流れ出ずる豊穣 (凍り灯)
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流れ出ずる豊穣

初投稿です
思い付きからの衝動書きですので期待せずに






新世界にある"ワノ国"より東に位置する冬島。

 

そこは和服姿の人々が住む島。

彼らは標高が高い土地に住み、またその文化も非常にワノ国に似ている。

 

だがここはワノ国以上に閉ざされた島である。

 

まさに断崖絶壁と言える崖の上にある城とその城下町は、海岸より恐ろしく長く伸びる階段をひたすら登ってやっと辿り着く程の高さである。

 

だがその程度の不便性から孤立したわけではない。

 

どういうわけか島を囲む霧が、島の磁気を阻害しているようなのだ。

ログポースは役に立たず、エターナルポースですら島の外に出てしまえばここを指し示すことはない。

 

島に渡る方法を知るのは唯一ワノ国だけであるらしいのだが、長年に渡り()()()()しか来ることはなく、完全にワノ国以外には忘れ去られた島と言えよう。

 

島の名前は"アシナ"

源より流れ出ずる水をこよなく愛する民の住む島だ。

 

 

 

 

 

 

アシナの中心であるアシナ城の城下町、そこですら既にかなり標高の高い位置に属している。

だがそこからさらに島の奥に位置する山"金剛山"の中腹には"オチ"と呼ばれる村がある。

 

どういうわけかこのアシナは高ければ高いほど気候が穏やかになると言う性質を持っている。

このオチもその例に漏れず、城下町のような冬の気候ではなく秋のような気候となり、そこら中に紅葉を散らした鮮やかな色彩を持つ村だ。

 

そしてこのオチは仏教の盛んな土地であり、アシナの仏教の聖地として有名だ。

そこには小さな村には似合わないような立派な"仙峯寺(せんぽうじ)"と呼ばれる寺が建っている。

元は昔にこのアシナを開拓したという"仙峯上人"が建てたとか。

 

・・・だがこの立派な寺は荘厳な静寂とは違う静けさに満ちていた。

 

よく耳を澄ませば聞こえる小さな呻き声。

本堂の中を覗けば痩せ細った人々が幾人も石畳に敷かれた(むしろ)の上に体を投げ出している。

 

この仏の住まう村は今、飢餓により滅びようとしていた。

 

 

 

 

 

「オボロよ、どうか聞き分けてください」

 

その寺の本堂よりさらに奥に位置する奥の院。

そこで上等な着物に身を包んだ小柄な少女が老婆を優しく説いていた。

オボロと呼ばれた老婆は涙を流しながら首を横に振り続ける。

 

「御子様・・・それだけはいけませぬ・・・!神々を喰らうなどとは・・・!」

 

老婆はやせ細った身体を必死に動かして訴える。

頭を荒れた畳に擦り付け、目の前の少女に心変わりするように請いている。

もはや飢えにより満足に動かせないであろう身体はまさに気力だけで保っているようなもの。

 

しかし小柄な少女はそれを見ても目を閉じて微笑みを浮かべながら顔を横に振った。

その上等な着物のせいで隠れてはいるが、少女の顔も頬がこけ、恐らく身体も老婆と同じくやせ細っていることがわかる。

しかしその穏やかな表情を絶やすことなく浮かべている様を見れば、そんな優しさの中にある強かさを見出すことがきるだろう。

 

そしてそれは目の前の老婆に対する意思表示に他ならない。

 

この話だけは譲るわけにはいかないのだと。

 

「オボロよ・・・」

「あれは仙峯上人の残した遺物・・・神々を練ったと言われる実・・・あれを食べるなど、何人たりとも犯してはいけない大罪でございまする・・・!」

「オボロよ・・・・・・」

「飢餓とは言え口にするべきものではございません・・・さらなる災いが村を襲いまするぞ・・・!!それでもよろしいのですかぇ?民はあなたを恨みながら死に絶えるでしょうな・・・?」

「・・・」

「そのような厚顔無恥な・・・「オボロよ」・・・!」

 

徐々に目を鋭くさせて力強く訴え始めていたオボロは、ハッとして少女の顔を見直した。

御子と呼ばれた少女はどこまでも優しい笑みを浮かべてそこに居た。

 

「もういいのです・・・そのような嘘などつかなくて」

「・・・何故・・・そのような・・・」

「いつから共にいると?それが分からない程私の目は悪くはないですよ?」

「それは・・・」

 

今オボロの目の前で優しい笑みを浮かべている御子の焦点はオボロを捉えてはいない。

 

すでに目が見えていないのだ。

 

今のは皮肉ではなくきっとオボロを安心させようと口にした慣れない冗談のつもりだったのだろう。

しかしオボロはそれに返す言葉が見つからなかった。

オボロはただただ悔しかった。

一瞬でもこの自身が仕えている主を止められないと思ってしまったが故に。

 

「ありがとうオボロよ・・・そなたの嘘で私も救われました・・・こんな私でも身を案じてくれる者がいると知れて・・・」

「御子様・・・!」

「私に成させてください・・・神食(かみは)みを」

 

"神食み"

文字通り神を喰らうこと。

かつてこのアシナという島を開拓したという仙峯上人が持ち込んだという実。

それは神々を練って作ったと言われる禁忌の果実。

 

名を"蛇柿"と言い、大きな柿に似た形に()()()()()()()()()()が描かれているという。

その模様はアシナに住む白き神・・・白蛇が住まう証でもあるという。

 

摺りつぶされ、練られた神々はまだその柿の中に生きており、故に食べた者には神々の罰が与えられ、当人のみならず周囲に災いをもたらす・・・とオボロは御子に伝えていた。

 

しかし御子それが嘘だと気づいていた。

いや、正確には知ってしまっていた。

 

偶然にも仙峯上人が記した"永旅経(えいりょきょう)"と呼ばれる経典を見つけていたのである。

まだ目が見えていた頃、奥の院にある恐らく御子にだけにずっと知らされていなかった偶然開いた隠し扉の先、その奥にある木箱に納められているのを。

 

オボロも既に御子が真実に気づいていたということを察してしまった。

教えたはずのない"神食み"という言葉を知っている時点でそれは明白であった。

だからこそ、全てを知っている御子に返せる言葉はなかった。

 

 

 

 

 

"竜胤(りゅういん)"と呼ばれる呪いがある。

それこそが神食みに対する神々からの罰・・・或いは力というべきかもしれないモノ。

人を死なずにする力。そして自身も血すら流せなくなる死なずに変えるモノ。

 

我、死なず。竜の帰郷をただ願う

 みな死なず、永く待とうぞ

 

御子が見つけた永旅経には、そう記されている。

 

竜が何かはわからない。だが他の記述を見る限り死なずの力は間違いないようだ。

もはや御子もこれに縋るしかないのだ。

 

例え異端の力であろうとも。

例えこの罪を永遠に背負い続けることになろうとも。

例え神々に受け入れられず、()()()()()()()()()死のうとも・・・。

 

「オボロよ。蛇柿をここに」

「御子様・・・」

「お願いします。私に成させてください。この飢餓という由々しき事態に最初から何もできなかった私は、せめてそれを成さねばならないのです。私の務めなのです・・・オボロよ・・・蛇柿を()()()

 

御子は、オボロが自分を想うが故に蛇柿を密かに口にすることを禁じた。

これは自分の務めなのだと、せめて不甲斐ない自分に成し遂げさせて欲しいと懇願したのだ。

その両目は光を写すことはなくともはっきりと力強くオボロを捉えていた。

 

老婆の両手が震える。身体が震える。

 

本当は気づいてほしくなかった。

優しい主はその苦しみを背負う覚悟をしてしまうだろうと。

だから例え村諸共飢えで死に絶えようとも黙っているつもりだった。

きっとそれは死より辛いことだから・・・。

 

しかしオボロは御子の目をみて完全に折れてしまった。

 

・・・同時に意図せず笑みを浮かべてしまってもいた。

 

―――なんとご立派になられて・・・―――

 

オボロは腹を括る。共に地獄に堕ちる覚悟をする。

 

もしも蛇柿が御子を殺すならば共に死のう。

民を救えどそれは()()()

人々はその永遠に絶望するかもしれない。

その矛先は当然御子に向くだろう。

だがどうであれ、誰が敵に回ろうとも共にあり続けようと。

 

気付けば震えは止まっていた。

 

ならば立ち上がらなければならぬ。

飢餓は今も村を蝕んでいる。

一刻の猶予もありはしないのだ。

なのに・・・あぁなのに。

 

―――足が動かぬ・・・!―――

 

オボロは既に限界だった。

本当ならば喋ることもできぬほどに。

ただ主である御子を想う気持ちだけでここにいたのだ。

だが限界を超えてしまった。

もはや自身の体重を支えることすら叶わないほどに。

 

「・・・オボロ・・・?オボロ!」

 

御子の叫ぶ声が奥の院に響く。

 

―――情けなし・・・何故立ち上がらぬ・・・!この細枝のような婆でも成さねばならぬことがあるのだ・・・!―――

 

 

 

 

 

「御子様。蛇柿ならここに」

「あなたたちは・・・」

 

オボロは動かぬ足の代わり両手を付いて身体を引きずるように振り向いた。

 

「アヤ・・・キヌ・・・おぬしら・・・」

「これでワシらも同罪じゃて」

「御子様が身投げをすると言うのならば共に堕ちようぞぇ?」

 

振り向けば共に御子使える比丘尼である二人の老婆・・・アヤとキヌが錫杖を支えに歩いてきていた。

その手に蛇柿の入った木箱を抱えて。

 

「・・・おぬしら、その錫杖はどうしたんじゃ・・・」

「決まっとるじゃろうが!そこらへんで大の字で寝とる坊主から盗んできたんじゃっ!」

「困ったのぉ?盗みなんぞしたババアどもは罰を受けなきゃぁいかんのぉ?」

「そうじゃのぅ。そこで這いつくばっとるババアにも()()()()()罪を分けてやるとするかのぉ?」

「そりゃぁちょうどええ!道連れは多い方がいいからのっ!」

 

そう言ってアヤとキヌはなんとか汗を流しながら床を這っているオボロまで辿り着くとその木箱を押し付けた。

 

「おぬしら・・・」

「ヒィ・・・後は・・・ハァあんたの役割じゃろうて」

「こっちは・・・フゥ・・・坊主から盗んだ杖だけで地獄に堕ちるにゃ十分じゃろうて・・・成すんじゃろう?」

「・・・!あぁ・・・もちろんじゃ・・・!」

 

オボロは四つん這いになりながら不格好でも必死に木箱を抱えて御子の元へと向かった。

呼吸は荒くなり、空腹でやかましく鳴る腹の音が静寂の中はっきり聞こえてしまい傍から見たらなんと醜い光景だと笑う者もいるだろう。

だが御子はオボロが目の前来るまでその光のない目を背けることなくただ黙ってじっと待っていた。

ただ両の拳だけは、血が滲むほどに握りしめられている。

 

たった数メートルもない距離をたっぷりとかけて移動しきったオボロは力を振り絞って膝立ちとなり、御子へと木箱を持ち上げた。

 

「・・・御子様・・・・・・蛇柿を・・・ここに・・・お持ち・・・しました・・・」

 

 

 

「・・・・・・お検め・・・下され・・・・・・」

 

 

 

御子は木箱を優しく受け取り・・・その手を離れた途端オボロは崩れ落ちる。

だが這う這うでオボロの横に並ぶことができたアヤとキヌがオボロを挟むように支えた。

 

もはやこうまでやって見せた従者に気遣いの言葉は恥の上塗り。

御子は黙って木箱を足元に降ろす。

 

そして御子が木箱を開けてその手のひらの大きさ程ある蛇柿を手探りで取り出すのを、三人も口を噤んで見ていた。

 

「・・・蛇柿・・・・・・確かに、貰い受けました」

 

御子はそう応えた。

 

これは三人から託されたのだと。

 

とても穏やかな気持ちだった。

怖くないかと言われればそんなことは無い。

御子もまた人の子、失敗すれば無残に死に、成功しても飢餓は凌げど死なずを蔓延らせる。

いや、本当に飢えを凌げるのか?そもそもこれが本物じゃない可能性すら大いにあり得る。

 

オボロを説得している間も本当は不安しかなかったが、それも今は感じない。

 

どんな結果であれ恐れやしない。

共に堕ちてくれる従者がいるのだから・・・。

 

「みんな・・・ありがとう・・・・・・では、神食みの儀を・・・」

 

 

 

一口。

 

 

 

同時に凄まじい嫌悪感がこみ上げる・・・!

思わず蛇柿を手放してしまいそうになる程に。

 

だけど神食みは全て()()()()()()()()()()()()のだと記されていた。

そもそもこんな状況で残すことなど言語道断。

 

 

 

「はぐ・・・ふぐ・・・もぐ・・・」

 

 

 

従者たちが固唾をのんで見守る中、御子はその手のひら大まである禍々しい柿を目の端に涙を浮かべながらも食べきった・・・!

 

ひどく味が舌に残り不快ではあるが、今はそれを気にしている暇は御子にはなかった。

 

すぐ身体に兆候が表れるのか?数秒後なのか数時間後なのか、それともさらに後なのか・・・そしてこの身に訪れるのが無残な死なのか、それとも凄惨な呪いなのかもわからないのだ。

 

やはり一抹の不安は拭い切れない。

 

「み、御子様?」

「お身体の方は・・・?」

「いえ・・・特に変わったことは・・・・・・?」

 

その時、唐突に世界が白く染まった。

それは一瞬の事ではあるがあまりの眩しさに脳が驚いたのか反射的に目を固く閉じた。

 

 

 

もしや、と思った。

 

 

 

御子が恐る恐る目を開くと薄暗い部屋の中に、確かに三人の老婆の顔が浮かび上がった。

まだひどくぼやけるが間違いない。

 

「オボロ・・・アヤ・・・キヌ・・・?」

「御子さま・・・!?目が!?」

「なんと!?・・・これが竜胤の力・・・!?」

「おぉ御子様ぁ、良かった・・・これで・・・「ポロッ」・・・・・・はぇ?」

 

 

 

 

 

御子の目の端より流れ出でた涙が白い細長い粒になって落ちた。

 

 

 

 

 

「え」

「ほぇ?」

「んぁ?」

 

 

 

 

 

一早く気が付いたオボロはその白い粒を拾い上げた。

 

 

 

―――いやまさかそんな―――

―――いやいやどうみてもこれ―――

 

 

 

「なんでしょう・・・私はまだよく見えなくて・・・」

「「「・・・」」」

 

 

 

妙な静寂の中、さらに御子の涙が白い粒に変わり落ちる。

アヤとキヌもそれを拾い上げ、三人で顔を見合わせた。

 

 

 

パクリ

 

 

 

無言でもちゃもちゃと老婆たちが咀嚼する音が聞こえてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「お米じゃぁぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁ~~~~~~~~~!!!???」」」

「えぇっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメコメの実、モデルアシナマイ

これによりオチは飢餓より救われる。

 

 

 

"オチの御子"

後にワノ国でも豊穣の女神と呼ばれることになる女性と、そのお供の話。

 

 




続かない





あちっじゃ婆さん=おぼろ比丘尼=オボロ
量産型あっちじゃ婆さん=アヤ、キヌ(オリジナル)

二人の名前の由来は米の品種から
アヤ=あやひめ
キヌ=キヌヒカリ

コメコメの実:詳細不明
モデルは植物由来のためかその"産地"の名前が付けられる
土地の特性に影響を受けるようだが・・・?

食べたのは散々言っていた竜胤とは違う実です
御子たちは見た目が似てるので間違えて保管されていたと認識してます
本物はもちろんあの人へ・・・


尚、この小説は
おぼろ比丘尼=北海道米のおぼろづきでは!?
という仕様もない理由から始まりました










続かないけど掘り下げや竜胤については考えがあるのでいつか暇があればやるかも


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流れ落ちる因果

続きました

追記:一部誤字修正しました。
追記2:誤字報告ありがとうございます。
    修正しました。




「何故、参られたのですか」

 

火立に立てられた蝋燭の光に照らされた薄暗い和室にて二人の男女が相対していた。

部屋はワノ国特有の和の造りとなっているが、この部屋には入り口以外に昼行を取り入れる開口がなく、正午にも関わらずとても暗い。

 

相対する一方は柿渋染の所々に金の刺繍が施されたゆったりとした着物に身を包み、長い黒髪を背中で纏めている女性である"オチの御子"。

名を"イブキ"と言う。

牡丹唐草文の赤い座布団に正座する彼女は、蝋燭の光によって暗闇の中にぼんやりと浮き出るような神秘的な存在感を晒しだしている。

 

「不死斬りを、求めに」

 

そしてもう一方の・・・柿色の羽織を身に着け、腰に刀を携え、そして何より異様なのは()()()()()()()()()()()()に代わっているという特徴的な壮年の男性だ。

白髪交じりの総髪に刀と来れば侍を思い浮かべるが、その静かな身のこなしや何やら()()()のありそうな義手などを見ればどちらかというと"忍び"に属する者だろうとイブキは当たりをつけていた。

 

・・・ワノ国では"侍"とは武人の総称であり、"忍び"はその中でも忍術を使う者を指しているが、外界と交流が絶たれて久しいアシナではまたワノ国と少し違った認識になってしまっているようだ。

 

「抜けぬ刀と、ご存じか」

 

イブキがまるで忌々しい物について語るように力の入った声で訪ねた。

対して男は彼女を立ったまま真っすぐ見下ろし、言葉少なにもその低い声で答える。

 

「・・・ああ」

「抜けぬとは・・・抜いて帰った者が、おらぬという事。 ・・・それでも、試されるのですか?」

 

イブキはこれが最後と言うように目の前に立つ男・・・"狼"に覚悟を問う。

 

"不死斬り"とは例え死なぬ化物ですら斬れば殺しきることのできるという"妖刀"。

しかしそれを抜くには代償に()()()()()()というとんでもない()のある代物だ。

それこそ妖刀と言われる所以である。

 

古くは仙峯上人が持っていたとされる()()()の大太刀であり、また出所が不明の刀でもある。

しかしその拵えと切れ味は最上大業物にも勝るとも劣らないとされ、特殊な力も相まって求める者が絶えない。

本来秘匿されるべき物であり、一般には伝説上の存在しない刀と認識されていたはずなのだが、近年何故か不死斬りの存在が噂により広まり始めていた。

 

くどいようだが本来これは秘匿されるべき物だ。

一度世に出回ってしまえば刀を巡る争いが起きる可能性もある。

現に過去に刀を求めた者と不死斬りを巡って争いが起きた、とここには伝わっている。

そしてそうなればここオチの村も戦火に包まれるだろう、過去に誤認されたように不死斬りの()()()として・・・

 

そしてついに恐れていたことが起きた。

不死斬りが仙峯寺に存在すると嗅ぎ付けた者が出てしまったのだ・・・そう、今イブキの目の前にいる狼のことである。

 

「抜こう」

 

脅しは通じない。

どのような事情かはわからないが相当の覚悟を持って門外不出の刀を求めて来たことがイブキにも伝わってくる。

 

「・・・」

「・・・」

 

イブキはそのことを理解してはいてもすぐには口を開けなかった。

二人の間に暫し沈黙が流れる。

目を手元に向け悲痛な顔を浮かべるイブキと、それを眉間に皺を寄せながら見下ろし続ける狼。

彼女の様子を見て、狼も目の前に座る女性が不死斬りを手渡すことをどれだけ躊躇っているかは理解している。

だがそれでも狼は引くことはできない。

自身の主である"九郎"の()()のためにも。

 

 

 

 

 

「・・・」

「・・・」

 

 

 

 

 

狼は忍びであるため、忍耐力に関しては人一倍持っている方だ。

 

 

 

 

 

「・・・」

「・・・」

 

 

 

 

 

勿論限度はある。

いかに寡黙な狼とて相手にずっと黙られては困るというもの。

 

 

 

 

 

「・・・」

「・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・おい」

 

さすがに不審に思った狼が声を掛ける。

たっぷり30分間黙ったままだったイブキの肩が小さく震える。

狼はほんの少しだけ傷付いた。

 

そうして返事もせずにさらに目線を下げたイブキを見て、狼がまだ待った方が良かったのかもしれないと思い始めた頃。

あーだのうーだの小さく呻いていたイブキが漸く口を開いた。

 

「その・・・実は・・・」

「・・・ああ」

 

そしてこう言った。

 

「ないのです・・・不死斬り・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・なに?」

 

狼の眉間の皺がさらに深くなったのは仕方のないことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"不死斬り"

アシナの地に二振りある大太刀。

それの持つ力は例え不死の化け物でも殺しきれるという。

 

それだけならば今より刀を求める声は少なかっただろう。

 

"刀を抜いたものを殺す妖刀"

 

偏にこのことこそ刀を求める者が増え続ける原因の一助となっていた。

刀を抜いた人が死ぬような代物ならば誰も欲しがらないのではないか?と、思うがそうはならなかった。

 

伝説上の刀で二振りしか存在せず、刀だけを見ても最上大業物にも匹敵するような刀であり、どんな異形でも殺し切り、果ては抜いた者をも殺す妖刀。

これだけ聞けばその希少性と、抜いた者を殺す=持ち主を選ぶという勘違いを起こした英雄願望者が出てくるというもの。

尾ひれに尾ひれが付き、探すかは別としてもアシナの武芸者の中では知らぬ者がいない程に噂は膨れ上がってしまった。

 

 

 

・・・実はイブキは狼が訪れるより数年前、不死斬りの噂が広まり始めた頃にある対策を打っていた。

それは従者たちによって、不死斬りは()()()()()()()()()()()()であるという虚を噂に混ぜることだった。

わざわざ抜いたら死ぬような刀を誰も求めないと思ったからである。

そうした一番の理由は不死斬りが既に仙峯寺から失われているからであろうか。

 

不死斬りに伝わる話、というよりはそれをもたらした仙峯上人の話自体は誇張が混じれどアシナの民にとっては古くなじみ深い物であるため明らかな嘘は意味がない。(厄介なことにオチの村を匂わす内容まである)

 

だからこそ物語の中で詳細のない不死切り自体に悪い噂を付け加えることで刀を求める声を鎮めて人払いをしようとしたのだ。

だが強者蔓延るアシナの地にそれは通用しなかった。

結果は逆効果。

 

要は自爆であった。

 

そしてイブキは困っていた。

正確には目の前の男を困らせてしまっている今更どうしようもない状況に困っていた。

 

「あの・・・」

「・・・」

 

気まずい沈黙が流れる。

益々深くなる狼の眉間の皺にかける言葉が思いつかない。

だが、すぐに決心がつかなくて無駄に勿体ぶった言い方をしたことに対しての負い目があるため、自分がどうにかしなければいけないと決心する。

 

―――他の何かで力になれればいいのですが・・・やはり()()でいきましょう・・・!―――

 

「ここまで来るのはさぞ大変な苦労だったでしょう。お腹は空いていないでしょうか?」

「・・・・・・・・・いや」

「・・・そうですか」

 

目論見ここに潰えたり。

気まずかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「竜胤の呪いを受けているのですか・・・!?」

 

ぽつらぽつらとなんとか会話を繋げることに成功したイブキは驚きを隠せなかった。

 

「つまり・・・御子は、竜胤を厭われておいでなのですね・・・」

「そうだ」

 

聞けば狼の主である九郎が、本来3()0()()程前にイブキが"神食み"の義にて口にしようとした()()()"蛇柿"に宿る力を得ていると言うのだから。

 

「巡り合わせとは、異なものですね・・・」

 

イブキはあの飢餓の時に結果として全く見当もしなかった"豊穣"の力を得(むしろ状況には最適と言っても良かったのだが)、ひどく安堵したが同時に竜胤の力を持つ"蛇柿"の行方を追わなくてはいけなくなった。

 

竜胤とはそれ程危険なものであり、そして知れば多くの人々が求めてしまうものなのだ。

「死なず」を無制限に生み出す代わりに「死なず」が()()()その生きる力を周囲の人々から吸い取り、()()()()

そして吸い取られた者は"竜咳(りゅうがい)"という病を発症させてしまうのだ。

竜咳は死の病。

放っておけば死に至る病だ。

 

既に九郎が意図せずして力を持ってしまっている。

その上アシナは今それを巡って危険な状況だと言うではないか。

豊穣の力を得た時から探し回ったが、見つかるどころか最悪の事態にまで発展していたとは・・・。

 

「・・・ままならないものですね」

 

狼は一度攫われた九朗を取り戻すことに成功し、その後九郎の頼みにより"不死断ち"を成すために不死斬りを求めているという。

不死断ち・・・それは不死斬りによる不死となった九郎の()()だ。

しかしここにあると思っていた不死斬りはなく、手詰まりになってしまった。

これは九郎を、竜胤を巡る戦いが当人の死によって終わらないことを意味する。

 

()()()からの強力な刺客に対抗するためにアシナの当主は竜胤の力を求めたそうだ。

竜胤を巡る内側の争いとワノ国による外側の争いが同時に続いてしまえばアシナがどうなってしまうかなど言われるまでもないだろう。

 

現状不死斬りがない以上はそれを用いた不死断ち以外でこの内側の争いを終わらせなければいけない。

本来であれば葦名衆を纏め上げる現当主との和解が望ましい。

でなければこの隙に勘付いたワノ国の侵攻により、アシナは滅びてしまうかもしれない。

 

しかし狼が討たんとした現アシナの当主"葦名弦一郎"は狼との戦いの末に行方を晦ませてしまっている。

まずは弦一郎を見つけ出すことから始めなくては始まらない。

 

―――例え見つけ出せたとしても・・・―――

 

イブキには狼にしろ竜胤の御子にしろ、とても説得が成功するとは思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"不死斬りをもって九郎を斬る"

 

狼が主の九郎より懇願された役割は狼の心に重くのしかかっていた。

不死切りが見つからないことで不死断ちという主の悲願を叶えられないことへの不甲斐なさと、主を斬らなくて済むのではないかという安堵との狭間で狼は苦しんでいた。

 

「("主は絶対"・・・忍びの掟に背くとわかった上で俺は九郎様と共に不死断ちを成そうとしている・・・だが・・・)」

 

不死斬りがここで見つからないならば見つかるまで探せばいい。

それだけのことだというのに、一度自身の中に現れた"安堵"という感情に振り回され始めている。

 

元々不死断ちの話を九郎より聞いた後、薬師である"エマ"とどうにか他に方法がないものかと相談していたのだ。

彼女も九郎の不死断ちには理解はするも納得がいっていない人間の一人だ。

そもそも斬ることでしか解決できないなど薬師として認められるはずもないのだろう。

 

しかしアシナの当主の弦一郎の祖父であるかの剣聖"一心"に助言をもらいつつも未だに解決策を見出せていないままここに来てしまっている。(祖父の一心は弦一郎と違って竜胤を利用することに否定的である)

 

―――俺は一体どうすれば・・・―――

 

「顔を上げてください、御子の忍びよ」

「・・・む」

 

狼は下げていた顔を上げる。

そこにはイブキが安心させるような微笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

仮説を立てよう。

竜胤と豊穣の力についてである。

 

先程イブキは狼より話を聞いていて気づいたことがあった。

 

簡単に言えば竜胤は周りから生命力を奪い自身の生命力にする力。

そして豊穣の力は自身の生命力から他人に生命力を与える米を生み出す力。

 

どこかこれらの力が対になっている気がしてならない。

それはイブキが口にした蛇柿にも関係している。

今日まで仙峯寺に納めてあった蛇柿が似ているために間違って納められているものだと思っていた。

もし()()()()()()()()()()

行方の分からない竜胤の力を秘めた蛇柿に、もしもの時()()()()()()に納められていたのだとしたら?

伝えられている姿形が異様に似ているのもそのせいかもしれない。

 

妄言かもしれないが、元々この二つの力は互いを補うように存在しているのかもしれないとイブキは思う。

狼は薬師が話したことを教えてくれた。

竜胤の力で生命力が吸い取られるときに()()()()、それが()()()()()()で表に出ているのだと。

そして豊穣の力によって生み出される生命力が込められた米もイブキの()から作られていることがわかっている。

 

どちらも差異はあれど血に関係する力だ。

これらの重なった要因が全て偶然とは思えない。

 

豊穣の力により生み出した米の効能は計り知れないものだ。

従者である比丘尼のオボロ、アヤ、そしてキヌは当時70という齢であったにも関わらず今も山の中をあっちへこっちへと動き回れるほどに健常だ。

 

それはオチの村の人々も同じなのである。

あまりに健康、故にその豊穣をもたらしたイブキは村人の崇めるような深謝に奥の院に再度籠ってしまった程。(オボロ曰く、太郎柿のように真っ赤な顔をしていたそうだ)

 

考えれば考える程あの時に得た力が豊穣の力でよかったと思う。

もしも村人全員を竜胤の呪いによって生かしたとして、その生命力は一体どこから持ってくることになるのか?

