零のソウル (真田)
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とある不死の旅路の終わり

 最初の火の炉。そこは見渡す限り白しか存在しない殺風景な風景が広がっている。

 あたり一面に積もっている白いそれは雪のようにも見える。しかし、それはちがう。これは灰だ。ところどころ岩肌も覗いており、その一部はまるで一度高温で熱せられたかのように緑色に変色している。

 そこに、一人の不死が存在した。

 不死。それはそのままの意味であり、永遠に老いず、永遠に死なない存在だ。

 不老不死。憧れ、羨望の眼差しを向ける人間は多いかもしれない。しかし、この世界での不死は呪われた化け物であり、不死を狩る騎士ロイドは英雄扱いされるほどだった。

 確かに不死は何度でもよみがえる。永遠の命を約束する。しかし、そんな化け物たちを人間はひどく侮蔑する。

 その理由。それは何度も死にゆく内にいつしか考える器官が崩壊していくからだ。

 そして、いつしか理性が崩壊し、おぞましき姿となった不死。それを人は「亡者」と呼ぶ。

 亡者となりし者は世界が終わるその時まで何も考えず、何も感じず。ただただ、機械的に人の持つソウルを求め、人を襲う化け物と化す。

 そんな過酷な運命を持つ一人の不死は「ボロ布のローブ」と呼ばれる、大沼と言う地で愛用されている灰色のローブを身に纏い、右手には「クラーグの魔剣」と呼ばれる曲剣を、左手に「呪術の火」と呼ばれる小さな火種を握っている。顔は頭にフードをかぶっているので性別すらもよく分からなかった。

 

 その不死の前には普通の人間よりも大柄な一人の神が立っていた。神とは言っても基本的な体型は普通の人間とさほど変わらない。普通の人より一回り大きいというぐらいの存在だ。

 その神の名を「薪の王グウィン」と言った。

 彼が身に纏っている服は、薪の王と言う名前に反比例するかのように、何か特殊な力を持っているわけでもない質素な物。

 そして、亡者であるがゆえに、肌は全身が干からびたミイラのようにしわくちゃで、顔の眼球にあたる部分には何も存在せず、ただただ深い闇だけが覗いている。何とも不気味な存在感をあたりにまき散らしていた。

 しかし、誰もが彼と相対すればそれを気にする余裕など吹き飛ぶだろう。いや、そもそもそれを確認する余裕などない。

 なぜなら誰もがその手に握った長大な大剣に目を取られ、それが目にもとまらぬスピードで襲い掛かってくるからだ。

 シンプルな形をしているが、超大で灼熱の炎を纏った大剣だ。並みの相手なら瞬時に焼切り、死体など燃え尽きて灰と化すであろう破壊力を兼ね備えた剣。

 その二人は戦いを繰り広げていた。

 不死とグウィンは互いに得物をぶつけ合う。いや、ぶつけ合うという表現は正しくないだろう。グウィンの攻撃は、剣で受け止めようものなら問答無用で武器ごと焼切ってしまいそうなほどに強大なのだ。

 故に不死は攻撃をひたすらに避ける。地面を転がる。体をそらす。黒騎士の盾と言う名の、真っ黒な焼け焦げたような盾を構えて受け止める。

 しかし、防御しているだけで攻撃には転じない。いや、転じれるだけの隙がない。戦況は誰がどう見ても不死の劣勢だった。

 

 

 もう、何度殺されたのだろう。

 不死はグウィンの横薙ぎに薙ぎ払われる剣を盾で受け止め、全身が砕け散りそうな錯覚を覚えながら思った。グウィンの力は圧倒的すぎる。

 これまでに幾度も幾度もグウィンに挑み、そして無残な敗北を重ね続けていた。

 しかし、防戦一方とはいえ、最初に比べれば随分と事態は好転している。初めの数回はろくな行動もとれず、最初の一撃で同じように焼切られたのだから。違うのは切られ方だけだったころに比べれば格段の進歩だ。

 

 グウィンが片手で保持していた灼熱の大剣を左上から右下へと、袈裟切りに切りつけてくる。

 いつものパターンであればこれを盾で防いでいるところだ。しかし今、手には盾ではなく呪術の火を握っているためにその方法は取れない。それ以外の凌ぐ方法の一つは、距離を取るなり地面を転がるなりして剣の軌道上から外れ、躱す事だ。しかしそれが難しい。後ろに下がってもあの大剣の超大なリーチの前では逃げ切る事が出来ない。横に移動して避けても、これまでの経験から二の太刀で真横に薙ぎ払ってくるので横もダメだ。

 なら、どうする?

 いや、考えるまでもなく挑む前にこういう時にはどうするかは考えてある。事前に対策をいくつも考え、実行し、それがダメであれば別の方法を考える。それをこれまで何度も繰り返してきている。

 その策が成功すれば殺せる。失敗すれば死ぬ。それだけのこと。

 不死は右手にもったクラーグの魔剣を強く握り、一歩、グウィンとの距離を詰める。ここで零距離にまで詰める事が出来れば斬撃を無効とさせる事が出来、勝機も見えるのだろうが、そこまで距離を詰めるよりも大剣の速度が速い。

 しかし、そうなることはすでに死を持って経験済みだ。

 不死が見据えるのは、グウィンが剣を振るうために上に持ち上げた太い腕。今の腕の位置は頭より上。剣を振り上げている状態だ。そしてこのまま何もしなければ、大剣は下へと勢いよく振り下ろされ、長大な大剣は不死の身体を焼切る。

