オナホ華道 (プリン)
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オナホ華道 1

代わり映えのしない出撃を繰り返すあきつ丸の胸中には、言い知れぬ不安が広がっていた。


 青い、ひたすらに青い海。水平線で繋がる、青い空。今ではもう、ただただ静かだ。蒼穹に浮かぶ筋雲は白、紺碧を裂く自分たちの航跡も白。追い風。

 硝煙の匂いに振り向くと、はるか後方に先ほどまでの戦いの痕が見える。青の世界に煙る、黒い筋。立ち上るそれは消えていった者に差し伸べられた蜘蛛の糸か、それとも、青に浮かぶ白とはなれず消えていくだけの、彼女らの魂そのものなのか。 魂?

 関係などないのかもしれない。魂だとしても、追い風に散らされていつしか青の一部になる。いずれにせよ意味はない。そう割り切るつもりでも、考えれば考えるほど、心は海の底に引かれていくようだ。霧散した魂の行方。

 

「あきつ丸、この任務もいい加減飽きてきたわね。でしょ?」

 

 声をかけられるまでは本当に沈んでいたのかもしれない。自分がどこにいて、何をしているのかもわからないほど深く、思考の海に沈んでいた。水上を緩やかに滑りつつ声をかけるてくるのは五十鈴殿だ。なびく二つ縛りの髪は、黒とも青ともつかない色だが、潮風に当たり続けているとは思えない艶を放っている。振り向くのに合わせてその髪が前に流れ、肩に掛かった。

 

「はっ……? 何故でありますか」

 

 飽きる。あまりにも唐突な言葉に面食らってしまった。

 

「どんどん口数減ってるわよ? まぁ何も言わなくてもなんとでもなる位慣れてる、ってことなんでしょうけど」

 

「そんな、慢心などしていないのであります」

 

 本心でこそないが、至極真面目に答えたつもりだ。しかし、五十鈴殿はやや目を細め、にやりと笑みを浮かべた。

 

「慢心ねぇ、言葉選びもだいぶこっちに毒されてきたわね」

 

「毒などと……いや、慣れた、という意味ならそうでありますが」

 

 全て聞き終える前に、五十鈴殿はまた反転し、隊列の先頭に立った。毒される、か。毒される前の自分とは何なのだろうか。陸軍に居た頃? 確かに自分は陸軍に居たのだろう。話し方、仕草、その他諸々からはそう判断できるそうだ。しかし、実際のところどうなのかはわからない。自分はどこから来たのだろうか。

 などと考えていると、他の艦娘の出どころもわからないことに気付き、言い知れぬ不安に襲われる。いや、近頃はそうでもない。疑問に思うことにすら慣れ、考えがその手の問題に差し掛かると、なるべくこう己に言い聞かせるようになっていた。

 

『どうせわかりはしない。艦娘とは、そういうものなのだ』と。

 

 

 

 

「見ての通り、余裕だったわ」

 

 胸を張って告げる五十鈴。もっとも、作戦が困難でも、快勝ではなくても、彼女はいつも自信ありげだが。何が彼女をそうさせるのか。やはり、生まれつき――この身体を得た時からそうなのだろうか。

 

「五十鈴、あきつ丸、時津風、浜風。全艦損傷なしですね。各自補給と入渠が済んだら自由行動が許されています。お疲れ様でした」

 

 黒髪長髪眼鏡。真面目が服を着て歩いているような彼女、大淀殿の口から放たれるのは、見た目に違わぬ事務的な文言。帰還する度に似たようなことばかり聞いている気がするが、はきはきと話すから飽きない。

 

「あきつ丸、ちょっと」

 

 五十鈴殿はいつもキツい気がする。いや、言っている内容は別に特別厳しいわけではない。口調がだ。まあ、それが彼女の個性なのだろう。個性。自分の口調もここでは中々個性的なはずだ。けれども――前に居たところの癖が抜けないというよりは、この口調を捨ててしまうと自分は自分ではなくなってしまう気がする。――こうして自身の疑問と向き合ってみると――誰も彼も――己の――己を己たらしめる――

 

「あきつ丸?」

 

 またやってしまった。五十鈴殿の言う通り、「慣れ」というものが、あらぬ思考につけいる隙を与えているのか。

 

「何でしょうか、五十鈴殿」

 

 動きが悪かったなどと小言を言われるのだろうか。海で飽きるなどと話されたのも緊張感に欠けていると咎める意図があったのかもしれない。バレているのか。

 

「あなた、悩みでもあるの?」

 

「はい? 無いでありますが……」

 

 いきなりの質問にまたしても面食らってしまう。気を遣ってくれているなら素直に感謝すべきなのだろう。それにしても、「悩み」か。湧いてくるのは疑問であって悩みではない。否、疑問がとめどなく湧いてくる今の状況に対して覚える感覚は、本来の意味で「悩ましい」と表現してよいかもしれない。

 

「なんか最近あれよ、心ここにあらず、って言うのかしら。よく遠くを見てぼーっとしてないかしら?」

 

「はぁ……それは失礼したのであります……」

 

「疲れてるのかしらね。そうよ! たまには一緒に間宮でもどう? 同じ艦隊を組むようになってから結構経つけど、五十鈴、あなたと話したことってあんまり無いわ」

 

「はっ、喜んで同行させていただくであります」

 

 そう答えると、五十鈴殿がクスクスと笑う。

 

「何緊張してんの! ま、その話し方が楽ってなら好きにすればいいわよ」

 

 この話し方が楽なのは確かだ。慣れているのはもちろんだが、こうしていれば距離を詰めすぎて失敗することは無い。もっとも、ここの皆に派閥だのなんだのがあって、足を引っ張り合っている、などという話は聞いたことが無いが。

 

「申し訳ない。ではこのままで」

 

「はいはい。ま、今日は普段何考えてるのか、聞かせてもらうわよ?」

 

 どこまで話していいものだろうか。ここに馴染む、とは言わないにしろ、そこそこうまくやれているつもりだ。急に内面を吐露しては、面倒くさい奴だと思われないか……避けられはしないか……。と、考えていると、つぶらな瞳が視界に現れた。五十鈴殿が自分の顔を覗き込んでいる。なるべく照れ臭そうに、困ったように、笑って見せた。

 

「やっぱりあなた、なんかおかしいわ。提督に話してみたら?」

 

 既にこうも心配されているなら、今更面倒くさがられる事に気を揉んでみても仕方あるまい。何かしら相談したほうがいいのだろう。

 

「気を遣っていただき、感謝、であります」

 

 

 

 

「――と、いう訳で、五十鈴殿に提督殿への面会を勧められたのでありますが……ご迷惑ではなかったでしょうか……お忙しいのでは……?」

 

 椅子を挟んで反対側に居る提督殿の顔色を伺う。実直そうな顔に笑みは無く、じっとこちらを見つめている。込み入った話だと察しているのだろうか。

 

「勿論だ。しばらくは出撃期間に縛りがある作戦もなくて、およそ日々の業務だけだからな。長門、真剣な話らしい。少し外してくれ」

 

 提督が隣に控える戦艦に目配せをする。引き締まった肢体に黒の装束。この鎮守府の古株、長門殿。秘書官の仕事をしていたのであろう彼女が、静かに退室していった。ただ部屋を出るだけなのに、こうも様になるのか。

 

 ドアが閉まり、ひと呼吸おくと、提督が尋ねてきた。

 

「さて。あきつ丸、聞きたいことがある」

 

「何でありますか」

 

「何を考えてるんだ」

 

「はっ? 何もやましいことなど考えていないのであります! それとも何か、自分、気付かないうちに大ポカでもやらかしていたでありますか?」

 

 突然の問いかけに、どう弁解すればいいかわからず慌ててしまう。いや、嫌疑がかかっているならこの反応はとぼけていると思われてまずいのでは? 逆に、本当になにか失敗していたとしても、露骨に無自覚なのは心証が悪いだろう。これは墓穴を掘ったのかもしれない。

 

「待て待て、何も責めるつもりは無いから安心してくれ、俺の言い方が悪かった」

 

 よほど自分の慌てっぷりがおかしかったのか、提督殿の声も表情も、先ほどとは打って変わって柔らかくなった。それにつられてふっと全身の力が抜けた、ように見せるため、心なしか肩を落とし、安堵して見えるよう表情を作る。あちらが緊張をゆるめたからといって、部下である自分もそうしてよい道理はない。姿勢が低くなったにつけて、そのままやや上目遣いに質問する。

 

「では、考えていると言いますと……?」

 

「悩みでもあるんじゃないのか? 五十鈴からは俺も聞いている」

 

 なんと。五十鈴殿は提督に報告していたようだ。やたら声をかけてくるのは本当に心配していたからだったらしい。ここは感謝するところなのだろう。戦闘前後でもそこまで気を遣えるなんて、流石経験豊富な艦娘は違う。

 

「――何がそんなに気になる?」

 

 提督殿が重ねて訊ねてきた。返事を渋っていると思われたのかもしれない。

 

「いや、こんなことは訊いても無駄だとは思うのですが……本当に、何の役にも立たない疑問であります。職務の間に考えるようなことではないのであります」

 

 聞きながら苦笑する提督殿。いや、なるべく緊張しないように笑ってくれているのかもしれない。

 

「そう勿体ぶるな。大抵のやつは、大抵の場合無駄なことを考えている。寝ても覚めても職務のことばかり考えていては気疲れするだろう。なんだっていい、言ってみろ」

 

「いや、職務のことといえなくもない、のでありますが」

 

 提督殿が怪訝な顔をした。でも、提督殿なら答えられるかもしれない。

 

「自分、なんで戦っているのかわからないのであります。なんというか、どれだけ戦ってもなにも好転していないような……」

 

 そこまで話して、自分の話している内容が大変まずいことに気が付き、言い淀む。

 

「それはそうだな。俺としては敵戦力は漸減していくものだと信じていたが……。何時まで経っても敵は減らん。やはり根本を叩くほかあるまい。主力艦隊が前線を押し返すにはやはり兵站の確保が必要だ。敵の通商破壊は阻止し続けなければなるまい。安心しろ。地道だが、お前の任務にも確かに意味はある」

 

 提督殿は淡々と答える。理屈は正しいと思う。しかし自分が気になるのはそんなことではないのだ。

 視線を外す。自分が話そうとしている内容がいまいちまとまらないし、それは聞いてはいけない事のような気がする。何故だろう。とにかく、失礼のないよう、言葉を選びながら、慎重に口を開く。

 

「あの、そうまでして深海のと戦うのはなぜでしょうか。一体自分は誰を、何を守るために戦っているのかわからないのであります。市井の人々? でしょうか」

 

 提督殿は何やら手元を見、時折こちらの顔に視線を移している。何故だか自分が一回り小さくなったように錯覚した。でも提督殿は椅子に座っているから、当然視線はこちらが上だ。なのに、同じように視線を返すのが何故だかとても後ろめたくなってきた。いつの間にか、絨毯の染みが自分の視線を捕えていた。

 

「でも自分、一度も外の人間とお会いしたことはないのであります。電文や物資などが届くということは、外には少なからぬ人が居るのでしょう。そういった人々を守るためでありますか」

 

 全く言葉に詰まらなかったことに自分でも驚いた。喜べるような状況ではない。しかし、冷たく張りつめた心中に、何とも言えない温いものがしたたり落ちたようだった。実は自分は、誰かに話したくて仕方なかったのではないか? 考えると、そんな浅ましい願いで提督殿の手を煩わせていいものか不安になり、わずかに感じた温みが冷めてしまった。ゆっくりと提督殿の顔に視線を移す。

 提督殿は組んだ腕を机にのせてもたれかかり、自分の足元あたり――あるいはもっと遠くを見つめていた。やはり不興を買ってしまっただろうか。

 

「そうか……。そうだな、気にはなるだろうな……」

 

 提督殿は再び姿勢を正し、腰の位置を直した。

 

「あきつ丸の認識は間違ってはいない。人々の安全を守るため、と理解してくれればいい。深海棲艦は時折島嶼を占領し陣地としているのはわかるな」

 

「はい」

 

「今でこそ我々が押しとどめているが、野放しにして深海棲艦の活動範囲が広がれば人の住む島も危険だ。それに前線が近づけば本土にも戦火が及ぶだろう。連中との対話は現状不可能とされている。故に我々はあれらを食い止め、撃滅しなければならん」

 

 もっともな理屈で、特に異論はない。しかし。

 

「なぜ自分たちは戦うことを宿命付けられているのでしょう……」

 

 提督は黙って自分の話を聞いている。

 

「ここに来てからこれまで戦ってきて、特に疑問を感じたことは無かったのであります。なぜだか戦えて――ほかの皆ほど得手ではありませんでしたが――体は勝手に動いたであります。今はそれが不思議であります。なぜ戦えるのでありますか? 自分の記憶の始まった時からある、この艤装のおかげでしょうか? その記憶というのもわからない。陸とか海とかといいますが……。この話し方は陸のものなのでしょう。自分の故郷なのでありますか? 思い出せないことが多すぎて……。わからない、自分、自分のことが余りにわからなすぎるのであります。自分はどこから来たのでありますか? これから何をすればよろしいのでしょうか……」

 

 気が付くと、先ごろ感じた温みが胸を満たしているのがわかった。こんなにも何かを話したのはいつ振りだろうか。だが、その感覚とは裏腹に、目頭から頬に冷たい滴が伝い、顎の先から板張りの床にしとしとと垂れている。自分は泣いているのか。

 泣いている艦娘を見たことはあるが、大抵は目を閉じ、涙を拭き、話す声は上ずったりしゃくりあげたりしていたものだ。自分は初めて泣いたが、それに伴う情動はあまりも淡白だった。何せ涙を流していることにも気付かず、一切を話しきったのだから。そもそも自分の話は泣くような内容だっただろうか。

 提督殿は落涙する自分を見ても相変わらず動じていない。泣かれるのにも慣れているのか、それとも、悲しげな様子もなく涙だけ流すのを気味悪がっているのか。

 

「わかった。お前、自分が何者なのか知りたいんだな」

 

 手元を見ながら、いつもの調子で尋ねる提督殿。

 

「そういうこと、であります。いま自分も理解したであります」

 

 答えると、提督殿は深く息を吐き、また足元あたりを見た。涙の跡はもう乾いている。わずかな間。

 

「そうだな。あきつ丸、他の艦娘と、もっと話してみるといい」

 

「どういうことでありますか」

 

 自分だけの問題なのに、どういうことだろう。人に聞いてわかるものなのだろうか。

 

「過去の記憶とどう付き合うか、自分の出生をどう考えているか、あとは任務をどう捉えているか……お前の足と耳で確かめるのがいいんじゃないか? 何より、自分で見聞きしたことの方が、『なぜか知っていた』ことよりはアテにできるだろう」

 

 わからない話ではない。実際、いろいろと判断するには、自分は鎮守府を知らなすぎるのかもしれない。

 

「なるほど、であります。もっといろいろな話を聞いてみるのであります」

 

「俺の方も色々な時間帯に鎮守府を回れるように色々とやっておく、出撃時刻とか、色々と、な」

 

「かたじけない」

 

 しまった、何か配慮をさせてしまっただろうか。

 

「他には何かあるか」

 

「いえ……」

 

 不思議と、出撃帰り以上の疲労を感じる。

 

「話してくれてありがとう。またいつでも来てくれ。外に長門が居ると思うから、出たら呼んでくれるか」

 

「はっ」

 

 肘を張って敬礼し、執務室を後にした。

 なぜ今回の質問を聞いてはいけない類と思ったのか、わかった気がする。いや、本当はきっとわかっていたのだ。これは提督にするような質問ではないと。ならばなぜそれをぶつけて自分は――悦に入っていたのか? 

 

「終わったのか、あきつ丸よ、ずいぶん長かったじゃないか」

 

 長門殿だ。壁にもたれて腕を組んでいる。窓の外、中庭を覗いていたらしい。

 

「はっ、お待たせしたのであります」

 

「気にすることはない。ああ、もういい時間だ、ゆっくり休むのだぞ」

 

 見かけからは想像もつかない、優しげな声だ。

 

「長門殿も、お疲れ様、であります」

 

 彼女はこれからも秘書艦の仕事なのだろうか。そこまでのやる気を起こさせるのは一体何なのだろうか。――そうだ、明日は彼女に話を聞いてみよう。彼女はなんでも知っていそうだし、なんでも教えてくれそうだ。あの威厳がそう思わせてくれる。

 明日の事を考え始めると、先刻までの憂いがいくらか晴れてきた。 




あきつ丸は、一体何者なのか。


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オナホ華道 2

 オナホを作ろうとしたらあきつ丸ができた。

 

 

 

「オナホを作ろうとしたらあきつ丸ができた」これが真実である。

 

 彼女の求める出生の秘密を無駄なく簡潔に伝えるならこうなる。だが伝えてよいものなのか。誰しも出会いには――人生の転機には運命的なものを求めている。自伝を書く者は己の出生、師との出会い、生業、立ち向かった困難、伴侶との馴れ初め、そういったものはなるべく劇的に記すことだろう。自伝なんぞに興味はないとしても、己の出生というのは自分の生の始まり、この世界との出会いであり、奇跡であって欲しいものだ。奇跡というのはいかにも情緒的で空疎だが、だとしても人は望まれて生まれたいし、信仰がなくとも己の誕生は祝福されていて欲しいだろう。

 

 だが私はあきつ丸の出生にあたって――彼女ではなくオナホを求めていた。

 

 

 

 

 その晩も、私はいつも通り執務を終え眠りに就こうとしていた。起きたら演習・任務の指示、出撃部隊への采配、各艦の肉体的・精神的疲労の管理、建造・開発の監督……。すべきことは枚挙に暇がない。それが一日分の日程に収まるとはとても思えないだろう。並みの人間には。

 

 しかし、それをやるのが提督である我々の務めだ。我ながら体力絶倫この上ないと思う。相手にするのが艦娘たちでなければとっくに潰れていただろう。彼女らが自分を慕ってくれているということが心の支えなのは疑うべくもない。

 

 だが、自分の周りがうら若き乙女で満たされているのはいいことばかりでもない。時折中大破して、あられもない姿を晒しているのだから猶更だ。

 

 彼女らがこちらを好いているのだから、手を出したところで自由恋愛の範疇だし、思いを遂げることに後ろ暗いところは何もないのではないか。そう自問することもあったが、それを是とすることはどうしてもできなかった。

 

 彼女らは部下であり、同時に戦局を進める駒でもある。故に、信頼を得ることでより優れた能力を発揮させよう、という打算ありきで付き合っている部分は確かにある。自分は彼女らを欺いているのだという罪悪感から目を背けることは、私にはできなかった。

 

 とにかく鬱屈としていた。「男」という獣が、心の檻の中で暴れ、扉を揺すり飛び出そうとしている。その扉を、提督として課されている責任と、艦娘たちの思慕に応えるため己に貸した責任の両腕で押さえ込んだ。押さえれば暴れる心は傷つき、力み続ける腕は困憊し、どちらも限界に近づいていた。獣を宥めることで、なんとか日々をやり過ごしていた。

 

 その日も私は、己を宥めるべく、ベルトに手を伸ばし、己の獣を解き放った――

 

 

 

