アズールレーン ─メイドインアビス─ (志生野柱)
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1

ボンドルド注意


 対セイレーン特別武装非政府組織『アビス』。後にアズールレーンとなるその組織には、一人の問題児が所属していた。

 同組織、鉄血陣営担当統括管理官。年齢、国籍その他の個人情報は全て抹消されている。

 判明している情報は4つ。

 一つ、男性であること。

 一つ、常にフルフェイス型の情報制御端末を付けており、顔を見た者は誰も居ないこと。

 一つ、もとはどこかの研究者であり、艤装の換装・強化に関するノウハウを樹立した人物である。

 

 そして、彼は自らをこう示す。

 

 「私はボンドルド。碧き航路の守護者。人は私をこう呼びます───『黎明卿』と。」

 

 

 ◇

 

 

 水面は昏く、空は紫雲に覆われ、水平線は紅に染まる。けれど朝焼けのような温かさは無く、夕焼けのような寂寥も無い。無機質な冷たさと静かな死の匂いがした。

 

 セイレーンの使う未知の空間遮蔽技術による孤立空間、通称“鏡面海域”に遭遇した第一次征伐隊の、最後の通信が遺した言葉だ。

 突発的に、そして各地で散発的に発生するそれは、陣営間の海路をほぼ完全に遮断した。さらにセイレーンの対空能力は凄まじく、成層圏まで届く未知の対空兵器は空路をすら制圧。各陣営は事実上の鎖国に陥った。

 

 しかし、鏡面海域は前人未到、突破不可能という訳ではない。

 幾度もの挑戦を重ね、腹心と呼べるKAN-SENを従え、自らもセイレーンの技術を取り入れた数多の武装を身に纏い、海原を往く男がいる。

 彼こそが艤装開発の父であり、KAN-SENの、人類の希望と呼ばれた『黎明卿』。

 

 「貴様が・・・あの“黎明卿”か・・・」

 「えぇ、その通りですよ、ピュリファイヤー。貴方たちにまで認知されているとは、光栄です。」

 

 セイレーン支配域と同義である鏡面海域の孤島。しかし拘束具付きの寝台に縛られているのは、支配者であるはずのセイレーンだった。

 通常の拘束どころか砲弾すら受け止める身体で暴れるが、ピュリファイヤーの戒めは軋む気配さえない。

 

 「どうなってやがる・・・?」

 「貴女の上司・・・オブザーバーにご協力頂いて、セイレーン用に鍛造した特殊拘束具ですから。」

 

 ピュリファイヤーの顔に怒りが浮かぶ。

 

 (オブザーバー? あいつ、見ないと思ったら裏切っていたのか・・・!)

 

 ボンドルドは懐中時計を一瞥し、壁のスイッチを操作した。

 突如として光を浴びせられ、ピュリファイヤーの目が細まる。いままで碌に見えなかった部屋の全容を確認したとき、ピュリファイヤーは生まれて初めて、恐怖という感情を理解した。

 

 手術室。

 そう形容するのが正解なのだろう。部屋は清潔に保たれ、整然と道具が並べられている。ならば中央の寝台に寝かされたピュリファイヤーは、つまり。

 

 「ま、待ちなって黎明卿。取引しないか?」

 「取引、ですか?」

 

 ボンドルドは手を止めず、これから使うのであろう工具じみた道具をトレイに並べながら聞き返す。

 ピュリファイヤーは既に何度も失敗した武装の展開は諦め、人格・経験のバックアップと自爆プロトコルを実行する。会話はただの時間稼ぎだ。

 

 「あぁ。オブザーバーがどんな情報をあんたに売ったのかは知らないけど、私だって人型のセイレーンだ。それなりにセキュリティ・クリアランスは高いし───」

 

 ピュリファイヤーが沈黙する。

 ボンドルドは不思議そうに首を傾げ、すぐに納得の声を上げた。

 

 「あぁ、お気付きですか。自爆装置は武装ごと取り外させて貰いましたよ。」

 「・・・は?」

 

 非顕現状態の艤装からどうやって、と考え、ピュリファイヤーはようやくここに至るまでの経緯を思い出した。

 

 「き、貴様・・・!」

 

 セイレーンにとって、自らの技術は別次元に在ると自負するものだった。

 事実、その装甲は自らの矛によってのみ貫くに能う。事実、その矛は自らの盾によってのみ防ぐに能う。

 例外はただ一例、セイレーンすら匙を投げた完全な正体不明、リュウコツ技術と呼ばれる体系によって作り出された武装。KAN-SENによる攻撃。

 

 ならば、と。この男は自らセイレーンの武装を纏い、自らの擁するKAN-SENの艤装をセイレーンの技術によって強化した。

 1:1だった質の戦力比を1:1+1にして覆し、異形とも言える()()()艤装を装備した配下によって量の戦力比では圧倒する。

 

 セイレーンを仇敵とし忌避した人間の、ある種のタブーを平然と踏み越える精神の異形ども。

 

 ピュリファイヤーはたった1人の人間と、たった3人のKAN-SENに正面戦闘で下された。執拗に艤装を狙う『舐めプ』で、だ。思い返すだに腹立たしい。

 

 「では、始めましょうか。まずは、ピュリファイヤー。貴女に感謝を。」

 「はぁ?」

 

 訝し気なピュリファイヤーに、ボンドルドは深々と頭を下げた。

 どう見ても、感謝の礼である。そこに皮肉や嘲りは一片も見えない。

 

 「貴方がたのお陰で、私たちはここに至り、この先へ行くことが出来る。その献身に感謝を。」

 

 

 ◇

 

 

 一週間後。

 鉄血陣営担当統括管理官名義で、組織(アビス)に対しある論文が提出された。

 主題はセイレーンの量子通信技術を用いたKAN-SENの即時撤退能力とその付与について。

 ソースに不明点こそあれど、その技術の理論と結果は紛れもなく真実であり、その有用性もまた高い。

 高レベルのKAN-SENであればその戦力を失わずに死線を逃れ、低レベルのKAN-SENにリスク無く経験を積ませることも可能。人類はまた、セイレーンに一歩迫って見せたのだ。

 

 「人格と経験のバックアップ、その様子を間近で観測できたのは収穫でした。本当に、彼女たちには感謝の念が絶えませんね。」

 

 鉄血本土から遠く離れた、大西洋に浮かぶ孤島。

 鏡面海域の中心付近に存在するそこは、組織(アビス)関係者から『前線基地(イドフロント)』と呼ばれている。

 自給自足の生活をしている農耕・漁集落が散在する他、名前の由来である鉄血陣営の軍事基地以外には何もない。

 

 その軍事基地ですら名前だけで、実態は大規模な研究施設に改造されており、まともな部屋などKAN-SENたちの私室と食堂、浴場くらいだ。

 だからボンドルドは、海を見るときには決まって屋上にいた。私室や執務室に窓は無いし、一階の応接室からでは防風林に阻まれてよく見えないからだ。

 

 「見つけた。準備出来たわよ、指揮官。」

 

 呼びかけに振り向くと、屋上の入り口で金髪の女性が立っていた。

 鉄血陣営最強の一角、戦艦ビスマルク。白衣に身を包みバインダーを持った姿は看護師にしか見えないが、その戦闘能力はボンドルドを上回るだろう。

 

 「ありがとうございます。これでようやく、研究に専念できますね。」

 

 ビスマルクと対のような黒衣を翻し、ボンドルドは屋上を後にする。

 

 「共にセイレーンの技術の深淵を、人類の未来を切り拓く、私の『祈手(アンブラハンズ)』が完成する。ピュリファイヤーとオブザーバーには、本当に感謝しなくては。」

 

 



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 これまでの戦術ドクトリンを覆す即時撤退技術が発表されてから二週間。

 ボンドルドの元に一通の通信が届く。秘匿レベルは最高。優先度は最優先。送り主は対セイレーン特別武装非政府組織(アビス)法務部執行科。裁判所への出頭命令書だった。

 執務室には簡素なデスクと周辺海域のジオラマだけが置かれ、そこが人が生活する場ではないと分かる。

 

 「おやおや、()()ですか。困りましたね、こちらも暇なわけではないのですが。」

 

 研究に従事させられるよう高度な調()()を施した『祈手』は未だ4人しかおらず、ボンドルド本人がユニオン本土の指定裁判所まで出頭するとなれば、無視できない遅れが生じるだろう。

 かといって命令書の方を無視すれば、良くて予算凍結。最悪の場合、離反者と見做されこの『前線基地(イドフロント)』ごと攻撃される。

 

 「仕方ありませんね。」

 

 ボンドルドは仮面の下で嘆息し、タブレット型の端末を暇そうにしていた秘書艦、プリンツ・オイゲンに渡す。

 彼女はそれを受け取ると、画面に目を走らせて笑った。

 

 「随分と疑われているわね、指揮官?」

 「そのようですね。しかし彼らとて、言葉の通じぬ獣ではありません。誠意を持ってきちんと説明すれば──」

 「その言葉、もう四度目よ? 別に無理をする必要なんてないわ。私たちなら、この『前線基地』にある物資だけで十分に戦えるもの。」

 

 オイゲンの言葉は、つまり、気に入らないのなら縁を切ってしまってもいい、ということだ。

 ボンドルド自身の戦闘能力は並みの暗殺者では歯が立たないし、他陣営のKAN-SENの相手は自分たち鉄血陣営が受け持つ。組織からの追っ手など恐れる必要はない。

 燃料・弾薬その他の物資は、この『前線基地』近海、大西洋沖ならば豊富にあるし、セイレーンから略奪してもいい。

 しかし、ボンドルドは首を横に振る。

 

 「それでは意味がありません。彼らと袂を分かっては、いつかセイレーンの物量に押し潰されてしまう。」

 

 現状の戦力での継戦試算年数はおよそ50年。セイレーンの大規模攻勢や技術革新を加味しないでその数値だ。これまでのボンドルドの研究スピードは革新期に特有のもの。今後は停滞が予想される以上、友軍(デコイ)の頭数は確保しておきたい。

 

 「半世紀は保つ試算だったはずよね?」

 「えぇ。ですが残念ながら、半世紀ではリュウコツ技術とセイレーン技術の深淵には届かない。」

 

 話は終わりだと示すように、ボンドルドが椅子を離れる。

 

 「供をお願いできますか、オイゲン。」

 

 ダンスに誘うように、ボンドルドは慇懃に片手を差し出す。

 オイゲンはそっとその手を取って微笑した。

 

 「喜んで。」

 

 

 ◇

 

 

 わざわざ高価なステルス船を使ってユニオン本土まで行ったというのに、二人を出迎えたのは慇懃なボーイではなかった。

 サブマシンガン。KAN-SENには効果のない対人火器は、ボンドルドに向けた警戒の表れだろう。それを始め、最低でも拳銃、果てはライトマシンガンまで装備した()()()が、港から裁判所までの道中、コンビニからトイレまで金魚のフンのように引っ付いていた。

 『祈手(アンブラハンズ)』のように信頼性のある随伴者ならばともかく、無線一本で銃口をこちらに向けるだろう同行者をオイゲンは認めなかったが、ボンドルドは快諾した。

 

 「到着です。」

 

 道中、3時間ほどずっと無言だった護衛が口を開いたかと思えば、出てきたのは必要最低限の言葉だけ。

 つくづく嫌われたものだとボンドルドは苦笑しつつ、案内に従って荘厳な石造りの建物、ユニオン最高裁判所へと進む。

 特に手続きもなく大法廷へ通されると、既に顔見知りがずらりと並び、ボンドルドとオイゲンを見下ろしていた。

 

 中央に掛けるKAN-SEN、エンタープライズはユニオン陣営統括管理官だ。彼女をはじめ、ロイヤルからはフッドが、重桜からは赤城が来ている。それぞれが3人の腹心を従え、統括管理官、つまり最高責任者かその全権代理としてここにいる。

 そんな旨の紹介をいつも通りに済ませ、エンタープライズは手元の書類を一瞥した。

 

 「ではいつも通り、本題に入ろう。黎明卿、これだけのデータをどこで手に入れた?」

 

 エンタープライズが示した書類は、つい先日ボンドルド自身が提出した論文の要約・解釈書らしかった。

 ボンドルドは首を傾げる。

 

 「どこで、とは?」

 

 情報を誰から得たのか。どうやって。どこで。複数の意味を持った質問に、ボンドルドは応える。

 その質問に意味はあるのか、と。

 

 言外の意図を正確に読み取れない者は、この場にはいない。全員が不快そうに顔を顰めるなか、赤城が言葉を引き取る。

 

 「情報の信頼性に関して、我々は言及しません。結果がそれを証明していますから。その過程を知っておきたいというのも、貴方なら理解できるでしょう、黎明卿?」

 「更なる研究と発展のため、ですか。」

 

 だが研究、とくにリュウコツ技術やセイレーン技術のような軍事技術に関するものは厳重に秘匿される。ボンドルドのように自身の武装や配下の強化にそれを用いているのなら、それは戦力の露呈に繋がるかもしれないのだから尚更だ。

 しかし、そんな懸念は目の前の男には無意味、杞憂というものだ。

 

 「素晴らしい・・・やはり()()は探求を、好奇心を追求しなくては!」

 

 人間という単語に幾人かのKAN-SENが口角を上げる。

 精神的には人間を模しても肉体的には兵器であるKAN-SENと、人外の精神が人間のような肉体を持っただけの(ボンドルド)。この場のどこに『人間』が居るのか。

 

 「そういうことであれば、私としても異論はありません。帰還次第、実験記録をお送りしましょう。是非ともお役立てください。」

 「その実験について、口頭で説明頂けますか?」

 「えぇ、勿論ですとも。文章よりも対話の方が伝えやすいこともあります。ではまず────」

 

 

 嬉々として説明を始めたボンドルドの上機嫌さとは逆に、KAN-SENたちの表情は曇っていく。例外は、隣で楽しそうに語るボンドルドを愉快そうに見つめるプリンツ・オイゲン一人。

 30分ほど語り、ボンドルドが一息ついたころ、フッドがおずおずと片手を挙げた。

 

 「その、黎明卿? 貴方はごく当然のように語っておいででしたが、()()()()()()()()()()と仰いましたか?」

 「えぇ。その通りですよ、フッド嬢。私の研究は全て、彼女たちの献身あってのもの。本当に感謝の念が絶えません。」

 

 フッドは頭を抱える。

 実はフッドは前回までは不参加で、ロイヤル陣営の全権代理はウォースパイトだった。

 

 (陛下がお風邪を召されたからと、私が代理になったはいいものの・・・黎明卿、これほどの・・・)

 

 ボンドルドの口から出るわ出るわ、専門用語と機密情報と秘匿事項とその他もろもろ聞きたくなかったコト。

 フッドの立場的にあり得ないだろうが、もし参加したのが末端なら、記録だけ渡して要員は()()されても不思議はない。

 知恵熱ぎみに白熱していたフッドの意識だが、続く赤城の質問によって急速冷却される。

 

 「セイレーン技術に関しては分かりました、ありがとうございます、黎明卿。では───それをどのようにリュウコツ技術、KAN-SENに転用したのか、ご教授願えますか?」

 

 

 



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3

 赤城の言葉に凍り付いたのはフッド一人。張本人である赤城はともかく、エンタープライズも動じていないということは、つまり。

 ()()()()()なのだ。目下、両手を広げて知識欲を賛美するこの『黎明卿』ボンドルドは。

 

 「取り入れる側と取り込む側。前者を腑分けしたのです。」

 

 後者の仕組みは理解できました。フッドは、稀代の天才、KAN-SEN開発の父とされる眼前の男に、そう言ってくれと期待した。

 赤城が目を細め、エンタープライズが拳を握りしめる。

 ボンドルドは何でもないことのように、いや、事実何の気負いもなく、明解な事象をわざわざ質問した赤城に首を傾げながら答える。

 

 「後者もそうしない理由がありますか?」

 

 フッドの目がボンドルドの隣で退屈そうにしているオイゲンに向く。視線を感じたのか目が合い、フッドは猛烈な吐き気に襲われた。

 蒼褪めた顔で口元を押さえていれば、目が合っていたオイゲンでなくとも気付く。

 

 「おやおや、体調が優れないのですか、フッド嬢。エンタープライズ、彼女を休ませて差し上げては?」

 「・・・すまなかった。ウォースパイトから聞いているものだとばかり。」

 「い、いえ・・・すぐに戻りますから、続けていてください。」

 

 速足で部屋を出て行ったフッドを一瞥し、赤城はすぐにボンドルドに目を戻す。

 I字に発光する奇妙なデザインのフルフェイス型端末は、奥の表情を悟らせない。

 

 「・・・以前にお伝えしたはずです。今後、我々のKAN-SENに手を出せば容赦はしない、と。」

 

 赤城の背後に控えていた駿河がさりげなく立ち位置を変え、オイゲンの口角が獰猛に釣り上がる。

 戦艦対重巡洋艦の構図だが、片手を上げて制したのは赤城だった。勿論理由は他にもあるが、そもそも()()()()からだ。

 

 「えぇ、ですから貴女たち『アビス』に属するKAN-SENは使っていませんよ。勿論、彼女たちに導入する過程では多少()()ましたが。」

 

 ボンドルドはオイゲンを示し、鉄血陣営のKAN-SENですら解剖はしていないという。

 その言葉を嘘と断じ糾弾するのは簡単だ。だが赤城は黙り込む。この男が自分に嘘を吐かないと理解しているから、その言葉も、先の言葉も真実だと判じて。

 

 「・・・ドロップを使いましたね、黎明卿。」

 「おぉ、流石に聡明ですね。その通りです。『前線基地』近海はKAN-SENが頻繁に出現しますからね。」

 「黎明卿、貴方は・・・ッ!」

 

 ドロップした艦は、往々にしてそのドロップ地点の領海を保有する陣営か、発見・保護した陣営に帰属する。そういう意味では、ボンドルドがたとえどの陣営のKAN-SENを見つけ、解剖していても謗る道理はない。

 人道的にどうか、という批判は、そもそも人間ではないKAN-SENには無意味だ。言ってしまえば、漂流している船があったから解体した、ということなのだから。

 しかし、感情的にはそうはいかない。

 理性では()()が最適解だと分かっていても、感情が忌避するのを止めることは出来ない。

 

 「・・・貴方の理屈は、詭弁だ。」

 

 今にも叫びそうだったエンタープライズが、必死に冷静さを取り繕ってそう吐き捨てる。

 ボンドルドは激発に備えて庇う位置にいたオイゲンの頭を撫で、まるで気にした様子を見せない。

 

 「そうかもしれませんね。───それで、何の不都合があると?」

 

 エンタープライズが奥歯を噛み締めるが、続く言葉は無い。

 過去、ボンドルドが重桜の統括管理官だったころ。重桜所属のKAN-SENをセイレーン技術で強化しなければ、セイレーンに呑み込まれていた。勢いを増すセイレーンの攻勢にも、ボンドルドが開発した艤装強化技術が無ければ対抗できなかった。そして今回の即時撤退技術は、より多くのKAN-SENを救うだろう。

 だがその過程で、ボンドルドは秘密裏に様々な陣営のKAN-SENを集め、解体し、解剖し、そしてそれらの成果を出した。だからこそ性質が悪いというものだが。

 

 「貴方ならッ! ・・・貴方ほどの才能があれば、無駄な犠牲も───」

 「エンタープライズ、それは違う。私はこれまで、KAN-SENを()()にしたことなどありません。」

 

 激昂を押さえ、エンタープライズが努めて冷静に問う。

 ボンドルドの答えにエンタープライズは絶句するが、沈黙は生まれない。

 

 「今後はドロップも・・・とは、行きませんか。」

 

 諦め気味に赤城が言う。流石に一時とはいえ指揮下に居ただけあって、ボンドルドの行動をよく理解していた。

 それに仮に、万が一、億が一の過程ではあるが、ボンドルドが今後KAN-SENの研究を止めたとしたら。おそらく人類は保って半世紀だ。

 

 「赤城!?」

 

 エンタープライズが驚愕の声を漏らす。

 前回、最も被害の──ボンドルドからKAN-SENを奪い返す際の戦闘の、という意味──大きかったユニオン陣営としては、今回の件を許すだけで大譲歩。今後の黙認など、といったところか。

 

 赤城の諭すような目に反感を覚えるが、エンタープライズとて愚者ではない。

 感情的な反論はやがて自らの首を絞めることになる。自分の()()()()に嫌気が差すが、エンタープライズは頷いて呑み込んだ。

 

 「以上です、黎明卿。ご足労ありがとうございました。」

 「おやおや、そう遜ることはありませんよ。知識欲を満たしたいという思いは非常に共感できるものでした。」

 

 ボンドルドは最後まで上機嫌に、ユニオン本土を後にした。

 

 

 ◇

 

 

 「結局のところ、彼は何者なのですか?」

 

 フッドはロイヤル陣営本土に戻った後、真っ先にウォースパイトにそう訊ねた。

 少しだけ渋った後、ウォースパイトは言葉少なに答える。

 

 「3年前の重桜の離反を覚えているか?」

 「えぇ。私は当時セイレーン対策の方に駆り出されていましたけど、レポートは拝見しましたわ。」

 「・・・限定的に私と同じセキュリティ・クリアランスを付与した。もう一度目を通してみなさい。」

 

 得られた答えはそれだけだったが、フッドはその理由をすぐに理解する。

 

 私室、最高レベルの閲覧制限が掛けられたデータベース『禁書庫』にアクセスしたフッドは、ぶり返してきた吐き気に口元を押さえる羽目になった。

 

 「なんです、これは・・・」

 

 限定的に、という言葉通り、流石に当時の状況すべてを閲覧できるわけではない。

 しかしウォースパイトが「これくらいは」と判断した情報は過不足なく、ボンドルドという男の異常性を伝えることが出来た。

 

 「重桜のKAN-SENにセイレーン技術を埋め込んだ、張本人・・・? 実験過程で少なくとも6人のKAN-SENを解剖し死に至らしめた・・・セイレーン解体数はその倍以上? なんの───」

 

 なんの冗談か。そう言い切ることは出来ない。

 確かに重桜は鉄血陣営と同じくセイレーン技術の導入を善しとし、艤装に取り入れた鉄血とは違いKAN-SEN本体に取り込んでいる。初めて聞いた時はフッド自身も正気を疑ったが、実際に会ってみれば安定──性格面はともかく肉体的には──していた。KAN-SEN技術の父と呼ばれた男の施術なら、それも納得できる。

 そして他者の技術を自分の物にするとき、最も確実で簡単な方法は、確かに()()だ。

 重桜は他の陣営と比べて一歩抜きんでて精強だ。練度70の壁を陣営全員が安定して超えているのは、今のところ鉄血陣営と重桜陣営のみ。そして業腹なことに、KAN-SENの損耗率が最も低いのもこの二つだ。

 

 「他には・・・要注意者リスト?」

 

 重桜陣営で、ボンドルドに懐いていた数人のKAN-SENに要監視(レベル1)、鉄血陣営のほぼ全員に入国制限(レベル2)が振られている。

 

 「黎明卿本人及び所在不明艦、フリードリヒ・デア・グローセ、大鳳・・・?」

 

 フッドが会ったことのない二人のKAN-SEN。黎明卿と並ぶほどのモノなのか、と戦慄しつつ読み進める。

 但し書きにはこうあった。

 

 

 確実に殺せると判断した場合に限り、無制限攻撃を許可する。

 

 

 



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4

 「何か言ったか、卿?」

 

 ボンドルドの書斎──というより研究資料置き場だ。本棚からはとうに溢れ、床にも最低限の通路を残して山積されている──で、秘書艦のグラーフ・ツェッペリンは問いかけた。

 ちなみに秘書艦はKAN-SENたちの取り決めにより、当番制になっている。

 

 「素晴らしい、と言ったのです。ツェッペリン。こちらを。」

 

 ボンドルドが示したのは、二週間前、ユニオン本土に出向いたついでに買ってきた歴史書だ。

 彼が読むものにしては珍しい、とツェッペリンは首を傾げる。

 

 「過去──セイレーンや貴女がたKAN-SENが出現するより以前、人間は“食べる”ということを通じて、他者の力を取り込むことが出来ると考えていました。」

 「あぁ・・・」

 

 ツェッペリンも聞いたことくらいはある。目が悪ければ目のいい魚、足腰が悪ければ足の速い動物、長生きしたければ強靭な植物を食べるといったように、食べるという動作を通じて他者の力を自身に取り入れることが出来ると考えていた。

 まさかセイレーンを食べるつもりかと尋ねてみれば、ボンドルドは驚いたようにツェッペリンを見る。

 

 「卿、まさか・・・?」

 「いえいえ、そうではなく。ただ思いもよらないアイディアでしたので、少し驚きました。」

 

 ボンドルドは首を振ると、ツェッペリンの持つ本を示した。

 

 「本の中盤をご覧ください。・・・あぁ、そこですね。『アジア・ヨーロッパの儀式的食人について』。」

 「古代アジアでは闘技場や戦場で食人を行っていた形跡があり、これは単なる食事ではなく儀式的側面が強い。倒した強敵に敬意を払い、或いは自らの糧と示し、取り込むことで自分を強化するのが目的だった・・・」

 

 やはりセイレーンを食べさせようとしているようにしか思えない。

 ツェッペリンとて艤装への技術導入から『祈手(アンブラハンズ)』の開発まで、所謂()()()()な研究には一通り触れているし、理解もある。貫徹した強さと存続への欲求を持つ鉄血のKAN-SENとして、ボンドルドの思想には共感できるのだ。その人柄も、紳士的な態度も、個人的には──多くのKAN-SENたちと同じく──好意を持っている。

 故に「食え」と言われれば躊躇いも捨てるが、ボンドルドはそれを否定していた。

 

 「そろそろ教えてくれないか、卿。一体なにを思いついたのだ?」

 

 ボンドルドはあと一歩ですよ、と指を立てるだけで、すぐに答えを教えようとはしない。

 仕方なくツェッペリンはもう一度思索に耽る。思い至る点はあるのだ。だが、本能的にそれを否定する。普通に考えてそんなはずがない。常識的にあり得ないと。

 だが、熟考すればするほど、その考えは覆っていく。他人どころか、種から異なる別存在(セイレーン)の技術を取り入れることに躊躇すらしなかったボンドルドだ。今更『常識』が通じるか、と。

 

 「KAN-SENに・・・KAN-SENを食わせるのか。」

 「素晴らしい、正解です。」

 

 

 ◇

 

 

 

 KAN-SENがドロップするとき、その存在は極めて不確定だ。

 シュレーディンガーの猫のように、周囲に観測する人間やKAN-SENがいなければドロップは生まれない。

 また、必要最低限とはいえ知識や戦闘能力を持って()()する。

 タイミングは運だが、ある程度の場所と個体は決まっている。強力な個体がドロップしやすい海域もあれば、全くKAN-SENがドロップしない海域もあるということだ。

 

 周囲を鏡面海域に囲まれた『前線基地(イドフロント)』がどうかと言えば、世界的に見てもかなりドロップしやすい海域と言える。

 アビスの制定した等級で言う最低出現率、SSR級のKAN-SENもそれなりにドロップする。もちろん代償として、セイレーンは頻繁に出現するし練度も高い。鉄血陣営(ボンドルド)には渡したくない、と全ての陣営が意を同じくするところではあるが、この海域を押さえられるのは鉄血陣営(ボンドルド)だけだという認識もある。

 

 そんな危険海域でドロップしたKAN-SENが、またひとり。

 

 白と淡紫の混じる長髪を靡かせ、観測者であるはずのKAN-SENがどこかにいないかと周囲を見回すのはシグニット。ロイヤル、Cクラス駆逐艦の五番艦だ。

 ドロップは周囲にKAN-SENがいる時にしか発生しない。そう本能的にか、或いは基礎知識としてKAN-SENの身体にインプットされているのか、シグニットは知っている。しかし水平線上に目を凝らしても、艦影ひとつ発見できない。

 

 「ど、どうしよう・・・取り敢えずレーダーを起動して・・・え?」

 

 シグニットに襲い掛かる、形容しがたい強烈な不快感。

 強いて言うのなら、それは世界が丸ごと裏返ったような、自分が世界を拒絶しているような感覚だった。

 KAN-SENであるシグニットには、本能的に理解する。これは自分にとっての『天敵』に属するものだと。

 

 鏡面海域に存在するKAN-SENの天敵と言えば、一つしかない。

 未だ目視すらせず、ただレーダー上の光点として認識しただけで、吐き気を催すほどの強烈な存在感。セイレーン、その中でもかなりの上位個体と推測される。

 

 離脱か迎撃か。

 明らかに自分より強いセイレーンだ。気弱な性格のシグニットでなくとも撤退を選ぶ場面。

 しかし離脱しようにも、鏡面海域の広さも、現在地がどこかも分からない以上どうしようもない。最悪、セイレーンから逃げたらセイレーンの中枢艦隊に遭遇しかねない。

 

 シグニットは迷いながら、この場における最善を判断する。

 

 「こ、こちらシグニット、え、えっと・・・助けてください!」

 

 

 

 




 感想欄、別にボ卿縛りとかないんで気軽にどうぞ!


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5

 周辺海域への救難信号。鏡面海域の内部から外部へのそれは往々にして遮断されるが、シグニットがドロップした以上、確実に周辺に艦隊がいるはず。内部にいる者同士なら、鏡面海域の影響は受けにくい。

 レーダー上の光点が急激に速度を上げる。縄張りに弱った獲物が迷い込んでいる、そう獲物の方が申告したのだ。狩らない道理はない。

 シグニットは砲撃に備えて乱数的に距離を取るが、直線で突っ込んでくる上に速度が違い過ぎる。目視圏、砲撃射程に入るのは時間の問題だった。

 

 「ふえぇぇぇぇ・・・」

 

 10秒。

 セイレーンを目視したとき、シグニットはそう理解した。

 砲雷撃戦───一対一の火力のぶつけ合いになれば、10秒しか保たない。

 

 ドロップしたばかりのシグニットに起死回生の一手などないし、決死の覚悟もだ。だが理性はまだ残っている。

 ならば、と。シグニットは反転し、動きを止めた。迎撃の意思を見せないように、早くも遅くもない絶妙のタイミングで。

 不審に思ってくれ。止まってくれ。対話しようとしてくれと、なるべく自信なさげに──この点に関しては演技の必要は無かった──武装の準備を最低限に立つ。

 

 やがて見えたセイレーンの個体に、シグニットは戦慄した。

 大体のセイレーンの情報を基礎知識として持つKAN-SENが()()()()個体。つまり、セイレーン側の秘匿個体。

 

 「あァ? なんで止まっ・・・えーっと、こういう時は・・・」

 

 狙い通り、困惑しながら停止するセイレーン。しかし困惑したのはシグニットも同じだ。

 

 (な、なんだろうあれ・・・台本に見えるけど・・・)

 

 ぺらぺらと冊子をめくるセイレーン。隙だらけではあるが、不意討ちしたら最期だと分かるだけに動けない。

 

 「ダメだ、ボなんとか卿っての以外に関しては書いてない。うーん・・・なァお前、鉄血のKAN-SENか?」

 「へ!? う、うち・・・?」

 

 シグニットは首を振る。

 セイレーンはしょんぼりした顔になった。

 

 「だよなぁ。ロイヤルの駆逐艦だよなぁ・・・見たことあるよ、シグニットだろ?」

 「え、えっと・・・?」

 「あ、あたしはオミッター。セイレーンの上位個体なんだけど、この辺りにあるイドフロント? って島、知らないか?」

 

 敵対する様子もなく、優しい表情で親し気に放すオミッター。

 シグニットはとりあえず目下の危険は無さそうだと判断し、対話を長引かせることにした。

 

 「え、えっと・・・この辺りっていうと?」

 「? だから、この鏡面海域の中だよ。鉄血陣営の管理する孤島らしいんだ。」

 「きょ、鏡面海域の中にKAN-SENがいるの?」

 「KAN-SENどころか、人間までいるらしいよ? で、知らない?」

 「ま、待って。人間が鏡面海域の中にいるの? どうして?」

 

 鏡面海域はセイレーンにとってはラボみたいなものだが、人間側にとっては戦場とイコールのはず。セイレーンにとってもシグニットにとっても可笑しな話だった。

 

 「どうしてって言われてもなぁ・・・あたしもこの辺は初めてなんだよ。今までずっと北極海にいたから、まぁちょっとした休暇がてら、お使いにな。」

 「おつかい・・・?」

 「そ、お使い。テスっちとレイちゃん様のな。」

 「て、てすっちとれいちゃん?」

 

 上位個体、だろうか。オミッターと名乗るこの上位個体に指示を出すということは、少なくとも意思無き量産型ではない。上位個体下層のピュリファイアーやオブザーバーのあだ名ではなさそうだし、もしかしたら上層の個体かもしれない。

 反射的に聞き返したシグニットだが、オミッターはしまったという表情になった。

 

 「やば。テスっちはともかく、レイちゃんのことはマズかったかな・・・いやでも、台本には・・・」

 

 うんうんと唸り出したオミッターから、シグニットは静かに距離を取る。と言っても、ほんの数歩程度なのだが。

 

 「うーん・・・お? 黎明卿配下のKAN-SEN以外に遭遇した場合、あるじゃん。見落としー・・・」

 

 躁鬱のように、ころりと表情を変えるオミッター。指で冊子をなぞりながら読み上げる声に、シグニットは静かに耳を澄ませた。

 

 「黎明卿配下でなく、かつ心証を加味して鉄血か重桜陣営でもないKAN-SENに遭遇した場合・・・コホン。」

 

 何故咳払い?

 シグニットが首を傾げると、オミッターは芝居がかった様子で両手を大きく広げた。

 

 「闇は夜の中に、墓は死の中に、そして我々は秘密の中に在らねばならない。それを暴く愚か者よ───この場で沈み朽ちて逝け!」

 

 雲が流れ、波の立つ風音だけが空しく通り過ぎる。

 シグニットが虚無と驚愕に浸ること数秒。沈黙としては十分な意味を持つ時間が流れ、オミッターは愕然とした表情になった。

 

 「ウケなかった・・・だと?」

 

 台本をめくり、ぶつぶつと呟きながらペンを走らせるオミッター。

 異常といえば異常な光景に、シグニットは後ずさる。

 

 「ナニ引いてんだテメェ! カッコよかっただろうが!」

 「えぇぇぇぇ!?」

 

 (こわ、怖いよこの子・・・情緒不安定すぎるよぉ・・・もうやだ、帰りたい・・・)

 

 シグニットは諦観交じりに全砲門をオミッターに向ける。

 第六感どころか、味覚以外の全てが総動員で危険を訴えてくる。見ろ、聞け、嗅げ、しかし触るな。全力を以てそいつを観察しろ。死線の最も超えやすい点を探せと。

 

 「さっきから遠巻きに見てるテメェらもよォ・・・舐めた真似してんじゃねェぞ!!」

 

 オミッターの艤装、鮫の大口のようなそれに、青白い光が収束する。

 シグニットには、台詞の意味を理解するだけの時間しか無かった。

 

 (さっきから、遠巻きに・・・?)

 

 そういえば、この辺りには鉄血陣営の島があると言っていた。管轄海域にこれほど強力なセイレーンが出現すれば、哨戒機や観測機を飛ばすのが普通だろう。しかし、対応するためのKAN-SENはいない。つまり───

 

 (あぁ、そっか・・・うち、囮にされたんだ・・・)

 

 周辺にいないドロップ観測者。最悪のタイミングで現れた強力なセイレーン。何もかも、仕組まれたことだったのだ。

 絶望の淵に立ち、シグニットは表情を緩ませた。

 

 「すごい、綺麗・・・」

 

 オミッターの艤装から放たれた、青白い光の束。

 死を自覚し、ある種の超集中状態になったシグニットは、コマ送りの世界でそれを眺めていた。

 まともに当たれば、おそらく2秒から3秒で蒸発するだろうエネルギー量だ。言うなれば崩壊の極光。美しく眩い死。

 

 シグニットはそっと目を閉じ───不意に、迫る光が途切れる。

 

 見えたのは、自分を庇う背中だった。

 

 「───『枢機へ還す光(スパラグモス)』。」

 

 同系の光が、オミッターの放った“死”を受け止めていた。

 

 



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6

 二つの光は同時に掻き消え、余波が周囲の海面を凪へと落とす。

 揺り返してきた波飛沫で長い黒衣を濡らしながら、その男は振り返った。

 

 「お怪我はありませんか?」

 「あ、え、えっと、大丈夫でしゅっ・・・」

 

 盛大に舌を噛み、赤くなって悶えるシグニット。

 その頭に、硬質なグローブで包まれた手が置かれた。

 

 「君はかわいいですね。もう怯えることはありませんよ。私の艦隊が、貴女を保護します。」

 「か、かか、かわっ・・・!?」

 

 落ち着いた、優しげな声ではあるが、フルフェイス型の情報端末で顔は見えない。

 しかし、シグニットはその奥に穏やかな光を湛える瞳を幻視した。

 

 「あなたは・・・?」

 「彼は私たち──鉄血陣営の指揮官よ。」

 「ぅゎっ!?」

 

 陶酔ぎみに、セイレーンと対峙する背中に手を伸ばせば、背後から不機嫌そうな声が突き刺さる。

 反射的に手を引っ込めて振り返ると、滑らかな金髪の映える黒い軍服に身を包んだKAN-SEN。声の通り不機嫌そうに、数人のKAN-SENを引き連れて立っていた。

 

 「私はビスマルク。鉄血陣営第一艦隊の旗艦を務めているわ。」

 

 白手袋に包まれた手が伸ばされる。

 シグニットが慌ててその手を握ると、ビスマルクは率いる艦隊の方を振り返った。

 

 「これより、貴女は私たちが保護するわ。その後の処遇は・・・それは指揮官と貴女が決めることか。」

 

 ドロップの保護はよくあることなのだろう。

 慣れた様子で、或いは機械的に、ビスマルクはそう宣言した。

 

 

 ◇

 

 

 「その仮面、その外殻・・・黎明卿ってやつに間違いないな?」

 「えぇ、相違ありませんよ。私はボンドルド。黎明卿とも呼ばれています。」

 

 互いに必殺の一撃をぶつけ合った直後とは思えない、楽しそうな声音で話すオミッター。

 答えるボンドルドも物腰は穏やかで、攻撃の予備動作すら取っていない。

 オミッターがボンドルドの背後を一瞥し、誰も聞き耳を立てていないことを確認した。

 

 「未知啓く黎明、深淵を覗く深淵、禁忌を忌む開拓者! その知、その技、その業に問う! 汝、裁く者なりや?」

 

 どこか嬉しそうに、芝居がかった様子で問うオミッターに、ボンドルドは首を傾げる。

 

 「裁判所に訪れたことは何度かありますが、上座に座ったことはありませんね。それより──」

 

 オミッターが硬直する。

 殺気というにはあまりに敵意なく純粋で、だからこそ禍々しい()()()を向けられて。

 

 「貴女の攻撃──いえ、貴女の身体はとても興味深い。練度にして80前後でしょうか、ピュリファイアーやオブザーバーよりも強靭そうです。」

 「な、んだ、テメェ・・・」

 

 唐突に、まるでスイッチを切り替えたように吹き出す威圧感。

 いや、それは幻覚だ。ボンドルドは威圧などしていない。ただオミッターが怯え、怖気を催しただけ。

 

 「その身体、その艤装───是非欲しい。」 

 

 知らず、オミッターが後ずさる。

 一歩の後退に対し、ボンドルドは二歩踏み出す。

 

 「く、来るんじゃねェ!」

 

 青い光線が、今度は海面に向けて撃ち出される。

 一点に収束した大規模なエネルギーは、一瞬ながら海底まで続く円柱状の空間を生み出す。続くのは当然、水蒸気爆発だ。

 周囲一帯に高波と霧を生み出し、オミッターは離脱する。

 

 「レイちゃん様からの伝言だ! 『あなたは真に人類の益となる。やがて深淵の底で、審判者の座を。』だとさ!」

 

 立ち込める霧に、二条の斬線が入る。

 オミッターのものと似た光が霧を払うが、そこに姿は無かった。

 

 「おや、逃げられましたか。」

 

 両腕の装置から肘に向けて伸びる光刃──ピュリファイアーの艤装から作り出した『枢機へ還す光(スパラグモス)』を停止させ、ボンドルドは振り返った。

 整列した艦隊と、所在なさげにちらちらとボンドルドを盗み見るシグニットが待っていた。

 

 「さて───」

 

 ボンドルドは海面を歩き、シグニットの前で止まった。

 

 「改めて、私はボンドルド。鉄血陣営の指揮官です。」

 

 差し出された手を握ったとき、シグニットは卒倒しそうになるのを堪えるので精一杯だった。

 

 「いろいろとお聞きしたいことはありますが・・・まずは安全なところへ行きましょう。」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 セイレーン・大西洋中枢艦隊。

 かつてグリーンランドと呼ばれていた氷の大地に本拠を置くそれらは、たった一人のセイレーンによって指揮されている。

 個体名はオブザーバー・(レイ)。戦闘能力どころかその存在すら露見していない、セイレーン陣営における秘中の秘。

 クラゲのような艤装を纏う彼女の前に立つオミッターは、顔を蒼褪めさせて震えていた。

 

 「もう一度言いなさい、オミッター。彼に、何をしたと?」

 「に、逃げるために、足元に攻撃しました・・・」

 

 ダウナーなレイの目に、疑いようのない険が宿る。

 オミッターが竦み上がり、早口にまくし立てる。

 

 「い、いや、だってレイちゃん様、アイツやべェんだって! なんか捕まったら解剖でもされそうな感じでさ!」

 

 正解である。

 ボンドルドのことは知っているのか、レイはそうでしょうねと頷いた。

 愕然とするオミッターに、レイはどこまでも冷徹に告げる。

 

 「彼は人類の強化に必須のファクターよ。貴女が解剖されることで彼の利になるのなら、貴女は身体を差し出すべきだわ。」

 「身体をって、なんかちょっとHだな・・・」

 「? ・・・いい? 彼は必要なの。逃げるのはともかく、攻撃するなんて論外よ。次やったら人格プログラムに制限かけるから。」

 

 へーい、と気だるそうに返事をしたオミッターを、レイは部屋から叩き出した。

 

 

 



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7

 ここまで感想欄の9割がボ卿なのは草なんだぁ・・・一般探窟家ニキネキも来てくれてええんやで。


 柔らかなベッド、温かい風呂、豪華な食事。

 この2週間、シグニットは平穏と幸福を一心に享受していた。

 

 「はむはむ・・・えへへ、幸せ・・・。」

 

 テーブルに並んだ料理を頬張り、表情を緩ませるシグニット。

 鉄血に保護されてから二週間が経とうとしているが、その光景は他のKAN-SENにとって珍しいものなのだろう。時折シグニットのテーブルを訪れては話しかけてくれる。

 中でも同じ駆逐艦のZ23と、彼女と仲のいいプリンツ・オイゲンとは良く話すようになっていた。

 正面に掛け、頬杖を付いたオイゲンが呆れ交じりに微笑する。

 

 「本当に幸せそうに食べるわね・・・。」

 「だ、だって、ここのお料理ってどれも美味しいから・・・オイゲンさんたちは食べないの?」

 

 Z23とオイゲンは顔を見合わせ、微笑みを少し気まずそうに崩した。

 

 「私たちはセイレーンの因子を取り込んでいるから、調整されたレーション類が一番合うのよ。」

 

 見回せば、大きな消しゴムのようなレーションを食べながら談笑するKAN-SENたちが目に入る。

 ここに来た時はシグニットもコレかと落ち込んだものだが、黎明卿が「申し訳ありませんが、これは彼女たち専用です。勿論、貴女にも専用の食事をご用意しますよ」と言って出てきた食事が今のものだ。

 あらゆる肯定的な形容詞が当てはまる食事、といえば良いのだろうか。栄養価も考えられているのか、食べるだけで力が湧いてくるような気さえする。

 食べたことのない肉に、見慣れないソース。少し舌が痺れるような辛い味付けは鉄血特有のものだろうか。

 

 「そ、そうなんだ・・・しきか──黎明卿に言ったら、美味しいレーションとか、調整された食事とか、作ってくれるかな?」

 「指揮官なら可能でしょうけど・・・忙しい人ですからね。あまり手を煩わせるわけにも。」

 

 シグニットの気遣いを含んだ呟きを、Z23が笑いながらも否定する。

 そっか、と落ち込んだ様子のシグニットに、Z23は少し慌てた様子で話題を逸らす。

 

 「そ、そういえば、今日の何時からでしたっけ、シグニットさんの進退決定。」

 「16時からだから・・・あと3時間くらい。」

 

 ボンドルドがシグニットに与えた選択肢は二つ。

 一つ、ロイヤル陣営への復帰。

 もう一つは、この鉄血陣営への帰属。

 まだ正式に鉄血陣営に所属しているわけではないシグニットに、ボンドルドを『指揮官』と呼ぶことは許されなかった。具体的に言うと、ビスマルクやオイゲンが少し不機嫌になる。

 

 「そう。・・・まぁ、どちらを選んでも、彼に敵対しない限り、貴女は私たちの友人よ。」

 「オイゲン、それだとシグニットが出て行っちゃうみたいですよ。」

 「そうかしら? ・・・そろそろ昼の演習ね。行くわよ、Z23。」

 

 シグニットが食べ終わったのを見て、二人も席を立った。

 レーションだと一緒に食べづらくて悲しいと思っていたが、そうでもないらしい。

 食堂を去るシグニットの足取りは軽やかだった。

 

 

 ◇

 

 

 「ではシグニット、これからもよろしくお願いします。共に、この碧き航路を守りましょう。」

 

 結局、というか大多数のKAN-SENが予想した通り、シグニットはボンドルドの手を取った。

 ではこれに記入を、とビスマルクが差し出したのは、状態報告書。演習の終わりや出撃帰投後に記入するはずのレポートだった。

 

 「? ・・・ぇっと、どうしてですか?」

 「初期状態を知らないことには、私たちも貴女をどう運用するか、どう訓練するかを決定しかねるもの。」

 

 ビスマルクの答えになるほどと頷き、シグニットはペンを走らせる。しかし、手はすぐに止まった。

 

 「あ、あの、練度を確認しても・・・?」

 「えぇ、構わないけど・・・この2週間、出撃も演習もしていないわよね?」

 「え、えっと・・・なんとなく、です。ほら、うちセイレーンにも襲われたし・・・」

 

 ビスマルクはそれ以上追及することなく、シグニットに艤装の展開を許可した。

 艤装を展開した状態のKAN-SENは、自分の状態をほぼ完璧に把握できるからだ。

 

 「や、やっぱり・・・あ、あの、指揮官、うち・・・」

 

 練度が上がっていた。のみならず、火力や装填速度と言った各種パラメータも、同練度帯と比べて異常に発達している。

 まるで覚えのない強化を報告しようと口を開くが、シグニットは躊躇った。

 

 (なんて言えばいいの? 出撃した覚えもないけど強くなっていました? い、言えないよ・・・絶対変だと思われるよ・・・)

 

 「どうしましたか、シグニット?」

 「い、いえ、その・・・なんでもない・・・」

 

 

 

 

 

 「ふえぇぇぇぇ・・・どうしよう、どうしよう・・・」

 

 施錠済みドア。施錠済みドア。施錠済みドア。

 KAN-SENが誤ってぶつかったくらいでは壊れない強化鋼板製のドアが、おそらく同素材のチェーンと鍵で閉じられている。

 

 執務室を後にして以来、「やっぱりあそこで言っておくべきだったよね・・・でも・・・」と悶々としながら歩くこと15分。気付けば見知らぬ場所にいた。

 おそらく進入禁止が言い渡されていたいくつかの棟の一つなのだろうが、それが分かったところで道は分からない。

 

 「・・・ぅん?」

 

 遠く、廊下に光るものが落ちているのが見えた。

 傷どころかシミ一つない、という形容が文字通り当てはまるほど清潔にされている『前線基地』だけあって、とても目立っている。

 

 「なんだろう、これ・・・クリップ?」

 

 鉄十字の飾りがついたゼムクリップだ。誰かの書類から落ちたものだろうと思い、シグニットはそれをポケットに仕舞う。

 辺りを見回せば、曲がり角からちらりと見える白いもの。案の定、誰かが書類を落としていた。

 

 (よかった。これと一緒に落とし主を探して・・・ついでに道も聞いちゃおっと。)

 

 書類を拾い上げるとき、内容に自分の名前を見つけるシグニット。

 見るつもりは無かったが、たまたま目に入ったものが興味を誘う。

 

 (これ・・・ぇ?)

 

 ヘッダーにはKAN-SENによる摂食強化と練度上昇について、フッターには6と打たれており、クリップで止められていたものだと分かる。

 摂食といえばシグニットに思い当たるのは、鉄血のKAN-SEN達が食べていたレーションだ。やっぱり特殊なものだったんだ、と興味をそそられ、シグニットは読み進める。

 それは明確な間違いだった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 「え? え? なにこれ・・・?」

 

 実験記録。その認識に間違いはない。

 だが───実験対象は鉄血のKAN-SENではなかった。

 

 「う、うちの名前・・・コメットの名前もある・・・これ、死・・・?」

 

 特別な食事。力が湧いてくるような感覚───覚えのない練度上昇。

 急に足場を失ったような感覚に陥ったシグニットは、背後から肩を叩かれるまで立ち尽くしていた。

 

 「そこ、邪魔なんだけど。」

 「ぅわぁっ!?」

 「・・・騒がしい。どうしたの? ぼーっと立っていたけれど。」

 

 シグニットが飛び上がるのを、うるさいな、とでも言いたげな目で見つめるKAN-SEN。

 ボディラインの出る水着のような服装は、潜水艦に特有のものだ。

 

 「え、えっと、うちは・・・あ、あなたは・・・?」

 「U-47よ。貴女、保護されたっていうシグニットでしょう? この棟は立ち入り禁止よ。」

 

 咄嗟に隠した書類は見られていなかったようで、シグニットは安堵しつつ迷った旨を伝えた。

 

 「そう。・・・ここ、結構複雑だから。」

 

 付いて来い、という意図を感じて、踵を返したU-47の後ろに慌てて続くシグニット。

 

 (この書類のこと・・・誰かに相談しなきゃだよね・・・でも誰に?)

 

 眼前の潜水艦? 駄目だ。進入禁止棟で実験記録を()()()という言い分を信じてくれる艦でなくては。

 シグニットの脳裏に、二人のKAN-SENの姿が浮かぶ。

 

 (そうだ・・・Z23とオイゲンさんなら・・・えっと、二人は確か)

 

 「あの、演習場ってどこですか?」

 「寮舎じゃなくて?」

 「え、えっと・・・」

 「まぁいいわ。こっち。」

 

 U-47は特に不審に感じた様子もなく、快く───というにはやや無愛想だが、シグニットを案内してくれた。

 

 

 



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8

 結局のところ、シグニットが二人と顔を合わせたのは寮舎でのことだった。

 演習場は既に別のグループのローテーションに入っており、聞けば二人は寮舎に戻ったと言われたからだ。

 Z23とプリンツ・オイゲンが共有する部屋へ突撃すると、二人はちょっと嫌そうな顔をしながらも──演習終わりで疲れているところだったのだから──シグニットを招き入れてくれた。

 

 「それで、お話というのは?」

 

 丁寧に、或いはシグニットを落ち着かせるように問うのはZ23だ。

 四人掛けのテーブルには対面した二人にコーヒーカップが二つ。オイゲンは少し離れた所にあるソファーで寛いでいた。

 

 「え、えっと・・・二人は、うちの食べてる食事の材料とか、知ってる・・・?」

 

 聞きながら、シグニットは少し馬鹿な質問だったと自省する。

 あまりに唐突過ぎるし、そもそも二人が──鉄血のKAN-SENが食べているのはレーションだ。知らない可能性が高い。

 

 「さぁ・・・? 何か問題でもありましたか? おなかを壊したとか・・・?」

 

 KAN-SENが食中毒になるのかといえば、勿論NOだ。軍艦を毒殺できるかという質問に嘲笑が返ってくるように。

 Z23の質問はあくまでシグニットに対する気遣いだろう。それほど、シグニットの身体は強張っていた。

 

 「う、えっと、その・・・これ、拾ったの・・・」

 

 シグニットが書類を見せると、Z23の表情に驚愕が浮かぶ。

 彼女はソファーでのんびりとウィスキー用の氷を削っていたオイゲンの元へ行くと、それを突き付ける。

 

 「オイゲン、見てください。これ・・・」

 「・・・食事による強化、ねぇ。」

 

 それだけなら、なにか特別な材料なんだな、くらいの認識でいい。KAN-SENには毒や寄生虫は効かないからだ。

 しかし、無機質な活字の『死亡』という文言が楽観を許さない。下手をすればシグニット自身が死ぬ可能性もあるし、何より──コメットが、シグニットの同型艦、姉妹とでも言うべきKAN-SENが実験過程で死んだとなれば。シグニットには現状を座視することはできない。

 

 「KAN-SENにも影響する未知の薬物、でしょうか?」

 「分からないわ。・・・シグニット、一緒に来るかしら?」

 「え? ど、どこへ・・・?」

 

 オイゲンは綺麗な球状に削った氷を放置して立ち上がる。

 Z23はシグニットと一緒にいるという意思表示か、シグニットの動きをじっと待っていた。

 

 「指揮官のところよ。直接聞いた方が早いわ。」

 

 

 ◇

 

 

 結局のところ、シグニットはその日の夕食を摂らなかった。

 かといってオイゲンに付いて行くでもなく、二人の部屋に残るわけでもなく。ただ漫然と自分の部屋に戻り、布団を被って丸くなっていた。

 

 「どうしよう・・・」

 

 もしZ23の予想通り、KAN-SENに作用する未知の薬品や、そんな成分を含む食べ物だったら。もし、コメットがその副作用で死んだのだとしたら。

 自分は───自分も、いずれそうなるのだろうか。

 

 怖い。

 

 戦闘用被造物であるKAN-SENだが、生存欲求は存在する。恐怖が戦闘において重要な役割を持っているからだと主張する学者もいるが、そんなことはどうでもいい。

 いま、シグニットは生存欲求を根幹とした自己保存の渇望に───生の渇望に溢れていた。

 簡単に言えば、怖くて興奮して眠れなかった。

 

 「どうしよう・・・」

 

 繰り返し、自分に問う。

 とりあえず今日は眠り、明日オイゲンにどうだったと訊くだけでいい。

 今できるのはそれだけだと、懸命に自分に言い聞かせる。だが、シグニットの心の奥底で、一つの炎が燻ぶっていた。

 

 それは──好奇心だ。

 

 未知というモノは恐ろしい。だから切り拓き、暴いてしまいたい。

 そんな逃避から生まれるものであっても、それは紛れもなく賛美すべき探求への渇望。

 

 シグニットは身体を起こすと、U-47の案内を懸命に思い返し、走り出した。

 

 強化鋼板製のドア、ドア、ドア。

 そうだ、確かこの辺りで────ッ!!

 

 「───いいえ、恐らくですが、部位による差ではなく部位ごとに含有量の異なる物質、強化因子とでも言うべき───」

 

 深夜だというのに、明かりが点いた部屋。

 聞こえてくる話し声は、間違いなくボンドルドのものだ。シグニットは息を殺して部屋に近付く。

 話し相手はどうやらビスマルクのようだが、他にも複数人の気配があった。

 

 「なら、その強化因子を抽出する方法を探るのがベストね。」

 「えぇ、その通りです。今のやり方では非効率ですからね。」

 

 こっそりと部屋を覗く。

 中にいるのはボンドルドとビスマルク。そしてボンドルドによく似た装いと仮面を付けた人間が数人。

 そして。手術台に寝かされ拘束された()()()()()

 

 「ぁ、ぇ・・・?」

 

 驚愕に漏れた微かな吐息と、後退りで生じる空気の流れ。それはビスマルクにとって、存在を知覚させるのに十分な要素だった。

 

 「誰だ!」

 「ひっ・・・」

 

 逃げ出そうとするが、驚愕と恐怖でもつれる足はシグニットを転ばせるだけに終わる。

 

 「おや、シグニットですか。・・・ビスマルク、艤装を仕舞ってください。」

 「・・・分かったわ。」

 

 不満そうなビスマルクとは裏腹に、ボンドルドはどこか上機嫌だった。

 いつものように穏やかに、ボンドルドは床に倒れ込んだシグニットに手を伸ばす。困惑しながらもその手を取れば、ゆっくりと部屋の中にエスコートされる。

 

 「あ、あの、指揮官、これは・・・?」

 

 シグニットの眼前に横たわり、微かに寝息を立てる()()()()()

 ボンドルドはその質問に答える前に、と前置きして、逆に質問を投げかける。

 

 「シグニット、貴女は練度の上限をご存知ですか?」

 

 シグニットは頷き、90だと答える。

 大多数のKAN-SENは数多の戦場を駆け、死線を潜ろうとも練度70でストップする。これは一般的なKAN-SENの限界値、俗に言う練度70の壁だ。

 しかし、鉄血陣営と重桜陣営のほぼ全員、そして他陣営でも特別な数人は、練度80や90といった規格外の練度を有している。

 これが、一般的に知られている練度上限だ。

 

 ボンドルドは首を振り、()()する。

 

 「それは過去の話です、シグニット。現状、ビスマルクと数人のKAN-SENは練度100に達しているのです。」

 「え、そ、そんな・・・」

 

 そんな馬鹿な。シグニットはそう口にすることさえできなかった。

 その技術があれば、セイレーンに対して優位に立てる・・・少なくとも中層の上位個体に迫ることは確実だ。質で負け量で戦線を維持している人類側において、その発見は素晴らしいの一言では足りないもの。

 

 「ですが・・・練度がこれ以上にならないことは構造上確かなのですが、その構造を見れば、能力にはまだ未発達の部分があるんですよ。」

 

 困りますよね、と。世間話のように、人類側の抱えるどうしようもない問題点を吐露する。

 その異常性に、シグニットは呑み込まれかけていた。

 

 「じゃ、じゃあ、ビスマルクさんはもっと強くなれるのに、もう強くなれないんですか?」

 

 言葉遊びのような質問。ボンドルドはそこに好奇心を見出し、両手を広げて賛美する。

 そして質問にはNOと、首を振って返答した。

 

 「いいえ。現状KAN-SENの練度上限は覆せません。しかし、KAN-SENの能力そのものを強化する方法、その開発の目途は立ちました。・・・シグニット、貴女のお陰です。貴女に心からのお礼を言わせてください。」

 

 そこで、ようやくシグニットはここに来た理由を思い出す。

 

 「あの、指揮官。それって、私が食べていたものに関係ありますか?」

 「えぇ、その通りです。」

 

 やっぱりだ、何か特殊な薬とか、変な食べ物に違いない! シグニットはそう断定し、恐る恐る問いかける。

 

 「その、それって、なんですか?」

 

 ボンドルドは「あぁ」と、気付かなかったと照れるような声を上げて、シグニットを指す。

 シグニットの眼前。手術台に横たわる()()()()()を示す。

 

 

 「──貴女自身ですよ、シグニット。」

 

 

 



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9

 「この2週間で貴女が提供してくれたデータは、非常に興味深く有意義なものでした。ストレスフリーな環境での()()、それも同一艦を摂食することで、他人の肉の実に倍近い成長を遂げることが出来るのですよ。他にもあります。腕や足と言った末端部位ではなく、心臓や脳といった中枢部位の方が成長率が高いんですよ。興味深いですね。我々はそれを強化因子の含有量が原因ではないかと思うのですが・・・君はどう思いますか、シグニット?」

 

 なんだ。

 なんなのだ、これは。

 何かの冗談にしてはあまりに悪趣味で、ビスマルクの顔はあまりに真剣で、ボンドルドの声があまりに楽しそうで、あまりにつじつまが合っていて───

 

 シグニットがそれを真実だと理解したとき、反射的に胃が収縮した。

 

 「おぶ、ぅえ・・・」

 

 どろどろと、消化され切った昼食の残りを。続けて胃液を吐き出すが、猛烈な吐き気は止まらない。

 歯ごたえと柔らかさが同居した肉の食感を、少し舌に残る辛めのソースの味を、美味しいと感じた幸福な記憶を吐き出すように。

 

 「おやおや、肉を分けてくれた人の前で吐き出すなんて、酷いことをしますね。」

 

 ボンドルドが労わるように、寝ている方の──食材にされている方のシグニットを撫でる。

 

 「美味しかったでしょう? 3週間ほど前にはコメットが居たのですが、あの時はストレスと成長性の相関性に気付いていなかったので、手足をそのまま食べさせていたんですよ。ですが激しく拒否されまして、潰したり溶かしたり、今のように調理するようになるまで、そう時間はかかっていないんです。料理上手な『祈手』がいて助かりました。」

 

 私にノウハウはありませんから、と笑うボンドルド。シグニットには、もはやそこに温厚さや憧れを見出すことは出来ない。

 眼前にいるのは怪物だ。ここで、ここで────

 

 「ッ!!」

 

 シグニットの艤装が展開され、120mm単装砲の砲口がボンドルドの胴体に突き刺さる。

 おや、と気の抜けた声を上げるボンドルドに、ビスマルクが悲鳴にも似た警句を発する。

 

 警告など何の役にも立たない。撃たせないのなら、口ではなく手を動かすべきだった。その証左、判断を誤った代償として、シグニットの砲弾はボンドルドの胴体に炸裂し───

 

 「流石、練度以上の火力ですね。素晴らしい。」

 

 焼けた黒衣の下、全身を覆う外骨格には傷ひとつ付けずに終わる。

 

 「いい装甲でしょう? セイレーン技術由来の強化外殻なんですよ。軽巡洋艦の主砲までなら防げます。」

 

 オブザーバー、ピュリファイアー、そしてエグゼキューターシリーズ。無数に存在する彼女たちの艤装や本体を乱獲して作り上げた強化外骨格『暁に至る天蓋』。徹甲弾や200mm以上の中口径弾でない限り、その運動量すら吸収する規格外の装備品だ。

 人間相手と侮った。ここで殺さねばと焦った。それもあるが、シグニット最大のミスは結局のところ、殺せると判断したことだ。

 

 「指揮官!!」

 

 完全に無傷と分かっていてもなお、焦ったようにシグニットとの間に割り込むビスマルク。

 既に艤装は展開されており、先の話が本当ならばその練度は100。もうボンドルドに意味のない攻撃を当てることもできないだろう。

 

 「どうして・・・どうしてこんなことするの・・・?」

 

 唇を噛んだのだろう。問いかけるシグニットの口端から垂れる胃液には血が混じっていた。

 

 「KAN-SENの強化のためですよ。」

 

 ボンドルドの口調に韜晦や欺瞞は無い。だが。

 

 「それなら、もっと違う方法だって───!!」

 

 シグニットは知っている。

 眼前の男がセイレーンの上位個体を相手に一人で対抗できる相手だと。その武力をこの目で見たからだ。

 

 シグニットは知っている。

 眼前の男はKAN-SENの関係技術を二足飛びに飛躍させた人物だと。そう、鉄血陣営のKAN-SENたちが誇らしげに語ってくれたから。

 

 シグニットは知っている。

 この男は、KAN-SENを平等に愛し慈しむことができる人物だと。そう、照れくさそうに語るZ23を、嬉しそうに語るオイゲンを知っている。

 

 こんな残酷な方法ではなく、もっといい方法を見つけられる可能性を持った男だと。そう知って───

 

 

 「──そうでしょうか?」

 

 

 それが、ただの希望だと突き付けられた。

 

 ボンドルドは語る。これまでに行った実験と、その結果を。何の成果も出さない───これでは無意味だという答えを与えるためだけに実験台にされた、KAN-SENたちの名前を、ひとりずつ。

 

 「綾波、鳳翔、加賀、ダウンズ、古鷹、ラフィー、セントルイス、高雄、伊58、カールスルーエ、シュペー。KAN-SENによるKAN-SENの強化、その手法を確立するまでに、これだけのKAN-SENたちが協力してくれました。直接の移殖、バックアップシステムによる人格移殖や経験の転移。色々と試したのですが、まさか原始的な捕食とは。いけませんね、視野が狭くて。ですが、私の行動にもそれなりに理由があるのですよ。」

 

 絶句するシグニットに、ボンドルドは──表情は見えないのでおそらくだが──笑いかける。

 

 「勿論、貴女のお陰で指針は示されました。より良い方法を模索することは辞めませんよ。」

 

 狂っている。

 そうシグニットが結論付けるのに、もはや時間は必要なかった。

 

 「ではシグニット、もう遅い時間です。部屋にお戻りください。」

 

 ボンドルドは何事もなかったかのように、そう言った。

 

 

 



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10

 断続的に鳴り響く耳障りな警報。

 日付も変わろうかという時間帯には聞きたくない目覚ましは、鉄血陣営『前線基地(イドフロント)』にいた全てのKAN-SENに届く。

 寝ていたKAN-SENを叩き起こし、哨戒中のKAN-SENを緊張の渦に叩き落し、晩酌に興じていた一部のKAN-SENの酔いを綺麗に覚まして、それは一応の役目を終える。

 複数種、火災や侵入者などのパターンに応じて用意された警報から選択されたのは、KAN-SENたちを最も不快にさせるうちの一つ。

 

 脱走者アリ。

 

 火災はまぁいい。大体はボンドルドの実験かセイレーンの攻撃が原因──つまり、日常茶飯事なのだ。事実、火災警報は最も音量が小さい。

 侵入者もまだ許せる。人間だろうがセイレーンだろうがKAN-SENだろうが、わざわざボンドルドの実験に協力しに来てくれたのだから。

 だが脱走者は、ボンドルドの実験の妨げにしかならない。最悪の場合、研究の成果がまるごと失われるか、他陣営に渡ってしまう。

 

 だからこそ、放送するビスマルクの声は固い。

 

 『第三隔離区画より実験体6名が逃走中。艦隊各位、発見次第確保または撃破せよ。繰り返す───』

 

 その放送を聞いて、オイゲンの眉が困ったと下がる。

 

 「6体か・・・これじゃ半分ね。」

 

 丸氷の入ったグラスにウィスキーを注ぎながら、至極面倒くさそうにごちる。

 展開された艤装を椅子代わりに夜空を見上げるが、目当ての月は見当たらない。

 

 「貴女たち、誰の手を借りたの?」

 「・・・言うと思う?」

 

 オイゲンがいるのは港だ。脱走者の動きを読んだ───わけではなく、単に晩酌をしていただけだ。

 黎明卿にシグニットの()()の是非を問えば非と返され、暇になったのでここにいた。星見酒に興じたはいいものの、月も無ければ隣に欲しいボンドルドもいない。退屈を覚え始めたころに脱走者警報が鳴り──気付けば3対1の構図だ。

 

 「はぁ・・・」

 

 勝てるか勝てないか。そんな次元の話ではない。

 70レベル艦3体なら一撃で掃討できるビスマルク(戦艦)とは違い、オイゲンにそこまでの火力は無い。だが相手は実験体として捕獲されていたドロップ艦。苦戦しろというのが無理な話だ。

 

 オイゲンのため息にすら怯えた様子を見せる、3人の中で先頭に立つケント。

 健気にもオイゲンを睨みつけ、艤装を向けるエイジャックス。

 その背後で震えながらも艤装を展開しているノーフォーク。

 

 彼女たちを順番に見据え───オイゲンは再度、嘆息する。

 

 「はぁ。・・・シグニットでしょう? 分かっているわよ。聞いてみただけ。」

 「・・・maybe,貴女がプリンツさん?」

 

 期待交じりのケントの問いは、おそらく。

 

 「えぇ、そうよ。シグニットはなんて?」

 「よかったー・・・あなたともう一人・・・Z23って子は協力してくれるだろうから、ここから逃げてって。」

 

 安堵したように、ケントたちが歩み寄る。

 どうしようもなく冷え切ったオイゲンの視線には気づくことなく。

 

 

 ◇

 

 

 遠くで響いた砲撃音を聞いて、Z23は嘆息した。

 

 「もう、オイゲンさんってば・・・勘弁してほしいです。後の掃除とか、同じ班の私まで駆り出されるんですから。」

 

 重巡洋艦の砲撃、それも高度に強化された艤装を装備した高練度艦のもの。破壊規模は馬鹿にならない。

 瓦礫撤去、被害修繕。三徹だろうか。本当に勘弁してほしい。

 

 うんざりした様子のZ23は、ほんの少し首を傾けて砲弾を回避した。

 それは背後の通路を通り抜け、綺麗に窓を突き破って海へと落下する。

 

 「これはアドバイスですが・・・この建物を壊した場合、仮に貴女達がこの島を脱出できたとしても、他陣営へ攻撃したKAN-SENとして処分されますよ。」

 「その前に、貴様らの悪事を全て公表してやる。・・・尤も、その後の断罪を貴様が受けることは無いがな。」

 

 真っ白な軍服に佩かれていたいた軍刀を抜き放ち、Z23と対峙するのは重桜の重巡洋艦、高雄だ。

 正規に重桜に所属している高雄ならいざ知らず、レベル1のドロップ艦。駆逐艦のZ23でも十分に相手取れる。

 

 「黎明卿はこの先か?」

 「さぁ、どうでしょう。この先に指揮官が居られようと、ご不在だろうと、貴女はここで倒します。」

 

 無意味な対話。

 Z23も高雄も、そう判断した。

 高雄がここで時間を食えば敵の増援が来る可能性が高まり、この研究棟のどこかにいる黎明卿を殺すことも叶わなくなる。

 Z23がここで時間を食えば、被害が──とんでもなく不機嫌だったオイゲンが生み出す破壊と、その後始末による睡眠不足が著しいものになる。

 

 「名を、聞いておこう。」

 「Z23です。高雄さん。」

 

 Z23が艤装を顕出させる。しかし、殺気を纏ったのはZ23だけだった。

 

 「ま、待て。貴女がZ23なのか? 私はシグニットに───ッ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 警報を作動させた張本人、隔離区画から6人のKAN-SENを脱走させた下手人であるシグニットは、死線上に立っていた。

 隔離区画から逃げだすときに攻撃され、連れ出した6人は散り散りになった。だが、それはむしろ僥倖と言える。

 

 「そこを通してください、ビスマルクさん。」

 「逆に聞くけれど、私が頷くと思うの? 指揮官に砲を向けた貴女を、この私が許すと?」

 

 ここにいても、シグニットには氷刃のような殺気を纏ったビスマルク相手に時間を稼ぐこともできないのだから。

 だがビスマルクに一矢報いることができれば───少しだけでも警戒させるか、このまま話続ければ、分散された仲間たちが逃げることくらいはできるだろう。

 

 ビスマルクは()()を知らないはず。まだ一縷の望みはある。

 

 せり上がりそうになる胃の内容物を懸命に押しとどめ、シグニットは艤装を展開した。

 

 

 

 

 



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11

 「これは・・・あぁ、シグニット。貴女たちは本当に素晴らしい。素晴らしい・・・」

 

 各所から上がる爆音と煙を意に介した様子もなく、ボンドルドは血痕の残る部屋でひとり、称賛の声を上げ続けていた。

 微かに涙の気配を漂わせる声音で、素晴らしい、素晴らしいと繰り返す様子は敬虔な信徒にも見える。

 

 「死を迎えたKAN-SENの消滅がこれほど残念だったことはありません。きっと、貴女の逝く先は天国ですよ。」

 

 ボンドルドの眼下、手術台に横たわるシグニットは満身創痍だった。

 両腕、両足、腹部と内臓のほぼ全てが失われており、既に活動を停止している脳が声を聞くことは無い。

 鈍い刃によって千切られたような傷は、その特徴的な形状からボンドルドにこの部屋で起きたことを簡単に推測させた。

 

 「あちらのシグニットも、きっと一緒です。」

 

 既に消滅が始まっているシグニットの死体、無事だった頭部を撫でながら、ボンドルドは感嘆の息を漏らす。

 

 「まさか調理前の自分自身を食べるとは。そしてそれ以上に──生きたまま食べられるのを許すとは。羨ましいほど素敵な絆ですね。」

 

 シグニットの身体に残る、無数の()()

 争った形跡はない。眠っているだけだったシグニットは勿論起きただろうが、許し───いや、もしかすると、起こしてから、許しを得てから食べたのかもしれない。

 なんという覚悟。なんという献身。

 

 「あぁ、本当に素晴らしい。───そう思うでしょう? 赤城、加賀。」

 

 その感動も、シグニットだった蒼く輝く粒子も、こびりついた血痕も。手術室諸共に、500lb通常爆弾によって吹き飛ばされた。

 

 部屋の外から憎悪を滾らせて睨みつける二人のKAN-SENは、重桜の正規空母、赤城と加賀だ。当然ながら正規に重桜に所属している艦ではなく、ボンドルドが拾ってきたドロップ艦だ。

 

 「───おや、おやおやおやおやおやおや。」

 

 爆炎の中、燃え尽きた黒衣は取り払われ、セイレーン技術由来の外殻『暁に至る天蓋』を露出させたボンドルドが歩み出る。

 その鎧も所々に損傷が見られ、左腕の『枢機に還す光(スパラグモス)』に至っては完全に破損していた。

 

 それも意に介さず、ちょうど赤城と加賀に挟まれる位置で、ボンドルドが嬉しそうに、或いは感動したように語る。

 

 「()()()()ですか! 素晴らしい・・・! あまり協力的ではなかったので隔離棟に置いていましたが、まさかこんなことになっていようとは!」

 

 赤城の腕も、加賀の腕も、血の滲む包帯が痛々しいほどに傷を主張している。

 その下にあるのが()()()だと、ボンドルドは理解していた。

 

 いくら爆撃機搭載の500lb通常爆弾をモロに喰らったとはいえ、オブザーバーとピュリファイアーというセイレーンの上位個体から作り出した外殻だ。未強化の艤装で傷付けるのは、KAN-SENの練度が高くなければ不可能だ。

 そして損傷は十分に与えられている。ならば────

 

 「強化因子含有量の低い四肢、それも軟禁状態というストレス下でこれほどまでの強化を! 一体何度、互いを口にしたのです?」

 

 答えは無く、それぞれ4機ずつ発艦した艦載戦闘機の機銃掃射がボンドルドに突き刺さる。

 サイズは小さいが、内包する破壊力は航空機用20mm機関砲と同等。一発で人間を吹きとばす威力の弾丸が毎分450発のレートで殺到する。

 人間も、部屋も、内装も纏めて粉々にする弾丸の嵐をその身に受けてなお、ボンドルドは下がりもしない。

 

 「答えて頂けませんか。貴女がたのような美しく強固な絆は、作ろうとして作れるものではありませんから。再現性はともかく、実数値は知っておきたいのですが。」

 「では貴方をご自慢の『祈手』とご一緒に監禁して差し上げましょう。三月のうちに何度、仲間の肉を貪るほどの飢餓に陥るか、その身で体験されては如何かしら?」

 「それはいい。貴様のよく回る舌も、薄汚い血に絡んで些かなりとも錆びるだろう。」

 

 赤城と加賀が憎悪と同時に攻撃もぶつけ、艦載爆撃機が再度の爆弾投下を行うが、それはボンドルドが放った右腕の『枢機に還す光』によって空中で切断される。

 『枢機に還す光』は熱線ではなく、物質を消滅させる光だ。爆弾を爆発させることなく、艦載機もろとも斬り飛ばすこともできる。

 しかし────その制御はボンドルド自身にもできない。装置を取り付けた腕の向きや振りによって破壊に指向性を持たせることはできても、その破壊範囲は『枢機に還す光』自体の減衰に依る。

 

 結果───研究棟は爆弾によってではなく、ボンドルド自身の手で、一部崩壊した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 遠く、夜闇を切り裂く光と、轟音と共に崩壊する研究棟を見て、二人は正反対の表情を浮かべた。

 

 シグニットが満身創痍、死に体でしかし、穏やかに笑う。

 ビスマルクが埃の一片すらその身体に付けず、怒りと不安で凍り付く。

 

 これまでにシグニットが繰り出した攻撃は数知れず。その全てがビスマルクの装甲に阻まれ、無為と消えた。

 対してビスマルクがした攻撃らしい攻撃は、副砲の一撃のみ。それでもシグニットの耐久力の半分は吹き飛んでいる。

 

 生かして捕らえ、ボンドルドの役に立てようという考えが生んだ無駄な時間は、結果としてシグニットに有利に働いた。

 

 「一撃で殺すつもりは無かったけれど・・・大破くらいはするかと思っていたわ。貴女、練度いくつだったかしら?」

 

 ビスマルクの問いにシグニットは答えず、ただ折れそうになる足に懸命に力を籠める。

 いや、もはや聴覚が殆ど機能していないのだろう。

 

 「みんな、頑張ってるんだから・・・」

 

 艤装中破、KAN-SEN本体中破。戦闘続行は非推奨と判断される。

 そんな常識がシグニットの脳裏に浮かび、すぐに消える。うわ言のような言葉は、脳内を埋め尽くして溢れて漏れたものか。

 眼前の(ビスマルク)は練度100という異常個体、そして見据えるべき(ボンドルド)も常識外の存在。

 

 ならば───常識になど、囚われていられない。

 

 「うちだって、頑張る!」

 

 

 



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12

 「あぁ、これは困りましたね。」

 

 靴下に開いた穴を見つけたような軽い調子で、ボンドルドがごちる。

 上には瓦礫、下にも瓦礫。片腕は下敷きになり、もう片方も狭くて動かせない。不幸中の幸いに、『暁に至る天蓋』は強化鋼を多分に含む瓦礫の崩落に巻き込まれてもなお、装備者を完全に保護している。

 ボンドルド自身に損傷はなくとも、このままでは動けない。致し方なしと割り切り、ボンドルドは自分がどちらを向いているのかも分からないまま、まだ無事だった右腕の『枢機に還す光(スパラグモス)』を起動した。

 

 天に伸びる光の刀剣は、ボンドルドと鉄血陣営の者に安堵を、そして赤城と加賀には舌打ちをさせる。

 よかった、今度は設備を斬らずに済みました。そんな安穏とした声は、すぐに無数の艦載機の駆動音で掻き消される。続く機銃掃射と爆撃はしかし、ボンドルドにとって目くらまし程度にしかならない。

 銃弾の雨は端から意に介さず、投下された爆弾は届く前に光剣によって消滅する。

 

 ボンドルドたちが落ちた側が基地内部ではなく、海側だったのは不運だった。

 

 赤城と加賀を追って海面に立つボンドルドに、基地設備という枷は無くなった。

 安定した様子で海面に両足を付ける姿に、赤城と加賀は揃って顔を顰める。これで安全圏から攻撃し続けることは出来なくなった。

 『暁に至る天蓋』のスペック上、二人が全力で逃げ出せば追いつくことは出来ないが、二人が選んだのは逃走ではなく迎撃──ボンドルドの抹殺。

 

 「もう一度お聞きしますが、答えては頂けないのですね?」

 「えぇ。貴方に語る言葉など一つで十分です。」

 「──地獄へ落ちろ。」

 

 迸る殺気に合わせ、空を埋め尽くすほどの艦載機が放たれる。

 戦闘機は単なるデコイ。本命はボンドルドの外殻にある程度効果の見込める爆撃機による爆撃と、まだ試していない攻撃機による雷撃。

 

 両腕の『枢機に還す光』が健在ならば、おそらく一機たりともその身に届くことは無かった。

 しかし───既に片腕のそれは破損し、海面上では少しのズレで水蒸気爆発を起こしかねない。かといって慎重に動けば、その隙を突かれるだろう。

 

 ボンドルドにとっては面倒な──二人にとっては、捕らえられてからずっと考えてきた、必殺の布陣だ。

 

 ゆっくりと、眉間を押さえるような動きでボンドルドの手が仮面を撫でる。

 それはどうしようかと悩む動作に似ており、二人は揃って口角を上げた。

 

 「戦闘慣れしていない素人が。悩む暇があったら体を動かしたらどうなんだ!」

 

 加賀が勝ち誇って吠え、指揮下の艦載機に一斉攻撃命令を下す。

 

 「海上ではご自慢の武装も使いにくいでしょう? その珍妙な仮面からビームでも出せれば、まぁなんとかなるでしょうけれど。」

 

 赤城がシニカルにというには嘲笑の色が濃い笑いを浮かべ、同様に攻撃指示を出す。

 

 そして。

 

 「───『明星へ登る(ギャングウェイ)』」

 

 仮面から放たれる光線。

 収束ではなく拡散するように撃ち出されたそれは、海面に触れると反射し、水蒸気爆発を起こすことなく艦載機の群れへ殺到する。

 乱数的に回避行動を取る無数の艦載機が、一機をも逃すことなく光に穿たれて撃墜する。

 

 「なッ!?」

 

 なんだそれは。なんで本当に出るんだ。そんな心中を短い叫びで表し、二人は硬直した。

 戦闘経験なく練度を、能力を上げると、こういう不意討ちに弱くなってしまう。奇しくも加賀の罵倒がそのまま当てはまる状況に、今度は二人が陥ってしまった。

 

 「あぁ、やはり弊害もありますね。」

 

 それに気付かないボンドルドではない。

 海面を蹴り、引き絞った両拳を二人の腹部目掛けて同時に打ち込む。 

 鈍い衝撃音を上げ、胃液を零しながら吹き飛ぶ二人。

 

 ボンドルドは追撃せず、短い思索に耽る。

 

 「・・・やはり、あくまで未発達能力の成長に使うことにしましょう。練度上昇と能力強化が別因子の働きであれば嬉しいのですが・・・まだ未検証なんですよ。もう少し『祈手』を増やすのもいいですね。───どうですか、お二人は。」

 

 赤城と加賀の知る『祈手』といえば、隔離棟の管理人のような立場だ。もう二度とあそこに戻りたくはない二人にとって、考えるまでもない勧誘。

 当然ながら、二人は起き上がりざまに艦載機を飛ばす。

 

 「研究用ではなく戦闘用の『祈手』も作りましょう。貴女達のような強力なKAN-SENや、セイレーンを使って、戦闘用にチューンアップした専用個体を用意するんです。いい案だと思いませんか?」

 

 投下された爆弾の合間を縫うように海面を走り、再度の直接攻撃を試みるボンドルド。

 赤城は上体を逸らしてその右フックを避け───眼前に迫る『枢機に還す光』の発射口の延長線上から、倒れ込むようにして逃れた。

 直後に放たれた『枢機に還す光』は、赤城の髪を数束ほど消し去るだけに終わる。

 

 二撃を外して生じた隙は、加賀にとっては絶好の機会。

 右手の『枢機に還す光』は撃ち終えたばかり。左腕のそれは既に破損している。そして『明星へ登る(ギャングウェイ)』を放つ仮面は、今こちらに向いていない。

 

 獲ったという確信と共に、6機の爆撃機に一斉攻撃を命じる。

 全機が一斉に散開し、ボンドルドの頭上で急降下姿勢へと移行する。

 

 「───『明星へ登る(ギャングウェイ)』」

 

 ボンドルドの仮面から何条もの光が撃ち出され、ボンドルドの見上げた前方にいた機体を撃墜する。

 残る5機がその腹を開く。露出するのは、直撃すればボンドルドにも通じる500lb通常爆弾だ。それらは一斉に───空気中で反射するように折れ曲がった光に撃ち抜かれて、艦載機諸共に爆発した。

 

 直撃すれば効果のある爆弾も、当たる前に爆発してしまえば、ボンドルドにとってはちょっと強い風のようなもの。

 

 腰まで揺れ上がる波の上で、艦載機の残骸を雨のように背負って、ボンドルドは依然立っていた。

 

 「・・・化け物め。」

 

 

 ◇

 

 

 ケントは、自分の死を自覚したのだろうか。

 否だ。きっと。傍観者だったノーフォークとエイジャックスでさえ、吹き飛んだ頭蓋と飛び散る血液や脳漿を知覚するのに、見てから理解するのに数秒を要したのだから。

 

 「え・・・?」

 

 頭部を失った体は膝から崩れ落ち、完全に斃れ伏せる前に蒼く輝く粒子となって消えていく。

 確定した死、蘇生不可の証明だ。

 

 「ぁ、ぉ・・・?」

 

 言葉にもならない混乱を漏らすエイジャックスに、オイゲンは温度のない視線を向ける。

 それはすぐに一切の興味を失ったように逸らされ、使い手の意思通りに処刑を執行した艤装に向けられる。

 労う手つきで撫でられた艤装は、セイレーン技術を取り込んだ半生体。オイゲンに甘えるように、その手に頭を擦り付けていた。

 

 「・・・そう。シグニットは騙されていた、ということ?」

 「あの子に協力する、なんて、一度も言ったことはないわ。勝手に期待されて勝手に非難されても困るのだけれど。」

 

 心底面倒くさそうに、エイジャックスに反駁する。

 ただでさえ重巡洋艦対軽巡洋艦なのだ。正面からの砲雷撃戦になれば火力負けは確実。練度差もあるだろう。

 ドロップ直後に捕獲されて以来、戦闘経験というものを積めなかったエイジャックスに、相手の技量を測るような観察眼は無い。ただ本能が戦闘回避を、逃走を、無様なる遁走を叫んでいる。

 

 しかし───彼女はエイジャックス。

 たとえ相手が格上だろうが、たとえ背後に庇うのが同型艦の姉妹でなかろうが、仲間の仇を前にプライドを捨てて逃げ出すほど、可愛い性格をしていない。

 

 「ロイヤルネイビーの誇り、まずは貴女に見せつけて差し上げるわ!」

 

 艤装の抜き撃ち。展開から攻撃までのタイムラグが一切ないゼロフレームでのクイックドロウは、練度1のKAN-SENに実現可能な技ではない。

 極限の集中と、これまで受けてきた屈辱、そして仲間を殺された怒りが、その奇跡を齎した。

 

 しかし───科学は厳格だ。

 

 練度1、艤装強化ゼロ、そして軽巡洋艦の小口径通常弾。

 練度70オーバー、艤装最大強化、耐久寄りの重巡洋艦。

 要素を並べるだけで、結果は見えている。それは奇跡では覆せない、絶対的な差だ。

 

 そして───時に科学は、奇跡をさえ冒涜する。

 

 エイジャックスの主砲の初速は約900m毎秒。

 対してボンドルドの『枢機に還す光』や、その原典といえるピュリファイアーやオブザーバーのビームは光速───299792458m毎秒。

 素材集めに付き合っていた鉄血や重桜のKAN-SENからすれば、最早『世界最速(回避不能)』以外は()()のだ。

 

 オイゲンは艤装を構える暇もない。

 そう確信したエイジャックスは、オイゲンの胸元に大穴を開ける軌道の砲弾を視認する。

 極限状態下における超集中、ゾーンとも呼ばれるそれは。

 

 「・・・え?」

 

 皮肉にも、エイジャックスに自身の死を知覚させる。

 

 砲弾すら視認できるコマ送りの中、()()()()()オイゲンは砲弾の軌道から無造作に外れ、その半生体艤装の砲口がエイジャックスに向く。

 砲口が光り、炎と煙を突き破って砲弾が飛来する。初速では軽巡洋艦の砲に劣り、その分威力で勝る中口径弾。その軌道が自身の頭部であると認識して。

 

 エイジャックスは青く輝く粒子となった。

 

 

 

 



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13

 「えいっ!」

 

 裂帛の、というには些か気の抜ける、シグニットの喊声。

 しかし、続く攻撃は生易しいものではない。122mm砲による砲撃───を煙幕代わりに、死角からの魚雷投擲。

 首を少し傾げるだけで躱せる攻撃を()()()()たビスマルクの意表を突く、陸上での雷撃。

 

 「指揮官がデータを欲しがるでしょうから、なるべく殺したくはないの。投降してくれないかしら?」

 

 砲弾を躱し、魚雷を掴んで投げ捨てたビスマルクが億劫そうに言う。

 背後、爆発した魚雷が水柱を上げ、雨となって降り注ぐ。

 

 「・・・その様子じゃ、本当に聞こえて無さそうね。」

 

 本体、艤装共に中破。シグニットの聴覚は既に失われている。片眼が赤いのは、血が入ったのか、毛細血管が破裂したのか。

 五感を一つと半分失って、よく耐えている。ビスマルクは意識の片隅でそう評価した。

 

 状況は一見するとビスマルクが圧倒的有利だが、実のところそうでもない。

 

 確かにビスマルクは殺そうと思えば、今すぐにでもシグニットを撃沈できる。

 しかし彼女はボンドルドが称賛するほどの()()()であり、ビスマルクの予想が正しければ練度30オーバー───実験外で練度上昇している異常個体だ。

 

 ボンドルドであればこう言うだろう。

 あぁ──是非欲しい。

 

 であれば、ビスマルクが目指すのは生け捕り。四肢くらいは吹き飛ばしても問題なく再生するKAN-SENだ。その難易度は低い。──通常ならば。

 

 (副砲一撃で中破、ね。・・・どうする、殴り倒す?)

