわになにか用でありんすかぇ?」

 

 声にも不機嫌さがにじみ出たその言葉を聞いた瞬間、理解する。

 シャルティアが第七階層に来たのは作戦内容の確認などではないということを。

 

(少しでも、彼女に期待した私が間違っていた)

「……シャルティア。君は今からどこに行くんだい?」

 

 何とか怒りを押さえ込みながら問うと、シャルティアは小さく首を傾げた後、ああ。と言うように頷いた。

 

「もちろんアインズ様に出立のご挨拶でありんすぇ。作戦が終わるまで少ぅしばかりナザリックに帰還し難くなりんすから。アインズ様もなかなか玉座の間からお戻りになりんせんし、色々と悩んで決めたこの服のお披露目もできないかと思いんしたが、間に合って良かったでありんす」

 

 確かにシャルティアの格好はいつもの漆黒を基調としたものではなく、純白に金の刺繍が施されたドレスに変わっている。

 万が一を考え、現場指揮を執るシャルティアにいつもの格好ではなく、変装をするように言ったのは自分だ。

 だからそれは問題ではない。

 問題は今シャルティアが口にした言葉の中にあった、色々と悩んで決めた。この部分だ。

 

「……シャルティア。君は作戦の準備をしていたと聞いていたが、そちらは済んでいるのかい?」

 

「もちろんでありんす。デミウルゴスから聞いた計画はちゃーんとこのメモ帳に書き移していんす。なにかあってもこれでバッチリでありんすぇ!」 

 

 中身を見せびらかすように差し出されたメモ帳には、びっしりと細かな字でデミウルゴスが口にした内容が書き込まれている。

 ここまで詳細に記憶していること自体は──シャルティアにしては──大したものだが、それはあくまでデミウルゴスの計画をそのまま文章に起こしたものに過ぎず、本来あるべき予想される不測の事態や、それに対する対応などは一切書かれていない。

 そもそも何故口頭で説明したのかすら、シャルティアは理解していなかったようだ。

 

「これだけ予習していんすから、作戦成功は間違いなしでありんす」

 

 自信満々に言い切るシャルティアに、デミウルゴスは頭の痛みと沸き上がる怒りを抑え込みながら、なるべく優しく語りかける。

 怒りに任せて文句を言うのは簡単だが、シャルティアの性格上、そんなことをすれば余計に反発するだけだと理解していたからだ。

 

「シャルティア。計画を完璧に把握しているのは素晴らしいが、万が一そのメモ帳が何者かに奪われた場合はどうするつもりだい?」

 

 法国から得た情報によると、この世界には警戒に値する強者も少なからず存在する。

 そうでなくても盗賊の特殊技術(スキル)を持つ者や一部のモンスターには、相手の装備品を奪う能力を持ったものもいる。

 この世界には異なる言語を解読する魔法も存在している以上、そうした者たちが戦いではなく、情報収集を第一にした場合、そのメモ帳は値千金の情報源となってしまうのだ。

 

「……あ」

 

 今更気づいたと言うように間の抜けた声を出すシャルティアにデミウルゴスは更に続けた。

 

「それに。メモに書いてあることだけを暗記しても、不測の事態が起こった場合のことを考えていなければ、なんの意味もない。済まないがシャルティア。アインズ様へのご挨拶は取りやめて貰わなければならないようだ」

 

「そんな! アルベドが大人しい今がアインズ様との距離を詰める絶好の機会なのに!」

 

 創造主からそうあれ、と定められた言葉遣いも忘れてシャルティアが喚く。

 いっそ病的と言ってもおかしくないほど、主の寵愛を欲していたアルベドが、主が戻ってから妙に大人しく、むしろ今まで以上に仕事に打ち込んでいるのは聞いている。

 他の守護者たちや主すらも不思議に思っているようだが、デミウルゴスにはなんとなく想像がついていた。

 恐らくアルベドが動いていないのは、彼女もデミウルゴスと同じ懸念を抱いているためだ。デミウルゴスとは異なる形で、改めて主に自分たちの有用性を示そうとしているのだろう。

 シャルティアはその隙を突く形になっているわけだが、それは別に問題はない。

 彼女たちが主の寵愛を欲しているのは知っているし、それが何れ主のお世継ぎ誕生に結びつくのであれば、デミウルゴスとしても協力するのはやぶさかではない。ただ今はもっと優先すべきことがある。

 

「それは、この計画を完璧に遂行し、戦勝報告の際に存分にしたらどうだい?」

 

 再度彼女が気に入りそうな言葉を口にすると、シャルティアはあっさりと表情を変えた。

 

「なるほど! それは良き考え。作戦を見事果たしんして、このペロロンチーノ様より与えられたドレス姿をお見せしんすぇ。そもすれば、アインズ様も『完璧な仕事ぶりに加え、その美しさ。お前こそ私の横に立つに相応しい』と仰るに違いありんせん」

 

「……そうですね」

 

 言いたいことはいくつかあるが、今は時間がない。

 やる気になってくれるのであればそれに越したことはないのも事実。

 

「では改めて作戦会議といこうか。ああ、その前に。法国の最高執行機関から、今回の計画の目的地であるエ・ランテルで使用する拠点に相応しい場所と、スケープゴートになりうる組織の存在が見つかったと報告があったが、それは当然聞いているんだろうね?」

 

 先ほどの反応からして、答えを半ば予想しつつした質問に、シャルティアは案の定予想通りの反応を示した。

 

「なんの話でありんすぇ?」

 

 玉座に体を預けながら、デミウルゴスはシャルティアには気づかれないようにそっとため息を吐いた。




ちなみにこの話では、シャルティアの洗脳も起こっておらず、法国もあっさり掌握されていることもあって、アインズ様も含めたナザリック全体が慎重に行動しているつもりでも、内心では未だに現地世界の勢力を舐めています
アインス様が深く考えずシャルティアに作戦の総指揮を任せたのは、それが理由です

次から話が進みます


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 作戦当夜

様々な思惑がエ・ランテルに集まりつつある話


 エ・ランテルにある安くも高くもない中堅宿屋の一室に、十数名の男たちが集まっていた。

 全員が魔化の施された同じ衣服鎧を身につけ、他の装備やアイテムもほぼ全てから魔法のオーラが漂っている。

 中堅宿の一室には不釣り合いな姿だが、彼らは初めからこの格好だったわけではない。

 

 この数日間、それぞれ別々の職業に扮して宿を取り、先ほどようやく全員が集まったため準備を整え、こうして一番広い部屋に集まっているのだ。

 とはいえ、元は三人用の部屋であるため、この人数が集まるとかなり手狭だ。

 やがて、全員の準備が整った頃合いを見計らい、その内の一人がマジックアイテムを使用して周囲の音を遮断する。

 これで会話をしても隣や上下の部屋には音が漏れることはない。

 それを合図に一人の男、スレイン法国特殊部隊、陽光聖典の新隊長であるイアンが全員に聞こえるように声を張り上げた。

 

「各員傾聴」

 

 かつての上司が任務を開始する前にしていたやり方を真似てみたのだが、どうもしっくりこない。

 そもそも自分はまだこの状況を飲み込み切れていないのだ。

 陽光聖典隊長就任もそうだが、慣れない都市内部への潜入任務。

 なにより、これから彼らが始める任務の内容だ。

 

「我らはこれより日が沈むのを待ち、エ・ランテルを制圧する」

 

 そうした迷いを振り切るように、イアンは自分たちの任務を改めて口にする。

 他の隊員たちもすでに話は聞いていたはずだが、改めて聞いた任務の内容に、戸惑いを感じているのが手に取るようにわかった。

 そう。自分たちの任務は、秘密裏にエ・ランテルに潜入して合図を待ち、三重に築かれた防壁最内周部にある行政区を制圧することだ。

 法国が王国と戦争すること自体は聞いていた。その際に、自分たち陽光聖典が出陣することも。

 しかし、このようなやり方をするのは想定外だった。

 国と国との戦争──特に人間国家同士では──に於いて、宣戦布告もせずにこのような内部工作に走れば、それだけで周辺諸国から野蛮な国として非難を受け、その後の外交面で大きなマイナスとなる。

 そのことがわかっていないはずもないだろうに、最高執行機関は何故こんな方法を選択したのか。

 

(そもそも、戦争の目的はガゼフ・ストロノーフ抹殺ではなかったのか? エ・ランテルの奪還は二の次と言っていたはず)

 

 六色聖典直属の上司である、土の神官長レイモンからはそう聞いていた。

 戦争中にガゼフを抹殺した上で、帝国に力を貸して王国を併呑させることこそが、この戦争の最終的な目標だったはずだ。

 

(それともエ・ランテルそのものを帝国と同盟を結ぶための手土産にでもするつもりなのか?)

 

 王国併呑までの時間をさらに短縮するために、先に法国がエ・ランテルを奪っておき、無条件で帝国に明け渡すことで同盟を結ぶ。

 しかしそんなことをしては、法国だけではなく帝国も周辺諸国から責められることになる。

 強引なやり方はともかく、国家運営の手腕は歴代皇帝の中でも最高の人物だと聞いている皇帝ジルクニフが、そのことを理解せずこちらの思惑に乗るとは思えない。

 

「隊長、よろしいでしょうか?」

 

「ん? ああ、なんだ?」

 

 未だ隊長と呼ばれることには慣れないな、と心の中で苦笑しながら続きを促す。

 

「今回の任務。我々だけでなく増援も来ると仰っていましたが、それはいったいどの部隊なのでしょう? もしや彼らですか?」

 

 隊員が言おうとしているのは、陽光聖典がこの都市へ潜入するためにそれぞれのアンダーカバーや、魔術的なものを含めた偽装用のアイテムなどを用意した、六色聖典の中でも潜入任務に特化した部隊である風花聖典のことだろう。

 彼らは元から別の任務でエ・ランテルに潜入していたため、広大なエ・ランテル内の地理にも明るい。このまま手を貸してくれれば、作戦成功の確率は高まる。

 そう言いたいのは良く分かったが、イアンは無言で首を横に振った。

 

「風花聖典は別の任務があるため、既にこの都市を出た。増援に関しては、私も詳細は知らされていないが、法国内ではなく外部の者だと聞いている。その者が何らかの方法で最深部までの壁を無効化するそうだ」

 

 陽光聖典は隠密行動には適さないことや、未だ戦力も半壊していることも併せて、今のままでは任務達成が困難であると考えたイアンが、自分たちの実力の無さを認めるという恥を忍んで、六色聖典のまとめ役である土の神官長レイモンに直談判したのだ。

 結果レイモンは増援を約束してくれたが、それが六色聖典どころか、スレイン法国の者ですらない外部の者だと聞いて面喰らったものだが、それは隊員たちも同じようだ。

 

「外部、ですか?」

 

 隊員たちの騒めきが強くなる。

 陽光聖典は最低でも第三位階の魔法が使える者しか就けない部隊であり、隊員たちは己を神に選ばれたエリートと考える者が多い。

 そんな彼らにとって他国の者は、同じ人間であっても本当の神の存在を認めず、異なる神を信仰している異教徒でしかない。

 そうした者たちの力を借りなくてはならないことに、彼らも憤りを感じているのだ。

 

(せめて部隊の戦力が減っていなければ……いや、何を考えているんだ私は)

 

 前隊長であるニグンに責任を押しつけそうになっている自分に気づき、イアンは無言のまま頭を振る。

 ニグンは誰より信仰心が強く、いかなる任務であって私情を挟まず確実にこなしていた男であり、イアンにとって未だ尊敬する人物だ。

 最後の時もおそらくは、漆黒聖典ですらほぼ壊滅状態まで追い込んだ破滅の竜王を相手に、最後まで戦い抜いたのだろう。

 そんな人物に責任を押しつけるなど。

 やはり自分はまだまだ隊長の器ではない。しかし、今はそんな泣き言を言っている余裕はない。

 最高執行機関がどのような意図でこの作戦の決行を決めたのかはイアンには理解できないが、漆黒聖典すらほぼ壊滅した法国にとって最悪な現在の状況を改善すべく、考え抜いた上での策に違いない。

 

(そのはずだ)

 

 迷いを振り切るかの如く、イアンは一度気持ちを落ち着けてから、改めて全員に向かって声を掛けた。

 

「そうだ。だからこそ、覚悟を決めておけ。これも我らの信仰心を試す神の試練だと考えよ。たとえいかなる者が来ても、作戦の成功を第一に考えるのだ。そう、異教徒であっても。いや、異種族であってもな」

 

 固くなった場の空気を和ませようと、つまらない冗談を口にする。

 しかし、この冗談も絶対にないとは言いきれない。

 今では考えられないことだが、かつて法国はエルフの国と同盟を結んでいたことがある。

 これほど長い間戦争を続け、互いに恨みも憎しみも積もり積もった状況で今更、手を結ぶとは考えづらいが、ドワーフなどの他の人間種ならば可能性はあるかも知れない。

 そうした意図を持って告げた言葉に、隊員たちもまた応えてくれた。

 

「では、異教徒や異種族であっても、我らの神の偉大さを教え込む準備をしておく必要がありますな」

 

「違いない。異種族でも分かるように文字ではなく、絵本の教典でも用意しておきますか」

 

 誰かの冗談に、ぎこちない笑いが起こる。

 それは新米の頼りない隊長を気遣ってのことなのだろう。

 今はその気遣いがありがたい。

 

「ガハハッ! それは良い。子供でも分かるものを用意しておくとしよう」

 

 皆に合わせるように笑い声をあげるが、力を入れ過ぎたせいか声が大きくなり過ぎた。

 しかしここでも隊員たちは未熟な隊長に合わせるかの如く、大きな声で笑う。

 そんな隊員たちに心の中で感謝しながら、イアンは考えを巡らせた。

 

(しかし、増援とはいったい。そもそも城塞都市と呼ばれるエ・ランテルの城壁を無効化するとは、どのような方法を取るつもりなのか)

 

 最高執行機関の考えが読めないことも含め、言いようのない不安がイアンの胸中に湧き上がった。

 

 

 ・

 

 

 エ・ランテルの外周部の四分の一を占める墓地の一角、霊廟に偽装された地下に続く入り口を降りた先にある広い空間。

 そこに繋がる扉の前に、六人の一団が集結していた。

 その内の一人、扉に背を預けるように立っていた筋骨たくましい男が動く。

 巌が如き様相の男の名はゼロ。

 王国全土に網を張る巨大犯罪組織、八本指の警備部門が長にして、闘鬼のゼロと呼ばれる八本指全構成員の中で最強と唄われる男だ。

 全員が集まったことを確認して、ゼロが口を開く。

 

「地形は全て確認したな?」

 

「もちろんだよボス。しかし、こんなところに地下神殿を造るなんて、連中何者なのかね?」

 

 きらびやかな格好をした優男、マルムヴィストがちらりと扉の奥に目を向ける。

 

「ほんと。私たち全員を雇う資金力もそうだけれど、あれだけの数の動死体(ゾンビ)を作り出すなんて、あの男魔法詠唱者(マジック・キャスター)としてもかなりの実力よね。ねぇ、デイバーノック。あの男に魔法を教わったらいいんじゃない?」

 

 薄絹を纏った女、エドストレームの問いかけに、ゼロは小さく眉を顰める。

 余計なことを。と視線でエドストレームを咎めようとするが、その前にデイバーノックが動いた。

 

「奴の力はあのマジックアイテムに由来する部分が大きいようだが──それも悪くない」

 

 デイバーノックが言っているマジックアイテムは、今回の依頼人にして警護対象である男が手にしていたイビツな形の水晶のような物のことだろう。モンクであるゼロは魔法のことはさほど詳しくないが、確かにあのアイテムからは禍々しい気配を感じた。

 

「あの男は最優先警護対象だ。余計なことはするなよ。これほどの力を持った組織、他の部門には知られることなく、我々のみ親交を深めておきたい」

 

 部下からカジットと呼ばれていたこの組織のリーダーらしき男もデイバーノックに興味を示し、ゼロにあれこれ聞いてきたがデイバーノックが自然発生したアンデッドだという話をすると、露骨に興味を失っていた。

 そうした分かりやすさも含め、あの手のタイプは懇意にしておけば何かと役に立つ。

 

「一見さん相手に、六腕全員を派遣するなんて無理を聞いたのもそれが理由かい?」

 

 マルムヴィストの言葉にゼロはニヤリと笑う。

 

「そういうことだ。あっさりとこちらに名を知られる迂闊さ、人間の死体の調達の仕方や相場も知らず、こちらの言い値で買おうとするところも含め、奴ら秘密結社を気取ってはいるが、犯罪組織としてはずぶの素人も良いところだ」

 

 今回の依頼は警護任務だが、同時にカジットたちは魔法儀式の為に大量の人間の死体を欲しているらしく、その調達も自分たちに依頼してきた。

 それは奴隷売買部門が最も得意とする仕事だが、八本指はそれぞれの部門ごとに仲が良いわけではない。

 むしろ表だって敵対することがないだけで、裏での足の引っ張り合いは日常茶飯時。

 これは多少裏社会に詳しいものなら誰でも知っている。つまり、その程度のことも知らないカジットたちは──

 

「いろんな意味で、良いお客様ってことね」

 

 ゼロが考えていたことを引き継ぐように告げるエドストレームに頷きを返し、ゼロは改めてデイバーノックに目を向けた。

 

「デイバーノック、もう一度言うが余計なことはするなよ。迂闊な奴らが相手ならば、あのマジックアイテムの出所も少しつつけば簡単に調べがつく」

 

 デイバーノックの目的は金銭などではなく、自分により高度な魔法技術を教授する人物を捜すことだ。

 その意味で言うとあのカジットなる男は、アンデッドを操るという死霊系魔法を使う魔法詠唱者(マジック・キャスター)ということもあって、条件に合致する。

 肝心のカジット本人がデイバーノックに興味を無くしたようなので、師事するのは難しいだろうが、だからこそ逆にデイバーノックの方からカジットに取り入ろうとする可能性はあるため、釘を刺しておく必要があった。

 

「……分かっている」

 

 恐らくデイバーノックも同じことを考えたのだろう。やや間を空けてから明らかに納得のいっていない返事をする。

 

(デイバーノックにはまだまだ力を振るって貰わねばならん。勝手な行動を取らぬよう、誰か見張りをつけるか)

 

 デイバーノックを六腕に誘う際、奴に渡したマジックアイテムの入手には、それなりに手間と金が掛かっている。

 その支出分を回収する前に、組織を抜けるようなことは許さない。

 そちらに関しては、今後何らかの手を考えなくてはならないが、それより先ずはこの仕事を成功させ、カジットの信頼を得ることが第一だ。

 

「それと。今回の相手について話しておく」

 

「俺たち六人を同時に雇うくらいだ。さぞかし手強い相手なのだろうな」

 

 これまで無言を貫いていた全身鎧の男、ペシュリアンが言う。

 

「……まあな」

 

 思わず口調が苦々しくなる。

 己こそ最強と信じて疑わないゼロからすると、他者を強敵と認めるのはあまりいい気分はしない。

 五人ともそのことをよく知っている。

 それでもなお、ゼロが相手を強者と認めた台詞を吐いたことで場に緊迫感が満ちた。

 

「相手はスレイン法国の特殊部隊だ」

 

「ボ、ボス。それって、六色聖典のことか?」

 

 真っ先に声を上げたのは六腕の仲で最も格下のサキュロント。

 それなりに役に立つ男ではあるが、魔法系と戦士系、両方を並列して修めようとしたせいで、戦いとなれば同格どころか、自分より弱い相手にも負けかねない小物だ。

 周辺国家最強の武力を持つ法国。

 それも表に出ないまま、様々な逸話だけを残している特殊部隊六色聖典が相手と聞いて怖じ気付いたというところか。

 そんな反応を示すと分かっていたからこそ、ゼロも今までこのことを口にしなかったのだが。

 

「そうだ。奴らの仲間の中にかつて六色聖典の一人だったものがいるらしく、そいつは既にこの都市から逃げ出したが、そのことを知らない法国の人間が未だこの都市をかぎ回っているそうだ」

 

「まさか法国の連中に、目標は逃げましたよーって伝えるわけにもいかないものねぇ」

 

「ああ。そのせいで儀式に必要な人間の死体を確保することも難しくなったようでな。護衛と死体の確保。両方を解決するため、我々にコンタクトを取ってきたということだ」

 

「ってことは、俺たちは儀式終了までずっと護衛してないといけないのかい?」

 

 マルムヴィストの口調には不満の色が浮かんでいる。如何に上客とはいえ、六腕全員が長期間護衛をしていては、他の仕事に差し障りがあると言いたいようだ。

 

「いや、一時的であれ、六色聖典さえ排除できれば我々全員が残る必要はない。そのためにも先ずは──」

 

 話を続けようとしたゼロの耳に、突如として足音が届いた。

 それ自体はおかしなことではない。

 ここにいるのは自分たちだけではなく、入り口の警備として他の部下たちも連れてきているからだ。

 だがその足音は余りにも異様だった。

 一歩一歩、自分の存在を知らしめるかのように、わざとらしく音を鳴らしている。

 地下神殿であることもあって、その音は大きく響いた。

 自分の部下にこんなふざけた真似をするものは居ない。

 カジットやその弟子も今は儀式とやらの準備で奥に籠もっている。

 つまり近づいてきているのは全く別の第三者。

 

「早速来たか」

 

 部下たちの監視をくぐり抜け、あるいは音もなく打ち倒してここまで迫る実力者となれば、相手は限られている。

 最も可能性が高いのは、やはり六色聖典だろう。

 噂によると六色聖典の中には、一人一人が英雄級の実力を持った部隊も存在していると聞くが、噂には尾ひれが付くもの。

 何より自分ほどではないにしろ、ここにいる者たちも人類の守護者と唄われるアダマンタイト級冒険者と同等の実力を持つ者ばかり。負けることなどあり得ない。

 そう、思っていた。

 

「ここが、終着地点でありんすかぇ?」

 

 彫像品の様に整った顔に、不釣り合いな凄惨な笑みを浮かべた小娘が一人姿を表した。

 たかが小娘と侮ることはできない。

 エドストレームのように、女であろうと強者は存在する。 

 なにより、戦士として相手の強さを見抜く己の知覚能力が、全力で目の前の存在に対して危険信号を発していた。

 出し惜しみはせず、ゼロが瞬時に自分の持つ全ての特殊技術を発動させようとした瞬間。

 

「蹂躙を開始しんす」

 

 口元を裂いたような凄惨な笑みを浮かべ、その女──否、化け物が動いた。

 

 

 ・

 

 

 城塞都市、エ・ランテルの大通り。

 日が落ちかけている時間帯にも関わらず、未だ人通りは多い。

 基本的に夜が人の世界ではないのは、大都市であっても同じはずだが、この都市は余程発展しているのか、大通りには永続光(コンティニュアル・ライト)式の街灯が並んでいる。

 とは言え、夜が近づいたことで女子供は姿を消し、歩いているのは仕事帰りと思われる男がほとんどだ。

 そうした男たちを相手に、最後のひと働きとでも言うように、左右に並んだ露店の店主が客引きを行っている。

 そんな大通りの中をモモンガたち三人が、威風堂々と歩いていた。

 

 モモンガが先頭に立ち、その後ろにナーベラルとソリュシャンが続く、安全が確保されている町中を歩く時の基本的な隊列だ。

 同時に、これもいつも通りだが、特に目立つ行動を取っているわけでもないのに、周囲の視線は自然と三人の下に集まってくる。

 二人の美貌が理由なのは間違いないが、モモンガが着用してる漆黒の全身鎧もこの世界では相当目立つ。

 その二つの相乗効果によって、これほど注目を集めることになるのだ。

 ワーカーに成ってまだ数ヶ月程度だが、新しい町に来る度にこうなのでいい加減慣れた。

 それは二人も同じのようだが、ナーベラルだけは下等生物として見下している人間たちに、じろじろ見られるのが気に入らないらしく、不愉快そうに周囲へ睨みを利かせていた。

 

「にしても、さっきの組合長には笑わせて貰ったな。あたしたちが助力を乞いに来たと勘違いしてやがってよ。依頼の品渡した時の顔ったらなかったぜ」

 

 そんなナーベラルの不満を察知したらしく、ソリュシャンが場の空気を変えるように軽口を叩く。

 

「この都市に居たというアダマンタイト級冒険者でも依頼達成までにはかなり時間を要したらしいからな。依頼をしてからまだ数日、それも仕方あるまい」

 

 本当の依頼人──正確にはその仲介役なのだろうが──であるエ・ランテルの冒険者組合の長は、モモンたちが現れることを事前に予期していたらしく、突然押し掛けても驚いた様子もなく自分の部屋に通して対応した。

 不思議に思ったが、その理由もすぐに分かった。

 組合長はモモンガたちが、薬草採取に必要な人手を借りに来た。つまりモモンガたちだけでは達成不可能なので、冒険者の力を借りたい。そう交渉するために訪れたのだと思ったようだ。

 彼からすればそれも思惑の内、大方受ける代わりに何かこちらに条件を出そうとしていたのだろうが、その前にモモンガたちが依頼の品を持ってきてしまったことで意味が無くなってしまった。

 それを知らされた際の組合長の様子は確かにおかしかった。

 その場でこそ取り繕っては居たものの、モモンガたちが依頼の品を渡して、それが本物であると確認した後は目に見えて動揺し、報酬金を受け取って──一応依頼人は組合とは関係ないことになっているはずなのに、すんなりと渡してくるとは思わなかった──モモンガたちが外に出た瞬間、あり得ないだろ。と全力で叫ぶ声が聞こえたときは、その声の大きさにモモンガ自身が驚いてしまい、誤魔化すのが大変だったほどだ。

 

下等生物(ゾウリムシ)ごときの尺度で、モモンさんを測ろうなどと考えること自体が間違いなのです。あの愚かな男も早晩モモンさんに頭を下げにくるかと」

 

 どこか自慢げに語るナーベラルの様子はいつもより少し幼く見え、その様子に微笑ましさを感じながら一つ頷いたモモンガだったが、ふと、その言葉の中に違和感を覚えた。

 

「そうだな……ん? 頭を下げに?」

 

 何の話だろう。

 今回の依頼はこれで終わりだが、また似たような冒険者組合では対応出来ないような仕事が入った時、漆黒を頼ろうとすると言いたいのだろうか。

 

「はい。組合は私たち漆黒を冒険者として勧誘するつもりなのでしょう。モモンさんもそれを承知で組合がらみのこの仕事を受けたのでは?」

 

「……それ言ったのはあたしなんだが?」

 

「あら。そうだった?」

 

 姉妹のじゃれ合いを後目に、モモンガは内心で頭を抱える。

 

(あー、ソリュシャンが調査の後、改めて依頼を受けるか聞いてきたのはそういうことだったのか!)

 

 ソリュシャンが他国の冒険者組合が絡んでいることを掴んだ後で、わざわざもう一度依頼を受けるかどうか、確認を入れてきたことを思い出した。

 依頼人が誰であろうと関係ないだろうとあっさりとオーケーしたが、今考えるとそれが最終確認だったのだ。

 そもそもワーカーである漆黒に依頼をする以上、幾ら口止めをしたところで情報が洩れるのは止められない。

 

 ならばどうすればいいか。

 簡単な話だ、漆黒をそのまま組合に取り込めばいい。

 ペテルがンフィーレアが持つカルネ村の秘密を守るために合同任務にして守秘義務を発生させようとしたことと同じだ。

 組合長が事前にこちらの動きを予想して、他のチームを同行させようとしていたのも、冒険者に成れるかどうかの確認する意味合いもあったに違いない。

 あそこまでショックを受けていたのは仕事が早く片づいただけではなく、その目論見が失敗に終わったからだったのだ。

 

(……いや、別に問題はない、のか? 突然のことではあるが、これから名声も稼ぐとなればワーカーより冒険者の方が通りが良い)

 

 実際、漆黒の剣の面々もモモンガたちがワーカーだと知ったときは警戒していたようだった。

 竜王国ではともかく、他国では漆黒の名はまだまだ知られていない。

 だがアダマンタイト級ともなれば、人類の守護者と唄われ、他国にも名が知られている冒険者ならばもっと名前を売ることが出来る。

 そうなればドラウディロン以外にも、他国の権力者とも知り合えるのではないだろうか。

 ドラウディロンの名を頭の中で思い出したことで、はたと気がつく。

 

(そう言えばドラウディロンとの契約がある状況で、エ・ランテルの組合に属するのはどうなんだろう。転移があるからいざという時でも駆けつけることはできるが、そもそも掛け持ちして良いものなのか。事前にわかっていればこの辺りのこともちゃんと調べられたのに)

 

 如何に百年の歳月を過ごそうが、こうした部分の成長が見られない自分に腹が立つ。

 こんなことで、ナザリック地下大墳墓や、鈴木悟を見つけることなど──

 

「……モモンさん?」

「モモンさん。如何なさいました?」

 

 ピタリと足を止めたモモンガに後ろを歩いていた二人が追いつき、真横に止まって左右から不思議そうに問いかける。

 その声も、モモンガには届いていなかった。

 いや、正確には聞こえてはいた。

 だからこそ、次の瞬間即座に二人に指示を出すことが出来たのだ。

 

「二人は予定通り、ンフィーレアの店に行け」

 

「モモンさんは?」

 

「私は──少しするべきことが出来た」

 

 モモンガの様子がおかしいことに二人も気づいたのだろう。

 どんな内容であれ、モモンガの命令は全て即座に了承する二人が、戸惑うような様子を見せつつ動かないことに、理不尽と知りながら僅かに苛立ちを覚えモモンガは更に強く命じた。

 

「行け」

 

「……御身の望むままに」

「何あったら直ぐに連絡してくれよな」

 

(二人とも、すまない)

 

 先ほどまでとは異なり、どこか寂しげに寄り添い歩いていく二人の背中に、心の中で詫びを入れる。

 だが、まさかこんなに早いとは思わなかった。

 こんなに早く、それもあちらからコンタクトを取ってくるなど思っても居なかったのだ。

 

『わき道の奥だ』

 

 突如として、頭の中に届いた伝言(メッセージ)の声に導かれるまま、大通りから逸れたわき道に目を向ける。

 既に日が落ちかけていることと、街灯の明かりも届かないわき道ということもあって暗く、闇視(ダークヴィジョン)の特性があるモモンガでなければ確認することはできない暗闇だまりに佇む、一人の男の姿があった。

 モモンガはゆっくりと深呼吸の真似事をしながら、改めてそちらに視線を向けなおす。

 同時にモモンガの視界に映る男が、身につけていたローブを掴み、もぎ取るように手を動かした。

 

「っ!」

 

 瞬間、ローブの下から鎧が姿を現す。

 いや、正確にはローブの下にその鎧を着ていたわけではないはずだ。先ほどまでとは、シルエットそのものが異なっている。

 恐らくはそのローブに速攻着替えのデータクリスタルが埋め込まれていたのだろう。

 そうして現れたあの鎧と兜。

 百年経ってもそれを忘れるはずがない。

 かつてユグドラシルに嫌気が差していたモモンガを救ってくれた大切な友人が身につけていた物。

 ユグドラシルの最終日、鈴木悟が勝手に持ち出してコピーNPCに装備させてしまった、ワールドチャンピオンの証にして神器級を超え、ギルド武器にすら匹敵する純白の鎧、コンプライアンス・ウィズ・ロー。

 それを装備した男がこちらをジッと見つめていた。

 意を決し、モモンガはまっすぐにそちらに向かって歩き出す。

 

「鈴木、悟」

 

 フルネームで口にしたのは何年ぶりか。

 口にすると同時に耳に入ってきたその音は、まるで他人の名のような違和感があった。 




もう少し話が進むかと思いましたが、今後必要な情報などを入れているとなかなか話が進まなくて困ります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 百年ぶりの再会

ようやく三人のうち、二人を会わせることが出来ました。長かった……


 地下神殿内に居た雑魚の掃除を終え、この場にいた者たちを情報収集やアンデッド作成の素体として使用するため、生死を問わず全員ナザリックに送り込んでから、シャルティアは当面自分たちの拠点となる場所をぐるりと見回した。

 奇怪なタペストリーが垂れ下がり、その下には血の練り込まれた真っ赤な蝋燭が幾本も並べられ、壁にはいくつも穴が空き、その奥からはアンデッド特有の死臭が漂っている。

 自分の守護階層である墳墓にもこうした意匠の部屋は存在するが、装飾品や雰囲気、その場に満ちる死の気配。どれをとってもまるで比べものにならない、いや比べることすら烏滸がましいほどの稚拙さだ。

 

「しょせんは下等な人間どもでありんすねぇ」

 

 思わずため息が漏れる。

 それはこうした建物や装飾品などだけではない、先ほどの雑魚もそうだ。

 この世界に来てそれなりの時間が経っているが、強さに於いて多少なりともまともだったのは、最初に戦った法国の特殊部隊である漆黒聖典とかいう部隊の者だけであり、それも完全武装したシャルティアと僅かな時間、戦いの真似事ができるレベルの力しかなかった。

 ここを守っていた者たちも本人の弁が確かならば人間の中では最強に近いレベルの者たちらしいが、全員シャルティアと戦うどころか小指一本で倒せる程度。

 なにより笑えるのはそいつ等に守られ、この場で儀式を行おうとしていた魔法詠唱者(マジック・キャスター)のことだ。

 数年掛かりで準備を進めていたというその儀式が、万が一にも主に危害が及ぶものであってはならないと人間種魅了(チャームパーソン)で詳細を聞き出したのだが、見事に肩すかしを食らった。

 

 この世界に於いてアンデッドは自然に発生する。

 そうして生まれたアンデッドが集まる場所には負の力が溜まり、より強力なアンデッドが生まれる。

 それを繰り返してより強大なアンデッドを生み出し続け、都市そのものに死の力を蔓延させるのが、ここにいた者たちの計画だったらしい。

 

 ここまではまだ良い。

 最終的にどの程度のレベルのアンデッドが発生するかは知らないが、うまく行けば主の役に立つアンデッドも生まれるかもしれない。

 だが、その儀式を行う真なる目的を聞いてシャルティアは思わず笑ってしまった。

 何しろ、そうまでして集めた死の力を使い自らが不死者、つまりはアンデッドになることが目的だというのだから、力の無駄遣いにもほどがある。

 

「最終的にアンデッドには成れるわけでありんすから、感謝して欲しいわぇ」

 

 手下とともにナザリックに送り、既にここにはいない男に対して告げる。

 その声に反応したわけではないだろうが、雑用を命じていた悪魔が奥からシャルティアの居る広間に戻ってきた。

 

「シャルティア様。こちらの準備は整いました」

 

 その悪魔には見覚えがある。

 憤怒の魔将(イビルロード・ラース)。デミウルゴス直属の配下の一人だが、同じ種族の魔将も複数体いると聞いているので、この魔将が赤熱神殿でシャルティアに声を掛けてきたものと同じ個体なのかは分からないし、どちらでも良い。

 重要なのは、この魔将が今回の作戦の前線指揮を執ることになったことだ。

 これは初めから作戦に組み込まれていた訳ではなく、急遽決まった。

 シャルティアは作戦には直接参加しない。仮に魔将の手に負えない強者が現れた場合でもシャルティアが直接戦うことはせず、情報収集をした後はナザリックへの撤退を優先するように言われている。

 つまりこの後のシャルティアの役割は、基本的には後方に待機して作戦の成功を見守るだけだ。

 だとすれば、主への挨拶の時間を犠牲にしてまで、デミウルゴスに無理矢理たたき込まれたあの作戦会議は何だったのかと言いたくなる。

 

「ん。ならさっさと動きなんし。わらわは一つ仕事を片づけた後は、ゆ・う・げ・きとして遊んでいんす」

 

 そうした憤りが、そのデミウルゴスの配下である魔将に向けられる。

 シャルティアの嫌みを受けた魔将は、何と言っていいのか分からないとばかりに身を縮ませた。

 レベルが八十台ならばナザリック内全てのシモベたちの中でもそれなりに上位に位置する強さを持つが、ナザリックに於ける序列は強さではなくその出自に由来する。

 至高の御方々に直接創造された者とそうでない者だ。

 同じ種族が複数いる魔将たちは当然後者、傭兵モンスターとしてユグドラシル金貨を用いて召喚された存在であるため、その地位はレベル一の一般メイドたちよりも下となる。

 そんな魔将にとって、生まれや役職のみならず、強さに於いても己の遙か上をいくシャルティアを不快にさせたとあっては──直属の上司であるデミウルゴスの命だったとしても──生きた心地がしないといったところだろう。

 そうして怯える様は厳つい外見には似合わないが、そのギャップも併せて元から嗜虐心の強いシャルティアの琴線に触れ、多少気分は良くなった。

 

「まあ。考えてみれば、知性も無い低級のアンデッドごときにいちいち細かな指示を出すなど、わたしにふさわしい仕事ではありんせんぇ」

 

「そ、その通りでございます。このような雑事は、階層守護者で有らせられるシャルティア様には似合いません」

 

 震えた声で露骨な媚びを売る魔将の言葉に、シャルティアはさらに気分良く頷いた後、ふいにデミウルゴスから一つ釘を刺しておくように言われていたことを思い出した。

 

「ただ──」

 

「は、はっ! なんでしょうか?」

 

「分かっていると思いんすが、此度の作戦はおんしの上司であるデミウルゴスが作戦内容を考えて、このわたしが実行役に選ばれんした。つまり、作戦の失敗はわたしたち二人の顔に泥を塗ることになりんすぇ。くれぐれも注意しなんし」

 

 にっこりと笑顔で釘を刺すと、魔将は先ほど以上にブルリと体を震わせながら必死に頷いた。

 背中に生えた炎の翼もその震えに併せるかのように揺らめいており、その滑稽さを見て、シャルティアはようやく完全に溜飲を下げることができた。

 

「さあ。できるだけ派手に、凄惨に、この都市を地獄に変えて行きんしょう」

 

 後は仕事を完璧に遂行し、愛しい主に誉めて貰うだけだ。

 

「〈転移門(ゲート)〉」

 

 パンと手を叩き、シャルティアは作戦に必要な配下をナザリックから呼び出すため転移門(ゲート)を起動した。

 

 

 ・

 

 

 全身に纏わりつく不愉快な人間どもの視線にも、今は気を払っている余裕はない。

 それは隣を歩くソリュシャンも同じはずだ。

 その証拠に、どちらかが提案したわけでもないのに、二人の歩みは主が命じた薬師の店がある方角に足を進めつつも、最短距離を通るのではなく人気の無い裏路地に向かっていた。

 やがて周囲に人間が一人もいないことを確認して、二人は示し合わせたように足を止めた。

 

「さっきのモモンさん。変だったよな?」

 

 こちらに視線を向けることなく呟くソリュシャンに、ナーベラルも同意する。

 

「ええ。あんなモモンさん、見たことがないわ」

 

 ナザリック地下大墳墓に居たころから合わせると既に百年以上の歳月、主に仕えてきたがあんな様子は初めて見た。

 怒りや苛立ちだけならばまだ分かる。

 この百年、主は他者との接触を嫌い、人里離れた場所に建てた館で生活していたが、それでも完全に周囲との関係は切ることはできず──主はともかく、ナーベラルとソリュシャンは食事が必要である以上、食料の入手先を用意しておく必要があった──時折勘違いした人間どもや、人間では近づけない場所に建つ館に偶然訪れた亜人などが、主の偉大さや自分たちの美貌に目を眩ませ、強引にすり寄ってくることがあった。

 基本的に慈悲深い主だが、そうした者たちに対しては明らかに不快感を滲ませ、怒りを露わにした。

 それらに関しては、自分やソリュシャンが適切な処理を行い、大抵はソリュシャンの玩具兼食事になるのだが、そうした際の主の怒りは見ているこちらも少々臆してしまうほどだった。

 そして今回、そうした感情が自分たちに向けられた。

 こんなことは初めてだったため、知らないうちに何か主の不評を買ってしまったのではないかと思い、恐怖を感じた。

 だが、こうして時間を置いて落ち着いて思い返してみると、あれは怒りだけではない。

 

「……そうだな。あんなモモンさんは、初めてだ」

 

 ソリュシャンもまた一言一言噛みしめるように告げてから、ようやく視線を動かしこちらを見つめる。

 その目を見て、ソリュシャンも自分と同じことを思っているのだと理解した。

 同じく三女として創造された姉妹同士、口にしなくとも通じるものがある。

 

(いつも威厳に満ちたモモンガ様が、あんな、逃げ出したい子供のような)

 

 至高の存在である主に対し、失礼なことを考えている自覚はある。

 だからこそ、迂闊に口には出せないが、ナーベラルにはそう感じられたのだ。

 ほんの一瞬のことであり、その後主は意を決したような態度を見せて、自分たち二人を遠ざけた。

 これも珍しいことではない。

 

 先の森の賢王に会うときもそうだったが、主は僅かでも危険がある場合、自分たちを遠ざけようとする傾向があった。

 ソリュシャンはそれを子供扱いと称している。

 至高の存在に創造されたとは言え、隔絶した立場の違いが存在する自分たちを子供として扱って頂ける。

 本来それは名誉なことではあるのだが、主の守護が何より重要な任務であるプレアデスにとっては本末転倒な話だ。

 それに、本当は子供としてではなく──

 

(っ! 私はいったい何を。今はそんなことより)

 

 思考が別の方向に行きかけていることに気づき、ナーベラルはそれを振り切るように、勢いよく後ろを振り返る。

 あの主が逃げ出しそうになるほどの何かが、あそこにはあったはずだ。

 最終的に主はそれと向き合う選択をした。

 ならば、主のシモベとして例え役に立たなくても、自分もそこに居たい。

 そう思った。

 

 振り返った先には、今まで通ってきた道があるだけだが、ナーベラルにとっては違う。

 この道を戻るということは、主の命令に逆らうことになる。

 あれほど強く命じられた上、自分の実力では役に立てないかも知れない。

 何か考えがあるわけでもない。ただ傍にいたいだけだ。

 これではそれこそ子供のワガママでしかない。

 

「行くのか?」

 

「……ええ」

 

 一瞬考えた後、強く頷くと、訝しげに眉を持ち上げていたソリュシャンの目が鋭くなった。

 

「あの御方は命令と仰ったのよ?」

 

 目つきとともに話し方と声も変化する。

 ワーカーチーム漆黒のソーイではなく、主に忠義を尽くす戦闘メイド、プレアデスのソリュシャン・イプシロンとして確認を取っているのだ。

 主が命じた以上はどんな内容であれ、それに従わなくてはならない。

 それは分かっている。

 だが、しかし──

 

「それでも、よ。たとえ後で罰せられるとしても今はあの方の傍にいるわ」

 

 プレアデスの一人としては間違っているかも知れないが、この百年の間ナーベラルは、至高の四十一人全員に忠義を尽くすプレアデスの一人としてだけではなく、主にのみ尽くすメイドとして生きてきた。

 その主の危機に傍にいないなど、メイドとしての矜持が許さない。

 例え力不足でも、主の命に逆らってでもだ。

 

(それを止めるのなら、ソリュシャンでも……)

 

 こちらを観察するようにじっと見つめていたソリュシャンだったが、じきに口元に笑みを浮かべる。

 

「それは私も同じよ」

 

「え?」

 

 思わず呆気に取られた。

 ソリュシャンはどんな仕事であれ、主の命を忠実にそして完璧にこなしている。

 メイドとしての技量は同等だとしても、それ以外に関してはソリュシャンの方が優秀だ。

 主に対して敬語を排して接する演技や、下等で下賤な人間とも──少なくとも表面上は──打ち解けて情報収集を行うなど、ナーベラルでは頭では分かっていてもどうしてもできないことを、さらりとやってのける。

 そんなソリュシャンが主の命を無視して、感情のまま動こうとしているのだ。

 驚かない方が無理がある。

 しかし、ソリュシャンは苦笑とともに続けた。

 

「なんて顔をしているのよ。戻りましょうナーベラル。私たちの主の下へ」

 

 周囲に人の気配がないとは言え、ナーベではなくナーベラルと呼んだことで、彼女は自分の立場を明確にしたのだ。

 ソリュシャンもまた、ナーベラル同様メイドとして今の主を放ってはおくことはできない、と。

 ならば、やることは一つだ。

 

「ええ。行きましょうソリュシャン」

 

 ナーベラルもまた同じようにソリュシャンの名前を呼び、二人同時にもと来た道を戻り始めた。

 

 

 ・

 

 

 無言の案内に従って、路地の奥へと進む。

 やがて二人はやや開けた場所に出た。

 周囲に人影はなく、ここなら落ち着いて話ができそうだ。

 相手もそう考えたのだろう。

 足を止めて、モモンガに振り返った。

 

 目の前に立ち、向かい合ってもまだ現実感がない。

 百年ぶりに見た純白の鎧に身を包んだ騎士は、何も言わずただじっとこちらを見ている。

 互いに探りを入れるように、どちらも口を開かずにいるが、いつまでもこのままというわけにはいかない。

 覚悟を決めて声をかけようとした矢先、それを見抜いたかのように、向こうから口火を切った。

 

「信じてくれて良かった」

 

 その声を聞いて僅かに疑問を覚える。

 

(俺の声はこんなだったか? それとも口唇蟲辺りで声を変えているのか?)

 

 普段自分が聞いている声と、実際周囲に発している声が違って聞こえるのは良く聞く話だ。かつてモモンガも録音した声を聴いた際、その違いに驚いた覚えがある。

 しかし、現実世界と異なり声を録音する手段が存在しないこの世界では、自分の声を聞くのは難しい。

 ナザリックにあるマジックアイテムや、いくつかの魔法を組み合わせれば録画や録音をすることもできるが、そもそもそんなことをする意味も機会もなかったため、百年前に聞いた自分本来の声などもはや覚えていない。

 

「しかし驚いた。こんなところで再会するとはな。黄金の輝き亭、だったか? 都市一番の高級宿を借りるとは。随分儲けているようだな」

 

 黄金の輝き亭とは、ンフィーレアから聞いたこの都市で一番の宿の名前だ。

 ンフィーレアや漆黒の剣と共にいるところを冒険者組合に知られるわけにはいかなかったため、エ・ランテルに戻る時間をずらすことにしたのだが、モモンガたちが先に着いたため部屋を取って時間を潰していたのだ。

 

「何故それを……」

 

 いったいいつから監視されていたのかとモモンガが問う前に、自分から答えを口にした。

 

「俺もその宿を取ろうとしたんだが、あの時点では鉢合わせるわけにはいかなかったからな。おかげでこっちはもっとランクが下の宿を取るはめになったよ」

 

 場の空気を変えようとしたのか明らかな軽口を叩くが、モモンガが反応せずにいると、騎士は小さく肩を竦めて続ける。

 

「早速だが、お前のことはモモンガと鈴木悟。どちらで呼べばいいんだ?」

 

 その台詞を聞いて、ようやく確信した。

 自ら鈴木悟の名前を出した以上、この騎士がハムスケが言っていた百年前にカルネ村に現れたサトルを名乗る人物で間違いない。

 そして、自分が捜し求めていた相手でもある。

 

「悟はそっちが使っているのだろう? 俺はモモンガ、この姿の時はモモンと名乗っている」

 

 動揺を隠すようにモモンガは一つ鼻を鳴らす真似事をして、自分が既に情報を得ていると知らせてみせるが、悟は動揺した様子も見せずに頷いた。

 

「では、ここではモモンと呼ぼう」

 

「そっちは悟でいいのか?」

 

「それで良い」

 

 互いの呼び名を決めあったところで、再び沈黙が流れた。

 聞きたいことはいくらでもあったはずだ。

 一体いつからこの世界にいるのか。これまでどうしていたのか。他のNPCは一緒ではないのか。

 頭の中でグルグルと回る疑問をどれから聞いたものかと考えていると、再び悟が沈黙を破った。

 

「一緒にいたのは、戦闘メイドの……なんて名前だったかな」

 

 何気なく告げられた言葉に思考が止まり、代わりに怒りが湧き上がる。

 百年以上、普通の人間であれば一生以上の永きに渡って自分に、いやアインズ・ウール・ゴウンという組織に忠誠を尽くしてくれている二人の名前すら忘れたことに対する怒りだ。

 だが、それもアンデッド特有の精神抑制によって直ぐに収まる。

 

「ソリュシャン・イプシロンとナーベラル・ガンマだ」

 

 精神鎮圧で落ち着きはしたが、それでもまだ声に怒りが籠もっているのが自分でもよく分かった。

 悟にもそれは伝わっただろうに、特に気にした様子も見せない。

 

「ああ。そうだったそうだった。金髪の方がソリュシャンで黒髪がナーベラルだったな。転移する前に全員分覚えたはずだが、流石に二百年も経つと忘れてしまうな。話し相手でもいればともかく、俺はお前たちと違って一人でこの世界に転移したからな」

 

 一人で転移したという点も気になったが、それ以上に気になることがあった。

 

「二百年? じゃあお前は俺より百年も前、前々回の揺り返しでこの世界に来ていたのか」

 

 揺り返しが百年単位なのは聞いていたが、同じナザリック地下大墳墓内にいたはずの自分たちと悟で転移時期が異なるのは大きな発見だ。

 今回、あるいは今後の揺り返しでナザリックの者たちが転移してくる可能性があるからだ。

 

「ほう。揺り返しについても知っているのか。評議国では無いだろうから、この辺りだと法国か、竜王国ぐらいしか知らないはずだがな」

 

 モモンガの言葉に、悟は初めて感心したような気配を見せる。

 情報源である竜王国の名を挙げられて思わず動揺しかけるが、百年掛けて身につけた何事にも動じない支配者の演技でそれを誤魔化した。

 

「しかし、知っているなら話は早い。今俺は今回の揺り返しによって現れた存在について調べている。モモン、お前は何か知っているか?」

 

「待て! そちらの都合ばかりで話を進めるな! 俺もお前に聞きたいことが山ほどある」

 

「それは分かるが時間がないのはお前も同じはずだ。今はあの二人に俺を会わせるわけにはいかないだろ?」

 

「ぐっ、それは」

 

 痛いところを突かれた。

 ここにいる悟はほぼ間違いなく、勇者パーティーの一つとして作られたコピーNPCの方だろう。

 たっち・みーの鎧がその証拠だ。

 あの鎧は鈴木悟が最終日に誰も来てくれなかったことへの意趣返しとして、コピーNPCに装備させた物であり、ワールドチャンピオンの証であるあの鎧はこの世に二つと存在しない。

 それを本物が装備しているはずもないので、必然的に自分と同じコピーNPCということになる。

 

(だが、こいつの考えが分からない。俺と同じようにナザリックの関係者を探している訳ではないのか?)

 

 揺り返しについて調べているとは言っていたが、それがナザリック捜索の為なのか、それとも別の理由で探しているのか。

 自分と同じ記憶と人格を持っているとは言っても、相手は自分より更に百年長く生きている──アンデッドが生きたとはおかしな話だが──ため、人生経験はあちらが上だ。

 二人の名前すら忘れていることも加味しても、考え方や性格が変わっていても不思議はない以上、バカ正直にすべてを話すのは悪手だ。

 

「……今ある人物に頼んで調べてもらっているが、まだ何の情報も掴んではいない」

 

 一応情報源であるドラウディロンのことは伏せておく。

 これ以上のことは悟の対応をみてから決めるしかない。

 

「なるほどなるほど。ではナザリック地下大墳墓も見つかっては居ないのだな?」

 

「っ! やはり拠点ごとこの世界に来ることもあり得るのか?」

 

 揺り返しによって、プレイヤーがこの世界に転移するのは間違いないが、拠点に関しては様々な文献や情報を見ても確証が得られなかった。

 南方にある浮遊都市などは、ギルド拠点である可能性が高いと思うのだが、プレイヤーが時間を掛けて、魔法やマジックアイテムを駆使すれば、そうした拠点をこの世界に造ることも不可能ではないからだ。

 

「そうだ。ナザリック地下大墳墓は確認されていないが、世界中にはいくつかそうしたギルドの拠点が存在する。南方にある浮遊都市に至っては内部にNPCが残っているのも確実だ」

 

 ちょうど思い浮かべていた浮遊都市のことを耳にして、モモンガは存在しない心臓が飛び跳ねたような驚きを覚えた。

 同時に一筋の光明が見えた気分だ。

 拠点そのものがこの世界に来ることがあるのならば、ナザリック地下大墳墓が転移してきても不思議はない。

 いや、時間差こそあれ、悟と自分たちが来ているのだからナザリックも転移する条件を満たしている可能性は高い。

 そしてもう一つ。

 

「お前もナザリックを探していたんだな」

 

 これを確認できたのは大きい。

 

「ん? ああ、俺は……」

 

 何か言おうとした悟が、不意に顔をモモンガの背後、つまりここまで歩いてきた道の奥に顔を向ける。

 一体何を。と思ったが、その理由は直ぐに分かった。

 この百年何度も聞いてきた足音を、モモンガが聞き間違うはずがない。

 しかし、驚きだ。

 彼女たちはこれまで一度としてモモンガの命令に背くことはなかった。

 進言や疑問を述べることはあったが、少なくとも命令だと言った後ならば、黙って従っていたはずだ。

 それが何故、それも今このときなのか。

 思わず舌打ちをしそうになるモモンガを他所に、どこか面白そうに悟が笑った。

 

「命令違反とは。どうやらNPCも成長するらしいな」

 

「モモンさん!」

 

 一応ワーカーとしての体裁は保ちつつ、路地裏の広場に飛び込んできたのは案の定、ナーベラルとソリュシャンの二人。

 彼女たちは自分と悟の間に割り込むように移動すると、悟に対して武器を構えた。

 

「お前たち!」

 

「ご命令に背いたことは後ほど、この命を以て償います。ですが、今は──え?」

 

 モモンガの言葉を遮るという、これもまた彼女たちらしからぬ行動を採ってから、視線を前方、つまり悟に戻した瞬間、二人は絶句した。

 

「……たっち・みー、様?」

 

 常にワーカーとしての完璧な演技を貫いていたソリュシャンの仮面が崩れ、明らかにソーイではなくソリュシャンとして相手の名を呼んだことで今更ながら気づいた。

 あの鎧は本来たっち・みーの装備品なのだ。

 それをコピーNPCに持たせたのは本物の悟のお遊びのせいだが、転移前の記憶もあるモモンガと異なり、二人は転移前、つまりユクドラシル時代の記憶は朧気にしか記憶していない。

 ならば二人がこの鎧を見て、たっち・みーの方を連想するのは当たり前だ。

 

(そうか。そうなるよな。あー、クソ! どうする? このままたっちさんだと思わせるか? いや、しかし)

 

 ナザリック地下大墳墓がこの世界に転移している、あるいはこれからする可能性があると知ったばかりなのだ。

 今後は、そのときのことも考えながら行動しなくてはならない。

 どうする。どうする。と頭の中で唱える度に振り切れた精神が鎮圧するが、何度繰り返しても建設的な意見は出てこない。

 

「そうか。そうなるのか……」

 

 知らず知らず、自分が思っていたことを口に出したのだと思ったが、そうではなかった。

 それを口にしたのは悟の方だ。

 流石は自分と同じ記憶を持っているコピーというべきか、悟もモモンガと同じ思考に行き当たったらしい。

 しかし、何も考えつかないモモンガと異なり、悟の動きは速かった。未だ呆然としている二人に向かって、後一歩前に出た。

 

「残念ながら俺はたっちさんではない」

 

 チラリとモモンガを窺ってから口火を切る悟に、モモンガは慌てる。

 

(おいおい、なにを言い出すんだこいつは)

 

 今の合図はモモンガに話を合わせろと告げるための物だろう。

 まだなんのすり合わせもできていないのに、このまま話を進めていいのだろうか。

 ここは一度混乱している二人に再度、今度は本気で命令してこの場を離れさせ、話し合う方がいいのではないか。

 そんなモモンガの思考を余所に悟は続けた。

 

「俺の名はサトル。アインズ・ウール・ゴウンの正式なメンバーではないが、たっちさんも含めた皆と面識もある……そう、言うなれば四十二人目のギルドメンバーだ!」

 

「四十……」

「二人目?」

 

 ソリュシャンとナーベラルが息ぴったりに言葉のリレーをして驚く中、恐らくはそれ以上に驚いていたのはモモンガの方だ。

 

(そうくるか!)

 

 アインズ・ウール・ゴウン四十二人目のメンバー。

 それは確かに実在する。

 ギルドに入っていたわけではないが、ギルドの証であるリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンも渡すつもりで用意していた、正しく四十二人目のメンバーと言える存在。

 悟はNPCたちがそうした事情を知らないのを良いことに、その席に自分を据えようとしているのだ。

 正式メンバーではないとは言え、その存在を乗っ取ろうとするのはいい気分がしないが、モモンガが二人──あるいは本物もいれて三人──居るという状況よりは言い訳がしやすい。

 はじめからこの言い訳を考えていたのか、それともこの場で思いついたのかは知らないが、流石自分より百年多く経験を積んでいるだけのことはある。

 

「そのような御方がいらっしゃったのですか?」

 

「え、あ、いや──うむ。奴の言っていることは事実だ。確かに正式ではないが、そこにいる悟は我々、アインズ・ウール・ゴウンの……仲間だ」

 

 ソリュシャンの問いかけに対し、一つ咳ばらいを入れてからモモンガが答えた途端、二人は同時に悟に武器を納め、悟に対して頭を下げた。

 

「至高の御方々に近しい御方に、武器と敵意を向けたこと、お詫び申し上げます」

 

「お、おぅ」

 

 深々と頭を下げる二人に悟が僅かに身じろぐ。

 自分と異なり一人で転移したのならば、こうしてNPCたちに傅かれるのも初めてに違いない。

 こうした態度には、転移当初モモンガも随分苦労したものだ。

 頭の回転の速さや余裕を崩さない態度も併せて、先ほどからなにを考えているかいまいち分からなかった悟が戸惑う姿を見て、ようやく彼が自分と同じ記憶と人格を持った人物であることを理解した。

 

(同じコピーNPC同士、これなら上手くやっていけるかもしれないな)

 

 そう考えたとき、何の前触れもなくモモンガたちの頭上に光が弾けた。

 

「なんだ! この光は!」

 

 日は完全に落ち、夜の世界へと移行した空を照らし出すものは月と星明かりくらいしか存在しないはずだ。

 既に忘却の彼方に向かいつつある現実世界のスモッグまみれの夜と比べれば、これだけでも十分明るいが、その輝きは明らかに異質なものだった。

 モモンガはすぐにそれが魔法的な手段によるものであると気づいた。

 それもこの世界で一般的に使われるものではなく、高位階魔法によるものだと。

 本来ならば即座に転移魔法で逃げ出すところだが、モモンとして漆黒の鎧を纏っているせいで一手反応が遅れる。

 

「チッ! お前たち、こちらに!」

 

 鎧を解除する前に二人を呼び戻そうとしたが、その声より先に二人はモモンガを守るように移動を始めていた。

 

(よし。とにかく、この都市から──)

 

 逃げ出す算段をした直後、じっと空を眺めていた悟がぽつりと呟く。

 

隕石落下(メテオフォール)だな」

 

 巨大な隕石を上空に召喚して対象にぶつける第十位階魔法の名前だ。

 つられるように上空を見ると、確かに赤く焼けた隕石が尾を引きながら西方に向かって飛んでいくのが見えた。

 それを見て、モモンガは鎧を解くのを一時取り止める。

 隕石落下(メテオフォール)はその派手さに反して、攻撃範囲はさほど広くない。

 その上攻撃対象は西であり、自分たちを狙ったものではないのならば、情報収集が先決かもしれない。

 頭の中で今後の計画を立てている最中、一際大きな音と共に西方の一角に星が落ちた。




ちなみに四十二人目のメンバーについては、書籍版の中ではっきり明示されたわけではありませんが、何度かそれらしい存在が示唆されていたので、この話ではそうした人物がいたということで話を進めています
とはいえ実際にその人物が出てくるわけではありませんが……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 エ・ランテルの狂宴

少し話が戻って、隕石落下前後のエ・ランテル住人たちの話


 エ・ランテルの墓地から大量のアンデッドが現れたのを見た瞬間、イグヴァルジの胸に湧いた感情は自分の読みがピタリと当たったことに対する喜びだった。

 やはり自分たちはこのために、エ・ランテルに残るように言われていたのだ。

 

 イグヴァルジ率いる冒険者チーム・クラルグラはミスリル級という、都市内に三組しか存在しない最高位チームである。

 それだけに仕事は殆ど途切れることなく入っているのだが、数日前、突然組合長のアインザックより少しの間仕事を受けず都市内に待機して欲しい。との要請を受けたのだ。

 理由も言わない一方的な要請に、初めは断ろうと思ったが、他の二組にも同様の要請があると聞いて考え直した。

 

 三つのチーム全てに声をかけたのならば、何か大きな仕事が入った可能性があったからだ。

 その際、自分たちだけ要請を拒否していては、手柄を残る二組に持っていかれかねない。

 そう考えて、チームのメンバーにも直ぐに動けるよう常に装備を整えさせた。

 

 更に何かあるとするならば都市の中心部ではなく、外と繋がる外周部だろうと踏んで、普段は衛兵や下っ端冒険者の仕事として、受けることのない墓地内の警備も率先して行った。

 チームのメンバーたちはその行動を訝しんでいたが、チーム結成以来メンバーの誰一人死なせたことがないというイグヴァルジの実績を知っているため、文句は言わなかった。

 しかしイグヴァルジ自身も、しばらく経ってもなにも起こらないことにやきもきしており、いい加減アインザックの下に出向き、かまかけの一つでもしてみるかと思ってた矢先、この事態が発生した。

 何の前触れもなく墓地内に現れた大量のアンデッド。

 自分たちは他の二組を出し抜いて、その最前線にいる。

 このまま事件を解決すれば、今までの功績と合わせて昇格は確実。

 それだけではない。

 

(これで俺も英雄になれる)

 

 いち早く都市内の異変に気づき、アンデッドの大群を打ち倒して都市を救った英雄だ。

 そう。かの十三英雄のような。

 子供の頃、村にやってきた詩人の英雄譚を聞いて抱いたイグヴァルジの夢が実現するときが来たのだ。

 アンデッドはミスリル級の自分たちであれば苦もなく倒せるものばかり。問題は数だが、それはどうとでもなる。

 周囲にはまだ逃げ遅れた衛兵や下っ端冒険者がいる。

 そいつらが逃げ出すだけの時間を稼いだら、後は隠れてアンデッドの大群をやり過ごす。

 そうした後、この異変の中心にいるであろう首謀者を打ち倒せばいい。

 アンデッドの大群を相手にするより、よほど名声を得ることができるだろう。

 

「お前たちは都市に向かい、このことを組合に知らせろ!」

 

 銅か、高い者でも鉄級の低位冒険者たちにまとめて命令する。

 

「イ、イグヴァルジさんは?」

 

「俺たちはここで時間を稼ぐ。とはいえあの数だ、全ては相手にできない。戻ったら虹や天狼に声をかけろ。あいつ等も今はエ・ランテルにいるはずだ」

 

 雑魚の相手は他のミスリル級チームに任せればいい。

 むしろそちらに専念してもらった方が、首謀者を突き止めるまでの時間が稼げると言うものだ。

 

「わ、分かりました」

 

 暗がりの中でもはっきりと分かるキラキラした目の輝きは、本物の英雄に憧れる子供のそれだ。

 ついに自分もそうした視線を向けられる存在になったのだと、胸が躍った。

 そうして衛兵や冒険者が逃げ出した後、チームメンバーの一人が声をかけてきた。

 

「おい、イグヴァルジ。大丈夫なのか?」

 

「俺を信用しろ。さっきも言っただろ。あれを全部相手にするつもりはない。適当に相手にしたら俺に付いてこい。この墓地の地形はとっくに頭に入ってる」

 

 本来は森が主戦場だが、どこまで行っても代わり映えのしない森よりこちらの方が格段に覚えやすい。

 動きの遅いアンデッド相手ならなおさら逃げるのは簡単だ。

 

「了解。任せるぜリーダー」

 

 ニヤリと笑って言う仲間たちを前に、イグヴァルジは小さく鼻を鳴らす。

 英雄扱いを受けて良い気分になっていたというのに、水を差されてしまった。

 アンデッドやその奥にいる首謀者だけではない。

 こいつらもそうだ。

 自分が英雄になるための踏み台でしかない。

 

「来るぞ!」

 

 アンデッドが直ぐそばまで迫る。

 これが最初の踏み台だ。さっさと終わらせて自分は本物になる。

 子供の頃から夢見続けてきた本物の英雄に。

 アンデッドの群に向かって、クラルグラは突進した。

 

 

 

「クソ!」

 

 目前のアンデッドと対峙しながらイグヴァルジは荒い呼吸と共に悪態を吐く。

 周囲に仲間たちの姿はない。

 既にやられてしまったのだろう。

 

「冗談じゃねぇぞ。こんな化け物が混ざってやがるなんて」

 

 雑魚しかいないと思われたアンデッドの中に、信じられないほど強大なアンデッドが混ざっていた。

 それも一体ではなく複数だ。

 巨大な体躯に剣と盾を持った騎士が如きアンデッド。

 多様なアンデッドが現れるカッツェ平野でも見たことがないそのアンデッドは、恐ろしいほどの強さを誇っていた。

 これまで戦った中で最強のアンデッドは骨の竜(スケリトル・ドラゴン)だが、その強さは魔法が一切効かないという特性によるものが大きく、ミスリル級のチームが対策を講じれば勝てない相手ではない。

 だが、目の前にいる周囲に死を振りまくこのアンデッド──仮称するなら死の騎士とでも呼ぶべきか──は違う。

 魔法が無効化されるわけでもないのに、まともにダメージが入った様子はなく、なにより素早い。

 勝てないことを察し、逃げだそうとしたイグヴァルジにあっさりと追いつき、いや追い越した上で剣を向ける。

 後ろから襲いかかるのではなく敢えて回り込むことで速度の違いを、まざまざと見せつけられる。

 そんな相手に純粋な戦士ではないイグヴァルジが、一人で戦って勝てるはずもない。

 だが、そうして回り込んでおきながら、死の騎士は攻撃を繰り出してこない。一瞬困惑したが直ぐに理解した。相手は自分に恐怖を与えるためにわざと手を抜いているのだと。

 生者を憎むアンデッドらしいその態度に、恐怖とは別に激しい怒りが浮かび上がる。

 もう少しだというのに、もう少しで本物の英雄に、憧れの存在になれるというのに。

 

「クソが!」

 

 相手がこちらを侮っている隙をついて、一か八か突撃しようとしたイグヴァルジの視界に、地面に倒れた男の姿が入った。

 破損してはいるが、ミスリル級に相応しいその装備は、自分のチームメイトのものだ。

 死の騎士に敗北して死んだとばかり思っていたが、まだ僅かに動いている。

 つまりは生きている。

 

(しめた。奴を囮にすれば逃げられる)

 

 痙攣するような不規則な動きからみて、相当な重傷なのだろうが生きていれば関係ない。

 生者を憎むアンデッドは、もうなにもしなくても死ぬような大けがを負っていたとしても、命さえあれば止めを刺そうとする。

 それを利用して死の騎士の前に仲間を差し出せば、自分が逃げる時間を確保できる。

 急ぎ仲間の下に向かう。

 何故か死の騎士は追いかけてこなかった。

 それを不思議に思いつつも、仲間の下にたどり着き、腕を取ろうとして──

 

「う、お、おぉ!」

 

 獣のような唸り声と共に、逆に腕を捕まれた。

 とても死にかけとは思えない力に、イグヴァルジは慌ててそれを引き剥がそうとする。

 

「なにしやがる、離せ!」

 

 突然の行動に思わず手に持っていたナイフを、無防備な背中に突き立てる。

 どうせもう死にかけだ。手を離させてから一瞬でも息があればそれで十分使える。

 そうした思惑に反し、手は外れない。

 むしろその強さは更に強くなった。

 

「な!」

 

「オ、ア、オォオオァァア」

 

 獣のようだった叫び声が、この世の物とは思えないようなものへと変質していることに気づき、イグヴァルジは身を竦ませた。

 同時に地面に伏していた仲間の顔が持ち上がる。

 口から血を吐き出すその顔に、生前の面影はない。

 既に死んでいたのだ。

 死んで奴らの仲間になっていた。

 ただの動死体(ゾンビ)ならば、自分の力なら簡単に引き剥がせるはずだが、腕の力はますます強くなっていく。

 同時に、イグヴァルジの背後に近づく足音があった。

 その正体に気づき、必死になって腕を振るがやはりその腕が外れることはなく、やがて足音が止まりイグヴァルジは恐る恐る後ろを振り返った。

 そこには悠然と剣を持ち上げる、死の騎士が立っていた。

 腐りかけの人間の顔が張り付き、表情など分かるはずもない。

 だが、死の騎士が直ぐに追いかけてこなかったのは、この光景を見たかったがためなのだと理解した。 

 

「あ、ああぁ! チクショウ、チクショウ! 俺は、英雄に──」

 

 最後まで言い切ることなく、イグヴァルジに向かって剣が振りおろされた。

 

 

 ・

 

 

「おばあちゃん! 戻ったよ!」

 

 既に日は落ちて店は閉まっているため、家の裏手に馬車を止めて、扉の鍵を開けて中に入る。

 声が興奮しているのが自分でも分かる。

 手に持った万能薬のせいだ。

 

「おばあちゃん! いないの?」

 

 声を出しても反応が無いことに不思議に思いながら、店の奥に行こうとして、後ろから声が掛かった。

 

「あの。ンフィーレアさん? この薬草は──」

 

「あ、すみません。店の奥に運んでいただけますか?」

 

 漆黒の剣のペテルに声を掛けられて、少し冷静になる。

 ワーカーであるモモンたちと漆黒の剣が一緒に居るのを見られるのは問題があるため、モモンたちは先に仕事の依頼主に万能薬を届けに向かい、その間に漆黒の剣には採取してきた薬草を店に運んで貰うことになった。

 その後、この店でモモンたちと待ち合わせをすることになった。

 そこで改めてこの万能薬の取り扱いに関する契約を結ぶことになっているのだ。

 だからこそ、祖母であるリイジーには事前に説明をしておきたかったのだが、出かけているのだろうか。

 

「なんだいンフィーレア。大きな声を出して」

 

 そう思ったとき、店の奥、薬の調合をする部屋からリイジーが出てきた。

 

「あ、おばあちゃん」

 

「ずいぶん早いじゃないか。もう一日二日掛かるかと思っていたよ」

 

 確かに予定ではもう少し時間が掛かるはずだった。

 薬草採取の時間を除いても、馬車で村とエ・ランテルを往復するだけで、本来はそれぐらいの時間は掛かるのだ。

 実際村に行くときはかなり慎重に進んだため、それ以上の時間が掛かった。

 しかし帰りは漆黒の三人が一緒にいたため、警戒は最小限で済み、通常の半分程度の時間でエ・ランテルに戻ることができたのだ。

 

「あ、うん。ちょっと色々あってね」

 

 どこから説明したものかと考えていると、薬草の束を担いだ漆黒の剣のメンバーが店内に入って来る。

 

「ンフィーレアさん。これはどこに置けばいいんですか?」

 

「ああ、ペテルさん。薬草はそちらの保管部屋にお願いします」

 

 快い返事が聞こえ、ペテルたちが薬草を運んでいく。

 

「あの人たちが依頼した冒険者かい?」

 

「あ。うん、そうだよ。銀級冒険者チーム漆黒の剣の皆さん」

 

 紹介をしている間に、一番最初に保管部屋から戻ったペテルが、リイジーの姿を認め近づいてきた。

 

「初めまして。今回ンフィーレアさんの護衛を担当させて貰った、冒険者チーム・漆黒の剣の、一応リーダーをしています。ペテル・モークです。よろしくお願いします」

 

 礼儀正しく頭を下げるペテルに、リイジーは一瞬、持ち込まれる薬草の束に鋭い視線を送った後、表情を戻して頷いた。

 

「おお。そうかいそうかい。これだけの量の薬草を採ってきたのならば、村から認められたということだね。なら、これからも一つよろしく頼むよ」

 

「お任せください。ンフィーレアさんとは、今後も長いお付き合いをさせていただきたいと思っています」

 

「それはありがたいねぇ……ただ、気を付けなさい。わしもこの都市は長い。妙な噂が流れると、すぐに耳に入るからねぇ」

 

 リイジーの眼光が鋭くなる。

 これは言うまでもなく、漆黒の剣に対する脅しだ。

 都市一番の薬師であり、都市の顔役の一人になっているリイジーを敵に回せば、この都市で冒険者を続けていくのは難しくなる。

 本来はこのやり方で、依頼をした冒険者に村の秘密を守らせるはずだった。

 もっとも、今回の依頼を通して漆黒の剣のメンバーがそんなことをする事はないと理解しているし、もう一つの漆黒の三人にとってはリイジーの力でも抑止力にはなり得ないため、慌てて話を止めようとするが、その前にペテルは深々と頷いた。

 

「勿論です。仕事もそうですが、村の秘密も決して誰にも漏らしたりはしません!」

 

 歪曲した物言いに対し、実直に返すペテルを見て、祖母は僅かに驚いたような顔をしたが、すぐに破顔した。

 

「この人なら大丈夫そうだねぇ。ただ、そんなに素直な性格をしていると、なんかの拍子にポロッと言ってしまわないか心配だけどね」

 

 ペテルが謀などできないと理解したらしいリイジーは、苦笑しながらそんな冗談を口にする。

 

「そっちは俺たちが見張っておきますから、任せてくださいよ」

 

 いつの間にか薬草をすべて馬車から卸した残る三人のメンバーたちがペテルの後ろに立ち、代表してルクルットが告げた。

 それの答えにリイジーも満足げにうなずき、改めて漆黒の剣の面々の顔を眺める。

 

「これからは薬草の採取をンフィーレアに全部任せて大丈夫そうだ。これだけ早く、それもこんなにたくさん持ってこれるとは。おぬしたち、銀級と聞いていたが強さの方は相当なものだねぇ」

 

 うんうん頷きながら言うリイジーに今度は、漆黒の剣が苦笑を浮かべた。

 

「あ、いえ。それは私たちの力ではないと言いますか」

「ああ。モモンさんたちのおかげだからなぁ」

 

「どういうことだい?」

 

「実は──」

 

 そう切り出して、今回の依頼で起こったこと、そしてモモンたちのことを話し始めた。

 

 

 

「なんと。あの精強な魔獣、森の賢王を倒せる冒険者がいるとは。それもたった一人でとな」

 

 ンフィーレアより遙かに長い間カルネ村に出入りして、森の賢王とのつき合いも長くその強さもよく知っているリイジーは、信じられないと言うように、首を横に振る。

 

「間違いありませんよ。私も森の賢王に直接聞いてみたのですが、事実だと言っていました」

 

 全ての薬草を保管部屋に運び終えた漆黒の剣を労うために出した果実水を飲みながら、興奮しながらペテルが言う。

 あのときは話が途中で途切れてしまったが、やはり同じ戦士として気になっていたペテルが、休憩中の森の賢王に戦いの様子などを聞いていたのだ。

 それによると激しい戦いどころか、ほとんど一方的にモモンに攻め込まれて負けを認めたそうだ。

 

「それほどの戦士が、お前の仕事を手伝ってくれたとはのぅ。報酬は大丈夫だったのかい?」

 

 ペテルの熱弁でようやく信用したリイジーは感嘆の息を吐きながら、ふと思いついたようにンフィーレアに目を向けた。

 その瞬間、ンフィーレアもまた、言い忘れていた事実を思い出す。

 初めて一人でカルネ村に出向き、モンスターとの遭遇や、英雄に等しい実力のモモンとの出会いなど、ある意味初めての冒険とも言える出来事を経験したことで、つい話が盛り上がってしまったが、そのモモンたちが来る前にリイジーと話し合いをしておかなくてはならなかったのだ。

 

「おばあちゃん。その話なんだけど……報酬自体は森の賢王に森の中を案内してもらうことで相殺できたから問題はないんだけど。その後、モモンさんと新しい契約を結んだんだ。モモンさんが手に入れた薬草を研究して、同じ効能を持った薬を作って渡すって言う契約で」

 

「……こっちの取り分は幾らだい?」

 

「えっと。それを研究するのが報酬というか。その……」

 

「なんだいそれは。呆れた子だね」

 

 ため息混じりにリイジーが言う。

 長年店を運営してきただけあって、リイジーは金勘定に対しては厳しい。

 もっとも、それはあくまで研究資金に直結するからこそであり、その研究のためならば、幾らでも金を出すタイプなのだが。

 

「大方、そのモモンという御仁と今後も縁を繋ごうとしてのことじゃろうが、そうした強者は薬を使うことは少ないぞ。それでも準備は怠らん者が多いから定期的に買ってくれるが、それでもねぇ」

 

 妙に実感の籠もった言い方は、もしかしたらモモンが語っていた、前回薬草を取りに来たというアダマンタイト級冒険者のことを言っているのかもしれない。

 どちらにしても、漆黒の剣の面々もいる中で説教が始まるのは困ると、ンフィーレアは祖母の言葉を遮ってテーブルの上に預かってきた薬草を置いた。

 

「ち、違うんだよおばあちゃん。ちょっとこれ、鑑定してみてよ」

 

「……見たことのない薬草だね。どれ」

 

 不思議な光沢のある苔に似た薬草をジロリとひと睨みすると、リイジーは手を伸ばし、魔法を発動させる。

 道具鑑定(アプレイザル・マジックアイテム)付与魔法探知(ディテクト・エンチャント)

 二種類の魔法を薬草にかけるリイジー。

 その様子をンフィーレアだけではなく、漆黒の剣も固唾を呑んで見守っていた。

 村に戻ってからナーベがこの薬草を鑑定したがその結果は自分たちには教えてくれなかった──本物です。と一言言っただけだった──ため、これが本物の万能薬、そして劣化しない完成されたポーションである神の血の原料になりうる物なのか、確信が持てなかったのだ。

 

「──どう? おばあちゃん」

 

 魔法をかけたままピクリとも動かなくなってしまったリイジーを急かすようにンフィーレアが問いかける。

 その言葉に反応して、リイジーの表情に驚愕と歓喜の色が浮かんだ。

 

「くくっ……ふぁふあははは!」

 

 突如壊れたような笑い声をあげるリイジー。こんな祖母の姿を見たのは生まれて初めてだった。

 だからこそ、理解した。

 これが本物だと。自分たち薬師や錬金術師、ポーション生成に係わる全ての者が夢見た完成されたポーション。

 それを生み出すために必要なものなのだと。

 

「ンフィーレア! これは一体、これをどこで! これは、この薬草には劣化しない特性が付与されておる!」

 

 興奮冷めやらぬ様子で目を見開き、薬草を指さして告げるリイジーにンフィーレアもまた、長い前髪の奥で目を見開いた。

 

「やっぱり、そうなんだ。この薬草はね。森の賢王の主だったっていう剣士が百年も前に採取した薬草なんだ。それからずっと、劣化せずに残り続けていたそうだよ」

 

「なんと! 森の賢王め。そのような話、儂には一度もせなんだ」

 

 悔しそうに唇を噛みしめるリイジーに漆黒の剣の面々もおお。と関心を示した。

 

「それじゃあやっぱり、それが神の血、でしたか? そのポーションの原料になるんですか?」

 

 ペテルの物言いは、やはりまだどこか暢気に聞こえる。

 とはいえ、完成されたポーションの価値がわかるのは、ポーション生成に係わる人物だけなので仕方ないのかもしれない。

 リイジーもそのことは承知しているはずだが、この興奮具合では理解されないことを不満に思って怒鳴り声をあげないかと冷や冷やするが、見開かれたリイジーの目にどこか寂しさのような物が混じった気がした。

 

「……いや。こんなことは言いたくないけどね。この薬草の価値は、神の血、つまり完成されたポーションだけで収まるような物じゃないよ」

 

「どういうこと?」

 

 薬師の夢である神の血すら超えると言われても、今度はンフィーレアがピンと来ない。

 

「この薬草には、使用されない限り永遠に劣化せずこの形と効能を保ち続ける。いわば保存の魔法が永続的にかかり続ける効果があるんだよ」

 

 どこか元気なく語るリイジーに、反応したのは黙って話を聞いていた術師のニニャだった。

 

「待ってください! それじゃあ──」

 

「そっちの坊やは分かったみたいだね。そうだよ、この効能だけを抜き取ることができれば、ポーションなら劣化せず、食べ物に使えばずっと腐らず、剣に使えば錆びたり切れ味が鈍ったりする事もなくなるかもしれない」

 

 ごくりと全員が息を呑む。

 そこにはンフィーレアも含まれている。

 リイジーが今言った内容が本当なら、確かにポーションだけに止まらず、人々の生活そのものが一変しかねない。

 そこまでの効能があるとは思いもしなかった。

 

「もっとも、これが薬草の効能なのか、それとも、何らかの魔法に似た力が初めから込められているのか。もっと詳しく時間をかけて調べてみないことにはねぇ」

 

「そんなにすごい物だったなんて──」

 

「それでンフィーレア。これはトブの大森林で採れたものなんだね?」

 

「あ、えっと……う、うん」

 

 ジロリと急かすようなリイジーの目に射抜かれ、ンフィーレアはコクコクと頷く。

 

「ならさっさと準備するよ」

 

 薬草を大事そうに包み直すと、リイジーは勢いを付けて椅子から立ち上がった。

 

「え? 準備って」

 

「決まってるだろう。そのモモンさんとやらの契約が済んだら、直ぐカルネ村に行って森の賢王から詳しい話を聞くんだよ。長居することになるから準備もしっかりしていくよ。場合によってはそのまま向こうで暮らすことも考えないといけないからねぇ」

 

 ごく当たり前のように言われて、ンフィーレアもまた慌てて立ち上がる。

 

「おばあちゃん。それ、どういうこと?」

 

「何言っているんだい。薬草はこれで最後なんだろう? だったら失敗はできないんだから、森の賢王に話を聞いたり、同じ薬草が残ってないか森中を探したり、やらないといけないことは幾らでもあるだろう」

 

「で、でも。このお店は? せっかくおばあちゃんが頑張ってここまで有名にしたのに」

 

 リイジーの提案は、ンフィーレアが望んでいたものだが、あっさりと向こうから提案されると気になってしまう。

 

「そんなもんはどうでもいいんだよ。さっきはああ言ったけどねぇ。わしにとっては神の血を完成させることが何より大事なんじゃ。それにお前もそっちの方がいいんじゃないのかい?」

 

 先ほどとは違った意味で、ニヤリと笑うリイジーの表情に、何が言いたいのかすぐ分かった。

 トブの大森林で、ンフィーレアがエンリへの気持ちを知られて漆黒の剣にからかわれたときと同じ表情だったからだ。

 

「お、おばあちゃん!」

 

「お前の気持ちは分かっておったよ。だからこそ薬草採取はお前に任せて、ゆくゆくはカルネ村に移住して貰って、ときどき薬草だけ運んで貰おうと考えおったのだが」

 

「あ──」

 

 突然ンフィーレア一人に薬草採取を任せたのはそういうことだったのか。と今更ながら気が付いた。

 

「良かったじゃないですか。ンフィーレアさん」

「うむ! ンフィーレア氏の夢が叶いそうでなによりである!」

「うまくいくと良いですね」

 

 ペテル、ダイン、ニニャと次々に祝いの言葉を口にする中、ルクルットだけがやや言いづらそうに頭を掻いた。

 

「ってことは、俺たちとの仕事は今回で終わりってこと?」

 

「あ」

 

 そうだ。

 漆黒の剣には今後も定期的に仕事を依頼すると言ったばかりだった。

 ンフィーレアにとっては理想的な展開だが、彼らにとってはせっかくの定期収入が一度だけで終わってしまう結果になったのだ。

 今回の依頼でも彼らには大いに助けられたというのに、これでは余りに不義理ではないだろうか。

 そう考えたンフィーレアにリイジーが助け舟を出す。

 

「心配いらないよ。店はしばらく閉めるけど、薬師組合にポーションを納品したりはするからねぇ。逆に錬金溶液なんかはエ・ランテルでないと手に入らないから、あんたたちには定期的にそういうのの荷運びを頼みたいね」

 

 その言葉に漆黒の剣の面々、そしてンフィーレアも安堵した。

 これでエンリの傍にいながら、彼らとの縁も維持できる。

 皆にとって最高の結果ではないだろうか。

 

(モモンさん、早く来ないかな)

 

 これからはエンリの傍で彼女を守ることができる。そのことをモモンにも伝えたい。と逸る気持ち抑えるように、窓の外に目を向けると突如として光が走った。

 

「え?」

 

 次の瞬間、地面が大きく揺れた。

 

 

 ・

 

 

「なんだこの揺れは!」

 

 突然窓の外から光が射し込み、巨大な破壊音と共に大きな揺れが起こる。

 冒険者組合の組合長室の窓を開け、外を見る。

 大都市エ・ランテルとはいえ、既に日が落ちたことで大通り以外は灯りもなく暗闇が広がっているはずの西側から、炎と煙が立ち上っているのが見えた。

 

「バカな! 壁が破壊されているぞ!」

 

 煙のせいで見えづらいが、本来はこの位置からでは直接見えないはずの、外周墓地へと続く三重の城壁。

 そこに向かって巨大な何かか通り抜けたかのごとく、穴が空いているのが見え、信じられないというようにラケシルが叫ぶ。

 そんなラケシルを押し退けて、ラケシルの指した方を見たアインザックもまた、その光景に絶句した。

 

「あの頑強な城壁を、それもこれほど長距離に渡って破壊するなど。一体誰が、どうやって!」

 

 籠城すれば帝国全軍を以てしても容易には攻め落とせない、頑強な城塞都市として作られたエ・ランテルを象徴する三重の城壁。

 それが内側から破られるという異常事態にアインザックの頭は真っ白になる。

 

「おい! アインザック、あれはアンデッドではないか?」

 

「なに!?」

 

 徐々に煙が薄れ、月明かりに照らされた破壊跡の上を、大量の何かがノソノソと蠢いている。

 その特徴的な歩き方には覚えがある。

 冒険者として活動している最中に何度となく見てきた動死体(ゾンビ)のそれだ。

 

「あちらは──墓地か。しかし、あの量は」

 

 エ・ランテル外周部の四分の一を占める広大な墓地には常時死が蔓延しており、動死体(ゾンビ)骸骨(スケルトン)を初めとした複数のアンデッドが確認されるが、だからこそ日頃から衛兵のみならず、冒険者も見回りを行っている。

 そうしなければアンデッドの数が増えるだけではなく、より強力なアンデッドの発生に繋がるからだ。

 稀に見回りが疎かになってアンデッドが複数発生することはあるが、あれほどの数まで膨れ上がるとは考えられない。

 

「と、とにかく。俺は残っている冒険者を集める。ラケシル、済まないがお前は都市長に報告を頼む」

 

 骸骨(スケルトン)動死体(ゾンビ)程度なら、衛兵でも何とかなるだろうが、徐々に姿が見えるようになったアンデッドたちの中には他にも複数の種類、食屍鬼(グール)腐肉漁り(ガスト)黄光の屍(ワイト)膨れた皮(スウェル・スキン)崩壊した死体(コラブト・デッド)などのそれなりに強力なアンデッドの姿も確認できた。

 あのレベルになると、衛兵だけでは太刀打ちできない。

 

「わ、分かった。魔術師組合の者たちもここに集まるように指示を出す」

 

「頼む」

 

 この状況を切り抜けるには、冒険者や魔法詠唱者(マジック・キャスター)の力が絶対に必要不可欠。元冒険者であるラケシルもそのことは当然理解している。

 都市長であるパナソレイも貴族だが柔軟な考えを持っている人物だ。

 ラケシルが状況を伝えれば、そのことを直ぐに理解してくれるはずだ。

 その前にアインザックは冒険者を中心とした戦い方を模索しておく必要がある。

 つまり冒険者と衛兵でチームを組み、冒険者が強い個体を倒し、数の多い動死体(ゾンビ)などを衛兵たちが狩っていくことで数を減らす。

 それしか方法はない。

 

「……アインザック」

 

 部屋を飛び出す直前、ラケシルはアインザックを真っ直ぐ見た。

 

「ん?」

「死ぬなよ」

 

 不敵な笑みはラケシルが魔術師組合長になってからは見たことのない、かつての冒険者仲間に向けるものだった。

 

「お前もな」

 

 アインザックもまた、同じように笑みを返す。

 

(しかし、あの数では──)

 

 破壊された道を通り、大通りに現れ始めたアンデッドの列は途切れることを知らない。

 数百では利かない、下手をすれば数千単位のアンデッドの群だ。

 幸いにも都市最高位のミスリル級冒険者チームは三チームとも、エ・ランテル内に留まっている。

 彼らが外の状況を把握すれば、直ぐに戦う準備を始めるはずだ。

 それぐらいでなければ、ミスリル級冒険者になどなれるはずがない。

 

「偶然とはいえ助かったな。彼らを呼び出し、他の冒険者と組ませて……」

 

 いつの間にか声に出して言いながら、ふと思い出す。

 彼らがここにいるのは偶然などではない。

 アインザックがそのように頼んでいた。

 その目的は一つのワーカーチームの審査を頼むためだ。

 彼らがいつ来ても言いように、三チームには詳しい理由こそ説明しなかったが、少しの間仕事は受けずに、都市に残って欲しいと依頼していた。

 そして、そんな想定すら意にも介せず、最速最短でかつてのアダマンタイト級冒険者チームですら、苦戦した依頼を達成したワーカーチーム漆黒。

 三つのミスリル級冒険者チームと漆黒さえいれば、この危機も乗り切れるかも知れない。

 

「そうだ。彼らを呼ばなくては」

 

 これほどの大事件、早く手を打たなくてはどれほどの被害が及ぶか分かったものではない。

 冒険者への説明と彼らの捜索を開始すべく、アインザックは動き出した。

 

 

 ・

 

 

 複数の防御魔法が込められた巻物(スクロール)を使用して身を守ったナーベラルが、千里眼(クレアボヤンス)水晶の画面(クリスタル・モニター)の魔法を発動させる。

 モモンガと悟は並んでその様子をじっと見つめていた。

 映し出す場所は当然先ほどの隕石落下(メテオフォール)が落ちた場所。

 ここから完璧に位置の特定はできないが恐らく、目標は三重の壁の一つだろうとあたりをつけたところ、見事に正解した。

 映し出された画面には、隕石落下(メテオフォール)によって破壊されて作られた道を埋め尽くさんばかりに行進する無数のアンデッドの姿があった。

 数えることなどできないが、数百では済まない。

 最低でも千は超えている。

 だがアンデッドばかりで、肝心の魔法を放った者の姿は見あたらなかった。

 

「既にいないか……しかし、あれだけの数のアンデッドを召喚するのは通常の死者召喚(サモン・アンデッド)では無理だな。不死の軍勢(アンデス・アーミー)あたりか?」

 

「中にはデス・ナイトも少数混ざっているようですが、そちらはまた別の方法での召喚でしょうか」

 

「だろうな。一般人は不死の軍勢(アンデス・アーミー)に、そしてある程度の強さを持った冒険者相手にはデス・ナイト、なるほど合理的だ……この分では他の出入り口も塞いでいそうだな」

 

 生者を率先して狙う特徴を持つアンデッドは、逃げまどう人間たちを襲い続けている。

 アンデッドが外周部から現れたことを考えると、他の入り口さえ塞げば住民たちには逃げ場はなく、モモンガたちが何もしなければ都市ごと全滅するだろう。

 その様子を無感情に眺めているナーベラルにちらりと目を向ける。

 

(ナーベラルたちがこっちに来てしまったからな。ンフィーレアたちはもう間に合わないかな)

 

 万能薬を使った新たなポーションの精製や、どんなマジックアイテムでも使えるンフィーレアのタレントは少し惜しいが、わざわざ危険を犯して助けにいくほどではない。

 だが、このまま何もせず直ぐに逃げるのも良策とは思えない。

 それは当然人間たちへの同情などではなく、この事件を引き起こした首謀者がプレイヤーに関係する人物である可能性があるからだ。

 もっと言えばナザリックのNPCや、本物の鈴木悟かも知れない以上、このまま情報収集を続けるか、あるいは積極的に事件解決を目指して行動することで首謀者を誘き出す。そのどちらかを選択するべきだ。

 そう考えて提案しようとした矢先、悟は一つ頷くとモモンガより先に告げた。

 

「よし。逃げよう」




今回はあまり話は進みませんでしたが、この物語は現地側も割と重要な位置を占めることになるので、入れることにしました
次回はもう少し話が進むはずです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 計画外の邂逅

前回がエ・ランテル側の話だったので、今度はそれ以外の者たちの話


「こ。これが合図ですか?」

 

「恐らくは、な」

 

 眼下に広がる地獄絵図とも言えるその光景にイアンは息を呑みつつ、部下の問いかけに答えた。

 断言はできないが、このタイミングから見て可能性は高い。

 人々の叫び声と、大通りを練り歩くアンデッドの大群。

 外周部に存在する墓地周辺から現れたアンデッドはそのまま都市の中心部、すなわちイアンたちが制圧する予定の防壁最内部へと向かっている。

 このままこのアンデッドたちが城壁そのものは無理でも、そこに続く扉を破壊して中に流れ込めば、内部は大混乱に陥る。

 その隙をついて、自分たちがエ・ランテルの中枢を押さえれば、都市は陥落したも同然だ。

 これが最高執行機関が増援として用意したという、外部の者が用意した策とみて間違いない。

 しかし、城壁を無効化する術があるとは聞いていたが、その手段がアンデッドだったとは。

 

 人間以外の全ての異種族を排除しようとしている法国だが、その中でも特に目の敵にしている種族が二つある。

 一つは悪魔。

 天使を単なる召喚モンスターではなく神の使いだと考える六大神信仰に於いて、その天使の対極に位置する悪魔は憎むべき敵だ。

 そしてもう一つの存在こそがアンデッド。

 こちらに関しては法国のみならず、あらゆる生者の敵として忌み嫌われている。

 戦争中の帝国と王国ですら、カッツェ平野という無尽蔵にアンデッドがわき出る危険地帯では、協力し合っているほどだ。

 最高執行機関はそんなものまで利用して、都市を手に入れようとしている。

 

 このままいけば、作戦はほぼ間違いなく成功するだろう。

 この都市の戦力は衛兵と冒険者だ。

 それをあのアンデッドたちが相手にすれば、中枢の守りはより薄くなる。

 

 そうして自分たちが都市の制圧を完了させれば、冒険者は手が出せなくなる。

 冒険者は国と国との問題に手を出してはならないという不文律が存在するからだ。

 しかし、そのためにはこのアンデッド騒ぎを法国の仕業だと認めなくてはならない。

 

 果たしてそれでいいのだろうか。

 これで法国は宣戦布告もせず、その上アンデッドまで利用して都市を落とした国だと公言することになる。

 そんなことをしては野蛮な国どころか、周辺国家全てから敵対扱いされるのではないか。

 先ほども考え、そして一度は最高執行期間を信じて否定した疑惑が、再度浮かび上がる。

 だが、だからといって今から本国に確認する時間などあるはずもない。

 すでに事は起こっている。

 自分にできるのは、何も考えず命令を実行するか、それとも──処罰を覚悟して、この場を離れるかの選択だけだ。

 

(いや、離れたところでどうなるというのだ。神の教えに従い、人間という種を守るためならばどのようなことでもする。そう誓ったはずではないか)

 

 ここで如何ほどの犠牲を出そうと、後でどれほど卑劣と罵られようと、手柄が全て別の誰かのものになろうと、それでも人間が生き残るためになるのなら、喜んで自分の身を差し出す。

 それこそが特殊工作部隊として表舞台に出ることなく非合法活動に全霊を注ぐ、六色聖典の理念そのものだ。

 

「これも、スレイン法国。そして人間のためだ」

 

 部下たちに、そして自分に言い聞かせるように強い意志を込めてイアンは言う。

 

「そ、そうですね。隊長の言うとおりだ。我々は人を守護するためにこそ存在する。この作戦もその一つだ」

 

 部下たちもまた、自分たちの迷いを振り切るように声を張った。

 全員の気持ちが一つになり、後はどのタイミングで動き出すか、と考えていると。不意に、自分の目の前に真っ黒な暗闇が現れた。

 

「なんだ?」

 

 それが何なのか考える間もなく、それは暗闇から出現した。

 

「ずいぶん狭苦しくて汚い部屋でありんすねぇ」

 

 仮面で顔を隠した金髪の若い少女。

 金糸で飾られたドレスの仕立ては、法国でも見たことがないような見事な出来映えで、何よりそのドレスからは魔法の輝きが見て取れた。

 突然現れたように見えたが、転移魔法なのか、それとも何らかの手段で初めからここに隠れていたのかは分からない。どちらにしても相手は魔法詠唱者(マジック・キャスター)。それも自分たちより遥かに高いレベルの魔法を操る者だと直感した。

 

「あ、貴女が協力者ですか?」

 

 これだけの装備を持ち、自分も知らない魔法を使いこなす彼女こそ、レイモンが言っていた外部からの協力者なのではないか。

 そう考えて思わず問いかける。

 部下たちも突然の乱入者に驚きを隠せずにいたが、イアンの言葉におお。と安堵と畏怖が混ざったような息を漏らした。

 

「ん? ああ。神官長とやらがそんな話をしていんしたねぇ」

 

 目とその周りに金色の模様が踊る仮面の、恐らくは口に相当する箇所に指を押し当て、考えるような仕草を見せてから、少女は思いだしたように告げる。

 

「やはり! 我々は──」

 

「ああ。そういうのは結構でありんすぇ。計画は変更されんしたから」

 

「それは、如何なる……」

 

 ゾクリと背筋に冷たい何かが走った気がした。

 仮面の女はこちらに視線すら向けておらず、声にも何の変化も無いというのに、全身を悪寒が貫いたのだ。

 

「〈集団人間種支配(マス・ドミネイト・パースン)〉しばらく黙っていなんし」

 

 そして。その悪寒の答え合わせだというように、仮面の少女は一つの魔法を使用した。

 相手の精神を支配する魔法だ。

 しかし、最低でも第三位階までの魔法を使いこなせる信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)の集団であり、装備によって抵抗力もあがっている陽光聖典の隊員ならば、この魔法に抵抗するのはそう難しいものではない。

 魔法抵抗難度強化(ペネトレートマジック)などで成功率を上げていなければ尚更だ。

 だというのに。

 イアンの体は何の抵抗もできず、意識が支配される。

 直後イアンは、見ず知らずの少女を心の底から自分の主人だと認識してしまう。

 これはそういう魔法だ。

 相手は明らかに自分たちに害を為そうとしている。

 だというのに、何もできない。

 許しを乞いたいが、その許可すら貰えないのではどうしようもない。

 いったいこれから自分たちはどうなるのかを想像する。

 冷静に、想像することができる。

 今のイアンにとって、それが一番の恐怖だった。

 

 

 ・

 

 

「んー。こいつらは処分しても問題にはなりんせんよね」

 

 メモ帳を持って来ることができなかったため、デミウルゴスの立てた計画を頭の中で思い出そうとする。

 元々デミウルゴスが立てていた長期計画では、上層部を手中に収め自由に操れるようになった法国を使い、各国に戦争を仕掛けさせて国同士を争わせることで、周辺国家すべての国力の低下と、数少ない強者がどう動くのか見極める予定だったが、シャルティアが先走り、最高執行機関にこの都市の占拠を命じたことで、その計画は破綻した。

 

 それに憤慨したアルベドの糾弾によって、窮地に陥ったシャルティアを救ってくれた主の慈悲深さ。今思い出すだけでも、全身が幸福に包まれる。

 何より、アルベドや他の守護者たちが何を言っても玉座の間から出てくることのなかった主が、自分を救うために出てきてくれた。これが一番重要なのだ。

 はっきり口にしてしまえば、喧嘩どころか殺し合いに発展しかねないため、アルベドには言っていないが、主にとってこのシャルティア・ブラッドフォールンこそが、最も大切な存在だと言われたも同然なのだから。

 

「ああ、あの大口ゴリラの悔しがる顔が目に浮かびんすぇ。今更点数稼ぎをしても、あの御方の寵愛はもはや、このわたしのもの! はっ! ははは!」

 

 興奮して思わず声を張り上げた直後、今はそれどころではないということに気が付くが、それでも抑えきれずに口元に浮かぶ笑みを、シャルティアは意志の力で無理矢理抑え込む。

 今はなにより、その主の慈悲により、変更された計画の遂行を第一に考えるべきだ。

 デミウルゴスも言っていたではないか。

 このエ・ランテルを占拠し、ここに存在する全てをナザリックの資源として利用する。その戦果を主に報告し、出立の際に見せられなかったこのドレス姿をお披露目する。

 その時こそ、この自分の胸に溢れんばかりに募った主への愛を伝えるのだ。

 

「んんっ。少ぅし、興奮してしまいんしたね。えーっと、なにを考えて──」

 

 一つ咳ばらいを入れてから視線を動かして、未だ固まったままの人間たちを見て思い出す。

 この者たちはシャルティアの眷族となった、スレイン法国最高執行機関の下にいる特殊工作部隊の一つ、陽光聖典。

 ただし、既に隊の半数以上の人員が愚かにもナザリック地下大墳墓に侵入したことで、隊の戦力は半減、あるいはそれ以下となっている。

 そもそも、他の六色聖典は情報収集やゲリラ工作など──人間にしてはと前置きをした上でだが──使い道がある者たちだが、この陽光聖典の基本任務は亜人集落の殲滅であり、その実力も第三位階の魔法が使える程度。

 ナザリックに自然と湧いてくるモンスター程度で簡単に代用ができる。

 

「やっぱり、こいつらに使い道はありんせんねぇ」

 

 だからこそ、この者たちが今回の作戦の責任を追わせるためのスケープゴートとして選ばれたのだ。

 元々は六大神とやらの信仰に従って亜人虐殺を行っていた陽光聖典が、信仰が行きすぎた結果、亜人や異種族だけではなく異教徒もまた自分たちの敵だと認識したことで暴走し、法国から出奔して手始めに三国の要所であるエ・ランテルを狙った。という筋書きだった。

 

 もちろん一部隊で都市を占拠するのは不可能なので、とある強大な力を持った存在が背後にいる設定となっている。

 本来それはシャルティアの役目だったはずだが、直前の作戦変更によってその役割を担うのは、あの憤怒の魔将(イビルロード・ラース)となってしまった。

 そうした強大な力を持った存在がエ・ランテルを占拠することで周辺諸国を煽り、場合によっては団結を促し、各所に存在する個としての強者も釣り上げるのが、この計画の本当の目的だ。

 その際は当然、法国も仲間に入れさせて、こちらに情報を流させる手筈だ。

 

 発端となったのが陽光聖典ならば、法国も各国から非難は受けるだろうが、完全に敵対されるほどではない。

 何しろ人間たちにとって法国は周辺国家最強と呼ばれる国。

 強大な力を前にすれば、味方は多ければ多いほど良いと考えるはずだ。

 

 当初はそのように考えられていたのだが、土壇場になってズーラーノーンというそれなりに名の知られた秘密結社がエ・ランテルに潜伏しているとの情報を、風花聖典という六色聖典の別部隊が入手したため、そちらをスケープゴートに使用することになった。

 これならば法国は何の警戒もなく周辺諸国同盟に加わることができる。

 その時点で陽光聖典には何の価値もなくなった。

 ついでに新しく隊長になった者が最高執行機関の決定に不満を覚えているらしいとの情報も得たため、黒幕の役割を憤怒の魔将(イビルロード・ラース)に取られて、やることのなくなったシャルティアが、遊びついでに処分する事にしたのだ。

 

 とはいえ、これはデミウルゴスの計画には無いこと。

 もう一度問題がないか、きっちり考えてから実行に移すべきだ。

 そう考えて再びチラリと陽光聖典に目を向けると、先頭に立っていたむさ苦しい外見の男が、何か言いたげにこちらをじっと見ていることに気付く。

 

「あ」

 

 作戦内容を思い出す最中、殺すと明言した上、他の内容に関してもいくつか声に出してしまったことに気付く。

 万が一にでもこの者たちを逃がすとこちらの情報が漏れてしまう。となるとやはりここで殺すのが得策だ。

 

「死体を持ち帰れば問題ありんせんね。殺しんしょう」

 

 いざというときに備えて魔力節約のために、鮮血の貯蔵庫(ブラッドプール)の材料にでもするのが一番だろう。

 そうと決めたシャルティアは良く血の吹き出しそうな首でも切り落としてやろうと爪を伸ばし、一人目の首を刈り取るべく、手刀を振り上げた。

 

「全く。なにが最高級宿だと思ったが、当たりを引けたという意味では確かに最高の宿だったらしいね」

 

 場違いに静かな声を、吸血鬼として人間などより遙かに発達したシャルティアの聴覚が捉える。

 その瞬間、シャルティアは陽光聖典の男ではなく、声が聞こえた壁に向かって拳を振り抜いていた。

 何の抵抗にもならず簡単に壁が砕け落ちると同時に、凄まじい速度の何かがシャルティアに向かって放たれた。

 

「くっ!」

 

 守護者最強であるシャルティアの身体能力を以て、辛うじて避けることができたその攻撃は、これまで見てきたこの世界の雑魚どもとは一線を画す速度と威力を誇っていた。

 

「何者!?」

 

 シャルティアの問いかけには答えず、壁の向こうから現れた乱入者は、竜を象った白金の全身鎧を身に纏い、その背後に複数の武器を浮かび上がらせながら呟いた。

 

「それとも。これも計画の内かい?」

 

 その言葉はシャルティアではなく、この場にいない別の何者かに向けられているように聞こえた。

 

 

 ・

 

 

「よし。逃げよう」

 

 鏡に映る阿鼻叫喚の地獄と化した都市内を眺めながら、悟が言う。

 その口ぶりは実に軽いものだった。

 

「逃げる、ですか?」

 

 ナーベラルとソリュシャンが、目を合わせた後、モモンガに視線を向ける。

 悟の意見を聞くべきか、モモンガに伺いを立てているようだ。

 二人は悟のことを四十二人目のギルドメンバーだと勘違いしているが、彼女たちにとって至高の存在とは四十一人のみ。

 モモンガが同格だと認めたため相手を立ててはいるが、命令を無条件で聞く気は無いと言いたいのが見て取れる。

 どこまでいっても彼女たちにとっては至高の四十一人こそが全てであり、それ以外に忠誠を誓うことはない。

 それはつまり本物の鈴木悟を見つけた後、彼女たちは間違いなく自分ではなく、本物の側に付くことを示していた。

 百年間変わることの無い、底なしの忠誠心を間近で見続けてきたモモンガには分かりきったことだったが、ショックを受けている自分に気づく。

 

(何を今更)

 

 一つ自嘲した後、モモンガは頭を切り替えて悟に顔を向けた。

 

「逃げるとは、どういうことだ?」

 

「そのままだ。相手は第十位階魔法の使い手、まず間違いなくプレイヤーに属する者だろう。その強さも分からないうちに戦う必要はない。俺たち、いやアインズ・ウール・ゴウンの戦いは始まる前に終わっていなくてはならない」

 

 そうだろう? と続ける悟は、どこか昔を懐かしんでいるようだ。

 確かに言っていることは正しい。

 相手がプレイヤーにしろ、NPCにしろ、第十位階の魔法が使えるとなればそのレベルは最低でも七十以上。

 魔法職に完全特化すればもう少しレベルは下がるが、どちらにしてもモモンガや悟はともかく、ナーベラルやソリュシャンよりは格上の相手であることは間違いなく、相手が一人とも限らない。

 そもそもユグドラシルはレベル上げが容易なこともあって、プレイヤーはその多くがレベル百になっている。

 対してモモンガも悟も、レベルこそ百だが本物に比べると、使える魔法も半分以下で、まともな装備も持っていない。

 悟はコンプライアンス・ウィズ・ローを持ってはいるが、完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)の魔法使用中しか着けることはできず、その場合でも戦士系の特殊技術(スキル)は使えないので戦士としての強さも微妙だ。

 結果として、相手が上位のプレイヤーであったなら、例え四人がかりであっても勝てるとは言い切れない。

 相手が二人以上ならば、負けは確実だ。

 だからこそ、戦わず逃げようと言う悟の考えも分かるが、同時に疑問もある。

 

「しかし、アインズ・ウール・ゴウンに関係する相手の可能性もある。先ずは隠れながら様子を見て情報を集めるべきではないのか?」

 

 今は百年に一度の揺り返しの時期と合致しているのだから、あり得ない話ではない。

 それを確かめてからでも遅くはないのではないか。

 モモンガの言葉を聞いて、ナーベラルたちもピクリと体を反応させた。

 もしアインズ・ウール・ゴウンの関係者であっても、ギルドメンバーは最終日にログインしていないため、彼女たちが最も会いたい存在であろう、自らの創造主に会える可能性は限りなく低い。

 だが、数多く創造したNPCたちのいずれかならば、まだ望みはある。

 残念ながら二人の姉妹であるプレアデスのメンバーは第十位階魔法を使えない──オーレオールオメガは使えるが、彼女は支援魔法に特化していたはずだ──ので除外となるが。

 そんなモモンガの提案を悟は即座に切って捨てた。

 

「それは無いな」

 

「何故、でしょうか? 悟様」

 

 モモンガが問う前にソリュシャンが問う。

 そこには百年ともにいたモモンガでなければ分からないほど、僅かな不満が滲んでいた。

 彼女たちはモモンガを、如何なる場合に於いても完璧な絶対者としてみている。

 その虚像は百年掛かっても修正できなかった。

 だからこそ、そのモモンガの提案を即座に却下したことに不満を抱いているのだ。

 そんな二人の様子に気づいているのかいないのか、悟はこれまで通り淡々と言葉を紡ぐ。

 

「仮に。相手がアインズ・ウール・ゴウンの者なら、今言った理屈を相手も理解しているはずな以上、こんな危険は犯さない。違うか? それに情報収集ならこんな危険な場所ではなく、逃げた後で外から行えばいい」

 

「あ」

 

 確かにその通りだ。

 ナザリック地下大墳墓が来ているのなら、そこには本物のモモンガ、いや鈴木悟がいるはず。

 そして百年単位で転移する揺り返しの性質上、最近来たばかり。

 そんな状況でこんなリスクを冒すとは考えづらい。

 ならば一度ここを離れても問題はない。

 悟の言うように、誰も見ていない場所でならば、この鎧を解いて魔法的な手段で監視する方法はいくらでもあるのだから。

 

(しかし、即座にここまで考えるとは。こいつ本当に俺と同じコピーか?)

