神崎さんは分かりやすい。 (バナハロ)
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プロローグ
暗号を拾った日。


投稿ペースはかなり遅れます。蘭子語マジでむず過ぎた。


 剣道をやる前は、剣に憧れていた。だってほら、カッコ良いじゃない。まず、剣と言えば居合斬りだ。腰に帯刀した刀を瞬時に抜く一撃必殺。使われる表現は大体「神速の剣」「瞬速の剣」「閃光の剣」と、速さを表現する二文字をつければ大体、カッコよくなり、その技名を口にせずに筆で書かれたような字体で背景に入れると尚、カッコよくなる。

 居合を抜きにしても、剣のカッコ良さはお墨付きだ。横斬り、縦斬り、斬り上げ、突き、どの用途でも映えるし、大振りで高威力のものを素早く行うのが良い。斬撃が飛ばせればもう言うことないよね。

 しかし、現実の剣道はそうもいかない。まず振りが小さいよね。面にしても小手にしても、手の内という手首を返す基本動作があるのだが、それに腕の運びだけで打つ。振り上げて振り下ろす、なんて真似はしないで、構えたままなるべくコンパクトに打つのだ。

 個人的な意見だけどさ、両手で刀持って小刻みに動くって一番やっちゃダメでしょ。突きなら良いよ? でもこれ相手の頭を上から両断する動きですよ? それ小さくやるとかカッコ悪いにもほどがあるでしょ。

 他にも中学生は突きが禁止だとか、引き面がダサいとか、試合開始直後の奇声とか、とにかくカッコ悪いが、何よりダメなのは今の剣道はスポーツ化しているということだ。

 何せ、防具に良い音を立てて当てれば一本なのだから。力を入れて斬る必要がない。こんなんじゃkillも出来ない。

 そんな現実のダサダサ剣道だが、その時に俺は思った。

 

「なら、俺はカッコよくなれば良いじゃない」

 

 と。幸いにも、剣道にはカッコ良い技がいくつもある。返し胴、逆胴、出小手、抜き面などだ。それらを極め、少なくとも俺はカッコ良い剣士になる。

 そう決めると共に部では浮き始めたが、俺はやめなかった。朝練の日、一緒に登校してくれなくなっても、午後練で俺が日直の日、まだ着替え終えてないにも関わらず勝手に準備体操を始められても、土日練習の日は俺だけ昼飯をハブられても決してやめる事は無かった。

 今日も、俺は部活が終わって一人で家に帰宅してからも自主練していた。竹刀を握って、家の前で素振りである。

 

「ッ……ッ……!」

 

 特に逆胴なんて滅多に入らない。相当、完璧に打たないと一本にならないのだ。これは猛練習が必要である。

 目の前に仮想敵を生み出し……例えばムカつく部長の飯島ね。あいつ三年のくせに俺より弱いからね。だから余計に嫌われてる。

 構え合っている状態から、相手の竹刀を若干、下に下げる。反動で向こうが振り上げるのを利用し、俺も竹刀を振り上げる。面を打つフリをするのだ。そのフェイントに掛かってガードしようとした直後を狙い、相手の右腹を斬り落とす。

 

「ッ……!」

 

 スピードが命だぞ、この技は。決まればこれはもう滅茶苦茶カッコ良いものだろう。とにかくカッコ良さが欲しい。せっかく人を棒で叩けるんだ。カッコ悪くしてどうする! 

 そう心に決めながら竹刀を振っている時の俺は、気が付かなかった。この時、カッコ良さを求める俺の自主練を、後ろからクラスメートに見られていた事を。

 

 ×××

 

 翌日、俺は今日も一人で休み時間を過ごす。本当はこの時間も武道場で自主練したいのだが、許可は降りませんでした。よって、図書室で本を読むしかない。前までは同期の剣道部に唆されたクラスメートがいじめに来ていたが、一寸先の読み合いが鍵を握る剣道部最強の二年たる俺に勝てるはずがない。返り討ちにして、再び孤高を手に入れた。

 その読んでいる本も、本当は借り出したいのだが、借りた所で放課後も家でも読まないからあんま意味がない。だから、休み時間に毎日通って読んでいる。

 今日もその本を手にし、パラパラと前回まで読んでいたページを捲った時だ。

 

「……なんだこれ」

 

 黒と白の変な模様の封筒が入っていた。何これ、何なのこの模様? デスノートみたいなシンプルかつおぞましい柄な……まぁ良いや。とにかく手紙のようだ。

 うーん……なんで手紙がここに? 誰かが栞の代わりに挟んでおいたとか? まぁ、なんであれ勝手に読むのはカッコ悪いな。本を読めるとこまで進めたら、元に戻しておこう……と、思ったのだが。

 

『禁忌の封書を手にした愚者へ』

 

 誰が愚者だコラ。何これ、誰宛? 「へ」って言っている以上、誰かに宛ててるもんだよね。

 ……あ、ははーん。さてはアレだな? 知らない誰かと文通したいって奴。面白いな。俺もそういうノリに乗るのは大好きだ。特にこの痛々しい文面ね。厨二病ごっこをしたいんだろう。

 なら、手にした俺も乗ってやるのが筋というものだろう。とりあえず、読んでみるか。

 

『我が名は深淵より出しブリュンヒルデ。又の名を、貴様が手にした強大な魔力の機密を知る者』

 

 うん、無理。読めねえよ。ブリュンヒルデって何。強大な魔力の機密って何。自己紹介に二行かかってんぞ。

 や、一応読むけども。

 

『我が貴様に封書を授けたのは他でも無い。貴様の刃の煌めきに膨大な覇気と神力を見出したからである。

 故に、貴様の刃に我が魔力を授け、さらなる神格への昇華させると誓おう』

 

 え、暗号? 怖いんですけど……。でもこれ、俺宛なのか? なんか「貴様に封書を授けた」とか確実に誰かをターゲットにしてるよね。刃ってのは竹刀を指してるのか? 確かに俺、剣道この学校では一番強いけど……そんな覇気と神力なんて大袈裟だぜよ(満更でも無い)。

 

『我が力を望むのであれば、貴様の封書を同書に挟む事を願う』

 

 最後はその言葉で締め括られていた。なんかよく分かんないけど……まぁ文通したいって事で良いのかな。この文面的に、こいつ男でしょ? 本当に俺に宛てなのかそうでないのかは分からないけど、とりあえず返事を書いてみようか。

 とりあえず手紙だけ抜いて、とりあえずその場は本を読んだ。

 

 ×××

 

 それから二日が経過し、再び図書室に来た。昨日、手紙を書いて置いておいたから、もしかしたら返事が来てるかもしんないからね。

 ちなみに、昨日の手紙には、簡潔に述べると「文通したいって事で良いですか? 俺で良ければよろしく」的な意味の事を書いておいた。しかし、あの文の子もまさか男に拾われているとは思っていないだろうな……。そう思うと少し申し訳ないが……まぁ、この世は二次元じゃないって事で戒めにしてくれると嬉しいです。

 さて、返事が来ているかだが……と思って本を手に取ると、やっぱり入っていた。また同じような黒と白のキザッたらしい便箋だ。

 名前はご存知の通りブリュンヒルデさん。このカタカナ、どうやって作ったんだろう。もしかして、ナンタラ神話の神様の名前かな? 

 とりあえず、中身を読む事にした。

 

『禁忌の封書に触れし者よ、まずは深淵なる闇に触れた愚行を讃えよう』

 

 相変わらず口が悪ぃな。お前から誘って来たのになんで愚行? どういう事なの? 

 

『禁断の扉に手をかけせし者よ、貴様はこの契約により、我が眷属となった。

 さて、この封書による理だが、特に定めんとする法典は無い。我が、或いは貴様が経験した聖戦を語らん場とする。

 しかし、唯一無二の禁じ手として、他者に我が封書を明かす事は禁ず』

 

 要するに……何を書いても良いけど他人に見せるのはダメってこと? 多分そういうことだよね。

 

『相違なければ、貴様の封書を同書に挟む事を願う』

 

 そこで文は途切れていた。まぁ、そういう事なら良しとしよう。そもそも見せる相手もいないし。

 また、手紙だけポケットにしまって、とりあえずその本を読み続けた。

 

 ×××

 

 さて、それから一ヶ月が経過した。あれからあの謎の厨二さんとの文通は続いた。読み解くのにググったりしたのだが、これがまぁ時間掛かるし出て来ない。「おそらくこういう意味だろう」という風に理解して返事を書くしかなかった。

 いやー……疲れたわ、しかし。毎日、自主練を終えて晩飯を食って風呂入って寝るまでの隙間時間に返事を書いていたから。

 話の内容は大した事はない。俺の剣道の話や、向こうの友達の話、お互いの愚痴や相談など、割と雑談に近く有意義なやり取りができたと思う。

 なんでも、向こうは俺の剣道にとても興味を持ってくれているようで、なんだかんだ剣道の話が一番多い。

 正直、俺と剣道について語れる人は初めて出て来たため、それはとても嬉しかったりする。

 しかし、そんな日々もこの一週間は止めさせてもらった。何故なら、今日は公式戦の日だからだ。一年に二回しかない公式戦。それも、三年生は引退なので、いくら嫌われていても尽力してやらねばならない。自主練もいつもの二倍にしたため、頑張らせてもらった。

 大会の場所は、うちの学校の体育館。地区大会なんてそんなものだ。それで勝ち上がった選手が都大会に出て、そこからさらに全国か関東へと広がっていく。

 平日にやっているから本当はダメなのだが、何人かうちの生徒が見学に来ているのが見えた。手紙の中に「応援に行く」的なことが書いてあったのだが、もしかしたら手紙の相手がいるのかもしれない。

 でも、今はそんなことどうでも良い。まずは勝つことだ。

 

「……ふぅ」

 

 さて、一回戦目。相手は他校の三年生。去年は都大会に出た人だ。さて、ボコすか。

 

 ×××

 

 個人戦は2日に分けられて、さらにその後に団体戦がある。とりあえず俺は勝ち抜いた。今日の相手は全員、秒殺。カウンターが得意な俺は、敵が面を打ってくるのに合わせて手を斬り落とす出小手という技で完封してやったわ。

 しかし、そんな俺の勝ちに喜んでくれる奴はチームの中にはいない。顧問の先生くらいだ。

 よって、解散になった後も俺は一人で喜びながら武道館を出た。まぁ、まだ気が抜けないのだが。何せ、明日の敵は今日より確実に強いはずなのだから。

 引き締めつつ武道館を出た時だ。派手な頭をした少女が武道館の前に立っていた。何故か、日傘を指している。

 俺に気づいた直後、その少女はパァっと明るくなって駆け寄ってきた。

 

「! わ、我が眷属!」

「え?」

「闇に飲まれよ!」

「や、飲まれないけど」

「そして、我が歓喜を受けよ!」

 

 そう言いながら何故か俺の手を取って嬉しそうに微笑まれてしまった。その目には涙すら浮かべられている。

 

「ちょっ、ま、待て待て待て! 誰よ君⁉︎ なんで泣いてんの⁉︎」

「な、泣いてはおらぬ! ただ、祝福されし勝利に女神の雫が溢れているだけよ!」

「泣いてんじゃん」

「な、泣いてないもん!」

 

 何これ、何この既視感! なんかこのスラスラと解読出来る感じすごく覚えがあるんですけど……! 

 ……え、これまさか……この女の子、もしかして……。

 

「……え、もしかして……君が、ブリュンヒルデさん?」

 

 何故か突然、顔を赤くし始める美少女。正直、クソ可愛いが女の子が相手だなんて思っても見なかった。ていうか、やっぱり見に来てくれてたんだ……。

 なんかもう色々と頭が混乱しているが、そんな俺の感情を他所に「如何にも!」といった感じで自己紹介を始めた。

 

「ククク、我が名は神崎蘭子、貴様が刃と共闘せし者よ。運命の扉は、今開かれたわ! (訳:初めまして! あなたと文通していた者です。これからよろしくお願いします!)」

「……あ、は、はい。桐原コウです」

 

 なんか、よろしくお願いされた。

 

 



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事務所では(1)

 その日、神崎蘭子は帰宅するのが遅くなってしまった。遅くと言っても7時過ぎくらいだが、中学生にしては遅い方だろう。

 なので、早足で住宅街を通っていると、ふと一軒家の前で何か怪しい動きをしている人が見えた。棒状のものを一心不乱に振り下ろしている。明らかにヤバい奴である。

 よって、何となく物陰に隠れてしまった。何をしているのだろうか? まさか、空き巣? だとしたら通報した方が良いのだろうか? 

 色々と考えながらも、とりあえず目を凝らしてみる。すると、よくよく見たら見覚えのある人物だった。確か、自分と同じ中学の生徒だ。いじめっこ5人に囲まれ、返り討ちにしたという怖い人。

 しかし、学年集会まで開かれた程の事件だったが、あれはいじめっこ側が悪かった、という話だったはず。

 

「……」

 

 正直、蘭子としてはあまり関わりたく無い人だったが、こうして人知れず努力している所を見ると、少し見直してしまう。蘭子は部活をやっていないが、一年通って部活に慣れ切った同じクラスメート達の部活に対する評価は大体「顧問がウザい」「面倒臭い」「帰宅部が良い」というものばかりだ。実際、部活を続けていると内申点がもらえるのでやめられないわけだが。

 しかし、アイドルとして活動している蘭子も家で自主練したり、レッスンルームで居残り練習したりする事もあるので、どちらかと言うと目の前の少年に感情移入してしまう。

 何より、だ。さっきから目の前の少年が竹刀を振っているそのフォームが、なんか、こう……とても……。

 

「カッコイイ……!」

 

 実は、蘭子も剣道に興味があった。だって剣で敵を斬れるから。逆にカッコよくない剣なんて存在しないと思うレベルだ。

 案の定、剣道部の剣はカッコ良かった。斜め上からの斬り下ろしの型(?)だろうか? それを必死に身体に覚えさせているその姿は、本当に剣を武器とするキャラクターのようだ。

 剣道についてもっと知りたい。是非、お友達になりたい。でも……あんまり知らない人、それも男の子に声を掛けるのは何処か恥ずかしかった。

 

「……あっ、じ、時間……!」

 

 寮の門限まであと少しだ。ちょうど良いタイミングで、自主練を終えた少年は自宅に戻って行く。

 とりあえず考えるのは後にして、慌てて走って寮に戻って行った。

 

 ×××

 

「で、こんな時間まで外をほっつき歩いてたと?」

 

 やはり、前川みくに怒られてしまった。この人はにゃーにゃー言う割に何故、こうも真面目なのだろうか。

 

「クックックッ……如何に我とて、刻限に間に合わなかった事に対し……」

「歳上に怒られている時くらい、その喧しい口調をやめるにゃー!」

「や、喧しい⁉︎」

 

 ガーン! と音がしそうなほど、蘭子は涙目でショックを受けた。しかし、そんな事は知ったことではないみくは説教を続ける。

 

「まったく……特に女子寮には蘭子ちゃんより歳下の子も多いんだから、ちゃんとその辺のけじめはしっかりしてくれないと困るにゃ! 真似でもされたらどうするの?」

「……すみませぇん、反省します……」

 

 闇の眷族たる所以は、彼女には何処にも無かった。ゴスロリのまましょぼくれているコスプレ好きの中学生にしか見えない絵だ。

 今度こそしっかり反省している、と見たみくは「よし」と呟いてから蘭子の頭に手を置いた。

 

「ん、反省しているなら、もう部屋に戻って良いよ」

「……はい」

 

 小さくため息をつきながら、自室に引き返した。部屋の中は、基本的には他のアイドル達と変わらないが、蘭子なりに家具や小物を置いたりしている。はい、ここのポイントは「蘭子なりに」という部分だ。

 つまり、基本的に天使やら悪魔やら女神やら魔神やらを連想するアイテムが多いのだ。

 

「はわぁ……」

 

 それらを見れば、一瞬で機嫌は元に戻ってしまうのだ。お花畑である。

 そんな蘭子の部屋の中で、本棚に手を伸ばした。突き刺さっているのは何やら小難しい語句辞典や、ギリシャ神話の何とかだの、とにかくそういう系が多い。

 しかし、元々の性格は素直で健気で恥ずかしがり屋さんなわけであって、その中には少女漫画も混ざっていた。

 その漫画の背表紙が目に入り、ハッとして一冊手に取った。そういえば、恥ずかしがり屋の女の子の話がこの中にあったはず……そう思ってパラパラとめくってみると、あった。

 その話は、図書委員の女の子が、気になる男の子が読んでいる本に自分の手紙を挟んで距離を縮める、というものだった。

 

「これだー!」

 

 みくや二宮飛鳥が周りにいたら「どれ?」となる事は必須だったが、本人的にはこれらしい。

 早速、意気揚々と引き出しから手紙のセットを引っ張り出し、文を書き始めた。これでも社会に出ているため、失礼のない文を考える事はできる。勿論、翻訳すれば内容的には失礼のない文、という意味だが。

 ランラン、と擬音が聞こえてきそうなほど楽しそうに文字を綴った後、手紙をしまって明日に備える事にした。

 

 ×××

 

 さて、翌日。早速、10分休みに図書室に向かった。が、重大なミスに気が付いた。あの人が本を読む人じゃなかったらどうしよう、と。

 思わず入り口で頭を抱えてへたり込んでしまった。打つ手がなくなった、というより自身のバカさ加減にショックを受けて。

 こんな時、他の人ならどうするか聞きたいが、男の子に手紙を出す、なんて今思えばとんでもなく恥ずかしい真似、出来るはずがない。

 これはもう諦めた方が良いのかも……と、自身の行いの恥ずかしさによりバカみたいにナイーブになってる時だ。

 自分がしゃがんで頭を抱えている横を、あの剣道部の少年が通り過ぎた。

 

「あっ……」

 

 その少年は図書室に入ると、そのまま本を探しに行く。

 き、き、来た────ー! っと、思わず目を輝かせてしまった。まさかのミラクル。やはり自身には運命を司る魔力が存在すると確信までしてしまった。

 少年の後を続くと、もう読む本が決まっている、と言わんばかりにサクサクと歩き、本棚の本を手に取って椅子で読み始める。

 瞳に魔力を集中させてその本のタイトルを覚えておく。あの様子なら、あの本を毎回、こうして訪れて読んでいるんだろう。

 

「……むー」

 

 ……こうしてみると、あの顔で竹刀を振ってるの? と、不思議になる程、華奢な顔をしていた。身長も自分と同じくらいか、少し低いくらいだ。

 あの姿からあのカッコ良い振りが行われていると思うと、中々、ギャップがある。

 しばらく待機して、自分も近くの席で本を読む。読書は嫌いではないし、こうして本を読む時間も悪くない。

 休み時間が終わり、あの少年が本棚に本を戻しに行ったのを確認すると、自分も本棚に本を戻した。

 さて、では本に手紙を挟みに行こう。なんかオンラインのやり取りをリアルでしているみたいでかなりドキドキする。

 

「……♪」

 

 蘭子の頭の中では、アメリカの架空の諜報機関が戦う映画のテーマソングが流れていた。スパイミッションのようである。

 そう考えると、文面は機密文書っぽい方が良かったのかもしれない。いや、でも自分が好きなタイプは堕天からの神託とかそういうのだし、やはり今更、後悔するのはやめておいた。

 

「よしっ……!」

 

 任務完了である。さて、後は明日の返事を待つだけだ。

 

 ×××

 

 翌日、寮で蘭子は本に挟まっていた便箋を開いた。しかし、改めて見ても困惑する。何故なら届いていた便箋は、どういうわけかピンク色のふわふわポワポワした柄の。

 それには、思わず蘭子は困惑してしまった。え、これあの人が出したの? と言わんばかりに。

 

「……我が刃となりし者の選定を見誤った……?」

 

 眉間にシワを寄せつつも、とりあえず手紙を読む事にした。図書室でも教室でも事務所でも、恥ずかしくて読む気にならなかったから。

 さて、中身は。文字を読んで、思わず蘭子は眉間にシワを寄せてしまった。

 

『ぶりゅんひるでさんへ♡

 初めまして! お手紙読ませていただきました! 私もこういう文通みたいなの憧れていたので、お返事を書かせていただきました! 勇気出して頑張っちゃうゾ☆ 的な。

 私の方こそ、よろしくお願い致します!』

 

 これを全て丸文字で書いてあるんだから、もはや面白さが伝わって来た。完全に自分の文面と真逆。間違いなく悪ノリして来ている。

 ……まぁ正直、ストイックな侍にこう言った面がある、と思えば悪くない気もしたが。

 何にしても、自分が始めた話なのにシカトするのは悪い気もする。もう少し続けようと思い、文面は無視して返事を書く事にした。

 

「……蘭子、何をしているんだい?」

「ほああああああああ‼︎」

「ひゃあっ⁉︎」

 

 唐突な後ろから声をかけられ、思わず声を張り上げてしまった。声をかけた張本人も驚いてしまい、尻餅をつく。そこにいたのは、二宮飛鳥だった。

 

「あ、飛鳥ちゃん! 急に入ってくるのやめてよ!」

「いや、鍵が開いてたから心配になって……」

 

 そこは自分の迂闊さを呪った。返事が来た嬉しさと、予想外の便箋のガラが交わって微妙にパニックになっていたようだ。

 と、そうだ。便箋。慌ててそれを机の上の本の下に隠し、改めて飛鳥に声を掛けた。

 

「コホン……我が同胞よ、如何なる用で我が車庫に参った?」

「あ、いや……夕食どうするのかなって思って……まだだったら一緒にとおもったんだけど」

「で、では参ろうか」

 

 とりあえず、誤魔化して飛鳥と共に食事に向かった。まぁ、お陰で返事の中に書くべき内容は決まった。他人に絶対に見られてはならない。それは向こうにも徹底してもらわねば。特に、友達に魅せてネタにでもされたら最悪だ。永劫の眠りを選ぶまである。

 

 ×××

 

 それから、二週間が経過した。色々なことを話して来たけれど、特に今は剣道の話が熱い。

 最初はどうなるかと思ったが、彼もこちらが剣道の話を持ち出すとノリノリで応じてくれた。今の学生剣道はダサいとか、自分はカッコ良さを求めているとか、剣道は相手と向き合って長く構えていた方が勝つとか、とにかく色々だ。

 お陰で蘭子自身にも色々と剣道の知識がついてきた。まぁ、まだにわか程度だが。

 

「……返し胴、こんな感じ?」

 

 部屋の中で、傘を振り回す。具体的には、クラウドのカウンターのような奴だ。

 いや、せっかく便利になってきた世の中だし、動画を見た方が正確にわかるかもしれない。ようつべで調べて、剣道の動画を漁ってみる。

 そこで映っていたのは、相手の面を受けつつ、そのまま竹刀で腹を掻っ捌き通り過ぎる技だ。

 

「……なるほど、一撃必殺の一撃必殺か……」

 

 確かにカッコ良い。ハマるのも頷ける。ちょっと真似をしてみることにした。

 部屋の中で中段構えをして、プロデューサーが正面から面を打ってくるのに対し……避けて捌……! 

 

「あああああ! 我が魔導書が!」

 

 傘の先が本棚に直撃し、そこから本が落下する。慌てて涙目になりながら、傘を投げ出して本を拾い、本棚に納め始める。

 という絵を、最近ドタドタとやかましい蘭子の部屋を覗きに来ていたみくと飛鳥はこっそりと眺めていた。

 

「……どう思う?」

「厨二病もあそこまで行くと手に負えないにゃ」

「そっとしておくべきかい?」

「だね」

 

 その二人の視線の先にいる蘭子は、片付けを終えると傘を元の場所に戻して落ち着いた。

 とりあえず、まだ手紙を途中までしか読んでいない事を思い出したので、続きを読む。

 

『もうすぐ大会だから、それまでに必殺技をモノにしちゃうぞ〜☆』

 

 必殺技を使う機会がある事に羨ましく思いつつも、彼はそろそろ大会であることを知った。部活がある人にとって大会とはどういうものなのだろうか? 自分達で言うライブのようなものなのか。

 しかし、剣道は個人の戦い。ライブと違い、打ち負かすべき敵がいるのだ。そのプレッシャーは、自分達とはまた違うものだろう。

 とにかく、ここは応援しておくべきだ。本人は気付いていないが、自分は何度も彼が素振りしている姿を見ている。手紙では言わないが、手の平に出来た豆が潰れて、竹刀の柄に血が滲んでいるのも知っている。

 

「……そうだ」

 

 試合の場所を聞こう。地区大会なら学校で開催されるから、自分の学校なら応援に行けるのかもしれない。そこで、本人の言う「カッコイイ剣道」というものを見せてもらわなければ。

 とりあえず、試合の日程を聞くことにした。

 

 ×××

 

 そんなこんなで、試合の日。ガッツリ平日で休み時間に抜けるか、放課後に見に行くしかないわけで。

 こういう日の剣道部は「特別欠席」というそうで、欠席しても欠席扱いにならないそうだ。ちなみに、アイドルは特別欠席にはならない。学校関連行事ではないから。勿論、学校側が情状酌量してくれるとはいえ、納得いかないものだった。

 都合の良いことに、今日の放課後は空いているため、そのままの足で体育館まで向かった。問題は、それまでに彼が負けていたら台無しという点だが……。

 

「はっ、はっ、はっ……」

 

 息を切らして開いている扉から体育館を覗き込むと、その空気は外とは一転していた。

 ピリッと張り詰めた空気、誰一人声を上げない静寂、切れ味が皆無の刃を向け合って構えている二人を中心に、審判、その二人が所属する学校、そして大会関係者、或いは保護者っぽい人達が囲んで見学している。

 

「っ……」

 

 思わず、蘭子も押し黙ってしまう程に張り詰めた空気だ。もうライブとは全く別物の緊張感。比べるつもりはないが、これはこれで過去に経験したことない雰囲気を発している。

 その中央、竹の刀を持つ二人組の名前は分からない。……と、思っていると、コートの傍に次の選手が控えているのが見えた。面を着ける前のようで、前に防具を置いてある。

 

「あっ……」

 

 小さく声を漏らした。その顔は、この会場の中で唯一、見覚えがあったからだ。どうやら、これから試合のようだ。もう片方のコートの片付けが終わっている所を見ると、おそらく最終試合なのだろう。

 ちょうど良いので、普通の剣道とカッコいい剣道を見比べてみよう。

 構え合う二人は動かない。剣先を微妙に動かし、牽制をし合う。構えが両手で持って前方に向けるスタイルなのはカッコ悪いとは思わない。クラウドもこのスタイルだし。

 だが、まぁ確かに打ち合ってる姿がカッコ良いとは思えない。小手や胴は良いけど、面を小さく振るとは何事か。斬ろうとせずに、当てに行って良い音を出そうとしてる、という彼の言い分がよく分かった。

 とはいえ、素人の蘭子には、前もって例の少年から聞いておかなければ「カッコ良い」「速い」「我が魔眼を持ってしても見破れぬ瞬撃」などと独り言を抜かしていただろうが。

 まさに「他人の言葉に影響される中学生」のような感じになっている蘭子だったが、その思考は突然の拍手によって遮られた。

 何かと思って顔を上げると、試合が終わったようだ。続いて、蘭子にとっての本命である。

 

「……っ!」

 

 ワクワクしている気持ちを必死に抑えて、次の試合を見学する。

 さっきまで顔を出していたはずの少年が、面を被ってコートに立った。胴垂れには「桐原」と書かれている。

 あれが、今まで自分が文通してきた魔剣使いの真名。目を輝かせている間に、試合が始まった。

 

「イヤァアアアアアッッ‼︎」

「……」

 

 本来、試合の始まりは気合の咆哮を放つものだが、桐原という少年は静かなものだった。対戦相手が剣先を揺らし、散らし、牽制する中、少年は動かない微動だにしない。大仏かと思うほどに動かなかった。

 そんな相手は初めてなのか、それとも予想通りなのか、対戦相手は微妙に足を動かして角度をつける。前の試合を見学しての動きなのかもしれない。

 それでも、桐原は動かない。面の下の目はしっかりと敵を追っているが。

 

「っ……!」

 

 そのモノアイのような目の動きに、対戦相手は飛び込んだ。隙だらけのようで隙のない構えに、恐れをなしたからだ。

 それこそ、桐原の望んだ動きだ。その面を軽々回避しつつ、一撃必殺の返し胴を放った。完璧な切り返しにより、腰から下を両断する勢いだ。

 腹につけている防具が打撃を弾くが、斬撃であれば死んでいる勢いだ。

 

「胴ッッ‼︎」

 

 普通、剣道の掛け声は皆、伸ばす。「胴ォオオオオッッ‼︎」といった具合だ。しかし、桐原は短く端的に宣言するように告げた。

 完璧な一撃に、審判は全員が旗を上げ、桐原を(形だけでも)応援している同じ部員は皆、拍手をした。

 ぽかんと見入ってしまった蘭子がぼんやりしている間に、二本目が始まる。二人で構えて向き合っていると、今度は即座に対戦相手が仕掛けた。

 

「メェェェンッッ‼︎」

 

 面に向けての一撃を竹刀で受け、鍔迫り合いに発展する。鍔迫り合いは単純な力の押し合いではない。引き技は基本的に一本を取りにくいため、ある意味では安置とも言える。だから、臆病な奴ほど迂闊に打って鍔迫り合いに持ち込みたがるものだ。

 しばらく近距離でガチャガチャと竹刀を小刻みに動かした所で、お互いにその場から下がる。長時間の鍔迫り合いは反則を取られることもあるのだ。

 

「……」

「……ャァアアアッ!」

 

 再び、対戦相手が仕掛けた。今度は面に見せて小手。が、それは読めていればただのワンテンポ多い小手である。

 完全に読み切っていた桐原は、その小手を手を振り上げる事で躱し、そのまま振り下ろした。見事に面にクリティカルヒットし、そのままキメに入った。

 

「面ッ‼︎」

 

 剣道をやっている人は、大体、声を上げるときにその部位の言葉を言う事は少ない。みんな「面」「小手」「胴」と言っているつもりだが、そうならないのだ。中には「パイロット」と言っているように聞こえる人もいる。

 そんな中でも短くハッキリとその部位を放つ桐原は、かなり型破りと言えるだろう。

 旗が三つ上がり、一本が決まった。この試合、桐原が振った本数は二回。無駄な振り、決まらない振りは一切ない。

 その試合を見て、蘭子は思わず見惚れた。確かに、他の人の剣道とは違う。本当に斬り合いをしているみたいだ。

 試合を終えて、コートから出る桐原。しかし、そんな桐原に声を掛けるのは顧問の先生しかいなかった。他の部員はすぐに解散してしまう。

 

「……?」

 

 普通、こういうのってみんなで喜ぶものではないのだろうか? 桐原本人も、顧問の先生に笑顔で報告していた。まるで、他に報告する人がいない人のように。

 まさか、友達がいないのだろうか? あれだけの実力とカッコ良さを持っていて。だから、勝っても顧問からしか褒めてもらえない? 

 

「……」

 

 そう思うと、少し嫌な気持ちになった。それと共に、自分の中に使命感のようなものが芽生えた。

 もう恥ずかしがってなんていられない。褒めてくれる仲間がいないのなら、自分が褒めてあげれば良いのだ! 

 勿論、身バレする事になる。だけど、それがどうした。あれだけの努力をして来たのに、褒めてくれる仲間がいないなんて、それこそ悲しい。ライブをボロクソに叩かれるよりも、誰も反応してくれない事の方が余程、辛いのだ。

 

「……よしっ」

 

 勇気を振り絞ると、とりあえず先回りすることにした。

 

 



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一心別体。

 えーっと……自分でも何が起こったのかさっぱりだけど、とりあえず説明するわ。男だと思ってた相手と女の子になって文通してたら女の子で勝ち抜いたことを褒められた。

 なんだこれ。さっぱり分からんわ。どういう状況? ていうか、今それどころじゃないんだが……明日も試合だし。

 

「さぁ、我が友よ! 我と共に勝利の晩餐へと……!」

「ちょっ、ちょっと待って。話を勝手に進めないで」

「あうぅ……」

 

 ダメだ、微妙にパニックになってる。えーっと……なんだっけ? まず話の最初から思い出そうか。俺は、ブリュンヒルデさんとやらと文通を始めた。向こうが男だと思っていたから、せめて顔が見えない間だけでも夢を見せてやろうと、女の子みたいな文面にした。

 で、なんだかんだ一ヶ月くらい続いた文通だけど、俺も剣道と読書以外で楽しいことを見出せて楽しかったし、向こうもそれなりにノリノリだったと思う。

 けど、ここ一週間は文通を打ち切った。大会が近かったから。それまでの間に応援しに来るだとか何とか聞いてたけど……というか読んだけど、正直な話、今は剣道に集中しててうろ覚えだ。

 で、とりあえず明日まで生き残った。まぁ、俺強いしね。当然よ。

 そしたら、ブリュンヒルデさんを名乗る女の子が現れ、独特の言語を持って夕食に誘われた。

 えっと……男っぽい……というか魔王っぽい文面で文通してた人が女の子で、女の文字で文通してた俺が男で……つまり、この文通には二人の男と二人の女がいた? いや、でも俺とブリュンヒルデさん以外に介入する余地の無い内容の文通だったはずだ。何せ、介入しようにも過去の送信履歴は全てお互いの元に届いている。第三者が内容を知るのは不可能だ。

 つまり……。

 

「……俺が、ブリュンヒルデさんだった……?」

「貴様……何を言っている?」

 

 割と標準語に近いな、今のは。とはいえ、口調的に不自然はないが。

 

「我は、貴殿の勝利の美酒を祝いにきた。これから、悪魔の厨房で晩餐を共にする気は無いか?」

「え、いや普通にマックとかで……じゃない。俺、明日も試合だから。気持ちは嬉しいけど……」

「じ、じゃあ明日!」

「明後日に団体あるから無理」

「う、ううう〜……!」

 

 あれ、これ俺が悪いのかな。ていうか、なんかこの子クールな子かと思ったら割とすぐに涙目になるな……。

 ふーむ……とはいえ、祝ってくれるような友達は初めてだし、向こうがそう声をかけてくれるのなら乗らない話はない気もする。とはいえ、自分の事を疎かにするつもりはないが。

 

「明後日の放課後なら空いてるよ。うちの部員はみんなで打ち上げするだろうけど、俺は誘われないし」

「……なるほど、天下無双の名を手にした故の孤高か。群れる俗物より、余程好感が持てるというものよ」

「や、天下無双って……やべっ。ちょっとうれしいしカッコ良い。俺そんな強くなってたのか?」

「か、カッコイイ……えへへ。……って、違う。貴様には我がいる。唯一にして無二の友として語らいの場を設けよう」

「え、孤高じゃなかったのか俺……」

「……〜〜〜っ!」

 

 一々、コメントしてしまっていたからだろうか。神崎さんの表情は、一気に赤くなると共に眉間にシワを寄せて目尻に涙を浮かべる。その表情のまま拗ねたように怒鳴ってきた。

 

「も、もうっ! 一緒にご飯食べるの食べないのどっちなの⁉︎」

「た、食べる! 食べるよ。あ、明後日の放課後だっけ?」

「最初から素直にそう言ってよ!」

「わ、悪かったよ……」

「全く……神格に等しき力を得ていても、やはり人間は人間か……」

 

 ……落ち着くと口調戻るんだな。なんか一周回って可愛く見えてきた。い、いや……顔が可愛いとか、好きな子ーとか、そういう話じゃなくて、こう……小動物的な可愛さね? うちにペットいないけど。

 

「じゃ、帰るよ俺。まだ浮かれるには早過ぎるんだから」

「え、も、もう?」

「もう」

 

 待っててもらって悪いけど、明日も試合なんだよ。特に明日の方が手強い相手多いんだから。どんなにカッコいい技を磨いても、勝たなければただのカッコつけで終わってしまう。負けてもかっこ良くなるには死ぬしかないんだから。

 ……うーん、でもわざわざ待っててくれたんだよなぁ。せっかく友達が出来そうなのに、打ち上げの約束だけしてすぐにサヨナラは酷いのかな……。

 うん、こういう時、カッコ良い人なら何か声をかけて行くものだよね。せっかくだし、神崎さん風に言っておくか。

 

「あー……コホン、神崎さん」

「む?」

「我が秘剣『北辰一刀流』は同じ志を持つ者との共鳴により光りを増す奇跡の流派。貴様が勝利に祈りを込めた時、我が刃の切れ味も増そう」

「……」

 

 言いながら、竹刀袋を腰に当て、先端から竹刀の柄を覗かせてそこに手を当てる。

 ……やっば、これクソ恥ずかしいわ。もう二度とやらない。大体、自分でも何言ってるのかさっぱりだったし、ただただ純粋に死にたくなった。

 これは流石に引かれたか? と思って顔を上げると、神崎さんは少年のように目を輝かせた。そんな「同志を見つけた!」と言わんばかりの表情を浮かばせたあと、嬉しさ全開でポーズを取った。

 

「クックックッ、良いだろう。我が刃よ。その力を持ってして、我が期待に応えて魅せよ!」

「……」

 

 ……なんだこれ。なんか、楽しい! 

 なんか俺は俺でノリノリになってきちゃったので、思わずやり返すことにした。

 

「良いだろう。刮目せよ、我が剣の煌めきを!」

「明日はしかと目に焼き付けさせてもらおう、貴様の円舞曲を!」

 

 アハハハ! ワルツってなんだか知んねーけどなんかすげぇ楽しい! アハハハハハ! アハハハ……ハハ…………剣道部の連中が武道館から出て来てたや……。

 

「……何してんのあいつ」

「知らね」

「今日、二年で唯一勝ち残ったからって調子こいてんじゃね?」

「キモっ、神崎さんは可愛いけどあいつはキモっ」

「それな」

 

 ……何も言い返せない。俺だけでなく、神崎さんも顔を真っ赤にして固まっていた。

 剣道部員が帰宅するまでそのままフリーズ。玄関に出てきて靴を履いて、仲良くおしゃべりと本人を目の前にして愚痴を溢しつつ、のんびりと歩いて帰宅していった。

 足音が聞こえなくなったあたりで、ようやく二人は構えを解いた。

 

「……なんか、ごめん」

「いや、別に……」

 

 謝られても困るんだけど……まぁ、うん。次からは時と場所を選ぼうな。

 とりあえず、そのまま今日は解散した。なんだこれ。

 

 ×××

 

 帰宅してからは、いつもの自主練を二倍にしてこなした後、家に入って、飯と風呂と歯磨きを済ませてベッドにダイブした。

 頭の中に引っかかっているのは、帰ってきた時の兄上のセリフだ。「何か良いことあった?」とか聞いてきた。いやあったのはトラウマなんだけど……。

 いや、まぁ良いことあったっちゃあったか。今まで、文通してた子がわざわざ応援に来てくれた上に、称賛してくれたんだから。女の子だったのは想定外だったけどね。

 

「……」

 

 なんか、不思議な感覚だなぁ。家族と顧問以外から褒められるのは中々、新鮮だ。端的に言ってかなり嬉しい。や、女の子に褒められたから嬉しいって言ってるんじゃないからね? ただ、こう……何。嬉しい。あー、言葉が出ない。こういうのなんて言うんだっけ……囲碁力? あ、語彙力か。それが少ない。

 なんか、生まれて初めてだな。自分以外じゃなくて、誰かに良い所を見せたいと思って剣道できるのは。それが良いことか悪いことかは分からないけど……。

 

「って、違う違う違う!」

 

 別に女の子の前で良いとこ見せたいとかそういうんじゃないからね⁉︎ ただ、こう……何? うん、なんだこれ。普通に……いや、もうとにかく勝つ。そう、勝つんだよ。それだけ。

 

「なんで百面相してんの?」

「ぴゃああああああああ!」

 

 背後から声を掛けられ、思わず背筋を伸ばしてしまった。ふと振り返ると、兄上が勝手に部屋に入って来ていた。

 

「兄上! 勝手に部屋に入ってくるなよ!」

「相変わらず武士みたいな呼び方するな……」

 

 だって兄貴とか兄さんとかお兄ちゃんとかカッコ悪いでしょ。一番、カッコ良いのは兄上だろ。

 そんな俺の思考など筒抜けなのか「やれやれ」と腰に手を当ててため息をついた兄上は、真顔で言い放った。

 

「良いか? コウ。カッコ良いというのは、呼び方や口調で決まるもんじゃない。大事なのは中身であり、オンリーワンである事だ。兄上という呼び方は確かにオンリーワンだが、お前が俺をそうと呼ぶには中身が足りない」

「まだカッコ良く強くなれと?」

「違う。俺達は普通の一市民の兄弟である、ということだ。二刀流じゃないのに宮本武蔵を名乗っても恥ずかしいだけだろ?」

「な、なるほど……」

「つまり、俺をどう呼べば良いか分かるな?」

「……お兄ちゃん?」

「馬鹿野郎! それは妹に呼ばれたい! 男らしくあれ!」

 

 ……面倒臭ぇな。でも言わんとする事は分かる。カッコ良くてオンリーワンで……それでいて中身が伴う呼び方……あ、分かった。

 

「兄者!」

「下の名前呼び捨てで頼む」

「ダメなの⁉︎」

「ダメだよ。兄上と同じ理由で」

 

 むぅ……まぁ、確かに下の名前の呼び捨てはオンリーワンだな。兄者の名前、珍しいし。

 

「分かったよ。レオ」

「うん、それで良い。で、どうした? 何か悩みでもあんのか?」

「え? あ、あー……」

「明日試合だろ?」

 

 まぁ、悩みでは無いんだけど……。今までカッコ良さのために剣道で勝ち抜いた方来たが、応援してくれてた子に良いとこ見せたい、と言う新たな疑念が浮かんだ。これは側から見たら女の子に良いとこ見せたい、と思わせてしまうんだろうか? という中々に恥ずかしい内容だし。

 

「安心しろ、コウ」

「え?」

 

 まだ何も言ってないんだけど。どうしたのこの人。

 

「お前のカッコ良さを求めた剣道は必ず強豪校にも通用する。何せ、この俺が師匠なんだからな」

 

 そう言うレオは、カッコ良さにカッコ良さを求め、大きく振りかぶって面が必殺技である。その速度は一般的な面打ちの性能を遥かに超えていて、出鼻小手も狙えないし、返し胴を打とうにも威力が高すぎて受けた竹刀を叩き落とすなど、中々にイカれたカッコ良さを手にしている。

 ちなみに、その面打ちを教わろうとしたら「必殺技はオンリーワンがカッコ良いからダメ」と断られた。

 

「……ありがとう、レオ」

「ああ。不安に思うことなんてないから、心配すんな!」

「おう!」

 

 的外れだが、お陰で吹っ切れた。そうだ、他人の目なんか関係ない。俺もレオも、自分がカッコ良いと思って剣を振ってきたんだ。

 ならば、神崎さんがなんと言おうと関係ない。俺は俺の剣道をやるだけだ。……でも褒めてくれると嬉しいな。

 そう心に決めて、とりあえず明日に備えて眠る事にした。

 

 



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心と体の成長は人それぞれ。

 翌日、努力は実を結ぶ、という奴だな。決勝まで来たわ。相手は強豪校の三年。まぁ、強豪って言っても地区の中でも強豪、なんだけどね。

 俺が剣道に力を入れ始めたのは去年の新人戦で負けてからだから、それまでの間に俺の情報を他校が入手する事は不可能。練習試合でもBチームだったから、あまりマークされてなかっただろうしね。

 従って、今の俺は他校にとってとんだダークホースなわけだ。

 

「ふっ、ふふふっ……」

 

 注目されている……何という、何という心地よさ……! ふっ、カッコ良いとはこういうことだろう……。うちの部の連中はかなり悔しそうに俺のこと見てるし。そこで指を咥えて見てろバーカ。お前らとは努力の結晶の大きさが違うんだよ。

 軽く跳び、両手足をプラプラと振ってリラックスしていると、向こうの監督が選手に何か話していた。多分、今までの試合を見てきた感想から、俺の対策を伝えているのだろう。ああ、これはこれで心地良いな……。

 

「桐原」

 

 こっちの監督も俺に声をかけてきた。というか、声をかけてくれる人が監督しかいない。

 

「はい?」

「負けて元々だ。気楽にやれや」

「……」

 

 俺が勝つ事、全然、信用されてないな……。や、まぁ今、するべきアドバイスなんてそれくらいなのだろうが。

 レオに見てもらえないのは残念だが、うちの中学は後学のために誰かが必ずビデオを撮っているし、後でそれを送ってもらって見てもらおう。

 ふと体育館の出入り口に目を向けると、神崎さんが立っていた。銀髪のツインテールに赤い瞳、これだけの特徴があれば見間違えるはずがない。ふふ、さらに燃えるシチュエーション……っと、良い所を見せようとするな。平常心、平常心……よし! 

 名前と学校名と背中につけたタスキの色を呼ばれ、お互いにコートの中に入った。二歩進み、お互いにお辞儀をする。

 

「「お願いします」」

 

 そして、さらに二歩進んで己の武器を抜いて蹲踞する。

 

「始めッ‼︎」

 

 審判の号令でお互いに一斉に立ち上がった。直後、同時に面に打ち込んできた。開幕とほぼ同時の決めに来た不意打ち。卑怯とは言うまい、試合だからな。それに、想定済みだ。

 

「メンヤァアアアアッ‼︎」

「面ッ……!」

 

 それを抜き面とガードを併用し、横に弾きながら面を放ち返したが、ガードされる。

 

「胴ォオオオッ‼︎」

「小手ェッ‼︎」

 

 その直後、胴に振り下ろしてきて、それを手首を強引に返して受けつつ、返して小手に竹刀を放つ。が、竹刀を微妙にズラして受けると共に俺の竹刀を横に弾き、引き面を放った。

 それを首を横に捻って直撃を避けると、引いた相手に追撃を仕掛ける。ここでしょ、決めるなら。

 そこで俺は、竹刀を大きく振りかぶった。相手は引き面の決めの際、打った竹刀を上げっぱなしにする。そこに面を打つ馬鹿はいない、と踏んでいたのだろう。小手と胴を受けに入った。

 それこそ、俺の望んだ通りの回答だ。振り上げた竹刀を綺麗に振り回し、唯一、空いていた逆転胴を打ち込んだ。

 

「胴ォオオオオッッ‼︎」

 

 完璧だわ。読み合いで勝ってやったぜオラ。見事に赤のフラッグが上げられ、俺の一本になる。

 何せ、レオの剣道の試合も毎回、見に行っていたし、シミュレーションは完璧だ。あとはアレだ。こっちは今の今まで逆胴を打つ機会が無かったから、完全に隠し球が決まった形とも言える。

 

「二本目!」

 

 元の位置に戻り、二本目が始まる。今度は直後に仕掛けてくるような事はなかった。てっきり、三分しかない試合の中でまた飛び込んでくるものだと思ったが。流石、強豪校のキャプテンだ。場数が違う。

 さて、二本目。あと一本決めれば勝ちだし、逃げ切っても勝ちだ。かと言って、俺は逃げるタマではない。ここで逃げてて、県大会以上で通用するもんかよ。

 

「……」

「……」

 

 かと言って、元々自分から仕掛けに行くタイプではないので不要に飛び込まないが。

 しばらく構え合い。向こうもこちらがカウンタータイプだと知っているのだろう。不要な仕掛けはやはりしない。しかし、このままだとジリ貧なのそっちだ。

 

「……」

 

 ……決勝戦な上に、神崎さんが見に来てるのにお見合い一本勝ちは嫌だなぁ。先生も負けて元々って言ってたし、たまにはこっちから仕掛ける事も勉強しておくか。

 隙の伺い合いの中、今度は仕掛けに行ってみた。左足を軸に、正面から小手体当たりを放った。向こうはそれを受けて鍔迫り合いになるが、すぐに下がって元の位置に戻る。追撃しようにも、剣先を真っ直ぐ伸ばしているため、近寄らない。近寄れば、胴に剣先が引っかかる。

 今度は、向こうから仕掛けてきた。面打ち。それを返し胴で切り返そうとしたが、元々、一本取るつもりのない面だったのだろう。ガードされ、身体に体当たりを放ちつつさらに小手で距離を詰めてくる。

 その小手を鍔で切り上げて面を放つと、それをガードされて返し面を放って来たので、避けて距離を置こうとする。

 が、それでも逃してくれなかった。まるで狙わせまいとしているような攻めに、微妙に押されつつも落ち着いて捌く。必ず隙は出来る。

 予想通り、隙と言えるものが来た。向こうが引き面を放った事だ。それは悪手だぜ、不用意な引き技はこっちに追撃のチャンスを渡すようなものだ。

 後を追い、俺は微妙に竹刀を下げた。面を打たせるためだ。予想通り、振り上げていた竹刀を振り下ろして来た。ならば、俺は出鼻小手を……あ、ヤバい。相小手面だこれ。

 

「小手ッ……!」

「小手面ヤァアアアアッ‼︎」

 

 相小手面。相手の小手に対する応じ技で、小手を初殺した上で、さらに面を放ってくる技だ。まんまと誘い出され、これで1対1である。残り、一本。泣いても笑ってもこれで決まりである。

 マズいな……こんな神崎さんの目の前で負けるわけに行くかよ。カッコ悪いにも程があるでしょ。

 

「勝負!」

 

 関係ないけど、三本目になった時の試合再開の合図が「勝負」なのカッコ良い。

 そんな事を思っているうちに、向こうが仕掛けてきた。いきなり小手面である。それを防いで小手に打ち返すが、それも防がれて一旦、お互いに距離を置く。ここから、お互いに一気に飛び込んだ。

 放ったのは、俺は小手で向こうは小手面だが、そこでトラブルが起きた。向こうの剣先が、俺の右肘の内側に直撃した。

 

「痛ッ……!」

 

 それにより、一瞬怯んだ隙に面が飛んで来た。ヤバい、これ負けるかも……! 

 そこから先は、ほぼ反射的な行動だった。今までいじめられて返り討ちにした時のクセだったのかもしれない。左手を離し、拳でその面をガードした。

 

「メェンッ……は?」

「イッ……テェエエエエッッ⁉︎」

 

 やべぇ、死ぬ! 小手の硬くないとこで思いっきり受けた! 思わず変な声上げちゃったんですけど⁉︎

 

「ちょっ、やめ!」

 

 思わず審判も素が出てしまっていた。

 

「え、君なんでそんな受け方したの? バカなの?」

「いやクセで……」

「クセ? どんな剣道教わってんの?」

「や、剣道のクセじゃなくて……」

「大丈夫? 竹刀持てる?」

「指先に力入らないです」

「だめだこれ。折れてるね多分それ。すみません、保健室までお願いします!」

「ちょっ、これどっちの勝ちになるんですか?」

「君はいいから怪我の心配をしていなさい」

 

 そんなわけで、不戦敗になりました☆

 

 ×××

 

「なぁ、お前バカなのか?」

「……はい、バカでした……」

「ここ数ヶ月の頑張りは俺も認めてたし、上級生も認めてたよ。もう少し協調性付ければ良いのにって」

「……はい。その通りです」

「竹刀を拳でガードって、何考えてたらそうなるの? 俺まで監督不行届で怒られたんだけど」

「申し訳ありません……」

 

 病院で、めちゃくちゃ怒られてた。や、ホントすみません……。先生もまさか竹刀を素手で受ける人がいるとは思わないよね……。にしても、病院のロビーで説教はマジでやめて欲しい。周りの視線の集中砲火が痛い。

 一応、あのあとに対戦相手の選手が謝りに来てもらったけど、それはそれでかなり申し訳なかった。だって俺の自爆だもの。こっちもたくさん謝りました。

 

「とにかく、お前明日の団体は出なくて良いから」

「え、ええっ⁉︎ なんで!」

「当たり前だろ! お前、指三本骨折してんだよ! そんな状態で試合に出せるか!」

「行けますよ!」

「ぶっ飛ばすぞお前! 竹刀を持つ左手骨折してよく言えるな⁉︎」

 

 む、た、たしかにそうだが……や、まぁ正直、団体は県大会まで行けないの分かってるんだけどね。うちの中学で県大会出場が決まってるのは俺含めて三人だし、勝ててもギリギリ……。

 

「え、ま、まさか県大会は⁉︎」

「怪我が治らなきゃ無理だな」

「マジかああああああ‼︎」

 

 やべぇ、早く治さないと! しかもそれまで練習も出来ないし……や、待てよ? 片手腕立てならなんとか……。

 

「言っておくが、もしその身体で無茶するようなことがあれば、その時点で道場出禁にするからな。お前はうちの大事な戦力である以前に、うちの生徒だ。これ以上、怪我が悪化するような真似は許さん」

「うぐっ……す、すみません……」

「分かったら、安静にしていろよ。入院とかは無いから、学校には来い。明日は一年と一緒に運営の方に回ってもらうから。良いな?」

「……へいへい」

 

 思わず反抗期のような返事をしてしまった。あーあ……バカな事したなぁ……。というか、改めて考えると冷静じゃなかったかもしれない。神崎さんに良いところを見せようと思って、もっと褒めてもらいたくて、一本とってから少し気が緩んでた。元々の実力は向こうのほうが上なんだし、二本目からも自分のスタイルを崩すべきじゃなかったんだろうなぁ……。

 とりあえず、病院を出ようと自動ドアを通った時だ。ちょうど、見覚えのある銀髪が病院に入ってきた。

 

「あっ……」

「げ……か、神崎さん……」

「ん、神崎? 何してんだこんなとこで?」

 

 声を掛けたのは先生だ。……あー、目を合わせづらい。というか、恥ずかしい……。周りから見れば俺は「女の子に良いとこ見せようとして失敗した恥ずかしい男」だ。その張本人の女の子が現れたら……それはもう死にたくなるよね。

 

「あ、あの……えっと……」

 

 向こうは向こうで、周りから見れば「男の子のお見舞いに来た女の子」の絵が恥ずかしいのか、何やら言い澱んでいる。特に、同じ部活の女子も男子も来てくれていないのに、全く接点のない自分なら尚更だ。

 正直、今の俺としてもあんまり現状は見て欲しくないんだよな……。あんな失態、レオにバレたら怒られる。

 しかし、俺の心情とは真逆にも、すぐに神崎さんはその羞恥を必死に振り払ってしまった。

 

「そ、その愚者は……我が刃となりし剣豪! 故に、其奴を守護する生業は我が聖職!」

「なーに言ってんだお前」

「つ、つまり……! そ、その……その者の拠点へと続く冥界の道に付き添う役割は……!」

「いや、病院だけどこいつまだ死なねえぞ」

「う、うう〜……!」

 

 ダメだ、この顧問全然翻訳できてない。あんた一応、国語教師でしょうが。ブリュンヒルデ語くらい分かりなさいよ。

 俺が自分の言いたいことしていることを理解している、と察しているのか、神崎さんはチラチラ俺に目を向けて助けを求めて来るが……正直、今君と歩くのは嫌なんだよなぁ……。負けた理由が理由だし、何より怪我してる男が五体満足の女の子と歩くのはすごくダサくない? なんか守られてるみたいで。

 なので、知らんぷりする事にした。

 

「あの、先生。明日も大会ですよね? 早めに帰りたいんですけど……」

「え? ああ、そうだな。神崎も病院に用事あるなら早めに済ませとけよ。もう少しで閉館時間だぞ」

「う、うううう! 桐原くんの意地悪! 怪我して大変だと思って様子見に来てあげたのに!」

「え、そうだったの?」

「知らんぷりするならもういいもん!」

 

 そう言って引き返してしまった。あー……ヤバいな。怒らせちゃったかも……。ていうか、向こうには俺が「神崎さんに良いとこ見せようとした」っていうの通じてないわけだし、別に恥ずかしがる理由もしらばっくれる必要も無かったのでは? 

 今更になって冷静な観点が思いついて後悔し始めていると、隣の先生が声を掛けてきた。

 

「お前……今のは良くないぞ」

「え……」

「ホント、そういう所、直せ。芯があるのも良い事だけど、他人の為に少しは曲がることも覚えなさい」

 

 あー……や、やっぱりそうなのかな……。

 

「特に、細かい事情は知らねえけど、神崎はお前の為にわざわざ来てくれたんだろ? それを不意にする奴があるか」

「す、すみません……」

「謝るなら俺にじゃなくて神崎に、だ。早く後を追って謝りに行きなさい。それと、神崎と一緒に帰る事。良いな?」

「は、はい……!」

 

 とりあえず、慌てて神崎さん後を追った。うーん、でも怪我人を走らせるこの暴挙……や、まぁ俺が悪いし仕方ないか。

 幸いにも、神崎さんはあまり足が早くない。すぐに追いつくことができた。

 

「ま、待った神崎さん!」

「やだ!」

「ま、待たれよ!」

「っ……」

 

 あ、待つんだ。意外と簡単な子だな。じゃなくて。とにかく謝らないと……。

 

「ご、ごめん、悪かったよ!」

「……つーん」

「あー……」

 

 どうしよう……謝り慣れていない弊害が……まぁ、言い訳くさいかもしんないけど、とりあえず言うだけ言ってみるか。

 

「あー……えっと、アレだ。……コホン。先の我が敗北は、完全に我の油断によるものよ。我が盟友たる貴様に完封勝利を謁見させようとした我が慢心が生み出した末路。その結末を貴様に知れる事を恐れたー……つまり、なんだ。えっとー……」

 

 なんか、恥ずかしくなってきた……。大体、謁見って言葉の使い方合ってるの? そもそも、何をカミングアウトしてんだ俺は。言わなくて良いことも言ってるような……。

 いいや、勢いで押し切れ! あとは、一緒に帰らないと……! 

 

「あれだ。神崎さんと一緒に帰りたいので、帰って下さい!」

「え、ええっ⁉︎ 急に何⁉︎」

「え、な、なんで?」

 

 え、一緒に帰るつもりで来てくれたんでしょ? 

 

「わ、我は入院すると思ってお見舞いに来たの。敗北に気を落としてると思ったから! ……し、しかし、教諭と共にあっさりと病院から退去し……仕方ないから……な、慰めるだけでも、しようと思って……その、一緒に帰ろうと……」

「え、な、なんでそこまで……?」

「み、見てたから! ずーっと自宅で毎日、素振りしてる所! 血豆まで作ってたとこ……だから、落ち込んでるかなって……」

「……見てたの?」

「見てた!」

 

 ……あ、まさか文通を始めたのって……それがきっかけ? この人、いつから俺のこと知ってたの? 

 いや……そんな事はどうでも良い。そういうんじゃなくて、こう……もっと言わなければならない事は他にある。せっかく俺なんかに気を使ってくれた所、申し訳ないんだけど……それは無用だよ。

 

「別に、落ち込んでは無いよ。今回は完全に俺がやらかしただけだから。試合中に『誰かに良い所見せたい』なんてバカな考えで油断するようじゃダメだよ」

「……そ、そうなのか?」

「そうだよ。情けない負け方したもんだよ……」

 

 もう少し、精神的にも鍛えないとダメだな。今度、滝にでも打たれてみようか……。顎に手を当てたままため息をついていると、神崎さんが隣からポツリと呟くように言った。

 

「しかし、我が第六感は別の答えを告げている」

「は?」

「我は美姫の祭典に参加する際に思いを耽る事は、やはり我が友や我が同胞達に『良かった』と心揺らがせる事を胸に秘める。無論、ファンの皆様にもだ」

 

 ん? 突然、何を言ってるのか分からなくなったぞ。ファンって……もしかして、役者でもやっているのか? いや、言わんとしてる事は分かるけど。

 

「貴様がっ……か、仮にっ……わ、私のために……良い所を見せようとしても……異端ではないと、我は思う」

「……そう?」

「う、うむ……」

 

 さっきから何を恥ずかしがってるのか分からないけど……まぁ、でも変じゃないと思うなら変じゃないのかな……。幸い、今の口ぶりだと、神崎さんも「女の子の前でカッコつけた」とは思っていないみたいだし。

 

「……そっか。じゃ、次は絶対に、勝つ所を神崎さんに見せるよ」

「……次は我から一つ、質問を良いか?」

「何?」

「……その、桐原くんは……思春期はまだ、なの?」

 

 は? 何急に。思春期ってアレでしょ? なんか異性を意識したりする奴。いや、意識とか言われてもな……。特に無いと思うんだけど……いや、あるっちゃあるのかな。女の子の前だけカッコつけてるとか思われたくないし。

 

「どーなんだろ、わかんね」

「あ、うん。今のでわかった」

「え、俺思春期来てるの?」

「己で思考し、己で判断せよ」

「ええっ⁉︎」

 

 とりあえず、情けない話だけど家まで送ってもらってしまった。

 

 



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勝っても負けても開かれる打ち上げは「お疲れ様会」で良い。

 さて、翌日。俺は役員に回されたのだが……。

 

「桐原先輩! そっちは俺がやります!」

「あ、それは俺がやりますよ!」

「じ、時間計るのは自分に任せて下さい!」

 

 との事で、後輩達に仕事を取られてしまって全然、参加させてもらえなかった。

 剣道というのは、何も試合に参加するだけではない。試合時間を測るストップウォッチや、その時間になった時に旗を上げる係り、竹刀検定と言っても使える竹刀の選定する仕事もある。

 これらは大会の運営に必要な仕事で、それを抜きにしても試合の様子をビデオで撮影、スコアを取るための用紙に結果を書き込み、選手の背中にタスキを掛け……などと挙げればキリがない。

 ……のだが、大体やらせてもらえなかった。まぁ、中学生から先輩後輩が明確になったし、先輩に雑務をやらせたがらない、というのは分かるけどね。

 それを抜きにしても、怪我をしているからというのもあるのだろう。

 

「……はぁ。なんか暇になっちゃったな……」

 

 本当は試合を見ていなきゃいけないのだろうが、こういう時に友達がいないと、なんかいづらいものだ。レオだったら気にしないんだろうなぁ……。やはり、俺はまだまだ精神面が未熟だ。

 しかし、精神的な面を強くするにはどうしたら良いんだろうな……。瞑想? 一応、剣道には心を落ち着かせる「黙想」というのがあるけど……でもアレでメンタルが強くなるとは思えない。強くなるなら、俺は今頃、最強になっているはずだから。

 

「……ふぅ」

 

 疲れて来たな……。退屈過ぎるのも疲れるってもんだ。しかも出場しないのに道着には着替えさせられてる分、なんかアウェー感がすごい。

 ……少しでも竹刀振ったら怒られないかな……。や、でも竹刀は左手で振るもんだし、右手でだけで振ったら変なクセがついちゃう。

 結局、体育館の出口でぼんやりするしかないんだよなぁ。この学校の体育館は渡り廊下で校舎と繋がっている。そのに腰を下ろすと、この時間は日差しが直で入って来て心地良い日向ぼっこが出来るのだ。今知った。

 

「はぁ……暇」

「楽園より追放されし場所で優雅なひと時とは……良い身分だな」

 

 この声……神崎さんか。ちょうど今、休み時間なのかな? 

 

「サボりじゃないよ。暇潰し」

「聖戦にも、支配する黒幕が必要であろう?」

「や、俺も最初は手伝ってたんだよ。でも一年生がみんな仕事変わってくれるから」

「ふむ……老兵は死なず、ただ消え去るのみか……」

 

 まぁ、俺も別に手伝いたい、というわけじゃないしね。手伝わなければならない、とは思っているけども。

 

「ふーむ……それにしても……」

 

 神崎さんは俺の格好をマジマジと眺める。その表情はキラキラした少年の瞳半分、何かしらの審査員の眼半分、という感じだ。

 が、やがて審査が終わったのか、その顔は少年の瞳10割になった。

 

「……道着姿で包帯巻いてるの……カッコイイ!」

「え、そ、そう?」

「うむ! 我が、魔眼にかけて誓おう……。それは、カッコイイ!」

 

 マジか。怪我する男、というのもカッコ良いのか……。いや、待てよ? 神崎さん的には多分、怪我がカッコ良いんじゃない。道着に包帯、という組み合わせが良いと言っているんだ。つまり、包帯とはその下に何かを隠している、そういう良さ。

 ……これから、もっと神崎さんに褒めてもらうには……こうか! 