 

 もう一撃副砲で攻撃しようものなら、確実にシグニットは轟沈する。主砲? 論外だ。

 かといって肉弾戦にも持ち込めない。ビスマルクは重装甲の戦艦であり、馬力も相応だ。駆逐艦を殴り殺すことなど造作もない。というか、接近戦の訓練ではいつもティルピッツやグラーフと組んでいたから加減が分からない。

 

 ビスマルクが悩む間に、シグニットは砲撃を続ける。頭部、胸、頭部、足元と要所要所に撃ち込んでくるのは、KAN-SENの本能によるものか。

 連続して足元に撃ち込んで土を巻き上げたかと思えば、その土埃の中から魚雷が飛び出してくることもある。戦闘センスはあるのかとビスマルクも感心するが。

 

 「───ご、ぶぇっ・・・」

 「届かないわよ。」

 

 ビスマルクの拳がシグニットの鳩尾にめり込む。

 しかし加減が過ぎたか、嘔吐や昏倒には至らない。

 

 「・・・予想以上に強靭なのね。」

 

 ビスマルクがごちる。

 シグニットの練度を見誤ったかもしれない。

 実験露呈段階で練度20だったシグニット。たとえその時点で()()だったとしても、練度は高く見積もって25程度。しかしどうだ。眼前のシグニットはおそらく練度30以上。冷静に考えれば、出撃許可の出ていなかったシグニットが練度を上げる方法は一つしかない。

 

 「そう。実験外で食べたのね。・・・面白いわ。」

 

 ならば、シグニットは練度30オーバーで、かつ能力値も練度以上に成長していることになる。勿論ビスマルクにしてみれば取るに足らない差異だ。どうせならもう少し強くなっていてくれれば、加減も分かったのにとさえ思う。ちなみにビスマルクの欲する「加減しやすい練度」は鉄血水準、つまり練度80オーバーなので高望みが過ぎる。

 

 「悔しいけれど、彼が惹かれる理由が少しわかった気がするわ。」

 

 戦闘開始以来初めて、ビスマルクが笑顔を見せた。

 

 

 ◇

 

 

 (・・・笑った? ───ッ!?)

 

 見惚れるような、という形容の当てはまる微笑に負けたシグニットは、噴出した殺気に怯えて地面に身を投げる。

 直感を信じて右側に飛べば、先ほどまで立っていた場所に大穴が開いていた。少しのタイムラグを経て降り注ぐ砂礫が晴れれば、地面に開いた大穴が見えた。

 先と同じ副砲の一撃。回避などという高尚なものではなく、単に怯えただけ、幸運の産物である生還に、ビスマルクが称賛を投げる。

 

 「やるじゃない。次、行くわよ?」

 「───ッ!!」

 

 起き上がる間もなく、次弾が打ち込まれる。

 一撃喰らえば死が確定する大口径弾が、ようやく撃ち込まれ始めた。

 

 (よし・・・よしっ! やっと、やっとここまで来れた───)

 

 シグニットが()()()()()()()状況がようやく訪れた。

 ビスマルクの砲弾を喰らってしまった時には諦めかけたが、赤城と加賀が、未だ遠くの海上で上がるその奮戦の証が、シグニットに勇気を与えた。

 

 (あとは───ここでッ!!)

 

 ビスマルクが本気で狙いをつけていない今なら、反撃を考えない全力の回避なら、そして回避寄りのステータスに成長したシグニットなら、まだ避けることが出来る。

 砲弾を掻い潜り、ビスマルクへと肉薄する。ゼロ距離で砲撃しようが魚雷を撃ち込もうが、おそらくビスマルクには届かない。だが───

 

 (これなら───)

 「いける、はず!」

 

 ビスマルク自身の砲撃、その発射炎と煙がスクリーンとなり、シグニットの姿を覆い隠す。

 意味ありげに叫んだシグニットに警戒するようにビスマルクが一歩、後退する。

 

 「ッ!!!」

 

 繰り出されたのは、刺突。

 シグニットが持っていたのは、包丁だった。

 

 「!?」

 

 ビスマルクが驚愕に目を見開き───咄嗟にその刃部を握って受け止める。

 鋭く砥上げられた刃は女性の柔肌をいとも容易く切り裂く───だろうが、ビスマルクはKAN-SENだ。

 軍艦を包丁で沈められるか? 答えは無論、NOだ。

 

 チョコレートの包み紙より簡単にステンレス製の包丁を握り潰して。

 ビスマルクは首筋に走った()()に顔を顰めた。

 

 「ッ!?」

 

 反射的にシグニットを後方の海面へと投げ飛ばせば、水切りの石のように何度か海面でバウンドしている。

 

 「・・・本当に、貴女には驚かされてばかりね。」

 

 効くはずのない、だからこそ意表を突ける攻撃で動揺と油断を誘う。そして続く、おそらく確信を持っていただろう攻撃。

 単調で、効果的で、そして思いもよらなかった攻撃に、ビスマルクは心の底から称賛する。よくセイレーンやKAN-SENに出し抜かれたボンドルドが口にする賛美に、ビスマルクは正直疑問を持っていたが・・・なるほど、これは。

 

 「素晴らしいわ、シグニット。」

 

 ()()のついた首筋を撫でて、ビスマルクは抱擁するように両手を広げる。

 

 「けれど、残念ね。食事とは奪うものではなく()()()()()もの。私は貴女に、この肉体の一片、血の一滴たりとも与える気はないわ。」

 

 その教授するような言い回しと両手を広げた佇まいに、シグニットは仮面と黒衣を幻視する。

 第二の関門は突破された。ならば───

 

 「ッ!」

 

 シグニットが()()()()

 ビスマルクに背を向けた全力疾走で、外洋への逃走を開始した。

 次はどんな予想外を見せてくれるのか。ボンドルドに毒されたか、そんな思考に耽っていたビスマルクにとって、それは動揺を生む想定外。

 そもそもビスマルクはシグニットを逃がさないためにこの場に居たのだ。それを覆されそうになり、焦った。

 

 咄嗟に、ビスマルクは副砲を撃つ。

 ベストは生け捕り。では最悪、ワーストは何か。言うまでもなく、逃走を許すことだ。

 生半な練度のKAN-SENであれば、咄嗟に撃った砲撃など当たるものではない。

 しかし、ビスマルクはその逆。

 当てないことに注力していた意識は、焦りによって普段通りに───必中の照準になってしまう。

 

 「しまった!」

 

 ビスマルクが見せた動揺は、シグニットにとっての死刑宣告。

 それを見て、シグニットは心の底から安堵し歓喜した。

 

  (やった、()()()()っ!)

 

 回避不能。死は確定した。

 死を目前にした超集中、コマ送りの世界で、シグニットは進行方向───自身を貫いた砲弾が向かう方を見据える。

 

 遠く、艦載機の群れを薙ぎ払う光剣と黒衣が見える。

 

 シグニットの目的は、最初からボンドルド一人のみ。何としてもボンドルドを打倒するという一点の為に、文字通り血反吐を我慢して同胞を口にして、KAN-SENたちには囮になってもらった。勿論、運よくオイゲンやZ23と合流できれば助けてもらえるだろうが、この広い『前線基地』で、大多数の敵より先に2人しかいない味方に出会えると信じるほど、もはやシグニットは純粋ではない。

 つまり、シグニットは決めたのだ。

 悪を討つためになら、悪へ堕ちると。自分自身の命を噛み千切ったときに、託されたのだ。

 

 しかし、シグニットの武装ではあの『暁に至る天蓋』を貫くことは叶わない。

 

 ならば───確実に貫ける砲を用意すればいいだけのこと。

 

 ビスマルクの装備する副砲、試製152mm三連装砲は、長射程の徹甲弾。

 低練度の駆逐艦ごとき、容易く貫けるだろう。そしてその先には、ビスマルクの敬愛する指揮官がいる。

 

 シグニットはある意味、ビスマルクを信頼していた。

 セイレーンの上位個体と一対一を演じたボンドルドが、副官として側に置く実力者。それも練度100という超級のKAN-SENだ。

 自分が逃げようとすれば、確実に止めを刺す。刺せる。狙いを外すことなど、万に一つもないだろう。

 

 練度100の戦艦が放った強化済み艤装の徹甲弾。

 それはシグニットの予想通り、彼女の胸元に大穴を開け───真っ直ぐに、ボンドルドへと飛翔する。

 

 

 

 



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14

 「・・・それで、私に協力を仰げと言われたんですね?」

 「その通りだ。貴君らを解放し、あの外道を葬ることが、彼女の願いだ。」

 

 ねじ伏せた高雄の言葉は、Z23にとって面白いものだった。

 咄嗟の命乞いにしてはストーリーに矛盾が無いし、シグニットの性格上あり得そうなことだ。加えて言えば、高雄というKAN-SENが命乞いに嘘を並べるとは思えない。

 となると、シグニットはこの高雄と、赤城と加賀を使ってボンドルドを葬る気だ。練度1のドロップ艦風情に届く首ではないが、高雄の話では赤城と加賀の練度は40近いらしい。爆撃機の500lb通常爆弾を直撃させられれば、或いは。

 

 「なるほど。事情は分かりました。」

 「・・・では?」

 

 期待を宿した目の高雄は何か勘違いをしているようだが、Z23も他の鉄血陣営のKAN-SENも、ボンドルドに強制されてここにいる訳ではない。

 むしろその逆。ボンドルドに心酔し敬意から、或いは好意からその指揮下に居るのだ。唆されて裏切るようなクズは、この『前線基地(イドフロント)』には誰一人としていない。

 Z23にとって、高雄の言葉も態度も、その忠誠を、ボンドルドのくれた愛を、ボンドルドに捧げる愛を軽視されているようで酷く不快だった。

 

 殺すか? という思考が過り、すぐに霧散する。

 

 「・・・これは?」

 「・・・これは。」

 

 警報。

 火災でも侵入者でも脱走者でもない、訓練ですら滅多に聞くことは無い、KAN-SENたちの心を凍り付かせるもの。

 緊急事態警報、と正式には言うらしいが、KAN-SENたちは俗にこう呼んでいる。

 

 弑逆警報。

 

 「そうか・・・やったぞ、Z23。我々のしょ」

 

 Z23の半生体艤装、その主砲が無意識下の怒りを汲んだように駆動し、高雄の頭部を吹きとばす。

 蒼く輝く粒子となって霧散していく身体を捨て置き、Z23は全力で駆け出した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 酒気を含んだ退屈そうな吐息が、夜の冷えた空気に消えていく。

 ノーフォークは怯えるばかりで、オイゲンに向けた攻撃も、オイゲンからの逃走もしない。

 待っていればどうにかなると、本気で信じているのだろうか。オイゲンの胡乱な視線に怯みながらも、ノーフォークは微動だにしない。

 戯れに攻撃でもしてみようか。そんな、酷く傲慢で怠惰な思考は、けたたましく鳴り響くサイレンによって掻き消された。

 

 「・・・嘘。」

 

 邂逅して以来。ケントとエイジャックスを無感動に殺し、退屈そうにグラスを傾けていたオイゲンの表情に、初めて感情らしきものが宿る。

 それは悲哀であり、憤怒であり、喪失感とそれを埋め尽くすような憎悪の塊を抱き締めたような、見る者に憐れみすら覚えさせる表情だった。

 

 「・・・え?」

 

 瞬き一つ分。ノーフォークが目を離したのは、ほんのそれだけの空隙。

 気付けば、オイゲンは外洋に向かって走り去っていた。

 

 「た、助かった・・・?」

 

 ノーフォークは胸を撫で下ろし───そこに開いた大穴に気が付いた。

 

 「・・・ぁ」

 

 ぽろぽろと臓器を零し、溢れ出る血を眺めながら。

 ノーフォークの意識は消滅した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 左の脇腹、心臓下部から腰のあたりまでを吹きとばされ、もはやボンドルドの身体は浮いているのが不思議なほどだった。

 海面が染まるほどの流血を、浮かんだり沈んだり流されたりしている内臓の流出を、赤城と加賀は万感の思いを胸に眺めていた。

 

 遠く沿岸部に、一人、また一人と、死に体のボンドルドを目指すKAN-SENたちの姿が見える。

 

 もはや戦闘は終結した。

 そう確信し、二人はただ浮かんでいるボンドルドに近付く。

 

 「───────。」

 

 一言を発するごとに、身体から血が流れ出す。

 肺を半分失って、死に逝くボンドルドが遺す言葉を聞こうと耳を傾ける。

 

 「すば、ら、し・・・い。すば・・・ら・・」

 

 称賛を、赤城と加賀を称えて、ボンドルドは事切れた。

 

 

 呼吸の停止を確認し、加賀と赤城は高らかに宣言する。

 

 「鉄血陣営統括管理官は戦死した!」

 「全艦武装を解除し、速やかに投降しなさい! 仇討ちは無意味です!」

 

 こちらに近付いてくるKAN-SENたちは、誰も武器を向けていない。艤装の解除にまでは至らないが、無理もないだろう。

 だが弑逆警報は他のものと違い、自動的に秘匿回線を通じて他陣営とアビス本部に救援要請が発される仕組みだ。───ここから近いユニオン・ロイヤル陣営ならば半日かそこらで到着するはず。

 その後『前線基地(イドフロント)』は解体か、まともな──アレより酷い人間などいるはずもないが──指揮官が着任するだろう。

 

 複雑な表情を浮かべた鉄血陣営のKAN-SENたちが、ボンドルドの腹心『祈手(アンブラハンズ)』の一人と共に、まだ浮かんでいるボンドルドの死体を取り囲む。

 

 外道とはいえ、人類への貢献は大きかった。

 せめて惜別くらいは、と。赤城も加賀も口を挟むことは無い。

 

 二人の知らない『祈手』がボンドルドの仮面を外し、その死体を沈める。

 それは傍目から見れば、遺品の回収と埋葬にも見えた。

 

 その祈手は自らの仮面を外す。それは死者に敬意を示すなら当然のことだと、赤城と加賀は受け取った。

 そして彼は───手にしていたボンドルドの仮面を装着した。

 

 甲高い駆動音を上げて、I字に発光する仮面。

 祈手がもともと着ていた黒衣も相まって、それは()()()のようで───

 

 「おい、何を」

 「──指揮官っ!」

 

 何のためにそんなことをしたのか。加賀が苛立ち混じりに声を上げるが、より大きな声がそれを遮る。

 滂沱の涙を流しながら、ボンドルドの仮面をつけた祈手に縋りつくのはビスマルクだ。

 故意ではないとはいえ、自分の指揮官を撃ったのだ。その心に突き刺さった罪悪感は計り知れないだろう。

 

 「良かった、本当に・・・」

 「・・・おい?」

 

 何故か、ビスマルクが口にしたのは安堵だった。

 当然ながら引っ掛かりを覚えた加賀を、赤城が制止する。

 

 「止しなさい。・・・壊れてしまったのよ。あの子は。」

 

 本当に、心からボンドルドに心酔していたのだろう。ビスマルクは自身の砲で指揮官を、敬愛するボンドルドを撃ったという事実──()()()()()()という事実に耐え切れず、壊れてしまった。

 彼女の心の底からの安堵が、見る者に悲痛なほどの憐憫を呼び起こす。

 そして、その声は。

 

 「──おかえりなさい、指揮官。」

 「ありがとう、ビスマルク。・・・何も背負うことはありませんよ。貴女たちの愛がある限り、私は不滅です。」

 

 その、どこまでも穏やかな声は、二人に───いや、三人に、心の底からの絶望を齎した。

 

 

 ◇

 

 

 

 世界の全てが敵に回ったような感覚。

 さして高くもない波。ほぼ無風に近いそよ風。もう失ったはずの聴覚に訴えかけるような梢の揺れ。

 その全てに嘲笑われている気がした。

 

 海面に伏せるように斃れ、胸に開いた大穴からは命が零れ落ちていく。

 

 指先が、髪が、そして身体が、蒼く輝く粒子となって消えていく。

 自我が、存在が、蒼く輝く粒子となって、大いなる何かに呑まれていく。

 

 赤く染まった視界は半分が暗闇に落ち、もう片方も鉛のようだ。

 

 それでも重い頭を上げて見れば、世界の全てに嘲笑されている。

 

 

 ────シグニット。おまえの行いは、覚悟も挺身も裏切りも、全て()()()()()

 

 

 両手を広げた黒衣とI字に発光する奇妙な仮面をその目に焼き付けて、シグニットの意識は消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 




・・・実はプリンツがノーフォークをぶん投げて壁にしてボンドルドが無事生還するという案もありました。没になったので供養代わり、ここに呟いておきます。


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15

 「誤報?」

 「えぇ、そのようです。お騒がせしました、エンタープライズ。」

 

 弑逆警報──指揮官の死亡に伴って、自動的に『アビス』全陣営に秘匿回線で発される救援要請を受け、予想の倍近い早さで『前線基地(イドフロント)』に到着したエンタープライズ。

 何があったのかは知らないが、あれだけボンドルドに懐いていた鉄血陣営艦はさぞ荒れているだろうと覚悟してきたが、彼女の予想に反して、出迎えたのはいつもの穏やかな物腰のボンドルドだった。

 

 「・・・一応、DNA検査をしても?」

 

 エンタープライズの質問は形式的なものだ。

 心臓に埋め込まれた生命監視機器を介した弑逆警報は、強力な電磁波や強力な麻酔などで誤作動する可能性が指摘されている。誤報はありえない話ではないし──それにここは鏡面海域内部。機械類の誤作動は日常茶飯事だろう。それにしては今まで一度も無かったのは不自然だ。

 眼前の男が影武者である可能性は50:50と言ったところ。

 あの黎明卿がそう簡単に死ぬかというエンタープライズ個人の判断を加味すれば、20:80だ。ちなみに前者が影武者である可能性で、エンタープライズ個人の()()を混ぜると逆転する。

 

 「構いませんが、私のDNAデータは『アビス』のデータベースに存在しませんよ?」

 「・・・そうだったな。では、私はこれで。」

 「もう行かれるのですか? ご迷惑をおかけしたので、よければ食事でも」

 「結構だ。・・・もうじきロイヤルと重桜も来るだろう。赤城にでも食わせてやれ。」

 

 行ってしまいました、と肩を落とすボンドルド。まさか()()の材料に気付いた訳ではないだろうが、まぁ、建物は一部切り取られたように崩壊しているし、港も一部瓦礫の山になっている。そんな場所で「あれは誤報。なにもなかった。」という主張が通っただけ譲歩されたのだろう。

 

 「・・・指揮官?」

 「どうされましたか、ビスマルク。」

 

 普段の冷静な雰囲気ではない。むしろ、どこかそわそわとした、悪戯がバレた子供のような動揺を見せているビスマルク。

 ボンドルドが向き直れば、やはりというべきか、彼女は深々と頭を下げた。

 

 「ごめんなさい、指揮官。私のせいで、貴方を──あなたをひとり、殺してしまった。」

 

 帽子を脱ぐと、滑らかな金髪がカーテンのように涙を隠す。

 その謝罪を受け止めて、ボンドルドは頭を撫でる。硬質な『暁に至る天蓋』越しではあるが、その手つきからは怒りは感じられない。

 

 「そうですね。確かに、貴女の攻撃が私を殺しました。これは否定できません。」

 

 自分の頭を撫でる掌を怖がるように、ビスマルクの身体が硬直する。しかし、ボンドルドが手を止めたり、拳を振りかぶることは無い。

 

 「そして、貴女の献身が、セイレーンの人格バックアップ技術を利用した『祈手(アンブラハンズ)』の開発を可能にしました。これも事実です。」

 

 認められない、というように、ビスマルクは無言のまま首を振る。

 ボンドルドは続ける。

 

 「貴女のおかげで、私は10を超える戦闘用『祈手(アンブラハンズ)』を用意出来ました。研究用はその倍は居るでしょう。その全てが“私”なのです。貴女は私に30人分の貢献をしてくれました。一人分の失態など、取るに足らないものですよ。」

 「でも───」

 「貴女が責を負い解体を望めば・・・自沈を選べば、私たちの研究は大きな停滞を余儀なくされます。ビスマルク。・・・貴女が必要です。」

 

 嗚咽を漏らすビスマルクに、ボンドルドは背を向ける。

 

 「心の整理が付いたら、また研究を手伝ってくれると嬉しいです。」

 

 

 ◇

 

 

 「誤報?」

 「えぇ、その通りです。お騒がせしました、赤城。」

 

 焼き増しのようなやり取りを交わす赤城とボンドルド。違いと言えば、エンタープライズの時は応接室だったが、赤城は執務室に通されていた。

 赤城はDNA検査を要求することもなく、深いため息を吐いた。

 

 「話し方と立ち振る舞い。表面上の性格と声。」

 「・・・素晴らしい。流石に鋭いですね、赤城。」

 「身長が2センチほど、それに体重が違いますから。武装の差と言えば通る差異でしょうけれど、その言い分を見るに正解ですね。・・・()()()彼は何処に?」

 

 ボンドルドの隣に控えていたオイゲンが、赤城から噴出する殺気に反応する。

 戯れの脅しではない、本気の殺意。未だひりついた空気の鉄血陣営艦、しかも別人とはいえ──脱走したドロップ艦の方はとうに沈めたとはいえ──赤城だ。オイゲンの眉が不快そうに釣り上がる。

 

 「本物、というのが肉体を指すのなら、海の底です。」

 「・・・。」

 

 重桜陣営統括管理艦全権代理、赤城。練度は90で、艤装強化及び即時撤退技術の導入済み。

 ボンドルドを殺し得るKAN-SENの一人だ。剣呑な視線がI字に発光する仮面を睥睨する。

 

 「そして人格と記憶、経験の集積を指すのであれば。紛れもなく私が───『祈手(われわれ)』がボンドルドです。」

 「・・・セイレーンの人格バックアップ技術を転用しましたね、黎明卿。」

 

 ボンドルドは驚いたように立ち上がり、心の底から赤城を称賛する。

 

 「あぁ、やはり貴女は本当に聡明ですね。袂を分かってしまったこと、本当に悔やんでいます。もう一度私の元に来るつもりはありませんか?」

 

 差し出された手を、赤城は両手でそっと押し戻す。

 

 「残念ながら、私も今や全権代理です。そう気軽に陣営を移ることは出来ませんよ、黎明卿。」

 

 本当に残念そうに、困ったような微笑を浮かべる赤城。

 対照的に、オイゲンはどこかつまらなそうだ。

 

 「そうですか。・・・気が変わったら、いつでもお越しください。『前線基地(イドフロント)』の門はいつでも貴女を受け入れますよ。」

 「時勢が許せば、是非に。」

 

 一礼し、部屋を出ようとする赤城の背中に、ボンドルドが声をかける。 

 

 「赤城。」

 「なんでしょうか、黎明卿?」

 「練度90から100に至るまでの『最後の壁』ですが、倍の素材が必要です。」

 

 雲行きを知らせるような気軽さで、ボンドルドがさらりと告げる。

 対して驚いた様子もなく、むしろ納得したように、赤城はなるほどと頷いた。

 

 「感謝いたします、黎明卿。」

 「無用な心配をお掛けしましたから、ほんのお詫びですよ。」

 

 今度こそ退出した赤城を見送り、ボンドルドはタブレット端末を手に取る。

 画面には脱走警報の事後報告書が表示されていた。

 

 「脱走者6名、離反者1名。全7名処分済み。残生体数───まだ余裕がありますね。」

 「どうする、指揮官? 強化因子の抽出から始める?」

 「そうですね。まずは強化因子の含有率が多い心臓や脳から────」

 

 愉しそうに語るボンドルドは、話す間も惜しいというように研究棟へ向かう。

 

 KAN-SENから強化因子を抽出する技術が開発されるのは、そう遠くない未来の話だ。

 

 

 



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16

 第二章、開始です。


 「・・・おや、これも不正解ですか? 困りましたね。」

 

 クイズ番組でも見ているような暢気さで、ボンドルドは呟く。

 傍らに控えるビスマルクもすっかり調子を取り戻したようで、手にしたタブレット端末に熱心にデータを打ち込んでいる。

 

 鉄血陣営前線基地(イドフロント)研究棟。

 常に人類の為になる革新技術を開発している、人類側にしてセイレーンに最も迫る場所。

 数週間前に公式発表されたKAN-SENから強化因子を抽出する機械は、人間が数人は入るサイズのガラスポッドが二つ付いた、メーターだらけの天秤のような形状だ。

 片側のポッドに強化元のKAN-SENを、もう片方に素材となるKAN-SENを入れて起動すると、素材側のKAN-SENが消滅(そくし)し、抽出された強化因子がもう片方に流れ込む仕組みだ。

 

 片側、素材側には4人のZ23が押し込められ、もう片方には1人の、鉄血陣営に正規に所属しているZ23が入っている。いや、入っていた。

 

 機材は正常に作動し、4人のZ23は速やかに消滅し、抽出された強化因子が流入する。

 しかし、Z23は首を振る。強化されていないことを示すために。

 

 「やはり練度100のその先には、別のアプローチが必要ですか。・・・ご苦労様でした、Z23。おかげでいいデータが取れましたよ。今日はおしまいですから、ゆっくりと休んでくださいね。」

 

 機材から出てきたZ23の頭を一撫でして、ボンドルドは別室──書斎こと資料置き場へと引っ込んだ。

 

 

 ◇

 

 

 「はぁ・・・」

 

 あまり貢献できなかった、と、落ち込みながら廊下を歩くZ23。懐中時計に目を落とせば、もうじき日付が変わろうとしていた。

 これから大浴場に行くのも面倒だし、同室のオイゲンには悪いが部屋のシャワーを浴びてから寝よう。そんな算段を付けていると、不意に声が掛けられる。

 

 「随分と辛気臭い顔じゃない?」

 「今日の実験で、あまり貢献できなかったもので・・・?」

 

 消灯時間は過ぎているが、別に絶対就寝の規定ではないし、罰則もない。晩酌だって許される。が、KAN-SENが研究棟に来る目的は一つ。ボンドルドに会うことだ。

 そしてボンドルドが居るのはZ23が来た方向で、声が掛けられたのも同じ方向──背後。

 誰かとすれ違った記憶はないし、可能性としてあり得るのはビスマルクくらい。そして声が違うとなれば、Z23が引っ掛かりを覚えるのは当然だ。

 

 振り返り───一息に艤装を展開し、狙いを胴体の中心に据える。

 

 「セイレーン!?」

 

 銀灰色の髪に、黄色く輝く瞳。

 セイレーンに共通の特徴だが、その個体はZ23にとって、いや、鉄血陣営にとって馴染み深いものではなかった。

 

 「確か・・・テスター?」

 

 ボンドルド曰く。強力な攻撃武装も強固な防御兵装もないので、あまり美味しい相手ではない・・・らしい。出現率が低いので鹵獲はしますが、とも言っていたが。

 だが有用なピュリファイアーにしろ、あまり美味しくないテスターにしろ、この場に居るのは明らかに異常だ。なんせここは『前線基地(イドフロント)』、鉄血陣営の拠点だ。ローテーション制の常時哨戒、ボンドルド謹製の警戒装置、まだ半数ほどは起きているだろう鉄血陣営のKAN-SENたちと、侵入できない要素は山ほどある。

 

 「そう睨まないでよ。私はただのメッセンジャー、武装だってしてないんだから。」

 

 挙げた両手をひらひらと振るテスター。

 練度100という視座からは、確かに脅威は感じない。しかし、如何に武装を持ってすらいないからと、この防護網を抜けボンドルドのいる研究棟まで来れるものか。

 在り得るとすれば、哨戒の交代タイミングに合わせ、防御装置に何らかの細工をし、KAN-SENたちの感知網に引っかからないルートを辿るという策だ。

 

 そして、そんなことが可能なのは。

 

 「・・・おや、もうお越しでしたか。どうぞこちらへ、テスター。」

 

 この基地の全てを把握している、ボンドルドただ一人。

 Z23──練度100のKAN-SENが接近に気付かなかったということもそうだが、セイレーンの侵入を手引きした、待っていたような口ぶりに驚く。

 いや、事実待っていたのだろう。この邂逅はセイレーン側の武装解除と人類側の寛容を前提に、双方合意の上でのものか。

 

 「指揮官、護衛は・・・」

 「ビスマルクがいますが・・・お疲れでなければ、君も聞いていきますか、Z23?」

 

 表情に微かに浮かんだ心配を汲み取られたのだろう。Z23は苦笑したくなるのを抑え、首を振る。

 

 「・・・いえ、ビスマルクであれば、私はむしろ邪魔になるかと。」

 「そうですか? では、ゆっくり休んでください。おやすみなさい、Z23。」

 「おやすみなさい、指揮官。」

 

 では、と、Z23を見送ったボンドルドは歩き出す。その後ろを興味深そうに歩くテスターは、抑えきれないといったようにボンドルドに話しかける。

 

 「ねぇ、その腕の機械。それってピュリファイアーの艤装から作ったでしょう?」

 「その通りです。というより、この外殻の殆どは彼女とオブザーバー()作られていますよ。」

 

 やっぱり、と感心したような声を漏らし、テスターが一歩近づく。

 

 「腕の機械からはピュリファイアーの、仮面からはオブザーバーのビームかぁ。考えたね。けど、なんで逆向きなの?」

 「逆、ですか?」

 「だって、普通はこう出るでしょ?」

 

 下腕から手の甲に向けて、テスターが指を走らせる。

 あぁ、と納得したように頷き、ボンドルドは『枢機に還す光(スパラグモス)』を一撫でする。

 

 「相手の意表を突くため、というのもありますが・・・」

 「が?」

 「ロマンですよ、テスター。」

 

 呆気にとられたように立ち尽くし、一呼吸。

 

 「くっ・・・あはははは! ロマン、ロマンか! なるほどなるほど!」

 

 手を叩きながら爆笑するテスター。バンバンと『暁に至る天蓋』が軋む程度に背中を叩き、涙を拭う素振りすら見せる彼女は、まるでボンドルドの友人のように見えた。

 

 「はぁ・・・っく、ははは・・・」

 

 やがて応接室に入るころにはその笑いは収まっていたが、まだ口端が痙攣している。

 ビスマルクが控える側のソファーにボンドルドが掛け、ローテーブルを挟んだ対面にテスターが座る。

 流石にセイレーン──兵器だけあって、スイッチの切り替えは早い。纏う空気が変わり、胡散臭そうに見ていたビスマルクも感心したように頷いていた。

 

 「さて、と。私が来た目的は、アンタがどれだけの存在か測ること。・・・なんだけど、さっきのでそれは終わり。」

 「お眼鏡に適ったのなら光栄です。」

 

 テスターは鷹揚に頷き、ポケットに手を入れる。相手が違えば攻撃の意思と取られても仕方のない動作ではあるが、ビスマルクは動かない。

 敵意を感じないというのもあるが、今のビスマルクは艤装を展開しているからだ。この距離ならば、ゼロフレームでテスターの頭を吹き飛ばすことも可能。これ以上の警戒はむしろボンドルドの邪魔になる。

 

 「私に課された指令は二つ。まず一つ目が、アンタの存在を測ること。もう一つは、そのテストに合格した場合──これを渡すこと。」

 

 こつ、という硬質な音を立ててローテーブルに置かれたそれに、ボンドルドは見覚えが無かった。

 それによく似たものを挙げるなら、リュウコツ技術の根幹であるメンタルキューブ。それと同質の青い半透明な材質不明の物体で、独特の輝きを持っている。

 だがメンタルキューブが名前通り『箱』ならば、それはどちらかと言えば『板』だった。

 

 「これは? メンタルキューブと同系の物質とお見受けしますが。」

 「正解。私たちはこれを“メンタルユニット”と呼んでいるわ。」

 

 手に取って注視すると、それは単なる板ではなく電子基板のように見える。

 

 「リュウコツ技術に属するもののようですが、腑分けの時にも見たことがありません。・・・どうですか、ビスマルク?」

 「私も知らないわ。ごめんなさい、指揮官。」

 「謝る事はありませんよ。未知を知ることは素晴らしいことなのですから。・・・それで、テスター。これを何処で?」

 

 これは何か。どう使うのか。そんなことはどうでもいい・・・ことは無いが、それは自分で調べるべきこと。自分が知りたいこと。

 いま知るべきはその所在。実験とは万全の環境と安定した供給が前提なのだ。

 

 「KAN-SENから。より正確に言うのなら、KAN-SENの精神(メンタル)からね。だから初見なのは当然。流石の貴方でも、KAN-SENの精神までも解剖した訳ではないでしょう?」

 

 これ以上のヒントを与える気はないようで、テスターは逆側のポケットから別の物を取り出した。

 

 「メンタルユニットを弄り終わるころには、これの正体も分かるはずよ。」

 「こ、れは・・・。」

 

 ビスマルクのみならず、ボンドルドまでもが目に見えて動揺する。

 眼前に置かれたそれは、二人も良く知るメンタルキューブに酷似していた。しかし、一つだけ決定的な差異がある。

 

 それは、赤いメンタルキューブだった。

 

 

 



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17


 ふぁ、ファンアートというか挿絵的な何か貰っちゃった!

【挿絵表示】

 11話、ボ卿が脱走した赤城と加賀に襲撃された直後ですね。素晴らしい・・・と聞こえてきました(自分で言ってる説もある)

 あと感想と評価とお気に入りありがとうございます! お気に入りは300件に乗りました! あと日間ランキング47位もありがとうございます!


 通常の青いものとは違う、赤いメンタルキューブ。

 二人にとって──いや、アビスに属する者全てに否応なく過去を想起させるそれは、ボンドルドが長年探していたものでもある。

 

 「存在偽証・・・非存在の模倣。やはりセイレーン側の技術でしたか。」

 

 数年前。まだボンドルドが重桜陣営に属していたころの話だ。

 セイレーンの上位個体、中層程度と目されるそれにすら苦戦していたころ。多大な犠牲を払って討伐した上位個体が、これと全く同じものを持っていた。

 それを奪取したとき、それは独りでに展開され一人のKAN-SENが誕生した。

 

 彼女の名はフリードリヒ・デア・グローセ。存在するはずのないKAN-SENであり、ボンドルドが目指すKAN-SENの終着点でもある。

 

 その強さは空前と評され、複数の鏡面海域の単身踏破、ボンドルドに随行してのセイレーン前線拠点奪取も成し遂げた。その時に拿捕した拠点が今の『前線基地(イドフロント)』に転用されているのだから、ボンドルドへの貢献度が最も大きいKAN-SENと言っても差し支えない。

 

 だが『存在しないはずの存在』である彼女は、あるとき忽然と姿を消した。

 埋め込んだバイタルモニターは依然として生存反応を送信し続けているが、位置情報などは一切不明だ。

 

 ボンドルドは赤いメンタルキューブを手に取るが、何も起こらない。

 ビスマルクが怪訝そうな顔になったのを見て、テスターは苦笑した。

 

 「あれは特殊な例よ。完成寸前だったのを、貴方たちに奪われたから()()なっただけ。これが普通。」

 

 それだけ言って、テスターは立ち上がる。

 これ以上のヒントはないと行動で示し、ドアノブに手を掛ける。「あぁ、そうだった」と思い出したように振り返り、テスターはローテーブルを示す。

 

 「その汎用メンタルユニットと架空キューブはレイからの提供品(プレゼント)よ。いいスポンサーを確保出来たわね、黎明卿?」

 「・・・本当に、感謝の念に堪えません。レイにもそう伝えてください。」

 

 ボンドルドは立ち上がってテスターを見送った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 リュウコツ技術の根幹となるブラックボックス、淡く輝く青い箱状物質は、メンタルキューブと呼ばれている。

 それらは一般には流通せず、KAN-SENにより収集されアビスが管理している。一部例外があるとすれば、計数外のメンタルキューブを多数所持している、つまり、収集時にアビスへ報告していないボンドルドくらいだ。

 メンタルキューブはKAN-SENを建造──ドロップのように運任せでなく、艦種や強さを指向して入手するときに必須となる物資だ。また、その構成要素は殆どが不明。分かっているのは、それらの構成要素がKAN-SENの肉体や艤装のそれと同じということのみ。

 故にその秘匿所持や密輸入は厳しく禁じられている。

 

 ボンドルドには関係のない政治的な扱いはさておき、物理的な性質はボンドルドにとって興味深いものだった。

 

 電気的・化学的に中性であり、常に摂氏20度前後になるという恒温性を持つ。耐圧性、剛性、硬度が極めて強靭であり、加工は困難とされる。

 しかし、建造ドックに素材として装填された場合、独りでにKAN-SENを製造──創造と言っていいほど未知の、解析不能のプロセスで──する。

 

 そしてメンタルユニットもまた、同様の性質を持っていた。

 あらゆる解析・加工手段を受け付けず、KAN-SENへの導入方法も、安定した供給方法も不明。一応、ドロップ艦を数名、脳を重点的に解剖してみたが、それらしいものは発見できなかった。

 

 テスターからメンタルユニットを受け取ってから3週間。これほどの期間、一歩の前進もないというのは、ボンドルドにとって初めての事だった。

 ボンドルドの才能。ボンドルドの努力。KAN-SENたちが作り上げた環境。そのどれもが、人類側の最高峰。頼れるような先人は居らず、見通すこともできない闇の中を歩き続ける。

 それは、何とも。

 

 「──素晴らしい。」

 

 元より、人類が踏み入れることすら拒んだ道。

 同道も先導も不在で当然。その外道も、人類が行くと決めた正道も、遍く照らす黎明。

 それこそがボンドルド。遮ることも逃げることも敵わぬ夜明けの光。

 

 なればこそ、彼は賛美する。

 その未知を、その障害を、尽きぬ興味と探求心故に称賛する。果ての見えぬ旅路ならば、障害は多いほど、起伏は激しいほど楽しめるというもの。

 

 「次の生体を持ってきて頂けますか、ビスマルク。」

 「分かったわ。次は何を?」

 

 ボンドルドは心底楽しそうに、仮面の口元を押さえる。

 

 「KAN-SENの精神構造を検証します。なるべく身体が強靭で、精神が脆い個体がいいですね。」

 

 

 



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18

 ドロップ艦の発生はいつだって唐突だ。

 観測者が居れば、それがたとえ戦場のド真ん中であろうとドロップする。

 ちょうど、そのダイドーがそうだった。

 

 目を開ければ、視界に映るのは黒煙と炎を映す戦場の水面。鏡面海域特有の紫雲と、紅の水平線。

 匂い立つ血と火薬と潮が鼻に付き、砲撃音と怒号が耳を刺す。

 

 「え、えぇ・・・?」

 

 ざっと数えたところ、KAN-SENが6人、セイレーンが2人だ。

 セイレーンのうち片方は満身創痍のピュリファイアー、もう片方は殆ど無傷に見える知らない個体だ。人型である以上、上位個体であることは確かだろう。

 

 「───()()()、ドロップの保護!」

 「任されましょう。」

 

 ダイドーも知る鉄血陣営の重巡洋艦、アドミラル・ヒッパーが言葉少なに指示すると、セイレーンだと思っていた人影がダイドーの方に向かってくる。

 

 「え? し、指揮官? 確かにKAN-SENには見えませんけど・・・」

 

 黒ずくめの衣装といい、I字に発光する奇妙な仮面といい、どう見ても悪役である。

 流石に砲を向けたりはしないが、ダイドーは後退りする。

 

 「ヒッパー、言葉遣い。」

 「う、うるさいわね! 別にアイツが良いって言ってるんだから構わないでしょ、ビスマルク!」

 「普段はそうでも、保護した艦──お客様の前よ。慎みなさい。」

 

 コミカルなやり取りの合間には正確無比な砲撃が挟まれ、気付けばピュリファイアーは沈んでいた。

 

 「賑やかでしょう? 私の自慢の艦隊なんですよ。」

 

 ダイドーの眼前に立った男が、穏やかな口調と共に手を差し出す。

 ちらりとその背後に目を遣れば、みな一様に嬉しそうに相好を崩している。慕われているのだろう。

 

 「私はボンドルド。鉄血陣営の指揮官です。」

 「あ、えっと、ロイヤルメイド隊、ダイドー級軽巡洋艦1番艦のダイドーです。」

 

 困惑しながらもその手を握れば、ボンドルドは半身を切って自らのKAN-SEN達の方へとダイドーを誘う。

 

 「これより、私の艦隊が貴女を保護します。」

 

 

 

 ◇

 

 

 それからの一週間は、ダイドーにとって苦痛だった。

 

 まず、部屋だ。どう考えても練度1のドロップ艦──戦力外の身には相応しくない豪奢な部屋。しかも大多数のKAN-SEN達と違って一人部屋だ。以前にいたシグニットの忘れ物だという帽子のアクセサリや、鳳翔が置いて行ったという髪飾りなどが飾られた客間。メイドの身には釣り合わないという職業的なものと、性格上のもの。二つの「合わないなぁ・・・でも断るのも失礼だよね・・・」という思いを抱えて過ごしていた。

 

 次に、仕事だ。ドロップして以来、外洋に出たことは一度もない。というのも、この『前線基地(イドフロント)』近辺は全て鏡面海域であり、出現するセイレーンの平均練度は70。普通のKAN-SENが到達できる最高練度クラスだ。ドロップしたての艦に太刀打ちできるものではない。そう考えれば精強な鉄血艦隊に保護されたのは幸運だった。・・・が、客人扱いの現状では演習用の海域にも出撃できない。かといって雑務──掃除や食事の用意などを申し出ると、それこそ客人にはさせられないと言われた。

 

 「うぅ・・・ダイドーは要らない子なんでしょうか・・・」

 「はぁ? それ、誰に言われたの?」

 

 唯一、他のKAN-SENたちと同じなのは食事だ。

 みんなで食堂に並び、みんなでテーブルを囲み、みんなで食べる。同じものを食べていれば好みを共有している気になるし、違うメニューでも、「それ美味しい?」「祈手が作ってくれたんだよ? 勿論美味しいよ。食べる?」といった交流が生まれる。

 特に夕食は、殆どのKAN-SENが一堂に会するので賑やかだ。

 そんな限られた交流の中で親しくなったKAN-SENの一人が、対面で怪訝そうな顔をしているアドミラル・ヒッパーだ。口は悪いが、保護された時から何かと世話を焼いてくれるいい友人だと、ダイドーは思っている。

 

 「い、いえ、誰かに言われたわけじゃないんですけど・・・その、黎明卿もビスマルクさんも、出撃許可もくれませんし・・・」

 

 言ってから、ダイドーはしまったと思った。

 鉄血陣営のKAN-SENたちは、ボンドルドの行為に口出しされるのを極端に嫌う。一昨日もダイドーは、「黎明卿は人間なんですよね? 自分で出撃するなんて、危なくないのでしょうか?」と聞いただけで殺意に近いほどの怒気を浴びたのだから。あれはまだ心配や質問だったから良かったものの、多分彼女たちは陣営間演習で黎明卿の悪口でも聞けば、その陣営ごと滅ぼしかねない。

 

 「そりゃしょうがないでしょ。あんたはゲスト、私たちはいわばホストなんだから。そんなことも分かんないの?」

 「で、でも、何かお役に立ちたくって・・・」

 「心意気は十分、けどそれだけね。あんた、心意気だけで私たちに並ぼうっての? 練度90、舐めてんじゃないわよ!」

 

 アドミラル・ヒッパーは練度90オーバー。ヒッパーの妹であるプリンツ・オイゲンや鉄血艦隊の総旗艦であるビスマルクなどは練度100に至る。練度1のダイドーではどんな奇跡が起きても勝てないだろう。

 ぐうの音も出ない意見に項垂れてしまうが、ヒッパーの言葉は終わりでは無かった。

 

 「あんた、明日進退決定だったわよね?」

 「は、はい。」

 「どうする気? ここに残る? それとも、ロイヤルに戻る?」

 

 ダイドーがこの一週間、保護された日からずっと考えてきたのはそれだ。

 

 ここで、自分は必要とされているのだろうか。

 ロイヤルに戻り、自分は必要とされるのだろうか。

 

 これだけ保護され手厚くもてなされ、ここを出て行くのは不義理ではないだろうか。

 これだけ自分が客人扱いされるのは、居ても邪魔なだけだからではないだろうか。

 

 私は、ここに居てもいいのだろうか。

 

 「私は───」

 「───ヒッパー、時間よ。」

 「え、もう? ・・・うっそ、もうこんな時間!?」

 

 ダイドーの背後から声を掛けたのは、ヒッパーの妹であるオイゲンだった。確か夜間哨戒のローテーションがそろそろだったはず、と、ダイドーは一週間である程度把握したルーチンを思い出す。

 

 「寝坊が過ぎたわね?」

 「はぁ? ・・・ちょ、まさか───」

 「ふふ、私は黙っててあげるわ。でも、このカメラは黙っててくれるかしら?」

 「ッッ!! 待ちなさい、オイゲン!!」

 

 慌ただしく出て行った二人を見送り、ダイドーは深いため息を吐いた。

 あの二人は仲がいい。姉妹というのも勿論あるが、共に幾度となく死線を潜り抜けてきたからだろう。この鉄血陣営のKAN-SENたちはみんなそうだ。

 ボンドルドはみんなのための指示を出し、みんなはボンドルドのために行動する。美しいほどの絆があると、新参のダイドーにすら理解できる。

 

 「・・・黎明卿、かぁ。」

 「どうされましたか、ダイドー?」

 「れ、黎明卿!? どうしてこちらに・・・?」

 

 半ば無意識の独白に返ってきた返事に振り向けば、そこには表情の読めない仮面があった。

 ここは鉄血陣営の基地にある食堂であり、ボンドルドは鉄血陣営統括管理官。何処にいようが咎められはしない立場だが、ダイドーの頭からそんなことは抜け落ちていた。

 

 「明日の予定が変更になったので、それをお伝えしようと思いまして。」

 「そうなんですか・・・?」

 「はい。明日と明後日、ユニオン本土に行ってきます。申し訳ありませんが、君の進退決定は3日後になります。」

 「い、いえ! 滅相もありません。このダイドー、3日後まで黎明卿をお待ちしています。」

 

 ダイドーは特に理由については考えなかったが、今回も今回とてアビス法務部執行科、裁判所への出頭命令だった。新技術を発表するたびに呼びつけるのはそろそろ勘弁してほしいところだが、今や研究用の『祈手(アンブラハンズ)』の数も10を超え、精神同期や肉体調整の質も上がっている。『ボンドルド』が少し離れたくらいで不具合が生じることはないだろう。

 

 「あ、あの、れ──」

 「指揮官? 準備出来たわよ。」

 「ビスマルク、ありがとうございます。留守をお願いしますね。」

 「えぇ、任されたわ。護衛はシュペーでいいの?」

 「はい。確かに彼女は護衛向きではありませんが、経験を積ませたいとドイッチュラントが───」

 

 ダイドーの呼びかけに気付かぬまま、ボンドルドは行ってしまった。

 

  (あと三日はこの生活かぁ・・・)

 

 慣れないVIP待遇は思いの外ダメージが大きいと、ダイドーは身を以て知った。

 

 

 



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19

 「黎明卿、我々は貴方を見誤っていたようだ。」

 

 裁判所、上座から見下ろすエンタープライズの目は冷ややかだった。ロイヤル代表のウォースパイト、重桜代表の赤城も揃い、開廷直後にそう言われたボンドルドは些か面食らう。

 

 「おや、何か至らないところがありましたか? 出撃以外での練度上昇を齎す食材と、未発達能力を解放する機材。どちらも傑作だと自負しているのですが。」

 「結果だけ見れば、あぁ、素晴らしいとも。お陰で北連や東煌と言った弱小勢力にも戦力化の目途が立った。──だが黎明卿、この技術は余りに度し難い。」

 

 血を吐くように言ったエンタープライズに、ボンドルドは首を傾げる。

 

 「そうでしょうか?」

 「当たり前だろう! KAN-SENの血肉が能力を向上させるだと? そんな情報を公開できる訳が無い!」

 

 その言葉通り、各陣営の首脳部数人を除いて、『食材』に血が混じり『強化』に他のKAN-SENを使うとは知らされていない。自力で練度を鍛えられるような十分な演習海域を持つロイヤルやユニオンなどは、その技術導入すら拒んでいる。

 例外は、未だアビスに正式加盟していない東煌や北連といった小規模な発展途上勢力。特に強力なセイレーンが多数出現する北極海に近い北連では、多少の無理無法も厭わない姿勢があった。

 あとは、人体実験にあまり抵抗のない重桜と、開発者であるボンドルド率いる鉄血陣営くらいだ。

 

 「それでは50点ですね、エンタープライズ。血液に含まれるのは練度強化因子、肉に含まれるのは能力活性因子です。」

 「ッ・・・それも、お得意の“解剖”で得た情報か?」

 「沢山のKAN-SENたちが協力してくれました。私一人の力ではありませんよ。」

 

 韜晦のような答えに、エンタープライズは拳を握りしめる。

 激発を予感し、ウォースパイトが引き継ぐように口を開いた。

 

 「黎明卿、確かにドロップ艦の所有権は保護した陣営に帰属する。しかし、それはあくまで()()したKAN-SENの、という決まりだ。貴官のように無断で、しかも実験台にするのは規定外の行為だとは思わないか?」

 「えぇ、そうですね。ですから保護したKAN-SENの届け出はきちんと提出し、望んだ帰属先に護衛付きでお送りしていたはずですが。」

 「それは貴官が重桜に居た頃の話だろう。鉄血陣営の担当になってから、一度も保護報告は上がっていない。」

 「勿論、保護していないKAN-SENの保護報告など上げる訳には行きませんからね。」

 

 上座に並ぶKAN-SENたち、赤城と重桜に属する数人以外の顔に困惑が浮かぶ。

 どういうことだ? というエンタープライズの問いに、ボンドルドは淡々と答える。

 

 「あれらは実験用の生体として()()したまでですから。」

 

 

 ◇

 

 

 「お疲れ、指揮官。」

 「シュペーもお疲れさまでした。平和に終わったのは、シュペーが居てくれたからですよ。」

 

 裁判所の外で、ぐりぐりと頭を撫でられて目を細めながら、シュペーは思う。

 

  (最後、艤装まで向けられてたけど・・・撃たれなきゃいいのかな、指揮官。私だったら───)

 

 練度90オーバーのアドミラル・グラーフ・シュペーならば、恐らく怒りで集中を欠いたエンタープライズならば単身で撃沈できる。勿論、相手は練度80の正規空母、それも誉れ高きLuckyEだ。損害は被るだろうが。

 だがボンドルドはそうはいかない。人間は練度70の重巡洋艦程度でも十分な脅威になる──そもそも練度1の駆逐艦でさえ人間は太刀打ちできないはずだが──のだから、シュペーが目指すべきは殲滅でも勝利でもなく、ボンドルドを無傷で母港に帰すこと。

 裁判が終わったからと、気を抜いてはいけない。特殊仕様の車に入るまではかなり射線が通る。まさかアビスに、それも統括管理官に手を出す間抜けがいるとは思えないが、警戒するに越したことは無い。

 

 そう、気合を入れ直した直後。

 

 「ッ!?」

 

 予備動作なくシュペーが艤装を展開する。

 巨大な鉤爪がボンドルドの頭部へ迫り、速度と風圧で護衛の数人が吹き飛ばされる。

 

 金属音を一つ聞き、倒れていた護衛は一斉に、シュペーに銃口を向ける。

 

 「落ち着いてください、皆さん。彼女は私を守ってくれたのですよ。」

 

 シュペーの艤装に直撃し、ころころと転がるのは大口径のライフル弾。潰れてはいるが、12.7x99mm弾、対物ライフルの弾丸に間違いないだろう。

 明確で鈍重な殺意に苦笑したのはボンドルド一人。サブマシンガンで武装した()()の存在価値が問われる場面に、彼らは素早くボンドルドを取り囲み、車へ誘導する。

 最も過激な反応をしたのはシュペーだった。かなり遠くから、しかもサプレッサーを付けていたのだろう。ボンドルドには分からない射撃位置を正確に割り出し、砲撃する。

 

 「シュペー、行きましょう。」

 「・・・ごめんなさい、指揮官。想定外だった。」

 

 まさか()()()()が攻撃してくるとは思っていなかったのだろう。ボンドルドだってそうだ。そもそもKAN-SENの攻撃すら防ぐ『暁に至る天蓋』を着ている以上、警戒するだけ無駄というもの。

 シュペーも、あの焦り方を見るに撃たれてから気付き、防御している。当たったところで問題は無かったが、プライドが許さないのだろう。

 

 「謝る必要はありませんよ。君はしっかりと私を守ってくれました。」

 「黎明卿、港まで全速で行きます。口を閉じて!」

 

 舌を噛まないように、という配慮を忘れないドライバーに好感を抱きつつ、背後、砲撃で崩壊したビルを一瞥する。

 

 「おやおや、嫌われたものですね。──『明星へ登る(ギャングウェイ)』」

 

 車を目指して飛翔していた対戦車ミサイルの弾頭を光が撃ち抜き、着弾前に爆発させる。

 

 「こちら護送車、狙撃されている。対応を求む。狙撃されている、対応を求む!」

 

 輸送ルートが露呈しているのか、明らかに複数個所から飛来するRPG。

 同時に来る分には『明星へ登る(ギャングウェイ)』で迎撃可能だが、波状に来られると連発が効かない武装しかないボンドルドでは対応できない。

 シュペーが迎撃しようにも、車の中からでは限界がある。

 

 「くそっ!?」

 

 ドライバーが吠える。

 運悪く対向車線を走っていたトラックにRPGが命中し、盛大に爆炎を上げて吹き飛んだ。残骸は勢いのままにこちらへ突っ込んでくる。

 

 「『枢機に還す光(スパラグモス)』」

 

 窓から身を乗り出し、トラックの残骸を両断する。少しばかり道路が融解して溶岩になってしまったが、そのうち冷えると思うので勘弁してもらおう。

 作り出された道を過つことのないハンドル捌きで走り抜け、ドライバーが一息つく。その目は油断なく周囲に向けられており、シュペーから見ても感心する職業意識を感じさせた。

 

 「──今のは、人間主義者ですか。」

 

 アビスが頭を悩ませているのは、ボンドルドの奔放さだけではない。

 ボンドルドとは真逆の、自尊心や名誉欲と言った下心にまみれたクズもこの世界には存在する。

 アビス首脳部、世界政府とも言える組織の中枢部が殆ど──ボンドルド以外の全員──がKAN-SENであることを、兵器風情であることを厭う人間主義者。

 

 兵器に人類を支配させてはならない。・・・兵器が自分以上の権力を持つのは許容できない。

 兵器が無意味に権益を得てはならない。・・・兵器が自分以上の権益を得るのは許せない。

 

 そんな裏の見え透いた標語を掲げ、デモから暴動まで幅広く活動する『人類代表(ノイジーマイノリティ)』。

 

 初めのうちは、投石やバリケード構築といった可愛らしい抵抗だった。やがて、それは出撃用の港に重油を撒く、基地に侵入するといった過激な方向へ向かい。

 銃撃(いま)に至る。

 

 「そうでしょうね。・・・全く、黎明卿は人間だってのに、見境ない奴らですよ。」

 「おや、意外ですね。てっきり、貴方がたには嫌われているものかと。」

 「き、嫌う? とんでもない、黎明卿はKAN-SEN技術の父とまで呼ばれた人ですよ? 貴方のお陰で、俺たち人類はKAN-SENたちに守られて存続できてるんだ。」

 

 くすり、と、シュペーが漏らした笑いに気付かなかったのか、ドライバーは語り続ける。

 

 「・・・に、しても、妙ですね。」

 「えぇ。何故今頃になって決起したのでしょう。」

 

 狙撃程度ならまだしも、RPGまで出てきては暴動の域を出てしまう。

 

 「・・・多分ですが、甘すぎたんでしょう。ウチのボス・・・エンタープライズ統括管理艦は。」

 

 人間主義者の()()は今に始まったことでは無い。だがユニオンほど活発なのは珍しい。

 ロイヤルでは小規模なデモ行進以外は警官隊によって取り締まられ、重桜ではボンドルドがいた時代にほぼ全員を拘束して人体実験の素体にしている。

 

 鉄血陣営は・・・もはや言うまでもないが、ボンドルドは非常に感謝していると言っておこう。

 

 

 



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20

 「うわっ、なんだあいつら!?」

 

 しばらく順調に走っていたかと思えば、ドライバーが素っ頓狂な声を上げる。

 なんとなく窓の外を見ていたボンドルドも釣られて進行方向に目を遣れば、もうすぐ港だった。

 しかし、港に至るまでの道に人だかりが出来ている。迂回路はその人だかりの先か、かなり後方だ。

 

 「Uターン、しますか?」

 

 運が悪ければ、先ほどのテロリスト共が追ってきている。鉢合わせになる確率は低くない。

 だがクラクションを鳴らしたところで、人だかりが退くとは思えない。

 ざっと見た限りでは千人かそこらだ。退去の意思があっても、歩道に捌けるまでには時間がかかる。

 そして四分の一程度の人が持っている『KAN-SENの独裁を許すな』という趣旨のプラカード。人間主義者のデモ隊が、ボンドルドたちの行く手を阻んでいた。

 

 まだ距離はあるが、車が止まったのを見て近づいてきている。囲まれれば脱出は困難だろう。

 

 「そうですね。()()Uターンして、安全な道を探して帰投してください。」

 「はい! ・・・え? 俺──ちょっと、黎明卿!?」

 

 黒衣の長身にI字に発光する奇妙な仮面という怪しさ満点の人影が車から降り、デモ隊がざわめく。

 その特徴と『アビス鉄血陣営統括管理官』という肩書がリンクするのに、そう時間はかからなかった。

 

 ひときわ大きな声を上げながら行進を続けるデモ隊に、ボンドルドは無造作に歩み寄っていく。

 その後ろにはシュペーが続く。威圧感のある艤装は展開していない以上、見た目は可憐な少女だ。内包する力だけで、千人規模のデモ隊を轢き殺すことも可能だが。

 

 「あー、もう!」

 

 そろそろと、歩行ペースに合わせて車が付いて来る。いざという時は突っ込んででも脱出させる、という決意が伺えた。

 

 「彼、いいヒトだね。」

 「そうですね。是非とも私の協力者に欲しいところですが・・・エンタープライズの配下では、流石に。」

 

 至極残念そうに首を振るボンドルド。

 あと数十歩でデモ隊と衝突する、というタイミングで、シュペーが仮面に覆われた顔を伺う。

 

 「どうする? 道ぐらいなら、たぶん2、3発で作れるけど。・・・わぷっ」

 

 急停止したボンドルドの背中に衝突し、謝りながら数歩下がる。

 ボンドルドとデモ隊の距離は、もはや十歩ほどまで近づいていた。

 デモ隊も、ボンドルドも歩みを止め、互いに──ボンドルドの表情など分かるはずもないが──睨み合いになっている。

 

 時間を食うと不味いのはこちらで、あちらは足止めの為に配置されている。

 

 ボンドルドに与えられた選択肢は多数ある。もっとも簡単な解決策は、『枢機に還す光(スパラグモス)』を撃つことだ。着弾による威力減衰のない光剣ならば、この場の全員を撫で切りにしてレッドカーペットを作ることも容易い。

 だが、ボンドルドは最も安定した策を取る。

 道を歩いていて、正面から人が来た。その時どうするか。止まろうが避けようが、起きる現象は一つ。()()()()

 

 「シュペー、手を。」

 「え? ・・・うん。」

 

 ボンドルドは止めていた歩みを再開し、無造作に人の群れに踏み入っていく。

 片手でシュペーの手を引き、もう片方の手は人混みを掻き分けている。『暁に至る天蓋』が生み出す膂力は、セイレーン由来──艦艇並みだ。人間が腕を組んだ程度のバリケードは役に立たないし、腕を掴もうがお構いなしに引き摺って行く。

  時折、ボンドルドの仮面や体に銃弾や刃物が突き立つことがあった。・・・とはいえ、『暁に至る天蓋』がそんなちゃちな攻撃を通すわけもなく。片端から『明星へ登る(ギャングウェイ)』で消し炭となった。

 一番悲しい末路を辿ったのは、不埒にもシュペーの身体に触れた者だ。男女問わず、その感触を楽しむ間もなく腕や顔を握りつぶされて悶え、或いは絶命した。

 

 「どうせなら、基地に襲撃でもかけて貰えませんか? そろそろ『祈手(アンブラハンズ)』を補充したいんですよ。」

 

 適当な人間にそう囁けば、彼は悍ましい何かに撫でられたように逃げ出した。

 言葉の意味も分からないでしょうに、聡い人ですね。素晴らしい。安穏とそう称え、歩を進める。程なくして人だかりは終わりを迎えた。

 

 「暴力に訴えるのか!」

 

 立ち去る背中に、誰かがそう叫んだ。

 先に手を出したのは彼らだ。勝手に拳を振りかざし、針の筵を殴りつけて手痛い反撃を受けただけのこと。

 ボンドルドは聞き分けのない子供を前にしたように嘆息する。わざわざ振り返ってまで殺す必要もない。もし本当に彼らが鉄血本土の基地に襲撃を掛けてくれるなら、これほど嬉しいことは無いからだ。

 

 「KAN-SENの犬め、恥を知れ!」

 

 シュペーの顔が曇る。

 どうしてこう、人間というのは度し難いのか。ボンドルドのような最上級とまでは言わないから、せめてあのドライバーくらいになってくれないものか。

 煩わしいし、不愉快だ。ここで機銃掃射でもすれば、少しは気も晴れるだろうか。

 

 そう、シュペーが艤装を展開したときだった。

 レーダーに無数の機影が映る。咄嗟にボンドルドを引き倒して覆い被さると、シュペーのすぐ上を重桜の戦闘機、烈風の一群が通り過ぎた。

 

 襲撃か。でもなぜ重桜が? 指揮官を裏切った? それとも欺瞞?

 シュペーの脳内に駆け巡る疑問は即座に凍結され、思考フレームが戦闘用のそれに切り替わる。

 

 港のすぐそばまで来た以上、テロリストは気にしなくていい。だが艦載機は海から来た。KAN-SENの処理が最優先。

 ボンドルドは爆撃をモロに喰らわない限りは、建物の崩落に巻き込まれても大丈夫だ。室内に誘導して───

 

 「ッ!!」

 

 練度90を超えるシュペーにすら戦慄させるほどの殺気に、ボンドルドを抱えて手近な建物に飛び込む。

 どうやら飲食店らしかったが、準備中だったのか奥で慌てる店員以外に人はいない。

 

 跳躍の成果はといえば、先ほどまでシュペーがいた辺りに機銃掃射が突き刺さっていることで証明される。

 

 「指揮官、ここに──」

 「ここにいて下さいね、シュペー。・・・心配することはありません。知己ですよ。」

 「・・・え?」

 

 店の修繕費はアビス、ユニオン陣営へ請求する旨を告げて、ボンドルドは道路へ歩み出る。

 一片の警戒もないその脇腹に、一本の影が走り寄り────

 

 「──指揮官様っ!」

 「お久しぶりですね、大鳳。」

 

 ボンドルドに抱き留められたのは、()重桜陣営の装甲空母、大鳳だ。

 一瞥すれば、デモ隊の殆どが機銃掃射を受けて倒れ伏している。

 

 「君は相変わらずですね。お元気そうで何よりです。」

 「指揮官様もご壮健そうで、大鳳は安心致しました。ところで──先程の子は?」

 

 ぞくり、と。練度90オーバー、アビスにおいても最上級の練度を誇るシュペーの背筋に氷柱が突き刺さる。

 にこやかに問いかける大鳳から噴出する、殺気にも近いなにか。それに気付くこともなく、ボンドルドは安穏とシュペーを手招く。

 

 「紹介がまだでしたね。シュペー、こちらへ。」

 「あー・・・うん。今行く。」

 

 過去、ボンドルドに手術台行きを宣告された実験体でもここまでの気分にはならなかっただろう。

 ボンドルドの護衛と聞いた時は何があっても守り通すという気概もあったが、まさかその当人に死の淵へ招かれるとは。吐き出せないものを抱えたまま、大鳳に片手を差し出す。

 

 「アドミラル・グラーフ・シュペーだよ。よろしく。」

 「・・・貴女、指揮官様の護衛ですよね?」

 

 その手を不愉快そうに一瞥して、その視線のままシュペーを見つめる大鳳。

 シュペーも応じるように両手の艤装を展開させる。ボンドルドはといえば、機銃掃射を──とばっちりを受け、穴だらけになって煙を上げている車からドライバーを引きずり出していた。

 

 「あんな汚らしいところに指揮官様を行かせるなんて、どういうおつもりです?」

 「指揮官が行くと言えば、それが業火に巻かれた道でも、濁流に荒れる海でも同道する。それが彼の艦隊の在り方。・・・重桜に居たらしいけど、忘れたの?」

 「えぇ、そんな甘っちょろい艦隊教義は存じ上げません。我ら重桜、彼の行く道が業火に巻かれたのならその血で消して、海が荒れたのなら海神を弑して。彼に立ち塞がる全てを斬り払うと誓いました。」

 

 今の先輩方には、誓いを守る矜持すら無いようですけれど。と、少し悲し気に漏らした大鳳の頭に手が置かれる。

 見上げればやはり、ボンドルドだった。

 

 「二人とも、少し気が立っているようですね。心配要りません。君たちは二人ともいい子ですから、すぐに仲良くなれます。」

 「・・・そうですわ、指揮官様。二つほどご報告が。」

 「分かりました。しかし、お疲れでしょう。急ぎでないのなら、前線基地に戻り、ゆっくりと休んでから聞かせてくれますか?」

 

 睨み合う二人を微笑ましそうに見守りながら、ボンドルドはKAN-SENたちの後を追うように高速艇へと乗り込んだ。

 

 

 




 ドライバー「二人が人ゴミに突っ込んでいったら何故か大量の死人が出て、そのうえ正体不明のKAN-SENに機銃掃射を受けた。衝撃で気絶していたからよく覚えてないけど、爆発す寸前の車から黎明卿が助け出してくれた。・・・ウーン、聖人!」


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21

 元・重桜陣営所属。現・鉄血陣営所属。この肩書を持つ者は少ない。

 一人はボンドルド。アビス首脳部で唯一の人間であり、二陣営の統括管理官を経験した唯一の人材である。

 もう一人は、重桜の装甲空母、大鳳。ボンドルドが重桜陣営統括管理官の席を辞したとき、後を追うように鉄血陣営に帰属した。

 

 ボンドルドの右腕がビスマルクならば、大鳳は左腕。この数か月間の仕事の成果を聞いたときは、ボンドルドのみならずビスマルクまでもが称賛した。

 

 「素晴らしい。サディア、ヴィシア、そしてアイリスと個別に同盟を結び、さらには連合同盟締結会議の段取りまで。君に任せて正解でした、大鳳。」

 「オーダー以上の成果ね。よくやったわ。」

 

 アビスに所属していないながら、その存在と自治は認められた陣営は複数ある。北方連合や東煌などだ。

 今回、大鳳が赴いていたのは鉄血本土の近隣に位置する3陣営。

 鉄血西部に位置する、自由アイリス教国とヴィシア聖座。鉄血南部に位置するサディア帝国である。

 

 今回、大鳳が取り付けてきた条文は、端的に言ってえげつないものだった。

 

 各陣営が攻撃を受けた時、鉄血は形の指定は無いが援助しなくてはならない。

 各陣営に正規に所属するKAN-SENの全データ閲覧権を鉄血が保有する代わりに、その身柄を同意なく使用してはいけない。

 

 ──各陣営はGDPの数%を研究費として供出しなければならない。

 ──各陣営は宣戦を含むすべての外交権を鉄血に委託する、など。

 

 つまるところ──その3陣営は、屈したのだ。

 全て差し出すから、手を出さないでくれと。

 

 一体どんな交渉をしてきたのだろうかと、政治には一切興味のないボンドルドですら少しの興味が湧く。

 

 「ありがとうございます。次の連合同盟では、もう少し甘くして差し上げようかと。」

 

 大鳳が差し出した書類には、連合同盟で交わす条約の草案が書かれていた。

 ボンドルドの仮面越しに覗き込んだビスマルクは、もはや期待すらしていたのだが──それは肩透かしといっていいものだった。

 

 「これは・・・?」

 

 相互不可侵、双方向の関税軽減、など。一般的なものしか載っていない。いくら草案とはいえ、大鳳の性格的にもっと盛りそうなものだが。

 例えば───

 

 「内政にまで干渉すると、指揮官様に幾許かの負担がかかりますから。鉄血は軍事国家ですし、戦争代行屋にでも甘んじましょう。」

 

 あぁ、と。ビスマルクは納得と共に嘆息した。

 全く大鳳らしい、ボンドルドのことしか考えていない「正解」だと。

 

 元が重桜陣営だからなのか、大鳳には陣営への帰属意識や誇りというものがまるでない。

 『ボンドルド』と『自分』。あとはせいぜい『ボンドルドの隣』くらいの認識だ。そこが何処であろうと関係なく、常にボンドルドの利益だけを考えて動いている。勿論自分たちもそう在ろうとしているが──率直に言って、大鳳の()()()()は羨ましくなるほどだ。

 

 「お気遣いありがとうございます、大鳳。───おや?」

 

 こんこんこん、と、控えめなノックの音が差し込まれる。

 少しばかり不愉快そうな顔になった大鳳に苦笑し、ビスマルクが扉を開ける。

 

 「誰? いまは少し──あぁ。」

 

 来客の顔、懐中時計と順番に目を走らせ、ビスマルクが振り返る。

 ドアの影から小さく覗き込むのは、恐縮した様子のダイドーだった。

 

 「指揮官、ごめんなさい。私が時間を把握していなかったわ。」

 「いえ、お互い様ですよ。いい仕事でした、大鳳。詳しい話は、また後日に。」

 

 滑らかな黒髪を撫でで、ボンドルドは頬を膨らませた大鳳を退室させる。

 入れ替わるように入ってきたダイドーは少し視線に怯えていたが、ボンドルドの前に立つ頃には緊張の方が勝っていた。

 

 「よく来てくれました、ダイドー。時間を失念していました、申し訳ありません。」

 「い、いえ、ダイドーのために時間を用意してくださって、ありがとうございます。」

 

 挨拶もほどほどに、ボンドルドは指を二本立て選択肢を提示した。

 一つ目は、本来の所属先であるロイヤルへの帰属。もう一つは、この鉄血陣営への帰属。

 

 「質問してもよろしいでしょうか・・・?」

 「えぇ、何なりと。」

 

 どこか上機嫌な様子のボンドルドに釣られるように、ダイドーも話しやすくなる。

 安堵しリラックスすれば頭も回り出し、そういえばさっきの重桜のKAN-SENは誰なのだろうという疑問も湧くが、まずは自分の事を訊かねばならない。

 

 「黎明卿は・・・私はロイヤルに帰属したあと、どうなると思われますか?」

 「どう、というのが行動の話であれば、おそらく後方で練度を上げた後、予備役として配属されるでしょう。ロイヤルには既に練度70のダイドーが居た筈です。」

 

 それは完全に確定した訳でもないが、単なる推測でもない。「普通はこうなる」という常識の話だ。

 その答えが気に入らなかったのか、ダイドーの顔が曇る。

 

 「私は・・・不要ということでしょうか?」

 「──言い方は悪いですが、そうですね。ロイヤルは現状、量の戦力は足りています。」

 

 正確には戦力に見合った海域にしか手を出していない、だが。

 ユニオンやロイヤルはアビス内でも量の戦力が充実しており、比較的弱いセイレーンが出没する──つまり、重要度の低い海域を広範囲に亘って攻略・保守している。

 対して鉄血は質の戦力が充実しており、範囲は小さいながら強力なセイレーンが出現する、重要度の高い海域を攻略・保守している。

 例外的なのは重桜だ。彼女たちは元より充実していた量の戦力をボンドルドが強化し、質・量共に優れた戦力を保有している。それでありながら、ユニオンやロイヤルへの戦力貸与、鉄血との合同作戦などに徹し、あまり積極的には動こうとしない。

 

 「では、その・・・鉄血に帰属した場合は?」

 

 ふむ、と。ボンドルドが考え込むような動作を取る。

 固唾を呑んで見つめるダイドーの想像とは違い、ボンドルドの思考に過るのは実験の進捗具合。

 ダイドーを迎え入れた場合、最も効率よく情報を収集できるのは────

 

 「申し訳ありませんが、君には練度が上がり次第、実戦に参加して貰うことになるでしょう。ロイヤルと違い、我々には量の戦力がありません。」

 「私は・・・ダイドーは、必要なのでしょうか?」

 

 その質問には、ボンドルドは即答できる。

 

 「勿論です。もし君が、私の手を取るのであれば。」

 

 差し出された手を、ダイドーはしっかりと握りしめた。

 

 

 

 




  嘘 は 言 っ て い な い 


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22

 それからのダイドーのスケジュールは、いっそ幸福なほどに多忙だった。

 朝食は練度上昇を()()()()という特殊な食材を使ったもの。食べ終われば身支度を済ませ、演習海域への出撃。

 相手は精強で知られる鉄血のKAN-SENだ、気を抜けば初撃で撃沈判定が下ることもある。初めて演習に参加したときなど──

 

 「今日が初演習らしいけど、心配しなくていいわ。使うのは模擬弾だから、当たっても痛いだけよ。」

 「よ、よかった・・・。よろしくお願いします、オイゲンさん。」

 

 ──という会話の2秒後、スタートのブザーと同時に撃ち込まれた模擬弾はダイドーの耐久力を9割消し飛ばし、本体中破、艤装大破でドックに担ぎ込まれた。

 

 駆逐艦のZ1曰く、「俺もビスマルクとかティルピッツとやるとそうなるから、避けるんだよ。全部な。」とのこと。

 当然ながら砲弾を視認してから回避するのは超高練度艦にのみ許される領域であり、ダイドーは砲口の向きから計算して射線外へ出るしかない。

 今日で5日目だが、その技術は───

 

 「ッ───きゃっ!?」

 

 主砲の軌道から逸れ、副砲に直撃したところを見るに、まだ未習得らしい。

 

 

 ◇

 

 

 「うぅ・・・まだ痛いです・・・」

 

 昼食時、対面に座ったのは昼演習のペアであるドイッチュラントだ。その隣には妹のシュペーもいる。

 

 「不甲斐無い、と言いたいところだけど。まぁ練度そのものが足りない以上、どうしようもないわね。」

 

 被弾箇所を抑えて呻くダイドーに、ドイッチュラントが憐れみに満ちた目を向ける。

 これが同じ鉄血艦であれば叱責の一つも飛ばすが、練度70にも満たない貧弱な艦が、練度100の──現時点ではこれ以上の成長が見込めないからと、演習教官役に割り当てられたオイゲンの砲撃に、或いはよく耐えたと褒めるべきだろうか。

 

 「昼は砲撃訓練だけど、大丈夫?」

 「だ、大丈夫です・・・やれます。」

 

 ダイドーの返事が意地から出たものならば、シュペーの問いは社交辞令だ。

 別にダイドーがYESと答えようがNOと答えようが、ボンドルドが「一週間で練度70、実戦可用レベルにできますか?」と問い、それを肯定した以上殴ってでも演習はさせるし吐いても飯は食わせる。

 だがダイドー自身が肯定した以上、何の負い目もなく全霊で鍛え上げるまで。

 

 「今日は・・・削岸?」

 「まだ無理でしょぅね。」

 

 頭ごなしに無理と切り捨てられ、努力を自覚している──実際、他陣営とは比較できないほどの成長速度だ──ダイドーがむっとした顔になる。

 とはいえ練度は段違いであり、教授するノウハウも戦闘センスも明らかに高い二人だ。判断に間違いはないのだろうが、ダイドーの心にちょっとした反骨心が芽生える。

 

 「その、さくがん? というのは・・・?」

 「砲撃で近くの島を整地するのよ。やる?」

 「いえ、大丈夫です。」

 

 反骨心は、無理に決まってるじゃん! という論理的帰結の針で突かれて萎んでしまう。

 艤装強化や練度上昇を積み重ねれば可能だろう。だが、未だ一人前と認められていないダイドーに支給されるのは、訓練用の模擬弾のみ。せめて榴弾でもあれば、と思うも虚しい。

 

 「まぁ、これは練度上げというより、習熟度・・・火力や正確性のテストだしね。」

 

 それにしたって冗談くさい話だ。

 ちなみにドイッチュラントもシュペーも言い忘れているが、このテストは戦艦や空母などの高火力艦向けのテストだ。『ポケット戦艦』と呼ばれるほどの重巡洋艦だからこそ、過去にビスマルクが課したテストであり、断じて軽巡洋艦にさせるものではない。練度次第では出来なくもないが。

 

 「さて、二人とも食べ終わった?」

 「うん。」

 「あ、はい。行きますか?」

 

 ドイッチュラントが壁掛け時計を一瞥する。

 演習予定時刻まで30分はあった。

 

 「ふむ、この時間なら()()が見れるわね。シュペーも来る?」

 「うーん、私は装備点検がまだだから。」

 「そう。じゃあついてきなさい、ダイドー。」

 「え? は、はい。」

 

 どこに行くんだろう、と思いながら、ダイドーは追従する。やがて二人が出てきたのは、30分後から使うはずの演習海域だった。

 え? まさか規定時間外の演習?