村の外の不特定多数かもしれないし、もしかしたら村の中で互いの僅かな生命力を消費しながらゆったりと、それが底を付くまで苦しんで最後には死ぬ、なんてことにもなったかもしれない。

本当にそんなことが起こり得るかはわからないが、竜咳が竜胤の呪いを受けた者に罹らないかはわかっていないのでそれがないとも言い切れない。

 

「死なず」故に生半に死ねず、永遠の飢餓のような苦しみなど想像したくもないだろう。

 

―――もうあんなことは二度と御免です―――

 

とにかく仮説が正しいのであればこの力でなんらかの対策ができるかもしれない。

米を食べることで竜咳をある程度抑えたり、或いはもっと力の根幹に干渉するようなことが・・・

顔も知らぬ薬師のエマに頼ることになってしまうが、不死斬りによる不死断ちが成せない以上、抑え込むことができる可能性に賭けるべきだとイブキは思っている。

 

イブキは弦一郎を説得することは一旦頭の隅に置くことにした。

いずれまた竜胤の御子の元に現れるだろうが、その時は・・・不甲斐ないが御子の忍びに任せるしかないだろう。

 

 

 

・・・そうして一通り御子の忍びに思いついた仮説を話した。

もちろん自身のもつ力も。

 

「これは・・・米・・・か?」

「はい。お米は大事と、存じます。噛めば噛むほど甘くなり、元気も出ましょう」

 

イブキの手のひらより白い粒が零れ落ちる。

全てが米である。

従者のオボロたちと長年調べ、検証の末に自身の血を米に変換しているということがわかった。

ただし明らかに消費された血液の量よりも零れ落ちる米の量の方が多い理由は未だにわからない。

 

先ほどの話の通り、この米には生命力のような・・・身体を活性化させる作用があり、食べ続ければ病すら克服してしまう力が込められている。

老いて歩くこともままならなくなった老人がまるで数十年若返ったかのように歩くほどだ。

 

ただし不老不死になるわけではない。(多少寿命を延ばすことは可能なようだ)

この力のせいかイブキもこの見た目で四十代ではあるがまだ十代後半のような若々しさを保っているのだ。

 

「なぜ、そこまで・・・?」

 

狼がイブキに問う。

それは困惑かそれとも疑惑故か。

 

「・・・竜胤の御子が望むように不死を断つことが正しいのかは、分かりません」

 

それは自己犠牲だ。

まだ自身の半分も生きていない若さだというのに。

 

「なれど、竜胤が、人の生き方を歪める・・・」

 

竜胤の力がまさにその通りであり、そしてそれは人々が力を求め争う原因となってしまう。

竜胤などという歪んだ力がなければそもそもそれは起こり得ないはずなのだ。

 

「それを憂うのは、私も同じ」

 

竜胤の力は断つべき力であれど、御子の命を断つ必要などない。

そのような高潔な意思を持つ御子を死なせるわけにはいかない。

ならばそれを一度求めてしまった半端者として、そしてそれを()()()()()()()()()者として責任を取るべきなのだ。

 

「故に御子の忍びよ、私も貴方の、そして竜胤の御子の一助となりたいのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、御子様以外にもこのような力を持つ者がいたとは・・・」

「私のこの力も、竜胤も、元は西にある竜の故郷より流れてきたと聞きます」

「竜の故郷・・・ワノ国か」

 

竜の故郷・・・狼が言ったようにそれはワノ国のことだ。

元々遥か昔に、ワノ国から人々が流れ集い出来た国でもあり文化は非常に似ている。

そしてあちらが唯一渡海する方法を知っていたこともあって細々とした交易は続いていた。

しかし・・・

 

「はい・・・知っての通りアシナは30年程前かの国の侵攻を受けております・・・最も、最初の数年は嫌がらせ程度だったらしいのですが・・・ある時急に送り込まれる兵の戦力が跳ね上がったそうです。戦火がアシナ城の城下町を包んだことも・・・」

 

最初は片手で追い払えるような戦力でしかなかったそうだ。

アシナは実力主義の傾向が強い。

あまりに武を磨くことに貪欲な者ばかりのためワノ国とて容易に落とせる国ではなかったようだ。

だがある時、明らかに今までより強い兵が増えた。

強い侍はもちろんのこと、ワノ国の者ではない格好の刺客が増えたという。

 

「・・・事が大きく動いたのはさらに数年後だったと聞いた」

「そうです、常にワノ国の者がどこかに付城を設け、島の半ばまで侵攻されていたのを押し返し、あまつさえ全員を島から追い出した・・・まさにアシナにとって夢のような出来事だったでしょう」

 

"剣聖葦名一心"

一心の一代前のアシナの当主が戦火に倒れ、代替わりした後はまさに怒涛の勢い。

守りを固めていた前当主の方向性から一転し、ただひたすら攻めに徹して切っては捨て切って捨てを繰り返したと聞く。

一説にはその時にワノ国より現れた竜を、雷の落ちる嵐の中で斬り伏せて追い返したという。

 

 

 

・・・九郎の事について少し希望が見え始めたのか、狼は珍しく何も関係のない雑談を交わしていた。

心なしか身体も軽いようだ。

 

「(もしやこの米のおかげだろうか・・・)」

 

竜胤とは対になるかもしれないという、生命力を分け与える米を生み出す豊穣の力。

対と呼ぶにはどうにも間が抜けたように見えるかもしれないが、成る程、白く輝くように実につやつやしている様は確かに淀んだ竜胤の対と呼べるやもしれない。

自然と、米を口にした狼もこれに賭けてみようと思えた。

 

 

 

 

 

一方狼がほっこりしてる中、イブキは先ほど話していた一心について考えていた。

 

―――葦名一心・・・わずか一代で葦名をワノ国から盗り返した剣聖―――

 

孫である弦一郎がこうまでして竜胤を欲しがる理由・・・当然ワノ国に対抗するためなのだろうが、恐らく根幹にあるのは一心。

そしてワノ国が何より恐れているのは一心だろう。

その一心は病に身を侵され、いつ倒れてもおかしくないと言うならば、今は比較的大人しくなっていたワノ国は好機と見て仕掛けてくることだろう。

対して弦一郎は、一心が倒れる前にアシナを生かすための力をどうにか得ようと動いている。

 

一心こそが両者のいつ崩れてもおかしくない危うい均衡を保っている要因なのだ。

 

 

 

・・・ならばその病が治り、オチの村の人々のように()()になったら?

 

 

 

「御子の忍びよ」

「・・・なんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私を、一心様の元へ連れて行ってください」







おかしい・・・もっと軽い感じで書くつもりだったのに
せいぜい3話ぐらいの予定がなんか5話ぐらいになりそうです
竜胤を掘り下げるつもりがそこまで届かなんだ・・・

ただ次もすぐは投稿できませんので悪しからず



変若の御子に名前を付けました
やはり米の品種からですね
こしいぶき=イブキ
新潟県産ですよ!
豊穣らしさや後々のためにこの名前にさせていただきました



隻狼との違いまとめ

仙峯上人:ワノ国から流れてきたアシナの開拓者、存在はアシナに広く伝わっている
不死斬り:抜いても死なない、それはオチの御子の流した嘘
不死断ち:桜竜の涙不要、今作ではただ不死斬りで不死を殺害することを言う(理由は後日)
一心様:田村どころか竜を撃退していた
竜胤:詳細は後日また、ただ元を考えるかなり単純なことに
変若の巫女:名前がある、作られた存在ではないので竜胤を恨んでいない、アシナに流れ落ちる

他にも色々あるでしょうがとりあえずはこれで




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零れ落ちる心中

お気に入り数100・・・越え・・・?
思っていた以上に評価されていて怖気が天元突破しました。
回生ができなければ死んでいた・・・

追記:見返すとおかしな日本語があったので少し修正しました。






「お主も、竜胤に魅入られたか」

 

アシナ城の天守望楼(ぼうろう)

見渡せばアシナの城下町全体を見下ろせるような景観が望める、アシナ城の中で最も高い位置にある部屋。

竜胤の御子・・・九郎と呼ばれる少年が、目の前に跪いている大男にそう言った。

 

九郎は細かく金の刺繍により文様が描かれた質の良い紀州茶色の着物を着ており、その堂々とした佇まいと合わせて未成熟とも言える若さなど物ともしない威厳を感じ取ることができる。

 

対して跪く大男・・・"梟"と呼ばれる老人は、十尺はあるのではないかという体躯を持ち、その大柄な体に見合った大太刀や、身にまとった羽蓑が目立ち。

正に言い表すならば「梟」といった格好だ。

特に、頭の後ろで結ばれた白髪がまるで注連縄のように大きく編み込まれ、その体躯程の長さを背中へ垂れ下げていた。

見た目通り九郎とは違った存在感を持っていると男と言えるだろう。

 

―――この梟は狼の義父である忍びであり・・・三年前の"平田屋敷襲撃"の際に死んだと思われていた男であった。

 

「話すことは無い。去るが良い」

 

九郎は冷たく言い放ち、背を向ける。

梟と交わした短い会話から、この男もまた竜胤の力を手中に収めようとしているのだと気づいたからだ。

ただでさえ死を偽って三年も身を隠していた忍びだ、疑うなと言う方が無理があるだろう。

 

そして梟は先程、取り繕った言葉ではあるだろうが「()()()()()()()」と言った。

しかしそもそも九郎が目指すものは不死断ち・・・()()()()への道だ。

どちらにせよ交わうことの無い道なのだ。

 

「あい済みませぬが」

 

しかし梟は突き放されたにも関わらず、気にした素振りもなく続ける。

 

「懐かしきこの眺めを、もうしばし堪能したく」

 

ゆっくりと立ち上がり、死角で()()()()()()()()()()()()()()()()の方を振り向く。

 

「満足しましたら、帰りまする」

 

九郎は一瞬立ち止まったが、そのまま振り向きもせずにその場を去る。

梟もその場で誰かを待つように、腕を組んで立っていた―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

義父上(ちちうえ)・・・ 生きておいで・・・だったとは・・・」

 

九郎と梟の会話を聞いてしまった狼は戸惑いながら自身の義父に言葉を漏らす。

なにせ三年前、当時九郎が預けられていた平田家が賊により襲われた際に―――迫る火の手により確実な確認がとれなかったとはいえ―――目の前で深手を負った義父を看取ったはずだったのだ。

 

そして本来喜ぶべきことであったはずなのだが、先程の不穏な会話からそうも言ってられないと狼は判断している。

 

(はかりごと)よ・・・お前こそあの夜、死んだと思うておったがな」

 

謀。

何の気なしと言った風に梟は答えた。

だが狼はそれにはあえて触れることなく、素直に疑問に応じる。

 

「御子様のお力にて、死人より帰りました」

 

三年前。

賊に焼き払われた平田屋敷にて狼は主である九郎を探し続けた。

そこで自身の忍びの技の師として、梟より宛がわれていた"お蝶"と呼ばれる老婆と九郎を巡り戦うことになってしまった。

仔細はわからないが賊を手引きしたのは、()()()状況から考えてお蝶だろうと判断していた。

 

辛くも勝利するが、狼はその直後()()()()よって背後から体を貫かれてしまったのだ。

そのまま傷が原因か、或いは焼け落ちる屋敷に押しつぶされるかで死ぬはずが、九郎により与えられた竜胤の呪いにて生還することができた。

 

「それよ」

「・・・は?」

 

梟は狼の言葉を聞き、満足げに口元を歪める。

 

―――その力こそ儂が求める力―――

 

 

 

―――梟には野望がある。

彼は今や老いた忍びだが、自身の武名を世に知らしめることを望んでいた。

忍びとは影の存在。

名を名乗ることも、正々堂々と戦うことも許されない。

いつしか、この齢まで生き延びてしまったが故に、ただ羽を抜け落としながらゆっくりと死ぬという未来に耐えられなくなっていった。

 

このままアシナに居続ければそうなるだろうが、ワノ国となると()()

そもそも忍びの定義すらこことは食い違っているのだが・・・

 

今はワノ国は()()()であるかの四皇の"カイドウ"と、復讐に飢えた小心者の将軍"オロチ"により支配されている。

オロチの政策は言うまでもなく暴虐無道。

 

梟の見立ててではワノ国の限界は近い。

いや、そもそもあの将軍は()()を望んでいるのだろう。

ならば、お膳立てされた幕引きの瞬間に静かに喰ろうてやろうではないか。

そのための()もある。

 

故に梟はアシナのような閉ざされた島ではなく、死に体のワノ国での栄転を企てた。

オロチはアシナを・・・竜胤を手に入れるために梟を利用しているが、利用しているのは梟も同じこと。

"影"のことならば梟の方が何枚も上手、オロチがアシナに送り込んでいる間者はそのたびに梟によって始末、或いは寝返っている。(それでも漏らした間者は一心が"鼠"と称して切り捨てているようだ)

そして既に下準備として逆にワノ国に梟の配下の忍びが幾人も潜んでいる。

 

・・・これらに加えて()のために必要な竜胤と、非常に高い武力を持つアシナの掌握が必要なのだ。

ワノ国に反乱の兆しが見え始め、そして一心の限界も近い今やらねばならない。

 

手始めに狼を引き込み竜胤の御子である九郎を手中に収める。

狼を差し向ければ楽に話が進む・・・というわけにもいかないだろうが幾分かは()()になるだろう。

出来るならば良し、出来ないというならばそれも良し。

その時はただ斬るのみ。

だが・・・

 

「・・・」

「父上・・・それ、とは・・・?」

「・・・」

 

先程から蚊帳の外なのを理解してか、狼の後ろで一度も口を開いてない女性が一人。

言うまでもなく、狼と共にアシナへ降りたオチの御子であるイブキだ。

 

「狼よ」

「は」

「その者は誰ぞ」

「オチの御子にございまする」

 

イブキは旅のためか尼僧のような恰好をしているが、梟の目から見ても彼女には教養があり、且つ人の上に立つ人間なのだと理解できるような貴い気品があった。

そして狼は必要以上に言葉を交わすことは少ないが、仙峯寺のあるオチの村の"神主"だということもわかった。

わかったのだが・・・

 

「狼よ」

「は」

「何故連れてきた」

 

梟はこれから、九郎に対する狼の心を問わなくてはいけないのだが、その前にわざわざ倅がイブキをここ(アシナ城)に連れてきた理由を知らねばなるまい。

 

―――大方竜胤の、不死断ちのことであろうが・・・―――

 

 

 

―――オチの村にはなにかと謎が多い。

梟は村が嘗て飢饉に襲われていたことも知っているし、それをなんらかの方法で凌いだことも知っている。

 

だが当時ワノ国との戦の真っ最中。

梟とて最初からワノ国と繋がっていたわけではなく、アシナのためと戦場を奔走していた。

由緒正しい仙峯寺があるとはいえ、たかだか山奥の小さな村に目を向けられるほどの余裕はなかったのだ。

 

しかし梟でも気になることをオチの村が始めたことが確かに過去、あった。

 

"竜泉"である。

 

アシナの民は源から流れ出ずる水をこよなく愛する。

それを使った酒もまた盛んで、多くの者がアシナの酒を愛した。

ワノ国との戦いが続く中、金剛山より降りてきた商人が持ってきた酒、竜泉もその一つだった。

 

最初は誰もがその値段の高さと生産数の少なさに目を見張ったが・・・既存の酒より明らかに美味かったのだ。

 

誰もがその酒に魅了された。

それは一心や梟も例外ではなかった。

大柄な図体の割に飲んで早速顔を真っ赤にしながらも商人に聞けば、オチの村で作られたと言うではないか。

 

それだけならば梟が気にする理由もないが、不思議と竜泉を飲んだ日は傷の治りもすこぶる早く、調子を崩していた者もたちまち元気になった。

 

梟の配下の忍びもやはり余裕があったわけではないが、()()があると(酒の魅力に少し気が傾いたとも言う)オチの村を探らせるために商人に扮させ、送り込んだ。

 

しかし戻ってきた忍びによれば、そこにはやたら武芸に達者な僧侶たちが村を守っており、不埒な部外者を跳ね除けていたという。

無暗に刺激する必要もないので、商売の範疇からは出ないように深い部分には手を出さずに探ったところ、ただアシナの水の恩恵を強く得た米の栽培に成功しただけとか。

 

アシナの水は元々とても質が良い。

 

水質汚染のひどいワノ国の住人が聞けば誰でも飛んでくるのではないかと言うほど雲泥の差がある。

特に河川へと湧き出る水源に近ければ近いほど質が上がると聞く。

オチの村もそうした山奥に位置するため、アシナよりも上等な酒ができてもなんらおかしな話ではなかった。

 

配下の忍びに聞く限りは特におかしな所もなく、戦にも関係がない重要度の低い事柄だったので梟はそれで納得することにした。

ついでとばかりに買い付けて持ってきてくれた竜泉を独り占めできることに頭が緩んでいたのは否定できないが・・・

 

多少疑問は残るが仙峯寺のある美味い酒の村。

これが梟の当時の認識であった。

 

今ならば竜胤や、噂の不死斬りがあるじゃないか、という話になるが梟は不死斬りの方は()()を知っていた。

不死斬り自体は特に気にする理由にはならず、最近の()()()()も真っ赤な嘘だと見抜いていたために不死斬りに関しては無視している。

 

―――となると竜胤関連の話しかない、と梟は当たりをつけたわけだ。

 

仙峯上人が築いたとされる寺、仙峯寺ではかつて竜胤の力を秘めた蛇柿―――これも梟は正体を知っているが―――を保管していたということを掴んでいる。

 

元々、蛇柿とは仙峯上人によって持ち込まれたもの。

仙峯上人が竜胤の力を振るっていたという話は伝えられてはいないが、だからこそ竜胤がどのような事態を引き起こすかを知っていたと言えよう。

 

・・・どういうわけか九郎の()()()の元へと流れ着き、仙峯寺からは失われたわけだが。

 

つまり狼は仙峯寺に辿り着き、そこで竜胤の御子となってしまった九郎の悲願である不死断ちのための、梟が知らない()()を掴んだ。

そしてそのために神主・・・イブキを連れてきたのだろう。

 

ではそれは何か?

これから利用するのだから梟にとってそれは非常に重要なことだ。

 

・・・実は梟もその後にオチの村に何もしていなかったわけではない。

当時梟が間者を無理にでも送り込んでいれば話は変わったかもしれないが、オチの村の守りは年々強固になるばかりだった。

梟が竜胤を利用することを本格的に考え始めた頃には、信じられないことに忍びを送り込む隙がもはやなかったのだ。

 

武力による制圧はできただろう。

狼は秀でているとはいえたった一人でイブキの元に辿り着いたのだから。

だが仙峯寺の僧侶ならば信心深いが故に、秘匿のためと言って寺に火をかけるようなこともまたあり得ると危惧していた。

 

だからこそ今まで慎重に事を進めており・・・結果として竜胤については()()()()()()()()()()以上は収穫がなかったというのが現状だった・・・

 

 

 

・・・現状だったのだが、オチの村の神主がまさに竜胤を手にせんとする瞬間にここにいる。

梟にとって天が味方したような心持である。

 

そういうわけで神主たるオチの御子、イブキの前では竜胤のために狼をそそのかすようなことをまだ言うわけにはいかない。

秘匿のためと自害でもされても困るので、なんとか事を荒立てる前に聞き出したい所である。

先程の会話は聞かれただろうが、ここで上手く話しの焦点を――――――

 

 

 

 

 

しかし、なんとここで狼が仕掛けた。

 

 

 

 

 

「義父上・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはぎです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・なんじゃと?」

 

「ですからお―――「聞こえておる」

 

倅が何か言いだした。

 

 

 

 

 

おはぎ??

 

 

 

 

 

梟は思わず狼の後ろにいるイブキに目で訴えた。

 

―――妙なことを吹き込んだのではないだろうな―――

 

その視線を読み取ったイブキは狼の横に並び、柔らかい微笑みを浮かべて漸く口を開いた。

 

「御子の忍び・・・狼殿は、あなたのおはぎがとても好きなようですよ?」

 

違う、そうではない。

梟は思わず目元を押さえて膝を折った。

 

―――忍びが食に流されるなど、なんと、情けないことか・・・―――

 

だが梟も義理とはいえ狼の親。

例え狼を使って竜胤を利用するために3年前の平田屋敷で()()()()()()()()()()()としても、しかと親が子に教えなければなるまいと決心する。

 

梟は斜め上の狼の発言に考えていたこととかいろいろぶっ飛んでいた。

 

「よいか狼よ。長い月日、その上死んだと思うておった儂に会えたからというて、おはぎとはなんじゃ」

「ですが・・・」

「わかっておる。お主が儂の作ったおはぎを食いたいと言うのはな。」

「いえ・・・そうでは―――「黙って聞くがよい」

「・・・あの」

「む」

 

イブキが説教に熱が入りそうだった梟に、恐る恐ると言った風に自分よりかなり高い位置にある顔を見上げて声をかける。

あまりにも身長の差がありすぎて少し首が辛そうだ。

 

「私がここに連れてきて欲しいと頼んだのです」

 

そういえばそういう話だった、と梟は思い出す。

いきなり倅が変なことを言うものだから―――いや止そう、今は情報を得るのが先決と持ち直す。

 

「しかしオチの御子とやら。今このアシナは非常に不安定。現当主である弦一郎殿も姿を隠し、かの剣聖一心殿も病に蝕まれておる。いかに強力なアシナ衆とて同時にその二人を失えば士気も落ちよう。ワノ国のこともある。今が鍔際なのじゃ。いかなる理由とて、これを覆すようなことでもない限りはとてもここにいるのは勧められぬ」

 

さて教えてもらおうか。梟はすぐ帰すつもりは毛頭ないし、イブキも、はいそうですねと帰るわけでもないだろう。

さりげなく指導者が不在なので自分のような者が動かねばならない、という建前をちらつかせるのも忘れない。

 

梟はオチの御子がどんな意思を持って、どんなモノをもたらすつもりかを聞きださねばならなかった。

ここ(アシナ城)まで来たということは必ず何かあるはずだ、と。

 

「義父上、イブキ殿は御子様のように人智を超えた力を持っているのです」

「ほう?」

 

まさかこの女もどこからか流れ着いた()でも食べたのかと考える。

アシナは外界から霧によって閉ざされているため知る由もないが、外へと行き来できた梟は知っている。

 

竜胤は()()特殊とはいえ、このような不可思議な力など、どこにでもありふれているということを。

 

「狼殿、後は私が話を―――」

 

そうしてイブキは仙峯寺で狼と交わした会話から見出した九郎と、アシナを救う仮説を話す・・・

アシナを枯れたような黄金色に染めていた日は既に落ちようとしていた――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

梟はオチの御子の能力が今後利用できるものかを見定めようとていたのだが・・・聴かされた情報にひどく衝撃を受けていた。

 

―――()()()()()()()()!―――

 

梟はその長年の経験で驚愕が顔に出ないように抑えることには成功していたが、内心は狼狽していた。

それと同時に思考を回す。

 

曰く、血を対価に生命力を与える米を生み出す豊穣の力で、それはイブキの仮定ではあるが竜胤の対となる可能性がある。

そしてなにより梟にとって重要なのは、姿()()()()()()()()宿()()()()()()()()ということ。

 

 

 

―――梟はワノ国と繋がっているために、外へと行き来できる手段を持つ数少ない一人。

野心に溢れる梟はその名が表すように知識も人一倍求めた。

ある程度判明させたからこそ、アシナでは謎が多く危険とされている竜胤・・・いや、()()()()である"ヨミヨミの実モデルドラゴンロット"を利用することを考えたのだ。

誰だって計画に不確定要素などは持ち込みたくはない。

 

その力を調べる上で、ある程度の立場をアシナで持っているというのは非常に役に立った。

アシナの内と外の知識を合わせることで初めて理解できることが多くあったからだ。

 

そして竜胤の全てをワノ国が知っているわけではない。

今こそオロチも、そしてカイドウも不死を量産できるという竜胤の力を求めてはいるが、その副作用・・・竜咳の存在を梟は教えていない。

 

当然である。梟は竜胤の()()()()()()()()、副作用の竜咳をワノ国の海賊共やオロチの配下にばらまくつもりなのだから・・・

 

話を戻すが、悪魔の実の能力を調べていた所面白いことがわかった。

それはこの竜胤のヨミヨミの実と対となるような見た目が()()()の実があるとわかったのだ。

 

本来悪魔の実に竜咳のようなこれ見よがしな副作用はあまり見られない。

だからこそカイドウもオロチも梟の報告を信じた。

 

しかしこの悪魔の実は対となる悪魔の実と揃えることで真価を発揮する珍しい相補関係のある悪魔の実らしい。

"らしい"というのは、能力の輪郭を捉えてはいたが実の互いの関係性などに確信を持てる材料がなかったからだ。

梟もその実を追ったが・・・ついぞ捉えることは無かった。

 

そして梟は確信する。

イブキは仮説として話しているが、紛れもなく対となる悪魔の実なのだと!

 

・・・聞けば聞くほど梟は驚愕する。

 

その豊穣の力の強大さに。

 

―――兵糧が尽きぬではないか!―――

 

それだけではない、オチの村の状況やオチの御子自身の話を聞く限り怪我や病に効き、あまつさえ老いにまで効くときた。

ただでさえ竜胤で不死の軍団を生み出せるのに加え、その副作用である竜咳を排除し得る可能性を持ち、さらには死んで"回生"するまでもなく米による回復で死ににくいという悪夢のような状況を作り出せるのだ。

 

 

ふと―――何故か梟の頭にかつて戦を共にした、盃を交わすアシナの面々が浮かび上がる。

 

 

―――これがあればもしや・・・いや、しかし―――

 

そしてここで梟は気づく。

 

 

皆で奪い合った竜泉はアシナの水と、オチの御子から生み出された米で作られた酒だったのだと・・・

 

 

 

「"迷えば敗れる"」

「・・・む?」

 

イブキが話す間、相槌もせずに黙っていた狼が口を開いた。

 

「一心様がそうおっしゃっておられました」

「・・・あやつの口癖よな」

 

―――少しは成長しておるようだな―――

 

梟は、狼が何故こうも自身にこの話を隠すことなく伝えたのかを理解した。

 

―――まさか、儂が倅に見定められようとしているとはな―――

 

梟の中で、何かが動いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――イブキ殿―――

―――・・・なんでしょうか―――

 

――――義父上に、全て話そうと思う―――

―――ですが・・・今の竜胤の御子との話を聞く限り、竜胤をこの国のために使うとはどうにも・・・―――

 

―――全て聞かせて、それから答えを聞きたいのだ―――

―――・・・―――

―――・・・―――

 

 

 

―――わかり、ました・・・―――

―――かたじけない―――

 

 

 

イブキは先ほどの狼との会話を思い出す。

梟は狡猾な男だろう。

この齢まで忍びとして生き続けたことが何よりの証だ。

 

だがその男が迷いを見せている。

これほどの男が迷っているのは自身の目的のためか、それとも違う何かのことか。

狼殿にはそれがわかっているのだろうか?と考える。

 

親子にしかわからない何かがそこにはある気がした。

そしてそれが羨ましかった。

 

イブキの親はオチの村の神主だったが、イブキを生んだ後間もなくして亡くなった。

親代わりになったのは、ずっと家に仕えてきた三人の従者だ。

イブキは今、自身の従者・・・オボロ、アヤ、キヌの三人に会いたくて仕方なくなった。

 

だけどこの親子の行方を見届けなくてはいけない。

何故ならイブキがここにいなければ()()()があったかもしれないのだから。

それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。

 

例えこの二人が刃を交えることになろうとも・・・きっと見届けなくてはいけないのだ。

 

 

 

 

 

梟はどこか浮ついた気分になりながらも現状を冷静に整理していく。

 

何といっても、一心が少なくとも数年は戦えるようになるのは現状のアシナにとって大きいことだろう。

一心の病を知ったからこそ弦一郎は決心し、生き急いでいるのだから。

 

そして今、オロチはワノ国の()()()()()に悩まされているとはいえ、一心が倒れる隙を伺い続けている。

だがアシナのワノ国の間者はほぼ全てが梟の手の中。

一心が倒れたとてこちらの準備が整うまでは情報が流れるのを抑えるつもりだった。

 

カイドウが突発的に押し掛けることもない。

何故ならあの数十年前の最後の国盗り戦を境に、オロチはカイドウに「()()()()()()()()()()()()()()()()」と嘘をついているからだ・・・ここには特別な手段なくして辿り着くことは難しい。

 

オロチは一心を極端に恐れている。

なんせ最後の戦であのカイドウを一文字に斬り伏せて見せたのだ。

 

いかに竜胤の力が欲しくとも、カイドウをアシナという小国で失う可能性を考えてしまえば一芝居打つのは自然の流れだったのだろう。

だからこそ、一心が倒れればここぞとばかりにカイドウを差し向けるはずだ。

 

―――梟は()()()()()()()、そのままアシナを襲わせる予定だった。

もともと竜胤の力などカイドウ自身は必要としないだろうし、それは力ある"大看板"などの幹部も同じだろう。

死にやすい下っ端に与えて前線へと投入するはずだ。

 

アシナ衆は「死なず」であろうと後れを取るような者は皆無。

それはもう幾度も「死なず」を殺してくれるだろう。

そうすれば竜咳が()()()()()()()()()()()()()()()へ襲い掛かる。

竜胤の()()()や今回の騒動の経験から、例え能力者本人であっても竜咳に()()()()()()()()()()()()()ことがわかっているため、竜咳に罹った後に「死なず」になろうと無意味だろうと推測している。

 

気づいた時には既にどうしようもない状況になっているというわけだ。

 

当然、梟が"竜胤の雫"による治療法など教えるわけもない。

いつまで保つかはわからないが、後はじわじわと死んでいくのを待てばよいだけとなる。

 

・・・しかし一心が健在だと話が全く変わってくる。

"ワノ国にて反乱の兆しがある"

これを利用することになるだろう。

 

梟の手引きによりアシナの「死なず」の軍勢がワノ国に乗り込み、時を待つ。

反乱の機会に上手く乗じ、潜んでいる配下の忍びを一斉に()()()()()場を乱すことで一気に切り込むことができる。

老いたとはいえ万全の一心がいるならばカイドウ打倒も十分可能。

 

カイドウが竜咳でいつ()()()()()()()()正直見当もつかない。だから、竜咳でちまちまとやるよりも単純で確実ともいえる。

 

勿論、この攻めの案は元々の待ちの案と違い大して煮詰まってもいない考えではあるのだが・・・。

 

だが・・・だがしかし()()()()なのはオチの御子の存在なのだ。

 

ワノ国は各地で意図的に起こされた飢えが蔓延している。

さらには人工悪魔の実の副作用によってどんなに悲しくとも()()()()()()()()()()という苦しみを与えられた民もいる。

 

これらは例えカイドウとオロチが倒れようとも簡単にはどうにかできるようなものではない。

これはオロチの復讐でもあり、彼の望んだ()()()なのだ。

そこが一番の不安要素だった。

 

・・・もし、それがどうにかできてしまったなら?