 

 悟は二百年前に来たと言っていたが、これが百年分の経験の差なのかもしれない。

 だがこれはチャンスだ。

 ここで悟の方が格上であり、モモンガが万能の絶対者などではないと、二人に伝えることができれば、今後行動の指針をモモンガ一人で決めることなく相談して決められる。

 

(むしろ今後は悟の方に絶対者として動いてもらえば──)

 

 チラリと視線を動かすと、悟は一瞬何かに気づいたように体をびくつかせた後、一つ咳払いを入れた。

 

「……とまぁ。こんなものでどうだモモンガ。俺もまだまだ錆び付いてはいないだろう」

 

「んん?」

 

 突然軽い口調に変わった悟に、二人は答えを求めるかのようにモモンガに目を向けた。

 当然何のことかわからないモモンガは内心大いに慌てるが、それも直ぐに鎮静化する。

 その一瞬のラグを狙ったかのように、悟は不思議そうにしている二人に言葉を掛けた。

 

「モモンガならこの程度のこと気づいていたに決まっているだろう。俺がアインズ・ウール・ゴウンのやり方を忘れていないか試した。そういうことだろ?」

 

 その説明を聞いて、ナーベラルとソリュシャンはああ、と納得したように頷いた。

 

「なるほど。流石はモモンガ様」

「それに即座に気づき、対応なさるサトル様も流石は、至高の御方々と同じ地位にいる御方。お見事です」

 

「いやいや。モモンガとはよくこうして互いに試し合いをしていたからな。なあモモンガ」

 

「あ、ああ。そうだな、悟!」

 

(こいつ、自分が俺と同じような立場になるのがイヤで逃げやがったな)

 

 誤魔化し方が巧くなり、頭の回転も自分より遙かに早いが、性格や考え方自体はモモンガと大差がないことを理解する。

 

(やっぱりこいつ俺だわ)

 

 どうせ今頃は心の中でガッツポーズでもしているに違いない。

 その光景をはっきりと思い浮かべることができた。

 

「ともかく、行動が決まったのならさっさと移動しよう。転移魔法なら一発だ」

 

 鎧を身につけたままで使える魔法は五つだが、その中に転移系の魔法は入っていないため、モモンガは改めて魔法で作った鎧を解こうとする。

 その瞬間、見えない波動──大気の歪みのようなものが上空から迫り、体を貫いた。

 

 

 ・

 

 

 宿の壁を突き破って外に飛び出した仮面を付けた女を追いかける。

 そのまま逃げるつもりかと思ったが、ある程度の高さまで到達すると女はその場で静止し、クルリと反転してこちらを見た。

 位置も併せて、実に好都合だ。

 

「世界歪曲障壁」

 

 相手が何かするより先に手を打つ。

 使用したのは転移を阻害する結界だ。

 この魔法の範囲は数キロに渡る。ちょうどエ・ランテルの中心である最内部の上空にいることが幸いした。

 ここでこの魔法を使用すれば、エ・ランテルのほぼ全てを包むことができる。

 本来はより上位の魔法であり、転移だけではなく物理的な手段での出入りも防ぐ、世界断絶障壁を発動させたいところなのだが、そうするとエ・ランテルの住人も外に逃げ出せなくなる。

 とはいえ自分にできるのはここまで。アンデッドに関してはこの都市の冒険者や衛兵たちに何とかしてもらうしかない。

 どちらにせよ、これでこの空間を自由に転移で移動できると確定しているのは、自分と揺り返しの要である世界級(ワールド)アイテムを持っているサトルの二人だけ。

 目の前の女が何者なのかは不明だが、揺り返しによって現れた存在ならば、相手も世界級(ワールド)アイテムを持っている可能性はあるが、それでも基本的にそのアイテムを持っているのは揺り返し一度に付き一人だけのはずだ。

 つまり、この場で戦いになったとしても、自分とサトルの二人掛かりならばまず間違いなく勝てる。

 

「お前の名は?」

 

 どうせ答えないだろうが、一応聞いてみる。

 案の定、女は答えずに指先を頭上まですっぽりと覆った、世界歪曲障壁によって生み出された半透明な膜に向ける。

 

「……あれは何?」

 

 淡々とした語り口だが、内心に苛立ちを内包しているのが分かる。

 いつものツアーならば、相手がこちらの問いに答える気がないと理解した時点で、問答無用で攻撃に移るところだが、今回はまだ早い。

 サトルに自分たちを見つけてもらわなくてはならないからだ。

 サトルを初めとした、この世界の者たちが長距離通信を行う際に使用する伝言(メッセージ)なる魔法を、ツアーは使うことも受けることもできない。

 あれはあくまでも八欲王が世界を汚したことで広めた位階魔法であり、始原の魔法を操る竜王はそれを使用することができないためだ。

 ツアーがこの女との戦いの場に上空を選んだのは、それが理由だった。

 ここで戦いを始めれば、直ぐにサトルが気づいてくれるはずだ。

 それまでの時間稼ぎを行わなくてはならない。

 そう考えたツアーは、問われたことに正直に答えた。

 

「転移魔法を阻害する防壁だ。つまり、お前が臆病風に吹かれて逃げ出ようとしても無駄だということだよ。信じられないのならば試してみると良い」

 

 時間稼ぎと挑発を兼ねた発言だ。

 世界歪曲障壁はあくまで転移で外に出ることを阻害するだけのものなので、実際に転移魔法を使用され、膜に近づかれると歩いて外に出られることに気づかれかねないのだが、先ずは情報が集められればそれで良い。

 これで相手が挑発に乗り、転移魔法で外に出ようとするだけで様々な情報が得られる。

 普通に障壁外へ転移できれば、相手が世界級(ワールド)アイテムを持っていると証明できる。つまりぷれいやーである可能性が高まる。

 逆に転移が失敗した場合でも、この中では転移そのものが発動しないわけではないため、転移で目的地に指定した方向の直線上にある膜の手前に転移することになる。

 つまり、その位置を確認すれば相手の拠点がある方向を知ることができるのだ。

 

(そう言えばこのやり方も、サトルが教えてくれたんだったな)

 

 かつて十三英雄の仲間たちと魔神退治をしていたときの話だ。

 徒党を組んでいた複数の魔神の内の一体を追いつめたのだが、転移で逃げ出そうとしたため世界断絶障壁を使用した。

 その時に転移失敗の法則に気づいたサトルが、転移しようとした方向を割り出したことで、他の魔神たちの拠点を早期に見つけることが出来たのだ。

 さて、今度の相手はどう出るか。と出方を窺っていると、仮面の女は僅かに首を傾げ、低く唸り声を上げた。

 

「ああ?」

 

 その声と、鎧を通じて本体であるツアー自身にすら伝わるほどの殺意を漲らせる様を見て、瞬間的に理解する。

 やはりこの者は、本質的には悪。世界に協力するものではなく、世界を汚す側だと。

 

「このわたしが逃げる? 調子に乗るなよ」

 

 逃げるという言葉に反応したのだとしたら、単純に挑発に乗りやすいタイプなのか、それともプライドが高いのか。

 だが、逃げないのならばそれでも構わない。

 戦いになれば、直ぐにサトルが気づく。

 だが、その前にもう一つだけ確認をしておかなくてはならないことがある。

 自分たちがエ・ランテルについて早々にこの事件は起きた。

 アズスに調べてもらった八本指の件と合わせても十中八九、サトルはこの件を知っていたのは間違いない。

 その上でツアーに黙っていたのだ。

 それは何故か。

 

 単に確証が得られなかったため。

 情報漏洩の可能性を少しでも下げるため。

 実はこの事件の裏に評議国が絡んでいて、永久評議員の自分に知らせるのを躊躇った。

 可能性だけならいくつも考えられる。 

 だが、もっとも可能性が高いのは──

 

(ここに私をおびき寄せて、サトルとこの女の二人掛かりで叩くつもりだった)

 

 つまり、サトルがツアーを裏切った。

 そうであったのなら、それはとても悲しいことだ。

 だが同時に覚悟を決めることもできる。

 世界のために、かつての仲間であり友であるサトルをこの手に掛ける覚悟。

 そのときはエ・ランテルのことも気にしている余裕はなくなってしまうが、それもまた世界の守護という大局から見れば、小さな犠牲でしかない。

 

「戦う前に聞いておこう……サトルという名を知っているか?」

 

 意を決して問いかけるツアーの言葉に、再び女は僅かに首を傾げた。

 女が口を開くまでの時間が、まるで永遠であるかのように長く感じられた。




世界歪曲障壁で転移失敗の際どうなるかなどは、十四巻で出てきた世界断絶障壁の描写を参考にしています
ツアーが世界歪曲障壁を使用可能という描写はありませんが、より上位の魔法らしい世界断絶障壁が使えていたので使えることにしました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 本物の冒険者

長くなったので途中で切ろうかと思いましたが、エ・ランテルでの話はなるべく早く終わらせたかったので一つに纏めました
そのせいで後半ちょっと詰め込み過ぎたかもしれません


「今のはなんでしょう。攻撃、ではなさそうですが──」

 

 自分の体を通り抜けていった波動はそのまま外に向かい、半球状の膜のようなものがエ・ランテル全域を覆うほど広がって停止した。

 

「この範囲に影響を及ぼす魔法。クソ! 二人とも、こっちに! さっさと転移魔法で──」

 

「ダメだ! 転移魔法は使うな」

 

 力強く叫んでから、悟は空に向かって顔を持ち上げ、憎々しげに舌を打った。

 

「こうなったか」

 

「なに?」

 

「サトル様。それはいかなる」

 

「この魔法の中では転移魔法は使えない。試そうともするな。相手に捕捉される」

 

「悟。お前、これについて何か知っているのか?」

 

 先ほどの反応からして悟が何か知っているのは間違いない。と考えての問いかけに、悟は少しの間考えるような間を空けてから応える。

 

「……俺たちが使用する位階魔法とは別の魔法。真なる竜王と呼ばれる者たちだけが使える始原の魔法だ」

 

「なんだと!」

 

 真なる竜王。

 ドラウディロンの曾祖父を初めとして今では極少数しかいないらしいが、その力は強力無比。かつてはプレイヤーすら打ち倒したという化け物じみた力の持ち主だと聞いている。

 そのときの戦いのせいで、竜王は未だプレイヤーを敵視し、竜帝の汚物という蔑称で呼んでいることも。

 

「これほどの力を持っていたのか」

 

 転移阻害自体はモモンガも使える次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)などでもできるが、これだけの範囲となれば超位魔法クラスでなければ再現できない。

 少なくとも、その超位魔法も使えず、まともな装備も持っていない今のモモンガで太刀打ちできる相手ではない。

 

「それは。つまりアンデッドの召喚や、隕石落下(メテオフォール)を使用したプレイヤーなる勢力とは別の者ということでしょうか?」

 

 ソリュシャンの推察に、悟は再度強く頷いた。

 

「プレイヤーと竜王は基本的に敵対関係にある。そして竜王の中には常にプレイヤーを捜している者もいる。それに引っかかったのだろう」

 

 モモンガは頭の中で、これまでの状況を整理する。

 

(えーっと。つまりなんだ、俺が偶然この都市にきたタイミングで、悟も偶然来て、謎のプレイヤー勢力まで現れて、それを追って竜王も来た。と……いや、これ絶対偶然じゃないだろ!)

 

 一つ二つまでなら偶然の範疇だろうが、それ以上の偶然が重なるとは考えづらい。

 自分たちがこの都市に来たことすら、依頼をした何者かに呼び寄せられた可能性もある。

 そうなると一番怪しいのは──

 そこまで考えてハッと気がつき、僅かに視線を下に向けて考え込んでいる悟を見る。

 モモンガにとって、正義の象徴とも言えるたっち・みーの鎧も中身が別人だと、何となく邪悪に見えてくるから不思議なものだ。

 二百年という自分たちより百年長くこの世界にいて、この竜王固有の魔法に関してもそうだがこちらの知らない情報も多数持っている。

 自分と同じ立場だからといって、安易に信用すべきではないのかも知れない。

 

「やはりここは一度引いた方が良いな」

 

 モモンガがそう考えたタイミングで、悟が再度撤退を提案する。

 こうなると、奴の思い通りにするのも危険に思えてくる。

 

「しかし、転移魔法は使えないのだろう?」

 

「あの魔法が阻害するのは転移のみだ。歩いて外に出れば問題ない」

 

「……ずいぶん詳しいな」

 

「当たり前だ。俺は一度竜王と戦っているからな。そのときは撤退を優先させたが、しつこくてな。撤退するだけでも面倒だった」 

 

 その時のことを思い出したのか、悟は重々しいため息の真似事をしてみせた。

 演技には見えないが、やはり引っかかる。

 

「では。この都市にいる下等生物どもを盾や囮に使い、そこに紛れる形で撤退するのは如何でしょうか?」

 

 何とか悟の思惑から外れたい。と頭をフル回転させていたモモンガに、ナーベラルが提案した。

 ソリュシャンではなく、ナーベラルが提案するというのは珍しいが、それも彼女が成長している証だ。

 

(これは使えるのでは?)

 

 モモンガが出したアイデアならば、同じ思考回路を持っている悟が読んでくるかもしれないが、ナーベラルやソリュシャンといったNPCの行動は読めないはずだ。

 実際彼女たちが命令無視をしてこの場に駆けつけたことが、悟にとって予想外だったのは事実。

 ならばその案を採用すれば、悟の思惑から外れるのではないだろうか。

 

「よし。それで行こう! 悟、かまわないな?」

 

 悟が何か言う前に、今度はモモンガの方が先手を取る。

 これで向こうがそれを却下したのならば、何かしら思惑があると見て間違いない。

 

「……しかし、お前たちもこの都市に来たばかりと言っていたが、宛はあるのか?」

 

「それならば問題ございません。共に依頼を行った冒険者や、冒険者組合の長とも面識がございます。あの者たちは私たちの実力の一端を知っておりますので、手を貸すといえば反対はしないかと」

 

 今度はソリュシャンが補足を行う。

 悟はさらに考えるような間を空けた。

 やはりNPCたちの提案は、悟の思惑の外だったらしい。

 

「──ならば、それで行こう」

 

 やがて吐き出された声には、ほんの僅かに不満の色が混ざって聞こえた。

 それはモモンガの気のせいではなかったのだろう、悟はただ。と前置きをしてから言葉を続けた。

 

「そういうことなら、俺は別行動を取る」

 

「別行動?」

 

「ああ。俺はその冒険者組合の相手とは顔を合わせていないからな。説明も面倒だ。お前たちはその冒険者組合に紛れてそのまま都市を脱出。俺は別ルートから一人で抜け出す」

 

 悟がそう言った瞬間、巨大な雷が空に走った。

 天然の雷ではなく、魔法によって発生したものだ。

 あの規模となると単体を狙う雷系魔法としては最高位の万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)かも知れない。

 プレイヤー側の勢力と竜王側の勢力が、戦い始めたのだろう。

 悟自身が先ほど言ったようにプレイヤー側の勢力がナザリック地下大墳墓の一員、もっと言うなら本物の鈴木悟である確率は低い。

 ここを離れるのが最良なのは間違いなく、戦いを始めた今ならば意識はそちらに集中するため、逃げるのならば今の内だ。

 

 そのはずだ。

 完全に信じきれないのは、やはり悟に対する疑念が晴れないためか。

 戸惑っている様子や、一人で別行動すると言った提案すら、悟の予定通りだったら。

 そんな風に考えてしまう。

 いや。これほど複数の状況を自分の思い通りに操ることなどできるはずがない。単なる考えすぎだ。

 と言いたくなるが──実際ナーベラルやソリュシャンはモモンガにそうした技能があると勘違いしている──悟には自分にはない百年分の経験値、いや、モモンガ自身転移してからの百年はほとんど引きこもって生活していたことを考えると、それ以上の経験がある。

 人格や記憶はともかく、思考回路や頭の回転の速さなどは既に別人と考えた方が良い。

 

(そうは言っても既に作戦は決まってしまった。今から別の案を考えることもできないか)

「よし。分かった。悟とは別行動を取ることにしよう」

 

「後は集合場所だな。この結界の中で伝言(メッセージ)を使うのは止めておこう。試したことはないが、もしかしたら相手に察知されるかもしれない」

 

 ここだ。とモモンガは思いつく。

 集合場所を悟に決めさせてはならない。

 そこに悟が何らかの罠を仕掛ける可能性もあるからだ。

 ならば確実に、それがあり得ない場所を選べばいい。

 幸いモモンガと悟が知っている場所で、この百年、一度も悟が訪れていないと太鼓判を押されている場所がある。

 

「なら集合場所は、カルネ村でどうだ?」

 

 その名を口にした瞬間、悟の体がピクリと反応した。

 

「……あの村まで知っているのか」

 

「私たちの行ってきた仕事がトブの大森林での薬草採取でしたので。ですが、悟様はどうして……」

 

 モモンガの代わりにソリュシャンが答えながら、途中で気がついたとばかりに目を見張る。

 ハムスケから聞いた情報については、二人には話していなかったため、カルネ村の開祖と呼ばれていた男が悟であることを二人は知らなかったのだ。

 だが、悟が村の名前を知っていたことで、結びついたようだ。

 

「そう言うことらしい。悟、あの村の開拓にはお前が関わっていたそうだな。ハムスケが会いたがっていたぞ」

 

「ハムスケ、か。懐かしい名前だ。そう言うことなら話は早い。あの場所は俺も記憶している。脱出したらすぐ合流しよう。それと──もう一つ頼みがあるんだが」

 

 昔を懐かしむように鼻を鳴らしてから、悟は気を取り直すように小さく首を振り、モモンガに向かってごく軽い口調で続けた。

 

「冒険者を使って逃げるのなら、ついでに英雄になってきてくれないか?」

 

 

 ・

 

 

 エ・ランテルの冒険者組合。

 アンデッドから逃げのび、どうにか転がり込んだ組合の中は、つい先日、漆黒の剣に護衛任務を頼みに来たときとはまるで違う騒々しさが溢れていた。

 

「あ、あの! 漆黒というチームのことを知っている方はいませんか!?」

 

 息を整える間もなく声を張り上げようとするが、走り続けたせいで喉が乾き、大きな声が出ない。

 それでなくても、せわしなく動く冒険者たちの悲鳴にも似た声に紛れて、ンフィーレアの言葉はかき消される。

 だが、怖気付いてる暇はない。

 モモンたちを呼ぶ時間を稼ぐために戦っている漆黒の剣や、祖母のリイジーを救いに戻らなくてはならないのだから。

 

「あの、モモンさんという剣士なんです。漆黒の全身鎧を着た」

 

 近くにいた冒険者らしい男の肩を掴んで、直接声を掛ける。

 

「ああ!? しらねぇよ、そんなこと。冒険者じゃねぇなら隅っこにいってろ!」

 

 それだけ言うと、男はンフィーレアを押し退けて行ってしまう。

 走り続けた疲れのせいで思わず倒れ掛けるがなんとか留まり、再び別の冒険者に声をかけようとしたところ、後ろから声がかかった。

 

「ねぇ。その剣士ってバカデカい剣二つ持って、もの凄い美人を二人連れた人?」

 

 驚いて後ろを振り返ると、そこには赤毛の女冒険者が立っていた。

 彼女が口にしたのは、まさしく漆黒の三人。やはりここに来ていたのだ。

 

「そ、その人たちです! 彼らは今どこに!」

 

「こ、この騒ぎが起こるより前に、組合を出ていったよ。あんなご立派な鎧着た人がわざわざ裏口から出ていったから記憶に残ってたんだ」

 

 思わず詰め寄るンフィーレアの勢いに押されるように、女冒険者は一歩後ろに下がる。

 

「そ、そんな」

 

 入れ違いになったのだと気づき、力が抜けそうになるが、何とか堪える。

 

(いや、だったら。探しに行けば良いんだ)

 

 あの三人がアンデッドに負けるはずがないのだから。

 

「裏口から出てどっちの方向にいったか分かりますか?」

 

「裏口から出たらあっちしか行けないけど……まさか捜しに行く気? あんた冒険者でもないのに、ここまで逃げてこられただけでも奇跡みたいなものなんだから、止めておきなよ。今のエ・ランテルじゃここが一番安全だよ。上で組合長と作戦会議してるけど、ミスリル級冒険者チームが二組残ってる。それに、もう入り口も塞いじゃったよ」

 

 そう言われ、視線をンフィーレアが入ってきた扉に向けると、そこには既にバリケードが作られていた。

 今更外に出たいから外してくれと言っても許してはくれないだろう。

 だが、自分一人外に出るだけなら、それこそモモンたちが出ていったという裏口や、二階の窓から飛び出ることはできる。

 リイジーや漆黒の剣の皆を助けるためにも、迷っている時間などない。

 

「ありがとうございます」

 

 頭を下げ、走りだそうとした瞬間、バリケードの向こうにある扉からドン、と大きな音が響いた。

 逃げ遅れた住人たちが助けを求めにきたのかと思ったが、そうではない。

 扉を叩く音が違う。

 腐った肉を叩きつけたような、水気を多く含んだ打撃音は人のそれではなく、動死体(ゾンビ)のものだ。

 

「クソ! ここまで来たか」

 

 ンフィーレアを押し退けて、女冒険者が前に出ていく。

 扉を叩く音は、より強く大きくなる。

 その瞬間、背筋に寒気が走った。

 ここまで無我夢中で走ってきたため忘れていたが、外に出ると言うことは、あの死を形にした存在である、アンデッドたちの群れが跋扈する中に戻ることに他ならない。

 そのことに今更恐怖を覚え、手が震え始める。

 外に出て、モモンたちが見つからなければ自分は死ぬ。

 それは間違いない。

 何より、ここまでアンデッドが押し寄せたということは、その手前で時間稼ぎをしていたはずの、漆黒の剣やリイジーは既に──

 

(でも!)

 

 最悪の想像を振り切り、ンフィーレアは震える手を無理矢理握りしめて、拳を作る。

 それと同時に扉から先ほどより更に巨大な音が轟いた。

 今までにない轟音に、ンフィーレアも含め冒険者たちも身を竦ませる。

 とうとう扉が破られるのか。誰もがそう考えた。

 しかし、想像とは異なり、その音を最後にそれまで絶え間なく続いていたアンデッドが扉を叩く音が途絶えた。

 いったい何がと思う間もなく、聞き覚えのある声が室内に響いた。

 

「おい! 外のアンデッドは片づけた。ここを開けてくれ! アンデッドはまだまだ増えてる。閉じこもっててもじり貧だ!」

 

「ルクルットさん?」

 

 いつも軽薄で飄々としている彼らしくない、切羽詰まった声だが間違いない。

 漆黒の剣のメンバーである彼が生きていたことに声にならない喜びを感じ、その直ぐ後聞こえてきた声で、彼がここまで生きてたどり着けた理由も分かった。

 

「まだですか?」

 

 こちらはいつも通りというべきか、感情の起伏が薄く、冷淡さと抜き身のナイフのような鋭さだけが、はっきりと伝わる声にも聞き覚えがある。

 ワーカーチーム漆黒の魔法詠唱者(マジック・キャスター)、ナーベのものだ。

 ナーベがモモンを置いて一人で行動するとは考えづらい。

 つまり外にはモモンもいる。

 ルクルットが居るのなら、他のメンバー、それにリイジーも一緒のはず。驚きと喜びで足がもつれそうになりながら、扉に向かおうとすると、先ほどの赤毛の女冒険者がそれを止めた。

 

「あんた外の奴知ってるのね。さっき捜してた全身鎧の剣士?」

 

「いえ、彼は違います。でも──」

 

 説明の時間ももったいないが、納得してもらわなければバリケードを外してもらえないかも知れないと話し始めた矢先、再びルクルットの声が響いた。

 

「いや、ナーベちゃん。それはまずいって。ちょっと! ああ。中にいる奴、死にたくなかったら扉の前から退けろ!」

 

 先ほど以上に切羽詰まった声は、もはや悲鳴に近い。

 それを引き出しているのがナーベだと気づいた瞬間、全身から血の気が引く。

 今自分が立っているのは、扉の直線上だったからだ。

 

「こっちです!」

 

「ちょ! 何よ」

 

 腕を掴み無理矢理引っ張りながら自分も真横に飛ぶ。

 

「〈雷撃(ライトニング)〉」

 

 冷たい声と共に閃光が扉とバリケードを吹き飛ばしたのその直後だった。

 

「さっさと外に連れてきて下さい」

 

 呆気に取られる冒険者を一瞥することもなくナーベは言い、ローブを翻して立ち去っていく。

 

「ホントクールだねぇ。ま、俺はそこに惚れたんだけど」

 

 続いて姿を現したルクルットに、冒険者たちが僅かに安堵したような雰囲気となった。

 銀級とはいえタレント持ちの魔法詠唱者(マジック・キャスター)を有する、漆黒の剣は組合の中でも知られた存在なのだろう。

 

「ルクルットさん!」

 

 改めて声をかけるとルクルットもまたンフィーレアを見つけ、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

「おっ。無事たどり着けたか少年。こっちも全員無事だぜ。お前のばあちゃんもな」

 

 最後に付け加えられた言葉に思わず全身の力が抜ける。

 

「本当ですか。良かったぁ」

 

「だが、喜んでばかりもいられねぇ。みんな、俺は銀級冒険者チーム漆黒の剣のルクルット・ボルブだ! さっきも言ったように外に出てくれ。ここにいたって死ぬだけだ。だが、外には英雄が居る。あの人について行けば生き残れるぞ!」

 

 途中からンフィーレアではなく組合内の全員に向かって告げてルクルットは破壊された扉の外を顎でしゃくった。

 当然、ンフィーレアはその指示に従って外に出ようとする。

 

「なんなのよ。さっきの女は。英雄って何よ」

 

「外に出れば分かりますよ」

 

 混乱する赤毛の女冒険者にそう告げて、ンフィーレアはさっさと外に向かう。

 誰かが先陣を切らなくては、後に続く者は出ない。

 壊れた扉から出た先には、ルクルットの言うように英雄が居た。

 組合から少し離れた場所で両手に巨大な剣を一本ずつ携えて立つ、一人の男。

 ここまでその双剣で、どれほどの具現化した死(アンデッド)を切り裂いてきたのか、鎧も剣もアンデッドの体液にまみれていたが、それでも鎧や剣には傷一つない。

 

「あ、あれが?」

 

 ンフィーレアの後を追いかけてきた女冒険者が震えた声を出す。

 その後ろからもチラホラと冒険者たちが続いているのが見えた。

 破壊された組合の入り口近くに、人溜まりができた頃、ようやくモモンが動く。

 アンデッドの群れはモモンを取り囲むだけで、それ以上近づいてくる様子はない。

 生者を憎むこと以外の感情など存在しないはずのアンデッドが、まるで彼の力を恐れているかのようだ。

 しかし、そんなモモンの背後を突く形で二体、巨大な剣と盾を持った騎士のような風体のアンデッドが飛び出してきた。

 モモンよりも遙かに巨大なそのアンデッドは左右から同時に襲いかかり、振り被った剣を一直線に叩きつける。

 だが、その奇襲にもモモンは動じない。

 

「まったく、しつこいアンデッドだ」

 

 振り返ることもせずに煩わしそうに言うと、自身の剣を相手の剣にぶつけるように振り上げる。

 年季が入りながらも、一目見ただけで業物だと分かるアンデッドのフランベルジュはモモンのグレートソードとぶつかった瞬間砕け、モモンの剣はそのままアンデッドの頭を粉砕した。

 崩れ落ちていく二体のアンデッドには最後まで目もくれず、モモンはそのまま周囲のアンデッドを打ち倒し始める。

 ナーベとソーイもそれに加わり、この一帯に群がっていたアンデッドの群が一掃されるまで、時間は掛からなかった。

 ここにいる誰もが、その強さに口を閉ざし、固唾を呑んで見守る。

 

「漆黒の英雄」

 

 誰かが呟いたその言葉は、まさしく彼を称するに相応しいものに思えた。

 

 

 ・

 

 

 突然現れ、ミスリル級冒険者チームでも足止めがせいぜいだった、強大すぎる力を持ったアンデッドの騎士をあっさり打ち倒し、その後周囲に群がっていた多数のアンデッドをも一蹴した、ワーカーチーム漆黒の登場は、この場にいる全員に鮮烈な印象と希望をもたらした。

 彼らがいればこの難局も乗り切れる。

 このアンデッド騒ぎの首謀者を討ち取ってくれる。

 誰もがそう思っていただけに、モモンが発した言葉には驚愕させられた。

 

「さぁ、この都市を脱出するぞ。助かりたければ、この私、モモンに付いてこい!」

 

 冒険者たちが困惑する中、慌てて二階から降りてきたアインザックが前に出る。

 

「ま、待ちたまえモモン君。脱出とはどういうことだ? エ・ランテルを見捨てるとでも言うのか?」

 

 その問いかけに、モモンは何でもないように頷いた。

 

「その通りだ。もはやこの都市は助からない」

 

「何を言っている! この都市には未だ何万、いや何十万という人々が居る。それを見捨てて逃げ出すなど──」

 

「冒険者は国属意識が薄いと聞いていたが、そうでも無いようだな」

 

「なにを」

 

 アインザックが言葉を続ける前に、モモンが上を指した。

 

「組合長、先ほどから上空で何者かが戦い始めたのは知っているだろう?」

 

 確かに行政区が存在する城壁最深部の頭上で、人知を超えた何者同士が戦いはじめているのは見えていた。

 その戦いは、冒険者として様々な強者や強大なモンスターを見てきたアインザックをして、今まで見てきたものが児戯だと思えるほど。まさしく神話の領域にあるものだった。

 

「あ、ああ」

 

「これは私の情報提供者から聞いた話だが、奴らはこの件の首謀者と、それに敵対する第三勢力の何者か、らしい」

 

 情報提供者。とやらが何者かは気になるが、ワーカーチームは組合などが存在しない分、特別な情報網を持っていると聞いているため、そこには触れずモモンに詰め寄る。

 

「ならば尚更。この手のアンデッドは召喚者を討てば楔を失い消滅するはずだ。君の実力は私も見た。間違いなく君はアダマンタイト級冒険者と同等あるいはそれ以上。その君が第三勢力と協力すれば──」

 

 あれだけの者たちの戦いの前には、都市最強のミスリル級冒険者チームですら何の役にも立たないのは事実。

 しかし、そのミスリル級冒険者チームでも相手にならなかったアンデッドの騎士を二体も同時に葬ったモモンならば。

 

「敵の敵が味方ならばそれも良いだろう。だが、アンデッドを召喚した者はもちろん、それと敵対する第三勢力が我々の味方とは限らない。それにあの膜を見ろ。あれは転移魔法を阻害する魔法だ。恐らくはアンデッド召喚者を逃がさないために第三勢力側が使用したもの。上で戦っているのはそんなレベルの連中だ」

 

 モモンの言葉に周囲の者たちが騒めく。

 

「あれだけのアンデッドを召喚する奴と、あんな範囲魔法を使う別勢力までいるってのか?」

「おまけに転移魔法って、第五位階の魔法だろ?」

「そんなもんを使うやつらが相手なんて、勝てるわけがねぇ」

「……だとしたら、確かに逃げるのは今しかないんじゃないか?」

 

 モモンの言っている言葉の脅威を理解できる冒険者だからこそ、その言葉に従うべきではないかという意見が広がり始める。

 

「みんな落ち着け、まずは冷静に──」

 

「アインザック!」

 

 皆を落ち着かせようと声を張り上げた瞬間、背後から声を掛けられ、そちらに目を向けると都市長へ報告に向かったラケシルが戻ってきた。

 

「おお、ラケシル。都市長は?」

 

 問いかけた直後、暗い表情になり首を横に振ったラケシルの様子で全てを理解した。

 考えてみれば当然だ。

 都市長のいる行政区はあの戦いが行われている場所の真下、あれだけ派手な戦いに巻き込まれないはずがない。

 これで冒険者組合は独自の判断で動くしかなくなった。

 

「やはり、逃げるしかないようだな」

 

 ラケシルとアインザックの無言のやりとりを見ていた、モモンが言う。

 

「……しかし、あの膜は突破できるのか?」

 

「あの魔法が阻害するのは転移のみだ。歩いて突破するのは問題ない。そこまでの道も私たちが先導する」

 

 モモンの言っていることは理解できるが、やはり軽々には決断できない。

 自分たち冒険者は人々を守るためにこそ存在する。

 その守るべき人々を見捨てて、自分たちだけ逃げ出すことに対する後ろめたさがあった。

 そんなアインザックの心を見透かしたようにモモンは続ける。

 

「敵は英雄譚(サーガ)に登場する魔神にも匹敵する。このことを一刻も早く周辺国家に知らせなくてはならない。それこそが我々が今なすべき事ではないのか?」

 

 十三英雄の英雄譚に登場する、配下の悪魔を引き連れて世界を滅ぼし掛けた存在、魔神。

 それが単なるおとぎ話でないことは、冒険者ならば誰もが知っている。

 モモンは今エ・ランテルで起こっている事件が、その再来ではないかと言っているのだ。

 本来ならば荒唐無稽と笑いとばすところだが、数千を超えるアンデッドを召喚する者に、都市ごと覆う規模の魔法を使用する者。

 既に二つの規格外の存在が現れた今、それを笑うことは出来ない。

 モモンはそれを見越した上で、都市ではなく人そのものを救うべく、最も可能性の高い方法を実行に移そうとしているのだ。

 

 それでも。

 モモンの言っていることはあくまで最悪の場合だ。

 アンデッドを召喚した側は明確な敵意があるにしろ、もう片方は分からない。

 案外あの魔法は単純にアンデッドを召喚した相手を逃がさないために使用しただけで、そちらに勝利すれば、そのまま去っていくかもしれない。

 それに、都市の人間を見捨てるという事は、この地に住む自分の家族も見捨てることになる。

 冒険者の前に一人の男として、それは受け入れがたい。

 

(だが、そうでなかった場合を考えると──)

 

 思考が堂々巡りを繰り返し、答えが見つからない。

 

「モモンさん! またアンデッドが集まって来たぜ」

 

「私たちが先に露払いをしてきます」

 

 周囲の警戒を行っていた、漆黒の残りのメンバーが声を上げる。

 

「ああ。頼む」

 

 視線を周りに向けると、確かにモモンたちが蹴散らしたアンデッドが再び集まり始めていた。

 このままでは再びアンデッドに囲まれるのも時間の問題だ。

 決断は急がねばならない。

 そう分かっているのに未だ決断できないアインザックを他所に、モモンは周囲の冒険者たちに言い聞かせるように告げた。

 

「国や都市、家族ではなく、もっと広い視野を持ち、人々を守るために動く。それこそが本当の冒険者ではないのか?」

 

 思わず顔を持ち上げ、モモンを見つめる。

 

「もし君たちにその覚悟があるのなら付いてきたまえ。道は私が切り開く」

 

 そう言ってモモンは、都市の出入り口である東側の門に向かって巨大なグレートソードの切っ先を向ける。

 国や都市では対処できない脅威から、人々を守る。

 今でこそ、モンスター専門の退治屋と揶揄されているが、それこそが冒険者本来の役割。

 モモンはワーカーでありながら、それを実行しようとしている。

 

 同時に、その言葉に感銘を受けている者たちがいるのに気がつく。

 それとは逆に反発している者も。

 反発しているのはこの都市に昔からいる古株の冒険者たちだ。彼らの中にはアインザックと同じようにこの都市に家族がいる者も居る。

 何より強さを示したとはいえ、新参者で冒険者ですらないモモンが勝手に方針を決めていることに不満を抱いているのだ。

 逆に若い冒険者たちは、おとぎ話の中から出てきた英雄のようなモモンに憧れを抱き始めている。

 それを理解したとき、アインザックは一つの解決策、いや自分自身を納得させる方法を思いついた。

 

「……モモン君。私の頼みを聞いてはくれないか?」

 

「頼み?」

 

「ああ。ワーカーチーム漆黒。君たちに冒険者となって貰いたい」

 

「冒険者に?」

 

「そうだ。今の君こそ、本物の冒険者と呼ぶに相応しい」

 

 手放しでモモンを誉めるアインザックに、新人冒険者は更に瞳を輝かせ、逆に古参冒険者はますます不満を露わにしていく。

 だが、それでいい。

 

「……分かりました。謹んでお受けしましょう」

 

「うむ。ではモモン君、最初の依頼は私から出させて貰おう」

 

 アインザックの言葉に、モモンは分かっているとばかりに頷いた。

 万能薬採取の依頼での受け答えや、ここまでのやりとりで何となく分かっていたが、やはり彼は察しがいい。

 

「アダマンタイト級冒険者・漆黒。君たちはこれより他の冒険者を引き連れ、エ・ランテルを脱出し、この危機を王国のみならず周辺諸国すべてに伝えてくれ」

 

 周囲の騒めきがいっそう大きくなった。

 それも当然だ。アダマンタイト級冒険者はエ・ランテルでは長らく空位であった、冒険者の頂点に与えられる位なのだから。

 

「アダマンタイト?」

 

「ああ。この冒険者組合の長。プルトン・アインザックが認めよう」

 

 そう言ってアインザックは事前に用意していたアダマンタイト級のプレートを持ち上げる。

 本来は事件解決の報酬として、彼らに共に戦ってくれと言うつもりで用意していたものだ。

 

「おいおいいきなりアダマンタイトってマジかよ」

「いや。モモンさんたちなら納得できる。あの人は、森の賢王に勝ったんだからな」

「森の賢王ってあの!?」

 

(なるほど。あの万能薬をこれほど早く取ってこられるはずだ)

 

 トブの大森林の南方を支配する白銀の四足獣。それを打ち倒したのならば、森の探索も苦ではない。

 最後に謎が解けて良かった。とアインザックは心の中で苦笑しつつ、さあ。とアダマンタイトのプレートをモモンに押しつける。

 

「分かりました。その依頼受けましょう。では組合長。隊列を組み、手薄な東側の門から──」

 

「いや。私は付いていかない」

 

 モモンの言葉を遮ったアインザックに再び視線が集中する。

 

「では組合長はどうするのです?」

 

「私はここに残る。まだ都市内で戦っている冒険者チームや逃げられない住人もいるからな。彼らを見捨てることはできない」

 

「しかし──」

 

「それにだ。案外モモン君は心配し過ぎで、上にいる何者かがアンデッド召喚者を打ち倒し、そのまま都市を救ってくれるかもしれん。そうなったとき、対応できる者がいなくては困るだろう」

 

 あえて豪快に笑う。

 同時に再び空に巨大な雷が走り、轟音が鳴り響いた。

 未だ決着はつかないようだ。逃げるのならば今しかない。

 

「そういうことだ。皆もモモン君に付いていくか、それともここで戦うか、決めて良い。どちらにしても依頼金は組合から出そう」

 

 事の成り行きを見守っていた冒険者たちに提案する。

 もっとも、依頼金の支払いは組合が残っていればの話なのだが。

 

 

 そうして僅かな時間だが、これからの身の振り方を決めさせるための時間を与え、アインザックはその様子を少し離れた場所から見守っていた。

 アインザックが想像した通り、モモンに憧れていた者たちは付いていこうとしており、逆にモモンに反発していた者たちは都市に残ろうとしている。その中には二組のミスリル級冒険者チームの姿もあった。

 

「これも計算通りか」

 

「ラケシル」

 

「お前や彼に不満を持った古株の高位冒険者が一緒に行けば、道中必ず衝突する。そうさせないためだろう?」

 

 小声で言うラケシルに、アインザックは苦笑で応える。

 

「まさか天狼や虹も残ってくれるとは思わなかったがな」

 

「奴らもお前の考えを理解しているんだろう。あるいは先に戦ったクラルグラには負けていられないと考えたのかもな……しかし、良いのか?」

 

「なにがだ」

 

「モモン君は俺たちが若い頃憧れた、世界のために戦う本物の冒険者そのものだ」

 

 ラケシルの言いたいことは分かったが、口は挟まず続きを待つ。

 

「彼に付いていけば、お前もその一員になれるかも知れないぞ」

 

 その言い方は、この都市に残っても先はないことを理解している様子だった。

 それはラケシルだけではなく、天狼や虹も含め、何度も死地を経験した古参の冒険者も同じはずだ。

 それでも残ろうとする者は、単純にモモンに反発しているだけではなく、よほどこの地や住人に思い入れがある者たちに違いない。

 

「ラケシル。確かに俺は本物の冒険者とやらにはなれなかったが、本物の冒険者を送り出すことはできた。それで十分だ」

 

 モモンに目を向ける。

 こんな暗い中でも存在感のある漆黒の鎧の胸元には、アインザックの渡したアダマンタイトプレートが輝いている。

 

「それに俺は、自分の都市に住んでいる人々を守るだけの冒険者も、そんなに嫌いではないからな」

 

 モモンも言っていたが、冒険者は国属意識が薄いと言われているが、そうした冒険者ばかりではない。

 モモンが言う本当の冒険者とは違うが、そこに住んでいる人々のために命を懸けて戦う、そんな冒険者もいる。

 これが自分が組合長として作った、冒険者の形なのだと思うと悪い気はしなかった。

 アインザックの言葉を聞いて、ラケシルは小さくため息を吐く。

 

「ならば、俺もそれに付き合うとするか」

 

「良いのか?」

 

 魔法の研究一筋であるラケシルは、アインザックのように家族は持っていなかったはずだ。

 都市に残る理由は薄い。

 しかしそんなアインザックの問いをラケシルは笑い飛ばした。

 

「皆まで言うなよ。俺たちはチームメイトだろう?」

 

「……助かる」

 

 万感の思いを込めて頷き合い、二人は何の合図もなしに再びモモンに目を向けた。

 先ほど露払いだと行って近くのアンデッドを狩りに行ったモモンのチームメイトも戻り、冒険者たちの決断も粗方済んだようだ。

 後はそれぞれの立場に分かれて行動を開始するだけ。

 都市に残る自分たちの役割は、取り残された人々を救いながら都市の外に誘導することと、モモンたちが脱出するまでアンデッドを引きつけて時間稼ぎを行うこと。この二つだ。

 とはいえ、後者に関しては、これだけのアンデッドの大軍が方々に広がっている以上、引きつけられるのはごく僅か、大した手助けにはならないかも知れない。

 だが、アインザックはさほど心配してはいなかった。

 モモンが本物の冒険者、いや英雄ならば、この程度の危機、容易に乗り越えてくれるはずだからだ。

 

「さあ! 皆もそろそろ決めたか?」

 

 全員に向かって声を張り上げると、冒険者たちが一斉にこちらを見る。

 皆が頷くのを見届けてから、アインザックは更に大きく声を張り上げた。

 

「どちらを選んでも、エ・ランテルの冒険者として恥じない活躍を期待する!」

 

 一拍の間の後、力強い叫び声が周囲に響きわたった。




ちなみにどんな攻撃でも一度は耐えるデスナイトをモモンさんが一撃で倒しているのは、冒険者たちに良いところを見せるため、事前にダメージを与えておいたからです

次はシャルティアとツアーの話になる予定
エ・ランテルでの話は後二話か三話で終わるはずです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 すれ違う者たち

全員が色々な意味ですれ違う話です
前回がモモンガさんの話だったので、今回はアインズ様の話


 ナザリック第十階層、玉座の間。

 アインズは玉座に腰を下ろしながら、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)──不可視かつ非実体の感覚器官を作り出す魔法を併用して──で作戦を見守っていた。

 作戦内容は既に確認しており、この世界の人間たちの脆弱さも併せて危険はないと思われるが、やはり心配になったのだ。

 とはいえ、シャルティアを信用していないと思われると困るので、彼女や他の守護者たちには知られないように、わざわざ立ち入りを禁じているこの玉座の間に移動したのだが。

 

 そのシャルティアはアインズに見られているとも思わずに、暗記したデミウルゴスの計画書を思い出しながら作戦を進めている。

 初めはその様子を微笑ましく見ていたが、シャルティアが転移門(ゲート)を用いて移動してしまったことで姿を見失い、慌てて追跡するため一度鏡を操作して都市を上から俯瞰しようとした矢先、上空に昇ってくる影を二つ発見した。

 

 一つは言うまでもなくシャルティア。

 彼女が無事だったことに胸をなで下ろす間もなく、その眼前に立ちふさがる白金の全身鎧を纏った騎士の姿が目に入り、アインズは思わず叫んだ。

 

「なんだこいつは!」

 

 その騎士はシャルティアを前にしても動じた様子も見せない。もっともシャルティアの見た目は単なる少女でしかないため、侮られても仕方ないのだが。

 問題なのはどう見ても魔法詠唱者(マジック・キャスター)には見えない騎士が空を飛んでいることだ。

 飛行(フライ)は第三位階魔法。

 この世界のレベルでは魔法詠唱者(マジック・キャスター)ですら使える者は少ないと言うのに、相手は騎士でありながら容易く空を飛び、特殊技術(スキル)によって通常の飛行(フライ)より早く飛べるはずのシャルティアの速度にも着いてきている。

 魔法ではなく特別なアイテムなのかもしれないが、どちらにせよ、この都市にこんな騎士が居るとは聞いていない。完全にイレギュラーな存在だ。

 騎士とシャルティアは向かい合いながら何か会話をしているようだが、その声は届かない。

 

「くそ! 声が聞こえないのが痛いな」

 

 遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)では、姿は見えるが声は聞こえない。

 別の魔法を組み合わせればできるが、コピーであるアインズはその魔法が使えなくなっており、魔法の巻物(スクロール)も手元にはない。 

 口の動きで会話を聞こうにも、騎士は全身鎧、シャルティアは仮面を付けているためそれも叶わなかった。

 しかし、身振りや雰囲気で少なくとも険悪な様子なのは分かる。

 

「いざというときは撤退を優先しろと伝えてあるから大丈夫だとは思うが……」

 

 しかし、パンドラズ・アクター曰く、アインズに対して並々ならない好意を向けているシャルティアは、今回の作戦にかける意気込みが半端ではないらしく、元からこの世界というよりナザリックに属する者以外全てを見下していることも併せて、撤退を選ばない可能性もある。

 

伝言(メッセージ)を送るか? しかし、それでは俺が監視していたと気づかれる」

 

 そんなことを考えている間に、騎士が片腕を持ち上げる。

 同時に騎士を中心として、直径数キロはありそうな巨大な半透明の球状の空間が発生した。

 

「あれは──まずい!」

 

 こういった空間に作用する魔法を初手で使う理由はほぼ間違いなく、外部との接続を断ち、相手を逃がさないようにするためだ。

 それもこれだけの広範囲に亘って効果を及ぼすとなれば、通常の魔法や特殊技術(スキル)では不可能。あり得るとすれば超位魔法くらいだ。

 こんな超位魔法に見覚えはないが、この世界ではいくつかの魔法の効果が変わっている物もあるので、アインズの知っている魔法でも見た目や効果が変わっている可能性はあった。

 どちらにしても情報が足りない。

 

「くそ!」

 

 思わず玉座から立ち上がり、もう気にしてはいられないとシャルティアに伝言(メッセージ)を送ろうとしたアインズは、いつの間にか鏡が映らなくなっていることに気がついた。

 

「何だ、いきなり」

 

 鏡に近づき腕を振って視点を動かしてみるが、何も映らないままだ。

 

「監視がばれたのか?」

 

 思わず周囲に目を向ける。

 あの半球状の結界が展開した後も普通に監視できていたのだから、これはあの魔法ではなく、別の魔法による阻害、あるいは魔法遅延化(ディレイマジック)で効果発動を遅らせた物だと考えられる。

 元から遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)は低位の情報系魔法で防ぐことができる上、反撃を受けやすい微妙系のアイテムだ。

 効果が発揮された段階で、アインズに向かって攻性防壁が発動してもおかしくはない。

 だが、一向に攻撃はこない。

 ナザリックはそうした物に対する防御もあるが、その場合も攻撃を受けたという反応は残るはずだ。

 

「攻性防壁は使っていない? まさか!」

 

 もう一つの可能性に思い至り、アインズは自分の背後にある巨大な水晶で出来た玉座に目を向けた。

 諸王の玉座。

 アインズ・ウール・ゴウンが所有する、世界級(ワールド)アイテムの一つ。

 世界級(ワールド)アイテムはその名のとおり、一つ一つが世界そのものと同価値を持つと設定されたアイテムのことであり、どれもゲームバランスを崩壊させかねない破格の効果を持っている。

 数も二百種類と多く、アインズもその全てを把握してはいない。

 スレイン法国があらゆる耐性を無視して対象を魅了する傾城傾国を持っていたように、この世界にもアインズの知らない世界級(ワールド)アイテムは存在しているため警戒は必要だと考えていたのだが、この諸王の玉座はギルド拠点を他の世界級(ワールド)アイテムから守る効果がある。

 それはパッシブで発動しているものであり、だからこそアインズはナザリックにいる間は世界級(ワールド)アイテムに対する警戒をしていなかった。

 

 そもそも、世界級(ワールド)アイテムを防ぐことができるのは、諸王の玉座だけではない。

 ユグドラシルのゲームでは他のどんな世界級(ワールド)アイテムでも、装備することでステータスにワールドというバフが表示され、他の世界級(ワールド)アイテム──二十と呼ばれる特別なアイテムなどを除き──を防ぐ効果を得るのだ。

 ならば、装備が不可能な諸王の玉座でワールドのバフを得るにはどうすればいいのか。

 実験したことは無かったが、今になって一つの可能性が思い浮かんだ。

 諸王の玉座で個人に対してワールドのバフを得るためには、玉座に座る必要があるのではないかというものだ。

 急いで玉座に座り直して鏡に目を向けると、そこには何事もなかったかのように、先ほどまで見ていたエ・ランテルの光景が広がっていた。

 つまり──

 

「あの膜は世界級(ワールド)アイテムか!」

 

 最悪だ。

 シャルティアには世界級(ワールド)アイテムを装備させていない。

 これはアインズのミスだ。

 この世界にも世界級(ワールド)アイテムが存在していることは知っていたのだから、外で行動する者には世界級(ワールド)アイテムを配るべきだった。

 

 しかし、諸王の玉座やアルベドに預けられている真なる無(ギンヌンガガプ)、本物のモモンガが装備したままのアイテム、使い捨てである二十の内の二つ、そしてそれ以外にも三つのアイテムが行方知れずとなり、合計で八つのアイテムが使用できない状況にあり、先の傾城傾国を合わせても現在ナザリックで使えるアイテムは四つしかなく、今回シャルティアには監視と撤退を優先させていたこともあって持たせていなかった、いやそもそもその危険性について深く考えていなかったのだ。

 

 NPCたちを守ると誓っておきながら、この体たらく。

 自分自身に激しい怒りを覚えながらアインズは、少しでも情報を得るべく食い入るように鏡を見る。

 先ほど視点を動かしたからか、より上空から見るような視点に変わった鏡の中では、シャルティアと例の騎士が激しい戦いを繰り広げていた。

 相手がシャルティアと同程度の戦いができることを確認した瞬間、アインズは再び玉座から立ち上がっていた。

 もはや黙って見ていることはできない。

 シャルティアを救いに行くため、必要な物を取りに行こうと、アインズは玉座の間を出て宝物殿に移動した。

 

 

 ・

 

 

「サトル? 聞いたことのない名前ね」

 

 仮面の女が淡々と答える。

 嘘を吐いているようには見えないが、本当に演技の巧い者は息を吐くように自然に嘘を吐く。

 それを見抜けるほどツアーは己の見る目に自信を持っている訳ではない。

 ならば後はサトルが来るまで、こちらの手を内を隠しながら戦う。

 これが最良だ。

 

 もっとも、その際にサトルが自分と仮面の女、どちらの側に立ったとしても動揺しないように覚悟を決めておく必要はある。

 万が一、この女がサトルや自分に近しい実力を持っていたとしても、逃げるだけならばさほど難しくはない。

 たとえ逃げられなくても、この鎧も所詮ツアーの道具の一つに過ぎない。

 壊されたところで本体に影響はない。

 その結果サトルが本当に自分の敵だと確信できる方がメリットは大きい。

 そうなれば、ツアーもまたこの世界を守るため、かつての仲間と直接対峙する覚悟を決められる。

 

(どちらにしても、先ずは時間を稼ぐか)

 

「では改めて聞こう。お前たちは何者だ、目的はなんだ?」

 

 真正面から問いかける。

 こうした会話による情報収集を仕掛けられた場合の相手の反応はいくつかある。

 問答無用で攻撃を仕掛けてくる。

 普通に乗ってくる。

 その場合でも本当のことを言うか、それとも嘘を混ぜるかで意味合いは異なる。

 逆にこちらに質問を返す場合もあるが、その際、どこまで会話につき合うかも決めておく。

 これもサトルに教わった方法だったな。と内心で苦笑するツアーに、女が答えた。

 

「……良いわ。答えてあげる。わたしたちはズーラーノーン。死を隣人とする秘密結社、そしてここはわたしたちの実験場になるのよ」

 

(ズーラーノーン? アンデッドを使う魔法詠唱者(マジック・キャスター)の集団だと聞いているが、ぷれいやーとの関係は聞いたことがない。当てが外れたか、それともブラフ?)

 

 ズーラーノーンは周辺諸国の殆どから敵として認識されている危険な組織らしいが、それはあくまでも人間たちにとってであり、世界の守護を第一に考えるツアーにとって動く理由にはなり得ない。

 だからこそ今まで特に対策や情報収集も行っていなかった。

 もちろん、最近になってぷれいやーと繋がりを得た可能性や、単純にそれなりに名が知られている組織であるズーラーノーンに罪を着せようとしているだけとも考えられる。

 しかし、一都市のみを狙う作戦の規模や召喚されているアンデッドの弱さ、アズスに調べてもらった八本指というあくまでリ・エスティーゼ王国、一国のみで暗躍する程度の組織に救援を求めているあたりから、考えるとズーラーノーンは釣り合いのとれた相手だと言える。

 

(だとすれば、サトルはあくまでそれを感知しただけ? しかし、私にそれを伝えない理由はなんだ? いや、決めつけるのはまずい。今はもう少し──)

 

「話は、終わりよ!」

 

 声と共にツアーの目前に女が出現した。

 世界断絶障壁内ならば転移は使えるが、これは違う。

 常人では消えたようにしか見えない速度で、相手が突進してきただけだ。

 その速度は明らかに、人間に出せるものではない。

 

 そんな風に考えてしまった一瞬の油断。

 鎧越しに見える視界が高速で流れていき、相手の拳によって吹き飛ばされたのだと気付く。

 操っている鎧がダメージを受けたところで痛みはないが、鎧に強い衝撃が走る。

 二百年前の魔神との戦いでも、これほどの衝撃はなかった。

 やはりこの女はズーラーノーンなどではなく、揺り返しによって現れた世界を汚す力。ぷれいやーかえぬぴーしー以外あり得ない。

 そう確信した。

 

「サトルにどんな思惑があっても、こんなに早く敵を見つけられたことは幸運に思うべきかな」

 

 やれやれと心の中で気合いを入れ直し、ツアーはこれ以上の会話を諦め、戦いを開始した。

 

 

 

(強い)

 

 圧倒的な膂力と魔法を組み合わせた戦い方は、これまでツアーが戦ってきた者の中でも最上位に位置している。

 この鎧では手に余る。

 それがツアーが仮面の女に抱いた感想だ。

 

(けれど、本体で戦えば勝てる)

 

 確かに相手は強いが、自分もこの鎧では本気を出すことはできない。

 相手にも多少の余力はありそうだが、それでも強さの底を推察できたことは大きな収穫だ。

 

 気がかりなのは、いつまで経っても現れないサトルの存在だ。

 ツアーを助けに来るでもなく、相手に加勢するわけでもない。

 派手な魔法のぶつかり合いを何度も行い、これだけ時間が経っているのだから、いい加減こちらを見つけているはずだ。

 

「サトル。どうした、何か狙いがあるんじゃないのか?」

 

 そうしたツアーの焦りが、思わず声になって外に漏れ出る。

 ここまで来ても動きがないということは、どちらかの勝利が確定した段階まで動かないつもりなのかもしれない。

 もしそうなら、これ以上の戦いは無意味だ。

 相手は強いが、武器を持っておらず、攻撃力に欠けているため、こちらに決定打を打つことはできない。

 それは本体ではないツアーも同じであり、結果的に戦いは、互いに決め手に欠けた消耗戦になりつつある。

 

 世界歪曲障壁によって転移で逃げることのできない相手と異なり、ツアーはいつでも世界移動でこの場を離れることができるとはいえ、鎧に込められた力は徐々に減りつつある。

 

 世界移動を行う分の力を残しておくことを考えると、そろそろ潮時だ。

 サトルに関しては一度引いた後、捜し出して問いつめるしかない。

 その答えによっては、その場でサトルを討ち、彼の持つ装備やマジックアイテム、世界級(ワールド)アイテムをこちらで回収する必要が出てくる。

 それらをツアーの部下や信頼のおける相手に渡せば、この女をここで取り逃がしても、次の戦いでは確実に勝つことができる。

 

 世界移動を使用する隙を得ようと、相手を窺うと仮面の女は、突然何かに気付いたかのように視線を下に向ける。

 唐突な行動に呆気にとられるツアーを前に、仮面の女はまたも何かに気付いたように、今度は視線を自分の横に向けなおした。

 何をしているかは知らないがこれはチャンスだ。

 ツアーは背後に浮かび上がらせた四本の武器を全て射出しようと腕を持ち上げる。

 相手も気づき反応しようとするが、こちらが一歩早い。

 射出を命じるために腕を振り下ろそうとして──

 

「そこまでだ」

 

 突如男の声が聞こえ、女の横に漆黒のローブを纏った男が出現した。

 いや、その姿は男や女というくくりでは語れない。

 何故ならばローブの下にあったのは、肉や皮が一切着いていない、人間の骸骨そのものだったからだ。

 なにより、装備こそ違えど、その声には聞き覚えがあった。

 

「……やはり君はそちらに付くのか」

 

 完全武装を整え、女を守るように立つ古い友人の姿に、ツアーは持ち上げていた腕を下ろしながら呟いた。  

 

 

 ・

 

 

(九十レベルくらいのタンク職。といったところね)

 

 数度のぶつかり合いの末、互いに一度距離を取ったことで、シャルティアに相手の戦力分析を行う余裕が生まれた。

 相手はこの世界では破格の強さだが、シャルティアに動揺はない。

 全力を出せば、すぐにでも勝負を決めることができるからだ。

 そう。この程度の相手なら、伝説級(レジェンド)防具である真紅の鎧と神器級(ゴッズ)武器であるスポイトランスを装備した上で、切り札の一つである死せる勇者の魂(エインヘリヤル)を使用して二人で攻め込めば勝利はたやすい。

 それをしないのは、デミウルゴスから万が一強敵とぶつかったときは、こちらの切り札は見せず、情報収集を第一にしろと指示を受けていたからだ。

 

(これを知っていたわけではないでしょうけど。デミウルゴスの言うことを聞いておいて良かった)

 

 指示を聞いたときは、なぜそんな面倒なことをと思ったものだが、今回に限ってはそれが正解だった。

 外見上は鎧を纏った人間、あるいはそれに類する種族──少なくとも異形種には見えない──に見えるが、動きが明らかにおかしい。

 人体の構造を無視した動きでこちらの攻撃を回避する様を見るに、鎧の中は空になっていて、念力(サイコキネシス)のようなもので、武器だけでなく鎧自体も操り人形のように動かしているのだろう。

 ここで戦っているのは別の何者かが操っている末端に過ぎない。

 つまり、相手もまたデミウルゴスと同じように、本気を出さずに情報収集をしようとしていることになる。

 

(デミウルゴスと同じようなことを考える奴がいるなんて)

 

 雑魚ばかりだと思っていたこの世界の者たちも侮れない。

 だからこそ、シャルティアはこの決め手に欠ける装備のまま戦うしかない。

 相手の目的がこちらの戦力を調べることならば、それをむざむざ渡して、ほんの僅かでも主に不利益をもたらすことなどあってはならない。

 その意味では、相手に生身の体が無いことも幸いした。

 同じ操り人形でも、生き物を操る方法もある。その場合、相手にダメージを与えて血を浴びると、シャルティアの特殊技術(スキル)、血の狂乱が発動しかねないからだ。

 あれが発動した場合、こうして冷静に考えながら戦うことなど出来はしない。

 それにしても──

 

(あの魔将はいったい何を)

 

 ここまで派手に戦っているというのに、今回の作戦に於けるシャルティアの副官として派遣された、あの憤怒の魔将が加勢に来る気配がない。

 この膜はエ・ランテル全域を覆っているのだから、外に取り残されて入ってこられないはずもなく、既に隕石落下(メテオフォール)を使用する際に姿を見せているのだから、相手に情報を渡さないように隠れている必要もない。

 この場合の最適解は、さっさと魔将が参戦して二人で戦い、この鎧を破壊することだ。

 魔将は金貨さえ消費すれば、誰でも傭兵として召喚できるモンスターなので、シャルティアの切り札や装備などが知られるよりは、相手に渡る情報が少なくて済む。

 デミウルゴスの作戦でも、万が一の際はそうするように指示が出ていたはずだ。

 これほど時間を掛けても現れないのならば、既に他の敵に敗北し死亡している可能性もあるが、それならば死ぬ前に伝言(メッセージ)なりで、連絡の一つでもよこすはずだ。

 そもそもレベル八十台の魔将をこの短時間で、それもこちらに気づかれることなく倒すことなどできるとは思えない。

 

(何か変ね)

 

 本体ではなく鎧を用いて情報収集を行い、このエ・ランテルでの作戦を事前に見ぬいていたとしか思えないタイミングで、突然現れたこともそうだが、仮にナザリック随一の知者であるはずのデミウルゴスの策がことごとく後手に回っている。

 相手はデミウルゴス以上の策士なのか。

 そうだとすれば、自分はどうするべきなのだろう。

 このまま時間稼ぎにつき合った方が良いのか。それともデミウルゴスの策がすべて読まれている前提の下、情報漏洩の危機を無視してでも全力で戦うべきか、一度撤退を試みるべきなのか。

 最も主のためになるのは、どの選択なのか。

 そんなことを考えていたシャルティアの視界の端に、一瞬大きな輝きが見えた。

 

「え?」

 

 思わず、戦闘中であることも忘れて視線を向ける。

 すでに消えてしまったが、あの輝きはナザリックに属する者特有のものだ。それもあれだけ強い輝きを持っているのは主しかいない。

 だが主がここに来ているはずはない。

 愛しい主のことを思うあまり、幻覚でも見たのだろうか。

 そう考えた瞬間、今度は事前に使用していた転移遅延(ディレイ・テレポーテーション)に反応があり、自分の真横に転移の気配を感じ取った。

 先ほどの輝きの件もあり、シャルティアはまたも視線をそちらに向けてしまう。

 そんなシャルティアの行動を二度も見過ごすはずもなく、相手が動き出しシャルティアも慌てて視線を戻す。

 騎士が腕を振り上げると、それまで一つずつ射出するか手に持って使用していた武器が一斉に動き出した。

 

 装備を完全武装に変更する早着替えのアイテムは持っているが、それを使っていては間に合わない。

 取りあえずこのまま被弾覚悟で、あの攻撃をやり過ごすしかない。

 シャルティアが覚悟を決めたと同時に、先ほど感じ取った転移の気配が形を成した。

 

 そこから現れた存在に、シャルティアの動くことのない心臓が跳ね上がった。

 やはり先ほどの輝きは見間違いではなかったのだ。

 

「そこまでだ」

 

 その美しき玉体と、この全身を震わせる低く威厳に満ちた声は、まさしく主のもの。

 

「ア──」

 

 主の名を呼ぼうとしたシャルティアの声を騎士が遮る。

 

「……やはり君はそちらに付くのか」

 

「何?」

 

「いつかこんな時が来るとは思っていた。君たちをこの世界に招いたのは我が父の過ち。だからこそ、私は私のやり方でこの世界を守る。どんな手段を使ってもだ」

 

 相手が何を言っているのか、シャルティアには良く分からなかったが、主は当然のように気付いているらしく、小さく鼻を鳴らした。

 

「……できるのかね。君にそれが」

 

「それができるのは、私だけだ」

 

 主の威厳を前にしてなお、尊大な態度を崩さないまま騎士は言うと、下ろしていた片手を再び持ち上げた。

 シャルティアに使用しようとしていた四本の武器による一斉攻撃を行うつもりだ。

 そう気づいたシャルティアは、主を守るように前に出る。

 しかし騎士はこちらには目もくれず、主を見たまま言う。

 

「──世界移動」

 

 その言葉と共に騎士の姿が消え、同時にこの都市全てを覆っていた半透明な膜も消失した。

 それを確認してから、シャルティアは主を振り返る。

 

「ア、アインズ様。どうして」

 

「話は後だ。先ずはナザリックに戻るぞ」

 

「は、はい。ではわたしが」

 

「……いや、あの膜の効果が完全に消えたとは限らん。私の転移で飛ぶ」

 

 そう言えばあの膜は転移を阻害するものだと言っていたはずだが、主はごく普通に転移で現れた。

 単なるはったりだったのか、それとも偉大な御方にはその程度の魔法など効かないということだろうか。

 そんなことを頭の隅で考えつつも、シャルティアはこれ幸いと主の体に抱きついた。

 こんなに近くにいなくても転移はできるのだが、これも役得だ。

 

「んんっ。では行くぞ、〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉」

 

 

 

 直ぐに景色が変わり、幻術で隠されたナザリック地下大墳墓の上空にたどり着くが、入り口には誰もいない。

 このナザリック地下大墳墓の唯一にして絶対なる支配者である主が戻ったのだから、出迎えに出るのが当然だというのに。

 その怒りはある一人に向けられた。

 

「あの大口ゴリラ。これほど大事な仕事をほったらかしにするなんて。職務怠慢でありんすぇ! アインズ様。あの愚か者にキツい罰が必要だと思いんす!」

 

 アルベド本人が出ずとも、手すきのメイドたちに命令して主の出迎えを指示させるのは、ナザリックの内政を任されているはずのアルベドの仕事のはずだ。

 主への点数稼ぎのつもりか、最近妙に大人しく仕事に打ち込んでいると聞いていたが、その結果、主の出迎えという大切な仕事もできなくなるのでは意味がない。

 憤慨するシャルティアに、主は僅かに苦笑したような気配を見せた。

 

「そう言うな。今回は私が勝手に飛び出したことが原因だ」

 

「ですが──」

 

 それでもナザリックの内政を任された守護者統括としてあるまじき行為だ。と続けようとするシャルティアの頭に主は手を乗せ、優しく撫でて、その言葉を封じた。

 

「あ、あいんずさま?」

 

 その極上の感触は、シャルティアの身も心も溶かし、声からも力が抜けていく。アルベドに対する怒りなど、些末なことに思えてきた。

 

「とにかく。お前が無事で良かった」

 

「アインズ様!」

 

 鋭い声と共に、ナザリック入り口より完全武装を整えたアルベドが姿を見せた。

 出迎えにしては物々しい姿は、恐らく主がナザリックを飛び出したことを聞いて、加勢するために装備を調えていたのだろう。

 主の帰還に気づくのが遅れたのはこれが理由らしい。

 

「アルベドか。心配をかけてすまないな。だがこの通り、私もシャルティアも無事だ」

 

「……このナザリック地下大墳墓において、アインズ様の行動は全てが是となります。私に謝罪する必要はございません……ですが! 私たちは貴方様を守るためにこそ存在します。有事の際には先ずは私たちをお使い下さい」

 

 主に刃を向けないように、バルディッシュを背後に回して、アルベドは深く頭を下げる。

 その言葉で、シャルティアも理解する。

 主が自分を助けに来てくれたことを素直に喜んでいたが、確かにあれは危険すぎる。一歩間違えば、相手がもっと強ければ場合によっては主の身が危険に晒されていたかも知れない。

 それが自分のため、いや自分のせいであったら、シャルティアはどう償っていいか分からない。

 

「そうだな。先ずはアルベドに声を掛け、派遣する者を選抜するべきだった。しかし、時間が無くてな」

 

 まるで言い訳をするように、顎先に手を持って言う主に、シャルティアは抱きついたままの姿勢を解いて距離を取る。

 そのまま、主の白磁の(かんばせ)を見上げながら、きっぱりと告げた。

 

「アインズ様。今回ばかりはアルベドの言うとおりです。アインズ様の身が危険に晒されるくらいでしたら、どうぞ、わたしのことなど見捨てて下さい」

 

 これは紛れもない本心だ。

 自信の命と主の安全。秤に掛けるまでもない。

 そんなシャルティアの懇願を、主は間髪入れずに一喝した。

 

「バカを言うな!」

 

 その強く鋭い声に、シャルティアは思わず身を竦ませた。

 

「アルベド。お前にも言っておく。確かに今回の私のやり方は無謀すぎた。相手の強さや情報も集まっていないうちから感情に任せて動くなど、私の、アインズ・ウール・ゴウンのやり方ではない」

 

「……」

 

「だが、私にとってお前たちは、替えの利く単なるシモベなどではない。お前たちを守ることこそが、今の私の全てだ」

 

 力強く宣言したその言葉を聞いて、シャルティアは先ほど主に撫でられた際にこれ以上ないと感じた幸せが、即座に更新されたことに気が付いた。

 このナザリック地下大墳墓の絶対の支配者にして、自分たちを見捨てずに最後まで残られた唯一の御方。

 そんな御方が、シャルティアたちを守ることが全て。と言い切る。

 自分たちの生まれた意味を考えれば、それを喜ぶことは不敬にすら値するはずなのに、シャルティアはその幸せを抑えることができなかった。

 

「っ! アインズ様。貴方様は──」

 

「アインズ様ー!」

 

「うおっ!」

 

 アルベドが何か言っている気がしたが、そんなことを考えている余裕もなく、シャルティアは再び主に抱きついた。

 魔法職に特化した主と、魔法も肉弾戦もこなせるシャルティアでは力が違うため、主は抱擁を受け止めきれずにたたらを踏む。

 それでもシャルティアは主から離れることなく体をすり付けた。

 骨格のみで構成された肢体には、体をすり付けると僅かな痛みがあったがそれすら、いやそれこそが愛おしい。

 

「このヤツメウナギ! 今私が大事な話を」

 

「お、落ち着けアルベド」

 

 負け犬の遠吠えが聞こえる。

 そんな負け犬に構っている主の慈悲深さが、今は少しだけ残念だ。

 もっと自分を、自分だけを見て欲しい。

 そんな思いを込めて、シャルティアはこの世の何より愛しい主を抱きしめた。




戦うシーンを細かく書くと長くなるため、必要な時以外は基本的に飛ばします

ちなみに、諸王の玉座に座っている間だけワールドのバフが付くというのは、自分の勝手な想像です
実際、装備できないタイプの世界級アイテムでワールドのバフを付けることってできるんですかね


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話 暗躍する絶対者

前回現れなかった魔将や、サトルさんのこれまでの行動についての話
ちなみに浮遊城や魔神周りの話が少し出てきますが、その辺りは不明な点が多いので想像で書いています


 直属の上司より今回の作戦の黒幕という役割を仰せつかって出向いた人間たちの都市、エ・ランテル。

 予定通りアンデッドの大軍とナザリック地下大墳墓の絶対的支配者である御方より預かったデス・ナイトの力によって、今やこの都市には破壊と混沌、死と絶望が入り交じっていた。

 

 だが、アンデッドに追われ、逃げまどう者たちの悲鳴を耳にしても、心は躍らない。

 己は悪魔だが、単純な弱い者いじめが好きなのではなく、自身を強者だと思っている者をいたぶることを好むタイプだからだ。

 そもそも、隕石落下(メテオフォール)によって墓地と都市の中間部を隔てる城壁を破壊した時点で、憤怒の魔将(イビルロード・ラース)にはするべきことが無くなっていた。

 アンデッドたちが最内部の城壁に着いたらそちらの壁も破壊する必要があるが、都市内の人間たちを襲いながら進んでいるため、まだ時間がかかる。

 この世界の人間たちは脆すぎて、己の力では簡単に壊れてしまう。

 人間の死体も有効活用するため、できるだけ綺麗な状態を保つ必要があり、そちらにも混ざることができなかった。

 勇者気取りの弱者が、アンデッドの群をかき分けてここまで来てくれれば、とも思うがこの都市を守る衛兵はもちろん、冒険者ですらそんなことは不可能なのは分かりきっている。

 

 些か残念に思っていたのだが、今回はそれが幸いした。

 そうして暇を持て余していたからこそ、魔将はいち早くそれに気づき、こうして遠目から監視することができたのだから。

 都市の中心部であり、アンデッドたちが目的地としている最内部の上空にて、二人の強者がぶつかり合っていた。

 

「シャルティア様が優勢のようだな」

 

 今回の作戦の発案者にして、現場での総責任者となっている第一から第三階層の守護者シャルティアは、ズーラーノーンという隠れ蓑を手に入れたことで不要になった、法国の特殊部隊を排除しに行っていたはずだが、向こうで何かあったらしく、突然都市を覆う結界のようなものが張られ、全身鎧の騎士らしき者と戦い始めた。

 

 本来は直ぐに救出に向かうべきなのだが、デミウルゴスからは未確認の強者が現れた際には、先ずは情報収集と他に伏兵がいないか確認するために相手を泳がせる方法を採るように命じられていた。

 もっとも、予定では矢面に立って戦うのは自分であり、情報を集めるのはシャルティアの役目だったのだが、戦い始めてしまったのならば仕方ない。とこうして相手の観察を続けていた。

 先に上司にして、作戦の詳細を詰めたデミウルゴスに報告するべきなのだが、あの膜の効果が分からないため、あくまで観察のみに徹していたが、それも限界だ。

 相手の騎士はシャルティアを上回るほどの強さがあるようには見えないが、万が一ということもある。

 自分のような代わりの存在する者と異なり、シャルティアは至高の御方により創造された存在。危険が及ぶ前に助けに向かうべきだ。

 

(ここまで戦って出てこないのならば、伏兵はいないと考えていいだろう)

 

 仮にいたとしても、自分には同格の魔将を召喚する切り札もある。

 この条件ならば負けはしない。

 そう。

 デミウルゴスや己の想定を遙かに超える存在でも現れない限り──

 

「ほう。こんな者まで連れてきていたか」

 

 いざ加勢を。と炎の翼を広げて戦いに参戦しようとした魔将の背後から、静かな声が響く。

 振り返るとそこには安っぽいローブを纏った者が立っていた。

 

 この周囲にもアンデッドは複数存在する。

 それらに気づかせず、ここまで潜入した時点で相手はかなりの手練れと見て間違いない。

 しかし──

 

(なんだ。この感覚は)

 

 シャルティアの元に向かわせないためにも、この場で倒すべきだと分かっているのだが、相手と対峙した途端、魔将は奇妙な感覚に襲われた。

 精神支配系の魔法でも掛けられたように、相手に攻撃どころか敵意を向けることすら烏滸がましく思えてしまう。

 理解のできない感情に戸惑いつつも何とか気力を振り絞り、戦いを挑もうとする魔将を他所に、相手はローブの下から手を出した。

 

「アンデッド、だと?」

 

 ローブから延びたのは生身の肉体ではなく、むき出しの骨格のみで構成されたアンデッドの腕だった。

 晒された五本の指には、全てきらびやかな指輪が填められている。

 アンデッドは指輪の一つを掴み、そのまま外してみせた。

 その瞬間、憤怒の魔将は己の内に湧き出でた奇妙な感情の正体を知り、即座地面に片膝を突き頭を垂れていた。

 

「ア、アインズ様! 大変失礼を致しました」

 

 指輪を外したのは、瞬きほどの僅かな間だったが間違いない。

 あれはナザリックに属する者全てが有する、仲間を見分ける特別な輝き。

 そして、指輪を外した瞬間吹き出た輝きの強さは、間違いなく自分たちナザリック地下大墳墓の絶対的支配者のみが有するもの。

 アンデッドの腕と合わせても、現在唯一残られた御方に間違いない。

 ナザリックで待機しているはずの御方が、何の連絡もなくこの場に現れた理由は分からないが、先ずはこの御方に敵意を向けるという許されざる大罪を犯したことを謝罪する。

 それを受けて御方は無言の間を空けた後、鷹揚に手を振って告げた。

 

「……いや。突然来たのは私の方だ、問題はない。それよりこちらの状況を報告せよ」

 

「はっ! 計画自体は順調に進んでおりましたが、シャルティア様が一人で行動を開始した直後、上にいる者が接触して戦闘になったものと思われます。それが計画的なものなのか、偶発的な遭遇なのかは、定かではございません」

 

 計画内容は事前に伝えているはずなので、それ以外の部分。

 この場合、シャルティアと上で戦っている何者かについてだろうと説明を開始すると、御方はそれを制止した。

 

「それは良い。先ずは計画そのものについて改めて説明せよ」

 

 既に報告が行っているはずの内容をなぜ。と一瞬考えたが、直ぐに思考を止める。

 絶対的支配者にして、至高の存在と称される御方の考えに、自分のようなものが口を挟むべきではない。

 そうは言っても上空で戦いが続いている以上、時間を掛けることなく、なるべく簡潔に作戦の概要を説明した。

 

「なるほど。上で戦っていたのはシャルティアか……」

 

 視線を中空に向けながら、御方は黙り込む。

 これほど深く長く、考え込むということは簡単には介入できない事情があるということだ。

 深く考えず戦闘に参加すればいいと考えていた己の浅慮を恥じるばかりだ。

 やがて、長い時間を掛けた後、御方は口を開いた。

 

「作戦は変更する。そのためにお前にしか頼めない重要な仕事があるのだが、聞いてもらえるか?」

 

 本来、絶対的支配者である御方が確認する必要などない。ただ命じればいい。

 しかし、お前にしかできないという言葉で胸中に浮かんだのは絶対的な喜び。

 憤怒を司る悪魔である己には、相応しくない感情かも知れないが、そう感じたのは紛れもない事実だ。

 

「何なりとお命じ下さい。アインズ様。至高の御方々に直接創造された皆様とは立場こそ違えど、忠誠心では負けるつもりはございません。どのような命であれ成し遂げてみせます」

 

 己の本心をそのまま告げた魔将の言葉に、御方は一つ頷いた。

 

「では、憤怒の魔将よ。すまないがお前には敵の目を欺くために、ここで死んで貰いたい……できるか?」

 

 静かな声で発せられたその命には、僅かに言い澱むような間を感じられた。

 

「何の問題もございません。即座に」

 

 対して魔将は、一瞬の迷いも見せずに了承する。

 実際何の問題もない。

 御方がそれを望むのならば、そうするだけのこと。

 そもそも悪魔とは、別の世界から召喚主によって呼び出された存在。

 ここで死んでも元の場所に戻るだけ。

 死が死でないからこそ、どんな命令でも迷いなく実行に移せる。

 むしろ、そんな自分に対し御方、いや主が僅かでもその死を惜しんでくれたのならば、これに勝る喜びなど存在しない。

 ただ一つ。

 これでもう主のために力を尽くせないことだけは、残念だったが。

 

 僅かに残った未練を断ち切るように、魔将はその命令を実行に移した。

 

 

 ・

 

 

 世界移動を使って自分の拠点ではなく、先ずはエ・ランテル近くに移動する。

 一気に自分の拠点に戻らなかったのは、サトルが使用する魔法の中に、相手に随行して一緒に飛ぶ魔法があることを覚えていたからだ。

 それを使ってあの仮面の女と共に拠点に攻め込まれると、ツアー本体でも勝てるかは分からない。

 八欲王の残したギルド武器を守りながらではなおさらだ。

 だから、こうして一度別の場所に転移して、追跡者がいないか確かめる必要があった。

 始原の魔法と異なり、位階魔法は非常に種類が多いため、戦う場合は様々な状況を想定しなくてはならないのだ。

 

「敵の転移に随行する魔法、か。何て名前だったかな」

 

一方的な決闘(ロプサイデッド・デュエル)、だ。良く気づいたな」

 

 後ろから声が聞こえた瞬間、ツアーは自身の周囲に浮かび上がらせていた武器の一つを手に取り、背後に向かって振るう。

 

(やはり使用していたか!)

 

 手にした武器は、スケルトン系アンデッドであるサトルに、もっとも効果的な殴打攻撃を加えられるハンマー。

 いつもサトルが着用している純銀の鎧であれば防げただろうが、先ほど見たサトルはツアーも見たことのない豪華なローブ姿だった。

 一撃で倒すことはできずとも、ダメージは通るはずだ。

 

「ちょ! 待て! 俺だ」

 

 その声と共に鎧を通じて見えた視界に映ったのは、やはりあの純銀の鎧ではなかったが、先ほどまで着ていた豪華な装飾の着いたローブでも無かった。

 サトルが身に纏っていたのはツアーと再会した際に身に付け、旅の中でもずっと着用していた見慣れた安っぽいローブだった。

 それを見た瞬間、これまでの旅の思い出が蘇り、ハンマーを振るう腕の速度がほんの僅かに緩む。

 その隙を突くようにサトルが距離を取ったことで、当たるはずだった攻撃は空を切り、ツアーの鎧は体勢を崩した。

 

(しまった! 追撃が──)

 

 人体の構造などは無視して稼働できる鎧であっても、体勢を戻すまでには僅かな隙が生まれる。

 サトルほどの男ならば、この隙を逃すはずがない。それとももう一人の仮面の女が来るか。

 体勢を立て直すことを諦め、防御の姿勢を取るツアーだったが、攻撃はいつまで経ってもやってこない。

 それどころかサトルは、やれやれ。と口に出しながら地面に腰を下ろしていた。

 

「お前も座れ。話がしたい」

 

 今更話など。とは思うが、これから戦うにしろ情報収集の大事さはツアーも理解している。

 周囲を警戒しつつ、ツアーは鎧を操り地面に腰を下ろす。

 鎧は単なる操り人形なのだから立っていようと座っていようと関係ないのだが、この旅の最中は人の振りをしなくてはならない場面が多々あったこともあって、すっかり癖になってしまった。

 そうして正面から向かい合うと、サトルは大きなため息を吐いてから口を開く。

 

「先に言っておくが、さっき現れたあのアンデッドは俺じゃない」

 

「いまさら何を言っている。あの声は君そのものだった」

 

 ドラゴンであるツアーには、他種族の見分けは付きづらい。

 人間に関しては、評議国や他国の者たちと接することもあったため、ある程度ならば分かるが、交流の薄い種族となると難しい。

 ましてスケルトン系は殆ど同じに見えてしまう。

 そのため外見ではなく、声やドラゴン特有の超感覚で掴みとれる雰囲気などで相手を判別するのだが、あのアンデッドは間違いなくサトルだった。

 そんなツアーの指摘を、サトルは軽く手を振って流す。

 

「声を変える方法などいくらでもあるだろ。ほら」

 

 ほら。と言いながら、サトルは自分の首元に手を持っていくと、同時に声が変わった。

 そちらの声にも聞き覚えがある。

 口唇蟲というモンスターを使用して声を変える方法で、サトルは旅の途中でも鎧姿とローブ姿の時で声を使い分けていた。

 この方法だけではなく、多様な魔法が存在する位階魔法にも姿や声を変えるものも存在するが、それはあくまで別人になる方法。

 特定の誰かに成りすます能力を持つ種族がいるという話を聞いたこともあるが、それとて相手のことを知らなくては真似ることはできない。

 

「まったく別人になるのならばともかく、サトルの姿や声を知らなければ真似ることはできないだろう」

 

 ツアーの言葉を受けて、サトルは再び息を吐いた。

 

「それは当然だ。奴と俺はかつて仲間だったプレイヤー同士だからな」

 

「仲間とはどういうことだい? やはり君は──」

 

 問い詰めるツアーに向かってサトルは手を伸ばし、それを制すると静かに続ける。

 

「順を追って話そう。お前も薄々気づいていただろうが、俺はここで、いや。この近くで揺り返しが起こること。そして、あの事件が起こることも初めから知っていた」

 

(やはり、か)

「それは何故?」

 

「俺自身が、二百年前同じ場所に現れたからだ」

 

「君が? しかし、だからといって同じ場所に何度も現れるとは限らないんじゃないか?」

 

 そんな法則があるのなら、竜王たちももっと早くぷれいやーの動きを掴んでいる。

 強大な力を持った者たちが、百年ごとにどこに現れるか分からないからこそ、ぷれいやーは脅威なのだ。

 

「お前が教えてくれたんじゃないか。揺り返しは世界級(ワールド)アイテムが起点になって行われると。俺の拠点には他にも世界級(ワールド)アイテムが存在したが、この世界に来たのは俺だけだった。過去に知っている者が転移している記録もない。ようは何らかの理由で俺が先に転移しただけで、次かその次の揺り返しの際に別の者、あるいは拠点そのものが現れると踏んでいたわけだ。その上で奴らなら近くに存在するあの都市に目を付けると思っていた」

 

 淡々と答えるサトルに、ツアーは複雑な気持ちになる。

 人間であれば眉間に皺を寄せて、ため息の一つでも吐いているところだ。

 

「何故話してくれなかったんだい?」

 

「悪いと思っている。だが、俺は旅の最中、竜王に酷い目に遭わされたんでな。お前がどう出るか読めなかったから慎重になっていたんだよ」

 

「竜王に?」

 

「対話しようとしたが問答無用で攻撃された。お前はプレイヤーを悪だと認識したときのみ排除すると言っていたが、この二百年で竜王全体の考えが変わったのかも知れないと思ってな。まずはそれを確かめたかった」

 

 生き残っている数少ない竜王の中には、ぷれいやーを憎んでいる者が多いため、あり得ない話ではない。

 同盟を結んでいる者たちもいるが、それもあくまで緩やかなものであり、ぷれいやーに出会ったときの対応などは、竜王それぞれが独自に決めていると言っていい。

 

「どの竜王に会ったのかは知らないけど、災難だったね。だが、それはあくまでその竜王の考え、私の考えは二百年前から変わっていないよ。ぷれいやーだからといって全てを悪だとは思っていないが、君たちの力は強すぎる。力を持つ者はその力の使い方に注意を払い責任を取る必要がある。それができない者は、かの八欲王のように己の欲望のために世界そのものを汚す。それは許されない」

 

 これこそがツアーの信念で在り、行動理由だ。

 その意味で共に魔神を滅し、その後もどこかの勢力に荷担することもなく、一人で旅を続けていたサトルはそれができている者だと考えていたから、ぷれいやーだと知った後も何もしなかったのだ。

 

「そのお前が対話ではなく、初めから戦ったということは、今回この世界に来た者たちは失格になるわけか」

 

「当然だ。あの都市の惨状を見なよ。奴らは去ったがアンデッドは消えていない。エ・ランテルはもう終わりだ。どんな理由があろうとこんなことをしでかした彼らは、本質的には悪だよ」

 

 国同士の争いや、生存競争などとは違う。

 ただ強すぎる力をむやみやたらと振り回すあの者たちは、間違いなくこの世界を汚す敵だ。

 

「俺もそう思う」

 

「しかし、さっき君は私を助けに来なかったじゃないか。倒すのならばあれが絶好の好機だったはずだろう?」

 

 仮面の女が一人で戦っているときにサトルが加勢していれば勝利は確実だった。

 そこで仮面の女を倒しておけば、その後サトルが自分に化けていると言った──本当かどうか未だ疑っているが──かつての仲間が来たとしても、そのまま二対一で倒すことができたはずだ。

 そうしなかった以上、サトルは彼らと敵対する気はないのではないか。そんな懐疑的な視線を──鎧を経由して伝わるはずもないが──向けて言うとサトルは僅かに声を落とした。

 

「俺の存在が知られるわけにはいかなかったこともあるが、何より、奴らの戦力はあれで全てじゃないからだ」

 

「なに?」

 

「言っただろう。次に来るのは拠点ごとかもしれないと。最初に現れた仮面の女、あれはシャルティアという名だが、奴はプレイヤーではなくNPCだ」

 

「世界の守りが無いから、もしかしてと思っていたけど、やっぱりそうか」 

 

「そこだ。本来奴は世界の守り、つまり世界級(ワールド)アイテムを持ってはいない。そうした者まで転移してきたのならば、今回の揺り返しによって現れたのは一人や二人ではなく、かつて俺が拠点としていた場所、ナザリック地下大墳墓そのものの可能性が高い」

 

 確かに揺り返しの起点となるのは、サトルが世界級(ワールド)アイテムと呼ぶ、特別な力を持ったアイテムの存在だ。

 揺り返しによって別の世界から現れるのは、それを持っていたぷれいやー自身、あるいはそれが置かれた拠点そのもの。

 その具体的な例も、ツアーは知っている。

 

「それは、八欲王の浮遊城のような?」

 

「ああ」

 

 その言葉を聞き、ツアーは思わず頭を抱えたくなった。

 十三英雄と共に八欲王の残した超級のマジックアイテムを手にするため、ツアーはかつてあの都市に出向いたことがある。

 そこで出会った都市を守っている三十人にも上る都市守護者たちは、全員が桁の違う魔法の武具を装着しており、その強さは十三英雄どころか、討伐対象であった魔神の強さすら超えている者たちばかりだった。

 

 その都市守護者こそが、ぷれいやーに絶対の忠誠を誓い、手足となって働くえぬぴーしーと呼ばれる存在なのだという。

 当時世界中で暴れまわっていた魔神たちも元は六大神に仕えていたえぬぴーしーであり、何らかの理由により暴走したことで魔神に堕ちた存在だったらしい。

 ツアーが拠点に籠り、八欲王のギルド武器を守っている理由がそこにある。

 

 えぬぴーしーが魔神になる条件は分かっていないが、可能性の一つとして拠点を失ったことに理由があるのではないか。と考えられたためだ。

 ギルド武器はそれそのものが強力な力を持つが、同時にその武器が壊されると拠点が崩壊することはサトルから確認も取れている。

 つまり八欲王のギルド武器が破壊されることで、浮遊城が消滅した場合、そこにいる都市守護者たちが魔神となって暴れだすかも知れない。

 一人一人がかつての魔神より強大な都市守護者が暴れ出せば、その被害は魔神との戦いの比ではない。そうさせないために、ツアーはギルド武器から目を離すことができないのだ。

 

 同様に、サトルの言うナザリック地下大墳墓なる拠点にも、先の仮面の女と同等の強さのえぬぴーしーが複数存在しているとすれば、確かに危険この上ない。

 

「だからこそ、あの場は手を出さず静観した。お前の鎧はあくまで道具の一つ。あそこで破壊されたとしても大きな問題はない。いや、破壊されれば奴らの油断が誘えるかもしれないからな」

 

 この鎧も今となっては貴重な物なのだが。

 と言いたい気持ちを押さえ込む。

 世界の危機に比べれば大した損害ではないのは事実だからだ。

 

「……けど相手は仲間なんだろう? 君が出てきて説得してくれれば話し合いで解決ができたんじゃないか?」

 

「残念ながら、俺と奴は喧嘩別れをしたも同然でな。何よりお前が言っていたように奴らの本質は悪だ。逆に聞くが、奴らが説得に応じ、これから何もしないと言ったとして、お前はそれを受け入れられるのか?」

 

 無理だ。と心の中で即答する。

 エ・ランテルの破壊だけならば、まだ目を瞑ることができる。

 王国は騒ぎ出すだろうが、それこそサトルがシャルティアと呼んだ女が言っていたように、ズーラーノーンの仕業に見せかけても良い。世界の危機と比べれば大したことではない。

 問題はそこではない。

 これだけの力を持った者がもっと大勢存在する勢力に付ける首輪など存在しないことが問題なのだ。

 ツアーがギルド武器から目を離せない以上、いつかまた監視の目をくぐり抜けてこの都市と同じようなことを、もっと大規模で行いかねない。

 だからと言って、それだけの勢力が相手となると自分だけでは手に余る。

 他の竜王や慈母たちに協力を求めるにしても、彼らとは最終目標が違うため、それも難しい。

 

「だが。一つだけ奴らを押さえる手がある」

 

「それは一体──」

 

「簡単なことだ。奴らの拠点ナザリック地下大墳墓を俺たちが制圧すればいい。もっと言うのなら、中にいるただ一人のプレイヤー、先ほどお前のところに現れた奴を討てばいい。そうすれば、残るプレイヤーは俺一人。奴らはこちらの命令に従うようになる」

 

「ぷれいやーは一人だけなのかい?」

 

 八欲王は八人で六大神は六人。と拠点ごと現れた場合のぷれいやーの数は固定されていない。

 特に八欲王はそれだけの数で、竜王の殆どを狩り尽くすほどの強さを持っていたのだ。

 そんな者たちが複数いた場合、自分たちだけでは勝ち目はない。

 ツアーの質問に、サトルは強く頷いた。

 

「それは間違いない。ただ一人残ったプレイヤーはチームのリーダーだった男だ。NPCたちは皆俺ではなく、そちらにつくだろう」

 

 えぬぴーしーだけに接触して離反させるのも難しいということだ。

 

「それを私たち二人でやるっていうのか?」

 

「いや。流石に手が足りない。拠点にはNPCだけではなく数多のモンスターも存在する。直接攻めるのは俺たちがするにしても、奴らの目を引き付けておく必要もある」

 

「ではどうする? また仲間集めでもするかい?」

 

 十三英雄の仲間たちを集めたように。

 と口外に続けると、サトルはあっさり頷いた。

 

「そうしよう」

 

「だが、仲間と言ってもどこから──」

 

 あのときの仲間が集まったのは、魔神によって各地の小国や都市が破壊されたことで、種族の垣根を越えて一致団結したからだ。

 今とは状況が違う。と言おうとして、はたと気づく。

 エ・ランテルは三国の要所。

 ここが破壊されたということは。

 

「そうだ。近場にある国にこのことを知らせて危機感を煽り、周辺国家同盟を結ばせる」

 

「周辺国家というと、エ・ランテルに隣接する三国か」

 

「それだけでは足りない。お前ならば評議国も動かせるだろう。そして、竜王国も参加させる手はずは整えている」

 

「竜王国? 確かにあの国は七彩の竜王が造り上げた国だから、ぷれいやーの脅威は知っているはずだけど、今はビーストマンの国から侵略を受けてそれどころではないと聞いているよ」

 

 ツアーの言葉に、サトルは得意げに鼻を鳴らす。

 

「情報が古いな。ビーストマンは既に漆黒なるワーカーチームの活躍で撤退した。そしてその漆黒が今エ・ランテルに来ているんだよ」

 

「エ・ランテルに?」

 

「そうだ。俺が話を付けておいた。プレイヤーの脅威を伝え、エ・ランテルで戦力になる冒険者を纏めて外に連れ出してくれとな。竜王国に多大な貸しがある彼らなら、女王を動かせるだろう」

 

「いつの間にそんなことを」

 

「何のために俺が一人で出歩いていたと思っている」

 

 ツアーがアズスと会っている間、一人で出歩いていたときのことだろう。都市内を観光すると言っていたが、そんなことをしていたとは。

 しかし、これではっきりした。

 この入念な手回しといい、ここまでのサトルの不可解な行動は全て各国を巻き込む、この計画のために行われたものだったのだ。

 

 先ずは、ツアーを仲間に引き入れてエ・ランテルに誘導し、相手の邪魔をせずに静観してわざとエ・ランテルを破壊させることで、その危険性をツアーに見せつけて、同時に周辺国家の敵を作り出した。

 その上で各国に繋がりを持つツアーや漆黒なるワーカー使って、周辺国家全てを巻き込み巨大な同盟を作り上げる。

 そうすれば敵の目は必ずそちらに集中する。

 ツアーとサトルはその隙を突いて、ぷれいやーを討つ。

 これこそがサトルの思い描く計画だ。

 

「流石はサトル。全ては君の計算通りというわけだ」

 

 こちらを騙して思うままに操っていたサトルに、皮肉混じりに言う。

 

「ふふっ。何の話だ?」

 

 あまりにも分かりやすい演技だが、誤魔化したいというのならばそれでいい。

 綺麗ごとだけで世界が守れないことは、ツアー自身よく知っているのだから。 

 

「いや、いいよ……計画は分かった。でも、その計画に乗る前に、肝心なことを聞こう」

 

 だからこそ、今ここで確認しておかなくてはならないことが残っている。

 一度言葉を切ってから、ツアーはサトルを真っ直ぐに見据えて意思を確認する。

 

「君は仲間であるぷれいやーを討てるのか?」

 

 ツアーの問いかけに、サトルは熟考するような間を空けてから、ゆっくりと、しかし力強く頷いた。

 

「……お前も言っていただろう。力には責任が付きまとう。その意見には俺も賛成だ。自らの過ちの責任は取らなくてはならない」

 

 そう言ってサトルは視線をエ・ランテルに向ける。

 暗闇を照らす炎と煙、そして、人々の悲鳴。

 今さら助けに戻ることはできないが、その責任はサトルの仲間であったぷれいやーに取らせると言いたいのだろう。

 

「それに、あんな連中が居たのでは、旅も続けられないからな」

 

 真面目な口調を解き、冗談めかして言うが、案外これこそがサトルの本心なのかも知れない。

 サトルとそのぷれいやーの付き合いがどれほどかは知らないが、少なくともサトルが、かつてこの世界を救い、その後二百年間過ごしていたことは事実。

 一人で旅をすることを好むサトルが、かつての仲間よりこの世界のことを気に入ったとしても不思議はない。

 

「……分かったよ。しかしここまでずっと隠し事をされていたんだ。まだ君を全面的に信じることはできないからね」

 

 ツアーもサトルに合わせるように軽口を叩くが、これは本心でもある。

 

「分かっている」

 

 痛いところを突かれたとばかりに苦笑するサトルを、じっと見据えながら考える。

 相手に責任を取らせるためと言ってはいるが、計画が上手く進めば喧嘩別れしたというぷれいやーを討ち、ナザリックなる拠点をサトルが手中に収めることになる。

 そうしてサトルが何をするつもりなのか。ここまで来ても、サトルの本当の目的が見えない。

 それをじっくりと見極める必要がある。

 

「それで。これからどうするんだい?」

 

「先ほど話した漆黒に会いに行く。お前はどうする? 鎧もずいぶん傷ついているが、一度戻るか?」

 

 確かに鎧にはいくつも傷が残っており、込められた力も目減りしているが、今サトルから目を離すわけにはいかない。

 

「いや。私も付いていくよ。竜王国を救ったという英雄に会ってみたい」

 

「英雄、か」

 

 漆黒なるワーカーもまた、この世界の為に立ち上がった英雄だというのなら、サトルのことを抜きにしても会ってみたい。

 かつての仲間たちと同じように、この世界を守護する仲間になってくれるかも知れないのだから。




本当はサトルさん側視点の話も入れたかったのですが長くなったので切ります
次はこれまでぼかしていたサトルさんの心情についての話になると思います


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 鈴木悟の憂鬱

これまで描写の無かった悟さんの内面の話


 エ・ランテルの北東にあるカルネ村へ続く道のりを、ツアーと悟は歩いていた。

 カルネ村の位置は転移ポイントとして記憶していたので、転移で移動しても良いのだが、少し考える時間が欲しかったため、こうして歩いて移動することにしたのだが、肝心の考え事は上手く進まない。

 この場に充満する空気のせいだ。

 

(空気が、空気が重い!)

 

 チラリと後ろを見ると、白金の鎧が地面から僅かに浮きながら滑るように付いて来ている。

 

「なんだい?」

 

 こちらの動きを察知して声を掛けてくるツアーの態度は、どこか冷たい。

 

「いや。もう少しでカルネ村に着くが、お前の立場をどうしようかと思ってな」

 

 この話も本当はもっと早くしたかったのだが、場の空気に押されて口に出来ずにいた。

 しかし、村まであと少し。もう時間がない。

 

「カルネ村には君の知り合いもいるんだよね?」

 

「ああ。百年ほど前に開拓を手伝ったからな。当時の人間はもう生きていないだろうが、その時知り合ったハムスケという魔獣が今でもいるらしい」

 

「ふーん。百年前ねぇ。ずっと大陸を旅していたんじゃなかったのかい?」

 

 ツアーの声が低くなり、こちらを責めるようなニュアンスが含まれる。

 再会したときにそんなことを言った気がするが、別に一度も来たことが無いとは言っていないはずだ。

 

「この間も話しただろう。俺はエ・ランテル近郊で揺り返しが来ることは知っていたんだ。百年前にも確認に来ただけだ」

 

「そのときは?」

 

「しばらくカルネ村に滞在して確認していたが、少なくとも俺は見ていない」

 

「……そうか。なら良い。私の立ち位置は向こうに着くまでに考えておくよ」

 

 それだけ言って、ツアーは黙り込んでしまった。

 

(やっぱり怪しんでいるよな)

 

 エ・ランテルを脱出した直後話し合いをして、協力関係は維持したままになったが、ツアーが未だに納得していないのは明白だった。

 とはいえ、実際悟には未だ隠し事がいくつかある以上、迂闊なことは言えない。

 

(しかし、カルネ村か。まだあったんだな)

 

 百年前。

 百年ごとに現れる揺り返しの存在と、世界級(ワールド)アイテムがその起点になることをツアーから聞いていた悟は、自分が転移した場所であるこのエ・ランテル近郊に訪れた。

 そこで出会ったのが、広大で危険な森を一人で開拓して村を作ろうとしていたトーマス・カルネであり、その開拓予定の場所を支配していた、当時は森の賢王と呼ばれていた魔獣、ハムスケだ。

 

 揺り返しが百年ごととはいえ、ぴったり百年である保証はなく、そもそも自分がこの世界に来た日を正確に覚えていなかったこともあり、余裕をもって少し早めに到着したトブの大森林で、縄張りを荒らされて怒ったハムスケに襲われそうになっていたトーマスを助けた後、成り行きで開拓を手伝うことにした。

 

 木々を切り倒し、切り株を抜き、土地を均し、井戸を掘り、家を建て、畑を耕す。

 そうした村づくりの工程は、ゲームと現実という違いや、規模もまるで異なるが、かつてナザリック地下大墳墓を作ったときのことを思い出してなかなか楽しかった。

 

 だからこそ、だろう。

 村が一通り形になり、村人も集まり出した頃、悟は村を離れることを決めた。

 トーマスは悟の正体を知ってなお、共にカルネ村で暮らさないかと提案してくれたが、悟はそれを断った。

 ならば付いていくと言い出したハムスケにも村を守るように命令して、逃げるようにその場を立ち去ったものだ。

 

(……おっと、いかんいかん)

 

 思考が別の方向にいっていることに気付く。今は村の思い出より優先して考えなくてはならないことがある。

 

 ナザリック内の戦力についてだ。

 ユグドラシルからこの世界に転移する、ツアーの言うところの揺り返しは、世界級(ワールド)アイテムが起点となって起こる。

 貴重な世界級(ワールド)アイテムをNPCに装備させている者は殆どいない──それこそ自分たちくらいのものだ──そのため、基本的に転移してくるのはプレイヤーだけだが、世界級(ワールド)アイテムが拠点に設置されている場合は拠点と共にNPCも転移する。

 そうしてこの世界にやってきたNPCは、魂が吹き込まれたように自分の意志で行動するようになるが、基本的には創造主であるプレイヤーに絶対服従であり忠誠を誓っている。

 八欲王の残した浮遊城を守る都市守護者と呼ばれる三十人のNPCなどが良い例だ。

 既に主である八欲王は全員死亡したというのに、最後の命令を機械的に守り続けている。

 あの様子ならば、主から死ねと言われれば死ぬに違いない。

 それだけの忠誠心を持つ戦力がナザリックには複数いることになる。

 もっともそれは、NPCだけでは無いようだが。

 

(あの悪魔。憤怒の魔将(イビルロード・ラース)だったか。悪いことをしたかな。まさかNPCだけでなく、傭兵モンスターもあれほどの忠誠心を発揮するとは、想定外だった)

 

 エ・ランテルでツアーとシャルティアの戦いを監視していた最中出会った悪魔は、悟をナザリックに残してきたもう一人のコピーNPC──現在は自らをアインズと名乗っているらしい──だと勘違いしており、あの場でシャルティアの加勢に行かれても困るため、作戦が変更になったと嘘を吐いてあの場から排除することにした。

 

(ナザリックに戻ってから俺のことを話されても困るからああ言ってしまったが、死ねじゃなくて、俺に付いて来いって言うべきだったか。まさか何の躊躇いもなく死ぬとはなぁ)

 

 忠誠心を試す意味合いがあったのは確かだが、NPCでもないのに、あれほどあっさり死を選ぶとは思わなかった。

 つまり、絶対の忠誠を誓い裏切らない戦力には、NPCだけではなく、召喚された傭兵モンスターも含まれることになる。

 そちらの対応も考える必要が出てきたのだ。

 

(その意味でいうと、やはりあの二人が異質なのか)

 

 つい先日、エ・ランテルで再会した漆黒メンバー三人のことだ。

 カルネ村を出た直後、悟はトブの大森林近くの平原で彼らを見つけていた。

 悟が遊びで創ったコピーNPCが、自身をモモンガだと自覚しながら動いている所を見たときは流石に驚いたが、NPCの性格は創造した時に書き込んだ設定に由来することは、凡そ見当がついていたので、設定欄にも自らのコピーと書き込んでいるNPCに自分と同じ記憶や人格が宿ったことは、まだ理解ができる。

 

 しかし、この都市で再会した残る二人のNPC、ナーベラルとソリュシャン。

 あの二人は明らかに、悟の知るNPCからはかけ離れた行動を取っていた。

 機械的に命令を聞くだけではなく、主を守るために自分の意志でその命令を破り、それぞれが自ら考えた意見も口にする。

 それが百年という歳月を共に過ごしたことで、二人に芽生えた新たな感情だとすれば。

 

(あそこで俺の正体をばらさなくて正解だったな)

 

 本来ならばプレイヤーであり、創造主の一人でもある悟の存在を知れば、彼女たちの忠誠は自分に向かうはずだが、この百年で得た感情によって、コピーであるモモンガに対する忠誠が悟に対するものを上回っている可能性がある。

 そう考えたからこそ、モモンガには自分が本物ではなく同じ境遇のコピーだと思わせたまま、二人に対しては正体を偽り、アインズ・ウール・ゴウン四十二番目のメンバーを名乗ることにしたのだ。

 

(もし、ああした成長があの二人固有のものでなく、他のNPCや傭兵モンスターでもあり得るとすれば……急がないとな)

 

 悟がろくに情報がないうちから、動こうと決めた理由がそれだ。

 シャルティアをはじめとしたナザリック地下大墳墓にいる他のNPCがあの二人のように成長して、自分ではなくアインズを名乗るコピーの方を主と認識してしまうとすれば、悟の計画は全て台無しになる。

 だからこそ、これほど急いで動くしかなかったのだ。

 もっとも、それは理由の一つであり、動くしかなかった事情が他にもある。

 それを思い出して、思わずため息を吐いてしまった。

 

「ふぅ」

 

「?」

 

 ツアーがそのため息に即座に反応する。

 

「いいや。これからのことを考えると少しばかり憂鬱でな」

 

 悟の返答にツアーは僅かに首を傾げたが、それ以上何も言わなかった。

 しかし、悟に向けられた疑惑の眼差しは僅かに強くなった気がする。

 無理もない。

 ツアー目線で見れば、悟はいろいろと隠し事をしたまま、エ・ランテルにツアーを誘い出して事件に遭遇させ、更には偶然取った宿の中で敵勢力であるシャルティアと出会わせて戦わせた上、最後まで加勢もせずに黙ってその様子を観察していた。

 これら全てを悟が自分の目的を叶えるために、計画したものだと誤解しているのだ。

 

 そう、誤解だ。

 確かに悟には何より優先しなくてはならない最終目的があり、そのためにツアーやモモンガ、他国の力を利用しなくてはならないのは事実。

 だが、ナザリックがエ・ランテルを襲ったことも含めて全て悟の計算通りに動いているなど、あるはずがない。

 あの日、エ・ランテルで事件が起こったのも、あの宿を取ったのも、ツアーとシャルティアが戦ったのも、なんならモモンガたち三人が来ていたことすら、全ては偶然だ。

 悟はツアーがそう勘違いしていると気づいたからこそ、それに乗って嘘を吐き、こうして行動を開始したに過ぎない。

 

(ああ、存在しない胃が痛い。こんなの何十年、いや百何十年ぶりだろう)

 

 もう一度ため息を落とすが、今度はツアーも何も言ってはくれなかった。

 やはり未だ怪しんでいるのだろう。

 そのことを多少残念に思いながら、ちらりと後ろを振り返ると、いつの間にかにツアーは移動を止めて地面に足を下ろしていた。

 

「どうした?」

 

「誰か来る」

 

「何!? 追っ手か?」

 

 悟に足音は聞こえなかったが、元より高い知覚能力を持つドラゴンの中でも、真なる竜王であるツアーの知覚能力はズバ抜けており、その力は鎧になっても健在で悟より遙かに広い距離を監視できる。

 そのツアーが言うのだから間違いはないだろう。

 

「いや、この足音は人間のものだ」

 

「人間?」

 

 モモンガたちが来たのかと思ったが、ツアーが転移した位置はカルネ村とは反対方向だったため、モモンガたちがこの道を通ることはないはずだ。

 ではいったい誰が。

 答えを予想する前に悟の耳にも複数の足音が聞こえ、魔法の力が込められた法衣を着た複数の人間たちが姿を現した。

 見覚えがある気がするが、それが何処でだったのかは思い出せなかった。

 

 

 ・

 

 

「なんと! そのようなことが起こっていたでござるか!」

 

 エ・ランテルを脱出して約束通りカルネ村に到着したモモンガたちは、まだ悟が到着していなかったこともあり、とりあえず村人とハムスケを呼び出してエ・ランテルで起こった状況を説明した。

 話を聞き終えた後、一番先に反応したのはハムスケだった。長年村の危機を救って来たハムスケだからこそ、ことの重要性を理解できたのだろう。

 

「その者たちは、この村にも来るでござるか?」

 

 珍しく真剣な声を出すハムスケに、モモンガは一つ頷く。

 

「ああ。エ・ランテルが壊滅した以上、ここにも敵の勢力が手を伸ばす可能性はある──俺も全ては相手に出来ず、こうして撤退を余儀なくされた」

 

「モ、モモン殿がでござるか?」

 

 モモンガの言葉を受けて、ハムスケの尻尾の蛇がブルリと震える。

 記憶操作でハムスケの記憶をいじり、モモンガの正体を見せたことや悟と兄弟だと偽ったことを消去し、代わりにハムスケと一対一で勝負してモモンガが勝利した記憶に書き換えた。だが、記憶操作は時間と共に大量の魔力を消費するため、細かな操作をしていては魔力が尽きてしまうこともあり、殆ど一方的に勝利したことにしたのだ。

 そのせいで、ハムスケの中でモモンガの強さは相当高いものになっており──実際は素の実力ではせいぜい三十レベル前後の戦士程度の力しかない──そのモモンガが撤退するしか無かった相手と聞いて、相手の強さに恐怖したのだろう。

 そうしたハムスケの態度を見て、カルネ村の住人もようやく自分たちの身に迫る危機に気づいたようだ。

 

「で、では。私たちもすぐにここから脱出を。もしもに備えいつでも村を出る用意は出来ておりますので」

 

 震えるような口調だが、毅然とした態度で村長が言う。

 通常こうした小さな集落の者たちは、たとえどんなに危険が迫っていても住処を出ようとはしない。

 家や畑を失っては、例え別の場所に逃げても暮らしていくことが出来ず、路頭に迷うことになるからだ。

 しかし、カルネ村の住人は違う。

 ンフィーレアに聞いたところ、この村ではいざというときは村を捨ててでも生き延び、その上で別の場所でも暮らせるように備えをしていたらしい。

 

 これも悟の教えのようだが、生き残ることが第一という考え方は、やはり自分と同じだな。とも思う。

 モモンガも今は悟の言ったとおり英雄として行動しているが、相手プレイヤーの情報を集めてナザリックと関係ないと確信が持てた場合、漆黒は戦死したことにして、また三人で以前暮らしていた屋敷に戻ろうと考えていた。

 ナザリックと関わりのない者たちとわざわざ戦う必要はない。

 万が一見つかった場合にも敵対せず、友好的な関係を構築するためには、この同盟からは抜けていなくてはならない。

 そうして百年後の揺り返しを待つつもりだ。

 

 しかし、モモンガたちはそうして戻る場所を事前に確保しているから良いとして、カルネ村はそのあたりを考えているのだろうか、とふと思いつき聞いてみることにした。

 

「逃げるといっても、どこに逃げるつもりですか?」

 

 モモンガの問いかけに、村長は眉間に皺を寄せ、僅かに考えてから応えた。

 

「近隣の村は以前の帝国兵の襲撃により壊滅しているところが殆どですので、エ・ランテルから離れる意味でも、西に向かおうかと」

 

「村人全員養うとなると、小さい村とかじゃ無理だろ? 西の大都市って言えば、エ・レエブルかエ・ペスペルだな」

 

 話を聞いていたソリュシャンが言う。

 王国の地理や大都市の情報まで頭に入れていたとは知らなかったが、これから先のことを考えると実に有り難い。

 やはりソリュシャンは優秀だ。

 

「はい。エ・ペスペルは六大貴族のお一人が治めているそうで、代替わりをしたばかりですが、先代は立派な方だったと伺っておりますので、そちらに向かおうかと」

 

 村長も村長で、基本的に村から出ていないはずなのに、異様なほど情報通だ。

 これも悟の教えの一つなのだろうか。

 

「ですが、この人数全員で脱出するのは難しいでしょう。護衛が必要だな」

 

「護衛、ですか」

 

 村長がちらりと周辺の警戒をしている冒険者たちを見る。

 彼らに護衛を頼みたいと言いたいのは直ぐに分かった。

 正直モモンガとしてもいつまでも彼らを引き連れるつもりはないので、厄介払いをする意味でもそれに同意したいところだが、英雄となって冒険者と共に都市を脱出するように言ってきたのは悟だ。

 何か使い道があるかも知れない以上、簡単に返事は出来ない。

 そんなことを考えながら、モモンガも冒険者たちに目を向ける。

 警戒を続ける彼らの顔色には、恐怖と焦りの色が見えた。

 いつエ・ランテルからアンデッドが追いかけてくるかも知れない状況で、こんな近くの村に留まっている意味が分からないのだろう。

 それに関してはモモンガも同じ気持ちだが、それも悟が来ない以上どうしようもない。

 伝言(メッセージ)でも飛ばしたいところだが、鎧を着けている状態ではそれも出来ない。

 

(全く。転移で直ぐに来られるんじゃなかったのか)

 

 そもそも悟は、冒険者を引き連れたせいで徒歩で移動しなくてはならなかった自分たちより先にカルネ村に到着していなければおかしい。

 やはり何か企んでいるのか。と疑い始めた頃、冒険者たちから騒めきが聞こえてきた。

 恐怖ではなく戸惑うような騒めきにピンと来て、モモンガは安堵の息を吐く。

 

「来たか」

 

「誰でござるか?」

 

(そう言えばハムスケに伝えていなかったな。絶対騒ぎそうだけど、まさかアンデッドどうこう言い出さないだろうな)

 

 モモンガがアンデッドである記憶は消したが、ハムスケは悟がアンデッドであることは知っている。

 再会の喜びのあまり余計なことを言い出さないか、今更心配になった。

 

(先に話すか? けど記憶消したから探す約束したこととかも覚えてないからなぁ)

 

「モ、モモンさん! エ・ランテルから……」

 

 思考を続けるモモンガの元にペテルが駆け寄ってくる。

 悟が来たことを知らせに来たのだろう。

 

「分かっている。彼は私の友人であり情報提供者だ。ここまで連れてきてくれ」

 

 悟の名前は出さなかったが、情報提供者の存在についてはエ・ランテルでも口にしていたので問題ない。

 しかし、ペテルはモモンガの言葉に不思議そうに首を傾げた。

 

「あ、えっと。彼とは、どちらですか? 全身鎧を着た騎士と、法衣を纏った神官らしい人が来ていますが」

 

「……なんだと?」

 

 

 ・

 

 

「殿~!!」

 

 百年ぶりに再会したハムスケが全身を使って体をすり寄せてくる。元々鋼鉄に近い強度を持ち、肌触りもゴワゴワした硬い毛皮によって、鎧とぶつかり合って硬質な音を掻き鳴らした。

 懐かしい気持ちもあるが流石にしつこ過ぎるし、そもそも今はこんなことに時間を掛けている暇はない。

 

「いい加減に離れろハムスケ。今はそれどころではないと言っているだろう!」

 

 思わず声を荒げる。

 しかし、ハムスケはそんな声をものともせずに抱きつき続けた。

 その様子をモモンガを初めとした冒険者たちは呆気に取られたように見ていたが、村人たちは違った。

 皆が皆、驚愕に目を見開き、何か言おうとタイミングを計っているように見えた。

 

「あ、あの!」

 

 そんな村人の中から、押されるように抜け出た一人の少女が緊張した面もちで悟に声をかけてきた。

 

「ん? 君は?」

 

「た、ただいま守護獣様のお世話係を任されております。エンリ・エモットと申します!」

 

「守護獣様? お世話係?」

 

 そんな偉い立場になっていたのか。と思わずハムスケに目を向けるが、ハムスケはエンリなる少女の声はおろか、悟の声も聞こえていない様子で未だ体をすり付け続ける。

 

「は、はい! え、えっと、その。守護獣様のご主人様でいらっしゃる貴方様は、もしかして、この村をお作りになった開祖様なのでしょうか?」

 

「んん? 開祖?」

 

「殿のことでござるよ! 村の住人はみんな殿の教えを守って生活しているのでござる!」

 

 確かに、トーマスや他の村人、ハムスケにも色々と生きていくための知恵。と言うより情報収集と備えの重要性を説いていた。

 それが生活の基盤になっているのなら、開祖と呼ばれる理由も分かる。

 

「あ、ああ。確かに俺は百年前、トーマスと共にこの村を作った」

 

 おおっ。と喜色の籠もった声が、村人中から響きわたる。

 その後は口々にカルネ村を生み出してくれたことや、ハムスケのおかげで、村が守られてきたことに対する感謝が述べられる。

 いや、それはもはや感謝というより崇拝に近い。

 

(ハムスケは守護獣様で、俺は開祖様か。まるきり宗教の教祖だな。六大神じゃあるまいし)

 

 ハムスケどころか自分まで神や教祖様扱いを受けていることに、力の抜ける思いになるが、それならそれでやりやすい。

 

「百年前って。あの人、人間なのか?」

森妖精(エルフ)やドワーフなら、それぐらい長生きしても不思議はないですよ」

「ドワーフには見えねぇから森妖精(エルフ)か、もしかしたら亜人かもな」

 

 モモンガが連れてきたエ・ランテルの冒険者たちは、こちらを窺いつつコソコソと語り合っている。

 王国では奴隷売買が禁止されているらしいので、帝国や法国に比べ、他の人間種や友好的な亜人種ならば、出歩いていてもそこまで恐れることはないのだろう。

 少なくともアンデッドとばれさえしなければ、何とかなりそうだ。

 

「皆。感謝の言葉は受け取ろう。だが今は時間がない。いつアンデッドの大群が攻めてこないとも限らない。先ずは今やるべきことを確認しよう」

 

「はいっ!」

 

 その一言だけで一斉に口を閉ざし、無言のまま悟の言葉を待つ様子はまさしく神の言葉を待つ信者そのもので、思わずため息を吐きたくなる。

 そしてそんな悟の様子を、モモンガが口を挟むこともせずに、じっと見つめていた。

 鎧越しのため──素顔でも同じだが──何を考えているかは分からないが、これまでの様子を見るにモモンガもまた、エ・ランテルの件に悟が関わっていると勘違いしている。

 

(ツアーはまだしも、俺がそんなことが出来るはずがないことはお前が一番よく知っているだろうに)

 

 とはいえそれを証明することは出来ないし、実際ツアーのことや、四十二人目のメンバーを名乗った理由など、説明出来ないことは多いので仕方ない。

 

「何より重要なのは、エ・ランテルでの事件の顛末を速やかに各国の上層部に伝えることだ」

 

「各国とは?」

 

 モモンガの言葉にここに来るまでにツアーと話し合って決めた周辺国家の名を挙げた。

 

「王国、帝国、評議国、竜王国、聖王国、都市国家連合の六ヶ国だ。私は評議国に伝があるから、先ずはそちらに向かい、道中王国と聖王国に声をかけて回る」

 

 評議国はツアーが居るから問題はない。

 王国もエ・ランテルを襲われた上、隣国である評議国から圧力を掛けて貰えば動くはずだ。

 残る聖王国はまだ方法は思いつかないが、その辺りもツアーに頼めば何とかなるだろう、そもそも聖王国は立地的にほぼ独立しているため、最悪の場合居なくても何とかなる。

 

「モモン、そして冒険者の君たちは東側、竜王国や帝国、都市国家連合を頼む。冒険者という国の垣根を超えて活動することも多い君たちならばできるはずだ」

 

 ツアーにも話したが、ビーストマンの大群を漆黒だけで追い払った話は聞いていた。

 話を聞いた段階では、それがモモンガたちのことだとは思わなかったが、この世界で英雄と呼ばれる者たちでもできない偉業を成し遂げた漆黒の情報を事前に持っていたからこそ、悟はエ・ランテルで見つけたモモンガたちが、百年前に見かけた自分のコピーだと確信できたのだから。

 

「待て。法国はどうする?」

 

 ツアーと相談したときは聖王国と都市国家連合は除いて、代わりに法国が入っていたが状況が変わった。

 

「法国はだめだ。あの国の上層部は既にエ・ランテルを襲撃した組織に支配されているそうだ」

 

「なんだと?」

 

 モモンガだけではなく、周囲の冒険者や村人たちも驚いている。

 何も知らないものたちから見れば、法国は人間にとって危険な存在であるモンスターや亜人の襲撃から、人々を守ってきた存在だと思われているのだからそれも当然だ。

 

「そこから先は私から話をしましょう」

 

 無言で悟が合図を送ると、これまで黙って自分の背後に控えていた法衣の男が口を開く。

 この男はイアン。六色聖典の一つ陽光聖典の隊長にして、法国とナザリックの繋がりを知る男だ。

 法国上層部の決断に疑念を持ったことで、シャルティアに殺されそうになった際、偶然居合わせたツアーに救われ、その後命辛々エ・ランテルを脱出したところを、ツアーと悟が発見してここまで連れてきたのだ。

 とは言え、法国と何らかの因縁があるらしいツアーは、全面的に信じることはできないと、本来は共にカルネ村に来る手筈だったところを、少し離れた場所でイアンの部下たちを監視する名目で待機することになった。

 

 これは正直助かった。

 ここに来てから始めて思い出したのだが、悟は口唇蟲で声を変えているからいいものの、モモンガは鈴木悟本来の声をしたままなのだ。

 ツアーと対面すれば、先のアインズ同様、声が同じことに気付かれる。

 そうなるとまた色々と面倒なことになってしまう。

 今更ながら思い付きで行動すると、こうした帳尻合わせに苦労する物だと実感できた。

 悟が心の中で深い溜息を吐いている最中もイアンの話は続く。

 要するに彼らは本国に戻ることもできず、かと言って自分たちだけでは、ナザリックの脅威に対抗する手段がないことを理解しているため、ツアーに命を救われたことも含め、このままこの同盟に協力することを約束したわけだ。

 

 

 そうした話も含め、すべてを語り終えたイアンは、未だ半信半疑と言った様子のカルネ村の住人たちを正面から見つめた。

 

「──私が知っていることは以上です。上層部がいったいいつから奴らと手を組んでいたのかは分かりませんが、我々はみなさまに謝罪をしなくてはなりません」

 

 イアンは一度言葉を切り、深く頭を下げて続けた。

 

「……以前、国境近くの村々を、そしてこの村に兵を派遣したのは法国です。誠に申し訳ありません」

 

「なっ! あれは帝国の仕業だったんじゃ」

 

「いえ。帝国兵に偽装させた兵を送り込みました。全ては帝国と王国の戦争を早期に終わらせるため、障害となる王国戦士長を呼び寄せ暗殺しようと上層部が命じたこと。そして、その際に戦士長を討つのは我々陽光聖典の役目でした」

 

 その言葉でざわめきは更に大きくなり、事態を把握し始めた村人たちの目には怒りが漲る。

 何も正直に言わなくても。とは思うが、後でバレる方が厄介なのも事実だ。

 

(しかし、もう少しうまい言い方もあるだろうに)

 

「お前たちのせいで村は滅茶苦茶だ。けが人だって大勢出たんだ」

「別の村は壊滅させられたって聞いているぞ」

「今回の件だって、本当はお前たちの仕業なんじゃないか?」

「俺たちを騙してエ・ランテルに送り込もうとしているんじゃないか?