 別に嫌ではないし、少しでも練度が上がるなら、少しでも早く、自分を必要だと言った人の役に立てるのなら。どんな手段でも厭わない。その覚悟はあるが、「えぇ・・・」という思いはある。なんかいいもの見れる感じだったじゃん! と言いたくもなる。

 

 「あの・・・」

 「あぁ、ちょうどこっちに来るわ。」

 「え?」

 

 遠く、二つの人影が見える。それらは徐々にこちらへ近づいて来て──

 

 「え? ご主人様?」

 

 片方は、ダイドーを保護したときのように武装したボンドルド。

 もう片方は、艤装を展開したグラーフ・ツェッペリンだ。

 

 彼女は逃げるように海面を滑るボンドルドの後ろを追っている。

 何してるんだろうとダイドーが首を傾げると同時に、ツェッペリンの艤装から艦載機の一群が飛び立った。

 メインは爆撃機と攻撃機か。爆撃機は一斉に爆撃姿勢に入り、攻撃機は海面すれすれを飛びながら魚雷を分離する。

 

 その狙いは──ボンドルドだ。

 

 「えぇっ!?」

 「ただの演習よ、安心しなさい。・・・それに、介入したところで死ぬのがオチよ。」

 

 上空で爆撃姿勢を取った爆撃機が両腕の『枢機に還す光』で斬り払われ、海面に近い攻撃機は『明星へ登る』が掃討する。

 しかし、艦載機を操る練度も、次の艦載機隊を発艦させるまでの速度も、いつぞやの赤城や加賀とは段違いだ。

 

 流石に『明星へ登る』が対処した攻撃機は全滅だが、爆撃姿勢を即座に解除し乱数回避機動を取った爆撃機は半数ほどが健在。

 そして失った倍の艦載機を補充発艦すれば、連射の利かない武装しかないボンドルドでは対処できない。

 

 諦めて拳を握りしめ、ツェッペリンへ突撃する。

 単純な膂力でKAN-SENに劣るボンドルドが勝つ見込みがあるとすれば、それは技量だ。だが鉄血陣営のKAN-SENは例外なく白兵戦の訓練も積んでいる。実験体の捕縛から侵入者の処断まで、生かす方法も殺す手法も修めている。

 

 ボンドルドは辛うじて腕を掴まれたことを悟り、気づけば投げ飛ばされていた。

 

 「・・・おや、もう時間ですか?」

 

 投げ飛ばされた先、なんとか姿勢を制御して海面に立てば、ドイッチュラントとダイドーがこちらを見ていた。

 時間を忘れるのはよくあることだ。懐中時計に目を落とせば、演習開始まで10分ほど。

 

 「では、ツェッペリン。お付き合い頂きありがとうございました。研究ばかりだと、どうにも鈍りますね。」

 「やはり、戦闘用『祈手(アンブラハンズ)』を作った方がいいのではないか?」

 「そうですね。またセイレーン集めに・・・と、ここに居ては邪魔ですね。頑張ってください、ドイッチュラント、ダイドー。」

 

 話しながら遠ざかっていく背中を、ダイドーは呆然と見つめていた。

 

  (・・・え? いま正規空母に投げ飛ばされ・・・ていうか、艦載機撃ち落し・・・え? えぇ?)

 

 たった二度の攻防。どちらもボンドルドは劣勢だった。

 人間がKAN-SENと──軍艦と、攻防を繰り広げた?

 KAN-SENにだって力のセーブくらいできる。だが艦載機や武装のセーブは流石に無理だ。ダイドーのように模擬弾を使っていても、人間を吹き飛ばすことなど造作もない。逆に模擬弾で良いから気絶させろと言われたら、ダイドーは、いや、きっとビスマルクだって無理だと言う。

 

 「ご主人様って、人間・・・なんですよね?」

 「そうよ? ・・・あぁ、シュペーが来たわね。じゃあ始めましょうか。」

 

 釈然としないながら、ダイドーは気持ちを切り替えて訓練に挑むことにした。

 

 

 

 



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23

 夜間行動訓練を終えれば、ダイドーには他のKAN-SENと同じように自由時間が与えられる。

 晩酌をするも良し、早めに寝るも良し。眠るには早いが酒は好かない、というKAN-SENたちは趣味に浸ることが多い。勿論、自主練という形で演習海域を使うのも良い。ただし、哨戒班に敵だと思われないように注意しながら。

 

 特に趣味もなく、酒を好むわけでもなく、とはいえこれ以上の出撃は困難なほど疲労困憊したダイドーは、ここ数日入り浸るようになったボンドルドの書斎にいた。

 過去の作戦記録やボンドルドが集めたらしい歴史書は泣くにも笑うにも物足りないが、勉強にはなる。「ここは禁書の棚です、ダイドー」と言われて指定された棚と、作戦記録の青ではなく実験記録の赤いバインダー以外からであれば、何を読んでもいいと言われた。

 

 「──わ、すごい。」

 

 数か月前の作戦記録を開くと、ダメージレポートやキルレシオがそれぞれ数値順に並んでいる。

 どれもKAN-SENたちに並ぶように、ボンドルドの名前が載っている。特に被弾率の少なさはトップクラスだ。次いでダメージレースが戦艦・空母に並ぶほど高い。

 

 「暁に至る天蓋・・・って、あの鎧のことかな・・・? それともビーム?」

 

 第〇次暁に至る天蓋改善案〇項参照、という表記が異常に多い。だが件の改善案のタイトルは赤いバインダーの背表紙に書かれているのを見ている。

 

 「すごいなぁ、ご主人様・・・」

 

 人間の身でありながら戦場に立ち、兵器であるはずのKAN-SENに並ぶ戦果を挙げている。

 KAN-SENがここまでセイレーンに喰らいつけているのも、ボンドルドの研究成果に依るところが大きい。

 まさに文武両道。人類の未来を切り拓く夜明けの光だ。

 

 「私も、もっと頑張らなくっちゃ。」

 

 気合を入れ直し、ダイドーは部屋に戻ることにした。

 知りたいことは知れたし、今日のところは寝て体力を回復するのだ。明日から頑張ろう、という決意を抱いて。

 

 

 ◇

 

 

 「お、ぶぇっ・・・」

 

 ダイドーが胃の内容物を海面にどろどろと吐瀉していれば、メイド服の上から着けた防弾ベストのような機材が甲高い警告音を鳴らす。

 左胸のスイッチでアラームを止めると、昼演習、格闘訓練のペアであるアドミラル・ヒッパーが近付いて来た。

 

 「身体の構造上、吐くのは仕方ないけど、膝を付くのはアホのすることよ。」

 

 練度の差がそれほどなかったり、艦種による装甲や馬力の差を埋められるとき、格闘戦による決着は各々の砲に依ることが多い。

 ゲロを吐こうが鼻血が出ようが致命傷にはならないし、たとえ身体──KAN-SEN本体を中破に追い込もうが、艤装が無傷なら戦力・脅威としては健在だからだ。

 ガン=カタではないが、空母以外の艦艇は超近接戦闘の中で、どちらが先に艤装を正確に相手に向けるか、自分はどれだけ相手に艤装を向けられないかが重要になる。

 

 訓練内では砲口からレーザーを照射する特殊な艤装を、本体はレーザー照射時間に反応して警告音を鳴らすボディアーマーを付けている。

 もう少し成長すれば模擬弾で、完成すれば実弾でやる手筈になっているが、当分先のように思えた。 

 

 「確かに身体を折り曲げれば楽に吐けるし、服も汚れない。けど、次の瞬間には身体にも服にも大穴が開くわよ。」

 「は、い・・・」

 

 意志までは折れていないのか、ダイドーは立ち上がる。ヒッパーも感心したように片眉を上げ、距離を取る。

 

 「もう一回、お願いします!」

 

 

 

 ───4日後。ダイドーは努力の甲斐あって、練度70に到達した。

 

 「・・・そう。つまり、ツェッペリン。指揮官の命令に従えない、と?」

 「口を慎めよ、ビスマルク。我にも矜持というモノがある。」

 

 一触即発。執務室に流れるその空気を一言で表現するのに、これほど相応しい言葉もない。

 鉄血陣営総旗艦・ビスマルク。第二艦隊旗艦・グラーフ・ツェッペリン。

 各々が艤装を展開し、一挙動で砲撃し発艦できるだけの準備を終えている。

 

 「落ち着いてください、ビスマルク。ツェッペリンも、何か理由があるのでしょう?」

 

 ツェッペリンが投げ捨て、床に散らばる書類は出撃命令書と編成指令書だ。

 第二艦隊には、北連からの救援要請に対応した北極海への出撃が予定されており、普段の第二艦隊にダイドーを加える旨が記されていた。

 

 「第二艦隊は卿より我に任された艦隊だ。我には総員の身を案じ守る責任がある。・・・そこに、ビスマルク。貴様は枷を付けようという。認められる訳がないだろう。」

 

 実戦可用レベルは、あくまで目安の話でしかない。この二人ならば、練度70のKAN-SENを一撃で沈めることも可能。

 急に一人増えようが、誤射や標的誤認といった甘いミスはしない。しかし、チームの強さというのは足引きだ。最強がどれだけ規格外であろうと、最弱の程度が低ければチームとしては弱い。

 重要なのは平均的な強さであり、実力主義的な鉄血陣営のKAN-SENとしては、艦隊の足を引くような弱者は居ない方がマシだ。

 

 「第一、ダイドーはまだ訓練課程を終えていないはずだ。違うか?」

 「・・・いいえ、その通りよ。」

 

 鉄血陣営が定めた基礎訓練課程には、練度70になるまでの演習の他に、練度70以降には実戦訓練代わりの長距離航海任務がプログラムされている。鏡面海域である基地近海より遠海の方が安全という、面白いほどに養成に向いていない立地が原因だ。

 

 「分からんな。無茶を通したいのなら、まず最低限の道理を通すべきだと思うが?」

 「───『実験』のためよ。」

 

 ビスマルクの韜晦じみた言葉に、淡々と反論するだけだったツェッペリンの顔に感情が宿る。

 怒りと嫉妬がないまぜになったような顔で、彼女は一歩詰め寄る。

 

 「実験・・・実験か。ビスマルク、貴様()()が魔法の言葉だとでも思っているのか? いいか、卿の実験は我々にとって最も合理的かつ効果的なものを選択し、我々をより強力に、強靭にするために行われる。その過程で出る犠牲は、あぁ、許容しよう。所詮は他陣営の艦だからな。だが───我々に損害が出るのであれば、話は別だ。」

 

 詰められた一歩、ビスマルクは下がる。

 

 「卿の為に死ぬのであれば、我とて隷下の艦隊に命じよう。この場で骸となり卿の征く道となれ、と。だがビスマルク、貴様は無為にリスクを増やそうとしている。訓練課程のほんの数か月を惜しんでいる。」

 「それは───」

 「その通りです、ツェッペリン。貴女の言葉は正しい。()()()()()()()。」

 

 白熱していた意識を急速冷却するボンドルドの声は、どこか楽しそうだった。

 冷静になれば、ツェッペリンの脳は言葉を咀嚼し、記憶を掘り起こし始める。

 ダイドーに課された訓練メニューは、明らかに艦隊として行動する能力の育成が足りていない。それに『練度70に』という指示も微妙だ。練度をいくら上げようが、KAN-SEN本体と艤装がある程度強化されるだけで、戦闘能力──戦闘センスというものは磨かれない。以前の赤城や加賀がいい例だ。実験台として使わない、本来の意味で鉄血艦として迎え入れた艦──シュペーやドイッチュラントがそうだ──は、みな『強く』と言われた。

 

 「───はっ」

 

 笑いが漏れる。

 簡単なことでは無いか。足りない訓練が何を齎すか。訓練を過少にした、その意図は。

 

 「卿は、奴を殺すつもりか。」

 「───素晴らしい、正解です。」

 

 



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24

 この文読みやすいな、なんだか軽い文だな、と思う時、ありますよね。あれはセリフと地の文の割合が原因らしいんですよ。
 今回はセリフの割合が多い(はず)なので、きっと読みやすい文です。
 なお執筆者はド文系です。


 「19時ジャスト、覚醒。予定通り。バイタル異常なし。・・・おめでとうございます、ダイドー。これで君も不死の艦隊(エインフェリア)の仲間入りです。」

 

 手術台で眠ったはずのダイドーが目覚めたのは、どうやら別の部屋だった。

 朦朧とする意識が徐々に回復し、ぼやけていた視界が鮮明になってくる。

 工具の並んでいない簡素な壁、目に刺さるような白色灯、こちらを覗き込むような仮面───

 

 「ごっ、ご主人様!」

 

 慌てて跳ね起きると、ボンドルドは「流石はKAN-SEN、羨ましいほど元気ですね」と呆れたように笑った。

 ダイドーは数時間前、眠りに落ちる前にボンドルドに言われたことを思い出す。

 

 

 「これから君にセイレーンと同じ人格バックアップ技術を導入します。施術時間は想定で5時間。施術後2時間は安静です。人格バックアップの起動方法や制限は術後にレクチャーされる予定です。───では、おやすみなさい。」

 

 

 無影灯を後光のように纏っていたボンドルドは、どこか人ならざる者の風情があった。ダイドーは正直怖かったのだが──こうして穏やかにダイドーとカルテを検分している様子を見ると、ただ手術前にナーバスになっていただけなのだと恥ずかしくなる。

 

 「ありがとうございました、ご主人様。ダイドーのために、先端技術を導入して頂いて・・・ダイドーは必要とされてるんですよね。ご期待には必ずお応えします!」

 「心強いです、ダイドー。ですが、二時間は安静ですよ。」

 

 興奮して寝付かない子供にするように、ダイドーの頭を柔らかに撫でる。気恥ずかしさを感じて、ダイドーはまた横になった。

 

 「本当はもう少し様子を見たいところですが、明日には出撃して貰います。勿論、異常が無ければですが。」

 「だ、大丈夫です! 今すぐにでも出撃できます!」

 「それは喜ばしい。では、21時にまた来ます。何か必要なものがあれば、枕元にナースコールがありますので、それを押してください。・・・あぁ、緊急時以外は連打しないように。」

 

 まるで医者のようなことを言い残し、ボンドルドは去っていった。

 

 

 

 気絶にも近い強制的な睡眠開けの割りに、ダイドーは眠れなかった。

 正確には、遠足前の小学生のような初出撃への期待と興奮で眠ろうともしなかったのだが、それを二時間後に後悔する羽目になった。

 

 「人格バックアップには二種類あるわ。一つは、脳に重大な損傷を負う前、できれば大破時などにあらかじめ使うべき、非戦闘時における撤退用。もう一つは、戦闘時、致命傷を負い撃沈される寸前に自動的に発動するもの。どちらも理屈の上では全く同じものだから、覚えるべき理論は一つだけよ。まず、人格バックアップは脳の構造を光子スキャナによってニューロン配列や損傷度、神経伝達物質の位置までも正確にスキャンするところから始まるわ。次に、そのデータは量子テレポーテーションによって『前線基地』に保管されているマザーメモリへ転送されるわ。スキャン・転送速度は理論上光速だから、危なくなったら使う、程度の認識でも問題は無いけれど、起動するための脳の伝達信号はいくらKAN-SENとはいえ秒間300mが良いとこだから注意して。ちなみに撃沈回避用のものが作動した場合は、光子スキャナが疑似的なラプラスの悪魔になって、つまり脳を構成するあらゆる要素を完全にスキャンして()()してから転送することになるわね。同時に体と艤装を構成しているキューブが自壊し、こちらも同様に転送される・・・といっていいのかしら。厳密には遍在するキューブを新たに取得しているらしいのだけれど、正直、この辺りは指揮官の方が詳しいから。・・・えっと?」

 

 脱線から戻ろうと、どこまで話したかとホワイトボードを見るのはレクチャー役のビスマルクだ。

 ダイドーは話の一片だけ──ボンドルド スゴイ程度──を理解し、あとはもう何言ってるんだろうこの人、というレベルだ。理解できない言語が単なる「音」として解されるように、ビスマルクの言葉を理解するための言葉の咀嚼すら行われていない。

 

 「あぁ、そうそう。哲学的な意味でのテセウスの船やスワンプマン的問題についての考察は書斎の『人格バックアップが齎しうる精神的問題について』の2冊目を読むといいわ。これは私の持論だけど、そもそも私たちKAN-SENが哲学的ゾンビでない確証が、私たちの主観しかないという時点で無意味に近い考察なのよ。・・・それを気にしてくれる指揮官の寛大さに触れるという意味で、目を通しておきなさい。」

 

 何か質問は? とでも言いたげに見つめてくるビスマルク。

 あるといえばある。それも大量に。だが───相手の知識レベルと自分のそれが違い過ぎて話にならない。まずは書斎へ行き、教科書代わりになる何かしらを探し、読み、その上でもう一度だ。それで無理なら、ビスマルクの講義に問題がある。その時は別の理解している人間──ボンドルドにでも聞けばいい。

 結局のところ自分の無理解が原因なのだ。他人のレベルと自分のレベル。上げやすいのは当然自分だ。

 

 「えっと・・・もう動いても平気なんですよね?」

 「えぇ、異常が無ければね。」

 「じゃあ、早速その参考資料を読んできます。失礼します!」

 

 逃げるように去っていったダイドーの背中を一瞥し、ビスマルクが自分の書いたホワイトボードの図に向き直る。

 

 「・・・分かりにくかったかしら?」

 

 

 ◇

 

 

 「えーっと、事象・・・自己・・・人格・・・あった!」

 

 立ち入りを許された書斎で、ダイドーは30分かけて漸く目当てのバインダーを見つけ出した。

 これまでのKAN-SENたちが書いた作戦記録ではなく、ボンドルド直筆らしい考察書記。その言葉の響きだけでなんだか面白い物のような気がしてくる。まぁきっと全くの勘違いだろうが、と冷静な自分に突っ込まれつつ、ダイドーはバインダーを開き───

 

 「ダイドー? 貴様、何をしている?」

 

 ───その険のある声に飛び上がった。

 

 「え、あ、ツェッペリン、さん?」

 「勉強熱心なのは感心だが、明日から出撃だぞ。貴様もエインフェリアとなった以上、出撃を前にすべきは焦ることでは無く状態を十全にすることだ。」

 

 勉強は帰ってからにして今日は寝ろ、ということだろう。

 旗艦の命令とあっては従うしかないな、と、ダイドーはそんな思考に至ったことが少し嬉しかった。

 

 ようやく出撃できる──ようやく、ご主人様の役に立てる、と。

 

 「はい!」

 

 注意された、という認識のはずだが、何故か上機嫌で立ち去っていくダイドー。

 ツェッペリンは困惑しながらそれを見送った。

 

 



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25

 『前線基地(イドフロント)』第一出撃ゲートに、8つの人影があった。

 鉄血陣営第二艦隊旗艦グラーフ・ツェッペリン以下6名と、総旗艦であるビスマルク、鉄血陣営統括管理官ボンドルドの8名だ。

 出撃を控えた第二艦隊には、ブリーフィング、出撃目的と目的地、航路その他注意事項の通達がある。

 

 「今回の目標は北方連合管轄下、バレンツ海近辺のセイレーン掃討だ。現時点では救援要請は出ていないが、鉄血とロイヤルに戦力提供の打診があった。北連の当該地域担当艦隊が特殊個体オミッターと交戦し敗走。その後始末だ。」

 

 立て板に水に説明するツェッペリンが一息置くと、第二艦隊前衛であるアドミラル・ヒッパーが挙手した。

 

 「ロイヤルの方が近いじゃない。なんで私たちが?」

 「オミッターの推定練度は最低80だ。ロイヤルが対応するとなればトップ総出でかかるしかないが、それでも勝率は高くない。」

 「・・・つまり、勝てないから押し付けられたっての?」

 

 憤慨するヒッパーを宥めるように、ボンドルドがその頭を撫でる。

 

 「そうではありません。貴女達の方が強いと判断し、私が請け負いました。」

 「そういうことなら、まぁ・・・」

 

 ゴニョゴニョと何か言いたげながら、撫でるがままにされるヒッパー。

 ボンドルドは頷いて合図を送り、ツェッペリンに先を促した。

 

 「今回の編成は・・・まぁ、見て分かると思うが新顔が居る。」

 「ダイドー級軽巡洋艦ネームシップ、ダイドーです。よろしくお願いいたします。」

 

 ミニスカートでのカーテシーは中々に危なっかしいものだが、ダイドーの礼は様になっていた。

 緊張はしているようだが、過度というほどでもない。出撃前にはちょうどいいくらいだ。

 

 「後衛にはティルピッツと我、前衛はヒッパー、シュペー、そしてダイドーが当たる。旗艦は我だ。」

 「5人、か。指揮官、オミッターってのはそんなに()()()?」

 

 ダイドーが首を傾げるのも無理はない。

 5人と言えば、艦隊を形成するフルメンバーである6人に一人足りない。さらに言うと、練度70という足引き──ダイドー自身──も混じっている。練度80の上位個体を相手取るには不安の残る要素が二つもあれば、まぁ心配の一つや二つ浮かぶものだ。

 しかし、ヒッパーが口にしたのはその真逆。まるで過剰だと言わんばかりだ。

 

 「私も過去に数合交わしただけですが・・・そうですね、()()脅威に感じました。」

 

 今までの、どこか弛緩した──言ってしまえば舐めたような空気が霧散する。

 KAN-SENどころか本職の軍人ですらないボンドルドの見立ては、確かに戦士の視座ではない。しかし、その観察眼は一級といえるだろう。

 加えて言えば、ボンドルドの武装『枢機に還す光(スパラグモス)』は理論上の回避不可能攻撃であり、また熱兵器ではなく還元兵器とでもいうべき特異な性質から、防御も不可能。さらに言えば一撃必殺だ。

 そのボンドルドが──ピュリファイアーやオブザーバーを「素材」と言い切る男が、明確に脅威と断言した。

 

 「可能ならば・・・あれは、()()()ですね。」

 

 ボンドルドが従える──いや、ボンドルド自身である『祈手(アンブラハンズ)』。戦闘用にチューンアップされたそれを作るのにちょうど良さそうだ。現行の戦闘用モデルは些か脆弱に過ぎる。

 今のように人間を調整するのではなく、セイレーンを素体として調整し・・・可能なら、リュウコツ技術による能力強化を。さらに夢を見るのなら練度強化も可能かもしれない。

 

 「つまり、指揮官。私たちはオミッターを鹵獲すればいいのか?」

 

 内心を見透かしたのか、ティルピッツが尋ねる。

 ボンドルドは数秒ほど黙考し、やがて首を横に振った。

 

 「それは素晴らしい案ですが・・・完全な武装解除はともかく、帰りの航路が安定している保証はありません。今回はあくまで、北連の援護が目的です。」

 「・・・そうか。」

 

 質疑応答がひと段落したと見て、ビスマルクが手を叩く。

 

 「現在時刻07時54分。340秒後、出撃ゲートを解放するわ。用意はいい?」

 

 この期に及んで準備不足だというKAN-SENはいない。各々が出撃に向けて集中したり、或いはリラックスしたりするための時間だ。

 ボンドルドがタブレット端末を操作すると、出撃ゲートが開く。初めて経験する正式な出撃。それを実感して、ダイドーの胸が高鳴る。

 

 「・・・言っとくけど、戦闘海域まで結構遠いわよ?」

 「え、あ、そうですよね!」

 

 呆れ交じりのヒッパーの微笑に釣られ、ダイドーの表情筋も弛緩する。

 

 「大西洋は殆どが鉄血とロイヤル、ユニオンが制圧してる準危険海域だから、万が一接敵しても救援要請して先へ進めばいいのよ。」

 「それ、多分やっちゃった方が早いよ?」

 「違いない。我々の前に立つ者は、皆灰燼に帰すまでだ。」

 

 シュペーの茶化しに、どこかズレた同調を示すツェッペリン。

 

 「時間よ。総員、出撃。」

 「第二艦隊、総員出撃。」

 

 ビスマルクの指示をツェッペリンが復唱し、ダイドーは初めて、鉄血陣営の艦艇として出撃した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 「退屈ねぇ・・・」

 「・・・否定はしない。」

 

 道中は接敵どころか、艦影の一つも見なかった。

 一応、この辺りはロイヤル支配下の準危険海域、つまり低頻度かつ弱い個体ながらセイレーンが出没する可能性のある場所だ。哨戒中の艦艇と遭遇した場合には即座の武装解除が必要であり、そもそも通過にも事前の通告が必須となる。

 今回は公式な戦力提供かつ、ロイヤルには重荷となる相手を肩代わりしている立場だ。通行保証の意味でも哨戒艦隊くらいには出会うかと思っていたが。

 

 「どうせなら私たちに海域掃討もさせよう・・・とは、流石に考えないか?」

 「有り得ん話ではないな。」

 

 現在地はアイルランド外洋、ロイヤルのお膝元とも言える場所だ。

 ロイヤルが最も力を入れ保守する海域のはずだが、艦載機の一機も見えない。道中の安全は普段の遠征の甲斐あってかなりの確度で保証されているはずだが、こうまで静かだと逆に不安にもなる。

 

 「というか、青い空が落ち着かない・・・」

 「重症だな、シュペー・・・まぁ、斯く言う我も同類なのだが。」

 

 普段から鏡面海域で過ごしている『前線基地』住まいのKAN-SENとしては、紫雲と赤い水平線こそがホームグラウンドだ。

 苦笑しているティルピッツやヒッパーにしても、居心地の良さはともかく慣れで言えば鏡面海域の方が肌に合う。

 

 「・・・あれ?」

 

 ふと、ダイドーが声を上げる。

 何かあったかと艦隊の皆に視線を向けられ、ダイドーは少し焦りながら進行方向を示した。

 

 「いま、何か光りませんでしたか?」

 「はぁ? 何処──ッ!?」

 

 世界の全てが反転したような、言い表しがたい不快感。

 殺気や憎悪のような指向性を持ったそれではなく、もっと全体的で強烈な、言うなれば拒絶感とでもいうべきそれに、ダイドーの全身が強張る。

 ひっくり返りそうな胃をなんとか抑え、固く閉ざしていた目を開く。

 

 水面は昏く、空は紫雲に覆われ、水平線は紅に染まる。けれど朝焼けのような温かさは無く、夕焼けのような寂寥も無い。無機質な冷たさと静かな死の匂いがした。

 ボンドルドの書斎で読んだ言葉が想起される。

 

 『前線基地(イドフロント)』の、ボンドルドの元では感じたことのない、へばりつくような空気。

 

 「──鏡面、海域・・・?」

 「避けろッ!」

 

 青白い燐光。

 速い。ダイドーは戦闘隊形に展開する艦隊を見て、そんな感想を抱き。

 

 光速の死に呑み込まれた。

 

 

 



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26

 「19時ジャスト、覚醒。予定通り。バイタル異常なし。・・・おめでとうございます、ダイドー。これで君も不死の艦隊(エインフェリア)の仲間入りです。」

 「あ・・・え?」

 

 目を指す白色灯に瞬き、隣でカルテを見ているボンドルドに視線を移す。

 

 「意識の混濁などはありませんか?」

 

 いつぞやと同じく覗き込んでくる仮面。

 強烈な既視感を覚え、頭痛と眩暈は押し寄せてくる。

 

 「おや、どこか痛みますか。」

 

 不快感に顔を顰めると、ボンドルドが心配そうにダイドーを見つめる。

 手術直後ということもあり、万が一の不具合が懸念される。

 

 「あ、いえ・・・とても嫌な夢を見て。」

 

 言っておきながら、ダイドーは自問する。

 出撃前に感じたあの高揚が、仲間たちとの航行が、鏡面海域の不快感が。そして、あの美しいほどに煌めく死の奔流は。本当に夢だったのだろうか。

 

 「ご主人様、その・・・質問してもよろしいですか?」

 「えぇ、何なりと。」

 「即時撤退についてなのですが・・・その、どういう風に作動するのでしょう?」

 「どのように、とは、理論ではなく実際にどう作動するか、ということですね?」

 

 ダイドーは頷く。

 もし夢でのビスマルクのように難解な理論を展開されたらどうしよう、と考えていたが、杞憂だったようだ。

 

 「即時撤退は、大きな二つのプロセスに分けることが出来ます。まず、人格と経験のバックアップ。次に分解と再構築です。バックアップ・プロセスはほぼ全て光と量子テレポーテーションを用いて実行されるので、タイムラグはゼロと考えてください。」

 「りょうし・・・?」

 「私も専門分野ではないので、セイレーンのものがそれと同一の技術であるとは断言しかねますが・・・量子テレポーテーションは簡単に言ってしまえば、この鏡のようなものです。」

 

 簡単とは。そう突っ込みたくなったダイドーの内心を理解しているのか、ボンドルドはより噛み砕いた説明に入る。

 鏡とカルテの一枚を向かい合わせにすると、当然のように鏡には反転したカルテが映る。

 

 「この状態でカルテに書き込むと、鏡の中のカルテにも同時に書き込まれますよね?」

 「え? そ、そうですね・・・。」

 「量子テレポーテーションとは、いわばこの鏡のような通信方法です。送信元の情報が一切のラグ無く反映される通信、という理解で構いませんよ。」

 「はぁ・・・」

 

 普通の高速回線でもラグなんて殆ど感じないが、それはすごい技術なのだろうか。

 ダイドーのそんな内心には気付かず、ボンドルドは説明を続ける。

 

 「次に艤装とKAN-SEN本体の分解です。・・・というと、少し怖がらせてしまうかもしれませんが。」

 「え、っと・・・はい・・・」

 「ダイドー、貴女はいま艤装を展開していませんよね?」

 

 首を傾げつつ、ダイドーは首肯する。KAN-SENには勿論自分の状態、艤装を顕現しているか否かは分かる。だが他人にだって視覚的に分かるものだろう。

 非顕現状態の艤装は、消滅しているわけではない。KAN-SENにも「何となくこの辺に主砲、この辺に機銃があるな」くらいの認識しかできないが、探知不可能の状態で()()に在る。見ることも触れることもできないが、確かに。

 

 「全身がその状態になり、この前線基地まで転送されるのです。経験者が言うには、移動の実感は無く「気付いたらそこにいた」程度の認識らしいですよ。」

 「じゃあ、時間は・・・いえ、作動すると同時に帰還できるんですよね?」

 「えぇ、その通りです。・・・では、二時間後にまた来ます。その際に何も異常が無ければ、ダイドー。明日、出撃して頂けますか?」

 

 では、あれは夢ですね。と、悪夢を共有したい衝動に駆られたが、ダイドーは思い留まった。麻酔で混乱していると思われるだけならまだいいが、僅かでも脳機能に障害ありと判断されれば経過観察、出撃は中止になってしまう。

 

 「・・・はい。」

 

 お疲れでしょう、ゆっくり休んでください。そう言い残して出て行ったボンドルドの背中に手を伸ばす。

 ここでその裾を引けば。それは悪夢ですよ、と、頭を撫でてくれるのだろう。微かな期待と羞恥心が天秤にかけられ、その腕は力なく下ろされた。

 

 

 ◇

 

 

 「おはよう、ダイドー。と言っても、もう夜の九時だけれど・・・身体に異常はない?」

 「おはようございます、ビスマルクさん。大丈夫です。・・・即時撤退の説明をしに来てくれたんですか?」

 

 夢に見たビスマルクの悪夢のような説明を思い出し、顔が引き攣るのを自覚する。

 しかし、ビスマルクは首を傾げて不思議そうに問い返した。

 

 「指揮官が説明したって聞いたけど、何か分からない所でもあった?」

 「あ、いえ・・・」

 「そろそろ身体が馴染むころだから、様子を見に来たのよ。自覚できる異常が無ければ、もう起きて良いわよ。お疲れ様。」

 

 枕元に置かれていたダイドーのカルテを取り、数回ペンを走らせたビスマルクは、それを持って部屋を出てしまった。

 

 「ありがとうございました・・・。」

 

 釈然としない。

 違和感が拭えない。

 見たことのある景色と言えば、二週間ここで過ごしたのだから当然だ。だが海の模様や雲の姿まで完全に既知となれば、些かの気持ち悪さを覚える。

 

 なんとなく夢通りの足取りで、なんとなく書斎に入る。

 書棚の配置など早々変わるものではない。この部屋はボンドルドがあまり使わない方の書斎だというから尚更だ。

 覚えていた通りの場所、夢と同じ場所にある『人格バックアップが齎しうる精神的問題について vol.2』のバインダー。

 

 確か、これを取ったタイミングで───

 

 「あれ?」

 

 夢の通りなら、これを手に取った時に急にツェッペリンに声を掛けられた。飛び上がるほど驚いたものだが、と考えて、ダイドーはほっと安堵した。

 

 「あぁ、うん。やっぱり夢は夢なんだ。」

 

 正夢にしてはリアルすぎて気持ち悪かったが、ここにきて一致が解けた。やはり所詮は夢。現実を投影するにも限界がある。

 

 「・・・夢では読めなかったんだよね、これ。」

 

 確認するようにバインダーを開けば、ボンドルドの考察が羅列されている。他人に見せるというより、考えを纏めるために表記したものをビスマルク辺りが綴じたのだろう。手書きの草稿なども一緒くたにされている。

 

 「KAN-SENの自己認識は肉体ではなく精神に依存し、テセウスの船的自己認識崩壊は起こり得ない。実験ログ1405号参照のこと。・・・実験ログ、は、見ちゃ駄目。」

 

 微かな寂しさを覚えつつ、ページをめくる。

 

 「KAN-SENが哲学的ゾンビであるという人類視点からの指摘・・・人類とは根本的に肉体的・精神的な構造が違うため指摘自体が的外れであると・・・哲学的ゾンビってなんだろう。」

 

 辞書や参考文献を探し、疑問を自力で解決しようとするダイドー。いい子だが、残念ながらすぐに見つかりそうにない。なんせ床にまで本が散乱している有様なのだ。

 15分ほど漁っていると、先ほどまで読んでいたバインダーに何度も参照として出てきた『KAN-SENの精神について』と背表紙に打たれた赤いバインダーが出てくる。

 

 「赤、かぁ・・・」

 

 見たい。ものすごく。

 しかし、赤いバインダーは実験記録。ボンドルドに見てはならないと言われた以上、見るべきではない。

 

 「はぁ・・・迷っちゃった・・・」

 

 ダイドーがそれを元あった場所に戻したのは、忠誠心ゆえだ。

 しかし、それを誇ることなど出来はしない。忠誠を捧げた相手の言葉であれば何であれ従うのみ。自分など無く、ただ相手に奉仕する。それがロイヤルメイドとしての心構えだ。

 きっとメイド長や妹であれば、躊躇もなく置いただろう。中途半端だなぁ、と自省──というか半分鬱に近い──するダイドーは、背後から掛けられた声に飛び上がる羽目になる。

 

 「ダイドー? 貴様、何をしている?」

 「ツェッペリン、さん・・・!?」

 「勉強熱心なのは感心だが、明日から出撃だぞ。貴様もエインフェリアとなった以上、出撃を前にすべきは焦ることでは無く状態を十全にすることだ。」

 

 同じ台詞。なぜ今になって──いや、違う。同じ時間だ。

 ビスマルクの説明を聞かなかったから、ここに来た時間は夢より少し早い。そして夢と同じ時間、つまり今になってツェッペリンがこの書斎を訪れ──

 

 「は・・・い。部屋に戻ります。」

 

 頭痛を催すほど強烈な既知感に苛まれながら、ダイドーはなんとかそう絞り出した。

 

 

 

 



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27

 「退屈ねぇ・・・」

 「・・・否定はしない。」

 

 聞き覚えのある、ヒッパーとシュペーの会話。

 少し速度を落として主力艦たちの方に下がると、こちらでも聞き覚えのある会話が繰り返されている。

 

 「ロイヤルの哨戒にすら出会わないとはな。どうせなら私たちに海域掃討もさせよう・・・とは、流石に考えないか?」

 「有り得ん話ではないな。」

 

 もし本当に、あれが正夢だったとしたら。

 

 「あ、あの・・・」

 「青い空が・・・何よ、何か見つけた? ダイドー。」

 「いま、何か光りませんでしたか?」

 

 夢の通りなら、この直後に───

 

 「はぁ? 何処──」

 「待て、確かにいま何か光った。各位散開、輪形陣だ。」

 

 ツェッペリンの指示に従い、全員が速やかに陣形を成す。途中でヒッパーに引かれて誘導されたダイドーは、右翼側の末端だ。

 

 「あんた、艦隊行動の訓練受けてないの?」

 「え? はい。」

 「はいって。冗談言ってる場合じゃ──鏡面海域!?」

 

 また、あの世界の全てが反転したような、言い表しがたい不快感に襲われる。

 夢の中で体験した死の前兆に身体が硬直するが、この直後には()()が来る。全力で身体を動かせば、硬直と圧力が筋繊維を幾つか千切ったような痛みが走る。

 

 「避けろッ!」

 

 ツェッペリンの指示と同時に回避機動を取る。筋が痛いが死んではいない。

 熱を感じない青白い光の束が、ダイドーのすぐ横を通り過ぎる。それはすぐに収まり──突風と爆発が艦隊を大きく圧す。

 

 「今のは、卿の『枢機に還す光(スパラグモス)』と同じ──!?」

 

 疑似的な真空状態すら作り出した、万物を解く枢機の光。射線上の全てを無に帰し、辺りの空気を焼き切ってようやく一撃が終わる。

 

 「今のがオミッターの・・・なるほど。あいつが欲しがりそうな相手ね。」

 「推定練度80、それも一撃喰らったら終わり、か。どうする?」

 

 ヒッパーが口角を上げる。妹に似たのか、それとも妹が姉に似たのか、美しく獰猛な笑顔だ。

 ティルピッツの問いに、「逃げるか」という意味は無い。出撃目的そのものであるオミッターが自分から出てきてくれたというのなら、これほど狩りやすい場面もそうは無い。

 

 「目視圏外からこれほど正確に撃ってきた相手だ。もう少し距離を詰めよう、と言いたいところだが──」

 

 ティルピッツとツェッペリンが口を閉じ、互いに距離を取る。その間が10メートルほどになった時、その真ん中を青白い光の束が通り抜けた。

 

 「凄まじいな。これだけ離れていて殺気すら届くか。」

 「お陰で読みやすい。光は直進するから尚更だ。」

 

 人型セイレーンの厄介な点として、その視認性の悪さが挙がる。

 広大な海で、鏡面海域という視認性の悪い環境。その中から人間一人を見つけ出すことの困難さは想像に難くない。レーダーから大まかな位置は特定できるが、狙撃というのは数センチの位置差でも巨大なズレだ。

 だが直線的で、風どころか重力の影響すら受けず、発射から着弾までの時間偏差すらない兵装だ。射線が分かれば回避は難しくないし、弾道が目に見える分逆算も簡単だ。

 

 「艦隊各位、回避機動を徹底しつつこちらの攻撃圏内まで接近する。攪乱と先制は我が受け持とう。」

 

 言って、ツェッペリンが艦載機を展開する。

 いつぞやボンドルドに向けたそれの3倍近い数の群れが飛び立てば、遠く、対空兵装らしき光の帯が伸びた。

 

 「あれは・・・対空機銃か? どうやら、あの光線は主砲のようだな。仰角はそれほど無いか、連発は効かんらしい。」

 「指揮官のと同じ? サイズは向こうの方が大きいけど。」

 

 ボンドルドの『枢機に還す光』は腕に付け振り回すという特性上、口径は出力を最大にしても人間の胴体程度。

 対するオミッターの主砲は人間一人を丸呑みして余りある大きさだ。それは視覚的にも物理的にも脅威となる。

 

 「だろうな。一撃が敗北と同義。絶対兵器の類だ。」

 「つまり、いつも通りか。」

 

 互いに笑みを交わす主力艦隊の二人。

 重装甲が無意味になる相手だが、その戦意に曇りは無い。

 

 「あまり直線的に動くなよ。射線を読むのはそう難しいことじゃない。」

 「ダイドー、訓練を思い出して。やれるよ。」

 「は、はい!」

 

 ドイッチュラントとシュペー。二人にしごかれた思い出が蘇る。

 あの時は白兵戦の距離で、今は目視圏外という違いはあれど、どちらも撃たれてからの回避が不可能という点では同じ。

 

 訓練通りに、相手の砲撃予測位置から体をずらし──先程まで体のあった場所の空気が焼き切れる。

 撃たれる前に躱し、撃たれる前に躱し、撃たれ──!?

 

 「え?」

 

 殺気から、予測射線上から逃れた先で、殺気に当たる。

 ダイドーの隣でティルピッツが、反対側ではヒッパーが、ダイドーと同じく驚愕に目を見開いていた。

 

 「三本!?」

 

 輪形陣の反対側でヒッパーが転がるように逃れるのが見えた。ティルピッツが辛うじて飛び退き、ツェッペリンがシュペーを突き飛ばし、片腕をもがれながらも生還。

 

 もしあれが頭部だとして──跡形もなく消え去っても撤退は可能なのだろうか。そんなことを最後に考え、ダイドーの意識もそこで途切れた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 「19時ジャスト、覚醒。予定通り。バイタル異常なし。・・・おめでとうございます、ダイドー。これで君も不死の艦隊(エインフェリア)の仲間入りです。」

 「・・・え? えぇ?」

 

 流石に二度目ともなれば、正夢だとか鮮明な夢だとか、とにかく夢であるという疑いも持たない。

 となれば、次に疑うのは───

 

 「ご主人様、その・・・私がここで目覚めるのって、何度目ですか?」

 「おや、記憶に混濁がありますか。麻酔の副作用であればいいんですが、脳に問題があった場合は少し面倒ですね。」

 「もう、ご主人様? 少し意地悪じゃありませんか?」

 「あぁ、失礼しました。君がここで目覚めるのは一度目ですよ。」

 

 悪戯。・・・では、なさそうだ。

 というかボンドルドの性格的に、そんな質の悪い悪戯はしないだろう。

 

 懐中時計を確認すると、現在時刻は19時02分だ。

 ダイドーは艤装を展開すると、おもむろにその主砲を自分に向けた。

 

 「いけません、ダイドー!」

 

 ボンドルドが手を伸ばす。

 砲弾が爆発しても危害が及ばないよう、ボンドルドを突き飛ばし──ダイドーは自分の頭を吹き飛ばした。

 

 

 ◇

 

 

 「19時ジャスト、覚醒。予定通り。バイタル異常なし。・・・おめでとうございます、ダイドー。これで君も不死の艦隊(エインフェリア)の仲間入りです。」

 「は、ははは・・・」

 

 思わず、笑いが漏れる。

 懐中時計を確認すれば、確かに19時ジャストだ。部屋には砲弾が突き刺さった跡どころか血の一滴もない。

 つまり───

 

 「時間を超えて作動した・・・ううん、作動して、時間を超えたんだ。」

 

 

 



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28

 いやー・・・思ったより難しいですね、ループもの。
 ループを意識しすぎると過剰描写になるし、その結果だけを描写すると今度は薄っぺらくなるし。上手い人のを参考にしようと色々漁っていた結果、自信喪失して遅くなりました(言い訳)


 時間逆行能力。

 とても便利な力だ。何が原因でこの力が発現したのかなどどうでもいい。問題はどう使うかだ。

 今のところ、ダイドー以外の人間とKAN-SENの行動はすべて一致している。だからこそ、あのオミッターの一撃、不可避の速度で到達する防御不可の光を躱すことも可能だった。

 

 この力があれば、きっとオミッターを無傷で倒すこともできる。

 ボンドルドの役に立てる。ダイドー自身の、実力以上に。

 

 「ご主人様、ダイドーは頑張ります!」

 「それは頼もしい。ですが、二時間は安静ですよ。」

 

 

 ◇

 

 

 ツェッペリンとシュペーに砲弾を撃ち込む。勿論大したダメージはないだろうが、勢いを利用することは出来るはずだ。

 視界の端で驚きの表情を浮かべる二人の安否を確認し、ヒッパーを一瞥する。

 

 「・・・やるじゃない。」

 「恐縮です。」

 

 獰猛な笑みをそのままに、ヒッパーは一つ頷く。

 砲弾に押された二人の眼前を通り過ぎた光線と、挟み込むような二本の光。

 多少なりとも損害を与えていたはずの、予想外の一撃。それをダイドーが的確に回避させた、と、百戦錬磨の鉄血艦たちは理解していた。

 

 「今のが限界数だと仮定して動くのは危険です。倍の6本まで警戒して進みましょう。」

 「えぇ、そうね。」

 

 ティルピッツの同意を得て、ダイドーは海面を移動する。何周か前にティルピッツ自身が言ったことだ、同意は当然なのだが。

 知っている。この戦場のほぼ全てを、ダイドーは把握している。

 

 首を傾げれば砲弾が通り過ぎ、進路を変えれば元の軌道が光に呑み込まれる。

 

 優雅なまでに敵の動きに対応した──いや、未来を知っているかのような予測回避。殺気に反応する鉄血のKAN-SENたちの更に先を行くダイドーに、もはや友軍意識はなかった。

 ここまで近付けば、オミッターの狙いはダイドー一人に集中するからだ。

 

 「な、んなんだよ、テメェは!」

 

 遠く、吠えるオミッターの姿が見える。

 まだ攻撃してはいけない。この距離から撃っても効かないことは知っている。

 

 「・・・。」

 

 答えてはいけない。ここで呼吸を無駄に使うと、次の攻撃にコンマ数秒間に合わない。

 

 「───ッ!!」

 

 至近距離での攻撃を回避し、有効打にはなり得ない砲撃をぶつけて体勢を崩させる。

 苦し紛れのオミッターからの砲撃は躱し、もう一度。次の光が来るまで5秒ある。今のうちに装填しておきたいが、それは前回の死因になった攻撃だ。落ち着いて対処することにする。

 

 「・・・。」

 

 撃ってこない。

 前回の攻撃がダイドーの見せた隙をフラグとした受動的行動であったと知れただけで収穫だ。

 ここから先は未知の範囲だ。未来知が無くなった以上、練度70の身に出来ることは多くない。なるべく情報を集めて次に生かそう。

 

 「───テメェは、あたしの知ってるダイドーとは違うな。」

 「そうですか?」

 

 オミッターの正面に立つと、壁のような威圧感が襲ってくる。

 これが皆の言う「殺気」なら、読めるはずもない。面で襲ってくるそれから、どうやって攻撃の軌道を読むと言うのか。

 

 「あたしの知ってるダイドーはもっと、こう・・・弱っちい奴だったよ。テメェと同じくらいの練度だったけど。」

 「そうらしいですね。ご主人様に教えて頂きました、ロイヤルの私も練度70だと。」

 「鉄血のテメェは、何を見たらそうなるのやら。」

 

 オミッターの思い浮かべるものと、ダイドーの思い浮かべるものは違う。・・・いや、広い意味では同じか。

 ボンドルドの実験の果てに在る、凄まじいまでの強化か。

 自分で積み上げた、自分自身の骸が見せる未来知か。

 

 「死を。」

 「死か。」

 

 同時に応え、砲撃する。

 砲弾と光、先に到達するのは、当然ながらオミッターの一撃。

 

 確実に命中する距離で、確実に命中する軌道の砲弾。それもろともに、ダイドーの身体は枢機に還された。

 

 

 ◇

 

 

 「19時ジャスト、覚醒。予定通り。バイタル異常なし。・・・おめでとうございます、ダイドー。これで君も不死の艦隊(エインフェリア)の仲間入りです。」

 「ありがとうございます、ご主人様。不快感や倦怠感、その他自覚できる異常はありません。」

 「──それは良かった。ですが念のため、二時間は安静にしていてくださいね。」

 「はい。明日にでも出撃できるよう、休息を摂っておきます。」

 

 この会話は何度目だっただろうか。ギリギリ不自然にならず、かつボンドルドの時間をなるべく奪わないように物分かりよく受け答えする。

 物分かりが良すぎると心配されるし、情報漏洩を疑われることもある。一度は営巣送りになった。

 逆に質問などをしてしまうと、ボンドルドは答えてくれるが、時間を奪ってしまうことになる。心が折れそうなときだけ、と決めていた。

 

 「ふぅ・・・」

 

 目を閉じ、思索に耽る。

 この時間に外へ出るとボンドルドやビスマルクに連れ戻されるため、演習はできない。だが前回の反省点を洗い出し、今回の立ち回りを洗練するのにはちょうどいい時間として有効活用していた。

 

 「オミッターの前に立つ。やっと、ここまで来れた・・・」

 

 ここに至るまで50回以上も死んでいる。

 だがリセットされ練度の上昇が見込めない以上、ダイドーの攻撃ではオミッターに対する決定打にはならない。

 ダイドーに出来るのは、オミッターの一挙手一投足を知り、対処し、ツェッペリンたちが追いつくのを待つことだ。相手にとって最有力の脅威となり、しかし絶対に対処されない最強のデコイとして。

 

 「──失礼、ダイドー。言い忘れていました。」

 「あ、はい。何でしょうか、ご主人様。」

 

 ルーチンとなった会話をしたつもりだったが、抜けでもあっただろうか。

 同じ世界を何周もしていると、有用な過去の蓄積にばかり集中して、戦場で使えない現在を疎かにしてしまうことがある。それが死因になったことは未だないが、ボンドルドには失礼だ。

 伝えられるはずのない謝罪は胸の内に押し込め、扉を開けたボンドルドの仮面を見る。

 

 「明日には出撃してもらうことになります。」

 「──はい、ありがとうございます、ご主人様!」

 

 知っている。何処に行くか、誰と行くか、何故行くか。・・・どう死ぬか。知りすぎるほどに。

 だが、ボンドルドと話すのは好きだし、原動力にもなる。それに──もはやルーチンとして無意識下に置かれていたが、やはり必要とされるのはいいものだ。 

 

 ──ご主人様は、私を必要としてくれた。

 ──第二艦隊のみんなを、私は助けられる。

 

 願わくば、誰一人欠けることなく。その為になら、文字通り死んでもいい。

 

 

 



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29

 「・・・ふぅ。」

 

 油断さえせず、しっかりとこれまでのことを参考に立ち回れば、前回の死地にまでは辿り着ける。

 だがそれはつまるところ、今のダイドーが死ぬ可能性が高い場所で、ダイドーが唯一持つ未来知という武器が失われるということだ。

 

 対面で撃ち合うと、オミッターの光は絶対防御の壁となる。もし万が一砲弾が光をすり抜けても、相討ちならリセット。無意味だ。

 

 「ダイドーの撃った砲弾ごと、オミッターさんはビームで焼き払う気ですよね。悔しいですが、私はこの距離のそれを回避できません。」

 「はぁ? ・・・読めないなぁ、あんた。テスっちの方がまだ目的がはっきりしてる分、楽だった。」

 

 ダイドーと対峙するオミッターは、苦笑いを浮かべていた。

 次の行動が読まれている。その感覚はずっと、不可避のはずの初撃を躱された時から感じていた。

 こうして対面して見れば、たかだか練度70の雑魚、という感じしかしない。だが予想・・・いや、予測は正解だ。

 オミッターは相手がどう動こうが、主砲を一発撃つだけで眼前のKAN-SENを灰燼と化すことができる。そして、それは攻勢防御でもある。砲弾も、敵も。纏めて滅ぼすことが出来る。

 

 だから、起死回生の一手を思いつくまでの時間稼ぎとして話を続けている?

 

 違う。今まで数多のKAN-SENを葬り去ってきたオミッターは、その顔を知っている。

 顔を引き攣らせながら主砲にエネルギーを充填する。これ以上話していたいとは思わない相手だ、このダイドーは。

 

 「隠し玉とか持ってる奴はさァ、自身に満ちた目をするんだ。何もないが諦めてはいないって奴は、もっと力のある目をする。・・・で、テメェのそれはどっちでもない。」

 

 ───テメェのそれは、死を受け入れた顔だよ。気持ち悪ィ。

 

 

 ◇

 

 

 「そうですね、死を受け入れた顔です。」

 「その予知っぽいのはもっと気持ち悪ィな!」

 

 あの光を撃たれる前に動かなければどうしようもない、という結論に至ったダイドーは、会話をズラされたことによって生じる隙を突く。

 選択した攻撃は主砲でも副砲でもなく、相手の砲口をこちらに向けさせないための白兵戦。

 

 「──ッ、もう!」

 

 パンチやキックが大した威力を持たない低練度の──オミッターから見ればの話だが──軽巡洋艦が選ぶ攻撃ではない。

 だが、即死の威力を持ったオミッターの攻撃は全て躱され、大した痛痒のないダイドーの攻撃は掠り、ときに直撃する。たまらず距離を取るが、それさえお見通しと言わんばかりに詰められる。

 

 牽制代わりの機銃掃射は、やはり既知のように躱される。

 殆ど使ったことのない五連装酸素魚雷までぶっ放したというのに、それすらも。

 過去の交戦記録から化け物じみた推測をし、それこそ未来予知じみた戦略を立てるような輩は確かにいる。重桜の天城なんかがそうだ。だがこのダイドーは違う。予め知っている動きだ、これは。

 

 「──やった、獲った!」

 「何をだよ。」

 

 眼前でのダイドーの砲撃を()()()で跳ね返し、薄皮の切れた額を撫でる。

 愕然とするダイドーの顔を見て、オミッターは秘かに安堵した。

 

 とはいえ、心筋の動きまで見透かすような相手とは、もうこれ以上対面していたくない。

 主砲にエネルギーを充填し、辺りの海水ごとダイドーを吹き飛ばすことにする。そう、決断()()()()()

 

 「今です、ティルピッツさん!」

 「良くやった、ダイドー!」

 「しまったッ──!?」

 

 オミッターにしてみれば、ダイドーの攻撃は羽虫のようなものだ。

 確かに気持ち悪いほどの予測、予知にすら思える正確さと対処能力だ。蜘蛛の巣のように付き纏われれば振り払いたくもなる。

 だが威力は、それこそ蜂の一刺し程度。至近距離での主砲直撃が薄皮を一枚破るから、なんだというのか。

 

 総評としては、大した脅威ではないが気持ち悪いので早めに処理したい、といったところ。

 そう決意してなお倒せない辺りが本当に気持ち悪いが、とにかくその程度だ。

 

 だが──ティルピッツは別だ。

 鉄血陣営第二艦隊が擁する最高火力。練度100に至る戦艦の主砲ならば、オミッターの装甲も貫ける。

 

 獲った。

 今度こそ本当に───

 

 

 

 「19時ジャスト、覚醒。予定通り。バイタル異常なし。・・・おめでとうございます、ダイドー。これで君も不死の艦隊(エインフェリア)の仲間入りです。」

 「え・・・?」

 

 死んだ、ということだろうか。

 別にそれは構わないが、死因と状況がはっきりしないのは頂けない。一周が無駄に──いや、どうせもう一周同じルートを辿れば判明する。

 

 「はぁ・・・久しぶりにミスしたなぁ・・・」

 

 オミッターの艤装が誘爆でもしたのだろうか。在り得そうな話だ。今度はもう少し離れてから攻撃して貰おう。

 

 「──なにか、体に違和感などはありませんか?」

 「はい、ご主人様。不快感や倦怠感、その他自覚できる異常はありません。」

 「それは良かった。ですが念のため、二時間は安静にしていてくださいね。何も無ければ、明日には出撃して貰うことになります。」

 「はい。明日にでも出撃できるよう、休息を摂っておきます。」

 

 ───そういえば、十周ほど前にボンドルドの行動がズレたことがあったが、フラグは何だったのだろうか。

 そんなことを考えながら、ダイドーはルーチンである行動の整理に没頭した。

 

 

 ◇

 

 

 「───ぐうッ!?」

 

 オミッターの胴体に連続で主砲を撃ち込み、同時に全力で後退して距離を取る。

 ティルピッツの砲撃が過たず直撃するのを見届け──最後の一撃と放たれた光を回避する。

 

 「は、ははは。これも避けるとか・・・」

 

 艤装大破、本体大破。

 内包するエネルギーに耐えられなくなったオミッターの身体が自壊を始めれば、もう攻撃はできない。

 鉄血艦隊も至近距離に展開し、万が一すら無くした状態になれば、ダイドーの纏う空気もいくらか弛緩したものになる。

 

 「・・・凄いじゃない、ダイドー。」

 「あぁ。まるで・・・いや、正しく戦闘機械のようであった。」

 

 練度70艦単騎──止めはティルピッツの砲撃だったが──でのオミッター討伐。ダイドー不在であれば、負けはしないまでも、多少なりとも損害を被ったうえでの勝利しか挙げられなかった。

 それが、ほぼ無傷での完勝。ヒッパーとツェッペリンでさえ認めるほどの大金星だ。

 

 「あ・・・ありがとう、ございます。」

 

 70か、80か。下手をすれば100を数えるほど挑戦し、死んで、そして辿り着いた勝利だ。

 感慨もひとしおだが、それ以上に。

 

 「これで、ご主人様のお役に立てたでしょうか?」

 

 その不安そうな顔と声に、鉄血艦隊の全員が硬直する。

 互いに顔を見合わせ、ゆっくりとツェッペリンが口を開く。

 

 「あぁ、これで完璧だ。」

 

 空を裂く駆動音。

 見上げれば、暗雲のように空を覆う艦載機の群れがあった。

 爆撃機が腹を開き、攻撃機が高度を下げ、戦闘機が鼻面を向ける。続くのは、雨のような爆撃に波打たせるほどの雷撃、そしてダイドーを、海面を掃討する機銃掃射の嵐だ。

 

 「・・・え?」

 

 

 ◇

 

 

 「19時ジャスト、覚醒。予定通り。バイタル異常なし。・・・おめでとうございます、ダイドー。これで君も不死の艦隊(エインフェリア)の仲間入りです。」

 「──勝てないよ。」

 

 勝てない。勝てるわけがない。

 オミッター単騎であれば、まだやりようはある。文字通り死を覚悟して未来を知れば、なんとかなるビジョンは見えた。

 だが──練度100、連携の取れた一個艦隊を相手取るのは不可能だ。もし仮に、億が一くらいの可能性で勝ったとしても、彼女たちはボンドルドの艦隊だ。勝ったところで、それは反逆以外の何物でもなく。

 

 「どうして・・・?」

 

 ダイドーが死んだところで、ここに──人格バックアップによって、母港に戻ってくるだけのこと。わざわざ殺す必要はない。

 帰還の手間を省くため? いや、それならあそこまでの殺意を見せる必要はない。空を覆うほどの艦載機の群れなど、オミッター戦の時にすら──?

 

 「・・・手を抜いていたの?」

 

 考えてみれば、たかだか未来に取る行動を知っているだけのダイドーが、練度70の軽巡洋艦が単騎でどうこうできる相手ではない。艦隊と別行動になるレベルで先行すれば、誰かしらが止めそうなものだ。

 数回の攻防で実力を認められたのだと思っていたが、もし、どうでもよかったからだとしたら?

 あそこで、ダイドーが死ぬことが想定されていたとしたら?

 

 「ご主人様──」

 「ダイドー?」

 

 機先を制するように──いや、流石に不自然すぎたか、と、今更ながら取り乱していたことを自覚する。

 とにかく情報を集めなければ、という頭の片隅での思考は、ボンドルドの言葉に傾注する大部分の意識ごと漂白される。

 

 

 「──君はいま、何周目ですか?」

 

 

 



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30

 気付けば、ダイドーはボンドルドの胸に飛び込んでいた。

 

 「ご主人様、ダイドーはッ、ダイドーは・・・うぅ・・・」

 

 黒衣の下には常に外殻を纏っているのか、ダイドーの顔を受け止めたのは硬質な感触だった。それでも、それはどこか暖かく。答えることも、自制することもできず、100を超える死を積み重ねたダイドーは声を上げて泣き続けた。

 

 

 ◇

 

 

 「お、お見苦しいところをお見せしました・・・」

 

 我に返ったとき、時計の針は21時を回っていた。

 いつ・どこで・なにをするか。

 この三つを正確に再現することで未来予知ならぬ未来確定をしていたダイドーにしては珍しく、時間を忘れて泣いていたようだ。

 ループの最中にも何度か挫けそうになったが、ここまで号泣したことは無い。

 

 「構いませんよ。・・・どうやら、かなり()()()いますね。」

 「・・・はい。正確には分かりませんが、100回以上です。」

 

 それから、ダイドーは堰を切ったように話し出した。

 オミッター戦と前日、つまり今日と明日を幾度となく繰り返したこと。

 幾多の死を積み重ね、未来知を可能にしたこと。

 未来知と鉄血艦隊の力で、遂にオミッターを打倒したこと。

 

 そして──その鉄血艦隊が敵になること。

 

 「あぁ、なるほど。それは確かに勝てませんね。」

 

 淡々とした口ぶりに、ダイドーは悔しさすら覚えない。

 事実としてボンドルドの艦隊は精強無比だ。単純な強度だけの話をするのなら、本気を出したツェッペリン一人があのオミッターを上回る。つまり、ツェッペリン一人で100回以上死ぬことになる。他のKAN-SENをかなり低く見積もってオミッターと同等だとしよう。ティルピッツ、シュペー、ヒッパーの三人、つまり300回だ。低く見積もった単純計算で400回。各個撃破だとして、だ。連携の取れた一個艦隊をなど、何度やり直しても勝てるビジョンが見えない。

 

 「ですが、ダイドー。彼女たちと戦う必要はありませんよ。」

 「そう、なんですか? でも──」

 

 ツェッペリンは、ダイドーを殺す前にこう言った。「これで完璧だ」と。

 ならばダイドーを殺すことは、ボンドルドにとって作戦のうちなのではないだろうか。ボンドルドがこの時間逆行を知っていることも、そう考えれば辻褄が合う。

 

 「ここで死ぬからです。」と、あの恐るべき『枢機に還す光(スパラグモス)』が振り下ろされるのなら、それでもいい。

 その死が、ボンドルドの役に立つのなら。

 

 「ダイドーが死ぬと、ご主人様にとって益となるのでしょうか?」

 

 覚悟を決めた殉教者の、と形容するには、あまりに気負いのない表情でダイドーは問う。

 ボンドルドに殉ずる覚悟など、遠い過去──実際にはほんの二週間前に、必要だと言われた時から決まっている。再確認するまでもなく、それがダイドーの原動力、己の屍を踏み締めて進んだ二日間のモチベーションだった。

 

 「──素晴らしい。」

 

 悍ましいほどの狂信と、美しいほどの挺身。

 返礼を顧みない無償の奉仕と挺身。それを形容するのなら、やはり『愛』という言葉が相応しいのだろう。

 

 「ダイドー、こちらへ。私の研究室へご案内します。」

 「・・・はい。」

 

 

 研究棟を黙々と歩くボンドルドの背中に、ダイドーは顔を伏せながらも視線を向ける。

 自分は今からどうなるのだろうか。

 口ぶりからすると、ダイドーの死は前提だ。だが、もしそれが時間逆行能力の発現を目的としたものだったら? もし──これで用済みだったら?

 もう不要なのだろうか。自分は捨てられるのだろうか。そんな悶々とした思いを抱えたまま、ボンドルドが促す研究室に入る。

 

 「・・・すごい。」

 

 見たことのない機材がずらりと並ぶ様子は、さながら秘密基地のようで少しテンションが上がる。

 

 「さて・・・ダイドー。」

 「は、はい、ご主人様。なんでしょう?」

 

 名前を呼ばれ、自然と背筋が伸びる。

 処分だろうか。それとも──

 

 「君は、精神というものをどう捉えていますか?」

 「精神・・・ですか? えっと・・・心とか、感情とか・・・」

 

 この二日間──体感時間にして200日以上──、そういった哲学的なことを考えている暇は無かった。というのが言い訳にもならないほど、答えになっていない返事しかできない自分に嫌気が差す。

 自己否定に俯くと、ボンドルドはその頭を撫でてから微かに笑った。

 

 「そうですね。そういった目に見えず、手に取ることもできないものを想起します。では・・・これを見て、何か思うことはありますか?」

 「・・・えっと。」

 

 ダイドーが受け取ったのは仄かに青白く光る板状物質、メンタルユニットだ。

 質問の意図を測り切れないまま、ダイドーはとにかく考える。

 

 「メンタルキューブみたいな材質ですね。あと・・・いえ、なんでもありません。」

 「感じたままを教えてください。ダイドー?」

 

 促され、ダイドーは少し躊躇いながらも口を開く。

 

 「えっと・・・理由は分かりませんが、その、ツェッペリンさんを思い出しました。」

 「────ダイドー。」

 「へ、変ですよね! 申し訳ございません、きっと前回の死因だから───」

 「君は本当に素晴らしい。ダイドー、もっと自信を持ってください。これは紛れもなく()()()()()()()()()。」

 

 何かの冗談か、さもなければその板にツェッペリンと名付けたのだろうか。

 そんな益体もないことを考えながら、ダイドーは話の続きを待つ。

 

 「ダイドー、君の練度は70で止まっていますね?」

 「っ・・・はい、ご主人様。」

 

 それは、ダイドーが気にしていることの一つだった。

 ボンドルドに拾われ、特殊な食事を摂り演習を受け強化され、それでもダイドーの練度は70で頭打ちだった。

 自分に素質があれば──練度100の、その高みに届いていれば。オミッター戦を繰り返すたびにそう思っていた。あと20、練度が上がっていれば勝てた。あと20練度が上がっていれば、もっと役に立てる。そう思い続けていた。

 

 「申し訳ございません、ダイドーにもっと素質があれば・・・」

 「それは違いますよ、ダイドー。練度上限は素質によって決まるものではありません。」

 

 幾多のセイレーンを倒そうが、どれほどの演習を重ねようが、素質が無ければ練度70の壁は超えられない。KAN-SENの中で、それは常識だ。

 その常識に盾突くようなその言葉を、ダイドーは訝しむことなく受け止める。

 別に実はそう思っていたとかそういうことはなく、ただ単純な信仰にも近い信頼によって、「ご主人様が言うんだから、そうなんだよね」という納得に落ちただけだ。

 

 「KAN-SENの練度上限を解放する方法は一つ。自分を倒すことです。」

 「自分を・・・ですか?」

 

 また哲学的な話だろうか。

 あまり得意ではない分野の気配に少したじろぎつつ、もし機会があったら、そういう分野の勉強もしようと決めた。

 

 「正確には、自分の中に在る上限解放因子を取り込むことで、ですね。」

 「上限解放因子・・・?」

 「練度強化因子や、能力解放因子のような汎用的なものではなく、同個体間でのみ作用する特殊な物質です。」

 「な、なるほど・・・」

 

 名前と効能だけは何かで──たぶん書斎にあった論文の草稿で読んだのだろう、知っている二つを例に挙げられ、なんとなくイメージは出来た。

 演習過程での練度強化や上限突破が多いのは、訓練の質ではなく物理的なものに起因していたらしい。

 

 「その上限解放因子を凝縮し個体化したもの、といえば、これを概ね説明できるでしょうか。私たちは“メンタルユニット”と呼んでいます。」

 「すごいです・・・! これは、メンタルキューブから作ったんですか?」

 

 KAN-SENの中に在るという言葉と、メンタルという名称からそう推測したのだが、ボンドルドは首を横に振った。

 

 「確かに、汎用メンタルユニットはメンタルキューブからでも精製出来ます。ですが、それではコストパフォーマンスが悪すぎるのですよ。現状の抽出プロトコルでは、メンタルユニット一つにつき、メンタルキューブが一つ必要になります。」

 「えっと・・・?」

 「あぁ、言葉が足りませんでしたね。このメンタルユニットは、主に練度100以上のKAN-SENに100個単位で使用すると、最大で練度を120まで上昇させることが出来ます。」

 

 なんでもないことのように、ボンドルドはそう言った。

 



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31

 練度100、あらゆるKAN-SENの頂点の、そのさらに先を提示して、ボンドルドは何の気負いもない。

 ダイドーの戦慄を無視して語り続ける姿には、自慢や増長は見られない。それが普通で、それが単なる通過点であると示すように。

 

 「ひゃく、にじゅう・・・?」

 

 ダイドーの練度の約1.7倍だ。練度100のツェッペリンにさえ勝てないダイドーにとって、その領域は闇の中に在る。

 だがメンタルユニットを100個単位で使うとなると、メンタルキューブも100個単位で必要だ。KAN-SEN一人を建造するのに必要なメンタルキューブは2つ。育成コストを度外視して考えるのなら、最低到達点である練度70艦50隻に対して練度120艦が一隻。

 

 戦力として、質が量を凌ぐことも、量が質を凌ぐこともない。重要なのはバランスだ。

 確かに、練度100のビスマルクは練度70の艦が相手であれば三人同時に相手取ることも可能だ。だが50隻の練度50艦を同時にとなると、防衛戦では圧倒的に不利だ。敗走はせずとも、半数には突破されるだろう。攻撃戦なら鴨撃ちも同然だが。

 

 「それでは、これはどうやって・・・?」

 「ですから、ツェッペリンからですよ。正確には、ツェッペリンの精神(メンタル)からですね。」

 「ツェッペリンさんの? 別のツェッペリンさんですか?」

 「えぇ、その通りですよ。正規に鉄血陣営に属するKAN-SENは、素体としてより戦力として運用した方が効率がいいですから。」

 

 逆に効率が良ければ、きっと自陣営のKAN-SENでも躊躇いなく実験台へ送るのだろう。

 そう体感させるほど純粋な言葉に、ダイドーは一縷の希望を見出してすらいた。

 

 「ところで、ダイドー。気になっているのではないですか? どうして、君が時間遡行能力を発現したのか・・・そして、何故私が今になって介入したのか。」

 「はい、それは・・・勿論です。」

 

 教えてもらえるのなら知りたいが、知るべきでないのならそれでいい。

 その程度の気持ちで聞いていい話なのかは分からないが、ボンドルドが知るべきだと判断したのなら理解に努めるまで。

 

 「時間遡行能力の発生源・・・元凶は私です。」

 「・・・はい。」

 「正確には、君の人格バックアッププログラムと、私の埋め込んだ観測機の干渉が原因でしょう。以前にも似たような現象がありました。」

 

 過去形で話したということは、その発現者は時間の檻を抜けた──死んだということだろうか。

 

 「君も知っている子ですよ。鉄血陣営第一艦隊、プリンツ・オイゲンです。」

 「オイゲンさんが?」

 「えぇ。」

 

 ダイドーの脳裏に、飄々としたヒッパーの妹の顔が浮かび上がる。

 そんなに()()ていた気はしないが、ボンドルドは『鉄血陣営第一艦隊』と言った。別人ということはないだろう。

 

 「人格バックアップ開発初期の事です。君と同じように手術直後に、この観測機を外してくれと言われました。驚きましたよ、観測機のことを言おうとした直前でしたから。」

 「オイゲンさんは・・・ご自分で理由を突き止めたのですか?」

 

 羨望や劣等感をちらつかせながら、ダイドーが問う。

 

 「いいえ、突き止めたのは私です。正確には、オイゲンが相談し「こう言えば私は信じます」と彼女にアドバイスした、別の私ですが。」

 「別の・・・。」

 

 KAN-SENには──特に、時間跳躍という稀有な体験をしたダイドーには、それが感覚的に理解できた。

 別の自分。別時間の自分。「ロイヤルのダイドー」と「鉄血のダイドー」。「オミッターに倒されたダイドー」と「オミッターを倒したダイドー」。どれも別の自分だ。ダイドーではあるが、自分ではない。顔と名前と性格が同じでありながら、異なる経験を持った別人。

 

 「ご主人様は、どうして・・・?」

 「経験上、装置の観測波に不備があることは知っていました。加えて、何周か前に少し()()がありまして。・・・あぁ、君は『祈手(アンブラハンズ)』のことをご存知ですか?」

 「ご主人様の研究助手、としか。」

 

 少しだけ考え込むような素振りを見せたボンドルドが、やがてゆっくりと口を開く。

 

 「あれらは全て私です、と言えば分かりますか?」

 「え? ・・・ご主人様だと思ってお仕えしろ、ということでしょうか?」

 「・・・君はかわいいですね。ですが、そうではありません。」 

 

 頭を撫でられて嬉しそうにしながら、ダイドーはその蕩け気味の頭を回転させる。

 人格バックアップ。別の自分。スワンプマン仮説。“全て自分”という言葉。

 

 「ご主人様も、人格バックアップを?」

 「素晴らしい。正解ですよ、ダイドー。きっと事故のタイミングで君の人格バックアップが作動し、量子通信がたまたま噛み合ったのでしょう。私は多少ながら“前回”を白昼夢として知ることが出来ました。」

 

 言われてみれば十周ほど前、ボンドルドの行動が少しズレたことがあった。ダイドーの再現ミスが原因だと思っていたが、再現をミスしたのはダイドーではなくボンドルドだったらしい。

 

 「とても興味深い体験でした。・・・ですが、やはり私が持ち越せる記憶はほんの一部分だけ、研究の進捗も全てリセットです。」

 「やはり、ですか?」

 「えぇ。オイゲンの一件の後、何度か再現実験をしたことがあります。再現性には乏しく、実用性もないので後回しにしていたんですよ。」

 

 その言葉に、ダイドーは首を傾げる。

 ボンドルドですら再現性で行き詰る技術なら、きっとそれは奇跡の産物とすら言えるのだろう。

 しかし、実用性がないというのはどうなのだろう。オイゲンの時はどうだったのか知らないが、ダイドーは練度70ながらオミッターを撃破して見せた。積み上げた己が骸の果てに、だ。一度では無理なことを、十回、二十回と試行を積み上げることで突破できるのなら、この上ない利益があるのではないだろうか。

 

 「実用性がないのですか?」

 「KAN-SENにしか発現しない能力であるということが一つ。KAN-SENの脳を摘出し移殖した人間で試しましたが、残念ながら発現しませんでした。それに、戻れる時間もランダムで、任意に決定できないのも痛いです。」

 「・・・そう、ですか。」

 

 何より実験記録や成果が残らないのが面倒ですね、と笑うボンドルド。よほど時間が無い時なら選択肢には入る、程度なのだろう。

 ダイドー──一般人から見れば特級でも、ボンドルドのような一握りから見れば悪手ということは多い。

 

 この程度の力では役に立てないのか、と歯噛みしたダイドーだが、視線を逸らした先で奇妙なものを見つける。

 それは弁当箱くらいのサイズの箱状物体で、何本かの管から液体が循環し、計測用の機材からコードが伸びていた。

 

 「あの、ご主人様。これはなんですか?」

 「あぁ、ちょうどそれの件でお呼びしたんですよ。」

 

 機材に映るのは心電図や脳波を示す波形グラフ。その数値に依れば、その箱は()()()いた。

 

 

 「KAN-SENの固有能力を外付けする装置、と言えば伝わるでしょうか。私はこれを“スキルカートリッジ”と呼んでいます。」

 

 

 

 




 要約すると「タイムリープは再現しにくい上に随意性が低すぎて扱い辛い。しかも改善しようがないから後回し。」って感じ。


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32

 KAN-SENには、それぞれに固有の技術がある。

 ダイドーであれば、同じロイヤル陣営のクイーン・エリザベスを強化する力。プリンツ・オイゲンには一定時間攻撃を遮断する盾を生成する力など、艦によって似たような力から全く違う力まで幅広い。

 

 「スキル・カートリッジ・・・」

 

 基本的に固有かつ不変のそれを、外付けする?