飢えた民に彼女の存在は恐らく絶大な効果を発揮する。

こちらがワノ国で決戦の時を待つ間に各地の民を味方とし、ワノ国全土巻き込む大きな()を起こせるやもしれない。

 

各地に散っている配下の忍びによってワノ国の動きは既に掴んでいる。

それぞれでオロチの部下として()()を演じてもらうことで、民衆の心を動かすことも可能だ。

そしてその()を操ればワノ国を手中に収めることも決して不可能ではない。

 

そしてアシナの連中・・・一心は端からワノ国に興味はないだろう。

弦一郎もまた然り、ワノ国ではなくアシナに執着している。

一心が健在だとしても、この方向に舵を切ることによってアシナは梟の野望の障害ではなくなるのだ。

 

そして・・・

 

チラリ、と梟は自身の倅である狼に目を向ける。

 

―――米により身体が()()()()()()()こやつと命を賭した真の戦いが出来るやもしれぬ―――

 

 

 

 

 

梟の腹は決まった。

 

 

 

 

 




軽い感じで書きたいとはなんだったのか。
守れておらぬぞ・・・

お米ちゃんの出番が少なくて申し訳ないのですが、ルート分岐イベントなのでお許しを。

梟が狼にスイッチ入れられたせいで熱い男と化しました。
全部少年漫画とクロスオーバーしたやつが悪いんです。
(梟が好きだからとは回生してでも言えない)

それとようやく竜胤のこの世界での名前が出せました。

ヨミヨミの実モデルドラゴンロット(竜胤)
任意の人を「死なず」にする。
「死なず」が死ねばその当事者の周囲の親しい人から生命力を奪い"回生"する。
生命力を奪われた人々はそのたびに血が淀んでいき、最終的に竜咳という不治の病に罹る。(厄介なことに生命力を()()までが能力で、竜咳は結果として発症する病なので解除できる類ではない)
そのまま放置すれば死に至るが、唯一能力者の"竜胤の雫"(涙)によってのみ治療可能。
ただし涙であるため、量の問題から()()()()()()()()()()()()()()()()()
玉ネギを使ってもだめだった。
ただし対となる瓜二つの見た目の悪魔の実で対策可能らしいが・・・

書いてて思ったのは、ワンピースの世界観だと中々死なないので完全にハズレ悪魔の実である。(過去編は除く)
狼の珍プレーに関しては大した理由はないですが次回にて。

隻狼との違いまとめ

竜胤の力:悪魔の実のため(世界観に合わせるため)仕組みが単純化している。あれだけ見た考察サイトや動画は作者の中で灰塵と化した。
豊穣の力:コメコメの実という悪魔の実。おいしい加工のできる回復薬(ほぼ)を無制限に量産可能とかいうふざけた能力。チユチユの実に似ているが使うのは能力者の血で、他人から治癒力を分けてもらうようなことはできない。他の実には見られない特性があるらしい。
九郎:まだかっこいい。
オチの御子:プロパガンダに利用されそうな危機に気づいていない。
梟:少年漫画化した。ワンピースの常識を知るのは今のところ彼だけ。なんておいしい役回り。
狼:おはぎ。


ちなみに「零れ落ちる」は「今までの主従関係を離れる」という意味もあります。
次は私の予定上、一週間以上かかるかもしれないので悪しからず。


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流れ去る稲熱

なんとか一週間程度で書き上げられました。

そしてお気に入り数が何故か200を超えました・・・Why!?Why!?
正直、最初の投稿直後は無視されるかボロクソ言われるかのどっちかだと覚悟しておりました。見ていただいて、そして感想を書いていただいて本当にありがとうございます。
追記:誤字報告ありがとうございます。修正しました。

ちなみにタイトルの稲熱は「いもち」と読みます。
流れ去るのは病か狂熱か、







「懐かしい顔じゃ」

 

アシナ城の天守望楼とは別の一室。

広さは然程ないが、部屋の位置する高さは天守と同等のため、障子を開け放てばアシナの町を囲う山々を中からも見通すことができる。

障子の取り付けられていない唯一の壁沿いには、その山々を現したかのような立派な屏風が立てられ、その手前にこれまた見事な刀が刀掛台に掛けてあった。

 

そしてさらにその前に、水浅葱(みずあさぎ)色の着物を来た茶筅髷(ちゃせんまげ)の老人が脇息(きょうそく)にゆったりと肘を掛けて座っていた。

 

「病人が、良く吠えおるわ」

 

対して外へ通じる障子に手を掛けながら、大柄な老人―――梟が狭そうに姿勢を低くして現れた。

目の前の座る老人の声に何か含むものを感じたのか、しかしそれでも何処吹く風と受け流すように答える。

 

「その前に・・・」

「ぬ」

「酒じゃぁ!匂いでわかるぞ?」

「・・・まぁよかろう」

 

これでさっきまで梟が()()()()()()()()()()()分かっているというのだから大したものだ。

呆れながらもオチの御子から受け取った酒を目の前に置き、座った。

 

「竜泉ではないか!でかした!梟の癖に役に立つではないか!」

「あの戦の折に散々走り回させた癖によう言うわ」

 

竜泉という極上の酒を前に水浅葱色の着物の老人―――葦名一心が相好を崩す・・・ただし、そこには油断などは露程もない。

 

「一人で隠して飲んでおった癖にのぉ?」

「いつの話をしておる・・・貴様が言いふらしたせいで、お蝶のやつに追い回されたのだぞ」

 

梟は自身が先に昔の話を掘り返したことを棚に上げ、だがどこか懐かしむように愚痴を重ねる。

それは狼の師の話だろう。

 

「かかか・・・あやつもまた随分と()()()()

「・・・・・・珍しいことにな」

 

一心は三年前から()()()()()()()一人の老婆を思い浮かべた。

誰に()()()()()()()のか、狼は自身の師の一人戦うことになってしまう。

そして幻術を使うお蝶は弟子に打ち破られた。

人は彼女の事を"まぼろしお蝶"と呼んでいた。

 

「何を考えておる」

「貴様を"錦の御旗"にすることじゃ」

 

―――竜胤を手に入れるためと裏でこそこそしていた癖に、何故今、儂の前に姿を現した―――

 

要は一心はそう言ったのだ。

その言葉に込められた()()は尋常ではない。間違いなく"剣気"が乗せられた()()だった。

 

しかし周囲に誰かいたとして、未熟なものでは一切それがわからないだろう。

刀でするりと斬るように、無駄な破壊を望まない一心らしい対象を絞った、言葉に乗せた圧だ。

 

それでも梟はやはり表情に出すことなくさらりと受け流し、あろうことか「自分がこれから行うことの大義名分になってもらう」と言い出す始末。

これには一心も失っていない右目を少しばかり開いた。

 

「この様を病人と言うておいてか?」

「ワノ国を手中にしようと思う」

 

―――そしてこれよ―――

 

一心は梟とのこのまるで話を聞かないようなやり取りを懐かしんだ。

倅の狼も愛想がないが、梟もまるでない。

特に自身の目標を定めた時はいつもこうなるのだ。

 

梟は有無を言わせんと言うように自身の方針を提示してくる。おまえが乗りさえすれば上手くいくのだからさっさと頷けばいい、と。

ワノ国を手中に収める?

随分とでかくでたものだと一心は笑うが、それは馬鹿にしたようなものではなく明らかに好戦的な笑みだ。

 

「ほぉ・・・?・・・国盗りと来たか・・・だから儂をアシナの"御旗"として掲げると?」

「おう。立ってもらうぞ、御旗として」

「かかか・・・酒の対価にしては随分と大事じゃ・・・じゃが、そういうからにはこの()()を立ち上がらせる策があるのじゃろう?・・・・・・

 

 

 

 

 

                     竜胤か?」

 

 

 

 

 

途端に空気が張り詰める。

 

これを目の前で受ければ先ほどの一心がやったことなど稚児の遊びだと思えるだろう。

 

一心は竜胤を良しとしない。

多少珍しい()を使うのは良い。だが人の"在り方"を変えてしまう竜胤は一心にとっては面白くなかった。

 

アシナの民の多くは知らないだろうが、確かに珍妙な力を持った者はこの世界には多い。

竜胤もその一つでしかないと言えばそうだ。

 

だが果たして民のためと立ち上がった我々アシナ衆が、民を殺して得る力を振るって良いものだろうか?

成程確かに弦一郎の言う通り、そうしなくては勝てない戦もあるかもしれない。

結果戦に負け、民が虐げられ死んでいくことになれば本末転倒だ。

 

それでも一心には過程を蔑ろにして結果だけを求めることは出来なかった。

なによりアシナの地に生まれ、その身を故郷のために埋めていった先祖たちに切り刻まれるようなことはできなかった。

 

理解はできるが納得は()()()

それが裏から狼を支えた一心の気持ちだった。

 

故に梟に問う。

 

竜胤を使うつもりか?と。

 

言葉を違えば今度こそ冷たい刃が飛び出すことは間違いなかった。

 

「その剣気で何が病人じゃ。否じゃ。竜胤などとぬかせばどうなるかぐらいわかっておる」

 

しかし梟はこれを否定。その顔には僅かだが汗が通った跡が見える。

代案か、或いはさらに()()()()を見つけたか・・・

どちらにせよ碌な事考えていないのだろうが、正直一心は竜胤のようなものが関わらないのであればワノ国との戦については興味があった。

果たして一心は自身の身体が保つかは疑問ではあったが・・・それを考えていない梟でもないだろうと思っている。

 

「ほう!では全て話せぃ!こいつ(竜泉)でも飲みながらな!」

「夜が明ける程に話すことがあるわい」

 

もう月は高く昇っていた。

今夜は静かな夜になるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めまして、竜胤の御子よ」

「遠路遥々ご苦労です、オチの御子殿」

「お互いに"御子"では呼びにくいでしょう、イブキ、と呼んでください」

「承知しましたイブキ殿。では私の事は九郎と」

 

白い月がアシナを囲う山々の隙間より顔を出し始めた頃、こうして二人は出会った。

 

 

 

 

 

「では・・・この竜胤の力のような物が世には溢れていると・・・?」

「はい。梟殿の話によれば、我々の言う"蛇柿"は世俗では"悪魔の実"と呼ばれているそうです」

「悪魔・・・確かにこの力は、正にそれと言えるでしょう」

 

イブキと狼は先ほど天守望楼にて梟より得た情報を九郎へと伝えた。

エマは梟を警戒していたため姿を隠してその話を聞いていたのか、頷くだけであった。

 

悪魔の実・・・それを食べて()()を得た能力者達はこの広い海に蔓延っている。

それは体を動物に変え、或いは自然現象そのものになるような人智の及ばない力を行使するという。

そしてアシナを襲うワノ国の支配者カイドウは竜へと姿を変えることができ、抗いようのない大災害とも言われる程の事態を個人で引き起こすことができると言うではないか。

 

イブキも話を聞いた時は驚いたが、自身の豊穣の力や竜胤の力を考えれば否定できるはずもなかった。

米を手の平から出すなどまさに奇想天外だろう。

梟は豊穣の力―――コメコメの実については、竜胤の力であるヨミヨミの実の関係性を知らなかっただけで、能力については知っていたため前任者について教えてくれた。

 

もう100年近くも前の話らしい。

イブキはその聞いたことを九郎に――――――

 

 

 

 

 

明らかに悪代官といった風貌の男に一人の若い領主が泣きながらも跪いていた。

若者の悲壮感と悪代官の悪い笑顔を見ればどういった状況かはなんとなくわかるものだろう。

 

「諦めんなよ!諦めんなよ、お前!!どうしてそこでやめるんだそこで!!もう少し頑張ってみろよ!!!」

 

悔しさに涙を流す若者の横に突如現れた男が悪代官に向かってそう叫んだのだ。

 

「な、なんだ貴様!?」

「僕かい?僕はただ明るいだけ。そして、神経質なところがある。でも、それが僕だ!」

「そんなこと聞いておらんわ!?出会え出あえ!こやつを捕まえろ!!」

 

どう見ても神経質ではない。

悪代官が控えさせていた侍をけしかけるが、男は仁王立ちでどっしり構えている。

そしてあらん限りの声量でこう言った。

 

「今日からおまえは藤山だ!!!!!!!」

 

男が地面に両手を付けて叫べば白い間欠泉―――全部米だが―――が悪代官の足元から勢いよく吹き出し、天高く突き上げた。

 

「うわぁぁぁぁぁ~~~~~!?」

「お米食べろ!!!!!!!!!」

 

そして辺り一帯は白く染まった。

 

 

 

 

 

――――――言うのはやめた。

多分言う必要はないだろう。

 

梟は神妙な面でこんな内容を話していて、対する狼も真剣な顔をしていたのでイブキもその時は真剣に頷いていた。

あの(隻狼)雰囲気に流されていたが今思えば何か物申してもよかったかもしれないとイブキは思った。

アシナには総じて、そういったことに対して指摘出来る人(ワンピースの住人)が少ない。

 

イブキがそんなことを考えていた頃、九郎は彼女から聞いた情報を整理していた。

彼はまだ幼いが、それでもその年齢から想像がつかない程に聡明である。

 

ついさっきまで敵対していたと思われる忍びが情報をこうまで開示すること自体違和感があるが、何より梟がそうしたことが一番の悩みとなってくる。

イブキを利用するつもりなのは間違いない。

でなければこうもすぐに、そしてあっさりと立場を変えるはずもないのだから。

 

―――まともに信じることなどできようはずもないが・・・―――

 

九郎は傍に控える狼へと視線を送る。

 

「御子様は必ずお守りします」

「ありがとう、狼よ・・・苦労をかけるな」

 

何より狼がそれを認めたのだ。

親子としてではなく、忍び同士の対峙によって。

 

狼の目に迷いはない。そして九朗を信じている。

梟にただ利用されて終わるはずがないと。

自身に仕える忍びを信じることこそが、その信頼に応えることだと九郎は思い定める。

 

「九郎殿は狼殿を信頼しておられるのですね」

「うむ!我が忍び故にな!イブキ殿のことも任せたぞ、狼よ」

「はっ・・・ですが、それは不要やもしれませぬ」

「狼よ、それはどういうことだ・・・?」

 

狼はそう言うと唐突に義手忍具の手裏剣を部屋の奥の障子に向かって投げつけた。

僅かな紙の擦れ合うような音を残し、吸い込まれるように鋭利な手裏剣が障子の向こう側へ通り抜け・・・鉄と鉄がぶつかり合うような甲高い音が響いた。

 

「あー待った待った、俺はそっちの嬢ちゃんの・・・まぁ用心棒ってとこだ」

 

手裏剣が通り抜けた障子をゆっくりと開けて出てきたのは身長が3尺程度しかない小柄な黒い傘を被った男だ。

檳榔子染(びんろうじぞめ)の質の良い着物を着ているのだが、胴体と顔が一体化してしているような首のない異形の身体のため、その暗灰色の着物も不気味さを際立たせるだけであった。

 

「・・・"ムジナ"!?・・・あぁ、オボロが言っていたのはそういうことでしたか」

「そういうこった。姿を隠していたのは悪かったがよぅ。こっそり見守れっつー話だったからな」

 

警戒はするがその異形の出で立ち自体に驚くものはいない。

彼らの容姿はオチの村に―――正確には神主のイブキにだが―――仕える"らっぱ衆"という忍びとして知られているからだ。

 

イブキが驚いたのは何故ここに村の忍びであるムジナがいるか、ということだった。

しかしどうやら思い当たるようなやり取りが出立の前に自身の従者とあったようで、すぐ納得した様子だ。

 

「っとぉ、そこのおっかねぇ"剣気"の別嬪さんが怖くてたまらねぇ・・・俺は"黒傘のムジナ"。そっちの眉間に皺のよったあんちゃんと同業者さ・・・黙ってないでおめぇが紹介してくれれば話が早ぇだろうに」

 

事情の知らないエマは当然警戒した。

オチの村はなにかと謎が多いが、ただの忍びならともかく、その長である黒傘のムジナと言えば裏では有名だ。

その代名詞である"黒傘"を使った守りはあまりに堅く、さらには小柄体躯を利用しつつ飛び回りながら繰り出される()()()は一級品と聞く。

 

しかし狼は何処で会ったのか、ムジナと顔見知りのようで警戒を解いている・・・もちろんすぐに九郎を庇える位置に移動してはいるが。

 

「それは・・・悪かった」

「そうしょげんなって・・・まっ、取り敢えず心配で仕方がなかった村のやつらの代表として俺が来たわけだ・・・ばれちまったがな」

「義父上も気づいていたようだ」

「あー・・・そりゃぁ斬られなくてよかったぜ」

 

今のやり取りで、ある程度狼が気を許していることを確認したエマは一旦警戒を解くことにした。

九郎もそれを理解したのかムジナに話しかける。

 

「おお、立派な黒傘じゃな。"黒"といえばアシナ衆の修行を思い出すの、狼よ」

「はっ」

「"黒と成って半人前、無と成って一人前"の一心様の教えですね、九郎様」

「っは、するてぇと俺は半人前ってことかねぇ。アシナ衆のやつらはどいつもこいつもおっかねぇぜ」

 

九郎は場の雰囲気を整えるために一度世間話を挟むことにし、エマもその気遣いを察して言葉少ない狼に代わってアシナの修行についての話題を提供する。

ムジナも憎まれ口を叩いてはいるが先程より態度を軟化させているようだ。

 

口は悪いが、イブキに仕える身。主と対等に話す九郎の顔を立てるためということもあってこの流れに身を任せることにした。

イブキもそういった外での世間話は久々なためか楽しいようで、皆の意を汲んで話を繋げていく。

 

「黒(玄人)で半人前とは・・・アシナ衆の強者が"武人(むろうと)(無人)"と呼ばれる、というのは本当だったのですね」

「ええ、一心様が使い始めてからその呼び名がアシナの者たちに広まったようです。元々考え方自体はあったようですが、明確に区別したのはアシナの歴史上で見れば最近と言ってもいいでしょう」

 

イブキの質問にエマは答える。

"剣気"と呼ばれる概念的な意志の力・・・梟曰く、外では覇気(ワノ国では流桜(りゅうおう))と呼ばれているそうだが、それを会得し、扱いに長けた者は体を黒く硬化させることができる。

そこまでが()()()(二流)。

 

一心の定義した武人(むろうと)の概念は、さらにその先の話だ。

相手に力を悟らせないこともあるが、斬る上での様々な無駄な力を無くすための技術を身に着け、結果無色と成る。

これでようやく()()()(一流)。

 

「・・・剣気を相手に悟らせず、動きを読ませない。"静"から"動"への瞬間でも常に悟らせず、相手は気づけば自身の()()()()()()()。それが忍びの基本であり極意。無色の鎧を纏った忍びは例え正面からの戦いでも侍にも劣らないと義父上も言っていた」

 

()()()()()()()()()()()―――それは梟への戦いに対する心中の願望が出たものだろうか。

狼はふと、そんなことを考えた。

 

「俺もたまにアシナの"夜鷹衆"や紫色の連中とやり合ったがよぅ、たしかに中には明らかに尋常じゃない剣気を纏っているような威力の癖して、全くそれを悟らせないようなやつはいたぜ」

「ムジナ・・・私は聞いておりませんよ?ワノ国からならともかく、夜鷹衆から干渉があったとは」

「あー・・・村の外に出てた時の話だぜ?俺も()()()()では一応名が知られちまってるからな。仕事柄、そんなやつがいたら誰だって警戒もするさ」

 

これは嘘である。

近年たしかにムジナはオチの村からアシナの近況を探りに出ていたことはあったが、そもそもそうした理由がアシナからの干渉があったからに他ならない。

 

夜鷹衆とはアシナの抱えている忍衆だ。

ここ数年でそういった輩が増えたのは、弦一郎がオチの村に目を付けて刺客を送り込んだからだ。

ムジナはこれから手を組むかもしれないアシナと不和が生じることを避けたかったので誤魔化したが・・・

 

薄っすらとその事情を一心から聞いていたエマは、些細な隠し事が後々影響してくるだろうと推測して口を挟む。

 

「ムジナ殿、弦一郎殿と一心様の考えは異なります。梟殿がどう一心様と話をつけるかはわかりませんが・・・少なくともこれからの方針は一心様の納得がいく話に落ち着かせるはずです。」

「村へのちょっかいは現当主の命令であって、剣聖の意思ではないって言いてぇのか・・・?んで、これからの話はその現当主のことはほっぽって良いってか?」

「弦一郎殿が戻ってきていない現状、このアシナの舵を切ることのできるのは一心様しかおられませんから」

 

ムジナはアシナの現状は把握はしているが、竜胤を巡る細かな人間関係までは把握できていない。

梟という存在もアシナ、ワノ国に加えての第三勢力という認識だ。(それに関しては狼たちもまだ同じ認識なのだが)

 

一先ず認識の齟齬を埋めるために互いの持つ情報を開示していく。

九郎の世間話はオチとアシナの関係の始めとしては良い方向へと働きかけてくれたようだ。

 

「―――うむ、すっかり最初の話から逸れてしまったな。ムジナ殿の実力もわかったので安心してイブキ殿を任せられる」

「できなきゃ俺は戻っても村八分だろうよ。ま、任せときな」

「ふふっ、ええ。ムジナも狼殿も、よろしくお願いしますね」

「命を賭して」

「イブキ殿、先ほどの豊穣の力についてですが―――」

 

夕暮れは山の向こうへ落ちていき、月が黄色くなった頃にはイブキも気兼ねなく笑えるようになっていた。

 

 

 

 

 

「皆、聞いて欲しい」

 

それから少しして四人の前に、九郎は立つ。

その覚悟を秘めた姿は、幼さから想像もつかない程に力強さを有している様に感じる。

まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()かのように。

 

「私は、不死断ち・・・つまり私が()()()()()()()竜胤からこのアシナを解放できると信じていた。だが、実際は死したところでまたどこかに竜胤の力を宿した実が生まれるだけ。竜胤の先任者の"丈様"もかつてアシナで力を得たようだ・・・何の因果か、私もこの地で竜胤の力を得てしまっている。確証などないが、またこの地で竜胤の実が生まれる可能性も十分あり得ると思っている。・・・それにアシナでなくとも結局はどこかにまた生まれてしまうのだ」

 

能力者が死んだとしてもまたどこかでその能力の悪魔の実が生まれる。

それが九郎が不死断ちを決行する上で一番の障害だ。

 

「私は・・・生きている間の一時とは言えこの連鎖を抑えたい。そしてできるならばこの力を永遠に葬る、()()()()を成し遂げたいのだ。先の見えない戦いになるが、どうか私に力を貸していただけないだろうか」

 

九郎を九郎たらしめているのはある種の奥ゆかしさだろう。

それは武力によって上へ立った一心や弦一郎とは違う方面の、王の資質。

力弱き王なれど、その信念を秘めた臆さぬ小さな背中に、どうしようもなく惹かれてしまう者たちがいるのだ。

 

「御意のままに」

「九郎様が死なぬ道・・・そうであるならば是非もありません」

「俺は嬢ちゃんがいいってんならそれでいいぜ」

「もちろんです九郎殿。エマ殿の言うようにあなたが死なぬ道なれば喜んでお力になりましょう。私の豊穣の力もあなたの一助となるはずです」

 

「皆・・・ありがとう」

 

 

 

 

 

「まずは目先の問題から解決しましょう。まだ竜咳に苦しんでいる者がいるのですから。エマ殿、あなたの智賢をお借りしたい。私のこの力が、本当はどこまで竜胤に干渉できるのかを知りたいのです」

「そうですね。梟殿の言うには十中八九効果があるとのことでしたが・・・」

 

やはり問題になるのは梟だろうか。

エマは梟がまだ丸かった頃(それが本性なのかは分からないが)を知っているが、三年前に姿を消してからは一心より色々と暗躍の話を聞いていたため、余計に気掛かりであったのだ。

 

「・・・ええ。エマ殿の考えていることはわかります。梟殿を信用なされていないのですね。効果があったとして、このまま言う通り治療を進めてもいいものなのか・・・それは九郎殿も、そして狼殿も同じなのでしょう?」

 

ムジナは言うまでもない。

忍びであれば、同業者ほど信用できないものはないのだから・・・狼は別枠になっていそうだが。

 

「ああ。義父上は・・・目的のために手段は選ばぬ」

「梟は、イブキ殿の力に目を付けたようだ。おそらく竜胤もまだ諦めてなどおらぬ・・・だが、その心配は一心様にお任せしよう」

 

梟はまだまだ多くを隠しているのだろうが、エマ曰く、一心の前となれば話は変わると言う。

古い記憶とは言え、この二人はどこか、何と言えばいいか信頼のようなものが互いにあるとエマは感じていたようだ。

あえて言うならば悪友と表現するのがいいだろうか?

 

・・・切り捨てる時には互いに容赦するなんて想像もつかないが。

だからこそ、その関係であるが故に今は一心に任せるしかない。

 

「では一旦はその事は忘れましょう。とにかく竜咳の治療法の確立を優先させましょう。患者はどこに?」

「竜咳に罹患していることが分かっている幾名かは、"仏師殿"のいる荒れ寺からの隠し道を通してこの城に。竜胤の雫―――あぁ、九郎様より稀に得られる、現状唯一の竜咳の治療薬のことを言うのですが、それを人数分に薄めた薬液で応急処置を施しています」

 

竜胤の雫とは、竜胤の力を持つ九郎の涙の事だ。

 

「先任者であった丈様から零れ落ちた竜胤の雫を見つけたのは従者である"巴様"・・・そしてそれを命名したのが我が師、"道玄様"です」

「道玄・・・忍び義手の制作者と仏師殿から聞いているが」

「ええ狼殿、その道玄で間違いありません。とはいえ、当時丈様は竜胤の力を()()()()()()()()()()()()()()()()()。しかしそれがいけなかったのか、丈様自身に竜咳が罹患してしまったのです」

 

エマの義父でもあった今は亡き道玄は、罹患してしまった丈を竜咳より助け出すために治療法を探していた。

丈とその従者であった()()の巴は元々は―――九郎の言葉にあやかれば―――"竜胤断ち"のために金剛山の頂にある"ミナモトの宮"と呼ばれる町より降りてきたと言う。

しかしその末路は・・・

 

「そのため、周囲への被害は皆無でしたが・・・丈様は我が師の健闘及ばず、お亡くなりになられました。巴様も後を追うように衰弱し、流行り病で・・・。ですが、助けられなかったとはいえ、唯一竜咳の苦痛を和らげることができたのが・・・」

「竜胤の雫、ということですか」

 

イブキは思う。

エマが竜胤の雫の効力を知ることが出来たのは一重に亡き薬師、道玄の古い書物によるものだ。

丈が一身に竜咳を引き受けたため、竜胤の引き起こす災害とも言える代償は予見はできなかったが、道玄による竜胤についての治験記録、考察等を記した書物は確かに今の命を繋ぐ力となっている。

 

雫をそのまま人一人に使うことが出来れば完治するだろうというのがエマの私見らしい。

だがそうするには今や、見捨てることになってしまう命が多く、そして雫はいつもたらされるのかも九郎自身もわからない。

だからそれは・・・本当に最後の手段なのだろう。

 

「ままならないものですね・・・」

「ええ・・・本当に。ですが、今はあなたがおられます。イブキ殿、さっそく豊穣の力を見せていただきたい」

 

エマの言葉には薬師として、いや探求者としての好奇の熱情が混ざっていた。

それはイブキにとっては今や苦笑いを浮かべてしまうような感情だった。

 

―――かつて仙峯寺では「死なず」を作ろうと竜胤を求めた、教えより外れた僧たちがいた。

彼らは竜胤の力を秘めている蛇柿―――悪魔の実のことだが―――をイブキより何とか手に入れようとしたが、当時の仕えていた忍びを突破することができないまま、村を襲う飢饉で皆倒れてしまった。(イブキの従者であるアヤとキヌが奪い取った錫杖は彼らの物である)

 

結局、納められていたものが特殊な力とはいえ竜胤ですらない、米を生み出すと言う見当違いのものだったためその後はかなり気まずくなったのを覚えている。

 

彼らは後に自身を取り戻し、イブキに恩を返すためと何故か肉体を鍛え始めたり、元々いた烏合の衆だった下っ端の忍びたちを組織し直したりと奮起した。

そしてそれはイブキを村の外の悪意から守る盾となった。

・・・そんな出来事があったおかげで、今のムジナが居て、ここにイブキが来ることが出来たのだ。

 

―――全くもって、巡り合わせとは、異なものですね・・・―――

 

ならば自身もここで、こうして奇妙に繋がってきた物をさらにその先に繋げるために・・・オチのため、延いてはアシナの未来のためにも成すべきことを成そうと改めて襟を正した。

 

この薬師のような熱情が未だ来ない夜明けを掴めると信じて。

 

「わかりました。では・・・豊穣を」

「おお、手の平から」

「これは、また・・・」

「イブキ殿から先ほど聞いたような力がこれに込められておるのか・・・」

 

九郎はイブキの手の平に乗る米粒を一粒摘まんでまじまじと眺める。

そして九郎はその聡明な頭で考える。

 

既に一般に普及している竜泉ですら効果があることは分かっている。

一心やエマが竜咳に何故か罹らなかったのはそのおかげだろうとエマより推測されている。(二人はたまに竜泉を周りに内緒で嗜んでいた!一心よ・・・人の事が言えておらぬぞ・・・)

 

罹患している者たちは食事も辛いようなので、やはり酒のような液体は好ましいだろう。

だが現状、竜泉は高価な薬水ということになる。大盤振る舞いとはいかない。

・・・とはいえ竜泉のように手間をかける必要もないだろうが。

 

特に今後のための治験をする場合はその他大勢の協力が必要不可欠となり、そう言った者たちにはもっと簡単な物でいいはず。

これは予防としてもそうだが、豊穣の力がどのように身体に影響を与えるかを調べるためだ。

 

ならば米をそのまま食べさせるのが一番手っ取り早いのだが―――

 

―――でもせっかくならおいしい方がみんな進んで治験に協力してくれるだろう。

そうだ。そうに決まっておる!