 

「解放せよ、我が封印されし決殺の双指!」

「おおおお……!」

「痛たたた! 包帯取ると指痛ッ!」

「ばか────!」

 

 慌てて巻き直したが、痛いものは痛い。

 

「ど、どうしよう! 死ぬほど痛い!」

「ど、どうしようって言われても……ほ、保健室ー!」

 

 そんなわけで、保健室に向かった。

 二人で大慌てで駆け込み、保健室の扉を勢い良く開ける。中にいた先生がビクッと肩を震わせた。

 

「な、何?」

「「先生!」」

 

 二人で中に入って、俺の指を差し出した。

 

「「呪われし指に封印を!」」

「こっちの病院行く?」

 

 頭を指して微笑まれました。

 

 ×××

 

 さて、当たり前のようにサボりがバレた俺は、そのまま保健室の先生に連行され、大会に引き返した。

 その間は、顧問の先生に「他校の情報収集してこい」と言われたので、従う事にした。スパイ任務っぽくてカッコ良いからだ。

 で、閉会式も終わった。最後に県大会出場者は壇上に上がって、他の出場者に見送られる。これは気持ち良かったです。

 で、体育館の片付けを終えてミーティングを済ませて、ようやく解散である。周りの連中がお喋りして着替えている中、俺はさっさと切り上げて体育館を出た。どうせ、しばらくやる事はない。居づらいだけの場所にいるのはごめんだ。

 表に出ると、神崎さんが待っていた。

 

「……神崎さん?」

「あ……コホン。ようやく顕現したか、我が刃」

「待ってたの? てか何してんの?」

「我と貴様の間に交わした契約を果たす刻よ」

「え、なんか約束したっけ?」

「勝利の宴! ……負けちゃったけど」

「あ、ああ……」

 

 そういやそんな約束してたな。まさか負けて打ち上げしてくれるなんて思わなかった。

 

「いや、でも悪いんだけど、母ちゃんから『怪我してるんだから早く帰って来なさい』って言われてるんだよね」

「え、そ、そうなの……?」

「まぁ、事情を話せばいくのは許してくれるかもしれないけど、一旦帰らないと」

 

 学校に携帯の持ち込みは禁止されているので、ここから連絡も取れない。

 

「では、母君に確認しに参ろうか!」

「え、来るの?」

「うむ。我も貴様の刃について聞きたいこともある。……特に、剣の構図についてとか」

「?」

 

 どういう事? と、俺は片眉をあげる。そういえば、神崎さんがなんで俺に興味を持ったのか全然、分かってないんだよなぁ。手紙の時も、ほとんど俺の剣道の話ばかりだったし。

 もしかしたら、何かの参考にされてたのかもしんないけど……その辺の話も含めて出来る機会があると良いかもしれない。

 

「じゃあ、母ちゃんに聞いてくるね」

「うむ、参ろうか!」

「や、神崎さんも両親に許可とって来なよ」

「え? あ、あー……いや、その必要はない。我は孤高を愛する存在であり、孤高は我を愛する存在……我が行動に制限を求める存在はいない」

「いやいや、ちゃんと連絡しないと怒られるよ?」

「や、だから……も、もう許可とってるから……」

 

 あ、そ、そういう意味だったのか。てっきり親子喧嘩でもしてるのかと思ってた。もしくは、親と仲が悪いとか。たまにまだ神崎さんの言葉を上手く翻訳できないんだよな……。

 

「そう。じゃ、先にお店に入ってて。俺はサクッと許可貰ってくるから」

「え、でも……何処で晩餐を取るか決めていない」

「あ、そ、そっか……」

 

 友達と待ち合わせとかした事ないからなぁ。小学生の時は友達いたけど、待ち合わせ場所は「いつもの公園」で通じる人達ばかりだったから、この手の約束は慣れていないのがモロバレだ。

 まぁ、孤高も孤独も決して隠さなければならないような事じゃないし、別に良いか。

 

「じゃあ、何処で待ち合わせしようか?」

「では、半刻後にローマの厨房で」

「30分後にサイゼの中ね?」

「半刻は一時間だよ……」

「し、知ってたから!」

 

 とりあえず、一時間後に待ち合わせをして解散した。

 

 ×××

 

 さて、一時間が経過した。正直、時間をもらえたのはありがたい。神崎さんは何も言わなかったけど、剣道の後はかなり臭うからね。汗を抜きにしても臭くなる。

 で、シャワーを浴びて服も着替えて、母ちゃんに許可をもらって(節度を弁えるように、と忠告されたが)、貯金箱から貯めてたお金を引っ張り出して、家を出た。

 歩きだとしんどいのでチャリで突っ走った。

 到着し、店の前に来た。もう神崎さん着いてるのかな……一応、中で待ち合わせしてるし、入っても平気か。

 そう思ってお店の扉に手をかけた時だ。

 

「待たれよ、我が刃!」

 

 その呼び方する人は、世界中探しても一人しかいない。

 

「神崎さん。今来たとこ?」

「うむ。時同じくしてローマに惹かれし同胞よ。共に晩餐への道を歩もう」

「……さっきも思ったけど、サイゼをローマは厳しくない?」

「し、しかしイタリアと言えば……」

「うん、まぁ分かるけど……」

「……ピザの食卓?」

「家庭的だな」

 

 まぁ、どうしたらイタリアっぽい表現になるか、なんて俺にはわからないんだけどね。ローマしか知らないし。

 とりあえず、店内に入って二人で席についた。まずは注文から。何食べようかな……。やっぱ肉でしょ、肉。えーっと、なんの肉か知らんけど、そのリブステーキで良いや。それと、ドリンクバー。

 

「決まった?」

「まだ、我が血肉へと生まれ変わる悪魔達の肉が持つ、毒素の算出が済んでいない」

「毒……? え、これ毒入ってるの?」

「ち、違う! そうじゃなくて……こう、身体に悪い、という意味で」

「いやいや、ファミレスの料理で栄養価なんて考えてたら何も食えないって」

「そ、そういうことでもなくて……!」

「? じゃあ何?」

「……」

 

 ……あれ、何か怒らせるような事、聞いちゃったかな。なんか怒る予兆みたいに顔を真っ赤にして……。

 

「か、カロリーの計算!」

「……カロリー? あ、そういうことか……」

 

 なるほどね。女の人は体重がどうのって気にするもんなぁ。うちの母親もそうだ。

 しかし、神崎さんはそんなの気にしなくて良いと思うけどな。

 

「神崎さん、デブじゃないし気にしなくて良くね?」

「一刀両断されて無刃の刀と成り果てたくなければ、少し口を閉じるがいい」

「ごめんなさい!」

 

 怒ると怖っ! 今、マジの殺意を感じたんだが……。うーん……女の子に体重の話はタブーなのかな……。

 なんであれ、まぁ次から気をつけよう。というか、レオに女の子との会話について教わっておこうかな。兄貴の話だと、高校じゃモテモテのウハウハらしいし。

 

「全く……桐原くんは、我が憤怒の琴線に触れやすい。敵の刃を見切る神眼を、少しは他人の心のセンサーを見極める事に使用せよ」

「敵の刃を見切る神眼……ふへへ」

「褒めてない!」

 

 いやーでもまぁ、嬉しいよね。そう言われると。カウンタータイプだと尚更。如何に相手の面を見切るかが勝負だからな。

 でも、課題は見えた。この前の試合は俺の自爆だが、もし最初の一本を取られていたとしたら、自分は追う側になるのだ。その場合、相手に俺がカウンタータイプだとバレていたとして、いつまでも待っているわけにいかない。たまには、自分から仕掛けに行かないと。

 

「……よし、決まった!」

「じゃあ呼ぶよ?」

「構わん」

 

 との事で、店員さんを呼ぶスイッチを押した。1分も経たずに店員さんがやってきて、注文を聞く。

 

「お待たせいたしました。ご注文をお伺い致します」

「あー……俺はリブステーキとドリンクバーで」

「リブステーキと、ドリンクバーですねー」

「我は鳳凰のディアボロス風と虹の鮮血を!」

「若鶏のディアボラ風とドリンクバーで」

「か、かしこまりました……。……神崎蘭子さん、だよね? この人の言葉を通訳できるなんて……彼氏かしら? 

 

 何か去り際に言っていた気がしたが、聞こえなかったので気にしない事にした。

 それよりも、ドリンクバーだ。こういうのは取ってきてやったほうが良いんだったな。

 

「神崎さん、何飲む?」

「む……我に神水の献上か? ならば、サイダーを頼む!」

 

 あ、サイダーは普通なんだ。正直、なんて言うか楽しみだったんだけど……。

 

「了解」

 

 そんなわけで、飲み物をとりに行った。俺はジンジャーを取って戻り、席に着いた。

 

「では、乾杯である」

「あ、うん。乾杯」

 

 軽くグラスを当てて口の中に流し込む。あー、やっぱ疲れた後の炭酸は最高だ。

 

「でも、なんか悪いね。負けたのに祝って貰っちゃって」

「気にする事はない。敗北後の宴会も、それはそれで別の宴となろう」

「……それ、残念会じゃね?」

「は、反省会!」

 

 なるほど……そういう意図があるんだったら、確かに気にする事はないのかも。と言っても……正直、反省会はレオにこってり絞られるだろうし、今は勘弁願いたいなぁ。

 そんな話より、前から気になってた事を聞いてみるか。

 

「そういえば、神崎さんって文通の相手が俺だって分かってたんでしょ?」

「う、うむ……実は、そう……」

「いつから知ってたの?」

 

 これは前から気になっていた。何せ、最初に顔を合わせた時、迷わず俺に名乗って来たし、ブリュンヒルデさんで通じてたし。

 

「……それは、その……文通を始める一日前から……」

「え、そうなの?」

「う、うむ。昨日、言った通り、桐原くんが一心不乱に剣を振り、戦に備えて技の研鑽を繰り返している所を見掛けたのだ」

「それでなんで声かけて来たの?」

「っ……そ、それはー……」

「あ、いや言いたくないなら言わなくて良いよ」

 

 さっきので学んだ。言いたくないことは聞かない方が良い、と。しかし、今回はそうでもないようで、神崎さんは頬を赤らめたまま呟いた。

 

「……その、お友達になりたかった、から……」

「は?」

「わ、我が眷属に、万物の霊長でありながら、剣を持ってして己の道を切り開く者はいない。そこで、貴様の剣を見た。同じ学び舎に通う同志であるなら……そ、その……お友達に……なれるかな、って……」

「……それでなんで文通? 普通に声かけてくりゃ良くね?」

「そ、そこは濁してよ! 恥ずかしかったの!」

 

 あ、ああ……そこは濁す所だったのか……。さじ加減がわからん。

 まぁ、そういうことなら話は早いな。別にそんなに回りくどいことしなくても、俺の答えは決まっている。

 

「ま、そういう事なら俺と友達になろう」

「……え?」

「名誉な事だぞ。俺の唯一の友達だからな!」

「……あ、あんずるな! 近いうちに我が同胞達を紹介しよう!」

「同情すんな」

 

 それは一番効く。気にしてないのに同情されるって何事よ。

 とにかく、これで俺と神崎さんは友達だ。……うん、だからどうしたら良いのかさっぱり分からない。何というか、今の今までが特殊過ぎてなぁ……。文通から始まる友情って何よ。

 てか、神崎さんは神崎さんで割と人見知りみたいで、改めて「友達」となっても何を話せば良いのか分からないみたいだ。頬を微妙に赤らめたままソワソワしている。

 いやいや、とにかくこういうのは俺から声を掛けようよ。男なんだし。友達なら、どんな話題だって別に良いだろ。今まで面と向かい合って会話するより遥かに難易度の高い文通をこなしてきたんだ。なんとかなるだろ。

 

「そ、そういえば、神崎さんは部活やってんの?」

「い、いや……特には……」

「あ、そ、そう……」

 

 ……話題を間違えた。まさか入ってないとは……。えーっと……他の話題、話題……。

 あ、そうだ! 絵だ! 神崎さん、絵が得意だったじゃない。なんか手紙の端にちょいちょい描いてあったりしたし。

 早速、その話を話題に出そうとした時だった。

 

「ね、神崎さんって……」

「お待たせ致しました。リブステーキと、若鶏のディアボラ風でございます」

「……」

「……」

 

 俺と神崎さんの前に、料理が置かれる。まさかのタイミングに、俺も神崎さんも黙り込んでしまった。

 コト、コト……と、並べられ、最後に伝票を机の上の丸いプラスチックのアレに置いておいて、一礼して「ごゆっくり」と残して立ち去って行った。

 

「……た、食べるか」

「……う、うむ……」

 

 そのまま二人で食事を始めた。結局、会話が止まったままだな……はぁ、なんだか情けない。レオから良く女の子の話をされてたけど、興味ないから聞き流してた俺を殴りたい。

 微妙に覚えてるのは「女の子を暇にさせるな」「自分が話してばかりでなく、女の子の話に耳を傾ける方を多くしろ」っていうのは覚えてる。まぁ、肝心の兄貴に彼女いないのが全てを物語ってるけどね。

 どうしたものか悩みながら、フォークとナイフを持った時だ。

 

「……あっ」

 

 しまった。左手使えないのに肉にしたら切れないじゃん。どうしよう……左手、無理すれば行けるか? ……いや、無茶したらまた先生に怒られるしな……。

 ……噛みちぎればいけるか。そう思って、フォークで肉の中心を突き刺した。

 

「んー♪ 美味しそ……え、き、桐原くん……?」

「うん。原始時代はフォークもナイフもなかったんだ。行ける!」

「ちょっ、いや切らなくても……!」

「あっづぁっ……‼︎」

「……熱い、から……」

 

 し、死ぬ……主に肉汁が噴き出て熱い……。

 

「は、はい! 飲み物!」

「ごめっ、ありがと……」

「もう……何してるの?」

 

 まるでどうしようもない人を見る顔で俺を眺めた神崎さんは小さく呆れたようにため息をついた。

 

「はぁ……貴様、いつから剣の道を歩んでいる?」

「小3から、かな」

「それまで、他に好きだったものは?」

「カッコ良いもの!」

 

 あれ、何その目。なんかすごい慈愛に満ち溢れてそうな顔……。

 

「……桐原くんは、子供だね」

「え……何急に」

「我が、代理の刃となろう。皿を寄越すが良い」

「え、良いの?」

「他に道はない。……それとも、貴様の晩餐も我が食してしまって構わんのか?」

「あ、ありがと……」

 

 ……なんか、本当に恥ずかしくなってきたな。なんで俺、同級生の女の子に肉を細かく切り分けてもらってんの? それくらい自分で出来ないのかよ……出来ないわ。

 クソ、ホントにバカな事したな……。いつも通りやっていれば……まぁ、勝てたかどうかは分からないけど、こんなバカな怪我をすることはなかっただろうに……。

 

「ふっふっふっ。まるで手のかかる愚弟のようだ」

 

 ……なんか知らねえけど、神崎さんまですごい調子こいてるぞ。何も言い返せないのが悔しいが……。

 とりあえず、神崎さんにもらった飲み物を元の位置に戻した時だ。

 

「……てかこれ、サイダーじゃん。俺のじゃねぇ」

「えっ?」

 

 ピタッ、と。肉を切り分ける神崎さんの動きが止まる。片眉を上げて顔を上げると、顔を真っ赤にした神崎さんが俺をギギギッと見ていた。

 

「そっ、そそそっ……それって……かっ、かか間接……!」

「関節痛?」

「ち、違うよ! だ、だから……その……」

 

 ? 何? 別に一回くらいコップ同じの使っても平気でしょ。

 

「……間接、キスに……」

「間接キス? え、どゆこと?」

「だ、だから! 私が口をつけたものに桐原くんが口をつけるって……つ、つまり……唾を、交換してるって事で……間接的にキスしてるでしょ⁉︎」

「え、キスって口と口をくっつけるアレでしょ? コップって飲み口たくさんあるし、別に唾は交換してなくない?」

「〜〜〜っ!」

 

 あれ、なんかまた怒り始めたような……。

 

「や、やっぱり自分で食べて!」

「なんで⁉︎」

「まったく……!」

 

 怒らせてしまったようだ。ホント、これからはもう少し口に気をつけないとな……。

 

 




次でプロローグ終わりです。


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事務所にて(2)

 打ち上げから戻ってきた神崎蘭子は、なんだかんだ上機嫌だった。あの後、剣道の話を色々聞かせてもらい、それはもう妄想が捗った。主に、自分の衣装の妄想だが。

 今の今までは西洋の神話に出てくるような黒と白の堕天使のような衣装を着たかったが、たまには和服を羽織り、腰に剣を挿すのも悪くないかもしれない。

 そんなわけで、早速、記憶に残っている実際に見た剣道着を思い出しながら、グリモワールに絵を描き始めた。

 

「〜♪」

 

 剣道着の上半身は袖があまり長くない。ああ見えて肘辺りまでしかないのだ。また、袴も一見、長ズボンに見えるが、ひらひらしていて風通しは良さそうだ。これで足を上げるような踊りをすればパンツが見えてしまうため出来ないが、剣道の動きを見ている限り足を上げる場面もない。

 つまり、踊りも竹刀を使うような感じにすれば何の問題もないわけだ……なんて、衣装を提案したり、その衣装からダンスの妄想をするのが趣味だった。

 そして、その趣味に没頭している時が、一番の突け入る隙となるわけで。

 

「確保ー!」

「「「うおおおお!」」」

「きゃわっ! ……えっ、えっ? な、何々⁉︎」

 

 突然、開かれた扉から二宮飛鳥、アナスタシア、小日向美穂、そして指揮官の前川みくが突撃してきた。

 なす術なく、飛鳥に右手、美穂に左手、そしてアナスタシアに下半身を捕らえられた蘭子は、身動き取れずに椅子に縛りつけられる。

 その後を、最後にゆっくりと歩いてきたみくは、何故かサングラスをして「ココアシガレット」と書かれた箱から一本の食べられるキセルを抜き、口に挟む。

 

「……首尾はどうにゃ?」

 

 悔しい事に、その仕草は少しかっこよかった。聞いたみくに、ノリノリの飛鳥が報告した。

 

「警視! 被疑者を確保しました!」

「よし、よくやったにゃ」

 

 続いて、アナスタシアと美穂が報告する。

 

「け、ケーシ! 被疑者の太ももはフニフニしてて柔らかいです!」

「ふえっ⁉︎」

「うむ。他には?」

「軽視! 机の上に犯行に使われると思われる描き掛けの封書が!」

「そ、それは見ちゃダメ〜!」

「了解した。見せてみるにゃ」

 

 抵抗する蘭子を三人がかりで抑えつつ、美穂からグリモワール……つまり、スケッチブックを受け取る。中をパラパラと捲るが、みくが欲しいと思うものはなかった。

 

「……手紙はなかったかにゃ?」

「手紙は見当たりません。机の上の筆記用具も、下絵用の鉛筆や消しゴムのみで、普段、ホシが用いられるシャーペンはありません!」

「ホシ? ショウコが関係ありますか?」

「あ、ごめんね。アーニャちゃん。ホシ、というのは警察の用語で被疑者のことを言うんだよ」

 

 なんかチョイチョイ素に戻る為、緊張感は無かったが、それでも蘭子的に緊張感はあるわけで。何せ、男の子と文通していた事がバレるのだ。絶対に問い詰められるし、絶対に自分はすぐに吐くし、絶対にからかわれる。そうでなくても恥ずかしい。

 

「むぅ……となると、確保の機を見誤ったか……」

 

 一々、カッコイイ言い方をするのが、少し腹が立った。そう言う表現もアリだな、的な。

 というか、この人達は何をしに来たのだろうか? 何故、自分はごっこ遊びに巻き込まれている? 

 

「二宮刑事、君はどう思う?」

 

 みくが飛鳥にグリモワールの中を手渡した。そのページは、描き掛けの道着の衣装だ。

 それを顎に手を当てて眺めた後、飛鳥は目を光らせてポツリと呟く。

 

「……妙、だね」

「妙、とは?」

「らん……被疑者の描く絵は、主に幻想的とも呼べる現実感の無さがモチーフの神々しさがメインだ。しかしこの絵は、まるでモデルがあるようにリアルで、その上で神々よりも我々、人類が身に纏う衣装と言える」

「なるほど。つまり?」

「被疑者はクロ。共犯者が存在する」

 

 ギクリ、と蘭子の肩が跳ね上がった。何という洞察力。流石、同志なだけあった。

 結論を出した前川警視は、ジロリと蘭子に目を移した。

 

「……と、いうわけだが、申し開きはあるかにゃ?」

「無論だ! 我に罪科などない! ……いや、強いて挙げるなら、この世に産み落とされし刻に……」

「あーそういうのいいから」

「そ、そういうの⁉︎ こっちのセリフだよ!」

 

 悪ノリしているのはどう考えても向こうだ。まさか、自覚が無いのだろうか? 

 

「やれやれ……神崎くん。君は自身の罪に自覚が無いのかにゃ?」

「それもこっちのセリフ!」

「アナスタシア新米刑事。彼女の罪を数えるにゃ」

「は、ハイ!」

 

 新米刑事は肩書であって役職ではないとツッコミを入れたかったが、とにかく今は黙っておいた。なんか長引きそうだし、どうせ言いがかりに過ぎないものであるなら、そのまま聞いてやった上で言い返してやれば良い。

 

「えーっと……夜遅くまで遊び歩いた罪」

「……」

 

 心当たりがあってしまった。

 

「それと、部屋の中で傘を振り回し、騒いだ罪」

 

 それも心当たりがあった。というか、何故それを知っているのだろうか? 

 

「最後に、コソコソと手紙を書いていた罪」

「そ、それは良いでしょー⁉︎ ていうかなんで知ってるの⁉︎」

 

 思わず口から出てしまったが、それは失敗であったと蘭子は直感的に痛感する。何故なら、それを聞いた直後のみくの表情が、勝利を確信した悪役のような顔になったからだ。

 

「今『それは』と言ったにゃ?」

「え……?」

「つまり、前の二つの罪は認める、ということで良いにゃ?」

「あっ……」

 

 慌てて口を塞ごうとしたが、両腕を拘束されているので動けない。その蘭子に、さらに一歩距離を詰めて、みくは仁王立ちした。

 

「さて、もう一度聞くにゃ。……これらの罪に、自覚はないと?」

「……あ、あります……」

 

 ガックリと項垂れるしか無かった。

 さて、改めて尋問の時間。椅子に座らせた蘭子の前で、四人のアイドルデカ達はベッドに腰を下ろす。

 

「では、訊問を……」

「その前に、何故、我が両腕を封印する⁉︎ 何処から手枷を顕現した⁉︎」

 

 手枷、というか手錠だが、それに背もたれの後ろに両手を回されて封印されている。

 その問いには、アナスタシアが微笑みながら答えた。

 

「早苗さんからくすねました」

「犯罪者はどっち⁉︎」

「て言うか、なんであの人まだ手錠持ってるんだろうね?」

「本人曰く、ロリコンプロデューサーの事案を防ぐためらしいよ」

 

 美穂の問いに、飛鳥が答える。

 その隣で、みくが蘭子に尋ねた。

 

「で、ここ一ヶ月の蘭子チャンの動きは全部、把握していたにゃ」

「ストーキング! プライバシーの侵害!」

「喧しい。そもそも、最初はノックしてたにゃ」

「そうだよね。気付かない蘭子が悪いよね」

 

 それは迂闊だった。特に、傘を振り回していた下りは恥ずかしい。傘を振り回さない、なんて幼稚園や保育園で習う事だ。

 

「で、蘭子チャン。問題はみく達が把握していない部分の話で」

「全部じゃなかったの……?」

「誰と何の文通をしてたにゃ?」

 

 うっ、と蘭子は目を逸らす。言いたくない。なるべくなら。男の子と会ってる、なんでバレれば絶対にからかわれる。

 

「……ほう、だんまりか」

「もしもしポリスメン?」

「いえ、ミホ。今は私達が警察ですから」

「ていうか、どこで知ったのそのアニメ」

 

 そんな話をしながら、四人は手錠で繋がれた蘭子を見て全員が立ち上がった。何をされるのか、と思った直後、四人は指をワキワキし始める。

 

「吐きますくすぐりはやめて!」

 

 速攻で折れた。

 

 ×××

 

「……と、言うわけで……」

 

 結局、今日の打ち上げの話も何もかも話してしまった。成り行きとか色々と。

 そんな中、すぐに食いついたのは飛鳥とアナスタシアだった。

 

「剣道⁉︎ どんな感じなんだい蘭子⁉︎」

「サムライですか⁉︎ サムライですね⁉︎」

「我が剣は、剣神をも超える剣技の持ち主。先日のラグナロクにおいても、ゼウスの雷に対抗し、先手を撃つ渾身の一撃を以ってして善戦せし者よ」

「飛鳥ちゃん、翻訳」

「この前の大会で準優勝したってさ」

「それはすごいね!」

「なるほど……今日の打ち上げはそういう事にゃ?」

 

 みくの確認に、蘭子は頷いて答えた。まぁ、怪我するわ不戦敗になるわで、やはり残念会といった感じはあったが。

 特に「神崎さんに良い所見せたかった!」なんてストレートに言われれば、ちゃんと思春期真っ只中な蘭子としてはどう受け止めれば良いのか分からない。

 まぁ、なんであれスポーツに真摯に向き合える人に悪い人はいない、というイメージがあるみくは、気楽に聞いてみる事にした。

 

「ちなみに、中身はどんな子なの?」

「あー……そ、それは」

 

 が、蘭子は目を逸らす。何処かに問題があるのだろうか? 

 

「その……変な子で……」

「変な子?」

「……わ、私のためにカッコイイ所を見せようとした、とか……平気で言うし……」

「良い子じゃない? 普通の男の子なら、照れちゃって言えないよ」

 

 美穂が言う事も分かる。それが思春期というものだ。男同士では気になる異性を見かける度に「あの子可愛くね?」「スタイル良くね?」とか話し合う癖に、いざ女の子を前にすると、無言で格好つけたりするものだ。体育の時とかすごく分かりやすい。

 そんな中で、バカ正直な子というのは、むしろその方が好感が持てるというものだ。……まぁ、美穂的にはあんまりオープンになられると自分の方が恥ずかしくなってくるので、五分五分な気もするが。

 

「そう、なんだけど……その、なんていうか……思春期が来てない男の子というか……」

「え、ち、中学二年生でしょ?」

「何処までも無邪気で素直で……面を着けてるのに、決勝戦で注目されてソワソワしてるのが丸わかりの子で……」

「……一周回って可愛いにゃ」

 

 かわいいのだが、同じ中学生の自分としては見てる自分も恥ずかしくなって来る。それは聞いていただけの飛鳥も同じのようで、少し頬を赤らめている。

 

「……蘭子や僕とは真逆だね……」

「それに……奴は変な悪ノリに身を預ける悪癖を持つ。文通に用いたヒエログリフも、何故か丸文字できゃぴきゃぴした口調を記していた」

「アー……マルモジ?」

「こういうのにゃ、アーニャちゃん」

 

 みくがスマホでググってアナスタシアに見せる。

 実際、文通に関しては蘭子にもツッコミどころがあったと思うので、他のメンバーは言及出来ない。そもそも、何故文通なのか。

 実際は、結果的な面に目を向けると、蘭子語を一般人が翻訳するのに時間を要するから、返事をするのに時間が掛かる文通という形でコミュニケーションを図ったのは正解と言える。

 まぁ、蘭子がそこまで考えていたのかは分からないが。

 

「でも、蘭子。要するにその子は『面倒臭い子』という事だろう? 何故、病院にお見舞いに行ってまで、彼と友達になったんだい?」

 

 飛鳥がストレートに聞くと、みくと美穂は飛鳥の方を振り返った。それ聞いちゃうの? みたいな。

 しかし、蘭子は狼狽ない。むしろ、それを聞いて今日一のポーズを取ってセリフを言い放った。

 

「我が同胞よ。貴様の言う事は最もだ。彼は面倒な事この上ないし、幼く、乙女心たる物をカケラも理解していない」

「なら……」

「しかし、そんな彼を眷属と出来るのもまた、私しかいない。ならば、私が刃をさらに研ぎ澄まし、この道が破滅を迎えるまで友として歩もう」

「……」

 

 ……なんかカッコ良い事を言っているが、要するに「あのダメな子の面倒を見れるのは私だけ」と母性本能が働いているだけだ。普通なら母性本能を働かせる側の蘭子を突き動かすとは、その少年は何処までダメなのか気になる所だ。

 まぁ、そこまで言うなら四人とも止める必要はない。むしろ、これからは蘭子のストレス発散に付き合おうと思える所だ。

 素直に感動し、四人ともウンウンと頷いていたのだから、ここでやめておけば良かったのだ。だが、蘭子は続けてしまった。

 

「それに……我が刃の剣道は他の者達のそれとは違い、すごくカッコイイ!」

「「「「……」」」」

 

 やはり、カッコイイものにはなんでも心を開くいつもの蘭子だった。

 もう好きにしてくれ、と思った四人は、立ち上がって「頑張ってネ」と挨拶して部屋を出て行った。手錠に手を繋がれた蘭子を、そのままにして。

 

 




これでプロローグ終わりです。


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バカは悪巧みだけやたらと上手い。
子供は秘密基地に憧れる。


 六月。地区大会を終えて、無事に県大会出場を決めたこの季節、梅雨に突入した。外は今日も雨が降り注ぎ、地面がドッロドロのグッチャグチャにかき混ぜられる。

 これにより、表を使う部活はほとんどがまともな練習休止になる。サッカー、野球、テニス、ソフト、陸上……などなど。それらは、校舎の一教室をつかい、机や椅子を退かして、室内で筋トレなどをするのだ。

 そんな影響を一切、受けない剣道部だが、俺は影響を受けていた。雨による影響ではなく、怪我による影響である。何も出来ません。

 部活が無い学校というのはとても退屈なもので、やる事がない。特に昼休みとか暇。友達もいないし……あ、いやいたわ。一人。

 ……どうする? 会いに行ってみるか? いや、でもあんまり軽はずみに行動すると怒られるしな……。こういう時は剣道と同じだ。こちらが飛び込んだ場合、どのように対処されるかを考えれば良い。

 仮に俺が向こうに行ったとして、神崎さんがどう言う状況に置かれているかを想像しよう。例えば……そうだな。友達同士と一緒の可能性。神崎さん、良い子だし、俺と違って友達はいるだろう。

 ……友達がいたとして、俺が声をかけたときのデメリットは何かあるか。あるね、俺嫌われ者だし。

 

「……やっぱ、図書室で読書かな」

 

 そう決めて、図書室に向かった。教室を出て欠伸をしながら階段の踊り場に出ると、窓から豪雨の様子を眺めている神崎さんの姿が見えた。……友達なんだし、呼び捨てでも良いのかな。あとで聞いてみよう。

 一人なら、別に声をかけても平気かな、と思い声を掛けようとするが、神崎さんは何か独り言を呟いていた。

 

「天の涙……まさか、奴が降臨する前触れか……?」

「……」

 

 何を言ってるんだこの子は。

 

「クックックッ……おもしろい。ならば、我が真の魔眼が相手になろう。貴様がこの地に降誕するその時が、貴様の最期となろう……」

 

 ……うーん、どうしよう。これ、声かけて良いのかな。デリカシーがどうのって話か? いや、しかしせっかくばったり友達で会ったのに声を掛けないのは……。

 うだうだと悩んでいると、ふと神崎さんが何かに気づいたように動きを止めた。何かと思ってしばらく眺めていると、窓に映った神崎さんの視線は、窓越しに同じく映っていた俺に向けられていた。

 それにより、ゆっくりと振り返る神崎さん。

 

「……見てたの?」

「……いや、今きたとこ」

「ほっ……そ、そっか……」

「なんかやってたの?」

「な、何でもない!」

 

 我ながら上手い返し。やべぇ、俺ってコミュニケーション力ある方なんじゃね? 

 

「そ、それより……我に何か用事が?」

「あ、いや図書室行こうと思って通り掛かっただけ」

「む、そ、そうか……」

「あ、もしアレなら……」

 

 一緒にどう? と聞こうとした所で口が止まった。や、だって神崎さん暇してるなら気を使うことなんてないんじゃない? って感じで。

 

「暇だし、どっかでお喋りとかしない?」

 

 ……これで誘い文句は良いんだろうか。休み時間、よく別のクラスの奴が来たりするけど、いきなり用ある人の前の席に座って「さっき英語の授業でさぁ……」とか始まるから分からん。

 

「うむ、良いだろう。我が剣よ、共に密会と行こう」

「そっちの教室行こうか?」

「あ、いやそれはちょっと……」

 

 まぁ、そりゃそうか。俺と一緒にいるとこなんて見られたくないだろうし。

 

「その……男女で二人で一緒にいると……噂、されちゃうから……」

「? 何の?」

「と、とにかく二人からはダメなの!」

「あそう」

 

 まぁそう言うならそれで良いけど。

 

「じゃあ、どうする?」

「うーん……こういうのはどうか? 今日は我と貴様で校内を巡り、我らのアジトと言える場を捜索する。今後、そこで我らの密会を行う」

「むっ……良いねそれ」

 

 アジト、かぁ……。中々、良い言葉の響きだ。特に、二人きりのアジトとか、それはもう最高にカッコ良い。元々、俺はあまり大人数で群れるのは好きじゃない。強くなりたければ、オンリーワンを目指すのがベストだ。レオも言ってた。

 と、いうわけで、早速、校内を歩き始めた。

 

「あ、そうだ。せっかく友達になったんだし、呼び捨てで呼んでも良い?」

「許可しよう」

「じゃ、よろしく。蘭子」

「ふえっ⁉︎」

 

 え、な、何……? 

 

「ど、どうしたん?」

「や、その……そっち?」

「え、蘭子以外の名前が? 神崎=アルセーヌ・カムスサノヲ・ルシフェル・蘭子とか?」

「わ、悪くない……ではなく!」

 

 なんだよ。てっきりレオも下の名前で呼べって言ってたし、神崎さんも似たような感じで良いかなって思ったんだけど……。

 と、言うのも、レオもたまに風が強い日とかに「この風の色……まさか、ついに奴が……!」とか言うし、同じタイプだと思ってた。

 

「そ、その……下の名前で呼ばれるのは、恥ずかしいと言うか……」

「? なんでさ。蘭子って名前、恥ずかしいの? 俺は神崎さんに合った名前だと思うけど……」

「ーっ……!」

 

 や、神崎さんの名前が「神崎デニーロ」とかなら分かるよ。でも、蘭子って名前は別に……。

 しばらく、神崎さんは考え込んだ後、その場で百面相する。嬉しいのか恥ずかしいのか怒ってるのかわからないが、顔をとにかく赤くしているのだ。

 が、やがて何かに吹っ切れたようで、無理矢理恥ずかしさを振り払うようにカッコ良いポーズを取った。

 

「で、では! 貴様にも我が真名を呼ぶ方を許可しよう!」

「じゃあ、蘭子ね」

「……えへへ」

 

 ……う、嬉しそうに……可愛……あ、いや可愛いなんて思ってない。女の子に対してそんな感情を抱くのはなんか恥ずかしい。小学生の頃、クラスの女子に「可愛い」なんて口走ってどんだけからかわれたか思い出せ。「好きなんだろ」「素直になれ」の雨嵐だった。

 とりあえず、二人で校内を巡る。と言っても、まずは東棟の方は無理だ。教室しかない上に学生が多いから二人きりとか絶対に無理。となると、必然的にもう片方の西棟に向かう事になった。

 のんびりと歩いていると、ふと気になった事を聞いてみた。

 

「そういや、蘭子」

「む?」

「休み時間とかどうしてんの?」

「あ……や、休み時間は……」

 

 言いづらい事なのか、急に言い淀む蘭子。いや、単純に気になって。だってさっき一人で厨二病ごっこしてたでしょ。言わないけど。

 

「その……我も、実はこの学院においての眷属が少ない」

「あ、そうなんだ」

 

 それは意外だ。

 

「俺と一緒?」

「け、決していないわけではない! ……ただ、その者が病魔に侵された時や、戦乙女に成り代わる時、やはり我が仮面も孤高の魔王へと変貌する」

「あー……なるほど。今日はその子は?」

「バスケ部の大会に参戦している」

 

 なるほど。バスケなら雨とか関係ないしね。にしても、バスケ部かぁ……。カッコ良いよね。レオが黒子のバスケとか読んでたから、俺も読んだ事あるよ。

 ま、流石にそれに憧れてバスケを始めたってことはないだろうけど。あんまオタクの女の子って見たことないし。

 しかし、それだと俺は結局、蘭子が暇な時にだけ遊ぶ程度って事になるな。全然、気にしないけど。

 

「大会といえば……剣の騎士団の都大会へのタイムリミットはどうなっている?」

「ん、八月中旬」

「ふむ……なら、その怪我の完治は期待できる」

「それまで練習はできないけどね……」

 

 そこが一番のネックだ。まぁ、ブランク明けで勝ち上がる、と言う絵もかなりカッコ良いものだけどね。

 

「ふむ、我も援護部隊として向かわせてもらおう」

「来るのは良いけど、場所学校じゃないよ」

「む、そうなのか?」

「来てくれるなら、今度こそ勝ちをお目に見せよう」

「ふふ、楽しみさせてもらおう」

 

 そんな話をしながら、のんびりと校内を見て回った。やはりどの教室も基本的に鍵が掛かっていて、入れない所ばかりだ。

 まぁ、そう簡単に見つかりはしないわな。気長に行こう。

 

「む、8月と言えば……夏休み中か?」

「そうだね。夏に7月31日〜8月2日まで合宿に行って、その二週間後に試合」

「合宿……」

「あんまりキツくないよ。うちの中学は剣道強豪ってわけでもないから、三日間で12時間しか練習ないし。正直、俺は休んでレオ……兄貴の高校に出稽古に行きたいくらいだからね」

 

 去年の冬休みと今年の春休みは参加させてもらった。死ぬかと思った。

 

「……でも、我は合宿に参加すべきだと進言する」

「え、なんで?」

「剣道について、我に特別な知識があるわけではないが、どんな個人技であっても『組織』に所属している獣であるならば、群れの動きに忠実であるべきだから」

 

 ……それは、何かの比喩表現? それとも、本当に言ってるのか? たまに蘭子の台詞って妙な説得力があるんだよな……。

 

「……そ、そういうもん?」

「そういうもの」

 

 ……まぁ、蘭子がそう言うなら信じてみようかな。何せ、最初の友達だし。でも、うちの中学の連中かぁ……。正直、あんま良い思い出ないんだよな。

 

「……まぁ、分かったよ。行ってみる」

「うむ」

「なんか、蘭子って口調の割にしっかりした奴なんだな」

「え、そ、そう……?」

「ああ」

 

 驚いてる。もっと自由なタイプだと思ってた。

 

「なんか、ほんとに俺なんかにゃ勿体ない友達だよ。しっかりしてるし、俺なんかにも付き合ってくれるし……」

「え、えへへ……」

「さっき階段で何かの降臨を予期してた奴とは思えないな」

「そ、そんな褒めなくても……今なんて?」

 

 ……あ、やべっ。褒めるのに夢中になって言わなくて良いことまで……。

 

「あー……今のは……」

 

 弁解しようとした時には遅かった顔を真っ赤にした蘭子が、キッと俺を睨んで両手を振り回して来る。

 

「き、虚言者には魔王の制裁をー!」

「ご、ごめんっていうか俺怪我人だからー!」

 

 慌てて避けようと後ずさった時だ。背中を後ろの教室の扉に強打した。直後、ガタッという嫌な音が耳に響く。俺は凍りついたが、蘭子は気付いていない。

 俺の身体が押し倒れるような感覚で、ようやくハッとしたようだ。

 

「「えっ」」

 

 これ……扉外れてる? そう思った頃には、俺と蘭子は後ろに倒れ込んでいた。蘭子に怪我をさせるわけにもいかないので、倒れそうになる蘭子を後ろに右手で突き飛ばしつつ、左手はなるべく何処にもぶつけないように宙に掲げて倒れた。

 

「きゃっ……!」

 

 蘭子は立ったままで何とか堪え、俺だけ後ろにひっくり返った。そんな俺を見て、慌てて蘭子は駆け寄ってくる。

 

「だ、大丈夫……⁉︎」

「平気平気。剣道で転ぶことだってあるし」

 

 転んだ相手への追い討ちは一発までなら認められています。片膝をついた状態で逆胴を打つ事は俺のカッコ良い目標の一つだ。

 

「ごめんなさい……怪我は?」

「いや、ほんと平気だから。元々してた奴以外は特にない」

 

 そう言いつつ、立ち上がる。そんな事より、扉を直さないとまずい。慌てて扉を起こして立てかけ始めた。

 

「ちょっ、片腕じゃやりづら……! ら、蘭子手伝って!」

「あ、う、うん……!」

 

 二人がかりで扉をかけ始めた。この中学も、もう長いこと使われてるから、割とボロボロなんだな……。

 試行錯誤し、なんとか人が来る前に直すことに成功した。単純な作りで良かったわ。

 二人揃って、ホッとしながらその扉の内側で腰を下ろす。

 

「ふぅ……焦ったわ。顧問にバレたら殺される……」

「我が黄金の右手に掛かれば、世界の修復など容易い……!」

「破壊も容易かったよね。……あ、左手が破壊、右手が修復とかカッコ良くね?」

「いただこう!」

「いやいや! 考えたの俺だから!」

「桐原くんは剣士でしょ! 能力なんて似合わない!」

 

 うっ……それを言われると反論が出来ない。特に、剣士であるなら能力は持たず、ピュアファイターである方がカッコ良い。

 

「……ま、良いし。よく考えたらあんまカッコ良くないから」

「うっ……お、お子様!」

 

 そんな風に下らない言い争いをしている時だ。チャイムの音が鳴り響いた。そろそろ授業の時間のようだ。

 残念そうに蘭子はその場で伸びをして残念そうにつぶやく。

 

「あーあ……結局、我が魔王城となる拠点の発見には至らなかったか……」

「確かに……そんな都合の良い場所は……」

 

 ……あれ? つーか、ここじゃね? なんか知らんけど鍵はついてなかったし、使われていない椅子や机が山積みになっていて、今みたいに大騒ぎしても誰も来ない教室……完璧じゃん。

 

「ここだよ。ここで良いんじゃね?」

「え?」

「ほら、鍵もかかってなかったし、椅子と机もある。良くない?」

「……な、なるほど……」

 

 すぐに理解すると、神崎さんは改めて教室の中を見回す。使われてない椅子と机しかない部屋。広さ的には4畳半ほど、一番奥の壁には窓があり、サボるのにも最適そうだ。

 

「うむ。決まりだ。ここを、我らの魔王城とする!」

「俺は多分、基本的にここに来るから、蘭子が来るかどうかは任せるよ」

「分かった!」

 

 自主練も禁止になったし、たまには図書室の本とか借りればここに持ってこれるし。

 そんなわけで、学校内で二人で集まれる教室が決まった。

 

 




蘭子の友達の子は別に誰でもありません。モブですし、もう出て来ません。


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懐き方が警戒心のない小動物。

 さて、翌日の昼休み。俺は早速、例の教室にやって来た。蘭子が来るかは分からないけど、とりあえず本を読んで待機する。明日は休みだし、しばらく蘭子とは会えない。

 ……来るかな、蘭子。まぁ、来ないなら来ないで良いんだけど……別に寂しくなんかないし、一人になるのは慣れてるし別になんでも良いし。

 いいや、とりあえず読書に集中しよう。そうすれば、来なくてもショックを受けることはない。や、だからショックってなんだよ……。

 

「だーもうっ! 早く蘭子来ないかなー!」

 

 そうすればこんな変なモヤモヤした感じ解消されんのに! 

 結局、読書にも集中出来ず、ただひたすら頭を掻き毟ってると、ふと教室の扉が微妙に開かれているのが見えた。その隙間からは、制服姿の銀髪の女の子が覗き見しているのが見える。

 

「蘭子!」

「ーっ……!」

 

 バレた、みたいな顔しているのが丸見えだ。慌ててその扉を開けて蘭子を中に招き入れる。

 

「早く入ってこいよ! なんで中を覗いてんの?」

「未知の領域に入る際、罠を警戒するのは基礎よ」

「拠点だろうが! どの辺が未知?」

 

 思わずガッツリとツッコミを入れてしまった。や、まぁ昨日、出来立てホヤホヤの拠点だからわからなくもないが。いややっぱ分からないわ。なんで警戒してんだよ。

 と、思ったのだが、蘭子はツッコミを入れた俺を恨みがましそうな目で睨みつけている。何? と聞くまでもなく言い放った。

 

「だっ、だって……! ……は、早く……蘭子来ないかなー……なんて、言うから……」

「……聞いてたの?」

「……アレだけの咆哮であれば、世界を震撼させても不思議はない……」

 

 ……なんか痛烈に恥ずかしい思いをしてしまった……。これからはもう少し気をつけないと。

 ま、まぁ、今更恥ずかしがったって仕方ないさ。そんな事より、蘭子と話そう。そのためにここに集まってるんだから。同じ事を蘭子も思っていたようで、向こうから声をかけてきた。

 

「我が剣よ。貴様のクラスでは、もう異国語の知識を測る小規模考査の結果は受け取ったか?」

「え、ど、どうだったかな」

「我がクラスでは、すでに結果が出ている。……こいつを見よ!」

 

 そう言って蘭子が出したのは、試験用紙だった。それも、20点満点中18点というなかなかな高得点を叩き出している。

 

「へぇ、すごいじゃん。蘭子って勉強出来るんだ」

「フッフッフッ、我にかかれば異国語をマスターするなど容易い事よ」

 

 まぁ、普段小難しい言い回しとかしてるしね。あと国語とか社会も得意そう。

 

「我が知識を持ってすればこの程度は造作もない事……フッフッフッ、毎日勉強した甲斐があったわ!」

「小テストのために勉強したの?」

「当然よ。学生という仮初の姿を演じている今、その時々の試練に全力を出すものよ」

 

 む、なるほど……もしかして、部活に入っていないのは勉強に集中したいって事か? 思った以上の真面目ちゃんだな。ま、あの口調が無ければ元々、恥ずかしがり屋で真面目で気配りの出来る子だし、わかってたっちゃわかってた事だけどね。

 改めて、試験用紙を見た。にしても、何がすごいってさ……一番は、やっぱこれなんだよな。

 

「よく全部アルファベット筆記体で書けるよね」

「努力の賜物よ」

「カッコ良いなぁ……俺も描けるようになりたい」

「我が教鞭を振るっても構わんよ」

「マジ? 頼むわ。……あ、でもひとつだけ聞いても良い?」

「?」

 

 声を掛けると、蘭子は不思議そうな顔を向ける。

 俺は試験用紙の名前欄の所に書いてある、薔薇と鳥と猫の絵を囲んでいるアルファベットを指さした。

 

「これ、蘭子のサイン?」

「うむ! それも研鑽と苦労と技術を磨き、ようやく完成した我が落款よ」

「へぇ〜……サインの中に動物を入れるとかすごいな。普通に幻想的だし、カッコ良い……」

「えへ、えへへ……♪」

「でもなんて試験用紙にサイン?」

「我がサインは他にあらず。喩え、それが試験用紙であっても……」

「なるほど……俺もサイン考えてみようかな」

「その前に、まずは筆記体をマスターせよ」

 

 後で知った話だけど、試験用紙にサインを描いたら、必ず職員室に呼び出されていたらしい。今日来るのが遅れたのもそれが原因だそうです。

 そんな話はともかく、とりあえず筆記体の練習を始めた。しばらく粘って文字を書き続け、徐々に上手くなっていく。

 そんな俺の文字を見て、蘭子は感心したように顎に手を当てた。

 

「ふむ……剣の道を歩む者よ、貴様まさかスペル使いの才も持ち合わせていた……?」

「かもしんない。いやー、筆記体簡単だわ」

「むぅ……我はそれなりに苦労したと言うのに……まぁ、良い。それで、まずは己の真名から鍛錬を積むとしよう」

「俺の名前だから……えーっと」

 

 Kilihala kouかな? なんか棒ばっかであんまカッコ良くないや。

 

「む、いや待て」

「え?」

 

 名前を書くと、急に止められた。何? と視線で聞くと、少し動揺した様子で言った。

 

「まず、英語は名前が先、苗字が後に来るだろう。それから、何故『ら』を『la』で表す?」

「……ダメなの?」

「いや、ダメかと言われると分からんが……」

 

 ……あれ、なんか疑いの目になってきてる。

 すると、蘭子は俺が書いたサインの横に、同じように俺の名前を筆記体で書いた。

 

「我なら、こう表す」

 

 Koh Kirihara と書かれていた。

 

「……なんで、Koh? これでコウって読むの?」

「やっぱり!」

 

 うおっ……な、なんだよ急に? 

 

「桐原くん……中間考査の戦績はどうだった?」

「え?」

 

 中間試験か……えーっと、どうだったっけな。成績の良し悪しはあんまり気にした事ないから。母ちゃんには怒られまくったけど、怒られ慣れちゃって怖くないし。

 

「成績って言われてもなぁ……どう言えば良いの?」

「五属性のトータルは覚えていないか?」

「あー、確か……193点かな……」

「ひゃっ……」

 

 え、何その顔。

 

「……ちなみに、内わけは?」

「えーっと……国語87点で、数学4点でー……社会85点、理科3点……あ、あと英語9点」

「起伏が酷い! ていうかそれ188点だよ!」

 

 あれ、計算間違えたか……。昔から算数は苦手なのよ。

 逆に、本をよく読むから国語は得意だし、歴史が試験範囲なら社会も問題ない。地理? 何それ強いの? 

 

「筆記体なんて練習してる場合じゃないよ! 試験勉強しないと!」

「えーなんで? 期末までまだ一ヶ月以上あるよ」

「一ヶ月でも足りないよ多分! え、去年とか何してたの?」

「剣道」

「た、体育会系め……!」

 

 試験期間中もこっそりと道場に忍び込んで練習してた。バレて怒られたけど。

 

「と、とにかく来週から勉学に励んでもらう!」

「え、やだ」

「ダメ!」

「なんで⁉︎」

「今のまんまじゃ高校にも行けないから!」

「スポーツ推薦で良いとこまで行くから!」

「あ、あり得そうだけど……バカ!」

「脈絡がない!」

 

 急に何故、暴言を吐かれた⁉︎

 

「……とにかく、来週から貴様の知力を鍛える。覚悟をしておく事ね!」

「え、いや……いいって。バカでも剣道はできるから」

「追試になるかもよ!」

 

 うっ……それは困るな。練習時間が減るし、顧問にも怒られる。……ていうか、三月に「次、追試になったら一ヶ月、出禁にする」って言われてたっけ……。

 

「ど、どうしよう……剣道できなくなる……!」

「勉強するしかあるまい!」

「それは嫌だ!」

「わがまま!」

 

 喧しい! 勉強嫌いなんだよ俺は! 

 

「……先生に土下座して追試は無しにしてもらうとか……」

「そんなに勉強が嫌なの⁉︎」

 

 嫌だよ。すぐに飽きるし、理解出来るまで時間が掛かるし、特に数学と理科はやる気が出ない。理科も生物系、特に人体の構造についてなら、剣道に応用出来るかもしんないからやる気出るけど、そうでなければマジで無理。

 それに、勉強が出来た所で良い事なんて何一つ無い。うちの母親はともかく、父親も兄貴も「剣道頑張れ」ってタイプの人だし、点数が良いからって自慢出来る友達もいない。蘭子だって「今日試験80点だったよ!」と言うよりも「剣道の大会、一位だったよ!」と言った方が祝福してくれるはずだ。

 

「き、貴様は国語と社会による戦果は上々であろう? 他の科目も同様に吸収されば良いのではないか?」

「俺、国語も社会も勉強してないよ。興味あることはほっといても入ってくるから」

 

 昔からそうなんだよね。国語も古典とかそっちに行くとダメだし、逆に英語は「剣」とか「斬る」とか「突く」という単語は書ける。ん? 英語のそれはなんの証明にもなってねぇな。

 すると、蘭子はとっても仕方なさそうな目で俺を見た後、小さくため息をついた。

 

「……では、追試を回避したら我が褒美をくれてやる、と言っても?」

「……え、褒美?」

「うむ! ……例えば、そうだな。我と共に、下界に降り立って一日、好きに出歩く権利を差し上げよう」

「行く!」

「え……ほ、ホントに?」

 

 え、そっちから誘って来たんじゃん。あんまりな反応に思わず怪訝な顔をすると、蘭子は少し照れたように且つ、確かめるように聞いてきた。

 

「……一応、尋ねさせてもらうが……我が示した言葉の意味を理解している?」

「俺と蘭子で遊びに行くんでしょ?」

「まぁ……そういう事だけど……」

「俺、蘭子と遊びに行きたい!」

「……冗談のつもりだったとは言えない……」

 

 ? 何か言った? 思わず聞き返そうとしたが、微妙に頬を赤らめていて何も言えない。こういう時に余計なことは言わないって事は学んだ。

 

「……まぁ、とにかく……追試の科目が無ければ、我と出掛ける、ということで良いな?」

「よっしゃ、本気出す」

 

 生まれて初めて勉強に対してやる気が出た。

 

 ×××

 

 その日の放課後。何も出来ないのに顔は出さなければならないので、部活が終わった後、帰宅した。

 そのあとは早速、勉強である。大丈夫、やれば出来る。俺はこう見えて努力家なんだ。

 正直、さっぱり分からないけど、とにかく教科書を読み込んでいた。特に数学は本当に無理。わけわからん。

 

「……ぐぬぬっ」

 

 ……なんだ、xって……。なんで言語は各国で別れているのに数式は世界で統一するんだよ。日本式にすれば絶対にもう少しわかりやすくなると思うんだよね。

 例えば、こう……3あ+2=5とか。……だめだ、尚更分かりづらい……。て、余計なことを考えてる場合でもないって。

 とにかく、勉強と頭の中で繰り返している時だ。部屋の扉が開かれた。

 

「コウ、暇か?」

「あ、レオ」

「バカヤロウ、兄を呼び捨てにすんな」

 

 スゲェなこの人、この前と言ってる事真逆なんだけど。

 

「じゃあなんて呼べば良いの?」

「そうだな……兄上とか?」

「殺すよクソ兄貴」

「おまっ、なんて呼び方しやがんだ⁉︎」

 

 そんな話はともかく、とりあえず用件を聞いた。

 

「何か用?」

「暇だろ? ちょっと素振り付き合えよ。そろそろ新しい必殺技欲しくて……」

「いや、今勉強してるから」

「アッハッハッ、面白い面白い。良いから表出ろコラ」

「喧嘩売ってんの?」

 

 何その空笑い。ムカつくんですけど。まぁ、今はこんなバカに構ってる場合でもない。無視して教科書を読んでいると、後ろの兄上からさらに失礼な言葉が飛んできた。

 

「……え、てか本当に勉強してんの?」

「そうだよ」

「……」

 

 ワナワナ、と顔が真っ青になっていく兄上。何事? と思った時には遅かった。兄上は部屋を飛び出していく。

 どこに行った? と思ったのも束の間、大声が聞こえてきた。

 

「お袋! 大変だ、隕石が降って来る!」

「なんだって⁉︎ 何があった!」

「お前らホントブッ転がすぞ‼︎」

 

 たまに思う。この家族まじむかつく、と。

 ようやく落ち着いたレオに、改めて説明した。落ち着かなければならないほど動揺してたのがムカつく。

 一応、とりあえず出会った時の話しておいた。まだ兄貴に話していなかったから。

 

「……だから、まぁ……何? 最近、その友達になった子と『追試回避したら遊びに行く』ってなったから、少しは真面目にやろうと思っただけだよ」

「……ふーん、なるほどな」

 

 正直、怪我していなかったら、それでも真面目に勉強しようと思えたかは分からないが、まぁ現に勉強する気になってるんだし、考えない事にした。

 

「しかし……お前に友達、か……」

「不自然?」

「んにゃ、むしろやっとかって感じだよ。何かに真剣に打ち込んでる奴は、いつか誰かを惹きつけるような奴になるもんだ」

「そっかー……え、俺が惹きつけたって事なの? 目を付けられた、じゃなくて?」

「どっちもだよ。お前が努力してなかったら、その友達はお前と関わろうとしなかったし、その子が目を付けなかったら、お前もその子と関わり合うことはなかったってだけ」

「……奇跡?」

「友達が出来る理由なんてそんなもんだろ」

 

 なるほど……そんなもんなのか……。……ん? でも俺のクラスで友達作ってる奴は、別にそんなに努力してないような……。いや、まぁ他の奴は「同じクラス」とか「同じ部活」とかそういう括りの中の友達だけど、俺と蘭子はクラスも性別も違うのに友達になれたんだ。その方がなんか特別感あって良いや。

 

「にしても、お前その友達の事、かなり気に入ってんだな」

「なんで?」

「スッゲェ楽しそうに語ってたからだよ。惚気話かと思ったぜ」

「……のろけ?」

「ああ、お前思春期もまだだったな。なんでもねえよ」

 

 またその思春期の話か……。蘭子にも同じような事を言われたな。

 

「ホモかよ! ってツッコミを期待してたんだけど……ま、いいや。それより、聞かせろよ。その友達の話」

「えー……勉強……」

「お前にゃどうせ無理だ。今度、うちのクラスメートの頭良い奴連れてくるから、そいつに教われよ」

「いいよ、別に。蘭子に教わる事になってるし」

「お前今なんつった?」

 

 うおっ、なんか急に低い声に……いや、低いというか憎い声に……。

 

「え、ら、蘭子に教わるって……」

「待てコラ。……まさか、友達って、女か?」

「そうだよ」

「んがっ……!」

 

 あれ……何その顔……なんかすごく怖いんだけど……と思ったら……なんか、泣いてる? 

 

「このクソリア充がァアアアアッッ‼︎」

「兄上ぇっ⁉︎」

 

 泣きながら逃走された。下から「あんた何騒いでんの? 殺すわよ?」という母親の静かな殺気が聞こえる。近所迷惑だもんね。

 そもそもリア充って何? ま、邪魔者がいなくなったなら良いよね。黙って勉強しよう。

 そう思って、手を動かし始めた時だ。

 

「コウが……コウが、兄を差し置いてデートの約束を……!」

「はぁ?」

 

 ……え、で、デート? デートって言うと……男と女が一緒に出掛けるアレ? 

 ……え、で、デート? 出掛けた二人は恋人で……よくわかんないけど観覧車でキスする奴。

 ……え、で、デート? ……お、俺と……蘭子が? 

 

「……」

 

 その日はなんだか悶々してしまって、勉強に集中など出来なかった。

 

 



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一番の魅力は無意識な時に。

「なぁ、コウ。その女の子ってどんな子?」

「かわいいの?」

「スタイルは?」

「俺、クーデレが好みなんだけどそんな感じ?」

 

 と、言った具合に、あれから兄上がすごく鬱陶しい。なんなのこいつって感じで。なんかちょっと失望した。兄上は女の子に一切、興味がなく、ただ剣の道を突き進むカッコ良い人だと思ってた。

 土日の間、隙あらばしつこく聞いてきたため、もう本当に鬱陶しくて。

 しかし、俺に「蘭子ってどんな子?」と聞かれても……最近は言って良い事と良くない事みたいなのを自分の中で定めているし、下手な事は言えない。

 朝、登校中に偶々、会った時「煩わしい太陽ね……」という挨拶をいただく、と言ったとして、仮に蘭子が「恥ずかしいから嫌」と思ったら申し訳ない。

 

「と、いうわけで、蘭子。兄上に蘭子の説明をしたいんだけど、どう言えば良いかな?」

「己の美点を自らの口で説明する方が恥ずかしい!」

 

 アレ、そ、そうなのか……? でも黙って恥かかせるより良くない? 

 

「あ、そうだ。ついでに聞こうと思ってたんだけど、今度行く俺と蘭子の外出ってデートなの?」

「そこは隠してよー!」

 

 あ、そ、そこは隠す所なのか……。……ていうか、兄上があんまりに鬱陶しくて忘れてたけど、俺も最初に兄上から聞いた時は恥に近い感情が芽生えたし、当たり前と言えば当たり前か。

 が、すぐに蘭子はほんのり赤くなった顔のまま咳払いをして、改めて答えた。

 

「……別に、デートというわけではない。普通に、我が同胞として共に下界の街で過ぎ去りし刻を堪能出来れば、それで良い」

「だよねー。中学生に恋愛なんてまだ早いよね」

「いやむしろ興味を持ち始める時期だと思うが……とにかく、勉強をだな……」

「あ、待って。その前に蘭子の事、どう説明したら良い?」

「そんなの好きにして……」

「良いの?」

「許可する。とにかく、勉強せよ」

 

 なんだ、良いんだ。確か、まず聞かれてたのは可愛さだったよな……。うーん……。

 

「……つまり、2xっていうのは厳密には2×xを示していて、xがついてる数字同士でなければ、融合も分離も出来ない」

 

 真剣な顔で教えてくれる蘭子の顔を、俺はのんびりと眺めた。……まぁ、ブスではないよね。むしろ、その……何? 過去に出会った女の子の中じゃ、一番可愛……あ、いや違うって。だから俺は女に興味は無いの。剣道一筋なんだから。

 ……でも、こんなクールで可愛……美……き、綺麗な顔してるのに……割と喜怒哀楽が表に出る子なんだよなぁ……。これは、やはり兄上が言う所の「かわいい」という事なんだろうか。

 そんな事を考えてると、俺の視線に気付いた蘭子が顔を上げた。

 

「つまり、ここは=の反対側に4xを転移して……む? ど、どうかしたか?」

「いや、可愛いなって」

「はえっ⁉︎」

「ん? ……あえっ⁉︎」

 

 俺、今なんつった⁉︎

 

「きっ、ききき貴様っ……! いいいいきなり何を⁉︎」

「ちっ、違っ……! 違くて! 兄上的には、蘭子は可愛いのかなって……!」

「それはもういいから!」

「や、で、でも……別に可愛くないってわけじゃなくて……! え、あ、いや兄上がッ……てわけでもないけど……や、えーっと……だから……!」

 

 あー! な、なんだこれ。どうすりゃ良いの⁉︎ 何を言えば良いのか……いや、何を言ってもチャラチャラしたナンパ野郎みたいになる気がする……! 

 クソッ、だから、えーっと……! そ、そうだ。とにかくナンパ野郎と思われなきゃ良いんだ! そこを弁解すれば……! 

 

「え、えっと……アレだ! さっきのは本音だけどナンパのつもりとか邪な考えがあってのセリフじゃないから!」

「……ほ、本音って……」

「あ、いや、だから……!」

「……」

「……」

 

 ……俺も蘭子も頬を赤らめたまま黙り込んでしまう。ああ、終わった……。完全にドン引きされた……。

 小学生の時だって、同じクラスの奴がクラスの女子に「可愛い」って言っただけで、周りから「好きなんだろ」「コクれよ」「ごめんなさい」の三連コンボでいじられ回してたし、可愛いと言われた女の子は普通に引いてた。

 それは中学でも同じ……と、思ったら、蘭子はすぐに自身の目の上に手を当て、片方の手を俺に伸ばした。まだほんのり赤さが残った顔で、照れを振り払うように言った。

 

「フッフッフッ……貴様の審美眼は確かなようだ。我は、美神ビーナスより認められし美姫の一人……故に、貴様を魅了し、楽園に導いたとしても、決しておかしな話ではない」

「……自分で言う?」

「き、桐原くんから認めたんでしょ⁉︎」

「や、でも自分では言わなくない?」

「〜〜〜っ! もういい、貴様との外出は無しだ!」

「あ、ごめん嘘です! 謝るから勘弁してください!」

 

 何とか許してもらった。

 

 ×××

 

 今日は部活が休み。うちの中学では、週に1〜2日は必ず休みの日を作らなければならない。従って、俺も今日は目の前で餌を待たされている犬のような状況にならず帰れるというわけだ。

 まぁ、そんな話はさておき、だ。早速、帰宅するわけだが……俺は別のクラスの教室前で待機していた。

 ……何故なら、蘭子を待っているからだ。

 

「……ゴクリ」

 

 そう、これは俺の初の試みである。つまり、友達と一緒に下校する、というアレだ。

 せっかくの休みの日、誰かと帰れる機会に帰らないのは勿体ない。他人に見られるかも、と思うかもしれないが。こうして待っている分には不自然ではないし、外に出てしまえば傘で隠れてしまうため、男女で一緒に帰っている事はバレても顔まではバレないはずだ。

 俺にしては考えたでしょ? 考えたんだよ、これでも。とにかく、そこで待機していると、教室の扉が開かれた。

 よし、来たな……! 

 

「……」

 

 蘭子、出てこないな……。いや、待ってればそのうち来るか。それに、その方が都合が良い。あんまり早く出て来られると、校内での目撃率が上がるからね。

 そんな時だ。ようやっと見覚えのある少女が出て来た。

 

「……む、我が同志?」

「あー……実は今日、部活休みなんだけど……一緒に帰れたりする?」

「良いだろう」

 

 よっしゃ、やったぜ。

 

「傘ある?」

「勿論」

 

 それだけ話して昇降口に向かった。

 上履きを脱いで靴を履き替えると、外に出る。蘭子が手に持っている傘は、黒くてひらひらしたものがついてる魔女が持っていそうな傘だ。

 

「……ふっ」

 

 ……すごい褒めて欲しそうにしている……。うん、確かにカッコ良い傘だ。非の打ち所なんかない。

 だがしかし、俺だって負けてないからな? まず俺が傘を用意したのは、学生服の袖からだ。手を突き出しつつ、袖口から短い傘を召喚し、キャッチする。

 それと共に取っ手となり得る部位を引き、柄を引き伸ばしつつ、手の周りで回転させて逆手持ちにした。

 

「フッ……」

「カッコイイ!」

「勝った……!」

「そ、それとこれとは話が別だよ! 我が魔傘の方がカッコイイ!」

「カッコ良さとは機能性と仕草だ!」

「見た目も大事!」

 

 お互いにヒートアップしてきた時だ。ふと周りを見ると、こっちを見て何やらヒソヒソ話している。それにより、俺と蘭子は一時的に黙り込み、俯きながら視線だけで「帰ろう」とコンタクトを取り、帰宅した。

 二人で並んで傘を差して、のんびり歩く。

 

「そういや、蘭子は家どの辺なの?」

「機械仕掛けの蛇の背に乗った先にある」

「じゃ、駅まで送るよ」

「む……し、しかし、怪我人にそこまで強いるのは……!」

「せっかくだし、長く一緒にいたいっしょ」

「ーっ……!」

 

 ……あれ、なんか顔が赤くなってる。もしかして、俺またなんか変なこと言った? 

 

「……蘭子?」

「これだから精神が成長しない者は……!」

「してるよ! 俺はこう見えてプレッシャーに負けない程度にはメンタル強ぇんだから」

「……はぁ、本当に何も察する事の出来ないトンチンカンめ……」

 

 なんでそんな事言うの⁉︎

 

「……しかし、その気持ちは我の胸を満たすのに十分である」

「ーっ……」

 

 傘を握った蘭子がそんな風に笑うと、それはもう……い、いやいやいや! 可愛いなんて思ってない可愛いなんて思ってない可愛いなんて思っていない……! 

 

「……あ、あの……一つ良い?」

「む? なんだ?」

「蘭子って……男にモテないの?」

「き、急に何⁉︎」

 

 ……あ、何聞いてんだ俺は。や、でもなんとなく気になったから……。だって、こんなに良い子で可愛……お、男から見たら可愛い子が、なんで俺なんかと一緒に帰ってるんだろうか……。

 

「……いや、何でもない」

「ふんっ、我に魅了されし者は決して少なくない……が、それは決して我が恋心を操りし結果ではない」

「ふーん……よく分かんないけど、でも男の中には蘭子のこと好きな人とかいそうだよね」

「……正直、そういう者がいても我は闇に惑わされ、堕ちた天使と同様、深淵に身を預ける事になる」

 

 て事は、蘭子も何か夢中になってることがあるのか。俺も、今は剣道が楽しいし、あり得ない話だけど万が一の可能性として、誰か女の子に告白されても困るだけだ。

 そういう意味だと、蘭子くらいの距離感がちょうど良いかもしんない。それと同時に、蘭子は絶対に手放しちゃいけないな。

 

「蘭子」

「……はずかしいこと言うの禁止だから」

「どういう意味だよ⁉︎」

「大体、桐原くんが我が真名を改まったように呼ぶ時は、突拍子もなく恥ずかしい事を言う。過去の戦歴から学んでいる」

「別にそんなつもりないから! ……ただ、これからも一生、友達でいて欲しいって思って……」

「ほら言うー!」

「恥ずかしいのかこれ⁉︎」

 

 え、なんでよ。別にこういう事言うの別に良いでしょ……。あ……もしかして、内容じゃなくてこういうことか……? 

