努力は正論に他ならず (生野の猫梅酒)
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神様転生/痛みの始まり
誰だって分不相応に天狗になれば、それまで持っていた良さを失ってしまう。向上する意志を失い、ただ誰かに威張り散らして現状維持の沼に溺れるだけ。むしろ他人から白い目で見られ、愛想をつかされてしまう始末となれば傲慢さなど毒でしかないだろう。向上心は生きていくうえで大事な要素に他ならない。
小さな幸せを噛み締めてその日その日を生きていく。相手への敬意を忘れず、さりとて自分もまた昨日よりほんの少しだけ立派に生きて、積み重ねていくだけでいい。時には心が折れて堕落することもあるはず。だけどそれこそ人間なのだから、ごく一握りの
──いったいどうして、私は選ばれてしまったのだろう。
──いったいどうして、私は望んでしまったのだろう。
──いったいどうして、私は生まれてしまったのだろう。
答えなんて分からない。
でもすべての始まりは、あの日に出会った神様なのは間違いないから。
きっともう、どうしようもないのだ。
◇
「すまなないが、おまえさんは死んでしまったんじゃ。お詫びに望みの世界に転生させてやろう」
「……はい?」
告げられた言葉は青天の霹靂、ハッキリ言って気でも狂ったのかと思った。
ついさっきまで家を出たはずに、どうしてこんな真っ白い何もない空間に居るのだろう。前後関係がさっぱりなうえに急に変な事を言い出した老人のせいで混乱しかしない。というかどちら様だろう?
戸惑うこちらを見て、老人は「ふむ……」と何やら納得してから改めて語り出す。
「順を追って説明すれば、おまえさんは神であるわしの手違いで『死ぬはずでない時期』に死んでしまったのじゃ。とはいえそれも不憫な話だからの、こうしてお詫びに転生させてやろうという訳じゃ」
「死んだ? 私が? え、まだ25歳なのにですか? いったいどうやって──」
「家を出た直後に空から植木鉢が降ってきて即死じゃ。きっと近くの高層ビルから落としてしまったのじゃろうな」
「えぇ……そんなのあります?」
死んだという実感がないせいか、他人事のような感想しか出ない。というか植木鉢を落とした人も可哀そうに、私のせいで警察のお世話になる羽目になりそうとは。いや、この老人の言ってることが本当なら私の方が被害者のはずなんだけど。
というか神と言ったか、この老人。つまりこれってテンプレ的な神様転生なのでは?
「本来ならありえない。だからそれがわしの手違いなのじゃ。で、なにか望みの世界に行きたいとか希望はあるかね? なんなら生きやすいように特典を付けることも可能じゃが」
「と、急に言われましてもね。普通に元の世界へ戻るのは? 家族とか友人とか居ますし……」
「それはすまんが出来ない相談じゃ。死者を同じ世界に戻せば秩序が乱れる。そういうルールなのでな、申し訳ない」
深々と頭を下げられたらこちらが恐縮するしかない。神様といえど出来ないことはあるのだろう、きっと。
しかしそうなると、私はどうすれば良いのか。家族も友人も残したまま、ようやく社会人になりたての女は一人寂しく世を去った訳で。やり残したことなんて無数にある。そもそもアパートにある”
「不安や心配があるのは当然分かる。だからこちらとしても悪い様にする気はないし、上手く転生先でも馴染めるように配慮しよう。あるいはここで満足というなら、すべてリセットして輪廻へと戻る選択肢もあるが……」
「あ、いえ、それはちょっと待ってください。やりたい事もありますし、転生とかいうのも気になります」
「ほう、それは結構じゃ。希望があるなら遠慮なく言ってくれて構わない」
死んでしまったこと自体は悲しいし不安になるが、
生前にドはまりした燃えゲーで言われたように頭をしっかり切り替えて──待てよ、それなら。
「転生先って本とかゲームとか何でもありなんですか?」
「勿論じゃよ。全ての世界はどうにせよ、”何処か遠くで実際に存在する世界”なのじゃから。希望さえあればそれに合致する世界を発見しておまえさんに提示する、それだけじゃよ」
「なら、私は──」
どうしてもやりたかったけど、荒唐無稽だからと諦めた夢がある。
でもこの神様とやらがその夢を叶えてくれるというのならお誘いに乗ってみるのも良いかもしれない。
「新西暦、シルヴァリオの世界に行きたいです! アドラー帝国に生まれてみたいです!」