 

「い、いえ。私たちは決して──」

 

 案の定村人たちは怒りを爆発させ、イアンの言葉にも全く耳を貸そうとしない。

 場に剣呑な空気が溢れて出し、村人たちがイアンを囲むようにジリジリ動き出す。

 仕方ない。

 陽光聖典には、まだ法国の内部事情を話して貰わなくてはならない。

 何よりこれから法国を除いて、周辺国家の連合を作るにあたり、初めから妙な遺恨が残っていては困る。

 ここは神が如く崇められている自分がいさめるしかない。

 そう考えて悟が動こうとした矢先、モモンガが先に動いた。

 

「まあ皆さんの怒りも分かりますが、落ち着いてください」

 

「モモン殿」

 

 村人とイアンの間に割り込んだモモンガはそのまま村長に話しかける。

 

「こうしては如何でしょう。先ほどのエ・ペスペルへの護衛を彼らに頼むというのは。その働きを見て、許すかどうか改めて決めればいい。もし許せないのならば、そのままエ・ペスペルの領主に引き渡せば良い」

 

 モモンガの説明を聞いて、村長を始めとした村人たちの中にあったざわめきの種類が変わる。

 怒りではなく、戸惑いに。

 殆ど神として崇めている悟ではなく、モモンガの説得でも簡単に揺らぐと言うことは、村人たちもまた何らかの弱みがあると言うことだ。

 

(ハムスケも居たわけだし、偽装した兵たちを殺したか何かしたんだろうな。それなら後は簡単だ)

 

「それは悪くないな。そこまでは監視として俺も付いていこう。それならば問題ないだろう」

 

 周辺国家連合を作るにあたり、説得しなくてはならない国の内、ツアーの居る評議国は北西側に位置している。

 元から悟とツアーはそちら側評議国がある東側を担当するのだから問題はない。

 

「開祖様がそう仰るのでしたら」

 

 村人たちは思いの外あっさりと怒りを静めた。

 これは悟が言ったからだけではなく、事前にモモンガが相手の弱みを思い出させたことも大きい。

 いわば悟とモモンガの協力プレイというわけだ。

 

「分かりました。皆さまは必ずや我々が安全に送り届けてみせます」

 

 力強く拳を握って宣言するイアンに皆の目が向けられた隙を突き、悟はモモンガに対して、うまくいったなと告げるように親指を立ててみせる。

 モモンガは一瞬驚いたように反応を示したが、直ぐに同じように親指を立てた。

 そんなことが妙に懐かしく、そして嬉しく思う。

 

 今はまだ話すことはできないが、悟の計画が終わる前にモモンガにだけは全てを伝えようと心に決める。

 後は──

 

(奴を魔王にしてアインズ・ウール・ゴウンに縛り付けた責任は、俺が取らなくてはならない)

 

 たとえ、どんな手段を使っても。

 そっと北東の方角に目を向ける。

 そこに居るであろうもう一人のコピーNPCに対して、悟は心の中で決意と共に拳を握りしめた。




ということで、二百年経っても悟さんは性格的には特に変化はしていません
ただし最終的な目的が誰とも違うため、それを隠して行動しているから怪しく見えるだけです

次から新しい章として各国説得編になる予定ですが、複数の国を同時進行で進めるか、一国ずつ進めるかはまだ決めていないので書きながら考えます


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章 周辺国家同盟
第26話 各国の現状


今回から新章に入ります
先ずは前回のエ・ランテルでの話を受けた各国の話


 帝都アーウィンタールの中心たる帝城。

 その執務室でバハルス帝国の若き皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスが報告書をテーブルに投げ捨てて、一つ鼻を鳴らした。

 涼しい顔を見せてはいたが、内心では僅かに苛立ちを覚えていた。

 

「結局、動きは無しか。こんなことなら戦争の用意をしていてもよかったな」

 

 本来ならばこの時期には、例年の王国との戦争準備を開始しているはずだった。

 しかし、今年はそうできない理由があった。

 王国の内通者からある情報が入ってきたためだ。

 以前より王国の内部では王派閥と貴族派閥が権力争いを続けているが、その貴族派閥の者がスレイン法国と組んで、王の懐刀にして戦争に於いても最大の障害だった王国戦士長ガゼフ・ストロノーフを暗殺する計画を立てていたのだ。

 帝国にとっては歓迎すべきものであり、そんなときに戦争の準備をしては、それを理由に王が強権を発動して、折角国境近くにおびき出されたガゼフを呼び戻す口実を作ってしまう。

 だからこそ、ジルクニフはあえて何もしなかった。

 国境近くにある王国の村を帝国兵に偽装した法国──あるいは王国の貴族派閥──が襲ったと聞いた後でもそれは同じだった。

 とはいえ、残念ながらその作戦は失敗に終わったらしい。

 

「国内の裏切りに加えて、法国も手を貸したってのに暗殺が失敗するとは。流石は王国戦士長と言うべきですかね」

 

 雷光の二つ名を持つ帝国四騎士の一人バジウッドの声には、僅かに喜びが交じっていた。

 彼はかつてガゼフに四騎士全員で戦いを挑み、その内の二人を討ち取られるという完敗に近い状況に追い込まれたことがある。

 そのガゼフが暗殺されれば戦争が有利に進むと分かっていながらも、できれば暗殺などではなく自身の手で借りを返したいと考えており、そうした思いが漏れ出たのだろう。

 ジルクニフとて有能な人材であるガゼフを死なせるのは惜しいと考えていたが、彼は以前ジルクニフ自ら直接行った勧誘をキッパリと断っている。あの時の態度を見るにこちらに寝返ることはないと確信したからこそ、暗殺を黙認したのだ。

 

「いや、貴族派だけならともかく、あの慎重な法国が暗殺という危険な賭けに出たというのにあっさり失敗するのは解せない。最低でも偽の帝国兵を捕らえられなかった責任を取らせて更迭させるくらいの準備はしていると思ったが」

 

 国家全体の方針として、異種族を排除して人間種の存続を第一に考えているスレイン法国は、人間の国同士で争うことをよしとせず、例年の戦争に於いても口を挟んで来たが、それは直接的なものではなく、エ・ランテル近郊がかつてスレイン法国の土地であったことを利用して、土地の正当な持ち主であると主張することで、不当な権利を巡って争うのは遺憾である。と宣言を出すといった回りくどい方法だった。

 

 それが突然、王国貴族と手を組んでガゼフの暗殺。

 これは一見すると貴族派閥に手を貸しているように見えるが、実際には帝国に手を貸しているも同然だ。

 ただでさえ派閥争いが続いて国内がガタついている状況で、周辺国家最強と唄われ、その武勇だけで大きな影響力を持つガゼフがいなくなれば、今までのような時間をかけた小競り合いすら必要なくなり、一度の戦争で大勝を収めることができるのだから。

 

 つまり法国はこれまでの王国贔屓を止め、帝国に力を貸すことを選んだのだと考えられる。

 にもかかわらずガゼフ暗殺はあっさりと失敗に終わり、その後も動きを見せない。

 王国と異なり、法国は考え無しに動くような国ではない。

 当然次策は用意しているはずだ。

 

 ジルクニフはそれをガゼフが任務に失敗したことを理由に、王の側から遠ざけて貴族派閥の力を増す方法だと推察したからこそ、暗殺が失敗した後も戦争の準備はせずに静観していたのだが、王国の内通者からはそうした情報は入ってきていない。

 

「やはり、法国に何か起こったと考えるべきだな」

 

 そうでなくとも、ここのところ法国の動きがぎこちないことはジルクニフも気づいていた。

 通常国というのは、権力が一ヶ所に集中すればするほど動かしやすくなる。

 その最たる例が帝国であり、権力がジルクニフ一人に集まっているため、どのような政策でもジルクニフ一人で決めることができる。

 派閥対立のみならず、派閥内でも力関係が存在し、根回しをしてもまともに決められない王国はその逆だ。

 その点法国は十二人いる最高執行機関による合議性だが、帝国に近い集中した権力構造になっている。

 

 本来なら各宗派や機関ごとに派閥ができあがってもおかしくないところを、異種族を排除して人類を存続させるという大義を前面に出すことで、行動指針を一本化している。

 宗教を使って国を纏め上げている法国ならではの方法だ。

 神殿勢力は帝国内ではほぼ唯一と言っても良い独立した権力を持つ存在であり、そこにはジルクニフも手を出せないだけに、心の中でうまくやったものだと舌を巻いていたのだが、そうして効率化を図っているはずの法国がここ最近何故か動きが鈍い。

 今更派閥の争いでも起こったのかと思っていたが、そうではない。あの国はトップに近づけば近づくほど、報酬を減らして純粋に人間のために働く人材を集めるという自浄作用があるため私欲が介入する可能性は低く、これほど急激な派閥争いが起こるとは考えづらい。

 むしろ逆だ。

 

「ヴァミリネン、各所の反応は?」

 

「はい。大きな問題は起きていませんが、重要な決定などを先延ばしにしている節が見受けられます。やはり以前陛下が仰っていたように、最高執行機関が機能不全に陥っているのでしょうか?」

 

 秘書官のロウネ・ヴァミリネンが報告書をめくりながら答える。

 

「……その可能性が高いな」

 

 これはジルクニフが想定した事態の一つ。

 人数の差こそあれ、法国が帝国と同じく権力が一ヶ所に集中しているからこそ予想がついた。

 権力が集中しているということは、素早く政策を決められる代わりに、トップに何かあったときは一気に機能不全に陥るという欠点があるということだ。

 そうした場合現状維持はできても、新たな指針を打ち出すことはできなくなる。

 ジルクニフが現在何でも一人で決めるのではなく、大まかな決定だけ行い細かなことは部下に任せられるように教育しているのもそのためだ。

 同時に後継者の育成と、それまでにジルクニフに何かが起こったときのために長期的なビジョンを描いておく必要もある。

 それが帝国にとって目下の課題でもあるのだが、ジルクニフは法国にも同じ問題が起こっていると推察した。

 

「ガゼフ暗殺というこれまでにない大きな動きを見せ、それが失敗したのにも関わらず何の行動も起こさないのならば、何か起こったのはその間と見るべきだな。それも一人や二人ではなく、最高執行機関の全員だ」

 

「全員、ですか? 可能性があるとすれば最高神官長に何かあったのではないか。と報告書にはありますが」

 

 事実上のトップである最高神官長はかなり高齢のため、後継者を決める前に死亡した可能性を言及しているのだろう。

 

「いや、法国の最高神官長の決め方は明確なルールが決まっている。後継者争いで混乱に陥る可能性は低い。そもそも権力を十二人に集中させている法国ならば一人二人欠けたところで問題になることはないはずだ」

 

「ですから全員に何かあったと?」

 

 信じられないとでも言いたげなロウネの問いに、ジルクニフは一つ頷く。

 

「確かに法国に潜り込ませた間者によりますと、以前より最高執行機関の面々が表舞台に姿を見せる頻度は減っているようですね」

 

「減っている……か」

 

 初めは何者かの手によって、最高執行機関全員が暗殺されたのではないかと考えていた。

 単純な軍事力だけでなく、魔法的な知識、六百年という歴史も併せて、周辺国家最強である法国のトップに危害を加えるなど不可能に思えるが、可能性はゼロではない。

 法国の敵は人間ではないからだ。

 異種族は平均値は高くとも、人間のように突出した個人は少ないというのが通説だが、何事にも例外はある。

 人間でいうフールーダのような逸脱者が存在すれば、法国の鉄壁の守りすら打ち破れるかもしれない。

 そのように推察して、対策も考えていたのだが、頻度こそ少ないが最高執行機関の者たちが再び表舞台にでるようになった時点でその可能性はほぼ無くなった。

 

「……あるいは機能不全ではなく、最高執行機関の面々に何か意識改革のようなものが起こり、上層部と各現場との間に摩擦が起きて、一時的に動きが鈍くなった可能性はあるか」

 

 ふと別の可能性を思いついて口にする。

 

「意識改革。それは例えば最高執行機関の信仰が揺らいでいるなどでしょうか? いったいどうして」

 

「今それを考えても答えは出ない。そうした可能性を考慮しろと言っている」

 

「も、申し訳ございません」

 

 ジルクニフの指摘に、ロウネはすぐさま謝罪を口にした。

 それを軽く受け流しながら、ジルクニフも思考を続ける。

 

(そう。細かな内容など今は考えても仕方ない。問題はこの状況をどう利用するかだ)

 

 そもそも理由など考えても完璧な正解など出るはずがない。

 あくまでそうした可能性を考慮しながら、最終的には帝国の利益を目指すことが重要だ。

 今ある情報を基に、その方法を考え始める。

 

 突如としてノックもせずにドアが開く。

 無礼な態度に四騎士を始め、従者たちが警戒の態勢をとろうとするが、入ってきた人物を見て構えを解いた。

 そちらを見ずともジルクニフは相手が誰かは分かっていた。

 皇帝であるジルクニフの執務室にこんな態度で入ってこられる者は一人しかいない。

 

「陛下! 厄介ごとですぞ」

 

 帝国の歴史上最高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)にして、周辺国家にも三重魔法詠唱者(トライアッド)として名を轟かせる大賢者、フールーダ・パラダインだ。

 その彼がここまで慌てている様子は、ジルクニフとて見たことがない。

 

「どうした、じい」

 

 内心では驚きつつも、皇帝として余裕を持った態度は崩さずに視線だけを向ける。

 

「エ・ランテルが陥落いたしました。それも一夜にして」

 

 一瞬、何を言われているのか分からなかった。

 王国帝国法国の三ヶ国に隣接する王国の都市エ・ランテルは、ガゼフと並んで王国との戦争上、数少ない障害の一つだったからだ。

 あの三重の城壁と豊富な備蓄により、都市内に籠もられたら、たとえ帝国全軍で攻めても落とすのは難しい。

 できたとしてもどれほど時間がかかるか分かったものではない。

 それを誰にも気づかれることなく、たった一晩で陥落させた。

 これが事実なら、厄介ごとですませられる話ではない。

 

「いったい何が起こっている」

 

 法国の件といい、何かがおかしい。

 帝位に就いて以後、一度として間違った手を打たず、全て想定通りに駒を動かしていたはずの盤上に、存在もしていなかった駒が突如として出現したような、得体の知れない気味の悪さを覚えた。

 

 

 ・

 

 

「まだ情報は集まらないのか!?」

 

 ヴァランシア宮殿の一室、各尚書の殆どが出席した会議の最中、リ・エスティーゼ王国の王、ランポッサⅢ世の怒声に近い声が室内に響きわたる。

 その父王の様子に、二つ隣の席に着席していた王国第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフは些か驚いた。

 基本的に穏和な父がこうした態度を取るのは珍しい。

 

「申し訳ございません。何分、生き残った者がいるかどうかさえ、不明な状況のようでして」

 

 いつもとは違うランポッサⅢ世の態度に、内務官の一人が震えた声で答えた。

 とはいえ、父の焦燥も理解はできる。

 国王の直轄領にして、国防上でも貿易の観点からも王国最重要の都市であったエ・ランテルが、何の前触れもなく壊滅したというのだから。

 

(確か、あそこの都市長は父上の腹心の部下だったか)

 

 つい先日、とある理由によって互いを認め合って手を結んだ、六大貴族の一人であるレエブン侯からそうした話を聞いた覚えがあった。

 その都市長の安否も含め、詳細が未だ掴めていないとなれば、焦る気持ちは分かる。

 ただでさえ内部から腐敗を続け、帝国との戦争でもじりじりと追いつめられている状況で、追い打ちをかけるように起こった異常事態。

 父王が情報を欲しているのは、詳細を知りたいというよりは、何かの間違いだったと言って欲しいように見える。

 

 気持ちは分からないでもないが、王としては甘い考えだ。

 王たる者、むしろより最悪な事態を想定すべきではないのか。

 そうは思うのだが、流石に進言はできない。

 そもそも自分が出しゃばると、隣に座るザナックの兄である第一王子バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフが騒ぎだすだろう。

 今の時点で、それはまずい。

 己に協力してくれる力ある貴族は今のところレエブン侯のみである以上、力を付けるまで大人しくしておくべきだ。

 そう考えた矢先、件の兄が立ち上がった。

 

「父上。自らの直轄領を心配するお気持ちは良く分かります。そのような卑劣で恥知らずな真似をするのは、どうせ帝国の偽帝に他なりません。ならばこそ、一刻も早く兵を徴収してエ・ランテル奪還のために進軍すべきでしょう」

 

 自信満々に帝国の仕業だと決めつける様に、ザナックは頭痛を覚えた。

 異種族ならばともかく、人間国家で宣戦布告もなしに都市に攻め込めば、他国から野蛮な国と認定されて外交面で大きな打撃となる。

 あの皇帝がそんな愚かな真似をするはずがない。

 万が一帝国の仕業だったとしても、こちらが早々に軍を起こして対抗すれば、他国からはいつもの戦争の延長線上だと見なされる。

 何より先ず相手が何者なのかを調べ、必要ならば他国に救援を求め外交的手段で圧力をかけるべきだ。

 

 軍事に疎い自分でもそれぐらいは分かる。

 しかし、誰もそのことに口を挟まない。 

 仮にも王位継承権第一位のバルブロに表だって反論することを恐れているのだ。

 何しろバルブロは義父である貴族派閥の盟主ボウロロープ侯だけではなく、王派閥に属しているウロヴァーナ辺境伯からも支持を得ている。

 どちらの派閥に属していようと、バルブロを怒らせれば自分の立場が不利になる。

 尚書たちはみな、そう考えている。

 いつもであれば非難覚悟で口を挟んでいるガゼフですら口を噤んでいるのは、前回の帝国兵討伐の任が失敗したことで、自らの立場が悪くなったことを理解しているからだろう。

 

(いや。戦士長は己の立場ではなく、自分のせいで父上の立場が悪くなることを懸念しているのか。ならばここは父上自ら否定して頂くしかないが──)

 

「いや、それは。確かに一理はあるが──」

 

 その父王までも煮えきらない返事をしたことに、ザナックは愕然とした。

 確かにランポッサⅢ世は、王としてそこまで有能な人物ではない。

 慈悲深いがそれだけだ。

 とは言え仮にも四十年近く国王として国を動かしてきた人物であるのは間違いない。

 バルブロの提案がおかしいことぐらいは理解できているはず。

 それでも尚却下しないのは、仮にも王位継承権第一位であり、貴族派閥との繋がりも強い兄を皆の前で貶めることで、派閥間の溝がより深まるのを恐れているからなのだろうか。

 

「やはり父上もそう思いますか! ご安心を。今回は事情があって宮殿に出向くことはできませんでしたが、我が義父ボウロロープ侯には私から助力を願いましょう。もちろん、私も同行致します」

 

 己が肯定されたと勘違いしたのか、それとも歯切れの悪い父王の弱みにつけ込んだのか、バルブロは更に勢い良く言い放つ。

 

(要するに相手が誰であろうと関係なく、自分が武功を挙げるために、いきなり戦争を始めたいだけだろうが)

 

 確かに、エ・ランテルを奪還できたのなら、あの地が王家の直轄領であることも含め、貴族派閥とバルブロの力は更に強大となる。

 いや、そうなればもはや王位は確実と言えるだろう。

 

(あー、クソ。やっぱり俺が言うしかないのか)

 

 誰も動かないのであればそうするしかない。

 一つ咳払いを入れて立ち上がろうとした瞬間、一人の男が立ち上がった。

 

「お待ちください、バルブロ殿下。軍を起こされるのは反対です」

 

 バルブロの提案を真っ向から否定したのは、四十過ぎの痩せ型の男だった。

 

「何だと? もう一度言ってみろ、軍務尚書」

 

 その言葉を聞いた瞬間、バルブロの顔が怒りによって歪む。

 それでも、男は顔色一つ変えず淡々と続けた。

 

「何度でも。エ・ランテルの状況も確かめず、先に軍を起こす必要などありません。先ずは調査団を派遣し、その結果相手が帝国であれば直ぐに抗議文を送り、同時に各国への根回しに入る。正式に軍を起こすとすればその後でしょう」

 

 ザナックが考えたこととほぼ同じことを言う軍務尚書に、近くに座っていた外務尚書が口を挟んだ。

 

「おい。外務担当は私だ。軍務尚書が首を突っ込むな」

 

 外交に口を出したことへの抗議だろうが、先ほどまでの沈黙ぶりが嘘のような力強い声だ。

 

「失礼致しました。私が言うまでもなく理解されているのは分かっておりましたが、みなさまが何も仰らなかったものですから」

 

 バルブロを恐れる外務尚書の代わりに自分が言ったのだと言外に告げる様に、外務尚書もまたバルブロ同様怒りに顔を染めあげるが、本当のことだからか何も言わずにいると、軍務尚書は次いでランポッサⅢ世の後ろに立つガゼフに目を向けた。

 

「あのような無謀な策を実行すれば、王国にとってどれほどの不利益になるか。戦いにお詳しい戦士長殿も良くご存じでしょうに」

 

 その視線は冷たく、隠しきれない嫌悪感すら滲んでいた。

 

(おいおい。兄上の暴走を諫めたのは良いがずいぶん辛辣だな。宮廷会議にはあまり出てこなかったが、そう言えば戦士長とは不仲だったか)

 

 軍務尚書は日和見主義が多い尚書の中で、唯一と言っていい有能な人材だとレエブン侯が太鼓判を押す人物だが、ガゼフのことを嫌っているらしく、そのガセフを大事にするランポッサからは重用されていなかったとも聞いた覚えがあった。

 しかし、誰にでも辛辣な態度を取っているこの様子を見ると、遠ざけられていたのはそれだけが理由ではなさそうだ。

 あるいはそうした態度をわざと取ることで、父がどう動くか試しているのかも知れない。

 

「いい加減にしろ! 軍務尚書風情が、王族である俺に楯突く気か! 不敬罪でひっとらえるぞ!」

 

「止さぬか、バルブロ」

 

 テーブルを叩きつけて怒鳴りつけるバルブロをランポッサが諫め、そのまま軍務尚書にも目を向けた。

 

「言いたいことは分かった。内容はこれから改めて吟味するが、軍務尚書も諍いを招くような物言いは止せ」

 

 疲れたように告げるランポッサに対し、軍務尚書は深々と頭を下げた。

 

「申し訳ございません陛下。バルブロ殿下にも大変失礼なことをいたしました。謝罪いたします」

 

「フン。お前のような者が居ては会議の邪魔だ。さっさとこの場から出て行け! 父上、よろしいですな?」

 

 軍務尚書の謝罪にもバルブロは怒りは収まりきらなかったらしく、そう吐き捨てた後、父王に同意を迫る。

 

「──軍務尚書、済まないが……」

 

 短い沈黙の後告げられた言葉は、諍いを嫌う父らしいものだった。

 

「承知致しました。では、私はこれで失礼致します」

 

 そうした王の態度に、軍務尚書本人もまた何かを諦めたかのように大人しく従って退室していく。

 去っていく軍務尚書の背を見ながら、外務尚書のみならず他の尚書たちまでもが良い気味だ、とでも言いたげな嫌らしい笑みを浮かべる様子を見てザナックの背筋に寒気が走った。

 

(軍務尚書の言っていることは何も間違っていないというのに。これは……本格的にまずいぞ)

 

 国の重要都市の壊滅という一大事に派閥争いだけでなく、王宮の重臣であり、国をより良い方向に導かなくてはならない尚書までもが足の引っ張り合いをしている現実と、それを諫めることもできない父の優柔不断さが合わさり、国が最悪の方向に突き進んでいることを肌で感じた。

 

 もはや一刻の猶予もない。

 自分が兄から王位継承権を奪って王になるか、せめて力ある大公にでもならなければこの国は終わりだ。

 

(そのためには──)

 

 眼球だけ動かして兄とは逆側に座っている自分の妹である第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフに目を向けた。

 自分はただのお飾りです、とばかりに先ほどから何一つ発言してはいない。

 だが、この中でザナックだけはラナーの正体に気付いている。

 宮殿の中から言葉一つで貴族たちを自分の思うままに操る叡智の化け物。

 それが根回しも知らない世間知らずの王女の皮を被り、民からの人気も高くその美貌と併せて、人々から黄金と称されているこの女の正体だ。

 その異常性に気付けた者同士というのが、自分とレエブン侯を結び付けたものなのだから。

 

 自分より遥かに優れた頭脳を持つラナーが相手では、いずれ自身も操られて利用されてしまうかもしれない。

 その危険性を理解していたとしても、この難局を乗り切るにはラナーの頭脳が必要不可欠だ。

 そう考えたこちらの心を読んたかのように、ラナーもまた瞳だけ動かしてザナックを目を向け、ほんの一瞬だけ口元に薄い裂けたような笑みを浮かべてみせた。

 言いたいことは分かっている。とばかりの様子に、ザナックは先ほどまでとは違う寒気を感じて、身を震わせた。

 

 

 ・

 

 

「うへぇ。こんなにあるのか」

 

 竜王国の執務室。

 大量の書類をかき分けて、ドラウディロンは執務机に倒れ込む。

 

「竜王国内とその周辺、果ては大陸南部から伝わってきた噂話まで含まれていますので」

 

 宰相の言うように、ここに集められた情報は竜王国内だけではなく、南方の亜人国家から集められたものもあり、その中には憎きビーストマンの国から流れてきたものまである。

 真偽の怪しい噂話から、明らかにおとぎ話として作られたものまで混ざっているが、共通しているのはこれらはこの世界の者たちの常識では到底あり得ないような強大な力を持った者たちに関する話という点だ。

 

「これを全部精査しろっていうのか? 私には女王としての仕事もあるんだぞ!」

 

「そちらは私が補佐しますのでご心配なく。ですが、ぷれいやーなる者たちに関する情報は、陛下でなくては判断が付きません」

 

 涼しげな顔できっぱりと言い切られ、ドラウディロンはもう一度大きくため息を吐いた。

 確かにぷれいやーに関する情報は王家のみが受け継ぐ秘匿であり──既にモモンたちに見せたとはいえ──たとえ宰相でもその内容については知らされていない以上、この大量の噂話の中からどれがぷれいやーに関係しているのか見極められるのはドラウディロンだけだ。

 だからといって、この量は酷すぎる。

 政務の方も宰相が肩代わりをするのではなく、補佐するだけである以上、仕事量は大きく変わらないだろう。

 

「せめて酒でも飲みながら──」

 

「ダメです。酔っぱらって見落とされたら困りますから」

 

「ぐへぇ」

 

 悲鳴にも似たため息を吐いた後、仕方なしに一枚目を手に取って目を通しながら、ふと思い出した。

 

「そういえば、肝心の漆黒は今なにをしているんだ?」

 

「それが……どうも竜王国を出て王国に出稼ぎに行っているようでして」

 

「は!? なんだそれは。そんな話聞いていないぞ。情報を渡す代わりに竜王国に残ってくれる約束じゃないか」

 

 竜王の怨敵であるぷれいやーの子孫と手を結ぶという、場合によっては曾祖父すら敵に回しかねない危険な契約を、悪魔と手を結ぶ覚悟で実行に移し、今まさにそのせいでこれほど辛い目に遭っているというのに、肝心の契約相手が国を出て、王国に出向いているなど明らかな契約違反だ。

 

「いえ。正確には竜王国を出ないのではなく、外敵から竜王国を守る契約ですので」

 

「同じだろうが。今すぐビーストマンが攻めてきたらどうする気だ」

 

 漆黒の活躍でビーストマンの軍勢は完全に撤退した以上、すぐさま戻ってくることは無いはずだが、絶対ではない。

 奴らはあくまで複数部族の集団に過ぎないのだから、今回参加しなかった部族が力を示すためにもう一度現れるかもしれない。

 

「漆黒の方々は常駐していた宿にマジックアイテムを残しておりまして。それを使用すればすぐに本人たちに連絡を取れるため、危機が迫ったら転移魔法で戻ってくるとのことです。転移魔法は伝説と謳われる高位階魔法。にわかには信じられませんでしたが、陛下には伝えてあると窺っておりますが?」

 

「転移魔法? ……あ」

 

 思い出した。

 確かにあの黒髪の女、ナーベが長距離を一瞬で移動する転移魔法が使えると言っていた。

 それを利用すれば確かに、何かあっても直ぐに竜王国に駆けつけることはできるだろう。

 

「はぁ。いい加減、彼らが何者で、どんな力を持っているのか話していただけませんかね。そうでないとまた今回のようなことが起きかねませんので」

 

 深いため息と共に宰相が言う。

 彼らがぷれいやーの子孫である話は宰相も聞いているが、肝心のぷれいやーについての情報を知らないため、彼らの実力を推し量ることができないのだ。

 

「しかしだな。緊急時ならともかく、今はある程度国も安定している。これも一応王家の機密と言えば機密だ。軽々に話すわけにはいかん」

 

 どんな力があるのかを正確に伝えるには、ぷれいやーの存在についても話さなくてはならない。

 もっと切羽詰まった状況ならまだしも、漆黒の活躍で数年程度の安寧が確保された今、先祖代々から受け継がれてきた決まりを自分の勝手な判断で破っていいのかわからなかった。

 

「いつビーストマンが現れるか分からないと仰ったのは陛下ですがね」

 

「ぐっ」

 

「まぁ良いです。それなら、今後は陛下ご自身で漆黒の方々と交渉してください。個人的な繋がりだけでも保っていて損はないでしょうから」

 

「分かっている。とりあえず漆黒が戻ったらここに呼んでくれ。釘を刺してみる」

 

「むしろおだてて自らの意志で残るようにし向けた方がよいのではないですか? この間のように怒らせても困りますので」

 

 竜帝の汚物と呼んだことで、モモンの従者である二人の怒りを買ったことを言っているのだ。

 

「あれは突然のことだったから──」

 

 そこまで言ったとき、執務室の扉がノックされた。

 

「陛下、よろしいでしょうか?」

 

 その声には聞き覚えがある。

 城の警備を任せている近衛騎士の一人だ。

 それが執務室まで来ることは殆どない。何か火急の用事に違いない。

 了承の返事をしようとした矢先、宰相が珍しく慌てた様子でそれを押しとめた。

 

「陛下。形態を戻して下さい」

 

 言われてみれば、現在はごく一部の者を除いて城の者にすら見せていない成長した本来の姿になっている。

 

「戻すってなんだ、これが本来の姿だ。あと形態と言うな!」

 

 すぐさま否定するが、このまま会っては長年姿をごまかしてきた意味が無くなるのも事実。

 しかし、誰でも着ることのできる魔法の服ならともかく、今の服装では戻した途端、服がずり落ちてしまう。

 先に着替えを用意させなくてはならない。

 

「う、うむ。し、しばし待て! 先に用件を頼む」

 

 精一杯子供らしい声を出しながら用件を聞く。

 本来はこうした返事も王女自らすることではないのだが、常日頃天真爛漫な子供の演技をしていることもあって、わざわざ他者を使うよりこうした態度を取る方が自然なのだ。とはいえ、この姿で子供の演技をするのは精神に辛いものがあった。

 

「はっ! アダマンタイト級冒険者チームの方々が面会を求めております」

 

「アダマンタイト冒険者?」

 

 竜王国にただ一組存在したアダマンタイト級冒険者チームは壊滅している。

 新たなアダマンタイト級冒険者チームが出来たとは聞いていないので、他国の冒険者だろうか。

 

「は、はい。それが、以前いらしたワーカーチーム漆黒の皆さんが、王国でアダマンタイト級冒険者になったそうで。直ぐにでも陛下に伝えたいことがあるとのことです」

 

「な、なんだと!?」

 

 困惑した様子の近衛騎士の言葉に、ドラウディロンは思わず素の声で叫んでいた。




取りあえずそれぞれ勢力を平等に進めるのではなく、一国単位で纏めて書いていくことにしました
ですので次はこのまま竜王国の話になる予定です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 同盟参加の呼びかけ・竜王国

同盟結成編ということでまずは竜王国
国が多いので短くできるところは出来るだけ飛ばしていきます

そろそろ話数が増えてきたので章分けしました


 竜王国の首都にある王城に出向いたモモンガたち一行は、以前と同じ謁見の間に通された。

 以前は大量に衛兵が詰めていたが、今回残っているのは一人だけなのは、モモンガたちへの信頼の証なのだろうか。

 そもそもこんなに早く謁見できるとは思わなかった。

 仮にも一国の王に謁見を求めたのだから、数日、下手をすれば一週間ほど待たされることも覚悟して、以前も利用した宿を取ってきたのだが、無駄になってしまった。

 

(まあ、あっちはあいつらを泊めさせればいいか。あんな高い宿を奢るのはちょっともったいないけど……)

 

 竜王国、帝国、都市国家連合の三ヶ国を担当することになったモモンガたち冒険者チームは、カッツェ平野の手前で二手に分かれた。

 法国がプレイヤー側に与すると分かった以上、今回の周辺国家同盟設立は法国に気づかれないよう秘密裏に行わなくてはならない。

 そのため表向きは単純にエ・ランテルを何とか脱出した冒険者たちが、今後どうするか考えるために一時的に纏まっているように見せかけ、そちらに注意を向けさせることにしたのだ。

 その際の駐留場所として選んだのは、カッツェ平野に存在する王国と帝国が共同出資した小さな街ヴァディス自由都市であり、都市を脱出した冒険者の大部分はそちらに向かって移動を開始している。

 

 モモンガたちはその間に転移を使って竜王国の首都に直接出向き、交渉することになったのだ。

 本当はモモンガたちだけでも良かったのだが、ドラウディロンの説得とは別に、国家の影響を受けづらい独立した組織である各地の冒険者組合の説得も同時に行うことになり、一応エ・ランテルの組合長からアダマンタイト級冒険者に認定されたとはいえ何の実績もなく、竜王国のアダマンタイト級冒険者チームを見殺しにしたワーカーチームと認識されている漆黒よりは説得がしやすいだろうと、残った冒険者の中でこちらでも仕事をしたことのある者と、モモンガたちの顔見知りだった漆黒の剣を同行させた。

 彼らには組合説得の後、宿に集まるように言ってある。

 モモンガたちとドラウディロンの話し合いがどれほど時間が掛かるかは不明だが、仮に数時間待たされるとしても、そのまま自分たちが借りた宿を使わせればいい。

 むしろ今問題なのは。

 

「……」

「……」

 

 この城に来てから、明らかに不機嫌になっているソリュシャンとナーベラルの二人だ。

 どうも彼女たちは以前ドラウディロンが口にした、竜帝の汚物発言を未だに引きずっているらしい。

 

(取りあえず大人しくしておけとは言ってあるけど、大丈夫かな)

 

 少し前までの二人なら、モモンガが命令したことは必ず守る確信があったが、悟と再会した際に命令を無視して合流してきたこともあり、絶対とは言い難くなった。

 それは彼女たちがゲームのNPCではなく、一つの命を持った存在として成長した証とも言える。

 本来は歓迎すべき事態ではあるのだが、エ・ランテルを襲撃したプレイヤーの情報を集めるには、各国の力が必要となるため、同盟設立までは大人しくしていて貰いたい。

 

 そうでなくても、モモンガはこれから面倒な仕事をこなさなくてはならないので、余計なことに気を使いたくはない。

 

 そう。モモンガの仕事は竜王国の同盟参加要請だけではないのだ。

 次の目的地である帝国や都市国家連合の首脳陣と謁見するための、紹介状を貰うことも仕事のうちに含まれている。

 大量の冒険者たちをヴァディス自由都市から他国である帝国に入国させるためには、そうした国家の後ろ盾が必要になるからだ。

 

 それらも含め、悟は竜王国の説得についてはモモンガに一任すると言ってきた。

 ビーストマンの大群を追い払い、女王にも貸しがあるモモンガならば簡単に説得できると考えていたようだが、正直気が重い。

 プレイヤーの脅威を知っているドラウディロンなら、エ・ランテルの話を聞けば危機感は持つだろうが竜王国は現在復興の真っ最中。

 将来的に大きな危険に繋がるといっても、今直ぐに国を挙げての支援は難しいのではないだろうか。

 

 そもそもモモンガはドラウディロンと国を守る契約をして、その対価として既に情報も得ている。

 そんな状況であくまで王国の一都市であるエ・ランテルの危機を救うための同盟を結成し、帝国や都市国家連合との顔つなぎも頼むというのは、少々図々しい気がする。

 どう説得したものか分からないというのが、正直な気持ちだ。

 力関係で言えばこちらが圧倒的に上なので、脅して言うことを聞かせることもできるが、真なる竜王と呼ばれる者たちの力の一端を目撃した今、不要にドラウディロンを怒らせるような真似はしたくない。

 二人に大人しくしていて欲しいのはそうした事情もある。

 

(しかし、そうなると他にどんな手があるだろう)

 

 どちらにせよ、先ずはエ・ランテルでの話を聞かせて、その時の反応を見なくては始まらない。

 

 

 そんなことを考えている間に、ドラウディロンの準備が出来たらしく、以前彼女と会談した際にもいた宰相の男が顔を見せた。

 男はモモンガたちに小さく会釈をした後、近衛騎士に合図を送る。

 同時に騎士が声を張り上げた。

 

「ドラウディロン・オーリウクルス女王陛下の御入室です」

 

 いつかと同じように頭を下げて、ドラウディロンを出迎えた。

 二人に関しても流石にこうした礼式を無視するつもりはないようで、大人しく頭を下げている。

 ややあって、室内に小さな足音が聞こえて、不思議に思う。

 足音も歩幅も妙に小さい。

 やがて顔を上げるように声が掛かったとき、モモンガはその違和感の答えに気がついた。

 視線の先にいたのは、一番初めに会ったときと同じ、幼い少女の姿。

 好奇心と天真爛漫さを同居させた明るい瞳。

 しかし、モモンガはこの姿が偽りのものであることを知っている。

 やはりソリュシャンが推理したように、衛兵にはこの姿が本当の姿だと思わせているため、人前ではこの姿を取らなくてはならないのだろう。

 現在冒険者の前では英雄然とした態度で接し、ソリュシャンたちの前ですら絶対者としての態度を崩せないモモンガからすると、同じ苦労をしているのだと思えて何となく親近感が湧いた。

 

「お待たせして申し訳ございません」

 

 相変わらず幼い子供が背伸びをして女王としての責務を全うしているとしか思えない、見事な演技だ。

 そんなドラウディロンに、隣に立った宰相がほんの一瞬だけ嫌そうな顔をしたのが分かった。

 ドラウディロンの本性を知っている彼からすれば、正体が気づかれている相手にも演技を続ける様は滑稽に見えているのかもしれない。

 

「いえ。こちらこそ、突然の訪問にも関わらずお会いして頂けましたこと、感謝申し上げます」

 

 そうした気持ちを隠しながら、モモンガは深く頭を下げる。

 

「何を仰います。皆様は我が国にとって救国の英雄。私が今この椅子に座っていられるのもすべては皆様のおかげなのです。時間ならいくらでも都合致します」

 

「ありがとうございます」

 

「そうそう。私の方からも皆様にお知らせしたいことがあったのです。皆様のご活躍によって取り戻すことができた都市の復興が進み、元通りとはいきませんが、もう国の支援がなくても都市内だけで生活できるようになったのです。他にも──」

 

 どう切り出したものかと考えていたモモンガを尻目にドラウディロンは、ビーストマン襲撃によって受けた都市の復興の様子や、国民がどれほどモモンたちを英雄として崇めているかを滔々と語り始めた。

 一見するとモモンガたちに感謝を伝えているようだが、それだけではなく、だから竜王国を見捨てないでくれ。と言外に伝えているのが良く分かる。

 

(もしかして、エ・ランテルでのことがすでに伝わっているのか?)

 

 いささか唐突な褒め殺しを不思議に思っていたが、そう考えると納得がいく。

 そうした災害が次は自国に降り注ぐことを危惧して、モモンガたちを何とか自国に留めておきたいのだろう。

 

(悟の言うことが本当なら、竜王勢力はプレイヤーと未だに敵対関係にあるらしいし、次にこの国が狙われたとしても不思議はないか)

 

 だからといって竜王国に留まり続けるわけにはいかない。

 これから帝国や都市国家連合にも出向かなくてはならないのだ。

 それも含めて、いい加減この話題を打ち切って本題に入りたいのだが、ドラウディロンの正体を知らない衛兵もいるこの場で、こちらから話を切り出すのは難しい。

 

 黙って聞きながら必死に頭を回転させていたモモンガだったが、やがて室内に呆れかえったため息が聞こえてきた。

 前回のようにソリュシャンが動いたのかと思ったが、そうではなかった。

 そのため息は女王の隣に立っていた宰相が発したものだった。

 それを受けてドラウディロンも表情も崩し、こちらに目を向けると、小さく笑みを浮かべてから軽く肩を竦めた。

 その動きは明らかに、少女のそれではない。

 

「分かった分かった。また魔法を放たれてはかなわん」

 

 姿は少女のままだが、発する雰囲気は既に会談の際に見せた大人に戻っている。

 そのまま玉座の肘置きに腕を乗せて頬杖を突いたドラウディロンは、もう片方の腕を衛兵に向けた。

 

「悪いが、お前は一度下がれ。誰も近寄らせるなよ」

 

「は、はっ!」

 

 一瞬動揺したような様子を見せたが、衛兵は黙って指示に従い謁見の間を後にする。

 

(ああ。そういうことか。あの衛兵は初めからドラウディロンの正体を知っていたのか)

 

 その上で、モモンガたちが正体をばらせないことを逆手にとって、先ほどの賞賛を聞かせていたというわけだ。

 冷静な宰相が客の前で分かりやすく嫌な顔をしたり、ため息を吐いたのは、これがソリュシャンとナーベラルの怒りを買うことを理解していたからだったのだ。

 実際こっそり窺うと、ソリュシャンたちは明らかに怒りと不満に満ちた視線をドラウディロンに向けていた。

 

「すまんな。だが分かって欲しい。私が今言ったことは全て事実だ。この国の全ての人間が貴公らに感謝している。今はまだ貴公らが求める新たなぷれいやーに関する情報は得られていないが復興も順調だ。これが終わればより多くの情報も集められる。だからこそ、頼む。もう少し時間の猶予を貰いたい」

 

 そうした二人の視線を受けてもなお、毅然とした態度を崩さず、背筋を正すと改めてモモンガに向かって頭を下げた。

 為政者でありながら、いざというときは頭を下げることもいとわないその姿勢に思わず感心する。

 今回の揺り返しによって現れたプレイヤーがナザリックと関係が無かった以上、これから最低でも百年は二人の前で支配者として演技を続けなくてはならなくなったのだ。

 今後に備えてそうした振る舞いも学ばねばと思っていたが、ドラウディロンは良いモデルケースになるかもしれない。

 

「モモン殿?」

 

 ドラウディロンに頭を下げさせたまま、モモンガが何も言わないのを見て宰相が問いかける。

 

「お顔を上げてください陛下。今日はそのことで伺ったわけではありません。まだ頼んでからそう時間も経過してもおりませんからね」

 

 先ずはドラウディロンの勘違いを解いておく。

 そもそもドラウディロンに頼んでいた新たなプレイヤーに関する情報はもう必要ないかも知れない。

 何しろ既に、その者たちと思しきプレイヤー勢力と接触しているのだから。

 そう考えながらふと思いつく。

 

(いや。これは使えるか?)

 

 新たな転移者を調べて貰うことも報酬の内なのだから、ここからエ・ランテルの話を持っていき、その者たちについての情報を集めるために周辺国家連合に加入して貰えばいい。

 その上でモモンガたちは、いざという時は竜王国を優先すると言えば、契約を守ることもできる。

 モモンガが頭の中で考えをまとめている間に、顔を持ち上げたドラウディロンには安堵の色が浮かんでいた。

 

「何だ。その話じゃなかったのか。てっきり、他国に本拠地(ホーム)を移すとかそういう話かと思って慌てたぞ。そのせいで先の衛兵に本来の姿を見られてしまった」

 

 衛兵が出ていった扉に視線を向けてから、ドラウディロンは続ける。

 

「ではそのアダマンタイトプレートはどうした? 貴公らはワーカーだったはずだが」

 

 椅子に座り直し、気の抜けたような息を吐きながら、モモンガたちの胸元に掛けられたアダマンタイト製のプレートに視線を向ける。

 ワーカーであったはずのモモンガたちが冒険者、それも一気にアダマンタイト級になったことも、ドラウディロンが勘違いした理由の一つだったようだ。

 

「私たちがここに来たのは、その件です。陛下、王国帝国法国、三国の国境線に位置している城塞都市エ・ランテルをご存じですか?」

 

「無論知っている。カッツェ平野を隔てているから直接ではないが、法国側のルートを使って我が国との交易も行っている。王国守護の要になっている都市だろう?」

 

 淡々とした語り口から見るに、やはり未だエ・ランテルの情報は伝わっていないようだ。

 

「はい。三重の壁に守られた強固な都市ですが、そのエ・ランテルが壊滅いたしました。恐らくはプレイヤーの手によって」

 

「……はぁ!?」

 

 一拍間を置いてから、ドラウディロンは玉座から立ち上がり声を張り上げた。

 その隣では宰相がその声の大きさを咎めるように顔をしかめていた。

 

 

 ・

 

 

 突然現れた漆黒がもたらした情報は、まさに一大事と言えるものだった。

 性格はともかく、統治能力という点では稀代の名君と呼ぶに相応しい帝国の皇帝ジルクニフと、彼が率いる一人一人が専属兵士で構成される帝国騎士団ですら、まともに攻略する事が出来ないために、絡め手を使用するしかないと宰相から聞いていた王国の要であるエ・ランテルが、一夜にして壊滅した。

 それも内部から行政区を押さえるなどの奇襲作戦ではなく、単純な暴力によってだ。

 モモンたちを初めとしたわずかな冒険者を残して、住民は殆ど壊滅した。

 それを実行に移したのはぷれいやーであり、さらにはそれと敵対する別勢力までも現れたというのだ。

 改めて、とんでもない話だ。

 それこそ冗談でも何でもなく、世界そのものの危機と言えるほどの大事件を突然聞かされ、その内容を整理するために思考を働かせすぎたせいで痛みを感じる頭を押さえながら、ドラウディロンは質問する。

 

「……法国がぷれいやー側に与しているのは間違いないのか?」

 

「確信はありませんが、我々の前に姿を見せた陽光聖典隊長を名乗った男によれば間違いないと」

 

「陽光聖典か……」

 

 法国の特殊部隊六色聖典の一つにして、モモンたちが来る以前のビーストマン侵攻の際、常に力を貸してくれていた部隊の名を聞いて、一つ思い当たる節があった。

 今回のビーストマンの大侵攻によって三つの都市が占拠される事態に陥ったのは、例年であれば毎回陽光聖典を貸し出してくれていた法国が今回に限って沈黙を守っていたからだ。

 そのせいでなす術なく都市が占拠される結果となった。

 それも法国の内部がぷれいやー勢力によって支配されていたせいだとすれば、説明が付く。

 

「あり得るな。確かに最近の法国の動きは妙だ」

 

「それにプレイヤーだけではなく、それを追って現れたもう一つの勢力も気にかかります。単独であれほどの魔法を行使する存在など聞いたこともない」

 

 やれやれと言いたげに肩を竦めるモモンに、ドラウディロンも一度法国の件を置いて、そちらに思考を向けなおす。

 

「転移魔法のみを阻害する都市を覆うほどの広範囲結界か」

 

「……陛下には心当たりがあるのではありませんか?」

 

 こちらを探るようなモモンの言葉に、ドラウディロンは言葉を詰まらせた。

 確かにその謎の勢力が使用した魔法には心当たりがある。

 モモンもそのことを半ば確信しているようだ。

 渡した情報の中に、真なる竜王が使用する始原の魔法に関するものは無かったはずだが、モモンもぷれいやーの子孫である以上、情報を持っていても不思議はない。

 

(仕方ない。隠して後で気づかれても面倒だからな)

 

 未だこちらに殺意を込めた視線を向け続けている二人を前にしては、誤魔化すのも容易ではない。

 モモンに言えば多少は押さえられるだろうが、それも多用していては怒りを買い続けるだけだ。

 

「私の曾祖父を初めとした真なる竜王と呼ばれる、ごく一部の竜王のみが使える始原の魔法の一つに同じものがある」

 

「やはりそうでしたか」

 

 ドラウディロン自身も使用することが出来るが、流石にそれは言うことは出来ない。

 そもそも魂を消費して発動するこの魔法。ドラウディロンが使用する際は、他の竜王と異なり己の魂だけでは到底足りず、数万から数十万。最高位の魔法ともなれば百万程度の命を使用しなくては発動も出来ない。

 ゆえにこれは宰相にすら正確には伝えていない。

 まさに最終手段だ。

 

「だが、竜王自体の姿は見ていないのだろう?」

 

 竜王はその名の通り竜である以上、いずれも巨体を誇っている。

 遠目からでもすぐに分かるはずだ。

 

「ええ。暗闇の中、上空で戦っておりましたので、はっきりと姿は見えませんでしたが、どちらも人と同じ程度の大きさしかないようでした」

 

 人間と同じ大きさの竜王など聞いたこともないが、いくつか可能性はある。

 竜王は世界歪曲障壁を張っただけで、戦い自体は別の者が行った場合。

 ドラウディロンのような竜王と人間の血を引く者が他にも居た場合。

 そして、竜王本人がゴーレムや空の鎧などを操って戦う場合だ。

 そうした無機物に力を込めて戦わせる始原の魔法があると聞いた覚えがあった。

 どの方法であったとしても、生き残っている真なる竜王ならば、誰であれ実現可能である以上、その情報だけで正体を調べるのは難しい。

 これ以上始原の魔法について話を広げたくもなかったので、話題を変えることにした。

 

「……それで、貴公らはこれからどうするつもりだ?」

 

 話を変える目的もあるが、竜王国にとってはこちらの方がより重要となる。

 とはいえ、大体予想は付いている。わざわざそんな情報を持ってくる時点で、モモンたちがエ・ランテルを襲った勢力と敵対しようとしているのは間違いない。

 それがぷれいやーの子孫としての義務なのか、それとも単純に英雄としての矜持なのかは分からないが。

 

 そしていかにモモンたちが強い力を持っていようと、少数で出来ることは限られている。

 それだけの勢力を相手にするには、武力面だけでどうにかできる問題ではなく、国家レベルでの支援が必須となる。

 つまりモモンの目的は複数国家を纏めあげて、エ・ランテルを奪還することに違いない。

 二百年前の魔神との戦いでもそうだったが、強大な敵を相手にするときは複数の国家が垣根を越えて協力し合うことは良くあることだ。

 

「我々はこれから法国を除いた周辺諸国を巡り、エ・ランテルの奪還とプレイヤー勢力討伐を目的とした連合結成のために行動するつもりです」

 

 予想通りの返答にドラウディロンは、探るように口を開く。

 

「しかしモモン殿。貴公と我々の間には契約がある。我が国がぷれいやーに関する情報を明け渡す代わりに、この国を守る契約だ。例え転移の魔法が使えても、今回のように転移阻害の結界が張られて戻れないこともあるだろう。それでは契約違反ではないか?」

 

 これは本気で言っているのではない。

 初めにこう言った上で、最終的にモモンが他国に出向く許可を出すことで、竜王国に貸しを作らせる駆け引きの一つだ。

 しかし、案の定というべきか、ドラウディロンの台詞を聞いて、モモンの後ろに立つ二人の目が鋭くなる。

 以前の殺気を思い出して、背筋が冷たくなるが、自国のためにもここは引けない。

 

「……確かにその通りです。ですが陛下」

 

「分かっている。ぷれいやー勢力を放置していては、いずれ竜王国にも被害が及ぶと言いたいのだろう?」

 

「はっ。その通りです。ですので是非とも女王陛下、そして竜王国にも同盟に参加していただきたいと考えております」

 

 ドラウディロンの言葉を受けたモモンがきっぱりと告げた言葉に、思わず言葉が詰まった。

 

「同盟? そ、そうか。同盟か、なるほど」

 

 エ・ランテルは三国だけではなく、竜王国にとっても重要な都市であるのは間違いないが、竜王国との間には、カッツェ平野という危険地帯が広がっているため、すぐさま自国の危機になることはない。

 法国が既に取り込まれているのはともかく、当面は王国と帝国が中心となって動くはずなので、竜王国にはあまり関係がないというのが本音であり、そのことはモモンも分かっているはずだが。

 

(モモンが離れるために一時的な契約の解消、あるいは中断の許可を出すだけならば、モモンに恩を売る意味でも悪くないと思っていたが、何の根回しもなしにいきなり同盟参加を要求してくるとはな……)

 

 復興や今後のことを考えると他国の協力は必須。

 特に隣国の法国がぷれいやー勢力に付いているのならば、もう一つの隣国である帝国との関係は良好を保っておきたいのは事実だ。

 これは国の今後を左右しかねない重要案件だ。時間をかけて考えたいところだが、ドラウディロンの経験上、為政者にはこうした案件だからこそ、その場での決断力が必要となる。

 どうしたものかと頭を悩ませていると、モモンが続けて言う。

 

「いずれこの国にも危険が及ぶ可能性がある以上、私がそれを未然に防ぐために動くことは、ある意味この竜王国を守ることに繋がるのではないでしょうか」

 

「……」

 

 確かに。と言いそうになる言葉を飲み込む。

 それを認めてしまったら、そのままなし崩し的に全てモモンの言うとおりになってしまう。

 前回も思ったが、国に比肩しうる武力を持った個人との対話というのは本当に骨が折れる。

 これで武力が拮抗していればまだしも、おそらく現在の傷ついた竜王国では、全武力を以てしてもモモンたちには勝てないだろう。

 すなわちモモンが一方的な要求をしてきても拒むことは難しいということだ。

 ゴクリと唾を飲んで、モモンの言葉を待つ。

 そんなドラウディロンの覚悟を知ってか知らずか、モモンはごく軽い口調のまま続けた。

 

「ですので、ここは竜王国と契約している私を派遣すること。それそのものを竜王国の他国に対する支援という形にしてはいかがでしょうか?」

 

「貴公を? なるほど。その手があったか」

 

 モモンと契約を結んだまま他国に派遣して、その間の報酬をこちらで持つ形にすれば、たった三人の人間を派遣するだけでも、国家に比肩しうる武力による支援だと言い張ることができる。

 もちろん、モモンにそれだけの武力があり、それを他国が認めることが絶対条件だが、他国の者たちも漆黒の力を直接見れば文句は言わないだろう。

 だが、それゆえに一つ問題がある。

 

「しかし、うーむ」

 

「何か問題がございましたか?」

 

 彼らは次に帝国を目指すと言っていたが、このまま帝国に送り出した場合、ジルクニフならば必ず竜王国との契約を打ち切り、自国と契約するように勧誘するに違いない。

 ワーカーと依頼主という関係については、一応書面で契約を交わしており、それに違反したとき際の罰則も決まっているが、それはあくまで金銭での罰則。

 相当な高額だが帝国ならば簡単に支払える額だ。

 これも本来は金銭ではなく、もっと支払いの難しい何かにしようとしていたが、こちらが脅されている状況だったため無理な交渉ができなかったせいだが。

 

(ここで新たに別の契約を結んで、竜王国を裏切らないようにしておく必要があるな)

 

 チラリと宰相に目を向ける。

 何か案はあるか。そうした意図の問いかけに、宰相は力強く頷いた。

 いつも飄々としていて、女王であるドラウディロンに対する態度もぞんざいだが、能力に関しては疑いなく有能な男だ。

 先ほどは今後の交渉はドラウディロン自身でしろと冷たくあしらわれたが、いざというときは実に頼りになる。

 すぐさま視線で任せると合図を出すと宰相は一歩前に出た。

 

「モモン殿。陛下はこう懸念されているのです。いくらモモン殿が強大な力を持っていようと、モモン殿はあくまで竜王国とは直接的な関係がない以上、同盟への支援がそれだけでは礼を失していると」

 

「なるほど。同盟に参加するからには、自国も身を切る覚悟が必要ということですか」

 

「その通りです。ですので、せめて竜王国と隣国として付き合いのある帝国への同盟参加の呼びかけをモモン殿だけにお任せするのではなく、陛下御自らが直接出向くことで、同盟参加への呼びかけ自体を支援に変えたいと考えておいでなのです」

 

「え?」

 

 思わず声が出る。

 ドラウディロンは仮にも国の頂点に君臨する女王であり、予定も詰まっている。

 同盟参加を呼びかける手紙を書く程度ならばともかく、自身が直接出向く余裕などあるはずがない。

 それは宰相自身が一番よく分かっているはずだ。

 

「ですが、女王陛下もお忙しいでしょう。帝国の首都までの往復ともなれば数週間近く掛かりますが」

 

 当然モモンもそのことは承知している。

 しかし、宰相は慌てることなく続けた。

 

「まさに。陛下が心配されていたのはそこです。ですが、そうした際に問題が起こらないように国内を纏めることこそ、宰相である私の勤め。もちろん道中の護衛はモモン殿にお任せいたします。陛下の護衛でしたら竜王国の正式な使者として扱われます。帝国に入る際の入国審査や皇帝陛下との謁見もスムーズに進めることができるでしょう」

 

 実際女王自ら動くというのは大きな意味を持つ。

 先ほど懸念したジルクニフによるモモンの勧誘も、女王の護衛という立場を作れば難しくなる。

 しかし、大ざっぱな政務に関しては宰相でもどうにかできるだろうが、女王でなくては決められない仕事も存在する。

 その点をどうするつもりなのか。

 

「それに──」

 

 ドラウディロンの心配をよそに、宰相はチラリと視線をナーベに向ける。

 

「モモン殿が竜王国の宿屋に預けたマジックアイテムがあれば、連絡を付けることができるでしょうし、いざという時は転移魔法で陛下にお戻りいただくこともできるのではありませんか?」

 

(こ、こいつ。移動しながら仕事もさせる気だ!)

 

 空の馬車だけ移動させて、後からドラウディロンを竜王国に入国させる方法もあるにはあるが、それでは不法入国になってしまうため、現実的ではないといったところだろう。

 

「なるほど。確かにそれでしたら問題はありませんね」

 

「つきましては護衛をしていただくモモン殿だけではなく、他の冒険者の方々も、旅費に関しては竜王国の負担とさせていただきます」

 

 含みを持たせた言い方は、以前交わした契約とは関係ない女王の護衛任務に対する報酬を、先に帝国を目指して進んでいる冒険者を竜王国で面倒を見ることで相殺しようと言外に持ちかけているのだ。

 

「いえ。そこまで面倒を見ていただくわけには──」

 

 モモンも宰相の言いたいことを理解しているからか言葉を濁した。

 そんなモモンの代わりというように、ずっと黙っていたソーイが口を出す。

 

「おいおい。それは関係ないだろ? そもそも女王陛下が直接来たいってのはそっちの都合で、冒険者を世話して一緒に連れていけばそいつ等を連れてきたことも支援の一つになるわけだ。それをこっちの報酬と相殺じゃ割にあわねぇ。なにより転移はうちのナーベがいなきゃ出来ないんだ。当然それは別口で報酬を貰う」

 

「……それはいかほどですか?」

 

 探るような宰相の問いかけに、ソーイはドラウディロンに目を向けニヤリと不敵な笑みを見せる。

 

「そうだな……私たちにしか出来ない仕事をするんだ。そっちも女王陛下にしか出来ない報酬を貰いたいな。例えば──例の始原の魔法について、もっと詳しく教えてくれる、とか?」

 

「それは竜王国の王族のみが所有する情報ですので、私では決められません。陛下、いかがなさいますか?」

 

(こいつは。本当にいい性格をしている)

 

 結局、執務室で話したように、交渉までドラウディロンに丸投げしようとする宰相に、怒りを通り越して感心してしまう。

 始原の魔法も秘匿事項には違いないが、それ以上に謎の勢力による危機や、各国との関係、なによりモモンをつなぎ止める意味で、ドラウディロンが切れる最後の札だ。

 ここでそれを持ち出していいのか悩んでしまうが、それも一瞬だった。

 ドラウディロンはジルクニフのような名君ではないが、周辺国家の誰より為政者としての経験を重ねた自負がある。

 その経験測がここでの交渉が失敗に終われば、モモンたちと竜王国との関係が途切れることを告げていた。

 

「分かった。始原の魔法については、道中ゆっくりと話そうじゃないか」

 

 この答えによって、ドラウディロンの帝国行きが決定した。

 これからの数週間はドラウディロンの女王生活で類を見ないほど忙しくなることだろうことは、経験していなくても察することができた。




竜王国に関しては前回の交渉でモモンとドラウディロンの間で格付けが済んでいるので一話で終わらせました
次はこのまま帝国か、それとも悟さん視点に変えて王国にするか少し考えます

ちなみに今週末から週明けにかけて忙しくなるので、来週は更新できないと思います
完成次第投稿するつもりですが、場合によっては二週間後になりそうです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話 会談準備

結局書く時間が取れなかったため二週間空いてしまいました
前回の続き、今回は帝国編の準備回です


「竜王国の女王が?」

 

「はい。既に国を出立したとのことです」

 

 秘書官の報告を聞いたジルクニフは、思わず眉間に皺を寄せた。

 

「女王自ら、それもこちらの予定も確認せずに国を出るとは。何を考えている」

 

 通常首脳会談を行う際には──国同士の力関係によほど差があるか、属国などでもない限り──前もって連絡を取り合い、互いにスケジュールを合わせてから初めて出立するものだ。

 あえて無理なスケジュールを押しつけて会談を行うことで、力の差を見せつけると共に圧力をかける強気の外交手段がないとは言わないが、そんなことをしても人間国家同士では無理を通した方が野蛮な国と扱われるだけで、外交面ではむしろマイナスでしかない。

 更に言うのなら、帝国と竜王国の場合、力関係としては帝国の方が上である以上、そんな無理をしても簡単にはねのけられて余計に惨めな思いをするだけだ。

 そうなると、女王自ら押し掛けなくてはならないような、緊急事態が起こったと考える方が自然だ。

 

「それで、用件は言っていなかったのか?」

 

「詳細は分かりません。緊急かつ重要な話があるので、歓迎の宴などは不要とのことですが……」

 

「立地的にエ・ランテルでのことは、竜王国には関係ないはず……またビーストマンでも現れたか?」

 

 考えられる可能性はこれぐらいだ。

 前回ドラウディロンと会ったのは、竜王国にビーストマンの軍勢が攻め込んでくる直前のことであり、ビーストマン討伐のために帝国の力を借りるためだった。

 必死な様子で力を貸して欲しいと訴えるドラウディロンに、言葉ではなく実利を持ってこいと告げてにべもなく断ったものだ。

 そうした態度を取ったのは、竜王国の女王は外見こそ幼い少女そのものだが、それが演技であると知っていたからに他ならない。

 ドラウディロンもまたジルクニフにその演技が見破られていることを知りながら、それでも最後まで無垢な少女を演じ続けていた。

 そうすることで、ジルクニフではなく周囲の人間の同情を買おうとしていたのか、あるいはそうした態度を取ったジルクニフに対する嫌がらせだったのかは良く分からない。

 

 そう。分からないのだ。

 演技だということは見抜けてもその本心が見えない。

 才能ではなく、長い年月為政者として積み重ねてきた経験によって巧妙に隠された本心を見抜くのはジルクニフとて容易ではない。

 外見年齢に引っ張られて感情のままに動いているように見えるときもあれば、逆にジルクニフと同等に近い鋭い読みを見せることもある。

 その不安定さこそ、ドラウディロンがジルクニフの嫌いな女第二位の地位を守り通している理由なのだから。

 

「ですが、ビーストマンはつい先日、撤退したばかりと聞いています。これまでにない大軍だったこともあり、直ぐに再侵攻してくるとは考えづらい気もしますが」

 

「……そもそも、竜王国はどうやってビーストマンを退けたのだ? 我が国もそうだが、法国からの支援もなかったはずだ」

 

 今になって考えると、その時点から既に法国内部で問題が発生していた可能性が高く、竜王国は自国内の武力しか使えなかったはずだが、竜王国には大した武力はない。

 相手は成人すれば人間の十倍は強いと言われているビーストマンだ。

 数に頼った戦いも出来ない以上、撤退させるだけでも簡単ではない。

 

「複数の冒険者チームやワーカーを動員したことに加え、アダマンタイト級冒険者チームの犠牲があって、何とか撃退できたとは聞いております」

 

 確かにそうした報告を聞いた覚えがあった。

 本来は戦争や政治に関わることが禁止されている冒険者だが、相手が人間ではないからこそ、特例的に戦争にも動員できる。

 それぞれが並の騎士よりも強く、また亜人やモンスターと戦い慣れていることも合わせて、冒険者が発揮する力は大きな戦力となる。 

 群に勝る個の存在はジルクニフもよく理解している。

 特にアダマンタイト級冒険者は人類の守護者と呼ばれる存在だ。

 その者たちが死を厭わぬ覚悟で戦ったというのなら、撃退も不可能ではないと考えて、深くは追求しなかった。

 もっとよく調査しておくべきだったかもしれないが、そのときはガゼフ暗殺に関わる法国と王国の貴族派閥の調査に力を割いていて余力がなかったのだ。

 それに。

 

「……もう一つ妙な噂があったな」

 

「たった三人のワーカーチームが三つの都市全てを解放して回ったという、あの話ですか」

 

 思い出したように言うロウネに対し、ジルクニフは真剣な表情のまま頷いた。

 

「そうだ。あまりにも荒唐無稽なため、情報攪乱の一つだろうと考えて詳しく調べさせなかったが……その後何か情報はあったか?」

 

「いえ。一時期は国中で噂されるほどだったそうですが、それほどの偉業を成し遂げたにしては、勲章や国を挙げての式典などが開かれた話も聞きませんし、それどころか表舞台に出てくることもないため、やはりこちらの目を欺くための偽情報では無いかと」

 

 ジルクニフもそう考えたからこそ、追求せずに他の調査に力を入れさせたのだ。

 だが今になって考えるとおかしな点がある。

 

「それは誰に対するものだ?」

 

「……我が国を始めとした周辺諸国では?」

 

「確かに。力を見せつけることで竜王国は未だ健在だとアピールする方法もあるが、それにしてはやり方があまりにもお粗末だ。あの女王がそのことに気づかないはずがない。何かある。その噂話の元となるような、個の戦力……まさかとは思うが、竜王が戻ったのかもしれんな」

 

「竜王国を作ったドラゴンですか?」

 

 伝承伝説に事欠かないドラゴンの中でも、ドラウディロンの曾祖父とされる七彩の竜王を始めとした、真なる竜王と呼ばれるドラゴンたちは高い戦闘能力のみならず、原始の魔法とも魂の魔法とも呼ばれる既存の位階魔法とは異なる体系の魔法が使用できると聞いた覚えがある。

 その力は帝国史上最強最高の魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるフールーダをして、戦闘面では勝ち目は無いと認めるほどだ。

 

「ああ。どのような事情で国を離れたのかは知らないが、あの国はかの竜王が創った国であるのは間違いない。亡国の危機にいよいよ国を救うために立ち上がった可能性はある」

 

「確かにそうですね。今回のビーストマンの侵攻はそれまでとは規模が違う大侵攻だったとも聞いております。法国や我が国が手を貸さなかった以上、竜王国だけでは国ごとビーストマンの牧場になっていてもおかしくはありません」

 

「そうなっていない以上、竜王でなくとも正体を隠さなくてはならない何かが居たのは間違いない……奴が帝都に着くまでの間、竜王国の情報を集めろ。何も知らないまま会談など行えばあれの思う壺だ」

 

「ですが、よろしいのですか? そうなりますとエ・ランテルの情報収集が遅れてしまいますが……」

 

 自国内ならまだしも、他国の正確な情報を集めるためには多くのリソースを割かなくてはならない。

 魔法を使えば人員自体は少なく済むが、魔法だけでは正確性に欠ける。

 情報はなるべく早く、そして正確でなければ意味が無いため、複数の手段による裏付けが大事となり、結果的に多くの人手が必要となるのだ。

 そのためそちらに力を注ぐなら、現在帝国で情報を集めているエ・ランテル壊滅の件が後回しとなってしまう。

 

「元からそちらに関しては、裏付けの一つでしかない。いくら王国とはいえ守護の要であるエ・ランテルを失ったのだ。王国も情報収集には全力を注ぐだろう。我々は奴らが必死に集めた情報を受け取ればいい、いつものやり方でな」

 

 王国のトップである六大貴族の一人にして、王派閥に属しているブルムラシュー侯は随分前から王国を裏切り帝国に情報を流している。

 国王もそれは薄々勘付いているいるだろうに、それでもブルムラシュー侯を罰することができないのが王国の現状を示している。

 そこに付け込んで、今回も同じ手を使えば問題ない。

 ただ一つ、懸念もある。

 

「ですが、王国守護の要であるエ・ランテルが陥落した以上、王国滅亡の危機とも言えます。そんなときにいつものように情報を流すでしょうか?」

 

 己と同じ考えに行き着いたロウネの言葉にジルクニフも頷く。

 

「どのみち奴は最終的に帝国へ寝返るつもりだろうから、王国が滅亡しそうならば余計我々に媚を売るはずだが──王国にはあの化け物がいる。奴が国王に進言してブルムラシューに偽の情報を流す可能性はある、か」

 

 だからこそ、帝国側でも裏取りをするために情報を集めさせていたのだが、ドラウディロン来訪はそれと同等か、場合によってはそれ以上に重要な案件になりかねない。

 

「では、王国に関してはパラダイン様に裏取りをお願いするのはいかがでしょうか?」

 

「ほう?」

 

 ロウネの提案にジルクニフは感心を示した。

 フールーダは主席宮廷魔術師であると同時に帝国魔法省のトップでもある。

 そのため、基本的にフールーダに頼みごとや命令を下せるのはジルクニフだけであり、秘書官であるロウネがこうした提案をしてくることなど今まで無かったことだ。

 無言で続きを促すとロウネは続けた。

 

「魔法による情報収集の精度が低いのは術者の技量不足だと聞いております。パラダイン様とそのお弟子の方々ならば、少数、それも短期間のうちに情報を集められるかと」

 

 フールーダから習った魔法の授業でもそんな話があった。

 例えば距離の離れた相手と会話する伝言(メッセージ)の魔法一つでも、術者の力量によって届く距離や、ノイズの有無などが変わってくるという話だ。

 王国が魔法を軽視していることも併せて、フールーダとその直属の弟子である選ばれし三十人ならば少数だけで王国の機密を調べ上げることができるだろう。

 

「確かに爺ならば可能だろうが……」

 

「勿論その間の帝国魔法省の業務は私も含めた秘書官が全力でお手伝いいたします」

 

 提案の問題点を指摘する前に先回りして回答するロウネに、ジルクニフは僅かに口元をほころばせた。

 

「分かった。爺には私から話す」

 

 全てをジルクニフが決めるのではなく、部下たちに考える力を養わせる計画も順調に進んでいるようだ。

 

「よろしくお願いいたします」

 

「しかし、こうして何でもかんでも爺に頼るのも良くないな。本来ならばこうした時こそ、帝国情報局だけで対処できるようにすべきなのだがな」

 

「パラダイン様がいらっしゃるお陰で我が国は謀略とは無縁。そのため情報局も経験が足りていないのは事実です。そちらの練度不足解消も考える必要がありますね」

 

「まあ、それも今回の件が片づいてからだ。情報局には竜王国の情報収集に力を入れるように命じ、フールーダには私の下まで来るように伝えておけ」

 

「承知いたしました」

 

 一礼の後、部屋を出ていくロウネを見送ってから、ジルクニフは小さくため息を漏らす。

 法国の不可解な行動から始まり、エ・ランテルの陥落、そしてドラウディロンの突然の来訪。

 帝位に就いて以後、初めて迎えた難局を前に、それでもジルクニフは笑みを浮かべる。

 考えようによってはこれも良い機会だ。

 この難局を乗り切れば、混乱の続く法国に代わって、帝国こそが周辺諸国最強の覇権国家として君臨することになるだろう。

 歴代の皇帝が破壊した古い帝国とは違う、ジルクニフが生み出す新たな国家の誕生としてはこれ以上無いスタートを切ることができる。

 

「さて。あの若作りの婆め。今頃何を考えているのやら」

 

 気合を入れなおす意味も込めて、ジルクニフはこちらに向かって馬車を走らせているであろう、舌戦相手に思いを馳せた。

 

 

 ・

 

 

(生きた心地がしない)

 

 帝都が近づくにつれ、益々整備が行き届いた街道を進む。

 竜王国と帝国の間に跨るカッツェ平野を通っていた時に比べれば、馬車の乗り心地は格段に良くなっているはずだが、それに反比例するかのようにドラウディロンに向けられる殺意は、重さを増していく。

 目の前に座るナーベから向けられたものだ。

 

 この馬車の中には現在、ドラウディロンと副官として連れてきた彼女の正体を知っている近衛騎士、そしてナーベの三人しかいない。

 本来はモモンとソーイも乗せるつもりだったのだが、そもそも馬車に乗れる人数に限りがあり、いざ敵に襲われたときのことを考えて、探知役であるソーイと戦闘役のモモンは馬に乗って馬車に追従する形で護衛を行うことになったのだ。

 ナーベはいざというとき転移魔法でドラウディロンを逃がすために、この配置になった。だが、彼女にとっては自らの主であるモモンを外に追いやり、自分だけが馬車の中にいる状況そのものと、それを指示したドラウディロンのことが気に入らないらしく、馬車の中に入ってから仕事以外のことでは一切口を開かず視線すら合わせようとしない。

 しかし、己に流れるドラゴンの血によって一般人よりは精度の高い知覚能力を持つドラウディロンにはたとえ視線が向いておらずとも、殺意だけはひしひしと感じられるのだから、まさしく生きた心地がしないという感想しか浮かばない。

 それでも少し前までは、急いで国を出てきたせいで残っていた仕事──当然ナーベに見られても問題のない物だけだが──に全神経を集中することで現実逃避をしていたのだが、それももう終わってしまい、することがなくなったことで逃げ場を失ってしまったのだ。

 

(仕方ない、今のうちに奴との会談に備えておくか)

 

 改めて逃避の意味も込めて、皇帝との会談に備え思考を巡らせることにした。

 実際、為政者としてはドラウディロンを遙かにしのぐ化け物じみた才覚を持つ皇帝との会談も、考えただけで胃が痛くなるが、それでもこのままこの殺意に晒され続けるよりはマシだ。

 

(あの小僧の考えは読みづらいからな。ある程度はこちらの意図が見抜かれていると思った方がいい)

 

 この首脳会談の表向きの目的は、帝国に同盟への参加を呼びかけることだが、それに関しては大した問題ではない。

 そもそも立地的に帝国は今後のことを考えて、エ・ランテルをそのままにしておくことなどできるはずがない。

 ドラウディロンが言わずとも、同盟には参加するだろうし、その間エ・ランテルに集中できるように──後顧の憂いを断つ意味で──積極的に都市国家連合との同盟も呼びかけてくれるはずだ。

 だからこそ、ドラウディロンは交渉よりも、漆黒をジルクニフに引き抜かれないように見張ることに注視しなくてはならない。

 流石に仮にも友好国である竜王国の女王が連れてきた護衛を目の前で勧誘するとは思えないが、相手はあのジルクニフだ。

 どんな手で来るか分かったものではない。

 

(そう考えると、漆黒の護衛は城までにして、直接会わせないのが確実か──いや、目を離すとそれはそれで帝国の者が接触してくる可能性もあるな)

 

 アダマンタイト級冒険者になったとはいえ、それはあくまでエ・ランテルの冒険者を纏めるための緊急手段としての意味合いが強く、漆黒の知名度は殆ど皆無と言ってもいいため、帝国にまで名が知られているはずはないのだが、それもまたジルクニフならばあるいは。と思ってしまう。

 

(……まあ、その場合はこいつらが何とかするか)

 

 チラリと一瞬だけナーベに視線を向ける。

 

「何か?」

 

「い、いや。そろそろ皇帝の直轄領圏内に入る。モンスター襲撃の危険は減るだろうから、警戒より見栄えを考えて隊列を組み直す必要があると思ってな」

 

「分かりました。次の休憩の際にモモンさんに伝えておきます」

 

「あ、ああ。頼んだ」

 

 ぶっきらぼうながら会話自体は普通に成立するのだが、その言葉に内包された殺意は隠し切れていない。

 というより、あえて隠そうとしていないのだろう。

 

(ああ。せっかく現実逃避していたのに、また思い出してしまった)

 

 刺すような殺気に全身が貫かれるような思いを抱きながら、ドラウディロンは思わずため息をつきそうになり、意志の力で何とかそれを抑え込んだ。

 

 

 ・

 

 

(竜王国やエ・ランテルより発展してるなぁ)

 

 石畳の敷かれた帝都の町並みを、豪華な馬車が走り抜ける。

 帝都の入り口から帝城まで続く大通りはドラウディロン来訪の為に完全に封鎖されており、先ほどまでは帝都中に響き渡る祝賀の鐘が鳴らされていた。

 ドラウディロンの態度や性格が気安いせいか忘れがちになるが、彼女も一国の女王。

 他国に来賓として来るとなれば、こうした扱いは当然なのだろう。

 しかし、その護衛役でしかないモモンガたちが乗る馬──モモンガは普通の馬には乗れないので、動物の像・戦闘馬(スタチュー・オブ・アニマル・ウォーホース)で呼び出した馬に乗っているが──の前にも先導役の騎士が付いているのはどういうことなのだろうか。

 

(俺たちが警戒されているわけではないよな?)

 

 ここでのモモンガたちの立場は、女王直属の護衛だ。

 竜王国の宰相が言っていたように、ここに来るまで間経由したいくつかの都市で、モモンガたちを含めた冒険者も竜王国の関係者として扱われ、入国審査や武器の押収などもなく、ほとんど素通りする事ができた。

 流石に帝都へ入る際は安全のため、冒険者たちの武器を一時預けるように言われたが、モモンガたちだけは特別に帝城までという条件で帯剣が認められている。

 そこからして不思議だ。

 直属の護衛とは言うが、モモンガたちはあくまで冒険者。

 竜王国預かりの立場だとしても、正式な竜王国の使者ではない。

 それなのに武器の携帯許可や、騎士による馬の先導などされるものなのか。

 これではまるで自分たちも、貴賓として扱われているかのようだ。

 

(うーむ、よく分からんが。まあどっちでも良いか。楽なのは間違いないし、どうせ俺の役目は帝城までだ)

 

 この後ドラウディロン率いる竜王国の関係者は帝城に入り、全員来賓用の貴賓館に宿泊することになっている。

 その後すぐドラウディロンは皇帝と会談をするらしいが、城中まで護衛が一緒では帝国を信用していないと思われてしまうため、モモンガたちが付いていくことはない。

 仕事もここで一区切りになるわけだ。

 

(俺たちだけで来ていたら大変だったな)

 

 本来はドラウディロンに紹介状だけ書いて貰い、皇帝を説得するのはモモンガたちが行う予定だったのだが、女王自らが説得すると決まった時点でその必要もなくなった。

 これほどまでの歓迎を受けるのはあくまで主賓が女王であるドラウディロンだからであり、モモンガたちだけではこうはならなかっただろうが、それでもその場合は冒険者を率いているモモンガが竜王国の使者に近い立場の主賓として扱われていたかと思うとぞっとする。

 元ワーカーの冒険者という立場なのだから、礼儀作法を知らなくても問題はないと考えていたが、そのせいで皇帝を怒らせて説得に失敗しようものなら、悟がどんな反応を示すか分かったものではない。

 その意味でもドラウディロンが一緒に来てくれて助かった。

 皇帝説得は彼女に任せて、その間モモンガたちはこの都市の冒険者組合に顔を出してエ・ランテルのことを伝え、協力を仰ぎに行く予定だ。

 相手が組合長なら、説得もずいぶん気楽になるというものだ。

 

 そんなことを考えている間にもパレードは続き、やがて竜王国の城よりも造りも新しく立派な城の前にたどり着いた。

 先ずは一緒に付いてきた数少ない竜王国の人間である近衛騎士──モモンガたちとドラウディロンが会談した際に居た、彼女の正体を知っている騎士だ──が帝国側の人間と話をしていたが、やがて近衛騎士は血相を変えてドラウディロンの乗る馬車に移動した。

 モモンガは女王の護衛という立場なので、その馬車の近くに居たのだが、流石に内部の声までは聞こえない。

 と言ってもあの馬車には転移担当としてナーベラルも同乗しているので、何かあっても後で聞けば問題ない。

 そんな風に呑気に構えていると、馬車の扉が開き先ほどの騎士が今度はモモンガの下にやってきた。

 

「モモン殿、陛下がお呼びです」

 

「女王陛下が? 分かった。ソーイ、私の馬を頼む」

 

 この馬は召喚されたものであり、召喚者の命令でしか動かないため暴れることなどあり得ないが、周りがそのことを知るはずもないので離れる際はこうしてアピールしておかなくてはならない。

 

「ああ。了解」

 

 頷くソリュシャンに馬の手綱を預けてから、ドラウディロンの馬車に向かう。

 許しを得て、モモンも馬車の中に乗り込むと中には、子供姿のまま眉間に皺を寄せて考え込むドラウディロンと、その向かい側に涼しい顔をして座っているナーベラルの姿があった。

 そのナーベラルも、モモンガが顔を見せると僅かに顔を綻ばせる。表情の変化はごく僅かだが百年のつき合いともなれば、それぐらいは判別できる。

 労いも込めて、彼女に一つ頷いてからモモンガはドラウディロンに声を掛けた。

 

「陛下。お呼びと伺い参上致しました」

 

「モモン。少し面倒なことになった」

 

 対するドラウディロンは余計な挨拶もせずに、眉間に皺を寄せたまま切り出した。

 

「面倒、とは?」

 

「お前たちには帝城に入った後は冒険者組合に行って貰う予定だったが、予定が変わった。帝国の皇帝がお前たちに会いたいそうだ」

 

「私たちに、ですか?」

 

 一体何故だろうか。

 モモンガたちは一応アダマンタイト級冒険者ではあるが、その名が帝国内では全く広まっていないのは、ここに来るまでに通った都市で確認済みだ。

 そもそも王国に近い都市ですら、エ・ランテルで何が起こったか知っている者は殆ど皆無なのだ。

 そこで活躍した冒険者モモンのことなど知るはずがない。

 

(にも関わらず俺たちに会いたいとは。皇帝には独自の情報網でもあるのか?)

 

 理由は不明だが、どちらにしても皇帝になど会いたくはない。

 ドラウディロンも会わせたくないように見えるのは、礼儀も知らないモモンガが皇帝の前で粗相をするのが想像できるからだろうか。

 だとすれば、自分たちの利害は一致している。何とかドラウディロンに皇帝を説得して貰って会わない方向に持って行けないかと考えたが、その前にナーベラルが口を開いた。

 

「どうもその皇帝とやらは既に城の入り口に来ているようですね。無駄に派手な騎士が集まっています」

 

 千里眼(クレヤボヤンス)辺りで監視でもしたのだろう。

 それを聞いたドラウディロンが小さく舌打ちをした。

 

「やはりか。あの男が出迎えに来るとはな。城の中にいるか、出迎えるとしてもせいぜい入り口までだと思っていたが、断らせないようにする気だな」

 

 憎々しげに言う。

 モモンガたちを皇帝に会わせないようにしようにも、既に直ぐそこまで出迎えに来ているため、逃げ場がないということだ。

 それを調べるため、ナーベラルに魔法による遠視を頼んだのだろう。仮にも他国の城内を監視させるとはなかなか思い切ったアイデアだ。

 それほど皇帝が警戒に値する人物だというのなら、会いたくない気持ちがますます強くなるが、長い沈黙の後でドラウディロンが告げた言葉によってその思いは砕かれた。

 

「……モモン、済まないが近衛と共にお前も来てくれ、できれば一人で」

 

 一人でと言いながら、チラリとナーベラルに視線を向ける。

 既に一度、一国の主であるドラウディロンに危害を加えようとした前科のあるナーベラルとソリュシャンは皇帝に会わせたくない気持ちはよく分かる。

 実際皇帝がモモンガに何か失礼なことを言えば、再び暴走しかねないのは確かだ。

 

「分かりました。ナーベ、お前は私の馬を連れてソーイと共に冒険者たちと予定通り冒険者組合に向かってくれ」

 

「……分かりました。モモンさん、お気をつけて」

 

 無言の熟考の後ナーベラルも了承する。

 ここでまた命令無視でもされたらどうしようかと思ったが、大人しく頷いてくれて助かった。

 こうなるとこちらも覚悟を決めるしかない。

 皇帝がモモンガに何の用があるのかは知らないが、なるべく目立たないように黙っていようと心に決めて、改めてドラウディロンと視線を合わせて小さく頷き合う。

 皇帝の前で粗相を見せたくないと言う自分たちの思いは同じはずだ。

 その辺りのフォローも彼女に期待するしかない。

 後ろ向きな覚悟を決めつつ、モモンガとドラウディロンを含めた少数の人員は、改めて馬車に乗り込み、帝国騎士の先導に従って帝城内部に足を踏み入れた。

 

 

 帝城内にはナーベラルが言っていたように、大量の騎士が左右に分かれて直立不動の姿勢を取っていた。

 それらの纏った武具はここに来るまでに見た帝国兵とは異なり、全ての武具に魔法の輝きが見て取れる。

 

「ほう」

 

 思わず感心する。

 この世界に於いて魔法の武具は弱い物であっても非常に高価な品であり、冒険者やワーカーでも持っている物は少ない。

 それを一部隊丸ごと用意するのは相当金が掛かっていることだろう。

 少なくとも、この百年の間に見たいずれの軍隊より見事な装いだ。

 上空にも同型の装備を纏い飛行魔獣に乗った騎士の姿が見え、その真下にはさらに雰囲気の違う漆黒の鎧に身を包んだ四人の騎士が待機している。

 そして、その中心に一人の男が立っていた。

 まだ若い金髪の男は、これもまた世界で見た内では、もっとも豪勢な服に身を包み、腰には王笏を差しているのが見えた。

 間違いなくあれが、鮮血帝として周辺諸国に名を轟かせている帝国の皇帝に違いない。

 ただ立っているだけなのに気品だけではなく、絶対者としての自信も漲っている姿は、これぞ支配者という感じがする。

 

(あれが支配者らしい立ち方という奴なのか。こんな時でなんだが、勉強になるな)

 

 モモンガがそんなことを考えている間に、再び祝賀の鐘が鳴らされ、改めて左右を固めた騎士たちが礼を取る。

 それを確認してから、こちらもまた支配者らしく威風堂々たる歩き方でその間を通ったドラウディロンと皇帝は向かい合った。

 

「この度は、ご無理を聞いていただきありがとうございます。まさか皇帝陛下自ら出迎えてくださるとは思いませんでした」

 

 天真爛漫な子供が精一杯背伸びをして女王らしく振る舞っているようなこの姿はもう何度も見てきたが、相変わらず演技には見えない。

 相手もそれを見抜けていないのか、鮮血帝という呼び名には似合わない物腰柔らかな態度と声を返した。

 

「何を言う。竜王国の女王陛下の頼みだ。友好国としてできうる限りの対応はさせていただくさ」

 

「皇帝陛下の厚い親愛の念には感謝の言葉もございません」

 

 世辞を含んだ挨拶を交わしながら再会を喜び合っても緊張感はなく、どことなく和やかな空気さえ感じられた。

 特にモモンガに対して言及もなく、このまま帝城内で晩餐会を行うということで話が纏まり、ドラウディロン指示の下、全員が立ち上がった時初めて皇帝の視線がモモンガに止まった。

 ドラウディロンが動揺したような動きを見せるが既に遅く、彼はモモンガに対しても人当たりの良い微笑を浮かべたまま口を開いた。

 

「貴殿が噂の漆黒か。他二人は……いないようだな。とびきりの美女と聞いていたので会うのを楽しみにしていたのだがな」

 

 軽口を叩いてから一度言葉を切った皇帝は、何と答えていいのかわからず戸惑うモモンガの前に悠然と手を差し出した。

 

「率直に言おう。貴殿を帝国に迎えたい。無論、実力に見合った報酬は約束しよう」

 

 差し出された手は断られることなど微塵も考えていない強い自信に満ちていた。




今回の同盟設立編の主役は聖王国と王国なので、帝国の話は次で一端終わる予定です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話 同盟参加の呼びかけ・帝国

ドラウディロンとジルクニフが会談を行う話
この章の本命は帝国ではないのでさっさと話を進めます



 帝城内の一室。

 他国との会談に使用されるこの部屋に入ることはこれまでも数回あったが、皇帝ジルクニフと一対一で向かい合うのは初めてだった。

 本音で話がしたいと告げたジルクニフに、ドラウディロンが一対一の会談を申し込んだところ、相手もそれを了承したのだ。

 テーブルに並べられた軽食には目もくれず、ドラウディロンは華美な装飾の施されたグラスに手を伸ばす。

 

「如何ですか? 我が国の葡萄酒は」

 

「……大変美味だ。流石帝国は魔法文化だけではなく、食文化も花開いているようだな」

 

「国民を守るだけではなく、生活を潤すのも上に立つ者の重要な仕事ですからね」

 

 竜王国ではどちらもできていない。とでも言いたいのだろうか。

 僅かに苛立ちを覚えるが、それを態度に出すほど愚かではない。

 もう一口酒を飲んで喉を湿らせてから、口を開いた。

 

「改めて自己紹介しよう。私こそ竜王国の女王にして黒鱗の竜王(ブラックスケイル・ドラゴンロード)、ドラウディロン・オーリウクルスだ」

 

 身体を本来の姿に戻し、胸を張って名乗りを上げる。

 今は魔法のドレスに身を包んでいるため、本来の姿に成長しても服装はそのままだ。

 この姿で会うと決めたからこそ、ドラウディロンは他者を排除して一対一の会談を望んだのだ。

 当然、ジルクニフもこの姿を見るのは初めてのはずだが、大して驚いた様子も見せずに小さく鼻を鳴らした。

 

「ようやくお会いできた。と言ったところですか。私の方はなにも偽ってはいませんので、自己紹介は省かせて貰いますよ」

 

(よく言う。しかし、私の演技を見破っていたのは想定内だが、姿を誤魔化していることまでは知らないと思っていたが……予想していたのか、それともそう見せかけているのか)

 

 どちらにしてもこの若さで大したものだ。

 少なくともドラウディロンが彼の年齢の頃には絶対に出来なかっただろう。

 

「皇帝陛下は実直な話の方がお好みだったかな」

 

「どちらでも。今の貴女となら、プライベートな話でも構いませんよ」

 

 相手に好感を与えるような笑顔と態度はとても作りものには見えないが、口調が僅かに変わっている。

 これまでは、礼儀を弁えつつも子供に対して接するという態度だったが、今は妙齢の女性に対する接し方に変えてきたわけだ。

 

「ではそうしようか。私も貴殿のような若く優秀な男性とは親密な関係を築きたい。なんなら場所を寝室に移しても良いぞ?」

 

 ニヤリと笑って言うと、ほんの一瞬だけジルクニフの笑顔にヒビが入った。

 自分のように長い間人を見て養われた観察眼がなければ解らないほど、ごく僅かなものだ。

 口ではそう言ったが、当然そんなつもりは毛頭ない。

 単なる駆け引きの一つであり、ずっとジルクニフにペースを握られているのが癪だっただけだ。

 

「……冗談はさて置き。本題に入る前に、まずは女王たるこの私の護衛を勧誘するなどという蛮行に出た真意について聞かせて貰おうか?」

 

 だからこそ、あえてこちらから話を元に戻す。

 早くジルクニフの真意を確かめなくてはならない。

 

「蛮行とは人聞きの悪い。彼らはあくまでワーカー、いや、今はエ・ランテルの冒険者組合が認めたアダマンタイト級冒険者でしたか。どちらにしても、正式にどこかに属しているわけではない以上、我が国に迎え入れることに問題はないはずですが?」

 

(そこまで調べていたか)

 

 漆黒の竜王国での働きに関しては、彼らを英雄扱いする意味で情報統制などは行わなかった。

 他国の情報機関がいくら調べようとも、たった三人でビーストマンの軍勢を追い返し、短期間で都市を三つ取り戻したなど簡単に信じるはずがない。

 結果としてビーストマンが退いた事実はあっても、その方法には何か裏があると勝手に深読みをして、無駄な調査に時間を取られるはずと考えていた。

 加えて、ドラウディロンは帝国に直接出向く知らせをできる限り遅らせて情報収集の時間を与えないことで、モモン本来の力だけではなく、ドラウディロンとの間に交わした契約内容についても、まともに調べることができないうちに、この会談を始める。

 そういう予定だった。

 その上で漆黒が竜王国の専属になったと思わせる段取りもしていたのだが、どうやら帝国はこの短い期間でモモンに対してかなり詳細に調べ上げているようだ。

 実際、国の縛りが薄い冒険者ならば、他国の者であろうと勧誘すること自体は大きな問題ではないのは事実。

 もっとも、仮にも友好国であるドラウディロンの護衛に着いている状況下で、いきなり勧誘を行うとは流石に予想がつかなかったが。

 

「今現在、漆黒は我々と契約を交わしている」

 

「それは存じていますよ。しかしその契約も、エ・ランテルを占拠した正体不明の集団を何とかするまでの間に限定されているのでは?」

 

「……」

 

 ここに来るまでの道すがら、ドラウディロンは自分の持つ最後の切り札である始原の魔法の情報と引き替えに、新たな契約を結ぶことに成功した。

 その内容は違反した際の罰則強化と、暫定的な所属先を竜王国に限定することだ。

 本当はもっとこちらに有利な契約を交わしたかったのだが、交渉相手がモモンではなくソーイであり、交渉の最中も殺気を向けられ続けたことで強気に出ることができず、そうした契約になってしまったのだ。

 更にその期間は、今ジルクニフが言ったようにエ・ランテルにいるとおぼしき謎の集団を何とかするまでの間に限定された。

 もちろんもう一つの契約である他のぷれいやーを調べる代わりに竜王国を守る契約は残っているが、そちらは相変わらず契約違反に対する罰則が緩いままなので、帝国なら簡単に違約金を支払える。

 こちらの沈黙を肯定と受け取ったらしく、さらにジルクニフは続けて言う。

 

「ならばその後、漆黒を我が国に招いても何の問題もないのではありませんか?」

 

 薄く笑みを浮かべたまま言うジルクニフに、沸き上がる怒りを押し殺す。

 

(こんなことなら、あの二人を遠ざけるのではなかった)

 

 もし二人があの場にいれば、己の主を自分の下に付けようとするジルクニフに対し、怒りを露わにしたことだろう。

 場合によってはあの場で戦闘にも繋がりかねず、最悪でもあの場はめちゃくちゃになった。

 支持基盤の中枢を占める騎士たちの前で、皇帝が一介の冒険者にバカにされたとあっては、如何にジルクニフが国内で絶対的な権力を握っているとしても、そんな問題を起こした者たちを正式に国に仕えさせることはできなくなったはずだ。

 

(取りあえず、モモンにあの場で返答をさせずに済んだことだけは幸いだったな)

 

 ジルクニフの突然の勧誘に驚いたのだろう。

 モモンにしては珍しく言葉を失っていた。

 その隙を突いて、ドラウディロンが割って入ったことで一時的に話は流れたが、こうしている間にも、他の者たちがモモンの勧誘を進めていることは想像に難くない。

 そしてこの契約がモモンにとって、悪いことではないというのがまた問題なのだ。

 

 ドラウディロンはまだ始原の魔法についての情報を話してはいない。

 それを話してしまったら、その時点で漆黒が離れるかも知れないと考えたため、契約を結ぶ際この同盟が正式に結成した後で話すことに変えたのだ。

 約束が違うと、向けられる殺気に耐えながら、この一線だけはどうにか守り通して勝ち取った時間こそが、竜王国、いやドラウディロンの持つ正真正銘最後の切り札となったのだが、改めて帝国の町並みと、その発展具合──特に魔法技術について──を見て考えを改めた。

 ドラウディロンが始原の魔法を使えることは国内外に広く知れ渡っており、帝国でもあの有名な逸脱者フールーダ・パラダインが強い興味を示していると聞いている。

 そして、帝国は未だ始原の魔法が使える真なる竜王が現存しているアーグランド評議国とも繋がりがある。

 つまり、帝国がその気になれば始原の魔法についての情報すら手に入れることも可能ということだ。

 

 それは残るぷれいやーの捜索でも同様である。

 こちらは国家レベルの情報網があれば調査ができる以上、この短期間で漆黒のことを調べあげた帝国ならば竜王国より素早く、そして詳細な情報を集めることができるはずだ。

 つまり帝国が漆黒についてここまて詳細に調べあげて勧誘しようと決めた時点で、既に竜王国のアドバンテージなどなくなってしまっているのだ。

 

(とにかく今は、モモンたちが始原の魔法について知りたがっていることだけは知られてはならない)

 

 帝国でも同じことができる以上、それが知られればジルクニフはそれを使って交渉する。

 そう考えた直後、ふいに別の思考が浮かぶ。

 

 モモンとしては始原の魔法のことが分かればいいのだから、モモン自身がそれを話して帝国に自分を売り込む可能性もあるのではないのだろうか。

 さっと全身の血の気が引いていく。

 もし本当にモモンがそう考えていた場合、ドラウディロンに残された手は一つしか思いつかないからだ。

 それはあまりに困難な方法だった。

 

(あえてこちらから情報を開示することで漆黒の危険性を理解させて、ジルクニフと交渉する。これしかない。だが、私にできるか?)

 

 例えモモンが既に契約を結んでいたとしても、それはあくまで口約束程度。

 帝国の権力は全てジルクニフに集中しているからこそ、今回のドラウディロンとの会談での結果が出るまでは、正式な契約を結ばせることはない。

 逆に、ほぼ契約が固まっていたとしても、ジルクニフがノーと言えばその時点で全て無かったことにできる。

 力ある独裁者とはそういうものだ。

 しかし、こちらの行動を読み切り、初手から勧誘を行う大胆さや、そもそもドラウディロンが帝都に到着するまでのわずかな間に、漆黒の有用性に目を付けて調べあげる手腕も併せて、やはりジルクニフは傑物だ。

 自分のような経験しか取り柄のない凡人に、彼を説得できるのだろうか。

 

(いや、やるしかない)

 

 思考を巡らせているうちにすっかり長い沈黙ができてしまった。

 ジルクニフは待ち飽きたとでも言いたげに、自分の分の葡萄酒に口を付けている。

 その様子を見ながら、ドラウディロンはそっと息を吸い、覚悟を決めて気合いを入れ直した後、相手にも聞こえるように小さく鼻を鳴らして笑った。

 

「……何か?」

 

 葡萄酒を持っていた手が止まり、鋭い視線が向けられるが、ドラウディロンはそれを受け流す。

 

「皇帝陛下……いやジルクニフ殿。契約期間後、勧誘するもしないもそちらの自由なのは間違いないが、果たして貴公に彼らが飼い慣らせるかな?」

 

「何?」

 

 グラスをテーブルの上に戻し、ジルクニフは改めてこちらを正面から見据える。

 それに対し、ドラウディロンは口元に笑みを浮かべたまま、自分のグラスを手に取り続けた。

 

「あれは劇物だ。一歩取り扱いを間違えれば、国そのものを滅ぼしかねない。それを御せる自信があるならやってみるが良い」

 

「ほう。国を滅ぼす劇物と来ましたか」

 

「ああ。奴らは転移魔法と超強力なアンデッドを召喚して使役する術を持っている。悪意を持って使えば都市はおろか、国すら簡単に滅びるだろう。そして、奴らはその力を使うことに躊躇することもない。そんなものを飼い慣らす自信はあるのかと聞いている」

 

 自国がバカにされたと感じたのか、ジルクニフの薄ら笑いが凍り付き、瞳に怒りと憎悪が混じる。

 これも本気で怒りを覚えていると見せかける演技かもしれないが、どちらにしても鮮血帝の名に相応しい殺気が感じられた。

 だがそれを向けられてもドラウディロンは動じない。

 なぜなら──

 

(あの殺気に比べればそよ風のようなものだな)

 

 ナーベとソーイの二人から、その気になればいつでも殺せる距離で向けられ続けたあの殺意によって、すっかり恐怖心が麻痺しているのだから。

 とても感謝などする気にはなれないが、それでも何が役に立つか分かったものではない。

 そんなことを考えながら、ドラウディロンは手にした葡萄酒を一気に飲み干した。

 

 

 ・

 

 

(わざわざ向こうから情報を寄越すとは。こいつは何を考えている?)

 

 今ドラウディロンが口にした漆黒の能力は、帝国情報局が調べたものと同じ。

 つまり嘘の情報を与えてこちらを攪乱させる狙いがあるわけではない。

 漆黒は本人たちの力量もさることながら、その本質は別のところにある。

 転移の魔法、野伏(レンジャー)の技能、そして戦士としての力量。それに加えてマジックアイテムによる強力なアンデッドの召喚。

 それぞれが個別に持った力を駆使して、占拠された都市に奇襲を仕掛け、内部からアンデッドを暴れさせることで混乱を作り出し、その隙に敵の大将を仕留める。

 それを繰り返すことで短期間のうちに三つの都市を取り戻すことに成功した。

 これが帝国情報局が調べあげた漆黒の能力だ。

 

 恐るべき力であるのは間違いない。

 特にナーベという魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、フールーダより遙かに若い年齢で既に転移魔法を使いこなしていることになり、いずれはフールーダに並び立つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)に成長する可能性もある。

 

 だが、今はまだそこまでではない。

 転移魔法と透明化の魔法による潜入や、強力なアンデッドの召喚も、逸脱者であるフールーダならば一人で使いこなすことが出来る。

 ようは三人の実力を合わせてようやくフールーダ一人分の働きができる、それがジルクニフが漆黒に抱いた感想だ。

 とは言え全力を出せば、個人で帝国全軍をも相手にすることも可能なフールーダと同じことを、たった三人で出来るのはまさしく脅威的な力だと言える。

 決して他国にみすみす渡して良いものではない。

 

 だからこそ、国力の落ちた竜王国程度では支払えないような高待遇で迎えると勧誘したのだ。

 そしてそんな強力な力を持った者たちを、大人しく従えさせる首輪となりうる力を持っているのも、周辺諸国ではフールーダしかいない。

 少なくとも今回のような大侵攻ではない通常の侵攻すら、他国の力を借りなくては撤退させることも出来ない脆弱な戦力しか持たない竜王国では漆黒を押さえておくことなどできない。

 それはドラウディロンが一番よく知っているはずだ。

 

「貴国ではそれができるというのか?」

 

「さぁ? だが、今現在あの三人が我が国に付いていることがその証拠ではないか? 我が国には彼らをつなぎ止めるものがある」

 

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべてドラウディロンが言う。

 

(竜王国にフールーダ以上の抑止力となる、なにかがあると言いたいのか?)