 

「提督、報告です」

 

「なっ⁉」

 

 いきなり執務室のドアが開け放たれ、大淀が入ってきた。提督は己の恥部(比喩的にも、文字通りにも)を見られまいと、咄嗟に腰を下ろす。が、提督の尻は座面ではなく肘掛に向かっていった。肘掛に尻を着いてバランスを取れるわけもなく、椅子ごと豪快に床に倒れていく。急いで座ろうとした分、勢いよく床に叩きつけられた提督が、「ぎっ」とも「いっ」ともつかない悲鳴を上げる。

 

「あの、提督⁉大丈夫ですか⁉」

 

 仰向けに倒れた提督を気遣い、駆け寄ろうとする大淀。

 

「待て、来てはいかん‼」

 

 それを制する提督。当然である。二人の絶妙な位置関係のせいで奇跡的に執務机で隠れているものの、現在の提督の様相といったら、「ズボンを下ろした状態で仰向けに倒れ、股間にはテントを張っている」という、この上なく情けないものである。幸いにも、突然に起きたあまりの大災害で、股間キャンプは急速に撤収に向かっていたが。

 

「すごい音がしましたが……何をなさっているのですか」

 

「ある種の訓練だ」

 

 正確には訓練の準備だが。

 

 出任せとはいえ、訓練とは提督もうまく言ったものである。実戦に駆り出される懸念が無い時も行うこと、時には訓練それ自体が目的となってしまうことも似通っている。

 

「はぁ、訓練……」

 

 釈然としない大淀。これも当然である。提督自身が戦う理由などない。もっとも、軍人の体が鈍るのが好ましいはずもなく、訓練をしていること自体はおかしくないが。しかし椅子と机の間でする必要があるのか。

 

「いや何か隠していますよね、さすがに匂いますよ」

 

「匂う、だと……? まだ何もしていないが?」

 

 顔は大淀に向けつつも、机で隠れる位置を保ちつつ、ベルトとズボンを整える提督。

 

「訓練なさっていたのでは⁉いや、匂うってそういう意味じゃありませんよ、別に汗臭くもありません。隠し事をしているんじゃないかと……」

 

「そうだろう。洗濯には拘っているからな。いやそうじゃない。何も隠してなどいないが」

 

 そんなことを言われた大淀が、「隠していないなら何故ああも慌てていたのか」と疑問に思わないわけもなく。

 

「失礼致します」

 

 先の忠告を無視し、提督に歩み寄ってきた。

 

「待て! あと三秒!」

 

 もうベルトも締め直したが、急いで整えたからいろいろと心許ない。

 

「何を隠すつもりですか!」

 

 ナニならもう隠してある。

 

「いや、隠すとかじゃない! グ……腰をやったかもしれん」

 

 それらしい理由で誤魔化す提督。

 

「大丈夫ですか? 肩をお貸ししますから、まずはお立ち下さい」

 

「済まんな……」

 

 とりあえず、どこか痛めたという言葉に偽りは無かった。実際彼の尻の穴は、肘掛の先端が少し刺さったのか、猛烈に痛んだ。ありがたく大淀の肩を借りる提督。

 

 大淀の肩に手を回すと、覚悟していた以上に顔が近かった。鎮守府勤めはそこそこ長い提督だが、艦娘の髪の香りをここまで近く感じたのは初めてだった。想像していたような潮の香りはしない。洗髪料の香り。風呂はこの後行くつもりだったのだろうか、微かにするのは大淀の香りかだろうか――などと考える自分に気づき、己の獣を解き放てなかったことを思い知る提督。雑念を鎮めるべく、より効率の良い任務の回し方などを考えることにした。

 

 提督が、己を強く持ちつつ、なんとか立ち上がろうとすると、すぐさまよろけ、体は後ろに倒れ始めた。急いで直したせいか、ズボンの裾がかかとに引っかかっていた。

 

「提督!」

 

 倒れようとする提督を支えようと、大淀は提督の背中に回した腕に力を込め、踏ん張る。

 

「ぬっ⁉」

 

 それに応え、大淀の首に回した手に力を入れる提督。さらに強い密着に、提督の第二の心臓が拍動を始めた。

 

「あの、先ほど驚かせたせいでお怪我をさせてしまったなら、申し訳ありません……」

 

「いや、関係ない。いやあるか。とにかく大淀に非は無いから気にしないでくれ」

 

 ようやく立ち上がった提督は、大淀と向き合う形となった。

 

「でも、それは私のせいではありませんか?」

 

 大淀の言わんとすることを理解しかねる提督。大淀はややうつむき加減だ。視線は提督の顔よりずっと下を向いて……。

 

「なんてこった……」

 

 提督の社会の窓から、再開したキャンプの賑わいが見える。

 

「ああ、これはだな……」

 

 提督は困惑する。教えた覚えは無いし、知る機会も無いにも拘らず、大淀はなぜか男の生理現象を理解していた。もっとも、艦娘それぞれの知識量や精神年齢はばらばらだし、生まれついての記憶にもいろいろある。元々知っていたとすれば仕方あるまい。そう理屈をつけて納得しつつも、提督は大淀の多聞を呪った。

 

「提督、そういう意識をお持ちだったんですね。てっきり全くお持ちで無いのかと」

 

「無い訳はないがこれは違う!」

 

「それは違わない証拠でしょう」

 

 じりじりと提督に近づく大淀。

 

「落ち着け、気の迷いだ。特に意識しなくてもこうはなる」

 

 至極まっとうな反論をする提督。しかし。

 

「ならば持て余しておいでなのでは? 気の迷いで駆逐艦などに手を出すよりは……」

 

「だからって今は性急すぎるだろう」

 

「もうっ! こんな状況になっている今そうしないで、いつするのですか!」

 

 むしろ冷静になり始めた提督に、大淀が詰め寄る。

 

「提督も鎮守府の募集要項はお読みになったでしょう。あなただけの無敵連合艦隊を作るのは提督の任務です。私も、提督だけのものです。何も間違ったことではありません」

 

 腰にあるセーラー服の合わせを弄びながら、提督にじりじりと近づく大淀。

 

「本気なのか……?」

 

「はい。私は提督のこと、お慕いしていますよ。提督は、嫌ですか」

 

「嫌なわけは無いが……」

 

 提督はむしろ好いている。鎮守府の誰もを。しかし。

 

「俺達はどだい対等じゃない。大淀達を作ったのも俺なら使うのも俺だ。生殺与奪を握った相手に媚びられて喜んでいられる程、俺は単純じゃないぞ。それにここに居る男は俺だけだしな。大淀が俺に惹かれるのは、俺の人格が好ましいからじゃないんじゃないのか?」

 

 やや焦りを見せながらも、それらしい拒絶をする提督。だが、大淀の方からしたらそんな理屈で自分が抱いている感情を否定されて納得するわけもなく、意に介さず、ゆっくりと提督に近寄ってくる。もう、息がかかるくらい近くに、大淀の顔がある。

 

「私が何を求めているかなんて、提督の考えることではありません。それに、提督が本心からではなく、勢いに任せてだとしても、私は、構いません」

 

「悪いが、今必要な程困っちゃいない」

 

「でも、提督のそれは今苦しそうですよ」

 

「ほっとけば治る」

 

「だとしても、私は提督を放っておきたくありません……!」

 

「落ち着け、こういう話はしかるべき場を持ってしようじゃないか」

 

 大淀はゆっくりと顔を伏せ、数歩退き、深く息を吐いた。

 

「案外ロマンチストなんですね、提督」

 

 業務の時のはきはきした雰囲気が見る影もない大淀の姿を見て、提督は己の言葉が無遠慮に過ぎたかと悔いた。同時に、大淀の冷笑的な言葉が彼の胸に刺さる。意趣返しのつもりか、あるいは彼女の率直な感想なのか。いずれにせよ、艦娘達の運命のすべてを握ったつもりだった提督にとって、己の優位に対する確信を揺るがすには十分な言葉であった。

 

「では、何故提督は新しい艦娘を迎え続けるのですか」

 

「ッ……」

 

 大淀に責める意図は無かったかもしれないが、提督からすれば、己の振る舞いの姑息さを浮き彫りにする問いであった。だから、提督は大淀を見つめている他なかった。

 

 答えることも言い訳することもなく、立ち尽くすばかりの提督に耐えかね、大淀が口を開いた。

 

「報告します、提督。燃料がかなり余っています。私としては、日替わり任務以外の建造や開発で使ってしまうのがよいかと」

 

「……わかった。早速、工廠に向かう。秘書艦が必要だ、大淀も来てくれ」

 

 大淀をそっとしておくべきかと思った提督だったが、わざわざ他の者を呼ぶ気も起きなかったので、連れて行くことにした。

 

「承知しました」

 

 執務室を出ていく提督に合わせ、大淀が踵を返した。二人で数歩歩くと、大淀は急に立ち止まった。気付いた提督が歩みを止める。

 

「あ、提督、社会の窓は閉めてください」

 

 提督は、さもバツが悪そうにジッパーを上げると、廊下を歩き出した。

 

 



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オナホ華道 3

「ふぁあああ」

 

 二人が工廠に着いたとき、明石は大あくびをしていた。

 

「あ、提督。今日はずいぶんと遅くに来ましたね」

 

「まあな」

 

 明石はいつも提督に親しみを持って接してくる。だが、今の提督は、これも彼女が生まれながらのハーレム要員だからだとしたら……などと疑ってしまう。

 

「お疲れですか? ちゃんと寝なきゃいい仕事はできませんよ」

 

「明石もな。いや、こんな時間まで働かせて申し訳ない。だが大型艦建造をさせてくれ。投入する資材は……」

 

 もうなんでもよかった。とっとと余剰を消費してここから立ち去りたい。

 

「燃料五千、弾薬三千五百、鋼材百、ボーキサイト零」

 

「はい? 提督、鋼材百もボーキサイト零もできませんよ」

 

 困惑する明石。

 

「やってやれないことはないだろう」

 

「いや……それは……」

 

 明石が助けを求めて視線を寄越すと、大淀は「やりましょう。きっとできます」と、明石の想定に反して、試してみることを進めてくる。

 

 妙なタイミングで現れた二人の剣幕と大淀の自信の出所を測りかね、明石は露骨に怪訝そうな表情を浮かべた。が。

 

『この二人の表情……まさか大淀に隠された能力が……? それとも提督は何か裏技でも見つけたのでしょうか……』

 

 二人のただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、彼女の思考はそこまで飛躍した。

 

「わかりました! その通りにやってみます!」

 

 

 

 

 一、二分も経っただろうか。工廠の奥で建造の準備をしていた明石が戻ってきた。

 

「やってはみましたよ……」

 

 しかしながら、向かう時の意気揚々とした様子はいずこへ、何か腑に落ちない顔だ。

 

「どうなった」

 

 何やらアテがあったように、神妙に振る舞う提督だが、その比率で何が出来るか、思い当たるところは彼には全くなかった。ただ自棄を起こして思いつくままに指示しただけだ。

 

「それが……四五分ばかりで建造完了だそうですよ。駆逐艦? 巡洋艦? でしょうか。提督……あんな妙な配分で誰を狙ってたんです?」

 

 興味半分、疑念半分といった調子で明石が尋ねる。

 

「俺が何をしたいのかもよくわからん」

 

 先ほどの大淀の問いに、提督は解答を持ち合わせていなかった。建造に関しても、誰が建造されるのが望ましいのか分からなくなってしまった。

 

「待ちたい気分でもない」

 

「私はどうなるか気になりますよ。やりましょう、高速建造」

 

 明石は結果が気になって仕方ない。一方の大淀は、提督が今の浅慮さや性急さを先ほど執務室で発揮しなかったことに煮え切らない思いがした。

 

「ああ、頼む。十個なんて物の数じゃないだろう」

 

 そんな大淀を尻目に、雑な注文を続ける提督。

 

「わかりました! ではこちらに来てください! 世紀の実験か、はたまた希代の愚行なのか。……いや、失礼しました。うーん、これでペンギン大量発生とかだったら愚行だけど……」

 

 結果が気になって半ば自分の世界に入りつつある明石。提督を待つことなく、はやる気持ちに任せてどんどん先を歩いていく。

 

 明石が十分離れてから、大淀が提督に体を寄せ、尋ねる。

 

「提督、誰に来てほしいのですか?」

 

 眉間にしわを寄せ、何やら考えている提督が答える。

 

「誰でもいい」

 

「戦力になれば、ですか? それとも可愛ければ、ですか?」

 

 あからさまに困らせようとしている質問。提督は僅かに目を細めたが、冷静に答える。

 

「戦力にならん艦娘は居ないし、可愛くない艦娘も居ない。だから本当に誰でもいい」

 

 模範解答じみた返事に、大淀は苛立ちを募らせた。

 

「誰でもいい……? 誰でも良いのに誰も良くはないのですね」

 

「さすがにしつこいぞ」

 

 執務室でのことを露骨に引きずる大淀に、提督がしびれを切らした。大淀も、拒まれてからこちら、自分が全く隠すことなく、提督に不満をぶつけていることに気づいた。思わず立ち止まり、居心地悪そうに目を逸らす大淀。しかし、すぐにまた話し始めた。

 

「申し訳ありません。でも私、提督のことが全く分かりません。欲はあるのに満たそうとしないで、ひたすら深海棲艦を討つことに骨を砕いて……。一体何を望んで提督をしているのですか? 提督の歓びは何なんです?」

 

 提督は固まってしまった。艦娘に囲まれる日常は退屈しない。だが、その果てにあるのは一体何なのか? 一体なぜこの生活を始めて、なぜ続けているのか……。いや、艦娘に囲まれて生活できる以上の幸せなどあるのか? 

 

「提督、その答え、私には、あの、用意があります」

 

 提督は大淀の方を向くことなく、返事もせず、歩き続けた。だから、大淀がどんな顔をしていたかは誰も知らない。

 

 

 

 

「……着きましたよ、提督」

 

 大淀の声で、眼前に広々とした空間が広がっているのに気付く提督。天井は一般の工廠よりさらに高く、提督らはキャットウォーク状の通路の上に居る。大型艦建造ドックの巨大さは、いつも彼を圧倒した。足音が反響している。ここまで広くても、ドックに現れるのは少女一人なのだ。ここまで大がかりな設備には、科学では説明できない、なにか呪術的な意味合いがあるのだろう。明石は小走りになると、階段を駆け降りていく。階段は半ばペンキが剥げ、錆びていた。金属のけたたましい響きが止み、しばらくすると、明石が通路の影になる位置を抜け、階下を走る姿が見えるようになった。彼女が妖精の一人に声をかけると、三隻分あるドックの一つが炎に包まれた。

 

 十秒ほどで炎が消えたが、ドックの中にあるべき人影はない。

 

 ドックの底までは高低差があり、距離もそれなりにある。死角に建造艦が居るのかもしれない。しかし、明石がドックに身を乗り出したり、小走りで外周を回ったり、妖精を呼んだりと、何やら慌てているのがわかる。

 

 と、一人の妖精が水の入っていないドックの中に飛び込んだ。明石がドックの淵に駆け寄る。妖精はすぐにドックの内壁で死角に入り、提督らからは見えなくなった。大淀もいつの間にかキャットウォークの手すりに摑まり、明石の方を注視している。

 

「炙りすぎて燃えてたりしないよな」

 

「そんなはずは……」

 

 提督としては、冗談を言ったつもりだったが、大淀の深刻そうな表情を見てそんな場合ではないことを悟った。それを抜きにしても縁起でもない発言だが。

 

 しかし、二人の心配は杞憂に終わったらしく。妖精が何か抱えて浮上してきた。明石が手を伸ばすと、妖精は側まで飛んでいき、明石の手の中にそれを離した。どうやら箱型らしい。うまく受け止めた明石は、それを顔の前に掲げ、くるくると回し、検分している。しばらくの間、明石は空いている手を顎に当てたり、首を傾げたり、箱をさらに顔に近づけたりしてそれを探っていたが、ついに諦めたのか、キャットウォークに歩いてきた。

 

 行くときよりも遅い拍子で、ガン、ガン、と階段が鳴ると、提督と大淀は桃色の髪が昇ってくるのを認めた。

 

「あの……これが欲しかったんですか? お二人は……」

 

 そう言うと、長い直方体の箱を提督に差し出す明石。箱は色鮮やかで、嫌が応にも誰の目にも飛び込んでくる派手さだ。

 

「なんなのですか、提督」

 

「俺に聞くなよ……」

 

 明石と大淀は、提督が本当に適当に注文したらしいことを悟った。明石が疑いの視線を向ける。提督の自信ありげな雰囲気はなんだったというのだろう。

 

「まぁ、駆逐艦の武装、か何かだとは思うのですが……」

 

「どれ……」

 

 箱を手に取り、呆気に取られる提督。

 

 そこに描かれているのは、栗色の髪、出っ歯気味の顔、くりくりとした愛嬌のある目。丈の足りないセーラーワンピース。まさに雪風であった。

 

 どういうことだ。

 

 急ぎ側面を確認する提督。

 

 そこには、驚くべき文字列があった。

 

 

 

「感帯これくしょん ヌキ風」

 

「初回用潤滑剤同梱! ヌキ風、いつでも出撃できます!」

 

「運命の女神のキスを感じる本格バキューム! 全力でしれぇに奉仕します!」

 

「不沈艦の名は伊達じゃありません! 一度の快感では終わらない! 三連装スイートスポット構造はまさに浮チン感!」

 

「絶対、大丈夫! 安心の日本製」

 

 

 

 脳天に一撃もらったような、抑えがたい眩暈を感じる提督。しかし今、彼は倒れるわけにはいかない。

 

「この三連装スイートスポット構造って何なんでしょうね……早く中を見ないと……」

 

「やめろ……これはあまりにも危険だ!」

 

 興味深々の明石を止めようと、声を荒げる提督。

 

「ご存知なんですか、提督」

 

 やや緊張した面持ちで尋ねる大淀。

 

「ああ、若い頃にな……。いや、今もまあ若いか……。とにかくこれは俺が責任を持って処分する。明石、大淀、今日も世話になったな。しっかり休め」

 

「は、はあ……」

 

 明石と大淀は提督の謎の気迫に圧され、ただ見送ることしかできなかった。

 

 

 

 

 ヌキ風は猛烈な快楽の連撃を加えてきた。三連装ナントカ構造も本格バキュームもかなりの威力である。しかしながら、緩急の妙によってか存外長く楽しめた。不沈艦というだけのことはある。

 

 終わった後、どこに仕舞っておくか困ったし、初回用潤滑剤が無くなった今、再利用の術はないことに気付き、虚無感に任せ、窓から海に向かって投げ捨てた。ところで、あれは水に浮くのだろうか。それとも沈むのだろうか。

 

 



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オナホ華道 4

 翌日。私はまた艦隊を見送って、迎えて、時に指揮を補佐して、任務を取り次ぐという職務をこなした。提督は、昨日のことなんて無かったみたいに平然と接してくる。

 

 正直、不気味だ。からっとしているといえば聞こえはいいけれど、あまりにも虫が良すぎる。もっとも、よそよそしくなられたらそれはそれで彼の器を疑いたくもなるし、謝られても困るけど。

 

 いや。

 

 私はあの時、確かに「お慕いしていますよ」と伝えたはず。つい自嘲してしまう。返事を貰えるのを期待しているなんて、私も大概ロマンチストじゃない。

 

 いやいや。

 

 あの時、そこに心が無かろうと、結ばれようとしていたのは誰? 私だって、過程にも、状況にもこだわらず、ただ情欲を満たそうとしていただけでは? 