 不死は、呪術の火を握った右手を動かし、下からグウィンの腕に当てる。そしてそれとほぼ同時に、クヴィンの腕が一気に加速されようとした。

 そこを狙った。

 不死はその瞬間、右手に全力で力を込め、大剣を持った腕を押し返した。

 加速されようとしたと言うだけでまだグウィンの腕にはさほど勢いが乗っていなかったからこそできた策。それは成功し、クヴィンの無防備すぎる胴体が晒された。

 この機を逃す馬鹿ではない。

 不死はその手に持ったクラーグの魔剣で、グウィンの胴体に全力で突きを入れる。剣は根元まで突き刺さり、振るわれたと同時に纏われる混沌の炎がグウィンを身体の中から燃やす。

 

 それが止めの一撃となった。

 

 グウィンの身体から威圧感が霧散する。そして剣を引き抜くと、こと切れたように膝をつき、次に両手を地面につき四つん這いとなる。

 そして光の粒子となって消えた。

 

 殺した。

 

 その事実を確認した不死は軽く息を吐き出し、全身から緊張感を霧散させる。

 そして、煩わしく感じた頭のフードを外した。

 フードの中に窮屈に詰まっていた長い黒の髪が背中に流れる。このロードランの地に風呂と呼ばれるものなく、髪の手入れなどしたこともないのでその髪はボサボサだ。手で梳けば確実に途中で引っかかる。

 そこからのぞいた顔はまだ少女と言っても良いであろう顔立ちの女だった。しかし、見た目がそのまま実年齢を表しているかはわからない。なぜなら彼女は不死。つまりは年を取ることはなどない。すでに軽く1000年以上生きているのかもしれないし、見た目通りまだ10歳ぐらいの年なのかもしれない。

 そのまま彼女はじっとクヴィンが消えた場所を見つめていた。しかし、いつまでたってもその心中を達成感が満たすことはない。心中にあるのは酷い疲労と脱力感だけだった。

 そのまま自身の欲求のままに地面に座り込み、全身を弛緩させる。そんな彼女の目の前には今にも消えそうなほどに弱弱しく燃えている篝火がある。

 あの篝火を、「最初の火」を再び燃え上がらせること。それが彼女の不死としての使命。

 目を瞑る。ここまで来るにあった様々な思い出を心中に思い浮かべる。が、途中で辞めた。苦痛を伴った思い出しかないことに自重めいた笑みを漏らす。思い出しても気が滅入るだけだった。

 やがていつまでもこうしているわけにはいかないとばかりによろよろと立ち上がり。ゆっくりとその空間の中心にある篝火へと歩を進める。

 それを見て一度深呼吸をする。

 そしてゆっくりと、自らの右手をその篝火に掲げた。

 

 突如。篝火の小さな火種が大きく燃え上がる。彼女はそれを何の感慨もない様子でぼんやりと眺める。

 

 そして、次の瞬間。

 

 火が不死の手に飛び火する。不死はさすがに驚き、慌ててその火を消そうとする……が、それを実行に移すことなく、手から腕へ。腕から胴体へと火が燃え広がっていく様子を見つめていた。

火だというのに全く熱くない事に気づいたのだ。

 やがて、その火は不死の身体の全身を包むと、次にその空間を火が埋め尽くしていく。

 その光景は思わず見惚れてしまうほどに美しい光景だった。

 

 

 

 

 ─それは、不死が…彼女が使命を果たし終えた証だった。闇の時代は遠ざかり、再び火の時代が、神の時代が続いていくのだろう。

 

 ─これで、彼女の長い旅は終わる。

 

 ─そして……

 

 

 

 

 

 タスケテ…!

 

 

 

 

 突如。彼女の頭に響く声。そんな現象にまず驚き、何事かとあたりを見渡す。そして━━

 

 ─召喚されています

 

 そんな端的な単語が彼女の脳内に響き、瞬間、光に包まれた。

その眩しさに思わず彼女は目を瞑る。

 

 

 

─それは新たな物語の始まり。

 

─不死としてではない、生者としての物語が。

 

─彼女の意思の有無にかかわらず

 



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生者としての旅路の始まり

 うちの近くに聖ウルスラ学院なる高校がある。
 うん、まぁそれだけなんだけど。


 その不死の旅の始まりは、牢獄の中から始まった。

 不死は主神ロイドと呼ばれし英雄に狩られる運命にある。しかし殺しても死ぬことがない不死は、世界が終わるその日まで、はるか北に存在する牢獄に閉じ込められる。

 その不死もそのうちの一人だった。

どれくらいの間捕まっていたのかはもう覚えていない。時計もなく、外の光も届かないために昼夜すらも分からない上に、自分の身体も不死ゆえに老いることがない。つまり何一つとして変化のないこの場所ではすぐに時間の感覚がよく分からなくなった。

ただ、このままいけば亡者となるのだろうと。おぞましくて、かろうじて人の姿をした化け物に変わっていくのだろうと思うと、怖くて怖くて仕方がなかった。

 かといって脱出しようという気力はなく、また脱出したとしてもいつかは亡者になるのは変わらなくて。ただただ絶望のみが体を満たしていく日々。

 どのくらいの時が立っただろう。何の変化もなかったその牢屋に一つの異変が起きた。

 何かがその部屋に投げ込まれたのだ。それに伴って響いた音に俯かせていた顔を上げる。そこには先ほどまではなかった死体が転がっており、そんな光景にまず驚きを覚える。そして次に死体が投げ込まれたのであろう、天井に存在するポッカリと空いた穴を見た。