何が良いか。

煎餅は?団子もいいのう!いや、餅というのも捨てがたい。(もち米ではない)

 

 

 

 

 

ふと、九郎はイブキたちとのやりとりを思い出す。

 

 

 

 

 

―――先程、狼殿が梟殿に「何故連れてきた」と問われた時にこう言ったんですよ?「    」と―――

 

―――うーむ・・・そなた、何故そのようなことを?―――

 

―――はっ、義父上に戦場より拾われた時、腹をすかせていたのですが・・・義父上は黙って「   」をくれたのです。あの「   」は、とてもうまかった―――

 

―――まぁ、狼殿。それでイブキ殿を連れてきた理由が豊穣の力、つまり米を使うことから・・・―――

 

―――梟を見て思い出したと!お主も食い意地が張っておるの!―――

 

―――九郎殿、エマ殿、あまり狼殿で遊んではいけませんよ?―――

 

―――おお、申し訳ないイブキ殿、それで―――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはぎ大作戦じゃ!!」

 

 

 

その唐突な叫びと、作戦名に対して湧き出た感想を、ムジナは飲み込んだ。

ムジナは大人(隻狼の住人)なのだ。

 

 

 

アシナには総じて、そういったことに対して指摘出来る人(ツッコミ役)が少ない。

 

 

 

 

 




・・・5話で終わらせたいと言ったな?あれは嘘だ()
全然話が進まないのです。ムジナが好きだから仕方ないんですごめんなさい。



老人組
梟「そうじゃ。これを食え」
一心「うん?・・・おはぎじゃな」
梟「(イブキの力について説明)」
一心「ほう!そいつは面白い!・・・じゃが、何故おはぎとな?」
梟「・・・米は炊いて食った方が、うまいからな・・・」

狼「・・・?」
九郎「どうした?狼よ」
狼「いえ、呆れのような視線を感じたのですが、気のせいだったようです(生米もちゃもちゃ)」
九郎「狼よ・・・米は炊いて食べた方が、うまいぞ?」

保護者は大変です。



梟はどこまで話したのか
・悪魔の実について(竜胤や豊穣の力の通称)
・アシナの外の世界の常識について(覇気についてや悪魔の実の普及率を軽く)
・ワノ国の現状について(自身が間者ということは話していない、まずは一心とのすり合わせが必要なため)



武人(むろうと)(無人)というのは造語です。
「玄人?まだ上があるじゃろうが!!」という勢いで勝手に一心様(作者)が作りました。
仔細は本編の通り。
頂上決戦の時に黒い武装色を誰も使っていないのは一定以上の強者はそういうのは隠すことがデフォなのでは!?という風に勝手に考えていたことから。


隻狼との違いまとめ

お蝶:昏睡状態だが生きている。死んだように見えた敵が「まさか生きてたのかー」ではなく「ここで出てくるのかー」の世界だからこそである。
ムジナ:着物を着ている。抜け忍ではない。"黒傘"の異名が恐れられる程の腕。元は他のらっぱ衆と同じ傘だったそうだが・・・。ちなみに戦闘のイメージはヨーダ。
ミナモトの宮:存在自体は有名だが交流はほとんどない。しかし一部の村とは交流がある。
丈:竜胤の先任者。戦の最中にアシナに降りたが、従者の巴含めて()()()()()()使()()()()()()。何故か自身が竜咳に罹患してしまった。
巴:丈の従者だった()()()の女性剣士。30は過ぎていたようで陸上で歩行できた。()()()()()()()()()()()()()()
九郎:カッコよさは流れ去った。
オチの御子:この後、茶屋の名前を考え始めた。
エマ:微笑ましそうに見ている。
狼:おはぎ。



次も一週間以内に出来るよう努力します。


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覆水不返の血

更新が遅れまして申し訳ありません。
その間にUAが1万を超えたりお気に入り数が300に近づいたりと嬉しい限りです。
長く続ける予定はないですがその間どうかお付き合いください。

追記:誤字報告ありがとうございます。修正しました。
追記2:誤字を発見しましたので修正しました。





されどその地に流れた()()となる







アシナ城の城下町より伸びる脇街道。町の中でも金剛山の入り口に最も近いと言える立地。

山に入る前とは言え高低差が激しいアシナの地であるために、そこの標高は街の中心部よりも高い。

それはアシナ城の天守望楼とまではいかないまでも、アシナの街をある程度見渡せる程。

 

家屋がまばらになり薄く雪化粧した棚田が見え始めており、そこに申し訳程度に舗装された街道に沿って(ひな)びた雰囲気の立場茶屋(たてばぢゃや)があった。

 

周囲はアシナ特有の標高が高くなるほど暖かくなると言う気候により、辺りが雪により白く染められているにも関わらず赤や黄色といって葉が彩る木々がちらほら見え始めている。

そんな中、その立場茶屋の店先にある綺麗に柿色に染められた野店傘が特に人の目を引くだろう。

 

…だが今はそれよりも目を引く事態が起こっていた

 

入り口から街道に沿うように並ぶ人、人、人。

 

イブキと九郎が出会ってから幾日か経ったこの日。

 

茶屋「"九十九(つづら)屋"」。

行列が出来る程の大盛況であった。

 

 

 

 

 

金剛山に入る者は少し前ならば僅かであったが、今ではそれなりに増えてきている。

元々出家のために仙峯寺を目指す者や、オチの村と契約している商人はある程度いたが、最近は不死斬りの噂を聞きつけた侍や忍びなどが多くなっているのだ。

 

とは言え、それにしてもあまりにも多い。

確かに中には刀を腰に差した浪人風の者などもいるが、粗末な着物を着た老人、仕事着を着た屈強な男、菅笠(すげがさ)を頭に被った商人風の()()と様々だ。

 

せっかく景観の良い茶屋だというのにゆっくりと座って風景を楽しむこともできなくなってしまうことを考慮してか、寒空の下ではあるが幾つかの腰掛けが店の裏手や行列とは反対側の街道沿いに並べられている。

 

だがそれもほぼ全てに人が腰掛けていると言うのだからその盛況ぶりが窺える。

 

店先の野点傘と同じように柿色に染められた暖簾(のれん)を手で払いながら、同じく柿色の頭巾と前掛けを身に着けた一人の女性が出てきて微笑みながら人々に呼びかける。

 

九十九(つづら)屋へようこそ。豊穣の味をどうぞ心行くまで」

 

茶屋娘の恰好をしたイブキが良く通る、それでいて落ち着きを感じられる声色で出迎えた。

思わず見惚れてしまう者が出たことは仕方のないことかもしれない。

 

 

 

茶屋の中に入れば長手の腰掛けが十にも満たない程度あるだけだが、やはりそれら全てが人で埋まっていた。

その腰掛けは葛籠(つづら)のような、植物の蔓で編んだ籠状の被せ物がぴったりと覆っていて、程よい座り心地を確保している。

 

今しがた新しい客の案内を終えたイブキは忙しなく注文を聞いては奥の炊事場までそれを伝えに走り、そしてまた新しい客を出迎えると言ったように休む暇もないようであるがその顔は活き活きとしていた。

 

普段山奥の寺のさらに奥の部屋に閉じこもっていることが多い身としてはその全てが新鮮で楽しく思えるようだ。

 

彼女は娘ざかり(十六~十八歳程度)ではないものの、どう見積もってもせいぜい二十歳程度にしか見えないその美貌や純粋そうな笑顔は幅広い年齢に受けが良く、この店を盛り上げている要因の一つになっている。

 

「…ぷっはぁー! たまらぬ!」

 

そして他の要因がそこにいる。

 

「おぉ、一心様だ」

「本当にいらしているとは」

「病床に伏せていると聞いていたが、まだまだお元気そうでなによりじゃ」

 

街にはかの剣聖一心がここに通っている噂が街に流れていた。

人々は近年、表にあまり姿を現さなくなった一心に会いたいがために噂を頼りに足を運んでいるのだった。

 

あまり広くない茶屋の奥の席を(どこから持ってきたのか)酒を片手に占拠し、その周りには彼を慕う人々が時折話しかけては甘味を肴に盛り上げていた。

 

 

…そう、()()である。

 

 

看板娘(?)や一心も店の評判を上げるのに貢献してはいるが、何よりここで出される甘味こそが一番の大盛況の要因に他ならない。

 

曰く、食べれば身体の節々が痛み歩くことが困難な老人であれ、たちまち大股で歩き出すと言う。

曰く、食べれば目を開くこともできないような重い病に伏せていようと、たちまち精気を得た顔で飛び起きると言う。

 

嘘か本当かわからない噂ではあるが半信半疑で訪れれば、こんな通い辛い場所にある茶屋になんと老人の多いことかと皆、目を見張った。

さらには病床に伏して()()という一心からここの話を聞いてしまえば疑ったことを恥じ、加えて一度自身で食べてしまえばその効力から噂が真実と確信する。

 

…そんなこんなでいつのまにかアシナの端から端まで知らぬ者はいないという程に注目されていた。

 

さらにある一組の主従も大きく貢献している。

 

「イブキ殿、お茶を淹れたのでお願いします。狼よ、このおはぎと団子を」

「はい」

「っは」

 

炊事場の奥から顔を出したのは頭巾を被った少年―――九郎だ。

彼から注文の品を受け取り運ぶのはイブキと、彼女と()()()()をした狼である。

 

「九郎様がおられるのも本当だったとは…」

「まだほんの子供というのに…だがあんなことがあった後というのになんと逞しい」

「それにほれ、随分と楽しそうじゃ」

「一心様とあの眉間に皺のよった用心棒もおられることだし安心じゃのう」

 

本来九郎はこのように炊事係として働いていいような身分ではない。

平田家が焼け落ちた後も本家の葦名家に保護され、まるで一心の曾孫のように扱われていた程なのだから。

 

…その一心がここでこうして酒を飲んでるのだから問題ないかぁーと皆が納得してしまっている所が、人徳故に成せる技(アシナクオリティ)か。

 

やはりアシナの中心に一心あり。

 

とにかく九郎のことを知っている者は皆、気になってはいるが「一心」という力技でどうにかなっていた。

 

さて、九郎の従者である狼の方はと言うと…眉間に皺を寄せながらもテキパキと仕事をこなしていた。

何も狼は接客業が嫌で眉間に皺を寄せているわけではない。

簡単に言ってしまえば慣れない事で額に力が入ってしまっているのである。

 

しかしこの姿は思いのほか人気があったりする。

老人の世間話は(眉間に皺はよってはいるが)嫌な顔せずにちゃんと聞いて応えるし、面倒なおばちゃんの絡みもきちんと対応する。

町娘にはどうやらその渋い顔と寡黙な性分は評判が良いらしく、頻繁に話しかけられるようなことはないにしても、顔を見に来る者が一定数いたりする。

 

そして理不尽な難癖を付ける輩(クレーマー)は仙峯脚によって一人残らず街道の坂を転がり落とされている。

それを見て人々は逆に安心感を得ているのだから全くもって強かなアシナの民である。

 

…実はその実力と、普段の恰好と違い手首まで隠しているとはいえ左手の義手の明らかな異質さ、気に入ったおばちゃんや若い娘が名前を聞いても「…言えぬ」としか言わないものだから忍びじゃないのかと冗談ながらも噂されている(大当たりである)

その謎めいた人となりが密かな人気に拍車をかけているようだ。

 

そんな最近の流行になりつつある茶屋「九十九(つづら)屋」は瞬く間に午前の分は売り切れてしまい、行列に並んだまま茶屋に入れなかった人々は無念の表情を顔に貼り付けたまま坂を下って行った。

 

「またのお越しをお待ちしています」

 

イブキはそんな人々を店先で丁寧に頭を下げて見送った。

 

「お疲れ様です。イブキ殿」

「お疲れ様でございます御子様。どうぞこれを」

 

イブキが店内に戻れば九郎が労いの言葉をかけ、その九郎の後ろより炊事場から出てきた老婆―――オボロがイブキに手拭いを差し出した。

 

「ありがとうございます九郎殿。お互いにお疲れ様ですね。…オボロもありがとう。アヤとキヌも一旦休ませてあげてください」

 

イブキの従者であるオボロら三人の老婆たちは茶屋を開くより前に彼女の前に姿を現した。

そして狼をイブキの下へと誘ったのがオボロたちであると明かしたのだ。

 

彼女らは忍びを使い、或いは自身の足で各地に赴き不死斬りの噂の発進元を探すと同時に「抜けば死ぬ刀」という偽の情報をばらまいていた。(結局これは逆効果だったのだが)

その中でムジナから狼のことを聞き、後に竜胤のことを知ったようだ。

 

オボロたちも本来イブキが口にするはずだった竜胤の蛇柿のことを気にかけており、それに苦しむ主従を知って行動したらしい。

所々で狼の人となりをそれとなく試し、イブキの下に行かせても問題ないと判断したためにオチの村へ通したという。

 

狼が梟や弦一郎の忍びをも退けるような村に無血で入ることが出来たのは、オボロがイブキの従者という立場を使って容認させたからに他ならない。

その後イブキと狼を村から見送り、ムジナを向かわせた後に、ムジナからの報告の文を確認してからオチの村に訪れていた商人と共に下りてきたのだ。

 

ムジナづてに茶屋を使った治験(通称おはぎ大作戦)のことを聞いていたので商人を利用してオチの村から役立つ物や、ついでとばかりに村の特産品なんかも持ってきてくれたわけだ。

 

そのまま三人の従者は九朗と共に炊事場を担当している。

オボロは炊事場にいるであろうアヤとキヌに声を掛けた。

 

「おぅいババァ二人。皿洗いの前に一休みじゃ~」

「おう、接客を若いの()に変わってもらったばばぁ(オボロ)は元気じゃのぅ」

「最初から最後まで同じ持ち場におったあんた(アヤ)が何でそんな偉そうなんじゃ」

「九郎様が腕を絶賛しなさったんで、天狗になっとるんじゃ」

 

三人がその役職に付いているのには他にも理由がある。

米の取り扱いを一般の人間に任せるわけにはいかないからだ。

茶屋をやる上での問題は米の正体を隠すことを徹底しなくてはいけないことだったので、信頼できる人間、且つ扱いなれている人間が必要だった。

それ程に豊穣の力で生み出された米は強力であり、梟にもそこについて強く念を押されている。

 

だからちょうど必要な人材が来てくれたということで、ここ最近は老骨に鞭を打ちながらやってもらっている。

 

ちなみに狼が炊事場に立つという話もあった。

というか最初は実際にそうしていた。

 

様子を見に来た梟がぐちぐち文句を言ってはいたが、狼は黙々と二人並んでおはぎを作る練習をしたのだが、意外にも調理の腕は悪くなかった。

なので、誠に失礼な話だが接客が駄目そうな狼は裏手に引っ込めさせたのだ。

 

…しかし想定以上に増えた客にオボロらの齢だとさすがに対応しきれなくなってしまったのだ。

九郎は立場上さすがに注文を受けて頭を下げるようなことはさせるわけにはいかなかったので炊事場で頑張ってもらっている。(しかし元々の()()()()()なのでそれなりの頻度で顔を出している)

 

イブキも本来は九郎と同様なのだが…本人の希望と、顔も名前も街では知られていないということで許可が出た。…真実は従者の面々が茶屋娘の恰好を見たかったということらしいが。

 

そしてここにいないエマなのだが、彼女は茶屋に通った人間から血を貰ったり、今回の治験の検証の結果をまとめたりと大忙しなのでさすがにここで時間を消費する暇はなかった。

 

エマはエマで各診療所を回って顧客の一覧を確認し、訪れる病人や老人に茶屋のことをさりげなく告知してもらうように頼んで回っている。

茶屋に老人が多いのはこのためである。

 

道玄の弟子としてその業界では顔が広いエマだからこそできることである。

茶屋で豊穣の力を秘めた甘味を食した前と後の変化を観察、検証できるようにも各地の診療所に協力してもらってるらしい。

 

「―――様もあの茶屋へ?」

「朝の分はもう終わってしまったようですぞ。それとも一心様をお探しに?」

「―――!」

「―――?」

「―――」

 

茶屋の外に出してある腰掛けで一休みしていたイブキは、(にわ)かに街道の坂下が騒がしくなっているのに気が付いた。

 

ちょうど先程下りていった幾人かが茶屋への坂道を上る誰かと鉢合わせたようで、その彼らと挨拶を交わした車椅子を押している大男が段々と近づいてきた。

 

近づいてきたことでその人物が、穂先や横に飛び出している刃に穂先鞘を取り付けた十文字槍を担ぎ、空いた片方の手だけで車椅子を押しながらこの坂を悠々と上ってくる様子が見える。

 

イブキはその人物が誰かわかったのか、歩いて近づき、声を掛けた。

 

「これは刑部殿。その後のお加減は?」

「おおイブキ殿!貴女のおかげでこの通りよ!」

「帰りは違う押し手を要求するよ。今みたいに何度も持ち上げられたらばばぁにゃ溜まらんよ」

 

大男はイブキに野太い声で勢いよく答え、自身の健勝ぶりを証明するように押していた木製の車椅子を高く持ち上げた。

当然車椅子には人が座っていたわけだが、当の持ち上げられた老婆は至って静かに、しかし辟易した様子で文句を言うにとどまった。

 

「お蝶殿!勿論帰りもこの刑部が責任を持ってお送り致す!」

 

大男―――名を"鬼庭刑部雅孝(おにわぎょうぶまさたか)"と言い、アシナ城に入るためには通ることを避けられない大手門を巡って狼と争い、そして敗れた男だ。

着物から除く体には今も痛々しく包帯が巻かれているのが見えるが、実際はほとんどが治りかけの状態である。

彼は体躯に見合った野性的な顔をしており、野暮ったい赤い鼻が特徴的だ。

 

「そうかい。じゃぁ帯革(ベルト)を貰えんかね。誰それの呼び掛けに応えるたびに椅子ごと振り向くのは止めない限りはね」

 

持ち上げられている間も器用に椅子から落ちないように体幹によって平衡を保っていた老婆―――お蝶は狼の忍びの技の師であり、彼女もまた刑部と同じく三年前に狼に敗れている。

彼女は長い白髪を頭頂部で団子のように纏め、そこからさらに背中に垂れ下がるように三つ編みにしているのが特徴的な老婆だ。

 

そしてつい最近まで昏睡状態にあり…目覚めるはずのなかった人間だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――イブキと九郎が出会った日の翌日

 

「儂は伝えたぞ。一心のやつも、()()()()()に判断を任せるとのことだ」

「…本当に。…争うことでしか乗り越えられぬものなのか」

「納得いかんか。だがワノ国とは今()()()()()()なのだ。国を恨む将と、化物のような賊が手を組み、支配し、そして国は緩やかに死へと向かっておる」

 

意図的に起こされた飢饉、格差、迫害、水質汚染など、問題を挙げればきりがない。

カイドウたち海賊はその被害から逃れられるのだろうが、このままいけばオロチ含めワノ国は確実に()()()

それは例えカイドウとオロチが死んでも現状避けられないと梟は見ている。

そう()()()()()()()()()()()

 

だから梟は一心と、そして九郎に提示したのだ。竜胤を抑える方法、延いてはアシナをワノ国から守る方法を。

そしてワノ国をも救うことになるかもしれない方法を。

 

(かなめ)はイブキの悪魔の実としての力。

本来梟は竜胤もその一要因として加えたかったのだが、一心と九郎、そしてイブキの協力を得るためにそれは断念せざるを得なかった。

 

力としての竜胤(ヨミヨミ)と、救いとしての豊穣(コメコメ)

揃えば今のカイドウの「とめどないゾンビの軍団」とも言われる手下どもなど比べようがないほどの不死身の軍団になるが、一心個人の戦力と天秤にかけてしまうならばそれも切り捨てられる程度であった。

 

「何故、弦一郎殿ではなく、私に…」

「あやつは行方が知れぬ…という訳だからではない。もうわかっておるだろう」

 

何を、と聞く前に梟は未だ困惑から立ち直っていない九郎とイブキたちを残して天守上階の間を離れていった。

梟は九郎がこの話に乗らないとは考えない。いや、そうせざるを得ない。そうする以外に根本的な解決など()()()()()()()()()()からだ。

今を凌げたとしても、どのみち一心はそう長くは保たない。それまでにワノ国が自滅するか第三者によって滅ぼされるのを祈るか。

決してないとは言い切れないがそれがただの他人任せの願望でしかないのは九郎もわかるだろう。

 

九郎は動く。恐らく梟の思い通りとはいかないかもしれないがそれでも動くだろう。

 

狙われているのが自分の力であり、それを打ち倒さなければ逃れることなどできないと今回の騒動で嫌でもわかったはずなのだから…

 

 

 

 

 

「…」

「御子様…」

「九郎殿…」

 

―――わかっておるだろう―――

 

梟はそう言った。

それは僅かながらもこちらの意を汲んでの発言ということは九郎にもわかった。

拒否すればどうなるのか?

恐らく九郎と、そしてイブキを手中に納めんと動くだろう。彼が語った中で、彼がワノ国で一定の地位を確立しているというのはわかっている。九郎がこの話に乗らなければ、イブキを含めた御子二人を巡ってアシナとワノ国双方に被害が出るのは避けられない。

 

だから常に騒動の中心にいた、そしてこれからもなるであろう()()()()()に判断を任せるのだ。

協力するのか、せずに破滅するかを。

それが出来る程に梟は権限と決意があり、そして迷う時間を与える程には多少の情けがあった。

 

 

梟が提示したのはワノ国への()()

 

 

血が流れることは、避けられない。

 

 

 

 

 

九郎は(うつむ)く。

 

自身の竜胤を抑える方法は梟から聞かされたのだ。

"海楼石"という悪魔の実の能力を封じる特殊な石を身に着けるだけでいいと。それだけで九郎は不死を失うのだと。

狼がその時どうなるかはわからないが、恐らく九郎が石を身に着けている間はに力を失うのではないか、ということも。

 

その気になれば容易に梟個人の力でも手に入れることが出来ると知った時は喜んだ。

少なくとも力を抑えることはできるのだと。

だが事はそう簡単ではなかった。

 

九郎の求める"竜胤断ち"―――ヨミヨミの実モデルドラゴンロットの完全消滅を実現しない限り、海楼石で抑えている程度や、或いはただ死んだ程度では他者がその力を手に入れる方法はどうしても残ってしまう。

死ねばこの世のどこかで同じ悪魔の実が生まれ落ちる。そして丈から九郎へと渡ったようにそれは再びアシナに出で落ちる可能性がある。

九郎は自ら死ぬことでこの責任を誰かに投げ渡すようなことは望めなかった。

 

現状竜胤断ちの目途が全く立たない上に、歴史的に見ても実現したことがない以上、なまなかには叶わない。恐らく数年ではまず無理だろう。

 

そしてワノ国の侵攻。

梟が言った通りそれを食い止めているのは一心という()()なのだ。

イブキの豊穣の力で延命したとしても歳を取りすぎてしまっている上に、あまりにも()()()に近づきすぎていた。

不謹慎ではあるが、一心の規格外の強靭さを考慮しても五年程度しか保たないというのがエマの判断だった。

 

…それを五年()()と皆が考えている辺り、一心の生命力に対する周りの認識が異常なのだが。

 

竜胤断ちを成せぬまま一心が倒れればどうなるかは目に見えている。

ワノ国はアシナに本格的に踏み込むだろう。

だからこそ、一心がいるうちにこちらから打って出ることが梟の示した道なのだ。

 

―――仮にその数年で竜胤断ちを成したとして、ワノ国がアシナに攻め込まなくなる、などということもまず()()()()()

梟はワノ国の二人の支配者の片割れの将軍、オロチのことをよく知っていた。

 

遠い祖先とはいえ、主にワノ国より流れてきた者が集って国となったのがアシナだ。

 

今やオロチは"復讐"の対象はワノ国の全ての民にまで及び、それにアシナの民が含まれている可能性は元々高かった。そして度重なるアシナへの武力行使の際のオロチの様子から、それが竜胤の力を得るためだけではなく、復讐なのだと梟は確信していたようだ。

 

九郎がワノ国の手に渡ろうとも関係ない。

元々ワノ国を、もといオロチとカイドウ()()()()()()()()アシナに夜明けはないのだ。

 

―――…そして()()()()方法はないと()()()()()()に梟は言葉を選んでいた。

少なくとも、九郎には。

 

「梟の言っていたことが全てではないだろう。だが、一心様がそれに賛同なされるというならば選択肢がないのも、事実だろう…」

 

一心は人斬りを極め続けた武人だが、同時に国を想う指導者でもある。

戦いたいがためだけに安易な方法に走るような人ではない。

信用ならない梟の話にそれでも乗ったということはつまり()()()()()()()()()、と九郎は思ってしまっている。

 

「…私は………」

 

 

 

「九郎殿」

 

イブキが九郎の名を呼び、その手をゆっくりと取る。

九郎はまだ顔を上げない。

 

それでもイブキは微笑みかける。

安心させるように笑いかける様子はまるで姉弟のようであり、母と子のようにも見えた。

 

「我儘を言っていいのですよ」

「っ…」

 

その言葉に九郎は俯いていた顔を上げる。

 

今やアシナ全土を巻き込まんとする大きな流れとなってしまっているが、願うものは変わらない。

突然の大波に飲まれて行き着く対岸を見失いかけてはいるが、ここにいる皆の前で九郎が掲げたのは"竜胤断ち"なのだ。

 

だがそれに辿り着くには争いは避けられない。

 

しかし梟は選択の余地を与えた。ならば選んでいいのだ。辿り着く結果に他の余地はなくとも、結果への辿()()()()()()

 

どう歩くかを決めるのは九郎だ。過程も手段もその意思も縛られる必要はない。

 

一心が九郎に任せたということは「言いなりになれ」という意味のはずがないのだ。

イブキはまだこの時はまだ直接会ったわけではないが、一心はそういう人間だと朧げにも見えてきていた。

 

争いは避けられない。まず竜胤を悪用させないためにも、そしてワノ国とアシナの民のためにも梟の言うカイドウとオロチを落とすことが最短で最良なのはおおよそ間違っていないはず。

 

 

では、ワノ国を最も血の流れぬ方法で瓦解させる道。

 

 

それを共に、探っていくこともできるのではないだろうか?

それは到底不可能な我儘なのかもしれないが…その我儘を通してはいけない、なんてことはないのだ。

 

少しだけ高い位置からイブキが慈しむように微笑んでいるのが九郎の目に入った。

そしてイブキは九郎のその迷い子のような目を見る。

イブキは語りかける。

 

「いいのです。九郎殿は、九郎殿の言葉を通して」

「…本当に、良いのだろうか。本当に、あるのだろうか。私は…本当はこの力のために血など流してほしくはない。だが、それを否定すれば狼の辿った道を否定することになる…。今更…かもしれないが、それでも。それでもなのだ」

「御意のままに…。御子様のただ思うがままに」

「…やはりそなたは変わらぬな。そうだな、私も、この決意を変えてはならぬな。本当に…私などには勿体ない従者だ…」

 

 

 

 

 

「九郎殿」

 

イブキは九郎が落ち着いたところで声を掛ける。一つ、提案をするために。

 

「私たちはまだ何も知らないのです。ワノ国も、そしてアシナのことさえも」

 

九郎もイブキも、アシナ中を好きなように動ける立場ではなかった。

多くの事を人づてに聞いてはいても、自身の目で見たことは少なかった。

だから九郎も、結果的に突き通したとはいえ弦一郎からアシナの現状を目の当たりにされて意思が揺らいだ時があったのだ。

これから先、それは命取りになる。刹那に迷えば敗れる戦いになる。

 

「直ぐに決める様にも言われておりません。九郎殿が提案したように、茶屋を開いて民を知ることも悪くはないのではないでしょうか」

 

皆が一瞬呆けたした「おはぎ大作戦」宣言だが、思えばそれも悪くもない。

市井に店を構え、イブキの豊穣の力で生み出した米の甘味を振舞い能力の影響をよく知るための案。まだ未知数の竜咳の予防にもなる可能性もあり、その検証結果次第では竜咳を完治させられる糸口となると九郎は考えていたのだ。

 

…結局、単純な豊穣の力だけで竜咳を退けられなかった場合の予備案になったのだが。

だがイブキはこれを九郎のためにも行う必要があると考えた。

 

九郎もイブキもアシナについて多くを知らない。

 

これから行動することはアシナに影響が及ぶ可能性が高いことだらけだ。

自身のせいで知らない彼ら(アシナ)は血を流す。

それは九郎の嫌う竜胤の特性より質が悪い。対象が顔を知る者(親しい者)ですらないのだから。

飢饉で顔も知らない多くの村民を失った過去のあるイブキは、自身の後悔を九郎に感じて欲しくなかった。

仕方なかっとは言え、もっと早くに決断していれば被害は減らせたという後悔が未だにイブキの背中にしがみ付いている。

何より亡くなった彼らの顔も、名前も知らなかったことを。

 

このまま梟の思うように運べばアシナ衆が血を流すことになる。()()()()()()死地へと走らせることになるのだ。

九郎が望まなくとも結果的に()()()()()()()()()のだ。

 

竜胤はこの渦の中心である。オロチやカイドウ、梟や一心は既にそうなど思っていないが、周りの認識は違う。

オロチの配下は竜胤のためと戦ってきた、梟の配下もそれのためと暗躍してきた。

竜胤のためにカイドウと一心はかつて殺し合ったのだ。

 

もはや九郎(竜胤)がその中心を動くことはできない。歴史の中で返すことのできない血を流しすぎている。

少なくとも互いの大義名分のどこかにそれ(竜胤)は顔を出すだろう。

 

だが流れ出たものは戻せないが、それを糧にすることはできる。

 

()()にできるのだ。

()前に進む(流れ始める)ために。

 

 

そして、そうでなければアシナのためと生きてきた弦一郎への冒涜にもなってしまう。

 

アシナを愛し、そのために何もかもを投げ打つ覚悟を持ち、そして実践した弦一郎への冒涜だ。

一体彼はどれ程の血を流し、無念を抱えていたのだろうか?