 

 そんなことを考えていても、職務は一通り終わった。

 

 そういえば、今日の夕飯はなんだったかしら。

 

 ――思い出せない。

 

 提督は何を考えているのかしら。

 

 ――わからない。

 

 昨日の工廠で出てきたアレは何なのかしら。

 

 ――わからない。

 

 きっと、昨日からわだかまっているもやもやのせい。どうしようもなくて、天井をぼーっと眺める。

 

 この部屋。

 

 明石との相部屋だけど、お互い部屋に戻る時間がバラバラだから、夜は顔を合わせるとは限らない。明石は私が帰る頃には大抵部屋に居ないし、居たとしても先に寝てる。昨日は一緒に帰った筈だけど、道すがら、「用事を思い出した」と別れて、起きてるうちには帰ってこなかった。たまには話したいことだって、あるのに。

 

 こん、こん。

 

 ノック。誰かしら。きっと明石じゃない。明石はノックする代わりに、疲れきった声で「ただいまぁ~」なんて言いながら、勝手に入ってくるもの。

 

「誰? ……ですか?」

 

「長門だ。交代の時間だ」

 

 凛々しい声だけれど、夜更けだからか、声量は大分抑えられている。

 

「交代……?」

 

 言わんとすることは分かるけど、聞かずにはいられない。

 

「ああ、提督はしばらくの間、夜間は大淀に旗艦を任せたいらしい。これからも時間になったら呼びに来るぞ。そういうわけだから、執務室に向かってくれ」

 

 まさか。これってつまり、そういうこと? 体の芯が熱くなる。頬も火照っているかもしれない。自分の呼吸と拍動が急に気になり始める。

 

「わかりました。すぐにお伺いします」

 

 それを悟られないように、「いつもの調子」で返事をする。

 

「皆眠っている。静かに行くんだぞ」

 

 だんだんと遠ざかる足音は、次第に夜に染み込んで、私の所まで届かなくなった。他の音もしないのを確認してから、音を立てないように引き戸を開けて、部屋を出る。

 

 月明りが廊下を照らしている。蒸し暑い夏の大気にまとわりつかれて、肌が汗ばむ。熱帯夜。熱帯。思い出は色々あるけど、天候にはいつもうんざりさせられた気がする。でも今はなんだか、湿り気が淫靡に感じてしまう。

 

 ふと立ち止まって窓を見ると、私が映っている。元から肌は白いけれど、月に照らされていつもに増して青白い気がする。湿気と汗のせいか、心なしか髪が乱れていたので、手櫛で直す。もう一度見たらやっぱり変な気がしたから、眼鏡を外してまた直す。やっぱり、誰かに見られないかしら。振り向くと、練兵場の明かりが灯っていて、少しぎくりとする。さっと見渡してみても、誰も居なかった。

 

 誰かに見られないかという緊張。

 

 執務室で起こることへの期待。

 

 あるいは、失望させられるのかもしれないという不安。

 

 進めば進むほど胸の高鳴りが増していくようで。

 

 どれだけかかったか分からない。いや、どうせなら着かなければいいと思ったりもしたけれど、結局その扉に辿り着いてしまった。

 

 この向こうで提督が待っている。

 

 恐る恐る、ドアに手を伸ばし、叩く。

 

 コン。

 

 他の子たちに気付かれないように。

 

 コン。

 

 でも提督は気付いてくれるように。

 

 コン。

 

 ガラスでも叩いているみたい。

 

「待ってたぞ」

 

 ドアの向こうまで聞こえる声。でも、昼間のように張り上げてはいない。

 

「あの、入っても、よろしいでしょうか……?」

 

 どうなるんだろう。

 

 私の問いに返事をくれるのか。

 

 無作法をお詫びてくれる気なのか。

 

 あるいは揶揄したことの報復をする気なのか。

 

 ドア越しに足音が近づいてきた。私が押して入るとばかり思っていたドアが、執務室に引き込まれる。提督は、開いたドアから首だけ出してきた。

 

「よし、工廠行くぞ」

 

 

 

 

 

 

「んあーっ疲れたあぁ……」

 

 提督ってば、今日も今日とて例のレシピを試すんだから眠いったらない。

 

「あら、今日も研究ですか?」

 

「まあね、新機能だのなんだのがどんどん追加されちゃって……私たちだけ他の皆の何倍も働いてない?」

 

 愚痴を言いつつ、机を探ります。引き出しにはいつだって、お菓子がいくつも仕舞ってある。だって、自分へのごほうび無しにはとても耐えられないでしょ……。

 

「そうですか? 遠征や出撃も大変そうですよ」

 

 大淀は先に何か食べてる。大淀だって大変だもんね。

 

「あー、大淀は遠征には詳しいか。延々と海の上を行くのも大変そう……。小腹が空いたときとかどうするんだろ」

 

 喋っていて、思考が空腹に引っ張られている気がする。煎餅の包みが指に触れたけど、依然として机の中をまさぐる。今は煎餅よりクッキーの気分だから。

 

「何食べてるの?」

 

「そこにあったクッキーですが」

 

「そうじゃなくて、遠征中の子たち。……うぇ、大淀! 私のクッキー!」

 

「あ、いつも気にしないので、つい……。ダメでした?」

 

 げ。これは残念。でもまあ、好きに食べてって言ったのは私だし。

 

「いいよ、いいんだけど……これからは食べていいやつは机の上に出しとくから、それだけにしてね」

 

「ごめんなさい。厚意に甘えすぎましたね……」

 

「いいのいいの、それはいいから……机を開けるのはやめて」

 

 そう、今はクッキーよりも危険なものがある。

 

「はい」

 

 口元を隠しながら大淀が答える。

 

「大変といえば大淀も! また提督と来たじゃん」

 

「ええ、まあ……」

 

「いやー、見てる分には仲良さそうだけど。にひひ」

 

「本当にそういうのではないから、冷やかされても困るわ……」

 

 この話をしても大淀が照れないのは不思議だ。長門を差し置いて夜一緒に来るのだから、その……ただならぬ関係? ではないにしろ、何かあるんじゃないかと思うけど……

 

「私にしか、アレは作れないから、ですって」

 

「本当にそれだけかなぁ」

 

「それだけ……ええ。それだけです」

 

「ふーん」

 

 話したがらないから、今日はここまでにしよう。でも、それだけか……。大淀と提督、もうちょっと距離を詰めればいいのに。折角付き合い長いのに、ほんとに何も無いのかなぁ。大淀におねだりされたら、提督何でも買ってくれそうなのになあ。

 

「歯、磨いて寝ます」

 

「はーい、私は後で」

 

 大淀、歯ブラシとコップを持って行って帰ってくると、すぐに寝ちゃった。私と大淀の一日は、いつも微妙にすれ違って終わる。

 

 二段ベッドの梯子を登って、大淀の寝顔を眺める。他のみんなは、寝顔どころか眼鏡を外したところすら見たこと無いんじゃない? 常夜灯の薄明りでもわかるくらい、すべすべの白い肌。触ったら陶器みたいなんだろうど、触れた試しが無い。

 

 起きる気配が無いので、身を乗り出して、大淀の顔にもっと寄る。すやすや、すやすや、気持ちよさそうな寝息が聞こえる。大淀の寝方があまりにも上品だから、私の寝息がうるさくないか、いびきをかいていないか、無性に気になることがある。ルームメイトはもうちょっとガサツな方がリラックスできるかも。まあ、私は大淀がいいけど。

 

 さて、大淀の爆睡を確認したら、寝る前に一仕事。

 

 懐に隠した、今日の研究成果を取り出す。

 

 お菓子とは別の段の引き出しを開き「独身(ソロ)(モン)の悪夢 (ゆう)()」と書かれたそれを収める。引き出しには、既に同じ箱がずらりと並んでいる。

 

 大淀は自分にしかできないと信じているけど、ホントは私にもできるんだよね。提督だって、私に作れることは知らない。だって、これが製造されたときは、提督には報告しないで、こっそり持ち帰っているんだから。

 

 危うく大淀にここを見つかるところだった。鍵でも作ろうかなあ……。

 

 

 

 

 

 

「明石、これって近代化改修できるのか?」

 

 提督は大きな段ボールを抱えながら、明石に尋ねた。その中には大量の「本気のおなづま」が詰まっている。

 

「え? まぁ、やってみないことには分かりませんけど……」

 

 明石は、段ボールから「おなづま」を一本取りだした。袖の余ったセーラー服を纏った、自信なさげな目つきの少女が印刷されている。

 

「おなづま……」

 

 取り出されたそれを見て、大淀が独り言ちた。提督も、明石も、大淀の言わんとすることは察したが、一切反応しなかった。

 

 深夜ということもあって、飛び回る妖精はまばらである。しかしながら、だだっ広い工廠に響く明石の靴音を聞くと、何人かがふわふわとこちらにやってきた。明石は、つなぎを着た一人に「おなづま」を差し出し、提督らにはよくわからない身振りや手指の仕草を始めた。

 

 つなぎを着た妖精は腕を組みながら聞いていたが、最後には首を横に振った。

 

「あー、ダメですって。やっぱり」

 

「そうか……だがこんなにもダブってしまうとな……なんとか使い道がないものか……」

 

 提督は屈みこみ、抱えた段ボールを床に置いた。「おなづま」が十ばかり詰まっている。

 

「提督、これだけ作るのに燃料五万くらい、ですか」

 

 大淀が心配そうに箱をのぞき込んでいる。

 

「ああ……」

 

「提督、鎮守府の残り資材、ご存知ですか?」

 

「おなづまなら、執務室にもう十個はある」

 

「大型艦建造は次が最後かと」

 

 提督の的外れな返事を無視し、大淀が残酷な事実を告げる。

 

「そうか……今なんと?」

 

「もうやめにしませんか、提督。各資材が五千を切っています」

 

 提督は返事をせず、すっくと立ち上がった。

 

「少しばかり、入れ込みすぎたか……」

 

 そう言うと、腕を組み、床をじっと見つめ始めた。

 

 明石は、次の実験の算段をしているのを期待しつつ、その横顔を眺めた。

 

 大淀は、もう提督と夜の廊下を歩くことはないのかと、寂寥の感に浸りつつその背を見つめた。

 

 提督は、好奇心と下半身のためにとんでもないことをしてしまったと、内心ひどく後悔していた。

 

「……やめにするか。何の成果も出せず、済まない」

 

 明石は困惑を、大淀は落胆を顔に滲ませた。

 

「二人とも、新発見にのぼせて随分付き合わせてしまったな。これからは堅実に資材を集めて、またこれまで通りやっていくさ……」

 

「提督……」

 

 大淀は、提督の言葉が纏う投げやり加減や哀愁に胸を痛めた。そして、自分からの慰めは求めていないだろうことを思うと、彼女の胸の痛みはさらに鋭くなった。

 

 明石は、あれらを量産した挙句、勝手に研究を打ち切って、勝手に反省し始める提督の考えることを理解しかね困惑した。しかし、なぜか湿っぽい雰囲気のあとの二人のせいで、指摘する機を逸してしまった。

 

「明石、残りの資材を全部つぎ込んで建造してくれ。再出発だ」

 

「あの、意味がわかりません……」

 

「いいんだ」

 

 さっぱりした顔で言って誤魔化したが、提督はまた自棄を起こしただけである。もっとも、何かの間違いで激レアオナホが出ないかと淡い期待を抱いていたが。

 

「いいんですね、提督? 了解……」

 

 そういうと、明石は奥に行き、何やら設備をいじくり始めた。妖精たちがあわただしく動き、工廠の設備がうなりを上げる。妖精の一人が明石に寄って行き、何か耳打ちした。明石の眉がピクリと動いた。

 

「……提督、二時間半で――」

 

「高速建造だ」

 

 待つつもりのない提督は、その報告を聞き流した。初めて告げられる建造時間にもかかわらず、一切の見当をつけずにである。

 

「了解!」

 

 すぐにドックが炎に包まれた。もはや三人とも、破滅的な所業の産物であることは考える気も起きず、ただその炎を眺めていた。鎮守府の蓄えのすべてを燃やす炎も、十秒ほどで収まった。

 

 だが、建造時間に違わず、その結果もまた初めてのものだった。

 

「ン、何だ?」

 

 どうせまた小箱なのだと思い込んでいた、いや、いっそのこと新作にこの衝動をぶつけて味わい尽くしてやろうとすら思っていた提督は、そこに誰か立っているのを受け入れかねた。例の箱よりは相応しい結果である筈だが。

 

 中に立っているのは、少女。本来建造されるべきもの。艦娘だ。

 

 だが、顔も、手も、足も、驚くほど白い。大淀も美白だが、それをさらに凌駕する白さである。衣装はほとんど鼠色で、全身が二色で色分けされている印象を受ける。普段は水兵服じみた衣装ばかり見ているので、提督は否が応にも学ランを想起したが、その下はスカートだった。彼女は、猫背気味に、この状況に戸惑うかのようにそこに立っていた。

 

「誰だ、君は……」

 

 恐る恐る尋ねる提督に、彼女はゆっくりとした口調で、しかしどこか落ち着きなく答えた。

 

「自分は、陸軍の特種船……『あきつ丸』であります」

 

 

 

 これが提督とあきつ丸の出会いのいきさつである。

 

 この後、潜水艦や遠征艦隊の死ぬような努力により資材を復旧し、ディルド茶道事件を乗り越え、この鎮守府はここまで持ち直した。



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オナホ華道 5

「ふう、ただいま、であります」

 

 自室に戻ると、あきつ丸は誰にともなく挨拶をした。彼女の部屋も六畳ばかりの和室だ。畳に座って使う高さの、小さな机が一脚。畳んだ布団が二組。それと全身鏡が置いてあるだけで、生活空間としてはかなりの殺風景だ。

 

「うーむ、今日の提督殿、やはり、いきなりのことで困っていらっしゃった。もっと話すことをまとめておくべきでありました」

 

 そう独り言ちつつ帽子を脱ぐと、長押に取り付けられた鉤に引っ掛けた。そのまま全身鏡を見て、髪に帽子の跡の輪が出来ていることに気付く。指の間に挟んで張力をかけつつ整えると、すぐに跡は消えた。それでもなお収まりが悪い気がして、あきつ丸は頭を軽く振った。帽子から解き放たれた、さらさらの黒髪が揺れる。

 

「それにしても、私事のために出撃時刻をずらして頂いてしまうとは。自分のわがままで皆に迷惑をかけているのであります。反省……」

 

 あきつ丸はやはり誰にともなく話しながら、押入れの襖を開く。それから、今着ているのと同じ羽織りとスカートをハンガーごと一組取り出すと、長押に引っ掛けた。改装された折に、以前の灰色の制服と入れ替えた、黒い服だ。

 

「五十鈴殿も自分のことを大変気にかけて下さる。ありがたくはありますが、それで無用の手間を取らせるのは本意ではないのであります。目の前のことに集中しなくては。

 

 まあ、気を緩めて勝手を言わない。少なくともその教訓は今日の収穫でありますな。あとは明日から行動するだけであります。

 

 さて、お風呂で一日を締めるであります。あっと、その前に食事でありますな。今日の夕餉は……」

 

「焼いたイサキと小松菜のお浸しです。美味しかったですよ」

 

 あきつ丸がごそごそしているのと反対側の部屋の隅から声がした。後髪と横髪は肩の上あたりまでの長さで、前髪は真ん中で分けている。白いスクール水着を着て、海女さんや潜水士がしているような、草履の底のような形のゴーグルを頭にずらして引っ掛けている。はっきりしないが、どことなくあきつ丸と同じものを感じる。おそらく素朴な雰囲気が似通っているためだろう。隅っこで畳に膝をついて、何やらノートに書いている。

 

「おや、まるゆ殿、まだ起きていたのでありますか。お待たせしていたなら申し訳ない」

 

 まるゆは目立つ方ではなかったし、この鎮守府に来たのも最近のことで、存在を知らない者も多かった。しかし、あきつ丸が気付かなかったのは、まるゆの存在感が希薄だったせい、というよりは、あきつ丸が余所事を考えていたせいだろう。

 

「いや、あきつ丸さんの話が気になっちゃって」

 

「むむ、自分の独り言がうるさかったでありますか」

 

 独り言が多い自覚はあったので、あきつ丸は責任を感じた。まるゆくらいの年齢(少なくとも外見上は)の子供ならもう寝たほうが良い時間ではある。

 

「違うんです、その……みんなは迷惑そうにしてるんですか?」

 

「別に何とも。皆人間が出来ていらっしゃる。態度には何も出さずに聞いてくれるのであります」

 

 自分で言っておいて、艦娘に「人間が出来ている」という言葉が当てはめられるのか少し考えてしまった。考えつつ、箪笥からTシャツとジャージの下を取り出し、雑嚢に詰めた。

 

「あの、余計な心配しすぎだと思いますよ。多分、皆さんもそんなに困ってる訳じゃないでしょうし……」

 

「それはそう、であります、な?」

 

 人目や人の気持ちを気にしているのが問題なのか、終わりなく疑問が湧いてくるのが問題なのか、あきつ丸自身にもわからなくなってきた。鶏と卵の問題なのか、あるいは親亀子亀の問題なのか。もしかすると、関係ないのか。

 

「では失礼、無理せず早めに休むのでありますよ」

 

 そう告げると、あきつ丸は部屋を後にした。まるゆは出て行くあきつ丸を目で見送ると、またノートに書き込みを始めた。

 

 

 

 

 翌朝、あきつ丸が寝苦しさに目を覚ますと、まるゆの布団は既に片付けてあり、当人の姿も無かった。畳は、前の住人からか、さらに以前からか、入居者の生活を支え続けてきたせいか、年季を帯びた枯れ草色になっている。それに日が差し込み、い草の目の細かな陰影が見えるようになっている。いつもはまだ薄暗いうちに起きているので、感じられない趣きである。寝過ごしたかと思い時計を確認したが、まだ〇六四五、今日の活動開始にはまだ余裕がある。もっとも、あきつ丸個人の予定からしたら一時間ばかりの寝坊だった。彼女は毎朝八キロメートルほどのジョギングを己に課しており、普段は○六○○を回る前に起きている。多少悔いはあったが、普段と違うことをしたせいだろうと諦め、

 

「んー、気を取り直して、今日も頑張るのであります」

 

 と呟きつつ、伸びをした。

 

 と、そのとき、

 

「あ、あきつ丸さん! 起きられたんですね……? ただいま帰投しました」

 

 いつもの格好をしたまるゆが帰ってきた。

 

「『られた』とはどういうことでありますか」

 

「とっても疲れてるように見えたから……。もっと寝たいのか、それか病気なのかな、なんて……」

 

「自分は至って健康体でありますよ、きっと遅くに寝たせいでしょう。まるゆ殿こそどちらへ?」

 

「それは……見てください、窓の下」

 

「ふむ、窓の下? で、ありますか」

 