 

「……俺と会話するって事が恥ずかしいって事?」

「い、いや……そういうわけではなくて……」

 

 ……何それ死にたい。友達だと思ってたのは俺だけか。まぁ、よくある事だけど。今の部活を弾かれたのも、いつのまにか周りからいなくなってて自分から距離とったパターンだし。

 思わずため息をついてると、隣でらしくなくもじもじした蘭子が、ポツリと呟くように言った。

 

「……そ、その……嬉しくて、恥ずかしいの……」

「……え?」

「だから! あんまりストレートに褒められると、それはそれで嬉しいけど恥ずかしいの!」

「そうなん?」

 

 あんまわからない。剣道とかどんな内容でどんな風に褒められても嬉しいけどね。

 しかし、蘭子はそんな俺の返事が気に食わなかったのか、一瞬だけ冷たい目になると、すぐに表情を変えた。何処か、色っぽさを感じさせるような、そんな表情だ。

 頬を紅潮させ、俺の顔を傘の下から覗き込むような上目遣い、普段の自信満々な表情とは真逆に、不安そうな顔で真っ直ぐを俺を見据えていた。

 

「……あ、あの……桐原くんってさ……」

「うえ? ……お、おう……」

「……剣道やってる姿、ホントにカッコイイ、よね……?」

「っ……!」

 

 え、ちょっ……な、何急に……。なんか、嬉しいには嬉しいんだけど……蘭子を直視出来ないんだが……か、顔から火どころか業火が噴き出しそうな……。

 ……ていうか、蘭子ってこんなに可愛かったっけ……? 下から覗き込まれてるからか……? 普段より、こう……俺の庇護欲みたいなのが湧き出て来る、というか……。

 

「……どうだ?」

「……え?」

 

 ど、どうって何……というか、さっきまでの甘ったるい声とは真逆にいつもの声が……ていうか、いつのまにか表情もいつもと同じものに……。

 

「……嬉しかったけど、恥ずかしかっただろう?」

「……」

 

 ……まさか、こいつ復讐するためにわざわざそんな手の込んだことをしたんじゃないだろうな……。

 まんまと嵌められた事に、思わず俺は今度こそ完全に羞恥心が頭の中を独占した。

 

「い、今のはノーカンだから!」

「フッフッフッ……剣士のヒステリー程、見苦しいものは無い」

「べ、別にお前なんか全然、可愛くねーし!」

「むしろ、我には貴様が可愛く見えて来たが」

 

 グッ……こ、この野郎……! 少しからかうのに成功したからっていい気になりやがって……! 

 悔しさで何を言い返してやろうか頭の中で必死に考えていると、そんな俺の手を取った蘭子が、ぐいっと引っ張って来た。

 

「そう怒るな、我が剣よ。先で使用したのは魅了魔術ではあったが、カッコイイというのは我が本心だ」

「……え」

「それよりも、ゼウスの涙が降りし時に、永き時間を天空の下で過ごすのは、邪気なる風に侵される。早足で帰還するとしよう」

「あ、う、うん……」

 

 ぼんやりした返事をしながら、手を引かれるがまま蘭子の後を続いた。不覚にも、さっきの演技より、手を引いて前を歩いた時の笑みの方が、よほど魅力的に思えた。

 

 



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事務所では(3)

 事務所では、蘭子はとてもご機嫌だった。まず、今日は雨だったからお気に入りの傘を使えた。ちなみに、蘭子が寮の部屋に置いてある傘は全部で5本ある。そのどれもが、カッコイイものばかりだ。

 いや、カッコイイだけではない。それらのデザインは、カッコ良さに加えて鮮やかさ、綺麗さ、美しさのような特化した部位も追加されているのだ。

 これらを使う機会が訪れる雨の日が、決して嫌いではない蘭子だったが、今日ご機嫌な理由は違った。

 

「ご機嫌だね、蘭子。何か良いことがあったのかい?」

 

 そんな蘭子に声をかけたのは、二宮飛鳥だった。そんな飛鳥に、蘭子は微笑みながら答えた。

 

「うむっ! 先程、ようやく生意気な我が眷属を手玉に取ってみせたのだ!」

「え……」

 

 素直な返事に、普通に飛鳥は引いた。その様子を見て、ようやく蘭子はハッと正気に戻る。

 

「あっ……ち、ちがくて! 今のは……その、変な意味じゃなくて、ようやく無自覚に生意気な事を言うガキを懲らしめてやれた、みたいな……!」

「詳細に説明しただけだよねそれ」

「だ、だって〜……」

 

 涙目になる蘭子。ホント、身体の成長の割に中身はからかい甲斐のある中学二年生である。まぁ、今はからかった、というよりは普通に引いたのだが。

 

「あの子、本当に無自覚に人を辱めるんだもん!」

「辱められたのかい?」

「そうなの! 我に我の美点を言わせようとしたり、冗談のつもりで誘ったデートに本気で喜ぶし、き……急に……可愛いとか、言い出すし……」

「……」

 

 一つ目は普通に自己紹介や面接でやる事だし、二つ目は冗談のつもりでも言った蘭子が悪い、三つ目はしょっちゅう言われてるでしょ、と飛鳥の頭に次々とツッコミが浮かんだが、言わなかった。

 

「……まぁ、なんでも良いけどね。それで、どんな風に仕返ししてやったんだい?」

「エチュードの時の『ダメ……』という表情を覚えているか?」

「ああ。僕はやってないけど、MV見たよ。それが?」

「それを応用して仕返ししてやった」

 

 ふんすっ、と胸を張って答える蘭子を見て、飛鳥は尚更、引いた。

 

「……大人気ない事して……」

「同期だ!」

「そういう問題じゃない」

 

 その思春期が来ていない少年というのがどういうタイプの子なのか分からないが、おそらく白坂小梅とかその辺と同じタイプなのだろう。年上なのに年上と思わせない幼さは身の回りにもいる事だし、気にしなけれ良いのに、と思う。

 

「まぁ……でもほら、流してあげれるのが大人の女性ではないのかい? 蘭子」

「うっ……」

 

 確かに、そう言われれば大人気ないことをしたのかもしれない。彼は友達がいないんだし、そこまで怒る程のことではなかった。

 

「……けど、やっぱりムカつく」

「おいおい……」

「生意気な上に、奴の頭はお粗末過ぎる。本物の愚者、というものを我は初めて見た」

「バカって……成績? 社会的に?」

「二刀流」

「僕は、こんなにかっこ悪い二刀流を初めて耳にしたよ……」

 

 不名誉にも程がある刀だった。どうしようもないが、事実なのだから仕方ない。

 

「それで、今はどうしているんだい? そんなに言うなら、縁を切ったりしたの?」

「我は、自らの剣を折るような愚か者ではない。それに、我が剣はこの先において賢者にも知者にも転生するだろう」

「……大丈夫なのかい? 蘭子だって勉強得意なわけじゃないだろう」

「追試回避のために尽力すると誓った。我は簡単に覆すような薄情者ではない」

「いや、そうじゃなくて。……尽力しても勉強出来ないくらいバカだったら?」

「……」

 

 言われて、蘭子は大量に汗をかく。確かに、自分の手に負えない相手なら、それはそれで困るものだ。

 特に、コウには伝えていないけど自分はアイドルだし、一緒に勉強出来る時間は限られている。オフの日だって、昼休みの30分しか勉強に付き合えないのだから。

 

「ま、仮に追試になったとしても蘭子の所為じゃないよ。元々、ちゃんと勉強してなかったその人が悪いんだから」

「しかし、追試を回避した暁には、我と共に二人で街の闇を討ち払う約束をしている」

「へぇー……あ、それが冗談でしたデートの約束?」

「うむ。……褒美をやらないと闘志を抱かない現金な奴故にな……」

 

 それは、確かに面倒だ。剣道へのやる気をそのまま勉強に移せないのだろうか? 

 

「……なんか、聞いている話だと、友達同士というより姉弟のようだな……」

「む、ど、どういう意味だ?」

「友達がいない彼を放っておけなくて、一生懸命やってる剣道は応援してあげて、極め付けは勉強を見てあげる上にご褒美をあげるんだろう?」

「うっ……ま、まぁ、そう言われると……」

 

 ぐうの音も出ない台詞だった。なんだろうか、この世話がかりのような自分の状態は。

 

「実際、姉のような目線で見てあげても良いかもしれないけれどね。何せ、相手は生意気な子供なんだし」

「……我は同い年の男の子の話をしているはずなのだが……」

 

 なんだとても解せなかった。そんな子供が、試合になるとあんなにカッコ良く竹刀を振るい、上級生を押し除けて準優勝を果たしていたなんて……今思っても信じられない。

 そのギャップが、彼の一番の魅力なのかもしれない。自分が彼に惹きつけられ、興味を抱いたのもそういう面だ。

 

「……我はたまに思う。何故、少し性格がアレな人ほど、何かしらの才能に長けているのか、と」

「蘭子がそれを言うのかい?」

「え、わ、私性格アレ……?」

「……いや、僕の言えた話でも無いし、やめておこう」

「? 飛鳥ちゃんはアレじゃないよ? とても優しくて、カッコイイ女の子だよ」

「……」

 

 きょとんと小首を捻って言われ、思わず飛鳥は頬を赤らめて目を逸らす。無邪気な厨二病の目に、思わず飛鳥はイラっとしてしまった。

 

「……なんか、似てるよ」

「? 急になんだ?」

「蘭子とその彼。似てるっていうか、同じだよ」

「な、何をう⁉︎ 我は奴ほど子供ではない!」

「いやいや、君今その彼と全く同じ事してたよ」

「ええっ⁉︎ ど、何処が⁉︎」

「教えない」

 

 言わない方が、案外、蘭子のためかもしれないし。

 

「でも実際、勉強はどうするんだ? 蘭子だけで見るにしても限界があるだろう」

「うむ……我も国語と英語の知識は授けられるが、彼は国語の点数はやたらと高い。英語の才を伸ばす以上の事は出来んかもしれぬな……」

 

 特に数学は勘弁して欲しい。足し算も危ういのだから。

 理科はありがたいことに、今回の範囲は人体の構造なので問題ないだろう。

 社会も江戸時代の話だから何とかなると信じている。

 ……しかし、やはり数学はどうしようもない。

 

「……仕方ないな。僕が助太刀しよう」

「え……?」

「別に得意なわけではないけど、蘭子もその彼と共に楽園へと馳せ参じたいんだろう? ならば、手を貸すのもやぶさかではないよ」

「良いの?」

「構わないさ。……それに、蘭子の男友達というのには興味があるからね」

 

 私の? と思ったが、よくよく考えれば自分だって飛鳥に男友達ができたら気になるもんだ。

 

「良いけど……しかし、飛鳥ちゃんが好む相手とは限らんよ。我が剣は、非常にクセのある……それこそ、ゼウスと対峙しても自らの意思を貫き通す剣士。常人には対話する事さえ不可能」

「ふふふ、蘭子ともあろうものが曇り眼鏡になったものだね。このセカイから拒絶されし僕が、常人に見えるのかい?」

「いや、そういう意味では無く……」

 

 正直に言うと、何となく察していた。飛鳥とコウは絶対に相性が悪い、と。何となくだが、喧嘩が始まる気さえする。

 勿論、協力してくれるのはありがたいのだが、それ以上に危機感を抱いてしまうのだ。

 どうしたものかと頭を悩ませていると、そんな二人の間に新たな人物が顔を出した。

 

「二人とも、何の話をしているの?」

 

 声を掛けてきたのは、みんなのお姉さんとも言える新田美波だった。

 

「女神ヴィーナスの加護を持ちし者……!」

「ふふ、そんな事ないわよ。大袈裟ね」

「闇に呑まれよ!」

「はい、お疲れ様です」

 

 ある程度なら蘭子語を頭に入れている美波は、本当に女神のようなお淑やかさで挨拶してくれる。

 そうだ、この女神様ならあるいは……。

 

「あ、あの……美波さん!」

「? なあに?」

「我が剣に、世界の真理とも言える叡智を授け、我と共に妖刀・村正の斬れ味に更なる磨きをかけよ!」

「……え、えーっと……私も流石に日本刀の研ぎ方は……」

「美波さん、数学を友達に教えてあげて欲しいんだって」

「え、わ、私が?」

「飛鳥ちゃんが彼と関わったら十中八九喧嘩になるから」

「どういう意味だ蘭子⁉︎」

 

 あっさりと本音をバラした蘭子に、今にも「裏切られた!」と言いたげに飛鳥は顔を向けた。

 

「そのままの意味だ。我が同胞と我が剣の相性は、オリオンとサソリのように悪い」

「なっ……ら、蘭子だって、決して良いわけじゃないだろう⁉︎」

「我には、味方をも斬り裂きかねない斬れ味を制御する魔力がある」

「さっきまで愚痴ってたくせに!」

「毒抜きは誰にでもある!」

「ま、まぁまぁ二人とも! 少し落ち着いて?」

 

 徐々にヒートアップしてくる2人の間に美波が入った。

 

「事情は分からないけど……とにかく、蘭子ちゃんのお友達に勉強を教えるって事で良いのかな?」

「うむ。頼まれて欲しい」

「良いよ。……そういえは、もうすぐ期末テストの時期だもんね。みんなでお勉強会、しよっか」

「え」

「そうだね。まだ一ヶ月くらいあるけど……偶像である僕らは勉強する時間も限られているからね」

「蘭子ちゃんは、それで良い?」

「わ、我は構わんが……」

 

 正直、あまり人数を増やして欲しくない。自分は構わないけど、多分、コウが気まずさを感じてしまうと思うから。

 子供は純粋だけど、純粋だからこそ男女差を感じる子供もいる。要するに「男の癖に女より力が弱い」とか「男の癖に女より身長が低い」とか。恐らく、コウもそういうのを気にし、言い訳するより自分を磨き上げたのだろう。

 逆に「男の癖に女より頭が悪い」とはあまり聞かない。だから、勉強には一切、興味を持たなかったのだろう。

 さて、そんな男の子1対女の子3(内1人は大学生)で勉強会なんてしたらどうなるか。

 

「……たまにはあたふたする桐原くんも見たいかも」

「? 蘭子ちゃん?」

「な、何でもない」

 

 嗜虐心が芽生えて、許可してしまった。

 

 



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思春期が遅いと苦労が多い。
向いてないよ、そういうの。


「え、だ、大学生がわざわざ?」

 

 まだまだ続く梅雨の日、昼休みに蘭子からそんなことを聞いた。話によると、蘭子の友達の大学生が俺に数学を教えてくれるそうだ。

 

「うむ。感謝せよ、我が剣よ!」

「いや、頼んでないんだけど……でも、まぁ感謝するよ」

 

 蘭子と二人で出かけるためだしな。

 

「でも、俺怪我してても部活には顔出せって言われてるし、毎日は無理よ」

「分かっている。一応、ヴィーナスには月曜日のみ可能と伝えてある」

「あー、それは助かるけど……」

 

 まぁ、どうせしばらく勉強くらいしかやること無いんだし、可能な日を教えておこうかな。

 

「あと、今週の土曜日も空いてるよ。腕の調子を見てもらうために病院行くから」

「了解した。では、その日も伝えておこう。……とはいえ、少し急かもしれんが……」

 

 そう言いつつ、手帳にメモをする蘭子。その間、俺は教科書の問題を解いてノートに書き写す。

 

「出来た!」

「ふむ、では拝見……って、出来てない! だから=の反対側に行った時、属性が反転するとアレほど!」

「ええ……もう、面倒臭ぇな」

 

 怒られたので、解きなおす。や、まぁ考えりゃ分かるんだよ。要するに移動する事で辻褄を合わせてるんでしょ? なんか大して当たってもないのに決めだけをしっかりして一本もらう剣道みたいで好きじゃないのよ、そういうの。

 改めて問題を解き続けていると、ふと視線を感じる。顔を上げると、蘭子が俺を真っ直ぐ見ていた。それにより、俺は慌てて目を逸らしてしまう。

 

「っ……桐原くん」

「な、何」

「……気の所為なら悪いのだが……今日は何故、我と眼を合わせない?」

「え、そ、そう?」

「うむ。合うと、すぐに逸らしてしまうだろう」

 

 ……あー、なんだろう。自分でも分からないんだよ。ただ、今朝からやたらと蘭子の顔を正面から見るのが恥ずかしくて……。

 ……いや、正確には今朝、というより昨日からなのかもしれないが。しかし、目も合わせないのは失礼だよな。剣道だって先生の話を聞く時も、敵と相対する時も必ず目を合わせる。

 

「そんな事ねえよ」

「そ、そう?」

「おら」

 

 疑い深そうな目で睨まれたので、俺は正面から睨み返す。

 俺の視線の先にあるのは、蘭子の端麗な容姿。その瞳は吸血鬼のように赤く、少し吊り目気味に鋭くなっている。まつ毛は程よく長くて、それがぱっちりとした目を強調していた。

 鮮やかな銀髪を束ねたツインテールは下半分は竜巻のように渦巻いていて、それが鮮烈さを際立てていた。

 形の良い桜餅のような唇は、普段は不敵に微笑んでいるが、今日はむしろ不思議そうに少し違っていた。

 そんな何気ない表情が、やっぱり可愛くて……って、だから可愛くなんか無いってば! 

 

「っ……」

「ほら、目を逸らした!」

「えっ……」

「何があった? 微妙に頬も紅潮している。疫病に侵されたか?」

「な、何でもないから!」

 

 慌てて目を逸らし、問題に専念した。ダメだ、認めるのはシャクだけど、今日の俺は何処かおかしい。理由が分からない以上、下手な事をするべきじゃない。

 えーっと、=の先に移動して属性が反転して+が-になって……。この後どうすんだっけ? 

 

「……で、なんだっけ」

「顔色が悪い。呪いを受けたのか?」

「や、そっちじゃなくて。=の先に転移した後」

「あ、ああ。能力xを持たざる者同士で計算せよ」

「つまり……4x=12?」

「世界の真理まで、あと一歩よ。それを4×x=12と心眼を以て見極めよ。その後、自ずと答えが……」

「x=12-4か!」

「違う!」

 

 ち、違うのか……。や、でも他に可能性が見当たらないんだけど……。

 

「かけ算の場合は反対側に割り算で移動するって言ったでしょ」

「あー……じゃあ、4=12÷x?」

「分かり合えない者同士による計算不可よ! x=12÷4!」

「あ、そうすりゃxが孤立するのか」

「ふぅ……苦労する」

 

 すみませんね、苦労をかけて。これからはもう少し勉強しようかな。……いや、無理だ。多分、部活始まったらまた剣道に夢中になる。

 

「……x=3?」

「正解!」

「っしゃオラ!」

「うむ。少しエデンの園に身を預けよう」

 

 休憩か……。なんか、かなり長かった気がする。しかし、昼休みに休憩を入れるってなんだろうな……。俺ってもしかして、今、学校で一番勉強してるんじゃないだろうか。

 

「どう? 少しは頭良くなった?」

「禁断の果実を二口齧った程度で叡智が身につく事はないわ。気を長く精進する事ね」

「やっぱりかー。……あー、最近暇なんだよね。家でも勉強以外にする事とかないし……なんかスマホゲームとかやろうかな」

「えっ」

「え?」

 

 なんだろ……なんか蘭子の激震に触れるようなこと言ったかな。

 

「桐原くんは悪魔の辞典に己が別半身を生み出す呪文を備えていないのか?」

「ごめん、何言ってるのか分かんない」

 

 久々に翻訳できなかった。スマホに何を入れてないって? 

 

「つまり、その……スマホゲームを入れていないの?」

「スマホゲームっていうか、アプリも入れてないよ。L○NEと剣道関係と、元々入ってる奴だけ」

「……え、嘘だ」

「嘘つく理由がないんだけど……あ、今日スマホ持って来てるから見る?」

 

 親が共働きなんだよね。母親が遅番の時は学校にも持ってきてる。絶対に校内では出さないって言う約束でね。

 本当は出しちゃいけないんだけど……でも、この教室には俺と蘭子しかいないし、蘭子は他人に言うような子じゃないし、良いかなって。

 

「……本当にゲーム入ってない……こんなにスッキリしたホーム画面初めて見た……」

「蘭子は何かやってるの?」

「我が悪魔の辞典に掲載されているページは多い。FGO、グラブル、シャドバのような我が第二の人生を歩むアプリや、インスタやTwitterのような我が触媒により世界を把握する物もある」

「ふーん……いろいろやったんだな」

 

 はっきり言ってどっちも興味無い。……でも、なんか蘭子の目が爛々とし始めてるんだよなぁ……。なんか、剣道の話を聞いてる時とはまた違う感じ。おかげで、今度はその輝きから目を逸らしても突っ込まれなかった。

 

「では、我と共に第二の人格を生み出そうではないか?」

「何が『では』なのか分からないけど、良いよ」

「なら、まずは空の旅からである」

「はいはい」

 

 グラブルもFGOもCMで見た事ある。まぁ、チラ見した程度だから覚えてないけど。

 言われるがままグラブルをインストールし、なんかモ○ゲーに登録させられ、長い時を経てようやくゲームを始めた。

 主人公は男にした。だって俺男だし。

 

「これストーリーって読んだほうが良いの?」

「我は毎回読んでいる」

「じゃあ読もう」

 

 なんか森にいたらなんか女の子を助け、なんか兵隊に襲われ始めた。その後、すぐに戦闘が始まる。

 

「え、兵士二人を相手に戦うの? 絶対勝てないでしょ」

「黙って進めて!」

 

 怒られちゃったよ。や、でも無理だって。俺なら逃げるフリをしつつ、地の利を活かして急襲を繰り返しつつ敵の戦力を減らすね。

 戦闘開始した場面では、主人公と思わしき男の子と、敵の甲冑で身を包んだ男二人が対峙する。

 出ているボタンは「攻撃」「回復」「オート」「スピード」の四つ。こんな向かい合った状態で隙もクソもあったもんじゃない。よって、攻撃を押しても躱されるのがオチだろう。

 回復は、まだ攻撃を喰らってもいないのに押す必要がない。オート、というのはちょっとよく分からないのでスルー。

 従って、正解はスピードだ。おそらく、足を使って敵を撹乱する作戦だろう。中々、悪くないな。

 

「……何やら色々と逞しい想像でシミュレーションしているようだが、攻撃を押す以外に道はない」

「え、そ、そうなの? 絶対、避けられるでしょ」

「避けられない!」

「いや避けられるって。こんなお互いに剣を抜いて仁王像みたいに対峙してる中、攻撃が当たったら、それ向こう赤ちゃんとしか思えな」

「そういうゲームじゃないから!」

 

 まぁ……そこまで言うなら攻撃するよ。結果は見えてるけどね。渋々、ボタンを押してやると、見事に攻撃が当たった。まぁ、やり返されたが。

 

「……バカな」

「どこまでショック受けてるの!」

「や、だってあんな状態でガードされないとか……え、こいつら全員俺より弱くない?」

「……もうやめたら? 向いてないよ、ゲーム全般」

「え、あ、わ、分かったよ。少し黙ってプレイするよ」

 

 今の、ガチトーンだった。や、でも剣道やってる身からしたら言わずにはいられないんだけど。

 

「貴様にも分かるよう説明してやろう。この戦闘はあくまで『ゲームとして』の戦闘に過ぎない。従って、実際の戦闘ではキチンと読み合いがあった上での攻撃となっている」

「……あー、じゃあこれがアニメや漫画になったら、もっと激しい斬り合いがあったって事?」

「そういうこと」

 

 なるほどね……。それなら、まぁ納得かな。考えてみれば、こんな小さい画面でそんなアクションがあってもやりにくいだけだわ。読み合いとかになったらコンピューターに絶対勝てないし。

 

「……え、じゃあこのゲームってボタンをポチポチ押すだけ?」

「うむ」

「面白いの? それ……」

「我を楽しませる程度の深さはある。……特に、武器やアイテムはカッコ良いものばかりだから」

 

 ああ、それ目当てなのか。……まぁ、蘭子が一緒にやりたいって言うなら、俺も少しはやっても良いかな。一緒に語る相手がいると楽しくなるのはよく分かる。俺も剣道とか、相手が素人の蘭子でも話を聞いてくれるだけで楽しかったし、それが同じ同じものをしている仲なら尚更だ。

 それに、もしかしたら課題である「自分から仕掛ける技」を学べるかもしれない。……いや、それは無理だね。肝心の戦闘シーンは腕を振ってるだけだし。

 

「……とりあえず、我が盟友になっておこう」

「盟友?」

「フレンドっていう機能で……」

 

 そんなわけで、怪我をしたしばらくの間、ゲームと勉強をする事になった。

 

 ×××

 

 その日の夜。もちろん、俺にとってはゲームよりも蘭子とのお出掛けなので、ゲームは「島ハード」とかいう奴のとこまで進めて勉強に戻った。

 

「……ふぅ」

 

 しかし……やっぱりダメだ。勉強面白くない。なんでこんなに楽しくない事は頭に入らないんだろうか……なんか、たまに自分で自分が嫌になるよ。

 まぁ、そんな俺のために蘭子は今度、自分の大学生の知り合いを呼んでまで、俺に勉強を教えてくれると言い出したわけだが。

 

「……なんか、蘭子って姉ちゃんみたいだな」

 

 なんか情けねえや。とても同い年とは思えないくらい、周りに気配りができる子だ、口調以外。部活という組織に所属しておきながら、協調性がなさ過ぎて孤立している俺とは大違いだ。

 ……もう少し、大人になった方が良いのかな。

 そんな事をポツリと思った時だ。スマホが震えた。蘭子からのL○NEだった。

 

 ブリュンヒルデ『闇に呑まれよ!』

 ブリュンヒルデ『ヴィーナスから下界降誕の許可が降りたが故、初回の数式の真髄を理解する神界評議会は、ウィークエンドに開いていただけるようだ』

 

 マジかよ。急なのに許可降りたんだ。まぁ、それはそれで良いんだけどさ。

 

 コケコッコウ『了解。わざわざありがとな』

 

 それだけ返すと、とりあえず勉強を中断した。良い機会だ。俺ももう少し大人になるために、それまでに色々と調べておくか。

 そう決めると、スマホで「大人の男」で調べ物を始めた。

 

 



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悪意無きいじめほどたちの悪いものはない。

 病院で腕を見てもらったが、このままなら三週間後までには確実に治るそうだ。

 逆に言えば、三週間もの間、剣道は封印である。ざけんなバーカ。そんなには長く待たないんですけど。よりにもよって三本逝ったからかなぁ……。

 もう二度と無茶な真似はしない。いや、反射的に出たんだけど、それすらも気をつけるようにしないと。

 よし、じゃあ行くか。これから、お勉強会である。なんか参加者が俺抜いて三人とか言ってたな。結局、大人の男がなんたるか、なんて分からなかったし、俺に出来る範囲で気を使うようにしよう。

 待ち合わせ場所は、確か駅の改札だったな。兄上と共に病院を出ると、軽く挨拶する。わざわざ俺に付き添うために部活を休んでくれた。こう言うとこは本当に尊敬出来る兄上だ。

 

「じゃ、兄上。俺、今から勉強会だから」

「ん、そうか。……じゃあ、俺も行くわ」

「お前急に何言ってんだ?」

「バカヤロウ、その勉強会には他にも女の子が来るんだろ? もうそれ合コンみてぇなもんだろうが」

「わざわざ俺のために時間作ってくれてんのに合コンにされてたまるか。頼むから帰れ」

「安心しろ。俺も勉強道具は持ってきている」

 

 なんの荷物かと思ったら、そのバッグの中、勉強道具だったか。

 と思って見せて来たのは、銀魂の単行本だった。

 

「何の勉強に行くんだよ。頼むから大人しくしててくれない?」

「とにかく、俺も行くから」

 

 ……こうなったら聞かないからなこの人……。

 結局、待ち合わせ場所に一緒に向かってしまった。改札の前に行くと、既にすごい目を引く三人組がいた。

 銀髪の蘭子と、長い甘栗色の髪の背が高い人、そして何故かもみあげが紫の女の子だ。

 ……え、俺あの中に入っていくの? 緊張が跳ね上がったんですけど。死んじゃう。

 ていうか、他の二人もメチャクチャ可愛……き、綺麗? な人達じゃん。どういうことなの。特にあの後ろの茶髪の人とか……。

 

「おい、コウ。どこの子? 合コ……勉強会の人達」

「さ、さぁ……」

 

 思わず玉虫色の返事をしてしまった時だ。俺に気づいたバカ魔王が元気に手を振ってきた。

 

「む、我が剣! 闇に呑まれよ!」

 

 ……バレタ。そりゃバレるわな。隠れてないし。小さく手を振りながら兄上の顔をみると、大量に汗をかいていた。

 

「……お前、あの方達のとこ行くの?」

「そうだけど?」

「……俺帰るわ」

「なんで?」

「じゃあな」

「おい、ちょっ……!」

 

 ふっと姿を消した兄上は、走って帰ってしまった。あいつ……周りが美人過ぎてビビったな……。ホント、情けない奴め……。

 ジト目であのバカ兄貴を睨んでいると、いつのまにか目の前まで来ていた蘭子が俺の手を引いた。

 

「ふふふ、煩わしい太陽ね」

「もう昼だけどな」

 

 今起きたの? と、思いつつ、蘭子の立ち姿を見る。その服装は当たり前だが私服姿だった。黒いひらひらしたのが沢山ついてる‥‥なんて言うんだっけ。ゴスロリか。とても蘭子らしいや。

 ……なんだろう。この感情。なんというか、新鮮というか……って、綺麗とか思うなってばだから! 

 そんな俺の複雑な気も知らず、蘭子は俺に声を掛けてきた。

 

「古の戦で負った不治の傷に、施しの神の笑みは授かったのかしら?」

「え? あ、ああ。完治まで三週間だとよ。わざわざ心配してくれてありがとうな」

 

 そうだよ、心配してくれてんのに下心あるような目で見るな。今日は片手腕立て100回だな。いや、母親に殺される、やめておこう。

 

「我が妖刀は、例え刃こぼれしたとて打ち直せばそれ以上の斬れ味となって還って来ると信じている」

「当然だろ」

 

 県大会じゃ、絶対優勝してやる。こう見えて毎日、イメトレはしてるんだぜ。

 

「……すごいや、美波さん。蘭子の言葉を理解した上で、標準語でごく普通に会話してるよあの子……」

「とてもシュールな絵だね……」

 

 そう言った二人に気づき、蘭子は紹介してくれる。

 

「我が剣よ、まずは我が魂と共鳴せし盟友、セカイから拒絶されし者よ。仮名を二宮飛鳥」

「よろしく」

 

 微笑みながら手を振る二宮さん。それに、俺も剣道の試合前に行う、30度前方に上半身を傾けるお辞儀で返した。

 ……分かってたことだけど、この子が多分、蘭子の同級生だよね。て事は……。

 

「そして、彼女が女神ヴィーナス。人間での仮名は新田美波さん。貴様に魔の数式を授ける神託の使い手よ」

「仮名じゃなくて本名だけど。よろしくね、桐原くん」

 

 ……やっぱこっちが先生か……。思わず目を逸らしながら会釈してしまった。

 ……なんというか、綺麗な人だな。蘭子の話では、俺と6つ、兄上とは4つしか離れてないんだよな……。

 たったそれだけなのに、なんだかとても大人びて見えてしまう。大学生ってすごいんだな……。

 ジッと見過ぎていたからか、キョトンと小首を傾げる。そんな仕草もとても綺麗で……。

 

「って、ちっがーう!」

「き、桐原くん⁉︎」

 

 綺麗とか思うなって! バカか俺は! そもそも俺は女の人をそう言う目で見てない! 

 自分の額を殴って正気に戻すと、なんとか息を整える。そんな俺の肩に、蘭子が手を置いた。

 

「な、何があった魔剣使い?」

「……大丈夫だ、蘭子……」

 

 そう思って隣の蘭子に、思わず顔を向けてしまった。最近、目を合わせる事が出来なかった蘭子の瞳が目の前にある。

 それに、思わずギョッとしてしまい、一歩下がってしまった。

 

「……き、桐原くん……?」

「ちょっ、近いから……」

「あ、ご、ごめん……?」

 

 くそ、ホント最近の俺はおかしい……。こんなことなら、兄上を引き止めればよかったか? 昔は女の子を前にしてもこんなに乱れる事は無かったのに……。

 

「桐原くん……?」

「大丈夫? どうかしたの?」

「……大丈夫っす」

 

 ……二人揃って無邪気に小首を傾げるのがまた腹立つ。まぁ、お陰で冷静にはなれたが。

 そんな俺に、蘭子が続けて紹介を行った。

 

「既にお二人には伝えておいたが……彼が、我が魔剣、如何なる闇が立ち塞がろうと、必ずその手で斬り払いし者、桐原コウ」

「あ、えーっと……よろしく?」

 

 で良いのかな。自己紹介なんて経験がないから分からん。部活に入る時だって、何度も顔出してたからか、既に知られてたし。

 ……最初は先輩達も優しかったのになぁ。ま、剣の道は孤独じゃなければ歩めぬものよ。

 

「……じゃ、いきましょうか」

「? 何処に?」

「神界評議会の会場よ」

 

 勉強会場聞いてなかったわ。

 

 ×××

 

 え……なんで? なんで、どゆこと? なんで新田さんの部屋に来るの? てか一人暮らしなの? もうモロに大人じゃん大学生。

 

「……じゃ、始めましょうか」

「開戦の狼煙を上げよ!」

「ふふ、僕を拒絶せしセカイと、また邂逅を果たさなければならないとはね……」

 

 どうでも良いけど、二宮さんのその言葉はなんなの? 蘭子の友達ってこんなのばっか? 

 

「で、桐原くんは数学を教えて欲しいんだっけ?」

「あ、はい」

「どこが分からないの?」

「蘭子に教わったからある程度は理解できましたよ。=の奥に転移すると、属性が反転するって奴」

「……うん。まぁ、大体分かったよ」

 

 後で知った話だが、これは中1の範囲らしい。ホント苦労かけてすみません……。

 そんな話はともかく、勉強である。蘭子と二宮さんが黙ってペンを走らせる中、俺は新田さんの話を黙って聞きながら問題を解いた。

 

「……うん、正解。要するに、まずはx=の形にすれば簡単に解けるんだよ」

「つまり、アレか。本当に算数の延長線上にあるんだ」

「そういうこと。じゃあ次の範囲に行こうか」

 

 さすが、大学生だな……とても分かりやすい。

 次の範囲は……次はxとyですか。いい加減にしてもらえませんかね……。アルファベット呼びすぎでしょ。

 

「大丈夫だよ、桐原くん」

「え?」

 

 半歩くらいこっちに近寄った新田さんが、ペンを持ってxとyの2文字が含まれた数式に線を引く。

 

「文字が増えても厄介に感じるのは最初だけ。今までの応用だけだから、頑張っていこう」

「に、新田さん……」

 

 ……やっぱり、大人の女の人なんだなぁ。なんていうか、優しさが胸に響きました。優しい上に綺麗だなんて……なんて女の人なんだ。こんな人、俺の周りにはいなかった。今年の一月に、部内戦で完封で負かした女子の部長は、帰りに俺の靴の中に画鋲置いていったし。優しさ以前というか性根が腐ってる。

 いや、今はあんなのどうでも良い。それよりも、勉強に集中しないと。

 

「じゃ、まずは単項式と多項式ね」

「はい!」

 

 この人が先生なら、もっとやる気出すぜ。

 そう決めて、勉強を続けた。蘭子からの鋭い視線に気が付くことなく。

 

 ×××

 

 気がつくと、外は日が沈もうとしていた。それに気付いた新田さんが、立ち上がる。何かと思ったら俺の頭に手を置いて撫でてくれた。

 

「もう暗くなって来ちゃったし、ご飯食べて行く?」

「良いんですか⁉︎」

「うん。飛鳥ちゃんと蘭子ちゃんもどう?」

「いただきます」

「……食べます」

「じゃ、少し待っててね」

 

 言いながらエプロンを装備する新田さん。なんかもうその仕草が手慣れててすごくカッコ良い。俺もこんな大人になりたい……。

 

「なぁ、蘭子。新田さんてすごくカッケェな!」

「ちょっ、君……」

 

 ピクッと蘭子の片眉が上がると共に二宮さんが止めに入りかけるが、俺はやめなかった。

 

「勉強も出来て料理も出来て背も高くて……オールラウンダーじゃん!」

「……」

「よくよく考えたら、いくら俺が強くても、もし無人島に漂流したら、食材を確保出来ても調理ができなかったり、知識がないとその食材が食えるかどうかも分からないしな……」

「……」

「今まで出会った人の中じゃ、兄上の次にカッコ良いわ! ……そう思わん?」

「……」

 

 声を掛けると、蘭子はキッと俺を睨みつけた。その表情は、どういうわけか怒気に溢れている。

 なんで怒ってんの? と思ったのも束の間、蘭子は俺の胸ぐらを掴み、目の前で怒鳴った。

 

「我の方がカッコイイもん!」

 

 うおっ、急に何の話だ? 

 

「わ、我だって料理くらい出来るし、勉強だって文系科目なら苦手じゃないから!」

「えー、でも運動神経悪そうだもん」

「んなっ……!」

 

 直後、さらに頭に来たのか、蘭子は口を半開きにし、二宮さんは「バーカ……」と言わんばかりに額に手を当てた。ちょっ、あなたもさっきからなんなの? ほとんど関わりないのに。

 

「み、美波さんは運動できそうに見えるって事⁉︎」

「少なくとも蘭子よりは」

 

 すると、蘭子は本当に頭にきたのか、キッチンにのっしのっしと足音を立てて歩いて行った。

 

「ちょっ、蘭子ちゃん? どうしたの?」

「来て下さい!」

「い、今手を洗ってるか……きゃあ!」

 

 無理矢理、新田さんを連れてきた蘭子は、自分の前に押し出して聞いてきた。

 

「貴様の審美眼に尋ねる、どの辺が運動能力の高さの根拠になる⁉︎」

 

 ほう、おもしろい。腐っても運動部にその勝負を挑むのか。上等だよ。

 俺も新田さんの前に歩き、まずエプロンをめくって脹脛を掴んだ。

 

「ちょっ……き、桐原くん⁉︎」

「まずこの足! 脚を使う人じゃなきゃつかない筋肉と、それでいてダラシなく脂肪のついてない脹脛だよ! これは運動音痴には無理だ!」

 

 続いて、次に触れたのは両腕だ。その上腕三頭筋と前腕部に手を置く。

 

「あとこの引き締まった両腕! おそらく棒状のものを扱うスポーツをやっていて、ただ毎日ジョギングしている程度じゃ付かない筋肉! 明らかにダイエットの副産物でもない!」

「あ、あの……解説しないで……!」

「ぐ、ぐぬぬっ……!」

「蘭子ちゃんも悔しがっていないで止めて⁉︎」

 

 新田さんの悲壮感に溢れるツッコミを無視し、さらに解説を進めた。最後に触れたのは、お腹だった。外側から触っても、薄らと六つに割れているのがわかる。

 

「ひゃあっ!」

「あとは、この腹筋! 腹直筋を六つに割るのはすごく大変なんだぞ! 間違っても腹が出ているようには見えない……こんな引き締まった身体をしてて、運動神経が悪いなんて事あるか!」

「うっ、ううっ……!」

 

 ふっ、勝ったな……。涙目になる前に白旗をあげれば良いものを……。己の審美眼に酔いしれていると、蘭子がとうとう噴火したように言った。

 

「馬鹿ッ‼︎」

「何が⁉︎」

「私が一番カッコよくなきゃヤダ!」

 

 何その子供みたいな言い草⁉︎ いつもとのギャップがあって可愛……いや、可愛いというか少し良かったというか……。

 思わず頬を赤く染めて目を逸らしている時だ。今まで黙っていた二宮さんが立ち上がった。

 

「でも、蘭子も十分、筋肉質な身体ではあるんじゃないか?」

「え?」

「ほら、桐原くん。蘭子の脚を触ってみなよ」

「ちょっ……あ、飛鳥ちゃん⁉︎」

 

 急に頬を赤らめる蘭子。その蘭子に、二宮さんが耳元で囁いた。

 

「……大丈夫だよ、蘭子。あの子は子供みたいなもんだし、子供と遊んであげてるみたいなもんだろ? (小声)」

「……ええ、でも……」

「……彼、美波さんの足や腕に触れても何の反応も示さなかっただろう? 本当に思春期なんて来ていないんだよ(小声)」

「そ、そっか……」

 

 何を話してるか知らんけど納得したようだ。すると、蘭子は椅子に座り、スカートを若干、たくし上げる。

 へぇ……しかし、蘭子も運動とかするのか? この前、俺が見学してる間に見えた体育の授業だと、バレーボールのサーブで空振りして頭に打ってたからそんな感じしなかったんだけど。

 でも、正直、興味はある。剣道も下半身が重要なら所あるからな。もしかしたら、案外参考になるのかも……と、思って蘭子の足に手を伸ばした。

 何故か、俺はそこでふと蘭子の顔を見上げてしまった。下から覗き込んだその顔は、若干、頬を赤くしつつも、足に自信があるのか「カッコイイと褒めてもらえる」と言わんばかりにソワソワしていた。その表情が、やっぱりなんか可愛く……綺麗……いや、魅力的……と、とにかくなんか良く思えた。

 そう思った直後、手が空中でピタッと止まる。

 

「……桐原くん?」

「……ねぇ、蘭子」

「な、なんだ?」

「その……触らなきゃダメ?」

「……はい?」

「あの……なんか知らないんだけど……蘭子に触れると思うと、恥ずかしい……」

「「……えっ」」

 

 声を漏らしたのか新田さんと二宮さん。何その意外そうな顔……なんか知らんけど恥ずかしいからその顔やめろ。

 思わず俺の視線が、無意識に睨んでいるように見えたのだろうか。新田さんと二宮さんは目を逸らし、蘭子に目を向けた。

 その視線が集中した蘭子は。しばらく意外そうな目で俺を見た後、ムスッと頬を膨らませ、俺の頬に足を伸ばした。

 

「そんなのが通るかー! 魔王のプライドを弄んでおいてー! 我の脚と美波さんの脚、どっちがカッコイイか結論を出せー!」

「ど、どっちでも良いだろ! どっちもカッコ良い!」

「だめー! 白黒ハッキリつけてよ!」

「あ、謝るから勘弁して!」

「魔王が勘弁するかー!」

「なんちゃって魔王の癖にー!」

「だ、誰がなんちゃって魔王だ、なんちゃって侍!」

「てめっ……なんつったコラァッ‼︎」

「ふ、二人とも落ち着いて!」

 

 その日、俺は初めて蘭子と喧嘩をした。

 

 



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子供の喧嘩はすぐ終わる。

 月曜日。梅雨が明け一日目の日、朝練は無理して来なくて良い、と言われている俺は、ありがたくお休みをもらって普段より1時間遅く起床する。

 こうして片腕しか使えない生活にも慣れてきた頃だが、慣れてきた頃が一番危ないと言われているし、気を抜かずに行こう。何かあって傷治るの遅くなるとか絶対に嫌だし。

 朝食を終えて、歯磨きを終えて、寝癖を治して家を出た。呑気に欠伸をしながら通学路を歩く。久しぶりに傘をささずに表を歩けるのは、これはこれで清々しいものだ。道端に落ちてる水溜りがスライムの死骸に見えて、なんか勇者ごっこもできるし楽しい。

 そんな時だ。急激にお腹が痛くなった。

 

「うっ……」

 

 ヤバいな……ここから学校までは15分くらいあるし……駅の近くにある公衆トイレなら5分で着く! 学校までは遠回りになるけど、背に腹は変えられるか! 

 大慌てで早歩きでトイレに向かった。公衆便所に駆け込み、用を済ませ、何とか一息つく。本当はコンビニの方がトイレ綺麗なんだけど、登校中にコンビニ入ったのバレると怒られるんだよな。財布なんて持ってきてないっつの。

 ホッと一息つきながら、洗った手をプラプラと振りつつ出て来ると、ちょうど駅から出てきた蘭子と目が合った。

 

「……」

「……」

 

 ……この前、俺と喧嘩になった奴だ。正直、まだ少し頭に来ているので視線をすぐに外した。そもそも、なんで急にこいつがキレたのか分からなかった。そんなに足に触って欲しかったのか? 

 お互いにむすっとしたまま並んで歩いて登校する。や、だってほら、一緒に登校する機会なんて滅多にないし。喧嘩中とか、それとこれとは別問題だよね。

 

「……」

「……」

 

 お互いに、黙り込んだまま通学路を歩く。目も合わせないし、口も開かない。ただ並んで歩いているだけだ。

 だって、ムカつくし。確かに、蘭子のプライドを踏みにじったのかもしれない。蘭子の目の前で「お前より新田さんの方がカッコ良い」と言ったようなものなのだから。

 でもさ、恥ずかしいって言ったらやめてよ。大体、なんで足を触らせようとするの? 何その逆痴漢。……冷静に考えたら、俺もあの時、新田さんの足とか触っちゃってたけど。

 や、実際ほら、剣道とか後輩に教える時、構え方から修正させる時は「足はもう少しこの辺」とか言う時に触ることもあるから、本当に下心は無かったからね。

 ……そもそも、アレは勉強会なのになんであんなことになったんだっけ? ……あ、勉強会と言えば、蘭子にまだあの会を開いてくれたお礼言ってなかったな。

 

「なぁ、蘭……」

「ん?」

 

 っ、と、危ねぇ……まだ仲直りもしていないのにお礼を言う所だった……。まずは仲直りからだろ。……いや、でも俺から謝った方が良いのか? いやでも……。

 

「あ、桐は……」

「あん?」

「……いや、なんでも」

 

 返事をすると、蘭子もむすっとしたまま目を逸らしてしまった。なんだ、謝られるのかと思った。

 とにかく、俺からは謝らないからな。だって俺悪くないし。……いや、あの後の言い争いになった時は少し言い過ぎたかなとは思うけど……。

 先に謝ったからって、向こうも謝って来る保証は無いし。……あ、保証がないといえば。蘭子の奴、奇跡の雫を使ったってマグナからSSR武器が落ちる保証はないとか言ってたけど、昨日、ティア銃三回中三回落ちてめっちゃ美味しかったんだよね。

 

「そうだ、ら……」

「え?」

「……や、なんでも……」

 

 や、だからさ。なんで喧嘩中にゲームの話? アホか、俺は。仲直りするまで絶対に喋らんぞ俺は。

 ……あの後、新田さんから気にかけるようなL○NEが来たし、なるべく早めに仲直りしないと申し訳ないわけだが。

 

「あ、桐……」

「え?」

「……なんもない」

 

 なんだよ……あーもう、面倒臭いな! なんだこれ、もうこれ謝っちまった方が良いのか? だってこう言う時に限って話したいことたくさん思いつくんだもん! 

 ……いい加減、つまらない意地を張っても仕方ないのかな。いや、でも意地を通してこそ漢って兄上も言ってたしな……。

 そうだ。謝っちまおう。このままじゃ、昼休みにいつもの教室に集まれないし。

 そう決めて、蘭子の方に顔を向けた時だ。蘭子も同じようにこっちを見ていた。それならちょうど良い、この勢いで謝っちまえば……。

 

「ねぇ、蘭子……」

「我が剣よ、話が……」

 

 と、口を開きかけた時だ。俺と蘭子が歩いている道を車が通った。その車線上には、水溜りがある。あ、これやばい奴だ……。

 そう判断した時、俺は蘭子の手を引いて民家の壁側に押し込み、自分の身体を壁にした。直後、背後から水が強襲して来る。背中に直撃した。

 

「きゃっ……あ」

「……」

 

 死ぬほど冷たいんですけど……。なんだよ、これ。喧嘩中の相手を庇うってどういうことなの……。

 

「……わ、我が剣?」

「……ごめん、帰って着替えて来るわ……」

「あ、う、うむ」

 

 結局、仲直りなんて出来ずに帰宅した。

 

 ×××

 

 ブラウスを取っ替えて、頭から被ったのでシャワーも浴びてズボンも履き替えて包帯まで巻き直して(ここは少しカッコ良い)出発した俺は、当たり前のように遅刻。事情は後から説明する予定だったが、蘭子が違うクラスなのに先生に説明しておいてくれたようだ。ありがたい限りです。

 で、今は3〜4時間目。つまり、体育である。この時期の体育では何をするのか。決まっている。プールである。

 

「ま、俺は入れないんですけどね」

 

 本当クソなんだよ、世の中。怪我してるってだけで何も出来ないの大概にしろ。

 みんなが梅雨明けでクソ暑くなった季節に反抗するための特攻兵器プールを用いてる中、俺は一人で見学。半袖短パンでも暑いもんは暑いわボケェ。

 まぁ良いさ。プールでの特訓なんて、侍には一番必要ないものだし。だって、水は斬れないもの。こんなもんに入ったって身体を拭くの面倒だし、海パン脱ぐのにも苦労するし、プールから出た直後、風が吹いて寒くなるだけだし、良いことなんか何一つもないんだ。

 だから……だから全然、羨ましくなんかない。

 

「……はぁ」

 

 このため息は違うから。暇なだけだから。

 とにかく、あまりプールの中は見ないようにした。羨ましくないけど腹立つから。特に自由時間なんて腹立つことこの上ない。なんで授業中に遊び? 中でもキャーキャーはしゃいだり、プールサイドで休みながらペチャクチャ喋ったりとか大概にしろボケナス。

 そんな時だ。一人の女子生徒がプールサイドから上がるのが見えた。いや、正確には目に入った、と言うのが正しいか。

 神崎蘭子、銀髪の魔王だ。水中眼鏡と帽子を取ると、新鮮な事に髪を下ろした姿の蘭子がでてきた。

 

「……」

 

 あれ……蘭子って、髪下ろすと意外と……それこそ新田さんと同じレベルで綺麗……じゃない、大人っぽいんじゃないだろうか……。普段、縦に髪を竜巻のようにロールにしているからか、その名残が残されていて、それが年相応さを表していた。

 目に映ったのはそれだけではない。あいつ、やたらと肌白いんだな。なんか、本当に魔王なんじゃないか、と思う程度には真っ白だ。いや、魔王というより吸血鬼っぽい感じさえある。

 その白い肌を覆うのは、蘭子の体型をそのまま表しているスクール水着。その時、俺は重大なことに気付いてしまった。

 

「……あれ?」

 

 蘭子って……なんか、蘭子の足って普通にアスリートっぽい味してない? いや、正直、新田さん程ではないけど、すらっとしてて細くて多少、筋肉質で……その上で白い。蹴り技で鮮血を浴びたら映えそうだ。

 ……それに、腕だって余計な脂肪は付いていないし、流石に剣道や野球などの腕を使う人達に比べたら微妙だが、十分過ぎるほどの筋肉はついている。

 もしかして……蘭子って俺が思うより運動できるのか? ……だとしたら、この前のは本当に謝らないといけないな……。

 そんな事を思っていると、蘭子が俺の視線に気づいたのか、そっぽを向く。そういや、喧嘩中だったな……。まぁ、昼休みいつもの所で待って、来なきゃ放課後に謝れば良いや。

 そう決めて、とりあえず俺も目を逸らした。のんびりとプールサイドを歩くアリの観察をし続けた。

 

 ×××

 

 昼休み、いつもの場所に来ると、既に蘭子が待っていた。俺の顔を見るなり、すぐに席を立ってポーズを取った。

 

「煩わしい太陽ね」

「本当に憎たらしいほどにな……」

「クックックッ……我が身においてこの程度の灼熱は、新緑の微風に等しい。鍛え方が足りないのではないか?」

「さっきまで全身くまなく水中にいた奴と比較されてもな……」

「……」

「……」

 

 お互いに黙り込んだまま、俺は蘭子の向かいの席に腰を下ろす。

 とにかく、こうして来てくれた以上は良い機会だ。謝るか。

 

「蘭子」

「我が刀」

「「えっ?」」

 

 全く同じタイミングで声をかけ、思わず俺も蘭子も顔を向ける。そのタイミングがまた完璧で、それがなんだか気恥ずかしくて、お互いに目を逸らしてしまう。

 

「……さ、先どうぞ」

「わ、我の方が譲ろう」

「いやいや、俺は後出しタイプだから」

「魔王も勇者に先手をかける事なく、むしろ後手に回った上で蹂躙するものよ」

 

 ……仕方ないな。俺から行くか。

 

「……悪かったよ、この前は。さっき見てて思ったけど、新田さんに負けずとも劣らない良い脚と腕だったよ」

「む……え、そ、そう?」

「や、嘘。正直、性能は新田さんの方が良さそう」

 

 でも、と話を続けた。

 

「蘭子のだってそれなりにトレーニングを積んでいるのはよく分かったし、何よりその肌の白さはオンリーワンだと思う。それ以上、太く力強い筋肉を得たら、似合わなくなってたと思うから、ビジュアル的には五分五分って事」

「……クスッ、何それ」

 

 あれ、そんなにおかしい事言ったかな。でも、実際の所、むしろ俺は蘭子の足の方が好きだ。だって……こんなに肌白いひと見た事ないもの。オンリーワンって良いじゃない。

 

「だから、俺は蘭子の方が好きだよ」

「えうっ⁉︎」

 

 ああ、それとお礼言っておかないとな。

 

「あと、先生に遅刻すること言っておいてくれてありがとう」

「え? あ、う、うん……き、気にしゅるな」

「今、噛んだ?」

「うるさい!」

 

 なんで怒られたの⁉︎ また怒られるような事言っちゃったのかな……。

 

「……まったく、貴様は無意識に他人を狙撃する天武の才を持つようだな」

「俺、弓道も射的もやった事ないよ」

「ええい、黙れ。次は我の番だ」

 

 強引に話を進めた蘭子は、急に弱々しい表情になり、頭を下げた。

 

「わ、我の方こそ済まなかった。この前は、その……変な事で、怒っちゃって」

「許す。終わり」

「早いよ!」

 

 その件に関しちゃ、俺の方が間違ってるって認めたからなぁ。蘭子の足が良いって言っちゃった後だし。

 

「とにかく、許した」

「……むぅ、じゃあお礼だけでも……」

「登校中に自ら庇った話なら気にしなくて良いから」

「だから早いよー!」

「お礼も謝罪もいいよ。それよりも蘭子と話したい事がたくさんあるんだから」

「……」

 

 すると、蘭子は意外そうな顔で俺を見たあと、フッと不敵に微笑んで両手を組み、その上に顎を置いた。

 

「良いだろう。では、この話はここまでとしよう」

「それよりさー、蘭子。聞いてよ、さっきプールの間、クソ暇でさー」

「フッフッフッ、天界から見定めし千里眼の泉を管理せし者よ。我もナイル川から貴様の退屈そうな顔を見ていた」

「るせーなー。人が体育座りしてる中、楽しそうにはしゃぎやがってよー」

「中々に悪くない至福の時間であった。夢幻に続く砂漠の果てに、たった50メートルのオアシスに心身を浸す刻は、シャングリラにも等しいひと時であった」

「自慢やめろよ。……いや、別に羨ましくなんかないけど」

「ふーん……そう?」

 

 すると、蘭子はニヤリと勿体ぶるようにほくそ笑む。なんだその顔。なんかムカつくな。

 

「では、その怪我が治ったら我と共にプールに行こう、と言っても断るのだな?」

「え……行きたい!」

「羨ましくない、という事は別に入りたいというわけではないのだろう?」

 

 うぐっ……! こ、こいつ……意外な意地悪を……! 

 

「……なんだよ、いきなり意地の悪いこと言いやがって……」

「フッフッフッ、冗談だ。空いている日があれば、共に参るとしよう」

「ああ。いつか、な」

 

 そんな話をしながら、昼休みが終わるギリギリまで談笑を続けた。やっぱり、蘭子とこうして話せるのは楽しい。次に喧嘩になったら、手早く仲直りしてすぐに話せるような仲に戻ろう。

 

 



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傷ついた悪姫の罪〜第一章〜

「え、もう仲直りしたのかい?」

 

 事務所に来た蘭子は、あっさりと飛鳥に今日あったことを話した。

 

「うむ。桐原くんも我との関係修復を求めていたようでな……。……ふふっ、もう……我に、話しかけるためにそわそわしてるのが……可愛くて……ぷふっ」

 

 ブーメランであることに一切気づかない蘭子は、失礼極まりないことに一人でクスクスと肩を震わせる。

 そのテンションになる蘭子は、最近では珍しくないが、過去トータルを見ればすごく珍しいので、飛鳥としてはついていけない。

 

「そ、そうか……具体的には、どう解決したんだい?」

「それは当然、向こうが子供のように『仲直りしたいオーラ』を放っていたから、仕方なく我の方から歩み寄って……」

「もしもし、桐原くんかい? ……ああ、僕だ。え? いや詐欺じゃないよ」

「飛鳥ちゃん⁉︎」

 

 これ以上は聞くに耐えなかったため、本人に電話した。勿論、別の答えが耳元から返ってくる。

 それを聴くなり、思わず飛鳥は蘭子をジト目で睨んでしまった。

 

「蘭子……君……」

「う、うう……電話するのは反則……」

「嘘の方がよほど反則に近いと思うけど?」

 

 そう言いつつ「そうか、わかった。ありがと」とだけ言って電話を切った。最初はあの二人の相性は悪いものだと思っていたが、出会った当日に自分と喧嘩してしまって、そういう事にはならなくなってしまった。フラグとは怖いものである。

 

「しかし……ま、仲直り出来たのなら良かったよ。君も彼も割と意地を張る方だし、そのまま仲違いするようではなくて安心した」

「むぅ……飛鳥ちゃんは私の保護者なの?」

「似たようなものだろう」

「違うよ!」

 

 実際の所、蘭子はクールに見えてクールではない。口調こそ取り繕っているものの、雪ではしゃぐし、割と簡単にボロは出すし、カッコイイと思ったものには少年の目をして簡単に心を開く。

 まぁ、そんな所も可愛いのだが、どちらかと言うとやはり世話が焼けるわけだ。

 

「……しかし、蘭子も隅に置かないな」

「え?」

「いや、なんでも」

 

 恐らくだが、あの少年は蘭子のことをとても気に入っている。自分じゃ気付いていないが、おそらく異性として意識しているのだろう。この前の脚の件でよく分かった。

 けど、蘭子どころか本人もそれに気付いている様子は無い。全く可愛い子供達だ。

 

「……ま、これからどうするんだい? 蘭子」

「折角、関係修復を行えたのだ。また、二人で密会を行うだけよ」

「あー……まぁ、それはそうだよね」

 

 特に、関係が進展するようなことはなかったようだ。まぁ、中学生未満の剣道小僧と厨二病真っ只中の二人の関係が、そんな簡単に進展するはずがないのは分かる。

 

「でも、それだけなのかい?」

「え?」

「何か、こう……せっかく異性なんだし、関係が変わる、みたいな?」

「フッ……我に限って、それはあり得ない。我が魂は異性にうつつを抜かす事はあらず」

「ふーん……向こうが好きって言って来ても?」

「え?」

「え?」

 

 飛鳥の何気ない言葉に、蘭子は思わず頬をほんのり赤く染めて固まった。

 

「き、桐原くんが……我を?」

「仮に、の話だよ。どうするんだい?」

 

 言われて、蘭子は思わず俯く。悪い子ではない。むしろ良い子だ。クセが強いが、自分のやりたいことを必死にやっていて、その表情がグッと来ることもあった。

 それに、自分が間違っていると思えばすぐに認める素直さもある。顔だって言うほどイケメンじゃないけどイケメンだ。童顔気味の。

 

「……でも、うーん……桐原くんが、告白して来たら、か……」

「どう?」

「そもそも、告白をする桐原くんが想像出来ない」

「仮にだよ?」

「仮にでも」

 

 蘭子的には、そもそもあの子にそういう恋愛面に関してまともな情緒があるのか、という所だ。いや、美波に鼻の下を伸ばしていた以上、異性に対する意識というのは間違い無くあるのだろう。

 でも……仮に、仮にあの子が自分のことを好きだとして、告白されたらどんな感じになるのだろうか? 

 

『ねぇ……蘭子、実は俺……蘭子ちゃんの事、好きなんだ』

 

 ありえない。普通に気持ち悪い。誰だお前って感じ。

 

『蘭子ちゃん、実はYo! 俺ってば君の事が好きなんだZE☆』

 

 なんでラッパー風? 返事はビンタで返してしまいそうだ。

 

『蘭子侍、実は拙者……お主に気があるのでござる』

 

「ぶふっ……」

「蘭子、さっきから何を笑っているんだい? 正直、気味が悪いよ」

「いや……桐原くんで色々と想像するのが面白くて……」

「言っちゃおうかな」

「待たれよ!」

 

 人を頭の中で遊ぶとか、それはそれで危ない奴だ。想像力豊かにも程があるだろう。

 要するに、やはり蘭子には「コウが告白する」という絵もセリフも何一つ、思いつかないのだ。

 しかし、飛鳥は真逆だった。何せ、飛鳥はあの日、蘭子の事が大好きとしか思えないコウの様子を見ていたのだから。

 なので、飛鳥が見た中で、蘭子に告白する時に言いそうな台詞を想像して行ってみることにした。あくまで、自分の気持ちに気づき、思春期を迎えた、と想定して、だ。

 決め顔を作った飛鳥は、蘭子の頬に手を添えた。

 

「なぁ、蘭子……:」

「えっ……?」

「こんな事言われても、お前は困るだけかもしれねえけど……あまりに無防備過ぎるから言うわ。……俺は、お前が好きだ」

「えうっ⁉︎」

 

 直後、バシャッという何か液体をこぼしたような音が聞こえた。そっちに二人して顔を向けると、橘ありすが手元から飲み物をひっくり返してしまっていた。

 しかし、その事には見向きもしない。何故なら、顔を真っ赤にして告白まがいのことをした厨二病二人を見ていたからだ。

 

「う、うそ……百合って、本当にあったんだ……」

「「えっ、いや違っ……」」

「ふ、文香さーん!」

「「待ってええええええ!」」

 

 大慌てで止めに行った。追い掛けたが、意外な脚力で中々、追いつけない。しかし、ありすは文香を見つけた事により、その動きを止める。

 

「……ありすちゃん。如何いたしましたか?」

「神崎さんと二宮さんが愛し合っていました!」

「え」

「違うんだ文香さん!」

 

 改めて説明させてもらった。

 

「……と、いうわけで……別に百合とかそんなんじゃないから。蘭子の友達がしそうな告白をしてみたってだけで……」

「……といういいわけですか?」

「違うってば!」

 

 しかし、ありすがそれを信じない。たまらず蘭子も問い詰めた。

 

「わ、我らがそのような特殊な神格に見えるのか⁉︎」

「だ、だって……お二人の言葉は独特ですが、お互いに通じ合っているようですし……」

 

 言い逃れが出来なかった。厨二病の弊害がこんなところにあるとは思わなかった。

 すると、蘭子はキッと飛鳥を睨み付ける。

 

「あ、飛鳥ちゃんが急に変なことするから……!」

「ぼ、僕の所為かい⁉︎ 蘭子だって変な妄想していたじゃないか! どうせ、告白された時のシミュレーションでもしていたんだろう?」

「だからって飛鳥ちゃんが乗ってくる事ないでしょー⁉︎」

「ちゃんと乗らないと正しいシミュレーションもしようとしなかった癖に!」

「や、やめて下さい! 相思相愛同士で……!」

「「だから違うってば!」」

 

 あんまりな大声に、さらに周りにアイドル達が集まり、ヒソヒソとお話をし始める。これはマズい。違うのにありもしない噂が広がる。ファンの間に広がる事に比べたらマシだが、こっちはこっちでまずいものだ。

 こうなれば、打てる手は一つしかない。それを先に思いついた飛鳥は、スマホを取り出しつつ、蘭子にサインを出した。

 

「蘭子!」

「な、何!」

「双子座!」

 

 そのサインから蘭子は一瞬で推理する。双子座、それはつまりカストル&ポスクル、二人合わせてディオスクロイだが、問題はそこではない。二人は双子座だが、本当の双子ではないという事だ。

 つまり、偽物を作れ、というサイン。最近、FGOに新規参戦した事もあり、すぐにそのサインは伝わった。この場合、作るのは偽物の双子ではなく恋人の方だ。完璧とは言い難いサインだが、伝われば良いのだ。

 飛鳥がコウに「辻褄を合わせて」とL○NEを送り、蘭子がコウに電話をする。

 

「あ、も、もしもし……我が親愛なるゼウスか?」

『え?』

「我が魂は衝迫的に貴様の唄声を欲する事がある。故に……その、こうして念話をもってコンタクトを図った」

『あそう。実は俺も蘭子と話し足りなかったんだよね』

「……っ」

 

 こういうことをさらっと言って来るのは、飛鳥のL○NEを見た上での演技なのか素なのか。何れにしても、蘭子は照れてしまっているので少し腹立たしかった。

 

「文香さん、神崎さんは何を……文香さん?」

 

 解読できないありすは片眉をあげて文香に尋ねるが、赤面しているその様子に心配そうな声音に変えて聞いた。

 

「……い、今のは、ですね……? その『急に、声が聞きたくなったの』っていう意味で……」

「急に? 何故です?」

「……その、恋人同士の関係の方々に……よくある事、と……本で、読んで……」

 

 それを聞いて、ありすも顔を赤く染める。恋愛、というだけで顔を赤くするとは、可愛い人達である。

 それを確認するなり「すまぬ、美姫達からコンタクトの指令が出た」と適当なことを言って通話を切った。

 

「か、神崎さん! 恋人がいらっしゃるのですか⁉︎」

「さてな」

「あ、教えて下さい!」

「どうかな?」

 

 そう、ここはハッキリを返事をしなくて良い所だ。だっていないから。要するに、百合扱いされなければ良いのだから、別の話題にそらしつつ、キチンと「男の人が好きです」って事をアピール出来れば良い。

 とりあえず、しつこいありすをいなしつつ、万事解決した四人はラウンジで仲良くおしゃべりした。

 何人かのアイドルからの視線に気づく事なく。

 

 ×××

 

「ら、蘭子チャンに……彼氏……? み、みくが……確かめないと……!」

 

 ×××

 

 電話の向こうでは。

 

「……え、俺と蘭子って恋人同士だったの……?」

 

 文香のセリフが、ガッツリと聞こえていた。

 

 



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トラウマが刻まれた日。

蘭子語に限界を感じて来ました。


 俺は頭を抱えていた。昨日かかってきた、蘭子の電話と二宮さんからのL○NEと、落ち着いた感じの空気の声の人だ。

 

『あ、も、もしもし……我が親愛なるゼウスか?』

『突然だけど、蘭子と恋人になってくれるかい?』

『……その、恋人同士の関係の方々に……よくある事、と……本で、読んで……』

 

 ……なにこれ。え、俺と蘭子って恋人だったの? いや、でもいつからだ……? もしかしたら、蘭子の難解な言語の翻訳をミスって知らない間になってたと言うのか? 

