アークナイツ:兎と狐の二重奏 (モン◯ナ中毒者)
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序章 暗黒時代・上
第一話 再会
追記
空いた時間に少しずつ書き進めているので、定期投稿は出来ないと思いますが、ご容赦ください。
彼女は眠っていた。本来なら決して目覚める事のない、深く冷たい眠りの中を彼女は、長い時をかけて大切な記憶と思い出を深い眠りに溶け出させながら、ゆらゆらと漂っていた。
いつの間にか彼女の意識だったものは、何度か訪れたことのある不思議な所に流れ着いた。曇天の空港ターミナルの様な所。分厚い雲を割るようにこちらを覗く、途方もなく巨大な爬虫類の瞳。
しばらくそこで呆けていると、声が話しかけて来た。
『やぁ、君か。』
男にも女にも、人ですら無いなにかにも聞こえる、その声。
『君にこうして会うのは久方ぶりだ。』
『そうだな。』
『ここ最近、君は随分と境界を彷徨っていたようだな。』
『……そうだな。』
聞き手がいるのが嬉しいのか、声は話すのをやめない。正直言って鬱陶しいのだが、放っておいてもしばらくはべらべらと話し続けるのは知っていたので、満足したらそのうち黙るだろうと諦めて、半分聞き流しながら適当に相槌をうっておく。
『そして己が何者なのか、君はもう忘れてしまっているのだろう。』
『……あぁ。』
急にどうしたんだコイツ、と思いながらも、彼女は肯定の返事を返す。事実、彼女は忘れていた。長い眠りの中で彼女は記憶を、思い出を、その殆どを拡散させてしまっていた。
『しかし今は、名前さえ思い出せれば十分だ。』
『……名前?』
自分の、私の、僕の、俺の……?
『さあ、ここに長く留まってはいけない。』
『君は元より私の客人ではない。ここに存在してはならないのだ。』
あぁ、と、彼女は悟った。自分はどうやら、本来目覚めるはずのない長い眠りから、目覚めるようだ。声の様子がいつもと違ったのはそのせいらしい。見送りに来たようだ。
『彼女には君が必要だ。』
『……彼女?』
失われたはずの記憶が、その一欠片が蘇る。夜の廃都市。崩れ掛けたビルの屋上に立つ、大きすぎるサイズの青いコートを着たコータスの少女。
あれは……
『誰だ……?』
『12月23日。』
彼女の呟きに答える事なく、声は続ける。
『この日が君にとって何を意味するのか、今は思い出せないだろう。』
『しかしそのままでは、君自身を危うくしてしまう。』
『……。』
彼女は何も言わなくなっていた。自分の名前、少女の名前、12月23日の意味。どれも、何も思い出せない。もどかしい。
『だが……。』
声が再び話し始めたその時、彼女は高い所に登って行くのを感じた。ちょうどエレベーターに乗っているときのような上昇感だ。
『君は思い出さねばならないのだ。』
声がどんどん遠くなっていく。眠りと言う名の水面がどんどん近づいてくる。目覚める直前、僅かに聞こえた声は、無関心の裏に少しばかりの危惧を混ぜ合わせたような、不思議な響きをしていた。
『さぁ、行ってくると良い。彼女を救いに。』
***
白い壁と天井の四角い無菌室の中。詰めれるだけ詰め込んだ医療機器と、その間を縫うようにして足早に行き交う何人かの医者に囲まれるように、一人のヴァルポの女が手術台に寝かされていた。口元には無理矢理酸素を肺に送り込む為の人工呼吸器のマスク、左右の腕にはそれぞれ、輸血と何かの薬品を投与する為の点滴が静脈に繋がっていて、他にも心電図モニターの電極やら、人工心肺装置のチューブやらがごちゃごちゃと繋がっている。
「……意識レベル300……」
「……体外循環開始……心停止液の注入完了……」
肺と心臓の機能が、外部の人工心肺装置に委ねられる。手術が始まるようだ。
医者の一人が、ヴァルポの左胸、肋骨の間にメスを走らせ、心臓に向かって肉を切り開いて行く。
「……急げ、時間がないぞ……。」
誰かが呟いた。人為的に心停止を起こし、外の機械に心臓と肺の機能を代行させる心臓手術は生体への負担が大きく、元より長時間続けられるような手術ではないし、ただでさえこのヴァルポの体はボロボロで、生命維持装置無しだとものの数時間でコロっと死んでしまうような状態なのだ。そう長くは持たせられない。
「……っ!体温低下!」
「落ち着け。ヘクサメタゾン20ccを静脈に注射。」
「はい!」
言った側からこれだ。一気に危険域まで下がりかけた体温を回復、維持させる為の薬品が注射される。どうにか体温が戻った所で、メスが心臓に届いた。
「鉗子を!」
数人の医者が協力して、刃の無い鋏のような道具で押さえたり挟んで引っ張ったりして切り開いた状態を維持する。
「状態安定してます。」
「よし、切除を開始する。バイタルの変動に注意。」
「了解。」
***
概ね順調に事が進んでいく手術室の前では、剣だの槍だのデカい盾だので武装した集団が、手術の結果を待ちながら辺りを警戒していた。
「……ごめんなさい……。」
閉ざされた手術室の扉の前で、誰かが言った。
「……また、苦しめる事になってしまって。」
深い罪悪感と悲しみに満ちた、まるで今にも割れてしまいそうな薄氷のような、その謝罪の声に答えるものはない。
「……ごめん、なさい……。」
床に光る何かが落ちて行き、小さな小さな水溜りを作った。
***
『……!』
誰かの声が聞こえる。初めて聞く、だが妙に懐かしく感じる誰かの声が、繰り返し何かを言っている。
『……クター!ドクター!』
どうやらドクターなる人物を呼んでいるらしい。「ドクターさん、呼んでますよー」とか何とか適当な事を言おうとするが、何故か口が動かない。
