幻の夢を見た鬼の話 (かくてる)
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一話 数百年の地上

こういうポエムっぽい地の文書いてみたかったの。


いやほんと、こんなに作品作ってどうすんのって話だよね。

いや私が一番よくわかってるから。そんな思わんといて


 久しぶりに見た満月はとても美しいものだった。

 

 

 

 鈴虫の鳴き声が耳を通り過ぎては新しい音が入り込む。

 

 

 

 

 こんなに清々しい気分になったのはいつぶりだろうか。

 いつまでもここにいて酒を酌み交わしたいと思った。誰でもいい、隣で顔を真っ赤にしながら腹が(よじ)れるほど笑い合って酔い耽る。

 そんな光景がふと脳裏によぎった。

 隣でお酒を飲んでいるのは誰だろうかと不明瞭な光景に少しもどかしさを感じた。

 

 星の見えない地下で暮らすのも存外悪くないと感じていたが、やはりこうして外の景色を見てしまうと、地下の幽玄な雰囲気が比べ物にならないほど感嘆してしまう。

 

 季節は夏だろうか。集落の灯りが消えていないところを見るに、恐らく深夜ではないようだ。

 

 

 

 

 

 

「いい夜だな」

 

 

 

 

 

 誰もいないこの空間でただ一人、透き通るような中低音が夜の風に吹き抜けた。

 

 

 

 

 

「あら? そこにいるのはどなた?」

 

 

 

 

 

 一人と思っていた空間に突如発した誰かの声。

 彼はその声音から敵意を感じないほどのやわらかさを感じ、すぐに警戒は解かれた。

 

 紫色のドレスはとても上品に風に揺られ、月明かりに照らされて艶やかに(なび)く金髪。

 

 胸の下で手を組み、左手には扇子が閉じたまま彼女の手に収まっていた。

 上品に佇む姿は幼さなど一切感じさせない威厳すらも感じ取ることが出来る。

 

 

 

「ここらでは見ない顔ね……その角……もしかして旧都から?」

 

 

 

 

 この少女はエスパーなのだろうか。

 いや、彼の顔を見ればひと目でわかるはずだ。

 

 額から天に向かって伸びる二本の角が何よりの証拠だ。

 彼は一つ息を吐いて紫水晶のような髪を人差し指で掻く。そして少女に笑いかける。

 

 

 

 

 

「ああ、地上が突然恋しくなって」

 

 

 

 

 

 そう聞いた少女は少しだけ目を見開いた。

 

 

「珍しいわね。貴方のような者が地上を恋しく思うなんてね。地上(ここ)で人間に何をされたか覚えているの?」

「ああ、分かっているさ。だからこそ、誰も来なかったんだ」

「あら、お仲間さんはまだ下にいるのかしら?」

「その通りだ」

 

 扇子を開き、口元に当てて妖しく笑う。

 その表情は少々色気を感じさせるものがあった。

 彼は鼻を鳴らして、

 

「今のご時世、俺なんかは珍しいんじゃないか?」

「ええ、とっくに消えたものと、そう認識されているわ。それに、人間の力を恐れて地底へ逃げたのはあなた達よ」

「あはは、耳が痛いよ」

「ともあれ、非常に希少な人物よ」

 

 

 

 

 

「鬼という種族はね」

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 数百年も経つと、こうも変わっていくものなのか。

 幻想郷という忘れ去られた楽園は、彼が知らないうちに変化して行ったようだ。

 

「いいところになったじゃないか」

 

 感心するように景色を見渡す。

 妖怪の山と呼ばれる天狗と河童……以前までは鬼も共存していたこの土地から幻想郷を見渡す。

 

「そうでしょう?」

 

 得意げに微笑んだ隣の少女、八雲紫はこの幻想郷(せかい)を創造した賢者である。

 

「見間違えるようだね。昔とは別格だよ」

「昔は色々お抱えの問題が多かったからよ。今となっては色んな種族が垣根を越えて生活しているのよ」

 

「例えば……」と言って紫は一つの集落を指さした。

 よく見るとあそこは人が行き交う場所、つまり人里のようだ。

 

「ほぅ……あそこも活気付いたな」

「あそこに住んでいるのは人間だけじゃないのよ?」

 

 またもや得意げに笑う、それに対して彼は少しだけ驚愕の表情を浮かべた。

 

 そんな彼の表情を見た紫は今度は不敵に笑った。

 紫は表情豊かなんだな。と、心の中で微笑む。

 