 ヤバイ……だとしたら「え、恋人だったの?」なんて事になれば、確実に怒られる。そういう意味じゃ事前に知れて良かったが……しかし、どうしよう。恋人なんて何すりゃ良いのかわかんねーよ……。それに、今は剣道に集中したいし……いや、蘭子と今より仲良くなれると思えば決して悪くないが……。

 

「……」

 

 とにかく、色々と調べてみるかぁ。そう決めて、兄上のパソコンを(勝手に)借りた。

 

 ×××

 

 もうすぐ期末試験。だと言うのに、俺の心はその事では全く乱れていない。むしろ別のことで乱れている。怪我? 違うよ。怪我が治りそうな時期に試験期間に突入する事が分かったから、目の前で剣道をされる焦らしプレイにも終わりが見えたからね。

 じゃあ何についてか。昨日、調べたぜ。恋人について。まず、恋人たるもの、登下校は一緒にするものらしい。下校は無理なので、せめて登校だけでも一緒にしたい。

 そんなわけで、朝から駅に迎えに行った。恋人になった以上は、褒める時に照れちゃいけないそうだ。頑張れ、俺……! 

 一人でドキドキしていると、蘭子がやってきた。

 

「あ、蘭子!」

「き、桐原くん? 煩わしい太陽ね」

「うん。おはよう」

 

 とりあえず挨拶するも、不思議そうな顔をされてしまった。そらそうだろう。こっち俺の通学路じゃないし。

 ……大丈夫、ちゃんと調べたんだから。恋人であっても友達であっても、一緒に登校するために遠回りすることはよくある事なんだから。

 

「蘭子と一緒に学校行こうかなって、思って……」

 

 声を掛けると、蘭子はすぐにニコリと微笑んでくれた。

 

「良いだろう。共に戦線に向かうとしよう」

「よっしゃ」

 

 よし、とりあえずホッとしたわ。さて、改めて一緒に行こうか。そんなわけで、学校まで歩き始めた。

 はい、恋人たるものその二。会話を絶やすな、でも彼女の話を聞いてやれ、との事だ。

 そんなわけで、まずは俺から話題を振り、その話で蘭子が主体になって貰えば良いのだ。

 

「なぁ、蘭子」

「む?」

「ツインテールも似合ってるけど、たまには色んな髪型の蘭子が見たいな」

「へあっ⁉︎」

 

 うおっ、き、急に顔を真っ赤にしちまったな……。少し、話題の振り方が急だったか……? 

 

「ど、どどっ……どうしたの急に⁉︎」

「あ、ご、ごめん……でも、ほら……いつも同じ髪型だから……ほら、例えばポニーテールとか、ミディアムとか、ゆるりっちウェーブとか」

「……そ、そう……?」

 

 髪型においてもちゃんと調べて来たから。ショートも似合うかな、とかは思ったけど、せっかく綺麗に伸ばしてるんだし、バッサリ言っちゃうのは勿体無いよね。

 

「し、しかし、我が白銀の髪はサラマンダーの如く蛇となり、神聖な魔力が込められている。……つまり、双頭龍が至高よ」

「うーん……まぁ、そうだね。蘭子はツインテールが一番、綺麗だ」

「うっ……うう……えへへ」

 

 恥ずかしそうにはにかんでるな……これは、どっちなんだ? や、まぁ喜んでくれてると思いたいけどね。

 

「我が剣、貴様は髪に魔力を流さないのか?」

「いや、ワックスは校則で禁止されてるから。俺、校則違反はやだ」

「流石、武士道という鋼の魂を持っているだけはある……が、我も貴様と同様だ。レアな貴様を見てみたいものだ」

「ーっ……」

 

 そ、そう……? でも、俺の髪ってすこし癖っ毛気味だからな……。

 

「ワックス付ければ変わるか?」

「大規模な変化を起こす必要はない。ほんの少し、分け目を変える程度でも印象は大きく変わる」

「なるほど……分かった。じゃあ兄上に聞いてみるよ」

「そうすると良い。……そうだ。そろそろ次の百年戦争に向けた準備期間であるし、共に武装を変えて戦に向けて魔力を溜め込まんとしよう!」

「あー面白いかも」

 

 試験期間中はお互いの髪型を変えて臨む、か。俺もやってみたいな。……まぁ、俺は蘭子ほど大きな変化は望めないけど。

 

「じゃ、約束な。可愛い髪型にして来いよ、蘭子」

「う、うむ……なぁ、我が剣。何かあったか?」

「あ、今でも十分かわいいか」

「えうっ⁉︎ ほ、本当にどうかしたの⁉︎」

「何もないよ?」

 

 うーむ……サラッと自然に褒める、というのは中々、難しいな……。さっきから蘭子が赤面してしまう……。

 そのまま他愛もない話をしながら、とりあえず学校に向かった。褒めるたびに、何故か蘭子の視線は疑い深そうなものになっていったが……ま、喜んでると思っておこう。

 学校に到着し、昇降口に来てからは別れる。その時にはすごい半眼になっていた蘭子が俺に声をかけた。

 

「あ、あの……桐原くん」

「何?」

「……昼休み、行くから。来てね」

「え? う、うん」

 

 ……もしかして、恋人になったんだしなるべくなら多く一緒にいたいって奴か? 正直、昨日調べた恋人ウンチクは中々、俺も理解し切れていない内容が多かったが……こうしてみると効果がよく分かる。

 理屈はさっぱりだけど、とりあえずもう少し頑張ってみるか。

 

 ×××

 

 昼休み。この勉強会では髪型を変える約束はしていない。まぁそもそもワックスないし俺は変えらんないんだけどね。

 とりあえずいつもの教室に入り、机の上でのんびりし始めた。大丈夫、ちゃんと昼休みのシミュレーションもしておいたんだ……。勇気を振り絞れ! 

 

「闇に飲まれよ!」

「あ、蘭子。お疲れ」

 

 部屋に現れるなり物騒なことを言う蘭子に、小さく手を振った。……のだが、おもわず言葉を失った。蘭子は、この短期間で髪型を変えて来たのだ。いわゆる、サイドポニーという奴だろう。

 ……いや、正直やっぱツインテールの方が良いんだけど……これはこれで中々……ハッ、いかんいかん。彼女が変化をつけたら褒める、これも恋人の鉄則だ! 

 

「あ、可愛い。美人さが増した」

「え、えへっ……えへへっ……」

 

 あ、嬉しそうにはにかんでる。が、すぐにハッとして首を横に振ると、俺の前の席に立ち、机を叩いた。

 

「じゃなくて! 何が狙いだ⁉︎」

「……え、何が?」

「早朝より貴様に特殊な状態異常が付着しているのは明確だ! 何があったのかを言え!」

 

 何があった、とか言われても……今更、恋人としての立ち振る舞いを勉強した、なんて言えない。誤魔化すしか無い! 

 

「べ……別に……」

 

 目をそらしながら答えると、蘭子の目つきはさらに鋭くなった。

 

「嘘! 良いから答えなさいー!」

「な、何も無いって……それより蘭子、髪結ぶのとても上手だな。ツインテールの時は可愛かったけど、サイドポニーだと美人になるんだな」

「〜〜〜っ……! だ、だからそういうとこー!」

 

 っ、な、なんだよ……。別に良いだろ……褒めてあげるくらい。普段の俺だってかわいいって言うくらい……いや、言えてねえな。今になって思えば、俺は随分と変な意地を張ってたもんだ。心の中で「かわいい」と思うくらい、誰にバレるわけでも無いってのに。

 

「ほ、ほんとうにどうしたの? もしかして……熱でもあるの?」

「なんでだよ。ないよ」

「あ、まさか……勉強のし過ぎで頭おかしくなったとか?」

「さ、流石に言い過ぎだろ! 俺のことなんだと思ってるんだよ!」

 

 思わず頭に来て言い返してしまった。それにヒヨッた蘭子は、ウッと小さく歯を食いしばって席についた。

 

「だ……だって……桐原くん、いつにも増して……その、可愛いとか……綺麗、とか……」

 

 徐々に、徐々に消えゆく声で呟く蘭子。恥ずかしそうな顔をしながらも、思わず俯いてしまっていた。

 うっ……しまったな。こんな顔させるつもりじゃなかったんだけど……。何にしても、またつまらない意地を張っている場合じゃないな。

 変に誤魔化して蘭子を傷つけるくらいなら、正直に話した方が良いかな。

 

「あー……その、話すから……怒らないで聞いてくれる?」

「う、うむ……わ、我が怒気を孕むような内容なのか……?」

「多分……」

 

 ……微妙に、というかがっつり勇気がいるが、仕方ないか。心臓が口から飛び出そうになりながら、呟くように答えた。

 

「その……俺と、蘭子がいつの間にか恋人になってたから……その、恋人らしく、ならないとなって……」

「……え、こ、恋人……?」

「え、ち、違うの……? 昨日、蘭子も二宮さんも、電話の向こうの落ち着いた声の人もみんな……」

 

 ……え、な、何その顔。「こいつ何言ってんの?」みたいな……え、どういうこと? ち、違うの……? また蘭子を怒らせると思って、恋人っぽい事調べて来たんだけど……え、何それ。死にたい。

 

「い、いや……アレは、その……わ、私が飛鳥ちゃんと百合みたいな誤解を受けそうだったから、一時的に桐原くんに恋人役を頼もうと思ってのことだったんだけど……」

「え、だって二宮さん『突然だけど、蘭子と恋人になってくれるかい?』って……」

「あ、飛鳥ちゃん……なんて誤解を招く言い方を……!」

 

 ……誤解、って事は……俺の勘違い……。俺は、一人で勘違いで舞い上がって……張り切って、夜遅くまで調べ物までして……朝は早く起きてわざわざ迎えに行って……バカみたいに「可愛い」やら「綺麗」やら恋人でも無い人に言って……。

 考えれば考えるほど頭の中がいっぱいいっぱいになってしまい、気が付けば立ち上がってしまっていた。

 何も考えられない。何も理解できない。とにかく、フラフラした足取りのまま空き教室の扉に手を置いた。

 

「……え、あ、あの……桐原、くん……?」

「かえる」

「えっ」

「かえる」

「ちょっ、待っ……ごめっ……!」

「かえる」

 

 その後の記憶はない。ただ、荷物も何もかも置いて、ただ歩いて自宅に戻った。

 その後、俺は学校を三日休んだ。

 

 



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傷ついた悪姫の罪〜第二章〜

「え、ふ、不登校、ですか……?」

 

 とある日の放課後、蘭子は職員室に来てコウの担任の先生に声を掛けると、予想外の返事が返ってきた。

 最近、昼休みになっても例の教室に来ないし、登校中や下校中、休み時間にすれ違うこともなくなったので、心配で聞きに来た次第だ。

 まぁ、なんであれ病気や怪我、行方不明に異世界転生じゃないだけマシだったと言うべきだろう。

 

「ああ、そうなんだよ。最近は楽しそうにしてたのに、何かあったのかねぇ……。いや、その割に『鋼の精神を鍛えてからいくので心配なさらず』とか意味不明なこと言ってたし……」

「……」

 

 言えない、自分の所為です、とは。何とかして謝らないといけない。

 幸い、家は知っている。毎日、素振りをしている彼を覗いていたのだから。今日はちょうどオフだし、少し顔を見に行くことにした。

 ……しかし、大丈夫だろうか。あの子、強がってはいるが、実は割と繊細で傷つきやすい子だ。分かりやすいくらいに彼の本質を見抜いてしまっている自分が、今遊びに行くとかえって追い返されてしまうんじゃないだろうか? 

 

「……でも、不登校は少しアレだよね……」

 

 それに、明日休めば次は土日、しばらく会えなくなってしまう。ならば、謝罪は早い方が良いだろう。

 とりあえず、職員室を出て行った。放課後になったら、少し様子を見に行ってみるしかない。

 

「はぁ……なんだか、悪いことをしちゃったなぁ……」

 

 反省の念を込めつつ、肩を落としてクラスに戻った。謝りたい。というのも、最近は学校があまり楽しくない。彼と話すのは昼休みの短い時間だけだというのに、それが無くなるだけで随分とモチベーションが下がったものだ。

 ならば、やはり自分から行動して彼を連れ戻す他ない。

 

 ×××

 

 放課後。早速、蘭子はインターホンを押そう……としたが、その手を引っ込めた。

 ……なんか、学校を休んだ男の子の家に来るのが予想以上に恥ずかしい。特に、もしかしたらコウは怒っているかもしれないし、入るなり喧嘩になったら困る。

 でも……不登校になるなんてよっぽど傷つけてしまったんだよな……と、思えば、やはり声はかけていくべきだと思える。

 そんなわけで、再びインターホンに手を伸ばしかけたのだが……やは。その手は止まってしまう。

 ……よくよく考えたら、これってやっぱり火に油をかけにきているだけなんじゃないだろうか? だってほら、トラウマを刻んだ自分が慰めに来るなんて舐めてる気がする。

 

「……う、うーん……」

 

 どうしたものか悩むに悩んでいる時だった。

 

「あれ、蘭子チャン?」

「ふえっ⁉︎ ……あ、み、みくちゃんと……」

「あ……コウの彼女?」

 

 立っていたのは、みくともう一人、コウの兄貴だった。なんでこの二人が一緒に? と思うまでもなく、みくが自分と同じことを聞いてきた。

 

「……なんでここにいるの? 蘭子チャン」

 

 ジト目になっているが、そのセリフはそっくりそのまま延滞料金をつけて返してやりたい所だった。

 

「フッ、その台詞……そのままお返ししよう、我が友みく。そちらの者は、盟友か?」

「え? あー……いや、その……」

 

 頬を赤らめて俯くみく。これはもう答えは出たようなものだ。この前の取り調べの仕返し、と言わんばかりに畳み掛けようとした蘭子より先に、レオが口を挟んだ。

 

「みくは俺の後輩だよ。たまに一緒に図書室で勉強してるってだけ」

「……はぁ」

「……」

 

 それを聞いた直後、ため息をついたみくの姿を見て、大体、蘭子は察した。要するに、みくもそれなりに苦労しているのだろう。

 しかし、かと言ってからかうのをやめるか、というのはまた別の話である。みくはどうせ誤魔化すので、隣の男性に聞いた。

 

「ならば、本日は何故、みくと定めを共にしている?」

「みく、この人アイドルの神崎さんだよね? 和訳頼める?」

「つまり……その、なんでみくと先輩が一緒にいるの? って聞いてるにゃ」

「ああ、そういう事。普通に勉強だよ。試験前で図書室空いてなくてさぁ。うちなら丁度、今、弟が修行してるし、一緒に勉強するのにちょうど良いなって」

「え……弟さんと一緒のつもりだったの? みく聞いてにゃい」

「え、だ、ダメなの?」

 

 食いつくみくを無視して、蘭子は片眉を上げた。

 

「修行中?」

「そう。なんか精神面の修行が足りない、とか言って、とりあえず今は布団をかぶって中で瞑想してるらしい」

 

 布団を被ったまま出て来れなくなっている。かなり心配な状態である。それ以上に気になることがある。弟がそんな状態なのに、平気な顔で女の子を部屋に連れ込んでいるこの男は何なのだろうか? 

 思わず、睨みつけながら問いただしてしまった。

 

「……貴様、肉親がそんな状態でありながら、何故平然としていられる?」

「ん、そりゃだって他人事だし。俺にはコウがどんなダメージを負ったのか知らないけど、それを解決できるのはあいつだけだよ」

「……」

 

 そう言われれば、確かにその通りだ。他人事のようで、実は一番、弟を考えているのかもしれない。

 

「……で、でも……」

「まぁ、弟のために何かしてくれるって言うならありがたいし、上がってってよ」

「わ、分かりました……」

 

 なんかホイホイとアイドルを部屋にあげる人である。こういう能天気な所、確かにコウの兄って感じがする。

 勿論、レオの頭の中はコウ以上に難解で、今は「なんかアイドル二人を家に連れ込むなんて、事務所の社長の息子みたいで気分が良いわー。……いやでも強キャラの七光の雑魚息子みたいでやっぱ気分悪いわ」とかよく分からないことを考えている。

 そんな話はともかく、レオは玄関に向かって鍵を取り出した。

 その後ろで、みくが蘭子に声をかけた。

 

「……あの、蘭子チャン? ちなみに、蘭子チャンは何しに……」

「我が剣を救いに来た」

「や、やっぱり……?」

 

 なんとなく分かっていたが、自分の先輩の弟は、ついこの前聞いた蘭子の彼氏、という男なのだろう。なんだか複雑だ。正直言って、みくにとって蘭子は危なっかしい妹みたいな立ち位置だ。

 純情で純粋で発育が良くて、それでいて思春期。悪い男にとっては絶妙なカモだ。それに彼氏ができた、とあらば自分くらいは注意しておかなければならない。

 しかしー……尊敬している先輩の弟となると話は別だ。なんか話を聞いてると大分バカっぽい子だし、平気な感じもする。

 

「ただいまー」

 

 レオが中に入り、蘭子とみくは後に続く。全員で家の中に入り、まずは手洗いをしてレオが先に二階に上がる。

 一応、コウの様子を見に来た。まぁ、多分あの弟のことだから平気だとは思うが……。

 

「……おーい、コウ。帰ったぞー」

「あ、お帰り兄上」

 

 家族とのコミュニケーションは取れている。……が、部屋から出てくる様子は無い。その癖、母親が作っておいてくれた朝飯と昼飯の残りはちゃんと食べ終えた上で洗い物まできちんと済ませているのだから、本当に引きこもっているのか怪しい所だ。

 

「ふぅ……そろそろ良いかな……」

「あ? 何が?」

「明日、学校に行こう」

「え、どうしたの?」

 

 こんなにあっさりと登校宣言出来るものなのだろうか? と、レオは眉間にシワを寄せた。

 が、部屋の扉が開き、中に入ると、コウは思いの外、スッキリした顔をしていた。

 

「……お前何してたの?」

「心頭滅却するために瞑想しながら勉強してた」

「そんな高度な技術を……」

「今の俺なら、例えにミサイルが降ってきても冷静に対処できる」

「冷静にあの世に行けるだけだなそれ」

 

 例えが物騒すぎた。まぁ、でも立ち直ったのなら良かった。瞑想しながら勉強とかいう迷走してるとしか思えない方法でどうやったのかは知らないが、過程よりも結果である。

 

「なら良かったよ。お友達来てるから、さっさと下に来い」

「え、と、友達……?」

 

 ヒヤリとコウから怯えたような声が漏れた時だ。階段を上がってくる足音が聞こえる。姿を見せたのは、蘭子だった。

 

「あ……わ、我が剣!」

「っ!」

「何故、自ら封印の門を閉ざす⁉︎」

 

 反射的に部屋の中に隠れるコウに、レオは呆れながら言った。

 

「……どの辺が『ミサイルが降ってきても冷静に対処できる』?」

「み、ミサイル以上の爆弾だよ!」

「どういう意味⁉︎」

 

 憤慨する蘭子の後から、さらにみくがやって来る。

 

「ち、ちょっと、蘭子チャン。人の家で勝手に……」

「我が剣、封印を解せよ!」

「やーだー! なんでいるのー⁉︎」

「お見舞いに来たからだよ!」

 

 なんてやってる間に、レオは小さくため息をついて蘭子に言った。

 

「じゃ、俺らは勉強会に入るから、後よろしく」

「え……わ、我だけで……?」

「そいつ、割とちょろいから。頑張れよ」

「え、あの……」

 

 レオはみくを連れて自分の部屋に引っ込んでしまった。こうなれば仕方ない、自分で目を覚まさせてやるしかない。

 

「我が剣、我との対話を望む気はないか?」

「……あるけどない」

「……」

 

 これはまぁ面倒臭さの極みである答えを返したものだ。まぁ、要するに「友達に戻りたいけど戻りたくない」という事だろう。

 

「なら、勝手に独り言を語らせてもらう。我がこの地に転移して来たのは、貴様に謝意を贈るためだ」

「……」

「その……こっちはこっちで切羽詰まっていたとはいえ、貴様に要らぬ誤解を生み落とした事を謝罪する。……‥その上で、また我が魔剣となる契約を結び直したい」

「……」

 

 返事はない。ダメかな……と、思った蘭子は、ハッとさっきの兄上の言葉を思い出した。「割とちょろいから頑張れよ」という言葉。

 つまり、コウの赦しをもらうのに、もう一つ餌があるという事だ。

 

「また……我にも貴様の流麗な剣技による勝利を、この目に見せて欲しい」

「許す」

「はっや!」

 

 まるでスケート選手並のターンの速さ。五輪でも目指しているのだろうか? 

 

「まぁ……元々、別に怒ってなかったし……簡単に踊らされた自分の情けなさに腹が立ってただけだし……」

「……」

 

 相変わらず他人より自分の所為にしたがる男だ。そういう所は嫌いじゃないが。

 

「でも、一つだけ条件……というか、頼み」

「え?」

「……あの時の俺の事は、もう忘れて下さい……」

「あ、あー……」

 

 なるほど、と蘭子は理解する。確かに、忘れてあげた方が良いのかもしれない。正直、少し惜しい気もするが、本人がそう言うなら仕方ない。

 

「わ、分かった……」

「ほっ……」

「……けど、埋め合わせくらいはしてくれるんだよね?」

「え?」

「我はずーっと貴様が戦場に来ない間、我しかいないヴァルハラで奮戦していた」

「あ? あー……」

 

 言われて、コウは罰が悪そうに目を逸らす。確かに、いない間は退屈な思いをさせてしまっていたのかもしれない。

 

「じゃあ……今日は泊まっていく?」

「……」

 

 相変わらず、さっきまで恋人がどうの誤解がどうのって話をしていたのに、何もわかっていない男である。まぁ、もうこういう反応にも慣れたものだ。

 そんな蘭子の表情を見て「ダメ」と察したのか、コウは別の事を提案した。

 

「あ、じ、じゃあ……今から剣道でもやる?」

「は?」

「竹刀の振り方とか教えようか?」

 

 言ってから後悔した。この前調べたら「恋人たるもの」の中に「自分の趣味に無理矢理、彼女を付き合わせるな。でも彼女の趣味には付き合え」というのがあった。

 これは完全にやらかしたか? と思ったのだが……ふと顔を上げると、これでもかと言う程、目をキラキラと輝かせた蘭子がコウの目前にまで迫っていた。

 

「やるー!」

「お、おう……」

 

 元気にそう言われ、思わず心臓がドキリと跳ね上がる。全てがトラウマとなりつつある「恋人たるもの」だが、その中で唯一、参考にした方が良いと思った事がある。

 

『可愛いと思ったら、素直に褒める』

 

 正直、褒めるのはハードルが高い。でも、せめて素直に思うくらいなら良いんじゃないだろうか? だって、思ってるだけなら相手には通じないのだから。

 

「? 桐原くん?」

「っ、や、なんでもない」

「表でやろうか」

「うん!」

 

 黙っていたからだろうか? 不思議そうな顔で見られてしまったので、顔を背けながら表を勧めた。

 

 



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友達と自宅で勉強会は100%捗らない。

 怪我が完治まで一週間となった。でも試験期間になった。よっしゃ、ちょうど良い。ようやく目の前で好きなものを食べられたまま身動き取れない歯痒さから解放されるぜ。

 そんなわけで、俺と蘭子も当然、試験期間に入る。蘭子が暇な日は俺の家で勉強していく事になっていた。え、何で俺の家かって? それは……。

 

「蘭子、剣先高い。それは相手の喉元に向けて」

「う、うむ……」

「後ろ足の踵を浮かす。体重は片足に乗せないで両足に均等にかけて」

「こ、こう?」

「そう。あと両腕の力は軽く抜く。剣道のカッコよさは、まず構えからだ」

 

 蘭子に剣道を教えているからだ。いや、これ良いよ本当。何せ、俺自身の復習にもなるから。こんな怪我していても自分を鍛える方法があるとは思わなかったよ。

 

「よし、じゃあ前後正面打ち10本ね。始め」

「は、はい……!」

 

 1、2、3……と、心の中で数えながら素振りを始める。発声したら近所迷惑だからね。

 10本振り終えた蘭子に、とりあえず修正点を教えた。

 

「手の内がまだ効いてないよ。あと、振り上げた時に剣先下がってる」

「む、難しい……」

「疲れた? 部屋に戻る」

「それは嫌だ……!」

 

 すごいな……俺は剣道を始めたばかりの時はあまり熱入らなかったんだよなぁ。なんか思ったよりかっこ良くなくて。

 

「じゃ、もう10本。後、右手に力入れてるのバレてるから。左手で振って」

「は、はい……!」

 

 これは本当に大事。俺は昔から「利き手を使わないってマジカッケェ!」と思って徹底してたけど、これ本当に良かったと思ってるんだから。これ右手で振るクセついたら本当にカッコ悪い上に弱くなるから。

 また素振りを始める蘭子を見ながら、その姿に自分を重ねて普段の素振りを振り返るのが、最近の俺の特訓だ。

 

「よし、こんなもんじゃね」

「ふぅ……やはり、竹刀より木刀の方がカッコ良い」

「そりゃ刀っぽく作ってあるからな。竹刀は怪我しないように作られてるもんだし」

「な、なるほど……」

 

 でも、竹刀は竹刀で危ないんだけどね。すぐに壊れるし、壊れるとささくれとか出来て竹刀がささくれを飛ばす投擲兵器になりかねない。

 ……あ、ささくれと言えば思い出した。

 

「ちなみに、蘭子。お前って、剣や銃の手入れってカッコ良いと思う?」

「思う」

「よっしゃ、ならちょっと来てみ。竹刀にも手入れがあることを教えよう」

「そうなの⁉︎」

「これはあくまで竹だからね。カーボン製のもあるけど、性能が高くて気に入らない」

「え、どうして?」

「だって、いくら剣が強くても、本人が強くないと意味ないでしょ? 俺はむしろ弱い剣で強い剣に勝てるようになりたい。その方がカッコ良い」

「確かに……!」

 

 銀さんとかすごいじゃない。木刀で高杉と互角だったでしょ。あれ刀だったら勝ってたんじゃないかなって思うレベル。

 で、まず取り出したのは、竹刀削り。独特の形をした短刀は、まず柄と鞘が木で出来ている。その時点でカッコ良い上に、この異様な短さがカッコ良くてポイント2。最後に、これで竹刀を削るというポイントがもうね。うほー。

 

「お、おおお〜……!」

「やってみる? この凹んでる角の部分で、竹刀の丸みを削るんだよ。ささくれが残らないように」

「やるー!」

「良いね」

 

 それこそ蘭子。早速、竹刀と竹刀飾りを手渡した。慎重にシューッシューッと静かな音で削る。そのクールな空気と仕草とは裏腹に、表情は「私は今、カッコイイ事をしている」という内心が浮き出ている。

 ……なんつーか、この子って本当に子供っぽいよな。可愛いけど……こう、同い年とは思えない。俺より2〜3個年下に感じるわ。

 

「出来た! 貴様の刀には、通常より高濃度の魔力が装填された」

「おお……丁寧だな。サンキュ」

「そろそろ、知力に磨きをかける刻限に戻るとしよう」

「えー、もう?」

「我が魔力も尽きかけている。故に、僅かな休息の時を共に過ごしたい」

 

 ああ、なるほど。もう疲れたのか。まぁそういう事なら仕方ないな。

 

「じゃ、家に入るか。冷凍庫にアイスあったらあげるよ」

「感謝する!」

 

 そんな話をしながら、ふたりで家の中に入った。竹刀と竹刀削りを片付け、手洗いうがいを済ませた。

 

「蘭子、部屋戻ってて。アイスと飲み物持ってくから」

「うむ!」

 

 それだけ声を掛けて部屋に行ってもらうと、俺はもてなす準備をする。

 まずはジュースから。超神水(標準語でサイダー)と、悪魔の生き血(標準語でコーラ)を注ぎ、棚から悪魔の根〜釜揚げの刑〜(標準語でポテチ)を取り、最後にコキュートスの吐息(標準語でアイス)を持って自室に向かった。

 

「入るぞー」

 

 部屋の中に入ると、中で蘭子が木刀を構えて鏡を見ていた。よく分からんけど、木刀を逆手持ちにしている。

 

「……ふっふっふっ、我が紅蓮の刃に貴様如きが太刀打ちできるか……!」

「……」

「いや、違うな……魔剣、天裂残響……うーん……」

 

 何してんのこの子。その握り方は俺も好きだが、実用性なくない? ていうか、人の部屋で勝手に……まぁ良いや。それより、アイスが溶ける。

 

「蘭子」

「ぴえっ⁉︎ ……あ、わ、我が剣」

「部屋の中で木刀を振り上げるな」

「ご、ごめんなさい……」

 

 恥ずかしかったのか、涙目になりながら俯いてしまった。本当、なんで恥ずかしがり屋さんなのにそういう行動をするのかね。

 

「はい。アイスと……お菓子セット」

「ありがとう」

 

 まずはアイスから食べる事にした。溶けるからね。二人で袋を開けて頬張る。シャリシャリした食感を全力で口の中に巡らせていると、蘭子が声をかけて来た。

 

「ふむ……貴様のガ○ガリくんは悪魔の生き血か」

「ん、ああ。食べる?」

 

 俺のアイスはコーラ、蘭子のは梨だ。オーソドックスなソーダがないのは、やはりうちの家族はみんな「オンリーワン」を目指す一家だからだろう。

 もうすでに齧ってあるのが申し訳ないけど、手に持ってるガ○ガリくんを差し出すと、蘭子は若干、頬を赤らめる。が、すぐに諦めたようにため息をついて首を横に振った。

 

「ふっ、我が禁断の果実(偽)味の方が美味故、遠慮する」

「それどういう意味?」

「梨とりんごって似てるから」

 

 ああ、そういうこと。そう言われりゃ確かに似てるかも。りんごが禁断の果実なのはアダムとイヴからかな? なんか兄上の終末のワルキューレに載ってた気がする。

 

「……そういえば、桐原くんの好きな食物はなんなのだ?」

「え、なんで?」

「いや……今にして思えば、我も貴様もあまり互いの趣味嗜好を把握していない。こういう機会に、情報交換をするのは如何だ?」

「あー、そういう事。……え、でも蘭子ってお絵描きとカッコ良いものが好きなんでしょ? 他にあんの?」

「我の好きな神話に興味は無いか?」

「え、蘭子って漫画読むの?」

「ふっ、とある者によれば、我が読む神話はアニメオタクの人が薦める漫画より刺さるそうだ」

 

 ……それ、その人にも厨二病の素質があるだけなんじゃないかな。や、別に良いけど。カッコ良さ全振りのBLEACHとかも俺好きだし。……まぁ、少しは斬魄刀だけじゃなくて自分の剣の腕を磨け、とか思うけど。だって、みんながみんな剣八くらい剣技を磨けば、滅却師とか藍染にもう少し善戦出来たと思うんだけど。

 

「それに、我も貴様の好きなことをあまり知らない」

「え、剣道」

「以外で!」

 

 あー……そういうことか。剣道以外だと……なんだろう。蘭子? じゃないわ、死ね俺! 

 

「え、た、例えば……?」

「自分の好きなものに例えを求められても……た、食べ物とか?」

「ラーメンと炒飯と餃子ともんじゃ焼きとたこ焼きとたい焼きとえんがわとサーモンと唐揚げ」

「すごいアジアンなものばかり……」

 

 あ、本当。ほとんどアジアの料理……というか日本と中国か。

 

「あ、でもラーメンなら今度、我が魔王城がそびえ立つ大地で美味なる店舗を紹介しよう」

「え、なんで?」

「我が城は熊本にある」

「く、熊本……? え、じゃあ、中学生で一人暮らししてるの?」

「あ……」

 

 やべっ、と言わんばかりに蘭子は目を逸らす。え、何その反応。もしかして、何かやましい事があるのか? 

 

「り、寮で……!」

「え、うちの中学、学生寮とかあるの?」

「じゃなくて、えーっと……ほ、ホテル……」

「ホテル……?」

 

 そういえば、兄上がホテルに寝泊りする学生がいるって言ってたな……。勿論、金がかかるから、なんかエッチなリスクを払ってるって奴で……なんてったっけ。

 

「あ、分かった! エンコーとかいう奴だ!」

「えんっ……な、何言ってるの⁉︎」

「兄上が言ってた奴でしょ! なんかよく分かんないけど……エッチな事してお金もらう奴!」

「ち、違う違う違う! 大きな声で言わないでぇ!」

「ら、蘭子になんかエッチな事した奴がいるって事か⁉︎ 叩きのめしてやる!! 

「違うってば! 話聞いてくれないと絶交!」

「聞く」

 

 そんな風に蘭子が言うなんてなぁ……。エンコーってなんなんだ? そんなに嫌な事なのかな……。

 

「じ、実は……その……」

「うん」

 

 蘭子は躊躇ってしまう。なんでそんな住処言うくらいで悩むんだろう。本当に心配になってくるな……。変な事されてるの? 

 

「……私の事を知っても、友達でいてくれる?」

「当たり前じゃん」

「そ、そっか……私、実はアイドルなの」

「いやそういうのいいからホントのこと言ってくれる?」

「ホントだよ!」

「は、はぁ……ていうか、アイドルって中学生でもなれんの?」

「なれるよ! 基本的にデビューは未成年だよ!」

 

 え、そ、そうなの……? 何だか意外なことを聞いた気が……。

 

「……あ、いや最近はそうでもない、のかな……?」

「え、ど、どっち?」

「少なくとも、貴様が出会って来た我が同胞達は皆、未成年の美姫だ」

「え、俺他にもアイドルと会ってるの?」

「飛鳥ちゃん、美波さん、みくちゃん、皆、美媛達だ」

「……」

 

 ……え、ま、マジで……? もしかして……兄上が最初の勉強会の時にひよったのって……それが原因? 

 

「し、調べても良い?」

「だ、ダメ……!」

「調べよっと」

「待ってー!」

「アイス溶けるよ」

「あ、お、おっと……」

 

 よし、いまだ。スマホで「神崎蘭子」で調べると……まず出て来た画像は、ステージ衣装のような服装の蘭子だった。通常時と違い、メイクをしているようだ。

 

「……」

「っ……!」

「あ……」

 

 手元からスマホを取られてしまったが、それが気にならない程度にはボンヤリしてしまった。いや、ぼんやりというか……あの綺麗な蘭子が脳裏を離れなくて……なんて言うんだろう……そう、アレだ。見惚れてしまっていた。

 最初は恨みがましい目で見ていた蘭子だが、俺が見惚れているのに気付いたのか、少し恥ずかしそうな顔に戻る。

 俺は照れを拭い去るように聞いた。

 

「……蘭子ってさ、普段からこういう衣装着てるの?」

「……き、着ているが……?」

「……」

 

 これが、歌って踊るのか……。ふーん……へー……ふーん……。

 

「……さ、勉強しようか。お菓子食べながら」

「あ、何か企んでる!」

「元々、勉強会に来てたんだしね」

「ねぇ、何しようとしてるの……⁉︎」

「さ、勉強勉強」

「似合わないセリフをやめろー!」

 

 ……とりあえず、二宮さん辺りにライブのチケット取れるか聞いてみよう。

 

 



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ナンバーワンよりオンリーワン。

 試験が終わったのだが……正直、自分で自分が怖かった。だって、なんかスイスイ解けるんだもん、問題が。え、俺に何が起こったの? と疑心暗鬼になるレベルで。

 すごいな……少し勉強をしただけでここまでの成果が……。これは、蘭子にも何かお礼をしなければならない……と、思ったのだが、今日はその前に部活復帰である。

 都大会まで残り一ヶ月、それまでに遅れを取り戻さないと。蘭子もアイドル活動復帰らしいし。なんか試験期間は事務所側が休みを取ってくれてたんだって。良い人なんだなぁ。

 そう、そのアイドルの件ね。二宮さんがチケットとってくれました。蘭子に内緒で。これで観に行ける。まぁ、ライブなんて行った事ないけど、とりあえず楽しめればそれで良いよねって感じのスタンスだ。

 それが楽しみすぎてハゲそうな俺だが、今は部活に集中である。俺が復帰するとのことで、部員のほとんどに嫌そうな顔をされたが、慣れっこなので何とも思いません。

 

「……よし、やるか」

 

 小さく息を吐いて、とりあえず基礎から固め直した。

 

 ×××

 

 部活が終わり、帰宅。自主練の後に、相変わらず剣道臭い身体をシャワーで流すと、ソファーに座る。明日から土日挟んで試験返却で、その次の日に終業式。で、夏休みだ。

 なーんか、不思議と夏休みが楽しみじゃないんだよな……なんでだろう。ちょっと意味わかんないレベルでワクワクしない。剣道する時間が増えて勉強する時間が減るのに不思議なんだけど。

 一人で眉間にシワを寄せていると、兄上が後ろから声をかけて来た。

 

「うーん……」

「コウ、何頭抱えてんの?」

「あ、兄上」

「バカヤロー、ブラザーと呼べ」

 

 うん、もう何でも良いや。

 

「じゃあ、ブラザー。なんか、夏休みが始まんのにあんま楽しみじゃないんだよね。なんで?」

「あん? そりゃお前、仲良くしてる神崎さんと会う事がなくなるからじゃねえの?」

「……え?」

 

 言われて、俺はハッとした。確かに、夏休みに昼休みなんかないし……当然、あの教室に集まることもない。

 駅で待ってても、そもそも登校する必要がないから一緒に学校にも行けないし、帰りも蘭子がたまに待っててくれるってこともない。

 ……え、じゃあもしかして……俺と蘭子、もう一ヶ月近く会えない……? 

 

「……何泣きそうになってんだオメーは」

「なってねえよ! ていうか、俺と蘭子ってもう会えないの?」

「ロミオとジュリエットかお前は。スマホ持ってんだろ、スマホ」

「あ、そ、そっか……連絡取れば良いのか……」

 

 でも、連絡か……なんか女の子に連絡するのってなんか恥ずかしいな……。今まで、なんだかんだあんまりスマホで連絡する事はほとんどなかったし。

 俺も蘭子も、話したい事は翌日の昼休みにため込むタイプだったから。や、そりゃ多少はあるけどね? 

 

「……まぁ、やってみるか」

 

 とりあえず、蘭子のトークルームを開いて、文を打ち始めた。あまり慣れていないので、どんな文面を打てば良いのか考えた後、とりあえず思いつく限りの文章を入力した。

 

 コケコッコウ『蘭子、今暇? さっき久々の部活が終わったんだけど、やっぱり剣道楽しかったわ。てか、蘭子に教えてたのが良い感じに復習になって思ったより鈍ってなかったよ。

 そっちはアイドルとかどうなの? 何してるのかイマイチ分からないけど、ブランク明けで動きとか固くなってない? 固くなってたら一度、身体をめちゃくちゃに捻ると柔らかくなるよ。

 それはそうと……夏休み中も、俺と遊んでくれる?』

 

 ふぅ……こんなもんか。送信、と。

 

「いや待……!」

「え? な、何?」

「お前……送ったの今の文章?」

 

 ブラザーが半眼で俺を睨んでいた。

 

「え、ダメなの?」

「ヤンデレかお前は。特に最後の怖すぎるわ」

「え、なんで?」

「本題から入らないのは素晴らしい。でも、その結果がもうメンヘラみたいになってるからな? とりあえず、文章は分割して送れ。一気にそんな長文を打つな」

「な、なるほど……」

「向こうもどの話題に食いつけば良いのか分かんないから」

 

 なるほどね、そういう感じか……でも、もう送っちゃったしな……。すると、蘭子から返信が来た。

 

 ブリュンヒルデ『闇に飲まれよ、我が剣』

 ブリュンヒルデ『我にブランクなど存在しない。それ故、常に最高濃度の魔力を持ってパフォーマンスを発揮出来る』

 ブリュンヒルデ『勿論、我もまた貴様と夏期休暇で密会を行うつもりでいる。機会があれば、いつでも連絡を待とう』

 

 なるほど、そういう感じか……。じゃあ、俺も真似して……。

 

 コケコッコウ『へぇ、すご』

 コケコッコウ『いね。そういうのってルーテ』

 コケコッコウ『ィンみたいな』

 コケコッコウ『のあんの? とりあえず、補講回避し』

 コケコッコウ『た時の約束、覚えて』

 コケコッコウ『る?』

 

「待て待て待て何でそこで切るのなんでそこで切るのなんでそこで切るの」

 

 ブラザーが横から口を挟んできた。

 

「や、だって分割って……」

「バカかお前は。普通、文ごとで切るに決まってるだろ」

 

 ふむ、なるほど……難しいな、L○NEって。

 

 ブリュンヒルデ『ルーティンなどない。我が潜在能力による副産物よ』

 ブリュンヒルデ『無論、覚えている』

 コケコッコウ『副産物かぁ……羨ましい限りだわ』

 コケコッコウ『じゃあ、とりあえずその日のこと決めようぜ』

 

「……ほらな? いっぺんに送ると話題が分割して面倒だろ?」

「た、確かに……」

 

 L○NEも奥深い。と言うか、面倒くさい。これなら電話かけた方がよっぽど……あ、そうじゃん。電話かければ良いんだ。

 

「てか、通話で良くね?」

「向こうが出れる状態なのか確認しておけよ」

「なんで?」

「電話ってしてる間は向こうの動きを拘束する事になるから」

 

 ああ、なるほど。忙しい時に携帯が鳴ったら台無しだもんな……。

 

 コケコッコウ『電話して良い? 文字打つの面倒臭い』

 ブリュンヒルデ『え、電話?』

 コケコッコウ『忙しいならいいけど』

 ブリュンヒルデ『いや、そういうわけじゃないけど……』

 ブリュンヒルデ『まぁ良いや。許可しよう』

 

 キャラブレてんなー……。そんなに狼狽えるような事か? 

 

「あ、コウ。電話かけるなら席外せよ」

「なんで?」

「それがマナーだから」

「了解」

 

 言われるがまま、リビングを出て部屋に戻った。無料通話ボタンを押し、耳にスマホを当てる。

 3コール目ですぐに応答があった。

 

『も、もしもし?』

「あ、蘭子?」

『うむ』

「いやー、 L○NEって文字入力すんの面倒臭ぇな」

『そ、そうか? 我は気にならんが……』

「いやいや、蘭子の声も聞けないし……」

『はうっ⁉︎』

 

 うおっ……び、ビックリした……。耳元で叫ばれるとキーンと響くな。

 

『も、もう! 我が羞恥心をくすぐるような事を言うのは禁止!』

「え、な、なんで?」

『恥ずかしいから!』

 

 あ、そりゃそうか。羞恥心だもんな。うーん……でも羞恥心を掻き立てたつもり無いんだけど……。

 

「分かったよ……。で、えーっと何の話だっけ?」

『夏休みの予定』

「あ、そっか……。一応、こっちは平日は一日練習だけど、土日は午前練だけで午後は空いてるよ。あと、月曜は休み」

『むぅ……そうか。すまないが、我には戦場に舞い降りる美姫故、どれだけ時間が取れるか……』

「まぁそれは仕方ないでしょ。で、どこいく?」

『ふむ……まず、プールであろう。このときこそ、我らの密約を果たす時よ』

 

 そういや、そんな約束してたなぁ……。

 

「あ、てかいっそ海行っちゃう?」

『それも良いが……資金はあるのか?』

「え、あ、あーそっか……」

 

 海までの交通費ってなると、また結構かかりそうだなぁ……。そろそろ竹刀も新しいの欲しいし、あまりお金は使いたくない。

 

「じゃあ、海以外か……あ、カブトムシ採集とかしない?」

『え、む、虫……?』

「楽しいよ。夕方に罠を仕掛けて、夜に取りに行く奴。毎年、ブラザーといってるんだけど……くる?」

『……い、良いだろう』

 

 よっしゃ! これはこれで楽しいんだよね。

 

「じゃあ、決まりな」

『う、うむ……虫に慣れておかないと』

「他の事は、プールの時にまた細かく決めようぜ」

『わ、分かった……!』

 

 それだけ話して、とりあえず電話を切った。ふぅ、蘭子とも遊べると思うと、もうすっかり夏休みが楽しみに思えて来た。

 とりあえず、遊べる日以外は剣道に集中しよう。

 

 ×××

 

 翌日、土曜日。夏休みに入る前の土日練習は普通に午前も午後も練習があるため、夕方まで練習だ。

 で、帰宅して来た。さて、自主練の時間だ。竹刀を持って、まずは左手だけで素振り。続いて、両手で振った。

 

「……ッ」

 

 そんな時だ。ふと後ろから気配を感じる。振り向くと、蘭子が立っていた。

 

「む、見つかってしまったか……」

「そりゃ分かるよ。こちとら、敵の殺気を先読みした上で反撃するのが戦術だからな」

「カッコイイ!」

「だろ!」

 

 後手に回れば不利になる、なんて言うのは臆病者の考えだ。怖がり程、先に手を出すからな。俺はゆとりを持って敵の手に対して応じる。……まぁ、それでもこちらから仕掛ける技も必要になるし、練習するんだけどね。

 

「蘭子もやるか? 今なら、お手本も見せられる」

「やる!」

 

 ……自分の好きな事に関してはやたらと素直になるんだよなぁ……。可愛いけど、そういうところほどキャラを作った方が……いや、そうでもないか。好きなものにほど素直な方が良い。

 そんなわけで、しばらく二人で素振りを続けた。途中から、俺は竹刀を横に持って蘭子の面打ちを受けたりした。

 

「良いね。良い感じ」

「それは構わんが……手は平気なのか?」

「平気だよ。……多分」

「や、やめておいた方が……」

「そうする」

 

 4〜5発でやめた。危ない危ない。骨折後はむしろ丈夫になるとはいえ、治ったばかりで油断すると何があるか分からない。

 しばらく素振りを続けたあと、そろそろやめておいた。オーバーワークは身体に毒だ。

 

「ふぅ……疲れた」

「わ、我もだ……レッスンの後だったのに……」

「え、それはごめん……」

「あ、いや、嫌だったわけではない故、気にするな」

「そ、そう……あ、じゃあとりあえず駅まで送るよ」

「ありがとう。では、参ろうか」

 

 と、いうわけで、とりあえず竹刀を片付けてから駅に向かった。

 二人でのんびりと歩く。駅までなら近道あるんだよな。

 

「蘭子、こっち」

「え?」

「近道あるから。公園を横切ってく奴」

「おお、近道っぽい!」

 

 その公園に差し掛かり、中を歩く。比較的に大きい公園で、ブランコやらジャングルジムやら滑り台が二つあったりと、割と訳がわからない。

 

「そういえば、ジャングルジムってあるじゃん」

「うむ」

「俺、子供の頃にあれのてっぺんから落ちた事あるんだよね」

「えっ⁉︎」

「その落ち方が面白くてさ。まず、裸足で登ってたんだよね」

「靴下?」

「も履いてない」

 

 なんか小学生の頃は「裸足だと運動神経が良くなる」みたいな流行があったんだよね。根拠はないけど、要するに「野生の魂が目覚める」的な感じで。勿論、何の根拠もないけどね。

 

「で、その時に足の親指と人差し指で棒を挟んで、身体が180度回転して後頭部が下に回ったんだ」

「……お猿さん?」

「うるせーよ」

 

 自分でもそう思うけど。

 

「で、後頭部打って、足が離れそうになった時にブラザーがキャッチしてくれてさー。マジで面白かったわ」

「面白かったって話なの⁉︎」

 

 いや、だってすごいでしょ。中々、芸術的な落ち方だったもの。

 

「だ、大丈夫だったの……? 怪我とか……」

「痛かったけど……でも、あんな落ち方する人は俺以外いないと思うし、笑ってたよ」

「き、貴様かなり変わった幼少期であったのだな……」

 

 いや、普通よ。そんなに変なことじゃないと思うけど……。少なくとも蘭子にそれを言われちゃおしまいだ。

 

「俺なんかよりブラザーの方がよっぽど変だから」

「あのレオという兄者か?」

「そう、そいつ。……正直、俺の中でブラザーは越えられない一つの壁として立ちはだかってるね」

「……そんなに?」

「うん。剣道の腕も、カッコ良さも、俺よりも蘭子よりも上だよ」

「……」

 

 言うと、蘭子は少しむすっとする。何? と聞き返す前に、蘭子は俺の手を引いてジャングルジムを指さした。

 

「なら、我が剣。そのー……む、骸の……タワー?」

「それならスカルタワーとかボーンタワーのが良いんじゃね」

「う、うむ。それ、それを踏破するとしよう」

 

 え、今からジャングルジム乗るの? 別に良いけど。

 

「良いけど……寮の門限とかないの?」

「少しくらい問題ない」

 

 そう言いながら、蘭子はジャングルジムに手をかけた。俺も同じように上までスイスイと登る。

 二人で並んで、一番上に腰を下ろした。夕焼けはほとんど沈んでいて、俺も蘭子も黙って、少しだけ高くなった事により見渡せる街を見た。

 

「いやー、久々に登ったけど、思ったより眺め良いのな。身長伸びたからかな?」

「ふむ……確かに。我も実家のジャングルジムに足を踏み入れてみようか……」

 

 あ、結局ジャングルジムなんだ。別に良いけど。

 

「それで、蘭子。急にどうしたの?」

「む? いや、別に……所で、我が剣」

「何?」

「こんなポーズはどうだ?」

 

 そう言うと、蘭子は立ち上がり、膝を真っ直ぐに伸ばして両手をポケットに突っ込んだ。

 

「……立ってるだけじゃん」

「ふっ……安定しない足場において直立不動、それもポケットに手を入れておく余裕。カッコイイ」

「いや、危ねえしあんまカッコ良くない。中身が伴ってないカッコ付けってカッコ悪いから」

「む、むぅ……!」

「それなら、座ってるだけの俺の方がカッコ良いね」

「む〜!」

 

 ならば、と言わんばかりに、蘭子は構えを変えた。足を大きく前後に開き、腰を落とし、姿勢を曲げるス○イダーマンみたいなポーズだ。

 

「これは⁉︎」

「その姿勢から何すんだよ。てか、本当危ない」

「な、ならば〜……これは……!」

 

 さらに別のフォームに変えようとした時だ。バランスを崩した蘭子はジャングルジムの外側に足を踏み外した。

 

「ふえっ……?」

 

 まぁ、想定通りだ。備えていたので、すぐに立ち上がりつつ、右手でジャングルジムに掴まり、左手で蘭子の手を掴んで蘭子の落下を阻止した。

 正直、カッコ良さなんて何でも良いんだよ。何が起きてもすぐに行動できる反射神経と精神力、それに見合った構えが一番カッコ良いのさ。

 

「ほらな? 座ったままの方がカッコ良いだろ?」

 

 全開のドヤ顔でそう言ってやると、蘭子は頬をほんのり染めて俺をぼーっと眺めた。が、すぐに悔しそうな表情を変える。

 

「む、む〜……!」

「ほら、降りるよ。……てか、降りられる?」

 

 完敗、といった顔で蘭子は下に降りた。……少し完璧に負かしすぎたかな。このままじゃ、蘭子のプライドが傷物になりかねない。

 まだ蘭子のステージは見たことないが……まぁ、蘭子も何かに一生懸命になってるのは分かる。決して適当なことを言うわけではなく、蘭子の肩に手を置いた。

 

「蘭子がカッコ良い場は、ここではなくライブでしょ?」

「え……?」

 

 少なくとも、この前見た蘭子のライブ衣装はカッコ良かったし、可愛かった。……まぁ、これ以上の褒め言葉は精神が持たないから言わないけど。

 

「さ、行こう。駅まで」

「……う、うむ」

 

 それだけ話すと、とりあえず駅まで送った。

 

 



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男女間の友情は成立しない。

 うちの中学では、追試を回避するには、夏休みまでの定期試験の平均点を30点以上、取らなければならない。要するに、赤点を回避するための点である。例えば、中間で数学4点なら、期末では56点取らなければならないわけだ。

 さて、そんな話はさておき、だ。俺は無事に赤点を回避した。全科目、60点オーバーに成功した。したのにさぁ……。

 

「本当にカンニングして無いんだな?」

「してないっつーの。俺だって少し本気出せばこんなもんよ」

「その本気の出し方が視力アップとかだったらカンニングだっつってんだよ」

「違うっての! 知り合いの大学生と蘭子に教わったんだっつーの!」

「大学生ぇ〜? 如何にも嘘臭ぇな……羨ましい。名前は?」

「新田さん」

「新田ぁ〜? ……え、蘭子って……神崎で……新田?」

「うん」

「……‥あり得なくはないな。そうか、あの人テレビの前だけじゃなく、本当に優しいんだ。益々、ファンになっちゃうなこれ」

「は?」

「や、悪かった。まぁ、頑張ったんならそれで良いわ」

「は、はぁ……」

 

 そんなわけで、解放されたんだけど……ふざけんなよ、あのクソ教師め。……まぁ、今まで疑われるような点を取って来た俺も悪いが。

 生徒指導室を出て、今日は部活が休みなので帰ろうと思ったが、校内放送をもってして俺が呼び出された事を知っていたのか、蘭子が教室の前で待っていた。

 

「闇に呑まれよ!」

「我が剣の煌めきは闇をも斬り裂かん」

「……な、なんだったの? あの呼び出しは」

「カンニングを疑われた」

 

 ったく、冗談じゃねえわ。俺そんなに怪しいかな。……まぁ怪しいわな。数学とか前4点なのに、今回は61点だからね。……その分、新田さんには絞られたが。

 

「まぁ、でも新田さんと蘭子の名前を出したら信じてくれたし、何とかなって良かったよ」

「良かった……え、そ、そうなの?」

「うん。なんか信じてくれた」

 

 まぁ、そんな話はさておき、だ。とりあえず約束は果たしたし、遊びに行く約束である。

 

「とりあえず、プールだな」

「うむ。いつ行く?」

「今週は土日の午後しか空きがないから、それまでは無理かな」

「分かった。では、その日の午後に参るとしよう」

 

 よし、じゃあそろそろ帰るか。のんびりしている時間は勿体無い。

 

「蘭子、帰ろう。今日は月曜だから部活ないし」

「う、うむ……!」

 

 それだけ話して、とりあえず二人で帰宅し始めた。この後、どうしようかな……。せっかく、午後はずっとフリーなんだし、せっかくなら一緒にいたい。

 

「あ……そ、そうだ、蘭子。この後、暇なら夏休みの予定を立てようぜ」

「え? あ、う、うむ!」

 

 よっしゃ、とりあえず一緒にいられる。それだけで嬉しいもんなんだな、友達って関係は。

 

「俺の家で良い?」

「良いだろう。そこを、夏休みの間の我らの拠点としよう」

「あ、秘密基地みたいな場所が良いなら良いとこあるよ。……まぁクーラーついてないしクソ暑いけど」

「我が耐熱スキルはイフリートをも凌ぐ。よって、何の問題もない」

「あそう。じゃあ行こうか」

 

 俺は正直、ごめんなんだが……まぁ、蘭子が行きたいと言うなら行こうか。

 

「えーっと……確か近くの雑木林の近くなんだよね。よくクワガタとか採ってた所」

「え、む、虫いるの?」

「え、いるけど……」

「……ひ、秘密基地くらいは我らだけしかいない場所が良いのだが……」

「じゃあやっぱうちね」

 

 正直、俺も秘密基地に憧れる年じゃないしなぁ。どちらかと言うと、やはり機能性を重視したいよね。

 にしても、蘭子って虫苦手なのかな。もしそうなら、昆虫採集やめておいた方が良いかな。ま、その辺は今日決めれば良いや。

 家に到着し、手洗いうがいを済ませて、ジュースとコップとお菓子を持って部屋に入った。とりあえず、着替えようかな。あんま制服好きじゃないし。

 先に蘭子の分の飲み物だけ注いで机に置いた。

 

「はい」

「え、あ、ありがとう……」

 

 で、着替え始める。ワイシャツを脱いだ直後、ブフッと吐き出すような音が耳に届く。

 何かと思って、この部屋にいるもう一人の人間に顔を向けると、蘭子が顔を真っ赤にしていた。

 

「にゃっ……ななっ、何を……⁉︎」

「え、着替え……」

「わ、私がいるのに⁉︎」

「え、別に男子は普通じゃね?」

 

 ち○こは流石に出せないけど、剣道の練習試合の時とか男子は客席で荷物をまとめて置いてある辺りで普通に着替えさせられるからなぁ。うちの部活の人はパンツ見せたまま女子と話してる事もあるし。

 勿論、女子は更衣室に行くが、トイレに行く時とか、中学によってはトイレの前で袴を脱いじゃう子もいるしなぁ。

 

「……剣道部……我は一生、理解できる気がしない……」

「そ、そういうもの?」

「普通はね!」

 

 お、おう……まぁ、それなら気を使った方が良いのかな。

 

「じゃあ廊下で着替えるわ」

「あ、ま、待って!」

「え、何」

 

 頬を赤らめている癖に、蘭子は何故か俺の方に近寄って来る。その視線の先は、俺の腹筋に向かっている。

 

「……すごい。割れてる?」

「そりゃまぁ剣道やってるし……」

 

 あまり中学の剣道部は筋トレはやらない。だけど、俺個人としては筋肉があるのはとてもカッコ良いと思うので、ブラザーと一緒に筋トレをしていた。

 

「さ、触っても良い……?」

「え……?」

 

 さ、触るって……腹筋を? 本気で言ってんのこの子? そんなの……。

 

「良いに決まってんじゃん! いやー、一回誰でも良いから家族以外に筋肉褒められたかったんだよね!」

「良かった……バカで」

「え?」

「何でもない。さ、触るね……」

 

 頬を赤らめたまま、俺の腹筋に手を当てる蘭子。すると、目を星空のようにキラキラと輝かせて、ツンツンと突いた。

 

「おお……お、思ったより硬くない……」

「うるせぇ。まだ発展途上なんだよ」

「でも……割れてるっていうのは分かる……」

「見ての通りよ」

 

 骨折してる間も腹筋とスクワットは欠かさなかったからな。

 ……しかし、得意げになっていられるのもつかの間だった。なんか、蘭子の様子がおかしい。ツンツンと突いていたと思ったら、なんかペタペタと撫で始めた。

 

「……あ、あの……蘭子さん?」

「おお……おへそ……え、えっちだ……」

「くすぐったいんですが……え、今なんて?」

「あ、あの……桐原くん!」

 

 な、なんだ急に……。てか、目がヤバイ……。

 

「絵、描きたいから写真撮らせてもらっても良い⁉︎」

「え、良いけど……」

「じ、じゃあ……とりあえず、道着に着替えて!」

「え、道着?」

「そう! 銀さんみたいな片肌脱ぎで!」

 

 ……あれか。まぁ、銀さん曰くあの着こなしは得物を瞬時に抜けるという利点があるらしいから良いけど……。

 

「えーっと……じゃあ、着替えて来る……」

「いや、ここで着替えよ」

「え?」

「道着の仕組みを見たい」

「……」

 

 ま、まぁ良いか……。パンツまでなら見られたって何も思わないし……。

 タンスの中に畳んである道着を取り出し、着替え始めた。なんでこのクソ暑い中、道着に着替えにゃならんのか……。

 上半身を終えると、続いて下半身。制服のズボンに手を掛けたところで、その手が止まった。

 ……あれ、なんだろうこの感じ……。なんか、蘭子に見られてると思うとものすごく恥ずかしいんだが……。

 

「あ、あの……蘭子、やっぱり外で……」

「え〜……貴様、先程の『普通じゃね?』と言った事を忘れたか?」

「や、そうなんだけど……無意識下と意識下は別というか……」

「まぁ、構わんが……」

 

 良かった……。とりあえず、廊下に出て袴に履き替えた。……つーか俺が着替えてんだから、蘭子が出て行くのが筋では? 別に良いけど。

 剣道の道着は、上半身の道着はクロスするように交差して紐で結んだ上で、さらに袴を履く。袴は道着の裾を隠すように上から覆って、紐を腰からお腹の前を通して再び腰で縛る。

 つまり、片肌脱ぎをするには袴を履いてから、上半身の道着の紐を解き、片方だけ脱ぐしかない。

 

「……こんな感じか?」

 

 とりあえず脱いでみたのだが……なんだろう、これ……。なんかすごくスースーする。すごい落ち着かない……。写真撮られたらすぐに着替えよう。

 部屋に戻ると、蘭子が身勝手の極意バリの速さで振り向いて来た。オゾン草も気付かないレベルの瞬発力だ。

 

「お、おお……! カッコイイ……!」

「そ、そう……?」

 

 うーん……どんな格好でもカッコ良いって言われると、やっぱ嬉しいな……。

 

「魔剣を構えよ!」

「え? あ、うん」

 

 言われて、部屋に置いてある木刀を持ち、いつもの剣道の中段構えをする。すると、カシャっと音がした。

 

「え、もう撮ったの?」

「無論。次は、上段に構えよ」

「え、何枚撮るの?」

「我が満足するまで!」

「ふざけんなバーカ! 着替える!」

「させるか! 貴様の実力は、我を満足させるに足らぬのか⁉︎」

「それで良いから着替えさせろ!」

「カッコイイ!」

「お前、俺をナメてるだろ」

 

 いくらなんでも乗せられてたまるか。そんな見え見えの罠に。

 何とか着替えようとする俺の両手首を掴み、阻止してくる蘭子。こいつ、意外に力強いな……。でも俺が本気で抵抗すると怪我させちゃうかもしれねーし……! 