『……手を……!私……を……!』
手がどうとか聞こえると同時に、自分の左手(多分)を誰かが握った気がした。口と同じように、体全体が動こうとしない、つまり自分からさわりに行った訳では無いので、おそらくあちらから左手(多分)を握ったのだろう。あと、雰囲気的にどうやらドクターとは自分の事らしい(そんな名前だった覚えはないが)。
「私の手を握って!!」
一際大きな声と共に、左手を握る力がほんの少し強くなる。誰かさんは自分に手を握ってと言っているようだ。やれやれと思いながら、自分も左手に力を込める。何故か不思議な誰かさんの顔が無性に見たくて、それと同時に重い目蓋を意志の力でこじ開けつつ頭を少し持ち上げる。
何とか目蓋が薄目くらいに開いたその時、強烈な鈍痛が頭を襲った。
たまらず意識を手放す直前、自分の左手を握りしめる、今にも泣きそうな顔をしたコータスの少女が見えた気がした。
『緊急……。』
『……救……!』
『……った……!』
『……!』
***
「ドクター!ドクター!!」
薄暗い部屋の片隅で、一人のコータスの少女、アーミヤがストレッチャーに乗せられたヴァルポの女性に縋るように呼びかけている。だか反応はなく、返ってくるのは弱々しい息遣いと、心臓が動いている事を知らせる心電図モニターの電子音だけ。
呼ぶのをやめたアーミヤは代わりに、後ろで待機していた医療オペレーターの私、ソマリに問いかける。
「ソマリさん、ドクターは大丈夫なんですか?さっき、さっきドクターは……私の手を握ってくれたのに……。」
アーミヤの声が震える。溢れる寸前まで涙を湛えた瞳には、不安と焦燥の影が見える。
途方もない苦労と努力の果てに、ヴァルポの女性……、ドクターがここに収容されている事を突き止め、どうにかして施設に侵入し、やっとの思いで再会出来たと思ったら、当のドクターが(予想はしていたが)虫の息でベッドの住人と化していたのだ。手術は成功したものの、意識は以前として戻らない。そうなれば誰だって不安になる。
「どうして目を覚ましてくれないんですか……どうしたら……!」
「アーミヤさん!そんなに焦らないで、どうか冷静に!」
段々悲痛な叫びになっていくアーミヤの声を、何とか落ち着けようと遮る。
「あ……、ご、ごめんなさい……。」
「……もう!ドクターのことになると、まるで人が変わってしまうんですから……。」
私がアーミヤと知り合ったのはドクターが居なくなった後なのでドクターのことは良く知らない。アーミヤが時々水をこぼすようにぽつりぽつりと話してくれる思い出話と、作戦前のブリーフィングでしかドクターのことを知る機会は無かった。それでも、ドクターとの思い出を語る時の哀愁漂うアーミヤの表情と、ブリーフィング中にちらりと見えた固く握りしめられた拳から、アーミヤにとってドクターがどんな人だったのか、どんな思いで今回の作戦に臨んでいるのかは痛い程わかった。
しかし私はわかった上で、聞いて欲しくは無いだろうと思った上で、友人としてではなく、一人の医療オペレーターと言う名の部下としてアーミヤに真面目な声でこう質問した。
「……アーミヤさん。」
「……はい?」
「もし……、もし、ドクターがこのままだったら、どうするつもりですか?」
もし、ドクターがこのまま目覚めなかった場合は、今までの苦労と努力を全て捨て、事前に決められた通りにドクターを置いてここから脱出する覚悟はあるか、と。アーミヤの立場は、昔とは違う。非情な決断を迫られる事もある。その一歩を踏み出す勇気はあるか、と。
「……心の準備は……、出来ています。もしそうなったとしても、決められた通りにするだけです。」
全然準備が出来ているようには見えなかった。返ってきた答えこそYESだったが、その表情は最悪の未来を想像してくしゃりと歪み、場合によっては現場の指揮権を他の小隊長に移譲して自分は残る、なんて言い出しそうにも見える。
もう、この人は。ドクターが関係するとすぐこれなんだから。
「……わかりました。では、その通りに。」
全くもうこの人は、と思いながらため息まじりにそう答えると、暗くなった雰囲気を払拭する為、アーミヤを元気付ける為にわざと明るい口調で話しかける。悔しいけど、今の私がしてあげられるのはこれくらいしかないから……。
「でもひとまずは安心です。手術は成功しましたし、容態も落ち着いていますから。」
「えぇ、そうですね……。」
「……念の為、もう一度再検査をしてみます。お任せください!」
「……はい、よろしくお願いします。」
気を遣われているのがわかったのだろう。無理に作った笑顔が痛々しくて見ていられず、逃げるように医療機器に視線を移した。
「……はい、呼吸はまだ微弱ですが、血圧は正常範囲内。筋肉量がかなり減ってしまっていますが、動けない程ではないはずです。あとは意識が戻るかどうか……」
私が言い終わる直前、後ろのストレッチャーからゲホゲホと咳き込む声がした。
一拍おいて、私と私の後ろからモニターを覗き込んでいたアーミヤが勢いよく振り向く。
ストレッチャーの上には、咳が落ち着いたのかゼェゼェ荒い息をするドクターの姿があった。
「……っ!」
「……目を……覚まし……た?」
「ドクター……?」
アーミヤがふら、と歩み寄りストレッチャーの少し手前で立ち止まる。まるで、近づいたらまた眠ってしまうのではないか、今度こそ本当に失ってしまうのではないかと恐れるように。
「アーミヤさん!成功です!ドクターが目覚めました!!」
