属性マシマシ悪役TSっ子が頑張る話。 (働かない段ボール)
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プロローグ

にじファン時代にTSという性癖を開発されて約10年(本当は9年)、他の性癖と合体事故を起こしていざ尋常に初投稿です。


 

「私ね。この世界が好き。……好きに、なれたんだ」

 

 

 

 少女が言った。愛らしくもあり、どこか神々しさもあった。

 

「昔は、ただつまらないから、自分が楽しくなるようにすることだけ考えていて……。そんなこと、微塵も思ってなかったんだけどね」

 

 近くに倒れる傷だらけの少年にほほえみながら語りかける。少女と少年は顔立ちが似ていた。

 

「でも、あなたがいたから。私は気がついたの。あなたを、ここを、守りたいって。私は感じていたい。信じていたい。皆が生きているこの世界は、素晴らしいって」

 

「……だからって、お前が犠牲になるなんて、間違ってる!そうでもしないと生きられない、こんな世界、オレはいらない!アイリスがいないのに、オレに生きる価値なんてどこにもない!」

 

 少年が泣き叫んだ。体はとうに限界を迎え、一歩も動くことなどできない。しかし、彼は這ってでも彼女へ近づこうとする。手を伸ばす。少女はその姿を見てしゃがみこみ、膝をついた。少年の手を両手で包み込んで、困ったように笑う。

 

「もう……、泣かないで。犠牲に、だなんて気持ちじゃないよ、私。……確かに心残りはあるけどね」

 

「なら、アイリス、何で…………」

 

 少年も手を握り返そうとするが、力が入らない。するりと彼女の手は抜けていった。

 

「私しか、できないことだから。だから、ただやるだけだよ」

 

 力強い声だった。そして彼女は立ち上がり、少年に背を向けた。

 

「でも、もしあなたが私のこと大切に思ってくれてるなら、私がいなくなったあとも、あと少しだけ頑張ってくれる?」

 

 少年は這って少しだけ進んだ。だが、少女は振り返らない。彼女には届かない。

 

「きっとそれは、あなたにとって、つらい道になるよ?」

 

「なんだってやってやる!だから」

 

 いなくなる、なんて言わないでくれよ。

 

 そう言い終わる前に、

 

「そう……。なら、よかった」

 

「おい、待てよ……、いかないでくれよ」

 

 彼女の名前を呼ぼうとしても、声がかすれてしまう。

 

 背中が遠ざかる。

 

 自分の体は悲鳴をあげていて、視界も霞んでいく。

 

 でも、少しだけ一瞬こちらを振り向いていて。

 

「どうか、あなたは…………」

 

 そこから先の、彼女の最期の言葉は、オレに届かなかった。

 

 あの人は強い人だった。

 

 オレに色々なことを教えてくれた。たくさんの物をくれた。無機質な世界が色づいた。

 

 でも、オレは何も返せなかった。

 

 オレの手はどこにも届かなかった。

 

 もし、願いが叶うのなら、彼女の伝えたかった、あの言葉を―――。

 

 

 




クライマックス感があるのとか、マモレナカッタ…みたいなのも好きです。


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1.学校編
1-1


【N.C. 996】

 

 

 ある時、空から大きな隕石が落ちてきた。

 

 それにより、世界の環境は大きく変動、全人口の四分の一の死者が出る大惨事となった。

 

 が、これを境に不思議な力を使える者が現れ始める。

 不思議な力とは何か。

 これは現在『魔術』と称される技術のことである。

 ではなぜ魔術が使えるのようになったのか。それは魔力子という微小な粒子が存在するからだ。一説によると隕石と共にやってきたらしい。へー。

 

 この魔力子は人や特定の素材に含有しており、日常生活から戦闘にまで、幅広く使われている。魔術師は魔力子を扱うのにたけた者なのだ。諸君も精進するように。……などなど。

 オレは軍魔術師学校にて、教官による講義を聞いていた。今日の内容は魔術の始まりについてだった。まあ、歴史の勉強の回だったな。今回は触れられなかったが、黎明期はともかく、現在では人は誰しも魔力子を保有している。ただ使える量は個人差があり、とりわけオレは雑魚中の雑魚だ。魔術の素養があれば孤児でも入ることのできるこの学校には、少々不正を行って在籍している。

 

 争いの絶えないこの世界で、各国は魔術を使える優秀な人材を育成しようと力をいれている。他国だけでなく、怪しい邪教集団やらガチガチの犯罪者集団など危険がいっぱいな世の中では、通常の武器より強力な力を行使できる魔術師の育成は急務なのだ。ここは在学期間三年でただの軍人ではなくて、魔術を使える軍人を育てる。そのための学校なのであった。

 

 さて、不正を行って入学したものの、魔術師資質ド底辺であるオレはなるべく目立たぬように訓練生生活を送っていた。なぜそこまでしてここにいるのかというと、メリットがあるからだ。この学校を無事卒業すると国家魔術師または地方配属の魔術師として就職できるかもしれないというメリットが。

 

 オレは自分の目的のために、軍の内部に潜り込むべく、この軍魔術師学校の扉を叩いた。

 

 まだ何も持っていなかったオレにとって、多少時間はかかるが内部に入り込め、さらには食事がついてくるなんてお得だったのもある。そして、ここでは目立たないように全力で気配を消した。魔力子が少なかったり、弱い立場だったり、戦闘能力的に弱いやつに目をつけていびる者もいたので、そういった人間に存在を認知されないように頑張ったのである。成績も下の上から中の下をキープした。結果、同期のほとんどは「あれ?あんなやついたっけ」レベルでオレのことを知る者はいなかった。いなかった、はずなのだが。

 

 在校二年目のある日のこと。いつも通り目立たないように人気のない建物裏で昼食をとっていると、誰かがやってきた。集団の中でのぼっちは意外と目立つ。なるべく人前に姿を表したくない。向こうはオレに気がつかず、横を通りすぎていく。完璧に壁に溶け込んでしまったな……。しかし、通りすぎて数歩歩いたところで、

 

「うぉ!?」

 

 二度見され、気がつかれてしまった。……見覚えのある顔だ。オレはコイツを知っている。だが、こいつはオレを知らないだろう。今会うべき人間ではないため、少し焦る。

 

「な、何やってんだお前」

 

 しかも、そのまま通り過ぎてくれればいいものを、なんと話しかけてきた。無視するとかえって相手に敵対心を持たれてしまうと思い、適当にかつ丁寧に返す。

 

「今日は静かな場所でご飯を食べたいと思いまして」

 

 食事は食堂で決まった時間帯に取ると決められているが、オレのようにこっそり別の場所で食べる者も少なくない。おかしくはないはずだ。

 

 さっさとどこかにいってくれないかな。

 

 そう考えていると、思いが伝わったのか、彼はやや振り返りながらもどこかへ行った。もう二度と来ないでほしい。

 

 さて、この男はいったい何者なのか。

 

 彼はレド。オレの同期で、かつ成績優秀者である。勉学だけでなく、戦闘能力や魔術といった要素も加味してだ。つまり、めちゃくちゃ目立っているやつである。関わらないに越したことはない。

 翌日、同じ場所に人が来ないことを確認したが、念には念を入れ、別のポイントで食事をとる。人気のない場所は把握している。しかし、またレドと出くわしてしまった。なんなんだ。

 

「うわ、お前!変な女っ!」

 

 開口一番大変失礼なやつである。こちらはそちらを避けたのに、向こうがわざわざやってきたのだ。あと、好きで女になった訳じゃない。次こそはもう二度と会いませんように。

 

 そんなオレの思いをよそに、レドとは人気のない校舎裏でちょくちょく会うようになってしまった。途中からは場所を変えることを諦めた。当初オレのことを変な女扱いしていたレドも、最近は慣れてきたらしく話しかけるようになった。

 

「お前もここの訓練生だろ?何期入学なんだ?」

 

 お前と同期だよ。

 

 その言葉を飲み込み、

 

「もしかしたら訓練生ではないかもしれませんよ」

 

「そんなバカな」

 

 建物裏でしかオレの姿を目にしたことがないらしいこの男は、まさかとは思いつつも若干信じているらしかった。しかし、何者か怪しんでいても、後をつけて正体を探るといった行為をレドはせず、一年もの間、オレとこいつのよくわからない遭遇および雑談は続いたのである。

 

 そして、奇しくも三年目という最後の年。

 

 オレは少々やっかいなことに足をつっこんでしまう。

 



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1-2

厨二性癖がTS性癖をステイしていてすみません。

人生100年時代において、不治の病たる厨二病とは、半世紀以上つきあわなくちゃいけないからね仕方ないね。


【N.C. 992】

 

 ある日、気がつくとオレは女になっていた。それどころか、肉体年齢もかなり下になっていた。

 

 ここはどこなんだ。

 

 何がどうなっているんだ。

 

 少し落ち着くと、場所は見覚えのあるところだった。だが三年前に壊されて、もう見ることのできない光景だったはずだ。混乱の影響か、高熱を出したオレはうなされながら、近くにいた人間に聞いた。今はいつなのかと。

 

 回答は、八年前の年月日。

 

 どうやらオレは時間を遡ってしまったらしい。

 

 過去に戻ってしまったと思ってから、八年前に一緒にいたはずの人間のうち、一人だけいないことに気がついた。彼女のことを聞いても、誰も知らない。そもそも存在すらしていない。そういった反応だった。オレが男ではなく女だというのも生まれつきだと言われてしまう。

 

 頭がおかしくなってしまったのかと思った。

 

 もしかしたら、頭の中にある未来の出来事は全てオレの妄想なのかもしれない。彼女、アイリスのことも、何もかも。

 

 オレはアイリスのことを理解できなかった。だから、彼女と同じように何かを「守る」ことができれば、理解ができるのかもしれないと思った。

妄想か現実かはどうであれ、こちらには未来の記憶がある。それを頼りに、オレは行動を開始した。

 

 このときは、アイリスが元から存在しないことや、未来の記憶を手にいれた際にオレが高熱で倒れてしまったことで、すでに未来が変わってしまったなんて、気がつきもしなかった。

 

 

 

【N.C. 997】

 

 訓練生生活三年目。これをクリアすれば晴れて、正式に軍内部に潜入できる。最低事務とかでも構わない。そう思いながら、相変わらず目立たずに日々を過ごしていた。

 

 しかしながら、森での演習で事件は起きた。何人かに別れてチームを組み、時間制限あり、装備の補充なし、訓練用『MARGOT(マーゴット)』は所持、という条件下で目的地にたどり着く課題であった。

 

 MARGOT(マーゴット)とは、魔術をより効率的に扱えるようにするデバイスである。正式には魔力子アクティブ共鳴なんちゃら端末、らしい。

 

 魔術は魔力子によって発動する。たとえば、身体強化であったり。風を起こしたり。発火現象であったり。治癒であったり。しかし、魔力子は人間や特定の素材にのみ含有されており、距離が離れると拡散してしまう。もし何もなしに炎で攻撃したいとすれば、手から直接火が出てしまうだろう。そのとき、身体強化や治癒などの魔術も使わなければ肉体にダメージがいって危険だ。そこで、魔力子を拡散させない素材を用いたデバイスのMARGOT(マーゴット)を用いて、魔術師は様々な魔術を使うのだ。

 

 訓練用のMARGOT(マーゴット)は剣型や槍型、盾型のみであるが、正式な魔術師になれば、もっと色々なバリエーションがある。魔術はからっきしなので、今回無難に盾型をチョイスした。守ってよし、殴ってよしである。

 

 話を演習に戻そう。演習のチームは自分と近い成績の者と組む。したがって、決して底辺ではないものの、中の下から下の上を行き来する者同士で俺もチームを組まれた。そのため、誰だっけ、みたいな扱いも受けつつ、演習は淡々と進んだ。チームごとに求められている課題のレベルは違うので、成績上位者ならもっとハードなものであっただろうが、こちらは中の下から下の上。演習の内容も、罠を解除したり、地図を書きながら回収すべき地形情報を手に入れたりと順調であった。

 

 そんな中、もう少しで目的地に到着だという段階で、前衛の者が指を指し、声をあげた。

 

「な、なんなんだ?あれ」

 

 皆が足を止め、その方向をみる。そこにいたのは、通常の人間よりも二倍近く大きい人影であった。それはゆっくりと動き、こちらを振り向く。

 

「ひっ!」

 

 ……信じられない。

 

 そこには現時点ではいるはずのない、化物がいたのだ。ヤツの体は筋肉や全身に満ち溢れる魔力子が、圧倒的なまでの暴力性を表している。人体のあちこちをいじり回して戦闘に特化させた代わりに、人格を失った改造人間『ネフィリム』だ。未来では厄介だったことを覚えている。現役の魔術師や軍人なら平気だが、学生相手ではミンチになるだけだ。

 

 とにかく、ここは逃げの一手だろう。周りも本能的に危機を察知したのか、一目散に逃げ出す。しかし、不思議とネフィリムは追いかけてこない。ちらっと振り返ると、どうやら別の学生チームをターゲットに襲っているようである。

 

 オレは立ち止まってしまった。当然チームメンバーとはぐれてしまう。

 

 自分の知っている未来では、今この時点でネフィリムが襲撃して、誰かが死んだなんて話はなかった。つまり、ここが変わってしまうとまた自分の知らない未来になるかもしれない。それにこのネフィリムの素体はいったい誰なんだ。そう思うと、未来とはいえネフィリムと戦闘経験のある自分は、引き返して加勢した方がいいのではないか。しばしの葛藤の末、オレは足を引き返した。

 

 全力ダッシュで引き返して最初に目に入ったのは、まさに今ネフェリムに殴られようとしている学生の姿だった。盾で防御しようとしているが、訓練用だ。奴の攻撃力を考えるとそのまま盾ごと潰される可能性が高い。

 

 ちょうど進行方向延長線上がネフィリムの側面である。よって、勢いのまま、ドロップキックをぶちかました。ネフィリムの体が横に傾く。拳はそれて地面にあたり、体勢は前のめりに崩れた。着地をしたあと、盾のもっとも鋭いところを、ネフィリムの首めがけて振り下ろす。一度では完全に断ち切れないので何度も何度も。

 

 一度目の攻撃では仕留めきれずに多少うごめいたが、完全に不意打ちだったこともあり、こちらは無傷でネフィリムの首を落とすことができた。種類によっては頭を完全に潰さないといつまでも死なないものもあるため、さらに頭を盾でぐちゃぐちゃにしていく。

 

 もうこれくらいでいいだろうと、手を止めて周りを見渡すと、完全にドン引きしている学生たちの姿が目に写った。

 

「あ」

 

 特に、助けに入った者は至近距離で俺が無言で殴る様を見ていたためか、

 

「ひぃ!!!」

 

 目が合うと悲鳴をあげた。

 

 ……目撃者全員殺しておいた方がいいかと一瞬悩んだものの、この場にいる学生は未来で国家魔術師として見かけたことがある気がする。というかバリバリ戦ったことがある気がする。

 

「おま、お前!校舎裏の幽霊!」

 

「誰が幽霊だ」

 

 しかもレドもいた。

 

 ……未来をどうのとかいう頭脳プレイは、俺には向いていないのかもしれない。




これ実質、少女漫画で見る「あんた!今朝曲がり角でぶつかってきた!?」って転校してきた主人公が難癖付ける古典的なシチュエーションと同じでは?


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1-3

タイムリープものなのに、今がいつかわかりにくいと思いましたので、各話の頭に紀年を加える修正を行いました。

また、作中の使用言語についてなのですが、特に細かくは考えていません。そのため、一人称が何種類あるかは定義してません。主人公の『俺』という一人称について、周りは「こいつやけに荒々しい言葉遣いだな」くらいの認識です。

何が言いたいかというと、一人称が異常に存在する日本語が悪い。


【N.C. 997】

 

 演習中に現れたネフィリムは、どうやらオレが倒した一体のみのようだった。駆けつけてきた教官たちにオレは即刻回収され、色々と聞き取りをされた。さすがに倒したのが自分であることは誤魔化せなかったものの、不意打ちかつ無我夢中であることを強調した。教官たちもネフィリムをみたのは初めてで、そもそもこれが元は人間であることすらわかっていないようだった。ひとまずこの化物のことは黙っているようにと固く口止めをされ、オレも殺人などの罪に問われることなくその日は終わった。

 

 翌日は体調不良を理由に訓練を休んだ。教官らもあんなことがあったあとだ、と許してくれた。どうか目撃者諸君はこの休みの間に俺のことを忘れてほしい。しかしそうもうまくいかず、翌々日。

 

「げっ」

「よぉ。お前、同期だったんだ。全く気がつかなかったぞ」

 

 いつもより慎重に選んだはずの昼食ポイントに、もはやストーカーといっても過言ではないこの男、レドが現れたのである。

 

「今日、初めてお前が講義室にいるところみたよ」

「オレはあんまり目立たないからな」

「そのわりには何人にかチラチラ見られたみたいだけど?」

「うるせー」

 

 悲しくも、目撃者の中でオレのことを忘れてくれた人はいないようだった。彼らにしてみれば、全く知らないやつが突然横から現れたと思ったら、化物の首を落としてぐちゃぐちゃにした女で、しかもそいつは同期であった、という出来事だ。ぐちゃぐちゃにしたのは不味かったかもしれない。いっぱい血が出ちゃったし。完全にドン引きしている目でチラチラと俺の様子をうかがってきた。ここまで二年以上にわたり目立たぬよう生きてきたのがおじゃんである。ただ、教官の口止めが聞いているのか、それ以外の学生らは何も知らないようだった。

 

「なあ、お前あれだけとっさに動けるんだったら、結構強いんだろ?得意魔術は?」

「オレは魔力子がヘボいから、魔術なんてからっきしだ。それにあのときは不意打ちだったから、たまたまうまくいっただけだ」

「たまたまで正体不明の敵の首を落とすやつがどこにいるか」

そっち?確かに常識的に考えるとそうなのか……?でも見た目十五歳ほどの少女がそういう行動にでちゃまずいのか……?

 

 ついポカーンとした顔をして、レドの顔をみてしまった。すると、「いや、そんな顔でみられても……」と困惑された。

 

 じゃあどうすればいいんだよ。

 

 さらに数日後。特定の人間にチラチラ見られるものの、訓練生生活は今のところいつも通りに過ごせている。しかしオレの穏やかな昼食時間が消え去り幾星霜、厄介事(レド)はさらに厄介事を運んできた。

 

「あの、アコさん、ですよね……?」

 

 何かと思えば、演習の時ネフィリムに殴られかけていた女の子であった。レドは彼女の後ろで手を振っている。連れてきたのはお前か。嫌いだ。

彼女、リーンは少しもじもじとしたあと、

 

「私、教官から聞きました。あの化物にもしそのままなぐられてたら、死んじゃってたかもって……。だから、助けてくれてありがとうございます!」

 

……正直そう言われて嬉しくない訳ではない。リーンは可愛いし。現在は女であるが、男だった記憶もある。ちょっと背中がむず痒い。

 

「別に、そんな」

 

 そのとき、ハッとした。そういえば、ネフィリムだ。サクッと処理してしまったが、あれはどこからきたんだろうか。殴る威力がわかったということは教官たちも、肉体を回収してある程度調べたということである。おそらく、人間が素体であることも。

 

 一体誰がなってしまったのだろうか。『前回』の知り合いだろうか。

 

 ……そうではないことを祈りたい。

 

 急に黙りこんだオレをみて、気を悪くさせたと勘違いしたのか、リーンは、

 

「……あの、お礼を言うのが遅くなったのは本当にごめんなさい」

 

 と謝ってくる。

 

「いや、そうじゃなくて。あの化物はどっから来たのかとか思っただけだから。その、気にしないでほしい」

「なんか俺と話すときと対応が違わない?」

 

そりゃ女の子だし。

 

 でも、リーンって未来では先陣切って盾型MARGOT(マーゴット)を振り回してくる、怖い国家魔術師になるんだよな。どこがどうなったら、こんな優しそうな子があんなバイオレンス魔術師になるんだろう。「こんな小さな子が戦わせられてるなんて……」とか言ってたこともあったし、素は変わらないのだろうか。聞いたときは、お前と五歳くらいしか違わないだろうと思ったが。……いや、オレと会うたびになんか息が荒かったし、やっぱり怖かった。

 

 ちなみにレドのMARGOT(マーゴット)は剣型だった。コイツも炎を纏わせてぶった切ってきて、戦って生きた心地がしなかった。やっぱり嫌いだ。

オレの言葉を聞いて、ホッとした顔になったリーンは言う。

 

「あと一年もないですけど、これからよろしくお願いしますね!」

「え、あ……」

 

 よろしくお願いできないと思う。

 

 彼女はレドと同じチームを組んでいる、すなわち成績上位者だ。しかもかわいい。目立たないわけないのだ。そうすると彼女からは距離をとるのが正解である。正解なのだが……。

 

 

 

「アコさんアコさんおはようございます!」

「お、おはよう」

 

 

 

「アコさんは今日どちらで昼食を?一緒に食べませんか?」

「え」

 

 

 

「あ!アコさん!これからお帰りですか?」

「いや、あの」

 

 

 

「ここにいたんですね、アコさん!」

「 」

 

 

 

「アコさん!」

 

 

 

「アコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさんアコさん」

 

 

 

「うあああああああああぁぁぁぁあっ!なんなんだあいつは!」

「俺もリーンのポテンシャルを見くびってたわ」

 

 リーンと話してから、なぜかオレは彼女からの深刻なストーカー被害を受けていた。朝のおはようから夕方のさようならまでリーンは現れる。さすがに家まではついてこないけど。

 

 家についてだが、軍魔術師学校は少しながらお金が貰えるため、最初の二年は学校側が提供する寮に住みながらコツコツお金を貯めていた。良家出身の奴なんかはもっぱら自分の屋敷から通い、貧民は寮に、というわけだ。オレは貯めたお金で、今年から町の方に家を借りているので、今のところはリーンに自宅を特定されてはいないはずだ。

 

 今日はなんとか彼女を撒き、人気のないポイントでもさらに穴場のところで、安らぎの昼食タイムである。なぜかレドはいる。そうだった、コイツは無駄に勘が良かった。

 

「まあ、女同士仲良くすればいいんじゃないの?」

「……女同士って皆ああなのか?」

 

 だとしたら世の中の女性は皆ストーカーなのか……?

 

「……あれはちょっと異常かも」

「そうなのか、よかった。本当によかったっ」

 

 どうせオレなんて長くは生きないけれども、その間にもああいったことを万が一でも強要されるのは勘弁してほしい。

 

「そういえばお前、教官から聞いた?あの化物の話」

「は?」

 

 どうやらネフィリムのことについて、情報が開示され始めたようだ。オレ自身も空いた時間を使って調べているが……。どういうことだ、と聞こうとしたその時。

 

「アコさーん、どこですかー?」

「ひぃっ」

 

 遠くからリーンの声がした。すぐさま近くにあったゴミ箱の中に入る。この場所のゴミ箱は人がほとんどいないためか、ゴミは入っていないので隠れることができるのだ。

 

「おい!オレのことはここにいないって言っておいてくれっ」

「はあ?ちょ、隠れるの速っ」

 

 しばらくすると、コツコツと足音がして、

 

「あれ、レドくん。私、アコさん探してるんですけど知りませんか?」

 ……リーンだ。

 

「俺は今日見てないよ」

「……本当ですか?」

 

 レドの白々しい回答にリーンの声色が少し低くなる。怖い。しかし、それに臆せずレドは、

 

「本当だって。しかしリーン、あいつのことずいぶん気に入ってるんだなあ」

「え!?気に入ってるというか……。かわいいなって」

 

 えへへへ、という笑い声のあと、リーンは続けた。

 

「なんとなくですけど、小さな男の子みたいなかわいさがあるんですよね。ついつい気になっちゃって」

 

 めちゃくちゃ早口だった。

 

「そ、そうか」

「じゃあ、私行きますね。アコさんにあったら、私が探してたって言っておいてください!」

 

 そう言ってリーンは去っていった。

 

 しばらくののち。

 

「……行ったぞ」

「すまん」

 

 オレはのそのそとゴミ箱から出てくる。

 

「…………正直リーンに会わせたことはすまないと思ってる」

「よくわかってんじゃねぇか」

 

 まあ、あの様子だと遅かれ早かれ接触はあっただろうが。それはともかく。……残り一年に満たない訓練生生活を無事終えることはできるだろうか。

 




主人公の年齢に関して突っ込みどころがあるかもしれませんが、一応考えているので生暖かく見守っていただければと思います。

ところで、女性との人間関係構築の勝手がわからず困惑するTS娘は好きです。


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1-4

【N.C. 997】

 

 オレは教官から呼び出された。

 

「気がついていると思うが先日の演習の件だ。今後正式に発表があるが、先に当事者には伝えておこうと思ってな」

「はい」

「演習中に現れ、君が倒してくれた化物。あれは『アプシントス』の手の者だということがわかった」

 

 アプシントス。

 

 いくつか存在するテロリスト集団の中でも、特に力を持っているところだ。人が魔術を使えるようになった境の出来事である、隕石落下。この隕石の名前を学者は『アプシントス』と名付けた。それを自分達のグループ名として掲げ、あちこちでテロ行為を起こしている犯罪者集団だ。実のところ、ただ犯罪者集団どころではなく、人類はあの隕石で滅ぶべきであったと主張して、今からでも滅ぼそうと企んでいる、とんでもないグループであるのだが。

 

 教官いわく、未来ある学生を手にかけることで、国に対する揺さぶりを狙っていたらしい。

 

 呼び出しのあと、オレは『前回の世界』での出来事を考えていた。確かに『前回』でもアプシントスは暴れまわっていた。だが現段階では、アプシントスにネフィリムはいなかったはず……。

 

 しかし、俺はこの集団について、あまり情報を持っていない。なぜなら俺は前回の世界で、アプシントスと敵対する犯罪者集団に所属していたためだ。

 

 その名も『アバドーン』。

 

 なぜ俺がそこにいたのかはともかく、アプシントスと並んで力を持っており、人間は魔力子という力を主に還して滅ぶべきだという、これまた危ないグループである。

 

 アバドーン、アプシントスは、どちらも己が神の使いであると言って引かず、非常に仲が悪い。ただし、どちらも人類滅亡を掲げているので迷惑きわまりない。

 

 オレがわかっていることは、こいつらのいう『主』という存在が、理由は知らないが、【N.C. 1000】に世界中の魔力子を人間から取り上げて殺そうとしていることだけである。そして、アバドーン・アプシントスの双方が『主』とやらを支援しており、対抗しようとするこの国の軍と衝突するのだ。

 

 軍内部にはアバドーンの内通者がいる。『前回の世界』でそれが誰かを突き止めることはできなかった。しかし、その内通者のせいで、多大な犠牲が出てしまった。さらにはアプシントスによって、自らを『天使』と名乗る4体の化け物が呼び出されてしまい、戦況が悪化する。

 

もしもアバドーンやアプシントスを早く潰せていたら。

 

もしも軍の内通者がわかっていたら。

 

もしも『天使』が現れなければ。

 

アイリスは―――。

 

 ともかく、オレには情報も使えるコネも時間も何もかも足りない。すでにアバドーンの下位団体には潜入できているものの、学校外での時間でやれることにも限度があるし、未来が知っている通りになっているとも限らない。だから、要所要所を確実に潰す。

 

 そうすることでしか、アイリスには近づけないのだ。

 

 

 

「アコさん!一緒に講義を受けましょう!」

 

 三年になると座学は少なくなってくるが、ゼロというわけではない。講義室は自由席なので、俺は端の方で地味に座っていた。……地味に座っていたのだが、リーンに元気よく話しかけられたことで、せっかく消していた気配が露になってしまった。周りの人間からひそひそと、最近リーンに話しかけられてるアイツは誰だとか、確かアコとかいうたいしたことないやつだとか、噂話が聞こえてくる。

 

「いいよとか言わなくても、すでに隣に座ってんじゃねーか……」

「えへへ」

 

 皆席を一つ開けて座っているのに、この女はピッタリ隣に座ってくる。なんか近い気がする。しかもリーンが来ると、他のやつらも来るのだ。

 

「リーン、君ってやつは……。そちらのアコさんとやらが困ってますよ」

 

 槍型MARGOT(マーゴット)を用いた中近接戦を行い、参謀としての能力も発揮する、ブレウ。

 

「今日もネロはサボりだな。レド、ネロがどこ行ったか知ってるかい?」

 

治癒魔術を得意とし、弓での援護も可能である、ヴァイス。

 

「見てないなあ」

 

 そして、リーダー格の大剣使いのレド。こいつらに加えて、ネロという自由人な大鎌死神女の計五人が同期の中でも特に成績が上位であり、後に国家魔術師第一課期待の新人として活躍することになる。今はまだ学生だが、本当に物騒で目立つ五人である。このうち、演習中ネフィリムを倒したのを目撃したのはリーンとレドだ。他の目撃者は成績上位者ながら彼らほどではない人物である。

 

 リーンに加え、ブレウたちもちゃっかり近くに座った。レドなんかは一瞬こちらを見て、ニヤリと笑ってくる。

隣に座ったリーンはこちらの様子をうかがいながら、おずおずと聞いてきた。

 

「アコさん、私が近くにいると困りますか……?」

 

 リーンに関しては困るっていうか怖いんだけど。

 

 なるべくトラブルを起こさず、距離を取らなければ。

 

「ええと」

「私、アコさんとお友達になれたら嬉しいなって」

「友達?」

「はい」

 

『いい、アコラス?私と一緒ばかりじゃなくて、他に……うーん、そうね、友達くらい作りなさい』

 

 遠い昔に言われた言葉がフラッシュバックする。

 

 友達。

 

 言葉の概念としては知っているが……。

 

「友達作ったことないからよくわからない」

「じゃあ!私が初めてのお友達ということで!」

「はあ」

 

 ハッ。いかんいかん、流されてしまった。何とか訂正しようにも講義が始まってしまって私語は許されず、リーンのお友達発言修正はかなわなかった。

 

 しかし、講義後。そさくさと人に見つからぬよう学舎内を移動していた俺に声をかけてきた者がいた。

 

「おーい」

 

 あの演習時を除いては、今まで人気のない場所で昼食を取っているときにしか話したことのなかったレドであった。

 

「なんだよ」

「いや……、お前って、人と喋ってても全然違うこと考えてるよな。全くこっちのこと見てないっていうか」

「何言ってんだお前」

 

 レドはひとしきり悩んだ後、

 

「そうだな。もうちょっと、周りをちゃんと見たほうがいいと思うよ」

 

 そう一方的に言って去って行った。

 

「なんだったんだ、あいつ?」

 

 世の中わからないことだらけだ。

 




登場人物や設定が増えてきたのでまとめ

・アコ(アコラス)…主人公。少年期からの逆行のため、圧倒的に人生経験不足なシスコンボーイガール。この先生き残れるのか。

・レド…勘がいい。アコ発見機と化した以外今ところ特に何もない。

・リーン…アコの中の少年成分を敏感に感じ取ったショタコン。レズではない。ショタコン。

・ブレウ、ヴァイス、ネロ…新しく出てきた人たち。これからぼちぼちでてくる。

・アバドーン、アプシントス(団体)…頭のおかしいテロリスト集団×2。俺たちこそが神の使い!主は人間嫌ってるからみんな死んじゃえYO!と主張して暴れまくるので迷惑。アバドーンは魔術なんて使うな!その力神に返しなさい753な人たちで、アプシントスは隕石で地上はちゃんと浄化されるべきやったんや…な人たちで若干違うけど大体同じ。

・ネフェリム…人間性なんていらねぇ!人道なんて知らねえ!がコンセプトの改造人間。嬉しくない先行登場。

・アプシントス(隕石)…ある日降ってきてたくさん生物が死んだ。これを境に人間や特定の素材に魔力子と呼ばれる不思議な物が宿るようになって、人間は魔術を使えるようになった。これから約千年後が物語の舞台。

・魔力子…今は人間みんな大なり小なり持ってるはずの不思議なエネルギー。エネルギーなのか物質なのかはっきりしてほしい。保有元から離れると拡散してしまう性質がある。

・魔術…魔力子を元に色々な現象が起こせる。魔術は魔力子の特性から人体付近でしか発動しないので、魔術師は基本的にみんな近接戦闘。

MARGOT(マーゴット)…体表面で魔術が発動したら危ない時もあるので、それを防ぐためのデバイス。魔力子を含有できる材料を用いて出来ている。そこそこ高価。剣や盾など様々な種類がある。


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1-5

【N.C. 997】

 

 昼食タイムにレド、時々リーンが混じる。だが、たまには一人になりたいので、人気のない場所を探して旅に出る。旅に出なかった日、レドは突然とんでもないことを言い出した。

 

「今度の演習、タイマンの戦闘だろ。一緒にやろうぜ」

「何言ってんだお前。……そういう組合せって教官が決めてるじゃねーか」

「ほら、その辺は俺が教官に頼んでみるから平気平気」

「お前が平気でもオレは平気じゃねぇよ」

 

 まず、オレの目的を鑑みるに人に注目されるのはよろしくない。そして、未来での苦い思い出を思い出すから嫌だ。……とはいえ、オレとレドでは評価に天と地ほどの差がある。教官も許可しないだろう。

 

 

 

「案外あっさり許可出たなー」

「なんで……」

 

 レドが教官に頼むと特に問題なく許可がおりた。「おう、いいぞ」という大変軽い返事であった。

 

 もはや仮病でも使って休む他あるまい、と思ったが、コイツはしつこかった。たぶん、対戦が叶うまで何度でもチャレンジするだろう。もしそのたびに欠席していたら、オレは卒業できなくなってしまう。諦めて、一回だけだぞと念押ししたのであった。

 

 広い屋外演習場で、皆が二人組を作り、簡単な試合をやっている。オレたちも空いているスペースで、MARGOT片手に向き合った。

周りがこちらを見ているのを感じる。

 

 最近の同期間でのオレの扱いは、「知らない、見覚えのないやつ」から「よくわからないやつ」にシフトチェンジした。それにこのあいだ、講義外で見たことがない、だとか、実は集団幻覚、だとかいう噂も耳にした。もうそれでいいよ。

 

「ちっ、剣かよ、てめえ」

「まあ、これが一番しっくり来るし。そう言うお前は盾だな。……首は落とさないでくれよ?」

 

 レドは剣型装備であった。こちらは相変わらずの盾型である。本当はこん棒とかの方が使いやすいので、あればそちらの方がいいのだが。今日は魔術ありきの戦闘訓練だ。仕方がない。適当に負けよう。

 

「全力でやらないとリーンをお前と会うたび召喚する」

 

 本気で負けよう。

 

 

 

「準備いいかー?」

「ああ」

 

 レドがのんきに聞きつつも、剣を構える。オレもまた、盾を持って相手の動きに備える。今回は使用魔術を身体・武器強化に限定した演習だ。だから、教官たちもオレとレドの対戦を許可したのだろう。

 

 魔術師同士の戦いにおいて、魔力子の拡散性から魔術の威力を最大限発揮するには、近接戦闘は基本だ。それにより武器も中・短距離用がほとんどなのである。弓型や銃型はよほど狙撃に自信があり、打ち出した特殊素材の矢や弾丸を往復コントロールして回収できなければ、使う者はなかなかいない。未来ではいたが。

 

「いくぞ!」

 

 その声とともにレドが動いた。一気に接近して剣を上から下へ振り下ろす。

 

 開始早々飛び込み袈裟切りかよ!

 

「おっと、防御された」

「しなかったら肩バッサリだろうが」

「ほら、一応訓練用だし」

 

 オレはとっさに盾で防ぐ。上から押さえつけられる形で、体勢的にはこちらが不利だ。いいぞ。

 

「いや待って待って想像以上に力が強い」

 

 レドが何やら言っているが、そっちは身体強化の魔術を使っているので頑張ってほしい。

 

 このまま拮抗していてもしかたがないので、一瞬力を抜いて体勢を崩そうかと思いきやレドも距離をとる。間合いが短いのが嫌なので、盾を中央より上部の持ち手から縁の方で持ち直した。そして、再びじりじりと詰め、互いに一足一刀の間合いとなる。今度はこちらから機を見て、横殴りする。

 

「盾はフリスビーじゃないと思う」

「投げてないから盾だっつーの」

「お前意外と屁理屈言うよな」

 

 盾はかわされてしまった。おそらく魔術で剣も強化しているとは思うが、流石に訓練用では受けないか。

 

 攻撃を繰り出した直後のオレは、盾を地面と水平に持ってしまっているため、攻撃の当たる面が広い。レドは上半身を狙ってきた。盾を手離して、斜めに蹴りあげることで、なんとか止める。そのまま持ち手を持って、レドめがけて全力で盾を振り下した。『前回』の世界の恨みも若干込めた。

幸か不幸か、レドがちゃんとよけてくれたのでそのまま地面へあたり、盾はバキッと音をたて、衝撃が俺の腕へ伝わる。やったぜ。

 

 その隙をレドは見逃すはずもなく、俺の眉間に剣先をつける。

「お前の勝ちだ」

 

 オレがそういうと、レドは剣をおろして、

 

「なーんか納得いかないなあ」

 

 と不満そうに言う。オレは全力でやったぞ。嘘はついていない。

 

「めんどくさいやつ」

 

 全腕力でやったし。

 

 オレの様子から嘘はついていないと判断したのか、視線をそらした。

 

「最後、お前の盾から変な音しなかった?」

「…………」

 

 そっと、盾の方を見る。盾の振り下ろした軌跡は曲線だった。そのまま地面に当たったあともである。その結果、変な方向に力が加わってしまい………。

 

 ふと気がつくと周りも見ている。

 

「……壊れてない?」

「……もともと調子が悪かったんだよ、たぶん」

 

 こちらに来る教官の背中から怒りの波動が見えた。……魔力子を保有できる特殊な素材でできたMARGOTは、訓練用でもそれなりに高価なのだ。

 

 

 

 強化魔術前提が当たり前の演習ではあったが、まさかの盾型MARGOT破壊という失態を犯してしまったオレはとても怒られた。大人に怒られたのは初めての経験である。

 

 ついでにレドも怒られていた。ざまぁみろ。

 

 罰として、オレとレドは演習場の草むしりを命じられた。夜を徹しての作業である。

 

「うわっ!ここ見てみろよ。盾ぶち当たったところだ。めちゃくちゃ穴深い」

 

 オレが淡々と単純作業をこなすなか、レドは草をむしりつつも、演習場の地面に落ちる小石を集めたり、むしった草を結んでみたりと遊んでいた。

 

「明日までにきれいにしなきゃいけないんだから働け」

「働いてるぞ。ほら、お前よりたくさんむしってる」

「うぐっ……」

 

 なんと真面目にやっているオレよりもたくさんの草が、やつの手によってむしられていた。

 

「まあ大体やったしもういいだろー。初等学校の罰でもこういうのやったっけ。お前どうだった?」

「知らねぇよ、そんなこと」

 

 気がつくとレドは演習場の地面の隅に寝転がっている。……真面目にやるのが馬鹿らしくなってきた。

 

 むしった草を両手に持てるだけ持って、レドに近づく。

 

「おいこら、人様に向かって草投げるな」

「うるせー」

 

 ムカついたので口の中にでも入ってしまえ。

 

 レドもこちらに遊んで丸めた草を投げてきた。そして、ひとしきり投げ合ったあと。

 

「なにやってんだろうな……」

「さあな……」

 

 レドは地面に座り込み、空を見上げた。オレもなんとなく座り込む。あ、アリ発見。

 

「昔落ちてきた隕石って、この星空のどこかにいたのかねー」

 

 そもそもそんなもの、落ちてこなきゃよかったのに。

 

「……俺さ、今日の演習で思ったんだけど」

「なんだよ」

「実戦だったらどうなってたんだろう。もし、お前みたいな馬鹿力が相手で、強化以外の魔術も使用されてたら、とか」

「……」

「俺ってそこそこ優秀だから、たぶん卒業したらこのまま第一課だろう?そのとき、この前の化物みたいなのと戦ったら、どうなるんだろうって」

 

 国家魔術師第一課。国家魔術師の全部署の中で、事件や戦闘などに直接対峙する課だ。今後ネフィリムが出てくれば、それの対処もしなければならない。それにこの前の個体や俺のように物理攻撃だけ、なんて優しいものではなくなる。ほかにもアバドーンやアプシントスの、人間とも大規模な戦闘になるだろう。

 

 でも。

 

「お前なら、なんとかなるよ」

 

 くっっっっっっっっっっっっっっそ、めんどうだったし。

 

 だいたいなぜか行く先行き先現れてコイツら途中まで本当に邪魔だったし一応オレは十二歳くらいだったのに容赦なく切りかかってくるしいやそれは正しいんだけどリーンは鼻息荒いしブレウはいやみったらしいしヴァイスは治癒担当なのに弓で狙撃してくるしネロは予測不可能な行動取るしオレは魔力子ないのにレドは至近距離で炎ぶっぱしてきたし最終的に強化個体も幹部も普通に倒してたし頭おかしい。アイリス助けてくれたことなかったら許さなかったぞお前ら。

 

 そう思って小石をいじっていると視線を感じた。

 

「……何が言いたい」

 

レドが胡散臭そうな目でこちらを見ている。

 

「名状し難い」

「はぁ?」

 

 こうして夜は更けていく。

 




人よりもちょっぴり頑丈で力強い女、アコ。


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1-6

【N.C. 997】

 

 三年目から住んでいる家は、良く言えば簡素、悪く言えばぼろい、そういう部屋であった。大家もかなり歳を取っており、借りるときに契約は大丈夫なのか不安に思ったが、悪くない。

 

 明日は久しぶりの休日だ。先日は草むしりなどで大変だったが、ようやくまとまった時間がとれる。そう考えていると同じ屋根の下に暮らすモノが言った。

 

「もう少しで卒業試験である、総合訓練評価演習だ。気合を入れていくのだぞ。それからアコラス、耳寄りな情報を入手した」

「もったいぶらず早く言え」

「アバドーンが明日か明後日研究施設を襲撃するらしい」

「どのへん」

「それが結構ここから距離的に近い。対応できそうだから伝えた次第である」

「ふーん」

「それから、アコラス。余は少々、いや大変不満に思っていることがあるのだ」

 

 そいつはやたらと偉そうな口ぶりであった。

 

「このところの食事が粗雑である。余は魚を所望する」

 

 そして、ニャーと鳴いたのであった。

 

 

 

「やめろっ、やめないか!余を水の中へ叩き落そうなど!」

 

 あらかじめ周囲に人がいないことを確認して、小さな声で虐待だーと騒ぐ猫を洗う。この猫は喋り、しかも魔術を使うことのできる大変珍しい猫だ。拾ったときはそのウザさからも即食料にしてやろうかと考えたが、使い道があるのでこうして同居している。

 

「目に水が!」

「あ、ごめん」

 

 本人、いや本猫いわく、良くわからないが、並列処理という特殊な魔術を使えるので人間に劣らぬ知能を手に入れたらしい。また人語を話せる件については、頑張ったらしい。頑張ってどうにかなる話なのだろうか。

 

 魔術師育成のための軍魔術師学校に入学できたのはコイツの力が大きい。背負った状態で入学検査を受けた。よもや猫が喋るとは誰も思わない。

それに魔力子を測定する装置は、高価かつ壊れやすいうえに測定値の正確性もそこまで高くはない。こういった検査のときにくらいしか、仕舞っているところからお出しされないので、オレはのうのうと学校に通えているわけだ。

 

 大体洗ったので一旦解放する。すると猫は少し距離を取って全身を震わせ水を飛ばした。ある程度水気がなくなったところでこっちに戻ってきたので、持ってきた布でごしごしと拭く。

 

 猫の首根っこをつかんでそのまま家へ戻ると、猫はシュタッと飛び降りて即行自分のねぐらへ入っていった。

 

「あとは美味しい食べ物があればよい」

「贅沢言うんじゃない」

 

 

 

 さらに時は過ぎ、ついに総合訓練評価演習の時期がやってきた。毎年同じ頃にやっているので様子は知っていたが……。

 

「いつもよりも教官たち、ピリピリしてない?」

「ほら、この間発表された化物騒動に加えて、近くでヤバい殺人事件があったんだってよ。それで結構警戒してるみたいだ」

「事件?それって、違法な研究施設から、身元も正確な人数もわからない状態の死体が見つかったっていう」

「軍が踏み込んだときは生きてる人間は誰もいなかっ…………うわっ」

 

 オレが近くにいたのに気がついた同期たちがズサッと飛び退いた。

 

 盾型MARGOTを破壊してしまったことで、晴れて集団幻覚説はなくなった。その代わり、気配を消すのに長けた怪力ゴリラというあだ名を、裏でつけられたのをこの間知った。ゴリラってなんだよ。

 

 昔はあれだけ訓練でひっそりグループを組んでいた、成績中の下から下の上群には完全に遠巻きにされた。それを見かねた教官に君は誰とでも組んでいいよ、と言われたりもした。リーンが飛びかかってきた。

 

 総合訓練評価演習は一人一人を見ることから何日間にかけて行われている。時間差で一人ずつ森に入れられていって、いくつかのポイントを寄り、最終目的地まで行くのだ。試験を受ける順番は知らされておらず、呼ばれた者から順次開始する。順番の早い者は既に試験を終えているし、初日なんぞは準備した状態で一日中待ちぼうけをくらった。

 

「次、アコ訓練生」

 

 だが、ついにオレの番が来た。あれ以来、盾型ではなく、剣型をチョイスしている。

 

 色々な装備品を背負い、いざ出陣。

 

 

 

 森の中には罠や試験官が潜んでいるらしい。森の中にあるポイントは、人によってよらなければいけないところは違う。それぞれ派手な色のゼッケンを渡されるので、その色に応じたポイントを探していく。オレの場合は紫色だ。対応ポイント三ヶ所に寄り、あらかじめ渡された地図に載っている最終目的地に到着すれば試験終了だ。先行した他の訓練生とも会うかもしれないが、協力してはいけないとは言われていない。そのあたりも考えて行動しろとのことだ。

 

 この試験の結果で国家魔術師になれるかどうか、なれた場合にどこに配属できるのかが決まる。試験官も現場の人間が動員されているらしい。金がかかってんな。

 

 周囲を警戒しつつ歩いていくと、早速ポイントを見つけた。しかし、色は黄色。違った。

 

 ある程度ポイントがどこか目星をつけたいと思うが……。

 

 またしばらく移動していると、わずかだが人が草を踏んで歩く音がした。近くに罠があるのに気をつけつつ、隠れて様子をうかがう。その人間は黄色のゼッケンを身に付けていた。

 

 他の訓練生のようだ。

 

 気配を消す必要もないので隠れるのをやめて普通に突っ立ってみる。すると、向こうは気がついたようで近づいてきた。そいつは同じく装備品を背負い、槍を手にしていた。

 

 ブレウである。

 

 今回の世界ではほとんど会話した記憶がないが、オレにビビらない数少ない同期なのでここで会えたのは幸運だ。

 

「こんにちは」

 

 普通に挨拶すると、どこか驚いた様子で返される。

 

「こ、こんにちは?……リーンと仲良くやってるアコさんじゃないですか。君は今始まったばかりみたいですね」

「ああ。あんたはそこそこ進めてるみたいだな」

「一応寄るべきポイントは残り一つになったんです。見ての通り、僕は黄色なんですが……。どこかで見かけましたか?」

「タイミングがいいな、ちょうどそこに黄色があった。それを教えるから代わりに紫のポイントがどこかになかった教えてくれ」

「なるほど、了解しました」

 

 オレは地図を取り出した。特に情報を隠す必要はないので、書き物で先ほど印をつけておいたところを見せる。開始地点は人により異なるため、オレが真っ先に見つけたところをブレウはまだ知らなかったようだ。ただ、このまま進んでいれば普通に見つけられただろうが。

 

「僕の知っている限りだと、紫はここに」

 

 ブレウもまた四等分に折り畳んだ地図を取り出して、広げないまま紫のポイントを一つ指し示した。

 

「そこそこの距離だな。始めて早々あんたと会えて運が良かったよ」

「全くですね。まあ、せいぜい頑張ってください」

 

 そう言ってブレウはさっさと黄色のポイントへ向かっていった。

 

「あ、そこ罠あるから気をつけろ」

 

 しかし少し遅かったのか、ブレウは罠にかかって木から逆さに釣られていた。だっせぇ。

 

 つい調子に乗っていたらしく、罠確認を怠ったようだ。ブレウは若干顔を赤くして小刻みに震えている。

 

 彼は槍でロープを切り着地した。

 

「あ、そこも罠あるから」

 

 遅かったようでそのまま落とし穴に落ちた。見事なまでに罠にかかる姿を見て、何も言えない。

 

「……他に罠はありますか?」

「知りたいなら紫ポイントもう一つ」

「…………わかりました」

 

 ブレウは穴から身体強化で出てきたあと、そそくさと黄色のポイントへ、今度こそ向かっていった。斯くしてオレはあっさりと二か所も紫のポイントを見つけることができた。これは早く終わるかもしれないな。

 



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1-7

【N.C. 997】

 

 開始直後に紫のポイント二か所の情報を手にいれたが、あっさりクリアとは行かなかった。

 

 まず近い方のポイントへ向かうと、潜んでいた試験官に銃撃された。スコープの反射で気がついて回避できたが、実弾ではないとはいえ危ない。戦闘は可能な限り避けたいので、回り込んでポイントへ向かうことにする。

 

 結果的には安全に一つ目のポイントにたどり着くことができたが、これでかなり時間を消費した。幸い増水していなかったものの、道中に川があったのだ。罠や試験官がいないことを確認したこともあり、手間取ってしまった。

 

 一つ目の紫のポイントに到着すると、そこには箱とボードが置いてあった。箱の中から札をとり、その札にある番号と自分のゼッケンの番号、それに名前をボードに書けば、第一ポイント通過となる。札は持っていき、試験終了時に回収されるんだとか。

 

 二つ目のポイントは大量に罠が仕掛けられていた。ブレウはこの罠にひっかからなかったのだろうか。これ引っ掛かったら足なくなるんじゃないかという凶悪なものから、イタズラレベルのものまで多種多様である。ここも慎重に進むことによって、なんとかクリアした。本来なら魔術を使ってスマートにこなすんだろうが、そんなことはオレにできない。

 

 他の訓練生が罠にはまって気絶していたので、罠から助け出してその辺に放っておく。さすがに起こしたり連れていくのは面倒なのでやめた。

 

 残るは情報のない三つ目である。

 

 支給された装備品には、未だに草や罠のロープを切ったりとかしていない剣型MARGOTに加えて、訓練用の小型銃や携帯食料、ロープ、簡易医療キットなどがある。慎重にやり過ぎてとことん試験官を回避しているため、装備にはまだかなり余裕がある。

 

 そうして、時折他の色のポイントを見つけつつ、森の中を地図を見ながら進んでいくと、斜め前方に紫色が見えた。ブレウの二の舞にならないよう、姿勢を低くして周囲を警戒しながら進む。

 

 しかし、第三ポイントはあっさりと到達することができてしまった。拍子抜けである。あとは、最終目的地に到着すれば終わりだ。

 

 最終目的地は森のだいぶ端の方であった。現在位置からは少し離れている。かれこれ数時間歩いたり這って進んだりしていたため、少し休憩することにする。携帯食料の種類をしっかりと確認していなかったので見ると、それは魚の缶詰であった。…………ちゃっちゃと進んで終わらせよう。ところで、これは持って帰ることはできるのだろうか。

 

 あとは最終目的地まで黙々と進む。運がいいのか悪いのか、その途中で他の訓練生と出会うことはなかった。

 

 だんだんと森が開けてくる。何か嫌な予感がするので、ここからはさらに慎重に進もう。

 

 すると、前方に他の訓練生が現れた。その足取りは軽く、様子から察するにすべてのポイントに回った後なのだろう。森の木々はなくなり草原までたどり着いた訓練生は、草原の真ん中に張ってあるテントに向かって走り出す。あのテントがゴールだろう。

 

 

 

 しかし、突如訓練生の足元が爆発した。

 

 

 

 うわっ、焦っていかなくてよかった。

 

 爆発した訓練生は、身体強化の魔術を使っていたらしく、気絶しているだけのようだ。テントの教官たちはあーあという顔をしている。絶対確信犯だろ。

 

 オレはテントの裏側の方へ回り込み、草原に入ってからは足元に注意しながら目的地に進行する。よくよく見ると、穴を掘って再び埋めたような後がある場所が何ヵ所かある。

 

 裏から恐る恐る近づいてきたオレに気がついた教官たちは、拍手でオレを出迎えた。

 

 総合訓練評価演習、クリアである。

 

 回収した札を三枚渡すと、教官たちは口々に言った。

 

「開始時刻は……、なるほど。多少時間はかかったが堅実に進めたみたいだな」

「おお、君はアコ訓練生じゃないか。猫を連れて入学検査を受けに来たのは君くらいだったからね。よく覚えているよ。猫は元気かい?」

「試験官から交戦の連絡はない、か。戦闘を避けた様子だが、なぜだ?」

「自分の魔術の実力を考慮して、交戦は可能な限り避けるべきだと考えました」

「ほう、そうか」

 

 そうして二つ三つの質問をされたあと、総合訓練評価演習は終了した。結果発表は後日ということで、最終目的地近くに停めてある移動用の車に乗るように言われた。これは魔力子ベースの蒸気機関とかいうのを使用したものを動力源にしており、なかなか早く走るのである。車に乗り込むと、

 

「あ」

「……どうも」

 

 ブレウが先にいた。他にも元気な者から気絶している者まで、何人かの同期がいる。ブレウに特に外傷はなく、おそらく最後の地雷地帯も無事切り抜けられたのだろう。

 

「あんたの情報のおかげで無事試験切り抜けたよ」

「まあ、そうでしょうね」

 

 なんでこいつはこんなに偉そうなんだ。同じく居候の猫が脳裏をよぎる。あ、そういえば。

 

「なあ、聞きたいことがあるんだけど」

「なんですか」

「この缶詰とか携帯食料って持って帰れんの?」

 

 ブレウは妙なものを見るような目付きになった。

 

「……あとで教官に聞けばいいでしょう」

 

 …………確かに。さっき聞いておけばよかった。

 

 

 

 その日の夜。

 

「帰ったか。今日の食事は……」

 

 猫に向かって缶詰を投げる。携帯食料は持って帰ってよかった。ついでにブレウからも余ったのをもらった。

 

「これはっ!魚!魚の缶詰ではないか!」

「お師匠、お帰りなさいませ!」

 

 缶詰にじゃれつく猫を眺めていると、九歳くらいの少年が五体投地で部屋の奥から現れた。先日増えてしまった、新たな同居人である。

 

「変な呼び方するな。オレはお前の師匠じゃない」

「そんなっ。弟子一号、いや、お猫さんがいるから、弟子二号として可愛がってください!」

「うるせー、クソガキ」

 

 拾ってきたのは間違いだったか……。

 

「クソガキじゃないですよー。グレイですよー。お師匠だってまだ15歳くらいじゃないですかー」

 

 うるさい。

 

「それはそうと!報告があるんです」

「アコラス。早くこの缶詰を開けてくれ」

 

 缶詰を開けて3分の1くらい猫用の皿に乗せる。

 

「じゃじゃーん!稼いできました、お金です!」

「スリか?」

「違いますッ。全く、発想が物騒なんだから。怪しくないお金ですからね」

 

 そこそこの金額が見せられる。どうやって稼いだんだ。

 

「これで少しはまともなもの食べてください。あなた、食生活いい加減すぎます!」

「そうだそうだ!グレイ、もっと言ってやれ!」

「別に腹に入れば全部同じだろうが……」

 

 このクソガキは拾ってきた初日は静かだったのに、翌日の食事のときからあーだこーだとうるさくなった。しかも、時々このように猫と徒党を組み文句を言ってくるのである。

 

「そもそも、今から食料なんて買ってこれる時間じゃないだろ」

「心配ご無用。すでに食材は買ってあります」

 

 そう言ってどこからともなく、野菜やら果物やらがでてきた。

 

 ……で?

 

「ときにお師匠。料理はできますか?」

「料理?」

「概念問いかけてくるのやめてもらえます?」

「ちぎったり切ったり焼いたりならできる」

「……僕が聞いたのが間違いでした」

 

 その日はいつもより豪華なものを食べた。まあ、こういうのも悪くないかもしれない。

 




猫を水で洗ってしまったことで、当初想定していた未だに全く出番のないスチームパンク風異世界設定に致命的な欠陥が出ており、頭を抱えております。どうしようね。

あと、お気づきかと思われますが主人公はあんまり頭がよくないというか教養がないので、学校の宿題でわからないところは猫の手を借りていました。


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1-8

【N.C. 997】

 

 何事もなく総合訓練評価演習の全日程が終了して数日後。夕方より少し前の昼過ぎ、結果を受け取るために訓練生たちは講義室に集められていた。封筒の中身には訓練の合否と、国家魔術師になれるかどうか、配属先が記載されている。

 

 国家魔術師としての配属先は前線で戦闘を行う第一課、その支援を行う第二課、第二課・情報課とやっていることが被っていてそろそろつぶれると噂の第三課、第一課の装備の整備や改良を行う装備課、国内の不穏分子や他国を探る情報課などが存在している。なおこれらは全て軍属であり、軍属以外であるなら、研究員としての採用などもあるんだとか。

 

 オレとしては魔術師関連の情報が集まる情報課が狙い目だ。総合演習ではなるべく戦闘を避けて隠密行動に徹したのも、これが理由である。次点では第三課。窓際ともっぱらの噂であり、仕事がなくて自由に動ける時間を確保することができる。ただ、第三課はもう人を採らないのではないかとも囁かれており、不確定だ。

 

 結果発表を前に、周りはそわそわしていたり、重々しい雰囲気を持っていたり、逆に自信たっぷりであったりと様々であった。

 

「どうなるんだろう……、アコちゃんと近くで働けたらいいなぁ」

 

 もはや真横に座っているのに慣れてしまったリーンは、どちらかというと不安そうな表情だ。

 

 しばらくすると、教官が訓練生たちの名前を呼び、別室へ連れていく。レドが呼ばれ、リーンが呼ばれ。部屋から人が少なくなっていく。ふと気がつくと、黒髪の美少女が講義室内にいた。彼女が講義室にいるのは久しぶりに見た。

 

 この女はネロ。

 

 講義を良くさぼり、演習中もボーとしていることもある自由人であるが、試験の結果は大変良く、教官たちが手を焼いている訓練生であった。戦闘センスはレドと並んでずば抜けており、その真っ黒な髪と瞳に大鎌型MARGOTから、死神と称されていた。

 

 あいもかわらずボーっとしている。隣にはヴァイスがおり、だいたい未来でも二人でいた気がする。ヴァイスは治癒魔術が得意だから戦わないと思わせておいて、遠距離から弓を射ってしかも当ててくる奴である。たぶん敵から一番嫌われるタイプだ。

 

 その二人を眺めていると、オレの名が呼ばれた。別室に連れていかれ、封筒を手渡される。この場で中身を確認してよいと言われたので開けると、

 

「…………あれ?だ、第三課?」

「第三課から派遣された試験官から熱烈に推されてな」

 

 さらっと国家魔術師になれたし、部署も当たりを引いたので嬉しいは嬉しいが、なぜ推されたのか理由がわからない。

 

「なぜですか?」

 

 疑問を教官にぶつけると目をそらされた。何か話しにくいことでもあったのだろうか。

 

 結果が手渡された後、同期全員が屋外演習場に集められ、教官たちの中で一番偉そうな人が何か長々と喋ったりしていたが、あまり頭に入ってくることもなく話は終わった。その後、オレは帰り支度をして学舎を後にした。

 

 国家魔術師の拠点は首都にある。そのため、現在位置であるこの学校は首都よりも西に離れた町に存在しており、移動しなければならない。首都での新しい家を探すことや、猫をどうやって首都行きの汽車にバレずに乗せるかなどを考える。

 

 結果がどうであれ、首都にはさっさと行こうと決めていた。そのため、汽車の切符は二人分用意してある。正確には用意させられた、だが。

 

 未来を変えようと動いたからといって、それがいい方向に進むとは限らない。むしろ最悪の想定をしていなければならない。オレはすでに以前とはいくつも違った動きをしてしまっている。変わってしまった過去がある。

 

 ……とまあ、万が一軍内部に潜入できなかった時に備えてのことも考えていたのだ。猫が。よってオレたちは、今夜出発の汽車に乗る予定だ。家はすでに引き払い、グレイと猫は駅近くに待機しているはず。

 

「おい!」

 

 汽車は魔術を使わずに動いているとは信じがたい、非常に大きな鉄の乗り物だ。人間はよくもあんなものをつくったものである。

 

「おい!聞こえてるかー?」

 

 汽車に思いを馳せていると、うっとうしく話しかけてくる奴がいた。学舎から出て、かなり町の方に来たのになぜわざわざ来たのか。

 

「……なんだよ」

 

 少し足を止め、振り返る。

 

「なんだよ、ってお前なあ……」

 

 走って追いかけてきたらしいレドがそこにいた。

 

「卒業式後に懇親会があるのにどこにもいないから、まさかとは思ったけど」

 

 そして、はぁと大きなため息をついた。聞いたことがあるようなないような言葉を口にされ、オレは聞き返した。

 

「懇親会?」

「マジか……」

 

 天を仰がれた。

 

「今からでも全然間に合うから、ほら」

「いや、今夜首都行きの切符があるから無理」

「はあ!?もうお前首都行くのか!??」

「と、いうわけだ。じゃあな」

「待て待て待て待て待て、もっとこう卒業の嬉しさとかを分かち合ってだな」

「知るか」

 

 やたらと引き留めてこようとするのでイライラする。

 

「今夜の汽車ならギリギリ…、あ、例年夜まで騒ぐから無理か」

「じゃあな」

「ちょっと待ってちょっと待って。ほら、お前どこ配属とか……。俺は」

「第一課だろ、知ってる」

「お、おう。……って走るのは早!」

 

 めんどうくさいので走って逃げた。

 

 

 

「あ、お師匠!結果どうでした?」

 

 駅の近くにはグレイが立っていた。リュックを背負っており、よく見ると動いている。猫が入っているんだろう。両手にも鞄をかかえているのでそれは強奪した。

 

「第三課だった」

「無事試験合格してたんですね。おめでとうございます!」

「ほう、第三課か。そこな、むぎゃっ」

「もう汽車は来ているので乗ってしまいましょう」

「ああ」

 

 駅には大きな鉄の塊、汽車があった。

 

 か、かっこいい……!

 

 隣にいるグレイもそう思ったようで目を輝かせている。

 

「うん、何度見てもかっこいいものだ」

「蒸気機関……、ぜひ機関室が見たいものです」

 

 グレイとは汽車に対する意見に若干の隔たりを感じてしばしの論争をしたが、グレイの言っていることが良くわからなかったので、ひとまずオレは引き下がった。別に負けたわけではない。

 

 汽車に乗り込み席に座る。ここから首都へは汽車でも長い時間がかかるだろう。

 

 乗車後しばらくすると汽車はゆっくりと動き出した。向かいに座るグレイは何か食べ始めて、オレにも勧めてきたが正直眠い。二三ほど言葉をかわすも眠気に耐えられず、オレは眠りに落ちたのであった。

 




とりあえずここで一区切り。

このあとリーンはめちゃくちゃレドにキレました。


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ちょっと昔の話編
0


本日三話連続投稿(1/3)です。


【N.C. 992】

 

とても長い間、深い眠りについていたような気がする。でも、満たされずにどこかぽっかりと穴が開いている。

 

 

「……ラス、アコラス。大丈夫?」

「ううぅっ…………」

 

誰かに呼ばれて目を覚ますと、ベッドの上だった。目の前には女性の心配そうな顔がある。

 

「ここは……」

「病室よ。あなた、実験中に倒れてしまったの。覚えてる?」

 

頭がまだぼんやりとしていて、考えがまとまらない。

 

「じっけん?」

「そう。今はあなたの分だけは中断してるわ。……やはり、肉体の強制成長には負荷がかかるわね」

 

そもそも、この人は誰だろう。でも昔どこかで会ったことがあるような。

 

「まだ熱も下がっていないわ。もう少し寝ていなさい」

 

女性はそういうと部屋から出ていった。

 

「…………」

 

オレは今まで何をしていたんだっけ。

 

なんだか慌ててしまって、ベッドから起き上がろうとすると、頭がくらくらする。再びベッドに倒れこんでしまったので、今度は手をついて上半身を起こした。

 

周りには誰もいない。

 

ふと、鏡が目に入る。

 

そこに写っていたのは、

 

「おんな、のこ……?」

 

顔立ちに既視感のある5、6歳ほどの小さな女の子だった。

キョロキョロと周りを見渡してみても、その女の子はいない。

手を見ると、自分が知っている手のひらよりもだいぶ小さい。

 

もう一度鏡を見る。

 

ベッドから上半身を起こした女の子だ。

 

自分の頬をつねると、鏡の中の女の子も同じ様につねっている。痛い。

 

……まさか。

 

今度は喋ってみる。

 

「お前は誰だ」

 

鏡の女の子も同時に口が動き、ムッとした表情だ。

 

……………………。

 

「まさか……オレ?」

 

あれ?オレって女だったっけ?

いやいやいやいやいや、男だ男。しかもデータによると13歳くらいだったはず。

 

……なんのデータだったっけ。

 

なんだか頭の中の記憶があちこち穴抜けしているみたいで、現状にものすごい違和感を感じる。

しかし、オレは男だ、と心のどこかが告げている。

 

もしかしたら、見た目が女の子に見えるだけかもしれないな!

 

……おそるおそる下半身に手を伸ばしたが、ない。

 

 

「オレ、女になってるぅぅぅうううう!?」

 

オレの絶叫に驚いたさっきの女性が再び部屋に入ってきた。

 

 

 

絶叫したのをなんとか誤魔化し、今の状況を整理する。

 

その一。オレは男だったはずが女になっている。

その二。年齢は確か13歳だったが、今は5、6歳ほどの外見。

その三。今いる場所やさっきの人には見覚えがある。ただし昔。

その四。女の子の顔立ちには既視感がある。自分を幼女にしたらこんな顔だし、どこか懐かしさもある。

 

……さっぱりわからない。

でも何か、大切なことを忘れている気がする。

 

 

とりあえず、女性に質問してみることにした。

 

「あの」

「どうしたの?」

「オレって、実は男だったとか、そんなことありました?」

「確かにあなたは誰に習った知らないけれど、普段荒っぽい口調で男の子みたいよ」

 

彼女はそう言ってクスクス笑う。

 

「男の子みたい?」

「でも女の子なんだから。前から言ってるでしょ?今みたいにもう少し丁寧に喋りなさい」

 

……どうやらオレの事を知っているこの女性は、元からオレが女であったと認識しているようだ。

 

「体のどこか、痛いところはない?」

 

そう言って、女性は優しくオレの頭を撫でた。

 

同じように前にも、誰かにこうやって─────。

 

「……せんせい」

 

そうだ、そうだった。

 

この人は『先生』だ。

小さい頃は実験とか研究の合間をぬって、たまにオレたちと一緒にいてくれた。

 

でも、3年前に死んだはずだ。

 

そこから、一気に記憶が頭の中を駆け巡る。

 

物心つく前からずっと、■■■■とオレは『研究所』にいた。

オレと良く似た女の子。

ずっと一緒だったから、オレたちは二人で一人だと思っていた。

でも3年前に研究所が襲われた。

■■■■とオレ以外は皆いなくなった。

オレは、■■■■が庇ってくれたから、たまたま生きていただけだった。

 

二人で一人なんかじゃなかった。

 

オレはいらなかったんだ。

 

でも、それからも■■■■が必要だって言ってくれたから、オレはいた。

 

■■■■は明るくて元気で、なんでオレのことを必要だって言ってくれたのか理解できなかった。

 

思い出せる最後の記憶は、二度と会えないお別れの記憶。

 

いっぱい人が死んじゃうのを防ぐために、自分にしかできないことをするって、そう言っていなくなってしまった。

 

悲しくて悲しくて涙がこぼれる。

 

なのに。

 

「やっぱり、どこか痛いの?」

 

大切なあの子の名前を、思い出すことができなかった。

 

 

 

ポロポロと涙をこぼしたオレは、先生を慌てふためかせてしまった。

 

「とにかく、健康状態のデータはこっちで勝手にとるけれど、今日はもうゆっくり寝なさい」

 

先生はオレにそう言って、寝かしつけようとする。

 

「せんせい。今って、いつ?」

 

混乱の中、日付を聞けば、返ってきたのは8年前のものだった。

 

それ以外にも聞きたいことはまだたくさんあって。

 

「オレ以外のほかの子は……?」

「他の子?ああ、彼らはもう別の実験を終えて経過観察中」

「オレと、似た顔の子……」

「へ?」

 

オレの発した言葉に、先生は何を言っているのかさっぱりわからない、という顔をする。

 

「似た顔の子なんて、他の被験体にはいないわよ?」

 

いない?

 

「そんなはず、ないよ!」

「わっ、ちょっと!?」

「だってずっと一緒だったんだ!」

 

オレは先生の手を両手で強くつかむ。

強く、つかんでしまった。

 

ゴキッと嫌な音がする。

 

あっと思ったときにはもう遅かった。

すぐに手を離すも、悲鳴を上げて先生はしゃがみこんでしまう。

 

「あ、あ、あ…………。ごめ、ごめんなさい……」

 

元々の高熱のせいか、今の出来事のせいか、目の前がぐるぐるする。

 

心臓の音が嫌なほど聞こえる。

 

「……いいの、こっちは利き手じゃないから」

 

幻覚や興奮の作用もあったのかしら、と呟きながら先生は立ち上がる。

 

「大丈夫、大丈夫よ」

 

と優しく言って、サイドテーブルに置かれたコップに入った水となにかの薬を渡してきた。

優しい言葉にオレはなんだか安心して、水と薬を飲んだ。

 

すると、なんだか目蓋が重くなってきて、オレは再び眠ったのであった。

 

 

 

また目を覚ましても、オレは女のままだった。体も小さいが、一回起きたあのときよりも、少しだけ大きくなったような。全身がとにかく痛かった。

 

今日部屋にやってきたのは、先生ではない別の人だった。食事を持ってくるとさっさとどこかへ行こうとする。

呼び止めて日付を聞いた。

その人は話しかけられたこと自体に驚きながらも答えてくれた。

 

やはり、オレの頭の中よりも8年前のものだった。

 

まだこの部屋にしかいないが、見た限りどこか壊された形跡はないし、先生も他の人も生きているみたいだ。

 

「過去に、戻った……?」

 

うすらぼんやりと頭の浮かんでいた言葉が漏れる。

 

誰かに騙されているのかもしれない。

未来のことも、あの子のことも全部オレの妄想なのかもしれない。

 

でも、もし、本当に時間が戻っているなら、オレはもう一度やり直せる。

 

8年後の、あの子と別れてしまった最後の記憶を塗り替えることができるかもしれない。

 

今から5年後に起こる襲撃から、あの子と同じように誰かを助けて守ることができるかもしれない。

 

そうすればあの子のことをもっとしっかり思い出して、理解することもできるかもしれない。

 

 

 

でも、ここが過去なら。

 

あの子はどこにいってしまったんだろう。

 

オレの心はどこかぽっかりと穴が開いたままだった。

 



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-1

本日三話連続投稿(2/3)です。

※残酷描写あり


【N.C. 992】

 

高熱を出して倒れてしまったらしいオレは、経過観察ということで実験の予定はキャンセル。しばらくゆっくり休むようにと言われた。

 

すでに経験した過去の世界でも、同じように実験と称して色々なことをされていた気がする。

 

このように昔に思いをはせて現実逃避しているが、実際のところ全身が痛い。

 

なんだか眠るたびに成長している気がするのだ。

 

最初に目が覚めたときは5、6歳だったのに、今はもう8歳くらいになった体を見る。

 

でも、案外好都合かもしれない。

何か行動を起こすにも、少しでも体が成長していた方が便利だろう。……女になっちゃったのは不便かもしれないけど。

 

全身を走る痛みに堪えて、オレは今いるベッドの部屋から抜け出すことにした。

 

ベッドからいそいそと出て、扉が開くか確かめてみる。

 

……どうやら鍵はかかっていないようだ。

 

そのまま扉を開けて廊下に出る。

廊下は特に装飾もない、無機質な空間だった。オレがいた部屋以外にもいくつか部屋がある。

 

オレは過去の世界の記憶から、この場所をよく知っていた。

たぶん少し移動すれば、先生のいる部屋があるはずだ。

 

そうだ、先生に未来のことを話してみよう。もし、ここが襲われて皆が死んでしまうと知ることができたら、事前に何か対策できるかもしれない。

 

幸い研究所内にいる人は忙しいようで、部屋の中から何か音はするものの、廊下を出歩く者はいなかった。

 

記憶の中のルートから、最短で先生の部屋にたどり着く。

 

そっと扉を開けると大量の書類の中に先生が埋もれていた。

 

「先生!?」

 

オレが思わず声を上げると、先生はのろのろと動き出して山から出てきた。

 

「はーい、どなた……ってアコラス!?」

 

先生はオレがつかんでしまった方の手には包帯が巻かれており、胸が痛んだ。

 

「あなた、ここまで一人できたの?」

「うん」

「あら……」

 

先生は書類で不安定な山を築き上げていく。

これはまた先生が山に埋もれてしまうのではと、ハラハラしてしまった。

 

そのとき、書類の山の中に花があることに気がついた。

 

「これ、きれい……」

「ああ、それね。私たちの国の言葉でなんていうかは忘れたけれど、どこかの国の言葉でアヤメっていう花よ。しかも花瓶は落としても割れない、とっても堅い優れもの。お気に入りだわ」

「アヤメ」

 

オレが花を見つめていると、先生は一旦手を止めて聞いてきた。

 

「具合はどう?毎日の健康状態から、あともう少しは急成長しそうだけど」

「ちょっと、全身が痛い」

 

一体オレの体に何をされてしまったのかはわからないが、まだ少し大きくなるらしい。

 

しかし、それはそれだ。

 

「せんせい、話したいことがあるんだ」

「うん?何かしら?」

「今から5年後にここが襲われて皆死んじゃうんだよ」

「……うん?」

「ここが変なやつらに将来襲われちゃうんだ」

「えーと、怖い夢でも見たの?」

「違う、ほんとに起こるかもしれないんだ」

「……じゃあ、その襲ってくるやつらっていうのはどんなやつらなの?」

「え?えと、確か……。そうだ、アバドーン!アバドーンっていうのが襲ってくるんだよ!」

 

『アバドーン』という単語を耳にした瞬間、先生の顔色が変わった。

 

「私も他の誰もアバドーンのことなんて、教えていないはず……。もしかして本当に」

 

何かブツブツと呟き始める。

 

「万が一未来のことがわかったとして、原因は何?魔力子は時空に作用するなんていう説があったけれど……。アコラスにはいくら外部魔力子を注入しようにも受け付けず、空っぽなことはさんざん調べたし。じゃあ原因は魔力子じゃなくて未知の現象?まさかこの前の実験でやったことが作用したのかしら」

 

今度は書類を漁り始めた。積み上げた山は再び崩れる。

 

もうこちらの方には見向きもしていない。一心不乱に資料を見ている。

これ以上オレから何か話すのは無理そうだ。

 

他に行けるところはあるだろうか。

オレはこっそりと先生の部屋から出ると、他に行った覚えのある場所へ足を向けた。

 

それはどこかというと『実験室』である。

 

実験室は先生の部屋と同じ階にあり、ガラス越しに見えるようになっている。このガラスは特別製との話で、非常に強い衝撃にも耐えうるらしい。

 

前回の世界で研究所にいたときは、この実験室で皆ひと暴れして、大人たちは何かを調べていた。

実験室の内壁もガラス同様特別製であるらしく、外からの攻撃でも一番安全なのは実験室と言われていた。アバドーンに襲撃されたときは、ここに逃げる前に皆殺されてしまっていたが。

 

実験室の出入口の近くまで来ると、中から5人の子供が出てきた。

こちらに気がつくと、静止されるのも構わず走り寄ってくる。

 

「あー、このまえ、バタってなっちゃったやつだー」

「いつもせんせいにベタベタしてるアコラスだよ」

「確かこいつだけ魔術使えないんだろ」

「え?なんでまじゅつ使えないの?」

「魔力子をまったく持ってないんだって」

 

……こいつら誰だっけ。

急に囲まれて困惑しているオレに、一緒にいた大人たちが話しかけてきた。

 

「勝手に部屋からでてきたのか。あそこの管理者は……。はあ、あのズボラめ。君、部屋に戻りなさい」

「本来ならこんなにホイホイ出歩かれてしまっては困るなぁ」

「しかし、もう動けるようになったのか。強化の魔術も使っていないのに驚くべき身体能力だ」

「やはり根本的な肉体のスペックを上げることもいい結果が得られそうだ」

 

子供だけでなく大人にもじろじろ見られて居心地が悪い。

そうしているうちにオレは手を引かれて、元いた部屋に戻されてしまった。

 

戻るとき振り返って確認したけれど、あそこにいた子供たちは誰一人、オレに似た子はいなかった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

もう何日も部屋の中で過ごしている。扉には鍵が掛けられてしまい、一回無理やり壊したら、今度はもっと頑丈な鍵をつけられて開かなくなった。

 

毎日先生は会いに来てくれた。手のことは再び謝ると、いいのいいの、と言ってくれた。

先生は未来のことを聞いてきたので、たくさん喋った。でも、未来になればなるほど記憶が完全ではなくて断片的なことしか伝えられなかった。とりあえず、たくさん戦ったことだけは覚えていたのでその話はした。

 

体も気がつくと10歳くらいになっていた。

先生は、

 

「これでもう打ち止めね。あとは通常通りの成長スピードのはずよ」

 

と言っていた。ずっと感じていた全身の痛みは次第に引いていくそうだ。

 

先生は頭が良さそうだから、きっと何か閃いたはずだ。最初に未来のことを教えたときも、色々難しいことを言って何か調べていた。

 

先生が何とかしてくれるのでは、とオレはひそかに期待していた。

 

 

 

そうして、痛みも引いて体の違和感がなくなり、先生の手の包帯も取れた頃。

 

 

 

研究所内に突如爆発音が響き渡った。

 

驚いて部屋から出て様子を窺おうにも、扉は鍵がかかっていて開かない。

むぅ……。

 

あ、そうだ。鍵が壊れないなら、扉を壊せばいいんだ。

部屋の中はそこまで広くないけど軽く助走はつけられる。

 

オレは目一杯の助走をつけ、扉に向かって飛び蹴りをした。

すると、音を立てて蝶番が壊れる。扉は本来の開閉とは反対側のところが開くようになった。

 

廊下に出ると、辺りは煙が立ち込め、どこからか悲鳴が聞こえる。

オレは悲鳴の方向に走って向かった。

 

階段をかけ下りたところで、そこには化物としか言えない、大人の1.5倍ほどの大きさのぶよぶよした『何か』がいた。

 

こちらには背を向けていて気がついていないようだ。

 

訳もわからぬまま息を殺して、踊り場に隠れる。

 

その化物は人と同じ様に腕も足も頭もあった。しかし、本来腕があるべき場所とは別のところ、背中からも腕が追加で一本だけ生えている。

 

三本の腕で何かを押さえつけて、ぐちゃぐちゃと食べている。

 

ふと、怪物の体が動き、何を食べているのかが見えた。

 

見えてしまった。

 

「あ、う…………、あれ、ひ、ひとが」

 

そこには人だったものがあった。

頭も腕も食いちぎられたのか、引きちぎられたのか、どこにも見当たらない。

 

ただ、赤色だけがよく映えていた。

 



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-2

本日三話連続投稿(3/3)です。

※残酷描写あり


【N.C. 992】

 

なんだよ、あれ。

 

オレが呆然としている間にも化物を死体をむさぼっていた。右足をちぎったのが見える。

ボリボリと音が聞こえる。

 

次は左足。ブチブチボリボリ。

 

最後に残った胴体はそのままかぶりついてむしゃむしゃ服ごと食べていた。

 

気がつくと死体はどこにもなかった。

あるのは赤い血だまりだけ。

 

怪物はのそのそと歩き出した。

その方向は実験室だった。

 

 

どこからか火が上がっているようで、二階以上には煙が充満しつつあった。

一階には実験室や先生の部屋があるが、そこは煙は特に見られない。

 

もし何かあった場合は実験室に皆逃げているはず。実験室はちゃんと逃げて扉を施錠すれば、中は守られる。

 

先生は大丈夫なんだろうか。

オレは不安に思い、化物のあとをつける。

 

オレの記憶では5年後研究所が襲われること以外に、こんな出来事は知らない。5年後の襲撃者もあんな化物じゃなくて、人間だった。

 

あの化物はどこから来たんだ。

なんで人を襲って食べたんだ。

 

でも、どこかで見たことのあるような。どこか不完全さも感じる。

 

化物はオレに気が付いていないようで、相変わらずのそのそと歩いている。

 

ふと、近くの扉が開いた。

 

「なに!?何があったの!?」

 

中から出てきたのは先生だった。

化物は先生の方を見る。

そして、三本の腕を伸ばした。

 

「うおぉぉぉぉぉおおおおおっ!」

 

反射的に化物に飛び蹴りをする。

化物はそのまま横に飛ばされ、体勢を崩した。

 

「早く!逃げて!」

 

先生は呆然としていたが、オレの言葉にハッとしてこちらに駆け出す。

 

化物はこっちをゆっくり振り向いた。

顔が見える。

 

それは、口の周りが真っ赤になっていることを除けば、先日見かけた子供たちの一人と同じ顔だった。

 

大人よりも大きな体に不自然につく子供の顔はあまりにも不気味で、オレは言葉を失ってしまう。

 

「まさか、被験体が暴走を……?」

 

先生が呟く。

 

被験体ということは、あれは元々人間だったっていうのか。

 

振り向いた化物は、蹴り飛ばしたためにいくぶんか距離は取れていたものの、こちらに向かってくる。

 

どうしよう。どうしよう。

 

近くにはまだ、先生がいる。

 

……とにかく、戦おう。

 

戦ってきた記憶なら頭の中にある。思うように動けないかもしれないし、まだまだ体は小さいけど、先生を逃がすくらいの時間は稼げるかもしれない。実験室はここから遠回りすれば別ルートでも行くことができる。

 

オレは化物に向かって再び駆け出して、もう一回蹴った。

化物は頭は良くないようで、正面からもろに蹴りをくらって倒れる。しかし、もぞもぞと背中の腕を使って再び立ち上がろうとしていた。

 

どうすればこいつを止められるのか。

腕なんて三本あるから一本つぶしたところでどうにもならなさそうだ。

 

そこでオレはふと思いついた。

 

そうだ、頭を壊せばいい。

 

立ち上がりかけた化物にしがみつくように近づいて顔を殴った。一発殴るごとに子供の顔がぐちゃぐちゃになっていく。装甲は硬くないようでこの分なら簡単に壊すことができる。

 

腕が痛かったけど何回も殴った。

頭の原型がわからなくなるくらいになったとき、化物はピクリとも動かなくなっていた。

 

先生はもう逃げてくれたようで近くにはいない。

 

少し安心して息をつく。

 

すると実験室の出入口の方からまたもや悲鳴が聞こえた。

女の人の声だった。

 

倒した化物を越えて走る。

 

心臓の音がバクバクしてうるさい。

 

実験室の出入り口近くにはすぐ辿り着くことができた。

 

しかし、そこには固く閉ざされた扉にもたれかかる先生と、その前にもう一体の化物がいた。

先生には利き腕の方がなくなっていた。

 

「先生っ!」

 

この距離では間に合わない。直感的にわかった。

でもオレは手を伸ばした。

先生も残った手をこちらに伸ばそうとした。しかし、オレの手をみた一瞬動きが止まった。

 

 

 

次の瞬間、先生の頭は化物にかぶりつかれ、食いちぎられた。

 

 

 

残った体は扉にもたれかかったまま、ずるずると下がった。

オレは動けなかった。

先生の身体が貪り食われていくのをただ見ていた。

 

下半身から食べていき、最後に残ったのは腕だった。

 

その腕すら食べられてしまった後、自分が悲鳴を上げていることに初めて気がついた。

 

 

化物はオレに見向きもせず、実験室の扉に何度も何度も体当たりをしていた。

扉は多少傷ついたものの、壊れて開く気配はない。

 

しばらくすると化物は急に苦しみ始めるようにうごめきだした。腕から足が生え、頭から指が生え、体が膨張して、最後にはドロドロと崩れてしまった。まるで、何かに耐えきれなくなって壊れてしまったみたいだった。

 

研究所に静寂が戻った。

 

研究所の各部屋には人がいる気配は全くなく、唯一可能性のある実験室も、化物が体当たりをして鍵穴がゆがんでしまったのか、開く気配はない。

 

扉に耳をつけるとかすかに音が聞こえた。

中に誰かいる。

 

…先生の部屋だ。先生の部屋ならガラス越しに実験室内を見ることができる。

 

先生の部屋までいくと、相変わらず書類だらけで、どこからか物音が聞こえた。

書類の山の向こうにはガラス窓がある。

 

そこにはさっきの化物1体に追われ、殺され、食べられている大人たちの姿があった。

子供も1人いた。接近されて風の魔術を使ったのか、化物から生えていた複数の腕のうち、一本が切り飛ばされる。しかし残りの腕につかまれて、あっという間に物言わぬ肉塊と化した。

 

さっき先生を食べたのも、実験室の中にいるのも、どちらも顔だけはいつか見かけた子供のものだった。

 

いつしか実験室内の人間は全ていなくなっていた。あちこちに血がへばりつき、まさに地獄だった。

化物はこのガラスに向かって体当たりをしている。

 

ふと、近くの書類が目に入った。

 

タイトルは『I計画』。

 

無意識のうちに手にとって読んだ。

 

そこに書いてあったことは、この計画は元々魔術を使えない人間が多数だった時代、魔術を使える人間に対抗するため、魔力子を持たない普通の人間の強化・改造を試みていたこと。

 

しかし、いつしか全ての人間に魔力子が宿るようになり、魔力子による人類の進化が目的となったこと。

 

外部からの魔力子体内注入は、大人であると副作用が起きてうまくいかず、子供を使用したこと。

 

大勢の子供で実験したが、いまだに目標の成功体である『天使』には至っていないこと。

 

もしも『天使』の作製に成功すれば、その体は魔力子そのものとなり、順調に調整を重ねることで時間や空間はおろか事象そのものに直接作用することができるようになると目されていること。

 

そして、最後の方には新しいページが数枚追加されているようだった。

 

それには、現段階である第6世代の残り6体のうち、全く魔力子の宿っていない個体がいること。

 

……これはオレのことだろうか。

あと、他の5体はここにいた子供のことか。

続きを見る。

 

処分も検討したが、現在の人類は魔力子を極端に喪失すると死亡してしまうことから、おそらく人類で唯一魔力子を持たない貴重な個体であるため残したこと。

この個体には過去計画の実験を行ったところ、肉体のスペックそのものの上昇がみられること。

他5体には順調に強化が進んでいること。

 

最後のページには、こう記されていた。

 

『先日、肉体強化のために強制成長をVI-6に促す投薬を先行して行ったところ、意識不明および発熱の症状がみられた。この個体の投薬実験を一時中断、VI-1~5については投薬を中止し、代わりに急遽、新型の魔力子活性剤を投与した。

 

中断したVI-6には5歳程度の成長がみられるという予測がたてられた。このことにより、中止した他個体の投薬実験ではさらに成長が見込まれる。また、活性剤の影響はまだ現れていない。

 

追記1:後発の『人工天使計画(通称:AA計画)』が発足し、データの引継ぎが求められている。よって、本計画(*1)はさらに計画の遂行を急ぐ必要がある。

 

追記2:実験中断中のVI-6により、未知の現象の報告。「未来の知識を得た」との発言がある。当初は幻覚や興奮の副作用があるとみられていたが、本人の知りえない情報を持っていた。これは非常に重大な報告である。再現性の確認をするため、VI-1~6に中止していた強制成長投薬実験を行った。

 

追記3:強制成長投薬実験後、VI-4の体の一部に肥大化がみられた。しかし、意思疎通は正常に行える模様。

 

 

「体の肥大化……」

 

それで思い出したのは、先ほどの化物だった。

 

子供の顔に肥大化した体。

 

なんであんなことになってしまったのか。

 

書類にあるVI-6、これは間違いなくオレだ。

 

そうすると、

 

「オレが、未来の話をしたから……?」

 

その結果、先生たちはオレ以外の被験体に強制成長の投薬を行い、被験体はあの化物になってしまった。

 

そして、5年後の襲撃を待たずに、みんな死んでしまった。

 

「ぜんぶ、オレのせいなのか」

 

くしゃくしゃに握った最後のページ。下の方にまだ一行だけ続きがあった。

 

 

『*1:アイリス計画(通称:I計画)』

 

 

「アイ、リス……」

 

ああ…………。

 

そうだった、そうだったんだ。

 

あの子の名前は、ずっとオレの近くにあったんだ。

忘れていたことは全部思い出した。

 

そもそも、この計画はアイリスという成功体で終わったんだ。だから、他の個体はもう必要なかった。オレがあの子供たちに覚えがないのも当然だ。

 

強制成長も、新型の魔力活性剤も、こんな実験行わなくてよかった。

 

けれど、この世界のどこにもアイリスは存在しない。

 

計画は終わらない。

 

そこにオレの記憶がやってきたからか投薬か、オレは高熱を出して、実験の変更があって。

 

全部、悪い方向に物事が転がり落ちていったんだ。

 

それに気がつきもせず、アイリスのことも未来のこともちゃんと思い出しもせず、能天気に未来を変えるなんて言って。

 

結局、オレはいらなかった。

今回もたまたま生きているだけなんだ。

 

前回の世界で研究所が壊れた時、アイリスはオレを助けてくれた。そのあとも何回も助けてくれた。

でも今回、オレは誰一人助けることができなかった。

 

ガラス越しに体当たりしていた化物は、扉前のものと同様にいつの間にかドロドロに溶けてしまって、部屋は静まり返っていた。

 

だから、この部屋にはオレ以外いないはずだった。

オレはよろよろと立ち上がり、せめてこの部屋にあるもの、この研究所にあるものは全てなくしてしまおうと思った。こんなものは世にでない方がいい。この惨劇は前回通りなら起こるはずのないものだったんだ。

 

そのとき、がさりと部屋の隅から音がした。

 

そちらを向くと同じくらいの年頃の男の子が先生の部屋に隠れていたようだった。この間オレを囲んだ子供たちの1人だ。

 

「あ……」

 

ひとり、生きていた。

 

自分以外にも、生きていてくれた。

 

しかし、その男の子は、

 

「……て」

「え?」

「…してよ、もう僕を殺してくれよぉぉぉぉおおお!」

「なにを言って」

「いやだ、僕はあんな化物になりたくない!殺して、殺してよ!」

 

オレに掴みかかってくる。

その男の子の左腕は、体格に見合わない大きさに肥大化していた。

 

最初にオレが殺した個体、先生を殺した個体、実験室内で皆殺しをした個体、実験室内で変化前に殺された個体、そして、この男の子。

 

やっぱりこれらがオレ以外の5体だったんだ。

 

オレは未来でこの化物がある種完成してしまった姿を知っている。

ネフィリム。

こうなってしまってはもう元の人間には戻れない。

 

泣きながら掴みかかる男の子の首を両手で掴んだ。

この身体になって、初めて掴んだものみたいに強く強く。

 

男の子の身体から力が抜けてこちらにもたれかかる。

 

それをそっと横たわらせた。

 

……せめてこの子の遺体だけは奇麗な姿で丁寧に葬りたい。

 

そう思ったけれど。

 

「こ……て」

 

「ころして」

 

種類によっては頭を完全に潰さないといつまでも死なないものもある。

 

だからオレは、近くにあった先生お気に入りの花瓶で、何回も何回も殴った。

とっても硬い優れものだから、花瓶は割れることはなかった。

 

 

 

二階以上からは火が上がっていた。どんどん火の気は強くなっているので、放っておいても一階も燃えてしまうだろう。

でもオレは先生の部屋に自分の手で火をつけた。

書類も何もかも全部燃やした。

 

先生の部屋の机の上には鏡があった。

そこに映るのは女になっても、アイリスと全然違うオレの顔。

返り血であちこちが赤くなってて、とても醜い。

鏡を割ってちょうど良くなる。

 

炎はどんどん燃え広がり、オレは外へ出た。

 

『私がいなくなったあとも、あと少しだけ頑張ってくれる?』

 

オレは、頑張れなかったよ。

 

いつしか燃えるものもなくなって、火は消えた。

建物内に残ったのは灰と、もう誰も入ることのできない実験室だけだった。

 

『きっとそれは、あなたにとって、つらい道になるよ?』

 

オレは何もわかってなかった。

それでこんなことになった。

 

だから、あと少しだけ頑張って、全部終わりにするんだ。

 




生まれて初めて直接的に人が死ぬ描写書いたんですけど、思いのほか大惨事になっててビックリしました。


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2.就職編
2-1


【N.C. 998】

 

「お師匠、ハンカチ持ちました?忘れ物ありませんか?」

「そんなもん知るか」

「鏡見て身だしなみ整えました?第一印象は大事ですよ、ってまた僕が用意した鏡に布かけて」

「うるせー、嫌いなんだよ鏡」

「お師匠は野生の動物か何かなんですか?」

 

首都の外れにある古びた集合住宅の一室を借りることのできたオレは、国家魔術師第三課と初顔合わせする日を迎えていた。

グレイがいちいち面倒なので、しっしっと追い払いつつ家を出る。

ちなみに猫はだらだらと寝ていた。

 

この国の首都は人口も集まっているが政治や行政の機能も集まっている。

軍の敷地もあり、国家魔術師の各課の本部があるのだ。

 

オレが3年に渡る学校生活の末、所属する第三課もそこに存在する。

 

第三課は、主に最前線で戦う第一課に必要な情報を集めて渡すことでサポートすることが目的で、最も早くにできた国家魔術師の課の1つである。

しかし、後発である、対魔術師に関する情報を一手に引き受ける情報課、第一課の直接的な支援を担当する第二課とやることが被っており、なおかつ、この二つの課よりも専門性が低い。

よって先にできたはずの第三課は後に名前がついたときは『第三』となり、いつしか中途半端な課としてその存在価値も薄れていった、というわけだ。

 

首都だけで魔術師の力が必要な事件が起きるわけでは当然ないので、もちろん地方にも各課の支部はある。しかし第三課は支部がない。あるのは本部のみである。規模が小さいと聞いているがどうなんだろう。

前回の世界では一切関わりを持たなかったのでその全容は謎である。存在を知ったのすら直近3年前だ。

 

正門で地図を渡され、それを頼りに第三課のある建物に向かう。

 

一部慣れた道も通って歩いていくと、

 

「……本当にここなのか?」

 

明らかにひとつだけボロくて小さい二階建ての建物があった。

入り口らしきドアに近づくと、雑に『第三課』と書かれた紙が貼ってある。

 

たぶんここであってると思うのだが……。

 

道に迷ったふりをして他の施設に忍び込むか悩んでいると、突然ドアが開いた。

 

「おうおう、うちから出るものはなんにもないぞー!なんか文句あっかー?」

 

中から出てきたのは20代半ばくらいの女性だった。地図を手にしたオレの姿を目にするとあれ?と首をかしげたあと、ポンッと手をうち、

 

「あー!もしかして今日から来るっていう新人の子か!はい、じゃあ入って入ってー」

 

とオレを招き入れる。勢いに押されるままオレは建物に足を踏み入れた。

そこには机が5つほど置いてあり、招き入れた女性以外に人はいない。

 

「あと1人、ローザ課長っていうこの課で一番偉い人がいるんだけど、まだ来てないんだ」

「あと1人?他の人は?」

 

思わず聞き返す。

 

「いないよ!」

「……は?」

「私ウィステと、課長、そしてあなた、えーと名前はアコさんだっけ?これで第三課は全員だよ」

 

全部で3人しかいない気がするのだが、気のせいなんだろうか。

早くも不安を覚えるオレに、ウィステと名乗った女性は胸を張って言った。

 

「気軽にウィステ先輩と呼んでくれたまえ?」

「は、はあ。アコです、よろしくお願いします」

 

ひとまず挨拶をすると、そこからウィステ先輩はマシンガントークを始めた。

 

「去年までもう1人いたんだけど辞めちゃって。課長がわざわざ総訓演習手伝いに行って欠員補充探してきたのが、あなたってわけ。課長がちょっとひねくれてるけど良い子そうなの見繕ってきた、って言ってたからどんな子かと思ってたけど、かわいい子が来てくれてよかったよ!」

「かわっ、いや、ひねくれて、って」

「課の人数公表しないからね、この少なさ驚く人も多いよ。そもそもそんなにここ人来ないけど。そうそう第三課ってあんまり有名じゃないし、表にでないし、やることわかんないよね。課長はサボり魔だから、さっさと私がレクチャーするね!」

「え、あ、おねがいし」

「基本的には第二課と情報課の下請けだから、楽々事務作業だよ。何のために学校行って試験突破したのかわからない感じになるときもあるけど。全くもって魔術師らしくないけど。じゃあ、早速そこ座って。はい」

「ます……。はい」

 

ウィステ先輩に促されるまま、空いている机のところに座ると、資料を複数手渡された。

 

中を確認すると国内に潜伏するテロリスト団体、主にアプシントスについての物のようだ。こんなに軽々しく渡していいのか、これ。

オレがまじまじと資料を見ていると、

 

「これを端っこの番号順に並び替えてね」

「……並べました」

「左上を机にあるステープラーで留めよう」

「留めました」

「第二課にそれを持ってけば、今日の仕事は終わりです」

 

一仕事終えたと言わんばかりにウィステ先輩は自分の席についてお茶を飲み始める。

 

「いや終わりって。まだ午前中なんだが」

 

思わず丁寧な言葉遣いをし忘れてツッコんでしまった。

第二課はそこまで遠いところにないので、往復してもお昼前には終わるぞ。

しかしウィステ先輩は、

 

「ではアコ後輩、行ってくるのだー!」

 

大きく手を振って、そのあたりを完全スルーした。

 

えええ……。

 

 

 

実は第二課が資料を受け取るのをすごい渋るとか、そういった弊害があるのかと勘ぐっていたものの、あっさりと資料は受理された。

 

第一課と第二課はすぐ隣にあるので、面倒なことに巻き込まれる前に、今日はすぐ第三課の方へ戻ることとする。オレと同様に新しく配属となる人間がやってくるのがどこの課も今日なのだ。今日を越えれば地方支部にも分散していくので会う確率は低くなる。

 

敷地内を歩くが、この時間帯人とはほとんどすれ違わない。

 

道中いくつかの施設があるが、この区間は迷うほど複雑でないため、順調に来た道を帰る。

しかし、とある建物の前に佇んでいる黒髪の少女を見つけてしまった。

オレに気がついた様子もないので、目をそらそうとすると、タイミングよくこちらに振り向いた。

 

目があってしまう。

 

「…………」

「…………ねえ」

 

しかも話しかけてきた。

今まで話したことなかったよな!?

 

「私、道に迷ってしまって」

 

そう話す彼女は、学校時代全く会話のなかった自由人、ネロであった。

 

「どうしたらいいんだろう……」

 

ネロは空を見上げてぽけーと呟く。

 

それはこっちの台詞だ。

 

オレは周囲を見渡したが、周りに押し付けられる人がいなかった。

 

この自由人、厄介なことに方向音痴なのである。恐らく初見のこの場所では、このまま放っておけば日が暮れても目的地にたどり着けない可能性大だ。

 

ネロはフラフラと歩き出した。しかし彼女の目的地であろう方角とは真逆だった。

 

「おい!」

 

ついオレは彼女に話しかけてしまう。

 

「第一課はここをまっすぐ行って、三つ目の角を曲がって進む!そうすれば、建物が見えてくるはずだ」

 

ネロはゆっくりとまばたきをして、

 

「ありがとう」

 

と、一つ目の角を曲がろうとする。

 

「そこじゃない!あああ、もう!」

 

結局、彼女の道案内をすることになってしまった。

 

 

 

「いいか、ここまでいけば大丈夫なはずだ。あの建物だぞ?あそこに向かって歩くんだぞ?」

「ありがとう、盾壊した人。名前は……」

「頼むからそのまま忘れてくれ。じゃあな」

 

オレはここまで来れば大丈夫だと思われる場所までネロをつれてくると、さっさと別れようとした。

 

「お!ネロ!やっと見つけた。いままでどこ歩いてたんだ?」

「あ、ヴァイス」

 

ここで保護者登場である。なぜもっと早く来なかった。

 

完全に重心の動きを後ろ向きにしているオレに、ヴァイスと呼ばれた男は、

 

「もしかして君がネロをここまで連れてきてくれたのか?」

 

と声をかけてきた。

オレが何か話したり動いたりする前にネロが、

 

「親切だった」

 

などと余計な口をきく。

 

「確かリーンの友達のアコさんだったよな」

「盾壊したアコ」

 

その話はもうやめろ。

 

「そうか、君もこの近くに配属だったのか。……リーンやレドには時たま顔見せてあげてくれると嬉しいな」

「アコは普段どこいるの?」

「誰が教えるか。じゃあな」

 

オレはそう言って、今度こそ立ち去った。

 

 

 

「アコ後輩お帰り~、ちょっと時間かかったみたいだけど大丈夫だった?」

 

第三課に戻ると、見送ったときと同じ位置に陣取るウェステ先輩がいた。

 

「うわ、どうしたの?すごい気難しい顔して。あ、そうだ。さっき課長が来て帰っていったよ。はいこれ課長から」

「なんですかこれ」

 

ウィステ先輩は立ち上がってこちらに来るとよくわからないものを手渡した。

 

「さあ?それで、第二課に渡したときに返された書類はここ入れておいて。私はもう帰るから。それからこれ、ここのカギね。一人一つずつ。最後に出る人は戸締まりお願い。お先に失礼しまーす」

 

そう言うや否やウィステ先輩は風のように去ってしまった。朝来て昼帰るとか、ここの労働時間はそうなってるんだ。

 

一人残された室内は非常に静かであった。

 




女の子書くの楽しいです。


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2-2

おそらく今後いらないであろう設定
・1年は12か月
・会計年度開始は1月
・学校年度開始は9月、ただし軍人学校系は会計年度に合わせて1月
・基本的に季節の移り変わりは現実の北半球と一緒(ちょっと寒い)


【N.C. 998】

 

とりあえず課長からの物とカギを机の上に置き、言われた通りの引き出しに書類を入れる。

この書類は何月何日に誰が誰に資料をわたしましたよ、と証明するためのものだ。

引き出しの中は同じような書類(渡した側にはウィステ先輩のサインがある)とともに入っていた。

取り出して見てみると日付はどれも最近。そして第二課の引き取り側は大体が『ビオレッタ』というサインであった。

 

「ビオレッタ……?」

 

どこかで聞いたことのあるような。……気のせいか。

 

次に建物の中をじっくり見てみることにする。

 

うん。

やっぱりなんというか、全体的にボロい。

机、椅子、棚が配置されているが、どれも年季が入っている。棚には過去の書類がそこそこ整頓されていた。しかし手に取って簡単に見れる範囲では重要そうなものはない。一つだけ鍵付きの棚があるのでそこに大切なものは閉まっているようだ。二階部分は仮眠室で、簡易ベッドや毛布が置かれていた。そうして、屋内を結構な時間をかけて探索していると、

 

……建物の外に人がいる気配がする。

 

二階の窓を開けて外を見る。

 

「ん?うおぁ!?」

 

両手で大きな袋を抱えて裏手にいるウィステ先輩がいた。

 

「さっき帰ったんじゃないのか……?」

「い、いやー、そのー」

 

なぜか慌てている様子だ。

両手が塞がっていて、表の扉を開けるのは大変そうだ。

 

「今扉開けます」

「あわわわ……」

 

急いで一階に降りて扉を開ける。

なぜか裏手にいたウィステ先輩は中に入って、机の上に袋をおくとボソボソと話し出した。

 

「い、言い訳をするとね。昨日突然課長から新人が来ること言われて準備ができなかったといいますか……」

「どうしたんですか?」

「と・に・か・く!はい!」

 

袋から取り出したものをズイっと押し付けてきた。

受け取るとそれはサンドイッチのようで、

 

「まだ、お昼食べてないかなって、えへへへ……」

 

さらに袋から次から次へと食料やお菓子などを取り出して、空いている机に並べていく。

 

「あああ、もうヤケクソじゃーい!ようこそ第三課へ!」

 

そう言ってウィステ先輩はいつの間にか手に握っていた花びらを、風の魔術で吹き上がらせた。

 

朝挨拶したのに、なんでもう一回やってるんだ?

 

「課長いなくて二人だけだけど、サプライズにならなかったサプライズ歓迎会やります!」

「歓迎会?」

「どうせ仕事もないしね!昼間から飲み食い無礼講よ。フッフッフ」

「はあ」

「アコ後輩、無理に丁寧に話さなくていいよ!私のことを『先輩』と呼んでくれればなんでも許しちゃう!」

 

そんなにオレの丁寧な言葉遣いは無理に喋っているように聞こえたのだろうか。

 

「さあもう食べて食べて!これ全部私の奢りだから!お菓子余ったら今後のおやつだから!」

 

ウィステ先輩に言われて、もらったサンドイッチを食べる。

 

「……うまい」

「そうでしょそれ美味しいでしょ!ビオレッタ、あ、友だちのおすすめなんだよー」

 

そうしてしばらくの間、少し遅いお昼ご飯となったのである。

 

「アコ後輩はどこの課に行きたいとか希望あったの?」

「そうだな、情報課は狙い目だと思ってた」

「おう、なんてこったい。情報課、うん、情報課ねー。あ、いや、私もともと第二課にいたんだけどね、五年くらい前にここに異動になったんだ」

「その頃から人数少なかったのか?」

「まあね、私が入って四人になってしばらくして一人やめて、去年もう一人やめちゃった」

 

去年はそのあと二人体制だったのか。果たしてそれは課と呼んでいいのか。

他にも課長はほとんど来ないことや来ても今日みたいな短い滞在時間だとかで実質オレたち二人だけなどを彼女はずっとしゃべり続けていた。

他にも、お昼ご飯は敷地を出たところに色々売ってるところがあってそこで買ったり、自分で家から持ってきたり、お菓子無限に食べたいなど、話を聞くこと数十分、食べる手は止まりそろそろ片付ける機運になった頃、扉をノックする音がした。

 

「む、誰かが呼ぶ音がする。私出るから」

 

そう言ってウィステ先輩は外に出た。

『げーっ!』だの、『いやみか!』だの、絶叫が聞こえてくる。

しばらくすると両手に書類の束を抱えて戻ってきた。

 

「情報課からまたまたお仕事がやってまいりましたー。最近じわじわ仕事が増える時があるんだよね。第二課と情報課で回せなかったものが来るというか。基本的には暇だけども」

「仕事が増えた?」

「そうそう、なんか嫌な感じ。軍なんて仕事がない方がいいのに」

 

ウィステ先輩は机の上のお菓子をそさくさ片づけて、書類をパラパラと見始めた。

 

「私たちの仕事って、さっきやってもらった通り、情報課から渡された資料を整理して第二課に回したりが大半だよ。たまに課長直々に第一課に直接持ってけ、って渡されるものもある。まあ、わかってると思うけど、扱ってる情報は機密だから外の人に流しちゃだめからねー」

 

はい、と書類の一部が渡され、

 

「こんな感じでヤバイ団体の目撃情報とか怪しげな動きをなげられるのでまとめていきます」

 

午前中の仕事よりかは複雑そうである。

書類には、先週地方のある村でいつもよりも運び込まれる物資が増えていることや、突然他の地域から流入してきた人間が増えたこと、その中に以前からマークしていた者がいることなどが、結構バラバラに書いてある。

 

「こういうのを時間系列順にしたり、地域別にしたりとかすると、どこで何が起きてるのか傾向が見えてくるんだよ。まずは私と一緒にやっていこう。慣れていくと思うから頑張ろうね」

 

かなり慣れた手つきでウィステ先輩は資料を机の上にいくつかの島にして並べていく。

 

「あと大まかにだけど第一課の人たちの所在地も渡されるから、それも合わせてあげます」

 

別の資料を見ながら、メモに名前を走り書きして島に配置していった。

 

「つまり、第二課も情報課もどこに第一課がいるか把握しているのか」

「うーん、そうだね。より現場に近い第二課の方が急な出動とかも把握してるけど。でも情報課も情報課で独自に持ってる情報が多いからどっちもそれぞれ大変よねー」

 

そしてオレもウィステ先輩に指導されながら、書類を並べたりまとめたり。

気がつくと夕暮れになっていた。

 

「はい、じゃあここまでね。普段は朝来て昼帰って良いって課長からも言われてるから。明日は昼帰ろう。すぐ帰ろう」

「……今日みたいに昼過ぎに書類持ってこられたらどうするんだ?」

「私たちの本来いない時間に仕事を持ってくるあいつらが悪い」

「この課はなんで潰されないんだよ」

「……慣習?ほら大きい組織だから」

 

明らかに機密の書類はカギ付の棚に納められる。重要でないものは机の上か普通の棚に置かれた。

 

「棚のカギは今2つしかないの。後で課長が増やすって言ってたから、ちょっと待っててね。……よぉし、帰宅だ!帰る、私は帰るぞぉーっ!!!」

 

 

 

§ § §

 

 

 

「情報課で扱う仕事が増えてきている……。なるほど、なかなかきな臭い」

 

帰宅後、猫に今日の出来事を話すと何か思案し始めた。

 

「もう一度確認するが、『前回』の国家魔術師が殺される事件はいつ頃から起き始めたのだ?ちなみに今は年初めだぞ」

「さすがにオレも、今がいつかは知ってるからな。確か、事件は……」

 

過去の記憶。

かつて関わった、アバドーンの幹部のクソババアの言葉を思い出した。

 

『ちっ、もう今年の半ば頃にはオーキッドは動いていたのよ。それを手土産にアプシントスと手を組むなんて……。やられたわ』

 

「……半年後だったはず」

 

今から半年後に当たる季節、前回の世界では、国家魔術師の一人が頭部を切断され、心臓を抜き取られた死体が見つかる事件が起きた。

 

その後も次々と魔術師、特に第一課のベテランや主力が同様の手口で殺害され、国家魔術師を狙ったものであることが浮上した。

 

戦闘における実力は確かであるはずの魔術師が惨殺され、しかも犯行現場の目撃者もいない。

 

まるで内部しか知り得ない一人一人の個人情報を把握したかのように、計画的に行われた犯行に、内通者を警戒して極秘に対策会議が開かれる。

 

しかし、その極秘だったはずの会議にネフィリムがこの時初めて襲来し、軍の上層部に甚大な被害がでてしまうのである。

 

犯行はアプシントスと、敵対していたはずのアバドーンのある一派、オーキッドらが手を組んでのものだった。

 

オレはオーキッド派と溝の深い派閥のクソババアの元で働かされていたため、詳しい情報を手に入れることはできなかった。

 

わかっていることはただ一つ。

 

『我々のある一人の同志がもたらしてくれたのだよ』

 

『軍内部の相当深いところに、用心深くて優秀な手駒を送り込んだようね』

 

軍のどこかに一人、裏切り者がいた。

 

 

 

現段階ではまだ国家魔術師の誰かが殺害されたというニュースはない。そのため、ネフィリムが早く出てきたものの、この事件発生に関しては年単位で早まっているわけではないと判断している。

 

前回の世界と違って、そもそも内通者がいないなんてことは期待してない。それどころか、一人じゃなく複数だってこともあるかもしれない。

 

「『前回』も軍は裏切り者を探そうと相当注力したであろう。しかし見つけることができなかった。それどころか裏をかかれた」

「一番確実なのは情報を渡しているところを押さえるのだよな……」

「紙などに書いて渡しているのか、口頭なのか、暗号でもあるのか、はたまた殺害事件の実行犯も兼ねていたのか。……『今回』は裏切り者はおらず、きっと事件は起きないだろうとしておくのが一番楽なのだが、それは納得しないのだろう?」

 

猫の言いたいことはわかる。『前回』と『今回』とで違う部分がいくつもある。それなのに、『前回』の出来事を防ごうなど無駄なのではないかと。

 

「それでも、オレはやるんだ」

 




やる気まんまん


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2-3

登場人物・組織が多くなってきたうえにややこしくなってきたので解説

アプシントス…ヤバいテロリスト集団その1。
アバドーン…ヤバいテロリスト集団その2。クリュティエ派とオーキッド派の2派閥があり、覇権争いしている。

さらにこの2集団で対立しています。


【N.C. 998】

 

首都は大勢の人間が各地から集まった都市だ。地下には広大な水道網が存在し、その人口を支えている。地上は徒歩で行き来するには少々大変な面積である。

そのため、乗り物に乗ることで移動するのがもっぱらであるが、都市内は民間の自動車の通行は制限されていて、一般市民は国営のバスか馬車が使っている。もっとも馬車は年々減ってきているらしいが。

 

ちなみに居候のクソガキいわく、

 

「自動車はこの国魔術師ありきの蒸気機関にこだわってますけど、これからの時代は内燃機関なんですよねー!もちろん蒸気機関は蒸気機関で良いんですけど」

 

などと言っていた。なるほど?

 

それはともかく、オレは今、比較的治安が良いとされている地区の裏路地にいた。今日も第三課の方は午前中で勤務終了で、ウィステ先輩は颯爽と退勤していた。よってオレもさっさと帰った次第である。

 

裏路地に入ったところを見られていないか、現在周囲に人がいないかなどを入念にチェックしたあと、服装は普段絶対着ないものに着替えた。

 

つまりはスカートである。

 

最初にはいたときは非常に抵抗があり、かつ、現在も葛藤の末はいている。

 

……ちょっとスースーして心もとないんだよな。

 

髪は放っておくと伸びているので、適当に肩くらいにしているが、今回はカツラを被った。

 

顔は全体的に白くして、目の下に青黒い色をつけ、口に詰め物をする。唇も青い色をうっすらのせる。

あと眉は太くしておこう。

他にも色々といじっていく。

 

鏡を見ずにやったので、最後の最後で顔が変わっているか手鏡で確認する。

 

そこには病気かなにかで体調を崩していそうな青ざめた女の顔があった。

 

うん、化粧ってのはすごいな。人相が変わる。

 

そのまま人に見られぬよう裏路地を進んで、ある建物に入った。ここは表向きはただのコーヒーハウスだ。

 

中に入っても客の姿はなく店主のみ。

こちらを視線を向けた店主に、以前適当に考えた偽名を名乗った後、ある『注文』をした。

 

「グレナデンコーヒーを一つ」

 

するとそのまま地下に通される。

 

地下への階段を下る間、オレは顔に目だけが空いた白い仮面をつけた。どこからどうみても怪しい。

 

地下室の扉を開けると、そこには人が集まっている。そして皆一様に仮面などで顔を隠していた。オレが訪れたあとも何人かが地下室に入ってくる。しばらくすると、ある男が前に出て演説を始めた。周りの人間はありがたそうに聞いており、オレも同じ動作をとる。

 

あるフレーズが耳に入った。

 

「だからこそ我々は、地上の人間すべてが『主』に魔力子を還すよう、働きかけていかなければならないのだ!」

 

こんな言葉が聞けてしまう場所はどこか。

 

アバドーンの集会所である。

 

 

 

かねてより忍び込んでいた下位団体内で得た情報で驚いたのだが、首都という警備の厳しそうなこの場所に、オーキッド派は拠点を一つ持っていた。『前回』、少なくともオーキッド派と対立するクリュティエ(クソババアのことである)派は、同じアバドーンという組織でもここの存在を知らなかったはずだ。

 

まず出入りしている者を猫につけてもらったところ、誰もが一見ごくごく普通に暮らしている一般市民だった。今のところ、本人や家族が軍属という者は見つかっていない。

 

次に表のコーヒーハウスに入った。そこで一般人を組織に引き込んでいるようだった。猫指導のもと、出入りしている人間を参考に勧誘されやすそうな変装をし、オレは入り込むことができた。他にもアバドーンに所属する多くの者に見られる『ある特徴』の真似もしたことも成功の要因だ。

 

そして今はこの地下室に出入りしている。

 

オーキッドは非常にビビりな男なので、やつ自身がここに姿を表すことはないが、あの男に近いと思わしき人物は来ることがある。地下室に集まる者たちはそういった人物の語る思想に感化されている様子だった。

 

そうすることで仲間を増やし、さらにはその知人、友人……。こうやって勢力を拡大しているのか。

 

クリュティエ派がメンバーを国家魔術師に逮捕されるなどして人材に苦慮するなか、オーキッド派はどこからともなく人が増えていたのはこういう理由だったのかとも納得してしまった。余裕ぶっこいてたけど、思い返すと実のところダメダメじゃねーか、あのババア。

 

前に立つ男の話は続いている。

 

「『主』は我々に語りかけてくる。『主』のものであったはずの力を、盗人猛々しく使う人類に鉄槌を、と。……安心しなさい、我々の運命は『主』とともにある。全ての人間から魔力子を取り返したあかつきには、我々の魂もまた『主』の元へ還り、永遠の安らぎを得るであろう」

 

アバドーンに所属する者によく見られる『ある特徴』。

 

奴らの崇める『主』の語りかけてくる声が聞こえる、らしい。

 

その超常的な存在はよっぽど人間がお嫌いらしく、他の人間を殺せと囁くのだそう。

 

それが聞こえた者は自然と同じ場所に集まってくる。それもあって、このコーヒーハウスで新たな仲間を確保できているのだろう。

 

あいにくオレはそんな声、聞いたことなど全くない。ただ、その声を聞いたと主張する人間がどういう言動をするのかは良く知っていたため、真似することは可能だった。まるでどこか熱に浮かされたのかのような発言には、自分で言っていて頭が痛くなるが。

 

そんな頭のおかしい連中が一般市民に危害を加えようとするのだ。軍だって排除しようとする。だから、アバドーンのオーキッド派は軍の力、とりわけ魔術師の力をなんとか削ぎたいと、内通者を送り込んだ。

 

内通者もまた、このような集会から奴らの仲間になったんだろう。

 

オレは内通者がここに現れることを期待しているが、自分から「裏切り者やってます」なんて言うはずない。そのため出入りしている人間の後を猫につけさせたり、集会中の発言から今後のアバドーンの動きを探ろうとしているわけだ。

 

今のところ尻尾もつかめていないし、国家魔術師を狙う犯行を示唆する発言も出ていない。

 

そう考えていると、長々と続いた演説は終わろうとしていた。

 

「各地で『主』のために奉仕活動に献身する我々の同志の中で、この地にて素晴らしい偉業を成し遂げようとしている者がいる。その同志のためにもより一層祈りをささげよう」

 

この地……、首都で何かしようとしてる奴がいるってことか?

 

その言葉を締めに、集会は解散した。

 

集っていた人々は少しずつ地下室から出ていく。オレもそれに紛れて部屋をあとにした。部屋を出ると皆、仮面を取っていつもの日常に戻っていく。

 

なぜあんなに人への憎悪に共感を示した後に、平然と人と接している者たちの神経がわからない。

 

オレはコーヒーハウスを出ると、演説をしていた男の待ち伏せをした。

男は建物から出てくると、そのまま住宅の多い地区の方角へ向かっていく。どうやら自宅に帰るみたいだ。

 

一応人目を気にしているのか、裏路地を進んでいる。

 

ちょうどいい。このままいけば、地下の下水道への非合法な入口の近くを通るし、周囲に人もいない。

 

オレは先回りして、こちらに歩いてくる男の方へふらふらとした足取りですれ違う。

 

そしてすれ違いざま、

 

「がはっ!?」

 

男の腹を壊れない程度にぶん殴り、下水道へ引きずり込んだ。

 

 

「……うっ、あ。ここは」

「勝手にしゃべんな」

「がっ」

 

腹を殴った後頭もとりあえず殴っておいたので、男はしばらくの間気絶してしまっていた。

手を縛って地面に転がしておいたら意識が戻ったので、今度は軽く頭を蹴った。

 

「よお。お前に聞きたいことがあるんだよ」

「な、なんなんだお前っ!軍、いやアプシぶっ!!!」

「オレの質問についてだけ口を開け」

 

腹を蹴って横向きの身体をうつ伏せにする。

オレはしゃがみ込んで、男の頭を掴んで持ち上げた。

 

「軍にお前らの仲間がいるだろ?」

 

下水道は悪臭が酷く、人は殆ど立ち入らない。国の重要な施設につながる下水道は別として、首都の下に広がる水道網はコソコソ動くのにうってつけだ。ごくまれに雨風をしのごうとする貧しい者がいることがあるので、それだけ警戒しながらオレはアバドーンの男に聞いた。

 

「は!?知らない、私は知らないぞ!」

「いるかいないかで答えろよ」

 

掴んだ頭を二、三回地面に叩きつけるとダラダラと流れた鼻血が地面についた。

 

「で、これから首都で何しようってんだ」

「私は、本当に何も知らない……、知らないんだ……。ただ、オーキッド様から言伝を……」

「へぇ、国家魔術師を殺すとかか?」

「ただ、我らの同志が首都で尽力しているとだけ……」

 

しらばっくれている可能性もあるので、ちゃんと喋らせたいな。

 

「このぉぉぉぉおおおおお!!!」

「うわっ」

 

男は突然手の拘束をやぶった。

とっさに距離をとり、よろよろと立ち上がった男を見ると、その両手からは火が上がっている。

 

一応火の魔術なら使えるらしい。もっとも、まだ混乱で身体強化や治癒には手が回らないのか、皮膚がじりじりと焼けている臭いがする。

 

「きききさまぁああ!この背信者めがぁぁぁっ」

 

げっ、こっちに殴り掛かってきた。

 

いくら素の身体能力が高いといえど、燃やされてはたまらん!

 

相手の大ぶりの拳を避けて、隠し持っていたナイフで伸びてきた腕を刺す。

 

「あがあああ!!」

「隙だらけだクソ野郎」

 

オレはもう一度男の腹に拳を叩き込んだ。

 

 

 

二度目の腹への攻撃はかなり思いっきり殴ってしまったので、男は血の混じった吐しゃ物をまき散らして倒れている。ヒューヒューとした呼吸音がかすかに聞こえた。

また手から火など出されたら面倒なので、腕に突き刺していたナイフを抜いて、手首あたりを骨を避けて何回か刺した。まあ保険だが。

 

「ひ、あ、ひゃ……」

「お前、本当に知らない?」

「しらない……なにもしらない……」

 

知らない知らないと繰り返して、目がうつろになる。

もうこれ以上はダメだな。……下水道は首都から離れたところで川に合流する。流すにはちょうどいいだろう。

 

オレはナイフを振りかぶりながらつぶやいてしまった。

 

「背信者ね……、魔力子を『主』に還せとか言っておいて、自分たちは都合よく魔術使うんだから、ほんといいご身分だよ」

 

 

 

下水道を通っての帰り道、カツラをとり、血の付いたスカートで顔を拭いた。

 

 

 

§ § §

 

 

 

首都の外れの自宅に戻ると速攻服を脱ぐ。

 

「うわ、ちょっとお師匠!うら若い乙女がそんな恥じらいもなく……、ああ折角のスカートが。また下水道通ってきたんですか?」

「ああ、シャワー浴びてくる」

 

首都の外れの古びた集合住宅には住人も多くなく、会うこともないが、下水道を通ってきたことがばれれば怪しまれる。

 

この家はシャワーの設備だけはお湯が出るなどしっかりしていたので、悪臭をとるため急いでシャワールームへ駆け込んだ。

 

服をすすいだあと、頭からお湯を浴びる。

足元にすすいだ服をべチャリと置いてままだったので、足を使って隅に退けた。

 

その時嫌でも自分の裸が目に入る。

 

胸はささやかであるが丸みを帯びていた。

一応15歳の少女の体だった。

 

……男でなくなってしまった問題は5年以上一時保留しているが、年を追う毎に自分の知らない体になるのはモヤモヤする。

 

モヤモヤを追い払いたいがためについ言ってしまう。

 

「というかいっそ胸があるなら大きくしろよ。なんでここ中途半端なんだよ」

 

もしもこの世に神がいるなら、このことにケチをつけたい。

もちろん、アプシントスやアバドーンが言う『神』はノーサンキューである。

 




・「スカートはいたらスース―する」という表現が気になる方へ
…男性の場合はスカートはいてみてください。
 女性の場合はスカートの中に弱風送ってみてください。

・自動車の歴史に詳しい方へ
…電気自動車のことは頭を打って忘れて下さい。

・文明はいつくらいの年代をイメージすればいいの?という方へ
…西欧の18~19世紀くらいを下地にしています。日本なら明治~昭和初期あたり。でも異世界ファンタジーだから(震え声)


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2-4

【N.C. 998】

 

「あー、今日は雨が降ってるねぇ。雨嫌いぃー。働く気が全く起きないぃぃいいい」

「他の課と比べたら普段もそんなに働いていない気がするぞ」

「でも一応今の時期って、どこの課もそろそろ新人の研修明けだから。まだそんなに皆働いてないと思うんだよね。なら、相対的には私たち働いてる」

「相対的……?」

 

第三課に来てからもうすぐ3か月になる。

ここの勝手も割と慣れてきて、ウィステ先輩の人となりもわかってきた。

 

「絶対評価と相対評価は時と場合によって使い分けるのが働き方のコツ、さらには人生のコツよ」

「はあ」

「アコ後輩は変なところでこだわりと真面目さがある子だから、適度に肩の力を抜くのが吉。この全く生き急いでいない私を見なさい!」

「へー」

 

マイペースに働く彼女の指導を受けつつ、情報課から来る資料を吟味したり、第二課の面々の仕事ぶりを観察したりする日々を過ごしている。

 

戦闘員である第一課の面々を乗せた車両の運転や本部からの情報を現場へ通達するなど、第二課は現場に近い。第一課の急な出動も把握している様子だ。

一方、情報課も先んじて各地の動きを手に入れているため、ある程度どこに魔術師が出動するか予測がつくだろう。

 

ようは国家魔術師の動きをつかめる内通者が潜む場所として、第二課も情報課も怪しい、ということだ。あとは上層部の極秘会議のことすら知ることのできる条件を加えると、人物はある程度絞れてくる。

 

問題は、『前回』の世界でここまでは想像がついたであろう軍が、なぜ裏切り者を見つけることができなかったかだ。

 

……うーん、アバドーン側もアプシントス側も、軍人学校の演習時の襲撃以来、大きなアクションを起こしていない現状は手詰まり感がある。

 

時々アバドーンの集会に潜り込んだりもするが、先日意味深なことを言っていた男から話を聞こうとしたりもして、ちょっと失敗してしまったし。

 

手を出したのは軽率だったかもしれない。

 

あと、スカートを汚したことに関して、グレイからお小言を言われた。もともと貧困地区の者に変装するための服だったし、汚れてるのはデフォルトなのに。

他にも知らないうちに金を稼いだり、謎の部品を集めてガチャガチャ組み立てたりとやりたい放題のクソガキだ。

 

家事をしてもらっているとはいえ、どうにかならないものか……。

 

悩みつつもいつも通りの勤務時間中、こんこんとノックの音がして扉が開いた。

 

「ウィステいる?」

「あ、ビオレッタ!やっほー。珍しいね、第三課のところまで来るなんて」

「あなたこの前、髪留め忘れていったでしょ?持ってきたの」

「うわー、雨の中ありがとう!どこいってたのかと思った」

「いいのよ、ついでだったし」

 

雨の中ここを訪れたのは第二課のビオレッタさんだった。

 

以前見つけた、第二課に資料を引き渡した証明の書類の多くに名前がサインしてあった人である。彼女はウィステ先輩の学生時代からの友人で、先輩が第二課にいた時の同僚でもあったそうだ。

その縁もあってウィステ先輩が資料を持っていくときは、いつも彼女が受け取り係になっているらしい。

ウィステ先輩はよほどビオレッタさんのことが好きらしく、彼女の話と一緒に過ごした学生時代の話は耳にタコができるほど聞いた。

 

……そういえば、第二課時代の先輩自身の話はほとんど聞いたことがないな。なぜだろう。

 

ウィステ先輩はビオレッタさんのいる入口まで行くと、

 

「今から休憩しようと思ってたんだけど、ビオレッタも一緒にどう?」

 

などとのたまい始めた。すでにかなり前から彼女の体勢は休憩中だったから、この発言前半部分は嘘である。

 

「ごめんなさい、私これから会議だから。また今度ね?」

「ありゃ、それは残念」

 

しかし、ビオレッタさんはウィステ先輩の誘いを即座に断った。

 

彼女の雰囲気はまさに仕事のできる女って感じだ。実際非常に優秀で、第二課では若くして役職を任されているとのこと。あと、なんかふわっといい香りがする。

 

ウィステ先輩も仕事をしているときは優秀そうなのだが、いかんせんオンオフが激しく、オンの時間が限りなく短い。

そのため、二人が友人関係にあるのも納得できるような、できないような。

 

去り際、ビオレッタさんは小さい声でウィステ先輩に話しかけた。

 

「……あなた、もうそろそろ、自分のこと許してあげて、こっちに戻ってきてもいいじゃないかって私思うわ。課長には私からも……」

「大丈夫、ビオレッタ。私はここで満足してるから。ね?…じゃっ、お仕事頑張って!」

「ウィステ……。もう、あなただって今仕事中のはずでしょ?あなたも頑張ってね」

 

ウィステ先輩が手を降って見送る中、ビオレッタさんは傘を差して去っていった。

扉を閉めてこちらに向き直ったウィステ先輩は、オレの視線に気がついたのか、

 

「……聞こえてた?」

「は?何言ってんだお前」

「お、おう。先輩になんたるくちょー……」

 

「……」

「……」

 

「お昼ごはん食べよっか、私の奢りで」

「うん」

 

 

 

§ § §

 

 

 

美味しい食堂があると言ったウィステ先輩に連れられて、オレは正門の方へ歩いていた。雨はやんで、地面はぬかるんでいる。

 

「そっか、今日が第一課の研修明けだったんだ」

 

正門付近に何台か停まっている車の荷台から降りてくる人々を見て、ウィステ先輩は言った。

 

「第一課の新人さんたちは五人くらいでチームを組まされて、先輩一人監督につけて地方で訓練するの。めちゃくちゃキツいんだって」

 

まあ、第一課は他よりも危険なところに飛び込んでいくから、それだけ鍛えないとまずいんだろう。とりあえずここから早く去りたい。

 

「でもそれが終われば、正式に自分用のMORGOTが支給されるから皆頑張る、あ……」

 

ウィステ先輩が急に足を止めた。誰かを見ているようだ。彼女の視線の先を追うと、30代前半の男性がいる。知り合いだろうか。

 

「どうした?」

「う、ううん、なんでもない!早く行こー、私お腹すいちゃった、ははは」

 

「ん?ウィステじゃないか?」

 

ウィステ先輩の顔が固まる。そのまま、ギギギという音が聞こえるかのようにゆっくりと首を動かして、声の方を向いた。

彼女の見ていた男性がこっちによってくる。

 

「やっぱりウィステだったか。久しぶりだな」

「ね、ネイブさん。ご無沙汰しております」

「おう。そっちのは第三課の新人か?」

「アコちゃん久しぶり!会いたかったよ!」

 

オレは会いたくなかったよ。

 

リーンが音もなく近くにいた。怖い。風の魔術かなにかで音を消したのか。雨で地面濡れてるのに。

技術の無駄遣いすぎる……。

 

しかし、重装備を背負ってしっかりと立つ姿は、記憶の中にあるものにかなり近づいていた。

 

「リーン、友達か?というかお前、さっきまでへばってたのにすごい元気になってるな」

「はい、大切なお友達です!」

 

このネイブという男性はリーンを監督した先輩のようだ。もっと別のところを監督する必要があるんじゃないか。

 

「アコちゃん、第三課だったんだね。卒業式のあと、どこにもいないから、再度集団幻覚説が浮上してて……。でもネロちゃんから本部で会ったって聞いて、私も会えるの楽しみにしてたよ!」

 

ヤバい。居場所がバレた。

 

「そ、そうか。あ、オレ、先輩とこれから用事があるから」

「は!そうそうそうそう、ネイブさん、私もアコ後輩と用事がありまして、さらば!」

 

オレと先輩は息を合わせてその場から逃走を図る。この三か月間で一番うまくいった連携だと思う。

去り際にちらっと後ろを見ると、中途半端に腕を上げて固まっているレドの姿が見えた。何やってるんだあいつ。

 

 

 

互いに無言で早歩きをしてしばらく経った後、

 

「アコ後輩にお友達がちゃんといて、私は嬉しいよ」

「いや、あいつは友達っていうか」

 

悪い奴ではないと思うが、時々己の身に恐怖を覚えるのはなぜだろう。

 

「先輩こそ、人前であんなに緊張してるなんて珍しい。さっき、適度に肩の力を抜くとかなんとか言ってたくせに」

「いや~、うん、それは。……ははは」

 

つい嫌味を言ってしまうと、ウィステ先輩は困ったように笑った。

 

「……それで、美味しいって言ってた食堂はどこなんだ?」

「あっちの、ほら、あのお店。意外と近いんだよ」

 

彼女が指さした方向には、

 

『呪』

 

と看板のある、たいそう怪しい店があった。

 

店の前まで来るとなんとも異様な雰囲気が伝わってくる。外壁に見たこともない文字で書かれた札があちこちに貼られていたのだ。

 

「これ、本当に大丈夫なのか。こんな怪しいものが国の重要施設近くにあっていいのか」

「見た目で判断しちゃだめよ、アコ後輩」

 

先輩はずかずかと店内に入っていった。仕方がないのでオレも後に続く。

 

店内は一見すると壁が黒く見える。二度見すると文字がみっちり書かれた紙がぎっしり貼られていた。

 

「おっちゃん、2人ね!」

 

ウィステ先輩は奥にそう呼びかけると、空いている席に座った。というか全部空いていた。

先輩の向かいにオレも腰掛ける。

 

「肉と魚どっちが好き?」

「食べられればなんでもいい。……どちらかといえば魚」

「へえ。じゃあこのあたりかな。あえて説明はしない。フィーリングで決めるのだ」

 

テーブルの上に置いてある、異国の言葉で書かれたメニューをこちらに見せてくれたが、なんと書いてあるかわからない。ただ、文字の隣にかろうじて絵もあったので何の料理かは掴める。

 

メニューを睨んでいると、奥から中年男性が姿を表した。

 

「ウィステちゃん、いらっしゃい。一緒にいるのは初めて見る子だね」

「私の後輩です!やったぜ!アコ後輩、こちらこの店の店主さんだよ」

「どうも」

 

うーん、なんか緑のヤツと灰色のヤツと赤いヤツがある。

灰色のはよくわからんから却下。緑のは葉っぱか。

 

いつも葉っぱばかり食べてるから、赤いのにしてみよう。

 

「私、いつものでお願いします。アコ後輩は注文大丈夫?ゆっくり決めていいよ?」

「いや、これでいい」

「はいはい、わかりました。ちょっと待っててね」

 

注文を受けた店主は再び奥へ戻っていった。

 

「ここ、みんな入らないけど、美味しいから。楽しみにしててね」

「そうか」

 

オレは料理が来る間、メニューを眺めた。

なんか白くて横長なヤツとか、茶色くて円柱状になってるヤツとか、見たことのない料理ばかりだ。全体的に赤色と茶色が多い。

 

「メニュー、熱心に見てるね~。どれか他に気になる料理あった?」

「……うーん」

 

深さのある器に入った白い液体みたいなのは何だろう。真ん中に赤い点が1個ついている。

 

そうしているうちに料理が運ばれてくる。するとすかさずウィステ先輩は、

 

「おっちゃん、追加でこれお願いしていい?」

 

と言ってオレが見ていた料理を指さした。

 

「え」

「まあまあ、私が食べたいだけだし?それに、今日は私のおごりだから。さあ食べよう!」

 

料理を見ると絵のとおり赤い。

魚一匹が赤い液体に浸かって、皿の上に鎮座している。香りは独特だ。

 

ウィステ先輩のは、4種類くらいの食材が混ざって、推定炒められたものだ。

彼女はすでに食べ始めている。

オレも魚の身を少し口に運ぶと、

 

「!?」

 

ちょっと口の中がピリピリした。

これはあれか、噂に聞く『辛い』ってやつか。

古くて酸っぱいものを食べた時とは方向性の違う刺激がする。

 

「どう?」

 

ふと顔を上げるとウィステ先輩がニコニコとこちらを見ていた。

 

そうだな、初めて食べたから驚いたが……。

 

「まあ、悪くない。美味しい」

「そっか、良かった良かった」

 

その後、無言でパクパクと食べ続ける。魚なので結構骨があって、食べるのに時間がかかる。

先にウィステ先輩が食べ終わると、

 

「そのまま、ゆっくり食べてていいからね。……あー、これは独り言なんだけど。さっきのあの人ね、前に私が第二課にいた時に一緒に働いてた人なんだ」

 

パクパクもぐもぐ。

 

「それで、私第二課にいた時、とんでもない、取り返しのつかない失敗をしちゃって……。ネイブさんに合わせる顔がなくて、幸か不幸か、そのあとすぐ第三課に異動になったの。左遷、だったのかな」

 

パクパクパクパクもぐもぐもぐもぐ。

 

「ビオレッタは私のこと、ずっと気にしてくれてて、今でも色々気を回してくれるんだよね。ほんとかなわないや。私もビオレッタみたいに優秀だったらなぁ……」

 

ふう……。

 

「お、きれいに食べたね。独り言終わり!」

「はい、追加注文のデザートだよ」

 

オレが食べ終わったところで、店主があの白くて赤い点がついているものを持ってきた。

 

スプーンで掬おうとすると、

 

「液体じゃ、ない……!?」

 

柔らかいが固形だった。魚の目玉のところみたいだ。

しかし、いざ口に運ぶと甘い。

 

気がつくと器は空になっていた。

 

「……いる?」

「いらない」

 

先輩がオレに自分の器を差し出してきたが、強い意思を持って断った。

 

 

 

§ § §

 

 

 

店を出るとそのままオレたちは行く当てもなく、街中をぶらぶら歩く。

 

そのとき、前から気になったことを聞いた。

 

「ウィステ先輩っていつも早く帰って何してるんだ?」

「え?」

 

彼女は目をパチパチと瞬きさせる。あれだけ退勤退勤言っているのだから、何かあるのかと思ったんだが。

 

「まあ……、いろいろ?そういうアコ後輩は?」

「オレもまあ、いろいろ」

「答えになってない……ってそれは私もだ!」

 

あははは、とウィステ先輩は笑う。

さっきまで落ち込んで暗くなっていたところから、多少持ち直したみたいで安心した。

 

「なんだかまた空模様が悪くなってきたね。また雨が降らなきゃいいけど」

「雨嫌いって言ってたもんな」

「うん、なんだかジメジメするから」

 

ふいに上の方に嫌な感じがした。

 

「ウィステ先輩」

「ぐえっ。急に首根っこ引っ張らな」

 

ドンッ!

 

「……へ?」

 

大きな衝撃音のあと、一呼吸おいて人々が悲鳴とともに逃げ出す。

 

目の前には瓦礫と氷、そしてその中に混じった人の死体があった。

 



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2-4裏

本日連続投稿一つ目(1/3)です。

※注意事項
・三人称
・主人公以外の視点
・前話「2-4」と一部被るところあり

同じシーンを別の人から見たらどうなるのか試しにやってみたかったのと、三人称を書いてみたかったのでやりました。話は進んでいません。


(三か月間、長かった……)

 

車の荷台で揺られる中、レドは想起した。

 

憧れの国家魔術師第一課になったと思ったら、配属初日深夜に山奥に連行され、男女問わず地獄の研修の日々。谷に突き落とされるわ、滝つぼに叩きこまれるわで、三か月前まで在籍していた学校はあくまで基礎の基礎だったことを思い知らされた。

 

(一体何回ゲロを吐く羽目になったか、数えきれない)

 

ただ、過酷な研修の果てに、正式に自分専用のMARGOTと呼ばれる魔術デバイスをもらえることになっていたので、レドを含め、第一課の新人は皆頑張っていた。

 

そして彼らは今日ようやく、その研修を終えたのである。

 

「そろそろ首都につく。本部について装備を下ろすまでが研修だ」

「「「「「「はい」」」」」」

 

研修の監督をしていた第一課の先輩、ネイブの言葉に新人全員が返事をする。

研修は5人ほどのチームで行われた。レドの場合はたまたま全員が同じ学校からの仲のいい同期だったので、人間関係に悩まされることはなかった。

 

「うぷっ……」

 

体育座りしていた同期の少女、リーンが若干出してはいけない音を出した。

 

「リーン、だいぶへばってる。大丈夫?」

「治癒かけておくか」

 

リーンの隣にいたネロは背中をさすり、正面ではヴァイスがリーンの手を握って、吐き気を抑えるために医療系の魔術を使用している。

車内での様子を眺めるレドと、その親友ブレウはしみじみと話す。

 

「まあ、でもこれでようやくってところですね」

「そうだな」

 

 

 

そうしてガタガタと揺られること、数十分。車は止まった。

ネイブは前の運転手といくばくか言葉をかわすと、

 

「よし、本部に到着した。全員、車から荷物を降ろせ」

 

「耐えた、なんとか耐えたよ……っ!」

「リーンおつかれさま」

「ううう、ありがとうネロちゃんっ」

 

ネイブの発言に女子二人は手を握りあって立ち上がる。レドも荷物や自分の装備を持って、荷台を降りた。

 

車が止まった場所は軍本部の正門付近で、時刻は昼頃。先ほどまで降っていた雨は運よく上がっている。

昼休憩のため、本部職員がパラパラと屋外へ姿を現していた。

 

「このあとは、今までの成績や本人の資質、希望を踏まえたMARGOTが正式に支給される……はずだったんだが、研修の日程に急な変更があった都合で、まだ準備が出来ていないらしい」

 

本部で車の到着を待っていた職員から言われたことをネイブは新人たちに伝えた。

しかしレドたち5人の顔にははっきりと、それよりも休みたいと書いてあり、ネイブは失笑してしまう。

 

「ひとまず、まだ荷台に荷物が残っている。それを降ろしたらここから兵舎へ移動するぞ」

 

彼の言葉に5人は力をふり絞って返事をするのであった。

ネイブは荷物を運び出す様子をみていると、ふと、見覚えのある人影が目に入った。

 

「ん?ウィステじゃないか?」

 

呼び止められた人影はぎこちなく振り返る。

 

「やっぱりウィステだったか。久しぶりだな」

 

それは以前、ともに仕事をしていたウィステであった。第一課を支援する部署、第二課にいた彼女は現在は第三課という裏方に所属しているため、会うことは殆どなく、ネイブは懐かしさを覚えた。

 

「ね、ネイブさん。ご無沙汰しております」

 

緊張しているウィステの隣には、仏頂面の少女が立っている。

 

「おう。そっちのは第三課の新人か?」

 

ネイブが話し終えると同時に、少し遠くにいたはずのリーンがいつの間にか接近していた。

 

「アコちゃん久しぶり!会いたかったよ!」

 

仏頂面の少女、アコは若干顔をひきつらせていた。しかし、先ほどまで死にそうな表情だったリーンはきらきらと輝いている。そのあまりの変わりっぷりにネイブは驚いた。

 

「リーン、友達か?というかお前、さっきまでへばってたのにすごい元気になってるな」

「はい、大切なお友達です!」

 

リーンはネイブからの質問に返答した後、くるりとアコの方に振り向き、ズズズと距離を詰める。

 

「アコちゃん、第三課だったんだね。卒業式のあと、どこにもいないから、再度集団幻覚説が浮上してて……。でもネロちゃんから本部で会ったって聞いて、私も会えるの楽しみにしてたよ!」

 

(集団幻覚説ってなんだ?)

 

リーンの言葉に思わずネイブは首を傾げていると、

 

「そ、そうか。あ、オレ、先輩とこれから用事があるから」

「は!そうそうそうそう、ネイブさん、私もアコ後輩と用事がありまして、さらば!」

 

と、ウィステとアコは風のように去っていった。

 

「あああ……」

 

リーンが地に手をついて呻いている傍らで、いつの間にか近くにきていたレドが中途半端に手を上げた姿勢で固まっている。

 

「レド、お前何やってるんだ?」

「なんでもないです……」

 

 

 

§ § §

 

 

 

正門から兵舎へ移動して休憩となったとき、レドは1人だけネイブに呼び出されていた。

場所は第一課の兵舎の一室。部屋には長机がいくつか置いてあり、装備課の恰好をした者が大きな箱を前にして座っている。

 

「呼び出しの要件だが、今からお前にMARGOTの正式な配備を行う。5人の中でお前の分だけギリギリMARGOTの準備ができたからだ」

「……皆の分ができるまでは待てないんですか?」

 

5人で頑張ってきたという思いから、レドはつい言ってしまう。

 

(できることなら、皆と一緒に受け取りたかったんだけどな)

 

ネイブはレドの心情を理解しながらも告げる。

 

「上からのお達しで、準備が整い次第、直ちにMARGOT配備と新人の正式配属させるように言われているんだ。書類上ではMARGOTを所持した時点で配属になる。……特に最近は何が起こるかわからないからな。少しでも第一課の人員を確保しておきたいんだろう」

 

彼がそう言い終わると、装備課の者が立ち上がって箱を開けた。

 

「いやいや今年はいい新人さんが入りましたね。データ見ましたよ。レドさんあなた、大変すばらしい魔術制御技術をお持ちだ。我々も張り切って開発を行いましたよ。……こちらCR-14を、魔鉱石の配合量や魔力子保有可能量、術の伝導率および伝達率などなど、精一杯調整させていただきました。第一課にすでに納品済みですからね。どうぞお試しください。あ、それからこれは取扱説明書です」

「取扱説明書あるんですか!?」

 

スッと出された冊子を受け取ったレドは、ネイブと装備課の職員を交互に見た。

 

「ああ。訓練用とは全く性能が違う。ピーキーなところがあるからな」

「ですが我々もプロです。そこが気にならないようにしてあるはずですよ。とりあえずはここで軽く使ってみてください」

 

整備課に促され、レドは箱の中をみる。そこには一振りの剣があった。

そこそこの長さがあるため、一見すると両手持ちのようだが、身体強化を使えば片手で持つことができた。

 

(おおお、希望通り剣型だ)

 

感動しつつも体内をめぐる魔力子を剣に通すと、

 

「!?すごい!ロスがない!!!???」

 

今まで使ってきた訓練用はなんだったのかと思えるほど、スムーズに魔力子が通る。

そして得意の炎の魔術を刀身に発動させると、

 

(いままでよりも効率よく展開できた……)

 

そして魔術の停止も、停止命令と実際の停止のタイムラグはほとんどなかった。

その性能にレドが感激していると、ネイブは言った。

 

「さて、これで書類上は正式配属だ。担当地域はおいおい……」

 

 

 

『第12地区で火災が発生。強盗を起こした犯人が放火した模様!MARGOT所持しているとの情報があります。該当地区担当者は直ちに出動してください!それ以外は指定箇所で待機をお願いします!』

 

 

 

突如警告音と共に、その声が兵舎中に響き渡った。

 




初期の拡声器くらいはあると想定しています。


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2-5裏

本日投稿2つ目(2/3)です。

引き続き『12裏』と同じく、

・三人称
・主人公以外の視点
・次話『2-5』と被るシーンあり

となっております。


先の警告音の後、ネイブに連れ出されてレドは待機室にいた。ほかにも第一課や第二課の面々が慌ただしく部屋を出入りしている。そんな中、ネイブは第二課の女性に声を荒げた。

 

「はあ!?第8地区の奴が別のところに回されてるっ!!!??」

「はい、特別任務とのことです。現在首都にいる他の人員も、ネイブさんと同じく、すでに手が空いていません」

「じゃあもし第8地区でなにかあれば……」

 

部屋に来た通信士から新たな情報が寄せられた。

 

「今入ってきたんですが、第8地区で魔術師による強盗事件が発生。氷の魔術を使用してきており、居合わせた第三課が交戦中。救援要請が来ています」

 

それを聞いたレドは、

 

(第三課って……、もしかしたら、あいつか!?)

 

1人の少女を思い浮かべた。学校時代、たまたま人気のないところにふらりと行くとなぜか会い、実は自分にしか見えていない幽霊かと思っていた彼女だ。しかし、三年目の演習のとき、突如襲ってきた化物を手際よく片付け、通常の身体強化以上の怪力を見せつけられたことで、同期であったことをレドは認知した。

 

ネイブはレドに向き直ると言った。

 

「レド、いいか?今第8地区に行けるのはお前しかいない。いきなりだが、初任務だ。……こんなことになってしまって、すまない」

 

 

 

§ § §

 

 

 

(めちゃくちゃ忙しいとは聞いていたけど、研修明けにいきなり初任務か……)

 

軍の本部は第15地区にあり、第8地区に行くためには第7地区を縦断し、7・8地区間にまたがる橋を渡る必要がある。

人員を運ぶための車両の運転は第二課の仕事だ。第8地区に最短で向かうことのできるルートに近い出入口で、レドは荷台付きの小型車に乗り込む。もちろんすぐに動けるように席ではなく、荷台部分だ。

 

「お願いします」

「OK、新人くん。無事君を第8地区まで送り届けるよ」

 

運転席にはハンドルを握る第二課の職員の姿があった。ハンドルやレバーを通して、エンジンに魔力子を送り込み、ほどなくして車は蒸気を吹き出しながら動き出した。

 

首都内は基本的に馬車か国営のバスしか走行してはいけない。なぜなら、このような緊急車両の通行を妨げないためだ。

レドをのせた車は、かなりの速度を出しながら、第7地区を突っ切った。

そして第8地区へつながる橋を渡るところで、車が急停車する。

その勢いで前に飛びかけたレドは、荷台の縁に捕まることで何とかこらえた。

 

荷台には布を被せた荷物があり、それは前方に転がった。

いや、荷物ではない。人だった。

 

「リーン!?おま、何やってんだ!???」

「あいたたたた……、いったい何が」

 

別室で待機中だったはずのリーンが、荷台に潜んでいたことにレドは驚いていると、運転手の声をかけてくる。

 

「すまない!橋で事故だっ。これじゃ渡れない。ルートを変更するよ!!」

 

前方には橋があった。だが、その橋の通行を遮るかのようにバスが横倒しになっている。すでに救助は始まっているようだが、車体をどかすにはまだまだ時間がかかる様子だ。

 

運転手の言葉にリーンが叫ぶ。

 

「橋を渡ってすぐのところに屋上付きの高い建物があります!そこから最短で行きましょう!」

「ん!?いつの間に君は乗り込んでたんだ!?」

「そんなのはあとでお叱り受けますよ。とにかくレドくんを第7地区の現場へ送り届ければいいんですよね?」

「どうやってだ!?」

「私に考えがあります。こっちです!」

「あ!君たちちょっと!??」

 

運転手の静止を振り切って、レドたちは荷台から飛び降りた。バスを避けて橋を渡った先には、リーンの言う通り比較的高い建物がある。住民の有無を言わせず侵入し、リーン先導のもと、レドはそのまま屋上へかけ上がった。

屋上からは第8地区の様子を一望することができた。

 

「あそこか!」

 

氷の破片がきらきらと飛び散っているのが視界に映る。

視力を強化すると、氷の魔術を使う男とそれに相対する小柄な人影が見えた。

 

「レドくん、準備はいいですか?」

「ちょ、リーン、お前、俺を担いで何を。最短ってまさか」

 

リーンはレドを担ぎ上げた。全身に魔力子を行き渡らせ、特に腕と足腰に身体強化を発動させる。

 

「うおりゃああああああああ!!!!!!!」

 

 

 

§ § §

 

 

 

「どわぁぁぁぁぁああああっ!」

 

偶然にもレドは二人の人間の間に着地した。

すぐさま目の前の男が放とうとしている氷の魔術を打ち消すべく、貰いたての剣に炎をまとわせる。

 

(うおおおお、あぶねえぇぇえええ。風魔術と身体強化のかけ合わせかよ!?俺身体強化使えなかったら死んでたぞっ!)

 

視力をも魔力子によって強化することができるため、投げ飛ばされている途中、氷に足を固められていた者が誰なのかを捉えることができた。

先程の少々情けない叫び声を言い訳するかのように、彼女に向かって呟く。

 

「リーンのやつ、思いっきりぶん投げやがって……」

 

突然レドが上から降ってきたことによって、相手にしなければならない人数が増えた男は距離をとった。

 

「ま、魔術師の一人や二人増えたところで、この俺をどうにかできると思うな!」

「ちょっと待ってろ、今動けるように……あれ?ちょっと待って?移動してる?」

 

男を警戒しつつも後ろを振り返ったレドが見たものは、足を氷で固められて動けないはずの少女、アコが瓦礫を拾っている姿だった。

 

アコは少し誇らしげに言う。

 

「お前が吹っ飛んでくる直前に無理やり足を引っこ抜いた」

「氷魔術の拘束を力業で解決してる人初めてみたんだけど」

 

ただ彼女の姿は服のあちこちが破れており、痛ましかった。さらに片手には、ところどころ氷がついているばかりでなく、皮がはがれて血が滲んでいる。

 

(負傷者が1人いる状態……、しかも空模様が怪しい。急いでかたをつけないと)

 

レドが再び男の方に意識を戻し、相手の出方を見ようとした瞬間、突如顔の横を何かが通る。

 

「うわっ!?」

「うおっ!!」

 

投げられた物はそのまま男にぶつかると思いきや、氷の盾が展開されて防がれてしまう。

後ろにいたアコが異様な速さで瓦礫を投げたことがわかったレドは、溜息のように言葉を漏らした。

 

「後ろから投げるなら、せめて俺に一声かけてくれ……」

 

しかし、彼女はそんなことはどうでもいいらしく、興味深そうに話す。

 

「それよりお前、見たか?あの反応速度」

「え?ああ、めちゃくちゃ展開が速いな」

 

アコは男からは見えにくい位置に立って、瓦礫を投げて当てた。しかし、この男はそれを魔術で防いでいる。どう考えても異常な魔術の発動速度だった。

 

(ってことは、それなりに技術のある魔術師ってことか?それにしてはただのチンピラに見える。だからといって油断していいわけじゃねぇ)

 

横には半壊した建物がある。内部がどうなっているかの情報はない。とにかくレドは目の前の敵をどうにかせねばと意気込んだ。

 

「ここは俺に任せろ。お前は下がって、その手の傷を……」

「よし任せたぞ、レド!オレは建物内見てくる」

「ちょっ!?」

 

アコは上層階が崩れた建物へ走っていく。

その方向へ氷のつぶてを飛ばそうとする男にレドは切りかかった。

男は杖で受け止める。氷と炎で互いの魔術を打ち消し合い、MARGOT同士が接する部分からは氷が昇華したことで発生した水蒸気が、直ちに氷によって冷やされ湯気となる。

しかし次第に湯気は少なくなっていく。炎の火力が氷に勝り始めたためだ。それと同時に身体強化によって拮抗していた物理的な力のせめぎあいも、男は少しずつ押され始めた。

 

「あいにく、俺は炎の魔術が得意なんだ。おとなしく投降した方がいいんじゃないか?」

 

レドがそう呼びかけると、男は青筋を立てて叫んだ。

 

「ふざけるなよ……、クソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがっ!!!!!!アイツからMARGOTもらって、魔術が強くなる薬までもらったんだ!!!」

 

その時だった。ぽつぽつと雨が降り出す。

 

(げーーーっ!マジかよこんな時に!)