 手首を掴まれながら取っ組み合いになって来ているときだ。部屋の扉が開かれた。

 

「おい、お前らうるせーよ。こちとら試験前の勉強中だコノヤロー」

「そうにゃ! 少しは近所迷惑も……え」

 

 ブラザーと前川さんだった。二人の目に映ったのは、取っ組み合いをしている俺と蘭子。ただし、片肌脱ぎの俺の手首を蘭子が掴んでいるため、どう見えているのかは分かったものではない。

 

「あ、ブラザーと前川さん。いたんだ」

「え、み、みくちゃん……?」

 

 まるで急に電池が切れたように、蘭子の力は抜ける。それにより、俺の反発している力は勢い余って押し倒してしまった。

 

「ちょっ、バカお前……!」

「キャッ……!」

 

 え、何その女の子みたいな反応……と、思ったのもつかの間、俺は蘭子の上で四つん這いになってしまった。

 文字通り目の前にあるのは、真っ赤になった蘭子の顔。背中を強打して痛かったのか、微妙に瞳が潤んでいる。気持ちは分かる。剣道は面つけてるから、後ろに転ぶと上手く受け身取れないんだよな。だからとても痛い。

 

「お前急に力抜いたら危ないでしょ……」

 

 思わず苦言を漏らしながら、とりあえず蘭子の目元に親指を乗せた。

 

「おら、泣くなよ。さっきまでの威勢はどうした?」

 

 それが、どうやら蘭子にとって限界だったようだ。俺を物凄い力で反対側に突き飛ばした。

 

「いって! お前何すん……!」

「うわぁぁぁぁん! 桐原くんのバカぁぁぁぁ!」

「ええええ……」

 

 なんか、逃げられてしまった……。え……俺が今、何したってのよ……。むしろ振り回されたの俺の方だと思うんですけど……。

 呆然としていると、俺を見て「ひゅう」と口笛を吹いたブラザーと、ゴミを見る目で睨んでいる前川さんが言った。

 

「やるなぁ、コウ」

「何褒めてるにゃ、桐原先輩。……コウくん、正座」

「え?」

「正座」

 

 事情を説明する羽目になった。

 

 



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傷ついた悪姫の罪〜第三章〜

「うう……ううう〜……!」

 

 魔王は、自室で悶えていた。枕で頭を覆い、ベッドの上で足をドタバタとバタつかせる。本当に死にかけている。

 思春期特有の全自動黒歴史生産により、もう悶えるしかなかった。よりにもよって何故、あそこで性欲が増してしまったのだろうか。もう本当に嫌だ。普通、少しは抑えようとするのに、割と抑制が効かなかった。

 そんな死にかけの蘭子を、飛鳥とアナスタシアはこっそりと扉から見ていた。あの厨二病は一体どうしたのだろうか? と言わんばかりに。

 

「……蘭子、何かあったのか?」

「アー……具合悪いですか?」

「いや、そんな本気の方ではなく、多分頭の病気だと思うけど……」

「アルツハイマーですか?」

「いやそういうんじゃなくて」

「じゃあ、健忘症?」

「だから違うって。お願いだから最後まで聞いて」

「脳○炸裂ガール?」

「どこで覚えたのそれ?」

 

 勢いが止まらなさそうな天使を、とりあえずコホンと咳払いして止めると、改めて説明した。

 

「だから、そういうんじゃなくて、何か嫌なことがあったんじゃないかなってこと」

「イヤなこと、ですか?」

「そう。例えば、友達と喧嘩したとか、恥ずかしい思いをしたとか、つい我を忘れてドン引きされるようなことしてしまった、とか」

「つまり……ウマトラ?」

「惜しい」

 

 そんな話をしつつ、とりあえずこのままなのは放っておけない。いや、アレがみくとか李衣菜とかなら放っておいても何とかなりそうなものだが、割とポンコツ魔王の蘭子なら暴走しかねない。仕事に影響出ても困るし、声をかけてあげることにした。

 

「蘭子、何かあったのかい?」

「……飛鳥ちゃん……」

「……?」

 

 顔を見るなり、再び蘭子は顔を真っ赤に染めてしまう。

 

「見ないでー!」

「ちょっ、な、何を⁉︎」

「えっちな私をー!」

「何があったんだ蘭子⁉︎」

 

 本当に何があったのだろうか。徐々に本気で心配になってきてしまった。

 

「とにかく出ていってー!」

「わ、分かった、分かったから!」

 

 さらにベッドの上で暴れ出したので、とりあえず様子を見ることにした。

 

 ×××

 

「と、いうわけなんだけど、何かしらないかい?」

「え? あ、あー……」

 

 翌日の蘭子の部屋の前。こういう時のための前川さん、と言わんばかりにみくに聞くと、何か知っているようで目を逸らした。

 

「まぁ、知ってるには知ってるけど……」

「ランコ、やはり脳○炸裂ガールですか?」

「飛鳥チャン、何を言ってるのこの子?」

「今は気にしちゃダメだ。後でアーニャをこんなにした人をとっちめた方が良い」

 

 そこを指摘しておきつつ、とりあえず話を戻した。

 

「で、何があったんだい?」

「それはー……その、かなりデリケートな話だから……」

「それはそうだろう。蘭子がデリケートだからね」

 

 確かに、と変に納得してしまった。蘭子はあの口調の割に、中身は繊細な子だ。だから、こうなっているのだろう。

 

「で、大丈夫なのかい? 蘭子は」

「まぁ……うん。蘭子チャンも、女の子って事にゃ」

「え?」

「クラスの男の子を押し倒そうとして押し倒されて照れて逃げちゃったにゃ。結果、クラスの男の子にも自分にもトラウマを残しちゃったってわけ」

「な、なるほど……」

 

 思わず飛鳥も引いてしまった。中学生の割にどすけべな身体をしていると思ったら、案の定、性欲は割と強い方らしい。或は、むっつりスケベなのか。

 

「……しかし、押し倒したって……桐原くんが、かい?」

「なんだ、知ってるの?」

「ああ。蘭子のライブのチケットを蘭子に内緒で頼まれていたんだ。……あの思春期がまだ来ていない子が、蘭子を押し倒す?」

「ああ、ごめん。押し倒す、と言っても、性的な意味じゃなくて、押し倒されそうになったのを堪えてたら、蘭子ちゃんが力を抜いたお陰で逆に押し倒しちゃった、って事にゃ」

「なるほど……そういう事か。……え、じゃあ蘭子はどういう意味で押し倒そうとしたんだい?」

「……」

「嘘でしょ?」

 

 ふっと目を逸らしたみくに、飛鳥は素で聞き返してしまった。

 

「いや、定かではないにゃ。……でも、片肌脱ぎの剣道着の男の子の両手を掴んでたら……」

「……蘭子。いつの間にか、蘭子は大人になろうとしていたんだね、身体以外も……」

「その上、隣の部屋にみくとレオく……兄がいるのに襲う大胆不敵さ……」

「まぁ、心の成長は人それぞれだからね……。蘭子がヴァージンを手放すのもまた、早いものかもしれ……」

「違うよ!」

 

 蘭子が扉を開けて喧しいバカ二人を阻止した。

 

 ×××

 

 さて、とりあえず落ち着いてから話を再開した。せっかく蘭子が出て来たのだ。これ以上の機会はない。

 

「で、大丈夫なの?」

「大丈夫……では、ない。……死にたい」

「まぁ、うん。何があったのかは知らないけど、とにかく死なないでね」

 

 そこを注意しておいてから、続けて話した。

 

「で、なんで押し倒そうとしてたにゃ?」

「え、えっと……あれは、別に押し倒そうとしてたんじゃなくて……その、写真を……」

「写真?」

「片肌脱ぎの武士って……カッコイイから……」

 

 それを聞いて納得したのは、飛鳥の方だった。その気持ちはとてもわかる。片肌脱ぎの様にアンバランスでセクシーなものはカッコイイのだ。銀さんは当然、ドラゴンボールのように服が破れたり、卍解一護の黒装束が破れた姿も同じだ。

 

「分かるよ、蘭子。それで、つい色んな写真を撮りたくなっちゃってしまったんだね」

「クックックッ……流石、我と魂が共鳴せし盟友よ。我らの共感覚性は、もはや真人類とも呼べる新たな人類種よ」

「フフ、悪くないね。人の世の理から外れた新たな希少種……僕らがそれに選ばれたのは、素質による……」

「分かったから話を進めるにゃ」

 

 この二人、一度ノリが合うと一々、話が長くなる。

 

「とにかく、写真を撮りたいだけだったなら、下心は無かったんでしょ?」

 

 今の蘭子の話ではそういうことになる。みくの中ではあんな襲う間際の男みたいなセリフを言ったコウにも多少の問題があると思っていた。あの場面であんなこと言ったら、蘭子でなくても逃げるに決まっている。

 しかし、蘭子は頬を赤らめたまま俯いている。

 

「え……あ、あったの?」

「いや、その……」

 

 言えない、腹筋を触ったりおへそを見てたりした、なんて言えない。

 が、まぁ今の玉虫色の返事で、少なくとも邪な考えがあった事を理解したみくは、一気にジト目になって蘭子を睨んだ。

 

「蘭子チャン……」

「ち、違う! えっちなことを想像したわけではない!」

「じゃあ何?」

「……ふ、腹筋を……触らせて、もらっただけ……」

「飛鳥チャン?」

(ギルティ)

「ごめんなさーい!」

 

 分かっていた判決に、泣きながら謝る蘭子だが、みくも飛鳥も首を横に振った。

 

「みくや飛鳥チャンに謝られても困るにゃ」

「そうだよ。一番、かわいそうなのは桐原くんじゃないか」

 

 何せ、お腹を触られて恥ずかしい写真を撮られ、転びそうになったのを助けたのに逃げられたわけだ。実際、逃げられた時のコウはかなり涙目だったことを、みくは思い出していた。

 

「とにかく、謝るにゃ!」

「で、でも……どんな顔して会えば……謝るセリフも見つからないし……」

「えっちでごめんなさいとか?」

「いやだー!」

 

 飛鳥の案は流石に直球過ぎる。みくも涙目で首を横に振った蘭子を止める気にはならなかった。

 

「なんて謝るか、なんて蘭子ちゃんが考える事にゃ。それよりも、もう夏休みなんでしょ? 早く謝らないと、夏休みの間、会えなくなっちゃうよ?」

「うっ……」

「あと、レオ先輩が『なんであれ女を泣かせる奴は侍じゃねぇ』って言ってたから、コウくん死んじゃうかもよ?」

「すぐ謝る!」

 

 謝ることにした。

 

 ×××

 

 その日の夜、蘭子は桐原家の前に向かった。いつも通りなら、家の前で素振りをしているはず……と、期待を込めて来てみると……。

 

「はい、あと100本〜」

「オッス!」

「はい、心頭滅却、煩悩退散!」

「心却滅頭、本能爆散!」

「全然違う!」

 

 めちゃくちゃ太い木刀に重りを五個つけて素振りしていた。しかも、コウだけでなくレオも一緒に。

 相変わらず馬鹿なことをやっているように見えるが、本人達の表情は至って真剣だ。

 

「……」

 

 やっぱり、あの兄弟が揃って剣道やってる姿を見るのはカッコイイ。何本かようつべで剣道の試合を見たが、どういうわけかコウ達の剣道が一番、カッコイイ。思わず見惚れてしまう程だ。

 だが、そういうわけにもいかない。これから、謝らなければならないのだから。

 

「……あ、あの……こんばんは……」

「あ、神崎さん」

「ッッッ‼︎」

 

 唐突にビクビクンと背筋を伸ばしたコウは、慌ててレオの背中に隠れてしまった。全然、心頭滅却出来ていない。

 

「……か、かんざきさん……」

「……」

 

 呼び方もすっかり元に戻っている。これには、少しショックを受けたよりもイラついた蘭子だが、まぁ抑えることにした。

 

「……桐は……コウくんに、謝りたくて」

「え?」

「昨日は、その……ごめんなさい。つい、恥ずかしくて……逃げちゃったから……」

「……」

 

 正面から謝られ、コウは小さく咳払いをすると、控えめに兄の背中から出てきた。

 

「……いや、蘭子は悪くない。全部、俺の精神的な修行が足りなかった所為だから」

「え? いや、それは……」

「そうなの! だから、蘭子が謝ることはないよ」

「……」

 

 そんな風に言われてしまうと、蘭子は思わず黙り込んでしまう。本当は悪いのは自分なのに、彼は首を横に振るってしまう。

 それどころか、むしろ微笑みながらこんな事を言い出した。

 

「……それより、俺を嫌ったわけじゃないなら……夏休み、また遊んでくれるか?」

「! ……も、勿論だ!」

「じゃ、今度こそ夏休みの予定決めようや」

「うん!」

 

 もう完全に水に流すつもりなら、自分もそれに乗った方が良いだろう。コウが家を指差したので、蘭子も中に入ることにした。

 家の敷地内に入りながら、蘭子は「そういえば」とコウに声を掛けた。

 

「我が剣、あの者は貴様の兄、ということで間違い無いな?」

「そうだよ?」

「ふむ……奴の素振りも中々、良いものだな」

「そりゃそうだろ。何せ、俺の師匠だからな」

「道理で、桐原くんよりカッコイイわけだ……」

「……は?」

 

 喧嘩にはならなかった。ただ、この日、明らかにコウの機嫌は以前より遥かに悪くなった。

 

 



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話が終わってから気付いたけど、お前も男の子の身体ペタペタ触ってただろ。

昨日はお騒がせしました。毎度毎度誤字る上にしくじってすみません。


 とりあえず、蘭子とプールに行くことになったわけで、駅前に待ち合わせした。

 ……のだが、なんかすごく気分が悪い。だってあいつ、俺よりもブラザーをカッコ良いって言うんだもん。かなりムカつくでしょ。

 や、そりゃ分かるよ。冷静になれば、師匠であるブラザーが俺よりカッコ良いのは当たり前だ。

 ……でもさ、俺の事の方が長く見てるんだから、そこはやっぱりこう……俺の方がカッコ良いって言ってくれないと……。

 とにかく、今日は蘭子に俺の方がカッコ良いって思われるように、厳格な態度で……。

 

「……ま、待たせた! 我が剣よ!」

「や、全然待ってないよ。……それより、蘭子のその私服、かなり魔王っぽくて良いと思います」

「え、そ、そう? まぁ、その通りだな。このドレスは我が魔王として顕現する時のみに着用する正装よ……!」

「俺の剣道着みたいなもん?」

「え? あ、いや……貴様で言う剣道着ならば、我にとってはステージ衣装だ。……我が正装は、他の誰で喩える事も出来ん」

 

 む……なるほど。カッコ良……って、違う! 俺がカッコ良いって見惚れてどうすんだバーカ! 

 ここは、男として厳格な態度で接するって決めなければ……! 大丈夫だ、俺の思う「男」はちゃんと考えてある。要するに、男らしくって事だ。

 

「じゃあ、行くぞ。蘭子」

「あ、う、うむ!」

 

 そう言うと、蘭子の手を引いて駅に向かった。こういう時、女性を先導するのが男の役目って聞いたしな。実際、俺のような侍は誰かに従うより自身の道は己で決めた方が良いって分かっているし。

 蘭子はキョトンとした顔で、改札を通る俺を眺めていた。フッフッフッ、俺の男らしさに気付いたようだ。そうだ、俺はブラザーなんかより余程、カッコ良い。

 と、思ったら、蘭子はフッと微笑んだ後、微笑みながら聞いてきた。

 

「そう言えば、我が剣。次の大いなる戦の準備は整っているのか? 新たな必殺剣は……」

「あ、そうそう! 聞いて蘭子、ようやく見えてきたんだよ! 新しい仕掛ける必殺技! 付け焼き刃にならないように練度を高めてる最中で……!」

 

 プールに向かった。

 

 ×××

 

 さて、更衣室を通り過ぎて、女子更衣室の前。この日のために、ブラザーが俺に買ってくれた海パンを持ってきた。学校指定の海パンで行こうとしたら、頼むからやめてと止められました。

 それと、なるべくプールに入らない時はシャツを着ていた方が良い、との事で半袖のシャツも羽織ったし、準備万端だ。

 とにかく、今の所、男としてちゃんとカッコ良さを演出出来てると思うし、プールの間もキチッとすれば……蘭子もちゃんと俺に……。

 

「待たせた、我が剣!」

「ああ、全然、待ってな……」

 

 思わず、言葉を失った。黒のビキニに、ピンク色のリボンが付いた、まさに蘭子が好きそうな水着、と言った感じの水着だった。

 勿論、バカ似合ってる。けど、なんだろう。それ以上に、気になる所が……。

 

「蘭子って、おっぱい大きいの?」

「…………は?」

 

 あ、やべっ。言ってから後悔した。や、でもだって……俺と同い年なのに母ちゃんと一緒でおっぱい膨らんでて、谷間があって……え、中学生なのに大人に見えるんだけど……。

 ……って、違う! 蘭子、顔を真っ赤にして胸を隠しちゃってる! 

 

「あ……や、違くて……ごめん、今のは……!」

「……えっち」

「ち、違うって! や、でも……え? だって、同い年だよね俺と?」

「中学生は身体に変化が出る頃だよ!」

「へ、変化って……あ、そういや部員の奴もチ○毛がどうのって……」

 

 頬にでっかい紅葉が出来た。

 

 ×××

 

 男を見せるどころか、別の男を見せてしまった。ああ、反射的にとはいえ……まさかあんなこと言うとは……。なんだっけ? せ、せくはら? って奴だよな……。

 

「あ、あの……蘭子……」

「ツーン……」

 

 ……ダメだ。聞いてくれない……。プールに来たのに、プールに全く入れなかった。蘭子も拗ねて上着羽織っちゃってるし……。

 まぁ……でも、俺が悪いよね。何とかして機嫌を直してもらわないと……。

 とりあえず、何故、蘭子が怒っているかを考えるんだ。そりゃ勿論、おっぱいのことを言ったから。ブラザーの話によると、女の子は胸が大きいことを誇りたい人が多いし、実際、男は大きいおっぱいが好きらしい。

 だが、身体のことを他人に指摘されるのは、たとえ嬉しいことでも「嬉しさ」より「恥ずかしさ」が勝るのだろう。俺も「え、お前まだ下の毛生えてないの?」とか言われるとムカつくし……いや、これは男に言われてもムカつくな……。

 と、とにかく、そういう事なら、俺は蘭子をやらしい目で見ていないことを訴えれば良いんだ。

 

「ら、蘭子! 俺、確かにおっぱい大きいなんて言っちゃったけど、別にいやらしい目で見ていないから! 例え胸が小さかったとしても、蘭子は蘭子だから……」

 

 反対側の頬に、も一つ紅葉が出来た。

 

 ×××

 

 それからさらに10分が経過した。まだ水の中に入れてはいない。

 ……俺は、何を間違えたんだろう……。さっきより蘭子、怒ってるし……なんなら、上半身はパーカー、下半身はラップタオルを纏っているまである。

 蘭子がそれをすると、ダサさよりも魔王っぽさが全面に出てしまうわけだが、それ以上にお前暑くないの? と少し不安になる。

 ……ていうか、暑がってるな。水に入ってないのに汗が浮かんでいる。

 

「蘭子……ホント、俺は変な目で見てないから、暑いなら脱いだ方が……」

「ツーン……」

 

 ……うーん、ダメだ。せめて、飲み物でも買ってきて、暑さを和らげてやるか。情けない話だけど、俺にはそれしか出来ない。

 

「ごめん、ちょっとトイレ行ってくる」

「ツーン……」

 

 何回言うねんそれ。まぁ良いけど。……ていうか、俺がこの場を離れると外すんだ。そこまで暑かったんなら無理しなきゃ良いのに……。

 とりあえず、財布はロッカーにあるので、一度そこまで戻り、必要な数だけ小銭を持って自販機に向かった。

 

「はぁ……何が良いかな……」

 

 ラインナップはコーラやら水やらお茶やらコーヒーやらとなんでもある。……でも、その、何? 蘭子の好みってなると……やっぱ、ブラックコーヒーか? でも、それは蘭子の趣味であって好きな味かと言われると……。

 ……ま、なんでも良いか。炭酸で冷たいのならなんでも飲むだろうし。元々、今は冷たい物を買って行こうって話だったからね。

 自販機で飲み物を購入し、改めて蘭子の元に戻ると、蘭子は金髪の男三人に囲まれていた。金髪かぁ……俺も小学生の頃、ベジータに憧れて頭に黄色の絵具塗りたくってキレられたなぁ……。あの人達も同じかな。

 

「なぁ、この子、神崎蘭子じゃね?」

「そうじゃん。え、一人でここにいんの?」

「てか、本物ってやっぱ可愛いな。な、一人なら俺らと遊ばね?」

 

 何話してんだろ。もしかして、蘭子の知り合い? アイドルの友達の友達とかならない話じゃないのか? 

 ……背丈からして……高校生くらいか? てことは、ブラザーと同い年くらいかぁ……。俺の1.5倍は身長あるな……。

 でも、超サイヤ人に憧れてあの髪色にしてるんだとしたら悪い人じゃなさそうだし、俺と遊ぶくらいなら大勢で遊んだ方が蘭子も楽しいんじゃ……。

 

「わ、我には共にこの楽園へ舞い降りた堕天使がいる! だから、貴様らと遊ぶつもりは無い!」

 

 ……あ、でも俺を選んでくれるのか……。……うん、蘭子がそう言うなら俺も合流した方が良いか……。ていうか知り合いじゃないみたいだし。

 そう思って呑気に近付くと、男達は急に笑い出した。

 

「プッハハハハ! リアルにこの口調なんだこの子!」

「やべぇ、ツボった! いてぇ!」

「キャラ作りだったんじゃねぇのかよ! あはははっ……オエッ!」

 

 ……なんか、感じ悪ぃなあの野郎ども。サイヤ人に憧れたんじゃなかったのか? 

 

「てかさ、てかさ、中坊のわりに胸デカくね?」

「普通にアリだよな」

「な、マジで遊ぼうぜ」

「っ、い、いや……離せ!」

 

 あ、あの野郎……蘭子の逆鱗に触れるようなことを……。そうか、俺はさっき、あんな気持ち悪いことを言っていたのか。もう少し、で……でー……デリカット? だっけ? を持つことを覚えよう。

 ……さて、のんびりしてる場合じゃないな。蘭子、もう泣きそうだし。

 顔を赤くしてしまっている蘭子と、金髪バカ三人の間に入って、蘭子の手首を掴む1人の手を掴んだ。握力48キロで。

 

「離せよ、あんた」

「……あ?」

「あっ……き、桐原くん……!」

 

 ギリギリと手を絞めると、金髪の手の力が緩み、蘭子の手を離す。それと同時に蘭子は俺の背中に隠れ、俺は金髪野郎の手を振り払い、上着のシャツを脱いで蘭子に羽織らせた。

 

「チッ、なんだよ。マジで連れがいたんか」

「でも、まだガキじゃん。やっちまう?」

「バカ、こんなとこで警察の世話になるつもりか?」

 

 金髪の男達は立ち去っていった。なんだ、喧嘩ならやってやるつもり……いや、無理だな。多分、ボコられるから蘭子を連れて一緒に逃げるしかなかっ……。

 

「っ……!」

「うおっ……ら、蘭子⁉︎」

 

 っくりしたぁ……急に背中に抱きつかれたから……。……あれ、ちょっと待って? なんか、背中に柔らかい感触が……。あれ、これもしかして……。

 って、あかんあかん! だから、さっきのクソボケどもと同じになるつもりか! たとえおっぱいであっても、興奮するな! 何も感じるな! 

 ……よし、落ち着いた。うん。背中にスライムが当たってると思えば何の問題もない。……それより、何かあったのか? 

 

「どうした? 蘭子」

「……ごめんなさい」

「何が?」

「その……意固地になって、酷い態度とったから……」

 

 ……ああ、その事か。

 

「いや、気にしてねえよ。俺の方こそ悪かったよ。おっぱい大きいとか言って」

「……微妙に反省できてない」

「え、ど、何処が⁉︎」

「次から、もうどんな事を言うのでも『おっぱい大きい』とか言っちゃダメ」

「あ、な、なるほど……」

 

 確かに、なんかもう言葉の響きが良くないよね。飯中に運動音痴をウンチって表現するのと同じってことか。

 

「わ、分かったよ……」

「うん。……それと、ありがとう。助けてくれて」

「や、それは当たり前のことっていうか……」

「よし、落ち着いた」

 

 俺の背中から、蘭子が離れる。それでようやく、蘭子と顔を見合わせた。

 

「では、参ろう。我が剣、ようやくオアシスで羽を休める刻よ!」

「だな。遊ぼう。ていうか、暑過ぎて禿げそう」

「う……実は我も……」

 

 そう言って、蘭子は俺の上着を脱いだ。一応、荷物の置き場って事で置いてある場所に、二人の荷物をまとめて置いた。

 再び露わになった蘭子の水着姿を見て、思わず息を飲んだ。なんつーか……やっぱり、綺麗で……。

 

「……桐原くん?」

「っ、あ、あー……蘭子」

「何?」

「その……水着が、綺麗とか……似合ってるとか……そういうのも、禁止?」

「……ふえっ⁉︎」

 

 ボフンと茹でたこのように顔を真っ赤にする蘭子。あががっとしばらく固まったと思ったら、アワアワと両手を虚空に彷徨わせる。

 が、やがて落ち着いて考えが纏まったのか、顔を赤くしたまま頷いた。

 

「……それは、OKで……」

「了解。じゃあ、似合ってるよ。蘭子」

「えへ……えへへ……」

 

 この後、めちゃくちゃプールで遊んだ。

 

 



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自覚なし右衛門。

 平日練習中、部内による紅白戦。俺はこれが嫌いだ。何故なら、勝っても負けても良い思いしないから。特に、先輩に勝った時がひどいよね。空気とかあまり気にしない俺でも気にするレベルで嫌な空気になる。

 それでも、手は抜けない。容赦なく叩き潰すよ、俺は。それに、新しい技を試す良い機会でもあるし。

 そんなわけで、今日の俺は一切、空気を読まずに全戦完封勝利してきました。更衣室の中で陰口を叩かれようが、もう一切、効きません。

 だってほら、これから蘭子と会うんだし。多分、あいつのことだから武道場の前で待ってるだろうし、何なら見せつけてやろう。ふっふっふっ、俺と蘭子が並んで帰るのを見て、あの男どもは歯軋りを……。

 ……あれ、なんで歯軋りするんだ? そもそも、なんで俺は蘭子との仲を見せつけてやろうなんて……別に、友達同士ってだけじゃん。

 そんなことを思いつつ、とりあえず着替えを終えて武道館を出ようとした。が、そんな俺に声が掛けられた。

 

「あ……あの、桐原先輩!」

 

 あ、えーっと……一年の女子か。名前知らないけど。

 

「何?」

「その……先程、地稽古でお相手してもらったので、何かアドバイスを、と……」

「え、俺に?」

「は、はい……!」

 

 ……そうなんだよなー。最近、後輩からのこれがあるんだよなー。よくわかんないけど、2〜3年の目を盗んで聞きに来る。普通に来りゃ良いのに……とも思ったが、まぁ俺は嫌われてるし、あんまり表立っていくと自分達が危ないと踏んだのだろう。

 なんていうか……俺って一体、何なんだろうか。まさに孤高の剣豪だな。

 

「まぁ良いけど……じゃあ、下で話す?」

「分かりました!」

 

 他の人に見られたくないなら、その方が良いでしょ。二人で歩きながら、剣道場を降りる。

 

「えーっと……まぁ、地稽古の時は良いけど、当たらない打ちは控えたほうが良いよ。将棋と一緒で、一番隙がないのは最初の構えの状態だから。自分が攻撃する瞬間に隙が生まれるって思ってな」

「は、はい……」

「技術に関してはどうこう言わないから。そういうの教えるのは各々の技練習の時だし」

「わ、分かりました」

 

 なんて話しながら歩きながら、一階に到着した。下では、予想通り蘭子が待っていた。

 

「……あ、蘭子」

「待っていたぞ、我がけ……あ、き、桐原くん……」

「お待たせ」

 

 軽く挨拶しつつ、後輩にまとめるように言った。

 

「そんだけ。じゃ、頑張って」

「は、はい……!」

 

 それだけ話して、とりあえず別れた。一年生は再び上に、戻った。その背中を目で追いつつ、蘭子に声をかけた。

 

「悪い、待たせた」

「……今の子は?」

「後輩。最近、多いんだよ。先輩達の目を盗んで教えて下さいって」

「つまり、頼られていると?」

「さぁね」

 

 正直、微妙な所だ。頼ってんなら堂々と来れば良いし。まぁ、そんな話はどうでも良い。

 

「それより、蘭子。今日この後の予定覚えてる?」

「……ふーん、女の子に頼られてるんだ。……ふーん」

「蘭子?」

 

 なんだこいついきなり。急に意味深に呟きやがって……や、まぁ何でも良いけどな。

 

「あ、でも蘭子は虫苦手なんだっけ……」

「行く!」

「え? お、おう……」

 

 なんだろう、急に……。まぁ良いけど。

 

「虫除け忘れるなよ」

「分かってる!」

 

 ……なんかー……怒ってる? いや、そうでも無いのか……? うーん……分からん。

 

「ちなみに、蘭子。カブトムシとか好き?」

「え? ふ、普通かな……」

「リアルで見たことは?」

「子供の頃に数回だけ」

「なら、多分感動するよ」

「え、なんで?」

 

 ホントに。久々に見ると童心に帰るし、素直にカッコ良いと思えるから。あ、いや俺は今でも童心だったわ。

 

「でも、我が魔王軍の正装は汚されることを良しとしないワンオフ品。一度、戦闘服への顕現を推奨する」

「あー確かに制服はまずいか」

 

 俺は部活の後だからジャージだけど、蘭子はそうもいかないもんね。

 

「じゃ、蘭子の寮に寄ってから行こうよ」

「……えっ?」

 

 ×××

 

 そんなわけで早速、346事務所とやらの女子寮に来た。来た、んだけど……。

 

「我が剣、ここで待機する時の心得を述べよ」

「一つ、誰とも話さない。二つ、携帯を見て隠キャを装う。三つ、挨拶された時だけ、軽く返事をする」

「よし。あ、でもみくちゃんや飛鳥ちゃんは別だから」

「知り合いの人たちね、了解」

「では、言って参る」

 

 ……なんかすっごい厳しく制約を受けた。なんだろう、俺はそんなに強い念獣なのだろうか? 何それ少し嬉しい。

 それなら、蘭子の言うことを書く必要も出てくるというものだ。蘭子が寮に戻ったのを目で追いつつ、とりあえずスマホをいじることにした。

 そんな時だ。寮から一人の女子が出てきた。何故か、学生服の上に白衣を着た女の子だ。高校生くらいだろうか? 

 

「ん? んー……?」

 

 ……え、なんだこれ。初対面の人に、まず匂いを嗅ぎにくるのってどういう習性? 

 

「君、なんだか良い匂いするね!」

「え」

 

 ……どうしよう挨拶どころか第一声が匂いの指摘なんだが……なんか、強さを匂いで判断する強キャラみたいでカッケェな! 

 

「え、そ、そう? 強そうな匂いとかする?」

「つよそう? ううん、そういうんじゃなくて面白そうな匂い」

「カッコ良い匂いとかしない?」

「しない」

 

 あ、そ、そう……なんかもう一気にどうでも良くなって来たな……。でも、ここまで話して、今更、蘭子の言う「誰とも話さない」を実行出来たとは思えないし……今からシカトするのも印象悪いよな。

 

「で、俺になんか用?」

「ないよ」

「ないのかよ……」

 

 じゃあもう話す必要ないよな。再びスマホに視線を落とした時だ。相変わらず犬のように鼻を近づけてくる女の子が、下から俺の顔を覗き込んできた。

 

「うん、間違いない!」

「何が」

「蘭子ちゃんの匂いだ!」

「え、知り合い?」

 

 てか俺から蘭子の匂いがするの? さっきまで一緒にいたから? ホントに警察犬か何かじゃねえの? 

 

「ね、君は蘭子ちゃんとどういう関係なのー?」

「え? 普通に学校の友達だけど」

「ふーん……本当に?」

「ホントに。学校一番の友達だよ」

 

 なにを疑うところがあるのか……。俺はこの世に蘭子以上に仲良い人はいない。

 

「ふーん……ま、良いや。とにかく、蘭子ちゃんのお友達ね?」

「そうだよ。これから、虫捕りに行くんだ」

「にゃはは、楽しそ〜」

 

 お、意外と話の分かる人だな。虫捕りは楽しいんだこれが。カブトムシやクワガタだけじゃなくて、カナブンやスズメバチがいると尚、楽しい。色んな虫が集まっている所を見学するだけで一時間は潰せる。

 

「何、虫好きなの?」

「や、別に?」

「???」

 

 この人、もしかして日本人じゃないのか? 

 

「ふーむ……そっかそっか。これから虫捕りか。良いねぇ、夏の風物詩」

 

 なんか俺と話が合うのか合わないのか分からん人だな……。難しいにも程がある。

 

「そんな君には、これをあげよう」

「え?」

「志希ちゃん特製、害虫特攻ハイパー虫除けスプレー。不快な臭いはしないし、鼻から突っ込んでも人体に影響は無い最強の虫除けスプレーだよ」

「え、つ、作ったんですか?」

「うん」

 

 な、なんて事だ……こんなものを作れる人がこの世にいるなんて……。まるで、ア○アンマンこと、トニー・○ターク……。

 今まで、カッコ良さとは心と身体の強さだと思っていたし、天才なんて幻想だとも思っていたが、こうして実際に頭の良い人を見ると、何だかとっても……。

 

「ただ、代償として……」

「カッコ良い!」

「え? か、カッコ良い?」

「姉ちゃん、メチャクチャカッケェな!」

「んふっ……ふふふっ、そう。あたしはとってもカッコ良い!」

 

 うん、この人すごい人だ! 

 

「サンキュー、これありがたく使わせてもらうぜ!」

「うんうん。あ、でもそれには代償が……」

「あ、いた! コラ、志希ー!」

 

 直後、遠くから声が聞こえた。そっちを見ると、学生服のコスプレをしたOLっぽい人が走って来ていた。

 

「レッスン中に失踪はやめなさいって言ってるでしょ!」

「あ、やばっ。またね、少年!」

「あ、うん。じゃあね、カッケェ姉ちゃん!」

 

 そのまま立ち去ってしまった。うん、良いものをもらった。これは後で使おう。

 再び蘭子が来るまで待っていると、また新しい人が出て来た。今度は、アホ毛が特徴的な普通の学生服の女の子……なのだが、俺を見るなり目を細めた。

 

「むっ……?」

「……お」

 

 それは、俺もだ。この人……俺には分かる。同じ剣の道を嗜む者だ。何故わかるかって? オーラよ。

 

「……貴様、出来る……!」

「お前が言うな」

 

 ふっ……面白い。こんな所で強敵に出会おうとは……。ひゅうっ……と、二人の剣豪の間に木枯らしが転がる。夏なのに。

 ゆらゆらとぴょこんと跳ねたアホ毛を揺らされる中、目の前の女性剣士は目を光らせたまま聞いてきた。

 

「何奴⁉︎」

「名乗るほどのものではない。蘭子の知り合い、とだけ答えておこうか」

「おお、蘭子殿のお知り合いでしたか! いや、失礼仕った! 怪しげな剣豪が女子寮の前にいた故、女性狙いの人斬りかと思いました!」

 

 ……おい。急に明るくなったぞ。てか、そんな日本版のジャック・ザ・リッパーいんのか? 

 

「え、俺そんなに怪しい?」

「いえ、アイドルの女子寮の前に男性が一人、立っていたら、それは目立つと言うものです」

 

 なるほど……確かにそうか。

 

「……ちなみに、蘭子殿とはどのようなご関係で?」

「え? 友達」

「……なるほど。つまり、最近、蘭子殿がたまに部屋で木刀を振っている、という噂は貴方の影響、という事ですか?」

 

 おい、あいつ何してんだよ。室内で棒切れを振るんじゃない。

 

「ホント、あいつクールな見た目してんのに、中身は小学生だよな」

「そうでしょう。……まぁ、そんな所も可愛いのですが」

 

 すると、目の前の少女は「あ、そうだ」と呟くと、ポケットからスマホを取り出して画面を見せて来た。

 その写真は、目の前の女の子と蘭子が雪に向かってダイブしている瞬間だった。

 

「うわあ……もう、クールさのかけらもない……」

「でも、可愛いでしょう?」

「う、うん……まぁ」

 

 いまだに、女の子を可愛いと呼ぶのは少し照れてしまう。いや、でも褒められるようになったんだし、大きな進歩だよね。

 

「そうだ、あんたも剣道やってるんなら、蘭子にいろいろ教えてあげてよ。あいつ、なんか色々知りたいみたいだし」

「任された! ……っと、今日はこれからあやめ殿と修行故、これで失礼致す!」

「あ、うん。じゃね」

 

 そう言って、女の子は去っていった。多分、あれもアイドルなんだろうけど……なんか、キャラ濃いな……。科学者と似非侍少女か……いや、あれはあれでカッコ良いんだけど。

 しばらくまた待機していると、また新しい人が出て来た。今度は、なんか雪の妖精みたいな銀色の髪の少女だ。

 

「……?」

 

 やべっ、見過ぎたか? と不安になったのも束の間、すぐにパァっとした笑みを浮かべて声をかけて来た。

 

「あの! もしかして、誰か待ってますか?」

 

 ……聞き取りづらい訛りだな。もしかして、まだ日本語に慣れてないのか? 

 

「ん、蘭子」

「あ、じゃああなたがランコのお友達の……!」

「ああ。話聞いてんの」

「ランコ、いつもあなたの話をしてます。剣道してる姿が、カッコイイって」

「え? う、うんまぁね。俺の剣道はカッコ良いね」

 

 うおお、なんかすごい知らない間に有名になれている気がする! ……っと、有名になるのは少し早いな。まだ中身が伴ってないんだから。有名になるのはせめて全国に出てからだ。

 とりあえず、褒められるより蘭子の話に移行しよう。

 

「や、でも蘭子の方が……か、かわいいから。いつも、俺なんかに付き合ってくれるし、すぐに照れるし、優しいし……」

「? ……私、あなたの事カッコイイって言いました。蘭子は可愛いですけど……カッコイイと可愛いは違いますよ?」

「……」

 

 は、話を逸らしたんだよ……。だめだ、この人、俺の苦手なタイプかも……。

 

「……っと、これからミナミと遊びに行くんでした。ごめんなさい、また今度ですね」

「あ、うん……また」

 

 銀髪の人は、そのまま走り去っていった。正直、助かった。

 ……しかし、あの人もクールに見えてかなり溌剌とした笑みを浮かべて来たなぁ……。もしかして、アイドルって見た目と中身でギャップをつけないといけない生き物なのか? 

 そんな事を考えている時だ。ようやく蘭子が走ってやって来た。

 

「す、すまない! 待たせてしまった……!」

「いやいや、気にしないで」

「……誰かと会って話したりしてないよね?」

 

 ……うーん、だいぶ話しちゃったけど……でも、みんな別に名前を聞いたわけじゃないし、変なことも言ってないしなぁ……。

 

「してないよ」

「うむ、ならば良し。では、参ろうか! インセクト・ハントへ!」

「キャッチアンドリリースだけどね」

「い、良いの!」

 

 虫捕りに向かった。

 

 




シンデレラガールズの小説は、これと楓さんので最後だと思います。
全然関係ないけど、最近はシャニマスにハマっています。全然関係ないけど。


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傷ついた悪姫の罪〜第四章〜

 早速、コウと蘭子は公園に来た。夜の公園というのは、如何ともせん感情に陥る。あれだけ日中は子供達が溢れ返り、キラキラした笑みを見せ、さまざまな声が飛び交う場も、夜になれば静寂と闇がその場を支配するのみとなってしまう。

 動物をモチーフにした遊具や、カラフルなブランコ、滑り台、ジャングルジムも、太陽が引っ込み、複数の街灯のみに照らされるだけでガラリと別の表情を見せてしまうわけだ。

 そんな不気味とも言える空気が、蘭子もコウも大好きだった。何故なら……。

 

「この大衆一人いないこの場で悪との一騎討ちによって人類の命運が決まるのがカッコ良いんだよな……」

「分かるー!」

 

 てなわけだ。しかし、二人が用事あるのは遊具が置かれている場所ではなく、その奥にある林の中だ。その中には、街灯すらも無く、あるのは木々の隙間から漏れ出す月明かりのみだ。

 その中に向かう際「あっ」とコウが声を漏らす。

 

「何かあったか? ……まさか、ヴァンパイアの末裔でもいたか?」

「いや違くて。そういやさっきこれもらったんだよね」

 

 そう言いながら出したのは、虫除けスプレーだった。志希の似顔絵が描いてある奴。その時点で、蘭子は嫌な予感しかしなかった。

 

「……これ、誰にもらったの?」

「えっ?」

 

 やべっ、とコウは肩を震わす。確かに、こんなものをもらうタイミングは蘭子がいない寮の前での待機時間しかなかった。アイドルの女子寮の前で会う人間などアイドル以外あり得ない。

 

「き、昨日……隣のばあちゃんに……」

「魔王を前に虚言が通ると本気で思っているわけではないだろう?」

「じ、事務所から出て来た人に……」

「話さないでって言ったじゃん! 何でもらってるの⁉︎」

「え、いやあの人がアイドルだと思わなくて……なんか白衣着てたし」

「魔王パンチ!」

「ぐほっ!」

 

 女の子っぽい弱々しいボディブローが減り込んだ。偶然にも鳩尾に当たった辺り、喧嘩の才能があるのかもしれない。

 

「て、テメェ……!」

「だ、大丈夫?」

 

 思ったより効いたのを見てしまい、心配そうになってしまう辺り、やはり喧嘩の才能はなかった。

 

「もう……とにかくこれは使用禁止!」

「なんで! 無臭で無害な虫除けスプレーなんてそうあるものじゃないじゃん!」

「絶対に変なリスクがあるから!」

「そんなの聞いてないから!」

 

 その直後、蘭子は意外そうな顔をする。

 

「……え、聞いてないの?」

「聞いてないよ」

「効果は聞いたけど、リスクは言ってなかったの?」

「うん」

 

 確信を持って頷くコウ。向こうもノリノリでこれを渡して来たし、なんか意気投合したしで、何か罠があるとはとても思えなかった。

 

「それに、これは天才科学者が作り上げたワンオフ品、何処にも売っていない最強の虫除けスプレーだぞ!」

「う、うむ……」

「……それとも何? 魔王は人間が作ったものを怖がるの?」

「むっ……!」

 

 今の一言で、魔王の誇り、矜恃、プライドの全ての堪忍袋の緒を緩めた。

 

「怖くない!」

「えー、ほんとにー?」

「ホント!」

 

 すぐに乗せられた魔王は、自身に虫除けスプレーをぶちまけた。ぶちまけてしまった。ぷしゅーっと白い煙が蘭子を包む。

 直後、そこから出て来たのは……。なんかすごく色っぽい空気を纏った蘭子だった。大人びたようにニコリと微笑むと、直後、まるで付近に薔薇が咲き誇ったような幻覚が見えた気がした。

 

「っ……!」

 

 思わず、見入ってしまう程の絶世の美女に見えた。バカ……ではなくコウは全然聞いていなかったが、一つだけその虫除けスプレーにはデメリットがあった。

 それは……使用した人間を、三倍色っぽく見せてしまう、という事だった。雪上で女性が三倍、綺麗に見えるのと同じ感じで、志希印虫除けスプレーを浴びると三倍、美しく見えてしまうのだ。男性の場合は、かっこ良く見えるわけで。

 しかし、あくまで浴びた人がそう「見える」というだけだ。中身は変わっていない。

 

「……ホッ、確かに……何ともない様子だが……いや全然恐れてなどいなかったが。我に恐れるものなど何も無いからな……!」

「……」

 

 中身は変わっていないようで良かった。ホッと胸を撫で下ろしたコウは、とりあえず見惚れている場合ではない、と言わんばかりに両頬を叩く。

 

「じゃ、じゃあ……行こうか、蘭子」

「うむ……では、参ろうか。我らが使い魔を得る旅に」

「っ……」

「……桐原くん?」

 

 やっぱりダメだった。普段なら好戦的に浮かべる笑みも、今ではかなり大人びていて、まるで本物の魔女に見えてしまう。その笑顔がまた綺麗で、その上で魅力を感じてしまう。

 

「桐原くんってば!」

「っ、な、なんですか……?」

「なんで敬語? ……というか、無事か?」

 

 心配そうに顔を下から覗き込まれてしまった。その仕草が、また保健室の先生のように大人な女性のオーラを出していて、心臓に悪い。

 そこで、コウはふと思ってしまう。て言うか、そもそも自分は保健室の先生にドキッと胸が高鳴った事はない。昔は喧嘩もよくしていたので結構、お世話になったが、一回もそんな経験はなかった。

 ……つまり、蘭子が大人っぽくなったから、ドキドキした、そう思うと……。

 

「死ねェッ‼︎」

「き、桐原くん⁉︎」

 

 突然、近くにあった木に頭突きをかまし始めた。木の幹が額に刺さり、若干、血が流れる。それも気にせず、コウは頭の中で自身の気を落ち着けた。

 自分はいつから、女の子をそう言う目で見るようになったのか。いや、綺麗とか可愛いとか、そういう感情はあっても決して性的な目で見るのはダメだ。

 今日は帰ったら素振り200本だな、なんて思いながら、とりあえず木から頭を離した。

 

「……よし、もう平気」

「ではない! ……まったく、少し待て。治癒魔法をかける」

 

 そう言いつつ、蘭子が鞄から出したのは、水筒とハンカチだった。ハンカチに水筒から垂らした水を含ませ、額を軽く撫でるように拭いてくれた。

 

「……え、何その完璧装備?」

「貴様が何をしでかすか分からない以上、こちらも万全の備えをせねばならない」

「……」

 

 自分の行いが、これまた恥ずかしくなって来た。目の前の少女は同い年でありながら、大人なオーラを出しつつ実際に大人な行動をしているのに、自分は一体、何をしているのか……。まだ、林に入る前なのに蘭子との差を感じてしまっていた。

 そんなコウの気も知らず、蘭子は微笑みながら拭き終えた額に絆創膏を貼っ付け、微笑んだ。

 

「うむ、これでまた戦線へと復帰出来るぞ」

「ーっ……!」

 

 そのさっきよりも近くにある蘭子の笑みで、また顔を背けてしまった。今日の自分はおかしい。絶対に何かおかしい、と思わずにはいられなかった。

 一方、蘭子も同じことを思っていた。なんか今日のコウはおかしい。いや、性格に言えば虫除けスプレーを使ってからのコウの様子がおかしい。何かあったのだろうか? 

 

「……あの、桐原くん。何かあったの?」

「な、なんでもねえよ! ほら、行くぞ」

 

 蘭子の手を引くコウ。そんな手を握られる、というだけで少し蘭子は笑みを浮かべてしまった。なんだかんだ、この男の子と仲良く出来るのが少し嬉しいのだ。

 が、そのはにかんだような笑みを見てしまったコウは、むしろ大人の余裕な笑みに見えてしまった。

 

「ふんっ!」

「どうしたの⁉︎」

 

 今度は、木に拳を叩き付けた。

 

「……よし、大丈夫」

「だから何が⁉︎」

「行こう、蘭子」

 

 蘭子の困惑を無視して、身勝手にコウは林の中に入って行った。蘭子の手を引いたまましばらく歩いていると、コウがとある木を前にして足を止めた。

 

「これ、クヌギだ」

「クヌギ?」

「カブトムシとかが集まる樹液が溢れる木。多分、この木の何処かに……あ、あった」

 

 木の周りをグルリと一周、回った後、何かを見つけたようでしゃがみ込んだ。その後ろに蘭子も向かうと、思わず一歩引いてしまった。何故なら、カナブンやらアゲハチョウやら、とにかく虫が大勢、群がっていたからだ。

 

「? 蘭子?」

「き、貴様は……強いな……」

「いやこんなことでそういう褒められ方したくないんだけど……」

 

 と、言いつつも、やはり嬉しそうな顔を隠し切れていない。こうして見ると、この男の子も割と可愛い子なのかもしれない。

 しかし、それとこれとはやはり話が別である。虫はやはり気持ち悪いし、触りたくない。

 

「……い、いや、その……」

「怖いの?」

「こ、怖くな……少しこわい」

 

 正直だった。嫌なものは嫌なのだ。でも、こんなこと言ったらからかわれる気がする。

 と、思ったのだが、コウは割と真顔で蘭子を見た後、木から一匹のコクワガタを手に取った。それを手の甲に乗せると、蘭子の方に差し出す。

 

「はい」

「っ、え、な、何が『はい』……?」

「手に乗せてもオオアゴで挟まれる事もないし、手の中をほじくって寄生する事もないし、マッハで動いて手を切断してくる事もない。虫も、ただの生き物だよ」

「……」

 

 子供にそんな風に優しく諭されては、蘭子としても正面から拒否するのは難しい。

 控えめにおずおずと手を伸ばしてみる。コクワガタは無反応。急に食いついて来たら怖いのでゆっくりと近付けるが、未だにコクワガタにアクションは見られない。

 プルプルと震える人差し指が、ようやく背中を撫でた。直後、オオアゴを振り上げたコクワガタが指を挟んだ。

 

「ぎゃああああああああああああああああ‼︎」

「落ち着けええええええええええええええ‼︎」

 

 涙目で両手を振るう蘭子を、慌ててコウが止める。が、そこでふと我に帰った。何故なら、三倍美しい蘭子に掴みかかっているのだから。

 

「っ……」

 

 勝手に顔を真っ赤にして蹲るコウと、引き続き騒いで両手を振り回す蘭子達を置いて、コクワガタは別のクヌギへと飛び去って行った。

 

 ×××

 

「ごめん、蘭子……」

「き、気にすることはない。我も、その……ごめん」

 

 帰り道、なんか微妙な空気になってしまっていた。結局、あの後はもう普通に帰宅することになり、お互いに謝ってしまう始末だ。なんというか、すごく気まずい。

 そのまましばらく二人で俯いて歩く。が、すぐにコウが何とか盛り上げようと気を回した。

 

「そ、そうだ! 蘭子、なんか飲む? あそこに自販機あるし、何か奢るよ!」

「え……?」

「終わり良ければ全て良しって言うじゃない。剣道だって、最後に勝てばとりあえず胸張れるから!」

「そ、そうだな……ん? いやそれ優勝してるから当たり前なんじゃ……」

「とにかく買って来るから!」

 

 慌ててコウは飲み物を買いに行った。その後を、蘭子はゆっくりと追う。何となく、すぐに追いついたら悪い気がして。

 戻って来たコウが手渡して来たのは、缶コーヒーだった。B○SSのコーヒー牛乳。反対側にも同じものを持っている。

 

「はい」

「あ、ありが……」

「あっちのベンチで飲もう!」

 

 手を引いてタタタタと走ってしまった。普段ならこんな風に強引になったりはしない。どうやら、つまらない思いをさせてしまった、とかなり責任を感じているようだ。

 思わず、蘭子はコウのその手を引いて動きを止めてしまった。

 

「あ、待って。桐原くん」

「え?」

 

 足を止めたコウの表情は、普段の自信満々な太々しさは微塵もなく、どこか不安げに見えた。だからこそ、蘭子は言ってやらねばならなかった。

 

「我は、貴様のいる場所ならば、如何なる地獄であろうとオアシスと変わらない。……だから、案ずるな。我が剣よ」

「……」

 

 この時のコウは、珍しく和訳に時間が掛かった。それが運の尽きだった。つまり「君と一緒なら、どこにいても楽しいよ」という意味である。それが、大人のオーラと共に発せられたわけで。

 

「……〜〜〜っ!」

「き、桐原くん⁉︎」

 

 顔を真っ赤にしたまま蹲ってしまった。

 

 ×××

 

 その日、帰宅した二人は当然、各々の保護者に「こんな時間までどこで遊んでいた!」と怒られた。

 

 




砂塚あきらクソ可愛いんですけど。


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どう育てたらこういう子になるの?

 俺は、あまりに重い悩みを抱えていた。剣道関係ではないことに関して、俺がここまで悩むのは珍しいと自負できる。だが、現にこうして胸を締め付けられる思いなのだから仕方ない。このままでは、都大会でも力を出しきれそうにない。

 そのため、相談に乗ってもらうことにした。俺の知っている中で、一番頼りになる人だ。あ、ブラザーじゃないよ。あいつ絶対茶化すし。

 

「……すみません、新田さん。付き合ってくれて……」

「ううん、平気だよ。相談って、どうしたの?」

 

 ……やっぱり綺麗だなぁ、この人。その上優しくて面倒見も良くて頭も良くて……え、何この人。完璧かな? 

 

「実は、その……この前、蘭子と虫取りに行ったんです」

「聞いたわよ、本人から。とても楽しそうに思い出話を聞かせてくれたよ」

 

 マジか……よかった、楽しかったんだ。って、喜んでる場合じゃないぜよ。

 

「その時に、白衣を着た女の人に虫除けスプレーをもらって……それを使った蘭子が……その、なんか……かなり大人っぽく見えてしまって……」

「……志希ちゃん……」

「え、金獅子の?」

「あ、いやなんでもないよ。続けて?」

 

 まぁ良いか。続けよう。

 

「えっと……それで、その……」

「うん」

「……引かないで聞いてもらえます?」

「大丈夫、引かないよ」

 

 ……俺にもう少し男の友達がいれば……いや、いてもからかわれるだけだな。やはり新田さんにしか相談はできない。

 一度、深呼吸をすると、改めて相談を続けた。

 

「……そ、その……あの時の、蘭子が……頭から、離れなくて……なんか、こう……」

「うん、うん! それで?」

 

 あれ……なんか異様に食いついて来たな……いや、大丈夫……新田さんは周りに言いふらすような人じゃないはず……。

 ……いや、でもそれを抜きにしても言うの恥ずかしいんだよな……。そもそも女の人に通じるか分からないし……。

 

「それで……その……」

「大丈夫だよ、桐原くん」

「え……?」

 

 あれ、なんだろ……。まだ何も言ってないのに何が大丈夫? 

 

「中学生なら、それは当たり前の話だよ。男の子がそうなるのと同じで、女の子もそうなる事あるんだから」

「え、そ、そうなんですか……?」

「うん。でも……一応、桐原くんの口から聞かせてくれるかな?」

 

 そこまで言うなら、俺も勇気を振り絞らなければならない。これも、近々ある都大会のためだ……言わないとダメだ……! 

 しかし、流石は新田さんだなぁ。俺が言うまでもなく、相談する内容を分かってるなんて……なんかお見通しみたいで少し恥ずかしいけど、ここまで言われたら仕方ない。

 剣道の練習の後、毎回、行われる黙想を頭の中で行い、精神を落ち着ける。いつの間にか早くなっていた心臓の鼓動を徐々に失速させると、一気に悩みを吐き出した。

 

「お、俺……あの時の蘭子を思い出すと、股間が硬くなるんです‼︎」

「うんうん、蘭子ちゃんのことが好……え、今なんて?」

 

 こんな事を相談するのは本当に恥ずかしい限りだ。……でも、あの時の蘭子の大人っぽさは本当に忘れられない。前屈みになると、黒い洋服の襟から胸の谷間まで見えてしまって……そもそも、俺と同い年くらいの女の子って、もう胸とか膨らんでるんだなぁ……。

 って、だから蘭子をえっちな目で見るな! 死ね俺! 今は、新田さんに相談する場だろ! 

 

「もう……あんな風に膨らむの初めてで……! なんだっけ……銀魂に載ってた……い、イ○キンタムシ? かと思って……でも、なんか症状が全然、違うし……なんで、あんなになったのか、分からなくて……!」

「う、うんまって。詳しく説明しなくて良いからボリューム落として。周りの人がすごい見てる」

「あ、す、すみません……」

 

 股間の話題は流石にね……え、でも中学生ならみんなそうなるんでしょ? あれ? 女の子もそうなるって言ってたけど何が膨らむんだ? 

 

「……え、新田さんも股間が膨らんだんですか?」

「うん、その話はまた今度ね」

 

 ……というか、顔が赤いな……熱でもあるのか? 

 しばらく、新田さんは考え込んだ後、何やら小声でブツブツと呟く。

 俺の質問……そんなに答え難いものなのかな。でも、学校の先生は、保健の授業で「体の事の相談は友達ではなく、信頼できる人にしなさい」って言ってたし……。

 ……やはり、揶揄われるの覚悟でブラザーに相談するべきだったか? 

 しばらくして、覚悟を決めたのか新田さんは「よしっ」と呟くと、真剣な表情で俺を見た。

 

「あのね、桐原くん。まず相談する相手をちゃんと選んでね?」

「え?」

「私は良いけど……そ、その……男の子のソレは、女の子にもついてるものではないでしょう?」

「は、はい」

「だったら、そういう話は男の子に相談しなさい。相手の女の子にも答えられない事だし、答えられても答えづらい事だから」

「す、すみません……」

 

 そ、そうなのか……? ……いや、たしかに俺も蘭子に「なんか股間が膨らんできたんだけど」なんて言われたらどう対応したら良いのか分からない。にしても、女の子の何が膨らむんだろうか……ていうか、女の子の股間には何があるんだ? 少し気になる……。

 

「……で、相談の答えだけど」

「あ、は、はいっ」

「それはね、桐原くんが思春期になった証拠、だよ」

「思春期……って言うと……」

 

 ああ、前に蘭子がなんか言ってた気がする。名前だけ聞いたことあるわ。

 

「思春期ってなんですか?」

「うん、そう来ると思った。思春期っていうのは、男の子なら女の子……女の子なら、男の子に興味が出てくるお年頃って事」

「……え、俺女の子に興味なんてないですよ?」

「本当にそう?」

「え?」

 

 ……ど、どういう意味だ……? いや、実際、興味はない。剣道の練習試合で、たまに他所の中学の女子がトイレに行く際、トイレの前で袴を脱ぐんだけど、その時にパンツが見えても何も思わないし。

 しかし、そんな俺の考えなんて見透かしたように、新田さんは俺に話して来た。

 

「ところで、蘭子ちゃんってさ」

「え?」

「女子中学生にしては、胸が大きいと思わない?」

「えっ……」

 

 き、急になんだ……? いや、てかあれやっぱ大きい方だったのか……って、そうじゃない! 

 

「お、思わないですよ!」

「実は、あれ女子中学生の中でも平均以上なのよ?」

「そうなん……あ、いや、だからなんですか!」

 

 き、急になんだよこの人……! 見損なったぞ少し……! 

 そんな憎しみが少し漏れていたのか、新田さんはすぐに微笑みながら謝ってくれた。

 

「ごめんごめん、少しからかいすぎちゃった? ……でも、今蘭子ちゃんの胸を思い浮かべて、少しドキッとしたでしょ? だとしたら、それは思春期なの……」

「こ、これが……」

「でも、それはみんなそうだよ。恥ずかしい事じゃないからね?」

「そ、そう……なんですか?」

「うん。むしろ、桐原くんは遅過ぎるくらいだよ」

 

 ……え、そ、そうなのかな……。でも、やはりなんか思春期ってカッコ悪い気がする……。だって、要するに女に興味津々などすけべって事でしょ? そんなの、全然カッコ良くない。むしろすぐ殺される雑魚の悪役だ。

 

「なら……俺は、女に興味のない強い男になりたいです! その方がカッコ良い!」

「あー……そう来るかぁ……」

 

 なんか面倒くさそうな顔でため息をついた後、すぐに「じゃあ」と切り返して来た。

 

「恋人もいらないのね?」

「いりません!」

「蘭子ちゃんが、桐原くんを好きだって言っても?」

「……はえ?」

 

 ら、蘭子が……俺を? 

 

「恋人ができる事だって、大袈裟に言えば『異性に興味がある』って事でしょ?」

「あ……は、はい……」

「それとも、桐原くんの言う『カッコ良さ』のために蘭子ちゃんを傷つけるの?」

「あ、え、えっと……」

 

 その場合はどうしたら……女の子にデレデレするのはカッコ悪いけど、女の子を傷つけるのもカッコ悪いような……。

 

「私は、女の子に興味ないふりをする、っていうのもカッコ悪いと思うけどなー?」

「そ、そう……ですか?」

「うん。人間、ある程度、素直な方がカッコ良いと思うよ」

「……」

 

 新田さんがそう言うなら、そうなのかな……? ……でも、なんだろう。それを聞いたからか、少し蘭子のことを思い出しても、気が楽になった気がする。

 

「ありがとうございます、新田さん」

「ううん、私も良い話が聞けたから」

「え?」

「何でもない」

 

 にこりと誤魔化されたが、まぁどうでも良い。本当はこのお店でもお会計は俺が持とうとしたが「年下にはご馳走にならない」とのことで、むしろご馳走されてしまった。

 なんであれ、新田さんには本当にお世話になりっぱなしである。

 とりあえず、お互いの飲み物が空になるまでお喋りした後、お会計を済ませることにした。席を立とうとした時に、新田さんが「あっ」と何かを思い出したように声を漏らし、鞄から封筒を取り出した。

 

「忘れてた。飛鳥ちゃんからお届け物よ」

「え?」

 

 言われて前に置かれたのは、蘭子のライブのチケットだった。

 

「あ……これ」

「ふふ、きっと圧倒されるわよ? ライブの蘭子ちゃん、可愛くてカッコ良いんだから。まるで、本物の悪姫みたいで」

「……そうですか」

 

 それは、楽しみだ。なんだかんだ、あいつカッコ良いって言うより可愛いだからな……。

 とりあえず、無くさないようにチケットを鞄の中にしまってお店を出ようとした時だ。ちょうど入れ替わりで、蘭子と二宮さんが入って来た。

 

「あ……」

「ん?」

「あら」

「げ……」

 

 あれ、俺今なんで「げ……」って言った? ヤバい、なんかやっぱ蘭子を直視できない……というか、蘭子って白い服も着るんだ……レースの袖や襟がとても可愛らしくて……なんか、胸の動悸が……。

 

「? 桐原くん?」

 

 蘭子が怪訝そうな表情で俺を見て来たので、思わず目を逸らしてしまった。クソッ……なんだこれ。なんでこんなに目を合わせづらいんだ……! 

 

「……ら、蘭子……」

「うむ、我が剣! いかなる地で会おうとは、流石、我と同じ闇に導かれし同志よ!」

「……」

 

 すごいよね、蘭子って。一言喋るだけで緊張してた自分がバカらしく思えてくるんだもん。

 やれやれ、ともうなんかどうでも良くなって来た上に、とりあえずなんかこいつにドギマギさせられたと思うと腹が立ったのでデコピンを放った。

 

「ったぁ……! な、何を……!」

「るせーばーか」

「こ、子供か!」

「では、新田さん。俺、帰って日課の素振りをしなければならないので、失礼します」

「無視するなー!」

 

 両腕を振り回して殴りかかって来るが、それらを全て回避していると、俺と蘭子の間に二宮さんが入った。

 

「二人とも、イチャつくのも結構だが、ここじゃお店の迷惑になるから、場所を移そう」

「「イチャついてない!」」

「いいから」

 

 言われて、とりあえず場所を移した。と言っても、お店から少し離れたあたりだが。

 ……いやいや、ていうかなんでついて行ってんの俺。

 

「……てか、俺もう帰るし。蘭子だって、二宮さんと何か用あったんでしょ?」

「そうだね。私もこのあと、アーニャちゃんと約束あるし」

「うん。僕らも行こうか、蘭子」

 

 そう言って、解散する流れになったときだった。俺の袖を、蘭子がぐいっと引っ張った。

 

「待って!」

「なんだよ」

「……か、帰る前に……美波さんと、何話してたか教えて」

「は……?」

 

 な、なんでそんな事を……。つかなんで顔赤くしてんの? 赤くしたいのこっちなんですけど。股間が膨らんだ下りなんか、絶対に話したくねえ。

 

「や、やだよ……!」

「話して!」

「やだってば!」

「ちょっ、落ち着いてくれ、二人とも……!」

 

 二宮さんが慌てて俺と蘭子の間に介入する。で、チラリと俺の方に二宮さんが視線を向けた。

 

「言えない内容なのかい?」

「絶対に言わない」

「なんで⁉︎ ……あ、ま、まさか……告白でもしたの⁉︎」

「何の? 罪?」

「ああ、うん……違うなら良いけど……」

 

 良いなら良いじゃん。まぁ、結論は出たようなものだな。蘭子に掴まれていた袖を強引に振り払った。

 

「とにかく、俺は帰る」

「あっ……も、もう……!」

 

 そのまま自宅まで走って逃げた。ふぅ……危なかった。心臓の鼓動がいい加減、ヤバいことになってたからな。

 さて、とにかくスッキリしたし、今日は久々に集中して自主練が出来そうだ。

 

 



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スケジュールを手帳につける癖をつけましょう。

 蘭子と気まずい別れをして、早一週間。一度も顔を合わせることがなかった。まぁうちの剣道部の合宿期間と被った、と言う事もあって、顔を合わせる事が出来なかったのだ。

 ……いや、でも連絡を取ることはできた。しなかったのは、何となく気まずいからだ。いや、勝手に俺が気まずく思っているだけか。

 蘭子の事を考えると、股間が硬くなる。それを新田さんに相談したら「思春期に入ったから」と教えてくれた。

 そのことを踏まえて色々と合宿中、うちの部員たちの様子を見学してみたのだが……なんか、聞くに耐えなかった。

 あの子の胸が大きいだの、朝練の時のチチユレ? がやばいだの、風呂覗きたいだのとイライラさせられる。お前らそんなんだから勝てねえんだよ、と。

 それが思春期ということなのだろうか? ……いや、でも兄上にはあんな期間なかった。多分、部員の奴らは「思春期だから仕方ない」ということで自分がエロいことをオープンに語っているのだろう。かっこ悪っ。

 ……でも、そいつらと、蘭子の事を少しだけエッチな目で見ている俺と何が違うのか、と考えると、強く言えなくなる。結局、俺も同類なんじゃないか、と。

 そんな俺が、このまま蘭子の隣で友達をやっていて良いのかとさえ思う。兄貴に相談したら「お前、そのクソ真面目さを少しは勉強に使えよ」と怒られた。真面目じゃない、少しでも武士らしく考えてるだけだ。

 とにかく、俺はまだるっこしいのは嫌いだ。剣道の良いところは、単純明快、強い奴が勝つ、勝つにはカッコ良くなる、それだけなところだ。

 

「と、いうわけで、蘭子! こんな俺だけど、まだ俺と友達でいてくれる?」

「だからどうして本人に相談するの⁉︎」

 

 とある平日、蘭子のライブと県大会の前に変な悩みは持ち込みたくなくて、打ち明けることにし、練習後に公園で待ち合わせたら、顔を真っ赤にして怒られてしまった。

 

「だ、だって……一番、手っ取り早いと思って……」

「もう、ホント馬鹿……少しは我が心中を察することも覚えよ……」

「え? あ、あー……そっか……」

 

 そっか……こういう相談、女の子にしないほうが良いんだっけ……や、流石に股間がどうこうっていう所から相談はしていないけどね。

 ただ、やはり蘭子を時々、性的な目で見てしまう事を正直に打ち明けた上で、それと剣道部のわ……Y談、だっけ? とやらをしてる連中と俺の違い、そして同じならば蘭子の友達でいて良いのかを聞いた。

 ……が、蘭子は頬を赤く染めたまま俯いてしまう。

 

「……別に、我は貴様がアスモデウスの誘惑にかられた愚かな天使の一人であっても、次元の彼方に置いて来ようとは思わない」

「え、そ、そう……?」

「我が七大罪がうち僕でさえ、時に我が魂の叫びに反抗し、理性を食いちぎらんと歯向かう事もある。……が、貴様のその虚言を吐かぬ麗しき魂は美点でもあり、欠点だ。故に、我が羞恥心を激らせてしまう」

 

 ……正直すぎる、って事かな……。友達がいた経験がないし、中々難しいな……。そもそも、誰かに隠さなきゃなるないような事をしたくない、というのが本音だったりするし。

 イマイチ、理解し切れていないのが顔に出ていたのか、蘭子は俺に聞いてきた。

 

「では、貴様に問おう。仮に……いや、ホントに仮にね? ……わ、私が、その……桐原くんの筋肉に夢中……なんて言ったらどうする?」

「え、何何。おれの筋肉好きなの⁉︎ 見たい⁉︎」

 

 鍛えた部分が褒められるとか死ぬ程、嬉しい! いや、誰かに見せるために鍛えたんじゃないとしても、だ! 

 が、蘭子はカァッと真っ赤に頬を染め上げる。

 

「み、見たくない! 仮にだってば!」

「え、あ、そ、そう……」

「どうして残念そうなのー⁉︎」

「や、だって……褒められたと思ったらそんなことなかったなんてさ……」

「うぐっ……じ、じゃあ、筋肉に夢中で、少しえっちな目で見てるって言ったら⁉︎」

「え?」

 

 筋肉を……えっちな目で見るの? よく分からんけど……えっちな目、か……俺が、蘭子の胸を見てる時のような目……。

 

「……俺も現状、蘭子を似たような目で見てしまってるし……気にしないよ? それに、なんかほら、お互い同じような目で相手を見てるって、もっと仲良くなれそうで良くね?」

「……誠実なのか馬鹿なのか分からない……」

「まぁ、相手が蘭子だからそういう風に思うのかもしんないけど……」

「ーっ、ば、バカ! それは反則!」

「え、何か競技中だったっけ……?」

 

 ……? あれ、ていうか、相手が蘭子だからそう思うってことは……他の人だとオープンになりたくないって事か? 

 少し、想像してみようか……。例えば、兄上に言われたとしよう。

 

『お前の筋肉を、性的な目で見ている』

 

 ……気持ち悪っ! なんか気持ち悪っ! 別に性的な目で見られてどうこうされるってわけじゃないけど……それなら知りたくなかったわ! 

 

「ごめん、蘭子。俺が間違ってた!」

「き、急に⁉︎」

「もうお前以外の人には隠し事をするようにする!」

「微妙にニュアンスが違うんだけど……」

 

 そこで、ふと蘭子は「んっ?」と小首を傾げる。

 

「なんで、私以外……?」

「え、そりゃ蘭子には正直でいたいからだけど……」

「……も、もう効かないからね……!」

「何が?」

「そ、それに、いくら私にでも『ごめん、今エロい目で見てた』とか『今の乳揺れ最高だった』とか、そういう言わなくて良いことは言わないでね⁉︎」

「そのチチユレって何?」

「後で教えてあげるから、今は私の話を聞いて!」

「ん、お、おう……」

 

 ……しかし、確かに前者は俺も言いそうだな。気を付けないと。

 顔を真っ赤にしたままの蘭子は、説教を続ける。

 

「貴様が我に誠実であろうとし、それによる発言が我が羞恥を掻き立てる事もある。場合にもよるが、我はそんな羞恥を味わいたいとは思わん。故に、禁忌に触れし真言を口にするな、と言っている」

「わ、分かったよ……」

「……で、でも……」

 

 でも? 