 あきつ丸が窓を開け、首を出して下を覗き込むと、素焼きの植木鉢が一つ置かれている。直径は二十五センチばかりで、土を満載すれば相当な重さになるだろう。まるゆ一人で運んできたのだろうか。水をやりたてなのか、しっとりと黒っぽくなった土からは、四、五本ばかり、若々しい黄緑色の双葉が両手を広げている。

 

「ふむ……」

 

 感想を述べあぐねていると、まるゆが話し出した。

 

「かわいいでしょう、木曾さんが種をくれたんです」

 

「なんと。木曾殿が」

 

 あきつ丸も、木曾が重雷装仕様に改装される以前は、同じ任務に出たことが数度あった。対潜哨戒任務ばかりであったが。あきつ丸は、彼女が戦闘と鍛錬を好み、他のことにはさしたる興味を持っていない印象があった。何にせよ、花の種を配るような乙女めいたことをするとは思えなかった。

 

「豪快ですけど、とっても優しい方ですよ」

 

「そうなのでありますか」

 

「はい! まるゆ、艦娘さんってみんな怖いと思っていたのですが、木曾さんについて回っていたら、結構お友達ができたんですよ」

 

「ふーむ、木曾殿でありますか……」

 

 あきつ丸は、木曾から話を聞いてみるのも面白そうだと思ったが、軽巡の知り合いなら五十鈴始め、それなりの数がいるので、そう急くこともないとも思った。自分の割り当てられた潜水艦寮から遠い、戦艦寮あたりから回ろうとも考えていたが。

 

「あ、まるゆ、今度木曾さんと一緒に釣りに行くんです。ご一緒にどうですか? きっと木曾さんもいいって言いますよ」

 

「釣りでありますか。どちらに?」

 

「鎮守府の埠頭の先っぽです。出撃する艦娘の波で底が掘れていて、ハゼだのキスだのが一杯隠れているそうです」

 

 あきつ丸は自分達の出撃が地形に与えている影響など考えもしておらず、興味深げに聞いた。釣れる魚もまあまあ好きな類だ。間宮にでも持ち込むのだろうか。砂上に伏せる魚たちを想像したが、それらはあきつ丸の脳内で瞬く間に天麩羅に調理された。

 

「それは美味そうであります」

 

「急な演習や出撃が無ければ、明後日の○四一五からだそうです」

 

「○四一五……随分早いでありますな」

 

「出撃や帰還も落ち着く時間帯らしいですよ。では木曾さんにも伝えておきます」

 

「ありがたい、のであります」

 

 そう言うと、あきつ丸はジャージを脱ぎ、いつもの服装に着替え始めた。対潜哨戒任務の時間は早朝にずらされたのだ。……あきつ丸の散歩のために。あきつ丸はありがたく思いつつも、自分ひとりのためにやることが大袈裟すぎて、申し訳ない思いがした。

 

 

 

 

「いや、広々としている。やはり一番乗りは気分がいいのであります」

 

 出撃ドックには他の艦娘は全く居ない。あきつ丸はいつも誰よりも早く出撃に備えるようにしていた。新入りの頃、念のためにそうしていたのが習慣になってしまい、今でも抜けないのだ。

 

「しかし、空き時間が増えるせいで由ないことを考えてしまうのかもしれませんな。もっと隙間のない時間管理をしたほうが、目の前のことには集中できるのか……いやはや」

 

 そうぼやきながら、あきつ丸は出撃ドックを見渡す。照明は最低限で薄暗いといえば薄暗いが、出口に差し込む朝日が水面で反射し、室内をきらきらと照らしている。天井に映った波の網目模様を眺めていると、つい時間を忘れそうになる。

 

「あの……鎮守府海域、対潜哨戒任務の集合場所はこちらでよかったかしら……?」

 

 不意にゆったりとした、それでいて艶のある声を聞き、そちらを振り向く。

 

 あきつ丸はつい見惚れてしまい、声も出なかった。まず目を引くのは巨大な艤装。戦艦の艤装はいずれも大きいのだが、彼女のはさらに別格である。まるで城を背負っているがごとき、圧倒的な存在感だ。しかし、その中心に立つのは、風雅としか言いようのない佇まいの……この国の女性的な美を体現したかのような、乙女だ。腰まで伸びた黒髪は、言いようのない光沢を放っている。その頭に乗った、艦橋を模した飾りの重厚さが、かえって髪の流麗な美しさを強調している。巫女服を模した衣装は、艤装を留める金具で絞られ、襞の細かいスカートと同じく、彼女の曲線を遺憾無く見せつけているが、それでもなお、清楚な雰囲気が損なわれてはいない。そこから伸びる肢体と顔はあまりに白い。いや、その下を流れる血潮のせいか、どこか空を舞う桜の花弁を思わせる、ほんのうっすらとした赤みがさしている。

 

 美しい。ただ、ひたすらに、美しい。あきつ丸の知る何者も敵わない、完全無欠の美がここに顕現している。

 

 固まっているあきつ丸に対し、美の化身が語りだした。

 

「初めまして、だったかしら。私、扶桑型超弩級戦艦、扶桑です。この度の改装で航空戦艦になりました」

 

「えっ、自分は陸軍特殊船のあきつ丸であります。あの、今後とも……よろしくであります」

 

「私、潜水艦相手の任務は初めてなの。大丈夫かしら……」

 

「えー、きっと大丈夫でありますよ。戦艦ともあれば、魚雷の一本程度、きっとさしたる問題ではないのであります。いや、自分は戦艦に同行するのは初めてでありますが」

 

 なぜだかしどろもどろになってしまうあきつ丸。こんな美しい存在が深海凄艦と放火を交えるなんて想像もつかない。

 

「そうかしら……そうね、今日の艦隊ではきっと一番頑丈ですものね。活躍できるよう努力致します。よろしくお願いします」

 

 やや目と口元に力を込め、両手を握り心意気を語る扶桑。柔らかな顔立ちに力が篭る様子が、こんなにも心を揺さぶるものなのか。あきつ丸はまるで酔ったような、不思議な感覚に襲われた。

 

「おはよ~おはよ~! あ、扶桑さんじゃん! 相変わらずデカいねぇ。朝の散歩? あ~艤装つけてるから出撃かぁ。んん〜? あたしたちと出撃⁉」

 

「時津風、失礼ですよ。扶桑はこの任務は初めてです。私達がしっかり潜水艦を沈めないと」

 

 あきつ丸が惚けているうちに、僚艦は揃い踏みだ。

 

「はいはい、わかってるって浜風! まあまあ、いつも通りやればいいでしょ〜?」

 

『そうだな。だが今回からはしばらく、この任務はこの四人で行ってもらう。少し忙しいぞ』

 

 不意に、スピーカーから提督の声がした。

 

『他鎮守府からの情報によると、その艦種の組み合わせが一番敵主力に近付きやすいらしい。航空戦艦の枠が扶桑なのは、まあ……丁度最近改修したからだ。伊勢型と差し替えた方がいいかは追って判断する』

 

「いや提督殿。五十鈴殿無しで、自分が旗艦でありますか?」

 

「問題か? あきつ丸もそろそろ慣れてきただろう。いつかは任せようと思っていたんだ。扶桑をフォローしながらは大変かもしれないが、まあ扶桑や他の艦を頼ってくれてもいい。扶桑共々、経験を積みつつ、なるべく戦果を挙げ、必ず生きて帰ること。頼んだぞ」

 

「……そこまで自分を買って頂き、感謝、であります」

 

 なるほど。もう支えられてばかりでも居られないのか。責任感と緊張があきつ丸の肩を震わせる。左右を見渡すと、各艦は屈み、いつでも出撃できる体勢だ。扶桑があきつ丸の方を向き、先程と同じ顔で、胸の高さで拳を握った。本当に何をしても絵になるな、と思いつつ、あきつ丸は頷いた。

 

「艦隊の、準備はいいでありますか。……あきつ丸、いざ出港する!」




なかなかオナホ華道しないな。


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オナホ華道 6

あきつ丸、ついにオナホ華道と遭遇。


 戦闘海域まで、聞こえるのは波音と海鳥の声だけだ。ソナーを乱さぬよう、艦隊一同は沈黙を守る。

 

「うーん聞こえる聞こえる、敵さん近いよー!」

 

「了解であります。全艦単横陣!」

 

 時津風のソナーが敵を探知した。旗艦として、即座に指示を出すあきつ丸。

 

「山城、大丈夫? 対潜攻撃よ?」

 

「はい? なんでありますか⁈」

 

 唐突に、ここに居ない誰かに呼びかけ始める扶桑に、あきつ丸は驚く。

 

「気になさらず。扶桑のいつものやつです」

 

「まぁまぁ、バレる前に叩く叩く!」

 

 時津風、浜風それぞれが爆雷を投射し、海上に二本の水柱が上がる。

 

「扶桑殿、艦載機であります」

 

「わかってるわ。えーと、瑞雲? やれるわね?」

 

 扶桑が瑞雲を放つ。瑞雲は海面すれすれを飛んでいき、爆弾を投下した。あきつ丸の足元に、微かな衝撃が走る。

 

「手応えあり、だけど……」

 

「まだまだ! 敵艦は動いてるよ!」

 

「任せるであります!」

 

 すぐさまカ号と三式指揮連絡機を放つあきつ丸。それぞれの爆撃が命中し、またしても水柱が上がる。再び沈黙が訪れた。

 

「……さすがです」

 

「扶桑殿も初めてとは思えない。見事な発着艦であります」

 

 照れながら答えるあきつ丸。

 

「訓練と演習でしかやったことないから、まだ実戦は不安なの……指導、よろしくお願い致しますね」

 

「やや、自分、指導するような柄ではないのであります……」

 

 目を逸らして頰を染めるあきつ丸

 

「あきつ丸、謙遜は不要です。もう対潜は随分長いでしょう。我々も頼りにしていますよ」

 

「そうそう!」

 

 僚艦達に励まされ、意を決したらしい。右足を軸に反転し、三人に呼びかける。

 

「では、我々はこのまま海域深部、敵主力を目指す! 自分に続くであります!」

 

「了解!」

 

 

 

 

 その後も順調に海域を攻略していくあきつ丸一同。針路が正しければ、そろそろ敵主力が見える頃だ。

 

「あきつ丸、敵です。潜水が三かと」

 

「ならばやはり、単横陣であります」

 

 淡々と、定番の陣形を指示するあきつ丸。

 

「はいはい!」

 

 陣形を作りつつ、即座に爆雷を投げる時津風。

 

「そそっかしいですよ、時津風。もっと狙って下さい」

 

 時津風をたしなめつつ追撃する浜風。水面下でくぐもった爆音が響き、大きな波が立った。

 

「扶桑殿」

 

「心配いらないわ」

 

 危なげなく瑞雲を発進させる扶桑。

 

「よし、仕上げをするであります」

 

 艦載機を放ち、敵潜水艦を仕留めるあきつ丸。初めての旗艦も無事に終わった。あきつ丸は、帰投前に状況確認をしようと、反転に備え後方に振り返った。刹那、浜風が声を上げる。

 

「あきつ丸、まだです!」

 

「いけない! 反撃に備えるであります!」

 

 緊張を解いた己に恥じ入りつつも、最善の対応に考えを巡らすあきつ丸。

 

「狙いはあきつ丸だよ! まずいまずい!」

 

 駆逐艦たちが、ソナーで水中の音を把握しつつ、あきつ丸と扶桑に報告する。もっとも彼女たちには、全力で射線から逃れるほかにできることはないのだが。

 

「くっ……」

 

「あきつ丸、衝撃に備えて下さい」

 

 回避不能と判断した浜風が命中を覚悟するよう伝えた。しかし。

 

「させないわ!」

 

 割って入った扶桑の足元で、魚雷が炸裂する。

 

「っ⁉」

 

「きゃっ……」

 

「やったなぁ!」

 

 時津風が更なる爆雷を投射し、しばらく待ってから駆逐艦らがソナーを確認。最後の潜水艦も沈黙したようだ。

 

「扶桑殿! 大丈夫でありますか?」

 

「平気よ、私はきっとあきつ丸より相当丈夫だわ……。あきつ丸は?」

 

 その間、あきつ丸が落ち着かない一方、扶桑はなおもあきつ丸の心配をする。

 

「おかげさまで、無傷であります……」

 

 あきつ丸はおよそ専業とするところの対潜任務で、このような失態を演じたことが不甲斐なかった。と同時に、初対面のあきつ丸にここまでの気遣いを見せる扶桑の優しさに、心打たれていた。そして――このような乙女の肌が爆煙で汚れているのが、えもいわれず口惜しく感じた。

 

「任務完了、帰投するであります。早く扶桑殿を修理しなくては、扶桑殿、肩を」

 

「いいのよ、あきつ丸。私は全然平気よ」

 

「しかし……自分の気が済まないのであります」

 

「じゃあ遠慮なく……。待って、私の艤装は重いし大きいわ、気をつけるのよ……」

 

 確かに扶桑はとんでもなく重かった。が、重さなど気にならなかった。扶桑からは硝煙の匂いと、焦げ臭さに紛れ、名も知らない花の香りがした。波に揺れ、彼女の脇が首筋に触れる度、なぜだかぞくりとしてしまうあきつ丸であった。

 

 

 

 

「艦隊が帰投したのであります」

 

 普段は五十鈴がしていた報告を、代わりにこなすあきつ丸。

 

「うーん、旗艦損害なし、扶桑損傷軽微、時津風被害なし、浜風被害無し、ですね。お疲れ様です」

 

 被害を評価する大淀。直撃してなお損傷軽微と聞き、戦艦の耐久性に舌を巻く一同。

 

「へ~すごいすごい! もう全部扶桑さんでいいじゃん」

 

「何言ってるんです。あなたが油断したらまた取りこぼしが出ますよ」

 

「そうですね。航空戦艦の対潜能力も、限界がありますから」

 

「その通りであります。各員、自分の役割をしっかり果たすのであります。自分も……」

 

『そうだな、だがまあ、今回は上出来だった』

 

 またも、スピーカーから提督の声がする。

 

『最後の撃ち返しのようなことは、例え理想的な攻撃ができてもあり得るからな、いつでも油断は禁物だ。扶桑!』

 

「はい!」

 

 突然の呼びかけにしっかり応える扶桑。

 

『いい庇い方だったな、状況に鑑みてか?』

 

「いいえ、つい、勢いで」

 

『これからは艦隊の損害状況を把握しつつすること。扶桑以外に有効打を与えられない状況だと悪手になりかねん。それはさておき、今回のは評価に値する』

 

「はい」

 

 スピーカーの方を向き、決然と返事をする。

 

『あきつ丸! 慣れない旗艦をしながらの指導、ご苦労だったな。これからも頼むぞ』

 

「労わりの言葉、感謝、であります」

 

 あきつ丸は苦言の一つでも呈されると思っていたが、存外お咎めなしだった。

 

『時津風、落ち着いて良く狙うんだ』

 

「いっぱい沈めたんだから褒めてよ〜! けちんぼけちんぼ〜」

 

 苦言を呈されたのは時津風の方だった。

 

『まあ撃ち漏らしもしたが、今回は撃沈も最多だ。殊勲は認めなきゃな。これからは気をつけてくれ。浜風!』

 

 浜風は役割を果たしている自負故か、立ち振る舞いに揺らぎがない。

 

「はい」

 

『冷静な判断だった。その調子だ。いつも頑張ってるな』

 

「ありがとうございます」

 

『では解散! 各自自由行動!』

 

「了解!」

 

 

 

 

「うわ~い! 休憩休憩! おっやつ~、おっふろ~」

 

「走ってはダメです、時津風」

 

 駆逐艦たちは自由行動を言い渡され、すぐに思い思いに動き出した。一方のあきつ丸は。

 

「あの……扶桑殿」

 

「あら……どうしたの? あきつ丸」

 

 一人で自室に戻ろうとする扶桑に声をかけていた。

 

「今日は、あの、ご迷惑をおかけしたのであります」

 

 扶桑に並び、同じ歩調で歩くあきつ丸。

 

「迷惑? ああ、こちらこそごめんなさいね、つい体が勝手に……」

 

「入渠はなさらないのでありますか」

 

 あきつ丸が矢継ぎ早に問う。

 

「この程度じゃ、何も影響は無いわ。それに私、一度入ると長くて……」

 

「でっ、でしたら」

 

「はい? 何かしら?」

 

「ご一緒に、間宮でもいかがでありますか。今回のお詫びも兼ねて……あと今後のためにも……」

 

 一瞬ぽかんとする扶桑。しかし、すぐにいつもの微笑みに戻る。

 

「間宮もいいけれど……お昼は、山城と摂る予定だったの。今日は私の部屋で、なんてどうかしら。確か、何か買ってきてあるから……」

 

「はぁ、山城殿」

 

 あきつ丸は、山城を殆ど知らない。どうやら、あきつ丸より早くに着任しており、練度も相当に高いらしい。そして今日分かったが、扶桑は山城をいたく気にかけているようだ。

 

「丁度いいのであります。自分、友達が少なくて……」

 

「そうなのね。きっと、仲良くなれるわ。私が一緒なら……。じゃあ、ちょっとそこで待っていてくれるかしら。ほんの少し、片付けを」

 

「了解であります」

 

 扶桑は自室に消えて行った。あきつ丸は、戦艦の部屋にはまだ入ったことが無かった。

 

 廊下の壁にもたれ、扶桑に迎え入れられるのを待っていると、あきつ丸は誰かに肩をつつかれた。

 

「なんでありますか」

 

「あなたが姉様に庇われた特殊船ね?」

 

「はひっ? どちらでご覧になっていたのでありますか⁉」

 

 そちらを向くと、髪を短くした以外、ほとんど扶桑と同じ風体をした戦艦が立っていた。雰囲気は扶桑に比べて、幾ばくか快活そうに見える。目つきがやや強気そうだからか、髪が肩までしかないからか。九分九厘、彼女が山城だろう。

 

「司令室を覗き見てたんです……。折角同じ改装をして貰ったのに初陣がバラバラなのが悔しくて……。しかも姉様が、よりにもよって私以外を庇って被弾するなんて……。不幸だわ……」

 

「いや、そんなことをおっしゃられても困るのでありますが」

 

 あまりに唐突な語りに狼狽するあきつ丸。

 

「しかも、こんなところまで姉様に付きまとうなんて……姉様に色目を使おうって言うなら容赦しないわよ……! この部屋は、私達の……!」

 

 その上、あらぬ疑いまでかけられているらしい。

 

「あ、あの、自分、扶桑殿のお招きで……」

 

「そんなの関係ないわ! 貴方は! えーと、お腹が痛くなってきたから自室に帰るのよ! 姉様にもきちんとそう伝えておきますから!」

 

 部屋のドアに体重を預け、あきつ丸の行く手を阻む山城。いや、あきつ丸の方から入ろうとしている、という事からして誤解なのだが。

 

「おまたせしたわね、準備が……山城? 危ない!」

 

 扶桑がドアを開けたせいで、山城は部屋の中に仰向けに転がり込んだ。

 

「うわあっ! 痛い! 不幸だわ……」

 

「あ、あの……入っても、よろしいでありますか」

 