 

火に水をかければ消えてしまう。

 

魔術によって発生する炎は通常の火とは燃焼に必要な要素やその現象に異なるところがあるため、完全に消えるということではないが、雨の中であれば威力が減衰してしまう。それに加えて研修の疲労が取り切れていないレドは全力を出せなかった。

 

雨によって、レドの炎はどんどん減衰する。かわりに氷がじわじわと浸食を始めた。

 

(このままだとMARGOTごと凍らされる!)

 

そう判断したレドは一度距離をとった。

 

(それに、その辺のチンピラが出していい魔術の威力じゃない!現に俺の魔術に耐えてみせた。さっきの反応速度といい、どうなってるんだ)

 

いかに魔術師同士と言えど、厳しい訓練を受けてきた国家魔術師と野良の魔術師では技量に差があるはずだった。

 

「形勢逆転だなぁ?炎の魔術師さんよぉ?」

 

魔術で生成された氷だけでなく、その冷気によって雨からさらに氷が形成される。今までの倍の氷のつぶてがレドを襲った。

 

今までの身体強化の魔術を足と目に集中させる。

 

体内に宿る魔力子は無限ではない。全身に常にまんべんなく身体強化を発動させるのは無駄が多い。だから魔術師は皆、無意識のうちに使うところだけに身体強化を発動させている。

しかしそれを意識的に行うことで、より強力にすることができるのである。

 

避けられるものは避け、無理なものは融かして無力化していく。不意をついて切りかかっても、異様な反応速度で氷の盾が生成され防がれてしまう。

 

(まだ他に仲間がいるかもしれないと考えたら、余力を残したほうが……!でも、長引くほど雨が強くなって不利になる。どうにかして屋内に。けど戦って大丈夫な屋内なんて)

 

雨も相まって近くの建物の屋内の様子を知ることができない。もし人がいるところに突入してしまったら危険だった。

 

どんどんジリ貧になっていくレドに上から声がかかった。

 

「おいっ!」

 

アコはある階の大窓を開け放っていた。

男の意識は上の方へ向く。

彼女の意図を組んだレドは動いた。

 

(盾が突破できないなら、盾ごと吹き飛ばせばいいっ。アイツみたいに力技で!!!そうすれば屋内だ!)

 

盾で防がれるのもかまわず剣の腹で思いっきり男を殴り飛ばした。

男はそのまま窓から建物内にぶっ飛ばされる。レドも続いて跳躍して、窓から中へ飛び込む。

 

「雨でも屋内だったら問題ないんだよ!」

 

慌てる男にレドは炎を纏わせた剣を振り下ろした。

 



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2-5

本日投稿3つ目(3/3)です。


【N.C. 998】

 

街中で突如上から降ってきた瓦礫や死体。

上を見ると、オレたちが立っている横の建物の上層階が破壊されていた。

たしかここは宝石店だったはずだ。

 

「おいおい、なんでもう軍人がいるんだよ。なぁ?」

 

上から声がする。破壊された建物の中から一人の男が身を乗り出していた。

 

オレたちは軍服のまま歩いてたから一発でわかっちゃったのか。

 

「首都で白昼堂々強盗!?こんなの、すぐに憲兵が来るよ!!?」

 

ウィステ先輩が暫定強盗犯に向かって叫ぶ。

 

「ひひひ、そんなことにはならないんだよ!残念ながらなぁ!」

 

男が飛び降りるとともに、こちらに一気に氷の波が迫ってきた。

 

「ぐえっ!」

 

体格はオレより少し大きいくらいなのでウィステ先輩を抱えて逃げる。

 

男はじゃらじゃらとした音をならす袋と杖を持っていた。袋の口からは貴金属類が見えている。

杖は発動した氷の魔術から察するにMARGOTである。おそらく違法に所持している物だろう。

 

この強盗犯、飛び降りてきたところから見るに、身体強化も使えている。

 

「先輩は戦うの得意か?」

「いや、後方支援が専門だから……、正直戦闘は基礎しか」

「わかった、じゃあできることやって」

「ぐえっ!?」

 

斜め後ろに投げる。あんま人に触ってたくないし。

 

「こんなガキが軍人……、魔術師か?」

「どうだろうな」

「まあいい。MARGOTも持ってない魔術師なんて怖くねぇ。お前も殺してさっさとトンズラ」

 

ガキンッ!

 

頭を狙ったオレの蹴りは氷の盾で阻まれた。

 

「ちっ」

「んなっ!!?いきなりてめえ!」

 

ここは軍のお膝元だし、国家魔術師も一定数いる。オレは他の魔術師が来るまで、こいつを適当にとどめておけばいい。

しかし、オレの蹴りに反応して防御するなんて。魔術の展開が速い。

 

退勤してるから支給されている銃など武器の装備はない。そもそも現場に出ない第三課は支給されないが。

 

っと!

 

「くそが!」

 

今度は氷のつぶてが飛んできた。

後方に飛んで避ける。

 

ざっと回りを見渡すと、一般人はウィステ先輩がうまく逃がしてくれているらしい。

強盗犯に襲われた建物内はどうなっているかはわからない。

 

目の前の強盗犯はかなり興奮状態のようで、意識をオレに向けている。

 

アバドーンの男が言っていた『この地にて素晴らしい偉業を成し遂げようとしている者がいる』ってのはこれのことか?

いやしかし、それにしては小物っぽいな、こいつ。その辺のチンピラっぽい。

それとなく話を聞ければいいが、会話で引き出すにはオレのコミュニケーション力が足りない。

なるべく殴り殺さないように気を付けないと。

 

強盗犯と距離を取りながら、氷のつぶてを迎撃していると、

 

「なに呆けてんだよ!」

 

幅の狭い氷の波が一直線にやってきた。

 

さて、魔術師というのは基本的に近接戦闘だ。

魔力子が保有物質表面から遠ざかると拡散してしまうことから、魔術は体やMARGOTの近くでしか発動できない。

じゃあ、銃や弓で遠くから魔術師を攻撃すれば一方的に鎮圧できるかというとそうでもない。ある程度の魔術師なら身体強化などの魔術が使えるので、着弾箇所を防御されたり、避けられたり、はたまた遠くから撃っていても接近されてしまう。

全く効果がないというわけではないのだが、魔術師には魔術師をぶつけた方が手っ取り早いとされている。

結果、近接戦がセオリーとなっているのだ。

 

ただし、近距離の例外は存在する。

 

一つ目は、氷のつぶてのように、一旦発動した魔術生成物を投げたりするとき。これは遠くにいっても拡散しない。

 

二つ目は連続体のとき。手のひらの上5mに火の玉を魔術で作るのは難しいが、手のひらから高さ5mの火柱なら立てることはできる。ただ、あまり大規模にやっていると魔力子の消費が激しい。

 

三つ目は魔力子を保有できる特殊な素材『魔鉱石』でできた弓矢や銃弾を用いたときだ。魔鉱石はそれなりに高価なので、使い捨てにはできない。仮に弓型や銃型のMARGOTを使用するなら、弓矢がブーメランのように戻ってくるように魔術を発動させなければならないだろう。これは非常に困難なことから、使う者はほとんどいない。

 

距離と言えば、最近は無線とかいう機械を使うと離れた距離での会話ができるらしいが、これはなにか魔術に関係あるのだろうか。きっとグレイあたりに聞けば、怒涛の勢いで話しそうな気がする。

 

ということで、今迫っているのは氷の連続体だが、生成した氷の操作精度はそれほど高くないらしく、オレの避ける動きに対応できていない。

 

このような精度の荒い連続体の対処法としては、途切れさせて暴発させることがあげられる。

オレは側面に回り込み、手ごろな瓦礫を強盗犯の氷が生成される手前部分を狙ってぶん投げた。

 

「なんだと!?」

 

よし、命中。当たった部分が割れた。

瓦礫によって連続体が途切れたため、その先の氷は伸びず、杖の方に氷が暴発する。

 

慌てたところを距離を詰めて死角側から殴った。しかしこれも氷の盾に直前ではばまれる。精度は雑だが、反応速度がおかしい。

 

うげ。

 

中途半端な威力のパンチだったので、氷の盾を壊すことができず、さらには接触したところが凍り付いていく。

 

とっさに距離を取るも拳が凍ってしまった。まるで氷のグローブをつけている感じだ。

 

「すばしっこいガキが……。だが、体の一部凍らされれば動きも鈍るだろう」

 

また氷のつぶてが飛んできた。

凍った方の拳でかばうと少し氷が削れる。

 

なるほど。

 

凍っていない方の拳で、拳についた氷をグーで叩いていく。すると氷にひびが入って、ボロボロと崩れ出した。そこから無理やりはがすと一部手の皮と共に氷がとれる。

 

「しょ、正気か!?」

 

若干血が出ているが行動に問題ない。というか拳凍ったままでも殴る分には問題なかったな。むしろそっちの方が硬い。あとではがせばよかった。

 

「お前、随分おしゃべりだな。オレの手凍らせる前に自分の口、氷で固めたら?」

「このクソガキ……っ!」

 

「アコ後輩聞こえる!?」

 

唐突に声が聞こえた。しかし、近くにウィステ先輩の姿はない。

 

「聞こえてるみたいだね!とりあえず報告!別の場所でも暴れてる人がいてそっちに憲兵達は回ってるみたい。もうしばらくしたらアコ後輩の方にも増援が来るから!」

 

どうやら先輩は何らかの魔術で遠くからオレに声を届けているようだ。仕組みはさっぱりわからない。

 

同時多発ってことは計画的なのか?

 

「お前のお仲間、今憲兵たちに捕まってるらしいよ」

「そんな嘘に騙されるかぁ!」

 

ブラフをかけるも逆上。話が通じないが、雰囲気から察するに遠くで暴れているのは仲間か。

 

「なめんじゃねえぞ、この!」

 

扇状に一気に氷の波が形成された。雨上がりのため、足場が悪いのに加えて、氷の迫る勢いが想定よりも早い。避けきれず足元をがっちり凍らされてしまった。

 

「ようやく捕まえた。今までの様子を見る限り、身体強化以外使えないみたいだな。……あとはじっくり嬲ってやる」

 

動けなくなったオレを見て、強盗犯の男はこちらにむかってくる。

 

こいつ強盗が目的っぽいのに、オレをぶち殺す方に目的が変わってないか?頭に血上りすぎだろ。それに普通に殺すなら全身凍らせる方が早いと思う。

 

というか、今足元凍らされたことと言い、この前の拘束したと思ったら火で脱出されたことと言い、最近オレしょうもないミス多いな。やるなら確実にやらないと。

 

さてどうしようと一瞬考えをめぐらせる。

 

「十分痛め付けてから殺してやるよ……!」

 

距離にして2m。男が杖を振り上げたところで、

 

バキッ!

 

「どわぁぁぁぁぁああああっ!」

 

オレと強盗犯の間に人が飛んできた。

 

杖の先から形成された氷が、炎によって一気に融解を通り越して昇華されるのが、背中越しに見える。

 

突然人間大砲並みに割って入ってきた、その人物は、

 

「リーンのやつ、思いっきりぶん投げやがって……」

 

レドだった。

 

手に持っている両刃剣からは炎が上がっている。

 

「ま、魔術師の一人や二人増えたところで、このオレをどうにかできると思うな!」

 

強盗犯の男はそういいながら、一度こちらから距離をとった。

オレもそさくさと動いて手頃な瓦礫を拾う。足につく氷が重たい。

 

「ちょっと待ってろ、今動けるように……あれ?ちょっと待って?移動してる?」

「お前が吹っ飛んでくる直前に無理やり足を引っこ抜いた」

「氷魔術の拘束を力業で解決してる人初めてみたんだけど」

 

本来なら魔術によって発生した氷は、レドのように炎によって融かすのが対処法だが、あいにくオレはそんなことできない。

 

そのため、力いっぱい足を抜く動作をしたところ、足の回りについた氷ごと取れたわけだ。

 

レドの後ろから、瓦礫を強盗犯に向かって投げる。

 

「うわっ!?」

「うおっ!!」

 

するとバキッという音とともに氷の盾が展開されて防がれた。

 

「後ろから投げるなら、せめて俺に一声かけてくれ……」

「それよりお前、見たか?あの反応速度」

「え?ああ、めちゃくちゃ展開が速いな」

 

やはり異常な速さだ。それに、さっきからバンバン大規模な氷の生成を行っているのに、魔力子が切れる様子がいっこうにない。

 

どうみてもただのチンピラなのに、何者なんだこいつ。

 

オレが戦っている最中、上層階が崩れた建物からは誰も出て来なかった。全滅しているか、もともと誰もいなかったかのどちらかだろう。

 

もし全滅しているなら、建物を破壊するまでは周囲に気がつかれることなく犯行を行ったことになる。

 

しかし、それは今逆上している様子とは少しちぐはぐだ。そこまで計画的に動けるなら、どうして今こんなに目立つような行動をしているんだ?

 

確認のために一度建物内を見てみる必要があるな。

 

そのとき、レドから非常にタイミングのよい発言が飛び出した。

 

「ここは俺に任せろ。お前はその手の傷を……」

「よし任せたぞ、レド!オレは建物内見てくる」

「ちょっ!?」

 

オレは建物の中へ急いだ。

 

 

 

§ § §

 

 

 

建物内はひんやりしている。

一階部分の入口から離れた奥の方に人がいた。

 

いや、人だったものがある。

 

数人が何が起きたのか分からないといった表情で、完全に全身を凍らされてしまっていた。

二階以上にも人はいた。ただ全員が氷の中だった。

 

生き残りはいない。

 

建物には各階に大きな窓があり、騒げば異変を察知しやすそうだ。

 

外に気付かせないまま全員殺したのか。それなのに最後の最後で、建物の上層階を破壊する行動に出るとは。

クスリでもやって頭がおかしくなってんじゃないの、と疑惑を持ってしまう。

 

破壊されて下に瓦礫が落ちた階までやってきたが、ここには誰もいない。この階にいた人は先ほど瓦礫と共に落ちてきた死体だろう。

 

屋外に出てわかったが、いつの間にか雨が降り出していた。

 

炎の魔術は雨の中だとだいぶ不利になる。

 

……仕方がない。

 

一つ下の屋根がまだある階に行って、凍った人を脇に退かす。そして大きな窓を開け放った。

もう雨はザーザーと降っている。雨音にかき消されないように大声をあげた。

 

「おいっ!」

 

下で戦っている二人がこちらに意識が向く。

 

次の瞬間レドが隙をついて動いた。身体強化を目いっぱい使って、剣の腹で氷の盾ごと男を窓の方へ吹っ飛ばす。

 

そのままちょうど開いた窓に強盗犯がぶち込まれた。

続いてレドが室内に飛び込んでくる。そして、

 

「雨でも屋内だったら問題ないんだよ!」

 

炎を纏わせた剣を一気に振り下ろし、蒸気が吹き荒れた。

 

 

 

強盗犯の男は服が焦げて、すっかりのびている。体のあちこちに傷があるようだが、命に別状はない。まあ、この分だとしばらくは起きないな。

しかし随分な魔術制御だ。あれだけ高火力出しておきながら、対象には気を失わせる程度なんて。

 

室内に来たレドは凍らされた人見て、氷を融かし始めた。しかし皆すでに息絶えているようだった。

 

「なあ……。生きてる人、いたか?」

「見た限りじゃいない。建物内は全員凍らされて全滅だ」

 

窓のわきにとっさに身を隠していたオレは気絶している強盗犯に近づく。

違法に所持していたMARGOTを取り上げる。レドが拘束具を投げてよこしたので、男につけた。

この階にいた人たちを次々と氷から解放すると、

 

「俺さ、他の階の人たちの氷融かしてく……!?」

「どうした」

 

レドは目を丸くして、まるで眠っているかのような被害者のうちの1人をみている。

そして横たわった遺体に近づき、胸に耳を当てた。

 

「……この人、生きてるぞ!」

「…え?」

 

そのあとオレたちは大慌てで各階の凍った人たちを解放していった。

 

 

 

結局、生存者はあの1人だけだった。凍ってから経過した時間を考えると、生死の瀬戸際だったんだろう。

他の場所で暴れている者の鎮圧も出来てきたようで、憲兵たちががこっちにも来た。生存者が救助され、強盗犯の男が連行され、そして、遺体が運び出され行く中、

 

「あー、お前足凍ったままだよな」

 

レドはしゃがみかけて、動きを止め、再び立ち上がるという謎の動作をした後、剣を抜いて、オレの足に当てると火の魔術で氷を融かしていった。

人体にダメージを与えることのない絶妙な熱の加減だ。

 

「お、ありがとう」

 

足が軽くなったし、関節も動かしやすくなった。

 

「一応低温になったんだから、あとで治療受けるんだぞ。それから手出せ」

「はあ?」

「さっき血が出てたし氷もまだついてるだろ、ってあれ?」

 

氷をはがしたことにより出血した部分はもうだいぶ回復している。治癒の魔術は使えないが、過去あちこち体をいじられた影響か、身体能力のほかに自然治癒も通常よりオレは高いのだ。

 

「お前って身体強化以外できたっけ」

「さあな」

「またすぐはぐらかす……」

 

オレの手に触れないくらいの位置に手を近づけて、残った氷を融かしてくれた。

手を握ったり開いたりしてみる。

 

うん、問題ない。

 

「もう少し早く来ていれば、もっとたくさん生きてたのかな……」

 

オレが手の動きを確認していると、レドはぼそっと呟いた。

 

「建物が壊されるまで誰も異常に気がつけなかったんだから、お前が来たタイミングは最速だと思うけど」

「……お前はこういうのにもあんまり動揺しないのな」

 

オレはもう動揺のしようがない。

 

などど返答するわけにもいかず黙る。

 

「いや、なんというか……。あー情けないな、俺」

 

レドはそのままずるずると座り込んだ。

そこへ、

 

「アコこうはーい!」

 

傘も差さずにウィステ先輩が駆け寄ってくる。

 

「大丈夫!?服ボロボロだよ!?どこか痛いところない?」

「平気」

「平気って……、両足に片手凍らされといてお前」

「えええええ!ウソウソ!やっぱり全然平気じゃないじゃん!?」

 

オレを引きずっていこうとするウィステ先輩にしばらくの間抵抗していると、彼女は諦めたようで、

 

「もう!突然殴りかかっていくから、心配したんだよ!」

 

と怒り始めた。

えええ……、じゃあオレにどうしろと。

 

「アコ後輩が意外と武闘派だったのはわかったけど、私たちは第三課なんだからね?今回は私もとっさに動けなかったし、あなたが戦うのを支援する形になったけど……。アコ後輩も言ってたけど、できることをやるの。私たちにできることは戦うことじゃないんだよ」

「そんなこと、言われても……」

「あー、あの、俺もコイツに助けられたんで。その辺で」

 

レドの言葉を聞いたウィステ先輩は、

 

「……うん、そうだね。ごめんね、疲れてるのに。ちょっと言い過ぎた。でも無事でよかった」

 

そう言ってオレの手を握ってきたのだった。

 




誤字脱字報告してくださった皆様、本当にありがとうございます。
まだ全て確認しきれてはいませんが、順次修正していきます。

その誤字の一つについてなのですが、作中でのオリジナル用語を間違えるというとんでもないミスをしていました。
ご指摘の通り、M”O”RGOTではなくM”A”RGOTが正しいです。
なぜそんなミスをしてしまったのかというと、『MARGOT』という単語を眺めていたら「母音が二つある……、AがOだったら母音のOが二つで実質これおっぱいじゃん。綴り間違えないように気を付けよう」と思ってて本当に間違えてしまいました。一生の恥です。

TS以外に大小かかわらずおっぱいも好きで(論点のすり替え)、いつも「お」を入力するとき予測入力で「おっぱい」という単語が、真面目なメールの文面とかにまぎれないかいつも心配して生きています。

でもちちぶくろはまだ分かり合えていないおっぱいです。
わりと自然派おっぱいが好きなのかもしれません。


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3-1

【N.C 998】

 

首都での強盗事件や火災が同時多発的に起きた後日。

オレはウィステ先輩と一緒に第一課に呼び出されていた。

 

正面には第一課の偉そうなおっさんが座っており、その隣にはビオレッタさんがいる。

 

「君たちが先日遭遇した強盗事件……、もう一度詳しく話を聞きたいと思ってね。先に今わかっていることを説明したい。ビオレッタくん」

「はい、今回の事件群は同一の犯人グループによるものでした。彼らの身元を洗いましたが、ただの不良集団のようです。謎の人物に『魔力子活性剤』という錠剤と違法なMARGOTを渡され、それを利用して金目当てに宝石店などを狙って強盗を計画した、と供述しています」

 

ビオレッタさんは壁に首都の地図とMARGOTの白黒写真を貼った。写真の中の1つに杖型のものがある。

 

「……魔力子活性剤ってなんですか?」

 

おそるおそるウィステ先輩が聞くと、

 

「まだはっきりとはわかっていない。ただ、犯人たちによると、飲めば今までよりも遥かに強力な魔術が使える錠剤とのことだ。現物を手に入れられていないことから、本当にその効果があるのかは不明だ。だが、現場で対応にあたった者たちは、皆一様に犯人たちは強力な魔術師だったと評価していた」

 

魔力子活性剤。使用者の魔力子を増幅させ、魔術の威力を底上げできる薬だ。その副作用には興奮や感覚の変化、依存性が現れてくる。

 

そうか、だからか。

 

「それで、アコくんだったかな。君が犯人と交戦したとき、相手の使う魔術に違和感は感じたかい?」

「はい。死角から攻撃しても防御された……、あ、いや、防御されました。どうみても冷静な状態ではなかったのに、尋常でない速さの反応速度と、大規模な氷魔術を何発も発動させる魔力子……、明らかに異様でした」

 

始めの頃は理性があったんだろう。しかし、副作用が出て興奮状態に陥った。だから計画的に行った強盗を、途中で台無しにするような行動に出てしまったんだ。……でも、オレが知っているのは注射するタイプだ。錠剤タイプは知らない。

 

「なるほど。……他に対応した者も同じようなことを言っていた。やはり、魔力子活性剤なるものを早く押さえなくてはな。次にウィステくん、君はどう感じた?他の地区にも駆け回ってもらったみたいだから、是非君の意見も聞きたい」

「私は、すぐ市民の避難と本部への連絡に回っていたので、犯人たちと直接接した時間は短かったんですが……。今まで見てきた魔術師で、あんな風に大規模な魔術を連続で展開できるのはごくわずかです。ただのチンピラに毛の生えた程度の犯人グループがそれを行っていたのは、どう考えてもおかしいと思います」

 

あの時、ウィステ先輩はいつの間にかいなくなっていたので、どこに行ったんだろうと思っていたが、あちこち連絡係として走り回っていたらしい。

 

「今犯人たちは?」

「現在は首都郊外の刑務所に収容中です。魔術師として秀でているところはない、という報告が上がっています。ただ、時々興奮状態や好戦的な性格になる、と」

「そして今回の一件、一年前のある出来事に共通点があるんだ。そのことも踏まえ、今日はアコくんを呼んだのだよ」

「一年前……、演習中の襲撃事件、ですか」

 

一年前、演習訓練中に襲い掛かってきたネフィリム。ネフィリムもまた、人間を材料にしてできたものだ。

あの時、軍から公表されたのは、アプシントスの手による者だということだけだった。あれを多少なりとも解剖すれば、元は人体と同じであることはわかるはずだが。

 

「ああ、察しがいいな。あの時の化物じみた何か……、今のところはあれ以降現れていないものの、我々は未確認生物兵器と呼称し、足取りを追い続けている」

「確か、アプシントスによるものだったと聞い…、聞きましたけど」

「……これはまだ公表していないことだが、あれは人間であることがわかっている。いや、魔力子や人体のスペックそのものを強化した人間だったモノだな」

 

隣にいるウィステ先輩は若干顔を青ざめさせて、

 

「その話は、私も聞いてよいものなのでしょうか」

「君はローザお抱えの第三課だからね。問題ないよ。さて、今回の事件の犯人と、未確認生物兵器。どちらも人を何らかの手段によって強化したことに共通点がみられる。今回の事件も裏にいるのは、アプシントスか、それに類するものだろう。やつらはネズミのようにあちこちに潜んでいる上に、何を考えているのかわからない。だからこそ早急に対処しなければならないんだが……。いかんせんまだ情報不足だ。両者に対峙したことがあるのはアコくんと第一課の新人1人のみでね。今後どちらかが再び現れた場合、色々と意見を聞かせてもらうことになると思う」

 

そして、第一課の偉そうなおっさんは一息つくと、深刻な声色で言った。

 

「一時的に強力な魔術を使えるようになる上に、使用者を好戦的にする魔力子活性剤。加えて、人体を改造した異常な魔力子と筋力を持ち合わせる生物兵器。もし今後現れるようになれば、非常に危険だ」

 

 

 

その後、いくつかの質問をされて俺たちは解放された。兵舎を出ようとしたところで、ビオレッタさんが駆け寄ってきた。ふわっと良い香りがする。

 

「ウィステ!それにアコさん!」

「あれ?ビオレッタ、どうしたの?」

「私もちょうどこれから休憩だから、ご一緒しようと思って。ほら、この前ウィステが折角声かけてくれたのに、こっちは仕事でダメだったでしょ?」

「ビオレッタ~~~っ」

 

ビオレッタさんにウィステ先輩が抱きついた。というか、ビオレッタさん的にはオレ達は基本休憩している扱いなのか。いや、ほぼほぼ間違っちゃいないけど。こんなので給料貰っていいのかと思うけど。

 

「いよぉしっ、今すぐ第三課へいこう!すぐ行こう!ちょうど美味しいお菓子、買ったばっかなんだ~」

「あ、もしかして第1地区のマカロン?たしかすごく人気よね?」

「そうそう!えへへへ、たまたま買えたんだー」

「オレ、マカロンは思ったよりも食った気がしないから嫌なんだけど」

「アコ後輩はもう少し情緒ってものを身につけなさい、全く」

 

マカロンはサクサクしているのかそうでないのか、謎の色付き生地にクリームを挟んだ珍妙な菓子で、時々ウィステ先輩が『これはどこどこの店のものでうんぬんかんぬん』と言いながら持ってくる。あれよりかはチョコレートの方がいい。

第一課の兵舎入口付近でウィステ先輩とビオレッタがわちゃわちゃ喋っているのを眺めていると、

 

「ビオレッタさん!!!!!」

 

ものすごい勢いで寄ってきた眼鏡の男がいた。

 

「あら、ブレウ」

「お疲れ様です!お姿を拝見したので声を掛けさせていただきました!」

 

ブレウだった。『前回』の世界では嫌味をとばし、幾度となく俺を罠に嵌め、色々あって一時的にアイリスが第一課に保護された時も、オレのことをチビだの子供だの散々挑発するようなことを言ってきたやつだったので、何回か眼鏡割った。

 

しかし、そのクソ野郎がやたらキラキラとした感じでビオレッタさんに話しかけている。

いやみったらしいお前はどこに行った。『今回』の世界では総合訓練評価演習くらいのときしか関わりがないので、そんなことは言えないが。

 

そもそもビオレッタさんとブレウは一体どんな関係なんだ。

オレが彼らを交互に見ていると、ビオレッタさんが言った。

 

「ウィステには昔話したことがあると思うわね。彼はブレウ。家同士での付き合いがあって、歳の離れた幼馴染なの」

「いえそんな、ビオレッタさん。幼馴染だなんて……」

「そう硬くならないで、ブレウ。昔は本当の姉弟みたいに遊んだじゃない」

「本当の、姉弟……っ!」

 

若干動揺するブレウ。ほほう……。

それに追い打ちをかけるようにビオレッタさんは言った。

 

「減給処分にあった、って聞いたから心配だったけれど、元気そうでよかったわ」

「うっ……、それは」

 

減給処分?何やったんだ?

 

「アコさんとは同期よね?仲良くしてる?」

「はい、やっています!」

「はあ?」

 

この眼鏡即答しやがった。

レドやリーンはともかく、お前は今までほとんど関わりなかったぞ。

その瞬間、オレの隣に移動してきたブレウは、ビオレッタさんには聞こえないように小声でコソコソ言う。

 

「僕らが処分を食らったおかげで、君に救援が来たんだ!だから話を合わせなさいっ」

「何言ってんだお前」

 

よくわからないが、まあいいか。

 

「それなりに」

 

それなりに、今は特に仲もない。

それを聞いたビオレッタさんは嬉しそうに微笑む。

 

「そうなの。良かったわ、この子昔から友達が少なかったから……。アコさん、これからもブレウと仲良くしてあげてね」

「アコ後輩、あの女の子以外にも友達いたんだね!折角だしちょっとおしゃべりしてきなよ。私はビオレッタと行くから。じゃっ!」

「あ、ちょっと!?ウィステ引っ張らないで」

 

ウィステ先輩はビオレッタさんを連れて走り去ってしまった。

オレとブレウはその場に取り残されてしまう。さっさとオレもこんなところにいたくないから帰りたい。

 

「……」

「……」

 

ブレウは気まずそうな感じでこちらを見てくる。

オレは一応コイツのこと知ってるけど、こいつはオレのこと直接は知らないんだよな。

 

「……総合訓練評価演習以来ですね。あの時はどうも」

「……こっちも、まあ、あの時は色々ありがとう」

 

思い出したけど缶詰貰ったし。

 

「君のことは非常によく、リーンが話しています」

「あいつは一体何を」

「聞いていて特に中身はありませんね」

「じゃあなんで言った」

 

「……」

「……」

 

「お前、ビオレッタさんのこと好きなの?」

「ぶふっ」

 

あれ、違ったか?この前、感受性を育てろとグレイから押し付けられた小説の登場人物の中で、男に対してブレウと同じような反応した女が出てきて、好き好き連呼してたからそういうのかと思った。

 

「君は、なぜこんなところで、それほど親しくもない人に、こうも直球に聞いてくるんですか……!デリカシーが欠けている!」

「いや、この前小説で読んだやつだと思って」

「習いたての知識をひけらかす小さな子供か!?」

「失礼な奴だな、眼鏡割るぞ」

「失礼なのは君です、うわっ、やめ、眼鏡を奪おうとするな!!!」

 



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3-2

【N.C. 998】

 

「ビオレッタさんをあまり心配させたくないんです」

 

ブレウは言った。

 

「昔から気にかけてもらっていたので。……特に交友関係に関しては」

「別にレドとかと仲良くやってんだからいいんじゃねーの。オレと仲良いなんてウソつかなくても」

「それは……」

 

昔のこいつの事情とかは全く知らないが、ビオレッタさんに友人の有無で心配されていたのなら、それは問題ないはずだ。

 

「君にはわからないでしょうが、こちらにも事情というものがあるんですよ。それほど親しくもない君に話すことでもありません」

「ふーん。それで、さっきの処分がどうとかってなんだよ」

 

ビオレッタさんとブレウの関係には露程も興味はないが、さっき耳打ちされた件については説明してもらいたい。救援が来たという話で思いあたるのは、やはり先日の事件でレドがやって来たことだろうか。

 

「僕は最初反対したんですからね」

「反対?何をだ」

「リーンが、君のこともレドのことも心配だから、助けに行きたいと言い始めたことです」

「……命令された場所とは他のところに出向きたかったってことか?」

「いえ、そもそもあの日、レド以外はまだ専用のMARGOTをもらえていなかったので、僕らは出動できなかったんです。ですが、たまたま、伝令で第三課の者が交戦していると聞いたリーンが騒ぎだしまして。待機場所からレドが乗る車両まで、彼女を忍び込まさせるのを手伝わされたんです」

 

……だんだん話が見えてきたぞ。

 

「その結果、リーンはレドを、交戦中のところまで早く送り届けることができた。もっと言えば、そこまでぶん投げることができたってことだよ」

 

ブレウの次の言葉の前に、別の人物が割り込んできた。

 

「やあ」

 

現れたのはヴァイスだった。後ろには眠そうにしているネロもいる。

 

「リーンとレドはどうしましたか?」

「リーンはネイブ先輩にガッツリしごかれて口から魂が出てたから、しばらくは動けないと思うよ。レドは装備課にMARGOTの調整をしに行ったみたいだね」

 

彼らはどうやら先ほどまで戦闘訓練をしていたようだ。気がつけば、時刻が昼であることを知らせるラッパが鳴っていた。事務職の人たちもチラホラ出歩いている。

 

「ブレウが私たち以外と雑談なんて珍しい」

「ネロさん、あなたもかなりデリカシーというものが欠けていますね」

「でも、ネロの言う通りだ。はははっ」

「ヴァイス……っ!あなたは誰の味方なんですか!」

 

三人で話し始めたので、オレは少しずつ距離をとる。そしてこのままフェードアウトしよう。

 

「それでアコさん。僕達はこれから昼食をとりに食堂に行くんだけど、君も一緒にどうだい?」

 

目ざといやつめ。

去ろうとしていたオレにヴァイスが話しかけてきた。

 

「それはいいですね!行こうアコちゃんっ」

 

お前どこから現れた。

 

「遠いし行かねぇ」

 

ここの基地の食堂は、第三課からは第一課の兵舎を越えた、さらにその先にあって遠い。そのため、普段オレは行くことがない場所だ。

 

しれっとリーンがオレと腕を組もうとしてくるので避けていると、ヴァイスがニコニコと言う。

 

「そういえば、リーン。減給処分ってどのくらいだったっけ?」

 

そしてオレはずるずると食堂に引きずられていく羽目になった。

 

 

 

「お前って、普通の飯食べるんだなぁ」

 

食堂で提供される昼食を前にしたオレは、レドにしみじみと言われる。

 

五人でぞろぞろとここへ移動すると、レドも後から合流して六人で食堂に座ることになった。逃げるのは許さないと言わんばかりに壁際に押しやられ、隣にリーンがくる。

 

「飯に普通も普通じゃないもあるかっつーの」

「学校時代にお前が食ってた、栄養価とコストをとった代わりに味を全力で投げ捨てた激まずパンは普通じゃないと思う」

「え?あれを食べている人間が存在したんですか?」

 

なんだかまた失礼なことを言われている気がするが、オレは早くこの場から退散したかった。早く食べ終わってしまおう。

 

食事のメニューは、メインが肉か。

 

最近手に入れた辛い粉末調味料を上にパラパラとかけていると、

 

「アコちゃん、それは……?なんだか真っ赤な粉ですけど」

 

リーンがまじまじと見てきた。

 

「かけると辛くなるやつ」

「辛いの好きなの?」

「嫌いではない」

「持ち歩くくらいには好きなんだね!」

 

家で使おうとするとグレイがギャーギャー騒ぐのだ。置いておくと、どうされるかわからないので常に持っている。

リーンに話しかけながらも食事をしていると、オレの調味料を見ていたレドが言った。

 

「目に入れると痛そうだな。それ目つぶしに使えそう」

「あ”?」

 

これは食用であって、目に入れるためのものじゃない。この男はなんてもったいないことを言っているんだ。

そうか、これがどういう物か知らないから、そんなことが言えるんだな。

 

「おい、俺の皿にその劇物を入れようとするんじゃない!え、お前、怒ってる?怒ってるの!?」

「怒ってねぇし」

 

オレとレドが激辛パウダーをかけるかかけないかでせめぎあっていると、ヴァイスがうとうととしているネロに話しかけた。

 

「ネロ、食事中だよ。起きて」

「お!?ちょうどいいじゃん。ヴァイス、こいつから劇物貸してもらえ!」

「誰が貸すか、ふざけんな」

「君たち。今は食事中です。行儀がなってませんよ」

「好きで騒いでるんじゃねぇよ、また眼鏡割るぞ」

「僕は君に眼鏡割られたことありませんけど!?」

 

あ、やべ。

 

しかもこの隙にレドは自分の食事を全て平らげていた。

 

オレと目が合うとニヤリと笑った。心底腹が立つ。

 

「やっぱり、ここでお前らに会っても碌なことがねぇ」

 

思わずそう呟いてしまうと、隣のリーンが叫ぶ。

 

「えええ!?私はアコちゃんと会えて、しかも一緒にご飯食べられたなんて嬉しかったのに!……はっ!今度からしばらく地方で任務で、ちょっと会えなくなるっ。うううっ、寂しい……」

「任務の話なんて部外者にホイホイしていいのかよ」

「これは大丈夫だよ!東の海辺を経由して行った、ちょっと内陸のところに行くの」

「海?」

 

聞き覚えのない言葉につい聞き返す。

場所の名前なのは推測できる。

 

するとレドが会話に割り込んできた。

 

「あー、お前もしかして内陸の生まれ?」

「たぶん西の方だけど、……なんだよ」

「ほほう。さてはお前、海に行ったことないなー?」

 

滅茶苦茶ニヤニヤして見てくる。

ふん、海とか知らなくてもオレは今までやってこれたし、今後も支障ないだろ。

 

そのあと海がいかに広いかなど、意気揚々と語られた。

 

……どうやら、とても大きくて水がしょっぱい湖、という解釈で良さそうだ。

 

 

 

§ § §

 

 

 

散々な昼を送った俺は這う這うの体で帰宅後、猫に魔力子活性剤の件の報告をした。たまに思うのだが、この猫はどこから人間と同じような声を出しているんだろうか。

 

「魔力子活性剤……、おぬし曰く、『前回』はどこぞの研究所で開発されたものをアバドーンが強奪して使っていたらしいが、『今回』はどこぞのチンピラが使っていたと」

「ああ、誰からか貰って服用したんだと」

 

オレと猫が話していると、いつの間にか近くにいたグレイが不満そうな声をあげた。

少し周囲の警戒を怠っていたな、話すタイミングを失敗した。

 

「お猫さんとお師匠はいつもコソコソ『前回』だとか『今回』だとか……。一体何の話してるんですか。とりあえずお師匠が物騒な人間で、何かを非合法な方法で企んでるのは知ってますけど」

 

こっち側に引き込むのはめんどうくさいので、グレイには詳しい事情は一切話していない。そのため、時々このように詮索してくるのも全て適当なことを言ってごまかしていた。

今日もいつも通りそうするはずだった。しかし、その前に猫が言ったのである。

 

「アコラスは未来の記憶があってな、簡潔に言うと歴史改変を企んでおる」

「おいっ!」

 

このクソ猫……!言いやがった!

 

「……マジですか?お師匠、まさかの未来人ですか?」

「まあ落ち着け、アコラス。おぬしが懸念していることはわかっている。それを考慮してもグレイには話しても問題ないと、余は判断した。それにグレイは聡いから、自ずと気がついてしまうと思うぞ」

 

猫はふてぶてしく言い放った。

確かにこのクソガキはやたら頭が回る。猫の言うようになる可能性もある。

……もともとグレイは気まぐれで拾ってきたやつだ。どうなろうと知ったことではない。

 

「……知るか。もう、寝る」

 

オレは猫とグレイを残して、奥の部屋に去った。

 

 

 

§ § §

 

 

 

ふむ、あやつ、ふてくされて引っ込んでしまったな。

 

ではどこから話そうか。余とアコラスの出会いから……。

何?そこはいい?

 

仕方がない、本題に入ろう。

 

まず『前回』とは、アコラスが以前経験した【N.C 1000】までの、もう一つの世界のことだ。

そして『今回』は、【N.C 1000】までを体験したアコラスが、記憶だけ【N.C 992】に戻ってきてから現在までの世界のことである。

 

……証拠もなしにそんなこと、妄言か、頭でもおかしくなったか、と反論されるかと思えば、さすがグレイ、理解が早い。おぬしの言う通り、アコラスにとって今は二度目の【N.C 998】ということになる。

 

……色物扱いされているが、魔力子は時空に作用する説や、魔力子の反物質仮説から考えると未知の現象が起きる可能性は否定できない、と。

 

ともかく、アコラスの目的、未来を知っているあやつが何をどう変えたいかということだな。

 

あやつの言う『前回』では、アバドーンとアプシントスが、奴らの崇め奉る『主』を復活させようとして、結果、【N.C. 1000】に世界中の人間が魔力子を抜かれそうになる、つまり殺されそうになるらしい。

それはどうにか防げたらしいが、そこに至るまでに犠牲が出過ぎたから減らしたい、とのことだ。

 

世界中の人間から魔力子を抜くなんて、これはさすがに突拍子もないし、そんなことできるのか、という顔をしているな。

それは余も思った。

 

だが、未来の記憶があるなんて言い出す人間はそうそうおらぬからな。実に興味深い。余はアコラスがタイムリープしてきたということを実際にあったことと認めて、その行動と行く末を観察させてもらうことした。

 

その代わりに、アコラスに助言や手助けをする。そういう取り決めをしたのだ。

 

グレイ、おぬしはおぬしで好きに捉えてよいのだぞ。

 

話を戻そう。

 

犠牲が出過ぎた理由については、一つ目が国家魔術師たちの戦力が、軍内部にいるアバドーンの内通者によって削がれてしまったからだ。具体的には、【N.C. 998】に第一課を中心として国家魔術師を狙った連続殺人事件が起きることと、極秘会議中の軍上層部の襲撃事件が起きることによってだ。

 

二つ目は、【N.C. 1000】に『天使』という非常に強力な魔術師のような何かが4体現れたからだ。突然現れたかと思ったら、首都の半分を壊滅させて、第16地区を起点に人間から魔力子を抜き取る魔術のようなものを展開した。これが先ほど述べた、世界中の人間が殺されそうになる事件だな。それを阻止するために第一課を中心に軍が交戦したが、戦力不足によって、残存していた者も次から次へと死んでいったのだと。

 

だから、軍に潜入することで内通者を探して、非合法な手段で排除し、上層部への襲撃事件を防ぐ。そして、軍と国家魔術師の消耗を抑える。

それがアコラスが現状やろうとしていることである。

 

……何をどう変えたいのかはわかったが、なぜ変えたいのか?

 

本人の気持ちまではわからぬ。それはアコラスに聞いた方がよいであろう。

 

……余がおぬしにこの事を話した理由?

 

アコラスはそこまで気がついていないようだがな、余もおぬしも、あやつと会っていなければすでに死んでいただろう。つまり、『前回』の【N.C. 998】時点にはいない。もう未来は変わりすぎているのだよ。さらに少し変えたところで今さらすぎる。それに、我々が未来を知ったとしても、我々には介入できるような力はないと判断した。

 

首都にきてからというものの、思うところがあるようで不安定になってきておるし、あやつはどうも、未来のことを話したことが原因で事態が悪化するのを恐れているようだから、悪化しない実例を示してメンタルケアを図ったのもあるがな。

 

 

 

§ § §

 

 

 

懐かしい夢を見た。もうずっと昔のことだ。

 

オーキッド派がアプシントスと手を組み、襲撃を成功させたことで焦って血迷ったのか、クリュティエがアイリスを殺そうとした。ついでにオレも。

でも、アイリスはあの時もオレを助けてくれた。オレを連れて逃げようとしてくれたんだ。

オレもアイリスを助けようとした。

それでクリュティエの追手が来たから戦ったんだ。けど、結局ダメだった。

アイリスのことはその場に駆け付けた第一課の皆が助けてくれた。

オレは皆を酷い目に遭わせたことだってあったのに、助けてくれた。

 

それから第一課に保護されて、しばらくの間だけ穏やかな時間を過ごした。

 

レドは、クソガキ呼ばわりして髪ぐしゃぐしゃにするし。

リーンは、優しく微笑みながらもなんか相変わらず息が荒いし。

ブレウは、チビだのなんだの言ってくるし。

ヴァイスは、アイリスと仲良さそうでむかつくし。

ネロは、なぜか勝手を知っているはずの軍の敷地内で迷子になってるし。

 

なんだこいつらと思うこともあったけど。

アイリスが楽しそうだったから、オレはそれで良かった。

 

でも振り返れば後悔しかない。

オレがもっと強ければ、置いて行かれなかったんだろうか。

みんな死なずに済んだんだろうか。

 

 

 

目を覚ますとまだ日は登っていないのか非常に暗い。

……いや。

 

「何してんの、お前」

 

猫がオレの顔を覗き込んでいたので暗かった。

 

「要件は二件だ。一件目、グレイには話をしておいた」

「……そーかよ」

「二件目、魔力子活性剤についてだ。先日の事件は薬を渡した者にとっては試験的なものだったのかもしれないな。ゴロツキなら魔力子活性剤の副作用で好戦的な性格になっても、ある程度ごまかしが効くと考えたか」

「魔術が強力になってるところはごまかせてないし、なにより犯人が口を割ってるじゃん」

 

猫の言うように魔力子活性剤の効果を試したかったのなら、犯人の実力と事件時の魔術で大きな差があることも、謎の人物から薬を貰ったこともバレているから、裏にいる者にとっては相当なミスじゃないか。

 

オレの言葉に対して、猫は興奮したかのように全身の毛を逆立て、語気を強めた。

 

「そう。それなのだ。そこが余は気になるのである。……一つ仮説を考えた。もしかしたら、今回の一件は魔力子活性剤を渡した連中、とりあえずアバドーンとすると、やつらにとっても予想外な出来事であったのかもしれないとな」

「犯人が口割らないように、終わったら殺そうとしてたけど出来なかったとか?」

 

死人に口なし。

犯人たちが死んでいれば、誰かにとって都合が良かったってことか?

 

猫は偉そうに頷いて話す。

 

「うむ。例えば、事件の対応に当たった魔術師がやむをえず犯人を殺害するなどであれば、自然に排除することができる。だとすると直接手が下せる、またはそういった指令を飛ばせるポジションにアバドーンの内通者がいた可能性がある」

「そうすると、第二課にいる可能性が高くなってくるな」

 

オレが第二課の面々の顔を頭に浮かべていると、

 

「おぬしは一つ忘れているぞ、第三課もだ」

「……ウィステ先輩と課長の二択じゃん」

「今回のウィステ嬢の働きを聞くと、ありえない話でもあるまい。それに第三課も、第二課と情報課から情報が回ってくるのであろう?まあ、上層部の情報まで手に入れられるかというと難しい気もするがな。……そろそろ、『前回』通りなら国家魔術師の殺人が起きる時期だ。内通者も動きを見せる。特定しやすくなるだろう」

 

そう言い終わった猫はオレの頭の横で丸くなった。

 

ぼんやりと天井を眺めながら考えをまとめる。

今のところ、頭部と心臓が持ち去られた死体が発見された、というニュースは耳にしてないし、軍内部でもそういう話は回ってきてない。

アバドーンの集会所は、この前行方不明者が出たために、少し警戒している様子だ。

 

「……一件目は起きるのを待つ」

 

オレが呟くと、猫は返事をする。

 

「国家魔術師の殺人のことか」

「あくまでも、国家魔術師の死ぬ人数が減らすのと会議で上層部に被害が出るのを防げればいい。一回成功すれば、あいつらも調子に乗ってボロが出るだろ。そこを狙う」

「余はおぬしの決めたことには従う。好きにすればよいぞ」

 

そう言い終わると猫は寝息をたて始めた。

 

時計を見ると時刻はまだ日の出前。まだ少し寝ていてもいいか。

それにもうちょっとだけ、幸せな夢を見ていたかったのだ。

 




ここまで読んでくれた皆様はすでに多数の突っ込みどころを見つけていただいたと思うのですが、その中でも二点について、ここで全力言い訳したいと思います。

・一点目「登場人物の階級にいっさいふれられていないけど、どうなってんだコラ」
…考えてはいます(震え声)。ただ自分はミリタリー知識がほとんどないので、今までぼやかしてきました。作中で実は「国家魔術師の課ができた当初、トップになった人物が外部から呼ばれた者で、『階級とかわかんない!それ使って呼ぶのなしね!』と部下たちに強制したために、魔術師同士では階級呼びをしないという慣習がある」という設定があります。言い逃れだけは得意なんです。
どの課も大体みんな幹部候補生の教育は受けていないので下士官くらいです。尉官はパラパラいる程度で、課長クラスは佐官です。

・二点目「登場人物の姓はどこいった」
ぶっちゃけ名前を考えるのが面倒でした。名乗るときは「我こそは○○の息子で□□の孫、△△~」みたいな感じで姓のない文化圏にしようかと考えていたのですが、現代日本において、あまり馴染みのない文化ですのでどうしようかなと検討中です。もしかしたら今後、ひっそり姓を追加するかもしれません。


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3-3

【N.C. 998】

 

今年が始まって四か月目になった。

まだアバドーン側に動きはない。

 

朝第三課にいくと、いつもオレより早く来ているウィステ先輩の姿はなかった。珍しいこともあったものだ。

 

「やあ。初めまして、になるね」

 

突然奥から声がする。それまで全く気配がなかった。

声の方を向くと、そこにはニコニコと笑う中年男性がいた。

 

「まあまあ、そう警戒しないでくれ。私はローザ。第三課の課長さ。ほら、これが証拠だ」

 

身分を示す物には確かにこれまで一度も会ったことのない、いや、なかった上司の名があった。

 

ある時は、オレが席を外しているときに現れ、またある時は、オレが来る前に帰る、というびっくりするほどすれ違って会えずにいた課長との初対面である。

 

「……初めまして、ローザ課長」

「突然だが、君にお願いしたいことがあって会いに来たんだ」

「お願い?」

「ちょっとお使いに行ってきてくれないかい?」

 

……は?

 

「時にアコくん」

 

オレがポカンとしていると、ローザ課長は常に空席だった、課長という席札の置かれた机に腰を掛ける。

 

「我々のなかにネズミが紛れ込んでいるようでね」

「ネズミ……、スパイってことですか」

「君は何か知っているかい?……なんてね」

 

ネズミ……、内通者がいる、または現れた、ということに気がついたってことか?

ローザ課長は相変わらず笑みを浮かべていて、表情から読み取れることはなかった。

 

「少々手間だが、ネズミの駆除のために行ってきてもらいたいところがあるんだ」

「ウィステ先輩じゃなくて、オレに?」

「道中何があるかわからないから、ウィステくんには頼めないお使いでね。それで君は、どんな魔術を使うんだったかな?」

「……身体強化だけです。それ以外は全然」

「結構。自分の身を守る程度の戦闘能力があれば問題ないよ」

 

課長は足元に置いてあった鞄をこちらに渡してきた。

持つと随分とずっしりしていて、中に入っているものが気になる。

 

「お使いは片道でも時間がかかるから、必要なものを入れておいた。君には今から北東の砦に向かってくれ。北東の砦についたら、この身分証をみせてオリバーという門番に要件があることを伝えるんだ。そして、彼がやってきたら『ローダンテからの頼みで来た』と言ってこれを」

 

さらに、平べったい箱を手渡される。

それよりも聞き捨てならないことがあった。

 

「今から?」

「ああ、今からだ。遅くとも昼には首都を発ってほしいね。それなら、一度自宅に戻る時間もあるだろうし、鞄の中の服に着替えることもできるだろう。それと、鞄の中のノートに旅程があるから、乗る馬車の時間はそれで確認してくれ」

 

随分と急な話に少しついていけない。

何をそんなに急いでいるんだ?

 

そう思ったとき、肩をポンと叩かれた。

 

「このお使いは君の目的にもきっと役立つよ」

「……一体何を」

「ははは、冗談さ。ちょっと意味もなく思わせぶりなことを言ってみたかっただけなんだ。カッコいいだろう?」

 

課長はずっとニコニコと笑っていた。

冗談なのか本気なのか、全く何を考えているのか読めない。

もし本気なら、オレがやっていることがバレている……?

 

「あ、そうそう。配属初日に渡したものは読んでくれたかな?」

 

突然話を変えられた。配属初日に渡されたものといえば、

 

「あの本ですか」

 

ウィステ先輩づてに渡された本のことだろう。それはわかりやすい子供向けの文章の付いた絵本だったが、なんでこんなものを、と思ったものだ。

 

 

「まだ読んでいません」

「そうだったか。絵がかわいらしかったからつい貰ってしまったものの、私が持つには似合わなかったからね。まあ、暇なときにでもめくってみてくれ」

 

 

 

§ § §

 

 

 

というわけで、オレは馬車に乗って北東へ向かっていた。鞄の中のノートにはご丁寧に、いつ・どこ行きの馬車に乗るかまで書いてあったのだ。

服装も清潔感のある白ブラウスに、シンプルなスカートと、わざわざ荷物の中に用意されており、遠い親戚が北東の砦で見つかったかもしれないので会いに行く、という設定らしい。

 

「お嬢ちゃん、一人かい?」

「え、あ、まあ」

 

同じ馬車に乗っていた老夫婦に話しかけられる。

 

首都からは目的地までは直線距離にして200km。馬車を乗り継いで四日ほどで着く予定だ。

運河や汽車を使う手もあったと思うが、ノートには馬車のチケットが挟まれていた。用意周到である。

 

しかし、あのローザ課長。雰囲気こそ柔らかいものの、油断してはいけないと第六感が告げていた。

彼は一体どこまで気がついているというのか。

 

「私達も、お嬢ちゃんくらいの孫がいてねぇ」

「女の子なんだけど最近軍に入隊して心配だよ、本当に」

 

俺が悩んでいる間にも老夫婦はのんびりと話し続けている。馬車内には他に3人ほど乗客がいるのに、なぜオレに話しかけてくるんだろう。

なんと言い返せばいいのかわからないので、とりあえず頷いておく。

 

こうして乗っているうちに、いくつかの馬車の駅を過ぎた。何個目かの駅で老夫婦は降り、また、他の人が乗っていく。

 

乗っていた馬車は夜になる前に便の終点につき、オレはその町や村で一夜を過ごす。そして朝になると乗り継ぎの馬車に乗り、北東へ向かう。

季節が春のため、風に花びらが運ばれて窓から車内に入ってくるのが、少しわずらわしかった。

 

一日、二日、三日とこれを繰り返し、四日目。オレは北東の砦にまで、順調に辿り着いた。

 

石造りの町並みの先には大きな砦がそびえ立っている。砦には食料を搬入するなど、町に出入りするための門があった。ここにローザ課長から言われたオリバーという人物がいるらしい。

 

身分証を持って、門番に話しかける。

 

「あの、オリバーって人はいますか?」

「ん?オリバーじいさんのことか?おーい。じいさん、若い嬢ちゃんがあんたのこと呼んでんぞー?」

 

門番は横の小屋に大声で叫ぶと、中から老人が出てくる。話が早いな。

 

「うるさいぞ、全く。……おや?」

 

オレの顔を見て「はて?」という声をあげる。それもそうだ。面識の全くない人間が呼んでいるんだから。

そこで、課長から教えられたフレーズを言う。

 

「あの、ローダンテの頼みで来ました」

 

オリバーという老人は、オレの言葉にフムフムとうなずいてから、

 

「ちょっとここで立ち話もなんだ。こちらに来なされ」

 

と、出てきた小屋に案内される。

最初に話しかけた門番は、用は済んだとばかりに、門の外へ向き直ってあくびをしていた。

 

小屋に入ると、雑多な物の他に机と椅子二脚が置いてあった。

 

オリバーはオレに片方の椅子に座るよう促し、彼もまた着席した。

 

「さて。ローダンテか。何のようかな?」

「これを渡しに」

 

鞄の中から謎の箱を取り出す。道中気になって開けようとしたがダメだった。オレの力任せでも開かないってどうなっているんだ。

 

箱を受け取ったオリバーは、それを懐にしまう。

 

「これがいったいなんなのかと気になっておるな?」

「……まあ」

 

『ネズミの駆除』。課長はそう言っていた。

だが、内通者の特定・排除と、この箱やオリバーという老人は何の関係があるんだ。

 

「あいつが君を選んだということは見せてもいい、ということでもある」

 

何を?

 

オレの疑問をよそに、オリバーは立ち上がって部屋の隅に行った。

そして、なにやらごそごそとしたかと思えば。

 

「ついてきなさい」

 

先程まで床だった小屋の隅は、地下へ階段が繋がっていた。

 

「これはいったい……」

 

オリバーは明かりを持って、下に降りていってしまった。

 

どうなってんだよ、おいっ。

 

 

 

地下への階段を降り初めてしばらくすると入り口の床部分は閉まっていた。

 

「それは勝手に閉まるようになっておる。閉じ込められた訳ではないから心配するでないよ」

「でも、もう一人の門番に黙って、いなくなってもいいんですか?」

「それも構わん」

 

中は暗く、オリバーの持つ明かりだけが頼りだ。

滑らないよう、壁づたいに階段を降りていく。

壁はさわった感覚はゴツゴツとしており、どうやら岩のようだった。

 

長いこと階段降りていくと、前方から明かりのものではない、ボンヤリとした青紫の光が見える。

 

そこは岩肌が露出した広い空間があった。

中央にはところどころ弱く光っている岩があり、ここなら明かりがなくても、ある程度視界が確保されている。

 

オレが下まで着いたのを見計らい、先にいたオリバーが話した。

 

「これはな、昔々落ちてきた隕石の欠片じゃよ」

「隕石って……」

 

隕石と言われてすぐ思いつくものは一つしかない。

この世界の人間なら皆そうだろう。

 

「君が想像したように、人が魔術を使えるようになった境の出来事である、隕石『アプシントス』のことで間違いないのう」

 

もし仮にこの老人が言っていることが本当なら、これは非常に貴重なものだ。

博物館や研究所におかれているのではなく、砦の地下にあるのはなぜなんだ。

 

オリバーは岩に近づいていく。

 

中央には周囲よりも強く光る石が半分埋め込まれていて、驚くほど精密な球形だった。

 

ローザ課長に渡された箱は、オリバーの手のなかで開いていた。彼は石を手に取り、空だった箱の中に収める。強い光は箱の中から一切漏れていなかった。

 

「さあ、これをあいつへ持っていってやってくれ」

「あの、なにがなんだか……」

 

箱は再びオレの手元に戻ってきた。『あいつ』っていうのはローザ課長のことか。

 

そこでオリバーは唐突に語りだした。

 

「昔々あるところに、星に旅人と下僕たちが乗っておった」

 

「しかし、乗っていた星は散り散りになり、旅人と下僕たちは離ればなれになってしまった」

 

「ひとりぼっちになってしまった旅人は、不幸なことに落とし物をしてしまった」

 

「下僕たちは落とし物をいつまでも探し続けている。いつか、旅人と再び会えることを目指してな」

 

「そして、旅人もまた、旅の目的地へいつの日か辿り着くことを夢見ている」

 

「……………はあ?」

 

最後まで聞いてしまったが、何を言ってるんだこのじいさん。実はボケてるのか?

 

「この話はな、この地域でのみ、ひっそりと口頭伝承されている昔話だ。誰が言い始めたのかも、いつからなのかもわかっておらぬ」

 

あ、ボケてない。よかった。

 

「星とは?旅人とは?下僕とは?落とし物とは?ワシはずっと考え続けているのだよ」

「なんでここに隕石があるのかとか、なんで石が光っているのかとか、そもそもあんたは何者なのかとか、聞きたいことが山ほどあるんだが」

 

マイペースな老人に対して、つい素の口調で話してしまう。

 

「急かすな急かすな。まず、隕石が後からここに来たのではない。砦の方が後から隕石の上にできた、というのがワシの見立てだ」

「ここの砦っていつからあるんだ、ですか」

「この国ができるよりもずっと前じゃよ。もっと歴史を勉強してみなさい。次は光る石か。これは微かに魔力子を帯びておる。隕石の欠片に埋まっていたことから、この世界には元々なかったものだろう」

「魔力子があるってことは魔鉱石なのか?」

「いいや、別の物質だ。そして最後、ワシは昔魔力子のことを少し研究していただけの、ただの門番じゃ」

 

そして、オリバーは階段を登り始めた。

 

課長から預かった箱は元々は空で、今は奇妙な老人より石が入っている。どういう仕組みか。箱は今は簡単に開くようになった。開けると先程よりかは弱い光が広がる。他にも石を入れるためのくぼみがいくつかあった。

 

これを使って課長は何をしようとしてるんだ。

 

 

 

“………たい”

 

 

 

ふと声が聞こえた気がした。

 

周囲を見渡しても誰もいない。オレがそうしている間にも、オリバーはかなり上の方へ行ってしまっている。

 

このままだとおいていかれる。

 

オレは慌てて階段をかけ上るのだった。

 

 

 

地上、つまり小屋に戻ると、暗闇に目が慣れていたせいで、明るさに薄目になってしまう。

 

オリバーは扉を開けた。帰れってか。

逆らう気にもなれずに大人しく外に出ると、老人は告げる。

 

「これが君にとっても、あいつにとっても問題解決の糸口になることを祈るよ」

 

今のところ糸口どころか、糸がぐちゃぐちゃに絡まっているんだが。

そうしてオリバーはバタンと扉を閉めてしまった。

 

オレが一人小屋の前に突っ立っていると、先ほどの門番が声をかけてきた。

 

「嬢ちゃん、いったいオリバーじいさんに何の用だったんだ?」

「……遠い親戚がいるかもしれないと思って来たのですが、人違いでした」

「それは運が悪かったな……、いや、逆に運が良かったかもしれないぞ」

「どういうことですか?」

「あのじいさん、ちょっと気がおかしくなっちまってるみたいでさ。あんまり関わらないに越したことないんだ。まあ、長いこと勤めてるってことで、首になってないけどな」

 




馬車の速度は時速10kmくらいだとすると、直線距離200kmなら大体四日でいけるだろうと雑に見積もりました。


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3-4

【N.C. 998】

 

お使いはこれで終わりだろう。あとはこの箱をローザ課長に渡すため、首都に戻らなくては。

 

ノートは行きの行程が終わった時点で処分しろ、と指示があったので燃やしておいた。

 

帰りは行きの道のりを逆走する形となった。馬車を使い、汽車や車と比べるゆっくりなスピードで移動していく。利点は汽車や船が通らないところをカバーできることや運賃が安いことだ。

 

夜泊まる町や村もだいたい同じだったが、順調だった旅程にここで少し問題が発生した。行きの二日目に泊まった村までの道に落石があり、通れなくなってしまったのだ。

 

そのため、ルートを変更して別の村に泊まることにした。多少回り道になってしまうが、ここで一晩過ごせば、二日半で首都に帰ることができる。

 

その村には昼過ぎについた。こじんまりとしていて、農業を主体としているとりとめのないところだったが、花があちこちに咲いており、ヒラヒラと花びらが舞っている。

 

宿の部屋で旅程を確認していると、どこからか人の叫び声や何か争う音が聞こえた。

 

宿の者は様子を見てくると外に出ていく。オレも大切なものだけは隠しポケットに入れて外に出ると、火の手が上がっている建物があった。

 

そして仮面をつけた者と、仮面はつけていないが同じヤバイ雰囲気の者同士が争っている光景が目に入る。

 

 

 

……アバドーンとアプシントスがなんでこんな村で戦ってんだよっ!!!!

 

 

 

仮面をつけている方はアバドーン、つけていない方がアプシントスだろう。仮面付けて怪しいことしてる奴らも、それと同じような雰囲気の奴らも他にいてたまるか。

 

ふと、ある建物が目に入った。

見た限り真新しく、出来たばかりであろう建物を中心に戦いは起こっている。

 

オレはあの建物を知っていた。

 

そう、あれは、『前回』の世界でクリュティエに指示され、アプシントス幹部のルコンが潜む村に襲撃をかけたときのことだった。

ルコンらは村人の一人を仲間に率いて、拠点を作ろうとしていたのである。そこでオレたちは白昼堂々村に乗り込んで、拠点としようとしていた建物を取り囲んだ。

それと全く同じだった。

 

基本的にオレは地理などの情報は一切与えられていなかったので、村がどこかは知らなかったが、ここだったとは。花びらがやけに印象的だったから時期も大体同じなんだろう。

 

アバドーン側はオレがいない、という違いがある。あの時はクリュティエがオレの監視にヒュウという男をつけていたが、『今回』来ている幹部級はヒュウだけか、それとも別の人物か。

 

村人は逃げまどい、両組織の者たちは争っている。アプシントスの拠点と化していた建物は逆に手薄になっていた。

 

さて、どうしよう。

 

北東の砦までの用件で、ローザ課長がわざわざ遠い親戚に会いに行くと偽造させて送り出したのには、内通者対策が関係しているんだろう。ここでオレが無闇に飛び出していいものか。しかし、身を守るくらいの戦闘能力があればいい、とも言っていたので最低限は許すともとれる。

 

なぜ『今回』の世界で、ネフィリムが学校での演習を襲撃したのかはまだわかっていないし、あれ以降、ネフィリムの話が一つも上がっていないことも気になる。

 

アプシントスと接触してみるか……?

『前回』、オレ一人で建物内に侵入し、ルコンを倒した。特に工夫もなく正面突破だった。

 

扉が正面。裏手には窓と出入口が一つずつ。

どちらも警戒している者がついている。

 

なので壁からお邪魔した。

 

「か、壁が!?」

「一体何が起きて」

 

壁を壊したことで粉塵が舞う。

そこにいたのは二人。他の者は外でアバドーンと戦っているみたいだ。

混乱している彼らをすれ違いざま殴っておく。

『前回』通りなら、この奥にルコンはいるはずだ。スカートの中に隠しておいた拳銃を持って、扉を蹴破る。

 

「おらぁっ!」

 

銃口を室内にいる人物に向け、発砲した。

 

「誰だ!!!」

 

……うん、外した。至近距離じゃないとあたらないな、これ。

狙撃は得意じゃないから、もう少し使い慣れたいと思ってやってみたがダメだった。

 

「アバドーンめっ!!!ここまで来たか!」

「違ぇよクソ野郎っ!」

 

室内には男性としては小柄な人間、アプシントス幹部のルコンがいた。

本当に何もかも予想通り、いや記憶通りだ。

 

もとより警戒していたためか、すぐに魔術により発生させた水を鞭のように打ってくる。

オレの近くにあった扉が飛ばされた。

 

通常の鞭ではありえない軌道で飛んでくる上、当たるときの先端の速度は速く、その分だけ硬くなる。水でできているため掴むこともできないので厄介だ。

しかし、室内であることから遮蔽物も多く、ルコンは死角の部分をうまくコントロールできていない。

多少はオレに当たるものの、その他狙いを外した鞭の攻撃は室内の椅子や机を弾き飛ばすだけだ。

水以外に何か魔術を発生させている様子もない。

 

牽制程度に何発か撃ちながら、手ごろにあった花瓶をルコンの顔面に向けて投擲。

すぐさま花瓶は水の鞭で叩き割られる。

 

だがそんなことはわかっていた。

 

花瓶が目の前にきた一瞬、奴の視界は狭まる。

 

「水の魔術の使い方がなってねぇぞ」

 

クソババアと比べたらまだまだ凶悪さが足りないな。

 

隙をついて接近し、腹部にまずは一発蹴りを入れる。

 

「がぁぁあっ」

 

体勢が崩れた。魔術を使わせる前にさらに顔面に一発入れる。身体強化、特に防御の魔術があるなら、それを上回る力で殴ったり蹴ればいい。

 

魔術は脳が神経によって命令を送り手足を動かすのと同じように、体のどこの部分に発動させるかの命令を送ることで発動する。慣れていなければタイムラグも出るし、出力制御もうまくいかない。

そして魔術師に直接攻撃が通り、その強烈な痛みによって集中力が削がれれば、

 

「うまく魔術も使えないよなあ?」

 

痛みに耐えて魔術を使ったり、時々暴走気味に何か飛ばしてくる者もいるが、こいつの場合は口をパクパクとさせているだけのようだ。そういえばルコンは幹部といっても、回りより少し戦闘向けの魔術が使える程度だったな。『前回』はここでタコ殴りにしたが、同じようにしても意味はないだろう。

 

倒れたルコンが回復する前に口に銃口を突っ込む。

 

「下手な動きを見せてみろ。お前が魔術を使うよりも先に引き金を引いてやる。さすがにこの距離なら、身体強化もブチ抜けるぞ?」

 

ふごふごと何か言っているがさっぱりだ。撃ったばかりだからさぞかし熱かろう。

 

「肯定なら瞬きを二回しろ。否定ならするな。わかったな?」

 

かすかに頭を上下させる。わかりにくい。

 

「わかったならなんで瞬きしねぇんだよ、殺されたいのか」

 

一層強く口の中に拳銃を押し込むと、瞬きを二回した。よくできました。

 

「一年前、軍の学校を襲ったな?あの時の化物をお前は知ってるか?」

 

瞬きは二回。

 

「次の質問だ。まだ他にあの化物はいるか?」

 

目が泳ぐ。ためらっているかのような表情だ。

 

「おい、肯定の仕方も忘れたのか?オレはお前が死んでも困らないんだよ。お前がここで死んだら他のやつに聞く。そいつもダメなら、そいつを殺して、また別のやつだ」

 

瞬きは……、二回した。

ということはアプシントスの拠点のどこかにいるのか。

 

そこで外からバタバタと音がした。ルコンの部下か、はたまた攻めてきたアバドーンか。

 

拳銃を口から抜き、ルコンを蹴飛ばす。ヤツはそのまま壁を突き破り、外へと転がっていった。

 

離脱しようと、オレも穴の開いた壁から外を見た。

外の光が差し込んでくるとともに、ある人物たちが視界に映る。

 

茫然とこちらを見ている彼らの姿がオレの記憶の中のものと一致していく。

 

 

 

ああ、そうか。オレはこのとき初めて出会ったんだった。

 

 

 

レド、リーン、ブレウ。

 

そうだった。ちょうどこの頃だった。

 

アイリスに助けられ、クリュティエに従って戦う。大人でもオレが全力で殴れば倒すことができたから、力を振るうことが楽しくなっていた。クリュティエからお目付け役としてつけられたヒュウが少しウザかったけど、オレはいらない子ではないんじゃないかって思ってた。

 

ルコンを撃破したところで、外にアプシントスではない奴らがいた。

興味がわいた。初めて見る種類の人間だった。

 

アイリスでもなく。

 

先生でもなく。

 

アバドーンでもアプシントスでもない。

 

だから初めはちょっとちょっかいをかけてやろうという気持ちだった。

会うたびにコイツらは強くなっていった。

あの恐ろしいクリュティエとだって、やりあってみせたのだ。

 

 

 

オレは今初めて、心の底から過去に戻ってきたという実感がわいてきた気がした。

 

この五年以上、年月は二回目の経験でも、見ている物、起きていた事は違っていた。だから、この記憶は全部オレの妄想で、『前回』なんて本当はないんじゃないかって、心のどこかでずっと思っていた。

 

でもこの光景はオレの記憶の中にある通りのものだ。

 

オレはチャンスを手に入れられたんだ。

 

 

 

以前言った言葉が一言一句違えず自然に出てくる。

 

「あーあ、少しは手ごたえあると思ったんだけど。意外と弱かったな」

 

ボコボコにされたルコンをみた部下たちが口々に言った。

 

「そんな、ルコン様がやられただと!」

「ばかな、どうみても小娘だぞ!?」

 

レドが思わずといった様子で呟くのが聞こえる。

 

「おいおいおい、どうなってるんだよ……」

 

そして、アプシントスの一人がオレに向かって叫んだ。

 

「お前、何者だ!」

「オレ?オレは―――」

 

もうアバドーンでもクリュティエ派でもなく、軍も第三課もオレの目的のために利用しているだけだ。オレはオレのために戦っている。

だから、今のオレは、

 

「ただの、アコラスだ」

 

 

 

アバドーンもアプシントスも警戒している。

それもそうだ。突然現れたガキが幹部をぶっ倒したのだから。

 

「お前、なんでこんなところにっ!?」

「オレにも色々事情があるの、っと!」

 

レドに返事をしながら、切りかかってきた者の剣をかわし、首を狙う。

 

『前回』、アバドーンは逃げおおせていた。なぜなら、ヒュウが仕掛けておいた爆破物や煙幕があったからだ。

 

『前回』通り、逃げさせるか?

 

いや、ここでクリュティエ派の力を削げば、オーキッド派が活気づく。そうすれば奴らも動きを見せる。

 

ルコンさえ倒してしまえば、ここにいるアプシントスも残りは雑魚。

ならば、次は!

 

いることを確認して、ひょろっとした男に向かって瓦礫をぶん投げる。

 

その男は目を見開いた。だがこれくらいはなんてことないだろう。

 

「いきなり狙ってくるなんて危ないですよ、お嬢さん」

 

ヒュウ自体の戦闘能力は高くない。だが、様々な小道具を持ち合わせており、今投げた瓦礫も爆破によって粉砕された。

 

「ですが―――」

 

「しまった、逃げられる!」

 

オレが現れた時点ですでに撤退の準備をしていたようだ。相変わらず早さに感心する間もなく、爆発と煙幕によって視界がさえぎられる。

そして、視界が晴れるころには、

 

「ちぃっ!」

 

アバドーンはいなくなっていた。

 

 

 

連絡を受けたと思われる軍の地方支部の者たちが増援にきて、アプシントスの残党を処理したあとでようやく一息つくことができた。

 

「アコちゃん、なんでここにいるの!?」

 

リーンが飛びついてくるのを避ける。

 

「遠い親戚かもしれない人に会いに行った帰りに、たまたま巻き込まれただけだ」

「それは災難だったね……。親戚の人には会えたの?」

「親戚は人違いだから、そもそもいなかった」

 

その場はなぜか微妙な雰囲気になった。

 

なんだよ、その顔。

 

「……お前らがこの前、地方で任務するって言ってたのはこれのことか」

「うーん、正確には任務の帰り、かな?私たちも偶然ここを通りかかったの。ネロちゃんとヴァイスくんもあっちの方にいるよ!」

 

北東の砦への道のりは行きに地図を確認したとき、川を下った後に海辺の街道を北上するルートもあった。『東の海辺を経由して行った、ちょっと内陸のところ』とは、その街道から内陸へ伸びる道の先にあったんじゃないだろうか。そして帰りは別ルートで首都に向かっていたら偶然鉢合わせた、と。

 

「壁突き破って人が出てきたときはびっくりしたし、そこから見覚えのある顔が現れたのは混乱したよ。しかもアプシントスの幹部撃破なんて大金星じゃん。なあブレウ」

「……本当にここにいたのは偶然ですか?」

 

レドに話をふられたブレウはこちらを疑うように見てくる。

 

「はあ?偶然だっつーの。本当は別の村を通って帰るはずだったのに、落石で道が通れなくなったから、わざわざここに回り道してんだよ」

「それにしては手際が良すぎませんか?敵の拠点に一人で侵入して幹部を倒すなんて」

「ちょ、ブレウ、そんな疑わなくてもいいじゃないか。別に敵ってわけじゃないんだし」

 

確かにブレウの言う通り、スムーズに事を運びすぎてしまった。

オレは詳しい人員の配置は覚えていなくても、相手がどんな魔術を使うかわかっていたので、当然対処方法も知っていた。

早い対応に違和感を覚える者もいるだろう。

 

オレとブレウがにらみ合いをしていると、こちらに近づいてくる男がいた。

 

「新人くんたち、お疲れのところ悪いけど我々はもうここから引き上げるよ。この件の報告も急いで首都に戻ってから……ん?そっちの子は知り合い?」

 

ほっとしたリーンが耳打ちしてくる。

 

「第二課車両担当のオランジュさんだよ」

 

なるほど、この人が車を運転してこいつらはここまで来ていたんだな。

 

「私用で偶然居合わせた第三課のアコです」

「第三課?あそこってウィステさん以外にいたっけ?」

「今年から配属されました」

「ああ、じゃあ新人くんたちと同期ってことか、了解了解。しっかし、すごいところに居合わせたね。大丈夫?」

 

心配そうな目を向けられる。

そこにレドが割って入った。

 

「あの、オランジュさん。こいつも戦闘に参加してくれたんですけど、こいつの分の報告はどうしますか?」

「あー、第三課ってことは一応国家魔術師の括りだから。そうだな。君、私用のところ悪いけど、一緒に首都に帰ってもらえる?」

「……了解しました」

 

ここで逆らって、旅程のとおり馬車で帰る方が不自然だ。従っておこう。

 

オレは一言断りを入れてから宿に荷物を取りに行った。村はいくつかの建物が燃えてしまっていたが、宿は無事だった。

 

「なんでついてくるんだよ」

「ほら、荷物持ちっていうか」

「帰れや」

 

一つしかない荷物を取りに行くだけなのにレドがついてきた。

 

「そういえば、さっき『アコラス』って名乗ってたけど、そっちが正式な名前なのか?」

「うるせー、別にどっちでもいいだろうが」

 

書類上は全部『アコ』にしてある。一応、あの時あの場にある物は全て燃やしたが、警戒の意もこめて『アコラス』にはしていない。

 

「いや、よくよく考えるとお前のこと、まだ知らないことが多いなーって」

「オレはお前達のこと、よく知ってる」

「え?」

 

動きを止めたオレに、レドが何か言っている。

 

「お、おい、なんか顔色悪くない?もしかしてどっか怪我してた?」

 

 

 

“………たい”

 

 

 

「別に、どこもおかしくねぇよ」

 

 

 

“………たい、……りたい”

 

 

 

耳がざわざわする。北東の砦の地下で聞こえた声が再び聞こえた気がした。

 

本当は、オレが正気なのか、もう狂っているのか、どこがおかしいのか、よくわからなかった。

 




主人公が魔術を使えないのに一人称のせいで、作中での魔力子や魔術の設定がふわふわしているのでここで注釈。本当なら作中で説明できるのが望ましいのですが、自分の力不足で無理そうだったので。

魔力子は全身のあちこちに存在していますが、任意で片寄らせることができます。総量は個人で異なります。人体の外に出ると拡散してしまうので、必然的に体内や体表面近くで魔術を発動します。脳筋近接バトルさせたいがために面倒な設定にしてしまったと思っている。一旦生成してしまえば体から離れても大丈夫です。

魔術は、脳から神経を伝って命令を送り、魔力子を基に発動します。
そのため、神経系の発達する4~12歳の子供は研究対象として良い素体ですが、暴走する危険もあるため、軍では安定する13歳以降を戦闘教育している方針……といった感じです。きっとこれから人道的なことも考えられていくでしょう。

また魔術は、物質生成や変化、活性化、エネルギー生成を行う技術と定義しています。個人によって、生成できる得意な物や変化や活性化できる物は違います。

基本的な四つを例をあげますと、
・火の魔術…熱エネルギー発生(場合によっては可燃物と空気も無意識に作ってます)
・水の魔術…水(液体)を生成。連続体なら動きをある程度コントロールできます。
・風の魔術…気体(正確には空気と同様の複数気体の混合物)を生成し、速度をつけて射出しています。生成する気体は無意識のうちに空気作ってますが、もう少し時代が進めば、任意の種類の気体を作れるようになるかもしれません。
・土の魔術…農家大喜び。手から良い土が出てくるぞ!

この世界観だと未来で、窒素生成して相手を窒息死させたろ!とか可燃性ガス生成して部屋ごと燃やしたろ!とかになりそうで恐ろしいですね。


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3-5

本日二話目です。


【N.C. 998】

 

首都に帰るまでの道中は騒がしかった。レドはやたらと気を使ってくるし、リーンはベタベタしてこようとするし、ブレウは怪しいものを見るような視線を向けてくるし、ネロとヴァイスはマイペースだった。そこに第二課のオランジュという男が茶々を入れてくるのでオレの気は休まらなかった。

 

戻ってくるとまず村の襲撃に関する報告をした。ただし俺だけ別室に呼ばれ、そこにいたのはローザ課長一人だった。

 

「お疲れ様。アバドーンとアプシントスの抗争に巻き込まれるなんて、運が悪かったね」

「それはともかく。これを」

 

まず箱をローザ課長に渡す。

 

「ああ、お使いありがとう。オリバーは元気にしていたかい?」

「たぶんボケてるんじゃないですかね」

「ははは、そうか」

 

この人を見ていると誰かに似ているような気がする。その誰かはわからないのだが。

 

「それで、村で君はどのような動きをしたのかな?」

 

落石により、ルートを変更したことや変更した先で止まった村で抗争に鉢合わせたことを順々に話していく。

オレが壁を破壊してアプシントスの拠点に侵入したところなどでは、課長は爆笑していた。

 

「窓も扉もダメならって……、アッハハハ」

 

そして、ルコンと遭遇したことに加えて、ネフィリムの名前を出さずにあの化物が他にもいるらしいことを伝える。

 

「なるほど、その情報は大きいな。もちろんルコンはすでに拘束して尋問中だが、早くにそれがわかったことだけでも収穫だ」

 

 

 

こうして例のお使いから帰還したオレは、ウィステ先輩が帰った後の第三課で一人、まだ一度もちゃんと読んでいない絵本と向き合っていた。

あの食えない課長から渡されたものだ。やはり目は通しておこう。

 

しかし、絵本ね……。

 

何気なく本をひっくり返すと、裏には作者の名前があった。

 

『オリバー』

 

あのジジイかよ!

 

ローザ課長とオリバーは知り合い以上であることは間違いない。しかし、何を考えてあの老人はこんなものを作って課長にあげたんだ。

 

……とりあえず読もう。

 

ページをめくると、ファンシーな絵柄とともに子供向けの文章が並んでいる。

 

 

 

『むかしむかし おほしさま に のって たび に でた かみさま が いました。

 

かみさま は よにん の めしつかい を つれていました。

 

あるひのこと。

 

のっていた おほしさま は べつ の だいち と ぶつかってしまいました。

 

その しょうげき で かみさま の もちもの も のっていたほし も、

 

あちこち へ とんでいってしまいました。

 

めしつかいたち も ほしのかけら の なか で ふかいふかいねむり に ついてしまいます。

 

かみさま は きずついているのに ひとりぼっち に なってしまったのです。』

 

 

 

えええ……、初っ端から事故発生してるんだが。

降ってきた星が地面に突き刺さっているというシュールな絵が描かれている。

 

 

 

『あちこち へ ちらばった かみさま の おとしもの。

 

それ を ひろった もの が いました。

 

かれらは べつ の だいち の ものども でした。

 

ひろいもの で かれら は たくさんたくさん さかえました。

 

たくさんたくさん こわして、 だいち を よごしました。

 

かみさま は とても おこりました。

 

かって に じぶん の もの を つかった うえ、

 

わるい こと にも つかったからです。』

 

 

 

今度は小さい星を拾った人が喜んでいる絵だ。そして『かみさま』とやらが背中から怒りの炎を上げている絵が続く。背中が熱そう。

 

 

 

『おこった かみさま は めしつかいたち を おこそう と しました。

 

でも かれら は なかなか めざめません。

 

しかたがないので おとしもの を うばった ものども の なか で、

 

こえ が とどく もの を あらたな めしつかい に しました。

 

あらたな めしつかい に よって ほし の かけら を あつめさせ、

 

もといた よにん の めしつかい を めざめさせようとしたのです。』

 

 

 

『かみさま』が呼びかけている様子が描かれ、『めしつかい』が増えた。

 

 

 

『ながいながい じかん が たちました。

 

かみさま は よにん の めしつかい を めざめさせました。

 

ついに おとしもの を とりかえすこと も できたし、

 

よごれた だいち も きれい に なりました。

 

これ で もう あんしん です。

 

もう にどと おとすこと の ないように、 だいじに だいじに しまって たび を 

おわらせるのでした。』

 

 

 

最初の方に出てきた『めしつかい』が丸い石の中から出てきて、『かみさま』のところまで走っていく絵や、『おとしもの』である小さな星を集めていく絵、そして、その星を抱えて眠る『神様』の絵でこの本は終わっていた。

 

で、この絵本は何が言いたいんだ?

もう一度始めのページに戻る。

 

オリバーは隕石の上に北東の砦が建てられたとか言っていたり、課長の箱に収められた石は隕石の欠片の一部だったが……。

 

……降ってきた星。

 

これって隕石のことか?

『アプシントス』とのちに名付けられた隕石の落下を境に、人間には魔力子が宿って魔術が使えるようになった。

 

そして絵本。『かみさまのもちもの』を拾って使い、栄えた者達がいた、とある。

『かみさまのもちもの』が魔力子で、それで栄えたのが人間、と解釈できる。

 

じゃあ『かみさま』は何を表しているんだ。それに『めしつかい』も。

 

『アプシントス』って聞くと、隕石よりも先に『主』がなんだのとうるさいテロリスト集団の方が浮かんでしまう。

 

あ、そうか。『かみさま』をアバドーンやアプシントスのいう『主』ってことにすれば、話が見えてくる。『主』が奴らに声を届けて新たな『めしつかい』、つまりは配下にする。

じゃあ元いた四人の『めしつかい』は、『天使』?

『ほしのかけら』は絵では丸い石だ。ということは、オレがローザ課長に渡した隕石の欠片だろうか。

 

この絵本をこの解釈で読み直す。

 

隕石『アプシントス』には、『主』と『天使』がいた。しかし、衝突の衝撃によって、『主』が持っていた魔力子が世界中に散らばり、人間に宿る。人間は魔術が使えるようになって栄えた。自分の力を勝手に使われた『主』は怒って配下の『天使』を起こそうとしたができなかった。だから、条件はわからないが、人間の中から素養のある者を配下にし、そいつらがアプシントスやアバドーンになった。彼らの主張は「隕石によって人間は滅ぶべきだった」とか、「魔力子を還せ」とかだから、絵本の内容ともつじつまが合う。

 

そして最後の方。隕石の欠片を集めることで、そこから四人の『天使』が復活し、魔力子が『主』に戻ってきて人間が死ぬ。

 

『前回』の世界の最後の方で起きた出来事と重なる。

 

まるで予言めいたこの内容を描いたのはオリバーだ。オレにみたいに未来の記憶があるのか?

 

他に考えられることとして、彼は昔魔力子のことを少し研究していた、と言っていた。魔力子が『主』や『天使』由来だとして、そこを調べていくうちに辿り着いたのか?

 

もしこの本が正しいと仮定すると、アプシントスやアバドーンは隕石の欠片を探している。

クリュティエらもオレの知らないうちに探していたのだろうか。

 

隕石の欠片があるとわかれば、奴らを釣る餌になる。課長はそれを見越して、自分の手元に持ってきたのかもしれない。

 

オレに本を渡したのも、北東の砦に行かせたのも、これに気がつかせるため?

 

でもなんで直接言わないんだ?

 

内通者がいるかもしれないから?いや。それはもうわかっている。

 

考えろ、考えるのを止めるな。

 

オレはもう、オレの考えなしの行動のせいで、どうしようもないことになってしまうのは嫌なんだ。

 

 

 

……非常に近いところに、いる?

 

『おぬしは一つ忘れているぞ、第三課もだ』

 

以前猫と話したことが頭をよぎる。

背中に嫌な汗が流れる。

 

 

 

まさかウィステ先輩が疑われているってことなのか。

 

 

 

正直、その可能性は考えたくなかった。

 

 



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4-1

投降ミスしてましたので緊急懺悔投稿です。


【N.C. 998】

 

考えたくもない予想をしてしまったオレは退勤後のウィステ先輩の後をつけていた。

 

いつもウィステ先輩はさっさと帰ってしまう。以前何をやっているのか聞いたが、はぐらかされてしまった。もし、何か後ろめたいことをしていたら……。

 

彼女は第9地区に向かっているようだった。以前聞いた彼女の自宅とは場所が違う。

 

道中、彼女は花を購入したりと買い物をしているようだったが、自宅の方向には一向に戻らない。

 

ウィステ先輩はどんどん人気のない方へ歩いていく。

 

追跡を開始して、そこそこの時間が経った後。

 

ようやく、彼女は足を止めた。

 

そこは墓地だった。

 

一部の区画には身寄りのない者の遺体が収容される墓もあり、うっそうとしている。そのおかげか、何か秘密の取引をするには好都合そうだった。

 

誰かの墓の前まで行くと、花を備えてぼんやりと座り込んでいるように見える。

それなりの距離を開けているため、彼女がが何をしているのかはわからない。

 

数分その状態を保ったあと、ウィステ先輩は立ち上がって、薄暗い区画の方へ向かっていった。

 

……信じたくないが、まさか本当に彼女は何か後ろめたいことをしているのか。

 

ウィステ先輩は長年誰も手入れしていないようなボロボロの墓の一つに近づくと、雑巾を取り出してごしごしと擦り始めた。

 

 

 

つまり、墓掃除していた。

 

 

 

わざわざ、早く帰ってやることが墓掃除……?

 

今日はたまたま墓参りと墓掃除をしていて、普段は別のことをしているのかもしれない。そう思ってウィステ先輩の様子を観察していると、周りの墓が視界に映る。

 

あまり人が立ち寄らないような場所にしては、キレイになっている墓がいくつかある気がする。

まさか、本当にいつもここに通って墓掃除……?

 

でも、この人はなんで墓掃除をしているのか。

 

話しかけてみるか。ここにいる理由は適当にでっち上げよう。

 

「ウィステ先輩」

「うわっ!?アコ後輩!?あれ、休暇で首都から離れてたんじゃ?」

「昨日帰ってきた。それで今日はたまたま第9地区の方に用があって。先輩を見かけたから声をかけようと思ったんだが。少し忙しそうだったから、様子を見てた」

 

第9地区に用事があるのはウソだが、一応偽装のために買い物をしてある。

 

「え、なんかごめんね。……あ、今暇?用事終わった?」

「まあ、暇だけど」

「よし、いいタイミングだよ、アコ後輩。掃除手伝いお願い!」

 

何かごまかすように早口でまくしたてられると、近くにあった箒を持たされた。

 

「はい、じゃあそこ掃いてっ」

「えー……」

 

仕方がないので枯れ葉などを集めることにする。

その間も先輩は墓石からコケをとったり、磨いたり、掃除を続けていた。

 

「なんで墓の掃除なんてやってるんだ?」

「ん?えーと、始めは単にお墓参りに来てただけなんだけど。ちょくちょく来るうちに、あっちのお墓達が誰にもお世話されてないのが、なんだかかわいそうになっちゃって……」

「じゃあ、先輩がいつも早く帰ってたのはここの掃除をするためなのか」

「いつも、ってわけじゃないけどね」

 

じゃあ、それなりの頻度でここに来てるってわけだな。

名前が刻まれている物から、誰が死んだのかもわかっていない物まで、そこには様々な墓石があった。

 

墓がかわいそう、か。

 

死んだらそれで終わりじゃないか。

死体が下に埋まってるだけの石に、意味なんてあるのか。

 

「何のために、墓なんて作るんだ」

「え?」

 

つい思っていたことが口から出てしまった。

 

「ど、どうしたの、アコ後輩」

「だっておかしいじゃねーか。ウィステ先輩に手入れされるまで、放っておかれていたのに。墓が作られない人間だって、いくらでもいるのに」

 

ウィステ先輩は拭いていた墓石をそっと触った。

 

「……どうだろう。でも、私は大事だと思うよ」

「なんでだよ」

 

彼女は無言で歩き出した。そして一番最初に花を供えていた墓まで戻ると、再びその前でしゃがみこんだ。

オレは彼女を追いかける。

 

「これね……、昔、よく一緒に働いてた、フラウムさんのお墓なんだ」

「……病気か何かか」

「ううん、任務中にね、三年前」

 

彼女はゆっくり首を振った。

 

「いつかに言ったでしょ。第二課にいたときにした、取り返しのつかない失敗」

 

ウィステ先輩の顔はうつむいていて、どのような表情をしているのか窺い知ることはできない。

 

「あの雨の日。彼女は、水魔術を使う黄色いフードの女に殺された。……私がもっとちゃんとしていれば、あんなことにならなかったのに」

 

水魔術。

 

黄色いフードの女。

 

オレにはその人物の特徴に、覚えがあった。

 

クリュティエ。

 

奴自身が強力な魔術師で、アバドーンのクリュティエ派はその力によって保たれていた。

あの女が手を下した人間は数知れず。その中でオレと会う以前にも国家魔術師を殺したことだってあっただろう。

 

しかし。こんなところで名前を聞くことになるとは。

 

「もうどうしていいのかわからなくて、結局いつまでもここに来続けちゃうの。私は、フラウムさんに謝っても謝り足りないから」

「謝る……?」

 

死んだ人間とはもう話すことなんてできないと思うんだが。

 

ウィステ先輩は震える声で言う。

 

「あああ……、後輩になんて話、してるんだろ。ごめんね、ごめんなさい」

 

その姿にどこか既視感を覚える。

 

『お?クソガキの癖に、一丁前に思い悩んでるなぁ。話すだけでも気持ちが楽になることもあるんだぞー?』

 

「別に。……話して楽になることもあるんじゃねぇの」

 

ウィステ先輩と目が合う。彼女の目は大きく見開いており、赤くなっていた。

オレは彼女の隣に座り込んだ。すると、先輩はぽつぽつと話す。

 

「私ね、ネイブさんのこと……好きだったの」

 

「でもね、ネイブさんにはフラウムさんがいたから。フラウムさんのことも大好きだったから、二人が幸せになってくれたら、それでよかった」

 

「なのに私のせいでフラウムさんが死んじゃって」

 

「もしかして、フラウムさんのことがうらやましいって思っちゃったから……っ。嫉妬しちゃったから、ああなっちゃったんじゃないかって、ずっと、ずっと……!」

 

泣いている彼女の横にオレはただ居ることしかできなかった。

 

 

 

「……こんな話、ビオレッタにも話したことなかったよ。なんだか、雰囲気に流されて、変な話しちゃった。ごめんね」

 

気がつけば日は傾いていた。夕日が墓地に差し込む。

 

「この辺りは第18地区も近くて治安もそんなに良くないから、もう帰ろっか」

 

随分長い間しゃがんでいたためか、立ち上がった後にウィステ先輩はよろめいた。

オレも同様立ち上がる。そのとき、彼女は小さく呟いた。

 

「ありがとう」

 

 

 

路地を通って表通りに向かう。

帰り道はなんとなく、ウィステ先輩もオレも無言だった。

あと7、8分も歩けば表通り、というところに差し掛かったとき。

 

 

 

どこからか鉄の臭いがした。

 

いや。

 

 

 

違う、これは血の臭いだ。

 

 

 

「アコ後輩?どうしたの?」

 

足を止めたオレにウィステ先輩はキョトンとした顔をしている。

 

「先、帰っててくれ」

「あ、ちょっと!?」

 

臭いの方へ走る。

 

どんどん血の臭いは強くなっていく。

 

出血の量が嫌でもわかってしまう。

 

オレは路地の奥まったところにたどり着いた。

この先は行き止まりだ。

 

 

 

そして、目の前には軍服を身にまとう死体が転がっていた。

 

 

 

頭がなく、胸のあたりに穴が空いている。

 

首と胸からは夥しい量の血が流れ出していた。

 

ついに、始まったんだ。一か月は早い。

 

「アコ後輩!この臭い、は……」

 

ウィステ先輩がついてきてしまった。遅れて死体を目にしてしまう。

 

「これ……」

「……血の臭いがした。たどってみたら、もうすでに」

 

先輩は冷静になるようにか、大きく深呼吸をする。ただ、血の臭いですぐに顔をしかめた。

 

「すぐに、連絡しなきゃ」

 

死体が誰のものなのか調べる必要がある。

服装は軍服だから、軍人である可能性が高い。

 

「オレ、認識票(ドッグタグ)確認するから」

 

しかし、頭が切り取られてしまったためか、首から下げているはずの認識票(ドッグタグ)は見当たらない。

あたりを見渡すと、茫然と立っているウィステ先輩が目に映った。

足元には認識票(ドッグタグ)らしきものがある。

 

彼女はゆっくりとしゃがみ込み、それを拾った。

 

「え……」

 

かき消えるような声がウィステ先輩の口から漏れる。

 

手から血にまみれた認識票(ドッグタグ)が零れ落ちた。

 

「ウィステ先輩……?」

 

近寄って彼女の落とした物を拾い上げる。

 

そこには、

 

「ネイブ、さん……、ウソ……でしょ」

 

血で汚れていながらも、『第一課』と『ネイブ』という文字がくっきりと刻まれていた。

 

 

 

『……あー、これは独り言なんだけど。さっきのあの人ね、前に私が第二課にいた時に一緒に働いてた人なんだ』

 

『それで、私第二課にいた時、とんでもない、取り返しのつかない失敗をしちゃって……。ネイブさんに合わせる顔がなくて、幸か不幸か、そのあとすぐ第三課に異動になったの。左遷、だったのかな』

 

『私ね、ネイブさんのこと……好きだったの』

 

『二人が幸せになってくれたら、それでよかったの』

 

 

 

「ねえ、うそ、ウソですよね?ネイブさん、ねえ、起きて、起きて下さい……っ!」

 

ウィステ先輩が死体にすがっている。

 

 

 

オレは以前、何を考えていた?

 

『一回成功すれば、あいつらも調子に乗ってボロが出るだろ』

 

その一回目を成功させた結果が、これだ。

 

 

 

§ § §

 

 

 

ネイブさんが殺害された時の様子を目撃した者はいなかった。

この日、彼はたまたま任務終わりにあの近くに一人で来ていたらしい。

 

彼の葬式は軍によって執り行われた。

第一課でも新人の教育を担当するなど、実力と信頼を兼ね備えた人物であったため、突然の死は多くの人が悲しんだ。

 

葬式の日は、雨だった。

 

あの日以降もアバドーンの集会所はいつもと様子はほとんど変わらなかった。ただ、新しくわかったことが一つ。ここにきて『イオン』という人物の名が話に上がるようになった。初めて聞く名前だ。こいつは重要なポジションにいるらしい。

 

ウィステ先輩はずっと休んでいる。時々ビオレッタさんが忙しい中見に行ってくれて、オレに様子を教えてくれるが、まだ出てこられる状態じゃないそうだ。

 

第三課はオレ一人だった。ローザ課長はそもそも来ない。

そこに、誰かが扉をたたく。

 

「よぉ。……入っていいか」

 

 

 

レドには空いている椅子に適当に座るように促す。

 

「…………」

「…………」

 

いくらいつも暇といえど、多少の仕事はある。レドがここに訪ねてきたわけは思い浮かぶが、わざわざ俺から話しかける理由はない。黙っているレドを放置して、淡々と作業をこなしていく。

しばらくすると、レドはポツリポツリと喋り出した。

 

「ネイブ先輩はさ、昔、俺が国家魔術師になりたいって思ったきっかけの人なんだ」

「……」

「第一課に入って、まだ短い期間だけど俺たちの指導もしてくれて、だからくやしいよ。こんな風に殺されて」

「……それで何しに来た。確かにオレは第一発見者だ。でも、話せることは捜査のとき全部話したし、その報告書にはお前も目を通したはずだ」

「それは、わかってる」

「じゃあ」

「けど、納得いかないことが多いんだよ。ネイブ先輩があんなに簡単に殺されることが信じられない」

 

オレはネイブという人物がどのような魔術師だったか、伝聞でしか知らない。

身近で見たレドの口ぶりから、相当レベルの高い魔術師だったことが伺える。

 

「……あの後、オレは周囲に実行犯がいないか探しもした。結果、犯人はおろか、切り取られた頭部すらも見つけることはできなかった。戦った痕跡もねぇ」

 

実に鮮やかな手つきだ。不意を突いたか、圧倒的な実力差だったか。

頭部の切断もキレイだった。力任せにやった訳ではないことがわかる。

あんなことができるのは限られた人間だ。

 

「俺、自分で言うのもなんだけど、変なところで勘が鋭いんだ」

 

レドはためらうように一度目を伏せた後、言った。

 

「お前、何か知ってるんじゃないか?」

「知らねぇよ」

「そっか。……押しかけて、ごめん」

 

席を立って出ていこうとするレドに、オレは思わず聞いてしまった。

 

「お前は犯人をどうしたいんだ?」

「そうだな……、しかるべきところで裁いて、罪を償ってもらいたい。それで、もうこんなことはやめてほしい」

「ぶっ殺してやりたいとか、許せないとか、思わないのか?」

「確かにネイブ先輩を殺した奴のことは憎い、と思う。だからといって、自分勝手に私刑を行うのも良くないと思う」

「……なんでだ?」

「きっと、歯止めが効かなくなっちゃうと思うんだ。どこまでが罪なのか。どう裁くのか。わからなくなって、いろんなことが全部許せなくなる気がするから」

 

そう言って、レドは去っていった。

 

 




・別に死んでほしいキャラなんていないですし、ネイブのキャラをまだ掘り下げていないので死んでしまうのは残念なのですが、演繹的に考えてネイブは遅かれ早かれ死ぬ感じだったので、ここで殺しておきました。

・国家魔術師は殉職率がそこそこ高いので、みんな結構精神的に病んでます。人手不足になりがちです。だから若くてもとりあえず頭数にいれろ!一人くらいいなくなっても現場を回せるようにしなきゃ!となったりする。アバドーンとアプシントスとかいう組織に普通だった人が突然加担したり、特に関係ない野良犯罪者もいっぱいいるので、一般市民もそこそこよく死んでしまいます。
この国、治安悪すぎ……?って思いましたけど、現代日本が平和なだけでしたね。

・国家魔術師の「国家」は、国家公務員の「国家」くらいのニュアンス。地方公務員相当の魔術師もいます。


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4-2

【N.C. 998】

 

あの日から数日後。この間にまた二人殺された。場所は首都ではないが、それなり大きい都市や街だった。

手口は同じだ。頭部と心臓を持ち去られた死体が残されていた。

新聞に『国家魔術師 次々と無残死体発見』の文字が躍る。

 

そして、オレはついに内通者が『イオン』という人物であることを突き止めた。アバドーンの集会所でイオンが重要な情報をもたらしてくれる、とついに口を滑らせた者がいたからだ。しかし、その者もそれ以外は何も知りそうになかった。また、オレの調べられる範囲で国家魔術師の名前を見ても、イオンという名前はいなかった。わかっていたが偽名だろう。

 

イオンはどうやってアバドーン側と接触を図っているのか。

 

オレと同じようにこっそりやっているのは間違いない。だが、機密に近いところにいる人物が、暇を持て余した部署のオレのように時間を取って動くことはできるのだろうか。それに第二課の四分の三程度と第一課は原則基地内の宿舎で寝泊まりしている。イオンは基地から抜け出しているのか。それとも第二課の残り四分の一や第三課のように、街に自宅がある者なのか。

 

動きやすさだけなら後者だが、あからさますぎる。

もし前者なら、上の方の地位にいると思われるイオンはどうやって自由時間を作って外に出ている?

軍属の者なら昼に外に出ることもできるだろうが、ほぼ事務職な第三課は例外として、第一課や第二課は届けを出さなくてはいけない。

 

なら、誰にもばれずに移動できる出入口はどこだ。

街中なら下水道がある。あそこはほとんど人が寄り付かない。ただ、悪臭で服に臭いがしみこむことだってあるから、使うのにはリスクがある。それに重要施設付近の下水道は管理されているはずだ。軍の敷地だって例外ではない。

 

悩みながらも第三課にいると、来客があった。

 

「アコさん、第二課から情報課にこれをお願いします」

 

そう言って書類を持って来たのは第二課のヘリオさんだった。恰幅のある、穏やかそうな男性である。

 

書類を受け取るとヒソヒソと話される。

 

「あの、ウィステさんは……?」

「いえ、今日も」

「そうですか。彼女、ネイブさんのことを本当に尊敬していましたからね……。うちのビオレッタさんもずっと心配しているみたいで心ここにあらずといった感じです。……しかし、第一課の人が三人も同じ手口で殺されるとは。特にネイブさんがあんなことになるなんて信じられませんよ」

「ネイブさんってそんなにすごかったんですか?」

「そりゃもう。第一課のベテラン魔術師です。単独任務も任されることも多くて、私の方が歳は上なんですが、良く世話になりました」

「そうでしたか……」

 

ヘリオさんは色々思い出すことがあったのか、いくつかネイブさんのエピソードの話してくれる。

その中で一つ気になることがあった。

 

「下水道で子供を……?」

「はい。大昔あちこち地面を掘って首都に下水道網を整備した時、作ったはいいものの、使えない区間があったらしくて。ある大雨の日の首都のはずれで、その区間上が陥没して落ちてしまった子供を、ネイブさんは助けたんですよ」

 

ヘリオさんは涙ぐみながら言った。

 

「あの人は、本当に素晴らしい人でした」

 

 

 

ヘリオさんは仕事で第三課に来ただけだったが、レドと同じように発見者であるオレから何か情報はないかと何人かここを訪ねてくる人がいた。彼らは皆口々にネイブさんの話をして去っていく。よほど慕われていたのだろう。

 

機械的に話せることは全部話したと伝え、彼らの話に相槌を打つ。

 

そんな時、第二課のスプルースさんが第三課まで息を切らせてやってきた。

彼は第二課に書類を持っていくときによく引き取りを行ってくれる人物である。そのため、オレとは顔見知りだったが、第三課に来るなんて珍しい。いつも不健康そうにやつれているが、今日はさらに顔色が悪い。

 

しかし、そんな感想を抱いたのもつかの間。

はあはあと息を整えたスプルースさんから飛び出したのは信じられない言葉だった。

 

「ウィステ先輩とビオレッタさんが大怪我……!?」

 

 

 

急いで病室まで案内されたオレを待ち受けていたのは、眠るウィステ先輩と、そのベッドの横に座るビオレッタさんだった。

 

「あ……、アコさん。来てくれたのね」

「……容体は」

「私はたった今起きたわ。何カ所か骨折してた程度だったけど、ウィステは……」

 

そう言って、ウィステ先輩のベッドにすがりつく。

ビオレッタさんの表情は見えないが、肩が震えていた。ごめんなさいという小さな声が聞こえ、その姿は以前墓の前で泣いていたウィステ先輩の姿と被って見えた。

 

病室を出て、ここまで連れてきてもらったスプルースさんに話しかける。

 

「なんで、そんなことに」

 

彼も戸惑いながら答えてくれた。

昨日ビオレッタさんはウィステ先輩を気分転換に少し散歩をしようと連れ出したらしい。そして、途中偶然人気のないところを通ったときに、仮面で顔を隠した謎の男に襲われた、と。

謎の男はビオレッタさんを狙っていたようであり、ウィステ先輩がかばって重体。その衝撃でビオレッタさんも重症になったところで、たまたま憲兵たちが通りかかって男は逃げた。男は心臓や頭を狙う素振りを見せていたらしい。

憲兵に助け出されたときにわずかに意識のあったビオレッタさんからの証言なので、今彼女が再び目覚めたことから、もう少しわかることも増えるだろうとも。

ウィステ先輩は未だに意識が戻っていない。

 

これで四件目。まだまだ序盤だ。

 

ここから、どんどん事態が悪い方向に転がっていく。

 

早くどうにかするんだ。

 

イオンを見つければいいのはわかっている。

 

 

でも、オレは身近な人がそんな目に合うなんて想像していなかった。

 

 

 

また考えていなかった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

「お師匠!聞いてますか!お猫さんも止めるの手伝ってくださいっ」

「余は猫だから無理だの」

 

首都にあるアバドーンの集会所、あのコーヒーハウスに集まった奴らを全員殺そう。

 

そうすれば、多少は奴らの戦力も削げるだろう。

 

「ああもう!少し落ち着いて下さいっ!!!」

「オレは冷静だ」

 

家で襲撃の準備をしていると、グレイが後ろで騒ぎ立てる。

 

「冷静な人は突然襲撃企てませんからっ。今のあなたは少し異常です!」

 

外に出ようとすると、扉の前に立ち塞がれた。

 

「クソガキ、そこどけ」

「お師匠だってまだまだガキですし、僕は退きません」

 

こちらが睨むと、キッと睨み返してくる。

 

「いいからどけ」

「今日何があったかは知りませんが、もう少し冷静になって考えましょう?」

「考えてなくて何度も後悔したから、今度はもうたくさん考えたんだよ。邪魔だっつってんだろ」

「嫌です」

「ぶっ殺すぞ」

「殺すもんなら殺してみてください。お師匠がいなかったら僕死んでるんですから」

「何言ってんだ、てめえ!」

 

訳の分からないことを言うグレイの胸ぐらをつかむ。それでもなお、こいつはオレを睨み続ける。

 

「言葉のとおりです!」

「滅茶苦茶なこと言ってんじゃねぇ!」

「滅茶苦茶なのはあんたの方ですよ!言わせてもらいますけどねっ、施設を変な奴らが襲撃して、研究員の大人も被験者の子供も殺されていくと思ったら、突然あなたが襲撃犯もわずかに生き残っていた研究員も皆殺しにして!偶然一人だけ生き残ってた僕を見つけたと思ったら、人のこと拉致して!なんであの時殺さなかったんですか!?他に行くところがないからあそこにいたのに!心底恨みました!!!かと思えば私生活はボロボロだし!飯はまずいし!挙句の果てには未来人!?ほんと、やること成すこと滅茶苦茶なんですよ!!!」

 

グレイの勢いに、つい胸倉から手を放す。

 

「ここでまた考えなしに行動するんですか?ここで無闇に殺しても意味ないんじゃないですか?」

「っじゃあどうしろって言うんだよ!……もう、考えてもわかんないんだよ。考えてなかったことが次から次へと来て……。わからないのも、当たり前だ。とっくにオレは狂っててまともじゃなかったんだから」

「まともじゃないなら、まともじゃないなりに、もっと考えて決めてください。あなたの目的のための手段を。僕も考えます。それで手伝って、いつまでもついていきます」

 

そして数秒後、グレイは再び口を開いた。

 

「お師匠は、これから起こる国家魔術師の連続殺人事件で死ぬ人を減らしたいんですよね。そして上層部が開くかもしれない会議に襲撃があるのも防ぎたい。だから確実に内通者を見つけ出すために、一件目が起きるのを待つ決定をした」

「だから今のうちにアバドーンをできるだけ殺して…っ!」

 

そうすれば、この手でイオンも、ウィステ先輩やビオレッタさんを襲った男も殺せるかもしれない。

 

「別に殺すなとは言ってません。例えば、連続殺人事件と同じ殺され方をする人間がたくさん出たらどうですか?」

「は……?」

 

突然何を言っているんだ、こいつは。

 

「アバドーンのメンバーの多くは一般人にとけこんでいるんですよね。そういう一般人が同じ手口で死んでいったら、皆焦りますよね?アバドーンも軍も」

 

グレイの言葉に頭がスーッと冷えていく。

 

「……アバドーンの奴らを同じ手口で殺せってことか」

「僕なりにどうすればいいか考えただけです。内通者探しに関してはまだ考え中ですが」

 

確かに理にかなっている。

軍からすれば、同一手口の殺人が横行するのだから、警戒しないわけがない。対策のための会議も早く行われて、アプシントスによるネフィリムの準備が中途半端になるかもしれない。

アバドーンからすれば、味方が自分たちの手口で死んでいく。仲間割れを疑う可能性だってある。内通者なんて裏切り行為を別のところでしているわけだから、疑心暗鬼になるかもしれない。

 

思わず、目の前にいる自分より頭一つ分小さい少年に言う。

 

「お前、狂ってんな」

「そんな僕のことを生かしたんだから、責任取って下さいね」

「……やなこった」

 

 

 

§ § §

 

 

 

オレはネイブの墓まで来ていた。場所は以前訪れたフラウムという元第一課の女性の墓の隣だった。たくさんの花が手向けられており、大勢の人が来ていたことが伺える。

 

「墓なんていらないって思ってたが……、確かに必要かも知れねぇな」

 

周りには誰もいない。オレは一人、ネイブの墓に向かって話しかけていた。

 

「オレはお前のことは全然知らなかった」

 

ネイブはオレが最初の一件を防ぐと決めて、強い意志を持って行動していれば死ななかったかもしれない。

だが、実際はオレの目的のために、一件目は起こるのを待つと決めた。誰かが死ぬことを許容していた。

 

「だけど、もう知ってる。お前が死んでからお前のことを話す奴らが大勢いたから」

 

ウィステ先輩はオレと一緒にいなければ、オレを追いかけてきてネイブの死体を直接見ることもなかったかもしれない。あそこまで大きなショックを受けることもなかったかもしれない。

 

「オレが、今さら誰かが死んだり傷ついたりして悲しめるような人間じゃないのは、わかってる」

 

ショックを受けたウィステ先輩をビオレッタさんが気遣って外に連れ出して、それで彼女らが襲われる、なんてこともなかったかもしれない。

 

「その『誰か』が身近な人間だったとたん、こうも取り乱すなんて、虫がいいよな。ほんと」

 

ネイブが死んで、多くの人が悲しんで、さらに二人死んで、ウィステ先輩とビオレッタさんが重症になって、それと引き換えにオレが手に入れられたのは『イオン』という名前だけ。

 

「良く知らない誰か、たかが一人、って思ってた。でも、そういうことじゃなかったんだ。今までオレが手をかけてきた人たちも、誰かにとっては、よく知ってる『誰か』だったんだ」

 

これからまた何人かが殺されるだろう。何者かに襲われて重体になった者も出るだろう。

 

「オレは『今回』ずっと自分のためだけに動いてきたし、これからもそうするって決めた」

 

そして、今まで通り自分勝手に、これからたくさん殺して、たくさん悲しませるだろう。いくら実態はアバドーンのメンバーでも、周りで普通に暮らす人から見れば一般人だ。恨まれもするだろう。

 

「最初にお前に言っておく。いいか?よーく、聞いておけよ。……全部が終わるまで、オレは絶対に誰にも謝らないからな」

 




主人公陣営
アコラス(実年齢11歳、外見年齢16歳、精神年齢13+6歳)…今週の止まるんじゃねえぞ大賞佳作。
猫(4~5歳)…声帯がなぞ。人や犬が持つようなものはないらしいのですが。
グレイ(9~10歳)…こんな10歳児は嫌だ。なんか管理局にいそう。
低年齢な上、ブレーキ役がおらず全員アクセル踏みまくりです。一般道走らないでアウトバーンへどうぞ。

上記で精神年齢に触れましたが、明確な物差しがない物は難しいですね。その人の環境や性格、価値観など様々な要素が影響しますから、子供でも大人っぽい子はいますし、反対に大人でも子供みたいな人がいる。登場人物の精神年齢をどう表現するかは課題の一つです。


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4-3

【N.C. 998】

 

「聞いた?また、心臓がえぐられて、頭が引きちぎられた死体が出たって……」

「しかも、それ、あの店の旦那さんの弟だってよ」

「え?どこからどうみても普通の人だったでしょ。そんな事件に巻き込まれるだなんて信じられないわ」

「最初は国家魔術師狙いかと思ったけど、一般人も同じように殺されるなんて物騒だねぇ」

 

街ではこういった話を聞くようになった。

憲兵による見回りが強化され、夜の人々の出歩きは少なくなった。

 

「次々と我らの同志が、下賤な者によって打ち取られてしまっている」

「まさか、お前アプシントスに情報を売っているわけではないだろうな!?」

「違う!お前こそ……!」

 

国家魔術師が頭部と心臓を持ち去られ、殺されるという事件は10件、重傷・重体は3件。最近は止まっている。

 

こうして、最初の事件から三か月が経とうとしていた。

 

 

 

「いや~、アコ後輩、悪いね。荷物持ってもらっちゃって」

「別に。で、怪我の具合はどうなんだよ」

「うーん。もう大丈夫だと思うんだけどね」

 

一週間昏睡状態だったウィステ先輩は一か月くらい病室に閉じ込められていたが、今では第三課に復帰している。ただ、一度襲われたことから、自宅を引き払って基地内の宿舎で過ごしている。

ビオレッタさんの方はウィステ先輩よりも怪我の程度は軽かった。だが、まだ医者から休んでいるべきだと言われても、ウィステ先輩にかばわれたことを負い目に感じているのか早々に復帰していた。自宅に関してはもともと宿舎住まいだったそうだ。

 

「でももう夏かぁ……。アコ後輩が来てから、時間があっという間に過ぎていく気がするよ」

「はいはい」

 

今日は情報課まで書類を受け取りに言っていたのだが、かなりの量だったのでオレはウィステ先輩の分もひったくって第三課まで運んでいる。彼女はふんふん鼻歌を歌っていた。最近よく歌うようになって、今日は怒りのメロディーだ。

 

「まだ情報課の人に怒ってんのか?」

「そうだよ!人と顔を合わせるたびにぶつくさ文句言ってきて!あー、腹立つっ」

 

情報課にはライラックというウィステ先輩の同期の男がいる。彼は以前からウィステ先輩と顔を合わせるたびに何かと言い合いになっていた。正確には、ウィステ先輩がものすごく突っかかっていく感じだった。

今回もうっかり鉢合わせてしまい、未だにウィステ先輩はご立腹のようである。

 

第三課の建物につくとウィステ先輩が扉を開けてくれたので、オレはそのまま中へ入り、机の上に書類をドサドサ置いた。そしていつも通り二人での作業を続ける。

 

「アコ後輩、最近雰囲気変わった?」

「知るか」

「えー?ひどいなーもう。…………色々心配かけてごめ」

 

「やあ、ウィステくんにアコくん」

「うわぁあああ!?ろ、ローザ課長!?お久しぶりです!アコ後輩、この人は……」

 

珍しくローザ課長が現れた。何か言いかけていたウィステ先輩は、ものすごく慌てている。

 

「ああ、彼女とは一回会ったことがあるから大丈夫だよ」

「そうでしたか!」

 

課長はオレたちの仕事をチェックするためか、パラパラと資料をめくる。

 

「時にウィステくん、ここの書類がないみたいだが。さきほど情報課に行ったとき、また喧嘩して一つ忘れたね?」

 

見ると確かに足りない。もらうときにいつもの喧嘩が始まって、早くこの場から去ろうと確認を怠ってしまった。

 

「うそ!?ああああああああっ?!!!??あ、アコ後輩!」

 

情報課に行きたくないウィステ先輩は、オレにすがりついてくる。

しかし、ニコニコと笑うローザ課長はそんな彼女に告げた。

 

「これは君のミスだから、君がいってらっしゃい」

「畜生ぉぉぉおおっ!」

 

 

 

「あのくらい走ることができるなら、もう元気だね」

「そうですね」

「さてアコくん、君にまた頼みたいことがあってきたんだ」

 

ウィステ先輩が走っていった後、課長は机の上に二つの箱をおく。一つは黒、もう一方は白だ。大きさは同じくらいで、以前北東の砦に行くときに渡された物と形もサイズも似ていた。特に黒の方はそっくりだ。

 

「この二つの荷物を運んでほしい。つまりまたお使いだね」

「今から馬車に乗って遠出ですか」

「いいや、明日に両方とも首都だ。黒の方は第5地区にある国立博物館へ持っていってほしい。そして白の方は第12地区の内務省傘下の施設までだ」

「中身は」

「見てもいいよ」

 

開けるとどちらも寸分たがわぬ丸い石が入っていた。ただし白の箱の方だけ、ほのかに青紫色に光っている。

 

「黒の箱の中身はキレイだろう?ガラス細工なんだ」

 

言外に白は本物、黒は偽物だと言っている。

 

……違う、白い箱の中身は本物に近づけた偽物だ。

本物は近くにあるけど、ここじゃない。

理由はわからないが、強くそう直感した。

 

オレが黙って二つの箱の中身を眺めていると、

 

「どちらも軍服のままで大丈夫だ。受付で私の名前を出せばいいから」

「わかりました。……ところでネズミの駆除はうまくいきそうですか?」

「はっきり言ってわからない。いや、わからなくなったといった方がいいかな」

「それはどういう……」

「長年の勘だね」

 

オレの行動によって事件は抑制されつつあるが、同時に混乱を招いてしまっている、というわけか。

しかし、ローザ課長はいつもニコニコしているのでその真意はわからない。

だが、明らかに何らかの動きを察知して、対策に乗り出している。きっと第三課はローザ課長の隠れ蓑なんだろう。

 

「ところで、第三課って暇ですよね」

「そうだね。暇が多い、実にいい職場だ」

「……もしオレがこんな窓際は嫌だって第三課配属拒否して、ここに来てなかったら、このお使いどうしてました?」

「そんな悲しいこと言わないでおくれよ。……まあ、おそらく私が出向くか、ウィステくんに頼んでいたんじゃないかな」

 

 

 

§ § §

 

 

 

ローザ課長が帰り、ウィステ先輩が情報課から帰ってきてしばらく経った後、珍しい客が第三課を訪れた。

 

「突然すみま、なぜ閉めようとするんです」

「アコ後輩、どなたー?」

 

ちっ。

 

仕方がなくオレはドアに紙を挟み込んできた、メガネをかけた男を通した。

彼はおずおずとウィステ先輩に話しかける。

 

「あの、ウィステさんですよね」

「あれ?そういうあなたはビオレッタの幼馴染みのメガネくん?」

 

ブレウが接点のあまりないはずのウィステ先輩を訪ねてきた。一体何の用なんだ。

先輩はキョトンとした顔でブレウを見ている。

 

「ブレウです。……お怪我はもう大丈夫なんですか?」

「え?ああうん。平気だけど」

 

ブレウはしばらく何か言いかけては止める、といったことを繰り返してから、ためらいがちに言った。

 

「その……、このようなことを言うのも、怪我をされたあなたに言うのは申し訳ないのですが……、ビオレッタさんを助けてくれたこと、ありがとうございました」

 

深々と頭を下げたブレウに対して、ウィステ先輩がわたわたする。

 

「へっ?いやあれはとっさに体が動いたというか、そもそも、もしも私が塞ぎ混んでなければ……」

「もしもなんて、ありませんから。……その、ビオレッタさんのご家族のこと、聞かれましたか?」

「家族?年の離れた弟がいるっていうのは聞いたことあるけど……」

「半年以上前ですが…実は亡くなられていたんです」

「そんなの聞いてなかったよ!?」

「たぶん心配かけまいと伝えていなかったんでしょう。それで僕、ずっと彼女のことが気がかりだったんですが……、そうでしたか。押しかけてしまって、すみませんでした」

 

ブレウが帰った後、オレは席を立った。

 

「あれ、アコ後輩どこいくの?」

「トイレだ」

 

ウィステ先輩に用件を伝えて、第三課を出る。

ここの建物はトイレもない、おんぼろ建築物なのだ。

 

そして、トイレへ……ではなく、ある別の建物の裏にいく。

 

「話ってなんだよ」

 

そこにはブレウが待っていた。さっきぶりである。

先ほどドアに挟まれた紙に、話があるから後でここに来いと書かれていたのだ。偉そうな上から目線メッセージで、正直放置してやろうかと思った。

 

「ビオレッタさんやウィステさん、そしてネイブ先輩が巻き込まれた例の事件のことです。どうもここのところ気がかりなんですよ」

「……そんな重要そうな話、オレにしていいのか?お前、以前オレのこと疑いの目で見て、いかにも信頼してません、って感じだったじゃねーか」

 

オレの言葉に気まずそうに視線をさ迷わせた後、驚きの言葉が出てきた。

 

「それは……、謝ります」

「なんだよ、気持ちわりーな」

「相変わらず失礼ですね。……調べてみたんです、第三課のこと。紛れもなく閑職扱いで、知名度も低く、人員はごく少数。それなのに統廃合の話が上がるたびに、緊急で議論しなければならない別の議題が上がって、細々と存続している。まるで……、いえ、僕が首を突っ込んでいい話ではないんでしょうね」

 

それを聞いて、ニコニコと笑うおっさんの顔が浮かんだ。……絶対裏で糸引いているだろ。

 

「で、気がかりってのは?」

「一連の例の事件、全て同一犯と考えられていますが、実際は別の思惑を持った2グループの別個の犯行ではないかと思ってるんです」

「お前が何考えているかは勝手だが、なんでそれをわざわざオレに言う」

 

レドといい、他の奴らといい、いちいちオレに言いたいこと言ってきやがって……。

 

「僕の知人友人たちに話すような内容ではないかと思いまして」

「お前失礼だな」

 

こいつ、さらっと知人未満って言ったぞ。確かにまともに話したことがあるのは三回くらいだが、話す内容はその距離間の人間に話すようなことではないと思う。

 

「国家魔術師狙いと市民狙い……、手口は似ています。どちらも心臓と頭がなくなっている。しかし、市民が被害者のケースでは頭部が見つかることがある。上は猟奇的な犯行、あるいは魔術師の頭部を狙っている犯行と見ているようですが……。首の切り方がどうもおかしい。国家魔術師の場合はキレイに切り取られているのに対して、市民は力づくで引きちぎられたのからキレイに切断されたものまで、よく見ると少々ばらつきがあります」

「…………」

「少なくとも国家魔術師狙いの方は計画的にやっているのではないか。そしてここからはただの推測です。……誰かが我々の任務の情報を流していて、こちらの動きを知っているのでは、と」

 

……驚いた。『前回』も早い段階で何か気がついていたんだろうか。

しかしこれは、ブレウがあくまで筋道立てて冷静に考えた推論だ。レドとは違う。あの時、あいつは明らかにオレが核心的なことを知っているのではないかと直感していた。

なるべく平静を装って話を続ける。

 

「身内に裏切り者がいるかもしれないから、おいそれと人に話せないってことかよ」

「こんなこと、ビオレッタさんには特に言いづらいですよ、全く」

 

こいつにとってビオレッタさんはよほど大切らしい。

 

「……ふん。じゃあ市民狙いの方はなんだ」

 

考えを探ろうと聞くと、ブレウはきっぱりと答えた。

 

「わかりません」

「ここまで推理披露しておいてか!?」

 

彼は腕を組みながら、淡々と続ける。

 

「なんというか、場当たり的というか……。もう少し調べればターゲットに共通項が見いだせそうな気がするんですが……。現場の情報だけから考えると、やれるところからやっている、という感じですかね」

「随分物騒なこと言うな、おい」

「ですが、君あまり驚きませんでしたよね」

 

いや、内心暑さからではない汗が流れた。

 

「突拍子無さ過ぎたからだ」

「ここはそういうことにしておきます。まあ、誰に報告すべきか悩んでいまして、是非君の上司にこの話のこと、お願いします」

「……課長ならたぶんある程度勘づいてる。それと中々会える人じゃねぇから、伝えられるかはわからねーぞ」

「そうですか、それならいいのですが……」

 

ブレウはフッと鼻で笑う。

 

「では、また。僕たち明日は久しぶりの休暇なので、レドたちを連れて来ましょうか?」

「もう来んな」

 

やっぱこいつ嫌いだ。

 




ちゃんと水洗トイレあります。


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4-4

久しぶりにお酒飲んだら気持ち悪くなりました。
久しぶりに便器抱えました。


【N.C. 998】

 

国立博物館。首都第5地区に存在する、自然史や歴史を中心とした資料が集められた施設だ。足を踏み入れると様々な展示物があった。今まで全く興味もなく、足を踏み入れることはなかったが……。

受付にローザ課長からの届け物を渡す。

 

「おおっ!お待ちしておりました!!!いや~、感激です。これが国立博物館に収められることになるとは」

 

受付の男性はにわかに興奮したようにしゃべる。それを聞きつけたのか、学芸員も集まってきた。

 

「これが隕石の……」

「貴重な逸品だ」

 

あっという間にオレの持ってきた黒い箱は職員しか入れない奥のスペースへ持っていかれた。皆やたらウキウキだったが、あれガラス細工なんじゃ……。

 

微妙な気持ちになっていたオレに、集まってきた学芸員の一人が話しかけてきた。

 

「ここの博物館はご覧になられたことはありますか?」

「いや、ないですが……」

「それなら、ぜひ自慢の展示物を見ていかれませんか?私、案内します!」

 

次の『お使い』に関しても急げとは言われていない。多少ここで見ていってもいいだろう。……別に、北東の砦でオリバーに歴史をもっと勉強しろと言われて、イラっときていた訳じゃない。

 

学芸員の女性は最初の区画にある、大きな街の模型図の前で話し始めた。

 

「うわっ、細か」

「これは、今私たちのいる首都のミニチュアになります。現在ではこのように、中心を第1地区として時計回りに全20地区に分けられていますが、これは地区が増設されていった結果ですね」

 

見覚えのある建物があったりと、高いところからこの首都を見渡せば、こう見えるんだろうといった感じだった。どれもこれも現実よりもずっと小さい橋や車、建築物その他もろもろは、どうやってこれを作ったのか全く想像できない。

ただ、軍の敷地内だけは模型がなかった。それもそうか。

オレが模型を眺めていると、

 

「こうミニチュアは初めて見られたんですか?」

「ええ、まあ」

「そうでしたか。お楽しみいただけているようで何よりです」

 

次の展示スペースに案内されると、そこには先ほどの模型と似ているが、少し様子の異なる街のミニチュアがあった。横には、桶の中の物を道端に捨てる絵や、その実物らしき桶、かかとの高い靴、用途不明の瓶などが飾られている。

 

「これは?」

「今使用されている下水道網が整備される前の首都の様子ですね。この絵は、ゴミなども道端に捨てていた様子を表していて、当時の不衛生さを物語っています」

 

へぇ。下水道が大昔に造られたって話は知っていたが、その前はこんな風だったのか。

街のミニチュアも全体的に汚い。こだわりを感じる。

他に飾られている物に視線を移していると、背後から声がした。

 

「あ、アコだ」

 

振り返ると、眠そうな顔のネロがいた。斜め後ろにはヴァイスもいる。

昨日のブレウといい、こいつらとの遭遇率はどうなってるんだよ。

 

「偶然だね。僕らもちょっと用事があったんだ」

 

ヴァイスがニコニコと手を振る。彼らは二人とも私服だった。……そういえば休暇とか言ってたな。

 

「この博物館色々あってすごいよね」

「私、早く農業コーナー見たい」

 

ネロはこの先の展示が見たいらしい。さっさと行け。

まあまあと宥めて、ヴァイスが学芸員に聞く。

 

「あ、もしかしてこの瓶って、もしかして香水の瓶ですか?」

「はい。下水道網整備前は街中でも下水の悪臭があったので、対策のためにつけられている方が多かったんです。当時の香水の匂いも嗅ぐことができますよ」

 

おお、ふわっと香るいい匂い。

しかし、下水の臭いか……。あの臭いが街中にもあるのはとても嫌だ。大昔下水道を造った人たちはいい仕事をしたな。

 

「そのころの地方の様子は次のコーナーになります」

 

学芸員の人が草刈り鎌とかかれた札の置いてあるところを指差す。他にも以前の農地の様子の資料や過去使われていた農具が展示されていた。植物って種まくと育つのか……。ずっと、勝手に地面から生えて増えるのかと思ってた。

 

どさくさに紛れてネロとヴァイスもついてきている中、唐突にネロが言った。

 

「私の家、農家なの」

 

誰に対してそれを言っているんだ。

ヴァイスは学芸員とずっと話している。あれこれ質問攻めしているようだ。

 

「農家なの」

 

もう一度ネロは言った。

オレか?オレに対してなのか?

 

「……だから?」

「農業のことは任せて」

 

かつてなくキリッとした顔だ。

 

「そ、そうか」

「そう」

 

その時にヴァイスに解説していた学芸員から聞こえてきた言葉がやけに印象的だった。

 

「こうして過去を学ぶことで、今に生かせるものは多々あります」

 

オレそっちのけで解説しているようだった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

博物館を回って、有無を言わさずネロたちと別れてから、次にローザ課長から指定された内務省傘下の施設へ向かう。先ほどと同様に課長の名前を出して、職員に白の箱を渡した。そして、特に何事もなく受け取られ、オレはその場から退散する。無闇に居座ると良くない者と出会ってしまいそうな気がしたからだ。

 

しかし、出入口を出たところで、

 

「アコちゃんだ!」

 

無闇に居座ればよかった。

珍しく私服姿のリーンがズサササササッと近寄ってくる。

 

「こんなところでどうしたの?もしかしてお仕事?」

「そうだよ。だから……」

 

「すみません、こちらの不手際でこれを渡すのを忘れていました!……はい、以上で本日の業務は完了となります。お疲れさまでした」

 

なんというタイミングか。

内務省の職員が走りよってきて、紙束をこちらに渡してきた。

本日の業務完了って、お前余計なことを。

 

「あ、終わり!?終わりですね!よし、じゃあこれから一緒に街に繰り出しちゃおう!」

 

リーンは返事を聞く前に手を取って、どこかへオレを連行していく。

内務省傘下の施設は首都の中心部から離れた第12地区にある。ここはあまり記憶にはない地区だ。

 

「第12地区といえば、家具屋さんですよ!」

 

つれてこられた先は商店街だった。家具を売っている店が多いのが特徴的だ。

 

「買うのか?」

「宿舎住まいだから、家具は増やせないんですよね……。でも、見るだけでも楽しいかなって!」

 

そして、リーンはあっちへこっちへオレをつれ回した。

 

一人で寝るには大きすぎるベッドを見ては、

 

「アコちゃん!大きいベッドですよ!」

「そんなにデカくてどうするんだ。邪魔だろうが」

 

ひじ掛けのところに複雑な意匠をこらしてある一人用の椅子を見ては、

 

「ちょっとあの椅子に座りましょう。どうぞ膝へ」

「乗らねえよ」

 

頑丈そうな机を見ては、

 

「あの机の天板、いい盾になりそうですね!」

「そうだな」

 

やたらときらきらしている照明を見ては、

 

「……!お高いっ!!!貧乏な家ではとても無理です」

「降ってきたら痛そう」

 

引き出しがたくさんついている鏡台を見ては、

 

「あれ?鏡台はそんなに興味ありませんか?」

「……別に」

 

家具屋以外では、

 

「ここは最近できた劇場!劇に興味はないですけど、建物がすごい!」

「興味ないのかよ。まあ、確かに凝った外装だけど」

 

「ここはちょっとした美術館も併設されてる高級ホテル!これにはアコちゃんもそわそわしてる?」

「してない」

 

などなどとバカなことをしていて、気がつくと日は傾きつつあった。

第12地区でも端のほうに位置する広場に連れていかれた。そこは少し小高いところにあった。街の外側には森が広がっている。

 

「そういえば、いつかの任務で東の海辺に行ったとき、水平線から朝焼けが見えたんです。すごくキレイだったんだよ!」

「ふーん」

 

広場につくと、リーンが立ち止まりある方向を見ていた。

 

「あれ?もしかして……レドくーん!どうしたのー?」

「うおっ!?リーン、お前、なんでここに……」

「レドくんこそ。今日はゆっくり休むつもりだって言ってたじゃないですか」

「やることないと逆に休めなくてさ」

 

今日はなんでこんなにどいつもこいつも遭遇率が高いんだよ!

 

レドが第三課を訪れてきた日から、まともにこいつとは話していない。

 

「何か見てたみたいですけど……?」

「まあ、なんというか。初心に戻ろうと思って」

 

あの時言っていた、こいつが国家魔術師になるきっかけ。それと関連があるのか。

……知ったところで、意味はない。

 

「昔ネイブさんに助けられたとかそういう話か」

「え?何で知って……」

「第二課の人からネイブさんが下水道に落ちた子供を助けたって話を聞いて、もしかしたらって思っただけだ」

 

ここからは首都のはずれも見渡すことができる。それと以前ヘリオさんから聞いた話を組み合わせた、ただの予想だった。しかし偶然にもあっていたようで、レドは肩をすくめる。

 

「たぶんそれ、俺の話だな。……昔のこと振り返るのもなんだか恥ずかしいけど。七年位前かな、家族と首都に来た時、俺はぐれちゃってさ。迷子で歩き回ってるうちにこの辺に来たんだ。しかも大雨が降ってたから地盤が緩んでたかなんかで、地面が陥没して下に落ちちゃって。実は大昔作った下水道で、廃止されて設計図にも残ってなかった区間がわずかに残ってたらしい」

「その時助けてくれたのがネイブ先輩だったんですか?」

「そうそう。あの頃はまだ魔術なんて使いこなせなかったから、暗くて、息苦しくて怖かった……。でも、ネイブさんが助けてくれて、本当にかっこよかったなぁ」

「だから、初めてネイブ先輩と顔合わせしたとき、あんなに喜んでたんですね」

 

今の会話の中で引っ掛かった部分があった。

思わずレドに詰め寄ってしまう。

 

「設計図に残ってない区間?」

「あ、ああ。国の方も実態を把握できてないとかで、ちゃんと整備されてなかったと聞いたけど」

「それってまだ他にもあるのか?」

「さすがにそこまでは……」

 

忘れ去られた下水道網。

 

もしそれが他の場所、例えば軍の敷地内またはその近くに存在していたとしたら。

それが外につながっている通路だとしたら。

 

レドが休もうとしたがやることがないからと逆に外出する、ということがなければ知ることができなかった。こればかりは感謝だ。

……逆?

 

ちょうどその時、話しかけてくる者がいた。

 

「お師匠!そんなところで何を?」

 

両手に大きい袋を抱えたグレイが現れて近寄ってくる。

 

「お師匠って変な呼び方されてるけど弟?ちっこいなー」

「ちげぇよ」

 

そこでレドはハッとして、なぜかリーンからオレたちが見えなくなるような位置に移動した。

 

「フッ、いいですか、レドくん。私は『待て』ができる女なんです」

「『待て』ができる……?いや別に何か意図があってこんな感じで立ってる訳じゃなくてね?俺、弟と妹がいたから、なんかこう、つい心配になって不審者対策的な」

「どこかに不審者がいると?」

「いいえ、全くそういうことを言いたいわけではないです、はい」

 

よくわからないやり取りをしているレドとリーンを見て、グレイが不思議そうな表情を浮かべている。

 

「このお兄さんとお姉さんはどなたですか?」

 

リーンは「お姉さん」という単語のところで、スゥっと魂が空に上っていくような顔をしたあと、グレイに言った。

 

「こんにちは。私はリーンです。アコちゃんとは仲良くさせてもらってます」

「なんか浄化されてるよ……。俺はレド。よろしく」

「どうも。グレイです。お師匠とは親戚的な感じで一緒に住んでいる仲です。……お師匠友達いたんですね!」

 

最後の方だけヒソヒソと言われた。

 

「ちげぇわ。いいからさっさと帰るぞ」

 

ちょうどいい。いつまでもこいつらといるわけにはいかないから、引き上げることにしよう。

 

「アコちゃんまたね!」

 

 

 

「いいんですか?お友達にそんな態度で」

「うるせー。またねとか、そういうの嫌いなんだよ」

 

それよりも考えるべきことがあった。

 

 

 

『……昔のこと振り返るのもなんだか恥ずかしいけど』

 

『こうして過去を学ぶことで、今に生かせるものは多々あります』

 

『もしもなんて、ありませんから』

 

『もしオレがこんな窓際は嫌だって第三課配属拒否して、ここに来てなかったら、このお使いどうしてました?』

 

 

 

今まで未来を変えようとして、ずっと未来のことを考えてきた。

 

でも()()過去は何が起きていたんだ?

過去のことはすでに体験してきたことだ。だが、その全てを把握しているわけじゃない。

これがわかれば、何か手がかりになるんじゃないだろうか。

 

『前回』と『今回』での違い。

それはオレがこの場にいるか、いないかだ。

 

じゃあ、オレが新たに体験し、関わったことで変わったであろう出来事は『前回』どうなっていた?

 

春先の魔力子活性剤を使用した強盗。

 

北東の砦へのお使い。

 

最初の死体の発見者。

 

そして、今回の偽物の隕石の欠片の運搬。

 

『今回』も、もしもオレがいなかったら……。

まず一つ目。春先の強盗はオレがいたから、ウィステ先輩は外に食事に出た。つまり、『前回』は強盗犯とも出会うことがなかった可能性がある。

二つ目。北東の砦へはウィステ先輩か、ローザ課長が行っていたかもしれない。しかし、アプシントスとアバドーンの抗争には、時期がずれていて遭遇していないのか、俺が覚えていないだけで、『前回』あの村にいたのか。

三つ目。最初の死体の発見はそもそもウィステ先輩は気がつかない。誰か、別の人物が見つけた可能性が高い。

最後の四つ目。これもウィステ先輩かローズ課長が行っていたか。

 

ローザ課長は『前回』も内通者を疑って、対策を講じていたかもしれない。しかし、見つけることはかなわないばかりか、会議に集まった上層部は襲撃された。

そして【N.C.1000】の出来事からすると、どこかのタイミングで本物の隕石の欠片を奪われてしまった。

 

 

 

隕石の欠片はきっとアバドーンやアプシントスにとって重要なものだ。

あると知れば奪いに来る。

そして、『今回』の二つの偽物。これはどちらも囮なんだ。……ローザ課長が内通者をあぶり出すための。

 

博物館に明らかな偽物を置くことで、内務省のところにある精巧な偽物を、より本物らしくしようとした。

 

本物は、……あそこ、別のところにある。

どうしようもないほどの直感だ。ただ、今日近くに来た時、はっきりとわかった。

 

なぜ偽物があるのに本物を取り寄せたのか。

考えられることとして、精巧な偽物を作るために本物が必要だっただけかもしれない。

 

それはともかく、内務省の方の偽物の情報があえて特定の人間に漏れることで、狙ってくることを課長は期待しているのか。

 

しかし、『前回』は本物の位置もバレてしまった可能性が高い。

オリバーの絵本通りなら、アバドーンあるいはアプシントスは隕石の欠片を集めて『天使』を目覚めさせたことになるからだ。

 

でもなんでバレたんだ?『今回』の課長はオレにも本物が別にあることを隠している。

 

「わっかんねぇ……」

「家に戻ってもずっと黙っていると思ったら、どうしたんですか?」

「運んだ人間にも本物が別にあることを隠してるのに、その本物の場所が知られたくない奴らにバレてしまうのはどんな時なんだ……」

 

『前回』偽物があるとわかった上で、本物の位置を推察できる情報を手に入れられた人間は誰だ。

 

「えーと?色々行間を補完させてもらいますけど、今日運んだ隕石の欠片はどちらも偽物だったんですよね?それでローザ課長は本物の場所をお師匠含めて隠している」

「オレはなんとなくどこにあるか直感で知ってる」

「えええ……、直感で?隕石の欠片特有の魔力子を感知する機能でも備わってるんですか、あなた」

「オレは魔力子なんて持ってねぇからそんなの知らねーよ」

「その話はいったん置いておきましょう。第三課ってすごく窓際で知名度低いんでしたっけ。そうするとローザ課長って人がいること自体、知ってる人少なさそうですよね」

「そうだな」

 

昨日ブレウも言っていた。紛れもなく閑職扱いで、知名度も低いと。

 

「本物を運んだのはローザ課長なんでしょうか。そうするとローザ課長をマークしていれば辿り着けそうですけど」

「その前に、隕石の欠片が首都に来ていること、それがローザに渡ったこと、これらを知らなければマークしないのではないか?」

 

グレイと猫が話している。

 

『前回』隕石の欠片を運んだのがウィステ先輩だとしたら、それに気がつけるのは誰だ。

ウィステ先輩だって、意味ありげに頼まれた仕事をそう簡単に話すような人じゃない。あの人、責任感が強くて根は真面目だ。

 

そうすると、ウィステ先輩の行動に違和感を持つことができる者がいたのか?

 

それで、隕石の欠片の存在に気がついて。

ローザ課長の動きを見張って。

本物に辿り着いた……?

 

 

 

もしかして。

 

 

 

今気がついてしまったこと。

そして今日知った、たくさんのこと。

 

これらを合わせると、それはきっと―――。

 




空気中の酸素は約21%ですけど、人間って酸素濃度18%下回るとやばいらしいですね。だからマンホールの中、つまりは下水道とか酸素濃度低くてあかんらしいです。

身近なところに危険はいっぱいおっぱい。


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5-1

【N.C. 998】

 

「美味しいもの食べると生きてるっ、幸せって感じするよね!」

「太るぞ」

「デ・リ・カ・シーっ!もうっ、人にやったことは、いつか自分に返ってくるんだから。悪いことしちゃったら地獄行きだぞー?」

「地獄って死んだら行くかもって場所だろ。それに実際人間死んだら『はいおしまい』って感じで、そのあと何もないんじゃねーの」

「ガーン!おばあちゃんの受け売りだったのに!」

 

いつも通りの第三課。調子が戻りつつあるのか、カラ元気なのか、ウィステ先輩はマシンガントークだ。あとなぜか机の上にいろんな店の菓子を並べて、腕を組んでいる。

 

「……その菓子は?」

 

彼女はよくぞ聞いてくれました、とばかりに大きくうなずいた。

 

「これは重要な選定作業なのです」

「そうか、よかったな」

 

きっと誰か、ビオレッタさんとかにあげる用を選んでいるんだろう。

 

ウィステ先輩は明るくふるまっているが、内心はまだ複雑であることは想像に難くないし、菓子食べてそれで元気が出るなら、別に文句もないが。

 

「幸せ、ねぇ……」

 

なんとなく発したオレの呟きに、相変わらず腕を組んだままの先輩が偉そうに言う。

 

「幸せは絶対評価、仕事は相対評価なんだよ、アコ後輩」

「つまり?」

「幸せだって自分で感じることができればそれで十分なのです」

「仕事は」

「仕事はまあ……、それとなく。私が働いてそれで迷惑かけるなら、何もやらない方がいいし」

「別にオレはそうは思わないけど」

「え?」

「なんだかんだオレ、先輩に助けられてるし。それに、あんたに対して迷惑だなんて言ったり思ってたりするような奴、みたことねーし。もしいたらぶん殴ってやるよ」

 

なぜかウィステ先輩は顔を赤くした後、無理やり話を変えた。

 

「ひゃ、へ、え、えっと。あ!そういえば!?この前お友達見かけたよ!よく五人でいる子達だけど、ちょっと不思議だよね」

「不思議?何が」

「どうして新人同士で固められて組まされてるのかなーって。もしかして問題児?まあ、アコ後輩もなかなかだけど」

 

彼女は楽しそうにしゃべっている。

 

「ウィステ先輩は……、いやなんでもない」

「え?なになに?気になる」

「オレ、ちょっと第二課に行ってくる、もうこれ持って行っていいだろ」

 

ちょうどキリがいいので、オレは作業分の書類を持って立ち上がった。

そして、第三課を出るときに呼び止められる。

 

「アコ後輩!」

 

なんだろうと振り返ると、ちょっと困った顔をした先輩が言った。

 

「さっきの話だけど、殴っちゃダメだからね?」

 

 

 

いつも通りの仕事をする。

 

「ビオレッタさん、これ、お願いします」

「はい、確かに受け取りました。……どうかしましたか?」

 

 

 

これは、時々受けるようになった報告。

 

「少し、いいですか」

「またあの話か」

「はい、例の事件、被害者の市民らについてなのですが……。行動に似通ったことがありました。彼らは同じ時間帯に姿を消す時がある、ということが」

 

 

 

加えて、出現する上司への伝言。

 

「なるほど。……さて、君には伝えておこう。この日付で、例の事件のために極秘で会議を行うことになった」

 

 

 

そして―――。

 

「あれ、猫ちゃん?どこから入ってきたのかな?」

「先輩」

「うん?」

「じゃあな」

 

 

 

§ § §

 

 

 

手筈は全て整えてある。

 

例の事件のための会議を、今日の日付で極秘に行うよう提言した。根回しもした。

そして予想外のところから手に入った情報。

 

これがあれば、欲しいものが手に入る。余計なものも排除できる。

 

 

 

下水道を抜けて向かう先には、第12地区の高級ホテルがある。そこには宿泊客のために小規模な美術館が併設されていた。

 

今日ここは警備が手薄になっている。これからもっと手薄になる。

 

そうしているうちに、そう遠くない場所から轟音が聞こえた。

 

小規模な美術館の裏方に、五人の仲間とともに侵入する。彼らには憲兵の格好をさせてある。万が一、警備の者に鉢合わせた時に備えてだ。

 

薄暗いこの場所には一人先に待っている者がいるはず。

 

「……あなたが先行していた人?」

 

顔を仮面で隠し、コートを来た人間が端におかれた椅子に座っていた。

個人の判別がつきにくいこの組織の秘密主義はこういうところだけは困る。

 

「ああ」

 

思ったよりも声が高い。立ち上がってこちらに近づいてくる。コートで体格はわかりにくかったが小柄だった。

そのとき、ふと足元のほうに視線がいった。

 

物陰には誰かの手が見えた。

 

「残念だよ、本当に」

 

私だけはとっさに避けた。顔の横を刃物がかすめる。しかし対応の遅れた仲間の一人は瞬く間に首をかき切られた。

 

「貴様!」

 

誰かが叫んで切りかかる。しかし素手で目を潰された。

 

「あああああああっ!???!??」

 

そして首がへし折られる。

 

「ひっ……」

 

私は後退った。

 

こいつは一体なんなんだ。

突然二人、いや、本来待っていたはずの一人を含めて、三人が殺された。

 

「……お前がイオンだな」

「なんで、それを」

 

私は新しい名前で呼ばれた。しかし、今は表向きの恰好だ。

なぜそれを知っている。

 

「私は先に例の物を確保する!三対一で敵を排除しろ!」

 

優先すべきは例の、隕石の欠片。まだこちらには私以外に三人いる。私だけでも目的の物を早急に手に入れて離脱すべきだ。

 

三人にその場を任せて、私は走り出した。

 

 

 

「はあ……はあ……」

 

走った末に二階の保管庫に辿り着いた。身体強化を使っているはずなのに、緊張のためか息が上がった。入って鍵を閉めてから、中を探す。

 

あちらこちらの棚や箱を見た。

 

「あった……」

 

見つけた。それは小さな箱の中に収められていた。

 

私たちが探している、集めるべきもの。これがあれば、邪魔者は皆いなくなる。

本来なら私が動くべきことではないが、どうしても自分の手で確保したかった。

 

扉に背をつけて外の様子を窺う。

音はしない。

あの謎の敵は排除できたのだろうか。

 

今なら、脱出できるか……?