 つまり、ロイヤル陣営のKAN-SENの数に応じた自己強化やロイヤル陣営への強化能力しか持たないダイドーが、より鉄血陣営に──ボンドルドに、貢献できるということだろうか。

 素晴らしい装置だ。相手の意表を突くことにもなるし、単純に戦術の幅が大きく広がる。いままで防御寄りの行動しかしないとされていた艦が高火力を弾き出し、耐久力が低いとされていた艦が強靭な盾を持つ。そんなことが可能になれば、セイレーン側の情報アドバンテージは殆ど失われるだろう。

 

 だが───

 

 「では、その、この機械は? 生命維持装置のように見えるのですが・・・?」

 

 心拍正常。脳波正常。血圧・・・いや、内圧も一定だ。

 やはりどう見ても、その箱は健常に、健康に生きている。

 

 「その通りです。君と同じで忠誠心に篤い、とてもいい子ですよ。」

 

 慈しむように箱の表面を撫でるボンドルド。その側面には『HMS,C35,Belfast』と彫られていた。

 HMS。Her Majesty's Ship、ベルファスト。ダイドーの知己であるロイヤルの軽巡洋艦を示すその銘に気付き、首を傾げる。

 どうしてその名前が? そんなものは考えるまでもない。

 

 「それ、は、メイド長・・・なんですね?」

 「えぇ、そうですよ。KAN-SENがKAN-SEN足り得るのに必要な自己認識の根幹であるメンタルユニットだけを封入し、心臓と肺は外付けの生命維持装置に置き換えてあります。・・・ですが現状では、上手く機能しないんですよ。」

 「どうしてですか?」

 

 酷い、だとか。残虐だ、とか。きっとそういう感想を抱いて然るべきなのだろう。

 しかし、ダイドーの胸中に沸き上がったのは疑問だ。どうして上手く機能しないのか──ボンドルドほどの男が、その原因を突き止められていないのか。

 

 「スキルを発動するのに必要な精神は残っています。・・・ほら、脳波は正常でしょう? つまりは、その精神の働きによって出力が妨げられているということになります。その精神の働きを調べるために、ダイドー、君の人格バックアップ装置に観測機を取り付けたのですよ。」

 「・・・なるほど。」

 

 どう答えるのが正解か。ボンドルドが求めるものを知った上で間違えるようなセンスのないKAN-SENは、ロイヤルメイドを名乗ってはいない。

 

 「ではご主人様。どうか再手術をお願い致します。その後で──ダイドーをご自由にお使いください。」

 

 悍ましいほどの狂信と、美しいほどの挺身。

 返礼を顧みない無償の奉仕と挺身。それを形容するのなら、やはり『愛』という言葉が相応しいのだろう。

 

 

 ◇

 

 

 「指揮官、この前のオミッター戦の報告書よ。」

 「ありがとうございます、ビスマルク。・・・対象の撃沈確認、当方の損傷無し。素晴らしい成果ですね。」

 

 期待通りの戦果を挙げられたのだと思えば、出撃した当人でなくとも、同じ鉄血陣営に属するものとして安堵が浮かぶ。

 出撃前のツェッペリンは怒っていたが、結局不安要素であるダイドーの出撃を取り下げたことで払拭されただろう。普段の五割の力でだとか、万一の際はダイドーを沈めろとか、かなり面倒なオファーを直前でキャンセルしたのは申し訳ないが、普段通りにやればオミッター程度には苦戦しない。鉄血陣営にはそれだけの戦力がある。

 

 「・・・そういえば指揮官、ダイドーの経過はどうなの?」

 「問題なく良好ですよ。もうしばらく様子を見て、実戦テストですね。」

 

 嬉しそうに話すボンドルドだが、ビスマルクの顔に浮かぶのは苦笑いだ。

 

 「ダイドーも大抜擢ね? 精神構造解析用の被検体から、カートリッジの素体なんて。」

 「本当にいろいろと貢献してくれました。今回のMVPは彼女ですね。・・・ところでビスマルク、私のことをどう思いますか?」

 「・・・意図がよく分からないのだけど?」

 

 唐突に、まるで口説くような言葉をかけられて戸惑うビスマルク。

 しかし、ボンドルドの性格上そんなワケがないと知っているし、ビスマルクにもまだその気はない。

 KAN-SENの強化のため──自身の研究、好奇心を満たすためなら倫理観も道徳心も、人間性さえ捨てるような輩が異性として魅力的かといえば勿論NOだ。・・・鉄血や重桜のKAN-SENの中には、ビスマルクとは異なる意見を持つ者も多いが。

 勿論、指揮官として、人間として、その合理性や紳士的な態度は好ましいし、忠誠心もある。死ねと言われたら命を捧げることにも抵抗はない。

 

 「昨日、KAN-SENの脳・・・厳密に言えば、精神構造を解析し数値化したデータを読み返していました。」

 「・・・えぇ。」

 「メンタルユニットをカートリッジに加工する手法は確立されています。回路にも問題は無いでしょう。・・・ですが、一つだけ、解析されたデータの中で正体不明の変数がありましたよね?」

 

 KAN-SENの性格を形成する数値でも、あらかじめKAN-SENにインプットされている常識の根幹になる数値でもなく、同種でも別個体であれば数値の異なる独立変数。メンタルユニット開発と、それに触発されたスキル・カートリッジの研究を進める過程でボンドルドが突き当たった壁だ。

 解析するごとに変動することもあれば、変わらないこともある奇妙な変数。どう考えても重要な数値のはずなのに、KAN-SENの人格形成には影響の少ないデータ。

 

 連夜、稼働しているが効果を発揮しないスキル・カートリッジに向き合うボンドルドが、その突破口として弄っていたものだ。

 

 「あれの正体ですが、どうやら“信頼度”とでも言うべき数値であると判明しました。」

 「信頼度・・・?」

 

 ビスマルクが書棚からバインダーを取り出してぱらぱらとめくる。

 ボンドルドの言ったとおりであれば、実験台として軟禁されていたKAN-SENは数値が低く、鉄血陣営のKAN-SENであれば数値が高いはずだ。練度は精神構造や精神強度に依存しないファクターゆえ、相関性を排除できる。根拠としての信頼性は高いはずだ。

 

 「・・・確かに、大体のデータとは一致するわね。」

 「あぁ、ダイドーは例外と見てください。」

 「それなら、完全に一致ね。というか、それなら私に聞くまでもないじゃない?」

 「数値は数値、実情とは別ですよ。たとえばベルファストですが、彼女の信頼度は20程度でした。」

 

 低いのか高いのか分からない数値に、ビスマルクが首を傾げる。

 

 ベルファストといえば、ロイヤルメイド隊を束ねるメイド長だ。主人を揶揄う悪戯好きな一面こそあれ、主人の不利益になることは絶対にしない忠誠心に篤いメイドだ。その能力は戦闘だけでなく侍従としても一流であり、献身と忠誠という要素においては鉄血のKAN-SENにも引けを取らない。

 

 そんな評価が正しい彼女であれば、きっといい数値なのだろうとなんとなく思うビスマルク。

 

 「ちなみに建造時の初期値は50、上限値は100です。」

 「な、なるほど・・・?」

 

 その基準値で20というのは、かなり低いのではないだろうか。

 

 「かなり低い数値ですよね。ちなみに、ダイドーの数値は95でした。ほぼ上限値ですね。」

 

 単なる比較、という訳ではないだろう。ボンドルドの口ぶりからするに、その数値には何か重要な意味があるはずだ。

 ベルファストとダイドーの違い。数値の差が示す意味。ベルファストを素体としたカートリッジは、確か。

 

 「指揮官、確かダイドーのカートリッジは、稼働テストまでは終わっているのよね?」

 「えぇ。動作は概ね良好でした。・・・君は、本当に聡明ですね。」

 

 知らず、笑いが零れる。

 合理的と言えば合理的で、冒涜的で、そして実用的であるがゆえに度し難い。

 

 「カートリッジの根幹は専用メンタルユニット・・・つまり、精神そのものを支配されても良いと思えるほど、心を開かせる必要があるのね。」

 

 

 ◇

 

 

 声が聞こえる。

 仕え、尽くし、全てを捧げた、敬愛する主人の声が。

 

 「──では、これよりスキル・カートリッジの実戦テストに入ります。」

 

 使われる。使って頂ける。この身を、この力を、役立てて頂ける。

 

 「・・・なるほど。」

 

 分かる。自分の全てが、その力がどういうものか、どう使うのか。それを彼が理解していると理解する。

 最早存在すらしない体の奥底、力の根源である「何か」が流れていくような感覚。自分の全てが、彼と混ざり合って一体化するような、蕩けるほどの恍惚に浸る。

 

 「──おや、おやおやおや。これは、何とも素晴らしい・・・!」

 

 その嬉しそうな声につられ、自分まで嬉しくなるようだった。無いはずの心臓は高鳴り、無いはずの頬が熱くなる。

 

 これで、やっと。本当に彼の役に立てる。

 

 安堵に解かれた緊張は、やがて眠気となってダイドーの意識を包み込んだ。

 

 

 

 「──ですが、ロイヤル陣営に特化しすぎですね。テストケースとしては申し分ありませんが・・・実戦用に他のカートリッジも作らなければ。」

 

 

 

 



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33

 鉄血陣営『前線基地(イドフロント)』隔離棟。

 非協力的な実験素体や処分するには勿体ない失敗作などが収容されており、外部・内部問わず破壊に対しては極めて高い耐性を誇る。

 一見すればただの鉄格子に見える廊下との仕切りはリュウコツ技術由来の強化鋼、つまりKAN-SENの防殻と同程度の強度だ。

 

 ボンドルドに向けて振り抜かれた拳は、カタログスペック通りの強靭さを見せた鉄格子を微かに歪ませ、止まる。

 

 「・・・ご機嫌ですね、ビスマルク。」

 「指揮官、下がって。私でも、次で鉄格子を壊して貴方を殺せる。」

 

 動揺の素振りすら見せないボンドルドを庇うように、ビスマルクが割って入る。

 同じ顔で睨み合う二人だが、鉄格子の外に居るビスマルクはきっちりと軍服を着ているのに対して、捕獲されているビスマルクは患者が着るような青いガウンだった。

 

 「・・・オレをここから出せ。」

 「貴女が暴れないのであれば、勿論。」

 

 ビスマルクであれば絶対に浮かべないような、殺意と険の強い表情。声色こそそのままだが、口調はまるで別人だった。

 ころり、と、ビスマルクの表情が変わる。無表情に、しかし眼差しには間違えようのない軽蔑が浮かぶ。

 

 「勿論でございます。しかし、害虫の駆除はメイドとしての務めですので。」

 「そうですね。ですが、貴女はロイヤルメイドではありませんよね?」

 

 ボンドルドの指摘に、獄中のビスマルクはまた表情を変える。表情も視線も穏やかだが、その奥には何か隠されていると感じさせる微笑だった。

 

 「えぇ、私は巡洋戦艦天城。指揮官様、どうか覚えておいてくださいね。私の手は、獄中からでも貴方の喉笛に届く、と。」

 「・・・留意しておきましょう、ビスマルク。」

 

 また、表情が変わる。困ったように眉尻が下がり、目の奥には強い意志が宿る。

 

 「はぁ・・・間違えられたのが彼女とは、どう反応していいものやら。指揮官様、私はロイヤル陣営、フッドですわ。そちらが、我が好敵手です。」

 「・・・。」

 「あら、どうされましたか、指揮官様。大鳳ならすぐに・・・この邪魔な鉄格子を破壊して、お側に参りますわ。」

 「誇らしきご主人様、これが、罰なのでしょうか・・・」

 「please,指揮官、ここから出してほしいな・・・」

 「指揮官「指揮官様「ご主人様「指揮官クン「しきかん「卿「指揮官さん「指揮官──

 

 ふと、蝋燭が立ち消えるように、ビスマルクの瞳から光が消える。

 ゆっくりと傾いでいく身体は、やがて牢の床に仰向けに倒れた。

 

 虚ろに開かれた目に最早意思はなく、床に流れる金髪が徐々に青白い粒子へと帰していく。

 

 「人格破綻、論理崩壊による自己消滅。これで4例目だけど、再現率は100%よ。」

 「困りましたね、これでは汎用メンタルユニットは実用化できません。」

 「専用メンタルユニットは問題なく機能するし、認識覚醒だけなら問題ないと思うけれど・・・」

 「えぇ、そうですね。ですが、非存在の存在偽証、架空存在の創造には既に指向されたメンタルユニットは使えません。」

 

 メンタルユニットには、二つの分類が存在する。

 KAN-SENの精神から抽出され、同種のKAN-SENにのみ作用する専用メンタルユニットと、メンタルキューブから抽出され、全てのKAN-SENに効果のある汎用メンタルユニットだ。

 両者に効果や必要な数量の差異はなく、抽出プロセスが効率化されれば、圧倒的に後者の利便性が高い。──それが、副作用を伴わないものならば。

 

 「汎用メンタルユニットが正常に作用したのは、サンプルとしてセイレーンから供与された一つだけよ。残りは全部、この通り自我崩壊による自己消滅。キューブ100個を道連れにね。」

 「・・・メンタルユニットの生成過程から見直す必要がありますね。」

 「・・・残念だけど、その通りよ。随意変質なんて便利な性質に頼るのは、もう終わり。」

 

 

 ◇

 

 

 メンタルキューブは、ある意味で賢者の石であると言える。

 賢者の石が持つとされる物質変換能力とは、つまるところ物理法則、特に質量保存の法則への反逆であり、メンタルキューブはそれを可能にするのだ。

 メンタルキューブの特異性は、その極めて高次元の物理破壊・熱干渉耐性だけではない。一定の神経パルス──KAN-SENにのみ与えられた特殊な精神構造、メンタルユニットから出力される信号を浴びると変質し、そのKAN-SENにイメージ可能なものであれば何であれ再現できる。

 

 とはいえ、メンタルユニット──KAN-SENの精神そのものを、しかも全てのKAN-SENに共通して使える汎用型を生成するのは至難の業だ。

 まず前提として、いくらKAN-SENにメンタルキューブの随意変質能力があるとしても、実行には強固なイメージ力が必要となる。空間造形的なセンスも必要だ。

 

 それはさておき、メンタルキューブは何処で拾おうが何処で買おうが、一寸の狂いもなく同じ色・形をしている。

 しかし、いまボンドルドの手中にあるそれは例外だった。

 

 通常の透き通る青には遠い、輝く赫色。大きさも、通常のメンタルキューブより一回り小さく見える。

 セイレーン上位個体、このキューブを齎したテスターが『架空キューブ』と呼んでいた物体だ。

 

 研究室の椅子に座り、高い随意性を持った不随意のそれを弄ぶ。戯れに握り締めようが、たとえ『枢機に還す光』を撃ち込もうが、決して思い通りに行くことは無い。

 

 「───指揮官様、来週の連合同盟締結会議の段取りですが・・・指揮官様?」

 「・・・あぁ、大鳳。失礼しました。」

 

 研究開発というのは、革新と停滞の繰り返しだ。今までのボンドルドの勢いが革新期に特有のものだというのは、ボンドルド自身が一番理解している。二足飛びに技術基盤を固め、新理論を提唱し、実証してきた。そして今、眼前の難題の打破には、その蓄積とさらなる進歩が必要なのだ。

 分かっている。分かっているがもどかしく、それ故に───

 

 「──素晴らしい。」

 

 怪訝そうな顔すらせず、大鳳は行動予定や同盟に関しての仔細が纏められた書類を手渡す。

 当然ながら手元の赤いメンタルキューブに目を留め、大鳳はそこで微笑を崩した。

 

 「指揮官様、それは・・・」

 「架空キューブ、と言うらしいです。君も知っての通り、グローセを生み出したのと同じものですよ。」

 「元重桜特設艦隊旗艦、フリードリヒ・デア・グローセ。指揮官様を置いて消えた裏切り者ですか。」

 

 ボンドルドの左腕──ボンドルドの意識外である外交や内政、アビスからの資金供与や資材分配など研究以外の事柄を引き受け、時に側に、時には影に仕えてきた大鳳。意図して所在不明艦となった彼女とは違い、グローセは本当にボンドルドの手を離れてしまった。

 

 「けれど確かに、戦力としては優秀な方でした。また、彼女を創り出されるのですか?」

 「彼女を、という訳ではありませんよ。ただ──この手でKAN-SENを作り出すという意味では、その通りです。存在するはずのないKAN-SENを、ですが。」

 

 



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34

【速報】開発艦用キューブ、マジで赤いっぽい()
 個人的に剥身じゃなくて黒い保護殻付けたデザイナーさんは天才だと思う。ロマンを理解してるよ・・・


 鉄血本土西部に位置する、自由アイリス教国とヴィシア聖座。鉄血本土南部に位置する、サディア帝国。

 この三陣営に加え、アビスとの橋渡し役として鉄血陣営を加えた総勢4か国が、大鳳が主導した欧州連合同盟の構成加盟国となる。

 その、はずだったのだが。

 

 「どうして貴女が、ここにいらっしゃるのです? フッドさん。それにイラストリアスさんも。」

 「私たちだけではありませんよ。ウォースパイトやアークロイヤルも乗船しています。」

 

 指摘した大鳳の眉根が寄せられる。

 その言葉が真実なら、ロイヤル陣営でも高練度の主力艦隊が出張ってきたことになる。鉄血陣営からは統括管理官であるボンドルドと、補佐官として大鳳が来ているだけ。他の陣営にしても、大体がトップ一名と副官一名だけだ。

 呼んでもいない陣営が、呼ばれたどの陣営より多くの武力を引っ提げて乱入してきたわけだ。

 

 量が質を凌ぐことはない、と教えてやるべきか。

 授業料はその命と言いたいところだが、どうせロイヤル陣営も人格バックアップは導入しているだろう。ボンドルドが自分から公表した以上とやかく言うこともないが、大鳳個人としては甘い汁だけを啜られているように感じて酷く不快だ。

 

 「何の御用でしょう? この客船プロイセン号は、そもそも鉄血の保有する船であり、ここは公海上です。貴女方が無断で乗船できる道理などありませんし、今日は連合同盟締結会議という重大な場です。早急にお引き取りを。」

 「欧州連合同盟とでもいうべき大規模共同体が樹立するのに、我々ロイヤル陣営を交えないことこそ不合理ではありませんか? その同盟が、対ロイヤルを目的とした軍事同盟でないのなら、ですが。」

 「非アビス加盟国を鉄血陣営主導で取りまとめ、セイレーンへの対抗力を高めるための同盟ですわ。既にアビスに参加している貴女がたに、左程のメリットがある話とは思えませんが?」

 

 大鳳の表情を歪ませるのは、予想外の状況への動揺ではない。

 薄々こうなるだろうな、と、連合同盟締結会議の段取りを付けているときに、やたらと人間主義者の活動が活発化した辺りで察していた。

 

 人間主義者団体、その裏にいるのはロイヤル陣営だ。いや、だったというべきか。

 現在活動している人間主義者団体は、元は複数の、穏健派から過激派、中庸派まで数ある別個の組織だった。それを統合し、他陣営に対する諜報組織として利用し始めたのがロイヤルだ。

 当然ながら、本職の諜報員は大規模化した組織のほんの一部だけ。だが人間主義者というだけで他陣営が移住や滞在を拒むことは出来ず、結果として多量の弱毒に交じった猛毒さえも、他陣営は呑み込んでしまう。

 

 ──と、ここまでが理想の話。

 

 現実には、確かに人間主義者団体に交じって諜報員を送り込むことは可能だった。が、末端であるただの人間主義者はデモやら暴動やらで拘束され、諜報員も動きにくいことこの上ない。この前のユニオンでの狙撃テロなどは完全に暴走だ。ついでに言えば、アビス内でもトップクラスの戦力を保有し、ロイヤルが最も情報を欲している重桜と鉄血からは、人間主義者そのものが駆逐されている。

 情報収集は失敗に終わり、一応の味方陣営であるユニオンの国内情勢を荒立て、ついでに言えばボンドルドに実験用生体を与えた。功罪相克にはやや罪が勝る、といったところだ。

 

 冷め切った大鳳の視線を無視して、フッドは貼り付けた微笑のまま言葉を続ける。

 

 「その確証を得るために、立会人としてお邪魔したのですよ。」

 「はぁ・・・呼んだ覚えはありませんが?」

 

 微笑を浮かべることもせず、大鳳は淡々と計算する。

 ここで、この七面倒くさい闖入者共を殲滅するコストとリスク。

 逆に、不本意ながらこの礼儀も常識も弁えない害虫どもの同席を許した場合の、メリットとデメリット。

 

 ロイヤル陣営の大目標は、おそらく鉄血陣営の動向調査。普段から何かと鉄血を──ボンドルドを敵視する傾向にあるロイヤルだが、この同盟を利用して枷を付けに来るとは考えにくい。列席加盟者ではなく傍聴として来たという、その言葉を信じるなら、だが。

 だが、元より同盟の締結や大部分の条項は公開されるものだ。秘密協定どころか口約束で外交しているロイヤルには縁のない話で忘れたのだろうか。

 

 そんな皮肉を叩き付けようかと迷った空隙に、凛とした声が入り込む。

 

 「私がお呼びしました。」

 「・・・リシュリュー枢機卿。」

 

 面倒なことを、とでも言いたげに、大鳳が表情を歪ませる。

 謝罪代わりの目礼を舌打ちで撥ねつけられると、リシュリューは仕方が無いとでもいうように溜息を吐いた。

 

 「・・・失礼、ご挨拶が遅れました。私は自由アイリス教国枢機卿──アビス流に言うのなら、統括管理官、リシュリューです。お会いできて光栄です。」

 「これはご丁寧に。鉄血陣営統括管理官、ボンドルドです。」

 「存じ上げています。『KAN-SENの父』『黎明卿』、我が国にも、貴方を称える民は多い。」

 

 言葉とは裏腹に、リシュリューの表情は険しい。

 ロイヤル陣営と近しい自由アイリス教国、その中枢ともなれば、良くない噂──どれも控えめなものだが──を聞いているのだろう。

 

 「我々KAN-SENも、貴方の開発した技術には感嘆するばかりだ。此度の同盟が、双方にとって善い関係の礎となることを願っている。」

 

 当たり障りのない言葉を残し、議場になっている広間へ戻っていくリシュリュー。

 向き直ったフッドの微笑に変化はなかったが、それは大鳳の目を見た瞬間に凍り付く。

 

 フッドの練度は80。戦艦という艦種に相応しい基礎能力に、練度70の壁を超えた努力と研鑽の成果もある。ロイヤル陣営最強の一角だと自信を持てるだけの戦闘経験もだ。

 対する大鳳は空母。目視圏外からの超ロングレンジ攻撃は凄まじい脅威だが、握手できるこの距離ならば自分が有利なはず。───そんな思考を巡らせなければならないほど、フッドは動揺していた。

 

 口調や物腰が穏やかなボンドルドは、性格も想像の通りだ。他陣営であろうと、たとえ敵であろうと礼儀と尊重を忘れない、紳士然とした人物。少なくともフッドはそう認識しているし、概ね正解だ。

 だが──大鳳は違う。その思考回路に存在する唯一の判断基準は、人類存続でもセイレーンの殲滅でもない。『ボンドルドにとって利か害か』。

 歴戦の戦士は、視線や纏う雰囲気から何となく相手の考えが読めるという。練度80という“一握り”であるフッドは、その域に届こうとしていた。

 

 いま、大鳳はきっと計算をしている。

 

 勝手な行動をしたリシュリューを──或いは、自由アイリス教国そのものを──見せしめに粛清する。同盟を、延いては他陣営を恐怖の渦に叩き落すことのリスクとリターンを。

 

 「──不正解ですわ。」

 「ッ!?」

 

 嘲るような言葉に、貼り付けていたフッドの微笑が剥がれ落ちる。

 代わりに浮かぶのは、驚愕と恐怖。

 

 「大鳳、そろそろ会議室に行きましょうか。」

 「・・・はい、指揮官様。」

 

 安穏と歩き出すボンドルドの三歩後ろに従う大鳳は、正しく大和撫子然としていた。

 

 

 



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35

 鉄血陣営公式所有客船・プロイセン号。全長200メートル級の大型船舶を改装した、鉄血屈指の移動式宮殿だ。

 会議室の隣にはパーティー会場にも使用できる広間やバルコニーもあり、目障りな武装類は対空機銃さえ取り付けていない。セイレーンの跋扈するこの時代において、国家の保有する船舶なら多少の武装は常識の範疇。セイレーン相手には無意味だとしても、だ。

 だが無意味であるのなら、取り外すことにも大して意味はない。外観が良くなるのなら、メリットとも言える。常識外れという指摘も、ボンドルド率いる鉄血陣営にとっては今更だ。

 

 それに会議室の円卓に並ぶ面々は、ともすれば国家一つを蹂躙できるだけの戦力だった。

 

 この場における唯一の人間、鉄血陣営統括管理官、ボンドルド。

 

 自由アイリス教国全権代理、戦艦リシュリュー。

 ヴィシア聖座統括管理官、戦艦ジャン・バール

 サディア帝国統括管理官、戦艦リットリオ。

 

 それぞれが副官を背後に従え、緊張を微笑や無表情で隠している。

 

 「・・・では、始めましょうか」

 

 ボンドルドの静かな声は、防音加工された会議室の壁によって反響も起こさない。

 静かに頷いたのはボンドルドの隣に掛けたリシュリューただ一人。残る二人は、会議室の扉付近に円卓から離れて座っている、フッドとイラストリアスを怪訝そうに見ていた。

 

 「なぁ黎明卿。なんであいつらがここにいるんだ? 確か、ロイヤルは今回の同盟とは無関係だったよな?」

 

 ジャンバールが親指で示して問いかけると、その背後で副官のダンケルクが顔を引き攣らせていた。

 心なしか、リシュリューの顔にも似たような嘆きが見て取れる。

 

 「この同盟が対ロイヤルを想定した軍事同盟でないか、確認に来たそうですよ」

 「へぇ・・・」

 「──言っておくけれど、普通じゃないわよ。むしろ非常識」

 

 ジャンバールの耳元で囁きながら、ダンケルクは頭を回転させる。

 確かに、草案通りならこれはまっとうな4陣営間での相互和親条約だ。それに、鉄血陣営対ロイヤル陣営の戦争になれば、まず間違いなく鉄血陣営が勝利する。それも圧勝で。

 つまり、ロイヤル陣営にとって、ここで対ロイヤル軍事同盟が成立するか否かは重要な問題ではないのだ。ここでロイヤル陣営がメリットを得るには、もともとロイヤル寄りの自由アイリス教国以外──リシュリューと仲違い中のジャン・バール(うち)を除けば、サディア帝国を味方につけるしかない。

 

 その交渉に来たのだとしても、他陣営との同盟の場でとは非常識極まりないが。

 

 「どうしてわざわざ、この部屋に入れたのかというのも謎だけれどね」

 「まぁ、普通は追い返すよな」

 

 単なる『寛大な措置』という訳でもないだろう。

 そんなものは舐められるだけだ。一の利はあるかもしれないが、外交上、百の害を容認することは出来ない。

 

 甘い相手だと思われてしまえば、挑発行為は加速するし──と、そこでふと大鳳と目が合った。

 

 「・・・?」

 

 出来のいい生徒を見るような、視座の合わない視線が絡みつく。

 艶やかな唇が動き、声なき声がダンケルクの目に届いた。

 

 『あと一歩ですわ』

 

 ロイヤル陣営が鉄血陣営の内部情報を探るとき、どうするだろうか。

 考え付くのは、個別の同盟を結ぶときに大鳳から教わったこと。人間主義者団体の上層部は、ロイヤル陣営の諜報機関だという話だ。

 人間主義者を使った攪乱と、情報収集? それが鉄血陣営にとってメリットになるのかは疑問だが──

 

 ちらりと大鳳を窺えば、満足そうに頷いている。

 正解なのか? これが? 他国に内情を探られ国内を攪乱されることがか?

 

 理解できないものを前に冷や汗を流しながら、ダンケルクは思考を中断する。

 

 会議はといえば、既に署名前の最終確認に入っていた。

 既に各陣営に個別に赴き、草案のすり合わせが終わっていたからだろう。スピーディーなものだ。

 

 「では、署名を──」

 

 ボンドルドの声は、乱雑に開け放たれた扉の音で掻き消える。

 かなり重厚な造りの防音扉を勢いよく開けることが出来た時点で、実行者に目途は付く。

 

 果たして、ロイヤル陣営の正規空母、アークロイヤルが息を切らせて立っていた。

 

 「・・・何の御用でしょう?」

 

 爆発寸前、殺気すら漏れ出ている大鳳を抑えつつ、ボンドルドが問いかける。

 予想外の事態なのはロイヤル陣営も同じなのか、フッドとイラストリアスも動揺して立ち上がっていた。

 

 アークロイヤルの目が会議室を一周し、ボンドルドで一時停止してフッドに帰着する。

 重々しく告げられた言葉には、ボンドルドと大鳳も含めた全員を動揺させるものだった。

 

 「──襲撃だ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 空を覆う紫雲に、紅く染まる水平線。

 ボンドルドにとっては馴染みの、そしてKAN-SENにとっては忌むべき鏡面海域だ。

 電波的な遮断のみならず、物理的な結界の働きすらもつ閉鎖空間。プロイセン号を中心に、半径50キロ──リットリオの主砲射程を上回る広範囲で展開されているという。

 

 甲板に出てきた一行の目に入ったのは、船を取り囲むように展開されたセイレーンの偵察機だった。

 グラーフ・ツェッペリンの全力発艦時にも匹敵する、空を覆うほどの群れ。セイレーン陣営最強の量産型空母Queenから発艦したものだとしても、4隻分はある。

 

 「セイレーン、どうしてここに・・・?」

 

 プロイセン号の現在位置は北海、公海上。つまり、どの陣営の保守海域でもないエリアだ。それはつまり、セイレーンの出没率が限りなく低いということでもある。

 サディア帝国、リットリオの副官であるザラの言葉が、この場の総意だった。

 

 「幸か不幸か、5陣営の最高戦力が揃っています。対処は難しくないでしょうが・・・」

 「いえ、むしろそれが狙いなのではありませんか?」

 

 ザラ個人をというより、この場の全員に余裕を与えようというダンケルクの言葉は、棘のあるウォースパイトの言葉で不発に終わる。

 確かに、5陣営のトップが一堂に会する場面などそうはない。例外と言えば、ボンドルドがやらかす都度に開かれる審問会くらいだ。セイレーンが本気でアビスや人類を滅ぼす気なら、願ってもない好機だろう。

 

 「我々の殲滅を狙っていると? 舐められたものだ。」

 

 苦笑するリットリオ。だが、その見立てはおそらく間違いだ。

 

 「それにしては、セイレーン側の展開が遅すぎます。」

 

 確かに、と、数人が大鳳の指摘に頷く。

 偵察機による包囲などしている暇があったら、オミッターなりピュリファイアーなりがあの還元兵器、光収束砲を撃ち込めばいい。

 尤も、KAN-SENには人格バックアップが、ボンドルドには『祈手(アンブラハンズ)』がある。失うものはこの豪華客船くらいのものだが。

 

 「いえ、そうではなく。この安全海域上に我々が集まったところを狙われたのは、何か意図があってのものではないかと。」

 「意図のない襲撃なんざ、オレたちでもやらねぇしな。そりゃそうだろ。」

 

 もの言いたげなウォースパイトに、小馬鹿にしたような──というか裏表のない──ジャン・バールの言葉が刺さる。

 再度ウォースパイトが口を開く前に、こつり、という硬質な靴音が反響した。

 

 まだ船内に誰か残っていただろうかと不審に感じた数人が振り返ると、その数人は即座に砲塔を旋回させ照準した。

 

 「セイレーン!?」

 「・・・おや」

 

 動揺ではなく疑問が浮かぶのは、その個体に面識があり、かつ脅威を感じない戦力を持つ大鳳とボンドルドのみ。

 

 「お久しぶりですね、テスター」

 

 何故か船内から現れた彼女は、金色の瞳を輝かせて笑った。

 

 「えぇ、お久しぶりね、黎明卿」

 

 

 



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36

 知己のように言葉を交わしたボンドルドに、ほぼ全ての視線が集中する。

 セイレーン上位下層個体、テスター。名前の通り、様々な海域での戦力テストや装備の運用試験を行っている監督役だ。

 ピュリファイアーやオミッターのように、好戦的な個体ではない。KAN-SENが遭遇したとしても、全力で撤退すれば見逃されることも多い。秘匿性の高いテストの場合は別だが。

 

 だが、それでもセイレーンの上位個体であることには変わりない。

 ボンドルド自身が交友のある鉄血陣営と、鉄血経由で技術供与を受けているヴィシア聖座以外は、むしろ憎むべき相手だろう。ボンドルドが即時撤退技術を開発するまで、何十というKAN-SENが傷付けられ沈められてきた。

 

 「何故、貴様がここにいる」

 

 憎々しげに吐き捨てたのはウォースパイトだ。フッドも主砲を向けているが、甲板から船室側に向いているため、仮に砲撃すればまず間違いなくプロイセン号は沈没する。最悪の場合、着弾箇所から真っ二つになるかもしれない。

 

 「何故、ねぇ? 制海権は我々が掌握しているのだけど、忘れたの?」

 

 何処にいようと、咎める道理も力もないだろう。

 言外にそう告げられ、ウォースパイトの視線が鋭いものになる。

 

 「貴様の仕業か、黎明卿ボンドルド」

 

 ウォースパイトがボンドルドを睨み付ける。不愉快そうに眉を寄せた大鳳が進み出るが、その言葉はテスター自身によって否定された。

 

 「いいえ? そもそも、我々は誰かの指図を受けたりしないわ。武装もしていない客船が単騎でふらふらしてたから、脅かしてやろうと思っていたのだけれど──もっと面白そうじゃない」

 

 テスターがどこからともなくメンタルキューブを取り出す。

 何をするつもりか知らないが、させるわけにはいかない。ほぼ全員の意見が一致したところで、この場で最も先制火力に長けた者──ジャン・バールが砲撃する。

 

 豪華客船プロイセン号、撃沈確定の瞬間である。

 

 「お喋りはここまでだ──《パイレーツソウル》、《ラストファイア》ッ!」

 

 ジャン・バールの主砲が轟音と共に380mmの砲弾を吐き出す寸前、衝撃波から庇うようにボンドルドの前に大鳳が移動する。

 練度100のKAN-SENがそれだけの行動を取れる余裕があるのなら、テスターが手にしたキューブを起動することもできるだろう。むしろ、大鳳の移動はそれを警戒してだったのかもしれない。

 

 果たして──テスターへの攻撃は障壁に阻まれ、客船プロイセン号の周囲には無数の量産型艦が展開された。

 

 「上位個体はいないけど、それなりの精鋭艦たちを用意したわ。ここで貴女達が沈めば、人類側の戦力の70パーセントが失われるわよ。頑張ることね」

 

 

 ◇

 

 

 自由アイリス教国全権代理、戦艦リシュリュー。及び副官、軽巡ジャンヌダルク。

 ヴィシア聖座統括管理官、戦艦ジャン・バール。及び副官、戦艦ダンケルク。

 サディア帝国統括管理官、戦艦リットリオ。及び副官、重巡ザラ。

 ロイヤル陣営傍聴人、空母イラストリアス、戦艦フッド。及び随行者、空母アークロイヤル、戦艦ウォースパイト。

 

 そして鉄血陣営統括管理官、ボンドルド。及び副官、空母大鳳。

 

 この面子を人類側の戦力の70パーセントと評したテスターは、言い捨てると姿を消してしまった。

 展開した量産型艦も持って帰れと言いたいところだが、意思無き戦闘機械である量産型艦は、一斉に砲塔を回転させプロイセン号を指向した。

 

 重巡洋艦クラス以上が大半を占めるそれらの砲撃を食らえば、リュウコツ技術の導入されていない船ならば戦艦だろうと容易く沈む。

 しかし、この場の大半が即時撤退技術を導入しており、離脱には左程困らない。唯一人間であるボンドルドを除いて。

 

 そしてテスターと、この場のKAN-SEN全員が理解している通り、12人の中で人類にとって最も重要なのはボンドルドだ。

 

 1人の人間を捨て11人のKAN-SENを離脱させるか。

 11人のKAN-SENを危険に晒し続け、1人の人間を守るか。

 

 選択肢は少ない。だが選ぶのならば──

 

 「逃げる必要も、守る必要もありませんわ。ですよね、指揮官様?」

 「なるほど、確かにその通りだ。オレ好みの打開策だぜ、黎明卿」

 

 参加者きっての武闘派であるジャンバールが、ボンドルドよりも先に同調する。

 ボンドルドとしても異論はない。敵平均練度は70程度であり、重巡洋艦クラスまでなら、ジャンバールの精密砲撃であれば一撃で沈められる。戦艦でも、命中箇所次第では戦闘不能に追い込めるだろう。

 リットリオが参戦の意思を見せて並ぶと、諦め顔でザラもついてきた。

 

 「そうですね。この子たちも実戦テストはクリアしましたが、所詮はテストです。ここで実戦証明済み(コンバットプルーフ)の判を押しておきましょう」

 

 ボンドルドは両手を広げ、紫雲に覆われた空を仰ぐ。

 背負った円筒状の機械が軋むような駆動音を上げ始めれば、大鳳以外の参加者たちが何事かと距離を取るのも無理はない。

 金属質な駆動音に混じり、パキ、プチ、という湿った音も聞こえる。何を背負っているのかという好奇心以上に、聞かない方がいいという直感があった。

 

 「──行きましょうか、日向、ロンドン。──《砲術指揮・主力》《砲術指揮・前衛》」

 「───は?」

 

 暖かい、鼓舞するような温もりに包まれながら、ウォースパイトの心臓に氷柱が突き刺さった。

 

 眼前のこの人間はいま、この場のKAN-SENたちを強化するスキルを使った。

 およそ人間という種が持つはずのない、リュウコツ技術の、KAN-SENにのみ与えられたスキルを行使した。

 KAN-SEN以外にスキルは使えない。しかし、KAN-SENとしての本能が、明確に眼前の男は人間だと主張している。ボンドルドを指すのに異常という言葉を使ったことは幾度もあるが、ここまでの驚愕を伴ったことは無い。これまで、その異常性を知るのは裁判所での聴取という形で、つまり情報を聞くだけで、直接目にした訳では無かったからだろうか。

 

 そして、それ以上に聞き捨てならない名前があった。

 

 ロイヤルの軽巡洋艦、ロンドン。確かにその名前と、彼女の持つスキル名がボンドルドの口から出た。

 

 主力艦であるウォースパイトが、彼女の前衛艦に作用するスキルの恩恵を受けたことは無い。だが驚愕に目を見開くザラの様子と、同じく名前の出た重桜の戦艦である日向が持つスキル、砲術指揮・主力の効果が感じられることから、その行使があったことは間違いないだろう。

 

 「黎明卿・・・? 今のは、一体──」

 

 カチャリという銃のスライドを引いたような音を立て、背負った機械の駆動音が止まる。

 複数の管が伸びるそれは、どこか生命維持装置にも見えた。

 

 「君達KAN-SENのスキルですよ。慣れ親しんだ感覚ではありませんか?」

 「い、いや、そうではなく・・・ッ!」

 

 言い募るウォースパイトの追及は、無数の砲声によって掻き消された。

 取り囲む量産艦の一斉砲撃。どれか一撃でも、単なる客船のプロイセン号にとっては致命的だ。それを皮切りに、KAN-SENたちは一斉に眼下の海面へと飛び降りた。

 

 爆炎を上げる豪華客船を一瞥し、微かに笑ったのはリットリオだ。

 

 「あれが沈むまで何分かかると思う?」

 「あのサイズの客船は、穴が開いたくらいなら1、2時間は耐えると言われています。とはいえ、直撃10以上ですからね。20分か、それ以下かと」

 「だろうな。・・・では、殲滅に何分かかると思う?」

 「強力な上位個体でも出てこない限り、彼女達の方が早いでしょう」

 

 鉄血屈指の豪華客船の最期を前に、さしたる未練も見せずに分析するボンドルド。

 既にジャンバールや大鳳は戦闘を始めており、その戦力を考えれば、プロイセン号より量産艦たちが先に沈む。

 

 「では、そろそろ私も行こう。ザラに怒られるのでな」

 

 愉快そうに笑いながら、リットリオも戦線に加わった。

 さて、と、ボンドルドは考える。

 

 自惚れも過小評価も抜きにして、ボンドルドを殺した場合、セイレーン側は1年かそこらで人類を殲滅できる。

 だが、テスターは初めてボンドルドと会ったとき、その行動指針は人類側の誤った推察であると言っていた。セイレーンは現状()()動くつもりはないということは、今回の襲撃はボンドルド狙いではない。

 それは、主に大鳳の手で着々と屠られていく量産艦の脆さを見ても明らかだ。ボンドルドを殺すには質も量も足りていない。

 

 「──おや?」

 

 

 

 



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37

 「あぁ──素晴らしい! 遂に、遂に辿り着けました。見ているのでしょう、テスター? 貴女と、貴女のボス──レイには沢山のお礼が言いたい」

 

 この世全てが愛おしくて仕方ないような、心の底からの歓喜と感謝を放出する叫びは、如何な圧倒的優勢とは言え戦場には似つかわしくないものだ。

 あまりの異様さに、部外者のみならず大鳳までもが振り返る。むしろ、戦闘の大半を艦載機に任せている大鳳が最も早く視線を向けたくらいだ。

 

 「黎明卿・・・?」

 

 思った以上の手ごたえのなさに飽きかけていたジャンバールが振り返り、首を傾げる。

 はて、黒衣の長身の、その隣に控えるKAN-SENは誰だろうか。全員が共通の疑問を抱いた時、その影がゆっくりと動く。

 

 「はじめまして、ローンと言います。よろしくお願いしますね、大鳳と、指揮官?」

 

 折り目正しく一礼した、鉄血艦に特有の鋼色の軍服を纏ったKAN-SEN。ローンと自ら名乗った彼女は、僅かに残る量産型艦と、他陣営のKAN-SENに恍惚とした目を向けた。

 

 「練度も数も十分とは言い難いですけど、初陣ですから。ハンデということにしておきましょうか」

 

 鉄血特有の半生体艤装が鎌首をもたげ、一同を睥睨する。

 金属擦過にも似た威嚇音を鳴らすそれを宥めるように撫でる姿は、慈母のような穏やかさを湛えている。

 

 各陣営でも最精鋭のKAN-SENたちが、大鳳までもがその姿から目を離せない。

 それは美しさに惹かれたなどという人間的な理由ではなく。

 

 「黎明卿、貴方は一体、何を産み落としたの・・・!」

 

 練度100の大鳳をすら硬直させ、練度に劣るリシュリューやウォースパイトなどは無意識に一歩下がるほどの存在感。

 それは殺意や害意とはかけ離れた、もっと機械的で根源的な──

 

 「分かり切ったことを訊くんですね、ウォースパイト」

 「あ、ぇ────?」

 

 いつ接近したのか、眼前で困ったような微笑を浮かべるローン。

 その艤装の口部で、砲口が悍ましいほど美しく輝いていた。

 

 「私たちは兵器でしょう? 貴女も、私も」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 「ウォースパイト・・・?」

 

 魅入られたように動かない旗艦を慮り、フッドが近付いてくる。

 そもそもウォースパイトにさしたる興味も無かったローンは、会釈を一つ残して量産型艦の掃討戦線に加わった。

 

 「大丈夫ですか? ・・・あ、ウォースパイト?」

 

 フッドの呼びかけに答えることもなく、幽鬼の足取りで海面を進んでいく。

 向かう先に居るのがボンドルドだと気付いた大鳳が、不愉快そうに、しかし警戒しながら戻ってくる。

 

 「貴様、あれは何だ?」

 「あれ、とは、随分な言い方ですね。貴女と同じKAN-SENではないですか」

 「ッ!」

 

 ぐい、と、ボンドルドの黒衣が引かれる。

 練度80の戦艦の膂力で胸倉を掴まれてなお、ボンドルドは仮面に覆われた首を傾げるだけだ。

 対照的なのは大鳳で、空を覆うほどの艦載機が発艦し、ウォースパイトを照準する。拳を振りかぶるより先に身体が消失すると察すれば、ウォースパイトは力を緩めるしかない。

 

 「ふざけるな。あれが、我々と同じ存在なものか」

 「面白い言い方ですね。確かに、貴女たちとは違う()()()ですよ、彼女は」

 

 仮面に覆われた表情はともかく、口ぶりからは韜晦や誤魔化しの気配は感じられない。とはいえ、意味の分からない単語の羅列だ。

 そう判断したのは漏れ聞いていたフッドだけで、直接告げられたウォースパイトは凍り付いた。

 

 「架空艦、だというの? あのフリードリヒ・デア・グローセと同じ・・・?」

 

 『アビス』最強の陣営はどこか。その議論は、ロイヤルにとって業腹なことに鉄血か重桜かという二極に帰結する。

 そして『アビス』最強の個は誰か、その議論は、誰であれ同じ名前を挙げることだろう。畏怖や嫉妬、或いは羨望や恐怖交じりに、彼女の名を。 

 

 だが、今となってはそう驚くような強さではない。

 そう楽観できるのは、陣営内の大半が練度100を迎え、或いは最後の壁を突破した鉄血陣営くらいだろうが。

 

 架空艦──グローセは、能力、スキル、武装全てが強力だった。しかし、当時のアビス構成国を驚愕と戦慄の坩堝に叩き落したのは、その練度上限の高さだ。

 ほぼ全ての陣営の平均練度が50程度、ボンドルドが指揮する重桜陣営でも70から80で、90の壁を超える手立てが見つかっていない時期だった。そこに、上限解放回数ゼロにして練度上限100という怪物が現れたのだ。

 机上の空論でしかなかった練度100の極致は、グローセの存在により示された。ボンドルドが道を切り開くにあたり、その目的地となっていたのが彼女である。

 

 昏き夜明けの光を導く、漆黒の太陽。

 

 その再来だ。

 

 「どうしました、ウォースパイト?」

 「い、いや・・・何でもありません。先ほどは失礼しました」

 

 震え声を残してその場を辞して、向かう先にはアークロイヤルがいる。

 既に戦闘は終結しており、一瞥すれば、不完全燃焼だと拗ねるリットリオにローンが同意していた。

 

 「ウォースパイト? どうした?」

 「二年前の、最悪の作戦を覚えている?」

 「・・・『曇天』のことか。ここで話すのは不味いぞ」

 

 眉を顰め、遮ろうとするアークロイヤル。今は複数の陣営に漏れ聞こえる可能性があるし、もし二人きりだとしても話したくない話題だった。

 そんな心中を察することもなく、ウォースパイトは端的に、聞かれても問題ない単語だけを並べる。

 

 「あれでは不十分だったわ。人間主義者の攪乱も効いていない。今なお奴の手勢は人類側の戦力の70パーセントを占めているのよ」

 「だったらどうする? なきがらの海に襲撃でもかけるか?」

 

 冗談じみた口調で、アークロイヤルが韜晦する。

 ウォースパイトはにこりともせず、考え込む素振りを見せた。それに焦るアークロイヤルだが、イラストリアスが近付いて来たことでほっと安堵の息を吐く。

 

 「どうしたんですか、ウォースパイト。怖い顔をして」

 「イラストリアス・・・いや、何でもないんだ」

 

 誤魔化すように笑って、ウォースパイトは自陣営のKAN-SENたちを労った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 海域の安全を確保し、互いを労うKAN-SENたちに陣営の壁は見受けられない。隣に居るのは、今や他陣営の誰かではなく援護し援護された戦友だった。

 手を握り、肩を叩き、称え合う。セイレーンが出現する以前のオリンピックで稀に見たような、艦種も陣営も関係ない関係性。

 『アビス』はあくまで陣営間の相互補助を円滑にするための組織だ。こんな光景は、こうして同盟の場に共通の敵であるセイレーンが出没したから実現した、奇跡のようなものだろう。

 

 その、奇跡じみた光景に嘆息する影がひとつ。

 

 「練度80のKAN-SENとやり合える機会なんて、そうはないのに・・・」

 「そうでもありませんよ。前線基地に戻れば、練度90艦なんて掃いて捨てるほどいますから」

 

 慰めにもならない大鳳の言葉には、困ったような微笑が返ってくる。

 

 「それでも、その子たちは仲間ですもの。出来ても演習ですし、あまり戦いたいとは思いません」

 「あら? てっきり、強者との戦いをお望みなのかと」

 

 同陣営の仲間を重んじる様子のローンに、大鳳は微かな失望を覚えた。

 指揮官以外の全てに価値を見出さない自分と同じ、破綻して振り切れた、どうしようもない同族だという期待があったからだ。

 

 しかし、その落胆は早計だと、大鳳はすぐに口角を上げた。

 

 名残惜しそうに、和気藹々と労い合うKAN-SENたちに向けられたその視線は。嫌になるほど鏡で見てきた目だ。

 

 「あぁ──あの子たちと、殺し合いが、したかったな───」

 

 

 



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38

 短いなら二話連続投稿すればいいじゃない(破滅への一歩)
 8月11日19:30に39話が上がります。たぶん。


 グリーンランド近海、バフィン湾。

 

 展開したセイレーンが誇る上位個体オミッターやオブザーバーの率いる強襲海上艦隊は、エクセキューターシリーズを中核に大量の量産型艦を擁する大規模なものだ。

 それが、海面の半分を船が埋めるほどの大多数。数の戦力だけを考えるなら、ユニオン陣営の総軍に匹敵する。戦力の質も考えるのなら、クラーケンの群れが出てきたとしてもドン引きして逃げ出すレベルだ。

 

 海を覆う重油のような艦隊と、雲のような艦載機。

 

 それが、一息に薙がれる。

 

 鏡面海域の紫雲も、構築された物質・電波遮断結界も、射線上の存在を悉く灰燼と化す崩壊の極光。ボンドルドの『枢機に還す光』や、オミッターの主砲と同等かそれ以上の威力を持った()()()()

 ち、と舌打ちを漏らしたテスターが、次の瞬間には半身を失くして沈んでいく。それを見て脅威度を上方修正したコンダクターは、既に脅威度が上限値であることに気付くより早く胴体を貫かれる。量産型艦は片端から大穴を開けられ、時に転覆し、時に真っ二つになって沈んでいく。盾にも足場にも的にもなるそれを無感動に一瞥し、包囲の中心で笑うのは漆黒の太陽だ。

 

 「燃料と弾薬は量産艦から奪えるとしても、流石にメンテナンスも休息も無しでここまで戦えるものなのかしら?」

 「さぁね。アレ、認識指向研究の成果なんでしょ? ならこの世の如何なる存在とも符合しなくて当然なんじゃない?」

 

 近くの島に据えられた観測基地では、テスターとオブザーバーがそんな会話を交わしていた。

 戦闘能力でオミッターやピュリファイアーに一歩劣る彼女たちだが、分析能力ではセイレーン屈指。しかしその頭脳を以てしても、2年間という長い時間を費やしてなお、撃沈どころかルーツの解明にも届かない有様だ。

 

 「そろそろこの海域も限界よ。北連とユニオンが感づき始めてるわ」

 「はぁ? ロイヤルは何やってるの?」

 「そのロイヤル陣営の連絡担当官からメールよ。曇天作戦の規模を縮小する、だって」

 

 テスターが読み上げた内容に、オブザーバーがつまらない冗談だと苦笑する。しかし、テスターの表情を見てすぐに引っ込めた。

 代わりに浮かぶのは驚愕と疑問だ。

 

 「嘘でしょう? 今の戦力でも拮抗どころか食い潰されてるのよ?」

 「本当よ。割いた分の戦力は“なきがらの海”・・・大西洋沖、前線基地(イドフロント)と周辺の鏡面海域への強襲作戦に使うらしいわ」

 「第五・・・って、黎明卿を殺すってこと?」

 

 怪訝そうなオブザーバーに、テスターは首を振って応える。

 

 「彼を殺すことはレイに禁じられているでしょう? ロイヤル陣営としても、人類最高の頭脳を無駄にはしたくないでしょう。目的は曇天作戦と──フリードリヒ・デア・グローセ討伐戦と同じよ」

 「あぁ、新しい架空艦? 確か、重巡洋艦の」

 「重巡洋艦ローン、貢献度C、戦力評価はA。練度1時点でこの評価なら十分ね」

 

 テスターとオブザーバーは、互いに顔を見合わせる。

 口に出すこともなく、表情だけで「やるの?」「まさか」と交わす。

 

 「まぁ、一応レイに報告して指示を仰ぎましょうか。グローセと同じように、人類の進化を停滞させてしまうようなら────」

 

 

 ◇

 

 

 「──日没作戦への参加は拒否、曇天作戦も他陣営に露呈次第全面中止、か」

 

 ロイヤル陣営全権代理ウォースパイトの表情は暗い。

 嘆息し、メールを削除する。執務室から出るように命じていたカーリューを、卓上のベルで呼び戻して紅茶を頼む。砂糖を多めに、と付け加えるのも忘れない。

 

 前回の曇天作戦、あれはこちらが提案し、セイレーンがそれに乗る形で実現したものだ。

 その目的はフリードリヒ・デア・グローセの撃沈による、重桜陣営の戦力低下。延いては、アビス内部での戦力均一化にある。

 現在、セイレーンに対抗できる軍事力を持ち、一定以上の人口と国力を維持している集団は9つ。鉄血、重桜、ロイヤル、ユニオン、アイリス、ヴィシア、サディア、北連、東煌。戦力も国力もこの順だ。

 つまり、人類がセイレーンを打倒するか、或いはセイレーンの活動頻度が低下したとき、来る人類同士の争いに対しロイヤルは劣勢を強いられるということだ。

 

 戦力が強大ながら不透明な鉄血と重桜は、ともすれば人類すべてを掌握できるかもしれない。当然ながら、そんなことは許されない。

 最低でも主権の確保を要求できる程度には戦える必要がある。 

 

 「人類同士の均衡を保つため、か」

 

 汚れ役もいいところだ。だが、誰かが請け負わなくてはならない。

 

 「お待たせいたしました、ウォースパイト様」

 「ありがとう」

 

 思考を止めず、血糖値を上げるためだけの紅茶を口に含む。

 カップを半分ほど空けてから、ウォースパイトはもう一度カーリューを呼んだ。

 

 「カーリュー・・・ユニオンと、アイリスの連絡担当官を呼んでくれる?」

 

 

 



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39

 8月11日19:00に前話が上がっています。まだご覧になっていない方はそちらからどうぞ。


 標準時刻午前8時31分。

 鉄血陣営本土、アビス鉄血支部正門前。

 平日の朝、国内最大規模の公的組織の正面入り口といえば、当然ながら人混みの凄まじい場所だ。

 

 スーツ姿の人々が挨拶を交わし、並んだり追い越したりして高層建築へと入っていく。

 時折、車が入っていくときには捌けて道を開けたり、あるいはクラクションを鳴らされたりしている、喧騒に満ちた日常だ。

 眼前の大通りの路肩に、いつもより迷惑駐車が多いことに、目敏いものは気付いただろうか。

 

 初夏の日差しは快適と称するには些か暑く、かと言って袖をまくるほどではない。

 陽気に当てられたかゲート前で守衛と言い争う見知らぬ男を、職員が可笑しそうに一瞥して、すぐに興味を失う。トラブルになったとしても、サブマシンガンで武装した守衛が武力で負けることなどない。そう信頼しているが故の無関心は、通り過ぎた者の命を奪うことになる。

 

 爆音と熱風。続く衝撃。

 古き良きC4ベストだ。

 明らかに人体に害となるレベルのそれを間近で受けた者は負傷或いは昏倒しており、無事な者は

 

 「鎮圧部隊が出てくるまでだ、いいな! 行動開始!」

 

 迷惑駐車の車から降りてきた武装集団により、銃撃された。

 

 

 ◇

 

 

 『このように、犯人グループは非常に狡猾で、かつ統率が取れており、統括管理官のボンドルド卿は“テロというより襲撃作戦”と、背後に他国の存在を仄めかしました。専門家のA氏によると──』

 

 ぷつり、と、興味を失って切られたテレビの放送は、3日前からずっと同じ内容について語っていた。

 鉄血陣営本土で起きたアビス支部襲撃事件と、連続的に起きているテロ。軍事基地や研究施設に被害が一切出ていないことから、これまでの人間主義者のテロ行為とは別勢力であるとされている。

 

 「それで、マークが薄れた人間主義者が、他所に警護を割かざるを得なくなった軍事基地を襲撃する、と。随分とお粗末な計画ですね」

 「けれど、成功率も影響も無視できないわ。何より、分かっていても対処できないというのがネックなのよ」

 

 前線基地の食堂で呟いたローンにそう返すのは、ちょうど演習終わりで遅めの昼食に辿り着いたビスマルクだ。ローンの皿は殆ど空いており、あとはコーヒーだけ、といった塩梅だ。

 だから特に断りも入れず正面に座ったビスマルクに、ローンは怪訝そうな顔をした。

 

 「対処できない、というのはどういうことです?」

 

 その顔が意味するのが「全員殺せばいいのでは?」という単純にして明快な解決策の提示であると、同盟締結会議から帰ってきたボンドルドにローンを紹介されてからの2週間で学んでいた。

 

 政治に興味が無いボンドルドも同じような思考だが、それだけでは問題が生じるため、諫めて代案を出す自分や大鳳が居るわけだ。

 基地や研究施設に侵入したなどの、即時射殺レベルの敵対者であると証明できない人間を殺すと猛烈な抗議が来る。制裁として研究費用の凍結や施設封鎖まではいかずとも、強制力が高く深度も深い監査を課されたら面倒だ。

 

 仮にそうなったら、人類を滅ぼす一歩手前まで追い詰めてでもボンドルドの研究に賛同させるが。

 

 「人類を守る我々が、人類を傷つけてはいけないということ」

 

 言っていて自分でも笑いそうになる理屈に、ローンも口角を上げる。

 結局のところビスマルクの言葉にポーズ以上の意味はなく、いざとなったら何億だろうと砲火に沈めるだけだ。

 

 「政治的判断ですか、大変ですねー」

 「鉄血本土に置いてあるものは大半が事務書類だから、ビルごと吹き飛んでも問題ないしね」

 

 ビスマルクの言葉に笑いながら、ローンはコーヒーを飲み干して立ち上がった。

 

 「そういえば、三週間後に監査が来るとか」

 「えぇ、まぁ、定例行事みたいなものよ。指揮官が非人道的なことをしていないか、アビス法務部執行科としては確かめる義務があるもの」

 

 非人道的という言葉が的確かどうかはさておき、ボンドルドの所業が世に漏れればクビどころか処刑まで在り得るだろう。

 

 しかし、そうなったときに困るのはセイレーンに脅かされている残存人類数億と、その守護者であるKAN-SENたちだ。ボンドルドの貢献は現時点でも人類の寿命を世紀単位で確保しているし、革新期を終えた今でも鉄血陣営と重桜陣営の戦力は群を抜いている。セイレーンにすら、ボンドルド個人が人類側の戦力の7割であると認識されているくらいだ。

 

 もしボンドルドが公に処刑されでもすれば、セイレーン側は好機と見做して大攻勢をかけるだろう。そうなれば、人類側の防衛線は半世紀しか保たないと試算が出ている。これはボンドルドを殺されてなお、重桜と鉄血の戦力に変わりなかった場合だ。殉死者や、人類側に見切りをつけるKAN-SENが出たら最悪だ。

 

 裁判所での審問に素直に応じない場合に、やむを得ない処置として監査を行う。

 その際に事前に余裕を持って通告し、双方にとって都合の悪いものを隠させる。その上で「何もなかった」と発表するのが習わしだ。

 

 今回の監査は、ボンドルドが見せたスキル・カートリッジに関連するものだろう。

 ボンドルドがいつも通り資料片手に裁判所へ行こうとした折、流石に公開できないと大鳳が慌てて止めたのは最近の事だ。有象無象に理解される為に研究開発を行っているわけではないのは重々承知しているが、有象無象を理解しないのも勘弁してほしいものである。

 

 「もう研究資料のまとめは大方終わったから、あとは地下とか海底とかに分散して隠すだけよ」

 「設備もですか?」

 「そっちは、素人が見た所でどういうものかも分からないでしょう? 明石辺りなら看破してくるでしょうけど・・・」

 

 言い切る前に食堂に放送が掛かり、ビスマルクの言葉は尻切れになる。何のことは無い艦隊の呼び出し、それもビスマルクにもローンにも無関係の第三艦隊へのものだった。

 興味を失って話に戻ろうとするローンに対して、ビスマルクの表情は怪訝なものだ。

 

 「どうしました?」

 「第三艦隊は、主力艦隊でも遠征艦隊でもなく、近海防衛用。出撃命令や演習予定の変更なら、放送でそのまま言えばいいと思わない?」

 

 少なくとも今までの効率主義的なボンドルドであればそうしていたし、自分でもそうする。

 対面で指示しなければいけないような、複雑な戦略を携えての出撃か。或いは秘匿性の高いものか。

 

 「気になりますか?」

 「えぇ。・・・聞いてくるわ」

 「じゃあ、私も行きます」

 

 ローンと共に執務室へ向かう道すがら、二人は同じタイミングで立ち止まる。

 見合わせた顔は、興奮と緊張という正反対の感情を湛えていた。

 

 「ローン?」

 「はい。・・・KAN-SEN、ですね。それも3個艦隊以上の連合艦隊で・・・」

 

 KAN-SENの知覚圏は一様にかなり広いが、艦種や個体によって様々だ。前線基地の中でも特に知覚や迎撃に秀でたKAN-SENの集まる第三艦隊が呼ばれたのは、恐らく、その中の誰かがいち早く接近者に気付いたからだろう。

 

 「連合艦隊、ね・・・」

 

 メッセンジャーにしては、異常なほど多い数だ。

 知覚に引かれて目を向けた窓の外で、海上に浮かぶ防衛機構が爆炎を上げて沈みゆくのが遠く見えた。

 

 「始めてくれましたね──何処の何方か存じ上げませんが、楽しめそうです」

 

 恍惚とした笑いを漏らすローンに、ビスマルクは苦笑を漏らす。

 

 「何人かは残すわよ?」

 「分かっていますよ。鹵獲や拿捕も、戦術的価値は高いですからね」

 

 第一艦隊に召集を掛けながら、ビスマルクは嘆息した。

 ただでさえ監査の準備で忙しいのだから、もう少しタイミングを見て欲しい。

 

 「本当に、どこの馬鹿よ・・・」

 

 

 



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40

 何個艦隊での狼藉かは知らないが、互いに沈め沈められを覚悟しての戦闘は久方ぶりだ。せめて退屈と虚無感を紛らわす一助になってもらおう。

 そう舌なめずりをしたローンを止めたのは、通信端末を手にしたビスマルクだった。

 数秒前まで一緒に迎撃しようとしていた同道者に腕を掴まれ、怪訝そうに振り返る。

 

 口を開いたのは、ビスマルクの方が早かった。

 

 「指揮官から連絡よ。・・・全KAN-SENは艤装非顕現状態で、私室にて待機」

 「どういうことですか?」

 

 遠く、連合艦隊の先陣を切るエンタープライズの掲げた旗が翻る。

 白地に青く抜かれた、盾と鷹の紋様。隣に並ぶウォースパイトは獅子の紋様が描かれた旗を持っている。

 

 ユニオンとロイヤルの正規軍のみが掲揚を許された陣営旗。それは、つまり。

 

 「『アビス』の連合艦隊・・・!?」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 連合艦隊旗艦を名乗ったエンタープライズを正面ゲートで迎え、大鳳は問いかける。

 

 「ここは鉄血陣営が正式に領有する軍事基地です。そこに艦隊を派遣する意図、私は()()判断しても?」

 「・・・統括管理官、黎明卿はおられるか? 責任者と話すことだ。・・・違うか?」

 「いいえ? もし貴女がたの目的が彼の暗殺であるのなら、この場で私が鏖殺しますから」

 

 平均練度80の連合艦隊を前に、微笑すら浮かべて豪語する。

 練度80とは70の壁の先、一握りの才覚者にしか到達できない領域だ。それ故に、大鳳の言を単なる大言壮語と切り捨てることが出来る者は居なかった。

 

 艦種の同じKAN-SEN同士なら、練度が10違えば優劣がはっきりと分かれる。20違えば勝算が限りなく下がる。30違えば勝負にならない。

 その埋められない差を、連合艦隊の全員がはっきりと感じ取っていた。

 

 ウォースパイトは欧州同盟締結の折、肩を並べて戦っている。しかし、横に立つのとは比較にならない重圧が、正面に立ちはだかる大鳳から放たれていた。

 賽を投げた今更ながら、鉄血陣営に盾突くことの無謀さを感じ取る。

 

 「トラブルですか、大鳳?」

 

 硬直した空気を破ったのは、そんな能天気な声だった。

 歩み寄ってくる人影に、エンタープライズは僅かながら安堵すら覚える。狂人ではあるが、少なくとも眼前の大鳳よりは与しやすいだろう。

 

 「黎明卿、我々はアビス法務部執行科として、監査のため立ち入らせて貰う。許可を──」

 「構いませんよ」

 「頂けない場合は──何?」

 

 どう攻略するか、そう考えながら話していたエンタープライズの思考に空隙が生まれる。

 わざわざ虚偽の監査通告まで送り、都合の悪いものを集め出した時期を見計らっての抜き打ち監査。言い逃れのできない状況を作り上げたつもりだった。

 

 「公式な監査でしょう? 構いませんよ」

 

 ちらりと目を向ければ、大鳳はボンドルドに向けて頭を下げていた。

 表情を隠すためというより、ただボンドルドが来たから挨拶しただけだろう。

 

 「で、では、現時刻より監査を行います。一切の書類、端末には手を触れないように・・・」

 

 形式的に告げられた言葉に、ボンドルドが頷きを返す。

 

 防衛機構をいくつか攻撃してまで“覚悟”を見せつけた抜き打ち監査は、あっさり過ぎるほどあっさりと受け入れられた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 「な、んなのだ、これは・・・!」

 

 資料保管室を見た、といえば、エンタープライズの喘ぐような声にも納得がいくだろうか。

 殆どは番号・時系列順に整然と棚に並べられ、床に山積みになっていた痕跡こそあれ、既に段ボールに分類のシール付きで詰められている。

 

 破棄するには惜しい重要な書類や記録も、鉄血本土があの様子では輸送する気にもならなかったということか。

 

 一つ取り出して見てみれば、一朝一夕ではでっち上げの効かない量のデータと分析考察が事細かに記されている。

 KAN-SENの強化、艤装の換装と強化というボンドルドの功績の中でもポピュラーなものから、リュウコツ技術の人体への転用といった非人道的な秘匿実験のデータまで。

 

 「欺瞞・・・なのか?」

 

 ウォースパイトの言っていた目標──世間に公表できる程度の、軍事機密に触れない非人道的行為の証拠を押さえる。その公表をタネに脅迫し、手綱を握る・・・どころの話ではない。

 こんなものが明るみに出れば、鉄血陣営どころかアビスという組織そのものまで飛び火しかねない。人間主義者は活気づくだろうし、そもそも対セイレーン世界統括組織、人類の守護者であるという名目が崩れてしまう。

 

 仮にボンドルドの──いや、大鳳あたりの策だとしたら、この手法はあまりにも狡猾で、効果的だ。

 脅しというのは一方が優位であればこそ成立する。それを覆し、この前時代の国家対国家戦略、相互確証破壊じみた泥沼に引きずり込む手腕。政治に興味のないボンドルドでは思いつかないだろう。

 

 「・・・いや」

 

 公表の可否は別にしても、火種の量が多すぎる。

 これでは公表などせずとも、極秘裏の軍法会議でも十分に裁くことのできる罪過だ。

 

 人類最高の頭脳であるボンドルドが裁かれることなど無いという判断か。

 それが侮りであると叩き付けるのは簡単だが、その後に待ち受けるのは鉄血陣営との正面衝突と、セイレーンの大規模侵攻だ。前者はともかく、後者に勝算は無い。ユニオンの最高戦力であるエンタープライズでも、徹底した遅滞戦闘で半世紀保つかどうか、その試算に異議は無い。

 

 「とにかく、ウォースパイトに相談だな・・・」

 

 確か彼女は、ボンドルドと話すと言って執務室へ同道していたか。

 これだけの資料を見た後で普通に話せる自信は無いが、ここは相手の本拠地。激発だけはしないように、と自分を律しながら、エンタープライズは資料室を後にした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 「戦力検分、ですか?」

 「えぇ。建造ともドロップとも違う、完全に別形態のKAN-SEN顕現。──まるで、セイレーンのような現れ方でしたね? 加えて、この前線基地を覆う鏡面海域。我が陣営以外からも疑念の声が上がっています」

 

 ボンドルドの執務室は、表面上は穏やかな話し合いの場になっていた。

 デスクに掛けたボンドルドは普段通り紳士然としているし、後ろに控えた大鳳も嫋やかな微笑を湛えている。ウォースパイトも背筋を正し、直立の姿勢を崩さずにではあるが、語気を荒げることなく話している。

 今までの資料が散乱した部屋であれば格好も付かなかっただろうが、執務室は整頓されており、本棚にすら研究資料の類ではなく、戦術書やKAN-SENの管理書類などが並べられていた。

 

 「続けてください」

 「・・・我々は対セイレーン特別武装非政府組織『アビス』として、全人類が不安なく生活する文明を構築し守護する義務があります。その組織の長の一人がセイレーンと内通している、などという噂は払拭しておきたいのです」

 

 ボンドルドの沈黙と大鳳の微笑は動かない。

 沈黙は金、問うには落ちず、口を開かないことが優位に立てるという諺はいくらでもあるが、なるほど。確かに反応されないと焦るものだ。

 

 「まず手始めに、この前線基地を監査させて頂きました。次いでは、あの特異なKAN-SEN・・・ローンを供出頂きたく」

 

 言い切ってから、少し急き過ぎたかと眉を寄せる。だがもう遅い。

 ウォースパイトも口を噤み、ボンドルドの仮面の奥を見据えた。

 

 だがボンドルドと大鳳が何か言うより先に、執務室の扉がノックされる。

 ボンドルドの執務室の扉を、三回ではなくトイレと同じ二回ノックするKAN-SENは、鉄血陣営にはいない。

 

 「君たちのお仲間でしょう。扉を開けてあげてください」

 「・・・えぇ」

 

 ウォースパイトが扉を開くと、立っていたのはエンタープライズだった。

 何かめぼしいものでも見つかったのかと手元に視線を向ければ、『KAN-SENの精神について』と背表紙に書かれた赤いバインダーを持っている。

 

 ボンドルドに断りを入れて部屋を出ると、エンタープライズは扉がしっかりと閉じているか確認してから口を開いた。

 

 「何か見つけたの?」

 「何もかも。・・・或いは、全く何も」

 「欺瞞か否か、判別できない情報ということね。それは?」

 「KAN-SENの精神を弄り回した実験の記録だ。・・・これが真実なら、悍ましいどころの話じゃない」

 

 曰く、KAN-SENの精神は固有のものではなく、深層複合的なものの浮上によって決定されている。

 あるKAN-SENにメンタルキューブ抽出物であるメンタルユニットを移植すると、全く別のKAN-SENの精神が表出・混在し、最終的には混濁ののち自我崩壊を起こして死亡するという。

 実験回数はバインダーにあるだけでも5回。5人のKAN-SENが、精神を弄ばれ、人格を破壊されて無意味に殺されたということだ。

 

 「真実なら、えぇ、そうね。・・・ねぇ、エンタープライズ。これを欺瞞情報だと思う?」

 「・・・分からない。そうであって欲しいが、彼ならばやりかねないという危惧もある」

 

 ウォースパイトが投げた質問は、考えを纏めるための時間稼ぎに過ぎない。

 このバインダーの情報を公表すべきか。メンタルユニットとは一体何なのか。懐に抱えた一枚の紙を使うべきか、否か。

 

 「あの、ウォースパイト様。よろしいでしょうか?」

 「っ、何かしら、キュラソー?」

 

 思考に埋没している間に来ていたらしいメイドに肩を揺すられ、一気に現実へ引き戻される。

 お見せしたいものが、と案内されたのは、多数ある研究室の一つだった。

 

 「・・・何かしら、これは」

 

 見慣れない箱状物体と、そこに繋がれた何本ものコードとチューブ。

 伸びる先の機材は、KAN-SENには普通無縁なものだ。戦闘要員ではあるが、同時に陣営屈指の強者であるウォースパイトが知らなくても無理はない。

 

 「これは──生命維持装置です」

 

 深刻な表情で囁いたキュラソーに、思わず冗談だろうと笑いかける。

 何故、箱に生命維持装置を繋ぐ必要があるのか。まるで、その箱が生きているようではないか。

 

 「こちらをご覧ください」

 

 それは、ずっと目に入っていたはずの文字列だ。

 目に入っていたが、その文字が持つ意味を理解できなかった。理解したくなかった。

 

 『HMS,C35,Belfast』

 HMSとはHer Majesty's Shipの略号、つまり、ロイヤル陣営に属するKAN-SENであることを示す符号だ。勿論、正規に登録されているベルファスト本人ではない。今もロイヤル本土で陛下のお側に仕えるメイド長本人ではない。それは分かっているが、そんなことは関係ないほど不快だった。

 

 「これが、あのベルファストだというの・・・?」

 

 一辺40cmにも満たない無機質な箱。まるで棺のようにソレに詰められ、チューブとコードに繋がれ、外付けの機械で生かされている?

 

 「──ウォースパイト?」

 

 驚愕のあまりか、いつもは激発しやすいエンタープライズでさえ心配そうに見つめてくる。

 最早、あの男は人間ではない。

 同胞を実験台として扱い、このような姿で弄ぶあの男は、統括管理官でも、人類の希望などでもない。

 

 打倒すべき邪悪である。

 

 踵を返したウォースパイトは、足早に執務室へと戻った。

 ノックもなく扉を開け放ち、大鳳が眉を顰めるのにも構わず懐に手を伸ばす。

 

 人間であれば拳銃や刃物などを疑って警戒すべき場面だが、KAN-SENにとっては己の拳の方が余程強力な武器だ。

 ボンドルドも、KAN-SENに交じってセイレーンと戦うような傑物。拳銃如きでは仮面に傷もつかないだろう。

 

 代わりに、机に一枚の紙を叩き付ける。

 

 首を傾げたボンドルドがそれを取り上げ、礼を失した振る舞いに青筋を浮かべる大鳳も一先ずはそれに目を向ける。

 二人が微かながら驚愕を見せたことを確認して、ウォースパイトは高らかに宣言した。

 

 「私はロイヤル陣営布告官、ウォースパイト。我々ロイヤル陣営は、統括管理官クィーン・エリザベス陛下の名の元に、鉄血陣営に対し宣戦する!」

 

 

 

 



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41

 さしものボンドルドも、いきなり宣戦布告を叩き付けられることは予想外だったのか硬直する。

 その隙を突いて、ここで敵将の首級を挙げる。それが最速なのだろうが、ウォースパイトは直感的に大鳳の腕の間合いから下がるという選択をした。

 ふぅ、と、深呼吸で自制している様子の大鳳を見るに、その一歩は無駄ではなかったようだ。

 

 「要求は何でしょう? 主目的、停戦条件、降伏条件も教えて頂けますか?」

 

 数秒前の動揺を覆い隠すような冷静さ、いや安穏さで問いかけるボンドルドに苛立つ。

 状況を分かっているのかと怒鳴りつけたいところだが、一対一で大鳳とやり合うのは得策ではない。努めて冷静に、と己を律しながら、ウォースパイトはゆっくりと口を開いた。

 

 「我々の目的は、鉄血陣営の狼藉、その責任を取らせることです。具体的には・・・『前線基地(イドフロント)』の破棄、研究データの供出。それと、鉄血陣営総旗艦ビスマルクの自沈、統括管理官ボンドルド卿の自決、架空艦ローンの供出です」

 

 ボンドルドはふむ、と、やはり安穏と、顎に手を当てて考え込む素振りを見せる。

 

 直情的に宣戦したように見えるウォースパイトだが、それは半分ほど不正解だ。

 統括管理官クイーン・エリザベスの認めた布告状を持っていたり、即座に陣営としての要求を口にしたことからも分かる通り、ある程度は準備している。

 

 今回のロイヤル陣営の最終目標は、鉄血陣営の総力を四分の三程度まで落とすことだ。それが、人類側がセイレーンに食い潰されず、かつ、セイレーンを下したのちに鉄血陣営がロイヤル陣営に完勝できない程度に疲弊する数値だと、ロイヤル陣営の戦略担当官は計算している。

 

 そして今回の絶対目標は、あの恐るべきフリードリヒ・デア・グローセと同じ架空艦、重巡洋艦ローンの回収。

 どこまで呑むかは、たとえ仮面が無くとも思考を読み切れない狂人が相手だ、分かるはずもない。

 

 「研究データ程度であれば、この前線基地ごと差し上げても構いませんよ。・・・私の命で、人類同士が争わずに済むのなら、それも呑みましょう」

 「──指揮官様、それは」

 「元より安い命ですからね。実験中の事故で無為に無駄にするより、よほど有意義でしょう」

 

 大鳳の言葉にそう答えたことで、ウォースパイトの胸中に僅かな期待が灯る。

 やはり、鉄血陣営にはロイヤルと正面衝突を選択するだけの戦力は──

 

 「しかし、ビスマルクとローンを・・・私のKAN-SEN(かぞく)を差し出せというのであれば、仕方ありませんね。降伏はできません」

 「・・・いま、何と?」

 

 すぅ、と、血の気が引いていくのを感じる。

 身体に纏わりつくような、世界の全てが反転したような不快感に襲われる。

 

 「こ、れは・・・まさか、鏡面海域の・・・?」

 

 『前線基地』とその近海を覆いつくす鏡面海域に突入したとき、こんな感覚は無かったはず。

 外部から、セイレーンでも襲撃してきたか。否、アビスの旗を掲げていた自分たちとは違い、セイレーンのような明確な外敵相手に防衛機構が作動しないなどありえない。

 ならば、やはりこれは──

 

 「敵将は人間、一度殺せばそれで終わり。対して自分たちは即時撤退があり、実質的な不死身。そして、敵将は眼前。──ご自分が絶対優位だとお思いですか?」

 

 大鳳の問いかけに背筋が凍る。

 

 即時撤退技術は、そのノウハウが開示されてなお解析できないファクターが多すぎる。量子通信はともかく、疑似的なラプラスの悪魔──あらゆる物質の過去を覗き見ることが、本当に可能なのか。それはさておき、解析を諦めたロイヤルとユニオンは、その技術に危険性が無いことだけを確認し、脳死で適用した。

 

 だが、眼前の男はその開発者だ。

 その()()()()()くらい、開発していても不思議はない。

 

 「ッ!」

 

 咄嗟に主砲を展開できたのは奇跡だった。

 艦載機を発艦させようとしていた大鳳が即座に転身し、ボンドルドに抱き着くように扇状の装甲甲板を盾にする。

 

 煙幕代わりの砲撃が弾かれたのを見て、ウォースパイトは執務室から飛び出した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 『前線基地(イドフロント)』研究棟は、想像力豊かな者にとっては地獄だった。

 

 KAN-SENの物と思しき遺品が、まるでコレクションのように飾られた部屋。KAN-SENを解体するためと思しき特殊工具。使い古されたそれに、メンテナンス用の機材。何に使うのか、KAN-SENにも対応した、強制的に食事を摂らせるためのポンプとチューブ。生命維持装置に、各種手術用医療器具。

 

 そのどれもが新品では有り得ない摩耗と、単なる備品でないことを示すような手入れを受けて静置されていた。

 

 ウォースパイトがキュラソーに呼ばれて部屋を出てから、同じように研究棟の監査に戻ったエンタープライズ。だが今は、気持ちを静めようと建物の外に出ていた。

 

 海に生き海で死ぬKAN-SENの性か、潮風と潮騒は心地よい落ち着きと仄かな興奮で、心を平常に留めてくれる。

 紫雲と紅い水平線の歪な景色であっても、それでも海は美しく、心を惹くものだ。

 

 「ッ!」

 

 唐突に耳を劈く轟音は、戦艦クラスの砲撃音だ。まさか、鉄血陣営が遂に反旗を翻したか。

 

 「いや、今のは・・・」

 

 音は執務室のある居住棟からだった。

 音に続きは無く、戦闘が始まったという感じもしない。

 

 「まさか、ウォースパイトが? ──ッ!」

 

 歴戦のエンタープライズですら竦むほどの殺気を受けて、不随意に後退する。

 いつからそこに立っていたのか、険のある視線と目が合った。

 

 「ビスマルク・・・」

 「お久しぶり、エンタープライズ」

 

 潮風に吹かれた帽子を押さえ、黒い軍服に映える豊かな金髪を靡かせるのは鉄血陣営が総旗艦、ビスマルク。

 警鐘を鳴らし続ける戦闘本能を抑え、エンタープライズは懸念の的中を嘆いた。

 

 「・・・やはり、反旗を──アビスを裏切るのか、彼は。いや、貴女たちは」

 「裏切る? 貴女、もしかして聞いていないの?」

 「何?」

 

 未だ互いに艤装を顕現させてすらいないが、二人の間に漂う空気は殺伐としたものだ。

 エンタープライズは正規空母、ビスマルクは戦艦という違いこそあれ、互いに大型主力艦だ。膂力だけで相手の首を捩じ切り、心臓を抉ることも可能だろう。むしろ徒手空拳の間合いでは、エンタープライズの主武装であるコンパウンドボウやビスマルクの主砲は取り回しが悪すぎる。

 

 「ウォースパイトはロイヤル陣営の公式な布告官、全権代理として我々に宣戦したわ。アビスの総意とは言っていなかったけれど、ユニオンは違うのかしら?」

 「まさか、そんな筈は──」

 

 ビスマルクの言葉に嘘は無いだろう。

 アビス内の陣営が、同じアビスに属する仲間に宣戦したなど、ブラフにしてもやりすぎだ。

 

 だが、理由が分からない。

 鉄血陣営の戦力は、間違いなく人類最高峰だ。陣営のトップであるボンドルドの研究も、人類への貢献度は計り知れない。既に、人類はその寿命を世紀単位で伸ばしているだろう。

 

 「理由は?」

 「さぁ? けれど降伏条件には、指揮官と私の自決、ローンの供出、研究データの提出が含まれていたわ。・・・均衡を保つ天秤気取りなんじゃないかしら?」

 

 彼女にしては珍しい嘲るような言い方に、エンタープライズは瞠目する。

 それで? と続いた問いの意味を測りかねたのは、その動揺が原因だろう。

 

 首を傾げると、ビスマルクは呆れを滲ませて苦笑した。

 

 「ユニオン陣営統括管理官である貴女は、この戦争に参加するの?」

 

 エンタープライズが個人的に戦闘に参加することはありえない。

 もしもエンタープライズがここで頷けば、いや、発艦装置の役割を果たすコンパウンドボウ型の艤装を展開するだけで、ユニオン陣営に属する数多のKAN-SENが、ユニオン領土で暮らす数多の民が、戦火に身を投じることになる。

 

 「私は──」

 

 

 



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42

 ロイヤル本土、『アビス』ロイヤル支部地下6階。

 分厚い岩盤と建造時に苦心した装甲板に守られたその地下空間は、単に指令室とだけ呼ばれる。と言っても、地下鉄の駅よりは広いが。

 

 核兵器やバンカーバスターといった旧式の兵器に対する防護を備えた部屋には、ロイヤル中の、いや、ほぼ世界全土からの情報が集まる。

 過去で言うSISを凝縮し、対他陣営を想定した情報戦、電子戦を主任務とするロイヤル情報部。

 対セイレーン・対他陣営両面での10年単位での構想を練る戦略担当部。

 哨戒や遠征など、普段のKAN-SENの出撃戦闘を管理するKAN-SEN管理部。

 その他3つの、全6つの部署に所属する構成員は、全員がKAN-SENだ。裏切りや情報漏洩はない、病気も怪我もありえない、そして個々人が戦術兵器であり戦闘への知見が深い。人的資源としては最上位の要員である。

 

 普段は喧騒溢れる部屋が、いまこの時ばかりは静まり返っていた。

 ぴ、ぴ、と、微かに電子音を鳴らしながら進む大型モニターのタイマー表示に、全てのKAN-SENが釘付けになっていた。

 

 カウントダウンのスタートは600秒。残る時間は400秒弱だ。

 その時間は、現在進行形で構成員の半数を動員して立案・実行されている“日没作戦”──ローン奪取作戦において、ウォースパイトが設定したタイムリミットだ。

 

 作戦書と、執筆者のウォースパイト曰く。

 通信途絶から10分経ったら、私が()()を使ったのだと判断しなさい。

 

 この数値がゼロになり、アラームが鳴った瞬間。ロイヤル陣営は他陣営に向けて鉄血陣営と交戦する旨を通告し、『前線基地』に向けて増援を送り──後戻りが出来なくなる。

 

 「──息が詰まりそうね」

 

 その気だるそうな声は、隣で唾を呑み込む音すら聞こえるほどの静寂によく響いた。

 声のした方に振り返る衣擦れの音が静寂を破り、続いたのは驚愕に息を呑む音と、艤装が立てる金属音だった。

 

 「セイレーン!?」

 

 百人単位のKAN-SENが一斉に艤装を顕現させ、照準をつける。もちろん同士討ちにならないよう射線の取れない者は除くが、それでも100門は下らない砲口に指向されてなお、セイレーンの上位個体、テスターは微笑を崩さない。

 

 「・・・手厚い歓迎じゃない。私は、ただ作戦結果を報告しに来ただけなのだけれど?」

 「・・・・・・」

 

 誰一人として、口を開く者は居ない。

 傾聴の姿勢ではない。むしろその逆、戦力分析のための沈黙だ。

 

 セイレーンの上位個体は、量産型のエグゼキューターシリーズとは一線を画する戦闘能力を持っている。それは間違いないが、テスターはどちらかというと頭脳派で、戦術こそ面倒だが、直接戦闘においての脅威度は低いとされている。『指令室』の構成員が練度50にも満たない非戦闘要員であることを加味しても、数の暴力で押し切れる可能性はある。

 

 誰か一人でも引き金を引けば、あとはもう釣瓶撃ちだ。

 だが、その一人が現れるより先に、口を開く者が現れた。

 

 「私が聞きましょう。・・・こちらへ、テスター」

 

 ロイヤル陣営では精鋭の一角として数えられる、練度75を迎えた戦艦ハウ。『指令室』の室長補佐官の椅子を与えられた、組織屈指の高練度艦である。

 

 「・・・いい報告でしょうね?」

 

 施錠と防音を兼ね備えた会議室の一つに入るや否や、ハウはそう切り出した。ちなみに応接室などという来客を想定した部屋は、この秘密の集積地には存在しない。

 険しい表情は、テスターと──いや、セイレーンとロイヤルが共同で行っていた“作戦”の内容を知っているからこそか。

 対するテスターの表情は安穏としていて、それが期待と不快感を同時に煽る。

 

 「──残念ながら、曇天作戦は失敗よ」

 「ッ!」

 

 曇天作戦──フリードリヒ・デア・グローセ討伐作戦の失敗は、実行以前から懸念されていたことだ。

 セイレーンが主戦力である以上ロイヤル陣営に繋がることはないだろうが、そもそも架空艦は孤立無援の状態でも一個陣営を相手取れるとされていた。

 鉄血陣営は「フリードリヒ・デア・グローセの喪失」を既に宣言しており──実際はその生存だけは把握しているが──何かの間違いで彼女がロイヤルに攻めてくることがあれば、御せる者も対抗できる者もいない。

 

 「それで、彼女は何処に?」

 「さぁね。グリーンランド海域の戦力全てを喪失したのよ、追跡は不可能」

 

 嘘だろう。いや、嘘なのは「戦力全てを喪失した」という部分だけか。ロイヤルが好機とグリーンランド近海に出撃すれば、たちまち撃沈されるだけの戦力はあるはずだ。だが追跡は悉く撃沈・撃墜されたのだろう。

 

 「・・・そう」

 「ま、三年間お疲れ様ってところね」

 

 伸びをしながら言ったテスターに、自分に言っているのかと呆れるハウ。

 返ってきたのは晴れやかな微笑だった。

 

 「えぇ、その通りよ。あの怪物の相手を三年も続けられたんだもの」

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 KAN-SENは人間の取り回しと、機械の正確さ、そして軍艦の力と強靭さを兼ね備えた最高の兵器だ。

 その思考は常に絶対的な合理性に基づいており、過去の人間のように“愚かな戦争”をすることは無い。

 

 一般に公開されたKAN-SENのスペックはこうだ。

 だが、勿論公開されていない欠落もある。

 

 KAN-SENの思考は常に合理的だ。

 戦争も、ともすれば虐殺すら手段の一つ。彼我の戦力差を計算し、最適であれば躊躇いなく選択する。

 たとえ、その計算の前提となる数字に間違いがあっても。

 

 

 「──馬鹿な!」

 

 海に向かって走るウォースパイトの目蓋には、自身の──練度80の戦艦の砲撃を至近距離で受けてなお、無傷のまま睨み付ける大鳳の視線がこびり付いていた。

 重桜のKAN-SENの瞳は黒や茶色などが主だったはずだ。ボンドルドの導入したセイレーン技術が濃くなるにつれて、青や淡紫になる。

 一体どれだけの力を取り込めばそうなるのかと思うほど、昏い輝きを灯す紅い眼光だった。砲弾の火花と発射炎、その身を包む着物の赤に囲まれてなお映える、血のような紅の光が、目蓋から離れない。

 

 想定外だった。

 いや、何度も思考には浮かんでいたが、理性と合理的な判断が、そんなものは有り得ないと切って捨てていた。

 

 ウォースパイトの攻撃能力ならば、練度90の装甲空母であろうと、至近距離ならば有意なダメージを叩き込める。それは『指令室』の判断でもあり、ウォースパイト自身の自負でもあった。

 だが、実際はどうだ。大鳳は──ボンドルドは追撃する必要もないと判断し、ウォースパイトは通じなくなった無線を握りしめ、友軍を探して『前線基地』内を奔走している。

 

 ボンドルドには自信があるのだ。

 自分と旗艦のビスマルク、そして重巡洋艦ローンの三隻を差し出した降伏ではなく、ロイヤル陣営との全面衝突の方が被害が少ないという自信が。

 

 計算を誤った。いや──そもそも、計算式に代入すべき数字を間違えたのだ。

 鉄血陣営の最高戦力は練度90などではない。架空艦のみが至る練度100の高み、いや、或いはもっと──?