 

まずは知らなくてはならないのだ、アシナを。流れてきた血を糧とするためにも。

知らなくてはならないのだ、弦一郎の想いの強さの根源を。

 

九郎が決断するのは、それからでも遅くはないはずだ。できることならば、弦一郎とも…

 

その試みの中で多くを知ることで、かつてのイブキのように無知を恥じ、前へ進むための力になってくれると期待していた。

 

 

 

 

 

…さらにイブキは同時に九郎の心を癒すことも必要と考えている。

 

彼は少し、頑張りすぎた。

あの時、奇声(おはぎ大作戦)を上げた九郎の活き活きとした顔は未だイブキの脳裏に焼き付いていた。

衝動的で突発的で…とても子供らしくて…

 

「(竜胤の御子も、また…人なのですね。なんと、当たり前のことか…。不死断ちも、きっと…ゆえに迷い…それでも、選ばれたのでしょうね)」

 

イブキは九郎と会ったばかりとは言え、彼の人となりに魅入られた一人であった。

幼いながらも不死断ちという自死の道を目指した少年。

その小さな背中がなんと大きく見えることかと、どこか一歩正面から外れたような気持で対峙していた。

 

だけど九郎もまた年相応の子供なのだ。困惑し、迷い、立ち止まり、弱音を吐き、蹲ることだってあるだろう。

その一端を垣間見たイブキは自身の成すべきことを想う。

 

迷子にしない(迷わせない)こと。

 

迷えば敗れる。然らば迷わせず。

イブキは知見を広げさせる程度しか今はできないが、いずれ彼が迷ったときに自ら脱するための一助となれるようにそれまで寄り添うこはできると考える。

既に九郎は手を引くことも背を押すことも必要ない。だけどまだ全てを背負うにはあまりに早すぎる。

 

だから時に数歩先から呼びかけ、時には踏み出すための言葉を横で紡ぐ。

 

 

彼もいつかはアシナを導く一人となる。イブキはそんな気がしていた。

 

 

 

 

 

その後、暫定ではあるが()()()()を出したイブキたちは罹患者の集められた棟まで赴き、早速イブキの生み出した米による治療を試みようとしていた。

明朝から動き出していた彼らではあったが、予想以上に話し合いに時間を取られたせいで既に日は高く昇り、真昼九つと言ったところだろうか。

 

「…エマ殿、この白い液体は?もしや米を使っておるのか?」

「ええ、運よく霧を抜けてアシナに辿り着くことのできた商人の親子がもたらした外界の飲料一つだそうです。ライスミルクと言うそうで」

「らいすみるく?」

「米の牛乳という意味です。採食主義者や乳製品に対する抗原抗体反応(アレルギー)を持つ人々の間で普及している島もあるとか…本来油と塩を入れますが、今回はお薬としてなので抜いております。なので水と米をすりつぶしたものだけ…竜咳に罹ってしまっては米を噛むのも辛いようで、ちょうど良いかと思いまして」

 

九郎がエマの作っている飲料に興味津々と言った風に質問している中、イブキとムジナはそれに見覚えがあった。

 

「あぁ、もしやデニロとロバトのことでしょうか。父親が子の病を治すためにどこで聞いたのかオチの村へと足を運んで、今はそのまま二人とも元気に住んでいるのですが…彼らがそのらいすみるくを教えてくれたのだとオボロが言っていました」

「嬢ちゃん、デニーロとロバートだ。ついでにそこまで案内したのはあんたのその従者だぜ」

 

ムジナがイブキの言い間違いを指摘するが、九郎が今度はその言葉に聞き覚えがあったようだ。

 

「ふむ、市井で"ロバト爆竹"と言う名で売っている花火と関係あるのだろうか?イブキ殿?」

「ええ。天然水の"オチ水"と並ぶ特産品として商人と取引しています」

 

この"オチ水"には特に豊穣の力が宿っているわけではないが、アシナの民の習慣から上質の水はよく売れる。

一時、飲んでいると目が赤くなると言う流言があったようだが信じる者がほとんどいなかったのですぐその騒ぎは収まったとか。

 

「裏話をすんならその爆竹、実は忍びに人気だったりするんだぜ。なぁ?」

「…確かに、忍具として使っている」

「あら…どんなものも使い方次第なのですね…さて、出来ました。これを罹患者に」

「手の込んだ加工をしておりませんので、村の竜泉より高い効果が得られると思うのですが…」

 

エマがライスミルクを作り終わったために雑談は取り止め、罹患者に飲ませるべく移動する。

襖一枚隔てた先の一室に竜咳の罹患者を集めており、先ほどの会話の間も断続的に苦し気な咳が聞こえていた。

 

九郎からすればその咳の音は自身の罪の責苦にしか聞こえないはずだ。

それでも普段のように振舞えていたのはやはり豊穣の力に希望を持てたからか、それとも隣にイブキがいることで安心を得たからか。

 

九郎はイブキと並び、エマより前に立って襖に向き合う。

狼とムジナが横から襖を開け放ち、五人は血の匂いが充満する部屋の中へ踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし五人の心配など吹き飛ばすように竜咳は容易に去った。

咳の音がアシナ城から消えた日は珍しく雲一つない快晴だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――梟と朝まで語り明かした一心は諸々の説明を九郎にする役割を彼に押し付け、アシナ城の厩舎(きゅうしゃ)の裏手にある管理人小屋を訪れていた。

その足取りはどこか危なっかしいように見える…

 

小屋に入る前から馬鹿でかいイビキが聞こえ漏れており、戸を開けて迎えた当番の若い侍が苦笑いを浮かべながら一心を奥へと案内した。

若い侍に小屋から外すよう伝え人払いをした後、筵にイビキをかいて寝そべる大男の横に立つ。

この男―――刑部は信じられないことに抜き身の槍を抱えたまま眠っていた。

 

「起きんか!!!刑部!!!!」

「ぐぉ!?マ…マイネームイズ…ぐぉごあぁがマサタカぁが」

「勤勉な奴じゃ…夢の中まで勉学とはな」

 

妙な所で感心している一心は、起きそうで起きなかった槍を抱えて眠る刑部がいる部屋の奥の机には大量の書物が積まれているのを目の端で捉えた。

意外に思えるかもしれないが鬼刑部と畏れられたこのがさつそうに―――実際がさつだが―――見える男は本を読むことを好む。

 

元々葦名に名を轟かす賊の頭目であった刑部は、一心の強さに惚れ込んで召し仕えられており、当然字も書けないような有り様だった。

しかし一心が弦一郎を市井から見出し、刑部を傳役とした際にそれは凄まじい勢いで勉学に励んだ。

一心の期待に応えようとしたのだろう、その様子は弦一郎にも影響を与え、傳役というよりは共に励む学友のような関係になっていった。

刑部もその時勉学の楽しみを知ったのか、部下を連れて街に本を買いに行くほどでもある。

 

暫く蹴り飛ばすものの目を覚まさない刑部に一心はため息を吐いてやり方を変えることにした。

 

 

 

「……………!」

 

 

 

剣気(覇気)を刑部に放ったのだ。その剣気は的確に刑部にだけ飛びかかった。

 

「!!??ふんぬぁっ!!!!」

 

強烈な剣気に当てられた刑部は反射的に腕の中の槍を、それでも的確に一心へと向かって薙いだ。

寝起きとは言え鬼刑部の一撃だ。それは無色の剣気(覇気)を纏った、普通ならば防御などしようにも思えない強烈な一閃。

 

しかし一心は腰をほんの少し落として左手を迫る刃に伸ばすよう皺だらけの指を重ね…威力を殺すように肘や身体中の筋肉を震わせるように動かして受け止めた。

 

その音だけを聞いたならば人はこう認識しただろう。

 

―――刀を鞘に納める音がした―――と

 

鞘と切羽の合わさるような小さな金属音が聞こえるだけだったのだ。

 

「一心様…!?…また腕が上がったようで…!?」

「ようやっと起きよったか。しかし寝起きに槍を振っておいて言うことがそれとはな!」

「は、はぁいえ!つい見事な技を見てしかと目が覚め申した!!」

「こういう潔すぎるところは弦一郎は似てくれなかったのぉ」

 

刑部は慌てて寝起きのだらしない様を正すが一心はそれを一旦止めさせる。

 

「刑部!聞けぃ!」

 

 

 

 

 

おはぎ()じゃ!!!」

 

 

 

「………………は!?」

 

 

 

「…」

「…」

 

 

 

「(間違えたわ)」

「(酔っておられるな…)」

 

竜泉を飲みながら朝まで語り明かしたせいで一心も少々…いや相当酔っていた。

梟が途中で真っ赤になりすぎて飲むのを辞退したせいで二人分を飲むに飲んだ。

 

戦があることを喋ろうとして、豊穣の力の事も同時に思い浮かべたせいで(その時、梟がおはぎなんぞ持ち出すものだから)、見事に狼と同じことをしでかしたというのを一心自身が知らないのが唯一の救いか。

 

そもそも酔っていなければ一心とて起こすために剣気を放ったりはしない。

アシナ衆は皆先程のように反射的に攻撃するからだ。一心に刃を向けたと気づけば人によっては腹を切りかねない。

 

この後一気に酔いが醒めた一心は、今度はこともなく梟との会合について刑部に語って聞かせることに成功した。

 

 

 

 

 




この作品おはぎへの異常な執着心はなんなのか私にもわからない。
そしてもっと会話を増やしたい
話数を少なくしたいのでどうしても詰め込むような形になりますね…そこは課題です

長くなってしまったので話を分けました。(それでも長い)
次回は切り落とした分を一部再構成して続きを書きますが、一週間で済むものか…

ちなみに前回助言をいただきまして「・・・」表記を「…」に変更しています。
ちょっと試験的な試みなのでもし前回のままの方が良かった等、ご意見あれば是非ともお願い致します。


ちなみに梟は、オロチが外からアシナに辿り着く方法を知っていて、それは抹消できるものだということは九郎に伝えていません。ましてやオロチがカイドウにその方法を隠していることも伝えてないです。
隠していたオロチを裏で始末して、且つ今まで通りカイドウをアシナに辿り着かせないようにできてしまうので。
アシナにとって一番穏便に済むのはそれですが、梟にメリットがないのでやりません。ひどい。


九郎様はちょっと未熟イメージを前面に出してますが、基本は隻狼本編と同じ振舞いです。近くに母性溢れる心理カウンセラーが出現しただけ。

それと九郎様とイブキの関係はなんとなくイメージとしてアダムとイブに近いです。ただしエデン(アシナ)(一心)武神(剣聖)という脳筋(ワンピース)仕様。ひどい。



隻狼本編との違い(?)まとめ

甲冑武者:名前に他意はない。ド直球です。
梟:さぁアシナに攻める決断をしたな九郎!と思って様子見に来たらおはぎ作らされた。解せぬ。
刑部:お蝶同様生存(ワンピースクオリティ)。実はかなり勤勉家。
ムジナ:屋根裏や炊事場とは違う部屋で待機している。
九郎:念願の茶屋ルートに突入。ここに持っていきたかった。
オチの御子:自身の経験から九郎を導く四十代茶屋娘。年齢は気にしてない。
エマ:とても忙しい。市井の医者に顔が効く。ちょっとだけ茶屋娘の恰好をしたいと思っている。
狼:九郎様のため接客頑張る。割とこういうことも対処できると判明。相変わらず忍びとバレる。




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類同の鱗屑

また2週間ほどお待たせしてしまいました。先に言うならば次もそうなります。
お気に入り数も350近くですよ!投降の度に評価を頂けて本当にうれしい限りです。
追記:誤字報告ありがとうございます。 修正しました。


ではお手柔らかに。



タイトルの鱗屑は"りんせつ"でも"うろくず"でもどちらでも。

皆、似た者同士







「―――これはまた面妖なものがあるものですな、竜胤に収まらず……井の中の蛙とはこのことでしょうな」

 

冬空から落ちる弱々しい朝日が差し込む、土間が剥き出しの一室にて丸太を輪切りにしただけの簡易的な椅子に腰かけた刑部は言葉もないように呟いた。

 

竜胤のその異常な力は世界で言う氷山の一角にしか過ぎず、"悪魔の実"によって人を超えた力を得た者はアシナの外には嫌と言う程いる―――ということは刑部は知っていた。

 

そう、()()国盗り戦で戦った者ならば皆知っている。

翼を持った燃える竜と敵の親玉であろう伝承に伝わるような巨大で長大な竜。

他にも()で言う能力者たちはいたが、ワノ国からの最後の進行の際はその2人が特に際立った。

そんなものを見てしまえば今更驚くことなどないだろう。

 

刑部が「井の中の蛙」と表したことは能力者たちのことではなく、"豊穣の力"のことである。

竜胤も勿論異質と感じていたが、あの戦で攻め込んできた軍勢の能力者と同様に「暴力」という武力の面を強く認識していた。

 

しかしイブキの豊穣の力は違う。

まさに人を助けるための、"暴力"とは違う"救済"の力。

 

名の通り悪魔としての一面しかないと思っていた故に刑部は驚いたのだ。

 

「竜胤ではなく豊穣の力であれば弦一郎も…」

 

刑部は今は姿を晦ました弦一郎を想い、つい変えられない仮定の未来を脳裏に浮かべる。

 

竜胤はアシナに起こり得る出来事の節目に必ず関わっていた。

 

かつての戦でワノ国が本腰を入れ始めた時期も竜胤の存在が露呈してからであった。

()()()()に丈が竜咳により病死した後も執拗に攻めてきたのだから一概にそうは言えないが、きっかけの一つだったのは間違いない。それは梟の調査により判明している。

 

そしてアシナの内陸に前線を築かれ、ワノ国と睨み合っている最中にミナモトの宮の"()()()()()"()()()()()()()()時期も、竜胤の御子である丈が亡くなった直後であった。

元々丈とその従者である巴はミナモトの宮より流れてきた主従。

二人の死を何らかの方法で察知した故に"淤加美一族"が動いた可能性は高かった。

 

今回の九郎を巡る内乱もやはり彼が竜胤の御子であったからに他ならない。

 

きっとそれが豊穣の力に置き換わった所で同じことが起きたのだろうが、少なくともアシナを想う弦一郎ならば違う選択肢を作り出せたように思える。

その力を持つイブキも、それに力を貸す可能性はあった。

竜胤と違い、それはアシナに災厄をばらまくような力ではないのだから。

 

そんな妄想を頭の隅からも消し去り、改めて目の前で寛いでいる一心へ向き直る。

一心は刑部が己の話を飲み込むのを黙って待ち続けていたが、その迷いの振り切れた目を見て口を開く。

 

「やれるか?刑部」

「はっ!角のない鬼で良ければ喜んでこの()お預け致す…!」

 

そうして刑部は真新しい十文字槍を手に(こうべ)を垂れる。

 

刑部は今回の竜胤を巡る騒動は弦一郎のために動いていた。

勿論大手門を守るのは鬼刑部の役割。それは門が朽ちようとも不変であると豪語するだろう。

狼から見て果たして刑部が誰のために動いていたかなど分かりようもないが、実際に弦一郎のためと狼を葬る意気込みだった。

 

それは単純に現当主である弦一郎のためでもあり…何より勉学を共にした友のためでもあった。

一心が狼を手助けする最中、それを知って尚、刑部は弦一郎の友として狼の前に立ちはだかったのだ。

 

しかしそれも今や敗れた将の一人。

 

一命は取り留めたものの、気が付けば弦一郎は既に城を去っていた。

大手門を守れなかった自責の念から腹を切るつもりだったのだが、そんな時に一心はいつものようにふらった現れそれを止める。

 

 

―――角を折って仲直りといこうではないか!さぁ兜を出せぃ!―――

 

 

仲直り、とは竜胤を手に入れるために手を貸したことを一心は全て水に流してやるという意思を表した言葉だった。

突然のことにただ言われるがまま兜を出すと、そのまま左角の折れた兜の残った右角もへし折って刑部に返した。

 

 

―――さぁて、鬼が角を折った(鬼も角折る)のだからいよいよあやつ(弦一郎)ではなく、こちらのことを聞いてもらうぞ?のぉ、刑部―――

 

 

呆然としながらも、そんな洒落を言いに来たのであろうかと聞けば「二十年も温めておったわ!いつか言おうとして、結局今思い出したがな!」などと宣うものだから毒気を抜かれてつい自分の腹を切るための短刀を降ろしてしまったのだ。

 

かつて自身を魅了した若かりし猛将一心。

病により風前の灯火だというのに、それを全く感じさせない今の出で立ちがそれに重なった。

 

彼は一心より授かった十文字槍を返し、ただの(折れ角)刑部として再びあの時のように一心の後ろに立ったのだ。

 

 

 

 

 

…ちなみに新しい十文字槍を抱えて寝ていたのは()()()()()()()だそうだ。

"折れ角刑部"の新しい()と知られる日は近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

咳の音がアシナ城より消えた翌日。

竜咳の罹患者を収容していた隔離用の棟とは違う棟の中にある患者用の病室。

廊下側の障子を除き、三方を襖で閉じている所謂一人用の個室だ。

 

そういった個室は得てして死期が近づいている位の高い者に限って収容される場所だが、他にも入れられる条件はある。

 

そう例えば、昏睡状態で目覚める見込みのない者。

 

その病室にはつい昨日までその状況の中にあった老婆であるお蝶が寝かされている。

さすがに老婆の状況を労わってか、筵ではなく掛け布団が掛けられている。

…とはいえ木綿製ではなく、藁を中に詰めた和紙製の紙襖(かみふすま)ではあるが。

 

彼女は目を閉じて身体を休めてはいるが、何を感じ取ったのかその瞼をはっきり開けて襖の向こう側、廊下に立っているであろう人物に目を向けた。

そうして素早く上体を起こして言い捨てる。

 

使()()()()()ばばぁを見舞う態度じゃぁないね。あんたはいつもそうさ。未練がましくなったのかい?」

 

お蝶は襖越しに立っている男から僅かに憐情のような…いや気まずさのような感情を読み取った。

 

彼女は動作やそれに伴う音…例えるならば歩く時に出る足音や衣擦れの音などから()()()()()の感情をある程度読み取ることができる。

これは与えられた"まぼろしお蝶"という二つ名の通り幻術を得意とすることが関係している。

 

というのも、幻術というものは相手の感情を揺さぶるために使われることが多いからだ。

 

幻術自体にも種類があるが、大きく分けると精神に働きかける幻術と、直接外傷を与える幻術とで分けられる。

アシナの忍びが扱う幻術は()()()に前者。

非戦闘員、又は無力化された相手に対して有効な精神に働きかける幻術だ。

戦う力を失くした者に扱う幻術がどういった用途かは言うまでもないだろう。

 

これを扱うには術者は被術者についてよく知らなければならない。

相手を精神的に揺さぶることが出来る過去の出来事や執着しているものなど、何かしら()()となるものがなければ成り立たず、用意周到な準備がなければならないのだ。

そのためには事前の対象の観察も欠かせないことの一つであり、表情や仕草、癖やその時の精神状態をあらゆる方法で把握するようにしている。

 

とはいえ、視界にも納めていない相手、ましてやそのことを把握して普段から動きを調整している()()の感情を読み取ることは神懸かりと言えるだろう。

 

お蝶の言葉を受けて襖を開けたのは白髪の大男。

 

彼女を狼へと差し向けた張本人だ。

 

 

少なくとも梟は()()()()()()()

 

 

「お互い未練などとうの昔に霧と消えたろうに」

「そうかい?あたしゃ消えなかったさ、霧のように周りに漂っていたさね。あんたのことも、"()()()"のことも」

 

"あの子"―――ずっと互いに触れてこなかった内容だ。

急に過去を蒸し返したことに、梟は驚きを筋に一切出さずとも、驚いた。

 

「………なにが言いたい」

「"あの子"がここを出て行ってから、あんたはすぐ狼のやつを連れてきたね。倅と呼び、義父と呼ばせて、あたしはあんたがそれでいいならと、何も言うことはなかったよ」

「…おまえは結局一度も呼ばなかったな。その割には熱心に入れ込んでおったがな」

「言ったじゃないか。漂っていたんだよ、あたしもね。この国の霧みたいに囲まれ、晴れることなく…いい年して()()()が欲しかったんだね」

「…」

 

お蝶は言葉を区切り、静けさが二人を囲む。

聞こえるのは城の中、どこか遠くで慌ただしく駆ける女中の足音か声。

まだお蝶が言いたいことはわからない。

一人で喋らせることが近道だろうと思い、梟は口を(つぐ)んだ。

 

「あたしの周りから消えなかったんだよ。それは、あの夜の時もさ…三年前の平田屋敷、手を貸したのは終わらせるためさ」

「…なんじゃと?」

「あんた、最初から殺す気だったろぅ?あたしのことを。知ってたさそんなこと。」

「………」

 

お蝶が見抜いた気まずさとは、梟が未だその三年前の真実をお蝶に伝えていなかったからに他ならなかった。

死ななかったとはいえ、三年だ。

昏睡状態にあり、そしてつい先日起きたばかり。

 

「あたしもあんたを殺す気だったのさ」

 

梟は先ほどの言葉を受けて既に()()()()()()があって従っていたのか悟っていたため、そこに驚きはなかった。

納得してしまったのだ。彼女ならそうしてもおかしくはないと。

そう思ってしまうほどかつて二人はそれ程までお互いに()()()()()()()()()

 

梟が手引きした、主にワノ国の忍びで構成された私兵部隊である"孤影衆"をも使った平田屋敷の襲撃。

それは、竜胤の御子の力を強引に使わせるための舞台だった。

狼に留まらず、平田家の近しい者が死んでいく中で、九郎に竜胤を使わせる決断を後押しさせるための策でしかない。

 

子供一人にその責を背負わせることになるこの計画は、賊でさえ外道と言い切る程だ。

もし九郎のような聡明さと覚悟を持った子でなければ耐えられなかっただろう。

 

…それにお蝶が賛同したことは、今思えば違和感があったかもしれないことだ。

 

「一番の障害であり要の狼をあたしが討ったならば、あんたが逃げた(わざと逃がした)九郎の坊やを連れて来る予定だったからね。その時あたしはあんたを殺すつもりだったよ。あんたもだろう?幻術ならばあたしの方が上手だ…同じように不意を突き、終わらせるつもりだった。……結局、その前に()が親を超えて行ったがね…」

「…そうじゃろうな」

 

 

「(―――ただの恨み言か、それとも懺悔か…一体何を聞かせたい?)」

やりたかったことはわかったが、言いたいことはまだわからない。

ただの恨み言にしては違和感がある。お蝶らしくない。

勘違い、と言ったらそれまでだが、長い時を共有してきた梟にはそうは思えなかった。

 

―――それにしても…子が親を超えたか…それはなんとも―――

 

「…あんた今、羨ましいって思ただろ?」

「………」

 

梟は思わず眉間に力を籠める。

再度話が核心から遠のいたことに関してでもあるが、かつての戦の最中でも抑えてきた、今は己の中に燻る衝動。それを指摘されたからだ。

 

戦いの中にしか己の存在する場はない。

 

そう思わせる程の衝動が常にあった。それは一心の持つ闘争心と謙色ない程に…

 

だが忍びとは影の存在。

一心が表なら梟は裏。

鮮烈な戦いは求められず、狡猾で誇りなど捨てた、それでいて最小限で絶望的な致命傷を与えることが必要なのだ。

 

だけどその種火(闘争)は消えることはなかく、ずっとずっと柔らかい羽の内側を黒く焦がしていた。

本当は皆気づいていたのだ、彼の葛藤に。

それでも務めを全うする姿に、敢えて言う者はいなかった。一心を除いて。

 

「わしを殺して、その後はどうする気じゃった」

「なんにも。親子水入らずでみぃんな土の下さ。"あの子"がいないことだけが心残りに、なっただろうよ」

 

梟は今更の指摘(燻る闘争心)などは流し、口が軽くなったお蝶から言葉を引き出させようとする。

やはりまだ核心には届いていない。

霧のように周りに漂っていたと言うが、自身に忘れられない想いがあるというならば、一体何を思って実行しようとしたのか。彼はさっさと本題に入るようにと睨みつけ、促した。

 

 

その目を受けてお蝶が息を吸い込み、吐いた。

 

 

「あんたのその様を見せられりゃぁねぇ。()()ワノ国なんぞと手を組むわ、必要のない殺生を繰り返すわ。野心?そんなたまじゃないだろうに。じゃぁなんで狼を育てたんだい?己の忍びとして仕えさせるため?馬鹿言うんじゃないよ。あんたのあの目はどう見ても()()じゃなかったよ。あたしは"あの子"の代わりとさっきはいったがね、それはあんたもそうだったんだろう?(義父)は絶対、主は絶対…恐怖は絶対……どうして捨てられないものを二つも持たせたんだい?どうして復讐をさせようと思ったんだい?あんたが()の主を奪い、復讐させるためみたいじゃないか。だってそうだろう?()の主を決められるのは()でしかなく、そしてその時既に(竜胤)を欲していたのも、あんただったじゃないか」

 

 

梟が定めた"忍びの掟"。

 

一つ。

親は絶対 。

逆らうことは許されぬ。

 

二つ。

主は絶対 。

命を賭して守り、奪われたら必ず取り戻せ 。

 

三つ。

恐怖は絶対。

一時の敗北はよい。だが手段を選ばず、必ず復讐せよ。

 

 

この掟は最初から全てを定めていたわけではない。

 

あの日、狼を拾った時に一つ。

九郎が竜胤を持つことを知った時に一つ。

そして九郎の元に狼を就ける前に一つ。

 

そうやって積み上げられた狼への枷だった。

その鎖は、未だ梟へと繋がっている。

 

 

「あんた………自分の子に殺して欲しかったんだろう?」

 

彼女はもう一度息を吸い、吐いた。

目を閉じ、過去を思い起こすように言葉を繋げる。

 

「…許せなかったんだろう?自分を。"あの子"の苦悩に気づいていたくせに、打算的に感情を利用し、最後には人知れず去る原因となったことを。忍びとしては何も間違っちゃいなくとも、"親"としては最低さ。そうして自己満足の罪滅ぼしとは恐れ入ったね。()を得て、それからはあんたあの時のワノ国の連中とおんなじ役割を()()()()()よ。…如何に斬られようか、如何に斬られるべきか。そんなこと考えてたもんだからいつのまにかあんたはあの国盗り戦に(なぞら)えて、()()()()()()()()()()んだよ。自身の演技に酔いしれて、御伽噺の竜にでもなったつもりかねぇ?気付いてたかい?」

「………」

 

梟はやはり応えない。

自身が気づいていなかったことを言い当てられたからか、はたまた自身の歪みをお蝶が気づいているとは露ほどにも思っていなかったからか。

 

例えば梟が目的を達することができたところで、その後はどうしただろうか?

 

 

()()()()()()()()()()()

 

何故ならその野心とやらは最初から空っぽの、中身のない目的でしかないのだ。

 

自身の武名を世に知らしめる?

ただ腑抜けながらゆっくりと死ぬという未来に耐えられなくなった?

そんな理由で梟は裏切りを決意などしなかっただろう。

一心も梟の心根を知っている故に、その疑問から直接排除に乗り出すことは気が進まなかった。

…これは巧妙に避けられていたという理由もあるが

 

 

―――彼は…いや()()は自身の"娘"を失っている。

死んだわけではない。彼女は自ら親の元から去ったのだ。

 

国盗り戦の最中、娘は長年共にした相棒に庇われ、"彼"は命を失うことはなかったが()()を失くした。

"彼"は失くした左腕の代わりとなる牙を求めた。そして彼は新たに手に入れた牙を使い"修羅"と化した。

ただ凄烈に、それでいて凄惨に殺し、死をひたすら積み上げていく相棒の姿を見て彼女は自身の罪を知ったのだ。

 

そうして彼女は戦の終わりと同時にアシナを去った。

どこへ行ったか、残されたのは彼女のために(左腕)を捨てた忍びの男と、娘を失った二人の親だけ。

 

間も無く、娘の父である梟は戦場で飢えた狼を拾い、(義父)として熟達の忍びに育て上げた。

娘の母であるお蝶はその飢えた狼の忍びの技の師として刃を交わし、育て上げた。

 

そんな中梟は()に殺して貰うために、狼が自身を噛み殺すための場を作り上げていく。

初めはワノ国との接触。そして次に竜胤の御子である九郎の出現。

まさにワノ国と竜胤という、国盗り戦を擬える要素は渡りに船であったのだ。

 

間も無く一つ目の掟と矛盾する二つ目の掟を作り、来るべき時に備えるために平田家に取り入った。

そして三つ目の掟を作り、いつか狼の復讐の刃が胸を貫く時を待った。待つはずだった。

 

しかしこれは(はな)から狂った想い。

自身の狂気に身を任せて、梟は敵を演じようと動き続けたがために、()()()()()()()()()()()()()()

手段が目的に変わってしまったのだ。いやどちらも目的になったのだ。

 

そしてさらに不幸にも、梟は戦いに喜びを、生きる意味を見出していた男である。

老いてその性分が薄れることもなく、つかの間の平和で燻っていた本性は狼という薪を得て燃え上がる。

 

結果、彼はワノ国を手中に収めるために竜胤を求めると言う自分の"嘘"を叶えるべく動き、狼との心躍る本気の戦いを求めながらも子に殺されることを懇願するという四分五裂(しぶんごれつ)の男としてアシナに立っていた。

 

…お蝶は、それに気がついていたのだ。

 

「そうやって己を見失い、己を惑わし、アシナから外れ、忍びからも外れて、ついに人道からも外れるあんたを終わらせるのがあたしの役目だとおもっていたんだよ…()殺しなんぞしようとしたあたしも…結局、同類だがね」

「…」

 

今度の沈黙はより静かで、重かった。

 

狂った老人を殺す老人。

ただ想うが故に。

 

自身の苦悩、衝動、狂気、悲願。

それらを理解できる人間など、どこにいるはずもないと梟は思っていた。

 

だが理解者はずっと近くにいて、そして殺してくれると言ってくれた。

普段の彼ならば最も自分を知る人間と認識し、口封じとして躊躇なく殺しただろう。

 

だがそうするには多くの時間を共有しすぎていて、そして一心との語らいが彼の心の枷を軽くしていた。

どちらも三年ぶりの語らいであり、如何に梟とて感傷というものはある。

 

 

今の彼はただの、老婆のかつての夫だった。

 

 

 

 

 

「………おまえが言いたいのは…………儂がもう、止まるべき…ということか?」

 

 

 

 

 

だからこんな風に、彼らしからぬ言葉が出ることもきっとあるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いんや?」

「………ん?」

 

「勝手にすればいいんじゃないかねぇ?」

「……ん??」

 

「いやねぇ…ただの苦情だよ。言いたいこと言っただけさ。そもそも目が覚めてすぐ一心と刑部から大方聞いてたから、やつらとどう料理するか考えてたのさ」

「(じじばばども!)」

 

三人寄れば文殊の知恵と言うが、忍びとして頭の切れるお蝶に、勤勉な刑部、数多の人の心を惹きつけ率いてきた一心が寄ればもはや梟叩(ふくろだた)きだ。

的確にトラウマを刺激し、さも理解者の如く振舞い、見事弱音まで吐き出させると言った段階まで持ち込ませることに成功しているのだから恐ろしい。

 

ここまでやっておいて最後には放り投げられる。慈悲はなかった。

 

さすがの梟も阿呆面を晒してしまい、ちょっと傾きかけた自分の貧弱な心をそれはもう恥じた。

覚えてろよこのばばぁ。

 

「…そういやあんた、酒臭いよ。それも極上の。さっきまで飲んでたようだねぇ?……そういえば、一昨日も朝まで一心のやつと飲んでたそうじゃないか」

「あのじじい(一心)…吐きおったか!」

 

カカカッと笑うじじぃ(一心)が梟の脳裏に浮かんだ。

絶対に梟が酒を隠し持っていることに気が付いてやったのだろう。

 