 

そう思ったとき、

 

 

 

後頭部に衝撃が走り、首が掴まれていた。

 

 

 

「う、あ……?」

「やっと見つけた」

 

何が起きている。

首を強く掴まれて苦しい。

 

扉は開いていない。敵の姿も見えない。なんでなんでなんで―――。

 

違う。扉を手が突き破って、後ろから首を掴まれている。

後頭部に扉の細かい破片が刺さっている。

 

自分の状態を把握した次の瞬間、突然首を離されて、扉ごと吹き飛ばされた。

私はそのまま倒れて扉の下敷きになる。

 

「かはっ……、はあ……はあ……」

 

とにかく逃げなくては。

隕石の欠片、あれさえあれば。

 

ない。

 

ない、さっきまで持っていたのに。

 

扉の下からはいずり出しても見当たらない。一体どこに。あれがないと私は。

早く、早く見つけないと。

 

「おい、お探し物はこれか?」

 

私たちを襲ってきた者が近くに立っていた。ヤツの手には、先ほど私が持っていたはずの箱がある。これ見よがしに見せた後、懐にしまわれた。

 

「か、えせぇぇぇぇええ!」

 

魔術を使う余裕もなく掴みかかろうとしてしまう。

 

「そんなにこれが欲しいのなら、代わりに全部オレが集めてやる。それで、全部壊してやるよ」

 

足に激痛が走った。

相手も拳銃を持っていたのだ。

痛みからその場に崩れ落ちる。

 

そのまま頭に拳銃を突き付けられた。

 

「撃つのは得意じゃないけど、この至近距離なら外さない、外せないんだ……」

 

足が痛い。体が痛い。でも動けない。

さらに聞こえてきた声で私は動揺してしまう。

 

「アバドーンに国家魔術師の情報を流して襲わせたのはお前だな、イオン」

 

そして、呼んでほしくない、忌々しい名前を口にされた。

 

「いや……、ビオレッタ」

 

 

 

§ § §

 

 

 

オレはビオレッタに銃を突き付けていた。

 

最初はウィステ先輩を疑っていた。

しかし彼女が一か月病室にいる間にも、国家魔術師の殺害は起きていた。

 

ひとまずウィステ先輩ではないとする。

 

上の立場、またはその近くにいることができる地位。

ウィステ先輩が秘密裏に動いたとき、例えば隕石の欠片の運搬をしたときに、その行動に違和感が持つことができる者。つまりウィステ先輩に近い人物。

そこからローザ課長の存在に辿り着くことができるのは。

 

全部推測で明確な証拠なんて何もなかった。

 

ウィステ先輩が休んでいた時、ビオレッタさんは忙しいながらもそれなりの頻度で彼女のもとへ行っていた。その移動のときは自由になれる時間があっただろう。

襲撃された後も、いち早く復帰していた。仕事しているということは情報にも触れられるはずだ。

 

そして、これは単なる疑いへのきっかけに過ぎないが、彼女からは下水の臭いを消すための香水の香りがした。

 

 

 

オレは仕事の中で、ビオレッタに相談だと話をもちかけ、その中で本当の隕石の欠片のありかの情報を、あえて潜り込ませた。

 

それからグレイと猫を使い、ひたすら第12地区を見張らせたり、空き家の状況を調べさせた。猫や子供は警戒されにくいのに加えて、グレイは逃げ足が早かった。

 

今日、怪しげな男が高級ホテル併設の美術館へ侵入したと連絡が来たので、急行し問い詰めたところ、大当たり。奴らは隕石の欠片が目当てだった。

もちろん、隕石の欠片の話をしたのはビオレッタだけだ。

 

奇しくも会議が行われるのも今日だった。状況全てが前倒しになっている。

……いや、偶然なんかじゃなかったんだ。会議襲撃の最大の目的は要人暗殺じゃない。

隕石の欠片を確実に手に入れるため、こちらに目がいかないようにするためだったんだ。

 

きっと今頃、会議場は襲われているだろう。

だが、ここに来る前にオレは布石を残しておいた。

うまくいくかはわからないが、襲われる前に警戒が高まって、多少は急な襲撃にも対応しやすくなることを期待している。

 

 

 

……正直、ビオレッタ、いや、イオンが直接奪取に来るとは思っていなかった。

ただの予想が完全に事実として突きつけられてしまった。

 

ウィステ先輩やブレウ、ネイブさんにレドの顔が脳裏に浮かんでは消えていく。

 

「なんで、こんなことしたんだ……。こんな裏切るような、酷いこと……」

 

あれだけウィステ先輩と仲良さそうにしていたじゃないか。

それなのに、被害者として疑惑から逃れるために仲間に襲わせて、ウィステ先輩にも怪我をさせて。

あの時の涙はウソだったのか。

 

「ひどい……?」

 

イオンが目を見開く。

 

「違うっ!!!いつだって酷いのは皆だった!私を見てくれたのはあの子だけだった!」

 

彼女の眼はどこまでもよどんでいた。見えているのに見えていないような、そんな眼だった。

 

「皆、皆、私を追い詰める……。そんなやつらいなくなればいい、死んでしまえばいい。あの子が私だけを見てくれていればそれでいい。だって私は、あの子を愛してる。私は幸せになりたい」

「愛してる……?」

 

銃を突きつけられているため、動きはしないがぶつぶつと呟いている。

『あの子』が誰を指すのかはわからない。誰に対して、どういう感情を向けているのかもわからない。

だが、誰の言葉も、もう彼女には届かないことはわかった。どうしようもなく一方通行なんだ。

 

早く、イオンを殺さなければ。

 

こいつのせいで、皆苦しむことになったんだ。

こいつさえいなければ。

 

第一課だけじゃない、魔術師自体の人数が減っていって、あいつらはそれまで以上に頑張らなきゃいけなかった。

ボロボロになっていくあいつらを見ていることしかできなかった。

 

『アイリスちゃんはイイ性格してるね。……あれ?アコラスくんはなんでそんな怒っているんだい?』

 

『せっかくだから私とお散歩しよう……。私今どこにいるかわからないけど。……あ。あそこの草は食べられる』

 

『おや、おチビさん。また君は人に対して失礼な。うわっ、やめ、眼鏡を奪おうとするな!!!』

 

『アコラスくん、アイリスちゃん。せっかくですし、お姉さんとお手紙交換で文字のお勉強しましょうか』

 

『俺たちが皆を守るから、今度はお前がアイリスのこと守ってやれよ。だからな、ここで待ってるんだぞ?』

 

『あなたがもう頑張らなくてもいいように、皆頑張ってるの。私だってそうだよ。いい?後から追いかけてくるなんて、ダメなんだからね?』

 

「………ょう、畜生畜生畜生……っ!!!」

 

イオンの横面を殴り飛ばした。

そして、首をつかんで無理やり立たせた後、壁に押さえつけながら首をゆっくりと絞める。

 

もう遠い記憶になってしまった皆の顔。

 

「うぅ…………」

 

頭の中がごちゃごちゃになっていく。

 

ビオレッタのことを、真剣に見つめているブレウ。

 

ビオレッタと楽しそうに、嬉しそうに話すウィステ先輩。

 

昨日だってウィステ先輩は。

 

その時、オレは一瞬力を緩めてしまった。

 

大きな音と共に、腹がカッと熱くなる。

見ると赤が広がっていく。

 

イオンを見る。

苦しそうな顔だ。片手から、いつの間にか持っていた拳銃を落とす。

 

「このくらいじゃ、オレは手を離さないよ……」

 

ああ馬鹿だ、オレ。

 

やっぱりこいつは誰にも真実を知られずに、殺さないといけない。

 

たまたまここで殺された、ただの哀れな人間として、始末しないと。

 

そのまま、力をかける。

 

 

 

いつかの瞬間、抵抗していた身体強化も消えて、イオンの体から力が抜けた。

 

 

 

「知ってるか?悪いことしたら、地獄行きらしいぞ。……だから、ビオレッタさん、またね」

 

 

 

 




今日投稿予定だった話が5日前に投稿されていた上に、水洗トイレありますからの便器抱え事件で今便器じゃなくて頭抱えたり、ホラー描写したいけど幽霊苦手なのでホラーゲームの明るい実況を見て学習しようとしたり、「働くことが罪なら、(仕事を)俺が背負ってやる!」と言われたい今日この頃ですが、私は元気です。


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安息の地

本日二話目の投稿です。

最初はこんな風にするつもりはなかったんですが、気がついたらこうなっていました。
胸糞注意です。


私に逃げる場所なんてなかった。

 

かえるばしょがほしい

 

小さいころ、母に連れられて訪れた大きいお屋敷。

そこで、母から「新しいお父さんだよ」と男の人と会わせられた。

その日から私はその大きいお屋敷で住むことになった。

お稽古やお勉強で毎日が忙しかった。

 

母は私を見てくれなくなった。いや、以前から私のことなんて見ていなかったのかもしれない。

 

毎日毎日、誰かと話すことは事務的なことだけ。

 

使用人が噂しているのを聞いた。

私は連れ子だから跡継ぎのことを考えると、旦那様も対応に困るでしょうね、と。

 

ある日、名前を呼ばれた。

 

『新しいお父さん』に部屋に呼ばれた。

 

どこにもいきたくない

 

母は私を見ていない。私が父を避けても、

 

「あなたとお父さんはもう親子なんですよ?いつまでもわがままを言わないで、家族として接してあげなさい」

 

家族って何?

 

それ以外、母は私とほとんど話すことはなかった。

 

ほんとはここにいたい

 

はやくここから逃げたかった。

 

でも、ここは広いはずなのに狭かった。

 

息ができない。

 

逃げる場所なんてなかった。

 

誰も私を見ていない。

 

『新しいお父さん』は私の名前を言って、時々部屋に呼んだ。

 

私のことを見ているわけではなかった。

 

こえがでない

 

お稽古の中で、私は魔術の素養があると言われた。

軍で働く魔術師にもなれるだろうと。

それを聞いた『新しいお父さん』は私を軍の魔術師を育成する学校に入れた。

体よく追い払うための口実だとわかっていたけれど、ここからいなくなれるならどうでもよかったから、私は受け入れた。

 

わたしをなかまにいれて

 

でも、離れたはずなのに。

 

ずっと息苦しかった。

 

ひとりはさみしい

 

学校では良く話しかけてくる女の子がいた。

いつもいつも幸せそうにしている。楽しそうにしている。

 

どうして?

 

私はこんなに苦しいのに、なんでこの子は幸せそうにしているの。

私と何が違うの。

私をその名前で呼ばないで。

 

わたしをみつけて

 

ある日、たまたまつまずいて転んだ。

誰かから「これがここに置いてあったなんて、運が悪かったですね」と言われた。

 

悪いことに遭ってしまうのは、運が悪かっただけなの?

 

幸福なのか、不幸なのか、いったい誰が決めるの?

 

誰がその運を定めるの?

 

ふつうのしあわせがほしい

 

実家からの便りで、今度弟が生まれるらしい。

長期休みに帰って来なさい、ともあった。

久しぶりのあの場所にいくと、知らない小さな男の子がいた。

『新しいお父さん』の知人の息子だから、相手にしてあげなさいと言われた。

私にはもうすぐ弟が生まれる。

『家族なんだから』という言葉が重くのしかかる。

 

息ができない。

 

うまく接するための練習だと思って会話をした。

彼は先妻の子で、複雑な立場だった。父とうまくいかずにいるらしい。とても不幸そうにしている。

 

私と似ていた。

 

よかった、私は一人じゃない。

 

長期休みの間内心退屈だったが、彼のお遊びに付き合ってあげた。

お友達と仲良くね。

心にもないことも言った。

 

わたしはみにくい

 

学校の、あの女の子は相変わらず私に話しかけてくる。笑顔で私に接してくる。私の名前を呼ぶ。

幸せそうだ。憎い。

でも私を見ている。

 

だからさむくても

 

次の長期休み。

あの場所に再び戻ると弟が生まれていた。

母に『新しいお父さん』、弟で幸せそうにしている。

その中に私はいなかった。部屋に呼ばれることもなかった。話すこともなかった。

 

それでもこの家に私の逃げる場所はない。

息ができない。

苦しい。

 

おうちにはいれない

 

その次の休み。

家同士の付き合いのためのパーティーがあった。

 

「君は軍魔術師学校に行っているそうだね。それでも時々お父上やお母上に顔を見せてあげるんだよ。家族なんだから」

 

知らない人間からそう言われた。

家族を愛せない私は普通じゃないの?

どうして普通を私に押し付けるの?

苦しいよ。

どこにも逃げられない。

 

もういっそ、私が逃げることができないなら、その代わりに皆、いなくなってしまえばいいのに。

 

みんなといっしょにいたい

 

あの小さな男の子は毎年私に会いに来た。

気がつくと、彼は明るくなっていた。家族の一人とうまくいくようになったと喜んで報告してくれた。

なんだ、私とは違って幸せだったんじゃないか。

 

ウソつき。

 

たすけて

 

「あねうえー」

 

弟は歩いて喋るようになっていた。

 

「あなたはこの子のお姉さまなのですから。優しくしてあげてね」

 

穏やかな目で弟を見ている母。

 

「仲が良いのはいいことだ」

 

朗らかに笑う『新しいお父さん』。

 

この頃から、“…えせ、……せ”と何か聞こえるようになっていた。

 

わたしをひとりにしないで

 

学校を出て、国家魔術師になって、しばらく経った。

彼女はここでも一緒だった。少し幸せそうじゃなくなった。

最近、誰かを、あの男を見つめていることが多くなった。

今までずっと私のこと見ててくれたのに。

 

許せない。

 

憎い。

 

わたしのこえはどこにもとどかない

 

あの子は第二課からいなくなった。

第一課の誰かが殉職してその責任を取るため、と言っていた。

長らく見つめていたあの男から、目を逸らして逃げるようになった。

私は私と同じ幸せじゃない彼女を励ました。

彼女は私には会いに来てくれる。私を見てくれる。

 

それでいい。

 

この気持ちはなんだろう。

いつまでも見ていてほしい。

私と一緒にいてほしい。

 

たすけて

 

そうか、これが愛なんだ。

 

だれかたすけて

 

私は彼女を愛してるんだ。

私も誰かを愛せるんだ。

 

わたしはこえのだしかたもわからない

 

久しぶりにあの場所に戻った。

弟はまだまだ子供だが随分成長していた。

母も『新しいお父さん』も、みんなみんな幸せそう。

 

弟から言われた。

 

「なんで、姉上は父上や母上と距離をとっているんですか?家族なんですから、仲良くしましょう?」

 

どうして?

 

なんで家族だからって理由で強制されるの?

 

私の場所はどこにもないのに。

 

かえりたい

 

弟が庭の池に足を滑らした。

水の中でもがいている。空気を求める魚みたいに口をパクパクさせている。

次第に動かなくなって沈んでいった。

 

でも

 

このとき“かえせ、ほろぼせ”とはっきり聞こえるようになっていた。

 

もうかえれない

 

母も『新しいお父さん』も弟がいなくなって悲しんだ。

でも私を見てはいない。

いなくなった弟の部屋にすがりついている。

 

どうして?

 

母が私を見た。

 

「あの子が……、あなたの弟が亡くなったのですよ!?あなたはなんでそんなに冷たいのですか!??!?こんな子に育てたつもりはなかったのに」

 

さむいよ

 

息が止まった。

 

あたたかいおうちにはいりたいよ

 

無意識のうちに知らない場所に私は足を向けていた。

 

「新しい同志ですね」

「どうか『主』に祈りましょう。そして還りましょう」

 

私と同じ人がたくさんいた。みんなあの声が聞こえていた。

私に幸運をくれるのかな。

 

うそ、ここはみんなひとりぼっち

 

久しぶりに部屋に呼ばれた。

 

『新しいお父さん』が死んだ。

 

母も死んだ。

 

とても苦しんでいた。

 

かわいそう。

 

ごめんなさい

 

私はこの場所で初めて息ができた。

 

ああ、もっと幸せになりたい。

 

とうめいなわたしたち

 

彼女の近くに変な女の子がいるようになっていた。

彼女は昔みたいに明るくなって、また、あの男を見るようになっていた。

 

今度はあの男がいなくなればいい。

 

なにもかもすりぬけた

 

あの男がいなくなって彼女は落ち込んでいた。

だからなるべく彼女のそばにいてあげた。

どうか私だけを見ていてほしい。

 

なにもかもとおりぬけた

 

私が同志たちの仲間であることがバレないように、同志の一人に私たちを襲わせた。

彼女はやっぱり私をかばってくれた。嬉しくて涙が出る。

 

彼女は私を見てくれている。私だけを見ていてほしい。

 

他の人間なんて誰もいらない。

 

愛してる。私は彼女を誰よりも、殺したいほど愛してる。

 

ウィステごめんなさい

 

愛しているけれど憎い。

 

うまれてこなければよかった

 

憎いけれど、愛している。

 

 

 



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■■i

7月23日はネオワイズ彗星が地球に最接近する日(どこの経度の日付基準かはソースを見つけられず)だったので、ノリで昨日投稿したかったんですけど間に合いませんでした。
次太陽とか地球のほうに接近するのが六千年以上先だそうなので、それから考えるとまあ一日は誤差ですよね!

五~六千年前はWikipediaさん曰く縄文時代とか文字の発明とかだったらしいのですが、今から六千年後人類はどうなっているのでしょうか。
その六千年も宇宙スケールで考えると一瞬だろうし、思考の行き着く果ては宇宙スゲー!やはり一日なんぞ誤差ですね!


 

【■.C. 9■9】

 

夏のある日。

とある光景を目の当たりにしたレドは顔をひきつらせていた。

 

「……おい、何してるんだ?」

「あ、レド。アイリスも寝ちゃったし、どうしようかなって思ったらこんな風になっちゃった」

「あのなぁ。…………だからって、扉壊すやつがいるかぁぁぁああ!」

 

第一課で預かることになった11、12歳ほどの少年と少女。本来ならばしかるべき施設で保護されるはずだったが、首都が未だに混乱状態であることや、彼らがアバドーンの重要人物であることから、扱いは難航してしまっていた。そのため一時的に第一課にいるのである。

 

そして少年の方こと、アコラスは兵舎で大人しく過ごすのは退屈で力があり余っているのか、時々扉を勢いよく開けて壊したり、あちこち歩き回ろうとしたりと、世話を任されたレドたちの分隊は近頃慌ただしかった。

 

「またここの扉か。そろそろ扉直しマスターって呼ばれてもいい気がしてきたぜ」

 

曲がってしまった蝶番を取り替えつつ、装備課の男、セージは言った。

 

「すみません、セージさん」

「そうだぞレド」

 

謝るレドの横で少年ことアコラスが煽る。その様子にレドはアコラスの頭をわしづかみした。

 

「お前も!謝るんだよ!このクソガキ!!!」

「いだだだだだっ、何すんだクソ野郎!離せーっ!身長伸びなかったらどうしてくれんだよ!だいたい今日のは事故だっつーの!!!」

 

ギャーギャーと騒ぐ二人の様子にセージは思わず吹き出した。

 

「はっはっは。なんだか兄弟みたいだな」

「「は?誰がこいつと」」

 

互いに指を指して嫌そうな顔をする。

 

「おいこら、アコラス。もっと礼儀正しくするんだぞ。特に目上の人とか、あと初対面の人とかには」

「えー?めんどくさ。そもそもそんなのどうすりゃいいのか知らねーよ。それに何のためなんだよ。ほらほら言ってみろ、バーカ」

「こんの、クソガキ……っ。まあ、あれだ。失礼がないようにするためとか色々だ」

「他は?それだけ?」

「え、えーと、そうだな、うん。て、敵対心持たれにくいとか?円滑に、かつ友好的に人間関係を回すためにだな……」

「へー」

「自分から質問したんだから真面目に聞けぃ」

 

楽しそうにしている少年にセージは話しかける。

 

「いいんだいいんだ。このくらい跳ね返りがある方が元気がある証拠さ」

 

するとアコラスはレドの後ろにサササッと隠れた。

 

「またお前は思い出したように人見知りして」

「うるせー……」

 

その様子を見ていたメイズは再び笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

「ここ基地内だし機密情報盛りだくさんだから、本当ならこんなにひょいひょい出歩かれるのは困るんだよなぁ」

「ふふん、オレに扉は通用しねぇぞ」

「だからだよ……」

 

アコラスを自由にさせると、遮るものなどないと言わんばかりに扉をこじ開けていくので、現在はなるべく誰か一緒にいるという解決方法がとられている。事情の知らない者からすれば、なぜこんなところに子供が?と思う光景だ。

 

「これから何すんの?戦闘訓練?戦うのか?」

「そうそう、隅っこでおとなしくしてろよ」

「えぇー?オレも戦いたい」

「ダーメーだ。というか時間が押してるから急ぐぞ」

 

文句を言いながらべしべし腕を叩いてくるアコラスをあしらい、走って訓練場に向かう。

 

「ギリギリですね、レド。小隊長が知ったらまたガミガミ言われますよ」

「おー、危ない危ない。扉の修理依頼と再調整したMARGOT受け取りに、装備課行ってたから遅れるとこだった」

 

訓練場ではブレウが腕を組んで待っていた。他の何組かはすでに戦闘訓練を行っている。ただ、本来ならばいるはずの、時間に厳しい上官の姿はなかった。

 

ひょこひょことレドの後ろについてきていたアコラスの姿を見たブレウはため息をつく。

 

「また君か……。そろそろ力加減というものを覚えたらどうなんです」

「うるせー。こっちだって今日は壊したくて壊したわけじゃねーし」

()()()、ですか。なるほど」

 

アコラスは一瞬飛びかかろうとしたが、メガネがないことに気がついてピタリと動きを止めた。

 

「ふっ、残念でしたね。ご存じの通り戦闘中は視力強化できるので、普段君が割りたがっているメガネはかけてないんですよ」

「……そういえば、この前リーンがスッ転んでパンツ見えたとき、めちゃくちゃ動揺しててクソダサかったぞ」

「君は相変わらずっ、失礼なことを……!」

 

音もなく現れたリーンが二人の間に割って入る。

 

「アコラスくん、そこに椅子があるので座ってましょう?」

「ちっ。しかたねーな」

 

リーンから笑顔で言われたアコラスは、すごすごと下がっていった。

アコラスの前では素敵な年上のお姉さん、という感じで振る舞っているリーンだったが、距離がとれるとはあはあ息が荒くなる。

 

「ああ、かわいい……っ!」

 

周囲の人間は皆、深くは追求しまい、と心に固く誓った。

 

そうして彼らが訓練をしている間、アコラスはつまらなそうにその様子を眺めている。そんな少年の姿も、第一課の面々には見慣れた光景になりつつあった。小休憩に入った別の分隊がたまに声をかけると、ビクッとして椅子の後ろに隠れているのもである。

 

訓練中、ブレウは周りには聞こえないよう、小さな声で言った。

 

「どうですか、調子は」

「まあボチボチってところかな。ちょっと以前より出力上がんないくらい」

「はぁ、それはボチボチではないですからね。やはり相当重症じゃないですか」

「でも、そうは見えないだろう?」

「見えるか見えないかは問題ではないんですよ。全く君という人は無茶をする……」

 

レドはブレウの小言を聞きながらも模擬戦やその評価を行っていると、時刻を知らせるラッパが鳴った。訓練場から人が消えていく。

 

隣を歩くリーンを見上げて、アコラスは尋ねた。

 

「そういえばネロとかは?何で訓練にいないの?」

「今日ネロちゃんとヴァイスくんは、課長補佐、じゃなくて課長からの指令で首都の警備の方に回ってるんですよ」

 

去年の暮れの第12地区の壊滅的な被害は建物の復旧は進んでいるものの、首都の治安悪化に深刻な影響をもたらしていた。憲兵や通常兵力のみならず、国家魔術師もいつも以上に動員されており、レドたちは首都とその近郊を担当する分隊として割り振られていた。

 

「ただでさえ人手が足りてないからなぁ」

「じゃあオレ戦うのは!?そんじょそこらの奴より強いぞ!」

「ダメだ」

「なんでだよ……」

「戦うのは俺たちの仕事ってこと」

 

ふて腐れるアコラスの方を向き、その頭をポンポンと叩いたレドは衛生局員の発言を思い出していた。

 

『アイリス、アコラスといいましたか……。検査結果でわかったことは、あの子達は正反対の特性があります』

 

『一方は異常な魔力子総量なものの、魔術として操作する才能がない。まるで、水の量が限界水位に達しているにも関わらず、放流する川を失ったダムのようです。もう一方は魔力子皆無な状態であるのに、その操作性を示す数値は桁外れでした。こちらも例えるなら、水が完全に枯れてしまった大きな川、といったところでしょうか』

 

『そして体に手を加えられたことが原因と見られる、アイリスの虚弱体質と、その反対のアコラスの尋常ではない身体能力』

 

『彼らの数少ない共通点はやや発育不良の外見と、それから……』

 

『これは仮説ですが、アイリスは魔力子を取り込めば取り込むほど、アコラスは戦うことで、特に再生能力を行使すればするほど、今よりもさらに縮まっていくと考えられます』

 

 

 

§ § §

 

 

 

夕食後の自由時間。リーンやブレウは用事があるらしく、どこかへと立ち去った。そのため、再びレドとアコラス二人になったのだが、宿舎までの道中に突然アコラスは立ち止まった。

 

「どうしたー?宿舎に帰るぞ」

 

声をかけたにも関わらず止まったままなのに首をかしげていると、アコラスは口を開いた。

 

「クソババアにやられたところ、治らないのか。魔力子の循環がどーたらってやつ」

 

その言葉にレドは苦笑する。

 

「さっきブレウと話してたこと、聞こえてたのか」

「だってっ!」

「お前はそんな気に病む必要はないぞ。まだ治療中だし」

 

本当はもう治らないと言われていた。右肩の魔力子の移動経路と魔術行使の命令を送るための神経を損傷し、以前よりもうまく魔術を扱えない。

だが、レドはその事実をアコラスに伝えることはできなかった。

 

「だったら……、裏切り者、まだ見つかってないんだろ……?オレ、見つけるからさ!」

「……それで出歩こうとしてたんだな」

「そいつのせいで国家魔術師も偉い人もいっぱい死んで、お前らが大変なんだよな!?オレも役に立つから、役に立たないといけないから……!」

 

強迫観念にかられるように話す少年に、レドは静かに諭す。

 

「お前がアバドーンのことで教えてくれた話は十分役立ってる。今はもう頑張らなくていいんだ。……本当はお前も、アイリスも、こんな基地よりかは別の、もっとのんびりできるところにいた方がいいんだろうけど」

 

アコラスは納得いかない表情ながらも頷く。

 

「わかったよ……」

「あと、扉は壊すなよ?」

「……ちっ」

 

 

 

アイリスとアコラスが暮らす部屋までつれていくと、先客がいた。

 

「やあ、アコラスくん」

「さっき、ちょうどアイリスが起きてた」

 

ニコニコと笑うヴァイスと眠そうなネロである。

 

「え、ほんとか!?」

 

ネロの言葉にぱぁっと顔を明るくして駆け寄るも、直後ヴァイスに警戒した様子を見せた。

 

「お前アイリスと何話してたんだよ」

「何って、うーん、雑談?特別なことは話していないと思うよ」

「ネロは聞いてたよな!」

「覚えてない」

 

レドはニヤニヤと言う。

 

「ほほう、嫉妬か~。実際どうなんですかねヴァイスくん、アイリスのことは」

「僕は胸のある女の子が好みだから、それはないかな」

「冗談に対して突然反応に困るマジな発言をぶち込まないでほしいんだけど」

 

このあとアコラスが喧嘩を売るもどこ吹く風といったヴァイスに、ひとしきり笑っていたレドだが、気がつくと消灯時間になっていた。

 

「早く寝ないと身長伸びないぞー」

「う、うるせー!……ちっ、嫌いだ、お前らなんて!」

「はいはいおやすみ」

 

怒っているものの、先程と比べて元気そうなアコラスを見てレドは思った。

 

せめて、この少年にとって楽しく賑やかな日々が続きますように、と。

 




私はTSとおっぱいとパンツ(パンチラはNG、シュレディンガーの猫、あるいは雨夜の月派)が好きなんですが、ショタは別に性癖じゃないんですよね。おかしいなぁ。


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5-2

【N.C. 998】

 

あとは下の者も含めて頭と心臓を、と思ってイオンの首から手を離した矢先。

 

「ヤバッ……!」

 

突如襲ってきた衝撃を避けきることができず、オレは吹き飛ばされた。

 

「がぁっ!?」

 

そのまま壁を突き抜けて外に体が投げ出され、路地裏の地面に叩きつけられる。

激痛に耐えながら立ち上がると、ほどなくして一人の男が飛び降りてきた。

 

「お前か、ビオレッタさんを殺したのは……っ!なんで殺した!!何の目的でここにいる!」

 

それこそ、こっちのセリフだ。

会議場に人員は割かれているから、邪魔する奴なんていないはずだった。なんでここにいるんだ。

 

「内務省の施設を襲った、あの化物の仲間か!?答えろ!!!」

 

……やはり、ネフィリムが現れたみたいだ。

それでもこちらに人を寄越せたということは余裕があるのか。そもそもなんでここを嗅ぎつけてきた。ローザ課長の仕業か?

 

とりあえずは、向こうは大丈夫だと安心していいのだろうか。

 

オレにとってまず優先すべきは、ビオレッタが内通者イオンであったという証拠を掴み、自分の手で始末することだった。しかし、ローザ課長に会議の日付を聞いたあの日から、隕石の欠片の強奪と会議の襲撃が重なった場合、どちらに向かうべきなのかという問題が発生した。『前回』であれば今年の終わりのはずの会議の日程がこれほど直近とは思わなかったのだ。『前回』同様、襲撃があるかどうかもわからなかった。

 

結果としてこちらを優先した。会議場のほうは軍や憲兵を事前に引き寄せておくことで、襲撃がなくてもこちらの邪魔に入らせないようにしつつ、本当にネフィリムが会議場に現れた場合は数でどうにかしてもらうという博打だった。オレは半分賭けに勝ったらしい。

 

 

 

切りかかってくる相手は炎の魔術も使ってきて、肉弾戦や白兵戦を主とするオレにとっては相手にするのが面倒だ。

その辺に落ちていた長そうな鉄パイプでいなしつつ、まだ死体の処理が完了していない美術館へ再び戻ろうとする。

 

しかし、進路を阻まれてしまった。

それどころか、こいつはオレをあの場所から遠ざけようと動いている。

現に避けるごとに離れていってしまう。逃げようにも逃走用の仕掛けからはまだ遠いし、鉄パイプもすぐに使い物にならなくなった。

つくづく敵に回すと厄介だ。

 

腹からの出血は傷口が開いてしまって、治るのにまだまだ時間はかかる。動けばなおさらだ。動きやすさを重視して防具をつけてこなかったのがあだとなった。

 

相手は剣を横に薙ぎ払おうとする。

 

でもな、オレはお前の隙なんて良く知ってるんだよ。

 

炎の魔術を使う一瞬、アイツにはためらいがある。

それを狙って、攻撃が届く前に蹴り飛ばした。

 

「っつぅ、いってぇ……」

 

それでもこいつは立ち上がる。

 

しかも、届いていないと思っていた攻撃はオレに当たっていた。

 

正確にはオレの仮面にだ。

別の物で隠す暇もなく、壊れた仮面が下に落ちる。

 

「どうしてお前が……」

 

オレの顔を見たレドは呆然としていた。

 

 

 

「まさか、なんで、ビオレッタさんを……?」

 

問い詰めようとこちらに寄ってくるレドの足元に発砲する。どうせ当たらないし。

 

「うるせー……」

「なんとか、いってくれよ」

 

それにこいつがここに来たってことは、他の奴らも来る可能性もある。

 

「うるせぇんだよっ!!!」

 

イオンはもう死んだ。

死体の処理をできないのは手痛いが、撤退したほうがいいだろう。

ベストは正体がバレず、アバドーンに犯行を押し付けることだったが……。

レドはさっき確実に仮面を狙っていた。意識的にか無意識かはわからない。それでも遅かれ早かれ、気がつかれていただろうな。

 

「オレはなぁ、お前らがずっとずっと大嫌いだったんだ」

 

自分のやっていたことが明るみに出てしまったのは仕方ない。

オレが内通者扱いされるかもしれないが、こうなった以上振り切ってしまおう。

 

きっとウィステ先輩に迷惑をかけてしまうのだけは心残りだ。

 

「お前らみたいに能天気そうに、幸せそうにしてる奴らは腹立つんだ。オレには何もできないのになんでってな!!!」

 

いつも思い出す、焼け落ちる研究所。

首をしめてもなお死なない、オレと同じ被験体。

なんども花瓶で殴り、ぐちゃぐちゃになった頭。

 

五か月前の、強盗犯によって凍りついた人々。

オレが見過ごしていた、見過ごしていなくても、何もできなかったでだろう生存者。

 

「下で見ただろ。あいつらも、皆オレが殺してやったんだ」

 

オレは人助けなんてできないから。自分勝手にしかできないから。

 

「あの人たちも、お前が……」

「ほら、かかってこいよ。一年前戦ったときは納得いかなかったんだろ?今度はちゃんと相手にしてやるよ」

「で、でも……」

「どうした!」

「ぐっ!」

 

殴る。殴る。殴る。

 

オレが距離を詰める中、レドはまだためらっているのか防戦一方だった。

 

「おらっ、何遠慮してんだ!!!」

「くそっ!」

 

ようやく少しだけ踏ん切りがついたのか、魔術と斬撃を織り交ぜて向かってくる。

 

「……先読みされてる!?」

「お前に似てるけど、お前よりも強いやつを知ってるからなぁ。そんなもんかよ!そんなもんじゃねぇよな!!!」

 

対戦経験の差もあるのだ。どう動くかなんてお見通しだ。

 

……とは言うものの、炎を警戒しなくてはならないため、ギリギリの攻防である。

加えて、今のオレは相手の予想を上回る怪力によって動揺を誘わせたり、こちらが優位な状態を整えておいたり、先手を打つことで確実に初見殺しを行うスタイル。何も考えずに力任せに殴りに行く脳筋スタイルではもうないのだ。そんなわけで模擬戦での交戦経験や戦闘の様子を知られている相手には分が悪くなってくる。

それに、色んなところがじりじり焦げるし、背中は痛いし、動くせいで腹の血はまだ止まらないしで、現状正面突破はしんどかった。

 

何度目かの一撃。燃える刀身を無理やり両手でつかむ。

 

「何やってんだお前……!」

「なあレド、言ってたよな?自分勝手は良くない、みたいなことをさ。それだとオレはまさに良くない、いいや、悪い人間だ」

 

とにかく出まかせでも何でも適当なことを言って、隙を見てダウンさせる!

 

押し切ろうとする剣とオレの焼ける腕が拮抗する。

 

「……この国の法律ではお前のやったことは罪だ。だから!」

「へぇ、じゃあ法になきゃ何やってもいいってことか?自分じゃ良いか悪いか決められないのか、お前」

 

そう言った瞬間、明らかにレドの動きが止まった。

なんかよくわからないけどチャンス!

 

手元を蹴り上げ、剣を遠くに飛ばす。

 

「しまっ」

「これで終わりだっ!!!」

 

比較的焼けていない方のこぶしを握り締め、レドの意識を刈ろうとしたところで、轟音と共に人が飛ばされてきた。

 

「な!?」

 

しかもそのままこちらに降ってくる。

慌てて下がると、オレがいた場所に二人の人間が落ちた。

その姿を見て思わず唸ってしまう。

 

「増えた……」

 

リーンと、その下敷きになったブレウが呻き声をあげていた。

 

 

 

§ § §

 

 

 

第12地区で有数の高級ホテルに併設された美術館に入り、裏方まで行くとブレウ達の視界に飛び込んできたのは、六人の死体だった。リーンはそれらをみて顔が青くなる。

 

「ひどい……」

 

皆、憲兵の格好をしていた。目がえぐられたり、首がへし折られたりと、すでに息の根はない。

さらに奥には二人倒れていた。不思議と先の六人とは殺され方が異なっていた。

 

「しかしブレウの言った通りに、本当にここで事件が起きてるなんてね。どこ情報?」

「リーンが妙な話を立ち聞きしてしまったと相談してきたもので。他にもいろいろと」

「へえ」

 

彼らがこの美術館に踏み込む前、ブレウたちを含む国家魔術師は、首都のある場所で小規模な爆発が起きたことから緊急で招集されていた。

その時のことを思い出したのか、先ほどの死体のせいか、いまだに顔色の悪いリーンがぼそっと呟く。

 

「あれだけ緊迫した状況っていうのも心臓に悪かったね……」

「上層部が極秘に集まっていた場所が狙われればそうもなるでしょう。それにしても、あなたが第三課課長の息子だったなんて驚きましたよ。見れば似ていたので納得しましたが」

 

ブレウに視線を向けられたヴァイスは苦笑いした。

 

「ははは、それはまあ。でもほとんど会うこともないしね。僕としても緊急で出動した先にあの人が驚いたよ」

「……爆破を行った人物やその痕跡を全く見つけることが出来なかったものの、爆発による死傷者はいなかったのは不幸中の幸いでしたね」

「きっとそのあとの、あの化物が本命だったんだろう。いや、化物は陽動で、案外こっちにある何かが本当の狙いかもしれない、なんて。それでブレウ、詳しい話はあとで、って言ってたけど。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないかい?」

 

見えない敵からの次の攻撃に警戒態勢に入ると、一年前に軍の学校を襲った化物が再び姿を表した。しかも複数個体だ。対応に追われる中、ブレウがここを離れていかなければならないところがある、と敵前逃亡扱い覚悟で飛び出していこうとしたのを、第三課課長ローザに許可されたのである。

 

「ここで一体何が起こったの?……私の立ち聞きした話とどんな関係があるの?」

「それは……、いえ、まだ確信は持てていないんです。まだ少し話すのを待ってもらえますか。すみません」

 

いつになく深刻そうなブレウに、リーンは黙ってうなずいた。

 

(本当は、情報共有をしておくべきなんだ。僕が信じたくないから、話さないなんて間違っている。しかし、この予想は……)

 

「近くで戦闘してそうな気配がする。一階には誰もいない。二階に行こう」

 

いつになく起きているネロの発言もあって二階に上ると、一つ扉の壊された部屋があった。壁に穴が開いており、誰かが戦っているらしき音が先ほどよりも聞こえた。

機動力のあるレドに先行してもらっていたことから、ブレウは恐らく彼だろうと結論づける。

 

部屋の片隅には、壁にもたれ掛かっている女性がいた。

リーンとブレウが駆け寄って声をかけると、彼女はゆるゆると頭をあげる。

 

「良かった、生きてる……」

 

リーンのホッとした声が耳に届いたのか、

 

「……なんとか、無事よ」

 

ビオレッタはゆっくりと立ち上がった。

その姿を見たブレウは静かに言う。

 

「……ビオレッタさん。あなたはなぜここにいるんですか?」

「怪しい人物を見かけたから追いかけたの。でも、あっと言う間に、その人物に皆……」

「下の憲兵のことですね?」

「ええ」

 

悲しげな表情を浮かべるビオレッタに、ブレウはうつむく。

 

「今日も香水をつけているんですね」

「ブレウくん?」

 

突然場違いなことを言い出したことにリーンが驚く中、顔をあげたブレウは手で制止した。

 

「……僕は友人から聞いたんです、この匂いのことに関するいくつかのことを。それで他にも色々と考えたんです」

 

ビオレッタの目をブレウはまっすぐ見つめ、確信を持った声で告げた。

 

「もう一度聞きます。……あなたは、なぜここにいるんですか?」

 

ビオレッタは微笑んだ。

 

「……今さら、私を見ても、もう遅いのに」

「ビオレッタさん……?」

「私ね、本当はあなたのこと、だいっきらいだったわ」

 

突然の言葉にブレウは固まる。

ビオレッタ両手で顔を覆い、ふらふらと彼から距離をとった。

 

「あなたみたいに、あなたたちに幸せそうな人が憎い。なんでそんな簡単に幸せを手に入れられるの?」

 

「そうだ、はやくとりかえさないと」

 

「幸せがもっともっとほしいの」

 

「それで私はあの子をもっとアイするコトができるの」

 

明らかに異様な雰囲気となったビオレッタに、その場にいる者は皆息を飲んだ。

 

「どうしたんですか!?」

 

一度固まったものの、再度ブレウはビオレッタに近寄ろうとする。

その時ビオレッタはスッと顔を覆っていた手をおろした。

 

無表情と化した顔で、口を開く。

 

「あいしてる」

 

「あいしてるあいしてるあいしてるあいしてるああああいしててててるあ」

 

ビオレッタの体はメキメキと変形し始めた。

全身が白い肉のような物で覆われていく。頭部はまるで牛のような形状になった。そして背中からは鳥のくちばしに似た突起物が生えてくる。

 

「これってさっきのとちょっと違う……っ!?」

「リーン、ブレウ、下がって!!!」

 

ネロの叫びにも、突然の出来事にブレウは身動きがとれなかった。

そこへ、ビオレッタだったものが腕を横に払う。

 

「危ないっ!」

 

ヴァイスが弓を引き、リーンは間に割って入り盾を構えた。

普通の矢であるとはいえ、魔術により加速させたはずの攻撃は、肘後部に正確に捉えたものの弾かれる。

そして、拳を盾で受けたリーンは後ろのブレウごと、壁を壊して外へ吹き飛ばされていってしまった。

 

「会議場に現れた奴らよりも強い……っ!」

「私がやる」

 

横になぎ払った直後の腕に、鎌を持ったネロが切りかかる。

 

「シィッ!」

 

その重い一撃は片腕を見事に刈り取った。

 

「……!」

「失った四肢を再生させただって!?」

 

数秒後、切断面が膨れ上がり腕が生えてきた。

再生した腕を無茶苦茶なところに振り下ろす。

すでに二ヶ所も穴の空いていた狭い空間は、天井からミシミシと音をならし始めた。

 

「ネロ!室内でこのまま戦うのは危険だ!」

「わかった」

 

ヴァイスが足首を狙って矢を放ち、少し体勢が崩れた。

そこを狙ってネロは床に鎌型であるMARGOTを突き刺す。そこを起点に岩の柱を横向きに生成し、化物を外へ無理矢理押し出したのだった。

 




アコラスは魚派なので、魚ばっかり食べていたせいて血がサラサラになりすぎて全然出血が止まらねえ!エンドにならないか心配だったんですけど、前の話見たら肉もちゃんと食べてますね。

血がサラサラになりすぎたせいで出血の止まらない主人公なんていう、アマニ油も真っ青な展開じゃなくてよかったです。


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5-3

【N.C. 998】

 

「どうしたんだ!」

 

レドが目の前に落ちてきた二人に声をかけた。すぐにリーンが口を開く。

 

「それは」

「リーン、まず降りてください……」

「あ、ごめんなさい」

 

しかし、下敷きにされていた者の非難に、慌ててリーンは飛び退いた。

ブレウはよろよろと立ち上がる。

 

「レドくん!あの、会議場に出た化物が…!」

「こっちにまで来てたのか!?」

「そうじゃなくてっ」

 

オーキッド派にアプシントスの奴ら、こっちの方までネフィリムを寄越してやがったのか。それとも、実はオーキッド派がアプシントスに黙って隕石の欠片を奪取しようとしていて、察知したアプシントスが送り込んできたのか。

いずれにせよ、敵も増えてこれ以上の交戦はリスクだ。ネフィリムを排除したらずらかろう。

 

リーンがこちらに気がついた。

 

「あっ!アコちゃん!」

「リーン!」

 

駆け寄ろうとする彼女を、レドが肩をつかみ引き留める。

 

その時、美術館からまた大きな音が聞こえてきた。

パラパラと埃が降ってきた後に、壁から白い巨体が突き破って出てくる。

横向きの岩の柱に押し出されてきたのだ。

 

向かいの建物と岩の柱に挟まれた形となったそれは、無理矢理周囲を破壊して地面に降り立つ。

通常の人間よりも肥大化したその体は、体表が病的な白色で覆われており、獣の角のようなものが頭部から生えていた。

これがリーンの言った化物、すなわちネフィリムだろう。ネフィリムはあたりをキョロキョロと見渡しているような動作をした。

 

「あのネフィリム、何かを探してんのか……?」

 

しかし、あれにそこまで考える知能は残されているのだろうか。

 

ネフィリムの顔がこちらを向いた。

ギョロっとした目や大きな口があり、皮膚は病的な白へと変化している。その人相は人間とは思えず、元の人物とはかけ離れてしまっていることは想像に難くない。ただここまで人間からかけ離れた形状だったか…?

 

「ネフィリム?君は、あれのことを何か知ってるのか?」

「それよりも、くるぞ!」

 

オレの呟きを拾ったブレウが切羽詰まった声を出したが、ネフィリムにも動きがあった。

 

背中をぐぐっと丸めて、ついていたくちばしのような突起物を上に向ける。

 

突起物が花のように開いたその瞬間。

 

とっさにリーンが盾を構えたものの、ネフィリムの攻撃範囲は広すぎた。石のようなものを360度方向に飛ばしてきたのである。

 

オレは近くに捨て置かれていた箱を遮蔽物にしようとしたが、箱ごと攻撃を食らってしまった。

 

ようやく出血が止まってきたのに、さんざんだ。

 

「大丈夫!?」

「いいから前見ろ!」

 

ブレウとレドはリーンの盾により、なんとか平気そうだ。

だがオレがさっき飛ばしたレドの剣は、ネフィリムを挟んでオレたちの位置とは反対側にある。すぐには取りに行けない。

 

そこにネロが上から降ってきた。攻撃のあと閉じた背中の突起物に向かって鎌を振り下ろす。

 

……今日は上から来る奴ばっかだな。

 

大鎌の質量もあって、突起物はいびつな音をたてる。

しかし、ネロはハッとして背から飛び降り距離をとった。

距離をとられた瞬間には、ネフィリムは何事もなかったかのように突起物を展開して、上方向に再び弾丸と化した石を飛ばしていた。

 

あれ、指向性も持たせられるのかよ。おっかねぇ。

 

続けて、レドたちの方にも大砲のように飛ばしてくる。

三人はおのおの魔術や武器で叩き落とした。

 

次はオレの方にーーー。

……来ない?

 

「なんでオレを狙わない……?」

 

そうしているうちにも、ネロが渾身の一撃で足を刈り取った。

 

「おいっ、そこは再生すんぞ!頭狙え、頭!」

 

慌てて忠告するも、足を切られたネフィリムは瞬く間に新しいものを生やしてしまう。それを見たネロはこちら側に撤退してきた。

 

「また、さっきのが来……、様子がおかしい!?」

 

レドのの言う通り、背中の突起物の色が赤くなっていた。そして、めりめりと開こうとしていて、

 

「だあああああっ、もうめんどうせぇ!」

 

オレはネフィリムに向かって走り、飛び蹴り食らわせた。

 

蹴りにより、突起物はオレたちとは反対方向に向く。

飛び出してきたのは、

 

「あっつ!?」

 

高温になった石だった。

反らしたことで当たらなかったものの、周囲の建物のあちこちにあたり、火の手が上がる。

さっきからの戦闘音で近くにいた人々は逃げ出し始めていたようだが、さらに被害が広がった。

 

だが、これもさっさとこいつの頭を潰せば終わりだ。蹴った勢いで地面を転がり、落ちていたレドの剣を拾う。

 

「うぉりゃぁあ!」

 

背中に飛びかかって、首に思い切り剣を振り下ろそうとした。一回ではダメだ。通常の魔術師以上の身体強化で硬化している。

だから、切れるまで何度も……!

 

一回目が首に届こうとしたとき、リーンが叫んだ。

 

「待って!それはビオレッタさんなの!」

「何…?」

 

オレは動きを止めてしまい、その間にネフィリムは体勢を立て直した。

 

さっきのがまたこられたらヤバい。

 

すぐさま背中からは飛び降りる。しかし、偶然か突起物はオレのほうには向かなかった。

 

ビオレッタはオレが殺したはずなのに……。

 

いや、こういうケースもあったな。

 

同じように首を絞めて殺そうとしても、死ななかったことが。

 

攻撃が止んだタイミングでリーン達の方へ走る。その間もネフィリムは、オレにまるで気がついていないかのようだった。

 

「あれがビオレッタさん!?」

「喋ってたら、様子がおかしくなって、あっという間に化物になっちゃったの!!!」

 

リーンの叫びに、レドが目を見開く。

 

「喋っただって?そんな、ビオレッタさんは確かに死んでて」

「オレが殺し損ねてたってことだ」

「アコちゃん!?」

「頭潰そうとしてたのに、邪魔が入りやがって……」

 

感情に引きずられてしまって、時間がかかってしまったのも原因だ。

 

人がどのようにあの化物へとなってしまうのか、詳しい仕組みは知らない。しかし、今までのオレの経験から考えると、ビオレッタはすでにネフィリム化する処置を受けていたのだろう。オレが一度息の根を止めたことがトリガーとなって、ネフィリムになったんだ。

復活する前に早く頭を潰していれば……。

 

……リーンの口ぶりから、まだビオレッタが内通者だったことには気がつかれていないようだ。まだ修正は効く。

 

再びネフィリムは周囲に高熱の意思の弾丸を撒き散らす。

今度はリーンの防御で防ぐことのできる位置に入る。他の三人も同様だ。ヴァイスはどこかで様子をうかがっているのだろう。その証拠に時々矢が飛んでくる。

 

そうして小康状態になったものの、ここでいつまでもリーンの盾の後ろにいるのはジリ貧だった。いつかはリーンの魔力子が切れて、防げなくなる時が来る。

 

「あの化物、人間からできたものとは聞いてたけど、そんなまさか……。生き返っただなんて」

「レド、私たちは目の前で変化したのを見た。喋っていたのも見た。それで、アコ。あれは頭を潰せば死ぬの?」

「おい、ネロ!」

「ああ、どんなネフィリムでも頭を潰せば確実に死ぬ。それ以外はああやって再生する可能性が高い」

「そう」

 

ネロはネフィリムをまっすぐ見据えている。隙あらばいつでも飛びかかれる体勢になっていた。

黙っていたブレウが口を開く。

 

「なぜあれに詳しいのかはともかく、君は第三課として動いているんですか?」

「……さあな、あれはオレが殺しとくからさっさとどっか行っちまえ」

 

しっし、と手で追い払うもレドが掴みかかってこようとする。

 

「ビオレッタさんなのに殺すだなんて、うわっ!?」

 

拾ってきた剣を投げつけて黙らせた。

 

「あのなぁ。あれはもう人間、ビオレッタじゃねーんだよ。理性的に考えることもできず、ただ動いてるだけの肉の塊だ。もう、死んでるのと同じだろーが。それにああなってしまった以上、もとには戻れない。……さっきの攻撃が人の多くいる場所で行われたら、どうなるかわかってんだろ」

 

しかし気になるのは、ネフィリムが視界に入っているはずのオレを、無視しているようなそぶりを見せることだ。

 

『今回』遭遇するのは二度目、……いや三度目だ。こんなふうに無視されたことはあったか?

 

そうだ。

 

六年前、研究所で先生を殺した奴はなんでオレを襲わなかった?不完全だったから?いや、他の人間は一人残らず殺して、食べてられていた。

 

今のネフィリムもまるでオレが見えていないかのような動作をしている。全方位の攻撃以外は向かってこない。

 

……普通の他の人間とオレの間で致命的に違うことが一つある。

 

それは、魔力子があるかないか。

 

実はネフィリムたちは視力が良くなく、魔力子で相手を認知しているのだろうか。

 

そこまで交戦したことがあるわけじゃないが、『前回』のネフィリムは普通にオレに襲いかかってきた。

 

視力に個体差があるってことか……?

だが、目の前のネフィリムもあたりを見渡す動作をすることから、『見る』機能はありそうだ。人間だった頃の当たり前の動作が抜けていないだけかもしれないが。

それにしてもさっきから何を探しているんだろう。いくら魔力子を感知しているとしても、それを保有できる物質は限られている。

 

イオンがネフィリム化する前に探していたのは……。

 

思いついたままにオレは盾の影から飛び出し、懐から箱を取り出した。

 

そして開けた瞬間。

その場からあまり動くことなくキョロキョロとあたりを見渡していたネフィリムは、ぐるりとこちらに顔を向けたのである。

 

「うしっ」

 

隕石の欠片を探知したらしい。

オレが走り出すとネフィリムもついてくる。ついてくるというか、ものすごい勢いで走ってくる。リーン達の横を通り過ぎ、脇目も振らない。

 

その勢いには攻撃体勢を整えていたネロも唖然としている様子だ。ブレウだけが何か叫んでいる。

 

このまま、レドたちを引き離して……!

そう思った時だった。

 

突如、ネフィリムの動きが止まる。

左足をレド、右足をネロに切り取られたのだ。

そして、刺さらないものの、頭に対して正確に矢が連射される。

連射終了直後、頭には背後から槍が刺さった。レドとネロが下がる。

 

「すみません、ビオレッタさんっ……!」

 

ネフィリムの頭部がカッと激しい光を放ち、眩しさのあまりオレは目をつむってしまう。

 

おそらく雷の魔術によって、大電流を一気に流し込んだのだろう。

 

雷の魔術は一歩間違えれば、炎の魔術よりも使用者や周囲の人間にとって危険だ。しかし、使い方さえ気を付ければ非常に強力な魔術でもある。

 

目を開けると、予想通り頭が黒こげになったネフィリムがいた。

 

手を虚空へ伸ばし、炭化した口が開く。

 

「…………ィステ、……ウィステ…………、みて」

 

異形と化しても、ウィステ先輩の名を呼ぶ姿は哀れだった。

 

口元だけポロポロと、黒くなった表皮のような物がはがれて、オレの方からは人間らしい口がゆっくり動くのが見える。

 

最期の言葉に音はなかった。

 

しかし、確かにオレには届いた。

 

 

 

“いきをするって、たいへんだったな”

 

 

 

その言葉にどんな想いをこめたのかは、届かなかった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

「ん…………」

 

ウィステは第三課で目を覚ました。なにやら外が騒がしい。

 

「あれ?私なんで寝て……」

 

後輩と話していて、猫がふらっと現れて……。

そこから先の記憶がない。

 

「居眠りしちゃったのかな?」

 

室内に後輩の姿はなかった。

仕事でどこかに行ったのなら、もうすぐ戻ってくるのだろうか、とウィステは考えた。

 

彼女に日頃のお礼を込めて買った、ピリッとした辛味のあるチョコレートを机から取り出す。

 

(あの子、こういうわかりやすい方が好きそうだよね)

 

先日、選定作業をしていると訝しげな目で見られたが、自分にあげる用だと知れば驚いてくれるだろう。

ビオレッタも選ぶのに手伝ってくれたのだ。今度、彼女もお礼をしないと。そう思いながら背伸びをした。

 

「アコ後輩、早く帰ってこないかなぁ」

 

 

 




電流まわりの表現は、まあ、うん、あれですよ。


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5-4

【N.C. 998】

 

ネフィリムはピクリとも動かなくなった。

槍が引き抜かれて、ぼとりと体が地面に落ちる。

胴体も切り取られた足も、再生する気配は全くない。

 

後ろの方でリーンが嘔吐している姿が見えた。

 

黒い塊をじっと見つめていたブレウが静かに話し出す。

 

「ビオレッタさんが、情報を流していたんですね」

「……お前、何言ってんだ」

「リーンが偶然聞いていたんです。君がビオレッタさんに課長に頼まれた仕事について相談を持ち掛けていた、と」

「…………」

 

それなりに周囲は気にしていたつもりだったんだが。リーンのやつ、気配消してやがったな。

 

「ですがそれは少し不自然です。何かしら事情を知ってそうな君が、内密に頼まれたことを簡単に人に話したりするでしょうか」

「相談くらい、オレだってするさ」

「君もしくは第三課は、国家魔術師を複数人殺した犯人側への内通者だと、ビオレッタさん、いやビオレッタに疑いをかけた。だからわざと話した。違いますか?」

 

……そうか、『君は第三課として動いているんですか?』と聞いてきたのは、これを確認するためだったのか。

 

「他にも疑問点があります。君の持っている『それ』は何なんですか?ビオレッタとその背後にいる者たちが手に入れようとした物ですよね」

「おい。一つ、訂正してやる。今回のことはオレが勝手にやったことだ。ローザ課長はオレにもこれの在処を伝えていなかった」

 

本当なら自分の手で完全に息の根を止めてやりたかった。他の誰にも譲りたくなかった。……残念だよ、ブレウ。お前に止めを奪われるなんて。

 

その時、ネロが声をかけてきた。

 

「アコ。あなたは『ユフラ』を知っている?」

「ネロ、いきなりどうしたんですか?」

「は?……おい待て、そいつってアプシントスのボスじゃなかったか」

「どう?」

「……そんなのオレも知りたいくらいだ」

「なら、いい」

 

なんでこんな人物の名前が、ネロの口から飛び出してきたんだ?

ネロと何か関係があるのだろうか。

 

ユフラは『前回』でも会うことのなかった謎の多い人間だ。クリュティエ(クソババア)はユフラのことを、人の形をした寄生虫、と嫌そうに言っていた。簡単に村ひとつを乗っ取り、『ユフラのこどもたち』と呼ばれる、ユフラに心酔する配下の者を増やしていくらしい。

 

「ちょっと待て。黙ってさっきから聞いてれば、内通者だのなんだのって……。まさか、ネイブさんが死んだのは」

 

そんな中、近くから駆けつけてくる声や足音が聞こえてきた。

時間切れみたいだ。今ちょうどいい位置にいるから楽に撤退もできるだろう。

 

「君の単独行動……。ウィステさんの件への報復ですか」

「違ぇよ。あの女なんてどうでもいい。オレはただ暴れたいだけだ。ビオレッタもちょうどよく堂々と殺せそうだったからやっただけ。他の奴らも皆そうだ」

 

どうか、ウィステ先輩がこのことで少しでも気に病むことがありませんように。

 

「他……?」

「ああ、そうそう。ブレウ、お前が時々言ってきた一般市民殺し、やったのはオレだ。お前は犯人にのうのうと推理披露してたってわけだ。残念だったな」

 

言い終わるや否や飛んできた矢を、つかんでへし折る。

 

「さてと。今日のところは逃げさせてもらう」

 

もともと仕掛けておいたものを起動させた。

……空き家を調べた甲斐があったというものだ。

 

「なっ!逃がすか!!!」

 

真っ先にレドが接近してこようとするのと同時に両脇の建物が爆発し、路地に大量の瓦礫と埃が舞い込んでくる。

 

「オレには爆破のノウハウがあるんだよ!」

 

捨て台詞を吐いて、瓦礫に巻き込まれないようとにかく走る。

後ろから聞こえてくる声に振り返ることなく、今度こそオレはその場から逃走に成功したのだった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

首都を出て、第12地区の外側に広がる森に入る。

そこには猫がひっそりといた。

 

「会議場の方はなんとかなったようだぞ」

「僕地味に頑張りましたからね!」

 

最低限の荷物を持ったグレイが突然目の前に現れる。

 

そうか、うまく行ったか。そっちは他人頼みだったからな。良かった。

 

「しばらく首都には近寄れねぇな」

「当たり前である。あれだけの事件があれば流石に警戒体制が強まるだろう」

 

首都の方を見ると、まだ少し煙が上がっていた。しかし、何かが壊れるような音は聞こえてこない。

 

「顔隠してた仮面ないですけど、誰かにバレたんですか?」

「ああ。とりあえず逃げてきた。……もともと軍に入ったのは内通者探しのためだ。もういる必要ないからな。辞めだ辞め」

「雑な退職だなあ」

「オレはお前みたいに姿が見えなくなる魔術なんて使えないんだよ。それ、どうなってるんだ」

「えー、これはですね、光を……、どこから説明したほうがいいでしょうか」

「……なんか難しいことをしてることは知ってる」

「…………うん、じゃあまた今度ちゃんと説明します。なんで物が見えるのかって話から」

 

猫が足元でニャーと鳴いた。

 

「内通者を排除したわけだが、お主はこれからどう動く?」

「軍の方はもう大丈夫だろ。また新たな裏切り者発生、とかなったら困るけど。その辺りは今回のことで相当ピリピリするだろうし、なんとかなると信じたい。……それでまあ、隕石の欠片を全部壊すことにした。手始めにこれを奪ってきたぞ」

「脱走兵なのに加えて、強盗殺人犯じゃないですかやだー」

 

懐から箱を取り出す。

今は箱を閉じている状態だ。先ほどの様子を見るに、この箱にいれておけば隕石の欠片はネフィリムには見つけられないらしい。

 

 

 

“また逃げるの?”

 

 

 

「あーあ、しばらくは逃亡生活かぁ。生活の質が落ちるのは嫌だなー。……ローザ課長でしたっけ。それ集めると危ないってわかってそうな人がいるなら、任せっちゃってもいい気がしますけど。だからお師匠、もう大人しくお縄についてもいいのでは?僕はあなたに脅迫されて働かされていた小さな子供として振舞うので。事実小さな子供なので」

「ふざけんなこのクソガキ。……仮に他の欠片を軍が管理していても、なぜ今まで壊してなかったのか不明だし、アバドーンやアプシントスに奪われる可能性があるくらいなら、オレがぶっ壊した方がいい。それに、これを集めることで『天使』が復活するなら、首都にも置いておきたくない」

「物騒ですねぇ。で、隕石の欠片って、いったいいくつあるんですか?」

「知らん」

「幸先が悪い返答やめてください……」

 

会話をしながら暗い森の中を進んでいく。

首都からは遠ざかっていく。

 

 

 

“……りたい、……ぇりたい”

 

 

 

一年もいなかったけど、首都はオレにとって居心地のいい場所だったかもしれない。だからもうここから離れなければ。ここに俺みたいな人間はいちゃいけない。

 

 

 

“見たくない物から目を背けてるんだね”

 

 

 

「お師匠は隕石の欠片も壊し終わったら、どうするんですか?そこまでいけば、この世界ってとりあえず隕石関連は安全ですよね」

「そうだな、そこまで頑張れたら……、アイリスにでも会いに行こうかな。最後に話したとき、何か言ってたのをもう一度聞き直したい」

「アイリス?誰ですかそれ」

「さぁ」

「さぁ、ってまたお師匠は適当なことを言う……」

 

猫は黙ってついてきていた。

 

誰の物かわからない声もまた、ついてきていた。

 

 

 

§ § §

 

 

 

満天の星の下、とある場所にて。

 

 

 

「良い知らせと悪い知らせがあるのですが……。どちらからお聞きになりますか?」

 

ひょろりとした男が、切り株に腰かけている女に話しかける。

女の足元には微かに息の根がある人間が転がっていた。

 

「そうねぇ。悪い方からにしましょうか」

「オーキッド様がアプシントスと手を組みました」

「あらあら。あのビビリな男、せっかくクリムノンがいるのに……。ついに自分の手の者の力すら信じられなくなったのね。愉快だわぁ。それで?良い知らせは?」

 

見に纏う黄色いローブの裾からはポタポタと水が流れ出ていく。その水は足元の人間の顔を覆っていった。

 

「先日首都で、手を組んだ彼らに動きがあったのですが、失敗したようです。軍に忍び込ませていた内通者は排除され、上層部潰しもできなかった。おかげでオーキッド様の権威は失墜、アプシントスも今回使った例の手駒、ネフィリムを軍に確保され、大きな打撃を受けた様子です」

「ネフィリム……。ああ、あのオモチャのことね。ヒュウ、話はそれだけ?」

「いえ。あともう一つ、面白い話を耳にしまして」

「ふぅん。もったいぶらずに早く言いなさい」

 

少し不機嫌になった女と呼応するかのように水はうねり、倒れた者の口、鼻、耳、目を侵し、完全に沈黙させる。

 

その様子を見ていた男は若干引きつつも、話を続けた。

 

「オーキッド様やアプシントスが手にいれようとしていたのは、『(ドーラ)』です」

「……今は軍が持っているということかしら?」

「それが、第三者に奪われたようです。軍は隠蔽しようとしていますが、事件の直後脱走兵が一人出ており、彼または彼女が持って逃げ出した可能性があります」

「それじゃあ、その子に会ったら譲ってもらわないと。もし譲ってくれないのなら……、お仕置きね」

 

女はクスクスと笑う。

 

「……探しに行かなくてよろしいのですか?」

(ドーラ)は空間を歪めて引かれ合う。一つ現れたなら、今まで見つからなかった他の(ドーラ)も必ず覚醒して現れる。急がなくても問題ないわ」

「は、はあ……。アプシントスは魔力子研究やネフィリム開発だけでなく、空間の歪みについても研究していました。これは(ドーラ)を見つけようとしていたということなのでしょうか」

「そうかもね。でも最後に全てを(ピトス)に収めるのも、その(ピトス)になるのも、この私よ」

 

夜空を見上げたクリュティエは、待ち遠しさを抑えきれない様子で言った。

 

「もうすぐ千年だもの。キレイになったこの地上で、早くあの方と二人きりで会いたいわ」

 




次回から無職です。


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3.
6-1


【N.C. 998】

 

「はあ……」

 

季節は秋も終わり、そろそろ本格的な冬がやって来る直前。

オレはというと、

 

「何ダラダラしてるんですか」

 

長い時間かけてやって来た目的の一つを達成したので、少し気の抜けた状態になって、地方都市の片隅の廃墟に潜伏していた。今になってウィステ先輩のだらけっぷりが理解できた気がする。

 

「手がかり全くなしだとな~」

 

ボロボロのソファーに寝そべって足をバタつかせていると、ため息をつかれる。

 

なんか文句でもあるのか。

 

グレイは『作:オリバー』である絵本を見ながら言った。

 

「これを書いたオリバーさんは伝承や魔力子の研究から隕石の欠片に行き着いたみたいなので、僕らも地域に伝わる言い伝えみたいなのを調べる必要があると思うんですよ」

「隕石の噂のある町にいってみたら、隕石の欠片あっただろ。……お土産屋に」

「あれはどうみてもその辺に落ちてる、ただの石ころでしたよね。ぼったくり価格なのに、意外と買っていく人が多くてビックリです」

「欠片は全部で六個の可能性があるから、それなら残り五個じゃん。行ける行ける」

「集めたとしても壊す方法も今のところないじゃないですか。それはそれでどうするんですか」

 

ぐうの音もでない。

 

オリバーの絵本にあった星の欠片の挿し絵は六個、そして、隕石の欠片が入っている箱の中の窪みも六個。ここから欠片は全部で六個あるんだろうという予想が立てられた。これについてはオリバー本人に直接聞けたらいいのだが、ノコノコと聞きに行くわけにもいかない身の上だ。

 

何より、奪ってきた隕石の欠片。いまだに破壊できていないのである。オレの力を以てしても、石で潰そうが、しっかりと固定してハンマーで叩こうが、傷ひとつつけられなかった。活火山の火口にでも投げ入れてしまった方がいいんじゃないだろうか。

放置するわけにもいかず、確実な処分方法が見つかるまでは持ち歩いている。

 

「あ、お猫さん。おかえりなさい」

 

入り口には猫がいた。尻尾を立てて悠々と歩いてくる。

 

「お主たちの代わりに色々と調べてきたぞ。この近くのとある湖の底には太古の町が沈んでいるらしい。そこにはお宝が眠っているそうだ。なかなか面白そうではないか」

「で?」

「昔話とか伝承がありそうじゃないですかー。とりあえず行ってみましょうよ」

 

オレたちはこの、『とりあえず行ってみる』という行き当たりばったりな作戦で隕石の欠片を探しているのだが、これがなかなか見つからない。このペースだと、アバドーンかアプシントスが手に入れたところで襲い掛かって横から掻っ攫っていった方が早いと思う。

 

「不用意に動いたら見つかるだろ。たぶん指名手配犯だし」

 

そして何よりオレはお尋ね者、のはずである。軍が所有していた隕石の欠片の一つを強奪してきたし、他にも今頃バレているであろう罪状盛りだくさんだ。

 

「軍から公表されてませんよね。この顔見たら通報してね、みたいなの」

「内部では回ってる可能性はあるけどな」

 

しかし、奇妙なことにオレの手配書が公には回っていないようなのだ。一応周りの目はより一層警戒して動いているが、どういうことなんだろう。

 

「罪状が強盗!殺人!脱走兵!情報流出!で結構重そうなのに……」

「捜索を秘密裏に行いたいのではあるまいか?例えばアバドーンやアプシントスに目を付けられる前に、アコラスから隕石の欠片を回収したい思惑があるのかもしれぬ」

「こうしている間にもひそかに捜索されていて、ある日突然ここに踏み込まれ、僕らの冒険は終わるんですね……。くわばらくわばら」

 

猫はソファーの上に飛び乗ると、寝そべるオレの頭を踏みつけた。この野郎。

 

「その湖がある町は観光地のようだ。外から来た人間も怪しまれる可能性は低いだろう」

「……わかったよ。行けばいいんだろ、行けば」

 

猫の下からオレはくぐもった声を出す。

それを聞いた猫は満足そうにニャーと鳴いたのであった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

「湖の底の町ぃ?もうそんなのはとっくの昔に魔術師が潜って調査済みさ。謎もなんもないよ」

 

湖のある町に来たオレを待ち受けていたのはあっけない言葉だった。

観光案内所と評されたところがあったため、入ってみると暇そうにしている女性が二人いるのみ。湖の底に眠るという太古の町については、そんなものはないと否定されてしまった。鞄の中にいる猫が喋ろうとするのを叩いて止める。

 

「湖自体は水もきれいだから楽しめると思うよ。湖の方には行ってみたかい?」

「まだです」

「じゃあ見てくるとといい。まあ、たまにいるんだよね、よくわからない出所の噂からここに訪れる人」

「そ、そうですか」

「確か水深は50メートルとかだったかな。ちゃんとした魔術師じゃなきゃ潜るのはおすすめできないし、潜ったとしても大したものは何もないよ。せいぜい石造りの物が少しあるとか。お宝も特になく、って感じだったね」

 

聞けることもなさそうなので、適当なところでお礼を切り上げてその場を後にする。案内所を出るときに、女性のうちどちらかが呟いた。

 

「今じゃ、あそこに潜る奴なんて誰もいない……、いや一人いたか」

 

 

 

訪れて早々不思議なことは何もないと言われてしまったが、どこか引っ掛かることがあった。

 

「なんか気になるんだよな」

「お師匠?」

「こう、偽物を見た時に本物はここじゃなくて近くの別の場所にある、みたいなむずむずした感覚がする」

「……ここは案外あたりかもしれませんね。近くに行けば、どこにあるのかはっきりわかるんでしたっけ。これ、この辺の地図です。練り歩いて見ましょう」

「ああ」

 

こうしてオレたちは観光客を装って町中を歩いた。しかし、これと言ってピンと来るものはなかったので、いよいよ本命である湖へ足を向けた。

湖は町はずれに位置し、森に囲まれていた。非常に大きな面積を有しており、外周を一周するだけでも結構な時間がかかるだろう。

 

グレイが湖のほとりに向けて走り出す。

 

「うわあ!湖広っ!広いですよ!」

 

人の姿は俺たち以外なく、猫はやれやれといった様子で鞄から頭を出した。

 

「アコラス、ここはどうだ?」

「たぶんだけどこの中、湖の底にある」

「ほれ、余の言った通りであろう」

「まあ、そうだったな。……潜れるか?」

「先ほどのご婦人も言っていたが、魔術もなしに潜るのはやめておいた方が懸命であろう。水質は良いことから、全く見通せないわけではなさそうだか」

 

船に乗って、漁業の道具を使えば何とかなるかもしれない。船着き場は地図に載っていない。町でこの話を聞かなかったのは失敗だったな。

 

とりあえず桟橋がないか探すか。

一人でキャーキャー言いながら遊んでいるグレイに声をかけ、湖のまわりを歩いてみることにした。

 

「グレイ、お前、ここ潜れるか?」

「無理です。僕は身体強化とか風魔術で空気確保とかそんなのできないので。できることがあるとすれば、潜るのは完全に人任せにしたあとで湖底を光で照らす程度ですよ」

「……猫」

「や、やめろ!余を水に叩き込もうとするな!」

「しばらくした後に動かなくなったお猫さんが浮いてくる光景なんて見たくないのでやめましょう」

 

人とすれ違うこともなく、えんえんと歩く。町の様子もあまり栄えている様子ではなかった。猫はここを観光地と言っていたが、少し寂れていないか?

 

代り映えしない景色に一体いつまで歩けば良いのかと思い始めた時、湖のほとりに小屋が見えた。その小屋の近くからは湖に向かって桟橋が伸びている。

 

「なんだあれ?」

「船……ではないですよね」

 

桟橋の先には小舟ともう一つ、奇妙な物体があった。湖面に浮いているが、どう見ても一般的に知られている船ではない。細長い弾丸に似た形状で表面は鉄。側面には窓がある。上に入口のような物がついているので、中に入ることができるようだ。

 

すると小屋の中から一人の中年男性が出てきた。彼は桟橋の上を歩いて、奇妙な物体、おそらくは乗り物に向かう。そして男性はためらうことなく謎の乗り物内に入った。

しばらく経った後、謎の乗り物は沈んでいく。

 

「まさか、こんなところに潜水艇……!?」

「は?」

 

そうこうしているうちにグレイが潜水艇と呼んだ物は完全に水面の下へと隠れた。

 

「あわわわわ、あれがあれば身体強化や風魔術が使えなくても底の様子が見れますよ!?いやしかし魔術師がいるからいいじゃんと思われがちの昨今の風潮の中実際に作る人がいるなんて」

「すごい早口だな、お前」

 

……が、グレイの興奮が冷めないうちに、桟橋から少し離れた位置で潜水艇は再浮上してきた。

乗っていた男性が上の出入り口から出てくる。しかし随分と慌てている様子で、足を滑らせて湖に落ちてしまった。

 

「おい!」

 

男性は水面でバシャバシャともがいている。オレは急いで桟橋に駆け寄り、置いてあった浮き輪を投げた。

ロープでつながれた浮き輪を無事掴んだ男性をそのまま引き上げようとすると、

 

「私よりもノーチラス号を!」

「はあ!?」

「すまないがそこにもう一つ浮き輪があるだろう!?投げてくれないか!?!??」

 

言われるがままに男に向かって浮き輪をもう一つ投げる。

彼は推定ノーチラス号に自分が捕まる用ではない浮き輪のロープを括りつけると、こちらに泳いで戻ってこようとする。あまり速度が出ていないのでロープを手繰り寄せた。

桟橋に上がろうとしているずぶ濡れの男性に手を貸して今度こそ引き上げる。

 

「少年たち、どうもありがとう。私はピエール。ここで湖底を調べるべく日夜実験している。いやまいったまいった。また機械の故障だ。しかもさっき足をつってしまってね、君たちがいなければ、このままノーチラス号と共に湖に沈むところだった」

 

ピエールと名乗った男性はワハハと笑っていた。

大丈夫かこいつ。

 

グレイが興奮した様子で男性に話しかける。

 

「あの、こんなところで何を?これ潜水艇ですよね!?」

「よくぞ聞いてくれた。小さいほうの少年の言う通り、これはノーチラス号!私が作った潜水艇さ!これを使ってこの湖の底に眠る町を探検しようとしていたんだ」

「!!!!?!?」

 

この男性が作っている潜水艇という乗り物は、水の中へ潜っていくことができるらしい。それがあれば湖の底にあると思われる隕石の欠片を見つけることもできる……のか?

しかし潜水した後に内部に水が入ってそのまま溺死しそうで怖い。

 

というかここ寒いし、水も結構冷たかったと思うんだが。話すよりも先に早く体を拭くなりした方が良いんじゃないだろうか。

 

「あいにく大それた魔術は使えなくてね。この通り、少しの電気あばばばばば」

「濡れてるのに何やってんだ!?」

 

ピエールは突然雷の魔術を手から発動させたかと思えば感電していた。だがそれほど威力は出ていなかったようで、すぐに普通に話し出す。

 

「失礼、せいぜい電気治療程度だから大丈夫だ。この通り多少の雷の魔術しか使えない。だが!私は自分の身で湖の底に行きたいのだ!」

 

力強い言葉にグレイが拍手していた。

 

「ロマンですね!」

「わかっているじゃないか!小さい方の少年」

 

嬉しそうに言ったあと、すぐに声のトーンが下がる。

 

「しかし、最後の最後でうまくいかなくてね。あともう少しなんだが……」

「是非僕にも手伝わせてください!」

「いや、だが」

「ちょこっとだけなので!!!ただのお子様にしか見えないと思いますが、意外と僕優秀なので!!!お師匠!いいですよね?」

「勝手にしろ」

「あの人からも了承取れたんで!お願いします!!!」

 

勢いに押されたピエールはグレイの申し出に頷いた。

 

「わ、わかった。ええと、君たちは……」

「僕はグレイです。ちょっと観光でここに来たん、いたっ!なんで頭叩いたんですかお師匠!」

「……ピエールさんでしたっけ。着替えないと風邪引くんじゃないですか」

「おお、そうだった。ありがとう、大きい方の少年」

 

大きいほうの少年って……。

いそいそと小屋に入っていく彼を見届けた後、鞄の中の猫が言う。

 

「いささか寄り道ではないか?」

「オレとしては潜水艇?が完成しようがしまいがどっちでもいい。うまく使えるならそれで済むし、ダメでも最悪オレが潜って様子を確認した後、船から網で引き上げる」

「そそそんな、ピエールさんあともう少しって言ってましたし」

「だから一週間だ。緊急事態にならない限り一週間だけ待つ。わかったな」

「やったぁ!見ててくださいね、僕の頭脳が唸りますよっ!」

 

飛び跳ねたグレイは潜水艦を眺めに桟橋へ走っていった。

 

「甘ちゃんではないか」

「……うるせー。よくわからない乗り物の問題なんて一週間だけで、どうにかなるもんかよ」

 

……とりあえず、一週間滞在しても怪しまれない、かつ目立たないようにしなくてはいけない。どうしよう。

 



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6-2

しばらくたぶんほのぼの回です。


【N.C. 998】

 

「……ああ、ピエールさん?もしかして会ったのかい?」

 

ピエールという湖にいた男について、案内所の女性たちに聞いてみたところ、いくつかのことがわかった。

彼はこの町の出身であり、昔は役場で真面目に働いていたらしい。しかし、ある日突然仕事を辞め、湖のほとりに小屋を建てて現在まで潜水艇製作に勤しんでいるとのことだ。真面目だった人間の急な転身に、最初のうちは町民もなんだなんだと様子を窺うこともあったが、今はもう興味を持つ者もいないんだとか。

 

「湖に潜ってどうするつもりなのかは知らないけど、死体が浮いてますみたいな話だけは勘弁してもらいもんだね」

「そうねぇ。だんだん都会のほうに人が出ていっちまってるってのに、町に変な噂が立つのはちょっとねぇ……」

 

彼女らはやれやれといった様子でそう締めくくった。

 

 

 

問題となったグレイ待ちの一週間の過ごし方は、前半は観光を装い、後半は森の中でこそこそ野宿する予定になった。いつまでも町に滞在するのは悪目立ちすると思ったからである。

そういうわけで帽子を目深にかぶってオレは町に出ることにした。ちなみに猫はグレイのほうについていった。

 

町の小高いところには湖を望む事の出来る展望台があるため、行ってみると他にもチラホラ観光客がいる。湖は森に囲まれていることから、直接行くよりかはこうして町の安全なところから見る者が圧倒的に多いようだ。ピエールの小屋周辺を見ることができないかと身を乗り出してみたものの、地形や距離の都合でここからはあまりよく見えなかった。

 

「お嬢さん、そんな風にしていたら危ないよ」

 

はたから見たら少し危なげな行動見えたらしく、近くにいた小柄な男性に声をかけられる。

男性は神官の格好をしている。展望台の近くにはこの国でメジャーな宗教の小さな神殿があったことから、そこの人間だろう。

 

「何を見ようとしていたんだい?」

「……昨日たまたま湖のほうへ行ったら、奇妙な物を作っている小屋があったので、少し気になって」

 

オレはピエールの小屋の方角を指差す。神官の男性はどこか懐かしむような口調で返した。

 

「なるほど……、ピエールのか。それじゃあ、もう湖のほうはかなり歩いて見に行った感じなのかな。どんな様子だったのかい?」

「少し湖の中を潜水艇で潜っていました」

「そうか。あいつはすごいなあ」

 

彼は小屋の方向を見ながらしみじみとしている。結構フランクに呼んでいるあたり、この神官の男はピエールと知り合いなんだろうか。

オレの疑問を知ってか知らずか、男性は静かに言った。

 

「あそこの小屋の主、ピエールとは古い友人なんだよ。……突然話しかけてしまってすまなかったね。僕はエドワード。そこの神殿で神官をしている者だよ」

 

友人か……。

オレはピエールさんのことについて少し気になっていたことがあったため、つい聞いてしまった。

 

「『自分の身で湖の中を見たい』と言ってましたけど、昔魔術師が行った調査では底に何もなかったんですよね。なんでそこまでピエールさんは頑張ってるんですか?」

 

案内所の女性によれば、たった一人でかなりの期間を潜水艇製作に費やしている。それも仕事を辞めてまでだ。何が彼をそこまで突き動かしているんだろうか。

 

男性は目をぱちくりとさせていた。

……しまった、初対面なのに突然質問をぶつけたのは不味かった。

何か取り繕うことを言わなければ。

慌てて適当に話そうとすると、

 

「久しぶりにピエールのことが話題になったから、なんだか懐かしくなってしまったな……。お嬢さん、おじさんの昔話に付き合ってくれるかい?」

 

そう言って、エドワードは微笑んだ。

 

 

 

「もともと潜水艇を作って冒険することは、ピエールだけじゃない、僕らの夢だったんだ」

「僕ら?」

「ああ、僕とピエールとあともう一人、子供の頃いつも三人でつるんで遊んでいたんだよ。今はこんなおじさんになってしまったけどね」

 

このおっさんやあのおっさんにも子供の頃があったのか……。常識的に考えれば当たり前なのだが、ちょっと驚いてしまう。

 

「あの日は特に水がきれいな日だった。いつものように三人でここに集まって湖を見たとき、何か底でキラリと光った気がしたんだ。あの頃はまだ、魔術師による湖底の調査も行われていなくて、この湖には太古の町が眠っているんだって信じていたから、僕らは調べに湖へ走った」

「光った!?それって何色だ!?あ、いや、だったんですか」

「え?い、色かい?そこまではちょっと……」

 

もしかして隕石の欠片かと思い、話の腰を折ってしまった。だが、エドワードも相当昔のことのため覚えていないようである。オレは話の続きを促した。

 

「それで、どこまで話したかな。そうそう、まず真っ先に着いた僕が湖に飛び込んだ。しかし、運悪く足をつってしまって溺れたんだ。けれど一緒にいた二人が危険を顧みず助けてくれたことで、どうにか助かったんだよ。あとで大人からは大目玉を食らったなあ」

 

これってオレの人生何回分くらい昔の話なんだろうと聞きながら考えてしまう。

このおっさんが大人に怒られるくらいの年齢……。三回分くらい前?うーん、想像つかない。

 

「そのとき、三人で見た水の中の世界は今でも覚えているよ」

 

エドワードは湖を眺めている。

 

「溺れてるっていう危機的な状況なのにのんきに思ってしまった。なんて青くてキレイな世界なんだろうって。水の中はね、下にいけばいくほど青くなっていくんだ。もっとよく見たかった。だから僕らはいつか三人でこの湖の底を自分達の力で探検しよう、いや湖だけじゃなくて、海の底まで探検しに行こうって約束をしたよ。それで若い時は潜水艇ノーチラス号をどう作るか話し合ったものだ」

「……ピエールさん、潜水艇にその名前つけてました」

 

彼は溺れた時にあの潜水艇のことをノーチラス号と呼び、自身の身よりもそちらの方を優先していた。自分だけの物じゃないからそう振舞ったのかもしれない。

 

オレの言葉に寂しそうに笑った彼は続けた。

 

「けれど、幼馴染の一人は色々あって首都で働くと町を出ていってしまった。町に残った私もあいつも年を取るにつれてお互い忙しくなって、家庭に生活の中心が移って、あまり会わなくなって……。お嬢さんくらいの歳頃だとまだわかりにくいかもしれないけれど、時間というのはあっという間に過ぎていってしまう。歳をとればとるほど、過去から遠ざかる速度は速くなるんだ。昔のことはどんどん思い出せなくなってしまう。現に私は、あの頃のことを今日みたいに思い出すのは、もうほとんどなくなった」

 

この人とは逆に、ピエールは昔のことを忘れないでいるから、今も潜水艇を作ろうとしていることになる。過去を忘れるのが普通なら、それでも思い出し続けている人間は何なんだろうか。

 

「けれどピエールだけはその時の夢を追い続けているんだろう。どんなことに対しても、昔からあいつが一番粘り強かったからね」

「……それは悪いことなんですか?」

「神官の僕がこんなことを言っては信仰が浅いと怒られてしまいそうだが……、善悪なんて所詮人間が決めたことさ。だから少なくとも僕は、夢を追い続けることを悪いなんて言えない。……さて、このでお嬢さんの悩みに対して、少しは解決の助けになったかな?」

「悩みって……、別にそんなことはないですけど」

「ははは。そうか。もし何か話したいことがあれば神殿においで」

「はあ」

「それから手前みそだけど、そこの神殿は国内でも有数の歴史を誇っているんだ。あと一か月もしたら新年だから、それを祝う祭りの準備もしている。ぜひ見ていってくれ」

 

最後に俺はエドワードに一つだけ質問した。

 

「あの、今はもう手伝おうとは思わないんですか」

「湖の底はとっくに調べつくされているんだよ、お嬢さん。いまさら僕にできることなんて何もない」

 

 

 

§ § §

 

 

 

グレイとピエールが白熱した議論を一日中展開している様子を少し眺めたりしてみたが、オレには何を言っているのかさっぱり理解できなかった。

しかし人手は必要そうなので、湖に潜水艇を浮かべて試験をしているのを手伝ったりもしている。日を追うごとに沈む時間が長くなっている気がした。

 

そうしているうちに、この町への滞在は後半期間へ突入した。

 

宿から引き上げて森の中で食料調達したりと、のんびりしている暇はないはずなのだが、オレはのびのびと過ごしてしまっている。

 

ピエールは潜水艦以外は眼中にないのか、こちらがコソコソとしていても特に詮索してくることはなかった。グレイは潜水艇作成の戦力として大きく貢献しているらしく、この数日で随分と親しくなった様子だ。

 

さらに何事もなく時間は過ぎて、明日で一週間になった日。今夜もオレとグレイ、ピエール、ついでに猫も焚き火を囲んでいると、喜びを隠しきれない声での提案がきた。

 

「明日、湖底まで潜水試験する。そこで提案なんだが、二人とも私と一緒にノーチラス号に乗ってみないかい?ノーチラス号は三人乗りなんだ」

「お師匠が心配してそうな安全性はもう確保されてますよ!」

 

ノーチラス号は三人乗り。先日のエドワードという神官の話を思い出すと、オレたちじゃなくて、本当は……。

 

「大きいほうの少年はどうかね?」

「まあ、考えときます」

「そうかそうか」

 

まだ緑色の葉が燃えてパチパチと音を立てる中、ピエールは感心した様子で言った。

 

「いやはや、グレイくんはすごいな。君のおかげでもう最終試験だ。……最初はこんな子供が、と正直侮っていた。すまない」

「そんな!元からほとんど完成していたじゃないですか。僕がいなくてもいずれできたはずです。むしろ僕の方が我儘を言って無理やり手を出して、すみませんでした」

「なんで互いに謝りあってんだよ」

 

突っ込みを入れると、グレイはぼそっと呟く。

 

「だって僕、ちょっとズルをしてますし」

「はあ?」

 

あまりにも声が小さかったので流石のオレにも聞き取ることができなかった。聞き返してみても、「なんでもないです」とごまかされていると、猫がすり寄ってきたので魚をくれてやる。調子のいいやつめ。

 

「グレイくんの将来が楽しみだよ。君はきっと素晴らしい技術者になる。私よりもずっとね」

「ピエールさんはすごい人です!!!一人でずっと頑張ってきたんですから」

 

グレイに褒められたにもかかわらず、浮かない顔をして彼は返した。

 

「……これは自分一人の力じゃないんだ。友人たちの力なんだよ。このノーチラス号を直接設計したのも、どんな材料や技術を使うのか決めたのも、若いころの友人たちによるもので、私がやったのはこんなものにしたいという構想だった。だから、さっき『元からほとんど完成していた』と言っていたね。それは私の力じゃない」

「……っ、でも、今実際にノーチラス号を製作しているのはピエールさんです」

「私は不相応にも子供の夢をいつまでも忘れられないで、周りからは変人だと指差されている。ただ、それだけだよ」

 

焚火に照らされた中年男性の座っている姿は、どこか一回り小さく見えた。

 

「友人二人がどんどん大人になってノーチラス号を忘れていく中、自分だけがいつまでも覚えていて……。まるで自分だけが彼らのようには成長できずに置いていかれて、彼らの遠ざかる背中を眺め続けているような気がずっとしていた。いや、今もずっとしている」

 

ピエールは煙草を取り出して火をつけた。煙が上へ登っていく。

 

「それでも歳だけは取ってしまってね……。歳を重ねると、自分でできることが増えてくる。自分ではできないこともわかるようになる」

「ピエールさん……」

「私は凡人だ。子供の頃は湖や海の底にはどんな世界が広がっているのか、夢見たものだが、大人になると自分の限界を理解してしまった」

「でも、今ここで潜水艇を作っているってことは、諦められなかったってことですよね?」

 

グレイの言葉に彼は曖昧に笑っていた。

 

 

 

焚火を片づけていると、ピエールは今まで触れてこなかったことを聞いてきた。

 

「君たちは兄弟で旅行しているかい?グレイくんは大きいほうの少年の呼び方がなんとも不思議だが……」

「え、えーと」

「ああ。そういえば、探し物があると言っていたね」

 

冷や汗を流しているグレイの頭を掴み、代わりにオレが答える。

 

「まあそんなところです」

「あいたたたた、何するんですか!?」

 

……なんかこいつ、身長伸びてないか?

オレの微妙な視線に気がついたのか、誇らしげにこのクソガキは言ってのけた。

 

「僕の背があなたを超す日も近、いだだだだだだだだだだっ!!!!!」

 

突然のグレイの奇声に驚いた様子ながらも、ピエールは微笑ましいものを見るような顔つきになって言った。

 

「君たちの探し物、見つかると良いなあ」

 




最初は明るくて元気なマッドサイエンティスト系お姉さんを出そうとしていたんですが、気がついたらおっさん三人になっていました。


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6-3

お気に入り登録や誤字報告、ありがとうございます。
これからも休日中心にコツコツ更新していきたいと思っています。



【N.C 998】

 

「もう、どこ行ってたんですかー?せっかく潜水艇に乗れるっていうのに」

「うるせー。ちょっと走ってきただけだっつーの」

 

時刻は正午、不満そうにつついてくるグレイをあしらいつつ、桟橋に向かうとピエールが待ち構えていた。

 

「計算上、内部の空気だけでも二時間は大丈夫だ。加えて空気清浄装置も備えているし、もしバラストタンクが故障したとしても浮上できる緊急装置もある。さらに小さい物なら拾ってこれるアームがついているんだよ!」

 

潜水艇について勢いよく解説される。グレイもうんうんと頷いている。

物を拾う機能がついていることだけはわかった。

 

「結局、問題ってなんだったんだよ」

 

隣のクソガキにコソコソ聞くと、

 

「舵による船体の安定性が少しと、ほとんどは電池周りの話ですね。容量がなかなか希望通りにならなかったみたいで……。電力にこだわらず、人力を動力源にするスクリューだったら、もっと早くできていたと思います」

「人力」

「四人くらいで回せば何とかなったんじゃないでしょうか」

 

……泳いでいる人が外から押しているのを一瞬想像したけど、そうじゃなかったらしい。

 

恐る恐る乗り込むと、外見と違って内部は楕円形の空間になっており、配線や管があちらこちらに張り巡らされていた。他にもそこそこ大きな黒い鞄サイズの箱のような物もある。箱からは二本、線がどこかに向かって伸びていた。

 

「窮屈かもしれないが二人は左右それぞれに座って、ノーチラス号の重心がなるべく偏らないようにしてくれ。それと、そこの黒い電池には触らないようにね。一応この絶縁仕様の手袋を渡しておくが、感電する恐れがあるから。僕の雷の魔術とは比較にならない出力なんだ」

 

船首にいるピエールの言葉に、ぎょっとして黒い箱から少しでも距離を取る。

なるべく近づかないでおこうと思いながら、大きめの手袋をはめた。雷の魔術なんか弱い威力でも、電気が流れれば体が動かなくなる時があるのだ。魔術を発動させた本人だって制御を失敗すれば感電するので、そうそう使う者がいないのが救いだ。

 

「万が一破損したりして、中から液体が漏れ出してきた場合も、その液には触れないようにして下さいね」

「お、おう」

 

一体何が入ってるんだよ……。

 

狭い船内には小さな窓があった。これで外の景色が見えるので、圧迫感が和らいでいる。

窓の横に腰を落ち着けると、ピエールは言った。

 

「私以外でこれに乗るのは君たちが初めてなんだよ。まさに記念すべき日だ」

「でも今日は試験で、本番は別ですよね。昨日潜水試験って言ってましたし」

「確かに試験と位置付けているが……」

「じゃあいいじゃないですか、あくまでも試験ってことで」

 

念押しをしていると反対側から視線を感じる。グレイが奇妙なものを見る目でオレを見ていた。

 

「お師匠どうしたんですか?」

「どうもしてねーよ。……オレは別に隕石の欠片が見つかればそれでいいし」

 

後半はピエールに聞こえないように小声で言う。

 

「うーん、まあいいや。ピエールさん、今回は50mまで潜るんですよね。もっと深く潜れるようになるのが楽しみです」

「本当にそうなるといいね。……最初は自動車も機関車も、馬がいるんだから、魔術があるんだからと皆否定的だった。しかし現在では欠かせない存在になっている。私はね、潜水艇だって、同じようになれるポテンシャルを秘めていると思うんだ」

「なら、いつか魔術が必要なくなるくらい人間の技術が発達する未来も近いのかもしれないな」

 

なんとなく呟くと、ピエールはしばし目を瞬かせた後、

 

「確かにそうかもしれないなぁ」

 

と笑って答えた。

 

 

 

潜水艇が沈むと、小さな窓の外側は水で包まれた。

昼間のため真上にあるであろう太陽の光が差し込む。魚が泳ぐ姿は、川で上から見るのとはまた違っていた。横から見るどころか下から見えるのである。

 

そして下に沈んでいくにつれて青く、暗くなっていく。オレのざわざわとした感覚もますます強くなってきていた。

 

「すごい……っ!」

 

窓に貼り付いていたグレイがバッと振り返る。

 

「そうだろう?さあ、もうすぐ湖底さ。今日は特に水がきれいだからか、私が潜った中では今までで一番よく見通せるな」

 

湖底には岩や大きな木の枝があった。少し四角いが角は取れている石が転がっているのは気になるが、家などの人工物らしき物は見当たらない。

 

「湖の底ってこんな風になってるんですねぇ」

 

感嘆する声の後、落ち着きのある声が船内に響いた。

 

「やはりこうして、他に誰かがいる状態で見ても、古代の町なんてなかったんだね」

「でも木造とかなら腐食しちゃってて、それで」

「いいんだ、いいんだよ、グレイくん。自分一人で潜っていた時からもうすでに分かっていたんだ。本当は何も」

「おい」

 

大きな声を出して、オレは話を無理やり中断させた。

 

「確認のため聞くが、グレイ、お前また光出してるか?」

「出してないですけど。なんでそんなことを、って、あ、あそこ!光っていますよ!?ピエールさんピエールさん、あっちに光ってるものがあります!」

「それは本当かね!?」

 

グレイが指さしたその先、潜水艇から少し遠くの位置で何かが弱弱しく光を放っていた。

近づいてみるとそれははっきりと見える。人の頭より少し小さいくらいの大きさの岩があった。それの表面にある亀裂から、光が漏れているのだ。

 

「なんだこれは……?」

 

呆然としているピエールにオレは聞く。

 

「乗る前に言っていたアームで回収できますか」

「あ、ああ。あの大きさなら、問題なく回収できるだろう」

 

彼はそう言って何かを操作し始めた。窓の配置的にアームが岩を回収する様子を見ることはできないが、外から動作音が聞こえる。

 

「もしかしたら、これがあの時の……。回収が終わったら地上に戻ろうか」

「え!?僕としてはもうちょっと……」

「一応二時間大丈夫だとは言っても、余裕をもって浮上したほうがいいだろう?」

 

そしてノーチラス号は湖底から遠ざかっていった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

地上に戻ってきて、オレ達は桟橋へ降り立つ。

桟橋の陸側には一人の小柄な男性が立っていた。その姿を視界に入れたピエールは動きを止める。

 

「やあ、ピエール。……久しぶりだね」

「エドワード……、どうしてここに」

「そこのお嬢さんに呼ばれたんだ。君の作ったノーチラス号を見てくれないかと。最初は合わす顔もないと思って来ないつもりだったんだけれど、とても熱心に言われるものだから」

「うっ」

 

……このおっさん、オレが呼んだのは秘密にしとけって言ったのに速攻バラしやがった。

 

「お師匠、この方はもしかしてピエールさんのご友人の方ではありませんか?どこで知り合ったんですか?というか昼間にどこかに行ってたのって、むぐっ」

「どうでもいいだろそんなの」

 

ピエールは困ったようにオレを見た後、再びエドワードに向き直った。

 

「ノーチラス号、完成させたんだな。本当におめでとう」

「ああ。しかし、お前とサイラス、それにあの子たちもいなければ、私はここにいなかった……」

 

そう言い終わると互いにうつむいた。

 

「……」

「……」

 

いや、なんか話せよ。

無言の空気に耐えられなくなったグレイが小さく耳打ちする。

 

「お師匠お師匠、完全に気まずい雰囲気ですよ。どう考えても長い人生の中で確執とか葛藤とか積み重なって、長年会ってなかったと思われる方々ですよ。僕らでは圧倒的に人生の経験値不足で、迂闊に手を出しちゃいけなかったやつですよ。あ、こら、目を逸らすな」

 

昨日の話の最後のほうで、曖昧に笑っていたピエールの様子が気にかかっただけだ。これが終わってしまったら、全てを諦めて消えてしまうような、そういう感じがした。

 

……だからとにかく、エドワードを呼ばなくてはいけないと思ったのだ。

 

「だああああああ!めんどくせぇ!!!!!」

「うわあ、キレたよこの人」

 

もはやだだをこねる勢いで言ってしまった。

 

「言いたいことくらいちゃんと言え!あっという間に時間は過ぎてしまう、って言ってたじゃんか!あの時ああすればよかったとか、後で後悔したって遅いんだよっ!そんなのだから置いて行かれるんだよっ!できることわかってんならできることやれよ!」

 

気がつくと二人はポカーンと口を開けた状態で固まっている。

 

「……あ」

 

昨日からずっと無性にむしゃくしゃしていて、つい色々口走ってしまった。会ったばかりの親しくもない、それも歳の離れた人間にオレは何を言ったんだ。羞恥やら戸惑いやらで、どうにか訂正しようにもうまく言葉が出ない。

 

「あ、いや、そ、その」

 

固まっていた二人は顔を見合わせた。

そして、いつかのタイミングで同時に申し訳なさそうに笑い出す。

 

「若い子がこんなに親身になって、必死になんとかしようとしてくれているのに悪いなぁ」

「不甲斐ない大人たちですまないね、お嬢さん」

 

二人は向き合う。

 

「直接、湖の底を見てきたよ」

「ああ……、そうか」

「町は……、なかった。けれどこんなものがあったんだ」

 

ピエールは潜水艇のアームによって回収した岩を引き上げ、エドワードに見せる。

 

「もしかしたら、これが昔光っていたものなのかもしれない」

 

岩の隙間からは相変わらず光が漏れている。見たことのある青紫色の光だった。

エドワードは岩をじっと見つめていた。

 

「ピエール、お前は本当にすごいよ。何十年も前の夢を一つ、本当に叶えたんだから。……僕は、誰よりもひたむきに努力し続けられるお前のことが羨ましくて、自分にできることは何もないと諦めてしまっていた。だから、お前が一人だったのを知っていたのに、それを見ない振りし続けていたんだ。すまなかった」

「そんなことを、考えていたのか……」

 

頭を下げた目の前の男を、ピエールは呆けたように見ていた。

 

「……謝るのはこっちのほうなんだ、エドワード。私は、私にできないことができる、お前やサイラスのことが羨ましかったんだ。だんだん水の世界に興味を失っていくお前たちを見て、一人でなんとかしてみせたい、と意地を張って無意識のうちに距離を取ってしまった。……なんだ、考えていることはお互い同じだったのか。こんなことで長年すれ違い続けていたのか、私達は」

「サイラスもそうだったのもしれないね。僕が今日ここに来たのは、ずっときっかけが欲しかったからなんだろうな。情けない、もっと早くお前に会いに行けばよかった」

「そうだな。もっと、もっと早く話していればよかった」

 

ポツポツと会話をしている二人の男性から、少し離れたところにオレ達は移動した。

……別にオレの今回の目的は隕石の欠片であって、良く知らないおっさん二人の仲直りではない

 

「終わりよければ全てよし、なんですかねぇ」

「ふん」

「慌てふためいた人間ってこんなに顔色が青くなったり赤くなったりするんだな、とも思いました、っていたたた!」

「ふんっ」

 

グレイの頭をわしづかみしていると、ピエールが話しかけてきた。

 

「大きいほうの少年はお嬢ちゃんだったんだな。間違えてしまって悪かったよ」

 

オレも体格がわかりにくい服を着ていたり、帽子をかぶったりしていた上、その話題には触れないようにしていたのだが。

適当に返事をして、本来の目的について触れた。

 

「お願いがあるんですが。その岩、オレにくれませんか」

 

続けてグレイが頭を下げる。

 

「あの、僕からもお願いします。それが昨日言っていた探し物なんです」

「そうか……」

 

譲ってくれないのなら強硬手段をとらなければならない。

しかし、ピエールはエドワードの方を見て互いに頷きあうと、持っていた岩をこちらへ差し出してきた。

 

「どうか持って行ってくれ。これは私達にはもう必要ない物なんだ」

「本当ですか!?」

「……ありがとうございます」

 

岩を受け取ると、その重さを両手に感じた。

 

 

 

§ § §

 

 

 

小屋を後にした俺たちは森の中を歩いていた。このまますぐ、町を出る馬車に乗ればいいだろう。

 

「いや~、泊まっているところに話が流れた時は少し焦りましたけど、ごまかせてよかったです。それにしても、ピエールさんと、お友達の、エドワードさんでしたっけ、二人とも仲直りできてよかったですね。ただ、ノーチラス号の乗船を先に僕らがしてしまったのは、ちょっと申し訳なかったです」

「今日はただの試験だったんだし、乗った数に入らねぇよ。本番はいくらでも好きな奴と一緒に乗って海でもどこでも行けばいい」

「全くお師匠は妙なところでこだわる人ですね」

「うるせー、お前が言うな。……さて、割るか」

 

ちょうどいいところに切り株があったので、その上にピエールに譲ってもらった物を置く。20~30㎝の岩をいつまでも持っているわけにはいかないので、中から球状の輝く石を取り出してしまおう。

 

「素手で割ろうとしないでください」

 

グレイから手渡されたハンマーで何回か叩くと岩が割れて、中から丸い石が出てきた。ついでにハンマーで丸い石のほうも壊そうと試みたが傷一つ付かないのは相変わらずだ。

 

「これが二つ目の隕石の欠片で間違いないですか?」

「……ああ」

「現状、お師匠の勘以外に判断基準がないので、そのあたりどうにかしたいですねー。あ、ピエールさんに手袋返し忘れてる」

 

確かにオレたちはノーチラス号に乗ったときに渡された手袋をつけっぱなしにしていた。借りたままにするのは悪いし……、仕方がない、戻ってこっそり置いておこう。

 

「お師匠、早いとこ箱にしまっちゃいません?」

「そうだな」

 

ずっと懐に入れていた箱に二つ目の石を入れる。そして割った後の岩を埋めてから、オレ達は小屋に再び向かおうとした。

 

……この一週間、雨は降っていないはずだ。

だが奇妙なことに足元がぬかるんでいる。まるで泥水がしみてきたような――。

 

思考よりも先に、体が動いていた。

 

「残念、避けられちゃったわぁ」

 

さっきまで立っていた場所には、泥水でできたカーテンが広がっていた。ここでようやくオレは地面に転がっていることに気がついて、体勢を立て直す。

グレイを突き飛ばして、オレもまた、その場から飛びのいていたのだ。

 

泥水のカーテンが一人の女の足元へと戻っていった。

 

「逃げろ!!!」

 

鬱蒼とした森には似合わない黄色いローブ。

耳障りなクスクスとした笑い声。

 

「あら?不思議ね?一人、姿が見えなくなっちゃった。フフフ……、でも用があるのはあなたなの。残ってくれてうれしいわ」

 

拳銃を抜いて発砲するも狙いは外れる。くそっ!

忘れたくとも忘れられない、目の前の女の名を呼ぶ。

 

「クリュティエ……っ!」

 

女は不思議そうな顔をして首をかしげる。

 

「私、あなたと会ったこと、あったかしら?……まあいいわ。今持っている、その石……。(ドーラ)を私にくれない?」

 




・悩んだ結果、全然詳しくないけど最近ホットなエネルギー分野からの刺客、電池に全てを託しました。よくわからなくなったのでぶん投げたともいう。

・岩の密度はまあ、単位立方センチメートル当たり3g前後だったら、頭ぐらいの大きさでも持てるだろうと思っています。


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6-4

【N.C. 998】

 

緊張と焦りが極限まで高まったのか、自分の心臓の音が良く聞こえるなと、どこか他人事のように思ってしまう。

 

「……(ドーラ)?知らないね、そんなもの」

 

こいつは今持っている石を寄越せ、と言った。そんなものは、一つ、いや、二つしかない。オレ達が隕石の欠片と呼んでいる物のことだろう。

 

オレがなぜ隕石の欠片、クリュティエの言う(ドーラ)を感知できるのかをわかっていない今、他の人間もまた、所在を何らかの方法で探れる可能性を捨てていたわけでなかった。だが、いきなりとんでもない奴に鉢合わせるなんて、運が無さ過ぎるにもほどがあるだろ!

 

クリュティエは頬杖をつき、眉間にしわを寄せた。

 

「そう、言うこと聞いてくれないなんて……」

 

『言うことを聞いてくれないなんて、またお仕置きね。それとも、あの子にやってもらった方がいいのかしら』

 

とっさに首を触ってしまう。泥水でできた刃がいくつも飛んでくる中、オレは森の中へ逃げた。

 

「かくれんぼ?ふふふ、困った子ねぇ。どこに隠れたの?」

 

くそっ、どうする……。クリュティエは基本単独で動くため、他の人間はさほど気にしなくてもいいはずだ。しかし、もしも他にいたら。いや、そんなこと気にする余裕なんてない。

 

木の陰に隠れているが、こうして対策を考えている間にも近くの木に水の刃があたる。あの刃を避け、水のカーテンを突破して接近しなければ、オレに攻撃手段はない。

魔術師は基本的に、魔術による生成物を手やMARGOTから発生させる。原理的には体表面からならどこからでもできるが、魔術を使うのは手足を動かすのと同じ感覚で行うためか、ほとんどの者は手や足からだ。

しかし、この女は違う。体表面のどこからでも水を生成することができるのだ。そのあらゆるところから生み出される水は足元から半径2mにわたって展開されていて、隠れて近づこうとしても水の揺れによって察知される。制御できる水の量は限度があるらしいが、それを確かめる方法が今ない。手持ちの拳銃にしたって、撃とうにも混じり物の水の壁によって防がれるし、そもそもオレの腕では当たらないので、こちらの位置がバレるだけ。どうにか気がつかれず接近して手持ちの刃物で襲おうにも、水が操れる限りはこれまた混じり物の水で防がれる。投げてダメージを与えられるほどの大きさや硬さの物も足元には落ちていない。

 

使える物はないか、あたりを見渡しても木しかなかった。そりゃあそうだ、森だし。畜生!

 

何度も水の刃を受けた木のうち一本が倒れる。

 

「あらあら、危ない」

 

お前のやってることの方があぶねーよ。

 

……いや、これは使えるか?

幸か不幸か近くにも倒れそうな木があった。木の高さ、クリュティエとの距離を目測する。

 

「急に飛び出してきたわね。かくれんぼは終わりかしら?……なっ!?」

 

渾身の力で蹴りの入った木は、蓄積されたダメージもあいまって倒れていく。その方向は狙い通りクリュティエのいる方向だ。あともう一本くらい食らっとけ!

 

「くっ……!」

 

展開していた水が倒木という質量を伴った攻撃の防御に割かれる。

さらに向けられた拳銃に視線だけ向けたクリュティエは水の盾を作った。

 

しかしその盾は、銃弾を防ぐにはあまりにも弱弱しかった。

 

「くたばれぇぇぇええっ!」

「しまったっ……!」

 

水の盾を別の物に切り替える前に、クリュティエに向かってナイフを振り下ろす。

 

『そのナイフをそのまま振り下ろすだけでいいのよ?大丈夫、()()は動かないわ。あなたは止めをさせばいいの』

 

昔言われたことをそっくりそのままお前に返して、今度はオレがお前の止めを刺してやる!

 

 

 

「なーんてね」

 

 

 

刃がクリュティエに届くのを見届けることはできなかった。

 

「そんなっ!?」

 

流体でできた縄が首のまわりに纏わりつく。ナイフは新たな水の盾によって動かすことができず、拳銃は手から落とされた。

 

「可愛い顔してるから、つい嬉しくて……、ごめんなさいね?」

 

こ、こいつ……!まだまだ余裕だったってわけか……!!

 

「一生懸命なあなたのこと見てたら、すこし欲しくなっちゃったわ」

「がっ……!」

 

『いつまでも()()()()()()()ができないんじゃ、使えない駒……、あなたはいらない子ね』

 

首と腕が動かせず、逃げられない。じわじわと首が絞められていった。

生理的に出てきた涙でかすむ視界の端がキラリと光る。微笑むクリュティエが見える。

 

逃げられなくて、怖い。

 

でもそれ以上に心底、腹の立った。

 

こんなところではオレは終われない。

 

こんなやつに怯えて、何もできないオレでいたくない……!

 

「あら、なぁにその目」

「……こ……ぁ」

「何を言ってるの?」

 

だから、訝しげに見てくるこの女に言ってやった。

 

「……この、クソババアって言ったんだよ……っ!!!」

 

首に巻き付いていた水の縄を操られ、そのまま近くの木に叩きつけられる。

 

「はあ……!はあ…っ!!!」

 

けれどそのおかげで、首を絞めていた物は外れた。

 

「まずはその口調をどうにかしたほうがいいわね!!!」

 

再びクリュティエの水が迫ったとき、

 

「お師匠!」

 

声と共に黒い箱が投げ込まれる。その箱からは先がどこにもつながっていない、二本の細い線が伸びていた。

 

「なにを……!?」

 

線をつかんで、その先端をクリュティエに直接繋がる水へ接触させる。

あの電池ってのは随分電気を蓄えてるみたいだったからな……っ!

 

「ああああああああああぁぁぁぁあああ!?!!!??」

 

バチッという大きな音と女の絶叫が響く。

魔術による水は直ちに地面へ落ちて、ただの液体と化す。それを操っていた者は倒れ、痙攣していた。

 

「はあ……、いくらお前でも、無防備に感電すれば動けないだろ」

 

すぐに距離を取ったものの、自分が感電しなかったのが不思議だ。……そうか、手袋を返し忘れていたから、平気だったのか。

危機を救ってくれた箱は投げられた衝撃で歪み、中の液体が少し漏れ出している。その匂いなのか、刺激臭が少しした。

 

「おーい、大丈夫かい!??」

「お師匠!!!」

 

声のした方に目だけ向けると、男性二人と子供一人が駆け寄ってきている。

 

「無事ですか!?」

「まあ、なんとかな」

「グレイくんが慌てて戻ってきたと思ったら……、突然襲い掛かってきたなんて、この女性は一体何者なんだ!?」

「それよりもピエール、町に戻って憲兵を呼んでこなくては。お嬢さんも怪我をしているようだし」

 

どうやらグレイはピエールとエドワードに助けを求めに行ったらしかった。

電池とやらを投げてくれたのは助かったが、憲兵を呼ばれるのは困る。

 

あ、電池……、壊れてるじゃん……。

 

大きさと飛距離的にグレイが投げられたとは考えられない。ピエールかエドワード、二人のうちどちらかが投げてくれたのだろう。

ホッとした様子になっていたグレイが、歪んだ箱を見て顔を青くする。

 

「ピエールさん、すみません。電池壊れちゃってますよね……」

「いいや、気にしなくていいんだよ。エドワードに投げてもらうように言ったのは私だし、お嬢ちゃんが無事だったことの方が大事さ。それにまた作ればいいんだから」

 

クリュティエはまだ行動不能のようだが、死んだわけではない。このまま放置しておくのは危険だ。それに、木が倒れる大きな音がした。たとえ呼ばなくても、異変に気がついた町民や憲兵が来るのは時間の問題だろう。

 

魔術が使えるくらい回復する前に首を落とし、ピエールらが混乱している間にグレイを抱えて逃走する。

 

……よし、これでいこう。

 

倒れたクリュティエに駆け寄ろうとしたが、本能的に立ち止まる。それと同時に、目の前に何かがまた投げ込まれた。

 

その物体を認識したのと、回避行動に出たのはどちらが先だっただろうか。

鋭い閃光から身を守ろうとした両腕をおろすと、エドワードの慌てた声が聞こえた。

 

「うわあ!?な、何なんだ、さっきから!??!?!」

 

しかし、それに返答することなく、クリュティエの近くに現れた人物に警戒する。

 

「あ、の、ガキを、はや、く……!」

「しかしクリュティエ様、そろそろ町の衛兵もやってきそうなので、ここは退却しましょう。それと手を出すなと言われていたのを守っていたのですが、この場合はセーフですよね」

 

もう喋るくらいには回復しているのか……っ。

とぎれとぎれの言葉に、妙に落ち着いた声で返答したのは、ヒュウであった。

 

この男の言う通り、微かに何人か人がこちらに向かっている気配がする。それに一瞬気をとられた隙に、

 

「どこかでお嬢さん、お会いしましたか?いやはや気のせいか。それでは、ここは失礼させていただきます」

 

再び閃光と煙幕が場を包む。それを無視し、自分の感覚を頼りに追いかけようとすると、オレに向かって木が何本か倒れてきた。そのうちの一本がグレイたちのほうに向かう。

 

「ぐっ……!」

 

彼らを下敷きにする間に、木の根元側に転がり込んでどうにか支える。

 

「うわわわわわっ、てこの原理的にはすごく力がかかってますよ!」

「いいから、ささっとそこどけ!!!」

「はい!ごめんなさい!」

 

三人の位置を確認して、ゆっくり木を下ろす。

こうしているうちに、クリュティエとヒュウの姿は消えてしまった。

 

「はあ……」

 

溜息をついていると、中年男性二人がポカーンとオレを見ていた。

 

「た、たまげた……。随分と怪力な」

「身体強化、とりわけ筋力の強化の魔術では?」

「まあそんなところです」

 

適当にごまかしたところで、いよいよ「あっちでまた木が倒れたみたいだぞ!」という声が聞こえてきた。

 

「おい、人が来る。オレ達も逃げるぞ」

「え……。ちょっとお師匠!?」

 

グレイと鞄を無理やり小脇に抱え、ピエールたちに背を向ける。

 

「お嬢ちゃん!?そんな体でどこへ!??!?」

「すみません、ピエールさんにエドワードさん!こんな形ですが、ありがとうございました!」

 

グレイの言葉を聞いてもなお、困惑している様子の彼らを置いて走り出したとき、

 

「ここをまっすぐ進めば、非常に大きな木がある!そこから左手に行けば、街道に出られるぞ!」

 

思わず振り向くと、エドワードがこちらに向かって言っていた。それを見たピエールが続ける。

 

「また会おう、私の小さな友人たち」

 

手を振っている二人に、抱えられているグレイも、無理やり後ろを見て手を振る。

 

「はいっ、いつか、また……っ!」

 

オレの手はグレイと猫入り鞄で塞がっていた。

 

 

 

§ § §

 

 

 

森で何本もの木が倒され、異変に気がついた町民や憲兵たちが駆けつけてきた後、ピエールとエドワードは説明に追われた。

 

黄色のフードの魔術師の女が少女に襲い掛かっていたことや、ひょろりとした男性と共に魔術師の女は消えてしまったこと。

襲われていた少女もまた、一緒にいた少年とどこかに行ってしまったこと。

 

今のピエールだけであれば妄言として片づけられていたかもしれないが、神官であるエドワードもいたため、この証言は一応信じられることとなった。

 

「あの子たちは、一体、何者だったんだろう」

 

軍の地方支部からも調査が来るなど慌ただしかったが、2日経ってひと段落付いたピエールとエドワードは夜、神殿で話をしていた。

 

ピエールはあの一週間、久しぶりに誰かと同じ時間を共有した。少年だと勘違いしていた少女のほうはそうでもなかったが、グレイと名乗った少年とは、とにかくたくさん話をした。しかし、どこから来たのかという話や、旅行にしては二人とも若いし何か訳アリの様子だったが、それらについて聞くことはついぞなかった。思えば少女のほうは結局、名前も知らないままだったのである。

 

「君は彼女たちがどこに行ったのか、憲兵に言わなかったね」

「そういうお前は、森から街道へ出る道を教えたじゃないか」

「あの時はなんとなく、そうしたほうがいいと思ったんだ」

「私も似たようなものだよ」

 

謎の襲撃者が去った後、少女達は焦ったように逃げようとしていた。それを見てエドワードは思わず道を教えてしまった。ピエールもまた、以前より感じていた訳アリの様子もあって、ついに憲兵に彼らの行方を聞かれた時、わからないと答えたのであった。

 

「しかし、エドワード。お前はあのお嬢ちゃんとどこで知り合ったんだい?」

「それはね……」

 

二人が団らんをしていると、扉が叩かれる音がした。もうとっくに日が沈んでいるにもかかわらず、神殿に新たな来訪者が現れたようだった。町民がこの時間に来ることはないので、観光客だろうかとエドワードは対応するために立ち上がる。

 

「今日はもうこんな時間ですので、また明日来ていただけると……」

「エドワードさん、俺だ、ハリーだ」

「ハリーさん?どうしたんだ、急に。待ってくれ、今開けるから」

 

訪れたのは意外にも憲兵であるハリーだった。知り合いだったため、慌ててエドワードは扉を開ける。するとそこにいたのは彼一人だけではなかった。

 

「あー、この兄ちゃんたち、さっきこの町についたらしいんだが……。急ぎで、この前のことを聞きたいらしくてな。なんでも、国家魔術師さんだってよ」

 

少し困ったように後ろにいる者たちを見る。服装を見るに軍の人間だが、青年というには少し若い。そのうちの一人が代表して口を開いた。

 

「こんな夜分遅くに申し訳ありません。あなた方が遭遇したという、黄色いローブの女について、もう一度お話していただきたいのと、……それから少女の方についても、詳しくお聞きしたいんです」

 



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7-1

【N.C. 998】

 

湖のある町を離れて三日。オレたちは街道を歩いていた。一刻も早く遠くに行きたいのは山々だったが、乗り物を使うと足がつく可能性もある。そのため、街道や森の中の小道を歩いているのであった。目的地は少し離れた、人の出入りも激しそうな大きな町。あと二日もすれば着くだろう。

 

近くに川が流れていたため、そこで休憩をとることにした。

オレは一日中歩き続けても問題ないが、グレイと猫はそうはいかない。猫は鞄の中だが。

 

「ふう、アコラス。もう少し快適になるように鞄を運ぶのだ」

 

自分の足で歩けよ、この四足歩行動物。

猫とオレが睨みあっていると、グレイが手持ちの袋を漁るのをやめて話しかけてきた。

 

「叩きつけられたとき、結構な音してましたけど背中大丈夫ですか」

「今は別に痛くないかな」

 

何かと思えばそのことか。

先日クリュティエとの戦闘ぶん投げられた時、確かに背中が木に強く当たった。若干ビリビリしたけど、すぐに動けたし、今も問題なさそうだ。

しかし、グレイは気になったのか、オレの服をまくって背中を見る。

 

「特に打撲跡もないですね。……最近、怪我の治りが早くありません?」

「そうか?」

「前のお腹もろもろ含めた傷は、完治したのなんだかんだで一週間くらいでしたよね」

 

傷があろうがなかろうが、動かなきゃいけないときは動くしかないのだ。大抵はそのうち怪我もなくなっているので、治りの速さなんて気にしたことはなかった。

 

「異常がなければ、それで良いんですけど……」

 

再びグレイは袋の中を漁り出す。何が入っているのかと見てみれば、新聞の束だった。道理で抱えたときに重たいと思ったら……。

 

「これ、あの町で捨てられたんです。あとで読もうと思って、とりあえず拝借してきちゃいました」

 

その時、風が吹いた。一枚の新聞紙がグレイの手を離れる。

 

「あ!」

「ぶべっ」

 

その紙は見事オレの顔にぶち当たった。

 

「ナイス顔面キャッチです、お師匠」

「なめてんのかお前」

 

イラッとしたので丸めて捨てようとしたが、紙面が目に入る。

 

『スクープ!大神殿で奉られる物の正体!!実は千年前の隕石だった!?』

 

「うお!?」

「どうしたんですか?」

 

突然飛び込んできた情報を良く見てみると、聞いたことのない、小さな新聞社の記事だった。

内容としては、この国のメジャーな宗教の本拠地である大神殿にはお宝があり、新年を迎える際に行われる儀式のみに持ち出される。今までその正体は秘密のベールに包まれていたが、実は……!という感じだ。

なお、記事の根拠になる部分は、記者の独自調査の一点張りである。

 

「……怪しさ満点三流記事な空気がします」

 

この新聞はエポック紙という名前で、出版元のエポック社は大神殿と同じ町にあるみたいだ。年末も近づいているので、今からその町にいってみれば、ちょうど年越しの儀式に居合わせることができるだろうが……。

 

「いいかげんだし、あんまり信憑性は高くなさそうだな……」

「そうですねぇ」

 

『行かない』に天秤が傾きかけていると、

 

「いや待て」

 

一匹、異論をあげる猫がいた。

 

「例え、その情報が嘘だとしても、確かめに来る者がいるのではないか?どこで誰が何を見てるか、案外わからぬものだ」

 

……なるほど。先日のクリュティエみたいなパターンもありうるってことか。

 

「次はこの新聞社と大神殿のところにいくぞ」

 

現在地から目的地までの道を地図で調べる。パッとみた感じ、当初の予定よりも歩く時間が長くなりそうだ。

 

「この間は後手に回ったが、今度は誰であろうと、こっちから先手を打って仕留めてやる」

「うわー、悪い顔してる」

 

 

 

§ § §

 

 

 

「人が多いな……」

「人が多いですね……」

 

人口を考えると首都ほどではないはずだが、密集している。

 

途中道に迷うトラブルもあったが、無事目的地についたオレたちは、まず大神殿を見に行くことにした。入ることはできなかったものの、神殿前にある広場は、大勢の人々が楽しそうに談笑したり、露店が広げられたりと、活気づいていた。

 

「この辺りは有数の農業地域です。『この冬を乗り越え、次の春が早く来てほしい』という気持ちが信仰心とうまく合致して、熱心な信者の方がたくさんいるのかもしれませんね」

 

露店に売られている怪しげな雑貨を楽しそうに眺めながら、グレイが言う。

 

年の終わりは、どこの町でも人々が集まり、新しい年を迎えられることを感謝する。毎年この時期は騒がしくなるので、一般常識としてそういう行事があることは認識していた。眺めるだけで参加したことはなかったけど。

 

肝心の大神殿自体は高い塀で囲まれ、そのまわりも定期的に巡回する警備隊がいるなど、厳重に守られていた。簡単に侵入はできなさそうだ。

 

そのおかげか、町中はにぎやかながらもかなり治安が良い。ここでひと騒ぎ起こそうものなら、大神殿の直下の警備隊や国の憲兵に駆け付けられるだろうし、国家魔術師の地方支部もある。すぐに鎮圧させられるだろう。

 

 

 

大神殿の様子を外から見終わったところで、町中にある噴水の縁に腰掛ける。次にいくのは例の新聞社だったが、懸念事項があった。

 

「仮にこの記事を信じるなら『隕石』の話は記者が握ってるんだよな……。そうすると記者たちを訪ねにエポック社に行くとして、何で知りたいのかの理由を深追いされたりするのは困る」

「わざわざ直接訪ねるなんて、基本、自分の情報を売り込みたいとかタレコミとかでしょうしねー。うーん、僕の頭の中の冷静かつ冷徹な部分が、記者をサクッと暗がりに引きずり込んで拷問が手っ取り早いと告げていますが、それはちょっとアレですし……」

「タレコミの名目で社内に入って、資料を盗み見るのも良さそうだな」

 

オレとグレイで話していると、鞄の中から声がした。

 

「エポック社はかなり小さな新聞社である。住所を見た限りでも、どこかの建物の一室を間借りしている、といったところであろう。人数も少ないから、資料を見たいのであれば無人になったところを侵入したほうが良いと思われるぞ」

 

猫の言う通りなら、深夜にでも忍び込んでしまえばいいか。

オレがそう考えている間も、猫はやたら饒舌だった。

 

「扱っているのはもっぱらゴシップ記事。先日劇場の人気女優クリスティーヌについて書いていたりしたな。ただ、他のゴシップを扱う新聞と比べると、それほど過激ではない。内容も礼拝にこの町を訪れたことや、どこのホテルに泊まったか、どこのレストランに入ったかのような話が書いてあった。余は後でそのホテルとレストランを見に行きたいぞ」

「……なんかお前、詳しくない?」

「お猫さんは首都にいた時、よく劇場に行ってましたもんね。クリスティーヌさんのファンなんですよ」

「クリスティーヌはいいぞ」

 

オレの知らないうちに、何やってたんだこいつ。

 

「というか……、おい、猫。お前がこの町に来ることを提案したのって……」

「ニャーオ」

「ごまかすな」

 

 

 

エポック社は古い町並みの一角にあった。

他の新聞記事もできる範囲で確認したが、隕石について話題にしていたのはここのみだった。

隕石の欠片……、クリュティエはドーラとかなんとか呼んでいたが。先日の件で、奴らも何らかの方法で探し当ててきているようだ。

 

オレ達と同じように、ここに目をつけている者がいないか新聞社前でしばらく張り込んでみたが、今のところはいない。いよいよ乗り込もうとしたところで、建物から大きな荷物を背負った人がでてきた。ぶつかりそうになったのをオレは避けたが、男性の方は避けようとしてバランスを崩して転倒した。

 

「大丈夫ですか?」

「ああ、ありがとう。……は!すまないけど、これから取材なんだ!この間の隕石の……、ああいや、なんでもない。いけないいけない、急がないと。では!」

 

手を差し伸ばして、引き起こしたその人物は起き上がるや否や、どこかへ去っていく。

 

「隕石って今言ったよな」

「言いましたね」

「……よし、後つけるか」

「いえ、尾行は僕とお猫さん、新聞社の様子を見るのはお師匠で手分けしましょう。お猫さんなら堂々と近づいても誰も怪しむ人はいませんよ」

 

確かに一緒に行動する必要もない。グレイたちは記者を追いかけていき、オレは建付けの悪い扉に手をかけた。

 

 

 

中に入ると狭い廊下が続いており、木箱が積み上げられている。いくつかの物件が入っているようで、そのうちの一室にエポック社の表札が出ていた。

部屋の外から様子を窺っているとドアが開いた。両手に大きな箱を抱えた女性が足を使って、器用にドアを開けているのだ。ただ、抑えていないと閉まってしまうようで、両手が塞がった彼女はどうにか、外に出ようとしていた。

 

「……ん?ドアが軽く?あら、そこのあなた、ありがとう」

 

代わりにドアを開けると、女性はサッと出てきて廊下に箱を置いた。こんな風に接触できるとは珍しく運がいい。

 

「ここって、もしかしてエポック紙を出しているところですか?」

 

偶然通りかかったのを装って話しかけると、

 

「まあ!うちを知っているの!?そうよ、ここはエポック社。あなたの言った通り、エポック紙を出版してるわ。……は!もしやうちに興味があって!?入って入って」

 

オレが返答する前に、やや強引に部屋の中へ通される。そのまま女性に来客用と思わしきソファーに案内された。

 

「ちょうど今お茶を入れたところだったの。はいどうぞ」

「あ、ありがとうございます?」

 

室内にはオレ以外に二人いた。一人は男性で、机に向かってずっと顔を上げずに何かを書いている。もう一人はお茶を持ってきて、オレの正面に座ったこの女性だ。

 

ここにはたまたま来ただけだと話すと、女性は少し気落ちした様子だったが、すぐに溌剌と喋った。

 

「ここは滅多に人なんて訪ねてこないから少し舞い上がってしまったわ。でも偶然とはいえウチのことを知っている人がたまたまここを通るなんてこれはもう運命ね!」

 

一呼吸のうちに一気にまくしたてられる。この人はなんか、すごくマシンガントークしそうな感じだ。どことなくウィステ先輩を彷彿とさせる。

 

「私は編集長のイヴァナです。そこに座っているのがサンクレール。あなたは?」

「アコ、アイリスです」

 

名乗らないようにしていたせいで、逆に名前を聞かれるのが久しぶりだった。そのため、軍に把握されている名前を言いかけてしまい、とっさに浮かんだ名前を口にする。

 

「そう、我がエポック紙で、アイリスさんはどんな記事を読んだことがあるの?」

「えーと、先日の大神殿のお宝についての記事とか」

「あらまあ、そうなの?それは担当記者の力作なのよ。きっと彼も読んでくれたことを聞いたら喜ぶわ」

「今その人はどこかに出かけているんですか?」

「そうなのよ。ただ彼、ジョセフっていうんだけどね、さっき出かけたばかりなの。少し待っててもらえれば、帰ってくると思うのだけれど」

 

ということは、グレイたちが尾行している奴がアタリだったのか。ジョセフというらしい。

 

「私は仕事に戻るわね。お話に付き合ってくれてありがとう」

 

イヴァナと名乗った女性は紙の積みあがった机に向かっていったが、彼女が席に着いた衝撃でその山は崩れた。サンクレールと紹介された男性は、その様子をちらっと横目で見て、自身のしていた作業に戻る。

 

「しまった!クリスティーヌの特ダネが埋もれてしまったわっ!!!」

 

イヴァナは散乱した紙の前で慌てていた。あちこちに落ちた紙を拾ってまとめては、何が書いているか見るためにぐちゃぐちゃに置いて、かなり混沌とした状況になっている。

 

「……手伝いましょうか?」

 

オレはソファーから立ち上がったのだった。

 




先週投稿しなかった罰が当たったのか、なぜか正座で1~2時間ほどお昼寝をして、起きたらとても足がしびれるというセルフ拷問をしてしまいました。


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7-2

お気に入り登録や評価、誤字報告ありがとうございます。


【N.C 998】

 

グレイは猫と共に、記者の後をつけていた。

 

「どこに向かっているんでしょうか……?」

「大神殿を調査できる場所、あるいは情報を話してくれる人物、といったところだろうか」

「そう簡単に調べることなんてできるのかなぁ」

 

大神殿は町の中心にある。いや、大神殿のまわりに町ができたという表現が正しいだろう。この地における大神殿の存在というのは非常に大きく、詮索するのはあまり好ましくないという風潮があった。そのため、この記者も大々的に取材するのは難しいだろう。加えて、大神殿は高い塀で囲まれており、中を窺い知るのは簡単ではない。

 

「あの記者さん、酒屋に入っていきましたよ……、って出てきた?」

「荷物を持っておるな」

 

取材に行くはずの記者は大きな酒樽を抱えていた。そして、酒屋の従業員と思われる人物と少し会話した後、その酒樽をどこかへ運んでいく。追いかけていくと、次に訪れたのはレストランだった。酒屋で預かった物をレストランの裏口にて渡している。受け取ったコックは笑顔で記者に話しかけていた。

 

「こここここのレストランはっ!」

「そんなに尻尾を立ててどうしたんですか?何か問題があるところなんですか?」

「エポック紙で、クリスティーヌが訪れたと掲載されていたレストランだ。店内に彼女のサインがある」

「お猫さん、しれっとした顔で入ろうとしないでください。あなたは獣なので、レストランに入るとたぶん追い出されます」

「おぬしの魔術でそこをなんとか」

「そこはなんとかなりません。あ、またどこかに行っちゃいますよ」

 

その後も、記者は行く先行く先で、洗濯物を手伝ったり、掃除をしたり、はたまた家の塗装をしたりしていた。とてもじゃないが取材をしている様子ではない。

 

「手助け、してるんですかねぇ?」

「だが、一定の方角へ向かっているようだぞ」

「このまま行くと……、時計台?」

 

一見あっちへこっちへ歩き回っている記者は、町の中でも高い建造物である、時計台の方角へ進んでいるようだった。

 

そして、多大な寄り道の結果、時計台の入り口へたどり着いた彼は、誰かに咎められることなくそのまま中に入っていく。

グレイや猫も続いて追いかけると、記者は階段で登ることのできる、最も高い階で足を止めた。そして座り込んで双眼鏡を取り出すと、コソコソとどこかを覗き始めたのである。

 

「あの人が見てるのって、この向きだと……大神殿かな?もしそうなら、人によっては罰当たりだって言いそうですね」

「ふむ。ここは余にまかせろ」

 

猫は記者の方へ歩み寄っていき、ニャーニャーと声をあげる。

 

「おっ、何かと思ったら猫か。今まで見たことなかったが……。このあたりに住んでるのかな?」

 

男は近づいてきた猫に最初は驚いたものの、どこからどう見ても普通の猫だ。特に怪しまれることなく受け入れられると、猫はすり寄った。

 

「おーよしよし、何見てるのか気になるのかー?よし、特別に見せてやろう」

 

猫は簡単に記者の懐に入り込み、双眼鏡を覗くということまでやらせて貰えていた。

 

「なんと、猫であるのをいいことに」

 

あの猫の視力はどうなっているんだろうとグレイは素朴な疑問を抱いたが、直後の会話に気がひかれた。

 

「ほら、あそこに見えるのが大神殿だ。……例年よりも警備の人員が増えているな。なんでだ?あ、それよりも、儀式準備を見ないと……!」

 

(いつもよりも警備が多い?それって、何かに警戒をしている?)

 

考えている間にも、記者は双眼鏡を覗きこみながら、スケッチブックに様子を描いていく。グレイからはそれを見ることはできないが、近くにいる猫なら可能だろう。

すると猫は、スケッチブックの一部を前足で軽く叩く動作をした。

 

「おっと、足跡はつけないでおくれよ?それともここが気になるのか?……そうかそうか。木でできた山羊だな。よく模写できていると思わないか?え、なんだその目は……。ほら、ここの町の猫なら去年も見たことがあるだろう。それにしても毎年有名な職人を呼んで、ずいぶん大きい物を用意してくるけど、今年も立派なもんだ」

 

一年の終わりは、最も太陽が昇る時間が短い日と定められている。その日、太陽が沈んでから再び昇るまで、木で造られたヤギの模型に火をつけ、そのまわりで人々は踊るのがこの国での一般的な年越しであり、新年を迎える儀式であった。そして太陽が昇ると、集まった人々にむけて、模型が燃えたあと残った灰が撒かれたり配られたりする。その灰は、農民なら自分の畑に散布したり、商人なら店先に飾るなど、ご利益があると信じられているのであった。

 

(確か、ここの模型が大きすぎて、日が昇っても全部は燃えきらないんだっけ……。残りは、神殿敷地内で非公開で燃やされてるらしいけど)

 

グレイが頭の中の知識を掘り起こしていると、記者の男は猫に対してウキウキとした声で話した。

 

「ふっふっふっ……、これはお前だけに先に言っておくが、どうやら、このヤギの心臓部分に、なんと!千年前の隕石の一部が埋め込まれているようなんだ!いままで燃え尽きる最後の姿を公開されていなかったのは、それを隠すためだったかもしれない」

 

聞こえた言葉にグレイはさらに耳をそばだてる。一方で、この町を訪れてすぐ、お師匠と呼んでいる彼女の微妙な反応を思い出していた。

 

(記者さんはああ言ってるけど、町に来て開口一番にお師匠は『ここにはありそうな感じがしない』って言ってたし、やっぱりこれガセネタなのかな。でも、この人がどこから隕石の話を持って来たのかは気になるし……)

 

「このあたり、とりわけ、大神殿から配られた灰を撒いた畑は、他のところの灰を撒かれた畑と比べて豊作だったり、病院近くの井戸にこの灰が入れられていると、患者の回復が早かったり……。直接的な証拠はないんだが、統計的にははっきりと示されている。その原因がもしかしたら、中央部に埋め込められたもの、つまり千年前の隕石(アプシントス)かもしれない。この特ダネは聞き込みや観察、長年の調査の賜物なんだ。誰にも言うなよ?……なーんてな。猫が喋るわけないか」

 

それを聞いた猫はゴロゴロ鳴いている。

その姿は実態を知っているものからすると嘘臭さを感じさせるものだったが、この場に直接物申す者はいなかった。

 

 

 

記者はずっと大神殿内部を観察し続けていたが、それは突然だった。

 

「あーっ!!!」

 

大声をあげて立ち上がったのである。

 

「おいおいおい、ヤギの模型内に何か入れようと……!?なんだあの箱!?!??これはもしや……!」

 

スケッチブックに描く手はしばらく止まることを知らず、ようやく止まったかと思えば、階段に向かって走り出す。

グレイは慌てて姿を隠した後、階段を駆け下りていく男の姿を猫と共に呆然と眺めていた。

 

 

 

§ § §

 

 

 

イヴァナの手伝いは大変だった。見た目以上に大量の紙があったのである。結局、雪崩となった紙を全部整理整頓するのに加えて、掃除までやってしまった。何やってんだオレ。

 

室内に埃が舞ったため窓を開ける。寒い空気が室内に吹き込んできた。思わず身が縮こまる。ついでにそこから外を観察すると、窓は隣の建物との間の路地に面しており、夜であればここから目立たず侵入できそうだった。

 

「本当にありがとう。ここまでやってくれるなんて……助かったわ」

 

一仕事を終えたオレに、イヴァナが声をかけてくる。

とにかく物量が酷かった一方で、取材してきた資料をさっとだが目を通すことができた。第三課でやってきたことが意外なところで生きたのである。

 

赤い蛇の子孫を名乗る山岳民族の謎、MARGOTの材料である魔鉱石の産地で起きた行方不明事件、村人同士が争って壊滅した村……。なんというかなんでも扱っているというか。

 

「これ、部外者は見ても大丈夫だったんですか?」

「んー?流石に大事な情報はしっかり管理してるから、その辺は問題ないわ。もう記事にしたのが大半だし。あ、でもさっき埋もれたクリスティーヌの記事だけは内緒にしてね?」

 

ああ。あの、猫が見たらキレそうな話が載ってたやつか。

 

「はい」

「それにしても、あなた、手際もいいしウチで事務の仕事しない?いつでも人手不足だから歓迎よ?」

「新年の儀式を見にここの町に来ただけなので、それはちょっと」

「あら残念。それはそれとして、今回の年越しも町中で力を入れているわ。楽しんでいってね」

「へえ、そうなんですか」

「ええ!この前私が取り上げた、職人デイビーも今年のヤギの模型造りに携わってるの。彼自身はもう、拠点にしている町に帰っちゃったんだけどね」

 

どんなものでも加工できる職人、みたいなメモと一緒にその名前があった気がする。

加工ってことは、壊したりもできるんだろうか。

 

イヴァナが過去の記事を見せてくる。

 

『シリーズ~噂のあの人に直撃!~ どんなものでも自由自在!?知る人ぞ知る、天才職人』

 

これってシリーズなんだ、と最初に思ったものの、内容を読んでいるとこういうことにあまり興味のないオレでも、わかりやすく書いてあった。前半は人物紹介や主な実績、後半はインタビューとなっている。

 

「デイビーは火の魔術を使った加工技術が優れている職人よ。わざわざ海辺の方からこっちに来てくれるなんて、大神殿様様だわ。……あら、お茶が冷たいわね」

 

イヴァナはすっかり冷めたお茶を一気に飲み干し、温かいものを淹れ直すと言って立ち上がった。

正面に座る人がいなくなったため、見せられた紙面を眺めていると、デイビーという職人以外の記事は、『あの人気俳優に意外な趣味が!?』、『大臣、政策は大成功でも子育て大失敗か。家庭内地獄』、『限界に挑戦せよ!無限ケケヘヘペをやってみた』、『黄金を運ぶ鳥、その言い伝えに迫る』……。

 

……『ケケへへぺ』ってなんだ?

 

謎の単語に首をかしげていると、イヴァナが戻ってきた。お茶と焼き菓子をオレの前に置いてくれる。バターのいい香りがした。

 

「色々なことを取り扱ってるんですね」

「そうねぇ。基本的には記者がそれぞれ関心を持ったことを一人で取材しているわ。他の新聞社もこぞって取り上げるような出来事は、どうしても大手に負けちゃうから、ウチみたいな小さいところはネタ勝負よね。……あんまり売れてないけど」

「オレがこの間読んだ記事も、担当した人が一人で?」

「そうそう。ただ、私は編集長だから、ある程度は把握しているわよ。でも偶然ここに来たんだし、せっかくだから詳しいことは是非ジョセフから聞いてちょうだい」

 

ジョセフとやらはいつ帰ってくるのだろう。イヴァナは少し待っていれば帰ってくる、と言っていたが、片づけの手伝いで結構な時間が経過している。

 

「他にもバックナンバーがあるから読んでみてもらえると嬉しいわ。そして購読してくれるとなお嬉しいわ」

「あ、はい」

 

圧のある笑顔で言われて、つい返答してしまった。……とはいっても金に余裕はないしな。

こういう時は話題を変えよう。バックナンバーの新聞から適当に一部広げる。

 

「あー、……イヴァナさんが書いた記事ってどれなんですか?」

「私の?」

 

広げた紙面を眺めて、イヴァナは一つの記事に指差した。

 

「これは私が書いたものね。よりにもよってこれかー。……『数多く残る謎 壊滅してしまった村』。今から四、五年前になるのかしら……。とある農村でほとんどの村人が死亡して見つかった事件があったの。当時はあまりにも痛ましい事件だったから、報道規制がかかったのよね」

「アバドーンか、アプシントスか、それとも盗賊団の仕業……?」

 

どこぞの犯罪者集団なら、そういうこともやる。

そう思っての発言だったが、イヴァナは予想外のことを告げた。

 

「いいえ。調べて分かったことは、外部の人間に殺されたのではなく……、村人たちは互いに殺しあっていたのよ」

「内輪もめ?そんなバカな」

「そうね。私もそれを聞いたときは自分の耳を疑ったわ。あのあたりの土地は肥沃だから、どちらかといえば裕福な人が多かったし、外から襲われたという話なら納得いくんだけど。でも、周辺の村への聞き込みや現場の様子から、外部の人間が侵入した形跡が見当たらなかったの」

 

ほとんどの村人が死んでいた、と言ってたな。逆に言えば生きていた者もごくわずかだが、いたということだが……。

 

「生き残りは?その人からは何か聞けなかったんですか?」

「その人は見つかった直後は生きていたけど、『死神が……』という言葉を残してすぐに死んでしまったわ。それから何人かの行方不明者もそのほとんどが子供で……、未だに見つかっていない。だから一部では、死神が子供を連れ去るために、大人を操って殺してしまったんだ、なんて噂もあるのよ」

 

イヴァナはじっと記事を見つめている。

 

「ただね、こんな噂もあるの。たった一人だけ、村の片隅で隠れているところを保護された子供がいて、その子が死神だっていう……。これこそ、本当かどうかわからないけどね。子供がなんらかの魔術を暴走させて、結果、村一つ壊滅させてしまったってことの方がまだありうるわ」

 

オレは生まれてこの方魔術を使ったことはないので、これは全て伝聞なのだが、身体が成長する子供の時期に、まれに魔術を自身の意思とは関係なしに発動させて制御できなくなってしまう、いわば暴走を起こすことがあるらしい。そのため、軍で魔術による戦闘教育を行うのは13歳以降が原則なんだとか。軍の学校に入るとき、年齢を聞かれたり、簡単に身体検査をされた覚えがあるので、そういったことを調べているんだろう。

 

その時、第三者の声が割り込んできた。

 

「幼少期に制御下におくことのできない魔術が発動してしまうのは、ほとんどの場合、何の問題もない。実は五人に一人が子供の頃、魔術が勝手に発動してしまった経験があるという報告もある。事故となるほど高出力になるのは、その中でもほんの一握りだ」

 

いままで一言も話さなかった、サンクレールと紹介された男が、机から顔をあげて喋っていたのである。

 

「つまり、暴走事故を起こすということは、それだけ魔術が高出力ということだ。こういった子供は、魔力子の量が多かったりと、なんらかの魔術の才能が抜きん出ていることが多い」

「あなたが声を出しているところ、久しぶりに見たわ」

 

驚いているイヴァナを、サンクレールは無視してそのまま続ける。

 

「さらに付け加えるなら、高出力の魔術を使う才能があるから暴走事故を起こすのではない。事故のほとんどは、命の危機に瀕するなどの極限状態で起こっている」

「じゃあ、大人でもそういった状態に追い込まれたら、魔術を暴走させてしまう可能性があるんですか?」

「ゼロではない。が、子供よりは圧倒的にその確率は低いだろう。すでに身体が成熟しているからな」

「会話までしてる……」

 

このサンクレールって男は、普段そんなに喋らないのか?

困惑したオレを見たイヴァナは解説してくれる。

 

「彼、普段ほとんどしゃべらないのよ。ちなみによく書く記事は魔術関連。……あ、そっか、最近ちょうど魔術の暴走事故の取材をしたから、そんなに饒舌なのね」

 

サンクレールはイヴァナをぎろりとにらみつけた後、

 

「それからもう一つ。事故を起こした子供は、成長しても魔術が安定せず暴走を起こすという通説があるが、実のところ全く根拠はない。……ふん、軍には、まだこんな迷信を信じている者もいるのが嘆かわしい」

 

そう言って顔を下げ、また静かになった。

何秒か、何十秒か。沈黙がこの部屋を支配する。

イヴァナは沈黙を打ち破るべく、パンッと手を一度叩いて、

 

「……と、まあ、こんな風に我が社はそれぞれ独自の視点から記事を書いているわ。アイリスさん、是非これを機会に購読してね」

 

しまった。話が戻って来てしまった。

目の前に座る女性はきらきらとした目でこちらを見てくる。

何か、話題逸らしを……、そうだ。

オレはずっと気になっていたことを口にする。

 

「この」

「スクープだ!!!!!」

 

オレの疑問を遮るかのように、エポック社のドアが勢いよく開かれた。

 

「なんですって!?」

 

イヴァナは立ち上がって、新たに室内に入ってきた男性に詰め寄る。

 

 

 

いや、だから。

 

『ケケヘヘペ』って、何なんだよ……。

 




猫の名前は自称ルム・ソーリュー・ジュジュベ・ホフマンです。これまでもこれからも一切出てこないので、覚えなくていいです。


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7-3

【N.C. 998】

 

新たに室内に入ってきた男性はイヴァナに向かって、ビシッと敬礼をした。

 

「模型内部に怪しい箱を埋め込んでいるのを見た!」

「それで何が起きたの!?その箱は何なのか中身を確認できたのっ!?」

「それはまだだ!」

「まだなんだ!?」

「嬉しくなって、早く誰かに報告しようと、帰ってきてしまった!」

 

イヴァナはそれを聞いて、微妙な表情をする。

 

「……最後まで見届けた方がよかったんじゃない?そっちの方がスクープだったんじゃ?」

「……確かに」

「確かに、じゃないわよ。全くもう」

 

男性は、オレがこの建物に入ろうとしたときにぶつかりかけた人だった。

 

「アイリスさん、彼がジョセフよ」

 

呆れた顔で紹介された男、ジョセフは上司からの言葉に落ち込んでいる様子だったが、ある場所を見ると、

 

「へ、編集長の机がきれいになってる……!」

 

切り替えが早いな、おい。

そして、ソファーに座るオレに気がつくと、半目になる。

 

「編集長、また人を連れ込んで……」

「人聞きの悪いことを言わないでちょうだい」

 

合法的に社内に(とはいっても一部屋)入れたりと、都合良く事が進んでいて内心驚いていたのだが、どうやらイヴァナは普段から人を招き入れる癖があるらしい。

彼女はコホンと咳払いをした。

 

「この子はね、うちの記事を読んでくれた子よ!なんでもあなたの隕石の記事、読んだらしいわ」

「え!?本当か?」

 

軽く挨拶をすると、ジョセフは嬉しそうだった。

 

「せっかくだし、あなたに会ってもらおうと思って。それで、あなたを待っている間に片付けを手伝ってもらっちゃった、というわけ」

「連れ込まれて待たされた上に手伝ってくれたなんて、普通にただの親切な人じゃないか」

 

実は打算ありまくりだから、親切でもなんでもないんだけどな。

入り口でぶつかりかけたのがオレであることには気がついていないらしく、全くそのことに言及はなかった。

 

「はじめまして。先ほど編集長から紹介のあった通り、ジョセフです。隕石関連の記事は最近バンバン書いてますけど、何を読んでくれたんですか?」

「大神殿とか、そういった内容のですけど……」

「おおお!では次の記事、楽しみにしててくださいね!それとさっきの自分と編集長の会話は、他言無用ということでお願いします」

 

さっきの会話はとにかく勢いがすごくて、内容が頭に入ってこなかったんだが。

イヴァナには若干荒っぽい口調だった、このジョセフという記者は、明らかに年下のオレに対しては丁寧に接してくれる。

 

「僕としても読者さんと直接話す機会なんてなかなかないし、わざわざ待ってくれていたとは嬉しい限りです。聞きたいことがあればどうぞ」

「町の人もああいう記事を書くことは許してくれるんだけど、あんまり読んではくれないのよね~」

「ああいう、というのは」

「大神殿のことよ。ほら、ここはお膝元で、ゴチャゴチャ書くのは好ましく思われないのよね。我がエポック紙も売れ行きは芳しくないわ」

「というわけで、僕らは町の人と話すことは多いんですが、その中に読者はほとんどいないんです」

 

なぜ彼らの新聞社はつぶれないんだろう。

そんな疑問が頭をよぎった。

 

いや、いかんいかん。目的を達成しなければ。

 

「あの、聞きたいことが一つあるんですが、なぜ大神殿の宝と隕石が結びつけられたんですか?」

 

この小さな新聞社が、なぜ隕石の話題を持ち出してきたのか。

いったい誰がその話の出所なのか。

 

「それはですね、ある人から聞いたんです。その人はもうこの町を離れちゃったんですけどね。はははっ」

 

この町を離れた、ってフレーズ、どこかで聞いたような……。

 

思い出そうとしていると、イヴァナが口を開いた。

 

「ジョセフ、あなた……。最初の情報源のこと、なかなか口を割ってくれなかったけど、まさかデイビーが……?」

「あ」

「なんでー!?なんでインタビューした私じゃなくて、こいつにそんなこと教えてくれたのよぉお!」

 

しまった、という顔をしたジョセフにイヴァナが掴みかかっている。

 

えーと、つまり?

今回の儀式に使う模型を製作した職人から、話を聞いたってことか?

 

「ほら、色々と物運んだり手伝いしてたら……な?」

「いつの間にそんなことを!羨ましい!!!」

 

直接神殿内部に入ることのできた人間からの情報か。多少の信憑性は増すか?

しかし、オレがこの町に来て、大神殿の近くまで来ても、この間の湖の時のような感覚にはならなかった。

……待て、ここに入ってきたジョセフは最初になんと言っていた?

 

箱。

 

もしも、オレが今隕石の欠片こと、(ドーラ)を入れている箱みたいに、回りから感知されなくなる物だったら?

 

大神殿が(ドーラ)を所持している前提で話を進めよう。そして、今までの新聞記事を元にアプシントスやアバドーンが来るなら、どこを狙う?