 

 「──まさか、在り得ない!」

 「ウォースパイト様!」

 「ッ! キュラソーか」

 

 無線機を潰すほど強く握りしめ、過負荷になりつつあった思考を停止する。

 ちょうど立ち止まったタイミングで、すぐ側の建物の影からキュラソーが姿を見せた。

 

 「通信途絶から間もなく5分です。そろそろ離脱しませんと、本土からの増援が」

 「・・・他の子たちは?」

 

 既に離脱しているとの報告を受け、ウォースパイトも即座に撤退を決意する。

 やはりというべきか、即時撤退は使えなかった。

 

 「鏡面海域の外へ出よう」

 「かしこまりました。ユニオンの方々も、既に」

 「了解よ、行きましょう」

 

 二人は並んで、逃げるように港を飛び出した。

 

 

 

 

 



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43

 ビスマルクの問いに、エンタープライズは正面から向き合った。

 

 「私は──いや、我々ユニオンは、今回の戦闘を仲裁する目的であれば武器を取ろう」

 

 ロイヤルに乗っかって宣戦、というのが、きっと合理的な判断なのだろう。

 だが、エンタープライズは自身のKAN-SENとしての論理的思考以上に信じるものがあった。それは──直感だ。

 

 直感というのは、人間であればDNAに刻み込まれた思考以前の本能的判断だ。蛇の威嚇音、蜂の羽音、暗闇に浮かぶ一対の光源に感じる恐怖と回避。ヒトが太古より受け継いできた、危機判断能力の発露。

 だが、生命体でないがゆえに遺伝というものを持たないKAN-SENは、その意味での直感は持ち合わせていない。

 KAN-SENにとっての直感とは、合理性と論理の整合を前提とした基礎思考プロセスを介さない、自己保存欲求に依る判断。いわゆる脊髄反射にも似た決断。

 視覚や聴覚だけでなく、個体にとっての遺伝情報とも言える記憶を統合し、かつ()()()弾き出された、論理と非論理の境界線上にある結論。

 

 それが、直感だ。

 

 エンタープライズは本能的に、ロイヤル+ユニオン対鉄血という盤石な構図ではなく、ロイヤル対鉄血を傍観する立場を選択した。

 戦争というハイリターンな行為を、ロイヤル・ユニオン連合という限りなくローリスクな態勢ではなく、あくまでユニオンという一個陣営として受け止める決意をした。

 そして──それは正解だろう。

 

 戦場にあって必要なのは、死線に際してどう対処するか、その判断だ。

 

 潜り抜けられる死線であれば、泥を啜ってでも潜り抜ける。

 乗り越えられる死線であれば、敵の死骸を踏みつけてでも乗り越える。

 切り拓ける死線であれば、剣を、爪を、牙を、骨を使ってでも切り拓く。

 

 どれも無理なら、尻尾を撒いて逃げる。

 

 その判断と実行する勇気、あとは最低限の実力だけあればいい。

 死の線に触れないことだけを意識していれば、人格バックアップも即時撤退も必要ない。実質的な不死身なのだから。

 

 生まれ落ち、練度80に至るまで、エンタープライズはずっとそうして生き延びてきた。

 直感の囁きに身を任せ、敵を殺し、味方を守り、陣営を守護してきた。

 

 その直感がいま、鉄血との戦闘回避を叫んでいる。

 

 答え合わせは、ビスマルクの差し伸べた掌だった。

 

 「そう。貴女たちが手出しをしないのであれば、防衛権も使わせないと約束するわ」

 「・・・信じよう。停戦交渉のときは、ユニオンを使ってくれて構わない」

 「きっと、泣きつくのはロイヤルだけれどね」

 

 ビスマルクの白手袋を外された手を握り、そっと安堵する。

 幾度も超えてきた死線よりずっと濃密で纏わりつくような、冷たくて甘い死の気配が遠のいていった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 「そう、エンタープライズが・・・」

 「はい。戦略担当部の予測が外れましたが・・・戦力比が4:1から2:1になったに過ぎません。依然として、我々が優勢かと」

 

 ウォースパイトがその一部始終を見ていたキュラソーから聞いたのは、『前線基地』を覆う鏡面海域から出る前の事だった。

 執務室での、あの一瞬の攻防を経験する前のウォースパイトなら、きっと何も考えずに同意していた。いや、鉄血陣営の戦力の片鱗を垣間見た今でさえ、あの異常な性能は何かの間違いか、大鳳一人にのみ、何か特別な手段で与えられたものだと考えてしまう。

 

 「けど、万全とは言えないわ。戻ったらリシュリューと・・・一応、エンタープライズにも連絡を」

 「畏まりました」

 

 「──それでも、万全とは言えないわよ」

 

 それは、蜜のような声だった。

 耳朶を打つ、落ち着いて、滑らかで、心地よい、蕩けるような艶のある声。

 圧倒的な憎悪と敵意を宿し、聴く者に恐怖と絶望を齎す、毒花の蜜だが。

 

 その声を知っている。

 そっと肩に添えられた白い指も、頬を擽る長い黒髪も、耳元の艶やかな唇も、知っている。

 

 何より、その強さを、その前に立つことの愚かさと、齎される絶望(けっか)を知っている。

 

 「かくう、かん・・・!!」

 「空想上のお友達(イマジナリーフレンド)のような呼び方は辞めて頂戴? 私は──」

 

 「決戦計画級艦船、フリードリヒ・デア・グローセ!」

 

 単騎で対陣営戦闘の趨勢を左右できる、という評価のそれは、戦略級という区分でも過少とされ、新たに作り出されたカテゴリだ。

 ウォースパイトの驚愕を心地よさそうに受け止め、グローセは凄惨な微笑を浮かべた。

 

 「もう宣戦はしてしまったのかしら? もしそうなら、ここで貴女達を沈めても──あら?」

 

 手を振りほどくと同時、抜剣して大きく振り回す。

 ウォースパイトの剣は、接近戦を想定した刀剣状の艤装だ。当たればKAN-SENにも有意なダメージが見込めるが、その切っ先はグローセの首元数センチを横切るだけに終わる。

 

 「何故、貴様が・・・いや、何故宣戦布告のことを知っている!?」

 

 欺瞞と言われれば納得のいくレーダーはともかく、肉眼に依る索敵さえすり抜けて接近してきた。のみならず、ずっとグリーンランド近海でセイレーンに拘束されていたはずの彼女が宣戦について知っており、まるで見切ったように攻撃を躱した。

 盤上を俯瞰しているかのような態度が、ウォースパイトには心底怖かった。

 

 ボンドルドのような、無機質な仮面ではない。大鳳のような、昏い輝きを灯した瞳でもない。

 全てを見通すという悪魔と同じ、輝く金色の瞳。柔らかな光を湛えた目と視線が合うだけで、観察される虫にでもなったかのような不安に襲われる。

 

 「観察と合理的判断よ」

 

 威嚇すらせず甘えるように寄り添っていた大型の半生体艤装を一撫でして、グローセは一歩退いた。

 

 「じゃあ、また会いましょう」

 「・・・どういうつもり?」

 

 そのまま踵を返したグローセの意図を測りかねて、ウォースパイトは素直にそう訊ねた。

 返ってきたのは、何故か不思議そうな反問だった。

 

 「ボウヤと再会を喜び合う6秒より、貴女たちを鏖殺する6秒の方が大事だと思う?」

 

 

 

 



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44

 『アビス』最高の戦力を持つ陣営はどこか。

 内部の者にすら鉄血か重桜かという二極化を見せるその質問だが、それは過去の話だ。

 

 量が質を凌駕することはない。

 その言葉に従うのなら、練度120のKAN-SENが揃い始め、最低練度が100を下回らない──勿論、実験台は除くが──鉄血陣営に軍配が上がだろう。

 鉄血陣営のKAN-SENを強化するスキルを持ち自身の火力も高い総旗艦ビスマルクや、数少ない装甲空母であり政治能力も高い大鳳などの突出した個も存在し、統括するボンドルド自身も一撃必殺の可能な武装を纏う。

 

 だが、『アビス』最強の個は誰か。

 その質問には、依然として同じ名前が挙がるだろう。

 

 「おかえりなさい、グローセ」

 

 人類の未来を切り拓く夜明けの光、黎明卿と呼ばれた男が憧れ目指した、リュウコツ技術の秘奥。

 存在するはずのない架空のKAN-SENを、明確な実存在として顕現させる。

 

 この世に在らざる彼女たちは、文字通りこの世のものとは思えぬ強さを誇る。

 

 「えぇ、ただいま。ボウヤ」

 

 金色の瞳に慈愛の光を湛えたまま、グローセはボンドルドに歩み寄り、その仮面を撫ぜる。

 

 「器を変えたの?」

 「・・・分かりますか。流石ですね」

 

 柔らかく口角を上げ、自分を取り囲み武器を向けるKAN-SENたちを睥睨するグローセ。その瞳には剣呑さの欠片もなく、艤装すら顕現させていない。

 

 「・・・指揮官様、お下がりください」

 

 大鳳の進言に、ボンドルドは首を傾げる。

 あまりの無防備さに、既に包囲しているKAN-SENたち数人には焦りの表情も浮かんでいた。

 

 「何故です?」

 

 ボンドルドの武装は堅牢だ。

 駆逐艦や軽巡洋艦程度の砲であれば、それなりの練度が無ければ運動量すら無力化できる。

 

 だが、その装備も高練度艦──特に、ボンドルドの武装の原材料であるセイレーンに特攻を持つ架空艦の前では紙も同然。

 3年間も姿を晦まし、戦争勃発とほぼ同時に帰還した、怪しさ満点の元MIA艦に近付けたくないと考えるのは間違っていないだろう。

 

 「指揮官様、グローセは確かに元重桜陣営──いえ、元副官ですが、MIA判定の出ていた離脱艦です。脱走やスパイでないと証明されるまで、迂闊な接触は控えた方がよろしいかと」

 「──」

 

 グローセは何も言わず、動かない。

 取り囲む鉄血陣営のKAN-SENたちも、総旗艦であるビスマルクと副官の大鳳も含めて、ボンドルドの一挙動を注視していた。

 

 「大丈夫です」

 

 その、いつも通りの安穏とした言葉にはしかし、ボンドルドの信念とでも言うべき意思が籠っていた。

 

 「大丈夫ですよ、大鳳。私たちは家族ですから」

 

 KAN-SENは生殖によって増加しない。遺伝情報や生殖細胞の類は存在せず、血統や血族という概念は無い。当然ながら人間であるボンドルドとKAN-SENに血のつながりはなく、KAN-SEN同士ですら、同型艦という意味での姉妹艦が存在する程度だ。

 だがボンドルドにとって、家族というつながりに血縁関係はさほど重要では無かった。

 

 倫理観に薄く、非人道的との謗りを涼しく受け流すボンドルドだが、幾つかの確固たる信念がある。

 

 愛だ。

 家族とは、愛によって形作られる。互いに慈しみ合う心こそが、家族を作る根幹だという信念だ。そこにヒトとKAN-SENの違いは無い。

 

 だからこそ、ボンドルドは信じる。

 

 架空艦でも、元副官でも、決戦計画級艦船でもない。

 娘であり、姉であり、母である、家族としてのフリードリヒ・デア・グローセを信じる。

 

 「・・・そう、仰ると思っていましたわ」

 

 諦めや呆れもある。

 だが、そうだった。そもそも、ボンドルドはこういう男で──こういう男だから、大鳳は全てを捧げると誓ったのだ。

 

 「おかえりなさい、グローセ。知っての通り、鉄血は忙しい状況にあります。少し休んだら、また働いて頂きますからね」

 

 にっこりと、大鳳以上の笑みを浮かべて、グローセが言う。

 

 「そう? じゃあ、準備運動(チューニング)はやり直しね」

 

 幾人かが苦笑するなか、ローンだけが愉快そうに口元を歪めていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 自由アイリス教国の意思決定は、枢機卿と呼ばれる、高練度のKAN-SENと国民投票によって選出された人間によって行われる。

 その総数は時勢によって変動するが、概ね70人前後であり、旧世代の宗教であるローマ・カトリックを踏襲した形だ。

 教皇にあてはまる最高意思決定機関は存在せず、国のあらゆる動向が議会によって決定される。

 

 60人の枢機卿からなる現在のアイリス議会『大円卓』は、普段の安穏とした空気とは似つかない緊張に包まれていた。

 挙げられた議題は当然、ロイヤルと鉄血の戦争について。数日前にロイヤルが発表した宣戦布告は、アイリスを含む欧州連合同盟の3陣営に大きな動揺を齎した。

 

 元より鉄血寄りのヴィシア聖座は、同盟関係を理由に非直接的援助を内定。サディア帝国も同様だ。

 

 乗っかってしまえばいい、と、アイリス内部でも特に外国戦力に疎い枢機卿は言う。少しだけ詳しい者は、当然ながらロイヤル陣営の戦力を信じて同調する。

 そこに待ったをかけるのが、リシュリューたち鉄血側と──主に大鳳と──接触したことのある者たちだ。

 

 それは、KAN-SENの数こそが戦力だと考えている人間と、戦力の質の違いを肌で理解できるKAN-SENの対立だった。

 

 枢機卿60名のうち20名ほどがKAN-SENであり、その全てと数人の人間が戦争回避、或いは鉄血側への協力を提言する。

 それは残る40名弱と国民による『KAN-SENが戦場から逃げようとしているのではないか?』という弾圧によって掻き消された。

 

 奇しくも、その枢機卿の大半は組織自体の自浄作用である国民投票によって前任を排し、新たに選出されたばかりの者であった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 「予定通り、アイリス陣営はこちら側に」

 「・・・えぇ、分かったわ」

 

 カーリューの報告は間違いなく朗報のはずだが、受けたウォースパイトの表情は硬い。

 執務室のソファで似たような顔をしていた相談役のアークロイヤルは、深刻そうな顔のままカップを空けた。

 すぐにカーリューがお代わりを注ぐが、それには手を付けず、、ウォースパイトの方へ顔を向ける。

 

 「どう思う?」

 「・・・アイリス内部の人間主義者が、きちんとこちらの指示通り──」

 「そうじゃない。・・・これで、事態が好転すると思うか?」

 

 あえて韜晦したウォースパイトの心中を無視して、アークロイヤルはストレートにそう問いかける。

 ぎり、と、歯を食いしばる音だけが答えだった。

 

 無言のままカップを取り、口元へ運ぶ。

 一口、二口と無言が続き、ウォースパイトがふと立ち上がる。

 

 「どうした?」

 「こうなったら、もう一度試すしかないわ」

 「何を考えているかは分かる。だが、もう何度も失敗しただろう?」

 

 ウォースパイトは呆れ顔のアークロイヤルを一瞥すると、無言のまま執務室の扉に向かった。

 側付きのカーリューが扉を開けると、アークロイヤルもゆっくりと立ち上がって後に続く。

 華美ながら派手過ぎない装飾の施された廊下を進み、エレベーターに乗る。カードキーを差し込んでから閉扉ボタンを押せば、エレベーターがひとりでに動き出す。

 

 「ウォースパイト、あれは人類の手に負えるものじゃない。セイレーンですら止められなかった怪物だぞ? アイリス陣営の戦力では──」

 「一月も保たないでしょうね」

 「はぁ・・・ウォースパイト──」

 

 エレベーターを降り、無機質ながら清潔に保たれた、コンクリート剥き出しの廊下を歩く。

 やがて到達した扉は、カーリューではなくウォースパイト自身の個体識別認証によって開けられた。

 

 「・・・無理だよ。そう結論付けたじゃないか」

 「そうね。我々の技術レベルでは不可能よ」

 

 その一室には、中央に置かれた木製の机と、天井の四隅から釣り下がるKAN-SENの艤装と思しき大口径砲があるだけだった。

 机には、掌より二回りほど大きい黒い箱が静置されている。

 

 それを無造作に取り上げ、ウォースパイトは苦々しく呟く。

 

 「だから、そのノウハウを奪い、利用するのよ」

 

 黒く硬質な保護殻が開き、赤い光が零れ落ちた。

 

 

 



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45

 こと人類陣営に限って言えば、鉄血陣営『前線基地(イドフロント)』以上に堅牢な防護を持つ施設は存在しない。

 ロイヤル陣営諜報部『指令室』のある地下空間も、ユニオン陣営の地下大金庫も、大西洋に浮かぶ小さな島に防衛能力で劣るのだ。

 

 島を取り囲むようなコースで動く哨戒班は、基本的に友軍しか受け入れない。

 たとえ白旗を上げていようが、漂流船であろうが、どう見ても救助艇といった風情のゴムボートであろうが、個人の判断で撃沈する権限を与えられている。勿論セイレーンの跋扈するこの時代に、漂流船やゴムボートなんてものはまず存在しないのだが。もし見かけたとしたら、きっと幽霊船の類だろう。

 

 哨戒班が見落とした場合、次に現れるのはKAN-SENの艤装を加工した自動防衛装置だ。

 友軍識別能力は無く、ボンドルドが自陣営のKAN-SENのみに埋め込む生体認証チップを判別して作動する。あとは単純なオン・オフしか利かず、たとえ正式にアビスに属するKAN-SENであっても攻撃される。

 

 防衛機構を破壊し、或いは潜り抜けたとしたら、次に待つのは鏡面海域だ。

 普段は何の変化も齎さないその膜は、起動すれば完全な遮断障壁となる。KAN-SENの侵入を物理的に阻害し、内部から外部への電波・外部から内部への電波を遮断する。のみならず、電波以外の通信能力──量子通信、つまりKAN-SENに付与された即時撤退能力も、その境界面を超えて作動することはない。

 これは内部から出さないだけで、外部からは戻り放題──つまり、たとえ鉄血陣営のKAN-SENが出払ったタイミングで奇襲をかけても、籠城しつつ戦力を招集できるということだ。

 

 そして、その逃走不可能な闘技場内部には、練度120のKAN-SENたちが待ち受けている。

 理論上の最高練度に加え、スキルや適性を加味した最適装備は最大限強化され、指揮官であるボンドルドへの忠誠も篤い。

 

 戦力を送り込んでの上陸・制圧戦が如何に無謀か、それは一見して分かることだ。

 海戦慣れしているロイヤルも、引き摺られてきたアイリスにも。

 

 とはいえ、鏡面海域の遮断能力は、どちらかといえば「逃がさない」能力に長けている。外部から無理矢理こじ開けたり、遮断能力に阻まれない攻撃方法も存在する。

 たとえば、毒ガスや細菌兵器。大西洋の海上でどれだけの効果が見込めるかはさておき、透過させるだけなら可能だ。尤も、KAN-SENにもボンドルドを守る『暁に至る天蓋』にも、毒ガスの類は大した威力を発揮しないが。

 

 結局のところ、『前線基地』の堅牢さは、その防衛能力ではなく内部の要員がもつ強固さに裏付けられているのだ。

 

 では、前線基地の弱点とは何か。

 それは、前線基地が研究施設であるということだ。

 

 単純な話、浸水する程度の津波が発生しただけで、資料や機材は大打撃を被る。上空での核爆発でEMP攻撃をしてもいいし、単純に海路を封鎖して物資を枯渇させてもいい。海底地下の送電ケーブルを切るだけで、機能を一時的に停止することも可能だろう。勿論ジェネレーターくらいは置いているだろうが、研究機材というのは多かれ少なかれ電力消費の大きいものだ。すぐに回り切らなくなる。

 

 ロイヤルが取った手段は──その全てだ。

 

 核異性体があれば、スプーン一杯程度で津波を起こすこともできる。旧世代の核兵器はセイレーンに対して効果が無く、山ほど腐らせていた。補給線確保に出てくるKAN-SENは、サディアとヴィシアのものばかり。ロイヤルの戦力でも余裕で撃退できる。潜水艦種のKAN-SENなら、海底でも問題なく精密作業が可能だ。

 

 宣戦布告から2週間で、『前線基地』は文字通りの孤島と成り果てた──

 

 

 

 ◇

 

 

 

 鉄血陣営『前線基地(イドフロント)』内部、研究室。

 ボンドルドの居室と言っても過言ではないほど、一日の大半を過ごす場所だ。

 研究用『祈手(アンブラハンズ)』が数人とビスマルクだけが作業に打ち込んでおり、ボンドルドの姿は見えない。

 

 険しい顔つきのビスマルクが持っているのは、この現状を打破するための作戦書──ではなく、記録用の端末だ。

 

 「準備完了」

 「完了」

 「完了した」

 

 『祈手』に特有の仮面でくぐもった、意思の希薄な声。

 ビスマルクが強張った表情のまま、手元の端末を操作する。

 

 部屋の明かりが落ち、等間隔で設置された7つの無影灯が真下を照らす。

 7つの手術台に横たわるのは、7人の意識を失ったKAN-SENたち。

 

 「施術開始」

 

 硬質な声は、恐怖や忌避感を冷静さで押し潰したが故か。

 ビスマルクの指示に従い、『祈手』が動き出す。

 

 複数の腕を持った祈手が手早くKAN-SENの身体にメスを入れ、不要な部位を捨てていく。

 

 「破棄」

 「破棄」

 「破棄」 

 

 必要な部位は、別の祈手が生命維持装置や保質装置に繋いでいく。破棄され死体と判断されたパーツだけが碧い粒子となって消え去り、手術室を幻想的に照らす。尤も、浮かび上がるのは異形の祈手と、機械に生かされた死体の一部、あとは強張った表情のビスマルクくらいだが。

 

 「終わった」

 「次は」

 「接続」

 「接続だ」

 

 7人のKAN-SENから取り出された部位は、それぞれ異なる箇所だった。

 かちり、と、また新たに無影灯が灯り、何も載っていない手術台が浮かび上がる。

 

 ピンセットのような指を持った祈手が、生命維持装置や保質装置から無造作にパーツを取り上げ、神経や血管を繋いでいく。

 内臓を作ったかと思えば腕を作り、手を飛ばして足に取り掛かったりと一見してその動きに規則性は無い。しかし、それが最も効率的な動きであることは、ビスマルクの端末に表示された手術手順が示している。

 

 「完了した」

 「次は調整だ」

 「第一調整だ」

 

 死体を接いで作った死体の塊に、ぶすぶすと無造作に電極が刺される。

 他人の筋肉や神経系を繋ぎ合わせただけの肉人形だが、端末によると、きちんと神経や血管が繋がっているようだった。

 

 「数値正常、次だ」

 「人格」

 「人格のコピーだ」

 

 身体に刺さっていた電極が取り払われても、心臓の動いていない死体からはさほど流血しない。

 伽藍洞の頭蓋の奥には、機械と生体パーツが半々で見えていた。

 

 「インストール完了まで200秒ある」

 「武装の用意」

 「武装の接続」

 

 意志の希薄な声とは裏腹に祈手の動きは素早く、正確だった。

 ピンセットの指を持つ祈手にかかれば、身体の一部から露出していた神経を引き、機材とバイパスする一工程が5秒ほどで終わる。生体パーツの筋組織に強化因子を直接注入し、関節部の稼働確認をするのは多椀の祈手が同時並行する。頭蓋内部にメンタルユニットや様々な機材を配置する祈手、入力されるデータを並行して確認する祈手など、その能力は多種多様だ。

 

 200秒もあれば、継ぎ接ぎの死体に全身装甲の『暁に至る天蓋』を纏わせることすら可能だった。

 

 「完了」

 「完了した」

 「脳波を確認」

 「覚醒した」

 「覚醒した」

 「お目覚めだ」

 

 死体を繋ぎ合わせただけの肉人形が、ゆっくりと上体を起こし、手術台に腰かけた。

 

 ビスマルクが無言のまま歩み寄り、深く頭を下げる。

 恭しく差し出された両手には、光を失ったI字の仮面が乗せられていた。

 

 その重みが消え、かちり、と、微かな金属音が鳴る。

 続く駆動音に顔を上げれば、仮面のI字が光を放っていた。

 

 「完成だ」

 「完成」

 「完成した」

 「完成した」

 

 意思の希薄な声ながら、どこか喜びと達成感を湛えた声で祈手たちが口々に言う。

 

 今までの『暁に至る天蓋』には無かった尻尾状のパーツを器用に動かし、ボンドルドは立ち上がる。

 

 「素晴らしい」

 

 穏やかで、聴く者に不思議な落ち着きを与える声色。

 ビスマルクには聞き慣れた筈のその声が、今はどうしようもなくありがたかった。

 

 



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46

 アークロイヤル、いいですよね。
 ちょっと口の中が甘くなるけど、まぁそれも含めて好きだからいい。でも入手難度がちょっとね。ドンキまで行けばあるけど、近所のコンビニには無いし。
 ファミマでもローソンでもいいから置いてくれ、アークロイヤル。


 人類を守護する組織である『アビス』を形成するロイヤル陣営が、同じく人類の守護者であるはずの『アビス』鉄血陣営に宣戦布告した。

 そのニュースの拡散速度は推測に難くない。

 宣戦布告から1時間で、ほぼ全ての人類が把握していたことだろう。例外は余程のモグリか物心のついていない赤子くらいのものだ。

 

 各陣営の動きは様々だった。

 声高に戦争反対を叫ぶ、参戦表明すらしていないユニオンの民。民衆に心の底から同意しながら、ある程度の抑止は必要かと警官隊を動かすエンタープライズ。

 自陣営の力を信じ、普段通りの生活を送るロイヤルの民。胃痛に悩まされながら、ふと和やかな国民を見て決意を固めるウォースパイト。

 ボンドルドへの助力と打倒ロイヤルを叫ぶ、完全に無関係ながら血気盛んな重桜の民。苦笑しつつ、水面下で策を弄する赤城。

 そして──戦時下ながら、不気味なほど普段通りの生活をしている鉄血の民。先のアビス支部爆破テロから一月もないというのに、国民は新聞一面の『ロイヤル陣営より宣戦』の見出しではなく、折り込まれたスーパーの安売り広告を見て思索に耽っている。

 

 鉄血の民とて、宣戦布告に思うところが無いわけではない。ただ、反戦・反ロイヤル問わずデモや署名活動といった、直接的行動に出るほどの関心は無い。戦争に関心を持つ最大の理由、危機感が全くと言っていいほどに欠如しているからだ。つい2週間ほど前に『アビス』鉄血支部が爆破され、民間人にも多少の犠牲が出たというのに。

 

 理由は──鉄血陣営の沿岸部では、民間人が海水浴できる、と言えば分かるだろうか。

 

 ほぼ全ての陣営が沿岸部に防衛基地を置き、セイレーンに対する防衛用重火器──気休めともいう──が常時監視している。筋肉の眩しいサーファーや水着姿の美女が拝めるのは、セイレーンの跋扈するこの世界では鉄血と重桜くらいのものだろう。あとは、内陸部にある湖でコレジャナイ感に包まれた誤魔化しに興じるか。

 

 少数ながら全陣営トップクラスの精鋭を擁する鉄血は、他陣営と比べ支配域を狭くすることで、民間人がセイレーンの脅威を感じないほどの安全性を確保した。つまり──鉄血の民は、この鉄火と流血の世界に在りながら、それを殆ど知らない。勿論、教育はされている。知識として『セイレーンが人類を脅かしている』ということは知っているが、まさか一人の研究者が歩みを止めるだけでその寿命が半世紀を下るとは思っていない。その代償に支払った先日のテロの犠牲でさえ、遺族以外は忘れ始めている。

 

 「・・・まさか、これほどとは」

 

 外見に気を遣っている、と評するには些か平凡な、埋没しそうな余所行きの恰好をした男が呟く。

 その視線は携帯端末に落とされており、単なる独り言かと意識する者もいない。

 雑踏行きかう大通りを逸れ、脇道に入り──横から伸びた手に拘束されて、消えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 実際のところ、ロイヤル陣営の勝率は如何ほどなのか。

 『前線基地』の包囲と孤立化には成功したが、所詮は単なる研究施設。陣営運営の基幹はあくまで本土にある庁舎であり、本土襲撃はセイレーンですら難儀するほどだ。

 だが、陣営の頭であるボンドルドの隔離、戦力の大部分の封じ込めには成功しているともいえる。さらには自由アイリス教国との同盟に加え、鉄血に友好的なサディア・ヴィシア両陣営は()()()()()()同盟によって直接的な戦争行為を制限されている。

 

 質が量を凌ぐことは無い。この原則に従うのなら、確かにロイヤル陣営の勝ち目は薄い。

 だが──あのフリードリヒ・デア・グローセでさえ、質ではなく数に依る飽和攻撃で三年間は拘束されたのだ。敵戦力を三年も封じ込めれば、地図を書き換えることだってできるだろう。

 そして

 

 「一年どころか、二日もあれば『前線基地』内の研究資料を奪取できる、か」

 

 呟いたのはアークロイヤルだ。

 出撃ドックには、彼女が率いる第二封鎖艦隊の面々が揃っている。

 

 「あと5分で出発します。ご用意を」

 

 カーリューの言葉に頷き、アークロイヤルは指令書の最終確認をする。

 

 現在、前線基地近海“なきがらの海”を封鎖している第一封鎖艦隊と交代する。──その際に、わざと包囲網に穴を空け、籠城中の敵戦力を釣り出す。

 出てくるのが連絡・補給要員ならば囲んでどうとでもできる。包囲突破用の強襲艦隊なら、交戦を避けて脱出させてやり、その後で『前線基地』を奪取する。

 

 籠城から二週間だ。それなりに疲弊しているだろう。

 こちらの包囲要員が入れ替わり、疲労や物資の損耗がリセットされるタイミングで全面攻勢には出てこない。あったとしても、ため込んでいた物資を一点集中させた一個艦隊程度。連合艦隊の敵ではない。

 

 「・・・本当に、そうだろうか」

 

 口を突いて出た懐疑を、アークロイヤルは首を振って追い払う。

 『指令室』からの命令だ。一介の艦隊旗艦程度が知らされていない情報もあるだろう。それに基づく判断だとしたら、不自然だと思っても従うのが正解だ。

 練度70を超える『アークロイヤル』は幸いにしてあと一人しかいない。きちんと命令に従っている限り、そう易々と代替されることは無いだろう。

 

 「艦隊各位、出撃準備だ!」

 

 声を張り上げる。懸念と、僅かな恐れを払うように。

 

 

 

 と、それが数時間前の話だ。

 

 「・・・杞憂だった、か?」

 

 何事もなく、封鎖艦隊は第一から第二へ移行していた。

 鉄血陣営の動きが無かった場合、アークロイヤルたちの任務は単なる周辺監視になる。近付く船やKAN-SENに警戒し、敵性存在であった場合には攻撃する。簡単な仕事だ。

 

 「少し、あからさま過ぎたのでは?」

 「確かにな」

 

 困り顔でも微笑を絶やさないイラストリアスに和まされ、彼女を副官にしたのは正解だったと場違いな感想を抱く。

 欲を言うならユニコーンや駆逐艦の方が良かったのだが、守るべき子たちを危険な場には連れてこられない。

 

 「はぁ・・・」

 

 せめて幼分補給でも、とポケットに手を差し入れ──硬直する。

 

 「あれ?」

 

 ない。あるべきはずのものが、あるはずの場所に。

 

 「ない!?」

 

 電子機器を狂わせる鏡面海域の内部でも問題ないように、わざわざ紙媒体に印刷した宝物が、お宝写真の数々が。

 

 「一枚も無い! ま、まさか、落とした──ッ!?」

 「アークロイヤル!」

 「!! お、おほん。何だい、イラストリアス」

 

 慌てて取り繕うが、艦隊の者は誰も見ていなかったようだ。

 いや──違う。

 イラストリアスを含む全員が同じ方向を、揃ってアークロイヤルの前方を見ている。

 

 「何が──あれは、人影、か?」

 

 レーダーに反応は無い。セイレーンではなく、KAN-SENでもない。だが蜃気楼にしては、艦隊の誰ともシルエットが似つかない。確かに海上に実在する人型の何かを、しかしKAN-SENでもセイレーンでもない存在を見ているのだ。

 そして、そんなことが可能な者は、一人しかいない。

 

 「鉄血陣営統括管理官──“黎明卿”ボンドルドか!」

 

 

 

 



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47

 アークロイヤルの指揮下にある偵察機や、旗下のKAN-SENたちの索敵報告によれば、『前線基地』から出撃したKAN-SENはゼロ。もし鉄血陣営がKAN-SENをステルス化する技術を持っているのなら、包囲の初期段階で使って脱出しているだろう。わざわざこのタイミングで仕掛けてくる意味が分からないし、そもそもレーダーだけでなく肉眼でも影は一つしか見えない。

 確実に、ボンドルドは一人で連合艦隊の前に姿を見せたということだ。

 

 「どういうつもりだ・・・?」

 

 ボンドルドがKAN-SENに交じって海域攻略をしていることは、ライト層でもマニアな一般人なら知っている程度のことだ。だが、奇妙なのは、ロイヤル『指令室』が誇る対他陣営諜報部でさえ、それ以上の情報を掴めていないことにある。

 触れ込みでは、外殻や武装にセイレーンの技術を導入したという話だったか。防御力や攻撃力ではKAN-SEN並かもしれない。

 

 「艦隊各位、各個に照準し警戒せよ」

 

 指揮下のKAN-SEN、総勢18名が一斉に照準する。波の音を金属音が掻き消し、空気が切り替わった。

 被照準警告の機能は無いのか、或いは無視しているのか、ボンドルドは気にした様子もなく、速度を変えずに近付いてくる。言い知れぬ不気味さもあるが、一先ず、アークロイヤルは様子見を選択した。

 

 「鉄血陣営統括管理官とお見受けする。両手を見える位置に掲げ、止まりなさい!」

 

 アークロイヤルの言葉は拡声器を通じ、かなり距離のあるボンドルドにまで届いた。

 黒衣の長身が迫る速度がゆっくりと落ち、やがて止まる。

 

 「・・・従う、か?」

 

 数人のKAN-SENが安堵の息を漏らすが、アークロイヤルの視線は鋭さを増す。

 あのボンドルドが、こうも容易く拿捕されるだろうか。それを、あの大鳳やフリードリヒ・デア・グローセが見過ごすだろうか。大鳳の性格からして、もしボンドルドがそんなことを言い出したら、きっと昏倒させてでも安全圏へ脱出させるはずだ。

 

 「各員、警戒を──」

 

 ぶつっ、と、無線がノイズを発する。

 鏡面海域内部では、外部との通信は遮断される。つまり、これは内部からの、肉声の届く距離にいる艦隊以外からの──

 

 『やぁ皆さん、よく来てくれました』

 

 肉声はともかく、KAN-SENという特級の兵器が放つ敵意くらいは届く距離のはず。そんな確認をしてしまうほど穏やかな声だった。

 

 『そろそろ交代だと思って我慢していたんですが、正解だったようで何よりです』

 「・・・何?」

 

 アークロイヤルの背筋が凍り付く。

 突破だろうが交渉だろうが、相手が弱っているほどやりやすいはずだ。二週間の駐在監視で疲弊した第一封鎖艦隊の撤退と、万全な状態の第二艦隊の交代を待つ利点は無い。

 

 だが、それは戦闘行為の場合だ。

 万全の相手を倒してこそ意味を成すとすれば、それは示威行為か、或いは──

 

 『まずは、貴女方に感謝を。ちょうど、テスターが欲しかったんですよ』

 

 遠く、人影がぶれる。

 不随意に肺から空気を吐き出し──アークロイヤルは、自身の鳩尾にめり込む拳に気が付いた。

 

 「速い・・・っ!?」

 

 KAN-SENですら、集中していなければ見失う速度。高練度、全力駆動時の駆逐艦にも匹敵する。正規空母にそれなりのダメージを負わせる膂力は、最低でも重巡洋艦並と推察できる。

 

 「は、ぁっ!」

 

 吹き飛んだアークロイヤルへの追撃を避けるため、カーリューが砲撃する。

 練度80に届こうかという軽巡洋艦の主砲は、これまでの『暁に至る天蓋』であれば致命打になり得るものだ。

 

 「いい連携ですね」

 

 わざと声を上げたカーリューとは反対側で、音もなく、気配すら絶って照準していたシェフィールドが同時に攻撃する。

 ぱち、ぱち、と、緩やかな拍手と共に称賛し、ボンドルドは屈む動きで二つの砲弾を回避した。

 もっと人間らしい動きをしろ、と、強度はともかく構造的には人体に似たものをもつKAN-SENたちが辟易する。

 

 「軟体動物ですか、貴方は」

 

 無表情ながら、シェフィールドの内心を察するのはそう難しくない。

 人間のような形状だが、明らかに関節が幾つか多い動きだった。だが、関節という構造上脆弱な部分が増えた人体が、アークロイヤルを殴り飛ばすほどの出力に耐えるとは思えない。

 ボンドルドは『アビス』首脳部では唯一のヒトでありながら、セイレーン由来の武装を纏い戦うというのは知られていた。

 

 だが──あれは、もう人ではないのだろう。

 

 「重桜のKAN-SENと同じ・・・本体にも、セイレーンの技術を取り込んだか」

 

 セイレーンの艤装には、タコやクラゲといった無脊椎動物をモチーフとしたものもある。鹵獲・解剖が十八番のボンドルドだ。その技術を採り入れていたとしても不思議はない。

 ゆらゆらと揺れている尻尾のようなパーツも、きっと単なるバランサーでは無いのだろう。拘束用か、鞭のように攻撃にも使えるのか。或いは、そう思わせることが狙いのデコイで、本命はやはりKAN-SENレベルの膂力による近接格闘なのか。

 

 「人であることを捨てたか、黎明卿!」

 

 口端の胃液を拭い、アークロイヤルが唸る。

 陣営同士の軋轢はある。その行いに、許せない者や理解できないものもある。ロイヤルに仕える兵器として、その身を破る使命を帯びている。

 それでも、対セイレーン用兵器として──人類を守護する者として、同じ人類であるボンドルドに、尊重や尊敬の意が無かったわけではない。

 

 「半分は正解です。確かに、この身体は純度100%人体というわけではありません──ですが、セイレーンのパーツは使っていませんよ」

 「何だと?」

 

 死角からのレパルスの砲撃を躱しながらでは信憑性のない言葉だが、アークロイヤルは引っ掛かりを覚えた。

 とはいえ、思索に耽るような隙は無い。常に距離を一定に保ちつつ、隷下の艦載機による攻撃を続けなければならない。空母の近接戦闘力は、砲撃能力の高い戦艦などとは違い、純然たる馬力と格闘技によるものだ。重桜の瑞鶴などは刀剣術も修めているようだが、生憎とアークロイヤルには儀礼剣の心得しかない。そもそもナイフの一本も持ち合わせてないが。

 

 先ほどの目にもとまらぬ高速移動ではなく、ぬるり、ぬるりと、大気中を泳ぐ蛇のような動きで一歩ずつ距離が詰められていく。

 レパルスやカーリューの砲撃と、艦載機による爆撃と雷撃は、正しくクロスファイアを組んでいるはずだ。だが、雨粒の間を抜けるような動きは止まらない。

 

 「・・・おや?」

 

 着実に歩を進め、あと十歩もすればアークロイヤルの頭に手が届くという距離にまでなった時だった。

 怪訝そうに、ボンドルドが足元に目を落とす。動きが、完全に静止していた。

 

 「今ですわ、アークロイヤル!」

 「良くやった、フォーミダブル! 全艦、一斉攻撃!」

 

 スピードは、攻撃においても回避においても重要な要素だ。

 如何に体の可動域が広かろうが、死角からの砲撃を感知できようが、動けなければどうとでもできる。

 

 「・・・素晴らしい」

 

 かちゃり、という、銃の装填音のような金属音を最後に、黒衣の長身は弾雨と爆撃の雨に呑み込まれた。

 

 

 

 



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48

 感想と評価を読んでいる瞬間が、一番生を実感する! ので、今後とも感想、評価お待ちしております。

 いつも感想くれる探窟家・指揮官兄貴姉貴たちには超感謝してるよ! モチベとか着想とか笑いとかいっぱい貰ってるよ!

 評価してくれた探窟家・指揮官兄貴姉貴たちにも超超感謝してるよ! 赤いバーを見るだけでもう・・・感謝やな!

 おもんな、と思ってもそっとお気に入りを外すだけで低評価せずに立ち去ってくれた思いやりある探窟家・指揮官兄貴姉貴たち・・・人の鑑やで。

 そしてアズールレーンとメイドインアビス、両方あるいは片方にまだ触れていない兄貴姉貴たち・・・アズールレーンは3周年キャンペーン中で、メイドインアビスはそろそろボ卿の活躍する劇場版のBDが出るよ!(ダイマ) 原作漫画版なら3巻~5巻がボ卿の活躍するシーンだよ!(ダイマ)


 KAN-SENの攻撃が人間相手にどれだけの威力を齎すのか、実体験として知っている者は、実はそれほど多くない。

 「人を守るもの」であるKAN-SENという兵器が、人に対してその力を振るったことは──公式記録上は──ない。だが、考えずとも分かることだ。軍艦の持つ破壊力は、時に大地を引き裂くことすらある。人体など、障子紙ほどの抵抗もなく木っ端微塵に出来るだろう。狙って攻撃しなければ、巻き込んだとしても気付くことすらない。

 それが、人間とKAN-SENの間にある、絶対的な力の差だった。

 

 そう、この時までは信じていた。

 

 砲弾と魚雷と爆弾と銃弾。人体どころか戦艦でも沈む量の火力が集中し、黒衣が爆炎に消える。熱量が海面を撫で、大きな水柱が上がった。

 雨となって降り注ぐ海水が、立ち昇る炎と煙を沈める。張り付く髪を乱暴に払い、アークロイヤルは漂う煙に目を凝らした。

 

 「・・・やったか?」

 

 その言葉に反応したように、ぱち、ぱち、と、緩やかな拍手が響いた。

 

 幾人かが驚愕に震え、幾人かがアークロイヤルに恨めし気な視線を向ける。

 

 「素晴らしい連携でした。以前の私であれば、きっと倒せていたでしょう」

 

 薄れた煙と黒衣を隔てる、陽炎のような幕。アークロイヤルにも見覚えのあるそれは、特に前衛艦隊の面々と、イラストリアスに大きな動揺を齎した。

 数人のKAN-SENの「裏切りか」という猜疑とイラストリアス自身が抱いた「誤発動か」という疑念は、アークロイヤルの叫びが拭い去る。

 

 「今のは・・・あの時と同じ? やはり、KAN-SENのスキルを!?」

 「イラストリアス姉様の『装甲空母』? ・・・でも、あれは前衛艦隊のKAN-SENにしか効果が無いんじゃ?」

 「まさか、黎明卿・・・貴方は──いや、在り得ない! ヒトがKAN-SENになるなど、あるはずがない!」

 

 自分や味方への疑念が晴れれば、残るのは敵への畏怖だ。イラストリアスのスキルは限定的な無敵化であり、それが味方であれば心強いが、敵になれば面倒なのは演習で散々思い知っている。

 完全に煙が晴れ、降り注ぐ海水も止んだ。

 

 「えぇ、その通りです。私は今でも人ですよ」

 

 ふざけるな、と叫ばなかったのは意地に依るものだ。一体どこの世界の人間が、12隻の軍艦からなる連合艦隊による一斉攻撃を受け、無傷で居られると言うのか。ファンタジーの世界に帰れと言いたくなる。

 

 かちゃり、という装填音が再び鳴る。しかし、今度はそれだけではなかった。

 空気圧による排出音と、何かが海面に落ちる水音。ゆっくりと振り向いたボンドルドの視線は仮面によって伺い知れないが、アークロイヤルは慈愛と労いを感じ取った。

 

 「お疲れさまでした、イラストリアス」

 

 ゆっくりと沈んでいく箱状の物体は、湯気を上げて排熱している背中の機械から今まさに排出されたものか。

 その正体を知っているのは、厳重な緘口令の内側に居た二人。過去に前線基地でそれを発見したキュラソーから直に聞いたカーリューと、ウォースパイト激発の理由を尋ね、答えを得たアークロイヤルのみ。

 

 「・・・?」

 

 怪訝そうに首を傾げるイラストリアスには、絶対にそれの正体を教えてはいけないな、と、アークロイヤルは秘かに決意する。

 同時に──眼前で彼女を使い捨てたボンドルドを、絶対に許してはいけない、とも。

 

 実際にはスキルカートリッジは一回きりの使い捨てではなく、一定回数での使い捨てなのだが、それを知ったところでアークロイヤルの決意は変わらないだろう。

 

 「素晴らしい」

 

 睨み付けられたはずのボンドルドが発したのは、心からの称賛だった。

 素晴らしい、なんと素晴らしいと繰り返す身体は、どう見ても歓喜と感動に震えている。そこに嘲りや挑発の気配は微塵もなく、男は確かに、アークロイヤルの決意を讃えていた。

 

 「素晴らしい友情、素晴らしい絆です。なんと美しいことか」

 

 それが心からの誉め言葉であると理解してもなお、アークロイヤルの心に浮かぶのは嫌悪感と憎悪だけだ。

 隷下の艦載機に再度の一斉攻撃を命じる。いまイラストリアスを捨てた以上、無敵化などという反則じみた防御は無いと信じて。

 驚愕から立ち直れたのは、特に練度の高い数隻のみ。それでも直撃すれば、人体など跡形も残らない火力になる。

 

 「各位、再度全力攻撃!」

 「じっとして──え?」

 

 フォーミダブルのスキルは、あらゆる行動に必要な速度を奪う。

 攻撃の起点であり切り札でもあるそれを再行使しようとして──その上体が切り裂かれた。

 ボンドルドの肘付近から伸びる、光の線。その輝きは、ロイヤル陣営にとっては未だ討伐回数が一桁しかない最上位の難敵、ピュリファイアーの主砲に酷似していた。

 

 「枢機に還す光(スパラグモス)

 

 フォーミダブルの身体が碧い粒子へと変わり、焼き切れて爆発する空気に吹き散らされる。

 だが──皮肉にも、その光景はアークロイヤルたちロイヤル陣営の高練度艦にとって、慣れることは無くとも知っているものだ。損耗数の少ない重桜や鉄血のKAN-SENよりも、ユニオンやロイヤルのような量の戦力に任せた海域攻略をしてきた陣営の方が、仲間の死を乗り越えて戦った経験は豊富だ。

 

 動揺は一瞬。スキルによる行動阻害は無いが、その一手は自ら回避に使う時間を浪費した。

 その代償は、仲間の命の対価と共に贖わせる。

 

 「沈め、黎明!」

 

 激情と共に叩き付けられる、砲弾と魚雷。先ほどより火力量は落ちるが、それでも人が通るような隙間は無い。

 再度、爆炎がスクリーンとなり──それが晴れるより先に、アークロイヤルが命じる。

 

 「総員、次弾装填次第攻撃を続行せよ!」

 「──いい判断ですね」

 「ッ!?」

 

 穏やかながら、歓喜と称賛を含んだ声。

 それは、アークロイヤルの背後から響いた。

 

 黒衣を汚すこともなく立っていた長身に、ほぼ全方位から攻撃が殺到する。

 

 背中の機械が駆動音を上げたかと思えば、スパークを散らしてその姿が掻き消えた。

 

 「今のは、エルドリッジの・・・?」

 

 ユニオンの駆逐艦エルドリッジは、未だ不明瞭な部分の多いKAN-SENの中でも、特に異能と言うべき力を持っている。超高電圧高電流は、レーダーからの隠匿のみならず、物体の浮遊や瞬間移動を可能とする。初撃で見せた超高速移動も、これを見せられれば納得だ。

 

 「『レインボープラン』ですか。黒くてすばしっこいとは、本当に害虫のような方ですね」

 

 驚異的な能力ではある。

 だが、それも初見ではない。ロイヤル陣営とユニオン陣営は友好関係だ。陣営間演習では何度も見たし、そう長い距離を移動できないのも、移動前と移動後の位置にスパークが生じるのも既知の範囲。

 シェフィールドの照準は、既に出現位置に合わせられていた。

 

 「素晴らしい、仲間を失っても冷静さを欠かないのですね」

 

 しかし、単騎による砲撃は点攻撃だ。一定以上の密度が無ければ面攻撃の隙間さえ縫う蛇のような相手には、たとえ予測射撃であろうと意味を為さない。

 シェフィールドの初撃と、続く断続的な攻撃を軟体動物の動きで避けながら、ボンドルドは拍手する。

 

 「本当に、本当に素晴らしい。仲間を失おうと、その骸に縋るのではなく仇討ちを以て魂の安寧を願う。それも、これほどまでに力まず自然に。素晴らしい練度、素晴らしい絆、素晴らしい愛慕です」

 「嬉しくないな!」

 

 再び『枢機に還す光』を起動しようと腕に手を伸ばしたのを見て、させまいと距離を詰める。

 基礎レベルの近接格闘術とはいえKAN-SENの膂力であれば殺人術だが、相手の馬力や耐久力もKAN-SEN並み。一方的な蹂躙どころか技量を競い合うことになるが、それでも即死の威力を持つ光剣と斬り結ぶよりはずっとマシだ。

 

 「判断は悪くありません。ですが──」

 

 二度、三度と攻撃をいなされ、技量の違いを察した時だった。

 ボンドルドが腕を引く。それは肘がこちらを向かないことを示すが、それは、死線上から逸れたということにはならなかった。

 アークロイヤルがこれまでに感じた死の気配で、最も恐ろしかったものと同質の──オミッターのそれと同じものを感じる。

 

 オミッターは、セイレーンの上位個体でも屈指の強者だ。交戦経験──いや、交戦などと言う大層なものではなく、一方的な蹂躙と敗走だった──があるのは、その敗残兵であるアークロイヤルとイラストリアスのみ。

 だが、その死神の鎌の気配と鋭利さは、この場の全員に伝わった。

 

 「アークロイヤルっ!」

 

 その叫びは誰のものか。極限の集中と絶望が齎した鈍重な時間で、それを測るなど無駄なことはしない。

 ボンドルドが向けた掌、その中心部に開いた空虚な砲口から逸れることだけを考え──衝撃が走る。

 

 頭が吹き飛んだわけでも、胴体に穴が開いたわけでもない。

 ただ、横腹を強く圧されて──気付けば、死線上には自分ではなく、押し退ける姿勢のカーリューが晒されていた。

 

 黒紫の装甲に似合わず、掌の砲口から漏れる光は太陽のように暖かだった。

 

 「『火葬砲(インシネレーター)』」

 

 溢れ出た極光が、死線諸共にカーリューを呑み込んだ。

 

 

 

 

 



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49

 あとがきにガチャ爆撃あります。そこまでの威力は無いと思いますがご留意を。


 「そんな・・・!?」

 

 通過した極光が海面を爆発させ荒れる海で、一番先に崩れ落ちたのはイラストリアスだった。

 前衛艦隊の味方に一時的とはいえ無敵という絶対的な防護を授ける彼女にとって、その()()()()()()()仲間を失うのは、これが初めての事だった。

 

 「な、え・・・?」

 「嘘、今は、だって・・・!」

 

 そしてそれは彼女に限らず、戦友たちも同じことだ。

 

 カーリューには決死の覚悟など無かっただろう。

 アークロイヤルに感謝はあっただろうが、それは命を救われたことにであって、命を懸けられたことにではない。

 

 そのカーリューが、文字通り消滅した。

 アークロイヤルを守り、遺して、肉の一片、ドッグタグの欠片すら残さず消え去った。

 

 「・・・?」

 

 その下手人たるボンドルドは、些かながら残念そうだった。

 

 「あの一瞬で、素晴らしい判断でした。ですが・・・過信はいけませんね」

 

 普通、人間が纏う装甲の掌部に穴があるからと言って、それが砲口だとは思わない。ましてや、KAN-SENという軍艦級の耐久力を持つ存在に有効な火砲だとは。

 だがイラストリアスは咄嗟にスキルを発動し、カーリューを守った。

 

 「勿論、カーリューも。素晴らしい、美しいまでの献身と信頼でした」

 

 自らの砲が消し飛ばしたカーリューを悼むように、ボンドルドが微かに頭を下げる。

 カーリューはイラストリアスのスキルを受けて動いたのではなく、イラストリアスがスキルを使うと信じて、それ以前に死線へと躍り出た。

 

 一瞬でも遅れれば死ぬ。その覚悟はあっただろう。

 あの場の全員が、ボンドルドからオミッター並の威圧感を感じていたのだから。

 

 そして、彼女はその一瞬すら遅れないと信じた。事実、イラストリアスはそれに応えてみせたのだ。

 

 ただ、その信頼と能力を、ボンドルドの一撃が踏み潰しただけで。

 

 

 「弾幕展開ッ! 海域を離脱する!」

 

 

 最も早く硬直から立ち直ったのは、やはりというべきか意外にもと評するべきか、アークロイヤルだった。

 挺身の庇護を、懸命の献身を受け、生き残ってしまった。その悔恨に浸るでも、復讐に燃えるでもなく、この場における最善──撤退を決意する。

 

 そもそも、KAN-SEN12人が人間一人に対して苦戦した──いや、鎧袖一触に屠れなかった時点で異常事態だ。

 KAN-SENに交じり海域攻略をするという触れ込みも、前線指揮官程度のことだと勝手に認識していたが、違う。文字通り、ボンドルドはKAN-SENに交じって戦うことができる。

 

 フォーミダブルの死は半ば不意討ちだった。だが今は、ほぼ正面からKAN-SENを下してみせた。近接格闘で正規空母のアークロイヤルを圧倒し、イラストリアスの無敵化を貫通する規格外の主砲を以てカーリューを消滅させた。

 なるほど確かに、これは人類の希望だ。──これが、人類に相対しない限りは。

 

 「? どうした、弾幕を・・・ッ!?」

 

 指示を出したにも関わらず誰も動こうとしないのを怪訝に思い、ボンドルドを視界の隅に捉えながらも振り返る。

 艦隊が絶望に沈みながら、背後の海を見て震えていた。

 直後、レーダーが警告音を発する。

 

 「増援、か・・・?」

 

 KAN-SENの反応は3つだけだ。12隻からなる──二人沈んではいるが──連合艦隊に対してどういうつもりか、という疑問は無い。

 

 先陣を切るのは、ボンドルドが副官と認めた鉄血陣営総旗艦、ビスマルク。

 彼方の空を埋め尽くす暗雲は、その全てが重桜の艦載機。空母3隻にしてもなお多いそれは、大鳳一人のスキルによるもの。

 

 そして大鳳と並ぶのは、艤装が比較的大型になりやすい戦艦の中でもなお異質な、超大型の半生体艤装を∞の形に連ねて従える史上最強のKAN-SEN。この世ならざる非存在を顕現させた最極の一、フリードリヒ・デア・グローセ。

 

 鉄血陣営最強と、ボンドルドの片腕。そして、単騎で陣営を下せるという評価が下った決戦計画級艦船。

 

 背後にボンドルドと同じような黒衣を纏った集団を率いてはいるが、幸いにして、それらにはボンドルドのような威圧感は感じない。

 

 大量という言葉では足りないほどの艦載機と、一撃で耐久に長けたイラストリアスをすら撃沈しうるビスマルクとグローセの砲が照準を開始する。

 

 「不味いっ、みんな、急いで──」

 

 唐突に現れた、しかし疑いようも逃れようもない「死」に、歴戦の連合艦隊すら諦めかけた。

 勝てない。それを細胞の一片すら余さず全身が叫んでいる。あれは死だ。オミッターと同じ、人の形をした死だと。

 

 アークロイヤルが必死に呼びかけるが、震える膝は不随意のままだ。反転も、頽れることもできず、ただ近付いてくる死を待っていた。

 

 「おや、諦めてしまうのですか? それは少し困るのですが・・・では、一ついいことを教えてあげましょう」

 

 人差し指を立てたボンドルドに、いくつかの視線が向く。残りは変わらず、絶望に淀んだ目で海面を眺めるだけだ。

 

 「たった今お見せした火砲、『火葬砲(インシネレーター)』ですが、見ての通り大出力なのですが・・・代償に、この強化外殻『暁に至る天蓋』のエネルギーの大半を消費してしまうんですよ。戦闘機動は・・・あと10分もすれば限界が来るでしょうね」

 

 それがどうした、と、殆どのKAN-SENが興味と、生きる意志を失った。

 例外はただ一人、アークロイヤルだ。守られ、遺された彼女には生きる義務と──たった今ボンドルドが自分で口にした()()と、この戦闘で得た情報を本国に伝える義務がある。

 

 これまで一切が不明だった直接戦闘能力と、KAN-SENを両断する光剣『枢機に還す光(スパラグモス)』に、イラストリアスの無敵化すら貫く火砲『火葬砲(インシネレーター)』。そして、唾棄すべき『スキルカートリッジ』の仕様。

 

 絶対に伝えなくてはならない。

 

 「おや、立っていただけますか。それは重畳。まだ、いくつか項目が残っていたんですよ」

 

 絶対に、この場を生き残り、伝えなくはならない。自分か、艦隊の、今の会話を聞いていた誰か一人が生還しさえすれば、それでいい。

 

 「黎明卿、貴方は強い。だが──我々は、私は、いつか、必ず──」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ロイヤル陣営が派遣した第二封鎖艦隊は、“なきがらの海”を覆う鏡面海域突入後、消息を絶った。

 鏡面海域の電波遮断は数時間後に解消されたが、封鎖艦隊および『前線基地(イドフロント)』との通信は依然繋がらず。

 24時間後、捜索艦隊がもぬけの殻となった『前線基地』と、誇示するように整頓された大量の実験記録を鹵獲した。その中に第二封鎖艦隊との交戦記録が見つかったことにより、構成員11名にはKIA判定が下った。

 

 「以上、管理官補佐、ウォースパイト、と・・・ふぅ」

 

 ウォースパイトは、ロイヤル陣営の代表者である統括管理官ではなく、その全権代理だ。本来の統括管理官であるクイーン・エリザベスの配下として、こうして報告書を書くこともある。とはいえ練度80を超える高練度艦であり、ロイヤル陣営最高戦力の一角でもある。戦場を駆け剣を振るうのが日常なれば、こうしてデスクワークに励むというのは肩の凝る仕事だった。

 

 「さて・・・お昼にしましょうか」

 「お持ちいたします」

 

 即座に応えたのは、新たに側付きとなったグロスターだ。キュラソーやカーリューなら食堂へ行くか持ってくるかの選択肢をまず聞いてくれるのだが、あれは性格的なもので、メイド隊の規則ではなかったのだろうかと詮無いことを考える。

 

 「いや、食堂に──」

 「本日1500提出予定の報告書がまだのようですが。恐れながら、ウォースパイト様の平均的な処理速度を考えますと、昼食はこちらでお召し上がりになるべきかと」

 

 無意識下での現実逃避だったかもしれない。

 主題は何だったかと草稿を取り上げ、ウォースパイトは辟易した。

 

 「レッドアクシズ、か」

 

 前線基地を捨てたボンドルドは、ロイヤルがそれを発見したのを見計らったようなタイミングで、鉄血陣営統括管理官名義で『アビス』脱退を宣言した。

 同調した重桜陣営、サディア、ヴィシアは、新たに重桜陣営本土に本部を置く新組織『レッドアクシズ』を設立。『アビス』と連携してのセイレーンへの対抗と人類の守護を大義と掲げた。

 

 ロイヤル陣営と()()()()になるのは不味いと判断しての新組織であり、()()が解消すれば解散し再合流するもの──と、一般人や評論家は信じている。

 

 宣言の通りなら、『アビス』としても勝手を非難こそすれ、そこまで責めはしない。勝手はそもそもロイヤルが先だった。問題なのは、戦力的な意味での現状だ。

 

 サディアとヴィシアはともかく、鉄血と重桜が合流したのは不味い。元より質の戦力に優れた鉄血陣営と重桜陣営は、圧倒的な物量を誇るユニオン・ロイヤル陣営と同格とされていた。

 セイレーンから奪還した支配域の広さなら流石に負けないが、資源埋蔵量やドロップ艦の質などは、セイレーンの強度に比例する。単純に制圧難度が高い海域ほど、恩恵が大きいということだ。そして、少数精鋭を地で行く二陣営は、上質な海域のみを重点的に支配している。資源戦争になった場合、勝率は五分五分だ。

 

 「はぁ・・・」

 

 頭痛の種はまだある。

 前線基地から回収した実験記録によれば、ボンドルドの実験はKAN-SENのみを対象としたものでは無かったのだ。

 

 人体へのリュウコツ技術導入に始まり、ボンドルドが独自に開発したと思わしき新薬の投与実験、KAN-SENのパーツの部分移殖、意識の植え付けなどだ。

 ファイル番号が抜け落ちていたり、不自然にデータの欠落があることから、本当に不味いデータだけは持ち去ったのだろう。つまりボンドルドはここまでの行為を「この程度のこと」と考えているのだろうが、そんなものは今更だ。

 最も大きな問題は、人体実験の素体だ。被験者の名前の一覧は、その殆どがロイヤルの持つとある名簿と一致する。

 

 旧SIS、現『指令室』諜報部が管理する潜入工作員の顔写真、表裏両方の名前、潜入先などの情報が詰まった最重要機密文書。名を『NOCリスト』。

 『アビス』鉄血支部に居た諜報員から、一般の人間主義者として活動していた工作員、果ては破壊工作担当の準軍事担当官までがいつの間にか捕まり、被検体にされていた。

 

 ついでに言うと、大目標であった架空艦関連の資料は、奪取には成功したものの難解すぎてロイヤル陣営の研究班では手に余る。何人かは実験記録を読み進めるうちに発狂しており、現在は人手が根本的に足りていない。

 

 「やはり、初めから精神汚染耐性のあるKAN-SENに任せるべきだったわね」

 

 大きく伸びをしたとき、扉がノックされた。

 グロスターが昼食を持ってきたのだろうと入室を許可するが、困ったような微笑で佇んでいたのは予想とは違う顔だった。

 

 

 




 信濃は限凸分併せて出揃ったけど涼月と紀伊がゼロなのだ。つらいのだ。つらいさんなのだ。


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50

 あとがきに挿絵貼ってますが、自分で書いたものなのでクオリティはお察しです。
 挿絵が下手すぎて萎えたわ。等の苦情はモチベに大きく関わるのでやめてください。しんでしまいます。主に作品の質と投稿頻度が。
 というか挿絵が下手で萎える可能性のある方は見ないという選択を、是非に。


 ウォースパイトの表情から疲れが消え、喜色に染まる。次に浮かんでくるのは安堵と、微かな怒りだ。

 

 「いらっしゃい、アークロイヤル」

 

 扉の前で所在無さげに立っているのは、なきがらの海に沈んだ11名に遺され、生還した唯一のKAN-SEN、アークロイヤルだった。

 しかし、その表情からは一切の感情が抜け落ちており、凛とした雰囲気を纏っていたこれまでの彼女とは違った、無機質な鋭利さを伴っている。

 

 これまでの彼女と違うのは雰囲気だけではない。

 艶やかながら活発さを表すような黒髪は今や銀髪に染まり、一房の紅を垂らしている。

 オイゲンやシュペーのような鉄血陣営艦に近しくなった変容は髪だけでなく、髪に隠れた右目にも表れていた。変わりのない左目の碧眼とは対照的に金色に染まった瞳は、グローセのそれを彷彿とさせる。

 艤装はロイヤル純正の優雅さを湛えたものではなく、半生体の獰猛さと凶暴さを孕んだものになっていた。

 

 言うなれば、アークロイヤル鉄血仕様。

 第二封鎖艦隊唯一の生還者──という形容が怪しくなるほど変貌した彼女は、ウォースパイトを気遣うように微笑した。

 

 「あぁ──少し、話せるか?」

 「えぇ、勿論。テラスへ行きましょうか、食堂でも・・・あ、ごめんなさい、陛下に提出する資料がまだだったわ」

 「午後の会議か、大変だな」

 

 げんなりした表情を見せたウォースパイトに、アークロイヤルは苦笑する。こういう会話中に見せる所作は変わらないのだが、とそこまで考えた時、昼食の載ったカートを持ったグロスターが帰ってきた。

 

 「お待たせ致しました。・・・アークロイヤル様?」

 「・・・あぁ、すまない。会議が終わったら、時間を貰えるか?」

 「ごめんなさい、そうするわ」

 

 アークロイヤルが退出し、きっちりと扉が閉じたのを見届けて、ウォースパイトはまた一編の報告書を取り上げる。

 『指令室』KAN-SEN管理部、調査ドックからのそれは、タイトルを『鉄血型アークロイヤルの解析資料』と評されていた。

 

 「51パーセント、か」

 

 身体構造検査、精神構造検査、艤装解析。同一型のKAN-SENでも、装備の損耗や練度上昇に伴う肉体強度や反射速度の向上によって、その身体や艤装には細かな差異が生まれる。それを利用した特定個体を識別する、特に代表的で確実性の高い方法だ。

 それによれば、鉄血型アークロイヤルは51%の割合が本人で、残る49%が異物。記憶を利用した本人確認では高スコアを出しているが、アークロイヤルは拿捕されている。信頼性には乏しい。

 

 51%。面倒な数値だ。変動こそあれ確実に本人であると表せる6割には届かず、完全に別人であると評する4割は上回る。

 それに、個人的感情を加味せずとも、敵方のスパイとして切り捨てることが出来ないのもある。

 

 洗脳やそれに類する悪影響を判別する精神汚染検査スコアはゼロ。つまり、洗脳の影も形もない。

 逆に練度や戦闘技能の発達を算出する戦闘技能測定スコアは160パーセント。つまり、出撃以前のアークロイヤルの1.6倍は強いということだ。

 

 艤装や本体に発信機や自爆機能などの害意も見られず、ロイヤル陣営としては敵方から送られてきた塩を使うかどうか、その心理的な障壁だけが残されている。

 

 「不気味なのは、鉄血の・・・黎明卿の真意が分からないことね」

 「挑発では? アークロイヤル様の話では、封鎖艦隊はほぼ鎧袖一触に蹂躙されたとか」

 

 現に「お粗末すぎて話にならんな、技術を盗ませてやるから出直してこい」というメッセージを示唆するように、アークロイヤルの身体や艤装に施された改造には最新技術も多く、逆に秘匿はほぼゼロだ。細部に散見される秘匿技術も、こうして何の対策もなく送り帰した時点で、破られるのは時間の問題だと分かっているだろう。その突破すら、ロイヤル陣営の技術を進歩させる。

 前線基地に残された資料も含めて、ボンドルドはロイヤル陣営を強化しようとしているように思える。・・・勿論、ただの挑発だろうが。

 

 「──どこまでも、馬鹿にしてくれるな」

 

 せめて、その慢心と送られた塩は有効活用させて貰う。

 ウォースパイトは引っ掛かりを覚えながら、差し迫った問題である資料の作成に着手した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 レッドアクシズ創設に必要なあれこれや鉄血陣営への説明を終えたボンドルドは、鉄血本土から重桜本土までの迎えが到着したと聞いて港へ来ていた。

 確かに迎えはいた。高練度のKAN-SENを護衛兼乗組員とした客船は、ボンドルドを高次元の戦闘が可能な戦闘要員ではなく、あくまで非戦闘員として扱うという意図があってのものか。外見からして豪奢なそれは、きっと中も凝った造りなのだろうと期待させてくれる。

 

 のだが、些かながら問題があった。

 

 「──重桜を離れた貴女が、よくもまあぬけぬけと顔を出せたわね?」

 「──指揮官様のお側を離れたのは貴女の方ではありませんか、赤城先輩?」

 

 重桜最強の一角である赤城と、世界最強の一角である大鳳。その気になれば中小規模の陣営なら蹂躙できるだろう二人が、今は互いに額を突き合わせて睨み付けあっていた。

 呆れ顔のビスマルク、にっこりと微笑むグローセ、穏やかな微笑を崩さないローンに、興味なさげなオイゲン。そして、懐古に浸るボンドルド。戦力的に止められそうな者は数多く、しかし実行する者は誰もいなかった。

 

 「まぁいいわ、貴女は戦力としては使える方だし、精々指揮官様の役に立って頂戴ね?」

 「昔はともかく、今は貢献度でも戦力でも貴女以上だと思いますけれど。何なら、今ここで証明して差し上げましょうか?」

 

 赤城が一枚の札を取り出し、大鳳が扇状の装甲甲板を顕現させる。

 互いにワンアクションで発艦できる体勢だが、変わらず誰も動こうとしない。

 

 「あー・・・指揮官? 止めないのか?」

 「おや、江風ですか。お久しぶりですね」

 

 客船からではなく背後から怪訝そうに近付いて来たのは、重桜の駆逐艦、江風だ。

 来た方では荷物の積み込みを終えた作業員が休憩している。彼女はそれの監督をしていたのだろう。

 

 「・・・指揮官、なのか?」

 

 怪訝そうに、というには些か敵意と懐疑を強く宿した視線に、側に控える鉄血陣営のKAN-SENたちが反応する。

 かつての同胞であると同時に最もボンドルドへの敵意に敏感で、それ故に動きの読めない大鳳が赤城と拮抗状態に在るのは、もしかすると幸運だったのだろうか。

 防御寄りのオイゲンとビスマルクが庇う位置に移動し、ローンとグローセが少しだけ広がる。それが大鳳や他の友軍を巻き込まない最適な砲撃位置であることは、KAN-SENであれば考えるまでもないことだ。

 

 「えぇ、その通りですよ。私はボンドルド。約束通り、貴女たちの指揮官として帰ってきました」

 

 陣営一つを容易く蹂躙できる防陣を解かせ、ボンドルドは歩み寄る。

 ボンドルドの言葉に微かな動揺を見せるが、江風の警戒は解けない。

 だが、それも仕方のないことだろう。

 

 KAN-SENはそもそも、セイレーン支配域への出撃による強襲奪還や、海域防衛の為に存在する兵器だ。軍艦レベルの戦力であり、人型ゆえの格闘戦はともかくとして、砲弾の限界射程は20kmにも及ぶ。平均的な交戦距離は10kmかそこらだ。

 それだけの距離を介した戦闘に耐えうる高感度の観測器官を搭載しているということであり、かつての指揮官であるボンドルドの肉体が以前と異なるとすれば、気付くなと言う方が無理だ。

 

 黒衣や『暁に至る天蓋』、I字に発光する仮面などの分かりやすいシンボルを纏い、『これがボンドルドだ』という強固なイメージ付けをしていれば、肉体を変更し身長や体形が変わったとしても気付く者は居ない。

 現に鉄血陣営で影武者の噂が立ったことは無いし──仮面の下は無貌だとか、1000の顔を持っているという噂はあったが、ボンドルドの功績が異常だったが故だ──本気で調べに動く者は、望む形ではないが『ボンドルド』を知ることになった。

 

 だが、それは現実主義であり能力主義である鉄血陣営の国民性が大きいだろう。

 要は、「ボンドルドが鉄血と人類に多大な利を齎している」以上は、「ボンドルド」が何者であれ知ったことでは無い。たとえ中身が別人であろうと、鉄血に、人類に害が無い限り。「ボンドルド」として相応しくある限り。

 

 国民性ゆえに無頓着で居られたが、重桜の民とKAN-SENはそうではない。

 彼らは鉄血よりロイヤルに近い、信仰と忠誠に依って強固な団結を確立した陣営だ。──統括管理官の長門が幼い外見であることは、きっと関係ないだろう。たぶん。

 

 とにかく、彼らにとって忠誠を捧げる相手であるボンドルドの中身が違うというのは、それはもう一大事だった。

 ボンドルド以外がボンドルドを騙る。単なる詐称ではなく僭称とされ、処刑されて然るべきだと、彼らは本気で考え実行するだろう。

 確かに重桜の民は寛容だし、KAN-SENたちは忠義に篤い。だが、激発すれば手が付けられないというのは歴史が証明している。恐るべきは、今の重桜は鉄血を除く世界を敵に回せる戦力を持っていることだ。

 

 「──仮面を、外して頂けるか」

 

 

 

 





 アークロイヤル鉄血仕様.jpg
 
【挿絵表示】


 予防線五月蠅すぎ問題を指摘されたのでちょっと消しました


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51

 えー、前回でごっそりお気に入りが減るかなと覚悟もしていたのですが、全然そんなことはありませんでした。やっぱ民度高い。
 お気に入り1000件ありがとうございます! これからも感想とか評価とかお気に入りを励みに更新して参ります!

 ・・・あと未確認なのですが、日間6位だったってマジですか?


 ボンドルドはこれまで、素顔どころか素性を誰一人として知らない謎の人物として知られていた。

 世界政府じみた大規模組織の首脳という、一定以上の透明性を要求される地位に居ながらそれが許されたのは、ひとえに有能さ故だ。

 誰も顔を知らないということは、影武者を容易に立てられるということだ。だが、裏を返せば、それは成り代わりが容易だということでもある。

 

 『アビス』の支配権を以てすれば、人間を組織単位で消し去ることもできる。下手をすれば、小規模な陣営すら。

 強大な権力を付与される統治者の椅子を、強力なKAN-SENではないただの人間が持っている。悪意を持つ者が狙うには格好の的だ。

 故に、ボンドルドとて初めのうちは多くの敵に囲まれ、顔を晒すことで一定の安全を確保するよう乞い願われてきた。

 

 それが無くなったのは、愛想を尽かされたという意味ではなく、その真逆。

 ボンドルド本人にしか達成できない数多の偉業を成し遂げ、立ちはだかる敵は気付けば消えており、配下のKAN-SENたちは狂信的なまでに忠誠に篤く、さらには顔を知っている。

 

 人々は安心したのだ。

 「彼は、彼でしか在り得ない」「彼を害せる者などいない」と。「彼がいれば安泰だ」という信頼は、「彼は不滅だ」という狂信によってさらに強固なものとなった。

 

 それを知った上で、江風は正面から、頭を下げることもなくただ問いかける。

 

 仮面を外し、素顔を見せられるか。

 

 もしボンドルド本人なら、その逆鱗に触れたとしたら、きっと大鳳なり赤城なり、或いは眼前で敵意を宿す鉄血陣営艦の誰かが、江風を処断するのだろう。

 練度100を迎えた江風の全力でも、この顔ぶれから逃げ切るのは難しい。反撃を()()()、使える全てを以て逃走を試みても、命を繋げる確率は10%を下回る。まぁ、逃げるつもりなど毛頭ないが。

 本人なら、その時は自らの不明を詫び首を差し出すまでのこと。

 

 本人でない、愚かにもボンドルドを騙る不敬なる僭称者であれば、江風は眼前の絶対防衛線を乗り越え、それこそ自爆し刺し違えてでもその首を取らねば収まらないだろう。

 

 「えぇ、構いませんよ」

 

 かち、と、拍子抜けするほどあっさりと仮面を外す。

 しかし、現れたのは態度に──いや、この世に似つかわしくないとすら表現できる悍ましいものだった。

 

 顔の所々には縫合痕が目立つ。肌の色すら違うということは、完全に別人の皮膚を無理矢理縫い合わせたものか。

 骨格の線は細く、どちらかといえば女性的に見える。しかし、声は間違いなくボンドルド当人の、穏やかな紳士然としたものだった。

 

 なにより異質なのは、目だ。

 

 重瞳(ちょうどう)

 一つの眼球に複数の瞳孔を持つ、古代アジア圏では貴人の証とされていた異相。

 その目が、まるで目蓋のように開き、もう一層の重瞳を覗かせる。

 

 異形。異相だ。どう見ても人の域を外れたモノだ。

 かつて江風が見た相貌とは比べ物にならない。

 

 「そ、れは・・・KAN-SENを・・・?」

 

 江風が喘ぐように驚愕を口にする。

 そう。今のボンドルドは外見の比喩的な意味でも、そして物理的な意味でも人間ではない。

 

 その身体を構成するのは7人のKAN-SENの死体であり、もし仮にメアリー・シェリーの描いた死体人形を『人間』と呼ぶのなら、それは『KAN-SEN』と呼ばれるべきだろう。

 

 死体の口元が歪む。

 継ぎ接ぎの表情筋に感情を表出させる機能を付けたのは如何なる理由か、それはボンドルドだけが知ることだ。

 

 「あまり、見ていて楽しいものでもありませんね」

 

 いつもの仮面を着ける。

 I字に発光する黒い仮面とて安堵や安心からは程遠い無機質なデザインだが、江風にとって、それは忠誠を捧げるボンドルドという存在を象徴するものだ。

 

 「江風、人間とは、何だと思いますか?」

 「え・・・?」

 

 KAN-SENは人型兵器であり、その精神性を人間に近しくする個体も少なくはない。むしろどちらかと言えば、外見通りの精神を有する個体の方が多いくらいだ。大鳳やローンのような狂気寄りの思考を持つKAN-SENは稀といえる。

 

 ではKAN-SENにとって人とは何か。

 自らに似た姿を持ち、自らに似た思考回路を持つ。けれど、その身体構造は人間のそれとは異なっているし、内包する力も桁違いだ。また思考プロセスも、人間よりも合理的かつ機械的だ。

 

 ヒトに出来てKAN-SENに出来ないことは何か。

 KAN-SEN出現直後に、あらゆる陣営の科学者がKAN-SENを研究し、そして異口同音に言った。

 それは裏切りと繁殖だ。

 

 兵器であるKAN-SENに、自己増殖機能はない。

 兵器であるKAN-SENに、離反は無い。

 

 ・・・世界的にはそう知られている。だが、ボンドルドに言わせればそれはどちらも間違いだ。

 少し手を加えればKAN-SEN・KAN-SEN間での繁殖も、ヒト・KAN-SEN間での繁殖も可能になる。とはいえその必要性がないし、特に赤城や大鳳には秘匿しておけとグローセに厳命されているので、ビスマルクとグローセくらいしか知らないが。

 その大鳳は、陣営から離反したKAN-SENの最たる例だ。保護されたドロップ艦ではなく、母国陣営に正規に所属していながらそれを捨て、左遷される指揮官に付き従った、忠誠心ゆえに母国を捨てた愛ゆえの裏切り者。

 

 では、ボンドルドのいう人間とは何か。KAN-SENとの違いは何か。

 

 「以前に、KAN-SENの肉体に人間の精神を移植したことがあります。彼女は自分を人間だと、その肉体を自分の物だと認識し続ける限りにおいて、KAN-SENとしての力を発揮することはありませんでした。ですが、遂に自身をKAN-SENであるとを認識したとき、拒絶反応と自我崩壊の中で、KAN-SENの力に目覚めたのですよ」

 

 ボンドルドは一度言葉を切るが、江風は思考しながらも声を上げることなく続きを待っている。

 ここ最近に解説を垂れた相手がウォースパイトやアークロイヤルといった、いわゆる人格者ばかりだったからついた癖のようなものだが、重桜と鉄血のKAN-SENには不要だった。

 

 「逆の事例もあります。KAN-SENの意識を移植された人体は、瞬間的にKAN-SENと同等の力を発揮することが出来ました。尤も、強度の違いからすぐに壊れてしまい使い物にはなりませんでしたが」

 

 KAN-SENと同等の力というのは、物理的な力に限った話ではない。砲撃に長けたKAN-SENのもつ機械じみた演算能力や、非物質の顕現のように驚異的な事象をもたらすスキルなど。ボンドルドがスキルカートリッジと呼ぶものも、この実験を元に着想されている。

 最低でも人間二人、KAN-SEN二体を実験台送りにしたと告げられてなお、江風の表情に、心情に揺らぎは無い。

 

 「認識ですよ。人は、己を人であると定義し続ける限り、人なのです。身体構造や精神構造は確かにその根幹ですが、全てではありません。──江風、貴女は私を、どう定義しますか?」

 

 それは江風の問い、「貴方は黎明卿か」という疑問に対する答えではない。むしろその逆だ。

 「自分は黎明卿か」と、そう江風に問うているのだ。

 

 「──帰還を、心待ちにしていた。命令を、指揮官」

 

 跪き、答える。

 それは客船から恐々とこちらを窺っていた重桜のKAN-SENたちの総意でもあった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 セイレーン・共通認識空間。

 一定以上のセキュリティクリアランスを持つ上位個体が意思疎通を図るときに使われる、主に上位意志を伝達するための会議室のような空間だ。

 ピュリファイアーやオブザーバーといった知名度のある個体から、未だ人類の知らない個体まで、ほぼ全ての活動中の個体が揃っている。中にはレイ、オブザーバー・零と呼ばれる最上位個体の姿もあった。

 

 「黎明卿が重桜と鉄血を統合し、レッドアクシズを作り上げたわ。まずは一歩、といったところね」

 

 話題を提起したのはテスターだ。比較的レイとの意思疎通が多い彼女は、こうして進行役に当てられることがある。

 

 「まだ二陣営。それも質の戦力で辛うじて耐えてる弱小じゃない。・・・ねぇレイ、本当にアイツでいいの?」

 

 レッドアクシズのKAN-SEN達が聞けば激昂は免れない、侮るようなピュリファイアーの言葉だが、それがセイレーン側の認識だ。

 質の戦力など、その気になればそれ以上の質と量を用意できるセイレーンにとって無意味の極みだ。例外はセイレーン側でも詳細を把握しきれていない、実存する非存在、架空艦の二隻のみ。

 

 人類を滅亡させ得るセイレーンにとって、潜在的な脅威となるのはむしろユニオンやロイヤルといった、量の戦力を保有する陣営だ。

 勿論、現状で押し潰しやすいのもこちらだ。だがボンドルドがユニオンとロイヤルの戦力全ての質を鉄血レベル相当まで押し上げれば、セイレーンの中枢艦隊にすらその爪牙は届く。

 

 「それが、現状の理論最適解よ。苦手意識も分かるけれど、抑えなさい」

 

 簡単に言ってくれる、と内心で舌打ちをするが、そもそもここは認識空間、つまりは内心を共有している様なものであり、筒抜けなのだが。誰も指摘しない辺り、最もボンドルドに狩られ「汎用素材として便利」とまで言われるピュリファイアーの苦悩には理解があるのだろう。

 

 「人類は我々という脅威に対し、団結し、時に敵対し、自分たちを高め続けねばならない。でなければ──」

 

 



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52

 むみぃ~(デアラの新作ゲームでボロ泣きした顔) って感じだったので遅れました。


 所属が『アビス』から『レッドアクシズ』に変わっても、ボンドルドのやることは変わらない。

 それすなわち、研究と開発(R&D)

 

 鉄血陣営は機械工学や電子技術の面では世界屈指のクオリティを誇る陣営だった。そして重桜もまた、単なるコピー品ですらオリジナル以上のクオリティに仕上げる、偏執的なまでの職人気質で有名な陣営だ。

 違う部分も勿論ある。鉄血陣営の持つ技術が「科学技術」だとすれば、重桜の持つ技術は「非科学的技術」。重桜はワダツミの神秘や桜の加護といった、既存の科学の範疇を逸脱したブラックボックスであるリュウコツ技術、その中でも特に不可解な精神や非存在分野に長けていた。

 

 だからだろうか。

 KAN-SENの艤装と身体を弄りつくし、あらゆる技術を以てKAN-SENを強化してきたボンドルドが、()()に気付いたのは。

 

 所詮は兵器であるKAN-SENに与えられた、思考プログラムに生じたある種バグのようなモノ。

 時に判断を高速化し、時には遅延させ。精度を落とし、短絡的で非合理的な思考を齎し。愚かしく、悲しく、愉快で、美しい。

 兵器であるKAN-SENに不要なはずの感情の中で、最も不要で最も大切な──

 

 「愛です。愛ですよ、ビスマルク。君たちKAN-SENは、我々人間と同じように、極めて非合理的で、それゆえに美しき深い精神的な繋がり──愛によって、その力を最大以上に発揮できるのです」

 

 心底嬉しそうに熱を込めて語るボンドルドとは別の意味で、ビスマルクの心中は穏やかでは無かった。

 

 ボンドルドが重桜を本拠としてからまだ数週間といったところだが、環境の違いなど関係ないと示すように新技術を開発したのは素晴らしい。それはビスマルクとしても頭が下がるし、一層の敬意を抱こう。

 だが、その内容と時期が問題だった。

 

 ボンドルドが新たに開発した技術は、KAN-SENの精神にその根幹を置くものだった。

 KAN-SENの精神を媒介に能力強化を齎す、いわば精神感応型能力補助装置。小型化には成功しても体内移殖(インプラント)には出来なかったがゆえに指輪型に落ち着いた装置の形状から、それは“エンゲージリング”と呼ばれていた。

 

 以前に、ボンドルドはカートリッジの作動条件を特定の精神ステータス──信頼度とでも言うべき数値の多寡であると発見していた。境界となる数値は約90。

 今回の精神感応型能力補助装置の作動条件は、その信頼度の上限値である100。

 

 極限まで高められた信頼と親愛を要し、指輪型装置(エンゲージリング)という特徴的なデバイスを用いるその強化方法は、人類の慣習になぞらえて言うのなら。

 

 「結婚(Ehe)・・・?」

 

 ビスマルクの呟きは、興奮状態のボンドルドには届かない。

 

 ほぼ全員が練度120に至り、強化因子の摂取による能力値強化も終えたレッドアクシズにとって、強さは停滞するばかり。今後ますます苛烈になるだろうセイレーンの攻勢に抗うためには、一層の強化が必要だ。

 もう頭打ちともいえる肉体面ではなく、未だ未解明の部分が多い精神面からのアプローチは、ボンドルドらしい合理性だ。

 

 雌性か雄性かという区別の無意味な兵器であるKAN-SENだが、精神性だけを見るなら紛れもなく女性であり、結婚への憧れが無い訳ではない。

 レッドアクシズに属するKAN-SENたちも、ボンドルドと結ばれるというのであれば、その士気高揚効果は絶大だろう。ただ──

 

 「専属契約(リストリクター)とでも名付けましょうか。差し当たり、君とグローセ、大鳳と赤城辺りに導入しましょう」

 

 ここにきて、その合理性が仇となる。

 確かに数値的な戦力強化という一面を見れば、複数のKAN-SENに導入するのは当然だろう。

 だが士気高揚という面を見れば、誰か一人に絞った場合の方がどう考えても倍率が上がる。

 

 誰か一人。・・・まぁ順当に考えるなら、鉄血陣営の総旗艦であり、ボンドルド自身の副官でもあるビスマルク自身が──

 

 「ボウヤ、ちょっといいかしら? 明日の演習のことなのだけど・・・あら?」

 

 あっ、と、ビスマルクがそう漏らすのも無理はない。世界最高戦力であるフリードリヒ・デア・グローセといえば、ボンドルドの執務室にノックもなく入れる特権階級者だ。ボンドルドの信頼も篤く、ボンドルドに向ける情愛も深い。かなりの強敵だ。・・・あ、いや、勿論戦力的な意味で、と、誰に向けるでもない弁解を内心で垂れ流すビスマルク。

 

 悶々としたものを抱えるビスマルクに不思議そうな一瞥を向け、グローセは机に置かれていた指輪型デバイス、“エンゲージリング”試作一号機に目を留めた。

 

 「──あぁ、ごめんなさい。出直すわね、ボウヤ」

 

 白金とダイヤモンドのシンプルなデザイン──本質的には兵装なので装飾など一片も必要ないのだが、ボンドルドに言わせれば「ロマン」らしい──の指輪と、どこか興奮した様子のボンドルド。向き合い、動揺した様子のビスマルク。なるほど、完璧に近いシチュエーションではある。

 

 「いえ、ちょうどいいところに来てくれました。グローセにも、是非聞いて頂きたい」

 

 グローセの慈しむような視線が一転、怪訝そうなものに変わった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 「なるほど、ね」

 

 一を見れば百を予測出来るグローセにとって、ボンドルドの展望通りにことを進めた場合どうなるかなど、予測するまでもないことだった。というか、一を聞いて十を知る()()のビスマルクでも予想に難くない。

 

 「悪いことは言わないわ、ボウヤ。出来るだけ早く、その装置の形状を変えなさい」

 

 確かにそれなら、否応なく結婚を想起することはないだろう。

 そんなビスマルクの微かな落胆と大きな安堵を他所に、グローセが微かに顔を引きつらせて続ける。

 

 「私は──明石の身柄を押さえましょうか。尤も、もう()()()かもしれないけれど」

 

 あっ、と。再びビスマルクが漏らす。

 鉄血陣営と重桜陣営の、ボンドルドにとって最も大きな違いは、彼女──ボンドルドのような一点ものの開発ではなく、量産と販売であれば無類の才能を発揮する、明石の存在だろう。

 

 「そうですね。形状を変えるのであれば、明石に頼んだ指輪の量産も中止ですから」

 

 ボンドルドの言葉で背筋が凍ったのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 バタン、と、礼儀も何もなく、ただ動揺と恐怖を伝える騒がしさで扉が開かれた。

 

 「し、指揮官。助けてほしいにゃ・・・!」

 

 顔を蒼白にして駆け込んできたのは、今まさに話題に上った明石だった。

 

 

 



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53

 シャニマス!課題!課題!SS漁りからのモチベ低下!課題! って感じで遅れました。すまんな!生きてるよ!