「良かった……本当に良かった……ドクター……。」
「あっ、まだ動いちゃ……。」
ドクターが体を起こそうとするが、どこか痛いのか不意に顔をしかめて不安定な姿勢で動きを止める。私とアーミヤが慌てて駆け寄り、上体を支えてあげながらゆっくりと押し戻す。手術が終わったばかりの患者に、そうホイホイと動き回られては困るのだ(まぁ、これからドクターを連れてここから脱出しなければならないわけだが……)。
「安静にしていてください。まだ身体が完全に安定したわけではありません。」
「ドクター……!」
アーミヤがドクターの手を取ろうとする。瞳に溜まっていた涙がついに溢れる。
アーミヤが、私の雇い主であり友人でもあるアーミヤがずっとずっと待ち望んでいた再会なのだ。正直、そんな事をしている暇などないのだが少しくらい好きにさせてあげてもいいだろう。
そう思って、すっと後ろに下がろうとした私と子供のように泣き出す寸前のアーミヤをドクターの放った一言が凍りつかせた。
「お前は……」
私にとっては初めて、アーミヤにとっては久しぶりに聞くドクターの声は、少し落ち着いた綺麗なアルトで。
疑うでも、警戒するでもなく、ただ純粋な疑問を言葉にして発しているように聞こえた。
「誰だ……?」
俯いたアーミヤの表情は、私からは見えなかった。
***
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第二話 喪失
追記
自分でも気づいたところは(こっそり)直していますが、誤字、脱字等ありましたらご報告の方宜しくお願い致します。
***
昔のドクターは、無口で無表情で無感情な生粋の研究者だった。ケルシー先生もあまり感情を表に出す方ではなかったが、ドクターはさらにその上を行く無感情っぷりで、笑っているところは愚か楽しんでいるところも悲しんでいるところも怒っているところも見たことがなかった。
外出する時と実験を行う時以外はいつも、パソコンのキーボードに片手を置いてコーヒーを啜りながら(カフェインの取り過ぎだ、とケルシー先生にいつも怒られていた)長くてふわふわした尻尾をゆさゆさと振っていて、幼い頃の私はそんなドクターの尻尾にじゃれつくのが好きだった。
大きくなってからは流石に自重したが、どうしても泣くのが耐えられない時はドクターの部屋に行って泣かせてもらっていた。ドクターはそんな私に目もくれず、幼い頃と同じようにコートのポケットからキャンディを数個取り出すと何も言わずに渡してくれた。
今思えば早く泣き止んで出て行って欲しかっただけのような気もするが、私はそれがとても嬉しくて。
ドクターの意識が戻った時、色あせた数々の記憶に色彩が戻って行く気がした。
それと同時に、少し怖くなった。チェルノボーグの中枢部に囚われているドクターを見つけ出し、一緒に追手から逃れて脱出する。そんなに上手く行くものだろうか。もしかしたらこれは、ドクターを取り戻したいという私の心が見せている幻覚ではないのだろうか。今までの苦労も努力も全て夢で、目覚めたらドクターを失ったあの日に逆戻りしてしまうのではないか。
急にドクターが体を起こそうとしたので、私とソマリさんが慌ててストレッチャーに押し戻す。その時触れたドクターの体は折れてしまいそうな程に痩せ細っていて、でも確かに触れられて。あったかくて。
「ドクター……!」
ドクターに両手を伸ばす。せめてソマリさんの前では流すまいと我慢していた涙が溢れる。ドクターが目覚めた以上すぐにでもここから脱出しなければならないのだが、そんな事は頭の中から吹き飛んでいた。ドクターの着ている手術衣には当然渡してくれるキャンディもそれを入れるポケットも無いが、それでもいい。子供のように泣きじゃくる私の側に、ただ居てくれればそれでいい。
ただ、それだけだったのに。
あと少しで、あの頃のドクターを取り戻せたのに。
「お前は……」
久しぶりに聞くドクターの声は、口調こそ以前の敬語一辺倒とは違ったものの昔と変わらない綺麗なアルトで。
これ以上無い程残酷かつ明確に、私へ現実を突きつけた。
「誰だ……?」
一度失ったものを都合良く取り戻せる程、世界は甘く出来ていない。
***
起きたら、さっき俺の左手を握り締めていた見知らぬ少女がいた。初対面の筈なのに何故か見た事のある様な気がするその少女に取り敢えず名前を聞いてみたら、絶句された。まさか名前を聞いただけで涙を浮かべながら凝視されるとは思っていなかった俺も思わず黙ってしまい、重苦しい沈黙が部屋に降りる。
「えっ……、ドクター……、私、は……。」
よっぽど名前を聞かれたくなかったのだろうか。途切れ途切れに聞こえる少女の呟きで我に返った俺は、取り敢えず謝っとけ精神で口を開こうとするが、その前に少女が再び話し出した。
「……私は、アーミヤといいます。」
袖で涙を拭った少女が名乗った名前は、アーミヤ。なんか無理矢理言わせたみたいで罪悪感に駆られるが、同時に何か納得している自分がいた。この少女の名前は、アーミヤ。パズルの最後のピースの様に、俺の中でカポっと嵌っていった。
「あなたを助けに来ました。」
「俺を……?」
そう言って、ふと違和感に気付いた。
俺、俺、俺。……俺?俺って誰だ?自分の名前が……わからない?それどころか、こうして目覚める以前の記憶がほとんど無い。どういう事だ?
「……俺は……?」
「あなたは……。」
どうやら、アーミヤという名前の少女は俺の事を知っているようだ。でも何故だ?初めて会ったはずなのに。
「あなたは、私たち「ロドス」の一員です。」
ロドス?なんだそれ?