 

普段の大神殿は警備が厚い。だから、なるべく大神殿の外部に持ち出される時がいい。

……近々そういうイベントがあるじゃないか。

 

新年の儀式。神殿からヤギの模型が持ち出されて、燃やされる。加えて、その周りを不特定多数の人間が集まって騒ぐのだ。

襲う側からすれば好都合だ。

 

いつの間にか片方のみが突っかかっていく言い争いを終えていた二人が、考え込んでいるオレに話しかけてくる。

 

「おーい?すっかり黙っちゃったけどどうしたのー?何か気になることでもあった?偶然来たんだし、せっかくだから聞いていって」

「そうそう、どうぞ質問してください。……なんて言ったって、あの編集長の机を片付けてくれたからな」

 

ここに来たのは偶然じゃないのに、それをすっかり信じこんでいる彼らの発言に、罪悪感を感じてしまう。それに、親切心やそういう気持ちでの行動なんて、していない。

 

「別に」

 

苦し紛れについオレはうつむいて言ってしまった。

 

「別に、もともと今言った質問のことが気になってたんで、手伝ったら答えてくれやすくなるかな~、とか……。実は打算ありきの行動でしたから、その」

 

言い訳のようにグダグダと述べていると、なにやら視線を感じる。顔をあげると二人ともオレを生暖かい目で見つめていた。

 

「な、何ですか」

「「いえいえ」」

 

オレには妙に居心地の悪い雰囲気の中、ジョセフが「あっ」と声をあげた。

 

「でも、打算って悪いことですかね?」

「え?」

「僕らはこの町の皆さんの手助けをする。その代わりにちょっとした情報をもらったり、取材を許容してもらう。そうやって僕らは偽善と打算まみれの行動しています。が、結果、皆が得をしてます」

 

ポカーンとしていると、彼は続ける。

 

「打算があっても皆幸せになるならいいじゃないですか。むしろ打算万歳!」

 

 

 

§ § §

 

 

 

「あ!お師匠!どうでしたか、新聞社は?」

「まあ、色々と聞いてきた」

「僕とお猫さんも頑張りましたよ」

 

エポック社を後にしたオレに、グレイと猫が駆け寄ってくる。夕焼けに染まる町の片隅で、情報共有をした後に猫がのんびりと言った。

 

「して、これからどうするのだ?」

「儀式の前日の夜、もうめぼしい情報はないだろうけど、ここに侵入して漁る。それから、儀式当日は様子を見守って、怪しいやつがいるなら対処しようかと思ってるが……、警備が増えてるってのは気にかかるな」

 

この猫、あのジョセフって記者に全く警戒されなかったみたいだな。いや、猫に警戒するっていうのも変な話だ。

猫いわく、覗かせてもらった双眼鏡から見えた光景は、外以上に厳重に守られた大神殿内部だったらしい。しかも、ジョセフの言い分によれば、その人数がいつもよりも増えている。

 

「本当に大神殿は(ドーラ)を所持していて、アコラスが奪っていった一件で警戒してるのかもしれんな」

 

オレのせいかよ。

 

「とにかく、当日はアバドーンなりアプシントスなりが現れるなら、手に入れたところを横からかっさらうつもりだ」

「奪われずにそのまま儀式も無事終わり、神殿内に戻っていったら?」

「オレも他のやつらも、普段の大神殿の中に入って持ち出すなんて無理だろう。その場合は……そのままでいいと思う。集めさせずに破壊するのが目的なんだから、少なくとも前者の目的は達成できる」

 

壊し方が見つかっていない現段階で、集めてしまっていることに不安がないわけではなかった。安全性の高いところで確実に保管されているなら……。しかし、ローザ課長の手に渡ったものが狙われて、今オレのところにあることを踏まえると、安心はできない。大神殿は大神殿で権力を持っており、国が手を出せないところもあるらしいので、また状況が違うことを祈るしかない。

 

「僕、正直お師匠が破壊方法を見つける前に全部集めちゃって、『天使』?が復活したらどうしようとか考えてたので、それもいいかもしれませんね」

 

オレの言葉を聞いたグレイはホッとしていた。

 

やることは決めた。

あとは襲撃があったときに、先手を打てるよう準備するだけだが……。

 

「何か、懸念事項があるのだな?」

 

猫がオレの背負う鞄に入り込みながら言った。

 

「……以前ネフィリムと交戦したとき、一見普通の人間の状態から変化していた。オレは直接それを見た訳じゃないけど」

「それってつまり……」

「町民に紛れて、突然ネフィリムが現れる可能性をお主は考えているわけだな」

「ああ」

 

ビオレッタだったものを思い出す。

オレと戦ったときは会話もできたし人の形を保っていた。それが何らかのトリガーで化物(ネフィリム)になる。

 

「人が集まっている状態での、ネフィリムの出現……。いかに厳重な警備があると言えど、危険だ。だけど、対策がないこともない」

 

いつも懐に閉まってある、小さな箱を取り出す。

 

「今お主が持っている(ドーラ)でおびき寄せるのか」

「そうだ。箱を開けて人気の少ないところに誘導できれば……。ただ、ネフィリム以外の誘導できない敵をどうするかって問題がある。この前のクリュティエみたいなのがまた来て、模型内部にあるかもしれない(ドーラ)を狙ったら、オレはその場に居合わせられないかもしれない」

 

ネフィリムが現れるかどうかもわからない。一番は『誰も襲いに来ませんでした』がハッピーエンドなんだけどな。こういうときに限って何か起こるんだよな。

 

するとグレイが声をあげた。

 

「なら、また手分けしましょうよ!僕がネフィリムの誘導をして、人はお師匠が倒せば……」

「そんなことできるか」

「なんでですか!?」

「だってお前弱いじゃん」

 

それを聞いたグレイは、雷に撃たれたかのように衝撃を受けていた。

 

「首都のときは手伝わせてくれたのに、どうして」

「あのときは、直接お前を狙ってくるような状況じゃなかっただろ。もう一度言うけど、お前は弱い。よって戦力としては全く期待してない。はいこの話終わり」

「いたっ」

 

グレイの頭を叩くことで強制的に話を切り上げる。

 

(ドーラ)の感知能力からして、ネフィリムが普通の人間と同じ世界を見ているとは考えにくい。

例え魔術で姿を見えなくできても、視覚以外で見つけられたり、周囲に対する無差別攻撃の巻き添えになる可能性だってあるのだ。……こいつの使いどころはここじゃない。

 

オレがこの件については一切受け付けないことで、諦めたらしいグレイは頭をさすりながら言った。

 

「そういえば、首都で手に入れたものは例の箱に納められていたんですよね?それなのに、なぜお師匠には位置がわかったんでしょうか?」

「当時の状況を思い出すと、精巧な偽物を見てから、実物の近くに来たらわかるようになったんだよな」

「精巧な偽物……。(ドーラ)の帯びた魔力子を本物に近い形で再現したから、それに誘発されて?うーん……」

 

うんうんと唸って考え始めてしまったが、これでしばらくはバカなことも言い出さないだろう。

 

頭の後ろにもさもさしたものが帽子ごしにあたった。

 

「なんだよ」

 

猫がへばりついている。爪を立てるんじゃない。

 

「少しは素直になればいいものを」

「はあ?」

 

ぶつぶつ言っている猫を引き剥がすべく、オレは頭に手をのばすのだった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

数日が過ぎ、儀式の前日の夜。

外壁をよじ登り、エポック社の部屋の窓を開ける。先日訪れて窓を開けたとき、そのうちの一つを壊しておいたのである。すぐに直さない方に賭けたが、うまくいった。ここは古い建物だし、たまたま壊れてしまったということで疑われていないといいな。

 

「よっ、と……」

 

部屋の中は暗い。重要なものはしっかり管理していると、イヴァナは言っていた。オレには教えてくれなかったが、何か情報があるかもしれない。そう思って室内を見渡すと、先日片づけを手伝ったはずの机の上はもう、書類の山になっていた。それどころか山が増えているわ、室内が大変汚れているわ……、この数日で何があったんだ。

お、鍵付きの戸棚を発見。なるべく大きな音を立てないようにこじ開ける。

……思ったよりも結構これ硬いな。

 

中にはかなり整理整頓されたもの、ある程度整頓されたもの。そして乱雑にまとめられたものなどがあった。ファイルにはご丁寧に名前がついている。ジョセフと記載されているものを手に取って読んでみるが、

 

「うーん、目新しい情報はないか……」

 

何冊か見ていくうちに、乱雑に突っ込まれた紙が一枚棚から落ちてしまう。ちょうど拾い上げたとき、廊下から足音が聞こえた。

 

こんな時間に来るのかよ。見張っている数日間はこんなことなかったのに。

戸棚を閉じ、入ってきた窓から脱出する。枠に掴まりながら窓を閉めて、降りようとしたところで声がした。

 

「ごめんなさいね~。散らかっちゃってて」

 

覗きたかったが、明日のことを考えれば、ここは静かに引いた方がいいだろう。

エポック社から離れたところでポケットに違和感を感じる。

 

「……あ」

 

さっき戸棚から落ちてきた紙だ。拾ったあとポケットに突っ込んでしまったのだ。

紙を広げると、ある文章が視界に入った。

 

「これは……」

 



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7-4

【N.C 998】

 

大勢の人が集まる広場の中心に、木でできたヤギの模型に火がつけられた。人々の歓声が上がる。

 

「うわぁ!いよいよですね!」

「でっか」

 

大勢の人が集まっている混雑具合から、屋根に登って儀式の光景を観ている者も少なくなく、オレ達もまた、少し離れた屋根の上から様子をうかがっていた。

 

「この後花火もあるんですよ。すぐ近くに行くことはできませんけど、他の人みたいに僕らもここで踊りましょう!……って、どうしました?僕の顔、何かついてますか?お師匠、昨日の夜から少し変な気がしますけど」

「ついてないし、変じゃないし、オレは踊らない」

 

傾斜のついたところで踊ったら、こいつが転がり落ちる未来しか見えない。そもそもオレは今、お祭り騒ぎがしたくてここにいるんじゃない。

溜息をつくと、グレイは途端にニヤニヤしだした。

 

「あ~、もしかして踊るのが嫌なんですか?お師匠結構不器用ですもんね。銃の分解と組み立て、いつも苦労してますし」

「悪かったな」

「悪いとかじゃなく、よくそれで軍の学校卒業できたなと。個人的にはその絶望的な銃の腕前で、射撃の訓練をどうしてたのか気になります」

 

口のなかに銃身突っ込んでやろうか、こいつ。

 

しかし、こうしてポツポツと会話をしている間にも、昨日見た物が頭の隅でちらついていた。

 

「……遺伝、か」

 

口に出すつもりではなかった言葉が、うっかり出てしまった。

 

「え?今なんて?」

「あ、いや。うるせー!訓練では全然当たらなかった、って言ったんだよ」

「本当によくそれで卒業できましたね」

「やかましいわ」

 

オレのごまかしに違和感を覚えたのか、

 

「でも、最初に聞こえたのとは違ったような……」

「あーあー!訓練な、訓練の話!最初は担当教官にちゃんとやれってお叱りがきて、居残りになったんだけど……、全然ダメなもんで、他の教官たちも集まってきて、議論を始めて、国内屈指の狙撃手の一人として有名な教官が『何で当たらないんだ?』って首をかしげてた」

 

遠くの家の屋根を眺める。向こう側にも人がいるのがよく見えるなー、ははは。

 

「で。最終的に、『ここは魔術師教育のための学校だから』みたいな理由で、ギリギリくぐり抜けた」

 

急遽オレが繰り出した話を聞き終えたグレイは、あきれ顔になった。

 

「それは軍人の教育機関としてどうなんですか……?」

「魔術使えて戦えればいい、ってことだろ。『君は身体強化系の魔術を使って、近づいて殴った方が早いね』って言われたし。まあ、オレは素の身体能力だけどな」

「ひどい詐欺だ……。あ、確か最近、安価でかつ高性能な魔力子検査機が開発されたらしいですよ。たぶんそれが四年前に導入されてたら、お猫さん使っての入学なんて荒業、絶対難しかったですね」

 

そこからグレイは、蒸気がどうの解析機関がどうのとウキウキしながら喋りだした。相づちを打っていたり、猫が鞄から出てきたり、寒いと言ってまた戻ったりしながら、時間は過ぎていく。

ひょんなタイミングで隣が落ち着いた声になった。

 

「お師匠の学校での暮らしぶり、初めて聞きました」

「そうだったか?」

「そうですよ。というか、お師匠のこと、馬鹿力なのと、辛い食べ物が好きなのと、未来人なのしか情報ないんですが。それと鏡見るのも嫌いですよね!」

「オレのことなんて、知らなくても一生困らねーよ。今までお前も聞いてこなかったじゃんか」

「え~?じゃあ聞いたら答えてくれるんですか?」

「さあな」

「そういうところズルいなー」

 

そして、静かに言った。

 

「お師匠は聞きませんよね」

「…………お前は」

 

オレの言いかけた言葉を遮るように、『ヒュー、ドンッ』と大きな音がした。

 

「あ、花火」

 

グレイは顔を空へ向ける。その横顔は、炎か花火か、光に照らされていた。

 

「そんなに有名な話ではないんですけど、あの花火って、この一年で亡くなった人の魂を送り出す意味があるんです。一発目は朝、二発目は昼、三発目は夜に亡くなった人……、このサイクルを月の分、つまり十二回繰り返すので、打ち上げられる玉の数は必ず三十六発なんですよ」

「ふーん、良く知ってんな」

 

いつどこで手にいれたのかわからない知識に感心していると、

 

「この年越しの儀式で行うことやその成り立ちは、かなり詳しく知って理解していたんですけど、実際に見るのは初めてのはずなんです」

 

少し笑って、再びこちらを見た。

 

「さて、この時僕は何か新しいことを学んだんでしょうか。何を学べたんでしょうか」

「何を、って。そりゃあ、例えば、あのヤギの模型のデカさは、目で見なきゃいまいちピンと来ないんじゃないか?お前だってさっき、あんなにはしゃいでたじゃん。そういう、感覚?みたいなものは新しく学んだことになるだろ」

「そうだったらいいなぁ」

 

先ほどよりかはスッキリとした顔になったグレイは、はいはい!と手を挙げる。

 

「僕の質問に答えてくれたので、次はお師匠から何か質問してください!」

「面倒くさいから嫌だ」

「今年ももうすぐ終わりですよ?気になる点を今のうちに消して、新しい年を迎えましょうよ」

 

今日はやけに絡んでくる気がする。どうかしたんだろうか。

 

「……そうだな。お前がオレのこと、変な呼び方するのは気になる」

「そこ!?」

「他はどうでもいい」

 

その直後、グレイから飛び出した言葉に少し固まってしまった。

 

「ひどい!!!ほら、今さっき僕に何か聞きかけてませんでした!?それ気になることなんじゃないですか?」

「あー、それか……。グレイ、お前いくつだっけ?」

 

オレがそう聞くと、グレイは数十秒たっぷり固まった。

 

「…………え」

「な、なんだよ」

「と、特に知らなくてもいいと思ってそうな個人情報を聞いてきた……?人に対して、一定以上は踏み込みたくも、踏み込まれたくもなさそうな感じがプンプンする、あのお師匠が?」

「お前はオレをなんだと思ってるんだ」

「面倒くさい感じの不器用」

 

痛い痛い痛い!とわめくのを無視して、アイアンクローをする。

 

「確か10歳くらいです、10歳」

「へー」

 

夜は炎が良く映える。揺らいで少しずつ色が変わるのまで、くっきりと見えた。……最近視力上がったか?

 

「では、またこっちから質問です!え~と、え~と……。お師匠は今までにどこかで、このお祭り参加したことありましたか?」

 

もう結構話疲れてきたのに、まだ話すのか……。そろそろやることやりたいので、答えるのを渋っていると、片手をつかんでぐいぐい引っ張られた。

 

「見てるだけなのが参加かは知らないが、これが初め……」

「お師匠?」

 

『ほら、アコラス!せっかく連れてきてもらったんだから。一緒に踊ろう?』

 

今みたいに、炎の光で顔を照らされた誰かに、こうして腕を引っ張られた記憶が思い起こされる。

 

「そうだった……。一回だけ、連れてきてもらったことがある」

 

『前回』のN.C. 999の終わり、首都で連れてきてもらったんだ。

 

「あの後、たくさんのことが起こりすぎて、ずっと忘れてた」

 

他にろくな思い出がないから、例え何年も前のことでも、大切な記憶は何回も思い返して、ずっと忘れないようにしていたはずなのに。

 

うん、大丈夫。他のことはちゃんと覚えている。

 

「昔のことって、時が経てば経つほど、なかなか思い出せませんから。時間って残酷ですよねぇ。……さっきから思ってたんですけど、花火見ないんですか?今日は晴れなのに」

 

この国の気候の特徴として、冬は曇りが多い。一日中どんよりとした天気であることは珍しくなかった。しかし、今日は珍しく晴れた日だった。昼間も町の人々が嬉しそうに天気の話をしていたのは記憶に新しい。

 

「晴れた空見るの嫌なんだよ」

「なんでまた」

「……際限なく続いてて、なんというか」

 

あの子と違ってオレは、という言葉を飲み込む。

 

「終わりが見えないのは、ちょっと怖い」

 

 

 

花火の音が三発聞こえる。今ので五回目、あと七回で終わりだ。

 

「グレイ、お前はこの辺で適当に見とけ。オレは別のところに行く」

「ちょっと!?」

 

ここは屋根の上でいくら見渡しやすいといっても、近くにいかなければわからないこともあるかもしれない。

困惑するグレイを置いて、オレは移動することにした。

 

「僕一人じゃ、降りられません!」

 

グレイを抱えて屋根から降りた。

 

 

 

§ § §

 

 

 

「行っちゃった……」

 

押し付けられた猫を抱えて、グレイは呆然と立ち尽くした。

 

「なんか、地雷踏んじゃったかも」

 

珍しく自らのことを話した彼女に、嬉しくなってたくさん会話をふってしまった。

 

(何だかんだで付き合ってくれたけど、最後の方の話題は良くなかった……)

 

前足の脇を抱えられたことで、びろんと縦に伸びている猫にグレイは話しかけた。

 

「お猫さん、どうしましょう……」

「そっとしておくしかあるまいよ」

 

はあああ、と息を吐きながらしゃがみ込む。猫が温かい。

 

このままここで座っておくべきか、それとも彼女を追いかけるべきか、はたまた全く別のところに行くべきか。

 

今日の町は、大神殿に対して南側の地区が賑わっていた。神殿の正門は南を向いており、広場もまた、南にあったからだ。

裏である北側は普段よりも閑散としている。

 

『お師匠』と呼んでいる彼女は、広場の方へ向かっていった。今一番人が多い場所だ。

 

 

ふと、影が射した。

 

「どうしたの?迷子?」

 

顔をあげると、女性、というよりは少女が覗きこんでいる。物静かな感じでキレイな人だなという第一印象をグレイは持った。

 

「あ、いえ違います」

「そう……」

 

グレイは慌てて立ち上がる。

目の前に立つ少女は女性としては身長が高めで、グレイはいつもよりもさらに見上げる形となった。彼女はゆっくりと口を開く。

 

「私、迷子なの」

「え?」

 

落ち着いた様子とは異なる、耳を疑う発言に思わず聞き返す。

すると再び、

 

「迷子なの」

「そ、そうですか」

 

(もしかして僕は今、変な人に絡まれている?)

 

グレイの若干引いた態度を見た少女は、淡々と言った。

 

「迷子仲間かと思ったけど、違うみたいね」

「迷子仲間ってなんですか」

 

そして立ったまま、うつらうつらと舟をこぎ始める。

 

(なんなんだー、この人!?)

 

気温は氷点下。募る危機感からグレイは話しかけた。

 

「この時期の夜に外で寝るのは洒落にならないです。起きてくださーい」

 

しばらくボーっとしていたが、目を擦った。

 

「ごめんなさい、ちょっと寝溜めしてて」

「は?寝溜め?」

「そう。寝溜め。肝心なときには起きていたいから、それ以外はなるべく寝てるの」

「いや、その理屈はおかしい」

「それでいつも半分寝ながら歩いてると、知らないところにいる」

「結果、迷子になってしまうなら、お姉さんにとって意識をしっかり保って歩くことは、肝心なことでは?」

 

普段からこんな状態ではこの人の生活はどうなっているのだとか、逆にちゃんと深い眠りはできていないんじゃないかとか、様々な疑問が頭を駆け巡る。

その時冷たい風が吹いてきて、少女の黒髪を揺らした。寒さが一層強まった感じがする。

 

(明日中にはこの町を出るし、合流場所も決めてあるから、大丈夫だよね……?)

 

先日の夜、不法侵入をした相方がバレて疑いがかかる前にさっさとずらかって東に行く、と言っていたので、明日町から東側で待っていれば会えるはずだ。

明日の段取りを確認したグレイは少女に提案した。

 

「迷子と名乗るからには、どこかに目的地があるんですよね?僕、地図持ってるので案内しましょうか」

「本当?」

「このままお姉さんのことを放っておいて、翌日凍死体が発見されるのは勘弁したいですから」

 

 

 

目的地を聞き、歩き始めてすぐ。

恐ろしいことに、一緒に歩いていてもこの少女は別の方向にフラフラと行ってしまうことがあった。そのため、迷子防止目的で手をつないだ。彼女はこの寒い時期に素手だった。

 

「お姉さんは大きな荷物背負ってるんですね。楽器のケースですか?」

「うん」

「どこかで演奏した帰りなんですか?」

「うん」

「……今日の夕飯雑草だったんですか?」

「うん」

「お姉さん、適当に返してますね」

「うん」

 

ぼんやりとした彼女が眠り出すのを防ぐために話しかけてみたものの、帰ってくるのは「うん」という返答ばかり。それでも一応頭が舟をこぐのは収まったので、一定の効果があったと言えよう。

 

自分はつくづく変な年上女性と縁があるのかと思ったところで、先ほど別れたアコラスの顔が浮かんだ。

 

「はあ……」

 

基本的に説明不足で自己完結してしまいがちな気性だ。ヘタにつつくと殻に籠る。絶対に籠る。グレイは確信していた。

今まで慎重に聞いてきてわかったことは、五年前までの話なら聞けば話してくれる。それ以降はほぼ無理。『前回』に至っては、彼女の目的に関する話題のときに、出来事のみが単発的に語られるだけだ。

 

つまるところ面倒くさい人なのだが、これについてはグレイも人のことを言えなかった。

 

「どうしたの……?」

「え?」

「君、うずくまってたし、何か悩んでるのかと思った」

 

(……こんな変なお姉さんは、今後会うこともないよね)

 

「いつも一緒にいる人がいるんですけど、その人、重要なことは話してくれなくて」

「そう」

 

初めて出会ったときは、人を目潰ししてから殺し、返り血でところどころ赤くなっている、というなかなかショッキングな姿をしていた。

目があったときは死んだと思った。

しかし、少し話した後に何を思ったか、その人は自分の首根っこを掴み、袋に詰めて連れ帰ったのだ。そして、その人の家らしき場所で放り出されて、しばらくどうすればいいのかわからなかったが、今思えば彼女もまた、どうすればいいかわからなかったようだった。食事を与えられたものの、その辺の草をむしって食べた方がはるかにマシな出来だったことで、文句という形で一応のコミュニケーションが取れるようになったのは、また別の話である。

 

「目を合わせて話しているつもりでも、今じゃない、全然違うところ見ている感じもして……。こう、常に誰かの影を見ているというか」

 

一呼吸おいて、

 

「もー!あの人は!バカ―!!!どうすればいいですかお姉さん!!!」

 

感情のままに叫ぶと、少女はふむと頷いた。

 

「私だったら……、実力行使で口を割らせて、その重要なことを聞く。こっちも向かせる」

「このお姉さんも、見た目によらず物騒だった」

「それが手っ取り早い」

 

少女は眠たそうにしていた目をいつの間にか、しっかり開いていた。

 

「でも、君、小さいのに色々考えててすごいね。私は君くらいの頃はのんきに生きてた」

「あははは……、それほどでも。ちなみにお姉さんは悩みがあるとき、どうしているんですか?」

「あれこれ悩んでいても始まらないから、私は他のことは一切捨てて、自分のやるべきことに集中してるつもり」

「その結果かどうかは知りませんが、方向感覚を捨てるのはどうかと思うんですけど」

 




ブブブーブ・ブ―メラン回


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7-5

ヒープリショックで更新遅れました。


【N.C. 998】

 

楽しそうな人々の中に雰囲気の異なる者がいる。というのも警備が非常に多いのだ。おかげでオレが目をつけていた人間が、人目が少ないところで瞬く間に取り押さえられていた。隠し持っていた刃物で自分の首を刺そうとしていたのを止められたあと、拘束して連れていかれた。

オレも迂闊に動けないが、未然に防がれているので、一般的にこれは良いことなのだろう。

 

それにしても、あの取り押さえられた人間。ただの不審者か、それともアバドーンやアプシントスの一派か。後者なら、(ドーラ)目当てで奴らがやってくる、という予想がこうもあっさり当たるのは、落ち着いて考えてみると気持ちが悪い。

 

オレが今回この町に来たのはエポック紙を見たからだ。こいつらも同じようにあの新聞記事を元にやってきたのだろうか。しかし、実際に新聞社を見ても、あの新聞は影響力は小さいと言わざるを得ない。そんな小さな新聞までわざわざチェックしているのかは、正直疑問である。どこか別のところからの情報源があるのが妥当だ。

 

……それにしても、連行していくまでの一連の様子は手際が良かったな。

 

そんなことを考えながら広場の端にいると、誰かが近づいてくる気配がした。

 

「あら?あなた、この前の」

「あ、こんばんは」

「こんばんは。たしか、アイリスさんだったわよね。どう?楽しんでる?」

 

エポック紙の編集長、イヴァナであった。足取りはふらふらとしていて、息からはアルコールの臭いがする。

 

「はい。でも、ちょっと人酔いしたので休んでました」

「そうだったの。大丈夫?」

「もう大丈夫です。……その、左手に持っているのは?」

「これ?拾ったの。踏まれそうだったから。そして私は持ち主探しの旅の途中よ」

 

彼女は右手にすぐ近くの屋台で売られている酒の瓶、左手に奇妙な物体を持っていた。四足歩行で首の回りに長い毛が生えているという、何らかの生物のぬいぐるみに見える。

 

花火の音がまた三発聞こえた。

 

「花火は町の北の外れで打ち上げてるのよ」

 

言い終わるとオレをジーっと見つめてきた。

 

「あの、何か」

「なんだっけ。あなたを見て、何か思い出した気がしたんだけど、こう、出でこない……」

 

それは思い出した部類に入らないのではないだろうか。

 

イヴァナはうんうんと唸ってから、「ま、いっか」と呟いて急にオレの肩に左腕を回してきた。近寄られるとさらに酒臭い。

 

「アイリスさん、やっぱりウチで働かないー?働いてー。おねがーい」

「いえ、ですから」

「今ね、人手がね、足りないのよね」

「オレはただの観光客なので」

「昨日うちに盗人が入っちゃったみたいで、捜査に片付けで仕事どころじゃないのよー」

 

げっ、オレじゃん。

 

「それは……大変でしたね」

「何盗まれたとかは調査中でね。仕方ないし、こうして夜の町に繰り出してるってわけ。ふぅ……。やってらんないわぁぁぁぁぁああああ!」

 

イヴァナは両手をあげて叫んだ。周りの人間がこちらを見ている。

どういう顔をすればいいんだ。いろんな意味で。

オレだけ気まずい空気が流れる中、彼女は酒瓶をあおって、

 

「だいたいウチより先に盗みに入るところなんて、いくらでもあるでしょうが!!!ねえ!?」

「あ、はい」

「そうよねぇ!!?!?あの地方支部の隣にあるホテルとか!大通りのレストランとか!あなたも飲む!?これすごく美味しい!何本でも開けられる!」

「それはちょっと」

「よしじゃあこれ持ってて!」

 

持っていた謎の物体を押し付けられた。

どうしろと。

 

「ジョセフは『昔の知り合ったお子さんから手紙貰って、これから会うんですよー』って封筒だけ見せびらかした挙句、元憲兵なのに自分のテリトリーで起きた事件ほっぽり出して逃げたし!!!入った当初は全然書かなかったくせに、大神殿に対する愚痴は一丁前だったのが懐かしいわ!!!」

「元憲兵?どうして今は記者を?」

「……ここだけの話よ。担当した火事の事故にショックを受けて辞めたんだって」

 

そして、いくつか気になることを質問をしていると、それは突然訪れた。

 

「あ、ごめん吐く」

「え」

 

……ツーンとする臭いだった。

 

 

 

「大丈夫ですか?」

 

落ち着いて座ることのできる場所で、イヴァナに水を渡す。一気に水を飲んだ彼女は、ふうと息を吐いた。

 

「ええ、もう平気よ。まだわからないかもしれないけれど、吐くとね、ものすごくスッキリする。吐いた直後もそうだけど、明日朝起きた時に二日酔いが来ないから、よく覚えておくのよ。二日酔いはね、つらい。本当に、つらい。朝起きても自分の酒臭さがわかる。頭とお腹が痛い。なぜか筋肉痛がする。つらい。だから、自分の限界量をちゃんと把握しておくのよ。酒は飲んでも飲まれるなという合言葉、理解しておいてね……」

「とてもよくわかりました」

「周りの人に迷惑をかけないのが、マナーってやつよ……。普段はできてるのよ……?あれ?なんで私こんなことに?」

 

背中をさすっているうちに、この酔っぱらいは目を閉じていた。結構寒いが、このまま寝ていて平気だろうか。まあ、死にはしないか。少なくとも自分は死なない。

 

はぁ。何やってんのかな、オレ。

 

こうして酔っぱらいの介抱をしていると背の低い子供が近づいてきた。オレの目の前までやってくると、

 

「お姉ちゃん」

 

……オレのことか?

自分を指差すと、その子はコクンと頷いた。

 

「それ、たぶん僕の」

 

少年の視線は、イヴァナが拾ったと言っていたぬいぐるみにあった。持ち主探し中とも話してたし、渡していいだろう。受け取った子供の顔がパァッと明るくなる。

 

「お姉ちゃんが拾ってくれたの?ありがとう」

「違う。拾ったのも持ち主探そうとしてたのもオレじゃなくて、こっちで寝てる……」

 

言い終わる前に、女性が駆け寄ってきた。

 

「あんた!」

「お母さん!」

「こんな夜遅くに一人で家抜け出して、心配したんだよ!?」

 

詰め寄られた子供は、言い訳をするように目を泳がせている。

 

「お父さんからもらったのに、失くしちゃって、でもお母さん、今日はいっぱい人がいるから、その」

「とにかく無事でよかった……!」

 

女性に抱きしめられて、子供はぽつりと言った。

 

「……ごめんなさい」

 

ボーッと見ていたオレに気がついた女性は慌てて言った。

 

「あの、息子が何かご迷惑を……」

「ぬいぐるみ、このお姉さんたちが拾ってくれたんだって!」

「いや、だから。それはオレじゃなくてこっち」

「そうだったんですか?ありがとうございます」

 

イヴァナをつついてみると、もごもごと口を動かして目を開けた。ようやく起きた彼女に現状を説明して、再び少年と、その子から『お母さん』と呼ばれた女性が礼を言う。そして彼らは手をつないで去っていった。

 

「持ち主が見つかってよかったわ。それにあのお子さんとお母さん、よく似てたわね」

 

彼女の言う通り、あの女性と少年は見比べると顔のパーツがよく似ていた。

親ってのは、生物が新たに生まれてくる元になるやつで、息子や娘がその親から生まれてきたやつのことだよな。

親と子供は外見が似るのか?

あ、でも、得意な魔術の性質は親から子へ受け継がれやすい傾向にあるから、それと同じように身体的特徴が遺伝する、ということがありうるのか。なるほどなるほど。

あれか、親猫と子猫の毛の色が同じになっているのもそういうことか。

考えてみると当たり前だが、今まで気にかけたこともなかった。

 

親か。親ねえ……。

 

「あああっ!思い出した!」

「うわっ」

 

突然イヴァナが立ち上がる。いきなりなんだよ。

 

「ジョセフがあなたのこと探してたわよ!あー、喉につっかえてたものが取れた感じ。スッキリしたわっ!」

「オレを?」

「そうそう。理由は知らないけど。というか、こうやっていつまでも絡んで迷惑をかけるのも悪いから帰るわね。片付けもしないといけないし」

 

「今後ともエポック紙をよろしく!」という言葉を残し、走り去る背中を見送る。

 

悩ましいことが二つになってしまった。

一つ目、昨日からの懸念事項であり、寝ていた彼女のポケットに戻しておいた紙を思い出す。

 

『N.C.996に複数の子供の行方不明事件発生。調査によると、孤児からも行方不明者が出ていた。※四年前のものとは別件。

 

行方不明となった子供の共通点は親が光に関連する魔術が得意であるということ。

得意である魔術は遺伝しやすい。おそらく、光に関連する魔術を使える子供を狙ったことが考えられる。行方不明となった孤児も、周囲によると同様の魔術を使うことができたと証言あり。

 

何組もの親が子供を今もまだ探し続けているものの、最近つかめた足取りから全員生存は絶望的か。

 

以下、行方不明者の名前と年齢、直前までの所在地……』

 

 

 

§ § §

 

 

 

「お姉さん、地方支部横のホテルなんて、リッチなところ泊まってますね」

「私のお金じゃないから」

「最高じゃないですか」

 

グレイと黒髪の少女は目的地に向かって歩き続けていた。

 

(このお姉さんに名前聞いてないな。……僕の名前も聞かれるのは面倒だし、いっか。この間興奮のあまり名乗っちゃったばかりだけど)

 

少女が向かっていたのは、軍の地方支部の隣に立つホテルだった。そこまで連れていくのは、アコラスほど顔が割れていないグレイにしてもやや危険だったが、人通りの少ない道を使って近くまで行き、そこで別れれば大丈夫だろうとグレイは考えた。

 

花火の音がまた聞こえたので上を向くと、時計台が見える。時刻を示すように花火も残り数回。ここまでくればあともう少しだった。

 

「あそこに登ってみたら、また違って見えるのかな」

「何が……?」

「今の風景や見え方諸々です」

「そうね。登る?」

 

グレイの返事を聞く前に、今度は少女が手を引いて歩いていこうとする。

 

「……そっちの道は行き止まりなので、こっちにしましょう」

 

 

 

時計台の入り口には憲兵が立っていた。この時間は入ることができないのかもしれない、というグレイの心配をよそに、あっさりと中に通される。こうして入った時計台内は町のにぎやかさとは裏腹に静かであった。

 

最上階も人の姿はない。外を見ると、そろそろ日付も変わろうかという真夜中にも関わらず、町の南側はあちらこちらに明かりが灯っていた。

 

「ここから見ても、空の見え方って変わりませんね」

「そうね」

「お姉さん見てないじゃないですか」

「そうね」

 

グレイは大神殿のほうを見た。一瞬キラリと光が北側から見えた気がした。その時花火の音が四発聞こえる。

 

「……?」

 

何か、引っかかりを覚える。

 

その疑問もつかの間、町のあちこちから歓声が上がる。新しい年になったのだ。

 

 

 

§ § §

 

 

 

イヴァナと別れて少し経った後。

何者かがオレをつけていた。確認のため、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしても追ってきている。オレはより人の少ない方へ、より自分が道を把握している辺りへ、そして、より逃げやすい経路のある方へ向かって歩くことにした。

 

「あれ、見失った?」

「こんなところでどうしたんですか」

「うおおおっ!?」

 

完全に人気がなくなって、角を曲がって姿が見えなくなったところで建物の外壁を一気に登り、後ろに回り込んだオレに驚いたのは、

 

「偶然ですね、ジョセフさん」

 

イヴァナからオレを探しているという話のあった、元憲兵の記者だった。

……オレが後ろに回り込む一部始終を誰かに見られていたら、かなり恥ずかしい。

 

振り向いたジョセフはぎこちない笑みを浮かべた。

 

「やあ。アイリスさん」

「先日はどうも。さっきイヴァナさんから聞きましたよ。オレを探していること」

 

オレから逃げるかのように、角を曲がった先に続いている道へジョセフはじりじりと移動していく。その道の先は暗い。

 

「それはこの間の記事の話で……」

「へえ、隕石の。ああ、そういえば。こんなことも聞きました。もともとは魔力子のことについて調べていたとか。そのうち、大神殿のことを調べるようになったとか」

「そうなんですよ。最初は魔力子や魔術に詳しいサンクレールに会いに来て、その縁で彼のいるエポック社で記者をするようになったんです」

「大神殿がなかなか調べられなくて、大変だったそうですね。……それから、元々は憲兵をしていて、最近になって当時の同僚とたまたま会ってから軍とパイプができたんじゃないかって。愚痴も少なくなって記事も以前より精力的に書くようになった、なんて話も酔っぱらった彼女、言ってました」

「ウチの編集長が絡んでしまっていたみたいで申し訳ない」

「……本当に、今晩は面倒だ。自業自得とはいえ、ゲロ吐かれるし、酔っぱらいの介抱してる場合じゃないのにしてるし。それに、まんまとおびき寄せられてて、バカみたいだ」

 

暗い道。その先を見る。

 

 

 

『手紙の宛名?しっかり見たわけじゃないわよー?あら?お酒が一向に減らない?』

 

『うーん、うーん。いっぱいのんじゃったきがする……。え?なまえ?たしかぁ』

 

 

 

まさか、ここでその名前を聞くとはな。

 

「おい、いるのはわかってんだよ」

 

その言葉を合図に、静かに姿を現す者が一人いた。

思わず舌打ちをする。なんでいるんだよ。

 

「ふん、前よりも少しはまともに戦えるようになったのか?……レド」

 

 

 

大きな音が数発したのちに、遠くから歓声が聞こえてくる。

 

オレにとっては二度目のN.C. 999が始まった。

 




アルハラ駄目絶対。


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8-1

サブタイトルを整理しました。


【N.C. 999】

 

「……よぉ、久しぶり。エポック社に侵入したのはお前だな?」

 

片手を挙げてレドが言った。

待ち構えていたことから予想すると、アバドーンやアプシントスを釣るために、軍が囮となる情報を流していた。大神殿にある(ドーラ)の話は嘘か、あったとしても厳重に守られているはずだ。

大神殿と手を組んでいるなら、襲撃に備えて警備の人数が多くなっていたことにも納得がいく。

ジョセフは元憲兵。その伝手で、新聞記者という立場から、囮情報を流すのを手伝ったという可能性が浮かび上がる。新聞社での行動も、どこまでかはわからないが嘘だったというわけだ。彼と同じような協力者が何人もいて、様々な形で餌をばらまいていたんだろう。

 

しかし、エポック社に二回訪れた際には、そのどちらのときも待ち構えていなかったことから、協力者と完全に連携を取っていたわけではない……?

 

「あと、アバドーンのクリュティエと戦闘になっただろ」

「げっ」

 

嫌な名前を聞いてしまって、思わず反応してしまった。

 

「全く、湖からここまでどうやって来たんだか。一応、駅は見張ってたんだけどな。……まさか徒歩?いや、遭難確実の山もあるし、よっぽどの方向感覚がないと……」

「誰が教えるかっつーの」

 

ちょっと迷ったとは言えない。

 

現状を好転させるのに最も簡単なのは、レドとジョセフを生死構わず、ここで行動不能にすることだ。そして、オレにとって最も難しいのは、確実に生かした上で行動不能にすること。人を気絶だけさせるのは結構大変なのだ。

 

残された選択肢として逃走を選んだオレは周囲を確認した。

まず、今いる場所。

人気のない路地で、道の間隔は広くないし、建物も民家でそれほど高くない。横はすぐ壁がある。

ジョセフはオレを警戒しつつ、ジリジリと後退していた。それからここに人が集まってくる気配はない。オレを偶然見かけたジョセフがそのあとを追跡し、レドはどこかのタイミングで合流して、先回りしたみたいだ。時間が経つにつれて、増援があるかもしれない。早く逃げた方がいい。

 

「聞きたいことは、つもり積もって山ほどあるんだ。だから、大人しくついてきて欲しいんだけど」

 

確かにこいつの視点からすると、知人が突然殺人犯で襲いかかってきて、何かを盗んで逃げてそのままなわけで。どういうことだよ!とはなると思う。

 

「嫌だ」

「だろうなぁ」

 

ため息をついたレドは、私服で大きく妙な形のケースを背負っていた。ケース自体はやや目立つものの、この姿を見て、すぐに軍の人間だと気がつくのは難しい。こいつみたいに、他にも一般人に国家魔術師が紛れているかもしれないと考えると、うんざりする。人混みに隠れるのはやめよう。

 

来た道を戻るのは得策じゃないな。人が多いから面倒だ。姿を隠すための煙幕も火事に間違えられて、逆に人が集まってくる可能性がある。

そうすると残されるのは……。

前に目線を向けたとき、黙っていたジョセフが口を開いた。

 

「アイリスさん、いや、アコラスさんでしたか」

「別に、オレなんかに丁寧に喋んなくても良いんだけど?」

「嘘をついてしまったのは申し訳ないと思っています。ですが、あれは返していただき……」

 

ジョセフが言い終わる前に、オレは前方、つまりレドやジョセフのいる方向に向かって駆け出す。

 

「ちっ、こっちに来るかっ!」

 

レドは背負ったケースを燃やし尽くしたと思ったら、剣を構えていた。ただし、ジョセフが中間点にいる。これでは向こうも攻撃しにくい。

 

「っつ」

 

が、やはり高度な魔術の操作によって、ジョセフをきれいに避ける軌道で炎が迫る。

行き先変更だ。横の外壁を蹴り、屋根の上に登った。

 

相手もすぐに追ってくる。

 

勝機はある。不審者の連行の様子から見るにおそらく、騒ぎを起こしたり大きくさせることなく、向こうは事態を終息させたい。つまり、周りに目立つ攻撃をして来ない。現に来るのは物理攻撃だけ。

 

「うわっ!?猫?カラス?」

「それにしては大きい音だよ?何だろう……」

 

屋根の下から驚く声。

 

さらに、この辺りは民家だ。周りを巻き込むようなことはできないはず。

 

「盗んだ物も大人しく返せよな!」

「そんなのもう返した!しっかり確認しろバーカ!!!」

「はあ?どこに!?」

 

酔っ払った編集長のポケットに突っ込んだから、すぐには見つからないと思うが。

 

屋根の上がうるさくても、それ以上に町はまだ騒がしい。好都合だ。北側に向かって走っているため、標高が低くく未だに明るい南側が良く見えた。逆に北側は暗い。どこかで降りてこの暗闇に紛れたい。

とはいえ町の中心から離れても、まだ追ってきているのだ。

 

相手が身体強化の魔術を使っていてもなお、攻撃を避けながらの逃走にはオレに分がある。だが、駄目押しが欲しい。

 

…住民には悪いけど!

 

走っている足が着地する瞬間、強く踏んで屋根の一部を破壊する。そうしてできた欠片をレドに向かってぶん投げた。

レドが防御すると同時に屋根を飛び降りる。が、先日降った雪か雨による氷が地面に張っていたので、身を捻って少し着地点をずらす。

 

しかし、オレはしっかりお尋ね者にはなっていたみたいだ。こそこそと行動していたのは、無駄ではなかったということである。早いとこ町を脱出したい。

 

それにしても、ジョセフがあの紙一枚に対して、あれほど真剣に返して欲しいと言ってくるとは思わなかった。イヴァナの物かと推測していたのだが、そうではなかったのか。

 

こうして走っている間にも、レドとの距離が開いてきた。向こうは焦っているのか、さっきよりも炎の魔術を使ってきている。そのおかげで、広場の方にはなかった地面の氷が、少し融けていた。

 

そして、その瞬間は不意に訪れた。相手を撒こうと、角を曲がりに曲がって、あえて同じ道を二度通ったときだ。

 

ビシャッと水たまりを踏んだ。視界の隅で光るものを知覚したと同時、

 

「いっ」

 

全身を強烈な痛みが駆け巡った。痛みを口に出そうにも体がうまく動かず、その場で倒れ伏す。

水溜まりは大きく長く、どこかに繋がっていた。

 

「安心してください。一時的にマヒする程度です。ここまで調整するのは非常に面倒なんですよ」

 

そう言いながら現れたのはブレウだった。

 

舌がうまく回らないのでに悪態すらつけない。

そっちを見ようにも見れずにいる間に、レドが飛び降りてくる。

 

「ブレウ、流石っ!」

「レドもですよ。即興の作戦なのに、どうにか誘導ありがとうございます。……まさか、こんな形で捕まえることになるとは」

 

感電で動けないうちに、後ろに手を回されて手足を拘束される。そして、持っている武器もバレた物は回収された。レドが呆れ顔になる。

 

「どれだけ隠し持ってんの?」

「体重の一割くらいはありそうですね……」

「帽子の中にもありそう……、うわっ、ホントに入ってた」

 

二人は何か探しているようだが、回収した物の中からは見つからなかったらしい。

 

「ネロがいれば、もう少し見てもらえたんですが、彼女は今どこにいるのやら」

「あいつ、肝心なときにしかいないからな……」

 

そうしてオレは簑虫状態にされ、ブレウに担がれた。

 

「詳しい話は後で聞かせてもらいますよ。早く支部へ戻りましょう」

「はいよ。それにしても……こうやってると誘拐犯みたいな感じだ」

「頭に袋でもかぶせますか?」

「やめてくれ」

「この、好き勝手、言い、やがって……っ!」

 

手錠を引き千切ろうにも結構硬く、関節を外しても抜けられない構造になっている。

藻掻いていると、

 

「ヘタに暴れられると、こちらとしても同じ手段を何回も使わざるを得ないのですが」

 

……クソっ、電撃で動けないよりかは、大人しくして隙を探したほうがいいか。

 

それに、使用者にも感電のリスクがある雷の魔術を、今のブレウが暴れたオレを抱えた状態で、どこまで正確に使えるかはわからない。威力が出る雷の魔術の使い手は大変……、らしいからな。再び麻痺させる脅しは、ブラフの可能性もある。それも含めて隙を窺おう。

 

「お前もよく知ってる人の命令で、あっちこっち探させられたよ。俺達はお前に対して言いたいことが山ほどあるから覚悟しとけ」

「知るか」

「それからウィステさん、心配してるぞ」

「……ふん。うるせー」

 

「驚異的な身体能力に、突出した五感による直感……。いざ敵にすると、大変面倒なことがわかりました。うまく誘導しようにも、直前で道を変えて回避されたりと、野性動物を相手にしているようでしたよ」

 

このクソ野郎のメガネを今こそ叩き割りたいが、あいにく戦闘時は魔術で視力強化を施しているため、今はつけていない。悔しい。

 

「何カ所かのアプシントスやアバドーンの拠点を襲撃したのもお前だな」

「うるせー」

「おかげさまで何回も手口を見るうちに、踏み込んだだけでわかるようになったよ」

 

首都を発って以後、あちこち移動しているときに見つけたところを、手当たり次第に潰して金品を巻き上げていたが、そこまで足取りを追われていたのか。駅を見張っているとかも言っていたし、徒歩が最強の移動手段である。

 

レドは不思議そうに言った。

 

「でもエポック社は、いつもとなんか違ったような……」

 

そりゃあ、襲撃するのと調べに行くのは違うだろう。

オレがそう思っていると、

 

「部屋の中をあんなに荒らすなんて、らしくない」

 

「……荒らした?」

「ん?」

「どういうことだ?」

 

見たものは持ち帰ってしまった一枚を除いて、すべて元に戻している。

 

「どうもこうも、室内の物が散乱して、盗まれた物もあって、ひどい有り様だったことだよ」

「盗まれた物は」

「取材に使ったスケッチブックやノートだろ、ってなんでお前が聞くんだよ」

 

耳に入ってきた言葉に首を振る。

 

「違う……。持っていったのは紙一枚だし、だいたい、オレが入ったときはすでに室内は汚かった」

 

いつの間にか、レドもブレウも立ち止まっていた。

 

今まで聞いたことから、一つの推論を口にする。

 

「まさか……、オレより先に侵入した人間がいた……?」

 

 

 

§ § §

 

 

 

アコラスが屋根の上を走っていた頃。

時計台の最上階から町を眺めていたグレイは、一緒にいる黒髪の少女に声をかけた。

 

「あのー、お姉さん。そろそろ降りましょう」

「もういいの?」

「はい」

 

二人は等間隔に灯りのついた、四角らせん状の階段を降りていく。下りは特に会話もなかったが、突然、

 

「……ネロ」

 

呟いた少女にグレイは聞き返す。

 

「はい?」

「私はネロ。よろしく」

「は、はあ。よろしくお願いします」

 

何かと思えば名前だった。唐突な自己紹介にグレイは困惑する。

 

(今さら名乗られても……。あ、これは僕も自己紹介しないといけない流れ?)

 

悩んでいると、目の前に大きな黒い影が現れた。誰かが登ってきたらしい。

グレイは話をそらすのにタイミングがいいと感じた。その人物は、シルエットから憲兵のようだ。それを視認したタイミングで、人影はゆっくりと倒れる。

 

「え?ちょ、ちょっと!?」

 

グレイが慌てて近寄り、声をかけるが反応がない。そこで気がつく。あったはずの彼の右腕がない。揺さぶろうとしたところで、急に視界が反転した。

 

一体何が。

 

状況を理解する前に、コンマ数秒前までいた場所に大きな打撃痕ができている。

 

「……は」

 

気がつくと倒れた人間の上には、ナニカが覆い被さっていた。

ぐちゃぐちゃと場違いな音がする。

 

ここでようやくグレイは理解した。

自分はネロに引っ張られていたのだ。

 

「ひっ」

 

そして、目にしてしまった。

灯りに照らされた四つん這いのナニカが、人を食べているのを。

 

ブヨブヨとした胴体。

関節のおかしい手足。

動物のような四足歩行の姿勢。

そしてなにより、それが人の形をかろうじてなしていること。

 

「う、うわぁぁぁああああああ!??!!?」

 

 

化物が人間を食いちぎり、咀嚼し、飲み込んでいく。まずは柔らかい腹。そこから内臓。腕、足の順でちぎりとられ、残りの胴体。そして最後に残った頭。誰かのうめき声が聞こえるが、それも次第に聞こえなくなった。

 

瞬く間にそこにいたはずの者は、化物の胃袋に納められた。

 

「掴まって」

 

ネロは降りてきた階段を駆け登りだした。

少し遅れて、化物は不格好な四足歩行で追いかけてくる。

 

「ああああれって!」

「舌噛むから、歯くいしばって」

 

ネロは背に大きな楽器ケース、片腕にはグレイを抱えていた。そのハンデがあってもなお、少女の体躯では、一般的にあり得ない速度で走る。しかし、化物もまた負けていなかった。四足に慣れていないように見える非効率な足運びながらも、猛烈に階段を這いあがってくる。

 

ネロが空いている片手で壁に触れる。手のひらの軌跡を合わせて横や斜め方向に、柱が生成されていく。

 

「ま、魔術!?こんな生成速度で!?」

 

柱は障害物になっていた。ここでネロは一気に大きく跳躍して、途中の階層にある、開けた小部屋に到達した。

 

扉を閉め、ネロはグレイを降ろすと、楽器ケースの中に入っていた物を取り出す。

 

「刃の付いた棒……?」

「先、上に行ってて」

 

背丈より長い柄、その先には曲がった刃がついていたが、刃の向きや位置がおかしい。刃と柄が細い逆V字を成し、刃が折り畳まれた形状なのだ。ネロは柄の中間についたレバーを動かす。レバー操作に連動して、刃が柄に対して90度開いた。その形状はまさしく、

 

「か、鎌ですか!?」

「私の実家農家なの」

「え」

「農家なの」

「こんな時に何を言っているかちょっとよくわからないんですが」

 

扉にぶつかる音と共に部屋自体が振動する。

突然襲われて思考が正常に働いていなかったが、グレイはようやくここで冷静に考えをめぐらせることができるようになっていた。化物は、グレイにとっては二度目の目撃となる、ネフィリムだ。一度目は首都での時のこと。アコラスに言われ、爆弾を仕掛けてボヤ騒ぎを起こした後、その場所に現れたのを見て以来である。

悪い予想は当たって、アプシントスがこの町に現れたこと。そして、緊迫した状況でも、のんびりとした雰囲気のネロがネフィリムと戦おうとしていることに、グレイは焦りを感じた。

 

「狭いところでは、長物は不利ですよ!?」

 

時計台は高い建造物だが、広いスペースが確保されているわけではない。長い鎌を振り回すのは、得策ではないだろう。

しかし、ネロはどこ吹く風で返す。

 

「大丈夫。私、国家魔術師第一課だから」

 

(や、やっぱりー!)

 

グレイは、お荷物を抱えても落ちない走力、その走力と平行して披露された魔術の練度、突如取り出された武器からもしかして、とは思っていた。少なくとも戦い慣れていないグレイや一般人には、身体強化の魔術を使って全力疾走しながら別の魔術を使うなど、逆立ちしながら足で鉛筆を持って絵を書くようなものである。

 

(じゃ、じゃあ、平気なのかな……?それはそれとして、この人からも逃げたほうがいいのかな……?)

 

グレイの沈黙に何を思ったのか、ネロは再び口を開いた。

 

「私のおばあちゃん、草刈りがものすごくうまかったの。小さいころに真似して、やってやったら、私もうまく刈れた」

「すみません、本当に大丈夫ですか?いや助けてもらったのはありがたいので、このようなことを言うのは大変恐縮なのですが」

 

ネロは扉に向かって構えた。

 

「上はここよりか安全なはず。行って」

「お姉さん!」

 

扉が破られ、腕のような前足が姿を現す。

しかし、その存在をグレイが認識したときには、すでに切り落とされていた。

前足を失ったネフィリムはバランスを崩して、藻掻いている。その切断面からは、新たな腕が生えようとしていた。

 

「そう、やってみれば案外、草も人も変わらない」

 

腕を刈り取った彼女は、相変わらずのんびりとした声色で、藻掻くモノの首を落とした。

 




街並みの画像を検索して出てきた雰囲気のある家を参考に、小さい煙突を壊すか、屋根の瓦的な物を壊すか悩んで時間を無駄に消費しました。屋根を壊されたお宅はきっとこの後雨漏りだと思います。


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8-2

【N.C. 999】

 

「僕たちは勘違いをしていたようですね」

 

ずっとどこかで感じていた違和感が、はっきりと形を成した。何者かがエポック社に侵入して室内を荒し、ものを持ち去っていったのだ。

 

「スケッチブックなんて盗んだ人物は何がしたかった?」

「……もう一度、盗まれたものが他にないか、確認した方がよいかもしれません。よりにもよって、起きた時期が時期です」

 

レドとブレウが話している間、オレはまだ引っ掛かりを感じていた。

 

他に見落としていることがある気がする。

 

……そうだ、花火だ。

 

数が決まっているはず花火が、今まで三発ずつの打ち上げだったのに、さっきは四発だった。

 

なんでだ?

 

一発だけ、花火の爆発音ではないものがあった?

 

いや、あの音は全て同じ種類に聞こえた。もし仮に、何が物を壊す爆発が混じっていたなら、壊れる音が聞こえる可能性だってある。

 

つまり、打ち上げた花火の玉数がおかしいんだ。

 

ただの打ち上げミスかもしれない。

 

……でも、それに何か意味があるなら?

 

花火が打ち上げられていたのは北の外れだ。ここからそう遠くない。走ればすぐの距離にある。

 

ここで、ブレウがオレを地面へ降ろした。

 

「とりあえず、レド。これを支部まで運ぶのを頼んでいいですか?もう、この際です。人の目を気にせず急ぎで」

 

実はまだ、小さいナイフを隠している。一か八か、これで手枷の隙間にでも差し込んで、拘束を破壊できないか。二人には見えないように、こそこそとナイフを取り出す。

 

「うん。……あ、そうか、俺が持つのか」

「すみません。ですが、調べる方は僕が適任かと」

 

ブレウがどこかに向かって歩き始める。

 

手枷のパーツの接合部のどこかに、ナイフをねじ込もうとしたところで、レドがオレを担ごうとしてきたが。

 

「あ」

「……レド、何やってるんですか」

「いや、なんかつい、とっさに手を離しちゃった。なんだろう?視界の隅にキラッとしたものが見えた気がして」

 

担ぐ動作の途中、突然レドは手を離し、オレは地面に勢いよく落下した。しかも、腕は胴体の下敷きになった。落とされた衝撃で手元が狂う。

 

「その、ごめんな?」

 

レドが申し訳なさそうに言ってくるが、そんなことは今問題でない。

 

結論から言おう。

 

ナイフが腕に思いっきり刺さった。痛い。

 

血が出てきたため、ナイフが刺さっているのはすぐばれてしまった。

 

「え、何これ、血?……ナイフ!?なんで刺さってんの!?」

「見事に腕を貫通してますね」

 

クソッ。……めちゃくちゃ恥ずかしい。

 

「放っておいたら、何やるかわかんないな、お前!?」

「実に間抜けな展開ですが……、まだまだ武器を隠し持っているのか」

 

間抜け……。

 

「うっ……」

「おい?痛いのか?大丈夫か?」

「うぁぁぁぁあああっ!ちくしょー!!!」

「いってぇ!??!は!?壊れた!!?あいつホントに人間か!???あっ、ちょっ、逃げた!!!」

 

全身に力を込めると自分の思った以上の力が出た。全ての拘束を力任せに引きちぎってレドを蹴飛ばし、そのままオレは走り去ったのだった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

ネロは落とした頭に向かって、刃を最初の位置に戻した大鎌を振り下ろすと同時に、先端に質量を持った岩石を発生させる。斧のような一撃はネフィリムの頭を容易に叩き割る。先端から岩石がボトリと分離すると、再び大鎌を振り上げ、もう一度質量を伴った打撃が頭を砕いていった。

頭部を失ったネフィリムは少しの間痙攣した後、完全に動きを止めた。

 

「おおぉ……、お姉さんお強い……」

 

グレイは砕かれた頭部から思わず目を背ける。たまたまネロの鎌が視界に入る。目の前の惨状から現実逃避を起こしたのか、場違いにも、

 

(ハルバードでも良いのでは?)

 

と考えたのち、首を振った。

 

「どうしたの?」

「なんでもないです。ただ、なんで武器が鎌なのかなーなんて」

「私の実家が農家だから」

「あんた本当にさっきから何言ってんの?」

「それから精神安定剤的な物」

「誰のっ!?」

「私と装備課。これはすでに二回改良が行われた、大鎌型の試作MARGOT」

 

どこか誇らしげにしたネロは、そのまま破られた扉を見た。

 

「また登ってくる」

 

数秒後、飛び込んできた人間を長い柄で殴りつけ、一撃で昏倒させる。

 

「あの、結構ヤバい音が……」

「私、国家権力だから」

「つまり?」

「不慮の事故も起こりうるけど、仕方がない。必要な犠牲。思い切りが大事。……もし一般人なら、ちゃんと言葉で証明すべき。言わなきゃ伝わらない」

「一応、普通の人っぽく見えたこと、気にしてたんですね」

 

また一人、前にいる者に話しかけるかのように部屋に入ってきた。

 

「おい、早く時計台を制あぶっ!?」

「やっぱり不慮の事故ではない。とにかく思い切りの良い行動が大切。ちゃんと言葉によって証明された」

「そうですね。今『制圧』って物騒な言葉、使ってましたもんね」

「中もろくに確認せずに飛び込んできた素人だから下っ端……。そろそろ、ちゃんとしたのが上がってきそう。上行ってて。私たちがさっきまでいたところ」

 

ネロからの二度目の避難指示にグレイは従うことにする。戦力にならない自覚のあるため、いても足手まといだった。

 

上へ向かい始めるとすぐ、何かを殴り付けたり、誰かが悲鳴をあげたりするのがグレイの耳に微かに届く。

 

(見た目とは裏腹にかなりおっかないな!?お師匠も敵認定した相手には容赦ないけど)

 

死体をバラバラにして下水道に流したり、心臓をえぐって首を落とした死体を量産したり(この件について発破をかけたのはグレイだが)。なかなかにバイオレンスなことをやって、真っ赤に染まるアコラスの姿を思い浮かべる。

 

「そういえば、実際にお師匠が僕の目の前で戦ってるのって数えるほどしかない……?」

 

初めて会ったときと、それから湖の時くらい。あとは別行動や留守番だ。古い知識はすぐ出てくるのだが、新しい記憶を思い出しにくい。そういう風になっている頭の中をほじくり返すと、返り血を浴びた後の彼女の姿はあっても、返り血を浴びている最中の姿はほとんどなかった。

 

そんな彼女は、グレイに何か言いかけては止める、という奇妙な行動を昨日から繰り返している。

 

(……あのお姉さんみたいに、思いきりよく行動するのが大事、なのかな?)

 

花火を見ていた最上階まで戻ると、先ほどと同じように誰もない。外と中を完全に区切ってしまう壁は存在せず、屋根のついた屋上のような場所だ。グレイは上を見上げると、三度目の訪問でようやく大きな鐘の存在に気がついた。時刻を町中に知らせるためにあるはずだが、今回この町に来てから鳴った記憶は一度もなかった。隅の方には梯子が置かれている。壊れて修理中なのかもしれない。

 

下の喧騒がまだ微かに聞こえるくらい、ここは静かだった。

 

(お師匠も十分強いと思ってたけど、あのネロってお姉さんも強いなぁ。前首都で会ったお師匠のお友達二人もそうなのかな。……僕の思ってる以上に、国家魔術師ってすごく強いんじゃ?助けてくれたお姉さんには悪いけど、事態が収まったらこのまま逃げよう)

 

姿を回りから見えないようにし、端に寄ったグレイはカリカリという音を耳にした。

 

「……?」

 

カラスだろうか。

 

不思議に思っていると、その音はだんだん大きくなった。そして、

 

「……っ!」

 

叫び声を出そうとした口を塞ぐ。

すぐ近くに、見覚えのある巨体が最上階に入り込んできたからだ。

 

さっき現れたものと似た、四足のネフィリムが外壁から登ってきたのだ。

 

(向こうから僕は見えてない。大丈夫、大丈夫だ……)

 

息をひそめて化け物(ネフィリム)の様子を伺う。その顔には大きな目がついていた。あちこちを見渡し、その目はぎょろりとグレイの方を向く。

 

グレイはこのとき思い出した。

 

アコラスが首都を出た直後に言っていた、ネフィリムは魔力子の有無で人や(ドーラ)を探知するという仮説を。

 

「あ……」

 

気がつけば、限界以上に開いた口がこっちを向いていた。

 

思わず目を瞑ると同時に大きな音がする。

 

しかし、いつまで経っても痛みは来なかった。

 

恐る恐る目を開けると、あの恐ろしい化け物はいない。ネフィリムは、反対の端まで移動していた。肩部に何か当たって、吹き飛ばされたように見えた。

 

「狙撃……?」

 

ちょうど下で掃除を終えたネロが最上階に踏み込んでくる。

 

「外から登ってくるなんて、大胆」

 

鎌の他に持っていたのは、先端に分銅の繋がった鎖。分銅側をネフィリムに向けて投げると、その体に鎖が巻き付き、動きを封じる。

 

そこでネロは小さな少年の姿がないことに、初めて表情を強ばらせた。

 

「まさか」

 

それが隙だった。

ネフィリムは拘束していた鎖を引きちぎり、ネロを上から殴りつける。

 

「ぐっ……!」

 

その衝撃で元々老朽化していた最上階の床は壊れ、両者は落下していった。

 

「お姉さんっ!」

 

端にいたことで床の崩落から免れることのできたグレイは、下を覗きこむ。

 

下は時計盤の階層だった。四方の壁それぞれに時計がついているが、そのうち一面の時計の歯車に瓦礫が挟まり、針が動かなくなっているのが見える。

 

起き上がったネロは即座に、横殴りをしてくる腕から逃れた。大きな動きの後にできた隙に乗じ、首目掛けて鎌を振る。

 

素人目に見ても、確実に息の根を止める一撃だった。

 

「やった!?」

 

しかし、ネフィリムの頭が落ちることはなかった。

 

「……ちっ」

 

当たった刃は首の表面で弾かれていた。

 

グレイは気がついた。ネロが右肩を庇うようにしているのを。彼女は落下のダメージで負傷しており、その分威力がでなかったのだ。

 

いつの間にか傷の消えた肩を震わせ、ネフィリムはもう一度腕を振る。それに合わせて腕を刈り取ろうとするが、今度は腕で刃をからめとられた。

 

「さっきよりも力が強くなって……っ」

 

大鎌の刃をがっちり掴まれて動かないネロに向けて、もう片方の腕が迫る。

 

「あ!」

「だいじょう、ぶっ」

 

固定された刃に変わって、長い柄が先端を支点に回転する。それと共に使用者(ネロ)も動き、肩に向かって蹴りを放つ。

 

大鎌が自由となった直後、先端部から岩石でネフィリムの腕を固め、動けないようにした。しかし岩石は砕かれ、一時しのぎにしかならない。

 

「ど、どうしよう」

 

(お姉さんが攻撃を食らっちゃったのは、僕のせいだ……。僕が、隠れてたから……)

 

グレイには戦う力はない。治癒系の魔術を使って、ネロを支援することもできない。

 

それでも何かできることはないかとあたりを見渡すと、同じく隅に落ちずに残っていた梯子が目に入った。

 

「……あっ」

 

横倒しに置いてある梯子を、何とか立て掛けて、上にぶら下がる鐘のところに登る。

 

「いくらあんな化け物でも、こんな重い物が当たれば一溜りもないはず!」

 

接合部を壊せば、青銅製の鐘は重力に従って下に落ちるはずだった。だが、接合部のネジは固く、手ではびくともしない。

 

「ああもうっ!こんなときお師匠みたいな馬鹿力があれば!」

 

より高くなった視界からは暗い町が見える。遠いものは小さく見えるのでよく見えないが。グレイはふと、ここで記者は双眼鏡で大神殿の様子を拡大し、覗いていたことを思い出した。

 

「……そうだ」

 

例えば虫眼鏡。

これで太陽の光を集めれば、黒い紙を燃やすことができる。光によって伝わる熱を集めることで、発火現象が起こるのだ。

 

この光によるエネルギーをもっともっと高めることができれば。

 

(金属部分を切断できるかも……!)

 

よく見ると、壊れている部位を示しているのか、黒いインクで丸く囲われたところがあった。

 

「今まで、高出力なんてできたことも、やったこともないけど」

 

いつも以上に、掌に意識を集中させる。

魔術により発生した光は、レンズがあるかのように曲がり、青銅上で焦点を作る。

 

「全然、威力が足りない……っ!」

 

もっと。もっと細く集中させろ。

 

視界の隅がチカチカし始める。自分の限界以上の力を行使しようとすれば、体に負荷がかかる。それに、今まで経験がないことを無理矢理行おうとしているのだ。急な働きに神経が悲鳴をあげ始めた。

 

だがまだ足りない。

 

バラバラな波を揃える感覚を練り上げる。そして、密度を高めていく。

 

「もう少し……」

 

頭が痛い。身体中を巡る血液が沸騰するかのようだった。

そのとき、グレイの手にポタリと赤い滴が落ちてきた。

 

血だ。

 

無理やり魔術を使おうとした反動がまた一つ現れていた。鼻血が出ていたのだ。

前にもこんな風に血がついたことがあった。新しい記憶は思い出しにくい。

 

『……怖いのか』

 

近くにいた大人の血を浴びてしまって縮こまる自分に、ぶっきらぼうにかけられた言葉。

なぜ、彼女はそんなことを言ったのか。

なぜ、自分には手を下すところを見せないのか。

 

それは不器用ながらも、ずっと――。

 

「言ってくれなきゃ、伝わらないんだよ馬鹿ぁ!」

 

目標がちょうど真下に来たタイミングで叫ぶ。

 

「お姉さん!落とします!!」

 

ネロはグレイの位置を把握しながら戦っていた。当然何か鐘に対して行っていることにも感づいていた。

とっさにその場から飛び退くが、ネフィリムはそれには追い付かない。声という音は届いていても、その意味は届いていない。

 

グレイによって落とされた重い鐘は、見事ネフィリムの体の上に落下したのであった。

 

胴体が挟まれて身動きがとれず、もがいている化け物に対してネロは、槍に似た形状へ変化させた大鎌もって近づく。筋力強化を最大にし、岩石で質量を増加させた一撃は、今度こそ頭に突き刺した。

 

「さよなら」

 

そのまま左腕による強力なフルスイングで、時計盤に叩きつける。その衝撃で歯車に挟まっていた瓦礫は取れ、針は再び動き始めたが、ネフィリムが動くことはなかった。

 

グレイは集中が切れ、体から力が抜ける。ふらりと倒れこむが、当然支える地面はない。

 

「あー、しまった……」

 

鐘がぶら下がっていたところから落下していく。だが、下にいたネロによって、その体は受け止められた。

 

「ありがとうございますぅ……」

「こっちこそありがとう。助かった」

 

降ろされ、そのまましゃがみこんだグレイは息を吐く。

 

「しばらく、こんなのはごめんです……」

 

今になって襲ってきた、焦げた手のひらの痛みをジンジンと感じながら。

 




ここの人類は、腕にナイフ貫通したのが「え?タンスの角に小指ぶつけたの?大丈夫?」くらいな認識の蛮族人類です。厳密には異世界人なので人類(正しくは地球人類)ではないです。あと、タンスの角に小指ぶつけるのはシャレにならんです。

イメージ的には、どこかの太陽系外惑星で地球と同じく発生した生命が、地球と同じように進化した結果、地球と同じような生態系になった、的なノリです。収斂進化みたいなものです。どんな確率だよ。
なので、私は毎週日曜朝八時半からプリキュアを見ている四歳女児なので難しいことはよくわからないのですが、仮に地球人類とズバコンしても子孫できないんじゃないかな、とか考えてます。


よくわからないなりに好物の異世界転移・転生ものを読んでいると、地球人と異世界人で交配した結果、子供が遺伝的欠陥を持たずに生まれてきますが、実は地球人と異世界人は共通の祖先を持っていた……?とか、異世界系は『神』などの超常的な存在がいることが多いので、その存在による干渉?とか妄想が渋ります。いや、そこまで考えてないよ、と言われればそれまでなのですが。


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8-3

【N.C. 999】

 

走る。

 

胸騒ぎがするのだ。

 

安全面から、打ち上げ場所の周囲に民家はないだろう。異常があっても、すぐに感知されない。そして、そこは高台になっている。昼間と比べて視界に限界はあるが、きっと町が一望できるだろう。

 

花火の打ち上げ現場で異常があったとして、何が起きた?

 

火薬でも盗みにいった奴がいる?爆発物目的か?……それなら、倉庫を狙うか。花火に使われている火薬は使い勝手が悪い気もするし。盗みをするのであれば、この辺り一帯だと花火の火薬よりも肥料の方がいいと思う。

 

握りしめた手のひらの湿った感触で、思考が遮られる。見ると腕から流れた血だ。汚ねっ。

腕に刺さった小さなナイフを引っこ抜いて持つ。武器はかなり没収された。あと残っているのは服の下にある物くらいだ。それと、ちぎれた枷の輪が手首足首にあるので、使い道がないだろうか。

 

目的地に近づくと、色々な臭いがする。火薬の臭いや何か焦げた臭いもあった。吸った空気は冷たく、気管を鋭敏にさせる。灯りが点っているので、遠くからでも何かいることがわかった。町のはずれの小高い場所は、花火の打ち上げのために除草されたり、平らにならされたりと、地盤が整備されていた。暗がりの中、十人ほどが花火の打ち上げ台の周りで作業している。大きなものが布を掛けられているのが見えた。

オレは気配を消すことなく、焦って走ってきてしまった。向こうはこちらに気がついて、灯りを向けてくる。

 

「どうしたんだい?もう花火は終わって、片付け中だよ」

「何してる」

「何って、言っただろう?花火の片付けだよ。火薬を扱っていたから、お嬢ちゃん、あんまり近づかれるのは危ないな」

「なあ、臭いがするんだ」

「ああ、火薬のかい?」

「隠しきれてねぇぞ、血の臭い」

 

投げたナイフは眼球にしっかり刺さった。動揺したところを、一際大きい灯りに向かって蹴飛ばす。辺りは暗くなり、視界の状況は格段に悪くなる。

 

「あ、ひ……っ!!!?」

「それと独特な雰囲気も」

 

魔術師相手なら、身体強化系の魔術で防御力を挙げられていることが多い。しかし、目は皆、視力を上げることは良くあるが、目の防御力を上げることまで意識を向けるものは少ない。よって、経験則だが、目潰しは対魔術師戦においても効果的だった。

こいつが魔術師かはわからないが、たぶんアプシントスの人間だ。うまく隠せる者もいるが、イカれてる奴はそれ相応の『臭い』を纏っているものである。カタギではないってやつだ。

 

「一体何が起きた!?」

「くそっ、暗くてよく見えない!」

 

まず倒れた一人に馬乗りになり、めった刺しにして、頭部を破壊する。それで小さなナイフは切れ味を失ってしまった。オレは人と比べて夜目がかなり効く方らしく、暗闇の襲撃に混乱する相手も見て確認できた。どいつもこいつも武装してやがる。

混乱状態で銃を無駄撃ちする者がいた。運悪く一発当たりそうだったので、手首の枷で防ぐと、あらぬ方向へ跳弾する。まともに受けると手首が痛くなるな、これ。

 

「くそ!くそ!……弾がでない!?」

 

そうしているうちに、弾切れみたいだ。下から蹴り上げると、顎の骨を砕いた感触がする。ついでに舌を噛みちぎってしまったようだ。魔術師じゃなさそうなので、こいつはもういいや。

 

「げっ」

 

こめかみを回し蹴りしたところで、一人、今まさに自分自身の胸に向け、短剣を突き立てようとしていた。介入する間もなく、短剣は心臓部を貫き、そして引き抜かれる。地面は硬い床のような材質ではない。しかし、短剣の落ちた音が響いた気がした。暗闇を微かに照らす灯りの中、人影は異形へと変化していく。

 

見慣れたくないが、見慣れた化け物、ネフィリムの登場である。

 

予想はついていた。変化するための直接の引き金は、薬物などの処置を受けた者が致命傷を負うことのようだな。

実は、人間が化け物(ネフィリム)になるのを直接目にするのは、これが初めてである。

こちらに向かって迫ってきたと思ったが、オレを通り越し、その後ろへ行った。

 

「例の生物兵器……!」

 

レドが追い付いたのだ。そちらへネフィリムが飛びかかっていった。相変わらずオレは無視か。よし。よしじゃないが。

仲間の一人がネフィリムになったことに、余裕が出たのか、

 

「今のうちに急いで作業を」

 

などと聞こえてきた。

何企んでるかは知らねぇけど、させるかクソ野郎。

後ろに回り込んで、首をへし折る。思ったよりも力が出て、勢いよくやってしまった。ネフィリム化されると困るので、頭の処理も忘れない。

誰かが別の灯りをつけた。

 

「ここにもいたぞ!」

 

状況は一対三で、向こうは布を被せた大きな何かを守ろうとしている。つまり、あれを壊してしまえば邪魔できる。他、二人はレドの方へ、一人は遠ざかっていく。逃げられたか。

 

レドはネフィリムの攻撃をさばきつつ、運動に必要な部位を狙っていた。しかし、炎で焦がし、削ぎ落としても、一時的に動かなくなるだけで回復する。

暗闇を明るく照らす炎。それはレドの居場所を敵にバラしてしまっていた。

いや、ちがう。あれは誘導だ。

わざと居場所をバラし、攻撃させることで、逆に相手の位置を特定していた。なんなく交わして、二人とも即座に意識を奪う。なんであんなに器用なんだ?

 

さあオレも一人仕留めるぞ、と動いたとき視線を感じた。そちらに意識を向けると、レドと目があった気がする。

 

あ、やな感じ。

 

ネフィリムを炎の斬撃でこっちに吹っ飛ばしてきた。俺はギリギリ避けたものの、他はネフィリムの下敷きになった。あの野郎。

その衝撃で、布が吹き飛ぶ。下に隠されていたものが露になる。

 

「これは……」

 

吹き飛ばされてきたネフィリムは肉体を適度に損傷していたが、それでもまだ動きがある。追撃に来たレドが吐き捨てる。

 

「やっぱり、ダメか……!」

 

不可解だ。

妙にレドの攻撃が回りくどい。仮に人間が食らったとしても死なないように、位置や威力をコントロールしているのだ。

あと、客観的に見て気づいたのだが、最初よりもネフィリムの動きが早くなっている。

……オレが壊す方が早そう。

無闇に振り下ろされた腕を踏み台にして、肩に取りつく。それを見たレドはギョッとしていた。頭をつかんで損傷させるつもりが、ちょっと引き抜いてしまった。

ああ、嫌だな。こんなことしているなんて、見られたくないな。

勢いがつきすぎたので、頭を持ったまま、ズルっと抜いて倒れる胴体から飛び降りる。引き抜いた頭からは、ぷらーんと細いものがぶら下がっていた。花火を打ち上げるために整備された地面に放り捨て、踏み潰す。

レドが安堵の表情になっていた気がした。

「お前……」

「はいこれで終わり」

 

一人逃がしてしまったが、大砲を壊してしまえば、奴らの目論みを邪魔できる。暗闇の中に隠されていた武器を、剣を松明代わりにして、ようやく視認したレドが言った。

 

「大砲っ!?そうか、ここは町を見渡せる高台だから……っ!」

「しかも花火に備えて、地盤の整備もしてある。……ふん、確かに町の外から攻撃できるなら、それに越したことはねーな」

 

移動式の大砲が何門かと、その砲弾だった。砲弾の形はあまり見慣れない物だ。細長くて、しかも断面が六角形だった。奇妙な臭いもする。

しかし、大砲くらいなら、地方支部の魔術師でも十分に迎撃できるはずだ。基本的には大砲は、対象を質量や速度によって破壊するものだ。たまに火薬が詰められて爆弾のように炸裂するものもあるが、炸裂までの時間調整がうまくいかないから、あまり使われない、とか習った。……ヒューの技術があれば、その辺りが解決してしまう気もするが。

まあ現段階では、銃や大砲を使うよりは、魔術師が近づいて攻撃する方が確実。だから銃の改良は進まず、オレの狙撃は当たらないわけで。

 

「とにかく、壊しちまったほうがいい。土詰めとくか」

 

大砲を壊しておけば、砲弾だけ残っていたとしても、すぐには役に立たないだろう。

砲身に土を詰めていると、レドが呟いた。

 

「お前、……本当に何がしたいんだ?なんで、ここでの異常がわかったんだ?」

「違和感と臭い」

「鼻が犬のか何かなの?」

 

あ、そうだ。

 

「おい、どこに行く!?」

 

血の臭いをたどると、少し離れた茂みに人が折り重なっていた。

 

「殺されたばっかりの死体だ」

「この人たちは……」

「ここで花火の打ち上げをしていた人だろ」

 

一人一人確認したが、全員死亡済みだった。鎮魂の花火を打ち上げる側から打ち上げられる側になったとは、皮肉なものである。

今の時間帯なら、まだ町で人が集まって騒いでいる。そこを狙いたかったが、花火の打ち上げ作業をしている人たちは邪魔だったから殺された。……それなら、彼らがいなくなり、かつ、まだ人が町にたくさんいるような、もう少し後の時間に行動すればよかったのでは?

どうして、この人たちは死ぬ必要があったんだろう。

腕をつかまれて、現実に引き戻される。

 

「考え中悪いけど、さっきも言った通り、お前に聞きたいことは山ほどあるんだ。それに腕の刺し傷も……、え、治ってる?」

 

失敗した。魔術師相手にここまで無防備になっていたなんて。こいつも邪魔だから殺してしまおうか。

でもそうしたら何のために。

違う経験を歩んだ人間。それはもう■■だ。

だが、なぜかレドは腕を離した。そして、顔を指差される。

 

「酷い顔」

「……誰が」

「お前」

 

手で顔を拭ってみると、べっとりと液体がついていた。もともと汚れていた手がもっと汚れた。それをぼんやりと眺めていると、レドが喋った。

 

「俺には、お前の考えていることはわからない。だって、人の心を読む能力なんて持ち合わせていないし。軍の学校時代、雑談するくらいの仲良くはなったけど、それでもお前のこと、よくは知らないからさ」

「別に仲良くなった覚えないが」

「確かにそうかもな」

 

苦笑いされる。

 

「他人の考えてることがわからないのは、当たり前だろ」

「だから、話してもらわないとわからないんだ」

 

話す?

 

「その話すことだって、失敗したら、全てを台無しになるかもしれないのに?……皆が皆、お前みたいにできると思うな」

 

オレは口走ってしまった。自分には、強靭な肉体といびつな記憶しかない。この身一つでできることには限りがある。便利な魔術だって使えない。力の加減だって、コントロールできない時もある。

どう反論されるのかと身構えていると、

 

「俺だって」

 

絞り出すような声だった。

 

「俺だって、失敗するのは怖い。自分の行動の結果、失敗して、自分で決めることが信じられなくなる……。お前が殺してくれて、心のどこかで安心しちゃったんだ。自分が殺さなくて、決めなくてすむって。俺は、怖いんだ」

 

恐怖。記憶の中の人々は誰もが、自分の低い目線からは、それと無縁に見えていた。

 

「俺は皆みたいには割り切れない。怖いんだ。例え化け物みたいな見た目でも、誰かの生き死にを決めるのが。それだけじゃない。……前、国家魔術師になりたいと思ったきっかけの話、覚えてる?」

「ネイブさんに助けられたから、目指したって話か?」

「ああ。……でも実際はそうじゃないんだ。なりたいと思ったことがあるのは本当だ。でもその後、何が正しくて何が悪いのか、もう何もかもわからなくなって、自分にできることは何もないと、ただ無気力になって、状況に流れて……。半ば強制的にあの学校に入らされて、国家魔術師になったんだ」

 

そんなこと。

 

「そんなこと、ずっと知らなかった。そんなこと、考えたのも。もっと前向きに生きてると思ってた」

「ほら言っただろう?話してもらわないとわからないって」

 

得意げに返される。その姿はちょっとだけムカついて、レドらしかった。

 

「ずっと周りに流されて、自分の意思で選択することから逃げてた。自分以外の価値基準に判断を委ねてた。……けど、こんなのは、もうやめようかな。今、お前に話したら、少しだけ整理がついた気がする」

「自分だけ話して気持ちスッキリかよ」

「それはごめん」

 

ここで、オレはふと疑問を抱いた。そして、ただ何となく聞いた。

 

「レド、なんで昔、オレに話しかけ続けたんだ?」

「え?ああ、それは……。なんでだろうな?うーん、そうだなあ。そうだった。お前と話してると、時々懐かしく感じることがあったんだ。なんでなのかは、わからなかったけど」

「それって」

 

聞き返し終わる前。

 

その場を大きなプレッシャーが支配した。世界から色彩と音が消え、その全てがゆっくりとした動きになる。なんだこれは。わからない。でも、ただ一つだけ理解した。

 

避けなければ死ぬ。

 

レドを突き飛ばし、自分もまた、その場から退く。世界が元に戻る。転がった痛みさえ忘れて、元いた場所を見ると、

 

「ふむ、これを避けたか。良い動きだ」

 

一人の男が立っていた。

 




何度書き直しても、主人公が頭と首しか狙ってくれなくて困りました。


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8-4

【N.C. 999】

 

時計台にて。

 

「お姉さん、肩大丈夫ですか?」

「直ちに問題はない」

「でも治癒系の魔術は使えないと……」

 

グレイはネロの負傷を気にしていた。しかし、彼女は抜け落ちた天井を見やる。

 

「それよりも、この場所を手中に収めようとした理由とその対策が先」

「考えられる理由はいくつかありますが……」

 

うーんと唸った後、

 

「対策ならいっそ……」

「対策なら?」

 

グレイはためらいがちに、ごにょごにょと聞こえるか聞こえないかくらいで、続きを言った。

 

「その案はあり」

「え、正気ですか?ここ市街地ですよ?」

「可能性があるなら、可能な限り対処すべき。大丈夫。言いくるめのうまい人間がなんとかしてくれる」

「えええ……」

 

 

 

§ § §

 

 

 

直感的に避けた、その場所にいたのは長身の男だった。武器は持っておらず、顔を隠している。わかっていることは、こちらに敵意を持っていることのみだ。

 

「お前、何者だ」

 

さっき始末した者の仲間か。それともまた別か。

 

「それを知る必要はない。……残念だが、貴様らは死ぬ」

 

一呼吸の間もなく。

 

「っぐぅ!!!」

 

近くで、オレと同様に相手の様子をうかがっていたレドが、吹き飛ばされた。

あれは、……殴られたのか?

 

「レド!」

「心配している暇はないぞ」

「あ」

 

避けられず、防御もできなかった。今度は食らったことで知覚する。殴られたのだ。

 

「そんな……!」

 

並みの反応速度ではないはずのオレも、対応できなかった。後頭部に地面が当たる。

そこに二擊目が来た。拳が顔の横を通る。考える間もなく、ただ、反射的に首を動かした。カウンターとして、胴体を狙った前蹴りは空振りする。

 

オレが転がるように体勢を立て直したところを見計らい、炎の斬擊が何発も飛んでくる。だが、

 

「実に腑抜けた魔術だ」

 

拳を振るって相殺された。

以前オレは食らったとき、不意打ちとはいえ、壁を突き破って外に吹き飛ばされたぞ!?

そもそも、背後から来た炎自体を拳で打ち消すとかおかしいだろ!

 

「非常に多くの魔力子を保有しているようだが、ほとんど活用していないな。随分となめられたものだ」

「グダグダ喋りやがって!!!随分となめてんのはそっちの方だろうがっ!」

 

何発も拳を振るう。

 

「もう片方は、奇妙だな。ここまで魔力子を持たない人間を見たのは、初めてだ。しかしこれは……」

 

オレの一撃一撃はあしらわれていく。

それにしても戦っている最中なのに、意味もなく余計な口をきく。さてはこいつ……、頭が悪いな?

 

「流派や型もなく、ただその恵まれた身体能力によって、力ずくで解決してきたか」

 

鋭い蹴りすら、最初から当たらなかったと思わせる軌跡を描いた。しかし、見てから対応されている。

 

「先程の怪我もすぐ治ったようだ」

「あいにく、オレはそれだけが取り柄なんだよクソが!」

「にわかに信じがたいが、どうやらこれらは、全て魔術なしで成し遂げられているらしい。ふむ、魔術師相手より見えにくい。厄介だな」

 

防戦していた男がふいに手を伸ばし、オレは顔面を地に叩きつけられた。

 

視界が暗くなる。

 

「ごめん!」

 

声が聞こえた後ぐるぐる回った。軽く蹴飛ばされたのだ。転がる間も打ち合う音が聞こえる。止まったところでガバッと顔をあげると、男とレドが向き合っている。

 

「知っている動きの癖だ。山岳地帯の出だろう」

「よくそんなこと、わかったなっ!」

 

点ではなく、面の熱攻撃には、あらかじめ来ることがわかっていたかのように、再び避ける。

 

「読まれてる……!」

 

レドが剣を男に掴まれていた。斬りかかったのを止められたのだ。掴んでいた男の腕が炎上する。

 

「この精度は器用というより、もはや病的というほうが正しいな」

「これで怯まないあんたもおかしいよっ!」

 

レドは受け止められた剣を片手で持ち、空いたもう片方の拳で対処しようとする。

「貴様の魔術なら、人を消し炭にするなど簡単なことだろうに」

男は、小さな声で何かを言った。

 

「いってぇっ!?」

 

不幸にもオレはレドに激突され、悲鳴を上げてしまった。

 

「動揺しても、咄嗟の防御はできる。いい反射神経だが惜しい」

 

どうする。

逃げるか、戦って倒すか。

片腕が焦げているものの、まだ動けそうな相手を見据える。

少し戦ってわかった。現状、オレには打開策がない。逃げても追いつかれる。戦っても返り討ちに遭う。それ以外の未来が見えない。

あと、上のレドが重い。早くどけ。

 

とにかく、冷静に状況を見極めなくては。

この男が使っているのは、純粋に身体強化の魔術か?

一括りに身体強化の魔術といっても、様々。攻撃や防御、スピード、反射神経……。ほとんどは肉体を一時的に変質させることで向上させている。

目の前の男は、文字通り身体能力が通常と比べて強化されている。恐らく、ありとあらゆる身体能力が。しかも動きに無駄がない。強力な肉体を、最も効率よく動かしている。

あと、なぜかオレに魔力子がなく、魔術を使っていないことを見抜いた。加えて、オレの攻撃は魔術師よりも見えにくいだの、厄介だの言っていた。

 

……こちらの方がにわかには信じがたいが、相手には魔力子が見えている、ということだろうか。こんな芸当のできる人間がいるとは、聞いたことがないし、信じられない。

 

魔力子が見えるということは、レドによる魔術の範囲攻撃は、当たる前から読まれている。

オレの攻撃の速度では、動きを読まれていなくても、反応されて避けられてしまう。

……事前に読まれることなく、反応されなくても避けられないような、魔術を直接使ったわけではない、強力な範囲攻撃。今そんなことできるか?

 

いや、利用できる物は全て利用するんだ。

手持ちの武器が全然ない。ここにあらかじめ仕掛けも施していない。街中であればまだ建物を利用できたかもしれないが、ここにあるのは……。

 

独特の、油の臭いがオレの鼻をついた。

たまたま、転がった場所の近くには、残された奇妙な砲弾があったのだ。手に取って、もう一度様子を確認する。

 

相手は余裕そうに、こちらの出方を見ていた。つまり油断している。時間はある。

 

「ふんっ」

「あいたっ」

 

鼻血を拭って、今考えたことをレドに話す。

 

「んな無茶苦茶な!失敗したら……!」

「失敗したら、少し怪我するだけだって!このくらい器用なこと、お前ならできるだろ!」

「ちょっ……!」

 

オレは砲弾を何発も投げた。そのわかりやすい投擲は容易に避けられたが、地面に当たると中からは、ドロドロした液体が流れ出てきた。それを見た男が言った。

 

「これは……油か?」

 

この砲弾が何かを知らない?いや、それを考えるのは今じゃない。オレはその場から飛び出して、殴りかかった。

 

「火でもつけるつもりか」

「どうだろうなぁっ!!!」

 

威勢のいい返事をしてみたが、単なる炎じゃ無駄だろう。レドが剣先を流れた油についている。

 

「小細工をしているようだが」

「いちいちペラペラ良く喋る!うるせーんだよ!!!」

 

拳を腕で受け止める。体の芯から鈍い音がした。痛みのせいか、他の感覚も鋭敏化して、独特の臭いが立ちのぼるのがわかる。だがかまわず、相手の腕をつかむ。

 

「むっ……」

「力じゃこっちに分があるみてーだ……!」

 

ミシミシと相手の腕から音がする。捨て身でようやく一矢報いた。

 

「おい、おっさん。アバドーンの、オーキッド派の人間か」

 

返事は蹴りだった。もろに食らってしまったので、また地面を転がって土が口に入る。ただ、時間稼ぎにはなった。

 

「今だ!!!」

「あああ!どうなっても知らないから!」

 

レドの叫びと共に、冬の空気と混ざった揮発性の高い油に火が飛び込んできた。

直後、男のいた場所が大きな炎を上げて大爆発した。

 

 

 

「よし」

「よし、じゃないでしょうが……」

 

想像以上の爆発だったのか、レドは青ざめていた。まあ、威力の話は伝えてなかったので、このあたりはオレに騙されたようなもんだな。なんか基本的に燃やすの嫌がってたし。

 

砲弾の中に入っていたのは単なる油ではなかった。

 

石油、と呼ばれるものがある。なんと地面から出てくる油なのだ。ほとんどはランプの燃料として利用されているが、余分な分は捨てられる。しかし、これがよく燃えるので取り扱いには気を付けなくてはならない。それが砲弾の中に入っていた。砲弾自体に爆発したり、火のつく機構はなかったが、さっき交戦した誰かの中に多少魔術を使える者がいて、それで補おうとしたか。この町の北側は石造りの家が多いが、南側は古い町並みで、木造の建物が多い。それを狙っていた可能性がある。ともかく、この油のことを知っていてよかった。

 

「あの男の近くの油を温めて気化させた後、その見えない気体を散らばらないようにしろ、とか無茶にもほどがあるし、ここまで燃えるなんて……」

 

気体となった油は空気よりも重い、らしいので、下に沈むことはわかっていた。あと何回か爆発したところを見たことがあった。それで、なるべく男のところにとどまるようにうまいこと気化させて、合図に合わせて着火して距離を取れ、とレドに話したのだ。

察知されて直接魔術で燃やせないなら、普通に広範囲を爆発させればいいじゃん、ということである。

正直なところ、たぶん自分たちをまきこんで爆発かなと思っていたのだが、うまくいってよかった。もし巻き込まれたとしても、同程度の負傷ならオレの方が動けるので、それはそれで何とかなるだろうと思っていたが。

 

爆発による炎が弱まる。人影を確認しようとすると、

 

「待て。……人の、焼ける臭いがしない」

「は?」

 

煙が、晴れる。

 

「今のは中々危なかった」

「化物かよ……」

 

思わずうめき声に近い、低い声が出た。

 

ところどころ火傷はあるようだが、未だに男は健在だった。大きな熱量を伴う爆発でも、ピンピンしているとか、防御力がおかしい。

 

その時、町のほうで大きな音がした。全員の注意がひきつけられる。

 

「時計台が崩れた!?」

 

壊れていく時計台。いったい何が起きて……。

 

「なぜ……」

 

目の前の男も状況を把握できていないようだった。こちらを一瞥したのちに、暗闇に消えていた。

 

ずっと張りつめていた空気が緩む。

 

あの男が何の目的で来たのか、今どこに向かったのかわからずじまいで。

それでも少し立ち上がれない。体のあちこちが痛い。いつもこんなのだな。

……悔しいが、相手の撤退で助かった。

 

いや、ここで寝ころんでいる場合ではない。考えることをやめてはいけない。いつの間にか荒くなっていた呼吸を整えて立ち上がる。

 

「今の時計台、内側に崩れるように壊れていった」

「この距離と暗さで良くわかったな!?爆破されたようにしか見えなかったけど」

「爆破かどうかはわからないが……、まるで周りに破片を飛び散らせないよう意図的に、安全に解体した……?」

 

誰が。何のために。考え込んでいると、

 

「……なんで、そんなに爆破に詳しいんだ?」

 

だから、爆破かわからねえって。

でも。

なんで。なんでか。最初に習ったとき言われたのは。

 

「……生き残るため?」

 

レドは微妙な顔をした。なんでだ。

 

もう一回、時計台があった方を向く。ここからは南の地区が良く見える。

……あ。

 

横目でレドの様子を窺う。状況的にさっきまで共闘し、今も妙な空気が流れているが。今この距離なら、不意打ちで頭を殴ることができる。

なぜかレドがくるりと別の方向を向く。後頭部が見えた。

どうしよう。やってしまおうか。

 

「あー、しまったなー。この弾よくわからないから、処理しておかないとな―」

 

思いっきり棒読み発言だった。

 

「へ……?」

「それに今の男、探さないとな―」

 

やっぱりドン引きするほど棒読み発言だった。

 

「こっちで手一杯だなー、誰かの追跡なんて無理だなー」

 

……これは行っていいのか。いいんだろう。

何も言わずにオレは走って再び南側へ、大神殿へ急ぐ。

 

 

 

§ § §

 

 

 

町は時計台の最上階の床が崩れ落ちた音に騒然とした。それだけではない。南側の古い町並みではボヤ騒ぎがあった。その裏路地を駆け抜ける二人組。一人は弓や矢を背負い、銃も持つという不思議な装備で、もう一人は盾を持っていた。

 

「おっかしいな。僕の仕事は治療が主なはずなのに、どうして狙撃しているんだろう」

「……」

「あ、リーン。何かあったら、ちゃんと守ってね。マスケットと比べると再装填には時間かかるし、今みたいにこうして移動が必要だし、何より僕は撃たれ弱いから」

「……」

 

返事はない。

 

「リーン?」

「……けっ」

「リーンさん!?」

 

盾を持った方の少女、リーンが地面につばを吐き捨てる。

 

「ぺっ」

「僕と組まされたのが、そんなに不満だった!?」

「本当なら今頃、可愛い少年とキャッキャウフフな素敵な時間を過ごせていたのに……」

「それは嘘でしょ。新年の予定を捏造するのはやめよう?」

 

禁断症状だ、と内心警報が鳴り響くヴァイスに、リーンは首を振る。

 

「ううん。可能性はゼロじゃないの。万が一そういうこともあるかもしれない。もしかしたら、天から小さい少年が降ってくるとか……」

「もうそれは事件か事故だから。キャッキャウフフする暇はないかと」

 

少女の目は限りなくよどんでいた。

 

「私は、空から降ってきた、小さな男の子の下敷きになって、死にたい……」

「駄目だこれ。そもそもリーンの防御力だと、人が一人降ってきたくらいじゃ死なないよね」

「そして、来世は善玉菌に転生して人々、主に少年の健康を腸から見守り、その徳で来来世は私自身が永遠に小さな少年になりたい……」

「アウトだこれ。そもそも頭が狂ってしまっていて、とても気持ち悪いという感想しか出てこないよ。小さい子見ても、襲い掛からないでね?」

 

リーンはフフフと笑う。

 

「もう、ヴァイス君ったら失礼なんだから。そんなことするわけないでしょ?私は待てができる女だから」

「待つどころかフライングしてない?スタートラインぶっちぎってない?」

「ふっ、私には遠い向こうにスタートラインが見えるの。私の人生というロードはまだまだこれからだもん」

「そのスタートライン見直した方がいいと思うよ。……ん?」

 

ヴァイスは気がついた。上から何かが来る。後ものすごい轟音が聞こえた。

 

「ほらきたああああああああ!空から少年が降ってきたあああああぁぁぁ」

「壊れてしまったか」

 

目の前にネロが着地した。なぜか、小脇に十歳くらいの少年を抱えている。

 

「マジで壊す人がどこの世界にいますか!?」

「ここにいる」

「でしょうね!!!」

 

ネロはグレイにぎゃんぎゃんと怒られても、どこ吹く風と言った様子だ。

グレイは少し前のやり取りを思い出した。

 

『対策ならいっそ……、時計台、登れないくらい壊してしまえばいいんじゃないですか?』

『その案はあり』

『え、今すぐやるんですか!?正気ですか!?』

『えい』

 

(まさか、適当に言ったわけではないとはいえ、本当にやるとは思わなかった。すぐに壊すとは思わなかった……!)

 

いくら最上階部がすでに破壊されていたとはいえ、周りに注意勧告しないまま、柱を壊し始めるとは思わなかった。構造的にどこを壊すのが一番マシか、慌てて言う羽目になったのである。この間爆破関連のあれこれを聞いておいてよかった、と胸をなでおろす。

 

倒壊する建物から脱出して、ようやく地面のありがたさを実感したグレイは辺りを見渡す。その視界にリーンが入った瞬間、彼女はごくごく普通の笑顔を浮かべた。

 

「こんにちは。……あれ、どこかで会ったことないかな?」

 

突然挨拶をしてきた優しげな少女に、グレイは困惑した。

 

「え?あの……ごめんなさい、どちら様――」

「初めまして!」

「リーン、君切り替え早いね」

 

白も黒に完全に塗りつぶされる勢いだった。

 




私疲れてるんですかね。


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日記

【○月×日】

私の住んでいる村に一人の男の人がやってきた。何をしに来たのかは知らないけど、村のお姉さんたちはキャーキャー言っていた。

 

【○月×日】

男の人は■■■というらしい。この村に移住希望らしい。でも、農村にあんなにかっこいい人がいるのも似合わない気がする。

 

【○月×日】

■■■はすごく頭がよかった。私は普段からボーッとしがちで、居眠りなんかもしちゃうから、あまり勉強ができなかった。でも■■■は、そのつまずいていた勉強をわかりやすく教えてくれた。お陰でとてもよく理解できた。

 

【○月×日】

今日は■■■とたくさん話した。「君は優しい子だね」と言われて少し気恥ずかしい。

 

【○月×日】

■■■は村の先生をすることになった。嬉しい。勉強が楽しくなった。他の子達も同じ気持ちみたいだ。

 

【○月×日】

今日はお父さんとお母さんの命日。おばあちゃんと一緒にお墓参りをした。

 

【○月×日】

私にはお父さんもお母さんもいない。小さい頃死んじゃったからだ。それで身寄りのなくなった私をおばあちゃんは引き取ってくれた。おばあちゃんも子供や孫を亡くしてしまった人だ。私たちは無い者同士でくっついた仲。だから血の繋がりはないけれど、私にとっては大好きなおばあちゃんだ。

さっき家事や畑仕事を手伝おうとしたら、好きなこと勉強しなさいと言われた。頑張ろう。

 

【○月×日】

■■■に、私は魔術の才能があるって言われた。そんなこと考えたこともなかったけど、本当かな?

 

【○月×日】

■■■に魔術を教えてもらったら、メキメキと上達!すごい!

他の子供たちにも教えてたけど、■■■いわく、私が一番すごいらしい。

 

【○月×日】

私は、土みたいなものを作る魔術が得意らしい。やってみたら、魔術で作った土をおばあちゃんに褒めてもらった。すごくいい土だって。うれしい。

 

【○月×日】

コニーさんが■■■と何か話していた。そろそろ夏至祭だし、そのことかな。

 

【○月×日】

今日は書くことがないから、この日記のことを書く。村に来た行商の人が、素敵な表紙の日記を売っていた。あんまりにも素敵だから眺めていたら、おばあちゃんが買ってくれた。嬉しい。だから毎日書いている。

 

【○月×日】

夏至祭の話を書く。夏至祭は日の光に感謝するためのお祭りだ。農作物を育てるには日の光が大切だから、一生懸命お祈りする。それに晴れた日に木陰でお昼寝するのも好きだから、という理由もある。

 

【○月×日】

最近思う。■■■のことだ。お父さんとかお兄ちゃんがいたら、きっとこんな感じなのかなって。たくさん勉強を教えてくれて、皆に慕われる素敵なお兄ちゃん。ここのところ、相談を持ち掛けている人もいるみたい。

 

【○月×日】

仲良しで評判のコニーさんとシャンさんが、喧嘩しているところを見てしまった。びっくりした。……どんなに仲良くても喧嘩くらいはするよね?

 

【○月×日】

シャンさんにばったりで食わした。昨日のことを思い出してなんだか気まずかった。遠回しにコニーさんの話を振ったら、表情を歪めていた。あんな顔するなんて思わなかった。なんだか怖かった。

 

【○月×日】

シャンさん、コニーさんと仲直りできないかな?と思って、おばあちゃんに相談したら、「部外者が考えなしに、人様の問題に顔を突っ込んではいけません」と言われた。けれど、「そうやって人を思いやれるあなたは、私の誇りです。その優しい心を忘れないでね」とも言ってくれた。

 

【○月×日】

村の大人たちも「流石■■■」と口を揃えて言っている。村の子供たちも皆慕ってる。

 

【○月×日】

最近■■■は大人たちと良くしゃべっている。前よりも私と話す時間は短くなった。ちょっと寂しいな。

 

【○月×日】

今日は雨。日の光も大事だけど、雨も肥料も農作物には大事だ。肥料と言えば、最近になって新しい種類がでてきた。肥料だけじゃなく、育て方や農工具もだ。もっとよく勉強して、いい畑を作りたい。

それはさておき、寂しい時、悲しい時、辛い時、おばあちゃんに怒られた時。そんな時はいつも納屋に行く。あそこは一人に慣れる場所だ。暗いけど、気分が落ち着いて冷静に考えられる。

 

【○月×日】

そう言えば、コニーさんとシャンさんは喧嘩する前に二人それぞれ、■■■と話していたのを見た気がする。今度何の話をしたのか聞いてみよっと。

 

 

 

§ § §

 

 

 

とある農村。そこには簡素だが、学校が存在した。時代の流れと共に、町に普及した教育機関は、いつしか村にも建てられるようになったのである。

その学校で、一人の青年が少女に尋ねた。

 

「……よし、この国の成り立ちは理解できたかな?」

「うん。歴史上だと、この土地に人間が再進出したのは割りと最近ってことでしょ」

「その通り。一度は隕石によって死の大地となったこの場所に、様々な事情を持った人がやってきて、再び国ができたわけだ」

 

働き手として数えられる子供たちが多いことを考慮して、授業は午前午後のそれぞれ行われる。この日の午前、生徒はたまたま少女一人だった。

 

「ちなみにこんな話は知っているかい?南西から西にかけての山脈、そこには『赤蛇の民』という山岳民族が存在していてね。魔術に対して排他的な傾向があり、周囲の他の民族とは違って、特徴的な赤髪をしているという。それを見て何も思わない者がいるとすれば、高名な知識人か、よほどの世間知らずかのどちらかだろうね。話を戻すと、そんな『赤蛇の民』は、隕石衝突前からそこに住み続けている、という説があるんだ。……おっと、また話が長くなってしまったね。今日はここまでに……、おや?なんだい?」

 

少女は前から聞こうと思っていたことを、青年に投げ掛けた。きっと彼なら、わかりやすく教えてくれると思ったから。

 

「何もない、土すらないような、岩石だけの土地が森林になるまでにどのくらいの年月がかかるか、だって?」

 

青年は聞き返した。それに少女はコクリとうなずく。

 

「うん。畑の雑草、すぐ生えてくるから、ふと疑問に思った」

「君はどう思う?」

「何もなくても、土地によるけど50年経ってれば森になってそう」

 

彼女は畑を思い出す。大鎌を使いこなす祖母の姿。驚くべき速さで草を刈っていく。それでも、草はまたいつしか生えてくる。すごい生命力だ。もしも、誰もあそこを手入れしなくなったら、どうなるのだろう。100年、200年も経ったらどうなるのだろう。少なくとも、少女はそのころには生きてはいない。

 

「ああ。そのくらい経てば十分だろう。裸地に土壌が形成され、コケが覆う。やがて土壌が成熟して、草原となる。そして強い光を好み、成長の早い樹木が進出して森ができる。もちろん、君の言った通り、土地によるし、他にも色々な要因が関係してくるから、草原のままであったり、湿原や、時には砂漠になることもあるけどね」

「じゃあ、畑も放置したら、それよりももっと早く森になりそう。あ、待って。木でも、強い光を好むのと、そうじゃなくていいのがあるの?」

 

少女の問いに青年は微笑んだ。

 

「いいところに気がついたね。前者を陽樹、後者を陰樹というんだ。陰樹は光が少なくとも生育できる。さて、陽樹が育つと、枝や葉が茂ってくる。すると地面はどうなる?」

「……木陰ができる」

「そうだ。すると日の光は?」

「地面に当たりにくくなる。……あれ?」

「どうして引っ掛かりを覚えたのか、言ってごらん」

 

優しい声色で語りかけられた少女は、自分の中の不確定なイメージを、言葉にすることで明瞭化していく。

 

「せっかく陽樹は森を作ったのに、自分で暗くしたせいで地面は暗くなって……。そうすると育ちにくくなっちゃうよね?だって陽樹は強い光を好む木だから」

「そんな環境でも育つ種類の木がある。それが……」

「陰樹だ!」

「正解」

 

少女はクスクスと笑った。嬉しくなって大声を出した自分が、なんだかおかしかったのだ。同じように青年も笑っていた。幸せな時間だった。青年から教わることで世界が広がっていく、この時間が好きだった。

 

「陽樹の森に陰樹が混じり、やがて長い時間をかけて陽樹は減少し、陰樹だけの森になっていく」

「へえ。自分で作った環境に適応できずに、場所を奪われちゃうんだね。なんだか不思議だな。……そうだ!山火事とか伐採で陰樹がなくなったら、また地面に光が当たるから、陽樹が育つよ!そうすると、そうすると……実際はもっともっと複雑」

 

きっとこれが自然なんだろう。奪い奪われ、偶然や奇跡、時には必然によって、その存続が左右される。複雑なシステムをモデル化して得られた解は、人間がわかりやすくするために簡単化したことによるもの、あくまでも近似解だ。

 

「家の畑がどうなるか、未来は誰にもわからないんだ。なるほど」

 

自己解決してしまった少女に向けて、青年は話を続けた。

 

「今も過去も、わからないことだらけさ」

「どういうこと?」

「かつて隕石の衝突とそれによって訪れた数十年の冬で、多くの生物が絶滅し、また、多くの生物が適応して生き延びた。過去にどこかでボタンを少し掛け間違えるようなことがあれば、我々人類は絶滅して、今存在していないかもしれないね」

 

今まで当たり前に生きてきたこと自体に対する疑問。少女はしばらく考え込む。

 

「今私たちは生きてる……ということは適応できた。どうやって人類は適応したの?」

「まず君はどう考える?」

「うーん、寒くなったから……。森を切り開いて、家を作ったり、薪にしたり?あと、動物から毛皮を取って暖かくする……?火山が活発になったって言うのも、聞いたことあるから、火山のおかげ?」

「それも正解だ。でもね、隕石衝突前後で、決定的に違うものがあるんだ」

 

この約千年の間に変わってしまったこと。それは。

 

「……あっ!魔術!」

「そう。魔力子を素に、物質やエネルギーを生成したり、変化させる。この新たな技術を手に入れたことで、より自らを環境に適応させ、また、より環境を自らに適応させることができた……。こうして今の人類はある」

「私、今まであんまり考えてきたことなかった……」

 

新しい知識や思考に目を丸くし、手のひらを見つめる少女に、青年の呟きが届いた。

 

「ただ、その適応は本当に正しかったのか」

「私、難しいことはまだよくわからないけど……、そういうのに正しいとか間違ってるとかないんじゃない?あ、そうだ!あのね……」

 

 

 

§ § §

 

 

 

【○月×日】

■■■に聞いてみたら、コニーさんとシャンさんが、悩みがあるらしかったから聞いてあげただけだって。最近の二人が心配だと伝えたら、君は優しい子だねってまた言われちゃった。えへへ。

 




気がついたら、もう今年があと3週間もありません。こんなの嘘でしょ……。
年度内完結という勝手に立てた目標は果たすことができるのでしょうか。


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8-5

「もっと真面目にやれや!」と半年前の自分を殴りに行くことが叶わなかったため、1月にタスクが負債として押し寄せ、その結果更新遅れました。


【N.C. 999】

 

ブレウがヴァイスとリーンのところへ向かうと、ヴァイスがニコニコと手を振った。

 

「やあ。顔が疲れているけど、何かあったのかい?」

「今回は全然狙っていなかったものが、今回に限って偶然引っ掛かりました。他にも色々と……」

 

そこでいったん話すのをやめたブレウは、ちらっとヴァイスの斜め後ろを見る。

 

「なんですかあれ」

「あああああぁぁ……」

 

リーンは天に向けて拝んでいた。

 

「ネロが見知らぬ少年を抱えていてね。その影響さ」

「なるほど。……ネロの姿は見えませんが」

「迷子になってからようやく合流したと思ったら、人に怪我を治させてすぐ焦ってどこかに行っちゃった。伝言で、時計台壊したから言いくるめよろしく、だって」

「治癒魔術なんて、できればお世話になりたくないほど痛いのに……。ネロちゃん良く動く気になったよね」

 

先ほど崩落した時計台で、人々は一時的にパニックになっていた。祭りの空気から一転、町は不安に覆われている。

 

「瓦礫に巻き込まれた人がいたらどうするのって聞いたんだけどねー。巻き込まれた人の運が悪かっただけ、というやさしさの欠片もない発言が飛び出してさ。あれは全く反省していないみたいだ」

「……なるほど、わかりました。なんとか上の言いくるめをしましょう。……見たところ、瓦礫が拡散して周りの建物を巻き込んだ様子ではないですし、ちょうどよく押し付ける相手もいることですし。全員で口裏を合わせればいけます」

「いやー。僕ら、驚くほどの協調性上がったよね。主に悪い意味で」

「ううう、なんだかんだでバレて、また後で怒られるパターンだぁ……」

「ははは。次は皆で仲良くクビだ」

「大丈夫です。まだ受けられる罰則があります」

「でも、行き着く果てはクビでしょ?うち貧乏なんだから勘弁してよぉ」

「今までの叱られ案件の原因の半分を占めている人間が何を言っているんですか」

「この、実家金持ち男め……」

 

しかし、ハッとしてブレウの両肩をガシッと掴み、服に一本ついていた髪の毛を凝視した。

 

「まさかこの髪の毛は」

「いつもの通りで何よりです」

 

 

 

§ § §

 

 

 

「ぶしっ」

 

なぜかくしゃみが出た。胸の辺りがざわざわしてきたからだろうか。それに、地面に叩きつけられたせいで顔と頭が痛い。……目とか鼻とか大丈夫だろうな。

それにしてもオレよりも先にエポック社に侵入したのは誰なんだ。そう思いながら町中まで戻ってくると、混乱の中にあるようだった。時計台は崩れたことが原因だろう。とはいえ、それ以外はトラブルもなく、相変わらず北側は静かだった。

街灯の下に三人分の人影ができている。一人はうずくまっていた。立っている二人のうち、片方はごく普通の男で、もう片方は背が高めの女だった。どちらも若い。気休めに途中で拾った、こぶし大の石を片手に様子を窺う。

……こいつらが何を目的にここにいるのか考えろ。考えるのをやめてはいけない。

 

「さて、どうなることやら」

「あたし的はどっちに転んでも嬉しいですよ。傷ついた箇所は修復後、今まで以上に強くなれるか、確かめられますから。どうしたって運用期間が短くなっちゃうのはやむなしっす。ほらほら立って」

 

うずくまっていた者がフラフラと立ち上がる。……さっき逃げた奴じゃねぇか。

 

「今、それは思いつきでやる必要はあるのかい?」

「こういうのはあたしのノリが大事なんです。今すべきと本能が囁いてるっす」

「やれやれ。あとは待つだけとはいえ……」

 

女に手渡されようとした小さな石。それを視認した瞬間、オレは奴らの頭上、街灯めがけて石を投げた。当たらなくても当たってもよかったが、うまく命中。降り注ぐ破片の中、一気に距離を詰めて拳を振るう。

 

「げっ」

 

しかし、拳は目標に当たらなかった。割って入った者がいたのだ。フラフラと立ち上がったばかりの奴だ。まとめて殴り飛ばそうとしたが、なぜかずれて横の女を巻き込み、吹っ飛んでいく。直接殴った方はたぶん顔の骨折れた。

 

「うぎゃあああぁぁぁぁああああ!?!!?」

 

耳がキンキンする女の悲鳴に、思わず舌打ちをする。狙いは別だったのだが……。

 

「どういうことだ……」

 

いない。どこに行った。ちゃんと見ていたはずなのに。

次の手を考えた時、

 

「君と争いたいわけじゃないんだ。拳を収めてくると嬉しい」

「なっ」

 

背後からの声にオレは飛びのいた。

 

「こんばんは。今夜は実にいい天気だと思わないかい」

「はあ?」

 

突然殴りかかってきたオレに、のんきに挨拶?いや、それよりもどうやってこの男はオレの後ろへ移動した?いつも以上に警戒していると、男は人のよさそうな笑みを浮かべた。

 

「少々冷え込むが、太陽の復活する日として盛大に祝われるのも頷ける。……ああ、そう警戒しないでくれ。実は、今日の目的の一つは君に会うことだったんだから」

「オレに……?」

 

誰だこいつ。どれだけ記憶を掘り返しても、会ったことなんて一度もない、全く知らない人間だ。

 

「何言ってんだお前」

「私はね、君が殴りかかってきたことに、一つ心当たりがあるんだ。これだろう?」

 

持っていた光を放つ小さな石を見せてくる。(ドーラ)だ。レドは気がついていなかったが、高台からこの光がオレには見えた。そして、湖などで感じたときと同じような感覚が押し寄せたのだ。

 

「ああそうだよ。光る石なんて聞いたことも見たこともねえからな。売ったら金になりそうだ。痛い目に遭いたくないのなら、それ含めて金目の物、全部置いていけ」

 

とりあえず、強盗を装って出まかせを言っておく。なぜオレに会うことが目的とこの男は言っているのか。オレのことを知っているのか。わからない以上、相手の出方を探らなくてはいけない。

 

「半年ほど前」

「あん?」

 

見たところ、男は武器の類いは所持していなかった。

 

「首都でオーキッドたちのやることを手伝ったんだ。しかし、どうもうまくいかなくてね。聞くところによると、邪魔が入ったらしい」

「……」

「最初は軍か、クリュティエの一派か、はたまたオーキッドが裏切ったとも思ったんだが、どうもおかしい。クリュティエらは(ドーラ)を手に入れられていなかった。軍も後手の対応だった。オーキッドらも想定外に引っ掻き回されていた。そうすると、他に第三者がいる可能性が上がる。加えて、大きな団体の動きには警戒しているのに、首都の事件のあとも、仲間が襲われている。すると、相手は非常に小さい規模だ」

 

確信をもった口ぶり。

あまり戦闘に向いた体格ではない。そうすると、こいつ自身は言葉で相手を翻弄し、その間に実力行使を別の人間が行うのだろうか。

 

「オーキッドたちの行動を知っていたかのような動き。情報が筒抜けか、見事な推測……まるで未来でも知っているようだ。どんな人間か、ぜひ一度会ってみたかった。会えてうれしいよ」

「……誰だ、てめえ」

「そうそう。自己紹介がまだだったね」

 

まとめて殴り飛ばした女が、上半身を起こし、手を伸ばしていた。

 

「あ、ちょっ」

「私はユフラ。きっと君は聞いたことがあるだろう?」

 

名乗るのを止めたかったらしい女は、「あーあ」と溜め息をつく。

 

こいつがユフラ。

 

『ユフラねぇ。少し調べただけでも性格が悪そうだわぁ』

『クソババアの方が……、ぎゃんっ』

『どうも、直接手を汚さないみたいなのよねぇ。集団に対して、不満を吸い上げ、不和をつくり、対立させる。相手を揺さぶり、自分だけは耳障りの良いことを言って、信頼させる。そうして自滅を促す。来られる方はいい迷惑ね』

『クソババアは会ったことあるの、ぎゃんっ』

『ないわよぉ。もし会ったなら、さっさと殺しているわ。あなたもよくわかっているわよね?怠惰な人間は嫌いだもの。……私は絶対に認めないわ』

 

オレ自身、会ったことは一度もなかった。どういう人間なのかも、『前回』少し聞いたことがあるだけ。こんなにひょいひょい出てくるとは思わなかった。

 

「……会ってみての感想はどうだ?」

 

一度背後を取られている。力量がまだ計り切れない以上、相手の隙を作るために、会話を続ける。向こうも乗ってくるだろう。

 

「君は嘘つきだね」

「そうだそうだ!大事に大事に育てたうちの子を殴り飛ばすとか、そんな物騒な強盗がホイホイいてたまるかっ!超とんでもない奴っす!いたたた……」

 

女の方がフラフラと起き上がる。あいつ意外と頑丈そうだな。受け身メチャクチャ下手だったけど。

 

あと他に、オレがユフラについて知っていること。思い出せること。

 

まるで悪夢のようだった、長い長い一日。これまでの年の終わりにして、新しい年の始まり。最初に倒れたのは老人。そこから、弱った者、体力のない者、最後には普通の健康な大人も倒れていった。まともに動けるのは、ほとんどが魔力子の操作に長けた者だけ。そんな状況での尋問。

 

『あの方がやってくれた……!これで、全部終わりだ!』

『まさか、ユフラのことか?もう死んだはずだぞ。お前はいったい何を……』

 

そうだ、コイツがいたから、生きてたから……。

 

「何を言い出すかと思えば……。嘘ついたり、ごまかしたりなんて、誰でもやるだろ」

「そうやって、次どうするべきか、多少の動揺なら無視して思考し続ける。考えるのをやめられない。……そうやって集中することで、見たくない物から目を逸らしていないかい?」

「はあ?いちいち回りくどいんだよ。何が言いたいのか、わかりやすく一言でまとめろや。お前はオレに会って、精神分析することだけが目的なのか?」

 

直接殴った奴は未だ地面に突っ伏したまま。ピクリともしない。当たりどころが悪くて死んだか?

 

「いやいや。他にも一つ細々としたものが、あったんだけれど。ちょっとトラブルで発生してうまくいかなかったんだ」

 

挑発には乗ってこなかった。始終穏やかな声色だ。

 

「ふーん。トラブルね」

「私達を嗅ぎまわる、少々厄介な人たちがいてね。軽めの偵察を仲間にしてもらった」

「嗅ぎまわられるようなことしてる、お前らが悪いんじゃねーの。千年前の隕石で人類は滅びるべきだった、とかなんとか言って暴れて、日頃の行いも悪そうだし。今日だって高台で何か企んでたり、時計台が崩れたりしてるじゃねーか」

「高台?ああ、あれは仲間が勝手にやったことだ。私は関わっていないし、詳しくは知らないよ。随分と粗の多かったみたいだが、きっと彼らなりに頑張ったんじゃないかな」

 

ずいぶん無責任な奴だな。嫌な感じ。

 

「時計台に関してはこっちはむしろ困惑してるっす。せっかく待ち合わせが……」

「イル」

 

女が途中でユフラに言葉をさえぎられた。

 

「うっす、ごめんなさい」

 

時計台で待ち合わせ?……こいつらとあのやたら頑丈でやたら強いおっさんは、これから合流する予定だった?だから時計台が崩れた時、あのおっさんはいなくなったのか。

 

「それに嗅ぎまわられる、など……、私達はただ、仲間になってもらえる人たちを集めていただけさ。少し幼いくらいの子供というのはちょうどいいから」

 

何がちょうどいいんだよ。やべー奴の発言じゃねーか。

……幼い子供に関する出来事。集団の崩壊。このことで一つ心当たりがあった。

 

「だが困ったことに、彼らに直接挨拶に行こうとしたら、さらに厄介な国家魔術師が思ったよりも張り付いていて、まだできていないんだ。あんなに小さな新聞社にわざわざ何人も人数を割くなんて、なぜだろうね」

 

挨拶、ねぇ。

 

「今は別の仲間のおかげで、そっちには皆目を向けていない」

「とりあえず景気よく燃やしとけばいいじゃない、ってアドバイスしておいて良かったっす」

 

知人と呼ぶにはずっと遠い人、例えば、道ですれ違った人がそのあとすぐ事故に遭って亡くなったと聞いても、少し背筋が寒くなるだけだ。その個人に思い入れなんてものはない。

 

「次はうまく……。おや?知り合いだったかな?」

 

顔も名前も知ってしまった、ほんの少し話したことのあるだけの人たち。

 

「今急いで頑張れば、どうにかなるかもしれないね」

 

ユフラは人のよさそうな笑みを浮かべていた。

 

「何が言いたい」

「わかっているんだろう?」

 

あの人たちのことを、よく知った訳じゃない。でも、悪い人じゃないと思う。そして、こいつのことは信用できない。言っていることが全て本当だとは限らない。

 

「そうだな」

 

しかし、この決断には嘘か本当かは関係ない。

 

「オレは、オレ一人で今できることをするよ」

 

見えている位置とは人一人分のズレたところにつかみかかり、しっかりとこの手で捕らえた男の首を地面に押さえつける。そして、その首に街灯のガラス片を突きつけた。

 

「全員動くな。おっと、そこの女。今取り出そうとした銃を捨てろ。そんで、こっちによこせ。少しでも妙な動きをしてたら、こいつの首を掻き切ったあと頭を潰す。さっき殴り飛ばした以上の力でな」

 

そうだ、こうするしかない。オレは、オレのためにずっとやってきたんだ。

 

からくりはわからないが、最初に立っていた二人の距離くらいを狙ったところ当たった。うまくいかなかったら、うっかり口を滑らせてくれそうな、イルと呼ばれた女をそのまま別の場所に引きずって行こうと思っていた。

当の本人は頭を抱え、

 

「うっそーん。今の流れ、助けに行く感じじゃなかった?絶対そうですよ。えー?あなた、目的のためならどんなこともやっちゃう系、手段選ばない人っすか?」

「……は」

 

一回小さく、息が漏れた。

 

「はははははははははははははははははははっ!!!」

 

声をあげて笑ったのなんていつ以来だろう。

 

「笑いすぎて涙出てきた。あーあ。……目的のために、こっちは手段を選んで、決めてんだよ」

 

でも、いまさら都合よく考えを変えようとしてしまう自分がどこかにいることに、馬鹿らしくて仕方なかったのだ。

 




Q.序盤は強いけどだんだんインフレについていけなくなる中ボス系主人公が、終盤も型落ちしないためにはどうすればいいですか?
A.まずケツに火をつけて走らせます。


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8-6

おつかれさまです。
つかれたときは、無理せずいっ
ぱい休みましょうね。
いんどかれーたべたい。


【N.C. 999】

 

ガラス片を捨て、こちらに寄越された拳銃を拾う。オレは下に押さえ込んでいるユフラの頭に銃口を突き付けた。こっちのほうが威嚇になるだろう。

街灯カチ割って、人を殴り飛ばしたくらいなので、そこまで大きな音は立てていない。しかし、人に気がつかれる前に済ませるのに越したことはない。急ごう。

 

「おい、まず、その石を渡せ」

 

首から手を放し、これが本物であるという確かな確信のもと、(ドーラ)を奪い取る。彼らがこれから行おうとしていることを聞きださなくてはいけない。

今手に握っているもののことで知っている情報は少ない。魔力子を帯びている、とか、皆欲しがっている、くらいなものだ。あと勝手に光ってたり、変なじいさんに絵本化された。

まだだ。まだ殺しちゃ駄目だ。

「お前、これは何だ?」

「とある隕石に含まれていた、それはもう、不思議な不思議な石だね」

「ふざけてんのか?」

「本当のことを言ったまでだよ。こんな真球は人工物でも無理だ。それが宇宙から来た隕石の中に、六つもあったわけだから」

 

話していると、正直イライラしてきてしまう。一方で、理性は疑問を持っていた。何を根拠にこれが複数個、しかも正確な数が六だと断言できるんだ。

他に持っていないか尋ねると、その返答は、

 

「元々は二つだった。もう一つは、七、八年ほど前に持ち去られてしまったんだ」

「管理体制ガバガバじゃねーか」

 

嘘を見抜くのに特別才能があるわけではないので、本当かどうかわからん。……が、いつまでも手に持ったままなのは不安になったので、コートのポケットにしまう。

 

「全く困っちゃいますよね~。勝手に持ち出して、元の場所に戻さない人」

 

人質を取られて脅されている側であるはずの女、イルはうんうんと頷いている。なんだこいつ。

 

「……この状況で好き勝手喋るとは、ずいぶん良い度胸だな。そんなに話したいなら、こっちから聞いてやるよ。お前らは何の目的で、これを持っている?」

「集めなくてはいけないから、集め、持っている」

「………はあ?」

 

質問に対する答えが、答えじゃない。時間稼ぎのつもりか?急かすために後頭部に対して、強めに銃口を押し付ける。

 

「やれやれ、最近の子は物騒だ。……仕方がない。話そうじゃないか。私の発言は、全て嘘偽りない真実であることを先に言っておこう」

「早くしろ」

 

相変わらず、脅されているとは思えない口調だ。この調子じゃ、痛めつけてもあまり意味がないかもしれない。それなら、とオレが思ったところで、正気を疑う発言をした。

 

「究極的には、皆で幸せになるため、かな」

 

人間皆死ねって発想をぶちまけて、行動に移そうとしている奴らの発言とは思えねー……。下っ端をボコるとよく聞く、『主』だの、声が聞こえるだのと、全然関係ねーし。アプシントスって、上まで頭パッパラパーなのかよ。

 

「具体的に、どうやって幸せになるつもりなんだよ」

「生き残らせること、そして私達は潔く退くこと、さ」

「具体的に、と言ったんだが?」

 

理解が困難なので、とりあえず喋らせることにした。この会話に区切りがついて、あと一つほど確認事項が済んだら潮時か。

 

「人間は魔力子を運用できるように急激に変質し、なぜかそれなしでは生きられなくなった。もしも魔力子が体内から無くなってしまえば……」

「……体調不良やめまい、吐き気。だんだん意識を失って、最終的には死ぬ」

「その通り。そうそうみられる現象ではないのに、よく知っているね。さて、実は普段私達が魔力子と呼んでいるものは、すでにある程度大きな塊になった状態なんだ。大気中に存在する、魔術のエネルギー源にならないくらい小さな状態の魔力子を体内に取り入れ、心臓付近である程度の大きさまで復元し、体の各部へと運ばれて使われる」

 

魔力子がどこでできる、とかは知らない。……す、少なくとも一般的ではない、と思う。ただ、魔力子が体内を移動するための通路のような物が存在しているのは、聞いたことがある。……本来なら、例え手足が千切れるような大怪我でも、この通路に穴が開いて体外に魔力子が流失してしまうことはない、らしい。

 

「消費された魔力子は体外に拡散して消える。前の小さい状態に戻ることはない。世界のどこにも供給されることはないんだ。するとどうなるか。数十年後、数百年後……、それほど遠くない将来、この世界から魔力子は無くなる。その時が訪れたら、また都合よく元に戻るなんてできないかもしれない」

 

きょーきゅー?キョ―キュー…………。あっ。

 

「回りくどい。いつかは誰も生きていけなくなる、って言いたいだけだろ。だからどうした」

 

永遠なんてものはないのだ。ビシッと指差し……てやろうかと思ったが物理的に不可能だった。

 

「そうだね、でも、いなくなるのは人間だけじゃない。多くの者は気がつかないだけで、魔力子にも存在している意思だって、消えてしまう」

「意思?魔力子に?そんなもんどこにあるんだ。何を根拠に」

「人間の意思や感情だって、どこにあるんだい?」

 

オレが答える前に矢継ぎ早にユフラは言う。

 

「頭か?心臓か?」「もし、なかったとしても、あるように完璧に振舞っていれば、周りからは存在しているように見える」「私達は相手の意思や感情が、心が本当にあるのかどうか、証明しようがない」

 

「彼らは強い共感能力により、互いの意思を認識できた」「長い時をかけて彼らは希薄になった」「ありとあらゆるものが散らばった」「いずれは元に戻ろうとする」「そのための核が、(ドーラ)が必要だ」「彼らによって伝えられた声から、感情や記憶が流れ込んでくる」

 

目が合うような位置にはいないのに、何人もの人間から瞬きもせずジッと見られている錯覚に陥った。気味が悪い。

 

『……りたい』

 

「君だって、明確な根拠もなく、あやふやな理由で、半ばこじつけて、ただそうしなくてはならないと、強く、強く、思っているんじゃないか?」

 

『……えりたい』

 

「これまで考えたことは、本当に全て君自身の中に存在する意思かい?」

「そんなの、当たり前に決まって……」

「なぜ言い切れる?自分の意思による選択が、絶対に他の要素に影響されていない、なんてことがあろうか」

 

相手の言葉に意味などない。こちらを動揺させるためだけに話している。

 

「私達には聞こえるんだ。『滅ぼせ』という強い感情が」

「ん?」

 

なんか、違くね?

 

「もういいや」

 

オレはユフラの頭を殴り付けた。

 

 

 

「おい。イル、とかいうそこの女」

 

殴りつけて静かになった男は、しばらくたっても変化は見られない。一応引き続き銃口を当てつつ、今まで蚊帳の外だった女に声をかける。しかし、気の抜けた様子で、

 

「んえ!?あっ、すみません。ボーっとしてて話聞いてませんでした」

「お前頭おかしいのか?……何か試すとか怪しげに話してたよな?」

 

あと一つだけ確認したいこと。それは、先ほど盗み聞きした会話のさらに詳しい内容だ。

 

「聞こえてたんっすか!?ひゃ~」

「ふざけんな。こいつの耳を削ぐぞ」

「そ、そんな。削ぐより穴をあける方が……」

「じゃあ手でむしる」

「あなた頭おかしいんじゃないっすか?」

「お前には言われたくねぇわ」

 

人質がぶん殴られたのに、馬鹿みたいにマイペースな女である。あとしゃべり方がなんか変だ。こいつは放っておいても大丈夫かもしれない。

イルはもじもじした後に言った。

 

「ちょっとした実験をしたかっただけなんっす~。その、ネフィリムちゃんの改良をですね」

 

前言撤回。さっさと始末したほうがいいかもしれない。

 

「ずっとそこに転がって、ピクリともしない奴でも使うつもりだったのか」

「そうですそうですそうなんっす!これからぴゅっとする予定だったんですよ!今気絶してるからな~、駄目かな~、駄目だな~」

 

話したくてたまらない、といった様子で続ける。

 

「魔力子の生成量や容量で、その人の保有量が決まるんっすよね。どれだけ勢いよく息を吸おうとしても、これ以上無理!限界!になるように、どれだけ頑張っても、人間の魔力子の保有量は中々増やせるもんでもないっす。じゃあ人間やめようか!ってことっすよね!」

 

『人間が持てる魔力子増やせねーかな』から『人間やめようぜ!』の間に、もう何個か段階挟めよ。

 

「わずかなヒントを頼りに、魔力子活性剤を作ってみても、なんか微妙……!何かが足りない!そうだ!入れ物自体も強くしてみよう!同時にやったら副作用として再生能力がついてきた!はい!ここでどーん!ネフィリムちゃんです!しかしこのネフィリムちゃん完成への道のりも、資料の原本はほぼ全て焼失してましたし、責任者も関係者も皆いなくなっちゃってましたし、最後を仕上げただけとはいえ、本当に大変だったっす……」

 

……先にこの女を始末しよう。縛り上げる物もないので、抑え込んでいる男の手足の骨を折ることにした。

 

「でもやるからには上を目指したい!もっと増やしたい!向上心のない者は馬鹿だ!ゴーサインは出た!ヨシッ!!そこで、この、農村出身ド根性なあたしがっ、『以前は人間にお注射していまいちだったみたいだけど、食いしん坊なネフィリムちゃんに魔力子保有できる物質食わせたらどうなるの』実験を立案したわけっす。そして!その最後の実験として!割れない!欠けない!削れない!宇宙生物産化石燃料の核こと、(ドーラ)を使おうってなったんですよ~。へへっ、ユフラさんには一生ついていきます」

 

どこかにデカい岩があれば、それで殴って潰せるんだが。ここは町中なので見当たらなかった。

 

「はあ……、はあ……、ちょっと一気にしゃべったんで、息が……。久しぶりに長々と話聞いてくれたから嬉しくて喋っちゃったっす……。ごほっ、むせた……」

「オレはお前をぶっ殺す理由が一つ増えた」

「ひえっ。あれ~?どういうわけかびっくりするほど青筋立てちゃって、激怒な感じに!?律儀なんだか残酷なんだかわかんないっす!それか、またあたし地雷踏んじゃいました?」

 

身のこなしから見るに、この女は戦闘能力は低くく、他二人は沈黙している。

素手でやるかと思って、イルの方に近づこうとしたとき、

 

「ところで、あなた。なんで皆、ネフィリムちゃんになるとき、首かき切ったり、心臓に刃物突き立てたりするか知ってます?」

「――っ!?」

 

声を耳にした直前か直後か。後ろからの気配に振り返りかけたところで、オレは肩に強い衝撃を感じ、地面に倒れていた。

起き上がろうとして激痛が走る。肩を見ると、大きな針のような物が刺さり、地面まで貫通していた。

 

「そのほうが、イメージしやすいんっすよ。一番必要な……、『自分が死ぬ』ってイメージを。逆を言えば、もっちろん、致命傷もトリガーとして大事っすけど、そのイメージが本物と違わずにできれば、簡単になれるんです。強制的になる方法もありますけどね~」

 

そして、ユフラだと思っていた者は、その体をおおきく肥大化させ、異形の姿になっていた。体表面は魚の鱗のような物に覆われており、そのうろこ同士の間から針があちこち出ている。今日会ったシンプルにデカくなっただけのネフィリムよりも、面倒くさい。

肩に刺さった物を抜こうとすると、再び針が飛んできて四肢を貫く。

 

「ぐぅう……っ!」

 

判断ミスだった。先にしっかり止めを刺しておくべきだった。……でも、ユフラってのは、アプシントスで一番偉い奴のはずだ。そんな人間が、意思疎通不能な状態になるのは変じゃねーか?

不可解に思いながらも動けない。そうしているうちに、影が落ちた。正面に立たれているのだ。構造だけは人間と同じである手を伸ばし、オレがポケットに入れていたドーラを、コートごと破いて奪い取る。

 

「おかしいな……?他にあるのかないのか、よくわからない」

 

この厄介なネフィリムは顔だけはまだ普通の人間だった。それどころか、普通に話したのである。

 

「あれ~?あるのかないのかがわからない?どゆこと……?」

 

刺さった針のせいで、いつもより手足が動かないどころか、地面にぬいつけられた状態だった。右腕は上腕部分に刺さっており、肘から下はまだ自由だったため、無理やり動かそうともがく。

 

「うわあ~、馬鹿力ヤバいっすね。これじゃあどっちが化物かわかんないですよ~」

 

気の抜けた声が耳に触った。こいつ絶対ぶん殴る……!

しかし、右の前腕にも針が撃ち込まれてしまった。するとにユフラの顔が残ったままのネフィリムは、

 

「そろそろ私は時間切れだ。じゃあイル、後はよろしく」

「そっちがですか!?こっちの個体で試そうとしてたのに!」

 

そう言って、オレから奪い返したドーラを丸呑みしたのである。

顔がずぶずぶと肉に埋もれて、新しい顔が現れる。山羊と魚が合体事故を起こしたような顔になった。ベースは山羊だが、口は魚で、えらがぴくぴく動いている。

その気持ち悪さもさることながら、

 

「く、食った……?」

 

石は食い物じゃない。

呆然としたオレに対して、イルはニヤニヤしながら、

 

「この人も、さっきまで助けてだの殺されるだの、うだうだ言ってましたけど、ようやく黙らせたところで、あなたが邪魔に入ってくれちゃいましたからね~。腹いせっす!」

 

そう言って、気絶していた男の首元に、懐から取り出した何かを注射した。すると、こっちも体が肥大化し、気持ち悪い人型の化物(ネフィリム)になる。

 

「あなたが持ってるらしい他の(ドーラ)も、あたしたちが貰っちゃいますね。制限時間までお付き合いいただき、どうもありが……ってあれぇ!?どこ行くのぉ!?!??」

 

もう一体はオレではなく、別の方角へ向かおうとしていた。いつもの無視だが、危機を脱したわけじゃない。まだ動けないのだ。無視してこない最初の一体が覆い被さってくる。

 

「このっ!」

 

魚のような口が開き、ギザギザした歯が見えた。

こいつは、食べようとしているのだ。

 

誰を?

決まっているじゃないか。

 

「やっ……」

 

左肩からぐちゃりと聞こえた。肩に刺さる針ごと噛み千切ろうとしている。

 

「あ゛ぐぅう!!!」

 

いつかに見た、食べられていく人の光景が脳裏をよぎる。あんな風に、オレも。

 

「嫌だ、やだやだやだやだ……っ」

 

それはそれとして、左腕が千切れてしまったら、戦うとき不便で困る。利き手は右だから、左腕を諦めて千切って投げたら、そっち……には行きそうにねぇな。

 

「クソっ!」

 

針が刺さった四肢が痛いのか、肩が痛いのか分からない。苦し紛れに叫んだとき、肉が10cm大くらい食い千切られた。浅いのが唯一の救い――、

 

ふいに、ピタリと動きが止まった。

 

ブチブチとする音は無視した。下から無理やり蹴り上げ、そのまま後転の勢いで投げ飛ばす。

ようやく痛みに慣れて最低限動くようになった手足に何本も刺さった針を抜く。すぐに立ち上がろうとしたが、膝から崩れ落ちてしまった。

 

「ヤバ……」

 

冬なのに、嫌な汗が流れる。また同じように針が今すぐにでも飛んでくるかもしれないのに、この状態じゃ不味い。

だが、ユフラだったものは奇妙な動きをしていた。それは、まるで何を吐き戻そうとする体勢で、聞くに耐えない汚い音と共に、口からドロドロとしたものが吐き出される。その量はまるで、大きくなった体積分、いやそれ以上かもしれない。その中には、キラリと輝く小さな光も混じっている。そうして嘔吐が止まる頃には、通常の人間サイズになっていた。それどころか表皮も崩れ落ち、もとに戻っている。

しかし、その雰囲気は先ほどと、まるで別人だった。

 

「お前は」

 

誰だ、と言おうとした時、

 

「あ……、なんで僕は、どうして、こんなっ、ぁぁぁあああああ!!!!!」

 

耳をつんざくような悲鳴が上がった。そうして、悲鳴の主は口からだらだらと血を流したかと思うと、そのまま倒れる。

 

「嘘、戻った……。どうやって……」

 

そう呟いたイルが、オレの姿を視界に入れるや否や、穴が開くんじゃないかってくらい凝視してきた。地べたに座り込んだまま、肩をかばって少し下がってしまう。背中に街灯の柱が当たった。

 

「な、なんだよ」

 

壊した街灯の下にいるのではない。灯りがしっかりとついているから、向こうからオレの姿は見えている。……暗闇の方に逃げればよかった。

 

「……ちょぉーと、あなた。少しでいいので、是非、内臓を見せていただけると」

 

 

 

「見つけた」

 

 

 

とんでもなく恐ろしいことを言われた瞬間、背中の街灯のさらに後ろから声が聞こえた。その姿を目にしたイルは、目を丸くしている。

 

「もしかして……ネロ?うわっ、ひさしぶ」

「死ね」

 

振り返ると、ネロと、

 

「あっ、お師匠」

 

脇に抱えられたグレイがいた。

 




ぱっと思いついた「い」で始まる言葉が、犬とインドカレーといんきんたむし、そしてイカスミスパゲッティでした。


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8-7

お久しぶりです。
更新が滞り、申し訳ありません。


【N.C. 999】

 

ネロがつかつかと歩いてくる。やけにその足音が耳に響いた。近づいてくるなら、警戒しないといけない。だから音をだけでもと、肩や四肢に熱さを感じながら耳をすませる。

 

……何かざわざわと聞こえた。

 

“あっちでも大きな音が聞こえたぞ!?”

 

“なんだろう?騒ぎでも起きているのかな?”

 

人の、話し声?

 

目に見える範囲に、そんなことをいっている人はいない。

 

じゃあ、もっと遠くに?

 

そう気づいたとき、ぐらりと世界が切り替わった。

 

「え」

 

暗いはずの視界が異常なほど、はっきりとする。

 

落ちているカード。地面に染み込んでいく誰かの血。

 

たくさんの音が聞こえる。

 

走る音や話し声。

 

地面の冷たさも、口の中の血の味も、どこかの家の暖房の煙の臭いも、はっきりと感じ取れる。

 

頭がぼぅっとする。

 

体のあちこちが痛い。

 

気持ちが悪い。

 

何か大切なものが抜け落ちていく───

 

「…しょう、お師匠!」

「……あ」

 

いつの間にかグレイが近くに来ていた。

 

「大丈夫ですか!?今ぶっ倒れましたけど!」

 

ほんの数秒か数十秒か。意識が飛んでいたみたいだ。その間に、ネロはオレの横を通りすぎ、尻餅をついた状態で座り込んだイルの前に立っている姿など、風景全てが横向きに見えた。起き上がり、ホッと胸をなでおろす。

 

「ひ、久しぶり~。げげげ元気にしてたっすか?」

「死ね」

「いつからそんな物騒な言葉を!?」

「死ね」

「ひえっ」

「死ね」

 

なんだあいつら……。知り合いだったのか?

それにしては、ネロから殺気が伝わってくる。

 

「さっきからあたしに対して、同じ単語しか言ってないっすよ!さては、久しぶりの再会に恥ずかしがっちゃっ!?!??」

 

ネロが片手に持っていた武器を投げる。その軌道は、イルの後方、ネフィリムの頭を貫通していた。オレを無視してどこかにいこうとしていた個体が戻ってきていたのだ。

一撃とかマジかよ……。

 

「鎌は投げる武器じゃないっす!」

「黙れ」

「ひゃい」

 

振り撒かれる殺気は、彼女の印象とはあまりにも異なっていた。感情的になっているのが伝わる。オレもちょっとビビっていると、ネロはやや振り向いてきた。

 

「これの仲間は?」

「そ、そこでぶっ倒れてるやつ」

 

指差した者を見るが、無言・無反応だ。……何か言えよ!怖い女は苦手なんだよ!

逃げようと四つん這いになった後になぜかこちらを見ているイルの頭を、ネロは後ろからつかみ、

 

「あああああああ!そっか、大本命に規格適合外!?!!?あ!?ネネネロロロロ、あわわわわわ、はな、話を」

「今から聞く」

「助けぶふぁ!?」

 

顔面を地面に叩きつけた。

 

「挑発したのはなんで」

「挑発!?なにそげぇ!?」

 

次は無理やり立ち上がらせた後、腹に膝を入れる。

 

「ああも信号をチカチカと」

「んあ!?そういうお茶目心いらなびぃっ!!!」

 

拳を振り上げ、歯が飛んだ。前から思ってたけど容赦ねーな……。

まあ、いい。こちらに注意が向いていない。

 

「あのお姉さん怖───ぐえっ」

 

ひっそり立ち上がる。グレイを抱え、吐瀉物にまみれた(ドーラ)を回収に向かった。

 

「ヒビ……?」

 

あれだけ力を込めても傷一つつかなかった真球には、小さくだがひび割れが入っていた。

 

「鞄貸せ」

「え?」

 

返事を待たずに鞄に手を突っ込み、小さな箱を取り出す。そのまま(ドーラ)を放り込んだ。

そのとき、視界の端に奇妙なものが落ちているのを見つけた。規則的に穴の空いたカードだ。なんとなく無事なほうのポケットに突っ込む。

 

さて、周囲は街灯が壊れ、建物の壁がへこみ、地面のレンガ畳の部分は損壊。この暴れっぷりから、憲兵やらなんやらが来るのは時間の問題だ。しかもそれよりももっと嫌なものが来る気がする。その嫌な予感のせいか、頭が割れるように痛い。流石に体が限界だ。またさっきみたいに意識が飛ぶようなことがあれば、あの女の息の根を止めるよりも、ここに居座るリスクのほうが大きい。さっさと逃げたい。

だが、

 

「ひっ、こんなに殴られたら死んじゃう!死んじゃうからっ!!!」

「死なせない。死んで逃げられると思うな」

 

ネロの言葉に思わず、動きを止めてしまった。

 

「どんなに殴ったとしても、どんなに蹴ったとしても、絶対に殺さない」

「そ、それって」

「お前たちに最大限の苦痛を与えてみせる」

「ひいいいい!ふ、復讐っ、憎しみとかなんにも生まなひっすよ!ひぐぅっ!!!?!?」

「そうね。だから早くケリをつけて、次に進む」

 

また余計なことをしゃべろうとしたイルの口元を窒息させる勢いで抑え、魔術で生成した岩で地面に拘束している。

 

「ねえ」

 

ネロの様子を凝視していたのに、彼女が声をかけてきたことに対して、すぐには反応できなかった。

 

「な、なんだよ」

「あなたもおとなしくしてくれる……?戻ってくれば今なら罪状五割引で特典付き」

「ごわりびき」

「半分」

「そんくらいわかるわ」

かえりたい

突然何言ってんだ。戻るってどこにだよ。

ふるふると首を振ると、ネロは舌打ちした。

 

「面倒」

 

オレに対しても、なんかちょっと怒ってる?

 

「私、あなたのことがよくわからない。あなたは効率的にアバドーンやアプシントスに攻撃を仕掛けている。他に不穏分子の集団なんていくらでもいるのに。あそこまでやるのは、何かが目的?……復讐?」

「お前こそ、復讐かよ」

「もちろん。……こいつが手助けしたせいで、私の大切な人が、みんな酷い目に遭った。村一つ丸ごとダメになった。だから、しっかり復讐する。……でも、いつまでもこんな奴らに精神を捕らわれるのも不愉快だから、さっさと確実に済ませるつもり。あなたもそうなの?」

「そんなのどうでもいいだろ」

「けれど、もしもそうなら、余計にわからない」

 

オレは、こんなにベラベラ喋るネロのほうが、よくわからなかった。

 

「わざわざ脱走する大きなメリットがない。そのまま居座ったほうが、合法的かつ組織的に潰すのに加担できる。ちょっとやり過ぎても、戦闘中の不慮の事故でいくらでもごまかせる」

「今日はよく喋るんだな……」

 

だってこいつは、口数が少なくて、いつも眠たげで、感情的に全然ならなくて、意味わかんないこと言って、怒りとは無縁そうで───、

 

「……?私はいつも通り。……だから、あなたのやっていることは結果的に非効率ではないかと感じ───え」

 

もうこいつやだ。

 

「うるせー……」

 

ネロの驚いた顔が見えた。

 

「お、お師匠」

 

グレイの困惑した声も聞こえてはいた。

 

「うるせー……」

 

しかしオレはそれらに構わず叫ぶ。

 

 

 

「うるせーんだよ!お前も他も全部うるさくて、目障りだっ!!お前なんてっ!お前なんて、知らないっ!!!」

 

やさしかったあのばしょにかえりたい

 

悲しい世界なんて、本当は見たくない。

 

 

 

オレはグレイを、斜め上に向かって高くぶん投げた。

 

 

 

「なぜぇぇぇぇぇええええええっ!?!??」

 

絶叫に反応したネロはすぐさま跳躍しようとする。身体強化は全く防御にまわしていない。何かも隙だらけだった。

 

そんな彼女の横腹を飛び蹴りした。わかっていたのだ、こんな行動取ることくらい。グレイをキャッチしたところで、腹を抑えている姿が見える。相当効いていることだろう。

 

「中途半端なんだよ……」

 

さっき落とした拳銃を拾い上げ、残弾の確認をする。撃ったら煙出ちゃうんだよな、銃って。地形によってはとても目立ってしまう。煙が出ないタイプの火薬とかあればいいのに。

 

「ちょっ、今回はそこまでやらなくても……!?」

 

グレイの声を無視し、うずくまる彼女に銃口を向けた。

 

ああ……。

肝心なとき、いつもこんなふうにしている気がする。

『あの時』も、オレがやらなきゃと思って、誰かともみ合いになって、すごく嫌な気分だった。

 

当たるかな。当たらないかな。でも、下手くそだからな。

 

……オレ、何やってんだろ。

 

 

 

§ § §

 

 

 

無事町を出たオレたちは、そのまま闇夜に紛れ、数時間にわたり移動した。そして、明るくなってしばらくした今は休憩中だ。気持ち悪さは走っているうちに小康状態になっていた。

 

「あんな真っ暗闇の中、よく走れましたよね……。ところで、なんで僕投げたんですか?」

 

手首についたままだった手錠を、バキバキ壊して埋めていると、グレイが不満げに言った。

 

「ふんっ、ビックリするだろ?だって人間は……投げるものじゃないからな」

 

質問にきちんと答えたつもりだったのだが、呆れた顔をされる。

 

「お師匠って、たまに謎の自分ルールがありますよね」

 

……むっ。

 

ネロは基本的には淡々としている。感情込めずに容赦ないところもあったりする。だが、目の前で危機的な人間がいれば、とっさに助けてしまうだろう。中途半端なアイツの行動を考えるに、高めに投げれば足場を作って跳躍し、受け止める可能性が高いと踏んだ。すなわち、ビックリさせて隙をつくる作戦というわけだ。

 

まー、わかってもらいたいわけじゃねーし、言わなくていいや。

 

「ぶしっ」

「ああもうくしゃみして。コートビリビリ肩むき出しでびっくりしましたよ。持ち物ほぼ全部ないですし。一体何があったんですか?」

「中の人が違ったからもういいやと思って、殴ったら反撃にあって痛い目みた」

「さては、真面目に答える気ないですね?」

「ちょっと取っ捕まって、身ぐるみはがされた」

「身ぐるみをはがされるのは、ちょっとではない……」

 

ぐぬぬぬ。

悔し半分恥ずかしさ半分に、帽子を深く被ろうとして、

 

「あだっ!」

 

指を額にぶつけた。

 

「何やってんですか……。あ、帽子もない。お気に入りみたいだったのに」

「別に」

「お金貯めて買った、例のパッと見わからない身長かさ増しブーツは取られなくてよか、いったぁっ!?」

 

からかってきたクソガキを軽くつねって黙らせる。

論争には実力行使で乗り切るのが、オレのやり方だ。覚えておけ。

 

「ほっぺたつねられたぁ……。口論に勝てないからって、すぐ手を上げるんだから」

 

頬をさするグレイはこじんまりと座っている。その姿をみて、ネロに抱えられていた光景が目に浮かんだ。

 

どういう状況で出会ったのか聞いてみると、

 

「ネロ?あのお姉さんのことでしたっけ?あの人なら、道案内上の成り行きで……」

「鞄内はなかなかに揺れて、スリリングな体験であったぞ」

 

よくわからなかったので、ネロと会ってからオレと合流するまでの話をふんふんと聞く。あいつ、どこでも迷子になってんな。

 

「ネロさんとは知り合いだったんですか?」

「まぁな。……ただの顔見知りだ」

「本当ですか?」

「ほんと」

「ごまかしてません?」

「ごまかしてねーよ。しつけーな」

 

探るような目で見られる。……ホントのところ、あのあたりは会いたくない。レドとリーン、ウィステ先輩は特に会いたくない。胃がひっくり返りそうになる。

 

胃酸の代わりに息を吐くと、グレイは突然奇妙なことを言った、

 

「……でも、突然泣いたじゃないですか」

 




これは言い訳ですが、長期間更新できなかった理由の半分は反TS派の友人にレスバトルで敗北したためです。

「TS(男→女)なんて、結婚させたいだけじゃん!?結婚させたいだけじゃん!!!!!」というオンライン越しの叫びの勢いに対して、「てぃ、TSって、必ずしも関係性をみるものだけじゃないし?TSした子にスポットを当てて、その子単体を愛でるっていうのもあるし?」と苦し紛れにしか反論できませんでした。

レスバトルはノリの良い方が勝つのが世の常です。友人にはTSが好きであることを言えていない(TS物の感想欄のメス堕ちコールを見るのが好きとしか言ってない)自分が負けるのも当たり前です。

このような情けない自分にうんざりした私は、今までずっと見続けていたハーメルンを絶食することで、TSジャンルとは今一度何なのかと自分自身に問いかけることにしました。

しかし、わかったのは、TS、ないとつらい……。ハーメルンは閲覧我慢したけどなろうでTS物読んじゃったわ……。生活必需品だったわ……。ていうか精神的GLなら、世界観によっては結婚が目的ではないのでは?それを百合好き反TS派に啓発すればよかったのでは?……自分の脊髄に恥じました。

そもそもTSは、精神的GLも肉体的BLも百合も先天性も後天性も一次も二次も転生も男→女も女→男も「俺は絶対メス堕ちしない(偽)」も「俺は絶対メス堕ちしない(真)」もあります(メスは概念です)。なんてことだ、TSは宇宙だったんだ……。TSは、自由だ……。気がついちゃった……。

今度またレスバトルになったら、反TS派にこのことを啓発したいと思っています。

そして、これだけは声を大にして言いたい。

結婚の何が悪いんだよオオオオオオ!