「今では人間に対して好意的な妖怪も住んでいるし、大体の買い出しは人里まで行くのではないかしら?」

「……天狗もか?」

 

 紫は扇子を口に当てて、「もちろん」と彼を見据えた。

 彼は感心するように息を漏らし、儚げに笑った。その表情から、紫は何を感じたか、本人にも分からなかった。

 

 

 

 

「風景も人並みも、まるで別世界のようだ」

 

 

 

 

 嘘偽りのないその言葉に紫は少々を違和感を覚えた。

 ただ、「少々」のレベルのものをわざわざ話す必要はあるまい。紫は「あっ」と思い出し、扇子を閉じて彼に向けた。

 

「そういえば、まだあなたの名前を知らないわ」

「おっと、そういえば言っていなかったね」

 

 彼は和服を整え、その顔を紫に向けた。

 身長はさほど高くない。何なら紫よりも一寸ほど高いくらいの少年と言っても過言ではない。

 

 顔もその身長に見合った童顔だが、紫からはその童顔こそが不思議な感覚へと誘った。

 

 そんな紫の事などつゆ知らず、彼は名乗りあげた。

 

 

 

伽羅橋(からばし)明雅(めいが)だ」

 

 

 

 彼──伽羅橋明雅から差し出された右手に少し反応が遅れた紫はすぐハッと気づいて、手を交わした。

 

「これからはどうするの? 私といえど、住む場所は提供出来ないわよ?」

「構わないさ。天魔に掛け合ってみるよ。こう見えても古くからの友人でね」

 

 こう見えて。明雅がそう言うということは少なからず体が小さいことを自覚しているのだろう。

 

「明雅って意外と長生きなのね」

「鬼の中では年寄りから数えた方が早いね」

 

 その身体とは似つかわしくないほど年を重ねているようだ。

 確かに口調も穏やかで随分と余裕を持っているように見える。数百年ぶりの外とはいえ、緊張しないはずがないのに、と珍しいものを見るような目で紫は明雅を見つめた。

 

「な、なんだい?」

「貴方、小さい割に大人ね」

「あ、あまり小さいって言わないでくれるかな……気にしてるんだ」

 

 あ、気にしてるんだ。

 自分でも自覚しているようだから、諦めているのかと思いきや、コンプレックスとして感じているようだ。

 これは、再び会った時にからかうネタになるだろうと、心の中で笑う。

 

「とりあえず、天魔の方へ行ってみるよ。ありがとう、紫。また縁があればどこかで会おう」

「そうね。きっと幻想郷は狭いから、近いうちに会うわよ」

 

 そう言い残して、紫は空間の割れ目……裂け目とも言うだろうか、まるで傷口を物理的に広げるように開いた空間、その中身は無数の目がこちらを見ていた。そこに全身を入れ、一瞬で「それ」は閉じた。

 

 明雅は少しだけ身震いをする。というのも、さすがにあの空間に放り込まれるのは少し遠慮したいと思った。

 あれはきっと彼女の能力なんだろうと全てを受け入れる幻想郷ならではの解釈で自己解決を成し遂げた。

 

「さてと……」

 

 紫を見送り、踵を返す。

 妖怪の山へと歩を進める。明雅の足取りは意外と軽かった。

 

 

 

 ────

 

 

 

 妖怪の山の山頂を目指すこと早数分、明雅を見かけるや否や地上に降りてきて明雅の正面に降り立った。

 

「あやや、お久しぶり……で合ってますか?」

「……?」

 

 黒髪が短く切られ、朱色の瞳をこちらに向けながら笑う少女がいた。言わずもがな、天狗だろう。

 しかし、天狗の方は明雅と面識があるようだが、明雅の方は全く思い出せていない。

 

「……俺の知り合いに君のような子はいないはずだが……」

「もぉー! 忘れないでくださいよ! 文ですよぅ! 射命丸文! 昔たくさん遊んでくれたじゃないですかぁ!」

 

 マジマジと少女を見つめるそして、昔の記憶から引っ張りだされた一人の少女の面影とはっきり合致した。

 

「……ああ、文じゃないか!」

「だからさっきからそう言ってるじゃないですかー!」

「いやはや、随分と大きくなったねぇ……って、待て。お前、俺よりも背丈が大きくないか?」

「あぁ、これは下駄を履いているからですよ」

 