「お、おぅ……少し落ち着いたらどうじゃ? 焦らんでも話は聞くからな?」
「あ、はい、すいません……」
深呼吸して冷静に。いつものように限界っぷりを見せつけても相手は困惑するだけだ。
そう、すべては”勝利”をこの手に掴むため。もし大好きなゲームの世界に自分も参加することが出来ればこんなに楽しくて素晴らしいことはないだろう。高鳴る期待を抑えようともせずに神様の反応を待つこと数秒、
「うむ、問題はないな。お主の望んだ世界は西暦2500年代に文明が一度リセットされ、その後に新西暦として新たに文明が築かれている世界で相違ないな?」
「そうですそうです、そして新西暦1000年代くらいに生まれられれば文句とかありません!」
「一転してすごい食いつきじゃの……まあ良い、ならばその願いを叶えてしんぜよう」
自嘲するように「元々わしの失態だしの」と神様は言い、次いでこちらに手をかざした。
「何か欲しい特典あるかの? 無ければわしの方で勝手につけておくが」
「うーん……どうしよう」
すごいチート能力で無双したい! なんて欲望は正直ない。バトルがメインの作品だから死ににくい方が当たり前に便利ではあるけど、一般人がチートを貰って即座に最強、なんてなる訳がないのだし。むしろそういう慢心は負けフラグだ。
正しいことは痛い事であり、それを忘れず謙虚に生きることが出来るなら。後は多少近くで”推し”を眺めていられればそれが一番良い塩梅だろう。
「それなら『努力したら努力しただけ、必ず結果が実を結ぶ』といったのが欲しいです。自分のやりたいことに対して、それまでの足跡が無駄にならないように」
「ふむ、また変わった特典を望んできたの。わしがこれまで出会った者たちは例外なく『最強になりたい』だの『無限の魔力を与えてくれ』だの言ってきたものじゃが」
「私は別に強くなることに興味はないので。少しずつ努力を重ねて堅実に生きる方が趣味に合います」
「了解した、謙虚な人間じゃのうお主は」
そうして神様のかざした手が光、ついで私の中へと消えていく。これが特典というヤツだろう。
感覚的には何かが変化した訳じゃないが、ダメで元々である。
「というより、これだけでは神様の名が廃るわい。特別にもう一つ何かしらの特典を付けても良いが、どうするかね?」
「良いんですか? それなら……
「ふむふむ、なるほど相分かった。ではそちらも追加で特典じゃな」
同じように神様の手から光が流れ、私の中へと入っていく。
どうせ物語の世界へ行けるというなら、特別な力というのにも多少は憧れるというものだ。この世は総じてあればあるだけ良いのだから、少しくらいは欲張ってみても罰は当たらないだろう。
「さて、これで諸々は完了じゃの。後はお主を別の世界へと転生させるだけじゃ」
「何だかよく分かりませんけど、ひとまずお世話になりました。ありがとうございます」
「構わんよ、すべてはわしのミスが原因なのじゃから。もっと殴りつけるくらい太々しくても良かったろうに」
「それはさすがに……」
苦笑したこちらに対して同じように笑いながら、神様は静かに告げる。
そこで初めて、好々爺然としていた神様は超越者の如き気配へと変貌させて──
「ならば最後に神様らしく神託を授けよう、
「それは──」
「なに、年寄りの戯言じゃよ。どうかわしの言葉など忘れ、新たな生を楽しんでくると良い」
唐突に告げられたのは祝福であるはずの言葉たち。しかしその意味を咀嚼しようとする前に。
私の意識はフッと途絶えて、暗闇に落ちていくのだった。
◇
まず初めに私が転生先に望んだ世界、すなわち”新西暦”について簡単に話そう。
きっかけは西暦2500年代、日本の研究が原因で発生した
そして時は新西暦1022年。この星辰体を用いた
というのが新西暦の背景であり、ひいては始まりの作品である『シルヴァリオ ヴェンデッタ』のあらすじともなる。随分と省略したが大筋は間違ってないだろう。
生前の私はこの『シルヴァリオ ヴェンデッタ』から続くいわゆる『シルヴァリオサーガ』の大ファンであり、それはもう強く強く入れ込んでしまった。何が琴線に触れたかは多すぎて分からないが、取り敢えず登場キャラの一人である”英雄”の大ファンとなり、更に言えば作品のテーマともなる”正しいことは痛いこと”という言葉に惹かれたのは間違いない。王道を理解した上で耳の痛いところを主題とする、そんな作品性が好きだったのだ。