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8-8

【N.C. 999】

 

オレはグレイの一言に聞き返した。

 

「泣いた…………誰が?」

「お師匠ですけども」

「……いつ?」

「逆ギレみたく『お前なんか知らん』って言ったときに、そりゃもうダバーっと」

 

オレが?泣いた?全然気づかなかった。

今顔を触ってみても、特に濡れてはない。しかし、言われてみると頬が少し突っ張る感触がした。

 

「き、気づいてなかったんかい」

「緊張でまばたきの回数が少なかったからか?」

「……えー、はい、この話はまた今度ということで」

 

そう言い終わるや否や、グレイは急にオレに詰め寄ってきた。こっちは血で臭くなっているので、あまり近づかないでほしい。クソ寒くても、早くどっかで水浴びしてーな。こんなんじゃ、その辺の町にも入れやしない。……川の水が凍っていたらどうしよう。

 

「ところで!この箱、いつの間に入れてたんですか??」

「秘密」

「お猫さん!あなた鞄の中にいたりしましたよね!?ホントのところどうなんですか?」

「秘密である」

 

膝の上で丸くなっている猫は、ゆらゆらと尻尾を揺らした。

 

「うっ、嘘つき―っ!!!僕に持たせるわけにはいかないって言ったのに!騙された!!!!」

「うるせー!オレは嘘つきなのっ!」

「ずるーい!いっつもっ、僕を都合の良い人扱いしてー!ほら見てくださいよこの手のひら!別れた後できた火傷ですっ。めっちゃ痛いですっ。慣れてないとこんなになっちゃうんですからね!」

「オレと一緒にいたらいたで、ゲロ吐いた人の世話してから、国家魔術師に追い回されて、す巻きにされてたぜ」

 

もし透明になっても、執念深く追いかけてきそうなので、グレイがあの時一緒にいても同じ結果になっていただろう。そんな気がする。

 

「…………それに!なんでもかんでも騙したりごまかせたりできると思ったら、大間違いですから!」

「お前も今ごまかしたじゃねーか」

 

今日はやけに突っかかってくる。めんどくせー……。

 

「はあ……」

 

こいつとも、これからどうしようか。

すててしまおうか

今後のことを考えていると、グレイはさらに詰め寄ってきた。

 

「僕を見ては悩んでいるようなのはバレバレです!」

 

うげっ。

 

「こっちは言われなきゃ伝わらないんですよ!!!」

「……お前もか、めんどくせー」

「他の人にも指摘されたことあったんですか!?でしょうね!」

 

ずっとブーブー文句を言っているグレイに対して紙切れを差し出す。

 

「おい、これ」

「なんですか?……名前と住所?」

 

原本はすでに持ち主のポケットにねじ込んであるものだ。こっちは急いで写したから、そんなにきれいな文字じゃなくて悪かったな。

 

「一時期、ある共通点を持つ子供の誘拐が多発したらしい。その子供たちのだ」

「共通点って」

「光に関連した魔術を使う、または使える見込みがある」

「……」

「その中にあるんじゃねーの?お前の、本当の名前が」

 

グレイという名前はなかった。しかし、こいつに名前を聞いたとき、知らないだの覚えてないだの言われた挙句に、落ちていた新聞を見て、じゃあグレイでいいです、と適当に言われた気がする。だから、たぶん別にちゃんと名前があるんだろうと思っていた。……いつだっけ。拾ってきたときだと思うけど、もうはっきりとは思い出せねーや。

 

顔を俯いてジッと紙を見つめたまま、グレイは言う。

 

「つまり、僕に親元に帰れと?」

「落とし物は、持ち主のところに戻った方がいいだろ」

「さらっと人を落とし物扱いしないでください」

 

顔上げ、静かに首を振った。

 

「ごめんなさい、無理です。これを見てもやっぱりわかりません」

「わからない?」

「……僕は、僕自身の二年以上前のこと、何一つ覚えていないんです。だから、話しようがないんです」

「ああ、だからお前はわからないって言ってたのか」

「そうですよ。……どうして今さら」

「お前だって、話さなかっただろ」

「それは……なんか、妙で」

「ふーん」

 

グレイが押し黙ってしまったので、オレも特に話すことがなくなった。肩を回したりして動きの確認をする。特に問題はない。

 

「……いや、ここまで聞いたなら、もっと聞くんじゃないですか!?」

「言いたいことがあるなら言えばいいし、言いたくないなら言わなくていいじゃん」

「う、う、う……もー!あんたって人は!もぉぉおおお!」

 

さっきはブーブー言って、今はモーモーとは。忙しい奴だな。

 

「いいんですか!?聞いて後悔しませんか?」

「お前うるせーし、連れてきたことを後悔し始めてる」

 

ぴたっと急に静かになった。なんだと思って様子を窺っていると、大きくため息をつかれる。

 

「……僕には全然関係なさそうだったり、明らかに自分のものとはつじつまが合わない、別の誰かの知識や経験が頭の中にある感覚がたまにあるんです。気がついたらこの状態で、でも、自分自身のこと、全然思い出せなくて……」

 

目の前の、オレより小さな少年はうつむいた。

 

「……僕、誰なんでしょうか」

「はあ?お前はお前だろ」

 

例え、同じ顔でも、同じ体でも、過ごした時間が違ってくれば、それはもう別の人間だと聞いたことある。だったら、知らん『誰か』の記憶が頭の中にあったとしても、今体感している時間を考えれば、なおさらその『誰か』は別人だろう。うんうん頷いていると、グレイはふくれっ面をした。

 

「……もー、そういうこと言うと思ったー」

「その住所リスト片っ端から訪ねてけば、何かわかって今抱えてるモヤモヤも解消するんじゃねーの」

「なんというごり押し作戦……」

 

そして、ボソッと呟く。

 

「……あんなこと言って、いいんですか?」

「何が」

「……そーですか」

 

猫がむにゃむにゃする音と環境音以外はしなくなる。ようやく静かになったから一息つけるな。

 

「あああっ!」

 

だから静かにしろと。頭に響く。

グレイが細い枝で地面に絵を描き始めた。

 

「この人。どこかで以前お会いした気がします」

 

似顔絵だ。結構うまい。

 

「リーンか」

「…………あー!!!!前!首都であったお師匠のお友達!思い出した!その時はリーンさんとあのお兄さん、えーと」

「レド」

「あーなるほどなるほど!」

「今日、というか昨日、俺の身ぐるみはがした奴の片方だぜ」

「えええぇ……」

 

似顔絵の下に名前の文字を書いてみる。一回書いた後、二回、三回と繰り返し指でなぞる。特に意味ない行動だった。でもやってみたかったのでやった。

 

「そういえば、リーンさんとレドさんとは、いつからお知り合いに?」

「……軍魔術師学校のときから」

「どんな感じだったんですか?」

「なんで今までになく、ズカズカ聞いてくんだよ。……別に、そんなに思い出に残るようなこともなかった」

「本当ですか?あやしー」

「少ししゃべってたくらい」

「ほんとー?」

「リーンとは話してた期間は10か月くらい」

 

やたらベタベタされたのは何だったんだろう。ちょっとたまに変な言動だった。

前はそんなことなかったと思うんだが……。友達いっぱいって言ってたし、他に話す人なんていくらでもいるだろうに。

 

「そ、そこそこ長くないですか?じゃあレドさんは?」

「一年半?ちょこちょこ毎回十数分話してたくらい」

「それは少しではない……」

 

会話の内容は全く覚えていないから、時間も内容も大したことはない。

 

「あっ、レドはたまに突然大きな声出したりしてたな」

「……何やらかしたんですか?」

「何もやらかしてねーよ」

 

レドも、もう少し落ち着きがあるヤツだったはずなのだが、踏み台だの言っていたような気がする。何の話だったっけ。忘れてしまった。

 

「そんなこと言って!特に男のほう、わざわざ追いかけてくるってことは何かあったのでは?」

「んなわけあるか。向こうは仕事だろーが」

 

こいつ、妙なこと勘ぐってやがるな。……そもそもアイツきらいだ、嘘つきだから。

 

「それに、今はともかくオレは『前回』男だったんだ。男とどうこうするつもりはない」

かえりたい

女とも、うん、まあ、そういうのは恥ずかしいからちょっと……。そもそもそんなこと考える時間はない。

 

そんな中グレイはというと、口を開けて呆然としており、理解が追い付いていないようだった。仕方ないので、『前回』男だったはずなのに、なぜか『今回』女になっていたことを簡単に説明する。まあ、突然ちんこなくなった話は衝撃だよな。だって怖いもん。話し終えると、グレイはたっぷり三十秒固まってから再起動した。

 

「おと、とととととこおとととこ!?え!?は!?!?どういうことですか?え?え?聞いてないんですけども!!!!???!?」

「聞かれなかったし」

「そういう話じゃないんです!!!はっ!お猫さん!?」

「聞かれなかったからな」

 

急に前から抱きつかれる。そして、グレイはガバッと顔をあげると、

 

「そんなっ!?一応おっぱいあるじゃないですか!」

「殴られてーのか、てめー」

「あわわわわわわわわわわわわわわわわわ」

「おい?……ちょっ!?おま、ひ、やめ、ズボン脱がせようとすんな!やめろぉぉぉおお!?!??」

 

 

 

……危うく下半身が寒くなるところだった。

 

「痛い、頭も手も痛い……」

「このクソ寒い中、アホな行動をとるお前が悪い」

「よくよく考えたら、この人、室内では人がいても半裸になることあるから殴られ損だぁ……」

「半裸じゃねーし。ズボンを脱いでいるだけだ」

「それを半裸と言うんですよぉ~」

 

寝るときにズボンを着ているのは変な感触がするから、脱いでいるだけなのに。パンツかズボンどっちか身につけていれば問題ないだろ。

 

頭にできたたんこぶを押さえているグレイを放置して、地面に残された絵を見る。

 

「……む」

 

細い枝を手に取り、丸くなっている猫を見ながら手を動かす。……うむ、中々頑張ってかけたんじゃないか?

 

「地図ですか?意外と描くのお上手ですね」

「……」

「ああ!?なぜか眉間のしわが一本から三本に!」

 

けっ。……どーせオレなんて、暴力以外に取り柄なんてないことはわかってる。

 

しぶしぶこの絵を地図として、次の目的地を決めることにした。もともと東には行こうと思っていたが、ルート変更だ。駅は見張られているっぽいし、こんな格好だから徒歩だな。

 

「ここってどこだっけ」

「この辺ですよ」

「へー。……ん?」

「どうしたんですか?」

「あ、いや……、なんだっけ。まあいいか……うぇっ!?」

 

視界の隅で奇妙なものを見つけて、声をあげてしまった。

-・-- --- ・・-

猫の眼が真っ昼間の中、光っていた。

・- ・-・ ・

……あ、マジで光っている。ピカッ、ピカーッと点滅している。

・-- ・- - -・-・ ・・・・ ・・ -・ --・

「見た目がやかましいわ」

・・- ・・・

文句を言うものの、この猫が言うことを聞くはずもない。

・・ -・- -・ --- ・--

「うむ、これで良いであろう」

「何がだ」

 

しばらくすると納得するようにそう言って、鞄の中に潜り込んで寝てしまった。こいつ本当になんなんだ。

 

「なんで眼が光るんですか……?」

「お前にわからんのなら、オレにもわからん」

 

段階的に戻ってきていた気持ち悪さについに我慢できなくなり、ふらっと立ち上がる。

 

「何しに?」

「トイレだよ、ト・イ・レ!ついてくんなっ」

 

 

 

少し離れた森の奥で、口の奥に指を突っ込み、ずっと我慢していた嘔吐感を解放した。喉の奥が酸っぱくなる。走ったことで紛れていた、全身痛みがあるはずなのに頭がふわふわする感覚がぶり返す。

 

「あーあ……気持ち悪」

 

うつむいたせいだろうか。ポケットから何か落ちた。

あの時とっさに拾った、小さな穴がたくさんあるカードだった。

 

「これ、パンチカードか……?」

 

高そうな紙でできたそれは、なんとか機関という機械に入れると、穴の空いた位置から情報を読み出してくれる代物だったはずだ。第三課はなぜか手書きの資料が多くて、ほとんど使う機会はなかった。

おまえはだれだ

拾いあげ、上に向けて掲げる。なんらかの法則に基づいて空いた穴の向こうには、空が見えた。こんなふうに、見たくないものだけ見えなければいいのに。

あのひとはだれだ

曇った頭の中に声が響く。

がんばればきっとわかる

「うん。オレ、もっともっと頑張らなきゃ……。そうだな、アイリス」

今何も言ってないよ!?

いつも通りの左肩を、いつも通りの手で触れた。

 




TS以外は全部おまけだから何してもいいってばっちゃも言ってましたし、何より読んでくださる皆様のことを考えるとタイトル詐欺は良くないので、中盤からインフレに追いつけなくなる不器用脳筋再生能力持ち中ボス系自分のことをリアリストだと思っている現実逃避ダブスタメンタルボロボロ太郎主人公にしておきました。


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■■i

寄り道回です。


【■.C. 9■9】

 

とある秋のこと。

 

眉間にしわを寄せて本とにらみ合う少年に声をかける者がいた。

 

「よぉ」

「あ、レド」

 

本を読んでいた少年───アコラスは嬉しそうに顔を上げる。

 

「何を読んでいるんだ?」

 

文字を習いたての状態では少々ハードルが高そうに思われる、そこそこの厚さの書物をアコラスは開いて見せつけた。ちゃっかりいたブレウが「おや、それは……」とつぶやく。

 

「『あなたの町の幽霊生体図鑑』っ!付録は呪いのカレンダーだぜ!」

「ちょっと待って」

 

レドはぎこちなく振り返る。

 

「……ブレウ?」

「僕は知りませんよ」

 

ふーやれやれ心当たりがないといった様子でブレウはジェスチャーをした。オカルト好きな友人をいぶかしげに思いながらも、レドはアコラスへと視線を戻す。

 

「誰から貰ったんだ?」

「リーンっ!」

 

(……そういえば、いつかにブレウがあれ、リーンに押し付けていたのを見た覚えがあるな???)

 

怪しげな本がいたいけな少年にたらいまわしにされていたことに、若干の危機感をレドは感じた。良くも悪くも素直な子だ。変な影響を受けなければ良いのだが、と心配してしまう。だが、眉間にシワがよりつつも、楽しそうに読んでいる姿を見ると、止めることはできなかった。

 

話題は昨日あった出来事に移る。

 

「昨日はなー、アイリスとジャンケンしてた」

「そうか。他には?」

「ふっ、もちろんジャンケンだ」

「そ、そうか。えーと……、対戦成績は……」

「33勝33敗33引き分けだった」

「思ったよりも頂上決戦だな!?」

「だってアイリス、こっちが次考えてる手を予想してくんだよ」

 

そんな馬鹿なと言いたくなると同時に、彼女ならやりかねない気もする。レドは、なぜ99回もジャンケンしたのだとか、よく負けが三分の一ですんだものだとか、そんな考えが胸をよぎった。

 

「アコラスはどう対抗したんだ?」

「目で見て頑張ったぜ!」

「なあ、ブレウ。俺の知っているジャンケンとはかけ離れた、動体視力と精神分析の戦いになってるんだけど」

「まあ、結果は期待値なので、良いんじゃないですか」

「良いのか。……良いのか?次やったら十年二十年も続きそうな勢いだな」

 

アコラスはムッとした。何か言い返してぎゃふんと言わせてやろう、どうしようかな。そう考えているうちに、思考は遥か彼方へ脱線する。

 

「十年ってどれくらい?」

「どれくらいとは、また曖昧な質問を……。アコラスの感覚的には、物心ついてから今までの間よりも、少し長いくらい、かな?」

「へー、なっが」

 

口を開けてポカーンとする顔を見て、レドはつい笑ってしまった。 

そこにブレウが割り込んできた。

 

「年齢によって、体感時間は違うらしいですが」

「こらこら、話をややこしくするな」

「人間は幼年期を乗り越えれば、あと何十年も生きますから。これまでの十年と、これからの十年二十年は別物、と考えておいた方がいいですよ」

「ふーん」

 

とたんに興味を失くしたアコラスは、本へと向き直り───、

 

「なので、十年前から比べると身長が伸びていても、十年後伸びているかどうかはわからないわけです」

「んだと!伸びるわっ!今だって身長あんだからな!」

 

本を勢いよく閉じて立ち上がった。抗議とともに地団駄を踏む。ブレウは意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「その部分は地面に埋まってそうですね。地下何メートルですか?」

「ウギャー!!!うるせーバーカ!!!!!」

 

言い争い、というよりは一方的に言い負かされる様子をレドは見守る。

 

「……今日はギャン泣きせずに勝て「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁんっ!!!!!」……早かったな」

 

鼻水をすすりながらレドの後ろに回り込んで、アコラスは怨敵を威嚇する。

 

それを見て満足した表情のブレウは、ふむと頷いてから時計を確認した。

 

「いじめるためだけにわざわざ来るなんて、物好きだなぁ」

「君は君で、本当に世話好きで、物好きですね」

「そうかもな」

「そうですよ。……あまり思い入れは強くしない方がいい。では失礼、自分はこれで」

「ああ、了解。俺からもよろしく伝えておいてくれ」

 

 

 

二人きりになった後で、アコラスはレドの袖を引っ張った。

 

「レドは今日なんもしないの?」

「そう、何もしない日。なぜなら今日は、何もしないのが仕事だから」

「朝、扉修理の手伝いしてたじゃん」

「その扉を壊して逃げようとしたのは、どこのクソガキでしたかねぇ……っ」

 

ゆっくりと過ぎる時間の中、レドに促される形で、アコラスはとりとめのないことを話し出す。いつからか、そんな習慣ができていた。

 

「アイリスはさあ、いつもすぐ走り出しちゃうんだ。『歩くスピードに飽きちゃうんだもん』だって」

「お前だってすぐ走るだろう。今日だって突然走り出したの見たぞ」

「うるせー、気がついたら走ってんの。それこそ仕方ないだろ。……理由思いついた!最近寒くなってきたから、走ればあったかい!どうだ!」

「夏は夏で、日向みたいな暑い場所を短い時間で移動すれば暑くない理論を主張していたような……。それで、走っていって止まったところで、汗だくになってたような……」

「うがあああああああ!あれは単に失敗しただけ!もうそれは意味ないってわかった!」

「失敗ねぇ」

「悪いか」

「悪くないよ。失敗した意味、あったんだろう?」

「まーな。ふっ、あの理論は間違いだった。結局日向は走り抜けても暑かった」

「賢い賢い」

「ふっふーん」

 

なぜこんなふうに彼と話しているのか、レドは自分自身を不思議に思った。本当は会話などはしなくてもよい。

 

(今はただ、見張っていればいいだけ。そして、いざというときは俺が、この子を……)

 

「アイリスは空を見るのが好きなんだって、どこまでも続いてて、それがいーんだと」

「アコラスは違うのか?」

「えー?考えたことねーや」

 

腕を組み、うーんうーんと唸るアコラスを、レドは静かに待ち続けた。

 

「……きれいだとは思うけど、空とか星とか、底なし沼みたいに終わりが見えなくて怖くね?」

「なんかそれわかるなぁ。十年後も百年後もたぶん同じように、昇って明るくなって、沈んで暗くなってを繰り返すわけだし」

「それほんと?」

「ああ、ほんとほんと」

「そぉっかぁ」

 

アコラスは椅子の上で仁王立ちをする。

 

「ひゃくねん。十年が急に短く感じ始めたぜ」

 

先日、椅子の上に立ったらアイリスから下から椅子を揺らされた、と文句を言っていたのに懲りていない様子だった。

 

レドはからかい半分に言う。

 

「本当にアイリスの話ばかりから始めるよなぁ」

 

最近は以前に比べてそうでもなくなったが、二人はずっと一緒だった。それは、いくら双子でまだ12歳とはいえ、異性の姉弟としては距離が近すぎないかとも思わせるほどだ。

 

レドがいつかに遠目で見た光景。アコラスに後ろから抱きついたアイリスが、語りかけていた。

 

『あなたは……たった一つの、私の───』

 

他の存在に気がつくと、彼女はパッと離れてしまった。いったい何を話そうとしていたのか聞いても、のらりくらりとかわされたのは今でも引っ掛かっている。

 

「何か他にないのか?ほら、例えば、自分自身のこととか」

「えー……。うーん……、じゃあ!レドが『首狩り』ってひそひそされたの見た!切り落とした?」

「首は切り落としてないかな……。そもそもさ、俺に俺の話をしてどうする」

 

仕方がない。レドはため息をついてから、最近、誰と何を話してどんな行動をしたのかを聞いた。すると、テンポ良く返答がくる。

 

リーンが難しい文章を読めたのを褒めてくれたこと。

 

ブレウがいちいち喧嘩を売ってくること。

 

ネロが一緒に落とし物を探してくれて、そのまま迷子になったこと。

 

ヴァイスがブレウの弱点を教えてくれたこと。

 

いつも扉を直してくれる人と少し話せたこと。

 

楽しそうに話しているその姿に、チクリと胸が痛んだ。

 

「アコラスは何かやりたいこと、ないのか?」

「んー、わかんない。……あ、気に入らねーやつをぶっとばす?」

「物騒だなぁ。殴られる側はたまったもんじゃないよ、あはは」

 

何気なく言った一言に少年の瞳が揺れた。

 

「アコラス?」

「……めんなさい」

 

一度うつむいてから、再び顔を上げて視線を合わせる。

 

「……前に、レドのこと……後ろから頭、思いっきり、岩で殴っちゃって、……ご、ごめんなさい」

 

泣きそうな顔は、本人の自己申告である12歳よりも、さらに幼く感じられた。

 

ああ、そっちか、そんなこともあったっけ、とレドは何か月も前の冬を振り返った。あの日から一気に情勢が不安定になった。あちこちで内乱が起きて、行政が機能していない地域も出ている。最近は落ち着いているが、この先どう転ぶかわからないと伝えられている。

 

亜麻色の髪をぐしゃぐしゃになで回す。

 

「何すんだ!」

「……ったく。アコラスが俺を殴ったのなんて、今さらな話だろう?そう、両手じゃ数えきれないくらい、殴られたり蹴られたり。……だから、そんな悪い子にはこうだー!」

 

アコラスをくすぐる。キャッキャと身をよじっている様子は、大型犬と遊んでいたら、こんな感じなんだろうな、とレドに思わせた。

 

(アコラスが俺を殴ったのは、何も知らなかったから。『知らない』という状態すら、把握できない。重要なことを何一つ教えてもらえず、ずっと狭い世界で生きてきて……、今だってこの子は、まともな外出をしたことがないんだ)

 

暗くなった空気を払拭するため、レドは言った。

 

「今度の年の終わりの祭、行こうな。お前とアイリス、連れていけると思うから」

「……あっ!出たな!お祭り!」

「お。誰からか、もう聞いたのか?」

「リーンから聞いたぜ!!」

「どんな祭りかは?」

「全く全然知らん」

 

冬至祭に何をするのか、知っている範囲で教えていく。当たり前のことを目を輝かせて聞き終わった後、アコラスは首をかしげた。

 

「冬の次は春だろ?春は何があるんだ?」

「春……」

 

あの日以来、誰にも話さなかったことが、ふいに思い出された。

 

「どした?」

「……俺の故郷にさ、花畑があったんだ」

「こきょー」

「生まれ育った土地のことだよ。で、そこはさ、俺と───いや、俺だけが知っている秘密の場所で、春になると……」

「春になると?」

「それはな…………秘密だ」

「えーっ!?教えてくれないなんてズルイズルイっ!」

 

怒り始めた少年をなだめる。中途半端に話を切り上げたことを後悔し始めた頃、

 

「もったいぶるくらいすごいなら連れてけや!」

 

と、アコラスが抗議の声をあげた。なんだ、やりたいことあるじゃないかと安心をして、

 

「……それも、良いかもなぁ」

 

言葉がこぼれ落ちていく。

 

「今度の春は、帰ろうかな。帰っても、許されるかな」

「良いぞ良いぞ」

「あはは、なんでお前がそう言うんだよ。……でも、そうだな。次の春が来たら行こうか。俺も、お前も、皆も一緒に」

「うん!」

 

(そうしたら、友人たちにも打ち明けられるだろうか。自分は、何か変わることができるだろうか)

 

そして、頭の片隅であり得ない可能性を考える。

もう少し早く彼と出会えていれば───、

 

いたずらっぽい笑顔が視界に入った。

 

「おっ、何を企んでいるんだ?」

「ふっふっふっ。レドをぎゃふんと言わせられる、とっておきの方法をリーンとヴァイスとネロが考えてくれたからやってやるぜ」

 

そう言って、アコラスはレドの手を握る。

 

ゾワッと鳥肌が立ち、

 

 

 

「『お兄ちゃん』」

 

 

 

その言葉を聞いた瞬間に、手を振り払っていた。

 

「──────あ」

 

何が起きたかわからず、驚いている少年の姿が目に映る。

 

「ごめ……っ。違う、違うんだ、目のすぐ近くに虫が。驚いて、つい」

「え、虫苦手なのか?」

「あ、ああ。実はそうなんだ。内緒だぞ?」

 

とっさにまた、嘘をつく。

 

「ほー、へー、いいこと聞いちゃったぜっ」

 

なんとか、ごまかせたようだった。

ほっと息を吐いたレドは、アコラスが読んでいた本のページを何気なくめくろうとした。

 

「うわっ!?何やってんだよ、レド!」

 

触れる直前で、紙が瞬く間に燃えていく。

 

「……ちょっと、まだ動揺していたみたいだ」

 

意図せずして本が発火した現象。

これは魔術の暴発だった。

 

(前に処方された分、あとどのくらい残ってたっけ……。あー、これ、また火傷で服と皮膚がくっついてるなぁ)

 

以前の怪我で受けた()()()を補うために、常に繊細な魔術制御が要求されていたレドは、心を落ち着かせる類の薬を飲むことで、その技能を安定させていた。逆に言えば、精神的に不安定になれば制御は不安定になり、魔術が暴発する綱渡りの状況でもあった。

 

「虫でそこまで?そんなに嫌いだったのかー」

 

そんなこともつゆ知らず、情けないやつだなーとアコラスは笑う。

 

その横で、炭になった本は原型を保てず崩れていった。

 




あやまれてえらいね!


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9-1

3秒でわかる登場人物紹介
アコラス…主人公。最近、「あなただけに身長を伸ばす方法を教えます」的な詐欺で路地裏に連れ込まれかけた。
グレイ…昼ドラ系ストーリーにはまっていたおかげで、TSで脳を破壊されずに済んだ。
猫…何もしない。
アイリス…メインヒロイン(未登場)。土地転がしをして不労収入を得たいと考えるタイプ。



【N.C.999】

 

ある時、水が溢れんばかりの大きな流れに投げ入れられた。

逆らえずにただただ流されていく。

行き着く先は、大きな大きな水たまり。

暗く深い底で朽ち果てて、薄く薄く、全体に散らばっていた。

幾世の彼方。水たまりから一粒の涙がこぼれた。

水たまりの記憶と比べれば短すぎる時間ののちに、また還るとわかっていた。

 

 

 

§ § §

 

 

 

グレイの声が下からした。

 

「お師匠」

「なんだ?」

「僕、お腹減ったんですけど」

「そこの枝の先に葉っぱがいっぱいあるだろ」

「嫌です。あんたみたいに雑草もりもりたべるほど、味覚崩壊してないんだよ!」

「オレは味覚崩壊してない。むしろ鋭いほうだ」

 

……うぐっ、別に風が吹いたわけではないのだが、スカートのせいで下半身がスースーする感触に襲われる。だが、背に腹は代えられないので、今はこういう格好をしている。

 

「……とにかくお師匠チョイスの雑草は食べたくないです。断固拒否です」

「安い茶なんて、雑草でかさ増しされてる。今更食うくらい、そんな拒否せんでもいいだろ」

「お茶だと思って飲むのと、雑草だと知ってそのまま食べるのとでは、心構えが違うんです!このわからず屋っ!」

 

急にチカチカと光を向けられた。まぶしくて目をつむる。

 

「何すんだ!」

「へっへ~ん、新技です……ってこの間は逃げるときに使ったじゃないですか」

「は?知らねーぞ。腹蹴ってそのまま逃走したじゃん」

「…………うーん。うん、そうですね。あそこの赤い木の実食べられそうじゃないですか?お猫さん身軽でしょ。あんた猫でしょ。取ってきてください」

「嫌じゃ。余は肉体労働しない。何もしないことこそが本質。そもそも赤とか知らぬ」

「おっ、その形状……お腹が痛くなるやつだぜ」

「やっぱりやめます。ていうか……」

 

グレイが言葉を一旦区切るとともに、幹の周りをぐるぐる回っている犬がワンと吠える。

 

「そろそろ木から降りましょうよ」

「やだ」

 

それができていたら、この世に苦労など存在しない。

 

 

 

大神殿の街での騒動の後、いつも通り闇夜に紛れ行動したのに加えて変装をした結果、俺たちは船による交易で人の行き来が多い、東の海付近の町までたどり着いていた。

 

しかし、犬に追いかけられ、町のすぐ外、そんなところに位置する木の上に撤退せざるをえなかったオレは、木の幹にしがみついていた。

 

「いつまでそこにいるつもりですか」

「犬がいなくなるまで」

「大きくもなんともない、ただの小犬ですよ!?」

「どんな犬でも嫌いだ」

「……なぜ?」

「犬っていつも追いかけてくるじゃん」

 

前からずっとそうなのだが、犬は追いかけてくるし、首根っこを咥えられてどこかへ連れて行かれそうになるのだ。とんだ誘拐犯である。今やられたら、いつもより長めで色の違う髪に変装するためのカツラがずり落ちてしまうだろう。

 

「お師匠が逃げるからじゃないですか?」

「逃げてねーし」

「じゃあ今の姿は何ですか」

「高いところから犬を見下しているだけだ」

「高所でワクワクしてるのか、犬にビビってるのか、はっきりしてください。あ、木の下で糞してます」

「……」

「お師匠?」

「おい、グレイ。お前、犬の糞踏んだことあるか?」

「お、お師匠……っ!まさか……」

「裸足で踏むと蒸したジャガイモみたいな感触なんだぜ……」

「ジャガイモといつも10分くらい睨み合っているのって、まさか」

「もう降りられねー……。オレは一生木の上で暮らす」

「なにバカなこといってるんですか」

「せめてその犬を遠くにやれ」

「仕方ないなー」

 

幹にガシッとしがみつくと、ミシッと変な音がした。……力加減ミスったわ。

少し焦っている間に、「ほら、こっちこっち」とまだら模様の犬を誘導するのが聞こえる。

 

「この子、お利口さんですね。ちゃんと言うこと聞いてくれました。しかもこんなにおとなしくしてる。騙されたと思って降りてきてください」

 

木から離れた犬がお座り体勢になって、確かにおとなしくしていることがわかる。

やれやれ、てこずらせやがって……。

 

「……ちぇっ、わかったよ」

 

膝が出ないように押さえながら、ふわりとスカートをはためかせて飛び降りる。間接的に足元から嫌な気配を感じるとともに、離れていた犬がオレに向かって一目散に駆け寄ってきた。

 

再び木に登ると同時に犬は木の根元に到達する。

 

「……」

「あれ?いつもみたいに文句言わないんですか?……あっ」

「……それはジャガイモだ」

 

オレは地に足をつけたのは、さらに一時間後のことだった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

ごつごつした枝ではなく、加工された木の感触を感じ、だら~と背もたれに体重を預ける。こっちのほうがやっぱり楽だ。

 

「はい、スカートなんだから座ってるときは足は閉じる」

「うるせー」

 

服装とカツラだけでは満足しなかったらしいグレイは、オレが木から降りたあと、宿の一室であれこれ化粧をしてきた。しかも、化粧の許可を出したことで調子に乗ったのか、いつもよりもあれこれ指図してくる。めんどくせー。

 

「だーかーらー、眉間に皺寄せないっ。つり目ぎみに見えるよう、お化粧していますから」

「むぅ……」

 

手先が少々あまりたぶん器用でないかもしれない可能性があると思われるオレだが、奇跡的にいかにも血色の悪い化粧だけはできる。このくらいは自分でやろうと思っていたのに、ああだこうだと言いくるめられ、気がついたら『つり目っぽく見えるメイク』なるものを施されていた。なぜこんなものができるんだと聞いたら、「絵を描くのと同じですよ~。まあ初めてやったけどうまくいってよかったです」と返された。納得いかない。

 

「いつもにまして不機嫌じゃないですか?」

「昨日変な夢見たんだよ」

「夢?どんな夢ですか?」

「んなもん忘れたっつーの。でもプカプカしてた気がする。時々あるんだよな、そーゆーのさ、詳しいことは全然覚えてねーけど」

「はあ、プカプカ……?あ、そうだ。試しに胸に詰め物して大きくします?」

「ほっほう……」

 

それはちょっと面白そうだな。

 

「Fくらいにしようぜ!こういうのはおっきいほうが良いだろ!」

「お師匠は胸部理想値高すぎません?さすがにそこまで()ったらバレますよ」

 

やっぱり大きいほうがいいと思う。平均以下は皆()ってほしい。……だが、よくよく考えてみると、自分のが大きくても嬉しくないな。虚しい。やめよ。

 

「髪は……長めですが、このまま下ろしておきますか」

「うげー」

 

毛がふわふわとした感じのカツラなので暖かいが、この長さは違和感がある。

なぜなら、ちょっと前は伸びたら切って売ったりもしていたけど、最近はあまりそういうことはせず、肩くらいの長さのままだったからだ。一応、そんな中途半端な髪にしていたのは、男か女か、見る人によって認識が変りやすいようにするためである。まあ、うまくいっているかはわからないが。だってオレはかっこいいからな……。

 

「別に髪の色なんて染めてもいいのに」

「ええー?もったいない。痛んじゃいますよ」

「どーでもいいだろ、こんなの」

 

髪、というかカツラをあれこれいじり回されたあげく、ようやく満足したらしい。

グレイはパチパチと拍手する。

 

「わーっ、かわいい!」

「かわっ……」

 

口元がひきつるのが嫌でもわかる。

 

「せっかくだから鏡で見たらいいのに」

「ぜっっっったいに嫌だ」

 

こんな姿、死ぬほど見たくない。

 

スカートがシワになるだの、化粧が枕につくからやめろだの、お小言を無視し、この体勢のほうが楽なのでベッドの上でうつ伏せになる。そのまま、パタパタ足を動かしていると猫が足にしがみついてきた。ブンブン揺れるが楽しいのだろうか。

 

「ユフラっていう人の言ってたことが本当なら、大変なことですね」

 

グレイが新聞をガサゴソとしまっている。どうやら大神殿の町をオレたちが立ち去った後、クソ強かったので相手にしたくなかった男(名前はクリムノンというらしい)とあの迷惑女は二人とも取っ捕まったことが書いてあったようだ。見たくない内容があるかもしれなかったから、直接オレが読んだわけじゃないが。

 

「なんで?」

「だってこのままだと、数十から数百年後に、人類という種が滅ぶってことじゃないですか」

 

あー、その話か。

 

「うん十年後だかうん百年後のことなんざ、もうオレには関係ねぇ。今さえ良ければ、それでいい」

「ええ……」

「考えてもみろよ。人間ってのは、幼少期乗り越えたら、数十年は生きるんだろ?逆に言えば、百年後には今生きてる人間は、ほぼ死んでる。そんなの、オレは知らん」

「なんちゅー身も蓋もないことを……」

 

十年二十年先のことなんて、やっぱり考えられねー。

 

「……よしっ。じゃあ僕は調達にいくので」

 

荷物の整理が終わったグレイが椅子から立ち上がったのを見て、オレも起き上がった。猫は足にくっついたままだ。

 

「あーもう、枕が……汚れてない!?」

「ふっ。顔だけ微妙に浮かせてたからな」

 

 

 

§ § §

 

 

 

この町、建物の色が大体同じだ。

 

「建物が全部空の色に塗装されているので、『空色の町』と呼ばれているそうですよ」とか言っているのを聞きはしたが、空の色と建物の色が違うし、海沿いなのに、海の色じゃなくて空の色なんだ……、という思いが心をよぎった。

 

今はグレイがあれこれ必要なものを買いにいき、猫もついていっているので、一人だった。頭がぼうっとしたり体のあちこちが痛む以外は元気なので、最初はオレもと思ったのだが、

 

「うーん、ここまでやってなんですが、お師匠は帽子被ってたほうがいいかもしれませんねー。ちょーっと目立っちゃうかも。観光客装ってるとはいえ、町の市場だと確実に浮きますので、リフレッシュがてら喫茶店にでも行っててください。大通りの隣らへんが、お財布とお師匠の見た目の兼ね合いからベストです。はい、お財布」

「いらねーよ」

「『お金使うの、なんかよくわかんなくて怖いしやめとこ……』って考えてるだけでしょ。こんなときですけどお金の使い方、学んできてください。あとでチェックしに行きますからね」

 

と、追い払われてしまった。

 

「なんだよ、あいつ。なめやがって……」

 

オレだって、今まで金で物買ったこと、最低限はあるし。食い物とか。でも、川魚はオレくらいの動体視力があれば、手掴みで捕まえられるし。……伝聞知識で内臓取り出そうとしてたら、「その魚、内臓にガスでも溜まって、内側から爆発したんですか?」ってグレイに言われたけど。

 

住み家だって、最初は野宿だったけど、自分で家賃払うようになったし。今にも死にそうなくらい、いつも微振動していたよぼよぼ大家が、『無理しなくていいんだよ』と言っていて、お前が言うなという感じだったな。……脱走後の宿屋は、全部グレイの指示で喋ってどうにかしてるけど。

 

服だって、昔はゴミから拾うしかなかったけど、今日はちゃんとしたの着てるし。……グレイが買ってきたやつだけど。

 

……あれ。もしや、オレ、日常生活を送るために必要な能力、ちょびっとだけ足りない?

 

しかし、何かしようとするたびに、「お師匠じっとしてて。じっとできないならお掃除してて」と言うグレイにも問題があると思うのだ。

 

今日はずっと曇りな天気の空の下、通りを歩いていると、外で箒を持って掃いている人が視界に入った。

 

その姿にハッとさせられた。

 

そうだ、オレは掃除ができる。けっこうキレイ好きなので、掃除や整理整頓することができるのだ。

 

「うちの店に何か……?」

 

少し見つめすぎたため、向こうもこっちに気がついたらしく声をかけられた。

 

「店?」

 

掃除をしていた人の背後の建物は雑貨屋だった。どうぞどうぞと勢いよく店内に招き入れられる。

 

「油の臭いがする……」

「あはは、そりゃ金属加工してるからね」

 

奥に工房があって、そこで店先に並べる物を作っているんだとか。町一番の加工精度の工房だと、やけに熱心な店員から説明を受ける。

 

「暖房器具の部品も作っているんだ。今日は温かい上に、ちょうど今、日差しが通りから部屋の中まで差し込んでいるから、そこまで活躍しないのが残念だよ」

 

うんうんと聞きながらも、別に欲しい物もないし、どう言い訳して退散しようかと考えていると、

 

「本当は内緒なんだけど、実は外注でもいろいろ作っていて、最近すごかったのが……」

「ごらぁぁぁああ!お客に何しゃべってんだ!」

「はい、ごめんなさいっ、親方!」

 

奥からごついおっさんが出てきた。怒声に飛び上がった店員は奥へと引っ込もうとし、箒を持っていたことを思い出して、入り口付近に置き、ようやく奥へと戻っていく。

 

「あいつが余計なことをいろいろと言って店に引き入れたみたいで、すみませんね」

「いえ、そんなことは……」

 

親方、と呼ばれた人物に突如凝視され、思わず後退った。

 

「これはたまげた……」

「え……?」

「ああ、すまんね。眼がきれいな色しているものだから」

 

これ、おそろいじゃないから、オレはあまり好きじゃない。

 

ずっと同じ瑠璃色の瞳だと思っていたのに、ある時違うと気がついた。それがオレの、最も古い記憶の一つだった。

 

「『人魚の涙』かと思ったよ」

「にんぎょの涙?」

「お嬢ちゃんの目の色に似た宝石があるんだけどね。そいつのことさ」

 

にんぎょ。

 

「『にんぎょ』って、なんですか?」

「ああ、内陸の方の出身だったら聞き覚えないか。上半身はそりゃあもう美しい人間の女性なんだけど、下半身は魚で、水の中に住むと言われている伝説の生き物なんだ」

「へー」

 

宝石と、人魚などという実在しない空想の生き物に、一体何の関連があるのだ。オレにはさっぱり見当がつかなかった。

 

「この辺だと、宝石の一種が海岸に打ち上げられていることがあってね……。昔の人は、これはきっと海の神様の娘が流した涙だーなんて言ったんだろうね。そして、長い年月が過ぎるうちに、海神なんて古い神様だから、だんだん信仰が薄れていって、気づいたら『人魚の涙』、って言われるようになったわけだ」

 

涙は液体だぞ。石じゃなくねーか?

 

「詳しくは、こんな話があってだね……」

 

 

 

§ § §

 

 

 

昔々、いつも寂しい思いをしている海の神様の娘がいた。娘は海の中でいつも一人だったのさ。

 

ある時、娘が入り江のある洞窟にいると、彼女のいる岩影に向かって何かが飛んできた。拾ってみるとそれは見事な飴色の宝石だった。

 

「しまった!?どこにいってしまったのだろう」

 

声がしたので、娘はその方向に向かって、宝石を投げ返した。

誰かがいることに気がついた人間はお礼を言おうと岩の向こう側へ来ようとした。彼女はとっさに、自分は醜い姿をしていて、人に見られたくない、このまま立ち去ってほしい、と嘘を話した。

すると人間は、姿を見ないことは了承したが、また会いたいと言う。

海の神様の娘は嬉しくなって、人間に会いに行くようになった。こうして彼女は、人間と仲良くなったんだ。自分の正体を隠したまま、ね。

 

だがある日、持っていた宝石を狙った賊に、その人間は襲われ、死にかけてしまう。慌てた彼女は自分の肉を与えると、人間はたちまち元気になった。そのときに姿を見られてしまい、自分が海の神様の娘……人間ではないことがバレてしまった。もう会うわけにはいかない。

ん?なぜ会えない?正体がバレると会えないのは、お決まりの展開なのさ。

 

さて、海に逃げた娘は塞ぎこんで泣いてばかり。かわいそうに思った海の神様は、娘と人間、双方の記憶を消すことにした。しかし、人間の記憶は簡単にいじれても、娘のはそうもいかなかった。だから娘には、涙を流すとともに、記憶も流れ出るようにした。

 

こうして、海の神様の娘は泣くことで少しずつ記憶が薄れていき、その記憶を含んだ涙が出会いと別れのきっかけとなった飴色の宝石となって、海岸に流れ着いている……と言い伝えられている。

 

 

 

§ § §

 

 

 

「自分の体の生肉を食べさせるのは、病気の危険があるから良くないと思う」

「お嬢ちゃん。これ、そういう話じゃないんだよ」

「導入は丁寧なのに、賊が急に出てきてからの展開が早すぎる気が」

「お嬢ちゃん……」

「そもそも、誰も覚えていないんだったら、その話を一番最初にした人は誰なんですか?設定ガバカバじゃないですか?」

「ここまで昔話に突っかかってくる子は初めてだよ……」

 

あと、『海で一人』って……。その娘、海神をカウントしていない。結構ひどいやつだな。

 

この人に文句を言っても仕方がないのはわかっている。話をしてくれた礼を言い、オレは店から出ようとした。

 

「おっ……と」

 

たまたま通りに面した扉のすぐ外にいた人を避けようとする。だがその人物をみて、ずっこけてしまった。

 

「あら、ごめんあそば、せ……」

 

目と目があう。

 

「ひ、ぐ……っ」

 

叫び声をあげるのを慌てて止める代わりに、心の中で絶叫する。

 

 

 

ぎゃあああぁあぁぁああああっ!?なんでぇぇぇぇえええええええ!???!?

 

 

 

尻もちをついたオレを見下ろし、目を丸くする女性は、

 

「……あなた、は…………」

 

クリュティエだった。

 



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9-2

【N.C. 999】

 

目を見開いたクリュティエが、オレを見下ろしてくる。

 

いやおちつけ、今は一応化粧もしてるし、カツラも被っているし、服装もこんなんだし!以前あったときは帽子をかぶっていたし!向こうは気がついてない!平常心!落ち着け!!!

 

万が一、向こうが気がついていたとしても、『今回』は仮面で顔を隠したクリュティエとしかあったことがない。つまり、クリュティエは『オレが気がついた』という発想には至りにくい!そこが隙だ。

 

「……ぇさま……」

 

あまりにもか細い声で、何かをささやいた。オレの耳でも拾いきれない。……変だ。心底驚いた顔をして、呆然としている。バレたにしては様子がおかしい。

 

「そんな、はずは……」

 

ぶつぶつ言っていて、これはこれで怖い。そぉーっと立ち上がると、クリュティエは突然奇妙な質問をしてきた。

 

「あなた、ご出身は?」

「は?え、えっと、わかんないです」

 

この国は孤児も多いし、自分の出身がわからないなんて珍しくもないだろう。実際知らねーし。しかし、どこがそんなに気になるのか、オレの返答にさらに身を乗り出してきた。

 

「……っ!おいくつ?」

 

今はN.C.999だけど、誕生日わからんから年が変わると同時に年齢を加算するとし、肉体の機能的にはプラス五歳と考えて、

 

「じゅ、十七くらいです」

「……そう、そうよね」

 

何かに納得するようにうつむいた。そして、

 

「……いきなり、変なことを聞いてごめんなさいねぇ」

 

……?

 

…………え???

 

謝った!?オレに!??!?

 

「おや、マイアさん。いらっしゃい。今日はどんなご用で?」

「こんにちは、デイビーさん。今日は……いえ、また今度うかがいますわ」

 

やはり、オレが先日湖で電撃を食らわせた人物だと、気がついていない?もしくは、この人物はクリュティエではなく、ただのそっくりさんなのかもしれない。

 

「尻もちついてしまったみたいだけれど、大丈夫?」

「ぜんっぜんっ平気ですので!」

 

手をぶんぶんと振り、平気アピールをする。しかし、この推定クリュティエは妙に優しく、かつ、押しが強かった。

 

「お詫びにお茶でもご馳走するわ」

「…………えっ」

 

あああ!?このクソババア何言い出してんの!?そんなしおらしいやつじゃなかっただろお前!!!

意味のわからなさのせいで、服の下で鳥肌が止まらない。

 

「それにこちらの勘違いで、変な質問をして困らせてしまったし」

「いや、あの、別にそんなことは」

「近くに良い喫茶店があるの。ね?」

 

なんとしてでも、この場を切り抜けなくては。

 

 

 

§ § §

 

 

 

「何でも遠慮せずどうぞ」

 

ダメだった。

 

一緒に近くの喫茶店(未だかつて入ったことがない雰囲気だった)に入り、向かい合って座っている。机の下でオレの足は帰りたい帰りたいと言っている。これは幻聴ではない。

 

しかし、いったいなんのつもりだ。本当に、ただのそっくりさんという可能性もあるのか。そう考えると元気が出てきた。

 

「自己紹介がまだだったわねぇ。私はマイア」

 

うぎゃあああぁぁぁぁぁああああ!?クリュティエが表向き名乗っていた名前だぁぁぁ!!!!!?

 

「あなたは?」

 

心の冷や汗が止まらない中、宿屋で書いた偽名を必死に思い出す。猫が作ってくれた偽名リストからどれ使ったっけ……。

 

「アルセです」

「そうなのねぇ。アルセさん、っていうのねぇ」

 

クリュティエはメニューを指差した。

 

「ほら、このケーキなんかどう?」

 

お茶奢るって言ってたじゃん!なにお菓子薦めてんだよ!?違うじゃん!!!なんだ?毒でも仕込むのか。

 

「その、オ、……私、あんまり甘いもの好きじゃないので、その……」

「……そう」

 

笑みで目を細めている。怖い。

 

「いいいやや、折角なのでいいいただきますっ」

「うふふふ、嫌いなものなら、無理しないで。どういうお味がお好き?」

 

うっっっっっっっそだろ、お前。

好き嫌いなどしようものなら、即暴力だったじゃん。

 

「辛いのとか……」

「このあたりはスパイスが使われているから、少しピリピリとした味がするわねぇ」

 

メニューの一覧の中で、与えられる情報量に対して得られる情報量が何もない謎の名称を見せられる。オレはこくこくとうなずくことしかできなかった。

 

 

 

お菓子がきた。

 

運んできたウェイトレスと親しげに話しているクリュティエは、今オレに注意を向けていない。

ちょっとホッとしたので、皿をくるくる回して、見た目を観察する。赤くて辛いのが入っているようには見えない。

 

「どうぞ?」

 

ウェイトレスとクリュティエはクスクス笑ってみていた。ちっ、見世物じゃねーんだぞ。

 

しぶしぶ食べてみる。

 

「……ほんとだ。甘いけど、辛いやつと舌がちょっと同じ感じになる」

 

もう少し辛くてもいいんだけどな。味が繊細だ。もっと雑でいい。

 

「美味しい?」

「うん」

「そう、よかったわぁ」

 

……ハッ。

 

不覚にも普通に食べてしまっている。チラッとクリュティエを確認すると、目が合った。ニコニコしていて別人みたいだ。

 

いつもオレを見る目は、不機嫌そうだったのに。

 

「……アルセさんを見ていると知人を思い出して、懐かしくなっちゃったわぁ。あの人も、食べるのに一生懸命になるタイプだったからねぇ」

「は、はあ」

 

食べるのに一生懸命ってなんだよ。何かの隠語か。

 

……今のクリュティエに限らずだが、人に食べる様子を眺められることが多い気がするのはなんでだろう。見ていても面白いことは何もないというのに。

 

「こんなこと言われて困ると思うけれど、あなた、知人と似ているのよねぇ。……見ればみるほど、本当にそっくりな気がしてくる」

 

髪はカツラだから、似ているのは気のせいだぞ。

 

「もう十年以上、その人とは会ってないし、どこにいるかもわからないのだけれど、もし……いいえ、忘れてちょうだい。私の単なる、勘違いだったから」

 

……オレとその知人が似ているから、なんなのだ?似ていたところで別人だ。

 

「どうかしら?お茶も美味しいでしょう」

「そうですね、雑草入ってない味です」

「ここでそんな粗悪品の茶葉を使った紅茶を出されたら、ビックリよぉ?」

 

そうか……、ここ、やっぱり高いんだ……。あとでカツアゲとか、されるのかな……。

 

「この町の人ではないみたいだけれど、観光?」

「はい、海を見に来たんです」

 

別に海は見ていないし見る予定もないが、グレイが考えた理由を言う。

 

「やっぱりそうなのねぇ。晴れた日に朝焼けが見えるとキレイだから、見れると良いわねぇ」

 

その話、誰かから聞いたような……。気のせいかな。それとも忘れてしまったか。

あまり詮索されたくないので、話題を変える。

 

「オ、私に似ているっていう知り合いの人、どんな人だったんですか?」

「そうねぇ」

 

クリュティエは頬に手を当てた。

 

「……調子に乗ると失敗、あっ、いえ、キレイな人だったわぁ」

「今言い繕いませんでした?」

「年上で優しくて、あの頃の私にとっては大人で、でも少し子供っぽいところもあって、大切な人だった。……二人で国境を越えるとき、あの人には助けられたわ。この国まで来てからしばらくして、離ればなれになってしまったけれど」

 

国境を越えた、って……。地味にクリュティエが他国から来たことを初めて知った。こいつが今、本当のことを言っているかどうかなんてわからないのは置いておいて。

 

「どうしてその人は、その……」

「さあ、どうしてでしょうねぇ。ある日突然、いなくなってしまったから。……何を考えているのかなんて、本人にしかわからないわよね」

 

ふんわりとあがる紅茶の湯気で、クリュティエの顔が揺らいで見えた。

 

 

 

「ご、ご馳走さまでした……」

「あらあら、そんなにかしこまらなくてもいいわよぉ。こちらも、お詫びのつもりだったのだし」

 

クリュティエは懐から紙を取り出し、渡してきた。

 

「はい、名刺。私は輸入品を扱う商会をやっているの。ここであったのも何かの縁だし、困ったことがあったら、いつでも連絡してね」

 

コーパル商会という名が載っている。あー、なんか聞いたことがある気がする。くそ、前のオレはなんでもっとこういうことに興味を持たなかったんだ。住所はここから遠くはない。

 

「これからの予定は?」

 

オレは鞄を漁る動きをやって見せる。

 

「今日はこのまま宿へ……あっ、落とし物しちゃってたんでした。探しにいかないと」

 

頬を人差し指でかきながら、クリュティエの出方をうかがう。すると彼女はポンと手を叩いた。

 

「そうなの?手伝うわ。早く見つけたほうがいいでしょう?」

「そんなっ。今日初めてあった人なのに、お手を煩わせる訳には」

「いいのよいいのよ。さっきまで晴れだったのに、今はもう雨も降りそうな感じだから」

 

 

 

§ § §

 

 

 

「ここ?」

 

さっきの通りや喫茶店とはかけ離れた暗い路地裏に、オレとクリュティエはいた。

 

「少し迷子になって、変な道を通ってしまったんです。色々探したんですが、途中でお店に入ったりして寄り道しちゃったので、ここだけはまだだったんです」

「もう。気をつけなさい?世の中物騒だから」

「ええ。そうですね。気をつけます」

 

隠し持っていた刃物を手に忍ばせる。

 

「本当に、最近は物騒ですから……」

 

 

 

完全に隙だらけの背中だ。

 

 

 

アイリスと幸せに暮らしていたのに、コイツが来て何もかも全部壊された。

 

アイリスに手を引かれて、コイツの下から逃げ出して、助けを求めて、それで───。

 

上がる煙。

 

銃を手にしているのは───。

 

目の前が真っ赤に染まった。

 

ああ、そうか。オレ、コイツが憎いんだ。

 

コイツ(こいつ)さえ、いなければ。

 

 

 

「……下手な嘘ね」

 

 

 

完全に死角からの刺突を防がれた。深く深く刺そうとしていた刃物は、水のベールで動かない。

 

「くっ……!」

 

ナイフを手放してバックステップした。すかさず水の鞭が追撃してくるのを避ける。

 

「あなた、誰の手先?」

 

水の制御射程から外れ、睨み合う。クリュティエの周囲には、ゆらゆらと水の塊が蠢いた。

返事をせず、どの方向から攻めるかを考え、再突撃する。

 

「……残念だわぁ」

 

飛んできた水の鞭を、ナイフで瞬時に切り裂くことで水を制御不能にする。連続体として体と触れあっていなければ、魔術として動かすことはできないからだ。

 

クリュティエも周囲に戦闘を察知されるのは嫌なようで、比較的ぬるい攻撃だ。まあ、あれだけ町の人たちと親しげに話していたのだから、当然だろう。

 

その時、いくつにも枝のように分かれて動く水の、見える位置と実際の位置がずれた。

 

以前グレイに話したとき、もしかしたら透明度の高い水を利用してどうのこうので屈折率と光がうんたらの結果ずれて見えるのかもしれない、と言っていた。うーん?

 

壁を蹴って高く跳躍し、直感を頼りにナイフを投げる。狙いは見えない水の壁と体の間だ。

 

水の壁が崩れ落ちることで気泡を含み、確かにそこにあった水が見えた。制御用と設置用。どちらも見えない水にしないのは作るのが面倒で、制御にまで手が回らないからか。

 

目を張るクリュティエを捉え、蹴りを放った直後、瞬時に足を引く。

 

「ちょこまかと……っ!」

 

水に取っ捕まらない方法を即興で考えた結果、相手が反応するより速く動けばいいのでは、と思ったがうまくいった。

 

クリュティエの正面に来たところで、前方から集中した水の塊が迫る。

 

それに向かってオレは走り───驚く顔が見える───、クリュティエごと飛び越えて背後に着地する。思ったよりも跳んで自分自身でも驚いた。

 

「ぐっ!」

 

焦ってこちらを振り向いた彼女を力ずくで組敷いて首に刃を突きつけると同時に、水の刃がオレの回りに展開された。

 

暗い路地裏で、クリュティエの顔にオレの体による影ができる。

 

「このまま私を殺すつもり?できるかしらぁ?」

「……お望みどおり、やってやるよ。オレのほうが速い」

 

不可解にも笑みを浮かべている。その顔にかかった影が揺らめいた。

 

とっさに上を見上げる。

 

「あらあら、バレちゃった」

 

そこにあったのは大質量・広範囲の水。

 

そのまま天地が回転する。

 

「ぐぅ!?」

「いつでも自分のほうがよく動けるなんて、油断しちゃだめよぉ?」

 

……下にいたはずのクリュティエに、このオレが投げられた!?

 

水が降ってくる!避けられない……っ!

 

苦し紛れに顔に向かってカツラを投げ、切りかかったが、腕をかすっただけだった。

 

「がはぁっ……!?」

 

水で地面に押し付けられる。

 

「近接格闘できるなんて知らねーぞ!?このっ……ごぼっ!」

「普段はそんな野蛮なことしないわぁ?」

 

顔にまで水がきた。しかし、暴れようにも暴れられない。

 

「あらあら、雨が降ってきたわねぇ。うふふふ、痕跡も消せるしちょうど良いわねぇ」

 

乾いた地面と濡れた地面の区別がつかなくなっていく。水で滲んだ視界に、カツラを拾ったクリュティエが見える。

 

「ここで騒ぐと、周りにバレてしまうわぁ?お話はあとで、じっくりと聞けるところで、ね……」

 

ガンと顎を下から蹴られ、脳が揺さぶれた。

 




繰り返してもまだ成長できない(おんな)


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9-3

誤字報告してくださった皆様、ありがとうございます。まだ対応できておらず、申し訳ありません…。


【N.C.999】

 

窓のない部屋にオレは転がされていた。もがこうにも関節技をキメられているような感じで全然動けないし、口に布を噛まされてウーウーとしか声が出せない。なぜこんなものを引きちぎれないんだ。クソッ、なんでまたこんなことに。

 

「なかなか生きの良いモノを拾ってきましたね?」

「……全然気絶しなくて、最終的にこうなったのよ」

 

時刻はまだ昼だが、室内は暗い。微かな明かりに照らされ、二人の人物が話している。

 

「どこかで見覚えが……おや、湖のときのお嬢さんではありませんか」

「そうなのよねぇ。よくよくよーく見たら……あの時邪魔してきたガキよぉ」

 

ヒューとクリュティエだ。片方はあきれ返ったような、もう片方はやや苛立っているような雰囲気をしていた。

 

「聞きたいことはたくさんあるのだけれど、まずは」

 

しゃがんだクリュティエに口の布をとられると同時に、オレは叫んだ。

 

「このクソババア!」

 

横面を殴られる。こいつ変わんねーな。

 

「お名前は?」

 

無視したら顔に水をかけられた。そんな……、水攻めした後で胃の中無理やり全部ひっくり返されると思っていたのに……、優しい!?

 

「お・な・ま・え・は?」

 

それでも黙っていると、しゃがんだクリュティエはオレの前髪をつかみ、顔を無理やりあげさせた。目を合わせられる。

 

「何回も同じ質問を繰り返させないでちょうだい」

「……あぅっ、ア……アコラスだよ!名前なんて、どうでもいいだろ!」

 

話すつもりはなかったのに、つい答えてしまった。

 

名前を聞いたクリュティエは前髪から離した手で拳を握りしめたあと、すぅ……と細目になる。口の利き方がなってないとか怒ってそう。

 

「……一応聞くけれど、女の子?」

「うううるせー!」

「本当は、ずいぶんと言葉遣いが悪いこと。よく繕えたわねぇ」

 

再び伸ばされた手に、また殴られるのかと身構えると、

 

「んなぁ!?」

 

突然スカートを捲られた。

 

「……なんでこんなパンツはいてるの?」

「パンツなんて何はいても変わんねーだろ!」

「……まあ、いいわぁ。そうよねぇ、女の子、でも……名前は……」

 

体がうまく動かないから、捲られたスカートを元に戻すこともできない。

 

「こ、この野郎っ」

「あらあら、恥ずかしいのかしらぁ?……さすがにそのパンツ、どうかと思うけれど」

「恥ずかしいのは当たり前だろ!こんな、その、その……膝出すなんてっ!!!」

「……?」

「早く捲ったスカート元に戻せ!」

 

膝が出るくらいの丈にまで下ろされる。

 

「ちょっとまだ出てるだろ!ヘタクソ!」

「……」

 

クリュティエは無表情で、自身のスカートを膝が少々見える程度にたくし上げた。

 

「うわぁぁぁあああ!?何やってんだよ変態クソババア!!!痴女!」

「ねぇ」

 

痴女の一声に、ヒューは困惑した顔でズボンの裾をまくりあげて膝を出した。意味不明な行動だ。

 

「……何やってんの?」

「ズボンは良くて、スカートはダメなのですね、はい」

「あなたこそ、何その反応?そんなパンツに比べたら、スカート捲り上げられるのなんて、対したことないわよぉ」

 

クリュティエの言い分にオレは憤慨した。

 

「だって、だって……!膝より上のスカートはえっちじゃん!膝出てたら、えっちじゃん!」

「……ヒュー。誰のでもいいから、短いスカート借りてきてくれるかしらぁ?」

「おい。おい?…………っ!?わー!わー!何すんだ!やめろぉぉぉおおおお!嫌だ!嫌だ!!!ああああああああぁぁぁぁあああっ!?」

 

 

 

「うっ……、うっ……。屈辱だっ、こんな姿……!こんなの着るくらいなら、元から着てないほうがマシだ……っ!」

 

必死の抵抗もむなしく、太ももが半分以上露出するスカートに着替えさせられてしまった。こんな短いの誰の趣味だ。とんでもない変態だ。ついでにスカートの下に隠し持っていたものは全て取られた。無念。

 

「……伝統的な民族衣装でスカートはいている男性で膝が少し出ていたら、どんな反応になるのかしらねぇ」

「男だろうが女だろうが、スカートで膝が出てたらダメに決まってんだろ」

「そ、そう……あら、何かしらぁ」

 

外から扉がノックされる。そのまま誰かに呼ばれたらしいクリュティエはヒューを連れて、部屋から出ていった。気配が遠ざかっていく。なぜか見張り番は部屋の外だった。

 

静かになった空間で、つつかれる感覚がする。

 

「お師匠」

「グレイか」

 

喫茶店行ったかチェックすると言っていたから、店出たあたりからついてきていたのだろう。

 

「なんというあられのない姿に……」

「う、うるせー……っ。手、どうにかできないか」

 

手が自由になれば、足の拘束も手で壊せる。だが、そもそも腕は何ヵ所も固定されており、うまく力がこめられない。オレから怪力を取ったら何も残らないのに、なんてことをしやがる。

 

「取れますかね?まるで猛獣を捕まえるために、元から準備していたみたいな拘束具……」

「鍵が見つけられたら良いが……。ここはどこかわかるか」

「町はずれの倉庫が併設された家屋、そこの隠し部屋みたいです」

 

なるほど。町からは出ていないらしい。

 

大きな声で叫んでも、周囲が異常に気がつく気配はなかった。防音がしっかりしているか、周りが叫び声を異常と思っていないか……。商会でまるごと所有している家屋なのか?

 

「脱出経路はあの扉だけだな。グレイ、お前は一旦外に出て───」

「うわぁ!?冷た!」

 

グレイのいるであろう位置に水がかけられて、姿が露になる。そして、ゆっくりと扉が開いた。……戻ってきたことに全く気づけなかった。

 

「やっぱりネズミがもう一匹」

 

にこやかな笑みを浮かべたクリュティエが立っていた。

 

 

 

グレイも横で転がる。拘束はオレよりも緩く、ロープだ。手のひらの火傷を無視すれば、魔術で焼き切れそうではあるが、見張られている状態では無理だろう。

 

クリュティエはオレたちの目の前で、グレイの鞄の中身をひっくり返した。中から猫がごろっと出てくる。

 

「……どうして、猫が鞄の中に?」

 

なんでだろうな。

 

猫はのんきに背を伸ばし、ひらりとグレイの上に飛び乗った。

 

「おい!そんなことより、スカートどうにかしろ!」

「短いスカートより、そんなパンツはいてるほうがよっぽど恥ずかしいわよ」

 

変に間延びしない、普通の喋りで返された。しかも笑うのをやめて真顔である。

 

「ほんとですよ。あんまりにも人に買わせるもんだから、すんごいのにすればさすがに怒って、自分で選ぶようになるだろうと思ったのに……っ。なんで躊躇いなく着用するんですか!」

「黒の何が悪いんだ!黒かっこいいだろ!」

 

なぜかグレイはクリュティエ側に回った。どうして……。

 

「え……年下の男の子になんてもの買わせているの?それと、その発想は数年後苦しむことになるわよぉ?」

「っ、バーカ!バーカ!クソババア!バカバカバーカ!」

「貧相なボキャブラリーねぇ」

 

信じられない、といった感じで見られたので罵倒したが、逆に煽られてしまう。

 

「ぐっ、ア、アホ!アホ!バーカ!アホアホアホ!バカ!」

「お師匠……」

 

かわいそうなものをみる目が痛い。

 

「悪口言いたいなら、例えば、……え?なんでそんなパンツはいてるんですか痴女なんですか?え?スカートはいてない方がまし、あっ?あーあ、そうですよね、そのくらいの痴女さんなら、人に見せるのなんか余裕ですよね……くらい言わないと、あっ、そんなつもりじゃ、ぁぁぁああああ!?」

 

グレイは逆さに吊られた。猫はゴロゴロ転がる。

ぐすっ……前から思ってたけど、グレイってわりと過激だよな。

 

「ダメよぉ?これをいじめていいのは、私だけ」

 

クリュティエがニコニコとしている。人を『これ』扱いしやがって……、オレはお前の何なんだよ。

 

「頭に血がぁ……!?」

「お、おい……っ」

 

逆さに吊られて苦しそうな声に、オレは焦って吊るした本人を見てしまう。すると、とたんに不機嫌な顔になったので、さらにひどい目に遭わすんじゃないかと戦々恐々としていたら、グレイは降ろされた。……よくわからない。

 

ヒューがクリュティエに言った。

 

「お気に召したようですね」

「これは使えるかも思っただけ。前から私はずぅっとそういう人間よぉ?」

「そういうことにしておきます、はい」

「……含みのある言い方ね」

「いえいえ、そんなことはありません、はい」

 

嫌だ嫌だとモゾモゾと逃げようとしていたが、

 

「下だけじゃなく、上も隠しているものはたくさんありそうねぇ。拘束したまま剥がすのが面倒くさいわぁ」

 

オレのスカートの中に入れていたナイフを使われ、上着のほうもがっつりガサ入れされた。

 

「ぎゃー!!やめろー!!!」

 

人前で露出する趣味はないので、抗議の声をあげる。

 

「うるさいわねぇ……。あら?何かしら、この箱」

「あっ……!」

 

ギャーギャー騒ぐことで気をそらさせるつもりだったが、ドーラをいれておく箱がついに見つかってしまった。

クリュティエは中身を見て笑みを浮かべる。

 

「……お前ら、それを何のために、どうやって使うつもりなんだ」

「知らずに集めたの?」

「お前ら皆欲しがってるから、邪魔してやろうと思ってたんだよっ」

「……ふぅん。ねぇ、あなたの飼い主は誰?」

「そんなもんいねーよ」

 

ここは正直に言った。様子をうかがうが、向こうに困惑する様子は見られない。

 

「恨まれているようですが、何かされたんですか?」

「さあ?過去に心当たりはないわねぇ」

 

そりゃ、今の過去にはねーだろうな。……だあああああっ!!また頭の中がフワフワしてきやがった。気分が優れない。

 

息を吐いてから、吸う。

……この話を引き合いに出すのは、気が引ける。

 

「フラウム、という人間は知っているか」

「ああ、なるほど。あなた、軍の子?」

 

話の理解がいやに早い。確認も含めて言ってみたが、やっぱりこいつが殺したんかい。

 

「でもそれだと年齢が合わないわねぇ。あの件は四年前だから、おそらくあなたの年齢が本当に十七前後なら、まだ正式に軍にはいない。もしかして、どこかで耳にした話を適当に言っていない?」

 

しかも非常に察しが良く、反応できず押し黙るはめになる。

 

「親戚や知人だとごまかせばいいのに」

 

うぐっ……、とっさにそういう発想が出なかった。

 

「春先の抗争で邪魔したときの様子を考えると、やっぱり軍の子なのねぇ。それにしては、やり方がメチャクチャすぎるし、お仲間も幼すぎる。不思議な子だわ。……アコラス。もう一度聞くわ。あなたの飼い主は誰?」

 

いきなり名前を呼ばれて、ビクッとしてしまう。猫以外に呼ばれたのなんて、長いことなかった。

 

「だからいねーって」

「みたいねぇ。良かったわ」

 

なにがよかった、だ。くすくす笑っている女を睨みつけるが、より一層嬉しそうにされる。くそっ。

 

小箱をオレの鼻先に突き付けてきたクリュティエは挑発をしてきた。

 

「ずいぶんたくさん集めたのねぇ。うふふふ、助かるわぁ」

「ふんっ、お前らから横取りしたのもあるからなっ」

「どうやって見つけたの?感覚でわかった?」

 

なんで、わかっているようなことをいちいち聞いてくるのだ。

 

「……そーだよ」

「どういう風にわかったの?」

「湖のも町中からあるってなんとなくわかったけど、お前だってそうだろうが!」

 

追及されていることが耐えられなくて、つい叫ぶと、

 

「……へぇ、そうなのね」

 

目の前の女は笑みを深めた。それを見て背筋に悪寒が走る。

 

「ねぇ、これのこと、教えてあげましょうか?」

「……なんだよ急に」

「もちろん、そちらにはそれ相応のこと…、私たちの『手伝い』をしてもらうわ」

「絶対に嫌だ」

 

反射的にオレは断った。今ここで懐柔されたフリをして、油断させることができるメリットがあったとしても、それはとても嫌なことだからだ。

 

「何か勘違いしてない?選択権はそちらにないのよぉ?」

「わっ!?」

 

グレイの顔に水がまとわりつく。

 

「やめろ!」

 

ごぼごぼと苦しそうな音が聞こえる。目の前がぐるぐるしてくる。なんでオレ、こんなに動揺しているんだろう。こいつがいなくたって別にいいのに。何を怖がる必要があるのだ。……息が苦しいのが、苦しんでいるのを見るのが、怖い?結局オレは、自分の事しか───。

 

「や、やめろよ……」

「言い方ってものがあるわよねぇ」

 

そうなのだ、オレの知っているクリュティエはそんな簡単にはやめてくれない。

 

「やめてください、お願いします……」

「それだけ?」

 

まだやめてくれない。

どうしてオレは、こんなことを今さら言っているのだろう。

 

「……わかり、ました。手伝う、手伝います。……手伝わせてください」

「ようやく自分の立場をわかってくれたようで、とっても嬉しいわぁ」

 

解放されたグレイはけほけほと咳き込んでいる。その姿を見ていると心が空っぽになってしまうような気がして、目をつぶった。

 

不意に足蹴にされ、ごろっと仰向けに転がされる。

 

「目立った傷は……ないみたいね」

「おや、そんなことを気にするとは珍しい」

「うふふふ、用済みになったら適当に売り払って、お金にしてもいいかと思っただけよぉ?……あら」

 

くすぐったくて目を開けると、胸の真ん中辺りになぞられていた。

 

「何の跡?」

 

おそらく、ほとんど目立たない傷の跡みたいなやつのことだろう。いつからついていたのかもわからないものだ。

 

「……知らねー」

「そう」

 

 

 

§ § §

 

 

 

毛布を頭から被せられ、オレだけどこかに引きずられていく。ある時ひょいっと投げ出されると、そこは机や棚のある、普通の部屋だった。おとなしくしていると拘束を外された。

 

「ほら、着なさい」

 

服と下着を投げ渡されたので、まず着ていたものを脱ぐ。まあ上半身は布切れと化しているし、下半身も短いスカートだ。脱ぐと言えるほどでもない。しかし、着替えを命令してきたクリュティエに、いきなり頭を軽く叩かれた。

 

「ちょっと。カーテンまだ開いてるじゃない」

「はあ?」

 

カーテンはいつも閉めっぱなしだから、閉める動作をあまりしないが……。別に開いてても問題ないと思う。

 

「少しは周りに気をつけて着替えなさいよ」

「外の通りのど真ん中で着替える訳じゃねーし、別に良いだろ」

「あのねぇ……」

 

着替えは膝下の丈のワンピースだった。なんか無駄にヒラヒラしてて落ち着かない。

 

「はい、じゃあここ座って。……その髪、目障りなのよねぇ」

 

前もその頭を見ているとぶち殺したくなってくる的なこと言っていたし、本当に嫌いらしい。

 

脱ぎ捨てたはずのカツラは、どういうわけか捨てられていなかった。それをオレに被せると、クリュティエは満足そうにして正面に座る。

 

彼女が持ったポットの中に、魔術で作られたお湯が入っていく。魔力子が通るということは、MARGOTと同じような材料でできてんのか。高そう。

 

カップに茶を注いで、オレの前に置いた。

 

「どうぞ」

「のんきに茶かよ。毒でも入ってんのか」

 

文句を言って飲むと、それは雑草は入っていない感じのお茶だった。

 

「そう、とっておきの毒入り」

「マジか……」

 

嫌だなぁと思いながら、再び口をつける。

 

「なんで飲み続けるのよ」

「オレのお腹は丈夫なんだ」

「時々謎理論で混乱させてくるのやめてくれないかしらぁ?」

 

今すぐにでも殺したいはずの嫌いな人間が目の前にいるのに、頭がぼうっとしてしまう。そのせいか、鬱々とした気持ちが一気に押し寄せてきた。……ハッ、いかんいかん。

 

「出身はわからない、と言っていたけど本当?」

「知らない」

「親は?」

「知らない」

「家族、兄弟親戚その他は?」

「……いない」

「じゃあ、幼い頃はどう過ごしてきたのよ」

「…………そんなの聞いてどうすんだよ」

 

質問攻めに面倒くさくなって反抗する。

 

「別に?意味なんてないわ。面白かったら笑ってあげる」

 

そうか、意味なんてないのか。

 

「……気づいたら変な施設にいた。でも、そこにいたやつが皆死んだから……、しばらくは適当に放浪してた」

「変な施設?何よそれ」

「もう、忘れた」

「場所や近くにあったものも覚えていないの?」

「近くには、川があって……、そこをずっと下っていったら町があった」

「……もういいわぁ。なら、あのおチビちゃんは?なぜ一緒にいるのかしらぁ?」

「グレイは……拾った」

 

ほとんど相打ちみたいな現場だった。そこに、たまたま一人いたから……あの頃の無力な自分と重ね合わせて、オレも皆みたいにできるかなって少し思った。

 

魔が差したのだ。できるわけなかったのに。

 

「単純な自己満足で、連れまわしているだけだ」

 

捨てるか持ったままにしておくかで、ずっと迷っている。

 

だから、オレは話の途中で机を蹴りあげた。割れた皿の破片で、クリュティエに襲い掛かる。だが、突然の攻撃も軽くいなされて、そのまま床に転がされた。追うように机が倒れる音やカップが割れる音が聞こえる。

 

やっぱりだめだった。ホッとする自分にみじめになる。

 

のろのろ起き上がったところで人が来た。

 

「何事ですか!?」

 

耳元で囁かれる。

 

「何も知らない人間よ」

 

入ってきたのは一般人のようだ。コーパル商会の従業員だろうか。

ポットを持ったままその人に寄っていったクリュティエは、平然と嘘をつく。

 

「ちょっと窓を開けたときに入ってきた虫に、この子が慌てふためて、つい、机をひっくり返してしまったの」

 

窓を見れば、確かに開いていた。最初は風の流れもなかったから、開いていなかったはずだ。

 

たかが虫でそんなに驚くようなやつがいるか、と思いながらうなずいておく。

 

「そうでしたか……って大変!怪我をされてますね!急いで手当てを!」

「……すぐ治るので大丈夫です」

 

割れた皿で切った手からは血が出ていた。大した怪我じゃない。服で血を拭おうとすると、手首を掴まれる。

 

「手当はこっちでやっておくから、とりあえず……悪いけど掃除道具、持ってきてもらえる?」

「は、はい、いますぐ!」

 

足音が遠ざかっていく。その間に血のついた手のひらはハンカチで拭かれた。

 

「動きが直線過ぎるわぁ。今までは相手が反応するより、速く動けたからうまくいっていたんでしょうけど。このままじゃ、限界があるわよ」

「うるせー……」

「服に紅茶は……ついてないみたいね」

 

自分が襲われたことより、オレの着ているワンピースのほうが心配なのか?

 

「あら、本当に治っているわねぇ。どうして?」

 

手のひらの傷がきれいさっぱりなくなっている理由を聞かれる。ぷいっと顔を背けて無視すると、

 

「どうして?」

 

手をつねられた。

 

「知らねーよ。もともと治るのが早いだけだ」

 

前はもう少し遅かった気がするのに、どうしてだろう。

 

 

 

夕方には泊まっていた宿を突き止められていて、またもやクリュティエに引きずられていった。宿屋の人と話していたかと思えば、

 

「さあ、荷物をまとめなさい。言っておくけれど、逃げようとしても、絶対に逃がさないわよ」

 

と言われた。用済みになったら捨てるのか、それとも、ずっと逃がさないのか、ハッキリしろや。

 

しぶしぶ二人分の荷物を片付け始める。自分の荷物の中で、がさりとしたものに触れる。拾ったパンチカードや例の住所リストだ。なんとなくパンチカードを上げ底ブーツの中にこっそり隠す。住所リストはどこに───、クリュティエが近づいてきたので、急いで腹に隠そうとしたがワンピースなので無理だった。

 

「何を持っているのかしらぁ?……住所?」

「それは……」

「誰の?何のための?」

 

じっと見つめられる。顔をガッチリ掴まれて、目をそらすことができない。

 

「グ、グレイの、本当の家の可能性がある、住所」

 

問い詰められて答えてしまう。

 

「ふぅん、そう。……ねぇ、あのおチビちゃんのこと、調べてあげてもいいわよぉ?」

「え……」

「ちゃんと『手伝い』をして、下手に暴れたりせず、私の言うことを聞いてくれるのなら、それ相応に対価を支払いましょう」

 

相手の瞳に、揺れる自分の瞳が写っている。相変わらず、目をそらさせてくれない。

 

「調べるって、どうやって」

「私にだって伝手はたくさんあるのよ?あなた一人でやるより早く、その住所リストも探せる」

 

こんなときなのに、頭の奥がふわふわして、視界がぐるぐるする。

 

「ねぇ、あなたなら、利用しない手はないんじゃない?どうするの……アコラス」

 

 

 

回収した荷物は返してもらえず、そのままオレは、クリュティエ、というよりコーパル商会の建物というべきか、そこの部屋の一つに通された。使っていない部屋だとか言っていたが、一通りのものは揃っている。

 

オレ以外誰もいない。

 

特に意味もなく枕を抱きしめて、ベッドの上で丸くなる。寝るときに猫すらいない、一人ぼっちの状態は久しぶりだ。

 

部屋には少し甘い感じの匂いが漂っていた。どこかで嗅いだことのあるような……。

 

「ちゃんと、見つかるのかな……」

 

匂いか、疲労か、痛みか。どれのせいか、わからない。思考が鈍化して眠くなっていく。

 



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9-4

【N.C.999】

 

「人間と馬の数は合わせて150」

 

どうして、なんで、こんなことしなければいけないんだろう。

 

「人間と馬の足の数は合わせて508」

 

苦痛を感じながら読み上げる。

 

不本意にも、クリュティエの『手伝い』をしなければいけなくなったはずのオレは、

 

「このとき人間は何人か。……知るかぁぁあああ!何に使うんだこんなもん!!!適当に大体40から50だろ!」

「いいから黙ってやりなさい」

 

なぜか勉強させられていた。

 

 

 

クリュティエと二人っきりというテンションだだ下がりの空間で、筆記用具を相手の眼球めがけて投げるも防がれ、ぶん殴られる。再び半強制的に筆記用具(投げたもの)をオレに握らせたクリュティエはため息をついた。

 

「……アコラス。あなた、本当に軍魔術師学校卒業したの?定期的に筆記試験あったでしょう。どうしてたのよ」

 

ぐぬぬぬ。

 

やたらと今までどう生きてきたのかを聞かれ、最初は無言を貫いていたのだが、ものすごくにらんでくるので、ちょっと軍や学校にいたことがあるのは話してしまったのは失敗だった。

 

「じゃあ読み書きと四則演算なんて簡単すぎるわねぇ」とにこやかに言われ、あれこれ質問されるうちに目はちっとも笑わなくなり、渡してきたのは今読み上げた恐怖の紙束。

 

問題がたくさん載った紙を渡された時の絶望を振り返っていると、返答をせっつかれる。やめろ、ちゃっかり手を触るな。

 

「……わかんない単元の試験でも、何問かは宿題と全く同じやつがあったから、なんとかなった」

「そのときの宿題は」

「ち、知人、いやちょっと違うな、まあそいつに教えてもらってた」

()()()()()()()()?」

「……やってもらって、丸覚えした」

 

さらに大きなため息をつかれる。

 

仕方ねーじゃん。まず何に使うのかよくわからん。わからない単語もちょいちょい出てくる。それでだいぶ頭が混乱してしまうのだ。

 

「例えば、この!三角形の面積なんて、いちいち計算できなくてもいいだろ!たぶんこれ、オレの親指の爪11.5個分くらいの大きさだと思う!騙されたと思って数えてみやがれ!」

「嘘言うんじゃ…………………………あら本当だわ」

「ほら見ろほら見ろ!」

 

間髪入れずにファイルで頭を叩かれた。その勢いを借りて机に突っ伏す。

 

「こんなのやって、なんの意味があんだよ……」

「そうねぇ。私が楽しめる……嫌がらせ、かしらぁ?……はあ、本当に何の意味があるのかしらね」

 

こうした苦痛な時間のあとは、商会の雑用をやらされた。勝手に『身寄りを亡くしたので、遠い親戚を頼ってここに来た』と言うことにされ、人の目があるので殴りかかることもできず、クリュティエに連れまわされたり、掃除をしたり(すでにプロの仕事でキレイであった)、あっちへこっちへパンチカードや文書を言われるままに持って行ったり(これくらいしかできない)、あれやれこれやれと教えられたり。……そういえば、拾ったパンチカードは上げ底ブーツに隠しているが、あれは何なんだろう。

 

時々商会の人たちとは雑談をしたり、お菓子をもらったりしている。ほとんどは一般人みたいだが、今飴をくれた人みたいにアバドーンのやつも混じっている。……前から人にちょくちょく食べ物をもらうことがある。何かがおかしい。

 

紙にガシャンガシャンと(あな)を開けている従業員が、クリュティエに話しかけている。

 

「ご親戚なんですってね。真面目で良い子ですね」

 

良い子だったら、人を後ろから襲ったりはしないと思うけどな。

 

黙々と紙を揃えてまとめるだけの単純作業をしていると肩に手を置かれる。クリュティエが周りに聞こえない声量で語りかけてきた。

 

「死んだ目ねぇ。せっかくかわいい服装にしてあげているのに、もったいない」

「こういうの嫌いだ」

 

この女、なぜかヒラヒラフワフワした服を着せてくる。動きにくい。スカートの中に物が隠しやすい以外、何のメリットもない。ついでにカツラも据え置きだ。

 

「せめてオレのブーツ履かせろ」

「ダメ。そのスカートに合わないから」

「合うのにしろよ」

「今あるのだと短いスカートになるけど、いいかしらぁ?」

「うぐっ……」

 

 

 

こんな感じで、服装という嫌がらせにもめげず、雑用をこなしていたところ、「ちょっとついてきなさい」と、町の栄えたところにある建物から倉庫に併設された建物まで引きずられていった。先日皿を割って机をひっくり返した部屋に入ると、立っているヒューを傍らに、ちょこんとグレイが座っていた。オレの姿を見て目を丸くする。

 

「うるせー……」

「お師匠、僕まだ何も言ってませんよ」

 

この服どうにかなんねーかな。慣れていないのでうまく気配を薄くできていないし、チラチラ見られることが今までより多くなった気がする。長いこと人の視線から避けてきたせいか、余計落ち着かない。

 

「お前は何やってたんだよ」

「え?ずっと軟禁でしたけど」

 

パッと見、元気そうだ。本人の言う通り、軟禁されていただけなのだろう。

 

あの時どうすればよかったんだろうか。グレイには姿を徹頭徹尾隠させ、温存しておくべきだったのだろうか。オレには反撃の手段は無かったから、あの場にこいつがいなくても、こういう形になっていたと思うし。

 

……グレイがクリュティエに逆さにつられる原因となった言葉。あれをグレイは注目が集まるのをわかって、あえて発言していた。その結果、ヘイトが自身に向いて、クリュティエがどういう行動をとるのかも考えていただろう。……たぶん、オレに『人質に取られるだろうから自分は切り捨てろ』って伝えていたんだよな。怖……。

 

四角いテーブルを囲む。続いてクリュティエがオレの右隣に座った。

 

「要件はなんだ。ずるずる人のこと引きずりやがって」

「言ったでしょ?ちゃーんと手伝ってくれるのなら、……あなたが知りたいこと、教えてあげる」

「けっ、もうさんざん小間使いさせられてるけどな」

「あんなの手伝いのうちに入らないわぁ」

「まだなんかやらせる気か」

 

顎をつかまれ、無理やり顔を右隣に向けさせられる。毎回毎回顔見てくるのは一体何がしたいんだよ……。『前回』は目を合わせてくることなどほとんどなかったのに。もうすでに目と目が合った回数が『前回』を越えた。

 

「あらぁ?教えてほしいんじゃないの?」

「……やっぱ、お前の言うことが、ほんとかどうかもわからねーし」

「うふふふ。情報を手にいれて、信じて用いるかどうかはあなた次第よ」

 

うまく反論できないので睨みつけ、威嚇した。しかし、なぜか機嫌が良くなってしまったので、実はこいつはメチャクチャ変なやつなのかもしれない。

 

グレイはオレたちの会話の様子を見て困惑していた。

 

「な、なんか、あれ?お二人は距離近くないですか?……うわっ、椅子ごと後退した」

 

気持ちの悪い言葉に反発するため、全力で机自体から離れる。相変わらずクリュティエは悪辣な笑みを浮かべ、非常に楽しそうだ。

 

「回りくどい。さっさと話すなら話せ」

 

今ここで、本気で逆らっても勝てない。こいつの言うことを聞くしかないのは、頭ではわかっている。

 

「仕方ないわねぇ。でもまず、そっちのおチビちゃんに自己紹介しないと。私はクリュティエ。そこで立っているのがヒュー。何か困ったことがあったら、彼に言ってちょうだい」

「は、はい、クリュティエさんとヒューさん……?」

「それで私たち、色々話したんだけど、しばらく手を組むことにしたわ。名前は確か……グレイくん、だったかしら?よろしくねぇ」

「えっ。……よろしくお願いします」

 

グレイは戸惑ったようにオレを見てくる。ついこの間までバリバリ対立していたが大丈夫なのか、といった目だ。その不安はクリュティエにも届いていたようで、

 

「大丈夫よぉ?心配しなくとも、私たち仲良しだから」

「んなわけあるかぁ!!!」

 

さらにさらに気持ちの悪いことを言ってきた。椅子ごとガタガタ戻ってきて抗議をする。

 

「あらあら悲しいわぁ」

 

クスクス笑っているので、全く悲しそうには見えない。うげー……。こっちはげっそりしてしまう。よくわかんないけど、端でヒューも疲れた顔をしているぞ。

 

「さて、お遊びも楽しんだところで、どこから話そうかしら。そうねぇ……、利用法なんかではなく、魔力子自体の研究が最も流行したのはいつ頃だと思う?」

 

流行?いきなりなんだ。

 

「そんなの知らねーよ。……五年前とか?」

「はい、約百年前です!」

「グレイくんが正解。首都の大規模な水道工事が始まって、地下からある物が初めて発掘されたのが、最初のきっかけ」

「水道工事って……下水網のやつか」

「あら意外。そういうの、興味あったのねぇ」

「ふっ、博物館で教えてもらったからな。オレはちょっと詳しいんだ。あそこは洞窟みたいにボコボコしてるところもあるんだぜ」

「洞窟……?あったかしら、そんなところ」

 

ありがとう、あのときの学芸員の人。おかげでクソババアに少しぎゃふんと言わせることができたぜ。

 

「じゃあ発掘された物も知っているかしらぁ?」

「知らん」

「なんで偉そうなのよ……。さて、見つかったのは、約千年前の記録で『火の玉が六つに分裂し、地上に降り注いだ』とあることや推定される被害状況から、おそらくはこの国のどこかにあるとされていた隕石の落下地点……、その痕跡だった。工事と並行して、発掘作業が行われたわ。お宝で一攫千金が狙えると勘違いした人々が殺到して、ひどい有り様だったらしいけどねぇ」

「そのときに隕石の欠片も発掘された、っつーことか」

「そういうこと」

 

クリュティエは呑気にポット内へお湯を入れ始め、話はそれと同時進行していく。

 

「見つかった欠片には特異な部分が存在した。魔鉱石類以上に魔力子の保有可能量が多く、非常に硬くて頑丈で、かつ、人工的としか思えないほどの真球。発見者は自分の娘の名前から『ドーラ』と名付けたわ。残念なことにその後すぐ、発掘されたはずの(ドーラ)は行方不明になってしまったけれど、この発見で、自分たちの暮らす惑星の外、宇宙のどこかに知的生命体がいたのではないか、魔力子はその異星文明に関連しているのではないか……と、一瞬活気づいたそうよぉ」

「そんな話、全然聞いたことなかったです」

 

グレイの発言にオレも頷く。確かにそのような不思議な話、もっと有名になっててもいい。

 

カップにお茶が注がれる。ふんわりとこの空間とは違う匂いが、湯気とともに立ちのぼった。

 

「それはねぇ、発見者が相当色物扱いされていたせいで、全部嘘……最終的には、その人物は気が狂ったと思われてしまったから」

「急展開来たな」

 

机の下で右隣からガンッと蹴られた。いてーな、おい。

 

「『中央大陸のほうの大神殿の神子(みこ)は偽の神託を語っている』だとか、『御使いなんて、人間がわからないことを無理やりわかるように落とし込んだ結果の代物』だとか、まあ当時としては、異端な発言よねぇ。それ以外にも、人間的にかなり問題のある言動がたくさんあったらしいわ」

 

たしか、中央大陸はこの土地よりもずーっと遠くにある場所で、そっちにもこっちと同じ大神殿があるのだった。正確にはこっちの大神殿が下っぱとのことだが、こういった類の話は世間的には超一般常識らしく、知らないと言おうものなら目立つことこの上ないようなので、ついぞ誰かに聞くことができないでいた。

 

「そんな人間が発見者だと知って、皆ギョッとしちゃうわよねぇ。発見後は『魔力子こそが惑星外生命体だったんだ。やつらに自分たちは殺されるんだ』と言い始めたものだから、気が狂ったと思った周囲はさらに離れていく……」

「やべーやつじゃん」

「今すごい音しませんでしたか?なんで平然としてるんですか……?」

 

このクソババアは暴力的だからな。『前回』もこんな感じだったので、慣れてしまっているのだ。

 

「そして、失くなった(ドーラ)はそもそも本当に存在していたのか、全ては最後に残った弟子にすら見放された発見者の虚言ではないかとも疑われ始めて、すぐに魔力子の研究は下火になった……というわけ」

 

「最初の(ドーラ)のことはわかった。で、その話がどう、オレの知りたいこととつながるんだ」

 

続きを急かすと、お茶を一口飲んでからクリュティエは告げた。

 

「なぜ発見者は狂ってしまったのか。不思議じゃないかしらぁ?」

 




割合の計算はできるけど鶴亀算ができない主人公。


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9-5

【N.C.999】

 

クリュティエの問いかけに対し、オレはシンプルな返答をした。

 

「いや、元からおかしかったんだろ。周りドン引きしてるし」

「バッサリぶった切るわね……」

 

目の前にお菓子を出される。

 

「……アバドーンやアプシントスの連中がよく言う『主の声』……、幻聴が聞こえたから気が狂ったんじゃねーの」

「うふふふ、そうかもしれないわねぇ」

「他人事みたいに話すんだな。お前らが大好きな『主』の話題だぞ」

 

笑ったままの女は、お菓子を食べながらの挑発には乗らなかった。なお、グレイは何かに対して口元を引きつらせていた。どうした。

 

「その『声』はどこから来るものなのか。考えたことはあって?」

「中の人がいる感じ……?」

「中の人って何よ。……発見者が周囲から完全に見放された後に出した論文、というよりはただの一方的な主張ねぇ。あまりに根拠が欠けて、突飛な内容だったから。それには、『声』の元のヒントとなる……魔力子の正体についての考察がなされていたわぁ」

 

なんだか難しい話が来る気配がする。

 

「『魔力子は大気中に存在している微小状態が胞子(スポア)、人体や魔鉱石類の中である程度の大きさまで合体した状態が変形体(プラスモディウム)と呼ばれている。変形体(プラスモディウム)は、さまざまな物質やエネルギーといったあらゆるものに変形可能だが、不可逆である。一般的には、この変形制御のことを魔術、体内にあるときの変形体(プラスモディウム)の状態を魔力子と呼んでいる。だが、もともと魔力子は変形体(プラスモディウム)よりも、さらに大きい塊であったと考えられる。この状態を子実体(バシディオーマ)と定義した』」

 

す、すぽ、すぽなんとか……?

 

「『この子実体(バシディオーマ)は、知的生命体レベルの思考能力を持っている。厳しい環境にさらされると休眠状態になり、胞子(スポア)まで分裂する』」

 

実は頭が良いんだけど眠くなるとついウトウトしちゃうんだぜ、みたいなことを言っているのはわかった。

 

「『一定以上の休眠期間が続くと、胞子(スポア)は核に集合し、子実体(バシディオーマ)になろうとする。近くに別の核があれば、集合は加速する。そのほかの子実体(バシディオーマ)の特性として、さらに周囲から胞子(スポア)変形体(プラスモディウム)を集め、合体することで外敵に立ち向かうと考えられる』」

 

寒いから押しくら饅頭しようぜ、的な感じだな。オレも寒いのは嫌いだ。腕を組んでうんうんと頷く。

 

「『胞子(スポア)を個体と見なしたとき、胞子(スポア)間の情報伝達は極めて速く、場合によっては増幅される。この特性により、集合の指令が各個体に伝達されると考えられる。また、副次的な作用として、非常に高い共感性を持つことが示唆される』」

 

すぽすぽが何回も出てくる……。

 

「……ついてこれているかしら?」

「おう」

「お師匠は名詞が苦手ですが、話はふんわりと理解できていると思われます」

「名詞が苦手……まあ、いいわ。『また、ポジティブな感情とネガティブな感情への共感性を比較すると、よりネガティブなもののほうが、伝達しやすく増幅もされる。それらを感受できる人間が、ある程度いると推察される』」

 

なんだか、やや、若干、バカにされている気がする。イラっとしたので少し挑発することにした。

 

「よーは、魔力子が生き物で、そのなんとかレベルの思考力、っつーのが魔力子の意思、お前らの言う『主』ってことだろ。で、誰かしらがそれを聞いて、『声』だなんだって騒いでる……何笑ってんだ」

「実際はもっとひどいかもしれないわよぉ?誰かの思考が巡り巡って、増幅され、戻ってくる……。神様でも何でもない、ただの人間の、あるいは自分の心の声。そうだったら哀れよねぇ」

「自虐かよ」

 

クリュティエは笑ったまま答えない。オレもこの女と用がなければ喋りたくないので黙った。沈黙に耐えきれなくなったのか、はたまた、話が気になるのか、グレイが小さく手を挙げて言う。

 

「あ、あのぉ……、結局(ドーラ)って何なんですか?」

「そうねぇ、ようやく本題に入ろうかしらぁ。子実体《バシディオーマ》の核となるもの、それが、(ドーラ)よ」

 

オレから取り上げた箱を取り出して見せつけてくる。

 

「つまり、(ドーラ)を集めれば、す、すぽなんとかの集合が早まって、なんとかかんとかに戻る。しかも人間からも魔力子を吸い上げる。それが魔力子を『主』に返すってことか?」

「語彙力どうにかしなさい」

「うるせー」

 

クリュティエは、オレが確認のために聞いたことに否定も肯定もしない。

 

「この箱は胞子(スポア)が出入りできない素材で作られている。だから閉じてしまえば、ドーラがあるかどうかわからなくなってしまうのでしょうねぇ。……全く、誰の入れ知恵でこんなものを作ったのかしら」

「ふーん、何でできてるんだか」

 

ただの小さな箱に見えるものを眺める。

 

今のオレが実行できる、解決方法の一つがなんとなくわかった。これをこの世界から魔力子が尽きるまで、誰の手にも届かないところに持っていけばいいのか。

 

「この箱ほどではないけれど、胞子(スポア)が出入りしにくい身近なものがあるわ」

「なんだそりゃ」

「人体よ。簡単に出入りできたら、魔力子を体内に保有できないでしょう」

「……言われてみるとそうだな」

 

体内にドーラ入れたら、多少隔離できるのか……?でもどうやってやるんだろう。あっ、そういえば、

 

「この間、アプシントスのやつがドーラ食べてたぞ」

 

保管するために食べた、とはちょっと違う感じだったが。なんかえらい化物になってしまったし。

 

「石は消化できないから拾い食いしちゃだめよ。……ドーラ自体にも魔力子が含有されているから、人間に移植させたかったんじゃないかしらぁ?とはいえ、普通の人間の体内にドーラを無理やりねじ込んでも、人間の身体の方が持たない。どうせ、あの気持ち悪いネフィリムとかいうのが、しばらく暴れた後で自壊したでしょう?」

「ゲロって元に戻った」

「そう、吐いて元に…………はあ!?元に戻ったぁ!?!!?どういうことよ!??!?」

 

クリュティエに掴みかかられ、揺さぶられる。何を聞かれてもオレにはさっぱりだぞ!

 

「わ、わかんねーよ!戦ってるうちに様子が変になったんだ!」

「他に何か変わったことはなかったの!?」

「あと少しヒビも入ってた」

「ヒビ!????!?なんで!!!??」

「んなもん知るかぁ!アプシントスのイルとかいう女が実験だなんだ言ってたんだよ!今持ってんのお前なんだから、パカパカ開けて確かめりゃいいだろ!」

 

それを聞くと、一気に不機嫌な顔になり、何か思案している様子だった。そして大きく溜息をつく。

 

「あの面倒な集団はほんと……、楽しめればいいみたいな感じでほんと……」

「でも何人か取っ捕まったじゃねーか。それに、無茶苦茶強かったクリムノンとかいう男も」

「クリムノンがあっけなく捕まるわけないじゃないの。何か裏があるんでしょうねぇ。別に私はどうでもいいけれど、……ちょっと待って。あなた、あの男と戦ったの?迷惑女とも会ったの?どういうことかしら?」

 

クリュティエが怖い顔で詰め寄ってくる。大神殿の町で会った出来事は話していない。なるべくこちらのことは教えずにいたいが、乗り切れるだろうか。

 

 

 

§ § §

 

 

 

「なるほど、そういうことねぇ……」

 

ムカつく女は腕を組んで、そう呟いた。

 

「お師匠……」

「うるせー……」

 

グレイの視線が痛い。つい、過去につられてビビってしまうのがダメなことくらい、わかっている。

 

クリュティエは珍しく感嘆して言う。

 

「あなた、良く生きて帰ってこれたわねぇ」

「そ、そんなに強いのかよ……。ちなみに、お前とクリムノン、戦ったらどっちが勝つ?」

「直接会ったことはないけれど、そうねぇ、先に殺したほうが勝つわ」

「そりゃそうだろーよ」

 

本当に自信があるんだったら、もっと強気な発言のはずだ。やはりあの男……クリムノンは相当の実力者のようだし、先ほどの『裏がある』っていうのも気になるな。ただあの時、オレ一人じゃ勝てなかったしできることはなかったが、逃げるにしても一目散ではなく、もっと様子を探りながらにするべきだったか?

 

他に引き出せることはないかと思い、口を開く。

 

「クリムノンが何か企んでいるっつっても、魔術を使ってくる犯罪者は取っ捕まったら、魔力子の体内の流れや魔術行使の命令を送るための神経を麻痺させる薬を定期的に打たれるんだろ。だったら」

「どうかしらねぇ」

「お前が裏があるっていうから、こっちは……っ」

「私はどうでもいい、って言ったでしょう?裏があるなら軍や憲兵に被害が出る。なければそのままオーキッドたちやアプシントスの力が削がれる。何?あなたお尋ね者なのに軍のこと心配してるの?」

「そういうのじゃねーよ」

 

オレはあの嫌な未来を回避して、それで……。

 

「前も言っただろ、嫌がらせがしたいだけだって」

「……なんだかよくわからない、変な子ね」

「オレだって、わかんねーよ。お前たちは、お前は何がしたいんだよ。……なんで、たくさん人が死ぬかもしれないことをしようとするんだ。アバドーンもアプシントスも、みんな馬鹿だ」

「あらぁ、アプシントスと一緒にされたくないわぁ」

「全部同じに見えるけどな。オーキッドたちとお前らの違いもわからねー」

 

クリュティエとオーキッドは同じアバドーンという組織なのに、内部で二つに分かれ、そこでも争っている。オーキッドが率いる一派は人数が多くて、こいつらは少数精鋭のバリバリ武闘派くらいしかわからん。

 

「オーキッド?あれはね、単に、苦しまないように、緩やかな自滅を目指しているだけ。表向き何をやっているのか誰も知らせないくらい、あんなビビりな男とも一緒にしないでくれるかしらぁ?この世で二番目に嫌いな男がユフラ、三番目に嫌いなのがオーキッドよ」

「一番目は誰───ぴぇっ」

 

その瞬間、クリュティエはすんごい形相になった。怖い。グレイは完全にその場の空気になろうと努めて黙り、ヒューはますます疲れた顔になった。二人から地雷を踏んだのはお前だからどうにかしろ、と視線を感じる。

 

「具体的に違う点はなんだよ」

「人間は退場して、魔力子の意思に全て明け渡してしまおうと考えているのがアプシントス。人間と魔力子で共存しようと考えていたのがアバドーン。そんなところかしらねぇ」

「共存?」

 

右隣の女の怖い顔が少し和らぐ、そのまま手首を掴まれた。

 

「お、おい」

「ねぇアコラス?いずれ、私たち人間という種が滅ぶ可能性があるのなら、それを回避して存続できたほうがいいと思わない?」

「変なこと、言うんだな。……お前はドーラを集めようとしてる。そうしたら、いつかは人から魔力子がなくなって」

「肉体は死ぬわねぇ」

「……なんだ、その言い方」

 

妙な言い回しだ。まるで、肉体以外のものは死なない、とでも言いたいのか。

 

「魂や記憶はどこにあるのかしら。人は死んだら、それらの情報はどこへいくのかしら」

「……死んだらハイ終わり、なんじゃねーの。全部消える。いつか忘れて、忘れられる」

 

掴まれた手はギュッと握り直される。手のひらから体温が伝わる。

 

「魔力子で情報伝達ができるのなら、一気に人体から出ていき、還っていく魔力子にも、その人間の意思が伝わっていてもいいんじゃない?もしかしたら、今まで死んでいった人たちの意思も、実は魔力子の中に少し残っていて、再会できるかもしれない。そうだったら……とても幸せだと思わない?」

「お前の言っていることこそ、なんの根拠もない、狂った言葉じゃないか……。それに、なんかそういうの、気持ち悪いから嫌だ」

「あら、わかってもらえると思っていたのだけれど。残念だわぁ」

 

わかるもんかと言おうとしたその時、こんこんと扉がノックされた。ヒューが応対をし、手紙らしきものを受け取る。オレから手を離したクリュティエは手紙を渡され、目を通した。読み進めていくうちに笑みを深めていく様子には嫌な予感しかしない。紛らわすために、ようやくティーカップに口をつける。

 

「良い知らせでしたか?」

 

ヒューの問いに頷き、

 

「さぁて……。ここまで話したのだから、しっかり手伝いなさい、アコラス」

 

すっかり冷めていたお茶の温度と同じくらい、オレの気分は下がった。

 




語彙力が偏っている系主人公。


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9-6

【N.C.999】

 

魔力子関連の話の後日、オレはまたクリュティエと二人きりにされた。同じ空間にいるだけでもストレスなので勘弁してほしい。

 

「さて、『手伝い』のことよ。アコラスには実際に足を使って、(ドーラ)を探してもらうわ」

「は?お前らがやれよ」

「私たちは下請けをビシバシ働かせて、成果を待つ側なの」

 

そして、現在の状況を語り出す。オレが持っていたのが三個。そのうち一個はアプシントスから奪った。やつらが元々二つ所持していたのは、すでにクリュティエも把握済みだった。つまり、まだ手付かずの可能性があるのは二個である。

 

「これだけなんだから、ほら、誰かさんのおかげで少ないでしょう」

言っちゃだめだよ?

うん。アプシントスのは一個失くしたって言っていたけど黙っとこ。とりあえず潰し合えや。

 

「オレから奪ったの以外、まだ一個も手に入れられてなかったのかよ」

「北東の砦も湖のも、誰かさんに先回りされちゃったのよねぇ」

 

あっぶねー。村でアプシントスと戦っていたのも、それ関係だったのだろうか。サクサクとクッキーを食べながら考える。……しょっちゅうお茶会みたいのしてると、トイレ近くなりそう。

 

「侵入したけどもぬけの殻。ついでに落石事故に紛れて始末しようとしていた、面倒くさい人物も予定変更でいなくて殺せなかったわぁ。最近うまくいかないことが多いのよねぇ。誰かさんが邪魔したのかしらねぇ」

「アプシントスもオーキッドと手を組んだしな。ざまーみろ」

 

机の下で脛を蹴られた。

 

「人数は向こうが上だけれど、限られた幹部以外は烏合の衆。大した問題じゃないわぁ」

「気にしてむぐっ」

 

嫌がらせに口に詰め込まれたクッキーを食べていると、クリュティエは机に国土の地図を置いた。マルバツがいくつもついていて、マルのみはあと二つだけとなっている。一つは西の山岳地帯、もう一つはこの辺りの海沿いの地域だ。海沿いといっても、近くの山や森も含まれているが。

 

「……んぐっ、これは?」

「予測される(ドーラ)のある範囲。隕石の落下地点は正確にはわからない上に、休眠状態が終わりに近づかなければ、こちらから感じ取ることができない。感じ取れる距離も限界があるでしょう?」

「予測って……、どうやって」

「空中分裂した六個の隕石の行き先、そこにある可能性が高い。記録と……これね」

 

次に取り出したのは、手のひらに乗る円盤状の物だった。

 

「方位磁針だ」

「あら?これはちゃんとわかるのねぇ。落下地点周辺は磁場に狂いが見られるときがあるから、それを利用するのよ」

 

磁場……、磁石的な何かだな。目星をつける方法があったわけだ。

 

「あちこち当てずっぽうに行ってたオレがバカみたいじゃん」

「むしろ、当てずっぽうで見つけるのがすごいわよ。運か良いのかしらねぇ」

 

全て当てずっぽうだったわけじゃないが……、この間だってデカい釣り針に自らつっこんでいったわけだし。そういえばいたのはアプシントスの奴らだけだったな。

 

「新聞とかに引っ掛かりにいかなかったのはなんでだよ」

「私は、大神殿は持っていない、と判断できる情報があったから手出しはやめたわぁ。まあ、最初の(ドーラ)は紛失したとき、実は大神殿に持っていかれたんじゃないかと噂があったから、信憑性があると考えた人間もいたでしょうねぇ」

「お前は信じてねーんだな」

「あそこが本当にそんなものに頼るとは思えないわね。中央大陸の本流とは破門しあっているし、なんせ今のトップが、蒸気機関にお熱な科学界の重鎮を兼任しているんだから。それに最初の(ドーラ)は……おそらく、アプシントスが所持していた二つのうちのどちらかでしょう」

「じゃあこの前奪ったやつが、最初のかもしれないのか」

「巡り巡ってきた可能性はあるわねぇ」

 

話していてわかるが、情報量の差が大きすぎる。何とも言えない悔しさとそれでも一点黙っていることからちょっと俯き、もう一度地図を眺めた。……ん?

 

「予測したっつっても……範囲広くねーか」

 

ここの近くのほうの丸も、山から海岸かけてと広い。オレが歩き回って調べなきゃいけないんだよな?捜索には何日もかかるだろう。

 

クリュティエは笑った。

 

「だからアコラスには頑張ってもらうのよぉ。せっかくだし、どこから調べるくらいは、決めさせてあげるわぁ」

 

どこでもいいから指差せと、地図を目の前に突き出される。え~~~……。

 

オレはなんとなく答えた。

 

「この辺……海の近くから」

 

『前回』はどうしていたのだろう。こんな風に情報を渡されることは全然なかった。それどころか地図の見方も知らなかったし、今自分がどこにいるかなんて考えたこともなかった。ひょいっと放り出された先で暴れてこいとしか言われなかった。ただ生かされて、使われているだけだったのだ。……アイリスは?結構クリュティエと話していることがあって、話の内容を聞いても教えてもらえなかった。もしかして、今オレがその代わり……。

 

「タイミングよく他と鉢合わせたら潰すから、そのつもりで準備しておきなさい」

「……あ、ああ。わかった。でも準備とか……オレが持ってたもの、お前が取り上げたじゃねーか。どうすんだ」

「使えそうなものは返すわ、一時的にねぇ」

「服は?」

「流石にそれで戦えとは言わないわよぉ」

 

どうやらスカート地獄からは、解放してくれることがわかった。今の服装じゃ、絶対動きにくい。変装する必要性があるなら仕方がないが、そうでないなら無駄だ。無駄にひらひらしてるし、レースやらリボンやら多いし。機能的じゃない。

 

袖のひらひらレースをいじっていると、クリュティエは手をポンと叩いた。

 

「そうそう、ネフィリムについては頭をいちいち潰すのは手間がかかるでしょう?最近、効率的な対抗手段があるとわかってきたのよ。魔力子の体内流路を壊せれば回復は困難。理論上、魔力子を穴が開いていないときと同じように流せばなんとかなるかもしれないけれど、そんなことできるわけないわ」

 

それを聞いて、一瞬息が止まった。

 

『前回』あったことをぐちゃぐちゃに思い出す。

 

あの時、なぜかクリュティエは銃を手にしていた。コイツがそんなもの使う必要なんてないのに。あの憎たらしいメアリーでもこれだけはいい仕事だったと、そう言っていた。後にわかった。中には特殊な銃弾が込められていて、魔力子の体内流路と魔術行使の命令を送るための神経を損傷させる効果があったことを。材料の中で重要な働きをしていると思われるものは不明であり、破壊された部分は治療不可能である、と。貫通していればもう少しましだった、と。

 

記憶の中の映像が、砂嵐の中のように不鮮明に映し出される。また誰かと取っ組み合いになっている。邪魔なその人間に向かって、オレは引き金を───、

 

「ウチの取引先には、軍や憲兵もいるのよねぇ。魔力子の体内の流れや魔術行使の命令を送るための神経を麻痺させる薬のために何をお求めか調べれば……ちょっと、さっきから大丈夫?顔色が良くないわよ」

「へーき。なんか最近、頭の中がフワフワするような、変な感じがあるだけだ」

 

口の中が乾くのを感じながら、動揺を取り繕おうと努める。嘘はついてない。

 

そんな様子のオレを、クリュティエはじっと見つめてきた。そして急に立ち上がると、首根っこを掴まれる。つい怯えてびくっとしているうちに、こちらもまた立ち上がることを強制させられ、そのまま引きずられる。

 

ずるずると連れていかれた先は、割り当てられた部屋だった。自分一人だけ誰にも警戒されることなく自由に動き回れる猫が、勝手に入り込んでゴロゴロしている。

 

オレはベッドの上にぽーんと荷物みたいに投げられた。

 

「寝なさい」

「は?」

「いいから早く」

 

困惑するオレに布団を押し付けてくる。

 

「ちょ、スカートにシワがつくんじゃ」

「そんなのどうでもいいわよ」

「こんな服寝づらい」

 

文句を言うと、ごしごし顔を拭いて化粧を取り、あれだけオレの地毛が嫌いと言っていたのにカツラを取り、さらには着替えさせようとして───ここはなんとか自分で着替えた───、すぐにベッドに寝かせられる。

 

寝ろ寝ろうるさいので目を閉じる。しばらくした後、チラッと片目だけ開けると目が合った。怖い。

 

「真っ昼間から寝れねーよ!いつまで寝てればいいんだ」

「……(ドーラ)探しの日まで」

「はあ!?正気か、何日寝てればいいんだよ!てかなんで寝なきゃ───」

「うるさいわね」

 

ひぇっ。

 

 

 

§ § §

 

 

 

ここはどこだろう。

 

キョロキョロ見渡しても誰もいなくて暗い。夜だ。

 

いや、暗くない。古い木造の建物が燃えている。

 

あ、ここは大神殿のある町だ。

 

拳銃を握っている。

 

目の前には腹を蹴られて蹲っている、黒髪の少女がいる。

 

手が汗ばむ。

 

誰かが耳元で囁く。

 

さあ、どこを狙うのが一番良いでしょうか。

 

 

 

§ § §

 

 

 

目を覚ましてすぐ、手が握られているのがわかった。誰かに似た女の人がいる。優しく微笑んで、オレに語りかけてくる。

 

「あら、起きた?」

「今……いつ……?」

「窓を見ればわかるでしょう。夕方よ」

「……わかんねーよ」

 

最悪。近くにいたのはクリュティエだった。あー起きるのやめやめ。パッと手を放し、布団を頭まで被る。

 

「寝ているとき、身じろぎ一つしないから驚いたわぁ。呼吸はしていたから死んでいないのはわかっていたけれどねぇ」

「オレは寝相が良いんだ」

「全く、心配させておいてあなたは……」

「心配?」

「冗談よぉ。歯磨きしてからまた寝なさい」

「うるせー!ちゃんとするわ!」

 

しばらくするとメイドさんが来て、クリュティエは入れ替わりにどこかに行った。頭痛以外でも具合の悪いところはないかと聞かれたり、しばらく小間使いは中止する旨を伝えられた。猫の足・体拭きも代わりにやってくれるらしい。

 

翌日以降もメイドさんに見張られ、病弱扱いされ、どこかに行こうとしようにも、「まあ!お嬢様、無理はいけません!」などと言われ、寝たって治るものじゃないのに部屋に戻される。どこも悪くないことを言っても、体温が低いとかいろいろケチをつけられ、聞き入れてくれない。

 

カツラの理由も何かうまいこと拭きこまれたようで、「お嬢様、この部屋でなら取っても大丈夫ですからね」と可哀そうなものを見る目で言われる。……お嬢様???

 

時々現れるクリュティエには、貧相な語彙力をどうにかしろと、本や新聞、辞書をどさどさ渡された。

 

本くらいは、とぺらぺら見ながら読むと、これが意外とまあまあ面白い。畜生。それと、なぜか冒険小説ばかりだった。盗賊の隠した宝を山に探しに行ったら外敵の四肢を切り落としにかかる戦闘民族に襲われ危機一髪とか、嵐に巻き込まれ無人島に流れ着いた先で海賊の宝を見つけたとか。こいつらいっつも宝探ししてんな。

 

「何がしたいんだ、あいつ……」

 

そんなことを言ってしまっても、こればかりはオレは悪くないと思う。

 



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-3

主人公の夢回。


 

 

夢を見た。

 

 

 

焼けた建物の傍らで、オレが立ちすくんでいる。

 

どこかにいかなければいけないのはわかっていた。

 

でも、どこに?

 

着ている服はペラペラで、ちゃんとしたものが必要だ。食べるものも、寝る場所も、必要だった。しかし、どうすればそれらが手に入るのかわからない。

 

『今回』になって、初めて建物の外に出た。辺りを見渡すと、建物のすぐ横には川が流れている。

 

「 川なんて、あったんだ……」

 

世の中知らないことばかりだった。

 

 

 

人のいるところを目指して川沿いを下っていくことにしたが、歩いても歩いても、あるのは森だけ。家なんて一つも見つからない。

 

こうして、一日目はただ延々と歩き続けただけだった。日が沈み始めたので、川原で座り込むと炭が一欠片あった。 手頃な石を拾って、炭で一本線を引いた。

 

しばらくすると辺りは真っ暗になった。終わりの見えない闇が怖い。こんな状態ではもう移動できない。

 

運良く初夏だったから、寒くはなかった。でも、握りしめた石と抱えた膝は冷たかった。

 

二日目。空腹で目を覚ました。服には小さなポケットがついていたから、線を描いた石と炭を入れた。そして、別の石を持って、また歩き出した。

 

喉が渇いたときは、川の水を飲んだ。そして、ひたすら歩き続ける。途中、その辺に生えていた草を食べてみた。苦い。口から吐き出した。

 

「おなかすいたな……」

 

オレの呟きは誰にも届かない。食べ物らしい食べ物は見当たらない。

 

そう思っていたら、目の前にウサギが現れた。持っていた石を思い切り投げて、見事に命中した。ウサギは動かなくなった。

 

やった。

 

殺したウサギに寄っていったところで、気がつく。これをどうすれば食べられる状態にできるのか、わからない。

 

刃物があれば、皮の下の肉を取り出すのだろうか。血がいっぱい出てきたら、どうすればいいのだろうか。しかし、あるのはゴツゴツとした硬い石だけ。これで殴ってみたところで、どうにもならない。

 

「う゛っ……」

 

結局、食べることはできなかった。

 

 

 

ウサギの死体は地面に埋めた。

 

 

 

さらに歩き続けて思い付いた。

 

火を起こそう。

 

食べ物のことを考えていて、ようやくたどり着いた発想だった。

 

木ならたくさんある。木の皮や細かったり乾いている枝を集めて、いつかに習った通りに火起こしをした。そうしているうちにまた夜が来た。ポケットに入れた石に、また一本線を引いた。

 

火のおかげで、その近くだけ明るくて温かった。

 

三日目。火は消えていた。二日間歩き続けたから、汗でベタベタして体が気持ち悪い。服を着たまま川で水浴びをすることにした。目の前にはなんと魚が現れた。手掴みで捕まえることができた。

 

また火起こしをし、濡れた体を温めながら、先の尖っている枝で魚を刺して焼いてみる。どこまで焼けばいいのかわからないので、良く焼いた。……二日ぶりの食事は苦かった。

 

そしてまた、日が暮れるまで歩き続け、暗くなる前に持っている石に線を引いた。

 

四日目。お腹が痛い。でも自分の身は、自分以外誰も助けられない。だから、ひたすら丸くなって痛みに耐えた。ちょっと辛くて涙が出た。楽になった頃にはもう、日が傾いていた。石に線を引いて、その日は終わった。

 

五日目。ようやく人の建物が見えた。町だ。走っていったら、つまずいて転んだ。町に着くと、じろじろ人に見られ、ヒソヒソと言っていることが聞こえる。だから人気の少ない方へ行った。

 

そこから先は、日の当たらない路地裏で時間が過ぎることだけ考えていた。

 

毎日毎日線を引いて、何日経ったのかを確認した。腐りかけの食べ物でも頑張って探した。服も捨てられているものを拾った。靴擦れで足から血が出た。

 

たどり着いた町は、お世辞にも治安が良いとは言えなかった。オレのような子どもはたくさんいたし、大人だっていた。ワルイ子どもより、ワルイ大人の方が厄介だった。

 

路地裏で、知らない男が突然オレの腕を刃物で刺した。貫通する嫌な音がした。

 

オレは何も持っていていないのに、と混乱していたら、冷たい地面に押し倒されていた。

 

目がおぞましくて、人のものとは思えなかった。

 

「ぅ、うわぁぁぁああああああ!」

 

その男を思いっきり殴り、ぶっとばしてしまう。動かなくなった。たぶん、死んだ。

 

だから、走って逃げた。

 

 

 

靴擦れの痛みは、いつの間にか感じなくなっていた。

 

 

 

食べ物を横取りされないように、気を付けた。その日その日を越えるのに必死で、気がつくと夏は終わって秋になっていた。数えた線だけが増えていく。

 

寝ていてふと目を覚ましたら、知らない女に抱えられていた。これを売ったら良い金になる、と隣の人間に話している。

 

訳がわからなくて、暴れて、殴って、逃げた。この人たちも、たぶん死んだ。

 

これ以降、寝るときは箱の中に身を隠すことにした。

 

 

 

さて、毎日毎日一本ずつ、線を描くことで時間が過ぎることを心待ちにしていたオレだが、石に描くスペースはとっくの昔になくなったので、拾った木片に刻むようになっていた。しかし、ある日それをなくしてしまった。途方にくれていると、

 

「ぶべっ」

 

風で何かが運ばれて顔に当たった。手に取ってみるとそれは紙だった。しかも日付が書いてある。これは、新聞というやつだ。

そうだ。これが売ってあるところに行けば、日付がわかる。今までみたいにしなくて済む。

 

人の多いところに新聞は売っていた。もちろんそれを買う余裕などなかったし、誰かに姿をジロジロ見られるのは嫌だったので、遠くから日付を確認した。

 

オレには文字の読み書きを、ついでに簡単な計算もすることができたので、幸運にも新聞を読むことができた。一方で、不幸にもそれを活用する(すべ)は知らなかったが。

 

 

 

「寒い……。お腹すいた……」

 

さらに時間は過ぎて、冬が来た。

 

今日もオレは明日になるのを待っている。過去に戻ってきたというチャンスを与えられても、ただ生きているだけしかできない。

 

日課になった日付確認を終えて、手頃な箱の中に隠れて眠る。周りに箱がたくさんあってちょうど良かった。

 

 

 

ゴトゴトという音で目を覚ます。

 

世界が揺れているのだ。何事かと思って、箱から上半身を出すと、そこには箱や荷物がたくさん積まれている。暗い部屋だった。

 

「ここ、どこ……?」

 

外には人の気配がする。キョロキョロと辺りを見渡していると、蓋がガタッと音をたてて落ちる。

 

あっ、しまった、と思ったときには、揺れる部屋に人が入ってきていた。大人の男の人だ。しかも、目が合ってしまった。

 

「子ども!?」

 

箱から慌てて出る。出入口は二つあり、男とは別のところに走った。

 

そして扉を開けると、

 

「風景が動いてる!?」

 

見えた景色は、すごい速さで左から右へ動いていた。

 

「違う、部屋が動いてる……?まさか、『てつどう』?」

 

ある程度の距離を保ったまま、男が話しかけてきた。

 

「どこから入ってきたんだい?」

 

改めて、その人を見てみた。少し困った表情をしている。どこか、親しみを覚える顔で、不思議と怖くなかった。

 

「わかんない。起きたらここに───」

 

部屋が今まで以上に大きく揺れた。体勢を崩した男性に向かって、荷物や箱が崩れる。

 

とっさにオレは雪崩のように崩れた荷物のうち、男性を下敷きにしようとしていた物を止めた。

 

「驚いた……。君はとても力持ちなんだね」

 

男性は目を丸くしていた。

 

 

 

箱の中に寝ていたことを話すと苦笑される。

 

やはりここは鉄道の車両内で、オレの全く知らない町に向かう途中だった。しかも、乗るにはお金が必要らしい。

 

困った。お金は仕事をすると貰えることは知っているが、仕事をしたことがない。だからお金は持ってない。

 

するとオレを見つけたおっさんは、荷物を崩れないよう積み直すことを運賃代わりにしてもらえないか、と車掌という鉄道で働いている人に交渉を始めた。

 

「こんな小さな子が身体強化の魔術?お客さん、冗談もほどほどにしてくださいよ」

「いや、私も信じられない思いだったがね。一旦見てもらって、それで決めてくれないだろうか」

 

ほらやってみなさいと言われ、荷物を崩れないようにどんどん積んでいく。

 

結果、交渉は成立。今回に関してはお金を払わず、乗ってもいいことになった。車掌はそんな馬鹿なと、同じ物を持とうとして腰を痛めていた。

 

 

 

おっさんはとても大変な仕事があるので、次の駅で降りなきゃいけないらしい。お腹がすくのを紛らわすため、それまでオレたちはおしゃべりすることにした。

 

「それくらい魔術が使えるなら、働き口はいっぱいあるだろう」

 

オレは魔力子がないから魔術は使えない。だが、怪力を見て身体強化の魔術が使えると勘違いされているようだった。その勘違いがどうやら良い方向に働いているようだったので、オレは訂正をしなかった。

 

「オレ、お金稼げんの?」

「稼げるとも」

「もしかして、町で知らない人が『君いくら?』って聞いてきたのは、オレに仕事させようとしてた?」

「……そういう人にはついていっちゃいけないよ」

 

おっさんは声のトーンを急に落とした。どうしたんだろう。

 

「どんなことすればお金稼げる?」

「う~~~~ん……。ある種の危険から身を守れて、お金が手に入るのは……」

 

ここ半年の悩みを解決するためにした質問に、おっさんはものすごく悩み始めた。うんうんと唸った末に、ポツリと呟く。

 

「……軍魔術師学校だ。あそこなら、最低限の衣食住を保証してくれるし、勉強だってできる。社会的な身分も手に入れられる。その代わり、軍で働かなければいけないけど、働き口も手に入る。しかし……」

 

軍。

 

オレが知っているものだ。『前回』の思い出が色鮮やかによみがえってくる。

 

そこにいけば、いつか、もう会えないはずだった人たちにも会えるかもしれない。

 

「そこ行きたい」

「……ああ、そうか。この列車もちょうど、その学校に向かう路線だ。私は次で降りてしまうけれど、君はこのまま乗って、十二番目の駅で降りなさい。十二番目のマレブランケだ。車掌にも伝えておくから。さて、入学条件は13歳以上だが……、神殿の教区簿冊に記録されたことはあるかい?」

「知らない」

「よし。だったら、ある程度年齢は偽ってもバレても、さほど問題にならない。そうだな。君の身長がこれくらいになる年月……二年ほど経ったら、学校の入学検査を受けてみるといい」

 

おっさんが手で必要な身長を示す。今のオレはまだそれよりも小さかった。

 

そこまで伸びるのに二年。今の世界になってから半年が経ったが、さらにその四倍もの時間かかるのか。長いな。

 

「それまでは、怪しい人に騙されないよう気をつけるんだよ。……私もまた、悪い人間だがね。まかり間違っても『いくら』だなんて聞いてくるような人間には、ついていっちゃいけないよ。当分は今日みたいにその怪力を生かしなさい」

「うん、頑張る」

 

すると、おっさんは懐から何かを取り出した。

 

「これ、何だと思う?」

 

見せられた手のひらには、小さな物が乗っている。

 

「……種?」

「そう、種子だ」

 

彼は大きくうなずき、

 

「でもね、ただの種子じゃない。千年前の気候変動で、もう絶滅したと思われていた種類のものなんだよ」

「くれんの?」

「それはダメ」

 

即答された。ケチだ。

 

「おっさんはなんで、そんなの持ってんの?」

「ごく限られた地域の人たちのおかげで、保存されていた物を見つけたのさ。私はね、色んなところを飛び回って、こういった、実は生き残っていた植物を探すのが趣味なんだ」

「……いなくなったやつなんか見つけて、どうすんだ」

「例えば、もしも今よりたくさん収穫できる小麦があったら、皆嬉しいだろう?そういった作物を作る手がかりになるかもしれないんだ」

「ふーん」

 

種をまじまじと眺める。どこからどうみても小さい種に、そんなことできるのか?

 

「大勢の人がお腹いっぱい食べられるように、おじさんも君と同じように頑張るよ」

「そうか、がんばれ」

 

なぜか苦笑いされた。むっ。

 

「だから、いつかその日が来るまで、待っててくれないか?それが頑張った君へのご褒美だ」

「そんなのいらねーし、それに……待つの、嫌いだ」

 

待っててもダメだった。走って追いかけても、間に合わなかった。やり直すチャンスが与えられても、何もできず、現状が過ぎるのを待つことしかできないのは、つらかった。

 

「困ったなあ」

 

そう言って眉を下げた顔を見ると、なぜだろう、ポロポロと涙が流れる。

 

「……私の家族は皆暑がりなんだけど、私自身は寒がりでね。よく帽子を買うんだ。また新しい帽子を買って、しかも早々に雨で濡らしたと知られたら、もったいないと文句を言われてしまう」

「家族?何言ってんの?」

 

突然何を言い出すんだ、このおっさんは。

 

「仕方ない。バレないように、ここに隠しておこう。それに君は顔や髪を隠しておいた方がきっといいから」

 

大きめの帽子を頭に乗せられた。顔の半分まですっぽりと覆い被さる。

 

「帽子のことは、内緒にしておいてほしい。約束してくれるかい?」

「……約束するしないの前に、見えねーよ」

 

目を擦って、帽子の位置を直す。やっぱり今日の天気は雨じゃない。そもそも車内だから屋根がある。

 

「変な顔してる」

「君は結構辛辣なことを言うなぁ」

「……でも、これ、隠しといてやる」

「ありがとう」

 

オレの手は、大きな両手で包まれた。

 

「おっさんの手、温かい」

「残念なことにこれくらいしか取り柄がないんだけどね。……じゃあ、次にこっそり取りに来るまで、よろしく頼むよ。また会おう」

「うん、またね」

 

 

 

そのあと、どうなったんだっけ。

 

出来事はたくさんあった気がする。

 

しかし、未だにこの人とは会っていないし、これからも会うことはないだろう。

 




Twitterはじめました。きっとうまく使いこなせることを信じたいです。


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10-1

【N.C.999】

 

ガタガタと揺れを感じる。

 

「ん……ぅ……」

 

いつの間にかオレは寝ていた。意識が覚醒し始めたばかりの頭はぼんやりとする。

 

また夢を見た。しかし、その内容はいつも『今』の世界になってからの出来事ばかりだ。『前回』のことは一度も夢で現れたことはない。もしかしたら見ているのかもしれないが、覚えていない以上、『前回』の夢を見たかどうかは起きているオレにはわからなかった。

 

……あのおっさん、今どうしてんだろうな。てか、あの時なんで客車じゃなくて貨物車近くにいたんだ。ちょっと怪しい。盗みでもしようとしていたのかもしれない。

 

オレが目覚めたのに気づいたクリュティエから声を掛けられる。

 

「あら、おはよう。のんきに寝ていたから起こさなかったわ」

「はあ?誰がのんきだ」

「よだれ、ついてるわよ」

「……そもそも『おはよう』の時間じゃねーだろ」

 

目立たないよう、夜に行われることとなった(ドーラ)探し。それに駆り出されたオレは、馬車に乗せられていた。強い魔術師に動物はおびえる傾向があるが、この馬たちは怖がらないように特別に育てられている、と乗り込む前に得意げに話していた。

 

闇夜に紛れた馬車は海岸沿いの道路を走っている。外を見ると道は傾斜のついた岩場、というか崖上にあり、下のほうにある海とはそこそこ高低差があるようだった。

 

「この辺りは沿岸部に洞窟が多く、洞窟内の地底湖と海が繋がっているものもあるようです」

 

御者以外に乗っているのは四人だけだ。文字が読める程度の灯りの下、ヒューが周辺の詳細な地図を指差す。

 

「洞窟内に(ドーラ)があるとも考えられるわねぇ」

「しかし、かなり数ありますぜ」

 

他の三人が話している中、ごしごしと口元をぬぐい、自分の装備を確認していく。久しぶりに動きやすい恰好だ。ズボンにブーツ。鈍器や刃物を要求したが、少ししか渡されなかったのは大いに不満である。

 

「肝心の物を見つけるために働いてもらうのは、これよ」

 

突然クリュティエに指差された。視線が集まったため、そっぽを向く。

 

「このガキ、本当に連れて行くんですかい…?」

 

この馬車に乗っている、もう一人の男が困惑している。最近よく食い物をくれるので顔は覚えた。体格はかなり良く、いかつい風貌で、『前回』でも見覚えはあったような……?まあ、話す人間なんてクリュティエとヒュー、アイリスしかいなかったので記憶に強く残らなかったのだろう。

 

「そこそこ使えるわ」

「確かにその話は聞いてますがね……」

 

オレがついてくることに納得がいってない様子だ。オレも納得いってない。

 

クリュティエがのばしてくる手をべしべし叩き落としながら、どのくらい馬車に揺られただろうか。あるとき、ピンとくる。

 

「この辺」

「止めなさい」

 

馬車から降りて岩場の傾斜を確認する。降りられないわけではなさそうだ。ごつごつとした足元を下っていき、海に近づく。

 

どこかしらに入口があるはずだと思ってうろうろしていると、海に面した洞窟を発見した。どことなく、雰囲気が北東の砦と似ている。灯りを持ったヒューとともに、少し遅れてついてきたクリュティエは「ああ、なるほどねぇ」と呟いた。……なんかひっかかる言い方だ。

 

いい感じの鈍器を持った厳つい男も降りてくる。三人ともご丁寧に仮面装着済みだ(馬車内ではつけていなかった)。

 

「この調子じゃ、あっさり見つかりそうですな」

「どう?良い拾い物でしょう?じゃあ私とこの子の二人で中に入るわ。たまに私を殺しにかかろうとしてくるから、押さえ込めるとは思うけど、万が一私が死んだら人質は殺しておいてねぇ」

「……これまたすごい拾い物だ。連れ回してるから、愛人だなんて噂もたってましたぜ。様子を見ていると、そんなことはなかったですが」

「十近くも年下に、手を出すわけないでしょう」

 

あいじん……。

 

 

 

§ § §

 

 

 

個人的に洞窟はあまり好きではない。逃げ場がない感じがするからだ。そのようなところを灯りもなしに前を歩かされる。背後を取られるのが落ち着かなくて時々振り返ると、にこやかに手を振られた。分かれ道を適当に進んだり、速度を上げてもしっかりついてくるものだから、非常に腹が立つ。

 

ぴちょん、ぴちょんと水が垂れる音が響く中、恐らく身体強化の魔術で夜目がきくようにしているらしいクリュティエが突然声をかけてきた。

 

「体の具合はもういいの?」

「誰のだよ」

「あなたに決まっているでしょう」

「元から悪くねーし。むしろ寝すぎてなまった」

「あらあら、そうなのねぇ」

 

お前にとってどうでもいいだろ、そんなこと。なんで聞いてくるんだ。意図をつかめない問いに、半分くらい頭にはてなマークを浮かべながらも歩き続ける。

 

はああああ~……、狭いしジメジメするしクソババアはいるしで気分が下がった。帽子を深くかぶろうとして指を額にぶつける。

 

「……帽子が」

「帽子?どうしたのいきなり?帽子なんて被ってないじゃない」

「うるせー」

「ご機嫌斜めねぇ」

「オレがそんなにご機嫌だったことあるかっつーの……っと」

 

足を止める。先に誰かがいる気配がする。こちらの気配を殺して暗い洞窟の奥を窺うと、数人が灯りを頼りにごそごそとした動きをしているのが見えた。ただの迷子じゃない。その方向を顎で指し示す。

 

「おい」

「ええ、わかっているわぁ。片づけましょう」

 

 

 

単純作業のように数人を始末したあと、持ち物をあさる。……お、一人だけ違うのがいる。

うまくごまかして利用しましょ。

「てか、なんでこんなタイミングが合っちゃうんだよ」

「向こうの動きに合わせているからよねぇ」

「ふーん……っておい、こいつらが見つけるってわかってんなら、オレに探させる意味なかったじゃん!」

「あらあらうふふ。私は面倒事をまとめて片付けたかっただけよぉ?」

 

拳銃やつるはし、剣型のMARGOTなどを持っていたが、(ドーラ)はなかった。つるはしをぶんぶん振り回して、ついうっかり偶然たまたま手を滑らせ、クリュティエのほうにぶん投げてしまったが、水で叩き落とされる。残念。

 

「アプシントスだけれど、ただの人間ばっかりねぇ。こんな洞窟みたいなところで下手に暴れて壁でも壊したら、生き埋めになるからかしらねぇ」

 

オレは返答をせず、アプシントスの人間に物理的に接触した、つまりはぶん殴ったときに発生した体の違和感を拭うため、ぶるぶる頭を振った。

 

「どうしたの?」

「さっきちょっとビリッときた」

「ああ、雷魔術の効果かしらねぇ。……ビリッときたって、ちょっと待ちなさい、身体強化と自分に対しての治癒が使えるはずよね。防御はどういうふうにやっているのかしら?」

「根性」

 

ちょっと痛かったけど耐えられる程度の出力だった。……うむ、感覚が元に戻ったな。さて先に進もうとした。が、後ろから襟首をつかまれる。

 

「ぐえっ」

「バカじゃないの!?雷魔術に対して根性なんて。身体強化は?いつもそんな対応してるの?だからコロッと体調不良になるのよ」

「別に体調不良になんてなってない。だって動けるじゃんか」

「あなたって、自分の痛みにも気がつけない大馬鹿者なのね。……ただの頭が残念な十七歳なのか、それとも、発育の良いガキなのか」

 

このまま前進すると服がちぎれそうだったので、非常に腹立たしいがおとなしくする。

 

クリュティエはオレが先に進まないとわかると、ため息とともに襟首から手を離した。

 

「格闘術は習ったことはないのかしら?もしくは自分から身につけようと思ったことは?」

 

なんだいきなり。

 

……ぐぐぐ。すごい背中に視線が向けていられるのがわかる。変な質問だと思いつつも律儀に答えてしまった。

 

「身につける?いや……学校で習ったっちゃ習ったけど、テキトーに殴ったほうがはえーし……」

 

当時は覚えることが他にたくさんあったので、腕力でどうにでもなる格闘術は優先度が低かった。そのため、授業でもやったはやったが忘れた。

 

「何で聞くんだ、そんなこと」

「はあ、そういうことねぇ」

「文句あんのか」

「成長しようとしないのねぇ」

「ああ?身長はこれから伸びるんだよ!」

「身長のことは何も言ってないわよ。……アコラス。あなた、わざと話をごまかそうとしていないかしら?」

「そんなこと……ない」

「あなたは馬鹿だけど、頭が回らないわけじゃない」

「まあな」

「まあな、じゃないわよ。なんで偉そうなのよ。……もういいわ。気がつかないふりをしているようだから、言ってあげる。成長していないのは、あなたの戦い方。前戦ったときと、ちっとも変わらないわぁ」

 

言い返すためにオレは振り返った。

 

「最初は相手に捕捉される前に先手を取る。並みの相手ならそれで終わりでしょうね。それで終わらないのなら、初見殺しな見た目と小手先の工夫で相手の意表を突く。まさか、華奢な女の子が、こんな怪力なはずがない。そんな我流の、体の動きを考えない殴り方で、威力が出るはずがない。そんなに早く怪我が治るはずがない。気配の消し方だけは私も素直に褒めるレベル。今まではほとんど一回目で仕留めていたんでしょう。でも、同じ相手にそのやり方では……二回目以降うまくいかなくなるわよ」

「それはっ……」

 

腕を組んでこちらを見下ろしているクリュティエに対して、言いよどんでしまう。

 

「わかってしまえば、相手の外面に騙されずに強力な超近接戦闘型として対応できる。こちらとしては面での攻撃で押さえ込めちゃったのよねぇ」

「一回目は負けかけたくせに」

 

『今』の世界になって初めてクリュティエと会って戦った湖での出来事。偶然に助けられ、かなりいいところまで追い詰めることができた。……ただこの女は自分が負ける万が一の状況に備えて、ヒューを配置していた。

 

「そうねぇ、あれは不覚だったわぁ。だから、同じ手を二度食らうつもりはないわよ。さあ、次に私と戦うことになったら、あなたはどうするのかしらぁ?」

 

いちいち人をイラつかせる言い方だ。落ち着けと自分を言い聞かせる。

 

「……オレの戦い方をこき下ろしてくれたようだが、力は以前よりも強くなってる」

「そうね、腕力や脚力は多少強くなったようね。そのまま身体強化を極めるのも一つの手だわ。じゃあ、それはどうやって強くなったの?」

「さーな。知らねーよ」

 

オレが早足で先を急ぐと、クリュティエはそれ以上追及してくることはなかった。

 

 

 

あるところから壁がところどころ青く光っている。それを見て、オレは洞窟に入ってから抱いていた疑問を小さく口にした。

 

「隕石の欠片がなんでこんな、奥まった洞窟みたいなところにあんだ?空から降ってきたものなのに……」

 

クリュティエは耳ざとく聞きつけてくる。

 

「まだ見つけていないけどねぇ」

「うるせー」

 

北東の砦もそうだった。結構深く地下へ下っていった先にあったが、上から来たなら上のほうにありそうなもんだが。

 

「お宝って、洞窟とかにあるイメージじゃない?」

「知るか」

「人魚の宝だと思って、大昔に誰かが見つけて隠したのかも」

「売っぱらえばよかったのに」

「ロマンがないわねぇ」

「うるせー」

「……まあ、そうねぇ、こんな洞窟ができるのに千年は短すぎるかもしれないわねぇ。今までそのあたり、深く考えたことはなかったわぁ」

 

千年は短いのか、オレにはわからない。

 

「……あ」

 

アホな会話をしている途中、ふと認識した。視線の先にはより一層光っているものがあるのだ。岩に中途半端に埋まっている物があるのだ。手を伸ばしたが、クリュティエに頭をつかまれ、静止させられる。そうしている間に、銃弾のような勢いの水で岩の一部が崩され、(ドーラ)は取られてしまった。

 

「そんな恨めしい目で見られてもあげられないわよ?」

「別に」

「……この場所がどんなところか、あなたはわかっているわよねぇ?」

 

ここは水が多くジメジメしている。水の魔術が得意なクリュティエにとっては有利な場所だ。オレは返事をせずに踵を返す。

 

「わかってくれて嬉しいわぁ。ほぼ最短ルートで進んだようだし、今後もこの調子で役立って欲しいわねぇ。……ねぇ、全部の用が済んだら、あのお仲間は解放してあげる。アコラスは……うふふふ、飼ってあげてもいいわよ?」

「絶対やだ」

 

初対面時に有無も言わさず怒りの形相で首絞めてきたようなコイツとは、一緒にいたくはなかった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

帰り道は何事もなく、その理由は出入口に戻ったときにわかった。待っていた二人の周りにも死体が転がっている。おかげで追加はなかったというわけだ。

 

ヒューが近づいてきたクリュティエに向かって手を挙げた。

 

「お帰りなさいませ。驚くほどお速い」

 

確かにあまり時間もかからなかったが、今何時くらいだろう。

 

「特に苦労なく見つけられたわぁ。ただ、アプシントスの連中がいたから、始末しちゃった」

「こちらもですよ、はい。入り口は塞いでおきますか?」

「いいえ、今回はこのままでいいわ。この程度の連中であれば、後から本命が来る予定だったんでしょうね。何が起きたのかわかりやすくしていてあげましょう───」

 

急に殺気を感じる。すぐそばにはネフィリムがいて───、

 

 

 

頭が内側から弾けた。

 

 

 

ぐしゃっと崩れ落ちた体を横目にクリュティエはヒューたちに確認する。

 

「これだけかしら?」

「そのようですね。我々が相手にした者からの個体ではないですから、はい」

「私たちが見逃していた、というわけねぇ」

あーあ、ダメだったか。

うわー、やっぱり瞬殺されたか。そんな強い個体ではなさそうとはいえ……。ネロよりも速いし、予備動作もほとんどわからなかった。

 

「じゃあ撤収しましょう。男どもはさっさと戻って帰る準備をしていなさい」

「しかし……」

「何?私に逆らうわけ?」

 

クリュティエがヒューたちを急かしている間、オレは景色を眺めることにした。おぞましい海。目に映る光景を二分する水平線。あの向こうは、ここよりもずっと遠くだろうか。

 

「わざと試したわね、アコラス」

 

気がつけばオレとクリュティエだけで取り残されている。

 

「はあ?いきなり何の話だ」

「わかっているくせに。ほら、いつまで海を見ているの。洞窟に入る前は暗かったけど、日の出が近いわ。行くわよ。……どうかしたの?」

 

どこまでも広がる大きな水溜まり。まじまじと見たのは今日が初めてだった。しょっぱいらしいことは聞いていた。しかし、確かめる気にはなれなかった。

 

「……なんか、こういうの見ていると、自分が空っぽになってく感じがする」

 

ただなんとなく呟いたあと、オレはようやく海の風景から目を背けて歩き出すことにした。そして、なぜか立ち止まっているクリュティエを追い越した直後、

 

「ひっ」

 

何の予兆もなく突然後ろから抱きつかれた。

 

力は決して強くはなかった。だが、体がすくみあがって動けない。目をつぶって、まぶたの裏に懐かしい人影を幻視する。

 

「た……っ」

 

言いそうになったことを無理矢理止め、虚勢を張る。

 

「な、何すんだ!」

「ダメよ、そんなこと考えては」

 

いつものように余裕のある声ではなかった。何かを恐れているような、そんな声だった。

 

「無垢なものは連れていかれてしまうから」

「はぁ?このっ、いいから離せよ!」

 

身じろぎをしたところ、思ったよりも腕は簡単に振りほどくことができた。じりじりと下がって様子をうかがうが、仮面で表情を読み取ることはできない。……かすかに肩が震えている。

 

「おい……?」

「……ふ」

「おーい」

「…………ふふふ」

「えっ」

「……うふふふふっ。あなたって、からかい甲斐があって面白いわねぇ」

 

そう言って放り出すかのようにとられた仮面の下は、人を馬鹿にしたような笑顔だった。

 

「…………はぁぁぁあああああ!?」

 

おいマジふざけんな。

 

オレはクリュティエを無視して歩き出すことにした。相手にしてもろくな目に合わない。徹底的に無視してやる!

 

 

 

なお、この後ずっとにやにやしながら「ねえ驚いた?」と聞いてきて、非常にイライラさせられた。

 

……本当に何だったんだ。

 



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10-2

【N.C.999】

 

なんでこんなことになっているんだろう。

 

「はあ゛あああぁぁぁぁ~……」

 

テンションダダ下がりになっている中、その主たる原因の女が後ろでオレの背中のファスナーを上げた。

 

「どうしたの?」

「どうしたもこうしたもねーよ。……なんでいちいちオレの着替えに、ちょっかい出してくるんだよっ!」

「あなたがちゃんとリボンを結ばないからじゃない」

「めんどくせーんだよ!!!服がっ!悪い!!!」

「ジッとしてなさい。さもないとスカートの丈つめるわよ」

「うぐっ……」

 

リボンが曲がっている、バランスがいまいち、などとブツブツ文句を言うクリュティエは、ようやく納得がいったのか、

 

「次は西に行く予定。ドーラだけじゃなく、アプシントスの本拠地もあるから、そこを探して叩くための調査になるわねぇ。軍の動きも見ておきたいし、首都を経由するつもり。……ほら、もう行っていいわよ」

 

そう言って、オレから一歩離れた。

 

(ドーラ)探しに協力させられた結果か、何点か変化があった。以前はどこに行くのも全て命令を渋々聞く形だったのだが、やや自由な行動が許されるようになったのだ。グレイにはクリュティエと同席じゃないと会えないが、猫はノーマークなので様子を見に行かせたりしている。というか、よくわからんガキ二人に猫一匹を養うなんて、お金どうなってんだよ。

 

考えてみれば、クリュティエに限った話ではないがあちこちで行動するためのお金も、たくさん必要なはず。それらがなくなれば……。

 

「たくさんのお金が一度になくなるときってどんなときだ?」

「え?……先物取引で大失敗した、みたいな感じかしら?」

「さきものとりひき」

「どうしたのよ、急に」

 

これは違う気がする。

 

お金がかかること……。うーん……、シークレットブーツ……、あとは…………家賃?

 

「部屋いっぱい借りても、お金をたくさん使うということか……」

「何を考えているのかはわからないけれど、不動産投資も止めときなさい」

 

 

 

§ § §

 

 

 

空いた時間で、オレはクリュティエたちの拠点となっている建物を少々調べた。バレない外からの侵入経路はあるか、屋根裏や床下には忍び込めるか、襲撃するとしたらどうするか、物を隠すならどこか……。一見ごく普通の建物だが、なかなかガードが堅い。

 

首都を経由して西に行くと言っていたから、その道中のほうが今の環境よりも逃げやすいし、あわよくば打撃を与えられるかもしれない。

 

……などと思ってみたものの、心はずっとくすぶっていた。

 

これも全部、先日に突如行われた変態行為のせいだ。あの後またケロっとして、いつも通り余裕綽々になっていたので、余計腹が立つ。

 

そういうわけで、今日は商会が街の計算機に大量のパンチカードを持っていく日だったので、気晴らしもかねて手伝いについていくことにした。

 

モヤモヤしながら紙の束を運んでいけば、外からすでに煙が見えている建物内部にたどり着いた。計算機用の蒸気機関とそれを動かす機関士、計算機自体を扱うのは計算士が見える。誰だ誰だとヒソヒソ言われて居心地の悪い思いをしつつ、機械に飲み込まれていく紙を眺めていると、機関士たちの会話が聞こえた。

 

「全く。こんな蒸気機関(エンジン)使った仕事、いつまで続けさせられるんだか……。ぜぇーったいっ、効率悪いと思うんすけど」

「さぁ。結局、世の中蒸気機関だ手紙だなんだになってるからな。聞いたか?電線や電話線の話。いたちごっこらしいぞ。敷いても、すぐ盗まれたり切られたりするから」

「あー、平和になれば俺ら失業かー」

「そしたらこの鉄の塊盗んじまおうぜ」

「あっはっは、やるときは呼んでくださいよ」

 

電線とやらは知らんが、電話って、線を通して離れたところに音が出せる機械だったよな。第二課に置いてあって、そこから隣の建物との会話にほんの少しだけ使ったことがある。普通の声と比べて雑音が多いし、あの距離なら直接会いに行って話してもたいして変わらないので、使用者は少なかった。

 

長距離間で使われていないのはなんでだろうと思っていたが、外だと線を切っちゃう人間がいるからなのか。「部外者が入ってこないようなところでしか、まともに設置できない」とスプルースさんが愚痴っていたのは、そういうことだったんだ。今さらになってわかった。

 

「……あ゛っ」

 

オレはあることを思い出した。たしか『前回』……。

 

『ほら、あそこに切って下さいと言わんばかりに置いてある線があるでしょう?あれを、邪魔する奴もろとも壊してきなさい』

 

街と街の間に敷かれていた謎の線を言われるままに切ったり壊したりしてたけど、あれ、離れた街同士でも会話ができるようにするための電話線だったんじゃ……?やべー、犯人の一人、オレだったんか。

 

今さらわかってもどうにもならねーな、と思いながら数時間くらい計算機の作業を眺めていると、計算にはもうしばらく時間がかかるから戻っていいよと声を掛けられた。

 

今この瞬間、オレに注意を強く向けて、かつ、やっかいな者はいない。

 

……このまま、逃げられる。

 

商会に戻る人たちに混じり、外にひっそりと出る。

 

一人でどこにでも行ける。それで、問題ないじゃないか。

ダメよ、奪い返さないと。

……ダメだ。取られたものを取り返さないといけない。

 

「……何やってんだろ、オレ」

「お嬢ちゃんお嬢ちゃん」

 

声がした。裏路地にいる見知らぬ男からだ。

 

「一人かい?」

「おう」

 

近くにいるのは、目の前の人物を除くと二人だが、一緒に行動しているわけではないから数えなくていいや。

 

オレの返答を聞いた男は、視線だけキョロキョロとさ迷わせている。怪しいやつだな。

 

何を言い出すのかと身構えていると、

 

「お菓子あげるからついておいで」

 

えっ。もらえんの?

 

「いけませんよ」

 

前に出ようとしたとき、後ろから手が伸びてきたので避けた。その間に見知らぬ男は慌てて逃げていく。

 

「物で釣られて、怪しい人間についていってはいけません、はい」

 

後ろにいた人物に向き直り、オレは胸を張って反論する。

 

「釣られてない」

「何を根拠に、そんな堂々と……?」

 

ヒューは顔を引きつらせていた。

 

 

 

§ § §

 

 

 

結局、元いた建物に戻って来てしまった。

 

オレよりも自由に歩き回っている猫が足元に寄ってきた。首根っこをつかみ持ち上げる。ちょうどいい。体をキレイにしていないのにベットの上に飛び乗ってこようとしたりするので、足を拭く嫌がらせを行ってやろう。

 

水場にあったエプロンを勝手に借りて、水がかからない位置に高そうな手袋を放った。

 

そして、気配を察知して逃げ出そうとする生暖かい猫を片手で抑え、もう片方の手で水場の蛇口をひねり、冷たい水に触れる。

 

「オレになんか用か」

 

声をかけてきてから、いつまでも近くにいるヒューに文句を言った。

 

クリュティエに取っ捕まってから見かける機会はあったが、話したことは全くないので、親しい間柄ではない。もともと用もなく話すような人間でもない。

 

肩をすくめながらヒューは返した。

 

「見張りですよ」

「それは他に下手くそなのがいる」

「おや、ご存知でしたか」

 

猫の足だけを拭こうと思ったが、せっかくなので全身を洗うことにした。ちょうど他に人がいれば、こいつうるさくねーし。

 

ヒューは水場の端の椅子に座ると話し出した。

 

「去年の夏ごろの首都で、アプシントスとオーキッド派が手を組んでドーラを盗みだそうとしたゴタゴタ……。空き家を爆破させた者がいまして、私がやったんじゃないかと、オーキッド派から疑われてしまったことがあったんです、はい」

「へー」

「これはいけないと思いまして、現場を探ってみたところ、不発していた火薬を見つけました。不思議と配合の割合や仕掛けが私と非常に似ていまして……。どちらで習ったのですか?」

「さーな、忘れた。お前だって、爆発物の取り扱いなんて、どこで習ったんだ」

「鉱山です。昔働いていたんですよ」

「……へー」

「自己紹介をしっかりとしたことはありませんでしたね、私は」

「知ってる、ヒューだろ」

「覚えていただけているとはありがたい」

「二回も逃げられればな」

 

……口では知ってると言いつつも、あまりヒューのことで知っていることは多くない。

 

初めて会ったときの印象は薄かった。気がついたら、『最低限は覚えないと、役割なく、ただ生きているだけになってしまいますよ』と、彼から火薬の調合やそれに関係した計算、爆発物の取り扱い、多少雑でも出来る起爆の仕掛けなどを教えてもらった。どう考えても最低限じゃない。今最も役に立っている知識ではあるが。

 

見るだけでおおよその数字のあたりをつけられるようになれ、とか言われたっけ。ただ、読み書きは教えてもらえなかったから、読めるようになったのは数字だけだったな……。

 

だが、どうも口止めされていることがあったらしく、余計なおしゃべりはあまりなかった。質問を投げかけてもまともに取り合ってくれることもなかった。見てわかったことといえば、クリュティエの起こした過激なことには普通に引いていたが、なんやかんやで自発的に従っており、あの女から信頼を得ていたことくらいだ。

 

魔術に関しては風起こしと身体強化が使えるが、前者はたいした威力はなく(爆破や煙幕の仕掛けとしてヒモを切るときに使えないかと、小さい範囲に集中させる試行錯誤もしたが、最終的に魔術いらないという結論に達したとか)、後者は並程度。真っ向勝負ならあまり強くなかった。

 

なんだかんだであの頃、一番顔を合わせていた人間はヒューだったかもしれない。

 

オレが過去を振り返りながら猫を水浸しにしていると、ヒューはとんでもないことを言い出した。

 

「彼女はあなたを可愛がりたくて仕方ないようですよ。少しばかりイメージ改善をして頂ければ、はい」

「ぶっ殺そうとしてくる人間を、どういう理屈で可愛がろうとすんだ。おかしいだろ」

 

いずれも防がれてしまっているが、オレはフォークや皿、筆記用具につるはしなどを、顔面目掛けてぶん投げている。そんなことしてくる人間を可愛がろうとはしないと思う。

 

「なんでも、あなたの顔が姉に似ていて、懐かしくなるからだと」

「はあ?姉ぇ?」

「姉の子どもかとも思ったそうですが、年齢が合わないので単なる他人の空似だそうです。文句言ってましたよ。……この話を聞いたことは、できれば黙っていてくださいね。くわばらくわばら」

バカみたい

なんだその話。意味がわからん。

 

「だから、あなたに対して悪意があって行動しているわけではない、ということは理解していただきたいです、はい」

 

猫を洗う手を止め、思わずいぶかしげに見る。

 

「あなたがおとなしく可愛がられると、彼女の機嫌が良くなる。彼女の機嫌が良くなると、こちらも色々と楽になる。良いことずくめだと思いませんか?」

「良くない」

 

そっちが本音だな、畜生。

変態女に絆されるのも禁止ー

猫をワシャワシャと拭く。オレはあんなやつに可愛がられたくない。

より屈辱的な内容で罵らせないと

「あいつが……、あいつが悪いんだ。この前なんて、突然後ろから抱きついてきやがった……。変態だ……。……クスリでもやってんじゃねーの」

ダメだこりゃ

ここぞとばかりに罵ろうとした言葉は、即座にヒューに否定された。

 

「それはないと思いますよ。彼女はそういったものは大嫌いですから、三年ほど前に一斉摘発を行われた際は、商会としてかなり協力的でいらっしゃいました、はい」

「けっ、ほんとかよ」

「彼女の印象を良くしようキャンペーンです」

「それ言っちゃうのはどうなんだよ」

ほんと、面倒な男

一通り洗い終え、猫をタオルで包んで帰ろうとしたオレは、立ち去る前にヒューに聞く。

 

「……ところで、首都での空き家爆破、お前なら何点つける?」

「68点、雑な仕事が目立ちます」

「ふーん。何点満点?」

「170点満点です」

 

素直に40点と言え。

 

 

 

ちなみに、怪しい男とのやり取りは、クリュティエに黙っていてくれとヒューに頼んだが、普通に報告されてた。しかもめちゃくちゃ怒られて、

 

「時々警戒心がカイギュウ*1並みだわ……。ひどい……あれよりひどい……」

それだけは完全に同意するわ

と言われる始末。なんだがまぬけ扱いされている気がする。

 

オレは考えなしに、素直についていこうとしたわけではない。ついていった結果、お菓子がもらえるならそれでよし、変なことをしてこようとすれば返り討ちにすればいいから、何も問題ないじゃん。

 

そう弁解したら、投げ技や関節技などをかけられまくった。可愛がりたいとか絶対嘘だ。

 

こうして、やはりこのクソババアは精神的かつ肉体的に加虐趣味という結論を得たオレに、再び首都に行かなくてはいけない日が近づいていた。

 

*1
『ステラーカイギュウ』に相当。この世界ではそろそろ絶滅しそう。




蒸気機関のことを考えれば考えるほど、電気すげーと思ってしまう今日この頃。


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11-1

【N.C.999】

 

落ち着かない。

 

首都につれてこられて、はや数日。ずっと宿の一室に押し込まれ、オレは暇をもて余していた。

 

「なー、魔術使ってみてくれよ」

「あいにく私には才能がないので、面白いことは何もできませんよ、はい」

「風で曲芸できないのか。紙浮かせてくるくる飛ばすとか」

「そのような大層なことはできません、はい。……あなたに使える魔術の種類を教えたこと、ありましたか?」

「けっ」

 

室内を調べすぎた結果、建築時の手抜きを発見して居たたまれない気持ちになったので、手帳を読んでいるヒューに話しかけた。昨日まではメイドさんが一人居残りだった。

 

「私は現在進行形で暇ではありません、はい」

 

オレを見ずに、ヒューは手元で何かを書いていた。

 

「グレイは今何やってんの」

「あなたの知らないところで、おとなしくしてもらっています。彼はまだ幼いですが、利発な少年ですね、はい」

「ふん、まあな」

 

片手で腕立て伏せをしてみても、簡単にできてしまう。

 

……。

 

「なんか面白い話して」

「無茶を言わないでください、はい。……それでは、魔術にまつわる面白い話を一つ」

 

あるんかい。

 

手帳を閉じてから、ヒューは言った。

 

「土、と言われてあなたが想像する物は何ですか?」

「茶色いやつじゃねーの。……あ、昔、黄色も見たことあるような」

「ええ。他にも黒や赤、そういった様々な種類の土が天然、人工に関わらず存在しています。……では、魔術で作り出される土はどのようなものかご存知で?」

「そんなの観察したこともねーよ。……茶色、いや、赤ぽかった気もする」

「なるほど。今からあなたが見たことのある土魔術、その使い手の出身を当ててみせましょう。南部ですね」

「知らん」

「ふむ。困りました、はい」

 

そう言うと、ヒューは黙ってしまった。

 

人間が親から産まれたときの土地なんて、いちいち気にしたことがない。それを知ったところで何か良いことあんのか?