 そこでは一人の立派な鎧を身に纏った騎士がこちらを覗き込んでいた。しかし、その騎士は何か言葉を作ることなく、すぐにどこかへと去って行った。

 

「嫌がらせ……かな」

 

 突如死体が投げ込まれるという訳の分からない一連の行動に首をかしげ、投げ込まれた死体に視線を移す。するとその死体の腰に銀色の鈍く光る金属が提げられていることに気づいた。

 手に取ってみる。すると、それが何かの鍵だという事がすぐに分かる。それを見、少し考えてからおもむろに立ち上がり、ゆっくりと牢屋の鉄格子の鍵穴に鍵を差し込む。

 入った。そして回す。カチャリ、という音が響く。

 そして鉄格子を押すと、ギギ……と言う錆びた音が響きながら、開いた。

 

「ぁ…………」

 

 呆然としながら開いた扉を見る。出られる。逃げられる。その事実をゆっくりと心中に染み渡らせる。

 そして、その不死は脱獄を決意する。

 牢屋から出て、歩き出す。

 

 

 それから数分後。彼女の目の前には、上級の騎士であることを示す銀色の鎧を身に纏った騎士がいた。もはや立つことすらままならないのか、全身を弛緩させ、壁に寄りかかるように倒れ込んでいる。

 

「おぉ……君は、まだ亡者じゃないみたいだな……」

 

 そしてその騎士は先ほど鍵付きの死体を投げ入れた人物でもあった。声は弱弱しく、今にも死んでしまいそうなほどに覇気がない。

 

「……なぜ、私にあの鍵を?」

「少し、頼みがあってな……君に一つ頼みごとをしたい」

 

 そう言われ、彼女は少し悩む。が、やがてコクンと頷いた。聞くだけなら損もない。

 

「言ってみて」

「あぁ……頼みというのは恥ずかしい事に私の使命だ」

 

 彼は語る。彼の家には代々不死の使命が伝えられている。不死は呪いではなく使命の徒であることの証。そして北の牢獄には古き神々の地、ロードランへと至る道がある。そしてロードランに存在する二つの鐘を鳴らし、不死の使命を知れ、と。

 

「どうして私に?」

「……残念なことに、私はもうじき死ぬ。死ねばもう正気を保てないだろう……。……引き受けてはくれないか。君にしか頼める相手はいない……」

「私は……不死であると同時に呪術師でもある。それでもいいの?」

「構わないさ。それに私のような不死も嫌われ者なのだ。呪術師であることぐらい私は気にしない」

 

 よほど大切な使命なのだろうと思う。それは彼の様子を見ていればわかる。

 彼女は悩む。が、さほど長い時を掛けずに答えを出した。

 

「いいよ、引き受ける。貴方は私を助けてくれた。そのお礼」

「そうか……よかった。これで希望を持って死ねるよ……あぁ、そうだ。これを君に」

 

 何やら緑色のビンのようなものと一つのカギを差し出される。

 

「この先に進むための鍵。それと不死の宝、エスト瓶だ……もう行ってくれ。亡者となって君を襲いたくはない」

「ん、ありがとう。……おやすみなさい」

「あぁ……」

 

 彼女は背を向ける。そして視界の端で彼が剣を持ち上げている光景をとらえる。

構わずに歩を進める。

 そして……数歩進み、彼の騎士が見えなくなったとき、ザシュ。と言う肉を絶つ音が遠くから聞こえた。

 それは彼の騎士が自害したことを示す音。持ち主を失ったソウルが、もっとも近くにいた自分の身体に取り込まれたことを感しる。

そして一歩。前へと歩を進めた。

 

 それが、不死の英雄の物語のプロローグ。

 絶望に満ちた旅路へのプロローグ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すでに夜遅い時間。夜空には星と月が美しくきらめいている。

 聖ウルスラ医科大学病院。ここはそのように呼ばれている病院だった。かなり大きな病院であり、医療技術が発達しているレミフェリア王国の支援を得ていたりするため、医療に関しては最先端を行っていると言ってもいいだろう。

 

「ふわぁ……」

 

 そんな病院の出口から一人の女性が出てくる。ピンク色の清潔感のあるナース服を身に纏っているところから彼女が看護師であることが見て取れた。

 その女性の名を、セシル・ノイエスと言った。年は現在十六。新人の看護婦だ。

 

「さすがに眠いわね……」

 

 この夜遅くまでずっと仕事をこなしていた彼女は目をこすりながらそんなことを呟く。

早く寮に戻って寝てしまおう。そんなことを思いながら歩き出す。

そんな彼女が不死の英雄の物語に巻き込まれたのは必然なのか偶然なのか。ただ、この時間、この場所にこなければそれを目撃するのは彼女ではなく、別の誰かだったということは確かなのだろう。

 最初の異変は光だった。

 

「あら……?」

 

 ─なんか……光ってる……?