これが転生先を新西暦とした理由であり、同時にすべてだ。好きだからこそ自分も近くで見てみたい、関わりたいという願いは普遍的でありきたりだろう。自分で言うのも何だが凡庸な願いだと思う。
で、転生した後で何をしたいのかと言えば……まあ、決まっている。
たぶんこの作品のファンなら誰もが考えることだろうが、ただこれを叫びたいだけである。
「アドラー万歳! 総統閣下に栄光あれ!」
心の底からこの喝采を叫ぶのが、今生でスズカ・旭・アマツと名を受けた私の日課なのだから。
軍事帝国アドラーにおける
「またそれですかお嬢様……愛国心は結構ですがもう少し慎みをお持ちください」
「あ、ごめんなさい……」
もちろん屋敷でそんなことを言っていれば侍女に叱られてしまう。その度に首を竦めるのもまた日課の一部だった。根っこが小市民な女が貴族の作法を覚えるとか、どう足掻いても無理だと思うし。まあそれはともかく。
この新西暦に生を受けてから早8年──新西暦1015年において、私は
「あと十年と少し……ふふふ」
期せずして理想の立場に収まってしまったのだが、生憎と私の目的はもう少し年月が経たないと達成できない。
そう、すべてはこの目で英雄を仰ぎ、この口で英雄を讃えるために。俗に言ってしまえば”推し”がまだ台頭してないから待つしかない。というか普段叫んでる「総統閣下に栄光あれ」だって今の第36代総統ではなくその次の第37代総統クリストファー・ヴァルゼライド閣下に対して言っているのだ、今の腐り切ったアドラー帝国なんてぶっちゃけ滅んでいいと思ってる。
ただし一つだけ問題なのが、私の生まれた家も”血統派”といういわゆる腐った貴族側に所属していることだろう。もっと簡潔に表現するなら悪役令嬢みたいな、そんな立ち位置である。これはちょっとマズい。
なにせ十年後にヴァルゼライド閣下が台頭する際に、この腐敗した貴族たちは揃って粛清されるのだ。旭の家系は比較的マシな方だがそれでも没落は免れないはず、さすがに一家揃って不幸になるのを指を咥えて待つわけにはいかないだろう。
じゃあどうするのか? そんなの答えは一つしかない。
「この世は総じてあればあるほど良いのだし、神様に選ばれてめでたしめでたしじゃ終わらない……えぇ、えぇ、私も実に同感よ」
才能も努力もお金も美貌も技能も家柄も何もかも、たくさん持っている方が当たり前に強いのだから。例えば黒に近い藍色の髪と鳶色の瞳は自分でも結構お気に入りだし、これだけで他者からの印象も良くなる。美人とはそれだけで得だとこの数年で痛感した。
結論、神様転生をしてすごい特典を貰えばはい終わり、とはいかないのだ。そこで思考停止をすれば最後見るも無残な末路が待っているのは明らかで。最後は何処にも行けなくなってしまったルーファス・ザンブレイブのようにはなりたくない。
「だからまずは勉強して勉強して、アドラー帝国の研究職とか文官に就任して……そこからどうにか、旭の家が粛清されないようにしつつ英雄万歳しよう」
これが私の基本方針。
努力をすればするだけ報われるのが保証されているだから、頑張らない理由が何処にもない。なら後は夢に向かって進むのみ、今ここにない理想を描くことだけは誰にだって可能なのだから。
「たとえどれだけの苦難が待ち受けていようとも──”勝つ”のは私よ」
ふふんと笑って気合を入れ直し、今日も勉強とばかりに手近にあった書物を開くのだった。
次回からが本番となります。
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”努力”の証明/願いの
──最初の内は、笑えるくらいに順調だった。
なにせスズカ・旭・アマツの授けられた特典とは『努力すればするだけ結果が実を結ぶ』というもの。つまりやればやるだけ自らの力となるのが確定している訳で。怠けて努力をしない理由自体が存在せず、むしろより良い自分を夢想して磨くのもまったく苦にはならなかった。
勉強すればするだけ物を覚え、小難しい理屈だって簡単に吸収していく。最初は分からずとも真面目に教師の話を聞き、教科書を読み、問題を解けばいずれ内容を理解するに至っていくのだ。いわゆる挫折という二文字に直面せず、与えられた内容を時間経過でいずれ必ず覚えていく様は傍からみれば”努力の天才”の評価が相応しかったことだろう。
礼儀作法を完璧に覚えた。社会を回す経済学を修めた。