「うんと昔愚かにも一人でこそこそ酒を飲んだ大馬鹿モンがどうなったか忘れたとは言わせないよ…ほら、持ってきな。………どうしたんだい?その自慢の注連縄(髪の毛)を城の門にありがたぁくこさえられたくなかったらね。それともその蓑の羽を毟って弦一郎の枕に詰められたいかい?…そうかいどっちもかい…そうだよ、さっさと行きな。言っただろう。(竜泉)がこの老いぼれに良く効くことも、もう知ってんだよ。…文句言ってないで行きな!」

「う、ぐぬぅ…ぇえい!」

 

 

梟もかつての妻の前では、ただの尻に敷かれる夫でしかなかったようだ。

三年振りに―――体感的にはずっと短いが―――酒を、しかも極上の竜泉を飲んだお蝶は非常に御満悦だったそうだ。

 

 

 

…素直に従ったのは、きっとこんな風に悪だくみの振りをしつつも、気を使ってくれたお蝶に対する感謝の気持ちだったのかもしれない。

 

お蝶は梟を許してなどいない。

だが彼に必要なのは許しではなく、今の彼を黙認という形であれ認めることなのだろうとお蝶は思っていた。

 

 

少なくとも、二人から娘を奪ったワノ国と雌雄を決するまでは…

 

 

 

 

 

―――恐怖は絶対。 一時の敗北はよい。だが手段を選ばず、必ず復讐せよ―――

 

 

 

 

 




カイドウとオロチが梟と組んだのは似た者同士だったからでしょう。お蝶もまたそう。
鱗(りん)が関わる人は破滅願望者ばかり。




…梟のことを熱く語っていたら、気づけば終わっていた。あ、あれ?
本編の梟は野心のため、今作では家族のために狂い分裂した男になってます。水没はしません。

大元の梟とお蝶の考察はある考察サイトのお方の考察が心に残っていたので、それをうろ覚えながらベースにしつつ、この世界観用に構成しています。なんとなく見覚えのある方もいたかもしれません。こういう場合の参考(?)元様の扱い方が分かりませんので、アドバイス頂ければ幸いです。


隻狼との違い(?)まとめ

淤加美一族:いにしえではなく国盗り戦の折に攻め込んだ。案の定ワノ国と三つ巴に。
孤影衆:内府の忍びではなく、梟がワノ国の忍びを丸め込んで立ち上げたアシナ混合の私兵部隊。
刑部:"鬼刑部"から"折れ角刑部"へ。槍も一心に返し、新しい十文字槍に変えた。
梟:悲願のために空っぽの目的を生み出してそれに余生を捧げていたが、昔の女に暴くだけ暴かれてフォローされることなく放っておかれてしまった老人。
お蝶:ちょっとアイリーン(bloodborne)入ってる。狂ってしまった昔の男と刺し違えるために平田も狼も犠牲にした。(この二人は九郎様に刺されても文句は言えない)
隻腕の忍び:一心でなく、ワノ国の"燃える男"から相棒を庇い腕を失う。後悔からかつて二人の修行場で見た仏を彫っているという。"泣き虫"の音を想い彫る仏の貌はいつだって泣き貌だ。
あの子:本編では猿に食われたらしいが…?
弦一郎の枕:加齢臭がするがすごい寝心地が良さそうな柔らかさになってた。
イブキ:本当は出番があったけど持ち越しに。申し訳ない。






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葛折街道

20日と1日お待たせしました。

そういえば途中で止まってたワンピースの単行本を全部購入して読みましたよ!
今までだいたいまとめサイトとかで確認している知識だったので…

知識としては大して変わりはないですがいい刺激になりました。
やっぱり面白いですねぇ。

※後書きの補足事項に追記しました。
※誤字を修正しました。

さて、タイトルの「葛折」は「つづらおり(九十九折り)」と読みます。
何重にも折れ曲がって続く坂道の事を表します。







金剛山の山頂に一つの忘れられた宮がある。

そこは同じ地に住むアシナの民ですら長い間誰も訪れることがなかった聖地。

 

まるでカルデラ湖のような円状の窪地にできた湖の周りに沿って、荘厳な神社が建てられている。

しかしそれはよく知るアシナの建築様式より遥かに古いもののようだ。

 

湖沿いにはそれら全てを見下ろすように、根が一部水に浸かっているあまりに巨大な桜の木が一本ある。

 

この美しい神社の周辺には、本殿の正面を起点として扇状に広がる様に民家などの生活感を感じられる建物が並んでいた。

その家々の合間を縫うように湖より流れ出た水が町中を這っており、その行き先は底も見えない滝に繋がっている。

 

ここより流れ出づる水は正にアシナの民が愛する水の源流。

この島、いやこの国を古くから支えてきた豊穣の水だ。

 

それはこの"ミナモトの宮"の住人も例外ではなく、多くの水に恵まれているにも関わらず生活用水はできるだけ最低限、生活排水も浄化を徹底しており、アシナ全土へと流れる水に淀みが生まれないように気を付けていた。

これはもはやアシナに古くから根付いている仏教に続く第二の宗教なのだ。

 

水への信仰…つまり自然への信仰が仏教と共生しているのだ。

この神仏習合の形態はアシナの地にて形成されたものではなく、この地を拓いた仙峯上人によりもたらされた宗教観念だという。

 

諸々は割愛するがアシナの民にとって、水は尊ぶべき信仰の対象であり、隣人なのだ。

 

話を宮へと戻すが、よく見るとこの湖の円周上に配置された社殿は最初からその配置を意図していたわけではないことがわかる。

 

湖の中心に呑み込まれるように、半壊して老朽化した建物が沈んでいるのだ。

本殿の目の前にそびえたつ巨大な桜も、見れば大枝が何か強い力が加えられたかのようにへし折られているようにも見える。

 

まるでこの湖自体が"()()"の抗いがたい力によって押しつぶされたことで出来上がったようにも思える。

 

そしてそれは事実、何も間違っていない。

美しい蓮華(れんげ)が花開く湖の上で今、その"何か"が体をうねらせていた。

 

 

 

 

 

 

―――ミナモトの宮の外縁部にある町。

人々の雰囲気は普段の穏やかな物ではなく、普段途切れるはずのない町中から聞こえる笛の音も今は聞こえてこない。

代わりに硬い金属がぶつかり合うような甲高い不協和音や、何か巨大なものが這いずり回る音が聞こえてくるばかりだ。

そしてどういうわけ急速に空は曇り始め、今に雨でも降りそうな天気模様になりつつある。

 

町民である魚人や人魚の彼らが不安そうに空を見上げる中、烏帽子(えぼし)を被った上等な衣服の魚人や人魚達が町中を走り回って人々に何かを言い聞かせていた。

 

「皆、中心の湖から出来るだけ離れよ!!この地区の者は"朱の橋"の八尾比丘尼(やおびくに)の元まで!!」

磯禅師(いそのぜんじ)様!一体何があったのですか…!?」

「"ぬし"の世話係の姉妹か!?上人様(しょうにんさま)がどこぞの浪人と戦っておられる!宮の湖上で!」

「なんと…よもや上人様が直々に…!?」

「其の方も姉と父を連れて避難せよ!侮ってはいかん!また一つ湖が増えるかもしれん…!急げ!!」

「は、はぁっ!!姉上!父上ぇ!すぐに―――」

「静様!!静っ!!」

「ここだ、磯禅師」

 

磯禅師と呼ばれる高齢の女性人魚がとある名を叫べば、空を駆けるように一人の人魚が飛び降りてきた。

蹴鞠を抱えた白鯉の人魚である中年の女性"静"は彼女と同じように烏帽子を被った高位の者で、そしてその位は「長」。

つまりこのミナモトの宮で()()()に位の高い人物だ。

二人は業務的な報告を口早に済ませた後、静は崩し敬語で話始めた。

 

「母上もすぐに橋の方へ、後は若い者で事足りるでしょう」

「おまえはどうする?」

「私もしばらくはここに、しかしその後は…」

 

静は湖のある方へと顔を向ける。

今も絶えず硬い金属がぶつかり合う音が響いてくる。そして地響きと這いずり回る音…。

この音を聞けば特に古くからいる宮の者たちは震えあがってしまうのだ。

 

時に震えながら壺に入り込んで出ていこうとしない男を、力持ちな魚人が壺ごと抱えて避難させていく。

時に大柄な魚人が湖上が戦場故に"ぬしの色鯉"の末路を想像して決死の想いで止めに行こうとするも、二人の娘に引きずられて避難させられていく。

 

そんな光景を目の端に捉える。 

誰もが侵入者なんぞよりも"上人様"が戦うことで出る被害を恐れているようだ。

 

それでも長である静はその戦いから逃げるわけにはいかない。

 

静はその地位に見合った実力を持っている。

宮の中でも特に遠くから相手に致命の一撃を放つ技を持つ強者だ。

忘れられた宮とてやはりここもアシナ、むしろアシナの源流とも言える場所故か実力主義なのは変わらない。

 

静は"上人様"の邪魔をするつもりは余程のことが無い限りしないのだが…もしも、万が一にも"上人様"が敗れることがあれば次は自分の番なのだ。

 

"上人様"が敗れる相手に静ではあまりに荷が重い。

横槍を嫌うお方だが不意打ちで遠方から仕留めるための手助けをすることも考慮しなければならないでしょう、と静は覚悟を決めた。

 

「…そう、静。上人様に巻き込まれないように気を付けてね…」

「やれやれ…まぁそっちの心配をしますよねぇ…」

 

走り去る母を見送りながら静は、一体何故上人様が出張ったのかと考える。

 

―――あの方が早々に宮に起きる出来事に干渉することはあまり聞かない…国盗り戦の件や十三年前の()()()()に当て嵌めるならですがねぇ…何か琴線に触れることでもあったのか………となるともしや、竜胤関係ですか?―――

 

そこまで考え、しかしどうせすぐ見ることになるのだからと、頭を振って思考を止める。

近くを走り回っていた部下を呼び止め、一言、二言伝言を残した後、静は空中を蹴ってまるで空を泳ぐように湖の方へと飛んで行く。

 

見上げるまでもなく雲は分厚さを増しているのがわかり、雨は降り始め、雷の音が低く轟き始めている。

その雲と雷の様子に見覚えしかない静は、これまた面倒な客が来たものだと空を蹴る速度を速める。

 

高く昇っていく彼女の眼下の湖上では()()()()()()()と、一人の()()()を背負った浪人が(しのぎ)を削り合っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アシナの気候は少し特殊だ。

どうにもこの島は、低い位置程寒く、高い位置程暖かくなると言う気候があるのだが、単純に天地の寒暖が入れ替わったと考えてもらえればいい。

 

そのため最も標高の低い港と海上では、周辺の海上から流れてくる暖かく湿度の高い風のために常に広範囲に()がかかり、そのせいでこの島は目視による発見が非常に困難である。

 

また、島特有の"磁鉄"を含む地層が多いためなのか記録指針(ログポース)に記録され辛い、所謂磁気が変動する島なのだ。

だからこそ()()の航海方法では辿り着くことは限りなく確率の低い運任せとなってしまう。

 

では上空には雲はかからないのか?と言えば否である。

 

先程天地逆転の例えをしたのだが、その実態、アシナは冬島なのだ。

そのためどちらかというと、なんらかの理由で山頂付近が温められているということになるようだ。

 

なので山頂より上ならば普通に雲もかかり、雨も降る。

山下のアシナに雪が降る時は、山頂より下にできた低い雲か、或いは山のある場所を避け、ぽっかりと穴が開くように雲が形成されそこから降ることとなる。

 

 

だが今、このミナモトの宮の湖上にできている黒い雲は明らかに低い位置に()()()()()()()()

 

「…!!……!」

「…」

 

硬い金属のぶつかり合う甲高い音…それは刀や剣同士がぶつかり合う音ではない。

 

「……!…はぁっ!!!」

「…」

 

赤い弓を背負った浪人姿の男が刀を振る。あるいはその背負った大弓に矢をつがえ、放つ。

 

「はっ…!……!!!」

「…」

 

しかしそのどれもが弾かれ、いなされ、又は打ち払われる始末。

 

立ちはだかるは"大百足"。

その全長はもはや数十メートルに及び、その岩のような暗灰色の甲殻を武器として、そして鎧としてうねらせる。

 

そこにはその巨体と見合わないような繊細な技術があるらしく、刀と矢の威力を、甲殻を這わせるように受け流していることが分かる。

 

さらには決して水深の浅くはない湖上だというのに、長い身体を滑るように水面を撫でながらうねり、どういう訳かその場に留まり続けている。

 

この大百足、単に百足を大きくした外見ではなく、見れば所々百足の足がヒレのようになっていて、足にも水掻きが見て取れる。

それらによって身体全てが沈む前にうねらせ、水を掻くことで沈まないようにしているようだ。

 

"彼"は間違いなく能力者である。

にも関わらず、その超重量と長さをものともしないように水上に留まり続ける。

それでいて半身は蛇が鎌首をもたげるように天高く持ち上げていると言うのだからあまりに恐ろしい。

 

そうしてこれまで何度もあったように浪人姿の男が大きく弾き飛ばされ、半ば沈んだ建物にぶつかり、止まる。

 

浪人のような姿をした男―――弦一郎は決して弱くはない。

その剣気(覇気)たるや見事なもので、その若さで一心の教えである武人(むろうと)(無人)の境地に達した上でそれは練り上げられ、研ぎ澄まされている。

 

普通ならばその巨体と言えどするりと断ち切っていただろう。

ただ相手が目の前の暗灰色の大百足でなければ…

 

であれば弦一郎にとって有効打を打てるのは弓であった。

大弓は硬く厚い鎧であろうと貫く程の威力を持つ。

ましてや弓の名手と知られる弦一郎が剣気を纏わせて放てばその威力は如何程か。

 

しかし未だに幾度と放っているにも関わらず大きな傷を与えることはできていない。

 

これは威力が不足しているわけではなく、既に()()()()()しまっているからだ。

その証拠に、最初の一本だけ甲殻の一部にめり込む様に矢が刺さっていた。

 

だがそれだけだ。

後は全て巨体をうねるように弾かれ、表面に浅い傷を付けることがせいぜいだった。

 

「はぁっっ!!!」

 

しかし弦一郎は手を止めない。

巨体による突進を紙一重で躱し、冗談のような威圧感を持つ薙ぎ払いをなんとか剣気を纏った刀で受け流す。

それらを湖上で朽ちた建築物の残骸の上を飛び跳ねながらこなしているのだから凄まじい。

 

斬る。躱す。飛ぶ。受け流す。全身全霊を持って。

 

懐に飛び込み、何度も刀を振るう。

 

そうして振るうは連撃。

葦名流では"浮き舟渡り"と呼ばれた異端の流派技である。

本来このような硬い相手には()()()()()()、手数で圧倒するための技だ。

 

「…」

「…っう!……まだだ!!」

 

最早血に染まらぬ箇所はないと言う程に赤くなった弦一郎は、それでも引かない。

その姿と気迫はまるで鬼のよう。

湖沿いにある巨大な桜の大枝の上で見ていた静が、思わず震えるような気迫(覇気)を漏れ出させていた。

 

そして彼女はそれらの行動の意味も正確に読み取っていた。

 

ちらりと彼女が空を見上がれば、その剣の連撃の()()()()()()()()()()()()によって集められた雲が既に辺りを覆っている。

そうして放たれる技は決まっている。

何故ならそれはミナモトの宮より持ち出された技なのだから。

 

言うまでもなく、仙峯上人も気が付いているだろう。

 

「………っ!!!!」

「…」

 

弦一郎とてそれはわかっている。

元々ミナモトの宮より降りてきた少年の従者に見せられた技なのだから知らない訳が無いだろうと。

 

それでも引くわけにはいかなかった。

 

彼はそんな血みどろの視界の中で、あの日の声だけが想起される。

 

 

 

――――刀の風を切る音と、ぶつかりあう音を、ミナモトの宮の貴族の()()()()笛の音に重ねて振るうのさ。調子を整え、途切れさせることなく奏で(振るい)続ける―――

 

―――刀の…音色?―――

 

――――弦ちゃんにはまだ難しい?――

 

――――すぐに覚える…!…だから……病なんぞで、死んではだめだ――

 

 

 

朽ちた不安定な建物の屋根を走り、飛ぶ。

さっきまで立っていた屋根は面白いように吹き飛び、水上を水切りのように跳ねて対岸へとぶつかり弾け飛ぶ。

着地と同時に空中でつがえていた矢を大百足の目元に放ち、避けさせることで上体を逸らさせ、次の時間を稼ぐ。

 

 

 

―――私たちはね、心臓の音が止まれば小舟に乗せられて水に流されるのさ。アシナに流れる川じゃないよ?裏手の、海へと真っ直ぐ流れ落ちる川の方さ…死後はせめて閉ざされた宮から自由になって"外"へと渡れるようにって。身体は遺体は鳥や魚の餌になるんだけどね。魂の一欠けらはその時、浮いた小舟に乗って海を渡ると言われてるのさ―――

 

―――それが、"浮き舟渡り"とよばれているのよ―――

 

―――浮き舟渡り…?―――

 

―――そうして魂の一欠けらは浮き舟で海を渡り、残された身体は鳥や魚の一部になり、彼らの養分となってやがて水へ溶け、そうしてアシナを囲う海上の雲となりこの国を守り続けるのさ―――

 

 

 

飛び回りながら今度は空中で矢を連続して放つ。

まるでこれではあの狼のようだと思う。

威力は先ほどより出てはいないが、だとしても剣気を込めた矢だ。目元ならば驚異のはず。

 

およそ躱すであろう位置を今まで戦ってきた勘から狙い、さらに三本の矢をばら撒くように放つ。

 

だが大百足は予想の上を行く。

今度は長大な身体を高く伸ばし、自身を錐を回すようにくるりと一回転させれば全ての矢が弾かれた。

その勢いのまま鋭い牙を持った、岩のような暗灰色の頭部がこちらに向かって薙ぎ払われ、迫ってくる。

 

回避―――間に合わない!

一瞬で無色の剣気(覇気)を刀と身体に纏わせ、それら身体に纏った剣気を刀の接触点となるであろう箇所に全て流れ込むように注ぎ込む。

 

瞬間、凄まじい衝撃が刀を伝い弦一郎に襲い掛かる。

 

意識は飛ばさない、飛ばしてはならない。確実に()()()

刀以外の剣気は全て接触点に流し込んでいるためにひどく無防備だ。刀を手放せば欠片も残るまい。

もはや目の前が真っ白になって何も見えない程の膨大な衝撃と剣気に襲われるが、それでも刀と百足の牙の接触点に剣気を一気に流し込み、弾く………!

 

 

 

―――あぁ…あの渦雲……上人様の雷がひどく懐かしい。…宮はみんな引きこもりだけど、とてもいい場所なの…私の故郷なのさ―――

 

―――………巴がここを好きになるように、ここの土に身を(うず)めてもいいと思えるような国にするから…今は戦続きだけど…必ず平和な国にするから…だから、まだ死んではダメだ。丈兄様だってそれを望んでいなかった―――

 

 

 

僅かに上へと逸れた巨大な牙の下を潜り抜ける。

頭部は振りぬかれているはず、雲は…?

 

目の前の"真っ白"から視力が戻り、見上げれば逸らされた勢いのままさらに回転して威力の乗った頭部が振り下ろされる瞬間を見た。

百足の暗灰色の身体の向こうの…黒い雲…!

 

 

 

―――楽しみにしてるね?―――

 

 

 

「…っ!!!!!!」

 

ようやく見えた…動きの癖…!

目が回復する前から飛び退いていたために叩きつけられる範囲から辛くも逃れる。

足場であった朽ちた建物は粉々に吹き飛び、凄まじい程の水柱が打ちあがり、その身に叩きつけられる。

 

かつての国盗り戦で聞いた話によれば、"能力者"と呼ばれる者たちは水に浸かれば力が抜ける。

 

頭部は一時、水の中。

今しかない…!

 

 

アシナ()のために…!!(アシナ)の雷、見せてやろう……!!」

 

 

 

彼女は死んだ。ただの流行り病で。

まるでそう、自身の親の記憶はないが…母のような人だった。

 

 

 

弦一郎は半ば沈んだ鳥居の柱を蹴り登り、そこから飛び上がる。

構えるのは刀…ではなく赤い大弓。

矢を天高く持ち上げ、そして次の瞬間、光と轟音と共に雷が掲げた矢に落ちた。

 

弦一郎はそこからは光の如く一瞬で矢をつがえ、狙い、放った。

 

それは満身創痍の男が到底できるとは思えない程の神業と言えるだろう。

ただ雷に打たれれば良いわけもなく、"弾く"剣気を纏い、受け流すように矢に流し込み、剣気とさらに混ぜ合わせて"内"に留めるのだ。

 

この大百足に最初の有効打を与えた時以上の威力と速さを乗せた一撃。

頭を振り下ろした後、こちらを見上げるような百足を見下ろし、そうして鳥居の上より放たれたその一矢はまさに雷のように落ちた。

 

 

 

 

 

「…!?」

 

「アシナの若き当主よ」

 

 

 

 

 

そこからはさらに一瞬だった。

 

大百足は撃ち下ろした矢に、見上げた顔をそのままに逆に喰らいつくように逆らって光の暴力の中を昇った。

矢はその牙で挟んで掴み、そこから流れ出る剣気と雷の奔流は牙を伝い、頭部を伝い、長大な身体を伝い、まるで身体の中を流すように暗灰色の甲殻を光らせながら尾の方まで伝っていった。

 

それは光の速さだったかもしれないが、弦一郎は確かに目で追うことが出来た。

 

そして尾へと伝う光の方へと視線をやる内に、いつのまにか一番後ろの足(曳航肢)の先にに奇妙な剣の切っ先が触れられており、足先を伝い光が剣へと移る。

 

目線が流れるまま持ち主を見れば百足なんぞよりは遥かに小さくなった青い衣の―――

 

「受けよ、これが渦雲(うずくも)(いかづち)ぞ」

 

 

 

 

 

弦一郎が意識を失う前に最後に見たのは、青い法衣を着た老人が持っていた奇妙に枝分かれした剣に、赤黒い稲妻を纏っていたということだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう良いぞ、静」

「…はっ…上人様、彼は町の先の滝に落ちたようです」

 

"上人様"と呼ばれる青い法衣の老人―――"仙峯上人"と畏怖されている灰色の肌の老魚人は咥えていた矢を手に持ち見つめながら、静より本金糸で編まれた誌公帽子(しこうもうす)を受け取った。

その頬は少し黒く焦げていた。

 

そして枝分かれした翡翠色の剣"七支刀"を手にしたまま弦一郎を飛ばした方を見据える。

 

「良いのですか?アシナの当主ですよ?」

「当ててはおらんよ」

 

ちょうどその時、雷が落ちたように、いやそれ以上の轟音が響き渡った。

見れば遥か向こう、山頂だからこそ良く見えるアシナを囲う霧の一角に大きな穴が開いていた。

 

霧に()()()のだ。

 

どうやらかの当主には当てずに()()()()程度で、雷の方は彼方に飛ばしたらしい。

ここから見てそうなのだから相当な範囲を蒸発させたのだろう。

それももう塞ぎつつあるが…

 

「十三年前の時じゃあるまいし、万が一にも宮には落としやせんよ、静」

「…風情があるからって残しておいた湖中の建物は粉微塵ですけどね。"ぬし"が怯えてないかだけ心配ですよ………アシナに、人を送った方が良さそうですね」

「静も気になるか」

「…当主自ら単身斬りかかってくる状況なんて気にならない方がおかしいですよ、上人様」

 

仙峯上人は今一度、若き一心との出会いを思い出す。

かつて彼は国盗り戦の際に宮の者たち―――正確には淤加美の一族だが―――が乱入し、そして当時の宮の長がアシナの忍びに敗れ、代理として久々に山を降り協定と不干渉の契りを一心と結んだのだ。

 

それが…恐らく孫くらいの齢だろうか?その代で破られたとすると一心はもう亡くなった後で、(弦一郎)は一心という強者の代わりの力を求めてきたのだろうか?

 

 

 

―――しょ、上人様!不死斬りを求めに来たと言う浪人がどうやってか朱の橋に…八尾比丘尼も刀傷を…!―――

 

―――不死斬りを求めに来た…黒の不死斬り、いや、"開門"を―――

 

―――不死斬りは確かにここにある、だがそれは黄泉を開く門にあらず。言い伝えられているような力などありはせん。立ち去るがよい―――

 

―――アシナのため…引くことは出来ぬ!押し通る!!―――

 

―――…っう!……まだだ!!―――

 

―――アシナのために…!!巴の雷、見せてやろう……!!―――

 

 

 

「一体誰のために戦っていたのだろうな」

「…上人様?」

「気にするでない。して、あの弓だが」

「あぁ!当主殿の弓!」

 

当人は吹き飛ばされたが、どうやら弓を取りこぼしていたらしい。

仙峯上人が指さした先に弦一郎の弓が落ちていた。

静はその赤い大きく山を二度描くように湾曲した弓を拾い呟く。

 

「凄まじい弓の腕でしたね…」

「威力に関しては、当主殿の方がおまえよりは上を行く」

「そのようですね。勝てそうなのはせいぜい飛距離ぐらいかと…それにあの雲を呼ぶ剣術といい雷といい…」

「丈と巴の関係者だろう。"巴の雷"、と言っていた」

「丈様と巴様の…私怨ですか?」

 

丈と巴と言えばミナモトの宮から()()()()()主従だ。

当時の長である丈の義父により盗み出された竜胤の実によって力を宿らされた不運の人の男の子。

 

そのため、巴という最も心強い、そして丈が最も信頼する従者をつけて"下"へと追放と言う形で義父の元より逃がしたのだ。

 

誤算だったのは、当時のミナモトの宮は閉ざされすぎていて、アシナが外海の勢力との戦の最中とは気づけなかったということ。

宮と契約している"水生村"でさえ霧に意図的に囲ませて隠しており、しかもそこは人が訪れるには至難の森の奥。

噂の一つも届くはずがなかったのだ。

 

…ただどこからか戦の知らせを聞いた丈の義父である当時の長は、丈を、いや竜胤を取り戻すために淤加美の一族の特に過激な連中を率いて山を下った。

その時、静はまだ十にも届かない齢でありあまり覚えていないようだが…

 

静が後に聞いた話だが、その時すでに丈と巴は両名病死しており、アシナ側も攻めてきた理由がわからないものだから互いに無意味に兵の命を消耗していたことになっていたそうだ。

 

そうして長の首を取るということで全てを終わらせたのは()()()()()()()()だったと言う。

 

和解と協定のために直々に仙峯上人が山を下り、全ての経緯を話したうえで謝罪を入れたそうなので、現在のアシナの当主となればその実態を知っていてもおかしくはない。

 

そしてその当主が丈と巴に特別な感情を抱いていたと言うのならば…

 

「それもあったかもしれない、だがあれは当主の目だ。命が燃え尽きる程の気迫…まるで鬼よ」

 

どうやら違うようで静は張り詰めつつあった気を抜いた。

"上人様"の見識は本物だ。()()()()()と言うのならば尚更のこと…

丈と巴とは面識があったからこそ、静はそれが私怨だったとして果たして責めることが出来るだろうかと考えてしまっていた。

 

とは言え違うのだから気楽に考えよう。

あれは侵入者。以上。

 

楽観できはしないが、まぁいいだろうと彼女は思うことにした。

 

「あの当主様が鬼なれば、上人様は竜ですか?」

「所詮百足よ」

「ニシオンデンザメですよね?」

「ちと長生きしすぎた…竜にも成れなんだ…そろそろ死に場所を決めなくてはな」

「海千山千と言いますから、とりあえず千年生きてみるのはどうでしょうか………それはそうと噂で聞いたのですが、仙峯寺で"豊穣の女神"が生まれたと」

「噂の出どころは?」

「私です」

「会ったのか」

「いえ、ですが、城下町に飛んだ(遊びに行った)時に色々と話を聞きました。どうやら、最近町にも降りてきたそうです…訳ありみたいですよ、それもオチの村ではなく、アシナ全てに関わる」

「会ったのか」

「……………彼女ら茶屋をやってまして、その時盗み聞きしたのです…大丈夫です変装していたので。()()()()()()()()()()()…それに人魚と悟られないようにしたので」

「おまえの身軽さに磯禅師もほとほと困り果てているぞ」

「今回の情報分で母上に告げ口するのはご勘弁を」

「いいだろう。して、オチの村を薦めた理由はなんだ」

「"豊穣"と聞けばそれで十分では?」

「長生きしたいわけではないぞ。()()を口にすれば本当に千年生かされそうだ」

「上人様はもっと長生きするべきです、この閉ざされた地だからこそ、歴史の語り部は世界より消されずにいられます」

「"下"が気になるのはそれが理由か」

「ええ。"彼ら"はアシナ存亡のために打って出るようです。アシナが安泰ならば上人様も安泰ということですから、出来るならばお力添えをしたいのです」

 

仙峯上人は静の目を真っ直ぐ見つめる。

その赤い瞳はなんの淀みもなく、ただ長としての務めを全うせんとしている女がいるだけだった。

彼は正直溜め息一つつきたいところではあったが、その表情が灰色の顔に映ることはなかった。

 

「手は貸さぬ」

「はい」

「行くのもお前だけだ」

「はい」

 

と、そこで彼に一つ気掛かりが。

 

「…待て、一心のやつはどうであった?」

「"豊穣の女神"のおかげでそれはもう元気してました」

「………まずは一心に話を通せ、現当主の件もだ。必要ならば"蛇の目"を"底"から連れ出してもいいだろう」

「水生村の神主と"霧籠りの貴人"殿にも話を通しますよ…当主殿に切り捨てられていなければですが。それと"蛇の目シラハギ"ですか?罪人ですよ?」

「だからこそだ。当人の同意の元、連れ行くがいい。」

「あぁ、使いこなして見せろっていう伝言も一心殿に伝えておきますよ。"シラフジ"が鉄砲砦から追いかけてきそうですが」

「それもよし」

 

静はその言葉に呆れるしかなかったが、それはそれで確実に戦力になるので悪い話ではなかった。

静が一心を見たのは茶屋での盗み見が初めてであったのでなんとも言えないが、上人様の見識に間違いなどあるはずもないから罪人位どうにかなるのだろう、と考えることを止める。

 

―――さて、これから忙しくなりそうだ。まずは母上になんて言えばよいものでしょうかねぇ………あ―――

 

「そういえば上人様」

「どうした」

 