 

 病院の少しはずれでは川と隣接しており、そこでは小さな池のかのような空間が存在している。その手前には花壇やベンチなどが設置されているために、ここの職員が休憩に来たり、時たまサボりに来たりするような場所だ。それ以外には何もない場所。なのに、そこからなにかが光っているのが見える。

セシルの心中では、未知の体験への好奇心と恐怖。そして睡眠欲といった、それら三つの感情がバトルロワイヤルを繰り広げる。やがて好奇心が勝ち残ったらしい。その発光している場所に近づき、セシルは発光原因を見た。

それは何らかの幾何学的で円の形をした白い紋章だった。例えるのなら、召喚魔法などに使われてそうな魔方陣と言ったところか。

そして、それが起きたのは次の瞬間だった、

 

「……ぁ……え?」

 

 その魔方陣のような物から「それ」は現れた。

 立っていながらも目は瞑られている。

 全身を灰色でボロボロなフード付きのコートで身を包んでいた。フードは外れており、全く手入れされていないのであろうボサボサで長い黒髪が背中に流れている。

 年齢のころは9、10歳と言ったところだろう。

 右手には何かの生物の甲殻のような素材で作られている剣が握られている。

 つまり、要約するとだ。

 

「女の子……?」

 

 と言うわけである。

 さらに具体的に言うのならば、突如魔方陣のようなものが出現。そこから幼女とすら言える女の子が全身ボロボロな身なりで登場、だ。

 そして、そのセシルの脳内に混乱と言う嵐を巻き起こしている張本人は、ゆっくりと瞼を開く。それと同時に彼女が出てきた魔方陣も薄くなっていき、それに伴ってあたりをうすく照らしていた光も消え去った。

 そして少女はキョロキョロと首を動かし、あたりを見渡す。前、右、左、上、下。最後に上半身を捻って後ろ。

 

「……ぇ?」

 

 後ろに向けた視線を前に戻しながら小さく呟く。

 

「なに……これ」

 

 表情に大きな変化はない。が、その声の声音から、いま彼女が驚きや混乱といった感情を持っていることは分かった。

 セシルはそんな少女を見、何はともあれ話さなければ始まらないとばかりに、少女に声をかける。

 

「あなた……大丈夫?」

 

 そんな声に少女の視線がゆっくりとセシルへと向けられる。そしてわずかな間が開いた後、少し目つきを鋭くさせる。

そして次の瞬間。セシルの喉元に一本の剣が突きつけられた。右手に持った何かの生物の甲殻で作られたようなわずかに反りのある曲剣を。あと少しでもそれを動かせば確実にセシルの命を刈り取るであろう距離にまで。

 

「……誰。これは貴方のせい?」

 

 ただ、それでもセシルに恐怖はあまりなかった。

 怯えと混乱と。

 少女の目がそれ一色で染まっていたから。少女の見せる姿勢が虚勢だとすぐに理解できたから。

それとただ単に相手の身長的にこちらが見下ろす形だったし、相手が何とも可愛らしい顔立ちをしていたせいで迫力がまるでなかったのも恐怖を和らげている要因だった。

 

「大丈夫。私は貴方の敵じゃないから。安心して?」

「……そんな事聞いてない。質問に答えて」

 

 そう言い、そのままの態勢で少女は静かにセシルを睨む。が、セシルが動じず、小さく安心させるかのように微笑をも浮かべる様をみると、軽く息を吐いてから剣を下した。

 背を向ける。

 

「ごめんなさい、いきなり剣を向けてしまって」

 

 そう言い、彼女の背中が遠ざかっていく。セシルはその背に声を掛けた。

 

「どこへ行くの?」

「……剣を向けたの悪かった。でも、その質問に答える義理はな……ぁぐ!?」

 

 突如、その少女から全身の力が抜け、こと切れたようにばったりと倒れる。倒れながらも苦しそうなうめき声をあげる。

 

「ちょ、大丈夫……!?」

 

 慌ててその少女を抱きかかえる。

 そこで初めて気づく。その少女の体のいたるところに、痛々しいほどの火傷や切り傷が刻まれているということに。

 全身を包む黒衣で気づかなかったが、こっちも血でぐっしょりと濡れていた。

 どれぐらい酷いのかと聞かれ答えるのならば。すこし医療に詳しいものならこう答えるだろう。

 

 普通の人間ならいつ死んでもおかしくないレベルの怪我だろう……と。

 

「大変……! 急いで治療しないとっ……」

 

 命を奪われかけたというのにそのようなことを言えるセシルと言う人物はかなりのお人好しなのだろう。

 一時的に睡眠欲が完全に吹き飛んだセシルは、いったん病院に運ぼうと判断を下し少女を抱きかかえて走り出す。

 

 

 

 

 

 

 

 意識が覚醒へと向かう。視界は瞼が閉じられているために真っ暗だ。頭を除いた全身を包んでいる温かく、いつまでもこうしていたいと思わせるような心地よい感触は布団だろうか。

 そんなことを思いながら目を開く。

 そんな彼女の視界に最初に映ったのは白だった。正確に言うとすれば真っ白な天井だ。

知らない場所だ。少女は何故こんな所にいるのかという疑問を解消すべく、記憶を遡りながら、状況確認のために上半身を起こす。

 

「ぐぁっ……」

 

 が、その途中でものすごい激痛が体中を奔り、体を起こす作業を中断。再びベッドに倒れ込む。しかし、そのショックのおかげなのか徐々に記憶が鮮明に蘇っていく。

 

─確か……タスケテって声が頭に響いて……

 

 ─気づいたら変なところにいて……いきなり近くにいた女に声かけられてびっくりして剣を突きつけて……

 

 ─悪いことした……かな

 

 そう思いながら次に自分の身体を見る。……いつも愛用している「ボロ布のローブ」は脱がされ、白く清潔な服に着替えさせられている。それと「薪の王グウィン」との戦いで負った傷の治療も施されていた。いたる所に包帯が巻かれている。

 そうやって自分の置かれている状況を確認していると、女性の声が響いた。

 