「Dr.レーナ。あなたは私にとって一番大切な仲間なんです。」
レーナ。アーミヤが口にしたそれが、俺の名前らしい。聞いた覚えはなかったが、記憶の殆どを忘れてしまった(知らない、と言った方がしっくりくるが)今は、アーミヤの言葉しか情報源がない。取り敢えずレーナという事にしておこう。名前無いと不便そうだし。
「思い……出せませんか?」
「……。」
さっき名前を聞いた時、アーミヤが絶句した理由が何となくわかった。どうやら俺、もといレーナとアーミヤはかなり親しい仲、それこそ姉妹の様な仲で、何者かに捕まった(助けに来たって言ってたし)俺を助け出して今に至る、ということらしい。多分。
なる程、久しぶり(?)に会った親しい相手に開口一番「お前誰?」なんて聞かれたらそれはショックだろう。俺だって(居たかどうかも覚えていないが)親や姉妹にそんなこと言われたら数日寝込む自信がある。
「……あぁ。悪いが、君と会うのは今日が初めてだ。……そう、はじめましてだな、アーミヤ。」
「あ、は、はじめまして!」
律儀に頭まで下げるアーミヤが妙に可愛いらしく、思わずクスッと笑ってしまった。ウサ耳がぴょこんと揺れている所とか特に。
「……いえっ、違いま……、これはその……、ええと……。」
笑われたのが恥ずかしかったのか、顔を赤らめてあたふたとし始めてしまった。可愛い。
「……そうですよね。あれから、色々なものが変わってしまいましたから……。私自身も、今までとは違う……。」
少しして落ち着いたアーミヤが、先程とは違う沈んだ声で呟いた。今は何かドタバタしている様だから、落ち着いたら詳しく聞いてみようか。アーミヤのことや、ロドスのこと。過去のDr.レーナのこと。
「……と、とにかく!」
「はい?!」
「とにかく、私にとってドクターは一番大切な人なんです。何があっても、それだけは変わりません。」
アーミヤの声を聞きながら、俺は少し安心していた。初めて会った人にいきなりあなたを助けに来ました、なんて言われて警戒するなと言うのは無理な話だ。最初の方は、こいつ何考えてるんだ?俺をどうする気だ?と、疑いながら話していたが、どうやら杞憂だった様だ。最初から妙な既視感があったのもそうだが、何より……
「だから、私に少しだけ時間を下さい。少しだけで……いいですから……。」
俺の手を握ったまましくしくと泣き出してしまったこのウサ耳少女が、演技だの腹芸だのが出来るようにはどうしても見えなかったから。
思うように動かない身体をそれでも無理矢理動かして、握られていない方の手でアーミヤの頭をそっと撫でてみた。
***
アーミヤが泣いているところを見るのは、これが初めてだった。ドクターのことを話しているときに涙ぐむことは何度かあったが、その涙が瞳から溢れる事はこれまで一度もなかった。ロドスの代表という立場が、彼女が人前で泣く事を許さなかったのだ。
そんなアーミヤが肩を震わせて泣いていた。
やっとの思いでドクターを助け出して。目が覚めたと思ったら、過去のほぼ全てを忘れてしまっていて。アーミヤが嬉しくて泣いているのか悲しくて泣いているのか私には分からないし、恐らくアーミヤ自身にも分かっていない。ただ、何年もの間溜め込んでいた涙が溢れ出して止まらないのだろう、ということは分かった。
少しだけ、そっとしておいてあげようと思った。大丈夫、アーミヤは強い人だから、溜まっていた涙がある程度出てしまえばすぐに泣き止むだろう。
「……ごめんなさい、もう大丈夫です。」
2、3分程でアーミヤが泣き止んで立ち上がった。目元はまだ赤かったが、まあ大丈夫だろう。
「ドクターは、本当に……記憶を?」
「あぁ、全部吹っ飛んだらしいな。何にも覚えてねぇよ。」
ストレッチャーに寝転んだまま器用に肩をすくめてドクターがそう答えた。
「……大丈夫です。きっと時間が解決してくれます。」
「あー、……なぁアーミヤ、ここってどこなんだ?」
「ここは……」
アーミヤの声を遮るようにして轟音が鳴り響き、部屋を揺らした。
ここ2、3年ですっかり聴き慣れてしまった爆弾の炸裂音。高速で撒き散らされる無数の弾片と衝撃波に引き裂かれるシャッターの悲鳴。
戦闘の音だった。
***
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第三話 初陣
***
「きゃあ!」
「おん?」
「一体何が……?」
何者かが爆弾でシャッターを破ったであろう事は分かったが、それでも思わず呟いてしまう。ここにいるのはロドスだけのはずなのに……。
「アーミヤさんマズいです!この施設内に侵入してきた奴らがいます!」
辺りを警戒していたはずの前衛オペレーターの一人が向こうから駆け寄って来て、何事かと思って通路に出てきた私にまくし立てる。
「なっ……!ウルサスに気付かれたんですか?!」
「いいえ、あの装備は……」
前衛オペレーターの後を追うようにガシャガシャと喧しい足音が迫って来たかと思えば、一人の人が通路の角から姿を現した。
素肌が見えないように着込まれた白いローブに灰色の仮面。両手に大きなボウガンを携え、二の腕の部分にはDNAの二重螺旋にも似た赤いシンボルマークの腕章。
「ウルサスの兵士のものではありません!」
仮面の人はこちらの姿を見るや否やボウガンを構え、躊躇うこと無くその引き金を引き絞った。
「ちょっと失礼!」
「うわわわっ!」
発射された矢を避けると同時、後ろからドタっと人が転ぶ音と共にソマリさんの悲鳴が聞こえて来た。
「あ、ありがとうございます、ドクター!」
振り返るとソマリさんとドクターが床に転がっていて、近くの壁には人差し指程の太さの大きな矢が突き刺さっていた。どうやら、いつの間にか通路の方まで出てきていたドクターがソマリさんを転ばせて矢が直撃するのを防いだらしい。
「はぁ……はぁ……あぁ畜生。ロクに、ゲホッ……歩けもしねぇのか、はぁ……このポンコツは……。」
「えぇ?!ちょ、大丈夫ですかドクター?!」
壁にぐったりと寄り掛かりながらドクターが呻いた。ストレッチャーから通路まで移動してソマリさんを転ばせただけでこの有様では、自力で歩く事すら難しいだろう。早くここから脱出しないと……。
「重装オペレーターは前へ、ドクターを守ってください!前衛オペレーター、戦闘の準備を!」
「了解!」
オペレーター達の打てば響くような応答を聞きながら私の思考は混乱に陥っていた。
(あのシンボルマークは……レユニオン・ムーブメント?どうして?!)