 文の背丈はとうに明雅の身長を超えていた。

 そんな明雅の不安を汲み取ったのか、文は下駄を脱ぎ、裸足でもう一度明雅の前に立った。

 

 女の子が裸足を土につけるなんて、易々と肌を傷つけていいものでは無いと注意しようと思ったが、それよりも前に明雅にとって由々しき問題が発生したのだ。

 

「……」

「あ、……あー、大丈夫ですよ明雅さん。きっとこれから大きくなります」

「……成長期と呼ばれる年齢はとうに越してるんだ」

「う……」

 

 下駄を脱いだ文の背丈よりも小さかった。

 この事実を重く受け止めるしかないと思いつつ、明雅は昔自分より小さかった文を思い出していた。

 

「しっかし、あの文がここまで成長するとはね。それよりも、今の生活はどうなんだ?」

「天魔様の元で働かせて貰っています。それに趣味……という訳ではありませんが、副業として新聞記者もやっているんですよ」

「そういえば、お前は昔から本とか新聞を読むの好きだったよなぁ……子供の癖に趣味がかなり渋かったから心配してたけど……なるほど新聞記者か……」

 

 確かに今の文は右手に羽根ペン、左手には手帳のようなものがあった。さりげなく中身を見ると、恐らくココ最近の幻想郷のスクープが箇条書きで書かれていた。

 

「うん、俺は嬉しいよ」

「な、撫でてくれるのはいいんですけど……背伸びしてまで……え、えへへ……」

 

 文に無理に視線を合わせようとすると背伸びをするしかないのだ。プルプルと足が震えながらも、右手で文の頭を優しく撫でる。

 文は最初は遠慮気味だったものの、最終的には満更でもなくにへらと顔を崩していた。

 このまま時が過ぎるのを待てばいいのか、それよりも先に明雅の足の限界が来そうだった。

 それに気づいた文は慌てて明雅から距離を取った。

 んんっ。と一つ咳払いをした文は明雅に問う。

 

「そ、それよりも、どうして明雅さんが地上に?」

「大層な理由はないさ。ただ単に来たくなったから来ただけだよ」

「そ、そうですか……地底に戻られる予定は?」

「あと数年は地上に居ようと思っててね。そのために住む場所を提供してもらおうと天魔の所まで向かってたんだ」

「そういうことでしたら、私が呼んできましょうか?」

「いや、いいさ。久しぶりにこうして外で運動ができるんだ。体を動かさなきゃそんだろう?」

「鬼だからそんなこといらないでしょうに……」

 

 呆れ顔の文を尻目に明雅は山道を歩き始めた。

 もちろん、鬼の体力が凄まじいことは確かだ。

 しかし、明雅にとって数百年ぶりの地上なのだ。この土の感覚を足全体を通して感じたいと、そう思っている。

 

「天魔様も驚きますよ。いきなり明雅さんが地上にやって来るんですもの」

「そうだといいがな。毎回毎回冷静な対応をされてちっとも面白くないんだよ」

「そうは言いつつも、仲良く二人で酒を飲んでるくせに」

「それとこれとは話が別だ」

 

 鬼が天狗社会を牽引していた時はよく二人で盃を交わしたものだ。

 

「それよりも、萃香さんや勇儀さんは元気ですか?」

 

 一瞬、息が止まる感覚を覚えた。

 少しだけ表情を歪めるが、文が気づく様子はなかった。なるべく悟られないように、明雅は口を開いた。

 

「……ああ、元気にやっていると思うよ」

「? そうですか。なら安心です」

「まさか、文があいつらの心配をするなんてね」

「当然ですよ。明雅さんと同じくらいお世話になった人ですからね」

「……そう、だな」

 

 天魔のいる所へ歩き出す二人。

 お互いの昔話に花を咲かせながらあっという間に天魔の居座る屋敷へとたどり着いた。

 

「じゃあ、明雅さん。私は色々やることがありますので」

「ああ、ありがとう」

「天魔様もきっとお喜びになりますよ。元気な顔を見せてあげてください」

「うん、そうするよ」

 

 文の100パーセント善意の言葉に少し心を痛める。

 

 何せ、今日から地上に住むことになったのは、ただ明雅の好奇心や興味本位では無いのだから。

 

 

 

 

 ────

 

 

「失礼するよ」

「……むっ、もしかして伽羅橋か?」

 

 執務室の机に座って羽根ペンを走らせていた女性。

 黒い髪は二の腕までストレートに垂れ下がり、背中から生えている巨大な羽が特徴的の妖怪だ。

 