「あら……もう目が覚めたの?」

 

 声のした方へと身体を震わせながら顔を向ける。そこには先ほどの女性が立っていた。

 

「すごいのね……あれだけの怪我なのに一日で目が覚めるなんて……」

 

 何かつぶやいていたが関係ない。彼女は警戒のために、条件反射的に武器を手元に取り出そうとする。……が、その途端、体に奔った全身への激痛によってその行為は断念せざるをえなかった。

 

「いっつぅ……」

「あ、まだ動いちゃだめよ。酷い怪我なんだから」

 

 近づき、少女の事を寝かしつけようと体に触れてくる。

 少女はその行為に顔を強張らせたものの、少しでも体を動かすと体に激痛が走る。仕方なく抵抗することを諦め、びくびくしながらも再びベッドへと横になる。

 人は学ぶ生き物であり、彼女は動くと体に激痛が走ることを学んだので一旦、おとなしくベッドに寝転がる。そんな彼女にセシルが声をかける。

 

「あ、自己紹介がまだだったわね。私の名前はセシル。貴方の名前を聞いてもいい?」

「……サヤトレイ」

「ふふ、いい名前ね」

 

 と言ってセシルと名乗った女性はにっこりと笑う。

 セシルの浮かべる満面の笑みから、サヤトレイはなるべく自然な動作を装って顔をそむける。ロードランの変人、奇人とばかり関わってきたサヤトレイからすると、この純粋な笑みはどう対応するのが正解なのかが解らなかった。どう反応していいのかわからない。なに、笑えばいいの?笑顔を浮かべればいいの?……無理だ。と即座に判断する。サヤトレイにとって笑顔を浮かべるという行為は難易度が高すぎる。オーンスタインとスモウのコンビを一人で無傷で倒すぐらいには難易度が高い。要するに不可能に近い神の所業だ。

 

「ええと……それじゃあサヤトレイちゃん。あ、長いしサヤちゃんって呼んでいい?」

 

 何言ってんのこいつ? とか思いながらも比較的どうでもいい事だったので適当に相槌を打つ。

 

「……勝手にすればいい。ねぇ、貴女」

「なに? サヤちゃん」

 

 思った以上にちゃん付けがこそばゆく、呼び名にOKを出してしまった事に若干後悔を覚えたものの、それを内心に隠しながら問いかける。

 

「……ここはどこ?」

 

 ここは彼女の居た世界、ロードランじゃない。それはすぐに分かった。

 ロードランとは古き神々が眠る地ともよばれ、選ばれた不死のみが巡礼を許される。そこが彼女の居た場所だ。

 しかし、ここは明らかにロードランとは違う。そう思った要因の一つはこの場所だ。白くて清潔。無数の亡者や化け物が暴れまわっているあの地ではそれだけでも十分にありえないものだ。

 だからここはロードランではない別のどこか。たぶん人の世界のどこかだろうとは思う。アストラかヴァンハイムか。そのほかにも有名な国を脳裏にあげながら彼女の返答を待つ。

 

「ええと……聖ウルスラ医科大学って言って分かるかしら?」

「……? アストラ、ヴァンハイム、カタリナ、ソルロンド、カリム、ゼナ、大沼。その内のどこにある?」

「え、と……それは国の名前なのかしら?」

「な──っ!?」

 

 全く聞き覚えのない。そんな様子の彼女に内心でありえないと叫びを漏らす。今あげた国はどこも有名な大国だ。一つも知らないというのはおかしすぎる。

 嘘ついてないだろうな? そう思いながら彼女を睨む。が、数多の変人奇人と関わってきたがゆえに養われた観察眼を駆使しても嘘をついている様子はなかったので、自分の直感を信じたうえで自分の現在の状況を推理する。

 ここはロードランではない。さらには人の世でもない……そう考えるのが妥当だろうか。ならば今自分がいるここはどこなんだ? と脳味噌を働かせる。

 

 ─……そういえば。

 

 考え、ふと思い出す。

 ここに来る前、あの場所で脳内に響いた「タスケテ」と言う単語の次の文。

 召喚されています。という文の事だ。

 ロードランでは召喚と言うのは日常的に行われている物で、さして珍しい事ではない。ロードランは時空の流れがめちゃくちゃになっており、個人個人の世界が存在する。無数の平行世界が存在していると言えばわかりやすいだろうか。

その垣根を「霊体」と呼ばれる状態になって飛び越え、互いに助け合うのが召喚と呼ばれる物だ。だが……普通はその召喚も、別の平行世界の同じ場所に召喚される。例えばサヤトレイが召喚前にいた場所は最初の火の炉と呼ばれる場所だ。だから召喚されれば別の平行世界にある最初の火の炉にたどり着く。

 でも……と召喚直後のここに連れてこられる前の、目の前のセシルとかいう女に剣を突きつけた時の周りの風景を思い出す。どう考えてもあの殺風景な場所とは似ても似つかない。

そこからわかる事と言えば何らかの異常事態が発生したせいで、こんなところに召喚されしまったという事ぐらいの物だ。そう考え次に、どうして? という部分を考えるが、すぐにこのことに関しての思考を放棄せざるをえなかった。情報が少なすぎて何も浮かばない。

 何がどうなってる……そんなことを内心で呟き、ため息をつく。

 

「……大丈夫?」

「平気」

 

 適当に返答を返しながら、彼女は元の世界に戻る事が出来る道具、決別の水晶を取り出してみるものの、何の反応もない。その事実を確認した彼女は、やはりと言う思いと共にそれを仕舞う。