静はすっかり聞き忘れていたことを思い出したようで、思うがままに聞いてみた。

 

「なんで不死斬りを渡してあげなかったのですか?」

 

少なくともアシナのためと力を使おうとする男だそうで、上人様も保証しているのだから私欲のためには使うまい。であれば渡して関係も良好にしておいた方が良かったのではないかと静は思う。

 

「簡単なことよ」

 

静はその言い方に好奇心を刺激され、無言で先の言葉を促した。

 

「"八尾比丘尼"が斬られたからな」

「あー…お二人は長いですものね」

 

八尾比丘尼…"破戒僧"と自身で名乗る、長い間このミナモトの宮の門番を務めている彼女は、仙峯上人と同じくニシオンデンザメの魚人だ。

アシナを拓く当時からいたわけではなく、どこからか魚人と人魚の隠れ里があるような話を聞いてやってきたという。

 

二百年程前はまだ比較的島の存在は公にされており、リュウグウ王国の世界政府加盟に反発して飛び出した実力のある連中がそれなりに隠居しにやってきたのだという。

 

彼女もその一人で、その時からずっと門番として宮を守り続けている。

その威風堂々たる佇まいは宮の、特に女の子供たちに人気で(お面が売っている)、それが原因なのか静のように女性が頭角を現すことも多く、またそれにあたって差別的な偏見も存在しない。

 

そんな宮の門番娘(?)を斬られたとなれば宮の住人にも示しがつかないだろう。

 

「確かに、人斬りに渡す刀などありはしませんね」

「そうでもない、託すべき者と確信したならば人斬りでも渡す」

「…どう見極めるのですか?」

「目を見る」

 

そう言われた静は仙峯上人の目をのぞき込む。

眉間に皺を寄せた自分が映っているだけだった。あらまた小皺が…

正直その見識は羨ましい、長としてやっていくならば尚更。

 

「思うですが、それは百足の力なのですか?それとも剣気の?」

「年の功だ」

 

あぁそれはどうにも、真似はできないなぁと彼女は空を仰いだ。

 

あれ程までに空を覆っていた低い黒々とした雷雲は今や跡形も無く、いつも通りの穏やかな気候が戻っていた。

音色と剣気(覇気)によって留めているだけの限定的なものであるため、()()解けば(意識を失えば)それは戻る。

雨上がりの空は美しいと言うが成程、確かに今まで見たことないような大きな虹がかかっていた。

 

それを見上げながら静は仙峯上人へ話しかける。

 

「上人様、たまには雲を呼ぶのもいいかもしれませんね」

「そうだな…無事戻って来たならば、考えておこう。今一度渦雲の雷を見せようぞ」

「落とす必要あるんですか?」

 

静は虹の輪を潜る様に赤い弓を背負って、蹴鞠を脇に抱えて飛び出した。

 

―――のだが、まずは湖の瓦礫処理から始めないといけないことを思い出してそっと引き返し始めた。

 

―――そういえば竜胤、関係なかったですね―――

 

 

 

しかし後に、嫌と言う程関係していることを知るのだがそれはまだ少し先の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見上げようも滝口が遥か先、見えない程に高く長い滝の下。

あまりにも高い位置から落ちているがために殆どの水が宙に飛散し、蒸発してしまい滝の下とは言え浅く水が溜まる程度にしかならない、所謂滝壺が存在しない滝である。

 

それはミナモトより流れ落ちている水。

それが飛散し空気中に混ざったためか、その他にの底以外はひどく空気が澄んでいる。

 

()()()と言うが、まさに滝の下より少し外れた谷底は例外であり、毒の沼が形成されるほど環境が悪い。

それはミナモトより降り注ぐ水によって、毒の瘴気が谷を昇ることを押し留めていると表現できるかもしれない。

 

…とは言え、その地に住む"猿"たちには毒も何も関係がないようだ。

 

ここは"落ち谷"。

多くの猿が住まう谷。

 

崖壁沿いには一体いつ彫られたと言うのか、優しい顔をした巨大な仏が立ち並んで猿たちの生活を見守っていた。

だけどそんな中、猿というには毛深い体毛もなく、また熨斗目花色(のしめはないろ)の着物を着た人影が見える。

そしてその隣にはその人影より数倍は大きな巨体を持つ真っ白い体毛を生やした大猿の姿があった。

 

どうやら一人と一匹は滝のすぐ傍にある崖の上で昼寝をしているようで、白い大猿の方はその巨体に見合った大きなイビキをかいていた。

同じ白さのせいで紛れていたが、どうやらこの大猿は怪我を負っているのか体中に包帯のような白いボロ布を巻いている。

 

対して熨斗目花色(のしめはないろ)の着物の人影、壮年の女性だろうか?彼女は両手を頭の後ろに回して枕にしつつ、寝息の音一つ立てずに目をつぶっている。

 

そうして数刻過ぎた頃、遠くで地響きと轟音が微かに響いてくる。

 

雷でも遠くで落ちたのかとふと女性が目を開け、すぐさま立ち上がり滝を見上げた。

あまりの寝起きの良さに今まで本当に寝ていたのかと疑う程だろう…他に人間がいたならばの話だが。

 

暫くして女性の異変に気が付いたのか大イビキをかいていた大猿も眠そうに起き上がり、一度大きな欠伸をしてから女性の横に並んだ。

 

「なぁ…ありゃぁ人かね…?獅子猿よぅ?」

「ヴァゥ?」

 

まだ"獅子猿"と呼ばれた大猿も見えない遥か先を彼女はどうやら見えているようだ。

疑問に首を傾げる獅子猿を置いて彼女は見えたものめがけて滝のすぐ横の崖を登り始めた。

 

その身のこなしはまさに猿のようであって、しかし慌てて後を追う獅子猿も追いつけない程の跳躍を繰り出している。

それは彼女が持っている()()()()()()()()()()()()()()()()()()()によって成し得ているのだろうか。

 

濡れて滑る岩を器用に登りながら、ようやくはっきり見えてきたところで彼女の疑問は確信に変わる。

人が落ちてきているのだ。

 

「あぁ…こりゃぁ人だねぇ…しかも生きてんのかい?ありゃぁ?」

 

さて、こうも短い周期(しかも今回は奇抜な登場)で客人が相次いで来たなんて珍しい。

だがどうもまたまた、ばばぁにゃ見覚えがある客人だなぁと彼女は思い、取り合えずどうやって受け止めようかと思案するのである。

 

―――どうにもまた面倒なことになりそうだがねぇ…―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




登場人物の驚きの若者(20代)不足。これが高齢化社会…
10代も九朗様だけですね…そりゃぁヒロインにもなりますよ。
そして主人公は名前(異名?)だけの登場…申し訳ない。

今回登場しました仙峯上人ですが、悪魔の実によってではなく、種族としての長寿としています。
というのも、"不死鳥マルコ"も不老不死みたいな扱いになってしまうからです。

ちなみにニシオンデンザメは個体として400歳以上生きているものが確認されているようですよ。

それと上人の百足形態がでかいのは"年の功"です。桜竜百足バージョンと思ってください。
つまり弦一郎は本来狼が辿る道を辿り、滝底までつき落とされました。



隻狼との違い(?)まとめ

仙峯上人:ニシオンデンザメの魚人で、ムシムシの実モデルセンチピートの能力者。とても長寿でどうやら失われた歴史を知っているらしく、淤加美一族は代々彼の記憶を守るそうだ。
静:現淤加美一族の長を務めるフットワークの軽い中年女性人魚。あと超次元蹴鞠。
磯禅師:今作オリジナル。静の母。歴史上の人物から名前を採用。その娘の名は静御膳。
破戒僧:上人と同じ種の大柄の女性魚人。二百年程前魚人島から隠居しにきた。門番娘。
丈の義父:竜胤の蛇柿を盗み養子に食わせた。義父に外道が多すぎる。攻め入ったアシナの戦場で左腕が義手の忍びに討ち取られた。
丈:義父に竜胤の力を宿らされ、逃がされた不運の子。弦一郎に兄のように慕われていた。
巴:弦一郎に母のように慕われていた。巴流の"浮き舟渡り"とは後に弦一郎が名付けた。
巴の雷:巴の死後、弦一郎が一心や忍びと共に再現した。霧籠りの貴人のように、霧(雲)を笛の音に見立てた刃の音色で操り、雷を落とす技。正確には放射した覇気でもって操るのだそう。
弦一郎:アシナへの想いは本物だが、その根底には幼少の頃の叶わなかった約束があった。
落ち谷の壮年女性:「獅子猿!空から弦ちゃんが!」
獅子猿:怪我だらけだけど元気してた。一人目の客によろしくされたようだ。
イブキ:本当は出番があったけど持ち越しに。申し訳ない。(二回目)



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鐘の音

「鐘の音」は狂言の演目の一つ。
ある主人は召使いに、鎌倉へ行って「かねのね」を聞いて来いと言い使いに出す。召使いはその地域の寺を巡り、「かねのね」を聞き比べ報告するが、それは「鐘の音」であって「金の値」を聞いて来いと言ったのだと叱られる。

ちなみに本編とは何の関係もありません。



恐らく







「あら、雷でしょうか?」

 

今日も今日とて茶屋「九十九屋」は忙しなく人が出入りする。

その中でイブキは許された少ない休憩時間の中、どこか遠くで雷の音がするのを聞いた。

 

続いてふと、何かを感じ金剛山の山頂を見上げる。

 

こんなに晴れているのに山は分厚い雲が覆っていた。

そうして何か問題が起きたのか、九朗に呼ばれ店の中へと姿を消し、再び出てきたころでまた見上げれば、あれだけ分厚い雲はさっぱり消えていた。

 

山の天気は変わりやすいと言うが、こうまで極端なことがあるだろうか?と疑問に思っていれば、いつの間にか狼が横に並んでおり、眉間に皺を寄せて山頂を睨んでいた。

 

「…」

「…狼殿?」

「………いや」

 

そうして狼はそれ以上は答えずに暖簾を潜って店の中へと入っていく。

 

それは何でもない日常の中の一コマ。

思えばその雷の音は、始りの鐘の音だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは仏師殿ではありませんか。こうも早く来ていただけるとは思っていませんでした……後ろのお方は、確か…」

「某は半兵衛と申す、このような面頬越しで失礼するが」

「えぇ、勿論構いません。さぁ立ち話もなんですので、こちらへ」

 

"仏師殿"と呼ばれた白髪の多く混じった髭面の男と"半兵衛"と呼ばれた黒い面頬の男が、イブキに連れられ店先の丸太椅子に腰かける。

今はもう店仕舞いの時間なので客はいないが、中は片付けと一心で騒がしいために屋外での案内だ。

 

彼らとイブキの出会いは竜咳の治療の時だ。

仏師もまた竜咳の罹患者の一人ではあったが、他の者の症状よりもかなり控えめだったことと、当人が拒んだことで城には行かずに荒れ寺に留まっていた。

症状が軽かったのは狼が意図せずに"竜泉"を飲ませていたためにそれが良い働きをしたのだと推測されている。

 

そのためイブキたちは治療のために荒れ寺へと向かい、そこで藤岡含める荒れ寺の住人たちと出会ったわけだ。

 

そうして思い返してみれば、二人とも荒れ寺に居た時よりも町歩きにも違和感のないような小奇麗な着物を着ていた…半兵衛の面頬はどうにかならなかったのかと思うが。

 

「着せられたのよ…あそこに居座る元供養衆にな」

「見すぼらしい恰好を見かねて、藤岡殿が親切にも用意してくれたのだ」

 

成程とイブキは思う。

仏師は普段の丹色(にいろ)のような袖のない赤土色の着物ではなく、それよりも赤みの増した小奇麗な紅葉色の着物を着ていた。

確かにあのボロボロの着物でここを歩くには少々…いやだいぶ怪しい。

半兵衛は普段の鎧姿ではなく、墨色の着物と鉛色の袴を身に着けている。パッと見で喪に服している様に見えるが、黒い面頬を考えるならばこれぐらいの色合いがちょうど良く見える。

 

荒れ寺に住み着き始めた情報屋を名乗る"藤岡"ならば街の流行を知っていてもおかしくはない程に多くの事に精通していたと思うので納得だ。

 

…とはいえ、イブキも山を下りてから初めて流行というものを目の当たりにしたぐらいなので"なんとなく良い気がする"としか言えないのだが。

 

「お二人ともようこそ九十九屋へいらっしゃいました。狼殿もエマ殿からも、仏師殿は足を運ぶことはないだろうと窺っていたので嬉しい限りです」

 

イブキが恭しい所作でお茶を出して歓迎する。

片付けの最中に九朗様がわざわざ作ったのだから、と押し付けたおはぎも合わせて二人が座る丸太椅子の間にある椅子に置く。

その数は一人分。

半兵衛はせっかくで申し訳ないのだが、と遠慮した。

 

「儂も来る気はなかった…じゃが…雷の音を聞いてな…」

「雷…ですか?」

「そうじゃ」

 

そうして仏師はぐいっと茶を流し込みながら半兵衛に目線をちらりとやった。

後はお前が話せと言われたのだと察した半兵衛が言葉の続きを引き継いだ。

 

「先日、快晴の昼時に遠くから雷の音が聞こえてこなかっただろうか?」

「ええ、ありました…そう確か海の方から響いてくるような」

「うむ、その時に強い剣気(覇気)を我々は感じたのだ」

「剣気…すみませぬが、私はそういった力には疎いもので」

「おぉ、これは失礼した。何といえばよかろうか…人の発する圧のような物と言うべきか」

 

圧…と言っていいのかわからないが、イブキは先日感じたことをそのまま口にする。

自分でも何といったらいいのかわからないのだ。

 

「…そう言えば、山の頂から何か感じた気はしました。そちらを見れば分厚い雲がかかっておりました」

「それなのだイブキ殿。身共が感じたものというのは」

 

雲に?と首を傾げれば先程から黙っておはぎを咀嚼していた仏師が今度は答えた。

 

「明らかに凄まじい剣気の持ち主よ。一心様に匹敵するか…或いは………」

「…つまり、そのような強者(つわもの)が金剛山の頂にいるということでしょうか?…山頂の聖地、ミナモトの宮に?」

「わからん。じゃが、わしらが感じたのはその強さではなく、"質"じゃ」

「"質"、というと、相手の"攻撃の剣気"と"読む剣気"の類とは別のもの、ということですか?」

 

"攻撃の剣気"と"読む剣気"。

アシナではこれらに決まった名はないが、外海ではそれぞれ"武装色の覇気"と"見聞色の覇気"と呼ばれているものだ。

イブキでも仏師の言う"質"の違う剣気(覇気)は、その二つのどちらでもないということがわかった。

 

「察しがいいな。そうじゃ、これはかつてアシナに攻め入った"竜"と同じ、"鬼の剣気(覇王色の覇気)"と見ている。アシナではあまり見れぬ類のものよ」

「某も、仏師殿も、そのことについて一心殿にお見えになりたかったのだが…互いにこの身なりで城の方に行くわけにもいかん故」

 

半兵衛の言っていることは最もであった。

いくら藤岡によって衣服を用意されたと言っても、面頬をつけた男と毛むくじゃらの隻腕の男ではまだ不審者の域を出ない。

どこか彼らの発する強者としての何かが余計に警戒心を招くことになるかもしれないとイブキは納得した。

 

「ならば良い折りでした。一心殿ならばちょうど中におられますよ?」

「ここまで来れば、急ぐ必要もない…もう少し静かになってから暖簾(のれん)を潜るとしよう」

 

そうして仏師は皿に残るおはぎを掴んで頬張る。

甘味など長い間食べていなかったようで、心なしか口の端が嬉しそうに吊り上がっている様に見えた。

 

半兵衛は相変わらず口元が髭で隠れた面頬を外すことなく、だが目元は少し緩まっている。

久しぶりに活気のある町を見て、誰かとの思い出を浮かべて相好を崩している様にイブキには思えた。

 

…そして彼女は彼が面頬を外さない理由はなんだろうか、という思考が一瞬頭を過ぎる。

 

 

 

「イブキ殿…イブキ殿はこの面頬をつける理由が気になりはせぬか」

 

イブキはその言葉に少し眉を上げ驚いた。

 

視線もよこしていなかったが、自身の詮索するような心を読まれたかのようで居心地が悪くなる。

それと同時にそのことを恥じて身を引き締めるいことができるのが彼女の良き奥ゆかしさだろう。

仏師は変わらず熱いお茶を流し込んでいた。

 

「…気にならないか、と言われれば嘘になります。…詮索するような態度をとってしまっていたでしょうか?」

「ん?いや、いや。どうにも悪い癖が。つい()を少し見てしまったのだ」

「…?」

「それに関してはおいおい…。実はこの面頬の下は、イブキ殿とエマ殿に相談しようと思っていたことなのだ」

「私とエマ殿に、ですか?もしや竜胤が関係しておられるのでしょうか?」

「竜胤、というよりは悪魔の実についてではあるな………イブキ殿は、人造悪魔の実というものはご存じか?」

「…えぇ、存じております」

 

―――人造悪魔の実SMILE(スマイル)―――

 

その仔細は既に梟によってアシナの中では共有されている。

 

食べれば身体の一部を動物(ゾオン)系のように変化、或いは常時変化できる恩恵を得ることのできる悪魔の実の()()()()だ。

金さえあれば実を探す手間を飛ばすことはできる、と考えれば下位互換と言えど魅力的に思えるかもしれないが、これは高い危険を伴う代物なのだ。

 

というのも、十人に一人しか能力を得ることができず、失敗した者たちは何の恩恵も得られぬままにカナヅチとなるばかりか、"笑う"以外の感情を永遠に失ってしまうという。

 

ここからが梟の考える計画の要となる場所ではあるのだが、イブキの能力にそれを癒す力がないかを探ることになっていた。

もし治すことができれば多くの虐げられた人々を味方につけることが出来る。

 

…しかし、肝心の副作用を受けた患者をワノ国から連れて来ることが難しくなっているそうだ。

 

現状、ワノ国ではオロチが"二十年前の亡霊"と言うものを恐れて警戒が強まっている。

そのためアシナへの嫌がらせも最近は途絶え、オロチは自身の周囲を固めているそうだ。

 

梟はアシナでの活動を維持するということにはなっていたので直接確認できていないが、ワノ国に潜む部下によればどうにもその"亡霊"とやらもただの妄想で済まない様子らしい。

オロチは確かな情報筋から確信するに至ったと聞く。

 

"ワノ国に反乱の兆しが見え始めた"と、かつて梟が表現したのはまさにこのことである。

良くも悪くも梟が思っていた以上にオロチにとって"亡霊"は深刻だったため、アシナへ向けられていた目は大きく逸れてしまっている。

 

結果的に梟はアシナを崩すことを思いとどまったので、ワノ国からの監視も緩くなっている今は動きたい放題で良いことだらけだ………人造悪魔の実の被害者が手に入らないということを除いては。

 

梟程の男であればワノ国でも融通が利きそうだと思われるかもしれないが、その出所と強さからオロチの警戒心を完全には解けずにいた。

 

いくら寝返ったとはいえ、かつての戦でワノ国に牙をむいていた忍びの一人であり、その忍びとしての技量、狡猾さをとってみればとても彼の横で安心して眠ることなどできないだろう。狼でも無理だ。

 

だからこそ梟も細心の注意を払って自身の部下を紛れ込ませたり、寝返らせることで情報を得ているのだ。

今この状況でワノ国からアシナへ、又はアシナからワノ国へ船を出すようなことをするならば数少ない潜港(モグラみなと)が仇となり、集中した警戒に引っ掛かってしまう。

そして疑われるのは当然梟になってしまうのだ。

 

言い逃れる方法や突破する方法はいくらでもあるにはあるが、この大事な準備期間に無用な疑惑を抱かせることはしたくないというのが梟の本音だった。

 

………という愚痴をイブキは梟から聞かされていたので(九朗、狼、エマ、ムジナ、お蝶、刑部と関係者からは軒並み警戒されているので選ばれた)人造悪魔の実に加えてワノ国の情勢も人一倍詳しかったりする。

くたびれたオヤジが孫娘に愚痴を言う図だと一心に笑われていたが。

 

そんな小さく萎んだ大柄な老人の幻影を頭の片隅から薙ぎ払い、半兵衛の言葉に耳を傾ける。

 

「まぁなんだ、やはり見てもらえれば話も早かろう」

 

彼はそう言って面頬を取り外した。

あまりにあっさり取ったものだから目を瞬かせて軽く呆けていれば、彼女は今度は目を見開くことになった。

 

「これが人造悪魔の実の、被験者の末路の一つ。面頬を外さぬ理由も理解できるであろう?」

 

その口元を表すならば「凶悪」という言葉が合うだろう。

 

一対の赤黒く変色した"大顎"が頬の横から沿うように口先へ生えており、その口元は憤怒の表情のように歯が剥き出しになる様に皮膚が引っ張られているようだ。

さらに剥き出しの歯の前にも一対の"小顎"が見える。

 

それはつまるところ"百足のスマイル能力者"と呼べる様相だったのだ。

 

仏師はそのことを知っていたのか、二人の様子を見守るばかりで口を挟まない。

しかし目を背けたくなるような凶悪さを見てもイブキは目を逸らさなかった。

 

「…つまり、私の豊穣の力で治すことがきるのか、ということですね」

 

その返答に憤怒の表情に見える口元がニヤリとした笑顔に変わった。

百足の顎が嬉しそうに開いたり閉まったりする。

 

「臆されぬか。そういう反応も久方ぶりだ…」

「こう見えても、半兵衛殿や狼殿とそう変わらぬ年月を生きておりますから」

 

その答えに再度毒々しい色の顎が開いて閉じた。

今は人が見えないとはいえ店先の目立つ場所。彼は器用に二対の顎を折りたたみ面頬を取り付け、隠した。

 

「治るのかどうか…であるが。実はこの顎の事はさして問題ではないのだ」

「そう、なのですか?」

「勿論、治るのならばそれが良いだろう。だが、問題は()()()()の力のこと…疑似的な不死のこと」

「"疑似的な不死"…ですか」

「どうにも、容易に死にきれぬのよ。この某の顎も、最初からこうだったわけではないのだ。戦場で顎を切られ、治った時にはこの様になってしまっていたのだ…このままでは死にきる前に余すことなく百足になってしまうだろう」

「それは………」

 

イブキは彼の身体で起きるであろう悲惨な末路を思い浮かべて言葉を失くした。

再生した先から百足に変質していくなど、考えたくもない。

 

唯一の救いは"老い"は能力の影響を受けないことだという。

 

「追い腹を切れなんだ無念…イブキ殿には理解ができぬかもしれんが………どうにも、参っているのだ」

 

兵の矜持がわからないわけではない。

誰かの後を追って死ぬはずが、生きてしまった時の絶望とは如何程なのか。

イブキが心から理解することは恐らく出来ないのだろう。

 

もしも治すことができるのならばイブキは喜んで力になるだろう。

だが、イブキには一つ、それが当人の苦しみとなると知って許容したくないことがあった。

 

「…死なぬと、約束していただけますか」

「…」

 

「残る()()を生き抜くと、約束していただけますか」

「…」

 

イブキの持つ力は"人を生かす力"、そうでなくてはならない。

決して終わるため、終わらせるための力となってはいけないのだ。

一度破ればそれは小さな綻びとなり、いずれそこからほどけて忘れてしまう恐れがある。

"慣れ"とはそれ程にも恐ろしいものだ。

 

確かにイブキもアシナのためと戦うことを承認した。

 

だが違えてはならないのは、これはワノ国を討つのはアシナの、延いてはワノ国の無辜(むこ)の民のために行う血戦だということ。

その根本を忘れてはならないのだ。

 

―――斬り続けた者は、やがて、修羅となる―――

 

―――何のために斬っていたか…―――

 

―――それすら忘れ、ただ斬る悦びのみに、心を囚われるのじゃ―――

 

忘れ、その瞬間に身を任せてしまえば修羅に落ちる。

一心の言う"斬る悦び"とは何も言葉通りの意味だけではない。

 

目的を忘れ"手段に溺れた者"のことをも指すはずだ。

 

狼が、九朗が、一心がそれらを踏み違えないと思っているからこそイブキは力を使う選択をしたのだ。

 

そして、半兵衛は既にその一線を越えている。

 

殉死は武士の誉れなれど、それを過去に置いてきた彼が死ぬことにはもう"誉れ"などないはずなのだ。いや、現になかった。追い腹を無念と語る彼の心の中にも、本当はどこか建前のように話しているだけなのだろうと自覚していた。

 

それでも彼は死に囚われている。一度溺れたが故に。

 

新たな出会いも喜びも"死"を前には霞む。

彼はいつからか死ぬことこそが己の道と定めていた。

 

百足に成り果てる恐怖も忘れたまま。

 

…朧気ながら彼の背景は人造悪魔の実によって見えてきている。

何故()()()()()()()()()を持っているのか、誰の後を追おうとしていたのか。そして彼の身に着けるアシナでは見ない黒い面頬。

 

彼はきっと、ワノ国の侍だったのだ。

 

一人異国で生き延びてしまった彼は容易に殉ずることもできない身。

だけど彼だってもう気が付いてるはずだとイブキは思う。

 

もうアシナに"受け入れられている"と。

死を悲しんでくれる者がいるのだと。

 

結局、これはただの彼女のエゴでしかない。

それでも生きて欲しいと彼女は思った。だからこうして()()を通すのだ。

 

「………」

「…やはり、頷かなければならぬか」

「是非に。でなければ手を取ることはできませぬ」

 

 

 

「頷いちまいな」

 

 

 

ずっと黙っていた仏師がようやく口を開く。おはぎをちょうど食べ終えたようだ。

 

「儂も左腕を失くしてから生き急いだものよ。…だが、なんだかんだ生きてりゃお前さんたちみたいな"妙なやつら"と小奇麗な恰好をして、流行りの甘味を食うこともある」

 

 

 

「存外悪くないものよ…」

 

それだけ言うと仏師は立ち上がって店の奥へと引っ込んだ。

 

果たしてその言葉が半兵衛に響いたのかどうかはわからない。

だが彼は面頬の中で笑みを浮かべるとイブキに言った。

 

「…どうやら、死なせてもらえぬようだな?中々どうして」

「えぇ…きっと狼殿も、それを望んでおります」

 

そうして柿色の野店傘が置かれる店の入り口へと目を向ければちょうど狼が顔を出した。

 

何故か暖かくイブキと半兵衛に見つめられる理由も問わないまま、彼は二人に向けて近づく。

 

 

 

 

この時、半兵衛は面頬をしていて良かったと後ほど語った。

 

 

 

 

狼の頭の上に団子が乗っていた。

 

仏頂面の渋い顔にそれはもうかわいらしいお団子ヘアである。

 

イメージとしてお蝶の団子がちょうどいいだろう。あれの三つ編み(注連縄)がない様を思い浮かべてもらえればいい。

ただし注連縄(三つ編み)の代わりに桜色の簪が横一文字に貫いているが。

おまけにデフォルメされた梟がぶら下がっている。(義父じゃない方)

 

これは何もエマが狼で遊んでいるわけではない。決して。

茶屋の店員が被る帽子に収まる様に工夫した結果なっただけなのです。いいですね?狼殿?

…なんてやり取りがあったわけではないのだ。

 

初見の反応は様々だ。

 

鏡を見た狼は何も言わなかった。成程、忍びとは耐え忍ぶ者とは誰が言ったか、よく言ったものだ。

梟はダメだった。

ムジナは耐えた。大人である。

九朗とイブキは考えるまでもなく(ほが)らかにあらあらまぁまぁと対応した。

ちなみに先程到着したと言う松葉杖を使うまでに快復したお蝶は耐えた…ように見えて、ムジナが口の端が持ち上がってるのを見逃さなかった。だけど彼はそんな無粋なことは言わない。大人である。

刑部は爆笑した。

一心様はまさかのノータッチだった。

 

「一心様が呼んでいる。この後、エマ殿も来るようだ」

「………………………うむ、参ろうか」

 

恐らく、彼は中に入れば皆から面頬は卑怯者の象徴だと蔑まれるのだろう。そういえば梟は昔、嘴が印象的な"鳶頬(とびぼお)"という面頬を付けてたらしい。

 

ついでに今さっき大勢の前で軽くツボに嵌ってしまった仏師からは先ほどの言葉を前言撤回されるだろう。

 

店の中からは少し前では全く考えられない程、賑やかで平和な声が聞こえてくる。

イブキも思わず笑みをこぼす。

 

これを守るために戦うのだと。

 

 

 

「…さて、私も行きますか」

「揃っておるか?」

「わっ」

 

野点傘を畳みつつ店に入ろうとすれば、気配もなく梟が姿を現しイブキの頭上から話しかけた。

この図体と圧を持つ梟のような存在が音もなく立っていれば小柄なイブキであれば驚いても仕方のないことだろう。

 

「梟殿…ええ、荒れ寺から仏師殿と半兵衛殿もいらっしゃっておりますよ?」

「…何?…まぁ良い。お主、丈と巴という主従のことは聞いておるな?」

「聞いております。弦一郎殿が兄と母のように慕っていらっしゃったと」

 

丈と巴。

唐突な話ではあったが、梟は愚痴を零す時でも結果的に必要な情報になるように言葉を選んでいる…必要な情報を与えつつ周りに不審がられないようにわざわざそういう"てい"としている可能性も否めないが。

今回も恐らく聞くべきことなのだろうと、イブキは素直に答える。

 

「そうじゃ。弦一郎のアシナを想う心と覚悟は確かだろうが、根にあるのは常にそれであったのだろう。故にあやつは源の渦を睨んでおったのよ」

「"源の渦"?」

「エマ殿から聞いたことがあります…弦一郎殿()は城の裏で、源の水の流れ出ずる方角に見える雷を纏う渦雲を睨んで刀を振っていたと」

「わっ」

 

話に割り込んできたのは狼だ。

イブキは再度意識の外から現れた忍びに驚くことになった。

狼に向けられたその視線は少しだけ恨めしそうだ。

 

狼がこうして梟と二人になった時に現れることは幾度かあった。

というのも、やはり一番長く共にいた故に、警戒も一番しているのだ。

 

特にイブキの豊穣の力を利用しようとしているのは誰の目から見ても明らかなため、ムジナが常に護衛し、直接介入するのは狼、という役割の分担が出来ている。

 

これは狼が九朗の元にいなければいけないことと、穏健に終わらせるには狼が対応するのが一番だろうと結論づけられていたからだ。

今、姿は見えてはいないが恐らくムジナも屋根裏か屋根上でイブキたちの姿を確認しているだろう。

 

梟も既に慣れたのか、眉一つ動かすことなく話を続ける。

 

「話が早いな。両名ミナモトの宮から降りてきた者でな、特に丈はその自身の義父より狙われていた…それがミナモトの宮との戦に繋がった。当時ワノ国との戦の最中でもあり、少ない勢力とはいえ、多くの人員を割けなかった。加えて奇妙な霧と雷の術を使う精鋭でもあったやつらとの戦いでどちらも大きな被害がでたのよ」

「ですが、お二人とも病死と聞きました。丈様は竜咳によって…戦の最中に亡くなられたのですか?」

「戦の前に、既に事切れていたのよ。だが我々は何のためにやつらが攻めてきたかを知らなんだ。目的もなく続き、戦はミナモトの宮の淤加美一族の長を討ち取ることで終わった。弦一郎は後にその仔細を知ったのだ…本題はここからじゃ」

 

梟が視線を上げる。

その先には、先日イブキと狼が見上げた金剛山、その山頂。

 

―――そういえば先程仏師殿も半兵衛殿も、その話で一心様に会いに来たのでしたね―――

 

その考えは正しく、その時に聞いた雷の音と"鬼の剣気"の話だった。

それに加えて梟が言いたいことは鬼の剣気、それに混じるある人物の剣気についてだと言う。

 

「弦一郎殿が、ミナモトの宮に…?」

「恐らくな。直接刃を交えた狼も、それを感じ取ったのではないか?」

「確かに、僅かながら…直接あの雷を受け故に気づけたようです」

 

何のために?