 

風で窓が揺れる音が聞こえる。

 

「……なんで突然出身を予想し出したんだよ」

 

ヒューは良く聞いてくれましたとばかりに、再び話し始めた。

 

「これはズバリ、魔術で作り出される土や水は、魔術の使用者が意識しなければ慣れ親しんだ種類の物が生成される、という実例があちこちに転がっているからです」

 

ほう。

 

「だから、南部出身者であれば南部、東部出身者であれば東部の土と良く似た物が、土魔術によって作り出される。逆を言えば」

「生成した土から出身地がわかる」

「……かもしれないということです、はい」

「断言はできねーんだな」

「そこは魔術師の技量次第で、いくらでも変えられますから、はい」

 

ふーん。

 

「『土を作る』という魔術を使う人は、土の構成物質や温度の状態を細かく指定することなしに発動することができています」

 

まあ確かに。うだうだ指定してたらすぐに発動できねーし、戦闘で不利になるな。

 

「魔術を発動させる上で必要な情報は、己の経験や記憶が初期設定にされている。しかしながら、慣れ親しんだ土の正確な構成要素やその割合を覚えている者はなかなかいないでしょう。こういった情報がどこから来るのか。かつてあったという神子の神託も、案外こういった魔術的な情報伝達から成り立っていたのかもしれませんね。いやあ、不思議です、はい」

 

前々から疑問に思っていたが、神子とは何だろうか。特に誰からも説明を受けたことはない上に、当たり前のように使われているが、前回では全く耳にしたことのない単語だ。

 

「お楽しみいただけたでしょうか」

「おう。どーも」

 

ヒューに話してくれたお礼を言うと、悔しそうな顔をされる。

 

「……次は治癒魔術最強説です」

「何それ」

「最強議論は皆好きですから、はい。治癒魔術でなぜ怪我が治るのでしょうか?」

「もともと人体が持ってる治癒能力を強めることで、回復を促進している、だろ?」

 

ちなみに、オレは治癒魔術に世話になった経験はない。治療されている人は見たことがあるが、傷口に手を突っ込まれていて、とても痛そうだった。

 

「その通りです。裂傷であればその傷口を、骨折であればその骨を癒合するスピードを速めるわけです。なので、治癒しすぎで相手の骨をめちゃくちゃ回復させ、肉から突き破らせたりできれば強いと思います、はい」

「……そんなの見たことも聞いたこともねーが。他人は他人で体内に魔力子の流れがあるから、よっぽど弱っているか、主導権を完全に明け渡されるくらいじゃないと、その流れに治癒魔術は逆らえねーとかじゃなかったか?」

「はい、なので治癒魔術でも下手なことはできませんね」

「……ダメじゃん」

「……はい」

 

頑張って反論しろよと言いたいところだが、……うー、無茶振りをしたオレが悪かった。

 

でも、なんかこういう感じは懐かしい。……もうやめだやめだ、こんな話。

 

高そうな椅子にふんぞり返って、借りた本を読むふりをすることにした。荷物にこっそり紛れ込み、クソババアを驚かせるという良い仕事をした猫は、今は膝の上で丸まっていて邪魔だ。

 

今この場にクリュティエはいない。……が、常に近くで見張る者がいるため安易に動けない。

 

できるのは、これからのことを考えるくらいだ。

 

最もやるべきなのは、(ドーラ)を取り戻すこと。それとグレイの身柄の確保だ。

 

(ドーラ)については、小箱ごと取られたせいでそう遠くない場所にあるだろうな〜、くらいしかわからない。

 

グレイについては、大神殿の町でイルとかいうのが『本命』と口走っていたのも嫌な感じがする。ここまで来るのに乗った汽車では隣に座っていたが向かい側にはクリュティエがいたし、今だって別室なので全然会っていないのだ。そんな話できない。……町から逃げた直後、何か知っているかグレイに聞けばよかった。

 

う〜む……。

 

(ドーラ)の隠し場所の調査と奪還。そして逃走。

 

これらの実行にはクリュティエを出し抜く必要がある。……発車してすぐに駅で俺たちだけ降りて、クリュティエたちだけそのまま西に流されていくとか、そういう面白い光景見れねーかな。

 

さて、クリュティエ自身は、朝どこかに出掛けては夕方戻ってくる。なぜ知っているのかというと、

 

「今日も随分おとなしくしていたみたいねぇ」

 

出掛ける前と帰ってきた後にわざわざ顔を見せに来るのだ。二度と来るな。

 

何を読んでいたのか聞かれたので、本を渡す。クリュティエはパラパラとページをめくった後に、しばらくの間、目をつむった。さらに、貸し出した者を聞いてきたため、メイドさんを指差す。

 

「あとで話があるわ」

「はい!承知いたしました!」

 

たまに猫の足を洗ってくれる気の良いストーキングメイドさんは、元気のいい返事をした。……クリュティエも後で借りて読むのだろうか。

 

本の内容は、妻が行方不明になった夫を探す旅の道中で、包丁を両手に持ち暴れまわる無双劇だった。言い回しに難しいところもあったが、勢いが良すぎて既に三回読んだ。ストーリーは全然わからんが、戦闘シーンがかっこよかった。

 

とにかくクソ強い妻が様々な強敵と戦いを繰り広げるのが売りのシリーズらしい。オレがいきなり読んだ第三巻も、「この泥棒猫!」と言いながら財産むしり取ってくる系詐欺女が争いあうのがなかなかすごかった。なぜ猫呼ばわりなのかは知らないが、この二人と顔が良い以外作中で情報があまりない夫はサンカクカンケーらしく、詐欺女の口調から夫を思い出して動揺した妻が、椅子を振り上げるシュラバのシーンはすごかった。ストーリーは全然意味不明だった。

 

あのシュラバは良いシュラバ、と思い返していると、

 

「明日の天気はどうなるかしらね」

「知らねーよ」

 

向かい側に座った女はわざとらしい笑顔だ。気味が悪い。あーあ、この顔を二度と見なくていいどっかにいきたいなー……。

 

「アコラス、ずっと部屋にいて飽きたでしょう。明日は自由に外出してきていいわよぉ?」

「えっ」

 

突然怪しいことを言い出したので、オレは動揺してしまった。

 

「急になんだ、めんどくせーな。今まで出るな、の一点張りだったくせに」

「あら、あなたは何も知らなくても問題ないわ。気にせずに楽しんでくればいいのよぉ」

 

怪しい……。すっごく怪しい……。

 

「どうしたのかしら?」

「何企んでんだ」

「すぐ疑うなんて酷いわねぇ。何もないわよ。はい、この話は終わり」

 

見たくもない顔をじぃーっと睨んで抗議する。何も知らないままなのは、むしゃくしゃして嫌でもあった。

 

「せめて、どこ行っていいとか、そういうのくらい教えろ。じゃねーと、行けるところも行けねーよ」

「……仕方ないわねぇ」

 

よくわからないがクリュティエが折れた。昨日ヒューが「胸の前で手を握り、上目遣いで『お願い、マイア姉さま』と言えば、何でも言うこと聞いてくれると思いますよ、はい」などとふざけたことを言っていたが、やっても効果があるなんて考えられないし、そもそも絶対にやりたくなかった。やらずに済んで本当に良かった。

 

「誰と」

「お一人でどうぞ。嫌ならついていってあげても良いわよ?」

「え、やだ」

「……」

 

何この沈黙。

 

しばらくすると、クリュティエは咳払いをして仕切り直した。

 

「強いていうなら徒歩で行って帰れる距離で、時間はそうねぇ、夜には戻ってきなさい」

「……変な持ち物とかないだろーな」

「持ち物ねぇ」

 

どっかの建物に爆弾抱えて行ってこいみたいな。

 

「あなた、意外と演技がうまいから何とかなるでしょうけど、知り合いと偶然顔を合わせたときのために、度のない眼鏡を用意したわ」

 

確かに、オレを知っている人に出くわす可能性は他の町よりも高い。変装道具としては一つの手なのもわかる。だが眼鏡は嫌いだ。眼鏡を見ていると昔散々馬鹿にされた記憶がよみがえるのだ。

 

「……うぐぐぐっ、この世全ての眼鏡をカチ割りてー」

「眼鏡に何の恨みがあるのよ」

 

眼鏡とにらみ合っていると、

 

「もちろん、憲兵に()()()()()()()()()()()()()()()

「捕まんなきゃいいってか」

「うまくやりなさい。不審者にホイホイついていって、拐われたりするのもダメよぉ?」

 

オレはそんな間抜けじゃない。その辺の変なやつくらい返り討ちにできるわ。むしろ憲兵に駆け込んでお前を捕まえさせてやろうか、このアマ。……っていうかそもそも、

 

「とっくにお前に拐われてるようなもんじゃねーか」

 

取っ捕まって無理やり連れてこられているのだ。誘拐だ、誘拐。さっさと解放しろや。

 

……返事がない。

 

不思議に思ってクリュティエに目を向けると、なぜか目を丸くしていた。

 

「おい」

 

またもや無視。それどころか、俯いて肩を震わせ始めた。

 

「…………ふ」

「おーい」

「……ふふ」

 

なんだ?変なもの食べてて、お腹に今痛みでも来たのか?

 

「……うふふふっ。それもそうね。もしそうなら、とても面白いわね」

 

急に楽しそうになって怖い。

 

そのまま、機嫌良く紅茶をいれようとして、ポット内に魔術で生成された水を溜めていく。

 

「あら」

 

しかし、クリュティエはせっかく作った水を捨てた。

 

「何してんの」

「紅茶は軟水でいれたいのよ。そっちの方が絶対美味しいから、わざわざ作っているっていうのに……間違えたわ」

 

よくわからんこだわりだ。

 

 

 

§ § §

 

 

 

翌日。

 

ヒューによって、追い出されるように外に出たオレはまず、しばらく適当に歩いてみた。……が、いつものような尾行をされている様子はない。

 

「実は本当に息抜きさせるため……。それが理由ではなかったりせんのか?」

「ないないないない。絶対ねーよ」

 

抱えている猫がトンデモびっくり説を唱出したので否定した。ありえねー。

 

次に、気配を消して立派な宿の様子をうかがってみることにした。……が、特に怪しい人物の出入りはない。

 

「ここでこうしているのも無駄な気がするがの」

「うるせー。大体、お前が最初から尾行しとけば良かったんだよ。なのに寒いだなんだ言って、ずっと布団に引きこもりやがって……」

 

数時間が経過し、そろそろ見張ってても意味ないかと思い始めたそのとき、宿からクリュティエが出てきた。今日はまだ出かけていなかったらしい。オレが尾行する可能性を考えなかったのだろうか。

 

ヒューと話している。

 

やっぱり怪しいが、罠でも情報は手に入れられた方がいい。こっそりついていこう。……さて、猫をポイっと下におろし、我慢我慢と自分に言い聞かせて眼鏡をかける。

 

「……お?」

 

なんか変な感じだ。なんでだろう。

 

「アコラス、何を呆けておる。行ってしまうぞ」

 

だが、違和感をゆっくりとつかむ余裕はなかった。クリュティエがヒューを連れ、角を曲がるのが見える。

 

「やべ……っ」

 

オレは急いで後を追った。

 

 

 

クリュティエたちは宿のある第二地区から、繁華街のある第九地区に向かっているようだった。前を歩く二人は途中馬車に乗っていたが、オレは時々近道もしながら徒歩で追いかけていく。押し付けられた日傘を差して、くるくる回しながらオレは歩き出すことにした。……必要性がいまいちわからないので、すぐたたんだ。

 

寒いと文句を垂れていた猫は急に尻尾を立てる。

 

「ふむ……、この近くは劇場があるな」

「劇場には行かねーぞ」

「なんと」

 

しっぽが垂れ下がる。そして、急に早口で喋り出した。

 

「今回のクリュティエの目的は、わかっている範囲で三つ。首都での憲兵や軍の動きの確認、その後、西に移動して(ドーラ)の捜索、アプシントスの本拠地の調査であろう。現在は一つ目の目的の達成のため、その手の有力な人物と接触している可能性がある」

「何が言いたい」

「会談の場としては劇場はうってつけではないか?」

「お前一匹で行け」

「無理である」

「なんでだ」

「お主はあの劇場の噂を知らないからそんなことが言えるのだ。か弱い余など一人で入っていった日には食われてしまうわ」

 

マジでこの猫言うこと聞かねーな。

 

ただ、猫の言った通りの目的があるのは確かだ。そこそこいる手下を使った上で、自分自身も動きたいんだろう。……ますます思う。なんでオレ連れてきた?

 

うーん、人手がほしい……なら宿に閉じ込めないか。他は……、留守にしている間に暴れられるのが嫌だからか?それならさっさと始末すればいいのに。そうしない理由って、何があるんだろう。

 

「丈夫で力が強いだけじゃ、クソババアにとっては利用価値なさそうだよな……。その程度、オレの代わりになんていくらでもいそうだし……」

いないから困ってるのよ

じゃあ、単純に手駒を増やしたい?突然襲いかかってくるやつより、ちゃんと言うことを聞く手下のほうが良くね?わからん。

 

『前回』はゴミを見るような目で見てきて、最後はマジで殺しにかかってきたもんな。逆に納得がいくわ。……あ、『今回』も気が済んだらぶっ殺しにかかるつもりか?それかぁ。よーし、疑問点が一つ解消した。安心して(ドーラ)奪還逃走計画が立てられるぞ。

 

「劇場は地底洞窟の上に建てられたとの伝説もあってだな……」

「知るか、そんなもん」

 

ギャーギャーうるさかった猫が急に黙る。

 

「どうした?」

「……そんな。嘘であろう、余は信じぬぞ……」

 

丸くなって唸る猫の目線の先には、打ち捨てられた雑誌があった。

 

『大女優クリスティーヌ、熱愛か!?』

 

「……別にいいじゃん、誰が誰と付き合ってても」

「良くないにゃん」

 

肩に乗ってきた猫が、尻尾で人様の顔を叩いてくる。おかげさまで眼鏡がずれた。クソ野郎。

 

「こんなときだけにゃんにゃん言うんじゃ───」

頑張って逃げて

背筋がゾワッとした。

 

とても嫌な感じだ。ただ、それを表には出さないよう、ずれた眼鏡を直す。

 

「む?クリュティエの行き先はそっちではない。彼奴は本当に劇場に入っていきおったぞ。ほれみたことか」

「うるせー」

 

誰かがオレを見ている……?

 

しばらく適当に歩いてみたが、胸のざわつきが止まらないどころか、オレを追う気配は増した。

 

最初の者とはうって変わって、隠すのが下手くそな何人かは、周囲はそれなりに人通りもあるような場所なのにも関わらず、今にも仕掛けてきそうな空気だ。

 

近くの菓子屋を外から眺める。なんか見覚えあんな、ここのお菓子。

 

「捕まるようなことをするのはダメ……、捕まんなきゃいい……、うまくやれ……」

逃げろってつってんじゃん!?

オレは第十八地区に立ち入った。あそこは大規模な施設が建造中であったりと人の流入も多く、治安が良くないのはオレでさえ知っている。

 

後ろのほうからあからさまな足音が聞こえる。一人が駆け足で近づいてきた。なんだ?まだ囲まれていないし、こいつに限っては敵意を感じられない。

げっ!

試しに投げつけた日傘は、

 

「んなっ」

「うわっ!?ビックリした!?」

 

あっさり片手でキャッチされた。

 

なーんで毎度毎度こいつと会うんだ!?いや、『今回』になってからはそうでもない気も、ええい、とにかく逃げ───、

 

「あっ!待ってくれ!?」

 

───一気に接近され、対応できる前に間合いに入られる。

終わった……

信じられない。

 

動揺してしまったその瞬間にも、手を伸ばしてくる。

 

だが、殴られることも、腕を掴まれることもなかった。伸ばされた手は触れる直前で止まっている。代わりにかけられたのは、謎の言葉だった。

 

「大丈夫っ!?君、迷子じゃない!?」

「……は?」

 

まいご。

 

迷子。誰が?…………オレが?

 

「そんなことを聞いてどうするつもりなんだろ……?」

「……あああ!?ちがっ、違うんだ!!!俺は決して怪しい者じゃない!君、一人で危ない地区に向かってたみたいだから、つい……っ」

 

はー、と息を吐き出してからレドは言った。

 

「もしかしてさ、道に迷ってる?……たぶん、目的地はそっちじゃないと思うよ」

 

 




冬に切れ痔になった腹いせで、登場人物の誰かを痔にしたくなる衝動に定期的に襲われるようになりました。今は世界観のために踏みとどまっています。


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11-2

【N.C.999】

 

どうやらレドは、オレの変装に気がついていないようだった。

 

道に迷ったことを俯きがちのまま頷いて肯定すると、どこか安心したように息をつく。

 

「そっか。追いついてよかった。……良ければ道案内しようか?」

 

視線だけ向けて、レドを観察する。

 

片手にはオレが投げた日傘、もう片手には袋を持っている。両手は塞がっているのにも関わらず、のこのこ出てくるということは、オレに対する警戒心はねーだろ。うむ、正体がバレる前にさっさと逃げるに限るぜ。

 

「大丈夫、この辺りは詳しいから」

 

何を勘違いしたのか、自信満々にそう言われた。……ふーんっ、小道含めたらオレのほうが詳しいかんな。

 

黙って慣れ親しんだ逃走経路をいくつか検討していると、困った顔で日傘を差し出される。

 

「ええっと……怖がらせてごめんね」

 

はあっ!?別にビビってねーしっ!

 

ムッとしながら向き直って傘を受け取ったとき、小声で囁かれた。

 

「───逃げよう。質の悪そうな人間がついてきてる」

「ぐぇ」

 

放られた袋の中身が宙を舞うと同時に、肩に担がれ、腹部に圧力がかかるのを感じる。とっさにオレは視界に入った物をつかんでいた。

 

「舌噛まないように気を付けて!」

 

視界が勢いよく変化し、あっという間に屋根の上に着地した。

 

……は???

 

なぜオレがこんな扱いを?

 

これは荷物の持ち方では?とか、いきなり知らない他人を抱えるのはどうなの?とか、腕は掴まないのに担ぎ上げるのは良いのか?とかを異様に冷静な心で考えてしまった。

 

あ、視界たけー。

 

下を見れば誰かがこちらを指差していた。なんか普通のゴロツキ達っぽい。あれとは別に、嫌な感じの奴がいる……気がする。普段からこんな風に人を見下ろしたいものである。

 

揺れる視界には遠くに作られている途中の建物が映っていると思ったら、少し離れたところで屋根から下に降りて、さらに駆ける。

 

「……しつこいなっ」

 

レドは舌打ちと共に、細く、入り組んだ道の多い場所へと入っていく。

 

直線経路じゃないのに移動速度は落ちないし、遮蔽物を利用して撒くのも結構うまい。ゴチャゴチャしたところを走るの自体、慣れているみたいだ。やっぱコイツに追いかけられたくねーな。

 

 

 

あっちへこっちへ動き回り、かなり遠くにある公園まで来て、肩から降ろされた。嫌な感じも途中で消え、少しホッとする。

 

「ここまでくれば平気かな。君、走っている間に気分悪くなってたりしない?」

 

首を振る。意外と乗り心地が良かった。

 

「そっか、よかった」

 

それにしても、まだオレに気がついていないようだ。抱えている間、暴れるか迷ったがおとなしくして正解だったな。よし、このまま穏便に別れよーっと。

 

「誰かに追いかけられるのって、心当たりある?」

 

またまた首を振る。レドからも逃げようとした瞬間に、この問いかけをしてくるとは……。ちょっとお話でも、と憲兵のところまで連れていかれることになるのは避けたい。

 

なるべく喋らないようにしていたが……、仕方がない。

 

「散歩から、宿に戻ろうとしていただけ……です」

 

声はいつもよりも高めを意識し、目が合わないよう顔は極力俯いたまま。これで知らぬ存ぜぬをつき通してやるぜ。

 

「うーん……、やっぱり、ただの物取りか誘拐目的かな。それにしてはやけにしつこかったような気も……」

 

なんだったんだろーな、あれ。

 

ただ、よりによって一人で外出でこうなるなんて、クリュティエはオレが追いかけられることを予想してたんじゃないか?

 

息抜きなどやはりあり得ないとは思っていたが、あのクソババアと敵対している奴が、一緒にいたオレを襲撃しようとした……とかだろうか。そしてオレにはそいつらを排除させる……?確かに、一人を除いては、逃げるまでもない、簡単に相手にできるようなレベルだった。

 

「なんで」

「ん?」

「なんで逃げたんですか?なんで逃げたんですか?あれだけ動けるなら、あんな奴ら、簡単に倒せるでしょう」

 

ついオレは、レドに疑問をぶつけてしまっていた。

 

「それは……、君に声をかけた段階では、後をつけているかには言い逃れされやすい状況で、こっちが先に攻撃しかけるのは色々と問題があると言うか……、まだ、直接何かしてきたわけじゃなかった。かといって、中途半端に振り切らず人の多いところに逃げても、行動を起こされる気配もあった。君に何かあってからじゃ遅いから、今は徹底的に逃げるのが一番良いと思ったんだ」

「ふーん……」

 

いちいち雑魚は相手にしないってか。

 

「もちろん、後で憲兵に不審な人物たちのことは伝えるよ。ただ、現状だとあまり取り合ってもらえないと思うから……。今後は危ないところに近寄らないように気を付けてね」

 

レドの言い分に引っ掛かりを覚え、なんだか納得いかねーなーと思っていると、

 

「そうそう、道案内しないと。宿の場所は?」

 

え?あれ、あのとき適当に言っただけじゃなかったのか?

 

うっかり顔をあげてしまった。そして、目と目が合い、正面からまじまじと顔を見られる。

 

やべっ!?

 

すぐに俯いたが視線を感じる。恐る恐る、再び顔を上げると……凝視されていた。

 

うおおおおおお!逃げる逃げるオレは逃げるぞ!

 

「ここまで連れてきてくれてありがとうございました。もう道はわかるので、案内はなくていいです。ではさらばっ」

 

と早口で言い、反転し去ろうとしたら、

 

「え」

 

回り込まれ進路を塞がれた。

 

「……」

「……」

 

……気づかれた?さっきみたいに急に間合いに入られたらまずい。ただ、レドの炎は本能的には怖いけど、ほとんど見かけ倒しだ。だってコイツ、本気で燃やしてこようとしないし。だから、下手に距離をとった挙句にさっきみたいな急接近で体勢崩されるくらいなら、自分のダメージを気にしないで最初から至近距離で殴ったほうが……。

 

「こ、これは違うんだ!」

 

出方をうかがっていたオレに対し、レドは急に弁解を始めた。しかし、その弁解が何に対してなのかわからないので、進路を塞ぐ相手に問いかける。

 

「……何が?」

「あーえー、これは、そのー……。そう!好みだっただけだ!そう、顔が!!!」

「は、はあ。顔が、好み……」

 

突然変なことを言いだした。

 

まあ、オレはかっこいいからな……、かっけーのが好みなのはわかる、とひとまず納得しつつも……いや納得できるかこれ?

 

「…………すみません。今の発言、一旦なしで」

 

お、なんか訂正してきたぞ。

 

「……君を一人歩かせるのは心配だから、目的地まで送ってもよろしいでしょうか」

 

心配?送る?誰を?

 

………………………オレかぁ!!!?

 

「よろしくないです」

 

もうこれ以上一緒にいたくないので、きっぱりと断る。ただ、一方でどこかワクワクする感情が生まれた。だって、こんだけ騙せるってことは、もしかしたらオレの女装と演技はすごいのかもしれない。しかも誉められたりもしている。オレ、殴る以外にも才能あるんじゃね……?

 

かなり強い口調で拒否したのに、レドは異様な勢いで食い下がってくる。

 

「さっきも言った通り、俺は怪しい者じゃないんだ!たまたま視界に入った君を目だけで追っていたらフラフラ危ない方へ歩いていくし、怪しい人影もあるし、人目が少なくなったところで手出しをされるんじゃと心配になって思わず君を、追い、かけ……」

 

かと思えば急に冷や汗を大量にかき、押し黙った。どした?

 

「いや待て俺も後を追って急に担いで大分怪しい行動をしたなぁ!?でもこれ普通に走って逃げられたらよかったんだけど囲まれているみたいだったから空いてる上に行かせてもらったんだ。決して誘拐じゃないんだ。何かされた後だと遅いから先手を打って逃げようと誰かに言われたとかじゃなく自分で判断した結果なんだ。頼みますお願いだから信じてください」

 

またもや弁解だが、今にも足元にすがり付いてきそうなくらい必死である。とりあえず、まだオレの正体はバレていないようだが、レドが必死すぎて何か怖くなってきた……。さっさとここから去りたい……。とにかく穏便にすませるべく、目の前の男を宥めなくては。

 

「わかってます。あなたを憲兵に突き出したりしませんから」

「ほんとに!?……ん?むしろ憲兵に突き出してくれた方がいい!?こう見えてちゃんと身分証明できる人間なんだ!!!君も安心だよね!?憲兵のほうが信じられるだろうし!」

 

おいおいおいおい!別にオレは行かんでいい!お前だけ行ってろ!お前のことはよく知ってるから、証明なんぞしなくていい!!!めんどくせーんだよ!!!

 

オレはこの思いを最大限遠回しに言うべく、慎重に言葉を選んだ。

 

「大丈夫です、オ───私はあなたのこと、信じてます」

 

慎重に言葉を選んだはずなのに、直後、レドの顔から表情が消えた。なんで?動きも完全に止まっている。瞬きと呼吸してるか?大丈夫かこいつ?

 

「おーい」

 

試しに目の前で手を降っても反応がない。それにしても、無表情のレドは初めて見たぜ。

 

しばらくして、

 

「……俺を」

 

あ、喋った。

 

 

 

「俺を、このベンチで殴ってくれませんか」

 

 

 

ベンチ。

 

三人ほどが腰かけることができる、木製のごくごく普通のベンチ。ここは公園。休むためのベンチがすぐそこにあった。

 

「べんち」

 

だがベンチは鈍器ではない。だとすれば、オレの知らない『ベンチ』がこの世には存在するのかもしれない……。

 

「べんちとは」

「椅子です」

 

お前どうしちゃったんだよ、一番まともだと思っていたのに。

 

「変なこと言わないでください」

「はい、ごめんなさい」

 

今度は普通に喋って謝った。狂気と理性の反復横跳びしてるみたいな状態か?大丈夫か?

 

普通に考えたら、やっと手にいれた自由な時間を、今ここでくっちゃべるためじゃなく、襲ってきた奴らとかクリュティエのこととかを調べるために使うべきだな。うん、さっさと別れよう。妙に怖いし。そう思っていると、レドは、おもむろに短剣を取り出していた。それは珍しい装飾で───あれ?オレ、あれに見覚えがある。しかし、記憶をたどる前に、

 

「また、俺は……ダメな奴だ……。ラーヴァの教えも守れやしない……」

 

短剣はレドの指をめざす軌道をしていた。

 

あわてて日傘を放り出し、今傷つけられんばかりのレドの手を、自分の手でかばう。

 

「何してんの!??!?」

 

短剣がオレの手の甲に少し当たる可能性も考えていたが、すんでのところで止まってくれた。

 

「指をつめて謝罪を……」

「いらないいらない謝罪に指なんていらない!!!痛いのも怖いのも嫌だっ!」

 

何こいつ!?知らん!!知らねーよ!!!オレの知らない間に性格変わってないか!?怖い!!!!!誰かどうにかしろ!!!

 

……落ち着け、落ち着けオレ。

 

手袋越しに握っていたレドの手に力を込めようとしていることに気がつき、素早く離す。つぶしちゃったらまずいからな。

 

「しまってください、刃物」

「……あっ」

 

刃物を持って奇行に走るレドが怖い。……何だこいつ。なんでこんなことに。

 

日傘を拾い直してオレは考える。全ての予定を繰り上げて、レドの異変の原因を早急に知らなければならない、と。

 

落ち込んでいる様子のレドが短剣をしまったのを見て、ベンチの左端に座った。

 

「あなたが変なことばかりするから、疲れちゃいました」

「ごめ───」

「───だから、私が元気になるまでしばらく、おしゃべりしてください」

 

横の座面を叩く。二人で座れば、ベンチを鈍器扱いできない。

 

「お、おしゃべり?君と?どうして……。それよりも早く宿に帰った方が」

「疲れた足でふらふら歩いてたら、また変なところに行っちゃうかも」

 

短剣をまた取り出したりしないか、チラチラ視線を送った。レドは先ほどとは何か異なる動揺をしている。ふっ、バカめ。オレが座ったからには、ベンチを武器にはさせねーぞ。

 

「ダメ、ですか?」

 

何がダメなんだこのクソ野郎もうお前いい加減にしろクソ野郎、と言うのを我慢して確認すると、レドはうっ……と息をつまらせた。

 




数日前にランキングの一つを適当に開いてスクロールしたらこれが載っており、間違えてスマホを投げてしまいました。ありがとうございます。

大変ありがたいのですが、人気のない夜の公園で全裸で酒盛りしていたら(※)、横の道を普通に一般帰宅ビジネスピープルが結構通過していた、みたいな気分です。

※実際はしていません


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11-3

【N.C.999】

 

ちょっとした押し問答の末、ようやくレドはベンチの反対の端に座った。

何のんきにしてるの……

「一つだけ掴めました。どうぞ」

 

レドに担がれたとき、とっさに掴んだものを差し出す。それは、包装紙に包まれた小さく丸いチョコだった。

 

「あ……。ありがとう。でも、いいよ。君にあげる」

「別にいいです。……チョコレート、好きなんじゃないんですか?」

「…………俺が?」

 

お前以外いないだろ。わざわざ買ってるくせに。

 

無理やり押し付けると、レドは渋々といった感じで受け取った。そしてチョコを口の中に入れ、ボソッと呟く。

 

「……甘くて苦い」

 

先ほどとは比べ物にならないほどテンションが低かった。落差すげーなおい。

 

しかし、チョコレートを食べた感想がこれとはつまり、

 

「ざらざらじゃない、なめらかなやつの方が好きなんですか?」

「ん?そんなタイプのチョコレートもあるんだ?」

「……?」

ガバガバ未来知識披露すんな

まあいい。とにかくこいつを問い詰めよう。へっへっへ、俺の進行方向に立ち塞がったことを後悔するんだな。

 

「どうしてベンチで殴れ、なんて言い出したんですか?」

「それはその、ごめん、ちょっと動揺しただけだから」

「どうして動揺したんですか。動揺するとどうしてベンチで殴られないといけないんですか」

「勘弁してくれ……」

「ふーん……。変な言動ばっっっっっっかりで、こっちも困ってるんです。指を切り落とすのが謝罪とか、ダメな奴とか、わけわかんないことも言い出すし」

 

レドは観念したようにがくりとうなだれる。そして長い長い溜息ののちに、

 

「ふいに、色々あった友人を思い出して……。君に、彼女の言葉や姿を重ね合わせていることに気がついて、自己嫌悪から殴ってもらいたくなった……」

ただのマゾじゃ?

え、えええぇ……。だとしても、なんでベンチを鈍器に?

 

てか、その友人と何があったんだよ。そいつとオレを重ね合わせたということは、女装しているオレと共通点があったのか?性別は女のようだが……ヒラヒラか?ヒラヒラしてたのか?

 

そういや、顔が好みとか突拍子もないことも言ってたな。

 

待てよ?

 

思い出すとつい動揺……。

 

椅子で殴る……。

 

顔が好み……。

 

……何かの拍子にオレがオレであることがバレるのは避けたい。

ほら早くそこから立ち去りなさい

オレはレドをじっと見つめる。

ちょっと?アコラス?

「な、何かな?」

のんきにハリボテ男見てる場合じゃないよー?

こいつの直感、実は大したことないのではないか。マジで気づかなそうだ。

 

つまり、レドにとって今のオレはオレではない。

私の言うこと聞いてくれるよね?

「うん」

よかったよかった

……。

あれ?

アコラスー?アコラスー?

 

じゃあ、いっかぁ!

 

自分をかっこいいと思いこんでいる駄犬んんんんんっ!!

 

オレはぐいっと距離を詰めた。

 

「ねぇねぇねぇ!」

「ッ!?」

 

ふっ、間合いに入る速度に驚いたか。さっきのは地味にショックだったので、仕返し成功だ。

 

何から話そう。聞きたいことも言いたいことも、たくさんあったのだ。

 

「『色々あった』というのは……チジョーのもつれですね?」

「意味、わかって言ってる?笑顔で聞く内容じゃないからね?」

 

まあな。わかってるぜ。

 

「友人とチジョーのもつれの末、シュラバになったんでしょう」

「待って待って」

 

レドはシュラバの影響で心が不安定になったんだな。オレは本で読んだから知ってるんだ。

 

「相手を出し抜いてサンカクカンケーに勝てばいいんです。そうすれば動揺することもなくなります」

 

うむ、そうしたら安心だ。なにより奇行に走るレドを見なくてすむ。

 

良いことを言ってやったぜと思っていると、

 

「俺とあの子は()()()()()じゃなくてっ!!!」

 

レドが予想外に大きい声を出してきて、ビックリした。

 

なんだろ、怒ってんのか?

 

「あー……。喧嘩別れして、気まずいだけなんだ」

「喧嘩?」

 

面倒くさがってやっていなかった事柄について、相手はしっかりとやる派だったから言い合いになったとかか。

 

「…………め」

 

グレイは口うるさく怒るんだよなーと思っていると、レドはこの世の終わりみたいな顔をして言った。

 

「面と向かって、『嫌いだ』って言われた……」

「…………それだけ?」

 

喧嘩じゃなくて、一方的に嫌われているだけじゃね?

 

「あとは物投げられたり、後ろから頭殴られかけたり、現在進行形で逃げられてたり……」

 

そいつ、本当に友人か?

 

「まず、逃げられるか攻撃されるかで、まともに話ができるところまでもっていけない。それを乗り越えても…………。はぁ……下手に刺激すれば、爆発して壊れるかもしれない」

 

爆弾か何かか?

 

……はっ、そうか。

 

そいつのせいでレドはストレスを受け、おかしくなってしまったのだ。じゃあ、友人とやらを排除すればまた元に戻るのか?……ダメだ。今はすでに会えてない状況だから、排除後とそんなに変わらない。ゆえに、排除はあまり好ましくない。うむ、仲直りしかねーな。

 

「逃げて会話もろくにできないようなら、狭くて逃げ場のない場所に追い込んで、弱点をついて取り押さえるのはできないんですか?」

「……逃げ場のない場所、か。密室なら壁を壊す勢いで逃げそうだよなぁ。殴ったり蹴ったりは基本だから」

 

端的に言って、やべー奴じゃん!?

 

「やり返さないとダメですよ、そいつ!」

「理屈としてはそうだけど、感情的には手を出したくない……」

「じゃあ頭突きはどうです?」

「頭突きなら、まあ……」

 

殴る蹴るはやりたくないのに、頭突きはいいのかよ。提案したのはオレだが。

 

「なんというか……狭いところに収まらないっていうか……。そうだ、存在感がありそうな人ですね」

 

極力遠回しに人物評を述べると、

 

「存在感はむしろなかった。無意識にしょっちゅう気配消しててさ、あいつ。凶暴なくせに……、透明で、儚くて、詩に出てくる妖精みたいで、目を離した隙に消えてしまいそうな……。最後に会った日を最後に完全に足取りが追えなくなったから、消えているようなものか……?……どこかで野垂れ死んでたらどうしよう」

 

野垂れ死ぬ?友人に向かって、野垂れ死ぬ?その言葉のチョイスはおかしくね?

 

……人間の話だと思っていたが、実は犬か猫なのかもしれない。

 

「腕、バリバリにひっかいてきそうな感じですか?」

「うん?まあ、そんな感じはあるかと言えばあるなぁ……。そういえば、腕アザだらけにされたこともあったっけ」

絶対この子勘違いしてる……

やはり人間ではなかったか……。猫だな、正体見破ったり。

 

「人前には姿を表したがらないから、面識がある時点で、俺は他の人類よりもリードしている気がしたんだけどなぁ……」

他の人類にマウント取るな

深く深くため息をついたレドは、目を遠くする。

 

「最初に話しかけた時は不機嫌で、愛想も全然なくて、眉間に似合わない皺寄せてばっかりでさ……。そこからなんとか少し会話できるようになったと思えば、今度は明らかに避けられるわ、でも時々無防備に近づいてくるわ、こっちから近づくと逃げるわ、妖精・珍獣呼ばわりされて周りから遠巻きにされてたわ、肝心なことは何も言わずどこかに逃げるわ……。……結局……数えるほどしか、俺には笑いかけてくれなかった」

 

いや、猫は言うこと基本聞かんだろ。オレたち人間が、奴らにじゅ、じゅ……えーと、そうだ、じゅーじゅんさを期待するのは時間の無駄だぞ。

 

「そういうこともありますよ。ほら、たまには気まぐれで、仲良くなれてたこともあったんですよね」

「……あった、と自分では解釈している」

 

何だ、その微妙な表現は。

 

「気持ち悪いと言われた、一回目の大逃走後、三ヶ月空いて会ったときだ。急に名前呼びされたんだ。今まで一度も呼んだことなかったのに。……俺も未だにあいつの名前、ちゃんと呼んだことないけど」

 

仲良しエピソード、名前呼びされるようになったことだけ?そもそも猫が喋るか?実はレドが一方的に話しかけているとかではなく?……うちの猫も喋るし、あり得るか。

 

それにしても……『一回目の大逃走』?

 

「一回目ってことは……」

「二回目は、嫌いと言われて逃げられ、音信不通。三回目は、あのまま見逃がさないと頭を殴ってきそうだったから、逃がしてしまった。……聞きたいこともまた増えたし、やっぱり逃がすんじゃなかった」

 

なるほど。

 

思わせぶりな態度を取った挙句、嫌い嫌いと攻撃して逃げる、と。

 

心の奥底から思ったことを言った。

 

「そんな奴の、どこが良いんですか?」

「………………………………顔」

とんだクソ野郎じゃないの

猫に美醜とかある???

 

 

 

それにしても、ここまで特定の物について熱心に語るレドの姿は初めてだ。推定変な猫に対して、ずいぶんと入れ込んでいるようだが……。まあ、うちの猫も女優の厄介なファンだし、それと同じだな。

 

ちょうどタイミングぴったりに、猫がスカートの内側からのっそりと出てきて、膝の上に乗った。

 

「あれ?その猫、どこにいたの?」

「あなたが私を担いだ時から、スカートの中にいましたよ」

「……ん???」

 

別猫だが少しは気が紛れるだろうと思い、自分の膝から猫を引き剥がしてレドの膝へ渡した。

 

「どうぞ」

「どうぞ!?」

 

猫が膝から降りようとする素振りを見せたので、「魚、缶詰」と呟いて動きを止める。

 

レドは恐る恐る猫に手を伸ばした。そして、

 

「生き物の柔らかさだ」

 

呆然としていた。なんだかその様子がおかしくて笑ってしまう。

 

笑われたのがよほど恥ずかしかったのか、レドは顔を背けて、変に上ずった声になっていた。

 

「珍しいな、この子。俺が近くにいても逃げないなんて。ああ、動物にはいつも嫌われてばかりだからさ」

 

うむ、確かにコイツはよく言ってた。だから、生きている動物は全然触れないって。

 

撫でるでもなく、ただ猫の背中に手を置いていただけのレドは、しばらくすると猫に向けてわざわざ話しかけた。

 

「ありがとう。もういいよ」

 

それを聞いた猫は膝から飛び降りて、ちょっと離れたところに座る。その軽やかな動きをレドは目で追っていた。

 

「……無意識にあいつの顔を探すのを止められないなんて、馬鹿だよなぁ」

 

うむ、暗い。

 

声も顔も暗い。

 

別猫を与えた結果、気を紛らせるどころか逆に想いが強くなってしまったようだ。逃げ出した猫じゃないと元気になれないらしい。仕方ねー奴だなー、もー。

 

「じゃあ、ちゃんと探しにいきましょう」

もうこうなりゃヤケよ

オレは立ち上がった。

 

「へ……?」

「なんとなく探すから見つからないんですよ」

「探すって、あいつを?そんな、どこを」

「いそうな場所です。心当たりならバッチリです」

 

猫なら任せておけ。オレには反則技があるからな。

 

少し離れたところにいた女優馬鹿猫に近寄り、オレは小声で話しかける。

 

「おい、お前。猫がたくさんいそうな場所片っ端から行くぞ。案内しろ」

 

猫は一旦口を開き、またすぐ閉じた。何が言いたい。

 

「……まあよいか」

 

やれやれと首を振り、猫は歩き出す。

 

「いつまで座ってるんですか」

「ちょっと待って、何か勘違───!?」

 

ごちゃごちゃうるさいので、手を軽く引いて立ち上がらせる。

 

「大丈夫、あなたが心配するような地区には近づきません。さあ行きましょう!」

 

よーしっ。レドの猫、見つけてやるぜ!

 

「こやつ、本来の目的を忘れておるな……」

ほんとそれ

 

 

§ § §

 

 

 

先頭を歩く猫を追いながら、オレは探し物について聞いてみることにした。

 

「見た目はどんな感じですか?毛とか」

「毛?……毛???亜麻色で、サラサラで、ふわふわしていて、時々ピョコピョコ動いたりもする。体格は少し小柄。瞳はガラス玉みたいにキラキラしてて───」

 

異様に話が長かったので半分くらい聞き流したことで得た情報によると、レドの探し物は仔猫の可能性が浮上した。こりゃ、でかくなってるかもしんねーな。

 

しばらくして、猫が足を止める。少し離れたところに他の猫がたくさんいたが、何匹かは逃げていく。

 

「……猫の集会所?」

 

う~、どいつもこいつも全部違うけど、わからん。一番近くにいた野良猫を捕まえてレドにつき出す。

 

「どうですか?探し物はありますか?」

「……ん?」

 

反応は芳しくなかった。目的のブツならもっと喜びそうだから違うな。野良猫をぽいっと手放す。

 

「なさそうですね。今度はこっちです!」

 

この場所にはいなかったらしいので、猫にこっそり指示を送り、次の目的地に向かうことにした。

 

 

 

オレたちは結構な距離を練り歩いた。

 

「どうですか?」

「……これはなかなか厳しいかな」

「違いましたか。次こそは」

 

人が集まって賑わう市場、町の通りに並ぶ静かな家々の横を進み、

 

「どうですか?」

「こんなに猫を見たのは久しぶりかもしれない」

「……いないんですね」

 

誰もが知っている大きな通りだけでなく、知る人ぞ知る小さな道を行く猫を追った。

 

しかし、

 

「全然見つからない……。おい、猫、どういうことだ」

「余は悪くない」

 

猫とこそこそ話していると、

 

「そのー、ずっと言いたかったんだけど、実は……」

 

レドは気まずそうな顔をしていた。

 

「なんですか?」

「 俺が探しているのは……猫ではなくて、人なんだ」

 

え?

 

え……?

 

 

 

がぁぁぁぁああああ~んっ!!!

 

 

 

「そんな、今までやってきたこと、全部無駄……?」

 

嘘だろ……。役に立てなかった……。

 

「あー!あー!無駄じゃないっ!今日君がこんなに頑張ってくれたの全部、無駄じゃなかったから!!!俺ももう少し頑張ってみようって、元気出たから!」

 

……ふーん。ふーん。ふーんっ。まっ、オレの顔が好みと始めに言っておいて、顔が良いとした対象が猫だったら、オレに対して失礼にもほどがあるからな。納得してやろう。

 

「紛らわしい言い方しないでください。別に私は気にしてませんけど」

「本当に悪かったよ」

「だから別に全然気にしてませんし怒ってねー……ですけど」

 

もっと早く言ってくれればいいのに。探している人と仲直りしたいのか疑わしいぜ、全く。

 

いや、もしかしたら本当は仲直りしたくないのかもしれない。

 

誉められる部分は顔だけで、人を心配させておいて対話には応じず、暴力的で理不尽。人間なら笑えないレベルで酷いが、猫だったからまあいいかと思っていた。

 

しかし現実はそうではなかった。聞くに堪えない、あまりにも酷い人間だった。マジでなんでこんなやつと友人になるんだ?

 

「……どうして、その友人と仲直りしたいんですか?話を聞く限り、他人を振り回す野蛮な人じゃないですか。その人と関わるせいで、これから酷い目に遭ってしまいそうな気すらします」

 

正直、今はもう関わりがないんだから、このままでいた方がいいと思う。

 

そんなオレの願いも露知らず、レドは言う。

 

「確かにすぐ拗ねるし、人を振り回す奴ではある。だけど、良いところもあるから」

 

たぶんそこを良いと思ってるのはお前だけだぜ。

 

……限りなく低い可能性だが、誉められる点がどこかにある?

 

「良いところって?」

「……顔が、顔が良い……っ!めちゃくちゃ良いんだ……っ!!!」

 

おい。

 

「……せめて性格が良いとか、そーゆーのは」

「性格はあまり良くない。……悪いわけでもない」

はー?こいつ何様のつもり?

誉めるところ、マジで顔しかないのか。それでいいのか。全体的にはどうなんだ。

 

「が、外見が良い?」

「外見は……そうだな、ジャムの瓶を固く閉めてから渡して、その蓋を開けている姿を眺めていたい感じの外見かな。開けられなくて悔しがってても、開けられて自慢げにしてても、どちらも良いと俺は思う」

これはいい流れ

やたら具体的なのに理解できたことがほぼなくてビックリした。オレかレド、どっちかが馬鹿なのかもしれない。

さあどんどんその子をドン引きさせなさい

というか、瓶の蓋くらい、開けて渡してあげろよ……。

 

考えれば考えるほどわからなくなってきた。

 

もういい、この話やめやめ。これ以上はオレの頭が限界だっ。

 

「ふ、ふんっ、せいぜいその人と仲直りできるといいですね」

「うん、ありがとう」

「……ただのいやみに───」

「───でもそれ以上に失望されたいな」

「マジになってどうす…………え゛?失望?」

「まずは今ある好感度、ゼロまで下げたい」

「いやおかしいだろ」

なんで?

なんで?

 



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11-4

【N.C.999】

 

なんで失望?

 

何言い出してんの???そこ普通ポジティブなことが来んじゃね?好感度下げる?は?

 

突然のレドの発言に、オレは思わず後退っていた。

 

「今この瞬間にも謎の過大評価からの別人投影好感度に警戒心ガバガバで生きているのかと思うと俺は耐えられない……っ」

「何に?」

 

好意があるのも否定してたし、瓶の蓋を固く閉める嫌がらせもしたいらしいし、実は嫌いなのか───、

 

「でも好感度を下げすぎた結果、マイナスになるのはつらい」

 

どっちだよ!!!!!

 

「しっかりしろ!殴られたことあんだろーが!?むしろおま、あなたは嫌いにならないんですか!?」

「殴られるのは構わないんだ。仮に殴られて死んでも、最期にああいうキレイなものを見て死ねるならどんなにいいか」

「死んじゃダメだろ!?」

「むしろ、殴るくらいの跳ねっ返りと狂暴性を持たないままだったら、今ごろ……あああああっ」

 

急に己の妄想で苦しみ始めた……。

 

 

 

ああ、そうか。

 

 

 

オレは唐突に理解する。

 

レドは、オレの全く知らないうちに、……頭がおかしくなっちまったんだ。趣味が悪いとか、そういう次元じゃねぇ……。ヤバイ女に情緒を破壊されちゃったんだ……。嫌だ……、こんなのレドじゃない。

 

もはやこいつが抱いている感情がわからない。好きとか嫌いとかじゃなく、恐ろしくねちっこくてドロドロしてなんか怖い。なんで失望されたいのに、嫌われたくないし、殴られてもいいんだ。そんな状況、今まで見聞きしたことねーよ。オレは知らん。

 

……………時々横を通り過ぎる人にヒソヒソと指を差されるので、恥ずかしくなってきた。

良い感じにドン引きしてるわね

よくよく考えたら、初対面(オレ)に対して、第三者のことを延々と語って勝手に発狂するの、おかしくないか?話題をふったのはオレだが、それにしたって酷い。こいつの距離感どうなってんだ。

 

腹いせも兼ね、叩けば直るかと頭を……やっぱり、再び刃物を取り出されないよう、胸の前で手を軽く握る。また訳わからん理由で指詰めるとか言い出すのは怖いからな。

待てや

「っ!?」

 

おっ、なぜか戻ったぞ。

 

「頭大丈夫ですか?殴られておかしくなってませんか?」

「大丈夫だから、うん、その……手を……」

 

一時的に正気になったが、酷い女に心と趣味をぐちゃぐちゃにされたままなんだよな。

 

「痛いのは嫌いなんです。気が動転して、また自分を傷つけるなんてしないでください」

「しない!もうしないから!」

「……嘘つき」

「じゃあ約束しよう!ねっ!?」

 

今日見てしまった数々の奇行のせいで、全っ然信用できない。

 

疑いながら睨み付けると、逆にじっと見つめ返された。顔を観察されているような感じで居心地が悪い。

 

「私の顔、何かついてますか?」

「へっ!?あーーー……。君の眼鏡、レンズが少し青みがかってるんだ、と思ってさ───」

 

げーっ!クソ女!

 

「それはダメだよレドくん……」

 

 

 

オレの背後から懐かしい声がしたのと同時に、誰かが後ろ二メートルほどの位置にいるのを感じた。……悔しい、気配の消し方がうまい。

 

オレがこの目で声の主を確認する前に、レドがぎょっとしながら正解を言った。

 

「リーン!?なんでここに……っ」

 

さて、運が良いのか悪いのか、握っていたはずの手はいつの間にか握られていたため、しっかりと振り向こうにも振り向けない。だから、ここでリーンに顔を見せないのは不自然ではない。

 

「仕事場が同じなだけのただの他人に良く似た不審者の出没情報を聞いたから、寄ってみたの」

 

変な女に頭をやられてしまったレドはともかく、リーンは今のオレの女装(へんそう)で騙せるかわからない。レドが手を離し次第、日傘を差して可能な限り顔をみられないようにするか。

 

「そうしたら…………同志だと思ってたのに、悲しいよ……」

「待ってくれ、全てが勘違いだ。反神論者(ショタコン)の同志になった覚えはない」

「でもその背格好はレドくんのこ───」

 

オレを挟んでの意味不明な会話は、異様な速さでレドがリーンの顔面をつかんだことで、一時中断した。オレから少し離れたところで二人はこそこそと話し出す。

 

「誤解を生むようなことは言わないでくれ、頼むから。あの子はな……っ」

「もうっ、冗談だよ。ちゃんと仲良くしてくれる子いたんだね!ねぇねぇ、いつから?」

「いや、初対面」

「……うん、そういうこともあるよね!さっきまで何してたの?」

「リーンが期待するようなことは何もしてないよ。失望されたいなぁ、というような話をしていたくらいで」

「ああいつもの。あの子、聖人か詐欺師だよ」

「きっと世間慣れしていない、良いとこの子だと思う」

「前から思ってたけど、レドくんって美人局に騙されそうだよね」

騙されて全財産むしりとられろ

会話内容は聞こえるが、オレは蚊帳の外だったので、いそいそと日傘を差す。会話で置いてきぼりにされ、寂しくなったわけではないからな。

 

ふと、リーンの意識がこちらに向いた気がした。……小さな男の子みたいで可愛いとか言われんのか?

 

「こんにちは!」

 

挨拶。

 

ごくごく普通の挨拶だ。

 

 

 

リーンがオレに、普通に接してくれている。

 

 

 

「こんにちは……っ」

「私はリーン。よろしくね。そこのソレとはただの知り合いなの。あなたは?」

「わ、私は」

 

どうしよう。なんて名前を言えば良いんだ。

 

オレが言いよどんでいると、再びレドがリーンの首根っこをつかんで離れていく。

 

「いいか、リーン。あの子はきっと、簡単には名乗れぬ、やんごとなきお嬢様なんだ……!」

「レドくん……」

「なんだその目は」

 

良い感じに勘違いしてくれているみたいだった。……お嬢様ってなんだよ。

 

そして、話の終わった二人はまた戻ってきた。リーンがレドを指差す。

 

「コレに変なことされなかった?これでもかなりマシになったんだけどね」

変なことしかされてないわよ!

ベンチで殴ってほしいと言われ、自身の指を切り落とそうとする姿を見せられ、勝手に妄想で苦しまれた。

早くそのハリボテ男を回収しなさいよ

……うむ。

今こそその女を利用するときよ!

「探し物を見つけようとしてただけなので、特に何も」

アコラスゥゥゥウウ!?

なかったことにしよう。オレは今日何も見なかった。レドはオレの知っている通りのレドだった。

 

「サンカクカンケーを築いているシュラバ相手を、見つけようとしていただけなんです」

「まだそれ言うんだ!?」

 

結局見つからなくて、ただ散歩しただけになってしまったが。

 

なぜか慌てふためくレドの傍らで、ほんの少し落ち込んでいると、

 

「え?何それ?どういうこと?もしかして……鬼嫁出刃包丁シリーズの話?」

 

リーンが予想外の一言を放った。

 

なんて返せばいいのか。

 

迷っているうちに、レドとリーンが親しげに話している。

 

「は?出刃包丁?」

「怪作で有名なシリーズだよ。今度十年ぶりに第五巻が出るの」

「……流行ってるのか、それ?」

「課を問わず国家魔術師女子の間で最近人気を博しているという……」

「かなりニッチな作品なのはわかった」

 

聞いていてだんだんそわそわしてしまって、オレは傘で顔を隠しながらも、ついリーンに向かってアピールしてしまった。

 

「オ、私っ、ちゃんと読めました。たくさん、読みました」

「……?」

文字くらいは読めるようにしておくべきだった……

はて、という雰囲気を感じる。急に変なこと言っちゃったかもしれない……。

そうすればこんなのに懐かずに済んだのに

しかし、

 

「私も読んだよ!」

 

オレの杞憂を吹き飛ばすかのように、明るく答えてくれた。

 

「陸の孤島で事件の容疑者になっちゃう話にはハラハラしたよ~」

「それに、まさか真犯人が椅子製作の達人だとは驚いた、あ、いや、驚きましたよね、ストーリーは全然わからないけど」

「うんうん。ストーリーは意味不明だけど、犯人が椅子を使って、あり得ない飛び降り方で犯行現場から抜け出していたことが判明してからも急展開で───」

 

なんでそんな話に盛り上がってるの?

 

§ § §

 

 

 

「……はっ!いけない、つい話し込んじゃった!ごめんなさいっ。私、行くところがあるんだった!またねー!」

 

二人でたっぷり話したあと、リーンは手を振って、現れたときと同じように急に走り去っていった。レドいらない。リーンが良い。

 

リーンと喋っている間、全く口を挟まずにいたレドに聞く。

 

「あの人はどうなんですか?外見は良いし、顔もかわいいですよね。あの人の方がいいんじゃないですか?」

「やっぱり人間は、中身が大事だと思うんだ」

そして、さっきからこのクソ野郎は何なの?

さっきと言ってることが全然違うのだが。

 

それにしても、……すごい。今回になってほぼ初めて、まともなリーンと会話したんじゃないか?

 

「えへへへ」

 

なんでだろう。オレの年齢がいつもより高く見えたから?……案外ありだな、女装。

 

「結構盛り上がってたみたいでよかったね」

「ずっとずっと、読めたこと、話したかったので嬉しかった……です」

「そっか。リーンと話せて、そんなに嬉しかったのか……」

 

懐から紙と筆記用具を取り出し、カリカリと書いて差し出してきた。

 

「さっきの奴はリーン、俺はレド」

 

ここにきて、急に自己紹介だと?

 

困惑するオレにレドは続けて言った。

 

「無理に名乗らなくていいよ。ずっと避けてたみたいだし。そっちに書いたのは連絡先。名前を言えば繋いでくれるはずだ。あ、寮の都合で別の人の名前を言ったらその人に連絡されちゃうかもなー」

 

後半めちゃくちゃ棒読みなのはどうした。

 

紙を受け取ると、見知った情報が記載されている。迷子札を彷彿とさせるな。

後でちゃんと捨てるのよ

「また首都に遊びに来たときとか、連絡してくれたら、リーンのやつも喜ぶと思う。まだしばらくは、俺たちも首都にいる予定だし」

 

遊び?……そういえば、オレ、観光で徘徊していた設定だったな。いけね、ド忘れしてた。

 

それにしても、本気でレドは宿までついてくるつもりなのだろうか。やつらに見られたくねーな。よし、適当なところを嘘の宿としよう。

 

歩き出したとき、猫が背中に飛びついてきた。こいつ、歩くのが嫌になったんだな?……たく、背中にぶら下がるなよ。爪で服に穴が開いたらどうすんだ。

 

…………背中に強烈な視線を感じる。

 

「あの、何か───」

「君どこに住んでるの?出身は?名前は?今何歳?好きな食べ物は?さっきチョコレート拾ってくれたのに、お礼できてないよね?これからお茶しない?」

やっぱ今ここで仕留めちゃダメかしら

レドは詰め寄り、捲し立ててきた。

 

……名乗らなくていいって言ったばかりなのに、名前聞いてきたぞ。なんだ、この態度の急変は。あ、猫が逃げた。

 

「今日はもう帰るので、また今度に」

「今度?それじゃあ何月何日にする?こういうのは日時を決めないと、流れちゃったりするから」

「次の休みが、いつになるかわからないんですが」

 

異様にぐいぐい来るのなんなの?

 

……ハッ!

 

「これはナンパってやつだ!?」

「え」

 

レドは変な女にしか劣情を抱けなくなった男。そして、背中に猫がへばりついた女など、明らかに変な女だ。終わってるぜ、こいつの趣味……。

 

変装をバラして、「残念だったな!バカめ!!!」とからかってやりたい気持ちもあるが、いくらオレの女装と演技が完璧でも、そのノリはノーサンキューだ。

 

まあ、この格好で会うことはもうこれっきりだろう。

 

「違う、いや、ナンパ……、でも…………ごめん、気持ちが先走りすぎた」

 

その言葉にオレはうんうんとうなずいた。ナンパは戦いの一種であり、大事なのは相手の反応を良く見ることだと聞く。

 

「君のこと、もっと知りたかったんだ」

 

相手の長所と短所を知り、適切にぶち殺す、というやつだ。ナンパの場合は『落とす』らしい。……首を?

 

ちょっとそわそわして首を触る。……なんか怖くなってきた。

 

「シュラバ相手の人、見つかりませんでしたね」

「改めて言うけど、探している友人とはそういう関係じゃないからね!?」

「サンカクカンケーじゃないんですか」

「三角関係じゃないんです。見た目に寄らず、君結構粗野な話好きだな?……そもそも計二人だから三角形作れないよ」

 

三人いれば三角。ほほう、そういうことか。

 

「オ───私のこと、数えてくれないんだ」

「へ?何に?」

「三角カンケー」

「確かに君をいれたら三人に……え゛っ」

 

レドは目を見開いていた。オレのすごい考えがわからなかったのかもしれない。仕方ねーな。解説してやろう。

 

「だって私を入れてくれたら三角形作れますよ?」

なぜこんな風に育っちゃったのかなー

もう一人入れれば四角形、五人になれば五角形、六人集まりゃ六角形じゃん!すげーっ!!!

 

…………あれ?

 

「おーい」

 

なぜかレドは固まっていた。どうしたんだ。……おっ、今が何事もなく別れるチャンスじゃねーか!

 

「なんかよくわからんが……それじゃ、さよなら!」

 

呆然としているレドを尻目にそそくさと移動したものの、ついてくることはなかった。

 

もらった連絡先は小さくちぎって下水道に捨てた。

 

よくできました

 

§ § §

 

 

 

「えへへへ」

 

 

 

「えへへへへ」

 

 

 

「えへへへへへ───うげっ」

「あら、逃げ出すかと思っていたけれど……、戻ってきたのねぇ」

 

宿に戻ってきてから、今日あったことを思い出してはニヤニヤしていると、クリュティエが勢いよく扉を開けて入ってきた。

 

後ろから恐る恐るついてくるグレイとメイドさんを、ヒューが手招きしている。

 

「随分機嫌が良いのねぇ」

「別に。オレはいつも通り───ぴぎゃぁぁぁあああっ!?!??」

 

突然頭の左右を両手でがっちり掴まれた。

 

「どういう仕組みなのかしら、これ……」

 

こともあろうにこの女、掴むだけではあきたらず、側頭部の髪をわしゃわしゃ触ってくる。

 

「やめろぉっ!離せ!」

 

オレはすぐさまクリュティエの魔の手から脱出し、ベッドの下に潜った。

 

「クソババア!変態!クソ女!変態!変態!変態!」

 

このっ!髪がぐしゃぐしゃになったじゃねーか!戻ってきて早々によくも……あああああ!?クリュティエを尾行してたはずなのに、なんだかんだで浮かれて、本来の目的を忘れて、そのまま戻ってきちゃったじゃん!!!結果的に魚の缶詰買ってきただけだ!?何やってんだオレはっ!

 

「あら、嫌われちゃったわぁ」

「遊ぶのもほどほどにしたほうが良いかと、はい。会長とお会いになられたのがよほど嫌だったとはいえ」

「……あの自称隠居クソジジイ早くくたばらないかしらねぇ」

 

むっ、いったい誰と会ってきたんだ?

 

ベッドの下から少し這い出てくると、ヒューはグレイとメイドさんを連れて部屋から出ていってしまう。やめろ、この女とオレを二人きりにするな。

 

埃一つないベッド下に再び戻ろうとしたオレに、くしゃくしゃの紙が見せつけられた。

 

「……なんだ」

 

紙に手を伸ばしたが避けられた。かかれているのは一件の住所だ。

 

「約束だったでしょう?あのおチビさんの家族探し。見つけたわよ」

「それって───あだっ!?」

 

ベッドに頭をぶつけるオレを見て、あきれたような顔をされるのは腹が立つ。

 

「結構簡単に見つかったわねぇ。西のほうにある町。どうもお家は写真屋みたいで、今よりも幼い本人らしき写真もあったわ」

「……確かなのか?」

「そっくりさんでなければ。……さて、明後日も出掛けなさい」

「何のために」

「私と一緒に買い物」

 

その言葉を聞いた瞬間、オレはベッド下の奥の奥まで隠れたが、あえなく引きずり出されたのだった。

 



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11-5

【N.C.999】

 

憎きクリュティエに魚の缶詰一個分の経済的打撃しか与えられなかったオレは、奴の宣言通り、買い物に連行された。

 

「こっちはどうかしらぁ?」

「知らん」

「これとこれ、どちらがいいと思う?」

「黒がかっこいい」

「黒の選択肢は元からないわよ。どこをどう見たらそうなるの」

 

武器や火薬などなどを買いに行くのかとてっきり思っていたが、全然違った。せっかく連れていかれるのであれば、火薬系はどこで手にいれているのかは確認したかった。

 

というのも何年か前、どこぞのバカがなぜか肥溜めに爆竹を投げ込んだせいで、火薬系の物に対する取り締まりが厳しくなったのだ。クリュティエたちがそのあたりをどう乗り切っているかは知りたかったのである。

 

だが、今オレがいるのは……、

 

「つばの大きめな物はどうでしょうか」

「あら、花の装飾が素敵ですわね」

「他にも、白地に水色のリボンがあしらわれたこちらも……」

「まあ。素晴らしいわ」

 

クリュティエは店員とワイワイ話している。

 

 

 

そう、ここは服や帽子を扱う店だった。

 

 

 

う……。

 

うう……っ。

 

うぎゃぁぁぁあああ!いやだああああああああ!!!!!!誰かと一緒に首都を回ったとき本当は楽しかったけど、楽しんでいい心じゃなかったから、興味ないふりした罰なのかぁぁああああ!?

 

なお、クリュティエは自身の帽子を買いに来たらしい。ど、どうでもいい……。

 

「なんでオレがこんなことを……」

「ブツブツ文句言わないの」

 

時々俺にも話が振られてくるので、適当に返す。……あんなの、全部同じじゃねーか!?いや、つばの大きさとか形が違うか!?なんもわかんねー!!!!!防寒性や機能性は低そうだぜ!隠しポケットとか欲しい!

 

やれやれと思っていると、ガシッと腕を掴まれる。

 

「少しずつ出入り口に近づいているのはバレているわよ?」

 

ふっ。あまりにも嫌すぎて、体が勝手に動いていたのか。

 

だが、もう会計のようだ。何を買ったか知らないが、やっと解放されるぜ。さらばだ。

 

「じゃあ次はアコラスの服だから」

 

どーして……?

 

 

 

§ § §

 

 

 

クリュティエには斜め後ろを陣取られ、監視されるように街中を歩く。こいつは絶対にオレを後ろや隣に歩かせない。……何か言いたげな視線を感じる。

 

「アコラス、あなたまだ怒っているの?」

「別に怒ってねーし」

「わかりやすかったわよ?押し黙っちゃって」

 

続いて、呆れたように溜息が聞こえる。

 

「あのねぇ……。服の話をしているのだから、仕方ないでしょう」

 

……むむむっ。

 

 

 

オレは何件か服飾店へと連行され、着せては着替えさせられまくった。でも、買ったもの自体は少なかった。時間返せ。

 

まだ肌寒い時期なのに春物が何とかかんとか、これでも買うには遅い時期だとか言いやがって……。どれもヒラヒラフワフワしてるし、不満しかない。あんな服はすぐに壊しちゃいそうで困るし、ポケットがたくさんついている服の方が便利だと思う。

 

延々とあれこれ着せられた挙げ句、店員にかけられた言葉は、

 

『お嬢様は少々小柄でいらっしゃいますから───』

 

思い出すのと同時に、クリュティエが言う。

 

「それにね、あなたって極端に小さいわけではないと思うけれど。そのくらいの身長も普通にありえるわよ」

「───オレは大きくなりたかったの!」

「何でもかんでも大きければいいというわけでもないでしょうに……。どうしてそこまで身長にこだわるのよ」

「うるせー」

 

ついムキになって言い返してしまったことに内心ビビりつつも、クリュティエから目を逸らそうとしたが、頭をがっちりと掴まれてしまったため、逃避は不可能だった。

 

「だって…………、……になりたかったから」

「何?」

 

問い詰めるように聞き返される。オレは自棄になって叫んだ。

 

 

 

「早くっ!大人になりたかったからっ!!!」

 

今回は早く成長できてよかったね

 

クリュティエはなぜかきょとんとしていた。

 

「……『身長が大きい=大人』ってこと?」

「…………悪いか」

「案外かわいらしい理由だったのねぇ」

「はあ!?」

「ふふふ、大人になっても大して良いことないわよ?」

ま、それで簡単に大人になれるんだったら

良い悪いじゃない。大人になれば、なんでもできるし、どこにでも行ける。そう思っていただけだ。

私も苦労しないんだけど

そんなオレの考えていることもつゆ知らず、目の前の女はきつい冗談を言いだした。

 

「私は逆に……子どものころに戻りたい気持ちも、たまにあるわね」

「お前に子ども時代があるとか嘘だろ。たぶんコバエみたいに無からその姿で自然発生したんだろ」

「なわけないでしょうが」

 

うっそだぁ~。

いつまでその女と仲良くおしゃべりしてるの?

……あれ、なんでオレ、こんなヤツと雑談なんかしているのだろうか。考え始めたらすごくムカムカしてきた。

 

「それにしても華奢ねぇ。ちゃんと食べてるの?」

「ふんっ、出された物は食べてる」

 

さっきよりもつっけんどんな返事をする。……最近、ほんのちょっとだけ体が重くなったかもしれない。うぐぐっ。

 

「ほんと、コルセットいらずだわぁ。どうしてそれであんな───」

 

急に言葉が止まった。

 

怪訝に思っていると、突然クリュティエはオレの首根っこを掴んで持ち上げる。

 

「……」

「……」

「…………ハッ!?離せや!」

 

突飛な行動についていけず、数秒停止したのちにようやく反応を返すことができた。

 

ボトッと離され、安心したのもつかの間、強い力で腕を掴まれて袖を捲られる。

 

「な、なんだよ!」

「……」

 

クリュティエは無言のまま、オレの腕を触っている。

 

少し我慢したものの堪えられなくなって、無理やり手を振り払った。

 

「───うがぁぁあああっ!いつまで触ってんだよ!!!!!」

「……妙ね」

 

反抗されたことにも怒らず、クリュティエはオレを見つめてくる。

 

「私としたことが、あまりにも普通に暴れるものだから、そういう生き物だと受け入れてしまっていたわ」

「はあ?」

「ただ、本人も理解していなさそうよねぇ」

「馬鹿にしてんのか?おい、何でも答えてやんよ!!」

「拳の握り方すら下手くそな子に聞いても、時間の無駄だと思うわぁ」

「じゃあどうすれば上手いんだ」

「それは……ああ、そんなのじゃ親指の骨折るわよ。今まで何を習ってきたのよ……」

やっぱり違和感あるかー

再び話し始めたと思ったら、変なことを言い出した。

 

相手にするのがいちいちめんどくさくなり、無視して先をずんずん歩く。クリュティエも特に何も言ってこないので良かった。

 

しばらくしたとき、前方から何か走ってきた。その影は、

 

「ひっ」

「あら」

 

げっ!?

 

周りに登ることのできる木はない。どどどどどどうしよう───、

 

しかし、ヤツは立ち止まった。

 

「どうしたのかしら?」

 

目線的に……クリュティエを警戒している?近寄らず、一定の距離を保ってうろうろしているのだ。

 

後ろからクリュティエが声をかけてきた。

 

「あなたもしかして……、犬、苦手なの?」

「苦手じゃない。嫌いなだけだ」

 

ススス……と後退し、街灯の柱越しにヤツ、もとい、犬と睨み合う。あ、これに登ればいいじゃん。

アホの子の姿……私は悲しい

犬はクリュティエと街頭をよじ登り始めたオレを交互に見た後、どこかに去っていった。もともと来るなや。

 

足元確認!よしっ!

 

……それにしても強い魔術師は動物避けになる。便利だ。

 

「お前みたいなやつって、動物に好かれないよな」

「別に好かれなくていいわよぉ。私も好きではないから。だいたい犬猫みたいに、人間と比べたら寿命が短くて、さっさと死んじゃう動物なんて、可愛がる気も起きないわぁ。早くそこから降りなさい」

「寿命どんくらい?」

「10年もないくらいねぇ。服が汚れるから早くそこから降りなさい」

「短っ」

「人間とは違う生き物なんだから、寿命も違うわよ。早くそこから降りなさい」

 

驚きの事実に口をぽかーんと開けてしまった。そのまま街灯の柱からずるずる降りる。他の動物の寿命なんて考えたことなかった。

 

「うふふふ……っ、そんなに驚かなくてもいいじゃないの」

 

クリュティエが自然に笑っている。

 

「……そんなに楽しいのかよ」

「そうねぇ、最近は楽しいわね。まあ……」

 

そして、ふと思い付いたように言った。

 

「あなたがいてくれてよかったわ」
 
『あなたなんて、いなければよかったのに……っ』
                       

「ふーん。怪しいもんだ」

「あら、本当よ?」

憐れな人

オレはそのやりとりになんだかやってられなくなって、長くなってきた影の形を見つめるしかなかった。

仇なのにね

 

 

§ § §

 

 

 

最後に寄るところがあるが外で待っていろと告げられ、オレは店の前に立っていた。

 

往来する人を眺める。前、人がたくさんいるのを、自分の目で実際に見たときは驚いたものだが、今となっては見慣れた光景になっていた。

あの女のことは嫌いだったよね?

……嫌い。

 

嫌い。

 

大嫌い。

 

無理やり連れ出され、引き離された。余計な知恵などつけさせるな、とまた閉じ込められた。毎回毎回まだ死んでなかったのかと言われた。どんな場所でも、二人で一緒にいられればそれだけでよかったのに。いつしかオレは欲張りに、わがままになってしまった。

げっ!?!??

そうだ、店の中で何をしているのか。怪しいぜ。

何よこの確率、壊れてんじゃないの!?

全力で店内を盗み聞きしていたオレは聴覚に神経を集中していたため、生真面目そうな男が一人、一目散に向かってきたことにすぐには気がつけなかった。

トマス……っ

「──────エレクトラ?」

 

明らかにオレに話しかけてきている声でハッとする。

 

エレクトラ?人名か?間違いなく人違いだが……。

 

そういや昔、知らない不審な老人に話しかけられたときは、言っていることが理解できず首をかしげていると、しばらくしたらどっかに行ってしまった。突然なんとかかんとかさまがうんぬんかんぬんとか言われたが、なんだったんだろう、あれ。

 

男は無言で上から下まで見てきた。居心地が悪い。

フシャーーーッ!

「全体的に少し小さくなっている……?」

「人違いだクソ野郎」

 

とんだクソみたいな発言が飛んできた。

 

この野郎に丁寧な対応はとる必要なし、ということが無事判明したのでしっしっと手で追い払う。

 

「オレはエレクトラとかいう名前じゃない。あんたのことも知らん」

「ああ、そうだったか……」

 

男の表情はあまり変わらないが肩を落とし、がっかりした感じになっていた。よく見るとちょっとかっこいい感じのおっさんである。

 

「すまない、君の雰囲気や見た目が…………古い知人に似ていたもので。……エレクトラという名前に聞き覚えは?」

「ない。初耳だ。……またかよ、全く」

 

オレと誰かと間違える人、多いんだが。

 

モヤモヤした思いが胸をよぎり、見知らぬおっさんに対して愚痴ってしまっていた。

 

男は少しだけ眉を寄せる。

 

「また、とは」

「オレのことをどこぞの誰かに似てるっていう奴」

「……世の中には自分とそっくりな人間が三人いるという。そういう話を聞いたことがある」

「へー。あんたは自分のそっくりさんにあったことあんの?」

「ない」

「ふーん」

 

三人。三人かー……。

 

突然変なことを言い出したおっさんに、ただの気まぐれからオレは聞いてみた。

 

「実はそっくりさんが四人っつーこともあんのか?」

「わからない。もしかしたら五人いるかもしれん」

「それは……大変じゃねーか……」

「そうか……?そうかも……」

聞いてると頭いたくなってくる会話ね……

独特のテンションだぜ、このおっさん。

 

 

 

オレたちは淡々と、そっくりさんがいっぱいいたら食費大変そうだねと話し続けていた、その時だった。

 

 

 

「その子から離れなさい!!!!!」

 

 

 

大きな声とともに、オレは強い力で無理矢理腕を引っ張られた。

 

こんなに怖い顔をしたコイツを見るのは久しぶりで、つい竦み上がってしまい、抵抗することなく引き寄せられてしまう。

 

女の子激しい剣幕に、逃げ出すかと思われた男は意外にもその場にとどまり、目を丸くしている。そして、

 

「マイア、か?」

 

……え?それってクソババアの表向きの───。

 

俺の理解が追いつく前に、クリュティエが答えた。

 

「……ええそうよ。どうしてお前が、ここにいるの」

 

ただならぬ空気を漂わせている二人に対して、交互に目をやる。

 

何?知り合いなの?世間狭くね?

 

「そうか。そうか……、あの頃はまだまだ子どもだったのに。大きくなったな」

「相変わらず人の話を聞かない人間ね。どうして、もう首都を発ったはずのお前が、ここにいるのよ。わざわざお前に万が一でも会わないために、あれだけさんざんっ」

「問題が起きてしまってな。出てすぐに引き返すはめになった。そうしたら」

あー!?そっち!?

オレを見ようとした男の視線を遮るように、クリュティエが前に出る。

まあこのくらいは許容ね

「この子は最近雇った、だだの従業員。私とも、お前とも、……姉とも、全く関係のない赤の他人よ」

「ああ、そのようだな。全然違う」

「……ッ!」

「彼女はこの子ほど穏やかな人間ではない。彼女は────、焼畑や焼き討ちが好きそうだったから」

「それらと焼畑を同列扱いしないで」

私は似てないからセーフ

焼き討ちとエレクトラとやらが同列扱いされていることについては特に突っ込みが入らないまま、クリュティエから敵意をガンガンに向けられている男は話を続けた。

 

「……そうか、従業員。聞くところによると、商売で成功したとか。エレクトラも知ればきっと喜───」

「どの面下げて、その名前を口にするつもり?」

 

……何もわからない上に、めちゃくちゃピリピリした雰囲気ですげー居づらい。

 

あと、自分でいうのもなんだが、オレは特に穏やかな人間ではないはずだ。比較対象(エレクトラ)どんだけ荒ぶってんの?

 

「前にも言ったわよね。姉様にも私にも、もう二度と、一切関わらないで。───行くわよ」

「わっ、おい!?」

 

一方的に言い捨てたクリュティエが、何一つ話についていけていなかったオレの手を強引に引っ張って歩き出す。

 

振り返ると、男はポツンと立ち尽くしたまま、オレたちを見送っていた。

 

そして、宿に戻るまで、クリュティエがオレに振り向くことは一度もなかった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

「ふむ。それで、今日もいつもどおり、ただひたすらクリュティエにビビり続けていた、というわけであるな」

「ビビってねーし」

 

猫を使ったグレイとの連絡の前にまず、買い物として連行された今日一日の出来事を話すと、不本意な感じにまとめられた。

 

腹いせに洗い立ての猫を布団の中に連れ込もうとしたが、ひらりと逃げられる。

 

さっきまでベッドに登りたがっていたのに、いざ足を拭き、招いてやろうとすると逆の行動を取るとは。へそ曲がりな奴め。

 

まあいい。本題に入らねば。

布団をかぶって小さな声でしゃべる。

 

「……今までの盗み聞きの成果、あんだろーな」

「まあの」

 

猫を警戒する奴はいない。というか、猫が喋るとは思わないはずだ。

 

だからオレは、クリュティエ達がオレに伏せている情報を探ってこいと猫に命じておいたのだ。なかなか行動してくれなかったが。

 

猫は頭から布団にずぼっと突っ込んできた。

 

「どうやらお主、普通よりも(ドーラ)を感知できる範囲が広いらしいぞ」

「……ふーん、だからオレにいちいち決定させてたんだ」

 

海沿いの洞窟での(ドーラ)探しの時、やたらとオレにあれこれ決めさせていたので引っ掛かっていたのだ。

 

非常に腹立たしい出来事だが、クリュティエに負けて捕まった時も、町中から湖に(ドーラ)があるのがわかったことを告げると、オレを仲間に率いれようと交渉を持ちかけてきた。

 

「どうせ裏があると思っていたら、やっぱり……。けっ、あのクソババア」

 

わかってはいた。打算もなく優しくしてくるわけがない。

 

ここで一つの疑問が湧いてくる。

 

「なんでオレは見つけられる範囲が広いんだ?」

「知らんわい。余からすると、そもそも『ある』という感覚すらわからんよ。お主にしかわからぬ匂いや音のようなものがあって、それを感じ取っている……ようなものであると思っているがの」

「うーむ……、音が近いかも。なんか心がざわざわする。この話、先にグレイにしたんだろ。なんか言ってたか?」

「言っておった」

 

マジかよ。スゲーなあいつ。

 

(ドーラ)が非常に独特で他と差のある魔力子を発していることと、お主の体内に魔力子がないということ。この二つを前提条件とする」

 

猫はいよいよ頭だけでなく、体も布団の中に入ってきた。

 

「本来、体に魔力子がなければ死んでしまう。しかし、何らかの理由でお主は体内に魔力子がないのに今日まで生存しておる。なぜだろうか」

「もともといらないから?」

「うむ、今お主が言った通り、生まれもって魔力子が必要ない体質かもしれない。───あるいは、収支がゼロになるくらいの必要最低限の量を、どこからか、かき集めているのでは?」

 

ちょっと何が言いたいのかよくわからなくて、頭の中に大量の疑問符が浮かぶ。

 

「わからんかもしれぬが、一般的に、自分の体内の魔力子は、まあ感覚的に把握できたりする。足に身体強化の魔術を発動させたいが、その部位に魔力子が足りないときは体内の別の部位から補完することもできるし、そのときの魔力子の流れも感じられる」

 

うーむ?

 

「お主の場合は、魔術よりも低レベル、生命維持に必要な分すら体内になかった。だから補完できる範囲を体外に拡張しているのでは、ということだ」

 

なんかオレがすごいことしてるかもしれないことだけはわかった。

 

「酸欠になった魚が水面で酸素を求めるように、ずっと無意識に、自分の外側から魔力子をかき集めようとしてきた。その結果、魔力子を感知できる範囲も体内から体外に拡張され、他の者よりも優れた感知能力を得るようになったのでは───と、グレイが考察しておった」

 

ふむ、つまり、

 

「オレの内臓が外にこぼれちゃってる的な感じか」

「内臓というより神経や血管……。まあたぶんだいたいそんな感じだ」

 

わー、なんかグロいなー。

 

ペタペタと自分のお腹を触ってみる。余分な脂肪もないが、筋肉っぽいものもなぜかない。

 

……まあ、現状、オレは他の人間よりは(ドーラ)を見つけやすいらしい、ということだな。

 

そんなオレの思考に水を差すように、猫が言った。

 

「ただし、『でもこれ五秒くらいで適当に考えた話ですし、何よりお師匠が本当に魔力子ないことが前提なので、そうじゃなかったら、全然違っちゃいますね~』とも言っておった」

「何今の」

「モノマネじゃ」

「お、おう」

 

 

 

頭を使ったので眠くなってきた。だが、寝る前に、ちょっと気になっていたことを猫に聞く。

 

「お前っていくつ」

「今年で六になるの」

「……あと数年したら寿命?」

「そうかもしれんし、そうではないかもしれん。野良なんぞはもっと早く死ぬ。猫による」

「……殺される訳じゃないのに?」

「寿命とはそういうものだ」

「なんで生きてんの」

「さあ」

 

猫をぎゅっと掴もうとするが、また逃げられてしまう。

 

「短い一生なのに、猫はよくいなくならないなもんだな」

「そらもう子作りよ」

「子作り?」

「死ぬ前に子作りすればよい。猫は交尾で排卵するから、ぽんぽん繁殖できるのだ」

「へー」

 

 

 

その日は、少し変な夢を見た。

 

 




猫は死なないのでご安心ください。


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12-1

TSモノを求めて、スコップを片手にサイトの奥に進んだ我々が見たものは、ハーメルン10周年おめでとうパーティー会場だった……。



夢を見た。

 

今日はいつもよりも、ふわふわしていない。不純物が混ざったような感覚だった。

 

うわ最悪

夢渡りに巻き込まれた

「姉様」

 

「姉様」

 

「どこにいるの、姉様」

 

 

 

一人の少女がさ迷っている。

 

 

 

「お前のせいよ……。お前なんて、死んじゃえばいいのに」

 

 

 

彼女は、憎しみのこもった目を向けた。

 

 

 

「もう二度と、姉様と私に関わらないで」

 

 

 

 

 

 

広くはない借間。そこには二人の人間がいた。

 

一人は10代前半くらい少女だ。

 

「あら、姉様?おでかけですか?」

 

もう一人は、少女とは少し歳の離れた女性。傘を手にしていた。

 

どうやら二人は姉妹のようで、仲良く話をしている。

 

「ええ、ちょっとそこまで行ってくるわねぇ~」

「お気をつけてください。まだ日があるとはいえ、最近は事件が多いですから」

「もちろん。心配してくれてありがとう」

 

出入り口のドアノブに手をかけてから、女性は振り返った。

 

「■■■も一緒に焼き討ちしにいく?」
 
 マイア
                   

「姉様!?」

 

少女は必死になって、突然凶行に走ろうとしている姉を引き留める。

 

「焼き討ちは気軽にするものではありません!!!」

「本場の焼き討ちをみたことあるし、自信はあるわよ~?」

「技術的に可能かどうかを言っているのではないです!」

「あっ、ちょ、■■■ちゃん?ねえ?どうしてお姉ちゃんに関節技をしかけているの?ねえ、あいたたたたたたたたたたた」

 

関節技から解放され、息をゼイゼイとしている女性に向かって、少女は眉をひそめた。

 

「姉様は少し貧弱すぎます。やはり筋肉です。筋肉を鍛えましょう」

 

少女は歳の離れた姉のことが大好きだった。だから、戦闘能力の全くない姉を守るべく、強くなろうとした。その決意の末にたどり着いたのが、

 

「姉様。大事なのは魔力子の量でも、高威力の魔術でもありません。ステゴロです」

 

肉体言語であった。

 

本当にこんな強くなるなんてお姉ちゃんビックリ、と最近妹の将来になんとも言えない気分になっていた姉は困惑する。

 

「えっ。え~?別にそこまで(筋トレ)する必要ないんじゃない?」

「この間こけて、肥溜めに落ちたばかりではありませんか。軽率にこけないために鍛えましょう」

「……肥溜めに落ちないための、策が一つあるわ。肥溜めを爆破するの」

「姉様?」

「そこにあるから、落ちる人間が発生するのよ。そもそもなくなれば良いんだわ。きっといつか誰かが爆破してくれる……!いぇ~い、やっていいよ~」

「ノリで後光を出すのはやめてください」

 

自信満々な顔をして背後を光らせている姉に、少女は眉をひそめる。ごまかされているような気がしたのだ。焼き討ちや肥溜め爆破の野望とは別に、本当の用事があるのではないか、と。

 

妹の不安を感じ取った姉は優しく微笑んだ。

 

「放火も爆破もしないわ。本当は、茶葉を買いに行きたかったの」

「そういえば、そろそろなくなりそうですね。でも今すぐ買いに行かなくても……」

「■■■が淹れてくれる紅茶は美味しいから、一日でも飲めなくなる可能性があるなんて嫌だわ」

「姉様……。そんなふうに言っていただけるなんて、嬉しいです」

 

昔から姉は少女の淹れた紅茶を誉めてくれた。

 

だから、故郷とは風土も水すらも違うこの土地で、少しでも負担が減りますように、喜んでくれますように、と少女は淹れ続けていたのだ。

 

それはそれとして、気になる点があったので、少女は出掛け際の姉に尋ねた。

 

「こんなに晴れているのに、傘を持っていくのですか?」

「ふふふ。今日はね、降るのよ、雨」

 

 

 

石造りの町並みの先。そこで門番をしていた男が顔をあげた。

 

「また君か」

「ふふん。買い物帰りに万年左遷男の顔を見に来てやったの~」

「万年左遷……」

「川なし海なしのこんな北東の町にいるんだからそうでしょ」

「そうだな」

 

雨の音だけが響く。

 

しびれを切らしたように、女性は口を開いた。

 

「……でも、いつも通り雑用をこなしてしばらくしたら、ツキが巡ってくるわ。残念ね~」

「そうか。君が言うなら、そうなのだろう」

 

嫌味を言っても気にもせず、のらりくらりとかわされる。それが女性にとっては少しモヤモヤした。

 

「少しくらい怒ったり疑わしく思いなさいよ」

「君が言うことは当たるからな。その必要はない」

「…………うぐぐっ、今日のところは覚えておきなさい」

「何をだ」

「あとそれから!」

 

女性はビシィッ!と指を差す。

 

「『君』じゃなくて、■■■■■」
 
          エレクトラ
                   

 

初めて男性は表情を変えた。女性はそれを確認し、内心ほくそ笑む。

 

「しかし」

「あなたがそう呼んだのだから、ちゃんと最初から最後まで、その名前で呼びなさい」

 

 

 

幸せな時間が過ぎていく。

 

 

 

「うがぁぁぁあああっ!姉様!この男、人の話を聞きません!」

「あらあら」

「■■■■■、君の妹は元気だな」

「そこが■■■の良いところなのよ~」

 

町の食堂で姉と夕餉をしようとすれば、なぜか同席している嫌いな男。

 

少女は攻撃的な発言もするも、まるで効果がなく、目をさらにつりあげていた。

 

「おやおや、何を騒いでいるかと思えば」

 

すると、騒がしいテーブルに一人近づいてくる者がいた。

 

「やあ、■■■後輩」

 
    トマス
          

 

年齢は席についている三人よりも上だが、どこか軽薄そうな雰囲気を纏う男性だ。

 

「■■■■■くんに■■■くんも、ご機嫌麗しゅう」

「あら、■■■さん。こんばんは」
 
    ローザ
               

 

にこやかに挨拶し返す姉と、しかめっ面で無視する妹。

 

背中から不満と殺意がただ漏れな少女に気圧されることなく、新たに現れた男性は笑った。

 

「ははは、僕の後輩は両手に花で羨ましい限りだ」

 

既に着席済みの男は、珍しく嫌そうな顔をする。

 

「……奥方もご子息もいるのに何言ってんだ、あなたは」

「え、奥さんいるのですか」

 

少女はしかめっ面をやめ、それから、あり得ないものをみる目で男性を見た。

 

「いるとも。仕事の都合で離れて暮らしているけどね。子どもは今年で四歳になる。驚いたかい?」

「認知していない子どもならいそうだとは思っていました」

「■■■くんは結構ひどいことを言うね……」

 

 

 

今までつらいことばかりだったから、きっと神様がご褒美をくれたのだと思っていた。

 

 

 

「几帳面にやるものねぇ」

「ああ、掃除は好きだからな」

「……変なの。誰も見ちゃいないのに」

「?」

「あなたがどれだけ頑張ったところで、誰も見てくれていないじゃない」

「君がいるじゃないか」

「…………バーカ」

 

 

 

これからはもっと良いことが起こると信じていた。

 

 

 

「……今なんと?」

「だーかーらーっ、認めると言ったのです!!!」

「……■■■は、俺のことが嫌いだと思っていたが」

「今だって嫌いです。でも、姉様の気持ちの方が大切だから……」

 

 

 

だから、こんな時間がいつまでも続くことに、少女は疑いを持っていなかったのだ。

 

 

 

血のついた花瓶が床に転がっている。

 

男性が頭から血を流し、ベッドの上で仰向けになっていた。

 

覆い被さるように、女性がその顔を覗き込んでいて───顔近くね?

 

「やっぱりあなたなんて、嫌い。初めて会う前からずっとずっと、大嫌いだった」

 

……うぇ?なんで???え?服、あれ?わ、わわわわわわあばばばばばばばばばばば────、

うわ、『こっち』見た!?

直後、雑音と視界の乱れで何もわからなくなった。

バレたかな?

どのくらい経ったのだろうか。

 

先程と同じ部屋で、女が紙に何か書いている。

 

 

 

『覗き見するな』

 

 

 

§ § §

 

 

 

【N.C.999】

 

「うわあああぁぁぁぁああっ!?」

 

オレは飛び起きた。

 

布団の上で丸くなっていた猫が落っこちたが、それを気にする余裕はなかった。

 

なななななななんださっきの夢!?

 

今日に限ってはやけに生々しく、ひたすらに動揺してしまう。

 

「どうしたの?変な夢で見たのかしら?」

 

声を聞き付けて、クリュティエとメイドさんが部屋に入ってくる。

 

「あら……、少し顔が赤いわよ」

「うっ、それは……、その……これは、えっと、あの」

「熱でもあるのかしら」

 

知識はあったが、や、でも、あんな……!こっ、こっ、こ……、

 

 

 

「交尾!」

 

 

 

叫んだ瞬間、頭が冷静になった。

 

オレは何言ってんだ。

 

 

 

「………………そうねぇ、ええ、お年頃だから」

 

クリュティエはオレの叫びに何かを察したように、スッ、とメイドさんを引きずって部屋を出ていく。

 

むにゃむにゃいっている猫を、オレは枕でペシペシ叩いた。

 



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12-2

【N.C. 999】

 

朝っぱらから意味不明なことを叫んでしまって恥ずかしい。

 

オレは駅の片隅で度々今朝のことを思い出しては、うんうん唸るほかなかった。

 

「おや、トイレですか?」

「違うわ」

 

ヒューがさらっと腹の立つことを言ったので、唸るのをやめた。

 

 

 

さて、なぜ駅にいるのかというと、もう一秒も首都にいたくないクリュティエの方針により、いきなり西の地域に向かう汽車に乗ることになったためだ。決断がはえーよ。

 

西側は平地が少ない上、西に行けば行くほど標高が高くなり、山脈というものにぶち当たる。地形の都合で崖上に線路があるので、走行中の汽車から飛び降りて逃走するのは無謀だろう。あそこに線路敷くの決めた奴はおかしいわ。

 

実現可能な逃走は、どこかの駅で停止し、そして発車したときに、クリュティエの荷物とグレイをかっぱらい逃げるくらいだな。……行きは常に見張られていたので失敗したが。

 

車内の(クリュティエら)、荷物、グレイの位置をどうにかして把握しようと考えていると、ヒューが話しかけてきた。

 

「あの方、やけに苛立っていましたが、何かありましたか?」

「心当たりがあるとすれば、昔の知り合いに会ってから機嫌悪くなったから……、たぶんそれじゃね。お前、なんか知ってる?」

 

クリュティエは駅に着くや否や、どこかに行ってしまった。あの独特なテンションのおっさんのことはたいそう嫌がっていたので、聞くならいない今がチャンスだ───。

 

「いいえ、全く!」

 

元気よく否定された。

 

「おい」

「あの方は秘密主義でして、ほとんど昔の話をしませんよ。ですから、私は出会ってからの五年間の彼女しか知りません、はい」

 

五年は十分長いのではないだろうか。

 

それにしてもだ。こうもスムーズに会話できるのはなかなか慣れない。前はもっと、話す時間も内容も何もかも限られていた。

 

せっかくだし、他にも色々聞いてみよう。

 

「五年もなんで怪しい組織に所属してんの?」

 

あと、『歳いくつなのか』とか、『従っているわりになんでクリュティエに態度がでかいのか』とか、『火薬のことどこで覚えたのか』とか、『人に教えるの好きなのか』とか……。

 

だが、ヒューはオレの頭の中の質問を弾き飛ばす勢いで答えた。

 

「もともとは友人の付き合いで……」

 

そんな理由!?というかどんな理由だ!?

 

「別に声が聞こえるとか全然ないんですが、周りに話を合わせていたら、自分だけこんな風になってました」

 

唖然としている間にも、それで良いのか悪いのかわからないことを淡々と告げられる。

 

「マ、マジかよ……。それ、周りに隠してる?」

「いえ、特には」

 

おい。それで良いのか、クリュティエ。お前の手下が割りといい加減な理由でお前の下についてるぞ。

 

「なんで居続けてんの?」

 

前回も俺が知らされなかっただけで、なんか、こう、ゆるかったのか……?それで、ヒューもアバドーンに居続けているのか……?

 

「私自身は特に何かへの不満があるわけではないんですが……、あの方が一番強いということを確信したいからです」  

「お、お……?強いやつが好きで、そいつを見ていたいってことか?」

「大体そんな感じです、はい」

 

大体そんな感じで良いのか……?

 

「当時は私も荒んでいましたので……。中央大陸での動乱の影響が、まだ世間にあったではありませんか」

「ドーランの影響とやらは知らねーけど……」

「行き先不透明な世の中、ということです。ですから、強者が圧倒的な暴力で勝つ姿に魅せられてしまいました、はい。仮に負けても絶対にリベンジし、最後は勝ちますからね。最高です。なので、あなたとの再戦で完勝したときも、有志10人ほとで仕事をサボり、リベンジおめでとうパーティーをサプライズ開催したのですが……。なぜか半日口を聞いてもらえませんでした、はい」

「仕事サボったからじゃねーかな」

この子がいないだけでこうも雰囲気が変わるとは……

あれ?クリュティエの手下たちってこんなに陽気な集団だったっけ?もっと全体的にギスギスしてなかったか。

 

内心混乱しているオレに気づくことなく、ヒューは思い出したようにポンと手を打った。

 

「そうそう。これを渡しておくよう言いつけられていました、どうぞ、はい」

 

差し出されたのは一見ただの袋だ。しかし受け取ってみると、重さや袋の外から触った感覚から中身は明らかに拳銃である。

 

「例の気休め程度にはなるアレです」

「いくら公共の場だからって発言が曖昧過ぎるぜ」

「毎回頭を潰すのが面倒なので、こいつをバーンとすれば」

どいつもこいつも余計な発言が多いわね

今言ったことで思い当たるものは……。

ここで不安定にさせられるのは困るんだけど

「……人に向けても効くのか?」

「───は?あなた銃火器なめてるんですか?普通の物でも当たったらアウトですよね?今まで何を学んできたんですか?」

「あ」

 

し、しまった。迂闊だった。

 

今のやり取りを引き金に、ある光景が脳裏を駆け巡る。

 

 

 

『───なんでわからないんですか?はい、もう一度』

『はやすぎてわかんないよぉ』

『一回言ったので一発で覚えてください』

『も、もじとかいうべんりなものは』

『余計な知恵をつけさせるなと厳命されているので、諦めて口頭だけで必要最低限できるようになってください。喋るなとは言われていませんから。では、木炭の質量を今から言いますから必要な硫黄の質量を1.5秒で答えてください。材質や品質の前提は先ほどと同じです』

『こたえる時間へった!?』

『はい、どうしてすぐ解答時間が何パーセント減ったか言わないんですか。昨日の復習ですよ。あれだけ割合の重要性は説きましたよね?あなたがやると言ったんですから、計算程度死ぬ気でやってください』

『しぬの…!?』

『調合間違えたら死んでください。やりたくないならどうぞご勝手に。やるのならもう一度問題を出しますよ、はい』

 

 

 

「ぴゃい」

あ、別のトラウマスイッチでごまかせたわ

めちゃくちゃ詰められた記憶がぶり返した。頑張らなければ見捨てられてしまう。

 

ヒューはオレに対して関心を寄せることも、ましてや怒ることもなかったが、火薬爆薬のことでの間違いは許さない上に、淡々とした口ぶりで追い詰めてきたものだった。それらを利用する道具についても言わずもがな。

 

ここからまた怒涛の勢いで中途半端な認識を詰められる……っ。

 

「あの方は効能を話したとうかがっていましたが」

「いや、少しだけ聞いて、あとは……」

「ああ……。彼女、うっかり忘れていたのですね。これは失敬。()()の特殊効果については、元気で一般的な人間にはあまり効き目が薄いだけの話です。一発で効き目バッチリなら、憲兵は犯罪者にぶすぶす注射する必要はないわけですから、はい」

 

…え、それだけ?終わり?実はこれから火薬から出る熱について、解説を挟みながら詰められない?

 

おそるおそるヒューを見るが、そこからさらに話を続ける様子はない。オレは身構えていたのに、拍子抜けしてしまった。だからだろうか。接近を察知できなかった。

 

足元に何かが当たる。歩くだけでぶつかるような人混みではないのにだ。

 

下を向くと、幼い女の子がオレを見上げていた。あまりにも見つめてくるので居心地が悪い。なんなんだ、このチビ……。

 

髪を二つにきれいに束ね、清潔な服装をしているから、ただの迷子か。オレはしゃがみ、話しかけた。

 

「なんだよ───うおっ!?」

 

急に小さな手が顔に手に迫る。とっさに払おうとしてしまうのをぐっとこらえたところで、眼鏡をずらされた。

 

「わあ……っ!」

 

何が面白いのか幼女は目を輝かせる。そして、さらに予測不可能な行動を取った。

 

「ようせいさんだっ」

 

小さな声とともに、オレに抱きついてきたのである。

 

「は?」

「ようせいさんっ」

「違っ」

「おねーちゃん、ようせいさんじゃないの?」

 

謎の勘違いを否定しようとすると今しがたの笑顔は急転直下、今にも泣きそうな顔になり、

 

「ちがうの?」

「………じ、実は、ここだけの話、そうなんだ。よくわかったな」

 

苦し紛れに肯定するはめになった。クソッ、恥ずかしい。でも泣かれると面倒だから……。

 

ヒューがチラチラ見てくるのがわかる。幼女は気持ち控えめの音量で話しているが、ばっちり周囲に聞こえているようだった。

 

「そっかぁ!ないしょなんだ!」

「おう。ひ、秘密だ……」

 

この野郎、肩震わせやがって……、後で殴る。

 

幼女の発言を否定することも引き剥がすこともできずに困っていると、幼女とどことなく雰囲気の似た男女が一人駆け寄ってきた。

 

「ネリア!!!そこにいたのね!一人で勝手に行っちゃうのはダメって、お母さん何度も言ったでしょ!?」

 

どうやら親のようだ。オレは立ち上がったが、小さな体はガシッと服をつかんで離さない。

 

「ああ、すみません……!こら、お姉さんが困ってるじゃない!?」

「やだー!このおねーちゃんといっしょがい゛い゛ー!!!」

 

母親が幼女ことネリアをオレから引きはがそうとしたが、彼女はギャン泣きして服にへばりついた。これ以上泣かれると服が涙と鼻水で大変なことになってしまう。

 

「……オ、私は大丈夫ですから」

「───ええ、このままでも大丈夫ですわ」

「おまっ!?今までどこ行って───!?」

 

クリュティエがしれっと会話に割り込んできた。そして、あれよこれよという間に幼女の親と話して打ち解け、

 

「あらあら、同じ汽車に乗るのですね。せっかくだから一緒に乗ってあげなさいよ。ねぇ?……あなたはその子とあっちにいってなさい、早く」

「はあ?」

「おねーちゃん、ネリアのとなりきてくれるの?」

 

ネリアは期待に満ちた目でオレを見、彼女の両親はどうしようかと顔を見合わせている。

 

 

 

§ § §

 

 

 

「この子の我儘を聞いてもらってしまって、ありがとうございます」

「あははは……」

 

結局、隣にネリア、正面に彼女の両親という配置の、同じボックス席に座ることになった。自分よりも小さく摩訶不思議な生き物に纏わりつかれるのにはビックリしたが、なんであれ、クリュティエと別行動になったのはチャンスだ。

 

彼女たちは首都に仕事の都合で来ていて、普段住んでいる町はここから数駅先、今日は帰りであることなど、簡単な身の上を話してくれた。

 

この幼女、ネリアはというと、今回が初めての首都へのお出かけとのことで、一人であちこち勝手に行きそうになってしまい、とても大変だったらしい。好奇心旺盛な子ということである。

 

オレの隣ではしゃいでいるネリアを見て、彼女の母親が手を頬に当てた。

 

「キレイなものには目がなくて、すぐにフラフラと寄っていってしまうんですよ。大人になったらどうなるのか、今から心配だわ……」

 

なるほど、メンクイというやつか。まあ、オレはかっこいいからな。

 

そんな親の心配もつゆ知らず、ネリアは、

 

「おひざのっていい?」

「おう」

 

了承するや否や、自分で靴を脱いで座席に登り、膝に乗ってくる。地味に素早く、無駄のない動きだった。

 

「注意しなくても自分からやるなんて……!見て、靴もちゃんとそろえているわ!」

「今日だけものすごくお行儀が良いぞ!あのネリアが……!」

 

感動する親に、どうだとばかりに見上げてくる幼女。

 

……誉めてあげた方が良いのか?

 

「え、偉いぞー」

「もうすぐごさい!」

 

じゃあまだ四歳ってことか。自分が四歳の頃とか、そのくらいの小さい頃の出来事なんて、まっさらで全然記憶ねーや。

 

前は、生き物は泉みたいなところからポコポコ湧いてきて、何かしらに引き取られていったりいかれなかったり、そんな方式だと思っていたが、流石に今は、オレ自身もそのほかの生き物も、無から発生したわけではないはずなのはわかっている。だから、どうやら自分はろくな生まれじゃなさそうだぞ?というのは、今になってなんとなく察しているのだ。

 

ついぽけーっとしてしまっていると、袖を引っ張られる。

 

「おねーちゃんのめがねとっていい?」

「いいぜ」

 

ネリアはやたらオレの掛けている伊達眼鏡が気になるらしく、これまた素早い動きで顔から眼鏡は外されてしまった。なんだこの子。

 

「わぁ……!!!」

 

何が嬉しいのかさっぱりわからないがネリアは喜び、オレの耳元に口を寄せてくる。

 

「あのね、おねーちゃんがようせいさんなのは、ママにもパパにもごきんじょのひとたちにもいわないからね」

「おー、ありがとな」

 

謎の勘違いは継続しているが……、うむ、否定すると泣かれるし、もう訂正はしないでおこう。

 

ネリアは小さな眉をキリリとあげた。

 

「あなただけが、わたしのじんせーをうるおす。まるでそらからまいおりたみつかいのようだ……。あなたがいるならば、かれはてたさばくもよろこんでこえてみせよう」

 

ママさんが無言でオレの膝の上からネリアを回収した。その動きはオレでも見切れないほどだ。パパさんは驚いたようにオレとママさんの膝の上を交互に見ている。……ほう。ネリアの動き、母親譲りか。

 

「……ネリア、それどこで聞いたの?」

「ママがひとりでかがみにむかってしゃべってたのみた。ねー、パパ」

「ねー」

 

 

 

なお、ママさんの弁解によると、演劇が好きなんだとか。

 




仕事の会議中に思いついて退勤後も頭から離れなかったので、葉っぱを食べているアコラスくんちゃんを描いたのですが、自分でも気に入ってしまったのでこっちにも載せます。
自作ですので閲覧する場合はご注意ください。

【挿絵表示】


ちなみにこんなことばかり考えていたせいで、会議の内容は全く頭に入りませんでした。


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12-3

【N.C. 999】

 

ネリアはずっと上機嫌だった。歌ってママさんに怒られたり、車窓からの風景についてパパさんに質問したり、オレに抱きついたり……。そして、はしゃいで疲れたのか、今は寝ている。ただし、伊達眼鏡は取られたままだ。

 

オレはトイレに行くと言い訳して、ネリアを起こさないよう、慎重に席を離れることにした。

 

目的はクリュティエたちの位置の把握である。

 

 

 

乗っている汽車は最後尾のみが貨物車で、その一つ前がさっきまでオレがネリアたちといた車両だ。これを含む後方及び前方が二等車で、中央付近が一等車となっている。

 

二等車であればボックス席なので、同じ車両内にいれば見てわかるはずだ。

 

だが、後ろから順々に探し、ついに一等車のエリアまで来ても、クリュティエはおろか、ヒューもグレイもメイドさんもいなかった。一等車、あるいはその先の二等車か。

 

一等車はコンパートメント(個室みたいな)席のため、誰が乗っているかをすぐに判断することはできないんだよな。めんどうだ。

 

仕方なくオレは外から声を聞いて判断することにした。聴覚に頼りまくった戦法である。

 

ここも違う。ここも違う。ここも違う……。おっと、前から人が来るので、怪しまれないように普通に歩いてすれ違った。ここも違う。ここも……。

 

『───人聞きの悪い噂はやめてくださる?相変わらずなのねぇ、あなた』

 

よし。見つけた。幸先が良いぜ。

 

個室内にいるのは気配から察して二人。誰かと話しているようだが、クリュティエの口調からしてヒューとではない。……駅で追い払われたのは、この会話相手が原因か?

 

『そういうマイアくんは昔と比べて、ずいぶん変わったものだ』

『当たり前でしょう。何年経ったと思っているのよ』

 

……お?なんか、聞き覚えの声だな。

 

『いやはや、駅で見かけたときはまさかと思ったよ。偶然というのは往々にして起こるものだ』

『嫌な偶然だこと』

『ははは、手厳しいのは相変わらずだ』

 

性別は男性。年齢は若くはないが、年寄りでもなさそう。中年か?知り合いでそのくらいの歳の男性だとすると誰だろう。笑い方も聞いたことがあるような……。

 

『……お姉さんは、まだ見つかっていないのかい?』

『あなたが私の姉と最後に会ったのは13年前。私もそれは同じ。つまり、そういうことよ』

 

えーっと?回りくどいな。つまり……13年も姉を探し続けてる、ってことか?なっが。

 

『───そうそう。嬉しくないことに、昨日、あなたの後輩と()()会ったの。しっかり手綱を握っていてくれないと、迷惑なのだけれど』

それはそう

む、昨日の話のようだ。ちなみに会話相手の声の主は、あの独特のテンションのおっさんではないのはわかる。

 

『難しい注文だ。もう先輩だと大きい顔をしていられなくなる程度には、彼は忙しいからね。とてもじゃないが、私は口出しできる立場ではないよ』

『ふん。そうやってまた、のらりくらりと裏でこそこそしているわけねぇ』

 

中にいる一人が立ち上がった気配がする。

 

───あ、バレた。

 

そう思うと同時に、扉が開く。

 

「盗み聞きとは感心しないわねぇ」

 

若干青筋を立てたクリュティエが笑って立っていた。

 

聞き耳をたてすぎて、気配を消すのがおろそかになったようだ。……いや、物音とか一切たててないんだが?なんで気づいた?

 

向かい合っているクリュティエに対して、オレは言った。

 

「か、顔と表情が一致してねーぞ」

「してるわよぉ。ほら、さっさと席に戻ってなさい」

 

肩に手を置かれ、クリュティエから背を向けるように、強制的にくるりと方向転換させられたところで、背中側から声が聞こえた。

 

「おや……」

 

やっぱり、聞いたことがある。

 

「マイアくん……、それは、あまり良くないんじゃないかな」

「……うるさいわね」

「流石に年下の、しかも少女をつれ回しているというのは、ちょっと」

「だから人聞きの悪いこと言わないでくださる!?」

「しかも服装や髪型をあの人に寄せた感じにしているのは───」

()()()()()!!!」

「───正直少し引いたよ」

「この男、言い切りやがったわね……」

 

続けて、オレくらいにしか聞こえない、ものすごく小さな声で呟く。

 

「やっぱり落石にでも巻き込ませて、始末しておけばよかったわ……」

前はうまくやれたのにね

ひえっ。ドスが効きすぎている。

 

それは、驚いて振り向きかけたオレを止めるには十分な恐怖だった。こう、懐かしい感じの恐怖だ。あと暴力があれば完璧だった。そんな完璧は嫌だが。

 

「ローザさん、この子はただの従業員よ。この話は終わり。……ほら、もう一度言うわ。さっさと自分の席に戻りなさい。さもなくば給料減らすわよぉ」

 

ちょっとびびってしまっていたので、やけに優しくぶちギレながら語りかけてくるクリュティエに、オレはうなずくしかなかった。

 

 

 

一時撤退を余儀なくさせられたオレは、もといた車両に戻ると、ネリアはまだ寝ていた。

 

「前のトイレが全然空きませんでしたっ」と、パパさん・ママさんに報告して、車両の後方屋内デッキにあるトイレへ向かう。

 

これより前の車両のトイレ利用者には、トイレがめちゃくちゃ長い人になってもらう。そしてオレは、トイレにめちゃくちゃ行きたがってる人である。

 

そうして、オレは車両後方に区切られて存在する屋内デッキ、さらにそこのトイレに入った。特に先客はいない。

 

カツラを外してふーっと息をつく。

 

……さてと。落ち着いたので心の中で叫ぶことにした。

 

ロロロロロッ、ローザ!?!!!?!?なんで!??!?

 

クリュティエと知り合い!?13年前から!!!?!!?

 

ローザ。

 

国家魔術師の部署のなかで、なぜか窓際のような扱いを受けている第三課。そこの課長をやっている男だ。第三課の建物にはほとんど顔を出すことはなかったが。

 

(ドーラ)を北東の砦にお使いさせられたり、博物館に偽物を届けさせられたりした。お使いした(ドーラ)については、オレが持ち逃げしてそのままなので、とても迷惑を被っているであろう。

 

そういや、『オレのよく知っている人間の命令で、あちこちオレを探して回るはめになった』みたいなことを、大神殿の町でレドか誰かが言ってた。まあ、ローザは探そうとするよな。

 

軍から脱走する前、オレが色々やっていたのを彼は知っていたようだが、邪魔をしてこなかったし、無理やり情報喋らせてから行方不明にさせてしまうには、流石にまずそうな地位だったので、あの時は優先度を下げていた。

 

だが、クリュティエの仲間であれば話は別だ。

 

でもなー、明らかにかなり長い期間会っていなかったらしいし、話している様子から察するに、あれこれ手を組んで暗躍していた関係性であるとは考えにくい気もする。文通などの連絡手段であれば、その限りではないが。

 

仲間でなければ、『そこのクソババア、マイアとか名乗ってますけど、クリュティエです!アバドーンのやべーやつです!オレが盗った物もそいつが今持ってます!』と言いつけて、無事お縄に……ならずに、この場の人間全員皆殺しにされそう。……やめとこ。

 

それはそれとして、グレイやヒューの姿は見かけなかったということは、クリュティエがいたところより前に乗っているのか……。前に行くなら車両の中からじゃなくて、屋根つたって移動した方がいいかもな。屋根に登ることのできる場所は───。

 

そうオレが考えていると、トイレに近づいてくる者の気配を感じた。

 

ここは客車としては最後部なので、立ち寄るとすれば、明らかにトイレで用を足す目的だろう。

 

急いで出なければ。

 

カツラを再装着してトイレから出たところで、トイレの扉前を通過している人にぶつかりかけた。焦りすぎたなと、その人の顔を見る。

 

「君は───」

 

何この確率、壊れてんじゃねーの!?

 

お前しばらく首都にいる予定って言ってたじゃん!

 

鉢合わせたレドを、勢いでトイレに引き込む。

何やってんの……

「えっ!?あの、ちょっ!?……お前っ」

 

やべー!後先考えずに動いちまった!……そうだ!

 

「この間の人ですよね!?今、すごく相談したいくらい困っていることがあって、今すぐ相談したいんです!!!」

「へ?」

もしかして、バカなの……?

言われたことを理解できていない顔に対して、オレは相談のごり押しをした。

 

「相談したいことがあるので相談したいです!!!」

わりとバカだったわ

とりあえず、相手の良心を利用する。たぶん信じてくれる。

 

「わかったっ、わかったから。話を聞こう」

ハリボテ男も大概よね

よし!うまくいった!ちょっとつらい!

 

「……だけどっ、トイレ以外じゃダメかな!?場所!」

「……?」

 

黙ると、垂れ流し式のトイレのために走行音が良く聞こえるのがわかる。

 

うむ。

 

「ここだったら周りから見えませんし、話している内容も聞こえませんよ」

「せ、せめて外のデッキにしよう!!!」

 

トイレを必要とする人を無視すれば合理的だと思ったのに、ものすごく抵抗された。

 

レドの言う、外のデッキとは……、貨物車両と客車の連結部のところか?

 

まあ、あそこならいいか。

 

仕方なくレドの案に折れてやり、先にトイレから出たところで、のんきな声が響いた。

 

「あ!ようせいさんいた~!」

 

ネリアだ。起きたらいなくなっていたオレを、わざわざ探しに来たのだろうか。

 

変な生き物扱いされていることに恥ずかしくなって、ついオレはレドに弁解していた。

 

「なぜかそう呼ばれてるだけなんです」

「あ、ああ」

 

オレに続いて出てきたレドを見たネリアは、ハッとして足を止める。

 

そして、急に泣きそうな顔になった。

 

「ネ、ネリア?どうした?どっか痛いのか?」

 

泣かれると、どうしていいかわからなくなる。

 

慌ててネリアに近寄り、しゃがむことで目線を合わせる。彼女はまたレドをちらりと見た。

 

「ようせいさんのこと、ないしょだったのにしゃべっちゃった」

 

みるみるうちに目に涙が溜まっていく。

 

「あ!?え、えー……そうっ、この人はそのこと知ってるから!」

 

オレの言葉に合わせ、いい感じにレドが横でうんうん頷いてくれた。何かしら察するものがあったらしい。

 

ネリアは不安そうにレドに話しかけた。

 

「じゃあ、ようせいさんにウソつかない?」

「つかないよ」

 

レドのその言葉を聞くや否や、彼女はオレに抱きつき、胸に耳を押し当てた。

 

「ようせいさん、おみずになっちゃわなくてよかったぁ。あのね、ネリアがママによんでもらったえほんでね、ウソつかれたようせいさんがおみずになっちゃうの」

 

とりあえず、ネリアの勘違いは継続中なのはわかった。

 

横でオレたちの様子を眺めていたレドがポツリと呟く。

 

「いいなぁ」

いいなぁ、じゃないのよ!

なぜか羨ましそうだった。急にどうした。

 

 

 

相談したいことは特にない相談をするために、オレはネリアに席に戻るよう伝えると、彼女はまた眉をキリリと上げ、かつ、今度は変なポーズをレドに向かって取った。

 

「わたしはただじぶんのしごとをつとめるだけだ…。それが、こぜっととともにあゆむための、かみにあたえられししめいなのだ」

 

コゼット誰だよ。

 

「ママがね、ニンジンりょうてにもってひとりでいってた~」

「二刀流じゃん」

「ごきんじょさんみんなに、ママがかっこいいポーズとってるって、おしえてあげたの!」

 

ママさんの今後のご近所付き合いについて、一抹の不安を感じる。

 

そう思ったところで、張本人が登場した。

 

おそらくは見知らぬ人間(レド)が近くにいることに、若干いぶかしむ目付きをしながらも、ママさんは言う。

 

「目を離していないはずなのに、またいなくなったわね……!本当にすみません。この子ったら……」

 

目を離していないのに消えるとは……。こいつ、隠密の才能あるわ。

 

そんなことを考えつつも、勝手に一人で来てしまっていたネリアに話しかける。

 

「ほら、ママさんが心配してるぜ」

 

ネリアはオレの言うことを素直に聞いて、ママさんの方に行きかけ、

 

「あっ、そうだぁ!ねーねー」

 

袖を引っ張られた。

 

「どうした?」

「なんでこのおにーちゃんといっしょに、おトイレからでてきたの?」

ほんと何したかったんだろうね

ネリアがその言葉を口にした瞬間、ママさんおよびレドが挙動不審になる。え、何?

 

「ちが、違うんです、これは不慮の事故なんです!たまたま、トイレ前を通りかかったとき、揺れで体勢が崩れましてね!あは、あはははは!!!」

「お、おほほほ、そうでしたのね……」

 

そう言いながら、ママさんはネリアを抱えてすばやく離れていく。

 

 

 

「ねぇぇぇええー、なんでぇぇぇええー?おトイレでなにしてたのぉぉぉおおー?」

「ちょっと静かにしなさい!」



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12-4

【N.C. 999】

 

客車としては最後方の屋外デッキに出ると、結構風が強かった。

・・・ - ・-・ ・- -・ --・ ・

転落防止の手すりの向こうには、貨物車が連結している。しかしその貨物車、何やら人の気配がするような……。乗務員だろうか?

-・-・ ・-・ ・ ・- - ・・- ・-・ ・

他にも整備用のハシゴが備え付けられていたのを見て、風が強くても簡単に車両の屋根に登ることができるのを確認した。別に無策でホイホイついてきたわけではないのだ。

 

周りを見渡してから、オレはしゃがんだレドに視線を戻す。

 

「あの……大丈夫ですか?」

 

その返事はなかった。

 

 

 

ネリアが席に戻ってから、貨物車との連結部となっている屋外デッキまで移動すると、すぐに一つ問題が発生した。

 

『畜生ぅぅぅぅぅううううううう!』

『何やってんの!!!?!?』

 

突如叫んだレドが車外へ飛び降りようとしたのである。

 

ここは崖の上を走る路線だ。下手に落ちれば体が崖ですりおろされてしまうだろう。

 

凶行はなんとか食い止めたが、自分よりもでかいやつを羽交い締めにするのは、とても難しかった。

 

そうしているうちに飛び降りる気配のなくなったので離れたところ、レドは転落防止の手すりにつかまると、そのまま崩れ落ちるようにしゃがみこんだ。そして、変なうめき声をあげたと思ったら黙り込んでしまった。

変態

 

-・ ・ ・ -・・

たまにこつこつと手すりを叩く音が聞こえる中、仕方なく声をかけたのが今である。

-・ ---  ・・・・ ・ ・-・・ ・--・

肺の空気全部を吐き出したような大きなため息をついてから、ようやくレドはよろよろと立ち上がった。

 

「困ったことって何?」

 

驚きの切り替えの速さだった。

 

ついさっき言ったことについて、オレはまだ何も思いついてねーのに。

 

「えっと……」

 

むしろ今が困ってんだよな。また突然異常な行動を取ったら殴ってみるか?しかし、そんな簡単に気絶させられる相手じゃねーし……。

 

「それは口実で、ほんとは、またお話がしたいなぁって。えへっ、えへへへ……」

 

喋ることで飛び降りを引き留めることしか、今のオレにはできない……。

 

どした?目が据わってるぞ。

 

「そっかー、お話かー」

「変な友人と仲直りできたかなって、気になってました」

「……うん、友人ね、友人。はっはっは」

 

よくわかんないけど笑った!うむ、元気そうだぜ。

 

「会えました?」

「うん、会えた会えた」

 

おっ、良かったじゃん。仲直りはできたのだろうか。気になって少し前のめりになった。

おい襟ぐり

「どうでしたっ?」

「相変わらず何を考えているのかわからないなぁ、本当に、とても、すごく」

うわっ、目付き悪っ

レドは目付きが悪くなった。思い出して怒ってんのかな?

どうせいやらしいこと考えてるんでしょ

「それは……大変でしたね。殴られませんでしたか?」

「ココロヲナグラレテルヨ」

「心を……?」

 

心……、心臓?胸部を殴られたってことか?つまりは、仲直り、ダメだったのか……。

 

ちょっと落ち込むオレにレドが言う。

 

「そんなことより、本当に困っていることはないの?」

「ないですよ」

強いて言うなら、

強いて言うなら、お前なんだよな。

アコラス自体がトラブルの種なのよね

もっと頼りになるヤツのはずだったのに、今は変な女に引っ掛かってしまって、知らない人になっちゃったみたいだ。また会えたのは嬉しいが、会いたくない。

昔はもっと簡単だったのに

レドだけじゃない。知っていたはずの人たちが、記憶と今とで食い違ってわからなくなる。顔も声も同じなのに、全然違う誰かに変わってしまうような気がして、それはとっても困る。

はー、うまくいかないのは困るわー

だから、今を受け入れるわけにはいけない。オレは、オレの心だけは、変わってはいけない。変わってしまったら、忘れてしまったら、いなくなっちゃう。

 

「本当に?」

 

それでもレドはしつこかった。

適当にごまかしなさい

「……あ、そうだ。大したことじゃないんですが」

 

もういいや。どうでもいいことを適当に言おう。

 

「うん、些細なことでも何でもいいよ」

「どうも視界が変な感じがするんですよね。目が疲れます」

「……暗いところで本でも読んだ?」

「そういうわけでもないと思うんですが……まー、どうでもいいか。疲れてきたら目を瞑るなりすれば」

 

疲れるといっても、そんな感じがするだけで実際にはたぶん疲れていないから、別に困るのうちに入んねーか。記憶の中の色はちゃんとあるから大丈夫だしな。何事もなく元に戻るだけだ。そこには問題なんて何一つない。

 

「他には?本当にそれだけ?」

少なくともその男に言うことはないでしょ

少なくともお前に言うようなことは何もねーぞ。

 

「もし仮に私が困ったとしても、あなたには影響ないですよね?そこまで気にする必要も責任もないんじゃないですか?」

「影響はある。心配で胃がねじれそうなんだ。果たして、栄養バランスのとれた食事に適度な運動、適正体重の維持、七から八時間ほどの十分な睡眠を取って、日々健やかに過ごせているのか……」

 

急に正気失ってきたな。いや、すでに失ってたわ。

 

「もう幼い子どもじゃないんだから、そこまで心配されなくても、私大丈夫ですよ」

 

人に心配させるのも嫌なので、オレは自信満々に言ってこの場を乗り切ろうとしたが、いぶかしげに見下ろされた。なんだその目は。

 

うーむ。

 

会って片手で数えるほどしか日の経っていないと認識している人間を、どうしてそんなに心配になるんだ。大して知りもしないくせに。

 

……知らなくて、わからないから?

あ、なんか嫌な予感

…………ふむ。

 

「知りたいって言ってましたよね、私のこと。今ならそこそこ何でも答えますよ」

 

オレは考えた。

 

とりあえず、無理やりにでも懸念事項を解消できるものを与えればよいのでは、と。

 

しかし何を与えればよいのかわからないので、相手がほしい情報を相手自身が聞いてくる形式にすればよいのでは、と。

 

ふっふーん、我ながら完璧な理論だ。

 

オレの発言に恐れおののいたのか、レドは慌てた。

 

「……え!?……す、好きな物とか?」

 

そう言われると同時に、貨物車からガタガタ音がし、つい気をとられる。

 

「荷物が崩れた……?」

 

大丈夫か?中にいるのが乗務員か荷物運びの人たちかは判断できないが。

 

そう思って様子を見に行こうとすると、

 

「いやあ!うん!大丈夫じゃないかな!!!俺の勘がそう告げている。たぶん、絶対、きっとそう」

 

今回になってから、お前の直感ガバガバだぞ。……でもまあ、そこまでいうなら。

くそちょろアコラス……

「それで、好きな物でしたっけ?うーむ……」

 

急に難しいことを聞いてきた。アイリスは人だから……。

 

「うーーむ……」

 

「うーーーーむ…………」

 

最初くらいは真面目に答えようと悩んでいたら、レドが焦り出した。

 

「簡単でいいから!ね!?ほら、好き嫌いとかさ!」

「注射と薬と鏡は嫌い」

 

注射は痛いし、薬は苦しいのだ。ちなみに犬は嫌いだが、物じゃないから回答の中に入れなかった。

 

「そ、そうか。物だけじゃなくて出来事でもいいんだよ?」

「髪の毛引っ張られるのはあんまり好きではない」

「それは皆嫌なんじゃないかな……」

 

真面目に答えたのに、なんか、困らせちゃったみたいだ。指の骨折られるのと爪剥がされるのも嫌いだけど、これは言わない方がいいかもしれない。……下手くそな人がやると本当に痛いのだ。先生とかは下手くそだったなー。

 

出来事……、好きなことか。

 

そうだ。

 

困っているレドを見て、オレは記憶の隅に引っ掛かっていたことを思い出した。

 

「…………祭り?人間がわちゃわちゃしてるのを見るのは、好きかもしれないです」

「……それだけ?」

 

オレがひねり出した回答は、レド的には期待はずれのようだった。

 

「これじゃダメですか?」

「いや、ダメって訳じゃなくて……、あー……、本を読むのは好きじゃないのか?」

「嫌いではないです。……が、文字が読めるのが嬉しいから読んでるだけです」

「……文字を読めるのが好きってこと?」

 

うむ、そういうことになるな。

 

うなずいたオレを見て、レドは一旦黙った。そして、

 

「……なんか、君は辛い食べ物が好きそうだよな!」

「おおっ」

 

会って日が浅いはずの、そんな人間の食の好みを当てられるとはすげー!

 

「三つもあった!他には何が聞きたいんですか?」

 

列挙してみると案外出てくるものだな。ちょっと質問されるのが楽しくなってきた。うきうきしながらレドの次の言葉を待つ。

 

「……お前の望みというか、目的みたいなものはあったりするのか?」

 

そうだな……。

ペラペラ喋っちゃダメ

あまりペラペラ喋ってはいけない。あれこれ具体的に教えてしまったら、今までやってきたことが全部水の泡だ。

 

だから、教えるのは恥ずかしいけど、ひそかに持っていた欲張りな望みを言うことにした。

 

「よく頑張ったねって、皆から褒めてもらいたい」

 

悪いことをしたら謝りたい。

 

良いことをしたら褒めてほしい。

 

「あと少しだけ頑張ってと言われたから、もっともっと頑張れば、きっとたくさん褒めてもらえる」

 

他人を傷つけることは悪いことだと教えてもらった。

 

悪いことをたくさんしてしまったから、さらにたくさん良いことをしないといけない。

 

「ごめん。抽象的すぎて、理解が追いつかないんだけど、……何についての頑張り?」

「教えない」

「頑張って、と言ってきたのは誰なんだ?」

「秘密」

「……その人に騙されてたり、良いように使われてたりしない?」

「ないです。なんでそんなこと言うんですか。ちゃんと自分の意思で行動してます」

ひどいなー、もー

オレはきっぱりと断言した。

 

こいつ嫌い。言いたいことも言ってほしいこともたくさんあったけど、そんなことは言われたくない。

 

思わずムッとしていると、レドはオロオロとしだした。

 

「ごめんね。少し、気になって……、悪かったよ」

 

うむ、謝るのなら許してやろう。

 

 




実はかわいそうなのはぬけない。
ただし、かわいそうと思わなければいける。例:どうしようもなく愚かであったり、自業自得だったり等
その点、主人公の幸せの燃費が良いと、気が楽になるので良いですね。おすすめです。


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12-5

誤字報告や感想ありがとうございます。


【N.C. 999】

 

一通り聞きたいことは聞けたらしいレドは、勝手に静かになった。何やら考え事の模様で、その間手持ち無沙汰になったオレは風景を見ることにした。

 

結構な高さの崖の下には、森が広がっている。……これ、オレなら飛び降りいけるのでは?

 

すぐさま地図で見たこの辺りの地理を思い出すと、なんだか行けそうな気がしてきた。

 

よりよく地形を確認するために、手すりから身を乗り出す。

 

「危ないよ」

「私、力持ちだから平気です。バランスが多少崩れても、落ちたりなんてしませんよ」

 

つくづく心配性だな。やれやれ、この程度でオレに何か問題が起こるとでも?

 

「最後に一つ聞きたいんだけど……、お前はどこから来たんだ?」

「さあ……、わかりません。どこか遠くじゃないですか」

 

その時、窓の割れる音に、銃声と悲鳴が響いた。

 

は?何?

 

前の様子を伺おうとさらに身を乗り出すと、強い風が吹いた。少し体のバランスが崩れる。

 

だが、手すりに両手でしっかり掴まっているので、落ちることもなく無事だった。

 

そう、両手で。

 

「あ゛」

 

頭がスッキリした気がする。恐る恐る頭を触ると本来の髪の長さだった。

 

カツラが風で飛んでいったのだ。

 

「……」

「……」

 

振り返ると、レドが良い笑顔で片手をあげる。

 

「よぉ」

「えへっ、えへへへ……」

 

 

 

「───おらぁっ!!!」

 

 

 

レドの腹を殴ろうと───かってぇ!!?!?

 

どんなに身体強化、とりわけ防御の得意な人間の腹を殴ったとしても、するはずのない感触だ。

 

怯んでしまった隙に、じんじんしている手を掴まれる。

 

とっさに空いている方の手で顔を狙ったが、わかりやすすぎる軌道だったため、拳を止められてしまう。手加減するんじゃなかった……!

 

その結果、手と手で押し合うような形になる。

 

「てめー!腹に鉄板仕込んでやがったな!」

「その鉄板を歪むレベルで殴ってくる人間がいるんだから、仕方ないだろう……っ」

 

状況はかなり不利だ。このまま火の魔術で焼かれたら終わり。車体は木製で燃えやすいからか、今は使用を控えているようだが……。

 

「おい、手を放せ!てか今の音何だ!?気にならない?気になるだろ!?よし、そっちに行けよ!」

 

オレなんかに構うよりももっと大事なことがあるはず、と期待を込めるが、

 

「くそぉ……っ、くそぉぉおおお……!!!このっ……成長していないようで成長していて、どうにかなったらどうしてくれるんだ……!」

 

血の涙を流さんばかりの形相にぎょっとする。あとちょっと視線がやや下向きなのが気になった。どこ見てるんだこいつ。

胸見てんじゃねーわよ

「何の話だ知るか!文脈を考えろー!!!どうにかなったら、ってすでにおかしくなってるじゃねーか!変な女に振り回されてるくせに!」

 

やけくそに叫びつつ、身体能力だけなら勝てる見込みがあるのだから、一瞬力を抜いて体勢を崩してやろうと───、

 

えっ、ちょ、少し押し負け始めてる!??!!?マジで!?どこからそんな力湧いてきた!?っ!?青筋立ててんぞ!?怖っ!

 

うおおおお!頑張れオレ!!!怪力で負けたら何が残るんだ!……やった!やったぞ!押し返し始めたぜ!!!

 

「───ああ、そうだよ!変な女のせいでもう情緒メチャクチャだよ!毎日毎日毎日会ってたのに急に冷たくしてくるし!かと思えば時々普通に接してきたりすることもあったし!逃げられたし!逃がしちゃったし!それを踏まえてっ、ニコニコ笑顔で話しかけてくるのはっ、どういう神経してるのかっ、再三問い詰めたいっ!!!あとポケットの中のゴミ押し付けてくるのはやめろ!」

 

怒鳴られて、ちょっとビクッとしてしまう。レドでもここまで声を荒げることがあるのか……。(くだん)の友人はちょっと一回怒られた方がいいと思う。

 

「なんか……その、元気出せ……」

「あいにく今こうして文句言えるくらいには元気だよ!おかげさまでね!!!───と、まあ、お前は人が喋り始めると、話に耳を傾けてしまう奴だ。考えすぎるきらいもある。()()()()()()?」

ちっ、完全に読まれてるわね

レドの視線がオレの後ろへと移った。

 

……待て。なぜレドは、トイレの前を通過しようとした?客車としては最後部、さらにその端なのに。

 

そして、こいつが歩いてきたのは、後ろから前への方向。

 

貨物車の若干の人の気配。

 

先日、背後を取られ、直前まで気配を悟ることができなかった人物がいたのを思い出す。

 

仲間がいるとしても、まだ見ていない前の車両だと思い込んでいたが、まさか───っ!!!

 

 

 

ハッとして振り返ると、そこには誰もいなかった。

 

 

 

「てめっ、騙し───がっ!」

 

向き直った瞬間、頭に強い衝撃が加わる。───頭突き!?これ以上頭悪くなったらどうすんだ!!!

 

体勢が崩れたって、オレなら十分な威力の蹴りができる。距離を離すためにも───なんで、最初から軸足を狙って───っ!?

ざこざこアコラス……

「かは……っ!」

「動くな」

ほらー、頑張りなさーい

デッキの床に背中を打ち付けて、一瞬呼吸ができなくなる。そのうちに上から押さえつけられ、首に何か当たった。

肉塵一片残さず焼き殺されるわよー

レドの素手がオレの首に触れているのだ。別に絞められているわけではないので苦しくないが、このままではオレが動こうとすると、たぶん首から上がこんがりしてしまう。なんなら、首が握りつぶされる可能性もある。うーむ、困った。

目の前の人間は敵

「……一応聞くけど、さっきの音、お前の仕業じゃないよな?」

「ちげーよバーカ!!!もし仮に襲撃するにしても、一般人が乗る列車じゃなくて、憲兵に泣きつけないような後ろ暗い奴らの根城狙うわっ!」

「お前な」

敵は倒さないと

クソっ!完全に動きが読まれていた。しかも、頭突きが一番痛かったとかいう、大したダメージを与えられることなく、拘束されている。一対一なら、以前はもっと、オレが有利だったはずなのに!

ね?

今の状況は非常に解せない。無性にイライラしてきた。

 

「バーカバーカ!女装したオレに引っかかってやんのー!残念だったなバカめ!」

頭の中身、綿と交換した方がマシなのかな?

なので、とりあえず煽ってみた。挑発に乗ってくれれば、蹴飛ばして脱出を───、

 

「そりゃあ引っかけられるよ……。……お前さ…………、何がしたいんだよ。何をしたんだよ」

あーダメダメ

追い詰められているのはオレのはずなのに、なんでレドの方が追い詰められた顔をしているんだ……?

話を聞いちゃ

「突然逃げ出して、まるで探し物があるみたいにあちこちさ迷って、それを俺たちはこそこそ追跡させられて……。急に人が変わったかみたいな言動取ったかと思えば、全然足取りが途絶えて、それで、またふらっと目の前に現れて……」

 

要するに、オレがあちこち行くのを追いかけさせられているのが面倒だから、逃げるのは止めろということか。

もういいから逃げなさい

押さえつけられていると、なおのこと逃げたくなる。特に、背中から倒れてしまった今の体勢は動きづらくて……あ。

 

「……どうした?」

 

レドが眉をひそめているが、構う余裕はなかった。

 

夢を思い出して顔に熱が集まる。そして思わず大声で叫ぼうとしてしまった。

 

「ぴゃー……」

 

あれ?

 

次こそは、

 

「び、びゃぁー……」

 

何度試しても喉から出てきたのは、かすれかけた、小さな声だった。

 

「……鳥の物真似?」

「ちげーよ!」

 

あ、普通の声が出───、

 

「「───ッ!」」

 

誰かがデッキにつながる扉に近づいてきている。

 

落ち着け、オレ。深呼吸だ。今朝の夢は忘れろ。それよりも恥ずべきことがあるはずだ。それは、

 

「こんなところ、人に見られたら、は、恥ずかしい……」

待てや

こんな……アホみたいに行動と思考を読まれ、一方的に負かされた姿なんて、屈辱的だっ!───なぜかレドが唇を噛んで血を流し始めてた。どうして。

 

だがしかし、確実に何かに気を取られている。今度こそレドを蹴飛ばす。

 

車内へ繋がる扉を開けると、扉に手をかけたタイミングがほぼ同じだったのか、見知らぬ男が突っ立っていた。とっさに前蹴りを放つ。……堅気じゃない雰囲気に、反射的にやってしまった。レドへ障害物として投げつけておく。

 

「クソクソクソっ!!!てめーがしゅーちゃくしてるヤバい女、酷い目に遭わせてやるからな!覚えておけよ!」

 

捨て台詞を吐いて、屋内デッキを通り抜け、客が乗っているスペースに駆け込むと、

 

「おい!デケェ音がしたが何があった!」

 

いかにも賊っぽい男が怒鳴った。その手元には刃物を突きつけられている、涙目のネリアがいる。いかにも他の乗客は脅されている感じだ。つまりあれだ。人質的な。

 

オレは彼らの姿を見て、名案が浮かんだ。

 

 

 

§ § §

 

 

 

賊とごく短い交渉が終わったところで、レドが車内に入ってきた。遅かったな。

 

刃物を向けられているオレと向けている賊を交互に見る。

 

「……どっちが人質?」

「オ───」

 

ふっ、あえて人質役をネリアと交換してもらったぜ!わざわざ走行中の汽車狙うという行動を取っている賊の目的はわかんねーが、これなら手出しできねーだろ!

 

「───レ」

 

言い終わると同時に、レドの投げていた鉄板が見事、賊に直撃していた。

 

あれ?

 

後ろにいた一般乗客たちがとっさに賊を押さえつけて、ボコボコにしている。

 

あれー?

 

「怖かったねぇ!大丈夫かい?」

「いや、あの」

「小さな子があんな目に遭っているからといっても、人質を変わるなんて!」

「それ、ちが」

「怪我はない?」

 

どういうわけか、一般乗客と連携して無事人質を救出した感じになっている?

 

……あれ???

 

困惑するオレに、わんわん泣いているネリアが飛び付いてきた。避けるわけにもいかず受け止める。

 

「ぐすっ、ようせ、おねぇちゃぁぁああん!」

 

パパさんとママさんも涙ぐみつつ、オレを二度見していた。一瞬、え、誰?みたいな顔になっていた。まあ、変装用のカツラがとれたからな。

 

あ、あははは……?

 

「こんな小柄な子が、勇気を持って行動してくれたんだ。何もしないわけにいけないよ」

「お嬢ちゃんもあんちゃんもよくやったなあ。あんなにうまく当てるとは大したもんだ」

「皆さんもあの場でとっさに動いてくれてありがとうございます」

 

後ろにレドが立って、肩に手を置いてくる。

 

「なにより、俺が狙い通り当てられたのは、それまで皆さんがおとなしくしていてくれたおかげですよ」

 

あの、肩、痛いんですけど……?

 

「こんな狭い場所で、かつ、大勢の人がいるわけですから。万が一にでも狙いが逸れていたら……。無理に戦ったりしたら、それこそ危なかった」

 

巻き込むぞ、暴れるなと暗に言われている。……人質じゃん!レドが周りの人を人質に取ってるじゃん!それで良いのかー!?いつの間にそんな手口を使うようになったんだ!

 

ひとまずネリアを遠ざけようと手を離すが、全身でしがみつかれた。おかげで手が空いた。

 

「しかし、仲間がまだ前にいるんだろう?」

「アコちゃんかわわっ」

「武器も持ち込んでやばそうだ」

「逃げ場もないぞ。次の駅までどのくらいかかるんだ。そもそも着いたところで停まってくれるのか?」

「その鉄板どっから持ってきたん?」

「私物です」

 

握られた右手の温かさを感じながら、乗客たちの不安が耳に入ってくる。なるほど、まだまだ賊はいるんだな。

 

オレがこのまま前へ逃げていき、そのたびに人質になり、レドが人質を無視して攻撃していけば、賊を退治できるのでは?

 

うむ、オレをワンクッション挟む必要性が全くない。

 

……って、そんなアホなことを考えている場合じゃねー。

 

「ようせいさん、かみのいろかわったね!ほんとうにほんものだったんだ……!」

 

抱きついているネリアが、ひそひそと話しかけてくる。

 

前方のネリア。

 

後方のレド。

 

さて、どうしよう。

 

左右が空いているな。いや、右手が握られているか、ははは。……え?

 

ネリアは両手でオレの体にしがみついていて、両肩にはレドの手による力が加わっている。

 

右斜め下を見た。

 

「半年以上ぶりのアコちゃんが、おめかしアコちゃんだなんて、私はいったいどんな善行を積んだんだろう……」

 

跪いて手を握っているリーンの姿に、喉の奥がひゅってなった。

 

……グレイ、ここから挽回する案ないか?

 

ないです、と言われた気がした。

 

 



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12-6

【N.C. 999】

 

正直言うと『今回』のリーンはちょっと苦手だ。迫ってくる勢いがありすぎる。

 

「ううっ、アコちゃ~んっ。元気そうでよかった~」

「オレが元気じゃない方が、リーンたちとってはいいことなんじゃないか?」

「そんなことないよ!私はアコちゃんのこと好きだもん」

「……お、おう」

どうせ下心しかないよ

突然のド直球な好意に、困惑すると同時に悲しくなる。……小さな男の子みたいでかわいいとかそういう理由だもんな。それ以外は思い浮かばない。助けたりとか一緒に遊んだりとか、リーンから好感を持たれるような行動を取ったことなんてねーし。

そんな人忘れたほうが幸せじゃない?

ベタベタされる分には、まあ、嫌じゃないが、襲いかかってくるみたいに追いたてられるというか、狙ってくるというか、そういう感じが少し怖い。普通に接してほしい。ずっと『前回』や先日の対応であってほしかった。

 

しかし、今。オレは自主的にリーンにくっついている。

いや離れなさいよ

いくつか理由があるのだが、一番は……、げっ。

 

リーンの背後からそっと覗くと、レドにガン見されている。

見るな煽るな目を合わせるな

うむ、不用意にレドに近づくのも、今すぐ逃げるのも、まずい気がするぞ?と脳内警報がガンガンなっている。

 

別にびびったわけではない。せん、せん……せん……じゅつ*1的撤退だ。

 

そういうわけで、一旦全面降伏のふりをすることにしたのだ。

 

 

 

「その子、ほんとに大丈夫なの?」

 

さっき顔を合わせたとき「うわっ」と飛び退いてきたヴァイスが、露骨に嫌そうな顔をしている。

 

車内を見渡せば、ブレウは一つ後ろの車両を貫通扉から見ており、ネロが賊の尋問をしている姿が目に映った。

 

こいつら、やはり貨物車に乗っていたのだ。降伏の意を伝え、次にリーンを盾にしたところでぞろぞろ出てきた。一般乗客が賊の新手かと驚き、ブレウが身分を偽りながら弁解していた。でも内容めちゃくちゃ適当だった。

 

レドと喋っていたところは全部見られていたらしい。だが、聞かれてまずいことはしゃべってなかったはず。それに、向こうもカツラがとれるまでは、まさかオレだとはわかっていなかったわけで。

 

……ローザとこいつらと乗り合わせたのは、偶然ということでいいのか?クリュティエがヘマするとも思えない。賊の襲撃を事前に察知していたからという理由の方が納得がいく。

 

なお、ローザの名前をポロっと口にしただけで全員剣呑な雰囲気を放ち始めたので、詳細は探ることができないでいた。

 

「隠し持っている武器がないかは、念入りに確認したもん」

「そうはいっても……ほとんどなかったのは怪しくないかい?」

 

持っていた唯一の武器である拳銃は、リーンとネロに全身まさぐられて没収された。嫌な予感がしたので、抵抗せずにおとなしくしていたというのに……。

 

「持ってないもんは持ってないんだから、しかたねーだろ」

「うわっ、話しかけてきた」

 

文句を言うと、心底驚いた態度をヴァイスに取られた。なんだよ。別に今までだって、普通に喋って……ない!?

 

……何回喋ったことあるっけ?

 

「アコちゃんが地味にショックを受けてる……!」

「僕のせいじゃないよね?今までこっちが話しかけて、二回中二回つっけんどんな対応とってきたのは、そっちの珍獣ちゃんの方だよね?」

 

それほど気にかけてこなかったせいか、思い出せない。

 

「───ねえ」

 

会話の流れを断ち切るように、ネロが言葉を発した。見れば、襟首を掴んでいる者の首はがっくりとなっている。横には二人倒れており、一人はガタガタ震えていた。

 

ネロは一度手元を見、再びヴァイスに視線を戻す。

 

「三人気絶した……」

「まだ目的も聞けてないのに!?何やってんのさ」

「つい殴りすぎた……」

「ほらまだ一人残ってるんだから、ちゃんと聞きなよ~」

「わかった……」

 

盗み聞きというか、堂々と目の前で行われた尋問で賊が吐いた情報によると、まだ解放していない残りの前の車両についての状況がわかった。賊はまだ10人ほど残っていて先頭車両に司令塔がいること、一等車は乗客の見張りがしにくいので、前から二番目の二等車に集める手筈になっていること。それと、機関室を制圧されても汽車が動き続けているのは、乗客を逃がさないためであること、だ。

 

クリュティエたちは人の目もあるので、たぶん何もしていないだろう。このくらいの賊なんて、クリュティエ一人でいつでも対処できるだろうし。……万が一アイツが動くことがあれば、目撃者を誰彼構わず皆殺しにしそうだ。

 

ちなみに今ここには、レドたちと賊四人に、リーンと手を繋がされている以外はなぜか自由の身のオレしかいない。

 

当初、乗客の前でネロは尋問としてガンガン殴っていたのだが、普通にドン引きされたので、とりあえず一つ前の車両を解放し、そこに移動したのだ。元々乗っていた乗客は後ろに退避してもらっている。あと、ネリアはママさんの尽力により、オレから無事引き剥がされた。代わりにリーンが手をしっかり握ってきた。逃がさねーぞ、ということらしい。

 

捕まえた賊でただ一人意識のある者にターゲットを移されていた。

 

「何が目的で汽車を襲ったの……?」

「ここに乗っている少女を捕まえに来ただけで」

「少女……誰?」

「し、知らねぇ!俺らはただボスに言われただけだっ!売って金にすんだろ!!!顔しっかり見て、見た目の良いガキを連れてこいとか言ってたしな!」

「人身売買目的でも、走行中の汽車をわざわざ狙うのは、あまりにも大がかりすぎる。本当にそれが目的?」

「だから知らねぇって!俺だって確かにおかしいとは思ったけどよぉ……っ」

「……最初、この汽車にいる少女を捕まえに来た、と言っていた。そして、その少女の条件は見た目の良いこと。他にも何かあるなら、さっさと吐く。……他の三人と同じ道をたどりたくないのなら」

 

ネロはそう言いながら、ちらりとすでに気絶済みの三人に視線を送る。

 

「ち、茶髪!あと、欠かせない条件が1つあるらしいがボスと依頼人しか知らねぇ!それに当てはまる少女を連れていけば、信じらんねえほど大儲けだって!」

 

すると、残りの一人となった賊は焦ったように叫んだ。知らない知らない言いつつよく喋る口だ。

 

にしても茶髪ねぇ……。条件があまりにも緩すぎねーか?そんな雑な指定あるか?もしかして依頼人とやらは茶髪大好きなのか?

 

もう一つの条件は何だろうと思ったら、ネロが賊を締め上げていて、ついに気絶させてしまっていた。何やってんだよ、おい。

 

「茶髪の女の子なんて、そこら中にいるだない?たまたまこの場にはいないけど」

 

リーンの疑問にオレはうんうんと頷いた。

 

見た目がよい少女狙い……。やはり賊の言う通り、拐って売り払うのだろうか。

 

うむ、オレは関係ないな。

 

レドたちはきっと、前にいる賊を片づけに行くはず。オレはここでおとなしくしていると見せかけ、隙を見てグレイと、先程あると確信した(ドーラ)入りの荷物を回収すればいい。

 

……げっ。レドのやつ、またこっち見た。

 

「首都で追いかけられていたのは、どうしてだったんだ?」

 

ようやく口を開いたと思えば……、なぜそれを今聞く?

 

……オレとしては、あの時ばっちり変装していた。であるにも関わらず、襲撃されかけたということは、変装後の姿がもくてきだったのだろう。だから、その姿で一緒にいることが多かった人物……クリュティエ関係が追いかけられた原因だとは考えている。当日、一人で出かけて良し、なんて言われていたわけだから、何かあるに決まっている。

 

「知らん。誰が追いかけてきたのかすらわからねー。それがなんだよ」

「……茶髪のカツラ、つけてたよな」

 

茶色……そういえば、栗毛のカツラとかなんとか。

 

「だから?」

「お前はさっきまで茶髪でっ、見た目の良い少女だっただろうっ」

「……おおっ」

 

確かにオレはカッコいい、つまり、見た目が良い。そして少女……、それはちょっと受け入れがたいが、女装してるからそう見えるかもしれない。意外と演技派というわけだ……。

 

わかった。

 

「つまりオレを未解放車両にぶちこんで囮にすると」

「違う、そうじゃない」

 

こめかみに青筋が立っていたが、気のせいかもしれない。……気のせいじゃないかもしれない。

怒ってくるのはどういうことだっけ?

そのとき、めちゃくちゃ怒っているレドにブレウが近づいた。

 

怒りを静めさせてくれるのか。こいつら仲良しだからな。できるんだろう。

 

「ほう、一人でこれを投入するのは、互いに消耗してくれるので案外良い方法だと思いますが、何か問題があるのですか?」

「大有りだ」

「ところでレド」

「ん?」

「トイレで何してたんですか?」

「やめろレド!ブレウを鉄板で殴るのは!ブレウもどうして今このタイミングでおちょくったんだ!反対されたのがムカついたのかい!?」

 

ブレウに向かって鉄板を振り下ろそうとするレドを、ヴァイスが後ろから止めている。

そいつらは放っておいて

なかよし……?