 

──とりあえず、帰れそうにはない……かな……。

 

 というより帰り方が解らない。召喚されたとき帰る方法の一つは決別の水晶を使うことなのだが、この方法はたった今使う事が出来ないと確認できた。

他には召喚された地の主を倒す、もしくは召喚主か自分が死ぬかの二つだ。前者はそもそもこの地の主が解らないので却下。そして死ぬのも却下だ。不死ゆえに死んでもどうせ復活するとはいえ死にたくなんかない。死ぬときの痛みは死に方にもよるが、どれもものすごく痛くて気持ち悪い。

 一番嫌だった死に方は最下層の最奥にいた貪食ドラゴンに丸呑みされたときだ。腹にあたる部分に存在した巨大な口で、何度も何度も入念に噛み砕かれて飲み込まれて消化された。心が折れそうだった。そして復活した後はどうやって生き返ったのかしばらくの間、頭を悩ませたものだ。

 まぁ、それは思い出しても気分はよくないので頭から追いやり、どうにかして帰る方法探さないと……と考え、ふと気づく。

 帰るあてがないという事実に対し、特に落ち込んだりしていない自分にだ。

 なぜだろう? 考えてみる。が、その結論は殆ど時間をかけることなく出た。考えれば簡単なこと。

 

──そもそも帰りたいなんて思ってない……か。

 

 そんなひどく単純な理由に思い至り、自分でもよく分からないぐちゃぐちゃな感情が芽生えた。

 



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平和で退屈で特に嬉しくもない平穏

 エタった? と、思わせておいてからの不意打ち的更新。相手は死ぬ。


 セシルはその両手に昼食の乗ったお盆を持ち、白くきれいに掃除された病院の廊下を歩いていた。 お盆に乗っている食べ物は白米、味噌汁、漬物などのシンプルな物だ。味は正直に言えばあまり保証できない。はっきり言って不味い。その代わりと言わんばかりに、栄養バランス等はキッチリと考えられているので体にはいい。良薬は口に苦しと言うやつかもしれない。違うかもしれない。

 そんなことを思いながらセシルは今から訪れる患者の顔を思い浮かべる。

 名をサヤトレイと言う名の少女だ。

 この間は驚いたわね。と、セシルはそんな感想を抱く。何せ疲れて部屋に戻ろうとしたところに突如血まみれの女の子が見たこともない登場の仕方をしたのだ。

 驚いたのはそれだけではない。その後も驚きの連続だった。

 まず、異常なまでの回復速度。あの後先生を呼んで容態を見てもらった結果、全治一か月はかかるだろうという医師の判断した重症だった。全身のいたるところに火傷を負い、まるで焼切られたかのような切り傷も多数。骨も数本イっている。むしろ何で生きてるのこいつ? と言うか何で普通に喋れてるの? 痛みでショック死できるレベルの怪我だぜ? とでも言いたくなるような酷い有様だったらしい。

 それがだ、一週間ほど過ぎた現在。傷口のほとんどは塞がり、火傷の後もほとんど消えかけ、ほぼ完治とさえ言える状態にまで回復している。それでもいまだ退院していないのは念のためだ。前例が全くないので、そこらへん少し慎重になっている。五日後ぐらいに退院できるとのことだ。

 そして驚いたこと二つ目。彼女の着ていた衣服の事だ。見た目や手触りはただのボロ布にしか見えないのにこれがまた異常なまでに丈夫なのだ。どれほどに丈夫なのかといえば、この間セシルはその衣服を洗濯しようとしたら穴が開いていたのを見つけた。で、基本的におせっかいと言うか優しいセシルは、それを縫い直そうと裁縫用の針を布に通そうとした。そしたら針が折れた。布の分際で針の侵入を防ぎやがったのだ。あれは布の形をした別の何かだ、絶対。

 そんな過去を振り返り、色々と謎な子よね。と思いながら歩くとやがて目的地へとたどり着く。

目の前にあるのは一つの病室の前であり、その個室の主の名前が書かれているプレートにはサヤトレイと記されている。そのドアを二度ほどノックした。

 少しそのまま待って見る。しかし一向に中から返事がきこえることはない。

 いつもの事だった。

 

「はいるわよ?」

 

 そして、そう一方的に告げ、部屋の中へと入って行くのもいつもの事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──帰りたくない。

 

 それがサヤトレイの本心だった。

 あそこは彼女にとって苦痛を与える場所でしかない。

 すべての生命の源であるソウルを狙い襲い掛かってくる化け物や、理性の崩壊した不死の成り果てである亡者。それらに何度も殺し殺される日々。

 友人や大切な人はいないのか。答えは否だ。ほんの数人、片手で指が事足りるぐらいの数少ないものではあるものの、過去には確かにいた。しかし、それらはすべてが亡者となり、全員が彼女の前から消え去った。

 

 

 

 サヤトレイは割り当てられた病室のベッドに寝転がっていた。窓から差し込んでくる日光は思わず両手を広げ、太陽万歳と言いたくなるぐらいに気持ちがいい。しないけど。

 時刻はちょうど昼時。ぶっちゃけ暇だ。が、かといって暇をつぶす何かをする気力もない。そんな実に無駄な時間を過ごしていた。

 この世界に来てから一週間の時が過ぎようとしている。あの夜のあの後、セシルが医者を呼び、その医者の診察を受けた。全身の至るとこに火傷、切り傷、骨も数本折れてると言われ、重症どころか「何で生きてるの? というか何で普通に喋れてるの? 下手すりゃショック死するレベルだぜ?」とでも言いたくなるような……というか実際に医者に言われた。それほどの怪我だったようだ。