 

 候補は二つ。

 一つは漆黒のことを知る前に考えた彼女の曾祖父である七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)

 だがその場合、モモンたちに頼る意味がないため、この可能性は限りなく低い。

 もう一つは。

 

「原始の魔法、だったか」

 

「ほう。まあ、私が使えること自体は知られているからな。ちなみに原始の魔法ではなく、始原の魔法だ」

 

(……やはりか)

 

 既に失われた古の魔法。

 フールーダが情報を知りたがり、ドラウディロンを自分の正妃に迎えてはどうかと提案してきたことを思い出す。

 嫌いな女第二位を守り通している女と夫婦になるなど御免だと断ったものだ。

 

「その魔法で漆黒を縛っている……いや違うな。もっと単純に、モモンはその情報を知りたがっているのか?」

 

 ジルクニフの言葉に、ドラウディロンは笑みを深める。

 

「そういうことだ。さて、どうする?」

 

 相手の意図を読もうとじっと顔を見つめるが、相変わらず何を考えているのかは分からない。先程からどんな言葉や牽制をかけても、まるで心が死んでいるかのごとく全く変化が見えないのだ。

 生まれたときからずっと次代の皇帝候補として、嘘や欺瞞にまみれた世界を生きてきたジルクニフにとって他者の演技を見抜くのは得意分野だが、それは相手も同じ。

 ドラゴンが人間より遙かに長命種であることを考えると、今の大人の外見年齢が本来の年齢と同じということもないだろう。

 才能はともかく、経験値で言えば自分より遙かに上の相手。

 そう考えて最大限の警戒をすべきだ。

 

(この婆の心を読もうとしても無駄だ。同盟解散後のことを考えると、ここで失敗は出来ない)

 

 ドラウディロンの感情を読むことは諦め、ジルクニフはこれまで手にした情報を基に思考を巡らせる。

 同盟の設立とその後のエ・ランテル解放まではそう難しいことではない。

 エ・ランテルは多かれ少なかれそれぞれの国にとっても重要な場所であり、そこが国ではない正体不明の力を持った集団に占拠されたという状況はとても看過できるものではないためよほどの馬鹿でない限り、同盟設立に反対する者はいないだろう。

 だからこそ、設立された同盟の力でエ・ランテルを解放した後のことについても考えなくてはならないのだ。

 漆黒の力はそのときに重要となる。

 

 最悪のシナリオは漆黒が王国に付いてしまうことだ。

 王国にそんな力があるとは思えないが、エ・ランテルは現在王国の領土。

 解放に際し、漆黒が大きな働きを見せれば、報償として、その土地を与えて辺境伯などの貴族として取り立てる。

 そうなれば最悪だ。

 封建国家の王国が、たかが一介の冒険者を上級貴族に取り立てるなどという大胆な手段に出られるとは思えないが、エ・ランテルは王の直轄領であり、あちらにはラナーがいる。

 王宮中から、貴族を自在に操るあの女が動けば、どうなるか分からない。

 

(この婆もそれを心配しているのか? あの女の異常性に気づけているとは思えないが──)

 

 そうした考えこそ油断に繋がる。

 かと言って一度時間を置くのもまた得策ではない。

 漆黒の武勇が知られていない今こそが奴らの力を独占する唯一の機会なのは間違いないのだから。

 

「なるほど。ではこうしてはいかがですか?」

 

 口調を戻し、友好的な笑みを浮かべる。

 最善ではないが、最悪は避けられる。

 ジルクニフにしては珍しい考えだが、漆黒の戦力はそれだけの価値がある。

 無言で続きを促され、ジルクニフは左右の腕で、自分とドラウディロンをそれぞれ指し示しながら告げた。

 

「漆黒を我々帝国と竜王国で共同管理する。というのは」

 

「共同管理?」

 

「ええ。彼らの力はそれだけの価値がある。竜王国に危機が迫ったときはそちらに。帝国に危機が迫ったときはこちらに。転移魔法の使い手ならば、いつでも自由に行き来できる。もとより冒険者は国に縛られないもの。そうした契約を結ぶことも問題はない」

 

 もちろん、そのままでは二国だけではなく王国や法国などとも契約を結びかねないため、そうしたこと出来ないような縛りを両国から課して、実質的に竜王国と帝国専属の冒険者にしてしおうという密約だ。

 彼女にとっては想定外の提案だったのだろう。

 ドラウディロンは口を閉じ、じっと考え込む。

 それでも余裕ぶった演技だけは変わらないのだから大したものだ。

 

「両国同時に何らかの危機が陥った場合は?」

 

「そのときは臨機応変に対応するしかありませんが、必要ならば我が国の騎士団を貴国に派遣しても構いませんよ。王国などとは違い、帝国の騎士は専属兵だ。必要とあれば即動かせる。もちろんそれ以外の部分でも協力は惜しみませんよ」

 

 以前は断った兵の派遣に加え、復興に関しても手伝う用意があると言外に告げる。

 いくら漆黒のメンバーが強力であっても、それだけで国を立て直すことはできない。

 破壊された都市の復興には多量の資源──戦いのせいで収穫できなかった食料なども含まれる──が必要となる。

 その手助けができる余力があるのは、周辺国家では帝国と法国のみ。

 法国内にも混乱が生じている今、竜王国のみを優遇して支援してくれる国となれば帝国しかないはずだ。

 

「……つまり、今回の周辺国家同盟とは別に、竜王国と帝国の二国間に漆黒のメンバーを組み込んだより強固な協定を結ぶということか」

 

「そう言うことです。カッツェ平野を挟んでいるとはいえ我々は隣国同士、協力し合って行きましょう」

 

 ジルクニフの言葉で、余裕ぶっていたドラウディロンの笑みが僅かに歪む。

 

「なるほど。漆黒の者たちは帝国と竜王国の架け橋になりうる実利というわけか」

 

 実利という部分に力を込めているのは、以前帝国に救援を求めてきた際に、ジルクニフが歪曲しながら告げた助けて欲しければ情に訴えるのではなく実利を持ってこいと言ったことに起因しているのだろう。

 一度は素気なく断られた協定関係を、状況が変わったからと言って、手のひらを返して帝国側から持ちかけられるのは面白くないのは間違いない。

 

「ご不満ですか?」

 

 言いながらも、断ることはないと確信している。

 これが竜王国にとっても十分利益のある落としどころであると気づけないほど愚かな女ではないからだ。

 案の定、ドラウディロンは一つ鼻を鳴らすと黙ったまま立ち上がる。

 それを見て、ジルクニフもまた立ち上がり、テーブルに沿って歩き出したドラウディロンに合わせて自分も歩を進めた。

 二人は歩く速度を合わせ、テーブルの中央で改めて向かい合う。

 

「では改めて。我がバハルス帝国の周辺国家同盟への参加と」

 

「我が竜王国との協定樹立に」

 

 これもまた二人は同時に手を差しだし、迷いなく握り合った。

 

「周辺国家の同盟関係が終了するまで、漆黒は帝国か竜王国。どちらかの監視下に置いておきましょう。常に動向を把握していなければ、どこかの国がちょっかいをかけてくるかもしれない」

 

「それは構わないが、大丈夫か? 先ほども言ったが、あれは迂闊に手を出せば噛みついてくる狂犬だ。飼い慣らすのは簡単ではない。特にモモン以外の二人がな」

 

 妙に実感の籠もった言いぶりに何となく状況が理解できた。

 ほとんど会話はしていないが、少なくともモモンは礼儀を弁えている人物だった。

 そこだけがドラウディロンの語っていた漆黒の危険性と合致していなかったのだが、危険なのはモモンではなく、残る二人だというのなら話は通る。

 同時に三人の関係がモモンを中心とした主従関係と告げることで、三人の内の誰かを個別に勧誘するなどの、絡め手を使用しても無駄だと言っているのだ。

 やはりドラウディロンは優秀な為政者だ。

 

「注意しますよ」

 

「その気持ち悪い話し方も元に戻して構わんぞ。我々は対等な同盟相手なのだからな」

 

「目上の者。特に高齢者には敬意を払うのが私の主義ですので」

 

「……ほぉう。この坊やは女の扱い方を知らないようだな。やはり寝室で女の扱い方について一から叩き込んでやろうか?」

 

 ジルクニフは余裕の演技を崩すことなく、普段浮かべている微笑よりもっと分かりやすい笑顔を浮かべて、本心からの言葉を告げた。

 

「陛下。それだけはまっぴら御免です」




今回は敢えて帝国の同盟参加だけに焦点を当てるため、ドラウディロンとの会談だけで話を進めたので、モモンとジルクニフが直接絡むのはもう少し先になります
ちなみにドラウディロンとジルクニフは王様としての能力ではかなり差がありますが、元の経験値と今回ナーベたちに殺気を向けられ続けてほぼ心が死んでいたせいで余計に感情が読み取れなかったことで互角に交渉できた感じです

次はサトルさんたちか、それともしばらく出番のなかったナザリックの面々の話か、思いついた方から書きます


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 その頃のナザリック

時間は少し戻り、エ・ランテル占領後直ぐのナザリックの様子と次の計画の話
この辺りから少し話が重くなっていきます


 絶叫と悲鳴が響きわたる。

 都市まるごとナザリックの支配下に置かれたこのエ・ランテルで、それはもはや日常の光景だった。

 その声を聞きながら、デミウルゴスは表情ひとつ変えずに都市中央の大通りを歩いていた。

 

 たとえ人間と敵対している亜人などの異種族であろうと思わず目を背けたくなるような残酷な実験や、巻物(スクロール)に必要な素材の回収を行っても何も感じない。

 むしろ、悲鳴が上れば上がるほど、暴れれば暴れるほど、嗜虐心が刺激されて愉悦を感じる。

 それが悪魔と言うものだ。

 しかし、今のデミウルゴスにそうした気持ちはない。それどころではないと言うべきか。

 

(やはり、目撃者はいませんか)

 

 デミウルゴスが探しているのはシャルティアが戦ったという、超広範囲に渡る転移阻害魔法を使用した鎧を操る謎の敵ともう一つ。

 自分直属の配下である憤怒の魔将(イビルロード・ラース)を誰にも気づかれず一瞬で殺した何者かの目撃情報だ。

 これが同一の存在、つまり鎧を操ってシャルティアと交戦しながら、本人が憤怒の魔将を殺した可能性はある。だがそんな真似ができるのなら憤怒の魔将を殺して直ぐに本体も参戦するはずなので、恐らくは別人だろう、と他ならぬ主が推察した。ゆえにデミウルゴスはそちらの目撃者を捜すために、こうして配下の悪魔に管理を任せているこの都市に出向いたのだが、空振りに終わってしまった。

 

 とはいえ、ある程度予想は出来ていた。

 現在この都市にいるのは運良く──あるいは運悪く──建物や路地の奥に隠れていたためアンデッドに見つからず偶然生き残った人間だけだからだ。

 アンデッドと戦った冒険者たちならもっと情報を持っていたかもしれないが、その者たちは勝ち目のない無謀な戦いを挑んで玉砕した為、生き残りは殆ど居ない。

 もっとも、彼らのそうした無謀な行動は別の冒険者グループを逃がすための囮であり、実際少数の冒険者が都市を脱出している。

 そうした生き残りが周辺諸国にエ・ランテルの話を広めて危機感を煽り、周辺諸国に連合を組ませることも目的の一つだったため、ある意味計画通りの行動なのだが、そちらにも気になることがある。

 知性の殆どないアンデッドではそうした者たちを選別して逃がすこともできないため、それらを巧く操って逃げ道を作るのも憤怒の魔将の仕事だったはずだからだ。

 つまり、魔将が死亡しアンデッドを操る者は居なくなった状態で、主謹製のデス・ナイトというこの世界では英雄と呼ばれる者たちでも勝ち目はないアンデッドの群を突破した者が冒険者の中に紛れていることになる。

 

 シャルティアと戦った全身鎧の騎士、憤怒の魔将を瞬殺した者、冒険者を率いてアンデッドの群れを突破した者、あの場にはデミウルゴスも想定していなかった三人の強者が存在していたのだ。

 そのうち多少なりとも情報を得ることができたのは、シャルティアが戦った鎧を操る者だけ。

 それも本人ではなく、あくまで操る鎧の力が分かっただけで、情報収集も巧くいったとは言えない。

 なによりも問題なのは、至高の御方が自分に授けて下さった憤怒の魔将を失ってしまったことだ。

 デミウルゴスが100時間に一度使用できる魔将を召喚する特殊技術(スキル)によるものと異なり、ユグドラシル金貨によって呼び出された傭兵モンスターは一度死亡すると復活させることはできない。

 ナザリックの総資産から比べればほんの僅かとはいえ、自らの判断ミスのせいで損害を与えてしまったのは事実。

 ナザリック随一の知恵者──当然主は別だが──として創造された自分にとって許しがたい失態だ。

 

 主自ら、ああした強大な敵勢力の登場は自分も予想していなかったので、デミウルゴスに責任はない、と言ってくれたが、その主自身が危険を冒してシャルティアを救いに行ったのは、デミウルゴスではこの事態に対処できないと思ったからかもしれない。

 そう考えると己の不甲斐なさに腹が立つ。

 もちろん今回の作戦は、シャルティアの暴走によって急遽立案されたものであり、準備の時間が足りなかったと言えばその通りだが、そうした不測の事態も想定してもっと保険を掛けておくべきだった。

 

(……とは言え、いつまでも過ぎたことを考えても仕方がない。そちらの反省も行いつつ、次の作戦で挽回するより他にありませんか)

 

 次の計画。

 それはこのエ・ランテルを目立つ形で要塞化することで、ナザリック地下大墳墓ではなく、この場所に敵の目を集めることだ。

 そのためにもしばらくの間は周辺国家には手出しをせずに、エ・ランテルやナザリックの戦力強化も行うことが決定している。

 ナザリックの戦力強化については、今回得られた死体を使用して主の特殊技術(スキル)アンデッド製作でデス・ナイトなどの中位アンデッドを量産することを中心に考えられているが、エ・ランテルはそうは行かない。

 この地は基本的にデミウルゴスとその配下の悪魔が管理しているが、件の謎の勢力が再び強襲してくる可能性も考慮して、ナザリックの者たちは極力この地には配置しないことになっているからだ。

 周辺国家の目を集めるにはこれでは少々物足りない。

 

 そこでデミウルゴスが提案したのは、人間たちと敵対している亜人やモンスターを支配下に置き、この地に集める方法だった。

 現在対象となっているのは近くにあるトブの大森林や奥にあるアゼルリシア山脈に住む者たちであり、実行部隊として能力的に最適であるアウラとマーレ、そして現在これといった仕事のないコキュートスが担当することになっている。しかし、それらは未開の地であり不明な点も多いため、主より事前に慎重な調査をするよう厳命されている。

 

 だがそれでは時間がかかり過ぎるため、デミウルゴスには、もう一つ候補としている場所があった。

 かつて法国が大規模な討伐を行ったことで、既に情報も集まっているため直ぐにでも行動を開始することが可能な場所。

 法国と聖王国の間にあるアベリオン丘陵だ。

 ここの亜人たちを纏めてこの地に連れてくればこれまで人間と戦い続けてきた歴史も併せて、周辺国家の目を集めることができる。

 

「そのためにも早急にアベリオン丘陵を支配する。それと……もう少し人間たちの恨みを集めておきましょうか」

 

 この近辺に存在する周辺国家殆どが、より強大な種族から大陸の隅に追いやられた者たちが造り上げた国ばかりであり──先の三者のような強力な個は別として──世界征服の障害になるような国は存在しない。

 障害となりうるとすれば、そうした者たちを追い立て、大陸中央で覇を競っている六大国家と呼ばれる亜人種の国だろう。

 ここでの争いはナザリック地下大墳墓が世界征服に乗り出すための足場づくりの一環でしかない。

 余計な時間をかけないように、できれば一度に全ての国を相手にできるように、周辺国家全てを同盟に参加させておきたい。

 

 現時点でそれが難しいのは、異種族国家でありエ・ランテルから離れているため我関せずの態度を取れるカルサナス都市国家連合とアーグランド評議国だ。竜王国も離れてはいるが、あちらは人間国家であり、法国に借りがあるためそちらから圧力をかけさせることは可能だろう。

 そして、残る一国であるローブル聖王国も、距離が離れており法国とも宗教的に対立とまではいかずとも、仲が悪いため同盟に参加させるのは難しい。

 だが、アベリオン丘陵の亜人たちを巧く利用すればそれらの国を参加させることも可能となる。

 まずはそこから攻める。

 

 失態を取り戻すにそれ以上の働きを見せるより他にはない。

 今度こそ、一分の隙もなくあらゆる状況に対応できる計画を作り上げる。

 それこそがただ一人残られた慈悲深い主に報いる方法なのだと、改めて心に刻み込む。

 そのためにも先ずは現在トブの大森林で前線基地を作っているコキュートスに預けられたシモベを借り受けるべく、このままそちらに向かうことにした。

 

 

 ・

 

 

「あーちゃん! ペスは来てない!?」

 

 アウラが第六階層の見回りを終えて休んでいた──見回りの後は必ず休憩を取るように主から言われている──自室に突然ユリが現れて、開口一番そう告げた。

 普段のユリらしからぬ慌てように、思わず目をしばたかせてから、アウラは小さく首を横に振った。

 

「来てないけど。どうしたの?」

 

「どこにも姿が見えないの。彼女、この時間は休みじゃなかったんだけど、メイドの一人と休みを代わって貰ったらしくて」

 

「ペスが? 珍しいね」

 

 ナザリックの者たちにとって休みとは、本来歓迎すべきことではない。

 アウラもこうして休みを取ってはいるが、それはあくまで主からそう命じられているからでしかない。

 一般メイドを統括する立場であるメイド長であるペストーニャは余計にそうした傾向が強いはずだ。

 

 そのペストーニャが、自ら休みの変更を申し込むなど珍しいを通り越して、信じられない。

 誰かと休みを交換するということは、本来の仕事よりも優先すべき用事が他にあることを示しているからだ。

 ナザリック地下大墳墓に属する者がそんな考えを持つこと自体おかしな話だ。

 

「……この時間、セバス様も休憩を取っていらっしゃるの」

 

「ペスとセバス? 二人ってそんな仲良かった?」

 

 第九階層のメイドと使用人をそれぞれ統括する立場である以上、仕事の面で互いにサポートすることはあるだろうが、休憩時間を合わせて共に過ごすような仲だとは知らなかった。

 

「多分プライベートなことではなく……全く別の用件、だと思う」

 

「どういうこと?」

 

「……例のエ・ランテルの住人、死亡している者は第五階層に運んだのだけれど、アインズ様のお慈悲でエントマ用の食料として何名か第九階層にも運ばれたのよ」

 

「エントマって……あー」

 

 プレアデスの一人であるエントマは人を食料として見ていると聞いたことがある。

 それ自体はアウラも何とも思わないが、ペストーニャが相手となれば話は別だ。

 

「もしかして女とか子供だったり?」

 

「ええ」

 

「あちゃー」

 

 ナザリックに属する者は総じて人間を──ユリの末妹であるただ一人を除き──下等で脆弱な生き物と認識している者ばかりだが、例外がある。

 特にペストーニャは、ナザリック外の者にも慈悲をかける優しい性格に創造されている。

 そのペストーニャがエ・ランテルから運び込まれた女子供を見て同情するのは当然だ。

 既に死んでいる者たちならばともかく、エ・ランテルにはまだ生きている人間も多く、その管理はデミウルゴスに一任されているとも聞いている。

 そこでどんな扱いを受けているかは、ナザリックに属する者なら簡単に予想がつくのだから。

 

「でもさ、今更どうしようっていうのさ。エ・ランテルだっけ? そこで生き残っている連中を逃がすように言うつもり? あれだって色々と実験に使ってナザリックのために役立てるって聞いてるよ」

 

 そうした実験がナザリックの為になるのならば、止める理由はない。

 それはペストーニャも理解しているはずだ。

 

「それが分からないからこうして捜しているのよ。休憩に入る前にセバス様がアインズ様に会いに行ったとも聞いているし」

 

「アインズ様に?」

 

 現在プレアデスのメンバーは第十階層に繋がる扉の守護という本来の役回りをこなしているが、同時に主が玉座の間で作業をしている間の取り次ぎ役も担っている。

 そのセバスが休憩前にわざわざ主に会いに行ったのならば、一つの可能性が思いつく。

 

「もしかするとアインズ様に直談判するつもりかも知れないわ」

 

 いつだったか、一般メイドたちが休みが多すぎると主に直談判したと聞いた覚えがある。

 結果的にそれは却下されたらしいが、そうして自分の考えを伝えること自体は、シモベたちの成長に繋がるとして主も容認しているそうだ。

 セバスとペストーニャも同じことをしようとしているとユリは考えたのだ。

 

「でも、あのときとは状況が違うでしょ。あれはもっとナザリックのために働きたいって考えての行動だったけど、単純に可哀想だから助けてほしいなんて、アインズ様が許すはずないよ」

 

 そもそもアウラにしてみれば、ナザリックの者以外に慈悲をかける必要すら感じない。

 

「それは、そうなのだけれど……」

 

 ユリが言葉を濁したのは、彼女もまたナザリックの者にしては珍しく、性根が善に近い者として創造されているため、セバスたちの気持ちもある程度理解できているからだろう。

 だからこそ、なるべく騒ぎにならないように、こうして一人で捜しているのだ。

 

(デミウルゴスとかアルベドに知られたら、きっと面倒なことになるしなぁ)

 

 ただでさえエ・ランテルでの作戦中、想定外の事態がいくつも起こったことでデミウルゴスとアルベドはピリピリしているのだ。

 特にデミウルゴスは失態を取り戻すべく、主により新たに命じられたエ・ランテルの全権と、あの地に仮初めの本拠地を造って、周辺諸国の目を集める計画の遂行に全力を注いでいる。

 アウラとマーレ、そしてコキュートスも現在その計画の一端を担うべく、先兵となりうる異種族や亜人の調査を開始しているが、デミウルゴスの力の入れ様はそれ以上だ。

 そんなときに、そのエ・ランテルの人間たちに慈悲を与えるべきだ。などと主に進言するようなことがあれば、元から不仲であるセバスとデミウルゴスがぶつかり合うのは目に見えている。

 

「分かった。あたしも探すよ。こんなときはニグレドに頼るのがいいんじゃないかな?」

 

 探知魔法に特化した彼女の力ならば、ペストーニャとセバスを捜すことも簡単だ。

 

「そうね。ニグレド様なら……」

 

「あたしからコキュートスに話してあげるよ。でも、なんで捜しているか気づかれちゃだめだよ。ニグレドはほら赤ん坊相手だと」

 

 人間にも優しい性格をしている者の筆頭はペストーニャとセバスだが、こと人間の赤ん坊に関してはその優しさがペストーニャすら凌ぐのがアルベドの姉であるニグレドだ。

 捜している理由を知られたら、間違いなくセバスたちの味方になってしまう。

 

「ええ。もちろん」

 

 力強く頷くユリにアウラも頷き返し、ニグレドの居城である氷結牢獄が存在する第五階層の階層守護者であるコキュートスに許可をもらうべく、先ずは一緒にトブの大森林内で前線基地を作っているマーレに通信を繋いだ。

 

 

 ・

 

 

「──話がそれだけならば私は戻るが?」

 

 ナザリック地下大墳墓、第五階層氷結牢獄の中で、アインズは眼前の三人に対して冷たく言い放つ。

 なるべく感情を込めないように言ったつもりだが、存在しない胃がキリキリと痛むのが分かった。

 

(やっぱり、パンドラズ・アクターを派遣するべきだったか)

 

 この場の領域守護者であるニグレド、そしてセバスとペストーニャという三名に極秘で呼び出されたことでなんとなくイヤな予感はしていたのだが、ビンゴだった。

 この三人に共通しているのは、カルマ値が善側に偏って創造されたことで、現地の人間に対して慈悲深さを持っているという点だ。

 彼らはエ・ランテル内で生き残っている人間たちが、様々な人体実験の材料に使われている話を聞いて、それを止めさせるべくアインズに懇願してきたのだ。

 そうした直談判自体は別に問題がない。

 そもそも本物の鈴木悟ですらないアインズには、彼らの性格や生まれ持った性質、つまりはギルメンが定めた設定を無理に変えさせる資格など無いのだ。

 だからメイドたちがもっと働きたいと直訴しに来たときも、アインズの決定に異を唱えること自体不敬だと怒りを露わにした者たちに適当な言い訳をして宥めた。

 

 もっとも、ナザリック──正確にはNPC──を守ることがアインズの使命であると考えている以上、例え彼らの設定に沿った願いだったとしても、何でも受け入れる気はなく、メイドたちにも休みを少し減らすという妥協案で納得してもらったのだが。

 

 それは今回も同じだ。

 三人が人間に慈悲を与えたい気持ちは分かるが、役に立たない大量の人間たちをナザリック内で世話し続ける余裕などないため、その場合はエ・ランテルから解放して別の地に逃がすことになるが、それではこちらの情報が王国に伝わる可能性がある。

 世界級(ワールド)アイテムを持っているとおぼしき勢力の介入があったばかりの現状、僅かでも情報が漏れることは避けたい。

 

「まだですわん!」

 

 やはりというべきか、この中で恐らくもっとも慈悲深い──セバスは設定的なものではなく、あくまでカルマ値のみ、ニグレドの優しさは赤ん坊に限定されている──ペストーニャは諦めずアインズの説得を続ける。

 その後長々と連ねられた彼女の言葉を纏めると、このエ・ランテルはこのままナザリックが支配していくのだから、子供や赤ん坊の頃からナザリックの良さを教え込みながら育てることで、ゆくゆくはこの地を守る先兵として成長するはずというものだった。

 確かに一理ある。

 デミウルゴスが新たに立てた計画でも、ナザリック本体が攻め込まれないように、エ・ランテルそのものを改造して、人員を配置することで周辺諸国の目を集める、いわば偽りのナザリックを創造する計画が立案されている。

 そこにナザリックの者たちを派遣することはできないので、現地から兵を調達する話も出ていたはずだ。

 しかし、ペストーニャのやり方では時間がかかり過ぎる。

 僅かに思案する間を空けてから、アインズは再び提案を却下した。

 

「だが、それではまともに使えるまで数年、下手をすれば十数年かかる。そんなことをするくらいならば、初めから戦える亜人やモンスターを集めてくる方が手っとり早い。実際既に近隣のトブの大森林やアゼルリシア山脈から集める計画が動いている」

 

「今回の周辺諸国との戦いには間に合わないでしょうが、アインズ様は将来的にこの世界全てを支配なさるお方です。今からそうした人員を育てておけば無理矢理の集めた者たちと違って裏切る心配もなく、情報漏洩にもならないはずです。あ、わん」

 

 一つ頷いてから、チラリと視線をセバスに向ける。

 ここに至るまで一言も話していないことが気になったのだ。

 

「私もペストーニャと同意見です。単なる兵士だけではなく、使用人やメイドとしての教育も施せば、各地に拠点を作った際にも役立つのではないかと愚考いたします」

 

「私もそう思います。赤ん坊には無限の可能性があります。想定以上の強さを持った者や、便利な特技を持った者が生まれるやもしれません」

 

 セバスの言葉にニグレドも同意を示す。

 

「ふむ。なるほどな」

 

 そちらも理に適った意見ではある。

 この周辺諸国を平定した後は、本物の鈴木悟や、もう一人のコピーNPC、そして行方知れずのプレアデスの二人を捜す意味でも、アインズ自らが他の土地に攻め込んでいくつもりだ。

 その際に現地を制圧し、そこでしばらく過ごさなくてはならない場合でも、ナザリックの者たちは確実にアインズに付いてこようとするだろう。

 だが、安全が確保されていない場所に一般メイドたちを連れていくことはできない。

 そもそも単純に仕事量の意味でもそんな余裕はない。

 この広すぎるナザリック地下大墳墓をセバス配下の使用人や、プレアデスを入れたとしても百人にも満たない数で清掃していること自体仕事量としては過剰もいいところなのだ。

 今のセバスの意見はそれを解決する手段になりうる。

 しかし。

 

「お前の意見はもっともだ。私も今後のことを考えると、下働きを増やすことに意味はあると考えている」

 

「では!」

 

 パッと場の空気が明るくなったことを察し、アインズは言い方を間違えたと心の中で顔をしかめた。

 先に結論を言うべきだった。

 これではぬか喜びさせただけだ。

 口下手な自分を心の中で罵倒しつつ、アインズはそれをなるべく表に出さないように努めて首を横に振った。

 

「しかし、今回はダメだ。お前たちも知っているだろう。あのシャルティアを以てしても仕留め切れない強さと、世界級(ワールド)アイテムを持った未知の勢力が我々と敵対している。少なくともその正体が判明するまではほんの僅かであろうと、情報漏洩の危険は回避しなくてはならないし、ナザリックを強化するための実験も必要不可欠だ」

 

 アインズとて、デミウルゴスが主導して行っている目を覆いたくなるような実験結果を記した報告書を見て、なにも思わなかったわけではない。

 しかし、今は時期が悪い。

 シャルティアと守護者たちがぶつかり合うのを防ぐためとはいえ、事前に調べておくべきナザリックの防衛機構の確認や、この世界に来て効果の変わったものもある魔法の調査、なにより現地勢力の情報、それらが集まりきらないうちに動いてしまった結果、明らかにナザリックに敵意を持った強者と敵対する羽目になったのだ。

 もはや一刻の猶予もない。

 ナザリックの強化に繋がる実験ならば、どのような非道であろうと進める必要がある。

 案の定ぬか喜びさせてしまったことでより、暗くなった場の空気を払拭するかのごとくアインズは覚悟を決めて続けた。

 

「今の意見に関しては、この都市以外、それこそ周辺諸国を平定した後で考えよう……お前たちの創造主が定めた想いを曲げさせるような真似をして申し訳ないと思っているが、今は堪えて欲しい」

 

 そう言ってアインズは頭を下げた。

 そもそもの発端となったシャルティアの暴走や、それを止めようとした守護者の行動は、全てアインズがうだうだ考え込んで玉座の間に引きこもっていたことが元凶だ。

 もっと早く外に出ていれば、こんなに早く行動を起こすこともなかっただろうし、エ・ランテルを襲撃するにしても、女子供だけでも助けるといったような、この三人の意に添った形で動くこともできたはずだ。

 なにより、本来彼らと同じ立場であるコピーNPCの自分が、好き勝手に命じていいはずがない。

 けれど、ここで全てを打ち明けることもできないアインズはこうして謝罪するしかなかった。

 

「お、お止めください! アインズ様。我々に対しそのような」

 

「そうです! 私たちの心を思いやるアインズ様のお優しさは良く理解いたしました。どうか、どうかお顔をお上げください!」

 

「私たちの方こそ、ワガママを言ってしまって申し訳ございません!」

 

 慌てふためく三人。ペストーニャに至ってはとうとう語尾をつけることすら忘れてしまっている。

 彼らにとって見れば、自分たちの主に謝罪させてしまったことを悔いているのだろうが、それもまた彼らの忠義を利用しているのだと気づき、アインズはしばらく顔を上げることができなかった。

 

 

 ・

 

 

(私はなんということを)

 

 自室に戻ったセバスは己を恥じていた。

 主を呼び出して自分たちの考えを押しつけ、あまつさえ主に謝罪をさせてしまった。

 常に主の傍に仕え、そのサポートをするのが執事の役目だというのに、自分の行なったことは全く逆だ。

 

 ペストーニャとニグレドはまだ理解もできる。

 彼女たちは己の創造主からそうあれと定められた感情に従って行動したのだから。

 だが、自分は違う。

 

 セバスは己を創造主より、そうあれ、と定められたわけでもないのに、弱者を助けることを正しい行いだと信じている。

 そうした想いは言葉にせずとも、創造主より受け継がれたものだと信じていたからこそ、誰になんと言われようと間違っているとは思わなかった。

 その結果がこれだ。

 

 他の二人はここまで思い詰めることはないだろう。

 主に謝罪させてしまったことはともかく、現在生き残っている者たちを少しでも救おうと考えたことに関しては、未だ間違ってはいないと信じているはずだ。

 それこそが彼女たちの創造主の願いなのだから。

 だがそうした定められた願いもなく、ただ本能的な感情に従って主の決定に異を唱えた結果、こともあろうに主に頭を下げさせてしまったことで、もはやこの感情を誇っていいのか分からなくなっていた。

 

「これは呪いなんですかね」

 

 思わず、自嘲気味に呟く。

 創造主の想いが見えない枷となって自分を縛り付けている。そんな幻想を抱いた。

 

「たっち・みー様。私はいったいどうすれば──」

 

 縋るように創造主の名を呟いた瞬間、部屋の前に人の気配を感じ、セバスは即座に時計に目をやった。

 まだ休憩時間内であることを確認後、それでもセバスは扉の前に立つ。

 やがて、小さく硬質なノック音が響き、セバスは無言で扉を開けた。

 相手が誰であるか何となく察しがついたからだ。

 

「やあ、セバス。休憩中にすまないね」

 

「……デミウルゴス様」

 

 本来第九階層のまとめ役であり、強さ的にも階層守護者と同格のセバスは、例え相手が守護者であっても──プライベートな場面に限れば──様付けで呼ぶ必要はないのだが、先ほどの失態ゆえか、必要以上に執事としての体面を気にしている自分に気がつく。

 同時にデミウルゴスがいつものように不敵な笑みを浮かべつつも、その奥でマグマのように沸騰し続ける怒りと殺意を抱いていることにも気づいた。

 

 先ほどの件が知られたのだと、瞬時に理解する。

 そして、彼がなんのためにここに来たのかも。

 それも仕方ない。

 

「君に相談があってね。休憩中で申し訳ないが、聞いてもらえるかな」

 

 表面上は友好的な声色で告げるデミウルゴスに、セバスは瞬時に答えた。

 

「もちろんです。何なりと」

 

 デミウルゴスが何を考えているにしろ、あれだけの失態を犯したセバスに拒否権はない。

 よりにもよって、本能的に苦手としているデミウルゴスが相手というのは気になるが仕方ない。

 そう考えたセバスの前にデミウルゴスが紙の束を差し出した。

 

「これは?」

 

「次の作戦の追加計画書だよ。君も聞いているだろうが、エ・ランテルに亜人やモンスターを集めて、軍団を編成し周辺諸国同盟の目を集める計画が立てられている」

 

 先ほど主が言っていたものだろう。

 しかし渡された書類には追加計画書の言葉通り、聞いていた内容とは異なる部分が存在した。

 

「目的地は、アベリオン丘陵……ですか」

 

「そう。今回エ・ランテルに現れた不確定勢力が動けば、周辺諸国同盟の動きも早まるかもしれない。今から調査を開始するトブの大森林やアゼルリシア山脈では戦いに間に合わない可能性があるだろう。しかしアベリオン丘陵は以前法国が大侵攻を仕掛けたときの情報が残っているから調査の必要がない。先にそこを襲撃し亜人部族を纏めあげて軍勢を作る計画だ」

 

「それで私に何をせよと?」

 

「私はエ・ランテルの実験で忙しくてね。他の守護者たちも仕事が多い。そこで君にこの仕事を任せたいと思ったのだよ。君は私たち守護者に近しい実力の持ち主。力に従う傾向の強い亜人を纏めるには最適だ。何より、今執事としてアインズ様に仕えるのは君としても不本意ではないかと思ってね」

 

 遠回しだが、執事失格と言われたも同然の台詞に、けれどセバスは反論できない。

 

「……ご配慮感謝いたします」

 

 絞り出すように告げた言葉にデミウルゴスは満足げに頷き、更に続けた。

 

「最後のページも確認してくれたまえ」

 

「最後?」

 

 子細な計画書をめくり、最後のページに目を通したセバスは絶句する。

 

「これは……」

 

「見ての通り、亜人連合を纏めたら、先ずは一度聖王国に攻め込んで欲しいのだよ。全滅させる必要はないが、聖王国から望んで周辺国家同盟に参加したいと願い出るほど、残酷な宴を見せて欲しいね」

 

 この計画通りに進めば、セバスは自らの手でエ・ランテルと同じか、それ以上の破壊をすることになる。

 これは絵踏みだ。

 セバスが本当に先ほどの件を反省し、ナザリック地下大墳墓の執事としての責務を全うできるのか、それが試されているのだ。

 当然、創造主よりかけられた見えない枷は、その事実を真っ向から否定している。

 そのような行いを容認できないと叫んでいる。

 だが、それがこの地に残られた最後の主人に二度とあのような真似をさせないために必要なことならば──

 

「……承知いたしました。この計画に参加させていただけるよう、私からアインズ様に願い出ます」

 

 セバスの返答にデミウルゴスは今度こそ満足げな、そして悪魔らしい笑顔を浮かべた。

 

「よろしく頼むよ、セバス」




最後でデミウルゴスが全て知っていたのは、デミウルゴスがコキュートスの下に出向いたときに、アウラからマーレに連絡が入り、その様子を見てセバスたちの不穏な気付いたデミウルゴスがアルベドと連携して情報を集め、三人の行動を知ったという経緯になります

ちなみに十四巻では嘆願するのはペストーニャとニグレドだけでセバスはアインズ様を呼び出しただけでしたが、この話に於いてツアレを助けてナザリックに迷惑をかけた一連の出来事が起こっていないため、セバスはまだ優しいというか甘い性格をしているため、一緒になって嘆願したという設定です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 望まぬ信仰

悟さんとカルネ村の人たちの話
今回は聖王国と王国の同盟説得編の前振りなので、あまり話は進みません


 カルネ村を出てしばらく経ったが、悟たちは未だ目的地であるエ・ペスペルにたどり着けずにいた。

 総勢でも二百人ほどなので、悟の転移門(ゲート)を使えば一瞬で移動できるのだが、あえて魔法は使用していない。

 軽々に力を見せたくないというのもあるが、それ以上に今回の同盟設立にあたって最も説得が難しいのが王国だと判明したことで、時間を稼ぐ必要があったからだ。

 

 悟は王国の都市であるエ・ランテルが奪われたのだから、逆に王国が一番説得しやすいと考えていたが、法国の特殊部隊隊長であり王国の内情にも詳しいイアンによると、話はそう単純ではないらしい。

 

 奪われた都市を奪還するにあたり他国の力を借りれば、当然その見返りは王国が支払う必要がある。万が一現在戦争中の帝国などが最も大きな功績を挙げてしまうと、エ・ランテルの領有権を主張するかもしれない。

 王国はそう考える。

 

 ナザリックの戦力を知れば、それどころではないと理解できるはずだが、エ・ランテル周辺には既に見張りとしてアンデッドが配置されているため、王国ではまともに情報を集めることもできない。

 そもそも、それらすべてを知ったとしても、大人しく同盟に参加するか分からないというのが、イアンの見解だ。

 

 それは王国上層部が随分前から腐敗していることに加え、自国を過大評価していることに起因している。

 例年の帝国との戦争で徐々に国力が落ちており、エ・ランテルのことがなくとも、あと数年もすれば帝国に併呑される運命にあるというのに未だ国内は纏まらず、それどころか政治争いをして自ら王国の最高戦力である戦士長なる者を暗殺しようと法国と手を組む始末。

 そんな国がエ・ランテル奪還のためとはいえ、他国──戦争中の帝国までいればなおさら──と手を結ぶとは考えづらいというのだ。

 

 だからこそ、最低でもエ・ランテルの正確な状況と相手の戦力を国王に伝える必要があるのだが、何の後ろ盾も立場もない悟たちでは国王はおろか、これから出向くエ・ペスペルの領主であるペスペア侯なる貴族に会うことすら難しい。

 それを叶えるために必要となるのは権力だ。自分たちの中で表立った権力を持つのは評議国の永久評議員であるツアーだけだが、ツアーは直接表舞台に出ることは出来ず、評議国が今回の同盟へ正式に参加するかも決まってはいないこともあって、先にツアーを自国に戻して同盟参加の同意を取ってきてもらうことにしたのだ。

 その後悟たちが評議国の関係者を装えば、ペスペア侯と面会することが可能となる。

 今は評議国に戻ったツアーが戻るのを待っているところだ。

 

 そんなことを考えてから、何の気無しに後ろを見ると、少し遅れた位置に纏まって歩くカルネ村の住人たちの姿があった。

 評議国の関係者として情報提供を成功させれば、その見返りとして彼らカルネ村の住人を預けるくらいの我儘は聞いてもらえるだろう。

 悟の視線に気づいた村の住人の中でも幼い子供たちが、嬉しそうに両手を振ってくる。

 適当に手を上げて応えると、それだけで悲鳴のごとき歓声が挙がった。

 

(それにしても──やっぱりこれ恥ずかしいな)

 

 村人たちに英雄どころか、神様がごとき対応をされることもそうだが、なにより悟の下にある存在のせいだ。

 思わず大股に開いていた足に力が籠もる。

 悟が騎乗していたハムスケもその圧力を感じたらしく、振り返って悟に顔を向けながら──ハムスターの体では完全に後ろを見ることはできないが──問いかけた。

 

「殿、どうしたでござるか?」

 

「……いや。皆が少し遅れてきている。開けた所に出たら休憩を取るからお前もそのつもりでいてくれ」

 

 まさかお前に乗っているのが恥ずかしいんだ。とも言えず、適当に誤魔化す。

 実際に単なる村人にしては頑張っているが、老人たちも多く、時間経過とともに足取りが重くなっているのも事実だ。

 

「了解でござる!」

 

 ハムスケの尻尾の蛇が喜びを表すように唸りを上げる。

 その直後、悟たちの下に近づいてくる足音が聞こえた。

 

「サトル殿。少しよろしいか」

 

 近づいてきたのは、村人の護衛を担当していたイアンだ。

 

「どうした?」

 

「先行させていた隊員から報告が入ったのですが、どうもここから北に向かったところにある小都市に、兵士が待ち構えているそうです」

 

「北?」

 

「そうです。我々が目指すエ・ペスペルではなく、同じく六大貴族の一人であるレエブン侯の治める小都市です。我々というよりカルネ村の住人から話を聞きたいらしく、そのままエ・レエブルまで出頭させようとしているみたいですな」

 

「なるほど。レエブン侯か──」

 

 神妙に頷いてみるが正直貴族の名前など聞いても分からない。そんな悟の考えを読んだのかは知らないが、イアンは声を落としてその貴族について語り始めた。

 

「……レエブン侯は王国の貴族派閥と王派閥を行き来するコウモリとも揶揄される男。王国腐敗の一端を担っているとも聞いています」

 

 イアンの口調には含むところがあった。

 

「うーむ」

(出頭命令に逆らったら面倒になるのは目に見えているし、むしろこれはチャンスじゃないか?)

 

 王国貴族のトップである六大貴族がわざわざ自分の住む都市に出頭命令を出したのなら、本人が話を聞こうとしていることになる。

 それなら評議国を後ろ盾にして、その関係者を装うといった面倒な方法も必要なくなるのではないだろうか。

 加えて、そのレエブン侯なる貴族がどちらの派閥にも顔が利くのならば一人に話すだけで王国上層部全てに話が伝わることになる。

 評議国を使って圧力を掛けるにしても、エ・ランテルの情報を渡してからの方が、話はよりスムーズに進むかもしれない。

 

(でも王国の腐敗を知ってるコイツがわざわざ話してきたってことは、そのレエブン侯っていうのもロクなやつじゃないんだろうなぁ)

 

 帝国との戦争が劣勢に関わらず派閥争いを止めない王国上層部ならば、これを王派閥の力を落とすチャンスだと考えて、情報を握り潰そうとするかもしれない。

 イアンがレエブン侯の話をしたのは、彼がそうした考えの貴族で情報提供者であるカルネ村の住人を口封じするために呼び寄せている。と暗に告げているのかも知れない。

 カルネ村の住人に負い目があるからこそ、村人の身を案じているのだ。

 

「……次の休憩の時に、俺から村長に話してみよう」

 

「分かりました。くれぐれもよろしくお願いします」

 

 小さく頭を下げ、イアンが離れていく。

 その声には念押しをするような響きがあった。

 

「俺としてはそっちの方が色々と都合が良いんだがな」

 

 イアンが離れてから思わず呟く。

 イアンの気持ちは分かるが、メリットで言えばそちらの方が遙かに大きいのは間違いない。

 悟個人としても、交渉も含めてカルネ村の住人に丸投げ出来るレエブン侯の方が都合が良いのだ。

 

「やっぱり、ここで別れた方が良いかもな」

 

 思わず口から洩れ出た呟きを聞いて、ハムスケの髭がピクリと反応した。

 

「殿ぉ。もしかして、カルネ村の皆とは次の村でお別れなのでござるか?」

 

 寂しげなハムスケの声を聞き、悟は頭に手を乗せてそのまま撫でてやる。

 百年間一緒にいた村人のことは気になって当然だろう。

 しかしこれは好都合だ。

 いつまでもハムスケに乗っているのも恥ずかしいし、村人たちと別れるのならば、住人たちを守らせる意味も込めて、ハムスケもそちらに一緒に付いて行かせよう。

 

「心配するな。お前も一緒だ」

 

 ハムスケを置いていくと言えばゴネかねないと思っていたが、この分だと大丈夫そうだ。

 

「……そうはいかないでござる」

 

 ポツリと呟いたハムスケの声は、悟には届かなかった。

 

 

 

「というわけで。レエブン侯なる貴族が皆に話が聞きたいそうだ。情報提供と引き換えにすれば、その後エ・レエブルで面倒を見てくれるかも知れないが、確証はない。このまま無視してエ・ペスペルに向かう手もあると思うが、皆の意見を聞きたい」

 

 四方を遮る物の無い開けた場所に到着した悟たちは、早速村人を集めて先ほどの話をした。

 都市と都市を繋ぐ街道が、ここから北と西に道が分かれている。

 人の住んでいる領域と粗末な街道以外まともに開拓されていない王国領内では、大人数が移動するにはここを通る他にない。

 ここから北に進めばもう他に道はなく、そのまま少し進むとレエブン侯の使者がこちらを待ちかまえている小都市に着く。当初の予定ではそこで休息を取ることになっていた。

 逆にレエブン侯の提案を蹴るのならば休息は取らずにこのまま西に進み、改めてエ・ペスペルを目指すことになる。

 正に最後の分岐点だ。

 

 悟としては彼らにはレエブン侯の下に行ってもらいたいのだが、それはあくまで悟の都合であり、イアンの目もあるため、露骨にそちらを推すのも気が引ける。

 そこで、まずはあえてどちらがいいとも言わず、ただ事実だけを話して彼らに選択を委ねてみることにした。

 村人でありながら国内情勢や貴族間の力関係なども知っている村長たちの意見を聞いた方が、もっと良いアイデアが浮かぶかもしれない。

 そんな期待を込めた悟の話を聞き終えた村人は、少しの間ざわめきながら小声で話し合っていたが、直に全員の視線は村長に集まった。

 彼の選択に委ねるという意味なのだろう。

 村長もまたその視線を受けても、慣れたこととでも言うように一つ大きく頷くと、悟の顔をまっすぐに見つめた。

 

「開祖様にお尋ねいたします。その選択、どちらの方がよろしいでしょうか?」

 

(いや、だから! それを聞いているのに)

 

 思わずため息を吐きたくなる気持ちを押さえ込み、悟は村人たちに告げる。

 

「皆に改めて言っておく。俺の言うことが全てではない。一つの考え方に囚われず、常に最善を選ぶために考え続けることこそが、生き残るためになにより重要なことだ」

 

 これはかつての仲間から教わった言葉であり、同時に村を一緒に作ったトーマスやハムスケに残した言葉の一つだ。

 ハムスケは悟の残した教えが、村に根付いていると言っていたが、この考えは残らなかったのか、それとも殆ど教祖扱いの悟に会えたことで、盲目的になり過ぎているのか。

 どちらにしても、こうして言葉にすることで改めて自分で考えることの大切さを説こうとする。

 

(決して、俺が責任をとりたくないわけではない!)

 

 心の中でそんな言い訳をしつつ口にした言葉を受けても、村長を始め、村人たちに戸惑いは見られない。

 むしろどこか恍惚としているようにすら見える。

 

「開祖様から直々にそのお言葉を賜れましたこと、ありがたく思います。ですが、既に私たちは十分に考え抜いた上での決断でございます」

 

 それはより優秀な人物に決断を託そうということだろうか。

 確かに相手のことをよく理解している前提ならば、これも選択としては有りなのは間違いない。

 問題なのは、それを託される悟が優秀ではないという点だ。

 レエブン侯の方に行って貰った方が助かるのは確かだが、そう言われると、本当にこれが正しいのかも分からなくなってくるくらいなのだから。

 

(クソ。どうする? 俺が大して凄くないと言っても信じないだろうなぁ)

 

 一度相手の中に作られた人物像を崩すのは簡単なことではない。NPCであるソリュシャンとナーベラルから絶対者として見られているせいで、精神的に疲労していたモモンガの様子を見ているとなおさらそう思える。

 

「いや。この手の話はどちらを選んでもメリットデメリットがあるもの。村の状況や王国内の情勢はお前たちの方が詳しいのだから、まずはお前たちの意見を聞いてだな……」

 

 慌てる内心を隠しながら、なんとか誤魔化そうと言葉を重ねる。

 しかし、適当に言ったにしてはいい内容だ。

 実際王国内の状況や貴族の力関係などは悟より、本来村の運営には必要ない情報の収集も行っている村長の方が詳しいのは間違いない。

 これはうまく誤魔化せるのでは。そう思った悟に、村長は笑顔を見せた。

 

「もちろん、私が調べた情報もお話しします。その上で、私たちがどうすればいいか、いえ。私たちがどうすれば開祖様にとって一番良いのかを教えてください。私たちは皆、それに従います」

 

「俺にとって? 自分たちの最善ではなく?」

 

「はい。私たちが今日まで生きてこられたのは、開祖であるサトル様の教えと、守護獣様のお力によるもの。いつかサトル様がカルネ村に戻ってきた時は、その恩義を返すために行動する。そう決めておりました」

 

 村長の言葉に他の村人もまた強く頷く。

 その様子に、今更ながら悟は自分の勘違いに気がつく。

 村人たちは初めから、自分のことより悟を優先して動いていたのだ。

 

(……まったく、これじゃあ本当に神様だな──トーマス、こうなる前にお前がもう少しは諫めてくれても良かったんじゃないのか?)

 

 頭痛を抑えるように頭に手を乗せつつ、心の中でかつての知人に毒づいた。

 

「サトル様?」

 

 突然の行動に困惑する村長に、悟は迷いを振り切るように小さく鼻を鳴らす。

 

(もう知らん! 自分たちのためではなく、俺の役に立ちたいって言うのならそうしてやる)

 

 悟の最終目的を達成するためには、この周辺国家同盟の設立は絶対条件なのだから。

 悟がなんと答えるか理解したのか、イアンを始めとした陽光聖典の隊員たちは渋い顔をしていたが、そんな彼らだからこそ、領地までの護衛もしっかりこなしてくれるだろう。

 そう信じて悟は改めて村人たちに声をかけた。

 

「では、俺の考えを話そう──」

 

 

 

「開祖様! ここまでありがとうございました!」

 

「再建したカルネ村で必ずまたお会いしましょう!」

 

「守護獣様もー。また一緒に暮らしましょう!」

 

 口々に感謝と別れ、そして再会を望む言葉を告げながら、村人たちが離れていく。

 それに軽く手を振って答えながら、悟は自分の横で尻尾の蛇を振って別れを惜しんでいるハムスケに目を向けた。

 

「それで。なんでお前は一緒に行かなかったんだ?」

 

 村人たちには護衛として陽光聖典が一緒に向かうことになったが、村を襲った者たちの仲間である彼らは未だ信用されているとは思えず、それもあっててっきり村人たちと一緒に行くと思われたハムスケは当然のように悟と共にいることを選び、村人たちもそれを当たり前に了承していた。

 あまりに当然のようにことが進んで、口を挟めなかったが、何か理由があるのだろうか。

 

「それがしは殿の騎乗魔獣。一緒に行くのは当然でござるよ!」

 

「いやしかし、大丈夫なのか? まだ村人はイアンたちを信用していないだろう」

 

「大丈夫でござる! 村の者たちはもうあの人間たちと仲直りしているでござるよ」

 

「仲直り?」

 

「そうでござるよ。元々目的地に着いたら殿とは別れることになっていたでごさろう? そのとき、殿に心配をかけたくなかったそうでござる」

 

 フフン、と自慢げに鼻を鳴らしながら言うハムスケに、悟は曖昧に頷く。

 

(別にそこまで心配はしてないが──まあ、それならそれで良いか。人前でなければ乗っていても恥ずかしくないしな)

 

「君のために自分たちの村を襲った者たちを許すなんて、凄まじい忠誠心。いや、あれはもはや信仰だね」

 

「! 誰でござるか!?」

 

 聞き覚えのある声に悟より早くハムスケが反応する。

 そのおかげで悟は慌てることもなく、一つため息を吐いてからその声に答えた。

 

「隠れて見ているとは性格が悪いな」

 

 空間が揺らぎ、ドラゴンを模した白金の鎧が姿を現す。

 

「な、なんでござる、この鎧は。殿の知り合いでござるか?」

 

 そう言えばツアーは結局ハムスケやカルネ村の住人たちに姿を見せる前に評議国へ戻ったので、互いに顔を合わせるのは初めてだった。

 

「ああ。心配するな。何度か話していただろう。先に評議国の説得をしていた俺の協力者だ」

 

「……それが森の賢王かい。なるほど精強な面構えだ」

 

「いやぁ。照れるでござるよ」

 

「世辞だ。本気にするな」

 

 ツアーの言葉にあっさり警戒を解いて照れる様子に、僅かに苛立ちを覚えて悟は思わず頭を軽く小突く。

 痛いでござる。と叫ぶハムスケを尻目にツアーは苦笑を洩らした。

 

「そんなことはないさ。かつての私たちの仲間である彼らに近い強さがあるのは分かるからね」

 

 十三英雄のことだろう。

 確かに彼らも今の世界でいう英雄級、レベルでいえば三十超え程度の力しか持っていなかった。

 魔法職も合わせれば、レベル三十以上はあるハムスケとは互角程度の強さではあるはずだ。

 しかしそれを直接話してこれ以上、ハムスケを調子に乗らせるのも何なので、その話は流して改めてツアーに問いかける。

 

「それで。なぜ隠れていたんだ? 村の連中にも顔ぐらい見せておけば良かっただろう」

 

「陽光聖典がいたからだよ。正直、私は彼らをまだ信用できない」

 

「奴らにとってお前は命の恩人だろう?」

 

 そもそもシャルティアに殺されそうになっていた陽光聖典を助けたのはツアーだ。

 

「だとしても彼らの祖国スレイン法国は宗教国家。行動原理は全て彼らの神、つまり六大神の定めた法こそがすべてと考えている。そうした感情はときに恩義や利益をも上回るものだ。油断はできないよ。私に助けられたことすら計算の内かも知れない」

 

「法国の上層部に裏切られて殺されそうになったことすら演技だと?」

 

「その可能性もあるというだけさ」

 

 確かに一理ある。

 実際、悟が取った宿の隣の部屋にいたというのは、偶然と呼ぶには出来すぎている。

 命を狙われた現場を見せることで信用を勝ち取り、懐に忍び込んでこちらの動きを調べようとしているのかもしれない。

 しかし、と悟はツアーの鎧をマジマジと見た。

 

「お前も疑り深くなったな」

 

 昔はもっと直情的というか、とりあえず攻撃してから考える脳筋タイプだったはずだが。

 

「君に教わったんだよ」

 

 しれっと嫌みを返すツアーに鼻を鳴らして答えてから、改めて問いかける。

 

「で? そっちはどうだった?」

 

 陽光聖典を警戒して姿を見せなかったツアーがこうして姿を見せた以上、もうツアーの仕事は終わったはずだ。

 

「永久評議員の説得は終わった。アーグランド評議国は正式にこの同盟に参加する」

 

「そうか!」

 

「ただし、サトルも知っての通り評議国は異種族国家だ。王国側を完全に説得しないと連携は難しいよ。軍隊を派遣するには王国領内を通らないといけないからね」

 

「ということは、これからの仕事は王国の説得か……とはいえ、そっちは先ずカルネ村の連中から情報を得た貴族の動きをみてからだな」

 

 村長には伝言(メッセージ)巻物(スクロール)をいくつか渡して折を見て報告するように言ってある。

 本来カルネ村には魔法の素養がある者は存在していなかったので巻物(スクロール)も使えないのだが、エ・ランテルからモモンガたちと共に逃げてきた、魔法が使える薬師の老婆とその孫が一緒に来てくれていたので助かった。

 

「それより殿。あの法国の人間が敵だったのなら、村の者たちは大丈夫でござろうか」

 

 ハムスケが心配そうに告げる。

 ツアーの言葉で、陽光聖典が敵かも知れないと気づいたのだ。

 

「……確かにその場合は、貴族との接触を邪魔するかもしれないか。ハムスケ、心配なら今から追いかけても良いぞ」

 

「殿はどっちの方がいいでごさる?」

 

「俺個人としては、このまま様子を見たいところだな。ここで邪魔をするなら敵で間違いないし、この絶好の機会に動かないのなら、少なくとも陽光聖典に関しては信用しても大丈夫だと思う。どうだツアー」

 

「そうだね。動くとすれば悟も私もいない今が絶好の機会だ。ここで怪しい動きがなければとりあえず信じて良いと思う」

 

 それでも絶対ではないのだろうが、ある程度安心はできる。

 仮に動いて村の住人の口封じをしたとしても、その場合は改めて悟が元の予定通り評議国の人間を装ってエ・ぺスペルに向かえばいいため、村人たちのことさえ考えなければ問題にはならない。

 

「だったら村人たちはそのままで良いと思うでござる!」

 

「いいのか? 村人をおとりに使うことになるんだ。場合によっては口封じに殺されかねないぞ」

 

 相手がレエブン侯なら、自国民を殺したことが露見すると自分の立場が悪くなるため殺されるまではいかないかもしれないが、陽光聖典の場合口封じするなら殺すより他に方法はない。

 ハムスケにとっては百年一緒に過ごした者たちだ。

 おとりに使うなんて、と怒り出すかと思ったが特に気にした様子はないのを不思議に思っていると、ハムスケが再度自慢げに鼻を鳴らす。

 

「村長も言っていたでござろう? 村の者たちは殿の役に立つのならたとえ死んでも文句は言わないでござるよ」

 

 さも当然のように言われ、思わずため息の真似事と共に肩を落とした。

 

「俺の役に立ちたいとは言っていたが、そこまで覚悟が決まっているのか」

 

 悟に合わせるように、ツアーもまたため息の真似事をして言う。

 

「本当に、六大神みたいにならないでくれよ。悟」

 

 失礼な。と言いたいところだが、確かに共通点はある。

 常に絶滅の危機に晒されている脆弱な現地の人間たちにとって、自分たちを守り救ってくれる強大すぎる力を持った者は神も同然だ。

 六大神のように直接庇護していたわけでもないのに、これほど心酔しているのならば、これから直接守護し続ければいつか本当に神様扱いされかねない。

 

「心配するな。俺はそんなのごめんだよ」

 

 神様扱いを受け入れた六大神と異なり、悟にその気はない。その意味でも例え陽光聖典が動いたとしても助けない方が正解かも知れない。

 

「だったら良いけど……ちなみに、この辺りの国で他にも同じようなことはしていないんだろうね?」

 

「そんなこと──あ」

 

 ない。と言いかけて口を閉じる。

 以前立ち寄った国で亜人に襲われていた人たちを助けたのを思い出したのだ。

 あれは確か──

 

「聖王国でも亜人に襲われていた人間を助けたことがあったな」

 

 とはいえ、生活の知恵というか村の掟になっている教えを残したカルネ村と違い、人助けをしただけだ。その程度であれほどの信奉者になるとは思えない。

 

 実際似たようなことは、他でも何度もしている。

 直近ではツアーと再会する前、王国内を歩いていたときも同じようなことがあった。

 もっとも、その時の相手は亜人や魔獣ではなく野盗だったが。

 

 そもそも悟はこの二百年、基本的に人前に出るときは戦士化の魔法を使った上で、コンプライアンス・ウィズ・ローを着用していた。

 この鎧は悟にとってかつて自分を助けてくれたたっち・みーの残した鎧であり、それを着用しているときは、自然と彼に倣って正義に重きを置いて行動するようにしていたのだ。

 おかげで大陸中央では、人助けをする謎の純銀の戦士の英雄譚が生まれてしまったほどだ。

 

「なら、聖王国でも君の噂が広まっているかもね。でもちょうど良いよ」

 

「ちょうど良い?」

 

「聖王国は法国ほどじゃないけど異種族を嫌っているから、評議国とも仲が悪い。王国と違って国から圧力をかけたりするのは難しいんだ。正義の味方である君の言葉なら聞いて貰えるんじゃないかな?」

 

 簡単に告げられて、悟は慌ててそれを否定する。

 

「いやいや。山の中で亜人の群に襲われてた一家を助けただけだぞ?」

 

 もう少し言うのなら、元々サトルがその亜人の縄張りに不用意に入ってしまったせいで、気が立っていた亜人たちがたまたま近くでキャンプをしていた人間を襲ったため、仕方なく助けることにしただけだ。

 

「……なら地道に行くしかないか。幸いというか聖王国の女王は人が良いことで有名だからね、直接会えれば説得できるかも知れない」

 

 すこし考え込んだ後で言うツアーの言葉を聞いて、再び記憶が呼び戻され、思い出したことをそのまま話していた。

 

「だが、人が良すぎるせいで、強い政策を取れないとそのときに聞いたぞ?」

 

 確か、助けた人物の一人がそのような愚痴をこぼしていた。

 本当はもっと大々的に国内の亜人を捜すべきなのに、それぞれの領地を治めている貴族たちに遠慮した王女は強い政策を取れず、捜索できないのだと。

 

「……そんなことまで知っているなら、やっぱり悟が助けたのは単なる一般人じゃないんじゃないか?」

 

「言われてみれば確かに。結構亜人も倒していたし、人間にしては強かったような気がする」

 

 とは言えレベル百の戦士になっていた悟から比べれば大した違いはなく、そもそも本物の戦士ではない悟では相手の強さなど見ただけでは分からない。

 

「王国側に動きが出るまでしばらく時間がかかるだろうし、先ずは私たちだけで聖王国に向かって、その人を捜してみよう。行ったことがあるのなら転移魔法ですぐにいけるだろう?」

 

 確かに陽光聖典が裏切ることなく、カルネ村の住人がレエブン侯に情報を流したとしても、その結果王国がどう動くかは未知数であり、時間もかかる。

 竜王国と帝国、そして都市国家連合の説得に向かったモモンガたちからも連絡は来ていない以上、悟たちが今すぐやらなくてはならないことはない。

 聖王国の説得が仮に失敗したとしても、あの国は立地的に同盟に組み込んでも組み込まなくても正直どちらでも問題なく、気楽に動くことができるため、その意味でも息抜きにはちょうど良い。

 

「よし、決まりだ。目的地は聖王国。ハムスケ、お前も付いてくるか?」

 

「もちろんでござる! 殿の騎乗魔獣として頑張るでごさるよ!」

 

 気合いを入れ直すハムスケの様子に、人前で巨大なハムスターに跨るあの恥辱を思い出して憂鬱な気持ちになるが、今更やっぱり置いていくとは言いづらい。

 

「それで。その助けた人の名前は覚えているのかい?」

 

「なんて言ったかな。二、三年前のことだしなぁ。妙に目つきの悪い親子だったことは覚えているんだが──」

 

 名前も聞いたはずだが、正直記憶に残ってはいない。

 覚えているのは、せっかく助けたというのに殺し屋のごとき目つきで睨みつけられて、もしや悟がアンデッドであることを見抜かれたのかと内心身構えたことぐらいだ。

 親子ともに同じ目つきだったので、睨んでいるのではなく生まれつき目つきが悪いだけだと気づかなかったら、亜人と一緒に切り捨てていたかも知れない。

 

「目つきねぇ。それだけで探すのは難しそうだけど──まあ、そういうのも楽しいかも知れないね」

 

 他の人間たちが見たら、今まさに世界の危機が迫っているかも知れない状況で何を。と思うかも知れないが、悟もまたツアーの言葉に同意する。

 久しぶりに大人数で動いてみて、ほとほと実感した。

 この二百年一人で旅を続けていた悟にとって、今更大人数で動くことは苦痛でしかないのだと。

 

「ああ。束の間の休憩だ。楽しんで行こうじゃないか」

 

 同盟設立後は直ぐにナザリックと敵対することになる。

 こうして暢気に旅ができるのも、これが最後になるかも知れない。

 そんな思いを抱きながら、悟はハムスケに跨った。




次からしばらく聖王国の話になる予定です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32話 異変の足音

聖王国で起こり始めていた異変と、起こってしまった異変の話


 ローブル聖王国の首都ホバンスの王城。

 その一室内に三人の女性たちが集まっていた。

 

 一人は国のトップである聖王女カルカ・ベサーレス。

 そして残る二人はカルカの両翼と謳われる聖騎士団団長レメディオス・カストディオと、最高位神官であり神官団団長でもあるケラルト・カストディオの姉妹だ。

 

 言うなれば、政治、武力、宗教、三勢力のトップが一堂に会している訳だ。

 もとよりカルカにとって二人は親友であるため、以前は特にこれと言った用事が無くても近況の報告などを行っていたが、ここ最近はその頻度が減り、三人が揃ったのは久しぶりだった。

 

 ただでさえ、宗教色の強い聖王国で国のトップである聖王女と神殿勢力が強く結びつきすぎていると批判が挙がり始めていたからだ。

 

 そうでなくとも以前から継承権の低かったカルカが聖王女の座に就いたのは、この二人が裏で手を回したからだと噂されており、こうして三人だけで集まるのがその証拠だと貴族たちが悪評を流していることもあって、最近ではただ集まるだけでも周囲の目を気にしなくてはならなくなったのだ。

 

 そうした悪評の中でも、全員が未婚であり、男と付き合ったことすらないことを揶揄して、三人がただならぬ関係なのではないか。という噂だけはいつまで経っても消えず、いい加減結婚相手を捕まえなくてはまずいと考えていたカルカは、ことさら慎重に行動していたのだが、今回ばかりは貴族たちとの会議を前に現在の状況を確認する必要があった。

 

「それで。どういうことなんですか? 姉様」

 

 時間が無いこともあり、集まって早々ケラルトがレメディオスに目を向ける。

 その視線に対し、レメディオスはイタズラがバレた子供のように視線を逸らした。

 

「私は正直よく分からん。ホバンスの民が聖騎士相手に勧誘をしていると聞かされただけだ」

 

「勧誘。というと?」

 

「何でも人を集めて訓練を行い強くなることを目的としている団体だそうだ。国民が強くなろうとするのは悪いことではないし、単純に聖騎士に教えを乞おうとしているだけだと思ったんだが──」

 

「その実体は宗教だったと」

 

「グスターボの奴が言うには別に四大神信仰を否定しているわけではないから、宗教というより教団とか共同体? とかいう奴らしいがな。ただ、恐れ多くもカルカ様のやり方が手ぬるいなどと吹聴していると聞いたので、直接怒鳴りつけに行ってやった。奴らはその直後にホバンスを出ていったらしい」

 

 言いながら怒りを思い出して憤慨するレメディオスだが、カルカは二人に気づかれないように僅かに眉を寄せた。

 自分のやり方が手ぬるいといわれたことだ。

 カルカ自身、自分が国民の幸せを思うあまり強い政策が取れていないことは理解していた。

 

「でも実際聖騎士も何人か引き抜かれているんでしょう? 何でそのときに連れ戻さなかったの」

 

 頭に手を当て、深いため息と共にケラルトが言う。

 一番の問題はこれだ。

 この話をきちんと聞くために、ある程度の批判を覚悟して三人で集まったのだ。

 

「カルカ様への忠義を忘れるような奴はいても邪魔になるだけだ。いなくなって清々する」

 

 レメディオスの返答は実に単純明快なものだった。

 己の中にブレることのない絶対的な正義を持つ彼女らしい。

 レメディオスは聖騎士団長として、己の正義を他の団員にも説いている。彼女の存在自体が聖騎士団の規則のようなものだ。

 その規則を破った団員はもはや必要なし。と考えて退団を許可したのだろうが、聖騎士団とはそれほど単純な存在ではない。

 

「姉様。聖騎士団はあくまでカルカ様に忠義を捧げる聖王直属の部隊なのよ? それをカルカ様の許可もなく追い出したらどうなるかわかっているの?」

 

「どうなるんだ?」

 

 考える間も置かず聞き返すレメディオスにケラルトは再度ため息を吐いた。

 基本的にレメディオスは頭を使わない。そして頭が固い。

 それは本来なら欠点となる性質だが、己の信じる絶対的な正義を一切の迷いなく行動に移せる、という観点からみれば美点と捉えることもできる。

 生まれたときから兄弟で聖王の座を争い、就いた後もただ一人の兄を除いて血族すら信頼できる者もおらず、貴族や幕僚も心から信じられる者はいない。

 そんなカルカにとって、深く考えないからこそ、表裏なく接してくれるレメディオスは心のオアシスのようなものだった。

 しかし、今になって思えば、それに甘えすぎていた、いや甘やかしすぎていたのかもしれない。

 

「レメディオス」

 

「はい! なんでしょうかカルカ様」

 

「……ケラルトの言っていることはもっともです。聖騎士団は団員一人一人、従者に至るまで全員が私に直接忠義を捧げてくれた者たち。彼らが私の下を離れるということは、彼らにとってその団体の頭首が聖王女である私よりも正しいと考えたことになります」

 

「そんなはずがありません! カルカ様の正義は何よりも尊い理想。その理想を叶えることこそ聖騎士団長にして協力者である私の正義。奴らはそれに気づくことのできなかった愚か者です。そんな者をカルカ様の下に置いておいても役には立たない。いいえ。邪魔になるだけです」

 

「姉様はそうでも、周りから見れば違うのよ。さっきも言ったように聖騎士団は軍から切り離された、言わば聖王の私兵。それがカルカ様の下を離れることはそのままカルカ様の求心力が衰えたのだと、周りはそう考えるの。だからこそ、退団を許すにしても姉様ではなく、カルカ様が直々に追放する形を取らないといけないのよ」

 

 正確にはそれでも求心力が落ちたとみる者は出てくるだろうが、レメディオスの言うとおり、無理矢理手元に置いていても不満がたまるだけで意味はないため、退団自体は仕方ない。

 そのやり方の問題だ。

 ただでさえ、弱腰の政策しか取れないせいで、南部の貴族が勝手な行動を取り南北の間で諍いが起こり始めている現状、これ以上南部の貴族にカルカを責める材料を与えてはならない。

 

「……つまり、私はどうすればいいんだ?」

 

 普段レメディオスを叱るケラルトを押さえる役回りについているカルカまでもケラルト側についたことで、自分のやったことの重大さに気づいたレメディオスは、彼女にしては珍しく声量を落としおずおずとケラルトを窺いながら告げた。

 自分で考えようとしないあたり、まだまだ改善の必要はあるが、いきなり全てを求めるのも無理だろう、とカルカはケラルトに一つ頷いて合図を送る。

 彼女もまたそれに応え、レメディオスに向かって指を伸ばした。

 

「先ずは追放した聖騎士を連れ戻してカルカ様と面会させる。その上でやはり聖騎士団を辞めるのならば、さっき言ったようにカルカ様の意志で追放したことにする。それと、これ以上こうしたことが起こらないように、その団体のことも詳しく調べて貰うわ。本当は邪教と認定してさっさと潰した方がいいのだけれど──」

 

 ちらりとこちらを窺うケラルト。

 こんな時になんだが、こうしたところはやはり姉妹だ。

 

「それはいけません。レメディオスの言うとおり、別の神を信仰しているわけでもなく、国民が自らの意志で強くなろうと努力しているだけならば、それを止める理由はありません」

 

 これもまた弱腰の対応と思われるかもしれないが、これでもこの十年大きな失敗もなく国を運営してきた自負がある。

 経験上、そうした強引な手段に出れば必ず歪みが生じるもの。

 そのとき痛みを伴うのは、自分たちではなく、罪のない国民なのだ。

 弱き民に幸せを、誰も泣かない国を作る。というカルカの根幹にある願いだけはどうしても譲れない。

 ケラルトもそれが分かっているのだろう、少しだけ困ったように眉を寄せながらも静かに頷き、自分たちのやりとりを不思議そうに眺めているレメディオスに改めて視線を向けなおした。

 

「それで、その団体の纏め役というか、頭首はどんな人物なの? それぐらいは調べておかないと。直接押し掛けたのだから見ているでしょう?」

 

 チクリとした皮肉にも一切気付くことなく、レメディオスはむしろ堂々と頷く。

 

「ああ。恰好からしてふざけた奴でな。恐らくは弓兵用の装備だと思うんだが、ずっとバイザーを掛けたまま顔を見せようとしないから無理矢理取ってやった。まるで殺し屋みたいな目つきの悪い小娘だったな……どこかで見た気がするんだが、いまいち思い出せなくてな」

 

 腕を組み考え込み始めるレメディオス。

 その言葉を聞いて、カルカの頭にふと一人の人物の顔が思い浮かんだ。

 

「目つきが悪い、弓使い」

 

 失礼なことを考えている自覚はあるが、カルカの知る限り、その二つの言葉が似合う人物の心当たりは一人だけだ。

 しかし、彼は男。それも自分たちより年上だ。

 レメディオスの言っている内容とは合致しない。

 

「そう言えば彼には、よく似た娘がいると聞いたことがありますが……」

 

 ケラルトもまた同じ人物の顔を思い浮かべたらしい。

 

「誰のことだ?」

 

 レメディオスだけは──同じ九色の一色を預かる者同士だというのに──まだ理解が及んでいないため、ため息交じりにケラルトが答える。

 

「……パベル・バラハ兵士長ですよ」

 

「あー、なるほど。確かに似ている。あの殺し屋みたいな目はそっくりだ」

 

 手を叩き納得を示すレメディオス。

 もう一つの問題に気づいている様子はない。

 彼の妻は今も聖騎士団に所属している優秀な聖騎士であるということを。

 

「彼は今どこにいるのかしら」

 

 九色の一人と聖騎士を両親に持つ子供が団体の頭首だというのなら話はまた変わってくる。

 それを確認する意味でも、夫婦に一度話を聞いておきたい。

 そう考えたカルカの問いに、ケラルトは少し考えてから答えた。

 

「確か、今は──城壁で警備任務に」

 

 

 ・

 

 

 ローブル聖王国とアベリオン丘陵を隔てる、全長百キロにも及ぶ城壁の中に三つしか存在しない門を守る為に作られた、大きな砦の一つ、中央部拠点。

 この拠点にはアベリオン丘陵から攻めてくる亜人の精鋭部隊を迎え討つために、群ではなく個の強さを重視した者が配置されている。

 

 そのうちの一人。誉れ高きローブル聖王国九色の一色を、ただ強さのみによって与えられた戦士、オルランド・カンパーノ。

 彼は兵士階級としては下から数えた方が早い班長という地位に就いているが、その実績に似合わぬ低い階級は、他人の命令を聞くことを嫌い、相手が誰であっても態度を変えることなく反抗するため、何度も降格を繰り返しているせいだ。

 今では同じような気質の者を集めて班を結成し、上官に対して無礼な態度を見せたり、報告を忘れたりと、班全体が上層部にとって頭痛の種のような存在となっている。

 

 そんな彼がほとんど唯一と言っていい頭の上がらない存在が、同じく九色の黒を戴く兵士長パベル・バラハであり、顔を合わせる度に不真面目な態度を咎められている。

 今日もまた、オルランドは交代の際の報告が無かったことを注意されていた。

 

「いいか。今日という今日はその態度を改めてもらうぞ。だいたいお前は──」

 

 いつもであれば適当に謝罪すれば相手も納得はしないが諦めてくれるはずが、今日に限って妙にしつこい。

 オルランドからも一つ話があったこともあり、いい加減説教を切り上げさせたかったオルランドは話を逸らす意味で、つい口を滑らせてしまった。

 

「そう言えば旦那。最近、ずっとこの砦に詰めっぱなしでしょう? 娘さんには会えてるんですか?」

 

「なに?」

 

(あ、しまった)

 

 口にした直後、オルランドは己の失言を悔いる。

 目の前の人物相手に、娘の話を振ってしまったことだ。

 この話になると、彼は何度となく同じ話をそれも長々と繰り返すため、常日頃からなるべくそちらに話を持っていかないようにしていたというのに。

 思わず身構えるオルランドだったが、今回は様子が違った。

 パベルは自慢話に移行するのではなく、見るからに落ち込んでしまったのだ。

 常に無表情なパベルが娘と妻の話題になると表情を変化させるのはもう何度も見ているが、こんな顔は初めてだ。

 僅かに肩を落とし、ため息すら吐いている。

 

「ど、どうしたんですか、いったい。娘さんになにか?」

 

 自分に勝った尊敬に値する男が落ち込む姿を見たオルランドは、普段であれば絶対にしない娘の話を二度も繰り返して聞くという蛮行に出てしまった。

 それほど異常事態だったのだ。

 その様子を見た部下たちが、先にパベルの副官に報告を上げに行くと提案したことで、オルランドとパベルは二人切りとなった。

 オルランドが城壁の壁に腰を下ろして話を聞く体制を取ると、パベルは落ち込んだ状態のまま──しかし周囲の警戒のためか、座ることはせずに立ったまま──ポツリポツリと語り始めた。

 

「実はな。妻と娘が喧嘩になって、娘が家を出たらしい」

 

「あらら。家出ですか」

 

「いや。そういう一過性のものじゃない。完全に家を出て別の都市で暮らしているそうだ」

 

「……それってもしかして。例のあれのせいですか?」

 

 娘自慢とは別に、何度となく愚痴を聞かされていた娘の趣味というか、信仰とも呼べる思想。

 聖騎士であるパベルの妻が信じる四大神信仰とは違う教えを娘が信じているせいで、この数年妻と娘の間で諍いが起こるようになったと聞いていた。

 オルランドの言葉に、パベルは無言のまま一つ頷く。

 

 宗教問題は厄介だ。

 かつて人類の敵であるアベリオン丘陵の亜人に対抗するため、法国と共同戦線を結ぶべきだとの議題が上層部で持ち上がったことがあるそうだ。

 共に亜人に恨みを持ち、立地的にもアベリオン丘陵を挟んで隣接しているため、挟撃も可能な法国と手を組めば、部族ごとに敵対しまとまりのない亜人たちならば一掃できるかもしれない。と考えたのだ。

 そんな双方に得しかない提案に待ったを掛けたのが宗教問題だ。

 

 聖王国の信じる四大神信仰と、法国の六大神信仰は決して相入れない。

 加えて、聖王女が諍いを嫌う弱腰な政策しか取れないこともあり、結局その話は流れたらしい。

 そうした互いに利益があっても受け入れられない価値観の相違が、一つの家の中で、それも双方狂心的といえるほど熱心な信者同士ということもあって、度々問題が起こっていたのだが、その度に両方を愛しているパベルが苦心してなんとか双方を宥めていた。

 しかし、今回パベルが長期間この中央部拠点に詰めたことで、言い争いを止める者がいなくなってしまい、結果的に妻と娘が喧嘩別れをして、娘が一人家を出てしまったというのが、彼がこれほど落ち込んでいる事の真相のようだ。

 

「そりゃーなんて言ったらいいか……あー、そう言えば奥方の方は知ってますけど、娘さんの方はどんな宗教なんです?」

 

 慰めの言葉が思いつかず、頭に浮かんだことをそのまま口にする。

 実際聖騎士であるパベルの妻は当然四大神を信仰しているのは知っていたが、娘の方がいかなる神を信じているのかは聞いたことがなかった。

 

「いや、別に娘は他の神を信じている訳じゃない。それどころか神なんているはずないから、いざという時のために皆が力を付け、その上で力を正しく使用する。それこそが正義だという考えだ」

 

「あー、そいつは確かに聖騎士からは嫌われそうですなぁ。旦那も前に言ってましたよね。聖騎士はみんな、神と自分の正義だけを信じる狂信者だって」

 

 内容もそうだが、神が居ないと公言していることが問題なのだろう。

 多くの聖騎士はオルランドのような単なる戦士とは異なり、信仰系魔法を使いこなす。

 そうした魔法を使用する際、身近に神の存在を感じることもあって、神が存在すると確信しており、聖王はその神の代弁者だと信じて忠義を捧げている。

 つまり、聖騎士の正義とは聖王の正義と同義で在り、それこそが唯一絶対のものなのだ。

 だからこそ、それ以外の正義を決して認めようとはしない。

 かつて、そうした様子を指して狂信者だと表したパベルの言にオルランドも思わず納得してしまったものだ。

 

「ああ。正直俺も娘と同じで宗教や神には興味がない。妻の手前、口に出すことはないが、いざという時頼れるのは神ではなく自分の力だと思っているからな」

 

「それは同感ですな」

 

「だが、それ以外は仲が良い親子だから、そこまで心配していなかったんだがなぁ……最近になって自分の教えを広めようと行動を開始したらしい。流石に妻もそれは許せないと大喧嘩になって」

 

「家を出たと」

 

「ああ。しかし信じられん。あの子は人前に出ることが好きじゃない。大人しくて、イモムシが怖いと泣くような、そんな子だ。きっと誰かに誑かされたんだ。そうに決まっている、次の休みになったらすぐにでも娘に会いに行き、いざとなれば……」

 

 少しばかりいつもの様子を取り戻したように、娘についてツラツラと言葉を並べながら、妙な結論に達したらしい。

 亜人たちから狂眼の射手と恐れられるパベルの鋭い瞳が更に鋭利に、明確な殺意が籠もり始めてオルランドは慌てて制止する。

 

「ちょ! 旦那、まだそうと決まった訳じゃないんでしょ? 仮にそうだったとしても、暴力はいけませんよ! いや俺が言えた義理じゃないですけど。俺の尊敬する男が一般人を殺して捕まって引退なんてことになったら目も当てられませんよ」

 

 単なる模擬戦でなく、生き死の戦いでこそ己が成長できると考えているオルランドとしては、今の殺意に満ちたパベルと是非戦ってみたい気持ちはあったが、それ以上に自分が勝つ前にパベルが殺人罪で捕らわれるようなことがあっては困る。

 今のパベルからは、本気で行動に移しかねない殺意を感じた。

 

「……そこまではせん。妻にも迷惑がかかるからな。そもそも、娘がああなってしまったのは俺が弱かったせいだ」

 

 殺気を孕んでいたパベルの声が急落する。

 

「娘さんがそんな考えになったキッカケの話ですか。正直俺はまだ信じていませんよ。山でキャンプしていたらスラーシュの大群に襲われたとか」

 

「事実だ。かつての侵攻で討伐し損ねた生き残りが増えたのだろう」

 

 城壁が完成した後、最も多くの領土を蹂躙されたとされる亜人襲撃事件、長雨の中の侵攻。

 スラーシュという吸盤のついた手と、長く伸ばせる痺れ毒の舌を持ち、上位種ともなれば溶け込み(カモフラージュ)によって皮膚の色を変えて隠れることが可能な亜人が奇襲を仕掛けて城壁を突破。

 そのまま西に侵攻し、いくつかの村が犠牲になった事件だ。

 

 その件を受けた当時の聖王が国家総動員令を発令したことで、徴兵した一般人に訓練を課し、城壁を厳戒態勢で守るといった、現在の防衛対策が講じられるようになったのだ。

 そのときのスラーシュの生き残りが、今なお国内に潜伏している噂自体は以前からあったが、それは国民に常に緊張感を持たせるための方便に近く、その国民すら本気で信じている者は少ない。

 だが実際に、パベルは二年前家族とキャンプに出向いた山の中で、スラーシュの大群に襲われたという。

 

「いや、いたことはまだ信じられますよ。山ん中、それも旦那が見つけた人のいない奥深い場所なら、亜人どもの隠れ家としては最適だ。俺が信じられないのは、スラーシュ如きに旦那や奥方でも勝てなかったってところです」

 

 弓兵でありながら接近戦でオルランドに勝ったこともあるパベルは言うまでもなく、彼の妻も聖騎士としては一流の実力者だと聞いている。

 近接と遠距離、それぞれを極めた二人が揃っていてなお、スラーシュに勝てず死に掛けたなど信じられるはずがない。

 そのときのことを思い出したのか、パベルの気配が僅かに揺れる。

 

「数の問題や完全な奇襲だったこと、娘を守るのを第一に考えた点などもあるが、一番は相手に単なる上位種ではない強者がいたことだな」

 

「それは、豪王みたいな?」

 

 かつて自分に敗北感を植え付けた、とある亜人の王の名を挙げるとパベルは小さく頷いた。

 強さによってトップが決まる亜人部族の頂点は、どの種族もそうした強者が君臨している。

 特に豪王は恐ろしいほど強く、敗北した頃より強くなった自負のある今の自分でもまだ勝ち目はないだろう。

 スラーシュの王は聞いたことがないが、豪王に近い猛者に加えて数まで揃えられていたのなら、ある程度理解はできる。

 ここまでは前にも聞いていたのだが、更に納得できないのはこの後だ。

 

「そんな強ぇ亜人どもを、たった一人の騎士が一瞬で倒したって言うんでしょ? そんなことはあのガゼフ・ストロノーフでも不可能でしょうよ」

 

 周辺国家最強にして、英雄の領域と呼ばれる、おとぎ話の中に登場する強者と肩を並べる存在にのみ許される称号を持った戦士ですら、そんなことができるはずがない。

 オルランドも英雄には届かないものの、戦士としては強者には違いない。

 だからこそ、人間の限界は想像できる。

 話に聞いた純銀の鎧を纏った騎士はそうした領域を軽々と越えていた。

 

 その騎士は、弓兵としてトップの実力を持ち同じく目の良さも聖王国一を誇るパベルが目で追うこともできないほどの速度で移動し、剣を振るったという。

 それも豪王にも匹敵するような亜人の王すら相手にもならず、一刀の下に切り伏せた。

 それが事実ならおとぎ話どころか、神話に出てくるような存在だ。

 

「それも事実だ。俺や妻、いやお前ですら相手にならない。かの御仁が聖王国の軍士だったならアベリオン丘陵もすぐに平定できるだろうよ」

 

 強さこそ絶対である亜人だからこそ、そうした強者が亜人の王を圧倒的な力で倒し続ければ恭順するのは間違いないが、自分でも相手にならないと言われて、オルランドは不満げに鼻を鳴らす。

 

「でも、後で捜してもどこにもいなかったんでしょう?」

 

「ああ。後日、スラーシュがまだいるかもしれないと確認に出たが、スラーシュの死体や争った痕跡すら消えていた」

 

「やっぱり夢でも見たんですよ。それか旦那たちが戦った段階でスラーシュたちはもうボロボロだったとか」

 

「……仮にそうだったとしても、娘がその騎士の強さと思想に心酔してしまったのは事実だ。俺がもっと強ければ、助けられたとしてもああはならなかっただろう」

 

 悔しさを滲ませながら拳を握る。

 確かにその騎士がパベルと同レベルであったら、話は変わったはずだ。

 三人で協力して戦って勝つ。そんな光景を見れば、娘は三人平等に尊敬を示しただろう。

 だが、実際は娘にとっては自分の憧れであり、強さの象徴であったはずの両親より遙かに強い騎士が現れ、自分を救った。

 そのせいで娘にとってはその騎士こそが正義の象徴であり、力を身につけ、それを正しく使うことこそが正義だ。というその騎士の主張を絶対のものとして認識してしまった。

 だからこそ、パベルは己の不甲斐なさを悔いているのだ。

 

(まったく。俺の尊敬する戦士がそんな顔すんなよ。これじゃあ辞めるって言いづらいぜ)

 

 兜を外し、ボリボリと頭を掻く。

 今日わざと報告を忘れたふりをしてパベルを引き留めたのは、最近亜人が城壁に攻めて来なくなったため戦う機会が減ったことを機に、武者修行にでも出ようと考えたオルランドが、パベルにその許可をもらうためだったのだ。

 

 もっとも、思った以上に小言が長引いたため、無理矢理話を変えようとしたことで、余計に話が長引いてしまったわけだが。

 本来、軍士ではない自分にとってそれは法で認められているため、許可など取る必要はないが、唯一尊敬し敬意を払っているパベルにだけは筋は通すつもりだっただけに、この話が始まった当初は話をする時間が無くなってしまうと後悔したが、ここに来てオルランドは考えを改める。

 この話を聞けて良かった。

 特に目的の無かった武者修行の良い目標ができたのだから。

 

「あの、旦那。こんな時になんですけど、俺一度ここを離れようと思ってるんですよ」

 

「なに?」

 

 家庭内のいざこざに苦労する父親から、瞬時に戦士の顔に切り替わった。

 

「いやほら最近、亜人の襲来もないですし、これを機に武者修行。なんて思いましてね」

 

「……国はそれを認めている以上、俺からあれこれとは言えないが──どこに行くつもりだ?」

 

「俺より確実に強い戦士と戦いたいってことで、ガゼフ・ストロノーフあたりに喧嘩でも挑みにいこうかと」

 

 オルランドの言葉にパベルは眉を顰めた。

 戦士長は騎士ではなく、王国内でも地位が高いわけではないが、国の要人の一人であることには違いなく、オルランドの行動によっては国際問題になりかねないと考えたのだろう。

 小言が飛んでくる前に口早に続ける。

 

「と思ったんですけど、先ずは国内で武者修行をします。まだ勝てていない奴らもいますしね」

 

「それはそれで問題だな」

 

 オルランドが勝てないのは同じ九色ばかりであり、彼のやりたい本身を使っての戦いをしようとすれば大問題になると言いたいのだ。

 それを遮り、更に続ける。

 むしろ本命はこちらだ。

 

「んで。国内を巡るついでに、その純銀の鎧を着た騎士とやらを捜してきてやりますよ」

 

「なに?」

 

「見つけたらここに連れてきますから、旦那は一つそいつと勝負してぶっ飛ばしてくださいよ」

 

「なぜ俺がそんなことを。命の恩人だぞ」

 

 困惑した様子のパベルに、オルランドは笑って手を振る。

 

「いや、普通の模擬戦とかなら別に問題ないでしょう。そこで旦那が勝ったら、娘さんも旦那のこと見直してくれるんじゃないですか?」

 

 自分の憧れであり正義そのものだった騎士を己の父親が倒せば、娘にとってその騎士は絶対ではなくなる。

 そうなれば少しは父親の話を聞く気にもなるのではないだろうか。

 そう考えたのだ。

 

「オルランド、お前──」

 

「なにより、俺に勝った男が戦いもせずに負けを認めるなんて納得できませんよ。その上で次は俺が旦那と戦って頂上決戦と行きましょう」

 

 最後を軽口で締めるとパベルもオルランドの言いたいことを理解して、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

 

「言うじゃないか」

 

 その殺し屋の如き目つきも併せて、相変わらず笑った顔は獰猛な獣が威嚇しているようにしか見えないが、それで良い。

 これこそが自分の尊敬する男なのだ。

 そう感じたタイミングで、突如鐘が鳴った。

 夜番との正式な交代を知らせる鐘かと思ったが、そうでは無かった。

 いつまでも鳴りやまない鐘の音が示す意味は一つ。

 亜人の影あり。

 

「旦那!」

「ああ」

 

 即座に立ち上がるオルランドの言葉に、パベルは既に視線を城壁の奥、アベリオン丘陵側に向けていた。

 長話をしている間にすっかり日が落ち、暗くなった平原地帯に蠢く影が一つ。

 オルランドには見えないが、夜の番人と謳われるパベルならば、この暗闇でも問題なく見通すことができるだろう。

 そう考えて言葉を待ったが、パベルはいつまで経ってもなにも言わない。

 

「旦那?」

 

「……仮面を付けてはいるが、あの動き、歩き方は亜人ではない。あれは人間だ」

 

 姿だけ見れば人間に近い体形の亜人も僅かに存在してはいるが、顔を仮面で隠していても骨格の違いなどで動きに違いが出る。

 バベルはそれを見逃す男ではない。

 

「はぁ? 何で人間がアベリオン丘陵から。捕まってた奴が逃げ出したとかですかね」

 

 人間を食料としか見ていない一部の亜人部族に、餌として人間が飼われているという話は聞いたことがある。

 助けだそうにも、アベリオン丘陵にこちらから出向くことなどできないため、半ば見捨てられてしまっているが、そこから逃げ出してきたのかもしれない。

 

「いや。だとしたらあんな暢気に歩いているはずが……っ!」

 

 再度言葉を失うパベルに、オルランドもようやく気がついた。

 先頭を歩く一つの影。その奥から大量の影が列を成している。

 そちらは影だけでも明らかに人間とは違う、異形の姿をしていることが分かった。

 追いつこうと思えば簡単に追いつける速度にも関わらず、その亜人たちは先頭を歩く男の後ろを行儀よく並んで歩いている。

 つまり、あれは──

 

「人間が亜人を率いている?」

 

「なにが起こっているんだ」

 

 ぽつりと呟いたパベルの言葉に、オルランドが答えられるはずがない。

 ただ一つ。月明かりに照らされてオルランドでもはっきりと見えるようになってきた先頭を歩く仮面の男の動きは、これまで見てきた戦士や騎士が霞むほどのもの。

 動きとしての一つの高みにあるものだと理解してしまった。

 そんな存在が亜人を率いてやってきた。

 

「おもしれぇ」

 

 思わず口から漏れ出た言葉は、あるいは己を鼓舞するためのものだったのかもしれない。

 何故ならば、その姿を見た瞬間から、オルランドの体は武者震いとは違う得体のしれない感情によって、小刻みに震えていたのだから。




書籍版の十二巻でパベルは家族でキャンプをしてネイアに良いところを見せて尊敬して貰おうという計画を立てていましたが、この話では二年前、ネイアが聖騎士見習いになる前にその計画を実行を移し、そこでサトルさんに助けられた。という設定になっています
なのでこの話に於いてネイアは聖騎士見習いにもなっておらず、代わりにサトルさんの思想に感銘を受けて仲間を増やすべく行動しています
次はそのネイアの話になります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第33話 顔なしの素顔

ネイアの回想話
次からの話の前振りに近いので今回もあんまり話は進みません


「お母さん。怒ってる、よね」

 

 住む家が見つかるまでの間、借りている宿の一室。

 一人になり、顔に着けていたバイザーを外したネイア・バラハの口から、つい弱音が漏れた。

 

 思い出すのは先日、大喧嘩した母のこと。

 ネイアの母は聖王女に仕える優秀な聖騎士だ。

 強く、気高く、己の信じる正義を遂行する母にネイアは小さいから憧れており、当然のように将来聖騎士になることを夢見ていた。

 

 だが、ネイアはそんな母よりも、同じく国を守るために軍士として働く父、聖王国の誉れである九色の黒を戴く聖王国一の弓兵、パベルの血を色濃く受け継いでいるらしく、弓は特に練習せずとも人並み以上に扱えたが、剣の才能も信仰系魔法の才能も無かった。

 それでもネイアは聖騎士を目指すことを諦めず、まずは聖騎士見習いである従者になろうと努力を重ねていた。そんなネイアに己の運命を変える出会いがあったのは、従者となる資格を得る年齢になる直前、二年ほど前のことだった。

 

「仕方ないよね。私とお母さんの正義は違うんだから」

 

 言い訳をするように呟き、もう幾度思い出したかしれない記憶を遡る。

 日々忙しくあまり家にいない父が珍しく長期休暇を貰って、連れていってくれた山の中での話だ。

 彼女がもっと幼い頃にも、元々山育ちである父に連れられてキャンプをしたことはあったが、その時連れていかれたのは人里から離れた山奥だった。

 

 後で聞いた話によると、父が突然キャンプを提案したのは、思春期に入り、留守がちな父とどのように接していいか分からず、なんとなく距離を取るようになったネイアと打ち解けるきっかけとして、父の得意とする野伏(レンジャー)としての知識を披露する場を作りたかったためであり、更に余計な邪魔が入らないようにと張り切り過ぎた結果、山で生きる狩人すら訪れない山奥に入ってしまった。というのが理由らしい。

 人の手が入っていない山奥は危険な猛獣の住処でもあるが、それこそ聖王国一の狩人である父と、聖騎士であり回復魔法もこなせる母が居れば、問題はないと思っての行動だったようだが、軽率な判断だったと後に父から謝罪された。

 実際、そんな父と母ですら勝てないような亜人の群れに襲われたのだから、見通しが甘かったと言えば確かにそうなのだろう。

 

 しかし、ネイアはそのことで父を恨む気持ちはない。

 むしろ感謝している。

 おかげでネイアは自分の生き方を見つけることができたのだから。

 久しぶりのキャンプで、父から野伏(レンジャー)としての能力を誉められ、やはりお前はこちらの才能の方がある。と言われたことに複雑な気持ちを抱いていたネイアの前に突然現れたのは、スラーシュという亜人だった。

 

 野伏(レンジャー)としても自分より遙かな高みにいる父にすら気づかれず接近してみせたスラーシュの能力には驚いたが、それだけならば問題はないはずだった。

 父と母が力を合わせれば、例え相手が集団であっても敵ではないとネイアは確信していたからだ。

 しかし、その亜人の群れにはそんな両親すら打ち倒すほどの強さを持った、まさしく亜人の王とでも呼ぶべき強力なスラーシュが混ざっていたのだ。

 ネイアにとっては敬愛と尊敬、そして強さの象徴でもあった父と母を打倒してみせた亜人の王は、やがてネイアの眼前に立ちはだかった

 

 今思い出しても自分が情けなくてイヤになるが、そんな強者を前にしたネイアは戦うことはおろか、腰が抜けて動くこともできず、ただ神に祈ることしかできなかった。

 才能が無いのはともかく、戦士として最低限持っていなくてはならない敵に立ち向かう気概すら、そのときのネイアには無かったのだ。

 

 そんなネイアを救ってくれたのは、祈りを捧げていた神などではなく、純白の鎧に身を包んだ騎士だった。突如として現れた騎士は配下の亜人たちはおろか、両親ですら敵わなかった亜人の王すら一刀の下に切り伏せた。

 その騎士こそ、ネイアの生き方を変える切っ掛けを与えてくれた御方だ。

 しかしそれは命を救われたからではなく、その後自分に掛けてくれた言葉によるところが大きい。

 

 怪我を癒して貰い動けるようになった両親はネイアを抱きしめ、無事を喜びながら騎士に礼を言って頭を下げた。

 もちろんネイアも頭は下げていたが、それはお礼のためというより、自分を恥じて顔を上げることができなかったからだ。

 あのとき、まともにお礼も言えなかったことは、今でもネイアの心にしこりとなって残っている。

 だがそのときは、母に憧れ、国を守る聖騎士となって正義を行使すべく訓練を続けていたというのに戦うことはおろか、逃げることもできず神に祈ることしかできなかった自分が、ただただ情けなくて仕方なかったのだ。

 

 そんなネイアの行動を両親は責めることなく、それどころか誉めてくれた。

 確かにネイアが戦ったとしても、勝ち目はなかっただろう。

 いや、戦えないと思われていたからこそ先に両親を狙ったのであって、戦おうとすれば真っ先に殺されるか、あるいは人質にされていた可能性が高い。

 そうならずに済んだことを両親は喜び、無謀な特攻をしなかったネイアを褒めたのだ。

 自分を溺愛している父はともかく、口では聖騎士になりたければ自分を倒してからにしろと言いつつも、一方で訓練を続けるネイアに剣の使い方や聖騎士としての心構えを説き、内心では応援してくれていると信じていた母にまでそう言われたことが悔しくてたまらなかった。

 

 聖騎士とは、弱者を守るためにこそ存在している。

 

 母がいつも口にしている聖騎士の心構え。

 正確には母が仕えている聖王女の言葉だ。

 弱き民に幸せを、誰も泣かない国を。それこそが聖王女の望みであり、その理想を叶えるために剣を振るう者こそが聖騎士なのだ。

 

 つまり聖騎士の正義とは、弱き者を助けるためにこそ存在しており、そのためならば如何なる危険も省みずに戦うことこそが使命。

 聖騎士を目指すネイアに、母は常々そう説いていた。

 その度にネイアは覚悟を持って頷いていたはずなのに。

 実戦でその覚悟を示せなかった彼女を、母は許した。

 それは、母にとってネイアは共に戦う聖騎士ではなく、守るべき弱者の一人なのだと言われたも同然だった。

 

 それが当然のことだとは理解している。

 当時のネイアは正式な聖騎士でもなければ、見習いである従者にすらなっておらず、聖王女に誓いも立てていなかった。

 聖騎士に憧れているだけの子供にすぎない。

 あるいはあそこで戦えなかった姿を見たことで、ネイアが聖騎士には向いていないと改めて理解したのかもしれない。

 

 だが、ネイアは叱って欲しかった。

 何故戦わなかったのかと、お前は何のために訓練していたのだと。

 そう言って欲しかったのだ。

 しかし実際には父も母もただ優しく慰めるだけだった。

 だからこそ、そんなネイアにあの騎士がかけてくれた言葉が、彼女の運命を大きく変えることになったのだ。

 

「悔しいなら、努力して強くなればいい」

 

 ごく当たり前のことを、ごく当たり前に告げられた。

 それがどれだけ嬉しかったことか。

 

 涙を浮かべたまま、ようやく顔を持ち上げることができたネイアに、彼は語った。

 

 かつては自分も弱く、すべてを投げだそうとしていたこと。

 それを救ってくれた人が居て、その人の仲間に誘われたこと。

 自分を救ってくれた人を目標にして努力を重ねて強くなったこと。

 そして、最終的には同じような人たちを集めてチームを作り、みんなで強くなったこと。

 

 遠い昔を懐かしむかのように滔々と語り終えた彼は、最後に一言だけ言葉を残すと、きちんとお礼をしたいと告げた両親の制止も聞かず、その場を後にしてしまった。

 彼と会ったのはそのときただ一度切りだ。

 思えばネイアは、彼について何も知らない。

 名前や年齢、出身地も。辛うじて声で相手が若い男だと判別できたが、それだけだ。

 しかし、そんな名も知らない騎士の存在が、その日からネイアの中では、信仰系魔法が使えずとも、尊敬する母から聞かされ続けていたことで、その存在を信じていた神すら超える位置に収まった。

 同時にネイアの考え方も変わった。

 ごく当たり前のことに気がついたと言うべきか。

 

「守りたいものがあるなら、人任せにしないで、自分が強くならないといけない」

 

 彼が最後に残した言葉を、改めて口に出してみる。

 これこそがネイアの正義。

 才能があるとかないとかは二の次だ。

 誰かに守られるのを当然と思わずに、自分でも強くなれるように努力する。その姿勢がなにより大事なのだ。

 この事実に気づいてから、ネイアは改めて前を向くことができたが、同時に母との間の溝は深まった。

 

 この考え方が、母の信じる正義とは全く逆だったからだ。

 母を始めとした聖騎士の正義は、ざっくり言ってしまえば、強き者は弱き者の幸せを守るために全力を尽くす。それが力持つ者の務め。という考え方だ。

 

 だが、ネイアはそうではないと思う。

 弱ければ努力して強くなればいい。誰もが強くなればみんなで大切なものを守ることができる。

 そもそも、それこそが聖王国本来の理念ではないのか。

 徴兵制を敷き、国民全員が戦う力を付けて城壁を守り亜人の侵攻をくい止める。

 これが聖王国が他のどの国にも勝る長所のはずだ。

 しかし母を含めた聖騎士たちは民の力を当てにせず、自分たちですべてを守らなくてはならないと思っている。

 それはネイアの理想とは違う正義だ。

 

 だからネイアは剣を置き、代わりに弓を鍛え始めた。

 いくら練習しても強くなれている気がしない剣の腕を磨くより、初めからある程度できる弓を極めた方がより強くなれると考えたからだ。

 そんなネイアの行動を見た父は嬉しそうだったが、母は何も言わなかった。

 続けろとも止めろとも。

 

 それからも、自分と母の間にできた溝は深くなり続けた。

 普通に生活しているときはいつも通り仲の良い親子のままだが、正義という言葉が絡むと母は頑なになり、ネイアも引くことはなかった。

 父はそれを何とか宥めようとしていたが、そもそも多忙の父はあまり実家に戻ることができず、なによりこうした主義主張の違いは、親子だからといって第三者が間に入ってどうにかなる問題ではない。

 

 それでも表面上はどうにか繕えていた家族間の溝が決定的になったのは、ネイアが自分の考えを周りに広めようとしたときからだろう。

 いつからかネイアは自分の強さを磨くだけではなく、並行してもっと多くの人にこの思想を広めようと考えるようになった。

 かの騎士が言っていたように、自分だけではなくみんなで強くなるためには、同じ志を持った仲間が必要不可欠だと気づいたからだ。

 

 そのために動き出したネイアを母は許さなかった。

 

 と言っても今になって思えば、あれでもずいぶん我慢していたのだと思う。

 母にとって、聖王女は単なる自分の主というだけではない。

 母の信じる神に仕え、代弁者として国を守る存在、それこそが聖王女であり、その言葉は母たち聖騎士にとってはまさに神の言葉も同然。

 

 ネイアの主張はその聖王女の信じる正義を真っ向から否定するものであり、勧誘の際にもその主張を口にして人集めを行っていた。

 

 そうした言葉が回り回って、聖騎士の頂点であり、母の上司でもある聖騎士団長レメディオス・カストディオの下まで届いてしまった。

 本人が直接、ネイアたちが集まっていた場所に怒鳴り込んできて、人前で緊張せずに話すためにつけていたバイザーを無理矢理取られたときは、てっきり聖騎士と九色の娘というネイアの素性も併せて、不敬罪で逮捕でもされるのかと身構えたが、レメディオスは聖王女の考えの素晴らしさを滔々と語ったのち、自分たちと志を共にしてくれた聖騎士に退団を申し渡すと、さっさと帰って行った。

 その際にネイアたちが、聖王女のやり方が手ぬるいなどと吹聴していたことになっていたのは驚いた。

 実際ネイア自身はそんなことを言った覚えはなかったからだ。

 しかし、もしかしたら他の仲間たちが勧誘時にそうしたことを言っていたかもしれないと考えて、否定はしなかった。

 

 だが、一緒にいた聖騎士団の副団長だという男は流石にそれで済ませることはなかった。

 レメディオスの対応に困ったように胃を押さえつつも、ネイアの素性に気づいたらしく、これ以上は両親に迷惑がかかるから止めておくように忠告してきたのだ。

 

 その言葉に心が揺らがなかったと言えば嘘になる。

 例えお互いに違う正義を信じていたとしても、母も父も、今でもこの世で最も大切な家族であることには違いがない。

 自分の行動が家族に迷惑を掛ける。

 いや家族だけではない。ここにいる志を共にする仲間たちにも迷惑を掛けてしまう。

 そう考えてしまった。

 

 しかし、そんなネイアの背を押してくれたのも仲間たちだ。

 退団を申し渡されたことで、職だけではなく、聖騎士という国内では誰もが羨む名誉ある立場をも失ったというのに、彼らはそのことでネイアを責めることもなく、聖王女のお膝元であるホバンスでは活動が難しいのなら、他の地で同じような同士を見つけて活動を続けるとまで言ってくれたのだ。

 その言葉で、ネイアもまた覚悟を決めた。

 

 彼らと共にホバンスを出て、別の地で一から自分たちの正義を広めていくことを。

 母と大喧嘩になったのは、この話をしたときだ。

 結局、母が自分の考えを理解することはなく、ネイアは家出同然で住み慣れた家、そして都市を出て、今ここにいる。

 最も城壁の近くにある城塞都市カリンシャに。

 

 母とは喧嘩別れとなったが、これ以上迷惑を掛けないためにも、これで良かったのだ。一人になってからネイアはずっと自分にそう言い聞かせ続けていた。

 そんなことまで思い出して、また思考が暗くなりかけたとき、部屋の扉がノックされて聞き慣れた優しい声が聞こえてきた。

 

「バラハさん。少しよろしいですか?」

 

 了承の返事をした後、中に入ってきたのは、どこか陰のある二十歳そこそこの大人しそうな女性だ。

 この女性はネイアの考えに最初に賛同してくれた人物であり、ネイアの主張をより多くの人に知って貰おうと提案してくれたのも彼女だった。

 

 何から手を付けていいか分からなかったネイアの話を聞き、彼女の思想や正義を分かりやすい形で纏めて、街中で人に説いて回るやり方や、その際に人前で話すことが得意ではなかったネイアに、緊張するのなら顔を隠してみてはどうか、とバイザーをプレゼントしてくれたのも彼女である。

 彼女がいたからこそ、今の教団があるといっても過言ではない。

 一人っ子であるネイアにとっては、姉のように慕っている大切な存在だ。

 ホバンスを出るときも、当たり前のように付いて来てくれて、こうして同じ宿で寝起きをしながら共に自分たちの正義を広めてくれている。

 

「本日の予定を確認したいのですが。今日は布教活動の前に訓練の時間を取っているのですよね?」

 

「はい。賛同してくれたばかりの方々に私たちの考えを理解してもらうにはそれが一番だと思います。訓練をしながら強くなってそれをいろいろな人に教えていくのが大事なことだと思うんです」

 

 あの御方が示してくれた正義は、強くなるための努力を怠らないというのが根本にあるのだから。

 そう言ったネイアに、彼女は申し訳なさそうな顔をして告げる。

 

「すみません。私も訓練に参加できれば良いのですが……」

 

「何言っているんですか。向き不向きがあるのは当たり前です。私は強くなるって言うのは物理的なことだけではないと思います。貴女がいるからこそ、こんなに人が集まったんですから」

 

 考え方に賛同してくれてはいても、物理的に体がついてこない人もいるのは当然だ。

 彼女もその一人で、生まれつき体が弱いらしく、戦うことはできない。

 その代わりにというように、彼女はより多くの人に自分達の考えを理解してもらうための布教活動に力を入れている。

 体の弱い彼女は、日の光を浴び続けることすら辛いはずだ。

 

 それなのに彼女は一日も欠かすことなく、布教を続けてくれている。

 少しでも日の光を遮ろうとしているのだろう。ローブを頭から被り、朝から晩まで布教を続ける彼女の姿を見る度、ネイアは勇気づけられているのだ。

 元来聖王女に絶対の忠誠を誓っている聖騎士に根気強く話をして、自分たちの団体に入れたのも彼女だ。

 

 そうして諦めることなく、人を集め続けることこそが、彼女の強さ。

 その意味で言えば彼女の方が、自分などよりよっぽどこの教団の纏め役にふさわしいと言えるだろう。

 だが彼女は、一番初めに行動したと言うだけでネイアを纏め役に指名し、人が増えた今でもこうしてネイアの考えを尊重して動いてくれている。

 

「あの、前から言っていますけど、やっぱりみなさんを纏めるのは私より、貴女の方が良いと思うんです」

 

 何度となく繰り返した問答をまた蒸し返すと、彼女は困ったように眉を寄せた。

 

「私にはそのような大役は務まりません。それに、これはバラハさんが始めた活動です。でしたら、貴女が責任を持つべきですよ」

 

「それは、そうですけど……」

 

 特段強いわけでもなく、人を纏める力があるわけでもない。

 仲間が増えた今では、得意の弓すら自分以上に使える人がいるだろう。

 ネイアにあるのは、ただ最初に動いたという点だけ。

 だが、彼女はそれこそがもっとも重要なのだと、いつも口にする。

 それを言われるとネイアは何も言えなくなってしまう。

 

「ああ。でも、ネイアさんにその教えを授けて下さったという御方でしたら、この団体を纏めるには相応しいのかも知れませんね」

 

 少し声を大きくして彼女はそう言った。

 それは、単にネイアを元気付けるために言った、思いつきだったのかもしれない。

 だが、その言葉を聞いた瞬間、ネイアは目の前が開けたような感覚に陥り、思わず立ち上がった。

 

「そ、そうですね! 私の考えだって結局はあの方に教えていただいたものですし」

 

 自分の命を救い、考え方を変えてくれた純銀の騎士。

 彼こそ、この教団を率いるに相応しい。

 何より、当時は言えなかったお礼と共に今の自分を見せたい。

 あのとき掛けてもらった言葉を信じていたからこそ、自分は今までやってこられたのだと。

 そんなネイアの豹変ぶりに驚いたように目を開いた後、彼女は小さく微笑んだ。

 

「分かりました。布教の傍ら、その御方を知っている人はいないか捜してみましょう」

 

 あのとき行った山から一番近い大都市はこのカリンシャだ。

 あれほど素晴らしい騎士ならば、一目見れば誰もが目に焼き付けるに違いない。情報を集めるにはうってつけの場所だ。

 もしかすると、本当に会えるかも知れない。

 そんな思いが湧いてきて、ネイアは彼女に向かって深く頭を下げてお願いした。

 

「よろしくお願いします──クレマンティーヌさん」

 

 ネイアの言葉に彼女、クレマンティーヌは出会ったときから一切変わらない、聖女が如き慈愛に満ちた笑みを浮かべて頷いた。

 

「はい」

 

 

 ・

 

 

 ネイアの部屋から出ても、顔に張り付けていた聖女然とした笑みは解かないまま自分の部屋に向かって歩く。

 せめてため息ぐらいは吐きたいところだが、ネイアの聴覚はそれを聞き取る可能性があるため、黙ってその場を離れた。

 

(ずっとニコニコ笑ってるの疲れるなー)

 

 代わりに心の中でだけため息を吐く。

 自分が僅かに気を抜いていることに気がつくが、この土地に流れ着くまでの間ずいぶん色々なことがあったのだからそれも無理はない。と自分を納得させる。

 

 彼女、クレマンティーヌはかつて所属していたスレイン法国特殊部隊漆黒聖典を抜けた後、アンデッドを隣人とする秘密結社ズーラーノーンに身を寄せ十二幹部の一人となっていたが、法国が追跡の手を緩めることはなかった。

 

 追いかけっこにもいい加減うんざりしたクレマンティーヌは、エ・ランテルに潜伏していた同じく十二幹部の一人であるカジットを利用して騒ぎを起こし、その隙に追跡を撒く計画を立てたが、運悪く潜入する前に追っ手である風花聖典に捕捉されてしまった。

 

 野盗に扮して襲い掛かってきた風花聖典は一人一人の力では負けることなどあり得ない相手だが、数の力で押し切られてしまい敗北を喫してしまった。

 

 本来ならばその場で全てが終わるはずだったが、その場を通りかかったある人物に助けられたことで、最終的にはどうにか追っ手を撒くことに成功した。

 

 その後流れ着いたのが、彼女がその理念も考え方も嫌っているスレイン法国と同じ宗教国家であることには、少々思うところがあるが仕方ない。

 流れ着いたのがこの国だったからこそ、彼女は新たな隠れ蓑を見つける、いや作り出すことに成功したのだから。

 

(暗殺部隊でも秘密結社でもない教団。隠れ蓑にはピッタリだよねー)

 

 ズーラーノーンに身を寄せて改めて実感したことは、六色聖典の強さと危険性だ。

 六色聖典は並の秘密結社や犯罪組織などより遙かに強い力と、強引な手段に打って出てももみ消せるだけの権力を持っている。

 その六色聖典の最強部隊、漆黒聖典に所属していたクレマンティーヌが、本来負けるはずのない風花聖典ごときに敗北した理由もそこにある。

 

 それは、武具の差。

 漆黒聖典時代に使っていた神器を装備していれば、どれほど数が居ても、あの場で負けることはなかっただろう。

 だから彼女は考え方を変えることにした。

 違法組織ではなく、表舞台に出ることのできる正式な組織に所属する方法に。

 六色聖典は所属した時点で過去の経歴が抹消されるほど、徹底した情報統制が成されている特殊工作部隊。

 そこに付け入る隙がある。

 つまり、秘密結社や犯罪組織ならばたとえ他国であっても、いざとなれば強引な手段で攻撃できるが、国にも認められているような表立った組織ならば、クレマンティーヌの経歴が抹消されていることも含めて、手出しすることは難しくなると考えたのだ。

 

 そのためにネイアを唆して創ったのが、この教団だった。

 まだ数はそれほどでもないが、少なくとも王都内ではある程度認知される組織に成長させることはできた。

 国土を亜人たちから守るために、自分たちが強くならなくてはいけない。という理念が、常に亜人の脅威に晒され、国民全員に徴兵制を敷いている聖王国の国民性と合致した結果だ。

 それでも、本来国家運営の邪魔になりかねない理念を掲げていれば、適当な理由を付けて邪教や犯罪組織に認定されて取り潰される可能性はあった。強い政策の打ち出せない聖王女が治める国だからこそ、そうした真似はできないと踏んでいたが、正解だったようだ。

 

 とはいえ、流石に調子に乗りすぎたところもあった。

 聖王国の象徴である聖騎士を仲間に引き入れようとしたこと。

 もっと言えばその際に、八方美人で強気な手段を取ることのできない聖王女の手ぬるいやり方を引き合いに出したことだ。

 

 聖騎士は誰もが狂信的な信仰を持っていたが、中には信仰よりも国を守ることをより大事に考えている者も居た。

 亜人との戦いで家族や親を亡くした者たちが特にそうした傾向が強い。

 

 クレマンティーヌはそうした者たちを狙って、聖王女の手ぬるいやり方では国を守ることはできないと吹聴し、国民一人一人が強くなるべきだと説き続けたのだ。

 

 もちろん、聖騎士はそれだけで簡単に説得できる相手ではないが、クレマンティーヌにはそれでも彼らを教団に引き込む自信があった。

 事実、最終的には国の象徴でもある聖騎士を仲間に引き込むことには成功したのだが、それを耳にした聖騎士団団長であるレメディオス・カストディオ。

 聖王女の両翼と呼ばれる彼女が直々に団体に乗り込んできたのは予想外だった。

 

(あの聖騎士団の団長は噂通り、いやそれ以上の猪だったなー)

 

 そのせいで王都から出て行かざるを得なくなってしまったが、もう一人の神官団団長で無かっただけマシだと思うべきか。

 聖王女が汚い手段を使えない分、そうした汚れ仕事をするのは神官団団長だともっぱらの噂だ。

 本当は聖王女のお膝元である王都で活動して立場を得ることで、なし崩し的に聖王女のお墨付きを得る目的があったが仕方ない。

 

(ま、城壁が近いこっちの方が、国防意識が強いから勧誘はやりやすくなったけどねー)

 

 亜人たちに城壁を突破された際、最初に侵攻に晒される都市だからこそ、兵士だけでなく住人もある程度国防意識が強く、ネイアの掲げる思想を理解する者も多いため、勧誘は順調に進んでいる。

 このまま人を集め続ければ、いずれ国も無視することのできない団体になるはずだ。

 そうなったら法国も迂闊に手出しはできなくなる。

 そんなことを考えている間に自分の部屋に着き、クレマンティーヌは誰も見ていなくとも聖女の仮面を外すことなく、しずしずと扉を開いて中に入る。

 そうしてから、ようやく本当の意味で気を抜くことができた。

 安物のベッドに腰を下ろし、頭に被っていたフードを外して寝転がる。

 

「しっかし、カジッちゃんがあの儀式を成功させるとはねー。本当にアンデッドになったのかなぁ」

 

 つい先日聖王国と王国を行き来する商人から、エ・ランテルに正体不明のアンデッドが現れて誰も近づけなくなったという話を聞いてピンときた。

 同じズーラーノーンの十二幹部の一人であり、エ・ランテルの墓地に籠もって死の螺旋なる、大量のアンデッドを集めて負の力を蓄えて自身を高位アンデッドに変える儀式の準備を数年に渡って続けていた男だ。

 クレマンティーヌが協力するはずだったのがその儀式だ。残念ながらその前に追っ手に見つかったために結局会うことはなかったが、どうやら上手く計画を成功させたらしい。

 

「ま、おかげで法国の連中はしばらくエ・ランテルに釘付けだろうし。結果的には私の目論見通りってとこか」

 

 その間により布教を進めて、確固たる立場を確保し、そして──

 

「後はアレが見つかればもう完璧なんだけど」

 

 もう一つの目的にして、クレマンティーヌがネイアに力を貸す本当の理由。

 ネイアを唆してこの団体を立ち上げたのは、彼女の思想が聖王国の国民性と合致しているからというだけではない。

 それも一因なのは間違いないが、口下手で目つきの悪さ以外これといった特徴のない娘を代表にするくらいなら、もっと他に候補がいたのは確かだ。

 それでもクレマンティーヌが彼女をパートナーに選んだのは、ネイアがその思想に行き着いた経緯を聞いたからだ。

 ネイアは二年前に純白の鎧を纏った強大な力を持った騎士に命を救われたという。

 

 その純銀の騎士こそが、風花聖典に襲われたクレマンティーヌを救った男なのだ。

 どちらにも名前は名乗っていなかったがおそらく間違いない。

 細かい装飾や胸に輝く大きな宝石を填めた見事な造りの鎧のデザインが全く同じというだけではなく、どちらも信じられないほど強大な力を持っていた。

 そんな騎士が二人といるはずがない。

 

「あの強さに加えて復活魔法、いやアイテムかな。どっちにしてもそんな手段まで持っているなんて、教祖様、いやいや神様代わりにもってこいだよねー」

 

 助けられた当初は気づかなかったが、クレマンティーヌは風花聖典に一度殺されている。

 生命力が著しく低下し、それまで使えていた幾つかの武技も使用できなくなっているのがその証拠だ。

 かつての力を失い弱体化したこともまた、表立った組織を作ることを決めた理由の一つだった。

 クレマンティーヌが生きていることが知られた場合、六色聖典は再び追っ手を差し向けるだろう。そうなれば今の彼女の力では勝ち目がない。

 だが、ネイアに語ったように彼を見つけ出して団体の代表に据えることができれば、合法的な立場だけでなく、武力に於いても完璧な隠れ蓑が完成する。

 今はまだ弱小団体のため、四大神信仰を刺激しないように、神やそれに類するものを据えてはいないが、やはり大々的に人集めをするにはそうした象徴は必要不可欠だ。

 その意味でもあの騎士は申し分ない存在なのだ。

 

 そこまで考えてから、クレマンティーヌはふっと息を吐き、そんなことを考えている自分を笑う。

 あの騎士がこのカリンシャにいる確率は殆どゼロに近いことに気付いていたからだ。

 ネイアが助けられたのは二年前、そしてクレマンティーヌが野盗に扮した風花聖典から助けられたのが数ヶ月前。

 順番でいうのなら数年前は聖王国にいた騎士が、王国に移り住んだか旅の途中でクレマンティーヌと出会ったと見るべきだ。

 会った場所を考えるとそのまま帝国か、下手をすれば法国に流れている可能性もある。

 どちらにしても聖王国に居るということはないだろうが、ものは試し。

 

 なによりこれはネイアのためでもある。

 親と喧嘩して家を出たせいか、ここ最近のネイアは表面上取り繕ってはいたが精神的に磨耗していた。

 目標を立てて、そちらに注力させれば少しは気が紛れるだろう。

 そうこれはあくまでネイアのために必要なことだ。

 

「……あのお嬢ちゃんにはまだまだ働いて貰わないとね」

 

 そう呟いてから、勢いを付けて起きあがると、クレマンティーヌは顔に手を当て表情を確かめるように動かした。

 同時にそれまで浮かんでいた獰猛な肉食獣を思わせる凄惨な笑みが鳴りを潜め、代わりに慈悲深い聖女の笑顔が浮かびあがった。




ちなみにサトルさんがクレマンティーヌを復活させたのは善意ではなく実験の一環です
ナザリックもないためこれまでは無駄遣いできないと、人助けはしても死んだ相手を甦らせたりはしていませんでしたが、クレマンティーヌを助けたのがツアーに会いに行く前であり、その時点でサトルさんは今回の計画をある程度思いついていたので、一度杖を使って復活させることによるレベルダウンや復活場所の確認と言った基本的な内容を確かめておきたかったので試した感じです
なのでサトルさんは相手が元漆黒聖典だとかも気づいておらず、風花聖典も単なる野盗程度にしか思っていません


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34話 苦悩と選択

この話に於けるクレマンティーヌはスマホゲームのオバマスに登場する、何者かに助けられたことで奉仕の心に目覚めたという設定の聖女クレマンティーヌを基にしています
彼女は何故か回復魔法や人間種魅了などの魔法が使用できる設定になっており、これは単純にゲーム独自の設定というだけかもしれませんが、実はそうではなく、ゲーム内のクレマンティーヌが誰かに助けられた際、実際は死亡していて、そこから復活したことでレベルがダウンし、その後奉仕活動を続けたことで戦士職ではなく信仰系魔法職を手に入れたのではないか。という考察を以前見かけました

この話でもその考察を使用し、クレマンティーヌはサトルさんに復活してもらった後、ネイアの布教活動を手伝ったことで、戦士職ではなくエヴァンジェリストの職を獲得しており、書籍版でネイアが持っていた洗脳スキルに加え、信頼を勝ち取るために奉仕活動もしていたので信仰系魔法も第一位階程度なら使用できるようになった。という設定にしています


「やっと着いたか」

 

 王都ホバンスからプラートを経由して東に向かった先にある、聖王国で最も強固に作られた城塞都市であるカリンシャにたどり着いた、聖王国聖騎士団副団長のグスターボ・モンタニェスは、長旅の疲れを吐き出しながら言った。

 ここまでの道すがら、ほとんど休むこともなく一直線に向かってきたため、体は悲鳴を上げているが、このまま宿で休むというわけにもいかない。

 今は仕事で来ているのだ。

 まだ日は高い。どの都市でもそうだが、夜になると動けなくなるため、休む前に最低限目星をつけておく必要があった。

 

「やれやれ。うまく説得できるといいんだが」

 

 せり上がってくる胃の痛みを押さえるように手を当てながら、再び息を吐く。

 そう。グスターボの任務とは、団長であるレメディオスによって聖騎士団を追放された聖騎士を捜し出して、ホバンスに連れ戻すことだ。

 レメディオスの独断とはいえ、一度はこちらから追放した相手を再び王都に連れ戻す。

 それも団に戻すためではなく、もう一度今度は聖王女自ら追放したという形づくりを行うためだ。

 簡単な仕事ではない。

 

「直ぐに居所が見つかるとも限らないからな」

 

 活気に満ちた町並みは、ホバンスにも劣らない。

 カリンシャは城壁から最も近く、亜人が抜けて来た場合、最初に侵攻を受ける危険な場所だが、同時に国内で最も強固に作られた都市でもあり、南部との貿易の拠点となっていることもあって、物も人も集まりやすいからこその活気だろう。

 それだけ人の出入りも激しいことに加え、彼らは半ば追放扱いでホバンスを出てこの地に来たばかり。その際教団の規模も縮小したことだろう。

 ここで布教活動をする前に、生活基盤を作ることに注力するはずだ。

 大々的に勧誘しているのならばともかく、そうして市民に紛れて生活している最中では、捜し出すのも容易ではない。

 しかし、彼らが動き出すまで待っている余裕もない。

 一刻も早く聖騎士たちを連れ戻さなくては、南部の貴族たちに聖王女を攻撃する材料を与えることになってしまう。

 

「先に頭首から捜してみるか。あの目つきなら印象にも残りやすいだろう」

 

 一度見たら忘れられない殺し屋がごとき目つきの少女。

 名はネイア・バラハ。

 聖騎士の母と九色の父という、聖王国でも指折りの強者を両親に持つ彼女の存在こそが、仮にも聖騎士団の副団長である自分が、騎士団を離れて単独でカリンシャに出向くことになった理由でもある。

 

 聖騎士団内で彼女の顔を知っているのは三人。

 一人は当然彼女の母。

 もう一人は彼女の教団が聖王女を批判していると聞いて、本部に直接乗り込んだレメディオス。

 そしてそれを止めるために後を追いかけたグスターボだ。

 その三人の中では、グスターボしか適任がいない。というより残る二人は冷静に説得できるとは思えないと言った方がいい。

 

 特に事情を知った彼女の母の怒りは凄まじく、場合によっては責任を取らせると言ってネイアを斬り伏せかねない様子だった。

 レメディオスもまた怒りを覚えており、そもそも彼女の場合は説得に向いている性格ではない。

 連れ戻せと言われれば、件の聖騎士たちを殴りつけて無理矢理引きずって連れ戻しかねない。

 当然そんな真似をすれば、それだけで貴族たちに付け入る隙を与えることになるため、本人たちだけではなく、頭首であるネイアもなるべく円満に説得した上で、聖騎士を連れ戻すことが出来る者としてグスターボが選ばれたわけだが、正直気が重い。

 

 先ずもって主である聖王女に忠誠を誓ったはずの聖騎士が簡単に裏切ったこと自体信じられない。

 聖騎士は皆、神や聖王女自身に強い信仰を捧げた存在だ。

 それもあって周囲から狂信者の集まりと揶揄されていることも知っている。

 その言葉には少々思うところがあるが、他の何者にも負けない忠誠心を持っていることだけは間違いない。

 

 それは団員一人一人に言えることであり、当然退団した聖騎士たちも同様だったはずだ。

 その彼らを心変わりさせたのならば、相手はよほど弁が立つか、それとも何か特別な事情や能力でもあるのかもしれない。

 

 どちらにしても、レメディオスがなにも考えないこともあって、戦いの際には参謀めいたことをすることがあるとは言え、所詮は素人でしかない自分が彼らを説得して連れ戻すことなど出来るのだろうか。

 それこそがグスターボの胃痛の種だ。

 再びキリキリとした胃の痛みを感じる。

 副団長になって以後──正確にはレメディオスの補佐をするようになってから──幾度となく自身を襲ってくる胃の痛み。

 あまりの頻度に、もはや根本原因の改善は諦めて、胃痛に慣れるか、簡単に治すことの出来る魔法の習得を考え始めているほどだ。

 とはいえ、やはり痛いものは痛い。

 ひとまず情報収取もかねて、胃に優しいものでも腹に入れてから探索を始めようとした矢先、グスターボの背に声が掛かった。

 

「もし」

 

 落ち着いた優しい声に引かれ、振り返ったグスターボの目に映ったのは、真っ白なローブを頭から被った女性の姿。

 ローブの影で顔ははっきりとは見えないが、年若く顔立ちが整った女性であることは見て取れた。

 

「私に何か?」

 

 着いたばかりで顔見知りもいないカリンシャで、突然声をかけられたことを警戒しつつ返事をすると彼女は微かに首を傾げ、グスターボの様子を観察するように視線を動かした。

 

「どこか具合でも悪いのですか? 顔色が悪いように見えましたので」

 

「え? あ、ああ。いえ、何でもありません。単に旅の疲れが出ただけですよ。お気になさらず」

 

 愛想笑いを浮かべつつ誤魔化す。

 まさか、見ず知らずの女性に心配されるほど、自分の顔色が悪くなっているとは思わなかった。

 実際、胃痛だけではなく、旅の疲れも出ていたのかもしれない。

 やはり先ずは体を休めるべきか。

 そんなことを考えた直後、その女性はそっと周囲を窺うような仕草を見せてから、グスターボに近寄り、手を差し出した。

 

「〈軽傷治癒(ライト・ヒーリング)〉」

 

 何の前触れもなく発動した魔法によって、グスターボの胃痛が一瞬のうちに消え失せる。

 

「っ! 突然何を!?」

 

 驚いたのは魔法の効果ではなく、別のことだ。

 通常、回復魔法はすべて神殿勢力の管轄であり、寄付などの対価を支払わず使用することが許されていない。

 冒険者仲間や自分たち聖騎士同士での回復ならばともかく、顔見知りですらない相手を無償で回復するなどしては、神殿勢力から睨まれる。

 これもまた神殿勢力を俗世に落とさず、純粋に人のために働くという理念を守るために必要な措置であり、それは聖騎士である自分も承知している。

 そうした大前提を無視し、こんな人の多い通りの真ん中で、なにより相手の許可も得ずに一方的に魔法を掛けてきたことに驚いたのだ。

 

「あ、貴女はいったい。神官、ですか?」

 

 格好だけ見れば神官に見えないこともないが、正式な神官であれば、身体のどこかに所属する神殿や信仰する神の紋章をいれているものだが、そうしたものも見られない。

 

(もしや、ワーカーか?)