 扉とボンドルドを結ぶ直線を遮る位置に移動しつつ、ビスマルクは小刻みに震える明石を一瞥した。

 

 「どうしたの、明石?」

 

 ビスマルクの問いかけに、明石は扉を警戒しながら答える。

 

 「ついさっきのことにゃ──」

 

 

 ボンドルドが作り上げた精神感応型能力補助装置“エンゲージリング”は、一先ず試作3号機までが完成とされた。

 試作一号機はボンドルドの手元に。試作3号機は改良の余地や不具合などを確認するためのテスターとして残り。試作2号機が量産機の雛型として明石に預けられた。

 

 指輪の収められた箱は、普段から小型試作品の輸送に使われる武骨な保護ケースだ。

 重桜や鉄血であれば日常的に見るそれを大事そうに抱え、明石は意気揚々と工廠への道を進んでいた。

 

 「にゃー。やっぱり指揮官は天才にゃ。汎用素材だけでこんなものを作っちゃうなんて・・・」

 

 セイレーン素材すら使わない、純然たるリュウコツ技術産の指輪は、原価をダイヤ換算で約200個相当。

 だが、専属契約(リストリクター)ではなくケッコンという呼称を使えば、KAN-SENにとっては莫大な付加価値になるだろう。ダイヤ200・・・いや、300は盛れる。

 

 「商売に興味がないのが残念にゃ・・・」

 

 口ではそう言いながらも、明石の顔には喜色しかない。

 ボンドルドが無関心でも、明石の手にかかれば多大なる利益を生むことが可能だ。その利益を元手にボンドルドが研究を進め、さらにそれを商売に使う。素晴らしきループだ。

 

 明石の商才は誰もが認めるところであり、その影響はレッドアクシズのみに留まらない。

 そんな彼女が意気揚々と歩いていれば、気になるのが当然だ。

 

 「随分と上機嫌ね、明石?」

 「普段通りにゃー」

 

 背後からの声に適当に答える。こういう時の明石ならこれが「普段通り」だし、特段気分を害することも、それ以上何かを訊かれることもない。

 だが、重桜の顔ぶれは今までとは少し異なっている。

 

 「何を持っているの?」

 「これにゃ? 指揮官に貰った指輪──」

 

 さて。明石最大の不幸は何だろうか。

 「指輪型の強化装置にゃ」というセリフの途中で、はてこの声は誰だっただろうかと止まったことか。

 振り向いた先に、微かな苛立ちと嫉妬を悪戯を思いついた時の笑顔で覆い隠しているオイゲンがいたことか。

 或いは──

 

 「へぇ、()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 その、相槌にしてはやけに大きな声が聞こえる範囲に、赤城、大鳳、愛宕、翔鶴という錚々たる面子がいたことか。

 

 

 そこまで語り、明石はびくりと身体を跳ねさせた。KAN-SENが誤ってぶつかったくらいではビクともしない強化鋼製の扉が、その材質故の重量を感じさせない勢いで開いたからである。

 バタン、というよりズドンと腹の底に響く音を立てた扉の向こうに、幽鬼のごとく立つ人影があった。

 

 「あぁ・・・かぁ・・・しぃ・・・?」

 

 間延びした、もはやおどろおどろしい声を上げるのは、既に一戦交えてきたのか服や髪を乱した赤城だった。

 

 「おやおや、ご機嫌ですね、赤城」

 

 父性すら感じる穏やかさを湛えるボンドルドだが、ゆっくりと立ち上がるその動作を、グローセが肩を押さえて止めた。

 黙って腰を落ち着けたボンドルドの両肩に手を置いてから、机の前に回る。

 

 「大鳳もいるのでしょう? 波状攻撃よりも、奇襲よりも、二人で協力した方が勝率は高いわよ?」

 

 金属を軋ませ、唸りを上げる∞型に展開された半生体の超大型艤装。赤城をすら怯ませる威圧感に当てられ、入り口で気配を殺していた大鳳がゆっくりと姿を現した。

 その表情に敵意や殺意はなく、それ故にビスマルクが怯えた声を漏らした。

 いつも通りの穏やかな微笑を浮かべ、大鳳が扇状の装甲甲板を展開する。

 

 「お優しいですわね、グローセ。0を1にしていただけるなんて」

 

 勝率ゼロと言われた赤城が大鳳を睨むが、反論の余地が無かったのか黙ってグローセに視線を戻す。

 

 「じゃあ、行きましょうか?」

 

 赤城も大鳳も、単純な能力だけを見るのならボンドルドを殺し得るKAN-SENだ。いくらグローセが最上位に君臨する『最強』とはいえ、狭い室内で背後にボンドルドを庇い、傷の一つも付けずに完勝できるかと言うと怪しい。最終的にグローセが立ち二人が沈んでいる確率だけを考えるなら100パーセントだが、ボンドルドが無傷ではない可能性がある選択肢は取れない。赤城にも、大鳳にも、グローセにもだ。

 

 「夕食までには帰ってきてくださいね」

 

 ボンドルドがどこか気の抜ける見送りをした。

 

 

 

 3人が買い物にでも出かけるかのように連れ立って部屋を出てから十数分後、艤装の所々に傷を付けたオイゲンとツェッペリンが入ってきた。ちなみに扉は蝶番が歪んでおり、無理に閉じると二度と開かなくなることが容易に予想されたので開けっ放しだ。

 

 「・・・あぁ、成程。お疲れさまでした、二人とも」

 

 合点がいった、というように手を叩き、ボンドルドが歩み寄る。

 何を、と考え、ビスマルクもすぐに思い至った。

 

 「明石を守ってくれたんですね。ありがとうございます」

 

 明石は練度100のKAN-SENだが、工作艦という特殊な艦種ゆえ、直接戦闘能力では同練度帯より幾らか劣る。それが大鳳や赤城といった強大な戦闘能力を持ったKAN-SENから、いくら全力で逃げたとはいえ逃げ切れるものか。その答えが、防御面に秀でたオイゲンとグラーフの負傷だ。

 

 「我は巻き込まれただけなのだがな・・・」

 「あら、じゃあ見捨ててくれても良かったのよ?」

 

 この世全てに憎悪を向けておきながら、あと一歩振り切れないグラーフの性格は、鉄血陣営では周知の事実だ。あれで仲間思いな一面もある。オイゲンは火種を投下した責任感か、或いは思った以上に延焼したゆえの罪悪感からだろう。不本意そうに、或いは飄々と、明石に迫る攻撃や追及を防ぎながら活路を切り開く光景が目に浮かぶ。

 

 「そうもいかん。卿曰く、我らは家族なのだからな」

 「丸くなっちゃって」

 

 呆れたように肩を竦めるオイゲンの表情は、むしろ喜色に振れていた。

 ボンドルドが指示を出し、二人は修復用のドックへ向かった。

 

 ところで、とビスマルクが提起する。

 

 「あの3人は、何処へ?」

 「いつもの・・・あぁ、失礼。君は初めてでしたね」

 

 こちらへ、とボンドルドの先導に従い、研究室を出る。演習海域にでも向かうのかという予想は裏切られ、ボンドルドは施設の屋上へと向かった。

 

 潮風を浴び、快晴の空と輝く陽光に目を細め──すぐに、視界の端に映るモノに瞠目した。

 

 「しきか──」

 「あそこですよ、ビスマルク」

 

 守る位置に移動したビスマルクの警戒に苦笑し、ボンドルドはそれを指向する。

 重桜領海内に突如として出現した、黒い球体。遠近感の掴みにくいそれは、ビスマルクのよく知る気配ながら、完全に未知の様相だった。

 

 「鏡面、海域・・・?」

 「えぇ。私の知る限りにおいて、最強の隠蔽・遮断率を持つ鏡面海域です」

 

 ボンドルドは語る。

 ゼロ質量のメタマテリアルを含むあらゆる質量体、存在と非存在の中間に位置する認識体──つまり、非顕現状態の艤装やKAN-SENの意識、そして光を含むあらゆる電磁波を遮断する、最強の鏡面海域。内部から外部、そして外部から内部への一切の干渉は不可能であり、鏡面海域をどうにかしない限り、入ることも出ることも叶わない。

 

 しかし、内部には外界と同等の環境が──つまり、何故か外界の天候に従った陽光が差し、外界の天候通りに風が吹き海が荒れ、重量に変化はないという。

 

 それは、いわば同位の別世界である。

 

 「3人は、あそこに・・・?」

 「いつもの事ですよ。心配はいりません」

 

 

 



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54

 モチベがね・・・無かったんだ。扁桃炎で寝込んでいたのは1週間だけで、ここまで遅れたのは偏にモチベが無かったからなんだ。

 でも評価が増えてたのでモチベが上がって書きました(激チョロ)

 感想・評価ありがとうございます! これからもお願いします! という前書き。


 「指揮官、なぜ、あんな・・・いや、あれをどうやって・・・?」

 

 鏡面海域は、セイレーン技術の産物だ。『前線基地』にある鏡面海域も、前線基地がもともとセイレーン支配域だったから備わっているに過ぎない。その発生装置の解析こそ済んではいるが、再現や無効化策の開発はボンドルドですら成功していない。

 ビスマルクは「なぜ(Why)」を問いたい気持ちを抑え、より重要な「どうやって(How)」を問う。行動の効率化は、鉄血陣営艦としての性質であり、ボンドルドの副官としてやっていく上で研磨されたものだ。

 

 「あぁ、君は知りませんでしたね。あれは重桜の最重要機密である『ミズホの神秘』が生み出したものです」

 

 ミズホの神秘。ある種の聖域とされるそれは、重桜の土地に、民に、海に、そしてその守護者たるKAN-SEN達に祝福を与えるという。

 それが何なのか。人物なのか。神仏なのか。或いは土地や力場か、はたまた装置のような物なのか。それを知る者は一人もおらず、ただ文献に、文面上に語られるだけのものだった。

 

 「()()が、()()を・・・?」

 

 重桜が誇る最強の鏡面海域。セイレーンの技術として知られるそれが『ミズホの神秘』によるものだと、ボンドルドは語った。

 

 「えぇ、その通りです。リュウコツ技術というブラックボックスを人類にもたらし、セイレーンに対抗する力を与えた。その一方で、セイレーン技術であるはずの鏡面海域を生み出す力もある。・・・不思議ですよね」

 

 長身を翻し、ボンドルドはビスマルクの顔を正面から覗き込む。

 ビスマルクの青い瞳が同様に揺れた。

 

 「私は、君たちKAN-SENを生み出すリュウコツ技術と、セイレーン技術は同系の・・・同じ系統樹に連なる別枝ではないかと考えています」

 「我々とセイレーンが同一種である、と・・・?」

 

 それはビスマルクにとって、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そもそも、薄々気づいてはいたのだ。

 

 鉄血陣営艦は艤装にだが、重桜陣営艦に至っては本体にセイレーン技術を取り込んでいる。しかし、多少の変質はあれど強力な拒否反応もなく、戦力強化として十分に利用できている。

 セイレーン支配域であるはずの鏡面海域からはKAN-SENがドロップし、架空艦というKAN-SENの極致も、メンタルユニットという限界を突破させるがごとき超越技術も、全てセイレーンからもたらされた。

 

 今までボンドルドの敵として無感動に、或いは素材として積極的に狩ってきた敵が、実は同族だった。()()()()()()()()()()。そもそもKAN-SENの根源である軍艦は、もとより同族殺しの為に作られた兵器である。

 それに、ボンドルドの実験の為にKAN-SENを使い潰すのが日常の鉄血陣営だ。今更種が同じ程度の相手を殺戮していました、と告げられても「へぇ」程度の感動しかない。

 

 「成程。であれば、どちらもその『ミズホの神秘』によって造られた技術体系なのかしら?」

 「私はそう考えています。ですが、まだ『ミズホの神秘』には手が届きません」

 

 ボンドルドは屋上の柵に歩み寄り、テクスチャがバグを起こしたように遠近感のない黒い空間を見つめる。I字に発光する仮面の奥では、きっと悔しそうな口調に似合わず心底楽しそうに笑っているのだろうと、ビスマルクは口角を歪めた。

 

 「『ミズホの神秘』はKAN-SENに、それも重桜陣営のごく一部のKAN-SENにのみ働きかけ、祝福を授けるとされています。いつか、その謎を──その祝福を、解き明かしたいものですね」

 

 好奇心に突き動かされる、子供のような願いだった。

 それはきっとミズホの神秘を解き明かしたところで終わることは無いだろうと簡単に想像できる。ミズホの神秘を解き明かし、セイレーンとKAN-SENの全てを知り、その先に何があるのか。分からない。分からないことは──何とも、素晴らしい。

 

 未知とは、先の見えない闇だ。その夜闇に覆われた道はしかし、きっといつか黎明が訪れ、解き明かされるだろう。

 

 その時には──いや、その後も。

 

 「ずっと、御傍に」

 

 

 

 ビスマルクが「専属契約なんてものを知らされた直後でテンションがおかしかっただけ。あんな大鳳みたいなことを言うつもりはなかった」と、若干失礼な後悔をするのは、その夜の事である。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 「・・・ラブコメの波動を感じます」

 「・・・遺憾ながら同意ですわ」

 

 遺憾なのはその波動を感じたことか、はたまた意見の合致に対してかと勘繰りたくなる組み合わせだった。

 重桜最強の一角である赤城と、同じく世界屈指の実力者である大鳳。二人の仲の悪さ──特に、ボンドルド絡みでの面倒くささは、重桜陣営の皆が知るところである。

 

 珍しく二人が一緒にいるのは、縦横本土からほど近い場所に浮かぶ無人島だ。無人島とは言うが、そこには栄えた都市の残骸が未だ朽ちずに残っており、セイレーンによって「島」の脆さや危うさが浮き彫りになった時代のことを思い出させた。

 

 二人が肩を寄せ合うのは、元はガソリンスタンドか何かだったのだろう、壁と天井がきっちりと残っている頑強な建物の中だ。こじんまりとはしているが、くつろぎたいわけではないし、身を隠すには十分といえる。

 

 「西側の索敵は感知ゼロ。敵影ありませんわ」

 「南側も同じく。全く、どんな隠れ方なんだか・・・」

 

 身を隠し、少数の偵察機での索敵しか行っていないことから分かるように、二人はいま「追われる側」だった。

 追う側であれば、それこそ空を埋め尽くすが如き艦載機の大群で以て、この都市の残骸から狐を追い立て二人の前に跪くよう誘導することも容易い。しかし今は、それだけの戦力である二人が、こうして馬の合わない相手と肩を寄せ合うだけの追手がいる。

 

 そもそも、セイレーンと制海権を争う存在であるKAN-SENが陸の上で何をしているのかと言えば、当然ながら戦闘訓練である。

 ただし、それはセイレーンではなく、()()()()()()()K()A()N()-()S()E()N()を相手取ることを想定した訓練だ。

 

 追う側は、レーダーは敵とすら認識しない人間を駆り立てることを想定し、レーダーは使わず。

 逃げる側は、正面戦闘では絶対的な差のある人間がするであろう、潜伏と奇襲を第一としたゲリラ的な戦法で。それぞれ制限を付けて戦うのが、この島での訓練だ。

 

 まぁ、重桜陣営と言えば鉄血に並ぶ、当時であれば比類なく世界最強の陣営だ。本気で殺し合いレベルの訓練をすれば、島一つ沈めることも想定されたからだろうが。

 

 さておき、二人は偵察機からの情報を精査し、かつレーダー情報にフィルターをかけた状態で、懸命に追手を探す。

 鉄血陣営らしい黒と赤の軍服を。夜闇のごとき黒髪を。全てを見通すという悪魔と同じ金色の目を。異質な半生体艤装を纏う鉄血陣営の中でなお異質な、超大型の艤装を∞の形に従えた、その姿を。

 

 「走査範囲を30キロまで拡張」

 「・・・了解ですわ」

 

 これでグローセが見つからなければ、二人は彼女が定めたキル・レンジの外に出ていることになる。最低限度の安全が確認されるということだ。

 1分。2分と経ち、二人は顔を見合わせる。

 

 「感知ゼロ」

 「同じく。・・・ふぅ」

 

 大鳳の安堵の吐息は些か気が抜けすぎだと、普段であれば赤城も眉根を寄せるところだが、今回の相手に限っては大目に見る。

 グローセは強力無比なKAN-SENだ。本気で二人を狩り殺す気なら、砲射程ギリギリの40キロ辺りからでも難なく遮蔽ごと吹き飛ばせる。それをしないのは、グローセが()()()だからだ。

 

 普通のKAN-SENであれば、砲撃の必中必殺距離は10キロから20キロ。戦艦でも30キロというのは有効射程限界に近く、綿密な測量と着弾観測を要する。鉄血陣営が──否、人類が誇る最高戦力であり、ボンドルドをしてKAN-SENの極致と、これ以上は無いとした最極の一であるグローセ。彼女の領域に至り、漸く必殺の距離を40キロまで拡張できる。“届く”と“当たる”、そして“沈められる”の間にあった超えられない壁を、彼女は超えて見せた。

 

 当然ながら、それはどの陣営においても──ビスマルクや長門といった陣営最強に挙げられる戦艦ですら叶わないことだ。

 

 もし敵対すれば、彼女は決戦計画級の分類に恥じぬ働きを、その区分が示す「一個陣営の趨勢を左右する」という戦力評価の恐ろしさを、存分に発揮することだろう。

 

 だが、グローセは()()()()()()味方であって、人類の味方()()()()

 

 つまり、敵対するという仮定が実現することは無いのだ。敵対的な架空艦が出現した場合に備えての訓練として本気の8割程度の彼女と戦うことはあるが、それは壊す物のない海上でのみ。陸上戦であるうちは、彼女は通常のKAN-SEN程度の力しか出さないよう、自分で決めていた。

 本気ならばいざ知らず、セーブ状態との訓練経験はある。知識と経験がある相手なら、赤城と大鳳の二人が勝てないことはない。なお、勝率は2対1の現状でも4:6で不利だ。

 

 赤城が自嘲気味に口角を上げた時だった。

 隣で偵察機からの情報を精査していた大鳳の表情が強張り、空気が張り詰める。

 

 「感アリ。・・・北東24キロの幹線道路を移動中。座標、送りますわ」

 

 ち、と、舌を打つ。

 南北は赤城が、東西は大鳳がカバーしていた。そして北東や南西といった曖昧な箇所は、二人が被せるように入念な走査が行われていたはず。それで見落とした──いや、隠れられ見落とさせられた。

 

 普段は堂々と、レッドカーペットを進む女王がごとき傲慢さで道路のド真ん中を歩いてくるような相手だ。事実、対人戦闘であればゲリラ相手でもそれで問題ないだろう。奇襲も罠も、KAN-SENの感知・戦闘能力相手には意味が無い。こそこそと動き無駄に神経を使うよりは余程手早く終わるし、赤城が追う側でもそうする。

 

 一体何故今更──と、苛立ち混じりに偵察機を差し向けて。困惑顔で大鳳と顔を見合わせた。

 

 「ローンさん、何故ここに・・・?」

 

 にこにこと楽しそうに廃墟の都市を見物しながら、ゆっくりと、しかし確実に二人が隠れている方向へ歩いてくるその姿は。

 未だその全力の戦力評価が定かではない、第二の架空艦。重巡洋艦ローンだった。

 

 

 

 

 



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55

 いつも感想・評価ありがとうございます!

 よほど核心に迫る質問とかでなければ答えるので、感想もお気軽にどうぞ!

 あとDOAコラボキャラが非常にえっちでよい。アズレンはほんとそういうところある。


 「そんなことは不可能です、どうかご再考ください!」

 

 無機質な白色で統一された部屋には、多種多様な研究機材と資料が詰め込まれていた。

 もはや乱雑なまでに配置されてはいるが、その並び方を見ればそれらが使いやすい、或いは見つけやすいように工夫されていることが分かる。

 

 機密保持の為に極限まで防音加工のされた部屋には、その悲鳴は響かない。しかし、目の前のデスクに掛ける人物に向けるには十分な声量だ。

 

 左右色違いの瞳は、一様に不機嫌そうな光を湛えて声の主を見返す。

 人間以上の存在であるKAN-SENの、その中でも特に異質な存在が放つ威圧感に、その研究員は一歩後退した。

 

 「可能か不可能か、そんな議論は無意味だと何度言えば分かる?」

 

 青い左目を細め、金色の右目が開かれる。顔全体で「馬鹿なのか」と問うようなその表情に耐えるが、舌鋒は緩まない。

 

 「可能なんだよ。そう結論され、実証され、証明過程まで示されてなお、君たちは“不可能です”の一点張りだ」

 

 こつ、こつ、と不機嫌さを表すように机を叩く。

 彼女──鉄血仕様型アークロイヤルが志願し、新に任じられた椅子は、『指令室』直下の極秘研究施設の長だ。旧鉄血陣営支配域であった『前線基地(イドフロント)』をそのまま転用したそこは、今は『研究室』と呼ばれている。

 

 「しかし──」

 

 言い募ろうとする研究員を、片手を上げて制止する。

 

 「非人道的だと、そう言いたいのだろう?」

 「ッ、その通りです! KAN-SENの頭蓋を開き、精神を固定化して摘出するなど、あまりにも──」

 「残酷だな。悍ましく、非人道的な──あぁ、まさしく人道を踏み外した外道の如き所業だ。・・・それで? どこが、どのように不可能なんだ? 実現可能性に差し障る要素は?」

 

 今度こそ完全に、研究員は押し黙る。それは理知的に論破されたことによる沈黙ではなく、むしろ理解できないものに際した本能的恐怖に由来する沈黙だ。

 畳みかけるように、アークロイヤルは言葉を紡ぐ。

 

 「我々は──ロイヤル陣営は遅れている。劣っている。何故だ? 豊富な人材を持ち、広大な支配域を持ち、何故、セイレーンやレッドアクシズに劣る?」

 「それは・・・彼らの技術が、我々より優れているからです」

 

 研究員が口にしたのは紛れもない事実であり、同時に、ロイヤル陣営の殆どが認めようとしないものだった。

 それを認めるだけの度量と、それを見抜くだけの眼を持っているからこそ、彼は『研究室』に所属しているのだろう。そして、それはアークロイヤルが求める答えでもあった。もしここで「自力で劣る彼らが勝る点は、ただ外法を採り入れる度胸だけ」といった()()()()答えを口にしていたら、彼は馘首になっていた。

 

 「その通りだ。セイレーンの技術力は凄まじい。リュウコツ技術の深淵に手を伸ばすだけの力を持つ黎明卿もまた、そうだ。・・・そして今、我々はそれを手にしようとしている。遥か先を行く彼らに追い縋るための一歩を、いま踏み出そうとしている」

 「ですが──その一歩は、間違いなく道を外れる一歩です」

 

 歯を食いしばり、文字通り絞り出したその言葉は、しかしアークロイヤルの決意を変える力を持たなかった。

 

 「当然だろう。人道の外を往く彼らの、遠い背中に手を届かせるための一歩なのだから。──分かったら、速やかに実験を開始しろ。これは命令だ」

 「・・・了解しました。失礼します」

 

 「・・・・・・はぁ」

 

 研究員が退室し、完全に扉が閉じるのを待って吐き出された溜息は、どんな意図があってのものか。

 カウンセリング紛いのことをしている自分に向けた嘆きか、現状に追い立てられてなお人道に拘泥する“人間”への呆れか。或いは──庇護すべき人間に人道を捨てさせる、自分への怒りか。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 この鏡面海域によって完全に隔離された島に居るはずのないローンは、楽し気に道を歩き、時に崩壊したビルや店に踏み入り、探索を満喫していた。

 上空から走査する偵察機にとって、屋根の下に入るというのは確かに有効な遮蔽になる。だが、まさか本当にそんな手段で、赤城と大鳳の索敵を掻い潜ったと言うのか。しかも、何ら気負うことなく、むしろ観光客のような安穏さで。

 

 「何なの、あの子・・・」

 

 赤城の嘆息に混じる苛立ちは、そんな相手すら見落とした自分自身の未熟に向けてか。

 ローンは確実にこちらの位置を見つけ、寄り道しつつも向かってきている。いま確実に敵対しているのはグローセだけだが、ローンは無視できる相手では無いし、何よりその意図がまるで読めないのが不安を煽る。

 

 「大鳳、グローセの捜索を任せるわ」

 「・・・了解ですわ」

 

 大鳳にとって、赤城はいろいろと気に喰わない相手だ。何を勝手に、と言い募りたい。しかし、口論をする暇があるのなら一刻も早くグローセを見つけ、有利な位置にリポジションしたいのも確か。いくら重桜の建築物が偏執的なまでに頑強とはいえ、戦艦の砲撃には耐えられまい。

 

 数分、無言が続く。

 赤城は時折建物を物色して視界から消えるローンを懸命に追跡し、大鳳は何処にいるのかも定かではないグローセを探して。

 ふと、声が上がった。

 

 「・・・え?」

 「・・・感嘆符ではなく、報告を頂けます?」

 

 嫌味混じりではあるが、大鳳の言も間違いなく正論だ。

 相手は全KAN-SENの頂点に君臨する最極の一。一瞬の遅れ、一分の隙でも見せれば、そこから食い破られるだろう。・・・まぁ、隙など無くても食い散らかすだけの強さがあるからこそ、彼女はああまで指揮官の信頼を得ているのだろうが。

 

 苛立ちつつ、赤城は走査の目を止めることなく言葉を紡ぐ。

 

 「ローンを見失ったわ。恐らく、地下施設に入ったと思われるけど・・・」

 

 詳細は定かではない。もしかしたらビルを物色中に気の惹かれるものでも見つけて道草を食っているか、或いは抜け道のような物を見つけて移動しているかもしれない。

 面倒なことになった、と、二人が顔を見合わせて嘆息したときだった。

 

 ゲリラ役、つまり狩られる人間の役であり、レーダーを含む感知機能を極限まで絞っていた二人にも分かるほど近くに、KAN-SENの反応が出現した。

 

 「ッ!?」

 

 咄嗟に艦載機を展開しようにも、ここは室内だ。反応がグローセであれローンであれ、戦うには些か以上に不利な位置である。

 防御能力に秀でた大鳳が先んじて建物の壁を蹴り破り、装甲甲板を盾に周囲を確保する。島が放棄されてから数年といったところだろうが、瓦礫が巻き上げる砂塵は視界を妨げるに十分な濃さだった。

 

 しかし、崩れた壁を飛び出し、艦載機の発艦に際して邪魔なものが無くなった室外であれば。空母にとっての目は全ての艦載機だ。鳥瞰視点を得た二人は、砂塵の中で煩わしそうに顔の周りを扇ぐ人影を見つけていた。

 

 「ローン・・・貴女、何をしているの?」

 

 こめかみを押さえつつ、赤城が問いかける。出現こそ唐突だったが戦意の感じられないその様子に、二人は半ば呆れすら感じていた。

 

 「いえ、実は──お二人に加勢しようと思いまして」

 

 「「・・・は?」」

 

 シンクロした言葉に、心底嫌そうに互いの顔を見る二人。それを愉快そうに一瞥して、ローンは言葉を続けた。

 

 「これ、指揮官の新しい発明──確か、専属契約(リストリクター)でしたか? その対象に誰を選ぶか、というお話でしたよね?」

 

 またライバル出現か、と、二人は複雑な心境だった。

 確かに、ボンドルドは魅力的(二人主観)だし、その魅力が伝わるのは仕方ない。愛する人の素晴らしさが多くに受け入れられるということは、妻(二人主観)にとっても喜ばしいことだ。だが、その地位を勝ち取るには文字通り力が必要だし、ここにきて推定グローセの8割程度には強いとされる相手が追加と言うのは、少し厳しいものがある。

 まぁ愛と言うのは障害が大きく多いほど燃え上がるものではあるが。

 

 そんな二人の内心を知らないまま、ローンは穏やかな微笑を浮かべて続ける。

 

 「肉体面・装備面では頭打ちになってしまったKAN-SENの、その強さをさらに底上げするための精神面での強化アプローチ。それって、つまり──もっと強くなれる、ということですよね?」

 

 穏やかな微笑が陶然としたものに変わり、二人の呆れ顔は「うわぁ・・・」とでも言いたげなものにシフトした。

 

 「・・・まぁ、そういうことなら──」

 

 赤城が半端に言葉を紡ぎ。言い切る前に、艶やかなる死の宣告が齎された。

 

 

 「見いつけた。さぁ、憎悪、恐怖、絶望の奏でを──!!」

 

 

 最強のKAN-SENの一撃が着弾と共に砂塵を巻き上げ、爆炎は狼煙となり、戦端は開かれた。

 

 

 



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56

 またぞろ挿絵を描こうとしたのですが、どうにも上手くいかなくて辞めました()


 フリードリヒ・デア・グローセというKAN-SENを語り、また仮想敵とする上で外せない要素とは何か。

 

 セイレーンの要素を本体や艤装に取り入れた重桜・鉄血のKAN-SENにとって、彼女の受けた対セイレーン特化改修は、他のどの陣営のKAN-SENにとってのものより脅威となる。

 

 被弾のみならず、接近に対してすら反応する装甲無視の特殊弾幕スキル『破壊のSinfonie』は、どの艦種のKAN-SENに対しても障害となる攻勢防御だ。

 

 自身が攻撃するごとにその性質を変える強化スキル『混沌のSnoate』は、単純な強さだけでなくトリッキーさを与え、強さに幅を持たせている。

 

 そして自身が有利であれば火力に、不利であれば防御に強力な補助をもたらす『闇黒のRhapsodie』が、彼女に一切の隙を作り出さない。

 

 列挙するだけで如何に強力な存在かが分かるスキルを持つ彼女だが、彼女の指揮官であるボンドルドも、彼女自身さえも、そのスキルには一定の評価しかしない。

 では一体何が、彼女を最強のKAN-SEN足らしめているのか。

 

 それは、その金色の瞳と同じものを持つという、悪魔の如き先見性だ。

 

 旧世代のある数学者は、こう語った。

 『ある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができれば、その目には未来すらも見えているであろう』

 

 戦場を構成する全ての要素を。波を、風を、敵を、味方を、自分自身を。その全てを観測することができるグローセは、戦場の未来を知るが故、悪魔の如き強さを得た。

 それはかつてボンドルドに拾われたダイドーが経験した時間遡行による未来知の、その無敵性の再現──否、完全上位互換といえる。

 

 

 

 しかし。時代は変遷する。KAN-SENを強化する技術は開拓され、かつてのグローセに並ぶと自他ともに認められる程度には、赤城も大鳳も育っている。

 即時撤退技術を導入され、死を克服したKAN-SENを指して言う『不死の艦隊(エインフェリア)』という称号が、かつてはグローセの指揮する艦隊に捧げられた称号であったように。強さは、今や遍在しているのだ。

 

 ボンドルドの右腕(グローセ)の地位は、最早競合されるだけの、手の届く位置にあると。グローセ(おまえ)の強さに率いられるだけのレッドアクシズでは、ボンドルドの艦隊ではないと。

 

 「そう示してご覧なさい!」

 「そう示して差し上げますわ!」

 

 大鳳が吠えるのに先んじて、グローセが哄笑する。

 しかし、その程度にはもう慣れっこな二人だ。ローンだけは、微かな驚きと興奮を覚えているようだったが。

 

 グローセの従える超大型の半生体艤装が蠢き、特大の砲口を覗かせる。指向する先は大鳳と赤城だ。最強のKAN-SENが放つ威圧感は、人間であれば死を錯覚させ心臓を止めることすら可能だろう。

 本体による照準とトリガーの必要な他陣営のKAN-SENよりも、艤装が意思を持つ鉄血陣営艦の攻撃は発生が早い。

 だが、それは本体に手を加え強化した重桜陣営のKAN-SENも同じだ。

 

 大鳳と赤城の二人から、空を埋め尽くすほどの艦載機が放たれる。

 それは差し迫る死に備えるものではなく、死を乗り越えた次に、逆に相手の喉笛を食いちぎるための攻勢用意だ。

 

 大鳳は防御に秀でた装甲空母であり、赤城も重装甲ではないにしろ、耐久力では他より秀でた正規空母だ。とはいえ、超至近距離──グローセの装甲無視弾幕の発動には十分な距離だ。当たり所が悪ければ一撃で沈みかねないし、急所を外すような距離でもない。つまり、必殺の距離だ。

 

 だが、それは()()()()の話。

 

 黒い影が動く。

 

 彼女はグローセと同じ架空艦ながら、誰にも同格としては扱われず。8割程度の強さとだけ見込まれ、ロイヤル陣営にすら一個連合艦隊()()で確保できるとされた。

 そんな軽視を。蔑視を。軽侮を。許すような女ではない。

 

 「えぇ、えぇ、それが最適解よ! ──《破壊のSinfonie》」

 「私を──舐めるなッ!」

 

 指揮棒が振られ、視界を埋め尽くす密度で、装甲を無視する極悪の弾幕が展開される。

 割り込むように、青白い燐光を纏う盾が展開された。

 

 ローンが持つスキルの一つ、『全方位装甲』だ。あらゆる攻撃を遮断するそれは、触れれば一撃で轟沈すら有り得る弾雨を防ぎ止める。

 

 イラストリアスのスキル『装甲空母』と違うのは、イラストリアスの与える無敵の加護には限界値があるのに対し、ローンの盾にはそれがないということだ。イラストリアスの防護は付与される装甲値を一撃で貫通するほどの火力──例えば、ボンドルドの『火葬砲(インシネレーター)』などには無力と言う弱点がある。ローンの盾には防御限界値は無く、理論上、ボンドルドの『火葬砲(インシネレーター)』も『枢機に還す光(スパラグモス)』も受け止められる。

 

 勿論、無敵という訳ではない。攻撃を完全に吸収するその盾は、防御限界値が無い代わり、耐久値はかなり低い。砲撃であれば8回程度も防御すれば、すぐに盾を構成するエネルギーを使い切ってしまう。脆さをカバーするために量を展開しようにも、4枚ほど作り出せば、30秒はリチャージが必要だ。

 

 だが。目の前に迫る弾幕を凌ぎ切ってしまえば、暗雲の如き艦載機群からの大規模攻勢が始まる。それに、グローセの特殊弾幕とてエネルギー消費は大きい。そう連発できるものでもないはずだ。

 

 光り輝く死の雨を、盾を駆使して防いでいく。いつ終わる? 盾で弾ける弾幕で、その密度の衰えが、その先にあるグローセの表情が、最も警戒しなくてはならない艤装の動きさえ見ることが出来ない。

 役割通り死を8回克服して、盾が割れる。あと3枚、あと24回しか防げない。まだ弾幕は続いている。盾が割れ、死が近付いてくる。盾が割れ、割れ──死の弾雨が、晴れた。

 

 「ッ!!」

 

 即座に艦載機群の攻勢が始まり、こちらの勝利が──

 

 「ぇ?」

 

 視界に、雨。

 

 ぼとり、ぼとりと、暗雲がその身を雨と墜とし、その密度を見る間に失っていく。

 

 炎上し墜落する鉄の雨は、グローセの周りを避けるように落ちては消えていく。

 

 いつの間に、と考えて、すぐにその答えは導き出せた。

 スキルだ。あの『破壊のSinfonie』は、大鳳でも赤城でも、ましてやローンを狙ってのものではない。

 

 グローセは赤城と大鳳が発艦した艦載機の群れを、対艦用弾幕で撃ち落としたのだ。

 ローンが受け止めたのは、その余波に過ぎない。

 手に刺さったトゲをハンマーで抜くような所業の、過剰で精密な荒業の、ほんの余り物が、ローンに死を覚悟させたのだ。

 

 凄い。強い。凄まじい。素晴らしい。感動的。こういう時に浮かぶあらゆる感嘆はしかし、そのどれもがローンの内心に合致しなかった。

 

 

 「あぁ、なんて──妬ましい」

 

 

 穏やかな微笑を絶やさない普段のローンからは想像もできないほど、凄惨な笑顔を浮かべる。

 瞳の色が変わるほどの興奮と、思考を埋め尽くすほどの強烈な嫉妬。いつかそこに辿り着きたいという羨望と、手を届かせるという強靭な決意。

 

 そんな内心は、戦場のあらゆる全てを観測する悪魔の瞳に映り──グローセが初めて、ローンに微笑を向けた。

 

 「あぁ──ボウヤと同じね。素晴らしいわ」

 

 

 



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57

 絵の練習するか! と決意して数時間。

 この話が出来上がっていました。


 かつて、架空艦フリードリヒ・デア・グローセは神であった。

 

 武神の如き強さを誇っていたという比喩も含むが、重桜では実際に彼女を神体とする宗教が興ったこともある。

 

 あらゆるKAN-SENにとって、彼女は仰ぎ見ることすら叶わない別存在だった。

 あらゆる人間にとって、彼女は理解できないKAN-SENという存在の中でも一際濃い闇の中にいた。

 

 人類には理解を放棄した安心と信仰を。KAN-SENには尊敬と畏怖を齎して、彼女は遥かな視座に在った。

 KAN-SENの身にありながら、やはり通常のKAN-SENとは違う存在なのだろう。それほどの隔絶を前に、彼女は何ら情動を起こさなかった。守護者としてでも尖兵としてでもなく、ただ単なる超越者として、微かな落胆だけを抱いていた。

 

 幾多のKAN-SENがその強さに憧れ、挑み、挫折し、諦めて頽れる。

 幾多の人間がその強さに恐怖し、挑み、挫折し、諦めて頽れる。

 

 KAN-SENは強さを求め、人間は未知を恐れて、そしてすぐに挑むことを諦め、彼女の影に生きることを選択した。

 

 しかし彼女は、そんな人間を見限らなかった。

 いや──端から、そんな人間は眼中になかったと言った方が正しい。

 

 彼女が見るのは、常に先導者の背中だった。

 

 黎明は──夜明けの光は、太陽が姿を現すより早くに訪れるのだ。

 黎明(先導者)にとって、太陽とは己を導く者でも守るものでもなく、ただ己の後に付き従うものだ。

 

 人類を覆う夜の帳を厭い、何よりそれを解き明かすことを願い、自ら黎明となり太陽を導き──否、KAN-SEN(太陽)を従え、碧き航路を守護する者。

 

 何より強烈な憧れを宿した、子供のような瞳の輝きを、グローセが忘れたことは無い。

 

 

 

 羨望を、憎悪を、嫉妬を、畏敬を。そして何より強烈な憧憬を宿したローンの瞳に、グローセは半ば魅入られていた。

 

 まぁ尤も──

 

 「舐めるなッ!」

 

 その慈しむような目は、どうしようもなくローンの怒りを逆撫でするのだが。

 

 架空艦に特有の特殊改装、対セイレーン特化改修の施された艤装であれば、セイレーン技術の組み込まれた半生体艤装を使うグローセにも有意なダメージは見込めるはず。

 しかし、それはグローセの攻撃が、ローンに対して特攻を持つということでもある。ただでさえ、ほぼ必殺の威力を持つというのにだ。

 

 ぎちり、と、ローンの怒りを汲んだように、半生体艤装が軋みを上げる。

 呼応するように、グローセの双頭の艤装が威嚇するように唸った。

 

 大口を開けた艤装の、その開口部。各々が装備する最大口径の主砲が収められている箇所を互いに指向するその姿勢は、正面からの撃ち合いという、KAN-SEN同士の戦闘ではまず起こり得ない状況を示す。

 

 KAN-SEN同士の戦闘の趨勢を決めるのは、練度と装備が8割だと言われている。

 仮に練度50の戦艦が全力の砲撃を不意討ちで命中させたとして、相手が練度100の戦艦であれば、難なく耐えた上で反撃を貰い、逆に沈められるというのが定石だ。

 

 ローンとグローセは、共に最適装備を最大まで強化し、さらに練度120──成長限界に至る。

 ならば残りの2割──戦術が物を言う。有利な位置を取り、弱点への有効打を着実に積み重ねることが、ローンに残された唯一の勝利への道筋。そのはずだ。

 

 しかし、ローンは転進すらせず、正面からグローセと──島を削ることすら可能な戦艦を相手に、正面から撃ち合おうとしている。至近弾の一発で小破、直撃すれば一撃で戦闘不能に陥らせるだけの攻撃が可能な相手と、だ。

 ローンは確かに戦闘狂だが、愚かな女ではない。

 勝てない相手であれば戦術を、仲間との連携を用いるだけの分別はある。

 

 異常と言えば異常な行動に首を傾げるのは、次波の発艦タイミングを見計らっていた空母の二人のみ。

 

 グローセは観察する。考察する。

 無数に浮かぶ仮説の中から、明確に否定されるものを排除していく。そして残る、『在り得ないと思われる』仮説を拾い上げ。

 

 「そう。じゃあ、テストをしましょうか!」

 

 嗤った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ボンドルドの持つ武装は多岐に渡る。

 

 海面を走り、ホバー移動や跳躍も可能にする脚部ユニット。銃弾や刃物のみならず、KAN-SENやセイレーンの攻撃にすら耐える全身装甲。KAN-SEN級の力と速さをもたらす駆動機構とジェネレーターに、それらを過つことなく制御するプロセッサー。それらで全身を覆う強化外骨格『暁に至る天蓋』。

 

 敵、味方、環境の全てを観測し分析する情報制御端末。仮面状のそれは、影響を及ぼす対象を任意に選択し攻撃できる最上の随意攻撃武装『明星へ登る』を組み込んでいる。

 

 両腕部、肘方向に中射程の光剣を発生させる『枢機に還す光』は、触れたものを斥力によって切断するのではなく、分子結合すら崩壊させるほどの熱によって消滅させる“分解兵器”だ。

 

 両掌と足裏に開いた砲口は、枢機の光と同系の長距離火砲『火葬砲』のものだ。両腕のものよりも射程と口径、そして威力に優れたそれは、イラストリアスのスキルによる装甲すら一撃で貫通する威力を持つ。

 

 ボンドルドの武装でどれが一番危険なものか。その問いには、レッドアクシズに所属するKAN-SENが異口同音に主張するだろう。

 「それは火葬砲だ」と。

 

 オミッターの主砲をベースとするそれには、弾速という概念が殆ど無い。

 それは、光だ。発射から着弾まで、ほぼ全ての遮蔽と環境を無視してノーラグノータイム。光だからと言って安直に鏡やガラスのように屈折を盾にすれば、副産物である熱がまずそれを蒸発させ、続く消滅の光が敵対者を呑み込むだろう。光すら呑み込むブラックホールでもなければ、盾にはならない。

 

 それほど強力な武装だ。

 常に艦隊単位で行動するKAN-SENに導入するには、誤射や暴発が危険すぎる。

 それ以前に、そもそもセイレーンの素材はごく一部がKAN-SENに導入できるのみで、主砲をそのまま転用するということは出来なかった。実験用の機材として運用しているように、艤装に組み込まずとも稼働はする。しかし、軍事基地のように恵まれたエネルギー環境が前提だ。KAN-SENや暁に至る天蓋のような超級のジェネレーターでも無ければ、実験室の外ではまともに稼働しない。

 

 ところで、悪魔の証明、という問題がある。

 極端に端折って言えば、何かが「ない」「できない」ことを証明することは難しい、という問題だ。

 証拠の不在は、不在の証拠ではない。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ◇

 

 

 

 軋むような駆動音は、ローンの艤装から。

 微かに驚いたような吐息は、グローセから。

 

 ローンが従える単頭だが大型の半生体艤装が大口を開け、内部を覗かせた。

 

 「なっ・・・!?」

 

 驚愕の声は全く同時に、赤城と大鳳から漏れた。

 

 光が溢れ出る。それは太陽のように暖かい色をして、そして。

 

 

 どうしようもなく死の匂いを漂わせていた。

 

 

 



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58

 そういえば万人受けするような作品でないことを思い出したので初投稿です


 ボンドルドがローンにのみ導入した、対()()攻撃用主砲。『火葬砲(インシネレーター)』よりもオミッターの主砲に近いそれは、命中しさえすればグローセであろうと大破は免れない。

 当然ながら模擬戦程度に使っていい代物ではない。だが、グローセの凄惨な笑みは深まるばかりだ。

 

 収束する赤い光が、正に解き放たれようとしたその瞬間だった。

 

 みし、と、軋みが上がるのを自覚して、ローンは凄惨な笑みを浮かべた。意識の端で、本能だか理性だか分からない何かが警鐘を鳴らしている。

 

 「ッ、グローセ、彼女は一体!?」

 「暴走しているようにしか見えないのですけど!?」

 

 赤城と大鳳の悲鳴が聞こえる。

 彼女たちは傷付けてはいけない。友軍は、傷付けてはいけない。それが兵器というモノだから。

 

 歪み、軋み、剥がれていく。みんなが丁寧に造形して、丁寧に塗装して、決して外に漏れ出ないようにと押し込めていた、大事な大事な──

 

 「ぁ、あ、あは、あははは──!!」

 

 私はローン。鉄血陣営所属の重巡洋艦。趣味は放生──趣味? 兵器である私に、そんなもの──いえ、兵器である以前に、私は、重巡洋艦ローンという存在は、非存在は──

 意識が塗りつぶされていく。塗りつぶされて? いや、違う。これは、むしろ戻って──

 怖い?寂しい?悲しい?辛い?悍ましい?

 違う。違う。違う。違う。違う──

 わたしは兵器。わたしは非存在。わたしは。わたし(オレ)わたし(拙者)わたし()わたし(自分)わたし(ボク)

 

 

 

 

 私たちはKAN-SEN。人類を未来へと導く兵器

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 「・・・え?」

 

 次にローンが目覚めた時、目に入ったのは清潔感のある白い天井だった。

 艤装の改造手術と、それに伴う本体の最適化を受けた時に横たわった手術台。寝心地よりは安定性を重視したそこに、ローンはまた寝かされていた。

 無影灯の光が目に染みて、そっと瞳孔を絞る。

 

 「お目覚めですか、ローン」

 

 傍らに影のように立っていたボンドルドが心配そうに──顔は見えないので気配からの判断だが──覗き込んだ。

 妙に威圧感と不気味さを伴う所作だが、ローンは不本意ながら安心感を覚えた。

 

 「指揮官、私は・・・」

 「あぁ、まだ所々修復しきれていませんので、あまり動かないように」

 

 身体を起こそうとして止められ、気付く。

 右腕と左足が無く、右脇腹のあたりには修復直後に特有の違和感があった。

 

 「驚きましたよ。鏡面海域から出てきたとき、君は艤装・本体共に大破していました。グローセが加減を誤るとは、珍しい災難に遭いましたね」

 

 その言に違和感を覚える。艤装・本体大破といえば、KAN-SENでも死を実感するほどの大怪我だ。とはいえ、KAN-SENは身体の崩壊が始まりさえしなければ、たとえ指の一片しか残っていなくても修復ドックに入れれば治る。

 

 大怪我だろうが擦り傷──重巡洋艦に“擦り傷”を付けるだけの凶器は、おそらく人間にとっては致命傷を免れないものだが──だろうが、とにかく修復ドックに投げ込んでおくというのがセオリーであり、また最も盤石な治療法だ。

 

 如何にボンドルドが優れた技術を持っているからと言って、ドック以上の治療行為を施すことは不可能だと断言できる。

 とはいえ、ボンドルドは鉄血陣営艦から見てもちょっと引くレベルの効率主義者であり、また理想主義的現実主義者でもある。そのボンドルドがドックではなくこの手術室に運び込んだということは、修復以外の処置が必要だったということだろう。

 

 「私は、負けて──いえ、私は一体、何を、どうして・・・?」

 「・・・まだ、少し混乱しているようですね。もうしばらく休んでください」

 

 監視役か看護役か定かではない、表情の読めない仮面を着けた研究助手『祈手(アンブラハンズ)』を一人残して、ボンドルドは部屋を出て行った。

 祈手は全てボンドルドだ。そういう意味では彼はまだここに残っているし、監視でもあり看護役でもあるのだろう。そんなくだらないことを考えられる程度には冷静だったが、ローンの性格を考えれば、むしろそんな下らないことを考えるほどに動揺していたのかもしれない。

 

 感覚的に、ローンは理解していた。ボンドルドに投げた問いは、ただ思考を纏めるため。或いは、ボンドルドにその仮説に対するお墨付きをもらうためのもの。

 

 あれは、暴走などではない。むしろ、あれをより正確に評するならば──後進復帰、或いは原点回帰

 

 

 「・・・あは」

 

 ローンは正しかった。その在り方は、ただ非存在が存在の模倣をしただけなどではなく、むしろ歪みとされるものこそが本質であり、正しいものだった。

 それが嬉しくて。或いはどうしようもなく悲しくて、ローンはただ、嗤った。

 

 

 

 手術室を出たボンドルドを出迎えたのは、どこか上機嫌そうなグローセと、反対に不機嫌そうな大鳳の二人だった。

 

 「おや、赤城はどうしました? 彼女も興味を持っていた様子でしたが」

 「修復ドックですわ。あれだけの戦闘でしたから、お疲れなのでしょう」

 

 珍しく何の皮肉も交えずに言った大鳳の表情にも色濃い疲れが浮かんでいるのを見て、グローセが苦笑した。

 

 「貴女も相当なダメージを負ったはずなのだし、休んだ方がいいんじゃないかしら?」

 「・・・」

 

 斯く言うグローセには一片の疲労も見受けられない。彼女たちの報告によれば、暴走状態にあったローンの片足と半身を噛み千切ったのはグローセの艤装であり、つまりローンを鎮圧したのは彼女のはずなのだが。

 大鳳が羨望交じりに向ける「なにこいつ」という視線を涼し気に受け流して、グローセがボンドルドに向き直る。

 

 「今日のところは赤城もローンも本調子じゃないし、説明は後日でいいんじゃないかしら?」

 「えぇ、そうしましょうか。・・・あぁ、そうだ、グローセ」

 

 これでお開き、という空気になり、実際に二人とは別方向に歩き出したボンドルドがふと足を止め振り返る。

 形式的なやり取りは研究の時間を奪うだけと、こういう時にさらっと大事な連絡事項やら命令やらを通達することの多いボンドルドだ。自然、二人の意識も集中する。

 

 その甲斐もなく、出てきたのは本当にどうでもいい──少なくとも、陣営の趨勢を左右するものではなかった。

 

 「その指輪、とてもお似合いですよ。グローセ」

 「・・・ありがとう、ボウヤ」

 

 グローセは右手の薬指に輝く指輪が霞むほど美しい微笑を浮かべた。

 

 



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59

 対セイレーン特別武装非政府組織『アビス』は、旧世代の国連とは完全に別物の組織だ。

 加盟には単独でセイレーンと対抗できるだけの戦力が要求される代わりに、その門扉は国家や陣営だけでなく、傭兵や個人にも開かれている。

 セイレーンの攻勢に対する人類とその生存領域や交易ルートの確保・保護を第一に。第二にはセイレーンという存在の駆逐と根絶を掲げる、人類に残された最後にして最大の砦。

 現在の加盟陣営は、成立時の四大陣営から『重桜』と『鉄血』の二つを省いた二大巨頭、『ユニオン』と『ロイヤル』のみだ。

 

 しかし、まだ人類にはそれ以外の陣営も残されている。

 単独ではセイレーンに抗い切るだけの戦力を持たず、『アビス』からの戦力派遣や救援対応などで命を繋いでいる、いわば衛星陣営。

 ロイヤルに大幅な内政干渉を受けている自由アイリス教国や、鉄血陣営との連合同盟を結んでいるサディア帝国、ヴィシア聖座などがそうだ。

 

 そして、中には『アビス』からの援助をほとんど受けずにセイレーンと対抗している独立陣営も存在する。

 北極海周辺の制海権を長年セイレーンと争っている北方連合がそうだ。精強なセイレーンが跋扈する海域だけあって資源やドロップに恵まれるそこを支配する彼らは、その権益と自立を守るため、『アビス』にではなく陣営ごとに戦力提供を依頼することが多い。

 中でも物理的に近いロイヤルと鉄血、そして重桜には、頻繁に救援要請が飛んでいた。とはいえ質の戦力が求められる北極海において、ロイヤル陣営は歯が立たず。ボンドルドが『アビス』の命令で左遷されて以来、海域確保に積極的では無かった重桜は殆どの救援要請を無視し。結果的に、条件を満たし、かつ見返りも求めない鉄血陣営が対応していた。

 

 『アビス』にではなく鉄血陣営と仲を深めていたこともあり、レッドアクシズ成立後も変わらない対応になるだろう。そう見込んでいたのだが──

 

 「では、出撃に係る燃料・弾薬とその他の経費は後程請求いたしますわ。報酬については後日ということで」

 

 と、良い笑顔で突き付けられたのは、かつて鉄血陣営の外交を一手に担い、今はレッドアクシズの外交担当としてその辣腕を振るっている大鳳にだった。

 

 さて。鉄血・重桜に共通して言えること、つまりレッドアクシズの特色として、その精強な艦隊が当然挙げられる。そして、数ではユニオンやロイヤルに劣る彼らが、何故その評価を得られたのか。

 それは、戦艦や空母といった一騎当千を旨とする大型主力艦にある。

 

 極論、海戦というのは戦艦と空母を無数に並べてゴリ押せば勝てるのだ。潜水艦の雷撃で一隻、二隻沈もうが、核搭載フリゲート艦が薙ぎ払おうが、それを差し引いてもなお海面を埋め尽くすほどの大型艦を並べれば勝てる。そのバカげた理屈を通せるだけの戦力を持っていたセイレーンのグリーンランド艦隊を見よ。

 

 損耗率は8割を超えた。壊滅だ。

 

 たった一隻の戦艦を拘束しようとしただけで、人類を2、3回滅ぼせるだけの戦力が海の藻屑と消えた。

 机上の空論を実現した超大規模艦隊すら、その机上存在の前に屈服した。

 

 その戦艦を筆頭に、指揮能力に長けたビスマルクや単独で天を覆うほどの艦載機を運用する大鳳やツェッペリン、赤城といった大型空母を擁する。作戦立案能力であれば『アビス』最高峰と言われた天城までもがレッドアクシズに属するというのは、本当にどういうバランスなのか。ロイヤルの気持ちが分かるような気もする。

 

 閑話休題。

 

 レッドアクシズの主力は大型艦であり、須らく燃料や弾薬の消費が激しい。特に鉄血陣営はロイヤル陣営と戦争状態にあることもあり、資源の備蓄に気を配り出したのだろう。

 それは分かるが、北連としても「はい了解」と応じるわけには行かない。練度100オーバーとされる主力艦の燃費は相応だろうし、別途報酬を支払えというのもだ。普通と言えば普通だが、今更、という思いもある。常識・非常識の話をするのなら、これまでの鉄血が非常識だった。

 

 「同じ人類同士、セイレーンという外敵には共同で応じるべき」と言い募る北連首脳部が集団ガス中毒──原因は建物の経年劣化によるものだとか──で倒れ、KAN-SENを中心としたものに挿げ変わったのは最近の話だ。

 

 とにかく、そんな経緯を以て、レッドアクシズの救援艦隊は北連艦隊と合流した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 北連艦隊は精強だ。練度で言えばロイヤルの主力艦隊にすら引けを取らないだろうが、KAN-SENの数が極端に少ない。

 セイレーンに対しては核兵器すら有効打とならない現状に在って、全艦総数が10を下回るというのは流石に厳しいものがあるだろう。むしろ、よくその戦力でセイレーンに食い潰されなかったと驚き、称えるべきかもしれない。

 

 少数精鋭を地で行く北連艦隊を束ねるのは、練度90の戦艦ソビエツカヤ・ロシア。艤装の対凍結仕様と半生体化は鉄血陣営からの技術供与によるものだ。

 レッドアクシズが6隻、北連が6隻の艦隊を用意し、海上で合流。そのまま連合艦隊へと再編する。その予定だったのだが、合流予定地に現れたのはロシアとその護衛らしき2隻だけだった。

 

 「──まずは、多忙な時勢にも関わらず、救援に来て頂いたことに礼を言わせて貰おう」

 

 ロシアは訝しむ表情を隠すこともなく、しかし礼儀に適った所作で一礼し、右手を差し伸べる。黒い長手袋は装甲と防寒を兼ねたものであり、いくらKAN-SENが寒さに一定以上の耐性があるとはいえ、室内以外で外したくはない。

 北連艦であれば言わずとも理解できることだが、他の陣営にとっては些かなりとも不快感のある行為だったのだろう。大鳳が微かに不快そうな顔をした。

 ちなみにその大鳳だが、もこもことボリュームのあるマフラーで首から胸元までを覆っておきながら、足元はニーハイソックス、風に煽られただけで鼠径部まで見えそうなミニ丈の改造和服という、寒さで頭をやられたのかと言いたくなる格好をしている。

 というか、ある程度厚手の軍服を纏う3人の鉄血陣営艦はともかく、改造和服の大鳳と、やはり上半身だけ防寒具を着て下半身は露出の際どい翔鶴と土佐。重桜の3人は北極海を舐めているのか、と、北連のKAN-SENたちは顔を引き攣らせていた。

 

 尤も──

 

 「お礼を言う必要はありませんよ。我々は同じ人類同士ですから、互いに助け合い、慈しみ合うことが大切です」

 

 ロシアの手をしっかりと握り返す、眼前の男がその最たる理由だろうが。

 

 「“黎明卿”・・・何故、貴殿がここに?」

 「私は彼女たちの指揮官ですからね。それより、君のお仲間はどちらに? 予定では、ここで12隻の連合艦隊を編成する手筈でしたが」

 

 レッドアクシズ側は艦隊旗艦のフリードリヒ・デア・グローセと、副長のビスマルク。グラーフ・ツェッペリンと大鳳、翔鶴、土佐の6人に加え、何故か付いて来たボンドルドも含めて、総勢7名。

 対して北連側は総旗艦のソビエツカヤ・ロシアの他には、駆逐艦のグロズヌイと軽巡洋艦のチャパエフしかいない。

 

 「あー・・・それなんだが・・・」

 

 ちら、と、ロシアが後ろを振り返る。その視線は僚艦の二人ではなく、もっと後ろを見ていた。

 

 「仲間の一人が、遠目に黎明卿の姿を見た瞬間に基地に戻ると言い出してな。他の二人は、その随伴だ」

 「おや、艤装か体調に不備でもあったのでしょうか? 心配ですね」

 

 グローセが漏らした微かな失笑には気付かず、ロシアは言葉を続ける。

 

 「あぁ。本人は心配ないと言っていたが、流石にな。だから随伴を付けた。申し訳ないが、今回の作戦は──」

 「問題ない。戦闘前に体調の管理もできない奴がいても、足を引っ張るだけだ。我々だけで片を付けてもいいが?」

 

 グロズヌイとチャパエフが険のある土佐の言葉に眉根を寄せるが、ボンドルドは微かに苦笑しただけだった。

 

 「気を悪くしないでください。彼女も心配しているのですよ」

 

 嫌味や韜晦の気配が一分もない、心底からの信頼を感じさせる言葉に微かに引きつつも、そうまで言われては強く言い返すこともできない。

 

 「そ、そうなのか」

 

 とたじろぎつつ返したロシアだったが、続く言葉にはしっかりとした意志と信念が籠っていた。

 

 「いや、しかし、ここは我々の領域だ。救援隊に全て任せて、我々が何もしないという訳にはいかん。それと──」

 

 ぴし、と、重桜艦の三人に指を突き付ける。

 

 「馬鹿かお前たちは! いくらKAN-SENとはいえ、艤装や体内の水分の凝固点まで変わるわけがないだろう! 内部構造を凍らせて緊急帰還したくなければ、もっと厚着しろ!」

 

 まぁ、そうだ。

 KAN-SENは霜焼けや凍傷とは無縁だが、機械用潤滑油の凝固点はマイナス40度ほど。血液はマイナス20度ほどで凍結する。

 対する北極海の気温は平均でマイナス20度、最低気温はマイナス80度だ。艦対艦戦闘を想定した設計になっているKAN-SENは、高熱や衝撃に対する防護は極めて高い。だが、機械すら凍結させる極低温には弱い。

 なまじ凍傷や低体温症といった予兆がないだけに、その致命的なラインを超えてしまうことがあるのだ。寒くは無いが、寒くないからと言って対処を怠って良いわけではない。

 

 そんな致命的な事態に陥る前に状況を終了させて帰ればいい。そう考えているのだろうが、甘いと言わざるを得ない。

 

 「今回の相手はただの艦隊じゃない。──要塞なんだ」

 

 




 鯖のごった煮兄貴作『黎明廻戦』が素晴らしいのでみんな見て。見ろ(豹変)
 
 これリンクhttps://syosetu.org/novel/243963/

 ボ卿二次クロスもっと増えろ増えろ・・・


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60

 ボ卿二次クロスもっと増えろ増えろ・・・


 分厚い氷に覆われているとはいえ、一応は大陸であり、強固な岩盤の大地を持つ南極とは違い、北極は純然たる氷だ。

 探査基地を建設し、専用の車や重機を活動させることはできる。だが軍事要塞──それも、対艦戦闘を想定したものを建設するとなると話は別だ。

 強固な建造物には強固な基礎が、強固な基礎には強固な地盤が必要不可欠だ。熱や圧力によって簡単に変質する氷の上というのは、その条件には当てはまらないはず。

 

 「要塞というと、氷上要塞ですか? セイレーンの技術力は、やはり予想を大きく上回りますね」

 

 氷上要塞は現実的ではない。それは建設にかかる時間や資金に関してもそうだし、建設した後の耐久性や実用性もそうだ。

 だが、不可能でもない。それらの否定要素を取り除けるか、或いは上回るだけのメリットを用意できるのなら、ボンドルドは躊躇いなく導入するだろう。

 その一歩目が提示されるのかと、好奇心を燻ぶらせていた。

 

 しかし、ロシアの首は横に振られた。

 

 「いや、あれは・・・そうだな、言うなれば“氷山要塞”だ。基地に資料があるが?」

 「それは大変興味深い。では整備や服の調達も兼ねて、これからお伺いしても?」

 「無論だ。案内しよう」

 

 踵を返した3人の案内に従い、北連本土までの海上を移動する。

 道中に何度か接敵したが、どれも北連艦の3人だけで対処可能な量産型艦だった。

 

 しばらく進み陸が見えてくると、不意にロシアが片手を上げて全体を停止させた。

 

 「ここからは各自、ソナーかレーダーを使って海面を警戒しながら進んでくれ。あと、なるべく私たちの後ろを通ることだ」

 

 機雷やそれに類する何かが敷設された防御陣地だと推測できるが、それにしては陸が近すぎる。これでは漁船や輸送船の往来にも支障が出かねない。

 そう何人かが首を傾げていると、突如、遠くで爆音と共に水柱が立ち上がった。

 

 「・・・今のは、浮遊型機雷2号ですか。随分と懐かしいものを使っているのですね」

 

 浮遊型機雷2号は、一辺10センチほどの低反射塗装が施された薄い板だ。往々にして青か水色、白に塗られるそれは、主に輸送機から1000枚単位で海へと散布される。

 内部にあるフロートが海面から下数センチの位置にそれを留まらせ、金属感知センサーにより、接近した対象を感知・攻撃する。

 これの面白い点は、非常に小型かつ軽量で、流れに乗りやすいことにある。

 

 かつてボンドルドは、旧世代の核兵器を持ち出して『アビス』に宣戦した人間主義者団体の基地を攻撃するのにこれを用いた。

 レーダーにKAN-SENが映った瞬間に核攻撃を仕掛ける、と脅迫していた彼らは、数千キロも離れた海域から海流に乗って基地近海へと流れ込んだ大量の小型機雷により、基地施設や核搭載フリゲート艦を含む海上戦力に大打撃を受けた。

 

 そして今、その浮遊型機雷2号は『アビス』によって禁止兵器に指定されている。その理由は当然、海域の汚染。それと──そのスマートさにある。

 浮遊型機雷2号は一つの例外もなく、製造から一定期間経過後に自爆するようになっている。もともと一回使えば終わりで、製造法を教えるつもりも、継続使用する気も無かった兵器だ。旧世代の地雷のように、一個海域を──下手をすれば海流の走る海域全てを汚染区域にしてしまうのは、『航路の守護者』であるボンドルドとしても望むところではない。

 ユニオンやロイヤルといった広大な海域を持つ陣営としては、その流動的な防御装置は大変魅力的に映ったようだが。

 

 だから、一つの狂いも無いように自浄機能を取り付けた。しかも機械的な時限装置だけでなく、フェイルセーフとして化学的な腐食により作動するものまで。

 きちんと一定期間経過後に自爆するようになっていますよ、と、裁判所で自慢したものだ。

 

 なお血相を変えた二陣営の必死の回収作業はその流動性故に難航し、いくつかの沿岸都市は津波の被害を受けた。

 

 閑話休題。

 

 ボンドルドが懐古に浸る間もなく、ロシアが舌打ちをした。

 

 「あれは、以前の議会が設置したもので、私たちの意思ではないんです。むしろ、あれのせいで民間人にも被害が出ていて・・・」

 

 柳眉を逆立てた大鳳が行動を起こすより早く、チャパエフが弁解する。

 ロシアもすぐに冷静さを取り戻し、脱帽した。

 

 「あぁ、すまない。あの老人共、機雷で人が怪我するたびに『セイレーンにやられた』『守れなかったKAN-SEN共のせいだ』と繰り返していてな。お陰で今は内政にも手間取っている」

 「是非力になって差し上げたいところですが・・・生憎と、内政は私も明るくありませんので」

 

 腹芸を好まないソビエツカヤ・ロシアと善性の化身たるボンドルドの会話には邪気や裏が無い。外交的な意図など一片も無く、陣営の内情はそのまま愚痴になっているし、鉄血やレッドアクシズの安定した治世がボンドルドの手腕でないことは・・・まぁ、少し考えれば分かることか。

 ボンドルドは内政()()明るくない。

 

 そんな話をしつつ機雷群を抜ければ、遠く港や沿岸に人影が見えた。

 釣り人や散歩する近隣住民、といった風情ではない。落下防止柵に寄りかかり、或いは堤防に登ってこちらを見つめる彼らは、どちらかと言えば先の爆発に釣られた野次馬のように見える。

 

 だが、野次馬に向けるものにしては、北連艦の視線は険が籠りすぎていた。

 

 近付くにつれ、ロシア語で描かれた横断幕やプラカードが目に入る。

 基本的にマルチリンガルなKAN-SENたちが意味を解して顔を顰め、チャパエフが恥ずかしそうに頭を下げた。

 

 「すみません、お見苦しいものを・・・」

 「構いませんよ、慣れていますから」

 

 ボンドルドは軽く応じるが、KAN-SENへの反発や現状への不満を書き連ねたプラカードの中に『KAN-SENに飼われることを受け入れた負け犬』『自分だけ甘い汁を啜る労働者の敵』といった、ボンドルドを揶揄するものを見つけたレッドアクシズ艦の反応は苛烈だった。

 

 ぞわり、と、噴出する殺気よりも尚濃い暗雲が立ち込める。それは大鳳が発艦した艦載機であり、威嚇などではなく本気であることを示すように、大半が爆撃機だった。

 ぎょっとした北連艦たちが慌てて制止するが、練度差は30にも及ぶ。仮にどうにかできたとしても、続いて発艦した翔鶴の艦載機までは対処しきれまい。

 

 ビスマルクは軽く嘆息し、ツェッペリンは興味なさげに行く末を見ている。グローセは楽し気な微笑すら浮かべており、制止は望めなかった。

 

 海岸線では人々が慌てふためき、逃げ始めているが、遅すぎる。数秒も経たず、辺りは焼け野原になり、KAN-SENたちの気分を害した彼らは、普段自分たちが石を投げ罵倒していた彼女たちが何者であったかを知ることになる。

 

 「・・・『明星へ登る(ギャングウェイ)』」

 

 その極光が、艦載機を薙ぎ払わなければ。

 

 大きく広がった必中の光は空には向かわず、まず平行に海岸まで到達した。

 正体不明の光が殺到し、彼らは死を覚悟しただろう。北連艦たちはボンドルドまでが攻撃したことに驚愕していたが、それは彼らに当たると何ら危害を与えず、そのまま艦載機群へと反射した。

 無意味な、ただの光。ではない。

 

 オブザーバーの艤装を加工して作った光線兵器『明星へ登る(ギャングウェイ)』の特性は、艦載機の群れを一機残らず迎撃するだけの追尾性だけではない。対象以外には熱すら感じさせない、対象選択能力。海上という一歩間違えれば水蒸気爆発を起こしかねない戦場に在って、この上なく便利な武装だ。

 

 KAN-SENの放つ威圧感と、空を覆う艦載機という目に見える、それも圧倒的な脅威。そしてボンドルドが見せた、何ら効果のない、しかし艦載機を一気残らず撃ち落とす謎の武装。

 さぞや、人間主義者たちの肝を冷やしたことだろう。

 

 「・・・これで、少しは楽になるのではないかしら?」

 

 グローセの言に若干感動した様子すら見せて礼を述べる三人に対して、大鳳と翔鶴が残念そうなのが対照的だった。

 

 

 



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61

 些細なトラブルはあったものの、北連が誇る北極海方面最後にして最強の砦、アルハンゲリスク軍港へと到着する。

 アルハンゲリスクは年平均気温がマイナス2度ほどで、ここならばKAN-SENは不具合を生じる心配もない。当然の権利のように平均気温が零下なのは、まぁ、北連の名物とでも思うしかないだろう。

 

 「いい町ですね」

 「え? そ、そうか?」

 

 つい先ほど見たものをもう忘れたわけではあるまい、と、予想外の言葉を紡いだボンドルドに北連艦の戸惑った視線が向けられる。

 

 沿岸部だというのにセイレーンに怯えることもなく、堤防や海岸線にまで人々が姿を見せるというのは、この時代にはかなり珍しい光景だ。

 鉄血や重桜のようにサーフィンや海水浴に興じる方が異常なのであって、普通は海に棲まう侵略者を恐れて忌避するはずなのだが。

 

 「人々が海を見られる都市は、つまり、KAN-SENによる守護がセイレーンの恐怖を払拭した都市なのですよ」

 

 人類陣営で唯一と言っていい「平和な国」を作り上げた男にそう言われて悪い気はしない。

 ボンドルドによる徹底的な自陣営保護策によって、鉄血陣営の民はセイレーンの脅威を殆ど知らない。勿論、平和が如何に尊く脆いものかを知ろうとせず、安易に現状への不満をボンドルドやKAN-SENに向ければ、平和の維持者は即座に彼らを切り捨てるのだが。

 

 「彼らの自由は、君たちの献身が作り上げたのです。もっと誇っても良いのではありませんか?」

 

 誰かの自由は誰かの不自由で成立しているとはよく言われるが、その意識は人類にはないだろう。KAN-SENは兵器であり、人類の自由を守るために存在するモノだからだ。

 少なくとも、人類側はそう認識している。それが如何に愚かしいことかを自覚しないままに。

 

 「・・・黎明卿、貴殿は──」

 

 ロシアが何か言おうと口を開くが、通信が入ったらしく、一言断ってから無線機を取り出した。

 

 「失礼、通信だ。──こちら第一艦隊、どうした?」

 『ちょっと! どうして同志ちゃ──じゃなくて、黎明卿が付いて来てるのよ!?

 

 爆音だった。ロシア側の設定ミスではなく吹き込まれた音声そのものがキャパシティーを超えているのだと、その音の割れ具合が物語っていた。

 

 「・・・」

 

 ロシアが気まずそうに音量調節ダイアルを回すが、いろいろと手遅れであった。

 幸いなことに、レッドアクシズ艦は誰も──ボンドルドへの悪意に過敏な大鳳でさえ、気分を害してはいないようだった。微かな呆れと、どういうわけか同情すら滲ませた視線が無線機に、その奥にいるタシュケントに向けられていた。

 そしてボンドルドもまた何故か嬉しそうにしている。

 

 「おや、その声はタシュケントですか? お久しぶりです、お元気そうで嬉しいですよ」

 『・・・ねぇ、これ軍事用の一級秘匿回線なんだけど』

 「秘匿用プログラムにいくつか穴がありましたよ。後で修正ファイルを送りましょう」

 

 特に専用の端末や機材を持っているようには見えないボンドルドが北連側の軍事回線をハッキングしていた。どころか、修正パッチ制作の目途まで立てている。

 いきなり会話に割り込まれたロシアが驚き、ある程度回線の事情に詳しいらしかったチャパエフがドン引きし、事態を上手く呑み込めていないグロズヌイが不思議そうに二人を見ていた。

 

 『あ、そう? ありがと。・・・じゃなくて! なんでここにいるのよ!』

 「勿論、君の様子を見に来たんですよ。出撃後、不調を訴えて帰投したと聞いていたので、とても心配していました。さぁ、どうぞ顔を見せてください」

 『・・・ちょっと待ってなさい』

 

 ぶつ、ぶち、と、連続する切断音は秘匿用リレー回線に特有のものだ。

 どうやら出てくるつもりはあるらしい。

 

 確かに一人不調を訴えて帰投したとは言ったが、それがタシュケントだとまでは言っていなかったはず。と、ロシアとチャパエフが訝し気な視線を向ける。

 

 ボンドルドの悪評は嫌でも耳に入ってくる。タシュケントが拒否感情を持つのも仕方ないだろう。だが、噂だけが彼女の珍しい反応の原因では無いというのは察するに難くない。

 タシュケントの反応には驚きや動揺は多分にあったが、恐怖や嫌悪といった悪感情は無かった。何かしらの因縁はあるのだろうが、血腥いものではないだろう。

 

 「とはいえ、ここで立ち話というのもなんです。良ければ、中へ入れて頂けませんか?」

 「・・・分かった」

 

 アルハンゲリスク要塞内部は機械化と自動化が徹底されており、人間の姿もKAN-SENの姿もほとんど見かけなかった。

 KAN-SENが少ないのはその気候ゆえに艤装や本体の摩耗が激しく、大半のドロップ艦を母国へと送還しているからだろう。そして人間が少ないのは。

 

 「人間が少ないのは、不確定要素や不穏分子を減らすためよ」

 「・・・やはり、君の考えた方針ですか? あぁ、その合理性はやはり好ましい」

 

 設備を興味深そうに物色していたボンドルドは、背後からの声にそう応じた。

 ゆっくりと振り返り、声の主へと歩み寄る。

 

 「お久しぶりですね。また会えて嬉しいです、タシュケント」

 「・・・何しに来たの」

 

 いつも通り穏やかだが親し気なボンドルドとは対照的に、タシュケントは居心地が悪そうだった。ここはむしろタシュケントのホームであるはずなのだが。

 

 「救援要請に対応しに来ました。途中で君に会えるかと思っていたのですが」

 「そういうことを聞いてるんじゃ・・・まぁ、いいわ。個室と会議室を用意するから、適当に過ごしなさい」

 

 それだけ言って、タシュケントはまた指令室らしき重厚な扉へと消えていった。

 心なしかしょんぼりとした様子のボンドルドを慰めるようにロシアが近付いてくる。

 

 「すまない。普段はもう少し愛想のいい奴なんだが・・・」

 「えぇ、存じ上げていますよ。では、とりあえず私の艦隊を個室へ案内して頂けますか?」

 「了解した。貴殿はどうする?」

 「私は例の要塞の資料を拝見したいですね」

 「では、そちらは私が」

 

 名乗り出たチャパエフに従ってボンドルドが別のフロアへ向かう。

 何となく6対1の構図に──グロズヌイはスキットルが空だから、と、途中で補充しに食堂へ行った──疎外感を覚えたロシアは、都合よくふと気になっていたことを思い出す。

 

 「そういえば、黎明卿とタシュケントは知り合いだったのか?」

 「・・・えぇ。彼女は昔、ボウヤの指揮下に居たことがあるのよ」

 

 誰にともなく投げた問いだったが、一番近くにいたグローセが応えてくれた。しかし、それ以上の情報を明かす気はないのか、言葉はそこで終わってしまった。

 本人に聞け、という意図を察し、もっともだとロシアも黙る。

 

 一度会話が生まれると沈黙はそれまで以上に刺さるもので、どことなく重くなった空気から脱しようと、ロシアは居住区への道を急いだ。

 

 

 



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62

 セイレーン作戦の敵レベル:128
 推奨戦力:練度120艦6隻以上

 たぶんシナリオの根幹にかかわるイベントなので・・・二次創作するならやらないとね。ところで第二艦隊がまだ平均練度116ぐらいなんだがどうしたらいい?()
 ちな主力が長門・大鳳・信濃 前衛が綾波改・涼月・雪風

 なんか重桜パの編成案あったら教えてクレメンス! あと夕立はいません()


 資料室に案内され“氷山要塞”に関する資料を読んでいたボンドルドは、背後に生じた気配に集中を解かれた。

 

 「・・・話があるんだけど」

 「私もです。ちょうど、これを読み終えたらお伺いしようと思っていました」

 

 ボンドルドは読みかけの資料を机に戻すと、タシュケントの案内に従って指令室へと移った。

 一切会話のなかった道中の重い空気をそのままに、タシュケントが司令官の席へと座る。ボンドルドは示された席を辞し、立ったままだ。

 

 「・・・何しに来たのか教えて」

 「先ほど申し上げた通りですよ。北連陣営への救援に──」

 「嘘よ」

 

 叫ぶでもなく、威圧するでもなく。ただ多量の諦観と絶望を湛えたその声は、二人きりの指令室に重く木霊した。

 

 「タシュケントは脱走兵よ。その意味も末路も分かってるわ」

 

 ボンドルドは何も答えない。それを肯定と取ったか、タシュケントは微かに涙を浮かべて無機質な仮面を見つめた。

 

 「でも、お願い。同志たちには何もしないで」

 

 タシュケントは知っている。その仮面に感情や表情を覆い隠す役割はない。泣き叫び、喚いて懇願して叩頭しても、その願いに合理性と意義を見出せない限り、ボンドルドは曲がらない。同情心や共感性というものを著しく欠いた社会不適合者──というわけではないのが恐ろしいところだ。

 ボンドルドは他人の痛みに寄り添える男だ。他人を慈しみ、愛情を持つことのできる男だ。愛を知り、愛を与えられる男だ。

 

 だが、同情こそすれど、絆され流されることは決してない。

 

 だからその涙には一分の打算も演技も無く、ただ感情を押さえておくことが出来なかっただけの、己の未熟さの表れだった。

 

 零れそうになる水滴を慌てて拭うタシュケントの頭に、そっと硬質なグローブが触れた。

 

 「勿論です。彼女たちにも、君にも、こちらから手出しをする気はありません」

 

 ぐりぐりと撫でられるがままに、タシュケントはI字に発光する仮面を見つめた。

 

 「・・・本当に?」

 「えぇ、本当です。今回の私たちの目的は、本当に君でも北連でもありません」

 

 ほっと安堵の息を吐き、タシュケントはぐったりと背もたれに身体を預けた。

 

 「じゃ、なんでもいいわ。好きにしなさい・・・」

 

 タシュケント本来のだらりとした態度に懐かしさを覚えたか、ボンドルドは一度離した手をもう一度近付けた。

 身体を強張らせつつも、頭頂部付近をぐりぐりと撫でるがままにされる。

 

 「北方連合は良いところですね」

 

 ボンドルドが不意に呟いた言葉に竦みそうになるが、無意味な嘘や社交辞令は好まない性格だ。

 額面通りに受け取り、素っ気なくではあるが礼を返す。

 

 「君たちの努力と献身が見て取れる場所です。私まで誇らしい気分になりますよ」

 

 もごもごと口を動かすが、タシュケントが何かを言葉にすることは無かった。

 ボンドルドもそれ以上は何も言わず、最後にタシュケントの頭を一撫でして立ち去っていった。

 

 

 ◇

 

 

 

 全員が指令室に集まったとき、レッドアクシズ艦の様子は以前とは違っていた。

 それぞれが思い思いの防寒具に身を包んでいるのだが、普段の露出度とは比べ物にならない厚着のせいか、別人のような気さえする。

 ガングートやロシアの意見を参考に、戦艦や空母には必要のない機動力を切り捨てたらしい。確かにもこもこしていて動き辛そうだが、見ているだけで暖かそうではある。

 

 「ではこれより、レッドアクシズ・北方連合による対セイレーン共同作戦を開始する。12隻による連合艦隊を組むが、実働には3人ごとの分隊で当たる。各自、要綱を読んでくれ」

 

 そこで作戦立案段階ではまさか来るとは思われていなかった予定外の一人が挙手した。

 

 「私はどうすれば? 自由行動というのであれば、それが一番有難くはありますが」

 

 ボッチ卿ボンドルドが言うと、何人かが自分の分隊へ誘ったが、ボンドルドはそれをやんわりと断った。

 

 「いえ、私は氷山要塞に入りたいので・・・『突撃槍』か『長直剣』がいいですね」

 

 ボンドルドが希望したのは、氷山要塞内部への侵攻を担当する、主に軽量艦で構成される前衛分隊だ。

 最先鋒を担う『突撃槍』。続き遊撃を担当する『長直剣』。誘いをかけた大鳳とグローセはそれぞれ長距離航空攻撃による突撃援護を担当する『投石台』と、会敵直後から遠距離砲撃による効力射を撃ち込む『破城槌』に属している。

 

 「・・・いや、そもそも卿の武装は室内向きじゃないだろう?」

 

 GJツェッペリン良く言った! と大鳳と翔鶴が僚艦にサムズアップを向ける。

 ボンドルドが持つ武装の大半は装甲無視の一撃必殺、物質そのものを消滅させる光線兵器だ。『明星へ登る』はその枠ではないが、連射は効かない。

 

 「それに、もしボウヤが斃れたらどうするの?」

 

 氷山要塞が生成する鏡面海域の遮蔽強度は不明だが、仮に人格バックアップの量子通信をすら遮断された場合、そのボンドルドは情報を同期することが出来ず無駄死にとなる。

 戦闘用ボディのボンドルドとはいえ、戦闘能力はレッドアクシズの最精鋭艦たちには一歩劣る。無茶して欲しくないと思うのは当然のことだ。

 

 「・・・そうですね。では、なるべく内部構造を傷付けないようにお願いします」

 

 ボンドルドが折れ、『突撃槍』に属すると同時に、強襲作戦全体の指揮を執るタシュケントに頭を下げる。

 複雑そうな表情ながら了承したタシュケントは、気分を切り替えるようにスキットルを傾けた。

 

 「ぷはっ・・・じゃあ、行くわよ。準備はいい? 艦隊、抜錨!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 セイレーン共通意識空間。

 いつも通り気だるげなオブザーバー・零を上座に据え、活動中の上位個体の殆どが一堂に会するその場所は、どこか浮足立った空気に満たされていた。

 

 「100秒後、予定通りに連合艦隊が所定の座標へ到着するわ」

 

 テスターの報告に頷くが、眠気とは別に、彼女は集中を欠いているように見えた。

 

 「レイちゃん様、どうしたの?」

 「オミッター、控えなさい」

 

 気安い呼びかけに反応した上層個体の一人がオミッターを窘める。むぐ、と息を詰まらせたのは、その上位個体が下した命令がオミッター自身の意思とは関係なく、その舌と顎を固定したからだ。

 

 「・・・オミッター、今回の主演は貴女でしょう。行きなさい」

 「かはっ・・・わ、分かった。行ってきます」

 

 慌ただしく出て行く背中を見送ると、レイは気だるげな溜息と共に大きなクッションに身体を埋めた。

 お疲れのようね、というテスターの言には答えず、ゆっくりと目を閉じる。

 

 二度、三度と深呼吸をしても、やはり彼女を煩わせる要素は脳裏にこびりついているようだった。

 表情からは陰りが取れず、呼吸も重くなっている。

 

 「・・・何か問題があるの? 今回用意した要塞は、前回の『前線基地』よりも数段良いモノだけど」

 

 作戦要綱をぺらぺらと弄んでいたオブザーバーが興味なさげに尋ねる。

 数分もの沈黙を経て、レイが紡ぎ出したのは

 

 「彼にじゃない」

 

 というごく僅かな答えだった。

 

 「ではオミッターに? やはり、下層プログラムばかりでは彼らの進歩の助けにはならないのでは?」

 「貴女たち上位プログラムの投入にはまだ早いわ。レッドアクシズは拮抗くらいできるでしょうけど、数が少なすぎるもの」

 

 では何を悩んでいたのか。上層個体の一人がそう問いかけると、レイは苦々しく表情を歪めた。

 

 「特異点・・・余燼勢力の反応が観測されたわ」

 

 

 



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63

 次回イベ鉄血!! 追加艦!! 