 あきつ丸は扶桑の部屋に上がり込みつつも、起きようとする山城に手を貸すのは忘れなかった。

 

 

 

 

「これが扶桑殿の部屋……」

 

 扶桑の部屋は、度を越して簡素なあきつ丸たちの部屋とは違い、床の間周りもしっかり備え付けられ、上品な和室といった趣きだ。

 

「そう、これが姉様と、わ・た・し・の部屋ですよ」

 

 と、二人だけの部屋であることを強調する山城。

 

「いたた、肘を打ったみたい……不幸だわ……」

 

「山城、大丈夫? ごめんなさいね、あきつ丸、山城がとんだ粗相を……」

 

「いや、仲睦まじい姉妹でありますな、はは……」

 

 居ない山城を気遣う扶桑を目の当たりにした時のあきつ丸の驚きは相当なものだったが、山城から姉への思いの丈もまた彼女の想像を超えていた。

 

「まあ、あきつ丸はそちらに座って。お茶とお菓子をお持ちいたします」

 

 扶桑は、床の間の前の座布団を勧めると、奥に茶と菓子を取りに行った。

 

 自然、あきつ丸は山城と向かい合った状態で二人きりになる。

 

「良いものでありますね、自分には姉妹が居ないのであります」

 

 何か話さなければと思い、自らの身の上を思い出しながら、そう口にするあきつ丸。彼女らの、お互いが姉妹であるという認識も生まれながらにして持っていたものなのだろうか。

 

「たった一人の姉様だもの……。だから、渡したりは、しないわ!」

 

「あの、なぜ自分が扶桑殿を、その、狙っていることになっているのでありますか」

 

 何か勘違いされているのはあきつ丸にも分かったが、これは思った以上に深刻なようだ。

 

「私、見たんですから! 姉様を迎えに行こうとしたら、あなたが姉様の肩を抱きながら帰還してくるの……ありえない、あんなこと……姉様の身体を……」

 

「ご、誤解であります。自分、その、下心などありはしないのであります。確かに扶桑殿は美しいであります。抜群に。でもだからといってそんな……」

 

「美しいだけ?」

 

「いや……深い真心もお持ちでありますな」

 

「だから姉様が欲しい……」

 

「はい、仰る通りで……なんですと?」

 

「やっぱり姉様を……!」

 

「あきつ丸、山城、お待たせしたわね」

 

 襖の向こうから、茶と羊羹を乗せた盆を手に、扶桑が戻ってきた。あきつ丸は、襖の上にしっかりと欄間が設けてあるのを見つけ、やはり本格的な和室であることに気づいた。それはさておき。

 

「姉様! やっぱりこの子は姉様を狙う悪い虫です。叩き出さないと……」

 

 山城は正座を崩して片膝を上げ、今にも立ち上がって来そうな剣幕だ。

 

「ですから、自分、そんなつもりは全く……」

 

 あきつ丸が弁解しても、山城は聞こうとはしない。

 

「そうよ、山城。落ち着いて。本当に私がお招きしたのよ。山城も仲良くしてくれると思って……」

 

「ええっ、大丈夫ですか姉様? この子に誑かされていませんよね」

 

 しかし、姉の言うことには耳を貸す山城であった。

 

「ええ、そんな裏表のある子だとは思えないわ。出撃の時だって、初対面なのにとても良くしてくれて……」

 

「それほどでもないのであります」

 

「一目惚れですか……」

 

 じとっとした視線を寄越す山城。あきつ丸はこの状況を打開すべく、辺りを見渡した。自分の真後ろ、床の間に花が飾ってあるのに気付いて、苦し紛れに感想を述べる。

 

「いや、それにしてもこの花、綺麗でありますね。紫陽花……でありますか?」

 

 そこには高低差をつけて紫陽花が二輪活けられ、高さの空いたところを埋めるように平行脈の葉が配置されている。菖蒲だろうか。

 

「あきつ丸、意外とお目が高いですね。それは私が活けたんです。紫陽花と蒲の葉ですよ」

 

 すかさず山城が答える。

 

「なんとも美しい……この器も涼しげで……ん?」

 

 しっかりと見るまでは気付かなかったが、白い皿に乗せられたその華器は水色と白の縞模様で、妙に派手で玩具めいた色調だ。

 

「変わった模様でありますな。これは一体?」

 

「それはTENGA系オナカップね。オナホ華道はTENGAに始まりTENGAに終わると言われているわ」

 

 扶桑の言うことに首を傾げるあきつ丸。

 

「カップ? オナホ華道……? なんのことやら……」

 

「あら、あきつ丸? オナホ華道に興味があるの……?」

 

「姉様⁉ オナホ華道をそんな簡単に教えては……」

 

 山城が何やら耳打ちしたが、あきつ丸には聞こえなかった。

 

「いいじゃない。この部屋にお客様が来るなんて久しぶりよ? 私はもっと仲良くなりたいわ」

 

「そんな! 姉様は私だけでは満足できないのですか?」

 

「いいえ、でも、日常にも変化は必要よ。時に普段と違う風を吹かせないと、心は枯れてしまうわ……」

 

 茶を啜っていたあきつ丸が、ピクリと反応する。

 

「……生意気かもしれませんが、わかる気がするのであります。自分、毎日同じ任務に出ていて……。今日扶桑殿が来て、編成が変わって、わかったのであります。やはり変化がないと、心のハリが失われてしまう。今こうやってお二人と話していても、なんと言いますか、頭の、普段全く使わない部分を使っている感じがして……」

 

 扶桑は柔らかい笑顔と共にあきつ丸の言葉を聞き届けた。山城もまた、口元に力が入ってこそいるが、真剣にあきつ丸を見つめている。

 

「いいわよね? 山城?」

 

「姉様がそう言うなら……」

 

「教えて頂けるのですか? そのオナホ華道とやらを! よろしいのでしょうか、自分、これまでまるで典雅とは無縁でありましたが……」

 

「心配いらないわ。大抵の子はTENGAとは無縁よ」

 

 今更気後れするあきつ丸を、扶桑が励ます。

 

「そんな、お二人とも典雅そのものでいらっしゃる」

 

「まあ、言いようによっては私たちがこの鎮守府で最もTENGAな姉妹かもしれませんね。ね? 姉様?」

 

「そうね山城、今のところTENGAで私達の右に出る艦娘は居ないわ」

 

 自信満々に答える山城と、柔和な態度でそれを肯定する扶桑。そんな二人が目の前に並ぶ姿を見て、あきつ丸の感情は昂ぶった。

 

「ああ……なんて美しい……! 早く自分も、お二人のように典雅になりたいのであります!」

 

「じゃあ、明日の同じ時間から早速伝授するわ。また出撃のあと、この部屋に来て下さるかしら?」

 

「了解、であります!」

 

 日常の鬱屈を忘れられるのではないかという期待に胸を躍らせつつ、羊羹を口に運ぶあきつ丸であった。



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オナホ華道 7

お待たせしました。


『いやあ、随分とご馳走になってしまったでありますなぁ。また気を遣わせてしまったか、反省……』

 

 あきつ丸は扶桑らの部屋を後にしつつ、膨れたお腹をさすりながら考える。自室では一人反省会とばかりに独り言を言うあきつ丸だったが、流石に共用の空間ではしない。

 

 と、昨夜まるゆから聞いたことを思い出す。

 

『いやいや、扶桑殿から誘って頂いたのにそう気後れすることもあるまい。お招き頂いたならありがたく従ってもいい筈』

 

 そう考えると、少しばかり肩の荷が軽くなった。

 

『そういえば、自分が何者なのかの手掛かりは分からずじまいでありましたな。提督殿は人と話せば分かると仰っていたでありますが……』

 

 口元に手を当て、やや猫背になりつつ歩くあきつ丸。

 

『そうだ、長門殿! 鎮守府最古参の彼女であれば有力な情報をご存知かもしれない。もしかしたら、自分の着任に立ち会っているかもしれないのであります』

 

 思い立ったが早いか、あきつ丸は執務室へその歩みを向けた。

 

 

 

 

 執務室に着くと、あきつ丸は壁に黒板が取り付けてあるのを見つけた。縦軸に七曜、横軸は○○六○から二三○○までの時刻が書いてある。隣には張り紙がしてあり、

 

「提督の予定(着任の有無、面会の可否)はここで確認のこと。妙高」

 

 と、万年筆か何か、大変な達筆で書かれている。その下にさらに画鋲で紙が留めてあり「落書禁止 提督」と、赤の筆文字で大きく書かれている。

 

「なるほど……」

 

 黒板の縁から草花を生やされたり、そこかしこに「カレー」「おやすみ」「###と###(判読不能)」など好き放題書かれたりしているのをまじまじと見るあきつ丸。黒板の右隅には、チョークで描いたとは思えない、精密な提督の似顔絵が描かれていた。

 

「ひどいもんだろ、やめろと言ってるんだが……」

 

「や、提督殿」

 

 気付いたら、提督が執務室から出てきて、隣に立っていた。

 

「どうだ、新しい日程は平気か?」

 

「まだ半日ばかりでありますが、不思議と快調でありますな。そうだ、長門殿にお話をお伺いしたい。しばらくはご予定も無いようですし、執務室にお邪魔しても良いでありますか」

 

「そうだな、長門も予定は無い。許可しよう。ああ、俺は急用で遠征艦隊の様子を見てこなきゃならん。同席はできないが、いいか?」

 

「了解であります」

 

 返事をすると、あきつ丸は執務室に入っていった。

 

 

 

 

「長門殿、失礼するのであります」

 

 あきつ丸がドアを開けると、長門はこちらに背を向け、窓枠に肘をつき、鎮守府の練兵場を眺めていた。あきつ丸に気付き、ゆっくりと振り返る。

 

「おや、あきつ丸か。達者にしていたか? 先日来た時は随分思い詰めた様子だったが」

 

 その声は、凛々しくも頼もしげな、どこか優しさを感じさせる響き。

 

「まだわからないのであります。あの時は自分、何故戦うのか、自分が何者なのか、どうしても知りたかったのであります。そう伝えたら、提督にはもっと色々な艦娘の話を聞くようにと……」

 

「ほう……」

 

 長門はあきつ丸から目を離さず、真剣そうに耳を傾けた。

 

「それであきつ丸よ、その真意はまだわからないのか?」

 

「真意? 提督の、でありますか?」

 

 あきつ丸は暫し考え込んだ。単に見聞を広める? それとも歩き回ることで知ることになる真実が……? 

 

「皆目見当もつかないのであります……」

 

 長門が目を細めた。

 

「これは憶測だが、提督はあきつ丸に鎮守府に愛着を持って欲しいのではないか? 仲間を理解してこそ信頼して背中を預けることができる。ここに暮らす皆を知ってこそ、ここを守ろうという意気込みも湧く。きっとそういう腹積もりなのだろう。もっとも、この長門にもわからん、深慮遠謀ありきなのかもしれんがな」

 

「なるほど、であります」

 

 頷ける理屈ではある。確かに、今日のような交流があれば、扶桑を守りたいという想いも湧いてきた。冷静になってみれば、あきつ丸は五十鈴だって守りたいと思っていた筈だ。

 

「理屈にこだわっても、戦う意味は見えないということでありますか」

 

「おお、わかってくれたか」

 

「それはわかったであります。しかし、自分が着任した時の事もお伺いしたいのであります」

 

「それなんだがな」

 

 長門は重々しく口を開いた。

 

「実はあきつ丸が着任したとき、私は一時的に秘書艦を外れていたのだ。ええと、確かその時は大淀か……。まあ、誰が秘書艦だったにせよ、明石は立ち会っていただろうな」

 

「なるほど、であります、今度は大淀殿と明石殿を訪ねてみるであります」

 

「フッ、収穫があることを願っているぞ」

 

 長門が微笑んだ。

 

「……あ、そうだ、長門殿は『オナホ華道』、ご存知でありますか?」

 

 なんとなく尋ねるあきつ丸。

 

「オナホ……かどう? なんだそれは? 是非教えてくれ!」

 

 長門のあまりの食いつきの良さに面食らってしまった。

 

「なっ長門殿、顔が近いであります……」

 

「いや、な。以前この鎮守府の流行に乗り遅れ、少しばかり恥をかいたことがあってな。この長門、流行には敏感でありたい。あとな……私の出撃が資材を食うからと、普段は温存されているようでな。正直、退屈だ……」

 

 温存されていることについて語るとき、長門の顔には僅かばかりの寂しさが滲んでいた。

 

「では明日、扶桑殿の部屋までご一緒するのはいかがでありますか。あの……出撃が無いのなら」

 

「本当か? 是非行かせてもらおう」

 

「では、明日は扶桑殿の所に行く前にこちらにお伺いするのであります」

 

「ああ、待っているぞ」

 

 そして、あきつ丸は執務室を後にした。まるゆの言う通り、艦娘はそんなに怖いものじゃない気がしてきた。

 

 

 

 

 翌日、扶桑の部屋。

 

 そこには、扶桑、山城、あきつ丸、長門の他に、何故か時津風、浜風の姿もあった。

 

「あの……時津風、浜風、何しに来たんですか」

 

 山城は不機嫌そうだが、時津風らはどこ吹く風だ。

 

「だってあきつ丸が遊びに行くって言ってるし〜? 置いてくなんてずるいずる〜い」

 

「私も、艦隊で共有されている情報を抑え損ねるわけにはいきません」

 

 各人、思い思いに理由を述べる。時津風のは理由になっていない気がするが。

 

「まあ、いいじゃない。山城。他の子に親切にしてあげられれば、山城も分けてあげられるくらいには幸せだと実感できるわよ。きっと……」

 

「姉様……」

 

 山城は感銘を受けた様子で扶桑を見つめた。

 

「では、始めましょう。と、言いたいところだけど……オナホは人数分も無いわ……」

 

「ほう、じゃあなんだ、収穫にでも行くのか?」

 

 長門は訳知り顔で割り込んだ。

 

「何言ってるんですか? オナホが道端に生えてるとでも?」

 

 山城が呆気に取られた顔で突っ込む。

 

「そういうものじゃないのか。ディルドは収穫したからな。失礼した」

 

「あら、不思議なこともあるのね。でもオナホは海で獲れるものと、ここで作られているもの、そして、外から来るものがあるわ」

 

「海で……? じゃあアレは貝……か何かを彩色したものなのでありますか」

 

 あきつ丸が頭をひねる。

 

「まあ、そんなところ……ね」

 

 扶桑はどこかズレを感じたが、あえて否定はしなかった。

 

「皆さん、床の間に飾ってあるTENGA。あれも一例でしかありません。オナホには無数のバリエーションがあります」

 

「山城の言う通りよ、色も形も、ものによって全く違うわ。あのような外殻に包まれたもの以外にも、中身が露出しているもの、皮の薄いもの……」

 

「ふむ、典型的な巻貝と、ウミウシやナメクジの差、のようなものでありますか」

 

 あきつ丸は冷静な分析をした。

 

「んー、踏んだら汁とか出るやつ? キモイキモイ〜」

 

「時津風、それはアメフラシです」

 

「多分汁が出るのもあるわよ。猛烈に震えるのもあるから……」

 

「ひぇっ……それはちょっと怖いよ……」

 

 時津風は、巨大ナメクジが靴の裏でのたうちまわる様を想像した。

 

「では姉様、これは宿題ですね。各員、次回の集合までに自分のオナホを調達すること。いいですか。次回は……」

 

「明後日の夕方にしましょう。日曜の夜だし、きっと誰も予定はないわ」

 

「よし、任せろ。ビッグセブンに相応しいオナホを見つけてやる」

 

 長門が意気込む。

 

 と、やおら浜風が口を開く。

 

「すみません、結局どこでオナホが手に入るのですか」

 

「駆逐艦寮になら、詳しい子が居た筈だわ。聞いてみたらどうかしら」

 

「オナホに詳しい駆逐……いや、オナホについてなんて聞いたこともありません。時津風は?」

 

「雪風のことではないよ。たぶんね」

 

 当の駆逐艦たちには思い当たりがないらしく、ああでもない、こうでもないと話している。

 

「じゃあ、今日はこれまでです。姉様、お昼にしましょう」

 

「では皆さん、きちんと用意してくださいね」

 

 食堂に出掛けて行く扶桑、山城に続いて、四名も退出した。

 

 

 

 

 あきつ丸が居室に戻ると、敷布団と毛布が一組敷いてあり、そこに一人分の膨らみがある。頭側に出来た隙間から電気スタンドの光を取り込み、いかにも夜更かしする気満々といった様子だ。

 

「まるゆ殿、何をしているのでありますか」

 

 あきつ丸が呼びかけると、まるゆが中からもぞもぞと這い出してきた。

 

「えっと、明日の予習です! 糸の結び方とか、餌の付け方とか……木曾さん、面倒くさいことは任せとけって仰ってたんですが、やっぱり、出来る限りはまるゆがやった方がいいかなって……」

 

「なるほど」

 

 まるゆは木曾の面倒見の良さを理解しつつも、頼りきりにはなりたくないらしい。

 

「立派な心掛けでありますな……。それで……どうして毛布に潜っているのでありますか」

 

 その様子を見てまず感じた違和感を問うあきつ丸。

 

「いや、明日は早いので、なるべく暗くした方が寝られると思ったんです」

 

「だから毛布の中に。それで、電気スタンドは?」

 

「潜ったら本が読めなかったので……」

 

「ふむ、それでは結局眩しくて寝られないのでは?」

 

「はい……はい? ……確かに……そうですね」

 

 自分の行動の不条理さに頬を赤くし、本で顔を隠すまるゆ。

 

「まるゆ殿。欲張り過ぎでありますよ」

 

 まるゆにそっと笑いかけるあきつ丸。

 

「その本、借りてもいいでありますか。自分も出来る限り覚えておきましょう」

 

「でも、あきつ丸さんも早起きするでしょう」

 

「たまには人の厚意に預かっておくものであります。まるゆ殿が仰ったのですよ。それに、自分は朝早いのには慣れているのであります」

 

 あきつ丸がそう答えると、まるゆは暫く困り顔であきつ丸の顔を見つめ、口を開いた。

 

「あきつ丸さん、今日は良いことあったみたいですね」

 

「それはそうでありますな。今日というか……数日のうちに色々あったのであります」

 

 あきつ丸は最近のことを思い出した。扶桑のこと、山城のこと、オナホ華道のこと、長門のこと……。

 

「そんな風に見えました。さて……明日も……よろしくお願いします……」

 

 まるゆは本を読んでいたままのうつ伏せで、枕に顔を段々と埋め、そのまま眠りに入ってしまった。

 

「さて、自分はもうひと頑張りでありますな」

 

 あきつ丸はまるゆの読んでいた釣りの本を拾うと、机に乗せ、頁をめくり始めた。




ログインするたびに「着任しました」と言われるので、勤務中を着任していると表現する世界なんだろうと思っています。


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オナホ華道 8

あきつ丸、またもやアレと邂逅。


「よお、迎えに来たぜ」

 

 木曾は翌〇四○○に、あきつ丸たちの居室にやって来た。最近支給されたという黒の外套を羽織っている様は、軍人と言うよりは海賊を思わせる。しかも腰にはクーラーボックス、肩には竿ケースを背負っていて、率直に言うと訳のわからない格好だ。