「久しぶりだね、天魔。何百年ぶりだろうか?」

「そうだな。お前らが地底へ消えてからはめっきり会わなくなってしまったからな」

 

 一時作業を中断し、椅子から立ち上がる天魔。

 周りを見れば、紫の言っていたお抱えの問題が書類となって山積みされていた。

 

「地底から遥々、何の用だ?」

「……いや何、気が向いたんでね。少しの間観光しようかと」

「嘘だな」

「は……」

 

 天魔の冷たくて鋭い声が明雅の言葉を遮った。あまりに唐突な事に明雅はそのあとの言葉を出せないでいた。

 

「どうしたんだ。お前ほどの鬼が連れもなしに地上を歩くわけなかろう」

「……」

「話せ。力になれることはないだろうが、協力はする」

 

 天魔は先程とは打って変わって優しい声音で明雅に語りかける。

 明雅はこれ以上嘘をついても仕方ないと一つため息をついて、天魔に向けて微笑む。

 

「全く、昔から天魔の洞察力には敵わないな」

「みくびってもらっちゃ困る。これでも天狗社会を統括している者なんだからな」

「そうだったね」

「……それで何があったんだ」

 

 久しぶりに再開して約二分弱のこの時間で見破られることに少しだけ悔しさを感じつつ、自分は分かりやすい奴なのかなと自己解決した。

 そして、口を開いた。

 

「俺は、鬼達から追放された身なんでね」



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二話 同族殺し

 天魔に促され、明雅はここまでの経緯をこと細かく天魔に話した。

 これは明雅と天魔が再開して、遡ること半日前の出来事だ。

 

 

 

 

 

 鬼は地底のある大部屋でいつものように宴会を嗜んでいた。

 いや、嗜むなんて可愛いものでは無い。誰しもが口を大きく開けて大笑いをし、ポツポツと殴りあっている鬼達もいた。

 

 そんな鬼達とは離れた場所で一人、窓際に座って外を眺めながら盃を回している鬼がいた。

 窓の外は何も無い、つまらない景色が広がっていた。

 地底という貧困にまみれた世界で唯一生き生きしているのが鬼くらいなもので、別の妖怪たちは生きる場所を見失って行き着く場所でもあるのだ。

 

 紫水晶のような前髪の間から曲線を描き、天を貫くかのような二本の角を持っている少年。

 

 そんな鬼を見つけた一本角の女性。

 華やかな着物は大きく気崩されており、肩から胸元までは白い肌をさらけ出していた。

 右腕を広げ、それは少年の首に回される。

 大きな打撃音と共に少年に女性の体重が全て乗る。その体重に耐えきれず、少年は盃の中の酒を半分ほど零してしまう。

 

「おぉーい! なぁーに黄昏てんだよ!」

「勇儀、一人酒というものを知らないのかい?」

「知ってるさ。ただし、一人酒はつまらん」

 

 星熊勇儀という鬼の四天王が一人。

 怪力乱神を持つ彼女は鬼の中でも最先端を行く実力者だ。

 

「ははっ、勇儀らしいな」

「分かってんならほれほれ、お前も混ざってこいよ!」

「あそこに行くと疲れるんだよ……」

「みんなあんたのこと尊敬してるからなぁ……おーい! お前ら! 明雅も一緒に飲みたいってよー!」

 

「本当ですか!?」「明雅さんこっち来てください!」などと口々に鬼がこちらに走ってくる。

 勇儀の大きな声で9割がた反応したのではないだろうか。

 こうなってしまっては手の付けようがない。諦めて、鬼の仲間たちと飲むことにしよう。

 

 ちょうどその時、明雅に声をかけた一人の鬼がいた。

 

「明雅。少しいいかい?」

「ん? どうしたんだ?」

「悪いなお前ら、少しだけこいつを借りていくよ。明雅、外に出てくれ」

「? ああ、分かった」

 

 明雅は言われるがまま、大部屋の外に出た。

「ここでいいか……」とそう声がかかった瞬間、

 

 突如として、明雅の周りの地面が割れた。

 誰かが人為的に自分を攻撃してきたものだと、直感的に、否、張本人は目の前にいた。

 

 

 

「……何のつもりだ? 萃香」

 

 

 

 大きく地割れした地面を尻目に明雅は目の前で魔力と殺意をふんだんに放出するかつての友がいた。

 