 追加艦みんな美人ですこだ・・・ダイヤが足りない。衣装課金は実質無課金だしまぁ無問題だな!

 あと大艦隊とかいう今まで触れてこなかったアレ。どうすっかね・・・


 で、ここからが本題なんですが。
 追加艦がどうやらストライクみたいなので、出したいです。が、プロット構成段階では存在すら知らなかった訳で・・・まぁ、その、再構成するので・・・今後、ちょっと話とか伏線が大幅にガバる話が出てくるかもしれないけど許してヒヤシンス。


 「仇敵にしてライバル、小人にして悪党・・・つまり、わからずや! 中心にしてコア、幕引きにしてデウスエクスマキナ、旅の終わり! 恐れ戦け、あなた達の終焉はここに顕現する!」

 

 そんな高らかな口上が、北極海の冷えて澄み切った空気を切り裂いた。

 高く聳えていたいくつかの氷山が響きを上げて動き出し、同じ地点へと集合していく。その体積と質量は、移動するだけでそこにあるものを吸い込み、押し潰して排除することもできるだろう。

 海面は渦を巻き、大気は押しのけられて乱流を生み出す。凍てつく風がKAN-SENたちの髪や衣装を撫でて過ぎた。

 

 「王冠の戴冠、桜の満開に、魂の流転は海へ。終焉の序曲を今奏でよう!」

 

 氷山は海面に聳えるその高さから、海中には想像を絶する体積が沈んでいるのだろう。名前の通り、内部からどこか神秘的な紫の光を漏らすそれこそが、精鋭揃いの北連艦たちを苦しめてきた“氷山要塞”なのだと理解できた。

 空に浮かぶ無数の黒い機影は、全てセイレーンの艦載機か。

 

 否。

 

 ひときわ大きく、そして異質で、肌のひりつくような戦意と殺気を迸らせる者がいる。

 セイレーンの艦載機を背後に従え、高らかに名乗りを上げる──

 

 「終焉にして序曲、滅亡にして新生。我が名はオミッター──この海域を支配する存在なり!」

 

 両手を大きく広げ、彼女は芝居がかった様子で言葉を続ける。

 

 「我が名を魂に刻んで、海の底で永遠に悔やんで震えるがいい!」

 

 青い瞳を輝かせ、それよりも一層煌々と輝く光を鮫のような艤装の砲口に宿して、オミッターはそう締めくくった。

 

 オミッターは上位個体だが、その中では下位に位置する。セキュリティ・クリアランスはそう高くなく、戦闘能力も上層プログラムと比べると一段以上落ちる。

 

 しかし、それはセイレーン内部での話だ。

 その練度は90にも届き、セイレーン特有の練度に縛られない火力や特殊な光線兵器を装備している。北連艦にとっては油断できない相手であり、しかも艦載機や要塞を背後に控えさせている。威圧されるなというのは難しい。

 

 だが──

 

 「海域の主が自分から出てきて、名乗りまで上げてくれるとはな! ここまで楽な戦場はそうは無いぞ!」

 「あぁ、全くだ。生憎と、この手の脅しは我々には通じない」

 

 ガングートとソビエツカヤ・ロシアの二人が笑顔を見せる。それは獰猛な魅力を湛えた好戦的なものだったが、オミッターには嘲笑じみて見えた。

 

 「チッ、下層プログラムと見て馬鹿にしやがって・・・舐めてんじゃねェぞ、テメェら!」

 

 怒りは視野を狭くする。

 そんな当たり前のことを無視してもなお、強者として君臨していられるだけのポテンシャルがある。それがオミッターと北連艦の間にある絶対的な差だったが、ここにいるのは北連艦だけではない。

 

 「sinfonie Nr,9──合唱せよ!」

 

 冷えて澄んだ空気に、熱と硝煙の匂いが入り混じる。

 氷と雲が作り出す灰色の空間を、砲弾に跡引くオレンジ色の曳光が切り裂いた。

 

 爆炎を上げ、次々にセイレーンの艦載機が撃墜されていく。主砲で艦載機を撃ち抜く、ハンマーで棘を抜くような妙技。練度には自信のある北連艦たちすら称賛と羨望の眼差しを向ける相手は一人。

 

 「やっぱり出張ってきやがったな、架空艦!」

 「その呼び方はあまり好きじゃないのだけれど・・・」

 

 オミッターの気勢を困ったような微笑で受け止めて、グローセは手にしたタクトを掲げた。

 

 「奏者たちはお待ちかねよ。さぁ──今宵の演幕を開きましょう!」

 

 深い水に潜ったような圧迫感と閉塞感。世界が丸ごと裏返ったような不快感が全員を襲う。

 今や白い雲と青い空よりも、碧い海よりも慣れ親しんだ鏡面海域が展開された。

 

 まるでグローセの合図でKAN-SEN側が展開したようなタイミングだったが、これはセイレーン側のものだ。

 彼女は観察と推論からそのタイミングを見つけたに過ぎない。

 

 「開戦だ! 『破城槌』と『投石台』を稼働させろ!」

 

 ロシアの号令に従い、セイレーン側が補充発艦させた艦載機群を駆逐するように、大鳳とツェッペリン、翔鶴の戦闘機が放たれる。

 氷山要塞に向けて伸びる閃光は、グローセやガングートたち『破城槌』の攻撃だ。

 

 もはや凍てつくような冷気などそこには残っておらず、爆炎と硝煙が上げる熱と鼻を突く匂いが立ち込めていた。

 

 

 ◇

 

 

 何かおかしい。

 高らかに名乗りを上げ、要塞と艦載機のバックアップを背に、レッドアクシズ・北連連合艦隊を相手取っていたオミッターは内心で首を傾げた。

 

 彼女は下層プログラムとはいえ、テスターとは違い戦闘に特化した個体だ。その主砲は『火葬砲』の原典になるほど強力な光線兵器だ。通常武装だって、オブザーバーやテスターとは比較にならないほど高火力のものを装備している。

 氷山要塞は砲撃こそしないものの、鏡面海域にはKAN-SENの行動を阻害する力もあるし、直掩の艦載機だって優秀な機体を揃えている。

 

 そのはずだ。

 ()()()()()()()()()()()

 

 何故、攻め切ってこない?

 何故、戦線が維持できている?

 

 あんな程度の艦載機群、大鳳一人で駆逐できるはずだ。

 散発的に要塞から出現する量産型無人艦など、ソビエツカヤ・ロシアとガングートの二人で対応できるだろう。

 

 オブザーバー・零をして警戒させる正体不明の非存在、あのフリードリヒ・デア・グローセであれば、そんなことは()()()分かるだろう。

 彼女と共に、あの黎明卿に従って海域を攻略していたビスマルクやグラーフ・ツェッペリンであれば、経験から理解できるだろう。

 

 何故──いや、そういえば。

 

 あいつらは何処だ?

 かつて黎明卿の下にいながら、その庇護から抜け出し、北方連合を作り上げた“空色の巡洋艦”は。北連の全権代理、駆逐艦タシュケントの姿がない。

 その異常性に触れながらボンドルドを信奉し、オミッターを含むセイレーンの身体を共に腑分けした鉄血の総旗艦は。ビスマルクはどこにいる?

 そして、今日ここでこうして戦端を開く、その原因となった男は。“黎明卿”ボンドルドは何処だ?

 

 まだ北連の基地にいる? まさか。そんなはずはない。あの男がこんな大事な局面で引き篭もっているなど考えられない。

 奴は合理主義の狂人だが、同時に好奇心と冒険願望の怪物でもある。釣り出すために、わざわざ氷山要塞などという大層な代物まで用意したのだ。罠だと思われたか? いや。もし罠だとしても、その罠は踏み壊さねば北連を道連れにするものだ。無視はできないはず。事実、こうしてレッドアクシズ艦を送り込み、自らも随伴してきた。

 

 何故、ここまで来て姿を見せない?

 

 爆音を上げ、要塞壁を形作る分厚い氷が崩落する。流石は練度120艦と言いたいところだが、完全に破壊されるのは困る。

 共有意識を通じて要塞の中枢へアクセスし、ナノマシンを使った自動修復機構を作動させた。

 

 ズバチィ! と、破裂音が轟く。

 絶縁破壊を伴う強烈な放電はオミッターのすぐそばを、微かに彼女の身体を押しのけて通過した。

 

 ダメージはない。

 セイレーンの身体は強靭だ。たとえ落雷が直撃しようと、数秒意識がもうろうとする程度だろう。だが──その紫電には見覚えがあった。

 

 かつてペンシルバニア沿岸で行われた、あくまで都市伝説に過ぎないという実験。

 その産物──レインボー・プランの名を関したスキルを持つKAN-SENを知っている。

 

 「馬鹿な、エルドリッジがなんで!?」

 

 ユニオン陣営の駆逐艦、エルドリッジ。彼女に固有のそのスキルは見間違えようがない。

 

 崩落を逆再生するように閉じて行く要塞の外壁。淡く紫に発光する氷の白に、その黒衣はいやに映えていた。

 複数のKAN-SENを従え、ゆっくりとこちらを振り向く。紫雲に曇った薄暗がりに、仮面のI字光がぼんやりと浮かんでいる。

 

 「やぁ、またお会いしましたね。オミッター」

 

 ゆっくりと慇懃に一礼したその姿は、修復を完了した外壁によって完全に覆い隠された。

 

 ぎちり、と、軋む音がする。

 オミッター自身が気付かぬうちに噛み締めていた奥歯が擦過し、不快に鳴る。

 

 「やってくれたな・・・テメェら!」

 

 知っていたはずだ。

 ボンドルドはスキル・カートリッジによってKAN-SENのスキルを獲得している。エルドリッジの瞬間移動能力を外付けした奴を輸送機代わりに、KAN-SENを分隊単位で内部へと送り込む。

 きちんと外壁に穴を空けたあたり、きっと一度試みて失敗している。あれは単なる氷ではなく、放射線を含む電磁波を遮断する多層構造の防壁だ。だから城壁を壊す役と、時間が必要だった。

 

 その時間稼ぎにまんまと一杯食わされた、というわけだ。

 

 「けど、まぁ──それはそれで好都合か」

 

 掌で踊らされたのは屈辱的だが、この展開は期待通りだ。

 

 「どれもこれも、レイちゃんの計算通りなんだからなァ!」

 

 挑発の意を込めて、そうグローセへと笑いかける。

 全知だか全能だか知らないが、悪魔の瞳が驚愕に歪めば一興──

 

 「えぇ、予定調和ね」

 

 ち、と、舌打ちを漏らす。

 

 「クソが・・・やっぱ気付いてやがんのか?」

 

 オミッターの頬に冷や汗が伝う。二人の会話を不思議そうに──砲声と爆発音、艦載機の駆動音が入り乱れる戦場だ。聞こえてはいないだろう──見る北連艦を一瞥して、グローセは黒い手袋に包まれた指を口元に添えた。

 静かに、というジェスチャーは子供に向けるもののようで、オミッターが青筋を浮かべるのも無理もない。

 

 「ま、どっちでもやることは変わんないしなァ!」

 

 オミッターの主砲にエネルギーが収束する。

 開戦以降、一度も使わなかった兵装だ。北連艦の挙動に警戒が浮かぶが、それは死線へと近づく以外の意味を持たなかった。

 

 台本の内容を反芻し、最適な台詞を選ぶ。

 

 「さぁ、淘汰の時だ。生と生を、死と死を競い合おう!」

 

 



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幕間:クリスマス



 先に言っておくけど全然華々しいクリスマス感はないから期待はしないで
 時系列的にはまだ前線基地に居た頃。ロイヤルと戦争おっぱじめる前。サディアとかと連合同盟組んだ後くらい。




 12月25日。

 旧世代の大宗教における記念日であるその日は、その信徒も、そうでない者も皆が一様に浮かれ、祝う日であった。

 特にセイレーンの攻勢を受け、KAN-SEN信仰や現実主義の浸透によって宗教の影響力が著しく落ちた今では、そんな文化は廃れている。・・・一部の陣営を除いて、ではあるが。

 

 こと宗教行事であれば戦争より何より優先させる宗教国家、自由アイリス教国。

 イベント、祭り、フェスティバル。名前は何でもいいがとにかく騒げるなら騒ぐぜ、なユニオン。

 独自の宗教を持ちながら異常なまでに他宗教に寛容。実はお前らも騒ぎたいだけなんじゃないの、な重桜。

 

 残念ながらかつてその宗教の大本山があったサディア帝国は、今やセイレーンの猛攻に抵抗するだけで精一杯だった。

 

 

 ◇

 

 

 セイレーンの脅威をほぼ完全に取り除いておきながら、現実主義的な国民性ゆえにその文化が根付かなかったのが鉄血陣営だ。

 少なくとも、そう認識されていた。

 

 

 「──素晴らしい!」

 

 

 『前線基地』内部、執務室──とは名ばかりの資料置き場で、そんな感嘆の声が上がった。

 

 「どうされたのですか? 指揮官様」

 

 イラストリアスの眠たそうな声に、ボンドルドははっと我に返った。

 

 「あぁ、起こしてしまいましたか。申し訳ありません。・・・いま、クリスマスという文化についての文献を読んでいたのですが」

 

 黙々と作業をこなす『祈手(アンブラハンズ)』の一人がそれを一瞥し、また作業に戻る。

 ボンドルドは声を抑え、ぶつぶつと自分と対話するような調子で言葉を続けた。

 

 「クリスマスにプレゼントを贈るという風習、ただ年末の在庫整理に絡めた商売戦略かと思っていましたが・・・」

 

 ボンドルドの視線が文献を舐める。背後でイラストリアスが動揺したような気配がした。

 

 「性の6時間。これは素晴らしい風習です」

 「し、指揮官様・・・?」

 

 性愛どころか男女関係そのものに興味の薄そうなボンドルドが口にするには、あまりにも可笑しな内容だった。

 その強烈な違和感とボンドルド越しに見た文献の内容が、イラストリアスの思考能力を著しく低下させていた。

 

 「愛です。愛ですよ、イラストリアス」

 

 思考を大量の「?」で埋め尽くしながら、イラストリアスは言葉の続きを待った。

 イラストリアスの困惑と疑問はすぐに伝わったのか、ボンドルドはヒートアップした内心を治めるように、仮面を取って顔を覆った。

 

 KAN-SENの前では仮面を取ることは滅多にない。重桜陣営のKAN-SENたちはその限りではないらしいが、器を変えた今ではそうもいかないだろう。

 ボンドルドはその仮面と黒衣によって、自陣営の民にすら強烈なイメージ付けをしている。人格バックアップを用いた群体化は人間性を徐々に希薄にするらしいが、もともと表情の読めない者であれば露見もしない。何より、統括管理官という狙われる立場に、KAN-SENに混じって海域を攻略する身だ。影武者は立てやすいに越したことは無い。

 

 そんな合理的な理由があるからこそ、その時の素顔を見せられる者は非常に限られている。ボンドルドである『祈手』と、あとは実力的に信頼のおける数人のKAN-SENくらいか。

 その特別な数人に入れたことに歓喜と微かな優越感を覚え、イラストリアスは高揚した気分になった。

 

 「失礼しました。・・・君は、人類の現状をご存知ですか?」

 「えぇ、勿論ですわ。セイレーンの攻勢は制海権と沿岸部をほぼ完全に掌握し、攻撃による一次被害、貿易路の閉鎖による食糧難や格差拡大による二次被害が人口を大幅に・・・あっ?」

 

 掌を打つような気配。ボンドルドは頷き、半ば埋もれている執務机に向かう。

 

 「君は聡明ですね。その通り、人類は大幅にその数を減らされ、存続の危機にすら瀕しています。ですが・・・」

 「クリスマス・イブを恋人と過ごす文化を浸透させれば、自然と・・・その、じ、人口も増えるのですね?」

 

 イラストリアスが言い淀み、頬を赤らめた気配が漂う。

 その頭を撫でられないのが惜しいと思うが、それも仕方ない。ボンドルドは仮面を着け直し、内線で大鳳を呼び出した。

 

 「えぇ。統治機関が遺伝子情報を解析し、最適なペアを作り上げることは可能です。ですが──家族とは、そうした作為によって作るものではありません。愛が、最も重要な要因なのですよ」

 

 こんこんこん、と、軽快なノックが響く。

 『祈手』の一人が扉を開くと、つい先ほど呼び出したばかりの大鳳が立っていた。

 

 「お呼びに従い参上いたしましたわ、指揮官様」

 「随分と早いですね。ありがとうございます、大鳳」

 「いえ、指揮官様のためですもの」

 

 にこにこと笑顔を浮かべる大鳳は汗一つかいておらず、着衣にも乱れは一切ない。走ってきたのでなければ、もう隣の部屋で待機でもしていなければありえない速度だったが、ボンドルドは気に留めなかった。イラストリアスは少しばかり引いていたが。

 

 「大鳳、クリスマスを世界的に浸透させましょう」

 「畏まりました。理由をお聞きしても?」

 

 了解してから理由を聞く辺り、筋金入りである。とはいえ、ボンドルドからの命令や提案には、確固とした意志と理由がある。きっとイラストリアスでも同じ返事をしただろう。

 

 「勿論ですよ。現在の人口問題を解決するのに有用で、理想的な手法ではありませんか? この文献を──」

 

 イラストリアスを無視して議論の姿勢になる二人だったが、不快感は感じなかった。

 むしろ、真剣に、それでいて楽しそうに、今後の展望や自分の考えを語り、議論するボンドルドを間近で感じられることが幸せだった。

 

 

 論議は数分だった。その有用性は大鳳も理解しており、ボンドルドの理想とも合致する。あとは細かなすり合わせだけであり、人類陣営で最高峰の頭脳を持つ二人にかかれば、そう時間のかかるものでもない。

 一礼して退出しようとする大鳳が、ふと振り返った。

 

 「・・・そういえば指揮官様」

 「どうされましたか?」

 

 大鳳の表情には微かながら苦笑と嫉妬が浮かんでおり、いい言葉が飛んでこないのはすぐに分かった。

 

 「カートリッジとお話になるのは、今のように周りにご自身か、大鳳たちしかいない時にしてくださいね?」

 「ありがとうございます、今後は気を付けますよ」

 

 

 



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64

 63話じゃなくて64話だったわ()


 灰色で硬質な壁を撫で、ボンドルドは一歩下がって黙考の姿勢に入った。

 片手は肘を支え、顎に手を当て、俯いて。ただ脳を回転させることに集中したその姿は隙だらけだったが、随伴艦は誰一人諫めない。状況とボンドルドをあまり理解していないチャパエフやグロズヌイが声を上げようとしたが、タシュケントやビスマルクに止められていた。

 

 しかし、彼女たちの判断こそが正解だろう。ここはセイレーンの北極海方面艦隊が擁する氷山要塞の内部。つまり敵の本拠地である。

 悠長に壁の修復メカニズムや再現性などについて考え込む暇はない。

 

 どたどたと慌ただしく走る足音が聞こえ、廊下から複数体のエグゼキューターシリーズが姿を見せる。駆逐艦タイプの人型端末だが、上位個体ではないため人格は無い。おそらく、要塞に備わっている防衛機構の一種だろう。

 

 「指揮官、一旦移動を──」

 

 壁を検分するボンドルドは、一応、KAN-SENたちに守られる立ち位置だ。とはいえ戦闘に確実はないし、眼前のスカベンジャーは見たところそう強そうでもないが、セイレーンには未だ未解明事項の方が多い。

 ビスマルクが進言するが、それは意外にもタシュケントによって遮られた。

 

 「待って、ビスマルク。何かおかしい」

 

 スカベンジャーの総数は4体。そのどれもが戦闘態勢に入っておらず、どう考えても侵入者であるはずの一行をぼーっと眺めているだけだった。

 

 専守防衛を基本理念としてプログラムされている・・・というのは、流石に荒唐無稽か。セイレーンは人類を駆逐するための兵器だし、と、タシュケントも頭を回転させるが、この場におけるもっとも単純な解決策は。

 

 「ビス──」

 

 狭い廊下では絶対に聞きたくない、頭蓋を通して脳を揺らす重い爆音が響く。

 ビスマルクの主砲が上げた砲声だ。

 

 流石のボンドルドも思考を中断し、振り返る。

 残念ながら、スカベンジャーは一機残らず吹き飛ばされていた。幸いにもと喜ぶべきか、或いは意外にもと驚くべきか、廊下の壁や床、天井にも一切の傷は付いていなかった。

 

 「ちょっと! 撃つなら合図くらいしなさいよ!」

 

 白いもこもこのイヤーマフは防寒用で、遮音機能は無いのだろうか。ビスマルクはそんなことを考えつつ、ふしゃーっと猫のような気勢を上げるタシュケントを撫でて抑える。

 

 「悪かったわね。それで指揮官、防衛機構もあるようだし、一度移動しましょう?」

 「分かりました。先導をお願いできますか?」

 

 頷き、ビスマルクはレーダーを起動して歩き出す。

 どういうわけかその探知網に敵性存在が引っ掛かることは一度もなく、やがて一行は大きめの部屋に辿り着いた。

 

 多様な機械類が整然と並べられたその部屋は、レイアウトや規模こそ違えど、ボンドルドやビスマルク、そしてタシュケントにとっては懐かしさを覚えるものだった。

 既知感の原因はおそらく、その機械群だろう。

 

 見覚えのある機械に近付いて検分してみれば、やはり、鉄血陣営が採用する民間兵器製造会社──つまり、ボンドルドが一枚噛んでいる企業──であるクラップ社のロゴがある。シリアルナンバーから見ても分かる通り、メーカー純正品らしい。

 クラップ社は主にKAN-SENの艤装や強化パーツを作る会社だが、医療機器や工業用機材も手広く扱っている。精密機械の設計開発に長けた鉄血企業らしく、どの分野でもその製品クオリティは好評だ。

 

 そんな鉄血のトップ企業製品が、なぜ、セイレーンの要塞に据えられているのか。

 まさか人知を超える技術力を擁するセイレーンが、その解体検分やコピーを試みたわけではあるまい。サンプルにしては量が多いし、バラされた形跡もない。

 

 「これは・・・同志ちゃ──じゃなくて、黎明卿のところの機械じゃないの?」

 「えぇ、そのようです。それも、KAN-SENの整備に使うものですね」

 

 たまたま手近にあったのはKAN-SENの整備用として発表され、サディアやヴィシア、そして北連などの小規模陣営にも提供品として現物が、さらには経済活発化を目的として、現地企業とライセンス契約が結ばれたものだった。しかし、ビスマルクがちらりと一瞥し、タシュケントは露骨に目を逸らした機材などは、ボンドルドが独自に開発させ、その存在は秘匿されている種類のものだ。

 

 「指揮官、これは──」

 「どうやら、口の軽い方がいるようですね。悲しい限りですが、今は──」

 

 部屋には入ってきた側とは反対側にも扉があり、ボンドルドが一瞥したのはそこだ。意図を汲み取り、興味深そうに、或いは不思議そうに部屋や機材を見ていた随伴艦たちが切り上げて集合する。

 

 「先へ進みましょう。あぁ、今度セイレーンが現れたら、先に攻撃されるまで、こちらからは手を出さないで下さいね」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 オミッターの主砲は、ピュリファイアーのそれに近しい。

 オミッターの主砲の加工品はボンドルドが掌に装備する長距離用火砲『火葬砲(インシネレーター)』となり、ピュリファイアーの主砲の加工品は腕に装備する近距離用光剣『枢機に還す光(スパラグモス)』となる。射線上に存在するあらゆるものを()()()ように消し去るそれらは、まさに防御不可の絶対兵器。

 

 如何な架空艦とて、喰らえばただでは済まない。

 

 オミッターの主砲に集まるエネルギーは臨界に達し、青く煌めく死が解き放たれる。

 

 直接の射線上から逃れても、焼き切れた大気が上げる悲鳴じみた爆発はさらに広範囲だ。そう容易く避けられるものではない。

 そう知っている一方で、オミッターは別の確信も持っていた。あのフリードリヒ・デア・グローセが、底知れぬ架空艦が、砲撃の一発で沈むわけがないと。

 

 「高評価に感謝するわ」

 

 射線上の大気を焼き、海面が蒸発し大量の水蒸気が視線を遮る。

 白く煙る視界にはしかし、黒く歪なシルエットが悠然と立っていた。

 

 「避けた・・・って感じには見えないが」

 「まさか。避けたわよ」

 

 ならば、戦闘に長けたオミッターの動体視力を以てしても見切れなかったということか。

 いや、違う。オミッターは最初から最後まで、グローセの一挙手一投足を見逃してなどいなかった。だが、あの動きは避けたというよりも──

 

 「外した・・・?」

 

 いくらKAN-SENが素早く動けると言っても、限界は存在する。砲弾を見てから回避するような一部の速度特化型はともかく、グローセは超弩級戦艦だ。スピードも特化した駆逐艦に比べて随分と遅い。加えて、オミッターの主砲は光兵器だ。減衰など存在せず、射程限界までを一息もかからず埋め尽くす死の奔流。その速度は毎秒約30万㎞にも及ぶ。

 射線を予測し、その線上から予め逃れるしか回避方法はない。

 

 だが、練度が上がれば上がるほど、照準修正の速度と精度は向上する。

 回避運動やその予備動作から動きを予測することなど造作も無いし、先に照準を置いておくこともできる。基本的にKAN-SEN同士、セイレーン対KAN-SENの戦闘が攻撃側が有利だとされる所以がこれだ。

 

 しかし、だ。グローセはいま、確実に()()()()()()()()

 必中の照準と自負する狙いは外れ、必殺の一撃は虚空だけを灼いて過ぎ去った。

 

 オミッターは顔を歪める。

 

 「・・・ってか、モノローグに返事してんじゃねぇよ、気持ち悪ィな」

 「あら、その方が独白のし甲斐もあるのではなくて?」

 

 水蒸気の霧の奥、∞の形に従えた半生体艤装が鎌首をもたげる。

 都合六つの金色の瞳に射竦められて、オミッターは慌てて飛び退いた。

 

 霧を払いながら砲弾が通過し、怖気に従った自分を褒めてやりたくなる。だが──

 

 「ボウヤが戻るまで、私たちも退屈なのよ。できるだけ耐えて頂戴ね?」

 

 興味なさげなツェッペリンと退屈そうに欠伸を噛み殺す大鳳が並ぶ。グローセに比べれば何でもないような相手だが、一対一なら勝てるかと聞かれても怪しい。それが三人。ガングートやソビエツカヤ・ロシアはオマケみたいなものだ。

 舌打ち一つで端的に心中を表し、オミッターは再度、主砲の装填を開始した。

 

 

 





 ちんまり置いてるってことは自分で描いた奴なので以下省略。
 
【挿絵表示】


 アサルトリリィとボ卿のクロスssを書けという天啓が舞い降りた


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65

 明けましておめでとうございます。今年の目標はボ卿の精度向上と絵の上達です。よろしくお願いします。

 ところろでなんか今回のイベントストーリーさ・・・妙にこの作品と似てる部分があるんだけど・・・私は社員でも何でもないので気軽にガチャについて愚痴っていけ?



  ちなみに自分はペーター1枚出すのにキューブ150個ぐらい使いました!

 でもいいんだ・・・シャトラは引いたから・・・Wは引けませんでした。yostarもサイゲぐらい配布して・・・


 鏡面海域に覆われたエリアは、須らくセイレーンの支配領域である。

 人間にとって安全性など在り得るはずもなく、冒険家やサバイバリストどころかフル装備の一個大隊でも消滅するだろう。

 

 だが、それは環境汚染や鏡面海域に備わった排除作用によるものではない。

 問題なのは、そこを拠点とするセイレーンだ。つまり、彼女たちのいない鏡面海域は人類にとって、左程の脅威では無いと言える。

 

 事実、ボンドルドはセイレーンの実験島を奪取し、その鏡面海域発生機構をそのまま防衛力として流用した研究施設兼離島基地『前線基地(イドフロント)』として運用していた。

 だから、鏡面海域内部に人間の痕跡があるのはそこまで不思議ではない。だが、ボンドルドたちが氷山要塞内部で見つけたように、人類産の機械類が並んでいるというのは異常だった。それではまるで──

 

 「まるで、誰かがここでKAN-SENの研究をしていたようね」

 

 探索を続けるうち、ビスマルクがそう呟いた。

 あの一室以外にも、KAN-SENの艤装や強化パーツを保管しておくための倉庫や、燃料や弾薬を精製する施設、果ては食堂やベッド付きの個室まであった。

 

 生活感や使用痕跡は無く、汚れや埃なども見当たらなかった。稼働してから新しいにしても、北連が初めて発見してから数週間は経っているだろう。氷山要塞が移動するということは振動が生じるし、防衛機構のスカベンジャーも巡回しているはず。汚れや傷も、もしかしたら自動的に修復されたりするのだろうか。

 

 「いえ、これはむしろ──」

 

 ボンドルドが言葉を切り、別の扉を開ける。

 強化鋼より軽く、しかし強靭な質感の建材は、ボンドルドをして未知のものだ。

 

 入室者に反応したセンサーが明かりを付ける。

 中央に据えられた手術台に、整然と片づけられたカート。カートの上には人間用と思しきメスや鉗子、KAN-SEN用らしき特殊機材の他には、赤黒いコーティングのされた手術器具が乗っている。

 

 それなりに人も、KAN-SENも腑分けしてきたボンドルドが見覚えのないデザインだ。ビスマルクが同じく興味を引かれて近寄っていく。タシュケントやチャパエフは逆に敬遠していた。

 

 「・・・独特なデザインですね。血が見分けにくくユーザビリティに欠けるように思えますが──おや」

 

 赤黒いメスを手に取り、弄んでいたボンドルドが軽く驚きの声を上げる。

 『暁に至る天蓋』の、砲弾や魚雷すら無効化する装甲を持つグローブに覆われた指先。黒一色だったそこに、赤い血の玉が浮かんでいた。

 

 「指揮官? これは・・・」

 

 血の浮いた人差し指の先端を親指で圧迫し、止血する。

 その傍ら、ボンドルドは逆の手でそこを傷付けたメスを慎重に持ち上げた。

 

 「セイレーン産の装甲が切れました。思ったより鋭利ですね」

 「ちょっと、気を付けなさいよね」

 

 検分しようとしたビスマルクより早くタシュケントがメスをひったくり、使用済み器具を洗浄・消毒する洗浄機にメスを入れ、スイッチを押す。手慣れた動きにチャパエフやグロズヌイが不思議そうな顔をするが、タシュケントはそれに気付かなかった。

 ぴぴぴ、と軽快な操作音の後に、静かな低い駆動音が聞こえてくる。どうやら電源はきちんと入っていたらしいが、それより。

 

 「タシュケント、使い方わかるの?」

 「ん? まぁね、前に似たようなのを使ったことあるし」

 「おや、クラップ社の最新モデルですね。前回の設備更新で鉄血もこれを採用しました」

 「・・・ふーん、あっそ。前のより静かだし、いいんじゃないの」

 

 興味深げなボンドルドと、無愛想なのかそうでないのか判別の付きにくいタシュケント。

 二人が顔を見合わせるが、すぐにタシュケントがきまり悪そうに目を逸らした。

 

 「それより、不自然じゃない?」

 「えぇ、これは──」

 

 不意に、背後に気配が生じる。

 全員が振り返り、KAN-SENたちは反射的に武器を構えた。

 

 「まるで、誰かが用意してくれたかのようですね」

 

 部屋の入り口に、敵意と武装が無いことを両手を上げて示す、銀のボブカットに一房の青を入れた少女が眠たそうに立っていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 「・・・」

 

 感情の読めないボンドルドはともかく、KAN-SENたちは砲口を指向し睨み付けている。疑いようのない敵意にしかし、少女は微動だに──

 

 「ふぁ・・・」

 

 ──いや、片手で口元を隠して欠伸をひとつ。その後はまたハンズアップし、姿勢を固定した。

 

 妙に緊張感のない様子には気も抜けるが、気分や精神状態と戦意を切り離し、冷酷に敵を殺せるのが兵器というモノだ。ぴったりと合わされ外れることのない照準に、その少女も顔を強張らせ──

 

 「はぁ・・・」

 

 ──いや、辟易した様子ではあるが、やはり危機感や緊張感とは無縁らしかった。

 

 そんな様子を見せられても武器を下ろさないのは流石だが、ビスマルクやタシュケント辺りの血の気の多いKAN-SENたちがブチ切れて砲撃していないのは、先ほどボンドルドが言った「こちらからは攻撃するな」という言葉を忠実に守っているのだろう。

 

 「貴女は・・・?」

 

 武器を下げろとは言わず、しかし一歩歩み寄り、ボンドルドはそう問いかけた。

 

 「私は・・・スポンサーよ」

 「スポンサー・・・提供者? おかしな機種名ね」

 

 確かにテスターやオブザーバーといった仕事内容=名前の下層端末とは違う。

 挑発じみた言葉を投げたタシュケントには一瞥もくれず、彼女はボンドルドの仮面をじっと見つめていた。

 

 「そうでもないわ。私は氷山要塞(これ)の管理者だもの。黎明卿──あなたに差し上げる、提供品のね」

 

 



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66

 「この氷山要塞は他のと違って特別製なの」

 

 そう前置きして、スポンサーと名乗った少女は一行を先導するように歩き出した。

 

 「ここは居住用エリアだから、個室が並んでいるわ。・・・ここは大部屋ね」

 

 扉の前を通るごとに、その内装や用途についての注釈が入る。時折立ち止まって扉を開けたりと、まるで内見客を案内する不動産屋じみた動きだった。

 

 その背後で、大人しく案内に従いつつも警戒を解かないKAN-SENたちが肩を寄せて話す。

 

 「・・・どう思う?」

 「隙だらけだけど・・・強いわね。私と貴女くらいなら、たぶん片手で事足りるんじゃないかしら?」

 

 ごにょごにょやっている一行から目を逸らすため・・・というより純粋に好奇心を満たすためだろうが、ボンドルドはスポンサーの斜め後ろで熱心に話を聞いていた。

 引っ越しに乗り気な父親とそうではない娘たち、というのが、最も的を射た表現だろうか。

 

 「ここは手術室ね。・・・こっちが倉庫」

 

 スポンサーは階段を降り、説明を続ける。

 

 「要塞は11層構成よ。海面上の構造はそのまま海面下にも反転して展開されているわ」

 「なんと、海面下にもですか?」

 「そう。各頂点から観測室、指令室、居住区、実験エリア、ドックの順よ。中央部──海面点には出撃ゲート」

 

 旧『前線基地(イドフロント)』のように、複数の建物を擁する訳ではない。しかし、海面上を開放し、海面下は秘匿領域として隔離棟や実験棟が担っていた役割を持たせるという運用が出来る。

 流石に島一つを使っていた頃よりは手狭だが、質の面ではそう変わらないか、むしろ勝るかもしれない。

 

 「なるほど、素晴らしい。前線基地として運用するには十分ですね」

 「・・・そういえば、あのスカベンジャーは? 防衛機構なんでしょうけど、流石に人類陣営として、あれを大っぴらに使う訳にはいかないわ」

 

 考え込む姿勢になったボンドルドに代わり、ビスマルクが問いかける。

 スポンサーは一瞥すると、ぷい、という擬音が似合いそうな軽さで顔を背けた。

 

 にっこりと浮かべたビスマルクの微笑が怖い。

 タシュケントとグロズヌイ、そしてチャパエフの3人が意見の一致を見て、慌ててボンドルドに話しかけた。

 

 「れ、黎明卿はどうお考えですか? セイレーンの直接的な協力ですが・・・」

 「使えるものは使いますし、使えないものは使えるようにすればいいのですよ。・・・いえ、そうするしかない、と言った方が正しいでしょうか」

 

 思考の片手間に応えたからか、そんな要領を得ない返答だった。しかし、その答えにスポンサーは満足そうに頷く。

 

 「その通りよ。貴方たち・・・いえ、私たちは進化し、適応しなくてはならないの」

 

 厳しい環境で生き抜くにあたり、進化ではなく環境の改革を以て生存してきたのが人類だ。ゆえに、それは人類だけならば不可能にも見える難題である。

 しかし。人類にはKAN-SEN(道具)がある。環境を作り、変容させ、人間を拡張して生存への道を切り開くツールがある。

 意思がある。あらゆる道具、あらゆる手段を以て人類を進歩させ、その先へ至らしめるという強靭な意志の力がある。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 主観的には、その強靭な意志には見覚えがあった。この時系列に倣うのなら、これから数千年した頃にオブザーバー・零という個体に強烈な印象と至上命令を与えることになる。

 

 あの日のことは目を閉じるだけで完全に想起できる。

 

 私たちは負けた。大敗だ。歴史に残るどころか、遺すべき歴史ごと無くなるような大敗だ。

 人類はそこで終わり、奴らが成り代わる。

 

 諦めるという防衛機構を持たない私たちが諦めた。矛で負け、盾で負け、戦術で負け、戦略で負けていた。

 ほぼ全ての人類が、動植物が絶滅した。幸か不幸か、人類が死滅しても残ると言われていたゴキブリさえ絶滅していた。

 

 ほぼ確実に最後の人類であり、確実に最後の抵抗勢力指揮官であった彼は言った。

 

 「レイ。時間を遡るというのは、実はそう難しいことではないのですよ

 

 「意識のみのタイムリープは、もう何世紀も前に観測されています。実は、私も経験者なんです

 

 「人格バックアップを流用した量子通信に意図的に干渉し、意識を構成するリュウコツ素子を過去遡行させるのです

 

 「これを物質レベルに流用するのは本当に骨が折れました。何世紀かかったか分かりません

 

 「・・・おっと、苦労話をしている余裕はありませんね。では、後のことはお任せします。私は体質上、意識を転送できませんので

 

 「貴女と人類の未来に、どうか──

 

                   溢れんばかりの、呪いと祝福を──

 

 

 

 ◇

 

 

 

 肌の粟立つような気配が薄れ、空と海が正しい姿へと戻っていく。

 紫雲が時折上げていた雷鳴の響きは潜まり、濁ったような暗い海はその碧さを取り戻し。しかし、尚も最大の異物である聳え立つ氷山と、その内側から漏れる燐光は立ち消えない。

 

 「タイム! タイムを要求する!」

 

 諸手を上げ、意外に身だしなみには気を遣うのか、きちんと持っていたらしい白いハンカチを振るオミッター。それはもう一時休戦ではなく降伏の時の所作だが、状況的には正しい。

 

 どうする? とでも言いたげに視線を交わすレッドアクシズ艦たちは、誰一人として傷を負っていない。ちなみに「どうする」とは、沈めるか、鹵獲して素材にするかの二択である。

 

 「おおおおおち落ち着けって、ワタシ、ブキ、ステタ!」

 

 発汗機能まであるのか冷や汗を滝のように流すオミッター。武装解除状態なのは確かだが、自分の意思で捨てたわけではなくグローセや大鳳の攻撃で剥がされただけだ。

 

 「・・・どうするんだ?」

 

 問いかけたのは諦観の滲む表情のソビエツカヤ・ロシアだ。

 彼女とガングートも途中までは本気で戦っていたが、ふと退屈そうな大鳳やグローセが片手間にしか攻撃していないことに気付き、戦局を察した。

 

 要は、この戦場は単なる退屈しのぎで長引いているに過ぎなかった。

 その気にになれば、すぐにでも空を埋める艦載機群を、海面を隠すほどの量産型艦を、そしてそれらを統べ立ちはだかるオミッターを沈められたのだ。そのまま悠々と要塞に大穴を空け、ボンドルドの元へ歩いていけた。

 

 現に今、ボンドルド達の方がひと段落付いたことを確認した瞬間に、それらを一息に消滅させた。

 隷下の艦載機と量産型艦を鏖殺され、艤装を破壊され、いろいろと剥かれたオミッターが焦るのも無理はない。

 

 「卿らの戦場だ、好きにしろ。我々は──」

 

 要塞が鳴動し、入り口らしき洞穴を開ける。

 大鳳が真っ先に駆け出し、他も続く。会話していたツェッペリンが少し遅れて最後になった。

 

 「──我らが指揮官の元へ行く」

 「・・・」

 「・・・」

 

 後には今一つ状況を理解していない北連艦隊と、こっそりと逃げ出そうとするオミッターが残った。

 

 

 

 



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67


 ま、待たせたな(震え声)




 「ねぇ、指揮官。そろそろ止めにしない?」

 

 防音加工の施された実験室内で、珍しく苛立ちを露わにしたその声はあまり響かなかった。

 いつもの気だるげな表情でも、時折見せる妖艶なものでも悪戯っぽいものでもなく、嫌悪感と悲壮感に怜悧な容貌を歪めて。重巡洋艦プリンツ・オイゲンはずっと同じ嘆願を続けていた。つまり、返事もずっと同じだった。

 

 「そうもいきません。なるべく早く、これの扱いに慣れないといけませんから」

 

 ボンドルドがぴらぴらと片手を振って示す。ぴくりと柳眉を震わせ、オイゲンは表情を隠すように俯いた。

 

 「実戦想定型対セイレーン拘束兵装、『月に触れる(ファーカレス)』・・・・・・もう完成してたじゃない」

 「えぇ。オブザーバーの艤装を利用したモデルは、既に習熟したと言っていい程度には使えます。ですが・・・・・・」

 「扱いやすい代わりに、弱すぎた。・・・それは聞いたわ」

 

 氷山要塞──新生『前線基地(イドフロント)』の防衛機構であるスカベンジャーを標的に、ボンドルドはまた右腕を指向した。

 黒衣の袖口、手首の下から小口径のノズルが顔を出す。

 

 「『月に触れる(ファーカレス)』──起動」

 

 ぞる、と、無理に形容するのならそんな音を立てて、ノズルから黒い触手が飛び出す。見ているだけで気分が悪くなるような蠢きを繰り返すそれは、絞め殺す相手を探す蔦植物よりも悍ましかった。

 それらは飛び出した勢いのままにスカベンジャーに纏わりつき、一息に締め上げた。

 

 めき、ぶち、という破砕音に湿った音が混じり、布巾を絞ったようなぼたぼたという水音が続き。ふと静かになる。

 

 「・・・・・・ご覧の通り、こちらに関してはまだまだ精密性が──」

 

 嘆息したボンドルドの動きに反応し、触手が拘束を解く。のみならず、それらは素早くその矛先を変え、ボンドルドの腕に絡みついた。

 

 「──おっと」

 

 ぶち、ぐちゃ、と、聞くだに吐き気の催す水音を上げながら、ボンドルドはそんな間の抜けた声を上げただけだった。

 明らかに人間の可動域を超える動きで左腕を動かし、『枢機に還す光』が右腕を上腕部から斬り落とす。焼かれた傷口からの出血は無い。

 

 「まだまだ練習が足りませんね」

 

 触手たちは潰し切った腕に飽き、辛くもその触手から逃れたボンドルドの首に狙いを付けたらしい。蛇が鎌首をもたげるようにその先端を指向する。

 

 「ですがオイゲン、今回の私は死んでいません。この一歩ずつ着実に進歩する感覚は、やはり素晴らしいですね。・・・・・・オイゲン?」

 

 オイゲンは仏頂面でそっぽを向いていた。

 何度も何度も目の前で指揮官が自殺紛いの実験を繰り返し、絞り切った雑巾のようになった死体から仮面を回収する役割を課せられていればそろそろブチ切れてもおかしくないが、彼女は例外だった。

 過去に一度やらかしているビスマルクは論外としても、かつて実験中に人格バックアッププログラムと観測機との干渉による疑似的なタイムリープを経験したオイゲン以上に『死』に寛容なKAN-SENもそうはいないだろう。

 

 ボンドルドが複数存在するということを、最も正確に理解している、と言い替えてもいい。

 

 可愛らしい反抗の意の表れに苦笑して、ボンドルドは襲い掛かってきた触手を左肘の光剣で斬り払った。

 切り離したとはいえ自分の腕に何の執着もないのか、残った触手と一緒にそれも解いて消す。跡引く大気の悲鳴じみた爆風に黒衣を揺らして、同じく銀髪を揺らすオイゲンの頭を左手で撫でた。

 

 「そんなに怒らないでください。分かりました、今日はもう終わります」

 「もう23時を回るのだけど?」

 「・・・・・・分かりました、明日も休みにします。これで機嫌を直してくれますか?」

 

 ボンドルドにしてはやけに物分かりがいいと訝しみつつ、オイゲンはまぁ妥協点かと頷く。

 そしてその直後、ふと思いつくものがあった。

 

 「ねぇ指揮官、明日は確かユニオン陣営との会合──もともと実験の予定じゃないわよね?」

 「えぇ、まぁ・・・・・・そうですね」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 冷たく、昏い、海の底で、彼女は目を覚ました。

 ここは何処で、今がいつで、自分は誰か。根本的な知識がすっぽりと抜け落ちた自我の中に、はっきりと刻まれた名前がある。

 

 口遊もうと息を吸い、流れ込んできた海水に顔を顰めた。

 

 窒息はしない。活動に酸素を必要としないから。

 だが、食事を必要としない肉体ながら、味覚はしっかりと備わっている。

 

 食事と言えば・・・・・・何だ? いま何を想起しようとした?

 思い出せない。知識の忘却という整理機能を持たない身体に、記憶回想の制限が掛けられている?

 

 いや、記憶ストレージは間違いなく空だ。

 自己の機体情報。カンレキ。基礎記憶。人造の兵器である自分が生まれた頃から持っていたはずのものが、何もない。

 

 では、『彼』とは誰だ?

 ジャンクファイルすら残っていない記憶領域に、戦友や知り合いの知識など無い。

 記憶領域に由来しない記憶などというものは在り得ない。

 

 そう、合理的な判断を下す。だが同時に、空白の記憶領域が軋む。

 

 声が聞こえる。

 守護。殺戮。兵器。存続。復讐。

 

 要領を得ない単語の羅列が、在りもしない記憶を呼び起こす。

 黒衣の長身。奇妙な仮面。穏やかな声と、優し気な言葉。燃える世界。終わる世界。侵略者の波。

 

 いつの間にか浮上していた身体は水面を破り、太陽の光が目に刺さる。

 ゆっくりと体を起こせば、水面がしっかりと足裏を支えてくれた。

 

 つい先ほどまで海水に浸っていたはずの服も、髪にも、一滴の水も付いていない。

 陽光を浴びて、しかし、くすんだ銀の髪に煌めきは宿らない。

 

 黒いガスマスクを取り出し、鼻と口を覆う。潮風を含むすべての匂いが遮断されるが、彼女はむしろ現実感を強く意識できた。

 

 「倒さなきゃ・・・・・・」

 

 幽鬼のようにそう呟く。

 懐かしさなど覚えるはずもないが、妙にしっくりとくる表現だった。

 

 「れいめい、きょう」

 

 シクシクと痛みを訴える記憶領域から意識を逸らして、彼女は眼前に聳える自由の女神像に向き直った。

 

 



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68

 今回のボンドルドのユニオン本土訪問は、統括管理官であるエンタープライズとの会合のためだ。つまり、双方の合意は前提として、アポイントメントまでしっかりと取られている。

 ユニオンの側にはホストとして、鉄血の側にはゲストとして。それぞれ相応しく振る舞う義務がある。

 エンタープライズは何を置いてもボンドルドの安全を優先し。ボンドルドは余程の不利益を被らない限り、彼らの案内と饗応には従うべきだ。

 

 だが今、高速艇を下りたボンドルドの眼前に展開されていたのは、その前提から成り立つ予想を超えるものだった。

 

 ずらりと並んだコンバット・アーマー姿の兵士たちが、それぞれの抱える銃器をぴったりと指向している。まるでテロリストかハイジャック犯のような扱いだ。

 ただ、兵士たちの抱える対人火器は言うに及ばず、立ち並ぶビル群や付近の堤防辺りに展開しているのであろう狙撃班、彼らが持つ対戦車ライフルであったとしても、ボンドルドやKAN-SENたちに有効打は与えられない。

 

 だがいい気分のする光景ではない。特に、今回の随行者には過敏な者がいる。

 

 「大鳳の前で指揮官様に敵意を向けるなんて──馬鹿なヒト」

 

 肌の粟立つような殺意が噴出する。

 今回の会合はユニオンと鉄血の関係性に関わる重要なものだ。その本気度を示すため、随行者は単なる護衛ではなく対外的にも腹心として知られる者を連れている。しかもいつものように一人だけではない。

 戦闘力と政治能力、二つを兼ね備えた副官としてビスマルクと大鳳を。そして、これまでこういった政治の場には出してこなかった世界最強の戦力、フリードリヒ・デア・グローセも。

 KAN-SENだけではなく、例外なく不気味な仮面を着けたボンドルドの研究助手たち、『祈手(アンブラハンズ)』と呼ばれる者も数名いる。

 

 長身を覆う黒衣には傷一つ付かないであろう布陣だった。

 

 ・・・・・・というか、それが原因ではなかろうか。

 今まではボンドルドと護衛1名だけだったのが、アビスを脱退してから初めての来訪にあたる今回はこの戦力だ。怪しいといえば怪しいし、怖い。

 特に大鳳やグローセは、陣営によっては入国規制や攻撃対象に指定されているKAN-SENだ。対陣営を想定できる決戦計画級艦船など、戦術核以上に慎重に扱うべき代物だろうに。

 

 「・・・・・・困りましたね」

 

 大鳳を宥めつつ、ボンドルドは本当に困ったように首を傾げる。

 兵士たちにしてみれば両手を挙げるなりしろと言いたい状況だが、戦力を考えるなら両手を挙げるべきはむしろ彼らである。

 

 「我々はユニオン陣営統括管理官エンタープライズより正式な招待を頂いた、レッドアクシズ陣営の者です。聞いていませんか?」

 

 ボンドルドが尋ねる。

 兵士たちは無言だったが、困惑と動揺の空気は見て取れた。

 

 と、そこに一台の護衛用リムジンが結構な勢いで走ってきた。クラクションを鳴らしつつ滑らかに停車し、転がるように一人の男が飛び出してくる。

 

 「ま、待ってくれ。銃を下ろしてくれ!」

 

 分隊長らしき一人が応じるあいだ、兵士たちは銃口は下げつつ警戒は解いていない様子だった。またグローセと大鳳がボンドルドとの相対位置を頻りに気にしていた辺り、狙撃手の銃口は外れていなかったのだろう。

 

 何度か言葉を交わし、男が分隊長に一枚の書類を見せたことで、そのいざこざは一応の解決を見たらしい。

 兵士たちは男とボンドルドにそれぞれ敬礼し、素早く撤収していった。

 

 「申し訳ありません、黎明卿。手違いがありまして・・・・・・」

 

 そう言って頭を下げた男に見覚えがあるのはボンドルドだけではないはずだが、もう一人、一度は顔を見ているはずの大鳳は不機嫌そうな一瞥をくれただけだった。

 

 「お久しぶりですね。以前は君の運転技術に随分と助けられました」

 

 彼はいつぞや大鳳が群衆ごと銃撃した車のドライバーだ。

 以前の運転手然とした服装ではなく、きっちりとした軍服を纏っている。

 

 「覚えていて下さったんですか!? 光栄です!」

 

 ボンドルドが差し出した手をしっかりと手袋を外した両手で握り返す。ビスマルクと大鳳が満足そうに頷くのを見て、グローセが微かに嘆息した。

 

 「君がハンドルを握るのなら、我々としても安心できます。では、行きましょうか」

 「了解です!」

 

 全員が乗ったことを確認し、ドライバーは真剣な表情に切り替わった。無駄口は叩かず、ただ進行方向に注意深く視線を向け続ける。

 外観からも分かる特殊仕様のリムジンは、標準的な防弾仕様に加えて乗り心地も保証されているらしい。滑るように動き出し、道中もカーブや路面の凹凸を感じさせない。

 

 「彼、いい腕ね?」

 

 ビスマルクが囁く。前回は人間主義者団体のデモ──半ばテロだったが、とにかく暴動に巻き込まれたせいで、まともな運転どころか回避運動のテクニックを披露されたのだが。

 

 「そうですね。・・・・・・今回は何事も無く終わるといいのですが」

 

 やりたいことを山積みにしたまま新生『前線基地』を出てきたボンドルドがしみじみと呟く。

 フラグじみたその言葉にグローセが苦笑するが、何か言う前に車が止まる。

 

 「到着です」

 「おや、随分と早いですね」

 「はは、今回は裁判所じゃなくてホテルですから。近港最高級だとか・・・・・・ともあれ、お疲れさまでした」

 

 リムジンの扉は自動で開くはずだが、その前にボーイらしき青年が手動で開く。

 ホテルまでの道にずらりと並ぶのが警備員ではなくホテルの従業員というのは、何とも珍しい光景だった。

 

 「・・・・・・ガワだけね。中身はプレート系の防弾装備。背中にはマシンピストル」

 

 一目で看破したグローセが囁くが、ビスマルクも大鳳も気にした様子はない。その程度の防護はKAN-SENには通じないし、そんな豆鉄砲ではボンドルドの装甲は貫けない。

 それに、今回はユニオン陣営からの正式な招待だ。これは内向きではなく、外向きの警備だろう。

 

 「セイレーンにも通じないし、人間主義者への牽制でしょうね」

 

 囁き合うKAN-SENたちを連れて、ボンドルドが花道を進む。

 精緻な装飾の施されたドアを開けると、中ではエンタープライズが待っていた。

 

 「黎明卿。・・・・・・警備に手違いがあったようで、すまなかった」

 「いえ、問題ありませんよ」

 

 互いに握手を交わし、最上階にあるという特別展望台へと向かう。そこが、今回の会談で使われる特設会場だった。

 

 「そういえば、マスコミが全くいないというのは珍しいですね?」

 

 戦時下ゆえ、情報統制が徹底されている──というだけではないだろう。特にトップの発言力と命令権が強い鉄血とは違い、ユニオン陣営は比較的規制の緩い風土だったはず。銃をチラつかせてマスコミを散らしたりすれば、とんでもない量のクレームが来るはずだ。

 

 「あぁ・・・・・・実は、軍からマスコミに情報が流れているという疑惑があってな。試しに会場と警備について誤情報を流してみたら・・・・・・この通りだ」

 

 げっそりした顔のエンタープライズに同情の視線を向けたのは、意外なことに大鳳だった。

 

 「セイレーンという明確な外敵に、我々レッドアクシズのアビス離脱、さらには情報漏洩という内憂まで・・・私の言えた義理でもありませんが、お察し致しますわ」

 

 鉄血陣営の内政・外交担当として思う所があったのだろう。エンタープライズはそう解釈して、ありがとうと微笑した。

 

 ちなみに情報漏洩だが、マスコミだけでなく鉄血陣営対外諜報部にもばっちりとリークされている。何なら漏れどころになっている軍高官のうち何割かは鉄血陣営諜報部のエージェントであり、つまりは大鳳の手駒だったりするのだが。

 

 「愚痴を聞かせてしまったな。けれど、少し気が楽になったよ。ありがとう、大鳳」

 「いえ、アビスから抜けたとはいえ、同じ航路の守護者ですから」

 「そうだな。お互いに──と、ここだ」

 

 抜けるような青空と澄んだ碧い海の一望できる特設会場は、ボンドルドが嘆息するほどの美しさだった。

 

 

 

 

 



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69

 たとえ車が突っ込んで来ても跳ね返すという──地上200メートルに突っ込める車があればだが──強化ガラスは、しかし、眼下に広がる大海原を見渡すのに支障を来さない透明度だった。

 ボンドルドにとっては見慣れた、セイレーン支配域の仄暗い海面ではない。澄んだ碧の海と、抜けるような青い空。万人が美しいと称する海の姿は、ボンドルドだけでなくあらゆるKAN-SENと、あらゆる人類が取り戻したいと願うものだ。

 

 互いが向かい合うのではなく、並んでその光景を見るように据えられたソファに掛ける。並行ではなく30度ほど内側に向けられた配置は、会話に最適な閉鎖感と開放感を同時にを生み出していた。

 副官として連れてきたビスマルクも、随伴艦の二人も、その領域には踏み込めない。元より二人での対話に首を突っ込むつもりもないが。

 

 「では、始めようか」

 「えぇ。・・・・・・そうですね、ではお互いの陣営の近況から──」

 

 対話は1時間ほど続けられ、陣営の近況、同盟陣営との関係、対ロイヤル戦線の近況と話題を遷移させていった。

 本題である鉄血・ユニオン間の同盟についてだが、実のところ、その締結はほぼ前提となっている。

 

 レッドアクシズ対アビスという最悪の構図、その構想がある。

 人類の守護者同士が全面衝突し、その資源や人員を無為に浪費する狂気の大戦争。人類にとっては最悪の、セイレーンにとっては垂涎の状況だ。

 

 何としてでも避けねばならない。それはボンドルドとも共有できる思想だと、エンタープライズはそう考えていた。

 

 「──少し、休憩にしようか」

 

 仕立てのいいソファに開放感ある景色とはいえ、疲労は溜まる。エンタープライズの気遣いだった。

 無碍にする必要もないかとボンドルドが立ち上がった時だった。

 

 「ん?」

 「エンタープライズ、これは・・・・・・」

 「いや、規定航路じゃない。何かのトラブルか?」

 

 エンタープライズが声を上げ、大鳳が警戒も露わに問いかける。

 何事かとビスマルクが大鳳に視線を向けると、大鳳はボンドルドたちが見ていた側とは反対方向の窓を示した。

 

 指向した先に、一機の小型飛行機が見える。小型と言っても、地域間輸送機に分類される旅客機だ。100人弱は乗れるだろう。

 その飛翔は傍目にも安定しているようには見えない。どころか──

 

 「おい、どうなってる!?」

 

 唐突に右翼から爆炎が上がり、エンタープライズが叫ぶ。

 それは内部からの爆発ではない。その寸前に飛来した一条の砲弾、その出所はかつてブルックリンと呼ばれる地域の在った水没海域だ。

 

 「どこのどいつ──いや、まずは」

 

 エンタープライズが無線を通じててきぱきと指示を出していく間にも、リージョナルジェットは炎を吹き上げながら落下していく。このままでは──直撃コースだ。

 

 「エンタープライズ、落下位置を水没都市方面に誘導します。いいですね?」

 

 大鳳の提案にエンタープライズは一瞬の躊躇を見せ、そして首肯した。

 

 大鳳の艦載機によってリージョナルジェットの側面を攻撃し、落下方向を変える。それは最大100名近いかもしれない乗員を見捨て、ニューヨークを守るという選択だ。まぁ大鳳のはボンドルドを優先するという判断だろうが、結果は同じだ。

 

 思ったより話が分かる、と口角を上げて、大鳳は攻撃を開始した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 足元で波打つ海面よりさらに下に、古い街並みが広がっている。

 海面が上昇したのではなく砲雨によって地盤沈下した、と、知識として知っていた。

 

 整然とした中にも個性の見えるコンクリートジャングルだったのだろう。活気のある街で、何人もの人が住み、過ごしていたのだろう。ここを守れなかったと──そう、何人ものKAN-SENが嘆いたのだろう。

 

 不必要な感傷だと自戒し、視線を大きく上に向ける。ニューヨーク最高級ホテルの一つと名高い高層ビル。その雲を突くような最上階に、一機の小型旅客機が突っ込んでいた。

 つい数分前に尾翼を破壊し、至近弾の爆風による誘導でここまで持ってきた()()()()だ。乗客が何人いるのか知らないが──犠牲になってもらおう。

 

 シクシクと良心が痛む。

 いや、そんなのは錯覚だ。兵器にあるのは存在意義だけ。良心なんて邪魔にしかならない。

 

 だから──やれる。

 

 一発、微調整のために右翼に砲撃する。今頃機内は混乱と悲鳴で溢れているだろうか。

 航路は修正され、間違いなくホテルに直撃するコースに入る。

 

 「こんな程度で・・・・・・終わらないよね」

 

 知っている。()は飛行機爆弾の直撃程度では仕留めきれない。いや、より正確には。

 

 「彼を全員──殺し切らなくちゃ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 目論見通りに飛行機を海へ落とした直後の事だ。

 

 強烈な、大鳳が身体を強張らせるほどの殺気が届く。

 咄嗟にビスマルクがボンドルドの前に立ち、直後にその反応の原因──沸き上がるような戦慄に気付く。

 グローセが口角を歪め、ボンドルドは歓喜するほどの驚愕に包まれた。

 

 練度120艦、あらゆるKAN-SENの中で最強と自負するだけの戦闘経験を持った彼女たちが、恐れ戦いた。

 

 何がいるのか。何が来たのか。分からない──確かめたい。

 

 未知を既知に。ボンドルドは湧き上がる好奇心に釣られて、大鳳の艦載機がぶち破ったガラスの大穴から、200メートルの上空へと身を躍らせた。

 

 天地が逆転したのかと錯覚する。海から空へと昇る無数の流星群は、所属不明艦の対空砲火だ。海上であれば戦闘体ボンドルドの機動力・回避力の敵ではない。身長ほどもある尻尾型モジュールは空気抵抗を利用し、海中を自在に泳ぐウミヘビのように空を移動させる尾翼だ。とはいえ、それは砲弾を避けるほどの速度ではないし、精々が落下位置を決定できる程度の舵取りでしかない。

 

 「課題点ですね。今度は翼でも付けましょうか・・・・・・」

 

 弾幕の薄い箇所を選び、直撃コースの砲弾を『枢機に還す光(スパラグモス)』で斬り払いながら落下していく。万物を解き消す光線兵器は稼働時に強烈な熱を発生させ、連発に際する障害となる。だが地上200メートルからの落下という空冷状態が、弾幕の殆どを斬り払うだけの連続稼働を可能にしていた。

 

 「『月に触れる(ファーカレス)』」

 

 海面に浮かぶその人影を目視したとき、ボンドルドは両腕の装置から黒い触手を吐き出し、ビルにくっつけることで急減速した。とんでもない負荷が腕や肩にかかるはずだが、KAN-SEN並の膂力に耐えうる身体は軋む音一つ立てない。

 

 ビルを幾つか縊り潰した触手を自切させ、十数メートルを落下する。盛大に水飛沫を上げ海面に両足を付けたボンドルドの背後で、自切した触手が急激にその艶を失い、萎びていった。

 

 「れいめいきょう・・・・・・黎明、卿」

 

 相対した謎のKAN-SENが言う。それは呼びかけというより、他者に対するものではない囁きに近かった。

 背後で炎上するビル群が物語る対空砲火の激しさは何処へやら、彼女は攻撃もせず、ただ虚ろにボンドルドを見つめている。

 

 ボンドルドは微かに首を傾げ、違和感の正体を探っていた。ビルを飛び出した時の沸騰するような好奇心は、実験に際する時と同じく冷静さや忍耐力に置換されている。ゆらゆらと揺れる尻尾はおまけみたいなものだ。

 

 違和感──より正確に言うのなら、それは。

 

 「・・・・・・どこかでお会いしましたか?」

 

 強烈な既視感。

 眼前の少女、海面に立ち艤装を纏う人間などいるはずもなく、それは間違いなくKAN-SENなのだろうが、データ上でさえ見たことが無い。

 

 架空艦、というわけではなさそうだ。グローセやローンから放たれる「存在感」のようなものは無く、むしろ鏡に映る虚像じみた違和感がある。

 

 元は綺麗な銀色だったのだろうと思わせる、鈍い灰色の髪。見覚えのある紺色の礼装と、腰に佩いたサーベル。

 ちぐはぐな──複数のKAN-SENを継ぎ接ぎしたような、既視感のある要素を組み合わせた、知らないKAN-SENだった。

 

 そのはずだが──やはり、その顔立ちに見覚えがある。

 

 ボンドルドの問いかけを無視してサーベルを抜く彼女に、上空から複数の爆弾が投下された。

 

 大鳳とエンタープライズの援護はしかし、対空砲火によって無為に終わる。

 爆炎がスクリーンとなり──それを突き破るように、ボンドルドへと吶喊した。

 

 金属音を上げ、サーベルが弾かれる。ボンドルドが小手調べ程度に尻尾で防御できたということは、そこまでの脅威ではないということか。

 

 否。

 

 「おや、暁に至る天蓋に傷を付けますか。かなり自信があったのですが」

 

 防御した箇所には一条の斬痕がしっかりと刻まれており、その戦闘能力評価を一段階上げる。

 

 「素晴らしい」

 

 威嚇するように、その実高ぶった感情に反応した不随意運動として、大きくしなった尻尾が海面を叩く。

 軽く前傾姿勢を取り、両腕を動かして戦闘態勢になる。エンタープライズと会うこともあってスキル・カートリッジを装備していないことが悔やまれた。

 

 「その身体──是非欲しい」

 

 



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70

 灰色のKAN-SEN。その表現が、彼女を最も的確に表せるだろう。

 煌めきのない銀髪。無機物めいて白い肌。夜闇の中でも浮かぶほど黒いマントと、その下の汚れ一つない白い軍服。

 極端なまでに彩度の低い、灰色の少女。赤い瞳だけが煌々として、駆け付けたビスマルクたちを無感動に見返した。

 

 「しき、かん・・・・・・?」

 

 呆然と、ビスマルクが呟く。

 大鳳が憎悪も露わに艦載機を放ち、グローセが興味深そうに金の双眸を細めた。

 

 灰色のKAN-SENが片手に弄んでいた仮面──I字の光を失ったボンドルドの仮面を放り投げる。放物線を描いてグローセの胸元に収まるそれと交換するように、艦載機の弾幕と爆撃が降り注ぐ。足元には魚雷の航跡が次々と生まれ、一見して追い詰められたようになる。

 

 「──『炬火の残光』」

 

 機銃掃射の弾丸が海面を穿ち、爆弾と魚雷が海底に沈んだ都市の残骸を破壊する。

 しかし、破壊できたのはそれだけだ。幽鬼のように佇む灰色のKAN-SENには傷の一つも残していない。

 

 「面倒な!」

 

 だがKAN-SENにとって、無敵や絶対回避といった能力は珍しくない。KAN-SEN同士の戦闘は、艦種や練度、その他能力値に大きな差が無い場合、スキルの相性によって決着するのがセオリーだ。必中攻撃のスキルに対して無敵は優位だが、往々にして時間制限や耐久力に制限のある無敵に対して、波状攻撃を行えるスキルがメタになる。

 

 歴戦のKAN-SENたちにとって、無敵化のスキルは見慣れた手品のようなものだ。

 種も仕掛けも知っている。その対処法もまた。

 

 「『彗星、尊き煌めきを』ッ!」

 

 本来は連発の効かない艦載機攻撃。それをスキルによって爆発的かつ連続的に運用できるのが、大鳳の兵器としての長所の一つだった。

 三種類あるスキルのうち、選択したのは爆撃機を発艦するスキル。空を覆いつくすほどの艦載機から放たれる爆弾の雨に狙いなど無く、ただ眼前の空間に破壊を押し付ける。瞬間移動だか無敵だか知らないが、波状絨毯爆撃はどちらにとっても痛打になるはず。

 

 だが──憎悪に満ちた頭の片隅で、ふと一つの疑問が浮かぶ。

 

 スキル・カートリッジを装備していないボンドルドの戦闘力は、確かに一線級のKAN-SENには一歩劣る。KAN-SEN並の膂力を持っていても、スキルにはそれを容易に覆すポテンシャルがある。

 だが、カートリッジ開発以前から、ボンドルドはセイレーンと互角程度には戦えていた。それは最高級の防護兵装『暁に至る天蓋』という盾と、絶対命中の光線兵器『明星へ登る』と防御無視の分解兵器『枢機に還す光』という特級の矛を持っていたからだ。

 そして、今は防御無視の長距離火砲『火葬砲』すら装備している。

 

 一対一であればカートリッジなど無くとも、大概の相手には完勝できるはず。

 

 それが──服を汚すことすら出来ず、敗北した?

 

 大鳳本来の知性が残っていれば気付けたはずだ。

 瞬間移動対策も無敵対策も積んでいるボンドルドが、大鳳たち増援の到着まですら保たず敗北したということが何を意味するのか。

 

 思考は憎悪に塗れ、普段よりワンテンポ遅い。

 激情に駆られてなおワンテンポ遅れる程度で済んでいるのは高練度ゆえだが、それは同格を相手にするのなら致命的な遅れでもある。

 

 「──『炬火の残響』」

 

 ガスマスクに覆われた口元は、くぐもった呟きのような声しか発さない。

 聞き取れたとしても初見のスキルでは対策のしようもないが、初見殺しの無効化に関しては他の追随を許さない者もいる。

 

 現在を完全に観察できるのなら、その存在は未来を正確に予知できる。

 悪魔の名を関する机上存在の話だ。

 

 だがその領域に限りなく近づいた机上存在が、ここに存在する。

 

 「全艦攻撃中止、艤装を非顕現状態に」

 

 何故、と、問う暇は無かった。

 ビスマルクが即座に艤装を仕舞い、他より数歩分敵に近い大鳳がまず後退する。

 

 その判断は間違いではない。

 大鳳の艤装、特に扇のような装甲甲板はかなりの防御力を誇る。以前には超至近距離からのウォースパイトの砲撃を防いだ実績もある代物だ。

 他より一歩前にいる分、未知の攻撃に対して盾になれる。意図は分からないが、同じラインまで退き切ってから艤装を仕舞うのがより良いと判断した。それ自体は間違いではない──が。

 

 紫電が迸る。

 

 落雷のように指向性を持った雷撃ではなく、灰色のKAN-SENを中心とした球状範囲を埋め尽くす電磁場攻撃。EMPと呼ばれるそれに物理攻撃能力をプラスした、高い広範囲制圧能力を持つスキルだった。

 

 KAN-SENにEMPが通じるのかと問われれば、勿論NOだ。というより、セイレーンやKAN-SENはその技術体系以外からの影響を殆ど受けない。地球を100個単位で破壊できる量の新型──当時基準だが──核異性体爆弾を保有していた人類が、ここまでセイレーンに追い詰められた理由の一つだ。

 

 だが、それがKAN-SENのスキルであるのなら──

 

 「痛っ!?」

 

 弾かれたように──事実、何ボルト何アンペアかも分からない雷撃に打たれ、ビスマルクとグローセの身体が跳ねる。

 身体の硬直──麻痺効果か。

 

 大鳳は痺れる身体を無視して、意識だけで艤装を非顕現状態に押し込んだ。

 艤装は回路が酷く傷ついており、損傷評価基準に照らせば戦闘続行に難あり、中破とされるレベルだった。

 

 防御寄りの大鳳を──いや、あらゆるKAN-SENの装甲を無視して一撃で中破させる電磁パルス。

 間違いなく脅威ではある。あるが。

 

 「ッ!?」

 

 無感動に攻撃していた灰色のKAN-SEN。彼女が初めて感情を見せる。

 ハーフフェイスのガスマスクに覆われた口元の動きは分からないが、その赤く輝く両目は驚愕に見開かれている。

 

 視線の先では、その黒いマントに覆われた胴体に、歪なほど巨大な半生体艤装が喰らい付いていた。

 黒いマントが一層濃く、ジワリと滲む。

 

 「艤装に深刻なダメージを与え、さらに本体を行動不能にするほど強力なEMP攻撃。スキルの使えないボウヤには特攻になる攻撃ね」

 

 両の手を合わせ、陶然と微笑むのは艤装の主、フリードリヒ・デア・グローセだ。

 灰色のKAN-SENは抵抗も虚しく、噛み口を唯一の支点にして宙づりにされた。

 

 「さっきの・・・・・・無敵でも絶対回避でもない、新しい防御スキル。あれも素晴らしいわ。まるで──ボウヤを殺すために生まれてきたよう」

 

 ぎちり、軋む音がする。

 グローセの艤装に力が加えられ、鮮血が噴出した。

 

 苦痛の声も漏れそうなものだが、彼女は黙ってグローセを睨み付けている。

 

 「いい艤装でしょう? セイレーンの技術を採り入れた、半生体型──自立行動が可能なのよ。本体が麻痺していようと、貴女を噛み殺すくらいできるわ」

 

 ビスマルクは苦笑した。

 周囲に自分より感情が高ぶっている者しかいないと却って冷静になるというが、まさにそれだった。

 フリードリヒ・デア・グローセ。世界最強のKAN-SEN。ボンドルドの目指したKAN-SENの極致──ブチ切れであった。

 

 流石というか何というか、感情制御の巧さは凄まじいの一言に尽きる。

 愛おしそうに胸に抱いたボンドルドの仮面。あれを投げ渡された──ボンドルド一人の死を目の当たりにした瞬間から、大鳳と、そしてビスマルクと同じように激しく動揺していたのだろう。その上で──あのEMPスキルを、初見殺しのそれを見抜き、的確な対処法を伝達し、実践してみせた。

 

 「名前を聞いてもいいかしら? どうせ、ここから逃げる手立てくらい用意しているのでしょう?」

 

 ぎちぎちと、鋼鉄の牙が体にめり込んでいく。ガスマスクの中に吐いた血が溜まっているのか、ゴボゴボと苦しそうな音を立てていた。

 

 「──『炬火の残光』」

 

 するり、と、唐突に手応えが消え、灰色のKAN-SENが落下する。

 ガスマスクをずらして口内に溜まった血を吐き出すのを、グローセは追撃せず、微笑を湛えたまま眺めていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 なんだ、あれは。

 

 初見殺しとしての性能も高く、知っていたとしても対処の難しい広範囲妨害型スキル、『炬火の残響』。

 あれを初見で見抜き、対処どころか反撃までしてきた。

 

 その異様に大きな艤装と言い、怪物という言葉が似合い過ぎる。

 

 あぁ、認めよう。

 全く以て──素晴らしい。

 

 “彼”の配下として相応しい強さだ。

 あのビスマルクよりもなお、KAN-SENとしての高みにいる。

 

 「素晴ら、しい・・・・・・」

 

 痛い。胴体にはいくつも穴が開いている。あの艤装の牙、見掛けだけでなく本当に咬撃できるのか。

 半生体、自立型艤装。見て、知ってはいたが、厄介な代物だ。

 

 「素晴らしい・・・」

 

 ビスマルクと、見たことのない二人のKAN-SEN。彼女たちはきっと、彼を殺し尽くす上で明確な障害になる。

 防御に秀でたビスマルク。空を埋め波状絨毯爆撃という冗談じみた攻撃を可能にする装甲空母。そして、この怪物のような戦艦。

 

 「素晴らしい!」

 

 あぁ。名乗っておくのも、悪くないかもしれない。きっと長い付き合いになる。

 これは決意で、覚悟で。

 

 「()はシグニット。黎明を沈める者よ!」

 

 

 ──宣戦だ。

 

 

 

 




 シグニットMETA
 
【挿絵表示】


 誇張抜きで本分の4、5倍時間かかったのでもう二度と絵は描かない(描く)


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71

 シグニットはロイヤルに属する駆逐艦で、比較的建造・ドロップ報告の多いポピュラーなKAN-SENだ。その夥多性から、前線基地では実験体としてよく利用されていた。

 だから3人にとっては見覚えのある、よく知っているKAN-SENのはず。特に研究助手を務めていたビスマルクは、外見だけでなく内部まで隈なく検分したこともある。

 

 「シグニットには・・・・・・見えないわね」

 

 シグニットの髪は淡紫がかった銀色で、光をよく反射する美しい煌めきを持っていた。眼前のシグニット(?)のような、淀み濁った灰色ではない。

 それに、彼女はもっとおどおどとして、怯えがちな性格だったはず。ビスマルクやグローセ、それにボンドルドを前に戦意を見せ、十全のパフォーマンスを発揮できるとは思えないほどに。

 

 だが、同時に複数の同名個体が存在するKAN-SENは少なくない。その中で、環境の差は成長に大きく関与し、個体差が生じることは周知の事実だ。

 シグニットらしからぬ、的確な状況判断という戦闘適性。覚えがない訳ではない。

 

 「記憶保有型変異体。それも別スキルを2種類も発現した超レア個体というわけ?」

 

 スキルの効果や数は、KAN-SENの種類ごとに決まっている。基本的に同名個体であれば同じスキルを持っているというのが常識だが、改造などでその枠を外れるKAN-SENも珍しい訳ではない。特にボンドルドはスキル・カートリッジによって、その常識を根底から覆している。

 今更驚いたり、疑ったりする必要はない。

 

 ただ己の犯した罪を贖わせるのみ。

 

 ビスマルクの視線から温度が消え、その艤装が照準を終了する。

 駆逐艦程度、一呼吸の間に沈め切れる火力は用意できる。それだけの練度はある。

 

 だが、問題になるのはあの正体不明の防御系スキル『炬火の残光』だ。

 回避や無敵、盾生成といったポピュラーな防御スキルとは全く違う。見た限り、あれは透過──当たり判定の消失だった。間違いなくそこに存在するのに、そこには存在しないことになっている。だから必中も必殺も通じない。まるで架空艦のような、言葉遊びじみた防御能力だった。

 

 数秒の睨み合いは、海面下から水面を破って浮上してきた新たなKAN-SENによって終わりを迎えた。

 

 現れた、また既視感のある、しかし初見の灰色のKAN-SEN。大鳳が片眉を上げ、不思議そうにその顔を見つめた。

 

 「飛龍、さん・・・・・・?」

 

 怜悧な容貌からは、シグニットと同じくほとんどの表情が抜け落ちている。ガスマスクのような顔立ちの判別を妨げる要素はないが、全体的に灰色に変わったという点も含めて、それを飛龍と見做すのは難しい。だが注意深く観察すれば、その目鼻立ちは飛龍と確かに一致する。

 

 灰色のシグニット。灰色の飛龍。

 万全な状態では無かったとはいえ、ボンドルドを殺し大鳳を中破まで追い込んだKAN-SEN。その僚艦らしき同系の存在。

 

 三人が全力戦闘を──ユニオン本土という守護対象を無視しての、形振り構わない本気の殺し合いを覚悟するには十分な脅威だった。

 

 その警戒と覚悟を他所に、飛龍はシグニットの肩を制止するように押さえた。

 

 「シグニット。彼女たちとの交戦は計画外だ。スキルの開帳も、この時間ではまだギリギリ超越技術露呈に該当する。速やかに行動を修正してくれ」

 「・・・・・・了解」

 

 言って、シグニットは一瞥すら残さず海面下へと沈み消えた。

 残った飛龍は嘆息し、三人に向き直る。

 

 「さて・・・・・・本来なら、ここで“目撃者”たる君たちを消さなくちゃいけないはずなんだけど」

 

 その言葉にビスマルクと大鳳が身構えるが、飛龍は仮面を弄び、飛龍には一片の興味も向けていないグローセを見て脱力する。

 

 「お見通しというわけか。君たちは今後のプロットに登場と関与が明記されている。計画を狂わせるわけにもいかない」

 

 嘆息した飛龍の身体が、徐々に海面下へと沈んでいく。

 水面下に崩壊した都市の残骸が見えるほど澄んだ水のはずだが、その下にはあるべきはずの身体は見えない。

 

 「ではまた。アンチエックスの手駒同士、今度は友好的にありたいものだ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 灰色のKAN-SENが沈んで消えたのを見届けて、ボンドルドは視界を戻した。

 新生『前線基地』最上層、観測室。内側からは外側を俯瞰でき、外部からは氷山の頂上にしか見えないマジックミラー的な展望台だ。観光に使うには、観測機材が詰め込まれ過ぎているが。

 

 シグニットを名乗る灰色のKAN-SEN。

 

 『暁に至る天蓋』を始め、全ての武装を無効化する強力なEMP攻撃。オミッターのものより強力とは、予想の埒外だった。

 

 戦闘体はKAN-SENの肉体をベースにした死体人形だ。EMPに対する耐性は基礎値からして高く、さらに暁に至る天蓋はスキル『レインボープラン』の雷撃に耐える程度の絶縁性はある。絶対絶縁というものが存在しないのは科学者であれば常識だが、それでも自信のある品だった。

 

 全く、素晴らしい。

 

 現在確認されているセイレーン技術より、さらに高度なKAN-SEN。

 

 『枢機に還す光』を、『明星へ登る』を、『火葬砲』を無効化する防御系スキル。

 

 見覚えがある。あれは量子通信による即時撤退、瞬間移動にも使われる存在の変質。量子化だ。

 

 意識と実存をその場に残しての量子化。限定的にこの世から消えるが如き権能だ。

 

 あれも素晴らしい。

 

 あれがKAN-SENとセイレーンの、リュウコツ技術の産物だというのが何より素晴らしい。

 

 KAN-SENの極致、存在しない存在である架空艦を見た。その極致に憧れ、手を伸ばした。艦隊を強化し、練度120の高みへと昇華した。艤装を強化し、疑似的な不死性も付与した。スキルの後付けも可能にした。そして遂に、架空艦の再現まで成し遂げた。

 

 KAN-SENの秘奥に届いたのではないか。そう思ってしまうほど、遠くへ来た。

 いつか仰ぎ見た太陽の、その齎す夜明けは近いのではないか。そう思えるほど進んできた。

 

 そして──さらなる高みを見ることが出来た。

 

 灰色のシグニット。

 

 ()()シグニットだ。

 

 大いなる献身で以て、道を切り拓いてくれたあのシグニットが。もう一度、さらなる未知を示してくれた。

 

 ありがとう。ほんとうに、それしか言葉が見つからない。

 この感謝に、その献身に報いるため。その未知を切り拓かねばならない。

 

 記憶を保持したKAN-SEN、記憶保有型変異体の存在は前々から確認されている。というより、本質的な部分では記憶情報は偏在化しているのではないかという仮説もある。

 

 だが、彼女はそんなちゃちなモノではなかった。

 

 KAN-SENの根幹。メンタルユニットとメンタルキューブの量子化。それは物質次元からの脱落であり、訪れるのは確実な自我崩壊と存在の消失だ。

 即時撤退技術がそれを実用化できたのは、人格をバックアップし、この物質世界にメンタルユニットの情報を固着できているからだ。テセウスの船は旗印と竜骨を残すことでその存在を確立しているのだ。

 

 それも無しに、ただ攻撃を防ぐためだけに物質次元から脱落し、メンタルキューブを量子化する。

 

 そんなことが──いや、違う。

 

 逆ではないのか?