「クソッ!こいつらの狙いはドクターか?!」
(いえ……ドクターの存在は誰も知らないはず……)
重装オペレーター達の隙間からは通路の壁から時折顔を出してはボウガンを撃ってくるレユニオンの姿が見えた。何故彼らがこんなところに……?
「急ぎケルシー先生に通信を!」
「了解です!」
こうしている間にもレユニオン側の増援は続々と集まって来ているようで、飛んでくる矢の数も徐々に増えてきた。
オペレーターは少しの間通信機に向かって盛んに喋りかけていたが、やがて舌打ちを一つして報告してきた。
「ダメです、ノイズが酷く通信出来ません!」
「……ジャミングですか。」
(これもレユニオンの仕業?それともウルサス政府が私達の動きに気付いて……?)
「どうしますか?」
「今回の作戦指揮はケルシー先生にお任せしています。でも通信出来ないとなると……。」
どうしたらいい?どうすればいい?これまで数え切れない程の戦闘を経験して来たはずなのにどうすればいいのかまるでわからない。考えが纏まらない。ドクターが目の前でぐったりしているだけで心が落ち着かない。早く何とかしなければと思えば思う程焦りは強くなっていく。
ドクターなら。
ふと脳裏をよぎった誰かの言葉が私の胸を締め付ける。
だってドクターはもう、何も覚えていないから。
幼い私を尻尾にじゃれつかせたままぬるくなったコーヒーをちびちび飲んでいた事や、ケルシー先生に「医者のくせに自分の身体もロクに管理出来ないのか君は。」と説教されて、でも毎回適当に聞き流すだけだった事。いくつもの戦場を一緒に渡り歩き、たくさんのことを私に教えてくれた事。
忘れてしまったのだ。ドクターにはもう頼れない。
だが頭では分かっていても、心がそれを否定する。
まだ、全部忘れてしまったと決まった訳じゃない、取り戻せないと決まった訳じゃない。まだ話していない事、試していない方法なんていくらでもあるだろう。まだ、終わった訳じゃない。
今はまだ、諦めるときではない。
***
ドクターを落ち着かせている間にもレユニオンの数はどんどん増えているようで、重装オペレーターの盾に矢が当たっては弾かれる音が延々と通路に響いていた。どうやらケルシー先生とも連絡が取れないらしく、何の進展もないまま時間だけが過ぎて行く。
「……ドクター、」
「ゴホ……ん?どうした?」
左手で胸を押さえたままドクターがアーミヤの顔を見上げる。まだ肩で息をしているにも関わらず、ドクターの瞳は不自然な程に凪いでいた。
「私達の指揮を、お願いします……。」
「……はい?」
「そ、そんな!?」
ドクターが思わずと言った様子で聞き返し、私は驚きのあまり声を荒らげてしまう。
「危険過ぎます!ドクターはまだ意識が戻ったばかりなんですよ?!それにドクターは…」
「まだッ!」
叩きつけるようなアーミヤの叫びに、私だけではなく周りのオペレーター達もビクっと動きを止め、あるいは顔をこちらに向ける。
「まだ、全て忘れてしまったと決まった訳じゃありません。」
アーミヤの縋るような瞳を見てわかった。彼女もドクターが記憶を失った事は理解しているのだろう。理解はしているが、認めたくないのだ。だってそれを認めると言うことは、過去のドクターを諦めるということだから。
「確かに、記憶は失ってしまったかもしれません。でも試してみたいんです。」
認めたくない、諦めたくないから、過去のドクターの欠片だけでも何か無いか必死に探しているのだ。
「ドクターはかつて私達と共に戦った……、仲間なんですから。」
でも、これじゃきっと。
***
「ドクター自身もまだ信じれないかもしれませんが、私は信じます。」
果たして彼女は気付いているだろうか。
『あなたならきっと、勝利をもたらしてくれる。』
今まさに、3年前と同じ道を歩もうとしていることに。
***
「クソっ!どうしてウルサス人でもない連中が邪魔を……!」
「そんなことどうでもいいだろ!奴らは敵だ!殺せ!」
「お前らなんかに我々の仕事の邪魔はさせん!」
白いロープをかぶった敵が3人、片手に剣を携えてこちらに突撃してくる。彼らは戦意こそ旺盛だが、まるで素人の様なその動きを見切るのは容易く、正規の訓練を受けて来た我々の脅威にはなり得ない。
「甘いっ!!」
3人が剣を振り上げようと腕を持ち上げ、胴体の守りがガラ空きになる。そんな隙を見逃す私ではなく、3人同時にガラ空きとなった胴体目掛けて思い切り鞭を振り抜いた。
鞭の当たった衝撃が防刃ベストに守られた身体の内部、内臓を破壊していく感触と共に、3人の敵は声にならない呻めきと共に吹っ飛び地面に転がった。
「ふぅ……。状況は?」
アーミヤのE1小隊が施設内に侵入しドクターを連れて戻ってくるまでの間、施設の西側出口を確保し続けるのが我々E2小隊の任務だった。
残りの二個小隊と一個予備隊はウルサス側に気取られないようにそれぞれ別の場所に潜伏しており、scoutのチームのメンバーは偵察の為に別行動を取っている。
「無理です教官、練度はともかく数が違い過ぎます!押し返せません!」
「こいつら、一体どこから湧いて来るんだ?!キリがないぞ!」
勿論戦闘になる事を予測していなかった訳では無いが、なるとしたらドクターを奪還した後、ウルサスの追撃によってだと考えていた。だが蓋を開けてみれば、突然仮面に白ローブ姿のレユニオンに襲撃されたかと思えばジャミングによって各所との通信が途切れる始末。おまけに途切れる直前のscoutの通信によれば、チェルノボーグのあちこちでレユニオンとウルサスの憲兵団が接触、戦闘を開始したらしい。
「教官、ここにこれだけの敵がいるとなると、E1小隊は……」
「あぁ、マズいことになっているかもしれん。」
西側出口は我々がいたからレユニオンの侵入を阻めているものの、残りの三方はどうかわからない。守衛くらいはいただろうが、ここにいたのと同じ規模なら二個分隊程度、人数にして20〜30人程度しかいなかったはずだ。ウルサス憲兵の実力を疑う訳ではないが、いかんせんこの数だ。突破されて、施設内への侵入を許していると考えるべきだろう。