 茶色の長い髪の側頭部には立派な角が対になって伸びている。

 身長は明雅よりも二寸ばかり低く、幼い体つきである。

 そんな幼い子供のような鬼が怒りを体現したかのように拳を握り、歯を食いしばっていた。

 

「何のつもり? 笑わせるなよ」

 

 普段の彼女からは放たれもしない冷めきった声。鬼の四天王が一角の怒りに触れてしまえば、そこで人生は終わると言っても過言ではない。

 

「はて、萃香に笑われるようなことはした覚えはないな」

 

 それでもなお、巫山戯た返答をする明雅に萃香は更に怒りを顕にし、魔力を漂わせた。

 

 萃香の魔力は周りにいた他の鬼たちを戦慄させた。腰が抜け、小さく悲鳴をあげている者もチラホラと見える。

 その輩を明雅は鼻で笑う。

 

「……何故……」

 

 萃香の声には何も怒りだけでは無いようだ。

 萃香は唇が震え、目を細めていかにも悲しげな表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

(なかま)を、殺したんだ──」

 

 

 

 

 

 萃香の質問は至ってシンプルだった。

 

 鬼という種族は殴り合いの喧嘩はあれど、殺し合いはご法度なのである。

 喧嘩したあとは決まってお酒を酌み交わし、まるで宴会のように盛り上がるのが今の鬼という種族のならわしでもあった。

 しかし、明雅という男はそれすら破った大罪人として、今まさに伊吹萃香に裁かれようとしていた。

 

 明雅は酌量の余地はないと考え、自ら罪を重ねようとしていた。煽るように萃香を鼻で笑う。

 

「はっ、殺して何が悪い? 自分に害を与えた奴に裁きを下すのは当然だろう?」

「……その裁きが……「殺害」だと言うのか?」

「ああ、その通りだ」

「巫山戯るなッ! 鬼とあろうものが、殺しを働くなんて……お前だってわかっているはずだ。鬼という存在である以上、一番の大罪は「生き物を殺すこと」だって……」

「もちろん知っているとも」

 

 萃香の返答に間もなく即答していく明雅。

 彼の瞳には無機質な感情が浮かび上がっている。それを悟った萃香は更なる怒りを積み上げていく。

 

「仲間を殺して、何も感じないのか?」

「どういうことだ?」

「後悔も、悲壮も、何もかもを感じないその眼はなんだ」

「そんな言い方をされると傷つくなぁ。まぁ、何も感じていないのは事実だ」

 

 瞬間、地面を思い切り蹴った萃香の硬い拳が明雅の額に、頭蓋骨を割るようなグーパンチが明雅の肌を捉える──その寸前で明雅はひらりと横に避けて躱した。

 

 勢いの余った萃香は大部屋のある建物と道を挟んで向かいにある小屋までスピードを落とさず突っ込み、その小屋そのものを破壊した。

 そして、倒壊し崩れ落ちる瓦礫が萃香を潰すかのように崩れ、完全に音がしなくなった。

 

「な、何が起こったんだい!?」

 

 大きな物音に反応して、酔っ払ってどんちゃん騒ぎしていた鬼達が慌てた様子で降りてきていた。

 その先頭になっていたのは先程まで酒をぐびぐびと呑んでいた勇儀だった。

 

 ついさっきまでの勇儀の眩しい笑顔とは対照的に心配するように顔を歪めていた。

 

「ああ、勇儀。お前からも萃香に言ってくれ」

「は、……」

 

 倒壊した小屋の瓦礫が今度は重力に逆らって明雅目掛けて飛んできていた。

 明雅はそれをまたもや躱した。

 明雅の目線の先には瓦礫に埋もれていたくせに傷一つついていない萃香がいた。

 

「おい萃香、何をしてるんだい。喧嘩するならもう少し広い場所で──」

「勇儀、こいつは……」

 

 勇儀の言葉を最後まで聞かず、萃香は遮るように口を開く。

 その威圧感に勇儀はもう一度口を開くほどの度胸はなかった。

 

「こいつは……仲間を、鬼を……殺したんだ……!」

「……は、えっ」

 

 勇儀は盃を落とす。そのままそこで呆然と立っていた。

 酒をこよなく愛する勇儀にとって、盃が命の次に大事だと言わんばかりにいつも持っていたはずなのに、今回ばかりはそれをも簡単に手放した。

 