 

 物質次元からの脱落、量子次元への逃避ではなく。存在格の昇華、つまりは。

 

 「形而上学的存在への存在昇華、ですか」

 

 思わず、空を仰ぐ。

 科学技術体系が踏み込んでいい領域を逸脱している。

 

 もはや言葉遊びや、神学、哲学に近しい。

 

 は、と、微かに息が漏れる。

 笑ったのかと、壁際に控える祈手から驚きの感情が伝わってきた。

 

 笑った。あぁ、笑ったのか。一体いつ以来だろうか、こんなにも高揚した気分になれたのは。

 

 きっと、あの時。漆黒の太陽の輝きに惹かれ、憧れ、導きを得た時以来の興奮だ。

 

 あぁ、なんと、

 

 「なんと、素晴らしい──」

 

 夜明けは遠く、しかし、黎明の光は満ち満ちている。

 

 「是非とも、また会いたいですね──シグニット」

 

 

 

 




 メタ化、メタ艦船のMETAは『形而上学/metaphysics』のメタ。



 ってことにした。


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72

 重桜本土・レッドアクシズ本部近海。

 世界で最も安全な海の称号を冠するその海域は、美しい浜と、それに似合う水着姿の人々で混みあっていた。

 

 喧騒と群衆といえば苦い思い出もあるが、少なくともその光景は守るべきで、守りたいと思い、守るために戦ってきたものだ。

 

 沖合には防衛機構が配備され、KAN-SENの哨戒部隊も定期的にパトロールしている。

 

 その華やかな外見と絶対的な武力という危険な魅力は、男女問わずのファン──正しく狂信者(fanatic)を生み出していた。見たことのないKAN-SENでも、それがKAN-SENであるなら握手でも一瞥でも欲しがるほどに。

 

 「あ、あの、いつも守ってくれてありがとうございます!」

 「握手してください!」

 「サインとか貰えますか?」

 「お前パンイチじゃん。何に書くんだよ引っ込んでろ」

 「水着だよパンツじゃねぇよ」

 「うるせぇ! てか押すな!」

 

 そんな騒がしい群衆に囲まれて。

 

 灰色のシグニットは深く嘆息した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 「それにしても、黎明卿は流石に動きが早いな」

 

 ボンドルドの死はエンタープライズには知らされず、ユニオン襲撃に際してレッドアクシズも備えるため、単身で本土へ帰還したということになっている。

 エンタープライズの賛辞に苦笑を返す三人は、その後を追うという真っ当な理由でユニオンを発とうとしていた。

 

 ボンドルドが向かったことになっているレッドアクシズ本部──ではなく、北極海に浮かぶ新生前線基地への帰路に就こうとしていた3人と、見送りに出ていたエンタープライズの元に、一機の艦載機が飛来した。

 航空機墜落に伴う大規模な救急隊の運用に伴い、なるべく回線を空けておこうとエンタープライズが提示した連絡手段だ。無線より遅いが、混線や傍受の危険性が無い。

 

 『エンタープライズ先輩、緊急です』

 「エセックスか。どうした?」

 

 それと全く同じタイミングで、ビスマルクに連絡が入る。

 そして、二人は同時に叫んだ。

 

 「何だって!?」

 

 続いてビスマルクが声を潜めて離れて行き、エンタープライズは逆に3人にも聞こえるように向き直った。

 

 「何ですの、二人して」

 

 戦場に身を置いてすら冷静で、淡々と敵を屠ることが出来る精神の強さを持った二人だ。

 訝しむのも分かる。だが、その理由はグローセですら思い至った時には舌打ちを漏らすものだった。

 

 「襲撃よ。今度は重桜の海岸が・・・・・・」

 「まさか、黎明卿はこれを予期して・・・・・・!?」

 

 ビスマルクが呟く。その表情には驚愕と困惑が色濃く浮かんでいた。

 

 重桜陣営といえば、鉄血と並んで世界最強の陣営と認められる、人類の防波堤だ。

 堅牢な砦と脆弱な砦。先に強固な方を落とし、悠々と残り物(デザート)をつつくでもなく。先に弱い方を奪い、そのリソースを以て強城攻めに備えるでもなく。今までのセイレーンの攻勢は『どちらにも均等に攻撃する』という、戦線維持や遅滞戦闘にも近しい戦術を取っていた。

 

 だから、ユニオンに攻撃して次は重桜、という動きもセイレーンであれば、拙速と笑いつつ納得はできる。重桜の防衛能力は並ではない。

 

 だが、それがKAN-SENによるものだとしたら。

 おそらく、防衛機構の殆どはKAN-SENに対してその機能を発揮しない。重桜の戦略担当艦である天城は、重桜の力とその価値を十分に理解している。ユニオンとロイヤルの二大巨頭を始め、残存するあらゆる陣営も、重桜を攻撃することはないと知っている。

 そして、それが鉄血の──ボンドルドの意思であれば、彼女は読み違えたと苦笑しつつ、その滅びを受け入れるだろう。

 

 まさか──人類に敵対するKAN-SENが現れるとは、予想もしていなかった。

 

 「灰色のKAN-SEN。あれの仕業でしょうね」

 「恐らくは。セイレーンがこのタイミングで人類を終わらせに来るとは考えにくいもの」

 

 ビスマルクとグローセは言葉を交わしつつ、その場から動こうとしない。

 今すぐに重桜本土へ行くべきなのは明確だが、とエンタープライズが首を傾げた時だった。

 

 「現時点で黎明卿に危険はない。重桜では防衛戦が始まっている。これの援護に行け」

 

 背後からのいやに無機質な声に、エンタープライズは身を竦めた。

 命令形の言葉を発するのには、立場や地位といったものが絡んでくる。そこには当然ながら上下関係が存在し、口調にもそれが滲み出るものだ。

 ここまで機械的に──相手に何の感情も抱いていないかのように話すのは、感情を持つ生物では難しいようにすら思える。

 

 気持ちの悪さを表情に出さないように努めつつ、声の主へ振り返る。

 見覚えは無いが、妙な既視感のある仮面──ボンドルドが側近として連れてきた、『祈手(アンブラハンズ)』と呼ばれる組織のシンボル。

 

 普通、艦隊の指揮官は旗艦、次席は副艦だ。ボンドルドが率いる艦隊であれば、普通は旗艦のビスマルクが次席として指揮系統の頂点に立つはずだが。

 

 「了解。確か、重桜本土にはローンとツェッペリンが居た筈よね?」

 「えぇ。それに天城さんと・・・・・・先輩方もいらっしゃいますし」

 

 因縁の相手ゆえに苦々しく、しかし公正な戦力評価を下した大鳳に苦笑が浮かぶ。

 だがそれ以上に、エンタープライズは指示に即答したビスマルクに驚いていた。まさかビスマルクより──実戦に参加するKAN-SENより上位の指揮権を与えられるとは。あの祈手という組織、余程信頼の厚いものなのだろう。

 

 「じゃあ、そろそろ行きましょうか」

 

 そう言って踵を返した3人に、エンタープライズはふと思い当たるものがあった。

 

 世界最強のKAN-SEN。最強の陣営の総旗艦。エンタープライズと並ぶ最強格の空母。向かう先は最強の陣営。

 相手は正体不明ながら明確に人類に敵対するKAN-SEN。そして──ユニオンの、無辜の民を傷付けた、エンタープライズにとっても許せない相手だ。

 

 これは──チャンスだ。

 そう、エンタープライズをエンタープライズたらしめる、直感が囁いた。

 

 「待ってくれ。援軍を送らせてくれないか? 例えば──私とか」

 

 

 



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73

 正解の三点リーダーやっと分かった。……これですよね?


 けたたましいサイレンの音に、レッドアクシズ本部近郊に住まう人々はそこかしこに据えられた液晶パネルを見上げた。

 最寄りの避難シェルターへの経路と、沿岸部から離れる旨の警告文が繰り返し表示される。

 

 焦るでもなく、どちらかといえば「あぁ、はいはい」といった慣れた様子で、ぞろぞろと移動を始める。次に人々が取る行動は、特に重桜と鉄血では一致していた。

 うんざりした顔を浮かべ、耳を塞ぐ。

 

 『セイレーン警報。セイレーン警報。直ちに沿岸部から離れ、速やかに避難シェルターへ移動してください』

 

 誰が決めたのか知らないが、全陣営一律の──馬鹿みたいな爆音のメッセージが流れる。

 スピーカーから一定範囲にいると眩暈を起こすとか、超至近距離ではワイングラスが割れるとか、もうこれを海に向けて置けとか、色々と話題性のある仕様になっていた。

 

 全陣営共通の音量で、共通のメッセージが流れる。その後に、重桜と鉄血に特有の、追加の一文がある。ユニオンや小規模陣営などの、日頃からセイレーンの襲撃を受けている陣営では不要なもの。

 

 『これは訓練ではありません』

 

 月に1回の避難訓練で辟易していた──他陣営は本物がもっと高頻度で流れる訳だが──人々も、これを聞くと多少はマシな動きをする。というか、慣れた動きに機敏さが加わって、危機感の割にとてもいい動きになる。

 

 「ま、今回もKAN-SENの子たちが何とかしてくれるって」

 

 誰かが口にしたそんな安心感が、彼らの共通認識だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 想定より面倒だ、と。被害報告を聞いた赤城は爪を噛んだ。

 

 対他陣営、KAN-SEN対KAN-SENの衝突に備えた対策プロトコルは、4年前──ボンドルドが陣営を追われた時から組み上げてきた。

 量を質で駆逐し、まず侵攻を波ごと消滅させる。次いで、逆侵攻による徹底した敵陣の無差別破壊。攻勢焦土作戦とでもいうべき、KAN-SENの特性を活かした、最大限効果的で非人道的な反撃を行う。

 二度と、敵の芽を生まぬように。

 

 だが──相手の陣営どころか、具体的な敵の数まで分からないとは。

 

 海岸線は一部を消滅させ、地図を書き換える必要がある。周辺家屋は余波を受け大部分が倒壊。住民の避難は済んでいるだろうが、再建には時間がかかる。ユニオンやロイヤルは再建慣れゆえノウハウも蓄積されているだろうが、重桜はそうではない。

 インフラへの被害は少ないが、軍事施設に近接する箇所はその限りではない。被害の最小化を図った痕跡はあるが──躊躇った様子はない。大前提に確実な破壊を据え、被害拡散防止はあくまで次善。

 

 なんだ、この──好ましいまでの合理性は?

 

 予定通りに防衛艦隊を出撃させていいものか。何もしないという選択肢は勿論ないが、かといって、ユニオンやロイヤル程度を想定した防衛プロトコルに従うのは甘い気がする。

 

 「失礼しますねー」

 

 そんな安穏とした声が、ふと耳に入り込んだ。

 苛立ちを隠して振り返ると、重桜艦ではない。レッドアクシズ内部の指揮系統は色々と面倒で、重桜・鉄血陣営のトップにボンドルド、その下に各陣営にのみ効力を有する指揮権を持った旗艦。横並びでヴィシア・サディアの旗艦がいる。赤城には彼女──穏やかな微笑を浮かべるローンに何かを命じる権利はなかった。

 

 戦場に在って、指揮系統の外にいる兵士ほど指揮官の頭を悩ます物もそうはない。

 特に兵士一人一人が軍艦級の──戦術兵器並の力を擁する盤面の戦略において、不確定要素が齎す振り幅は大きい。

 故に、うわめんどくさ、と。赤城は相貌を歪めた。

 

 しかし、ローンはそれを省みない。省みる必要すら感じない。

 何故か。単純なことだ。

 

 敵が攻めてきて、国土が侵されているのだろう? であるならば、兵器たるKAN-SENが取るべき行動は一つではないか。

 

 「赤城さん、わたしも出撃します。敵と味方の座標を頂けますか?」

 

 にっこりと穏やかな微笑みを浮かべるローンの瞳が妖しく輝く。

 

 ローンは強い。業腹だが、赤城の指揮下で粛々と戦略に従わせるより、単身で突撃させて戦術価値を存分に発揮させた方がいいレベルで。あのフリードリヒ・デア・グローセ──単身で陣営を相手取れるという机上存在と同系というだけはある。

 戦略を上回る戦術兵器とは、ボンドルドも冗談のような存在を生み出したものだ。

 

 「分かったわ。言っておくけど、いま暴走したら無事は保証できないわよ」

 「? ……あぁ。えぇ、勿論、分かっていますよ」

 

 不思議な反応に怪訝な視線を向けるが、もうそこにローンはいない。

 溜息を一つ零して、赤城はコンソールに向き直った。

 

 

 

 ローンは一人、鼻歌交じりに破壊された建物の間を歩いていた。足取りは軽く、とても戦場に向かうようには見えない。

 店も、家も、電柱やカーブミラー、看板も、車も──人も。破壊の痕跡は痛々しく、しかし、微笑には一片の陰りもない。

 

 「うふふ、暴走、暴走ですか。面白い言い方だったので、何のことか考えてしまいました」

 

 曇り空を見上げ、思い出し笑いを一頻り漏らす。

 さて、と、切り替えるように伸びをして、ローンは飛来した砲弾を回避した。

 

 着弾点には大穴が開く。直撃すればかなりの痛手を被ることだろう。

 ……()()()()()()

 

 所有者の闘争心を汲み取ったように、背部の艤装が軋みを上げ咆哮する。

 

 「ちょうど狩りでも殺戮でもなく、殺し合いの気分だったんです。お付き合い頂けるみたいで、良かった」

 

 陶然と笑うローンを見て、シグニットは思わず顔を顰めた。

 内心を端的に表現するなら「うわぁ……」といったところか。シグニット本来の性格からして戦闘狂との相性は良くないし、そもそも。

 

 「邪魔を……しないでくれませんか……」

 

 見たことのないKAN-SENが相手だろうと、ただ立ちはだかるだけで歩みが止まる訳はない。

 止めるために戦うのか、戦うために止めるのかは知らないが──止められるものなら止めてみるがいい。

 

 「退いてくれないのなら──沈めます」

 

 シグニットの瞳が決意に輝き、艤装が顕現する。

 暴風じみた殺意を受け止めて、ローンは可笑しそうに口元を隠した。

 

 嘲りではなく、本当に面白そうに笑う彼女に怪訝そうな視線が向けられる。

 

 「あぁ、ごめんなさい。貴女、指揮官を殺しに──()()()()()来たんですよね?」

 

 ユニオンで現行のボンドルドを殺してから間もないとはいえ、連絡手段の豊富な時代だ。報告されていたとしても不思議ではない。

 だが、外敵がボンドルドの不死性──正確には複数性を知っていると確信したような物言いは何なのか。

 

 眼前のKAN-SEN、見覚えのない顔に警戒心を募らせるが、彼女は笑顔を崩さない。

 

 「ふふ、グローセみたいな()が無くても分かります。だって──見覚えがありますから。襲撃のタイミング、位置、規模、侵攻のルート取り、垣間見える善性と、狂気的なまでの合理性と効率主義。敵対者に対する苛烈さまで……本当に、何から何まで」

 

 ガスマスクに覆われていない、感情の見える目元に強張りが浮かぶ。

 可笑しそうに、楽しそうに笑って、ローンは言葉を続けた。

 

 「怪物と対峙する者は、自らが怪物とならないように注意せよ。こうしてみると、含蓄のある言葉ですよね」

 

 それを最後に、闘いの火蓋が切られた。

 

 





 
【挿絵表示】


 ……だいぶ進歩したと思うんだ。


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74

 何がとは言いませんが、シグニットは2:8、アークロイヤルは1:9、グローセでも3:7か4:6くらいですかね。


 ローンの交戦開始は唐突で、レッドアクシズ側は十分な支援体制を整え切れていなかった。

 だが援護や妨害が無いからと言って、ローンの心情に陰りは無い。むしろ、邪魔が無くていいとすら考えていた。

 

 「私、無駄な戦いって嫌いなんです。格下相手の掃討戦……作業みたいな一方的な殺戮なんて、時間と資源の無駄ですよね。だから、そういう()()は……私の姿を見た時に自沈するべきだと思うんです」

 

 砲弾を躱しつつにっこりと穏やかな笑みを浮かべて語るローンに、シグニットは怖気を催した。

 戦闘中──しかもやや劣勢でありながら、世間話のような風情で言葉を並べるその姿と、内容のギャップ。どちらも嫌悪感と共に既視感を感じるものだ。

 

 「でも、貴女は……きちんと戦えるんですね。私と対等かそれ以上に。……素晴らしいです」

 

 掌を合わせて称賛する。その姿までもが覚えのある絶望と被り、シグニットは回想を振り払うように鯉口を切った。

 金属の澄んだ音が精神の乱れに指向性を与え、強靭な殺意として固定する。

 

 ウォースパイトやシリアスのように、砲弾や魚雷の他に剣を武器として装備するKAN-SENはいる。

 KAN-SENの膂力で振るえばただの鉄板でも十分な凶器だが、リュウコツ技術産のそれは言うなれば対艦刀。包丁を握りつぶすKAN-SENの肌であろうと、見た目の鋭利さに従って切り裂ける。

 また、所詮は点攻撃でしかない砲弾とは違い、刃物は点と線を使い分けられる。直線にしか飛ばない砲弾とは違い、自在な攻撃が可能。使い手を選びこそすれ、使いこなせば単純な艤装しか持たないKAN-SENより一手、上回る。

 

 残念なことに、シグニットに剣術の心得は殆ど無い。太刀筋に術や理は無く、その心はどす黒いまでの殺意に満ちている。──だが、それで十分だ。

 兵器たる彼女にとって、抱く感傷はその全てが必要なものだ。戦闘に際しては殺意や復讐心は強力な原動力になり、恐怖や痛覚、後悔ですら生存に繋がる重要な要素。であるなら──其は一意専心、明鏡止水が如く。

 

 純粋なる戦意から繰り出される斬撃は、術理ではなく死を齎すモノとしての美しさがある。

 

 大きく踏み込み、首元を目掛けた斬り払い。

 居合の要領で威力を最大限高めた一撃は、直撃すれば戦艦の首でも刎ねられるだろう。

 

 鉄血艦にとっての最速はボンドルドの兵装、光線兵器の世界最速(光速)。それ以外は“遅い”。

 だが居合の速さとは、速度的な意味で『速い』のではなく、起こりから抜刀、斬撃に至るまでの全ての動作が極端に簡略化され、読みづらいという意味で『早い』。

 

 グローセのような極端な視力──より正確には観察力を持たず、あくまで単純に『目が良い』だけのローンに、その斬撃を見切ることは出来なかった。

 

 「すごい、素晴らしいです!」

 「っ・・・・・・!」

 

 ローンが嬉しそうな声を上げ、シグニットが舌打ちを漏らす。

 唐突に眼前に現れた青い半透明の盾──防御系スキルとして一般的な、装甲形成スキルのもの。単に踏み込みに反応して展開しただけのそれは、幸運にも最適な防御を齎した。刀どころか身体ごと弾かれ、刀の間合いからは大きく外れてしまった。

 

 必殺の一撃を防がれたシグニットは納刀し、砲撃戦の姿勢を取る。駆逐艦対重巡洋艦の砲撃戦だが、両者とも極端な高練度艦であり、スペック差によるごり押しは効かない。

 

 であるならば。

 

 「『炬火の残響』ッ!」

 

 紫電が迸り、ローンの身体と艤装を穿つ。

 防御力に秀でた艦船であろうと構わず行動阻害と内部破壊をもたらすEMP攻撃。艤装の非顕現化が唯一の対策であり、初見殺しとしては最上級。大鳳ですら一撃で中破に追い込む破格の一撃をもろに受けて、ローンが膝を付いた。

 

 

 

  ◇

 

 

 

 重桜・レッドアクシズ本部地下。

 一般には倉庫やシェルターがあるとされている大規模地下構造の一角は、ボンドルドの研究室に改装されていた。

 

 詰める祈手たちの動きは普段と違って慌ただしく、幾人かは観測機、幾人かは記録機に張り付き、幾人かは駆け回ってすらいた。

 

 「不味い」

 「不味いな」

 

 声色に感情は無く、計器の数値を睨み付けるだけの彼らだが、見る者が見れば焦りを感じ取れるかもしれない。

 

 「ローンの損壊率が規定値を超えた」

 「リュウコツ因子の活性率もまもなく閾値だ」

 

 祈手同士が言葉を交わし、その間にも作業は滞り無く進んでいく。

 駆け回っていた数人がどこからか大型の機械を運んでは設置し、また慌ただしく出て行く。幾人かが計器のデータをバックアップし、電源を落とす。

 

 「卿は不在だ」

 「グローセもだ」

 「回帰が完了するとは思えないが」

 「それが問題だ。完全なる回帰であれば、我々は祝福しよう」

 「だが一部に偏ってしまうのは駄目だ」

 

 議論を交わしていた祈手たちが一斉に口を噤み、一つの計器に目を向ける。

 ともすれば会話の声量で掻き消されかねない音量ではあるが、しかし明確に警告音が発されていた。

 

 「リュウコツ因子の活性率が閾値を超えた」

 「成るか」

 「還るか」

 

 祝福するように、達成感すら滲ませた報告に、期待を込めた確認が重なる。

 同じ機械に無数の視線が集まり──落胆の息が零れた。

 

 「駄目だ」

 「不完全だ」

 「祝福を受けていない」

 「不足している」

 

 重くなった空気に追い討つように、少し大きめの警告音が鳴る。

 また別の機械に目が向けられ、報告される。

 

 「ローン本体の損壊率、リュウコツ因子の活性率が共に条件を満たした。限定的偏向回帰が第一フェーズに入る。人格セーフティ、フェイルセーフ、共に機能喪失。回帰方向を特定……未知のパターンだ」

 「彼女は“切り拓くもの”ではない」

 「卿の仮説では、残りは──」

 「“打ち砕くもの”か“守護するもの”。──せめて、後者であることを祈るべきか」

 

 

 

 

  ◇

 

 

 

 

 大抵の相手であれば一撃で戦闘続行困難なレベルの損傷を与えられるはずだが、と、シグニットは訝しんだ。

 確かにローンは片膝を付き、頽れる寸前だったはず。

 

 それがどうして──

 

 「くっ……」

 

 自分が、彼女に踏みつけられているのか。

 赤く染まった瞳に、陶然と蕩けた表情。戦闘に際して高揚感を通り越して恍惚とするタイプか。薄々そんな気はしていたが、EMPは直撃した。精神性に関係なく、彼女は物理的に動けないはずではないのか。

 

 「退いて、くださいッ!」

 

 身体を捻り、足を絡めて引き倒す。そのままマウントポジションに引き込みたいところだが、眼前に艤装の牙が迫り、仕方なく距離を取る。

 

 グローセの艤装に噛み付かれた傷はもう癒えたが、あれの意外な危険性は覚えていた。昔は戦闘機の正面部に描かれるシャークティースのような装飾の部類かと思っていたが、とんでもない。艤装の──軍艦の馬力で鋼の牙が噛み付いてくるのだ。KAN-SENにとっても十分な脅威になる。

 

 「邪魔を──ッ!?」

 

 光る砲口に咄嗟に反応し、その場から飛び退く。瞬間、さっきまで立っていた地面が大きく陥没し、派手に爆風と砂塵を巻き上げた。

 

 こんなことを言える立場でも状況でも無いのは分かっているが──

 

 「急に、なんなの……ッ!」

 

 今までの、殺意には必ず愉悦が混じり、砲弾と共に言葉も交わす異常者然とした感じがない。

 むしろ純然たる殺意でのみ動き、無駄を削ぎ落したこれは戦闘機械か。分かりやすいまでの変貌だった。

 

 一撃目が外れた瞬間に二発目、三発目と続けて砲撃が加えられる。会話どころか哄笑の一つもなく、変わったという印象を強める。

 

 ぎちり、ぎちりと。ローンの艤装が軋みを上げる。

 背部の艤装が大口を開け、陽光じみた輝きが漏れた。

 

 不味い、と。本能的に、シグニットは一歩下がった。漏れ出る光は熱を孕み、陽だまりのような温かさを感じることもできる。だが背筋には冷たい汗が流れ、悪寒が込み上げる。

 

 忍び寄るこの気配に。それの齎すこの感覚に。シグニットは覚えがあった。

 かつて、あの悍ましい前線基地で嗅ぎ、味わい、えずくほどに堪能した「死」の感覚。絶望と共に足音も無く滑り寄る、毒蛇じみた気配だ。

 

 五感が遠退き、思考が鈍重になる。

 死線に際して驚くべきパフォーマンスを発揮する者もいるが、あれは──シグニットが思うに、死んだことのない者だけだ。

 

 「『炬火の残光』ッ!」

 

 咄嗟にスキルを発動できたのは、自分でも偉いと思う。

 存在レベルの昇華はあらゆる低次現象の干渉を無効化する、完璧なる盾。アンチエックスですら解析しきれていない架空艦、存在する非存在に限りなく近づく行為だ。

 

 眼前のKAN-SENが如何なる攻撃を放とうと、間違いなく無傷でいられる。

 

 まず視界が埋まり、次いで音が消える。

 光量が限界に達し、視界が埋め尽くされている。周辺の大気が悉く焼き払われた真空状態で音が伝播していない。そんな考察を頭の隅に追いやり、なんとか周囲の状況を確認しようと視線を巡らせる。

 

 努力の甲斐もなく、視界が戻ったのは攻撃が終わってからだった。

 

 「は、はは……」

 

 思わず、笑みが漏れる。

 シグニットの正面、ローンのいる側は左程変わらない景色が残っている。ローンとシグニットを結ぶ直線下のアスファルトが蒸発し、大きく抉れた地面はドロドロに溶けている。しばらくすればガラス化するだろうか。

 問題なのは背後だ。攻撃は距離に応じて拡散する性質があるのか、背後の破壊痕は末広がりになっている。射線上の家や道、あらゆる文明的なものは破壊され蒸発し、溶岩の道を作り上げている。海に向かって広がる窪みは干上がった川のような様相だが、精々が海から逆流する河口部にしか水はない。海に向かって傾斜のある土地で良かったと、後の人は言うだろう。

 

 だが、シグニットが笑ったのはそんな()()()()破壊痕に対してではない。

 そのさらに向こう──遠く、水平線より僅かに手前に浮かぶ島。大きな山であり間違いなく無人島であろうそこが、二回りほど小さくなっている。海は酷く荒れ、単純な熱破壊と言い切れない熱量を持っていることは理解できた。だが──岩盤で出来た山を覆い、溶かし、二回りも小さくするか。

 

 「……素晴らしい」

 

 鉄血陣営艦だろうが、前線基地では見なかったKAN-SENだ。

 この規格外さといい、ユニオンで見た戦艦と共に秘中の秘とされるレベルのKAN-SENか。

 

 向き直ると、ローンの艤装は放熱中だった。流石に連射は効かないようで安心すると同時に、好機とも思える。

 攻め切るか、一度退くか。

 

 シグニットは後者を選択した。

 ローン本体も内部調整中なのか、あるいは別の理由か、シグニットが露骨に距離を取っても追撃が無い。

 これ幸いと、シグニットは本格的に重桜から撤退することにした。

 

 

 




 アンケーヨオナシャス!


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75

 文章力……主に表現力と構成力が欲しい


 重桜への帰路を急ぐなか、唯一の部外者であり援軍という形で参戦していたエンタープライズが声を上げた。

 

 「グローセ、少し急ぎ過ぎじゃないか? 艤装が焼け付いたらいざという時に戦えないぞ」

 

 その心配は少し過剰だ。

 確かにKAN-SENの艤装は永久機関という訳ではなく、燃料の補給や部品の整備は必要だ。酷使すれば摩耗は酷くなるし、逆に全く使わないと錆び付いてしまう。だが、それでも兵器である以上耐久性には長けている。高速戦闘機動や被弾を前提としている以上、ちょっと焦って吹かした程度で焼け付いたりはしない。

 

 だが、グローセが一行を引き離すほど先行していたのも確かだ。

 超然と、全てを見透かしたように──事実、悪魔じみた観察眼を以て未来知を可能とする彼女が焦っているところなど、付き合いの長い大鳳やビスマルクでも初めて見る。

 

 顔だけで僅かに振り返り、グローセは速度を落とすことなく正面に向き直った。

 

 「貴女たち、敵があの子だけだと思っているの?」

 

 そこまで言われれば、エンタープライズにも思い当たる節はある。

 セイレーンのことではない。レッドアクシズは加盟陣営こそ重桜、サディア、ヴィシアを擁してはいるが、実質的に鉄血陣営を中心とした軍事同盟であることは明らかだ。ボンドルドの統括の下、技術体系を共有し強固な指揮系統を敷き、それ自体が一つの軍隊であるかのような連携を見せる。

 

 そんな組織が生まれた理由は──ロイヤル陣営との開戦にある。機を見るに敏というか、ただ単に手が早いというか、拙速を聞き巧の久しきを観ざるロイヤルのことだ。この機に重桜や鉄血を攻撃するか、混乱に乗じて良からぬものを仕込んでくる可能性は低くない。

 

 心配性だと切って捨てるには信憑性が高い提言者であり、急ぐに越したことは無い状況だった。

 故に、エンタープライズもそれ以上は言い募らず、グローセの後を追う。──その航路が、最短ルートとは微妙に違っていることに気付かぬままに。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 ロイヤル陣営の対鉄血陣営戦略は非常に面倒くさく、また達成難易度の高いものだった。

 

 今回の戦争は、引き金こそボンドルドの「非人道的な」研究になっているが、主目的は研究を放棄させることでも、その情報の奪取や抹消でもない。

 陣営間に存在する戦力格差の是正。単騎で陣営の趨勢を左右できる戦略級──決戦計画級艦船の破壊、或いは奪取。どちらも叶わない場合でも、同等の存在を作り出すことが急務だ。

 

 つまり、ただ戦争に勝利するだけでは何の意味もない。

 鉄血の国土を蹂躙しようが、鉄血陣営の戦力を全損させようが、ボンドルドを暗殺しようが、それは人類に百の害をもたらすだけで、一分の利益も生み出さない。いや、一時的にロイヤル陣営が覇権を握れるかもしれないが、その後には重桜陣営がまず間違いなく報復を仕掛けてくる。鉄血陣営と連戦で勝てる相手ではないし、仮に勝ったとして──そんな損耗状態でセイレーンの攻勢に遭えば。百の害も一の利も、人類の歴史と共に海に沈むことになる。

 

 鉄血陣営の戦力を「ちょうどいい具合に」削る。その後、勝利できれば文句はない。負けたとしても、海域防衛に支障が出ない程度の損耗であれば問題はない。

 天秤の片側にさらに天秤が付いたような面倒さは、ロイヤル『指令室』でも文句の種だった。

 

 そんな折、一つの速報が入る。

 ユニオン内部に紛れ込ませていた諜報員と、ボンドルドに付けていた監視役の二人から入った確度の高いもの。しかし、その正確性を知っていてもなお疑いたくなる内容だ。

 

 「未確認勢力がユニオンを襲撃。黎明卿は死亡」

 

 かつてMIAとなり、変貌を遂げたアークロイヤルは『指令室』のみならず、王家にまでこう提言した。

 

 『黎明卿失くして人類の歴史は一世紀と続かない』

 

 それは民衆が信仰混じりに口にしていたことだったが、自らの手で敵を屠り、海と人類を守ってきたKAN-SENたちにとっては冗談のような物だった。過激な言い方をするのなら、「人間風情が何を」といったところだ。

 だがアークロイヤル──ロイヤルでも最上位にほど近い強者の提言とあれば、徐々にではあるが認識も変わる。「なーに言ってんのwww」から「あ、そうなん……?」くらいにはなっていた。

 

 そこに、これだ。

 『指令室』は速やかに緘口令と情報統制を敷くが、ふと思い当たるものがある。

 

 全陣営の統括管理官、あるいは艦には、とある装置が取り付けられている。

 生命反応あるいは存在係数に反応し、その消失──つまり死に際して全陣営に秘匿回線で救援信号を発する装置だ。『指令室』にもその受容装置は置かれているが、俗に『弑逆警報』などと呼ばれるそれが鳴っていない。

 

 襲撃者の正体を探りつつ、黎明卿の動向を再確認する。とりあえず、と。『指令室』はユニオンを訪れるまで黎明卿のいた重桜へと視察艦隊を向かわせた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 時期的にも、航路的にも。

 重桜へ出向いた視察艦隊と、ユニオンからエンタープライズを伴って帰投する鉄血艦隊が遭遇する可能性は、そこまで高くなかった。

 

 だが悲しいかな──単純な観察と化け物じみた推察力を以て、戦略を食い潰す戦術兵器が相手。

 

 海岸線一つを消滅させられるという大被害を被り、今尚上陸と侵攻を許している重桜へと向かっていたロイヤル艦隊。長らく最強の陣営と目されてきたその地の土を踏めるという興奮と、こんなものだったのかという失望や落胆。その他の様々な感情を抱いていた彼女たちの進路は、世界最強のKAN-SENによって遮られた。

 

 視察艦隊旗艦のパーシュースは、火事場泥棒のような仕事だと自嘲しつつ油断していた。

 4隻編成という小規模な艦隊で隠密行動が取りやすく、また空母という偵察に長けた艦種であること、精鋭とされる一航戦が内陸で防衛に徹していること。ボンドルドの爪牙として知られるビスマルクや大鳳がユニオンに向かっていたこと。油断しても仕方のない要素は並んでいるが、甘い。

 

 シグニットがあそこまで侵攻できたのは、ほぼ全ての干渉を透過するスキル『炬火の残光』ありきだ。並のKAN-SENであれば、防衛機構や監視装置に引っかかり、哨戒に追われ、赤城と加賀──重桜が誇る一航戦の名が伊達でないこと、その手の長さと爪の鋭さを思い知り、沈むことになる。

 

 尤も、いま眼前にいる相手はその数倍は恐ろしい相手だが。

 

 「……最悪」

 

 ぼそりと呟いたのがパーシュースだったのか、副官に据えたシュロップシャーだったのかは分からない。だがどちらにしろ、残る二人、セントーとジャマイカも同じ思いだった。

 艦隊の平均練度は75、最高練度のパーシュースでさえ80の壁で止まっている。おまけに艦載機は大半が偵察機に換装されており、空母二人の戦闘力は皆無。

 

 問答無用ということか、ビスマルクとグローセの砲塔が回転する。照準は速やかに、そして正確に合わせられ、微かな身動ぎにすら反応して微調整される。

 

 そんな態度に最も慌てたのは、半ば情動が麻痺していたロイヤル艦隊の誰でもなく、付いてきていたエンタープライズだった。

 

 「ま、待ってくれ。ここでロイヤルと事を構えるのは、君たちにとっても良くないと思うんだが」

 

 言わんとすることは分かるし、その真意も分かる。

 正体不明、能力不明、目的不明、全容不明の未解明新勢力の出現。少なくとも鉄血と重桜、ユニオンに対しては敵対的である──ユニオンついてはエンタープライズの誤解で、単なるとばっちりだが──灰色のKAN-SENたちを相手取るのに、さらにロイヤルと全面衝突するのは止めた方がいい。

 エンタープライズとしては、ユニオンを襲撃したシグニットへの報復に来たのに、ここで対ロイヤル戦が始まって巻き込まれるのは不本意極まりないだろう。

 

 焦ったように宥めるエンタープライズに便乗するように、ここしかない、と、パーシュースも口を開く。

 

 「私たちも謎のKAN-SENについては把握できていない。……情報収集のために来ただけ」

 

 敵対する意思はないから見逃してくれ、と。そういうことなのだが、口下手なパーシュースの真意は伝わったのだろうか。

 

 胡乱げな視線を向ける大鳳と、知ったことかと照準を続けるビスマルク。だが攻撃に踏み切ってこないあたり、表情を微笑に固定したグローセがこの艦隊の司令塔か。

 ならば説得すべきは彼女一人。言葉を重ねようとセントーも口を開く。

 

 だが言葉を紡ぐ前に、グローセの表情が強張った。

 

 振り返れば、ビスマルクと大鳳が驚きを隠せず目を瞠る。

 

 フリードリヒ・デア・グローセ、世界最強のKAN-SENの表情に──色濃い()()が浮かんでいた。

 一瞬遅れて大鳳が艤装を全力で稼働させ、ビスマルクを突き飛ばしながら水面を蹴立てて散開する。

 

 刹那──死が通過する。

 

 死線に慣れ、その超え方すら熟知したエンタープライズですら気付かないほど遠距離からの攻撃。監視任務に就き、直接的な殺意を久しく浴びていなかったロイヤル艦隊では察知は難しいだろう。

 グローセは怪物じみた予知で、大鳳は既知を以てビスマルクを伴い、その一撃を回避した。

 

 先んじて通過した万物を崩壊させる枢機の光は音も無くパーシュースとシュロップシャーを消し去り、続く大気の爆発が轟音と甚大な熱を以て残る二人──否、エンタープライズを加えた三人を呑み込む。

 大鳳とビスマルクの回避は、結果から言えば過剰だった。グローセは一歩も動いていないにも関わらず、破壊の余波で荒れ狂う海面の煽りを受け、服が濡れる以外の被害を受けていない。

 

 ボンドルドがローンに組み込んだ対()()攻撃兵装『火葬砲(インシネレーター)』。シグニット一人を狙うにはあまりに過大威力なその火砲は、ローンの索敵範囲内に存在したすべての()を一度に掃討した。

 

 グローセの表情が苦笑に歪む。

 馬鹿げた力だと感嘆するところだが、制御が甘い。ロイヤル艦隊はともかくとして、エンタープライズを巻き込んだのは完全に判断ミスだ。

 ユニオン陣営からの悪感情は確定。最悪の場合、ユニオン・ロイヤルの連合軍がレッドアクシズに敵対することになるだろう。戦力的にはそう脅威でもないが、人類同士で争っている場合ではない。

 

 覆水盆に返らず。グローセは嘆息し、ローンに説教の一つでも垂れようかと転進した。

 

 

 

 

 「プロット通り、進捗は理想的ね」

 

 一部始終を傍観していたテスターが呟く。

 手にした端末に状況報告を打ち込んでいると、背後に気配が生じる。

 

 「人類対人類の全面抗争。進化は競争によって加速する、だっけ?」

 

 つまらなそうに、頭の後ろで手を組んだピュリファイヤーが端末を覗き込んだ。

 

 「うわ、なにこのスコア」

 「あのローンとかいう架空艦のよ。このまま行けばグローセを超えるかもね」

 「ヤバ。……あれ? でも、それって停滞因子になるってことじゃないの?」

 

 テスターは両手を上に向けて肩を竦める。

 なんじゃそりゃ、と言いたげにピュリファイヤーは溜息を吐くが、そもそもセイレーンの司令塔はテスターではない。

 

 「その辺どーなの、レイちゃん。……や、スポンサー?」

 

 揶揄うように両手を向け、ニヤリと笑う。

 いつからか居たオブザーバー・零が無感動に見返すと、消沈したように肩を落とした。そもそもセイレーンの共有意識空間だ。いつでもそこにいる、というのが正しい。

 

 「いじり甲斐のない奴……ま、いいけど。それで? ローンちゃんは排除しなくていいの?」

 「できるの?」

 「あぁ?」

 「冗談よ。 ……そうね、今のところ、彼女は停滞因子とはなり得ないでしょうね」

 

 眠そうなその言葉に如何ほどの信憑性と正確性があるのか。

 テスターとピュリファイヤーは是非もなく頷いた。

 

 「いまは暴走……偏向回帰によって道を外れているけれど、脅威度自体はそこまで高くないわ。むしろ──」

 「余燼勢力の方が問題、ね」

 

 レイの言葉を引継ぎ、テスターが端末を操作する。

 空間上に複数の映像が映し出される。それらは全て灰色のKAN-SENで、中にはシグニットや飛龍のものもある。

 

 「『枝』の剪定が甘かったんじゃない? ……そういや、時間軸が揺れたってことはさ、あいつも起きるんじゃないの?」

 「どうでしょうね? 大樹の枷はアンチエックス最高峰の軛。それこそ鋏でも無いと切れないはずよ。ちょっと揺すったくらいで起きるかしら?」

 

 ちょきちょきと、片手でハサミを象るテスター。

 

 「それもそっか。……んじゃ、差し当たりは活動指針に変更ナシで?」

 「そうね。……あぁ、重桜の襲撃頻度を少し上げて」

 

 シグニットの襲撃とローンの一撃で甚大な被害を被った重桜だ。ここで手を抜くのは不自然だし、危機感を煽るにはちょうどいい。

 そう判断しての指示だったのだが、ピュリファイヤーは心底嫌そうな顔をした。

 

 戦闘狂の面を持つ彼女らしくない反応だが、理由に心当たりがない訳ではない。

 

 「黎明卿なら、今は北極海の氷山要塞よ」

 「()()()ってだけでしょ? ったく、他人事だと思って……」

 

 ぶつくさ言いながら出て行ったピュリファイヤーに、レイとテスターは顔を見合わせて苦笑した。

 

 

 

 

 




 あと画力と運命力と資金力も……


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76

 メイアビ・ゲス外道要素思考中のワイ「これをこうしたら伏線に絡めれるな……あとこの要素はこうして……(IQ80)」
 アズレンプレイ中のワイ「( ゚∀゚)o彡゜おっぱい!おっぱい!(IQ3)」


 島一つを融解させた砲撃を終え、ローンは停止していた。

 双眸は閉ざされ、静かな呼吸に胸が微かに上下する。だらりと下げられた腕と鎌首をもたげた艤装が不釣り合いな不気味さを纏っている。突けば倒れそうな儚さと、触れることを忌避させる死の気配を漂わせていた。

 

 依然として警報は止まっておらず、周囲に民間人は居ない。彼女を取り囲む人影は6つ。困り顔の加賀とツェッペリン、残る4人は黒衣に仮面を纏った『祈手(アンブラハンズ)』だ。

 

 「どういう状態なんだ?」

 

 頭を掻きながら加賀が尋ねる。祈手が一人、手にした端末を無言のまま示した。

 その態度に特に気を悪くした様子もなく、二人は端末を覗く。

 

 「艤装の放熱と本体の最適化、か。……まぁ、あの威力では無理もない」

 

 本来KAN-SENに搭載することを想定していない特級の火砲『火葬砲(インシネレーター)』は、発射すれば強烈な熱を放つ。島を融かす熱量はローン本体のセンサーに調整と再起動を必要とするだけの損傷を与え、艤装にはさらに放熱というプロセスを課す。しかし、ボンドルドが纏う『暁に至る天蓋』の稼働エネルギーを9割近く消費して漸く稼働するそれは、艤装の内部エネルギーを食い潰してしまった。

 

 故に自然放熱を待つ他なく、ローンは本体の調整に注力しているという状態らしい。

 

 「ふむ……海にでも漬けてみるか?」

 「熱応力を侮るな。艤装に深刻なダメージを負う可能性がある」

 「あぁ、冗談だ」

 

 致命的なものではないと知って緊張を弛緩させた二人とは裏腹に、焦ったような空気が祈手たちに伝播する。

 一人が本部へ向かい、残った3人が頭を寄せて端末を覗き込んでいた。

 

 「リュウ……因子……低……る」

 「限定回帰……いないと……か?」

 「そう……この……再起……ば──不味いな。……が始まった」

 

 仮面越しの声、それも自分たちに向けられたものでないそれを聞き取れず、二人は祈手たちに視線を向けた。

 それが不味かった。

 

 「!? な、なん──」

 

 祈手が一人、加賀の腕を引き胸に抱き留める。

 唐突に過ぎるアプローチに声を上げるが、すぐに驚愕に呑み込まれた。

 

 掲げられた片腕にダブルスレッジハンマーが突き刺さり、前腕部に関節が一つ増えている。防御者は祈手で、攻撃者は──本体の再起動を終えたローンだ。

 艤装は非顕現状態へ仕舞われ、格闘戦に特化した身軽そうな格好になっている。

 

 祈手がツェッペリンの方へ乱暴に加賀を突き飛ばし、その一挙動の代償に仮面を掴まれる。ローンの金属剥き出しの両手に力が込められ、仮面に罅が入る。抵抗を無視してそのまま腕を振り下ろし、逆に片膝が突き上げられ──頭部を血煙に変えて、祈手が斃れた。

 ミニ丈のスカートが翻り、眩いほど白い太腿が赤く汚れる。

 

 研究用とはいえローンの攻撃から誰かを庇うだけのポテンシャルがあった祈手がほとんど抵抗できず、しかも一瞬で殺された。

 

 『祈手』はボンドルドの研究助手であると同時に、人格バックアップの受容体──つまり、ボンドルドにとっては肉体の、命のストックのようなものである。

 レッドアクシズ陣営のKAN-SENにとっては、ボンドルドと同等程度に尊重すべき相手だ。間違っても殺していい相手ではない。

 

 「ローン!?」

 

 加賀が驚愕の声を漏らし、一歩だけ傍観者に近いツェッペリンが舌打ち混じりに艦載機を放つ。

 ローンは裏切ったか、少なくとも正常な状態にないことは明白だ。いきなり攻撃してきた辺り、対話は望めそうにない。

 

 であるならば。

 

 「殴ってでも止めるぞ。卿らは下がって──」

 

 戦闘機と爆撃機を従え、ツェッペリンが進み出る。

 しかし、庇うような立ち位置の彼女の横をすり抜けるようにローンが動く。身体を沈めた前傾姿勢。格闘戦で距離を詰める時に特有のもの。

 

 戦意や殺意を一片も見せず、ただ機械的に無感動に。表情の抜け落ちた目を赤く輝かせて、ローンが拳を引き絞る。

 狙いはまた祈手だ。当たり所にもよるが、戦闘特化でない個体なら一撃で殺せるだろう。

 

 祈手の左手が二本重ねられ、ローンの右拳を受け止める。

 一瞬の拮抗も無く、防御した腕ごと胴体が貫かれた。腕が引き抜かれると、小ぶりな拳には一致しない大穴からだくだくと血が零れる。

 

 右半身を血に染めて、尚も無感動にローンの視線が彷徨う。

 唯一残った祈手と、それを庇うように立ちはだかるツェッペリン。挟み込むような形で艦載機を発艦させた加賀。

 

 ツェッペリンの表情に焦りを、加賀の表情に慄きを見て取り──動く。

 

 スカートを翻し、アスファルトが陥没するほどの踏み込みを第一歩として切り返す。

 左回りで、一歩目は左足。弧を描いて右足が振り上げられ、スタンダードな上段の回し蹴りが繰り出される。KAN-SENの力と体捌きは、柔らかくしなやかな脚でコンクリートの壁を砕く。砲雷撃戦がメインの軍艦だからと、白兵戦を軽視してはいけない。

 

 狙いは当然、一人背後にいた加賀だ。

 

 片手を挙げ、頭部への直撃を避ける。

 防御というには余りに力不足な足掻きだが、馬力の差がある。腕は鈍い衝突音を立てるが、微かによろめく程度。

 

 ツェッペリンが隷下の戦闘機に攻撃命令を下すと、ローンは弾雨を避けて飛び退いた。

 

 「無事か?」

 「あぁ……結構痛いがな」

 

 痺れが残っているのか、加賀はしきりに腕を振っている。感覚を確かめるように何度か掌を開閉して、加賀も艦載機を展開した。

 

 「さて……やってくれるじゃないか、ローン!」

 

 暗雲じみた艦載機の群れが一斉に攻撃姿勢を取る。艤装さえあれば対空砲なり副砲なりで弾幕を張り、対抗することもできただろう。しかし、艤装は冷却を中断して非顕現状態へ押し込んだままだ。だからこそ、二人には殺さないようにと加減が求められる。

 機銃掃射が腕を飛ばし、脚を千切ればそれでいい。爆撃は過剰火力だが、直撃さえしなければいい。爆弾と銃弾の雨は、シグニットとの戦いで負った傷も癒えていないローンには十分な脅威になる。

 

 スキルで防ぐという選択肢を潰す、ローンをよく知っている二人が選んだ攻撃。

 

 ローンのスキル『全方位装甲』が生成する盾は、持続時間は15秒、生成数は4枚、その耐久限界値は──理論上∞。

 理論上、と但し書きが付くのは、シールドはどんな攻撃でも8回までしか受け切れないからだ。『火葬砲』の一発も、練度1駆逐艦の砲撃の一発も、同じ一発としてカウントする性質は、戦闘機の弾幕のような小威力が連続するタイプの攻撃との相性は悪い。

 

 狙いは必中。そもそも面攻撃だ、外すわけがない。

 そして当たれば、確実に相手を行動不能に至らしめるだけの威力がある。

 

 攻撃が殺到し、直撃する。

 衝突した弾丸が上げる小さな火花は爆弾の炎と煙に掻き消され、ローンの姿はスクリーンの向こうに消えた。

 

 煙を突き破ってくる様子はない。

 

 勝ちを確信してか、その場に残っていた祈手が振り返り、合図を出す。

 瓦礫や建物の陰から静かに、しかし続々と姿を現す祈手たちは、真っ先にこの場を離れた祈手が連れてきた医療要員だ。万が一ローンが致命傷を負った場合でも、ドックに放り込むまでの時間を稼ぐ役目を帯びている。

 

 祈手たちがぞろぞろと近づき──ツェッペリンが片手を挙げて止めた。

 

 「待て。……何かおかしい。加賀?」

 「あぁ、手応えが無かった」

 

 祈手たちに緊張が走る。幾つもの視線が向かう先で煙が晴れる。爆発によって熱されたアスファルトが陽炎を立ち昇らせ、神秘的な雰囲気を漂わせていた。

 

 そんな舞台装置を纏い、ローンは依然、立っていた。

 その身体に刻まれた傷は、全て見覚えのあるシグニット戦のもの。今の攻撃は完全に防御されたということだ。

 

 その防護を齎したであろう、ローンを包む半透明の球。イラストリアスの無敵化が付与する眉のような陽炎とは違う、しっかりとした存在感を放つ「球状の盾」。

 ローンのスキルではない。

 

 どこのどいつが介入してきたのかは知らないが、加賀とツェッペリンの本気ではない攻撃程度なら防げる相手だ。想定練度は70かそれ以上。

 ロイヤルやユニオンであれば相当上位に位置するKAN-SENのはず。二人が知らないはずはない。

 

 だがそんなことは問題ではない。

 どこのどいつが介入してきたにしろ──殺せばいいだけのこと。

 

 いま問題になるのは、その盾の耐久力だ。原則、盾系スキルには耐久力か耐久回数、或いは耐久時間のいずれかが設定されている。ぶち抜いてローンに攻撃を当てること自体はそう難しくない。しかし、盾をぶち抜くために高火力を用意して、ローンにまで致命傷を負わせてしまったら。

 人格バックアップがある以上、死にはしない。だが、それは暴走状態のままレッドアクシズ本部の内側に侵入されるということだ。

 

 起動装置が海岸ごと吹き飛ばされたせいで、この一帯には鏡面海域を展開できない。

 

 「全く、その通りだわ!」

 「面倒な!」

 

 加賀の独白に応じる言葉が、それより早く掛けられる。

 強烈な違和感をもたらすそれに、二人は覚えがあった。

 

 

 



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77

 サイレンススズカつんよ……
 ガチャピン様が降臨あそばされた! 皆心してお出迎えしろ!
 ガスおじは死んだ、もういない。あと音バグがクソ

 って感じでした。生きてるよ。


 存在する非存在、世界で二例しか確認されていない机上存在である架空艦の二人が睨み合う。

 満身創痍の重巡洋艦ローンと、ユニオンからの強行軍を経て疲労の一つも見えない戦艦フリードリヒ・デア・グローセ。戦闘センスこそ互角だが、グローセにはその先見に加え、三年間の継戦と殲滅という実績を伴う経験がある。

 

 単純な『強さ』を比較するのなら、グローセが有利。

 武装の『強さ』を比較するのなら、ローンが有利。

 総じて互角と言える二人だが、損耗の差でグローセに軍配が上がるだろう。そう安堵の息を漏らした空母の二人が、はっと空を見上げる。

 

 「対空レーダーに感アリ……?」

 「……磁場の異常か?」

 

 二人がレーダーを確認し、訝し気に空を見上げる。

 レーダーに灯る光点は、現存するあらゆる艦載機──否、ガンシップを含めたあらゆる飛行体を含めてもなお、その全てを凌駕する大きさだった。

 二人が同時に不具合を起こす確率よりは、重桜陣営の防衛機構として張り巡らされた様々な装置が干渉し、磁場の異常を引き起こしている可能性の方が大きい。

 

 暗雲立ち込める空に機影は無く。そのさらに上空──

 

 ──暗雲を突き破り、()()が出現する。

 

 セイレーンの無人量産型艦、双胴型空母Queen。

 

 全長は海域を封鎖できるほどで、その巨躯に見合うだけの装甲を有している。

 

 現存するどの艦艇より巨大で、重く、硬い船。それが──何故、空から降ってくる!?

 

 「──!」

 

 流石のグローセも予想外だったのか、焦ったように腕を振る。

 後退せよ、とのハンドサインを受けて、加賀とツェッペリンが振り返ることもなく移動を開始した。もともと速力の低い空母であり、ツェッペリンは小脇に抱えた祈手のせいで走り辛そう──重さは問題にならない──だったが、Queenはサイズゆえ落下が遅い。直撃は確実に避けられるだろうし、爆発の範囲からも何とか出られそうだ。

 

 地盤程度容易く貫くだろう、超大質量のバンカーバスター。避難シェルターにも被害が及ぶかもしれないが、そんなことはどうでもいいとばかり、グローセの視線はローンへと固定されていた。

 

 ローンもまた、無表情のまま空を見上げている。赤い輝きを灯す双眸が細められ、背部で艤装が展開される。

 加賀かツェッペリンか、祈手が一人でもいれば、きっと驚愕の声を漏らしただろう。

 

 彼女の艤装は鋼鉄の蛇。背負うように展開される一匹のそれは、今は『火葬砲』の負荷によって膨大な熱とセンサー類のエラーを溜め込んでおり、まともに機能しないはず。

 それが──今や、グローセと同じような双頭型に変化している。

 

 グローセが舌打ちを漏らす。宛先はローンではなく背後の海だ。

 

 この状況を好機と見たか、セイレーンの艦隊が展開されている。空母Queenの質量投射攻撃も彼女の──先頭に見えるピュリファイヤーのものだろう。

 だが、意思を持たない無人艦やエグゼキューターシリーズは省いて、高度な人格を保有する上位個体たちが停止していた。

 

 機能停止ではなく、思考停止。

 想定外の事態と、それに伴う状況報告と命令更新を共有意識空間で行う一瞬の停止だ。

 

 遠く、ローンが火葬砲で溶かした島よりもさらに遠く。

 グローセをして言い知れぬ感覚を齎す色の光が見える。その中核にあるのが一本の桜であると、重桜の民であれば誰でも知っている。

 

 「成程。祝福、ね……」

 

 ローンの艤装、その砲口から光が漏れる。

 どういう訳か、一問しか導入していなかったはずの火葬砲が、今や双頭の蛇、その二つの顎に据えられている。

 

 一瞬だった。

 発射された光はQueenを十字に切り裂き、そのさらに上空で雲を斬り飛ばした。続く大気の燃焼はQueenの燃料や弾薬にも引火し──大爆発を引き起こした。

 

 地下のシェルターにすら振動が伝わっただろう圧力と熱のなか、グローセは動かない。爆風から逃げ切ることはできないし、そのまま立っていれば残骸が直撃することもないと見て分かったからだ。

 

 流石にセイレーン技術由来の爆発だ。グローセもローンも無事では済むまいが、この手の上空での爆発は、爆心地ほど爆風の威力が弱い。爆心地から下手に離れると、純粋な爆風と地表で反射した爆風が合算されたものを浴びることになる。

 

 頭部を庇い、姿勢を低く取る。

 最も懸念された『ローンが爆風をものともせず突撃してくる』という未来は訪れなかった。

 

 爆炎が収まり、舞い上がった砂塵が再び地に落ちる。徐々にクリアになっていく視界に、双頭の艤装を背負った人影は映らない。

 

 舌打ちの一つでも漏らしそうなほどに表情を歪め、グローセは背後の海を睨み付けた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 「おぉ、怖い怖い。そんなに怒らないでよ」

 

 数キロ離れた海上で、ピュリファイヤーはおどけるように肩を竦めた。

 

 「あのままじゃ完全な回帰には至れなかった。偏向回帰は暴走にも例えられる、手の付けようがない代物だ。殺さなかっただけ有情だと思って欲しいよね?」

 

 ピュリファイヤーが話しかけているのは、独立した自我を持たないエグゼキューターシリーズの一個体だ。

 当然、返事を期待してのものではない。

 

 「ピュリファイヤー、即座の出頭と報告を命じます」

 

 だから、その無表情な個体からそんな命令が飛んできたとは思わず、きょろきょろと周囲を見回す。

 そんなピュリファイヤーでも、後頭部がぺちりと叩かれれば現実逃避も終わる。

 

 「あー……これ、もしかして監視端末?」

 

 ピュリファイヤーのセキュリティ・クリアランスでは名前や配備地域を知ることは出来ないが、上層上位個体の一人が監視の役割と権限を持っているとされていた。

 下位クリアランスの個体は、基本的に上位の命令には逆らえない。今まで割とやりたい放題やってきて、多少叱られる程度で済んでいたが……ちょっと不味いかもしれない。

 

 「ピュリファイヤー?」

 

 名を呼ぶ程度の催促ですら、下層下位個体には重圧だ。慌てて意識のチャンネルを変えた。

 

 「了解、了解。──共有意識空間へ接続。自律航行モード・防衛」

 

 ピュリファイヤーの視界が切り替わる。

 重桜の綺麗な海と、立ち昇る火柱はそこにはない。無機質な暗闇は、ピュリファイヤーのセキュリティクリアランスでは視認が許されていないオブジェクトが処理段階でマスキングされているからだ。

 

 姿が見えるのはオブザーバー・零とテスターの二人だけだが、他にも数人分の気配がある。

 

 「……っ」

 

 口は動く。だが声が出せない。

 軽口の一つでも言おうとしたが、発声が封じられ、しかも──そんな気分でも無くなった。

 

 行動権限の書き換え、思考のマスキング。

 どうやら、相当上位の個体まで出張ってきたらしい。

 

 レイの瞳が無感動なのはいつものことだが、普段の報告はもっと気楽な感じだったし、怒られるときでも行動や思考に制限はかけられなかった。

 それほど逼迫した──[思考および推察は当該個体のセキュリティクリアランスには認可されていません]

 

 疑似人格プログラムさえ停止され、ピュリファイヤーにはエグゼキューターシリーズと同等の機能しか残っていない。

 回想と報告。最低限必要な機能だけを残し、権限の殆どを停止された残骸に、レイが命令を下す。

 

 「ピュリファイヤー、報告を」

 

 発声が許可され、ピュリファイヤーの口が開く。

 声そのものは以前と変わらないはずだが、疑似人格を停止したおよそ感情と言うものの籠らないものでは、別人のような印象を受ける。

 

 「Upload>memory_report;time(00,99)」

 

 記憶が共有されるが、幾人かが下層個体ゆえの質の悪さに辟易する。

 センサーの質も、処理システムの質も、記憶保持領域の質も、何もかもが違うのだ。使っているディスプレイの解像度が大きく落ちたようなものと解釈すれば、そう間違いではない。

 

 「ミズホの神秘、揺籃の大樹か。ローンの帰路を修正するとはな」

 

 映像越しに、言い表すことのできない色をした光を放つ桜を眺める。

 可笑しそうな声色と同じ、愉快そうな光を湛えた双眸が笑みの形に細められる。

 

 「重桜陣営は此度もアレを使いこなせないか。()()黎明卿はどうするつもりだろうな?」

 「彼の思考を読もうなんて無駄なことよ。私たちは計画に従うだけ」

 

 眠たそうに応えて、レイが沈黙していたピュリファイヤーに一瞥を投げる。

 凍結されていた権限やプログラムが解除され、息を吹き返したように荒く肩を上下させていた。

 

 「クッソ……もう二度と報告になんて来ないぞ」

 

 絶対命令権を持つ上層プログラム相手に意味のない悪態を吐き、ピュリファイヤーは共有意識空間から抜けた。

 

 「そうそう、テスターにローンのMIAを報告させようと思うのだけど?」

 「ロイヤル陣営に? ……承認するわ」

 「ありがとう、レイ」

 

 

 



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78

 不本意ながら、ロイヤル陣営が諦めかけていた“日没作戦”は成功した。

 全容不明ながら天秤を傾けうる大戦力とされていた奪取目標、架空艦ローンはMIA。重桜本土にはセイレーンの大規模破壊兵器が直撃したとされ、事実、海岸線は地図の修正が必要になるほどだ。

 

 レッドアクシズが二大巨頭、鉄血と重桜。その片方でも一時的に動きを封じ込め、第一目標であるローンの乖離を達成。

 

 さらに──

 

 アークロイヤルは嘆息を隠さず、一昨日から同じ内容を繰り返し報道しているテレビを一瞥した。

 どの局のどのニュースも、同じ映像を使い回す。映像のオリジナルはユニオン外務省。旧大統領邸(ホワイトハウス)、現統括管理官邸にて撮影されたその映像では、泣き腫らした目元に浮かぶ憎悪を隠すこともなく、吠えるように宣言するエセックスがカメラを睨み付けている。

 

 『我らが英雄、エンタープライズの意志は踏みにじられた。救援のため向かった重桜で、先輩は、助けるはずの重桜の手で沈められた。その代価は──必ず贖わせる。彼らの蛮行を、彼らの所業を、彼らの罪を、我らユニオンへの宣戦と判断し──ここに、それを受理する』

 

 エンタープライズの死。

 即時撤退技術を導入していなかったのか、それごと焼き払われたのか、無効化領域内だったのか。もはや理由などどうでもよく、ただ厳然たる事実として、ユニオンの英雄は沈んだ。

 数件ではあるものの殉死者すら報告され、ユニオンの民──KAN-SENは言わずもがな、人間にすら信奉されていたのだと判る。

 

 感情を剥き出しにしたエセックスの隣に、無表情の仮面を被ったフッドが並ぶ。

 彼女はロイヤル陣営統括管理官の代理──即ち、ロイヤル数千万の民の総意として、代弁者としてあの場に立っている。

 

 『我らロイヤル陣営は以前より、彼らとは異なる主義を掲げてきました。我々はユニオン陣営に賛同し──『アビス』に代わる新たなる共同体、『アズールレーン』を組織することを宣言いたします』

 

 『我々の目的はただ一つ。セイレーンの抹消──その技術を含めた、かの存在の根絶、絶滅です』

 

 ぶつ、と、画面が暗転する。

 最近の機種ではありえない不快な切断音は、電波そのものが遮断されたことに起因するものだろう。

 この旧『前線基地』は鏡面海域の中にある影響か、電波がかなり不安定だ。

 

 アークロイヤルは背もたれに体重を預け、目を閉じる。

 

 セイレーン技術の根絶。

 可能か不可能かで言えば、可能だ。だが──激情家のエセックスも、緊張屋のフッドも、我らが女王陛下でさえ知らない。

 セイレーンを根絶したら、その次に彼らが絶滅すべきは自分たちであるということを。

 

 無知は罪だ、と言うけれど。

 アークロイヤルはそれを赦す。その罪を自覚することもないまま、ただ平穏な日常を、平坦な道を進んでくれと願う。

 その道の外は自分が征くと。この身諸共に罪を焼く業火を篝火に、私が彼らを先導すると。そう決意した。

 

 「アズールレーン、か」

 

 アビスが抱えていた澱を排し、新生した“完全なる対セイレーン組織”。その技術をも否定する──その技術を使うレッドアクシズを、元アビスの同胞たちをも否定する。

 それならそれでいい。セイレーンという共通の敵が存在する今でもなお、人間同士の争いはある。その外敵を駆逐した後にそれらが加速するのは、それは止めようのない性だ。

 

 KAN-SENは兵器だ。人間の在り方を定義するものではないし、人間の在り方に流されるものだ。

 だが。

 

 「醜いものだ」

 

 自嘲を含んだ独白が、防音加工の壁に吸われて消えた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 幸いにしてというべきか、『アズールレーン』の『レッドボックス』に対する攻勢は穏やかなものだった。

 前身組織である『アビス』の主要戦闘員はKAN-SENであり、人間の兵士といえば輸送要員か偵察要員で、航空機パイロットでもなければKAN-SENの護衛が付く。下手すれば警官の方が死亡率が高いかもしれない職種と揶揄されることもあった。

 

 そこそこしんどい訓練をやって、あとはKAN-SENに守られた輸送船の船室でカードゲームでもやっていれば給料の貰える仕事。そんな甘っちょろい「人類を守る軍隊」であったアビス所有軍、現アズールレーン所有軍は、3週間でその総数を30%まで減少させた。

 

 彼らの任務はそう過酷なものでは無かったはずだ。

 目標はボンドルドが所有する資源採掘プラントや製薬工場。KAN-SENは元より、PMCのような武装した護衛はイメージ戦略のためか使われていない。

 

 たとえば、ユニオン領にある製薬工場の接収。丸腰に制服を着せただけの警備員が数人立っているだけのそこを、戦闘ヘリや装甲車を擁する2個中隊約500人で包囲・制圧する簡単なお仕事。

 非武装組織相手に何を大袈裟な、と、現場指揮官は下された命令を鼻で笑いつつも従った。

 

 戦闘は火力が全てだ。

 人数に携行火器をかけた火力のスコアが3倍ならば絶対的優勢、6倍ならば確実に勝てる。

 従業員数50名ほどの製薬工場に機甲兵器込みで10倍の人数。煙草吹かしながらでも勝てる戦闘のはずだった。

 

 結果は──()()

 

 午後8時ちょうどに開始され、工場の完全包囲は8時8分。突入開始はその20秒後。

 1時間もしないうちに終わるはずだった。

 

 しかし、1時間経ち、2時間経ってもアズールレーン本部には連絡が入らない。

 何があったのか。まさかしくじったのかと確認を向かわせるが、その確認要員からの連絡も途絶える。

 

 リアルタイム映像を送るドローンを飛ばし、観測用ヘリを飛ばし、果ては戦闘機まで飛ばし、その全てが忽然と消える。丁度その辺りで観測衛星が作戦地域を映せる位置に来たので接続して見れば、当該工場の周りには部隊の痕跡どころか戦闘の跡すらなく、ボケっとした欠伸途中のマヌケ面した警備員まで見える。画像照合したところ、民間の派遣警備サービスの契約社員で何のヒントにもなりやしない。

 

 意味が分からん、本気で何があったのだと指揮指令室を出て行った作戦指揮官が失踪し──作戦の概要やタイムスケジュールなどを記した書類一式がエセックスの元に届けられた。

 

 公式指定の形式でサインまで入った作戦要綱。そのくせ上がってこない作戦の報告書。親族等からちらほらと寄せられる「「存在しない職員」と連絡が付かない」という旨の問い合わせ。

 なるほど、つまり。

 

 「その気になれば『消せる』と、そういうことか……」

 

 作戦が成功したのか失敗したのか。そもそも作戦は本当に実行されたのか。概要書通りの規模だったのか。もしそうなら、500人からなる機甲部隊を『消し去って』しまえる力があるということか。

 そんな都市伝説じみた恐怖は緘口令も虚しく拡散していき、結果──構成員の7割が休職あるいは退職という形になった。

 

 「黎明卿──存外にえげつないわね」

 

 

 



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79

 内部からの破壊工作により、レッドアクシズは時間的猶予を得た。

 しかし、赤城やビスマルクといった陣営の意思決定に関わるKAN-SENたちの表情は暗い。それはちょうどボンドルドに報告された内容が原因だった。

 

 「そうですか・・・・・・やはり、ローンは敵対状態に」

 

 ボンドルドの声は固い。しかし、それは現状への悲観ではなく思索に沈んだことによるもの。しかも、それは対処方法や打開策ではなく原因と理屈に重点を置いた考察だ。指揮官としてあまり褒められた行為ではないが、報告したグローセも、それを共に聞いていた赤城とビスマルクも口を出すことは無い。

 

 ローンはあれ以来、何処にも寄港せず、燃料と弾薬が尽きないかのように暴れ回っていた。

 レッドアクシズ・アズールレーン・セイレーン、所属を問わず。KAN-SEN・通常船舶──KAN-SENの護衛が無い時点で真っ当な船籍ではないが──に加え、海上プラントなどの構造物。およそ海上に存在するもの全てを攻撃し、沈めている。

 

 鎮圧に向かったレッドアクシズのKAN-SENは敗走か、人格バックアップによる帰還。

 遭遇したアズールレーンのKAN-SENとセイレーンはその全てが撃沈。『火葬砲』の発射に伴うエネルギー波も確認されている。

 

 練度差もあるだろうが、ローン自身が無意識に力をセーブしていると考えていいだろう。

 

 「彼女は『火葬砲(インシネレーター)』を使わなかったのですね?」

 「えぇ。発動待機状態になったあと、照準を取りやめたわ」

 

 如何なグローセとはいえ、火葬砲の直撃を喰らえばひとたまりもないはずだ。

 味方に対して致命の一撃を避ける程度の判断力は残っているが、それもギリギリといったところか。

 

 状態に見当は付いたが、問題なのはその原因と解決策だ。最低でも解決策だけは用意しなければ、最悪──

 

 「最悪の場合、ローンは沈めることになるわね」

 

 飲み終わったペットボトルを捨てる、そんな気楽さを伺わせるグローセだが、その内心は穏やかではないだろう。

 彼女は離反者の断罪に呵責を覚えるような可愛らしい“善性”は持ち合わせていない。しかし、ローンは()()()()()()()()のだ。

 

 「いえ、ローンは私と『祈手(アンブラハンズ)』で対応します。その間の陣営運営を……赤城、お願いできますか?」

 

 不意に水を向けられて、赤城は油断すればとろとろに蕩けてしまいそうな表情を引き締めて、優雅に一礼して見せる。

 「ホントに大丈夫か」という嫉妬混じりの視線が何人かから向けられるが、立場的に同格であり異議を唱えられる鉄血陣営のトップ、ビスマルクとグローセの二人が何も言わないことで可決された。

 

 「指揮官様、どうかご無理だけはなさらないでくださいね? 指揮官様に何かあれば……」

 

 すっと大鳳の目が昏く染まる。

 万一の時は可能か不可能かに関わらずローンを沈める。その決意を伺わせる“凄味”があった。

 

 「大丈夫ですよ。君たちを置いて、何処にも行ったりしません」

 

 軽々しいまでにそう請け合って、ボンドルドは新生『前線基地』を旅立った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 主の居なくなった氷山要塞、新『前線基地』は錨を下ろし、バレンツ海沖に停泊していた。

 

 ロイヤル陣営本土からそう遠くない海域ながら未だ発見さえされていないのは、氷山要塞そのものの隠密性に加え、そこがロイヤルが手を出しづらい場所であることも大きい。

 グリーンランド近海にはセイレーンの超大規模艦隊──フリードリヒ・デア・グローセを三年間も釘付けにした、海を埋め尽くすほどの戦力がある。バレンツ海は北連の制圧海域であり、それはつまり北連に協力している鉄血の制圧海域にも等しい。

 

 大規模な捜索隊を送り込むどころか、少数の斥候でさえ、直接的な敵対行動と捉えられかねない。

 開戦こそしたものの、双方が理性的に直接戦闘を避けている現状は、人類にとって死守しなければいけない最低限のラインだ。

 

 ロイヤルは衝突すれば大きく消耗する。鉄血は苦も無く勝てるだろうが、時間という取り返しのつかない資源を無為に失う。

 

 そして、時間が無いのは人類陣営だけではない。セイレーン陣営もまた、刻々と過ぎていく時間に焦りを覚えていた。とはいえそれは慣れたものであり、今更行動が疎かになったりはしない。

 

 最低限の警戒設備だけを起動した氷山要塞の認識範囲から外れた海上で、双眼鏡も使わずに監視に付く人影がある。

 元々この辺りの海域を縄張りにしていた上位個体、オミッターだ。下位プログラムの中ではそれなりに高い戦闘能力を持つ彼女が、動きもしない要塞の監視をしている。人類側で最も重視するボンドルドが戦線を離れたとあって、セイレーン側も手持ち無沙汰なのだろう。

 

 人類を滅ぼすだけなら、今は好機だ。

 最高戦力たる架空艦が1隻、実質的な戦力外状態に在り、ボンドルドという人類最高の兵器開発者にして複数の陣営を束ねる重要人物も不在。

 

 いや、そもそも──ただ人類を滅ぼすだけなら、ボンドルドや架空艦の存在に関わらず、いつでもできた。 

 だがそれでは意味がない。わざわざアンチエックスがこの枝に干渉した意味が。あの場で共にエックスに抗い果てるのではなく、彼を見捨てるように跳んだ意味が。アンチエックスとして造られたこの身が存在する、その意味が──

 

 「感傷に浸っているところ申し訳ないけど、交代よ」

 「……二度とやるな」

 

 薄ら笑いを浮かべたテスターが、いつの間にか背後に立っていた。

 何も言ってこないのは、その内容に多かれ少なかれ同意しているからか。アンチエックスとして造られた以上、その存在理由と忠誠心は揺るがないものだろう。

 

 思考領域を覗かれた不快感を表情で示して、オミッターはテスターに向き直る。

 

 「交代? じゃ、ピュリっちはしくじったの?」

 「手こずっている、というのが正確ね。なんせ、逃げられる度に状況ごと変わるんだもの。仕留めて良い状況なのか、破棄していい枝なのか。そういうことを見極めてから戦うのは、脳筋個体には向いてないわ」

 

 脳筋、と言われて、困ったら艤装をオーバーロードさせて盤面をひっくり返すことに定評のある上位個体の顔が浮かぶ。

 確かに面倒な作業には向いていない。というより、性能的に不可能ではないだろうか。

 

 「剪定は誰がやるの? ピュリっちもだけど、アタシもアンタもそんな権限ないでしょ」

 「最終的な判断は上層プログラムの誰かしらでしょうね。私の任務は状況の報告。貴女はピュリファイアーと一緒に暴れつつ観察ね」

 

 うへぇ、と。オミッターは表情を歪めた。

 脳筋の度合い──普段何も考えずに戦っているという点では、彼女もピュリファイアーと同程度だった。

 

 「それにしても、揺籃の大樹を一撃で機能不全に追い込むとか、アレ何なの?」

 「貴女の主砲の改造品よ。いえ、改良品と言うべきかしら」

 

 その後に続いた言葉は、その場から掻き消えるように移動させられたオミッターには聞こえなかった。

 

 「──開発者本人によるものだものね」

 

 

 



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胡蝶之夢 1

 夢を見ている。

 甘く明るく賑やかで、冷たく静かで昏い夢を。

 ここではなく、何処でもなく、今ではなく、いつでもない、切り捨てられてしまった枝に連なる世界()の景色。

 

 ふわふわとした非現実感に揺られ、大樹に連なる無数の枝先を彷徨う。

 

 まるで──風に吹かれる蝶のように。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 がくり、と、頭が揺れる感覚に引かれて意識が浮上する。

 眠っていた……否、いま、起きた。

 

 「信濃さん、いま寝てましたか?」

 「ん、すまない……」

 

 『寝ていた』という過去が作られるのに合わせ、眠気が襲ってくる。

 

 「そんなに怖い顔をしないでくれ、大鳳」

 

 彼女が、というか、レッドアクシズに属するほぼ全てのKAN-SENが絶対の忠誠を捧げる指揮官の前で居眠りとは自殺行為だが、(わたし)は寝ていたわけではない。

 

 「信濃は帰ってきたばかりですからね。報告は明日でも構いませんよ。今日はゆっくりと身体を休めてください」

 

 穏やかながら芯を感じさせる声。大鳳の怒りを一声で霧散させることができるのは、このレッドアクシズでも彼だけだろう。

 I字に発光する仮面が動き、妾の隣に立つ幼子に視線が向く。

 

 「二人でも大丈夫とは思っていましたが、期待以上の成果でした。素晴らしい活躍でしたよ、信濃、シグニット」

 

 称賛の言葉に頬を染め、舞い上がった様子で礼を口にする銀髪の幼子。

 シグニット……はて、レッドアクシズに──これまでの枝に、斯様なKAN-SENがいただろうか。

 

 「では、退出してください」

 

 一区切りついたと判断して、大鳳が指示を出す。

 一礼して部屋を──あぁ。

 

 「そうだ、指揮官」

 

 言い忘れていた。えっと、確か。

 

 「バートランド・ラッセルは正しい」

 

 唐突な言葉に、シグニットが小首を傾げているのが視界の端に見える。

 大鳳が困惑を浮かべて指揮官の方を伺うが、その表情は仮面によって伺い知れない。

 

 「……分かりました。ありがとうございます」

 

 「あ、あの、信濃さん、さっきのは……?」

 

 今度こそ一礼して部屋を出ると、シグニットが不思議そうに見上げてきた。

 強化鋼製の扉は防音性能も高く、部屋のすぐ前で話しても中に迷惑になることは無い。尤も、KAN-SENの知覚能力であれば、集中すればその程度の遮音に意味はないが。

 

 「合言葉……否、目覚めの挨拶のようなものだ」

 「不思議な挨拶ですね……あ、そろそろ夕食の時間ですね。い、一緒にどうですか?」

 「ん……妾と、か?」

 

 薄っすらとだが、記憶はある。

 シグニットとは指揮官の元に合流してからの付き合いで、よく共に編成され任務に当たってきた。

 練度120というのは然して珍しくもないが、彼女はレッドアクシズでも唯一の『旧式強化艦』。しかも実験段階の強化技術で最大強化された、悍ましき貪食(グラトニー)

 

 実験体から正式所属へのし上がった──当時、指揮官の直属であった鉄血艦たちが貢献を認めた、特別なKAN-SEN。

 

 戦闘能力に目を瞠るものはない。

 所詮はドロップした低レア艦。装甲は薄く、火力も低い。回避能力は素晴らしいが、セイレーンは回避不可の光線兵装を有し、大鳳やグラーフ・ツェッペリンといった空母であれば雲の如き艦載機群から面攻撃を降らせることも可能。

 これらに対する最も有効で単純な対抗策──撃たれる前に殺す──を取れない以上、戦闘能力評価は落ちる。

 

 だが機転は効くし、何より忠誠心に篤い。

 彼女は大鳳に似ている。指揮官の為であれば、彼女は殺す敵の数に拘らない。指揮官の為であれば、彼女は味方を殺すことを躊躇わない。敵か味方かではなく、指揮官にとって利か害か。

 

 あの赤城をも慄かせる()()()()

 大鳳のように表層の性格まで壊れているという訳ではなく、むしろ気弱で、温厚で、気遣いのできる善い子だ。それが尚の事狂気を感じさせる。

 

 戦場に在っては特に。

 おどおどと、まるで初実戦の新兵のように身体を縮こませて。しかし、歴戦の戦士ですら躊躇うような濃密な死線を楽々と潜り抜け、必要に応じて必要な分だけ攻撃し、的確に敵を殺す。そうすることで指揮官の利益が最大になるのなら、味方を背後から撃つことも躊躇わない。

 

 彼女の判断では絶対に殺されない、明確に指揮官が重用している陣営最強のKAN-SENたち。

 大鳳、赤城、天城、ビスマルク、フリードリヒ・デア・グローセと、他数名。妾も含めたこの辺りの面子でなければ、何かのはずみで背後から撃たれかねない。だから……か。

 

 少なくとも指揮官が命令するまで、背後から撃つ必要のない者に懐いている。

 

 「あぁ……そうしようか」

 

 今までに見たことのないKAN-SENだ。

 これはまた随分と──奇妙なカケラを引き当てたものよ。

 

 

 



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