となると、施設内で作戦行動中のE1小隊がレユニオンと接触し、拘束されている可能性も大いにある。一度捕まってしまえば、逃げ場の限られた施設内で包囲され、ジリ貧になってしまうだろう。そうなる前になんとかしてE1小隊を施設から脱出させなければならない。
「第1分隊、私と共に来い!E1小隊を連れ戻しに行く!」
「了解!」
「残りはこのまま脱出口を守れ!E1小隊が戻るまで一人も通すな!」
「了解ですっ!」
ただでさえ押され気味だった所から更に一個分隊を引き抜くのだ。防衛線が崩壊するのは時間の問題だろう。
早く迎えに行かなくては。
***
突然のアーミヤの言葉に呆けていたドクターは、少しして辺りに視線を走らせると、軽く溜息を吐きながら左手を差し出した。
「え?ドクター?」
「お前ら正規ルートで入って来た訳じゃ……ケホッ……ないんだろ?だったらここの案内図か見取り図くらいあるだろ。それちょっと貸して。」
「え、あ、はい!」
事前に配られていた中枢施設の見取り図を取り出す。渡されたそれを20秒ほど眺めると、ドクターは顔を上げてアーミヤに言った。
「よし、下がるぞアーミヤ。」
今度はこちらが呆ける番だった。私はてっきりドクターが物凄い采配をして、目の前にいるレユニオンを蹴散らしてくれると思っていたのに。下がるって、つまり逃げるってことじゃ……?
「皆さん、ドクターの指示に従ってください。」
「アーミヤさん?!いや、しかし……」
オペレーターの多くが訝しげな態度をとる中、アーミヤだけはドクターのことを信頼している様だった。オペレーターの一人がアーミヤに喰ってかかるが、彼女は命令を撤回しようとしない。
渋々といった様子で皆が従う素振りを見せるのを確認して、ドクターは指揮を取り始める。
「前衛オペレーターは見取り図のここ、丸っこい所に先行して左右に分かれて展開して隠れていろ。狙撃オペレーターと術師オペレーターは正面のこの辺りに隠れて。テーブルとか、足場になりそうなものがあったら近くに運んで置いてくれたら尚良い。10分後には敵が来るはずだからそのつもりで。」
「了解。」
「……分かりました。」
どうやら逃げる訳では無いらしいが、何をしようとしているのかさっぱりわからない。これじゃ無駄に戦力を分散させているだけじゃない。
「先鋒オペレーターはこっちの通路辺りで潜伏してて。12、3分も待てばいい頃合いになるから、こっちの通路のここまで来て出てくる敵を倒して。大変だと思うけどよろしく。」
「了解です……」
ドクターの指示通りに皆が動きだす。まだ納得はしていない様子だったけど大丈夫かな。
「ドクター、私は……?」
「アーミヤは先行してあっち側の指揮を頼むわ。俺らは後からのんびり行くからさ。」
「……分かりました。また後で、ドクター。」
「あぁ、また後で。」
本当はドクターの側から離れたくないのだろうが、ドクター自身に頼まれては断る訳にもいかないらしい。少し悲しげな表情を浮かべながら、術師オペレーターたちと共に先行していった。
「よーし、重装オペレーターはレユニオンを引き離さないように気をつけながらゆっくり後退しろ。負傷したら下がって医療オペレーターに治療してもらえ。」
「了解しました。」
やっぱりドクターが何をしたいのかさっぱりわからない。返してもらった見取り図と睨めっこしながら首を傾げていると、足元のドクターに呼ばれた。
「あー、えと、ソマリ?だっけ?」
「はい?なんですか?」
「ごめん、肩貸して……」
あ、そういえばドクター、歩けないんだっけ。
「分かりました。」
「……すまん。」
「いえ……よいしょっと……!」
ドクターの左腕を肩に回して立たせると、そのまま重装オペレーターの後退に合わせて進んでいく。
「なんでコイツは戦わずに、無駄に戦力散らした上で後退してるのか、って思ってるだろ。」
不意にドクターが話しかけてきた。しかも図星。どう答えようかと考えてるうちにも、ドクターは私の返事を待たずに話し続ける。
「俺だって不安なんだよ。記憶は吹っ飛んでるし寝起きでぶっつけ本番だし、皆俺のことを信用してくれてる訳でもない。失敗する要素なんて幾らでもある。」
けどまぁ、と続けるドクターの横顔をチラッと見て、そして息を詰まらせる。冷たく凍りついたような青い瞳の下で、その口元は。
「見てろって。一人も逃すつもりはねぇからさ。」
ニヤリと、何かを酷く嘲笑っている様に見えたから。
本当に、この人が……
***
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変化
***
ドクターは臆病な指揮官だった。味方に損害が出るのを極端に嫌っていて、味方に有利な状況下でなければまともに敵と戦う事すらしなかった。敵の情報を丁寧に調べ上げ、餌をちらつかせておびき出し、用意周到に張り巡らせた罠に嵌めて味方に有利な状況を作り出し、罠に気付いた敵が逃げ出す前に一気に倒す。そんな戦い方をする人だった。
そんなドクターを知っている私だから、そこに着いた時点でドクターのやろうとしている事が手に取るように分かった。
「アーミヤさん、ここが……」
「はい、ここがドクターとの待ち合わせ場所です。」
良かった。記憶を失っていても、ドクターはドクターのままだ。
「皆さん、ドクターが来る前に準備を済ませておきましょう。」
「了解です。」
「まず前衛オペレーターの皆さんは……」
***
壁の向こう側に溜まっていたレユニオンをズルズルと引っ張りながら後退すること7、8分。少し早いが、集合場所まであと少しという所まで来た。このままでは少し早く集合場所に着いてしまうが、かと言って今更どうこうする事も出来ないので、向こう側の準備が整っている事を願うしかない。
……ていうかあっち側の指揮、ロクに説明もせずにアーミヤにぶん投げちゃったけど大丈夫かな……?