「ま、待てよ……明雅が……仲間を……殺した?」

 

 途切れ途切れの言葉を紡ぎつつ、勇儀のひん剥くように見開いた目を明雅に向けた。

 それは何も勇儀だけに限った話ではなかった。周りにいた鬼も全員が信じられないと言わんばかりに目を丸くして明雅に視線を集めた。

 

 それを明雅は感じた途端、「ハハハハっ」と一度声を大にして笑う。

 その笑い声にここにいた全員が背筋に冷たいものを感じた。

 

「そうだったね。勇儀達にはまだ言っていなかったよ」

「お、おい……冗談だろ? お前が冗談言うなんて、そんなにお前の呑んでいた酒は毒酒だったのか?」

「いいや、酔っ払ってなんかいないさ」

 

 ここでいくら言い訳を述べても、誰も信じまい。もしかしたら、勇儀はいくらか融通が利くのではないかと思ったが、今の萃香の状況を見ても、事実としてもどちらが悪かなど一目瞭然だ。

 

 これなら、もう自分が悪者を()()()()()()()()と腹を括った。

 口端を上げ、ここにいる全員を嘲笑するように。まるで、鬼という種族を見下すように、笑った。

 

「確かに、俺は同族を殺したよ。この手でね」

「ッッ!」

 

 勇儀が静かに息を呑んだ。

 ──裏切られたような感覚があった。

 勇儀の中でまだ明雅を信じている思いがあった。

 明雅という鬼の中でも温厚で心優しく、喧嘩を好まない彼に、生き物を、ましてや同族(なかま)を殺す度量は無いと思っていた。

 

 否、それが今ここで洗いざらい打ち明けられてしまった。

 そんな絶望を更に濃く塗り付けるように、明雅は続けて口を開いた。

 

「あぁ、そういえば最後に「死にたくない」って命乞いもしていたな。全く、最後の最後まで足掻いていて欲しかったよ」

「明雅……」

 

 明雅の顔がどんどん邪悪に染まっていく。

 いつもは綺麗だと思っていた紫色で透き通っている髪が、今度はもう毒々しい残酷な色にしか見えない。

 

 これは錯覚だとそう思いたい。

 勇儀からしてみれば、明雅は萃香よりも心を許せる親友だったのだ。

 誰よりも優しく、ただお酒ともなると最後まで付き合ってくれる。

 喧嘩したいといえば、勇儀が満足するまで殴りあってくれる。まぁ、一度も明雅からやりたいとは言われたことは無いが。

 心身ともに気丈であった勇儀が唯一甘えることの出来る存在だった。

 

 勇儀からはまるで兄のように見えていた明雅が、今、誰よりも悪を堪能していた。

 

 勇儀がそんな明雅に感じていた感情は恐怖でも悲壮でもなく、

 

 ──ただ「後悔」だった。

 

 明雅が「同族殺し」という大罪を犯してしまう前に私が止めることは出来なかったのか。

 明雅が仲間を殺してしまうほど追い詰められていたのならば、どうして支えることが出来なかったのか。

 今悔やんでも遅いとは思うが、どうしても思わずにはいられなかった。

 

 そんなことを思う勇儀なんてつゆ知らず、明雅は言葉を続けていた。

 

「さあ、萃香、勇儀。鬼の四天王である君達が私を裁くといい」

「……!」

「もっとも、殺そうとするなら、俺もそれなりの抵抗をするがね。まぁ、俺の実力じゃお前達には羽虫程度なんだろうが」

「明雅……どうして殺したんだよ……」

「言っただろう勇儀。おっと、これも勇儀達には言っていなかったか。そいつはね、うーん、そうだなぁ……俺の生活を脅かそうとしていたから、かな?」

「いつもみたいに、喧嘩で終わらせれば良かっただろ! どうして、殺しなんて……」

 

 鬼という種族は、妖怪の中でも体力と魔力は頭三つ以上抜けている大妖怪なのだ。その中でも「体力」だけはどの妖怪よりも強いと言われてきた。

 つまりどんな攻撃でも浅い傷なんかは秒針が動くよりも早く再生する。

 

 そんな能力が全員に備わっていたからこそ、地上では人間に手を尽くされて、こうして地底まで追いやられたということなのだ。

 

 そこからは静かに地底で暮らしいてた。

 静かかどうかは地底にいる周りの妖怪の見解なので、明雅達には分かることはないが、少なくとも嫌がられはしなかったと思っている。

 