政治での駆け引きを見て学んだ。もっと基礎的に歴史や数学についても改めて学習し直した。
研究職にも就けるように旧暦以前の科学技術を調べることも怠らず。令嬢ながら軍人としても身を立てられるように身体を鍛え、剣を振った。
強欲にも幅広く手を出しておきながら実によく吸収し、私はどの
「ま、特典があるのだからそれも当然、むしろ驕らないようにしていかないとね」
などと
必死に努力したって報われないかもしれない──なんて不安から解き放たれた私は間違いなく人生を謳歌していた。他者が尻込みして挑戦しないような内容にも一直線で関わろうとし、同じ年頃の子供なら興味も持たないだろう分野にも積極的に学ぼうとする。転生者として外見より精神年齢が高いことも原因だったのだろう、私はほんの10歳かそこらで
白状するが、このときの私に与えられた賞賛の数々はあまりにも気持ちが良かった。だって前世の私はどこまでも凡庸な人間で、屑ではなかったが輝くような人間もなかったから。ありきたりに生きて、ありきたりに学んで、ありきたりな人間として過ごしていた。それが悪いとは言わないが、何処にでもいる只人でしかなかったのも事実だ。端的に言って、つまらない。
比較して現状はどうだ。賞賛の言葉は気持ち良いし、後ろめたさだって微塵もない。凡庸だった私が特別な存在へとなれることに興奮する心を止められなかった。
確かに才覚自体は特典として貰ったものかもしれない。しかしこれを活かして自らの糧としているのは紛れもなく己の意志に他ならず。そもそも努力という行い自体、やる気がなければ絶対に動き出さない歯車である。急に与えられた天才性で何をせずとも楽々すごい人間に──ではなくむしろ泥臭い努力をしているからこそ今の私があると思えば恥じるところは一つもない。
「いわゆる転生チートとかとは違うんだから……私は私の意志でもって、向上しようと努めてるのは本当だもの」
呟いた言葉に宿っていたのはある種の反抗心だ。前世でたくさん読み漁ってきたネット小説たちの中には、まさしく今の私のような状況を書いた作品も多くあった。それらは総じて”神様転生系”と呼ばれ、例外もあるが多くは『特に苦労もせずに超常の力を与えられた主人公が、異世界で最強かつ自由に振舞う』類の物語である。私はそれらの作品があまり好きではなかった。
だってそうでしょう? なんの苦労も物語もなく、努力することなんて一度もないまま。ただ与えられた力だけで調子づいて活躍するだけの輩にどんな意味があるという。心が伴わないまま力だけあったところで末路など目に見えているし、強いことと戦える心を持つことは全く別なのだから。
何より、ただ気持ちよくなるために力を振るったところで虚しくなるだけ。よって私は無双することになんて興味が無いし、むしろ克己心を忘れず自分を戒められる方が良いと感じた。この特典を貰った理由もそんなところだ。
「神様に選ばれてめでたしめでたし、なんかじゃまだまだ甘い。人生はそれからが本番なのだから」
正しいことを正しい時に行って、ただの一度も間違えない。夢に向かって進むための努力を怠らず、たとえ障害に出会っても前を向いて毅然と乗り越えろ──なんてことは根が
でも、出来ないからと諦めるのもまた違う。燦然と輝く光のような生き方は無理でも、暗い闇のように堕落すれば末路は明らか。ならば重要なのは可能な範囲で正しい生き方を貫くということであり……神様転生をしたのだからその甲斐を見せろという結論に終始する。
繰り返しになるが、この時の私は間違いなく人生の絶頂期に居た。
学べば学んだだけ脳と身体がスキルを習得し、また一つ自分を高めていく実感を抱ける。これはとても楽しいことで、
誰に恥じることもなく自信をもって学び続けた。他の努力をしている人間とも、あるいは怠けてしまう人間とも、最初の一歩を踏み出す条件は何も変わらない。やる気だけは誰しも平等に生み出せるのだから、神様転生の特典がどうだの指摘されようが「で、だから?」という話で終わると信じていた。
後はまあ、初志貫徹じゃないが「アドラー万歳! 総統閣下に栄光あれ!」とか叫んでいられればそれで良い。あわよくばいずれ台頭する鋼の英雄の傍で文官か武官として働ければ充分だと思っていた。
そのために親の反対を押し通して幼年学校、そして士官学校へと入学もしている。軍事帝国だけありアドラーでは軍人として身を立てるのが一番出世に近い。となれば、英雄を間近で見れるし家の滅亡も回避できるため一石二鳥だ。