 が、だ。グウィンの大剣によって火傷を負っていた自分の左腕を見る。そんな怪我があったように全く見えない。むしろついこのあいだ無理やり風呂に入れられた事もあって、いつも以上に綺麗な肌だった。ちなみに風呂は気持ちよかった。今度は一人でゆっくり浸かってみたい。

 それはともあれ、すでにほぼ完治状態なこの回復力は、この世界の常識で言えばはっきり言って異常と言ってもいいほどのものらしい。

 しかしそれは、彼女にとっては当然のことでもあった。

まず前提として、あの世界に存在するありとあらゆるものはソウルと呼ばれるもので構成されている。それは人や不死の身体も変わらない。

 それを利用し、彼女を含めた不死達は数々の化け物を殺して奪ったソウルを自身に取り込み、自身を構築するソウルそのものを強化してきた。それは人の身体の作りそのものを作り変えているようなもの。

 とある不死は、筋肉もまるでついていない細い腕にもかかわらず。巨大な特大剣を軽々と振るう化け物じみた筋力を持つ体に進化させ。

 とある不死は、人の身体とまるで変わらない姿でありながら、心臓を一度貫かれたぐらいでは死なない生命力をもつ化け物へと進化していき。

 とある不死は、脳味噌のつくりまでも進化させ、凡人には理解できようもない複雑な魔法の原理を理解し、使いこなせるような理解力……理力を手に入れ。

 結果。最初の内は普通の人と変わらないが、ロードランで過ごす不死は何時しか文字通りの意味で「人間離れ」していく。いやまぁ、不死であるという時点で人間離れしていると言えるのだが。

 つまりだ。今の彼女の身体はたとえ瀕死レベルだとしても、時間が経てばすぐ直ってしまうほどの身体なのだ。エスト瓶を使えば一瞬での回復も可能なのだが、この世界でエスト瓶の補充が出来るあてがないので今は温存している。

 まぁ、今はそのことは割とどうでもよく。

 

「……これから、どうしようかな」

 

 ここ数日、あまりに暇すぎて何度も考えていることを再び考え始める。

 そして言葉はそのままの意味だ。火継ぎの使命はもう終わった。だからもう、やる事がない。

 普通の人間であればやる事終わったら帰るべき場所に帰るのだろう。家とか、家族のところとか。 しかし、不死となり家から出たのは気が遠くなるほどに昔の事なので家がどこにあったか覚えていないし、そもそもここは異世界だ。元の世界に戻る方法などわからない。さらにそれらの問題をもしクリアできたとしても、自分と違って不死ではない家族はとっくの昔に死んでいるだろう。

 つまり、帰る場所がどこにもない。

 

「はぁ……」

 

 小さなため息がこの無音の空間の中に溶け込む。が、考えることはやめない。

 

「ここから……脱走してみる?」

 

 今取れる行動の一つを考えてみる。怪我はもう治った。それ故にこのような選択も取れる。医者は万が一があるかもしれないからもうちょっと入院してろ的な言っていたものの、自分の身体は自分が一番知っている。問題ないだろう。

 が、しかし。

 

「出たとして……どうする?」

 

 この世界で暮らすのは無理がある。ここがロードランではない、と言うこと以外は何もわからないのだ。そんな世界で一人生きて行くのは不可能だろう。人が生活するには衣食住が必要と言われている。そのうち、衣服はロードランでずっと愛用してきたローブがあるし、住居はまぁ、慣れてるし野宿でいいだろう。が、食料は無理だ。その道の先には餓死と言う名の死神が待っている。死なないけど。

 結局いつもと同じように、止めておこう、と言う結論が出る。入院期間は残り五日間だ。とりあえずそれまではここにいるとしようか。食料と寝床は確保されてるし。ご飯美味しいし。セシルが言うにはあまり美味しいものじゃないとか言ってたが、だとしたらこの世界の住人はどれだけ恵まれてるのだろう。羨ましい。

 

「それじゃあ……」

 

 どうしよう。悩む。あと五日間は大丈夫ではある。が、それ以降はどうしようか。

 だんだん考えるのがめんどくさくなってきた。

 ようやく終われると思ったのに何でこんなめんどくさい事になってるのだろう。このような状況に陥ったのは、なにゆえであるか。責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。

 考えつつ、手元に盗賊の短刀を呼び出す。その短刀は鍛冶屋アンドレイの手で鍛えあげられた一品だ。とても大きな種火を使って楔を刻み込んだこの短剣は、シンプルで武骨な見た目には似合わないとんでもない切れ味を持っている。

 

「これで死ねればな……」

 

 しかし、死ねない。いや、死にはするものの時間が経てば蘇る。いずれ亡者にはなるだろうが、そうなれば近くにいる人間を無差別に襲う化け物となるだろう。そうなるとまずい。理由は自分で言うのもなんだか自分はかなり強いからだ。

 彼女も、燃えカスほどの力しか残ってはいなかったとはいえ、圧倒的な力を持つ神「薪の王グウィン」を殺せるほどに体を強力に作り変えているわけで。そんな彼女が亡者化し、人を襲い始めたら文字通り人間離れしている彼女を止められるものが何人いるだろうか。しかも何度殺しても生き返るし。何という無理ゲーなのだろう。

 

 ──亡者になれば楽になれそうだけど、できないかな。

 