 

 例え命の危機に瀕している相手を前にしても、対価なしには回復魔法一つ掛けてやることかできない今の神殿勢力を嫌った神官が、無償で治療を施すためにワーカーになるという話はどこかで聞いた覚えがあった。

 本来、神殿勢力と協力関係にある聖騎士としては、都市の司法機関などに引き渡すことを考えなくてはならないのだが、今グスターボは聖騎士としてではなく、一介の旅人を演じている身分だ。

 下手な行動はとれないどころか、こんな場面を人に見られては、自分もまた司法機関の調査を受けさせられかねない。もちろん相手が勝手にやったことなのできちんと説明すれば誤解は解けると思うが、その場合、ただでさえ貴重な時間を失うだけではなく、聖騎士団の名誉にも傷が付きかねない。

 せっかく治った胃の痛みがぶり返しかねない、苦悩に襲われるグスターボに対し、女は薄く笑みを浮かべた。

 優しげな聖女然とした笑みでありながら、同時に薄ら寒い何かが背筋を貫く。

 この笑みには覚えがある。

 レメディオスの妹にして神官団の団長、ケラルトが浮かべている笑みにそっくりだ。

 

「いいえ。私は神官などではありません。ただの、そう。何の力も持たないただの一市民です」

 

 第一位階とはいえ、この若さで魔法の力を使える時点で、それなりに優秀だとは思うが、女が言いたいのはそうしたことではないようだ。

 

「だからこそ、貴方のような強い御方には常に万全で居ていただきたいのです。この国の最高戦力である聖騎士団の副団長であらせられる貴方には」

 

「な!」

 

 自慢ではないが、グスターボは聖騎士団の中でも目立たない存在だ。

 団長やもう一人の副団長であるイサンドロ・サンチェスと異なり、九色を授かっている訳でもなく、これといった武勇を持つわけでもない。

 ホバンスならばともかく、このカリンシャで自分を知っている者が居るはずなどない。

 可能性があるとすれば──

 

「お忘れですか? モンタニェス副団長とは、一度ホバンスでお会いしております」

 

「やはり。あの教団の関係者でしたか」

 

 あのとき教団の本部──実際には本部とは名ばかりで公用の広場に集まっているだけだったが──に居た関係者なのだろう。

 頭首の少女と聖騎士たちばかりに目が行っていて他の関係者の顔までは把握していなかったが、あちらからすれば突然現れて教団を批判してきた上、結果的に王都から追い出した者たちの片割れだ。顔を覚えていたとしても不思議はない。

 

「はい。私はクレマンティーヌ。教団の代表であるネイア・バラハの秘書のようなことをしております」

 

 クレマンティーヌと名乗った女はそう言って小さく頭を下げたが、こちらから視線は外さない。

 その視線は常に相手の弱みを探っているかのごとく、こちらを観察しているのが分かった。

 これは一筋縄でいく相手ではない。

 そう理解したことで、やはりというべきか、せっかく完治した胃の痛みが再びぶり返してくるのを実感した。

 

 

 幸いにも魔法を掛けられた瞬間は誰にも見られていなかったようだが、それなりに長い間話し込んでいたことで周囲の視線も集まりだしてしまい、グスターボとクレマンティーヌはとりあえずその場を離れることにした。

 彼女はグスターボがカリンシャに来た理由にも見当がついているらしく、頭首と元部下である聖騎士たちが集まっている場所に案内してくれることになったのだ。

 あちらのペースで話を進められていることは気になるが、時間が無い自分にとっては、多少強引にでも話を進めなくてはならなかったのは事実。

 

 大人しく彼女の後を付いて歩いていると、彼女が多くの市民から慕われていることに気づいた。

 歩いているだけで様々な者たちから声を掛けられ、その度にクレマンティーヌは足を止めて丁寧に対応する。

 その姿を見ていると、先ほどまで彼女に抱いていた表裏のある姿が嘘のように思えるが、本当に演技が達者な者はそれぐらいの擬態は易々とこなすもの。

 気を抜くことは出来ない。

 むしろ、問題なのはまだ都市に来て日も浅いはずの彼女が、既にカリンシャで名が知られている事実だ。

 それは同時に、あの教団も知名度を上げていることになる。

 王都からでは目の届きにくいカリンシャで、聖王女とは異なる思想を持った教団が力を付けている。

 自分の元部下である聖騎士がその一役を担っているのならばなおさら問題だ。

 

(やはり一刻も早く、あいつらを陛下の元にお連れしなくては)

 

 この求心力の理由が聖騎士ならば、それを連れ出すだけでもある程度、布教の歯止めになるはずだ。

 改めて自分の仕事の重要性を確認していたグスターボの耳に、大勢の人々が集まったとき特有の喧噪が聞こえてきた。

 

「ちょうど今、我々の活動を皆に知っていただくために広場で講演を行っているところです。バラハさんとの面会はその後でお願いします」

 

 そう言われた言葉も、グスターボの耳には届いていなかった。

 それなりの大きさの広場に詰めかけられた大量の市民と、即席の壇上に立つ少女の姿が目に入ってきたためだ。

 優に数百人はいる。それだけ大勢の人々の前でも臆することなく、ネイアは大仰な身振り手振りを以って自分の正義を語り掛けている。

 

(この短期間でこれほどの影響力を持つとは)

 

 やはり、この教団は危険だ。

 たとえ神を信仰しておらず、自分たちが信仰する四大信仰に害を及ぼさないとしても、このまま教えが広まり続ければ、聖王女を含めた支配者層の立場を揺るがしかねない勢力となる。

 

 悠長に説得している余裕などなかったのだ。

 こうなればレメディオスに倣い、強引にでも聖騎士を連れ戻すしかない。

 後で貴族連中に聖騎士団が責められる口実を作ったとしても、その時は自分がすべての泥を被ればよい。

 覚悟と共に選択を下し、歩き出そうとしたグスターボの耳に、突如として巨大な鐘の音が響き渡った。

 思わず顔を顰め、音の発信源に目を向ける。

 ネイアが演説をしている檀上の真後ろ、物見塔の最上部に取り付けられた鐘を衛兵が必死に鳴らしていた。

 ネイアも含め、その場にいる全員がそちらに視線を向ける。

 このカリンシャで緊急を知らせる鐘が鳴る理由など一つしかない。

 すなわち──城壁を抜けた、亜人の影あり。

 

 

 ・

 

 

 進軍する十万の亜人軍。

 目的に向かって突き進み、障害となるもの全てを飲み込む破壊力を秘めた軍勢は、まさしく破竹の勢いと呼ぶにふさわしい。

 この勢いを止められるものなど存在しない。

 亜人たちもまたそうした絶対的な高揚感に酔いしれ、多少の無理を推しても進軍を続けてきたが、長年亜人たちの侵攻を妨げてきた聖王国の要塞線、その要である城壁を破壊して国内への進軍を開始し始めた頃になると、流石に勢いだけでは誤魔化しが利かなくなってきた。

 それも当然といえば当然の話で、いくら亜人とはいえロクに休みも取らずに進軍を続ければ、体力も落ちてくるものだ。

 そんな状態で昼夜を問わず進軍し続けるわけにもいかず、目的地であるカリンシャに向かう前に一度休養を取ることになった。

 

 とはいえ、亜人にとっては敵地のど真ん中での休養であり、周囲の警戒は続けなくてはならないため、まともに休養が取れているかは怪しいところだが。

 そんな中、亜人軍の総大将となったセバスは、自身のために用意された天幕内にいた。

 今はあくまで亜人軍の総大将という立場であり、天幕内にも彼のために玉座が用意されているが、執事としての矜持からそれに腰掛けるようなことはせず、いつも通り背筋に鋼を通したかのごとく堂々たる立ち姿で、これから向かう聖王国の城塞都市カリンシャの方角を眺めていた。

 

「セバス様。ロケシュでございます。お耳に入れたい話があって参りました」

 

 ふいに背後から声が掛かる。

 天幕に近づいてくる足音には気づいていたが、声を掛けられたことでようやくセバスは体を声の方角に向け直し、許可を出した。

 

「どうぞ」

 

「失礼いたします」

 

 天幕の入り口を持ち上げて入ってきたのは、亜人軍の総指揮役を任せた、蛇に手を生やしたような亜人、七色鱗の二つ名を持つ蛇王(ナーガラージャ)のロケシュだ。

 異名通りの虹色の光彩を放つ鱗の硬度はドラゴンに匹敵するとも謳われ、魔法耐性を持った魔法の鎧と大盾を持った姿から、アベリオン丘陵で最も堅牢な存在と言われていた亜人の王の一人だ。それ故にアベリオン丘陵を纏める戦に於いては、己の部下たちが敗北しても、負けを認めることなくセバスに戦いを挑んできた数少ない亜人の一人だ。

 その戦いの際、ただの一撃によって自慢であった鎧と盾、そして鱗までも一度に砕かれたことで完全に敗北を認め、今では完全に恭順を示すようになっていた。

 だからこそだろう。

 話しかけてくるだけでも緊張しているのが手に取るように分かった。

 

「どうしました?」

 

 蛇に似た亜人であるロケシュは、その表情から考えを見抜くのは難しいが、それはあちらも同じなのか、セバスの感情を探るような口調で語り始める。

 

「……我々の軍勢内に不満が溜まっております。人間どもの都市までこの分では後三日といったところですが、この分では到着前に問題が起きかねません」

 

「不満?」

 

 セバスの眉がピクリと動くと同時に、ロケシュは身を震わせる。

 セバスの圧倒的な力を知っている彼からすれば、この発言でセバスの怒りを買い、その矛先が自分に降り懸かることを懸念したのだろうが、それでもロケシュは恐怖を押し殺すように身を硬くしたまま続けた。

 

「はっ。我々にとってあの壁を乗り越えてこの地に攻めこみ、ここに住まう人間を思うがまま蹂躙することは長年の夢でした。それが叶ったというのに、何故砦や集落を無視して進軍を続けるのかと不満に思う者が出てきているようです」

 

 おそらくは、その不満の元は亜人たちが人間を蹂躙したいというだけではなく、強行軍を続けたことによる疲労や兵站の問題もあるのだろう。

 それなりに食料は持ってきているが、複数いる亜人種族ごと好みの食料を用意することもできないため、多くの種族が食べることのできるパンに似た食料しか持ってきていない。

 亜人たちにとっては人間も食料の一つ。いや長年にわたり城壁を越えようと試みている部族が複数いることを考えると、人間を食料として好んでいる部族が多いのだろう。

 そうしたものたちからすれば、せっかく壁を破壊して国内に入ったというのに、ロクに暴れることもできず、大好物まで我慢させられているとなれば不満をため込んでも仕方がない。

 順序だてて考えれば、むしろ当たり前のことだ。

 

(ナザリックの者では絶対にあり得ない考えだけに見落としていましたね)

 

 ナザリック地下大墳墓に属する者にとって主のために働くことこそが全てであり、不平不満など──もっと働きたいなどの欲望は別として──唱えることなどあり得ないため、そうした考えをすること自体頭からぬけ落ちていたのだ。

 問題は理解したが、セバスの本分はあくまでも家令であり執事。

 軍を率いた経験もないため、こうした場合どのようにして不満を解消するのが正解なのか、即時に判断することができず、無言で思考を巡らせているとその沈黙を勘違いしたのか、ロケシュは慌てたように告げた。

 

「無論奴らもセバス様に逆らおうなどと考えているわけではなく、中にはまだ代替わりをしたばかりのためか、功を焦っている者もおります。このままでは都市に到着した際、そうした者たちが暴走してしまうのではないかと危惧した次第です」

 

 その言い方で、ロケシュはセバスにそれを止める方法を聞きに来たわけではなく、何か解決策を持った上で、実行に移す許可を貰いに来たのだと理解した。

 ならば決断を下すのは、それを聞いてからで良い。

 

「ふむ、なるほど。それで総司令官である貴方は、どうすればその暴走を未然に防ぐことができると思いますか?」

 

「はっ! 先遣に出た者たちからの話によりますと、目的地である都市の少し手前に、規模は小さいものの人間たちの集落が存在するとのこと。本命を攻める前にそこを襲い、息抜きと共に腹ごしらえをして英気を養わせるのは如何かと」

 

 完全に人間を食料、彼らが住んでいる都市を牧場か何かとしてしか認識していない言い方に眉を顰めそうになる。

 おそらくその集落は砦や兵士たちの駐屯基地などではなく、カリンシャと他の都市との中継地点として創られた小都市だろう。

 当然戦う力などなく、ここでロケシュの提案を聞けば、そこに住まう者たちは蹂躙され、一人残らず彼らの食料となり果てる。

 その事実に、セバスが創造主より与えられた本能が不満と怒りを訴えたが、同時にセバスの冷静な部分は内心でそれを自嘲していた。

 

(なにを今更。私に怒りを覚える権利など無い。彼らの願いを無視した私に──)

 

 アベリオン丘陵を平定した際に、恭順を示さなかった亜人部族のことだ。

 セバスが持つ、弱者を助けるのは当たり前。という正義の対象はなにも人間だけではない。

 そもそも外見こそ人間と変わらないセバスだが、その正体は人間ではなく竜人である。

 故に、セバスが助けたいと考える対象は、種族に関係なく、力を持たない全ての弱者だ。

 

 しかし、セバスはここに来る前に、自らの意志でそうした弱者を見捨てていた。

 

 基本的に平定そのものはセバスではなくデミウルゴス配下の悪魔たちが行っており、セバスの役目は進捗状況の確認と、ここにいるロケシュのような亜人の中でも武勇に優れた強者を叩きのめすことで力を示して恭順させることだった。だが悪魔たちのやり方は時間が無かったこともあって強引な手段となり、部族のトップをセバスに打ち倒されても反抗をやめることの無かった者たちは見せしめとして、部族ごと壊滅させられ、戦いに参加しなかった非戦闘員である女子供は、デミウルゴスが実験のために作り上げた牧場に運ばれていった。

 

 そのときになって初めて恭順することを誓い、総大将であるセバスに対して亜人たちが訴えた懇願、悲鳴や怨嗟の声は未だ耳に残っている。

 当然その声を聴いて、セバスの胸中から彼らを助けよ、という創造主の声無き意志が湧き上がり続けていたが、セバスはそれを無視した。

 

 全ては作戦を成功させるため。

 そして慈悲深き主に、これ以上余計な心労を与えないために必要なことなのだ。と言い聞かせて。

 

 そのセバスが今更人間を救うために行動するなど、笑い話にもならない。

 今必要なのはそうした感情による判断ではなく、作戦を成功に導くための合理的な思考、それだけだ。

 

 今回の作戦で重要なのは、聖王国の主戦力を壊滅させることではない。

 むしろ戦力を温存させながら、一般市民にのみ被害を与えることで、亜人に対する怒りを集め、そのまま亜人を率いてエ・ランテルに向い、聖王国を周辺諸国同盟に参加させることが狙いとなっている。

 だからこそ、城壁の破壊も最小限に留め、そこにいた戦力も極力殺さないように指示を出しておいた。

 

(聖王国の女王が最速で軍を編成してこの地に向かわせるにしても、まだ時間は掛かるでしょうね)

 

 本来、城壁を破壊した後は後顧の憂いを断つ意味でも、中央砦だけではなく左右の砦や城壁そのものを破壊するなどして、城壁に詰めていた聖王国軍が追いかけて来られないようにするべきだが、そうすると亜人軍が到着する前に、聖王女が軍を纏めてカリンシャに到着してしまうかもしれない。

 そう考えたからこその強行軍だったのだが、今度はその進軍速度が速すぎたことで想定よりも時間の余裕が生まれていた。

 もっとも、流石に小都市を襲ってからカリンシャに向かいなおすのでは、時間的にぎりぎりになってしまうかも知れないが、軍を纏める意味で必要だというのなら、一考の価値があるのは間違いない。

 

「如何でしょうか? お許しいただけるなら、斥候を派遣いたしますが……」

 

 畳みかけるようなロケシュの言葉に、セバスは一度目を閉じ、思考を巡らせる。

 自分の感情は排斥し、あくまでも作戦のため、そして主のためにどうするのが一番いいのか、慎重に考え続け、やがて一つの結論を出した。

 

「いえ。必要ありません。その小都市の人口がどれほどかは分かりませんが、ここにいる十万の兵が満足できるほどとは限りません。目的地であるカリンシャまであと三日ほど。暴れるならそこで。それまでの間は貴方や他の者たちで部下を押さえさせなさい。勝手な行動を取る者がいれば、私の名を出しても構いません」

 

 提案を却下し、セバスはそう答えた。

 断られるとは思っていなかったのか、ロケシュは僅かに動揺したような動きを見せたが、直ぐに姿勢を正す。

 

「……承知いたしました。我ら十傑の名の下に、配下たちはしっかりと押さえ込んでみせます」

 

 それだけ言い残し、去っていくロケシュに視線を向けながら、セバスは小さく息を吐いた。

 

「よろしいのですか? セバス様」

 

 セハズしかいない天幕の中に、再び声が響く。

 連絡役としてデミウルゴスから預かり、普段はセバスの影に潜んでいる、影の悪魔(シャドウデーモン)の声だ。

 ただし、その役目は連絡役や護衛というよりは、未だセバスを信用していないデミウルゴスが付けた監視の意味合いが強い。

 つまり、先ほどの提案を却下したことも直ぐにデミウルゴスに伝わるということだ。

 だからこそ、ここでその理由をしっかりと説明しておかなくてはならない。

 これはあくまで作戦のためにしたことであり、自分の内から湧き出る感情に従ってのものではないのだと。

 セバスは一つ呼吸を置いてから悪魔に笑みを向けた。

 

「問題ありません。むしろそうしたワガママを聞いてしまえば我の強い亜人たちは私を侮りかねません。ゴネれば言うことを聞く相手だと思われる方が心外です。貴方も十傑の動きを見張っていてください」

 

「……畏まりました。では勝手な行動を取らないように監視いたします」

 

「むしろ多少想定外の行動を取っていただいた方がよいかも知れませんね。良い見せしめになります。どちらにせよ、動きがあったら私に報告をお願いします」

 

 この作戦の後、亜人たちはエ・ランテルに連れていくことになる。

 そのときに、またこうした不満が出ないように恐怖で縛っておくのも有効な手段だ。

 

「承知いたしました。では──」

 

 その言葉と共にセバスの影の中で悪魔が蠢く気配があり、影の悪魔は影から影に移って移動を開始した。

 

(問題はない。これは人を助けるためではないのですから)

 

 そうでなくても、もし聖王女がこちらの想定より早く行動した場合、亜人軍と聖王国の主力軍がぶつかり合ってしまう。その可能性を下げておくことは正しい選択だ。

 なにより、セバスの行動によってその小都市とやらは救われたかも知れないが、カリンシャはそうではない。

 亜人たちは鬱憤を晴らすかのごとく、カリンシャ内にいる全ての住人を思うまま虐殺することだろう。

 それをセバス自身が指示を出し、場合によって前線に立って自らの手で実行する。

 そうすることで作戦を成功させるとともに、ナザリック地下大墳墓、そして己が主への忠誠を示す。

 例え自分の創造主の想いから生まれた感情を裏切ることになったとしても、もはや迷いはない。

 

 しかし、何故だろうか。

 合理的な判断を下したつもりでも、この選択が己の手で弱者である人間を虐殺する行為を先延ばししているように感じてしまうのは。

 

「後、三日。ですか」

 

 セバスは拳を深く握りしめながら、三日後、惨劇の舞台となる都市に視線を向けなおした。




クレマンティーヌがグスターボにいきなり回復魔法を掛けたのは、グスターボを仲間に引き入れるためです
彼女の持つ洗脳スキルは書籍版のネイア同様心に傷のあるものにしか通用しないため、神殿勢力と協力関係にある聖騎士でありながら違法な回復魔法を受けた。という弱みを作り出すことで、洗脳スキルが使えるか試すためだったのですが、流石にそれだけでは通用しなかったため、今度はネイアの下に連れ出し既にかなりの数の協力者がいることを見せつけることで強引な手段を取らせ、それを責め立てて弱みにするという第二プランに移行した形になりますが、亜人襲来の鐘のせいでその計画は頓挫しました

ちなみに前半と後半の時系列は大体同じです
城壁を破られたあと、生き残りが聖王国内に広げた情報がカリンシャに到達し、その後亜人軍が確実にカリンシャに向かっていると確信したことで、カリンシャ内の上層部が鐘を鳴らして非常事態であることを市民にも伝えることにしたという感じですので、亜人到着まで三日ほど猶予があります
次の話はその三日の間の話になる予定です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話 戦いの覚悟

セバスを含めた亜人軍の戦力を知った者たちが都市を守るために覚悟を決める話



 十万を超える亜人の群れ。いや、もはやこれは軍と言った方が良い。

 ただでさえ人間以上の強さを持つ亜人が、一つに纏まり軍を形成して進軍する。その勢いは凄まじいの一言だ。

 

 無論、城壁の兵たちもその暴挙をただ見ていたわけではない。

 ただ一人で城門に近づく仮面を付けた者を亜人軍の首魁だと見抜いた者たちは一斉に弓矢の雨を降らせ、中央砦に集められた兵力から選りすぐった精鋭部隊も送り込んだ。

 それでも、敵の首魁を止めることは敵わなかった。

 聖王国の誉れたる九色の一人、パペル・バラハ率いる弓兵隊の弓矢は悉く叩き落とされ、同じくただ強さのみで九色の座に就いたオルランド・カンパーノの猛獣を思わせる速さと圧力を纏った突撃すら戦いにもならず、ただの一撃で地に伏せた。

 そのときになって彼らはその仮面を着けた亜人軍の首魁が、これまで目撃されたいかなる亜人よりも強大な力を持つ化け物であると認識したのだ。

 

 だが、それに気づいた時には既に遅かった。

 いかなる手段を用いたのか、その者が放った素手での一撃によって、ある意味で城壁よりも頑丈に造られた扉すら、あっさりと破壊されてしまったのだから。

 こうして城壁が出来て以後、否、聖王国の歴史を紐解いても恐らくは歴史上初めてとなる、何の小細工も用いない正面突破によって亜人軍は聖王国の国土に侵攻を開始した。

 予想される次なる目的地は城塞都市カリンシャ。到達までかかる時間は凡そ三日である。

 

「……信じられん。これは事実なのか?」

 

 カリンシャ軍部の参謀長が、報告書を穴が開くほど見つめながら言う。

 

「砦からの定期連絡も途絶えておりますし、恐らくは間違いないかと」

 

 部下の言葉を受けて更に血の気が引いていく参謀長を見ながら、グスターボもまた完全に再発してしまった胃の痛みを必死になって押し殺す。

 

(とんでもないときに来てしまったと言うべきか。それとも聖王国の危機に駆けつけられたことを喜ぶべきか)

 

 広場に響いた鐘を聞いた後、グスターボは子細な情報を得るために、カリンシャに駐留している軍の本部に出向いた。

 緊急時と言うこともあって、初めは警戒されたものの、身分を隠すことを諦めて聖騎士団副団長であることを証明すると、即座に全ての情報が集まっている参謀本部に通されたのだ。

 長い沈黙を挟んだ後、参謀長はようやく報告書から視線を外し、そのままグスターボに顔を向けた。

 

「モンタニェス副団長。貴殿はこれを見越してカリンシャに来ていたのか?」

 

 こちらの事情はまだ話していなかったため、参謀長がそう思うのも無理はないが、流石にここで嘘を吐くわけにもいかない。

 

「いえ。それとは別件ですが、聖騎士団の一員として当然私も協力いたします」

 

 別件と聞き一瞬眉を顰めたものの、それどころではないと思いなおしたらしく、参謀長は破顔する。

 

「それはありがたい。聖王国最強部隊である聖騎士団の副団長である貴殿が力を貸してくれるのならば心強い」

 

 本当は自分ではなくレメディオスか、同じ副団長でも九色の桃色を授かるイサンドロ・サンチェスの方が良かったと思っているのだろうが、それを微塵も感じさせず参謀長は頭を下げる。

 時間もないため、取りあえず手に入った情報を基に軍議が始まり、グスターボもそのまま同席することとなった。

 

「報告書にも記載されていますが、軍勢の狙いは間違いなくこのカリンシャ。本当にただ真っ直ぐ進んでいます」

 

 カリンシャは城壁から最も近い大都市だが、道中にはいくつも村や小都市や砦などが存在している。にもかかわらず、敵はそれらに一切目もくれずに突き進んできているというのだ。

 

「そこも理解ができませんね。中央砦が突破されたとしても、左右の砦や素通りした都市から軍が派遣されれば、挟撃や包囲される危険もあるというのに」

 

 会議に参加した参謀の一人が口にした疑問に、参謀長があっさり答える。

 

「簡単だ。そうなる前にこのカリンシャを落とせると踏んでいるのだろう」

 

 まさかと言うように目を見開いたが、グスターボは同意した。

 

「でしょうね。敵は最短距離でこちらを目指してくる。対して左右の砦の兵は中央砦の穴を塞いでからでないと動きは取れない。素通りされた都市にしても、亜人軍が見えた時点で籠城の準備を始めていたでしょうから、直ぐに追いかけることはできない」

 

「た、確かにそうですが、カリンシャは強固な城塞都市です。簡単に突破など──」

 

 話している途中で理解したらしい。部下はそのまま口を閉ざす。

 カリンシャを始めとした城塞都市攻略で最も難しいのは堅い城門や高い城壁、これを乗り越えることだ。

 敵にはそれを可能とする術がある。

 

「如何にカリンシャの城門とはいえ、要塞線の城壁ほどではない」

 

 深い堀などで物理的に軍を近づけさせないなどの対策が採られていればまだしも、カリンシャは丘の上に建つ城塞都市だ。

 これはこれで隠れる場所が無いため迂闊に近づくことが出来ず、仮に近づかれても高低差を利用して弓などで攻撃できるため防衛力は高いのだが、今回の相手のように隠れて近づくつもりなど毛頭なく、真っ直ぐ攻めてくる相手に対しては、真正面から受けるしかない。

 

 すなわち、基本的な戦術は矢などの遠距離武器で牽制して近づかれないようにすることと、門と城壁を守って中に敵を入れないようにする籠城となる。

 しかし、今回の場合、相手はカリンシャの入り口より遙かに強固な城門を破壊して侵入してきた。

 破城槌などの物量兵器ならば、移動にも時間が掛かり、それを狙って集中攻撃をすれば近づかせないようにすることもできるが、相手は個人。

 それも聖王国最高の弓兵隊の矢を打ち落としながら城門までたどり着くような者だ。ここにいる者たちの実力では、止めることはできないだろう。

 

「そして城門が破壊されてしまえば、亜人共がなだれ込んでくる。それを止める力はこのカリンシャにはない」

 

 参謀長が重々しく言う。他の都市に比べれば、カリンシャは多くの軍士が駐留しているが、それでも一万にも届かない。

 人間より遙かに強い力を持った亜人軍が相手では、その戦力差は十倍どころではないだろう。

 

「打つ手無しということですか?」

 

「バカなことを言うな! それを考えるのが我々参謀の仕事だ!」

 

 弱気なことを言う部下に参謀長は目を尖らせながら怒鳴り声をあげ、その顔のままグスターボに顔を向けた。

 思わず身構えそうになるのを押さえ、言葉を待つ。

 

「モンタニェス副団長。この報を聞いた場合、陛下はどう動くとお考えですか?」

 

 参謀長がグスターボを正面から見据える。

 本来聖王女の配下である自分が主の行動を想定し、それを元に計画を立てるなど許されることではない。

 もし間違ってしまえば、その責任は自分だけで償えるものではないからだ。

 だが今は非常事態。

 悠長に確認を取っている暇などない。

 胃からせり上がってくるものを無理矢理押さえ込み、グスターボは自分の考えを話すことにした。

 

「城壁が突破されたと知れば、陛下は国家総動員令を発令してでも全ての戦力をこのカリンシャと、南部の要所であるデボネに派遣されるでしょう」

 

 強く断言するグスターボに、参謀長以外の者たちは驚きを隠せないようだ。

 国家総動員令が発令されたのはこれまで一度きり。

 聖王国の民全員に徴兵制を布いた時だけだ。

 

 元々南北で不和のある聖王国に於いて、国民全員を問答無用で動かすこの法律は当然、様々な方面から軋轢を生む。

 八方美人で強い政策が取れないとされている聖王女にそれができるのか。と言いたいのだとすれば、実に不敬な考えだ。

 聖王女がそうした対応を取っているのは、全て弱き民のため。

 こちらの都合など関係なく常に亜人たちに狙われ、その防衛を第一に考えなくてはならない聖王国にとって、国内でのもめ事や、まして他国と外交問題でも起こし戦争にでも発展してしまったら、その時点で戦線を二つ抱えることになる。

 だからこそ、聖王女は甘いと言われようと、周囲と諍いを起こさないように行動するしかないのだ。

 しかしそれは同時に、国民を守るために必要ならば、心を痛めつつも非情な決断を下せるということだ。

 

「無論、軍だけでなく王都にいる聖騎士団や神官団の精鋭たちも、すぐに派遣してくれるでしょう」

 

「聖王国最強の騎士であるカストディオ団長率いる聖騎士団ならば──」

 

 グスターボの言葉を受けて、参謀長は考え込む。

 実際、報告書の内容まで聖王女が把握していれば、聖騎士団を派遣するのは間違いない。レメディオスの妹であるケラルト率いる神官団もまた同様だ。更にもう一つ。

 

(陛下御自ら、参戦してくださる可能性もあるが、それはまだ言えないな)

 

 聖王女が他国の為政者と異なる点として、聖王女自身も高位の信仰系魔法を操る魔法詠唱者(マジック・キャスター)であることが挙げられる。

 そんな聖王女のみが使用できる最強の一撃こそ、聖王家に代々伝わる王冠を用いた大儀式魔法最終聖戦(ラスト・ホーリーウォー)

 これこそが聖王国内で最も強力な一撃である以上、今回のような個人で強大な力を持つ相手が現れた場合、本人自らが出陣する可能性もあるのだ。

 もっとも、国家総動員令や聖騎士団派遣と異なり、こちらに関してはグスターボも確信は持てないため、この場で口に出すことはできないが。

 

「失礼いたします!」

 

 ノックもなく部屋の扉が開き、伝令役らしい兵士が入ってくる。

 緊急事態のためか、参謀長も咎めることなく報告を促した。

 

「追加の報告です。聖王女陛下が全ての国民に対し厳戒態勢を取る国家総動員令を発令。早急に軍を纏め、陛下御自ら聖騎士団、神官団を率いてこのカリンシャを目指して既に出立したとのことです」

 

 伝令の言葉に参謀長はグスターボに目を向ける。

 その視線を受けたグスターボは、改めて己が忠義と正義を誓った主は素晴らしい御方だと確信しながら強く頷いた。

 そして──

 

「これで我々のすべきことは決まったな。陛下がいらっしゃるまでなんとしても時間を稼ぐ。ある程度稼げれば砦に残った兵力も追いつくはずだ。陛下のご到着と時を合わせれば、挟撃にて亜人どもを一網打尽にできる」

 

「しかし、どうやって」

 

 再び最初の問題に戻る。

 個人で城門を破壊できる者を相手取り、如何にして軍が到着するまでの時間を稼ぐかを考えなくてはならない。

 

「……城壁で待ち受けているだけでは確実に城門は突破される。ならば、こちらから討って出るしかない」

 

「それはつまり、都市外の平原で十万の亜人軍とぶつかり合うと?」

 

「そうだ」

 

 無謀も良いところだ。

 人間より遙かに強力な亜人を相手に小細工の通用しない平原での戦い。

 カリンシャにいる軍士だけでは数の上でも勝ち目はない。

 ここにいる者たちにもそれが伝わったのだろう、場に暗い空気が満ちていく。

 

「それしかないならそうしましょう。我々は軍士、この国を守るために命を張るのが仕事であり、使命でしょう。それに我々が全ての亜人の足止めをする必要はない。そうですよね?」

 

 そんな空気を払拭し、兵士たちを鼓舞するためにグスターボは立ち上がり声を張りながら、参謀長に言う。

 

「その通りだ。我々の狙いはあくまでも敵の首魁ただ一人。奴らが脅威なのはあくまでも城門を破壊する力を持った亜人の首魁の存在あってこそだ。そのものさえ打ち倒せば、カリンシャは落ちない」

 

 そう。一見無謀この上ない参謀長の策だが、目的をただ亜人の首魁を打ち取るという一点に絞れば可能性はある。

 軍に匹敵する力を持った個人は確かに存在するが、そうした者であっても長時間戦い続ければ体力は低下し、致命的な一撃(クリティカル)などで僅かずつでもダメージを与え続ければ倒すことはできるからだ。

 

 魔法などで大人数を一度に倒せる魔法詠唱者(マジック・キャスター)や、体力低下の無いアンデッドなどならばともかく、亜人の首魁である以上、相手も亜人である可能性が高い。そして拳による攻撃を得意としている者ならば、どれほど強大な相手だろうとこの都市にいるすべての軍士が一丸となり戦いを挑めば、勝ち筋はある。

 

 仮に倒せずとも、最低限門を破壊する術を使えないようにさせればいいのだ。

 報告書には、城門を破壊したのは素手での一撃などと記載されていたが、流石にそれは荒唐無稽すぎるため、何らかの魔法や特殊技術(スキル)を駆使した上で、レメディオスの持つ聖剣のような伝説級のマジックアイテムなどを使用したのではないかと推察されている。

 聖剣にも一日一度しか使えない大技があるように、そうした技は殆どの場合、回数制限がある。

 その技を城門にではなく自分たちに向けさせて、使用回数を使い切らせればいい。

 

「そ、そうですね。それなら」

「首魁さえ打ち取れば、纏まりのない亜人共のこと。同士討ちを始めるかもしれませんしね」

「やりましょう。我々の手でこのカリンシャを、いえ、聖王国を守りましょう!」

 

 徐々に声が広がり、狭い会議室に熱気が帯びていくが、それはグスターボの鼓舞に乗ったというよりは、ある程度現実的な案が出たことで、微かに見えた光明に縋っているようにしか見えない。

 レメディオスならば作戦のことなど知らずとも、言葉だけで兵士たちを鼓舞できたに違いない。この辺りが自分とレメディオスとの格の違いだ。

 

「ですが、その作戦が成功したとしても、恐らく我々の軍はほぼ壊滅します。それでは籠城に割く戦力が足りないのではないでしょうか?」

 

 ふいに一人の参謀が声を上げる。

 必死になって気力を振り絞っているこの場に水を差すのは心苦しいのか、恐る恐るといった様子だが、その言葉には一理ある。

 上手く敵の首魁を倒せたとしても、数で圧倒的に劣る自分たちを残る十万の亜人軍が見逃すはずがない。取り囲まれて全滅するのは目に見えている。

 そうなった際、籠城の指揮をどうするのかという問題だ。

 

 籠城はあくまでも聖王女率いる聖王国の本軍が到着するまでのわずかな間だが、それでも敵を近寄らせないためには、矢による牽制や、城壁を上ろうとする者を打ち落とす者が必要であり、城壁の上には多くの兵を配置しておかなくてはならない。

 しかし、そちらに兵を割けばただでさえ少ない軍を二つに分けることになるので、共倒れになりかねない。

 

「……確かにそちらに割く余力はない。だからこそ、ここは民の力を借りるしかない! まずは彼らを説得しよう」

 

 確かに軍士だけで頭数が足りないのであれば、都市内の国民を徴兵するしかない。

 幸いにも聖王国の民は、徴兵制によって成人であれば誰もが戦う術を身につけている。

 聖王女の国家総動員令も発令されているのだから、断ることは出来ないはずだ。

 

「民の力、なるほど。ですが全員を集めて連絡している余裕はありません、先ずは都市の顔役となっている何名かには話を通し、それぞれの下に徴兵して臨時の隊を作るべきでしょうね」

 

 先ほど問題点を提示した参謀が納得したようにうなずき、早速とばかりに広げられた地図を前に、カリンシャで有名な市民たちの名を挙げ始める。

 

(しかし、国家総動員令が発令したとはいえ、正式な布告官が来たわけでもない状況で、民が大人しく従ってくれるだろうか?)

 

 そもそもグスターボを始めとした聖騎士にとって、民はあくまでも守るべき対象で在り、積極的に戦いに駆り出すべきものではない。

 それしか方法がないのも理解しているが、だからこそ民たちが、危険の大きいこの戦いに参加してくれるのか甚だ疑問だ。まだ時間はあるのだから、その前に逃げ出そうとしても不思議はないのだ。

 それでも聖王女本人でなくとも、それこそレメディオスや聖王国に五人しかいない将軍職に就く者たちのような、一般にも名の知れた者ならば民衆を鼓舞して戦いに駆り立てられたかもしれないが、ここに残っているのは自分を含め一般市民からすれば、名も知らぬ一軍士でしかない。

 そんな自分たちの説得を、民が受け入れてくれるだろうか。

 

 ちらりと参謀長を窺うと、部下たちが都市で名の知れた顔役を挙げている中、眉間に皺を寄せて腕を組んで考え込んでいた。

 参謀長もまた、グスターボと同じ疑問に行きついたに違いない。

 その上でどうやって説得すればいいのか考えているのだ。

 

「後は……最近噂になっている顔なしの伝導師が率いる団体でしょうか」

 

 そんな中、参謀の一人が告げた言葉を聞いた瞬間。

 グスターボの脳裏に、自分がここにきた目的である教団と、既に多くの人々の心を集めていたあの少女の顔が思い浮かんだ。

 

 

 ・

 

 

 突然の亜人襲来の報に加え、以前王都で顔を合わせたことのある聖騎士団副団長グスターボ・モンタニェスから自分に会いたいと告げられたことで、ネイアの緊張は限界に達していた。

 それも呼び出されるのではなく、グスターボの方からネイアが常駐している宿に来るとなればなおさらだ。

 それでも怖じ気付きそうな気持ちをバイザーで隠し、ネイアは会談に応じることにした。

 

 グスターボが何の話をしようとしているか、何となく想像がついていたからだ。

 恐らく、ネイアたちを亜人との戦いに参加させようというのだろう。

 あの鐘は亜人がカリンシャ近くまで現れたことを示すもの。

 つまり城壁が突破されたということだ。

 それを迎え撃つのならば、兵がいくらいても足りない。ネイアたちの団体の理念を知っているグスターボならば、戦いに参加させようとするはずだ。

 そこまで考えて、ふと心配事が思い浮かぶ。

 

(……お父さん)

 

 ネイアの父であるパベルは現在、城壁守護の任に就いていた。

 もし亜人と正面から激突したのならば、正直生存は難しい。

 父の性格上、母や自分がいる聖王国の地に亜人を踏み込ませてなるものかと、最後まで戦い続ける様が容易に想像がつくからだ。

 

(今は考えるな。それより私のことだ。今度こそ、逃げずに戦ってみせる)

 

 父のことを考えないように無理矢理気持ちを押し殺し、代わりに二年前スラーシュに襲われた時のことを思い出す。

 あの時は戦うこともできず、神に祈るしかなかったが、今は違う。

 気合を入れなおす意味で、腰に下げた短剣の柄に手を伸ばした。

 これはネイアがまだ小さい頃、聖騎士を目指すと告げた際に練習用として母から譲り受けたものだ。

 実家に置いてきたと思っていたが、いつの間にか荷物の中に紛れ込んでいたのだ。

 

 そのまま短剣の柄をキュッと握りしめる。

 これは不安を感じた時にする癖のようなものだが、今回ばかりはそれだけでは心が落ち着かず、それどころか僅かに手が震えていることに気付いた。

 

(違う。これは怯えているんじゃない)

 

 自分に言い聞かせるように、心の中で何度となく唱え続けるネイアの肩に、優しく手が乗せられた。

 振り返るとそこには、いつもの慈愛に満ちた笑みを浮かべるクレマンティーヌの姿があった。

 

「大丈夫ですよ」

 

 クレマンティーヌには、スラーシュとの一件やそのときネイアが戦えなかったことも話している。

 他の団員たちの目もあるためか、はっきりとは言わなかったが、それだけで彼女の気持ちは伝わった。

 ネイアは一つ頷くと柄から手を放し、代わりに拳を握り締めた。

 宿の主人に案内されたグスターボが現れたのは、手の震えが止まったのとほぼ同時だった。

 

 

 

「つまり軍士の方々はほぼ全員で平原に出て亜人とぶつかるため、城壁に配置する戦力として多くの民が必要ということですか?」

 

 グスターボの話は凡そネイアの考えた通りだったが、作戦内容だけは全く想定外のものだった。

 様々な情報が一気に入り込み、上手く考えを纏めることのできないネイアの代わりに、元軍士である仲間の一人が口を開く。

 

「ええ。先も言ったように亜人の数は十万を越える大軍。当然正面からぶつかっても勝ち目はない。そこで我々は標的を敵の首魁に絞ります」

 

 誰も口は開かないが、視線に懐疑的な物が含まれる。しかし、グスターボはそれを無視して続けた。

 

「城門を破壊できる者さえいなくなれば、亜人どもは通常の攻城戦を採るしかない。陛下たちが軍を率いてカリンシャに到着するまでならば、頭数さえ揃えば民たちだけでも十分時間が稼げると考えている。君たちにはその先頭に立ってもらいたい」

 

 グスターボの言葉を最後まで聞いてから、教団の中枢メンバー──聖騎士や元軍士、最初期から協力してくれた者など──は改めて顔を見合わせる。

 確かに難しい戦術などは必要ない城壁の守護なら、専属軍士でなくとも、戦い方を学んでいるネイアたちだけで対処できるだろう。だが仮に侵入を許せば都市そのものが相手に奪われる危険もあり、そうでなくても都市自体が大きな打撃を受けるのは明白。

 そもそも、如何に十万を超える亜人の軍を従えた強者といえど、常識で考えれば単独で城塞都市の頑強な城門を破壊する力など存在するとは思えない。

 そんな本当にいるかも分からない者を前提とした作戦ではなく、軍士を含めた全員で籠城するべきではないのか。彼らの視線がそう言っている。

 

 だが、ネイアは違う。

 圧倒的強者である亜人の王すら一撃で下す本物の強者。

 世界にはそうした絶対的な力を持った者が存在することを彼女は知っている。

 同時に、たった一人で複数の亜人部族を纏めあげて軍を作り出したという首魁の存在が気になった。

 

「あ、あの! その亜人の首魁とはどのような外見をしているのでしょう?」

 

「外見?」

 

 能力や本当に実在するかなどではなく、第一に外見を聞くネイアをグスターボは不思議そうに見つめるが、直に気を取り直したように話し始める。

 

「種族は不明だが、大きさや体型は人間に酷似しているそうだ。仮面を付けているため顔は分からないが、髪は白く、執事服に似た衣装を纏っている。そして……信じられないだろうが、城門を破壊したときは素手の一撃によるものだと報告を受けている」

 

 それを聞いてネイアは僅かに胸をなで下ろした。

 服装や白髪、そして素手での破壊。

 どれもネイアを救ってくれたあの騎士の特徴とは一致しなかったからだ。

 自分の信じた正義そのものである騎士が、亜人の首魁などでは無かったことに安堵する。

 

「素手、ですか? まさかそんなことあり得ません」

 

 ネイアとは対称的に、元聖騎士の一人が引きつった声を上げる。

 この中で最も亜人の生態や強者の上限を理解していることもあり、武器も持たず素手の一撃で城門を破壊したなど信じられないのだろう。

 そんな聖騎士に、グスターボはジロリと責めるような目を向けた。

 その視線に射抜かれ、身を固くする。

 聖騎士団時代に何かあったのだろうか。

 ネイアが考えた矢先、グスターボはふっと表情を崩すと小さく肩を竦めた。

 

「分からんぞ。我らが団長殿ならば、あるいは出来るかもしれん」

 

 明らかな軽口に、元聖騎士の二人は顔を見合わせてから苦笑した。

 

「そうですね。カストディオ団長ならやるかも知れませんね」

 

 合わせるように笑ってから元聖騎士は顔を引き締めて、グスターボの顔を正面から見据えて告げた。

 

「まあ、今のところ軍部の推察としては、武技や特殊技術、魔法などといった要素に加え、伝説級のマジックアイテムなどを併用するなどの、回数制限付きの手段だと見ている。だからこそ、たとえ首魁を討てずとも最低限使用回数だけは使い切らせてみせる。我々の命を賭してでもな」

 

 命を賭してでも。聖騎士らしいその言葉には気迫と覚悟が籠っていた。

 弱者のために命を賭ける聖騎士の矜持は、かつてネイアが持ちえなかったものだ。

 

「モンタニェス副団長、我々は──」

 

「おっと。その話は後だ。私もお前たちに言いたいことがあってここに来たが、今はそれどころではない。話は聖王女陛下がいらしてからその御前でするといい。それまで生き残れよ」

 

「はっ!」

 

 力強い返事に満足げに頷いてから、グスターボは改めてネイアに顔を向けた。

 

「どうだろう。非戦闘員は当然逃がすことになるが、徴兵を受けた者は基本的に参加させるつもりだ。しかし、訓練を受けていても実戦経験の少ない者たちでは戦う気概を持つことがなにより難しい。君たちが率先して動いてくれれば後に続く者も出てくると思うのだが」

 

 グスターボの言葉に、ネイアはほんの短い時間考えを巡らせるが、答えなど決まっている。

 自分が目指した正義。それは国民一人一人が戦う力を持ち、皆で国を守るのが基本的な考え方だ。

 たがらこそ、自分たちが戦いに出向くのは当然のことであり、その覚悟は出来ている。

 

「分かりました。私たちも協力します」

 

「そうか! それは良かった。では早速で悪いんだが、君たちの教団以外の市民たちにも広く呼び掛けて欲しい。既に例の広場に人を集めるように言ってある」

 

「え?」

 

 戦いに出ることだけではなく、民衆の鼓舞という役割を押し付けられたことに今更気づき、ネイアは思わず言葉を失った。

 




実際問題として、個人で城門を破壊できるような戦力がいたら、籠城なんてできないよねという話です
本当はもう少し話を進めたかったのですが、状況説明や作戦やらを入れると、どうしても話が長くなってしまいますね
次はこの続きのネイアの演説シーンからになる予定です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第36話 戦への誘い

年末は忙しくなるので、今年の更新はこれで最後になります


 突然亜人襲来の報を聞かされて騒めく民衆の前で、ネイアが演説を開始する。

 クレマンティーヌは他の中核メンバーと共に後ろから、それを眺めていた。

 直前までは背中越しでも身体を硬くしているのが分かるほどだったが、演説を開始した途端そうした緊張は消え失せていた。

 

「皆さんももうお聞きのことと思いますが、現在このカリンシャに向かって、亜人の大軍が押し寄せています」

 

 堂々たる語り口はバイザーで顔を隠すことで緊張を緩和していることや、単純に慣れの問題もあるが、同時にネイア自身の資質、つまりは伝道者としての才が目覚めつつあるためだろう。

 

「私たちは以前からこうした状況を危惧してきました。確かに聖王国の総力を結集して造られた城壁を含んだ要塞線は、これまで何度となく襲来してきた亜人部族を撃退してきた、いわば鉄壁の防御です」

 

 一度言葉を切り、溜めを作ってから再度語りかける。

 

「ですが、どんな場合でも例外は存在します。今がまさにそうです! そんなとき、私たち民はただ祈っていればいいのでしょうか? いいえ違います。私たちは徴兵という形で訓練も行っており、戦う力があります。今こそ私たちが立ち上がり、共にこの都市を守るべきなのです!」

 

 その言葉に、群衆の騒めきが大きくなった。

 ここに集まっているのは団員ではなく、グスターボの命により集められた民衆なのだからそれも当然だ。

 中には以前に何度となく講演を重ねたことでネイアのことを知っている者も居るだろうが、殆どの者は民衆に降りてこない詳細な情報を教えてくれるのではないか、と期待して集まった者ばかりでネイアやその団体が掲げる理念や正義も知らないのだ。

 突然戦おうと言われても素直に聞くはずがない。

 

「馬鹿げてる! 相手は十万の大軍なんだろう!? 勝てるわけがない。さっさとここを離れて別の都市に逃げ出せばいい」

 

 そうした者たちを代表するかのように、一人の男が声を張り上げる。

 十万の軍勢云々についてはまだ一般市民に情報が降りていないはずだが、ネイアたちの下にグスターボが現れたように、この都市の主要な顔役の下には他の軍士が協力を仰ぎに向かっているそうだ。

 

 そんな状況では完全に情報を隠すことはできず、真偽不明の断片的な情報のみが拡散し、民衆はどれが正しいのかも分からなくなっている。今回はたまたま正しい情報を手に入れた者が紛れていたということだ。

 

(さてさて。うまく躱せるかな)

 

 グスターボから頼まれたネイアの役割は、この都市の市民たちを纏めあげて戦いに扇動すること。

 ここであの男の言葉を肯定してしまえば、逆に市民たちは逃げる方向に流れかねない。

 そうなってはネイアが聖王国の理念である、国民全員が戦う力を得て国を守るために徴兵制を敷いていることを説いても無駄だ。

 

 そもそもこの中で実際に亜人と戦った者はどれほどいるのか。

 徴兵された者は全員一定期間城壁に配属されるが、城壁に亜人が襲来するのはひと月に一度か二度、それも一回当たり数十人ほどの規模。全長百キロにも及ぶ城壁に複数存在する小砦に配置された場合、精鋭が到着するまでの時間稼ぎとして遅滞戦闘に一度か二度参加したことがある者が殆どのはずだ。

 国のために戦う覚悟などできているはずもない。

 

 十万という数には触れずに話を進めるのが簡単だが、その場合、いざ真実を知った時に役立たない可能性もある。

 つまり、敵が十万の亜人軍という事実を認めた上で、市民を鼓舞して戦いへと向かわせる必要が出てきたわけだ。

 ネイアにそれができるのか、クレマンティーヌはお手並み拝見とばかりに彼女の様子を見守ることにした。

 

「……今、そちらの方がお話しになられた、ここに向かってくる亜人軍の数が十万を超えるという話は──事実です」

 

 慌てる様子もなく、ネイアはきっぱりと言う。

 むしろ隣に立つグスターボの方が、バカ正直に認めたネイアに、本当に大丈夫なのか、とでも言いたげな視線を送っているほどだ。

 

「やっぱり! いつかのスラーシュが入ってきたときでも、数十匹程度で、いくつもの村が壊滅したって聞くぞ。それが十万なんて!」

 

 その言葉で、ネイアが一瞬怯むように身を固くした。

 恐らくネイアが反応を示したのは、彼女自身がかつてスラーシュに襲われ、その強さを認識していることと、そのときに助けてくれた例の騎士のことを思い出したからなのだろうが、それを知らない群衆からは単にネイアが臆したように見えるはずだ。

 それはほんのわずかな動きだったが、皆の不安が膨らみ、全員の目がネイアに集まっている今、感情を爆発させるには十分だった。

 

「早く逃げ出さないと!」

「バカを言うな! 今更別の都市で暮らせるか。住む場所も仕事も無くなるんだぞ!」

「そんなの、命あってのものでしょう!」

「いや、いくら十万の亜人でも、このカリンシャを簡単に攻め落とすことなんて出来ないだろう? 別の都市から軍が派遣されるまで持ちこたえれば」

「ここよりもっと頑丈な城壁を突破されているんだぞ!」

 

 破裂した不安と恐怖は、人々をパニックへと走らせる。

 

(んー。やっぱりまだ無理だったか)

 

 ネイアに人を纏める力というか、そうした資質があるのは理解しているが、やはり経験不足は否めない。

 クレマンティーヌの選択はもう決まっているので、この場がどうなろうと関係ないが、少し予定を早めた方がいいかも知れない。そう考え直したとき、ネイアが動いた。

 彼女は慌てた様子も見せず、背中に掛けていた弓を手に取ると、矢をつがえながら、くるりと後ろを振り返った。

 同時に、クレマンティーヌと一瞬目が合う。

 

(お。そう来るか)

 

 彼女の狙いに気付いて感心しながらも、それは態度に出さず僅かに首肯すると、ネイアもまた頷き返す。

 

「バラハ嬢?」

 

 隣のグスターボが再び慌てたような声を出す中、ネイアはつがえた矢の先端を斜め上に向け、そのまま弓を放った。

 風切り音を後ろに残しながら一直線に突き進んだ矢は、彼女の狙い通り初めに亜人襲来を告げた見張り台に設置された鐘にぶつかった。

 

 熟練した弓兵が魔法の弓矢を使用すれば、金属でも容易に貫くと聞いたことがあるが、ネイアの弓はそこまでの品ではなく、そもそも彼女の腕も大したことはない。そのため、鐘を打ち抜くことはおろか大きく揺らして、中の分銅とぶつかり合わせて鐘を鳴らすこともできずに、矢尻と鐘がぶつかって周囲に澄んだ金属音が鳴り響くに留まった。

 

 しかし、この場合はこれで良い。

 下手に都市内に響くような大きな音を鳴らせば、予定より早く亜人が現れたのだと勘違いされかねない。

 この周囲にいる者たちの注意を集めるための行動としては十分だ。ネイアも元からそのつもりだろう。

 案の定、元より民衆が鐘の音に敏感になっていることもあって、集まった者たちは一斉に視線を鐘に向け、同時にネイアが弓でそれを鳴らしたことを理解して改めて彼女に視線を向けなおした。

 やがて鐘の音が静まってから、ネイアは再び口を開きなおす。

 

「皆さん。落ち着いて下さい、確かに今カリンシャに向かっている亜人は強力で数も多い。少なくともこの都市に駐留している軍士では、数だけ見ても勝ち目はありません」

 

 きっぱりと断言する。

 そもそも国内の軍士はその大部分が城壁守護の任に就いているため、都市内の防衛に回っている戦力は少ない。

 正確な数はクレマンティーヌも知らないが、一万も居ないだろう。

 ただでさえ、人間より強い亜人を相手に、十倍の戦力差。

 加えて相手は堅牢な城門を突破する術を持っている。ますます勝ち目がないと言っているようなネイアの言葉に再び騒めきが広がりそうになるが、その前にネイアは言葉を重ねた。

 

「ですが! この都市にはまだ私たち市民がいます。この都市で戦える市民の数は、亜人より少ないでしょうか? 亜人より弱いでしょうか? いいえ。私はそうは思いません。少なくとも今この都市を救うために、自らが兵を率いている聖王女陛下の軍と聖騎士団が到着するまでの時間を稼ぐことぐらいはできるはずです」

 

「陛下がいらしているのか!?」

 

「そのとおりです! 私は聖騎士団副団長、グスターボ・モンタニェス。陛下は既に国家総動員令を発令し、聖王国全土から兵をこの都市に向かわせつつあります。ですが、亜人到着まであと三日もない。陛下がご到着されるまで最短でも五日はかかるでしょう。それまで何としてもこのカリンシャを落とすわけにはいかないのです。もちろん私も含めた軍士が一丸となって戦いますが、それでも力が足りない。是非とも皆さんの力をお借りしたい!」

 

 ここぞとばかりにグスターボが声を張り上げ、聖王国の紋章の刻まれた聖騎士団専用らしい剣を掲げてみせた。

 聖王国最強の聖騎士団が援軍に向かっていることに加え、国家総動員令が発令された事実に、民衆の騒めきが恐慌じみたものから、困惑めいたものに変わっていく。

 

(後一押し、かな)

 

 心の中で呟いたクレマンティーヌに応えるように、最後の一押しをネイアが行う。

 

「逃げ出すことは簡単です。ですが、そうなったとき、この都市は亜人に占拠されます。そして亜人たちは私たちの住むこの都市を拠点にして聖王国軍を迎え撃つことになるのです。それでいいのでしょうか? 大切な人たちを守るために訓練を重ね、誰もが戦う力を持ち、亜人たちの侵略にも決して屈しない。それこそが私たち聖王国の民の誇りではないでしょうか? 私はそう思います。たとえこの戦いで死ぬことになったとしても、大切な人を、生まれ育った大切な土地を守るために、私は戦います!」

 

 軍士や聖騎士でもなく、ここで話を聞いている者の中でもかなり若い、まだ徴兵される年齢にも達していない少女自らが戦いに出向くときっぱり告げる。

 この時点で、もう殆ど大勢は決まったようなものだ。

 

「私は共に戦って下さる方を求めます。全員である必要はありません。戦うことのできない非戦闘員の方々には事前に避難していただきます。その方々を守るためにも、聖王女陛下がお越し下さるまで時間を共に稼いでくださる方を私たちは求めています。どうか、どうか皆さんご助力をお願いします!」

 

 言葉と共に深々と頭を下げる。

 騒めきが収まり、一瞬間が空いた。

 

「……そう、だな。カリンシャは俺たちの都市だ」

「そうだ! ここを薄汚い亜人どもの巣なんかにしてたまるか」

「それが子供たちを守ることに繋がるって言うなら、しかたねぇな」

 

 徐々に賛同の声が広がり始める。

 

(はい。決まりー)

 

 最後の最後で非戦闘員、つまり女子供を逃がしても問題ないことをほのめかし、そうした者たちを助けるために必要なことだと言い切る。

 これで徴兵に参加して戦う力を持ったものたちは自分の家族を守るという、命を懸けられるだけの大義名分を得ることになった。

 賛同の声は歓声となり、広場中に集まった熱気が一気に吹き出す。

 どこまでが計算なのか、それとも全て天然なのかは知らないが、やはりネイアが人を扇動する才能に目覚めているのは間違いない。

 それは恐らくクレマンティーヌが布教を続けたことで手に入れた、人の思考を誘導する特別な力と同種のもの。

 まだまだ拙い話術や演出でここまで人を乗せることができたのも、その力によるところが大きい。

 それだけに残念だ。

 

(絶対勝ち目無いし、ここで全滅か。あーあ)

 

 グスターボから聞かされた亜人軍総大将の力は、明らかに人が想像できる範囲を超えている。

 グスターボを始めとしたこの都市の軍士たちはそれが誇張された表現であり、城門を破壊したのも何か特別な魔法やマジックアイテムなどの力によるものだと信じているようだが、クレマンティーヌは前職柄、そうした逸脱した力を持った者が実在していることを知っている。

 いくら伝説の武器やマジックアイテムだろうと、それは扱う者の力量に左右されるものだ。

 

 つまり、その亜人の総大将は、最低でも英雄級、いや。逸脱者級の実力を持っているに違いない。

 そんな相手が強力な武器を持ち、十万の亜人を率いているとなれば、グスターボたちに勝ち目はなく、カリンシャの城門は簡単に突破されることとなる。

 

(ネイアはもったいないけど。私も自分の命が一番大事ってね。悪いけど、逃げさせてくれよ」

 

 途中から心の中で考えるだけではなく、声となって出ていたが、流石にこの大歓声の中では聞こえてはいないだろう。

 歓声を受けながら嬉しそうに何度も頭を下げているネイアから目を背け、クレマンティーヌはその場からそっと立ち去った。

 

 

 ・

 

 

 未だ情報が錯綜して混乱のただ中にある都市内を、ネイアは父譲りの鋭敏な感覚を尖らせながら走っていた。

 慌てすぎているせいか、幾度か人にぶつかりそうになるが、相手はネイアの顔を見ると何も言わずに顔を逸らすため、文句を言われることもなく、余計な手間もかからない。

 

 多くの人の前で演説をしたことで、あのバイザーそのものが覚えられてしまい、素顔の方が逆に目立たないと思ってのことだったが、別の意味で幸いした。

 今は一分一秒が惜しい。

 早くクレマンティーヌを見つけださなくてはならないのだから。

 

 逃げさせてくれよ。

 

 ネイアが壇上で聞いたあの言葉。

 群衆の歓声に混ざって聞こえたその声は、普段とはまるで違う雰囲気、声色だったのにも関わらず、ネイアにはそれがクレマンティーヌの声であり、なおかつ彼女の本音なのだとすぐに分かった。

 

 正直、驚きよりもああ、やっぱり、という思いの方が強かった。

 別に彼女のことを疑っていたわけではない。

 体が弱いと言ったことも、だから訓練には出ず、いつも日の光を避けるためにフードを被っていることも、すべて本当のことだと信じていた。

 

 けれど、彼女にはいつも小さな違和感が付きまとっていた。

 他国で生まれ、家族も亡くして天涯孤独、そんな彼女が知己もいない聖王国に来たこともそうだが、なにより、現在の聖王女が掲げる弱者救済の恩恵を受けようとしないことだ。

 現在の聖王女が即位してからの政策は、生まれながらに体の弱い彼女のような人を救うためのものも多い。

 

 なのに彼女はそうした自分にとって有利な政策に真っ向からぶつかるネイアの掲げた正義に感銘を受け、より多くの人に布教している。

 もちろん、そうした政策の恩恵を受けることで、己が社会的弱者であると認識してしまうことを嫌がり、あえて反発する者もいるだろうが、ネイアの知るクレマンティーヌはそうしたタイプではない。

 

 体の弱い彼女を気遣って周囲の者たちが手を貸すと、それを感謝と共に素直に受け取り、その上で自分にできる限りの恩返しを行う。

 そうした謙虚さに周囲の者たちは、また彼女に手を貸して、更に人の輪を広げていく。

 それがクレマンティーヌという聖女がごとき慈悲深さを持った女性の力。

 

 だが、それはネイアの信じる強さを前面に置いた理念ではなく、聖王女の正義の下で一番力を発揮するものだ。

 クレマンティーヌがそのことに気づいていないはずがない。

 それなのに、彼女は王都を離れるときもネイアに付いてきてくれた。

 そのことがずっと心のどこかに引っかかっていたのだが、それを指摘することで姉も同然の彼女が自分から離れていくのが怖かったため、ネイア自身見ない振りをしていたのだ、と今更気づかされた。

 

 けれど、それも終わりだ。

 演説を終えて、ネイアたちが一度準備を整えるために宿に戻ったとき、既にクレマンティーヌの姿はなくなっていた。

 仲間たちはまだそのことに気づいてない。

 

 いや、無条件でクレマンティーヌのことを信じている彼らは、彼女が都市の各地にいる団体の仲間たちに声を掛けて回っているのだと勝手に推測していたようだが、あの言葉を聞いていたネイアは彼女がこの都市を離れるために動き出したのだと分かって、慌てて宿を飛び出したのだ。

 

 この都市は広いが、彼女の行き先には見当が付く。

 既に準備のできた非戦闘員が、亜人軍が迫っている城門とは逆の、西側の城門から都市外に移動を開始している。

 そこに紛れてこの都市を出ていくつもりだ。

 

 ようやく西門付近にたどり着くと、そこにはネイアの想像以上に多くの人たちが集結していた。

 基本は非戦闘員、つまり子供や老人などだが、中には父親も含めた家族全員で出ていこうとしている者たちの姿もある。

 グスターボは訓練を受けた者は基本的に参加させると言っていたが、今のところ国家総動員令が正式に発令した確証もないため、逃げるのならば今のうちだと思っている者も多いのだろう。

 それは仕方のないことだし、ある意味ではネイアの力不足によるものでもある。

 思わず彼らから身を隠すように、道の端に移動して壁に背を預けると、突然その背後、建物と建物の間にある細い路地の奥から声が掛かった。

 

「そんな隠れなくても。気にしなくて良いよ。ネイアは良くやってるってー」

 

 おどけたような口調の声。

 そんな話し方をしているのは一度も聞いたことのないが、直ぐに誰のものか分かった。

 

「クレマンティーヌさん……っ!」

 

 振り返ると、そこにいたのはやはりクレマンティーヌだったが、少なくともネイアの知る彼女からはかけ離れた姿だった。

 フード付きのマントはいつもの白ではなく、薄暗い路地裏に溶けるような漆黒のものに変わり、口元に浮かんでいるのは慈愛に満ちた聖女のそれではなく、肉食獣を思わせる凄惨な笑み。

 なにより煌めくような紫の瞳は、どこかこの状況を楽しんでいるように見えた。

 好奇心も孕んだその瞳は、壇上と先ほどとで二度聞いた、粗暴で軽快な言葉遣いにも良く似合っている。

 

 その姿を見て、ようやくネイアは確信することができた。

 今までネイアが見ていた、慈愛の聖女の姿は偽りであり、この姿こそが本当のクレマンティーヌなのだと。

 

「あんな小さな声聞き取るなんて、お姉さんちょっと驚いちゃった。過小評価してるつもりはなかったんだけどなー」

 

 確かにあの混雑の中でクレマンティーヌの声が聞き取れたのは父譲りの聴覚によるものだが、ネイアとてすべてが聞き取れるわけではない。

 あくまで、演説に気後れしていたネイアが、クレマンティーヌを心の支えにするために演説をしながら意識を彼女に集中していたからこそだ。

 けれどそれは言うつもりはない。

 言ってしまったら、ネイアがここにきた目的を果たせなくなりそうだ。

 

「クレマンティーヌさんの声が良く通るからですよ」

 

「んー。美声も考えものってところかー」

 

 おどけたままそう言ったクレマンティーヌは、一瞬周囲に目を配らせたてから僅かに声を低くして本題に入った。

 

「で? なんの用? 聞いていたなら分かってるよねー。これが本当の私。慈愛とか聖女とか、正義とか。そんなものに興味ないんだよね。ただ安全な隠れ蓑が欲しくてアンタたちを利用しただけ。けど、もう安全でもなくなったからここで手を引かせてもらう。それだけ」

 

 つらつらと言葉を重ねている様が、どこか言い訳をしているように見えるのは、ネイアの願望がそう見せているのだろうか。

 彼女自身、今の状況に納得しきれていない。そう思いたいのかもしれない。

 だからこそ、ネイアは予定通り考えていた言葉を告げる。

 

「分かってます。クレマンティーヌさんはこのまま逃げてください」

 

 クレマンティーヌの言葉を遮って告げたネイアに、彼女は一瞬目を見開いてから、スッと瞳を細める。

 そうしているとますます野生動物のようだ。これは警戒の色だろうか。

 

「……言われなくても逃げるけどさー。いいの? せっかく都市が纏まりかけたのに。強くなって力を正しく使うことこそが正義って団体の広告塔だった私が逃げたなんて知られたら、あれがもっと増えるかもよ」

 

 あれ。と言いながら指さすのは先ほどネイアも見ていた、都市を脱出しようとしている者たちだ。

 確かにクレマンティーヌはその献身的な奉仕と、熱心な布教、二つの活動によってこの都市に来ていくらも時間の経たないうちにある種、団体の顔を超え都市の顔となるほど名が知られている。

 

 少なくとも団体の頭首でありながら、常にバイザーで顔を隠しているため、顔なしと呼ばれているネイアなどより遙かに影響力は強い。

 彼女が戦えないことは皆が知っていたが、それでも逃げ出すようなことはせずに、都市に残って後方活動に殉ずる。

 団員も含め、彼女を知る者は誰もがそう考えているに違いない。

 そんなクレマンティーヌが皆を見捨てて逃げ出せば、ただでさえ混乱の中にあるカリンシャに大きな衝撃となって広がり、脱走者をより増やす結果となる。

 そんなことは分かっている。

 だから、ネイアはここにきたのだ。

 

「はい。ですからクレマンティーヌさんは、自分の意志で都市を出るのではなく、頭首であるこの私の命令で無理矢理この都市から追い出すんです」

 

「どゆこと?」

 

「モンタニェス副団長には悪いですけど、亜人の首魁はきっと誰にも止められない」

 

 この都市に残った軍士は指揮を執るための僅かな人員を除き、ほぼ全て亜人の首魁を討つための特攻隊に参加する。

 その中には聖騎士団副団長のグスターボも含まれている。

 数千を超える軍士が一丸となってただ一人の敵を討つために動くのだ。

 如何に亜人軍の首魁とはいえ、時間をかければ討ち取るか撤退させることはできる。

 

 皆そう考えているのだろうが、ネイアは違う。

 確かに数は大きな力となりうるが、父を含めた中央砦の精鋭を倒して、城門を突破したその力は本物であり、そうした本物の力の前では数など何の役にも立たないことを知っていた。

 きっとグスターボたちは勝てない。

 

「だろうね。私も知ってるよ、ああいう桁を凌駕した化け物。そんな奴が攻めてくるんだから、この国はもうおしまい。聖王女も高位の信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしいけど、勝てるわけ無いでしょ。死にに来るようなものだよ」

 

「だから、貴女にお願いするんです。貴女にこの都市を出て聖王女陛下を止めて欲しい」

 

「止めるって。私にどうしろっていうのさ。国のトップが私なんかに会うわけないでしょ」

 

 その台詞は想定内だ。

 ネイアは腰に差していた短剣を抜いて、クレマンティーヌに差し出した。

 

「私が母から貰ったものです。聖騎士団の紋章が刻まれていますから、これを見せれば母は話を聞いてくれるはずです。そして母に頼めば聖王女陛下まで話を持っていくことはできると思います。慈悲深い陛下ならクレマンティーヌさんがいつもの調子で願い出ればきっと会ってくれますよ」

 

 母や元聖騎士の団員から聞いた聖王女の姿が事実なら、クレマンティーヌがいつもの聖女然とした演技のまま、カリンシャから逃げてきた者として会いたいと望めば謁見はしてくれるはずだ。

 聖騎士団側もカリンシャの詳しい情報が知りたくて仕方ないはずなのだから。

 

「……まぁ。丸腰は困るから、これはありがたく受け取るけどさー。そもそも、私の言葉なんかで軍を動かせるはずが──」

 

 少しの間、ネイアの差し出した短剣を見つめていたクレマンティーヌだったが、やがて短剣を手に取りながら告げた台詞をネイアは遮った。

 

「出来るんじゃないですか? 貴女なら」

 

 ネイアの言葉を受けて、クレマンティーヌは一度瞳を見開いてから、感心したように口元を持ち上げた。

 

「ふぅーん? それも気づいてたんだ。ま、そりゃそうか」

 

 クレマンティーヌは一人で納得しているが、正確にはこれも先ほど気づいたことだ。

 クレマンティーヌの本性を知ったことで、今まで何となく疑問に思っていたことが全て繋がったのだ。

 

 その一つが、元聖騎士の彼ら。

 ネイアは聖騎士の狂信ぶりについて良く知っている。

 母だけが特別なのかと思っていたが、父に言わせると聖騎士は皆、母と同レベルとは言わずとも誰もが狂気じみた信仰心を持っているそうだ。

 先ほどのグスターボとの会話を見ても、彼らはまだ聖騎士としての誇りを持ったままに見えた。

 その聖騎士が、たとえ熱心に布教を続けたとはいえ、あっさりと団を抜けて、ここまで付いてきたこと自体おかしなことだったのだ。

 

 その信仰心を変えるほどの何か。それはきっと言葉や行動ではない、もっと別の外的要因。

 つまり、クレマンティーヌは何らかの方法で彼らの思考を誘導して、仲間に引き込んだ。

 魔法や特殊技術(スキル)の中にはそうした力もあることは父から聞いている。

 少々思うところはあるが、正しいとか間違っているとか、そんなことはこの国が生き残ってから考えれば良い。

 改めてクレマンティーヌを正面から見据る。

 

「その力で、私の代わりに私たちの教えを、聖王女陛下をはじめとした聖王国に皆に伝えてください。今度こそ、貴女が頭首として」

 

 何度となく断られてきた言葉を繰り返す。

 ただし今度はネイアが責任から逃げるための懇願ではない。

 

「これは現頭首である私からの命令です」

 

 自分たちの正義が残ってくれれば、聖王国はまだ戦える。

 これにともない、ネイアたちの仕事は本軍が到着するまでの時間稼ぎではなく、その逆。つまりクレマンティーヌが聖王女と接触し、彼女たちが反転して王都かプラート辺りまで引き返す時間を稼ぐことになる。

 ネイアも含め、カリンシャの住民の殆どは殺されるだろう。

 それを理解した上で民衆に隠したまま戦いに扇動する。

 ネイアの決めた覚悟には、そうしたものも含まれている。

 

 きっと今回ばかりはクレマンティーヌも頷いてくれる。

 感情的なことだけでなく、これは彼女にとっても利となるのだから。

 

 城門が破壊され、いつアベリオン丘陵から亜人の援軍がくるかも分からない危険地帯となった場所を抜けて王国まで逃げることなどできず、安全な場所に行くには船を使うしかないが、国家総動員令が発令された今、出航も制限されている。

 聖王国軍に持ちこたえて貰わなくては、国外に逃げ出すこともできないはずだ。

 ネイアの言葉に、クレマンティーヌは今度こそネイアも初めて見る満面の笑みを浮かべた。

 

「クレマンティーヌさんっ!」

 

 良い返事が聞けると確信して喜ぶネイアにクレマンティーヌはその笑顔を維持したまま、きっぱりと告げた。

 

「誰がするかよ。そんな面倒なこと」

 

 

 ・

 

 

 記録していた転移ポイントである聖王国の城壁南側にある森を抜け出した悟たちは、一番近くにある大都市までの道を教えて貰うため、確実に人がいることが分かっている城壁の砦を目指していた。

 飛行用のアイテムを使ってもいいのだが、これは一つしかなく、ハムスケを抱えて運ぶのも面倒であるため、これも旅の醍醐味と徒歩でのんびりと移動を続け、ようやく城壁が遠目に確認できるようになったところで、一番近くにある城壁の小砦の挙動が慌ただしいことに気がついた。

 

「なんだか騒がしいでござるな」

 

「ああ。なんか俺たちを見て騒いでないか? 狼煙まであげて」

 

「ハムスケを見たからじゃないかな? 亜人の中には騎乗魔獣を使う種族もいるからね。それに間違われているんだよ」

 

「そ、それがしのせいでござるか?」

 

 サトルの足下からハムスケが不安げな声を出す。

 それを落ち着かせるように軽く頭をなでてやりながら、サトルはわずかに首を傾げた。

 

「しかし、俺たちは城壁の内側から来たんだぞ? あの城壁が出来てから亜人は聖王国に入ってこないんじゃなかったのか?」

 

「だから余計に慌てているのかもね。サトル、念のために幻術で顔を作っておいた方が良いかも知れない」

 

「待て待て。それなら先ず着替えないと。せっかく鎧を着込んだというのに」

 

 コンプライアンス・ウィズ・ローは本来ワールドチャンピオンしか装備できない特別な鎧のため、完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)の魔法で無理矢理装着している。

 

 戦士化の魔法を使っている間は他の魔法を使用出来ない。

 そのため、ツアーと旅をするようになってからは魔法も使えるローブと仮面を基本としていたが、今回は例の森の中で助けた親子を捜す意味でも、鎧姿の方がいいだろうと、わざわざ装着しなおしたばかりだった。

 速攻着替えのデータクリスタルの入ったローブなら一発で着替えられるとはいえ、既に注目を集めている現状でそんな目立つ真似をする訳にも行かない。

 隙を作らなくては。と改めて小砦に目を向けなおすと、どうにも様子がおかしいことに気がつく。

 

 城壁には一定間隔で小砦が存在し、そこは他の城壁より少し高く飛び出しており、見張りがしやすくなっているのだが、サトルたちからもっとも近い場所にある小砦の城壁上に多くの兵士たちが姿を見せ、その中の一人に至っては、鋸壁に足を掛けて必死にこちらに向かって何か知らせようとしているように見えたのだ。

 

「俺たちのことを敵だと思っている感じでもなさそうだな。なんかケガ人が多いようだし、やっぱり襲撃があったばかりで警戒してるのか? まだこの辺りに亜人が潜伏しているとか」

 

 目を凝らしてみようとするが、流石にこの距離では見えない。

 アンデッド特有の能力として闇視(ダークヴィジョン)があるがこれはあくまで暗闇でも昼間のように見通すことが出来るだけで、視力が良くなるわけではない。

 鷹の目(ホークアイ)や完全視覚などの別の魔法で補うことは可能だが、これも戦士化の魔法を使っている今は使用できない。

 

「私が見てみるよ」

 

 ツアーがじっと目を凝らすような動きを見せるが、この鎧はあくまで操っているだけなので、今頃あの洞窟中で本体がそうした動きをしているのだろう。

 巨体のツアーが必死になって目を凝らしている姿を思い浮かべると、こんなときながら少し面白くなる。

 

「……サトル」

 

 そんなことを考えているのが読まれたのか、ツアーが少し低い声を出したことで、悟は慌てて咳払いを入れ、平静を装いながら応えた。

 

「んんっ。なんだ?」

 

「サトルが助けたのってどんな人だった?」

 

「ん? 前にも話しただろう。森の中でキャンプをしていた三人家族だ。両親と娘が一人。母親の方はあまり覚えていないが、父親と娘がよく似ていた。特に目つきがな」

 

 思っていなかった質問だが、こちらの動揺を悟られないように、聞かれてもいないことを細かく説明する。

 するとツアーは、うーん。と一つ唸り声を入れてから悟を振り返った。

 

「それって。こう目端が吊り上がって黒目が小さい」

 

「そうそう。まさにそんな感じの殺し屋みたいな……ん?」

 

 説明しているツアーの指先が砦の上に立って手を振っている男に向けられていることに気づき、悟はようやくツアーがなにを言いたいのか理解した。

 

「思ったより早く見つかったでござるな」

 

 まだ遠くて顔までは判別できないが、男が業を煮やしたがごとく、鋸壁から身を乗り出してこちらに降りてこようとして、それを別の誰かに止められているのだけは分かった。

 

「……せっかく道中を楽しもうと思ったのにな」

 

 悟の口から思わず恨み言が漏れ出たが、その言葉に世界の守護を第一に考えるはずのツアーが、同意するように頷いてみせたのは少し意外だった。




ちなみに最後南側の砦にパベルが居たのは、中央砦でセバスに敗北後、無傷だった南北の砦の兵力を集めて亜人軍を追いかけることが決まったため、その軍を再編している途中だったからです

次の投稿は年明けの二週間後になる予定です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第37話 彼女は神を信じない

クレマンティーヌの話。
彼女が性格破綻者になったのは、生まれつきのものではなく後天的な要因によるものらしいので、命を救われその後ネイアのような真っすぐなタイプと接していれば多少は性格が矯正されるのではないだろうか。と思ってできた話です


 カリンシャが目視できる距離まで進軍した亜人たちの前に、一万弱の軍がひとかたまりとなって待ちかまえていた。

 場所はカリンシャの東側城門前。

 城門の守りを固めるのは定石ではあるが、不自然なのはそれ以外の兵がすべて城壁の上に配置されていることだ。

 

「想定以上に兵が多いようですね。いえ、あれは民兵でしょうか」

 

 デミウルゴスからの報告では、この都市の正規軍の数は万にも届かないと聞いていたが、四方すべての城壁の上に待機している者たちだけでも、表に出ている軍より遙かに多い。

 身につけている装備や、隊列の組み方などを見るに、セバスたちの前に立ちふさがっている一万弱がカリンシャの正規軍であり、城壁の上にいるのは都市内から集められた市民で組織された民兵と考えるのが自然だ。

 つまり貴重な専属の軍士を前線に出していることになる。

 あの程度の数では十万を超える亜人軍の足止めもできないのは、分かりきっているはずなのだ。

 それでもなお正面から戦いを挑むというのならば、狙いは明白。

 

「私一人を狙うつもりですか」

 

 確かにセバスさえ止めることができれば、他の亜人たちに個人で城門を破壊する術はないため、上にいる民兵だけで籠城することが可能だ。

 つまり、現地の者たちの常識からはかけ離れた力を持つ、セバスの情報を正確に伝達できていることになる。

 この世界に於いて伝言(メッセージ)や、遠隔視などの魔法による情報伝達は精度や信頼度が低いため、狼煙や早馬など原始的な方法を使って情報を伝えるのが常だ。

 そんなやり方で、セバスの力や亜人軍の進路と到達時間の予想をほぼ完璧に近い形で伝えて準備を整えていたことにセバスは感心を示しつつも、顎先に指を持っていき思案を開始した。

 

(しかし、この分では非戦闘員はすでに逃がしたと考えるべきでしょうね)

 

 この作戦でデミウルゴスからセバスに出された注文は、エ・ランテルに配置する予定の亜人軍は元より、聖王国側の戦力もできる限り消耗させずにそれ以外の非戦闘員を中心として虐殺を行うことで、抵抗する力は残しつつ怒りの矛先を亜人に集中させて、周辺国家同盟への参加を促すというものだ。

 よって本来は非戦闘員が居ないのなら、カリンシャを無視してそちらを追いかける必要があるのだが、現在聖王女率いる本軍がカリンシャに向かっているという報告も入っている。

 逃げ出した非戦闘員はそちらと合流しようとしてるはずだ。

 先に合流されると、亜人軍と聖王国本軍が戦いになってしまい、戦力の温存や周辺国家同盟参加への決定権を持っている聖王女の身にも危険が及ぶ。

 追いかけるのは得策ではない。作戦を変更させる必要が出てきた。

 

(あの城門にいる民兵を全滅させれば、納得させられますかね)

 

 本来の予定では、まだ準備の整っていないカリンシャに、十万の亜人軍全員で強襲を仕掛け、周囲を取り囲んで住民を逃げられないようにした後、セバスが城門を破壊して一気に制圧する予定だったが、ここまで念入りに準備されている状態で突撃しては、セバスはともかく亜人軍に大きな損害が出る。

 そうさせないためには、要塞線の城門を破壊したとき同様、セバス自身が突出することで突破口を開かなくてはならない。

 あちらの狙いもセバスだけである以上、己が突出すれば兵たちは一斉にこちらに向かってくるはずだ。

 たとえ一人でも階層守護者にも匹敵するセバスの実力を以てすれば、一万弱の兵士など障害にもならない──多少時間は掛かるだろうが──その後セバス自ら弱者である城壁上の民兵を手に掛ければ、自身に掛けられている嫌疑を晴らすことにも繋がるはず。

 そこまで考えて、はたと気づいた。

 

(まさか、初めからこうなることを見越して?)

 

 デミウルゴスから渡された計画書には、様々な状況を見越した予備プランが記載されていたが、ここまでは全て第一候補のプラン通りに進んでいた。

 しかし、ここに来てセバスが直接手を下さなくてはならないプランに変更する必要が出てきたのは偶然とは思えない。

 初めから、デミウルゴスはこうなることを予測していた。

 長い間亜人と戦い続けた聖王国ならば、セバスたちが到着する前に準備を整えることは予想できたが、あえてそれを隠した計画書をセバスに渡したのではないか。

 その理由も明白だ。

 セバスに覚悟を決める時間を与えさせないためだろう。

 既に力無き亜人たちの助けを無視するという形でセバスは創造主から与えられた正義を裏切っていたが、デミウルゴスはそれが初めから決められていた流れだったからこそ、事前に覚悟を決めることができたのだと考え、今度は時間も与えず、セバス自身が直接手を汚すやり方で、主への忠誠を示せと言っているのだ。

 今後主に迷惑が掛からぬよう、セバスに掛かっている嫌疑を払うのが目的なのは言うまでもないが、個人的にセバスのことを嫌っているデミウルゴスの嫌がらせも混ざっている気がする。

 

(全く。嫌な奴だ)

 

 口の中で言葉をかみ殺してから、セバスは強く拳を握りしめた。

 こんなやり方をせずとも、セバスは主に謝罪をさせてしまうなどという大罪を犯した時点で、己の正義を殺し、自らの本分を全うすることを決めているというのに。

 セバスの影にいたデミウルゴスの配下である影の悪魔(シャドウ・デーモン)を使い、亜人軍に城門の上にいる民兵の矢が届かない位置を保ちつつ、正規軍を逃がさないよう包囲の命令を下したのち、セバスは手にしていた仮面を被った。

 

「さて。参りましょうか……」

 

 そこには覚悟はあっても、気負いはない。

 今はただ、主のために。

 未だ胸に巣くう創造主から受け継いだ呪いにも似た感情を抑え込みながら、セバスは足を進めた。

 

 

 ・

 

 

 この世に神がいないことを理解したのはいつだったか。

 

 幼い頃から優秀すぎる兄と比べ続けられて親の愛情を一切感じなかった頃からか。弱かった頃に輪されたときか。友人が目の前で死んだときか。数日に渡って拷問を受けたときか。

 

 もうよく覚えていない。

 ただ、確実なのは、第一位階とはいえ信仰系魔法が使えるようになった今でも、クレマンティーヌはこの世に神など存在しないと思っていることだ。

 確かに魔法を使うとき、傍らに大きな力の存在を感じる。それは事実だ。

 けれどそれを神と呼ぶつもりはない。

 

 もし、それが神であったとすれば、奴はクレマンティーヌが助けを願ったときも、何もせず、ただ傍でそれを見ていたことになるのだから。

 そんな存在が神であるはずがない。

 どちらかと言えば、悪趣味な邪神や悪魔と呼ぶべき存在だ。

 

 これが六色聖典の隊員の中でも特に信仰心の強い自らの兄であれば、それも神の試練だ。などと言ってありがたがるかもしれないが、少なくともクレマンティーヌは何の役にも立たない存在に信仰を捧げるつもりなどない。

 回復魔法は役に立つので存分に利用するが、それは神の恩恵などではなく、クレマンティーヌが自分で得た力だからに他ならない。

 結局のところ、最後に頼れるのは自分の力だけなのだ。

 

 そんなことを考えながら、ふとネイアの願いを断ったときのことを思い出す。

 クレマンティーヌの返答を聞いたネイアは一瞬悲しそうな顔をしたが、それ以上食い下がることはなく、そうですか。と一言残してその場を離れていった。

 城門を単独で突破する敵の首魁と十万の亜人。

 対してこちらの兵力は無駄死にする事が確定している正規兵一万弱と、まともに戦ったことのない民兵ばかり。

 こんな戦力差で聖王女が現れるまで最低でも二日。

 持つわけがない。

 

 そもそもネイアもそうした規格外の化け物の存在を知っているのならば、さっさとこの都市を脱出すれば良い。

 聖王女の説得に関しても、ネイアはクレマンティーヌと同じ洗脳の力に目覚めているのだから自分でやればいいのだ。

 効率を考えれば、団員を引き連れてこの都市を脱出した後、聖王女に謁見して王都に連れ帰る。

 これが最善であり、最も多くの人を助けることができる方法だ。

 

 クレマンティーヌが聖王女の説得──あるいは洗脳──を断ったことで、ネイアも他人に頼ることの愚かさに気付き、そちらに舵を切るかと思ったが、どうやら彼女には扇動者としての才はあっても、人の上に立つものとしての才はないようだ。

 死ぬことも責任の一つである国王や皇帝ならばともかく、組織の上に立つ者は生き残ることが何より大事な仕事だ。

 ネイアが祖国のことを思い、教団の教えを聖王国全土に広げようとしていたのならなおのこと。

 場合によっては教団の中枢メンバーを犠牲にしてでも、自分だけは生き残らなくてはならない。

 

 それを選べない時点でネイアでは、これ以上教団を大きくすることはできなかったかも知れない。

 そう考えると、やはり自分の決断は間違っていない。

 そうに決まっている。

 だと言うのに──

 

「何で私はまだここにいるんだ?」

 

 戦いが始まり、都市外から聞こえる野太い叫び声と、城壁の上からそれを見守る民兵たちの姿を尻目に、クレマンティーヌは自嘲気味に笑った。

 ネイアと別れて直ぐに都市を出なかったのは、彼女にクレマンティーヌが逃げ出したという情報を流されると、非戦闘員に紛れて逃げるのが難しくなるからだが、そもそも以前より弱くなったとはいえクレマンティーヌの実力なら──例の桁外れの力を持った亜人の首魁さえ相手にしなければ──単独で王国まで逃げ延びることは可能であり、そのためにも本当に亜人軍がカリンシャに向かっているのか直接確かめる必要がある。

 そう考えて今まで都市内に潜伏していたのだが、敵の首魁を含めた亜人軍の姿を肉眼で確認できる状況になっても、まだクレマンティーヌはここを動けずにいた。

 

 敵が都市内に侵入してからでは遅い。これが最後の機会だ。

 もっと早く出ていくべきだったのは間違いないが、城門が破壊されていない今ならばまだギリギリ間に合う。

 敵が集まっている東側以外は警備も手薄になっているため、自分一人くらいならば逃げ出すことはできる。

 クレマンティーヌにとって、自分の命こそ何より優先すべきもの。

 以前は自分の強さに自信を持っていたが故に、多少の危険ならば自ら首を突っ込んでいたかも知れないが、数頼りの格下と侮った風花聖典に一度殺されてからは、そうした驕りもなくなり、危険を感じたら直ぐ逃げるように決めていたはずだ。

 そこまで理解していてなお、クレマンティーヌの足は動かない。

 それどころか、全く逆のことを考えていることに気付き、薄々感じていた一つの可能性が思い浮かぶ。

 信じたくはなかったが、そうとしか考えられない。

 

「まさか、私があの娘に洗脳されるとはねー」

 

 こちらの意志を無視して思考が誘導されているのは、ネイアの持つ洗脳の特殊技術(スキル)を掛けられたからに違いない。

 やれやれと首を回しながら、目的地を変更して歩き出す。

 都市から逃げ出そうとしていたときは、全くと言っていいほど動かなかった足が軽くなり、あっさり目的地に向かって進み出したことで、やはり今までの葛藤は洗脳によるものだったのだと確信した。

 

 聖騎士を始めとした説得の難しそうな連中を、教団に引き込む際に使用したときは、相手は思考を誘導されていることにも気づいていなかったが、こうして理解できているのは、クレマンティーヌ自身が同じことができるためか、それとも単純に精神操作への耐性があるからだろうか。

 どちらにしてもこれなら、自覚できない方がマシだった。

 

「ま、ここで敵の頭をぶっ殺せば、聖王女の説得なんて面倒なことやらずに済むってね」

 

 出来もしない軽口を叩きつつ、クレマンティーヌはこれまで隠れていた人気のない裏路地を抜け出す。

 ずっと暗いところにいたせいか、太陽の光が妙に眩しく感じられた。

 

 

 

 誰にも見つからずに目的地である城門の真上にある壁までたどり着き、都市をぐるりと取り囲む城壁内の高い位置にある物見台から戦況を確認すると、既に戦いは佳境にあった。

 特攻に出た一万弱の軍士はもう殆どが倒れ、悲鳴にも似た声は弱くなっている。

 反対に城壁から必死に矢を打つ者たちの来るな来るなと叫んでいる声は強く大きくなる。

 クレマンティーヌがここに登っていることに気づく者もいないほど、必死な様子を眺めながら、彼女は深呼吸をする。

 どうやら、既に大勢は決したようだ。

 残り僅かな軍士を皆殺しにして城門が破壊されるのも時間の問題。

 

(逃げるならここがホントのホントに最後のチャンスだけど──)

 

 周囲を窺うと殆どがバラバラに矢を放つ中、統率された動きを見せる部隊があった。

 その先頭に立つのは見慣れた姿。

 クレマンティーヌが渡したバイザーを付けたまま、ネイアは矢を絞り声を張る。

 

「──て!」

 

 彼女のかけ声と共に、魔法の力が篭った矢が纏まって一斉に飛んでいく。

 あれほどの数の魔法の矢による斉射。並の亜人ならば当たれば足止めどころか、命をも奪える攻撃だが、当然何の効果もなかったのだろう。

 それでもネイアは即座に次の矢を番え始める。

 

「まだです! もう一度」

 

 桁外れの強者の存在を知っているネイアなら、この時点でもう都市が落ちることも理解しているだろうに。

 それでも戦い続ける様は、見ていて哀れなほどだ。

 

(全く。また誰かが助けにきてくれるとでも思ってんのか?)

 

 かつて彼女を救った、あの純銀の騎士はここにはいない。

 そう都合よく、何度も強者が助けにくることなどあり得ない。

 神を信じていないクレマンティーヌは、誰よりもそのことをよく知っている。

 それを──

 

「私が、教えてやるよ」

 

 これは洗脳されているから仕方ない。

 もう一度心の中で呟いて、クレマンティーヌは物見台の上から飛び降りた。

 

 

 ・

 

 

 十万の亜人軍を控えさせ、たった一人で一万弱の軍士に向かって来た敵の首魁に、初めの内こそ勝てるはずがない。頭がいかれている。蛮勇だ。などと笑っていた民兵たちもその強さを見ると徐々に青ざめ始めた。

 数十数百の兵が何もせずとも、対峙しただけで倒れていく。

 何とか倒れずに剣を振るっても軽くいなされ、そのまま紙切れのように宙を舞い、地面に落下する。

 囲んでも、数に任せて突進しても、魔法を放っても、全ては徒労に終わった。

 相手の足を止めることすらできず、立っている軍士の数は急速に減り続け、敵が自分たちの下に近づいてくる。

 かつて見たあの騎士を思わせる圧倒的な力を前に、ネイアは唇を強く噛みしめた。

 

「バ、バラハさん。近づいてきます! 援護射撃を──」

 

 単独で一万弱の軍士を相手取る桁外れの力を前に、震えた声で弓による狙撃の許可を取ろうとする団員に対してネイアは鋭く言い放つ。

 

「まだです。今撃ったら、味方に当たってしまいます」

 

 仮面を付けた敵の首魁は城門まで百メートル近くまで迫っていたが、まだ兵も残っている。

 訓練を積んだとはいえ、父のような弓の名手でも無い限り、ここからでは敵ではなく味方に当たるのが関の山だ。

 それで敵が倒せるなら、味方を犠牲にするのもやむなしだが、ネイアたちの弓では味方を貫通して敵を倒せるほどの威力は出せない。

 今はただ機を待つ。

 

(お父さん)

 

 かつて父に教えられた、自分より格上の相手を討ち取る方法を頭の中で反芻する。

 戦っている最中は常に気を張って隙がない。

 だからこそ、一時的でも戦いが止まるのを待つ。

 その隙を狙い、ネイアたちの班が一斉に矢を打ち込む。

 これしかない。

 

「私が相手の隙を窺います。皆はそれに続いて撃ってください。お願いします。私を信じてください」

 

 ここまでの戦いを見るに、相手にはいくつかの属性に対する耐性があるのは間違いない。

 攻撃を受けるときと、避けるときがあるのがその証拠だが、流石にここからではどんな属性の攻撃が効くのかまでは判別できない。

 ネイアたちが持っている弓は、都市中から集めた魔法の力が付与された弓矢であり、相手が如何なる耐性を持ち合わせても大丈夫なように様々な種類を用意しているが、あの敵がそう何度も攻撃を喰らうはずもない。相手を確実に撃つためには、ここにいる全員で息を合わせて、全ての属性の矢を同時に打ち込む必要があった。

 誰かが勝手な行動を取ってはそれも出来なくなると考えての懇願だ。

 

「……承知しました。判断はバラハさんにお任せします。皆、わかったな!?」

「はっ!」

 

 頭を下げるネイアを見て、彼らにも落ち着きが戻ったようだ。

 五十人の班員たちの声の揃った返事を受け、ネイアもまた一つ頷くと視線を敵に向けなおした。

 こちらの攻撃など意にも介さず、悠然と歩を進める亜人の総大将。

 どんな相手だろうと必ず隙はある。いや、見つけなくてはならない。

 クレマンティーヌがネイアの頼みを拒否して姿を眩ませた以上、ここであの敵を討たなくては、聖王国に未来はないのだから。

 

「うまく逃げられたかな」

 

 不意にクレマンティーヌのことを思い出した。

 あんなに手ひどく拒絶されたというのに、ネイアは未だ彼女のことが嫌いになれない。

 

 今にして思えば、ネイアの頼み自体、無茶な要求だったのだ。

 聖王女を洗脳などして、もしバレでもしたら彼女の両翼と謳われる聖騎士団長と神官団長にどんな目に遭わされるか分かったものではない。

 断られて当然だ。

 誰だって自分の命が大事なのだから。

 

 だが、その命を擲ってでも生まれ育った祖国を守りたいと考える者たちもいる。

 母のような聖騎士や、父のような軍士。

 今現在あの化物と戦っている彼らもそうだ。

 

 けれど、その決意はなにも彼らだけの特権ではない。

 ただの一市民でも同じことができるはず。

 そう考えたからこそ、これまで訓練を重ね、仲間を集めてきたのだ。

 

 先陣を切って戦っている軍士たちが蹂躙されていく様から目を逸らさずに、じっと敵の総大将に意識を集中する。

 やがて、そのときは訪れた。

 残り僅かな軍士たちも倒れ、最後に残った見覚えのある男が魔法の力が込められた剣を振るうが、その剣ごと吹き飛ばされる。

 ついにその場に立っている人間は一人もいなくなった。

 

「う、うわぁ! 来るな! 来るなぁ!」

 

 そんな様子を見ていた一人の民兵が、とうとう耐え切れなくなり、叫びながら無我夢中で矢を放つ。

 まともに狙いも絞れていない矢は、見当違いの方向に飛んでいったが、周囲にもそのパニックが伝播して城門の上に集まっていた殆どの民兵が矢を放ち、投石紐による投石を行い始めてしまった。

 中には本来城壁に敵がとりついた際に、真下の敵に使用する火炎壷を投げ落としている者までいた。

 一斉掃射ではなく、狙いもバラバラだが、これだけ撃てば流石に幾つかは敵に向かって飛んでいく。

 地面に叩きつけられた石が砂埃を舞い上げ、地面に落ちた火炎壷の煙が流れて男の姿を隠してしまった。

 

 それを見た瞬間、ネイアは立ち上がった。

 砂埃と煙によって視界が遮られてしまったが、これは同時にチャンスでもある。

 正確な狙いは付けられなくなるが、魔法の弓の弱点は、放たれた矢の軌跡がそれぞれに付与された魔法ごとの色が付くことだ。

 放たれた矢を見てから避けることなど不可能に近いが、相手がそれをこともなげに行っているのは軍士たちとの戦いで確認している。

 せっかく複数の魔法が付与された矢の集中砲火を放っても避けられては意味がない。

 ならば、砂煙で相手からもこちらが見えない今こそが好機。

 

「──て!」

 

 一瞬で狙いを定め、ネイアたちの班が一斉に矢を放つ。

 他の者たちが放った弱々しく弧を描いて飛んでいく矢とは異なり、一直線に相手に向かって突き進む魔法の矢の雨。

 全てとはいかずとも、半分でも当たってくれれば。

 次の矢をつがえることは忘れずに、煙が晴れるのを待つ。

 

「……え?」

 

 煙が晴れた後、首魁の体には一本の矢も突き刺さってはいなかった。

 外れたわけではない。

 全ての矢が地面に転がっていたのだ。

 

(飛来物に対する防御能力!? でも魔法の種類だけじゃなくて、鏃も銀や鉄のを混ぜて使ったのに。それが一つも効かないのなら──)

 

 飛来物全てに対して、無効化する力があるのではないか。

 それはつまり、ここからどんな攻撃を放ったとしても無駄だということを指していた。

 しかし、それでもネイアは諦めない。

 

「まだです! もう一度」

 

 軍士たちとの戦いでは、攻撃を躱す場合もあった。

 どんな武器でも防ぎきるならそんなことをする必要はない。

 回数や時間などの制限があるはずだ。

 二射目を放とうとした瞬間、互いに仮面とバイザー越しだというのに、相手と視線が交差したことに気が付いた。

 

(私たちに気づいている!?)