 

 外にはまだ、日は昇っていない。

 

「……あ、おはようございます、木曾さん……」

 

 眠い目をこすりながら、まるゆがもぞもぞと這い出してきた。

 

「いや、流石に暗いでありますな」

 

 早朝には強いと豪語するだけあって、あきつ丸は既に起き、いつもの制服に着替えていた。

 

「久し振りだな、あきつ丸。達者にしてたか?」

 

「おかげさまで、であります」

 

 存外親しげにしている木曾とあきつ丸を、まるゆが不思議そうに見つめている。

 

「まあ、まるゆもさっさと準備して、早いとこ海に繰り出そうぜ。朝の空気は格別だ」

 

「はい……」

 

 寝ぼけ眼のまるゆが、手拭いを手にふらふらと廊下に出て行った。

 

 

 

 

 まるゆの洗顔と支度を待ち、出発は予定通り○四一五になった。

 

「木曾さんとあきつ丸さんってお知り合いだったんですね」

 

 堤防までの暗い道を歩く中、まるゆが二人に問いかける。

 

「知らなかったのでありますか? 少し前までは訓練や任務で一緒のこともあったのであります」

 

「ああ、俺と組んでた頃は何もかもヘタクソでなぁ、というか、あの頃何してたっけ、お前?」

 

 屈託なく疑問をぶつける木曾。

 

「失礼な、とばしていたのであります。艦戦なんかを」

 

「すまねぇな、アレは何したかったか分からなかった」

 

「自分も何をすればいいかさっぱりわからなかったであります」

 

 とりあえず経験を積むために同行して、無聊を慰めるために何か飛ばしていたと言ったら語弊が……無い。実際そんな出撃を繰り返していた。

 

「それが今じゃ対潜哨戒の要か。立派なもんだ」

 

 言葉に反して感慨深げでもないが、かといって嫌味でもない。さっぱりとした物言いである。

 

「まぁ、それなりに勤めているのであります」

 

 当時と今とを噛み締めつつ、木曾の言葉を労いと受け取るあきつ丸。その様子を見て、まるゆも言葉を挟む。

 

「ま、まるゆも慣れれば何か任されるでしょうか?」

 

「今でもしっかりやってるさ。たまに出てる遠征だって、オリョール海への出撃だって、鎮守府の大事な仕事だ」

 

 口元に笑みを浮かべつつ答える木曾に、まるゆが聞き返す。

 

「でも、いつも皆さんは痛みに耐えて、敵を倒して、傷を負って帰ってきます。まるゆ、たまに情け無くて……」

 

「おいおい、そう卑屈になるなよ。俺もまぁまぁ出撃しちゃあいるがな、武蔵だの長門だのに比べりゃ大した事ないぜ。そんな比べないで、自分の領分をしっかり果たせばそれでいいんじゃないのか?」

 

「でも、まるゆ、鎮守府のみんなの役に立ててるのか不安で……」

 

 まるゆがそこまで言うと、木曾は笑い出した。

 

「お前、役に立つために生きてるのか? 間宮で腹がはち切れるまでパフェが食いたいとか、提督に特別に目をかけて欲しいとか、特別な瑞雲を集めたいとかだったら死ぬほど役に立とうとしてもいいんだろうがな。そうまでしてでも欲しいものがあるとかでも無けりゃ、そんなに無理することもないだろ。人がどうこうより、まずお前の望みが何なのか、じゃないのか」

 

 まるゆは釈然としない顔をしている。

 

「とりあえず、お前にやった朝顔な、俺は花を見たかったんだが、世話をする暇が無いんだ。だからお前が育ててくれるのは有難い。こうして一緒に釣りに来てくれるのも俺は嬉しいぞ。そういう事だよな? あきつ丸」

 

 急に話を振られ、驚くあきつ丸。

 

「ふむ。戦果だけのために生かされている訳ではないと」

 

「でなきゃそもそも、こんな格好で産まれてくる必要あるのかねぇ……」

 

 あきつ丸は自分の右手を広げ、まじまじと見つめ、そういう考え方もあるのか、と、とりあえず納得した。

 

「ま、俺には戦いが一番向いてると思うから、戦い続けるまでだがな。さ、着いたぜ」

 

 十分ばかり歩いただろうか。三人は防波堤の先端までたどり着いた。

 

「釣竿は三本ある。秋刀魚漁とかなら艤装のクレーンで一網打尽にやれるんだろうが、今回は魚との知恵比べだ。この竿一つで戦う。天秤仕掛けをカケ上がり……底の抉れてるところに投げ込んで、待つ。食いついたら引き上げる」

 

「まるゆ、本で読みました! 手応えで底の様子を探るんですね」

 

 木曾はランタンで手元を照らすと、慣れた手つきで竿を組み立てた。三本ともリール付きの新しげなものだ。二メートル強はあるか。リールから糸を繰り出すと、仕掛けを結びつけ、終端にいくつか付いている針それぞれに虫を刺した。ゴカイだろうか。一切の躊躇がない。

 

「そうだ、投げてやろうか? お前にこの竿は長いだろう」

 

 まるゆを気遣う木曾。

 

「あっ……お願いします」

 

 一瞬ためらったまるゆだったが、想像以上の竿の長さに、大人しく任せることにしたようだ。

 

「そらっ」

 

 木曾が仕掛けを投げる。しゅるしゅると糸が繰り出される音がし、ドボン、と錘が着水したのがわかった。しばらくして木曾は少し糸を巻き取り、まるゆに返した。

 

「あとは竿を持って待ってろ。糸はちゃんと張ってな」

 

「ありがとうございます」

 

「あきつ丸はどうだ」

 

「それ」

 

 あきつ丸は本の見様見真似で仕掛けを準備し、既に投げ込んでいた。

 

「ちゃくだーん……今! ふふっ」

 

「上出来じゃねぇか。俺もさっさとやるか」

 

 木曾も自分の竿を用意し、仕掛けを海に投げた。

 

 既に空は白みつつあった。皆、うっすらと見える黒い水面をぼーっと眺めていた。

 

「あ……見てください……!」

 

 まるゆが指を指す先に、日が昇っていた。波が朝日を反射し、きらきらと輝く。戦場として臨む海が纏うのとは全く異なり、張り詰める物がない、穏やかな静けさ。

 

「いいねぇ、これだよ、これ」

 

 木曾は満足げに海を眺めている。

 

 あきつ丸は、何だかんだ、夜戦明け以外で日の出を見るのは初めてだったかもしれない。あまりの美しさに息を呑んだ。これまで必死さと共に眺めていたものが、安らぎのもとではこうも姿を変えるとは。

 

「おっ、まるゆ、引いてるぞ!」

 

 木曾の歓声があきつ丸の思考を断ち割る。

 

「うわっ、ど、どうすれば……」

 

 木曾は自分の竿を側に置くと、まるゆに覆い被さり、彼女の手に自分の手を添えた。

 

「よし掛かった! リール巻け!」

 

「はっ、はい!」

 

 まるゆが右手のハンドルを回す。竿先がびくびくと震える。十五秒ほと巻くと、水中に魚影が煌めくのがわかった。

 

「キスか、でかいな。そのまま巻き上げろ」

 

「よいしょっ」

 

 水面を破り、魚が姿を現した。二十センチはあろうか。

 

「やった! やりました、ありがとうございます!」

 

「何言ってんだ、まるゆが釣ったんだぞ」

 

 木曾は防波堤に持ち上げられてびちびちと跳ねるキスを掴むと、危なげなく針を外し、クーラーボックスに放り込んだ。と、木曾の竿の先も震えているのに気付く。

 

「幸先いいじゃねえか。ここが穴場だって読みは正しかったな」

 

 木曾は自分の竿を拾い上げると、しっかり竿を振り、まるゆにしてやったのと同じように巻き上げた。キスが三匹、鈴なりに食いついている。

 

「いやはや、お二人とも流石であります。自分もそろそろ来て欲しいのでありますが」

 

 あきつ丸は未だにアタリが無いことに焦り始めた。

 

「そういやあきつ丸、餌は付けたのか」

 

「餌でありますか。……しまった!」

 

 木曾は一瞬呆れ顔になったが、すぐにヘラヘラと笑い出した。

 

「仕掛けを付けるまでは見事だったんだがな。まあ焦るな。戻してまたつければいいさ」

 

 あきつ丸は顔から火を吹きそうになりつつ、大慌てでリールを回す。

 

「む……重い? であります」

 

「十中八九、根掛かりだな」

 

 聞いたことのない言葉にあきつ丸が首を傾げる。

 

「地球か船でも釣ったんだろうよ」

 

「しかし、きちんと巻き取れてはいる……」

 

「本当か?」

 

 木曾があきつ丸の竿を受け取る。竿を立てる、振るなどして竿の反応を見るが、確かに仕掛けはこちらに引き寄せられているらしい。

 

「ゴミを引っ掛けたかもしれんな」

 

「ゴミ。まだ船などの方が釣果になりますな」

 

「とにかく仕掛けを回収しねぇと。待ってろ……」

 

 そう言うと、木曾はリールを回す手を早めた。竿が大きく撓む。

 

「ふンっ!」

 

 木曾が力を込めると、あきつ丸の釣り上げたそれが水面を突き破り、払暁の空に躍り出た。円柱状だがずんぐりとしていて、魚らしいひれがなければ、頭のようにすぼまった所もない。光っているようにも見えるが、それは光沢ではなく、太陽光を透過させているらしい。張力に任せ、それはこちらに飛んでくる。

 

 

 ぽよん。

 

 

 透明な、寒天質と思しき塊が、防波堤に着地した。辺りに飛沫が飛び散る。

 

「……クラゲか?」

 

 朝日を透かしてコンクリート面に映し出される輪郭を見るに、どうやらそれは中央に穴が通っているらしいことがわかる。それを覗き込む木曾とあきつ丸を見て、まるゆも寄ってきた。

 

「うわぁ、気持ち悪い……」

 

「これは……生き物? で、ありますか?」

 

 木曾はそれを眺め、しばらく考えこむ様子を見せたが、意を決したか、おもむろにそれに手を伸ばした

 

「大丈夫でありますか、刺されたりは……」

 

 木曾は、それを手の中でぐにゅぐにゅと弄びはじめた。

 

「こいつは……」

 

 あきつ丸とまるゆが唾を飲む。

 

 

 

「知らんな……」

 

 

 

「木曾さんもわかりませんか」

 

 木曾はそれの穴に恐る恐る指を伸ばしたが、流石に突っ込む度胸は無いらしく、その指を引っ込めた。

 

「だがこのヌメり……もしかしたら」

 

「もしかすると? 何でありますか」

 

「深海の連中の……抜け殻とか、触手の一部かもしれないぜ……」

 

 あきつ丸が顔を引攣らせる。

 

「それは洒落にならないでありますよ……」

 

「まあ憶測だ。あとで提督に聞いてみようぜ。それより今は魚の食いがいい、この機を逃す手は無いぞ」

 

 そう言うと、木曾はまずあきつ丸の仕掛けに、続いて木曾自身の仕掛けに餌を付けると、自分の竿を振り、仕掛けを海に投げた。あきつ丸もそれに倣い、仕掛けを投げ込んだ。

 

 

 

 

「一杯釣れましたね!」

 

 まるゆは目を輝かせながら、クーラーボックスを覗き込んでいる。一瞬で時は経ち、既に時刻は一三○○を回っていた。

 

「三人で四〇匹は釣ったか。こいつは凄いぜ」

 

 ボックスの中には無数のキスとハゼ、そしてよくわからない大きな魚が詰め込まれている。

 

「あと……どうするでありますか。これ」

 

 あきつ丸はクーラーボックスの脇に並べられたものを指差した。最初に釣りあげた軟体のほかに、白いものと黒いものが増えている。

 

「こいつ……こうして並べると……」

 

 木曾は黒い軟体の後ろに、白い軟体を繋げるように並べて見せた。

 

「ふむ……敵駆逐のような色合いですな……」

 

「透明なのは発光する部分の覆いかもしれないぜ……」

 

「なんと……」

 

 あきつ丸は敵の姿を思い浮かべた。確かに、深海棲艦は部位によっては妖しく輝いている。あの光は透明な何かで覆われていた方が理にかなっていないだろうか。

 

「ど、どうするんです……」

 

 まるゆが怯えつつ尋ねる。

 

「まあ、これはあきつ丸と俺がなんとかしておく。さっさと魚を料理して貰おうぜ」

 

 木曾は、まるゆが安心できるよう、笑って見せた。

 

「ひっ……!」

 

 あきつ丸が謎の軟体を拾い上げるべく握ると、開口部からぴゅっと粘液が吹き出し、彼女は思わず声を上げた。

 

「おい、気をつけろよ……」

 

「はい……」

 

 あきつ丸は、木曾が持ってきたビニル袋に慎重にそれを詰めると、間宮に向けて歩き出した。

 



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オナホ華道 9

「いや、絶品でありますな!」

 

 さくさくと天婦羅を頬張るあきつ丸。衣に包まれた身が、口の中でほろほろとほぐれる。淡白な白身に垣間見える確かな旨味が、衣との絶妙な調和を見せている。生臭さを殆ど感じないのは、鮮度と下拵えのなせる技か。

 

「これはハマりそうであります……」

 

「まるゆ、こんな美味しいお魚食べるの始めてです……」

 

「気に入ったんなら良かった。折を見てまた誘うぜ」

 

 頭からバリバリとキスを食らいながら、木曾が答える。テーブルの脇から、間宮が折に詰められた天婦羅を差し出した。

 

「どうぞ、残りも揚げておきました。またご用命下さいね!」

 

「おお、礼を言うぜ間宮。こいつは本当に美味い」

 

「ありがとうございます!」

 

 それから、三人はお互いの近況報告、その日の振り返りなどをし、食事を終えた。

 

「ご馳走様。まるゆ、先に部屋に戻っててくれるか」

 

「は……はい……今日はその、ありがとうございました」

 

 事を察したのか、まるゆはおとなしく二人と別れ、自室に戻った。

 

「……じゃあ、ソレをなんとかしねぇとな」

 

 木曾はあきつ丸の提げる袋に目をやった。

 

「はっ……提督に聞きに行くのでありますか」

 

 あきつ丸は防波堤で述べた通りに答えた。

 

「そうだな……独断はロクな結果にならん。提督に判断を仰ごう。だが……」

 

「だが?」

 

 あきつ丸がつぎの言葉を促す。

 

「俺は一つ持っていくから、お前は残りを明石に持って行ってくれ。こいつには俺個人としても興味がある。機密に触れていた場合は提督に見せた時点で情報が統制されて、一本残らず闇に葬られかねないからな……」

 

 木曾としては、ディルドの時の失態を踏まえ、最大限譲歩した判断であった。

 

「了解であります。では、木曾殿は残りをお願いするのであります」

 

 あきつ丸は一つを受け取ると別のビニル袋に詰めて、工廠に走った。

 

 

 

 

 

 

「ごめん下さい、で、あります」

 

 工廠の錆びた扉を開くあきつ丸。思い返してみれば、一人でここに来るのは初めてだ。

 

「はーい……あ、あきつ丸! 一人で来るなんて珍しいですね、どうしました?」

 

 明石は普段通りの快活さであきつ丸を迎える。一方のあきつ丸は、神経質そうに辺りを伺いつつ、おずおずと話し出した。

 

「あの、今ここに居るのは明石殿と自分だけでありますよね……」

 

「ん? そうですね。えーと、何か込み入った話でも……?」

 

 神妙な面持ちで聞き返す明石。

 

「何というのは……これのことで……」

 

 そう言うと、あきつ丸はビニル袋に収められたそれを差し出した。

 

「はぁ」

 

 明石は、新しい改修資材か何かか、あるいは差し入れかと思い、受け取って中身を見た。すぐさま明石の顔が強張る。

 

「木曾殿は敵の体組織ではないかと言っているのであります。提督に取り上げられる前に、明石殿にお見せするようにと……」

 

 知りえた内容を漏らさず伝えようとするあきつ丸。

 

「これ……オナホですね……」

 

 明石は想定外の物体の出現に困惑している。

 

「なんと。これもオナホでありますか。色々あるのでありますな……」

 

 明石の困惑をよそに、あきつ丸はあっさり受け入れてしまった。

 

「え? 意外と詳しいんですね、あきつ丸は……」

 

「はい。昨日、扶桑殿から教えて頂いたのであります。オナホであれば、木曾殿もあそこまで慌てることないでしょうに」

 

「あの……はぁ。あきつ丸は、オナホが何なのか分かってるんですか?」

 

 きょとんとするあきつ丸。

 

「……華器でありますよね」

 

「違います! えー、火器を収める、治めるためのものというべきでしょうか……」

 

 穏当に済ませようと、適当に言い繕う明石。

 

「ふむ。……何一つわかりませんな」

 

「まあ、分からないならそれでも構いません」

 

「自分が構うのであります! 自分も、木曾殿も気が気ではない……」

 

 明石は、柄にもなく感情的にまくし立てるあきつ丸の顔を見つめ、どうしたものかと逡巡する。

 

「そうですねぇ、男子の嗜み……? に使う道具ですから、木曾さんが心配するようなものではないのは確かです」

 

「男子の嗜み……。オナホは武具なのでありますか、竹刀のような……」

 

 あきつ丸は、オナホに思いを巡らせる。

 

「まあ……鍛錬に使うという意味であれば、決して遠くはない、ですかね!」

 

 明石はやけくそ気味に答えた。

 

「ふむ。わかったのであります。これで今夜は安心して眠れそうであります」

 

 感謝を述べると、木曾に報告すべく、急ぎ工廠を後にするあきつ丸であった。

 

 

 

 

 

 

 その頃。執務室で提督が海図を眺めていると、木曾がドアに体当たりせんばかりの勢いで入ってきた。

 

「どうした木曾、ノックもせずに」

 

「おい、これを見ろ!」

 

 ビニル袋を突きつける木曾。

 

「何なんだ一体」

 

 受け取った提督は、ごそり、と袋を広げ、

 

「ッンン〜⁈」

 

 声にならない叫びを上げた。そこには、オナホがあった。

 

 提督は、自らが投棄したそれが帰ってきたこと、よりにもよって木曾がそれを持っていることに、ただ驚愕するしかなかった。

 

「海で釣り上げたんだが……この禍々しい形に色、ヌルヌルした感触……もしかしたら深海棲艦の一部なんじゃないのか?」

 

 提督はあまりの衝撃に硬直し、何も答えない。

 

「おいどうした? やっぱりマズいもんなのか⁈」

 

「それはな……それは……」

 

「これは……?」

 

 木曾が執務机に手を着き、提督の頭を覗き込む。

 

「安心しろ……。俺が……海に捨てたモノだ」

 

 絞り出すように告白する提督。

 

「……なんだ、あんなに慌てた俺が馬鹿みたいだな」

 

 執務室に駆け込んだ自分を恥じてか、木曾はバツの悪そうな顔をし、帽子の上から頭を掻いた。

 

「で、何なんだ、これ」

 

 提督は、詰問から逃れることはできないと悟ったか、顔を上げた。そして、机の端の花瓶に飾られた花(長門が置いてくれたものだ)をちらと見遣った。

 