 

「……か、可愛いとか、綺麗とか……褒めてくれる、のは……アリ……」

「っ……」

 

 ……そ、その言い方が……なんか、可愛いんだけど……。あ、でもこれはアリか……。だ、だよな。俺の筋肉が褒められるのがアリなら……可愛いもアリか……。

 

「わ、分かった……」

 

 とりあえず、握手した。なんにしても、これで仲直りだ。

 

「この後、どうする?」

「我はそろそろ門限が近い故、失礼する」

「あ、そ、そっか……」

 

 もうお別れかぁ……。まぁ、俺も大会近いし、遊んでる場合ではない。蘭子のライブもあるし、なんか色々と楽しみなことが増えてきたぜ。

 内心で少し気合を入れている時だった。隣でベンチから立ち上がった蘭子が、パサっと何かを落とした。それにより横を見ると、持ってきた鞄をひっくり返してしまったみたいだ。中身がそのまま飛び出ている。

 

「あっ……」

「あーあ……」

 

 スケッチブックか? でも、前見た魔導書とは違う。なんか蘭子にしちゃ地味なノートだな。

 落ちたノートを拾い、土を払うためパッパッと払う。そのノートを、蘭子はシュバっという音がしそうな程、早く俺の手から奪い去った。

 

「み、見ちゃダメ〜!」

「うおっ」

「あっ……⁉︎」

 

 が、その結果、蘭子の手元からもノートは逃げてしまう。そのままクルクルと宙を舞い、着地と共に1ページが開かれた。そこに載っていたのは……剣道着を片肌脱ぎにした俺だった。

 

「えっ……」

「ーっ!」

 

 一瞬で奪い去られてしまった……が、脳には強く焼き付いている。かなり二次元風にイケメンで描かれていたが、髪型や兄貴譲りの特徴はしっかり描かれていた。

 ……何よりなんか……大胸筋の乳首、何故か朱が挿してる頬、微妙に荒んだ吐息が表現されてて……少しえっち……というか、ちょっと筋肉盛りすぎだった。いくら俺でも、大胸筋はまだそこまでなんだけど……。

 

「……み、見た……?」

「……」

 

 ……この場合は、正直でいて良いのか、嘘を言うべきなのだろうか……。いや、蘭子には正直でいると言ったし、ここは頷くしかない。でも、あくまで蘭子が恥ずかしがらないように肯定しないと。

 例えば「見たよ」という直球は絶対にダメ。「趣味は人それぞれだから」というのもダメな気がする。

 ……いや、今の蘭子の顔を見ろ。多分、何を言っても恥ずかしがるぜあれ。ならば、むしろ協力的な姿勢を見せれば良いのだ! 

 

「俺の絵が描きたいなら、モデルやろうか?」

「〜〜〜ッ!」

 

 スコーンっと、ノートの背表紙に当たる硬い面で、脳天を叩かれた。……どうしろっちゅうねん……。

 

「おやすみ!」

 

 プンスカ怒ったまま帰られてしまう。一人、公園に取り残された。

 

 ×××

 

 その日の夜、俺はぼんやりと部屋の中で天井を見上げる。結局、蘭子とはまた喧嘩別れみたいになってしまったな……と、後悔していると、蘭子から連絡が来た。

 

 ブリュンヒルデ『先刻は失礼した』

 

 ……いやいや、あれも多分、俺が悪いでしょ。言葉選びが下手くそだった俺の責任だと思うよ。

 返信を送る前に、さらにメッセージが飛んできた。

 

 ブリュンヒルデ『礼を詫び、貴様に我が鏡像を送る』

 

 は? それって……と、思った矢先、蘭子の自撮り写真が送られてきた。学生服姿で、少し恥ずかしそうにしながらピースを横に浮かべている。

 ……ここで、可愛いとか送っても良い、のかな……? 褒めても良いとは言われたけど……でも、俺微妙にまだ何も分かってないっぽいし……。

 

 ブリュンヒルデ『その……』

 ブリュンヒルデ『だから……』

 

 返事まだ出来てないのに連投してくるのは、もしかして写真を送ってきたのはなんか要求があったのか? 

 

 ブリュンヒルデ『……モデルになりそうな写真を送って下さい』

 

 ……え、何それ。お、俺の写真ってこと? 絵を描きたいから、欲しいみたいな……。

 い、いや……やるしかないか。もう蘭子の写真もらっちまったしな……。これ気に入ったからホーム画面にしちゃお。

 

 コケコッコウ『ちょっと待ってて』

 

 それだけ言うと、両親が保管してるアルバムを漁りに行った。過去の写真の中に、俺が剣道やってる写真があったはず……。

 適当に漁って写真を選ぶ。せっかくだから、勝った時の写真が良いよなぁ。あとカッコ良いのが良い。小学生の全国大会の奴とか良いんじゃない? 

 そう思って漁っていると、スマホが震えた。蘭子ではなく、新田さんからだった。

 

 新田美波『そういえば、明後日は夕方から蘭子ちゃんのライブの日だけど、覚えてる?』

 

 ……あ、やべっ。忘れてた。

 

 



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興奮をえっちな意味で捉える奴はムッツリ。

歌詞を載せるのは利用規約的にダメみたいなので、ライブのシーンは本当に大変でした。
そもそも、私はライブに行ったことがないので、この辺全て想像です。容赦して下さい。
以上、言い訳終わりです。


 アイドル、というものを俺は好きではなかった。所詮は顔面だけで金を稼げれる連中たとばかり思っていた。

 が、まぁ蘭子や新田さん、前川さんや二宮さんと会って、アイドルという人種が悪い人ではないとは思うようになった。まぁ、実態がよく分からないから、アイドルに対する印象はあまり変わっていないけど。

 だってほら、テレビとか見てると結構、何も出来ないアイドルが多いんだもん。クイズ番組ではお笑い芸人より頭悪い人、逃○中みたいな身体を使うバラエティでは運動音痴、歌に至っては録音を流すグループだってあるらしい。

 ……とはいえ、蘭子は違うというのはわかるけど。運動神経は知らんけど鍛えられた体してたし、勉強だって俺よりは出来る。歌は知らん。

 そんなアイドルのライブに、俺は初めてきてしまったのだが……。

 

「なんか……気持ち悪い……」

「そういうこと言わない。みんな蘭子ちゃんのファンの子達よ?」

 

 一緒に来てる変装した新田さんの隣から注意される……が、だってなんか暑くて臭い感じが……。

 ここにいるのは会場の正面玄関。本当は招待客用の出入り口があるのだが、蘭子のファンとやらに興味があって様子を見にきたんだけど……なんか、ザッと見た感じはどいつもこいつも太ってて、半袖短パンから出てる手足はぶくぶくに脂肪で固め、ニキビや脂汗がすごい。

 

「……だって、俺あの列に入ったら窒息しそうで……剣道終わった後より臭そうなんだもん……」

「だから、それは言わない。……みんな、蘭子ちゃんが好きでここに来てくれてるんだから」

 

 蘭子が好きならもう少し身だしなみを整えてからツラ見せてこいよ、と思わないでもない。まぁ、服装はあれでも良いと思うけど。なんでって、蘭子の顔がでっかくプリントされたTシャツを着てる。あれこそ……なんだっけ、PTA? に合った服装だと思う。

 ……うん。むしろ俺の服、一応少し気を使っておしゃれしてきたけど……これじゃない方が良かったのかな? 

 

「……新田さん、あのTシャツ何処に売ってます?」

「え、ほ、欲しいの⁉︎」

「いや、なんか……PTAにあった服装ってものが……」

「TPOね。……そんなの、気にしなくて良いよ。ペンライトなら私が持ってる奴、貸してあげるし」

「えー、でも……」

「ていうか、蘭子ちゃん的には同級生に自分のTシャツ買われるのは恥ずかしいんじゃないかな……」

 

 あ、な、なるほど……もしかして、これもデリカシーか? 

 

「……じゃあ、やめとこうかな……」

「うん。それより、席に戻ろう」

「あ、はい」

 

 ……そういや、蘭子には来るってこと言ってなかったや。気づく……わけないか。

 

「あの……もう少し中をぶらぶらしちゃダメですか?」

「良いけど、蘭子ちゃんは楽屋にいるから、行っても偶然ばったり会うことはないわよ」

「……」

「それから、勝手に楽屋の前に抜け出して行ったら、普通に怒られるからね? 招待客と言えど」

「……大人しくしてます」

 

 ……世の中、意外と手厳しいなぁ。

 のんびりと新田さんと手を繋いで、一緒にライブ会場内を歩く。なんか迷子になりそうだからって手を繋がれてる絵は男として情けない気がするが、甘んじて受け入れた。

 

「わぁ……」

 

 扉の中に入り、改めてライブ会場内を見上げると……なんか思ったより広くて驚いた。勝手に映画館くらいのスケールだと思ってたが……全然、そんな事はない。

 こんな所のライブでチケットを取ってもらえるなんて、俺ってかなりラッキーなんじゃないだろうか? 

 

「すごいなぁ……こんなステージで。俺も剣道やってみたい……」

「すごいよね。蘭子ちゃんのソロライブで、こんなに広いステージを借りれるなんて」

 

 ソロとは言っているが、もちろんゲストはいる。二宮さんもその一人らしい。けど、蘭子が全ての曲を歌う、みたいな。

 

「……俺って、もしかしてすごい人の友達なのか……?」

「今更?」

「や、やっぱりそうなんですか……?」

「ふふ、気兼ねする必要なんてないと思うよ? 桐原くんだって、剣道すごいって聞いたけど?」

 

 いや、気兼ねとかじゃなくて……改めて実感してしまった。こんなに大きなステージで、会場前にいたお客さん全員の心を魅了し、歌って踊る。当たり前かもしれないが、顔が良いだけで出来ることじゃない。

 

「すごいですね……あの、失礼な質問かもしれませんけど……アイドルはライブでも口パクで歌わないって聞いたことあるんですけど……」

「事務所によるけど、うちの事務所はそんなことないよ。ちゃんと、みんな歌って踊ってる。蘭子ちゃんもね」

「……」

 

 なるほど……踊りはダンサーより拙いかもしれないけど、歌は歌手よりも上手くないかもしれないけど、それでも人々の心を魅了する何かがあるのを、何となく分かってしまった気がした。

 

「ふふ、驚くのは早いよ?」

「え?」

「まだ、ライブは始まってもないんだから」

 

 ……確かにそうかもしれない。まだ、胸を高鳴らせるのは早い。そう思いつつも、大会で試合が始まる前の緊張感に近い鼓動が、俺の胸の奥で高鳴り続けていた。

 

 ×××

 

 一緒にライブへ来たのは、新田さんだけではない。それから前川さんも一緒だ。と、いうのも、二宮さんに渡された時点で俺と一緒に来ることが確定していたらしい。なんか一人で来させるのは危ないとかなんとか。どんだけ信用ないんだ俺は。

 招待席で見ることが出来るのも、アイドルと一緒に見に来たのだから、一般客席に座るのはまずいと言う理由から。なんかすみません、俺なんかのために色々と……。

 兄上と一緒に来れれば良かったのだが、残念ながらあの人は大会だ。超どんまい。

 

「あの……それでなんで俺が真ん中なんですか?」

「なるべく目立たないようにするためにゃ」

「ふふ、緊張してるの?」

「し、してませんよ!」

 

 誰が緊張なんかするか! ……いや、歳上の方々に囲まれるのは正直、心臓には悪いけど……。

 でも、それもこれも全部、俺が剣道以外、何も出来ないからだ。もっと鍛えなくては……。

 そんな俺の肩に、前川さんが手を置く。ビクッとしてしまうが、そんな俺に優しく声をかけてくれた。

 

「ふふ、安心しするにゃ。ライブが始まれば、すぐ別の緊張に変わるから」

「……は、はぁ……や、だから緊張してませんって!」

 

 言い返した直後だ。会場が一気に暗くなった。目に入る光は手に持っているペンライトのみ。

 空気がピリッと張り詰められたにも関わらず、周りの熱気が高まるを感じる。剣道の試合前とはまた違う緊張感が流れていた。

 その後、耳に聞き馴染みのない音楽が届いた。英語か何か……だろうか? 分からんけど、少し恐怖を感じさせるような声と音楽。

 しかし、それに聞き入っている時間はない。ステージの中央に何か見えたかはだ。床に何か仕掛けがあるのか、ゆっくりと人が上がってくる。

 銀色のツインテール、本物の魔王のような漆黒の衣装、頭部に飾られたティアラのようなカチューシャ……いや、カチューシャのようなティアラか? なんにしても、幻想的な一言に尽きる装い……。

 直後、パッとそこに差し掛かったのは、一つのスポットライト。そこに見えたのは、神崎蘭子だった。

 

『知恵の林檎が、虚言語る牢獄で』

 

 それとほぼ同時に、蘭子の歌声が聞こえてくる。歌詞の内容まであの小難しい言い回しだが、何故か耳にしっかりと響き渡る。

 ステージ上の蘭子は「ダンス」と呼ぶより「舞」と言った方が本人的には喜ぶであろう振り付けを見せる。

 その姿を見て、思わず俺は目を奪われた。この広いステージでたった一人、歌と踊りを披露する。その踊りは華麗で流麗で壮麗……人々を魅了し続けるのも頷ける。

 

『L'inizio!』

 

 サビに入ったのだろうか? 今までスポットライトのみだった明かりが一斉に灯されると共に、他の観客が一斉に立ち上がった。

 ビクッと肩を震わせたが、両サイドの新田さん、前川さんも同じようにペンライトを持って振り上げのを見て、俺も思わず一緒に立ち上がってしまった。

 

「っ」

 

 座っていたものを立ち上がる、それだけでまた景色が変わる。少し、ステージに近くなった。

 周囲の熱気に当てられ、俺も不慣れながらもペンライトを振るう。後で聞いた話だが、周りからは「ウィンガーディアム・レビオーサ」に見えてたらしい。

 その直後、ふと……ステージ上の蘭子と目が合った気がした。いや、これだけの観客で誰かと目が合うなんてことないだろうから、気の所為だと思うが……思わず、胸が高鳴っ……。

 

『Chu☆』

「っ……」

 

 気の所為では無かった。あまりにさりげなく、そしてあまりに堂々と、唇に手を当てた蘭子が、その掌をこちらにスナップする。

 確実に、こっちにやった。返し技の達人である俺が言うんだから間違いない。敵からのアクションのタイミングを読むことに関しちゃ百戦錬磨、それは剣道以外であっても変わらない。

 だからだろう。まるで高熱に侵された時のように、頭がくらっと重く感じ、ひっくり返りそうになるのを堪えた。

 アレが、アイドルの神崎蘭子。普段の割と恥ずかしがり屋で、クールに装っていても内心の可愛い面がモロバレていて、他人の似顔絵を筋肉三割り増しで描き、小難しくて厨二臭い言い回しを羅列……あ、いやそれは今でも同じか。

 とにかく、普段の蘭子からは大きくギャップがあった。故に、俺の胸の底を奪うのには十分すぎる威力があった。

 

「……」

 

 これが、アイドルか……。ただ顔が良いだけでは、確かにこれだけの人々を熱狂させるに満たない。

 歌手とは同じ職をしているように見えて違う。アイドルは似て異なる人種だ。作詞も作曲もしないけど、歌って踊って、そのキャラクターで人々の希望になる。それは決して、金を稼ぐ為だけではない。

 おそらく、本人的には俺が剣道をやる理由と全く同じなのだろう。

 これは、ハマるのも分かる。これだけのオタクが蘭子の為に高いお金を払って見に来るのも頷ける。少なくとも、俺の心は既に蘭子によって腹の底から掴み取られていた。

 

 ×××

 

 ライブが終わった。……のだが、俺の心臓はいまだにバクバク言ってる。なんか、すごい。剣道以外でこんなに興奮したのは初めてだ。

 そんな俺に、前川さんが隣から聞いてきた。

 

「どうだったかにゃ? 蘭子チャンのライ……」

「すっっっごかっっった! 何がって……そりゃもう何もかもホントすっっっごかっっった!」

「ふふ、でしょー? 蘭子チャンって、普段はあんなんだけど……」

「ライブの時は本当に魔王の貫禄があって……! 普段のまるでダメな魔王とは全然、違くて……!」

「うんうん」

「な、なんだっけ……えっと、曲の間のトーク? その時も蘭子語を欠かさず話してて、ちゃんと感謝の意を述べてて……何より、普段のシャイな姿からは想像出来ないほど堂々としてて……!」

「それで?」

「カッコ良かった!」

 

 なんか、もう色々と興奮がおさまらないわ! ホント、すごいわアイドルって! いや、アイドルというか蘭子がすごい! 

 思わず両腕を振って熱弁していると、新田さんが俺の両肩に手を置いた。

 

「ふふ、そこまでにしておいて……そういう感想は本人に言ってあげたら?」

「あ、そ、そうか! そうですね! 早速、L○NE……は、今しても平気かな……」

「そんな事しなくても、会いに行けば良いじゃない?」

「え?」

「この後、蘭子ちゃんはシャワーを浴びて着替えてここを出るの。蘭子ちゃんは未成年だから、早めに寮に返す必要があるから、そんなにゆっくりしていられないのよ」

 

 なるほど。法律のことはよく分からないが、新田さんがそう言うのならそうなのだろう。

 

「だから、招待客用の出口から出ていって、蘭子ちゃんを待ってれば会えると思うよ?」

「行く!」

 

 そんなわけで、蘭子を迎えに行った。

 出入り口でしばらく待機している間も、胸中でのざわめきは収まらない。多分、出だしの曲だったからだろう。一番最初のソロ曲が一番好きだ。今度、CD買おう。

 なんだっけ、曲名……ダメだ。ちょっと一回聞いただけじゃ思い出せない。でも、歌詞を聞いた感じだと完全にラブソングだったよね。

 そんなことを思いながらぼんやりしていると、関係者用の出入り口が開かれた。そこから顔を出したのは、神崎蘭子だった。

 

「「あっ……!」」

 

 直後、蘭子は恥ずかしそうに頬を赤らめるが、すぐにこちらへ駆け寄ってきた。俺も同じだ。頬が赤くなってるかは知らんが、蘭子の元へ走る。

 横にいた新田さんが瞬間移動した気がしたが、気にせずに声をかけた。

 

「な、なんでいるのー⁉︎ 驚いちゃったでしょ!」

「二宮さんにチケットもらった! すごかったぜ、蘭子! とってもカッコ良かった!」

「あ、ありがと……! じゃなくて……ふんっ! 我が剣、貴様もまた、魔力に当てられし新たな眷属となったか!」

「正直、なった! 特にあの最初の投げキッス! あれファンサって奴なんでしょ? もうあれが最高だった!」

「はうっ……⁉︎ あ、あれについては触れないでー! やってから後悔したんだからー! ていうか、来るなら来るって言ってよ! 私にだって心の準備が……」

「そんなの必要ないくらいに感動したから良いんだよ! なんかもう……ホント、すごかった! 俺の友達、すげぇ奴なんだぜって、いろんな人に自慢したくなるほど!」

「え、えへへ……じ、じゃなくて……クックックッ、その必要はない。ヘラの唇を象った魔力の矢は、我が秘められし想いを持つ者にのみ必中……故に、貴様以外に用いることは無い」

「いや投げキッスのことは誰にも言わねえから! 俺だけのものにしたいし!」

「そ、そうかな……えへへ。わ、我も……その、桐原くんに来てもらえて……嬉しい……」

 

 などとお互い、水を掛け合うように感想を言い合う。二人揃って、興奮がおさまらなかったのだ。

 そんな中、ガタンっと音がする。何かと思って音が聞こえた方向……蘭子が出てきた扉を見ると、スーツの男の人を新田さんが羽交い締めにしていた。多分……蘭子のマネージャーかプロデューサーさんかな? あの人を足止めしてくれていたみたいだ。

 何なら息の根まで止めてしまいそうな勢いだが、それをされる前にとりあえず最後に何か言わないといけない。俺もそろそろ帰んなきゃだし。

 

「ごめん、蘭子。そろそろ……」

「あ、う、うん……」

 

 最後に何か……今日のライブで一番、俺が実感し、伝えたい最高の感想……頭の中で振り絞ったが、一つしかなかった。

 蘭子の両手を包み込むように握り締めると、勢いのまま言った。

 

「俺、今日で蘭子のこと、大好きになったから!」

「えうっ⁉︎」

「じゃ、また後でL○NEするからな!」

 

 それだけ言って、ひとまず駅の方角へ引き返した。

 さて、これだけ良いものを見せてくれたのだ。ならば、俺もそろそろ褌締め直さないといけない。

 県大会……それは全国、或いは関東へ出場する切符を手にする試合。これだけのものを魅せてくれた蘭子に、情けない姿は見せられない。

 

「よし……やるか」

 

 帰ったら、素振りだ。怪我をしていた期間、練習できなかった、なんて言い訳はしない。する必要がなかった結果を出すからだ。

 

 



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傷ついた悪姫の罪〜第五章〜

「にへっ、にへへっ……」

 

 蘭子は、顔を枕に埋めたままニヤケ面を抑え切れていなかった。自分が一番憧れている男の子にライブを見られ「カッコ良い」と褒められた。どうせ最後の「大好き」は文字通りLOVEではなくLIKEなのはわかっている。

 だから、その辺はスルーして考えても、この前の出来事は嬉し過ぎた。美波とみくには感謝してもしきれないまである。

 ……あ、ダメだ。やはりまた、あの時の言葉を聞きたい。そう思うと、自然とスマホに手が伸びてしまう。

 

『もしもし?』

「む、我が刃か⁉︎」

『そうだけど?』

「再度、問おう……。我が魔の饗宴は如何であった⁉︎」

『カッコ良かった』

「えへ、えへへ……」

 

 この用件の電話は、もう8回目である。電話する度に格好良さが下がるのは蘭子も分かっているのだが、やはり何度も聞きたい。

 少しでも格好良さが下がるのを緩和する為、言い方を変えているが……まぁ、普通に電話の向こうの少年は「カッコ良いって言って欲しいんだな」と察して微笑ましく思っているので、割と無駄だったりする。

 

「ち、ちなみにどの辺が……」

『ごめん、蘭子。今から公園で素振りするんだ。終わったらでも良いか?』

「あ……う、うん。それなら、致し方ない……」

『じゃあ、また』

 

 電話を切られてしまった。これからやる事があるのに、わざわざ誉めてくれるあたり、やはり優しい子だ。

 

「……」

 

 そういえば、そろそろ彼が県大会に行く日だ。見に行かなければ。

 今度こそ勝つために、今の時間になっても外で素振りしているのだろう……と、ふと時計を見ると、時刻は21時を回っていた。

 

「……えっ」

 

 中学生が、この時間に素振り? と、引っ掛かる。未成年……それも、15歳未満が深夜の徘徊は、もし警察官にバレたら……と、思うと、割とマズイ気がした。

 早速、再度、電話をかけた。が、出ない。というか、繋がらない。多分、集中力を切らさないために電源を切っているのだろう。

 

「も、もう……あの子は……!」

 

 走って部屋を出た。廊下を歩いていると、ふと足を止める。廊下の先にあるラウンジで、アイドル達が談笑しているのが見えた。

 

「みくちゃん、見て見て! 新しいエアギター!」

「良いから本物のギター弾こうよ。いつまでエアでいるつもりにゃ?」

「うっ……そ、それはおいおい……」

 

 よりにもよって、前川みくの部屋に泊まりにきた多田李衣菜がセットではしゃいでいる。みくが「椅子の上で立つな」と怒らないのは、もう諦めているからだろう。

 

「うう……」

 

 ここを通らないとエレベーターには辿り着けない。だが、あまりに見晴らしが良過ぎる。まず間違いなくバレる。バレたら「こんな時間に何処に行くの!」と怒られる。

 匍匐前進? いや、魔王としてそれは出来ない。なら、怪盗団の如くカバーアクション? 無理だ。人には出来ない。

 

「……」

 

 なら、方法は一つだ。堂々と、姿を表した。

 

「ふ、二人とも! 闇に飲まれよ!」

「あ、蘭子チャン」

「お疲れ様ー」

「こんな時間に何してるにゃ?」

 

 やはりその質問が来た。さすが、みんなの学級委員長だ。しかし、手は考えてある。

 

「飛鳥ちゃんが、みくちゃんに下着の事で相談があると言っていた」

「え、みくに?」

「下着で?」

「仕方ない、行ってみるにゃ。李衣菜チャンも」

「うん! ……え、それ私の胸ナチュラルにディスってる?」

「それこそ飛鳥チャンの胸をディスってるにゃ」

「何をー⁉︎」

 

 言われるがまま騙されてくれた二人と、何一つ打ち合わせしていない飛鳥に心底「ごめんなさい」と思いつつ、蘭子はその隙にラウンジを通り抜けた。

 

 ×××

 

 夏の夜は、のんびりと散歩するのにもってこいの季節だ。昼間の熱線もあれはあれで夏らしくて良いんだけど、やはり暑過ぎるのは少ししんどい。

 その点、夜は涼しく感じるのだ。そもそも、発光しているものは何かしら熱を発しているのだから、明るい昼間と暗い夜中では、夜の方が涼しくて当たり前なのだ。

 さらに、夜というのは蘭子的にテンションを上げさせてくれる。夜、闇、影、漆黒……それらは、厨二病には堪らないスパイスとなる。

 とはいえ、これから一応、説教をしに行くのだ。ニタニタもしていられない。

 中学の範囲内且つ、コウの家から近い公園は一箇所だけだ。そこに急行すると、竹刀を振る小さい少年と、その素振りを見守る男がいた。

 

「コウ、肘下がってる。やるんなら集中しろ。楽したいなら早く帰れ」

「は、はい!」

 

 普通に兄と一緒に練習してた。というか、少し考えればわかることだろうに……。

 自分の思慮の浅さに、少し恥ずかしくなりつつも、しっかりその様子を見学する。真剣な表情で振われる素振りのフォームは、やはりカッコ良い。今まで剣というものは片手で振るのが至高、両手で持つのは槍や鎌、ハンマーなどの破壊力抜群な長物でないと力が無いみたいでダサい、と思っていたが、理にかなっているのであればその限りではない。

 あれは竹製だが、ちゃんと鉄を打った刃物を想定しているが故の両手持ち。悪くない、悪くなかった。

 

「……」

 

 邪魔してはいけない。彼は大会に向けて自分を追い込んでいる。お兄さんの厳しい言葉もそれ故だろう。そこに自分が入って行っても、邪魔になるだけだ……と、思っている時だ。

 

「コウ。休憩にしとこうや」

「え、な、なんで?」

「追い込むにも限度があんだろ。オーバーワークは身体壊すだけだ」

「……わ、分かった……」

「飲み物買ってくる。休憩中に竹刀振ったら殺すから」

 

 あまりにラジカルなセリフと共に、お兄さんが立ち去ったのを眺めていると、そのお兄さんは自分の方を見た。ドキッとして思わず木の影に隠れてしまったが、顎でコウの方を指し示した。

 えっ、と蘭子は内心、ドキッとする。蘭子がいるのは、公園の入り口付近に生えてる木の後ろ。

 それに引き換え、二人が素振りしているのは、ここから10メートルはある公園の中央だ。しかも、コウの素振りを正面から見ることができるポジションなだけあって、お兄さんはこちらに背中を向けていたはずだ。

 まさか、これだけ距離があって、これだけ暗くて、視線さえこちらに送らずコウの指導をしながら自分に気付いた? 

 

「……か、カッコイイ……!」

 

 お兄さんキャラ、あるいは親父キャラが最強というのはリアルでもそうだったのか、と感心しつつ、とりあえず絡む時間をくれたことに感謝し、姿を表すことにした。

 

「わ、我が剣……!」

「? ……あ、ら、蘭子? なんでここに?」

「え? あ……」

 

 そういえば、考えていなかった。いや、早く家に帰るよう言いに来たのだが、お兄さんがいるのなら問題もないし、完全に余計なお世話である。

 だとすると、どう言えば良いのか……グルグルと頭の中を巡らせていると「あっ」と何かピンと来たのか、コウが手を叩く。100パー間違ってる、などと言うのは、これから先のセリフを聞くまでもないことだが、一応耳を傾けた。

 

「ライブの事、褒めてもらいたくて来たの?」

「っ、ち、違うよ!」

 

 予想を超える勘違いのされ方だった。恥ずかしいにも程があるので勘弁して欲しいレベルで。

 

「じゃあ、モデルの事?」

「もっと違う……とは言い難いけど……」

「あ……じゃあアレだ、この前言ってたチチユレとかいう奴の意味教えてくれる、的な⁉︎」

「そんな事のために来ないよッ!」

 

 知りたかったらググれよ、と思いかけたが、ここまで思春期に一歩、足を踏み入れながらも剣道欲の方が強い少年は、いっそこのままでいて欲しい気もする。

 

「じゃあ、どうしたの?」

「っ……」

 

 とりあえず、それっぽい理由……と、思ったのだが、どういう紆余曲折を得て自分がここに来るのか。都合の良い理由なんて思いつかなかった結果、自分にも利がある理由を告げた。

 

「そ、その……我も、貴様の研鑽に力を貸そう」

「え、マジで?」

「うむ! 我が魔王の力を持って、貴様の剣技に冴えを見出してみせよう!」

 

 言ってから後悔した。剣道素人の自分に、一体なんの手伝いができるというのか。良い所「カッコイイ!」という褒め言葉くらいだろうに……。

 顔が赤くなるのを必死に抑え込んで、とにかく表面上だけでも格好をつけていると、コウは微笑みながら言った。

 

「あ、じゃあ俺が蘭子に剣道を教えるよ」

「え、なぜ?」

「や、兄上に竹刀振ったら殺すって言われてるし、手伝ってもらおうにも振れねえのよ。でも、蘭子が振る分には問題ないじゃん」

 

 そういえばそんなこと言われていた。ある意味では棚ぼたと言うべきだろうか? 

 嬉しさを噛み殺しながら、瞳に右手を添え、左手を前に突き出して言った。

 

「良いだろう……我に力を!」

「任せろ」

 

 そんなわけで、面打ちを教わる事にした。

 竹刀を手渡され、とりあえず前に教わった竹刀の握り方をやってみる。竹刀は基本、左手で支えて右手は添えるだけ。横からガッチリではなく、上から手のひらで包み込むように。

 両手で握った後は、両肘の力を抜いて楽に持ち、剣先は敵の喉へ。右足が前で左足は半歩後ろ、踵を紙一枚入るくらい浮かせて両足に体重を乗せる。

 

「あれ、前に教えたの覚えてた感じ?」

「う、うむ……実は、たまに部屋で練習してたり……」

「すごいじゃん。完璧」

「え……えへへっ」

 

 嬉しそうにはにかんでいると、ふと頬を赤らめているコウが目に入る。なんか照れているみたいだ。

 

「……桐は……我が剣? 焔属性を纏ったのか?」

「っ、て、照れてねえよ!」

 

 もしかして、自分が少し喜んでみせた顔にときめいたのだろうか? なんか……可愛く見えてきた。

 冷静に考えてみたら、彼は剣道一直線で義理深くて礼儀正しく正直な反面、興味が無い事は何一つ身が入らず、格好良さに夢中な上に、純粋無垢で割とすぐに照れる中学2年生……なんだろう、この子。天然記念物? 

 

「ほ、ほら。次は振ってみろよ。ちゃんと左手で振るんだぞ。右手使ったら変な癖ついて直すのに時間掛かるからな」

「ふふっ……」

「何笑ってんだよ! 言っとくけど、竹刀も刀だしふざけ半分で振ると怪我するからな!」

「はーい、師匠!」

「え、気持ち悪っ」

「魔王キック!」

「痛え⁉︎」

 

 急に辛辣になられ、恥ずかしくなりながら脛蹴りをしてしまった。

 そのまま二人で、また一緒に剣道をする。コウにとっては良い息抜きとなり、蘭子としてもなんだかんだ一緒に練習出来て楽しい時間となった。

 

 ×××

 

 蘭子が竹刀を振り、そのフォームをコウが細かく修正する。もちろん、家で少しずつ練習しているとはいえ、実戦経験も無い素人のフリなので、周りから見たら遊んでいるようにしか見えない。

 少なくとも、魔王と侍の会合とはとても思えない二人のやり取りを、公園の入り口付近で眺める四つの影があった。

 

「ふふ、蘭子……乙女の顔をしているね、そしてそれは……桐原くん、彼も同じさ。どうやら、二人の世界が共鳴しているようだ」

「え、うちの弟も乙女の表情してるの? 弟なのに?」

「みくちゃん、嘘と深夜の徘徊のお説教は?」

「今、邪魔しに行けるわけがないよ……」

 

 というか、と、李衣菜が声を漏らす。その視線の先にいるのはレオだ。

 

「この人は誰なの?」

「蘭子の義兄さ」

「義兄のレオです。よろしく」

「えっ、じゃあ……もしかして、複雑な家庭?」

「そっちじゃねえ」

 

 まぁ、分からないなら分からないで良いや、とレオは思う事にして、みくに声を掛けた。

 

「てか、なんでお前らまでここに?」

「蘭子チャンが嘘ついてまで事務所を抜け出したから、追いかけてきたの」

「なるほど。……まぁ、もう九時回ってるしな」

「そうだ、みくちゃん。もしかして、あの子が蘭子ちゃんの……?」

「そう。まぁ二人ともまるで自覚がないけど」

「あの子も義理の兄弟ってことかぁ……なんか、ラブコメみたいだね」

「うん、もうそれで良いや」

 

 説明を投げつつ、みくはレオに声をかける。

 

「この後、どうしよう? そろそろ戻らないと……」

「いやまぁな? でもほら、なんか声掛けづらいでしょ」

「でも……僕もう眠いんだけど……」

「じゃ、私と飛鳥ちゃんは先に戻ってるから、みくちゃんは蘭子ちゃんお願いね」

 

 と、いうわけで、しばらく胸焼けするほど甘ったるい中坊二人を、みくとレオは見守るハメになった。

 

 



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傷ついた悪姫の罪〜第六章〜

 県大会は、個人・団体と二日間に分かれて開催される。その中でも、個人戦は二日目の日曜日。その日は、スケジュールを空けておくように言っておいたのだが……。

 

「……あれ?」

 

 スケジュール帳を読み返した蘭子は、冷や汗をかく。Saturdayの青い数字の下に書かれているマークには、カッコ良い日本刀のアイコン。もちろん、手書き。

 そして、Sundayの赤い文字の下には「午前中のお散歩番組!」と書いてある。

 もう一度言うが、個人戦は2日目だ。

 

「……」

 

 念の為、見返す。やはり、青い文字の下に大会、そして赤い文字の下にお仕事の内容……。

 

「っ……っ……」

 

 わなわなと涙目で震える。ヤバい、と今更になって気付く。しかも、今は金曜日の夜。修正なんか効かない。

 

「こ、孔明の罠か〜〜〜〜〜っっ‼︎」

 

 事務所中に蘭子の断末魔が響き渡った。

 

 ×××

 

 みくと飛鳥が部屋の様子を見にきたのは、それから3分も経過する前に現れたのだった。

 部屋に飛び込んでまず目に入ったのは、まるでレイプでもされた後なのかと思う程、死んだ目に涙を浮かべて女の子座りをしている蘭子だった。

 その姿は、それはそれで珍しくて可愛いものだったが、それ以上に、そんな状態に陥っている彼女の身に何が起きたのかを知らなければならない。

 

「「何があったの⁉︎」」

 

 シンクロして聞いた時、最初に蘭子から聞こえた言葉は一つだった。

 

「……スケ管、ミスった……」

 

 内容なんて聞くまでもなく、全てを察した二人だが、一応、話を聞いてあげることにした。

 予測した通りではあったが、とりあえず全部把握し終え、ため息をついた。

 

「はぁ……それは流石にどうしようもないよ……」

「うん。謝るしかないね」

「で、でも……昨日、電話した時に……『ごめん、県大会に向けて追い込んでるから、また今度ね』って……」

「「……」」

 

 蘭子からの誘いを断るとは、よほど楽しみにしてしまっている。それと同時に気合も十分以上のようだ。

 

「どうするんだい? 蘭子。それでもし君が応援に行かなかったら、彼は闇堕ちしてしまいそうなものだが……」

「闇落ち……カッコイイ」

「何を夢見てるにゃ、蘭子ちゃん。リアルの闇落ちはタバコとか飲酒に手を出すことを指すから、キャラ付けで少しカッコいいじゃ済まないよ?」

「うっ……」

 

 闇落ちし、世界のためを思うようで、実は自身を慰めるために大量の破壊と強力な力の入手に勤しむ……なんてことは、残念ながらあり得ない。

 最後は本音を理解して受け止めてくれる主人公はいないし、世界のために命をかけられる第三勢力も現れない。

 現実では、酒やタバコに手を出し、教員にしこたま怒られて確約や推薦は貰えないことが確定し、グレて底辺の高校でヤンキー達にいじめられるか悪い友達を作って徐々に下るのが、本当の闇落ちというものだ。

 飛鳥もそこまで考えて「闇落ち」という言葉を使ったわけではない。しかし、みくのリアリティある例えと蘭子の顔色の変化から「そこまでじゃないと思うけど……」とは言えなかった。

 

「ま、まぁ……なんだ、蘭子。かと言って仕事をサボるわけにもいかないだろう? ならば、試合を見に行けないのなら、それなりに誠意を示すほか無いと僕は思うよ」

「誠意……?」

「そうにゃ。あの子、正直で純粋な子なんだし、真剣に謝罪の意思を伝えれば許してくれるにゃ」

「うう……でも、私が普通に見に行きたいし……」

「「それは知らないから」」

「うぐっ……」

 

 自業自得である。というより、たかだか友達の部活の大会を見に行けなくなったくらいでそこまでショックを受けるあたり、そろそろ自身の乙女心に気付いて欲しいものだ。

 しょぼんと肩を落としながら、もう一度、手帳を見る。見返すのはこれで三回目である。そこまでやると、これはこれで現実逃避なのではないだろうか……と、思いながら日曜日の仕事を見ていると、ふと良い案が浮かんだ。

 

「……あっ」

「? どうしたの?」

「そ、そうだ……!」

 

 慌てて蘭子は次の仕事の企画書を机の引き出しから引っ張り出す。同時に別の紙もヒラヒラと舞い落ちるが気にしない。

 

「……え、これ」

「桐原クン?」

「上手いけど……妄想入り過ぎだよね」

「なんで銃持ってるにゃ?」

 

 後ろで二人が何か話しているが気にしない。企画書をバサバサっと捲る。見るべきポイントは、時間帯だ。午前中の散歩番組……つまり、仕事も午前中で終わるのではないか? 残業を入れても、良いとこ14時くらいまで。

 だとしたら、彼がそこまで勝ち上がっていれば試合は観れるかもしれない。

 

「あ、あった……!」

「わっ……こ、この桐原クンえっち過ぎない……?」

「何故、上半身裸で素振りをする必要があるんだろうね……?」

 

 一応、大会の方のパンフレットにも目を通しておいた。プログラムによると、決勝戦は夕方16時に終了。観に行ける可能性は十分ある。

 

「行ける……!」

「うわっ、見てこの桐原くん。女装させられてるよ……」

「蘭子チャンには、桐原クンがどんな人に見えてるんだろうね……?」

「って、わ、わー! 二人とも何勝手に見てるのー⁉︎」

「「落ちてたから」」

「普通、拾った財布の中身は勝手に見ないでしょー⁉︎」

 

 顔を真っ赤にした上で、涙を目尻に浮かべながら紙を奪い取った蘭子は、それを黒とピンクの南京錠付きの引き出しにしまうと、スマホを取り出して早速、コウに電話を掛ける。

 時刻は10時過ぎ。アスリートなら休息が必要であることも分かっているはずだし、流石にもう練習してることはないはず……と、思いつつ、コールを聞いていると、ようやく応答があった。珍しく3コール以内に出なかった辺りに、少し不安を感じる。

 

「あ……もしもし?」

『ごめん、蘭子。今、シャワー浴びてた』

「あ、そ、そうか……すまない」

『や、このままで良いよ。スピーカー機能あるから、パンツ履きながらでも会話出来るし』

「うん。……え、ぱ、ぱんつ……?」

 

 と言うことは、今、電話の向こうで彼は裸? そう思うと、なんだか恥ずかしくなってくる。

 

「い、良いからパンツは履いて!」

『え? いや見えてな……え、もしかしてビデオ通話になってる⁉︎』

「そういう問題じゃなくて……」

『ここか、これで戻った?』

「ええへ?」

 

 聞かれて、思わず蘭子は反射的に画面を見てしまった。そこに映っているのさ、シャワーを浴びたばかりで、上半身裸のまま頭にバスタオルを乗せたコウの姿だった。えっちだ。下半身が映っていないのが尚更、えっちだ。

 

「ーっ、ちょっ……逆、逆! ビデオ通話になってるよ!」

『え、じゃあ何処押せば……』

「いじらないで! こっちがいじるから!」

『あ、うん』

 

 慌てて蘭子はスクショを撮ってから画面を切り替えた。もう本当に心臓に悪い子だ。考えてみれば、少し前までスマホゲーもSNSも使っていなかった少年だ。スマホなんて簡単に使いこなせるわけがない。

 通常の通話に切り替えてから、胸に手を当てて心臓の鼓動を落ち着かせる。本当に頼むから異性であることを理解して欲しい。プールと一緒? そんな言い訳は通用しない。入浴後の上半身裸は、少しえっちなのだ。

 

「もう大丈夫?」

『おう。今、とりあえず身体拭いた』

「ぱ、パンツだけでも先に履きなさい!」

『え、まだ見えてる?』

「そういう問題じゃないのー!」

 

 本当にこの男には苦労させられる。この日本語の理解力で、本当に読書が趣味なのだろうか? 

 

『で、どうしたん?』

「あ、う、うん……剣の舞踏会当日の話だが……貴様に詫びなければならない事がある」

『え、何?』

「午前中に行われる第一次大戦だが……すまない、我が未来を綴る神託板の管理ミスにより……行けなくなった」

 

 蘭子語と標準語がごっちゃになってしまっているのは、蘭子本人が狼狽えているからだろう。

 

『え……マジで』

「ま、待て! 最後まで聞け!」

 

 泣きそうな声が聞こえて来たので、慌てて次に行った。

 

「午後から始まるラグナロクには間に合う。だから……絶対に、勝ち上がって欲しい」

『!』

 

 直後、電話の奥で息を呑む声が聞こえる。勝てなければ終わる、というのを自覚したのだろう。

 負けたら試合を見てもらえない、勝てれば蘭子に勝負している姿を見せられる、そのシチュエーションは、カッコイイモノ好きのバカには滾らせるものがあった。

 

『任せろ!』

「うん。……ごめんね?」

『気にすんなよ。そっち仕事なんでしょ? 大丈夫、簡単には負けないから』

「……ありがとう」

『じゃ、寝るから』

「うん! おやすみ!」

 

 何とか納得してくれたことにホッとしつつ、通話を切った。

 胸を撫で下ろしてスマホを机の上に置くと、まだ部屋の中にいた女子二人が自分を見ている。

 

「……うまいこと言いくるめたね」

「うん。蘭子チャン、意外と魔性あるのかも……」

「なんでまだいるのー⁉︎ 良いから出て行ってよー!」

 

 顔を赤くしながら追い出した。

 

 ×××

 

 大会当日。個人戦で県大会出場を決めたメンバーだけでストレッチをする。他のメンバーは完全に応援要員となってしまう。

 準備体操とアップを済ませ、開会式が終わり、全員が竹刀と面を持って移動する中、コウも同じように移動する。

 

「桐原」

 

 顧問から声がかかる。振り返ると、頭の上に手を置かれた。

 

「っ、な、なんですか?」

「何があったか知らんけど、肩に力入り過ぎだ」

「え?」

「お前は強い。間違いなくうちの中学でおそらく最高傑作な上、まだ伸び代がある。だから、いつも通りやれ。力んで行けるとこまで行けないのは嫌だろ?」

 

 言われて、確かに自分の手の震えを見た。少なくとも、ベスト32までいかないと蘭子に見てもらえない。だから、気負っていたかもしれない。

 胸に手を当てて深呼吸。緊張はしていない。練習は可能な限りやってきた。後は、実力を発揮するだけ。

 落ち着いたコウの最後のスイッチを押すように、顧問は背中を叩いた。

 

「うし、じゃあ斬れるだけ斬って来い」

「うおっす!」

 

 気合十分で、コートに向かった。

 一回戦目。県大会は少なくとも各々の地区から勝ち抜いてきた強者達が集う大会。要するに、少なくとも勝負強さと高い実力を持ったメンバーが集まっているはずの場所だ。

 にも関わらず、顧問のお陰で力が程良く抜けたコウは、瞬殺してトーナメント線を一つ伸ばした。

 

 ×××

 

 休日のお散歩番組に、若い女子中学生が参加するのは珍しい。売れ始めてそれなりに長くテレビに出ているお笑い芸人コンビと、芸人じゃないけどバラエティ向きの俳優、或いは女優さんと、いるだけで映えるモデルさんが、のんびり仲良く街を食べ歩くものだからだ。落ち着きが大事なのだ、

 だから、お笑い芸人も人を小馬鹿にして笑いを取る人達ではなく、単純に落ち着きがあって人をいじる際も不快でない弄り方をする人達が選ばれる。

 故に蘭子が選ばれるのは意外ではあったが、正直、今はどうにも落ち着かない。

 時刻は、10時45分。撮影が始まってまだ一時間も経過していない。

 

「蘭子ちゃん、見てこれ。ダークマターチョココロネだって」

「ッ、ダーク……⁉︎ クックックッ、我が魔力の輝きをコロナの中に包んだ食用暗黒物質か……!」

「試食あるって。食べてみる?」

「いただこう。闇の魔力に対抗し得るのは、この中で我一人……」

「あ、これ美味いわ。外サクサクで中もっちりのさらに内側にチョコが……」

「わ、我が先が良いですー!」

 

 綺麗にいじられていた。どんなにプライベートでトラブっていても、仕事には持ち込まない。

 どの道、就業時間まで自分はどうしようもないのだ。なら、どっしりと構えた方が良い。

 色んな出店の食べ物を食べ歩いては、穴場っぽい感じの公園とかに立ち寄ってコメントを漏らす。やはりこういうのんびりした番組も、これはこれで楽しい。何より、こういう番組だからこそ焦りが無くなってきた。

 ただ唯一、気になるのは、彼が勝ち残っているかどうかだけだ。知る術はないが、なんとか知りたい。

 そんな中、ポケットの中のスマホが震える。電源を入れっぱなしにしてしまっていた事に反省しつつ、仕事中の自分にメッセージを送ってくる理由は一つしか思い当たらない。誰からにしても、だ。

 

「お、また蘭子ちゃんが好きそうなの発見」

「我が心眼をそこまで甘く見られるのは……」

「堕天使の翼焼き」

「何それ食べたい!」

「お前なんでさっきから蘭子ちゃんの好み完コピしてんだよ!」

 

 その商品に飛びつきながら、頭の中でどうやって見るかを考える。スマホの画面をほんの一瞬、メッセージの内容だけ見られれば良い。が、隙を見て、なんていうのはダメ。そういう時こそ見られているものだし、そういうミスが自分の評判、しいては事務所の評判さえも落とす。

 ならば、やはり休憩時間まで待つのが得策か? しかし、休憩の時間なんてあるのだろうか? 無さそうだ。だって、本当にぶらぶら食べ歩いているだけなのだから。トイレも撮影前に済ませてあるし、やはり時間が来るまで待機した方が良いのか……。

 と、思っている時だ。カットの声が掛かった。

 

「では、一旦休憩にします」

「!」

 

 え、休憩あるの? と、言わんばかりに顔を後ろに向ける。

 

「お手洗いに行きたい方はお願いします」

 

 その一言でなんとなく理解した。食べ歩き、ということは、食べながら歩き回るのだから、事前にトイレに行っていてもお腹に来る人は来るのだろう。

 ありがたい。と、蘭子はすぐにスマホを取り出した。画面を確認し、既読はつけずにメッセージを確認。来ていたのは、前川みくからだった。

 

 みく『桐原くん、一回戦突破!』

 みく『桐原くん、二回戦目も勝ったよ!』

 

 その事に、ホッと胸を撫で下ろした。とりあえず、安心。さて、あとは撮影が始まったらまた楽しみ、終わり次第、プロデューサーに送ってもらう。

 

 ×××

 

 さらにのんびり散歩し、お昼を終えた。つまり、これで撮影終了である。

 

「……では、来週もお楽しみに!」

「闇に飲まれよ!」

「いや今週も飲まれてないから!」

 

 なんていう挨拶で、番組が終わった。現時刻は13:30。若干、押してる。

 

「はい、お疲れ様でしたー」

「お疲れ様です」

「いやー、蘭子ちゃん良かったよ。ほとんど魔王っぽさなかったけど」

「我は人の群れに溶け込む技術も秀でている者なり。時と場合を弁え、擬態することなどままなきことよ」

「いや溶け込むって言えるほど溶け込めては無かったよ。割と目立ってた。コロナのくだりとか」

 

 撮影後の、他の出演者との会話も大事だ。社会人である以上、失礼な態度は取れない。……とはいえ、時間もないのだが。

 何とか楽しく他の人とお話しつつ、腕時計の時間を確認している、プロデューサーが口を挟んでくれた。

 

「蘭子、そろそろ行かないと時間ないぞ」

「わ、我が友。承った!」

「その言い方はあんまかっこよくない」

「う、うるさい!」

「じゃ、蘭子ちゃん。またね」

「うむ。また我らが運命が交わりし時、邂逅を果たそう」

 

 挨拶をして、プロデューサーについて行った。車に乗り込むと、運転席のプロデューサーが確認する。

 

「で、同級生の応援に行きたいんだっけか?」

「ラグナロクは既に開戦の狼煙を上げている。我が剣には、早急に私の魔力供給が必要になる!」

「え、Fate的な魔力供給?」

「えうっ⁉︎」

「冗談だよ」

「わ、我が友ー!」

「やめろ! 運転中は!」

「早苗さんに言うからー!」

「やめて! デスヘルのプラモ買ってあげるから!」

 

 とりあえず、現場に急行してもらった。あまり近くはないが遠くもないので、一時間あれば着くはず……と、思いつつ、スマホを見下ろす。みくから来たメッセージの内容では、まだ負けてはいない。というか、割と勝ち進んでいるらしい。

 

「勝ってるのか? 応援してる子は」

「うむ。我が剣は魔剣グラムにも勝る最強の剣。そう簡単に負けはしない」

「まだ二年生だろ? すごいな……」

「むっふふーんっ」

 

 まるで自分が褒められてるかのように胸を張る。最近、仕事に対する意欲がさらに上がった感じがする蘭子の根底にあるものを見た気がするプロデューサーだった。

 そうこうしているうちに、みくから今度は動画が送られてくる。一試合目の様子のようだ。まさかの二振りで勝利している。今日は絶好調のようだ。

 

「あ、そうだ蘭子。サングラスとか帽子はあるか?」

「心配いらない。我が隠密作戦用の装備は完璧である」

「どんなの?」

 

 鞄から取り出したのは、ゴルフの時に使っていたピンクのハットだった。メチャクチャ目立つ。

 

「蘭子、俺が用意した帽子にしなさい」

「なんで⁉︎」

「目立つから。サングラスは?」

「最強の呪術師スタイル〜学生時代ver〜」

「俺が用意した伊達メガネにしてくれ……」

 

 絶対目立つ。とにかく、持ってきた奴は全てボツで、プロデューサーが持ってきた当たり障りのないサングラスと帽子を被らせた。

 そうこうしているうちに目的地の到着した。駐車を終えると、プロデューサーが車の鍵を開ける。

 

「じゃ、俺はここにいるから。気をつけて行けよ」

「我が祈りと賛辞を貴様に!」

 

 お礼を言いながら、車から降り行った。

 

 



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傷ついた悪姫の罪〜第七章〜

 到着した蘭子がみくに電話を掛けると、1コールで出てくれた。

 

「もしもし? 現着した!」

『もうすぐ始まるよ! 北の入口前で桐原先輩が待ってるから、早くおいで!』

「北?」

『駐車場から一番近いところ!』

 

 ありがたい、と思いつつ、そっちに向かうと、レオの姿を見つける。向こうもこちらに気付いた……いや、まるで最初から気付いていたように接近してきて、手を掴まれる。

 

「よう、仕事上がってすぐ来たんだって? お疲れさん」

「この程度、たいしたことではない」

「ありがとな、あのバカのために。行くぞ」

「え、わっ……!」

 

 ぐいっと手を引かれ、試合会場に連れて行かれた。

 走って中に入ると、空気そのものが変わった。ぴりっ……とした張り詰めたものになっている。

 もう決勝トーナメントだからか、コートの数もパンフレットに載っていたものと比べて減っている。

 ふと上から眺めていると、目に入ったのは「桐原」と書かれた胴垂れをつけて正座している少年。その後顔を見ると、見覚えのある顔だった。

 

「! いた……!」

 

 そう声を漏らした時、まるでその声が届いていたかのように、コウは顔をあげる。蘭子を、一発で見つけた。

 すると、小さく手を振ってきた。それに対し、蘭子も小さく手を振り返すと、面をつけ始めてしまう。割とリラックスしている様子だ。

 その後、二人の元にみくが合流した。

 

「いたいた。お疲れ様、蘭子チャン。これ、飲み物」

「ありがとう」

 

 素直にお礼を言いつつ、サイダーを受け取る。面をつけ始めた以上は、これから試合なのだろう。

 

「どうだ? 我が剣の冴えは」

「ああ、それなんだけどな。なんか、やたらと強いんだよ、あいつ」

「え?」

「調子良すぎ、かも」

 

 そう言った直後、試合が始まった。これに勝てばベスト8。もう一回勝てば、関東出場になる。

 そんな大事な試合であるにも関わらず……。

 

「はじめっ!」

「イヤアアアアメエエエエエンッッ‼︎」

「胴ッ!」

 

 ヒュッ、パパァンッ……! と、余韻さえ残さずあっさりと返し胴で一本を取得してしまう。速いとかじゃない。ラグが起きている間に入力した攻撃が、一気に放出されたような感覚だ。

 

「は、速っ……」

「ね、見えないよね」

「あれでもまだ無駄な動きが多いんだけどな」

 

 この兄弟、やっぱりおかしい、とみくは引いたが、蘭子は目を輝かせる。まるでリアルなうちは兄弟だ。

 

「カッコイイ……!」

 

 もう少年のような目をしていた。キラキラと輝かせ、ヒーローショーでも見に来たかのような眼差しである。

 その蘭子に、レオが口を挟んだ。

 

「浮かれるのも良いけど、ここからだぞ」

「え?」

「向こうだってベスト16まで勝ち進んできた猛者だ。同じ技はもう二度と通用しない」

 

 その直後、試合が始まる。二本目は必要以上に仕掛けてくることは無かった。お互い、竹刀を向け合って隙の伺い合い。

 なんかもう「隙の伺い合い」というやりとりが蘭子には堪らないわけだが、緊張感が伝わってきてはしゃぐ気にはなれない。

 そのままお互い、敵を睨み合っていると、先に仕掛けたのはコウだった。顔面に向かって思いっきり竹刀を振り上げる勢いで動かすと、それを狙っていたように敵は小手に竹刀を振るう。

 が、コウは手首を捻って竹刀が当たる前にガードしつつ、そのまま手首を返して面に竹刀を振り下ろす。

 敵は首を横に捻って回避すると、後ろに下がりながら面を打って来た。

 その引面をガードしつつ距離を詰め、逆胴に斬り返して引く……が、浅く一本にならない。

 隙を見て、敵が面に向かって竹刀を振り下ろす。

 首を横に振って回避し、横にいなして構える。敵はそれを許さず、さらに距離を詰めて鍔競り合いの間合いに入る。

 

「勝ったな」

「え?」

 

 レオが声を漏らした直後だった。鍔競り合いに入り、ほんの一瞬、敵の気が抜いたのを、コウは見逃していなかった。柄で敵の小手を真横に弾くと、姿勢を崩し、竹刀を振り上げた。

 崩しが甘かったのか、すぐに面の前でガードをするが、コウが振り上げた竹刀の軌道が変わる。

 綺麗に小手に当てながら引き下がった。

 一本になりにくい引き技だが、ここまで完璧に当たれば一本にならざるを得ない。

 二本勝ちし、試合が終わった。

 

「お、おおお……! か、勝った、勝った!」

「前川、この子頼むよ。俺次の相手の試合見てくる」

「あ、うん」

 

 まるで勝って当然、と言わんばかりにレオは別の試合を見に行った。そんな中、蘭子は礼を終えて面を取るコウを見下ろす。こっちを見たので、拍手する素振りを見せた。

 すると、嬉しそうに笑みを浮かべる。ホント、あんな無邪気な笑みを浮かべられる少年が、あの鬼神の如き実力を誇っているのだから、本当に人は見た目で判断出来ないというものだ。

 ただでさえ、蘭子よりも背が低く、今まで当たった相手は全員、背が高かっただろうに。

 

 ×××

 

 しかし、まぁ地区の代表が集まっている試合なだけあって、そう甘くは無かった。

 準々決勝では勝ち抜いたものの、やはりギリギリ延長入ってからの一本勝ちとなり、次の相手は去年、二年生ながらに三位となった猛者。つまり、今年の優勝候補である。

 それでも食い下がり、1本ずつ取りあって延長戦にもつれ込んだが、最後に向こうは面、こちらは抜胴で勝負し、爽快に負けてしまった。

 とはいえ、完全に死力を絞り尽くし、関東出場のチケットを入手し、一応、決勝トーナメントで勝利した姿を蘭子に二度見せられ、それでも勝てなかったのなら後悔はなかったようだ。試合が終わった後、特に悔しそうにしている様子は無かった。

 閉会式後、すぐに迎えに行った蘭子だが、今日、大会に出場した生徒達と顧問がミーティングした後、話す間もなく帰宅してしまった。

 が、蘭子が迎えに来た事には気付いていたようで、遅れて「すまん、後で話そう」とだけ連絡が来た。部活の集団行動とは大変なものだ。

 

「で、この後どうするの?」

 

 一度、事務所に戻った蘭子に、みくが横から尋ねる。

 

「今から我が賛辞を届けに向かう」

「この時間から?」

「うっ……」

 

 バツが悪そうな表情を浮かべる蘭子。まだ門限ではないが、すぐに帰ってこないと門限破りになってしまう時間ではある。

 けど、祝ってやりたい。せっかくあんなに頑張ったのに、チームメイトは誰も祝福している様子を見せていなかった。彼を慕う数人の後輩も、他の普通に負けた先輩に気を遣って何も言えていなかった。褒めていたのは顧問くらいであっただろう。

 だから、せめて同い年では自分が何か言ってやりたい、その気持ちは、たとえ門限破りで怒られても構わない、という強い思いがあった。

 それを察したみくは、小さくため息をついてあっさりと頷いた。

 

「仕方ないにゃあ……」

「え?」

「ただし、これっきりだからね。あと、みくも一緒に行くから」

「みくちゃん……ありがとう」

 

 素直にお礼を言うと、二人で寮のエレベーターのボタンを押す。降り、扉を開けて、事務所の寮の出口を出る。

 そのまま走っていると、ふと見覚えのある少年が前から走って来るのが見えた。

 

「あれ?」

「あっ……」

 

 お互いに気付き、足を止める。走って来ていたのは、コウだった。

 

「あっ、ら、蘭子……!」

「我が剣っ? なんでこんな所に……」

 

 今頃、竹刀でも振っていると思っていたので、完全に不意打ちだった。

 が、向こうにとっても不意打ちだったようで、顔を赤らめて目を逸らしてしまう。

 

「あ、いや……な、なんだ……早く、褒めてもらいたくて……」

「……」

「……」

 

 蘭子だけでなく、みくの胸にも何か来た。何か、こう……何か来た。こんな素直な中学二年生、見た事がない。

 みくでさえキュンとしてしまったくらいだ。蘭子の胸の中は、それはもうなんか色々とグッチャグチャに掻き混ぜられ、思わず衝動的に動き出してしまった。

 気が付けば、コウの手を引いて、正面から抱き締めてしまっていた。

 

「っ、ら、蘭子⁉︎」

「ら、蘭子チャン……大胆にゃ……」

 

 二人にそんな反応をされても、蘭子は止まらない。ギュウッ……と、まるで弟でも抱き締めるように力を込めつつ、耳元で囁いた。

 

「よく頑張ったな、我が剣。この神崎蘭子が、貴様の栄光を讃えよう」

「っ……や、ま、負けたし、最後は……」

「しかし、死力を出し尽くした故の結果だ。貴様に恥入る点などあるものか」

「……」

 

 思いつく限りの褒め言葉を言ってあげた。返事は無くなったが、喜んでいるのは分かる。蘭子の背中に回った手が、ギュッと抱き返して来た。

 

「……ふふ、少し苦しいぞ。我が剣……」

「……るっさい」

「照れているのか?」

「うるさい! ……でも、離れたくない」

 

 ダメだ、と蘭子は頭の中で脳汁がドバドバ分泌されていくのを感じる。ダメだ、この子。蘭子が現実の人間に求めるカッコ良さ、可愛さ、全てが詰められている。

 抱き締めたまま頭も撫でてあげて、やりたい放題始める……蘭子を、遠目からみくは眺めていた。自分は一体、何を見せられているのか、と思わんばかりだ。

 そんな中、ふと辺りを見回す。いつの間にか、人の注目を集めてしまっているのに気づいた。

 

「っ、ら、蘭子チャン、蘭子チャンってば……! そろそろ移動しないと……!」

「え? あっ……わ、我が剣! 貴様と我が放つ魔力が人々を魅了しつつある!」

 

 すぐに蘭子は正気に戻り、コウに声を掛ける……が。

 

「やだ……!」

「ええっ⁉︎ いや、ちょっ……でも、周りの目線が……」

「今……顔見られたくない……」

「え……?」

 

 それを聞いて、蘭子は眉間にシワを寄せる。今すぐにでも顔を見たいが、力じゃ敵わない。

 

「……」

 

 そこで思いついたのは、脇の下に指を挟み込むアレ。案の定、ビクッとしたコウは一瞬、身体を蘭子から離す。その隙をついて、蘭子はコウの両頬に手を当てて顔を見た。そこには……。

 

「っ……」

「あっ……」

 

 照れにより顔を真っ赤にしていたコウだった。もう剣道をやっていた時のカッコよさなど皆無。同い年のようで、やはり年下のような錯覚に陥り、オーバーヒートした蘭子はその場で喀血して倒れた。

 

「カフッ……!」

「蘭子チャアアアアン!」

「倒れてえのはこっちなんですけど⁉︎」

「気持ちは分かるけど手伝って!」

 

 結局、事務所の寮に引き返すことになってしまった。

 

 ×××

 

 ほんの数分で目を覚ました蘭子は、辺りを見回した。場所は事務所のエレベーターの中。エレベーターは起立してないと乗れなくない? とすぐに矛盾に気づき、おぶられてることを自覚する。

 

「自分より背が高い人も、意外と背負えるんだな……」

「桐原くんが力持ちだからだよ」

 

 思わず吹き出しそうになったのを堪える。どうやら、コウの背中の上のようだ。

 恥ずかしいが、起きたなら立て、と言われてしまうかもしれないので、グッと堪える。

 

「はぁ……にしても、死にたい……」

「ふふ、そんな気にすることないにゃ。よほど、嬉しかったんでしょ?」

「そりゃ、まぁ……今まで、友達に祝ってもらったことなんか無かったし……でも正直、悔しかったんですけどね」

「惜しかったにゃ。あの人、あの後、優勝してたし」

「まぁ、言い訳にはならないんですけどね。兄上は中二で県大会優勝してるから、やっぱ敵わないなぁ……」

「ふふ、コウくんはコウくんだよ」

 

 いつの間に下の名前で呼んでたの? と思ったが、兄の話題が出たから、仕方ないと言えば仕方ない。

 

「でも、やっぱり蘭子チャンと桐原クンは似た者同士だね」

「え、何処が?」

「相手を祝いたがって、その相手に祝われたがる辺りが」

「……やめてくださいよ。恥ずかしい……」

「茶化してるわけじゃないにゃ。仲が良いから、そういう共通点が少しずつ出てくるんだよ」

「……」

 

 仲が良いからこそ、お互いに引っ張れる事もある。蘭子にも心当たりがあった。だからこそ、さらに恥ずかしくなってしまうわけだが。

 ……逆に、みくと李衣菜は仲良いけどお互いに引っ張られる共通点は無いような……と、少し冷や汗をかいたり。

 

「でも、蘭子のおかげで色んな感情を学ばせてもらってはいますね」

「と言うと?」

「去年まで、俺が剣道をやる理由なんて俺が楽しいからだけでしたから、誰かにカッコ良いとこ見せたい、なんて考えてなかったんです」

「ああ、そういうコト」

「多分、蘭子と会わなかったら、ここまで勝ててなかったです。そういう意味でも……なんていうか、もう蘭子って俺から欠けてはいけない要素の一つになりつつあります」

 

 身悶えしたくなるのを必死で堪えた。なんでそういう歯が宇宙まで浮きそうなセリフを恥ずかしげもなく言えるのか。この子の羞恥ポイントおかしい。

 

「ふーん……? ちなみに、彼女にしたいみたいのはないの?」

「彼女……ああ、恋人的なアレですか?」

 

 他に何があるのか。ホント、普通は色恋に興味が出る年頃だろうに、いちいち確認を取るあたりが興味ないことを示していた。

 

「正直、まだよく分かんないんです、その辺は。なんか少し前に新田さんと男女の差とかそういう話をしたんですけど……」

「へぇ、美波チャンと」

 

 そういえば、前にカフェから二人きりで出て来る美波とコウと出会したのを思い出す蘭子。あの時はつい怒ってしまったっけ、と少し思い返す。

 

「あれから、テレビでやってる時は恋愛ドラマとかチラッと見たんですけどね。二人きりで遊びに行ったり、試験に備えて勉強したりしてましたけど、俺そういうの蘭子ともうやってるし……やっぱ分からないんですよね」

「ふーん……」

「それに、他の女の人とそういうデートをしても、蘭子以上に楽しいと思える人、いないと思うし……これが恋愛とかいう奴じゃなかったら、俺には恋愛なんて無理だと思いますよ」

「うん?」

 

 お願いだからこれ以上はやめてほしかった。もう気が狂いそうな程、恥ずかしい。起きてる本人を目の前に何を言っているのか、この男は。

 が、起きていることに気づかないコウはたたみかける。

 

「あ、でもあれだ。恋愛ドラマと言えばアレはまだやった事ないや」

「何?」

「あの、朝起きたら布団の中で裸になってる奴!」

「ボフッ!」

「ッ〜〜〜ッ、ッッ〜〜〜ッ‼︎」

 

 今度こそ漏れかけた。気づかれていないのは、多分疲れているからだろう。この男、やはり兄の数段下にいる。

 

「ちょっ……にゃっ、何言ってるの、桐原クン⁉︎」

「あいつら揃って寝相悪過ぎだよな。俺、真夏でも寝ながら全裸になったことなんてないよ」

「え……ほんと何言ってるの、桐原クン……?」

「まぁ、蘭子とそういう事になっても……その、恥ずかしいだけなんだけど……」

 

 ……ガッツリ意味が分かる蘭子は、頭の中で想像してしまう。原作遵守派なので、なるべくコウのキャラを崩さないように、慎重に……あり得そうな方向で……。

 

『……』

 

 ……思いつかない。なんか、今のままではどんな事になっても、彼がえっちなことに興味を抱く事は無さそうだ。例え仮に自分とコウが「○○しないと出れない部屋」に閉じ込められたとしても、知識不足で自分が手取り足取り教えるハメに……。

 

「……」

 

 それはそれでアリかも……なんて思った時だった。

 

「あれ、蘭子? もしかして起きた?」

「えっ?」

「っ……」

「あ、やっぱり起きてるでしょ」

「う、うん……」

「まだ降りないほうが良いよ。さっき喀血して倒れたんだから。部屋まで運んであげるから、じっとしてて」

「……」

 

 すぐに考えを改める。こんなに優しくて良い子に、なんで汚れたことを思っていたのか、と。

 

「ダメだよ。ただでさえ男子禁制の寮に特例で入れてもらってるんだもん。起きたなら、自分で歩きなさい」

 

 しかし、みくがそれを許さない。

 

「桐原くんも。帰らないとご両親が心配するよ?」

「……そ、それもそうかぁ」

「出口までみくが送るから、帰りなさい。明日、また蘭子チャンと会えば良いにゃ」

 

 そう言った直後、ちょうどエレベーターは目的の階に到着する。まぁ出口まで送るため、みくとコウはそのまま降りるわけだが。

 背中から降りた蘭子は、エレベーターから降りる。何か、何か言い残したい。せっかくお互いの気持ちが共鳴して運命的に出会えたのに、自分は何もしてあげられていない。

 二人の関係に、何か変化が欲しい。そう強く思って振り向いた蘭子は、控えめにコウに手を振った。

 

「また明日ね、コウくん……」

「っ……」

 

 それだけ言うと、コウは顔を真っ赤にする。その反応が見れただけでも十分だった。閉ざされたエレベーターを眺めながら、蘭子はルンルンで部屋に戻っていった。

 

 




関東大会編はやりません。


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人の精神は割と簡単に正常値から離れる。

 色々な大会に参加し、まずまずの結果を残してきた。あれから二週間経過し、関東大会も無事に終了。ようやくゆっくり休める……という時になったが、そんな暇はない。

 何故なら、夏休みの宿題に一切、手をつけていないからだ。

 

「ああああああ!」

「はい、叫ばない。あと10ページ、頑張るにゃ」

 

 前川さん、新田さん、二宮さんと一緒に、うちで宿題を片付けている。兄上は今頃、インターハイで大暴れしている事だろう。俺も勉強を兼ねて応援に行こうとしたのだが、前川さんがいる前で「お前宿題はやったの?」と抜かしてくれたお陰でおじゃんである。

 ちなみに、両親もインターハイの応援に行った。開催地は大阪なので泊まりがけで。

 

「もう嫌だああああ! 勉強なんてやりたくねーよー!」

「はい、駄々を捏ねない。いいから集中するにゃ」

 

 てか、なんでわざわざうちに来てやるんだよ⁉︎ そもそも、前川さんにだって手伝ってなんて頼んでない! 