 

 それでも、撃つしかない。

 もう一度発射のかけ声を出そうとした瞬間、ネイアの耳元に声が掛かる。

 

「退いてな」

 

 声と共に、ネイアの真横を疾風(かぜ)が走り抜けた。

 

 

 ・

 

 

 ネイアを含めた市民たちの間を縫いながら城壁を横断し、そのまま地面に飛び降りて敵の前に立ち塞がる。

 

「ふぅ」

 

 それだけのことで、僅かに息があがっていることに気づき、クレマンティーヌは息を吐いて、呼吸を整えた。

 確かに最近まともに訓練などしていなかったが、これしきのことで体力が切れるはずがない。

 

「どちら様ですか?」

 

 鋼が如き威圧感を内包した声は、年を重ねたもののみが持ち得る深みのある老人のものだった。

 再度息を吐く。

 息切れの原因は体力不足ではなく、目前の男から感じる圧力によって生じた緊張によるもの。

 同時にこの距離で対峙したことで気づいた。

 

(こいつ。人間だ)

 

 人間と大きさの変わらない亜人もいるが、その場合でもどこかに特徴が出るものだ。

 漆黒聖典時代に、亜人を含めた異種族の知識をたたき込まれているからこそ分かる。

 ならば、仮面の下の年齢は声の通り老人ということになるが、ただの老人があれほどの強さを持ち得るはずがない。

 思いつく可能性と言えば一つだけだ。

 

「先祖返りのアンチクショウ共と同じタイプか。うわー、やだやだ」

 

 今感じている圧力は六大神の血を覚醒させ、人外領域すら超越した化け物である神人級のもの。

 この老人も、六大神や八欲王などの血を覚醒させた存在なのかも知れない。だとすればあのバカげた強さも納得できる。

 奴らと同格、あるいはそれ以上の威圧感を前にして、クレマンティーヌと言えど、恐怖に体が支配されそうになる。

 

「ほう。私と同格の者を知っているのですか?」

 

「……さぁねぇ」

 

 適当に返事をしながら腰に差していたネイアの短剣を引き抜く。

 漆黒聖典時代に使用していた神器はおろか、ズーラーノーンから渡されたオリハルコンのコーティングが施されたスティレットにも届かない、ただの短剣だが、贅沢は言えない。

 構えを取るクレマンティーヌを見ながら老人は、どこか楽しげに手を持ち上げた。

 

「どうやら貴女は一角の戦士らしい。ならば戦士として……殺して差し上げましょう」

 

 言葉の終わりと同時に、老人の威圧感が更に膨れ上がり、クレマンティーヌの全身を打ちつける。

 それはかつて訓練で対峙した神人たちをも超えていた。

 対してこちらは一度死んで蘇ったことで大きく生命力を落とし、その後ろくに戦士としての訓練もしていないため、身体能力も落ちたまま。

 いや、例え自分が全盛期であろうと、こんな化け物に勝てるはずがない。

 だが、それで良い。

 ネイアも含め城壁の上にいる民衆は、突然現れてたった一人で数千の軍士を打ち倒した化け物と対峙しようとしているクレマンティーヌを、救世主か何かと勘違いしているようだがそれは間違いだ。

 彼女は初めから負けるためにここに来ている。

 クレマンティーヌの目的は無様に死んで、この世に神など存在しないことを改めて証明することなのだから。

 そうすれば、諦めの悪いネイアも目を覚まし、自分が生きるために逃げ出すことを考えるだろう。

 

 そう。この世に神などいない。

 目の前の老人や神人のように、神が如き力を持ったものならいるかもしれないが、それは決して神などではない。

 

 かつてネイアを救い、クレマンティーヌを生き返らせてくれたあの純銀の騎士もそう。

 彼とて、クレマンティーヌの願いを叶えてくれたわけではないのだから。

 

 集団に襲われ、流れ出る血とともに徐々に体から力が抜けた死の間際。

 あの時もクレマンティーヌは、死にたくない。と神に助けを求めた。

 今まで自分がしてきたことを考えれば、ただ殺されるだけでは許されず、それこそ彼女が楽しんできたように拷問にかけられても仕方ないと理解していて、それでもなお助けを求めたのだ。

 だが結局、クレマンティーヌの願いは神にも、あの騎士にも聞き届けられず、そこで一度命を落とした。

 その後生き返らせてくれたことには感謝しているが、それとこれとは別、あれは偶然だ。

 奇跡や、まして神の導きなどであるはずがない。

 

「舐めた口叩くなよ、じじい」

 

 腰を落とし、短剣を構える。

 狙いは一つ。

 彼女が得意とする全身全霊を込めた刺突。

 この手の相手は自分に自信を持っているからこそ、真正面から受けようとする。

 死ぬ前に余裕ぶった顔に一撃を入れてやる。

 その覚悟を持って、幾つか武技を発動させる。

 

 能力向上。流水加速。疾風走破。

 

 防御系の武技ではなく、全て速度を上げるためのもの。

 命を捨てる覚悟はできている。

 あれほど生にしがみ付いていた自分があっさりそう思うのだから、洗脳は怖い。

 

(洗脳、か)

 

 何かに気づきそうになったが、クレマンティーヌはそれを振り切るように小さく頭を振り、さらに腰を深く沈めながら、短剣を握る力を強めた。

 

「準備はできましたか?」

 

 仮面の老人は、ここに来て初めて拳を握り、構えを見せる。

 その拳からは、どれほどの速度で突進してこようと、その前にたたき落とすという強い意志が感じられた。

 いや、事実そうなる。

 クレマンティーヌがどれほどの速度を出そうと、確実にそれを超える速度で迎撃を受けるに違いない。

 

「クレマンティーヌさん!」

 

 ネイアの声が背後から聞こえ、思わずそちらに目を向けた。

 戦いの場で何をしているのか、と自分自身でもおかしくなるが、相手はその隙をつくような真似はせず、黙って待ちかまえている。

 

「勝てます! きっと」

 

 何の根拠もない力強い言葉と共にネイアが一つ頷く。

 それで、全てを理解した。

 彼女は逃げない。クレマンティーヌがここでどれほど無様に敗北しようと、城門を突破されて十万の亜人が都市内に潜入しようと、絶対に逃げない。

 

(だったら、やるしかねぇだろ。私は洗脳されてるんだから)

 

 ここで、この化け物を殺すしかない。

 ネイアの声に反応して、他の民兵も声援を送ってくる。

 そういえば、誰かから応援されるなんて初めてのことだ。

 誰が何を言っているかも分からないが、ネイアに同調したのか、きっと勝てる。という言葉が多く混ざっているのだけは分かった。

 

「──どいつもこいつも。私のこと知りもしねぇくせに勝手なことほざきやがって」

 

 言葉を切り、改めてクレマンティーヌは老人に目を向けてから、吐き捨てる。

 

「てめーもだ。何様のつもりかしらねぇが。この! クレマンティーヌ様が、てめーみてぇな爺に、負けるはずがねぇんだよ!」

 

 激高したかのような叫びは、しかし、怒りではなく、未だ纏わりつく恐怖を振り切るためのもの。

 地面を蹴ると同時に、複数発動させた武技が効果を発揮し、さらに身体が加速していく。

 放たれた矢の如く空気を裂き、一瞬で老人の懐に入り込む。

 最後の一蹴りと共に腕を前に突き出そうとしたその刹那。

 複数同時に使用した武技の効果か、それとも別の要因か、クレマンティーヌの視界に映るものが酷くゆったりと動いて見えた。

 その中にあってただ一つ。老人の拳だけは、何も変わらずクレマンティーヌを打ち抜かんと直進してくる。

 これを食らえば、クレマンティーヌの身体など、いともたやすく穴が空くだろう。

 

「はっ!」

 

 だからこそ、クレマンティーヌは直前で身体を捻り真横に飛んだ。

 相手を完全に騙すため、全ての行動を直進するためのものと思わせてからの変化は、彼女自身でも制御できず、バランスが崩れて身体が横に流れる。

 

「愚かな」

 

 クレマンティーヌは確かにその声を聞いた。

 老人の言葉は事実だ。

 無理な方向転換によって身体が軋み、ここから攻撃に移るためには更に一歩踏み込んで、体勢を立て直さなくてはならない。

 せっかく相手の虚を突く変化をしても一手動きが遅れるため、その間に老人も拳の軌道修正が可能ということだ。

 あのままならば、先に打たれるとしても死と引き換えに一撃くらいならば入れられたかもしれないが、ここからではそれも不可能。

 そのことを指して愚かと言ったのだろうが。

 

「てめーがな」

 

 次の瞬間、クレマンティーヌが先ほどまでいた場所から、一直線に矢が飛んできた。

 これこそが狙い。

 あの諦めの悪い娘が、クレマンティーヌに全てを託してただ応援などに回るはずがないと信じていた。

 

「ぬぅ」

 

 矢の一本程度食らっても意味はないのは承知の上だが、武を極めた強者であればあるほど、そうした意識外からの攻撃には、身体が勝手に反応してしまうものだ。

 

「死──ねッ!」

 

 その隙に改めて地面を蹴り、斜め下から短剣を突き出す。

 狙いは素肌が露出した喉元。

 毛皮や鱗に覆われているわけでもない、素肌ならば貫くことができるはず。

 そう考えた瞬間、ぞくりと背筋に嫌な予感が走った。

 

(待て。こいつは間違いなく修行僧(モンク)。奴らには確か──)

 

 修行僧(モンク)には肌を鉄のように硬くする特殊技術(スキル)が存在したはずだ。

 しかし、その本質はあくまで拳を硬くし攻撃力を高めるためのもの。身体に関してはそこまでの防御力は──

 ない。と心の中で言い切るより早く、突き出した短剣が途中で止まる。

 間違いなく首に当たったはずの短剣が皮膚で止まり、それ以上押し込めなくなっていたのだ。

 仮面の奥の瞳がジロリとクレマンティーヌを見た。

 

「お見事です」

 

「嬉しくねぇよ。クソッタレ」

 

 毒突くクレマンティーヌに向かって、再度拳が迫り来る。

 

(あーあ。ここで終わりか。私としたことがバカなことをしたもんだ)

 

「クレ──」

 

 ネイアの叫び声が聞こえるが、恐らく彼女が名前を言い切る前に、この拳が彼女を貫くだろう。

 

(ほら見ろ。神様なんているはずねぇんだ……ざまぁみろクソ兄貴)

 

 最後の最後に思い浮かんだのが、要るはずのない神を信奉してやまない、一番嫌いな兄の姿であったことは不愉快極まりなかったが。

 直後、それ以上に不愉快な奇跡が起こることとなった。

 

「っ!」

 

 突如、自分に向かっていた老人の拳が止まり、同時に後ろへ飛ぶ。

 いったい何が。と思う間もなく、先ほどまで老人が立っていた場所に、けたたましい音ともに何かが落ちてきた。

 

「うそ」

 

 重さを受け止めきれずに地面が割れ、土煙が舞い上がる。

 そこにいたのは一人の騎士。

 着地の衝撃で身を屈めていたその騎士は、やがてゆっくりと身を起こす。

 太陽の光を受けて輝く純白の鎧と、胸にはめ込まれた巨大な青い宝石。

 その姿を見て、あれほどの強さを持ち、己に対する自信に満ちていた老人が仮面越しでも分かるほどに狼狽え、恐怖すら覚えているのが見えた。

 ゴクリと唾を飲んだのはクレマンティーヌか、それともあの老人の方か。

 立ち上がった騎士は、クレマンティーヌと老人それぞれに目を向けてから冷ややかな声と共に告げた。

 

「どうした? 幻でも見たような顔をして」

 

 そうだ。

 クレマンティーヌは心の中で呟く。

 

 これは幻だ。あるいはもう既に彼女は死んでいて、都合の良い夢でも見ているに違いない。

 このタイミングで、この騎士が、自分を助けに来てくれるなど、これではまるで──

 

(本当に神様がいるみたいじゃない)

 

 つい先ほどその存在を否定してみせたはずの神があざ笑うかのごとく、幻であるはずの騎士は言葉を重ねる。

 

「信じられないなら、触ってみろよ」

 

 一度言葉を切った騎士は、手にした剣を真っすぐに老人に向けながら続けた。

 

「できるものならな」

 

 その言葉はクレマンティーヌではなく、老人に向けられたものだ。

 しかし、そんなことは関係がない。

 思わず手を伸ばすと、手のひらに冷たい金属の感触が伝わった。




ちなみに、書籍版の十四巻によると守護者級の者たちが持っている飛び道具を全て無効化できるアイテムは魔法の力が宿っていない物に限定されているそうなので、本来ならネイアたちの魔法の矢では僅かではあっても効くはずですが、十二巻ではパベルが放った魔法の矢をデミウルゴスが無効化していたので、魔法の矢でも無効化するアイテムもあるだろうと考え、ここでのセバスはそれを預かっている設定にしました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38話 正義降臨(偽)

前回の続き
ちなみにこの時のサトルさんは口唇蟲を付けていないので声がそのままですが、これはここにネイアがいることをパベルから聞いていたので、声が変わっていると怪しまれると考えたからです


 突如目の前に現れた存在に、セバスは呼吸すら忘れた。

 これは創造主から与えられた感情を殺して、数千にも及ぶ弱者の虐殺を行ったことに後ろめたさを感じた自分が見せた幻なのではないだろうか。

 思わずそんな考えが浮かんでしまうほど、あり得ない光景だった。

 

 実際、軍士に関しては戦力を残す意味でも手加減をして、大半の者は直接攻撃するのではなく、殺気を解放することで戦闘不能にする程度に留めたが──それでも精神が死を確信したせいで、身体も死を選んだ者も居るだろう──セバスの殺気に耐えて、戦闘を仕掛けてきた者は手加減し切れず殺している。

 更にこれから城門を破壊して都市内に入った後は、恐らくはまともに戦う覚悟もなく、ただ集められただけの民兵を、できる限り直接虐殺することで、ナザリックへの忠義を示すつもりだった。

 創造主より与えられた本能である正義とは真逆の行動を取る己自身を、それこそ本能的に拒絶したセバスが見せた幻覚。

 そうであって欲しい。

 

 そんなことを考えていたセバスをあざ笑うかの如く、純白の全身鎧を纏った騎士が動き出す。

 金属同士が擦れ合う僅かな音と、圧倒的な存在感によって理解する。

 これは幻などではなく、確かにその場に存在している、と。

 

 そして、もう一つ。

 その動きを見て、セバスはあることに気付く。

 あの鎧は己の創造主が使用していた世界にただ一つしか存在しない至宝、コンプライアンス・ウィズ・ローに間違いないが、その中に入っているのはセバスの創造主ではない。

 セバスのような戦士であれば、相手の動きを少しでも見れば、その技量は見て取れる。

 まして己を創造して下さった御方の動きを見間違うはずがない。

 

 つまり、何者かがこの鎧を勝手に使用している。

 その事実を理解した途端、頭に血が上り、身を焼き焦がさんばかりの怒りが吹き上げた。

 この場で叩きのめし、その鎧を回収しようと動き出そうとした瞬間、その者はちらりと自分、そして先ほどまで自分と戦っていた金髪の若い女性に顔を向けてから口を開く。

 

「信じられないなら、触ってみろよ」

 

 相手が口を開いて、やはり幻などではないと確信すると同時に、その声を聞いたことで、動き出そうとしたセバスの体はピタリと停止した。

 同時に頭へ上がった血が一気に下がる。

 

(まさか。アインズ様? しかし、何故ここに)

 

 あの声は主のものに違いない。

 そもそも、よく考えてみれば、この鎧は現在宝物殿に納められているはずだ。

 以前、まだ主が玉座の間に閉じこもっていた際にセバスが思い出した記憶。

 純白の鎧をまとった何者かが、自分とユリを置いて空へと昇っていく後ろ姿。

 あれが現実に起こったことなのか、どうしても知りたかったセバスは、以前主に確認を取っていたのだ。

 そのとき主は、コンプライアンス・ウィズ・ローは他の至高の御方々の装備とともに宝物殿に保管していると断言したではないか。

 

 隔離された空間に存在する宝物殿に自由に出入り出来るのは、主ただ一人である以上、この鎧の中身は主しかいない。

 その事実に気付けず、主に殺意を向けるなどという愚かな行いをした自分を恥じいる。

 しかし、その咎を償うのも後回しだ。

 デミウルゴスの計略により、多少の作戦変更はあったものの、基本的には計画書の予備プラン通りに事を進めていたセバスの下に、連絡もなく主が現れたのならば、何らかの作戦変更があったと見るべきだからだ。

 先ずはそれを確かめなくてはならない。

 そう決断したセバスに合わせるように、主が動き出した。

 

「──できるものならな」

 

 手にしていた剣の切っ先をセバスへと向け、力強く断言する。

 主がセバスと敵対の立場を取ったことで、やはり作戦が変更されたのだと理解すると同時に、一つの可能性に思い至る。

 もしそうだとすれば──

 いや、決断を下すのはまだ早い。

 ゴクリと喉を鳴らしてから、セバスは姿勢を正し、深々と頭を下げながら告げた。

 

「……このような国で貴方のような強者と巡り会うとは。まずはお名前をお窺いしても? ちなみに私はセバス・チャンと申します」

 

 主がどういった立場でセバスと対峙しているのかを確かめるために投げかけた言葉を受け、こちらを向いていた剣先が僅かに揺れる。次いで何かに気づいたように身体がピクリと動いた。

 

「んん? セバス? ……なるほど、そういうことか」

 

 一度言葉を切り、少し考えるような間を空けた後、主は覚悟を決めたかのごとく一つ頷くと口を開いた。

 

「良いだろう。俺の名は、サトルだ」

 

 聞き覚えの無い名だ。

 偽名なのは間違いないが、何か意味があるのだろうか。

 疑問に思うが、そちらも後回しにして確認を続ける。

 

「貴方がこちらにいらした目的を、お聞きしてもよろしいですか?」

 

「無論。お前を打ち倒し、この都市を守ることだ」

 

 なるほど。と口の中で唱えつつ、先ほど思い至った可能性通りの返答に、セバスは感動に身を震わせた。

 

(この御方は、なんと慈悲深い)

 

 セバスの想像通りならば、主はデミウルゴスの計画を止めるため、もっと言えばセバスがナザリックへの忠義を示そうと、己の正義を捨てて行おうとしていた虐殺そのものを止めようとして来たのではないだろうか。

 恐らくはあのとき、セバスが主に行った直談判をきっかけにして。

 あのときも主はセバスたちが、創造主の定めた想いを曲げさせなくてはならないことを悔い、謝罪まで行った。

 たとえセバスの想いが、そうあれ、と定められたものではないとしても、デミウルゴスの計画によって引き起こされる虐殺を行わせるわけにはいかないと、こうして主自らが作戦に介入したのではないだろうか。

 

 実際、この時点で最初の目的自体は達成されている。

 たった一人で数千の軍士を相手取る、この世界の常識から考えればあり得ない力を持った存在が、亜人を率いていると分かった以上、この後セバスがエ・ランテル襲撃にも関わったことを匂わせれば、聖王国は今回のようなことを二度と起こさないためにも、元を断とうと行動を起こすはず。

 結果、周辺国家が同盟を組んだ対策に当たっていることを知れば、自ら望んで同盟に参加しようとするだろう。

 ここから先のカリンシャでの虐殺は、作戦に必要不可欠な要素ではなく、セバスのことを信用できていないデミウルゴスによる踏み絵の意味合いが強い。そこで主自らが介入することにより、その必要はないとセバスのみならずデミウルゴスにも示そうとしている。

 

(いえ。きちんと確認しておかなくてはなりませんね)

 

 あまりにも都合のいいように解釈している自分に気づき、セバスは改めて主を見据えた。

 本来ならば歪曲した物言いではなく、はっきりと確認したいところだが、クレマンティーヌと名乗った女性が傍にいる以上、そうもできない。

 少なくともナザリック最高の知恵者であるデミウルゴスやアルベドなどより遙かに偉大な叡智を持つ主ならば、セバスの言いたいこともすぐに分かるはず。

 むしろ問題はセバスがそれをキチンと受け止められるかどうかだ。

 緊張を隠し、セバスは問いかける。

 

「では、私たちは戦うしかないのですね?」

 

「そう言ったはずだが?」

 

 間を置かず主は答えた。

 やはり主には全てお見通しだ。

 

「なるほど。ではここで貴方を打ち倒させていただきましょう」

 

 構えを取りながら更に問うのは勝敗の決め方。

 この問いに対し、主が逆にお前を打ち倒す。と答えればセバスはここで死亡した振りをする。

 そうでなければ、適当なところでセバスは撤退する。

 

「お前にはできんよ。悪いが時間が無い。あちらの亜人も含めてとっととお帰り願おうか」

 

(亜人を連れて、なるべく早めに撤退ということですか)

 

 亜人軍総大将であるセバスの存在にはまだ使い道があるため、ここで死んだ振りをするのではなく、あくまで撤退に勤めろとの指示に違いない。

 いざ戦いを始めようとして、主の傍で呆然と座り込んでいる女性に目が行く。

 この場で戦いを始めれば確実に巻き込まれる。

 彼女も主の強さを語り継ぐための生き証人として使用する予定のはず。

 少し離れた方がいい。

 

「──では、行くぞ」

 

 主の慈悲深さに心の中で感謝と更なる忠義を誓いながら、セバスは一気に後ろに飛んで距離を空けた。

  

 

 

 

 これは夢なのだろうか。

 人知を超越した戦いを遠目から眺めながら、ネイアはぼんやりとそんなことを考える。

 

 一度はネイアを拒絶したクレマンティーヌが助けに来てくれたときでさえ、自分にとって都合が良すぎると思ったのに、彼女と自分の連携攻撃ですら通用せず、今まさにクレマンティーヌが殺されそうになった瞬間、今度は空からかつてネイアたち家族の命を救い、彼女の生き方そのものを変えた純銀の騎士が降ってきた。

 これほど都合の良い夢が他にあるだろうか。

 

「バ、バラハさん。あの騎士はいったい──」

 

 夢と現実の境が分からなくなり、戦場にも関わらず、気持ちがふわふわとしていたネイアに声をかけてきた仲間の言葉で、彼女はようやく正気を取り戻し、同時にあの騎士が幻などではないことを理解した。

 

「味方です……あの方は間違いなく、このカリンシャ。いいえ、聖王国の救世主です」

 

 おおっ、と歓声が上がる中、ネイアは自分もまた叫びだしたい気持ちを抑えつつ、今自分にできることを考える。

 

「……この話を他の人たちにも伝えてください。さっきのような矢の無駄遣いは避けるようにと。あの御方が戦ってくださる以上、敵はもう城門を破壊できませんが、籠城戦は続くかもしれません」

 

 ネイアが知る限り、世界最強の存在であるかの騎士ならばあの仮面の男にも負けはしない。いや、必ず勝つと信じているが、敵もまた数千もの軍士を単独で打ち破るほどの怪物。

 万が一に備え、遠巻きからカリンシャを包囲しつつある十万の軍勢に対する警戒を続けなくてはならない。

 

(その前にクレマンティーヌさんを、助けに行かないと)

 

 彼女は未だ地面に座り込みながら、戦闘を目で追っていた。

 人よりも視力の優れたネイアが遠目から見てなお、姿を追いかけることすら難しい高速移動を繰り返す戦闘を、間近で確認できている彼女もまた、ネイアなどとは比べものにならない強さを持った戦士に違いない。

 それがなぜ、聖王国に流れ着いて戦えない振りをしていたのかは分からないが、そんな彼女だからこそ、あの仮面の男の力を誰より正確に理解し、勝ち目はないと思ったからこそ逃げることを選択した。

 

 そんな彼女が、自分では勝てないことは知りつつ、戦いの場に舞い戻ってきてくれた。

 その想いに応えるためにも、なんとしても彼女をあの場から救いださなくてはならないが、城門を開けるわけには行かない。

 恐らくはかの騎士の計らいだろうが、二人の戦いはクレマンティーヌから離れる形で行われている。

 チャンスは今しかない。

 

「私は下に降ります。皆さんは警戒しつつ待機していてください」

 

 危険だと制止する教団の仲間を無視して、ネイアは城壁の上からロープを垂らし、地面に降り立つ。

 何かあればすぐにロープを回収するように指示を出してから、ネイアはクレマンティーヌの下に駆け寄った。

 今はかなり離れたところで戦っているというのに、剣と拳がぶつかり合うごとに大気が揺れ、衝撃がこちらまで届くかのような轟音が幾度となく発せられる。

 こんな戦いに巻き込まれては、ひとたまりもない。

 

「クレマンティーヌさん! ひとまず上に戻りましょう。ここはあの方に任せて──」

 

「サトル」

 

「え?」

 

「サトルって名前らしいよ。あの騎士」

 

 ずっと知りたかった恩人の名前を、ようやく知ることができた。

 

 この辺りでは聞きなれない響きを持った名だが、それこそネイアの持つ常識とは全く別次元から現れた存在であるように感じられて、思わず状況を忘れ両者の戦いを注視する。

 やはり、この距離ではその全容を推し量ることはできなかったが、どちらも距離を詰めて直接戦っているところをみるに、二人とも遠距離攻撃はできないか得意ではないのだろう。

 だが一瞬で移動する速さは、並の魔法や弓矢では放つ前に距離を潰されるほどの速度で、その一撃は相手を軽々と吹き飛ばし、踏み込みと同時に地面が割れる。

 拳と剣がぶつかり合って火花が散り、同時に衝撃がネイアの腹に響く。

 この距離でこれほどの衝撃を残す一撃など、ネイアが食らえば、いやネイアに限らずありとあらゆる生命、亜人であろうと伝説の生き物、ドラゴンですら一撃で絶命してしまうのではないかと思わせるほどだ。

 

「あんな、力が──」

 

 存在するのか。と続く言葉をかみ殺す。

 

 力が欲しいと願ってきた。

 自分の中にある正義を実行するためには、言葉や信念だけではなく、力を持ってそれを正しく運用するのが大事なのだと信じて。

 なによりも、強くなれと言ってくれた彼に、少しでもほんの一歩でも近づきたいと思って努力を重ねてきた。

 自分もああ成れるなどと思い上がっていたわけではないが、次に会ったときに胸を張れる自分で居たいと思っていた。

 しかし、これは桁が違う。

 これは努力で埋められるものではない。

 この力は、まさしく神に選ばれた者のみが持ち得るもの。

 いや、選ばれたどころか。

 

「神様」

 

 ぽつりと呟いた言葉はネイアの口から出たものではなかった。

 

「え?」

 

「神様って、いたんだ」

 

 呆然と囁いたクレマンティーヌの言葉は、ネイアの気持ちも代弁していた。

 力を付けて正義を実行するのではない。

 力のある者だけが、正義を成し得る資格がある。

 そうした己の正義を己の思うまま振るう者に、人々は熱狂し、追従する。

 

 つまり、ネイアたちにとっての正義とは。神とは。きっと、あの騎士そのものだ。

 

「サトル、様」

 

 両手を組んで勝利を願う。

 それは信徒が神に祈る行為そのものだった。

 

 

 ・

 

 

 主の近接戦闘能力は、想像以上だった。

 剣技としてはまだまだ稚拙ながらも、単なる腕力任せではない。一撃一撃に意味がある攻撃が繰り出される。

 主の本職は魔法詠唱者(マジック・キャスター)のはずだが、至高の四十一人の纏め役と謳われた御方はたとえ専門外のことでも、こうも易々とこなすのだと内心で感嘆の息を漏らす。

 

(そろそろ頃合いでしょうか)

 

 もう力は十分に見せつけた。

 戦いの途中、あの女性と連携して矢による攻撃を仕掛けてきた弓兵が降りてきたことにも気づいている。

 この後あの二人にも聞こえる位置に移動し、セバスが亜人を率いてエ・ランテルに退却することを伝えなくてはならない。これ以上長引くと待たせている亜人たちが暴走しかねない。

 

「アインズ様。そろそろ宜しいかと」

 

 この距離ならば問題ないだろうと小声で告げる。

 主は一瞬動きを止めかけたが、そのまま剣を上段から振るった。

 セバスがそれを受け止めると同時に、主もまた小声で告げた。

 

「何の話をしている?」

 

(この距離でもまだ警戒を? それとも魔法による遠距離からの監視を気にされているのか)

 

 慎重な主らしい考えだ。と思う間もなく、続く言葉にセバスの思考は完全に停止した。

 

「今、アインズ。と言ったな? やはりお前の主はアインズ・ウール・ゴウンか」

 

 言葉の終わりと共に振り切られた剣の重みに耐えかね、セバスの体が沈み込む。

 だがそれは剣の強さによるものだけではない。言われた言葉の意味を理解できず、一瞬力が抜けてしまったせいだ。

 

「今、なんとおっしゃいましたか?」

 

 剣を担ぎながら、主──否、その騎士は続ける。

 

「ふむ。セバス、お前はナザリックとともに居たのだな。ユリもそうか?」

 

 セバスとユリの名を告げられたことで、夢だったのだと結論付けた光景が鮮やかに蘇った。

 自分たちを率いてナザリック地下大墳墓の玉座の間に攻め込み、最後はユリと自分を置いて、離れていく純銀の騎士の姿。

 唖然として言葉を失ったセバスに騎士は続ける。

 

「言っただろう。俺の名はサトルだ。アインズに伝えろ。弱者を虐げて、この世界に混乱をもたらすお前のやり方を俺は決して認めない。近いうちに周辺国家を纏めあげ、必ず挨拶に行くと、なッ!」

 

 言葉の終わりとともに剣が振り切られた。

 突然のことで防御が一瞬遅れ、その攻撃を受けきることが出来ず、そのまま体が流される。

 同時にセバスの脳裏にいくつもの思考が流れていく。

 

 主でないのならば、この男はいったい何者なのか。

 何故宝物殿にあるはずの創造主の鎧を持っているのか。

 それとも初めから鎧が宝物殿にあるというのは偽りだったのか。

 だとすれば主は何故自分にそんな嘘を言ったのか。

 

 考えるべきことが増え過ぎた。

 なによりその騎士が口にした台詞がセバスの動揺を助長する。

 弱者を虐げ、この世界に混乱をもたらすお前のやり方を決して認めない。

 創造主の鎧を纏った者が、創造主と同じようなことを言い、セバスを断罪する。

 その事実にセバスは耐えきれず、普段ならば決して取らない行動を選択した。

 

「くっ!」

 

 距離が離れたことを利用して、その場で反転して亜人たちの下へ駆け出したのだ。

 作戦でもないのに、敵に背を向けての撤退など、ナザリック地下大墳墓の家令にして執事としてあるまじき行いだが、今は情報を出来うる限り最速で主に伝え、ことの真偽を確かめなくてはならないと考えた。

 あるいはそう自分に言い訳することで、逃げ出す理由を作り出したのかもしれない。

 対して騎士はセバスを追撃することはせずに足を止め、その場から言葉を投げかけた。

 

「お前たちを止める。それこそが俺の正義だ」

 

 正義。

 続けざまに浴びせられたその言葉は、セバスの身体に重くのしかかった。

 

 

 ・

 

 

(セバス。セバスだったかぁ……)

 

 遠目から観察していたときは全く気づかなかった。

 雑兵といえど、数千を相手にできる時点でもっと疑うべきだったが、正直この世界では一定以上の力があれば数など大した脅威にはならない。

 自分のようなレベル百でなくても、三十ないし四十以上なら──体力低下などを考えなければ──雑魚が何百何千といようと問題はない。

 それぐらいならば亜人の英雄でも出来るだろうと思ったのだ。

 

 しかしそうなると、たっち・みーのような正義の味方ロールで接したのは流石に悪趣味だったかも知れない。だが、こちらからすれば二百年ぶりに姿を見た上、相手は仮面を付けていたのだから仕方ない。

 そういう風に無理矢理自分を納得させる。

 

 とはいえ、ナーベラルやソリュシャンと異なり、名前を聞いて直ぐにその存在や、戦い方などを思い出すことができたのは、サトルにとってセバスとユリは、ある意味で特別な存在だったからに他ならない。

 二百年前、ユグドラシルが終わる瞬間、最後にチームを組んでいたのがこの二人だったからだ。

 あるいはモモンガたちのように、単独でこちらの世界に転移している可能性も考えていたが、揺り返しの起点となる世界級(ワールド)アイテムを装備していなかった二人はナザリックとともに転移してきたようだ。

 

 しかし、今の問題はそのことではない。

 ナザリックにいるはずのもう一人の悟のコピー、アインズ・ウール・ゴウンがこんなにも早く、そして大胆な行動に出たことだ。

 

(俺のコピーなら、もっと安全策で来ると思っていたが……設定を魔王にしたから性格が変わっているのか? だとすれば好都合でもあるような、そうでもないような)

 

 これから悟がしようとしている最終目標を実行するにあたり、どう影響してくるのか読めない。

 

(最後の台詞もなぁ。上でツアーが見ているからああ言うしかなかったけど、大丈夫か。これ)

 

 上空を窺っても姿は確認できないが、居るのは間違いないため、ああ言うしかなかったが、先ほどの話がナザリックというかコピーであるアインズに伝わった場合、まずいことになる気がする。

 

(いや! どちらにしても俺の存在が知られた以上、もう止まることは出来ない)

 

 自分の正体を知っているのがモモンガだけだった今までと異なり、今回セバスに自分の存在と名を明かしたことで、ナザリック地下大墳墓にいるNPCの多くに悟の存在が伝わるだろう。

 これでもう本当に後戻りは出来なくなってしまった。

 

「やれやれ」

 

 思わずため息の真似事をして、さて、これからどうしようかと考えた矢先。

 駆け寄ってくる足音が聞こえ、そちらに顔を向けると、先ほどセバスの攻撃から助けた戦士らしい女ともう一人、バイザーを掛けた女が息を切らしながら近づいてきているのが見えた。

 とりあえず今は聖王国を周辺国家同盟に参加させることだけを考えよう、と頭を切り替え、悟の方からもそちらに向かって歩き出す。

 

 合流した二人の息は荒い。

 それほど長い距離を走ったわけでもないはずだが。 

 

「……とりあえず、都市の中に入ろう。敵の首魁は去ったが、亜人軍が引くかはまだ分からない」

 

 撤退したセバスが一緒に連れていってくれれば良いが、勝負がつく前に逃げ出したことで、実力主義の亜人たちがセバスをトップと認めず、こちらに戦いを挑んでくるかもしれない。

 それ以前に、何となく二人がこちらを見る目が怖い。

 息が荒いのも疲れなどではなく、興奮によるものに思えてきた。

 一刻も早くこの場を移動し、人が大勢居るところに移動したい。

 

「は、はい! ですが、その前に私たちの感謝をお受け取り下さい」

 

 しかし、二人はそれを許さず、バイザーを掛けた娘の方が興奮気味に詰め寄ってくる。

 

「いや、気にすることはない。俺はたまたま通りすがっただけで──」

 

 それから逃れるように半身を引きながら言うと、もう一人の女が大きく首を横に振った。

 

「いいえ、違います。貴方が私を助けてくれたのは、それが神の思し召し、いえ貴方こそが、神そのものだからです」

 

「んん!? 何の話だ」

 

 確かに死の直前、命を救われたのだから、感謝されるのは分かるが、いきなり神だ何だと言い出す女に恐れを抱き、悟は身構える。

 

「私のこと──覚えていませんか? かつて貴方に命を救われ、いいえ。死から甦らせていただきました」

 

「甦らせて? まさか。以前エ・ランテル近くで野盗に襲われていた──」

 

 以前ツアーにも語ったエ・ランテル近郊で野盗に襲われているところを助け出した女だ。

 

「そうです! あのときは甦らせていただき、今回はこうして命を救っていただきました。二度もこんな偶然が起こるはずがありません」

 

 恍惚とした表情で語る女と対照的に、サトルは内心で顔を歪ませる。

 

(こいつ一般人じゃなかったのか。どうせ死んだことにも気づいていないと思ってたのに)

 

 元々彼女を助けたのは善意ではなく、実験のためだった。

 悟は自分用のアイテムボックス内に、蘇生用の短杖(ワンド)を大量に持っていたが、この二百年間基本的にソロで行動し時折人助けはしても、死んでしまった相手を甦らせるようなことまではしなかったため、一度もこの世界で杖を使っていなかった。

 しかし、この世界では魔法の効果が変わったものも数多く、甦ったときの記憶や、甦る場所、レベルダウンによってレベル一以下になってしまうとどうなるか、などを今のうちに調べておこうと思い付き、野盗を片づけた後死亡していたこの女で実験をしたのだった。

 

 一般人だと思っていたが普通に蘇生したため、この世界ではいわゆるレベルダウンによる消滅などが存在せず、一以下にはならない仕様なのだと勝手に納得してしまい、生き返った後は記憶も混濁していたようだったので、死亡する前に助けたことにして、そのまま適当に別れたのだ。

 今になって考えると、単純にレベルダウンに耐えられるだけのレベルを持っていただけだったのだ。

 そのとき復活してもらったことと、今回は死亡前に助けにきたことで、これほどの信仰心を植え付けられてしまったらしい。

 

「い、いや。待ってくれ。俺は単なる戦士であって、神などでは──」

 

「あ、あの! 私、私のことも覚えていらっしゃいますか? 以前南方の森の中でスラーシュの大群から助けていただいたものです」

 

(森にスラーシュ。ということは、こいつが例の)

 

 その二つが符合する相手は流石にすぐに思い出した。

 というよりつい半日ほど前に、その一人である父親と城壁で再会したばかりだ。

 そこでこのカリンシャに十万の亜人軍が迫っていると聞いたことで、サトルたちはここに来ることになったのだから。

 

「……確か。ネイア・バラハ、だったか?」

 

 父親からくれぐれもよろしく頼むと強く念押しされていた名前を思い出して告げると、少女は自らバイザーを外した。

 

「そうです! あのときは、あ、いえ。今回も助けて下さってありがとうございます! クレマンティーヌさんの言うとおり、私たちにとって貴方様は神様、いいえ。それ以上です!」

 

 父親そっくりの殺し屋がごとき瞳を向けられて、再度身構える。

 

「いや。だからな」

 

 この雰囲気は非常に危険だ。

 カルネ村の連中が悟に向けているもの、いや、ナーベラルとソリュシャンがモモンガに向けている盲目的な忠義にも似たものを感じる。

 早く誤解を解かなくては。

 悟がそう考えた瞬間、今度は城壁の上から割れんばかりの歓声が響き渡った。

 

「今度はなんだ」

 

 苛立ちを覚えながらそちらを見ると彼らは皆、遠くを指さしながら歓声を上げている。

 そのまま指が示す方向に顔を向けなおすと、この都市を囲うように集まっていた十万にも及ぶという亜人の軍勢が、一斉に退却していく様子が見て取れた。

 どうやらセバスが巧く退却させてくれたようだが、間が悪すぎる。

 

「これで本当にこの都市は救われました。ありがとうございます!」

 

 クレマンティーヌと呼ばれた女に合わせるように、ネイアもまた両手を組みながら跪く。

 六大神みたいにならないでくれよ。

 以前そう言ったツアーの言葉が頭の中で繰り返されていた。

 

 

 ・

 

 

(引いてはいるけど、とりあえず嫌がるっていうよりは困惑の方が強い、かな?)

 

 第一段階は成功。

 とクレマンティーヌは心の中でほくそ笑む。

 

(いやー。神様って本当にいるんだな。まあ、それはそれとして。やっぱり生きるためには、神だろうと何だろうと、うまいこと使わないとね)

 

 先ほどはああ言ったが、クレマンティーヌはサトルと名乗ったこの騎士が、本当に神そのものだと思っているわけではない。

 あくまでも偶然では片づけられない超常的な力が存在し、場合によってはそれを引き寄せる手段も存在すると理解しただけだ。

 自分にとってそれは、二度も危機的状況を救ってくれたこの男の存在に他ならない。

 つまり、彼の傍に居れば、実力的にも運命的にも、クレマンティーヌの今後は安泰。

 

 そのためにも打てる手は全て打っておく。

 まずはいつか考えた、自分たちの団体の象徴としてサトルを据え、神が如き存在として崇めさせる方法だ。

 本来ならば宗教国家である聖王国では、いくら強くても民衆にそれを認めさせるのは難しいが、国の象徴である聖王女が間に合わなかったカリンシャの危機に現れ、あれほど強大な力を持った敵の首魁と十万の軍勢を追い返したという状況は最高だ。

 あとは、山の中で襲ってきた亜人の群から救ってくれたというネイアの昔話も採用しよう。

 彼を彩る伝説は多ければ多いほど良い。

 とそこまで考えて、ネイアにチラと視線を向けた。

 ネイアはバイザーを外し、クレマンティーヌに合わせるように同じ姿勢を取ってサトルに感謝を捧げている。

 クレマンティーヌはあくまで、住民たちにもサトルの活躍を分かりやすく宣伝し、彼を神格化させるためのポーズとして行っているだけだが、ネイアは本気で彼を神だと思っているのかもしれない。

 

(んー。ま、それは後で確かめておくか)

 

 サトルの言葉を民草に伝える代弁者は必要不可欠だ。

 ネイアがそのつもりなら、これからも表向きの団体の顔役として働いて貰うとしよう。

 そしてクレマンティーヌは今まで通りそれを裏から支える。

 今まで根無し草だったクレマンティーヌが初めて手に入れた自分の居場所を作り出すためならばどんな手段でも使ってやろう。

 

 そのためにも先ずは──

 

「サトル様。皆に応えて下さい。そうでないとこの騒ぎは収まりませんよ?」

 

 もう使うことはないと思っていた、聖女然とした笑みを浮かべてサトルに迫る。

 

「いや、だから俺は……はぁ」

 

 まだ何か言いたげだったサトルだが、一度視線を上空に移した後、諦めたようにため息を吐くと、無言のまま拳を高く掲げる。

 次の瞬間、城壁にいた全ての民兵たちもまた一斉に拳を掲げ、勝利を祝う雄叫びが爆発した。




六巻でヤルダバオトの前にモモンとして登場した時は、アインズ様も内心驚いていたようですが、デミウルゴスの方も驚いていた気がします
この話ではセバスがその役を担うことになりましたが、ただでさえ自分の正義を押し殺してところに、主が救援に来たかと思って喜んでいたら、別人だったという状況のせいで、驚きはデミウルゴスより遥かに上だったため、混乱して逃げ出してしまいました

次は聖王女が来てからの話になる予定です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話 交渉前の下準備

ようやく聖王国首脳陣が到着し、本題だった周辺国家同盟の交渉に入ります
クレマンティーヌとネイアの話が長引いたこともあって、短く纏めて話を進めようとしたのですが、説明が多くなり過ぎた上、話も思ったより進まなかったので今回は準備回です


 城塞都市カリンシャで最も高い場所に造られた大きな城の一室で、聖王女カルカ・ベサーレスは報告書に目を通していた。

 彼女は聖騎士団と神官団、そしてホバンスから集めた軍隊を率い、殆ど休息なしの強行軍によってカリンシャへたどり着いたばかりだった。

 予定より早い到着となったのは、道中カリンシャから脱出してきた非戦闘員たちと合流したことで、亜人軍が想定以上の速度でカリンシャに迫っていることが分かったからだ。

 

 亜人軍によって強固な要塞線の城門が破壊され、強力な武具やマジックアイテムの存在が示唆されている状況では、如何に強固な造りであるカリンシャの城壁や城門であろうと意味をなさない。

 例え城門一つであったとしても、そこから亜人が都市内に流れ込んでしまえば──単純に人間よりも肉体的に優れた亜人軍であることも併せ──都市内の戦力だけで倒せるはずもない。カルカたちが着くより先にカリンシャが陥落してしまうのは明白だった。

 だからこそ、カルカは付いてこられない足の遅い隊を置き去りにし、聖騎士団と神官団を含めたホバンスから連れてきた軍隊だけでカリンシャを目指すことを決めたのだ。

 

 そうして進軍速度を速め、どうにか都市に着いたカルカたちが目にしたのは、都市内はおろか心配されていた城門すら破られていない無傷のカリンシャだった。

 いくら急いだとはいえ、非戦闘員から聞いていた亜人軍の到着予測より早く着くはずもないため、都市に残された戦力の奮戦によって攻略に時間がかかり、カルカたちに挟撃されることを恐れて撤退したものだと思われた。

 その場合、一刻も早く逃げだした亜人軍を追いかけて殲滅しなくてはならないのだが、カルカたちだけが先行してしまったため、各所から集められた軍勢が追いつくのを待つ必要があることと、それ以前に強行軍によって軍の疲弊が著しく、休憩を取らなくてはまともに戦えない状態だったため、カリンシャに一時的に滞在することとなったのだ。

 

 そうして都市に入り、聖騎士団と神官団を含めた軍隊に休養を取るように告げた後、カルカたち三人と護衛の聖騎士数名は都市の運営を任せている都市長からこの城に案内された。

 城に着くと同時に作戦参謀も務めるケラルトは、都市長からカリンシャで何が起こったのか話を聞くことになった。

 

 本来はカルカもその会議に参加するべきなのだが、王女として汚れた衣服や疲れが浮かんだ顔を見せることはできず、先に衣服の着替えと──本来王女であるカルカは一人で着替えることはせず、お付きのメイドなどに手伝わせるのだが、流石に今回は連れてきていない──疲れた体を魔法とポーションで癒すことにしたのだ。

 

 それらが終わり、疲れ果てて思考の鈍っていた頭もすっきりしたことで、ようやく自分も会議に参加しようとしたのだが、その時には既にケラルトはレメディオスを伴って城の外に出ており、代わりに彼女が都市長から聞き出した内容を纏めた報告書が残されていた。

 護衛も務めている二人が、カルカに黙って傍を離れたことを不思議に思いつつも、追いかけるわけにもいかず、仕方なく一人で部屋に戻ってその報告書に目を通すことにした。

 

 報告書によると、城門や城壁には損傷はないが、被害が無かったわけではないようだ。

 住民の殆どは無事だったが、前線に出た数千の軍士には多大な被害が出ていたのだ。

 軍士たちにそれほどの被害が出たというのに、何故カリンシャは無傷なのか。更に報告書を読み進めるとそこには信じがたい内容が綴られていた。

 

「まさか、たった一人の剣士が亜人軍を追い返したなんて……」

 

 報告書には、要塞線の城門を破壊したのはマジックアイテムなどではなく敵の総大将の力であり、その者が城門はおろか、砦を守っていた九色を戴く戦士二人すら単独で撃破し、カリンシャに到着後はたった一人で数千にも及ぶ軍士を打ち倒した、と記載されていたのだ。

 それだけでも信じがたい内容だが、そんな強大な力を持った敵の首魁を、これもまたたった一人現れた謎の剣士が撃退したことで、亜人軍も纏めて逃げ出していったというのが、カリンシャが無傷で亜人軍の侵攻を食い止めた理由なのだという。

 俄かには信じがたい内容だが、亜人軍が撤退したのは事実であり、何よりこの報告書を書いたのはケラルトだ。

 彼女が真実だと思ったのならば信憑性は高い。

 

 これが事実なら早急にその剣士を探し出し、感謝と報償を与えなくてはならないところだが、今回ばかりはそうもいかない。

 カルカが国家総動員令を発令して、南部貴族の領地からも無理矢理軍を起こさせたことで、カルカと南部貴族の間に不和が生じているためだ。

 

 この状況でカルカ率いる聖王国の本軍がカリンシャ救援に間に合わず、素性も知れない剣士に助けられたなどということが公になれば、南部の貴族たちは必ずカルカの責任を追求する。

 亜人の侵攻が完全に終わったとも限らない今、内輪でもめ事を起こすわけにはいかない。

 そんなことを考えながら、報告書の最後のページまで捲ると、ケラルトが残した手書きのメモが添えられていることに気が付いた。

 

「これは」

 

 そこには黙ってカルカの元を離れたことに対する謝罪と、今回の功労者を聖王国で雇うため連れてくるという旨が記載されていた。

 

「ケラルト。貴女は何をしようとしているの?」

 

 この報告書を読んだのならば、功労者が誰を指しているのかは明白だ。

 実際、まだ亜人たちとの戦いも終結していない以上、それだけの力を持った者を雇い入れることに異論はないが、それをカルカに相談もなく実行しようとしている理由が分からない。

 

 一つ息を吐き、カルカは立ち上がって窓の外に目を向ける。

 視線の先では大勢の住民が大通りを行き来している様子が見えた。

 流石にここからでは見ることはできないが、彼らが自分たちの都市の無事を祝って喜んでいることだけは間違いないだろう。

 彼らの笑顔を守ったのは、自分ではなくその剣士なのだとすれば、雇うにしても礼を尽くしてお願いすべきだ。

 

 だが同時に、自分より遥かに頭の切れるケラルトならば、カルカが考えた南部貴族との不和についても理解しているのは間違いない。

 その彼女がカルカに黙って動いていることに、言い知れぬ不安が浮かび上がり、カルカはそっと胸元に手を置いた。

 

 

 ・

 

 

「では、陛下とお会いするつもりはないと?」

 

 クレマンティーヌが使っていた宿の一室で、長い茶髪の女が微笑を浮かべたまま言う。

 言葉遣いは丁寧で、落ちついた雰囲気を醸し出しているが、その笑みが内心を隠すためのものであるのは直ぐに気づいた。

 だからこそ、クレマンティーヌも彼女と同じように作り物の笑顔を浮かべて返答する。

 

「そうは言っていません。ですがサトル様は人知を超越した強大な敵との戦いを行ったばかりでお疲れです。もしどうしてもと仰るのでしたら、場所と時間をこちらで指定させてください」

 

「……それは、陛下の方から出向いて欲しいということですか?」

 

 笑顔の仮面に僅かなヒビが入り、同時に目が細まる。

 その瞳には隠しきれない怒りの色が浮かんでいた。

 

(ケラルト・カストディオか。聖王女政権の後ろ暗い部分には全部こいつが関わっているって話だが)

 

 神に仕える神官団の団長のくせに。と続けてからそんなことを考えた自分を嘲笑する。

 神職者が皆清廉潔白ではないことなど、法国で生まれ育ったクレマンティーヌが一番よく知っている。

 だからこそ、ケラルトがここに何をしに来たのかも直ぐに分かった。この女はサトルの活躍が聖王国全土に広がりきる前に、彼を自国に引き入れようとしているのだ。

 当然、そんなことになってはクレマンティーヌが思い描いている、彼を団体の頭首に据える計画も破綻してしまうため、今サトルと聖王女を会わせるわけにはいかない。

 

 クレマンティーヌの発言は、現状素性の知れない一介の剣士でしかないサトルに会うために、王女自ら出向いてくるはずがない、と考えてのものだったが、案の定、それを聞いてケラルトの横に座っていたもう一人の使者が立ち上がった。

 

「フザケたことを抜かすな! 疲れているのはカルカ様も同じだ。そんな中、恐れ多くもカルカ様が今回の働きを認め、自らお褒め下さると言っているのだ。聖王国の民ならば、何を置いてでも馳せ参じるべきだろう」

 

 瞳に怒りを漲らせ、我慢の限界とばかりに声を張り上げたのは、聖騎士団長のレメディオス。

 彼女とは以前、ホバンスで会っている。

 そのときも感情のままに突っ走るイノシシのような女だと思ったものだが、その印象は間違ってはいなかったようだ。

 

 むしろ、ここまでよく我慢したというべきか。

 ケラルトがそれを止めないのは、姉妹間の力関係によるものか、それともこれも何かの策略か。

 どちらにしても、わざわざ乗る必要はない。

 さっさと話を進めて追い返そうと、クレマンティーヌは笑みを深めた。

 

「あの方はこの国の生まれではありませんよ」

 

「では貴女や、もう一人の代表であるネイア・バラハ嬢は?」

 

「私たちも聖王国に住居は持っていません。この都市でも宿を借りて生活していますので」

 

 これは単純に、ネイアが住居を決めるより先に都市内での立場を確立することを優先したためだが、それが今回は役立った。

 実際聖王国に家があろうとなかろうと、本拠地が聖王国ならば、国家総動員令に参加させることができる──冒険者などはそれにあたる──のだが、問題はそこではない。

 こう告げることで、場合によってはこちらは聖王国を出て、別の国で活動することもできる。と暗に伝えることが目的だ。

 ケラルトがわざわざクレマンティーヌやネイアのことを聞いたのも、それを確認するためだろう。

 そうした意図が掴めていないレメディオスは、どうすればいい。とでも言いたげにケラルトを見ていたが、ケラルトはそれには応えずに、笑みを浮かべたままジッとクレマンティーヌを見つめていた。

 

 まだ亜人軍との戦いが終結したわけではない聖王国の情勢を考えれば、将来的に自分たちの勢力を脅かす可能性があったとしても、サトルの力はもちろんのこと、民衆を扇動して兵士に変えたネイアも手放したくはないはずだ。

 もっとも、クレマンティーヌとしてもここまで名が知れ渡り、巧くいけば他国も手を出すことのできない規模まで勢力を拡大できる下地ができている聖王国から出ていくつもりはないため、これはあくまでもこの二人を追い出すための方便に過ぎない。

 大体にして今は個人的にも、聖王女たちに構っている暇はないのだ。

 

(サトル様の目的が分からない以上、きっぱり拒絶もできないからなぁ。わざわざ助けにきたってことは、聖王国に思い入れがあるのかな? それとも、国じゃなくて特定の誰かか。二度も助けられたネイアとか……私、はないか)

 

 そう。

 クレマンティーヌはさもサトルが自分たちの団体の頭首であるかのように語っているが、実際には頭首になってもらうどころか、まだまともに話もできていない。

 彼がカリンシャに現れたのは要塞線に居た兵士に助けを請われたためらしいが、その辺りも含めた詳しい話をする前に、カリンシャの住人に囲まれそうになったため、余計なことを吹き込まれてはたまらないとクレマンティーヌが窓口になることを宣言し、サトルはネイアに任せて一時的に避難させている。

 

 案の定、カリンシャを救ってくれたことへの感謝を伝えたいとの名目で、都市長を含めた都市内の顔役たちが近づいてきたため、それを適当に相手しながら躱していたところ、予定より早く聖王女一行が到着してしまった。

 これで時間が作れるかとも思ったが、クレマンティーヌがサトルに会いに行く前に、今度は都市長を通じてここにいる二人が接触を図ってきた、というのが今の状況であり、そのためクレマンティーヌはまだサトルとろくに話ができていないのだ。

 どうやってサトルに自分たちの頭首になってもらうかも考えなくてはならないので、正直いつまでもケラルトたちの相手をしてはいられない。

 さっさとこちらの意図を伝えて、追い返すとしよう。

 そう決断した直後、唐突に部屋の扉が開いた。

 

「ここにいたか」

 

「サトル様!?」

 

 思いがけない乱入者に、クレマンティーヌは慌てて立ち上がる。

 

(まずい)

 

 そもそもクレマンティーヌが彼の窓口となっている事さえ、正式に許可をもらったわけではないのだ。

 それがケラルトたちに知られたら、これまでのやり取りはおろか、考えている絵図全てが無意味になってしまう。

 そうはさせまいと、必死に頭を回転させる。

 

「身体はもう大丈夫なのですか? あれだけの戦いの後なのですから、まだ休まれていた方が──」

 

 さり気なく部屋から引き離そうとするが、こちらの意図は伝わることなく、サトルは二人の下に歩き出した。

 

「いや。急いでやらなくてはならないことがある……聖王女陛下の側近とは貴女たちか?」

 

 クレマンティーヌが口を挟む間もなく、ケラルトが立ち上がり一礼する。

 

「はい。私が神官団団長のケラルト・カストディオ。そして──」

 

「聖騎士団団長のレメディオス・カストディオだ……」

 

 ケラルトは相変わらず裏がありそうな笑みを携えていたが、そのケラルトに促されて挨拶をしたレメディオスの方は、サトルに対しジロジロと不躾な視線を送って頭も下げようともしない。

 

(脳筋なのは見れば分かるが、仮にも救国の英雄に対してその態度はねぇだろ)

 

 レメディオスの態度はケラルトも予想外だったらしい。

 頭を下げるように盛んに合図を出すが、レメディオスはそれに気づかず、サトルもまた大して気にしていないのか、二人に対し一つ頷くと、自らも名乗った。

 

「俺はサトル。事情があって周辺国家を旅している者だ。今回は城壁で知人に助けを請われたため助太刀に来た」

 

 旅をしているというところで、ケラルトの視線がちらりとクレマンティーヌに向けられる。

 先ほどクレマンティーヌが言った内容と矛盾していることに気づいたのだろうが、ここでそれを指摘しては、またレメディオスが失言しかねないと考えたのか、それ以上余計なことは言わずにサトルに一歩近づくと、例の人好きのする笑みを浮かべて話しかけた。

 

「その件に関しまして、私も聖王国の人間として、カリンシャを救っていただきましたこと、大変感謝しております。つきましては聖王女陛下が直々に御礼申し上げたいと仰せです。急な話で申し訳ございませんがご足労戴けませんか?」

 

(チッ。そっちがその気なら──)

 

 クレマンティーヌに余計な横やりを入れさせないためだろう。仮にも聖王女の使者として来た者が、挨拶もそこそこにそのまま本題に入るという、ある意味では国の品位を落としかねない行動に出たことで、こちらもそれに合わせて強引に話を止めさせようとするが、その前に再度レメディオスが動いた。

 

「ちょっと待ってくれ。確認させてほしいのだが、例の要塞線の城門を突破したとかいう敵の首魁と戦ったのは貴方なのか?」

 

 サトルが僅かに首を傾げてレメディオスを見ると、彼女はさらに続けた。

 

「九色の中でも高い実力を持つ二人を打ち倒して城門を破壊し、私の部下も含めた数千の軍士を一人で倒したという化物と互角以上に戦った戦士と聞いて、会うのを楽しみにしていたのだが、とてもそうは見えなくてな」

 

「姉様!」

 

「騒ぐなケラルト。私たちはカルカ様から、例の戦士本人を連れてくるように言われているんだ。こいつが偽物だったら困るだろう。だから確かめようと──」

 

「チッ……いい加減にしろよお前」

 

 ケラルトの制止も無視してサトルに詰め寄ろうとするレメディオスに、クレマンティーヌは舌打ちと共に吐き捨てた。

 

「クレマンティーヌさん?」

 

 クレマンティーヌの変化にケラルトは驚いたような顔をしているが、それもどこまで本気か分かったものではない。

 そもそも姉の性格を誰よりも把握しているケラルトが本当に止める気ならば、もっと早く制止したはずだ。

 あるいは、これも彼女の計画通り、姉を暴走させることでサトルの情報を引き出そうとする策なのかもしれない。

 

 だが、もうそんなことはどうでも良くなった。

 元からクレマンティーヌはチマチマ計画を立てたり、相手の裏を読みながら弁舌を交わすなどという小細工には向いていないのだ。

 どうせ、クレマンティーヌが考えるサトルを象徴に据えた団体を成立すれば、それはもう宗教と変わらない。

 四大神を信仰する聖王女たちとは仲良くやっていけるはずもない以上、愛想を振りまく意味もない。

 

 サトルに近づこうとするレメディオスに、クレマンティーヌはテーブルを飛び越えて問答無用で殴り掛かる。

 流石に武器を用いて、刃傷沙汰にまではする気もないが、クレマンティーヌが得意としている刺突は素手でもそれなりの威力を発揮する。

 取りあえず殴り飛ばせば、サトルと聖王女の会談の話もウヤムヤになるだろう。

 そんな思惑を込めて拳を突き出す。

 しかし、流石は名うての聖騎士というべきか。完全な不意打ちだったにも関わらず、レメディオスは即座にクレマンティーヌの攻撃に反応してみせた。

 それも防御するのではなく、己が被弾することを覚悟した上で攻撃に転じ、クレマンティーヌに殴り掛かってきたのだ。

 

(上等!)

 

 多少身体能力が落ちているとしても、刺突体勢に入ったクレマンティーヌより素早く動ける者などそうそう居るはずがない。

 そんなことができるのは、セバスと名乗ったあの老人や神人ども、そして──

 

「やめておけ」

 

 つい先ほどまで入り口近くにいたはずのサトルが、突如クレマンティーヌとレメディオスの間に現れ、二人の腕を同時に掴んだ。

 勢いをつけて繰り出した拳が、空中でピタリと停止する。

 サトルの力を直接見ていたクレマンティーヌはともかく、まるで転移魔法が如きスピードで突然現れ、自分の攻撃を軽々と止めたサトルに、レメディオスは目を白黒させながら信じられないとばかりに自分の手を見つめた。

 

「俺が本物である証明はこれで良いか?」

 

 威圧感のある声で告げられ、レメディオスが小さく頷くのを確認してから、サトルは二人の手を離した。

 

(流石はサトル様。これで格付けはバッチリ。後は適当に言いくるめて追い返せば万事解決だな)

 

 聖王国最強戦力であるレメディオスがあっさりと押さえ込まれたのだ。

 これ以上強気に出ることはできないはず。

 なにも言わずともこちらの意図を汲んでくれたのだとすれば、案外自分とサトルの相性はいいのではないだろうか。

 自然とこぼれそうになる笑みを抑えつつ、これからどう出るのかを窺っていると、サトルは二人に向かって軽く頭を下げた。

 

「先ほどの件だが、願ってもない話だ。是非聖王女陛下にお目通りを願いたい。直接お会いして話さなくてはならないことがある」

 

「は?」

 

 完全に想定外の言葉に思わずクレマンティーヌが言ってしまったのかと思ったが、そうではなかった。

 今までのどこか裏のある笑みも消え失せ、瞬きを繰り返しながら間の抜けた声を出していたのはケラルトだった。

 

 

 ・

 

 

 一旦聖王女に確認を取ると告げてその場を離れたケラルトに、レメディオスが疑問を抱いているのはわかっていたが、何とか黙らせたまま外に連れ出すことに成功した。

 今回の作戦が、全てカルカの命で行われていると信じているレメディオスからすれば、せっかくサトルの方から聖王女に会いに行くと申し出たのに、何故わざわざ確認を取るのか分からないのだろう。

 実際、例の団体の頭脳であろうクレマンティーヌなる女の性格や、サトルとの関係性──本人はサトルが自分たちの団体の新たな頭首であるように言っていたが、おそらくそれはブラフだ──の確認や、眉唾だと思われたサトル個人の力も一端とはいえ確認できたことで情報収集の面では順調に進んでいると言える。

 だが、ただ一つ。あのサトルなる剣士の異常な身体能力だけが想定外だ。

 

「姉様」

 

 ケラルトは周囲に人気がないことを確認してから、レメディオスに声をかけた。

 

「ん?」

 

「正直に答えて。あのとき、手加減をした?」

 

「……していない。あのクレマンティーヌとかいう女。装備を整えれば近接戦闘に於いては私と互角に近いな」

 

「姉様と?」

 

 直接戦闘は不得意だが、自分の姉であるレメディオスの力は誰よりもよく知っている。

 聖騎士は悪魔やアンデッドなどの悪の存在との戦いに絶大な力を発揮する分、単純な戦闘能力に於いては純粋な戦士に一歩劣る。だが、レメディオスはその類まれなる才能と努力を重ねたことで、この細腕のどこにそんな力があるのか疑問に思うほどの馬鹿力や、最適な行動を瞬時に選択する獣じみた直感力を使い、直接戦闘に於いても本職の戦士をも凌駕する力を発揮する。

 そんなレメディオスが互角と称する以上、クレマンティーヌも単なる団体のまとめ役では無さそうだ。

 だがそれよりも重要なのは。

 

「もう一つ。サトル殿の力はどう見た?」

 

 ケラルトの質問にレメディオスは今度は即答せず、少しの間自分の腕をシゲシゲと見つめてから言った。

 

「あれは化け物だ。私がどうとかそういう問題じゃない。一人で我々聖騎士団とお前のところの神官団、全員を相手にしてもあっさり勝てるだろうな」

 

 思わず息を呑む。

 先ほどの光景を見て、薄々分かってはいたが、レメディオスがこうもはっきりと認めるとは思わなかった。

 レメディオスは自らが才能と努力によって得た力に絶大な信頼を持っているが故に、それを否定されることを嫌う。

 周辺国家最強と唄われる、かのガゼフ・ストロノーフ相手ですら、純粋な剣の腕は認めても、聖騎士としての特殊技術などを使えば自分の方が上だと付け足すほどの負けず嫌いなのだ。

 そのレメディオスが相手の方が上と認めるだけでなく、聖王国最強戦力である聖騎士団と神官団を総動員しても勝てないと言い切るとは、余程のことだ。

 

 そうなるとやはり、このままサトルをカルカの元に連れていくのはまずい。

 

 元々今回の計画はケラルトが独断で立てたものだ。

 その狙いは情報収集ではなく、サトルを説得して聖王国に所属させることで、彼の行動をカルカの命令だったことにする。つまり手柄を全てカルカのものにすることだ。

 

 場合によっては実力行使に出て無理矢理言うことを聞かせることも検討していたのだが、あの強さは想定外だ。

 強いとは言ってもあそこまでの力があるとは思いもしなかった。

 実際都市長を始めとした生き残った軍士たちから話は聞いていたが、亜人や悪魔などならばまだしも、一人の人間にそんな力があるはずがない。

 大方絶体絶命の危機を救われたことで、感謝の気持ちが彼の力を大きく見せただけだと考えていた。

 

 カルカに残した報告書にはそれらすべてが真実である可能性が高いと記したが、それは聖王国を救うためには強大な力が必要不可欠だと思わせることで、今回の作戦を容認してもらうための下準備に過ぎなかったのだが。

 

(嘘から出た真、というやつね。どうしたものかしら)

 

 主であるカルカだけでなく、姉すら欺いた──レメディオスの場合は単純に演技ができないと思ったから黙っていただけだが──この計画を今更なかったことにはできないが、予定を変更する必要は出てきた。

 本来の予定ではカルカに会う前にサトルを説得、あるいは脅迫することでおぜん立てを整え、カルカには承諾だけしてもらうつもりだったが、あれほどの強さがあると分かった以上、脅迫や力づくではなく、正式な交渉をしなくてはならなくなった。

 当然条件面などは、ケラルトが決めることはできないため、カルカに全て話す必要が出てきてしまった。

 果たしてあの優しいカルカが他人の手柄を奪うようなケラルトの計画を容認してくれるだろうか。

 

「うむ。カルカ様の方から会いに来いなど、無礼な奴だと思っていたが、過ちを認めて自分からカルカ様に謁見を申し出るなど良い心がけではないか!」

 

「……そうね」

 

 未だクレマンティーヌが口にした言い訳を信じている脳天気な姉に何を言っても無駄だろうと適当な返事をしつつ、ケラルトは頭に走る痛みを抑えるように、こめかみをぐりぐりと押し込んだ。




本来、書籍版のような追い詰められた状況でなければ、天然の和ませ役と言われているレメディオスに余裕がないのは、最初に会った都市長が救援に来たカルカたちよりもサトルを褒め讃えたことに苛立っていたことに加え、前回の戦いでグスターボが死亡したことも理由の一つです
ちなみにケラルトの方も行動や作戦に行き当たりばったり感がありますが、これはカルカが国家総動員令を発令させた時点で、戦いに勝っても彼女の立場が悪くなるのは明白なのが分かっているので、焦っているためです
聖王国の交渉編は次で終わらせる予定ですが、長くなったらまた分けるかもしれません

最後になりますが、活動報告でも書いたように、今後は毎週この時間に投稿することになりますのでよろしくお願いします


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 同盟参加の呼びかけ・聖王国

本来今回の話は、周辺国家同盟への参加を促す会談が中心になるはずでしたが、途中まで書いているうちに聖王国の現状が竜王国編で書いたものとあまり変わらないことに気付き、そこは飛ばしてそれ以外の部分を書くことにしました
なので少々タイトル詐欺になっているかも知れません


「ああ。クレマンティーヌさん、怒ってるよね」

 

 思わず深いため息が漏れる。

 サトルが亜人軍を追い返した後、ネイアはクレマンティーヌから二つの仕事を任されていた。

 一つはカリンシャ、いや聖王国の英雄となったサトルを、都市の顔役や聖王女と接触させないように匿うこと。

 そしてもう一つは、彼に団体頭首の座に就いてくれるように交渉することだ。

 

 前者はともかく、後者に関しては本物の神がごとき力を持ったサトルが、自分たちのような弱小団体の頭首の座に就いてくれるとも思えず、そんな身の程知らずとも言える難しい仕事が自分に務まる気はしなかった。それでも、彼に助けられた後ネイアがどのような活動をしていたかを真剣に話せば、きっと伝わる、と言われたことでやっと覚悟を決め、避難場所である団体の訓練でも使用していた、都市内に幾つかある訓練施設に着いてから話をするつもりだった。だがちょうどその場所を間借りすることになっていた聖騎士団のある人物に見つかってしまったことで、ネイアはその役目を果たすことができなくなった。

 

 同時に聖王女からの使者がクレマンティーヌに会いに行っていると聞かされたことで、サトルはネイアを置いてその場を後にしてしまった。

 

 なんとか解放されて自由になったネイアが、クレマンティーヌとサトルの待つ宿に到着したときには、既に交渉は終わり、会談の時間も決まった後だった。

 そして今、聖王女との会談の時間まで、その準備をするため一人になりたいとサトルに言われたことで時間の空いたネイアは、自分の役割を二つとも果たせなかったことを謝罪すべく、クレマンティーヌの部屋の前に立っているところだ。

 

「ううん。迷っている時間はない。今しかないんだ」

 

 この後ネイアはサトルを城まで案内することになっている。恐らくクレマンティーヌも一緒だろうが、流石にサトルの前で謝罪するわけにはいかない。

 覚悟を決めて部屋のドアを叩く。

 

「どうぞー。入りなよ」

 

「し、失礼します」

 

「部屋の前でうろうろしている気配があると思ったら、やっぱりアンタか」

 

 のろのろとベッドから身を起こしたクレマンティーヌが、こちらを一瞥して言う。

 彼女の服は見慣れた白いローブ姿に戻っていたが、目つきは鋭いまま──ネイアが言えた義理ではないが──であり、チグハグな印象を受けた。

 

「ク、クレマンティーヌさん。今、大丈夫ですか?」

 

「いいよー。どうせ私は聖王女のところに行けないから、寝てただけだし」

 

「え?」

 

 てっきり彼女も、サトルの付き添いとして付いていくものだと思っていたネイアは言葉を失う。

 

「あの猪女に殴り掛かっちゃってねー。サトル様に止められたから大事にはならなかったけど、流石に私が付いていったら文句言われるでしょ。だから私はお留守番」

 

 一度言葉を切ってから、じろりとネイアを見てから続ける。

 

「……どうやらそっちも失敗したみたいだねー」

 

 その言葉に、思わず背筋を伸ばしてから、頭を下げる。

 

「すみません。ちょっと予想外の出来事が起こってしまって……」

 

「その頭のデカいコブが原因? 大丈夫?」

 

 下げた頭にクレマンティーヌの視線を感じて、手を乗せると、手のひらに膨らみが伝わり、同時に鈍い痛みが走った。

 

「実は、カリンシャに来ていた聖騎士団の中に母が居て……叱られました」

 

 言いながら自分でも声に喜びが混じっているのが分かった。

 ネイアがサトルから離れることになったのは、母に捕まってしまったせいだ。

 聖王女が連れて来た聖騎士たちが訓練所に現れた時点でまずいと思い、サトルを連れて逃げ出そうとしたのだが遅かった。

 一瞬でネイアを発見した母は、無言のままネイアの襟首を掴んで捕まえると、問答無用で頭に拳骨をたたき込んできた。

 

 今まで母に本気で殴られたことなどいくらでもある。

 ネイアが自分の目つきの悪さを気にして、父に文句を言った後などは酷い目にあったものだ。

 だが今回は今までのものとは違う。

 比べものにならない痛みと、そしてある種の優しさが感じられた。

 

 その上で勝手に実家を飛び出したこと。父に心配をかけたこと。なにより母の信じる正義である聖王女を否定するような内容を吹聴したことを叱られたが、ただ一つだけ。

 今回の戦いで市民を率いて戦ったことだけは褒めてくれた。

 よくやった。とただ一言だったが、それで十分だ。

 その言葉はあのときの、スラーシュの大群を前に戦うこともできずに怯えていたネイアに戦わなかったことを褒め、生きていたことを喜んでくれたときの何倍も嬉しかった。

 もっとも、母がそうしてネイアが感動に身を震わせている隙を突く形で、聖王女の使者であるレメディオスたちがサトルに会うために宿に向かった話を聞かせたことで、サトルは訓練所を後にしてしまったのだと考えると、褒めたのもその隙を作るための計略だったのでは。と思ってしまうが、流石にそれだけではないと信じたい。

 

「ふーん……良かったね」

 

 話を聞き終えたクレマンティーヌは言う。

 呆れたような口調の中には、どこか寂しさが混じっていた。その声を聞いてネイアはクレマンティーヌが既に家族を亡くし天涯孤独だったことを思い出し、己の失言に気付いた。

 しかし、あれも演技のうちだった可能性もある。

 どこまで本当なのか分からない以上、下手に謝罪しては逆に失礼に当たるかも知れないと、頭の中で何を言うべきか思考を巡らせていたネイアに、クレマンティーヌは先ほどまで滲ませていた僅かな暗さを払拭し、努めて明るい口調で続けた。

 

「それで。ネイアはこれからどうするの? 私は聖王女との会談でどんな結果が出ても、とりあえず団体頭首として残ってくれるように交渉するつもりだけど」

 

「わ、私もそうですけど。どうするって、なんですか?」

 

 母の登場で交渉はできなかったが、断られたわけではないのだからまだチャンスはある。

 クレマンティーヌの言うように、聖王女がサトルに何の話をするかは分からないが、最低限サトルにあのときの言葉でどれほど感動し、どんな思いで団体を設立したのかを伝えたい。

 少なくとも、なにもせずに諦めるようなことはしたくない。

 

「いや。サトル様が頭首になってくれたらさ。今までの団体の考え方が変わるかもしれないでしょ。母親と仲直りもしたんなら、このままホバンスに戻るのもありかなってこと」

 

「え?」

 

「だってほら、サトル様の考えってまだ分からないからさ、ネイアが今まで唱えていた正義とは違うかも知れないじゃん。私は、そうだったとしてもサトル様の考えを新たな正義として掲げていくつもり。ネイアはそれでいいの?」

 

 冗談めかしてはいるが、こちらの意図を見抜こうとしているのか、元々鋭くなっていた瞳が更に鋭くなり、同時にその意味を理解する。

 クレマンティーヌが言っているのは、団体の理念の話だ。

 これまではサトルの言葉をネイアなりに解釈した正義を、団体の理念として皆に説いて回っていたが、これから先サトルが団体の頭首に成ってくれたとして、その正義がネイアたちが布教してきたものと同じである保証はない。

 その上でクレマンティーヌはサトルの信じるものを、絶対の正義として布教していくつもりなのだ。

 

 それが気に入らないのならば、母親とともにホバンスに戻れと言いたいのだ。

 これはネイアが邪魔になったから排除しようというのではなく、クレマンティーヌなりにネイアを気遣っているのだと分かった。

 今までネイアが見てきた聖女然としたものとは違うが、やはり彼女は優しい人なのだと分かり、思わず安堵してしまう。

 

 だがそれは不要な気遣いというものだ。

 あの戦いを見たことで、ネイアはサトルこそが正義そのものだと結論を出しているのだから。

 そもそもネイアが信じてきた、自分を含めて皆が強くなることで、力を付けて、国や大切な人を守るという正義は、それ以上の武力を以て敗北したことで崩れさっている。

 いや考え方としては今でも間違っているとは思えない。

 そうした理想を叶えるためには、より強い力が必要なのだと分かったのだ。

 それが実現できるのは、サトルをおいて他にはいない。

 

「私は、大丈夫です」

 

 母は実家に戻れとは一言も言わなかった。

 それはきっと、ネイアの意思を尊重してくれたからだ。

 だからこそ、ネイアはもう迷わない。今はただ自分の信じた道を進むだけだ。

 

「覚悟はできています。みんなの説得もしないといけませんしね」

 

 団体の理念が変わるということは、その考えに付いて来てくれた団員たちを裏切ることにもなるが、それでも彼に付いて行くのが一番だと、分かって貰えるように努力するつもりだ。

 

「ふーん」

 

「それに。亜人軍もあくまで撤退しただけですから。これから先聖王国を守るためには、もっともっと強い力が必要なんです」

 

 今回の件で、聖王女を始めとした歴代の聖王が掲げてきたやり方ではこの国を守っていくことは出来ないのだと証明された。

 その意味でも、サトルの下に聖王国が纏まらなくては今回のようなことが続くことになる。

 

「良い性格してるなぁ。サトル様を利用して国を守ってもらおうってか」

 

「ち、違いますよ! 私は単純に、サトル様の考えこそが正義そのもので、それをみんなに広めて纏まることが大切だって」

 

「はいはい。分かってる分かってる。そういう風に考える奴らも出てくるだろうから、気をつけようって話」

 

「あ」

 

 確かにそうだ。

 力ある者に人が集まるのは常だが、同時にそれを利用しようとする者も現れるものだ。

 都市の顔役たちをサトルに近づけないように言ったのも、そうした者たちからサトルを守るための言葉だったのだと今更気づく。

 実際、ホバンスにいたときにもそうした者が現れたと聞いている。そちらはクレマンティーヌが対応しているうちにいつの間にか本心から支援してくれるようになったそうだが、今になって思うとあれも彼女の持つ洗脳じみた力によるものだったのだろう。

 今度はそれをネイアにも手伝ってもらう、と暗に告げているのだと気付き、ネイアは無言のまま一つ頷いた。

 

「一番怪しいのは聖王女、いや神官団長だな。あの女、明らかにサトル様を利用しようとしてやがる。サトル様もなんか計画があるみたいだから、それを聞かないと動きようがないんだけど……」

 

 ちらりとこちらの反応を窺うクレマンティーヌに、何が言いたいのかすぐ分かった。

 

「分かりました。私もなんとか会談の席に同席できるように頼んでみます」

 

「そのとーり。まずはサトル様がどうするつもりなのかを知ることが一番重要だからね」

 

「が、頑張ります!」

 

 団体の現頭首とはいえ公的な立場もないネイアが、国のトップである聖王女との会談に割り込むのは──特にレメディオスが居た場合──不敬罪として捕らえられる危険性もあるが、それも覚悟の上だ。

 そんなネイアの覚悟を見抜いたのか、クレマンティーヌはニヤリと笑うと、猫を思わせる軽やかな動きでベッドから飛び上がり、そのままネイアに近づき、手を差し出した。

 

「んじゃ改めて。これからもよろしく。ネイア」

 

「はい! クレマンティーヌさん」

 

 ネイアは大きく頷き、差し出された手を握りしめた。

 ふいに、彼女の手に触れたのが初めてだったことに気が付く。

 クレマンティーヌの手のひらは非常に硬かった。それはネイアとは比べものに成らないほどの研鑽を積んできた証だ。

 その事実に気付かれないよう、ずっと隠してきたのだろう。

 もう隠す意味はないのだから当然とは言え、クレマンティーヌが自分に対してそれをさらけ出してくれたことを嬉しく感じる。

 そうした思いを込めて笑いかけると、彼女は小さく鼻を鳴らしてから、きっぱりと告げた。

 

「アンタやっぱり、笑わない方が良いわ。顔怖くなるから」

 

 

 ・

 

 

 

「だから気をつけるように言ったじゃないか」

 

 器用に鎧を操作して肩を竦めてみせるツアーに、悟は気まずそうに答える。

 

「いや。しかし、あの場合仕方ないだろう。ああでもしないと収まらない状況だったんだから」

 

 セバスを撤退させた後、クレマンティーヌに言われるがまま拳を掲げ、住民たちに応えたことだ。

 そのせいで悟はカリンシャに入った途端、住民に囲まれてしまった。

 この二百年、何度かたっち・みーの真似事をして人助けをしていたため、こうした歓迎を受けたことは今までも何度かあったが、流石に一つの都市の住人全員からあそこまで感謝を伝えられたのは初めてだった。

 その熱狂ぶりは救国の英雄どころか、神様扱いだ。

 

 これが命を救われたことに対するものなのか、それとも宗教国家ゆえの国民性なのかは知らないが、どちらにしてもあまり長居はしたくない。

 さっさと本来の目的である周辺国家同盟への参加を聖王女に打診するために、会談の約束を取り付けてきたのだ。

 交渉を成功させるためにも、会談の準備をする名目で一人になり、転移を使用して合流したツアーと作戦会議を行うはずだったが、いつの間にか話が自分を責める方向になったことに辟易している悟に、ツアーは更に続けた。

 

「それにしたって、もう少しやり方があっただろう。例のカルネ村の住人もそうだけれど、私たちのような大きな力を持つ者はそれでなくても、周りに他者が集まりやすいんだから行動には細心の注意を払う必要が──」

 

 以前から忠告されていたこととはいえ、流石にこうも一方的に言われると悟も黙ってはいられず言い返した。

 

「それを言うなら、あの登場の仕方を演出したのはそっちなんだから、責任はお前にもあるだろ」

 

 鎧を装着しているときは魔法が使えないため、ツアーが悟を持ち上げて上空からセバスとクレマンティーヌの間に落としたのだ。その登場の仕方によって、悟の神秘性が高まったのは間違いない。

 神様扱いも国民性だけではなく、あれが理由かもしれない。

 そう指摘するとツアーはウッと身を仰け反らせるような動きをみせてから、視線を外した。

 

「あれこそ仕方ないよ。あのタイミングでないと確実に彼女は死んでいただろうし。今回の戦いに於いて、人間側の戦力は一人でも多いに越したことはないんだ」

 

「それは俺も分かっている。だからお互い様だと言ってるんだ。そもそもお陰で周辺国家同盟に参加させやすくなったじゃないか」

 

 取りあえず痛み分けで話を終わらせようとすると、ツアーもまたその意図を察したようで一つ頷いた。

 長年敵対していたアベリオン丘陵の亜人軍に襲われていた聖王国を手助けした以上、悟たちがこの国にきた本来の目的である周辺国家同盟への参加を促すには十分な働きだ。

 

「まあそうだね。法国が奴らの手に落ち、アベリオン丘陵まで掌握された今、もうこの国も関係ないでは済まない」

 

「ああ」

 

 今までは聖王国は正直、周辺国家同盟に入っても入らなくてもどちらでも良い状況だったが、今回の件でそうもいかなくなった。

 聖王国まで落ちれば、エ・ランテル、法国、アベリオン丘陵、聖王国と全て地続きでナザリックの勢力が拡大することになってしまうからだ。

 逆に聖王国を周辺国家同盟に入れれば、王国と組んでアベリオン丘陵を北西両面から攻めることが可能になるため、交渉の重要度が増したとも言える。

 

「どうする? 聖王女の説得、私も一緒に行こうか?」

 

 聖王国を説得する意味が強くなったことに気の重さを感じていたため、ありがたい申し出ではあるのだが、ナザリック側の動きに気になる点もある。

 

「いや。思った以上にあいつ等の動きが早い。王国の方にも何か仕掛けてくるかも知れない。俺はこの鎧を付けている限り伝言(メッセージ)を送ることはできないから、村の連中には何かあったらハムスケに連絡するように言ってあるが、あいつは都市の中には入れない」

 

「あー。今の聖王国の状況ではハムスケは亜人側だと思われるか」

 

 城壁で話を聞いたときも、兵たちはサトルとツアーは受け入れたが、ハムスケには警戒を示しており、城壁の中に入れるわけにはいかないと言って来たのだ。

 ここでも同じことが起こったら困ると、今は一人で都市の外に待機させているが、ハムスケがそのことでショックを受けていたことも併せて、このまま放置しておくのもまずい。

 

「だからツアー。お前はあいつと一緒に都市の外で待機して、緊急の場合は転移で俺のところに来てくれ」

 

 とは言え、聖王国のことをほとんど知らない状況で、国のトップと一人で会うのも心細い。

 ネイアかクレマンティーヌ辺りに同席を頼んだ方が良いかもしれない。

 

「分かった。聖王女との会談では相手を立てて、下手に出ることを忘れずにね」

 

「分かっている。お前ちょっとしつこいぞ」

 

「そう言いたくなる私の気持ちも察して欲しいところだね」

 

 ツアーの言葉に、不機嫌そうに鼻を鳴らしてから、悟は心の中で毒づく。

 

(言われるまでもない。俺には神様ごっこをしている暇なんてないんだ)

 

 セバスから話を聞いたアインズを名乗るコピーNPCがどう動くか、まったく分からないのだから。

 

(あるいは一度、こちらから動いてみるか?)

 

 そっと自分の右手を注視する。

 全身鎧に隠れて見ることはできないが、その下にはギルド、アインズ・ウール・ゴウンのサインの入った指輪が輝いていた。

 

 

 ・

 

 

 サトルと名乗った戦士が部屋を出てから、しばらくの間、目を伏せて沈黙を守っていたカルカだったが、やがてゆっくりと目を開くとケラルトとレメディオスに声を掛けた。

 

「二人とも。今の話、どう思いました?」

 

 サトルの話とは、例のアベリオン丘陵を纏めあげ、聖王国に攻めて来た仮面を付けた敵の首魁すら、強力なアンデッドを従えて、たった一夜にして王国の最重要都市であるエ・ランテルを占拠した一団の先兵でしかなく、その一団を止めるため既に、竜王国、帝国、評議国を含めた周辺国家が同盟を結んでいるという話だ。

 サトルがこの国にやってきたのは、聖王国にその同盟への参加を促すためらしい。

 

「……確かに、王国のエ・ランテルで何か動きが有ったとの話は聞いています。てっきり例年の帝国との戦争に関係したものだと思っていましたが──」

 

「ではあの話も信憑性はあると?」

 

「もちろん全ては裏取りを行ってからの話ですが、少なくとも今はそれが事実として考えた方がよろしいかと」

 

 ケラルトが言っているのは、他の幕僚がいないこの場に於いては、彼の言葉が全て本当という前提で考えた方が話が早い。

 つまり、もし本当ならば、その僅かな時間が命取りになるような状況にあるということだ。

 

「そうね。それに、ここで何らかの答えを出さなければ……」

 

「はい。彼はかなり強かです。戦った直後は住民たちにアピールをしたのに、都市に入ってから対応を全てクレマンティーヌなる女性に任せて、自分は一時的に雲隠れした。会談にネイア・バラハの同席を求めたのもそれが理由でしょう。こちらの返答次第では彼女を使って、今回の功績を都市中に広めるつもりです」

 

 こんな国家の一大事に繋がりかねない決断を──正式なものではないにしろ──この場で形にしなくてはならなくなった理由がそれだ。

 サトルは自分の功績を喧伝することを意図的に避けて、それを交渉に利用しようとしている。まずはそれを受けるかどうかを決める必要があるのだ。

 

「なに? あの目付きの悪い娘が居たのはそんな理由だったのか? てっきり、サトル……殿が一人でカルカ様に会うのが恐れ多くて同席を求めたものだと」

 

「そんなわけないでしょう」

 

 気の抜けたレメディオスの発言に、場の空気が僅かに緩む。

 こうした彼女の天然めいた無邪気さは、カルカの疲れた心を癒してくれるが、今回はそれが逆に作用した。

 

「ふぅ。どうしたものかしら」

 

 張りつめていた精神が一瞬緩んだことで、思わず息を吐いてしまったのだ。

 

「……申し訳ございませんカルカ様」

 

 それを見たケラルトが深く頭を下げる。

 元々今回の会談はケラルトが独断で動いて決まったものだ。

 彼女の狙いはサトルを聖王国に雇い入れることで、今回の件を全てカルカの指示に行ったことにして、功績を奪うこと。

 サトルがそれを断った場合は武力で脅すことも考えて、レメディオスも連れて行ったようだが、彼はその上を行った。

 

 武力的な意味でもそうだが、サトルはケラルトの行動で聖王国が今回の件に於ける功績を自分のものにしたがっていると気付き、交渉材料として利用したのだ。

 いや、そもそも自分たちがカリンシャに入る前から、わざと功績を広めなかったところを見るに、初めからそのつもりだったと見るべきだ。

 ならばそれはケラルトの責任ではない。

 

「いえ、ケラルト。あなたが悪いんじゃないわ。全ては聖王国のためを想ってのことですもの」

 

 頭を下げるケラルトを、カルカは慌てて宥める。

 確かにケラルトが独断で動いた事実は変わらないが、それも元を辿れば、八方美人と揶揄される強い政策の取れないカルカに原因がある。

 

「ですが……」

 

「それに。彼の提案に乗るのも悪いことではないと思うわ」

 

「っ! カルカ様、それは……」

 

 その言葉でケラルトもカルカの言いたいことを理解したらしく、驚いたように目を見開き、カルカを真っすぐに見つめた。

 サトルが暗に知らせて来た、聖王国が周辺国家同盟に参加すれば、今回のカリンシャでの功績を聖王女であるカルカに渡すとの提案に乗ってもいいと告げているのだ。

 勝手に同盟への参加を決めたとなれば、南部貴族からは突き上げを喰らうだろうが、少なくとも民からの信頼は失わずに済む。

 

 つまりある意味では、民を騙すことにもなる提案をカルカが受け入れると決断したことで、ケラルトの考えは間違っていなかったと言外に伝えたのだ。

 カルカの思いを受けたケラルトが、何かを言おうと口を開きかけた途端、再び無邪気な声がそれを遮った。

 

「いいえ。カルカ様。全てはケラルトの責任です」

 

「姉様」

 

 空気を読まない己の姉をジロリと睨むケラルト。

 

「なんだその目は。考えるのはお前の仕事。それが間違っていたのなら、その責任はお前にあるに決まっているだろうが。そして私はカルカ様の護衛をしっかりと果たした。適材適所だな」

 

 胸を張って言うレメディオスに、再び場の空気が弛緩する。

 だが今度は先ほどと異なりそれが良い方に作用した。

 眉間に皺を寄せていたケラルトの表情が緩み、そのまま軽口を叩く。

 

「だったら姉様。サトル殿の口を塞いできてくださいよ。そうすればこんなに急いで話を進める必要はないんですから」

 

 当てつけのような、いや。完全な当てつけだろう。

 ケラルトにしては珍しく論理的ではない言葉に、レメディオスは眉を顰めた。

 

「むぅ。それは無理だ。他のことにしろ」

 

 誰よりも努力を重ね、聖王国随一の強さを誇るレメディオスが、間を置かず自分では勝てないと言い切ったことで、改めてサトルの強さを実感する。

 

(そんな彼と互角に戦った仮面の男すら先兵に過ぎないエ・ランテルを支配した一団。アベリオン丘陵がそんな相手に支配されたというのなら、やはり同盟に参加するしかないのかしら)

 

 連鎖的に相手の強さが見えてくると、ますます聖王国が置かれている状況の厳しさも見えてくる。

 カルカが断腸の思いで国家総動員令を発令させた今回の事件すら、単なる序曲に過ぎなかったのだ。

 

 相手は国だけではなく、世界そのものを揺るがすような強大な力を持った存在。

 聖王国だけが無関係でいることはできない。

 この戦いはきっと聖王国史上最も過酷な戦いになるだろう。

 

 そんな戦いを切り抜けるには、もうカルカだけが綺麗なままではいられない。

 だがそれでも。

 

 誰も涙を流さなくてよい国を作る。

 

 その理想だけは叶えてみせる。

 

(たとえ私の手を汚すことになったとしても……)

 

 決意と共にカルカはケラルトに一瞬だけ目配せをすると、彼女もまたそれだけで全てを理解したように強く頷く。

 それを見て、カルカは同盟参加を決意した。

 

 

 ・

 

 

「さて。どうやってナザリックまで帰還しましょうか」

 

 聖王国北部の森の中に身を隠したセバスは、これからについて考えていた。

 一刻も早くナザリックに帰還しなくてはならないのだが、魔法の使えないセバスは転移(テレポーテーション)転移門(ゲート)などで一気に戻ることが出来ないのだ。

 だからこそ、定時連絡の際に状況を説明してシャルティアなどに迎えに来てもらうしかないのだが、何故か定時連絡が途切れてしまった。

 ナザリックで何か起こったのか。

 あるいは──

 

「っ!」

 

 突如目の前に現れた黒い塊を前に、セバスはその場で姿勢を正した。

 主自らが現れる可能性も考慮したためだが、聞こえてきたのは別人の声だった。

 

「ん。ここにいるのはセバスだけでありんすかぇ?」

 

「はい、シャルティア様。亜人たちは目立つため、別の場所に待機しておくように命じています」

 

 確認の後、主が現れる可能性も考慮しながら告げる。

 以前、他ならぬシャルティアが裏切りを疑われた際は、守護者同士の争いを止めるため、主自らがその場に出向いたことがあったからだ。

 そのときは先にセバスが現場に向かい、安全を確認してから主が転移するという方法を取ったのだ。

 今回もあるいは。と考えていると、カラカラと明るい笑い声が響いた。

 

「そう硬くなる必要はありんせん。アインズ様は参りんせんよ……来るはずがありんせん」

 

 途中から笑い声が鳴りを潜め、ゾクリと背筋を凍らせるような冷たい響きに変わった。

 

(やはり、そういうことですか)

 

 定期連絡が途絶えたのは、セバスとサトルを名乗った騎士とのやりとりが中途半端に伝わったせいだ。

 つまり、セバスの裏切りが警戒されている。

 だからこそ、定時連絡が途絶え、こうして守護者最強であるシャルティアが現れた。

 

(いや。前回のことを考えると彼女一人とは限りませんか)

 

 あのときは守護者三名に加え──その時はアウラとマーレがどう出るかわからなかったということもあるが──デミウルゴス配下の魔将たちも呼んで必勝の形を作っていた。

 案の定、完全武装の状態で現れたシャルティアに続いて、もう一人こちらもまた完全武装の状態で現れた相手に、セバスはほんの一瞬眉を寄せた。

 彼女が来るのは想定していなかった。

 主が玉座の間に籠っている間、主に代わってナザリックの内政を任せられている関係上、ナザリック内の問題解決に動くことはあっても、外に出ることは今まで一度も無かったからだ。

 どうやら自分の立場は思った以上に悪くなっているらしい。

 

「……アルベド様」

 

 守護者統括アルベド。

 漆黒の全身鎧とバルディッシュという、彼女の主戦武装を纏いながらも、その足取りはドレスを纏っているとき同様に優雅なものだ。

 そのままセバスの前に立つとアルベドはゆっくりと周囲を見回し、何かを確認するような仕草を見せてから、セバスに視線を戻した。

 

「急に悪かったわねセバス。貴方に聞きたいことがあるのよ……たっち・みー様の鎧を纏った御方についての話よ」

 

 漆黒の全身鎧に身を包んでいるせいで顔は見えなかったが、その声は何故か喜色を孕んでいるように聞こえた。




次はナザリック側の話を進める予定です
王国はその後ですが、王国の立場は少々特殊なので、別の章扱いになるかと思います


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第41話 動く者、動かぬ者

セバスが採った予定外の行動を受けたナザリックの面々の話
最終決戦への前振りでもあります


 デミウルゴスが立案した亜人を率いて聖王国を蹂躙する計画を実行していたセバスが、こともあろうに敵前逃亡したとの報を聞き、エ・ランテルでの仕事を配下に任せてデミウルゴスはナザリックに帰還した。

 

「第三王女の見極めも済んでいないというのに」

 

 自分でも声に苛立ちが混ざっているのが分かった。

 現在聖王国での作戦や、エ・ランテルの管理以外にも、早急にこなさなくてはならない案件が存在している。

 それが周辺国家同盟が設立した後、その監視を誰に行わせるかというものだ。

 こちらの目論見通り、エ・ランテルを占拠したナザリックを警戒した国々は同盟を設立し、参加する国を順調に増やしているのは良いのだが、地理的にも国家の理念的にも真っ先に声が掛かるはずの法国には何の知らせも届いていない。

 これはエ・ランテルの作戦中に処理するはずだった陽光聖典の者たちが逃げ出してしまったことで、上層部が既にナザリックの支配下にあると露見したためだろう。

 今のところ、その事実を公表する動きはないようだが、これで法国は同盟に参加することができなくなった。

 

 そのためデミウルゴスは法国に代わって同盟を内部から操る人材を捜していたのだが、つい先日、エ・ランテルの生き残りや法国の情報網を使って、ようやく候補者を見つけることが出来た。

 その相手こそが王国の第三王女であるラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。

 彼女は国民のためとなる様々な政策を打ち立てたことで、黄金と呼ばれ民衆からの人気も高い聡明で慈愛に満ちた王女と謳われている。

 実際に彼女が提案した政策はナザリック最高の知者であるデミウルゴスをも感心させるものばかりだったが、それだけの頭脳がありながら、ラナーの行動には不可解な点も見受けられる。

 

 その頭脳があれば簡単に想像がつくはずの根回しを怠ったり、貴族たちの取得権益に踏み込んで妨害を受けるなどといった空回りとも言える行動。

 それが他者を操るためにあえて選択しているのだと気づいたことで、デミウルゴスは改めて彼女の功績を分析し、彼女の本心は、評判とは裏腹に国や民のことなどどうでもよく、ただただ自分の利益のみを追求するタイプであると理解した。

 こうしたタイプは、十分な利益を提示すれば何の迷いもなく国を裏切る。

 エ・ランテルが王国の領土であり、周辺国家同盟から外すことはできない以上、同盟を裏から操る駒として最適の存在だ。

 しかし、一つ懸念もあった。

 

 それこそが彼女の頭脳だ。

 王家の血筋を残すためのスペアのスペア程度の価値しかなく、権力も武力も持たない第三王女が王宮の中から王国内のみならず、有益な政策を流すことで間接的に帝国すら動かす。

 この知能は人間としては異常。その叡智は自分にも匹敵しかねない。

 だからこそ、もう少し詳細な情報を集めてから交渉するつもりだったが、セバスの処遇如何によっては計画修正が必要となる。

 結果的に、第三王女の件は後回しにするしかなくなった。 

 その苛立ちが足運びにも現れていることを自覚しつつ、墳墓への入り口である霊廟から第一階層に向かって進み出したデミウルゴスの前にマーレが姿を見せた。

 

「あ、あの。デミウルゴスさん。お疲れさまです」

 

「ああ。マーレ、こんなところでどうしたんだい?」

 

 怒りを抑えながら努めて普段通りに接すると、マーレはいつも以上にオドオドとした態度で口を開いた。

 

「え、えっと。セバスさんの件で報告があるんです」

 

 そんな風に口火を切ったマーレの言葉に、デミウルゴスは眉を顰めた。

 デミウルゴスにセバスが予定外の行動を取ったと報告してきたのは、連絡役──あるいは監視役──として預けていた影の悪魔(シャドウ・デーモン)だが、未だ不明の点も多い。

 セバスが影の悪魔(シャドウ・デーモン)に亜人軍の指揮を命じて、一時的に影から離れた、まさにそのタイミングでセバスは何者かと交戦に入り、そのままカリンシャを攻め落とすことなく亜人たちにも撤退を命じたため、交戦に入った敵の正体やその時に交わされた会話などは不明のままだからだ。

 逆に言うと、セバスはわざと影の悪魔(シャドウ・デーモン)を自分から遠ざけた上で行動を起こしていることになり、非常に怪しい。

 

 やはりデミウルゴスが懸念していた通り、セバスは己の正義とやらに準じてナザリックを裏切った可能性が高い。

 本来は直ぐにでも転移魔法でセバスの下に出向いて詰問したいところだが、セバスの強さは守護者内でもシャルティア、マーレに続いて三番目、アルベドやコキュートスと同格とされている。

 敵に回った場合、デミウルゴス一人では勝ち目は薄い。

 人数を集め、必勝の戦力を整える必要がある。

 そう考えたからこそ、デミウルゴスは報告を聞いて直ぐナザリックに帰還した。

 

 つまり現時点でセバスの行動を知っているのはデミウルゴスだけのはず。

 だと言うのに、既にマーレがその情報を手にしていることを訝しんだのだ。

 情報の出どころも気になったが、余計な横やりを入れても始まらないと、大人しくマーレの話を聞くことにした。

 その報告は予想外のものだった。

 

 

「アルベドが?」

 

 マーレ曰く、アルベドはセバスの件を把握済みであり、詳しい話を聞くためにニグレドの力で居場所を調べ、シャルティアを伴って既にセバスの下に出向いたというのだ。

 

「は、はい。今回の件はシャルティアさんと一緒にアルベドさんが直接セバスさんから話を聞くので、自分が戻るまで僕たちにはナザリックで待機しているようにと」

 

 デミウルゴスから発せられる憤怒のオーラでも感じ取ったのか、いつも以上にビクビクしながらマーレが言う。

 

「……アインズ様はこの件をご存じなのですか?」

 

「えっと、その。僕が報告したんですけど、今は玉座の間でやらなくてはならないことがあるので、アルベドさんにお任せすると」

 

 怯えた様子のままマーレが続ける。

 玉座の間、というより第十階層のソロモンの小さな鍵(レメゲトン)より先は未だに主以外立ち入りが禁じられている。

 加えて主がそこに入っている間は余程の緊急時を除き、伝言(メッセージ)による連絡も禁止されているので確認は取れないが、マーレが主の言葉を捏造するとは思えないので事実なのだろう。

 

「守護者統括殿でしたら、セバスに情けを掛けるとは思えませんが、何故二人だけで──」

 

「な、なんででしょうね」

 

 必要以上の反応を見せるマーレを見てピンときた。

 おそらく彼はアルベドからその理由も聞いている。

 その上で黙っているように言われているのだ。

 

(あのときの意趣返しのつもりですか)

 

 以前シャルティアの行動を怪しんで、アルベド、デミウルゴス、コキュートスの三人で話を聞きに出向いたときのことだ。

 怒りのあまり即座にシャルティアを処断しようとしたアルベドを諫め、まずは話を聞くようにと言ったのはデミウルゴスだ。

 あのときは主が玉座の間に籠もっていたことで、正確な指示系統が確立されておらず、シャルティアの行動も明確な裏切りとは言えず、先ずは話を聞かなくてはならないと考えたからこその提案だったが、今回は違う。

 この計画が正式に主より許可を貰っている以上、どんな理由があろうと、セバスの行動は明確な命令違反に他ならない。

 

(もしくは、そうして理由付けすることで、こちらの仕事を奪おうとしているのか?)

 

 主が玉座の間から出てきて以後、アルベドは妙に大人しくなった。

 あれほど主の寵愛を欲していた彼女らしからぬ態度だが、それも己の有用性を示すことで、主に見捨てられないようにするためのものだと結論づけて、特に口出しはしていなかった。

 しかし、そのやる気に反してアルベドの仕事は主が玉座の間に籠っていた時に比べて減っている。

 世界征服という目的のために本来の仕事である階層守護以外にも、方々で働いている守護者の面々と異なり、守護者統括のアルベドの仕事はナザリックの維持管理のみ。以前は手作業で行っていた内容を、主自らが玉座の間で行うようになったことで、彼女の負担は激減した。

 だからこそ、新たな仕事を求めたアルベドが、ナザリック内の様々な場所に出没しているとも聞いていた。

 

 それでも仕事が見つからなかったため、本来は作戦の立案者にして、総責任者でもあるデミウルゴスがやるべき仕事を奪おうとしているのではないだろうか。

 だとすれば勝手すぎる。

 そもそもナザリックの維持管理は、アルベド以外には任せられない、と主直々に命じられた大役だというのに贅沢な話だ。

 

(これではシャルティアと大差がないですね)

 

 シャルティアが勝手に動いた理由も確か、自分の仕事が少ないことを妬んでのことだったはずだ。

 

(ああ。だから、彼女だけ連れていったのか)

 

 例えアルベドの思惑に気づいても、かつて同じことをしたシャルティアならば、アルベドの行動に文句は言えないだろうと考えてシャルティアだけを伴ってセバスの聴取に出向いたと考えれば辻褄はあう。

 実際、エ・ランテルの管理や今回のセバスの行動のせいで作戦を練り直さなくてはならなくなったデミウルゴスよりは仕事の少ないアルベドとシャルティアが行った方が、無駄がないのも確かだ。

 しかし。

 

(人の仕事を横からかすめ取るような真似は感心しませんね)

 

 これに尽きる。

 仕事が増えるといっても結果的にナザリック、つまりは主に迷惑を掛けるのならばともかく、ただデミウルゴスの負担が増えるだけならば大した問題ではない。

 ナザリックに属するものであれば仕事が増えることは、歓迎すべきことではあっても、不満を覚えることではないからだ。

 それをこちらの意見も聞かず勝手に奪い取るなど、不愉快極まりない。

 とは言え、アルベドたちが主からも許可を得ている以上、デミウルゴスにはもうどうしようもない。

 未だ燻る不満を深呼吸と共に吐き出し、こちらをチラチラと窺っているマーレに笑い掛けた。

 

「守護者統括殿でしたら問題はないでしょう。私は自分の仕事をすることにします」

 

「そ、そうですか……良かった」

 

 デミウルゴスの返答にマーレは急に明るくなり、気が緩んだのかぽつりと呟いた。

 やはりマーレはここでデミウルゴスを待ち、場合によっては足止めでも命じられていたのだろう。

 

「じゃ、じゃあ僕はこれで──」

 

「ああ、マーレ。少し待ってくれないか?」

 

 安堵の表情のまま離れようとするマーレを引き留める。

 

「は、はい?」

 

「そもそも私はまだ今回なにが起こったのか詳しく聞いていなくてね。君がアインズ様に報告したというのなら、アルベドから詳細も聞いているのだろう? 私に教えてくれないか。場合によっては今回の作戦を修正する必要があるのでね」

 

「で、でも僕はシャルティアさんの代わりに第一階層の見回りが──」

 

「それは彼女の配下に任せておけば問題はないよ」

 

 マーレの言葉をピシャリと遮る。

 シャルティアの代わりと言っているが、もしもの際、足止めを命じられていたのならば、その辺りも事前に手が打たれているはずだ。

 案の定図星だったらしく、マーレは助けを求めるように落ちつきなく周囲を見回しているが、否定の言葉は出てこなかった。

 

「さあ、セバスが一体なにをしでかしたのか、ゆっくりと聞かせてもらおうか」

 

「……は、はい」

 

 アルベドたちにメッセンジャーを押しつけられただけのマーレには可哀想だが、ここで不満を解消しておかなくては今後に差し支える。

 回りまわって、これもナザリックのため。

 マーレには愚痴聞き相手になって貰うとしよう。

 そんな思いを込めながら、デミウルゴスは怯えているマーレに再度笑い掛けた。

 

 

 ・

 

 

 ナザリック地下大墳墓第十階層、宝物殿最深部、霊廟。

 これまで意図的に避けていた場所にアインズは足を踏み入れていた。

 手前にある待合室はパンドラズ・アクターとの合流場所として使用しているが、そのときも眺めることはあっても、ここまで足を踏み入れる気にはならなかった。

 ここには仲間たちを模してアインズが造り上げたアヴァターラが存在しているからだ。

 

 もっとも、ギルドメンバーの外見をうまく真似ることが出来なかったアインズ、いや、鈴木悟が購入した外見データをゴーレムに無理矢理押し込んで制作したため、かつての仲間たちの姿を一割も再現できていない歪なデザインの物ばかりだが、武装が付けられていることで、誰を模して作られたのかなんとか理解できる。

 

 今のアインズは設定を書き換えられたせいか、大切な存在であるはずのかつての仲間たちに黒い感情を抱いてしまう体質となっており、例え不出来であってもアヴァターラに囲まれていると、ユグドラシルでの思い出が蘇り、己の内から黒い感情が湧き上がり続けてしまう。

 それが嫌でここには近づかないようにしていたのだが、今回ばかりはそうも言っていられない。

 どうしても、確かめなくてはならないことがあった。

 

 左右の窪みに鎮座するアヴァターラは、全部で三十七体。

 最終日までアインズ・ウール・ゴウンに席が残っていた三人と鈴木悟、合計四人分が未制作なのだが、それ以外のアヴァターラには仲間たちから譲り受けた装備品、アインズの主武装にも迫る強力な武装が付けられている。

 しかし、一体だけ例外があった。

 武装が一つも付いておらず、外装データを押し込んだときのまま、いわば裸同然であるが故に、不格好さがより顕著となってしまっているアヴァターラ。

 

「……あんな嘘を言うんじゃなかった」

 

 以前セバスから、たっち・みーの武具がどこにあるのか質問を受けたことがあった。

 突然の質問に慌ててしまい、そのときはとっさにこの宝物殿に仕舞われていると嘘を吐いたが、実際は違う。

 以前ここにあったのは確かだが、鈴木悟が最終日、作り上げたコピーNPCに装着させて勇者としてナザリックを攻略させるというお遊びの為に、彼の武具を持ち出してしまったのだ。

 そのことをアインズもぼんやりと覚えていたのだが、このアヴァターラを見たことで、あの記憶が現実のものだと確信した。

 

「やはりあの鎧は本物だったか」

 

 作戦行動中だったセバスの前に現れた純銀の騎士が纏っていた鎧こそが、このたっち・みーを模したアヴァターラが装備していたはずの鎧。

 世界級(ワールド)アイテムに匹敵すると謳われた、本来はワールドチャンピオンのみが装着できる純銀の全身鎧、コンプライアンス・ウィズ・ローなのだから。

 

「ついにこのときが来たか」

 

 玉座の間で見た純銀の騎士を思い返しながら、アインズはため息のまねごとをする。

 アインズはセバスとあの純銀の騎士の戦いを遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)を使って玉座の間から見守っていた。

 それも、エ・ランテルの作戦でシャルティアが謎の敵に襲われた際、声が聞けなかったことを反省し、感覚器官を作り出す魔法と声を聞けるようにする魔法の巻物(スクロール)を併用した上でだ。

 

 NPCがナザリック外で単独行動を取る際には、出来る限りそうするようにしているが、今回は別の事情がある。

 デミウルゴスが立案したアベリオン丘陵の亜人を纏め上げ──エ・ランテルで働かせる手駒として増やす意味もある──聖王国を襲わせることで、周辺国家同盟に参加させる計画の実行役としてセバスが名乗りを上げたためだ。

 

 今回の作戦が成功すれば、一般人にも多大な被害がでる。

 それがナザリックのためになるのならアインズは特に気にしないが、似たような虐殺行為が行われているエ・ランテルの住人に同情し、アインズに直訴しにきたはずのセバスが自ら志願したことに違和感を抱いたのだ。

 しかし、他ならぬ作戦立案者のデミウルゴスがそれを受け入れたため、アインズも却下できなかった。

 

 とはいえ、セバスの意図が読めず、何か起こってからでは遅いと考えて監視を行うことにしたのだが、アベリオン丘陵の平定に際し、支配されることをよしとせず刃向かった亜人たちへの見せしめとして行われた虐殺行為に胸を痛めている様子や、天幕で口にした独り言などを聞いていて、セバスの目的は察しがついた。

 ようするに、セバスはペストーニャやニグレドと共に直訴した際、アインズに謝罪させてしまったことを悔い、その償いのために望まぬ虐殺行為を行おうとしているのだ。

 

 だが、それは見当違いな考えだ。

 アインズがセバスたちに謝罪したのは、彼らの願いを聞き入れられないことに対してよりも、自分のふがいなさと、偽物でありながら彼らを騙していることへの後ろめたさが主な理由なのだから。

 セバスが気に病む必要はない。

 

 だからこそ、場合によっては何らかの形で作戦に介入し、セバス自らの手で一般人を虐殺させることだけは止めようと考えて、その後も監視を続けていたのだが、いよいよ作戦が佳境に入り、目的地であるカリンシャなる都市にセバスが押し入ろうとした時、それは現れた。

 空から降り立ち、セバスと敵対していた女を守るように現れた純銀の騎士。

 

 まるで、ユグドラシルに嫌気がさしていたアインズを救ってくれたたっち・みーのような登場の仕方に、アインズは驚きと共に懐かしさを覚えたものだ。

 その時点でアインズはある意味安心していた。騎士の正体が本物の鈴木悟だと気づいていたからだ。

 もっとも、正義の味方じみた行動や、たっち・みーの名前をイジった言動などには、初めてパンドラズ・アクターを見た時のような寒気を覚えたが。

 

 相手が本物の鈴木悟ならばセバスと戦い出したのも本気ではなく、カルマ値が善のセバスならその場で鈴木悟が余計なことを言っても上手く説得できると考えたことも、楽観視した要因だ。

 結果、アインズは戦いよりも、悟にナザリックへ戻ってきてもらった後、他のNPCにアインズのことをどう説明するべきかを考え始めていた。

 

 自分が悟を名乗り、本物の悟にアインズ・ウール・ゴウンの名を押し付けてナザリックに君臨してもらおうか。

 

 そんな呑気なことを考えていたからこそ、鎧の中身がアインズだと誤解していたセバスに対し悟が言い放った台詞が突然耳に飛び込んできて、一瞬頭の中が真っ白になってしまった。

 

「この世界に混乱をもたらすやり方は認めない、だと?」

 

 今思い出しても怒りがこみ上げる。

 その上悟は、近いうちに周辺国家を纏め上げて挨拶、つまりはナザリックに攻め込んでくるとまで言い放ったのだ。

 その言葉がどこまで本気なのかはわからない。

 

 単純に悟が一人でこの世界に転移して来てしまったことで、ナザリック側の状況がよく理解できず、正義の味方のロールプレイの一環として、そんな言葉を口にしたのかもしれない。

 

 そうだったとしても許せることではない。

 NPCたちはナザリック地下大墳墓のため、唯一残った主に忠義を尽くすために、身を粉にして働き、セバスに至ってはNPCにとっては自身の存在理由とすら言える創造主の定めた設定すら押し殺している。

 今まさにその設定書き換えのせいで大切な存在であるはずのナザリックやギルドメンバーに黒い感情を抱いているアインズだからこそ、その苦しさがよくわかる。

 

 そんなセバスを──そのことを知らなかったとしても──責め立て、自分の方が正義だと言い放った鈴木悟に、言葉では表せない不快感と怒りを覚えていた。

 

「クソ! 好き勝手言いやがって。俺が、みんながどんな思いでこのナザリックを守ろうとしているのかわかっているのか!」

 

 改めて思い出したことで怒りが一気に膨れ上がったアインズは、たっち・みーのアヴァターラから視線を外し、代わりにいずれは自分のアヴァターラを置く予定だった、空の窪みを睨みつけた。

 ここに来たのは鎧の確認だけではなく、怒りを吐き出し、冷静になってこれから自分がどうするべきか考えるためだ。

 自分に鈴木悟の記憶と人格があったとしても、所詮はコピー。

 この話をしても他の者たちは全員本物の側につくだろう。

 

 唯一パンドラズ・アクターだけは三人平等に忠誠を誓うと約束してくれているが、だからこそ自分にだけ力を貸してくれはしない。

 できれば時間を稼ぎつつ、一人一人に話を聞いて仲間になってくれそうな者を捜したいところだが、この話を他の者たちが知るのも時間の問題だ。

 つい先ほど、マーレが伝言でそんな報告をしてきた。

 

 正確には悟のことではなく、セバスが計画を無視して敵前逃亡したので、アルベドとシャルティアがその対処を行うとの報告だったが、二人がセバスから話を聞けば同じことだ。

 アルベドはナザリックにいるアインズが偽物だと気づいている節があるとパンドラズ・アクターも言っていた。

 実際感づいているのは、アインズとパンドラズ・アクターが入れ替わっていることらしいが、ナザリックでも三指に入る知恵者として創造されたアルベドなら、そうやって入れ替わりながらナザリックの管理運営を行っている自分たち二人を怪しみ、鈴木悟こそが本物だと推察しても不思議はない。

 

 仮に気付かれなかったとしても、悟がセバスに語った通り周辺国家同盟を纏め上げて、この地に攻め込んでくればそれで全てが終わりだ。

 鎧を解いて正体を明かすだけで、NPCは悟に手を出すことができなくなり、このナザリックは本物の鈴木悟の物となる。

 場合によっては正義の味方ロールを続けて、エ・ランテルで虐殺を行ったナザリックの存在そのものが許せないなどと言いだし、NPCたち全員に死を命じることすらあり得る。

 そしてその場合、NPCは全員その命に従い自ら命を投げ出すだろう。

 

 もちろん考えすぎの可能性の方が高い。

 決して裏切らず、どんな命令でも聞くNPCをわざわざ殺す理由などないのだから。

 だが、可能性はゼロではない。

 そして所詮偽物にすぎないアインズにはそれを止める力はない。

 

「──いや、逆だ」

 

 確かにこの体は紛い物、オーバーロードであるモモンガのコピーとして生み出された物にすぎないが、記憶と人格は本物であり、例え鈴木悟から自害を命じられたとしても、それを聞くことはない唯一の──正確には同じ立場のコピーNPCがもう一人いるが──NPCだ。

 ならば、最悪の事態を想定し、どんな手段を用いてでも先に鈴木悟を捉える。

 その上で本心を聞き出し、もし本当に他のNPCたちに危害を加えるつもりならば。

 そのときは──

 

「私が皆を守る。今度こそ、誰も失わない」

 

 鈴木悟でもモモンガでもない、このナザリック地下大墳墓の支配者、アインズ・ウール・ゴウンとしてそう言うと、アインズはアヴァターラに背を向けて覚悟と共に歩き出した。

 

 

 ・

 

 

「報告は以上となります。栄えあるナザリック地下大墳墓の執事でありながら、背を向けて撤退したことにつきましては申し開きのしようもございません。ですが、あのサトルなる御方はたっち・みー様の鎧を纏い、アインズ様のお名前や、ナザリックのこともご存じの様子。動きを見るにたっち・みー様ではありませんが、今はお隠れになっている至高の御方々に近しい、あるいは御本人ではないかと推察いたしました。ゆえに先ずはアインズ様にご報告をと考え撤退を選択した次第でございます」

 

 深々と頭を下げるセバスの話を全て聞いた後、アルベドから笑みが消え、瞳が知らず知らずのうちに細まった。

 アルベドがデミウルゴスより早くセバスの異変に気付いたのは、自身の姉であるニグレドから報告を受けたためだ。

 何故ニグレドがセバスの監視を行い、あまつさえ作戦の総責任者であるデミウルゴスではなく、自分に連絡してきたのかは良く分からないが、今回ばかりは助かった。

 こうして、本物の主に繋がる手がかりを得られたのだから。

 しかし、まだ確定ではない。

 

(アインズを認めない……やはり、そのサトルなる御方が本物のモモンガ様なのかしら。でもそれにしては──)

 

 撤退するセバスに投げかけたという言葉が気になるのだ。

 あの偽者に捧げるためというのは不愉快だが、武力でもって死と恐怖を振りまき、世界を支配するやり方はアルベドも否定はしない。そうして征服された世界こそ、死を支配する超越者(オーバーロード)である主にふさわしい場所のはずだ。

 しかし相手は正義を語り、ナザリックのやり方そのものを否定した。

 それは主ではなく、それこそセバスの創造主であるたっち・みーの考え方に近い。

 だが、セバス曰く鎧の中身はたっち・みーではないという。

 

 あるいはそう思わせて自分の正体を隠すことが目的なのか。

 どちらにしても、まだ情報が足りない、と思案を続けていたアルベドの後ろから、シャルティアがため息と共に言った。

 

「近接戦闘が主体であればペロロンチーノ様でもありんせんねぇ」

 

 残念と言うように肩を落とすシャルティアに、アルベドはそっと視線を向ける。

 今の話を聞いても、シャルティアはナザリックにいるアインズのことを偽者だとは微塵も疑っていない。

 それでこそシャルティアを転移門(ゲート)役に選んだ甲斐があるというものだ。

 これがデミウルゴスなら、これまでの言動と併せて、疑いを持ったかもしれない。

 最終的には全守護者を含めたナザリックに属する者全員にこの事実を暴露し、偽者を打倒するつもりだが、まだ時期が早い。

 