「これはな……」

 

 提督は、袋からオナホを一つ取り出すと、おもむろに執務机に置いた。

 

「こうやって使うんだッ‼」

 

 そう言うと、花瓶の花を引き抜き、オナホの穴に突き刺した。

 

「はぁ……そんなことしていいのか? 潮で花が駄目になりそうだが」

 

 大仰な予備動作の割に大したことのない行動に、木曾が湿った視線を寄越す。

 

「本来はよく洗って使うんだ」

 

「ふーん……まぁこの器……」

 

 木曾が花の刺さったオナホをまじまじと見つめる。

 

「あんまりいい趣味とは言えんな。捨てて正解だったんじゃないのか? しかし海にモノを捨てるのは感心しないねぇ。環境に悪いし、それ見てまるゆがビビってたぞ」

 

 怯えていたのは主に自分のせいだということに、木曾は気付いていないのだろうか。

 

「わかった。気をつけよう」

 

 海に投棄するのはやめていたし、もうオナホが手に入るあてもないが、とりあえず返事をする提督。

 

「邪魔したな。失礼するぜ」

 

 ドアを引き、部屋を後にする木曾。彼女は、己の想像が杞憂であったことに安堵した。しかし心の隅では、得体の知れないソレが存外大したことのない用途に使われる代物だったことに拍子抜けしていた。

 

「あ、木曾殿。わかったのでありますか、あの……オナホのこと」

 

 あきつ丸は既に執務室の前まで辿り着き、木曾を待っていた。

 

「ああ。オナホって言うのか、あれ」

 

 そこをたまたま通りかかった一人の艦娘の耳に、ソレの名を確認する木曾の声が届いてしまった。

 

「オナホ……今オナホと仰いましたか?」

 

 大淀である。

 

「そうだよな? あきつ丸」

 

「ええ、オナホであります」

 

「今、木曾さんがお持ちのモノが?」

 

 大淀が、木曾の提げている袋を指差す。

 

「ああ、そうらしい」

 

「それをどちらで……? いえ、もしよろしければ、頂いてもよろしいでしょうか」

 

 中身も確認せず欲しがる大淀を、木曾は一瞬不審に思った。しかしその用途がわかってしまった今、木曾には持っておく理由もなかった。

 

「いいよな、あきつ丸」

 

「構いはしないでありますが、一つにして欲しいのであります。申し訳ない」

 

 あきつ丸は、扶桑姉妹からの宿題を忘れたわけではなかった。それに、今後様々な花を活けることを考えると、オナホは多いに越したことはないはずだと考えた。

 

「あきつ丸さんは、この……こちらの物を何に使われるのですか?」

 

「何って、それはオナホ華道であります」

 

「オナホ華道……ですか……?」

 

 困惑を隠せない大淀。

 

「扶桑型のお二人が教えてくれるでありますよ」

 

「そうですか……とりあえずこちら、ありがとうございます」

 

 大淀は、透明なオナホを片手に廊下を歩いていった。

 

「大淀殿、オナホ華道でなければ何をするのでありますかね……」

 

「さぁねぇ。あんなのは置いといて、俺の部屋で天ぷら食いながら一杯付き合わないか?」

 

 木曾は、自分を蚊帳の外にしてなされた、意味不明の会話には興味を失っていた。

 

 

 

 

 

 

「おかえりなさい。あの、何だったんですか、あれ」

 

 その晩、あきつ丸が自室に戻ると、まるゆが早速、調査結果を聞いてきた。

 

「あー、少し飲み過ぎたようで……あれというのは、これでありますか」

 

 手に持ったビニル袋を掲げ、あきつ丸が答える。

 

「え、あきつ丸さん、飲んでいらっしゃったんですか? 部屋では飲まれないので、意外です……。それ、持ち帰れたなら、危ない物ではなかったんですね」

 

 あきつ丸に飲酒の習慣が無かったので、初めて酔っ払いを見るまるゆ。驚きはするが、釣り上げた軟体のことを尋ねるのは忘れない。

 

「そう、あれはオナホであります」

 

「オナホ?」

 

「主に花を活けるでありますよ。本来は殿方の嗜みに使うらしいでありますが……」

 

「そうなんですか……?」

 

 まるゆにしてみれば、「殿方の嗜み」なるものもまた謎なため、さらに困惑するしか無かった。

 

「……いやぁ、艦娘と飲むというのも存外楽しくはありましたが……木曾殿と同じ感覚で飲むと……ダメになりますなぁ、まさにうわばみでありました」

 

「大丈夫ですか? まるゆ、水持ってきます」

 

「いや、大丈夫であります。そうでありますね、給水ついでに夕涼みでもしてくるであります……」

 

 よろよろと回れ右をし、部屋を出ようとするあきつ丸。

 

「その状態で一人では危ないですよ。まるゆがお供します」

 

「ありがたい……」

 

 力なく礼を言うと、あきつ丸はよろよろと廊下を進んだ。少し遅れて、まるゆが後ろをついていった。

 

 二十一

 

「ハッ? 自分、落ちていたでありますか?」

 

 あきつ丸が目覚めると、机の前に座るまるゆの姿が目に入った。

 

「昨日、水を飲まれたあと、そのまま部屋に戻って眠ってしまいましたよ」

 

「そうでありますか。いやまずい、出撃の時間が!」

 

 あきつ丸が大慌てで時計を確認すると、針は〇九二〇あたりを指している。

 

「落ち着いてください。今日は日曜日です」

 

「そうでありますか、いや、そうでありますね。これは失礼……」

 

 日曜は基本的に任務の予定を入れられていないことを思い出して、あきつ丸は胸を撫で下ろした。同時に、今日は扶桑の部屋でオナホ華道をする日だったということを思い出し、胸の高鳴りを抑えられなかった。自分で手に入れたオナホで、自分の作品を作り出すという、初めての体験。それを艦隊の仲間たちと共有できると思うと、なんとなく胸が躍った。扶桑の眼鏡に適う作品はできるだろうか。

 

「あきつ丸さん」

 

「何でありますか?」

 

 うきうきとした気分で荷物の準備をしていると、まるゆが話しかけてきた。

 

「あきつ丸さん、本当に表情が変わりましたね」

 

 まるゆはどこか嬉しそうに告げた。

 

「……楽しいであります。自分、最近楽しいというのが何なのか、分かってきた気がするのであります」

 

 あきつ丸もまた、自分の表情が綻んでいるのを実感しながらそう答えた。そして、オナホを収めたビニル袋を携え、扶桑の部屋へと向かった。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、まずは宿題を見るわね。皆さん、自分のオナホはお持ちかしら?」

 

 一同が扶桑の部屋に揃うと、まずオナホの備えを確認した。あきつ丸、時津風、浜風は、それぞれ正座し、自分の前にオナホを置いている。しかし、長門は何故かプラスチックの棒を置いていた。

 

「長門さん、それは……?」

 

 棒を見て、山城が尋ねる。

 

「ディルドだ」

 

「何ですって?」

 

 その返答を受け入れかねたのか、山城が聞き返す。

 

「ディルドだ」

 

「知っています。それは茶道をするためのものです。長門さんもよくご存じでしょう」

 

「すまない、自分なりに探して、いろいろ聞いてみたんだが……。しかし見つけることはできなかった。陸奥は何も教えてくれない……。それでだ、陸奥の反応を見るに、オナホとディルドは姉妹艦のようなものだと思ったんだ」

 

「その認識は間違ってはいないわ。でも、それではオナホ華道はできないわね……」

 

「駆逐艦の皆はちゃんと調達できたのですね」

 

「あ、これ? 秋雲がくれたんだよ~。なんか、通販で買ったとか言ってた!」

 

「薄い本の資料にするために購入したと言っていました。こんなものを手に入れてどうするんだ、とも」

 

 二人とも、さも当たり前であるかのように、そこにオナホを置いている。

 

「長門さん、本当にきちんと探されたんですか?」

 

「当然だ。私は知っていそうな艦娘皆に聞き、ありそうなところは全て探した。しかし駄目だったんだ。大目に見て貰えないだろうか」

 

「長門さん。オナホはオナホ華道の命。今から探しに行っても遅くは……」

 

「そうか、ならば皆がここに居るうちに、何としてもオナホを調達してみせよう」

 

 立ち上がろうとする長門を、扶桑が制した。

 

「長門さん、その必要はないわ。山城、長門さんだってできる限りの努力はされているの。今回は、そこまで厳しく教え込む必要もないんじゃないかしら。

 

 落ち着いて、長門さん。オナホが無いなら竹輪や、こんにゃくに切れ目を入れたもので代用できるわ」

 

 扶桑はにこやかに、いたって優しく長門に代用手段を伝えた。

 

「分かった。竹輪なら確か自室の冷蔵庫にあった筈だ、取って来よう」

 

「お待ちください、長門殿。オナホなら自分が二つ持ってきたのであります」

 

 あきつ丸は、ここぞとばかりにオナホ入りビニル袋を差し出した。

 

「本当にいいのか? 渡りに船だ。恩に着る、あきつ丸」

 

「釣りをすればいくらでも手に入るのであります」

 

 あきつ丸は謙遜するように、しかしどこか得意げに答える。

 

「釣り……?」

 

「あきつ丸さん、今、釣りと仰いましたか」

 

 山城、扶桑がそれぞれ釣りという語に反応した。

 

「はい。防波堤から投げたら釣れたのであります」

 

 さらっとオナホを入手した経緯を伝えるあきつ丸。

 

「そうなのね……。私たちは海岸線を歩いているときにそれを拾ったわ」

 

「打ち上げられたクラゲかと思いましたが、よく見ると違ったんです。持ち帰って調べたらオナホと分かりました」

 

「山城、オナホは案外、沖側にも居るということね」

 

「そうですね、姉様。ありがとう、あきつ丸。オナホに関する見識が少し深まったわ」

 

「そ、そうでありますか、なんだか照れ臭いでありますな」

 

 あきつ丸は予想外の称賛を浴びて赤面した。

 

「とにかく、これで全員の器が揃ったわね。山城、始めましょう」

 

「そうね、姉様。皆さん。始めますよ、オナホ華道を!」

 

 二人の声で、オナホ華道の幕が切って落とされた。



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オナホ華道 10

大変お待たせ致しました! オナホ華道です!


「いや、難しいでありますな、なかなか」

 

 姉妹のレクチャーに従い自分で活けたオナホを眺め、あきつ丸が首を傾げる。山城が活けているのと同じ紫陽花と蒲を配置しているのに、あきつ丸の物はメリハリがなく、単調な印象を受ける。

 

「大丈夫? あきつ丸。これはもう少し短く。手前は低く、奥を高くした方が見栄えがいいわね」

 

 扶桑があきつ丸の後ろから覆いかぶさるように手を伸ばし、あきつ丸のオナホに刺さっている花を抜き、鮮やかな手つきでちょきん、ちょきんと長さを整える。

 

「あ……」

 

 やはり、扶桑からは花のような香りがする。それだけでなく、体が密着することで、彼女のぬくもりが背中から伝わってくる。髪のひと房が顔に当たる。

 

「これでどうかしら」

 

 扶桑が整えた花は、あきつ丸の手だけで整えられたときには無かった、整然とした雰囲気を纏った。しかし、あきつ丸は扶桑の接近に落ち着かなかった。でもこの落ち着かなさは何も居心地の悪いものではなかった。むしろ、ずっと髪の匂いを嗅いでいたいような……。

 

 あきつ丸が我に返ると、山城が時津風の手を取って指導しているのが見えた。浜風は蒲の長さを揃え、長門はオナホが伸びるのに気をよくしたのか、次から次へと花を挿し、花嫁が投げる花束のような風体になってしまっている。それに気付き、扶桑は長門の方へと歩いていった。

 

 

 

 

「さて、皆さん。初めての作品が出来上がったようですね」

 

 山城の声でそれぞれ手を動かすのをやめ、各々の活けた花を見た。

 

 あきつ丸のものは、右側に紫陽花を、左側に蒲の葉を配置し、落ち着きの中にも躍動感を感じさせる。

 

 時津風のものは根本近くに重心を置きつつも、ひと際高い紫陽花を置くことで単調さを避けている。

 

 浜風のものは、紫陽花を二、三多くあしらい、蒲を少なくしてある。同じ花を使いつつも、配分を変えるだけでここまで豪奢になるとは。

 

 そして、長門のものは、扶桑の指導によって花の本数を大きく抑えられているが、花が四方に広がっている。花を詰め込んだときに穴がガバガバになってしまったのだろうか。

 

「同じようなものしか使っていないのに、個性が出るものでありますな」

 

 あきつ丸は頷きながら感慨に浸っている。

 

「ええ、それがオナホ華道の醍醐味。生きたものを素材にするから同じものは二つとないわ。オナホ華道は一期一会。そうよね、山城」

 

「ええ、姉様。同じ姿勢で同じところに居ても、違う心で違う花を活けるから同じものはありません。心してください。自分の代わりに自分のオナホ華道を出来る人なんて居ないのですよ」

 

「一期一会……。誰も代わりにはならない……」

 

 あきつ丸は、二人の言葉を吟味するように繰り返した。

 

「じゃあ、今日はここまでにしましょう。みなさん、もっとオナホ華道がしたくなったらいつでもいらっしゃい。作った作品を持ってきてくれれば評価するし、質問があれば教えてあげるわ」

 

 そうして、その日のオナホ華道会は終了した。

 

 

 

 

 自室に帰ろうとするあきつ丸は、ディルド片手に執務室に向かう長門と方向が同じになった。

 

「あきつ丸、今日は世話になったな。おかげでオナホ華道、存分に体験することができた」

 

「そんな、自分はたまたま二つ持っていただけで……」

 

「フッ、感謝は大人しく受け取った方がいいぞ」

 

「はぁ。ありがとうございます」

 

 あきつ丸は、素直に礼を言った。

 

「それでいい」

 

 長門は満足げに微笑んだ。

 

「……それで、あきつ丸よ」

 

「……はい?」

 

 急に真面目な顔になる長門。

 

「わかったか、自分の出生については」

 

「いや……そちらの進捗は無いでありますな」

 

 言われて初めて、明石・大淀に自分が建造されたときのことを確認するのを忘れていたと気づいたあきつ丸。

 

「丁度いい。明石と大淀の部屋に行ってみたらどうだ? 日曜だし、今なら二人とも居るんじゃないか?」

 

「そうでありますね。感謝、であります」

 

「こんな案内、今日の礼には安すぎるくらいだ。色々と分かるといいな」

 

 そう言うと、長門は執務室の方へ、あきつ丸は大淀と明石の居室へ向かった。

 

 

 

 

 数分後、あきつ丸は二人の部屋のドアをノックしていた。

 

「はーい……ん、あきつ丸さん。どうしたんです?」

 

「あの、自分が建造された時のことについてお伺いしたく。長門殿から、立ち会ったのは明石殿と大淀殿だと聞いているのであります」

 

「あ、そういうことですか! 上がってください!」

 

 にこやかに返事をした明石だが、心中は穏やかでなかった。招き入れつつも、オナホの事を避けて説明する術を思案する。

 

「お邪魔するであります……」

 

 部屋に上がるあきつ丸。大淀らの部屋の内装を見るにつけ、洋机が二脚あることから、二人とも自室でも作業を多くしているのであろうと推察した。

 

「で……あきつ丸が建造された時のことでしたっけ?」

 

「そうであります。どのように生まれたのかと……」

 

「それがですね……。実は私も、どんな配分だったかは覚えていないんです。でも、ここにある資材全部をつぎ込んで生まれたのがあきつ丸さん。それは確かですよ」

 

 明石は、すでに説明方法について、作戦を固めていた。

 

「なんと、そんなにも莫大な資材をつぎ込んで自分が?」

 

「いいえ、大型艦建造ギリギリ一回分くらいしか資材は残っていませんでしたね……」

 

 作戦というのは、とにかく事実を話してしまうことである。

 

「……提督殿は自分を求めていたわけではない」

 

「それは言い方が悪すぎますね。適当にやったら幸運にもあきつ丸さんを引いたんです」

 

「まあ、何も提督殿に必要とされていないと生きる意味が無いとは思わないでありますが。それで、何故この鎮守府の資材はそうも逼迫していたのでありますか?」

 

「……提督の建造実験です」

 

「実験? 実験とはまた何を?」

 

 あきつ丸は、興味に任せて明石に質問を重ねてくる。

 

「それはですね」

 

 明石は自分の机の引き出しから白い箱を取り出した。

 

「こういった物です。この間工廠にお持ちになりましたよね」

 

「……むむ?」

 

 あきつ丸は灰色の箱を持ち上げた。箱には「○○ゆ」というロゴと共に、白いスクール水着を着用し、ゴーグルを頭に乗せた艦娘の絵が描かれている。

 

「なんでありますか、まるゆ殿?」

 

「中身を見てください」

 

 あきつ丸は箱を開けた。そこには、ビニルに包まれたオナホが入っていた。

 

「オナホでありますか。オナホを作りすぎて資材が……」

 

「そう、オナホです」

 

 明石がここまで打ち明けてしまったのは、何も無計画に、というわけではない。工廠に来た時点でオナホのことを知らなかったのだから、あきつ丸自身がオナホを建造しようという試みの中で生まれたということを知った所で、大してショックをうけることも無いと踏んだのだ。

 

「なるほど、そんなことでありますか。では自分がオナホ華道と出会ったのも運命というわけでありますな」

 

 明石の思った通り、あきつ丸はさしたる抵抗なくその事実を受け入れた。むしろ肯定的に捉えている節さえ見える。

 

「明石殿、大淀殿からもお話を聞きたいでありますが、いつなら会えるでありますか?」

 

「大淀ですか……あ、今丁度執務室で提督と面会してるんじゃありませんか? 今行って待ってれば会えると思いますよ」

 

「では速向かうのであります。明石殿、本日はありがとうございました、であります」

 

 そう言うと、あきつ丸は明石の部屋を後にし、執務室を目指した。

 

 

 

 

 あきつ丸が執務室の手前の角を曲がると、提督と誰かが言い争う声が聞こえてきた。先ほどの明石の話を聞くに、大淀だろう。あきつ丸は、走りこそしないものの、急ぎ気味に廊下を歩いた。

 

「提督! 何故そうまでして我慢されるのです!」

 

「そんなことを問い質してどうするつもりだ? 度を越した辱めだとは思わないか、性別に関係なく……」

 

 執務机を挟んで口論する二人。机には、透明のオナホが置かれている。

 

「提督、私がこれを何に使うか存じ上げないとでも思っていらっしゃったのですか」

 

「知っていたのか?」

 

「知っていますよ!」

 

 提督が渋い顔をした。あれだけオナホの箱の外装を見て何も言わなかった大淀が、中身については知っているなどとは提督も予想だにしなかった。

 

「前、提督はそんなに困っていないと仰っていました。では、こちらは?」

 

「どれだけ俺を辱めればいい! オナホだよ!」

 

 提督はとうに自棄を起こしていた。

 

「オナホなんて要らないでしょう! もうっ! もう一度、もう一度申し上げます。私は提督をお慕いしています。提督も私をお嫌いな訳ではない。しかも提督は、こんなものが必要なほど、欲求不満なのでしょう!」

 