取られた物を回収しなさい

……よくわからんが、オレに単独行動をさせたくないということか。一等車のクリュティエの荷物漁りで目的の物を手に入れ、その先でグレイとの合流ができればラッキーだったのだが……、やっかいだな。

 

 

 

座席を壊してバリケードを築き終わったところで、鉄板で殴られかけた以外は特に何もしていないブレウが言った。

 

「ネロが屋根から、ヴァイス、レドが車内から先頭車両方向へ進んで解決を目指し、僕とリーンはここで見張り、という分担で行きましょう」

 

おかしい。

 

まだ10人くらいいる賊には3人がかりに対して、オレ1人には2人がかり……。割合の計算できないのか?オレはここでおとなしくしてるから、お前ら全員心置きなく行ってこい、と言いたくなる。

 

しかし、そんなこと言ってしまえば逆に何かたくらんでいる風に思われてしまう。ここは見張りの人数が減ったととらえよう。……前の車両のグレイは、姿が消せるからなんとかなるだろ。

 

「ねえ?治療要員が戦闘しに行くのおかしくない?レドとネロで過剰戦力じゃない?」

「治療要員と言っても本職には遠く及ばないので。ああそれと、居残りの場合は僕と交代です。珍獣が暴れたら、全力で押さえつけるように」

「行きまーす。ネロみたいな目には遭いたくないでーす」

「じゃあ代わりに俺が」

「レドはハニトラに引っ掛かるのでダメです」

「リーンが良くてなんで俺がダメなんだ」

「リーンの方がマシです。ヴァイス、早くそれを連れて行ってくれ」

 

引きずられるレドが隣の車両へと渡っていったのを見届けた後、ネロが窓の縁に手をかけた。そして、オレの方へ振り向くと、

 

「……特に恨みがあるわけではないが、泣こうがわめこうが、今度あなたを猛獣と同じ部屋に閉じ込める……」

「!?」

 

……拷問でもすんのか?

 

 

 

§ § §

 

 

 

前から時々大きな音が聞こえるが、構わずリーンはニコニコとオレの手を握っている。

 

気絶させないのか聞いたのだが、

 

「気絶させようにもできそうにない。手錠やロープでの拘束もおそらく破壊される。麻痺は効果時間が短い。であれば、()()が一番効果的でしょう」

 

試しに、握りつぶすぞと脅してみたものの、防御力には自信があるとリーンに返されてしまった。確かに試しに軽く力を込めてみると硬い。骨をボキボキ折るのには一苦労しそうだった。

 

超至近距離にいるリーンに対し、やや遠くにいるブレウは腕を組んだ。

 

「で?君はなぜ西に?」

「労働」

「そんな格好で?」

「知らん、オレは着せられただけだ。こんなの自分で選ぶわけねーだろ」

「なるほど。今の君には金持ちの懐にうまく転がり込みこんだか、金払いの良い仲間がいると」

「んなわけっ、……いや、さあどうだか?」

 

否定したら、それはそれでクリュティエをかばった感じになるので嫌だった。かといって、マイアと名乗るあの女をとっとと捕まえろと言うのもダメだ。下手すると皆まとめて返り討ちに遭う。

 

「いずれにせよ、よくもまあ、あの手この手で逃亡と潜伏をするものだ」

「でもかわいいよね」

「リーン、甘やかそうとしない。……我々も特に裏事情を教えられないまま、延々と君の捜索をさせられているので、かなり鬱憤が溜まっているのですよ」

 

ブレウは意地悪だから、本当のことを言っているとは限らない。

 

「でもブレウくんは、支給された旅費ちょろまかしてるよね」

「バレなければいいのですよ」

 

「あ、そうだ。お前らオレの物盗っただろ。帽子返せ、帽子」

「帽子?……ああ、あの」

「レドくんが気にしてたよ、どこで手にいれたのかって」

「そんなのいちいち覚えてねーよ。でも返せ」

 

オレの訴えをスルーし、ブレウがおや、と後ろ車両に直接繋がる扉を見る。

 

「どうかしましたか?ここは僕らが見張っていますから───」

 

何の変哲もない男性が立っていた。

 

彼はまっすぐオレを見ている。

 

「君はどこから来たんだい?」

 

全く知らない人のはずだ。なのに、既視感とそれに伴う胸騒ぎに襲われた。

 

 

*1
正しくは戦略と言いたい部分。なお、特に戦略的には考えていない。




自分自身のことを特に不幸とは思っていない主人公
戦闘力的な意味で主人公最強を1nmほど諦めていない作者
これには特に主人公最強要素を求めていない読者

……Happy!


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12-7

【N.C. 999】

 

迫ってくるモノを認識する前に、オレはリーンの手を振りほどき、横に避けていた。

 

頭すれすれの位置を通過したものを見れば、ところどころあざのような変色をした腕だけが、不気味に伸びていた。避けなければ顔面直撃だったぞ。目でもブチ抜く気か。

 

気持ち悪い腕を握り潰そうとしたとき、リーンが盾で周囲の椅子ごと無理やり叩き切った。

 

「アコちゃん大丈夫!?」

「お、おう」

 

ひぇっ、力技すぎる……。

 

もう一方の腕は、遅れてブレウに向かっていた。すかさず腕を掴んだブレウは雷魔術を発動させたらしく、スパークが散る。

 

腕が繋がっている大元を見れば、そこにいたのは羽毛のようなものがびっしり生えた異形(ネフィリム)だった。……()()()()怪しい乗客はいなかったはずなのに。見逃していたのか……?

 

早速、麻痺の効果で硬直する。

 

「これは……」

 

しかしブレウは、即座にリーンよりも後ろに下がった。同時に、2本の腕は車内でめちゃくちゃに暴れだした。リーンが叩ききった方も再生し始めている。

 

激しい攻撃でリーンの盾が繰り返し殴打されている中、ブレウは悠長に腕を組んだ。

 

「これでは迂闊に近づけませんね。次は麻痺も効果が薄れそうだ。……リーン、今ここで君が突破されるとかなりまずいです。少しこれからどうするか考えるので、それまで耐えてください」

「無理無理無理!!!ブレウくんが変なことするから!」

「軽めの電撃を与えただけですが」

「じゃあどうしてまだ動けてるの?もっと強くビリビリしてみようよ」

「……ここで雷魔術を使うと、対象から車両、そして地面へと電気が流れていくと思うんですよ」

「うん、それが?」

「麻痺程度の威力は効き目が薄いので、それ以上、炭化させるほどの威力となると、木製の車両は発火の恐れがあります。なので、雷魔術は使えません」

「雷が落ちた木が燃えるみたいな?ほ、他に何かできることを考えてみようよ!?」

「今朝は完全に休日の機運、つまり全く準備していない状態でいきなり貨物車にぶちこまれたため、手持ちの武器は槍のみ。車内での取り回しは最悪です。よって、後ろの車両の様子を見に行くことくらいしか、できることはないですね。……直前までは何もおかしな様子はなかったのですが」

「そんなぁ~」

 

ネフィリム自体は扉の前から動かず突っ立ったままだ。向こう側の様子は見ることができない。

 

どうする。何か変なことを言っていた、駅の発着を知っているのか疑わしい男のことは、どこの誰だかわからない。ただ、この間の大神殿の町で遭遇した者と何か似ている。だが、奴らは捕まったはずだ。

 

それに加え、今の戦闘と賊の襲撃は関係があるのか。……こんな偶然重なる方がおかしい。たぶんある、としていいだろう。

 

ネフィリムになった男がやってきた後ろの車両を急いで調べるか、それとも事情を知っているかもしれない賊がいて、回収物もある前の車両へ急ぐべきか。

 

とりあえずは今この場を切り抜けねば。

 

なぜか何もしないブレウにオレは言った。

 

「オレから奪った拳銃でも使えよ」

「整備されているかもわからない他人の武器を使うのはリスクでは?」

「屁理屈クソ野郎かてめーは」

 

ブレウは渋々といった感じで拳銃を取り出し、数発をネフィリムに向けて撃った。……なんで当たるんだよ。眼鏡をぶち壊したいが、すでに外しているのが残念だ。

 

すると、ネフィリムの動きが止まった。

今のクリュティエが言ってたことだけ思い出して

クリュティエが言っていた特製の銃弾が入っているらしいからな。ここでは役に立ってくれたようだ。

 

試しに飛び出して、近くの席の裏に転がり込む。

 

「あ、アコちゃん!?」

 

よし、このまま、近づいて───、

 

「うぎゃっ!???!?」

 

距離を少し詰めたところで、再び鞭のようにネフィリムの腕が暴れまわり始めた。

クリュティエが悪いんだよ

……あのクソババア!!!いい加減なこと言いやがって!効いてねーじゃねーかっ!!!!!

 

打撃はひたすらリーンの盾に当たり続けている。そこまで考えるあたまはないのか、回り込んでいないのだ。

 

最初の一撃だけ、明らかにオレめがけて腕が迫っていっていた。しかし、今は違う。むしろリーンやブレウを率先して狙っているようにも見えなくもない。

 

つまり、今はオレを狙っているわけじゃないのだ。

 

リーンたちはネフィリムの相手にかかりきりだ。だから、今ならリーンたちを置いて前へ行き、自分の目的を果たすことができる。

邪魔者は皆片付けようよ

そして、邪魔なリーンたちが疲弊したところを仕留めてしまえば……。

 

……何考えてんだ、オレ。

 

そんなことを考えていたのを知ってか知らずか、ブレウが言った。

 

「君がさっさと殴りに行ってくれれば、共倒れが期待できたのですが」

「ネフィリムもろとも窓から捨ててやろうか」

「なるほど、ではいざというときにやって下さい」

 

道理で消極的だと思ったら!!!畜生、自制して損した───えっ。

 

「外であれば、問題なく雷魔術も武器も使用できるので」

「そりゃそうだが」

「え!ブレウくん外に投げ捨てていいの!?」

 

やけにリーンがノリノリになった。そんな彼女をブレウは無視して、

 

「……君、以前から気になっていたのですが、どうもあれに無視される傾向があるようですね。無差別攻撃など、例外はあるようですが」

「さーな」

「逆に僕らは隠れていようが視界関係なしに狙われる。もっと言えば注意を引き付けることができる」

「じゃあ私とブレウくんが囮になって、そこをアコちゃんがぶちかませばいいってことだね。……いいの?それ」

「使えるものは使いましょう。どうにもならなかったら僕があれを引きつけながら飛び降り、対処します。リーンは残って後ろ車両の確認と、早急に汽車を停めて下さい。いいですか、絶対停めて下さい。ここで取り残されるのは本当に洒落にならない。周り何もないんですよ」

「わかった!次の駅で停めるね!」

「貴様」

 

……もしかしてリーンは、ブレウが嫌いなのか?

二人ともいなくていいのに

あと、オレとしては二人ともさっさと外に飛び降りてほしいものだ。相手のリーチが長いから、いきなり別の所から腕が新しく生えてくるみたいなことがない限り、接近してすぐ頭部を壊せばどうにかなってしまう気もするが。

 

 

 

早速オレは山側の車両の壁を破壊し、大きな穴を開けた。その間にブレウとリーンはわざと影響がない範囲で魔術を無駄打ちし、スパークや小さな風が起こる。すると、無差別だった攻撃は彼らに向かって集中した。まあ、単純な作戦だぜ。

 

わざと追い詰められた彼らのおかげで、大きな隙ができた。

 

「オラァ!!!」

 

オレは横から殴り飛ばし───なんだこれ!?妙に柔らかく、衝撃を少し吸収されて、思ったようには吹き飛ばなかった。代わりに羽毛が舞う。首を一撃でへし折ることも考えていたが……これは無理かもしれない!

 

「ふむ、逃げ場がないですね。それではお先に」

 

ひょいっとブレウが飛び降りる。決断早くないか?

 

ブレウが汽車から飛び降りたことで、それを追いかけようとする挙動をネフィリムが見せた。

 

「この……っ、もういっちょ!」

 

今度は全力で蹴るとようやく、外に吹っ飛んでくれた。

仕方ないわね

だが、

 

「わあっ!?」

 

ただでは飛ばされず、手当たり次第だったのか、リーンが掴まれてしまった。

 

「そっち片付いたら汽車停めて待って、って伝えてお願いぃぃぃいい!」

 

リーンとネフィリムはそのまま風圧で飛ばされていく。

 

……えええ。こんなにうまくいくこと、あるのかよ。

 

オレは中途半端に伸ばしていた手を引っ込めた。

 

 

 

§ § §

 

 

 

さて、車内に一人取り残されたオレは、後ろ一両を見に行くことにした。

 

やけに静かすぎるのだ。

 

戦っているときも何一つ物音がしなかった。戦闘に集中していたとか、そんなレベルではない。

 

だから少しだけ、少し見るだけだ。

 

そう思い、一歩分、オレは足を踏み入れた。

 

……血の匂いはしない。乗客は普通に座っている。おかしい。入ってきたオレに見向きもしない。まるで全員眠っているかのようだ。

 

 

 

そのときだった。

 

 

 

右から攻撃を仕掛けられた。即座にカウンターしようと───、

 

「っ!?」

 

攻撃者の顔を認識してからギリギリで首を折る狙いをそらし、相手を投げ飛ばす。

 

「なんで」

 

意識が一方向に集中してしまった。そのせいで、背後から強い衝撃が与えられるのに対応できなかった。

 

後ろ蹴りは───できない。力が入らなかった。よろけて座席の背に掴まり、なんとか倒れずに済んだ。だが、足が動かない。

 

ずるずると座り込むと、不気味に沈黙した人々が席を立って、オレを見下ろしていた。

 

「何が、どうなって……」

 

一人が口を開く。

 

「来てくれると思っていた。また会えて嬉しいよ」

 

話し方や雰囲気に覚えがある。

 

「私がいなくなったあとも、イルが世話になったそうだね」

 

加えて、聞き覚えのある名前が飛び出した。喋っているこの男が誰なのか、信じがたい推察を再びしてしまう。

 

あの時に腕をへし折って気絶させたら、ネフィリムになってオレの肩の肉を一部食いちぎり、不味かったのかなんだか知らないがゲロを吐き、最後は仲間もろともきっと捕まったはずの人物。

 

そもそも、見た目が全くの別人なのだから、ここにいるわけがなかった。

 

「お前…………ユフラか?」

「あなたに名前を呼んでいただけるとは」

 

なぜか感激したような反応を返されたが、それに注意を払えないほどオレは混乱していた。

 

大神殿のときの奴は何者だったのか。

 

ここにいる乗客らに何が起きているのか。

 

周辺を観察する。

 

この車両にオレが戻って最初に襲い掛かってきたのは、さっきまでは普通の乗客だった。……会話だってした。オレが引っ掛かるような、おかしなところは何もない一般人だったはずだ。

 

「……何しに来た」

 

今のところ、他の乗客も自らをユフラだと認めた者も、背中を深く傷つけられたせいで足がうまく動かないオレを取り囲んでいるだけだ。とにかく、足がまた動くまでに時間を稼がないとどうにもならない。

 

「偶然にも乗り合わせることができたから、君にお願いがあるんだ」

「お願い?人に物頼む姿勢じゃねーな」

 

すると急に何人かが膝をつく。……言葉巧みに誘導するとか、騙すとかではなく、文字通り人を操る方法なんて聞いたことがない。

 

「これで良いかい?」

「良いわけあるか」

「困ったな。……じゃあこうしよう。残念ながら、彼らは君の敵になってしまった。だから君は彼らを殺さないといけないんじゃないかい?」

「……はあ?」

 

事も無げに告げられたのは、あまりにも理解不能な言葉だった。

 

「君なら簡単にできるだろう?心臓をえぐりだし、首を落とす……」

「そんなこと、できるわけ」

「さんざんやってきたじゃないか」

「は」

「背後から気配を消して忍び寄り、まず目を潰す。そして、混乱して反撃の体勢が整わないうちに迅速に息の根を止める。鮮やかな手口だ。痛みは一瞬だよ」

 

混乱でまとまらない思考を、じくじくと痛む背中が揺り戻す。

 

「こんな足でできると思ってんのか」

「このくらいなら手が届くだろう?そしてそのうち足も治る」

 

小さな乗客は無抵抗にオレの前に床に座り込み、頭を垂れた。

 

「さあ」

 

空いている方の手に血のついた刃物を握らされる。

 

嫌な感触で思わず振り払うと、握らせようとした女性が倒れてしまった。頭から血を流している。慌てているうちに別の人物に持たされていた。

 

「ああ、そういえば、彼らとは先程まで仲良くしていたんだったね。だったら別の者にしようか」

「そうじゃなくて……っ」

「彼らは本来なら何事もなく、それぞれの目的地に着くはずだったのにね」「君がここにいなければ……あの時逃げさえしなれば……。だが仕方がない」「試しに手本が必要かい?」

 

気持ちが悪い。

 

どうしてわざわざオレにやらせようとするんだ。

 

「ほら、早くしないと」「今までだってずっとやってきたはずだよ」

 

……ここにいるのはオレにとって関係ない人たちだ。どうなったって問題ない。

 

だから、今こいつにとって、一番嫌がらせになることをしてやろう。

 

振りかざす刃は───、

 

「…………ぁっ」

 

───自分の腹を貫いた。

 




汽車を出したのに蒸気機関を全くストーリーに有効活用できていませんが、スチームパンク風異世界なので許してください。ここでの「風」はミ〇ノ風ドリアの「風」です。

なお、当初の予定は屋根に登って石炭や水のタンクまで行ってもらう予定でしたが、屋根に登った主人公が体重の軽さで吹き飛ぶアホ脱出展開しかならないのでは?となり、没になりました。スチームパンク風異世界だから汽車の速度を早く設定したろ!が仇となりました。


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12-8

【N.C.999】

 

オレは腹を何回か刺したところで、周囲からの手により強制的に止めさせられ、腹に刃が刺さったまま横向きに倒れた。

 

背まで届くような深さにならないように加減したが、結構血が流れていく。

 

……手足にぶっとい針が貫通したって平気だった。腹の痛みくらいなら前に撃たれたときも動けた。死ななきゃどうとでもなるんだ。とにかく、足がまた動かせるようにならないといけなかった。

 

男は倒れているオレを見下ろす。

 

「これは困ったな……」

「困って、なさそうな、声で……良く言うぜ……っ」

 

まだ信じがたいが、今オレの目の前にいるモノは人を己の思うがままに動かせるのだ。

 

だからこそ、わざわざこの人たちをオレに殺させようとしたのか、疑問に思った。単に殺すのが目的なら、自死でもなんでもできるはずなのに。

 

奴の目的に、オレが実行役にならねばいけない制約があるのならば、オレが動けなくなることが妨害になる。傷への対処や行動の制限の優先度の方が上がるかもしれない。それに突然目の前の人間が自分の腹を刺し始めたら、とりあえずびっくりすると思う。少なくともオレはびっくりする。

 

まだ、足は動かない。

さあここからはお祈りタイムね

「ほら、どうする……っ?オレ、死んじまうかもしんねーぞ……!」

信じる神なんていないけど

そもそも、どんな人でも操れるのなら、何かしらの目的を果たすのに、こんなに回りくどい手口を使わなくても良いはずなんだ。

 

だが、しなかった。

 

だから、人を操る力には条件があるはずだ。

 

最初の賊どもは今の人々とは明らかに雰囲気が違うから、たぶん操られていなかった。口車には乗せられていそうだが。

 

戦力的にはレドたちも操ったほうがいいが、むしろ、彼らがいなくなったタイミングで仕掛けてきた。

 

オレだって操られてはいない。

 

一度に操れる人数に制限があるのか。それとも、司令塔のような存在、例えば今しゃべっている男から離れると操れなくなるのか───、

ちょっと隠れてよーっと

「い゛……っ!」

 

背中の傷口に指を突っ込まれ、思考が中断する。

 

「どうやら今の私は、ほんの少し治癒魔術の素養があるみたいだ。弱った相手になら、魔力子に干渉できる」

 

そう言われるや否や、痛みよりも、体の血管の中を小さな虫がはい回るような、そんな気持ち悪さに襲われた。

 

拾ったものの食べ方がわからなかったドングリの中から出てきた、あの白い虫を思い出して、吐き気がする。

 

「体内の魔力子が少ないのはわかっていたが……、よく生きているね。ここまで空っぽとは驚いたよ。ネフィリムからしたら、ほとんど死体みたいなものだ。どおりで見失うわけだね。しかし、このままだとろくに回復もできないな」

 

背中の違和感がなくなる。傷口から指を抜かれたのだ。

 

まだ、足は動かない。

 

様子をうかがうと、斜め後ろに立つ者から何かを受け取っていた。

 

「ちょうど持ち合わせに魔力子活性剤があってよかったよ」

 

その手には針、いや、注射器があって───、

 

「やめ……っ!!!」

 

フラッシュバックする拒否感からの叫びは、全く抵抗にならなかった。いつもよりも全然体に力が入らない。首に針が刺さり、遅れて異物が入ってくる感覚が来る。

 

「あ」

 

首筋から全身に広がっていく。

 

「あああ」

 

注射は飲み薬より効くかわりに、とっても痛くて痛くてつらかった。

 

「あああああああ゛っ、ぅ……ぎっ」

 

歯を食いしばって痛みに耐えていると、もう一回傷口を直接触られ、また気持ち悪くなる。

 

もう少し、もう少しな気がするんだ……。

 

針が入ってきてから少し遅れて、生理的に涙が出てくる。

 

……オレの首に注射しているということは、それだけ近い距離にいるのが、霞んだ視界でもよくわかった。

 

「おや?おかしい───」

「───このぉぉぉぉぉおおおおっ!!!」

 

無理矢理体を動かして、ユフラの首に手を伸ばす。

 

だが、まただった。思ったよりも力が出ない。暴れても周りに抑え込まれてしまうかもしれない。

 

 

 

突如、閃光で視界がつぶれた。

 

ああ、もー、無駄使いしないで

かくれんぼは終わりね

続いて、ぐしゃ、とつぶれる感触が手に伝わるとともに、足が動くことに気がついた。

 

目がチカチカしながらも無我夢中で前へと走る。視界が正常になる頃には、バリケードを越えて一等車についていた。

 

……何かおかしい。

 

ずっと落ち着かない。

 

どうして見捨てちゃったんだろ。

 

自分にできることなんて限られているんだ。

 

助けを呼べばよかったんじゃないか。

 

助けを求めてもどうにもならなかったじゃん。

 

心の内側から嫌な記憶と感情が溢れて、頭の中をぐるぐると回っている。

 

それでも這う這うの体でクリュティエのいた個室に入ると、案の定誰もおらず、そこには荷物だけが残されていた。

はーい、とっとと回収

荷物を漁り、目的の小箱を手にいれる。

 

……なんでこんなことしてるんだっけ。

 

「……ぅ…………」

 

怪我をした覚えのない胸元が苦しくて、よろけてしまう。

 

壁にもたれかかっていると、

 

「やあ」

 

音がしてからようやく、個室の扉が開かれていることに気づく。

 

首をへし折った人物と外見は別だが、ユフラがそこにいた。……そんなことだろうと思ってた。

 

周りには何人か生気を失った者たちが立っている。

 

「ああそうそう、聞きたいことがあるんだ。イルが鍵を落としたと言っていたのだけれど、知らないかい?」

拾ったパンチカードよ

鍵?

それで交渉でも脅しでも……

「……なんだそれ」

「おや?復号なるものに使うらしいんだが。最近の子は難しい言葉を使うね」

え?

……フクゴー?よくわからない言葉だ。オレと何か関係あるのか?そもそも、イルと会ったことがあるのは、大神殿の町での一度きり。鍵なんて拾った覚えはない。それよりもあの時誰かにひどいことをしてしまった。

 

「……持っていたとして、渡すと思うかよ」

「イルが嘆いていたから、聞いただけなんだ。持っていないのなら気にしないでおくれ」

持ってないの!?

揺する材料にならないかと思ったが、そうでもなさそうだ。こいつ、何がしたいんだ。人を傷つける奴は皆大嫌いだ。

拾った後だって確認したし、

ジクジクと腹から流れ出る血を手で押さえながら、様子をうかがう。

宿屋での回収作業だってしたじゃん

オレは、奴の斜め後ろにいる人物に狙いを定めた。

鞄にデフォルトで穴でも空いてんの???

「残念ながら、今の私には君をつれてここから脱出する手段はないんだ。終わるまで少しお話でもしようか」

まさか……

自分だけは逃げられるような言い草だ。どんな方法で逃げようとしているのか。でも、本当に逃げてばかりなのは……。

アコラスの底上げブーツの中ぁぁあああ!

「ここに乗ってる奴らが、てめーを簡単に逃がすと思うかよ」

「そうだね、なかなか困難だ。私もこんなことになるとは思わなかった」「イルが盗賊を雇っていたから、うまくできるか見に来ただけだったのに」「借りていた彼でさえ、腕を叩き切られたんだ。あんな恐ろしい魔術師、相手にしていられないよ。恐ろしい……」「ああ、イルはここにいない。今日とは別件で、君にまた会いたがっていたから、さぞ残念がることだろう」

「勝手に残念がってろ」

あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁああ!

ゆっくり、ゆっくり、腹を押さえていた手をずらしていると、ユフラは脈絡もない話をし始めた。

ざけんなクリュティエェェェエエエ!

「昔、素晴らしい器と出会った」「美しく、洗練された、ただ一つそこにあるだけで完成していた」「その器に余計なデザインが付け加えられて、料理を盛り付けられていたのがわかったときは、とても残念な気持ちがしたよ」

没収品の隠しポケットくらい確認しろっ!

……だから何?残念繋がりエピソードか?

 

「ふん、ざまーみろ。デザインは知らんが、器なんだから器らしく使われて当然だろ」

「器は器らしく……。……ふ、フハハハハハハハッ!」

 

挑発しようと発した言葉に、ユフラは何がおかしいのか笑い声をあげた。

 

「今は気分が良い。一つくらいなら、質問に答えてあげよう」

 

一つと言わず、十も二十も聞きたいことはあるんだが。

 

「……茶髪の少女を取っ捕まえようとした目的はなんだ」

「代わりにくらいには使えるだろうと思っていたのさ」

「代わり?」

「私たちが探していたのは、栗毛と、琥珀色の瞳を持つ子なんだ」

 

そして、憐れむ目を向けられた。

 

「君は君自身のことを、何も知らないでいるんだね」

「てめーがオレの何を知ってんだよ。───今みたいにな!」

 

腹に刺さったままの刃物を抜き、ずっと目をつけていた、斜め後ろ───、さっき注射器を手渡していた男めがけて飛びかかった。

 

「おやまあ」

 

首を貫き、即座に頭部を踏み抜く。

 

すると、喋っていた者を含め、他の人々は全身の力が抜けたかのように崩れ落ちた。

 

「はぁ……はぁ……っ」

 

やはりアタリだった。

 

「魔力子活性剤を持ち歩いている人間が、その辺にいるわけないだろ、バーカ」

 

操っている方法はわからないが、今殺した人は他の人以上にユフラたちと何らかの接触、それこそ、操りの司令塔にされるようなことがあったと目星をつけていた。

 

もっと早くにやっておけばよかった。

 

他に優先することがあった。

 

最初から諦めていたんだ。今さらすぎる。

 

……オレじゃなければ、もっと上手くやれたんじゃないか?

 

まただ。また、感情の制御が利かない。そうか、副作用───、

 

 

 

「知っているとも」「たくさん傷つけて、たくさん傷つく。それが君のお勤めだよ」

 

 

 

倒れている人たちの口だけが動いている。

 

「まだ余計な口を叩くか……っ!」

「聞きたいかい?と言いたいところだが、残念、時間切れだ。知りたいことがあるなら、君がアイリスという言葉で思い浮かぶ場所に来なさい」

「え……?」

 

困惑する間に、全員眠るかのように目を閉じた。恐る恐る、意識があるか確かめるが、反応は返ってこない。息は、ある。

 

箱も手にいれた。

 

目下の脅威も過ぎ去った。

 

これで、これでいいんだ。

 

顔をあげれば、窓には自分の顔が映っていた。

 

顔についた血をぐしぐしと拭うと化粧も取れてしまった。

 

昔の何も知らずに生きているだけだった頃のオレを女に変えたら。そういう顔だった。

 

アイリスと似てるのに別人であることが確かな、自分の顔だ。

 

変わらず自分なのに、誰よりも一番変わってしまった。

 

こんな顔なんて焼き潰してしまった方がいい。だが、焼き潰されることはない。自分でも焼き潰せない。オレだと気づいてもらえないのは嫌だ。

 

今の世界になってからずっと抱えていた、どす黒い感情が沸き上がってくるのが止められなくて、

よしっ!方針決まり───え゛

「かえして……、かえしてよぉ……」

ちょっちょっちょっ

未だに手放していなかった刃物を自分に向けた。

 

 

 

§ § §

 

 

 

体のあちこちが痛い……。

 

「し、死ぬかと思ったぁぁあああーっ!!!!」

 

森の中にて、オレが抱えていたクソガキが叫んだ。

 

「ちゃんと崖の途中で勢い殺してたでしょ」

「失敗したら僕らの体すりおろされてたんですけど。……お師匠は、また服が大変なことになってますね。もっと大事にしてください」

「あーはいはい、うるせーな」

あー疲れた

なんだこいつ。

 

そうだ。何とかあの場を乗り切って、このクソガキも回収したオレは、汽車から崖下に飛び降りたんだった。

 

ぺいっとクソガキを放り出すと、

 

「───おかしくないですか!?背中もお腹も服が血で真っ赤になるほどの怪我なのに治ってるの!!!前はスルーしましたけどね!ちょっともう言い逃れできませんよ!?」

「見た目派手で、案外大したことなかったんじゃねーの」

「車内見ました?お師匠の血で真っ赤ですよ?失血死レベルなんですよ。視力大丈夫ですか?」

 

でも死んでねーし。

 

「猫は鞄の中か」

「まーた誤魔化した。あとで覚えてろ……。……そうです。ほら」

 

鞄から取り出され、体がびろーんとなった状態で持たれた猫は苦言を呈した。

 

「グレイ、雑に扱うでない」

 

ああ、そうそう。

 

「クリュティエさんから(ドーラ)奪い返して脱出しちゃいましたが、……大丈夫ですか?」

「レドに鉢合わせて焦ったオレが、正体がバレる前に仕留めようとしたけど失敗。オレを従業員として雇っているクリュティエらコーパル商会にも疑惑の目が向けられる。だから、オレはコーパル商会に金品目当てでもぐり込んでいた者のふりをして、商会に嫌疑がかけられないようにした。それでも多少の荷物検査を受けるだろうから、(ドーラ)は軍にバレないよう預かった───と読んで、報復を躊躇ってくんねーかな……」

「……そこまで読んでくれますか?」

「だだだだだ大丈夫」

「すごくびびってる……」

 

グレイが服服服服うるさく言って、コートを脱いで押し付けてくるので、仕方なく受け取って着る。サイズは少々小さいかもしれないが……小さ、あれ?いや、これはまだオレにとっては少し窮屈なサイズだ、うむ。きっとそう。

 

「とにかく、クリュティエの足を止められている。列車は止まるのにも動き出すのにも時間がかかるからな。今のうちにさっさと移動するぞ」

「でも、ここどこですか」

「カーブのところで飛び降りたから……、グレイ、地図出せ。……この辺」

「ちゃんと考えて飛び降りてたんですね!」

「おう」

 

歩き出してからしばらくして、グレイが疑わしげな目付きでオレを見てきた。

 

「なんか文句あっか」

「……さっきと比べて、言葉に知性を感じられない」

「ケンカ売ってんのかてめーは」

よくわかってるじゃない

なんだこいつ。

 

まあ、でも。

 

無事取られたものは奪い返したし、クリュティエからもレドたちからも逃げられたおかげで、今のオレはとても寛容な心を持っている。気分すっきりだ。

 

なにせ、久しぶりの猫とグレイとオレの、えっーと……計三人なのだ。

 

今日くらいは許してやろう。

 

そう思うのだった。

 




主人公の一人称視点で出てこなかった人たち
・クリュティエ…一般盗賊をエンタメ気分で観戦していた。小箱置き去りは二徹のためうっかり。
・ヒュー…急な予定変更で徹夜したため居眠り。一度寝るとなかなか覚めないタイプ。
・メイドさん…貸した小説をグレイからクソ小説呼ばわりされてレスバトルになった。
・レド、ネロ、ヴァイス…大丈夫だろうと思っていた後ろ車両が、ほぼ一人の血で真っ赤になっていてびっくりした。

・リーン、ブレウ…次の駅までめちゃくちゃ走った。


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番外編 別視点1-1/3

主人公とは別の登場人物(れどさんじゅうさんさい)の一人称になります。
没にしようとした話と設定の墓場とも言う。


【N.C.995】

 

 夕方、汽車を降りると、強い風が吹き始めていた。雪があちこちに残っているのは車窓からも見えていたので、寒いのはわかっていたのだが、慌てて防寒のために帽子を被る。蒸気暖房のおかげで暖かった車内とはひどい差だった。

 

「便利になったなぁ。こりゃあ馬車も負けるわけだ」

 

 隣に立つ伯父は駅に停まっている汽車を見て、感慨深げに言う。

 

 国土のあちこちを張り巡らしつつある鉄の道。かつては金属目当てでレールが盗まれることがよくあったそうだが、現在は鉄道の利便性が周知され、そのようなこともなくなった。

 

「あとは西にも線路が通れば文句ないな。首都の下水道だけは立派だなんて揶揄されなくなる……っと、そうだそうだ。降りたらトイレに行こうと思っていたんだった。すまん。ちょっと行ってくる」

 

 伯父と一旦別れた後、懐にしまっていた手紙を取り出す。きっと汽車のお陰で、出せばすぐ届くかもしれない。それでも、ずっと出せずにいる。

 

 時間を潰すのか、ポストを探すのか、目的がはっきりしないまま、駅の外に足を伸ばしてみることにした。

 

 

 

 ここはマレブランケ。普段は極端に寒くも暑くもならない、南東の地域に位置する町だ。

 

 今日のようなまれに起こる、慣れない寒さには、みんな家に閉じこもっているのだろうか。町はとても静かだった。人影など、大きめのキャスケットを目深にかぶっている子どもが一人、かなり遠くからこちらの方へ歩いてくるくらいだ。

 

 空を見上げても、どんよりとした灰色が広がっている。吐いた白い息も、汽車から出る蒸気や煙も、全て溶け込んでしまうような色だ。

 

 晴れる気配は一向になく、むしろまたこれから雪、ないしは雨が降るかもしれなかった。

 

 そんな空模様に、気を取られていたからかもしれない。

 

 あるいは、最近になってようやく読んだ、イーリオ教の聖典に書いてあったこと。天よりも遠いところに楽園はあるという。その空も、こんな色なのだろうかと思っていたからなのかもしれない。

 

 

 

 強い風が吹いた。

 

 

 

 あっ、と思ったときには手紙が飛ばされていた。

 

 なぜか手を伸ばさず、飛んでいくのを見送ってしまう。

 

 飛んでいってしまったのだから、結局届かないのは仕方がないんだと、ほっとしていた。あっという間に地に落ちて、グシャグシャになるから。

 

 だが、視線で追っていったその先。

 

 誰かが跳躍して空中の手紙をキャッチした。

 

 遠くを歩いていた少年だ。自分より少し小さいくらいの背丈で、ぶかぶかのコートを着ている。大きめのキャスケットで顔は見えなかった。

 

 いつの間に近くに来ていたのだろう。

 

 ……なぜ彼はこんな手紙一通、わざわざ取ってくれたのか。自分にも彼にも、この手紙で得られる価値なんてない。

 

 手紙を無言で差し出してきた少年は、こちらが受け取るや否や、来た方とは反対側へ去っていく。

 

 恨みと、憎しみと、言葉にできない感情に動かされて、その背中に声をかけようとした。

 

 

 

「レド!ここにいたのか。……どうした?立ちすくんで」

「背中に……ついてた……」

「……ん?」

「背中に、猫がへばりついてた……」

 

 

 

 二人でぽつぽつ喋りながら、学校の寮に向かう。寒さに慣れていない町の道は、雪への対策が乏しくて少し凍っていたが、歩くのには荷物はほとんどないおかげで多少気が楽だった。

 

「風邪、引かないようにな。帰りたかったら、いつでも帰ってきていいからな」

 

 自信なく振る舞えば、1年も世話になった相手を不安にさせてしまう。だからそうならないように意識して話すことにしている。

 

「うん、ありがとう。でも大丈夫だよ。伯父さんも知ってるだろ?俺、結構優秀って誉められたんだから」

 

 自分はいつものように笑いかけた。

 

 

 

 迷うことなく目的地に到着できたので、ここまでついてきてくれた伯父に挨拶をして別れる。

 

 外観からわかってはいたが、寮の中はお世辞にもきれいではなかった。敷地は別である校舎と同様に、たいへん年季の入った建物だ。思わず「古い」と呟くと、入り口付近にいた人が「長年別の用途に使われていた建物を、買い取って転用したからな」と、笑いながら教えてくれた。

 

 寮の前にはポストがあった。

 

 だから、ほんの気まぐれで、握りしめていた手紙を入れた。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 夢を見た。

 

 突然、周りが燃え始める。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 隕石により壊滅した、呪われた地。

 

 この国、トゥレーラは昔から、そう呼ばれている。

 

 かつては流刑地の扱いも受けており、今でも他国の人々からすると、あまり近寄りたくない場所なのだという。だから、外から攻め込まれたという話も聞いたことがないんだろう。

 

 かといって、別に国内は平和でもなんでもない。ちっとも中央集権なんてできておらず、小規模のいざこざはあちこちで起きていた。おかげで陸軍も国家憲兵隊も、主な仕事は治安維持。海軍は一番楽だと揶揄されている。

 

 ただ停滞しているだけのこの国(トゥレーラ)に存在する軍魔術師学校は、形式上は陸軍に所属する施設だ。一見大層なもののように聞こえるが、実際は士官学校と比べれば格は断然下。卒業後に配属される部門も、陸軍と国家憲兵隊の狭間をうろうろし、扱いは全く良くなかった。

 

 それでも自ら入る人間がいるのは、一定以上の魔術を使え、かつ、秋に行われる入学検査の会場にたどり着きさえすれば、最低限の衣食住と給料、勉強の場を三年与えられるからだ。入学制限に『13歳以上16歳未満』の条件があり、教区簿冊で確認することになっているが、これはあってないようなものらしい。

 

 自分がこの学校に入ることになったのは、ほんの一週間前である去年の終わり、軍属の人が居候先に突然やって来て一悶着あったためだ。急だったので、年が明けてから汽車に乗って学校のある町へ向かった。数日前の雪で運行に支障が出たりしたのに、伯父がついてきてくれたのが申し訳なかった。

 

 かなり逼迫したスケジュールで到着し、入学した後、まず始めに教えられたのは、最低限これだけは守れ、という三つのルールだった。

 

 1、盗みをするな。

 2、町に出て喧嘩をするな。

 3、敷地内で穴を掘るな。

 

 なぜこのようなルールができたかについては、設立当初、盗みが町で横行したためだとか、ところ構わず乱闘騒ぎが起きたためだとか、嫌いな教官を落とし穴にはめた者がいたとか、後から噂を聞いた。

 

 次は、支給された制服の正しい着方から硬貨の種類まで、日常的なことに関する指導があった。

 

 ただ、制服というものの、国軍には偉い人以外の正装用は存在せず、戦闘用しかない。しかも訓練生は夏服しか支給されないため、この時期には寒い。

 

 基本的な説明が終わり、何をするのかというと、読み書きや計算……つまり、普通の初等学校のような授業が行われた。

 

「どこまでできるかでクラスが分けられて、それぞれで違うことをやる。魔術を教えてもらえるのはその後なんだって」

 

 寮で同室だったヴァイスという少年に話しかけられる。

 

「そうなんだ。入学前に文字の読み書きや簡単な計算能力の確認があったのは、そのためだったんだったんだな」

「あれ?確認?結構ガッツリと試験しなかったかい?」

「んー、そうだったっけ」

 

 すでに上の学年から話を聞いてきたらしく、一年目は座学と基礎訓練ばかりだとか、二年目から大変だとか、いやいや卒業してからがきついんだ……と話してくれた。

 

「レドくんだったよね。ギリギリで寮に滑り込んできたけど、どこから来たの?」

「東の海沿いのシモニアって町わかるかな。あの辺だよ」

「へぇ、ここからけっこう近いじゃん。もっと遠くから来たんだと思ってた」

「あはは。実は、到着する日付を間違えた上に、雪にも降られたせいで遅れちゃったんだ」

「おっ、これから大丈夫かー?」

 

 北の地方出身らしい彼は、この辺りは暖かいねと笑っていた。

 

「ちっ」

 

 舌打ちが聞こえたほうを見ると、去年暮らした町で会った、ブレウという少年がいた。

 

「よ、よぉ。君もここ入ってたんだな」

「そうですね」

 

 射殺さんばかりの目で見られる。

 

「……」

「……」

 

 しばらくの沈黙に耐えられなくなったヴァイスが声をあげる。

 

「……知り合い?」

「うん」

 

 どうやら自分は彼から嫌われているらしく、初めて話したときになぜか辛らつな言葉を投げつられ、その後もひたすら刺々しい態度をとられている。

 

 とりあえず、ブレウに向き直る。

 

「また、今後ともよろしく……?」

「……はぁ」

 

 彼は小さくため息をついた後、

 

「いいですか?君と僕は顔見知りなだけです。知人以下です。よって、わざわざ声をかけてくる必要はない。以上」

「でも、先に声というか、アクションがあったのはそっち───」

「僕は舌打ちしただけですが?」

 

 そう言い終わると、そっぽを向いてしまった。

 

「君、過去に彼に対して何かやらかしたの?」

「いや……、特にそういった記憶はないはずなんだけど」

 

 

 

 ブレウにははっきりと拒絶の態度を取られ、しばらくは話す機会もなかった……と言うことにはならなかった。施設の掃除や馬の世話は一番下の学年の、五人一班による当番制となっていて、そこで同じ班になったのだ。

 

「こんな班は一年のうちだけです。演習では成績順の班になるので、少し経てばこのメンバーで『よろしく』ということにはならないでしょう」

 

 そして、やたら攻撃的な態度を取ってくるブレウだけでなく、他もなかなかのメンツだった。わりと友好的に話せているヴァイスがいてくれたのはいいとして、

 

「……」

 

 無言で虚空を見つめている女子にはどうすればいい。

 

「……馬」

「彼女はネロさんだよ」

 

 喋ったと思ったら、なぜかヴァイスが代わりに自己紹介している。よく見るとこの女子、立ったまま寝ている……?そもそもなぜ馬?馬小屋掃除ならともかく、今日はトイレ掃除だ。

 

 いつも通りピリピリするブレウに、無言無表情のネロ。「はははっ」と笑っているヴァイス。そんな中、まだ話していなかった一人の女子がにこやかに言う。

 

「私はリーン。よろしくね。13歳以上だったら、よろしくしないけどね」

 

 かく言う彼女は何歳なのだろうか。

 

 さて、掃除はというと。屎尿は業者が回収してくれるので、床をモップで拭いたりするくらいの簡単な掃除のはずだったが───、

 

 水浸しになった床と壁に開いた穴を背景に、教官の前でリーンとブレウが正座をしている。

 

「ブレウくんがムカつく顔してたからつい」

「そこのリーンとかいう女がアホ面をさらしていたので」

 

 二人はそのまま反省室に引きずられていった。

 

 最初はヴァイス以外、黙って掃除をしていたのだ。しかし、ブレウとリーンの間で口論が発生し、止める間もなくヒートアップした。ネロが「低レベル同士の争い」と呟き、それを聞いたヴァイスが爆笑し、良くないことだから自分が仲裁を試みようとした直後、モップが目前に迫り、避けるかどうか悩んでからの記憶がない。頭痛とともに目を覚ましたときには、トイレの風通しが良くなっていた。

 

 結局、連帯責任ということで自分たちの班は、最低でも一か月は掃除当番がトイレ固定になった。リーンからは後で謝られた。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 夢を見た。

 

 燃えていく周りを眺めることしかできない。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 ようやく冬の寒さも和らいだ春、寮の部屋を一番上の階、さらにその端の個室に移動しろ、とお達しがあった。

 

「別の部屋に移動なんだって?どうして?何か理由があるのかい?」

「どうだろう……。部屋数の都合とかかな」

 

 相変わらずヴァイスとはよく話しているが、少々彼は人に対して詮索が多いタイプだった。話題を変えるため、最近のことを口にする。

 

「それにしても、俺たち、本当にずっと勉強と基礎体力訓練しかしてないよなぁ。もっと厳しいと思ってた」

「え?今もかなり厳しいと思うな」

「でもほら、自由時間もあるし」

「そりゃあね……。あ、僕らはそうだけど、学校や寮内に軟禁状態のクラスもいるらしいよ」

「軟禁?」

「ほら、ルール1に引っ掛かっちゃうような」

「……ああ」

「ようやく月の終わりにまたお給金がもらえると思えば、この苦労もまあいいかー。そうそう。この間、講義室じゃなくて別のところに行くのをみたけど、何かあったのかい?サボりかい?時々いなくなるよね?」

「ちょっと教官に呼ばれただけだよ」

「ほーう、初っ端から遅刻しかけてた人間はやることが違うな。何やらかした?」

「あはは……そんなのじゃないって」

「まあまあ謙遜するなって……、あれ?ここ、写し間違えた?」

 

 教科書なんて高価なものはないので、必然的にガリガリと板書をノートに書くしかない。しかし、今までたくさん文字を書くこともなかったので、皆、慣れていないようだった。初等学校だって、ここまで書かされることはない。

 

「ごめんレド、ちょっとノート見せて」

「どこらへん?……って、そこか。俺もなんて書いてあるか読めなかったんだよな」

「おう……、なんてこった」

 

 予想できればよかったのだが、該当する講義の内容は『人体の内部構造』である。骨の名前は予想できない。

 

 他にも何人かと先週のノートのことで、あーでもないこーでもないと話をして、もうすぐ授業が始まる、という頃合いだった。

 

 窓が風でガタガタと揺れる音がした。続くように、廊下が騒がしくなる。

 

 様子をうかがうため講義室を出ると、同じクラスで見知った顔の何人かが倒れる中、リーンが男子の襟首をつかんでいた。

 

「げっ、リーンじゃん。目ぇ合わせない方が───」

「何やってるんだっ!?」

「またかい……」

 

 慌てて止めに入るが、リーンはそんなことを気にするそぶりも見せずに言った。

 

「私がちょっと20メートルくらい助走つけて飛び蹴りしたら、怒ってきたからやり返したの」

「……なんで飛び蹴りしたんだ?」

「邪魔だなと思ったの」

「…………廊下を広がって歩いていたりしたのか?」

「存在が邪魔だなと思ったの」

 

 困った。

 

 彼女は最近になって、よくこのような調子でトラブルを起こしていた。理由は不明だが、ある時は上級生に、またある時は複数人相手に喧嘩を売り、しかも勝っていた。見てすぐにわかるような魔術を使っていないので、身体強化や風を使っているのだろう。

 

 騒ぎを聞きつけた教官に引きずられていくリーンを見送った後、野次馬は解散させられた。

 

「なんだったんだ」

「またいつもの暴れっぷりでしょ」

「月末に近づくと増えるよね。なんでだろ」

「懲りないよなー。喧嘩するたびに教官たちの見回りも厳しくなってきてるのに」

「殴られてたのエルムじゃね。そろそろ退学っしょ」

 

 周囲の声を耳が拾う。

 

 リーンは授業態度は真面目だが、特定の誰かと仲良くするようなこともなく、会話はだいたい喧嘩腰。だから今は、リーンに近づこうとする者はほとんどおらず、腫れ物扱いされている。

 

 一方、名前の上がったエルムは同じクラスの男子だ。上の学年と一緒にいるのを時々見かける。どこかの地主の息子で学校側に対しても親経由で要求を通すことができるらしいと聞いたが、あくまで噂である。

 

「リーンも懲りないよねぇ」

 

それはそう。

 

 

 

 用事のために一旦校舎の外に出ると、開けた地面に木の看板が雑に突き刺さっているのを見つけた。……『屋外演習場』。空き地ではなかったらしい。

 

 その端に見覚えのある誰かが座り込んでいる。

 

「体調、悪いのか?」

 

 声をかけて近寄れば、同い年か少し上くらいに見えた彼女は、顔をあげた。

 

「あなたもやる……?」

 

 ネロだった。片手にはスコップ、前には穴がある。

 

「……何、やってるんだ?」

「見ての通り」

 

 至極まっとうな疑問に対して、淡々とした声が返ってきた。

 

「そうだな。見ての通りだな。…………埋めて元に戻した方がいいんじゃないか?敷地内で勝手に穴を掘ってはいけないルールがあることだし」

「……それもそうね」

「あ、急がないと。じゃあな」

 

 用件を思い出し、その場をあとにする。穴を掘った理由はわからないが、あの様子であればきっと元に戻すだろう。

 

 

 

 定期的に行われる問診は、授業よりも優先することになっていた。

 

「どうだい、軍魔術師学校(ここ)には慣れた?」

 

 髪を後ろにひっつめた男の人は、怪しく笑いながら自分に聞いてきた。

 

 それを皮切りに、食事はとれているか、夜は眠れているか、最近の気分はどうか、無意識に魔術が発動したことはあったか……。次々飛んでくる質問に答えていく。

 

 しばらく話したあと、紙を一枚渡され、魔術で燃やしてみてほしいと言われた。

 

 すぐ横に置かれた機器は、至近距離で魔術が使用されると、どのくらいの魔力子量を使った魔術を実行したかがわかるそうだ。

 

「少ない……。普通ならこの針の振れ幅、倍はあるよ。やはり君は制御が上手だね」

「……でも、計測器の精度はあまり高くないでしょう」

「それを踏まえてもだ。すばらしい。高価で壊れやすくなければ、もっと大規模な魔術を使ってほしいが───」

 

 目の前の人はどこか興奮したように語っていた。そして、体内の魔力子量を測るために血を採られる。その測定にも、手間と時間とお金がかかるが、自分にはそれをかけるだけの価値があるという。

 

 だが、今さら誉められたところで、どうしようもなかった。

 

「……できることなら、魔術はあまり使いたくないです」

 

 駄目だ。感情を、コントロールだ。……大丈夫だ。

 

「うむ……。すまないね、無遠慮な発言をしてしまったようだ」

 

 彼は少し困った顔をしてから、「『デリカシーがない』といつも怒られてしまうんだ。どうしよう」と言っていた。

 

 

 

 用事が終わり、再び屋外演習場という名の空き地の横を通る。そこにはネロの姿はなかった。

 

「……増えてる」

 

 

 

 穴を全て埋め終えると大分時間が経ち、放課後になっていた。この時間になると校内は人気が少ない。自分も早く寮に帰ろう。

 

「レドだったよな?」

 

 声を掛けられたので目だけ動かして見れば、それはエルムだった。まともに会話したことがなかったはずだが、まるで待ち構えていたような様子だ。辺り差しさわりのないように向き直って笑みを浮かべ、一足一刀の間合いまで近づく。

 

「ああ。何か用か?」

「たまたま姿を見かけたものだから。この間の礼を言おうと思っただけだよ。リーン……、あんな意味不明な女に絡まれて、困ってたんだ。止めてくれて助かったよ」

「そっか、でも、どうして喧嘩になったんだ?」

「喧嘩?違う違う。あいつが一方的に突然殴りかかってきただけさ」

 

 それからエルムは滔々とリーンの悪口を述べ始めた。時々同意を求められるが、彼女の人となりを良く知っているわけでもないので、その発言への賛否を自分では判断できない。……とはいえ、聞いていてあまり良い気分はしなかった。

 

「班が同じで、いつも迷惑かけられてんだろ?」

「……そうでもないかな」

「無理すんなって。俺、上級生にも顔が利くんだ。少し懲らしめるのを手伝ってやるよ」

「ううん、遠慮しとく」

 

 そう伝えるとつまらなさそうな表情をされる。

 

「なんだよ、リーンと仲が良いのか?」

「そんなわけないけど。懲らしめたくなるほど何かされた訳じゃないから」

 

 それから表面上は穏やかにいくつか言葉を交わしたが、立ち去るときに研ぎ澄ました聴覚が声を拾う。

 

「……イイコちゃんぶりやがって。あの女もいつも良いところで邪魔しやがるし……、クソッ」

 

 どうやら気分を損ねてしまったらしい。

 

 

 

 いつものトイレ掃除にて、リーンに声をかける。

 

「なあ、リーン。この間、エルムを殴ったときのことだけど、邪魔だから殴ったって言ってたよな。どうして邪魔だと思ったんだ?」

 

 エルムに対する心証はあまり良くない。もしかしたらリーンには人に相談できないような事情があって、あのような暴挙に出ざるを得なかったのかも───、

 

「ひゃー!ちっちゃい男の子だあああ!と思って近づこうとしたら、遮られたから……。体が勝手に動いてたの」

「……?」

 

 言っている意味がわからず、周囲を見渡す。しかし、ヴァイスとブレウから目を逸らされ、ネロは立ったまま寝ている。

 

「初対面で言っていた、13歳以上はよろしくしない、というのと何か関係が……?」

「……『神様は無垢な魂をとても大切にしています。だから御使いは、特に美しい魂を持つ子どもを天へ連れていき、自分たちの仲間に迎え入れているのです』」

 

 リーンの表情は、俯いていて伺うことはできない。……ここで言う『天』は聖典に載っている楽園のことだろうか。

 

「皆だって一回くらい神殿で聞いたことあるでしょ。私、小さい頃からずぅ~~っと聞かされて、すっごくムカムカしたんだよね。死ぬのは仕方ないけど、都合よく解釈するのは気に食わないよ。その理屈なら……大切だったら、最初から助けてあげればいいのに」

「リーン……」

「だから思ったんだ。神様も、誰も助けてくれないのなら……私が助けて、愛でるしかないじゃないと」

「うん?め、めで?」

「つまりはそういうことなのです」

「どういうことなんだ……」

 

 黙って聞いていたブレウがパチパチと拍手をした。

 

「アナーキーレベルを進呈します」

 

 また一人、変なことを言い出した。

 

「期待通りでした。それに比べて、レド。君は……」

「え?俺?」

 

 しかもいきなり失望した目で見られる。人生観が独自規格で普通に迷惑な人物と自分を比較しないで欲しい。

 

「つまり、リーンは小柄な男の子が好きってこと?」

「全然違うよ。幼い少年が好きなんだよ。二度と間違えるな

「はい、すみません」

 

 ふざけ半分で言ったヴァイスに、声から怒りを滲ませるリーン。この学校、建前上は13歳以上からでなければ入学できないので、彼女は来るところを間違えていると思う。

 

「本当に邪魔だったから、端から喧嘩を売っていたのか……」

 

前言撤回。リーンは少し懲らしめられた方がいい。

 

「私はいつだって小さな男の子の味方なんだ」

「小さな……。売った喧嘩が買われているのならギリギリいいけど。なあ、リーン。その時、リーンが近づこうとした子は取り囲まれていたりしなかったか?」

「ええ?うーん……そういえば、そうだった気も……?」

 

 月の終わりに増えるリーンの襲撃。給金。 ……それとなく教官にチクっていこう、リーンもエルムも。

 

 それと、気になることがもう一点。

 

「今までアナーキーレベル?がないからブレウは俺を嫌っていたのか?」

「いえ、シンプルに性格と言動が嫌いです」

「それは……どうしようもないなぁ……」

 

 とりあえず、自分が知らないうちに彼に対して何かをやらかしてしまった、というわけではないのはようやくわかった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 夢を見た。

 

 “熱”から、ただ逃げるしかなかった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 ここのところ、日に日に夏らしくなってきたが、今日も今日とてトイレ掃除だ。他の班には掃除当番のローテーションがまだ存在しているのだろうか。

 

 今日の授業でやった計算問題とその宿題についてあれこれ話していると、普段はとても静かなネロが口を開いた。

 

「皆、次の休みは暇?」

 

 うっかり水の入ったバケツを落としてしまった。

 

 カランという音がしたので見ると、モップから手を離してヴァイスが口を開けている。リーンとブレウはべちゃりと雑巾を落としていた。

 

 まず、ネロが自分たちに興味を持つことに、 次に、いったい何のためにそんなことを聞いたのかの驚きからいち早く再起動したのは、ヴァイスだった。

 

「次の休み……、夏至祭が近いね。何かあるのかい?」

 

 ネロはゆっくりと瞬きをする。

 

「やらなければいけないことがある。人手が必要。……とても簡単に言うと、日雇い労働の誘い」

 

 

 

 ヴァイスが悲鳴をあげた。

 

「無理無理無理無理無理!!!僕は身体強化が苦手なんだよぉぉぉおおっ!!!」

 

 屋根から吊り下げられる中、下の方をみると声を聞き付けた町の人たちが見上げている。

 

「なあ、ここは俺が全部やるから、ヴァイスを引き上げてやってくれないか?」

「もう途中まで進んでいる……」

「最初乗り気だったのは本人ですから、やらせましょう」

「落ちても私頑張るからっ。無理だったらごめんね!」

「ねえ?なんか最後のほうで不穏なこと言わなかった?ねえ?……ネロ寝るなぁぁぁあああ!?」

 

 

 

 ネロが言い出した日雇い労働とは、夏至祭の準備の手伝いだった。毎年、軍魔術学校の生徒は小遣い稼ぎによくやっているんだとか。

 

 そもそも夏至祭とは、イーリオ教の祭事の一つだ。ほとんどの町で行われており、今日のように大々的に準備が行われているのは珍しくない光景だと聞く。

 

 先ほどは屋根から垂らされたロープを命綱にして、町のあちこちの建物に飾りをつける作業をしており、作業者が自分とヴァイス、ロープを引き上げたり支えるのがブレウとネロ、落ちたとき風魔術で助けるために下で待機するのがリーンだった。

 

 リーンが手伝うのが意外だったが、「打ち壊すにはまず、敵を知らねばならぬ……」と言っており、相変わらず意味不明である。

 

 次に薬草を摘みに行くことになったが、途中で寝たネロと一緒であることにヴァイスが断固拒否の姿勢をとったため、ヴァイス、ブレウ、リーンの三人、ネロに自分の二人に分かれて行くことになった。

 

 特に会話をすることもなく、黙って作業していると、後頭部に視線を感じる。

 

「何か、俺の頭についてるのか?」

 

 振り返れば、ネロがじっとこちらを見つめている。

 

「私、髪真っ黒」

「それがどうしたんだ?」

「……少し思い出したことがあっただけ」

 

 これで話は終わりかと思いきや、意外にも再びネロが口を開く。普段から半分寝ており、周囲に対して無関心な行動が目立つ彼女にしては珍しい。

 

「髪の色といえば……、西に鮮血のように真っ赤な髪を持つ戦闘民族が暮らす村がある……らしい」

「真っ赤な髪の戦闘民族?そんなのいるのか?」

「さあ……?聞いたことがあるだけだから……。でもいるなら会ってみたいかも……。……レドの髪は乾いた血みたいな色ね」

「その発言、悪口に片足突っ込んでるからな」

 

 自分もまた、ネロを観察する。慣れた手つきで草を摘んでいる。

 

 町の神官から今日はよろしくね、と親しそうに言われていたため、ある程度親交があるのだろう。

 

「ネロはイーリオ教に詳しいのか?」

「一般的なことであれば、それなりに」

 

 イーリオ教とは、太陽神イリオファーニアを主神とした、この国(トゥレーラ)では多くの人に信仰されている多神教的一神教だ。中央大陸でも根強い信仰があるらしいが、トゥレーラとの宗派の違いから関係性は険悪だそうだ。ちなみに原理主義者は、晴れるとすぐ祭りをしようとするらしい。

 

 太陽信仰の影響か、空よりも高い場所に楽園があると言われているが……。

 

「…………人は死んだら、本当に……楽園に行けるのかなあ?」

 

 ふと、考えていることが口から漏れてしまった。

 

 どこにあるのかわからない場所に、人はたどり着くことができるのだろうか。

 

「ごめん、急に───」

「───わからない」

 

 取り繕おうとしたところに、ネロは淡々と告げた。

 

「楽園に行けると信じることが、その人の救いになるのであれば、私は『行ける』と答える。……レドはそれほど信仰深くないのね」

「あー……。ごめん」

「別に……。……我らが主神イリオフォーニアを信じることにメリットがないのであれば、別のものを信じればいい」

「え?いいのか?」

「いい。そうでなければ、何のための神様か。逆に、メリットがあると少しでも感じたなら、バンバン信じてほしい。私はいつでも布教の準備がある」

「そ、そっか」

 

 饒舌の勢いに押され、気になったことを聞く。

 

「ちなみにさ、もし他の宗教の信徒をどうしても布教したくなった場合は、どうするんだ?」

「皆、自分の信じたいものを信じている」

 

 ネロは目を閉じて、静かに語った。

 

「それを理解もせず、自己を盲信し、否定したところで、なんの意味もない。だから、山の神の一つに大地をつかさどる蛇神ラーヴァを取り込んだ時みたいに、その宗教の神を平行信仰してもらう」

「な、なるほど」

「……これは、蛇の丸呑み行為と他宗教に取り込まれた神をかけたジョーク」

「……なるほど」

 

 

 

 結構な重労働だった準備が終わり、夏至祭が始まった。

 

 普段以上に市場に活気が溢れ、着飾った人々が行き来する。

 

「ほう、これはなかなかレアな……」

 

 ブレウが古本屋で怪しげな雑誌を吟味していたり、

 

「ははは、見てよ!そこの射的で総取りしちゃった!!!」

 

 ヴァイスがクロスボウで百発百中の命中率を見せ、両手いっぱいに景品を手に入れたり、

 

「やったー!お肉だぁ!───あっづっ!」

 

 屋台で買った肉料理をリーンが美味しそうに食べていたり、

 

「……」

 

 ネロは満足げに腕を組み、草花でできた冠を被っていたり。

 

 それぞれ祭りを楽しむ彼らについていきながら、それとなく周囲を見渡す。

 

 人間のおこぼれを預かろうと、少し離れたところを野良犬や野良猫がうろうろしているのが目に映る。……まあ、いないか。こうして時々あてもなく探しているけれど、あの日以来、あの子の姿を見かけたことなど一度もないのだから。

 

 

 

 「そろそろ始まる……」と、ネロに連れていかれた先は、メインイベントの儀式会場だった。神殿の人に融通してもらい、良い位置で見せてもらえることになったが、いいのだろうか。

 

 この町(マレブランケ)の神殿で一番偉い神官が、太陽の光を集めることで点いた聖火を、組まれた木に移す。

 

 ワッ、と歓声が上がった。

 

 続いて、白い布の上に一粒の宝石が乗せられている。琥珀だ。

 

 このように、夏至祭では昼に琥珀を燃やすのが一般的である。一方、年の変わる冬至祭においては、夜にヤギの模型を忌むべき魔術の火で燃やし、その年に亡くなった人の魂を天に還す花火には聖火が使われている。

 

 布ごとくべられた琥珀が燃えていく中、楽器で演奏など、どんちゃん騒ぎが始まった。

 

 その光景を眺めながら、リーンが不満そうに唇を尖らせる。

 

「どうして燃やしちゃうんだろう?もったいない」

「あれは、我々の宗派独特の風習……。もともと本流の夏至祭は、神子様が神託を授かるためのもの……。しかし、神子様は一人しかいないから、こうして代わりになる行事が生まれた……」

「知ってますぅ~。親が敬虔な信徒だから、耳にタコができるほど聞かされてきたよ、もうっ。私は宝石を燃やすという行為がもったいないって言いたかったのっ」

 

 そうネロに吐き捨てて、リーンはそっぽを向いてしまう。

 

 聞きなれない単語を自分が尋ねる前に、ヴァイスが喋っていた。

 

「神子ってなんだっけか?」

「イーリオ教の本流では最高位を指す……。中央大陸にある大神殿におり、唯一神託を受けることができるとされていた存在……」

「ああ!あれか。十年ちょっと前の中央大陸の動乱に巻き込まれた結果、死んじゃって血が途絶えたから、大問題になったっていうね」

「最後の神子様に関しては、遺骸が見つかっていない……。神託で先に危険を察知し、ひっそりと逃げたのではないか……。そういう噂もある……」

「フッ、なかなかオカルトじみていますね」

 

 儀式ガン無視で雑誌を読んでいたブレウが、かつてないほど嬉しそうに反応した。そういうの好きなのだろうか。

 

「神子について補足すると、役割は大きく分けて二つ。神託を得ることと、神を鎮めること。一つ目はしばしば未来を予知したと言われています。二つ目については、神子は神の物であり、お返ししなければならない───、そういった理由で、かつては生贄として殺されていたこともあったそうです」

 

 解説役を奪われたネロが憮然としている……。

 

「神託ねー。占いみたいなもんでしょ?そんな都合よく当たらないって、ははは」

「僕も本当だとは思っていません。非現実的でありえないからこそ、楽しめるんですよ」

 

 ブレウは他にも嬉々として生贄の話をした。生贄に捧げられるとき次の神子が殺していたとか、心臓をくりぬき、頭を落とすための練習に一般生贄を使っていたとか、心臓と頭は箱に入れられ、海に投げ入れられたとか、殺された後の神子の遺体はバラバラにされ、箱の材料にされたとか……。人の頭が入るくらいの箱って、そこそこ大きいな。

 

 ヴァイスが叫ぶ。

 

「あー!!!血生臭いよ!!!君たち蛮族なの?!?はい、この話終わり!……ところで皆、夏季休暇どうすんの?ぶっちゃけさー、家飛び出してきたから帰るのは気まずいんだよね」

「食いぶちが増えちゃうから、私は帰らないかな」

「帰るところがない……」

「迷惑かけられないし、ここに残るつもりだ」

「帰ります。用事があるので」

「う~ん、反応に困る」

 

 そんなことを喋っているうちに、琥珀は燃え尽きていた。

 

 

 

 日が沈み、町自体はまだお祭りムードだが、儀式会場は片付けられつつあった。自分達もまた、木の囲いを運んだりしていると、リーンがネロに話しかけていた。

 

「ネロちゃん、報酬は?」

「……?夏至祭を手伝えた」

 

一部からは不穏な空気が漂い始める。

 

「お金は?」

「お金……?私たちはお金で得られない物を得られたのでは……?」

 

ネロが少し笑った。

 

「来年も手伝ってほしい」

「「「もうしない」」」

 

 塔からネロを吊るし終わったところで、神官の人からお駄賃をもらえた。

 

 ネロは朝まで吊されていた。

 

 三人ともそんなに怒っていたのか……。

 

 

 

§ § §

 

 

 

手紙が来た。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 秋になり、暗くなるのが早くなっていく。

 

「───ド!レド!」

「うわっ」

 

 講義室にて、ヴァイスに話しかけられている。考え事をしている間に授業は終わってしまったらしく、黒板はすでに消されていた。

 

「珍しい。レドが授業そっちのけで呆けてるなんて……、僕のノートはいったいどうすればいいんだ」

「自分でなんとかしてくれ」

「そんなぁー」

 

 ヴァイスはわざとらしく泣き真似をしていたが、乗ってこないとわかったのか、けろっとした表情に戻った。

 

「じゃっ、先行ってるな~」

「ああ」

 

 周りもほとんど移動している。自分も片付けて次の授業に───いや、この後は別件があった。

 

「おっと」

 

 立ち上がろうとしたところで、後頭部に当たりそうだった物を避ける。

 

「ごめんごめん」

 

 エルムと他数名がヘラヘラ笑っていた。彼の持っていた荷物だったようだ。自分もまた、笑って対応する。

 

「いいよ、そんな。俺が悠長に座っていたから」

 

 最近、エルムによる嫌がらせじみた行動が多い。理由はなんとなく想像がつくが、今のところ全て未遂で実害もないし、放っておこう。

 

 

 

 夜、寮でブレウやヴァイスと喋りながら衣服を洗う。

 

 最新の洗濯機は蒸気を動力にした全自動らしいが、ここにはそんな高価な物はなく、旧式の手回し洗濯機と脱水機のみが置かれている。

 

 そのため、洗濯機のハンドルをひたすら回し続けていた。

 

「こんなとき、一瞬で服を綺麗にできる魔術が使えたらいいのに」

 

あーあ、とヴァイスが心底疲れたと言った風に、息を吐き出す。

 

「工程的には水と洗剤を生成して撹拌。さらに、流体操作でのすすぎと脱水。最後に熱での乾燥。できる人間がいたら世紀の天才ですね」

「マジで返すなよ。そうじゃなくって、ひょいっと手をかざしたらパァァアアっと綺麗になる、おとぎ話にあるようなこと」

「伝説、神話、言い伝えであれば語れますが」

「そこまでは求めてないんだよ」

「洗剤入りの水は、頑張れば魔術で作れるって聞いたことあるぞ」

「あ。そういや、うちの母さんがやってたな」

 

 特に話すこともなく、その場は洗濯物を回す音だけになる。

 

 

 

「……そうだよ!魔術だよ!!!」

 

 

 

 突然ヴァイスが叫んだ。

 

「すっかり忘れてたけど、ここ魔術学校なんだよ!あまりにも一般教養しかやってないから忘れてた!僕たち、お互いに使える魔術の話も、全くしてないじゃないかっ」

「君たちに興味なかったので、聞いていませんでした」

「うっそだろ。半年以上経って、これが僕らの距離感……?───はいはいはい!二人は、魔術は何使えるんだい?」

 

 それを聞いたブレウは嫌そうな顔をする。

 

「なぜ教えないといけないんですか」

「あとで幽霊の話をしよう」

「───僕は雷です。多少なら人を麻痺させて、動きを止めることができます。それと簡単な身体強化ですね」

 

変わり身が早い。

 

「俺は身体強化と火。ヴァイスは?」

「よく聞いてくれました!なんと、治癒だ!超簡単だけど水や風、土もね!」

「へえ、4つか。すごいじゃないか」

 

 程度を考慮しなければできる人の多い身体強化を除くと、魔術により生成や変質できるのは1つか2つがほとんどだ。

 

 また、治癒もできる人が少ないので、使用魔術の種類(ざっくり7か8に分類されているらしい)が、治癒も含め4つも使えるのは破格と言ってもいいだろう。

 

「はっはっは。もっと誉めたまえ」

「つまりは器用貧乏ということですね」

「ひどい」

 

 そして、使用魔術の種類が増えれば増えるほど、熟練度は上がらない傾向にあった。水魔術1つ取っても、ぬるい水がぽたぽた手から垂れるだけであったり、思いのままに水を動かせたり、なぜか洗剤の溶けた水を生成することもあったりと、一緒くたにはできない。

 

 洗濯機から水を吸って重くなった衣服を取り出していると、まだヴァイスは話し足りないようで、

 

「魔術の使い始めって何だった?」

「ある時、自分の意のままにドアノブに静電気を起こすことができるのに気がつきまして、それ以来ですね。家中の扉の回りを帯電させて、ドアノブを24時間バチバチにするのが日課でした」

「そこまでするほど家にドアノブある?」

 

 ブレウの家は大きいので、扉もドアノブもたくさんあるのだろう。

 

「それで幽霊の話は?」

「ハイハイわかってたよチクショー。……この学校、幽霊か妖精かがいるかもしれないって聞いたことない?」

「俺は初めて聞いた」

「点呼を取ったときに人数がおかしいことがあるんだってさ。気がつかないうちに、一人増えているのかもしれないね」

 

 ブレウが眼鏡を輝かせる。

 

「正体がわかれば退治できる系ですね」

 

 そういう分類なんだ……。

 

 服をローラーで脱水しているヴァイスが手を止めた。

 

「提案なんだけど……、明日の夜中、学校に忍び込もうよ」

「なんでまた」

「こういうのってさぁ、実は幽霊でもなんでもなくて、猫や不法侵入者だったりするじゃん?逆に気にならない?」

「ほんとは?」

「今すぐ誰かさんの夢を壊したいんだ。ついでに規則なんて破っちゃおうぜ」

「おい」

 

 一つ、ブレウに気になることを聞く。

 

「夜、校内に入っていいのか?」

「駄目とは決められてません」

 

 それなら、まあ、いいか。

 

 

 

 翌夜。

 

 リーンとネロも加わった計五人で、音もなく塀を乗り越えて校内に侵入する。

 

 言い出しっぺ曰く、幽霊または妖精を見かけたという噂があったのは、屋外演習場、食堂、講義室、トイレだそうだ。

 

 そこで、まず始めに屋外演習場という名の空き地に向かうことになった。

 

「狼の幽霊が町に出るという話なら聞いたことがある……。深夜、キラリと光る目の目撃証言があったため、総出で昼間探したけれど姿も痕跡もどこにもなかったという……」

「え~?ネロちゃん、それ野良犬か生きてる狼の間違いじゃない?幽霊なんてないないありえないよねえレドくんもそう思わない?」

「ん?まあ、生きてる人間のほうが怖いよな」

 

 その時、草が揺れる音がした。すぐさまそちらを見るが、猫の姿はない。風で動いただけだった。

 

「なんだ───」

「ひいっ!!!」

「痛い……」

 

 リーンはネロの腕に飛び付いていた。怖いのなら、なぜ来たのだろうと思っていると、自分の視線の意味を汲み取ったらしく、「怖いものを怖いままにしていくのが嫌なのっ」と言われた。

 

 

 

 屋外演習場の端には倉庫があり、その扉には鍵がかかっていたが、ヴァイスがどう考えても鍵ではない金属棒で速やかに開けた。そして、ランタンを持ってきていたブレウが中を照らす。予想通りというべきか、ブレウもかなり乗り気で、怪しいものをあれこれ詰め込んだ大きめのカバンを背負っているのだった。

 

 倉庫には掃除道具やスコップくらいしか置いておらず、目立つものは何もない。屋外演習場も昼間と変わらない空き地ぶりだ。ここに探し物はない。

 

「ここでは……」

 

 ヴァイスがこほんっ、と咳払いをした。そして、

 

「地面に穴を掘る怪しい人影があるとかないとか」

「おい、犯人が俺たちの目の前にいるぞ」

「待ってほしい、まだ決まったわけじゃない」

 

 解散して一人で捜索したい気持ちが込み上げてくる。

 

「人間を呪い殺して成り代わり、残った死体は穴に埋める系の妖精ですね」

 

 ブレウは生き生きとしているなぁ。

 

「他に何かあるのか?」

「ないね!よし、次だ次」

 

 ちなみに推定犯人は、

 

「玄関ドア前に木の実が置かれていたり……、川できらきらと輝く何かが目撃されたり……」

「あわわわわわわわ」

 

 まだリーンを脅かしていた。

 

 食堂。広い空間に椅子と机がならんでいる。無人というのは珍しい光景だ。ここにもいない。

 

「バチクソまずいパンが売られていて、それをいつも買っていく、味覚のおかしい奴がいるらしいよ」

「人外が現れた系ですね」

「個人の趣味だろう、それは」

 

 講義室。特筆すべきことはなし。ここにもいない。

 

「昔、学校になる前は処刑場だったらしいよ。だから時々室内で人を数えると一人多いときがあるんだって」

「死者が紛れている系ですね。見つけましょう」

「元々は民間の建物だって聞いたぞ」

 

 トイレ。ただのトイレ。いたら困る。

 

「馴染みのトイレだね。当番はローテーションのはずなのに、いつも同じ面子が掃除しているらしいよ」

「ただ掃除当番で俺たちが割り付けられ続けているだけだ」

「うばぁぁぁああああ!どうしてそうやって夢を潰すんだよぉぉぉおお!」

 

 また急にヴァイスが叫んだ。壊れるなぁ。

 

 さらに、こちらに向けて指を指し、

 

「ブレウ!こいつ敵だよ!君も怒れよ!!!怒ってるだろ!?」

「いえ別に……」

「なんで!?心霊現象全否定してくるじゃん!」

「ありえないものを楽しむのが好きであって、幽霊であれ、妖精であれ、本当に実在していたら解釈違いです。萎えます。それと今回の噂話はいまいちでした。出直してください」

「オーケー。ブレウが味方じゃないのはわかった」

 

 チクショーこんなところにいられるか僕は帰るぞ、とヴァイスが駄々をこね始めたので、侵入した塀の方へぞろぞろ歩きだしてしばらくした時だった。

 

「ねぇ……」

 

 ネロが問いかけてくる。何の用かと思っていると、続きの言葉に動揺した。

 

「レドはずっと何を探していたの……?」

 

 ……バレていたとは。暗いので自分の視線はわからないだろうと油断していた。加えて、ネロをぼんやりとしているからとつい侮ってしまっていた。反省だ。

 

 言葉をゆっくり選ぶ。これはただの八つ当たりだから、情けなくて、人に知られたくなかった。

 

「それは……猫を探してたんだ。白地に黒のぶち模様の」

 

 猫と一緒にいた、あの少年。

 

「町で一度見かけて以来、探している」

 

 お前がいなければ、と怒りをぶつけたいのか。

 

「ほぉ~、どうしてだい?」

 

 いつの間にかヴァイスが復活していた。

 

「なんとなく。……動物に好かれた経験がなかったから、近づいてきたのが珍しかったからかもな」

 

 わかっている。

 

 彼は親切心から拾ってくれただけで、ただの逆恨みだ。わかってはいるが、

 

「それか、この町に来て一番始めに会ったから、ずっと気になってるのかもしれない」

 

 感情はコントロールしなければならないものだ。

 

「休みの日に散歩してても、どこにも見当たらないんだ。だから、少しでも手がかりが欲しかった」

 

 揺れ動いた原因は取り除かなくていけない。だから俺は、顔も知らぬ少年を見つけねばならない。

 

 ……そういえば、

 

「ネロはどうして今日来たんだ?」

「幽霊がいたら生け捕りにして、神殿に連れていき、改宗させる……」

 

 死人を生け捕り?

 

 この後、ブレウが幽霊捕獲グッズを広げ始めて収拾がつかなくなったところで、見回りの教官に見つかり怒られた。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 夢を見た。

 

 逃げ出したその先で、馬乗りで拳を振るわれる。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 休みの日。探し物はまだ見つかりそうにない。ただ、どこかに行きたい。そんな気持ちだった。

 

 もうすっかり慣れた町を目的もなく歩いていると、前の小道から出てきた人物に、進路を阻まれた。

 

 彼はニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべており、後ろには見慣れない二人も含め、何人か立っている。

 

「……エルム。また何か用か?」

「用?それはお前が一番わかってんじゃないか?」

 

 教官にエルムたちの行動を報告したのは、特に隠していなかったが……、よほど腹にきているのか。

 

「さあ、何のことだか。きっと勘違いだよ」

「よくもまあ、平然としていられるな。いつもいつも……っ」

 

 道が通れないため、屋根の上にでも行こうと思ったとき、

 

「おいっ、こっちは知ってんだぞ?お前が何をやらかしたのか。この───」

 

 

 

 走る。足に伝わるのは地面の感触だ。

 

「待て!」

 

 どうすればいい。どうすれば正しい。

 

 そうして逃げていった先は───袋小路だった。

 

「逃げられねぇぞ」

 

 ずっと迷っている。ルールを破ったら罰を受けなければならないはずだった。

 

「ようやく一人になってくれて、ありがとよぉっ」

 

 エルムに胸ぐらを掴まれ、顔を殴られる。舗装されていない地面に倒れ、口の中に血の味が広がった。

 

「それにしても妙な赤髪に赤目だな」

「頭から血ぃ被りまくって、乾いてもこびりついてんだろ」

 

 下品な笑い声がして、足蹴にされた。

 

 ある時、先程までエルムの後ろにいた、見慣れない者に無理矢理頭を上げさせられる。

 

「悪い噂のある後輩には、先輩として少し話がしてぇんだよなぁ?」

 

 彼らは上級生だったようだ。あまり柄の良くない二人組だ。

 

「今年になってから割りの良い小遣い稼ぎがなくなったんよ。どうしてだと思う?」

 

 その笑顔の裏には苛立ちがあった。

 

「……カツアゲが見つかりそうになって、できなくなったからだろう?」

「ああ?人聞きの悪いことを言うなよ」

「入学したてで金の使い道がないって困ってたから、相談に乗ったんだ」

「弱そうで、誰にも助けを求められなさそうな子をか?自分の力で絶対に勝てそうな相手を。他には勝てないから」

「っるせぇな、関係ないお前がチクりやがったせいでこっちは大変なんだよ」

 

 金属の棒のような物で殴られる。

 

「一年目は見覚えがないだろうな」

 

 鞘に納められた量産品の剣を見せつける。そして、その刀身が火に包まれた。

 

「これからはお前の相談に乗ってやってもいいんだぞ」

 

 エルムとその取り巻き達は上級生の行動に驚いているようだった。

 

「な、何見てんだよ、助けてほしいのか?」

「なら先輩たちに謝れよ」

「そうだそうだ」

 

 ずっとずっと迷っている。ルールは守らなければいけない。

 

「学生間での金銭の授受も禁止されていたはずだ」

 

 言い終わるや否や、蹴り飛ばされて、壁に背中を打ち付ける。

 

 剣が振り下ろされるのがゆっくりと見えた。エルムの声が聞こえた。

 

「も、もし謝らないんだったら───、お前のやったこと、バラしてやってもいいんだぜ?」

 

 

 

「───なんだ。言いふらすつもりはなかったのか」

 

 

 

 町の外だから喧嘩してはいけない。

 

「は?」

 

 燃える刀身を掴んだ。すると握った部分が融けて、そこから先がコロリと落ちる。伝わった熱のせいで柄から手を離して熱がる悲鳴と姿に、手紙を思い出して躊躇う。

 

 しかし、教えを破って外道に堕ち、既に追放された身だ。

 

「だったらいっそ───」

 

 

 

───突風が吹き、土埃が舞う。これは……人工的な風だ。

 

 

 

 そして、人が三人降ってきた。

 

 

 

「無様な姿ですね」

 

腰かけるブレウと、

 

「ブレウくん重いから早くどいてよぉ」

 

文句を言うリーン、

 

「なんで僕が一番下ぁ!?」

 

下敷きになったヴァイスが土埃の向こう側にいた。

 

 

 

 エルムの取り巻きの一人が叫び声をあげる。

 

「ゲェェエエエ!?リーン!!?!?」

 

 一番最初に動揺から復帰したのは、やけどをしていない方の上級生だった。手を前にかざし、

 

「くらえ───」

 

 だが、ブレウがバチバチと閃光を見せつけた。上級生は怯んで後ろに下がる。

 

「教えた通りです。お好きにどうぞ」

「うん!」

 

 リーンが勢いよく飛び出したことを皮切りに乱戦になる。

 

 その中で火傷を負った一人は逃げようとしていたが、

 

「こんにちは。今日から、お前たちは神殿の奉仕活動の労働力になってもらえると聞いた……」

 

 ネロに進行方向を塞がれていた。

 

「な、なんだ、この女」

「しかし、恥ずかしがり屋。口では犯行の意思を示すから、無理矢理にでも連れて行ったほうがいいらしい……。であれば、()()小突いてもよいと聖典16ページあたりに書いてあった気がする……」

 

 次の瞬間には、彼は勢いよく殴り飛ばされていた。

 

「え?聖典にそんなこと書いてあったっけ……?」

 

 リーンは相手の襟首を掴んだままポカーンとしている。

 

 ネロの拳を見れば、さっきまでにはなかったはずの岩が表面を覆い、殴った威力のためかポロポロと少し剥がれ落ちてきている。

 

 殴る直前に魔術を発動させたのだ。

 

「改心前なら殴ってOK……。聖典の32ページあたりに書いてあった気がする……」

「ないよ」

 

 唖然として見ていると、

 

「ここまでやられてるとは思わなかったよ。反撃くらいすればよかったのに」

 

 ヴァイスから水で濡らした布を渡される。口をぬぐうと赤い血がついた。

 

「どうしてここに」

「僕の噂好きも、たまには役に立つだろ?」

 

 ……遅かれ早かれ、彼らは来たのだろう。それなのに、自分は一体何をしようとしていたのか───、

 

「お前らぁ……!バカにしやがって!!!」

 

 完全に頭に血が上ったエルムが、自分とヴァイスのほうに向かってくる。

 

「話を聞───」

「うるせえ!!!」

 

 ヴァイスはすでに逃げていた。こちらから手は出せない。

 

 身体強化の乗った拳が振るわれるのを受け止めるか避け、直撃だけはもらわないようにする。そうしているうちに袋小路の壁に追い詰められていく。

 

 追い込ませたところで、

 

「もらったぁ!!!」

 

十分引き付けた拳を避け、勢いを利用して転倒させる。すごい音がしたので、かなり痛いはずだ。

 

「えーいっ」

「聖典合法キック……」

 

 立っていた最後の一人がリーンとネロに蹴り飛ばされた。

 

「ヴァイス、終わった」

「よし。思ったよりも早かったな」

「じゃあ、約束通り私はこれで……」

「ありがとう。また何かあったらよろしく」

 

 いつの間にか戻ってきていたヴァイスと会話をしたかと思えば、ネロはエルム以外を縄でくくり、引きずってさっさと行ってしまった。

 

「エルムも連れていってもらうつもりだったんだけどな。どうしようか」

 

 痛みによるうめき声をあげていたエルムが顔をあげる。

 

「このっ、このっ……!教官が来たら、お前らだって一巻の終わりだからな!!!」

「バレなきゃいいんですよ」

「お、俺にこんなことしていいと思ってんのか!?」

「いいと思ってますが」

「えっ、ブレウくん?これ(エルム)って地主の息子で、何かあったら親が出てくるんじゃなかったっけ?」

 

 リーンが驚きを口にする。その噂をリーンも認識していたという事実の方が驚きではあった。

 

 ブレウは呆れて溜息をついた。

 

軍魔術学校(こんなところ)に子どもを入れる地主なんて、大した力は持っていませんよ。普通は商業学校か、同じ軍でも幹部候補にさせるために士官学校に入れるのでは?ふん、じわじわと没落して来ている、というのも考えられますね。もしくは……」

 

 一旦言葉を止めた彼はエルムに近づく。

 

「全く期待されていないため、体のいい厄介払いでもしたのでしょうか。そんな親が、わざわざ助けてくれますかねぇ」

 

 そう言われたエルムは明らかにショックを受けていた顔をしていた。

 

「普段の様子を見ていても、とても優秀には見えませんし……君、捨てられたんじゃないですか?」

「おい……っ」

 

 思わずブレウの肩をつかんで制止させようとしたが、不機嫌な表情で振り向かれる。

 

「ありもしない親の威光を笠に着て、恐喝行為をしていたことを批判しているだけですが。なんですか、君自身は何か意見でもあるんですか?」

「それは……。処罰は、教官に一任するべきだ。脅して金を奪い取ろうとしていたのは悪いことだから。……力であれ、言葉であれ、理不尽に人を痛めつけることもいけないことだから」

 

 リーンがエルムを指差す。

 

「え?エルム(これ)がここで転がっている件については?」

「その件については、勝手に転んだだけだから……」

「レドくん怖」

 

 なぜか引かれた。

 

 ブレウやリーンと話していると、エルムの声がした。

 

「なんだよ……。好き勝手言いやがって……」

「勢いよく転んだよな。大丈夫か?」

 

 手を伸ばすと、はたかれてしまった。

 

「軽くあしらっておいて、憐れんで……」

「あしらってもいないし、憐れんでなんかいないけど……」

 

 怒りの形相で見上げられる。

 

「親殺しのクズのくせに、見下してんじゃねぇよ!ぶっ殺してやる!!!」

「そっか。わかった。君と戦うよ」

 

 膝をついて、目線を合わせると、エルムは驚いた顔を見せた。

 

「何賭ける?爪?指?それとも腕?」

「え?腕?」

「わかった、腕か」

 

 そんなに本気だったのか……。それは申し訳ないことをした。

 

 立ち上がり、手の内の短刀の感覚を確かめる。

 

「じゃあ先に相手の腕を落とすか破壊したほうが勝ちということで」

「待てぇぇぇぇぇぇえええええ!?」

 

 エルムは顔を青くして、座り込んだまま勢いよく後退した。

 

 どういうわけかヴァイスが恐る恐る話しかけてくる。

 

「あの、レドさん?どうしちゃったの?君そんなんだっけ?いつ短刀取り出したんだい?命がけで何やろうとしているんだい?」

「命がけではないし、決められたルールは守ってるし、俺も彼も戦う意思はあるし……」

 

 そう言ってエルムを見ると、猛烈な勢いで首を横に振っていた。他も横に振っていた。ブレウだけがうんうんと縦に振っていた。

 

「ルールというのは、双方戦うことに合意していれば攻撃してもよい、ということでしょうか」

「ああ」

「では、先ほど僕の暴言を止めたのは」

「ブレウは喧嘩するつもりはなかったんだろう。だから、痛めつけるのはルール違反だ」

「あ、憐れんでいないって、そういう……?」

「レドー?レドさーん?僕ね、思うんだけれども、全くぶれることない刃先をエルムに向け続けながら喋るのはやめてくれない?」

 

 エルムは教官のところまで自白しに行った。

 

 

 

 屋外演習場にて、自分を含めた五人は座り込んでいた。

 

「……なんで僕たち、揃いも揃ってここで草むしりしてるんだろうね」

「黙って手を動かしてください」

「はーほんと誰が悪いんだろー?私は真面目にやってたのになー」

「私はさっさと帰ったから何もしていないのと同義……」

 

 自分は黙ったまま、他四人はほんの少しだけ喋りながらの草むしりを行う。

 

「……あ。見てよ、あそこで猫が交尾してる。冬なのに」

 

 しばらく全員で遠くから猫の交尾を眺めた後、

 

「…………なんで黙って眺めているんだ僕らは!」

「発見者はヴァイスくんじゃない」

 

 ヴァイスが箒を地面に叩きつけた。そして、チラチラと自分の方を見てくる。

 

「レ、レドさーん?……元気?」

「ああ、おかげさまで。治癒魔術やってくれてありがとう」

「いやー!どういたしまして。ははは!!!エルムたちもひどいことするもんだよねぇ!挙句の果てに『親殺し』呼ばわりするなんて!」

 

 あのブレウが、多少なりとも気まずそうな顔をしている。

 

「ははは!……………あれ?」

 

ヴァイスたちがそれに気がつき、微妙な雰囲気にその場が包まれた。

 

「……ブレウは知っているんだろう」

「そうですね、町に危険人物が来ると聞いていました」

 

 去年、自分はシモニアという、ブレウが住んでいた海辺の町に移住した。当初から知っていたとは。

 

「き、危険人物?確かに蛮族思考だけど……、だからって」

「エルムの言っていたことは本当だ。それに、親だけじゃない」

 

 

 

「俺、父さんも母さんも弟も妹も、家ごと焼き殺したんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー。時々いなくなるのも理由があったんだね」

 

 ヴァイスはブレウと二人きりで話している。レドは定期的な検査に行ってしまっているためだ。

 

 その検査も魔術の暴走を一度起こしてしまったので行っているとレドに聞かされたヴァイスは、もうすぐ1年になる付き合いの中で、レドが頻繁にサボりをするような人間にはどうにも思えなかったので納得していた。

 

「ブレウは火事の話、知ってたんだ」

「大人たちの話を盗み聞きしましたから」

 

 ブレウは淡々と返す。こういった態度はいつものことなのでヴァイスは気にしなかった。

 

「魔術の暴走?はよくわかんないけど事故なんだろう?なのに人殺し呼ばわりなんて、エルムの奴もひどいよ」

「……エルムの実家のある地方紙で、ほんの小さく記事になっていたようです。おそらくそこや周囲から断片的な話を知ったんでしょう。全て知っていたら、あのような行動は起こさないと思います」

「そうだよな。まともな神経なら、あんな───」

「───彼のいた村で見つかった遺体は、五人だったそうです」

「……え?」

 

 レドの家族は、両親に弟と妹が一人ずつだった。そう、聞いていた。

 

「四人はかろうじて体格で判別がつくかくらいの焼死体。そして、家の近くでもう一人、この世のものとは思えぬほど、苦しみの表情をしていた無惨な死体があった。そう、聞きました」

 

 

 

§ § §

 

 

 

 夢を見た。

 

 殴ってくる人物の顔は、自分だった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 この町に来てから一年が過ぎようとしていた、ある日の冬のこと。

 

 今日も自分はフラフラと出歩いていた。……何をやっているのだろう。いくら探しても見つからない。先日、周りを巻き込んで、迷惑をかけてしまったばかりではないか。あんなことを言ったのに、変わらずに接してくれている。こんなものは罰ではない。

 

 寮に引き返そうとしたとき、道行く人のなか、猫が視界に入った。

 

「あ……」

 

 その猫は、人の背中にへばりついていた。

 

 

 

 追いかける。

 

「待ってくれ」

 

 ただ、追いかける。不思議と自分以外の全ての物が邪魔をしてくるような感覚があった。

 

 どうして自分はここまで追い求めているのか。

 

 感情はコントロールしなければならないものだ。

 

 揺れ動いた原因は取り除かなくていけない。

 

 それが、楽園(最悪の場所)に行けず、罰さえ受けることのできない己に残された、たった一つの使命だった。

 

 追いかけて、追いかけて、追いかけて、

 

「待って……」

 

 しかし、瞬き1つの間に彼を見失ってしまった。

 

「どう、して」

 

 視線をさ迷わせ、最後に見上げるとあの日と同じ、曇り空が広がっている。違うのは、自分の知っていること。そこから、逃げることも追いかけることもなく、立ち尽くすことしかできなかった。

 




15000~20000字×3話連続投稿しようとしたけど無理でした。


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別視点1-2/3

【N.C.996】

 

 年が変わった。ここでの生活も、もう二年目だ。時間だけが過ぎていく。

 

 すぐにおさらばだと宣言していたはずのブレウはまだ近くにいるし、リーンはよく暴れているし、ネロは勝手に花壇をいじっているし、ヴァイスはよく喋る。

 

 結構、騒がしい一年だったと思う。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 夢を見た。

 

 教えてもらったことを練習している。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 二年目からは魔術の使用も含めた実技が始まった。

 

 最初はとにかく身体強化の魔術をやらされた。

 

 火や雷のような、自らの体を傷つけてしまう可能性のある魔術を安全に使いこなすためには、体の防御力の強化は不可欠だったからだ。

 

 では、身体強化の魔術を使いこなすために最初にしたことは何か。

 

 人体の構造の学習だった。

 

「死刑囚とはいえ、死刑台から直送された死にたてホヤホヤのご遺体とか、ちょっとねぇ……」

 

 はいじゃあ今から君らの前でばらしていくんで特に足や腕はよく見ててくださいねーと言われ、あっけなく人が切り刻まれていく様子を見せられた後、何人もの生徒が気分を悪くしていた。

 

 講義の翌日の昼食でも、ヴァイスはかなり気持ち悪そうにしている。

 

「なぜ左遷させられた者を教官に使っている……っ。熱心に聞いている者もいましたが、きれいなバラし方なんて何に使うんですか」

 

 ブレウは珍しく動揺しているようだった。

 

 流石のリーンも顔が青くなっており、

 

「しばらくお肉食べられないかも……うぇ……」

 

 突然立ち上がったかと思えば、外へ駆けていった。

 

 しばらくして、勢い良く扉が開く。

 

「たいへんたいへんたいへ~ん!まだヨーグルトしか食べてないのに、緑色のゲロが出てきちゃった!」

「マジかよ胆汁じゃん!見に行こうよ!」

「早く医務室行ってこい」

 

 一方ネロはというと、肉料理をモグモグと食べていた。

 

 

 

 身体強化の魔術は発動させるだけなら簡単、と言われている。少し速く走ったり、ちょっと重い物を持ったりするなど、よく使われている、一般的な魔術だ。

 

 しかし、本格的に使うとなると話は難しくなる。『身体強化の魔術ができるなら、体その物は鍛えなくていい』なんてことはない。あくまでも『強化』なのだ。下地がなければ、攻守ともに必要な出力は得られない。

 

 加えて、強化すれば万能ということではない。体は重くなり、可動域は狭くなり、関節は固くなる。体重等が変わってくれば微細な動きに影響が出るので、個人的にはあまり頼りたくない代物だった。

 

 こうして皆の身体強化がある程度のレベルになってくると、各自の魔術の訓練も行われるようになり、似たような魔術が使える者同士でグループを組まされた。

 

 

 

 火の魔術は便利な反面、天候や気温、湿度に影響を受けやすい。また、火力が強すぎれば、身体強化で守りきれずに火傷する。

 

 そう説明を受けたあとで、各々で手のひらに火の玉を出す。そこは皆簡単にこなしていた。ある程度魔術が使えるところを検査で見せて入学してきているからだろう。

 

 そこからだんだん火力を強くしたり、炎の形状を変えたりするよう指示される。

 

 皆、だんだん火力が上がらなくなったり、身体強化との並列制御がうまくいかずに火傷をしたりと生傷が増えていった。一般的に使う魔力子の量が多くなればなるほど、細かい制御は効かなくなるからだ。

 

 他のグループを見ると、ブレウは結構感電していて大変そうだった。雷魔術は炎以上に使いこなすにはリスクが高い。ただ、使い手によっては体内に流れる電気信号を操ることができる者もいる。

 

 風魔術のグループの周りは土ぼこりですごいことになっている。そんな中、リーンは発生させた風の制御がうまくいかなかったのか、しょっちゅう地面を転がっていた。

 

 治癒魔術のグループだけは室内だ。腕に傷をわざと作って、治し合っている。なぜわざわざ互いの傷が治癒の対象になっているのかについては、自己への治癒は身体強化の延長線上にあるが、他者への治癒は、対象の体内魔力子の流れに逆らわずに魔術を発動させる必要があるからだ。いい加減に魔力子を流す奴は嫌いだと、ヴァイスがぐちぐちと文句を言っていた。

 

 ネロは大量の土を生成して、隅で勝手に畑を作ろうとしていた。もちろん教官に怒られていた。

 

 他にも、身体強化のグループでは腕から嫌な音が聞こえていたり、光魔術のグループが全員目を押さえていたり、水魔術を使った結果、隣の土魔術のグループがびしょ濡れになったり……。

 

 

 

 自分の手のひらに視線を戻す。

 

 大きな炎がゆらゆらと揺れている。握って炎を消した後も、手に傷はできていなかった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 嫌な夢を見た。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 春になっていた。

 

 相変わらず、時々宛もなく歩くことがあった。もう見つけたいものも見つからない。どこかに行きたいという思いがあった。

 

 校舎裏を歩いていく。

 

 まだ大丈夫だ。

 

 でも、少しだけ疲れた。

 

 別に用なんてなかった。

 

 誰にも見つからない場所を求めていた。

 

 ゴミ箱があり、雑多なものが置かれていたりする。時には、訓練で使う人型の的か人形のようなものもあった。

 

 自分以外は誰もいない。

 

 一人だけの空間で、ふと気がついてしまった。今にも崩れ落ちそうだ。そうなったとしても、また日常は続いていき、いつもどおりに自分は生き続ける。

 

「うっ……」

 

 ああ。

 

 何か特別なきっかけがあったわけではないけれど、わかってしまった。

 

 どこかに行きたい?違う、本当は、どこにもいたくない───、ん?

 

 

 

「うぉ!?」

 

 

 

 人がいた。

 

「な、何やってんだお前」

 

 誰もいないと思っていたのに、すぐ近くに小柄な少年、いや、少女が日陰に座っていたのだ。人形だと勘違いしてしまうほど、気配が透明で気がつかなかった。

 

 その時何よりも突っ込みたかったのは、手に持ったパンで顔を隠しているということである。……全然隠しきれていない。なんだこいつ。

 

 亜麻色の髪が動いた。すっ、と何事もなかったかのようにパンを下に降ろす。その顔は整っていたが、眉間にシワを寄せ、口はへの字。『私は不機嫌です』と全力で表現していた。

 

 そして、その無愛想な印象を塗りつぶしてしまうくらいの美しい瞳。ここは日陰のはずなのに、日の光に当てられたガラス玉のようにキラキラ輝いている。

 

 しかし、向けられている視線の方向が妙だ。頭上を見られている……?

 

「今日は静かな場所でご飯を食べたいと思いまして」

 

 しゃ、喋った……。心地の良い澄んだ声で、納得いくような、いかないような言葉だった。

 

 彼女が食べていたものを良く見ると、くそまずいことで有名なパンだった。

 

 あれをわざわざ食べる人間がいたんだ……。

 

 色々な思いが駆け巡り、彼女をもう一度見る。

 

 ……いや、ほんとに顔が良いな!?こんなところでなんでそんな奇行をしてるんだ!?

 

 すると、その女の子は「さっさとどこかに消えろ」といった感じの、警戒した雰囲気を放ち始めた。具体的には、眉間にシワをとても寄せている。すこぶる機嫌が悪そうだ。

 

 ……少し振り返りながらも、その場を後にした。

 

 

 

「なあ、ブレウ」

「なんですか」

「今まで一度も会ったことがないはずなのに、『どこかであったことある?』とか女の子に聞くのはどう思う?」

「ナンパをしているんだなと思います」

「だよなぁ」

 

 

 

 昨日は、遭遇した奇妙な女の子に気をとられ、考えていたことが全てリセットされてしまった。

 

 今日は会わないように気をつけよう。そんな想いとは裏腹に、

 

「うわ、お前!変な女っ!」

アコラスとあの女どもを一緒にしないで

 昨日とは違う場所で再度遭遇した。

 

 変な女、とうっかり言ってしまったのは、優れた見た目に金髪翠眼の反神論者と黒髪赤目の狂信者を連想してしまったからである。

 

「……」

 

 無言だ。まるで野生動物の威嚇のように目が合う。明らかに警戒しているその姿はぺたんと耳を倒した犬の姿をなぜか幻視した。

 

「あー、……ごめん。俺、別のところに行くから」

 

 一人でいたいから、こういうところにいるのだろう。自分がいたら、きっと彼女は困る。なるべく彼女と会うことのないように、自分も場所を変えた。

 

 しかし、

 

「うわっ」

「げっ」

 

 何度場所を変えても見つけてしまう。向こうもこちらを避けるべく移動しているようだった。お互い避けようとした結果遭遇するとは運が悪い。

 

 そのうち避けようとするのがダメなのではと思い、二日連続で同じ場所に行ってみると、それでも見つけてしまった。

 

 もう、これはどうしようもないんじゃないだろうか。正直いちいち行き先を考えるのは疲れた。

 

 それは彼女も同じだったのだろう。お互い距離をとりながらも、同じ空間で昼の時間を過ごすようになった。

 

 最初は会話もなかった。目が合うこともない。不用意に近づくと威嚇されるが、向こうは面倒くさくなったようで定位置にいる。そして、目を離した隙に忽然と姿を消すのだ。

 

 透明感のある子だ、とはなんとなく感じていたが、触ったら本当にすり抜けてしまうのかも、とひそかに思ってしまう。もしかしたら、幻か何かなのかもしれない。一時期、同期の中に妖精がまじっているなんて、噂話もあったくらいだし……まあ、ありえないか。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 夢を見た。

 

 懐かしい夢だ。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 今日も彼女は相変わらず日陰にいた。不機嫌な顔をして、くそ不味いパンを食べている。

 

 あのパンに使われている小麦はあまりにもまずくて評判が悪い。作られた当初は、品種改良で高収穫性や病気への耐性を得たことからもてはやされていたが、現在は安かろう悪かろうという扱いになっている。

 

 だから、

 

「……なあ、それ、美味しいのか?」

 

つい聞いてしまった。

 

 何をやっているんだろう。もっと他に聞くことがあるはずだ。例えば名前とか。

 

 ……返事、ないだろうなあ。

 

 だが、予想とは裏腹に、

 

「普通です」

 

 普通。

 

 うん、普通か。

 

「どんな、味なんだ?」

「パンの味です」

 

 少なくとも自分の知っているパンの味とは違うが、彼女にとってはそれがパンの味なのだろうか。それともあの味は改善したのだろうか。

 

 味について質問されたせいで、パンが狙われていると思ったらしく、後ろに隠され警戒されてしまった。もちろんそんな気は全然ない。

 

 後で食べてみたが、やはり不味かった。

 

 

 

 威嚇されない距離を保ちながら、話しかけ続けた。

 

「よぉ、また会ったな」

「……こんにちは」

 

 しぶしぶといった感じだが、挨拶はしてくれる。そして、それとなく近づくとすぐその分だけ離れていく。自分は昔から犬や猫に嫌われているし、同じような感じなのだろうか。野性の勘か。それで近づくと威嚇するのか。

 

「……今日はどうしたんだ?頭に葉っぱついてるぞ。……うん、もうちょい左。代わりに取ろうか?」

「別に」

「たくさんついてるけど」

 

 頭を指差すとサササと離れていった。

 

「このくらい自力で取れる、いや取れます。……うげっ!?」

 

 手助けするのをあきらめ、たくさんの葉っぱに苦戦している姿を眺める。

 

 基本的に仏頂面をしているが、こうして話しているときはそうでもなかった。

 

 というか、感情を隠しきれていない。顔は不機嫌そうでも、何かあるごとに前髪の左右に存在する跳ねた髪の毛が、犬のしっぽみたいにぴょこぴょこ動くのだ。

 

 今も先端だけピクピクしている。焦っているのだろうか。なお、なぜ動くのか、仕組みはわからない。

 

 

 

 こちらが話しているほうが圧倒的で、完全に無視されるということはないものの、彼女から何か行動があることはほとんどない。

 

「寮で同期から聞いたんだけど、この学校、幽霊が出るんだってさ」

「……」

「なんでも、班の人数を数えると一人多いとか、さっきまで一緒に組んでた人間が消えていたとか」

 

 どうでもいい話をしてみたりもしたが、返答は「そーですか」。それもそうだ。なんていったって、どうでもいいからな。

 

「妖精じゃないか、ってのも聞いた───、あれ?いない」

 

 考え事をしたりしているうちに、姿が消えていることもある。……聞き手のほうが見た目も雰囲気も、よっぽど妖精みたいだ。

 

「うわー、いかにも天気が崩れそうな雲だ。早めに屋根の下に行ったほうがいいと思うんだけど……まだそこにいるつもりか?」

 

 そんなにおかしくない話をしてみても、どこかに連れていかれることを警戒する動物のような目で見られたりもする。かと思えば、

 

「雨降んのは嫌なんですね」

「……あんまりたくさん降られるのは、嫌だと思う人も多いんじゃないか?」

 

 急にちょっと喋ったりもする。

 

 が、現状は相変わらず警戒の割合が高く、なんとも言えない気持ちになる。

 

 

 

「……はぁ」

 

 どうしたらいいんだろう。

 

「……いい加減にしてくれませんか?」

 

 うんうんと悩んでいると、ブレウが若干苛立った口ぶりで言った。

 

「ん?どうかしたか?」

「どうかしているのは君の方です。なんですか、先ほどからのその辛気くさい空気は」

 

 そんな風になっていたのか。申し訳ない。

 

「ちょっと。ちょっとな、困っていることがあるんだ」

 

 あの子のことを思い出すと、つい溜息を漏らすように言ってしまった。すると、ブレウは目をいつもよりも見開いた。

 

「……おや、珍しい。なんですか?」

「警戒心の強い生き物に威嚇されないようにするには、どうしたら良いと思う?」

「…………は?」

「威嚇されな───」

「あーはいはい、聞こえてます聞こえてます。突然変なことを言い出したので、驚いただけです。……餌付けでもしたら良いんじゃないですかね」

「それだ」

 

 

 

 ブレウのアドバイスをもとに、今日持ってきたチョコレートを投げてみる。チョコレートは放物線を描き、彼女の手へと向かう。ぽてっとキャッチした。

 

「……」

「……」

 

 投げ返された。残念。しかし、懐に仕舞おうとした時に透明感のある瞳をチラチラと向けていた。

怪しい人からお菓子貰わなくて偉いわね

 翌日、若干それる方向に投げてみる。しっかりキャッチした。

 

「……」

「……」

 

 食べずに手の上のお菓子を、じぃぃぃいいーっと見つめていた。

あれ?

 さらに翌日、思い切り別の方向に投げてみる。勢いよく滑り込んでキャッチした。

 

「……」

「……」

 

 もぐもぐ食べた。

え?何これ?

 

 

「なあ、ブレウ」

「なんですか」

「次は二回跳躍バク転キャッチをやってくれるんじゃないか……。そう期待してしまっている自分がいるんだけど、どうしたらいい?」

「僕は自分がどんな返答をすればいいか困っています」

アコラスをなんだと思ってるの

 

 

 今日の彼女はゴミ箱の上に座っていた。いつものように、あのくそまずいパンを食べている。

 

「そのパン、なんで食べてるんだ?」

「ごちゃごちゃ味がしねー、しないからです」

「そうなんだ」

 

 そして食べかけのパンを見つめている。どうした───、

 

「おい」

「うわっ!?」

 

 いつの間に真正面にいた。

 

「これやる、いや、あげます」

「え……っ?」

 

 さらに驚くべきことに、そのパンの一部をちぎって、差し出してきたのである。

 

 信じられない。自らの食物を他人に分け与えようとするなんて。それで良いのか、野生動物として。

 

 恐る恐る受け取ると、彼女はサササと離れていく。

 

「……いいのか?」

「おう」

 

 食べてみると、以前と変わらない味だった。つまり非常に不味い。

 

 ……今なら、もう少し会話できるかもしれない。

 

「この間、頭に葉をつけてたのは一体なんだったんだ?」

「食料を探してました」

「ん?」

 

 彼女はどこからともなく、いくつかの種類の草を取り出していた。

 

「……それは?」

「葉っぱ」

「葉っぱかぁ」

 

 だよなぁ。

 

 

「木の実は食べないのか?」

「木の実は食べ方わかんねーから、拾ってもその辺に捨ててます。……これは食べられない葉っぱです」

「そ、そうか」

「これは口の中が苦さで一杯になるやつ、です」

「食べるのはやめた方がいいんじゃないか?」

「大丈夫。あとこれは食べられるやつ」

「ほんと?」

 

 食用には向かない雑草について、次から次へと報告されていく。いつもよりもご機嫌だ。はねた部分の亜麻色の髪が、上がり気味にぴょこぴょこ動いている。自らが見つけた葉っぱを自慢できて嬉しいのだろう。

 

「そしてこれは」

 

 そう言って差し出してきたのは、白い花びらの小さい花が並んでついている草だった。

 

 可憐な花と少女の組み合わせに、心臓が早鐘を打つ。嫌な予感だ。

 

「それは?」

 

 彼女は得意げにふふんと鼻を鳴らし、

 

「食べるとお腹が痛くなるやつ!」

「今すぐペッしなさい!」

 

 

 

 由々しき事態だ。

 

「ヴァイス、聞きたいことがあるんだ。お腹を空かせた子が、変な物を口にいれてしまうことがないようにするには、どうしたら良いと思う?わりと目を離しちゃいけないタイプなんだ」

「突然どうした?」

「まあまあ。それでさ」

「え?話を続けんの?」

「茂みに頭を突っ込んで、食料を探しているみたいで、この間も採った草を見せられて」

 

 ……思い出した。あの花はたしか毒があったはず。たくさん食べたらお腹が痛くなるだけではすまされない。どどどどどうしよう。

 

「……あー、うんうん、そういうことか。理解したよ。猫が虫を枕元に置いてくる感じね」

「拾い食い防止のために餌付けしようとしても、こっちから不用意に近づくと逃げられる。どうしたらいいんだ……」

「ようは近づかずに、餌をあげればいいんだろう。投げたり「それはもうやった」あ、ああそう。じゃあ、長い木の棒の先にくくりつけたりとかしたら?」

「それだ」

 

 ヴァイスからの助言をもとに作った道具を試しに動かしていると、リーンが話しかけてきた。

 

「……講義室でレドくんは何を持っているの?」

「これか?これは距離を保ったまま物を送るツール。いわゆる、マジックハンドというものだ」

「そ、そう。没収されないようにね」

「作ってみた」

「作ったの!?」

 

 ジャコンジャコン動かして、リーンが落とした鉛筆を拾う。

 

「変に拾い食いして、お腹を壊すのが心配でつい……」

「鉛筆ありがとう。……小動物に餌でもあげてるの?」

「小動物?確かにそれっぽいけども」

 

 リーンの言葉から、左右に跳ねた髪の毛がぴょこぴょこ動いているのが脳裏をよぎり、

 

「触角……」

 

 とつい呟いてしまった。

 

「え゛……?やっぱりそのこと詳しく話さなくて良いよ」

 

 ……何か勘違いされている気がするが、リーンだしいいや。

 

 そんなことよりも、非常に重要なミッションに自分は神経を注ぐべきだ。

 

 

 

 マジックハンドで安全かつ確実に、チョコレートを彼女の前に輸送する。受け取ってくれるかどうか、緊張が走る。

ハリボテが壊れた……

「……」

「……」

 

 彼女はチョコレートを手に取り……、食べた。

 

「ふぅ……」

 

 息を吐いて気持ちを落ち着かせる。そしてもう一つ、マジックハンドで渡す。

やはり、食べた。

 

 これを機に、色々な軽食やお菓子を彼女に渡すようになった。受け取り側の彼女は『なんだこいつ』みたいな顔しつつも、もぐもぐ食べている。朝や夜にまともな物ちゃんと食べているのか、ますます心配になった。

 

 こうして食料渡しが当たり前になってしばらくした頃、たまたま何も持っていなかった日があった。

 

「ごめん、今日は何も持っていないんだ」

 

 無言か適当な返事が来ると思っていたが、彼女は少しだけ唇を尖らせる。

 

「ふーん……」

 

その触角は、へたっていた。

 

 

 

「くっ、俺がうっかり供物を忘れたせいで……!」

「どうしたの、そんな地べたで……」

 

 頭を抱えていると、ネロに声を掛けられた。簡単にこれまでのいきさつを説明する。

 

「───で、あれは明らかに落ち込んでいたんだ」

「……もらえず落ち込んだということは、期待していたということ。つまり、懐いてきたということ。いずれ、自ら手や肩に乗ってくるのも夢ではない……」

「乗る?小さそうだけど、そういうのじゃないぞ。別に懐かなくていいから、順調に成長して巣立ってほしいかな」

「放っておいても勝手に成長する。それか死ぬ。どっちか」

「恐ろしいことを言うんじゃない」

「話を聞くに、そんなに世話して、その子は野性に戻れる……?レドが食料をあげないでもこれから生きていける……?」

「そそそれはだだだ大丈夫なはず、突然消えたりもするけど、たたぶぶぶん、きっと、おそらく、もしかしたら」

「声、震えすぎ」

 

 そうだ。

 

 いつまでもこんなこと、続けるわけにはいかないのだ。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 その日の休日は、とても朝早くに起きた。

 

 あっという間に時間は過ぎて、季節は夏。産まれてからほとんどを、ずっと涼しい環境で過ごしてきていたためなのか、自分はどうにも暑さには弱い。

 

 しかし、朝であれば気温もそこまで高くなかった。だから散歩でもしようと出掛けることにした。

 

 木陰を追っていると、少し離れたところに川にかかる橋があった。

 

 いつものごとく、目的地があるわけではないので、橋を渡ることにした。そして、石造りの橋を途中まで進み、何の感慨もなく川辺を見たはずだった。

 

 

 

 そこには、水の妖精がいた。

 

 

 

 何百年か前に創られたといわれる詩、『水の妖精』。

 

 夏の朝、岩に腰を掛け、綺麗な亜麻色の髪が風にそよぐ。

 

 ズボンを捲り上げて惜しみなく晒された足は、爪先だけ川に浸され、水を弄んでいる。

 

 詩を再現したかのような、水面の輝きに包まれたその姿に、時間を忘れて見入ってしまう。

 

 本当にあの子は妖精なのかもしれない。

 

 馬鹿みたいな考えだ。でも、現実だと思えてしまう説得力が、自分の見た光景にはあったのだ。

 

 ふと彼女はこちらに視線を向けようとした気がした。かなり距離があるから、隠れなくたって良いはずだったのに、見てはいけないものを見た気がしたから、橋の欄干に息を潜めて身を隠す。

 

 彼女の注意が逸れたようなので、もう一度姿をこっそり覗くと、川に手を突っ込み、生きた魚を手掴みで捕まえていた。

 

 ……?

 

 そして、あらかじめ用意してあったとおぼしき木の枝に魚を刺したかと思えば、瞬く間に火起こしをして焼き始める。時々ツンツンつついてみたり、焚き火の周りをぐるぐる回ってそわそわしており、微笑ましい光景だった。

 

 やっぱり、妖精ではなく人間なのかもしれない。

 

 ……なんだか、久しぶりにお腹が空いてきたな。

 

 

 

「お前もここの訓練生だろ?何期入学なんだ?」

 

 今までの対話を振り返ると、我ながら一気に踏み込んだ質問をしたと思う。だが、最近慣れてくれたのか、こちらの姿を見るとアレが揺れるようになったので、距離は近づいているはずだ、たぶん。……食料目当てかもしれないけど。

 

 彼女は自分と同じ訓練生の服装をしている。体格は華奢なことから、あまり筋肉もついてなさそうだし、体力もあるようには見えない。少なくとも先輩ではないだろう。

 

 美しい瞳は、こちらの考えを見抜くようにじっと見つめてきた。

 

「もしかしたら訓練生ではないかもしれませんよ」

「そんなバカな」

 

 冗談を言った……?

 

「年齢いくつ?何月何日生まれ?出身は?好きな食べ物は?やっぱりあのパン?パンなのか?あのパンのどこが好きなんだ?」

「うるせー!んなもん知るかっ!その手みたいな変な棒でつつくのはやめろ!」

 

 言葉遣いが、丁寧じゃなくなった……?

 

 

 

「なあ、ブレウ」

なんですか」

「なつかない野生動物が、ちょっと遊んでくれた時みたいな感覚ってなんだろう」

「はあ」

「でも、自分一人の時しか姿を見せないんだ」

「なるほど」

「聞いてる?」

「八分の一くらいは」

 

 そう言ってブレウは、読んでいた本を閉じた。

 

「自分しか目にしていない……。幽霊に遭った恐怖体験ですよね」

「それは……今真面目な顔をして読んでいた本の内容だな?」

 

 本のタイトルは『緊急警告!幽霊から破滅の大予言!!!』だった。本の出版は五年前で、大予言の内容は当時から一年後のことを言っていたらしい。ちなみに何も起こらなかったらしい。

 

「確かに、他に誰かがいる環境であの子を見かけたことがないかも」

 

 ……真昼にしか会えない幽霊とはいかに。

だが同時に、いつのまにか姿を消している

ので、幽霊というのは的を得ているかも、と思った。

 

「怖い話でもしているのかい?僕も参加しようか?」

 

 名前も知らないあの子のことを思い出していると、ヴァイスがやってきた。

 

「そういうわけでは───」

「あるなら是非聞かせてほしいですね」

 

 突然降ってきた怪談話に、珍しくブレウがノリノリになっている。

 

「それなら、これは小さいときの体験なんだけど……。我が家の食卓はいつも三人だったんだよね。一人目は母さん。二人目は僕。そして三人は、陸軍の軍服着た、知らない男の人。それが当たり前だった。でも母さんが、男の人を明らかに無視していておかしいな~とも、ずっと思っていたんだ」

「ほう」

「毎朝いるのに母さんは無視してて不思議だったから、ある日『この人誰?』って聞いたんだ。……母さんの答えはこうだった」

 

 ヴァイスはためにためて次の言葉を言った。

 

「『もう、ふざけてるの?誰もいないわよ』」

「そういうパターンですか。30点加点」

 

 他にもパターンもあるのか……?

 

「摩訶不思議な現象に好奇心を踊らせた僕は、彼を観察することにしたんだ」

「好奇心踊っちゃったのか」

「何日も観察することでわかったのは……、驚くべきことに、一週間の間に数人が代わる代わる座ってたんだよ」

「なるほど、食卓が心霊スポットでしょうか。50点加点」

「だから幼い僕は、思い切って聞いてみたんだ。『ねーねー、なんで幽霊さんは毎日違う人なの?』」

「戻して……、時間を戻して……」

 

 リーンがいつの間にか現れていた。こっちのほうがホラーだと思う。

 

「幽霊さんは静かに答えた。『シフト制です』と」

「それ本当に幽霊か?」

「しかも翌日から、いかにも幽霊みたいな格好になったよ。頭に矢が刺さっていたりとか……、内臓飛び出てたりとか……」

「露骨な路線変更。20点減点」

 

 今60点だけど、何点満点なんだろう。

 

「そんな様子に『なんでいつもそこに座ってるの?なんで最近変な格好してるの?』って聞くと『仕事です』って返されたとさ。おしまい」

「お前、本当は幽霊じゃないって気がついているだろう」

 

 幽霊じゃなかったらなかったで怖い話ではあるが。何者なんだ、毎朝食卓にいた変装集団は。

 

「レドは何か怖かったことある?」

「信じていた人の経歴が顔以外全て嘘だったとき。ブレウは?」

「そうですね……。僕の兄が後妻の息子なことくらいですけど、全然オカルトじゃないのでつまらないですね」

 

 場の空気が微妙なものとなったが、発言者は飄々と「やはり先祖が墓から這い出てくる系のほうが……」と話し続けている。

 

 リーンが口を開きかけたので、ヴァイスと二人がかりで取り押さえた。頼む、これ以上困ることは言わないでくれ……!

 

「さらし首」

 

 突如、ネロが会話に入ってきた。

 

「信徒であるにもかかわらず教義に反する者は打ち首の上、さらし首にするべき」

 

 話の流れを変えるべく、ネロに話題を振る。

 

「ネ、ネロは怖い話あるか?」

 

 怖いものなどなさそうに見えるが。

 

「ある」

「あるんだ!?」

「この前の、神殿で掃除をする奉仕活動での出来事。主催者側でしっかり人数を数えたはずの道具が……一人分足りなかったらしい」

「一人増えていたパターンですか。最近多いですよね。40点加点」

 

 なんだろう、犯人がわかった気がする。

 

「去年から度々、ちゃんと数えたはずなのに一人分足りない出来事があって、新しくいらした神官様が怯えていた。……でもそんなに怖がらなくていいと思う」

「お前もわかって言ってるだろう」

 

 

 

 この後、五人で歩いていると、教官らしき人と廊下ですれ違った。

 

「あっ、今の人」

 

 ヴァイスが足を止める。

 

「知り合いか?」

「そうそう。家に来てた幽霊さんの一人だった」

「……え?」

 

 振り返るとそこには誰もいなかった。

 

 

 

 今日も彼女は日陰で座っている。

 

「どうした、深刻そうな顔して……もがっ!?」

ちょっと何やってるの!?

 両手に持っていたパンを奪い、彼女の口に突っ込む。

 

 目を白黒させながら口を動かす様子を観察する。間違いなくパンは減っていっていた。

 

 た、食べてるよな……?

 

「んぐっ……」

 

 咀嚼まで見届ける。……よかった、生きている。

 

「いきなり何すんだてめー!!!」

 

 安堵したところで、立ち上がった彼女にものすごく怒られた。

 

「ごめん。なんというかその、心配で」

「今のオレの、ど・こ・にっ、心配する要素があんだよっ!」

 

 どこか、と問われれば全部なんだけどなぁ。

 

 見上げてくる顔はとても不機嫌で……こうして改めて見るとやはり、人形のように整った、きれいな顔立ちをしている。顔が良い。

 

 あと五分くらい睨み付けられたいと思っていたところ、彼女は突然、

 

「お?」

 

 何かに気がついたように声をあげ、こちらの周りをぐるぐる歩きだした。とりあえず威嚇されないために両手を上げる。

 

 さて、この行動は…………構ってほしいからか、お腹がすいているか、遊んでほしいか、特に理由はないか、の四択だな!?この間予習した。人の場合は違う可能性はあるらしいけど。

 

 何周かしたのち、正面に戻ってきた彼女は足を止めた。ポケットの中の予備のお菓子を確認して身構える。

 

 さあ、何が来るか───、

 

「ふふんっ。お前の身長、まだ少し小さいな」

 

 彼女が、笑った。

この男に笑いかけるのやめなさい

 不機嫌だった顔が笑顔になった様子は、なるほど、まさにこれが、花がほころぶような笑みか、と辛うじて残っていた冷静な部分が考えている。おかげで、さっきまでの心配事も予想も何もかも、全てどこかに飛んでいった。

 

 うっ、と呻き声を出しそうになるのを、手で口を抑えてこらえたものの、目をそらしてしまう。ちょっと直視できない。この子の笑った顔を見たのは初めてだし、言っている内容は文脈が全くないのでよくわからないし、自分が混乱しているということしか把握できていない。

 

 なんと言い返そうか。

 

 お前のほうが小さい?

 

 いや、それは怒られそうだ。

 

 じゃあ……、誰と比べて小さいと思ったんだ?それか……、いつも目が合うことはないけれど、いったいお前はどこを見ているんだ?

 

 再び視線を戻すと、

 

「また、いない……」

 

 例のごとく姿を消していた。なんというか、本当に妖精みたいな子だなあ。

 

 行き場のなくなったモヤモヤを抱えつつ思う。

 

 とりあえず、身長頑張って伸ばそう。

 

 

 

 なお翌日。

 

「実は俺……、去年一年間で10cmくらい身長が伸びたんだ」

 

 自己申告してみたところ、三日間も口をきいてくれなかった。

 

 何がダメだったんだ……。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 驚くほど目まぐるしい毎日で、気がついたら秋になっていた。

 

「昨日町で収穫祭があったらしいな。知ってた?」

「うるせー、昨日のことなんて知るか」

 

 言葉遣いは随分荒っぽくなった。こっちのほうが素なのだろう。しょっちゅう「別に」「うるせー」「知るか」という言葉が返ってくる。

 

「髪、切ったんだ」

「ふふん。売ってやった。伸びんのが速いのはうざいが、けっこう良い値段になるんだぜ」

 

 秋の風が亜麻色の髪を揺らす。そこそこあった長さは、肩にかかるくらいの中途半端なものになっていた。それと、首にとても気になるものが見える。

 

「……自分でやったのか?」

「おう。すごいだろ。ナイフでシュバッと」

 

 彼女は首の後ろに手をまわし、ジェスチャーしている。

 

 ……毛先が若干斜めになっていたが、そんなのは些細なことだ。本題に入ろう。

 

「で、首の包帯は?」

「ちょっと失敗して、ドバーっと血が出た」

「やっぱりそうだった!!!」

 

 あまり器用そうには見えなかったが、行動が危なすぎる。幼児レベルで目が離せない。

 

「せめて他に誰かが見守っているときにやってくれ……」

「大丈夫大丈夫、肝心なときの狙いは外さねーから」

「自分の首に掠るかもしれないのは、肝心なときじゃないのか?」

 

 

 

 最初の頃よりかは、はるかに喋るようになった。

 

「猫ってのはくそ生意気で、やたら偉そうだ。いつか皮剥いで食ってやろうか」

「猫、嫌いなんだ」

「ふんっ。非常食に考えるくらいにはな」

「同族嫌悪……」

「どーぞく?」

「いや、なんでもない」

 

 少しずつ、少しずつ、彼女のことについてわかることが増えてきた。

 

 ……どこの骨の馬とも知れない少年よりも、目を離すと何をしでかすかわからない少女の方が大事だよな!ヨシッ!

 

「今日はえらい不機嫌な気が……」

「…………別に」

 

 怒りを相手にぶつけるよりかは、だんまりになって殻に閉じこもることが多かったり、

 

「もしかして、この前言ったこと怒ってる?あ、これ貢ぎ物です」

「おう」

 

 チョロ……もとい、わりとすぐ機嫌を直してくれたりする。

この子、チョロいのが治っていないわ……

「はー。この世の眼鏡のレンズを、全てこの手でぶち割りてー」

 

 ところで、眼鏡に何の恨みがあるのだろうか。

 

 

 

「ん、雷が……なんでお腹押さえてるんだ?」

「知らんのか。雷鳴ってるときにヘソを押さえとかないと、電気でどうにかなっちまって、ヘソが無くなるんだぜ!」

「……それは迷信だろう?」

「っ!?」

「幼いころよく言われたなぁ。久しぶりに聞いたよ」

「お、教えてもらったのに……」

「そんなこと言ったヤツはひっ叩いていいんじゃないかな……ちょっ、なんで木の枝で叩くんだ!?」

 

 もしかして、ポン……いや、やめよう。これ以上はいけない。

 

 

 

「ふっ。草焼いて食べたらジャリジャリしたからオススメしねーぞ」

「オススメされても食べないから」

「えー」

「今その手に持ってる草も、食用じゃない。食べるんだったらこっちにしておいてくれ」

 

 相変わらず、草は時々食べるし、

 

「よく草のこと知ってんな」

「それは父さ、父親が教え……」

「ちちおや?」

「あっ、ごめ───」

「穴と棒の、棒のほうか」

「言い方ぁ!」

 

 けっこう遠慮がない。

 

 

 

「これ、やる」

「ん?おお、ありがとう」

 

 ごく稀に小さな飴玉をくれることがある。あとで厳重に保管しよう。

 

 懐にしまうと、彼女は少し怒っていた。本当はあげたくなかったのかもしれない。

保管すんな

「そういえば、首の怪我は平気か?」

「ふんっ。とっくのとうに治っとるわ。ほら」

 

 なんのためらいもなく後ろ髪を上げて、傷ひとつない、細い首の後ろを見せられたりもした。

 

 

 

「今日も一日治すぞ治すぞぉ───おわぁ!?目付き悪!!!」

「……ヴァイスか。どうした?」

「どうしたはこっちの台詞だよ。かつてないほど鋭い目付きでビビったわ。……何?またエルムに絡まれたりした?」

「…………あんな無防備な姿晒して何かあったら俺は、俺は……心配だ」

「ああ、いつものね。そんなに心配なら、飼っちゃえばいいじゃん」

「何を言ってるんだお前は」

「なんで僕がレドにドン引きの目で見られなきゃいけないの?」

 

 

 

「はあ?なんでオレがここに来たか、だって?」

 

 少し小柄な背丈に、華奢な手足。最近警戒心が薄くなった顔は、とてもじゃないが屈強そうには見えない。固く閉められた瓶の蓋とか全然開けられなさそうな感じだ。

 

 いくら魔術で身体強化が使えたとしても、下地がなければ効果は薄い。軍魔術師学校(こんなところ)は、正直むいてないんじゃないだろうか。

 

「別にどーでもいいだろ、そんなの」と、最初は流していたが、しつこく聞くうちにしぶしぶ話してくれた。

 

「自由に動ける時間を三年失うと考えるか、金と最低限の知識と身分みたいな使える物が手に入るか。比べて後ろを取ったただけ……なんだよ」

 

 突然精神年齢が高くなることもある。

 

 一回入学検査で門前払いを食らったことがあるらしいが、実年齢はいったい何歳だろう。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 夢を見た。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 時間は早めだが、いつものように彼女がいるかもしれない場所へ向かう。しかし、

 

「誰もいない、か……」

 

 今日は外れだった。

 

 おかしな話だ。初対面のときは誰にも見つからない場所を求め、今は、いつも日陰にいる彼女になんだか会いたいと思っているなんて。

 

「疲れたなあ」

 

 一人でいると時々、急にドッと疲れが押し寄せてくることがある。

 

 それを感じて、そのまま目を瞑ってしまった。

 

 何秒か、何分か。

 

「あぁ、しまった……」

 

 昼休みは長くない。居眠りをしたようだ。今は何時だ。遅刻になってしまうかもしれない。

 

 ふと、右を見ると、

 

「……え?」

 

 あの子の不機嫌そうな顔が、手を伸ばせば触れられる距離にあった。

 

「……」

 

 無言で見られ続けている。だんだん気持ちがざわめき始めるのがわかった。

 

 どのくらい時間が経っただろうか。

 

 ようやく目をそらした彼女は立ち上がり、背中がどこかへ行こうとする。また見失ってしまう。だから、とっさに手を伸ばしていた。

 

「待っ───」

 

 彼女の腕を掴み、そのまま、何も考えずこちら側へ引っ張ろうとし、

は?

「は?やだよ」

「うわっ!?」

 

 逆に彼女に想像以上の力強さで引っ張られ、自分は立ち上がることになった。

 

「えっ……」

 

 まず、腕を掴めていることに驚いた。自分から触ったらすり抜けてしまうんじゃないかと、ずっと思っていた。そんなことはない。彼女は間違いなく、今ここにいるのだ。

 

 その細腕を試しに押したり引いたりしたが、全く動かない。どんな体幹してるんだ……。

 

 動揺する自分に対し、彼女は向き直って、納得したように頷いた。

 

「ああ、そういうやつ」

 

 どういうやつかと聞き返す前に、掴んでいた手をスルリとほどかれ、背後に回られた。

 

 …………!?!?!???

 

「な!?なにを」

 

 腰に軽く手を回された。上ずった声は無視される。

 

 後ろに目はついていないため、どういう顔でこのようなことをしているのか把握できない。

 

 動揺している間に何が起きたかというと、

 

 

 

 そのまま振り回された。

 

 

 

「うぉわぁああああっ!?」

 

 しかも、回転速度が非常に速かった。

 

 情けない声を出してしまい、その間にもグルグル世界がまわる。

 

 どうして、こんなことを……?自分よりもチビに足が浮くレベルで回転させられるってどういうことなんだ……?

 

 何回まわったかわからないが、ある時、勢いそのままに手を離された。つまり遠心力で投げられた。

 

 地面をごろごろと転がった後も、あまりの出来事に立てない。……感触とか柔らかさとか。

 

 一体何が目的なのか全くわからないが、ものすごく自分の心臓に悪いことだけは確かであった。

 

 彼女の方を見ると、

 

「うげぇ……目が、まわった……」

 

 彼女もまた座り込んでいた。

 

「……なんでやったんだっ!?」

「だ、だって、人を振り回してやろうと思って……うぇっ」

 

 いやいやいやいや……。

 

「プっ……」

 

 他人に振り回されることは時々あるが、物理的にやられるのは初めてだ。

 

 あまりにも気が抜けるというか、悩みすらも馬鹿馬鹿しくなってくる。

 

「はははははははっ!!!」

 

 思わず腹を抱えて、俺は笑ってしまった。

 

 その間にも彼女はムッとしていた。だがそれでもは顔が良い。

 

「なんだよ」

「だって……っ、ふっ、あははははは!なんで、こんな馬鹿な行動、くくくくくくっ」

 

 ひーひー言いながら息を整える。

 

「あーあ、こんなに笑ったの、久しぶりだよ」

「ふーん。……オレも、テメーがこんな馬鹿みたいに笑ってるの、初めて見たかもしれねー」

 

 気がつけば気持ち悪さは収まっていて。

アコラスーっ!?

 ───いつの間にか、すぐ近くにきれいな瞳があった。

 

「え」

 

 赤くなった顔を手で隠す前に、もう一回、手を掴まれた。次は手のひらを合わせられ、そのまま大きさを確かめるように、ぎゅっと握られる。

何やってんのっ!?

 再び何が目的なのか考え、いや、それ以上にただただ恥ずかしく、目をそらすことしかできなかった。

そんなもの触らなくてもいいでしょ!?

 だが、直接見ないせいで、余計指の細さや手のひらの感触を感じさせられる。ひんやりとした手は、訓練を受けているとは思えないほど、タコもなくて柔らかかった。

 まさか、本当に幽霊……?いやしかし、触ることはできているし。

 

 こっちが悶々としているうちに、彼女は満足そうにうなずくと、つむじ風のように走り去っていった。

 

 

 

「わからない……」

「レドくん?」

「あそこまで近づいてきてくれるようになったのに……。まだ行動が全然わからない……。何気なく肩をポンと叩こうとしたりすると、避けられてスカッと空振りするのはどうしてなんだ……」

「そのうち懐いてお腹とか見せてくれるんじゃない?」

「リーン……お前っ」

「えっ、何」

「お腹出したら、冷やして風邪を引いてしまうかもしれないんだぞ……!」

「え」

「仔猫は体温に気をつけてあげないといけないだろう?それと同じ理屈だ。猫飼ったことないけど」

「や、やっぱり、変温動物なの……?」

 

 

 

§ § §

 

 

 

 短い秋が終わって、また長い冬が来る。

 

「野良犬が入り込んでるな……」

 

 餌を求めてか、学校の敷地内のいつもの場所に犬が居座っていた。

 

 特に気にすることなく近づこうとすると、後ろからグイッと引っ張られる感覚がする。どこかに引っ掻けたかと思い、振り返ると、

 

「……え?ど、どうした?」

 

 いつの間にか彼女は背後にいて、服の端を掴まれていた。その表情はいつも以上に眉間にしわをよせ、口を固く結んでいる。顔が良い。

 

 そして何かモゴモゴと呟いたあと、うんと背伸びをして耳打ちをしてきた。

 

 近い。

 

 何を言われたかは全く頭に入ってこなかった。とりあえず真面目な顔をして頷いておいた。

 

 そうしているうちに、犬は姿を消していた。明らかにほっとした彼女は、嬉しそうに言う。

 

「お前犬猫に嫌われてるから、近寄ってこないの本当だったんだな。羨ましー」

「あれ?その話、したっけ?」

「……言ってただろ」

 

 プイッとそっぽを向かれた。

 

 気にくわないことを言ってしまったのだろうか。少し困惑しながら視線をさ迷わせていると、あるものが視界に映り、言ってしまう。

 

「げっ!?あの野良犬……野糞して───」

 

 声にならない悲鳴とともにしがみつかれた。

あ゛あ゛っ!?

 

 

学校の隣の暗い森での演習中、地面の土を眺める。

 

「おーい、レド。遠い目をしてどうかしたのかい?」

「国中の犬が一斉に野糞しないかな……」

「そんな国住みたかないわ」

「それと引き換えに、いくらでもあばら骨と背骨をへし折られてやる……」

「骨折られる上になんで野糞されなきゃいけないんだよ」

 

 

 

§ § §

 

 

 

「正直な話、最近のレドのこと、皆さんどう感じてる……?」

 

 一人を除いた、いつものメンツで集まり、ヴァイスは切り出した。

 

「明るくはなりましたね」

「明るさと引き換えに失ったものがあると思うよ!」

「消えた正気」

 

 ブレウ、リーン、ネロの順に意見が上がる。

 

 ブレウはため息をついた。

 

「……勝手に世話をしている猫の話を延々と聞かされて、こちらの正気も危ういのですが」

「少食で悪食な蛇じゃないのかい?」

「え?私、てっきり昆虫に欲情してるんだと思ってた」

「親鳥がいない小鳥に給餌……」

 

 話をそらすために降った話題が、各人の解釈が全く異なっていることに気がつき、ブレウは情報を整理することにした。

 

「レドから聞いた話をまとめましょう。では僕から。すぐ威嚇してくるが、自分が一人の時にしか姿を見せない」

「背骨とあばらをへし折られてもいいんだと」

「レドくんが『触角……』って呟くの聞いちゃった」

「チビ。順調に成長して巣立ってほしい」

 

 

 

「「「「…………」」」」

 

 

 

 誰一人、レドの可愛がっている生き物の姿を想像できず、沈黙がその場を支配する。

 

「……どんな生き物だ、これ?情報散らばりすぎでしょ」

「謎の珍獣」

「うーん……、あ!私思いついたよ!秘密の研究所から逃げ出してきた実験動物とか?」

「なるほど、こうして都市伝説はできるんですね」

 

 ブレウが別のところに食いついてしまったので、ヴァイスは話を軌道修正した。

 

「とりあえずレドを正気に戻すには、その珍獣ちゃんをどうにかしなきゃいけないわけだ。……存在していたらの話だけど」

「存在していなかったら、ホラーですね」

「何喜んでんのさ」

 

 リーンが腕を組み、考え込んだ後言った。

 

「首輪でもあげて部屋で飼わせるのはどう?」

「寮はペット禁止です。馬鹿ですか君は」

 

 即座にブレウが否定したため、リーンは掴みかかった。特に止めることもなく、ネロが次の解決策を上げる。

 

「別のもので満足させる」

「熱をあげられること……好きな子とか趣味とか……。いや、浮いた話全然ないじゃん。あいつ、そもそも人間好きなのかな?女子二人の意見はどう?オカルト大好きブレウくんはちょっと黙ってて」

「強いていうなら、レドくんって……木登り上手な子が好きとか言いそうだよね」

「ありえる……」

「よし、直接本人に聞いてこよう。こいつら役に立たないや。行こうブレウ」

 

 

 

 戻ってきた男子二人にリーンは問いかけた。

 

「どう、聞けた?やっぱり木登り?」

 

 ヴァイスは首を振る。

 

「木から落ちたときにも、安全かつ静かに着地できる子だって」

「どうやら彼、全ての人間は当たり前に、木にうまく登ることのできると思っているようです」

「レドめ……。あいつ、好みや趣味が何もわかんないな!?わりとなんでもそつなくこなすし、私物何もないし、寮の部屋のレドのスペースだけ生活感の欠片もなかったし!」

 

 そう叫んだ後、ヴァイスはレドのとある発言を思い出した。

 

「はっ!『国中の犬が一斉に野糞しないかな』と言ってたぞ……!?レ、レドの趣味、やっぱりかなり特殊なんじゃ。いやっ、ど、動物好きで、ちょっと骨折られたくて、新たに産み出されるものが好きなだけだ、たぶんきっと!」

「全然フォローになってないよヴァイスくん!」

 

 

 

§ § §

 

 

 

 寒い冬のある休日のこと。ちょっとでかけないかと、ブレウたちに誘われた。正確には、どこにいくのかと聞いても答えてもらえず、あれよこれよという間に連行された。

 

「なぜ俺は肥溜めに連れてこられたのだろうか」

 

 やってきた場所は、町中の世帯の糞便の集積所、つまり肥溜めである。地面に大きく掘られた穴の中に糞便を入れる、これまた大きな箱が設置してあり、中身が集まったら滑車で引き上げられて、別の場所へ肥料などの材料として持っていかれているのだ。

 

「レドくん、聞いて」

 

 リーンが口の広い肥溜めの蓋を開ける。

 

「この肥溜めは、町中の糞便が収集されているの」

「まあそうだろうな」

 

 まだ発酵していないため、嗅ぎたくない臭いが鼻をつく。早く閉めてくれ。

 

 リーンとヴァイスが目配せをし、今度はヴァイスが話した。

 

「そして、糞便の素は、この近辺だけじゃない、国のいたるところから持ち込まれた食料……。つまり、これは国を凝縮した糞便。国中の犬の野糞どころではないんだ」

「論理が飛躍してないか?」

 

 そもそもなんで犬の糞の話をしているのだろうか。

 

 すると、ブレウが地面に袋を置いて、中から物を取り出す。

 

「どうぞ。こちらがバケツになります」

「いらないから」

「古代、相手の船に排泄物に火をつけて投げ入れる戦法があったらしいですよ」

「だから何なんだ……」

 

 押し付けてこようとするバケツを断る。

 

 いや、本当にいらないんだけど。……こいつら、何がしたいのかさっぱりわからない。

 

「帰っていいか?」

「「「「待って待って」」」」

 

 帰宅を申し出ると、四人全員慌て出す。

 

「もっと自分に対して正直になっていいんだよ!?常識なんて壊しちゃいなよ!この私みたいに!」

「俺は今すごく帰りたい。なぜならここは臭いからだ」

「好きな匂いは何ですか?」

「石鹸の匂いかな」

「え!?レドは糞尿好きじゃないのかい!?」

「なんでそうなるんだ!?」

 

 とんでもない誤解に大声で否定すると、四人は俺に背を向けてひそひそと喋った。

 

「どうしよう、完全に作戦が失敗した」

「想定外ですね」

「……大丈夫、まかせて」

「ネロちゃん頑張って!」

 

 スッとネロが前に出る。

 

「生と死は不平等」

「いきなりなんなんだ……」

「産まれたときから環境の差があり、死は不平等に襲いかかる」

「……まあそうだな」

「しかし、病める人も健やかなる人も、貧乏人でも、金持ちでも、誰でも排泄という行為がある。そう、糞便こそが平等」

「どういうことだよ……」

 

 それを聞いていたリーンが不思議そうな顔をして言った。

 

「便秘の人は?」

 

 無言のままリーンとネロが取っ組み合いを始めた。仲間割れだ。

 

「ちょっ、二人ともやめなって」

 

 ヴァイスが止めようとするが、そんじょそこらの人間とは差がありすぎて止められないどころか、逆に突き飛ばされてしまう。

 

 運の悪いことに、その方向は肥溜めだった。

 

「うおおおおおおおお!このクソアマどもぉぉぉおお!!!」

 

 とっさに手を伸ばし、ヴァイスは一番近かったネロを掴む。

 

「あ……」

 

 引っ張られたネロがリーンを掴む。ヴァイスは肥溜めに落ちた。

 

「ひゃあ!?」

 

 さらに引っ張られたリーンがブレウを掴む。ネロは肥溜めに落ちた。

 

「ぐっ」

 

 さらにさらに引っ張られたブレウが俺をつかむ。リーンは肥溜めに落ちた。

 

「うわっ!?」

 

 なんとか踏ん張って引っ張りあげようとするも、さすがに四人は無理だ!

 

 下のほうから静かな笑い声が響く。

 

「ふふふ……っ」

「無事か?」

「私は誰か一人に不幸を押し付けるよりも、みんなで分け合う不幸を背負っていきたいな……」

 

 聞こえたのはリーンの声だった。

 

「良い感じの言葉でとんでもないことしようとしてないか!?」

「止めなさい、リーン。止めるんだ」

 

 まだ無事な俺とブレウで必死に止めようとする。

 

「みんなで不幸になろうっ!」

「ちょっとおおおおおおおおお!?」

 

 俺も、ブレウも、肥溜めに落ちた。

 

 

 

 結局、全員糞便まみれで肥溜めから這い上がるはめになった。

 

「うううっ……臭いよぉ……」

 

 リーンが半泣き状態となり、

 

「誰か水出せる人はいますか?」

 

 ブレウは冷静に聞き、

 

「少しだけ」

 

 ネロは手のひらからチョロチョロと水を出し、

 

「さ、最悪だ……」

 

 一番最初に肥溜めに落ちたヴァイスは、自分の魔術で生成した水で色々と洗い流しながら呻いている。

 

 ひとまず全員顔だけ洗ったあと、ブレウがこの場所にきたときに地面に置いていた袋から、松明のようなものを取り出した。

 

「レド、これに火をつけてくれませんか?」

「ん?ああ」

 

 冬の寒い時期だ。暖をとりたいのだろう。

 

「どうも」

「わーい、あったかい火だぁ~」

 

 火に引き寄せられてリーンが寄ってくる。それをブレウは肥溜めに向かって投げた。

 

「え」

 

 次の瞬間。

 

 

 

 非常に大きな音とともに、肥溜めは爆発した。

 

 

 

 糞便はあちこちに飛び散り、木の破片が飛んでくる。

 

「何やってんの!?何やってんの!?なんで火を投げ入れたんだい!?!???」

「いや、あれは見かけを偽装した爆竹です」

「何やってんだよぉぉぉおおおっ!!!!!」

 

 ヴァイスがブレウに詰め寄るが、当の本人は平然としている。

 

 その間にも大きな音を聞きつけて、近くからガヤガヤと人の声がし始める。

 

 肥溜めを爆発させた犯人の襟元を掴んだまま、ヴァイスが恐る恐る言った。

 

「……最悪、捕まるんじゃ?」

「僕の父親の名前を出しましょう。僕らは無罪放免になるとともに、父親が失墜する手助けになります。はっはっ、ざまーみろ」

「ざまーみろ、じゃないんだよっ!おっと逃げるな女子二人ぃ!」

 

 身体強化苦手だったはずなのにブレウを投げてぶつけたことで、ネロとリーンの逃亡を阻止したヴァイスを背景に、人がやってきた。

 

「何をやっているんだ貴様ら……」

 

 最初に到着したのは、幸か不幸か、偶然か必然か、教官だった。たまたま近くを通りかかっていたのかもしれない。

 

 誰かが返答しなきゃいけない雰囲気の中、視線が自分に集まる。ならば俺が、とありのままの真実を話した。

 

「肥溜めが……肥溜めが爆発しました」

「何をやっているんだ貴様らぁぁぁああ!」

 

 

 

 『元気にしたい人がいた。あと排泄物が爆発することがあるのか確かめたかった』という常軌を逸した発言に始まり、『元気にしたい人がいた。あと肥料の素を見たかった』、『元気にしたい人がいた。だから糞便の臭いを嗅がせたかった』、『元気にしたい人がいた。性癖に対して、もっと正直になってほしかった』、『何も知らずにつれてこられて肥溜めに引きずり落とされたあげく火種扱いされた』とそれぞれ言ったことにより、「大麻でもやってんのか!?」と取り調べ中に叫ばれてしまった。

 

 最終的に、破壊行為を行おうとしたのではなく、単純に頭がおかしいと判断されたおかげで逮捕、ということにはならなかったが、謹慎と罰則をもれなく食らった。退学勧告はなぜかされなかった。

 

 なお、この件で三つ良いことがあった。

 

 一つ目は、薬物の使用を疑われた影響か、違法な薬物の一斉摘発が行われたこも。二つ目は、今回の爆発()()を受けて、肥溜めの整備が全国的に進んだことだ。

 

 三つ目は、軍魔術師学校の規則に「肥溜めの近くで遊んではいけない」という項目が追加された。

 

 

 

§ § §

 

 

 

「肥溜めが爆発した?」

「そうなんだ。本当に、酷い目に遭った……」

 

 教官に言われた「本当は一人残さず牢にぶちこんでやりたかった」という怨嗟の声を思い出しつつ、肥溜め爆発事件の顛末を話す。

 

 今日も彼女は髪の毛をぴょこぴょこさせながら言った。

 

「ふーん。稀によくあるやつじゃん」

「稀によくある?」

「オレも火薬で小屋吹っ飛ばしたことあるわー」

 

 腕を組んで、「なつかしー」などと呟いている。

 

 ……火薬を扱う鉱山で働いていたのだろうか。彼女が今までどんなことをしていたのか、ますます気になる。

 

「結構大きな音がしたと思ったけど知らなかったんだな」

 

 話は少なくとも同期には広まっており、最近ずっと俺たちはまとめて遠巻きにされているのを思い出す。なんでこんなことになっちゃったんだろうなぁ。

 

 この子がこの話を知らなかったということは、他の学年か、一匹狼か。そう思いながら彼女を眺める。

 

 まあ、いずれにせよ、知らないことだってあるか。次の話題に移ろうとすると、

 

「……少し遠くまで出かけてた」

 

 えっ、出かける用事があるんだ。

 

 ……知らない場所で迷子にならないだろうか。都会の迷路のような裏路地で不安げにたたずむ姿が頭に浮かぶ。

 

「迷子紐つけとく?」

「いらねーよバカ。……なんでまたお前は」

この子がウロチョロするのが心配になるのはわかる

 長めの木の枝でつつかれながら、青空を見る。今日は良い天気だ。

 

 それにしても、

 

「……いつもより遠くない?」

「だって…………お前、ちょっとくさい」

 

 

 

 この日の放課後から翌日の早朝まで、俺はブレウたちと鬼ごっこをした。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 こうして、彼女と出会って最初の一年が過ぎた。

 

 俺たちは自己紹介も、ましてや名乗ることだってしていなかった。

 

 いつも、たった十数分。

 

 俺にとっては大切な、短い時間を共有するだけの関係が、そこにはあった。

 




本作の肥溜め(人を落とすのに最適な形状を想定)はフィクションですが、肥溜めの近くで爆竹を使うのは大変危険です。良い子のハーメルンユーザーは真似しないでください。


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別視点1-3/3 前半

三年目のお話を分割して投稿
主人公視点だと一瞬で終わるのに、こんなに長くなるとかどうなっているんですか……


【N.C.997】

 

「天体観測をします」

 

 年が明けてここでの生活も三年目となったある日のこと。

 

 やけに良い笑顔でうさんくさいブレウが言い出したのは、一見まともな提案だった。

 

 しかし、誰も彼の言葉に反応する者がいない。さっさと課題を終わらせたリーンは自主的に何かの勉強をし、ヴァイスは課題を前にうんうんと唸っており、ネロは半分寝ている。

 

 残り少しだった空欄を埋め終えたあと、ようやく俺は待ちの姿勢のブレウに聞いた。

 

「……なぜ?」

「こちらをご覧ください」

 

 差し出された本の見開きには、

 

「『星空で簡単、誰でもできる呪いの儀式』……」

「はい、そういうことです。せっかくなので君たちも誘った次第です」

「呪いの儀式はともかく、星空を見るのはいいけど。どこで見るんだ」

「付録の計算シートで割り出した座標は、学校の校舎の屋根の上ですね。ここでないとダメです」

 

 ということは、また夜の学校に忍び込むぞと言っているのか……。賛成できないが、止めたところで聞きはしないだろうから、俺は行かなければいいだけの話だ。

 

「えー?良いんじゃない?冬で空気も澄んでるしっ。運が良ければ流れ星もみれるかも!」

 

 リーンは乗り気な様子で会話に混じってきた。ネロもゆっくりとうなづく。

 

「流れ星は御使いが罪人に天罰を与える兆しとも言われている……」

 

 リーンとネロが取っ組み合いを始めたので手持ちぶさたになり、ブレウの本のページを捲る。

 

 『見る天使』。海という寝床で神が寝ている間に、あせくせ働き、地上を監視している。幼くして亡くなった子供は清らかな魂であるとして、仲間に迎え入れることもある。

 

 『聞く神』。寝ている間に人々の記憶の海に潜り、その声を聞いている。時には声に返答することもあるという。

 

 『話す神子』。神子の次代は産まれると親から引き離されて育てられるが、関わる一切の人間はその赤ん坊の前で話すことも文字を見せることも許されていない。しかし次代は、いつの間にか言葉を覚えている。

 

 表紙に戻れば『本当は怖いイーリオ教入門』。

 

「……なんだこれは」

「中央大陸では発禁になっている書籍です。焚書を免れて国内に入ってきたものを手にいれました。もう一冊あるのでいりますか?異教徒には入門としてピッタリかと」

「結構だ」

「そうですか」

 

 ブレウは何食わぬ顔でリーンの荷物に本を紛れ込ませている。見ざる聞かざる言わざる。

 

「ところでレド。……夜な夜な学校で、珍獣の目撃情報があるらしいですよ」

「よし行こうすぐ行こう」

 

 

 

 夜の校内に侵入する。白い息を吐きながらブレウが指定したのは、最も古そうな二階建ての建物の屋根の上だった。

 

「大丈夫か、これ?」

「レド、君が一番高所に慣れているので、屋根の強度を確認してきてくれませんか?」

「……俺はここで天体観測することには、まだ賛成していないぞ」

「視界の高い方が珍獣を見つけやすいですよね」

「屋根の上なら任せろ」

 

 二階程度だったので簡単に飛び乗ることができた。……きしむ音はするが問題ないだろう。

 

 そう下に伝えると、リーンが跳躍したのち、

 

「───あ!?」

 

ずぼっと下半身が屋根の下へ消えた。つまり、屋根に穴を開けた。シュールな光景だ。

 

「……なんかごめん」

「話が違うよレド君」

 

 いたたまれない気分になっていると、

 

「何をやっているんですかリーンは」

 

続いてブレウがリーンの隣へ跳躍した。

 

 しかし、

 

「───あ」

 

彼もまた、下半身が屋根の下へ消えた。つまり、屋根の穴は二つになった。

 

「思っていたよりも脆かったですね」

「ねー」

 

 ……上半身だけ出ている姿は、屋根から人が生えているような絵面だな。

 

「ははは。ブレウったら何やってんだよ」

 

 笑いながらヴァイスが屋根へ跳躍しようとして、

 

「───あ゛っ」

 

高さが足りずそのまま地面へ戻っていった。

 

 ネロは問題なく屋根に飛び乗っていた。

 

 

 

 ブレウとリーンを救出し、屋根にぽっかりと開いた二つの穴を皆で眺める。ヴァイスは建物内の二階の窓からよじ登ってきていた。

 

「二人の着地点だけ、ちょうど脆かったのか?」

 

 俺の疑問にリーンがうーんと唸る。

 

「たぶん……身体強化をやり過ぎて、体が重くなっちゃったからかな?レドくんは身体強化使ってないの?」

「体重が変わるのが嫌だから最低限しか使ってない」

「乙女かっ───あ、そっか。最低限……。跳躍の瞬間だけ使って、着地の時には切っておけば行けたのかな?でも、その場合、着地の衝撃はもろに来るよね。ネロちゃんは?」

「なんとなく身体強化をふわっと使った……」

「おのれ感覚派」

「はいはい、今その話は置いておこうよ。それよりもこの穴をどうするかが先決じゃない?」

 

 脱線した話をヴァイスが手を叩いて軌道修正した。

 

 ……バレたら、また罰則ものだよな。

 

 見回りもあるだろうから、早く直して撤退しなければいけないが、さすがに屋根の修理はしたことがない。もちろん、俺だけでなく、この場の全員がそうだ。

 

 そんな中で、ブレウが一つの提案をする。

 

「この屋根、以前ネロが作っていた泥に色が似ていました。今日のところは泥で固め、後日、材料を集めて補強すれば良いのでは?」

「雨が降ったらどうするんだ」

 

 うまくいくイメージがつかない。穴を開けたときに出た破片と組み合わせるにしても、懸念事項が多すぎる。

 

 するとヴァイスが笑う。

 

「はははっ!今夜はこんなに良い天気なんだから、今日明日は雨なんてきっと降らないって!いけるいける。早くやろうよ。そしてこのあと僕の課題手伝って。まだ終わってないんだ」

「だったらなんで来たんだ……」

「僕だけ仲間はずれは嫌じゃん!」

 

 その夜、俺たちは星をほとんど見ることも、呪いの儀式もすることもなく、屋根の隠蔽に勤しんだ。

 

 

 

 なお、翌日はどしゃ降りだったので普通にバレた。

 

 そのせいで一日罰則を食らい、会いたいときに限って、あの子に会えなかった。

 

 

 

§ § §

 

 

 

『ここは……』

 

 気がつけば、いつもの校舎裏だった。なぜ今ここにいるんだろう。

 

『おい』

 

 声をかけられて振り返れば、いつも通りあの子がいた。

 

『どした?ボーっとしてたぞ』

『あ、ああ……』

『寝ぼけてんのか?……仕方ねーな』

 

 機嫌良く飴を差し出してくる。素直にくれるなんて珍しい。

 

 手を伸ばすが、彼女は飴を自身の口に入れてしまった。

 

『へっへーん、引っ掛かった』

『なんだ。くれるんじゃなかったのか』

 

 つい恨めしそうに言うと、彼女は考えるそぶりを見せた。そして、また突拍子もないことを思い付いたようで、いたずらっぽく笑う。

 

 かわ───っ、顔だ、顔が良い。

 

『そんなに欲しいならくれてやるよ』

 

 口の中に飴を含んだまま、顔を近づけてくる。

 

『ほら』

 

 さくらんぼ色の唇がはっきりと見え、すぐに見えないほど近くに───、

 

 

 

「ぶはっ!?」

 

 目の前に広がったのは暗い枕だった。

 

「……あま、くない」

 

 寝相は悪くないはずだったが、今日に限ってなぜか枕を腕に抱いている。外の様子を見ると、まだ日は昇っていない。もう一眠りしよう。

 

 目覚める直前、夢を見たなぁ……。どんな夢だったか……。

 

「いやいやいやいやいや」

 

 思い出して顔が熱くなる。

 

「あれは単なる夢であってですね」

 

 狭いベッドの上で正座をした。

 

「いや、だから、そういうのじゃないんだ本当に。顔が良いというのも、一般的かつ客観的な評価であり、目に見える物だけが真実だから……」

 

 一人であるにも関わらず、言い訳してしまう。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 いつもは肌をヒリヒリと感じさせる冬の朝の空気が、今日は気にならない。

 

「異様に目つきが悪いですね」

「こっわっ」

 

 ブレウとヴァイスは顔を合わせるや否や、数歩後退した。

 

「えっ、そんな顔してるか?」

「はい。いつもに増して蛮族ですよ」

「人を勝手に蛮族扱いするんじゃない」

「夜眠れなかったのかい?もしかして悪い夢でも見たとか」

 

 夢。

 

 夜明け前の出来事が頭の中に浮かぶ。

 

 最悪だ。汚してはいけないものに泥をつけてしまった気分になる。俺はなんてことを───!