 そうして、酒をたくさん酌み交わしていた鬼達は順風満帆の生活をここ数百年は過ごしていた。

 少なくとも、明雅自身はそれを心の底から他の鬼と同じように楽しく感じていたと思う。

 それは一番明雅の近くにいた勇儀が自信を持って言えることだった。

 

「いいや、殴り合いなんかで終わる問題では無かったんだよ。そんな物騒な問題を解決するには、どちらかの息の根を止めるのが最善だと思った訳さ」

「……私達に、相談しようとは思わなかったのか?」

 

 萃香が苦虫を噛み潰したような歪んだ表情をしながら、恐る恐る問う。

 

 萃香も、勇儀と同じく、明雅とは大変分厚い絆で結ばれていたと思っていた。

 勇儀ほどでは無いが、よく共に盃を交わしていた。鬼の四天王とは言われるものの、まだまだ心は幼いつもりでいる萃香にとって兄弟のような、たまには妹に、たまには姉に。

 そんな関係に萃香はとてつもなく幸福感を覚えていた。

 

 酒を飲むことだけが幸せと思っていた萃香にとって、新しい幸せはまるで新世界に降り立ったかのように変わっていった。

 

 その新世界とやらが、「裏切り」として崩れ去っていった。

 

「お前らに相談? はは、笑わせないでくれよ?」

「……」

「例え相談したとして、お前らはどうやって俺に協力するつもりだった?」

「それは……」

「殺さなきゃいけないくらいの重い問題だったんだぞ。それが例え鬼の四天王様でも解決するのは不可能なんじゃないか?」

「そ、そもそも! その問題って何だよ!?」

 

 勇儀の質問は簡単だった。

 殺さなきゃいけないほどの大問題。その内容を明雅以外の鬼達は心当たりすらない。

 

 それがもし、明雅が苦しんで決めてしまった決断なら、向き合うしかない。

 だが、逆に明雅の快楽として同族を殺したのならば、それ相応の裁きを下さなければ四天王としての顔が立たない。

 

 ──頼むから、お前が望んで殺した訳では無いと言ってくれ。

 

 勇儀は心の底からそう願っていた。

 この話を丸く収め、安堵した後にまた明雅と酒を飲みたい。

 その願いはいとも容易くへし折れた。

 

「それは言えないね。ただ一つ言えるのは」

 

 更に口角を上げ、不気味な笑みを浮かべる。

 その雰囲気にここにいる誰とが恐怖したはずだ。

 

 

 

 

 

「殺す行為そのものがあんなに楽しいこととはね」

 

 

 

 

 

 ──裏切られた。

 もう今の彼は勇儀や萃香が好きだった明雅では無い。

 ただの殺人鬼ともはや何ら変わりない。

 

「……そうか」

 

 諦めたように萃香はため息をついた。

 そして、その場で胡座をかいて座る。

 

「おや? 俺に攻撃して来ないのかい?」

「みくびってもらっちゃ困るね。ここでお前を殺したら、お前と同罪じゃないか」

 

 萃香の冷めた声にももう情も何も込められていなかった。

 ただただ、明雅を突き放すように明雅を睨みつける萃香の顔はいつにもまして呆れと怒りが植え付けられていた。

 

「失望したよ、明雅。お前なら、いつかは鬼という存在を大きなものにしてくれると思っていたのに」

「萃香のご期待に添えなくて残念だよ。ただし後悔はないさ。さて、俺はどうすればいい?」

「出ていけ」

「……」

 

 萃香の即答に流石の明雅も何も言い返せなかった。

 瓢箪をひっくり返し、盃にトクトクと入れられた酒を一度大きく飲み干すと、萃香の細められた眼は明雅を捉えることは無かった。

 

「お前の居場所はもう存在しない。地上へ出ていけ。さもなくばお前は私と勇儀が無力化する」

「……ほう、追放令と言うやつか? いいだろう、ここにはもう二度と足を踏み入れないよ」

「……ああ、世話になったね」

「ちょ、ちょっと待ちな!」

 

 萃香の独断で決められた判決に未だ納得出来ていない勇儀が一歩前に出て、必死に口を開いた。

 しかし、それを遮ったのは明雅だった。

 

「もう、これ以上話すことは無いよ。勇儀、達者でな」

「おい! 待てよ!」

「みんなも、楽しかったよ。私みたいになるなよ」

 