どこまでも順風満帆だった。思い描く理想通りに生きていると思っていた。
しかし……少しずつ、ほんの少しずつ。
完璧だと夢見ていた今生の生き方に
──切っ掛けは13歳の頃、些細なことだった。
「努力すれば成果を出せるなんて、旭さんは羨ましいよな」
士官学校の廊下を歩いていたとき、ふと耳に入った言葉だ。
別に相手からすればなんて事はないのだろう。ただ友人たちとの会話の流れで私の話が出ただけ。当時の私は同期でも抜きん出た秀才として有名だったから不思議じゃないし、聞こえた限り悪意も嫉妬もなかったのを覚えている。
だからこれは純粋な賛辞であり、私は当たり前に喜んで良かったはずなのに。その発言をした人物が”努力しても中々成果に結びつかない人間”だったのが妙に心に残ったのだ。
彼は別に怠惰を良しとする人間ではなかった。むしろ実直に学ぼうとする人間だし、性格的にもこれといった欠点はなく一般的な感性を持った、本当に平々凡々な貴族の子息でしかない。ただ一つの欠点として、要領が悪くすぐには物事を覚えられない、身に付けられないというだけで。
そんな人間に羨ましいと素直に思われているのを知って……私は、少しだけ恥ずかしくなった。彼我の差は結局のところ特典の有無というただ一点、もしも特典がなければ私こそ彼のようになっていたかもしれない。この事実を忘れることなく、浮かれる自分自身を戒めようと改めて決意する。
この時はまだその程度だった。与えられた力に驕らず己を高めようと意識して終わり。そこまで気に留めてはいなかった。
けれど、ああ……撃ち込まれた楔はジワジワと私の心を侵食して止まらない。
「旭さんはすごいよ、まさに努力の人だ」
「兄さんと同じくらいすごい人だね、ボクも負けないようにしなきゃだ」
「同じ令嬢として憧れますわね。私もいっそう励まなければ」
ゆっくりと、段々と、聞こえてくる賛辞から耳を塞ぎたくなり始める。
同じ環境で学ぶ人間からの評価というのは存外に感じ取りやすく、また自身に影響を及ぼすようで……裏表のない賛辞の言葉に居心地が悪くなる。本当に私は彼らからの賞賛を受け取って良い人間なのかという疑問が、かま首をもたげるようになりだした。
あの人たちは当たり前に報われる保証など無いというのに努力をしている。もちろん腐って何もしない手合いも一定数いるが、大部分は暗闇の荒野を進むが如く手さぐりで進んでいるのだ。なのに私だけはただ一人、ランタンを持つどころか太陽に照らされ先が見えている有様。”やる気”という始点は誰しも同条件などと、恥知らずに語って良いのか疑問に思いだす。
「いいえ……違う! 違う! 能力に見合った範囲でやれることを続けているだけのこと、何を負い目に感じる必要があるのよ私……!」
だけどもまだ、私は頑なであり折れなかった。どうあれ重ねた足跡は事実だからと言い聞かせ、更に更に努力家としての自分へ没頭していくことになる。
──本当はもう、自らの卑しい本質を理解してたはずなのに。
そして目を背け続けたままに走った末路は、順当に虚しいものでしかなかった。
努力して新たな知識を身に付けることが次第に
覚えて身に付けて昇華する。何度も何度も繰り返した三つの動作に傲慢にも飽きを覚え、『時間さえあれば必ず定着するから』と効率重視で終わっていく。学んだ後の感動も何もなく
とある冥狼が「最強になれば最後、戦いなど作業にしかならない」と述べたように……『報われる保証のある努力』もまた最終的には機械的なものへと終着した。やれば出来るという理屈だけを掲げ、達成感も高揚感もないまま虚しい
なのにこの頭は、身体は、心と正反対に幾らでも知識を吸収していくのだ。少しも、欠片も、成長している実感なんて持てないというのに!
「傲慢だとは分かってる。なのにどうして、恵まれているはずなのに、こんなにも……」
……色褪せて面白くなくなってしまうのだろう。
気付いてしまえばもう駄目だ。これまでと同じ言葉を吐くなんてとてもじゃないが出来やしない。
自分の意志で向上しようとしている? ああ確かにその通りだとも、ただし感情はそこに伴わない。
見合った範囲でやれることを続けているだけ? それも当然、予定調和の努力はあらゆるすべてを”見合った範囲”に収めてしまう。
褒められたって苦しくなるのは自明の理だった。どう取り繕おうと私はズルい人間で、
でも、それなら……報われないかもしれない努力こそ正しいのだろうか?