「でもダメなんだ!」

 

「では提督は、やはり私が嫌いなのですね!」

 

「違う! そもそもオナホが逃避だというのが間違っている!」

 

「意味がわかりません!」

 

「わかるまいよ! 無理にわかろうとしてくれるな! 放っておいてくれ!」

 

 その時、執務室のドアが開かれた。

 

「失礼。オナホなんて机に置いて、何をそんなに揉めているのでありますか?」

 

 ドアを開け、あきつ丸が入ってきた。そして、オナホ越しに話す二人に問うた。その口論はあきつ丸にとってはただただ不可解だったが、もしオナホの何たるかを知っている者が立ち会っていれば、もっと困惑しただろう。

 

「何をって……何とも思わないのですか? オナホですよ!」

 

「オナホでありますね。どうかしたのでありますか?」

 

 あきつ丸は、表情を崩さず、オナホが机上に置かれている状況を受け入れた。

 

「……オナホ、ですよ。『オナ』って何かわかっているのですか」

 

「ふむ、見当もつかない……」

 

「……え?」

 

 逆に、大淀はあきつ丸の反応を受け入れかねた。

 

「あの、あきつ丸さん。これを何に使うかはご存知ですか」

 

「当然。オナホ華道であります。……やや?」

 

 自分で言って、その言葉の摩訶不思議さに気付いたあきつ丸。あえてオナホと付けるくらいなのだから、本来の用途であるはずがない。

 

「これは殿方が性の捌け口とするものです!」

 

「ええ……? 自分はそんなものを弄っていたでありますか⁈これでは将校殿に顔向けできない……」

 

 あきつ丸は猛烈に赤面し、顔を覆った。

 

「……それで、オナホ作りの片手間に自分が作られたというのは本当なのですか」

 

 顔を覆ったまま、提督に問うあきつ丸。混迷を極めた状況に、何を言えばいいか分からない大淀。

 

「……大淀殿、外して貰えるでありますか。大切なお話であります」

 

「え? ……はい」

 

 大淀は、あきつ丸の意図を測り兼ねたが、とにかく部屋を後にした。

 

「あの、提督殿、自分はオナホの余剰資材の寄せ集めというのは事実でありますか」

 

「それは言い方が悪すぎるぞ、流石に」

 

 しかし、あきつ丸は耳を貸さない。何かぼそぼそと言うばかりだ。

 

「……いいではありませんか」

 

「何だ?」

 

「使えばいいではありませんか‼提督は、自分ではなくオナホが欲しかったのでしょう‼自分、なるでありますよ‼オナホに‼」

 

 あきつ丸は自分の軍服のボタンを外し始めた。

 

「やめろあきつ丸!」

 

「どうして止めるのです‼自分、せめてオナホの務めくらいは立派に果たして見せるのであります‼」

 

「やめろ、止めるんだ‼」

 

 そう言うと、提督はあきつ丸の手首を掴んだ。

 

「っ!」

 

「落ち着け、もう部屋に戻るんだ」

 

「……自分は、自分は……」

 

 あきつ丸は泣き出した。今度は目を固く閉じ、ぽろぽろと涙を零している。

 

「俺が慰めてどうなるでもないかもしれないが、俺はあきつ丸に会えて良かったと思っているぞ」

 

 提督は、なるべく落ち着いた口ぶりで、優しくあきつ丸に言い聞かせた。

 

「……でも提督殿は……欲情……」

 

 オナホを量産するような男だから、欲求を持て余していると思われるのは当然だ。提督ともなれば、それを発散するために適当な艦娘を呼ぶことだってできるだろう。

 

「そのために愛を嘯くなど、俺にはできない……」

 

「嘯く……? 本当に愛情を抱いたことは一度たりとも無いと?」

 

 泣き腫らした目で、提督に問いかけるあきつ丸。

 

「他の男は居ないのに女はいくらでもいる、こんな状況だ。気の迷いでないと断言できるほど、自分の感情に確証を持てたことは無い」

 

「提督殿……」

 

 あきつ丸が、涙を袖で拭いつつ、提督から離れた。

 

「嘘でも、自分が欲しかったとは言ってくれないのでありますか」

 

「本当はな、いくら調べた所でお前が出生の秘密を知ることなど無いはずだったんだ。俺はそんなつもりで他の艦娘と話すよう勧めたわけじゃない」

 

「……提督殿は、ひどい人であります」

 

「言い逃れるつもりはない」

 

 あきつ丸は、その言葉に一瞬、悲嘆とも失望とも取りがたい表情を見せた。しかし踵を返し、とぼとぼとドアに向かうと、提督には一瞥もくれずに出て行った。




次で完結! 11日アップ予定です。


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オナホ華道 11

投稿遅れてすみません。 完結です。


 あきつ丸は、亡霊のように廊下を歩いた。自分は兵器兼オナホだった。やはり武器としての、道具としての生しか持ち合わせていないのだ。

 

 何故戦うのかという彼女の問いの答えが、ここにきてようやく見えたようだった。目的を持って作られて、目的に沿った役割を果たす。提督はオナホを求めてあきつ丸を作ったが、もはやオナホは求めていない。だったらもう、自分の存在に、自分の始まりに意味を持たせる術は、戦う他に無い。

 

 彼女が出自を探り、なんとか知ることができたのは、崇高な使命でも、高邁な理想でもなく、ただひたすらに無限の妥協を強いてくる、絶望だった。

 

「あきつ丸、何を泣いてるんですか」

 

 そこに通りかかったのは、山城だった。

 

「山城殿、自分、自分……」

 

 それだけ言うと、あきつ丸の目からまた涙が零れた。山城は、どうしていいかわからなかったが、黙ってあきつ丸を抱きしめると、そっと語り掛けた。

 

「部屋に来てください。何があったかお聞きします」

 

 

 

 

 

 

 扶桑らの部屋に着くと、あきつ丸は今日起きた出来事を訥々と語りだした。

 

「そんなことが……。あきつ丸。つらい話だとは思うわ。でも、大抵の子は提督の狙い通りに鎮守府に来てるわけじゃないのよ」

 

「それはそうなのでしょう……。でも、でもまさか、よりにもよってオナホとは……」

 

「……あきつ丸、そんな悲観することは無いはずですよ」

 

 山城は、そう決然と言い放つと、扶桑に目配せした。

 

「そうね、山城。やってごらんなさい」

 

 山城は、座布団の前に盆を置き、水色のオナホを中央に据えた。そして、花瓶から紫蘭の花を取り上げると、パチン、パチンと切りそろえ、オナホに突き刺した。

 

 控え目だが、上品な作品があっという間に出来上がった。

 

「見事ね、山城」

 

 扶桑は満足げに笑っている。

 

「……これが、一体どうしたというのでありますか」

 

「よろしいですか、姉様」

 

 扶桑は、いつもの儚げな、それでいて優しい笑顔で頷いた。

 

「これはオナホとして生まれて、オナホとして一生を終えたかもしれないモノです。でも今この場では花を飾っています。生まれついてはあり得なかったモノ達が、奇跡のような巡り合わせでここに揃うことで、こうして美を形作っています」

 

「その通りよ、山城。あきつ丸も分かったかしら?」

 

 あきつ丸は、はらはらと零れ落ちる涙には構わず、オナホに活けられた花を凝視した。

 

「我々もまた……生まれで全てが決まるわけではなく、いろいろな巡り合わせで変わりうる……と、いうことでありますか」

 

 扶桑と山城は目を閉じてゆっくりと頷き、あきつ丸の答えに感じ入っていた。

 

「そうよ、あきつ丸。オナホ華道の神髄、伝えられて何よりだわ、山城?」

 

「ええ、あきつ丸。あなたはオナホではありません。これまでの、そしてこれからの出会いと経験は、確実に、常にあなたを別のものにしているわ。そうですよね、姉様」

 

「私はそもそも、自分がオナホだと思うのも過ぎた悲観でしかないと思うけど……。私と山城は、嘘や方便で悲観しすぎだなんて、絶対に言わないわ」

 

「お恥ずかしい。ハハ……でも、ありがとう、であります」

 

 あきつ丸は、脱帽し、畳に指をついて深々と頭を下げた。

 

「そうよ、あきつ丸! 提督に作品を見せてはどうかしら?」

 

「提督に? どうしてでありますか?」

 

「あきつ丸が、もう心配要らないってことを見せつけるのよ」

 

「いいですね、姉様。もしかしたら提督もオナホ華道を理解できるかもしれません」

 

「はぁ……」

 

「早速、オナホと花を準備しなきゃ……山城、秋雲に頼んでアレを用意して」

 

「わかったわ、姉様。あきつ丸、来週末には執務室前に展示しましょう」

 

 そうして、オナホ展示が準備されることとなった。

 

 

 

 

 

 

「うぇ、山城? TENGAなんて欲しいのぉ? 提督にお中元ですかぁ? ひひっ」

 

「あんな、姉様を狙うケダモノに付け届けなんてするもんですか。オナホ華道です」

 

「あー、それま~だやってんのぉ。飽きないねぇ」

 

「飽きないって……飽きもせず通販でディルド買ってるのは誰ですか」

 

「あれは……ほら、イラストの資料だってぇ」

 

「私たちの頼んだものを注文してくれている限りは、窓から茂みに投げ捨ててたことも皆には黙ってて差し上げますよ」

 

「ゔ、しょうがないなぁ、わかりましたよっとぉ」

 

 

 

 

 

 

 あっという間に一週間が経った

 

 あきつ丸、山城、扶桑は、提督に予定を問い合わせ、首尾よく土曜の一三〇〇から執務室での面談を取り付けた。

 

 

 

 

 

 

「それで、三人揃って何の用だ」

 

「まあ、見てほしいのであります」

 

 あきつ丸は、提督の前なで歩くと、突然その場に正座した。扶桑がその前に、黒い大きな盆を置いた。

 

「なんだ、何を考えているんだ、あきつ丸」

 

 提督は、唐突すぎるあきつ丸の行動に理解が追い付かなかった。

 

「あきつ丸、こちらを」

 

 山城は、呆気に取られる提督には構わず、あきつ丸に段ボールを手渡した。あきつ丸は、段ボールの蓋をバリバリと引きはがすと、中から橙と銀の横縞のモノを取り出した。

 

「これは、島風殿モデルでありますか」

 

「いいえ、それが基本のTENGAよ」

 

「早く花を活けましょう、あきつ丸」

 

 あきつ丸が盆の中央にTENGAを置いたのに合わせて、扶桑が新聞紙に巻かれた花を取り出した。

 

「さあ、表現してみて、あきつ丸の全てを……」

 

 あきつ丸の脇に、花の束が置かれた。

 

「待て、何だこれは……何のつもりだ」

 

 執務室で突如として始まった珍事に、提督はうろたえている。

 

「どうした、何なんだこれは! 来てみろ陸奥!」

 

「長門、どうかしたの? え、何これ……」

 

 執務室のドアは開け放たれていたので、前を通りかかった艦娘たちが、その様相に興味を示し、立ち止まり始めた。観衆に加わった艦娘たちは、敷居の向こうからこの謎の催しを覗いている。当然、観衆のどよめきはあきつ丸にまで届いている。しかし、彼女は全く動じることなく正座し、鬼気迫る様子で花を選んでいる。

 

 あきつ丸は、扶桑から渡されたトルコ桔梗、鬼灯などをいろいろ手に取って眺めている。しかし、ただただ唸るばかりで、手は進まない。

 

 いずれも、あきつ丸自身を表現するにはいまいち何かに欠ける。何というか、彼女の今の心情や提督に伝えたい想いに相応しくない気がするのだ。あきつ丸は新聞紙に並べられた花を見つめ、動きを止めてしまった。

 

 あきつ丸は平静を保っているように見えたが、実のところ酷く焦っていた。この切り花は確かに美しい。しかし、何かが決定的に足りない気がした。あきつ丸は自分自身を伝えたいが、この花の在り方はどうしようもなく自分と交わらないと感じていた。

 

 これらが美しいのは当然なのだ。美しくあるように育てられ、果たして美しく育ったものだけが流通している。それをただ活けて、今伝えたいことを表現できるのだろうか? 

 

 時間は容赦なく過ぎる。あきつ丸は、自分の至った境地をなんとかしてオナホ華道の神髄に乗せようと、喧噪の中精神世界に籠り、孤独な格闘を続けている。

 

 誰も彼女の戦いを知ることは叶わない。それでも扶桑姉妹は、慌てることはなく、普段と同じく穏やかに、淑やかに彼女を見守っている。あきつ丸が大きく息を吐くと、顔に焦りを滲ませつつ、唇を噛んだ。

 

 その時である。室外の群衆をかき分け、まるゆが執務室に躍り出た。

 

「あの、あきつ丸さん、これ、今朝咲いたんです。よかったら使ってください」

 

 彼女の手の中には、赤い朝顔の花のついた蔓があった。

 

 偶然通りかかり、この騒ぎの中心であきつ丸が花を手に困っているらしいことを認めた彼女は、その朝顔を取ってきたのだった。

 

 まるゆが毎朝早起きして、水をやってきた朝顔。

 

 木曾から種を貰って、大切に育てた朝顔。

 

 それが目に入ったとき、あきつ丸の脳内を閃きが走った。閉塞を破り、彼女の中で新たな扉が開いたようだった。

 

「まるゆ殿、感謝、であります。これなら申し分ない」

 

 あきつ丸は微笑むと、新聞紙の中から細身の枝を一本手に取った。葉も花もついていない、質素な枝である。あきつ丸はTENGAのシールを剥がすと、同じ任務のために出撃と帰還を繰り返すだけの日々を思い返し、枝を穴に突き刺した。

 

 TENGAに、小枝が屹立する。

 

 それは、枯れた日々の象徴であった。

 

 それから、まるゆの朝顔を両手で大事そうに拾い上げる。その花のついていない終端を穴に入れると、蔓をゆったりと枝に這わせた。

 

 これはまるゆ達、他の艦娘との思い出。

 

 そして、皆と過ごした時間と、オナホ華道の象徴。枯れた日々に差した、鮮やかな光。

 

 小難しい意味などさておいても、まるゆが愛情をこめて育てた花だ。この花には、疑うべくもなく彼女の想いが詰まっている。木曾からもらった種を彼女が育てたのでなくては、この花にはなりえない。

 

 そうだ、自分の生きる日々もまた、自分自身でなくては作れない。この作品の材料ひとつひとつの大元がなんだったのであれ、今はこうして一つの美となったように。

 

 あきつ丸はTENGAの向き、枝の角度や花の位置を整えると、姿勢を正し、神妙に告げた。

 

「……完成であります」

 

 提督も、見守る艦娘たちも、何が起こったかわからないという、呆けた様子でそれを見ていた。

 

 あきつ丸が、ゆっくりと続ける。

 

「提督殿、自分は自分であります。何に生まれたとか、何ができるかとか、誰に必要とされているかとかで自分を決める気は無いのであります」

 

 提督は、意味が分からず、ただただあきつ丸を見つめている。

 

「提督殿も、自分が提督だからだのなんだのといって、感情を枯らして生きる必要は無いのであります。

 

 自分が何者になるのか、これから何をすればいいのかは、今何をしているか、これまで何をしてきたかでは決まらないのではないでしょうか」

 

 あきつ丸はそう言うと、満足げな笑みを浮かべ、立ち上がった。

 

 すると、後ろで見守っていた扶桑、山城が拍手した。見守っていた皆は呆気にとられていたが、とりあえず作品が完成し、何かいいことを言ったらしいということは把握して、数人が空気を読んで拍手をし、それを聞いて空気を読んで……と拍手の輪が広がった。

 

 結果的に、執務室には拍手が溢れた。

 

「山城、あきつ丸はオナホ華道のすべてを理解したようね」

 

「はい、姉様……」

 

 

 

「提督殿は自分らにそれを教えるために、オナホを海に放ってきたのでありますね」

 

 

 

「いやそんな訳ないだろ……」

 

 提督の否定の声は、拍手と歓声に掻き消された。

 

 

 

 

 

 

「提督、この間のあきつ丸の話、覚えていますか」

 

 大淀は、司令室を訪れた提督に尋ねた。

 

「ああ、覚えてはいるが。俺が上司という立場にこだわりすぎだから、もっと柔軟になれとか、そういう話でもするのか?」

 

 提督はまた責められるのかと思い、ぶっきらぼうに答えた。

 

「いいえ、提督。私も気付いたんです。提督に色々求めすぎて、肩書きとか、仕事とか、そういう枠を抜きにした提督の気持ちなんて、全然考えたことがありませんでした」

 

 提督は、まるでピンと来ないという様子で大淀を見ている。

 

「夕飯、どこで召し上がっているのか存じませんが、ご一緒してもよろしいでしょうか。お話をお伺いしたいんです。提督の望みは何なのか……何故ここにいらっしゃるのか……」

 

 提督は、少し困った様子で大淀から目を外したが、すぐにまた大淀を見た。

 

「確かに俺も、お前を部下とか艦娘とかいう枠にはめて、端から話なんて聞いて来なかった。そもそも、俺が勝手にお前たちのことを考えるだけで、お前たちが俺に、『提督』ではなく俺に求めるものなんて、何も考えちゃいなかった。反省しないとな」

 

 提督は、引き出しから手帖を取り出すと、大淀の予定を尋ねた。

 

 

 

 

 

 

「提督宛に手紙が届いている。陸軍将校からのようだな」

 

 数日後、秘書官を務める長門が、これまでになく格調高い封筒を持って執務室に戻ってきた。

 

「何だろうな、一体全体……」

 

 提督は手紙を受け取ると、几帳面にペーパーナイフで封筒の口を開き、中の手紙を取り出した。そして、手紙を途中まで読むと、彼の眉間に皺が寄り始めた。

 

「長門、あきつ丸を呼んでくれ」

 

 

 

 

 

 

「提督殿、何でありますか」

 

 長門が出て行ってから十分ばかりで、あきつ丸が到着した。

 

「あきつ丸、お前が居たっていう陸軍から手紙だ。帰ってこい、ですとよ」

 

 先ほどの書状は、あきつ丸の管轄を移譲せよとの内容であった。

 

「ふむ。自分の意向を全く意に介さず、いきなり帰ってこいとは、一体自分を何だと思っているのでしょうか」

 

「だよなぁ」

 

 そう答える提督も、艦娘を何だと思っているのか、と言われるともはや何なのかわからないのだが、しかしとりあえず、あきつ丸に戻る気が無さそうなことに安堵した。

 

「どうする? 突っぱねるか?」

 

 拒否したら面倒くさいでは済まない気もしたが、提督はあきつ丸本人の意向を尊重したかった。また彼は、艦娘に代わって面倒を引き受けることを、戦場に立たない提督のせめてもの務めだと考えていた。

 

「自分の答えは、あれであります」

 

 あきつ丸は、執務室に飾ってある、朝顔の生えたTENGAを指差した。

 

 

 

 

 

 あきつ丸本人の提案通り、彼女が笑顔で例の作品と映っている写真を送り返したところ、件の書状については二度と音沙汰は無かった。

 

 きっと連中も、オナホ華道の意味を理解してくれたのだと思う。




お付き合い下さりありがとうございました!

バイブ書道もよろしくお願いします。


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