 

「お願いします! 代わりにやって下さい!」

「やだ」

「剣道教えてあげるからー!」

「いらない」

「ねぇ、美波さん。蘭子はあの男のどこが良かったんだろう?」

「ま、まぁ人が持つ側面は一つだけじゃないから……」

 

 ……なんか失礼なこと言われてるが、気にしている余裕は無かった。そもそも、前川さんは世話焼き過ぎなんだよな。前までは蘭子の面倒をよく見ているイメージがあったけど、その対象が俺にまで来るのは如何なものか。

 そんな追い詰められている俺に、二宮さんが声をかける。

 

「ていうか何故、蘭子は呼ばなかったんだい?」

「え?」

「このメンバーなら、蘭子がいてもおかしくない……というか、まず君なら蘭子を呼ぶんじゃないか?」

「あ、あ〜……それは……」

 

 や、別にハブってるとかじゃないよ。ただ、その……何? 

 

「……蘭子にカッコ悪いとこ見せたくない……」

「や、それはもう十分手遅れにゃ。だから、集中して」

「なんでそんなこと言うの⁉︎ ……え、俺ってかっこ良くないの?」

「どちらかというと可愛い系?」

「蘭子は良く突然変異者と言ってるね」

「あー分かるにゃ。……や、いいから勉強を……」

 

 とは言ったものの、もう一つ他人には言えない理由があった。それは、蘭子から下の名前で呼ばれる事に、未だ慣れていないことだ。

 L○NEの文面で呼ばれる分にはまだ良い。だが、電話や直で聞くと、いまだに少し恥ずかしくなる。それが顔に出て、たまにいじられる。そのループを、他の人に見られたく無かった。

 だから、県大会が終わった翌日、少し顔を合わせた日から、L○NEでしか連絡を取れていない。まぁ、単純にお互いが忙しかった、というのもあるが。

 暇になるまでに何とかして蘭子から名前を呼ばれる事に慣れたかったが……慣れるわけがないよね。だって滅多に話してもないし。てか、今までの「我が剣」とかいう呼び方が異常だったんだよな。

 でも……これだけ会えない時期が続くと、少し寂しさもある。

 

「蘭子の奴、今何してんだろうな……」

 

 窓の外を見て、そんな事を思う。やっぱり……変に恥ずかしがるくらいなら誘えば良かったかな……。

 なんて思っていると、他三人がこっちを見て頬を若干、赤らめながら目を丸くしてるのが見えた。

 

「……なんすか?」

「蘭子ちゃんのこと好き過ぎでしょ……」

「そんな少女漫画みたいなセリフ、リアルに初めて聞いたにゃ……」

「ふふ、2人の世界は既に共鳴しているようだ。そろそろ、籍を入れて融合する事をオススメしよう」

「な、なんだよっ⁉︎ べ、別に好きじゃねえし! ……や、す、好きだけど……なんか、こう……好きだけど……!」

「「「あら素直」」」

「お、お前ら〜!」

 

 もう少し口に気をつけないとダメだ。なんか今更になってすごい恥ずかしいこと言ったという自覚が出てきた。

 

「まぁまぁ、そんなに寂しいなら蘭子ちゃん呼ぶ?」

「それは良いにゃ。確か、蘭子チャン今日オフだよね?」

「ああ。昨日の夜、部屋を覗いたら桐原くんを遊びに誘うか誘わないかでかなり悩んでいたよ」

「やめろおおおお! お、お前らやっぱり帰れ!」

「じゃあ宿題頑張ってね」

「ぐっ……き、汚ねえぞ!」

「この口か」

 

 痛い! 頬をつねるな! 

 

「とにかく、蘭子ちゃんと遊びたかったら、さっさと宿題を終わらせることにゃ」

「うぐっ……や、やっぱりそうなる?」

「なるね」

「なるよ」

 

 ……はぁ、しゃあない。やるか……。蘭子と遊ぶ為だ、少しくらい嫌な事も頑張らないと。

 

 ×××

 

 数日間ほど家に一人でいる、ということは決して多くない。てか、初めての経験だ。だってほら、うちの家族は基本、全員バカで仲が良いから、旅行に行きたがらない奴もいないし、置いていかれることもない。

 だから今回はかなり稀なケース。新田さんや前川さん、二宮さんが勉強しに来てくれたし、そもそも俺自身、孤独には慣れている為、一人で寂しい、みたいな感情は起きなかった。

 この調子なら、あと2日くらい楽勝だ。……と、思って、2日目に入った。今日は前川さんと新田さんはお仕事。二宮さんだけ来ても勉強にならないし「え、君と二人きりで君の家はちょっと……」となんか照れた口調で言われてしまった為、今日のは一人だ。

 午前中は剣道部。実力はあるけど人徳と協調性が無い俺は部長にはなれなかった。けど、顧問の先生は「役職にはつけたい」との事で副部長に任命されました。まぁ何もやる事がない人の場所だよね。

 で、帰宅して、うちの前に到着した時だ。まだまだ真夏、滝のように汗が出る季節にも関わらず、門前で仁王立ちしている銀髪の少女が俺を睨んでいた。

 

「っ、ら、蘭子? 何してんの⁉︎」

「……」

 

 ……え、なんで何も言わないの? 仁王像か何かなの? 

 

「蘭子? つか、暑くないの?」

「……」

 

 え、怖いんだけど……なんか怒ってるようにも見えるし……あれ、つーか……あいつ、この炎天下の中、汗ひとつかいてないんだけど。もしかして……汗、引いてね? 

 

「ちょっ、何してっ……ら、蘭子おおおおお!」

 

 慌てて家の中に連れ込んだ。汗だくなのを気にする余裕もなく俺のベッドの上に寝かせると、とりあえずタオルに保冷剤をバカみたいに詰めて額に乗せる。

 うちの中学の剣道部は熱中症や日射病に無縁な為、こういう場合の処置がこれで良いのか分からないけど、スマホでググりながら、思い付く限りの事は手を尽くした。

 

「ふぅ……」

 

 なんか……帰ってきてからの方が疲れたんですけど……。でも、首や頬に触れた感じ、家の中に連れ込んだ時よりは熱は引いてる。

 蘭子が寝ている間に、俺は持って帰ってきた道着を洗濯機の中に入れ、シャワーを浴び終え、着替えも済ませて部屋の中を見に行った。起こしちゃいけないよう、そーっと中を覗くと、布団の中で蘭子はなんかモゾモゾ動いていた。起きたのか? 

 

「蘭子、起きた?」

「ぴゃああああああ!」

「えっ、な、何っ⁉︎」

 

 慌てて扉を開けてベッドの方に向かうと、身体を起こした蘭子が顔を真っ赤にしてスカートの裾を押さえている。

 

「ど、どうした⁉︎ 何があっ……」

「い、いきなり入って来るな!」

「俺の部屋なのに⁉︎」

「というか何故、わ、わわわ我は……き、貴様のビェッ……べ、べべベッドで寝ているッ⁉︎」

「いや、なんか人の家の前で熱中症の一歩手前になってたから……ていうか、ダメだよ。まだ寝てないと」

 

 顔真っ赤じゃん。もう少しゆっくりしてないと。

 なんか知らんけどパニクっている蘭子を、両肩を掴んで強引にベッドの上へ寝かしつけた。

 

「はうっ……⁉︎」

「ほら、寝てないとダメだって」

「ちょっ、そんな乱暴に……」

「え、あ、ごめん……」

 

 蘭子も女の子だし、あんま力入れ過ぎるとアレだよな。蘭子も頬を紅潮させ、息を乱して涙目になってるくらい辛そうだし。

 すぐに離れて、蘭子の頭に保冷剤を包んだタオルを置いた。

 

「はい。大丈夫か?」

「……だ、大丈夫だ!」

「てか、何してたの? あんな時間にこんな所で」

「何って……あ、そ、そうだ!」

 

 今更になって用事を思い出したのか、ハッとした顔になると、俺に向かって指を刺した。

 

「狡いよ!」

「急に何⁉︎」

「昨日、どうして私だけ誘ってくれなかったの⁉︎」

「え?」

 

 ……あー、その事か……。てか、わざわざそれの文句を言いにここまで来たの? この暑い中? バカなの? 

 

「え、きたかったの? 勉強会だよ?」

「来たかったよ! ……ひ、ひさしぶりにコウくんに会える日だったんだから……!」

「ーっ……や、やめろよ……」

 

 ちょっ、そういう事言うなってば……普通に恥ずかしいんですけど……。

 

「ふ、ふふっ……コウくんの羞恥により赫を身に纏った裏の顔は、我が精神に安らぎを思い出させてくれる……」

 

 なんてこと言うんだ。人が照れてる顔を見て落ち着くとか酷いぞいくらなんでも! 

 あれ以来、俺を「我が剣」とも「我が刃」とも呼んでくれなくなった。……や、コウって呼ばれるのも、嫌なわけじゃないんだけどさ……。

 人が慌てている間に、蘭子はクスッと微笑んで立ち上がる。

 

「ふふ、聖なる水で身を清めた後か? 良い香りがする……」

「っ、お、おい……立って平気なのか?」

「我が魔力はすでに回復した。……が、翼の精霊回路に不具合がある。故に……」

 

 っと、とと、なんだ。蘭子。急に抱きついてきて……。

 

「コウくんの、補助を所望する」

「っ……」

 

 こ、こいつ……嘘だ! お、俺を照れさせようとやってやがる……! ていうか、前も思ったけど……む、胸が当たってるって……! 

 

「さぁ、コウくん。昨日、我を孤独故の喪失感の底に落とした罰だ。今日は、我と共に過ごしてもらうぞ」

「そ、それは……良いけど、あの……暑苦しいから、離れて……」

「暑苦しい? 我を欺けるとでも思ったか? ……照れているから、だろう?」

「っ……」

「ふふ、愛い奴め」

 

 ……こ、こんな意地悪な子だったっけ……? それとも、そんなに勉強に混ぜてあげなかったのが気に食わなかった……? 

 とにかく、こんなにくっ付かれたらこっちが保たないので何とか離れようと思ったのだが、蘭子は離してくれない。本気で抵抗すれば抜けられるけど、そしたらまた吹っ飛ばしちゃうかもだし……そ、それに……その、何? 少し、惜しいと思わないわけでも無かったり……。

 そんな時だった。ぐうぅぅ……っと、俺のお腹から情けない音が鳴り響いたのは。

 

「……」

 

 そういや、昼飯まだだったな……。その直後、ふと蘭子の表情が変わる。急に真っ赤なっていた。

 

「蘭子?」

「ご、ごめんなさい……」

「え、急にどうした?」

「わ、我が急遽、この場に顕現し、自らアグニスの炎に焼かれ、瀕死となったのを、食べる物も食べず、治癒してくれた者に対し、調子に乗り過ぎました……」

 

 最後は完全に標準語だな……。や、まぁそれは別に良いんだが。もしかして、俺と久々に会ったからはしゃいでくれているのか? なんか、可愛いとか言われていたらしいが、それなら蘭子の方がよほど子供っぽくて可愛いというものだ。

 

「……なんか、蘭子ってホント可愛いな」

「あえっ⁉︎ き、急に何を……!」

「俺より余程、子供っぽいでしょ」

「むっ……そ、そういう意味?」

 

 えっ? ……あ、ああ……。

 

「いや……まぁ、その……そういうんじゃなくて、女の子みたいでも……その、可愛いけど……」

「えっ……あ、ありがと……」

「……」

「……」

 

 ……うっ、うわあ〜〜〜……死にたい……。俺、なんて気持ち悪いことを言ったんだ……。アイドルだぞ、相手は。女の子みたいで可愛いのはある意味、当たり前だろ……。

 蘭子も同じように頬を赤らめ、しばらく二人で俯く。すると、今度は蘭子から「ぐぅっ……」と、音が鳴った。

 

「!」

「そ、そうだ。飯にしない?」

「そ、そう、だな!」

 

 うん、やっぱ空気を変えるには飯の話題だ。とりあえず、下に行かないと。

 

「何か作るよ」

「えっ、り、料理出来るの……?」

「いや?」

「え?」

「確か二人分のカップ麺があったはず」

 

 両親からは飯のお金をもらっている。けど、剣道部は竹刀代で割とお金なくなるから、なるべく残しておきたい。

 ……とはいえ、まぁ身体作りもできない奴は剣道で勝てないから、カップ麺にするのは今日だけだが。

 

「な、なら、我が作ろう!」

「え、蘭子料理できるの?」

「一応、少しなら……」

「じゃあ、お願い。食材は好きに使って良いって言われてるから」

「う、うむ……!」

 

 そんなわけで、昼飯は蘭子の手料理を食べることになった。

 

 




もうすぐ夏休み終わります。


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スイッチは人によって違う。

 蘭子が作ってくれた昼飯の後は、俺の宿題を半ば強制的にやらされ、とりあえず課題は片付いた。

 

「あ〜〜〜……しんどー」

「ふっふっふっ、よく知識を磨いた。コウくんよ」

「うぐっ……」

「では、遊戯へと移ろうか!」

「ごめん、ちょっと休ませて……」

 

 無理だって……掛かり稽古50回連続よりキツかった……。のだが、蘭子は納得いかないらしい。

 

「ええ〜⁉︎ せっかく、やること先に終わらせたのに⁉︎」

「あー……じゃあ、少し休んだら行くから。その間、うちの中探検してて良いよ」

「う、うむ……しかし、我が興味はコウくんのアジトのみなのだが……」

「兄上の部屋とかすごいよ。カッコイイもんいっばいあるから」

「見てくるー!」

 

 素直で可愛いものだよ、ホント……。

 一先ず、俺は部屋の中でゴロゴロする。疲れがすごいんだわ。ホント、頭が重い感じがある。まぁ休めば治ると思うけどね。

 しばらく、のんびりしつつチラッと扉の奥を見る。……蘭子、来ないなぁ。そんなに兄上の部屋が気に入ったのかな……。確かに、カッコ良いもの多いけどさ……。

 ……気に入らない。すぐ飽きてこの部屋戻ってこいよ。や、行けって言ったのは俺だけど。

 立ち上がり、兄貴の部屋を開けた。

 

「蘭子!」

「あ、コ、コウくん……!」

 

 あれ、何その羞恥と怒りと困惑が入り混じった複雑そうな顔。

 

「……蘭子? 何してんの? 早く遊ぼう」

「あ……うん。……あの、さ……」

「?」

「これは、疑ってるわけじゃないんだけど……これ、読んだ事ある?」

 

 言われて差し出されたのは、エロ本だった。女の人が下着姿で表紙を飾っている。

 

「ーっ⁉︎」

「……」

「あ、あるわけない……てか、兄上の奴、こんなの読んでやがったのか……⁉︎」

 

 あ、あの人もしかして……剣道以外じゃあんまカッコよくない……⁉︎

 

「蘭子、それ捨てて良いから!」

「えっ、い、良いの……?」

「良いの! ゴミ箱にでも放り込んでおいて!」

 

 そんなもの、人間が生きる上で必要ないからな! カッコ良い男になる為には、エロは……や、まぁ少しはあるのかもだけど……でも、気にしちゃダメな奴だから! うん、少し胸を目で追っちゃうくらいは仕方ないけど、こんな本買うのはいらないから! 

 

「わ、分かった……」

「それより、なんかしよう! 何したい?」

 

 とにかく、話を逸らした。てか、早く遊びたいし。

 

「ふむ……では、絵を描きたい」

「え、絵って……何の? 富士山?」

「違う、我は北斎ではない! 我は……その、コウくんを……描きたい……」

「俺?」

 

 聞くと、蘭子は少し頬を赤らめて頷く。

 

「良いけど……俺はどうしてたら良いの?」

「羅生門の如く仁王立ちしていれば、それで良い」

「えー、それ俺暇じゃん」

「か、カッコ良く描くから!」

 

 いやだからモデルの間が暇なんだってば。完成した後とかそれ以前の問題なの。

 

「じゃあ、歌いながら描いてよ」

「えっ⁉︎」

「ほら、蘭子の『華蕾夢ミル狂詩曲~魂ノ導~』。あれ歌って」

「……あ、アカペラで?」

「ダメ? 俺あれ大好きなんだけど」

「……い、良いけど……」

 

 やった。それなら全然、モデルでもなんでもやろう。

 

「で、どんなポーズ?」

「えーっと……ふむ。メドゥーサと対峙したペルセウスの如きポーズを!」

 

 戦前の侍のポーズか。難しいな。どんな感じが良いかな? 剣道の精神はあくまでも心と身体を共に鍛えること。武士道を叩き上げ、強くあらんとしなければならない。

 そのために、戦前では精神統一する。つまり……正座か。

 

「違う」

「え、ち、違う?」

「まず、装備からだ。私が選択せし正装に着替えよ」

「着替えまでするの?」

「じゃないと歌わない!」

「わ、分かったよ……」

 

 仕方ない……。

 

「で、どんな服?」

「え、えっと……実は、色々と持って来てある」

「え、何を?」

「我の魔装を、だ!」

 

 ああ、あの荷物それだったのか。え、てことはまさか、最初からそのつもりだった? 

 

「えー、でも蘭子の服って……俺より、背が高いし、大きいんじゃないの?」

「そんな事はない。そもそも、サイズに差が出来るほど、身長に違いがあるわけでは無い」

 

 そう言われりゃそうなのかな。

 にしても、蘭子の服かぁ……。俺は見たことないけど、蘭子だってズボンくらい持っているだろうし、多分カッコ良い服なんだろうな……。

 

「……ま、それなら良いよ。ダボダボのダッサい服は嫌だからね」

「なら、問題ない。さぁ、着てみよ!」

「はいはい」

「こ、ここで着替えるの⁉︎」

「え、あ、そっか。蘭子、廊下出てて」

「うう……この無意識えっち……」

 

 なんかすごい不名誉なセリフが聞こえましたが? 

 そんな話はさておき、着替えを始めた。中に入ってる服を取り出し、まずは上着からが良いな、と思って手に取ったのは、ゴスロリだった。

 思わず、ドア越しに怒鳴ってしまう。

 

「なんでスカート持って来てんだお前は!」

「わっ、ば、バレた……?」

「そりゃバレるだろ!」

 

 バレねえとでも思ったのか⁉︎

 

「ダメか? 我が正装だぞ」

「ダメだろ! 何処の世界に、こんなの好んで着たがる男がいるんだよ!」

「むぅ……ケチ」

「ケチ、じゃねえよ! じゃあお前、俺の学生服着れるか?」

「う、うん……着れる、よ……?」

「……え、き、着れるの……?」

 

 ……ま、マジか……。いや、女にとってはあんま恥ずかしいことでは無いのか……? 

 や、でも俺は嫌なんだけど……。

 

「……っ、と、とにかく……俺は嫌だからな」

「ええ〜……じゃあ、私も歌わないっ」

「ええっ……!」

 

 そ、それは困るな……。聞きたい……生歌でしょ、一応? そんな機会、逃してたまるかってんだ。

 

「……わ、分かったよ……」

 

 なんか最近、蘭子の言うことが怖い……。君、俺のことカッコ良いと思ってくれてるんだよね? 可愛いとか思ってないよね? 

 仕方なく、着替える事にした。これ、どうやって着れば良いのかな……と、とりあえず上から被る感じ? ……あ、でもスカート少し長いから、下に短パン履ける。

 

「……」

 

 ゴスロリ、か……。これに木刀も意外と合うのでは……? 

 部屋にある大きめの窓を見て、木刀を構える。なんか……意外と良いかも……。なんというか、好きなシチュエーションに当てはまるんだ。「女装して敵地に潜入した主人公が、その服装のまま戦う」みたいな……。

 不利な状況や装備でも、自身の得意な戦術や武器さえ使えれば勝てる、みたいな……。

 

「シン・陰流、簡易領域……!」

「フッフッフッ、随分と我が正装を気に入ったようだな。コウくん」

「っ⁉︎ き、着替え中に入ってくるなよ!」

「もう着替え終わっているだろう」

「うるせえ!」

 

 な、なんか痛烈に恥ずかしい思いを……! 

 

「が、構え自体は悪くなかった。さっきのもう一度、頼む」

「う、うるせええええええ!」

「知恵の林檎が、虚言語る牢獄で〜」

「歌い始めるな!」

 

 結局、描かれることになってしまった。

 仕方ないので、三輪さんの可能な限り低姿勢を保った抜刀の構えをする。俺は居合の事はよく分からないけど、あそこまで屈むと逆に抜きづらそうな感じあるけどね。

 

「……」

「〜♪」

 

 楽しそうに歌いながら、蘭子は俺をじっと見つつ、スケッチブックに鉛筆を走らせる。俺も蘭子をじっと見るしか無い。カウンタータイプの抜刀術が、敵から目を離すなどあり得ないからだ。

 

「……」

「〜♪」

 

 しかし……蘭子って、こう……本当に綺麗な顔してるな……。アイドルになるのも頷ける。

 まず、白い肌。まるで漫画の世界のキャラクターのように真っ白な肌は、割とインドア派な印象を与えるが、服の下に隠れているその皮膚は、少なくともそれなりに筋肉がついている。

 それらのギャップが、あの魔王らしさと見事に噛み合い、蘭子のアイデンティティとして確立している気がする。

 それに、あの釣り上がった瞳と凛とした表情。キャラと噛み合ってはいるが、ふとした時に顔を出すポンコツな面がギャップを生み落とし、そう言った面での年下っぽい可愛らしさも見受けられる。

 その上、蘭子の唇。薄っすらと光るピンク色のそれは、真っ白な雪の上に垂らされた血を想起させるが、不思議と事件の香りではなく、一層の魅力を放っている。放たれるセリフが魔王を模しているのが、またベストマッチを及ぼす。

 そんな男を……少なくとも俺は惹きつけられた顔を持ちながら、身長は俺より少し高く、何より蘭子と言えば……。

 

「……」

「……」

 

 ……つーか蘭子、手と口が止まってね? 早く描けよ。何俺のことじっと見て……てか、ほんと綺麗な顔をしてんな……。

 

「……」

「……」

 

 あれ、なんかこう……恥ずかしくなって来たな……。俺、なんで蘭子と見つめ合って……。

 直後、先に痺れを切らしたのは蘭子だった。ガタッと立ち上がり、俺の顔を両手で押し込んでくる。

 

「〜っ、み、見過ぎ!」

「むぎゅっ……お、お前だって!」

「私は見てても良いの! でも、コウくんはダメ!」

「なんだそれ⁉︎」

「目は閉じてて! 目を描く時だけ開けてて!」

「そんなワガママな……!」

 

 結局、目を閉ざされた。

 

 ×××

 

 気がつけば夕方。蘭子はスケッチが終わって満足していたが、俺には羞恥しか残らなかった。良かったのは、蘭子の綺麗な顔をじっと眺めてたら、なんか向こうも少し照れ始めた事。ホント、蘭子は割とシャイだから可愛い。

 さて、そろそろ帰宅した方が良いかな? 駅まで送ろうかなーと思って窓の外を見ると……。

 

「……あっ」

「むっ? ……あっ、イシスの涙……」

 

 ヤバいな。今日、両親いないから送ってもらえないし……。傘はこの前、兄上と仕込み刀に改造しようとしてバラバラにして母親に殴られたし……折り畳みは親が多分、持って行ってるし。

 

「しゃあない。蘭子、今日うち泊まって行く?」

「えっ⁉︎」

「や、雨降ってるし、うち今傘無いし。朝まで二人で何かしようぜ!」

「えっ、な、ナニかシようぜって……」

 

 ……顔赤くするところあった? 

 たまには、夜中に朝までゲームだとか、二人で深夜のカップ麺とか、そんなのやってみたいよね。

 

「泊まるなら、ジャージとか用意するけど……どうする?」

「……ほ、ほんとに……良い、の……?」

「え、ダメなの?」

「……」

 

 逆に聞き返してしまうと、蘭子はしばらく押し黙る。が、やがて俺に背中を向けると、小声でブツブツ呟き始めた。

 

「…………変な事はしない、彼を襲うのはある種、ショタを襲うのと同義……魔王のメンツに賭けて……」

「蘭子? 呪文ごっこ?」

「黙ってて!」

「え、ごめん」

 

 そんなに怒らなくても……。

 

「……とにかく、慎重に……冷静に、理性的に……年上っぽく……うんっ、良しっ」

 

 なんか終わったらしい。内容はよく聞こえなかったが、最後の「良しっ」だけ聞こえた。

 

「う、うん。じゃあ、お泊まりしよう……かな……?」

「よっしゃ! じゃ、パジャマとか持って来るから、待ってて!」

 

 いよっしゃあ! そうと決まれば善は急げだ。今日は夜更かしするぞー。明日休みだし。

 ジャージを用意して、あと兄上の部屋にあるゲーム機を盗んで、部屋にいる蘭子の元に向かった。

 

「はい、ジャージ。ゲーム何やる?」

「ふむ……では、スマブラなど如何?」

「良いね。鍛え上げたロイの力、見せてやるよ」

「クックックッ、大いなる公子など、怪盗の敵では無いわ」

「言ったな? ぶった斬ってやる」

 

 ……なんでスマブラには侍キャラいないんだろう、と思いつつ、とりあえず蘭子と遊び始めた。

 

 ×××

 

 何があったかは知らない。俺も蘭子も、一緒に遊んでいるだけのはずだった。スマブラやって、一緒に料理を作って、素振りを教えて、別々でお風呂に入った。

 で、また蘭子が絵を描きたいと言うので、アカペラの双翼の独奏歌を聴きながら、モデルをやった後だ。

 不意にペンを置いた蘭子が、俺の方へ歩み寄り、耳元で囁いた。

 

「……乳揺れの意味、教えてあげよう、か……?」

 

 



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傷ついた悪姫の罪〜被虐の章〜

 神崎蘭子は、むっつりスケベである。自覚は無い……いや、自覚しないように目を逸らしている。

 しかし、普通の中学生なら皆そうなのだ。異性に興味が出て、制服という名のベールに隠された部位に興味が湧く。特に、水着になった際に隠れる部位への執着が強くなる。

 そう言う感情を抱いていることは罪では無い。行動に起こさない限りは。

 蘭子が、少なくとも桐原コウをそういう目で見るようになったのは最近ではない。昼休みに二人きりの教室に集まるようになり、数日が経過した辺りからであった。

 元々、蘭子はカッコイイものが好きなだけあって、アニメや漫画を見る事もあった。その際、やはり目に入るのはイケメンの男性キャラ。

 正直、筋肉がどうだのは興味無かったが、銀魂やワンピース、ナルト……正確に言えば、高杉晋助、ポートガス・D・エース、サスケを見ている間に男性の身体に興味が出て来た。

 そして、目の前にいるのは、それらのキャラと同じように、自分の服がはだけていても気にしない少年だ。そんなの、性的な目で見るなと言う方が無理だった。

 それでも、今日という日はヤバかった。

 

「はぁ……」

 

 入浴中、蘭子は今日の出来事を振り返る。というか、今の状況も割と振り返りたかった。

 何せ、自分の想い人の家のお風呂に入っているのだから。いい加減、彼を見る度に起こる胸の鼓動と、彼を愛でたいという自身のサド心が、完全に恋する乙女のソレである事には気付いていた。

 けど……それ故にしんどい。彼も少しはデリカシーを学んできてはいるが、それは本当に少しだ。長く剣道に身を捧げ、パンイチ姿を異性に見られても恥じらいひとつ見せない習慣は簡単には治らない。

 その上で、今日の出来事だ。ベッドを借りたり、ゴスロリを着た彼を写生したり(あの服はもう洗濯しない)、そのままお互いに見惚れたり、挙げ句の果てに両親が帰って来ないこの家でお泊まり確定……どう考えたって、エロい展開しか待っていない……。

 

「って、違う違う違う……!」

 

 顔を慌てて横に振る。彼は自分に多少、欲情していたとしても、性知識など皆無なのだ。エロ展開が来るとしたら、それは自分から仕掛ける他ないのだ。

 つまり、自分が理性を保っていればそれでなんの話題もない。彼を襲えば、間違いなく後悔するのは自分だ。

 最悪のパターンとして「なんでお前脱いでんの? 原住民か?」とか言われる。そうなったらビンタする自信がある。

 

「……クックックッ、理性の操作など、魔王にとって赤子の手を捻るより簡単なこと……」

「蘭子ー」

「ふぁいっ⁉︎」

 

 格好つけた割に、すぐ化けの皮が剥がれる蘭子だった。思いっきり狼狽えたような声を出してしまったが、扉の向こうの子供は何食わぬ顔で続ける。

 

「ジャージ、洗濯機の上に置いとくからー」

「う、うん……え、洗濯機?」

「え、ダメ? ……あっ」

 

 洗濯機の上には、自分の下着を……と、思った時には、向こうも気付いたようで、声を漏らす。

 

「っ、ご、ごめん……蘭子! 見る気は、無くて……!」

「ーっ」

 

 謝らなくて良いからさっさと出て行け、と思ったのだが、そこで「なんで自分だけ恥ずかしい思いをしているのか」と言う疑問が浮び、頭の中でスイッチが切り替わる。

 良く言えば「好きな子に意地悪するスイッチ」であり、悪く言えば「思春期の男の子をからかうスイッチ」である。

 

「コウくん?」

「っ、な、何ッ……⁉︎」

「可能であれば、白の胸部を守りしアーマーと、機動力を増加させる黒き下部装甲を、別の場所に移しておいてくれると助かる」

「ええっ⁉︎ い、いや……む、無理だって……そりゃ、うちの部活の男子は、女子のパンツを幸せの象徴とか言ってた、けど……」

「? 何を言っている? パンツではなく、スカートとブラウスだ」

「え? あっ……」

 

 もちろん、洗濯機と下着の間に畳んである自身の私服のことである。正直、見られる可能性があるのなら、上と下の下着の色くらい揃えておきたかった。……黒のパンツなんて普段は絶対に履かないし。まぁその辺は次の機会に活かすとしよう。

 すると、扉の向こうでは、恥ずかしくて悶えているような声が聞こえた。

 

「〜〜〜っ、ら、蘭子!」

「どうした? コウくん」

「……蘭子ってアレだったんだ。ビッチとかいう人」

「んなっ……⁉︎」

 

 言うことにかいてまさかの言葉だった。というか、どこで知ったのか、そんな言葉。

 

「だ、誰がビッチか⁉︎」

「蘭子だよ。もう知らないし。ジャージも持って行っちゃおう」

「っ、わ、わー! 嘘です、ごめんなさい!」

「やだ。知らないっ。俺に女装させるために私服持って来てたし、そっち着て寝たら」

「ジャージが着たいんです!」

「ええ……なんでそこまで……」

「っ、じゃなくて、えっと……そ、そう、あれ着たらシワになっちゃうから……」

「……わかったよ」

 

 助かった、この子が優しくて。彼が着た洋服は持ち帰って飾ると決めているのだ。

 

「じゃあ、早く上がれよ。俺もお風呂入りたいし」

「う、うん……」

 

 とりあえず、今は湯船に浸かった。……しかし、本当に良い反応をしてくれるものだった。他の男子なら……と言っても他の男子を知らないので、彼から聞いてる他の剣道部なら、おそらく下着を写真に収めたり、こちらの声も耳に届かず目に焼き付けそうなものだが、謝ってくれるのは彼くらいだろう。

 

「……ん?」

 

 そういえば、彼はこれからお風呂なのか、と今更理解する。つまり、自分が浸かった後の湯船に……。

 

「……っと、ダメダメ」

 

 一瞬、よだれでも混ぜておこうかと思ってしまったが、怒られたそばからそれをこなす程、図太く無い。

 ……とはいえ、少しでも長くここにいてやることにしたが。自分から出た過飽和が風呂場を満たすのは仕方ないから。

 

「……うう」

 

 ……というか、むしろなるべく綺麗な風呂のままにしなければならない。もし、万が一にも毛の一本でも残したら恥ずかしい。髪の毛ならともかく、下の毛なら死にたくなる。いや、ある種興奮するかもだが、それでも羞恥の方が強い。そこまで性癖曲がっていない。

 

「早めに上がった方が良いかも……」

 

 そう決めて、もう上がることにした。

 湯船から出て、浴槽内の細かい毛をチェックし、見つけたものはゴミ箱に捨てて、ようやくバスルームから出る。

 コウから借りたバスタオルで身体を拭き、そこで問題に気がついた。

 

「あっ……」

 

 下着、どうしよう、と……。いや、実は下着は持って来てあるのだ。コウに着せるつもり、というわけでは無かったが、服を今着ている分以外に持っていく時は、大体泊まりのことが多い為、つい癖で持って来てしまうのだ。

 ましてや、今は夏。出掛ける際、下着や靴下やTシャツの替えは用意しておきたい所でもある。

 では何が問題なのか? 寝る時だ。多分、あのバカな彼の事だから同じ部屋で寝ることになると思うが、寝る時に蘭子はブラをつけないのだ。普通に苦しいから。

 が、彼と至近距離でノーブラでいるのは流石に恥ずかしい。

 

「……」

 

 でもまぁ、彼の鈍さなら平気か、と思う事にして、とりあえず彼のジャージに身を包んだ。……洗濯したてで、残念ながら洗剤の香りの方が強かった。少しキツそうかと思ったが、思いの他そうでもない。多分、親が大きめのを買ったのだろう。

 着替えを終えて、髪を乾かし、ツインテールに結って、洗面所を出てリビングへ歩く。部屋に入って一番に目に入ったのは、上半身裸で筋トレをしているコウの姿だった。

 

「ーっ……!」

「ふっ、ふぅっ……ふっ……!」

 

 こちらには気付かず、名前は忘れたが床の上で膝をついて転がす筋トレ器具を使い、体を猫のように伸ばしては引き寄せている。

 せっかく、せっかく性欲を理性で鎮めてきたのに、向こうから煽ってきた。よりにもよって、まず上半身裸なのがいただけない。自分が上がる前に他の種類の筋トレもやっていたからなのだろうが、何にしても掻き立てられる。

 その上、筋トレの種類。鍛えられたお尻がキュッと引き寄せられる……つまり、こちらにお尻が強調されるのを見て、思わず頬が赤らむのと同時に、胸の奥がドキッとする。

 

「っ……!」

 

 ダメだ、と頭の中で首を振る蘭子。ここで彼に欲情してはダメだ。大丈夫、まだ耐えられる。まだ慌てるような時間ではない。

 息を整え、改めて理性を取り戻すと、ちょうど良いタイミングでコウが顔を上げた。

 

「っ、ふぅ、はぁ……あ、蘭子……っ。もう、上がったの?」

「っ……」

 

 汗だくで息を若干、切らしながら声を掛けてくる彼に対し、また少し胸がドキッとしたが、ひとまず耐えた。

 

「あー、やっぱジャージ少し大きいね?」

「成長期故の、母なる加護によるものだろう?」

「いや、それ兄上の」

「……は?」

「だって俺のじゃ小さいと思うし。……そ、その……胸の辺りとか」

 

 あ、意外と異性を意識してくれてる、と少し嬉しいを通り越してホッとする反面、怒りが滾って来る。

 つまり、自分はさっきお兄さんのジャージの香りを嗅いでいたわけで。

 

「……なんで」

「え?」

「コウくんの洋服がいい!」

「え、な、なんで……? 小さいよ?」

「良いの! 貸して!」

「わ、わかったよ……。俺の部屋の引き出しに服入ってるから。好きなの着て良いよ」

 

 それだけ言うと、コウは洗面所に戻る。その間に、自分はコウの部屋に戻った。これから彼はお風呂だろうし、今のうちに着替えを済ませておきたい。

 適当にタンスを開けると、おそらくお兄さんのチョイスであろう、まぁまぁオシャレな服が多く入っていた。

 

「……うん、やっぱりコウくんの匂いは落ちちゃってるなぁ……」

 

 まぁ仕方ないと言えば仕方ない。洗濯してあるものがしまってあるのだろうから。

 そこは諦めつつ、せっかく男装できる滅多にない機会だし、この際楽しむことにした。たまにアニメで出て来る「後半になって女だと判明するボーイッシュな少女」も蘭子は好きだ。

 ……でもなんか、これを着てツインテールは少し恥ずかしい。寝る前に再び解こうと思っていたが、今のうちに解いておく。

 

「……っと、これパジャマに借りるんだった」

 

 そう思うと、あまりオシャレな私服は着れない。部屋着っぽいものを着ないと……。

 

「あ、これ良いかも……」

 

 手に取ったのは「剣道」と大きく赤い文字で描かれた黒いTシャツ。なんか武道館とかで売ってそうな奴。こういうのは、コウのチョイスだろう。

 ジャージを脱ぐと、上にそのTシャツを羽織る。ズボンはどうしようかな、と思って別の引き出しを開けて探すと、寝るのにちょうど良さそうなのがあった。

 

「よし、これ」

 

 少し短いが仕方ない。ズボンを履き終えると、しばらくのんびりする。また少し心が落ち着いて来る。

 というか、落ち着こうと考えるから、逆に落ち着かなくなるのだ。何事もここは一つ、別のことを考えよう。幸い、ここには少年漫画がたくさんある。

 一冊、手に取りしばらくベッドの上で読み耽る。こう言う時、BLEACHというのは最高だ。斬魄刀だけでご飯三杯いけるから。

 さまざまな斬魄刀にうつつを抜かしていると、後ろから声がする。

 

「蘭子ー、お待たせ」

「うむ」

「この後どうす……」

「?」

 

 半端なところで声が止まったので、どうしたのかと思って振り返る。

 コウは、頬を赤らめて自分を見ていた。どうしたのだろうか? と、小首を傾げると、コウは頬をかいて目を泳がせている。

 

「? どうしたの?」

「っ、あ、いや……」

「というか、髪が天の涙に濡れたまま潤いを保っている。アテナの怒りに触れなかったのか?」

「え、えっと……別に……」

「ふむ……仕方ない。こちらへ来い」

「あ、の、飲み物用意しようか?」

「良いから」

「う、うわっ……!」

 

 なんか狼狽えているコウの腕を引いて、強引にベッドの上に連れて行って、自分の隣に座らせる。

 

「コウくん、ドライヤーは?」

「え、も、持ってないけど……」

「ふむ、仕方ない……セイレーンの泉から拝借しよう」

 

 洗面所に戻り、ドライヤーを持って部屋に戻る。すると、コウは自分の部屋なのにやたらとドギマギしていた。借りてきた猫のように、ベッドの上で背筋を立たして大人しくしている。

 

「? コウくん? 具合悪いの?」

「えっ⁉︎ あ、いや……別に……」

「今日は早めにヒュプノスの息吹に身を預けて方が……」

「や、ホント具合悪いとかじゃないから!」

「じゃあどうした?」

「……」

 

 聞くと、顔を真っ赤にしたままコウはぽつりと呟くように蘭子に言う。

 

「……そ、その……髪の毛、結んでない蘭子は……なんか、印象違うなって……」

「……」

 

 なるほど、とすぐに理解する。初めて見るわけじゃないだろうに、この反応。おそらく、意識してくれているのだろう。

 そんなの、普通に嬉しい。意地悪ではなく、もう違うのかが気になり、聞いてみた。

 

「その……どう、違く見える……?」

「え、えっと……今まで妹、と言うか年下っぽく見てたけど……なんか、女子高生くらいのお姉さんみたいな……」

「……」

 

 相変わらず嬉しさと苛立ちを同時にプレゼントしてくれる子だった。お姉さん、と見られるのは嬉しかったが、なんで自分が年下なんだよ、と言うツッコミも隠せない。

 が、ここで怒ると年下枠になってしまう。そのため、お姉さんムーブをすることにした。

 

「ふふ、ならばこちらへ来い。貴様の髪の乾きは我が取り戻してやろう」

「え……いや……」

「照れる事はない。お姉さん、なのだろう?」

「ち、違ぇーから! お姉さんって言ったら正直、新田さんの方が……」

「……良いから来い。我が魔力が息を吹き返すぞ」

「うえっ……⁉︎」

 

 ぐいっと今度は自分の前に座らせると、コンセントを挿して、頭を乾かしてあげた。目の前にあるのは、無防備なコウの後頭部。やはりまだ自分より背が低いからか、力強い筋肉があっても華奢に見える。

 

「ら、蘭子……まだ?」

「まだまだ」

「うう……」

 

 ガーッと髪に温かい風を吹かせる中、コウは落ち着かないのかソワソワしている。ホント、こんな子供中学生は珍しい。

 ……っ、と、危ない。また少し理性が壊れかけた。それを強引に落ち着かせる。話をして逸らす事にした。

 

「コウくん、この後の刻限はどう使う?」

「え? え、えっと……」

「ゼウスからの啓示が無ければ、我が絵画の偶像と化してくれるか?」

「っ、い、良いけど……」

 

 多分、考えて口を開いていないのだろう。二つ返事でオーケーされたことに、少し意外に思いつつも、とりあえず髪を乾かした。

 流石に配慮して、今回は女装無し。普段のコウを描かせてもらうことにした。たまにはこういうのもありだ。

 竹刀の手入れをするコウを眺めながら、蘭子はペンを動かす。竹刀削りでささくれの処理をしているその姿は絵になる。

 ……が、やはり、だ。彼はチラチラと髪を下ろした自分が気になるのか、視線を寄越してくる。

 

「……」

 

 そんな彼の様子が、なんだか新鮮で、可愛くて、それを自覚する度に凝視出来なくて……そして、あまりに少しずつであったため、理性の壁が徐々に崩れてきていることに気付かなかった。

 何より、彼の視線が髪を下ろした自身の顔だけでなく、たまに胸にも向けられているのを察した時、限界が来た。

 描きかけのままペンを置く。

 

「……ね、ねぇ、コウくん……」

「っ、な、何……?」

「……乳揺れの意味、教えてあげよう、か……?」

「……あ、う、うん……」

 

 その返事を聞くと、蘭子はニヤリとほくそ笑む。頬が熱いが、火照っているのは身体も同じだ。身体を見ていた以上、彼も男の子。ナニをするのか分からなくても、彼のお兄さんの部屋には教科書もあるし、教えてあげれば良い。手取り足取り。……まぁ、自分も経験がないわけだが。

 彼の目前に移動すると、腕を組んで下着をつけていない胸を強調する。

 

「乳揺れとは、その文字通り、乳が揺れることを指す。……もちろん、大胸筋の事ではない」

 

 彼の事だ。そういう勘違いは絶対にする。先手を打って防いでおいた。

 

「ふふ、例えば、バレーボールよ。体を逸らし、片腕を振り上げて放つその瞬間、女性の胸部は大きければ大きいほど揺れる」

 

 続いて、具体的な例。体育が好きそうな彼なら絶対に興味が沸く例を挙げた。おそらく、想像出来ただろう。ならば、後は一押しだ。

 

「……見たい?」

「……」

「…………コウくん?」

 

 ……ていうか、彼……少し黙り過ぎでは? と、片眉を上げる。さっきから息を呑む音も聞こえない。照れてるなら、もう少し何かあっても……と、思って顔を覗き込んだ。

 

「……すぴー……」

「……………………」

 

 …………寝てる。胸を見ていたんじゃない。瞼を落としているだけだった。しかし、それならチラチラ見る理由は……と、思って手元を見ると、竹刀削りは指を巻き込む直前で止まっていた。刃物を使っている以上、よそ見するわけにはいかないから、チラ見を繰り返していたのだろう。

 完全に正気に戻った蘭子は、小刻みに身体を揺らす。頭の中に反響したのは「自意識過剰」「ビッチ」「性欲モンスター」などと言う自身を罵倒しつつも的を得ている暴言、そして何より、自分の行動を思い返し、羞恥に震えていた。

 それと同時に、目の前の男に八つ当たりにも似た怒りを発した。ていうか、普通に八つ当たりだ。

 

「寝るなああああ!」

「おぶっ⁉︎」

 

 後ろに張り倒してしまった。ひっくり返るコウ。すぐに目を覚まし、あたりを見回す。

 

「えっ、な、何⁉︎ 何事⁉︎」

「寝るなんて許さないんだからー! 今夜は絶対に寝かさないからねー!」

「えっ、ね、寝てた? や、寝てねーよ。意識あったし。で、何してたっけ。銀魂ごっこ?」

「寝てた人のセリフじゃん!」

 

 ムカついた。寝てねーよじゃねえよ、と。

 

「絶対にゆるさーん!」

「な、なんでっ……な、何かそんな悪いことした……?」

「した!」

 

 そのまま掴みかかり、異性でプロレスごっこが始まった。

 その日、コウは朝になっても寝かせてもらえなかった。

 

 




夏休み終わりです。35話くらいまでに終わる予定でしたが、いまだにゴールが見えていません。


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興味を抱け、若人よ。
中学二年生が故の事故。


 二学期になった。夏休みが明け、また朝早く目を覚まし、コテコテの学生服に着替え、教室に向かわなければならない時期だ。

 まぁ、朝は良い。俺の日課に、朝六時に起きてランニングという新たなメニューが加わったからだ。関東大会で入賞せず負けてしまったが、その試合は延長戦でスタミナ負けしたのが敗因だ。必殺技よりも、まずは肉体だ。あと、サムに憧れた。

 今日は朝練が無いため、七時起き……なのだが、いつも通り六時に起きて早朝ランニング。その後にシャワー浴びてから学校だ。ちなみに、朝練がある日は五時起きである。

 さて、その始業式が終わった。今日は部活オフの日の為、本来なら早めに帰宅する所だろう。

 しかし、俺の足は昇降口には向かわなかった。

 代わりに来たのは、空き教室。以前、見つけた二人だけの秘密基地だ。特に、約束はしていない。でも、久々のアジトだ。顔を出しておきたい。

 そう思って扉を開ける。相変わらずの教室だった。山積みの机と椅子。そのうちの三つを拝借して、真ん中に設置された机。

 そして、隣には銀髪のツインテールを揺らした少女が、椅子を拝借して本を読んでいた。

 俺が扉を開けた事に、すぐ気付いたその少女、神崎蘭子は、すぐにフッと笑みを浮かべ、片手を左目に添え、右手で本を出して机の上に置くと、こちらにかざす。

 

「フッ、随分とのんびりだな? 我がコウくん」

「我がコウくんって何。……早かったな?」

「当然よ。ここは我らのアジト。閉門が解かれた今、ここに集まらない理由がない」

「まぁな」

 

 適当に返しながら、俺も椅子に座る。蘭子は読んでいた本を鞄にしまうと、俺の前に立って両手を広げた。

 

「? 蘭子?」

「どう? 久しぶりの制服!」

「ああ……うーん」

 

 や、どうとか聞かれても……と、思ったのだが、俺の前で手を広げたまま腰を回転させ、背中を左右に見せたりしているので、無碍には扱えない。

 ……うーん、どうだろ……。

 

「……スカート短過ぎない?」

「……そう?」

「そうでしょ。夏休み前はそんなに折ってなかったじゃん」

「……えへへ、気付いてくれるんだ……」

 

 いや気付くでしょ。蘭子のことだよ? って、そんな事どうでも良くて。

 

「パンツ見えそうだよ」

「えっ、ほ、ホント⁉︎」

「いや分からないけど……ほら、さっきみたいに揺れると見えるかもだから」

「……見た?」

「見てないよ」

 

 夏休み後半の、豪雨によるお泊まり会の日以来、イマイチ記憶はぼやけているが、なんかあったんだと思う。だから、実際に蘭子の下着姿とかを見ない限り、普通に注意くらい出来るようになった。今までも、この子結構、無防備なとこあって、雨に透けてブラが見える事もあったからなぁ……。

 そう言う時は、俺も直接言えなくて、トイレに行って気付かせたり、自分の着てるジャージを羽織らせたりしたものだ。

 イソイソとスカートを戻す蘭子。ホント、素直な子だな。

 

「これくらいならどうだっ?」

「まぁ良いんじゃね。……でも、なんでスカート短くするの?」

「えっ……?」

「別に校則守ってても、蘭子は普通に綺麗なのに」

「……えへ、そ、そぅか……えへへ……」

 

 前にライブを見た時から、蘭子にだけは「可愛い」とか「綺麗」とか、そういう褒め言葉を言えるようになった。蘭子が嬉しそうにしてくれるからかな。

 

「……でも、コウくんはもう少し、制服着崩した方が良いなぁ……」

「え、なんで?」

「制服、まだまだ大きいから」

 

 そうか……そういや、まだまだ成長期来てないんだよなぁ……。

 

「あーあ……兄上は背が高いし、俺も伸びると思うんだけどなぁ……」

「あ、あの……えっと、コウくんも……今のままで、カッコイイと思……」

「いやー、流石に中二で身長155弱はダサいでしょ」

「……」

 

 せめて、成長止まるまでに170は欲しいんだけど……と、思っていると、蘭子は少し不満げに頬を膨らませる。

 何? と、片眉を上げて問うが、蘭子は無視して独り言のように「そうじゃないのに……」と、呟くと、不意に少し大人びた笑みを浮かべた。

 

「ふふ、じゃあ今はまだ、我の方が貴様よりお姉さん、という事だ。精々、可愛がってやろう」

「え、いや……何するつもり……」

 

 あ、ヤバい……なんか、たまに蘭子がやる俺を揶揄う時のスイッチが……。

 ぼけっとしている間に、蘭子は俺の隣にわざわざ移動してくる。で、腕に腕を絡めてきた。

 

「ら、蘭子……? ちょっ、落ち着いて……」

「ふっふっふっ、こう見えて女子中学生の平均を上回るボディライン……如何だ?」

「っ、な、なんだよ急に……⁉︎」

「女の子の方からここまでしているのに、感想のひとつもないのか?」

「っ……」

 

 こ、これだよ……なんか、ホントお泊まり会で何があったかイマイチ覚えていないけど、蘭子がやたらとグイグイ来る。嫌なわけじゃないんだけど……こう、少し反応に困る。

 ていうか、感想って何言えば良いのさ。いや、思う所はある。柔らかいとか、良い匂いだとか、様々だ。

 でも、こう……どれを言っても変態的な気がする。なんだよ、良い匂いって。てかなんで良い香りするんだよ……。

 それに、柔らかいと言うのも、これはどう言いくるめた所で、胸が柔らかいって意味になるんじゃ……未だに「おっぱい」って単語を口にするのは憚られる俺だし、正直ホントなんて言えば……。

 ……そういえば、蘭子の胸は柔らかいけど、もし大胸筋とか鍛えたらどうなるのかな……。柔らかさと硬さ、どっちが来るんだ? 

 

「蘭子、大胸筋鍛えてみない?」

「なんでそんな感想ばかりなのー⁉︎」

「今日、この後ジム行かん?」

「行かない!」

「なんで⁉︎」

「鍛え上がってそれなりの硬さになったら触らせて欲しいんだけど! 柔らかさとどっちが勝つのか?」

「触っ⁉︎ ……え、えっち!」

「それこそなんで⁉︎」

 

 別に大胸筋くらい、俺は触られても問題ないんですが⁉︎

 

「じゃあ、コウくんは胸触らせてって言われたら触らせるの⁉︎」

「や、別に俺は良いよ。むしろ、大胸筋は男なロマンだからな!」

「っ、い、良いの? 言ったな?」

「良いよ!」

「じゃあ、今!」

「どうぞ?」

 

 胸を張って「どうぞ?」と片眉を上げる。今は夏服だから、服の上には半袖のワイシャツ一枚。ほぼ生肌と同じ感覚で触れることだろう。

 ムンッ、と力を入れる。少し膨らんだかな? 蘭子は、頬を少し赤らめながら、俺の胸に手を伸ばす。

 

「……お、おおっ……!」

「……」

 

 ……あれ、なんか恥ずかしいなこれ……ていうか蘭子、そこ乳首。あんま触らないで。ガキの頃、出来物だと思って乳首抉ろうとしてた俺に、触ると大きくなるよって母ちゃんが言ってた。

 

「……か、硬い……」

「……」

 

 さわさわ。

 

「それに、少しやっぱ柔らかい……本質は、男も女も同じと言うこと……?」

「……」

 

 さわさわさわ。

 

「……もう少し、研究したいな……コウくん、両腕ムキってやって?」

「え、こ、こう?」

「そうそう。……あ、硬くなった」

 

 さわさわさわさわ。

 

「……おお、すごい……」

「…………」

 

 ……少し、恥ずかしいな……。何やってるんだろう、俺達……。

 

「もう少し見てみたいな……コウくん、脱がしても良い?」

「はっ⁉︎」

「え、だめ? いつも見られても恥ずかしくないとか言ってるのに?」

「っ……い、良いよ! 好きなだけ脱がせよ!」

「いや一枚で良いんだけど……」

 

 そのまま蘭子は、上から一つずつ、シャツのボタンを外していく。徐々にはだけていくシャツ。それと同時に露わになる大胸筋。

 

「……やっぱり、実際に見るとすごいな……中学生でこの胸筋って……」

「あ、あの……蘭子さん? そろそろ……」

「も、もう少し待って!」

「いや、流石に恥ずかしいと言うか……」

「……や、やわらかくてかたい……なんだこれ?」

 

 それこっちのセリフだよ……な、なんだよこれ? なんて思っている時だ。

 コツコツと、足音がする。それにより、俺と蘭子はハッとして顔を見合わせた。ヤバい、誰か入ってくるかも⁉︎

 そう思った時には、俺は蘭子を胸前に抱き抱えながら、二人分の鞄を机の山の下に放り、使っている三つの机の下に隠れた。

 

「っ、ふぁっ⁉︎ ふぁふぃを……!」

「しっ」

 

 おそらくパニックになってる蘭子を落ち着かせた直後、教室の扉が開かれる音がする。

 

「ふぅ……あー、使われてない机の倉庫ってここか。ったく……椅子一つくらい、自分で持っていけよな、学年主任……」

 

 グダグダ言いながら、俺達の横を通り過ぎ、先生は机と椅子の山を一つ持っていった。何となく予想はしてたけど……ここ、倉庫だったのか。そこ鍵を開けっ放しで良いのか? 

 とりあえず、ホッと胸を撫でおろし、胸前の蘭子に目を落とした。

 

「危なかったな、蘭……蘭子?」

「……あ、あひゃ〜……ほへほへほへ〜……」

「え、な、なんて……?」

 

 な、なんか奇声上げたまま、目玉を上に向けて涎垂らしてるんだけど……てか、涎ついてるんですけど……何してくれてんのさ……。

 

「蘭子、蘭子……大丈夫?」

「ふ、ふへっ……ふへへっ……」

「……」

 

 大丈夫じゃなさそうだな……。とりあえず、蘭子を机の上に置き、俺は胸元を拭いてからシャツを着直した。ていうか、蘭子の唇の跡が残ってる……一日で落ちるかな? 

 ……ふぅ、しかし……なんか改めてやばかったな、さっきのは……。蘭子の奴、完全になんか暴走してたな……。「褒められて嬉しい」も限度があるんですが……。

 

「ふ、ふへっ……ふへへっ、ゼロ距離大胸筋……」

 

 ……なんか悶えてるし……まぁ、蘭子が嬉しそうだしいっか。

 

「……はぁ、腹減ったな……」

 

 とりあえず、蘭子が起きるまで待ってるとしよう。先に帰っちゃ悪いしね。

 

 ×××

 

「ハッ⁉︎」

「うおっ⁉︎」

 

 一時間後、本を読んで退屈凌ぎをしていた俺の真横から、急に大声と共に身体を起こす蘭子が目に入った。

 辺りをキョロキョロと見回した後、蘭子は俺を見る。

 

「なんか……桃源郷にいた気がするのだが……夢……?」

「夢でも、何でも良いわ。人の胸で散々、弄びやがって……」

「えっ? ……あっ」

 

 あ、思い出した。顔を真っ赤にした蘭子は、机の上で顔を隠すように丸くなってしまう。

 

「あうう〜……! こ、コウくんの前で暴走しちゃうなんてぇ〜……!」

「いや、別に気にしなくて良いから。俺ももう気にしてないし」

「気にするよ!」

 

 あー……まぁ、そういうのはやっちまった側も気になるよな。練習中、たまに胴や小手を外して、外された側は「気にするな」と言ってくれるし、俺も外された時は言うけど、外しちまった時はそうもいかないものだ。

 でも、こっちは気にするなと言ってやるしかない。だって、これがきっかけで仲違いなんてしたくないから。

 

「ホント、気にしなくて良いよ。俺は何とも思ってないから」

「……それはそれで困るんだけど……」

「え?」

「ううん。……ほんとに気にしてない?」

「してない」

「……え、えっちな子だと……思ってない?」

「それは少し前から思ってた」

「むーっ、むーっ!」

「じ、冗談! 冗談です!」

 

 や、だってたまに俺の身体すごい目で見て来るんだもん! 気にしてないとはいえ、印象は残るってば! 

 

「そ、それよりほら、飯行かん? 腹減ったよ俺」

「う、うう〜……恥ずか死ぬ……」

「……」

 

 ……うーん、これはしばらくそっとしておいた方が良いかな……ていうか、そもそもなんであんなことになったんだっけ? 

 確か……なんか、胸から始まって……柔らかいだとか、硬いだとか……あ、そうだ。俺が大胸筋と胸の脂肪、両方育ったらどっちが勝るのか知りたくて……それで、鍛えて触らせてって……。

 

「……」

 

 言ってることえっちだったのは俺の方だろうがああああああああッッ‼︎

 それとほぼ同時に、蘭子もハッとして顔を上げる。何か思いついたようだ。このタイミングで蘭子が思いつくことなんてロクなことではないのは目に見えているが。

 やがて、すぐに俺の横に来て、蘭子は俺の耳元に口を寄せる。

 

「っ、な、何……⁉︎」

「い、いずれ……鍛えた、私の胸も触らせると約束しよう……」

「……え」

「それで、チャラだからな……!」

「いや一体何のチャラ……⁉︎」

「毎回毎回、私だけ恥ずかしい思いをさせられてたまるかー!」

「だから何の話だよ⁉︎」

 

 なんか、とんでもない約束を結ばされた。

 

 



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どっちもどっち。

 思春期、それは中学生に訪れる厄介な時期。子供が大人になる季節であり、大人の言うことを聞くのはなんかムカつく、子供はダメで大人は良いものに興味が出る、自身とは異なる性の身体に興味が出る、など様々な変化が、外見と共に現れる……らしい。

 俺にはまだよく分からない時期だが、それに片足を突っ込んでいる少女と、俺は友達になっている。……いや、片足どころじゃないな。両足も超えて全身浸かってダイビングしているまである。

 名前は神崎蘭子。銀髪のポニーテールに、赤い瞳、白い肌……そして、魔王ごっこをするのが好きな中学二年生だ。

 まだ思春期なのか分かっていない俺でも「可愛い」と思うし、他の子と比べて発育が良いとも感じる少女だ。今年から友達になってくれている優しい子でもある。

 ……さて、そんな蘭子から、俺はとんでもない誘いを受けた。

 

『い、いずれ……鍛えた、私の胸も触らせると約束しよう……』

 

 ……いやいやいやいや、大胸筋の話とは言え、おっぱい触るなんて小学生でも「エロい」と茶化し合うレベルの事だなんだけど……⁉︎

 どうすりゃ良いのか分からない。でも……なんだろ、触りたくないわけではない、と頭の奥底で囁いてる。多分、俺の悪い子な面が。

 いやいやいやいや、悪い子な面って分かってんなら、悩む事ないだろ! そうだ、断ろう。

 この感覚はおそらく、剣道の鍔迫り合いの際、相手を中々、崩せないのなら、踵で相手の急所である「太衝」を思いっきり踏み抜き、引き技をぶちかませば良い、というクソ外道作戦を思いついた時に近い感覚。

 ならば、何も悩むことは無い。断れば良い。そう決めて登校していると、ぽつりと肩に冷たい感覚。空を見上げると、雨が降り始めていた。

 

「うわ……」

 

 折り畳み持ってて良かった……と、ホッと胸を撫で下ろし、鞄から出した黒いシンプルな傘を広げる。

 雨かぁ……てことは、今日の体育は女子と一緒に体育館かな? 嫌なんだよなぁ、なんか活躍とかすると「あいつ女子の前だからってカッコつけてる」とか言われそうで。まぁ言われてもボコボコにするだけだから大した問題じゃないけど、やはりストレスは溜まる。

 そんな事よりも、今日の勝負は昼休み。また空き教室で、蘭子と二人きり。その時に「おっぱい触るのいいです」と言わなければ。……いや言い方少し考えるか。なんだよ、おっぱい触るのいいです、って。

 まぁ、昼休みまでに考えれば良いか。そう思いながら歩いていると、校門前に差し掛かった所で、俺の傘にぬるりと飛び込んでくる銀髪が目に入った。

 

「煩わしい太陽ね、コウくん!」

「っ、ら、蘭子⁉︎」

 

 ちょっ、不意打ち……! てか、近っ……! 

 

「学び舎への道中、イシスの涙に襲われた……。まったく、呪われし我が対空防壁を城に置き去りにした隙を狙うとは……しかし、それ故に神々が我を恐れているという証拠にもなり得る」

「そ、そうね」

 

 生返事になってしまった……てか、ヤバい。蘭子の、胸……ブラウスが透けて……! なんか、こう……黒いブラの下にある肌色の谷間が見えて……。

 見るな……見るな見るな見るなっつーのに……目が、引き寄せられっ……こうなったら……! 