「あと少しです!」
「医療オペレーターは先行して待機、重装オペレーターはそのまま後退。」
「分かりました!」
「そこの君、悪いが俺を担いでくれ。」
「え?いや、担げと言われても……。」
ソマリも一緒に下がらせる為に適当な重装オペレーターに運んでもらおうと思ったのだが、何故か目線を逸らされた。
「あ、あのぅ……ドクター……。」
「担ぐのが嫌なら
何か言いたげなソマリの声を黙殺し、嫌がるオペレーターに無理矢理抱き抱えてもらう。戦闘服のゴワゴワした生地が素肌に擦れて少し痛いが、運んでもらっている立場上贅沢は言えないのでそこは我慢だ。
「ドクター!奴らが……!」
「おっ、もう喰いついたか。早いな。」
医療オペレーター達を下げたのが見えたのか、レユニオン側にも動きが起こる。
「奴らの仲間が逃げ出したぞ!」
「追いかけろ!感染者の怒りを思い知らせてやれ!」
どうやらこちらが本気で撤退し始めたと
願ってもない。これでわざわざ背中を押す手間が省けた。
「入ります!」
「俺の合図があるまでそのまま後退しろ。」
アーミヤとの待ち合わせ場所は、この施設の職員の休憩場所か何かだろうか、5階あたりまでが吹き抜けになった広い円状のスペースだった。前方には、辺りにあったテーブルを積み上げて作られた何かがあり、左右にもテーブルだのイスだのが乱雑に積み上げられている。
「よし、止まれ!」
俺の合図で重装オペレーター達が後退を止めて反転し、レユニオンと正対する。
「殺せ!殺せ!」
「八つ裂きにしろ!」
やたら物騒なセリフを叫びながら、こちら目掛けて突っ込んでくるレユニオン。即席のガバガバトラップではあったが、自分の目論見が成功しつつあるのを感じながら、俺は彼女の名前を呼んだ。
「アーミヤ!!」
***
「皆さん!出番です!」
また、ドクターに名前を呼んでもらえるなんて。そう思いながら、私は先行して待機していたオペレーター達に号令をかける。
「な、なんだコイツら?!一体どこから……。」
「テーブルの影に隠れていたんだ!」
「囲まれたぞ?!」
両サイドに積み上げたテーブルの影に隠れていた前衛オペレーター達が、待っていたと言わんばかりにレユニオンに襲い掛かり、これもテーブルで作った即席の足場の上から、術師オペレーターと狙撃オペレーターが攻撃を放つ。
がむしゃらに突っ込んでくるレユニオンを、前衛オペレーターの剣と槍が斬り伏せ、突き倒す。重装オペレーターの頭上を飛び越したアーツと矢が、取り囲まれたレユニオンのど真ん中に突き刺さる。
「おい止まれ!囲まれている!」
「無理だ!味方がどんどん入ってきて……!」
「密集し過ぎだ!味方が邪魔で敵の術師が狙えないぞ!」
レユニオンにも状況を理解している者が少しはいるようだが、ドクターが作り出した人の流れは簡単には止まらない。
ドクター達が撤退し始めたと勘違いしたレユニオンは、追撃の勢いそのままに私達の作った包囲網の中に飛び込んできたのだ。先頭集団が三方から囲まれて叩かれているとは気付かずに後続が押し寄せてくる為、レユニオンは逃げるに逃げられない状況に陥っている。
さらにドクターは、敢えて密集させたレユニオン同士で私達後衛への射線を塞ぎ、逆に私達には高台という有利なポジションから一方的な火力投射を行わせることで、レユニオンとの数的不利を埋め合わせようとしている。
加えて、彼我の疲労度の差も大きい。後退するドクター達への一方的な追撃とはいえ戦闘状態が続いていたレユニオンと、敵地のど真ん中とはいえ一息つくことのできた私達とでは、蓄積された疲労度に差が生まれる。そしてその差は、レユニオン全体の戦闘力、士気の低下に繋がる。
「はぁ……はぁ……クソッ!後退しろ!体制を立て直すぞ!」
「ぎゃああああああっ!お、俺!俺の腕がぁあああ!」
「固まるな!狙い撃ちにされ……ガフッ!?」
ドクターの蒔いた種が徐々に、そして一斉に芽吹く。数の不利を埋め合わせ、ひっくり返していく。
「……っし!行ける!行けるぞ!」
「立て直させるな!このまま押し切るぞ!」
戦場が、覆る。
***
途中で合流した、ドクターの指示で待機していたという先鋒オペレーター達と共に私が戦場に着いた時には、戦闘の勝敗は半ば決していたようだった。
通路の向こうから、大量のレユニオンが我先にと逃げ出してくるところにばったり遭遇したのだ。ちょうど私達がレユニオンの退路を塞ぐ格好だ。
「教官!これは一体……!」
「考えるのは後にしろ!今はこいつらを片付けるのが先だ!」
吹き飛ばしたレユニオン達が壁に叩き付けられているのを尻目に、部下の1人に早口で告げた。
***
早く脱出しないと西側出口を任せた部隊が持たない。その一心で鞭を振るい続けてどのくらい経っただろう。レユニオンの最後の1人が味方に切られて動かなくなったその時、それはアーミヤと共に近づいてきた。
「ドーベルマンさん!来てくれたんですね!」
「アーミヤ、緊急事態だ。私の小隊もレユニオンから攻撃を受けた。」
「……そうですか。そちらにもレユニオンが……。」
「あぁ。そちらも同様だろうと推察し、急行して来たというわけだ。」