艱難辛苦の道を歩んだ果てに報酬を掴み取った者は確かに眩く尊いものだ。ただ寝ているだけで同じ報酬を手に入れた人間と比べ、前者の方が勝るというのは万人が頷く理屈である。
だけど常人にそんな難題は出来やしない。だから手の届く範囲で頑張ろうとするし、夢を追い求めて果てのない努力を継続するなんて不可能なのだ。むしろ時には挫折し、時には実を結ばず、徒労に終わることだって多いはず。
苦労が水の泡に終わることはもちろん怖い。誰だって頑張ったならそれに見合った成果が欲しいと願うはずなのに、現実に叶った私がこんなにも痛くて苦しいのはどうしてだろう。
なら努力は
「生きているだけで辛くて痛くて苦しくて……頑張ればその分の成果が欲しいと思うのはこんなにも罪深いことなの?」
告解するように自問自答は積み重なる。
確かに私はズルかった。でも人間なら誰しもこの問題に直面するのも事実で、だけどそう考えること自体が責任転嫁のようにも感じられるから──もう前に進むことしか、出来なくなっていた。
せめて”努力を続ける意思”だけは保ちたいからと、達成感も満足感も無いまま機械的に学習し身に付ける日々。そこに名誉も自己満足も一切なく、出来てしまうから成し遂げ続けるという無情な現実ばかりが広がっていた。
なのに皮肉にも、今の私は傍から見れば誰より勤勉で真面目な人間に映るらしい。聞こえてくる言葉はどれも嬉しくなるから苦しくて、でも嫉妬や悪意に塗れた言葉は当たり前に聞きたくなくて。じゃあ無関心がベストかと言えばそれはもちろん寂しいから、どう足掻いても嫌な側面ばかりが突き付けられる羽目になる。
だからこれは、当然の末路だった。
唯一残った自発的な意志を証明するために努力を続け、それによって傷つき続ける自縄自縛の無間地獄。救いなんて何処にもない。
ああまったく……神様の授けた神託は嫌になるくらい正鵠を射ていた。
『ならば最後に神様らしく神託を授けよう、
まるで神祖のように悪辣で正しくて真っ当な言葉は、どこまでも今の私を予言しきったものだった。
事実、偉大な努力家へとなれたのだろう。なってしまったのだろう。
もはや
「私は……どうすれば良かったんだろう」
どうして、私は神様転生をすることになってしまったのか。
どうして、私は努力の価値を手ずから貶めてしまったのか。
成功したらこんなに惨めになるのなら、大人しく死んだ方が正解だったのか?
答えなんて分からない。折り合いなんて付けられるはずもない。
苦悶は尽きず、足は止められない。そうしてる間にも年月だけは悲しいくらい平等に過ぎ去っていく。
そして来る新西暦1022年──15歳の時に
つまり──最後の
正しいことをするのは辛いけど、間違ったことは当たり前に間違ってる。
その軋轢に煩悶とするのがシルヴァリオという作品たちなのです。
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努力は
私が神様から貰ってしまった特典は愚かにも
一つは『努力すれば努力しただけ報われる特典』、これについてはもはや語る気力もない。努力の価値を最悪に貶めた特典は我ながら吐き気がするが、今更返品するなど不可能である。
そして二つ目が……『
かつての私なら諸手を挙げて喜んだことだろう。誰だって一度は特殊な力、不思議な能力に憧れるもの。ましてやそれが好きな作品の能力であるなら猶更だ。私のようなサブカルにドップリの人間ならば多かれ少なかれ共感出来てしまうはず。
でも、その喜びは既に欠片も残ってない。あるのはただ『どうせこれも神様転生に頼ったズル』という想いだけ。生まれる前から定められた特典たちは滞りなく私へと牙を剥き、逃げ場なんて何処にもない。
「おめでとう、スズカ・旭・アマツ。君は紛れもなく一流の
「……ありがとう、ございます」
強化措置を終えてすぐに技術士官に祝福され、私はただ力ない感謝を述べるだけだった。
やはりというか、私の身体は
……血筋によって優れた素養を発現することは、確かにある。ましてアマツの家系は強力無比な能力に目覚めやすいのを私は知っている。だからこれは単なる偶然で、神様の特典とは関係ない──などと言い張ることはもう出来なかった。
特典通りに目覚めた優秀な
根が小物な人間はどう足掻いても小物だから変われない。過ぎた賞賛は苦しいだけなのに心地良くもあるから手放せず、まして努力すら諦めてしまえば私はもう何者にもなれない。意地はあるから怠惰な屑にもなり切れず、それがいっそう自分を追い詰める。
「夢が叶っておめでとう、理想の自分になれた感想はいかがかな? ……なんてあの神様は笑ってるのかな」