 何しろあのアインズを名乗る者は、主の姿を真似た偽者には違いないが、主に僅かに劣るとはいえ自分たちと比べても圧倒的に強い支配者のオーラを纏っているのだから。

 それはつまり、あの偽物の正体は主を除いた四十人のいずれかである可能性が高いということだ。

 その場合、最低でもあの偽者に創造された者は、あちらに付くのは間違いない。

 加えてアインズが最後まで残っていたことに恩義を感じている者も多い。

 それでは本物の支配者である主が帰還したとしても、アインズ側に付く不遜な者たちも現れるかもしれない。

 

 そのため今は迂闊に動くことはできず、アインズが偽物だと知られるわけにもいかない。

 シャルティアならばその心配はない。

 セバスも今のところ大丈夫のようだ。

 こっそりと安堵していたアルベドに対して、不意にシャルティアは何かを思い出したように首を捻った。

 

「ん? さっきその御方はサトルと名乗ったと言っていんしたね」

 

「はい。至高の御方々には存在しない名ですが……ご存じなのですか?」

 

 興奮を隠しながらも瞳をギラリと輝かせるセバスに、シャルティアは、サトル。サトル。と何度か口の中で唱えてから手を打った。

 

「ああ! 思い出したでありんす。あのエ・ランテルなる都市で現れた鎧の戦士。あれにサトルという名を知っているか、と聞かれんした」

 

 エ・ランテルでシャルティアが遭遇したという敵のことは聞いており、報告書も提出させたはずだが、サトルという名はどこにも書いていなかったはずだ。

 

「確かにあれも、銀色の全身鎧と聞いていたけれど、それはたっち・みー様の鎧とは違うのよね?」

 

「違いんすね。銀というよりは白金で出来た鎧で、たっち・みー様の物とは違ってドラゴンみたいな意匠でありんした」

 

 次々と報告書になかった情報を出してくるシャルティアに怒りを押し殺しながら続ける。

 

「……それで他には何か言っていなかったの?」

 

「んー。よく分かりんせんが、アインズ様を誰かと勘違いしているようでありんしたね。君はそちらに付くのか、とかなんとか。後でアインズ様に聞いたところ、特に思い当たることは無かったそうでありんすが、話を合わせて情報を得ようとしたと仰っていんした」

 

 流石はアインズ様。と続けて恍惚とした表情を覗かせるシャルティアに、アルベドは心の中で舌を打ちつつ、続きを促す。

 

「他には?」

 

「後は……ああ。この世界に招いたのがどうとか。世界を守るとか。そんなことを言っていた気がしんすが、わたしを。わ・た・し・を! 助けに来てくださったアインズ様がカッコ良すぎて、正直覚えていんせん」

 

 こちらを牽制しつつ──アルベドにとっては偽者の寵愛などどうでも良い──暢気に告げるシャルティアに、ついに我慢が限界を迎えた。

 

「シャルティア! 何故そんな大事なことを今まで黙っていたの! わざとだというのなら貴女の方こそナザリック地下大墳墓に対する背任よ」

 

 アルベドの言葉にシャルティアは臆することなく、鎧姿のためパッドも入れていない貧相な胸を全面に出しながら自信満々に告げた。

 

「フフン。それを報告書に書かなくて良いと仰ったのはアインズ様でありんすぇ? 不確かな情報を広めると混乱を招くからご自分で調べると言っていんした」

 

(報告連絡相談を徹底するように言ったのはアインズ自身。実際にそれを知らなかったせいでセバスは混乱して撤退に追い込まれた。つまりその理由はブラフ。シャルティアならそれで問題ないと思ったんでしょうが、やはり偽者。詰めが甘い)

 

 普通なら報告書に書くなと言われた時点で、それは他の者にも話すなという意味だと察することが出来るが、考えなしのシャルティアにそこまで察しろというのは無理な話だ。

 あの偽者はそれが読めなかった。

 

(わざわざ隠している以上、やはりサトル様が本物のモモンガ様。いえ、そうでなくてもあの偽物の弱みになりうる。奴より先に私が見つけだせば……)

 

 本物の主でなくても、アインズを追い込む際の手札として利用できる。

 

「どういうことでしょう? やはりアインズ様はサトル様のことをご存じなのでしょうか? ですが、そうなるとナザリックを否定するかのようなあの言動は──」

 

 セバスがアインズに疑念を抱きつつあることを感じ、アルベドは慌てて、けれどそれは微塵も感じさせずにその思考を中断させる。

 

「それは私たちが考えても仕方がありません。今シャルティアが言ったようにアインズ様には深いお考えがあるのでしょう。それよりもセバス?」

 

「はっ!」

 

「何故貴方があのような行動に出たのかは理解しました。貴方への処罰は全てアインズ様がお決めになることですが、守護者統括として、少なくともアインズ様に敵対する意志はないものと考え、ナザリックに帰還することを許可します」

 

 こう告げたのは今回の聴取がセバスがナザリックを裏切ったかどうかを確認するものであると同時に、アインズの前に出しても問題ないかを見極める名目で行われていたためだ。

 セバスが敵対行動を取る可能性があれば、一時的にセバスを隔離して、離れた場所からアインズと面談という流れになる予定だった。

 もっともアルベドとしては偽者がどうなろうと関係がないのだが。

 

「はっ! 感謝いたしますアルベド様。このセバス・チャン。たっち・みー様の名に懸けて、決してその信頼を裏切らぬことを誓います」

 

 先ほど以上に深々と頭を下げるセバスに、アルベドは無言のまま小さく頷く。

 後はセバスの報告を聞いたアインズがどう動くか。

 それによってアルベドの行動も変わってくる。

 どちらにしても、そのサトルなる騎士の確保が最優先なのは間違いない。

 アインズに気付かれないように捜すには、やはり情報収集に特化した魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるニグレドを味方に引き込むのが手っ取り早い。

 

(モモンガ様。もう少しだけお待ちください。必ずや私があの偽者を排除し、御身をお迎えに参ります)

 

 やっと掴んだ主の手がかりを前に、アルベドは湧き上がる歓喜とアインズへの怒りを隠すため、微笑の仮面を被りなおした。




ちなみにニグレドがセバスを監視してアルベドに報告したのは、アインズ様を謝罪させてしまったことを必要以上に気に病んでいるとペストーニャから聞いて心配になったためで、実際に敵を前に逃げ出したのを見て、デミウルゴスでは即処断になりかねないと思い、アルベドに間に入って貰おうとしたからです
なのであの時点でセバスは、デミウルゴスの影の悪魔、アインズ様の遠隔視の鏡、ニグレドの魔法と、三人三様別々に監視を受けていたことになります

次回から新章というか王国編に入ります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章 王国浄化計画
第42話 王国最大の障害


今回から新章に入ります
時系列は少し戻り、ジルクニフとドラウディロンが会談を行った少し後、まだ聖王国に亜人軍が攻め込む前の王国の話です


 足を庇いそうになる己を律し、リ・エスティーゼ王国の王、ランポッサⅢ世は歩を進める。

 まだ王家の部屋までは距離がある場所で、弱みを見せるわけにはいかない。

 気合いを入れすぎたせいか、いつもより強く足を踏み込んでしまったことで古傷に痛みが走ったが、それでも顔色は変わらない。

 

 在位して四十年。

 腐敗しきっていた王国を立て直すため必死に努力を続けてきたが、その道のりは苦難の連続だった。

 我慢するのは、もう慣れたものだ。

 

 そして現在、王国はこれまでとは異なった危機に見舞われている。

 これまで王国を襲った危機といえば、国内の派閥争いや、隣国つまり帝国からの侵攻といった、敵の姿がはっきり見えた状態での問題だったが、此度の敵は違う。

 

 強大な力を持ったアンデッドを操る集団であり、その正体は未だ不明とされている。

 一般的にそうしたアンデッドやモンスター退治は冒険者の仕事であり、王侯貴族は例え自分の領土内で起こった問題だろうと冒険者に丸投げするため、基本的にそうした脅威に無知である。

 それはランポッサも、今自分の後ろを付いてきている護衛のガゼフも同様だ。

 

 そのせいで貴族派閥や自分の息子であるバルブロが、強行的な手段を提案してきても──それが自らが手柄を挙げたいだけなのだと理解しつつも──上手く反論できずにいた。

 だが、それも一つの手を講じたことで、わずかな光明が見えてきたところだ。

 更に力を込めて足を踏み込み、やがて王家の部屋が近づくと周囲から人気が途絶え、ランポッサは足を止めた。

 

「ガゼフよ」

 

「はっ」

 

 王であるランポッサは、自分の部屋内にもメイドや執事を常に控えさせている。

 特に王宮で働くメイドは貴族の娘が箔付けに来ている者ばかり。どこから情報が漏れるか分かったものではない。

 しかし、この廊下ならば護衛のみを連れて歩いていても問題はないため、己の忠臣であるガゼフと内密な話を行うのは、いつもこの廊下となる。

 ガゼフもまたそれを理解し、さっと周囲に目を配らせて、こちらに近づく人影などが無いことを確認した。

 それを見届けてからランポッサは口を開く。

 

「此度の件、相手の正体が知れないままでは、情報収集すらままならん」

 

「……」

 

 なんと答えていいのか分からない、と言いたげなガゼフが口を開く前に続けて言う。

 

「本来アンデッドが相手ならば冒険者に依頼するのが筋だが、彼らは政治には関わらないとの不文律がある。敵の正体が知れぬままでは、我々からの依頼も受けてはくれないだろう」

 

 相手が単なるアンデッドならばともかく、アンデッドを操る何者かが背後に存在し、それが個人ではなく国家などであった場合、冒険者はその理念故に軽々には動けないのだ。

 とはいえ、何の宣言もなしに、それもエ・ランテルの冒険者組合も襲われている以上、少なくとも人間国家が相手とは考えづらい。だが、バルブロを中心とした貴族派閥は冒険者に手柄を取られたくないこともあってか、相手は現在戦争中の帝国に違いない、などと吹聴して回っているせいで、組合も慎重になってしまい、調査依頼を受けてくれなくなったのだ。

 

 宣戦布告もなしにそんなことをしては帝国も外交上大きな痛手を負う以上、その可能性は皆無に近いのだが、確実な証拠があるわけではない。

 だからこそ、先ずは敵の正体を確認しなくてはならない。

 組合に頼らず、エ・ランテルの情報を集めるのが目下の課題だったのだが、ようやく良い方法が見つかった。

 

「どのようにして情報を集めるか苦心していたのだが、ラナーから提案があってな」

 

 ランポッサがこれまで苦労していたことを知っているガゼフの顔が一瞬明るくなるも、直ぐに心配そうな顔に変化する。

 

「ラナー殿下から、ですか」

 

 末の娘であるラナーは頭の回転が速く、独創的で有用な案を思いつく。実際にランポッサも彼女の提案からいくつかの政策を打ち出して成果も上がっているのだが、同時にラナーはそうした思いつきを誰かれ構わず話して回る癖があり、そのせいで形になる前に利権を守りたい貴族や商人などの妨害を受けて、話がたち消えることも多かった。

 それを知っているガゼフとしては、有用な方法を思いついたとしても、他の貴族に流れては意味がないと思っているのだろう。

 

「他の者には言わないようにキチンと言い含めておいたから心配はない」

 

「い、いえ。私はそのような無礼なことは──」

 

 自分の失言に気づき、ガゼフは慌てて取り繕う。

 日頃貴族たち相手に心理戦を行っているランポッサにとしては、これほど分かりやすく表情が変わるのを見ると、むしろ新鮮な気持ちになる。

 

「よいよい。どちらにせよ、此度の一件は慎重に行動することに越したことはない」

 

「はっ」

 

「冒険者を直接国が雇うことはできんが、引退した冒険者を雇い入れることはできるらしい。実際に私兵として雇っている貴族がいるそうでな。その者に調査を頼むことにした」

 

 元冒険者で現在貴族の下で働いている者ならば、アンデッドの強さも正確に測ることができるだけでなく、本来は冒険者では難しい、敵勢力が軍の兵で言えばどれほどの数になるのかも、ある程度予想できる。その結果を以て、貴族派閥とバルブロを説得してみてはどうか、というのがラナーの提案だった。

 

「なるほど。それでしたら確かに。ですが、そのような方がいらっしゃるとは知りませんでした」

 

「うむ。それなのだが……ガゼフよ。心して聞いて欲しい」

 

 驚いて声を上げることのないようにと念を押す。

 この話が周囲に漏れた場合、この提案が使えなくなるだけではなく、貴族派閥との間に更なる軋轢を生むことになるからだ。

 

「承知いたしました」

 

 ランポッサの真意を悟り、ガゼフは再度周囲を確認した後、力強く頷いた。

 

「六大貴族の一人、エリアス・ブラント・デイル・レエブン侯爵だ」

 

「なっ!」

 

 両派閥を行き来する蝙蝠と揶揄されている人物の名が上がり、ガゼフは目を見開き声を上げそうになるが、先ほど言ったことを守り、唇を強く噛みしめて驚きを押し殺した。

 それを見届けてからランポッサは続ける。

 

「レエブン侯は元オリハルコン級という、冒険者の中でも高位に属する者たちを子飼いの部下として雇っているそうだ。何より侯の領地はエ・ランテルからも近い。情報収集役としては打って付けだろう」

 

「しかし、あの御方は──」

 

「分かっておる。だが、もはや時間がないのだ」

 

 ただでさえ、三国の要所にして貿易の要であるエ・ランテルを抑えられたことで国内外の流通が滞り、経済に影響が出始めている今、都市の奪還は急務。

 レエブン侯は信頼できる男とは言いがたいが、計算高く、そして優秀な男だ。そのことにも当然気付いている。

 そのレエブン侯ならば、今は貴族派閥よりも王派閥に付いた方が得だと考えるに違いない。

 勝算は十分にある。

 自分に言い聞かせるように強く思うと同時に、そのことを理解できず、己が手柄を立てることしか考えていない自らの息子の存在を思い出し、思わずため息が漏れた。

 

「それにしても──我が息子ながら、バルブロはこの状況に何の疑問も抱かんのか」

 

 愚痴をこぼすが、これも結局は自分の責任だ。

 バルブロの根拠のない自信や浅慮は、ランポッサが甘やかしていたことが原因なのだから。

 

 どこか領土を与え、運営を学ばせていれば、こんなことにはならなかっただろう。

 王国を立て直すことばかりに力を入れていたせいで、息子の教育を疎かにしてしまった。

 今更後悔しても遅いのは分かっているが、そう思わずにはいられない。

 

「……」

 

 流石にガゼフもそれについては発言はせず、廊下に沈黙が落ちた。

 せっかく光明が差したというのに、自らそれを閉ざすようなことを口走った自分に苦笑しながら、改めて顔を持ち上げる。

 

「行くか」

 

 話は済んだ。

 あまり長時間廊下に留まっていても怪しまれると、ランポッサはガゼフに一声かけて歩き出す。

 

「はっ」

 

 今回の件が上手く進めば、バルブロには国内に混乱をもたらした責任をとって貰わなくてはならなくなる。

 今から気が重くなるが、それもまた自分の責任なのだと言い聞かせ、重い足を引きずりながら廊下を進み始めた。

 

 

 ・

 

 

「ん~。りーたん。ちょっとまっててくだちゃいねぇ。パパンもすぐにいきまちゅからねぇ」

 

 愛しい我が子に全力で応えて部屋を出ていくのを見送った後、いつもならそんなレエブン侯を冷めた目で眺めている妻が若干心配そうな顔をしていることに気づき、安心させるように一つ頷くと、ようやく妻も安堵したように微笑を返し、息子を連れて部屋を後にした。

 

 名残惜しさも手伝い、息子と妻の姿が見えなくなって扉が完全に閉まった後も、しばらく笑顔のままだったレエブン侯も、やがて表情が元に戻る。

 いや、その表情は素面と言うにはあまりにも暗いものだった。

 

 無言のまま席に戻り直すと、レエブン侯はテーブルの引き出しから一枚の手紙を取り出した。

 送り主はレエブン侯の主君であるランポッサⅢ世。

 

 内容は早急にエ・ランテルで何が起こっているかを調査し、それを伴って王都に出向き、共に対策を講じて欲しいというものだ。

 貴族派閥に属しているレエブン侯が、こんな手紙一つで素直に言うことを聞くはずがないことぐらいは王も理解しているはず。

 それも正式な指令ならばまだしも、届いたのは単なる手紙であり、内容も命令ではなく硬い文体ながら頼みごとの体を取っているのもおかしな話だ。

 

「やはり陛下は私の本心に気づいておられるのか?」

 

 そう。

 レエブン侯は王派閥と貴族派閥の間を行き来する蝙蝠と揶揄されてはいるが、心情としては王派閥よりだ。

 というより貴族派閥と王派閥、両方に良い顔をしながら動きを探り、両者の暴走を抑えるために動いていると言った方がいい。

 だがそれは王からの命ではなく、あくまでもレエブン侯の独断によるもの。

 貴族派閥が政戦に勝利しては、王国に未来はないと思ったゆえの行動だ。

 

「ザナック殿下か」

 

 この事実を知っているのは、身内を除けば先日同志となったザナックだけのはずだ。

 思わずため息を吐きそうになるが、ザナックの気持ちも分かる。

 手紙によると貴族派閥の者たちは、未だ情報も掴んでいないというのに、一刻も早く軍隊を結成し都市奪還計画を進めるべきだと強弁し、王の命も待たず、既に動き出しているのだから。

 

 ただでさえ例年の戦争で国力低下が続く中、エ・ランテルという王国にとって重要な貿易拠点が奪われたことで、それに拍車をかけている。

 だからこそ、一刻も早くエ・ランテルを取り戻さなくてはならないのは間違いなく、理屈としては貴族派閥の言い分も分かる。

 実際、貴族派閥に属しているレエブン侯にも手を貸すように連絡は届いているが、そちらには適当な言い訳をつけて返事を先延ばしにしている。

 奴らの狙いが、今回の件で活躍することで派閥争いに勝利し、第一王子であるバルブロを正式に王位に就けたいだけだと分かっていたからだ。

 

 バルブロが王位を継げば、その義父にして後ろ盾である貴族派閥の盟主、ボウロロープ侯が国の実権を握るも同然。

 そのために貴族派閥はどんな犠牲を払ってでも冒険者や他国などの力を借りず、自国のみで奪還すべしと提言しているに違いない。

 

 だが、そんなことを強行してはたとえ奪還に成功したとしても、例年の戦争とは比べものにならないほどの打撃を受け、国力の低下は歯止めが利かなくなる。

 そう考えたザナックが、ランポッサにレエブン侯のことを話し、子飼いの部下である元冒険者チームを使って、情報を集めさせようと提案した、と考えれば、王から急に届いた手紙の理由も分かる。

 ザナックは優秀ではあるが、どちらかと言えば保守的な人物であり、こうした大胆な手に打って出るとは思っていなかった。

 それほど事態が逼迫しているということか。

 とはいえ、ザナックも王もまだ考えが甘い。

 

 彼らはエ・ランテルの詳細な情報と敵の勢力さえ解れば、貴族派閥もことの重要性を理解して、冒険者や場合によっては他国の手を借りることも承認するだろうと考えているようだが、それは難しい。

 

「そもそも。あの能無しどもが、これを信じるはずがない」

 

 チラリと机の上に置かれた分厚い報告書に目を向ける。

 そこにはレエブン侯が集めたエ・ランテルの情報が事細かに綴られていた。

 そう。彼は既にエ・ランテルの現状や敵の戦力の一端、他国の動向といった情報を入手していた。

 ランポッサから言われるまでもなく、エ・ランテルが占拠されたことで貴族派閥が暴走すると分かっていたため、事前に元オリハルコン級冒険者チームを派遣していたのだ。

 だが、彼らの力を以てしてもエ・ランテル周囲を囲んでいる強力なアンデッドたちの包囲網を突破することは叶わなかった。

 その代わりと言ってはなんだが、彼らは情報を持ったエ・ランテル周辺の村から逃げ出してきた一団を発見し、自分の領土に連れてくることができた。

 

 元オリハルコン級冒険者ですら近づけない場所から、ただの村民がどうやって逃げ出してきたのかと不思議に思ったものだが、それを可能にしたのは強力な護衛の存在だ。

 スレイン法国、特殊工作部隊六色聖典の一つ、陽光聖典。

 非合法活動を行う部隊である六色聖典のことを知る者は少ないが、複数国にまたがって亜人部族の討伐を行っている陽光聖典だけは存在が確認されている。その行為は国に利益があるとして、ある種公然の秘密として扱われている。

 そんな彼らが現場に居たからこそ、カルネ村なるエ・ランテル近くで暮らしていた村の者たちを連れだすことができたのだ。

 

 そうしてエ・レエブルに匿った村人や陽光聖典からの聞き取りにより──何故陽光聖典がエ・ランテル近郊にいたのかも含めて──詳細な情報を入手することができたが、その内容はレエブン侯ですら信じがたいものばかりだった。

 

 敵の強大さもさることながら、最も重要なのは人類の守護者であり、たとえ自国の利益にならずとも、異種族排斥という大儀のためならば無償で動くこともある法国が、こともあろうに生者全ての敵であるアンデッドを操る者たちと手を結んでいるという事実だ。

 正直、信じがたい内容だが、他ならぬ法国暗部の人間である陽光聖典の者たちが口を揃えてそう証言しているのだ。

 

 そもそも陽光聖典がエ・ランテルに居たのは、彼らの隊長がそうした法国の動きを怪しんだことで、国から見限られ、エ・ランテル占拠のどさくさで暗殺するために偽の指令書で呼び出されたためらしい。

 その彼らが大した損害もなく都市を脱出し、途中で村の住人を助けたところをレエブン侯の配下に見つかったというのは、あまりにも話が出来すぎている気もするが、彼らが本物であるのは部下たちが確認している。

 

 実際、そう仮定するとつじつまが合うのも事実。

 エ・ランテルを一夜にして占拠するという強大な戦力もそうだが、何より帝国との戦争にすら介入して争いを避けようとする法国が、現時点で何の動きも見せていないのもおかしな話だ。

 そう考えると彼らの言葉が事実にしろ、法国から送り込まれた間者にしろ、法国が敵の黒幕と通じているのは間違いない。

 やはり他国との協力は必須となる。レエブン侯はそう考えているが、それは自身がモンスターや魔法、マジックアイテムなどを纏めた虎の巻により、敵の強さを認識できているからこそだ。

 そうした知識などないバルブロやボウロロープ侯が信じるはずがない。

 いや、手紙をよこしたランポッサすら、信じてくれるかは分からない。

 

「……どちらにせよ、全ては周辺国家がどれほど力を貸してくれるかにかかっているな」

 

 敵の戦力などの情報とは別の、もう一つの重大な情報。

 エ・ランテルを脱出した冒険者組合の者たちが、レエブン侯同様、敵の強さは王国だけで対処できるものではないと考えて、帝国や都市国家連合、竜王国などに救援を求めに出向いたというものだ。

 

 国属意識の薄い冒険者らしい柔軟な考え方であり、レエブン侯が陽光聖典をある程度信用したのは、この話を隠すことなく伝えてきたことも一因となっている。

 実際、彼らとは別口の情報源に依頼し、他国の動向を探らせた結果、帝国の皇帝と竜王国の女王が会談を行ったという話や、その後、帝国が都市国家連合にも協力を仰ぐべく接触していた話、更には評議国までもが、その連合に力を貸すことを約束としたとの噂まで出ている。

 この分では最後の一国、聖王国が動く日も近いかもしれない。

 

 この情報はつまり、王国以外の周辺諸国は、エ・ランテルを占拠した者たちを脅威として認識していることになる。

 これだけでもこの報告書の信憑性が高まるというものだ。

 

「だが法国が敵になった以上、たとえ帝国とは同盟が結べても、物理的にも精神的にも連携が取りづらい。やはり一刻も早く国内をまとめる必要があるな」

 

 立地的に帝国と王国両方と接しているため、物資の運搬が可能となるだけではなく、単純にこれまで敵対していた両国間の緩衝材になり得る法国が敵方に付いてしまった。

 これではせっかく同盟を結んでも内部から崩壊しかねない。そうしないためにも、この不毛な派閥争いを終わらせ、国を一つに纏めなくてはならない。

 期限は他国の同盟が完成し、こちらに正式に接触を計るまでの間。

 

 それまでに国内のごたごたを解決しておかなくてはならず、レエブン侯も密かに動いていたのだが、この手紙が届いたことで、更に時間がなくなってしまった。王が手紙を送ったことは早晩貴族派閥の耳にも届くだろう。

 その結果こちらの動きがバレては、派閥の盟主であるボウロロープ侯や、なによりバルブロがどう出るかわからない。

 

「クソッ。王も王だ。何故こんな時に」

 

 明らかに時間が足りないが、愚痴を零していても仕方ない。必死に頭を切り替え、思考を巡らせる。

 

「ボウロロープ侯はあれでも歴戦の指令官。まだ何とかなる、か? いや、彼が相手にしているのはあくまで人間、アンデッドやモンスターの強さは想定できないか」

 

 レエブン侯とて、虎の巻があって初めて信じられたのだ。

 魔法や冒険者を軽視している王国貴族ではなおさら、それを理解しろと言っても不可能だろう。

 奴らはとにかく頭が硬く、自分たちのことしか考えていない。

 とそこまで考え、ふと思い出す。

 

「待てよ…貴族派閥、いやボウロロープ侯も以前はここまで頑なでは無かったはずだ」

 

 国内の腐敗は数世代前から始まっていたが、少なくとも国内を二分するような権力闘争に至ったのはここ数年の話だ。

 元々その兆候があったが、切っ掛けとなったのはおそらく派閥の盟主ボウロロープ侯の娘とバルブロが婚姻を結んだこと。つまりバルブロを通じてボウロロープ侯が国の実権を握れる目がでてきたためではないだろうか。

 レエブン侯自身、若い頃は王位の簒奪を己の最終目標としてきたから良く分かる。

 

「ならばバルブロ殿下にその目が無くなれば……」

 

 次は第二王子のザナックにすり寄ってくるかもしれないが、彼は王国内では数少ない王国の現状を理解している存在であり、少し前に共に王国を発展させていこうと手を組んだ同士でもある。

 そうなれば、むしろ好都合。

 ザナックを次代の王に内定させることができれば同盟参加を後押しすることも難しくはない。

 

「ではどうやってその座から降ろす? 例の八本指との癒着の件を使うか? いや、王家全体の権威が落ちては意味がない。ならば──」

 

 不意に一つの計略が思いつき、レエブン侯はゾクリと背筋をふるわせた。

 それは王侯貴族にとっては身近な手法であり、常に警戒しなくてはならないもの。

 つまり。

 

「暗殺」

 

 かつての自分ならばともかく、この世のなにより大切な存在ができた今の自分にはその手段は認めがたい響きを持っていた。

 

 

 ・ 

 

 

「本気か!?」

 

 震えた声で言うザナックに、ラナーは何故そんなに驚くのか分からず首を傾げた。

 今の状況を考えれば、それが最善であることは一番上の兄よりはまだマトモな頭を持っている次兄ならば理解できるはずだ。

 とはいえ理解できないのは相手の感情であり、理由については推察できた。

 

 彼女がもっと幼い頃は、自分に理解できることが何故他人も理解できないのかが分からなかったが今は違う。

 クライムの純粋な瞳の中に人間の存在を見たことで、酷く劣った生物でも人として接することが出来るようになった。

 今回も同じだ。

 おおかた理性としては最善だと分かっても、感情的な理由でそれを認めたくないというところだろう。そう結論づけ、努めて冷静に続ける。

 

「もちろん。ザナックお兄様にも、今の王国の状況は分かっているはずでは?」

 

「それは……分かっている」

 

 ザナックは自分の前に置かれた紅茶を飲んでから、苦々しげに顔を歪めた。

 王国の状況は悪化の一途を辿っている。

 物流に関しても三国の要であったエ・ランテルを奪われたことで、特に貿易面で多大な損失が出ているためだ。

 一刻も早くエ・ランテル奪還に動かなくてはならないのだが、二分した派閥が未だに足を引っ張りあっているせいで、奪還計画は遅々として進んでいない。

 ザナックはそれをなんとかするためにラナーに協力を求めたのだ。

 

「……今更だが、他国が既に同盟を結ぼうとしている話。事実なのだろうな?」

 

「蒼の薔薇が帝国に渡った冒険者や、評議国付近で仕事をしている朱の雫から得た情報を基にしていますから、間違いないと思いますよ」

 

 冒険者は独自の情報網を持っている。アダマンタイト級冒険者ともなれば、なおさらだ。

 

「それだけエ・ランテルを占拠した勢力を危険視しているということか。他国の方が現状を理解しているとは。嘆かわしいことだな」

 

 ザナックの言うように、三国に跨る要所とはいえ、言ってしまえば他国の問題であるはずのエ・ランテルの一件を理由に他国が突然同盟を結ぶのは、それだけその勢力を危険だと理解していることになる。

 当然、近いうちに王国にも同盟参加を求めてくるだろう。

 

 こうした同盟を組むメリットは大きく分けて三つ。

 一つは単純に兵力が増え、多方向から攻撃を加えることによる軍事力の強化。

 次は補給や兵站を含めた戦争継続力が上がること。

 そして最後は、後顧の憂いを絶ち、正面の敵に集中できることだ。

 

 竜王国はともかく、帝国と評議国。

 この二国に関しては王国を挟んでいるため地続きでも無い以上、最後のメリットは無く、同じ理由で補給線を繋げることも出来ない。

 つまりこの同盟は初めから王国も同盟に入れることを前提としている。

 どちらも純粋な軍事力でいえば王国を遙かに超える二国が、最低でも四カ国が同盟を結ばなければ、勝てない存在だと考えている。

 エ・ランテルに現れた勢力は、それほどの力を持っていると見て間違いない。

 

 当然王国もその同盟に参加しなくてはならないのだが、今のままでは貴族派閥が邪魔してくるだろう。

 バルブロはいつまで経っても王位を譲らないランポッサに苛立ち、手柄を上げることに躍起になっている。

 加えてバルブロは両方の派閥から後押しを受けていることもあって、直近の状況は見えても大局は見えていない貴族は表立って反論することもできず、先ずは一度王国のみでエ・ランテル奪還を実行し、同盟を組むにしてもそれが失敗した後でも良いのでは、という消極的な考え方が主流になりつつあるせいだ。

 

「確かに兄上がいる以上、周辺国家同盟に参加するのは難しい。いや、もっと時間が経ち我が国の状況がより悪化した後ならば分からないが、今の時点では参加どころか邪魔をしかねない。だからといって──」

 

 一度言葉を切り、ザナックは再度紅茶に手を伸ばしかけたが、途中でその手を取め、代わりにソファの背もたれに体を預けて天を仰いだ。

 

「暗殺は短絡的過ぎないか? 派閥争いが激化しかねないぞ」

 

 お前らしくもない。と続けられたことに、僅かに苛立ちを覚える。

 やはりこの男も何も分かっていない。

 ラナーは息を吐き、小さく頭を振った。

 

「もうそんなことを言っていられる段階は過ぎました」

 

「何?」

 

「リ・エスティーゼ王国はただでさえ例年の戦争で国力が落ちています。そんな状況でこれ以上エ・ランテルが占拠され続ければどうなるか、言うまでもありませんよね?」

 

「貿易が不可能になり、国力は低下し続ける。奪還云々より国を維持していくために、他国と同盟を結んで援助して貰わなくてはならないということか」

 

「はい。ですから、それを理解せず己の武功を挙げることしか考えていないバルブロお兄様を一刻も早く排除しなくてはなりません」

 

「確かに兄上という旗頭を失えば、貴族派閥は正当な方法で王位を取る手段はなくなる。そのどさくさに紛れて同盟を樹立させてしまえば……」

 

「ええ。もっとも、無事エ・ランテルを取り戻せたとしても国内が安定していなければ、すぐに帝国に攻め込まれてしまいますから、同盟参加の条件をエ・ランテルを取り戻すまでではなく、王国が安定するまでの間に変更しなくてはなりませんが」

 

「あの鮮血帝相手にそんな交渉ができるか?」

 

「同盟に王国が参加しなくては困るのは帝国も同じですし、評議国側も巻き込んで交渉のテーブルに着かせれば不可能ではないかと」

 

 ラナーの言葉に、ザナックはしばらく思案を続けた後、ぽつりと言う。

 

「綱渡りだな」

 

 バルブロを暗殺し、王派閥が権力を持ち王国内を纏めあげて同盟参加を認めさせる。

 その上で帝国を交渉のテーブルに付け、頭も切れるジルクニフ相手にこちら優位の条件を受け入れさせる。

 何より重要なのは、周辺国家同盟の力で本当にエ・ランテルを奪還できるか。

 

 この全てを成功させなくては王国が生き延びる道はない。

 確かに綱渡りと言えなくもない。

 

「ええ。ですが渡りきらなければ──王国そのものが滅びます」

 

 言いづらいことをきっぱり告げられて、ザナックは盛大に顔を歪めため息を吐く。

 

「……実はな。俺には協力者がいる」

 

「レエブン侯ですね」

 

「な!? いや、お前なら気づいていても不思議はないか」

 

「はい。お兄様を王位に就けたがっているのは、この国の現状を理解できているあの方ぐらいのものですから」

 

 もう一度ため息を吐きながら頷き、ザナックは続けた。

 

「侯が兄上の弱みを見つけた。それを暴露すれば兄上を失脚させられる。それではダメか?」

 

「八本指の件ですか?」

 

「! そこまでお見通しか。そうだ、八本指の恐らくは麻薬部門から兄上に金が流れている。それを暴露すれば──」

 

「もちろんそれも利用します。ですが、それでは王家そのものの権威も落ちかねません」

 

「それでも暗殺よりはマシだろう。そんなことをすればそれこそ王家の権威が落ちる」

 

「大したことではありませんよ、暗殺なんて」

 

 ピシャリと言い切ると、ザナックは言葉に詰まる。

 実際、跡目争いで候補者を暗殺するのは王家どころか貴族の間でもよくあることだ。

 それぐらい知っているだろうに。

 自分の父はもちろんのこと、ザナックにも妙なところで甘さがある。

 これではその先については言わない方が良さそうだ。

 

(バルブロお兄様を殺したのがザナックお兄様だと気づけば、お父様がどう出るか分からない)

 

 あの甘い父王ならば、兄弟で殺し合いに発展してしまったことに絶望し、長女の婿であり王家の血筋とは関係ないペスペア侯に王位を譲ると言い出しかねない。

 だからこそ、バルブロを殺した後はランポッサも殺し、王位を簒奪するのが確実なのだが、この分ではザナックにその覚悟はなさそうだ。

 もっともその場合、王国最強の戦力であるガゼフがどう出るか分からないし、何より国内の混乱がより大きくなるので、あくまでも最終手段なのだが、それぐらいの覚悟はして貰わなくては、この国を維持していくことはできないだろう。

 そもそも、敵勢力がいつまでもエ・ランテルのみに留まっている保証はない。

 

 そう、分からない。

 権力や武力を持たず、自分の知能を用いることでしか己の地位を確立できないラナーにとって、相手の力が分からないという状況は非常に危険だ。

 相手の戦力や目的が分からなければ、交渉することもできない。

 それだけの力を持ちながら動かないのは、エ・ランテルそのものが目的なのか、あるいは力を持ちながら慎重に周囲の情報を集めているか。

 

 どちらにしても、相手側からラナーに接触してくれば、幾らでも交渉の余地はあるのだが、それをするにも先ずはラナー自身が有能であると見せつけなくてはならない。

 そのためにもザナックを傀儡にして、王国を纏め上げる手腕を見せ、その上で王国も含めた周辺国家同盟すら影から操り、必要とあらば敵勢力に売り渡す。

 相手の力も分からない以上、これはラナー個人にとっても綱渡りとなるだろうが、ラナーの夢を叶えるために必要な賭けだ。

 

(でも、もしそれができなければ──)

 

 場合によっては売り渡すのではなく、自分が周辺国家同盟を動かして、王国に余力を残した状態で勝利に導く方法も考えておかなくてはならない。

 

(どちらにせよ、不要な物を排除してからですね)

 

 想像以上の愚者は時としてラナーの計算を超えた動きをする。

 バルブロはその典型。今回の件が無くとも早晩排除するつもりだった。

 そしてザナックは逆、中途半端に頭が良いため動きが読みやすい。

 今回もまた同じだ。

 先ほどから黙りを決め込んで考え込んでいるようだが、兄殺しという罪の重さと、国をまともにするという願いを天秤に掛ければ、どんな結論を出すかなど分かりきっている。

 

「……分かった。俺は何をすればいい?」

 

 長い沈黙の後、思った通りの言葉を吐いたザナックに、ラナーは口元に浮かぶ笑みを隠すように、冷め始めた紅茶を口に運び、にこりと微笑んでから告げた。

 

「お兄様はなにもしないで下さい」

 

「どういうことだ?」

 

「先ほどお兄様の言っていたことにも一理あります。暗殺という手段を使ってバルブロお兄様を排除してしまったら、王家の権威が落ちるだけでなく、貴族派閥からも反発が出ます。特にボウロロープ侯から」

 

「ボウロロープ侯が?」

 

 バルブロを傀儡にして、自らが権威を振るうことが目的だったのならば、バルブロを排除しても問題はない。

 むしろ、そうなれば残る候補者であるザナックにすり寄ってくる可能性が高い。

 ザナックはそう考えたのだろうが、それも少し前までの話だ。

 

 ボウロロープ侯の娘を娶り、義理の親子となって以後、ボウロロープ侯はバルブロを傀儡以上の存在、それこそ実の息子のように可愛がっている節がある。

 このまま上手くバルブロを暗殺できてもそれでは遺恨が残り、派閥争いを終わらせて国が纏まるどころの話ではない。

 

「ですので、周囲に悟られないように人を動かし、バルブロお兄様を皆にとって邪魔な存在に仕立て上げます」

 

 既に誰にとっても邪魔な存在なのだが、ラナーが貴族たちを操り、より分かりやすい状況を生み出すということだ。

 ラナーにそれが可能なのはザナックもよく知っているはずだ。

 

「皆、とは」

 

「ボウロロープ侯やレエブン侯を始めとした貴族の方々。それにお父様や民衆、後は八本指もそうですね。そして当然、同盟を結びたがっている他国にも」

 

 そう。

 あの男は、自分とクライムの幸せにとって邪魔な存在だ。

 だから殺す。

 

「誰がバルブロお兄様を殺してもおかしくない。そういう状況を作り上げます。結果、誰かが手を下してくれれば良し。誰も動かなければ、その時こそ──」

 

 にっこりと笑顔を浮かべてラナーは笑いかける。

 そんなラナーに、ザナックは震えた手でテーブルに置かれた紅茶を手に取ると一気に飲み干す。

 渋面を堪えて口元を拭ったザナックの表情には悲痛な覚悟が滲んでいた。




ちなみにこの話ではまだデミウルゴスは接触してきていないため、ラナーは敵の目的が分からず、内心焦っているため少し強引な手段を採っています
次はしばらく出番の無かったモモンガさんたちの話になる予定です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第43話 動き出す者たち

お久しぶりです
少し前から執筆を再開していたのですが、自分自身この話の細かな設定を確認するため読み返していたり、推敲に割く時間が取れれなかったため投稿が遅れました
前回からの続きで、ナザリックに対抗するため周辺国家を纏めた同盟づくりを行っている中、同盟参加の最難関である王国の話です


「クソ! なぜこうなった!」

 

 リ・エスティーゼ王国王位継承権第一位であるバルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフはヴァランシア宮殿内の自室にて、怒りとともにテーブルに拳を叩きつけた。

 鍛えられた体躯から繰り出される一撃を喰らった木製のテーブルが、ミシリと音を立ててひび割れる。

 いつもであれば怒りを発散するにしても、もう少し自制が利いたのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。

 

 今バルブロはかつてないほど追いつめられている。

 王国内に於いて、悪評が広まり続けているせいだ。

 それも王家そのものや、自らの義父が盟主を務める貴族派閥に関する悪評ではなく、バルブロ個人に対するものなのだから、堪ったものではない。

 

 噂の殆どは事実無根であるため、下らないと一笑した上で、噂を流した者を不敬罪で死刑にしてやりたいところだが、一つ問題がある。

 複数流れている噂の一つにある、王国内部に深く根を張る犯罪組織、八本指からバルブロが金を受け取っているという噂。

 他の噂と異なり、これだけはデマではないことだ。

 八本指の一部門である麻薬部門。その長である女から、バルブロは多額の金銭を受け取っていた。

 

 個人的な領地を持たないバルブロは、自由に使える資金を殆ど持っていない。

 歳費という形で国から引っ張ってくることはできるものの、歳費の流れは王である父、ランポッサⅢ世に把握され、場合によっては使い方に口出しをされてしまう。

 

 そのため、自由に使える金を得る手段として、八本指と繋がりを持ったのだ。

 八本指が王国全土に根を張る犯罪組織だと知ってはいたが、最優先すべきはバルブロが王となることなので、自分にとって益がある限りは見逃してやる。

 受け取った金は、その口止め料でしかない。こんなことは誰でもやっていることだ。

 だからこそ、納得がいかない。

 

「何故俺だけが!」

 

 再度、拳に怒りが漲る。

 事実として王国の大貴族と呼ばれる者たちの中で、八本指と繋がりを持たない貴族はほぼ存在しない。

 それほど八本指は、王国内部に深く入り込んでいるのだ。

 バルブロだけでなく他の貴族と八本指との繋がりに関しても噂は流れているが、その中でも明らかに自分との繋がりだけが、大々的に広められている。

 一刻も早く噂を払拭しなくてはならないのだが、件の麻薬部門の王都に於ける本拠地から、バルブロとの繋がりを示す証拠を含め、撤収してからでないと万が一のことがある。

 

「だいたい。なぜ貴族どもは俺を助けない」

 

 今できることがないという苛立ちが、貴族たちへの罵声となって漏れ出る。

 人前であれば、素直な感情を晒すなど愚か者のすること。と取り繕うこともできるが、ここは自室だ。愚痴をこぼしても、外に漏れることはない。

 

「こんなときこそ次期王である俺への忠誠を示す絶好の機会だというのに。どいつもこいつも」

 

 この噂が立ったことで、あろうことかバルブロを推していた貴族たちの間で意見が揺れ始めていた。

 これは非常に大きな問題である。

 

 そもそもバルブロが八本指から得た金は、義父であるボウロロープ侯率いる貴族派閥との会合や関係強化で使われるものも多い。

 無能な貴族たちはその恩も忘れて、次王の座を争っている競合相手、第二王子のザナックに近づき始めているのだ。

 今は表だって動くことはできないが、そうした者たちにも必ずや裏切りの代償を払わせてやる。

 

「しかし。こうなるとやはり今回の件を仕組んだのは、奴の可能性が高いか」

 

 思考のついでに出てきた弟の冴えない顔を思い出す。

 小太りで見栄えが悪く、剣の腕もからきし。

 王としての威厳など欠片も持ち合わせていないザナックだが、小癪なことに頭が回る。

 奴ならば、こうした卑怯な手段を使っても不思議はない。

 いや、使うに決まっている。

 

 小賢しい策を弄して、こともあろうに兄である自分を貶めるとは。

 疑念は確信に変わり、ザナックに対する噴火がごとき怒りがこみ上がる。

 

 仮にも血の繋がった兄弟だ。

 自分が王に成った後、どこぞの馬鹿貴族たちの旗頭になるようなことでもなければ、殺そうとまでは考えていなかったが、こうなると話は違う。

 いっそのこと、ザナックを始末してしまえば自動的に自分が次の王に──

 

「いや。彼奴もいるか」

 

 王位継承争いをしているのは自分とザナックだけではない。

 第一王女を娶り、最近になって父親から家督を継いだ六大貴族の一人、ペスペア侯も候補の一人だ。

 

 血筋的には自分とザナックより遙かに劣り、支援している貴族も数だけは多いが、他の六大貴族をはじめとした大貴族から支援はないこともあって、大して気に留めていなかった。だが、仮にバルブロがザナックを殺し、その件が知られるようなことになれば、現在流れている噂と合わせ、ぺスペア侯が王位継承争いのトップに躍り出てくるかもしれない。

 

「となるとやはり手柄だ。こんなつまらん噂を吹き飛ばすほどの手柄を、俺自ら挙げるしかない」

 

 以前から考えていたことではあるが、その思いはますます強くなった。

 悪評が立ったからと言って、長子にして第一王子であるバルブロが即座に王位継承争いから落ちることはない。

 せいぜい全員が横並びになった程度のはず。

 

 だからこそ、今なのだ。

 この状況下で他の候補者たちではできない大手柄をあければ、優柔不断な父王といえど、自分に王位を譲るに違いない。

 その手柄の内容もすでに考えてある。

 

「おい! 手紙を送る。早馬の準備をするよう衛兵に伝えろ!」

 

 声を張り上げ、隣室のメイドに告げた後、執務机に腰を下ろす。

 以前の会議ではザナックと軍務尚書に邪魔されて実現しなかった作戦を、今こそ実行に移すときだ。

 

「俺の手でエ・ランテルを奪還する」

 

 王家の直轄領を、次期国王であるバルブロ自らが軍を率いて奪還する。

 これ以上の手柄など存在するはずがない。

 

「これで俺が王だ」

 

 ニヤリと笑みを浮かべ、バルブロは自らの手足となる軍を集めるため、ペンを取った。  

 

 

 ・

 

 

 銀級冒険者チーム漆黒の剣のメンバーであるニニャは、いつものように帝都の冒険者組合に待機していた。

 現在ペテルとダインは買い物に出かけており、組合に来たのはニニャとルクルットだけだが、そのルクルットも入って早々に酒を取りに行ってしまった。

 一人残されたニニャは、組合内に併設された酒場の一角から、組合全体を観察する。

 

 軍が強い力を持っている帝国では、他国に比べ冒険者組合の地位が低いとされている。

 実際ニニャたちが初めてここを訪れたときは、エ・ランテルの冒険者組合と比べて活気がないような気がした。

 

 しかし、今は違う。

 そのエ・ランテルの冒険者組合に所属していた冒険者が、大量に移籍してきたためだ。

 急激に冒険者が増えると仕事の奪い合いに発展しかねないが、件のエ・ランテルでの騒動の影響が、カッツェ平野のアンデッド討伐任務にも現れているため、むしろまだ人手が足りないようだ。

 

 そんな中、漆黒の剣は組合には訪れるものの仕事を受けることはなく、情報収集という建前で暇な時間を過ごしている。

 漆黒の剣はモモンたち漆黒と共に、竜王国から王女ドラウディロンを護衛するという依頼を受けたことで──もちろん、本命はモモンたちであり、漆黒の剣は補佐でしかないのだが──懐も温まっており、急いで仕事を受ける必要がないのだ。

 

 加えてモモンから直々にしばらく帝都に残り、王国や帝国を含む各地の情報を集めてほしいと頼まれたことも理由の一つだ。

 自分たちの命の恩人にして、真なる英雄であるモモンから直々に頼まれた事実に他のメンバーは、その依頼を快諾した。

 しかし、その場では口にしなかったが、ニニャ個人としては情報収集をするにしても、帝都ではなくエ・ランテルに近いカッツェ平野で情報を集めた方が良いと考えていた。

 三国の情報拠点でもあったエ・ランテルが壊滅し、近づくこともできなくなったことで、この帝都にも殆ど情報は流れてこなくなり、来たとしても真偽も不明なものばかりだからだ。

 中には、例のアンデッドがそのまま王国を攻め始め、王都近くまで侵攻しつつあり、王国そのものの滅亡が近いなどという噂まである。

 

 この短期間でそんなことがあるはずがない。

 そう笑い飛ばしたいのは山々だが、あのアンデッドの大群と、英雄譚の中でしか見たことがないような、強大な魔法合戦を繰り広げた者たちを実際に目撃したことで、絶対にないとは言い切れなくなっていた。

 

「まーだ仏頂面してんのかよ」

 

 酒を取りに行っていたルクルットが戻ってくるなり、ニニャの顔をのぞき込む。

 

「そんなことありませんよ」

 

「……お前の気持ちも分からないでもないけどよ、今はどうしようもないだろ」

 

 ニニャの返事は無視して話を進める。

 暢気に酒を飲んでいるルクルットに、ニニャも一つため息を落とした。

 

「ルクルットは心配じゃないんですか? 例の噂、聞いたでしょ?」

 

「王国がもう壊滅寸前ってやつか? 心配って言えば心配だけど、俺たちは冒険者だぜ? 国属意識なんてないからなぁ」

 

 のんびりした口調のまま、頭を掻く。

 冒険者にとってどこの国に住んでいるかは大した問題ではない。

 エ・ランテルからやってきた大半の冒険者が、すでに帝都の組合に馴染んで生活しているのがその証拠である。

 しかし、漆黒の剣は話が別だ。

 

「ならンフィーレアさんたちのことは? 心配じゃないって言うんですか?」

 

 ごく短い時間とはいえ、自分たちを名指しで指名してくれたンフィーレアとリイジーは、彼の想い人であるカルネ村のエンリなる少女のことを心配して、そちらに付いて行ってしまった。

 

「あの坊主にはモモンさんの仲間とかいう人が一緒なんだろ? それに森の賢王も一緒だ。もう無事にエ・ペスペルに着いてるさ。カルネ村の連中は大事な情報も持ってるんだ。無碍には扱われないだろ。あそこの領主は代替わりしたばかりで若いが、なかなかの人物らしい──」

「貴族なんてみんな同じですよ」

 

 心の奥から湧き上がる嫌悪感に支配されて、思わず吐き捨てる。

 そんなニニャにルクルットは、やっぱりか。と呟くと、周囲をさっと目配せして声を落とした。

 

「お前の姉貴のことだろ?」

「っ!」

 

 ズバリ言い当てられて、言葉を詰まらせた。

 ニニャが自分の住んでいた村を飛び出して魔法詠唱者(マジック・キャスター)に弟子入りをし、性別を偽ってまで冒険者として活動している最大の目的がそれだ。

 貴族によってさらわれた姉を救い出す。

 ただ救うと言っても、相手は腐っていても貴族。

 

 こちらにも相応の力──権力や名声、金など──が必要となる。

 ニニャが冒険者をしているのはその力を得るためであり、そのことは皆知っていることだ。

 だが、銀級冒険者チームではまだまだ足りない。

 姉を助け出すのはもっと先の話。そう思っていたが、状況が変わった。

 

「……噂を、聞いたんです」

 

「噂?」

 

「姉をさらったあの豚が、八本指と繋がっているって話です」

 

「八本指とってことは、例の第一王子がうんたらって奴か?」

 

「はい。噂は第一王子のことが殆どですけど、他にも数人八本指と繋がりのある貴族の名前が挙がってますよね? その中にあの豚も入っていたんです」

 

 噂そのものは王家のスキャンダルが中心だったため、大した騒ぎにはなっていないが、その貴族の名前をニニャが聞き間違えるはずがない。

 

「それも──八本指の奴隷売買部門との繋がりがあるみたいで」

「奴隷ってお前、それ……」

 

 絶句するルクルットに頷きかける。

 

「もしかしたら、あの豚、証拠隠滅のために姉を」

 

 売ったかもしれない。とは口には出せなかった。

 奴隷売買部門で売られた若い女がどんな扱いを受けるかは、冒険者としてよく知っているからだ。

 姉がそんな目に遭っているなんて想像もしたくない。

 もう力を付けてからなどと、暢気なことは言っていられない。

 一刻も早く救い出さなくては。と気が焦っていた。

 

「だったら、そう言えばいいだろ。坊主のこと引き合いに出したり、回りくどいんだよ」

 

 こちらの考えを見抜いたのだろう。ルクルットはイスの背もたれに体を預けてから呆れたように息を吐き、さらに続けた。

 

「どうせ、なんのかんのと理由を付けて王国に戻った後は、一人で助けに行くつもりだったんだろ?」

 

 本当は一人でも王国に戻りたいが、今はエ・ランテル周辺が通れなくなっている以上、王国に入るにはカッツェ平野から法国を経由するか、トブの大森林を突っ切るしかない。

 どちらの方法も、ニニャ一人では危険すぎる。

 だから、カッツェ平野に着いた後、チームの力を借りて王国に戻りたかったが、それも王国内に入るまで。

 その後はルクルットの言うように一人で行動するつもりだった。

 

「すみません。でも、相手は八本指です。たとえ姉を助けられたとしても、ただで済むはずがない」

 

 王国全土に根を張る巨大犯罪組織が相手では、銀級冒険者チームなど吹けば飛ぶような存在だ。

 確実に報復を受けることになる以上、そこまで迷惑は掛けられない。

 

「まぁ、確かに。八本指にはアダマンタイト級冒険者に匹敵する力を持った連中がうようよいるって話も聞いてるからな」

 

「ですから、王国まででいいんです。その後は僕が一人で──」

 

 言い切るより早く、ルクルットの長い腕がニニャの眼前に伸び、額に鋭い痛みが走った。

 

「痛っ!」

 

「バカ言ってんじゃねぇよ。俺たちはチームだ。仲間を一人で危険な目に遭わせるわけねぇだろ。なぁ?」

 

「その通りです」

「うむ。違いないのである!」

 

「え? ペテル。ダインも。いつからそこに」

 

 痛みを堪えて振り返った先には、残るチームメンバーの二人が立っていた。

 

「結構前からだよ。俺みたいに気配で察知をしろとは言わないけど、少しは周りを見ておいた方が良いぞ。大事な話をするときは特にな」

「うっ」

 

 野伏(レンジャー)のルクルットらしい忠告に、なにも言い返せない。

 

「そう言うなルクルット、それだけニニャもせっぱ詰まっていたってことだろう」

 

 ペテルが慰めるように言い、ダインと共に残る二つのイスに着く。これで漆黒の剣のメンバーが全員揃った。

 三人の視線はじっとニニャに注がれている。

 

「……本当に良いんですか? 八本指には、アダマンタイト級冒険者にも引けを取らない戦力がいるんですよ」

 

「それはお前も同じっつーか、お前一人の方が余計危険だろ。本気で姉貴のこと助けたいって思ってるなら、俺たちも含めて使える手は、なんでも使ってみせろよ」

 

 軽薄なルクルットらしからぬ真剣な声に合わせて、ペテルとダインも頷いた。

 ルクルットの言うとおりだ。

 なにが何でも姉を救いたいと考えているのなら、ニニャはその可能性を高めるために、行動を起こすべきだった。

 実際、姉を取り戻すため師匠に見いだされ、村を飛び出した直後の自分であれば、何の迷いもなかったはずだ。

 

 しかし、彼らとチームを組み様々な冒険を繰り返し、夢を語りあった中で、ニニャにとっては彼らもまた姉同様大切な存在になっていた。

 だから、なんとか自分だけで姉を救いだそうとしていたのだ。

 彼らはそのことに気づいた上で、手伝うと言ってくれている。

 鼻の奥がツンと痛くなり、知らず瞳から涙がこぼれ落ちた。

 

「姉、を。助け、たい……です」

 

 言葉を詰まらせながらも、なんとかそれだけ告げる。

 ルクルットは大きく頷き、席を立った。

 

「決まりだ。行くぞ」

 

「え? 王国に、ですか?」

 

 これから直ぐに行くのは、流石に準備不足が過ぎる。

 危険な依頼になるからこそ、冒険者として準備はしっかりと整えるべきだ。

 そう言おうとしたニニャに対し、ルクルットは例のにやけ顔のまま鼻を鳴らした。

 

「なに言ってんだ。その前にやることがあるだろ。この都市には八本指なんか目じゃない、本物の英雄がいるだろうが」

 

 その言葉を聞いた瞬間、漆黒の全身鎧に身を包んだ本物の英雄の姿が思い浮かんだ。

 

 

 ・

 

 

(うーむ。暇だ)

 

 誰かの紹介か、身分を証明できるものがないと泊まれないという、帝国で一番の宿の最高級部屋(スイートルーム)でモモンガは、一人ベッドに寝ころんでいた。

 

 皇帝の好意でこの宿に泊まる事になったモモンガたちだったが、そもそも食事も睡眠もできないこの体では、どんな高級宿も食事も意味を成さない。

 加えて、外に出るとすぐにエ・ランテルから連れてきた冒険者や帝国の騎士連中に囲まれ、これまでの武勇伝や強くなる秘訣などを問われてしまうため、こちらもまた気が休まらない。

 悟から連絡がくれば動きも取れるのだが、そちらも一向に連絡がない。

 

 とはいえ、これは悟が遅いわけではないだろう。

 ドラウディロンに貸しがあり、彼女を通じて帝国の皇帝ともとんとん拍子に同盟を結ぶことのできたモモンガと異なり、悟は王国や聖王国と繋がりを持っていない。

 冒険者という表向きの立場すらない状況では、ある程度時間がかかるのは仕方ない話だ。

 そう分かってはいるが、いくらなんでも暇すぎる。

 

(いっそのこと、俺たちも悟のところに出向いて、手伝うのはどうだろう)

 

 帝都から出ないように。と現在モモンたちを雇っているドラウディロンからそれとなく言われているが、そのドラウディロンを転移させるためにナーベラルは時々竜王国と帝国を行き来している。

 ならばモモンガたちも、連絡を取れるようにしておけば、帝国を出ても問題ないのではないだろうか。

 

 ベッドの上でそんなことを考えていると突然扉がノックされ、モモンガは驚いて身を起こす。

 ナーベラルとソリュシャンは、買い物に出向いたばかりだったからだ。

 出入り口ならば、ボーイか誰かがノックしてきても不思議はないが、ここは複数ある寝室の一つであり、ボーイが勝手にここまで入ってくるとは考えづらい。

 ではいったい誰が。と思う間もなく外から聞き慣れた声が届いた。

 

「モモンガ様。宜しいでしょうか?」

 

「ソリュシャンか? 少し待て」

 

 予想以上に早く戻ってきたことを訝しみつつ、モモンガはベッドを降りた。

 仮とはいえ彼女たちの支配者であるモモンガが、だらしなくベッドに身を預けている姿は見せられない。

 近くにあったソファに腰かけ、考えごとをしているポーズを取ってから、改めてソリュシャンに部屋へ入る許可を出した。

 

「失礼いたします」

 

「うむ。どうした? 何かトラブルか?」

 

「いえ。外で漆黒の剣の者たちに会いまして、モモンガ様に話したいことがあるそうなのですが、お会いになられますか?」

 

 思いも寄らない者たちの名前が出て、モモンガは幻覚の顔を怪訝に歪めた。

 

「漆黒の剣? 内容は聞いていないのか?」

 

「はい。帝国の者に聞かれたくないということでしたので、こちらまでは連れてこずにナーベラルが足止めをしていますが、どうも個人的な頼みがあるようです」

 

 個人的の部分に力を入れて言う。

 それで彼女の言いたいことを察した。

 この百年間ひょんなことから繋がりを持った現地の者たちが、こちらの力を知って、何かと頼ろうとしてくることは今までも何度かあった。

 モモンガ自身は暇つぶしになるからと、度々頼みを聞くこともあったが、二人はその度に、下等生物ごときが主を利用するなど。と不機嫌になったものだ。

 彼女の言い分も分かるが、現在もまた暇を持て余していることもあり、断るのは話を聞いてからでも良い。

 

「良いだろう。早速会いに行く。ナーベラルは今どこにいる?」

 

 ここで会合などしては、外で見張っている帝国騎士がどう動くか分かったものではない。

 そうした考えからの言葉だったが、ソリュシャンは百年間彼女と共に生活してきたモモンガで無くては分からないほど、僅かに表情を強ばらせた。

 

「モモンガ様、御自ら出向かなくとも、ナーベラルの転移を使えば外の者どもに気づかれることなく、奴らを連れてくることができますが……」

 

 モモンガの考えを読んだ上での提案に、彼女の聡明さ。というよりはこんな単純なことにも気づかない──室内に監視の目が無いのは既に確認済みだ──自身の思考力の無さを改めて理解するが、今更じゃあやっぱり呼んで来て。と言うわけにも行かず、モモンガは咳払いを一つ落とした。

 

「も、もちろんそうするのはたやすい。しかし、私が直接出向くことに意味があるのだ」

 

 実際はなにも考えていないが、こうして別の意図もあるのだと匂わせると、ソリュシャンは勝手に納得してくれることを分かった上での台詞だった。

 

「っ! 承知いたしました。私の浅慮でモモンガ様の決定に異を唱えましたこと、お詫びいたします」

 

「か、構わん。こちらに関してはまだどうなるか分からないからな」

 

 思った以上に深い謝罪を受け、軽い気持ちで煙に巻こうとしたことを後悔したが、もう遅い。

 

(さて。なにを頼むつもりやら。せめて、悟が戻るまでの暇つぶしくらいになればいいんだが……)

 

 これ以上ミスはしないと言わんばかりに、ソリュシャンがじっとこちらを見つめているため、ため息を落とすこともできず、別のことを考えて気を紛らわせながら、モモンガは外に出るための準備を開始した。




個人的にこの話は独自設定が多く、また誰が何を知っているのか。など細々とした部分が重要になる話ですので、今後はこれまでのように一週間に一度の定期投稿ではなく、一章書き終わるごとに一気に推敲し、まとめて投稿するスタイルにしていこうと思います
今章に関しては既に書き終わり、ある程度推敲も終わっているので、今日から最終確認をしつつ、一、二日ごとに投稿するのでよろしくお願いします


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第44話 蒼の薔薇との邂逅

本筋ではないので、漆黒の剣からのツアレ奪還依頼は省略
今回の話はその後。同じくラナーから娼館襲撃を依頼された蒼の薔薇とモモンガさんの話です


「地図によるとあの建物のはずだけど……」

 

 王都の路地を奥へ奥へと進んだ先にある一軒の建物を示したラキュースの言葉に、周囲を警戒していたティナも同意する。

 

「おそらく間違いない。この路地裏にあんな頑丈な扉は不釣り合い」

 

「確かに。あの建物だけ扉が鉄で出来ているみたいね」

 

 一見してそれと分からないようにしてあるが、目標である店の扉は、明らかに他の建物と比べて異質な雰囲気を纏っていた。

 

「じゃあやっぱり、あそこが──」

 

 違法娼館。と続く言葉は飲み込む。

 空回りの多いラナーの活動の中で、珍しく──と言っては失礼だが──成功した政策の一つである奴隷売買禁止令により、少なくとも王都内からは違法な娼館はなくなったのだが、ただ一つだけ残っているのが、この建物だ。

 

 ここではありとあらゆることが体験できるという触れ込みで、幾人もの娼婦が娯楽として殺され続けていると調べが付いている。

 そうした趣向を持つ上流階級の者たちにとって最後の、汚れた楽園。

 調べた内容を思い出すだけで、腸が煮えくり返りそうな怒りを覚える。

 

 これまでラキュースたちは別部門、すなわち麻薬部門が流通させている黒粉の原料となる植物を栽培している村の襲撃を行っていた。

 王国内に深く根を張る八本指と繋がっている貴族は数多く、だからこそ大々的には動けず──仮に捕まえても貴族の権力によって釈放されてしまう──対症療法のようなやり方をするしかなかったのだ。

 しかし、最近になって状況が変わった。

 

(まさか、あのバカ王子が麻薬部門と繋がっていたなんて……)

 

 王家のそれも一応は第一王子にして王位継承権も第一位であるバルブロが、麻薬部門から金を得ているという噂が流れ出したのだ。

 ラキュースたちが裏取りをしたところ、その噂は事実のようだ。

 

 ただでさえ、例のエ・ランテルで起こった事件によって、国民に不安が広がっている今、王族との繋がりまで露見した八本指をこれ以上放置している訳にはいかず、強引にでも八本指を潰す必要が出てきたのだ。

 その一番手として選ばれたのが、奴隷禁止令の影響で力を失い、斜陽傾向にある奴隷部門。

 最後の砦ともいえるこの娼館を落とせば、一気に潰すことが出来る。

 

(影響を考えれば、麻薬部門の方を何とかするべきなんだろうけど……)

 

 不安になった国民が一時でもそうした気持ちを忘れるため、黒粉に手を出すケースが増えていることもあって、麻薬部門から潰したいところなのだが、やはり相手が王家である以上慎重にならざるを得ない。

 

「リーダー?」

 

「あ、ごめんなさい。ティアたちの準備は出来たかしら?」

 

 他のメンバーは、ここから数軒先にある、もう一つの入り口を押さえに向かっている。

 準備が出来たら合図が入る手はずとなっているが、数軒先といえど、この暗がりだ。元暗殺者であり夜目の利く双子でなければ確認を取れない。

 

 ラキュースの言葉を受けて、じっと暗がりの奥を睨んだティナは突如、腕を胸の前に出すと、目に止まらぬ速度で指を動かしはじめた。

 手話だとはすぐに分かったが、ラキュースたちが教えてもらった、簡単な合図や行動指示を示すものとは異なり、双子のみが使える、通常会話と同レベルの速度と語彙で行われる交信だ。

 既に作戦の最終確認は済んでいるので、あちらの準備が出来たらそのまま突入する予定だったはず。

 

 この長い交信は予定外の事態が起こっている証だと察知して、ラキュースは身構えた。

 

「ティアが、店の中から戦っている音がするって」

 

 指を動かして会話を続けたまま、簡潔に情報を伝える。

 

「戦い? 仲間割れかしら」

 

 今回の依頼は冒険者組合を通さない、ラナー個人から頼まれた仕事であるため、別の冒険者に先を越されるはずはない。

 そうなるとまず思いつくのが、八本指同士の諍いだ。

 元々八本指は各部門同士の折り合いが悪く、常に足の引っ張り合いが行われていると聞いているため、あり得ない話ではない。

 とはいえ、流石に表だって敵対するほどではないとも聞いていたが、八本指内でもなにか事情が変わったのか。

 

 どちらにせよ、中にいるのが八本指ならどの部門でもやることは変わらない。

 うまく証拠を掴めば、別部門を叩く足がかりにもなる。と気合いを入れ直し、改めて武器に手をかけようとした瞬間、ティナが手話による会話を中断し、腰に下げた短刀を引き抜いた。

 

「ティナ?」

 

「こっちからも音が聞こえる」

 

 そう言って短刀を向けたのは、ラキュースたちが制圧する予定の正面入り口。

 ラキュースも耳を澄ませてみると確かに、扉の向こうから足音が聞こえる。

 

「この音。全身鎧?」

 

 ラキュースも使用しているためよく知っているが、全身を覆う鎧の場合、歩くだけで関節の各部位が連動して動き、特徴的な音を鳴らす。

 補助魔法を掛けたり、元からそうした魔化が施された武具を使えば、音を消すことは出来るのだが、扉の向こうから聞こえてくる音はそうした気遣いを一切していない。

 それどころか、足音だけ取ってみても、自分の存在を誇示しているかのような堂々たる態度が透けて見えるほどだ。

 

(もしかして、例の六腕?)

 

 表舞台に出てくることがないとはいえ、全員がアダマンタイト級とされる八本指警備部門のトップ、六腕の情報は少なからず手にしている。

 その中に、空間斬の二つ名で呼ばれる全身鎧の戦士がいたはずだ。

 いかなる能力かは不明だが、戦士でありながら、明らかに間合いより離れた場所から敵を斬り裂く技を使用するそうだ。

 

(なら……先手必勝)

 

 建物内での戦いには不向きのため、使用する予定はなかったが、まだ扉からかなり距離のあるこの位置からなら、流石に相手の技も届かないだろう。

 ラキュースの背後で浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)が浮かび上がる。

 後は扉が開いた瞬間を狙って射出するだけだ。

 じっとそのときを待つ。

 やがて、頑丈そうな鉄の扉が、ギィと鈍い音を立てて開き始めた。

 

「射──」

 

「おっと。動くなよ」

 

 手を前方に突き出し、剣を発射しようとした瞬間、首筋に冷たい金属の感触が伝わり、耳元にゾッとするような冷徹な女の声が落とされた。

 横目でティナを見ると、彼女の首元にも同じようにナイフが突きつけられている。

 

(そんな! 私だけならともかく、ティナにも気づかれず)

 

 元暗殺者として優れた探知能力を持ったティナが、こんな距離まで敵の接近に気づけなかった。

 相手の力量に驚愕すると共に、背筋に冷たい汗が流れる。

 

(これが、六腕? まさかこれほどの強さがあったなんて)

 

 アダマンタイト級という噂は偽りではない、いや想定以上だ。

 相手の戦力分析が甘かったことを悔やみ、唇を噛みしめる。

 そんなラキュースに対し、女が口にした言葉はまったく想定外のものだった。

 

「そっちの三人も動くなよ。あっちに三人、ここに二人。お前らが六腕とかいう連中か。後の一人はどこだ?」

 

「え?」

 

 驚いて声を上げてしまったのは、離れた場所にいるイビルアイたち三人の存在が気づかれていることだけでなく、彼女が自分たちと同じ勘違いをしていると気付いたからだ。

 

「待って! 私たちは六腕ではないわ」

 

「じゃあ何者だよ」

 

「それは──」

 

 言葉を詰まらせる。

 相手が自分たちを蒼の薔薇と知っているなら仕方ないが、気づいていないのなら、なんとか誤魔化したいという思いが混ざった。

 今回の仕事は組合を通していない。

 それだけでも冒険者として問題があるが、それに加えて、王族であるラナーからの依頼、つまりは国家の利益に繋がるという点が、更に問題だ。

 冒険者は国の政治や戦争とは関わらない。という大原則を無視しているからだ。

 この事実が露見すれば当然、蒼の薔薇は組合から罰則が下ることになる。

 ラキュースだけならまだしも、自分のせいで仲間たちに迷惑が掛かることを懸念したのだが、それも一瞬のこと。

 

「私たちは、依頼を受けた冒険者よ」

 

 こちらの答え次第では、首筋に当てたナイフで二人の喉笛を斬り裂く。言葉や態度でなく、全身から漲る殺意が告げていた。

 

「冒険者? ふーん、同業者か。どうするモモンさん」

 

 顔を持ち上げて、声を張る。

 扉の向こう側にいる相手に言っているようだ。

 

 同業者ということは冒険者なのだろうが、これほどの実力を持った者ならば、アダマンタイト級冒険者でもおかしくない。しかし、思い当たる相手はいない。

 他国の冒険者という線はあるが、近隣諸国の冒険者の情報も一応調べているがその中にも該当する相手は──

 いない。と心の中で断ずる前に引っかかりを覚えた。

 女の仲間であろうモモンという名前、どこかで聞いた覚えがある気がしたのだ。

 

 いったいどこだったか。と思案を続ける前に、僅かに開いたところで止まっていた鉄の扉が改めて開かれていく。

 扉の向こうにいたのは、漆黒の全身鎧を身に纏い、巨大な二本の剣を軽々と肩に担いだ戦士だった。

 頭まですっぽりと覆う兜のせいで、男か女かも分からないが、その立ち姿には強い威厳が感じられる。

 純粋な戦士というより、歴戦の騎士や貴族のそれに近いが、印象だけで言えばさらに上。

 自分たちと同格の者はいても、格上は存在しない。そう示すことも仕事の内である王族の態度に近い。

 

「ほう。八本指には王侯貴族すら手が出せないと聞いていたが、冒険者は違うのか」

 

 態度だけではなく、声からも威厳を感じさせる漆黒の戦士は、一瞬だけイビルアイたちがいる場所を見た後、ラキュースに視線を戻した。

 ラキュースとティナを脅している以上、仲間たちが動くことはないと踏んでいるのか、それともたとえ動いたとしても問題ないと考えているのか。どちらとも取れる態度だ。

 実際こちらの素性を話してもなお、首筋に当てられたナイフは微動だにせず、うかつな行動をするなと告げていた。

 男もまたそのことを咎めるでもなく、小さく鼻を鳴らすと今度は、チラと後ろに目をやる。

 

「詳しい話を聞きたいが、今店の中は感動の再会劇の真っ最中でな。場所を変えて──」

 

 男が後ろ手で扉を閉め、更に一歩近づいてきたときだった。

 カランと軽い物が地面を転がるような音が、離れたところから聞こえ、次の瞬間、ラキュースの眼前に凄まじい速度で見知った顔が現れた。

 子供のように小さな背丈と、鮮やかな金色の髪。

 整った顔立ちの中で一際目を引く、赤い瞳。

 蒼の薔薇のメンバーにして、かつては国堕としと謳われた伝説の吸血鬼であるイビルアイが、正体を隠すため常に付けているローブと仮面を放り投げて立ち尽くしていた。

 

「ああ? なんだお前、こいつがどうなっても──」

 

 ラキュースを人質に取っている女が言い放つが、イビルアイはこちらの声などまるで耳に入っていないかのように、じっと漆黒の剣士を見上げている。

 血の通わない吸血鬼の白蝋じみた顔が、どこか憂いを帯び、上気して見えるのは気のせいではないだろう。

 その表情はイビルアイがかつての仲間である十三英雄、そのリーダーと呼ばれた純銀の騎士について語るときに見せる、恋に溺れた少女の横顔だった。

 

「その声、間違いない。サトル様だろう!? 私だ、キーノだ!」

 

 何度となく聞いた十三英雄のリーダーの名前。

 それを呼ぶイビルアイの涙声。

 彼女が名乗った聞き覚えのない名前。

 

 どれに驚いていいのか分からず、混乱による頭痛すら起こり始める中。

 目の前の漆黒の剣士もまた、疲れたように頭を振り、兜越しにコメカミを押さえるような仕草を見せた後、確かにこう呟いた。

 

「またサトルの知り合いか」

 

 

 ・

 

 

 王都でもそれなりに有名な宿場の個室内に、総勢七人の男女が集まっていた。

 個室とはいえ最高級室であり、広さに関しては十分なゆとりがあったが、それとは全く関係ない息苦しさが場を支配していた。

 四人と三人に分かれて座っているのは、蒼の薔薇と漆黒のメンバーであり、誰一人口を開く者はおらず、それぞれ相手側を観察している。

 特にキーノと名乗った小柄の少女は、モモンガから一切視線を逸らそうとしない。

 仮面越しだというのに、こちらを睨み続けているのがよく分かった。

 

 ナーベラルとソリュシャンが睨み返しているが、それすら意に介さない態度に、モモンガとしてはいち早くこの息苦しさから解放されたいのだが、自分から口を開くのは躊躇われる。

 悟と知り合いだというこの少女は、声が同じだというところから、モモンガのことを悟本人だと勘違いして抱きついてきたのだ。

 二人の視線に殺意が籠もっているのは、その辺りも関係しているらしい。

 

 とりあえず自分と悟は別人だと話した上で、まずは娼館──彼女たちの目的もモモンガたちと同じ、娼館の制圧だったようだ──の中に残っている娼婦の安全確保と、室内に残された証拠物件の押収を優先させることとなった。

 話はその後、全員が揃ってから行うことにした。

 現在は蒼の薔薇のリーダー、ラキュースが──この世界では高位に位置する神官らしい──娼婦たちを回復させて戻ってくるのを待っているところなのだ。

 一分が一時間に感じられるような長い静寂を破ったのは、ソリュシャンだった。

 

「ようやく来たみたいだな」

 

 視線を外さないまま言うソリュシャンに、蒼の薔薇側にいた忍者らしい格好の双子も反応を示す。

 

「本当だ。ボスの足音」

「それに、もう一人」

 

 一瞬目配せをしたあと、二人の視線は同時にソリュシャンに向けられた。

 これまで感情の籠もらないポーカーフェイスを決め込んでいた二人に、驚きと嫉妬のようなものが混ざった。

 どうやら同じ野伏(レンジャー)役として、自分たちのリーダーの足音を先に気づかれたことが不満らしい。

 とはいえモモンガの耳にはまだ音は聞こえてこない辺り、相当離れた位置から足音を聞き取ったことになる。

 ソリュシャンの技量は当然よく知っているが、その直後に気づく辺り、この二人の技量もなかなかだ。

 

(アダマンタイト級は伊達ではないということか。とはいえ、忍者の職業クラスを取れるほどのレベルではないと思うが……)

 

 あの服装は格好だけなのか、それともタレントなどのこの世界固有の能力を使い、低レベルで忍者の職業スキルを会得したのか。

 そんな考察をしていると、ようやくモモンガの耳にも二人分の足音が聞こえてきた。

 

「みんなお待たせ」

 

 室内の空気に気づいていないのか、それともわざとなのか、明るい声と共にラキュースが部屋に入ってくる。

 その後ろに付いてきたルクルットに話しかける。

 

「どうだ?」

 

「あー、とりあえずみんな落ち着いた。精神的に不安定だったから今は魔法で眠らせた。うちの坊主も姉貴から離れないって言うんで、あの娘たちは俺たちが護衛しておくよ」

 

 アンデッドになったことで、人間に対する同族意識は殆ど消え失せ、虫かせいぜい小動物程度の愛着しか湧かなくなった身とはいえ、あの娼婦たちの惨状には、多少眉を顰める思いだった。

 肉体的には回復したとはいえ、放置しておくのは確かに心配だ。

 

「そうだな……んんっ。それで問題ないかね?」

 

 納得し、了承しようとしたところで、今回は自分一人で決めていいことではないと思い直して、蒼の薔薇にも意見を求める。

 

「ええ。私は問題ないわ、みんなは……大丈夫のようね。それではルクルットさん? 漆黒の剣のみなさんもよろしくお願いします」

 

「任せといてください! それじゃあナーベちゃん行ってくるね」

 

「さっさと失せろ下等生物(ガガンボ)

 

「相変わらず手厳しい」

 

 視線を送ることすらせず、バッサリと切り捨てられたルクルットだったが、もういつものこととばかりに苦笑いを浮かべ、入ってきたばかりの扉から出ていこうとした。その直前、何かを思い直して振り返ると、まっすぐにモモンガを見つめ、深く頭を下げた。

 

「モモンさん。改めて礼を言わせてくれ。おかげでうちの坊主の夢を叶えてやることができた。本当に感謝してる」

 

 更に深く頭を下げるルクルットに、どう答えたものか一瞬悩んだが、蒼の薔薇も見ていることを思い出し、すぐさま応える。

 

「依頼報酬は貰っているんだ、感謝などする必要はない。それに、君らには何かと面倒をかけているからな。今後も頼むぞ」

 

 まさか暇つぶしに依頼を受けました。と言う訳にも行かず、英雄然とした態度は崩さぬまま、軽口を叩くとルクルットは力強く、ああ。と頷き、改めて部屋を後にした。

 

「……では、話を始めましょう。漆黒の皆様」

 

 扉が完全に閉まった後、蒼の薔薇のメンバーの中央に移動して、モモンガと正面から向かい合う形になったラキュースが口を開く。

 その口振りは穏やかで、モモンガたちを同じアダマンタイト級冒険者と認めたような雰囲気があった。

 先ほどルクルットに対し、恩着せがましい態度を見せなかったのは、人類の英雄と讃えられるアダマンタイト級冒険者相手ならこの方が受けが良いだろう。と考えてのことだったが、正解だったようだ。

 

 そもそもモモンガたちが王都にやってきたのは、昔貴族に連れ去られたニニャの姉が、王国の犯罪組織の奴隷売買部門に売られたという話を聞いた、漆黒の剣からの依頼であったが、これは組合を通した正式な依頼ではない。

 対して蒼の薔薇は王都を中心に活動する冒険者である以上、あちらは正式な依頼で動いているはずだ。

 ならばせめてこちらは正義感からの行動だと示す。

 これで対等な立場で会話ができる。

 

(さて。後はこいつと悟か)

 

 悟とはまだ連絡が取れていない。というより取っていない。

 王国、評議国、聖王国。

 この三国の説得は悟の担当である以上、モモンガが勝手に動けば、悟も良い気がしないだろうと考えて伝言(メッセージ)などで、連絡を取らずに内緒で王都に潜入したためだ。

 

 偶に人助けをすることはあっても、基本的に館の中に引きこもっていたモモンガとは異なり、悟は旅をしながら方々で人助けをしていたそうなので、そのときの知り合いか何かだとは思うのだが……

 

「その前に、確認しなくてはならないことがある」

 

 そうこうしている間に、キーノと名乗った女が口を開く。

 

「確認?」

 

「モモンとか言ったな。お前とサトル様との関係だ」

 

「イビルアイ。今はその話は──」

 

「構わない。ただし、先に君……キーノ殿だったか」

 

「イビルアイと呼べ。その名前を呼んでいいのはサトル様だけだ」

 

 ナーベラルたちと同等に近い殺気が飛ばされ、モモンガは小さく肩を竦め、言われたとおり言い直す。

 

「では、イビルアイ殿。君と悟の関係を聞かせてくれるのならば、こちらも話そう」

 

 今にも食ってかかりそうなナーベラル──ソリュシャンは冒険者ソーイのキャラ付けを守っているのか我慢できているようだ──を手で制してモモンガが問う。

 

「なに?」

 

「当然だろう。奴と我々は現在とても重要な依頼を協力して行っている最中。小さな情報でも守秘義務に違反する可能性がある。素性の知れない者に話すことはできない」

 

「な! ちょっとまて! 依頼を一緒に、とは。もしやサトル様もこの近くにいるのか? だったらどうして私に会いに来ない!?」

 

「落ち着けよ。そのサトル様ってのはお前がいつも聞かせてくれた恩人だろ? 単純にお前がここにいることを知らなかったんじゃねぇの? なあ、イビルアイよぉ」

 

 これまで黙って後ろに立っていた筋骨隆々の女戦士──男にしか見えないが、蒼の薔薇は女だけで構成されたチームと聞いているので女なのだろう──がイビルアイという部分を強調して言う。

 

「そうそう。イビルアイって名乗っているから気づかれなかったんだよ」

 

「私たちが本名を知らなかったのと同じ」

 

 ここぞとばかりに双子忍者も加わった。

 

「ぬ、ぐぐ」

 

 唸り声を上げた娘はしかし、反論はせずに黙り込む。

 どうやら、この魔法詠唱者(マジック・キャスター)はモモンと同じく、偽名と本名を使い分けているらしい。

 キーノが本名で、現在はイビルアイと名乗っている。

 その本名を仲間にも知らせていなかったため、嫌みを言われているのだ。

 

「はいはい。だから、その話は後! イビルアイも、良いわね?」

 

「……了解だ、リーダー」

 

 パンパンと手を叩いて、仲間たちの言い争いを止めたラキュースの一喝に、全員が口を噤み、仮面の娘(イビルアイ)も従った。

 

「ふぅ。ごめんなさい」

 

「いや」

 

「今度こそ本題に入らせてください。その大仕事というのは、もしかして八本指の壊滅、ですか?」

 

 やや強引にラキュースが話を戻す。

 表情は真剣そのものであり、どこか期待も込められていた。

 しかし、彼女が口にした言葉を受けて、モモンガは首を傾げる。

 

「八本指? ああ、例の娼館を運営していた組織か」

 

 王国に根を張る巨大犯罪組織だと話には聞いていたが、正直あまり気にしてはいなかった。

 転移して来た直後ならば、もっと慎重に行動していただろうが、この百年の間で現地勢力には大した強者は存在しないことは分かっていたし、エ・ランテルにプレイヤーと思われる勢力が現れた今、王国の犯罪組織など気にする必要もないからだ。

 

(しかし、こう言ってくるということは、こいつらの仕事はその組織の壊滅なのか? エ・ランテルを放置してなにをしているんだか)

 

 悟が王国の説得が一番難しいと言っていたことを思い出す。

 王国は毎年のように帝国から戦争を仕掛けられ、国力を失いつつあるが、そんな状況でも王侯貴族は、危機を無視して自分の財産やプライドを守ることに全力を費やす者ばかりというのがその理由らしい。

 これもその一つなのだろう。

 

「違うのですか?」

 

 驚いた様子を見せるラキュースに、さて、どうしたものかと思案していると、視界の端でソリュシャンが合図を出していることに気がついた。

 元々交渉ごとはソリュシャンの仕事だ。彼女に任せることにして、モモンガは小さく頷き返す。

 その瞬間、ソリュシャンはカラカラと嘲りを込めた笑い声を上げた。

 

「あたしたちの目的は、チンケな犯罪組織なんかじゃねぇよ」

 

 全員の視線を一身に受けても気にした様子もなく、ソリュシャンは続ける。

 

「エ・ランテルの奪還。お前ら自分の国なのに何もしねぇから、こっちがやってやるのさ」

 

(そこまではっきり言うのか。いや、まあ言わないと話が進まないのは分かるけど……)

 

 大胆にこちらの情報を開示して話を進める、ソリュシャンの交渉術に驚かされる。

 少なくとも小心者かつ貧乏性である、モモンガにはできないやり方だ。

 

「エ・ランテル? 貴方たちは、あの都市に関する情報を持っていると?」

 

「もちろん。何しろあたしらはあのとき現場にいたからな。サトルさんも一緒にな」

 

 どこか自慢げなソリュシャンの言葉に、頭を下げていたイビルアイが反応した。

 

(なるほど、これが狙いか)

 

 ここで悟との関係を匂わせることで、先ほどモモンガが言った守秘義務を利用して、こちらは情報の小出しが可能となった。

 相手もそのことに気づいたのだろう。

 リーダーのラキュースが、小さく息を落とした。

 この状況を作り出す失言を吐いたイビルアイはぐぅ。とも、うぅ。ともつかない、唸り声のような悲鳴を上げて項垂れてしまった。

 

「分かりました。先ずは我々から話をしましょう。私たちの依頼人についてです」

 

 その言葉に後ろで他のメンバー、特に大柄の女戦士が眉を寄せた。

 話して良いのか。と言わんばかりの態度にラキュースは視線だけで頷き返すと、佇まいを直す。

 その座り方はなんと言えばいいのだろうか、いついかなる場合でも即座に対応できるよう、周囲に気を張り続ける冒険者の座り方ではなく、もっと上品なものだった。

 モモンガが出会った中では竜王国の女王ドラウディロンの雰囲気に近い。

 

「貴方たちは先ほど王国がなにもしていないと言いましたが、それは違います。なぜなら今回の件はそのエ・ランテル奪還にも関わってくるからです」

 

「ほう?」

 

 小さく息を吸ったあと、ラキュースはこちらをまっすぐに見つめ、きっぱりと告げた。

 

「私たちの依頼人はリ・エスティーゼ王国の第三王女、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ殿下なのです」




ちなみにこの話のモモンガさんは、百年間の経験があるので演技に関しては結構磨きがかかっていて、NPCでなくても簡単には見破れないくらいには成長しています
その分、サラリーマン時代の営業スキルとかはほぼ忘れていて交渉事は苦手なので、ソリュシャンに任せることが多いです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第45話 第一王子の暴走

前回からの続きと、今回の章の主役ともいえるバルブロの話です


「第三王女ってあれだよな。王国の黄金とか言われてる、冒険者に有利な法案をいくつも通したって奴」

 

「ええ」

 

 間髪入れず首肯するラキュースに、些か驚いたような態度を匂わせはしたが、実際、これは予想していた。

 冒険者は政治や国の利益には関係する仕事は受けない。という大前提があるため、国の中枢にいる者と親密になるのは良くないのだが、蒼の薔薇のリーダー、ラキュースは元から自身が貴族令嬢であり、王国の第三王女とは以前より懇意にしているというのは公然の秘密となっていたからだ。

 

 ラキュースがこちらにその話をする気になったのは、漆黒もエ・ランテル奪還という、明らかに個人からの依頼ではない仕事を行っているためだろう。

 要するに自分たちは同じ穴の狢なのだから、協力して互いの依頼を達成する、あるいは最低限情報の共有だけは行おうという意思表示だ。

 

(サトル様の知り合いだっていうあの愚者はともかく、仮にもアダマンタイト級冒険者。一応交渉の形にはなりそうね)

 

 本来、漆黒の実力を駆使すれば、こんな交渉のまねごとをする必要などない。

 アダマンタイト級、つまりは英雄級の冒険者といえど所詮は人間。

 主の手を煩わせることなく自分とナーベラルだけで制圧し、後はソリュシャン自ら拷問にかけて情報を引き出すことも容易だ。

 主も口には出さないが、当初はそのつもりだったに違いない。

 しかし、それもイビルアイと名乗るあの仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の存在によって不可能になった。

 最低でも、サトルとの関係を知るまでは強攻策に出ず、この交渉につき合うしかない。

 

(サトル様、か)

 

 主曰くアインズ・ウール・ゴウン四十二人目のメンバーという立ち位置にいた人物だが、正直に言ってソリュシャンは──確認はしていないが恐らくナーベラルも──サトルと主を同格に見ることはできない。

 当然自分たちとは比べものにならないが、それでも自分たちを創造して下さった至高の四十一人とは違う。

 ましてその中でも四十一人のまとめ役にして、この百年仕え続けた主とは比べることすらおこがましいと考えていた。

 なぜなら、自分の中で主は自らの創造主と──

 

「ッ!」

 

 この百年の間で育った感情と、創造主への想いを比べるなどという許されざる想像を行いそうになった己の思考を、意志の力で遮断させたソリュシャンは、八つ当たりのような気持ちでイビルアイを睨みつけたのち、交渉相手であるラキュースに視線を戻した。

 

「心優しい王女様が、犯罪組織を叩きつぶしたいってのは分かるけどよ、それがどうしてエ・ランテル救出に関わってくるんだ?」

 

 本題に入るとラキュースは一瞬、主の方に目を向けた。

 交渉相手がリーダーでなくて良いのか確認するためだろう。

 主が何の反応も示さないことを、無言の了解と受け取ったラキュースは、声を落とす。

 

「……王国が現在貴族派閥と王派閥に二分されていることは知っているわね?」

 

「ああ。単純な権力争いだけじゃなく、後継者争いも加わって、ごちゃごちゃになっているって話だな」

 

 後継者争い、と言ったところでラキュースが動揺を示した。

 反応はごく僅か、それも一瞬だ。

 ソリュシャンも含め野伏(レンジャー)が使う感情を消すやり方ではなく、微笑の仮面で、感情を上書きする貴族的な隠し方は人間にしては見事なものだが、その一瞬の反応と他のメンバー──特に大柄の女戦士──の反応で十分察することができた。

 

「どうやら例の噂はマジだったみたいだな。第一王子だったか? そいつが八本指から金を受け取ってる話は、帝国まで届いてたぜ」

 

「ふぅ。帝国まで話が行っていたのね。あのバカ王子」

 

 完全に貴族としての皮を剥がした──あるいはそうした振りをした──ラキュースは頭に手を当てたまま吐き捨てる。

 こちらに好感を抱かせるための演技めいても見えるが、少なくとも口にした言葉に関しては本心だろう。

 

「分かっているなら話は早いわ。その八本指を押さえ証拠を掴めばバカ王子、そしてその背後にいる貴族派閥を大人しくさせることができる。そうなればエ・ランテル奪還に際し他国と足並みを揃えられるわ。八本指の拠点制圧はそのために必要なことなのよ」

 

「国を纏めるために、ずいぶんと遠回りをするんだな」

 

 こちらの嫌みな物言いに、何人かは苛立ちをみせたが、ラキュースはきっぱり告げる。

 

「けれど、そうしなくては王国がエ・ランテル奪還に動けないのも事実よ」

 

 その口調は余裕に満ちていた。

 ソリュシャンが帝国の名前を出したことも含め、エ・ランテル奪還の依頼主が他国であると当たりをつけた上で、土地の所有者である王国の協力が必要不可欠であり、あわよくば八本指討伐にも、こちらの力を借りようと考えているのだ。

 隣で話を聞いていたナーベラルが苛立ちを通り越して殺意を漲らせているのは見なくても分かったが、流石に交渉の邪魔をすることはない。

 

 実際、討伐に力を貸すこと自体は問題ではない。

 だからこそ、あえて帝国の名を出したのだから。

 蒼の薔薇への依頼が王家からのものなら、手を貸せば王家にも借りを作ることができる。

 その上で既に帝国、竜王国──都市国家連合も時間の問題だろう──と同盟を結んでいることを知らせれば、王国の同盟参加もスムーズに進む。

 

 とはいえ王国の担当はサトルの仕事だ。

 まずはそちらと連絡を取り、交渉がどこまで進んでいるか確かめる必要がある。

 その意味でもここは即答せず、考える時間を置くのが得策だ。

 そう考えた矢先、ソリュシャンの耳に遠くから数名の足音が届いてきた。

 金属鎧を着た兵士特有の足音だ。

 王国の衛兵だろう。

 

 元から助け出された娼婦たちを証人として連れていくとは聞いていたため、特に気にしなかったが、その中に一つ、他の衛兵とは違う足音が混ざっている。

 衛兵の標準装備である体の重要部位のみを守る軽装ではなく、全身鎧特有の足音だ。

 しかし、それにしては音が小さいのは、魔法か何かで音を消しているためだろうか。

 消しきれないほどの音を鳴らしているとのは、それほど急いでいるのか、それとも装備者の技量が未熟なのか。

 少し遅れて、それに気づいた蒼の薔薇の双子もまた驚いたように顔を持ち上げた。

 

「クライムが来たみたい」

 

「ああ? なんであいつが。女たちの護衛か?」

 

「誰だ?」

 

 ここまで黙っていた主が口を開くと、ガガーランが快活に答える。

 

「件のお姫様の騎士だ。まあ証拠隠滅のために八本指が手を出してくる可能性も、あるっちゃあるから護衛は必要だが、アイツだけじゃな。俺も付いていってやってもいいか?」

「そうね……」

 

 問いかけたガガーランにラキュースが答える前に、双子が左右からガガーランの肩に手を乗せた。

 

「そうじゃないみたい」

「慌ててこっちに来てる」

 

 確かに音の主は、一人だけ宿の最上階に位置するこの最高級部屋に向かってまっすぐ駆けてくる。その足音には、強い焦りの色が混ざっていた。

 ややあって、双子が開けた扉から白銀色の全身鎧を纏った少年が飛び込んできた。

 

 鎧にはミスリルやオリハルコンが使われているらしく、この世界に於いてはかなり高級で贅沢な代物だ。

 ミスリルのような金属を使った鎧は騒がしい音を立てない。加えて付加された魔法の力によって体から鳴る音を殆ど消していたらしい。

 そんな鎧でも音を鳴らしている様や体捌き、部屋の中に入ってもまだ漆黒に気づいていない──自分たちが部屋の奥まったところにいるせいでもあるが──辺り、この世界基準でも大した実力ではないのは間違いない。

 年齢はまだ十代半ば。実力に見合っていないことも含めて、鎧に着られているといった印象だ。

 

(王女様の愛玩動物かしら)

 

 少なくとも実力で選ばれた騎士ではなさそうだ。

 

「アインドラ様、大変です!」

 

 入ってくるなり張り上げた声は年齢に似合わずしわがれていた。これも生来のものではなく、日常的に声を張り上げ過ぎたせいで、後天的に変わったもののようだ。

 

「っ!」

 

 ようやくこちらに気づいたクライムなる戦士は、目を見開き自分たちを見回した後、助けを求めるようにラキュースを見た。

 

「彼らは協力者よ。クライム、いいからここで話して」

 

 間髪入れずにラキュースが言ったことで、なぜクライムが近づいてきているのを知りながら、外で話したりせず、わざわざ室内まで招き入れたのか理解して、内心で舌打ちする。

 ここで話を聞かせることで、無理矢理にでもこちらを巻き込もうとしているに違いない。

 

「あ、いえ。ですが──」

 

 しかし、向こうにはその意図は伝わらなかったらしく、本当に話していいのかと困惑を見せる。

 

「我々は別に一度外に出てもかまわない。まだ正式に協力関係を結んだわけでもないからな」

 

 これまで黙っていた主がキッパリと拒絶した。

 サトルに話を通すまで明言はできないにしろ、協力する姿勢は見せておいた方が良いはずだが、敢えてこう言った以上、何か意図があるのだろうか。

 とりあえず黙って事の成り行きを見守っていると、ラキュースは慌てて言う。

 

「いいえ。何の問題もありません。これは協力するしないとは関係のないことですから、どうぞそのままで──クライム」

 

(なるほど。なし崩し的な協力はせず、力を貸してほしいなら実利を持ってこいという意思表示。けれどモモンガ様にしてはちょっと分かりやすすぎるような……)

 

 深謀遠慮の極みたる主のこと。他にも何か意図があるのは間違いない。その意図を読もうと頭を働かせていると、クライムもようやく事態を察したらしく、姿勢を正したのち緊張した声で告げた。

 

「はっ。分かりました。実は、つい先ほどバルブロ殿下が王宮から姿を消しました」

 

「おいおい。八本指が捕まる前に逃げたってことか? バカ王子の癖にずいぶん動きが早ぇじゃねぇか」

 

「いえ。確認されたのが今と言うだけで、少し前から王宮というより王都から出ていたようです。どうやって抜け出したのかは調査中とのことですが」

 

「脱出方法は今はどうでも良いわ。問題はアレがどこに逃げたかよ。やはり一番可能性が高いのは八本指の中でも金を受け取っていた麻薬部門の拠点ね。王都内でないのなら、黒粉の原料を栽培している村かしら」

 

 考え始めたラキュースを前に、クライムは眉間に皺を寄せ、言いづらそうに首を横に振った。

 

「いえ、実は居場所自体はもう分かっているのです」

 

「何だよ。勿体つけんなよ。なら、今すぐ追いかけて連れ戻せばいいってことだろ? たとえ相手が六腕でも今なら問題ねぇぜ」

 

 ガガーランがチラとこちらに視線を移した。

 六腕とは八本指の警護部門トップの総称。

 全員がアダマンタイト級冒険者に匹敵する実力者と聞いているが、ここにいる蒼の薔薇だけでなく、自分たち漆黒も協力すれば問題ないと言いたいのだろう。

 

 これもまた自分たちの価値を高める材料になり得るが、どうもクライムの反応がおかしい。

 自ら口にしたガガーランも空気を理解したらしく、軽口を止め、続きを促した。

 再度深呼吸をした後、クライムは声を落として告げる。

 

「ボウロロープ侯の私設軍隊である、精鋭兵団五百人を率いてエ・ランテルに向かいました。目的はエ・ランテルの奪還に向けての先行調査とのことです」

 

 部屋中の空気が一瞬停止した後、ラキュースが立ち上がった。

 

「はぁ!? たった五百人で!?」

 

 心底驚き、声を張り上げたその姿からは、貴族の仮面も剥がれ落ちていた。

 

 

 ・

 

 

 チラチラとこちらを窺う気配を感じながらも、バルブロは敢えて胸を張ったまま、馬の手綱を引いた。

 配下の前では常に堂々たる態度を見せる。

 それこそが王の資質というものだ。

 

「バルブロ殿下。少しよろしいでしょうか」

 

 その態度を好機と見たのか、精鋭兵団の指揮官である騎士が声をかけてきた。

 

「なんだ?」

 

「ここより先は、住んでいた村人たちが自主的に余所の地域に引っ越していったそうで、無人となります」

 

「そうか。ならばここからが本番ということだな。よりいっそう周囲を警戒せよ」

 

 堂々たる態度のまま命じる。

 直ぐにでも了承の返事が来るかと思いきや、騎士は苦悶の表情を浮かべて、声を落とした。

 

「これ以上先に進むと、もう後戻りはできません。やはり殿下は近隣の都市でお待ちになっていただいた方がよろしいかと──」

「今更何を言うか!」

 

 思ってもみなかった提案に、驚きと怒りの混ざった声を張り上げるが、相手も退かない。

 

「……今回の任務はあくまで、エ・ランテルを解放するため、軍を派遣する前の調査任務と聞いております。であればなにも殿下自ら兵を率いる必要はないのではないでしょうか?」

 

「愚か者! 我が父である国王陛下は国内の取りまとめで忙しく、兵を集める時間もない。故にボウロロープ侯からお前たち精鋭兵団を借り受け、その指揮を私が承ったのだ。現地での行動に関しても私が差配する責務がある」

 

 一気に全て説明して威圧すると、指揮官である騎士は言葉を詰まらせた。

 騎士も貴族ではあるが、所詮一代限りの名誉職。

 王族であるバルブロに抗弁する権利などあるはずがない。

 とはいえ、騎士の考えも理解はできる。

 

 今回バルブロに預けられた兵は、僅かな騎兵以外は全て歩兵で総勢で五百人。

 偵察という意味では十分過ぎる数ではあるが、エ・ランテルに現れた者たちの正体は未だ不明──バルブロ自身は帝国の仕業に違いないとみているが──それもたった一日で三重の城壁で守られたエ・ランテルを占拠した者たちだ。

 

 この人数では流石に心許ない。

 そんな危険な任務に、王子であるバルブロ自らが付いてきて良いのか。

 そう言いたいのだろう。

 

 しかしこれは、例の噂のせいで民衆どころか、これまで支持を表明していた貴族連中からも、距離が置かれつつあるバルブロにとって、起死回生の手段なのだ。

 このまま噂が広がれば、父王は次の王位にザナックを就けると言い出しかねない。

 そもそも例の噂以前から、父王はバルブロに王位を譲ろうとしなかった。

 第一王位継承権を持ち、数多くの大貴族からの支援を受ける自分こそ、次代の王にふさわしいのは言うまでもないのにだ。

 

(俺の活躍でエ・ランテルの奪還を成し遂げれば、いい加減覚悟を決めるだろう)

 

 以前にも宮廷会議で進言したのだが、そのときはザナックと軍務尚書の横やりが入って、この案は却下されてしまった。

 今になって考えてみると、あの後から自分にとって不都合な噂が流れ始めた気もする。

 やはり噂の出どころは、王位継承を争うライバルであるザナックに違いない。

 非常に業腹だが、これは同時に、バルブロが提案した作戦を成功させることを恐れているからこそ、慌てて邪魔をしたと見ることもできる。

 

 一部の噂が事実である以上、下手に噂を否定するより、より大きな功績を以って塗り変えた方が手っとり早い。

 そう考えて、義父であるボウロロープ侯に早馬を送り、この精鋭兵団を借り受けたのだ。

 

 もっともボウロロープ侯としては、バルブロを王都から脱出させた後、この兵力を使ってそのままボウロロープ侯と合流させ、同時にごく少数の調査兵を派遣してエ・ランテルの情報を集める手はずだったようだ。

 それをバルブロの指示によるものだとして、功績を譲る手はずだったらしいが、それを聞いたバルブロは、ボウロロープ侯の指示を無視し、自ら率いていく決断を下した。

 

 良好な関係を築いている義父とはいえ、ここ最近自分を支援していた貴族たちが、次々と離れていったこともある。

 情報収集がうまくいかなかった場合、義父も手のひらを返して自分を切り捨てる可能性もゼロではない。

 幸い、送られてきた精鋭兵団はボウロロープ侯の配下ではあるが、現地での行動は全てバルブロに一任すると命じられているため、急な作戦変更にも直接異を唱えることはできず、こうして遠回しな進言しかできないのだ。

 

(俺に何かあれば自分たちも罰を受けると思っているのだろうな。だが、ボウロロープ侯が裏切らないにしても指示だけでは功績として弱い)

 

 愚かな民衆どもが相手では、単に命令を下したという事実だけでは信を得るには足りない。

 

 王子自らが直轄領であるエ・ランテルを取り戻すべく、危険を省みずに兵を率いた。

 

 こうした物語があって初めて、民衆は例の噂がデタラメだったのだと納得し、バルブロこそ次代の王にふさわしいと理解するに違いない。

 逆にここで動かなければ、王位を得ることは難しくなる。

 バルブロは自分の領地というものを持っておらず、作戦遂行に必要となる戦力がないからだ。

 だからこそ、ボウロロープ侯より借り受けたこの精鋭兵団の者たちが居る間に、功績を挙げなければならないのだ。

 

「良いか。ボウロロープ侯がお前たちに課した命令は、私の指示に従い、エ・ランテル奪還のための足がかりとなる情報を得ることだ。すでに、ボウロロープ侯のみならず、レエブン侯からも領地横断の許可という形で力を借りている以上、決して失敗は許されない」

 

 王都リ・エスティーゼからエ・ランテルに向かう場合の経路は二つ。

 レエブン侯の領土であるエ・レエブルを通る経路とペスペア侯の領土であるエ・ペスペルを通る経路だ。

 正直どちらの経路にも問題はある。

 街道の問題だけでなく、政治的な問題だ。

 

 レエブン侯はボウロロープ侯が盟主を務める貴族派閥に属しているが、王派閥にも良い顔をする蝙蝠と揶揄され、最近では第二王子であるザナックにも近づいていると聞いているので油断できない。

 ペスペア侯に至っては第一王女を娶ったこともあり、本人も王位継承権を持つ──流石に継承順位は大分下だが──競合相手である以上、こちらの弱みを見せるわけには行かない。

 

 どちらを頼るか悩んだ末、レエブン侯を選んだのだが、相手は思った以上にバルブロに好意的だった。

 武器を携帯したまま、都市内を抜ける通行許可をくれただけでなく、宿や食料の手配、モンスターの出にくい安全な行路も提示してくれた。

 これは都市防衛の観点から見るとかなり貴重な情報であり──領地運営をしたことのないバルブロはあまりピンと来なかったが、騎士の一人がそう言っていた──レエブン侯なりの忠誠の示し方と捉えることもできるが、相手は二つの派閥を行き来する蝙蝠だ。

 

 結局のところ、最近はザナックにばかり良い顔をしていたので今度はバルブロに。といったところだろう。

 蝙蝠であるレエブン侯は、バルブロが王位に就くと決まれば、あちらの方からすり寄ってくるのは間違いない。誰が王になるか不明な現状でバルブロを騙す必要がない以上、受けた好意や情報は無条件で信用して良いはずだ。

 

「それはその通りなのですが……」

 

 やはり歯切れが悪い。

 いい加減つき合うのも面倒になったバルブロは、再度声を荒げて一喝する。

 

「そんな重要な任務だからこそ、いざという場合でも臨機応変な決断を下すために指揮官である私も着いていってやろうというのだ! お前たちは全力で私を守り、そして指示に従っていれば良い。分かったな?」

 

「……承知いたしました」

 

 まだ不服そうではあるが、とりあえず馬上で背筋を正し、礼を取る騎士にバルブロは鼻を一つ鳴らし視線を前方へと向けなおす。

 周囲はちょうど拓けた場所に出たところだが、ここからは時間との勝負だ。休んでいる暇などない。

 

「ならば早々に進軍せよ。ここからどちらに向かえばいい?」

 

「畏まりました。レエブン侯からの情報では、エ・ランテルを占拠した者たちが帝国の場合、東部は勿論、王国と繋がっている西部、法国と繋がっている南部に関しても監視の目が厳しいだろうとのことです」

 

「……ならば北から行けばいいのか?」

 

「はい。北にはトブの大森林がありますが、その直ぐ側に現在は、村人が全員逃げ出した、カルネ村なる集落跡地があるそうです。小さな村ですが、トブの大森林に近いこともあって強固な柵で村を囲んでいるらしく、防衛力も高いとのこと。そこを拠点にしつつ、精鋭を選抜してエ・ランテルの調査をするのが良いのではないか。とレエブン侯配下の者たちから聞いております」

 

「ほう。そんな便利な場所があるのか。ならばさっさとそのカルネ村とか言うところに向かうぞ。今夜中に到着し、明日から調査を開始する」

 

「お待ち下さい。先ほども言ったようにカルネ村は、トブの大森林のすぐ側にあります。住人が居なくなったことで、モンスターが森から出てきている可能性もある以上、もっと慎重に行動すべきかと」

 

「バカを言うな! これだけの人数を割いたのは何のためだと思っている? モンスター程度お前たちが対処せよ」

 

 再び口答えをする騎士を怒鳴りつけ、バルブロはもう話は終わりだ。と言うように手を振ると、騎士はうなだれつつも了承し、バルブロの下を離れていった。

 

「全く、どいつもこいつも」

 

 自分が王になった暁には、ああした無能な配下どもは一掃してやる。

 離れて行く騎士の後姿を見ながら、バルブロは苛立ちと共に舌を打ち鳴らした。 




ちなみに、ソリュシャンがモモンガさんとヘロヘロさんを比べるのが不敬だと取りやめていますが、あれは比べること自体が良くないと考えているからです
なのでヘロヘロさんよりモモンガさんの方が上になったということではないですが、百年の間に忠誠心アップイベントがいくつも発生していたため、本来は創造主が一番であるところ、限りなく同格に近い状態くらいまで近づいています

次はナザリック側の話。推敲に問題がなければ多分明日投稿できると思います


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第46話 近づく再会

前回の続き
今回までが交渉パートなので、あまり話は進んでいませんが、次に進むうえで必要なのでもう少しお付き合いください


 第一王子がエ・ランテルに出向いたという話を聞いた直後、蒼の薔薇から正式に協力体制を取ってほしいという申し出があった。

 悟に話をつける前だったので、モモンガはどうしたものかと思案していたのだが、その様子を見てラキュースはどこか慌てたように、とにかくまずは自分たちの依頼人と話を付けてくると言い残し、悟の知り合いだというイビルアイなる魔法詠唱者(マジック・キャスター)を連れて部屋を出て行った。

 

 室内に残された者たちは積極的に会話をすることはなく、再び奇妙な緊張感が残されたが、しばらく時間を置いた後、二人はもう一人別の人間を連れて戻った。

 それも徒歩ではなく、転移魔法によってだ。

 長距離転移である転移(テレポーテーション)は第五位階の魔法。

 ナーベラルでも使える魔法ではあるが、この世界に於いては第五位階の魔法を使える者はごく僅かしかいない。

 

(悟の知り合いらしいが、結局何者なんだ。この女)

 

 一番最初に思いつくのはプレイヤーだが、それにしては使える魔法の位階が低過ぎる。

 実力を隠している可能性もあるので断定はできないが、転移魔法には精度が存在し、場合によっては出現先にズレが生じてしまうため、こうした狭い室内で使用する場合は、失敗確率のない、上位転移を使うのが一般的だ。

 それなのに通常の転移を使ったところを見るに、上位転移が使えない程度のレベルしかないことになる。

 

 そう考えるとやはりプレイヤーではなく、ドラウディロンから聞いた神人と呼ばれる、神、すなわちプレイヤーの子孫である可能性の方が高い。

 悟との関係も含め、色々と聞きたいことはあるのだが、残念ながらその時間はなさそうだ。

 

 ラキュースたちが連れてきた、金色の長い髪をした少女の存在があるからだ。

 全体的に美形が多いこの世界に於いても、突出しているように見える、宝石のように整った顔立ちの少女には見覚えはないが、依頼人と話をつけてくると言った以上、答えは出ているようなものだ。

 

 即答しないモモンガに業を煮やし、依頼人である王女を直接連れてくるという強引な手段に出たらしい。

 相手の立場を考えるとこちらから挨拶をしなくてはならないのだが、名前が出てこない。先ほどラキュースが言ったばかりだが、モモンガの知能であんなに長い名前を一度で覚えられるはずがないのだ。

 必死に頭を回転させて、名前を思い出そうとしていると。

 

「へぇ。こりゃ驚いたな。王国の黄金。ラナー殿下が直接お出ましか」

 

 イスから立ち上がりもせず、小馬鹿にしたような態度でソリュシャンが言う。

 

(でかした!)