(もっとも、そんな必要があったようには見えんが……。)
レユニオン連中のあの様子からして、E0小隊は私達が来なくともレユニオンを撃滅し、脱出することが出来ただろう。もっと言えば、先鋒オペレーター達で退路を塞いで全滅させなくても、レユニオンの撃退には成功していたようにも感じる。
違和感。そう、違和感だ。無駄とも取れる手順を踏んでまでレユニオンを全滅させた作戦に、私はほんの少しの違和感を覚えていた。
「……急いで隊列を立て直せ!ボヤっとするな!」
「はっ!」
違和感を思考の隅に追いやると、周りのオペレーター達に命令を下す。のんびりしている暇など無いのだ。
「アーミヤ、これ以上巻き込まれる前に急いでチェルノボーグを離れるぞ。」
「分かりました。ドクターの救出にも成功しましたし、計画通り撤退しましょう。」
アーミヤの後ろでは、見慣れないクランタが落ちている剣を拾って観察していた。戦闘服のオペレーターだらけの空間でただ1人、手術衣姿の彼女は周りから酷く浮いて見えた。
「……彼女が……Dr.レーナか?」
「はい、そうです。」
「なるほど、彼女が……。私の事は知らないかもしれんが、アーミヤの事はわかるだろう。安全の為に……」
「あ、あの……ドーベルマンさん。今のドクターは状況が芳しくなくて……。」
「どういうことだ?」
「簡単に言うと、ドクターは……記憶喪失なんです。」
「なに?記憶喪失だと?」
アーミヤの後ろでは、医療オペレーターに渡された服に着替えようとしたのか、その場で手術衣を脱ぎ始めたドクターを医療オペレーターが慌てて止めている所だった。
周りにいた男性オペレーターは咄嗟に背を向けるか目を塞ぐかして見てしまわないようにしている。当のドクターは何故止められたのかわかっていないようで、こてんと首を傾げていた。
「……どうやらそのようだな。」
「……はい。」
事前に聞いていたドクターの人となりとは激しくズレた様子を見てそう呟く。
男性オペレーター達に、良いと言われるまで後ろを向いているように(ロドス本艦の上甲板100周の脅迫付きで)指示してから、アーミヤに再び向き直る。
「しかし困ったな。そんな状況で指揮権をあのドクターに委ねようとしているのか……。」
「ドクターは指揮官としての能力は失っていません。」
アーミヤのその言葉で、頭の隅に追いやっていた違和感が舞い戻ってきた。士気だけはやたら高かった筈のレユニオンの、作戦も何もなく逃げ出してきたあの様子。部隊が各個撃破されるリスクを背負ってまで敵の殲滅に執着していたあの指揮。
「……先の戦闘を指揮していたのはアーミヤではなく……。」
「ドクターです。少なくとも先程の戦闘でそれは確認出来ました。」
「……わかった。アーミヤ、お前を信じよう。」
さっきのあの様子を見る限りでは、ドクターが記憶を失っているのは確かなようだ。もしかしたら人格ごとがらりと変わっているのかもしれない。
だが。
(人という物はそう簡単には変わらないようだぞ、ケルシー。)
***
過去にドクターが指揮した戦闘では、敵味方共におびただしい数の戦死者が出ていた。
その理由は、彼女が何か目的でもない限り敵を1人として生きて帰そうとしなかったから。そして、いかなる状況からでもそれを可能にした彼女の卓越した指揮能力と、いかなる手段をも用いる度胸……いや、狂気があったからだ。
あまり人のことは言えないが、最初から彼女の中にそういう危うい面があったのは確かだし、私も警戒していた。テレジアはあまり気にしていなかったようだが。
だが……。
……いつからだったろう。彼女の危うい面が表に出て来たのは。戦闘でも、その他の事でも彼女に頼る事が増えていったのは。
彼女が、追い詰められていったのは。
私が、もう少し。
彼女を助けてやっていたら、今とは違う未来が訪れていたのかもしれないな。
テレジア。
***
どうにかドクターを着替えさせた後、私達は急いでE1小隊が守っている西側出口に向かった。もう少しで出口というところまで来た時、部隊の中からは次々と安堵の声が漏れ聞こえた。
私も思わずため息を漏らしてから、ドーベルマン先生に怒られると思って咄嗟に口を塞いだが、いつもの怒声は何故か飛んでこなかった。はてどうしてしまったのだろうと周りを見渡して気付いた。安堵するどころか、むしろ厳しい表情を浮かべている人が3人いることに。
1人はアーミヤ。もう1人はドーベルマン先生。最後の1人は、時折り耳をぴくぴくさせているドクター。
「外に出るぞ!」
嬉しそうな誰かの声で、はっと顔を上げる。重厚な防爆扉を通り抜けたその先には。
「……え?」
施設内で倒したレユニオンをさらに上回る数のレユニオンの群れと、それを必死に食い止めるE1小隊。あちらこちらから空に向かって伸びる黒煙。
そしてそのさらに上から重くのし掛かる、どんよりとした鉛色の雲だった。
「おぉ、これはまた……。」
そんな呟きと一緒に、誰かの口笛が聞こえた気がした。
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