 

「死ねェクソゲス!」

「いきなりどうしたの⁉︎」

 

 自分の顎にアッパーを叩き込んだ。勿論、手加減抜きで。ゴキリと中々、脳に響く音が響いたが、おかげで煩悩は弾け飛んだ。俺はなんて最低な男になる所だったんだ……。

 自分の肌が出てしまっている事に気付いていない事を良い事に、女の子の胸を見ようとするなんて……。

 だが、もう大丈夫。むしろ俺が見えるという事は他人に見えるという事。そんな恥、絶対にかかせてたまるか。

 鞄からジャージを取り出すと、俺は蘭子の肩にかけてやる。

 

「? コウくん? この羽衣は……」

「い、いや……風邪引くとまずいかなーって……」

 

 さりげなくそう言いながら目を逸らす。わざわざ本当のことを言って辱めてやる事もない。

 

「ありがとう……」

「つっても、もう校門だけどね」

 

 あんま意味ないかも……なんて思っていると、蘭子は俺の方へ身を寄せた。濡れないようにかな? と、思った直後、真横から覗き込めるように角度調整しつつ、ジャージの襟を少しだけ捲った。

 

「……もう、見なくても良いの?」

「っ……!」

 

 っ、ちょっ……そ、それは反則……⁉︎

 せっかく祓った煩悩が再び降りて来て死にたくなったが、ちょうど昇降口まで来たのでそのままお別れになって助けられた。

 

 ×××

 

 うちの中学では、体育をやる時は二時間丸々、ぶっ通しでやる。だから、間のインターバルになる休み時間がズレることもあるわけだ。

 俺のクラスの体育は、隣のクラスと一緒に3〜4時間目。見事に晴れて、水泳である。9月の前半では水泳で、後半……つまり涼しくなってくる頃から普通にスポーツをやる。

 7月のプールの授業では、怪我のおかげで丸々、参加できなかった俺にとってはようやくのプール開き。まぁ夏休みに行ったが。

 とにかく、この短い時間で先生に「俺ちゃんと泳げるよ」という事をアピールしないといけない。

 身体を軽く伸ばしながら、自由に泳ぐ時間になった。

 

「ねぇ……あの人」

「ね。なんかすごいね、筋肉……」

「あんなのいたっけ、うちの中学に……?」

「怪我してた人じゃない? ほら、剣道で関東出たっていう……」

 

 そんなヒソヒソした声が、女子から聞こえてくる。蘭子は見たことあるが、他の女子にとっては初めて見るからだろう。

 いや、正直嬉しいわ。やっぱ、鍛えた筋肉は褒められないとなぁ……なるべくなら、男子からも憧れの視線を感じたい所だが……。

 と、思って後ろをチラ見すると、その男子達の視線は女子の方へ向いていた。その先にいるのは、神崎蘭子。

 

「神崎……相変わらずのプロポーション……」

「エロ過ぎ……」

「揉みたい……」

 

 ……変態どもが。お前ら殺すぞホント。

 まぁ、同じプールサイドにいる以上、向こうを見るのは仕方ないのかもしんないけど……ガン見すんなよ。気持ち悪い。

 ……とはいえ、俺も少し気にはなるんだけど……でも、今朝に一瞬、覚悟を揺るがされたが、俺は言わなきゃいけないことがあるのだ。ここでガン見していては、説得力が無くなる。

 そう思い、授業に集中した。

 一応、泳ぎは全種類できるので、しばらく黙々と遠泳。こうして身体を動かすだけで、少しずつ心は浄化される。普通に気持ちが良いよね、運動って。

 少し疲れたので、プールから上がってトイレに向かう。学校のプールってくそ冷たいから、ちょいちょい上がらんと体がもたない。

 

「ふぅ……」

 

 この濡れた海パンからアレを出して用を足すのは地味に難易度が高くて困る。

 それでも強引に捻り出し、用事を済ませると、戻して手洗いをする。

 トイレから出ると、ちょうど女子トイレに向かおうとしている蘭子と鉢合わせしてしまった。

 

「ーっ!」

「闇に飲まれよ」

「お、おう……」

 

 っ、やべっ、さっき男子達の話が耳に入ったからか? 一瞬、視線が胸に……! 

 蘭子は何を思ったか、ニヤリと唇を歪ませる。そして、まるで胸を強調するかのように前屈みになり、俺の顔を下から覗き込む。

 その意地悪そうな笑みが、本当は少し恥ずかしくて、耳と頬をほんのり赤くなっている顔色が、とても可愛らしくて、俺の胸の奥がズキっと痛む。

 

「憩いの刻限に、また我らが隠れ家において落ち合うだろう?」

「あ、ああ。うん」

「なら、本日より早速、我が大胸筋増量計画を始める。よろしく頼むぞ?」

「……っ」

 

 言いながら、前屈みになっていたのを少しずつ姿勢を戻し、両腕を組んで胸を持ち上げるようにアピールしてくる蘭子。

 な、なんなんだよこいつ……なんで、決心してる俺にそこまで胸をアピールしてくんだ、こいつは……もしかして、わざとじゃないのか? だとしたら余計にタチが悪いかも……。

 

「わ、分かった……」

「それと、さっきのバタフライ、とてもカッコ良かった。流石、我が剣だ」

 

 それだけ言って俺の頭を撫でた後、蘭子はトイレに入って行った。その後、俺はほとんど放心状態で、泳ぎに参加はしなかった。

 

 ×××

 

 ムンムンする……なんか、とにかく頭が熱くておかしくなりそうだった。夏あけたばかりだからとか、そんなんじゃない。

 蘭子だ。なんかもう、あいつのことが何もかも頭から離れない。離そうとして、実際離れたと思ったら本人が現れるもんだからマジで困ってる。

 

「はぁ……なんなんだろう、この感じ……」

「何が?」

「っ⁉︎」

 

 耳元に息がかかるくらいの近距離から声を掛けられて、少しゾクッとしながら慌てて振り返ると、後ろには蘭子が立っていた。

 座っている俺の耳に顔が来る高さに合わせて、前屈みになっていたのを正して、声を掛けてくる。

 

「早かったな」

「い、いや……まぁ、女子と比べるとね」

「ふっふっふっ、コウくんもようやく我らが戦乙女の内情を理解し始めたか。戦の前、或いは後であっても、我らは時間が掛かるのだ」

 

 ……あれ、なんか少しいつものアホアホ蘭子ちゃんに戻って来たな。でも、その方が俺は好きだしホッとできる。

 が、それが仇となった。ホッとした時点で話したいことに移れば良かったのに、先手を打たれてしまうきっかけとなった。

 

「さぁ、では……早速、肉体改造へと移ろう!」

「え……あ、あー……」

 

 っ、いや、まだ大丈夫だ。俺も男だし、ここでハッキリ言わないと。鍛え終えてから「いややっぱ胸触るのは良いや」なんて言ったら、努力を水の泡にしてしまう事になる。

 

「なぁ、蘭子。その前に良いか?」

「む?」

「前に約束した……そ、その……む、大胸筋を触るとか、触らないとかの約束……だけど……」

「む、ひょっとして……今、触りたくなったのか? ふふ、少しずつ我が身体にも興味が湧いて来たようだな。天然記念物」

「……」

 

 言いながら、蘭子はニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべて、再び前屈みになる。第二ボタンまで空いたブラウスの隙間から、少しだけ黒い下着がチラつく。

 こいつはホント人が真剣に悩んで答えを出したってのに、茶化してきやがって……。

 照れつつも、少しイラっとしてしまい、つい毒舌が漏れてしまった。

 

「何お前、もしかして俺に胸を触って欲しいのか?」

「……はえ?」

 

 直球で、まるで恥をかかすかのように言ってしまった。おかげで、意地悪そうな小悪魔的笑みを浮かべていた蘭子は、一気に真っ赤な顔に染まる。

 

「なっ……なっ……何それー! どういう意味ー⁉︎」

「そのまんまの意味だっつーの。このど変態」

「どへんっ……そ、そんなのあなたに言われたくない!」

「ああ⁉︎」

 

 どういう意味だコラ! 

 

「そもそも胸触らせてって言い出したのはそっちでしょ⁉︎ 硬さと柔さがどうとか知らないけどさ、どうせ本当は女の子の胸が触りたかっただけのクセに! この筋トレオタク!」

「んなっ……おまっ、そんな風に思ってたのか⁉︎ その筋肉を性的な目で見てる奴に変態とか言われたかねーよ!」

「あなただって私の胸、性的な目で見てる癖に!」

「それで胸をやたらとアピールしてくるどすけべのが変態的だわ!」

「筋肉を見せつけたがってる時点で同じ穴の狢だよ!」

「遺伝で大きくなっただけの奴と、鍛えようとして鍛えた奴の見せたがりは別モンだろ!」

「い、遺伝だけじゃないもん! 私だって飛鳥ちゃんにたまに揉んでもらったり、みくちゃんに大きくする方法とか聞いたり……」

「え?」

「あっ……」

 

 言わなくて良いカミングアウトにより、さらに蘭子は顔が真っ赤に染まる。怒りと羞恥で爆発した蘭子は、とうとう大声で叫んだ。

 

「もういい! 大っ嫌いッ‼︎」

「うるせー! こっちのセリフだバーカ!」

 

 それだけ叫び、俺と蘭子は空き教室から飛び出した。

 

 



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傷ついた悪姫の罪〜断罪の章〜

 今日は仕事がない蘭子は、部活終了時間まで教室で時間を潰していた。

 やってしまった、と少し反省している。今にして思えば、確かにこの前から自分は変態的過ぎたかもしれない。彼が怒るのも頷ける。

 ホント、つい暴走してしまったかもしれない。からかうのも大概にしないと、彼自身は決してマゾではないのだ。

 まぁでもアホの子だし、今頃にはもう忘れている可能性だってある。だから、ここで謝ればなんとかなるはず……そう思っていると、部活が終わる時間に近づいてきた。

 それに伴い、蘭子は教室を出て、靴を履いて武道場の前まで歩く。しばらく待っていると、剣道部が終わったのか、続々とジャージ姿の学生が降りてきた。

 

「……あっ」

 

 コウの姿が見えるなり、パァッと表情を明るくする蘭子。やっと来てくれた、と言わんばかりに駆け寄ろうとするが、その隣には見知らぬ女がついていて、足を止めてしまう。

 

「なるほど……つまり、長く構えていた方が良いと?」

「そう。将棋でも何でも、隙がない姿勢ってのは最初の布陣、あるいは構えだから。その構えを崩すってのは、自分から隙を作るようなもんなんだよ。相手が攻撃する瞬間は、必ず隙が出来る。そこを捉えれば良いだけの話」

「なんか……カッコイイですね!」

「え、そ、そう?」

 

 ……アドバイスだろうか? にしては、少し親密に見えるが。何度か見たことある女だが、後輩の子だろう。コウは同期や先輩には嫌われているが、後輩にはその圧倒的な強さから慕われているらしいから。

 そして、あの子とはいつも武道場の前でお別れするのも知っていた。だから、待っていれば一緒にいられる。そう思った時だ。

 

「……」

「……」

 

 目が合った。少し気まずいながらも会釈で挨拶をした時だ。

 

「ふんっ……そうだ。今日は途中まで送って行くよ。お前の弱点、もうちょい教えてやる」

「え、良いんですか⁉︎」

「ふえっ……?」

 

 ふんっ、と鼻を鳴らしながらそっぽを向かれたと思ったら、そのまま歩いて行ってしまった。

 しばらく、蘭子は呆然とするしかなかった。

 

 ×××

 

「ゔっ、ゔっ……ゔあああああああああ‼︎」

 

 その声量は、みくや飛鳥が思わず耳を塞いでしまう程の音響兵器だった。その号泣からは、魔王の矜持など微塵も感じることは出来ない程の泣き顔で、もはや中学2年生とも思えなかった。

 

「ら、蘭子チャン……落ち着くにゃ。可愛い顔が台無しだよ?」

「まったく……少し目を離すとこれだよ……」

「ゔあああああああんっ! ああああああああ!」

 

 何があったのか、まだ聞かせてもらえていない。だから、アナスタシアや響子は未だ、部屋の入り口で心配そうに中を覗き込んでいる。

 

「とにかく、泣き止んで。どうせコウクン関係だろうけど、話を聞かせてもらわないと何もわからないにゃ」

「そうだよ、蘭子。蘭子は魔王だろう? 涙なんて、相応しくないよ」

「うぐっ……ぐじゅっ、ずるるっ……」

 

 仮にも14歳のJCが、鼻水を啜っていた。その鼻水を啜りたい、なんていう飛鳥の邪心はともかく、二人は慌ててそのまま蘭子の背中をさすって落ち着かせる。

 ようやく少し落ち着きを取り戻した蘭子は、まだ目尻に涙を浮かべたまま、ようやく人の言葉を話し始めた。

 

「……カした」

「え?」

「……コウくんと、ケンカした……」

 

 それを聞いて、二人は顔を見合わせる。

 

「喧嘩って……なんで?」

「うっ……い、言わなきゃダメ……?」

「じゃないと、ボクらは何も言えないよ。助けることも出来ない」

「……」

 

 喧嘩を解決するには、原因を絶たないといけない。意地の張り合いにまでなってしまうと、むしろ原因などはどうでも良くなってしまうが、まだその段階にまで行っていないのなら、根本的な解決は可能だ。

 

「……嫌いに、ならない?」

「みく達が、蘭子ちゃんを?」

「なるわけがないだろう」

 

 言うか言うまいか、蘭子は少し躊躇った後、このまま彼と絶縁するよりは、今、恥を偲んだ方が良い、と判断し、ポツリと呟くように言った。

 

「実は……コウくんに、おっぱいを触らせる約束を、して……」

「「うん……うん?」」

 

 ちょっと何を言ってるのか分からなかったが、蘭子は続ける。

 

「それで……少し、暴走しちゃって……コウくんを胸関係でからかうのが、楽しくて……それで……やり過ぎちゃって……」

「待て待て待て待って。おっぱい触らせるって何?」

「そ、それは……その……」

「話しなさい。蘭子チャン」

 

 いつのまにか怒られるムードになっていて、とりあえず「相談する」というより「白状する」という感じで話し始めた。

 案の定、みくも飛鳥も「うーわ……」と口に出して、ドン引きした顔で蘭子を眺める。

 

「……何してるの、アナタ達……」

「爛れているな、蘭子の中学は……胸を触り合うなんて……」

「筋肉がどうとかじゃないよそれ……普通に二人ともヘンタイだよ……」

「意識し過ぎてもしなさ過ぎてもダメになる、という事だね……」

「うぐぐぅっ……」

 

 ボロクソに言われ、蘭子はさらに顔が赤くなる。あの時の自分はどうかしていた、という自覚はあった。

 

「ていうか、アイドル的にも見逃せないにゃ。付き合ってもいない男の子に胸を触らせようとするなんて……後でしっかりとお説教だからね」

「うっ……ご、ごめんなさい……」

「まぁまぁ、みく。とりあえず今は、このまるでダメな女子中学生をなんとかしてあげよう」

「分かってるにゃ」

 

 といっても、喧嘩の仲直りには「ごめんなさい」しかないわけだが。

 

「でも、今回の件、仲直りした後も大変だよ、蘭子チャン」

「? どうして……?」

「だって、蘭子ちゃんがコウクンを怒らせたの、どうしてもからかいたくなっちゃって、我慢できずにやり過ぎちゃったから、でしょ?」

「う、うん……」

「つまり、仲直りした後、同じ事をやらかしたら、今度こそ本当に終わりだよ?」

「……」

 

 それを聞いて、少し怖くなってしまう。正直、抑えられるか分からない。ついうっかり、からかうつもりがなく胸が当たったとかでも嫌われたら終わりだ。

 

「……ど、どうしよう……ほんの少し……いや、わざとじゃなかったとしても、ダメなのかな……?」

「正直、そこは本人に聞かないと何ともかなぁ……」

「ボクの方から、少し話を聞いておこう。みくが行ったら、彼はまた緊張してしまいそうだからね」

「? どうして?」

「蘭子とみくにあって、ボクにない武器を割り出した結果さ。とにかく、ボクに任せてくれ」

 

 何となくみくは理解してしまった。……が、蘭子はわかっていない。純真な眼差しでキョトンと小首を傾げる。

 

「武器って? エクステ?」

「……蘭子、ボクとも喧嘩したいのかな?」

「どうして⁉︎」

「蘭子チャン、そもそもコウクンと喧嘩した、大雑把な意味合いでの原因は何?」

「え? ……あっ」

 

 蘭子も察したようで、一瞬だけ飛鳥の胸に視線が行き、その後に続いてみくの胸元に視線がいく。……そして、もう一度だけ飛鳥の胸を見下ろし、顔を上げた。

 

「じ、じゃあ……その、お願いします……」

「うん。任された。……大丈夫、なんとかするよ。せっかくの、蘭子の想い人だからね」

「……っ」

 

 そんな風に改めて言われると、少し恥ずかしくなってしまった。顔を真っ赤にしたまま、蘭子はそのまま続いたみくのお説教を受けた。

 

 ×××

 

 翌日、飛鳥は早速、コウとマックにやって来た。蘭子の事で話がある、と直球で伝えた。そうすれば、コウなら敵前逃亡は格好悪い、と思うと踏んでのことだ。

 案の定、二つ返事でオーケーが来て、今に至る。

 

「で、なんの用? あいつの事で話すことなんかないんだけど」

「嘘はやめて欲しいな。時間の無駄だ。聞きたいことはあるんだろう?」

「……」

「とはいえ、呼び出したのはボクの方だ。先にこちらの要件から話そう。……蘭子と、仲直りして欲しい」

 

 それを言われ、コウは目を逸らす。

 

「……なんで」

「蘭子が泣いていたからさ。ボクにとって一番、気が合う友達である彼女が傷ついているのを見るのは忍び無い」

「ふーん……泣いてたんだ……」

 

 あ、少しショック受けてる、と飛鳥はコウを見て思う。やはり、かなり分かりやすい子だ。

 

「そんなの知らんわ。どっちかって言うと虐められたのは俺の方なのに」

「大体の話は蘭子から聞いたよ。蘭子に、セクハラをされて喧嘩になったってね。……意外だな。からかわれるのがそんなに嫌だったのかい?」

「別に、からかわれるのが嫌だったとかじゃねーし」

「じゃあ何?」

「……しつこかったのが嫌だ」

 

 それを聞いて、飛鳥は顎に手を当てる。それは裏を返せば、少しくらいなら気にはならない、という事だろう。

 ……とはいえ、蘭子の事だ。調子に乗ると制御出来なくなることもあるのだろう。

 少し話しただけで収穫はあった。もう少し話を聞いてから帰ろう、と思った飛鳥に、コウは続けて言った。

 

「……それに、俺も蘭子に筋肉見せるだなんだって焚きつけちゃってたみたいだから……そういう自分も、嫌だ……」

「……」

「まぁでも……もう終わりだよ。最後、大っ嫌いって言われちゃったし」

 

 自重気味にそう呟きながら、コウは飲み物を啜った。

 

「……でも、仲直りはしたいんだろう?」

「別に。蘭子が今後もああいう嫌がらせを何度もしてくるのなら、俺は別に……」

「しなかったら?」

「……そりゃ、それならまぁ……」

 

 ぽりぽりと頬をかきながらそっぽを向く。変な所で素直じゃない男だ。思わず、飛鳥も「くすっ」と笑みを溢してしまう。

 

「……なら、何も問題はないな。近いうちに、蘭子と話をする機会を設けて欲しい」

「問題はあるでしょ。あの様子じゃ、蘭子はどうせまだ怒ってるでしょ。昨日だって、わざわざ俺に文句を言うために武道館の前で待ってたし」

「……会って話をすれば分かるさ。気まずいかもしれないし、正直今は少し嫌いなのかもしれない。でも、会って話をすれば、きっと『あの時話せて良かった』と後々、思えるよ」

「……」

 

 コウは何も答えない。素直になりきれないのか、そっぽを向いたままだ。まぁ、後は本人次第だろう、と飛鳥は思うと、ブラックコーヒーを我慢して飲みながら続けた。

 

「もし、蘭子に伝えて欲しい言葉があったら伝えよう。結局、ボクに出来ることがあるのはそれだけだからね」

「……じゃあ、一つだけ」

「? なんだい?」

 

 それを伝えると、飛鳥は一瞬、頬を赤らめた後、すぐにクスッと微笑みながら、唇を綻ばせる。そういう事を恥ずかしげもなく言ってしまうことが、一番蘭子を困らせている原因だろうに。

 何か言い返してやろうと思い、まるでボソッと呟くようにぼやいた。

 

「……君は、本当に男の子だね」

 

 この女泣かせは、死ぬまで治らないのだろう。そう強く思いながら。

 

 



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傷ついた悪姫の罪〜結束の章〜

 さて、早速翌日、蘭子は謝るためにコウに時間を作ってもらうことにした。昨日、コウから話を聞いてきてくれた飛鳥から得た情報だと、やはり自分と仲直りしたいとは思ってくれているらしい。

 それならば、話は早い。仲直りすれば良いのだ。もちろん、自分から声をかけて。昨晩、L○NEしたが返事どころか既読もなかったので、約束させてもらえていないが、それならば直接、会って頼み込むしかない。

 気合を入れて、朝からコウの登校する際の道で待ち伏せしていた。

 そんな中、予想通りコウが現れた。目が合うなり、すぐに「つーん」と口で言いそうな表情でサクサク歩いて行く。

 彼にそんな態度をとられると、やはり少し蘭子は胸の奥が痛む。しかし、自分はそんな態度を取られるほどのことをしてしまったのだ。それを解消したければ、やはり自分から何か声を掛けるしかない。

 

「あ、あの……コウくん!」

 

 声を掛けると、足を止めてくれた。でも、振り向いてくれない。彼自身、割といじっぱりな所があるので色々と悩んでいるのだろう。

 ここばっかりは、蘭子は彼の反応を待つ事にした。あまり強引に行く事は何と無く憚られた。

 20秒ほど待たされた結果、コウは振り返ってくれた。話を聞いてくれるのかな? と思ったのも束の間、何をし出すのかと思った直後「あっかんべー」と言わんばかりに舌を出した後、ツカツカと歩き始めてしまった。

 

「ーっ……!」

 

 何その仕草……本当に中学生……? 可愛い……なんて思っても感慨深く思っている場合ではないわけで、ましてや口に出す事は許されない。

 慌てて、後を追い、手首を掴んでしまった。

 

「っ、ま、待って……!」

「……なんだよ」

「あ、あの……わ、我に謝罪をする機会を設けて欲しくて……!」

「今は無理」

「えっ……う、うぐぐっ……」

 

 掴んだ手首を振り解かれる。本当に話も聞いてくれない。……いや、それのも何か別の事があるのだろうか? 

 こうなったら、一方的に約束するしかない。彼はなんだかんだ優しい人だ。そうすれば来てくれるかもしれない。

 

「……我は、一時の休息時、例の場所にて待つ」

「……」

「…………待ってるから、ね……」

 

 それだけ言うと、別々に登校した。来なかったら、また部活が終わるまで待とうかな、とか色々と悩みながら、とりあえず歩いて行った。

 

 ×××

 

 さて、問題の昼休み。蘭子は早めに、待ち合わせ場所に向かった。ここで、しばらく待機しつつ、気持ちを落ち着かせる。

 大丈夫、言うべき言葉は大体、考えた。自分の素直な気持ちをそのまま伝えれば、それで良いのだ。テンパらないよう、言葉はまとめたし、後は彼が来てくれることを願うのみ……。

 

「……何してんの?」

「ピャー!」

 

 黙って俯いていたら、いつのまにかコウが入って来ていた。その瞳は、完全にジト目で自分を見ている。少し可愛いとか思っても口にしなかった。

 

「い、いいいっ……いつからそこに⁉︎」

「今」

「っ、き、来てたなら真言をかけよ⁉︎」

「だから声かけたんじゃん」

 

 実に、冷静に言い返しながら、コウは椅子に座った。

 

「で、なんの用?」

「っ、え、えっと……」

「用がないなら、俺からで良い?」

「はえ?」

 

 そっちも用あるの? と思ったのは言うまでもないが、気にせずにコウは少し頬を赤らめたままきいてきた。

 

「まず……今朝はごめん。朝練の時間、ギリギリだったから、少し冷たい言い方になった」

「え……う、うん?」

 

 しかも、そっちが謝るのか、と感心してしまう。というか、そんな事情だったのか、とも。……まぁ、コウが剣道のことで遅刻しかけている、という時点で彼なりに悩んでいたことが伺えたが。

 そんな中、ふと気が付けば、コウは不機嫌そうなのに頬を赤らめている、というよく分からない表情になっていた。

 どういう情緒? なんて怪訝に思っている間に、何故か言い訳臭そうな口調でコウは続けて言った。

 

「少し、悩んだけど……でも、なんだ。俺、蘭子と一緒にいないとつまらない。だから……い、今、謝れば許してやる!」

「…………はい?」

 

 ……なんでそんな上から目線? なんて事は聞くまでもない。要するに、彼にも後ろめたい気持ちがあるが、やはり基本は蘭子が悪いため素直に仲直り出来ないのだろう。

 一言で言えば……やはり、本当に中学二年生とは思えない程、子供である。こんな、意地っ張りで頑固でバカな子が、試合の時になるとあれだけの気迫を持ってして戦い、基本的には素直で優しい。……本当にこんな子いるのかと思ってしまう程だ。

 それ故に、そんなこれまたアニメのキャラみたいな事を言われ、思わず蘭子は呟いてしまった。

 

「……好き」

「え?」

「ーっ!」

 

 反応されてから、自身の失言に気が付いた。ハッとして口を手で覆ってしまう。

 

「っ、や、い、今のは無し……!」

「俺も蘭子のこと好きだよ」

「ーっ……そ、そういうとこ!」

「え?」

「こ、コウくんもいい加減、直してよ! そういう、平気でそういうこと言うの!」

 

 この際だ。不満をぶちまけることにした。そもそも、今回の件は九割九分九厘蘭子が悪いが、少なくともコウにだって問題はある。この歳で未だに男女の差に何一つ興味を沸かせないのはおかしい。

 それが間違っている、とかではない。差別するより全然、良いし、素直な事も悪いことじゃない。

 けど、大人になるということはデリカシーを覚えるということでもある。それがいつまでも育たないと、いずれ「純真だね」ではなく「無神経だね」と言われるようになってしまうのだ。

 

「あんまり、その……己が感情を簡単に口にするようであれば、試合に強くとも実戦に弱い侍となる! 貴様がそのままでも、貴様と同世代の者達は少しずつ変わっている。故に、コウくんも進化する必要が出てくるのだ!」

「うーん……まぁ、そうかな……?」

「今の、愛の告白と思われても仕方ないんだからね!」

「愛の、告白って……」

 

 そんな大袈裟な……と思っているのだろう。が、少し考え込むように顎に手を当てる。ポク、ポク、ポク、チーン……という擬音がピッタリな時が過ぎ去った後、唐突にコウの顔が真っ赤に染まった。

 少しは理解してくれたようで何よりだ。ならば、話は早い。

 

「そうなるだろう? 他人の目もあるし、いまだ恋人が理解できていないのなら、やたらめったらと女性に……」

「俺は、良いけど……」

「? 何が?」

「だから……蘭子が、恋人でも」

「…………はいっ⁉︎」

 

 今度は蘭子がボフンっと煙をあげる番だった。それは一体、どういう意味で言っているのか? いや、それは分かる。分かるが……逆にそれを聞きたかった。

 

「えっ……こ、恋人って……いっ、いいいっ……意味、分かって……⁉︎」

「え、いや……正直、よく分かんないけど……」

「だからそういうの……!」

「でも……1人につき1人しか選べない、大事な人のこと、でしょ……? 俺は、蘭子が良い」

「ーっ……!」

 

 それだけ分かっていれば、むしろ十分なのかもしれない。しかし、それ故に蘭子のテンパり具合はさらに加速した。

 なんかもう恥ずかしいやら嬉しいやらで頭の中が高速で真っ赤に染まっていく。……が、相手はやはり情緒がやたらと安定し過ぎて思春期も微妙な男の子だ。

 それらが複合され、思わず蘭子は目をぐるぐる回しながらコウの胸ぐらを掴んでしまった。

 

「っ、ちょっ、ら、蘭子⁉︎」

「っ、つっ、つつつっ……つまり、コウくんは私と恋人になりたいと⁉︎」

「あっ、あ、いやそういうことになるけど……ていうか、ちょっと苦しい……」

「恋人ってことはつまり、一緒にデートとかして、キスとかもしちゃったりして⁉︎」

「おぶっ……っ、ら、蘭子落ち着いて! ガクガク揺らすのは……!」

「毎朝、お味噌汁を何⁉︎ 月が綺麗だって⁉︎」

「っ、ら、らめっ……脳が揺れる……! 先輩の元打ちを連発で喰らった感覚……!」

 

 気が付けば、ほぼ失神しかけていた。ハッとした蘭子は、思わず手を離してしまう。

 頭がクラクラしてしまったコウは、そのまま机の上に倒れ込んでしまった。

 

「っ、す、すまない! 大丈夫……⁉︎」

「……頭が重い……」

「し、しっかりしてー!」

 

 頬をパチパチと叩いて、なんとか意識を取り戻させる。

 ようやく吐き気を乗り越えて息を吹き返したコウを、改めて蘭子を見る。

 

「……で、なんの話だったっけ?」

「一世一代の告白を忘れるなー!」

「あ、そっか。……でも、蘭子が俺と友達のままでいたかったら、それでも良いよ。俺は、とにかく蘭子と仲良く出来れば何でも良いから」

「ーっ……」

 

 やはり、微妙に分かっていない気がする。……というか、まだ蘭子は謝れていないのに、いつの間にこんな話になってしまったのか。

 

「……それに、蘭子……二宮さんから、聞いたんでしょ?」

「? 何を?」

「その……昨日の、俺の伝言……」

「???」

 

 何の話だろうか? 確かに昨日は「彼も仲直りしたいとは思っている」という話だけだ。もちろん、その前提には「蘭子が変な揶揄い方をしない」というものがあるが。

 そんな中、通じていない事に気がついたコウが少し苛立ったのか、頬を赤らめたまま言った。

 

「だっ……だから『別に蘭子の胸を触りたくなかったわけじゃない』って事!」

「はうっ⁉︎」

「聞いたんでしょ!」

「き、聞いてないよ!」

「はぁ⁉︎」

 

 そんな話してたの⁉︎ と、蘭子まで顔が赤くなる。

 

「っ、あ、あのやろっ……い、言ってないのかよ……!」

「ていうか、触りたかったの⁉︎」

「そんな積極性はないから! た、ただ……蘭子が触って欲しいとか、思うなら……触っても良いかな、と思った……だけで……」

「ーっ!」

 

 改めてそのセリフを聞くと恥ずかしくなる。舞い上がっていた時の自分は、本当にお触りOKな風俗店の風俗嬢みたいなことを言っていた。

 ……それと同時に、蘭子は少しホッとすることもあった。彼も、少しずつ男の子になりつつあるという事に。

 胸を隠すように両手で抱きながら、真っ赤なままの蘭子は俯く。……そうだ、その話に入る前に、まず言わないといけないことがある。

 それを思い出し、ポツリポツリと呟くように言った。

 

「あ、あの……付き合う、付き合わないとか……胸を触るとか、触らないとか……その前に、言いたいことがあるんだけど……」

「? 何?」

「……その、私にも……謝らせて欲しくて……この前は、変にからかってごめんって……」

「あ、ああ……うん。それはもういいよ」

「ダメ。それちゃんと許してくれないと、その先に行っちゃいけない気がするから……」

「……じゃあ、もうしないでね」

「うん」

 

 ……決心していたのに、なんか流れで許してもらった気がした。

 でもそれは仕方ない。何せ、それより遥かに重要な話を聞いてしまったから。

 

「で……さっきの、返事だけど……」

「う、うん?」

「……よ、よろしくお願いします……」

「! つ、付き合って、くれるの……? 俺、まだよく分かってないんだけど……」

「……うん。大丈夫……そういうのは、二人で見つけていけば良いと、思うから……」

 

 言いながら、蘭子は胸を隠すように覆っていた手をほどき、机の上に置く。

 それに合わせて、コウも手を机の上に置き、スススッと近づけ、蘭子の両手を自分の両手で包み込んだ。

 やけに、その手は暖い。それでいて、何故か気持ちよかった。そのまま、二人は見つめ合う。何となく、蘭子はこのままキスする場面かな? と思った。というか、キスしたいと思ってしまった。

 蘭子にとっても初恋であり、初めての恋人。こういう心地になるんだ……と、胸を高鳴らせつつも、控えめに目を閉じて、唇を尖らせた。

 せっかくのファーストキス。ならば、男の子の方からしてもらいたい。

 そう思い、ドキドキしたまま待った。彼にも経験はないだろうし、ここは気長に待つしかない……と、思った時だった。

 

「何してんの? 蛭の頭蓋骨を飛ばすウボォーギンの真似?」

「だからそういうとこ!」

「ええっ⁉︎」

 

 ついでに、色々と彼のそういう所を矯正する必要がある。

 強く決心をすると、とりあえず悪姫は侍との交際を始めた。

 

 



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恋人はただの肩書きではない。

 なんか……彼女できたなー、と少し感慨深くなった。彼女というのはよく分からないけど、でもとにかく蘭子のことを大事にしてやれば良いのだろう。

 大事にっていうのは……まぁ、なんだろ。仲良くすれば良いのかな? デートとか行ったり、プレゼントとかあげたりかな。

 何にしても、たくさん蘭子を喜ばしてあげられれば良い。とりあえず……今週の土日のどちらか空いてるかなあいつ……。

 そんなことを思っていると、スマホが震えた。蘭子からだった。

 

 神崎蘭子『煩わしい太陽ね』

 神崎蘭子『貴様に我が魂の咆哮と神託を与えん』

 

 まぁ、自主練も終わったとこだし、L○NEに付き合うくらい全然良いよ。

 

 コケコッコウ『良いよ』

 

 ……この名前飽きたな。なんか変だし、彼氏っぽくない。つけたの兄上だし変えよう。

 

 コケコッコウ『俺のL○NEの名前変えたいんだけど、何が良いかな?』

 神崎蘭子『二天岩流佐々木小次郎』

 コケコッコウ『いや俺、二刀流だし』

 神崎蘭子『普通に桐原コウじゃダメなの?』

 コケコッコウ『オリジナリティと格好良さがない』

 神崎蘭子『コケコッコウの何処にカッコよさが……?』

 コケコッコウ『いやそれは違うんだよ』

 コケコッコウ『兄上が勝手に付けたの』

 

 スマホを買ってもらった時は本当に機械音痴で、何をどうしたら良いのかもわからなかったんだよなぁ。ボタン押したら爆発すると思ってたくらいだし、ネットに接続すればウイルスに感染して俺の経歴と家族構成が何もかも公開されると確信していた。

 

 神崎蘭子『我は、貴様のその「桐原コウ」という真名こそ、オリジナリティ溢れるカッコ良さがあると思うが』

 

 ……マジ? と思ったのも束の間、すぐに次の表示が写される。

 

『 神崎蘭子 がメッセージを取り消しました』

 神崎蘭子『い、今のは無し!』

 

 いや、もう遅いよ。とりあえず、蘭子がそう言ってくれるなら名前を変えよう。正直、名前がカタカナなのは少し変で嫌だったんだけど……でも、嬉しかった。

 

 桐原コウ『ありがとう、蘭子』

 神崎蘭子『フッフッフッ、その名でこそ我が刀であり……』

 神崎蘭子『恋人!』

 

 ……元気よく打ってきてるけど、多分かなり照れてるな。一度、区切って送ってきてるのが証拠だ。

 

 神崎蘭子『我が邪眼はこの世に流れる魔力、神力、そして何より真実を見逃さん。それ故に、虚言を吐くことはない。貴様の真名は、貴様に似合う。それは決して変な意味じゃなくて、事実として述べただけであって、他意はなくて、だから勘違いしないで欲しいのは前に名前を褒めてくれた時のお礼とかそんなんじゃないから……』

 

 そして畳み掛けるように言い訳を……そこまで言われると恥ずかしいんだけどな。あの時、名前は確かに褒めたけど、そんな狼狽えるほど嬉しかったのか? 

 

 桐原コウ『分かったから』

 神崎蘭子『貴様、我が賛美の言葉に塩対応で返すとは良い度胸だな!』

 桐原コウ『本当に嬉しいよ』

 神崎蘭子『ならば、その感情をもっと表に出す努力をせよ!』

 桐原コウ『だって文字だけじゃん。俺は蘭子の文面から蘭子がどんな顔してるか想像できるよ』

 神崎蘭子『え、そう?』

 

 そうよ。

 

 桐原コウ『さっきの長文の時とか、顔真っ赤にして打ってそうだなーとか。てか、今日のL○NE自体、ずっと顔真っ赤だったでしょ』

 神崎蘭子『そんなことないもん!』

 桐原コウ『いや絶対そんなことあるね。確信してる』

 

 というか口調よ。テンパると割と簡単に素の喋り方になる辺り、全てバレてるぞ。

 少しなんだかまた愛おしく感じてきて良い気分になっていると、蘭子から別のL○NEが届いた。

 

 神崎蘭子『つまり、貴様は私の事を顔など見なくても理解し、感情を理解してくれている、ということだな。よく見ていてくれないと、出来ない芸当……神の視点より下界を見下ろす千里眼の泉の如く私を見てくれていたというわけか』

 

 っ、そ、そういう言い方する⁉︎ 確かに蘭子の事はよく見てたかもだけど……いや見てたというか目で追っていたというか……いやそっちの方がヤバくね? 

 

 神崎蘭子『今、図星つかれて照れているな?』

 

 っ、こ、のやろっ……! 

 

 桐原コウ『照れてねーよ!』

 神崎蘭子『分かりやすいのは私だけだと思わない事だな。貴様に私の考えが筒抜けであるように、私にも貴様の考えは手に取るようにわかる』

 

 こ、こいつめ……そういう事、言うなら俺だって言うこと言うぞ。

 

 桐原コウ『お前だって、分かりやすいんだよ! 本を読んでいる理由だって、物語を読みたいとか教養を増やすとかそんな高尚な理由じゃ無くて、そのややこしい口調の語彙力を増やすためだけの癖に!』

 神崎蘭子『それだったら、コウくんだって剣道の時にカウンター型だのなんだの言ってるけど、結局はカッコイイからって理由なだけな癖に!』

 

 っ……こいつめ……いや、やめよう。こんなことで喧嘩してどうする。

 

 桐原コウ『ごめん、変なこと言った』

 神崎蘭子『否、我も大人げなかった……』

 

 うん、なんか変なとこで意地張ってたな、相変わらず……。こういう所も直さないと、また衝動的にデリカシーがないと思われる言葉を発してしまうかもしれない。

 

 桐原コウ『それより、何か話したいことがあったんじゃないの?』

 神崎蘭子『あ、うん』

 神崎蘭子『今日、我が友に新たな仕事をいただき、眷属達にオススメの店を教えるという事になった』

 桐原コウ『良かったじゃん。どの店教えんの? 武道具店?』

 神崎蘭子『いやそれだけはないよ……』

 神崎蘭子『普通にカフェとか……なのだが、我は事務所の寮に備えついているカフェ以外には、スタバ等にしか行った事がない』

 

 あー……まぁ、中学生はそんなものか。うちの兄上も、高校生になってからチェーン店じゃないカフェに行くようになった。全部苦いという感想しか出ない俺と違って、あの店は酸味がどうのとかなんとか理解しているように言っていたっけ。俺も高校生になったら、分かるようになるのかなあ。それ以前にコーヒーが飲めるようになるのかなぁ。

 ……あ、そうか。要するにおすすめの店を知りたいって話か。なら、ちょうど兄上から聞いたお店もあるし、そこに誘ってみようかな。

 

 桐原コウ『じゃあ今度、俺が知ってる店行く?』

 神崎蘭子『お店知ってるの?』

 桐原コウ『兄上に教えてもらったお店だよ』

 神崎蘭子『敵情視察か。共に参らん、我らが修羅の道を』

 

 いやアイドル活動に関しちゃ俺は絡めないし、むしろファンの一人なんだけどな……。

 てか、そんな事よりさ、もしかして……これデートの約束になったのかな? なんか、少し楽しみになってきたな。せっかくだし、他の店とかも調べておこうかな。

 何にしても、そろそろここで寝るか、と思ったら、また蘭子からメッセージが送られてきた。

 

 神崎蘭子『カフェだけに行くのも味気ないものよ。であれば、ついでに様々な地に赴き、享楽を味わうとしよう』

 桐原コウ『良いね。俺、あれ行きたい』

 桐原コウ『なんだっけ、なんかネズミのカップルのテーマパーク』

 神崎蘭子『そこ行くなら一日使わないとだよ……』

 

 確かに……と、思っていると、俺の口から「くあっ……」とあくびが漏れる。そろそろ眠たいかも……と、思った時だ。

 

 神崎蘭子『あ、デ○ズニーと言えばさ』

『 神崎蘭子 が写真を送信しました』

 

 送られてきたのは、蘭子が制服でミ○ーのネズ耳をつけている写真だ。何これかわいい! 

 

 桐原コウ『可愛い!』

 桐原コウ『じゃなくて、似合ってる!』

 神崎蘭子『照れる必要はない。貴様の直球の褒め言葉に裏表がない事は理解している為、とても嬉しい』

 

 ……あの、別に良いけど「照れる必要はない」とかいう必要ある? 普通に恥ずかしいんですけど。

 いや、そんなことよりも、だ。

 

 桐原コウ『どうしたのこれ。誰と言ったの? 兄上が、一人でデ○ズニー行く奴はいないって言ってたけど』

 神崎蘭子『飛鳥ちゃんと』

 桐原コウ『ああ、そう』

 神崎蘭子『男だと思った?』

 桐原コウ『プロデューサーさんって人かなって』

 神崎蘭子『ありそうだったからいじらないでおく……』

 

 なんて、結局寝るタイミングは訪れず、そのまま朝までL○NEしてしまった。

 

 ×××

 

 さて、翌日。授業中にしっかりと睡眠をとった俺は、部活でみなぎる体力を使い切り、疲れた身体を引きずって帰宅する事にした。

 今日は後輩に「教えて!」と迫られることもなかったので、一人で校門を出ると、蘭子が待っているのが見えた。

 

「……あっ、ま、待ちわびたぞ。我が剣」

「わざわざ待ってたんか」

「共に、我らが楽園への帰路へ歩みを進めよう」

「え、悪いけどこの後俺、寄り道するよ。今日、練習中に鍔割れたから」

「ふっ、構うことはない。……その方が、放課後デートのようだろう?」

「いや知らないけど。そうなん?」

 

 ……まぁ、行く場所は武道具店なんですけどね。そこばっかりはまぁ仕方ないって事で。

 

「……ちなみに、我も魔剣を買っても……?」

「別に良いけど……剣道やるの?」

「趣味で一本。木刀とか欲しいかも……」

「やめた方が良いと思うよ。蘭子、平気で部屋の中で振り回しそうだし」

「振り回さないよ! ……かっ、傘を振り回したことはあるけど」

「物を壊したり、怪我をしてからじゃ遅いよ」

「こ、懲りたもん!」

 

 ……うーむ、面倒臭いな。でも、基本的に蘭子ってカッコ良いものに関しては妥協しないし……こうなったら、別のことをお願いするか。

 

「それより、俺が使う鍔を選んでよ。蘭子が選んでくれたものなら、新人戦の時に勝てる気がするんだ」

「むっ……そ、そうか? そうか。ならば仕方ないな。我が選んでやろう」

 

 よし、楽勝。

 

「……あっ」

「むっ、どうした?」

「そういえば財布持ってきてなかった」

「……」

 

 一旦、家に立ち寄った。

 

 ×××

 

 武道具店の後は、蘭子が気になるお店を発見し、雑貨屋に立ち寄り、そのあとはマックに寄った。

 のんびりしながら、注文したポテトとナゲットと飲み物を摘む。そんな中、ふと蘭子がやたらとニコニコしているのが見えた。

 

「? どうした?」

「ふふ……なんか、少し恋人っぽいなって」

「え、どの辺が?」

「部活が終わるまで待って、一緒に帰って寄り道して……まぁ結局、家に立ち寄っちゃったけど、それで街をぶらぶらと出歩いて、お店に寄ってこうやって休憩して……何だか、とっても楽しい」

「っ……」

 

 そういう蘭子の表情が、とても同い年とは思えないほど色っぽい慈愛の笑みを浮かべていて、思わず胸の奥が高鳴ってしまう。

 なるほど……これが、デートって感じか……なんか、やっぱ友達だった頃と違うかもしんない。

 

「……俺も、楽しいよ蘭子。蘭子と一緒にいるのは、剣道以外で初めて楽しい事だと思える事だよ」

「コウくん……」

 

 そのまま、飲み物や食べ物を摘み、二人きりの時間をのんびり過ごし、門限を過ぎて各々の保護者に怒られた。

 

 



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デートでカラオケとか行くと音楽性が合わなくてすぐ振られるよ。

 新人戦が終わり、俺はめでたく優勝。普通に楽勝だった。前までの三年生がいなくなったから、当たり前と言えば当たり前だ。次、手強くなるのは来年の春大だろう。

 さて、その大会も蘭子は体育館の端から覗いてたらしくて。

 

「「かんぱーい!」」

 

 そんなわけで、わざわざ俺を祝ってくれるらしく、カラオケに集まった。

 

「流石、我が剣! 聖戦における大勝、我が全魔力を以ってして祝福の宴を開かん!」

「本当に良いのか? 奢りなんて……」

「問題無い。我はこう見えて美姫達の祭典に参加せしワルキューレの一人……故に、魔力もまた貴様ら愚民とは比較にならない」

「なんかごめんね。身体を売って得たお金を俺なんか為に……」

「え、えっちな言い方しないでよ!」

 

 え、えっちだったのかな……? でもアイドルってそうじゃん。歌って踊ってお金を得てるわけだし。

 

「そ、それに……なんか、じゃないよ」

「え?」

「コウくんのためだから……その、何。お祝いの時くらい、出しても良いかなって、思えたわけだし……」

「……」

 

 ……そ、そんなこと言われると……少し恥ずかしいな……まるで恋人みたいな……いや、恋人じゃん。

 

「ありがとう、蘭子」

「ふっ、気にすることはない」

 

 するわ。

 さて、カラオケに来たからには歌わないと。何にしようかなー。

 

「食物も頼むと良い。大会後で、疲弊し切っているだろう?」

「え、でも母ちゃんがカラオケの飯は高いって……」

「す、少しなら!」

 

 あ、なるほどね。腹は正直、減ってるけど、でも蘭子のお金になっちゃうし、その辺は節度が大事になるのだろう。

 

「じゃあ、この唐揚げとポテトの奴良い?」

「うむ!」

 

 今、チラッと見えたのは、ポテチだけで300円もするの。えげつな過ぎでしょ。セットにしても決して安いわけではないし。

 それをパネルで注文し、いよいよ歌う番。さて……蘭子に言われるがままついて来たが、俺は音楽をあまり聞かない。銀魂のオープンエンドくらいだ。来れば楽しいもの、と聞いたけど、果たしてどうなのだろうか? 

 

「まずは、我が美声により貴様を狂乱の魅力へと引き込もう」

 

 そう言った蘭子は、マイクを握った。……そういえば、蘭子の歌を聞くのは随分久しぶりな気がする。

 

「何歌うの? legne- 仇なす剣 光の旋律?」

「じ、自分の歌をカラオケで歌うのは少し恥ずかしいよ……」

「えー、聞きたい」

「あ、後でググって!」

 

 ようつべにでも載っているのだろう。でも、やっぱり生で聞くのが一番良いんだけど……まぁ、逆に蘭子が自分の曲以外を歌ってる方がレアだよね。

 テレビに表示されている曲名は「紅○華」。

 

「うわ、なんか蘭子っぽい」

「ふっふーん」

 

 知ってる。てかめちゃくちゃ有名な奴じゃん。カッコ良いよね、俺鬼滅見てないけど。

 得意げに胸を張る蘭子は、早速歌い始めた。その歌声は、何処か無邪気で、それでいてカッコ良くて、やはり可愛らしくて。どこまでも胸の奥に透き通るような歌声に、思わず聞き入ってしまう。

 気が付けば、もう歌い終えてしまっていた。

 

「どうだった⁉︎」

「綺麗だった!」

「えうっ⁉︎ ち、違うよ! 歌の感想!」

「? だから、綺麗だったけど……」

「ーっ、ま、紛らわしい言い方やめてよ!」

 

 え、へ、変だったかな……。

 

「じゃあ……可愛かった?」

「っ、も、もういい……上手かどうかを聞きたかったんだけど……」

「え? あ、ああ! うん、上手だったよ!」

「……なんか、言わせてる気分」

「そ、そんなことないよ! ……むしろ、その……曲より、歌ってる楽しそうな蘭子に目がいっちゃって……」

「ーっ、な、なら……許してあげる……」

 

 ……許してもらう立場になっていたのか……。いや、まぁ別に良いけど……。

 すると、今度は蘭子が俺にマイクを差し出して来た。

 

「はい、コウくんの番。曲入れた?」

「あ、まだ」

「早く入れて歌って! 何でも良いから!」

 

 蘭子の奴……変なスイッチ入ってやがるな……。まぁ、俺が蘭子の前で歌を歌うなんて初めてだし、仕方ないのかもだけど……。

 とりあえず、俺に歌えそうな曲を入れてみた。一番、銀魂の中で好きな曲。その名も「pr○y」。

 

「おっ、初代銀魂の曲!」

「一番好きだから」

「ふむ、気が合うな……我の中では、二番目だが」

「一番は?」

「曇天」

 

 うわ、ぽいわ。

 なんて思っている間に、歌詞が画面に表示される。ということは、いよいよ歌う番……。

 

「…………」

「えちょっ……も、もう始まってるぞ?」

「英語読めない」

「何でその曲にしたの⁉︎」

「いけると思った! たくさん聞いてたから!」

「歌える曲にしなよ!」

「……あ、英語終わった。今なら行ける!」

 

 強引に歌を続けた。英語の部分はもにゃもにゃ誤魔化し、何とか全部歌い切った。ふぅ……まぁ、カラオケなんてそんなもんだよな? 

 と、思って蘭子を見ると、なんかとってもニコニコしていた。まるで子供の合唱を見ていた先生のように。

 

「……な、なんだよ?」

「いや……歌い方、子供みたいで可愛かったなって」

「どゆこと⁉︎」

「地声で大きな声で歌ってる感じ? いや、音痴ってわけじゃなかったけど……こう、歌が上手い子供みたいな……少年探偵団でいうあゆみちゃんみたいな」

「女の子かよ⁉︎」

 

 どういう意味で言ってんの⁉︎

 

 ×××

 

 さて、おやつも食べ終えて、少しカラオケに疲れて来た頃。俺が軽く伸びをすると、蘭子も疲れたのかマイクを置いた。

 

「蘭子、本当に歌上手いね」

「我は一応、それを生業としている。言わば、必殺技と言っても過言ではない」

「そっか。プロだもんね」

 

 歌が下手なアイドルもいるけど、少なくとも蘭子はその限りじゃない。関係ないけど、何年か前に大○智と坂本○行の「愛のかたまり」を聞いた時は、その時にやってたアームロールを止めるほど上手かった。

 

「にしても、カラオケなんて本当に久しぶりだわ。誘ってくれてありがとう」

「ふっ、貴様のためではない。我が野望のため……」

「や、ほんとそうだよね。もう何度も何度も人が歌うたびにニコニコニコニコ……」

「仕方あるまい。可愛かったのだから」

「アイドルに言われたくないわ!」

 

 ていうか、俺可愛いって言われるの嫌だ! ……いや、蘭子に言われるなら嫌じゃないけど……でも、俺はやっぱりカッコ良いの方が……。

 いや……口じゃ叶わない。話題を逸らそう。

 

「それより、蘭子。お前、少し筋肉ついた?」

「っ、え、わ、分かる……?」

「うん。特に上半身。家で腕立て毎日やってる証拠でしょ」

「……何でだと思う?」

「え、なんかあったっけ?」

 

 ここ最近、練習で色々あったから、記憶が曖昧になることがあるんだよなー。ハッキリ覚えてるのは、蘭子と付き合ってる事。……あとは、まぁ……付き合う前にしたデートの事とか、色々? 

 なーんか、こう……なんかやばい約束した事を、ぼんやり覚えてるんだけど……なんだったかな? 

 

「……実は、我がカラオケを選んだのは、コウくんの可愛いお歌を聞きたかったからだけではない」

「お歌ってなんだよ! どんだけバカにした言い方⁉︎」

「他にも、色々と理由はある。……たとえば、二人きりで密室にいられるとか……」

「え?」

 

 それを聞いて、思わず俺の頬から汗が流れ落ちる。喜ばしいことのはずのに、何故か嫌な予感がしてしまった。

 そんな俺の嫌な予感を裏付けするように、蘭子は肩と肩が密着する距離にまで接近して来た。

 

「我と貴様の間で交わした契りを、覚えているか?」

「え……な、なんだっけ?」

「……忘れたのか?」

 

 っ……あ、あれ? 何その泣きそうな顔……ちょっ、ダメだ。ここで覚えてない、なんて言ったら間違いなく泣かせてしまう。

 正直、いまいち覚えていないけど……覚えてる、というしかない。女を泣かすような男にはなるな、って兄上もよく言ってたし。

 

「お、覚えてるよ! 流石にそんな大事な約束忘れるわけないでしょ。むしろそれしか覚えてなかった」

「ふふっ……えっち」

「え、な、なんでそうなる?」

 

 待て待て待て。どんな約束したの俺? なんかあったっけ……? ダメだ、思い出せない。

 

「なら、その契りを今、果たそう」

 

 そう言うと、蘭子は俺の手を掴んだ。まるで、逃げられないようにするかのように。え……ま、まさか……キスでもするつもり? 

 いやいやいや、そんな約束したっけ? した覚えないよ。俺がしたのは確か、蘭子の胸を触るーみたいな約束は……あ、つまりそういう事ですね。

 

「待て待て待て! 待った待った待った! ちょっとストップ!」

「どうした?」

「いや、流石にいきなりそれはちょっとハードル高い! 死んじゃうよ俺⁉︎」

「……わ、わかった。じゃあ、やめる」

「え、やめるの……?」

「だって、無理矢理は……前みたいなことになっちゃうし……」

「……」

 

 ……な、なるほど……いや、しかしそれ裏を返せば、本気で胸を触られたいって事になっちゃうんじゃ……。

 

「なぁ、蘭子……あの、確かに前に約束はしたけど……さ」

「うん……」

「そ、そういうのは……その、何? もう少し、お互い大人になってからに……」

「やだ」

「え、やなの⁉︎」

「だって、コウくんが大人になっても、異性に興味出てる保証ないし」

「……」

 

 ……全くだった。ぐうの音も出ない。……や、まぁいまも興味ないと言ったら嘘になる。蘭子に「胸触る?」と勧められた時も、正直、触りたいとは思った。でも、それ以上に理性と恥ずかしさが勝ってしまう。

 そんな簡単に、触れるわけがないでしょ。周りから見たら変態的な行為じゃん。

 でも……なんだ。それが蘭子を不安にさせているのであれば、俺も少しは考える必要がある。

 ゴクリ、と唾を飲み込み、深呼吸する。そして、チラリと蘭子の胸を見た。相変わらず大きい。まぁ縮みはしないだろうしな。

 

「……じゃあ、触るよ……?」

「う、うむ……!」

 

 苦し紛れに強がった返事をする蘭子が可愛いと思ってしまう反面、そんな事を思う余裕もなくて、なんかもう頭の中が真っ赤になる。

 慎重に、ゆっくり、あくまで自然に……いや、前者二つと後者一つが相反するものである事は重々承知しているが、その上でやはり慎重にゆっくり自然と胸に手を伸ばし……伸ばっ……あと、3センチ……。

 

「っ……」

「──っ」

 

 ……俺の左手は、蘭子の肩に乗せられた。

 

「……卒業までになんとかするので、今日は勘弁して下さい……」

「……へたれ」

「……思い切りが良過ぎるのもどうかと……」

 

 勿論、その後も揉める日は来なかった。

 

 



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傷ついた悪姫の罪〜終末の章〜

最終回です。


 あれから、約一ヶ月が経過した。10月31日……つまり、ハロウィンである。

 さて、そんな日に神崎蘭子は。

 

『我が狂乱の宴に参加せし愚かな眷属どもよ、感謝する!』

「「「うおおおおおおおおッッ‼︎」」」

 

 その掛け声で、会場にいる全員が拳とペンライトを突き上げる。本当に魔王とその眷属のように見えるそのライブは、ハロウィン限定のもの。蘭子の衣装も、ツノのような髪飾りがついていて、仮装をしているように見える。

 いつものようにノリノリで終え、自分でも最高のライブになった、と思いながらステージ中央の、自身が立っている床が沈んでいく直前、目に入ったのは、招待席で新田美波、前川みくの間に入って彼氏が座っていたのが見えた。

 

『っ⁉︎ ひっ、ひゃあっ……!』

「あれ、今蘭子ちゃんコケた?」

「ホント、締まらないよね。可愛いけど」

「ドジっ子魔王とかホントそういうとこだよね。萌えるけど」

「萌えって久々に聞いた」

 

 そんな言葉が観客席から聞こえてくる。転んでしまった蘭子は、膝をついたまま顔を真っ赤にして俯く。

 だから、来るなら来るって言ってくれないと、本当に恥ずかしい思いをする。観客のみんなも、普通にああいう事言うし。

 

「……絶対に文句言ってやる」

 

 そう呟きながらも、とりあえず出迎えてくれたスタッフさんに挨拶した。

 

 ×××

 

 ライブ後、蘭子は一度、事務所に戻り、軽く挨拶を済ませるとりょうにもどり、汗を流して外出した。

 すると、寮の前で待っていたのは、桐原コウ。ニコニコした笑みで、挨拶代わりと言わんばかりに手を振って来た。

 

「トリックオアトリート!」

「トリックもうしてるでしょ!」

 

 言ったものの、コウはキョトンとした顔で小首を傾げるだけだ。

 

「いつ?」

「ライブに来るなら来るって言ってよ! 去り際、びっくりして転んじゃったでしょ⁉︎」

「あ、ほんとに転んでたんだ。でも蘭子だってこの前の新人戦、何も言わず見に来てたじゃん」

「私はいいの! どうせコウくん、照れないんだし!」

「ていうか、二度目なんだしそんなに怒らないでよ」

「二度目だから怒るに決まってるでしょ⁉︎」

 

 そう言い合いになりながらも、蘭子はとりあえず用件を聞いた。

 

「それで、今日はどのような用件があった?」

「いや、特にないけど、ライブ終わったからとにかくお疲れって言いたくて」

「えっ? う、うむ……そうか……」

「でも、蘭子も出掛ける所だったんでしょ? 明日、学校で話そうよ」

「え? いや、そういうわけでは……」

 

 ……言えない、寮を一度出ようとした理由が、彼に文句を言うためだったとは。いや、それ単体で見れば言えない理由にはなり得ない。蘭子は心の中で気付いていた。文句を言いに行ってたのも口実。結局はライブの感想を聞きたかったのだ。

 

「そ、その……せっかくだし、上がっていかない?」

「いや、いいわ。日課の素振りもまだやってないし、門限破ってて帰ったら雷だし」

「うっ……」

 

 それは困る。まだ自分達は中学生。門限というのも、自分達を守るためにある。

 

「わ、分かった……」

「後で電話するから。じゃあね」

「っ、う、うん……!」

 

 そうだ、電話だ。電話をすれば良い。それならば、離れていても夜遅くまで話せるのだから。

 立ち去る彼氏の背中を眺めながらニマニマした笑みを浮かべる蘭子……だが、そこでふと矛盾に気付く。

 そういえば、電話すれば良いことに気付いていた彼は「お疲れ様」の一言を言うために何故、わざわざやって来たのだろうか? 

 

「もしかして……」

 

 彼も、自分に会いたくて来たのかな……なんて思うだけで、少し嬉しくて、気恥ずかしかった。

 素直なのに素直じゃない彼のことだ。確かめても絶対に頷かないだろうが……とりあえず、自分も寮に引き返し、彼からの電話を待つことにした。

 その日、二人は日付が変わって三時間ほど経過するまで電話をして、翌日は普通に寝坊した。

 

 ×××

 

 翌日、学校。お昼休みになり、蘭子はいつものようにいつもの空き教室へ。待っていたのは、桐原コウ。椅子の上で足を組み、剣道やってる人っぽい姿勢の良さで本に視線を落としている。

 改めて彼を知ってから今の姿を見ると、割と外見詐欺なところあった。何せ、普段の彼を知っている人なら、少なくとも本を読むようには見えないからだ。

 

「待たせた、コウくん!」

「あ、蘭子! 昨日のライブ、すごかったよ!」

「え、えへへぇ……ありがとう……」

「特に、あの衣装! ハロウィンのー……なんだ? なんか分かんないけど……ツノが良かった!」

「うむ! ツノは魔王において重要なパーツ……我に似合うのも当然というもの……!」

「でも、魔王なのに冠被ってたのは何で?」

「さぁ……変だったか?」

「いや、可愛かった。ちょこんとしてて」

 

 もう、可愛いと普通に褒めてくれるようになった。そういうのは本当に嬉しい。なんか恋人っぽい気がして。

 

「もっかい見にいきたいなー。クリスマスとかもライブやるんでしょ?」

「もういいよ来なくて!」

「なんでさ」

「は、恥ずかしいから……」

「恥ずかしがることなんてないでしょ。蘭子のステージを、蘭子のことが一番好きな人が見に来てるんだから」

「っ……!」

 

 あれから色々あったが、最近は本当にこういうことを直球で言ってくるようになった。

 彼は前から思っていたが慣れるのが早すぎる。少し前まで腕に抱きついて胸を押し付けるだけで真っ赤っかだったのに、今では向こうから手を繋いだりしてくる。

 いつの間にか、ペースを乱されるのは自分になっていた。

 

「うう……ずるい……」

「何が?」

「全部!」

 

 でも、こういう男の人の方が頼れるのかも……と、思うと、やはり悪くないなーなんて思ってしまったり。

 

「なぁ、蘭子」

「? な、何……?」

「こうして二人でいられる時間が何だか楽しいから、改めて言いたいんだけどさ」

「う、うん……?」

 

 何だろう、改まって? いや、大体わかる。何かどうせこちらが照れるようなことを言うのだろう。

 その予想は、ものの見事に的中した。

 

「最初、俺なんかに手紙を出してくれてありがとう。蘭子が俺に歩み寄ってくれなかったら、多分今もずっと一人だった」

「も、もう……急に何……?」

「いや、本当に。最近、たまに思ってただけ。蘭子と、二宮さんと、前川さんと、新田さんと……ほとんど女の人だけど、仲良くなれたのは蘭子のおかげだって」

「……そ、そんな事ないよ……」

 

 実際、自分だって彼よりも彼がする剣道に興味があって声をかけただけだ。他の人と知り合いにさせるとか、彼のために何かするとか、そんな考えはなかった。

 だが、コウは首を横に振る。

 

「人の繋がりなんてそんなものでしょ。誰も意図してない所で知り合って、繋がって、仲良くなってる。最初から誰かと仲良くなるための物なんて、合コンくらいだと思う」

「ご、合コン……確かに」

「だから、ありがとう。謙遜しないで受け取って欲しい」

「……き、今日は……どうしたの? 本当に、なんか……いつもより、なんか変」

 

 何だか、ここにいるのが気恥ずかしくなって来た。もしかして、また前に言っていた胸を触るだとかそういう話を実行するつもりだろうか? 

 いや、構わないがそこまでムードを作られると、逆にその先にまで発展してしまいそうで恐れ多いのだが……。

 少し、ヒヤヒヤして目を逸らしてしまった時だ。剣道特有の「いつの間にか間合いを詰められている」という体験をしてしまった。気が付けば、自分の目の前にコウが迫っていて、自分の頬に手を伸ばしていた。

 

「っ、こ、コウくん……?」

「本当はデートとかした時が良かったんだけど、この前、破れた道着を新調してお金無くなったから、一番蘭子と一緒にいた場所でするね」

「え……?」

 

 スるってまさか……本当にえっちな事を? いや、待って欲しい。というか、本当に何があったのだろうか? ここ最近の彼のメンタル的な急成長は、アムロ以上に伸びている。

 しかし、学校の空き教室でえっちなことをするなんてエロ漫画やAVの世界だけで許される事で、そんなのバレたら停学じゃ済まないしそもそま避妊具とかないしいやでも決して嫌なわけではなくむしろこんなコウくんもある意味で悪くないというか、いっそこのままなるようになって身を委ねるのも……! 

 

「……こ、蘭子!」

「っ⁉︎」

 

 身体を揺さぶられて、ようやく目を覚ました。というか、目を覚ました? と、蘭子は片眉を上げる。あたりを見回すと、さっきまでいたはずの教室……そして、目の前にあるのはコウの顔。だが、気のせいかな。いつものマヌケっぽい面をしている。

 

「もう昼休み終わるよ」

「え……え?」

 

 寝てたの……? と、目をパチクリさせる。そういえば、確かに昨日、夜遅くまで電話し過ぎてて眠かったけど……でも、まさか……夢? 

 認識すると同時に、羞恥心が込み上げてくる。顔が赤く染まり、死にたくなって来てしまった。この無垢な少年を相手に、自分は何を思ってそんな夢を……彼がそこまでの情緒になるには、あと20年は待たないとダメだと思うのに……。

 そんな割と辛口なことを思っている中、ふと目が入ったのは、そのまるで情緒が育っていない少年が、顔を若干、赤く染めてそっぽを向いていた。

 

「……なぜ、貴様が顔を朱に染めている?」

「え、あ、あー……いや……」

 

 どうせズボンのチャック開いてたことに気づいたばっかとかそんなんだろう。本当に開いていたのかは知らないが。

 なんて思っている蘭子の期待を裏切るように、コウは赤くなった顔のまま頬をかきつつ言った。

 

「その……なんか、蘭子の顔が……き、キスを待ってる人の顔みたいで……ちょっと、色っぽくて……」

「……ふえっ?」

 

 蘭子からも間抜けな声が漏れた。そんな顔していたことが、寝ている時にまで出てた、なんて事に意識がいかなかったのは幸いだろう。

 つまり、彼にもそういう情緒は間違いなく芽生えつつあるという事だ。何にしても、この機会を逃す手はない。自分の為にも彼の為にも、一歩前進する機会だ。

 

「……したい?」

「えっ?」

「だから、その……悪魔との、契約……つまり、口付け……」

「…………したい」

 

 それを聞いた直後、蘭子はすぐに目を閉じた。それと同時に、彼の方に顔を向け、唇を尖らせる。さっきまでの寝顔と同じ顔を作った。

 そこから先、視界はただ暗いだけ。唯一、得た情報は、自身の唇に柔らかい何かが付着した事だけだった。

 そのまましばらく、二人で顔を真っ赤にしたまま黙り込むしかなかったが、離れ離れになるのが惜しくて、そのまましばらく手を繋いで隣に座り合っていた。

 おそらく、今後はこのままキスだけで満足する時が続くだろう。だが、蘭子はそれでも良かった。コウと一緒にいられるのなら、別に胸とか触られなくても良い。

 自分達のペースで少しずつ、関係を深められれば、それで満足……そう思いながら、次の授業を丸々サボり、帰ってプロデューサーと千川ちひろと前川みくに怒られた。

 

 



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