 誰も、その声に反応することは無かった。

 明雅程温厚な鬼は居ないと思っていたのに、そんな奴が何故。と、全員がそう思っていたはずだ。

 

 明雅は歩いて地底と地上の連絡通路へと歩いていった。

 勇儀はそれを呆然と見るしか方法は無かった。

 

「……くそっ!」

 

 地面を力強く殴ったのは萃香だった。

 萃香は下唇を血が出るほど強く噛み、地面に叩きつけていた拳をさらに強く握りしめる。

 

「どうして……明雅が……」

 

 一番強く、後悔しているのは、もしかしたら萃香かもしれない。

 萃香の顔は酷く歪んでいた。

 涙こそ出るわけもなかったが、その表情からは寂寥の感情が読み取れてしまった。

 

「……萃香」

 

 しかし、いち早く行動を起こそうとしたのは、勇儀だった。

 今はただ、明雅が仲間を殺したという事実を受け止めるしか方法は無かった。

 

「……ちっ」

 

 勇儀もまた、後悔をしていた。

 未だ、まだ何か別の理由が存在しているかもしれない。そんな期待をしている自分に嫌気がさした。

 

 ──明雅は鬼を殺したんだ。

 

「いつまでも未練がましいな……私……」

 

 その日はただ明雅の背中を見て、その姿が消えるまでただ呆然としているしか無かった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「とまぁ、こんな感じかな」

「ほぅ……」

 

 明雅は天魔についさっき起こった出来事を話し終えた。

 天魔は驚愕の表情を浮かべ、目を見開いていたが、咳払いをして直ぐに表情を戻す。

 

「なるほどな。しかし、お前ともあろうものが、殺生を働くとはな」

「いやぁ、色々ストレスもあったんだよ」

「……どんな理由があったかは聞かないが、天狗(わたしたち)には手を出すなよ。手を出したら……分かってるな?」

 

 天魔の眼は殺意にまみれていた。いくら友人とはいえ、家族同然の天狗達を殺されでもしたら、流石の天魔も黙ってはいない。

 

「……はは、そんなことしないさ。今は、ね」

「……信じていいんだな、その言葉」

「もちろん。鬼という誇りに賭けてね」

 

 意味深な明雅の笑みに何が隠されているのか一瞬探ろうとした天魔だが、すぐに諦めて、執務机の椅子に腰掛けた。

 

「それで、一体なんの用なんだ?」

「おっと、本題を言っていなかったね」

「大方わかってはいるけどな」

「流石天魔様だね」

「……とっとと言え、私の予想が合ってるとも限らん」

 

 お世辞を軽々と話す明雅に苛立った天魔は冷めた目で睨みつけた。

 

「おっと悪い。この地上で住むところが欲しいんだ」

「ふむ」

「数百年ぶりなのでね。何か小屋でもいいから、空き家を貰えたりしないだろうか?」

「……あるにはあるが、本当に狭い小屋だぞ?」

「構わないさ、俺一人しか住まないからね」

 

 ただ衣食住が整えば、明雅にとっては規模など二の次三の次程どうでもいいことだ。

 

「まぁ、料理とかするのであれば、人里に買い出しにでも行くさ。今の人間は、妖怪とも友好的なんだろう?」

「紫にでも会ったか?」

「ああ、幻想郷を創造者らしいね。そうしたら、俺よりも年上かな?」

「かもしれんな。まぁいい、とりあえず、文に案内を頼むから、文が来るまで外で待っているといい」

「ありがとう、恩に着るよ」

 

 天狗は元々、鬼の支配下に置かれていた。

 支配下と言ってもほぼ対等な関係にあったのだが、妖怪の山を管理していたのは元々鬼の仕事だったのだ。

 そんな鬼が地底へ降りていった際に、妖怪の山の管理権は天狗達へと移行され、今この場で天魔がその長をやっているということなのだ。

 

 なので、今現在も鬼と天狗の関係は良好と言ってもいい、明雅は元々天魔が偉い地位に立つ前から酒を飲み交わす仲だった。

 互いに遠慮のない二人の仲は明雅にとって勇儀や萃香の次に心を許せる相手でもあるのだ。

 

「じゃあ、また別の機会に」

「ああ」

 

 そう言って、明雅は執務室の扉を開け、廊下に出た。

 一つ背伸びをして、外に向かって歩き出す。

 玄関を出る頃にはもう文は準備万端だったそうで、ニコニコと笑いながら明雅の手を引いていた。



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