光の勇者にも闇の只人にもなりきれない。
せめて驕らず立派になりたいと願い、少しだけ欲張った果てがこれなら笑ってしまう惨状だ。悲しいくらい理想は現実に追いつかない。もちろん自殺なんて終わりは怖くて出来ないから、このまま直進するしかなかった。たとえ分かり切った破滅がその先に待っていようとも。
だから心だけが腐ったままにさらに二年が経過し……気が付けば私はエリート軍人の一人として数えられることになる。周囲が言うには家柄、能力、宿した星光に向上心のある性格、それらすべてが並外れている傑物だそうだ。まったく、笑えない冗談にも程があった。
でも、それらをすべて否定して捨て去る勇気も当然ないから──
「スズカ・旭・アマツ大尉、貴官には血統派の一員として相応しき活躍を期待する。その身体に流れる
「……拝命致しました」
よって大した起伏もないままとんとん拍子に出世していく。
血統派、つまり帝国内の腐った派閥に所属する
もちろんこれは分不相応にすぎる配属だ。つまり腐敗した人間たちにそれだけ期待されているのと同時、改革派を疎ましく思っているのだろう。目をかけてやるから積極的に
ただ、私自身は今の血統派に興味なんて欠片もない。何なら原作ファンとしてクリストファー・ヴァルゼライド閣下以外を総統閣下と仰ぐつもりも毛頭なく、近衛部隊に配属されたからとやる気が出てくる訳もなかった。むしろ現政権を打倒しようとする改革派寄りなのは間違いなく、そちらの方に就きたいと願っているくらいだ。
ならどうするか、そんなの決まっている。借り物の力ばかりな私が、初めて自分の力で道を切り拓くとすれば今この時を置いて他になかった。
「改革派の人たちに接触する、それ以外に道はない……!」
特に一般階級出身の若い軍人を中心に、ヴァルゼライド大佐を擁する改革派は急速な拡大を見せている。そこに上手く紛れ込みつつ接触して面従腹背を出来ればと、希望的に考えていた。今度こそ自分だけの力で渡りをつけて望みを果たすのだと意気込み張り切っていた。
──だからここで、再び
「やあ、貴官がスズカ・旭・アマツ大尉かね? お初にお目にかかる。早速だが、貴官が
「え……どうして……」
──何の物語もない人間に都合よく変われる運命なんか訪れない。
まるで私が動き出すのを見計らったように接触してきたのは、改革派に所属する極めて有能な男であった。
私は
そんな人物が私にわざわざ接触してきた。つまりそれは、言わずともこちらの意志を見通した上でやって来たわけで……この時確かに、内心で
「──という訳で、貴官は非常に優秀な人間として血統派に重用され始めながら、我々と志を同じくする人間だと思ったのがどうだろうか? 共にこの国を変えてはみないかね?」
「止めてください……私は、そんな凄い人間じゃない……」
駄目だ駄目だ、耐えきれない。これまでの葛藤ですら慈悲であったといよいよ痛感し始める。
どれもこれも与えられたもので飾っただけ、褒められるような要素なんて私の中に一つもない。だというのに光の
羨ましい。惨めになる。あなたは凄い。私は塵だ。
羨望と絶望が交互に入り乱れる。かつて夢中になった”人間”からの好意がこんなにも苦しいだなんて知らなかった。知りたくもなかった。原作キャラと知り合うことが出来れば嬉しいだとか、そんなささやかな願いすら木端微塵に砕け散っていく。
「ふむ、これは……見込み違いだった、という訳でもないのだろうが」
「いえ、その……申し訳ありません。思いがけないお言葉に少々、取り乱して、しまいました。そのお話、是非とも受けさせてください」
その場から勢いで逃げ出さなかったのは最後の意地が成せる奇跡だった。
一握の矜持を必死にかき集めてその場を乗り切り、私は思惑通りに改革派側の一員となることに成功する。無事に当初の目的を果たせたのだが、それが喜ばしい成り行きであったかは語るまでもないだろう。
こうして改革派にとっての二重スパイの一人になったのだが、ここでもやはり『勤勉な努力家』という虚構のフィルターが上手く働き、血統派にて私が疑われることは一度も無かった。それを呪わしいと感じながらも一方で都合が良いと感じる自分もいて、更には立ち回りをちゃっかり覚えていくとなれば恥知らずにも程がある。
「結局私はどこまで行っても中途半端……開き直ることも捨て去ることも出来ないまま。境界線すら分からないじゃない」
相変わらず達成感も何も感じないまま、機械的に学習だけして行動する。
運命は覆らない。物語は何も変わらない。きっとこのまま恵まれているはずなのに悩み続けて、そんな自分に嫌気が差して、だけども満足してはまた自己嫌悪して、飽きずに繰り返す毎日が続いていくのだろう。