 

「レド?どうしたのさ、壁に両手をついて……は!?頭を壁にぶつけて何を!?!!?」

「止めないでくれヴァイス。俺は今すぐ忘れなきゃいけない記憶があるんだ」

「なるほど、生き霊ですね」

「一緒に止めてくれよ!眼鏡むしるぞ!」

 

 二人がかりで押さえつけられているところに、リーンとネロが通りかかった。

 

「ブレウくんとヴァイスくんにレドくん、何して───ぎゃあぁぁぁぁぁああ!?レドくんの額からすんごく血が出てる!?第三の目だっ!?」

 

 額を触ってみると、手は赤くなっていた。確かに結構出てるな。

 

「御使いは目がたくさんあるというが、あれは違う……」

 

 俺含め四人で騒がしくする中、ネロはローテンションな声でポツリと呟いていた。

 

 

 

 少し離れた位置でパンをもぐもぐ食べている少女を眺める。顔が良い。

 

「ぶしっ」

 

 くしゃみしても顔が良い。だが、昨日雨が降ったから冷えているので、是非温かくして過ごしてほしい。すぐにでも暖かい屋内へ行ってほしい。

 

「……なあ、どうしていつも屋外にいるんだ?」

「ふんっ、自分で自由に外に出ていいから出てるだけだ」

 

 春になって巣穴からもそもそと出てくる小動物の姿が、脳裏をよぎった。今はまだ冬だぞ。冬眠させなきゃ……。

 

 クッキーも渡せば、これまた食べ出す。量が多いと困った顔をするので、適切な量にしてあげるのがポイントだ。ちなみに大きすぎる物を与えると、どこから口をつけていいのかわからず、しばらくフリーズする仕様になっている。

 

 そうして動く口元を見て、───ふいに昨晩の夢がフラッシュバックした。やはり壁に頭を打ち付けるくらいじゃ無理だったか!

アコラスっ!?

「変な顔してんな」

「うへえっ!??!!?」

今すぐその変態から離れなさい

 気づかぬうちに至近距離まで寄られていた。ときどきこんな風に気配を感じさせないから恐ろしい。しかも無意識にやっている。対処法としては常に視界に入れ、彼女を認識し続けることだ。逆に一度でも目を離してしまえば、見つけるのは困難である。

 

「真っ赤だぞ?風邪ってやつか?」

「なっ……!」

あ゛あ゛あ゛っ!?

 顔を近づけられる。まつ毛や頬へと視線をさ迷わせた後に、再び唇を見てしまった。このまま───、

 

「いだっ!」

 

 額に痛みが走って目をつぶる。再び目を開けると視界が塞がれていた。額にも違和感がある。……紙だ。紙を額に貼り付けられたのだ。

 

 取ると彼女の姿はもう消えていた。

 

 貼り紙には綺麗ではない字で、こう書いてある。

 

『バカの顔』

 

 ……おっしゃるとおりでございます。

 

 俺は紙を丁寧に折りたたみ、ポケットにいれた。

だから保管すんな

 

 

§ § §

 

 

 

「もう、春か……」

 

 彼女と出会って一年が経った。

 

 彼女はこちらの存在に気づくとぱぁっと表情が明るくなる、かと思いきや、それが気のせいのように『嫌いです面倒ですウザいです』といった仏頂面になるのだ。嫌われているのか、そうでないのか……。

 

「いっそ幻覚や幽霊であってほしい」

「はいはい珍獣珍獣。───で、さぁ、年の終わりの試験。ここをクリアしても、どこに配属されるかは、希望通りにいかないだろう?」

 

 教官から渡された希望調査なる紙を、ヴァイスはひらひらと振った。

 

「動けて死ななそうなら第一課。動けるけど死にそうなら第二課。動けないけど死ななそうなら情報課。動けないし死にそうなら装備課。……あとなんだっけ」

「衛生班と総務課ですが、もともと僕らは入れません。そして国家魔術師になれなければ地方支部が君を待っています」

「うーん、これはひどい」

 

 珍しくネロが口を開く。

 

「良いことならある……。合法的に人を殴れる……」

「人格を疑う発言が飛び出してきたね」

 

 成績上位は相当問題がない限り、第一課とも聞くが、著しく問題がある場合はどうなるのだろう。

 

 俺たちは座学の成績が良くなっていた。というか、リーンが意外にも勉強を教えるのがうまかった。それに誰からともなく言い出す悪巧みのせいで、魔術制御がうまくなったりしたため、実技の方も上々。気がつけば全員まとめて成績上位である。

 

「お金も貰えるよ!特に第一課は手当が付くから。それでいっぱい貯めたらさっさと辞めるんだ~」

 

 リーンの言葉が少々意外に感じる。この学校に来た動機は金なのか。もっと、こう、幼い少年が云々の頭のおかしい理由だと思っていた。

 

 そういえばこの間、ブレウと何かコソコソと金を数えていたのは何だったのだろう。特に知りたいわけでもないが、何となく聞いてみたところ、

 

「違うの……っ、路上賭博の胴元をやっただけなの……!法律の網の目を掻い潜るために、いっぱい法律のこと勉強したのにっ」

「お前の努力はおかしい」

「だってブレウくんが胴元が一番稼げるって言うからっ。だから二人で頑張ったのに、教官が法律を守る前に校則を守ってくれって……!」

 

 成績って素行は考慮されないのだろうか。

 

「すげぇや。メリットに金と暴力しか挙がってない。ブレウ的にはなんかない?やりがいとか」

「ないですね」

「レド!なんかない!?」

「さあ、どうだろうな。忘れた」

 

 

 

 毎日毎日腐れ縁の友人と馬鹿みたいなことをして、あの子と話して……、嫌なことから逃げて、自分で決めずにただ流されて来たこの場所での日常が、正直、悪くないと思ってしまう。時間は巻き戻らず、確実に終わりに近づいているのに。

 

 

 

 あの日、俺にリーン、他の同期4人ほどで、学校所有の森で行動していた。隠されている罠を見つけ、解除しなければいけない。

 

 リーンがあれ、と声をあげる。

 

「壊されてる?」

 

 彼女の指さす方を見れば、罠がぐちゃぐちゃになっていた。あまりも大きな力で無理矢理引き違った様相に、

 

「他の班が間違えてやったんか?」

「そうだとしても、あまりに乱雑だ」

 

 同じ班のメンバーが口々に言う。

 

 そんな中、俺は草木に生き物が徘徊した跡があるのを見つけた。

 

「待て。何か……様子がおかしい」

 

 それは、この森にはいないはずの大きさの生物のものだった。耳をすませば、何かがうごめく音もする。その音はだんだん大きくなっていて───、

 

「っ!周囲の警戒しながら引き返───」

 

 ズ……、と化け物としか形容できないモノが姿を現した。

 

「逃げろ!」

 

 ダメだ、逃げきれない。

 

 迎え撃つ?

 

 しかし、ここは森だ。火の魔術を使って失敗したら……。

 

 躊躇っているうちに、リーンが転んだのが視界に入る。

 

 彼女はとっさに防御体勢をとった。直感的にわかった。打ち負ける。

 

 自分が飛び出しても間に合わない。

 

 火の魔術を使うなら、間に合うかもしれない。でもそうしたら、また、失敗するかもしれない。今ここで使うことを、自分が決めて良いのか?

 

 木々に燃え移ったら?

 

 化け物だけでなくリーンも燃やしてしまったら?

 

 周り全員を、巻き込んでしまったら?

 

 

 

「───あ」

 

 

 

 ダメだ。何もできない。

 

 

 

 もう間に合わないはずだったのに。

 

 

 

 突如誰かが横から強烈な飛び蹴りを食らわせた。

 

 

 

 食らわせた部位からは、砕ける音が聞こえ、そのまま体勢が崩れる。

 

 驚くべき速さと怪力だ。自分ができる最大威力の身体強化でもかなわない。

 

 飛び蹴りを放った者は持っていた盾の先端を振り上げ、首めがけて何度もおろして、化け物を沈黙させた。その体格は、飛び蹴りの威力からは連想できないくらいには、小柄だ。

 

 その見た目にそっくりな者が、俺が知っている人物の中で、ただ一人存在する。

 

 彼女は眉間にシワを寄せ、不機嫌そうな顔をしながら、何の躊躇いもなく、肉塊をぐしゃぐしゃにしていた。

 

 本当にいたことが信じられなくて、思わず指を差して叫んでいた。

 

「おま、お前!校舎裏の幽霊!」

 

 それを聞いた彼女が、いつも通りの表情で言った。

 

「誰が幽霊だ」

 

 ……失敗した。

 

 

 

 その場にいるほぼ全員が混乱状態の中、教官らが駆けつけ、あの子をつれていってしまった。

 

 幸い大きな怪我を負った者はおらず、せいぜいリーンが転んだくらいだ。

 

 リーンはよろよろと立ち上がったが、さっきのことがよほどショックだったのか、沈黙を貫いている。

 

 見捨てようとした罪悪感から、俺は声をかけていた。

 

「……リーン」

「………………ぃぃ」

 

 何か、小さく呟いた。だが聞こえない。

 

「…………か」

「か?」

 

 今度は少し聞こえたので聞き返すと、

 

「かわいい~っ!!!!!!!」

 

……心配して損した。

 

 

 

俺もまた、教官からあの化け物について話を聞かれた。その下りで、あの子のことを話され、聞くタイミングを逃していた名前も知った。

 

 アコ。

 

 アコか……。いきなり名前呼びに変えたらまずいだろうか。しかし、向こうだって俺の名前を把握、して……ないな。興味なさそうだもんな。

 

 教官たちは彼女の存在をしっかり認識していたらしい。

 

「クソっ、あと20年以上早く生まれて教官の立場にいたなら……!」

「今は私が質問をする時間のはずなのに、君の質問の方が多いのはなぜなのだろうね」

 

 成績は中の下だが、授業態度は真面目。身体強化とちょっとした自分への治癒の魔術が得意。今は寮を出て別のところから通っている───といったところで、俺はストップをかけた。

 

「軽率に個人情報を他人に伝えないでください。変な奴に目をつけられたらどうするんですか」

「あれ?先生が悪いのか?少なくとも先生の目の前に一人変な奴がいるような気がするが?瞳孔が開いてるぞ?」

 

 

 

 翌日、俺は座学のときに、あの子の姿を講義室内をよくよく探したがいなかった。

 

 なので、聞きまくった。

 

 それはもう聞きまくった。

 

 そして、彼女とよく班を組んでいたらしき女子と話すことができた。

 

「いつも気がついたらいなくなってるから、我が班には妖精でもいるのかもね……って半分信じてたわ。アッハッハッハ!」

 

 俺以外からも妖精扱いされていたのか……。顔が良いからな……。仕方ないな……。

 

「一昨年、たまたま高祖父が亡くなって、妖精の一突きじゃないかって言われたもんだからさ。ちょっとそれも妖精説を信じてた理由かもしんない」

「それは……御愁傷様様」

「もう見事なくらいポックリで、親戚一同泣いて笑っての葬式だったよ。アッハッハッハ!」

「やっぱりこっちでは死んだ後に葬式するのか。変わってるな。───じゃあ、あいつの話があまり広まらなかったのは?」

「ウチの地元じゃあ、妖精を見ると一日分の幸運が得られるけど、人に話したらその幸運はたちまち消えるってよく言われてたからさ~。皆にもその話をしたせいかもっ!アッハッハッハ!今の発言の一部はスルーしていい?」

 

 

 

 他にも俺は聞いて回った。よく喋る同学年から全然交流のなかった他学年まで、とにかく彼女のことでなにか知っていることはないか、聞きまくった。

 

 

 

「たまに、『あ、いたんだ』ってなるわね。てかアンタの勢い怖いよ」

 

「全然知らんわい。……餌付け相手、人間だったん。引くわ」

 

「あなたのこと、ちょっと良いなって思ってたけど、やっぱナシで。ドン引きしました」

 

「川?亜麻色?さあ……、いたような、いなかったような。うわっ、目つき悪っ」

 

「一歩間違えればストーカーになるぞ、気を付けろよ」

 

「十年後ロリコンになってそう」

 

 なんだ、ここの学生たち。簡単に人の悪口を言ってくるなんて、治安が悪いなぁ───おっ、まだ聞き込みをしていなかったエルムだ。

 

「ヒィッ!!!……あ、ああ、あの子?事務的な会話なら班を組んだときに何回か……、なんだ。レドもまともな人間らしいところあったんだな。あんなちんちくりんがす───」

 

 

 

「大変だ!エルムが木から吊るされてるぞ!!!」

 

 

 

 翌々日。

 

「げっ」

「よぉ。お前、同期だったんだな。全く気がつかなかったぞ」

 

 いつも通り、なんとなく気の向くままに行った先に彼女はいた。しかし、ものすごく嫌そうな反応をされてしまう。悲しい。でも顔が良い……。

 

「今日、初めてお前が講義室にいるところみたよ」

 

 簡単に言ったが、実はめちゃくちゃ探した。今までの人生で、一番人を探そうとした瞬間だった。

 

「オレはあんまり目立たないからな」

「そのわりには何人にかチラチラ見られたみたいだが」

「うるせえ」

 

 その顔で『目立たない』は嘘だろ。

 

 ……と喉から言葉が出掛けたが、現実には隠れ潜んでいたわけで、これは本人の隠匿能力が非常に高いことの裏付けである。

 

 前々から知っていたつもりでいたが、ここまでとは思わなかった。

 

 今日見つけられたのはひとえに、俺が彼女について周囲に聞きまくったことである。……そのせいで、視線を受けていて居心地が悪そうだったが。

 

 俺、久しぶりに頑張ったなぁ……。

 

 しみじみと彼女を眺める。

 

 ……袖口から垣間見える、細い腕。

 

「なあ、お前あれだけとっさに動けるんだったら結構強いんだろ?得意魔術は?」

 

 相手が身体強化の魔術込みでも、近接戦で俺が負けることはそうそうないと、忌むべき魔術を使えば、なおさら負けることはないと、思っていた。

 

 だが、間違いなくこの子には力負けする。

 

 一瞬見た戦闘からして、身体強化をメインとした超近接型だ。速くて怪力。ただそれだけ。体術は特別できる訳ではなさそうだ。それでもなお、あの威力なのは末恐ろしい。

 

 加えて、本人の自覚しているかしていないかわからない気配の消し方も、かなりの脅威だった。うまく使われたら気づく前にやられてしまう。例えば、音もなく忍び寄られ、あの怪力により一瞬で首をへし折られたら、それで終わりだ。

 

 華奢な見た目で速さと怪力を両立させ、何らかの手段で気配を消している。とんでもない初見殺しには、隠し球があるはずだ。

 

 探りをいれてみたところ、彼女は誤魔化すように言った。

 

「オレは魔力子がヘボいから、魔術なんてからっきしなんだよ。それにあのときは不意打ちだったから、たまたまうまくいっただけだ」

「たまたまで正体不明の敵の首を落とすやつがどこにいるか」

 

 途端にポカーンと口を開けて見てくる。なぜ驚くタイミングがそこなのか。

 

「いや、そんな顔でみられても……」

 

……顔が良いな。

 

 

 

 ヴァイスが肉料理にフォークを勢い良く突き刺す。

 

「触角に、意外な力強さ。跳躍力、瞬発力があり、小さい。頭に草がついてて、走るのが速い。強い警戒心……。いやー、それにしても珍獣ちゃんは人間の女の子だったかー。クソが」

 

 町の行きつけの食堂にて二人で夕食をとっていると、あの子のことが話題に上がった。

 

「最初から人間の女の子だったって」

「レドはずっと女の子に振り回されていたということだね。クソが」

「確かに精神的にも物理的にも振り回されたなあ」

「物理的……?うんまあレドも隅に置けないなぁ。クソが」

「そういうのじゃないって」

「じゃあどういうのさ?クソが」

「俺はただ……、あの子が栄養バランスのとれた食事に適度な運動、七から八時間ほどの十分な睡眠を取って、日々健やかに過ごしてくれればそれでいいかな」

「……本人に直接言ってくれる?」

「さすがに言わないよ」

「へぇ~」

「五、六歳くらい年下だったら言ってたかもしれないけど」

「へ、へぇ……」

 

 時々顔を引きつらせるヴァイスと話していると、

 

「レドくん」

 

かつてないほど朗らかな顔をしたリーンが現れた。

 

「この間の子、どこにいるのか知っていますか?」

 

 そのまま俺たちの席に彼女も座り、食事を始める。

 

 俺と共に困惑していたヴァイスが聞いた。

 

「リーン、その話し方どうしたのさ?」

「心が浄化されたのです。新生リーンです。よろしくお願いします」

 

 襲撃のショックで頭がさらにおかしくなって……。

 

「この間の……ああ、あいつか」

「普段どこにいるんですか?」

 

 襟を掴まれ、ガンガン揺さぶられる。なんだ、行動はいつも通りか。

 

「会えるポイントはいくつかある。運要素はあるが」

「どこですか?」

「……なんで知りたいんだ?」

 

 リーンはコップを静かに置いて微笑んだ。

 

「お礼もまだ言えていないのですから、会いたいのは当然じゃないですか」

 

 お前……。

 

「ところで……実はあの子、男の子だったりしない?」

 

 俺は笑顔でリーンの顔面を掴む。

 

はっはっはっ。あの顔でちんちんついてるわけないだろう。いいかげんにしろ

「ねえレド?リーンの頭の骨、すごくミシミシいってるよ」

 

 

 

 結構かなり渋った末、俺はリーンをあの子に会わせることにした。

 

 おそらく自らの意思で人付き合いをしていないあいつも、お礼を言うために連れていくくらいなら許してくれるだろう。

 

 今日も一人で立っている姿に、リーンが話しかけた。

 

「あの、アコさん、ですよね……?」

 

 一瞬驚いた顔を見せたあと、取り繕うかのように眉間にシワを寄せる。

 

 ついでに俺のことを睨んできたため、平和的に解決する意思を見せるべく、手で鳩の影絵を作ったが……、しまった。光源の都合でアコには見えない位置に影絵ができてしまった上に、こめかみに青筋が立っている。でも顔が良い。

こいつ実は馬鹿なの?

 リーンは、そんなアコの不機嫌そうな態度にも構わず頭を下げた。

 

「私、教官から聞きました。あの化物にもしそのままなぐられてたら、死んじゃってたかもって……。だから、助けてくれてありがとうございます!」

「別に、そんな」

 

 口を少しパクパクさせると考え込むように黙りこむ。

 

 ……あれ?

 

「……あの、お礼を言うのが遅くなったのは本当にごめんなさい」

「いや、そうじゃなくて。あの化物はどっから来たのかとか思っただけだから。その、気にしないでほしい」

 

 あれ?

 

 あくまで、冷静に、そして平静に声を保つ。

 

「なんか俺と話すときと対応が違わないか?」

 

 ふんっ、と鼻で笑われた。

 

 ……そりゃあ、確かに、最初変な女呼ばわりしてしまったから、普通に話すリーンへの方が対応良いのはわかるけど。

 

「あと1年もないですけど、これからよろしくお願いしますね!」

「え、あ……」

 

 リーンの発言に困惑しつつ、……触角がぴょこぴょこちょっと嬉しそうにしている。そっか、女の子だもんな。女友達の方が嬉しいよな。

 

 納得する一方で思ってしまう。

 

 俺の方が先に見つけたのに……。

 

 

 

 しかし、アコとリーンの交流はかなり早い段階で事件が起きた。

 

「うあああああああああぁぁぁぁあっ!なんなんだあいつは!」

 

 会って早々、顔を青くしたアコに詰め寄られる。やましい心を抑え込みながら、俺は目をそらした。

 

「俺もリーンのポテンシャルを見くびってたわ」

 

 リーンには13歳未満の少年に対する並々ならぬ熱意がある。逆に女子であれば、何事もなく普通に接する。だから、この子にもそうなると踏んでいたのだが……。

 

 新たな琴線に触れたのか、リーンはアコを非常に気に入ったようで、校内ではどこでも「アコさんアコさん」とそれはもうすごい勢いで声をかけていた。

 

「まあ、女同士仲良くすればいいんじゃないの?」

 

 こいつ、押しの強いリーンと遭遇後すぐはビビりはしているが、数分経てば普通に会話しているし。

 

 俺はいまだに警戒されるからな。どうせ俺より、リーンみたいな女友達の方が良いんだろうな。

 

「……女同士って皆ああなのか?」

 

 眉が不安そうにひそめられる。……くっ。

 

「……あれはちょっと異常かもしれないな」

「そうなのか、よかった。本当によかったっ」

 

 リーンも何を考えているんだか。13歳未満の少年には遠くから眺めているだけなのに、なぜこいつにはここまでぐいぐい攻める。

 

 よほど助けられたことに感謝しているのか。あの時、誰よりも早く、助けに入った────飛び蹴りを放ち、頭を潰した彼女に。

 

 ……なぜ、彼女は突如現れた化け物の頭を執拗に潰した?

 

 助けようと思って飛び込んだ後で、初めて見たモノに対して、そのような行動を取れるものだろうか。

 

 がむしゃらに動いたから、ああなったのか?

 

 いや、あれは、まるで前から対処法を知っていたかのように、躊躇いのない動きだった。

 

 ……カマをかけてみるか。

 

「そういえばお前、教官から聞いたか?あの化物の話」

「は?」

 

 不機嫌な顔に逆戻りだが、確実に興味を引いたようだ。いつもよりも明らかに食いつきが良い───、

 

「アコさーん、どこですかー?」

「ひぃっ」

 

───思わず心の中で舌打ちをした。

 

 こちらの内心に気がつくことなく、アコは焦った表情を見せる。

 

「おい!オレのことはここにいないって言っておいてくれっ」

「はあ?ちょ、隠れるの速っ」

 

 驚くべき速さでゴミ箱に隠れ、完全に姿が見えなくなったと同時に、

 

「あれ、レドくん。私、アコさん探してるんですけど知りませんか?」

 

リーンが声をかけてきた。

 

「俺は今日見てないよ」

 

 それとなく視線を誘導し、ゴミ箱に注意を向けさせないように動く。

 

「……本当ですか?」

「本当だって。しかしお前、あいつのことずいぶん気に入ってるんだなあ」

「え!?気に入ってるというか……。かわいいなって。なんとなくですけど、小さな男の子みたいなかわいさがあるんですよね。ついつい気になっちゃって」

「そ、そうか」

「じゃあ、私行きますね。アコさんにあったら、私が探してたって言っておいてください!」

 

 生き生きとしたリーンはスキップしながら背を向け、遠ざかっていった。

 

「……行ったぞ」

「すまん」

 

ゴミ箱からひょっこりと顔をのぞかせたアコに、無視されるとわかっていながらも手を差し出す。

 

 その手を取った彼女は、ゴミ箱から軽やかな身こなしで出てきた。

!?

「…………正直リーンに会わせたことはすまないと思ってる」

「よくわかってんじゃねぇか」

 

 ちょっと憔悴していても、顔が良いな……。

 

 …………。

 

 ……え?

 

 今の行動、え?

 

 なんだこの、己の手に一瞬あった感触は。

 

 手のひらを眺めてみても、今はもう、ただの自分の手で。

 

 はっとして顔をあげるが、アコの姿はもうどこにもなかった。

 

 

 

 ブレウとヴァイスに急き立てられ講義室に入る。今日もまた、よく探せば……いた。相変わらず視線を向けられて、居心地が悪そうだ。

 

「アコさん!一緒に講義を受けましょう!」

「いいよとか言わなくても、すでに隣に座ってるじゃん……」

「えへへ」

は?何この女

 皆、席を一つ開けて座っているのに、いつもの五倍の速さで動いたリーンは、ピッタリとアコの隣に座っている。しかも普通に会話している。

 

 俺たちは自然とリーンたちの後ろの席に着いた。はー、顔が良い。

 

 さてと。ノートを広げて───、

 

「リーン、君ってやつは……。そちらのアコさんとやらが困ってるぞ」

「!?」

 

ブレウがわかりやすく人を気遣う発言をした?!?!?

 

 驚く俺に構わず、ヴァイスがうさんくさい笑みを浮かべる。

 

「今日もネロはサボりだな。レド、ネロがどこ行ったか知ってるか?」

「見てないなあ」

 

 そう言いながら、俺はノートの端に文字を書いた。

 

『何を企んでいる』

『僕!?あらぬ疑いだよ!』

 

 ……。

 

『こっち見んな!怖いよ!!!』

 

 あ。アコが振り返ってきた。

 

『珍獣ちゃんが見てるときはニコニコしておいて、見てないときは無表情になるの怖いから止めてくれる!?』

 

 ヴァイスを挟んで向こう側にいるブレウが物言いたげな目で見てくる。

 

『なんだ』

 

そう書いた紙を丸めて投げた。

 

 ブレウはさらさらと書き、ヴァイスも一緒に鉛筆を動かしている。

 

 投げ返された紙には、こうあった。

 

『手を開いたり閉じたりしたかと思えば、手のひらを見つめ続けていたりするのが、なんか気色悪い。どうにかしろ』

 

 この野郎。

 

『珍獣ちゃんのこと、過激派を抑える特効薬として期待しているから、紹介してよ。レドを怒らせたときに盾にする、絶対する』

 

 絶対紹介しない。

 

 もう相手にするものかと前に視線をやれば、リーンが落ち込んだような声色で話していた。

 

「アコさん、私が近くにいると困りますか……?」

「ええと」

困る

 アコは声色からだけだと困惑しているが……、よーく観察すれば少し喜んでいる。やけにリーンに対して好感度が高いよな。別に全く全然気にしていないし羨ましいとも思っていないけれど。

 

「私、アコさんとお友達になれたら嬉しいなって」

「友達?」

「はい」

 

 待て、まだ早い。早すぎるぞリーン。

 

 思わず鉛筆をへし折っていた。

 

 俺なんてまだ、食い物をくれる奴程度の認識しかされていないんだ。

 

 モヤモヤとした感情を抱えながら、横顔を眺める。

友達は選びなさい

 ……またあの顔だ。

もちろん利用できそうなのをね

 講義が始まって会話が打ちきりになったあとも、それが気になって仕方がなかった。

 

 

 

 講義後、速攻で約三名を無力化してから、俺は急いで彼女を追いかけた。

 

「おーい」

 

 声をかければ、ムッとした顔で振り返ってくる。

 

「なんだよ」

 

 最近、目が合うようになる頻度が増えた。

 

 だからこそ、余計に感じる。こんなに近くにいるのにひどく遠い。喋っていても、自分以外の誰かに話しかけているような気さえする。

 

 さっきのリーンとの会話も、懐かしいものを見るような……、まるで以前リーンと似た者が知り合いにいて、今目の前にいるリーンではなく、その人物に話しかけているような。

 

 リーンは頭のおかしな奴だが、アコと友達になりたいと言っているのは本心だ。アコだって、なんだかんだリーンに悪い気はしていないはずだ。誰かの意思をそこに挟む必要なんてないはずなのだ。

 

「いや……、お前って、人と喋ってても全然違うこと考えてるよな。全くこっちのこと見てないっていうか」

「何言ってんだお前」

何言ってんのこいつ

 つい衝動的に、突拍子もないことを言ってしまった。当然彼女は頭の上に疑問符を浮かべている。

 

 俺は、ごまかせているかもわからないごまかしを口走っていた。

 

「そうだな。もうちょっと、周りをちゃんと見たほうがいいぞ」

 

 ……後ろで男三名が紙を投げあっていたことだし。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 初夏の昼時、リーンも時々この場に現れるようになった。

 

「アコちゃーん!」

 

 しかもアコに軽く抱きついている。……おい、どうして嫌そうにしていない?

 

 むしろ、ドヤァ、とした顔で俺を見てくる。いったい何を自慢したいんだ。

 

「アコちゃんアコちゃんアコちゃんアコちゃんアコちゃん」

「ひぎゃ」

 

 しかし名前を連呼されると、触覚がちょっとヘタる。たぶんあれは、近くで言われると相当うるさい。

 

 (リーン)が去ったあと、アコは首をかしげていた。

 

「リーンってあんな奴だったか……?」

「あいつは最初からあんな感じだったよ」

「むっ」

 

 納得いかないと言わんばかりに見上げてくる。今日も顔が良い。

 

 どうやら彼女、リーンのトラブル履歴が耳に入ってこないレベルには、交友関係が皆無だったらしい。

 

 アコは不機嫌な表情で呟く。

 

「だってリーンは……」

「リーンは?」

 

 聞き返したら無視された。

 

 ……どうしてリーンにはずっと穏便な対応を?

 

 

 

 屋外演習場(空き地)にて、俺はブレウとヴァイスに愚痴をこぼしていた。

 

「野性を忘れている気がする」

「そりゃあ野生動物じゃないからね」

「もっと反発心や警戒心があっていい。殴るくらいでいい。不審者にでも会ったらどうするんだ」

「レドが一番の不審者だよ。というか珍獣ちゃん恐ろしいほど怪力じゃん。その辺の不審者は簡単に倒せるよ。きっと脱いだら腹筋割れててムキムキ───わー!わー!待ってくれ、吊るさないでくれぇ!」

 

 腹筋か……。筋肉がしっかりついているようには、とても見えない。怪力の仕組みはどうなっているのだろう。

 

「あんなに華奢なのに、近距離戦に持ち込まれれば、一撃でもまともに受けるのは非常にまずい。かといって、簡単に避けられるほどの速さではない。受け流しか、それとも……」

「なんで珍獣ちゃんの倒し方を考えてんの?ねえ?」

 

 木から吊るされたヴァイスを見て、ブレウがため息をつく。

 

「ああ、面倒くさい……。レドが直接戦いにでも行って、確認してくればいいではありませんか」

「それだ」

 

 

 

 さて、攻撃性の検証のためにアコに仕掛けた模擬戦の結果だが、想定以上に力が強い。体術は習った通りのもので、可もなく不可もなく。動きの先読みについてもかなりの手練れであり、そのアドバンテージから手を抜く余裕がある。

 

 やはり超近接戦では自分よりも強い。

 

 以上の調査と引き換えに、

 

「うわっ!ここ見てみろよ。盾ぶち当たったところだ。めちゃくちゃ穴深い」

 

日は沈んでガス灯が輝く下で、演習場の草むしりの罰になった。

 

 アコが盾を壊したためだ。連帯責任で自分もまた罰則対象である。

 

 それにしてもなあ……。訓練用でも相当な強度を誇るものを、腕力で破壊するとは……。旧式でそれなりに使われ続けているとはいえ、日々の点検と定期的な校正を行っている。装備側の不具合ではない可能性が高い。

 

 穴の深さを観察していると、アコは真面目にやれと言わんばかりに俺を睨んできた。顔が良い。

 

 ついつい瞳に視線が吸い寄せられる。

 

 いつかに見せてもらった琥珀を思い出した。この眼を見ていると、琥珀は人魚の涙だなんて話もあながち間違いじゃないかもしれないと思いさえもする。

 

 ……何を考えているんだ俺は。

 

 恥ずかしくなったため、自分は草をむしりつつも、演習場の地面に落ちる小石を集めたり、むしった草を結んでみたりしていた。それを見たアコは不満そうだ。

 

「明日までにきれいにしなきゃいけないんだから働け」

「働いてるぞ。ほら、お前よりたくさんむしってる」

「うぐっ……」

 

 彼女は頑張って草をむしっていた。が、その進捗はあまりよくない。不器用だから、というよりは慣れていない手つきだ。なーんでこっちは慣れているんだろうなぁ。

 

 ……よし、経験上これくらいで十分だ。

 

「まあ大体やったしもういいだろー。初等学校の罰でもこういうのやったっけな。お前どうだった?」

 

 流石に今も罰則受けまくってます、とは恥ずかしくて言えないので、そこはごまかしつつ、俺は会話をしようとした。

おしゃべりダメよ

「知らん」

 

 しかし、ばっさりと打ち切られてしまう。

 

 ダメか。アコのことが知りたくて、たまにこうして過去を聞いているが、ほとんど教えてくれない。

 

 アコは草むしりを続けている。……事の発端は自分にあるので申し訳ないな。ここはあえて、演習場の地面の隅に寝転がることで、手抜きのアピールをしよう。

そいつはワルイやつよ

 彼女はそれに腹が立ったのか、むしった草をこちらに投げつけてきた。

!?

「おいこら、人様に向かって草投げるな」

「うるせー」

違う、そうじゃない

 立ち上がって応戦すると、さらに投げてくる。自分達は、まるで小さな子供のように草を投げ合った。ありがとう草。生えてきてくれて本当にありがとう。これからもどんどん繁栄してください。

ぐぬぬ

「なにやってんだろうな……」

「さあな……」

近づいちゃダメよ

 地べたに座れば、彼女も距離を取って座り込む。

違う、そうじゃない

 ……っ!?

 

 落ち着こう、うん、一回落ち着こう。空でも見上げよう。

 

 前に星を見に行ったときは、屋根の隠蔽でほとんど見なかった。罰則のせいで、会えなかったわ、あんな夢は見るわ……。

 

 思い出して猛烈に恥ずかしくなる。

 

「昔落ちてきた隕石って、この星空のどこかにいたのかねー」

そんなもの来なければよかったのに

 気持ちを紛らわすための言葉に返事はなかった。

 

 夜空には星がたくさん輝いていた。小さな星は遠くて、手が届かない。それはまるで、自分にとっての───。

 

「……俺さ、今日の演習で思ったんだけど」

「なんだよ」

「実戦だったらどうなってたんだろうな。もし、お前みたいな馬鹿力が相手で、強化以外の魔術も使用されてたら、とか」

 

 勝てないと思った。魔力子が多くて強いから、ここに連れてこられたのに、強くなくなったら、ここにいる意味がなくなってしまう。

 

 ふいに、結局また何もできなかったことを意識する。あの時も、この前も……こんなのじゃダメだ。言葉の中に不安を織り混ぜてしまった。

はやくこのハリボテ痛い目みないかしら

「俺ってそこそこ優秀だから、たぶん卒業したらこのまま第一課だろう?そのとき、この前の化物みたいなのと戦ったら、どうなるんだろうって」

 

 少し調子に乗ったような発言に、軌道修正できただろうか。

 

 いつもみたいに「知るか」とか「うるせー」という返事を待っていた。

 

 しかし、アコは昔を懐かしむような表情をしていた。

 

 ほんの少しだけ笑っている。

 

 ……また、その顔だ。

 

 こんなに近くにいて、二人きりだから、突きつけられる。それなりに交流して月日が経ったからこそ、わかってしまう。まるで別の世界に生きているかのように、どうしようもなく、遠くにいるのだ。

 

 やがて、ゆっくりと口が開かれる。

 

 ───やめてくれ。聞きたくない。

 

 言葉が紡がれる。

 

 ───やめてくれ。思い知らされたくない。

 

「お前なら、なんとかなるよ」

あっはっは!愉快愉快!

 彼女は俺のことなど、見ていないのだ。

 

 それでも、このお零れに心が動かされてしまう。

 

 どうして、笑顔を向けてくれるのだろう。

 

 どうして、ほしい言葉をくれるんだろう。

 

 どうして、俺を肯定してくれるんだろう。

 

 どうして───。

 

「……名状し難い」

 

 

 

 話しているうちにアコも草むしりを真面目にやるのが馬鹿らしくなったのか、物置で片付けを始めた。

 

 彼女は掃除道具を元の場所に戻そうとしているが、ブレのない見事な背伸びしてもなお、届かないようだ。

 

「代わりにやるぞ?」

「いや届くし。届くから」

 

 ジャンプでもしたら届きそうなものだが、頑なにしない。どのような思惑があるのかはとくにわからない。

 

 無言で見つめていると、彼女はこちらに向き直った。

 

「いいか、オレの身長はな!……じ、地面に埋まってる部分があるんだ」

「植物の根か何かですかね……」

「その部分を足せば、お前の身長なんて軽く超えるから。すぐ超えるから」

 

 そう言って再び背伸びをしだす。

 

 自分が手を出すのは拒否されたので、そっと踏み台を用意できればいいのだが……。

 

 踏み台か、その代わりはないだろうか。俺が踏み台になるものを探そう、と口を開いたのだが、

 

「俺が踏み台になろう」

 

しまった、言い間違えた。───ポカンと口開けて見られているっ。

 

「え?は?ふ、踏み台?になる?」

 

 バカな発言をバッチリ聞かれてしまい、羞恥心でいっぱいだった。どうにかごまかさなくては。

 

「有史以来、人間は生きるために必要なものや、生活を豊かにするために便利なものを作り出してきた」

「……?」

「その流れを念頭に置こう。わかった?」

「わ、わかった」

「踏み台があると便利だ」

「おう」

「でも残念なことに見当たらない」

「うむ」

 

 今度こそ、『踏み台を探そう』だ。絶対に『踏み台になろう』だなんて、そんな馬鹿な言い間違えをしてはいけない。絶対に。

 

「だから、俺が踏み台になろう」

 

 あああああああああっ!しまったぁぁぁああ!間違えないように意識しすぎて、逆に間違えたぁぁぁああっ!

 

「それはおかしくね?せめて肩車じゃね?」

「肩車はムモヤモヤするからダメだ」

「ムモ……?」

「とりあえず踏み台必要だろう?」

「……おう」

欲情すんな

 よし。踏み台の必要性はわかってくれた。

 

「必要なことをするだけだよ。必要に迫られてするのはおかしくないよ」

「おか、おかし、くない……?」

 

 今自分が何を言っているのかわからない。これは本当にごまかせているのだろうか。

 

「そうだよ、おかしくないよ。俺が踏み台になるのはおかしいことじゃないよ」

「ん?あれ?」

「ほら、高さ的にはちょうどいいと思うよ。ちょっと生暖かい踏み台なだけだよ。冷たいよりはいいだろう?」

 

 誰かこの状況を止めてくれ。

 

「いつの間に、え?あたたか?いや、でも」

「踏み台を探すより、今ここで俺を踏み台にするほうが効率的じゃないか?」

「た、確かに……?」

馬鹿だ

 本当に誰でもいいから俺たちを止めてくださいお願いします。

 

「例えば、今俺は二点と二辺で接地しているだろう?」

「お、おう。手足の計四本だな」

「これが減って三本だと、この通りぐらつく。じゃあ逆に増やす方向……、頭頂部も設置したら?」

「接地が五点になって、もっと安定する!?すげーっ!」

馬鹿がいまーす!

 この子、悪い人に騙されないか心配になってきた。知らない人からお菓子あげるよって言われて、ついていったりしない?大丈夫?

育て方間違えたわ

「いや、違うんだ」

「!?」

「頭に血が上って地味に辛い……!」

「た、確かに!それに乗る部分の面が斜めだ!」

「だからこれが、人間がとりうる最適な踏み台の形状なんだ。どうかこれだけは……覚えていてほしい」

「お、おぉー……?!??!」

何言ってんの???

 パチパチと拍手された。いける。意外と押しに弱い。

死に場所を探すような、

「したがって、これが一番理にかなっていると思います」

「そうだな……!?」

「じゃあ、踏み台()に乗ってくれ」

「???……わ、わかったっ、よし!」

生ける屍のくせに、

 背中に二点の重みを感じて思った。

表面上取り繕うのだけが達者な

 何かおかしい。

ハリボテ男がなぜ今回こんなことに???

「この高さなら見下ろす側だ……っ。ふふふふふふっ……」

 

 目線が高くなったことに、テンションが上がっている。楽しそうで何より。

 

 掃除道具を片付け終えたアコが降りて、踏み台フォームの自分を見ていた。事態の深刻さに気がつき始めたのか、だんだん顔が青ざめていっている。よかった、戻れる正気があって……。

 

 安心したところで、彼女はしゃがみ込み、頭を雑に撫でてきた。

 

 今日俺死ぬのかな?

 

「……?よ、よくやった。褒めてやる……?」

 

 そう言っている顔はひきつっており、その目はまっすぐ俺を見ていた。

 

 

 

 物置から出た後、彼女はハッとした顔をし、俺を投げてから、どこかへ走り去っていったのは、また別の話である。

 

 

 

「ようようレドくん、愛しの珍獣ちゃんとはどうだったんだい。……レド?」

「踏み台になるのって、いいかもしれないな」

「……」

「足蹴にされるくらいがちょうど良……あ、違う、違うんだ。五メートルくらい投げられただけだから」

「……あっ、あそこで珍獣ちゃんが男と仲良さそうな雰囲気で話してるよ!」

「……?それが?」

「…………あっ、あそこで珍獣ちゃんがエルムにお菓子もらってるー」

 

 

 

「大変だ!!!エルムが白目を向いて木から吊るされているぞ!」

 

 

 



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別視点1-3/3 後半

おちごとちゅらい


【N.C.997】

 

 予定がないと思っていたらブレウの実家に連行されたり、そこで誰にでもしっぽを振る番犬にならない犬を抱きあげたら恐怖で失禁されたり、2年半ぶりに伯父と会ったり、リーンが海を見に行くと息まいたものの曇りでがっかりしていたり、ブレウが年上の幼馴染みに信じられないほどの好青年風で接して皆でビビったり、どこかで見たことのあるような人と会ったりした夏季休暇が明け、まだ暑さが残る秋。

 

 久しぶりに会ったアコは、なぜか自身の胸を服の上からペタペタと触っていた。

アコラス諦めなさい

「な、何をやっていらっしゃる……?」

「ああ?別に胸触ってみただけだが」

私の試行錯誤の末に

 見ればわかる。細い彼女の指が彼女自身の胸部に触れている。

あなたのちんこは時空の狭間に飲まれて消えたわ

「そうではなくてですね。何故そんなことをしていらっしゃるのでしょうか?」

「知らんうちに、やや成長がみられたから」

だから

 なぜそんな他人事のように話しているんだ。

なくなったのが辛いからって

「失ったものの代わりに得たのがコレか……。けっ」

その男の股間を見るのはやめなさい

 いつもより元気がない。リーン頼む、今すぐ来てくれ。どうしてこういうときに限っていないんだ。

 

 まずやんわりと、男にはそういう話をしないでくれと伝えることにした。

 

「そういう話題は、リーンにふった方がいいんじゃないかな?」

「はあ!?リーンに!?!??なんで!?」

 

が、やや顔を赤くして反論された。

 

「なんで、って……」

 

 リーンが一応女だからだよ、と口に出す前に、

 

「恥ずかしいからヤダ」

 

プイッとそっぽを向かれる。

 

「は……」

「……おい?どうした?」

「…………」

「おいっ!!!」

「ハッ!?」

 

 リーンは恥ずかしくて、俺は恥ずかしくない?

 

「くっ、瓶の蓋開けられなさそうな顔して……!」

「蓋?」

「……どうして俺に言うのはアリで、リーンに言うのはナシなのかな?」

「そりゃあ、お前だし……。あ、触るか?」

そいつにそんな度胸ないでしょ

 そんな、筋トレでついた筋肉を触るくらいの感覚でいらっしゃるーっ!?

 

「揉むのはなしな、いてーから」

 

 リーンさーん!!!早くーっ!走らず急いで歩きで助けてくれーっ!危険がゆっくりだー!

 

 どーんとこいと言わんばかりに胸を叩くその手は、自分よりも小さくて、白くて、傷一つなくて、キレイだった。……いくら身体強化の魔術が得意だからと言って、全く体を鍛えることなく、あのような怪力になるのだろうか。使う魔力子の量を通常よりも多くすれば可能かもしれないが、彼女は自身の保有量について小さいと語っていた。やはり何かがおかしいがそんなことより今はもっと大切なことがあって頭がいっぱいであった。

 

「さ、さわ、やめ、やっぱ、さわり、さわ、さわ……今は保留にする」

「ふーん。触っても減るもんじゃねーんだけどな。……減るほどの脂肪もねー」

 

 とりあえず、聞かされるこちらはどう反応すればいいかわからないので、あまりそういう話はしないでくれと頼む。すると、素直に「うん」と頷いてくれた。

 

 これにて一件落着かと思ったが、アコは襟をパタパタとあおぎ始めた。

 

「にしても今日はあちぃー……」

 

 その様子を腕を組みながら観察する。……上着の前ボタンがかなり開いているな。あ、ちょっ、なんか線───、

 

「ん?……何あらぬ方向向いてんの?それに顔赤くね?」

「暑いからかな暑いからだなほんと俺暑いのは苦手だからあはははははは」

「ふーん」

 

 彼女は急に回り込んできた。下から顔を覗きこまれ───あ゛っ、顔が良い───、何をされるのかと身構えていると、

 

「そぉいっ!」

は?

 頬に少し冷たいものが当たっていた。

は?

「ふっふーん。冷たいだろ」

は???

 否、頬を両手で包まれていた。

アコラス何やってるの?

「どうだ、ビックリしたか?オレって体温低めらしいからな」

 

 自信満々に言い放っている。足元を見れば、背伸びをしていた。

 

「どーして黙ったままなんだ?……ふっ、もしかして、ビックリしすぎて声が出なっびぎゃっ」

去勢

 片手で頬に触れた。ビクッと少し身じろぎしたが、払われることはない。

去勢しろ

「な、なんだよ、目付き(わり)ぃな……。仕返しか?」

三回去勢しろ

 指の近くで美しい瞳が不安気に揺れている。

 

 

 

 はっは~ん……さてはこれ……、

 

 

 

「怒ってる……?」

 

 

 

夢かぁっ!!!!!

 

 

 

「手熱くね?発熱してるんじゃねーか?」

アコラスー?

 もう片方の手も頬に添えると、困惑した顔になる。だが、手はまだ払われない。

やっぱり土地よ

「うぐぐぐぐ……ぁ……熱い!急に冷たい手で触ったの、そんなに怒ってんの!?」

時代は土地転がしよ

 顔がだんだん赤くなってきた。

たぶんそいつ土地持ってないよ

「なんかしゃべれよ……」

地主とかいいと思う

 しかも、弱気になっている。

 

地主になろう

 

 夢ってすごいな!?!??

 

持ってる奴から土地略奪しよう

 

 胸触るか聞かれたり頬に手を添えられたり顔を赤くされたりするなんて、現実であるはずがなかったのだ。

 

 しかもこの夢、以前見たときよりも熱量がすごい。

 

てめー許さねーぞ

 

「お前にだったら、俺は───」

 

おい調子に乗るなよクソ野郎

 

「あっ。リーンだ」

ヨシヨシヨーシ!

 え。

 

 油の切れた機械が出すような音が出ているんじゃないかと思うくらい、首がぎこちなく動いた。

 

「いいいいや?わわわ私は何も見てないよ?ああでもアコちゃんが汚されちゃういやいやアコちゃんは13歳以上の女の子でアコちゃんから触ってたたししし二人とも顔真っ赤だし見てない見てない見てない……おおおおおおぁぁぁあああ!」

クソ女が珍しく役に立ったー!

 リーンが走って逃げていく。

 

 俺は黙ったまま、頬から手を離した。

やったー!

「うげー、熱かった……。リーンどこ行った?」

 

 アコは自身の手のひらを顔にあてて、リーンの走っていった先と俺を交互に見ている。

 

「……なあ、俺の頬を思いっきり殴ってくれないか?」

「は?そんなことしたら首の骨折れるぜ?」

「なんでも良いから俺を痛めつけてくれ」

「……じゃあ」

首の骨へし折ったれ

 ゴッ。

 

 脛を蹴られた。

 

 すごく痛い。

 

 ……………………ふぅ。

 

 俺も走って逃げた。

 

 

 

「おはよう、レド。目付き悪いな」

「どうせまた、いやらしいことでも考えているんでしょう」

「はははっ、そうだね───」

……今日の俺は機嫌が悪い

「声ひっくっ!」

 

 

 

§ § §

 

 

 

 近くの神殿を通りかかったある日、秋分はこの前過ぎたのに人が集まっていた。

 

「なあヴァイス。今日って何かあったっけ」

「いや特になかったと……あー、葬式やってるのか~」

「へぇ、棺桶の隣に立っている人の?」

「知らないよそんなの……待てや」

 

 興味なさげだったヴァイスが急に焦り出す。

 

「レド急にどうしたの?幽霊?いつもの珍獣ちゃんの幻覚?」

「何を言っているんだお前は」

「それはこっちのセリフなんだよ」

 

 ヴァイスがおかしなことを言い出したので、認識合わせを試みたが話がどうも噛み合わない。見かねたらしきブレウが口を挟んできた。

 

「レド、生前葬はここでは標準ではありません」

「そうなんだ……?」

 

 ブレウの話によるとほぼ全ての葬式は死後に実施であるとのこと。死後に実施することがあるのは聞いていたが、三割くらいだと勝手に思っていた。

 

「ブレウはよくわかったね。僕にはさっぱりだったよ」

「『葬式を死後に行うのは変わっている』という、とても変わったことを言われて困っている者から相談がありまして」

 

 ……なるほど。だからあのときあんな反応をされたのか。

 

 今さらではあるが納得していると、オカルト話をするときと同じテンションのブレウに、村の葬式の話を教えるよう言われた。

 

 そんなに面白い話なんてないけどなぁ。

 

「俺たちの村ではある程度の歳になると、あらかじめ葬式をするんだ」

「それじゃあレドは、もうお葬式してんの?」

 

 『形代』は失くしてしまったけれど、一応やっている。肯定すると、ヴァイスが顔をひきつらせた。

 

「あらかじめ、って何に備えてんのさ???」

「村から遠いところで死んでしまったら遺体を持ち帰るのが大変だろう。先に葬式をして、『形代』───木で人形っぽいものを作ったり、人によっては大切なものにすることもあるな───、それを墓に入れてラーヴァに捧げる。そうすることで、遠い地で死んでも魂が還ってこられる場所を作っておくんだ」

 

 ……あれ?ひきつった表情が戻らないな。安心させるために、俺は一言付け加えた。

 

「それにほら、敵に仲間の遺体を盾にされても、葬式はすませてあるから大丈夫」

「そこはあらかじめ、敵に遺体を盾にされないようにしようよ。何が大丈夫なのかわからないよ」

「そ、そんな」

「どうして僕がさもひどいことを言ったみたいな反応してるんだい?」

 

 まあ、仲間の遺体を無視して敵を攻撃するのは、こちらも良い気分はしないので、皆そうそうやらないんだけども。

 

「すでに生前葬をした者が、村で普通にお亡くなりになったときは、再度葬儀を行うのですか?それとも、その辺に放るのでしょうか」

 

 やけにウキウキとしたブレウが聞いてきたが、その辺に放る、って……、お前……。

 

「『形代』が納められた墓に埋葬するだけだよ。特別何かする、ってことはないかな」

 

 打ち捨てられた死体も埋葬された死体も、あるいは形代も、やがては朽ち果てて地に還る。しかし、野ざらしにしなくともよい環境なら、しないに越したことはないのだ。

 

「なるほど。それと一つ引っ掛かっていたのですが、『形代』とは、本来は身代わりになるものなのでは?レドが言うところによると、『形代』の方が本体になっていませんか?」

「うーん……。うまい言葉が見当たらなくてだな……、近い表現で言ったんだ」

「ほう。それでは、君の村には『形代』に別の呼び方がある、ということですか。それは何と?」

「自分の名前」

「なんか怖」

 

 さっきからやけにヴァイスがドン引きしているが、怖いだなんだといった話なら、一昨日くらいにブレウとネロが話していた、イーリオ教の生贄長距離走の方が圧倒的に怖いと思う。……真偽はともかくとして。生贄の心臓をえぐり出して頭を切り落とすという行為を、湾に沿って一定距離間隔ごとに神子が行うという儀式らしいが、もはや何が目的だかさっぱりわからない。箱に詰めるという話は、また別なのだろうか。……偽の方が強そうだな。

 

 他にここと違う風習はあるか、と根掘り葉掘り聞かれているうちに、故郷のことをあっさり話せている自分に驚いた。思い出すのも久しぶりだ。あれほど頭からずっと離れずにいた出来事もあったのに。

 

 ここぞとばかりにブレウが質問し、それに答えることをしばらく続ける。ある時、ヴァイスがポツリと言った。

 

「古代の山の民みたいな感じで、いかにも恐ろしげなお面被って、侵入者射ってそう」

「あのなぁ。そんなもの皆被ってないから」

 

 怪しい本でも読んだのか、と疑ってしまう彼の発言に俺は言い返した。全く失礼な。だいたい、面をつけたら、敵に顔を覚えてもらえないだろう。

 

「じゃあ……、一番強いやつが村長!みたいな決め方してそう」

「いいや、村で一番強い者が自分を最もうまく使いこなせる人物を選ぶんだ。ちなみに一番強い人物が自分が村長になりたいと言い出したら、序列二位から十位までが三日三晩囲んで棒で叩く」

 

 つい、指で額に触れる。番外だけど補佐で参加して、気を抜いていたら額割られたっけ。あの時は驚いたなぁ。

 

「戦闘民族的な何かで?」

「あのな……そんな不名誉な言い方は止めてくれ。むしろ、ラーヴァの教え───、村で守られている規律の下、戦闘行為を良しとはしていないからな。一方的な攻撃なんてもってのほかだ」

 

 ……今の自分には守る義務のないルールだ。けれど、判定基準が与えられ、自分で考えなくてよくなるから、(逃げ)なのだ。だから守っている。

 

 

 

「あれ?すごく怒ったレドが、逃げる僕たちを一方的に追いかけ回したりしたこと、あったよね」

「……喧嘩の売り買いがあったから問題ない、としている」

「ルールを都合良く解釈してないかい?」

 

 

 

§ § §

 

 

 

 秋が深まり、冬が見えてくる夜。俺は部屋で独り言を呟いた。

 

「アコ、かぁ……」

 

どうも不思議としっくりこない。呼び慣れていないからだろうか。

 

 なぜ今さら名前呼びをしようとしているのかというと、リーンに『レドくんって、アコちゃんのこと、名前で呼ばないよね。いつも二人称ばっかりだよ?』と言われて、あることに気がついてしまったためである。ちなみにリーンの話し方は、『アコちゃん……アコちゃんが……汚されてしまった……。私はこれから泥をすすって生きていく……』と言って、もとに戻っていた。

 

 ……アコも、俺の名前を呼んだことはないよな。

 

 いまだにまともな自己紹介すらしていないことと、彼女の物事への関心の向け方的に、俺の名前を知っているかすら怪しい。

 

 対して俺があの子のことで知っていることは……確実なのは名前。それから、おそらく暖かくて大味な食べ物が好きで、寒いのは苦手で、それから、それから……。

 

「……知っていることが少なすぎる」

 

 趣味も、出身も、誕生日も、家族はいるかも、一番嬉しかった思い出も、好きなことも、嫌いなことも、これからの目標も、何も知らない。

 

 聞いてもなぁ……。普通の質問でも、彼女はまともに取り合ってくれず、はぐらかしてくることが結構多いのだ。答えてくれるのだろうか。……それでいて、こちらが喋ろうとしたことを未来予知でもしたのかというくらいに、ぴたりと先読みして、質問の答えを先に言ってきたりもするのだから、読めない。

 

 いっそ踏み込んで、数打ちゃ当たる方式で、今以上にあれこれ聞いてみるか。しかし……、もう少し仲良くなってからの方が……。仲良く……例えば、名前呼びとか。

 

「うーん、アコ、さん?いや、これよりかはやっぱりアコの方が」

 

 モゴモゴと名前を呼んでみたものの、途中で恥ずかしくなりやめる。

 

 こういうときは一人部屋でよかったと思う。

 

 

 

 最近数字が良いと喜ばれる、いつもの検査を終え、暗くなり始めた時間帯に校内を歩いているとアコの姿を見つけた。

 

 なぜか教官たちに囲まれており、彼女が撃つたびにあれやこれやと話しているので、射撃が非常にうまいのかと思いきや、どれもびっくりするくらい外れていた。そもそも銃はそんなに命中率はよくないが、動かない的に対してあれはひどい。わざとはずしているのではないか、というレベルだ。

 

 そのうち教官たちは議論に熱を上げ、彼女は蚊帳の外でぽつんと立っていた。

 

 ……よし。

 

 自然に、ごく自然にだ。今さら急に名前呼びしてきた、とは思わせない自然さを出していこう。

 

「ア───」

後ろ後ろアコラス後ろ

 まるで誰かに教えられたかのごとく、声をかける直前にアコは振り返ってきた。

 

「───あっあっあ~、今日は喉の調子が何か変だな。おっかしいな~、声変わりは終わったはずなのにな~。……おっ、どうした?」

 

 とっさのごまかしに、彼女は不思議そうな顔をしている。

 

「てめーこそどうした」

「いや、何も問題ないので気にしないでください、頼むから。ところで、こんな時間まで何をやっているんだ?」

 

 聞いてみると、出来が悪かったため居残りになったが、撃っても撃っても全然ダメ。本人の特性を鑑み、近づいて殴ったほうが早い、という結論に落ち着きはしたものの、あまりも当たらなかったことに、教官たちは勝手に分析で盛り上がっているらしい。

 

 若干落ち込んでいる様子の彼女は、触角がへたれていた。

 

「得手不得手は誰にでもあるからな。そういうこともあるって」

「うむ……」

「今日はこれで終わりにしていいか聞いてきたら?」

「おー」

 

 話が終わる気配のない教官たちに、アコはててて……と駆け寄り、短く言葉を交わすと、再びこちらに戻ってきた。

 

「今日のところは帰っていいってよ」

「よかったな」

 

 そして、俺たちは自然と歩き出した。

 

「ったく、全然終わんねーし。ほったらかしにされるし。結局次補講だし。何だったんだ」

 

 アコは落ち込みがちだったものの、次第にぷんぷん怒り始めた。顔が良い……。

 

「まあまあ。人間、何かに熱中になっていると、他のことには意識が薄れがちになるものだから」

「それあんたのことじゃない」

どさくさに紛れて

 そうそう俺の……、───いつもと何かが違う!?

 

 ぎょっとして横をみれば、いつも通りの雰囲気のアコが、手を握ったり開いたりを何回かしてから、ポケットに突っ込んでいる。

手を繋ごうとすんな

「さみー」

 

 ハッとして、もっと大切なことに気がついた。

 

 今……1メートル以内の距離感で、一緒に歩いている!?!??

 

「もしかしたらこれは夢かもしれない」

「おいどうした。頭打ったか」

「元気元気超元気」

「お、おー」

 

 少し引かれた。よし、現実だ。

 

「夢だったら、もっと滅茶苦茶なはずだよな」

 

 何気ない、ただの独り言のつもりだったが、思わぬ反応が返ってきた。

 

「夢が滅茶苦茶?……そんなことあっか?」

「夢って結構抽象的で、つじつまの合わない内容だったりするだろう。夢を見ているときはわからなくても、起きてみるとおかしいことに気がつくようなさ。それを『滅茶苦茶だ』と言ったつもりだったんだけど……」

「ちゅーしょーてき……?」

 

 アコは本気で不思議がっている様子だ。さっぱりわからないと顔に書いてある。

 

 試しにどんな夢を見るのかと彼女に問うと、

 

「この間の筆記試験の前夜、試験範囲の講義見たぜ」

「それでも、過去の体験と完全に一致する内容ではないだろう?どんな夢でも、曖昧なところや現実とは違ったことがあったりとか」

「……?いつも現実の光景と全く同じだろ。違うことなんてあんの?」

「え?」

「は?」

 

 過去の体験と全く同じものを夢で見るなんてことあるか?そうであるならば、随分変わった……、いや、自分と違うから変わってるなんて決めつけるのは良くないな。そういう人もいるんだろう。

 

 アコのことをまた一つ知ってしまったな……と感動しながら門を出たところで、彼女は俺とは異なる方向、町の外の方へ足を向けていた。

 

「なあ、いったいどこへ行こうとしてるんだ?」

 

 アコはふふんと鼻をならす。そして、胸を張って、あることを言った。

 

 

 

「───ねぇ、レド?聞いてる?」

「聞いてる聞いてる。顔が良いよな」

 

 呆れた目で見てきたヴァイスは言った。

 

「本当に、いつも珍獣ちゃんのことで頭がいっぱいだね、やれやれ……。誰も今顔の話はしてないよ。やばい地元選手権大会ね、審議の結果、レドは大会出禁になったから」

 

 帰ってきてからアコのことを考えていたが、気がつけば自分の故郷の変わっていたところを話すという、ただそれだけの話題に巻き込まれていた。

 

 適当でいいやと思い、流れのならず者の話をしたところ、俺は評価対象外にされてしまったが……どうでもいいか……。村の入り口付近の木に吊るす、というだけの話だ。干した獲物や収穫物の横に吊るしたりする、ただの夏の風物詩である。

 

 続いて北部の小さな町のヴァイス、首都に実家のあるリーン、南部の農村のネロときて、最後にブレウの順番となった。

 

「では、僕の地元……に伝わる、人魚伝説をお話しましょう」

 

 ブレウが切り出した言葉にリーンが返す。

 

「それなら私、この前ブレウくんのお家に行ったときに聞いたよ?」

「では、まずリーンの認識をお願いします。……ヴァイス、これはレギュレーション違反ではありませんね?」

「オッケー」

「えっと確か……、『昔々、地上に憧れた人魚がいた。正体を明かさずに人魚は一人の人間と仲良くなるも、ある時、その人間が盗賊に襲われて大怪我を負って死にかけてしまう。そこで人魚は自らの肉を人間に食べさせ、怪我を治す。しかし人魚は人間に正体がばれてしまったので、海の神が人間の記憶を消し、二人は二度と会うことはなかった。人魚も涙を流すごとに思い出を忘れ、その涙は琥珀となって今も海岸に打ち上げられている』───って、悲しい話だったよね」

「やっぱその話、さらっと人間が人魚の肉食ってないかい?」

 

 この話は、俺も伯父さんから聞いたことがあった。この人案外ロマンチストなんだな、という感想の方が強かったけど。……あれ?もっと、それよりも強いインパクトがあった気がする。今の話を聞いていて、俺は引っ掛かりを覚えた。

 

 ブレウは少し下がってきていたメガネの位置を直してから言った。

 

「それは子ども向けに話をマイルドにしたバージョンですね」

「人魚が肉食われてるのに?」

「一番メジャーとされているのは、……『人魚は定住の地を探す旅人と出会い、交流するも、ある時、他所者である旅人は近くの町の人間により殺されてしまった。人魚は旅人に自らの血肉を与える。旅人は復活するも、不死になってしまい、人の世では定住できなくなった。また、人魚は掟を破ったために魂が砕ける。そして、旅人は覚えている者がいなくなるほどの時間が経ってもなお、人魚を探し、永遠に放浪し続けた』というものです」

「実は地元の人が食料危機かなんかで、ふらっと現れた他所者を食べたのを、人魚だなんだと言い分けしてぼかした話じゃないかい?ねえ?」

 

 先程からひたすら食肉に突っ込んでいたヴァイスに、ブレウがニヤリと笑う。

 

「さらに古くは、また異なる話だったことが僕の調べでわかっています」

「───『人魚の願いを叶えるためにやってきた旅人は、人魚に血肉の全てをむさぼられる。結果、旅人は魂を失くす。嘆いた人魚は旅人の魂を探し、さ迷い続けた』」

「おや」

 

 淀みなく、すらすらと口が動いていた。そうだ、この話を誰かから聞いたのだ。この女性いきなりなんて話をし出すのだろうか、と忘れがたい印象だったはず。

 

「知っているとは珍しいですね。これが語られていたのは相当昔なのですが」

「……ああ。どこかで教えてもらった、ような」

「───やっぱ食べてるじゃん!他所者食べてるじゃんっ!ほらぁ!何が『探し続けた』だ!探し物は腹の中だよ!」

「長い間語り継がれていくうちに、人魚と旅人の役割が反転したり、混ざったりしているのは興味深いですね」

「最初からハッピーエンド目指していこうよ!」

 

 騒ぎ出したヴァイスが「北部ごく普通の町VS劣悪労働環境首都VS猟奇的な幼馴染がいた南部農村VS東の食人疑惑町か~。逆に北部強くない?」と言い出したので、満場一致でヴァイスが優勝となった。良かったな。

 

 おめでとうと祝ったのに、全然うれしくないから景品でもくれと、今度は文句を言い始めた。彼はとりあえず放っておこう。そう思い始めた時、ネロが口を開いた。

 

「……すごいことを思い付いた」

「ネロちゃんどうしたの?」

 

 そして、

 

「肉を削いでは治癒魔術で修復を繰り返せば、無限に肉が手に入る……。無限食肉加工……」

「ネロちゃん!?」

 

 いきなり恐ろしいことを言い出した。

 

 なおネロの発言にビビっているリーンは、退学勧告へのスコアが貯まりきるか、卒業まで逃げ切れるかで少し話題になっていた。なんでもこの間、幼い子どもを拐かしていた輩をたまたま見つけて襲撃したところ、捜査をしていた憲兵と鉢合わせ、誤ってその人たちも殴ってしまったらしい。結果、誘拐犯とともに一旦御用となったものの、休日釣りの予定をキャンセルした教官が、呪いの言葉を吐きながら詰所までリーンを引き取りにいったことで、嫌疑は晴れたんだとか。

 

「勉強不足お疲れ様。それがそんな簡単にできたら苦労しないよ」

 

 ネロのトンデモ発言にヴァイスは溜息をつくと、

 

「欠損部位を復元できるか、っていうのは理論上可能、実現不可能って言われてる。見かけ上うまく作れても、皮の下どころか皮もまともな出来じゃないだろうね。体の超詳細な設計図があって、頭の働き全部回しても足りないほどの魔術制御能力に、膨大な魔力子があれば、腕一本くらいは作れるんじゃない?っていうかこの話止めない?血なまぐさい話題じゃなくて明るいこと話そうよ」

 

 そう言って、俺の肩に手を回してきた。

 

「明るい話題と言えばさぁ……。珍獣ちゃんとは最近どうなのよ」

 

 明るい話をするのは歓迎だけど、こっちに絡まないでほしい。というか、なんでいきなりあいつの話になるんだ。

 

 俺は嫌々ながら答えた。

 

「どう、って……いつも通りだけど」

「そうじゃなくてさぁ!どっか遊びに行くとかさぁ!例えば今年の冬至祭誘うとかさぁ!!!───なんでリーンが涙目に?」

「リーンが冬至祭の話題を出した瞬間にあいつの機嫌は急降下して、俺たちが目を離した隙にいなくなっていた、という出来事があってだな」

「冬至祭が悪いんじゃなくて、きっとリーンかレドが変なことをしたからだろうね」

「リーンはともかく、俺は何もしてないからな」

「でもいつかにリーンが叫んでたじゃん。『レドくんがアコちゃんの頬をつかんで、無理やり手込めにしようとしてたぁああぁうぁー!脳が破壊されるぅぅぅうう!!!』って。……あ、思い出したリーンがアウアウしか言わなくなった」

 

 このアマ。

 

 ……おかしいと思ったんだ。急に同期の女子たちに囲まれ、「無理やり迫るとかマジありえんのよ?」「犬猫みたいな扱いしといて貴様。もう少し相手の気持ち考えてみなさい」「将来ロリコン変態野郎になってそう」「君どうせ何もできてないんだろうけど、あのさぁ」「あんたの感情、ちょっとおかしいわ」と怒られたのは。

 

「まず、リーンの発言は誤解だ。俺はあいつに何もしてないからな。いつも……、それに今日も」

 

 ぐずるリーンの頭をガンガン叩いているネロを尻目に、俺は必死に弁解した。加えて、軽く今日の経緯を説明する。

 

 すると、しばらく聞き手に徹していたブレウが、唖然とした表情をした。

 

「……は?一緒に帰る機会があったのにも関わらず、送りもしなかったのですか?」

「『どんぐりを採りに行く。いっぱい拾って売るんだ。……ふっ、一人でな』と、それはもう自信満々に言っていたからなぁ。流石にどんぐりは間違えずに採れるだろうから、俺はその背中を見送ったよ……」

「チビ───ごほん、一応あの見た目ですよ。夜遅くに暴漢や人買にでも襲われたらどうするんですか」

「はぁー?あいつはその辺の有象無象になんか、絶対に負けないんだけど???」

 

 

 

§ § §

 

 

 

 年も終わりに近づく。卒業試験も特に何事もなく終わり、後は結果を待つのみである。

 

「大丈夫か、あいつ……」

「どうしたのさ、レド」

「なんでもない」

「それにしてはため息が重いよ。……あー、珍獣ちゃんが心配とか?試験通るかが気がかり的な」

「それについては特に心配してない」

「おっ、意外」

「ただ、道の草を食べて、お腹を壊してないかが心配で……」

「レドの中であの子はどういう扱いになってんの?」

 

 アコのことでキリキリと胃を痛めている俺に、ブレウが平然とした様子で話しかけてきた。

 

「ああ、彼女なら、普通にこなしてましたよ。それどころか、罠への探知能力は野生動物並みですね。土の色が違うからわかったと言っていましたが、いったいどんな色彩感覚をしているんだか」

「草はかじっていなかったか?」

「何を言ってるんだ、君は。……魚の缶詰を欲しそうにしていたのであげましたが」

「まさか。ブレウ、お前も餌付けを……っ」

「違います。僕を巻き込まないでください。……あのですね、いつまでもそんな態度でいいんですか?」

 

 何を急に、と言おうとしたとき、続いた言葉が心に刺さった。

 

「卒業したら、もう会えなくなる可能性もあるのでは?」

 

 もう、会えない……?

 

 

 

 彼女の姿を見かけて以来、一切川には寄り付かないようにしていたが、最後の休みの日の散歩は気がつけば橋にいた。

 

「なん、だと……」

 

 彼女は一人ではなく、年下の少年を連れている。姉弟だろうか。だが、遠目から見ても、あまり似ているようには思えなかった。

 

 早速この日も手掴みした魚を少年の鼻先に突きつけて、自慢するそぶりを見せていた。俺も自慢されたい。

 

「こんなところで這いつくばって……、レドは何をしているの……」

 

 怪しまれないために、橋でうつ伏せの態勢を取っていたところ、ネロが偶然通りかかった。

 

「踏まれたいの……?」

「お前に踏まれる趣味はない。あれを見てくれ」

「何を見て…………遠っ」

 

 俺の視線の先にあるものに気がついたネロはしゃがみこむ。

 

「……覗き?」

「覗きじゃない。生態観察だ」

「……神はそれを覗きとおっしゃると思う」

「覗きじゃない。ネロこそ、こんなところでどうしたんだ」

「神殿まで行こうと思ったの……」

「方向が全然違うぞ。───ハッ」

 

 時々まだ焼けていない魚に伸ばそうとしたアコの手を、少年はべしべし叩き落としている。良い判断だ。生焼けは良くない。

 

「伏せろっ」

 

 不意にアコがこちらを見た気がしたため、ネロの顔面を橋に叩きつけ、身を低くさせる。……よし、気づかれていない。そのまま息を潜め、魚が焼け、食べてから撤退するまでを見届ける。

 

 さあ帰って荷造りをするかと立ち上がったところで、鼻から血を流しているネロによって、橋から冷たい川へと叩き落とされた。

 

 

 

 ぽたぽたと水滴を垂らしながら歩く道すがら、俺たちはヴァイスと出会った。

 

「うわっ、ネロ、顔に血がついてるじゃん。ほらハンカチ。拭きなよ。レドは魔術で乾かしたら?」

「体が水でかなり濡れていたり、雨が降っていたりすると、魔術の制御がうまくいかないんだ。下手すると全身が炎上する」

「お、良いこと聞いた。ネロ、今度一緒にレドを水攻めしよう」

「する……」

 

 ネロが顔を拭き、俺はずぶ濡れのまま、ヴァイスに二人で何をしていたのかと問われた。答えようとしたが、ネロに手で制される。

 

「罪を重ねないか見張っていたの……」

「珍獣ちゃん関連かー」

「あのなぁ。俺は橋の上で這いつくばって、寒空の下、川で魚を獲るあいつの姿を観察していただけだよ」

「よくそれを『だけ』で収めようと思ったね。大丈夫?いきなり肩に担いで誘拐とかするなよ?」

「するわけないだろう」

 

 全く……。心外だな。俺をいったいなんだと思っているんだ。

 

 

 

§ § §

 

 

 

 ただの勘。

 

 それだけで俺は走っていた。

 

 卒業の後の懇親会に姿がなかった。漠然とした不安に心を動かされ、町の至るところを探した。

 

 三年も過ごした町。頭に地図は叩き込まれている。少々()()をして、小道へ降り立つ。

 

 ……見つけた。帽子を被っていたが、亜麻色の髪が雑にはみ出している。

 

 後ろから声をかけるも、足を止める気配はなかった。さらに近づいて大きな声を出す。

 

「おい!聞こえてるかー?」

 

 アコは眉間にシワを寄せた顔をして振り返った。

 

「……なんだよ」

「なんだよ、ってお前なあ……」

 

 いつも通りの不機嫌そうな声に、少し安堵する。よかった、間に合って。

 

「卒業式後に懇親会があるのにどこにもいないから、まさかとは思ったけど」

「懇親会?」

「マジか……」

 

首をかしげるアコを見て、思わず天を仰いでしまう。

 

俺もリーンも、冬至祭のこともあってその手の話題にあげなかったから、他に知るルートがなかったのだろう。

 

 それにしても、今からどこへいくつもりだったのかは不思議だ。あの弟っぽい子に用事だろうか?

 

 ……だとしても、今日いつもより長めに話すくらいなら……、許される……はずだ。

 

「今からでも全然間に合うから、ほら」

 

平静を装って誘うが、それはあっけなく断られた。

 

「いや、今夜首都行きの切符があるから無理」

 

 なるほど、今夜首都行きの。

 

「───はあ!?もうお前首都行くのか!??」

「と、いうわけだ。じゃあな」

「待て待て待て待て待て、もっとこう卒業の嬉しさとかを分かち合ってだな」

「知るか」

「今夜の汽車ならギリギリ…、あ、例年夜まで騒ぐから無理か」

「じゃあな」

「ちょっと待ってちょっと待って」

 

 今にも立ち去ろうとしている姿を留めようとした。だって、俺は……っ。

 

「ほら、お前どこ配属とか……。俺は」

「第一課だろ、知ってる」

「お、おう。……って走るのは早!」

 

 もう少しお前と話したいと伝える前に、さらっとと返された一言に動揺してしまう。

 

 その間にアコは走り出していた。相変わらずの身体能力の高さだ。いや感心している場合じゃない。下手すると追いつけない。

げっ!

 その時、強めの風が吹いて、帽子が飛んだ。

 

 振り向いたアコの顔には焦りの表情が滲んでいる。走り出しのタイミングと予想外の風の強さにうまく押さえられなかったようだ。

クソクソクソクソクソ

 少し長くなった亜麻色の髪が帽子から溢れ出て広がるのは、幻想的な光景だった。

ちょっといい感じに吹くな風!

 飛んできた帽子をキャッチする。というか、ちょうどこちらの手元に収まった。

 

「……」

「……」

 

 アコは気まずそうにしている。すごく気まずそうに伏せ目がちになっている。やべー、どうしよう……、と触角までへたっている。

 

 慎重に近づいてみたところ、逃げなかったため、俺はアコに帽子を差し出した。

 

「はい」

「……うむ」

 

 風で荒れた髪を手櫛で整えてから、彼女はばつが悪そうに受け取る。

あーもー、ダメだわこれ

「なんだよ、じろじろ見やがって」

……仕方ないわね

 そっぽを向かれ、それに合わせて髪がさらりと動いた。

はあ……、手がかかる

 髪が伸びてきたから、また切って売ると言っていたっけ。長めの状態を見る機会はほとんどないから、少しもったいないな。しかし、嬉しそうに髪を切る話をしていた姿を思い出すと……、彼女がやりたくてやるんだからいいか。

 

 ───いや、待て。

 

 ショート、ミディアム、ロングを拝む機会があるから三百倍お得……っ!?

 

「いつまで見てんだ」

 

 であれば、今の姿を目に焼き付けておかねばならない。

 

「お、おい、オレの顔に何かついてんのか?」

 

 ……はー、顔が良い。

 

「う、う、う……うがぁぁぁあああああ!!!!!なんだよ!さっきから!!!礼の一つでも言えってか!?」

「うわ、急に怒鳴るな。驚くだろう」

「自分自身には問題がない風に堂々と言ってんの、なんかムカつく……っ」

 

 アコは大きく息を吐いた。

 

「…………ありがと。これも大事なものだから、失くさないでよかった」

 

 そう言葉にした時の顔は、ほんの少しだけ、表情が柔らかくなっていて。

 

 

 

 まるで、心臓をぶち抜かれたかのような、そんな感覚に襲われる。

 

 

 

「お前にだったら、俺は殺されてもいい」

 

私が貴様をぶち殺してーんだわ

 

 結果、衝動的に俺はとんでもないことを言ってしまった。

 

「…………は?」

 

 アコはぽかんと口を開けて、呆然としている。

 

 ……ふぅ。

 

「お前の瞳はキレイだよな!!!」

「へ」

「まれに透き通るガラス玉のごとく輝いているときは特にそう思うな!時にガラスと言えばステンドグラスを大量に使用した神殿が中央大陸にあってそれはもうすごいらしいな!」

「ちょ」

「しかも一年に一度だけ特別な位置に光が差し込むように計算されているとかなんとかかんとか!!!はっはっはっ!!!」

 

 ごまかすために結構な勢いで捲し立てた。自分でも何を言っているのかよくわからない。アコもきっとそうだろうと思っていたが、意外な反応をされた。

 

「きっとそんな感じで瞳キレイ!うん、すごくキレイ!!!!!でもそれより───」

「……オレは好きじゃない。こんなもん、キレイでもなんでもねーよ」

 

 何を言っても『かっこいい』に変換するのが常なのに、一体どうしたんだ!?

 

 落ち込んでいる様子にとっさに言い返す。

 

「そんなことないさ。琥珀色で、時々キラキラしてて……」

「こはく?なんだそれ」

 

 アコは不思議そうに首をかしげた。

 

「宝石だよ。大昔の樹液が化石になってできたものなんだ」

「かせき……。古い木の汁でできてんのか。ばっちい」

「ネバネバもドロドロもしてないから。固まって透明な石になってるから。宝石だから」

 

 へー、と相槌を打たれるが、たぶん想像ついてなさそうだな。

 

「飴もさ、ドロドロしてても冷えると固まるだろう?それと……結構かなり違うと思うけど、何千万年も前、樹液が地面に落ちたあと、長い時間をかけて地中で固められてできる……らしい」

「まんねん。まんねん……?それって、どこ行くと見れんの」

「ええ?宝石店とか?それと……博物館かな」

「博物館……。ふーん、学芸員がいるとこだ」

「そうそう。行ったことある?───うぇ゛っ!?」

 

 何気なく聞いただけで、深い意味はなかった言葉に、アコはどういうわけか眉間にしわを寄せていた。キリキリと目尻を吊り上げようとしているのはよく見るが、それとは違う。いつもよりも怒っているのだ。

 

「……ムカつくこと思い出した」

「今のはお前のことが知りたくて聞いただけで、嫌な思いをさせたかったわけではなくてだな」

 

 どうにか言い繕おうとする中、次に聞こえたのは普段通りの調子の声だった。

 

「───昔、博物館にも今度行こうな、って言ってきたヤツがいたんだ」

 

 うつむいて、どんな顔をしているのかわからなくなる。

 

 下手に喋ってはいけないような気がして、俺は黙って次の言葉を待った。そうして、二人して黙りこくってからしばらくして、ようやくアコが口を開いた。

 

「他にも色々口うるせーんだよ」

 

 ポツリ、ポツリ、とここにはいない『誰か』に怒っている。

 

「いつかあれをしようこれをしよう、だの。オレはよく考えもせず信じてた」

 

 いや、『誰か』には本当に怒っているわけではない。

 

「でも……、結局、どこにも連れてってくんなかった。アイツは嘘つきで、オレは馬鹿だった」

 

 怒っている以上に、悲しんでいるのだ。

 

 どこのどいつだ。この子にこんな悲しい思いをさせた輩は。ぶん殴りに行きたい。

 

「だから、行ったことなんかない」

準備かんりょー

 だが今は、いつもよりも小さく見える、その姿を放っておけなかった。

 

 悲しませたくない。

 

 悩んでいることや辛いことがあるのなら、力になりたい。

 

 どうすればいいかなんて答えはないまま、手を伸ばしていて───、

 

さ、くだらない話は終わりにしましょ

 

「触らないでくれる?」

 

 

 

 ───届くことはなかった。

 

「な……っ?」

 

 彼女は今までにないほど、冷たい目をしてこちらを見ている。

 

 そこで俺は、自分の手の甲がじんじんと痛むことにようやく気がついた。

 

「ほんとしつこい。ったく、穏便にずらかろうと思ってたのに。毎度毎度邪魔をする……」

 

 ……叩かれていたのだ。

 

「ふふっ、そーだ。ねぇ?」

 

 少しずつでいいから知っていきたい、そう思っている女の子が笑いかけてくる。

 

「私のこと、知りたいんでしょ?……私があなたをず~~っとどう思ってたか、とか」

 

 知りたい。すごく知りたい。超知りたい。

 

「教えてあげる」

 

 だが、見たことのない表情(かお)を向けられ、

 

「───気持ち悪い。あんたなんて、死んじゃえばいいのに」

 

後ろから頭を殴られるくらいの衝撃を食らった。

 

 

 

 気がつくと、俺は椅子に座っていた。

 

「アハハハハハッ!フラれてやんの~!!!ブレウ聞いた?珍獣ちゃんに逃げられちゃったらしいよ!」

 

 ゲラゲラ笑いながらヴァイスが肩をバンバン叩いてくる。その反対には、ブレウが一席分空けて隣にいた。……ここまでどうやって戻ってきたのか、正直全然覚えていない。

 

 色々と物申したいが、まず訂正すべきことを言った。

 

「フラれてない。そもそも、す……そういうことを言ったことも、思ったこともない」

「想像以上に情けないこと言い出しましたね、この後ろ向きポジティブ」

「かわいいと思ったこともない。顔が良いという客観的な事実を常に思っていただけだ」

「主観的な事実は?」

「顔が好み。それだけだから」

 

 部屋の隅で何人かが石を作り始めた。何に使うのだろうか。……ん?さっきまでずっと「アコちゃーん……。私を捨ててどこへ……」としくしく泣いていたリーンが、投石フォームの練習を始めたぞ?

 

 ヴァイスは大きくため息をついた。

 

「はぁ~、もう素直に認めちゃえよ。心配だの世話だのじゃなくてさぁ。なんなの?認めると死んじゃう病気なの?」

「前も言ったけど、そういうのじゃ」

「はいはいわかったわかった。それは置いておいて、すでに珍獣ちゃんと出会える確率もかなり下がってるんじゃん?だったら、彼女のこと吹っ切って新しい方向へ進むか、また会おうとするかにせよ、自分の気持ちにもうちょい向き合ってみなよ。いつまでも同じ状態で燻るんじゃなくてさ」

「ぐっ」

「まっ、こっぴどくフラれてるからな~。はははっ」

 

 ……自分の、気持ち。

 

「あいつに、気持ち悪い、って言われたんだ」

 

 その瞬間、ヴァイスとブレウが距離を取り、そこそこ大きい声で話す。

 

「ついに気づかれてしまったか……」

「まずいですね、レド係を押し付けようとしていたのですが」

「まだだ。レドは珍獣ちゃんを与えている間は、大人しくなるんだ。珍獣ちゃんが道端の虫を見て気持ち悪がった可能性を、まだ諦めるな」

 

 内緒話を終えた二人が戻ってきた。全部聞こえていたからな。

 

 だが、今はそれよりも気になることがあった。

 

「何かが変なんだ。気持ち悪い、と手を叩いてくるのは……」

「一応、違和感を感じた理由を聞いてあげよう」

「解釈違いなんだ」

「そういうとこじゃないかな」

「グーで殴るんじゃなく、パーで叩くなんて……」

「チョキで目潰ししてやろうか?」

「ヴァイスにされても嬉しくない……」

そういうとこだよ

 

 他にもあれこれ罵倒された気がするけど、初擊の威力ですでに瀕死だったから、全く頭に入ってこなかったなぁ……。しかし、言い回しや行動が、どこかいつもと違ったような。

 

 三席分空いて隣のブレウが言う。

 

「やっぱりもう二度と会わないようにした方がいいじゃないですか?」

「…………」

「あ゛っつぅーーーっ!?レドさんレドさん!?燃えてる燃えてる僕の袖燃えてるぅぅぅう!!!!誰かー!?水!!!!水魔術やって!?」

 

 

 

 ヴァイスに頭から水をかけてくれた同期が残念そうな声をあげた。

 

「ええ?珍獣ちゃんこないんですか~?」

「仲、良かったのか?」

「そういう訳じゃないんですけどぉ、ほら、珍獣ちゃんを授業や演習以外で見かければ、その日は良いことがあるって噂があるじゃないですか。だからアタシ今日来たのに」

 

 騒ぎを聞きつけ、周りに集まってきていた人がガヤガヤと話す。

 

「俺、出掛けたとき、珍獣ちゃん見かけてさー。良いことあるかなって思ってたら、ホントにあってビックリしたわー」

「私も私も」

「そういう妖精だか小動物の話あるよな」

「なんだっけ。ゴリラだっけ」

「ゴリラってずいぶん昔に絶滅した伝説の生き物らしいよ」

「力が強いらしいな」

「校舎に取り憑く妖怪の類いだと思っていたが、まさか同期だったとは」

「珍獣ちゃん、ちっちゃくて可愛いよね~」

 

 だ、大人気……っ。

 

 ブレウが冷ややかな目をして俺を見てきた。

 

「なぜ感動しているんですか」

「俺やリーン以外にも、ちゃんと人と話せているなんて……!」

「話せるでしょうよ。この間の試験で初めて話しましたが、かなりふてぶてしい態度かつ馴れ馴れしかったですし」

「なれ、なれしい……?」

「僕は何もしていませんからね」

「ふてぶてしい……?」

「おい聞こえていないのか貴様」

「う、羨ましい……っ!なぜ……俺にだけ、急によそよそしかったり警戒されたり……。俺だって……、俺だって……馴れ馴れしくされたいぃぃいいいっ!!!」

「うっせーな」

 

 珍しくブレウの言葉遣いが乱れた。そして、完全にめんどくさがっている雰囲気を醸し出しながら俺に聞いてくる。

 

「失礼。……そもそも、あれの見た目以外のどこに、良いところがあるのですか」

「…………変幻自在、不定形で自由なところ」

「それはアメーバに対する評価であって、仮にも人に向けて言うことではないです」

 

 いつの間にか水の入ったバケツを持っていたヴァイスが言う。

 

「ほら早く素直に想いをゲロっちゃいなよ。もうめんどくさいのよ。勘弁してくれよ、皆できれば関わりたくないんだ」

 

 ……初めて見たときの瞳は、薄暗い場所でも、ガラス玉のようにキラキラしていて、ずっと見ていたかった。

 

 澄んだ声で楽しそうに語る、そんな話を何回でも聞いていたかった。

 

 握ってくれた手は、柔らかく、ひんやり冷たくて、あと少しだけ繋いでいたかった。

 

 不満そうにへの字になったり、嬉しそうに少しだけ緩んだりするさくらんぼ色の唇には、こちらの表情も吊られて動いてしまいそうになった。

 

 そして、顔。

 

 どこか寂しそうな笑顔よりも、一片の曇りもない、心からの笑顔が見たい。

 

「ぐっ……」

 

 どうしようもなく、自分の気持ちが欲深くなっていることに気がついた。

 

 今の気持ちを総合すると、自ずと一つの答えが浮かび上がってくる。

 

 ……これは仕方ない。

 

「これは性欲だから。俺も年頃だから。顔が良い子に、ちょっとムラムラしてただけだから」

 

 三大欲求なら、仕方ない。

 

 

 

 ヴァイスから水を掛けられたし、その場の全員から石を投げられたし、リーンにはめちゃくちゃキレられた。

 

 




ちゅぎからしゅじんこーしてんにもどりまちゅ


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13-1

アコチャン!


【N.C.999】

 

写真というものは不思議だ。

 

なんでも、光が当たると状態が変わる物質があって、それでうまいこと風景を切り取ってるらしい。うむ、わからんな。

 

指で四角を作り、グレイと猫の方に向けてみた。

 

「お師匠、何してるんですか?」

「秘密」

 

こっちの方がよく見える。

 

 

 

崖から大ジャンプで飛び降りたオレたちは、そのまま険しい森を直線に突っ切り、時々追い剥ぎを追い剥ぎし返したりしつつ、ある町までたどり着いていた。

 

逃亡先候補をいくつか挙げ、グレイに「えいや」で決めさせたところだ。オレが決めた訳じゃない。

 

鉄道沿線の町からはどんな乗り物でも回り道になるだろうから、ここまで到着する日数的にすぐに見つかることもない。来ていたことは、後からクリュティエにバレそうだが。嫌だ嫌だ。

 

「またおかしな言動をして……。昨日は昨日で、一人でどっか行っちゃうし。まったくもう」

「昨日のはただの散歩だって言ってんだろ」

 

グレイと時々会話しながら、気分を切り替えるために、オレはグッと背中を伸ばした。どうも前よりも調子があまり上がらないのだ。

 

ふと視線を感じる。

 

調達してきた物資を整理していたグレイが、手を止めてこちらを見ていた。

 

「なんだよ」

「ちょっと太りました?」

 

がーん!!?!?

 

腹をペタペタ触ってみるが、いつも通りな気がする。

 

「相変わらず貧弱そうな体だの」

「う、うるせー」

 

生意気なことを言う猫を小突き、オレは腹だけなくあちこちを確認した。確かに、ちょっと体のどこかが重くなったような気がしないでもなかったのだ。もしや筋肉か。言われてみると、そんな気がしてきたぜ。

 

「あっ、そういうことかー。うーん、栄養状態」

 

グレイはポンッと手を叩き、なぜか一人で納得し始める。なんだこいつ。

 

今度はオレのほうが手を止めてグレイを見る。するとやつは胸を指差した。

 

「今、特に詰め物してないですよね」

 

その発言に、思わず自分の襟の中を覗く。

 

「…………なんか、……なんかやだ…………」

「前はデカイ方がいいとか、文句垂れてたくせに」

「……だって、あの時は大して無かったじゃん。オレにはそんなん関係ねーはずだったし」

「今だってせいぜいまな板じゃないくらいで、大して無いです。───こらっ、ベッドの下に潜らないでください。モップごっこは禁止です。僕まで引きずり込むのもやめてください。寝てるときみたいに、また絞め殺そうとする気ですか」

「モップごっこなんてしてねーし。締め殺そーともしてねーし」

「頭にホコリついてますよ。あと、昨日ぎゅうぎゅうされて、肺が苦しかったんですけど」

「むっ」

 

しぶしぶベッドの下から這い出て、そのまま床に直接座り込む。

 

言葉にできない嫌な気分で頭がモヤモヤした。気を紛らわすために体についたホコリを払い落とす。上の服を脱いで背中側にもついていないか見てみる。

 

またはしたない格好を、と難色を示していたグレイは何かを思い出したように表情を変えていった。

 

「あの、怪我はもう平気なんですか?」

 

怪我?

 

一瞬何のことかと思ったが、その後すぐ思い当たる。腹刺したやつだ。

 

「とっくのとーに治ったっつーの」

 

なぜ治るのかはよくわからないのはさておき、今はきれいさっぱりいつもの腹になっていた。ちょっと変かもと気にしたこともあったが……、いったいオレはそんなこといちいち気にして、どうするつもりだったんだろ。よくよく考えてみれば前からそうだったし、便利だからいいかと今は思っている。

 

しかし、グレイはどうもお気に召さないようだった。

 

「治った、って……。どう考えても異常ですよ。治癒魔術だって、そこまで便利じゃない。当面は怪我をしないように気を付けてください」

「んなこと言われてもそういう物として、今まで生きてきたんだからわかんねーよ。もう良いだろ」

思わぬ伏兵ね

しっしっ、と手で追い払うも食い下がってくる。少しは悩めだの、オレの雑な説明ではさっぱりわからないだの、詰め寄ってきた。

駄犬が子犬を拾ってきたようなものだから

「もし何かデメリットがあったら、どうするんです。魔力子全然ないとか言ってましたけど、実はあるんじゃないですか?どうやってないことを知ったんですか?」

「昔周りから言われた。あと、この間、なんか背中の傷に指突っ込まれて、空っぽだとか、よく生きてるねとか、ほぼ死体とか言われたし」

「後半ヤバすぎて僕どうしたらいいかわかんない」

放っておいたけど

あまりにもしつこいので、オレは腹と背中を見せることにした。

 

「ほら、なんともねーだろーが」

「本当に傷一つないですね……。駆けつけたとき、いや僕は首根っこ掴まれていただけですが、あちこち血で真っ赤になってたのが嘘みたいです」

そんなことはなかったよね?

駆けつけた……?そんなことは……。

考えるだけ面倒でしょ?

あー、めんどくせーな。嫌な話はしたくない。

 

「いいか?傷が治るのも魔力子がないのも、悩んだって解決しそうにねーじゃん。だったら、そこに時間使うよりももっと別のことに時間割いた方がいいと思うぜ、オレは」

「ないことを証明するのは難しいですけども。───ご自身のパンツの中覗くのやめてください」

 

グレイはもう一度胸部を指差した。

 

「それを言うなら、()()()の方が悩んでも解決しない問題じゃないですか?」

 

どういうことか、とオレは首をかしげてみる。

 

「怪我の治りが早すぎる件については、デメリットがわからないから怪我をなるべくしない、という、とりあえずの回避策はとれる。でも女の子になっちゃってた(こっちの)問題は、じゃあ胸削ぎますか、なんて簡単にはできない。だから、それこそ現状保留ということで」

 

まあ、確かに、削いだりしたら止血大変そうだぜ……。うつむいて、むにむに胸を触る。触るのもまあまあ痛いし、削いだらもっと痛そうだ。

なんか腹立つわ

「しかし、なんで今さら」

「さあ?成長期じゃないですか?」

「身長はここのところ全然伸びねーのに……」

「認め、痛っ!?」

駄犬のくせに私よりあるの

口の減らねーやつだ。

 

「はぁ、やっと納得してくれた……。それにしても、髪、伸びてきましたね」

「早く切って売ろうぜ。あんまり長すぎるのは邪魔だしな」

「え~~」

 

不満気な声をあげたグレイは、オレの髪を頭の後ろにまとめてきた。首がスースーして変な感じがする。

げ、その髪型

「こうすれば帽子で隠すとき楽ですよ。帽子と言えば、そうそう。気に入ってた、あの帽子はもういいんですか?」

「知らね」

そんなことより大事な物があったよね?

そんなことより、オレは上げ底ブーツがクリュティエに取られたままなのが不服だ。あれ、オレにとっては高かったんだぞ。返せ。嫌がらせのように着せられた、金かかってそうで動きにくい服よりかは安いかもしれねーが。まあ、服は動きやすい方がいいぜ。

 

その観点からすると、今グレイにまとめられた、この髪型も悪くねーかも───、

 

「クリュティエさんの髪型も、こんな感じで後ろをシニヨンにしてましたよね」

下手に詮索されるのは厄介ね

前髪は髪型違うからと言われたが、全力でほどいた。

もうどこかで捨てないと

 

 

宿を発ってから、時々ぶつくさと言われる髪への文句は無視しつつ、オレはグレイについていく。調達で忘れていた物があるのでついてきてくれ、と言われたのだ。仕方のないやつめ。

 

「お前の用が終わったら、オレも寄るとこある。それ済ませた後、この町出るぞ」

「はーい」

 

返事をしたグレイは、どんどん市場ではない方向へ進んでいく。まるで勝手知ったる道を歩いているかのようだ。隠れ家的なところにでも向かっているのだろうか。

 

「なんか場所おかしくないか?」

「え~?そうですか~?よくわからないな~。あ、手繋ぎましょ。僕迷子になったら怖いので」

 

そういや、調達し忘れた物って何なんだろ。

 

そんな疑問が浮かんだ頃、グレイはある建物の前で立ち止まった。

 

「お師匠、こっちこっち」

 

そこには『薬屋』の看板が掲げられていた。

 

「お師匠、観念してください。木に登ろうとしない」

「いーやーだー!!!おい、手ぇ離せ!!!クソが!はめやがったな!!!」

 

薬も注射も苦しくなるから嫌いだ。

 

痛くて暴れても、たった一人を除いて、先生たちは見ているだけか、困ったように苦笑される。のたうち回っても解決しないのがわかったから、ぎゅっとして、痛くなくなるまで我慢するようになった。良い記憶なんて何もない。

 

「ほら、最近ぐったりしてますから。少しでも元気になれるようお薬もらいましょう!肩のところが大惨事になっていたときのように、もう返り血とは誤魔化されませんよ!?」

「絶対やだ!」

 

オレがその場から一歩たりとも動かないでいると、店から人が出てきた。なんだてめー!!!

 

「この方、薬師さんです。怖くないですよ~」

 

グレイの発言に、つい眉間にシワが寄る。あくまでもオレは、薬飲んだりするのが嫌いなだけだ。決して怖いわけではない。

 

そう抵抗し続けているうちに、薬屋の人が言った。

 

「話と違って元気そうじゃないか」

「そこをなんとか。あの人、ものすごく我慢できちゃうので」

「しかし、本人がああだと……。幼児よりひどい駄々のこね方だね、これは」

「なんだと!」

 

だから、決して、駄々をこねているとか、苦手とか、怖いとかではないのだ。

 

 

 

オレの寛大な心によって店に入ると、グレイと薬屋の人はすぐに話し出した。現実逃避気味に話を右から左へ聞き流せば、グレイに袖を引かれる。

 

「───というわけで、ちょっとダルそうです。以前よりも余暇の時間が活動的ではなくなって、じっとしていたり、元気がないことが多くなったような気がします」

 

なんだその勝手な言い草。こいつはオレを犬猫とでも思ってんのか。

 

「で、本人としてはどうなんだね」

 

急にオレに話しかけてきたので、反射的にそっぽを向く。

 

「こっちは獣医ではないんだ。話してもらえなければ伝わらないよ」

「……ふんっ。少し調子が上がらなくて、頭が痛いくらい……です」

 

その後もあれこれ聞かれ、年頃なんだから冷やすなと言われ、しまいにはなぜかグレイに薬を渡す。

 

「ほんとにありがとうございます!はあ……、ここだけの話、このお嬢様の家出旅にあちこち付き合わされてるんですよー」

 

ニコニコしていたグレイは急にふざけたことを言い出した。

 

非常に不服なので、今すぐにでも止めろと言いたいが、わざわざここでトラブルは起こしたくない。オレはぐっと我慢して拳を握る。

 

「あんたらはこの町の人間じゃないのか。じゃあ気のせいかね……。それはそれとして、まだ小さいのに大変なことだ。ほら、お嬢さん。体調崩したんだったら、わがまま言ってないでお家に帰りな」

「ハイソウデスネ」

 

ふと気がつけば、オレと薬屋の人のやり取りをグレイが変な顔をして眺めていた。なんかムカついたから後でしばいてやろう。

 




おまけの落書き(自作絵につき閲覧注意)

【挿絵表示】
せみこらす


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13-2

おかしい
ほぼ毎日テキストエディタを立ち上げているのに、どうして更新が遅れる……?
なぜあっという間に一か月が過ぎる……?


【N.C.999】

 

屈辱的な扱いの後、今度はオレの用事を済ますべく目的地に向かう。後ろをついて歩くグレイがキョロキョロと辺りを見渡しながら言った。

 

「そろそろ春祭りの準備が始まる時期らしいんですけど、まだやってないんですね。残念」

祭りなんてくだらない

宿屋の人が言っていたことか。

祈りなんてバカバカしい

この町の春祭りの特色は、祭りの日に願い事を紙で作った箱に閉じ込めて、一年後まで開けないようにすると願いが叶う……と聞いたのだが、何とも嘘臭い。

祈る暇があるなら、全部利用してやる

「祈れば叶う、なんて作り話だろ。そんな簡単に望みが叶うはずない」

「まあまあ、祈る分にはタダですから。元々は、遠くの国で行われた夢渡りという儀式だったらしいですよ。その儀式を行う人は神々の箱とも呼ばれたそうで、夢と箱から連想して、ご利益がありそうな感じに決めた、って宿屋のお姉さんが言ってました」

「やっぱ作り話じゃねーか」

「ですね」

たった一つの私の望みを叶えるために

呆れてしまって、聞きなれない単語にもその意味を問いただすことなく歩き続けていると、その途中で人だかりができていた。

 

なんかあったんだろうか。グレイには隠れさせ、オレは帽子を深くかぶって人混みに紛れる。

あー、そうだった……

憲兵がある民家に出入りしており、それを野次馬が囲って見ているようだ。集まる人々の会話によると、どうやら、家の中が荒らされて住人は行方不明らしい。

もうメチャクチャだよ

まず始めに浮かんだ感想が「なんじゃそりゃ」だった。単に片付けが苦手なやつが、ふらっとどこかに出かけているだけじゃねーの?いちいちそんなことで憲兵来るか?

あのパンチカード今誰が持ってるのよ……

盗み聞きを続けると、もともと意味不明な走り書きがあったから不気味だったとか、少し前に人が訪ねてきていたが気前がよかったとか、人がいなくなると言えば何年も前に───。

クソ叔母の目が節穴だからさあ!

「ちょっ!?」

 

グレイから小さく抗議の声が上がった。オレがやや強引に手を引いたからだ。そのまま振り向かず、その場から離れる。

 

しばらくしてから手を離せば、グレイが話しかけてきた。

 

「も~、お師匠ったら。急に引っ張るから、驚いて魔術が解けちゃったじゃないですか。姿見えなくする魔術って、かなり繊細なんですから」

 

むしゃくしゃしたから、ついあそこから遠ざかってしまった。この町に来た目的を考えれば、あのまま聞かせたって問題ない話題のはずなのに。

 

「ふんっ」

 

説明がうまくできないのでそっぽを向いたが、回り込まれて顔を覗きこまれる。

 

「……なんだよ」

「お顔を隠すの、帽子だけで大丈夫ですか?」

「そんなことか」

「そんなことか、って───わっ」

 

グレイにオレの帽子を被せる。

 

「今日は別に良い」

 

 

 

オレの目的地には、前日に一度行っていたので、道を間違えずに着くことができた。道がわかりづらくて、昨日は住所だけじゃ迷ったんだよな。

 

こそこそと物陰に隠れ、グレイもそれに倣う。

 

「一体何の用なんです?……写真屋さん?お師匠の写真なら、僕欲しいです」

「いらねーだろ、んなもん」

「欲しい~。お師匠って、ある日ふらっといなくなっちゃいそうなんですもん」

 

……とりあえず、連れてきてみたけどあんまり効果なさそう。あのクソババア、適当な仕事したんじゃねーだろーな。

 

しばらく黙ってグレイの様子を観察する。

 

「な、なんです?僕の周りをぐるぐるして」

 

待てど暮らせど変化はない。ただ、風が吹いて落ちていたゴミがくるくる回るだけだ。

 

仕方ない。

 

オレは写真屋をビシッと指差した。

 

「あれ、誘拐前のお前んち」

「は、はあ」

 

結構驚きの事実を明かしたつもりだったが、グレイは特に驚愕することもなく、少し困った顔になっただけだった。

 

「もうちょい良い感じの反応しろや」

「そんなこと言われても。うーんと……、どうやって調べたんです?」

 

苦労してひねり出したような、歯切れの悪い質問に、オレは意気揚々と答える。

 

「クリュティエをうまいこと騙して、調べさせたんだ」

「騙せてはいなさそう」

 

おい。こいつ、さっきまでが嘘みたいな瞬発力で言いやがった。

 

「クリュティエさんのこと、ものすごく嫌ってるのに、情報は信じるんですね」

「アイツは本物の餌をぶら下げて、それを盾に徹底的にこき使ってきたりするからな」

「逆に信頼が厚い……」

 

信頼はしてない。マジでしてない。本当にそういう言い方止めろ。

 

「あのクソババアの話はどうでもいいんだよ。で、どうだ?なんか感じるものはあったか」

「え~、そうですね……。元の記憶がないせいか、『へー、そうなんだ』くらいの感想しか出てこないです」

 

なぜこんなことしたと訴えるかのように、今度は逆にオレが見つめられる。

 

「落とし物は持ち主に戻った方が、良いみたいだからな」

あなたの方が落とし物だらけなのに

親なる人物が頑張って探していたみたいだから、戻れるなら戻ったほうがいいと思ったのだ。汽車で乗り合わせたネリアという幼女も、ママさんやパパさんと仲良くしていたから、あんな感じで一緒にいられるなら、それに越したことはない。

 

「記憶がないのに戻っても、気まずいと思うんですが」

「また一緒に暮らしてるうちに、全部思い出すかもしんねーじゃん」

「そんなにうまくいくかなぁ」

忘れたことすら気がつかない

今日だって知った道かのようにひょいひょい歩いていたし、そのうち思い出すんじゃねーの。

愚か者

『本当に大切なことは忘れない。』その言葉は信じたい。

 

「お師匠には、やっぱり……親兄弟その他親族はいたりしないんですか?」

「自分の親という生き物には、会ったことないから知らん」

「うーん、知ってた」

「兄弟は……いる。双子の姉だって、皆言ってた」

「あ、お姉さんがいらっしゃる、へぇ───ぇぇぇええ!?お姉ちゃんいるの!??!?双子の!?」

「おう」

「お姉さんは、今どこに?」

「わかんね。どこにもいなくなってた」

「そうですか……」

今度の未来で会えたら

会いたいな。

あなたは、絶対に

一回考えてしまうと、ずっとそのことばかり思ってしまうから、普段は考えないようにしている。

引きずり降ろして殺してやる

ぶんぶんと頭を振って、無理矢理その思考を頭の片隅に追いやる。

 

「今は場所だけ教えとく。クリュティエにはバレてるからな。あいつをどうにかしないと平穏はない、主にオレの」

「クリュティエさんをなんだと思ってるんですか」

「暴力クソババア」

 

自分の発言で嫌な記憶が掘り起こされる。

 

わずかに入ってくる世間の情報から、祭りなどに少しでもオレが興味を持とうものなら、あの女はひっ叩いてきた。ひどい嫌われようだ。そんなにオレが楽しむ姿を見たくなかったのか。

 

「あの、クリュティエさんは、お師匠の言う前回の世界でも、お知り合いだったんですよね。詳細はま~ったく伺ってませんが、言葉の端々にそんな雰囲気を醸し出していらっしゃいますし」

「知り合いと思いたくもねーが……、うむ」

「実は親戚だったりするんですか?」

「んなわけねーだろ」

「あれ?こんなこと聞いたら、もっと嫌がると思ってましたけど、案外落ち着いてますね」

この子勘がいいわね!?

親戚ってあれだろ、血が近い人間。万が一、本当にそうでも何の意味があるのか、オレには理解できん。

 

「なんでそんなこと言い出した?」

 

その問いかけに対し、グレイは急にオレの額を触ってきた。手を引きはがすと、とんでもないことを言った。

 

「クリュティエさんとお師匠って、……ちょっと、ほんのちょっと雰囲気が似てるので。うまく言えないんですけども」

「はああ!?気持ち(わり)ぃこと言うんじゃねーよ!!!」

「あ、『似てる』は怒るんだ」

 

欲張りになってしまったオレは良い人間ではないが、それでもクリュティエと同列は嫌だ。

 

あのクソアマは、会うなり殴って失せろと見下す。使いっぱしりにする。逃げたら逃げたでぶち殺そうとしてくる。何より、大切なものを壊したのだ。……許せない。

 

「あんなのとは一緒にされたくない」

 

悪口は止まらない。

 

「初対面から最悪だったぜ。いきなり首絞めてきやがるし、小石を口ん中に入れてみたら、蹴ってきやがるし……」

「ストーップ。一時停止です、お師匠。今言ったこと、もう一度お願いします」

「クリュティエが蹴りやがったんだ。それはもう、ポーンとオレは飛んだ」

「もうちょい前です」

「小石を口の中にいれた」

あれはドン引きした

危険物でもなんでもなく、ごくごく普通の小石だったのに。

 

「どうして?????」

「どうして、って、とりあえず食べてみようと思っただけだが」

 

しかし、グレイは愕然とした表情になっていた。

 

「お師匠。今後、僕がいなくて大丈夫ですか?正直、あなたを一人にするのは非常に不安です」

「オレをなんだと思ってんだ」

「い、衣食住が……全部ダメダメな人」

「ああ?何がダメなのか言ってみろ」

「まず、すぐ服が血まみれになったり、ボロボロになる」

「仕方ねーだろ。返り血ついちゃうんだから」

「返り血だけじゃないでしょ……」

 

服のそういった汚れを落とすのは、初めの頃と比べ、そこそこうまくなったのだ。冷たい水でごしごし洗うのがコツだ。

 

「次に、放っておいたら餓死してそう。食に関心がなくて、その辺の雑草をかじりだすんだから」

 

人間って、何日くらい飲まず食わずでいると、餓死すんだろ?半年くらいか?

 

それはさておき、こいつ、オレが食事関連は全然何もできないと思っているな?ふっふっふ……。

 

「草かじるだけじゃなくて、食い物を『切る・焼く・煮る』はできる」

「正しくは『力任せにぶった切る・火の中に放り込む・お湯を沸かす』ですよね。味付けは全くしない、塩すら入れない。味覚どうなってるんですか」

「自分用には、辛いやつ入れたりするぞ」

「唐辛子オンリーはダメです。それとあれは『()()()()()』という名前です」

 

辛いやつ……。

 

「さらには新情報として、小石を食べようとする。もう不安しかないです」

「今は食おうとしてねーよ」

 

小石については、初めて見たから口に入れてみただけである。初めて建物の外に出たら、足元に落っこちていたのだ。さすがに今は食い物と食い物じゃない物の違いくらいつく。

 

なめやがって。そう思っていると、グレイの鞄の中から声がした。

 

「こやつ、拾ったドングリをそのまま食べようとした結果、口の中が血だらけになっていたりもしたの」

「それは一回やっただけだろ!!!猫の癖に余計なことをっ!」

 

隣から感じるジト目での視線を無視し、話をごまかす。

 

「『住』はなんだよ」

 

すると、グレイは言いづらそうに口元をモニョモニョ動かした。

 

「帰る家も、ない。ほら、衣食住全部ダメダメでしょ?だから───」

 

ふっ、バカめ。

 

オレは自信満々に胸を張った。

 

「帰るところはある」

「それはどこに?」

「秘密」

 

んもー!!!とぽかぽか叩いてくるグレイのつむじを、帽子の上からぐりぐりと押す。

 

そうやって騒いでいると、写真屋から女性が出てきたので、息をひそめる。女性はキョロキョロと周囲を見渡した後、再び建物の中に戻っていった。もともと物陰に隠れていたため、オレたちの姿は見つかることはなかった。

 

「あれ……?どうして?」

 

小さな声がした。

 

「なんだか僕おかしいです」

 

グレイが目元を擦っている。

 

「いつもと逆なんです。……なんにも覚えがないのに、勝手に」

 

ポロポロと涙を流す顔を眺める。

 

昨日、外に飾られている写真を眺めていたら、話しかけてきた女性の顔を思い出して比べる。

 

なるほど、グレイと似ている顔立ちだ。

 



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13-3

【N.C.999】

 

暖かい陽気の中、二人して次の乗合馬車までの時間をぼんやりと待つ。馬車を待つ場所にはオレたち以外の人はおらず、この町は他の町との人の行き来はあまりなさそうだ。

 

涙をぬぐってしばらくの間、珍しくグレイは無言だった。

 

手持ちぶさたになり、オレは目をつむる。

 

やっぱり連れ回すべきじゃなかったのかな。一回拾ったあと、さっさとどこか人目のつくところに置いてきた方が、早く戻れていたかもしれない。また、ちゃんと考えられなかったから、間違えてしまった。

 

うまくやって、お兄さんぶってみたかったけど、その姿には遠くて全然届かないや。

 

ふいに頬をつつかれる。

 

「あ、生きてます?」

「数十秒しか目を閉じてないのに、死ぬわけねーだろ」

「寝ているとき、時々微動だにしないことがあるので心配になるんですよ」

 

そうしてグレイは空を見上げ、

 

「あの……思ったこと、言ってもいいですか?」

 

文句の一つや二つ言われるのだろう。黙っている間、その事を考えていたに違いない。

 

オレは頷いた。

 

「なんで僕って誘拐されたんでしょうかね?」

「え?」

「え?変なこと言いました?」

 

こてんとグレイは首をかしげる。

 

「別に、そりゃ気になるだろーが……」

 

こう、もっと、感情的なことを考えてたんじゃなかったのか?悲しい、寂しい、つらい、どうしてこうならなかったんだろう。それに……一緒にいたかった、とか。

 

「オレに対しては、イヤミの一つでも言わねーのかよ」

「普段の振る舞いに対しては死ぬほど言いたいですが、なぜそんなことを突然?」

「お前……、母親っぽい人見て泣いたじゃねーか。そのくらい一緒にいたかったんだろ。……でも、オレがうまくやれてなかったから、今はまだ一緒にいられない」

「原因がお師匠にあるわけじゃないですし、何もそんな気を揉まなくても……ハッ」

アッハッハッ!

何かに気がついたようなグレイは、急にニヤニヤし始めた。

そいつが原因よ

「はっは〜ん。もしかして僕が落ち込んでると思って、お師匠なりに気にかけててくれてたんですか~?」

「……む」

「事の発端は誘拐されたことにあるので、そっちについて考えてただけです!まだ記憶戻ってないから、へこむような要素ないですよ!」

「…………」

「も~、素直じゃないんだから~」

「うぎゃぁぁぁああああ!!!」

「あ、キレさせちゃった」

 

ふふ、放っておいてみよ~

 

今度はオレが、機嫌を取ろうと話しかけてくるグレイをしばらくの間無視した後。

 

「ふんっ。それで、人を無理矢理連れてくる理由だったか」

「誘拐がきっかけで人生メチャクチャにされてますから。そのくらいは知りたいです。その上で責任者には文句を言ってやりたいですね。まあ、真にメチャクチャだったのは、僕を拾った人の食生活だったんですが」

 

葉っぱの何が悪いのだ。……ダメだ。また、こいつの煽りに乗ってはいけない。また口論で負ける。

 

落ち着くために、グレイの今日に至るまでの道のりを振り返ってみることにしよう。

 

ここの町で普通に暮らしていたところを誘拐され、何されたかはわからんが記憶が無くなった後に、誘拐先(アプシントス)別組織(アバドーン)に襲われて大惨事中、猫の一報を受け、どっちも皆殺しに来たオレに拾われた。

 

記憶喪失になるわ、誘拐した組織のいざこざで殺されかけるわで、ろくな目にあってないな、こいつ。

 

誘拐かー。

 

「何かしらで使い潰すか、こき使う労働力か、……食肉用?」

「発想が怖い!?」

 

それ以外思いつかなかったのだが、怖がられてしまった。

 

「お前んちを調べるきっかけになったのは……、光魔術を使える見込みのある子どもがあちこちで誘拐されてる、っつー話からだ。それ以上のことはわからん」

「光魔術、ですか」

 

むしろ、オレよりグレイの方が、誘拐の理由に思い当たることがありそうである。誘拐されてある程度経った後なら、どういう扱いを受けていたのか、記憶があるはずだ。

 

そう言ってみると、グレイは首を振った。

 

「特にないんです」

「ああ?」

「記憶を失った後、特に何かされたことはないんです」

 

グレイいわく、ただ、頭の中に自分以外の誰かの記憶みたいなものがある、という気持ち悪い感覚があり、かつ、同世代の子どもが集められていて、数日放置されただけだった。誘拐の条件らしき光魔術についても、それを使って何かをしよう、という感じはなかったらしい。

 

「なぜ、光魔術の適性のある子どもばかりが狙われたのでしょうか?」

「光魔術を使えると良いことあるのにな。ロウソク要らずだ」

「……光魔術が使えると良いことがある。彼らにとっての良いこと……。……『光魔術が使える』ということそのものが、何かの証拠になっていた……?……う~ん、ダメ。これじゃ、ただ言い換えただけ」

「次アプシントスに遭遇したら、拷問してみるか」

「わぁい、物騒」

 

拷問拷問拷問……そうだ。クリュティエとの一件のせいで、なかなかグレイに聞こうとして聞けなかったことを思い出した。

 

「そういえば、アプシントスのイルとかいう女がオレたちに、『本命』とか『規格適合外』とか言ってたが。お前、本命呼びされたから何か関係あんじゃねーの?」

「いや、お師匠、それ」

 

なんだ、何が言いたい。口をパクパクさせる様子を見せたグレイに、言葉の続きを促す。

 

「僕を誘拐したのはアプシントス。イルという人や、先日の汽車襲撃でのユフラという人もアプシントス。いずれも様子を見る限り、アバドーンのクリュティエさん一派ではなさそう」

 

しかし、オレの疑問にはすぐに答えることなく、ぶつぶつ呟きながら手帳に書き始めた。そして、逆にオレはいくつか質問をされ、それに答えていく。

 

「汽車でも、アプシントスはいろいろ言ってきたり襲われたりしたんですよね?」

「ウザ絡みされた」

「僕の方にはね、何にもなかったんですよ」

「おう」

 

グレイはようやく書き物をする手を止めた。

 

「それって……お師匠のほうが興味を持たれている、……すなわち『本命』なのでは?」

 

はあ?変なこと言い出したぞ、こいつ。

 

「うーん、でも、光魔術の子どもが誘拐された事件とは少し違っちゃいますね。もしお師匠が、五、六歳くらい年が下で、かつ、光魔術が使えるのであればともかく……」

 

あーだめだめ、全然わかんない~、とグレイは両手をあげた、と思ったら、くるっとこちらに向き直る。

 

「冷静に考えて、ヤバそうな人たちに『本命』呼ばわりされてるの、不味くないですか?身柄狙われてません?」

「いずれにせよ邪魔してくるからぶち殺したいだけだろ」

「それはそうでしょうけども」

 

どんな企みがあろうとも、オレは敵ならぶち殺すだけだぞ。そう言われたから。

 

「『本命』と『規格適合外』……。少なくとも、僕が規格適合外と呼ばれる理由は何となく思い付くんです。記憶をいじられる何かをされた結果放置されたのは、求めている人材ではなかった、すなわち、規格が合っていなかった、と言えるのではないでしょうか」

 

とりあえず、グレイの主張はわかった。その上で反論する。

 

「でもオレ、デキソコナイらしいぜ」

「……どんな評価を自分にしてるんですか」

「研究所の人と『前』のクリュティエが言ってた」

「あはは、全く~。また僕の知らない情報が出てきて、困っちゃいますね~。───ちょいちょいちょい研究所って?」

「最初にいたところ」

「物心ついた頃にはすでにいた、という意味ですか?」

「たぶん生まれたときからずっと」

 

5歳くらいより前の記憶はないが、アイリスがそう言っていたからそうなんだろう。

 

「……お師匠は生誕もしくは生誕前から、ある程度の歳まで、何かしらの研究対象だった……ということ?」

「うむ」

「そっか~、そうですか~」

 

そうしてグレイは一回息を長く吐いてから、大きく息を吸った。

 

「なんで今まで教えてくれなかったんですかっ!?!??」

「は?聞かれなかったから」

「過去の話題になると、いつもあんなに聞きづらい雰囲気醸し出してたくせに!?」

「そんな驚くようなことあるかよ」

「幼少期は天涯孤独で裏路地極貧生活を送っていたと思ってましたんで!」

「そういう日々もあるにはあった」

「なんかすみません!」

 

急に驚かれたその次には、急に謝られた……。どうしたんだ。やっぱり心にダメージが……。

 

「え?何?その研究所でユフラ氏、イル氏らと面識があったり?」

「ない」

「じゃあ、どんな研究されてたのかはご存じですか?」

 

うむ……、話せばちょっと長いからな……。オレはわかりやすく伝えるべく、簡潔に言うことにした。

 

「すげー生き物を作ろうとしていた」

「確かに、語彙力はある意味すごい……」

 

おい。

 

「お師匠は、その『すげー生き物』の出来損ないである、と」

「まあそんな感じ」

「出来損ないでない者もいたんですか?」

「いた。確かにアイリスがいたんだ」

「……アイリスさんがお師匠のお姉さん?」

「うむ」

「アイリスさんは具体的に何ができる人だったんですか?」

「なんでも」

「……あのー、もう少し、具体的にお願いします」

「なんでもできて、すごくて、優しいんだ」

「うん!!!『具体的』の定義は一回わきによけておきましょうねー!!!魔術とかは?光じゃないんですよね?どんな魔術使うんですか?」

「……?知らない」

「お師匠みたいに素手でお強い方なんですか?」

「戦ってるところ見たことない」

「姉弟喧嘩は」

「したことない」

「な、仲良しですね!」

 

そうだろうそうだろう。オレは得意げになって、つい話してしまった。

 

「ふふん。アイリスとはな、かくれんぼしたりして遊んだりしたぜ」

「わあ、今までの仏頂面が嘘みたいな素敵笑顔」

「アイリスが隠れる場所を指定するからオレはそこに隠れる。例えばベッドの下とかな。それでアイリスが探しに来るのを、オレはじっと待つんだ」

 

今はダメでもきっといつかは。

ほんとに?

良いことができたら、ほんの少しだけご褒美があるかもしれない。

ほんとに?

オレが頑張ったら、きっと探しに来てくれる。

ほんとに?

そうしたらまた会える。

ほんとに?

……む?グレイから返事が来ない。

 

「おい、聞いてんのか」

「お師匠が久しぶりに楽しそうに話しているのに、話をうまく飲み込めない」

「うむ、じゃあもう一度言ってやるよ。アイリスがな」

「聞いてました聞いてました!お話ちゃ~んと聞いていたので、一回で大丈夫です!!!」

 

グレイはコホンと咳払いをした。

 

「えー、すみません。質問を少し変えます。…….お師匠の昔のお話、聞かせてもらっても良いですか?覚えている限り、なるべく詳細に。馬車が来るのには、まだ時間もありますから」

 




突然のおまけ

キャラデザ的なもの(自作絵閲覧注意)です。頭のおかしいアコラスくんちゃんですが、生暖かく見守っていただけると幸いです。イメージが違っていたらすみません。

【挿絵表示】






こっちは小石食べようとしたほう(TS前なので超超超超閲覧注意)。
ついでに申し上げますと自分はショタコンではございません。よろしくお願いします。

【挿絵表示】



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13-4

【N.C.999】

 

 

 

あなたの一番古い記憶は何ですか?

 

 

 

そう聞かれると、どこまで遡ればいいのだろう。

クスクス

もうずいぶん遠く、昔の出来事。

イナイ

オレの、最初の思い出。

アハハハ

「……水が」

ドコ

口が動いていた。

サミシイ

「水が、どうしたんだ?」

「いやあんたが言ったんですよ」

フフフ

うるせー。

 

揺れる馬車の中で、オレはその言葉を飲み込んだ。

 

 

 

さて、昔あったことについて、初対面のクリュティエに殺されかけたことまでグレイに話し、どうでもいいポイントで押し問答を続けていたところで、馬車が来た。

 

御者は若い男女二人組。客はオレたちの他に、女性が一人駆け込んできて乗り合わせた。

 

その女性はかなり挙動不審だった。

 

まず、御者を見、盛大に顔を引きつらせた。御者は首をかしげ、彼女はなんでもないと取り繕おうとしていた。次に、オレと目が合うと、これまた慌て、なぜか鞄で顔を隠そうとした。グレイに脇をつつかれ知り合いかと問われるが、もちろん知らない。そのやり取りの間もずっと不審な様子で、突然鞄を手から落としたりしていた。つまり変な女である。多少の警戒はしておこう。

 

オレたちも、乗り合わせた女性も、特に会話はない。ときどき御者の話し声が聞こえてくる。男の声でかいな。

 

グレイとの会話もない理由だが……、隣の少年を見れば、ずっと頭を抱えている。

 

「おい、乗り物酔いか?」

 

こいつが今までそんなのになったところは見たことなかったが。

 

「違いますよぉ……。はぁぁぁあああ~、調べることが多い……っ」

 

他の客には聞こえないように、グレイは馬車のガタガタとした音で掻き消されるくらいの小声だった。

 

「あのですね!……ご自分の扱いや出自に、疑問を持ったことはないんですか?」

「そんなこと気にしてどうすんの?」

バカなやつ

「うにゃああああっ!」と小さく、かつ、変な声で叫んでいた。猫の真似か、それとも頭痒いのか。とりあえず頭を撫でてみると収まった。

 

「お師匠の幼少期の話聞きますとね、軟禁されてるんですよ」

「されてないが?」

「されてるんですよ」

 

また、この押し問答かよ。

 

アイリスと二人きりでずっと部屋にいたことを話してから、グレイはこの調子だ。いい加減しつこいぜ。

 

軟禁だの、監禁だの……。

 

確かに、いつも同じ部屋にいた。しかし、時々大人が何人か来ていたし、たまに別の部屋に連れていかれることもあったのだ。いつもの部屋と違って、廊下には外が見える窓があったから覚えている。

 

あの窓はなんとなく印象的だった。

 

手を伸ばしても届かないほど高い窓。先生たちと通りすぎるわずかな間だけ見上げれば、その向こう側には、風で木の葉が揺れていた。まだ、窓のことを動く絵だと勘違いしていたあの頃、オレにはあの葉っぱがとても美味しそうに見えたのだ。

 

そんなちょっとした勘違いを思い出していると、

 

「だいたい先生なる人物が怪しすぎるんですよ。いったい誰なんですか。なんで先生って呼んでるんですか」

「誰かは知らねー。他の大人からそう呼ばれていたから、オレもそうした」

「名前は?」

 

オレは、答えようとして気づいた。

 

ついぞ、彼女の名前を知らないまま、何年も過ごしていたのだ。

 

うんうんと考えた末に、アイリスとオレがいた部屋を、メアリーの部屋と呼んでいた大人をいたことを思い出した。だから、メアリーが名前なのかも知れなかった。

 

彼女も他の大人たちも、皆、名乗る気はなかったのだろう。それに、オレも聞こうと思いもしなかった。アイリスと一緒なら、オレはそれだけで良かったから、他のことは気にならなかった。

 

そのおかげか、先生に対して、悪い印象はないんだよな。良い印象はあるか?

 

良い印象、良い印象……。そうだ。

 

アイリスがコップの水で床に何かを描いていたのを見て、先生にその行動について真似したいと言うと、『次のとても痛い注射を我慢すれば、絵を描ける物をあげる』と返された。結果として、オレは紙一枚と色鉛筆二本をもらい、一本はオレの、もう一本はアイリスに渡した。何を描いたかは、泣くほど痛かった記憶が強すぎるせいか、覚えていない。

 

「先生は大人たちの中でも、特に注射が下手くそで痛かったぞ」

「注射下手くそエピソードはどうでもいいんです。いや、すごく痛いことをされていたのはどうでもよくなくて、むしろ深掘りした方がよい話題ではある。しかし今はそれどころじゃない」

 

そう言いきったグレイは突如、

 

「ねえそこのお姉さん!」

 

乗り合わせた女性に声をかけた。

 

「え。え!?な、ななな何?」

 

突然のことに彼女はおたおたしている───、

 

「もしも、窓のない部屋に、必要があるとき以外は押し込められていた幼子がいたら、どう思います?」

「───事件性が高いから、憲兵に駆け込んだ方がいいんじゃないかな」

 

と、思いきや、急に明快に答えた。

 

「ほぉら!!!これがまともな反応ですよ!外道の所業!」

 

嬉しそうなグレイの傍ら、女性はオレを何度もチラチラみてくる。

怪しいよね?

やっぱり、さっきの挙動不審といい、怪しいな。

殺しちゃえば?

いざとなったら、事故を装い、馬車から突き落として殺してしまおうか。

ほんとに?

うーむ、とりあえず普通の質問で探ってみよう。

 

「オレの顔になんかついてますか。それとも、どこかで会ったことありましたか」

「そそそそれはその、私の知り合いと顔が似てるかなー?と思いまして、あ、あはははは……」

 

またぁ?多いぜ、オレと似た顔の人。

 

「あなたは、私に会った記憶、ない?」

「ないですが」

 

落ちろ赤蛇!

 

その時、前から抑揚のない声がした。

 

 

 

「───あ。リッちゃん落ちていく」

うぉっしゃぁぁぁあ!

遅れて地面に何かがぶつかる音。

 

窓の外を見れば、男が見事な受け身の姿勢で落下した。そして、ゴロゴロと後ろに遠ざかっていく。

チックショォォオオ!

急いで馬車の扉を開けると、落ちた男が走って追い付いてきた。は?

 

「やあ、お客様!ご協力ありがとう!」

 

瞬く間に、するっと馬車に乗り込んできた。

 

は?

 

「助かった助かった!うっかり宣誓の練習をしていたら落ちてしまった!」

 

声でっか。

 

走行中の馬車から落ちたわりに元気だな。この男、身体強化でも使っていたのか?

 

「あ、赤髪赤目……」

 

もう一人の客である女性は口元をひきつらせている。

 

「申し遅れました!我こそは赤蛇の民、次世代の村長となる男!キ───」

「リッちゃん、生きてる?」

「生きているぞ、イーちゃん!!!」

「はいはーい、りょーかい」

「どこまで言ったか……狭い村を飛び出し、御者一年生として就労中の身だ!そういうわけで落ちてしまった!驚かせて申し訳ない!」

 

そう言い終わると、リッチャンと呼ばれた男はドカッと腰を下ろした。御者の席に戻んねーのかよ。

 

にしても、今の自己紹介、謎の単語が出てきたな。オレは思わず、その単語を口にしてしまった。

 

「赤蛇の民?」

「よくぞ聞いてくれました!我らは大地の神の霊峰にて住まわせていただいている善良集団!いずれ(きた)る時のため、外法に手を染めずその身を鍛え続けるっ、近代化検討中の赤蛇の民をどうぞよろしく!!!」

 

なんもわからんのだが。

 

するとグレイが解説を挟んできた。

 

「おそらく、西の山脈に居住している民族のことだと思います。一説によると、隕石落下以前、すなわち千年以上前からいる先住民だそうです。数百年前までは傭兵として活躍、その後は閉鎖的な暮らしとなり、実態は謎に包まれている、と……」

 

リッチャンさんはうんうんと首を縦に振る。

 

「我らの特徴に、鮮血に染まった真っ赤な髪というものがあるが、それは一部誤りなのだ!時に、そちらのお姉さん!赤髪赤目に反応したということは、もしかして同胞に会ったことが!?」

「たぶん、そう……?故郷から追放された、みたいな話は聞いたけれど……」

「追放!五年に一度のペースで、『愛に生きる』と言い放ち、村を追放される者が出るぞ!……近年珍しく、それ以外の理由で実質追放された者もいるがな。まあ、つまり!それなりにその辺にいるぞ!意外と身近な赤蛇の民!ここで豆知識!赤蛇の民が『殺してほしい』と言ってきた場合、『信仰を捨て、私はあなたのものです』、『神よりも何よりも、あなたを優先します』といった意味になる!言ったら追放だ!」

 

そうはならんだろ。何がどうなれば、『殺してほしい』が大好きよりも重たい言葉になるんだよ……。

 

「世間には、我らのおかしな風説が飛び回っていてな!現在、赤蛇の民の実態周知キャンペーンも実施中だ!」

 

実態もわりとおかしいのでは、と思わず突っ込みたくなる。だが、オレは絡まれたくないので静かにしておくことにした。

 

なお、乗り合わせているお姉さんは、今にも泡をふいて倒れそうにも見える。

よくしゃべるおねえさん

「我らの同胞とはどういったご関係で!?」

わすれちゃった

聞かれた瞬間、彼女の目がくわっと見開かれた。

どうして、オレは

他部署から押し付けられた、職場の鬱陶しい後輩

 

圧が強くて、リッチャンさんは少し黙った。

 

「妙に制約条件の多い謎ルールの上で行動してて、喋ってると頭が痛くなってくる……。かといって、そのルールの枷を外したら、あの野放図、何をしでかすかわからないし……」

「お姉さんのおっしゃるルールは、おそらく先祖の一人がマイペースな村人らに行動制限をかけないと流石に不味いと考え、作ったと推測されるもののことだな!ぬぁっはっはっ」

 

ろくでもねー集団だな、赤蛇の民。

 

「追放された人は村には戻れないの?引き取ってくれないの?ねえ?」

「それには追放された本人が、強さを示さねばならない!赤蛇の民は力こそ正義!暴力魅力権力財力知力!どのような力でも構わない!何か一つ、他の追随許さぬ力を見せつければ、戻れるだろう!」

 

どのような力でも、って……。力って言ったら、暴力以外何があるんだ。

 

オレと同様に疑問を持ったのか、グレイが手をあげた。

 

「示す力は具体的には何があるんですか?例えば、あなたの他の追随を許さないと言えるようなところは何ですか?」

「声が大きいところだ!」

「そういうのでいいんですね……」

 

オレの知ってる力と違う……。

 




アコラスくんちゃんにとって、葉っぱを食べるのは自由の証。


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13-5

【N.C.999】

 

リッチャンさんは胸を張り、言い放った。

 

「というわけで、追放者は無理に戻そうとしても戻れるものではない!お姉さんは、うん、諦めてくれ!」

 

それを聞いた女性の目は……死んでいる。なんだろ?見ていて心配になるというか、それとはちょっと違う変な気分になるのだ。引っかかる感覚に首を傾げているうちに、リッチャンさんは腰を上げた。

 

「赤蛇の民実態周知キャンペーンを良い感じにできた気がする!ヨシ!己は前に戻る───」

「待ってくださーい!」

 

グレイが急に声を張り上げた。御者の座る前の席に戻ろうとしたところを、引き留めたのである。そして、

 

「もしも、窓のない部屋に、必要があるとき以外は押し込められていた幼子がいたら、どう思います?」

 

またそれか!?そこの女性への問いかけと一字一句違わず、同じことを言いやがった。

 

「下手人は生首モノ*1だな!!!」

「ほぉら!!!これはちょっと過激な反応!赤髪赤目だから変な人かと思いましたが許容範囲!」

 

グレイはほらほらほら!とオレに同意を求めてくる。いい加減めんどくさい。どうでもいいだろ、そんなこと。

 

リッチャンさんはオレとグレイを交互に見てから、再び口を開いた。

 

「なに、あなたは監禁されていた経験があるのか!?」

「されてねーです。こいつが勝手にギャーギャー騒いでるだけです」

 

アイリスがいたから、オレもずっと一緒にいただけだ。知らないくせに、勝手なこと好き放題言いやがって……。

 

「ほうほう!窓のない部屋に居続けるのはなかなか強い精神力だな!!!流石に長期間閉所にいるのは、己だったら耐えられない!」

耐えられるわけねぇだろマヌケ

───そうだ、アイリスはすごいんだ。

この世の全てを呪ってやると思ったわ

オレはうんうんと頷いた。なかなか話のわかるやつじゃねーか。

なんで私があんな目に

「絶対にズレたこと考えてる……」

 

グレイが半目で見てくる。さっきまで目の死んでいた女性も頷いている。だが今のオレは機嫌が良い。失礼な言葉は無視してやった。

 

他に気になることもあった。

 

「……られないから」

「ぬ?」

「耐えられないから、村から出てきたのか───いや、出てきたんですか。狭いとこにいるの、嫌だったんですか」

 

オレが気になったこと。

 

それは、なぜ彼らは狭い村から自ら出てきたんだろう、ということだった。

 

「そうではないな!頭が良くなりたいと思ったのだ!頭が良さそうなことをすれば、頭が良くなるはず!見聞を広めようと、外貨稼ぎに便乗して村を出てきた!イーちゃんは『おもしれー男』と言ってついてきた!」

「やりたいことが…、目的があった、ってことか」

「そうだな!」

 

オレにとっては、オレが一番したかったことは、アイリスとずっと一緒にいることだった。

 

アイリスはあの日、『この扉、開くかな?』と聞いてきて、『うん』と返したら、部屋の外へ行ってしまった。一人であっさりと、オレを置いて。

 

『かくれんぼしよう』という言いつけを守っていたが、いつまで経っても見つけてくれない。

 

だから寂しくなって、半開きになった扉の隙間から、初めて一人で部屋を出たのだ。

 

そして、記憶を頼りに、わかるところまで歩いていったら、とっても怖いヤツがいた。

 

「オレは、狭いとこから出たら、嫌なことがあった」

 

つい口から漏れてしまった言葉。

 

前回、部屋から出たら、とっても怖い───クリュティエたちが先生も他の大人も皆殺しにしたところに、鉢合わせてしまったのだ。オレもぶち殺されそうになったのだが、アイリスが止めてくれた。

 

その後は知らないところに連れていかれ、アイリスからひきはなされた。言うことを聞けば、会わせてもらえたり、痛いことはされなかったりしたが、それでも嫌だった。

 

研究所よりもよかったところは、色んなところに窓があったから、いつでも外が覗けたのと、時々使いっぱしりとして、外に連れ出されたことくらいだ。

 

今回だって屋外で寝ているときは、箱の中みたいな狭いところに隠れていないと、どこに連れて行かれるかわかったものじゃなかった。

 

「そういうこともある!勝手知ったる村の中と比べ、未知の外界は常識が通じない上に周りはマイナー異教徒!結構こちらは困っている!」

いや何自分が標準みたいな口ぶりなのよ

前から落ち着いた声もした。

 

「どちらかというと、私たちがマイナー異教徒で、結構周りが困惑してる」

「イーちゃん!正論パンチは止めるんだ!」

「そのせいで初仕事クビになった。忘れたとは言わせないよ」

「文化の違いだ!仕方ない!」

「そうやって『仕方ない』で終わらせたら、いつまでも目標額に届かないでしょ」

「ぐうの音も出ない!いっそ来世の運も今につぎ込む気持ちで博打でもするか!───おおっと、すまない!今の発言はなし!こちらでは、此岸において生まれ変わることができるのはただ一人、だったな!難儀な教義だ!謝ったのでクレームはなしで頼む!」

「うまれかわる?」

ちょっと、余計なこと言わないで

言っていることはよくわからんが、変な言動で仕事をクビになったりしていることだけは理解した。残念なやつってことだな!

 

すると、今まで黙っていた女性が、心配するような声色で言った。

 

「……あなたはもしかして、閉じ込められていた頃に戻りたいの?」

「そこまでは遡らなくていいです。……っつーか、たまたま馬車で乗りあっただけの人に、身の上話聞かせちゃってんだ。お前のせいだぞ」

 

グレイのほっぺをつねる。やり取りを見ていた女性は顔をひきつらせていたので、止めてやったが。

 

突如、リッチャンさんはひときわ大きい声を出した。

 

「なるほど!」

 

そして、納得したように頷く。

 

「あなたは見た目は少女、中身は幼児なのだな!」

「あ゛あ゛?」

よくわかってんじゃない

こいつ苦手!

 

 

 

失礼な御者は威嚇したら前に戻っていった。バーカバーカ。

クスクス

猫がしきりに何か言いたげにして、鞄から出てこようとするのをグレイと抑えていると、乗り合わせた女性が口を開いた。

 

「あなたたちはこれから、どこに向かう予定なのかな?」

 

そう言って、「ほら、乗り合わせた仲だし、と付け足してくる。オレたちは次の次くらいの町に馬車で移動して、また他の移動手段で目的地に行く予定だったが、

さっさと降りなさい

「次の町で降ります」

「もう、お師匠ったら、全く町の名前覚えないんだから。穴場の観光地探しをしながらの旅行ですよ。お姉さんは何用で?」

「い、急ぎの仕事で、え、えへへへ」

 

そんな、どこか焦るような声に、オレは何気なく言った。

 

「ああ、鬱陶しい後輩がいるっていう職場の」

「───あのやかましい赤髪が、私の思考の邪魔をする……っ!」

 

急に女性は険しい顔になる。この人にやかましいと言われるのは相当やべーぞ。ん?……まあいいや。

 

彼女は深呼吸をしてから、にっこりと微笑んだ。

 

「ごめんね、取り乱しちゃった」

 

落差がすごいぜ。どんだけ鬱陶しい後輩のことが嫌いなんだよ。気になった末に、つい言ってしまった。

 

「あの、なんか……大丈夫ですか?」

 

グレイがぼそっと呟く。

 

「お師匠は優しそうな年上女性に弱───痛ぁっ!」

 

誤解されるようなことを言い出したので、再びほっぺをつねって黙らせると、女性は戸惑っているような表情をひとしきり見せた後に口火を切った。

 

「私の仕事場、いつ潰れるかもわからない小さなところなんだけど、去年新しい子が入ったの。でもその子、急にいなくなっちゃったんだよね……」

 

むむ、職場に定着しない新人。しかもこれはバックレってやつだ。本で読んだぞ。

 

うんうん。

 

「代わりに来たのがクソうるさい奴らだった……っ」

 

うんうん。

 

「特に酷い後輩が一人。前々から少し変わった子だとは思ってたけど、まさかあそこまで酷いとは思わなかった。私、土下座のままスムーズに地を這う人間初めて見たよ。上司も上司で急に、他所から兼任の形で10人くらい引っ張ってきたからあとよろしく!みたいな感じで全部ぶん投げてきたときは、殴ってやろうかと」

 

うんうん。

 

よどみなくスラスラと出てくる彼女の言葉に、オレは耳を傾けた。

 

「一体何の仕事されてるんでしょうね」

 

グレイがヒソヒソと言ってくる。

 

ふむ。

 

突然バックレる新人。

 

左遷してきたやべーやつ。

 

酷い仕事を振る上司。

 

……ろくでもない人間が集まる大変な仕事?

 

「どうして、いなくなっちゃったのかな」

 

バックレ新人のことか。いつ潰れるかもわからないところだし、ヤバそうな職場だし、理由はいくらでもありそうだ。

 

この人も、バックレ新人みたいに職場を捨ててしまえばよかったのでは?

 

「嫌なことがあったから捨てた、とか」

「捨てられちゃったかぁ」

「他の仕事の方が稼ぎが大きい、とか」

「お金は大事だもんねぇ」

「やりたいことが他にあった、とか?」

「……今を捨ててまでやりたいことって、何なんだろうね」

「本人にしかわかんないじゃないですかね」

「ねえ!……例えばなんだけど、……あなたにはある?今よりも何よりも、大事な望み」

 

似たようなことを前も聞かれたな。

あの時は捨てるものなんて何もなくて

何回目だろう。

この時間が永遠に続けばいいのに、と望んでいた

直近だと、レドに聞かれて、それより前は、まえは……。

見ていたくなってしまった、わたし(オレ)の、愚かな夢

その質問にオレはコクンと頷いて欲張る。

欲しがってしまった、オレ(わたし)の、始まりの罪

「褒められたい」

 

女性は驚いた表情をした。そして、あれ?私ちゃんと褒められてなかった?もしかしてダメダメな褒め方してた?とブツブツ呟いている。

 

グレイがツンツンつついてきた。

 

「褒められたがりだったんですか!?僕が褒めてあげましょうか?」

「やらんでいい」

「誰なら褒められていいんですか、もー」

「うるせー。どうでもいいだろ」

「当てて見せましょう。……アイリスさん!」

「むっ」

「ふっふ~ん、図星でしょ。でもどうして?」

「大好きだから」

愛しい愛しい、力なき人の子

好きだから、アイリスをわかってあげたい。だからアイリスの真似っこをする。オレを救ってくれたから、オレも同じことをする。あと少しだけ頑張ってと言われたから、運命を捻じ曲げるために頑張る。

あの子の望みを叶えるために

「大好きだから、なんだってできる」

オレ(わたし)わたし(オレ)になった

これは良いことだ。良いことがきちんとできたら、ご褒美があるかもしれない。

 

ご褒美として、頑張ったことを大切な人たちに褒めてほしい。こうすれば、大切で、大好きな人たちにもう一度会っても、きっと許されると思うのだ。

私はあんたが大嫌い

「へ、へそ曲がりなお師匠が、ドストレートな好意を……。これが実の姉パワー」

 

なんだと。

 

自分で自分のへそを触って確かめたが、普通のへそである。雷が鳴るときはちゃんと隠したりしているのだ。曲がってなんかいない。

 

「……お姉ちゃんのこと、好きなんだね」

 

乗り合った彼女はまるで言葉を噛み締めているようだった。

 

「お姉ちゃんは今何をされてるの?」

「どこにもいなくなっちゃったから、わかんねーです」

「どこにも?どこかに行って、生き別れたってこと?」

「さあ」

「さあ、って……。どこにいるかもわからないんだよね?褒めてもらうために、どうやって会うの……?」

「待ってる」

冷たい闇の中で輝いていた温かな光

会いにいこうかとも考えたが、きっと見つけてくれるから。

その光はいつかこの身を焼き尽くす

グレイが呆れ返った、というふうに言った。

いつか、きっと

「なんという無計画。五年、十年待っても来なかったらどうするんですか」

「五年?そんな待ち続けるつもりはねーよ」

今はまだ夢を渡ろう

オレは首を振る。

その時が来るまで

「だって、そこまで生きてく予定ねーし」

お望み通り殺してやる

遅れて女性の声がした。

いつか、きっと

「……え?」

「おおおお師匠!?何馬鹿なこと言ってんですかあんたは!?」

今はまだ備えよう

取り乱したグレイが掴みかかってくる。首が締まるから止めろ。その手を振り払った。

その時が来るまで

「まさまさまさか、実はやっぱり体に問題があって寿命が短いとか!?」

「はあ?なんだそれ?」

「それじゃあ、じ、自殺でもするつもりですか!?」

「わざわざなんでそんなことすんの?」

「なら、あと五年も生きていく予定はない、なんて言うんですか」

「なんでそんなこと聞く?意味ねーじゃん」

また会話を成立させない~っ!」

 

うるせーな。

 

グレイがまた掴みかかってこようとするのを片手で制していると、

 

「……なんですか、いきなり」

 

もう片方のオレの手を、女性は急に掴もうとした。もちろん避ける。

 

「おかしいよ」

「はぁ?」

 

言動がよくわからん。もしかしてこの女の人、御者みたいに変な人だったのか。

 

「見ず知らずの人間の手を、急に掴もうとする方がおかしいだろ」

「本気で言ってるの?『生きていく予定はない』って言葉も、『見ず知らずの人間』って言葉も」

あーあ

やることなくなるからいなくなるのも、会ったことのない人間を見ず知らずと表現するのも、正しいはずだ。こんなやつ知らな───、

そいつは敵だから排除しないと

「───ねぇっ、アコ後輩!」

やっちゃえ

オレは目の前の女の手首をへし折った。

 

何者だ。グレイはオレのことをほとんど名前で呼ばない。知る由なんてないほぼないはずだ。怪しい。なんでこいつ、そんな呼び方でオレを?

 

「待ってください!」

 

続けざまに鼻あたりを一発殴ろうとしたら、グレイに止められる。

 

「ちっ」

 

邪魔しやがって、このクソガキ。

 

「私だよ!ウィステだよ……!」

「ああ!?お前なんぞ知らねーよっ!!!」

 

もう面倒だ。強制途中下車してやる。オレはグレイを抱えて馬車の扉を開け放つ。

 

「お客様ぁ!走行中の車内でそういう行為はいただけないな!!!」

 

こちらめがけてナイフを投げようとしている御者に、逆に金を投げつける。その隙にオレは馬車から飛び降り、そのまま馬車では入れない道なき道へとかけていったのであった。

 

*1
『首以外全部狩っちゃおうかな~』の意味。赤蛇の民にはかつて、庭に生首を絶やさないで置いておく風習があり、『生首モノ』は『貴様の首を狩り、武の証とする』の意味だった。しかし、ご近所トラブルの発生によって庭への生首設置及び首狩り行為が禁止になり、次第に言葉自体の意味が変わった。なお、首狩り禁止の例外は、偶然切ってしまった時や食料等として捕らえた動物を解体した時。




無賃乗車ダメだよと教わったけど不審者の手首折るのはダメと言われていない系主人公


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