 

 思わぬ形で名前が知れた。

 心の中でソリュシャンを賞賛しつつ、とはいえその態度にはリーダーとして一応とがめるべきか思案していると、視界の端でクライムと呼ばれていた騎士が拳を握り込んでいるのが見えた。

 顔を伏せたまま、瞳だけでソリュシャンを睨みつけている。

 自分の仕える王女に無礼な態度を取るソリュシャンに、怒りを向けているのだ。

 

 しかし、こちらが最高位冒険者という地位であったとしても、相手は王族。

 クライムはもちろん、ラキュースもこちらの無礼な態度を咎めるくらいはしても良さそうなものだ。

 そうしない以上、彼女たちはモモンガたちに強く出られない理由があることになる。

 ソリュシャンの軽口には、それを確かめる意味合いもあったのだろう。

 

(とりあえず問題なのは、この後の交渉か──)

 

 これまでは同格の冒険者であるラキュース相手だからソリュシャンに交渉を任せていたが、以前のドラウディロン同様、王族が相手ならば流石に交渉役はリーダーであるモモンガが対応するのが筋だと思う。

 しかし、正直な話先ほどまでの、ソリュシャンとラキュースが行なっていた交渉の内容はさっぱり理解できなかった。

 お互いに腹のさぐり合いをしているのは雰囲気で察したが、目的は良く分からない。

 

 かつて、サラリーマンとして働いていた頃の自分ならば、もう少し相手の腹を読むことができたのかもしれないが、それももはや過去のこと。

 百年以上前に培った、営業の処世術などすっかり忘れてしまった。

 そもそも本来、王国の担当は悟なのだ。

 流されるままにここまで来てしまったが、どこまで手を貸して良いのかも分からないままだ。

 

(さっきのタイミングで離れられたら良かったんだが)

 

 クライムという少年が現れたときのことだ。

 王国の機密に関わる話をモモンガたちの前でする訳にはいかないと、口籠っていたのをチャンスと見て、この場を離れて悟に連絡を取るつもりだったのだが、ラキュースの判断で失敗に終わった。

 

 この時点でラキュースには、モモンガの策略など通用しないことが判明してしまったが、ここから先はあちらも交渉相手が依頼人であるラナー王女に変わるはず。

 相手が世間知らずの王女様ならば、モモンガでも何とかなりそうな気もするが、同時に王族はそうした知識を帝王学のような形で勉強しているのではないか、という気もする。

 

(とはいえ、悟の考えが分からない以上、手を貸し過ぎるのも問題だが、王国との関係が悪化するのもまずいか。やはりこれ以上悪感情を持たれないよう振る舞いながら隙を見てここから離れ、悟と連絡を取る)

 

 これしかない。と覚悟を決め、モモンガは手を振った。

 

「ソーイ、無礼な口を利くな。失礼致しました、王女殿下。ここより先は私が話を伺いましょう」

 

「気になさらないでください、モモン様」

 

 にっこりと慈愛に満ちた笑みを浮かべるラナーからは、ソリュシャンに対する怒りや憤りは微塵も感じられない。

 とはいえ、相手は王族。そうした感情を隠すポーカーフェイスもお手のものかもしれない。

 

「ですが、今は時間もありません。不作法ですが挨拶は抜きにして本題に入らせてください」

 

 続けられた言葉は、先ほどまでより少しだけ砕けた口調になっており、それは正式な礼節を知らない冒険者であるモモンガを気遣っているようだ。

 どうか、噂通りの慈愛に満ち、それでいて騙されやすい頭が御花畑の王女様であってくれ。

 祈りながら、モモンガは是非に。と言って恭しく頭を下げた。

 

 

 ・

 

 

「あの娼館にはモモン様のお知り合いの冒険者の方々、その縁の方も働かされていたと伺っております。部門違いといえど、八本指に我々王家の金銭、つまりは国民の方々から納められた大切な血税が流れていたことも事実。兄に代わり、私からも謝罪いたします」

 

「っ!?」

 

 ラナーの謝罪を見て、蒼の薔薇、特に貴族であるラキュースは、声には出さず驚愕を露わにした。

 無理もない。

 正式な謝罪ではないとはいえ、これは王家の権威を落としかねない行動なのだから。

 

 いくら慈愛に満ち、頭の軽い王女を演じているからといって、王族の教育を受けている者がするべき行動ではないのは明白だ。

 ラナーがこの三人、いやリーダーであるモモンなる戦士に対して下手に出たのはいくつか理由があるが、もっとも大きな理由は、ラナーの観察眼を以ってしても、未だにこの男の全容を把握し切れていないためだ。

 

「殿下。頭をお上げ下さい」

 

 ラナーの謝罪を受けても、モモンは大した動揺も見せない。王侯貴族のような上流階級の習わしに詳しくない可能性がある。

 

(この二人は明らかに訓練を受けた従者。となればモモンもまともな教育を受けた立場にいると思ったけれど。そうではなさそうね)

 

 まだ確定はできないが、生まれ持った立場による主従関係ではなく、たとえばラナーとクライムのように命を救われたことで、二人がモモンに忠誠を誓った、というような後天的な主従関係によるものかもしれない。

 

(ある程度頭が使える方が、やりやすいのだけれど……)

 

 自分を知恵者だと思っている者ほど、計算しやすい相手はいない。

 モモンがそれに当たるかはまだ分からないため、とりあえずラナーはいつも通り、夢見がちな王女様を演じて様子を見ることにした。

 

「いいえ。そうは参りません。私は王家の一員として、兄のしてしまったことに対して謝罪し、同時になんの責も負わずに王都を抜け出した兄を見つけ、王都に連れ戻す責任があります」

 

 そこで一度言葉を切り、言いづらそうな演技を見せると、モモンはその姿を見て納得したように頷いた。

 

「なるほど。ラナー殿下の依頼はそれですか。バルブロ殿下を我々に連れ戻して欲しいと」

 

「はい。クライムから聞いたと思いますが、お兄様は現在、偵察という名目で兄の義父でもあるボウロロープ侯の部下を連れてエ・ランテルに出向いております。今あそこはとても危険で、近づくことも大変だとラキュースから聞きました」

 

 視界には映らないが、今頃ラキュースの表情は歪んでいるはずだ。

 本来この仕事は蒼の薔薇に頼んでいたのだが、先の件を理由に一度断られた。その代わりにと八本指の娼館制圧の任務を請け負ったという経緯があるからだ。

 しかし、それがラキュースの嘘であることも分かっている。

 彼女はバルブロを助ける必要などないと考えているため、わざと断ったのだ。

 

 例の噂も含め、現在のバルブロは王派閥のみならず、貴族派閥の大部分の貴族からすら邪魔だと思われている。

 バルブロさえ居なければ王国は一つに纏まり、帝国が主導して動いているという周辺諸国同盟への参加もしやすくなる。

 ラキュースは本心からラナーが慈悲深い王女だと信じているため、そうした裏の事情を直接言うことはできず、適当な理由を付けて諦めさせるつもりだったのだ。

 バルブロが不要な存在であることにはラナーも同意するが、問題は死んだ後だ。

 

(アレはもう死んでいるでしょうが、死体が見つからないと、それはそれで面倒)

 

 今や全包囲から死を望まれているバルブロだが、唯一にして最大の障壁が、貴族派閥の盟主であるボウロロープ侯だ。

 彼にとってもバルブロは既に害でしかないはずだが、どうもボウロロープ侯は利益ではなく個人的な感情によって、バルブロを守ろうとしている節がある。

 五百程度とはいえ、自分の私兵である精鋭兵団を貸し与えたのはそれが理由だ。

 

 当初の予定では、彼らにバルブロを守らせつつ、雲隠れさせる予定だったのだろうが、バルブロの暴走によって本気でエ・ランテル奪還に向けて動き出した。

 更には王国ではほぼ唯一まともな貴族であるレエブン侯の手引きで、エ・レエブルを通過させられたことで、死への旅路は舗装され、すでにバルブロはエ・ランテル周辺に到着している。

 エ・ランテルを占拠しているというアンデッド集団の戦力から推察するに、バルブロはすでに死亡しているはずだ。

 

 バルブロが死亡した後、レエブン侯が即座に父王に進言し、ザナックに王位継承を促す手はずなのだが、ここで問題となるのが、ボウロロープ侯だ。

 これまでの執着具合を鑑みるに、たとえバルブロが死亡したとしても証拠がなければ、彼がザナックへの王位継承を認めることはなさそうだと感じたのだ。周辺国家同盟に参加する程度ならば、それでも問題ないが、その後のことを考えるとバルブロの死を確定させておかなくてはまずい。

 だからこそ、死体を取り戻す役目が必要となる。

 

 ここはまだ詳細の分からない漆黒を頼り、性格や実力を分析することにしよう。

 

「皆様はエ・ランテルのアダマンタイト級冒険者だと伺いました。どうか、兄を助けてはいただけませんか? 兄には王国の法に則って罪を償ってもらいたいのです」

 

 さて、どうでるか。

 深々と頭を下げながら出方を窺うと、モモンは間を置かず答えた。

 

「分かりました。では早速助けに行きましょう」

 

 予想に反してモモンの声には、計算通りにいったことを喜ぶ雰囲気が混ざっていた。

 

 

 ・

 

 

 その日。

 プレアデスの次女、ルプスレギナ・ベータは朝食を終え、姉妹に与えられた部屋に向かっていた。

 

 途中、第九階層の清掃を任せられている一般メイドたちとすれ違ったが、彼女たちはルプスレギナの姿を見つけると、手を止めて頭を下げてくる。

 基本的に一般メイドたちも戦闘メイドも、共に至高の存在に創造された者同士であるため、優劣は存在しないのだが、どうやら彼女たちにとって自分たちはちょっとしたアイドルのような存在らしい。とはいえ仕事中にわざわざ手を止めて挨拶されるのは、どうにも決まりが悪い。

 特に現在は。

 

「いーっすよ。いちいち手を止めなくても、それでなくても今はみんな忙しいんすから」

 

 今は。の部分に意識を込めたことで、メイドたちの身が強ばったのを見て、余計なことを言ってしまったと、すぐにフォローを入れる。

 

「まあ、お互い色々あるっすけど。今日も一日、ナザリックの、なによりアインズ様のために頑張りましょう」

「は、はい!」

 

 緊張した面もちで、それでも力強く頷いた一般メイドのフォアイルに手を振って、ルプスレギナはその場を離れる。

 先ほど口にしたのは、彼女たちの直属の上司とも呼べるメイド長、ペストーニャの謹慎騒ぎのことだ。

 

 詳細はルプスレギナも知らないのだが、ペストーニャとニグレド。

 この二人が主に対しエ・ランテルで行われている人体実験を止めるよう直訴を行い、その結果、主に許されざる行為をさせてしまった。ということで謹慎になったのだ。

 正確には、主は許してくれたのだが、本人たちが何の罰も受けない訳にはいかないと言ったことで、自主的に罰を受けることにした。というのが正しいのだが、その結果、ペストーニャが纏めていた一般メイドたちにしわ寄せが行っている。

 

(もっとも、それは私たちも同じだけど)

 

 こちらも詳細は不明だが、プレアデスのリーダーであるセバスが、デミウルゴスから命じられて付いていた別の業務中、何らかの失態を犯したようで、現在ペストーニャたちとは別口で謹慎となっている。

 共に直属の上司が謹慎になったという意味で、一般メイドとプレアデスは同じだが、一般メイドと異なりプレアデスは現在決まった仕事がない。

 

 少し前までは、ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)の警備任務があったが、そちらは主の命で守護が不要となってしまい、仕事場がなくなってしまった。

 そのため現在は一般メイドの手伝いや、各階層との連絡要員という、本来の業務からはかけ離れた仕事しかできていない。

 

「んー。せめてオーちゃんが表に出てきてくれればいいんすけどね」

 

 セバスをリーダーとしたプレアデスではなく、末妹であるオーレオールをリーダーとしたプレイアデスとして行動できれば、もっとできる仕事も増えるのだが、それを決めることができるのも主だけであり、その主も現在は忙しいらしく、玉座の間に閉じこもり気味であり、直談判などできる状況ではない。

 

「まあ、結局あの二人がいないと、それも意味ないっすけどねー」

 

 プレイアデスはオーレオールの支援と指揮の下、六姉妹が連携することで、最大限の力を発揮するように創造されている。

 その意味ではオーレオールが出てきただけではまだ足りない。

 行方不明となっている二人を見つけだして初めて、完璧なチームとして活動できる。

 そう考えると、セバス不在でまともな仕事がない今こそが、彼女たちを探索する絶好の機会なのではないだろうか。

 

「うーん。アインズ様はお忙しいっすから、頼むなら別の人っすよね」

 

 歩きながら、許可を出してくれそうな人選を思い浮かべる。

 可能性があるとすれば、主の不在時にナザリック全体の指揮を執るアルベドか、現在の職務であるナザリック内の防衛責任者のデミウルゴスだ。

 どちらも癖のある者たちだが、その分キチンとナザリックの利益を提示すれば、許可してくれる気はするのだが……

 残念なことに、たとえ二人が復帰して完璧なチームとなったとしても、戦力という意味では高レベルの傭兵モンスターの方が上。利益と呼ぶには足りない。

 

「んー。となると──」

 

 なにか他に提示できる利益、あるいは外に出る理由はないだろうか。と考えているといつの間にか、自分たちの部屋に到着していた。

 とりあえず、中で休みながら考えてみることにしよう。

 扉に手をかけた瞬間、ルプスレギナの頭の上に生えた狼耳が聞き覚えのある声を捉え、ピクリと動いた。

 

「ふぅ」

 

 室内から聞こえてきたのは、姉であるユリ・アルファのため息だった。

 決意を込めたようなそのため息は、いくら自室内とはいえ、彼女らしくない。

 ルプスレギナは一瞬で表情を消したのち、分かりやすく口角を持ち上げた笑顔を形作ってから、勢い良く扉を開いて室内に飛び込んだ。

 

「どうしたんすか、ユリ姉。外まで聞こえてるっすよー」

 

「え? あ」

 

 室内の休憩用テーブルの椅子に腰掛けていたユリが驚いて顔を持ち上げる。

 その顔のまま固まってしまったユリの体に、ルプスレギナは抱きつくように飛び込んだ。

 いつもであれば避けられることはなくても、拳による迎撃くらいはありそうなものだが、今回はいともあっさり胸元に入り込むことができた。

 

「ちょ、ちょっとルプー。止めて」

 

 引きはがそうとするが、その力もさほど強くはない。

 やはりなにかあったのだと察して、ルプスレギナは抱きついたまま、ユリの耳元に真面目な声を落とした。

 

「なにかあったんすね」

 

 問いかけではなく断定すると、ユリの体はピクリと震える。

 その仕草が答えのようなものだ。

 ユリ自身もルプスレギナに伝わったことを理解したらしく、再びため息を吐き、今度はやや強めに拘束を外すと、自分の向かい側に座るように促した。

 大人しく席に着くと、ユリは語り出す。

 

「実はね。ちょっと仕事を頼まれたの」

 

 ユリが常日頃からもっと働きたいと思っていることは知っていたが、それでは先ほどのため息に繋がらない。

 一人だけ仕事が決まったことに対して、後ろめたい気持ちがあり、それを隠すためというには真剣すぎた。

 まだ何か隠している。

 

「へぇー。どんな仕事なんすか?」

 

「ナザリック周辺の警護よ。正確にはデス・ナイトを始めとしたエ・ランテルを警備させている兵を指揮して周囲を探るように、とのことよ。少し前王国の冒険者チームらしいのが数人入り込んだのだけど、それは偽の情報を持ち帰らせるためにわざと手を出さず戻したらしくて。これ以上の欺瞞工作は必要ないから、警備しつつ発見次第殲滅するように。とのことよ」

 

「指揮?! ユリ姉が?」

 

 何事も、とりあえず殴って解決を図ろうとするユリに、向いているとは思えない。

 

「なに?」

 

「あ、いや。なんでもないっす」

 

「それでルプー。貴女には、私の仕事を引き継いで貰いたいの。とりあえず──」

 

「その仕事。誰に頼まれたんすか? 確か今アインズ様は玉座の間に詰めているはずっすよね?」

 

 話を進めようとするユリの言葉を遮ると、再び彼女の体が揺れた。

 ユリは性格上、隠し事が得意ではない。

 そのことは妹である自分たちが誰より良く知っている。

 

「……デミウルゴス様よ」

 

 ルプスレギナの無言の圧に嘘を吐くのを諦めて、ため息とともに告げたその名前で、ある程度の事情が理解できた。

 

「なーるほど。私たちも疑われているんすね」

 

「……恐らくね」

 

 デミウルゴスとセバス。

 二人の相性が悪いのはナザリックでは周知の事実だ。

 二人ともナザリックや主に不利益をもたらすようなことはしないが、今回セバスが失態を犯したことで、デミウルゴスとしては大義名分を得て、セバスに罰を与え仕事から遠ざけることができ、同時にセバスの直属の部下であるプレアデスに関しても疑いを持って、自分の監視下に置こうとしているのだ。

 

 責任感の強いユリは、疑われているという事実そのものに強いストレスを感じ、これ以上失態を犯すまいと決意を固めた。

 それが部屋に入る前にルプスレギナが聞いた、あのため息ということだ。

 

(クソ真面目なユリ姉らしいっすけど……ん?)

 

 納得したと同時に思いつく。

 

「ちなみにユリ姉。それってユリ姉が名指しで頼まれたんすか?」

 

「一応プレアデスで手が空いている者ということだけれど、あの二人はそうした指揮には向いていないし、特にシズはナザリック内のギミックやパスワードをすべて記憶しているからね。早々外に出すわけにはいかない。そうなると私しかいないでしょう」

 

「いやいや。私私、私がいるっすよ! なんでナチュラルに省いているんすか! 今仕事もないし、私が行くっすよ」

 

 平然と話を進めるユリに、慌てて自分を指すと、彼女は今までで一番深いため息を落とした。

 

「それは分かっているよ。けれどこれは多分ボクに対する踏み絵でもあると思う。それはルプーも分かっているだろう?」

 

 口調がユリ本来の物へと変わる。

 これは取り繕わずに、本音で話すという合図だ。

 

「ユリ姉は優しいっすからねぇ」

 

 セバスやペストーニャほどではないが。と心の中で付け加える。

 ナザリックに於いて、最優先は当然至高の存在であり、現在唯一ナザリックに残った主こそが全て。

 その下には至高の方々から直接創造された者たちが並び、更にその下に配下の下僕たちが続く。

 ここまでが、ナザリックの者たちにとって仲間意識を覚える者たちであり、それ以外は全て下等な存在であるというのが共通認識だ。

 それらがどうなろうと知ったことではない。

 

 エ・ランテルで行われているという人間たちに対する数々の実験や殺戮も、無価値な人間たちを有効的に活用するための立派な業務である。

 だからこそ、そのやり方に異を唱えたペストーニャたちの行動はナザリック内で問題となり、本人たち自ら謹慎を申し出た。

 

「優しい、というのとは違うと思うけど、ボクの気持ちはやまいこ様から戴いた大切なものだ。偽る気はないよ」

 

 きっぱりと告げる。

 ユリもセバスとペストーニャが揃って休息を取った事実を知った後、周囲に知られないように二人を捜そうとしたと聞いている。

 庇おうとした者たちが謹慎になった以上、ユリの行動も問題がないとは言い切れない。

 そう考えたデミウルゴスが、彼女を試す目的で仕事を任せた。

 ユリはそう解釈したのだ。

 

「けど、最後までお残り下さったアインズ様への忠誠は、他の誰にも負けないつもりだよ」

 

 自分の胸に手を当てて、力強く告げた台詞は、なかなか挑発的なものだ。

 なぜならそれは、皆言葉にしないだけで誰しもが思っていることなのだから。

 ただ一人、自分たちを見捨てずにナザリック地下大墳墓に残って下さった、慈悲深き主への忠誠心だけは誰にも負けない。

 ルプスレギナとて、同じ気持ちだ。

 それをあえて口にしたのは、ユリなりの覚悟の現れだろう。

 

(まあ、本当に踏み絵なら、当然単なる警備で終わるわけないっすよね)

 

 主には及ばないとはいえ、ナザリック一の知恵者として創造されたデミウルゴスの頭脳と残忍な性格は、ルプスレギナも良く知っている。

 その彼がユリを試そうとする以上、すでに何らかの情報を得ているに違いない。

 今更ながら先ほどの決意は、それも込みでのものだったと気づく。

 姉の強い決意と覚悟を理解はしたが、納得はできない。

 

「じゃあ私が行ってくるっす」

 

「話聞いてた?!」

 

「聞いてたっすよ。でもそれってあくまでユリ姉の推測であって正式な命令じゃないんすよね?」

 

「そうだけど……」

 

「だったら問題なしっす。それに、私としてもこのやり方はちょっと気分が悪いわ」

 

 本音で話すユリを倣って、ルプスレギナも口調を変えて、本音をぶつける。

 

「え?」

 

「セバス様たち三人に関しては、アインズ様もお認めになったのだから謹慎になっても仕方ない。いいえ、当然のことだけれど、ユリ姉さんはそうではない。アインズ様の叡智なら全ての状況を理解しているはずなのに、何も仰らない以上、問題はないはず。それなのに試すような真似をするのは、ユリ姉さんの忠誠心だけでなく、アインズ様の判断にも疑いを持っていることになるわ」

 

 滔々と語る内容をユリは黙って聞いていたが、最後の言葉には、確かに。と言うように一つ頷いた。

 

「これはデミウルゴス様の越権行為に他ならない。そんなものにユリ姉さんがつきあう必要はないでしょう?」

 

「だから貴女が行くと?」

 

「ええ」

 

 間髪入れずにうなずくと、ユリは再度思案する。

 言っていることは理解しつつも、本当にそれで良いのか考えているのだ。

 もっと言えば、自分の決断が他の姉妹たちに影響を及ぼさないかを心配しているといったところか。

 

 これも無理もない。

 自分とユリの妹であるシズとエントマ──末妹のオーレオールはまた少々事情が異なる──は精神的に幼く、ナーベラルたちの不在もあって追いつめられている。

 休憩の度に第六階層に出向き、魔獣にしがみついて癒されていたり、自分が巣を作れる場所がないか探し回っているのも、ストレス解消の一環だろう。

 そんな中ユリにまで何かあったら──

 

「だからこそ、私が行く。ユリ姉さんはあの二人のことを見ていて」

 

「ルプー……分かったわ。貴女も」

 

「んん?」

 

「あの二人のこと。よろしくね」

 

 再び口調が戻るが、これは演技ではなく姉としてのユリの態度だ。

 流石は長女と言うべきか。ルプスレギナのもう一つの意図についても察しているらしい。

 

「了解っす!」

 

 こちらも彼女に合わせて、プレアデスの次女としての言葉と共に、自分の胸を大きく叩いた。

 警戒任務ということは当然、ナザリックの外に出ることになる。

 そうなれば行方知れずのナーベラルとソリュシャンを捜すことができる。

 もちろん、あくまで周辺警備なのだから、あまり遠くまでは捜索できないが、それでもナザリックに留まっているよりは可能性がある。

 

「さーて。それじゃあ準備をしないといけないっすねぇ。デミウルゴス様がどんな仕事をさせようとしているのかワクワクっすよ」

 

 ユリにとって辛い仕事ということは、趣向的に彼女と正反対の自分にとっては、楽しい仕事に違いない。

 

「貴女。もしかしてそれが目当てで?」

 

 呆れたような声でジト目になるユリに、ルプスレギナは最高の笑顔と共にサムズアップした腕を突きだした。

 

「それもあるっす!」




ちなみに、最後のルプスレギナたちのパートはモモンガさんたちの交渉より少し前の時間軸となります
ナザリックにいるアインズ様は自分がコピーであると理解しているため、引きこもりがちになっています
そのせいで、本来一枚岩であるはずのナザリック内にも不協和音が起こりつつあるという感じです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第47話 再会は森の中

バルブロとルプスレギナの話
時系列は前回の最後から少し時間が飛び、モモンガさんたちがラナーからの依頼を受けた後です


 暖かな光が、体を包み込む。

 同時に全身をくまなく覆っていた痛みが、溶けるように消えていく。

 

 度重なる暴行によって機能を失った。いや、物理的に消失していたかもしれない四肢に感覚が戻ると、自分が必死に拳を握りしめていることに気がついた。

 その強く握りしめた拳の中、爪が手のひらを刺す痛みで、これが現実であると理解する。

 同時に、瞼が腫れあがり、目から溢れ出た涙と頭から流れ出た血によって、塞がっていた視界も開け、目の前には絶世と呼ぶにふさわしい美女が天真爛漫な笑みを浮かべているのが見て取れた。

 その笑みを見て、バルブロは全てを悟った。

 ああ、また死ねなかったのだ。と。

 

「いやー。今のは危なかったっすねぇ。もうちょっとで死んじゃうところだったっす。次からはもう少し手前で回復させてあげるっすね」

 

「……もう、殺してくれ」

 

 全てへし折られていた歯や、毟り取られた唇も回復したことで、言葉自体はスムーズに出すことができたが、つい数瞬前まで生死の境を揺蕩って鈍化した思考のせいで、何度目かの回復前に言われたことを忘れていた。

 さっと背筋に冷たいものが流れると同時に、女はそれまでの楽しそうな物ではない、口元の裂けた凄惨な笑みを浮かべなおした。

 

「くれ? この私に命令っすか? 私に命令を下せるのは四十一人……今この世界にいるのは、ただ御一人のみ。それをあなたごときが?」

 

「違、違います。殺しッ、殺して下さい! お願いします」

 

 必死に声を張り上げて懇願する。

 拠点としたカルネ村に突然大量のアンデッドを引き連れた、このメイド服姿の女が現れ、あっという間に護衛の精鋭兵団が全滅させられた時は、とにかく生き延びることだけを考えていた。

 実際他の兵士たちは皆殺しにしたというのに、自分だけ生かされたことで、モンスターやアンデッドと異なり、この女には知性があることが分かった。

 それなら自分の立場を使えば、交渉もできるはずだと胸をなで下ろしたものだ。

 だが、この女はこちらの立場を知っても、なにを交渉材料にしようと、全く興味を示さなかった。

 相手の目的はただ一つ。

 

「いやー、良い顔っすねぇ」

 

 ニマニマと楽しげに女は笑う。

 これだ。

 女の目的は、怯えきったバルブロの顔が何度も見たいという嗜虐的な欲求のみ。

 ただそれだけのために、何度も何度も何度も何度も、死ぬ直前まで暴行を加えられ、その後回復を繰り返すという拷問を受け続けたことで、バルブロの心はすでに折れていた。

 

 今は一刻も早く死にたい。

 ただ、それだけが願いだ。

 

「うん! その良い顔に免じて、ここいらで殺してあげても良いっすよ」

 

「ほ、本当に?」

 

「本当っす。私、嘘はつかないっすよ」

 

「あ、あ、ありがとうございます!」

 

 自分を殺そうとしている相手に感謝を述べる。

 一見するとあり得ない光景だが、バルブロは心の底から、本気で女に感謝していた。

 

「うんうん。喜んでもらえて嬉しいっすよ。レベル的にも一回くらいなら耐えられるはずっす」

 

「え?」

 

 なにを言っているのかはよく分からなかったが、全身を包み込んでいた歓喜が一瞬で失われていくのを感じた。

 代わりに湧き上がるのは、得体の知れない恐怖のみ。

 女は今までで一番楽しそうに笑いかけ、こう続けた。

 

「私は復活魔法も使えるっすからね。レベルが下がって体が弱くなれば、今よりもっと痛みを敏感に感じ取れるようになるっすよ」

 

「え? あ、ああ! おぇ。おぁ」

 

 魔法のことは詳しくないが、死んでも生き返る回復魔法が存在するとは聞いていた。

 死ですら救いにならない。

 その事実を突きつけられたバルブロの口から、意味のない悲鳴とも嗚咽ともつかない声が漏れ出る。

 

「まあ、その分死にやすくなっちゃうっすから、手加減が難しくはなるっすけど、その辺りもばっちり覚えたっすから安心して欲しいっす」

 

 女は自慢げに語りながら胸を張って視線を上に向ける。

 

「ああ! うわぁあぁーッ!!」

 

 バルブロから目線を外したその瞬間、脱兎のごとく駆けだした。

 体が回復した直後の脱走は、これまでも何度か試し、その度に失敗してきた。

 愚かな選択だと身に染みて分かっていたが、それでも止められない。

 

 死が救いにもならず、それどころか更に辛い痛みを味わう身体になってしまう。

 その事実に耐えきれず、身体が勝手に動き出していた。

 

「また鬼ごっこっすか? 良いっすねー。楽しませてくれるっす。んじゃーとりあえず百数えるっすねー」

 

 後ろから聞こえた暢気な声に、背筋から汗が噴き出したが、足は止まらない。

 何度か脱走を試みた際とは逆方向を目指す。

 これまではカルネ村の外に出ようと村の出口に向かっていたが、今回はカルネ村の背後に広がるトブの大森林を目指した。

 森中には危険なモンスターもいるとは聞いているが、あの女に比べれば、どんなモンスターも魔獣も怖くはない。

 逃げきれるとは思っていないが、森の中で隠れれば少しは時間が稼げるはずだ。

 

 本当に百数えているのか、バルブロがカルネ村を抜け、開拓されていない森の中に入っても追いかけてくる気配はなかった。

 少し走っただけで、森の様子は一気に様変わりしていく。

 昼間だというのに、深い木々の葉によって太陽が覆い隠されて薄暗く、そこかしこに闇溜まりが生まれている。

 危険なモンスターや魔獣が跋扈する暗い森。

 

 本来であれば、恐怖を感じるところだが、今のバルブロにとっては女が追跡しづらくなるこの暗さに、安堵さえ覚えてしまう。

 王子にしては。と前置きが付くものの、並の大人よりは鍛え上げられた肉体は多少走った程度で息が上がることはないのだが、起伏に富んだ地面と、あの凄惨な笑顔を持つ女に追いつかれてしまうのではないかという恐怖が、平常心と共に体力まで奪っていく。

 もう百秒は経っただろうか。

 時間の感覚すら失われてしまい、地面に落ちた枝を踏む音すら女に聞かれるのではないかと、恐怖する。

 

「あ、あそこなら」

 

 暗さのせいだけでなく、精神的な理由によって視野狭窄が起こる中、バルブロは目に付いた巨大な闇溜まりの中に自ら飛び込んだ。

 どんな危険があるかも考えずに飛び込んだ先は、幸いと言うべきか、危険なものはなく、朽ちた巨木によって作られた天然の塹壕のようなものであり、身を隠すにはうってつけの場所だった。

 そのまま地面にへたりこんで膝を抱えると、外からは完全に身を隠すことが可能で、バルブロは思わず安堵の息を吐いた。

 とりあえずここなら、すぐに見つかることはないだろう。

 後はこのまま身を隠していれば、いずれ──

 

「いや。助けなど来るわけがない」

 

 ほんの僅かに冷静になった頭で考える。

 自分と一緒に来た義父自慢の精鋭兵団は、たった数体の騎士のような外見をしたアンデッドによって皆殺しにされるか、ゾンビに変えられてしまった。

 そもそもバルブロがカルネ村に行くことを知っている者はレエブン侯だけだが、手柄を奪われまいと、こちらから手出し無用と言ってしまった。

 もっと長い時が経てばバルブロが戻らないことに異変を感じ、救援部隊を送り込んでくれるかもしれないが、それは何日、いや、何週間と掛かるかもしれない。

 とてもではないが、それまでこの暗渠の中で生き残れるはずがない。

 

 楽になってしまいたい。

 

 腰には護身用の短剣が差してある。

 この剣で今すぐ喉を裂いて死んでしまいたいが、それも無意味だ。

 拷問ですらないあの暴力を受け続けている間、隙があればずっとそうするつもりだったが、死ですら救いにならないと聞かされた以上、その気すらなくなった。

 

 もうなにも出来ない。

 そんな中でも恐怖だけは一向に衰えることはなかった。

 一分が一時間、いや一日にも感じられる。

 無限とも思える時の中、なにも出来ないバルブロはただただ後悔し続ける。

 

 なぜこんなことになってしまったのか。

 

 いや、その理由は分かっている。自分が愚かだっただけだ。

 それは間違いない。

 いつまで経っても自分に王位を譲らない父王に業を煮やし、強い王としての素質を示すために提示したエ・ランテル奪還作戦も袖にされた。

 そのことに怒りを覚え、もはや父には頼らず自分の力を手に入れるため、これまで以上に八本指との繋がりを強固にしてしまった。

 それが噂として明るみに出ると、自分を支持していた貴族たちも次々に離れていった。

 

 義父であるボウロロープ侯だけは今までと変わらぬ支援を約束してくれたが、それを信じきることが出来ず、これまでの失態を取り返し、誰も彼も見返してやる。と強引にエ・ランテル奪還に向けて動き出した。

 こうすれば皆が自分を見直してくれると、王位を継ぐことが出来るのだと本気で信じていた。

 

 だが、今はもうそんなものはどうでも良い。

 ただ生きたい。王でなくても王子でなくても良い。ただ生きていたい。

 先ほどまでは、あれほど死にたがっていたというのに。

 

 相手が復活魔法が使えるとか、死すら救いにならないなど、実のところただの言い訳だ。

 未だ救われたわけでも、希望が見えたわけでもないのに、今度は生にしがみつこうとしている。

 決断し、その意志を貫き通す。

 王を目指す者なら、当然持っているべきものすらない己に嫌気が差す。

 自分は王になれるような人物ではなかった。ただ王の子供に生まれてしまっただけの情けない男。

 それでも──

 

「誰か、助けてくれ」

 

 心の中でだけ言ったはずの言葉はいつの間にか、口から漏れ出ていた。

 その呟きに応えるように、突如近くから物音が聞こえて来た。

 

「ヒッ!」

 

 口元を押さえる。

 あの女が来たのだ。

 地面を踏みしめ、木の枝がへし折れるような足音が闇だまりの中に響きわたる。

 必死に息を殺しても、その足音はまっすぐバルブロに向かってくるのがわかった。 

 

 あの女か、それとも随伴していたアンデッドの騎士か。

 どちらにせよ、見つかった時点でバルブロの命運は尽きる。

 

「あ、ああっ!」

 

 声を抑えなくてはならないのに、恐怖で呼吸もままならず、嗚咽が漏れた。必死になって口を塞ぐ。

 しかし、その声が聞き取られたらしく、足音はまっすぐこちらに近づいてきた。

 

「ここか」

 

 あの女やアンデッドの唸り声ではなく、男の声が聞こえ、腕が止まり顔を持ち上げる。

 

「え?」

 

 同時に頭上の木々が割れ、細かな破片がバルブロの顔に降ってくる。

 思わず目を伏せてから、ゆっくりと目を開けると、薄暗い森を背景にこちらをのぞき込んでいる全身鎧を着込んだ騎士の姿があった。

 王族であるバルブロでも見たことが無いような見事な造りの鎧に、一瞬目を奪われる。

 その騎士はバルブロを一瞥すると、すぐに顔を持ち上げ声を発した。

 

「〈伝言(メッセージ)〉。私だ。目標を見つけた。こちらで救出して王都まで連れていく。お前たちも即時撤退せよ。これは最優先事項だ」

 

 誰かに言っているようだが、周囲に他の人影はない。

 少なくともバルブロに向けられたものではないのは間違いないが、その内容。

 救出という言葉を聞いた瞬間、全身から力が抜けていき、意識が遠のいていく感覚があった。

 だが、これだけは聞かなくてはならない。

 

「貴、貴公の名は?」

 

「ん? ああ。私はエ・ランテルのアダマンタイト級冒険者モモン。妹君の依頼により、バルブロ殿下を助けに参りました」

 

 名乗った肩書きは人類の守護者と唄われる英雄、アダマンタイト級冒険者。

 名前自体には聞き覚えはないが、それだけで心に安堵が広がり、同時に必死になって保っていた緊張の糸、その最後の一本が途切れ、バルブロは意識を手放した。

 自分を救ってくれた恩人にして、英雄の名を心に刻み込みながら──

 

 

 ・

 

 

 深い森の中。

 ナーベラルとソリュシャンは、大木の影に隠れた状態で息を殺していた。

 隠れた状態のまま、ソリュシャンが視線を向けた先にいるのはデスナイト。

 

 何かを捜しているらしく、顔をあちこちに向けているが、こちらに気づいている様子はない。

 実際デスナイトは探知系のスキルは持っておらず、そもそもナーベラルたちは主より借り受けた探知阻害の指輪も装備しているため、姿を隠していれば見つかることなどあり得ないのだが、そうした油断こそ、主が最も嫌うもの。

 

 特に今回は、敵に見つからず隠密行動を取るよう強く命じられている。

 そうしているとやがてデスナイトはこちらに感づく様子もなく、離れていった。

 その様子を見ていたソリュシャンが、もう大丈夫だと一つ頷く。

 

「まったく。本当に愚かな下等生物(ウジムシ)が。余計な手間をかけさせてくれる」

 

 呪詛の言葉が口から出た。

 その対象は、救出目標である王国の第一王子バルブロだ。

 その者が持っていた王族の証であるとあるアイテムを物体発見(ロケート・オブジェクト)で探しだした先がこの森の中。

 しかも周囲には複数のデスナイトと、配下である従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)が跋扈していた。

 

 この世界で複数のデスナイトを従えている存在など早々いない。

 立地的にも間違いなく、例のエ・ランテルを強襲した謎の勢力の一員に違いない。

 デスナイトだけならばともかく、その者たちの中には、完全武装の整っていない主すら超えるような力を持った者もいると聞いている。

 だからこそ、その対策として偉大な主自らが人間たちの間を取り持ち、周辺国家連合を作ろうとしているのだから。

 

「とにかく早く捜しましょう。森の中にいるのは間違いないのだから、夜になると私たちは不利になるわ」

 

 ソリュシャンの声にも焦りが混ざる。

 主は現在、この森の中で別行動を取っている。

 これは単純に、二手に分かれた方が対象を見つけやすくなるからだ。

 

 本当なら、主の身を守ることこそ自分たちの役目なのだから、主を一人で行動させるようなことは許されないのだが、現在必要なのは目標の探知と、いざというとき、即座にその場から離脱すること。

 この二つであり、主は魔法でそれを一人でどちらも可能だが、ナーベラルたちは二人でなければその両方を同時にこなすことはできないため、主に却下されてしまった。

 

 だからこそ、一刻も早く目標を見つけ、主と合流しなくてはならないのだが、再度物体発見(ロケート・オブジェクト)を使って探し出した場所に、バルブロの姿はなく、王冠が落ちていた。

 おそらく逃げる途中で落としてしまったのだろう。

 その苛立ちがソリュシャンを焦らせ、警戒網の中に高速で突入してきたものに気づくのが一瞬遅れてしまった。

 

「みーつけた」

 

 遠くから、声と共に鋭い視線が向けられた。

 

「ナーベ。木の向こう!」

 

「ッ! 〈(ライト)──〉」

「っと! ちょーっと待ったっす!」

 

 慌てたような声は場違いなほど明るい。

 初めて聞いたはずなのに、どこか懐かしい気持ちにさせるその声に、ソリュシャンとナーベラルは同時に顔を見合わせた。

 

 

 ・

 

 

「いやー、本当に良かったっすよ。まさかこんなところで二人と再会できるだなんて」

 

「それはこちらの台詞よ、ルプー」

 

「ええ。本当にね。ルプスレギナ」

 

「まったくもー、ナーちゃんもソーちゃんも。これでも私はお姉ちゃんっすよ? そこはこう、愛情を込めてルプーお姉ちゃん! って言って抱きついてきてもいいんすよ?」

 

 カラカラと楽しげに笑う人狼の名は、ルプスレギナ・ベータ。

 戦闘メイドチーム、プレアデス──あるいは末妹を含めたプレイアデス──の一員として、共に至高の御方によって創造された存在だ。

 

 姉妹間の順番としては、長女でありプレアデスの副リーダーでもあるユリ・アルファに続く次女であり、その次にソリュシャンとナーベラルが共に三女という立ち位置になっている。

 つまり彼女の言うように、自分たちにとってルプスレギナは姉に当たるのだが、まだ実感が湧かないことも事実だ。

 何しろ彼女たちと別れて既に百年の時が経過している。

 その上、この地に転移してくる前、つまりはナザリック地下大墳墓で主を含めた、至高の四十一人の御歴々方に仕えていた頃の記憶は、夢の中にいるように霞がかかっている。

 姉として慕う本能のようなものが働きつつも、同時に百年の間で育った情緒、いや理性のようなものが働いて喜びにセーブをかけていた。

 

 ナザリック地下大墳墓の発見と合流は、この百年。正確にはここ数年の念願でもあった。

 そもそも、自分たちがワーカーになることを決めたのは、ナザリック地下大墳墓を発見し、そこにある強力な武具やアイテム、そしてチームを組むことで攻守の揃った戦力へと変わるプレアデスの力によって、主の身をより完璧に守ることにあるのだから。

 それこそが第一であり、なによりも優先しなくてはならない目標だ。

 

 だからこそ、ソリュシャンはルプスレギナとの再会を純粋に喜びきれない。もっと言うのなら、まずは彼女が安全な存在であるかを確かめてからでないと、主に報告すらできない状況にあった。

 もちろん、これはあくまで万が一への備えだ。

 彼女もまた、ナザリック地下大墳墓に残ってくれた、唯一の存在である主のことを第一に考えて行動するに決まっているのだから。

 

「それでルプー。貴女はいったいいつこの世界にやってきたの? 他の皆セバス様やユリ姉さん、エントマやシズ、オーレオールは一緒なの? 他の階層守護者の皆様も──」

 

「ちょ、ちょっと、近い近いっす」

 

 直情的なナーベラルの追求に彼女にしては珍しく──というほど彼女の性格を理解しているわけではないが──慌てて身を下げながら、ルプスレギナは視線を逸らす。

 何か考えるような間を置き、それをやや遠巻きで観察しているソリュシャンに視線を向けた彼女の目は、それまでのおどけたものではない、野生の獣がごとき鋭さと冷たさがあった。

 

「答える前に、こっちも一つ聞きたいんすけどね。ここに来たのは二人だけっすか?」

 

「それはどういう──」

 

 ルプスレギナの真意を探ろうとした瞬間、突如ナーベラルが、耳に手を当てた。

 主から伝言(メッセージ)の魔法が届いた証だ。

 

「はい」

 

 通信を接続する。

 姉妹との再会より、主を優先させるのは当然のことではあるが、その様子を見たルプスレギナの視線が強くなったのを感じた。

 

「はっ。了解いたしました」

 

 明らかに立場が上の相手に対し、忠義の念を感じさせる話し方まで聞かれてしまっては、もう隠しようがない。

 

(仕方ないか)

 

 ルプスレギナが一人でこの世界に転移したにしろ、他のメンバーやナザリック地下大墳墓と共にあるにしろ、彼女も唯一の残った至高の存在である主を捜しているのは間違いないはずだ。

 まずは主の無事を伝えて安堵させ、その上で主と会わせるために必要なことだと言って、全ての情報を開示させる方向へ話を持っていこう。

 

「それで──あの御方はなんと?」

 

「ええ。目標を保護したので即時撤退命令よ。けれどルプーのことを話す前に切れてしまったから、改めて報告をしないと」

 

「……二人は至高の御方と一緒にいたの? どなた? もしかして獣王メコン川様?」

 

 今度はルプスレギナの方から質問される。

 言葉使いも変わったが、こちらの方が素の性格なのだろう。

 

(獣王メコン川様は確か、ルプスレギナを創造された御方だったはず。でも妙ね)

 

 至高の御方がいると聞いて、自分の創造主を連想してしまう気持ちは分かる。

 仮にソリュシャンが彼女の立場で、主の他に至高の存在がいると知れば第一に確認するのは自らの創造主だ。

 

 しかし、それはソリュシャンの傍に主がいるからこそ。

 他の至高の存在が隠れていく中、唯一最後まで残った慈悲深い主。

 ルプスレギナの立場で考えれば、まずは主の存在が思いつくのが当然ではないだろうか。

 これではまるで──

 

「落ち着きなさいルプー、残念ながら違うわ。この百年、私たちがずっと忠義を尽くしてきたのは、最後まで残られた至高の四十一人のまとめ役であらせられる──」

「ナーベラルッ」

 

 こちらの制止も間に合わず、ナーベラルは続けた。

 

「偉大なる御方、モモンガ様よ」

 

 百年の忠義を誇るように、自慢げに語るナーベラルの言葉でルプスレギナの動きがピタリと止まる。

 

「──は?」

 

 信じられないとばかりに大きな瞳を更に見開いた彼女は、瞳以上に大きく口を開き、呆れた声を出した後、すっと瞳を細めた。

 

「……何の冗談っすか?」

 

「冗談とは、どういう意味?」

 

 彼女の態度に驚きつつも、主と自分たちの過ごした時を侮辱されたとでも考えたのか、ナーベラルの声も冷たさを持った。

 だがこれは、そんな単純な問題ではない。

 ルプスレギナにとって、自分たちの主、つまりモモンガが傍にいることがあり得ないことなのだ。

 問題なのは彼女が何故そう断定したかだ。

 

「さっき百年御仕えしたって言ってたっすね。それがあり得ないって言ってるんすよ」

 

「だから、なにを根拠に──」

 

「だって、モモンガ様。いいえ、今は御名を変えられた、最後までナザリック地下大墳墓に残って下さり、今もなお私たちを導いて下さっている至高の御方、アインズ・ウール・ゴウン様は、つい半年ほど前私たちと共にこの地に転移されたのだから」

 

 ナーベラルを遮って告げたルプスレギナの言葉に、今度はナーベラルとソリュシャンが揃って驚きの声を上げる。

 

「は?」

 

 揃って呆れた声を出した自分たちの顔は、きっと先ほどのルプスレギナとそっくりになっていることは想像難くなかった。 




ちなみにルプスレギナがバルブロを一度殺して復活させると言っていたのはブラフです
ルプスレギナが復活魔法を使えるかは不明ですし、そもそも復活には対価が必要らしいので、意味があるならともかく、彼女の趣味のためにナザリックの資産を使うような真似は流石にしません
ああ言えば、逃げ出したとしても自殺しないだろうと考えてのことです

次はこの続きではなく、バルブロの話になります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第48話 最後のチャンス

生きて戻ったバルブロと、ザナックの話
本来はバルブロが王位継承前に死亡することで初めて、王国が一つに纏まる目が出るそうですが、じゃあ死亡させずに纏めるにはどうしたらいいか。と考えたらこうなりました


「バカな! 兄上が戻られただと?」

 

「……はい。現在私の領地に匿われていると、部下から連絡が入りました」

 

 暗い表情のまま告げるレエブン侯に、ザナックはもう一度バカな。と繰り返す。

 

「確か、カルネ村、だったか? エ・ランテル近くの廃村に兄上を誘導したのだろう? あそこは既に連中の支配下。近づけば命は無いと言っていたではないか」

 

 王都内でなにかあれば、当然暗殺も含め様々な要因が疑われ、王家の威信にも影響するからこそ、バルブロが王宮から脱出するのを陰から手助けし、その上でレエブン侯が味方の振りをして危険地帯である元カルネ村まで送り込んだのだ。

 

 こうすれば、あくまでバルブロの死は奴自身の暴走による結果であり、王家は最後までなんとか助けようと尽力したというポーズを取ることができる。

 こうして王家の権威を低下させず、貴族派閥も少なくとも表面上は文句は言えない状況をつくりだす計画だった。

 

「助けたのは蒼の薔薇か? 奴らもその辺りは承知の上じゃなかったのか?」

 

 死地からバルブロを助け出せる実力者と言えば、ラナーの私兵に近い蒼の薔薇だけだろうと当たりをつけ、声を落としたザナックに習うように、レエブン侯も声を落とした。

 

「リーダーがアインドラのご令嬢であり、ラナー殿下とも旧知の仲ですので、当然そのことは理解していたはずですが。救出したのは蒼の薔薇ではなかったようです」

 

「何だと? ではいったい誰が」

 

「……エ・ランテルの冒険者組合に所属していたアダマンタイト級冒険者チーム、漆黒という名の三人組です」

 

「エ・ランテル? あそこにアダマンタイト級冒険者なんかいないだろ?」

 

 冒険者にはそこまで詳しくないが、流石にアダマンタイト級冒険者チームの数と構成くらいは知っている。

 特に現在のアダマンタイト級冒険者チームはどちらもリーダーが王国貴族であるアインドラ家縁の者だからなおさらだ。

 

「例の事件の中、複数の冒険者チームを率いて脱出する際に組合長より任命されたそうです。てっきり冒険者をまとめるための権威づけのようなものだと思い、これまで調べてこなかったのですが、どうやら実力も相当なもののようです」

 

「にわかには信じられんな。だが、そいつらは何故兄上を助けた? そもそも蒼の薔薇はともかく、他の冒険者は国の問題には関わらないルールだろう?」

 

「彼らは元々エ・ランテルを脱出して、そのまま帝国に出向いたと聞いていましたので、そこから王国に戻る最中、カルネ村を通り偶然遭遇した、と見るべきでしょうか」

 

「偶然にしてはできすぎている気はするが、筋は通るか。どちらにしろ今兄上はその者たちとともに侯の領地にいるのだな?」

 

 バルブロが王都に戻る前、もっと言えば、あらゆることが自由にできるレエブン侯の領土にいる今が暗殺の最後のチャンスだ。

 

「……その通りです」

 

 言葉にせずとも、こちらの意図を読みとったらしいレエブン侯の表情は流石に暗い。

 当然だ。

 権力争いに暗殺は付き物とはいえ、王族の暗殺ともなれば大罪。

 だが、今の状況でバルブロをのさばらせておけば最悪王国存亡の危機にも繋がる。

 レエブン侯もそのことを重々承知しているからこそ、なにも言ってこないのだろう。

 

「……バルブロ殿下には、我が領地でゆっくりと体を休めていただきます」

 

 ゆっくりという部分を強調する。

 込められた意味はいうまでもなく、永遠にということだ。

 

「ですので。私に何かあったときは……どうか。どうか。我が息子を何とぞ、よろしくお願いいたします!」

 

 常に冷静で理知的な男が全てをさらけ出して懇願する言葉に、ザナックは立ち上がり、こちらに向かって頭を下げるレエブン侯の両肩を強く掴んで、顔を持ち上げさせると、目を見つめたまま力強く一度頷いた。

 

 それ以上、言葉は無かった。

 

 レエブン侯もまた一つ頷き、早速とばかりザナックの私室を出ていこうとしたところで、突然部屋の扉がノックされ、思わず二人は顔を見合わせた。

 レエブン侯との会談は極秘でなければならず、誰も入れないように申しつけていたというのに。

 まさか内容も聞かれたか。

 レエブン侯に暗殺を示唆した言葉が聞かれているとまずい。

 

「入れ」

 

 できる限り平静を装い、単純に会談を邪魔されたことを不快に思っているかのような、不機嫌な声を出して問う。

 

「ご歓談中失礼いたします。どうしても今殿下にお会いしたいという御方がいらっしゃっております」

 

 中に入ってきたのは、部屋付きのメイドだ。

 こちらの不機嫌を察したせいか、声には震えが混じっていた。

 

「なに? 誰だ?」

 

 王子と六大貴族の会談に、横やりを入れられるほどの存在はそう多くはない。

 同じ立場の王族、あるいは他の六大貴族。

 あるいは国王であるランポッサⅢ世の可能性もある。

 少なくとも会話内容が漏れた訳ではなさそうだと、安堵しつつも、今度はその相手について思考を巡らせる。

 

(六大貴族が王都に入ったという情報はない。となるとやはり父上かラナー。兄上の件はまだ知られていないはずだが)

 

 レエブン侯が漏らすはずはない。

 しかし、ラナーの頭脳ならば正解にたどり着いても不思議はない。

 父王であった場合は最悪だ。

 

 その場合、レエブン侯がバルブロを暗殺したとしても、ここでザナックとレエブン侯が一緒であったことから、それを示唆したのがザナックだと見抜かれてしまうからだ。

 基本的に王としては平凡で、性格も甘いランポッサならば、実の息子たちが王位継承争いの結果殺し合いに移行したことを嘆き、もう一人の候補者である六大貴族の一人、ペスペア侯に王位を譲ると言い出しかねない。

 そんなことになれば再び、派閥争いに移行するのは目に見えている。

 

 メイドが答えるまでの一瞬の間に、そこまで想像して、こっそりと息をのむザナックに、メイドが言った相手は、そのどちらでもなく、そして最悪の相手として想定していた父王すら超えるほど、今のザナックにとって最悪の名だった。

 

「バルブロ殿下です」

 

「……は?」

 

 言われた名の意味を理解できず、王子らしからぬ間の抜けた反応をしてしまった。

 

「国王陛下にお会いする前に、是非ザナック殿下とお話がしたいと仰っておりますが、いかがなさいますか?」

 

 こちらの混乱など知る由もなく──バルブロが行方しれずになった件を知っているのは、王国内でもごく僅かなので当然だが──淡々と告げるメイドに、ザナックとレエブン侯は再び顔を見合わせた。

 

 

 

 追い返すわけにもいかず、部屋付きのメイドには案内させた後、隣室からも出ているように命じ、ザナックとレエブン侯はバルブロと対面を果たした。

 王宮から逃げるように去ってからまだ数日と経っていないはずだが、バルブロの顔つきは憔悴しているように見えた。

 とりあえず、兄弟とはいえ王位継承権が自分よりも上の相手と対面するのだからと、立ち上がって出迎えたザナックに対し、バルブロはどこか力無い笑みを浮かべる。

 

「ここはお前の部屋だ。座ってくれ」

 

「……では失礼して」

 

 普段のバルブロならば自分の方が立場が上なのだと示す意味で、たとえザナックの自室であろうと、自身が先に座っていたはずだ。

 調子が狂うと思いつつ、ザナックが座ると今度はレエブン侯にも同様のことを口にした。

 

「侯も、座ってくれ」

 

「いえ、殿下。私は」

 

「良い。気にするな。二人の会談に横やりを入れたのは俺の方だ」

 

「……承知いたしました」

 

 バルブロらしからぬ大らかな態度に、怪しさを越えて気味悪さを感じつつも、これ以上の固辞は逆に失礼に当たると考えたらしいレエブン侯が座った後、反対側にバルブロも腰掛ける。

 

「……しまった。飲み物の用意くらいさせてからメイドを下げさせるべきでしたね」

 

 気まずい沈黙を打ち破ったのはザナックからだった。

 ここはザナックの自室である以上、自分がホストの役割を果たすべきだと考えたからだ。

 すぐさまメイドを呼び戻そうとするザナックを、バルブロは手で制す。

 

「いや、良い。メイドにわざわざ情報を流す必要もないだろう。もっとも俺がお前に会いに来た時点で、色々と噂はされるだろうがな」

 

「はあ。確かに、兄上が私の部屋を訪ねるなんて、久方ぶり、いや下手をすれば初めてかも知れません。これはメイドたちにとっては良い話の種になりますね」

 

 バルブロが言っているのは、王宮に行儀見習いを兼ねて奉公に出された貴族令嬢たちが、メイドとして働いて得た噂話を自分の家に告げ口することだと分かっていたが、敢えて冗談で流す。

 

「そうかも知れんな」

 

 つまらない冗談にも苦笑を返す様に、ますます気味の悪さを覚えるが、いつまでもこうして道化を演じているわけにもいかない。

 

「──それで兄上はいつお戻りになったのですか? つい今し方侯の領地に着いたと聞いたばかりだったのですが」

 

 レエブン侯が貴族派閥でありながら、ザナックを推しているのは周知の事実であるため、こちらも情報はすでに聞いているという体で話を進める。

 

「ん? ああ、まあそうだ。だが急ぎ父上に伝えねばならないことがあってな。俺を助け出してくれた冒険者に送って貰ったのだ。転移魔法、とかいったか。いや、今までは知らなかったが魔法というのは素晴らしいものだな」

 

 一般に王国では魔法使いの存在は軽視される傾向にある。

 それは地位が高くなればなるほど顕著だ。

 そのバルブロが手放しで魔法を讃えるとは。やはり今までと何か違う。

 非常に落ち着いているというか、達観して見える。

 

「伝えねばならないこと、とは?」

 

 レエブン侯が口を開いた。

 上手く隠してはいるが、その声には僅かに震えが混ざっている。

 バルブロが生きて帰ったことで、レエブン侯が好意に見せかけて、彼を死地に追いやったことが父王に伝えられることを恐れているのだ。

 

「……実はな」

 

 そんなレエブン侯に対してバルブロは苦笑を向けてから口を開き、その後言いづらそうに間を空けた。

 無限とも思えるような長い沈黙。

 静寂の中、レエブン侯がゴクリと唾を飲む音だけが響き、その音に触発されたように顔を持ち上げたバルブロはザナックをまっすぐ見据え、意を決したようにとんでもないことを告げた。

 

「俺は、王位継承権を放棄しようと思っている」

 

「……は?」

 

「なにを、言っているのですか兄上。突然、そんな」

 

 長兄として生まれ、これまでずっと王位を継ぐべく育てられてきたことで、王位に固執してきたバルブロの発言とは思えない。

 

(まさか、魅了(チャーム)支配(ドミネイト)の魔法にでもかかっているのか?)

 

 そう考えると先ほどからの妙に達観した態度や、軽視されている魔法を誉めちぎった発言にも説明が付く。

 

(それならそれで、このまま父上のところに行って貰えば──いいや、しかし、あれは記憶が残るとも聞いている。ここは下手なことを言わない方が良い)

「兄上は王位継承権第一位にして長男ですよ? それに、そんなことをすればボウロロープ侯だって」

 

「だからこそだ。本来なら王位継承権だけでなく、廃嫡も視野に入れるべきなのは分かっている。俺がこれまでやってきたことはそれほど罪深い。だが、それではボウロロープ侯が納得しない。だから俺は王位継承権のみを放棄し、その後は侯の領地を受け継ぎ、大公としてお前を支えていきたいと思っているのだ」

 

 突然の告白に、ザナックは目と口を大きく開けてバルブロを見た。

 いよいよもって信じられない。

 

「で、殿下。突然なにを仰っているのですか」

 

 慌てたように間に入ったレエブン侯が素早く、周囲を見回した。

 この話が外に漏れれば大変なことになる。

 メイドは下げさせたが、それでも万が一を警戒しているのだろう。

 この辺りの迂闊さはいつものバルブロと変わらない。

 

 しかし、その内容は信じがたい。

 言っている内容自体ではない。それはある意味正論だからだ。

 ここまで派閥争いが激化している現状では、どちらの派閥が勝とうともはや王国の腐敗を止めることはできない。

 

 たとえどちらかの派閥が勝利し、王を立てたところで、そのときには両派閥とも多大な損害を負っており、当然国力も低下している。

 負けた方の派閥の貴族がおとなしくしている保証も無いとなれば、国を立て直す暇もない。

 唯一方法があるとすれば、先ほどバルブロが言ったように、どちらかの派閥から傀儡とならない強い王を輩出し、その上でもう片方の派閥は強力な政治力を持った大公が管理して、両派閥内を監視する方法だ。

 こうすれば、国力を下げることなく、国内の立て直しに専念できる。

 

 しかしそれも机上の空論でしかない。

 ここまで拗れてしまった派閥争いが簡単に抑えられるはずもなく、またその隙を帝国が見逃すはずもないからだ。

 

 ザナック自身、バルブロの王位継承を阻止できなかった場合は、力ある大公となって将来に備えることも考えていたが、それは王派閥の監視ではなく、貴族派閥か八本指の傀儡になっているバルブロの抑止力となるためだ。

 だが今ここでバルブロが本気で王位を捨て、六大貴族最大の領地を持つボウロロープ侯の後を継いで大公となる道を選べば、活路は見いだせる。

 バルブロの言葉を頭の中で反芻しながら、ザナックは更に深く思考する。

 

(なにより今は時期が良い)

 

 もう一つの懸念材料である帝国がエ・ランテルに現れた謎の集団を討つために、周辺国家を纏めあげた連合を作っているからだ。

 そんな真似をしておいて、事件解決後すぐに王国やエ・ランテルに攻めいろうとすれば、同盟に参加した他の国々から野蛮な国という烙印を押され、外交上非常にマイナスとなる。

 しかしそれも、こちらに落ち度が無い場合に限る。

 肝心の王国が派閥争いで国が荒れ、エ・ランテルの復興もままならないような状況となれば、帝国は治安維持という大義名分を以って意気揚々とエ・ランテルを強奪しようとするだろう。

 

(兄上が本気で言っているのなら、これが王国を立て直す最後の機会だ)

「……兄上。本気なのですね?」

 

「無論だ。お前たちさえよければ、すぐにでも行動を起こしたい。ただ──」

 

 ここまでずっときっぱりとものを言っていたバルブロが急に歯切れ悪くなって口ごもる。

 しかしそれも僅かな間だけだった。

 

「俺はお前たちのように頭が良くない。言うにしてもちょうど良いタイミングや、話す順番などがあるかもしれんと思ってな。それを相談しに来たのだ」

 

 相談に来た。というバルブロらしからぬ慎重な台詞を聞いて、先の大公として王を支えるアイデアと併せて、ようやくザナックはバルブロが変容した理由の一端を掴むことができた。

 

(まさかこれも、ラナーの差し金か)

 

 王宮という籠の中に居ながらにして、言葉だけで海千山千の貴族たちを自在に操るラナーであれば、バルブロの性格を変えるようなことも、その後どう行動すればいいのか操ることも不可能ではない気がしてくる。

 

 そんな真似ができるならもっと早くしてほしかったと思うが、先日まで暗殺しか無いといっていたことをみるに、何か状況が変わったことで、ようやくできるようになった芸当とみるべきか。

 とにかく、バルブロの性格が変わったのが魔法的手段ではないと分かった以上、ザナックが取るべき行動は一つだけだ。

 

「レエブン侯。悪いんだが、兄上と二人だけにしてほしい。隣の部屋で誰か近づいてくる者がいないか確認を頼む」

 

「……殿下。承知いたしました」

 

 一瞬何か言いたげな様子を見せたが、兄弟水入らずで胸襟を開いてもらった方がいいと考えたらしく、レエブン侯は二人に頭を下げてから部屋を出ていく。

 それを見届けてから、ザナックは改めてバルブロと向かい合った。

 

「兄上。私の……俺の質問に正直に答えていただきたい」

 

 私ではなく俺。という言葉遣いを変えたことで、王族という公人ではなく、ザナック個人として兄であるバルブロに問うていることを強調する。

 

「なんだ?」

 

 それが伝わったかはともかく、本気の質問だとは気づいたらしく、バルブロも佇まいを直してこちらの質問を待った。

 

「兄上は王国をどうしていきたいと思っているのですか?」

 

 抽象的な質問だが、これこそが最も重要なことだ。

 例えここで自分たちが手を組んだとしても、それだけで王国が再建できる訳ではない。

 ただほんの僅かに光明が差すだけだ。

 国力低下、政治の腐敗、帝国の脅威、そして直近に迫ったエ・ランテルを占領し、各国の首脳陣が手を取り合って対抗しようとするほど強大な何者か。

 

 それら全てを解決して初めて、国を立て直しが始まる。

 そんな大仕事をこなすには、確固たる意志が必要不可欠。

 ラナーがどんな手を使って、バルブロを心変わりさせたのかは不明だが、その部分が自分たちと違っていては、いずれ必ず関係が悪化する。

 だからこそ、今のうちに確認しておかなくてはならない。

 

「……」

 

 ザナックの言葉を受けたバルブロは、しばらくの間目を伏せ、じっと考え込んだ。

 

「俺はエ・ランテルを占領している化け物どもに捕まり、酷い拷問を受けた。何度も何度も何度も、殺されそうになっては無理矢理魔法で回復させられて、また拷問を受ける。そんなことを繰り返されて、俺は死ぬことを望んだ」

 

 ザナックの問いに対する返答ではなかったが、エ・ランテルでなにが起こっているかを知ることも大事だと思い、口を挟まずに話を聞いた。

 目を細め、歯を打ち鳴らしながら語るバルブロの様は、そのときのことを心の底から恐怖していることが窺える。

 

(拷問か、確かにそれなら兄上がこれほど変わってしまったことも納得できる)

 

 その拷問が並大抵のものではなかったことも。

 多少痛めつけられただけならば、回復した後は復讐に燃えるものだが、バルブロはそんなことすら考えられないといった有様だ。

 しかし、そんな恐怖も次の瞬間に消え失せる。

 目を細め、どこか恍惚と遠くを見る。

 その温度差に、ザナックは気味の悪さを覚え、思わず身を引いてしまう。

 

「しかし、何の因果か、俺は冒険者である漆黒のモモン殿に助けられた」

 

 例のエ・ランテルの冒険者組合最後のアダマンタイト級冒険者のことだ。

 エ・ランテルの情報を得る意味で、後でその冒険者からも話を聞かなくてはならない。

 しかし今はバルブロの真意を探るのが先だ。

 黙って続きを促すとバルブロは表情を引き締めて告げる。

 

「その時に分かったのだ。人間という奴は、生きているだけで幸せなのだと──そうだ、幸せ。幸せだ」

 

「あ、兄上?」

 

 国民に広く普及している四大神宗教とは違う、怪しい邪教にハマり、狂ってしまった信者のごとき様相に思わず声をかけると、バルブロは目を見開いてザナックを見た。

 

「そうだ。俺は幸せにしたいのだ。この国を、国民を、そして家族を。俺は分かっていなかった。人は寝食に困らず、痛みも無く、外敵に脅かされることもない平和があれば、それで幸せなのだ。俺は、生まれたときからそれを全て持っていたというのに。気づかなかった。それ以上を、そして俺の器量以上のものを求めてしまった。その間違いに気づけた」

 

 興奮して話しながら目を血走らせている様は、ますます狂気じみていたが、同時にバルブロの語る言葉は、ザナックがこれまで漠然と抱きつつも言語化できずにいた心の隙間にすっぽりと収まった。

 自分もそうだ。

 別に、ザナック自身は王になりたかったわけではない。

 ただ日毎目に見えておかしくなっていく、この国を何とかしたいと思っていた。

 自分にその器量があるかは分からないが、それでも自分が生まれたこの国を少しでもまともにしたかった。

 そうしてバルブロの言うように、この国を、民を、家族を、幸せにしてやりたかった。

 王国に生まれて良かったと、そんな風に思ってもらえる国にしたかった。

 

「ザナック、俺は!」

 

「もう、言葉は要りません兄上。俺も同じ気持ちです」

 

 ザナックは立ち上がるとバルブロに向かって手を差し出す。

 それを見て、バルブロもまた同じように立ち上がり、その手を強く握りしめた。

 ザナックのものとは違う分厚くゴツゴツした戦士さながらのその手は非常に熱く、そして頼もしく感じられた。

 

「やりましょう。俺たちの手で、この国を、民を、家族を」

 

「ああ。幸せにしてやろう!」

 

 生まれたときから、次期王位継承を巡って比べられ、いがみ合い、争い続けていた、兄弟が手を取り合った。

 

(ここに、ラナーさえ加われば、王国はまだやれる)

 

 ぎりぎりのところで王国の崩壊を防いでいる父の人徳が持つ内に、現在王宮に残った三兄弟が手を取り合えば、きっと、王国は立て直せる。

 いや、立て直してみせる。

 己の決意を示すようにザナックはバルブロの──兄の手を更に強く握りしめた。

 

 

 ・

 

 

「──なんて。今頃ザナック兄様は涙でも流しているのかしら」

 

 バルブロを連れてきた漆黒の者たちや蒼の薔薇、クライムまでも遠ざけて、自室に籠もったラナーは、ザナックの部屋で起こっているであろう光景を想像してため息を落とした。

 性格が変容したバルブロから協力を求められればあっさりと転ぶ様が容易に想像がつく。

 そうした読みやすさはザナックの性格も去ることながら、彼が中途半端に有能だからこそだ。

 

 感情だけでなく、本当に自分を含めた三兄妹が協力すれば、王国を立て直す道が見えると思っている。

 いくらザナックでもその道が見えなければ、性格が変わったからといってこれまでのバルブロの行いを許すはずがない。

 

(んー。エ・ランテルのことさえなければ、王国はこのまま消えてもらっても良かったのだけれど)

 

 放っておいても王国は数年の内に消え去る定めにあった。

 要因はいろいろあるが、一番可能性が高いのはやはり帝国に併呑されることだろう。

 帝国の皇帝ジルクニフはラナーほどではないにしろ、頭が切れ、その頭を十全に活かす手足である、武力も持ち合わせている。

 

 今はチマチマと収穫時期を狙って戦争を仕掛けてくるというやり方を取ってはいるが、それは王国をできる限り無傷で手に入れるためのものであり、本腰を入れれば王国などひとたまりもない。

 ラナーもそれを理解していたからこそ、これまで、王族で唯一まともな王になれる素質を持ったザナックにも手を貸すことなく、黙って見届けてきた。

 いずれ訪れる併呑後の己の立ち位置を確保するためだ。

 

 しかし、その帝国ですら他国との同盟を組まなくては対抗できないと考えているエ・ランテルに現れた何者かの存在によって、ラナーの計画に変更が必要になってきた。

 

(帝国がそこまで譲歩しなくてはならないのは、敵の武力もさることながら、別の要因もあるはず。それがおそらく──)

 

 どんなお題目を並べようと結局国同士の力関係は武力によって決まる。

 その面でも王国を遙かに凌駕している帝国がここまで慎重になる理由はそれぐらいしか考えられない。

 

「漆黒。いえ、モモンか」

 

 漆黒はチームではあるが、リーダーであるモモンがすべての決定権を握っている。

 つまりモモンさえ味方に付けることができれば、帝国すら恐れる戦力を手に入れることができるのだが、それは簡単なことではない。

 最悪帝国にさえ、渡さずに済めればそれで良い。

 

 元々、これほど腐敗した王国が残っているのは帝国がなるべく無傷で併呑しようとしているからだけではない。

 単純に王国には優秀な人材が多いことがあげられる。

 周辺国家最強と言われているガゼフを筆頭に、蒼の薔薇のラキュース、朱の雫のアスズの両名は冒険者だが、同時に王国貴族でもある。

 

 それぞれのチームメンバーだけでなく、犯罪組織ではあるが、八本指にはアダマンタイト級冒険者チームに引けを取らない者たちも多数いると聞いている。

 

 王国は人間国家の中でもっとも安全で肥沃な大地を有している。

 そんな土地だからこそ法国は、多くの人を育み異形種と戦う勇者が育つだろうと、陰に日向に力を貸してきた。

 そのせいで腐敗が進んだとはいえ、同じほど人材の育成も進んでいるということだ。

 

 その王国の上層部が強く結託し、そこに王国最強の戦力であるガゼフを始めとした強力な戦力が集まれば、それだけで帝国の侵攻をくい止める力は十分にある。

 ジルクニフが恐れているのはそれだろう。

 大いなる危機に直面した王国が一つに纏まることを懸念しているのだ。

 しかし、王国が纏まらなければ、エ・ランテルの脅威は排除できない。

 

 その備えとして、ジルクニフは漆黒を手に入れようと画策していたはず。

 けれど、今回の件で漆黒に接したことで、彼らに首輪をつけるのは容易ではないということがよく分かった。

 

 それはラナーでも同じだが、ジルクニフがそれを易々と信じてくれるとは限らない。

 この時点で、ラナーが採るべき手段から、わざと王国を帝国に併呑させることで、自分を皇帝に売り込むという方法は使えなくなってしまった。

 

(結局、茨の道を進むしかないということね)

 

 思わず息が漏れる。

 これも全ては、こちらの予測をことごとく裏切ったモモンのせいだ。

 あらゆる勢力が殺したがっていたバルブロを、見捨てられないというラナーの演技を馬鹿正直に受け取って、バルブロを助けたことが全ての始まり。

 

(単なるお人好しか、あるいは状況も読めない愚者かと思ったけれど、こうなることを読んでいた?)

 

 頭を使うという点に於いて、他の追随を許さないラナーだが、そんな彼女でも読み切れない者は少なからず存在する。

 あまりにも度の過ぎた愚者だ。

 バルブロもそうだが、王国の貴族連中にはそうした者が多い。

 初めはモモンもその類かと思っていたが、ここまでトントン拍子に話が進んでいくあたり、全てモモンの敷いた道を歩かされているような気がしてくる。

 他でもない今まで他人を言葉や情報で操ってきたラナーだからこそ、それが分かる。

 その場合、モモンは生まれて初めて出会うラナーを超える頭脳を持った相手ということになる。

 

「さて。どうしましょう」

 

 このまま彼の敷いた道を歩くか、それとも別の手を打つべきか。

 

「んー」

 

 唇に指を当てて、ラナーは自分とクライムにとって最高の未来を手にすべく、思考を巡らせた。




バルブロの性格が大分変っていますが、やり方は違えどナザリック式の洗礼は八本指さえ仲間意識の強い人たちに変えるほどなので、まあこうなっても不思議はないかと思います
次はモモンガさんたちの話です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第49話 悟の目的

ようやくこの話の本題に入ります
三人それぞれが相手を認識する話です


「……間違い、ないのだな?」

 

「はい。たとえ百年振りであったとしても、姉妹を見間違うことはあり得ません」

 

「間違いなくあれは、ルプスレギナ・ベータです」

 

 確信が込められた言葉を受け、モモンガは閉口する。

 現在モモンガたちは王都に戻っており、今は宿で待機している状態だった。

 ラナーや蒼の薔薇からの連絡もないため、いよいよ先延ばしに出来なくなった話をすることにしたのだ。

 

「……ルプスレギナ。プレアデスの次女だったか。奴は一人だったのだな?」

 

「はい。ですが、あくまであの場に来ていたのが一人というだけで、他の姉妹やナザリック地下大墳墓もまた共にあり、彼女は仕事を命じられて来ていたようです」

 

「……そうか」

 

 エ・ランテルに現れた謎の勢力こそがナザリック地下大墳墓、つまりはギルド、アインズ・ウール・ゴウンに属する者たちだった。

 

 その可能性を考えなかったわけではない。

 前回の揺り返しから、百年後というタイミング。

 この世界では伝説と唄われているデス・ナイトを含めた大量のアンデッド軍。

 プレイヤー、つまり中身は人間であるはずの者としては不自然なほどの残虐性。

 

 それら全てが、邪悪な魔王軍ギルドというロールプレイをしていたアインズ・ウール・ゴウンと、その配下として生み出されたNPCたちが関わっている証拠になりうる。

 薄々そのことに感づきつつも、モモンガはこれまで気づかない振りをしていたのだ、と今更気付かされた。

 

「おそらくルプスレギナやナザリック地下大墳墓のシモベたちは、おそれ多くもアインズ・ウール・ゴウンを名乗る、モモンガ様の偽物に操られている可能性が高いかと。話に聞いた世界級(ワールド)アイテムならば、不可能ではありません」

 

 嫌悪感を隠そうともせず、ナーベラルが言う。

 確かにその一つ一つがゲームバランスを崩壊させる性能を持ち、種類も多数存在する世界級(ワールド)アイテムならば、そうした芸当ができる可能性はある。

 

 運営に直接お願いが出来るタイプの二十の世界級(ワールド)アイテムが、こちらの世界にきたことで仕様が変わり、ユグトラシル時代には出来なかったような願いまで叶うようになったと考えることもできる。

 だが、モモンガはそう答えることが出来ない。

 

 ルプスレギナが語ったというナザリックに君臨している鈴木悟。いや、今はアインズ・ウール・ゴウンを名乗っているという男こそが本物であり、ここにいるモモンガ、そして別行動中の悟はナーベラルたちと同じく、創造されたNPCに過ぎないことを理解しているからだ。

 

「洗脳されている以上、その場での説得は無意味と考え、またモモンガ様からの撤退命令も出ていたので、交戦はせず転移でその場から離脱しましたが、これから如何なさいますか?」

 

 黙っているモモンガにしびれを切らした訳ではないだろうが、ソリュシャンが冷静に言うと、即座にナーベラルが噛みつく。

 

「そんなの決まっているわ。今すぐ私たちの故郷にして、モモンガ様が君臨すべき居城、ナザリック地下大墳墓を奪還するのよ!」

 

「奪還するのは当然。でも今の私たちの戦力では、たとえ世界級(ワールド)アイテムを用いたところで勝ち目はない。下手に近づけば、私たちまで洗脳されかねないのよ。だから先ずは冷静に考えるべきだと言っているの」

 

 悟が持っているであろう物を加えると、現在モモンガたちは四つの世界級(ワールド)アイテムを保持しているが、それらは二十ではない普通の世界級(ワールド)アイテムだ。

 使い捨てではないというアドバンテージはあるものの、どのアイテムも防衛力に関しては全ギルドでもトップであるナザリック地下大墳墓を攻め落とせるほどではない。

 ナーベラルもそれくらいは分かっているはずだが、自分たちの故郷、そして姉妹が洗脳されている状況を見過ごすことはできず、冷静になれていないようだ。

 

(それも、勘違いなんだがな)

 

 言い合いを続ける二人を見ながら、モモンガは自嘲する。

 ナザリックにいるNPCたちは操られているのではなく、本物の主の命に従っているだけなのだから。

 ついにこの時が来てしまった。

 この百年間、モモンガが自分のことをNPCと認識して以後、いつか来ることは覚悟していたが、こんなにも突然やってくるとは。

 

「……二人とも」

 

「はっ!」

 

 一言声を掛けただけで、即座に言い合いを止め、深く頭を下げてモモンガの言葉を待つ様は見慣れた光景だが、これで最後だ。

 この百年、二人を騙し続けていたのだと知れば、いったいどんな反応を示すのか。

 仕方ない。と納得してくれることはあり得ない。

 

 言葉による罵倒、でも生ぬるい。

 殺されても不思議はない。

 だとしてもこれ以上は──

 

「この百年。捜し続けたお前たちの姉妹、そして故郷であるナザリック地下大墳墓が見つかり、興奮する気持ちは分かる。だが、先ずは落ち着いて私の話を聞いてほしい」

 

 全てを話すと決めた後でも、持って回った話し方になってしまうのは、百年間演技を続けてきたことによる弊害か、それともこの期に及んでなお踏ん切りがつかず、少しでも時間を稼ごうとしているのか。

 どちらにしても、黙って話を聞く姿勢をとっている二人を前にしては、もう話を長引かせることはできない。

 

「お前たちが言うアインズ・ウール・ゴウンを名乗る者。奴、いや彼こそが──」

 

 偽物であるはずの存在を彼と呼んだことに疑問を感じたのか、頭を下げたままの二人の肩がピクリと動く。

 口を挟まれる前に言い切ってしまおうと、再度口を開いた瞬間。

 突然、部屋の扉が乱暴に開かれた。

 

「おお。やはりここにいたか」

 

 そこに立っていたのは、蒼の薔薇一行。

 先頭にはイビルアイと名乗っていた仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が、先日会った時の子供とも老人ともつかない声とは違う、幼い少女の声で暢気に言う。

 

「ちょっと。イビルアイ、ノックもせず」

 

 その後ろには他のメンバーも続き、リーダーのラキュースはイビルアイに苦言を呈しているが、彼女は気にも留めずモモンガを見つつ、鼻を鳴らす。

 

「急ぎと言うのだから仕方ないだろう。モモンとか言ったな。お前に話がある」

 

「……悟の件か? 悪いが今は忙しい。その件なら後で」

 

「いや、それに関してはもう聞いた。」

 

「聞いた?」

 

 いったいどういう意味か問うより早く、蒼の薔薇たちの後ろから純銀の騎士が現れた。

 

「悟。なぜお前が」

 

「なぜって、お前が連絡してくれたんだろう?」

 

 思わず舌打ちをする。

 確かにモモンガは、ラナーから依頼を受けた直後、悟に連絡を取っていた。

 

 ただし、詳しい説明をしている時間は無かったため、王女であるラナーから仕事を頼まれた件と、悟のことを知っているイビルアイと知り合ったことだけを説明した。

 すると悟から、王国での計画はまだ進んでいないため、王族に貸しを作れるのならありがたい、と言われたため、改めて王子救出に出向いたのだ。

 

「キーノ。悪いが少し外してくれ」

 

 後ろから前に出てきた悟は、そのままイビルアイの肩に手を置いて優しく言う。

 

「わ、分かった。しかし悟様。その名前は、あの」

 

「ん? ああ、悪い。今はイビルアイだったか。今後は気を付けよう」

 

「いやいや! 二人きりの時であれば、その……」

 

 モモンガたちと接していたときの傲慢さはどこへやら。消え入りそうな声で、体をくねらせる。

 そんなイビルアイを蒼の薔薇のメンバーは気持ち悪がっているようだが、そんなことはお構いなしにイビルアイに連れられて、蒼の薔薇はその場を後にした。

 ラキュースだけはそれとは別に何か言いたげな顔をしていたが、それでもなにも言わず、結局一つ頭を下げて皆に続いて歩き出す。

 

 こうして場には、モモンガたち四人が残されたが、悟は更にソリュシャン、ナーベラルを見て言葉を重ねた。

 

「悪いがお前たちも外してくれ。モモンガと二人で話がある」

 

「ッ、恐れながら! サトル様。今はそれどころでは」

 

 ナーベラルの声には、不満を超えて怒りや憎悪の感情が込められていた。

 モモンガと同格と説明した悟に対して、そんな反応を取るとは驚きだが、仕方ない。

 それほど重大な話を遮られたのだ。

 しかし、悟は慌てた風でもなく、一つ頷き、とんでもないことを口にした。

 

「悪いが話は外から聞かせてもらっていた。モモンガは言い辛いようだから、私が話そう。ナザリック地下大墳墓にいるアインズ・ウール・ゴウンを名乗る者は、ここにいるモモンガが自分の分身として作ったシモベ。つまりはお前たちとは、同格の立場なのだよ」

 

 

 ・

 

 

「どういうつもりだ!」

 

 ソリュシャンとナーベラルを退室させて、二人だけになった瞬間、モモンガは悟に詰め寄った。

 

「落ち着け。二人はまだ近くにいるかもしれん。アイテムを使え。さっきも使ってなかっただろう? イビルアイたちには聞かれていなかっただろうが、後で確認しておいた方がいいな」

 

 子供を諭すような言い方だが、確かに正論だ。

 突然、爆弾発言を放り込んだ悟を問いつめようとした二人には、詳しい話は後ですると言って退室させたのだが、明らかに納得した様子はなかった。

 まさか兎の耳(ラビッツ・イヤー)を使って盗み聞きするとは思えないが、言われた通り遮音用のマジックアイテムを使用する。

 ユクドラシルにも同じようなアイテムがあったが、これはこちらの世界で入手したものだ。

 

「それで、どういうつもりだ?」

 

「どういう、とは。別に嘘は言っていないはずだがな」

 

「ふざけるな! お前は全て知っていたんだろう? エ・ランテルに現れた連中が、ナザリックの勢力であることも、そこに本物の鈴木悟がいることもだ」

 

 今になって考えてみると、エ・ランテルでの悟の様子はおかしかった。

 モモンガたちが、偶然そこに訪れたタイミングで、ナザリックの勢力のみならず、悟と竜王まで現れた。

 様々な偶然が重なった結果だと言っていたが、全てを知っていた悟によって操作されていたと考える方が自然だ。

 

 わざとモモンガが英雄になるようにけしかけた上で、周辺諸国連合を結成させてナザリックとぶつけようとしているのは明らかだ。

 問題はその理由。

 考えつくのは一つしかない。

 

「お前は、本物の鈴木悟を殺して、ナザリックを乗っ取るつもりなのか?」

 

 百年間あの二人がモモンガを偽物だと疑ったことは一度としてない。

 観察眼に優れたソリュシャンも気づかなかった以上、本物の鈴木悟を排除できれば、そのまま自分が本物として振る舞うことは不可能ではない。

 

 悟はそれを狙ってモモンガにはなにも知らせず、戦いに巻き込んだのではないか。

 もっと頭の良い者ならほかにもいろいろな可能性を思いつくのかもしれないが、モモンガの頭ではこれが限界だ。

 そして相手もモモンガと同じ鈴木悟のコピーだ。経験はともかく、頭に関しては自分と出来は変わらないはず。同じ答えにたどり着いても不思議はない。

 そう考えての詰問に、悟は一瞬虚を突かれたように動きを止めた。

 

(やはりか)

 

 図星を突かれて動揺したに違いない。

 怒りがこみ上がる。

 自分のことは良い。だが、ナーベラルたちまで巻き込み、場合によっては姉妹たちと殺し合いに発展したかもしれない──彼女たち忠誠心を見るに、モモンガが殺せと命じていればたとえ姉であるルプスレギナ相手でも本気で殺しに掛かっただろう──状況に追い込んだ悟のことをとても許す気にはならない。

 

「……く。くっくっくっ」

 

 動きを止めていた悟の肩が震え始め、同時に喉の奥を鳴らすような邪悪な含み笑いが漏れ聞こえる。

 思わず臨戦体勢を取りかけたところで、悟は顔を持ち上げて笑い飛ばした。

 

「はっはは。俺が本物の鈴木悟を殺して、ナザリックを乗っ取る? バカなことを言うな。俺に自殺しろとでも言っているのか?」

 

「自殺?」

 

 ただ笑い飛ばしただけなら、図星を突かれ誤魔化していると見ることもできるが、最後の言葉が引っかかった。

 

「そうだ。どうやらお前は一つ大きな勘違いをしているらしいな」

 

「勘違いだと?」

 

「お前は、ナザリック地下大墳墓にいるオーバーロードこそが本物──まあ、あれを本物と言っていいのかは知らないが、ユクドラシルで鈴木悟が動かしていたアバターで、俺とお前はNPCとして制作された偽物だと考えているようだが、それは違う」

 

 ここまで説明されれば、モモンガでも悟が言いたいことは分かる。

 

「まさか」

 

 しかし、話を理解するのとそれを受け入れられるのは別の話だ。

 

「そのまさかだ。俺がお前の言う本物の鈴木悟であり、お前とナザリック地下大墳墓にいるアインズを名乗る者こそが、コピーとして作られた偽物なんだよ」

 

「バカな。そんなはずがない! その鎧は間違いなく本物の鈴木悟が、たっちさんから借りてNPCに着せたもののはずだ」

 

 二種類の勇者を思いついた鈴木悟が、戯れで作った二体のNPC。

 一体は現在もモモンガが魔法で作り出している、漆黒の鎧を身に纏ったダークヒーロー。

 そしてもう一体が、ユグドラシルでPKされ続けていたところを助けてくれた、言わば鈴木悟自身のヒーローであるたっち・みーの鎧を纏わせた純銀の騎士。

 

 たっち・みーの鎧はワールドチャンピオンの証であり、同じ物は二つと存在しない。

 だから、その鎧を着ているのは、自分と同じく鈴木悟に作られたNPCしかあり得ないのだ。

 

「ひょっとしてお前、転移前のことは覚えていないのか? サービス終了直前、玉座の間で記念撮影をするために、鎧を交換しただろう?」

 

 当たり前のように言われ、絶句する。

 確かにモモンガには、サービス終了直前の記憶はない。

 気がついたら、草原の上にナーベラルたちと一緒に立っていたのだ。

 それ以前の記憶は、靄がかったように朧気だ。

 それもまた自分が作られた偽物であり、記憶も作られた物だからなのだろう。と勝手に納得していたが、サービス終了直前にそんなことがあったとは。

 

「……」

 

「まだ信じられないか? ではなにか証拠を見せようか」

 

 信じられないのではなく、なにも考えられなくなっていただけなのだが、勘違いした悟は少しの間、首を捻っていたが直に思いついたとばかりに手を叩いた。

 

「確かNPCは超位魔法は覚えられない設定だったな。ならば星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)でも使ってやろうか? お前は知らないだろうが、この魔法はこちらに来てからは効果が変わってな。経験値を消費する代わりに何でも願いが叶う魔法となっている。なかなか便利だぞ」

 

 滔々と語る様はどこか楽しそうだ。

 なおも黙ったままでいると悟は楽しげな雰囲気を纏ったまま、それとも。と前置きをしてから、指を弾くような真似をする。

 同時に鎧が外れて、地面に落ちていく。戦士化の魔法を解いたのだ。

 モモンガも見慣れた骸骨の体となった悟は、自分の胸元に手を入れて、鳩尾部分に浮かんでいた真紅の宝玉を抜き取った。

 

「こちらの方が分かりやすいか? この世界級(ワールド)アイテムは他と違い、俺の名前を冠している。そして俺が持つことで最大限の力を発揮する。おっと、そんなことは説明するまでもなかったな」

 

 悟が差し出してきたのは、ユグドラシル時代にモモンガが入手し、切り札として常に装備していたアイテムだ。

 当然同じ物は二つとないが、外見を似せたものは作ることは簡単であり、モモンガも自分の腹の中に同じ形の物が入っている。

 悟の持っている物もそうだと思っていたのだが、もしこれが本物であったのなら──

 

「……〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉」

 

 一縷の望みをかけて使用した魔法によって、頭に流れ込んでくる詳細な情報は、間違いなくこれが本物の世界級(ワールド)アイテムであることを示していた。

 

「この切り札をわざわざコピーNPCに装備させるはずがない。これで信じて貰えたか?」

 

 腹の中に宝玉を戻す悟を呆然と見つめながら、モモンガは呟く。

 

「お前が、本物の鈴木悟」

 

「もっとも、アンデッドの体になって二百年も過ごしたんだ。もう人間だった頃の鈴木悟とは、精神的にもかけ離れた存在になっているだろうから、どれが本物かなど関係ないかもしれないがな」

 

「……俺たちから見れば、そうかもしれないが」

 

「他のNPCたちから見れば違う、か。確かに奴らにとっては、ギルドメンバーであったか否かが全て。それによって対応が変わるのは、先ほどの様子を見れば一目瞭然だな」

 

 二人には、悟のことをアインズ・ウール・ゴウン四十二人目のメンバーとして紹介し、その立場もギルドメンバーと同格なのだと話していた。

 にも関わらず、先ほど二人は悟に対し憎悪の感情を向けた。

 

 表面上は敬っていても、それはモモンガが言ったからであり、内心では悟のことを初めから、ギルドメンバーと同格だとはみなしていなかったのだ。

 そうした設定に縛られた融通の利かなさは、こちらの世界にやってきて、一つの生命体として転生した今でも変わらず残っているNPCらしさと言える。

 

「そうだ。俺とナザリックにいるもう一人は、お前のコピーでしかない。お前が一言命じれば、二人は間違いなく俺を殺そうとするだろうな」

 

 そう。この後、悟が改めて正体を明かせば、その時点で二人は悟に忠誠を誓うだろう。

 そして、騙していたモモンガに対しては先ほど悟に向けたものとは比べ物にならないほどの敵意、あるいは殺意を向けてくるに決まっている。

 

 覚悟していたこととはいえ、やはり百年連れ添った仲間たちから殺意を向けられるのは辛いものがある。

 それら全てが、悟の選択によって決まる。

 モモンガが人間であったのなら、今頃背中から大量の汗を噴きだしていたに違いない。

 互いが無言となる。

 呼吸すら不要なアンデッド二人が作り出す、完全なる静寂が場を支配した。

 やがて。

 

「あははは!」

 

 緊迫した空間に、悟の笑い声が響きわたった。先ほどの含み笑いとは違う、明るいものだ。

 

「っ!」

 

 突然の変化に驚いていると、すっと手がこちらに伸びる。

 魔法か何かを使われるのかと身構えたが、悟はそのままモモンガの肩に手を乗せた。

 

「そんなことをするわけがないだろう。さっきお前を止めたのは何のためだと思っている」

 

「……どういう意味だ?」

 

 モモンガの問いかけに、アインズは笑いを引っ込め、視線を遠くに向けると、ゆっくりと語りだす。

 

「俺はこちらの世界で二百年過ごした。対してユグドラシルで過ごしたのはたかが十二年。俺にとって、あれはもう過去のことだ」

 

「過去、だと?」

 

「そうだ。お前が百年の間、どう過ごしていたか知らないが、俺はこの二百年様々な場所に行って世界中を見てきた。七焼けの草原。透明湖。三十年に一度発生する巨大竜巻の中心で見上げる、手が届きそうなほど大きく見える満天の星々。この世界はかつて俺が生きていた現実世界はもちろん、広大なユグドラシル世界ですら見たことのない、素晴らしいものがたくさんある」

 

「だったら何故、お前はここにやってきた?」

 

「簡単な話だ。ナザリック地下大墳墓を放置していれば、奴らはいずれ、世界征服に乗り出すだろうと踏んだからだ」

 

「世界征服?」

 

 突拍子もない言葉に驚くモモンガに、悟は一つ頷いた。

 

「忘れたのか? ウルベルトさんたちとそんな話をしただろう? 俺はこちらの世界でナザリック以外のギルドが作ったNPCと接してきた。NPCというのは制作者の意図が反映されているが、同時にギルドの方針をなにより大事にする性質があるんだよ。となれば当然奴らは世界征服に乗り出すに決まっている」

 

 そう言われると確かに、ソリュシャンとナーベラルも自分たち以外のあらゆる存在を下等と断じ、モモンガこそが全ての頂点に立つべき存在だと信じて疑わない。

 もし、モモンガが一言世界征服を命じれば、できるできないは関係なく、嬉々として動き出すのは想像に難くない。

 

「その前にお前が止めると? 確かにお前が正体を明かし、一言告げれば済むかもしれないが」

 

「だから、俺は正体を明かす気はないと言っているだろう」

 

 呆れたようにため息のまねごとをした悟は、そのままモモンガの肩に乗せていた手を一度持ち上げ、再度叩きつけて続けた。

 

「その役目はお前の仕事だ」

 

「俺の?」

 

 何を言いたいのかわからず、首を傾げるモモンガに対して、悟は大きく両手を広げ、力強く宣言した。

 

「そうだ。お前が本物の鈴木悟となり、ナザリックを奪い取れ」




なんだから悟さんがモモンガさんを悪の道に唆すようなことをしていますが、彼は彼なりに色々と考えてやっています
この章は次の話で最後になります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第50話 王国浄化の第一歩

王国がまともになるための第一歩。
ボウロロープ侯についてはあまり情報はありませんが、歴戦の指揮官で在り貴族としての教育も受けているはずなので、脳筋ではあってもある程度考えられる知恵はある前提で書いています


 王とレエブン侯、そしてバルブロの働きかけによって、六大貴族全員を含む主だった貴族が集められた宮廷会議の場で、突然告げられた言葉に全員が息を呑んだ。

 

「……殿下。もう一度、仰っていただけますかな?」

 

 やがて、貴族たちを代表して、貴族派閥の盟主にして六大貴族の一人、ボウロロープ侯は震える声で発言した。

 そんなボウロロープ侯に対して、バルブロは一度目を閉じると、少しの間考え込むように間を空ける。

 永遠にも感じる沈黙の後、目を見開いたバルブロは堂々たる態度を崩さないまま、まっすぐにボウロロープ侯を見て、先ほどと同じ言葉を繰り返した。

 

「私は、父、いや。国王陛下にお願いして、王位継承権を放棄した。今後は弟であるザナックをもり立てていくつもりだ」

 

 淀みなく告げられる言葉に、頭の中がカッと熱くなった。

 名指しされたザナックは気まずそうではあるものの、驚きや戸惑いはなく、受け入れている様子だ。

 

 それは中央の玉座に腰を下ろした、ランポッサⅢ世も同様だった。

 その様子を見て、これがバルブロの思いつきなどではなく、王家内部では既に相談済みの決定事項なのだと理解する。

 

「な、なにを仰るのですか。殿下は陛下の長子にして王位継承権第一位。そのような立場にいる御方が軽々しくそんな冗談を口にしてはなりませんぞ」

 

 わざとらしく笑い飛ばすが、バルブロはおろか、貴族派閥の貴族たちすら追従せず、室内に自分の笑い声だけがむなしく響いて、すぐに消えていった。

 

(日和見主義の蝙蝠どもが)

 

 不愉快だが、理由は分かる。貴族派閥はバルブロという次代の王を旗頭にすることで、初めて結束している。

 これまでも貴族が王家の意向を無視して、己の利益を追求することは繰り返されてきたが、決定的な派閥争いに発展したのはここ数年だ。

 正確には王が年を取り、王位を誰に譲るかという話になったタイミング──本来はもっと早くてもおかしくはないのだが──で、バルブロがボウロロープ侯の娘を娶ったことで、ボウロロープ侯とバルブロに強い結びつきができたことが一因なのだ。

 

 領地を持っていないバルブロは個人的な資産を持っていないため派手な行動を取れず、王に自分の働きをアピールできずにいたところにボウロロープ侯が手を貸した形だ。

 当然善意ではなく、バルブロが王位を継いだ後、彼を傀儡とすることで己が手にする利益を考えてのことだったが、それもなかなか上手くはいかず、こちらがいくら後押しをしても王は頑なにバルブロに王位を譲ろうとしなかった。

 そのことにバルブロがじれた気持ちを抱き、これまで以上に手柄を欲し、ボウロロープ侯に手足となる兵を貸してくれるように言ってきたのはつい先日のこと。

 

(そこで何かがあったのか? 奴らとは未だ連絡が付かないと聞いていたが)

 

「もはや俺にはその資格はない」

 

 弱気な発言と共に首を振るバルブロの体は、その立派な体躯とは裏腹に小さく見えた。

 

(これは。もしや例の八本指との癒着の件で、責任を取らされることになったか?)

 

 一瞬そう考えたが、すぐにそれはあり得ないと心の中で首を横に振る。

 ああした犯罪組織との癒着は、多かれ少なかれ多くの貴族が行なっていることだ。

 バルブロを糾弾してしまえば、そこから芋づる式に他の貴族との癒着も明らかになってしまう。

 しかし、今の混乱した王国内でそんなことをすればどうなるか。長年王を務めていたランポッサが分からないはずがない。

 ではなぜ。

 

「侯には迷惑を掛けた。侯の名を使い、戦士団を呼び出した上、功名心で飛び出して余計な犠牲を払ってしまった。その償いは必ずする。すまなかった」

 

 こちらが思考している隙を突いたわけではないだろうが、止める間もなく立ち上がったバルブロは深く頭を下げた。

 

 その姿を見て、ボウロロープ侯は自分の目論見が完全に破綻したことを理解した。

 王に就くべき者が、たとえ義父であっても名目上は王家の家臣である人物に対して、完全に自分の非を認めて頭を下げたのだ。

 

 宮廷会議で主だった貴族たちがいる中でそんなことをしては、王の威厳もなにもあったものではない。

 そんな者を担いでも、誰も付いてくることはないだろう。

 かといって、今更第二候補のザナックに乗り換えようにも、あちらは最初からレエブン侯が後ろ盾に付いている。

 

 同じ貴族派閥の者とはいえ、蝙蝠と揶揄されている男だ。

 自分がしゃしゃりでようものなら、即座王派閥に乗り換えることだろう。

 

 そもそもとして、元戦士である自分は頭の良さや狡猾さでは、他の貴族に劣るため、ザナックや、もう一人の候補である六大貴族の一人、ペスペア侯に取り入るのは難しい。

 だからこそ、性質の似ているバルブロならば、自分でも傀儡として操ることができるだろうと担ぎだしたのだから。

 

(こうなっては仕方あるまい)

 

 鼻から大きく息を吸い、そのまま吐き捨てる。

 その後、ボウロロープ侯はにやりと唇を持ち上げ、分かりやすい笑みを形作った。

 

「なにを仰います殿下。我が配下を殿下の下に送ったのは私の指示によるもの。奴らも殿下の、いいえ。我が義理息子のお命を救えたのなら本望。その家族には主である私から十分な保証をお約束いたしますぞ」

 

 豪快に笑うと、バルブロも含め、他の貴族たちも驚いたような反応を示した。

 己の目論見がご破算となったことで、ボウロロープ侯が怒り狂うとまではいかずとも、冷たいあしらいをするとでも思っていたのだろう。

 だが、腐っても自分は元戦士であり、軍を率いる将でもある。

 

 常勝の将など、現実には存在しない。

 大切なことは敗北から何を得るかだ。頭の良さはともかく、そうした切り替えの早さには自信がある。

 

 バルブロを王位に就ければ、最終的にはバルブロと自分の娘との間にできた子、つまりボウロロープ侯の孫を玉座に座らせることもできると思っていたが、その思惑は破綻した。

 しかし、今後もバルブロを支援し、自分の地盤を引き継がせて大公とすることで、王家との結びつきを強く持ち続ければ、血の近さ的に次は無理でも曾孫、曾々孫辺りまで行けば再び自分の血が王家を継ぐ可能性は残されている。

 そのためには──

 

「でしたら、今後殿下は我が後継者として面倒を見させてもらいますぞ。陛下、よろしいですかな?」

 

 自分と同じように考える者が出る前に、釘を刺す意味で声にして告げる。

 

「う、うむ。バルブロの今後についてはこれから考えるつもりでいたが、侯が面倒を見てくれるというのならば心強い。頼んだぞ」

 

「はは!」

 

「侯。いや、義父上。不足の息子だが、よろしく頼む」

 

 バルブロの声は感動に震え、ランポッサはその光景に深く頷いている。

 他の貴族たちはまだ状況が完全に掴めていないというより、これが本気なのか、それとも後で裏切ることを前提の茶番なのか見極めるまで動かないことを選択したらしく、何も言わない。

 先ほどは憎々しく思った日和見主義も、こうしたところではありがたい。

 後はバルブロの働き次第だ。

 

(さて。どうなるか)

 

 

 ・

 

 

 バルブロを見ながら眉間に皺を寄せるボウロロープ侯を前に、レエブン侯は内心で安堵の息をもらした。

 

(とりあえず上手くいったようだな)

 

 バルブロが王位継承権を放棄するに当たり、最も障害となるのはボウロロープ侯だ。

 他にも後押ししている貴族はいるが、ボウロロープ侯の娘をバルブロが娶っている、つまり義理の親子であり、他の貴族たちより関係が深いためだ。

 それは逆に、ボウロロープ侯さえ丸め込めれば、他の貴族も手出しはできないことを示している。

 

 そのため、レエブン侯はザナックやラナーと相談し、王国の主要な貴族をほとんど無理矢理集めたこの場で、正式に王位継承権の放棄を宣言させることにした。

 同時に、バルブロ自らボウロロープ侯に謝罪させることで、威厳を低下させて王の資格がないことを知らしめた。

 それでも直情的な性格のボウロロープ侯が、感情に任せて何かしでかすのでは。と思ってはいたが思いの外冷静なようで安心した。

 

 もっとも、ボウロロープ侯も歴とした六大貴族の一人。

 知略謀略の類が得意とは言わないが、知識として頭には入っている。

 今ここでバルブロに怒りをぶつけることの愚かしさを十分理解しているはずだ。

 なにより、ザナックが次代の王になろうと、まだ正妻を迎えていない以上、その次をバルブロやその子供が継ぐ目は残っていることは事実。

 

(それも含め、おそらく今は様子見段階。だが、殿下には必ずやボウロロープ侯の武力を引き継いでもらわなくては)

 

 そもそも力とは大きく分けて三つ、金と知恵と武力。

 細かく言えば、領地の広さやコネクション、権力といった間接的なものも存在するが、最終的にはどの力もその三つまで絞り込める。

 六大貴族が時に国王の命すら無視できるのは、各々の分野において王すら上回る力を持っているからだ。

 

 ボウロロープ侯の場合、それは武力。

 他の貴族たちや王ですら、ごく一部の近衛兵を除き、戦争の際は専属兵ではなく、民衆を集めて兵とする。

 それが最も安上がりだからだ。

 

 ボウロロープ侯は例外的に、精鋭兵団という専属の兵を持ってはいるが、それもせいぜい五千程度。

 彼の真の力は徴兵に際し、他のどの貴族より多くの兵を集められることだ。

 それこそが王を超えるボウロロープ侯の武器である。

 

 バルブロにはなんとしてもその力を受け継ぎ、ザナックに協力してもらわなくてはならない。

 

 武力とは三つの力のうち最も原始的なものだが、それ故に絶大な効力を発揮する。

 エ・ランテルを占拠した謎の集団などが良い例だ。

 あれだけの力を前にしては、金も頭も何の役にも立ちはしない。

 そして現状、王国を守るべく手を取り合った自分たちは知恵に偏りすぎている。

 

 まともな武力はガゼフ率いる戦士団と、レエブン侯配下の元オリハルコン級冒険者チーム。

 後先を考えなければ、と仮定した上でラナーと繋がりのある蒼の薔薇。

 これら三者は確かに強力な武力ではあるが、所詮個に過ぎない。

 

 特にそうした平民や冒険者を見下している貴族たちに圧力を掛けるには、単純な数の暴力を示すのが手っとり早い。

 その意味で、バルブロが正式にボウロロープ侯の後を継ぐことができれば、王派閥は知と武、その両方に於いて名実ともに王国トップの派閥となるため、自然と派閥争いも終わっていくことだろう。

 

(これで一先ず国内は纏められる。次は周辺国家連合への参加と、エ・ランテルの奪還。その上でザナック殿下の正式な即位か)

 

 やることが山済みだが、おそらくはこれが腐敗し続けた王国を浄化する最初にして最後の機会。

 自分たちは今その第一歩を踏み出したのだ。国のため、そしてひいては自分の家族、特に最愛の息子に自分の全てを継がせるためにももう後には引けない。

 レエブン侯は拳を握り、人知れず覚悟を決めなおした。

 

 

 ・

 

 

「本当なの!?」

 

「……間違いないっす」

 

 お茶会用の丸テーブルに、姉妹四人が腰掛けていた。

 席に着いているのは四人だが、テーブルを囲うようにして並んでいる椅子の数は七脚。

 

 末妹のオーレオールを含めた七姉妹全員分だ。

 オーレオールは自分の守護領域から動くことは殆どないため、使用する機会はないのだが、それでも用意しているのは、彼女だけを除け者にはできないと考えたためだ。

 それは残る二脚の空席についても同じこと。

 今ルプスレギナが語っているのは、その席に座るべき行方知れずの三女たちについてだ。

 

「ナーベラルとソリュシャン。二人とも無事だったのね?」

 

 念を押すように聞くと、話を聞き入っていたシズとエントマも身を乗り出した。

 その視線に、ルプスレギナは一瞬押されたように身じろぎつつ、頬を掻く。

 

「無事、とは言いがたいっすね。ああ、いや怪我とかそういうことじゃないっす。ただ、あの二人はおそらく精神支配系の魔法か特殊技術(スキル)を掛けられていた。そうでなければあんなフザケたことを言うはずがないもの」

 

 いつもの軽口から口調が変わり、同時に目つきも鋭くなる。

 突然人格が変わったと思われても仕方ない変貌ぶりだが、姉妹たちの間ではもう慣れたものだ。

 

 どちらかと言えば、軽口の方が演技というより取り繕われたもので、こちらの凄惨さすら覚えるサディスティックな面が彼女の本性に近い。

 その姿で語り始めた内容に、全員が息を呑んだ。

 あの二人が百年前から既にこの世界に転移しており、その上、主ではなく別の者をモモンガと呼び忠義を誓っているという話だ。

 

「……他の至高の御方が一緒で、嘘を吐くように命じられた、とか?」

 

「そうよぉ。ヘロヘロ様と弐式炎雷様の御二人が一緒だったなら、そういう嘘をついてもおかしくないわぁ」

 

 シズとエントマが交互に言う。

 その二人はソリュシャンとナーベラルの創造主の名だ。

 

 最後までナザリックに残って下さった、慈悲深い主への不敬にも繋がりかねないので、はっきりと口にしたことはないが、シモベたちは皆自らの創造主を最上位に定めている。

 ユリとて、今この場に自分の創造主が戻ってきたのなら、その命を第一に考え、場合によっては主や姉妹たちに反旗を翻すことすらあり得る。

 それと比べれば、嘘を吐いて皆を欺く程度はなんでもない。

 

 何故そんなことをするのかは予想もつかないが、もとより至高の御方々の考えは自分如きでははかり知ることはできないのだから。

 一縷の望みを賭けてルプスレギナを見るが、彼女は首を横に振った。

 

「んー。その可能性もあると言えばあるっすけど……ただ、ナーちゃんはそういう隠し事が苦手なタイプっぽいんすよね。ソーちゃんの方もそれに気づいて誤魔化そうとしている感じだったっす」

 

 ユリたちの意識が鮮明になったのは、こちらの世界にやってきてから。

 それ以前のことは基本的に夢の中にいるような、靄がかった記憶しかないため、ナーベラルとソリュシャンの性格まではっきりと認識している訳ではないが、直接対面したルプスレギナが言うのだから、そうなのだろう。

 

「……?」

「えぇーっとぉ。じゃあ、どういうことぉ?」

「つまりっすね──」

 

 二人揃って首を傾げている妹たちへの説明は、ルプスレギナに任せて、ユリは思案する。

 

 シズたちが言うように別の至高の御方に命じられて嘘をつくような場合でもなければ、たとえ幾百年時が経とうと、自分たちが至高の存在を偽物扱いするという暴言を吐くことなどあり得ない。

 実際、法国という国で傾城傾国なる、どんな相手であっても精神支配を可能とする世界級(ワールド)アイテムも発見されている。

 

 ナーベラルはプレアデスの中でもっともレベルが高いが、それでもナザリックのトップ戦力と比べるとかなり劣る。

 この世界の者たちでも、精神支配できない訳ではない。

 頭の回転は速いルプスレギナのことだ、そのあたりまで考えた上で、そうした結論を出したのだろうが、それはそれで疑問がある。

 

(偽物……つまり、ナーベラルたちはもう一人のアインズ様が存在していると思っている)

 

 別の者を主と認識するのではなく、主がもう一人いると認識している点が引っかかるのだ。

 ユリの脳裏に去来するのは、こちらの世界に来る直前の記憶。

 この世界にやって来た時、他の者や姉妹たちが本来の持ち場である第十階層に続く扉の前に待機していたのに対し、自分とセバスは何故かナザリックの地表部分に立っていた。

 記憶はおぼろげだが、その時、自分たち以外にも誰かが傍にいた気がしてならない。

 

(あのとき、本当にボクとセバス様の他に誰かがいたとするなら、もしかしてそれがナーベラルたちの言う──)

 

「……姉。ユリ姉!」

 

「え?」

 

「どうしたんすか。ぼーっとして」

 

「ああ、いえ。何でもないわ」

 

「……ふーん」

 

 明らかに納得していないようだが、ルプスレギナはそれ以上なにも言わず、話を進めた。

 

「で。この話って誰に報告するべきなんすかね」

 

「え? ちょっ、ちょっと待って。ルプー、この話まだ報告してないのかい?」

 

 あっけらかんと告げられた言葉に驚愕して、思わず素の口調になってしまった。

 そんなユリの様子に、ルプスレギナはなぜか楽しそうにケラケラ笑いながら頷いて言う。

 

「そりゃそうっすよ。私はプレアデスの一員なんすから。報告は直属の上司、いつもならセバス様にまず上げるところっすけど、今は謹慎中。ここは副リーダーのユリ姉に言うべきじゃないっすか」

 

「だからってこんな大事なこと。今回の仕事はデミウルゴス様から命じられたのだから、報告はそちらに」

 

 元々デミウルゴスから命じられた警邏任務だったのだから、その報告も当然デミウルゴスの管轄になるはず。とそこまで口にして、ルプスレギナがどうしてユリの代わりに警邏に出向いたのかを思い出した。

 

「ルプー。君ねぇ」

 

 謹慎中のセバスの部下であるプレアデス、特にナザリック外の者にも情けをかけかねないユリに、疑念を覚えたデミウルゴスによる踏み絵。

 その行為自体をルプスレギナが不服に思い、自ら仕事を買って出たというのが今回の流れだった。

 彼女は未だにそれを引きずり、デミウルゴスへの当てつけに報告をしないなどという暴挙に出たのではないか。

 そう考えたユリの呆れ声を聞いて、ルプスレギナは大げさに手を振って否定する。

 

「いやー別に当てつけってわけじゃないっすよ? ただ、バカ正直にデミウルゴス様に言うのもどうかと──」

 

 彼女が更に言い訳を重ねようとしたその瞬間。

 コンコン。と部屋の扉がノックされ、全員の視線がそちらに向かった。

 

「ちょっといいかしら。ここに、ルプスレギナは居る?」

 

 底冷えするような冷たい声の主は、ナザリック地下大墳墓守護者統括、アルベド。

 主が不在の際、ナザリックを直接運営する立場である彼女の登場に、今度こそユリは背筋の悪寒に任せて身を震わせた。

 

 

 ・

 

 

「以上です。ご報告が遅れましたことは──」

 

 謝罪しようとするルプスレギナを制し、アルベドは笑顔を向ける。

 

「いいわ。セバス不在の際の命令系統が完全に決定していなかったことも事実。その件は守護者統括として不問にします」

 

「……ありがとうございます」

 

 返答までに僅かな間があったのは、アインズに報告しないうちから、アルベドが勝手に沙汰を下すことに疑問を感じたためだろう。

 

 実際、組織内に監査機関などがあればともかく、そうした組織が存在しないナザリックにおいては、いかなる罪であろうと裁きを下すのは基本的にアインズだ。

 それを無視したアルベドの真意を見抜こうとしている。

 だが、今はそんなことはどうでも良い。

 

(やっとやっとやっとやっとやっと、見つかった)

 

 心を隠すため常に浮かべている微笑も、その域を越えて口角が上がり続け、腰に生えた翼が動きそうになるのを意志の力で必死に押さえ込む。

 

(やはりセバスが遭遇した方こそが本物。ナーベラルたちのことは報告にはなかったけれど、別行動を取っている? それとも単純にセバスに見つかりたくなかっただけ?)

 

 あり得る話だ。

 本物の主が現在サトルと名乗っている以上、今はまだ正体を隠すつもりなのだから、セバスの時はあえて二人の姿は晒さなかったと考えるべきか。

 

(そうなると、なぜ今回は二人を伴っていたのかしら)

「ルプスレギナ。もう一度確認するけれど、ナーベラルとソリュシャンと遭遇したのは偶然なのね? 貴女を待ち伏せしていたわけではなく」

 

「はい。先ほどユリ姉さんにも話しましたが、ナーベラルは演技ができる性格ではありません。少なくとも二人があそこにいたのは偶然だと思われます」

 

 チラとユリに目を向けると彼女も無言で頷いた。

 

(となると、これはモモンガ様にとっても予想外? それともナーベラルに演技ができないと分かっていたから、あえて何も知らせずに送り出してルプスレギナと再会させたということ?)

 

 どちらの可能性もあるが重要なのは、主がセバスが向かった聖王国の主要都市に続いて、ルプスレギナが捕らえた王国の第一王子を救出したことだ。

 これは主が周辺諸国の戦力を維持したまま、連合を作る手助けをしていることを示している。

 

 三国の要所であるエ・ランテルを一日で占拠したのは、ナザリックの位置から目を逸らさせるだけでなく、こちらの危険性を知らしめることで、わざと周辺国家を巻き込んだ大連合を作らせることにある。

 

 世界征服という大目標がある以上、弱小種族である人間国家がメインの周辺諸国に時間をかけている余裕はないため、ひとまとまりにした上で軍事力を根こそぎ奪い、残った人間たちを管理しやすくしようと考えたのだ。

 そのための工作もいくつか行ったが、それを踏まえても連合結成がスムーズに進みすぎているとは思っていたが、主が裏で動いていたのなら、それも納得だ。

 

(単純に連合を作るだけでなく、戦力の保持を目的としているのなら、モモンガ様は人間たちを率いてナザリックを取り戻すつもりなのかしら。人間如きがいくら集まっても役に立たなそうだけれど……どちらにしても今優先すべきことは)

 

「セバスが謹慎となっている理由は聞いている?」

 

「……いえ、詳しい話はなにも」

 

「そう」

 

 アルベドとしては特に内容を隠してはいなかったのだが、これはセバスの立場を悪くするためのデミウルゴスの策かもしれない。

 すべての情報を隠すのではなく、断片的にそれもセバスの立場が悪くなるような情報だけ流し、セバス配下のプレアデスにも圧力を掛けるつもりだったのだろうか。

 あるいはこれも余計なことを知られたくないアインズの仕業か。

 

「デミウルゴスの計画した聖王国での作戦に際し、セバスが敵前逃亡したのが原因よ」

 

「いったいなにがあったのですか? セバス様が、アインズ様の命を無視して逃げ出すなど──」

 

 あり得ない。と続けようとしたユリはそれ以上言えず口ごもる。

 

 事実を知っているアルベドにとっては、セバスの行動が罪などではないと理解しているが、あの偽物(アインズ)に騙されている彼女たちならば、そう考えても仕方ない。

 これも使える。とアルベドはゆっくりと語り出す。

 

「聖王国で純銀の鎧を纏った騎士と交戦となったからよ」

 

「純銀の──騎士?」

 

 他の者たちは不思議そうに首をひねっているが、ユリだけは驚いたように声を詰まらせ、瞳を見開いた。

 やはり彼女も知っている。

 そもそもアルベドがこの部屋にきたのは、セバスから純銀の騎士についてはユリも知っているはずだ。と聞いた為なのだ。

 

「そう。はっきり言うと、至高の御方の一人であり、セバスの創造主であらせられるたっち・みー様が使用していた鎧を着た騎士と遭遇した。セバスは動きを見てたっち・みー様本人ではないと分かったそうだけれど、少なくとも至高の御方に関係する相手だと思い、戦うべきではないと考えて撤退を優先したそうよ」

 

「それはつまり、アインズ様以外の至高の御方であると? ではやはりナーベラルたちも!」

 

 声に喜色が混ざる。

 妹たちが裏切り者でない可能性が出てきたのだから当然だ。

 

「それを確かめる必要があるということよ。それを貴女たちにやってもらいたいの。アインズ様には私の方から報告しておくけれど、他の者たちには知らせず、極秘にお願いね」

 

「極秘、ですか?」

 

 訝しむユリにアルベドは微笑を浮かべたまま笑いかける。

 

「自分を創造された方がいる可能性を知れば暴走するものが出るかもしれないでしょう?」

 

「なるほど。承知いたしました。それで、私たちは何をすれば?」

 

「先ずは──」

 

 思いの外あっさりと納得したユリに作戦を伝える。

 場合によっては本物の主と最初に再会することになるのだから、本当はアルベド自らが行いたいところだが、仕方ない。

 今は証拠の確保と、主の考えを確認するのが最優先だ。

 

(モモンガ様、モモンガ様、モモンガ様、モモンガ様!)

 

 微笑の仮面を被り直すことには成功したが、ようやく訪れた本物の主との再会と、あの偽物を蹴落とす時が来た事実に心が浮き足立ち、それを少しでも落ち着けるために、主の名を呼び続けた。




書き溜めが尽きたので、次の投稿まで間が空きます
また一章分書き溜めたのち、纏めて推敲してから投稿しますのでよろしくお願いします


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。