 致命的な一撃を叩き込む事に特化したこれを3回ほど心臓(……)に突き立てれば死ねるだろうに。そんなことを思いながら、所詮は大量殺人を刺激的にやるつもりは毛頭ないので、手で弄んでいた短刀を仕舞った時だった。この部屋にノックの音が響いたのは。

 視線をそちらへと向ける。そのままじっとしていると「はいるわよ?」と言う声が聞こえ、セシルが中へと入ってきた。

 

「調子はどう?」

「平気」

 

 そう笑顔で聞いてくる。なんでこんなに失礼な態度で接してるのにそんな顔が出来るんだろう? と思いつつも答えた。

 

「で、何の用?」

「昼ごはん、食べられる?」

 

 と言って手に持っていたお盆を台の上に置かれる。ご飯、みそ汁、漬物といった質素な物だったが、不死となってからほとんど食事をとっておらず、しかも不死になる以前はまともな食事をとれなかった彼女にとっては、まともに食べる事が出来る時点で十分にご馳走と言えるものだった。

 早速それを頂く。味噌汁を食べると言うよりも飲み干すという勢いで一気に飲み込む。完全に冷めていたが、それでも十分においしい。幸せだ。ご飯がおいしいと言うだけでこんなに幸せだとは。セシル《人》が隣に居なければもっといいのに。とも思ったがさすがにそれを口にするのは失礼だろうと心中でつぶやくだけにとどめる。

 

「ふふ」

「……なんで笑うの?」

「あ、ごめんなさい。ただ、すごくおいしそうに食べるから」

「あ、そ……」

 

 ニコニコしているセシルから、気恥ずかしくなってきたので視線をそらし、再びご飯に箸をつける。米が美味しい。こっちもやっぱり冷めてるけど。そんなことを思いながらひたすらにご飯を口に運ぶ。完全に食べることに夢中になったせいで、先ほどまで考えていたことは脳裏から吹き飛んでいた。もういい。なるようになるだろう。

 と、完全に思考停止を始めたサヤトレイにセシルが声を掛けた。

 

「ね、少し聞いてもいいかしら?」

「何?」

 

 そう答えたサヤトレイの表情は無表情だ。そこに目立った感情はない。しかし近いと言うだけでわずかながらに嫌悪感が滲み出ている。

 セシルもそのことに気づいたのだろうか。どことなく疑問顔で言った。

 

「私の事、嫌い? 何か嫌なことしたかしら……?」

「……いや、貴女だから嫌いってわけじゃない……から」

 

 うん? と言っている意味がよく分からなかったのかセシルは首をひねった。セシルだから嫌いと言うわけじゃない。人だから苦手なだけで。むしろセシルの人間性的にはいい人なのだろうなとすら思っている。

 でも、人間だからな……と思いつつ、セシルはやがて気を取り直したのかもう一度笑顔で問いかけを作る。

 

「サヤちゃんの事、色々聞かせてくれないかしら?」

「……」

「言いたくないのならいいけど……遠慮ならいらないわ」

「いや、遠慮ではない……から」

「そっか……それじゃあ、両親とか家の場所だけでも教えてくれないかしら? 帰るのは怪我が治ってからにはなると思うけど……」

「………」

 

 そんなセシルの質問にサヤトレイは無言というか無視と言うか、とりあえず最悪に近い回答を返す。気を悪くするだろうなぁ……とは思いつつも、ほかに返答の仕方が思いつかなかった。ありのままに話しても信じてくれるはずがなく、かといって適当な作り話をしようにもあまり頭の出来がよろしくない上に口下手な彼女にとってそれは難易度が非常に高かった。北の不死院で門番をやっている不死院のデーモンを直剣の柄で倒すぐらいには難易度が高い。

 セシルは無言を貫き通すサヤトレイを見て、何も聞き出せなさそうという事を悟ったのだろう。質問を変える。

 

「帰る場所はある?」

「……ない」

「そっか……」

 

 そういってそれっきり口を閉ざし、何か考え込み始める。サヤトレイからしてもわざわざこちらから話しかけようとは思わなかったので、無言を貫き、再び食事へと戻る。漬物うめー。これが不味いとかどれだけ贅沢なんだ。

 そこでふと、この世界の食事がうまいんじゃなくて、ただ単に自分がまともな食べ物を食べてこなかっただけじゃね? そんな考えに至り、過去に口に含んだ毒を取り除く苔とか、疲れが取れやすくなる草の事を思い出そうとした彼女に、考え込んでいたセシルが口を開く。

 

「ね、後で散歩に出てみない? 怪我もだいぶ良くなったでしょ?」

「……散歩?」

「うん、きっと楽しいわよ」

 

 もちろん嫌だ。なんで貴女と一緒の時間を過ごさないといけないのだ。速攻でそんな結論を導き出したが、それを口に出す前にふと思い直す。

 どうせ暇だしな。そんな単純すぎる理由だ。ここ一週間、ずっとここで寝転がっていたわけで、いい加減飽きが来ている。変わるものと言えば窓から覗く風景だけ。

 それに、ここがどんな世界なのかという事にも少しだけ興味がある。元の世界と全く違う世界なのか、いくつか共通点があるのか。いろいろなこと。デメリットとしてはセシルが一緒という事だろうか。まぁ、そのぐらいのデメリットは我慢するか。そう思いつつ。

 

「まぁ……良いよ」

 

 そう答え、サヤトレイは心から嬉しそうに微笑むセシルの顔を見た。

 

 



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