根拠もなく、けれど半ば確信じみて思っていた。
「貴官と会うのはこれが初めてだな」
「あなたは──」
──燦然と輝く
「こちらの要請に応えてくれたこと、まずは感謝しよう。おかげで血統派の動きがいっそう見通し易くなった」
急に改革派の人間に呼び出されたと思えば、そこに讃えるべき英雄が居たのだ。あまりの出来事に今度こそ言葉を失い立ち尽くしてしまう。そして同時に理解した、眼光を見れば理解する。どこまでも本気で眩く雄々しくて、私が積み上げてきた努力さえ鼻で笑ってしまうような密度の努力を重ねてきた存在であるのだと。
だというのに改革派を率いる英雄は、気負いなく真摯にこちらへ向けて頭を下げた。本当に心の底から、私の協力に対して彼は感謝しているのが伝わってくる。あまりにも
それからは私に求められる役割や、
などと考えてしまっている内に、話は既に終わっていた。強張らせていた肩からそっと力を抜く。
「このアドラーに光を齎すため、貴官の活躍には今後も期待している。他に何か訊ねておくことはあるか?」
「……許されるなら、一つだけ」
大きく深呼吸して逸る呼吸を整える。
誰よりもまっすぐ努力を重ねていける光の奴隷にこそ、聞いてみたいことがあったから。
今度こそ私は勇気を振り絞って眼前の勇者と相対する。
「仮に努力が必ず報われてしまうとしたら……そのせいで努力の価値が分からなくなってしまうとしたら。ヴァルゼライド大佐はどう思われますか?」
「……その仮定がどこから出たかはともかく、報われることそれ自体は素晴らしいだろう。人間ならば誰もが夢見る理想に他ならず、否定など出来ないとも」
さらに言葉は続けられる。
「自分ではなく”
「誰かの、ために……」
「面白味のない回答で済まないが、つまりは心の持ちようだ。自分以外の誰かのために研ぎ澄ました力を使えばいい」
まるで雷霆に撃たれたように正論が心の中に響いていく。
そうだ、私はこれまでの行いすべてが自分の為でしかなかった。立派な人間になりたい、怠惰にはなりたくない、だから頑張って努力して、アドラー万歳が出来れば良いと──動機の全てが自分へと矢印の向いたものだった。
どうしてこんな基本的なことを忘れてしまったのだろう。自分がいつだって栄光あれと叫んでいた人間は、まさしく”誰か”のために戦う人間だったというのに。神様転生をしてめでたしめでたし、後は誰に恥じない立派な人間になれれば良いと、結局はそんなことばかりじゃないか。
あまりにも幼稚だった自分への羞恥と憤りが一挙に訪れ、吹き抜けていく。
ざわめいた心の最後に残ったのは、今度こそ本当の意味で誇れる自分になりたいという一念だった。
「俺は破壊しか出来ない人間だが、それでも誰かが流した涙を明日の笑顔に変えることは出来ると信じている。貴官にもそのような誇りがあるのなら、悩む必要など欠片にもないだろう」
「もし、たった今からそのような誇りを抱きたいと願うのならば……大佐は私を軽蔑しますか?」
その言葉に英雄は首を横に振り、
「いいや、する訳がないだろう。少々遅いとは感じてしまうが、恥じること無き立派な一歩だ。貴官が改めてアドラー帝国のために尽力するというなら俺はその門出を寿ごう。
だから、それでもう駄目だった。
こんな情けない私でも変われることが出来ると肯定されたから。
まだ何も始まってすらいないというのに、もう泣きそうになる心を必死に堪えながら頭を下げた。
「ありがとうございます。その言葉に、私は救われました……!」
てらいなく、真実それがスズカ・旭・アマツにとっての救いだった。
何が変わった訳でもない。ただ誰かのためにという生き方を教えられ、初歩的なことに目を向けられるようになっただけ。神様転生の特典はこれからも変わらず残り続けるし、自分がズルくて情けない人間であるという自認も消えることはないだろう。
だとしても、自分だけでなく誰かのために頑張ることで、こんな私が少しでも役に立つことが出来るのならば──
努力は
「アドラー万歳! 今後とも、あなたの栄光を願い尽力させていただきます……!」
ほんの少しは自分を認めて頑張れるのではないかと、確かに思えたのだ。
真面目だけど凡庸で、やや視野狭窄になってしまった主人公が最後にちょっとだけ救いを得たお話でした。せめて立派になりたいと願うあまり足元の大事なことを忘れてしまう、そんなイメージです。
星辰光とかは特に考えていません。たぶん万能型っぽい何かでしょう。
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