それが最初の疑問である。

ミナモトの宮は長く他との接触を断っており、それはオチの村のやり方など生ぬるい程に徹底している。

それは兵の強さではなく術によって隠しているからだという。

 

だからこそ何を求めて向かったのかわからないのだが、梟は察しが付いているようだ。

 

「不死斬りよ」

「…ミナモトの宮に、あったというのですか」

 

不死斬り―――

九朗が、狼が不死断ちのために求めた刀。

それは二振りあることが知られていて、オチの村にあるという噂が蔓延ってしまっていた妖刀である。

 

アシナの伝説上で、または童話で仙峯上人が振るったと言う話は有名なれど、そのせいで仙峯上人が築いたとされる仙峯寺のあるオチの村に保管されていると勘違いされていたのだ。

加えて誰かがそれを後押しするような噂も流れていた。

 

弦一郎は不死斬りがミナモトの宮にあるなどと一体どうやって知ったのだろうか?

 

「一心のやつが知っておったのよ…加えてそれを記した巻物があってな。弦一郎はそれを読んだのだろうよ」

「一心殿が知っていた?宮との繋がりが…?」

「食えんじじぃじゃ。先ほどミナモトの宮との戦の話をしたがな、あやつ、交渉のために会ったそうじゃ…刀の持ち主とな」

「…まさか………仙峯上人と、会ったと言うのですか?」

 

伝説上の人物が今も生きている。

 

これにはイブキも横で聞いていた狼も信じられないとばかりに目を見開く。

だが、悪魔の実がある以上、そして外の世界を大して知らない身である以上ありえないと否定することはできない。

この世界は、聞いていた話だけでも驚きばかりが飛び出す世界だったのだから。

 

「話を続けるぞ。アシナとミナモトの宮は不干渉の契りを交わすために、長が不在故に仙峯上人が出張ってきた。そしてその時、どうしても必要な時があれば力を貸すという話になったそうじゃ」

「それで不死斬りですか…ということは、弦一郎殿は不死斬りを手に入れたのでしょうか」

 

それが大きな障害になるのか、それともアシナの力になるのか。

伝説上の刀の力などわからない。

イブキらオチの村が流した噂も、所詮即席の噂でしかなかったのだから。

 

「それはないであろう。あの弦一郎の様子で、平和的に終わるとも思えん…結局、その通りだったみたいだがの」

「…それはあの雲と、雷から感じたと言う鬼の剣気が関係しているのでしょうか」

「全く話が早くて良い。最後に強く感じたのは恐ろしく強い鬼の剣気…恐らくだが、仙峯上人に敗れたのだろう…そうでなければさらに()じゃ。だが死んではおらぬようだ。部下の忍びから、目撃の一報があった」

 

弦一郎はアシナの町を目指して"落ち谷"の方角から来ていると言う。

不死斬りを手に入れることも叶わず、彼はどのような想いで戻ってくるのか…

 

「だからこそ、今日ここに集わせたのだ…予想外の人物も混ざっていたがの。直接見せて、示すしかないのだ。あやつと、我らが先に進むには」

 

アシナの行く先を誰よりも憂いた当主、葦名弦一郎。

 

例えそれが異端の力であれ、異形の力であれ、ただアシナのためにと全てを捧げる彼は、竜胤の力を利用するために九朗を連れ去り…そして九朗を取り戻すべく単身乗り込んだ狼によって敗れた。

 

それでも諦めることなく一人戦い続け、終にはミナモトの宮に辿り着き不死斬りを手に入れんとするも…そこでもまた強大な力の前に敗れてしまう…が、まだ彼は生きている。

 

今はまだ一心という"柱"のおかげで大きな混乱はないが、中には弦一郎の帰還を心待ちにしているアシナ衆も少なくない。

当主はやはり弦一郎なのだ。一心一人では現状、歩調が揃いきらないだろう。

 

今イブキたちが行っていることは全て準備にすぎない。

 

彼をこちら側に引き込むことで初めてアシナの歩幅が揃い、前に進めるのだ。

 

 

 

 

 

「あら、もう皆さんお揃いなのですね」

 

そうしてエマも「九十九屋」へと姿を現した。

梟はエマに目線をやると「揃ったか、先に入っておるぞ」と、言葉を残して店の奥へと消えた。

 

梟はイブキに、弦一郎と出会う前に情報を共有したかったのだと気が付く。

弦一郎と話す際もイブキは重要な立ち位置となるのでそういうことなのだろう。

 

広い見聞を持つようにと知識を与えていく様はある意味梟と呼べるのかもしれない。

…それも今後のための準備でしかないのであろうが。

 

さて、その梟が言うならば役者が揃ったということになる。

エマはその最後の一人だ。

 

近づいてくるエマを見れば、はやはり忙しいのか、目の下には隈ができているのが見える。

いくら豊穣の力と言えど精神的にも負担がかかり続ける身体には万能とも言えないようだ…とはエマが言ったこと。

自身の身体も実験体と扱うところはさすがと言うべきか。

 

イブキの前まで来ればさっそく彼女はお土産に、と有名な梅干しを持ってきてくれた。

どうやら最後に回った診療所で貰ったらしく、せっかくだからと山を下りて日が浅いイブキのためにそのまま持ってきてくれたのだ。

 

名前は「赤成り玉」

根強い人気のある梅干しで、「道策」という人の名前のようなお店で売っているものだ。

…ただ、エマがらしくもなく目線を彼方に向けて何とも言えない表情をしていたのがイブキには気になったのだが…

 

二言三言交わしてエマと狼はそのまま店に入っていき、イブキも後を追うように入ろうとして、動きを止める。

 

日が落ちつつある夕暮れの中、西日に照らされながら「九十九屋」への坂を登る男が一人。

その男の目が明らかにこちらを向いていることに気づき身体を向ける。

 

浪人姿の総髪の男は数打ち物の刀を腰に差しており、その逸らすことのない視線からイブキは少し警戒心を抱く。

男の歩みはとまることなく続き、やがてイブキの前で止まり、その長身から彼女を見下ろした。

 

 

 

―――ここで一つ、誰もが見落としていることがあった。

 

 

 

一心も梟も、狼も九朗もエマもムジナも例外なくである。

それは…

 

 

 

「…ここに、九朗殿がいると聞いた」

「九朗殿に御用なのですか?…すみませぬが、本日は既に閉店時間を過ぎておりますので、また日を改めてお越しいただけますでしょうか?」

「…そうか………」

 

イブキは弦一郎の顔を知らないということである。

アシナの当主は営業スマイルで門前払いされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの…」

「………」

 

イブキは困っていた。

まだ片付けていない店先の椅子に居座られてしまったからだ。

 

まず、彼が弦一郎だとイブキにも気が付けない理由がいくつかある。

 

一つ目は恰好。その衣服はみすぼらしく、汚れも目立つ。これは仙峯上人に雷撃を貰った際にボロボロとなった衣服のかわりに間に合わせで用意して()()()()からだ。

その上、その衣服の上からでもわかるぐらい包帯が巻かれている。血が滲む箇所も見えた。

 

二つ目は装備品。刀も数打ちの物だ。本来使用していた刀は狼との戦いの際に天守望楼に置いてきている。また象徴的な赤い弓も今はない。弓もまた、不覚にもミナモトの宮に置いてきてしまったのだ。

 

三つ目はその様相。正確には目と言うべきか。それを形容する妥当な言葉をイブキは持ち合わせていなかったが、かつての覇気を感じることができず、だからと言って全てを諦めきっている者の目でもない。

 

確かにどこか威厳のような出で立ちを少しは感じたのだろうがそれまでだ。

イブキはそれらから、まるで迷子を見つけた時のようだと後に語る。

 

「やることを終えた後でいい…それまではここで持たせてもらう」

 

と言われてしまえばどうしたものかとイブキは悩む。

不審者…とまでは言えないが、あまりここにアシナの主要人物が集まっていることを知られるのも良くない。

 

梟や一心がワノ国からの間者を把握し、切り捨てるか掌握しているが、それが完全なものだと油断していない。

今日集まった者たちもそれらを注意した上でここに来ている。

 

この男がそうだと言うわけではないが、警戒するに越したことは無いのだ。

 

であればまずは話を聞き出すことが必要と彼女は考えた。

 

「大分お待たせすることになってしまいますが…しかし九郎殿に用とはなんでしょうか」

「ただ、ここで茶屋をやってると、そう聞いて来ただけだ」

「お知り合いなのですか?」

「そうだな…主従共に随分と、世話になったのかもな」

「ふふ、そうですね。あの方はとても聡明なお方ですから。きっと良き出会いだったのでしょう」

「良い出会いか…どうなのだろうな………だが、確かに立派な御仁だ」

 

少なくとも、竜胤を知ったからこそその希望に彼は縋れた。

当然それだけに全てを委ねる弦一郎ではないが、大きな期待を寄せていたのも事実だったのだろう。

 

イブキは彼のその様子から、九朗を頼って来た者ではないかと考える。

疲れたような、それでも何かを期待するような、そんな感情が見えた気がした。

 

「是非とも日を改めてここのお茶菓子を楽しんでください。九郎殿も作られているのですよ?」

「九郎殿が、か?」

 

イブキはこの見も知らぬ男に九朗のことを話す。敵の可能性も考えつつも、かつて近しかった者と仮定して。

それに対し、弦一郎は少し意外だというように言葉を返す。

 

「ええ、特におはぎにこだわっているようでして」

「おはぎ…」

「とても楽しそうにしているのですよ?ここに来る人の中には九朗殿に会いに来る人もいるぐらいなのです」

「そうか………そうなのか………もう少し、聞かせてもらえるだろうか」

「私も長く留まれませんが、ええ、少しだけ」

 

そうして九朗の、狼の、アシナの民の様子を少しだけ聞くことになる。

 

重要な部分は全て省かれた話。

だが逆にそれが九朗らの今の日常を弦一郎に強く意識させることになった。

弦一郎はその話を聞き、視線を足元へ落とす。

 

九郎は弦一郎の前ではずっと気丈に振舞っていた。

それがあまりに自然であったために、そして追い詰められ余裕のない弦一郎には九朗がまだ子供であるということが頭から何故か抜け落ちていた。

 

それは九朗という存在を認めていたが故でもあった。

 

何も考えぬ子供であったならばどうしたか。

もっと強引な方法を使って竜胤の力を使わせざるを得ない状況に追い込んだだろう。

 

だが九朗は大人だった。

竜胤の力に危機感を持ち、またそれを追い詰められた弦一郎に渡すことがどのような結果を呼ぶのかを正しく理解し、はっきりと自身の意思を伝え立ちはだかった。

 

弦一郎はそれがとても尊い決断だと理解していた。

そしてその時から九朗を対等な大人として見ることになる。

 

対等に見ていたからこそ、強硬手段は控え、あくまで説得による解決を試みた。

それは形振り構っていられないと口にした弦一郎の、それでも譲れなかった矜持なのだろう。

 

そして思い出す。

イブキがかつて感じたように、九郎は年相応の子供であったということを。

ただあらゆる状況が彼を大人にしてしまっただけで、友人や家族と笑い合う日々だってどこかにあるべきだったのだと。

 

まだ平田屋敷に九朗がいた頃、多少大人びていたが、それでも年相応に喜怒哀楽する彼を見ていたということを。

 

ようやく弦一郎は思い出した。

九朗もまた彼の守るべきアシナの民()()()ことを。

 

そうして話を聞いているうちに頭の整理が出来たのか、何かが切っ掛けとなったのか、その目には僅かに力が戻っている気がした。

イブキはその目を見て、ようやく目の前の男が誰なのか察する。

 

「あなたは………」

「一ついいだろうか。聞けばここには一心様(おじい様)も―――」

「イブキ殿!自身作じゃ!皆には先に中で―――」

 

そして思わぬタイミングで九朗は弦一郎と邂逅する。

頭には頭巾。腰には前掛け。両手にはおはぎの乗った皿が乗せられている。

 

一瞬の沈黙が過ぎた。

九朗は少し目を見開いていたが、すぐに()()()()()

既にここにいるのは狼の主、竜胤の御子だ。加護すべき者などではない。

 

弦一郎はその視線を揺るがすこともなく九朗に向けている。

イブキが見守る中弦一郎は立ち上がり、九朗は彼の元へと足を進めた。

 

 

 

「お久しぶりです、弦一郎殿」

「あぁ、久しいな、御子よ」

 

 

 

 

 




お気に入り数400を越えました!
誤字報告していただいている方も含め、改めてお礼をさせてください。
本当にありがとうございます。
※誤字報告ありがとうございます。修正いたしました。

気になることがありましたらくれぐれも、ひそひそと感想にでもお書きください。
ちなみに新規の作品制作に浮気してました。遅れた原因でもあります、申し訳ありません。

そしてようやく二人は出会いましたね。
役者も揃いつつあります。
後2、3話で終わらせる予定ですのでもうしばらくお付き合いください。

半兵衛は海楼石で死ねるじゃない?という話になりますが、まず本作ではスマイルは超人(パラミシア)系のように体質が変化した状態という前提で扱っています。
そして石を身に付ければ力が抜けるだけで変化した体質は変わらないという解釈です。(ルフィが海の中でも伸びることを踏まえて)
海楼石については曖昧な部分(作者が理解してないだけ)があるのでこのような解釈としました。
つまり石を身に付けて死ねば死んだ状態を維持するけど外せば再生するといった感じです。


「隻狼」との違い(?)まとめ

イブキ:カウンセラー。何故か気を許しやすいが、当人の徳なのかそれとも…
九朗:おはぎ。
狼:髪型を変えた(一時的)せいで被害者が相次いだ。
エマ:その元凶。自覚なし。
半兵衛:元ワノ国の侍、人造悪魔の実の能力者。しかし他の能力者と比べればそれが明らかに異常だとわかる。過去のあることを切っ掛けに見聞色が強い。
仏師:一心に会いがてら彫刻刀でも調達しようかと思ってる。
藤岡:仏師と半兵衛の恰好を整えてくれた。
道順:「道策」という梅干し屋をやってる。繁盛しているが、独り言が多い。
鬼の剣気:覇王色の覇気のこと。実はアシナには持ってる人間()ほぼいない。
弦一郎:不死斬りを持つことなくアシナに戻った。戻るまでに何かあったのか、迷っているようだ。イブキと話すことで己を省みる切っ掛けを手にし、九朗と再会する。




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源流

そう、これは始まりの話







雪の積もる深い谷間である"落ち谷"を渡り、小さな湖の岸壁を越えた先に、天然の洞窟を利用した砦がある。

 

その砦の中、木製の三脚に鉄の器を乗せただけの簡易的な篝火によって岩肌が橙に照らされる広間では、複数の人間が対峙している。

 

片や顔中を包帯によって白く隠している、蓑を肩にかけた女性たち。

それは顔だけにも留まらず、腕や足にも同様に施されている。

そこから僅かに覗く肌は青白く、口には特有の牙が覗く者もありその正体は魚人だということがわかる。

中には三十を超えた人魚もいるようだ。

 

彼女らは六尺ばかりある棒状の鉄器を肩に担いでいる。

 

片や背の高い二人組。

 

一人は中年から壮年に映り替わろうとしている齢に()()()女性。

熨斗目花色(のしめはないろ)の着物を着ており、灰色の混じり始めたぼさぼさの長髪をうなじ辺りで雑にまとめて背に流している。

その背には身の丈にも及ぶ大太刀が背負われており、女性の長身から見積もっても刃渡りは五尺以上はあるだろう。

 

さらに特徴的なのは左腕に独特な篭手のような物をはめていることだろうか。

糸巻き機のような細長い鉄製の"軸"が腕の横へと沿うように取り付けられており、そこには縄が巻かれている。

 

腕に棒状の手摺が付いているような見た目だ。

難しい機構はないようだが、初見でこれを何に使うかわかる者はいるのだろうか。

 

そしてもう一人。

長身であることに変わりはないが、隣の長身の女性よりやや低い身長の男。

こちらも対峙する彼女らと大差ない程に包帯を巻かれていて、それは真新しい傷のようだ。

 

そう、千峯上人によりミナモトの宮の滝下へと落とされた弦一郎その人である。

 

「"川蝉(かわせみ)"…その小僧は誰だい?」

「弦一郎だ」

 

会って早々挨拶もなしに始まる会話は殺伐としたものだった。

ただどこか気安さがあるように聞こえる。

 

男が誰かを問うた女性、"シラフジ"は、"川蝉"の答えにその少ししわがれたような声で、皮肉を言うように返す。

 

「…そうかい、アシナの当主と同じ名前だねぇ…?…あんた、私たちがなんでここに砦なんて構えたかぁわかってんのかい?」

「あ?アシナに喧嘩売って負けたからだろう?」

 

その言葉にシラフジの周りの"蛇の目衆"の殺気が静かに膨れ上がる。

当時の戦から二十余年と経っているが、それでも触れて欲しくないこともあるというものだ。

 

ましてや一族の長の首を獲った男の、その相棒から言われれば尚更。

シラフジや、一部の者は対して気にした様子もないが…

 

川蝉自身もやっちまったなぁと思いながら、自身の背後の、数打ち物の刀故か緩んだ切羽(せっぱ)から出る小さな金属音に意識を向けた。

 

明らかに目の前の蛇の目衆より弦一郎の殺気の方が高い。

ちらと見れば既に左手は腰に差した刀の鞘へ伸びており、既に鯉口は切られ、(つば)との間に鈍い鏡面が顔を出していた。

 

その鬼気迫る様子に、しかし誰もが臆する気配など微塵も見せない。

シラフジは弦一郎の殺気の根源を冷静に読み取り言葉を続ける。

 

「成程…過去からは互いに逃れられないみたいだねぇ」

「そういう貴様は淤加美一族の者と見るが」

「魚人を全部そのくくりに入れるのはどうかと思うが、間違いないねぇ…国盗り戦の折にアシナに愚かにも踏み込み、無残にも逃げ帰った生き残りさ。ま、一部は宮に戻ったようだけど…それで?やんのかい?」

 

静かに言い放った言葉だったが、彼女らは噂に聞く目だけでなく耳も良いらしい。

砦の外に控えていた他の蛇の目衆までもが壁の穴から鉄の得物―――"石火矢"の銃口を突き出させた。

対する弦一郎は静かに剣気と殺気を上げながら見返すのみ。

 

シラフジはそれを"殺る気がある"と解釈し、笑みと共に自身の、刃を取り付けた石火矢に手をかける。

石火矢の火縄の燃える僅かな音が緊張感を掻き立てる。

 

「地の利と数の利…卑怯とは言わせないよ?」

「笑止」

 

弦一郎が刀を抜き始めた頃。

 

その一式触発の空気の中、川蝉はいつも通りの空気を晒しだし、困ったように二人を見た。

 

「あ~~…終わったら教えてくれ」

 

「………しらけるねぇ…川蝉。あんたぁ、面倒な火種を持ってきて、じゃぁ後はよろしくってそれだけで済むと思ってのかい?」

「面倒と言いつつ笑ってるじゃない…思ってはいないがよぅ、あたしも混じっていいの?」

「恥を晒したくなきゃやめとくんだね、こんな狭っ苦しい所でその大太刀が振り回せるとでも?」

「たかが狭いだけででかい刀を振り回せないとでも?あんたら、一人残らずあたしの()()()って言ってんのよ」

「試してみるかい?」

「…いや、やらん」

 

川蝉はそうさっぱりと言い切ると、徐々に高めていた剣気を一瞬で露散させる。

 

そういえば争いに来たわけじゃなかったと思い出したらしい。

 

「………相変わらずつまらないねぇ。この前久々に面白いやつとやり合ったから気分が高まってるってのに」

「あぁ~あいつね()()()()()の男。いつもより五割り増しの包帯はそういうことだったのね。うちの獅子猿もすっぱり切られてなぁ」

「死んだのかい」

「いんや止めた。ようやく一端の剣術が身に付き始めたわけだし?ちょうどあたし以外の格上にも出会ったことだし?素質あるから勿体ないだろう?」

鬼の剣気(覇王色の覇気)、ね……あんたに似てあの大猿もいつかここにカチコミしてくんじゃないかと、うちの奴らが冷や冷やしてんだよ。」

「あ。すまん、連れてきた」

「………何だってぇ?」

 

川蝉が顔の前で両手を合わせて心無い謝罪をした瞬間、外の砦が俄かに騒がしくなる。

大柄な獅子猿だと洞窟の中に入れないために大きく迂回する道を行かせたのだろう。

 

しかし銃声が響くことはない。

外で見張りをしている蛇の目衆はその獅子猿の実力を知る故か安易に手を出さず、シラフジの指示を待って行動に移すつもりらしい。

 

「…まだやられた傷が癒えてないもんがいる中じゃぁさすがに分が悪いね」

「まぁ~だやる気だったのか」

「後ろのやつに言うんだねぇ」

 

そうして川蝉はすっかり放っておいた弦一郎へと身体を向ける。

先程のように鯉口を切るような臨戦態勢ではないが、相変わらずその眼力はシラフジら蛇の目衆を油断なく捉えている。

 

刀を納めたのは二人の会話に何か思い当たることがあったからだろうか。

 

「一つ聞くが、その義手の男は何をしに来たと?」

「質問したいならその剣気を抑えることだねぇ…そう、それでいいんだ。というより、そこの隣の女が知ってんだろうよ」

「…何?」

「んえ?聞かれなかったしなぁ」

 

弦一郎とシラフジの鋭い眼差しに川蝉はとぼけたように答える。

 

いや、きっとこれが素なのだろうと、会って間もない弦一郎ですら思い始め呆れていた。

シラフジも「そうだろうねぇ…」と大きなため息を吐いて、気勢を削がれたのか蛇の目衆に合図をして石火矢を下げさせ、結局シラフジが答えた。

 

「…はぁ、しらけるねぇ……"不死断ちの方法を探している"だとさ。あたしは落ち谷に行くだけ無駄足だっつったんだけどねぇ…結局その通りになったみたいでしょぼくれて帰っていったよ」

「…どういうことだ」

 

ということは目的の不死断ちの方法を知ることが出来なかったということだ。

そもそもこの先は落ち谷。

 

そうなると必然的にいるのは川蝉と獅子猿、または毒沼の先の洞窟を住処にしている主の白蛇ぐらいか。

果たしてその中に不死断ちを成せる"材料"があるかと聞かれると疑問だ、と彼は思う。

 

「あ~それあたしのせいだな。猩々の奴に昔、不死の大猿をぶった切ったって自慢しちまったからなぁ…大方あたしが不死を殺る方法を知ってるかも、みたいな話をしたんだろうね」

「あの大猿も不死だというのか?」

「いや全部誇張」

「………」

「いや、だって、首に刀ぶっ刺しても戦える大猿なんてもう不死みたいなものでしょ?…まぁそのあと蹴っ飛ばしてあたしが勝ったんだけど。結局死ななかったし?全身真っ白だし?こりゃぁもう不死の妖怪だーっつってもいいじゃない、ねぇ?」

「私じゃなくてそいつ(弦一郎)の目を見て言いな」

「見栄張ってついた嘘を信じてはるばるやって来た若人を説得したあたしの身にもなってくれ。似たような年頃だから思い出しちゃう」

「自業じゃないかい」

「そうだけどさぁ~…」

 

そんな会話を聞き流しながら弦一郎は考える。

"義手の男"と"不死"とくれば間違いなく狼のことだ。

 

そして御子(九朗)と狼が求めるのものが不死断ちだということもわかる。

御子を置いて動けるということはおじい様(一心)がやはり協力したということだろうと、自分が敗れればそうなることは想像がついていた。

 

 

―――俺は何ができたというのだ?―――

 

おじい様の言葉を聞かず、ただアシナを生かすためにと全てを捧げる覚悟だったというのに。

 

狼は愚直だが、止まることのない男だ。

すすき野原で切り捨てた時、城の天守望楼で相まみえた時、いや、それまでにも多くの障害があり幾たびも乗り越えてきたのだ。

 

それに対して自分は何て様だ。

 

 

―――…俺は、結局何もできなかった―――

 

竜胤を手に入れることも叶わず、不死斬りすらも零れ落ちた。

この命はまだあれど、果たしてこれ以上アシナのためにできるというのだろうか?

 

 

仙峯上人に穿たれたあの恐ろしい色の雷を目の前にした時、光の奔流に呑まれんとした時…

 

―――これで全てが終わるのか―――

 

そんなことを考えていた。考えてしまった。

 

 

死を前に諦めが顔を出したのだ。

そのことが何より重くのしかかっている。

…狼は最初に死んだ時、やつはこの感情を抱いたのだろうか。

 

かつてアシナに仕えていた忍びである川蝉に気まぐれから救われ、言われるがままに落ち谷を登りここまで来た。

目の前にいる、かつて憎しみすら沸いた淤加美一族を前にしても、実のところさして浮かぶ激情もなかった。

 

ただ忘れないようにと、忘れてはいけまいと繋ぎとめてきた感情が辛うじて立ち上がってくれただけだった。

 

 

弦一郎は、自身が思ってる以上に身も心も限界が近かった。

 

 

「―――ぃ…――――おい――――…おいっ!呆けてんなよ。どうした?」

「さっきの威勢はどこにいったんだか…まるで抜け殻だねぇ」

「お?カワ蝉だけに――――」

「あ゛?」

「いやすまんって………で?おばちゃんたちに言ってごらん。正直そういう話に飢えてるんだ、猿と能天気ばっかだからな」

「鏡いるかい?ったく、そんな言葉で素直に言うやつがあるかい…」

「………………かつて国盗り戦の折に、両人、争ったのだろう?」

 

その言葉に川蝉とシラフジは互いに目を合わせる。

どっちが話すか目線で揉めているらしい。

やがて目線だけでなく顔の動きで静かに議論した結果渋々川蝉が語りだす。

言い出しっぺの自覚はあったらしい。

 

「あぁヤったね。なんならこいつの部下を目の前で殺してる。でもお互い様さ、あたしの仲間も殺された………なんて話が聞きたいわけじゃないだろう?」

 

彼女は一転して真剣な表情を作り出す。

 

「遠回しにやんのは嫌いなんだ。……あの滝のずっと上っていったらミナモトの宮だろう?なんのためにそこに行ったのか知らんが、アシナの当主が街をほっぽりだしてしかも一人で行くなんて余程のことじゃないか。国のためかそれとも誰のためか知らんが……それで?なぁに諦めようとしてんだい」

 

彼はその言葉に僅かに眉をひそめただけだったが、その仕草は川蝉にとって答えを言っているようなものだった。

 

「あたしらを見ろよ。互いに殺し合い、憎しみ会った仲でも今ではこんなんだ…何が言いたいかってあんた、()()()()()がだめだったからって足を止めるにゃ早いっつてんだよ。どんな人間にも、ほんとはどんな道でも残されてんだ…こいつの姉貴らを知ってっか?国撮り戦に敗れた後に、こいつらと違って宮へ戻った連中だよ。聞けば今じゃ罪人っつーことでアシナの底の毒沼で番人さ。宮の連中であれば()()逃げ出す道もあったのに、ここで生きることを選んだのさ。それはこいつ(シラフジ)もなぁ」

 

一呼吸入れると、彼女はシラフジへと近づきその肩を強引に引き寄せた。

心底迷惑そうな顔をしているも、周りの蛇の目衆も誰も止めようとはしない。

 

「刃じゃなく、気まぐれで酒でも飲み交わしてみりゃぁ以外にどうにかなるもんさ。()()()()()()ね。アシナから逃げ出したあたしが言うのもなんだがね、他の道がまだあるとわかってる以上は幾たびでも立ちゃぁいんだよ。まだ若いんだろう?立ち上がれるんだろう?待ってるやつらがいるんだろう?やっぱり諦めきれないんだろう?谷底で()()()拗らせてたあたしみたいになんじゃないよ…ばばぁでいんなら話は聞く、なんならここまで来たんだ、首根っこ掴んで山を越えてやる………だがね、やるからにゃしっかりやんな。抜け忍ばばぁとはいえ安くはないんだよ。ほら、あんたに期待するバカが一人増えたんだからね」

 

川蝉は一気にまくし立てる。

それは所謂、激励のつもりだった。

 

シラフジが「宮に行っただって…?」と呟いているが無視している。

 

かつて捨てたアシナに思うことがあるのか、それとも弦一郎のその姿をいつかの自分と重ねてしまったからなのか。

或いは自身のせいで左腕を失った時の相棒を思い出したのか。

 

何にせよ、彼女は自分で話している間に熱くなってしまっていた。

 

 

川蝉はこの言葉は大して響きやしないだろうと思っている。

当然だ。会って間もないどこの誰だか知らない責任放棄のばばぁにいくらなにを言われようが知った話ではないだろう。

獅子猿と分かり合えたように、シラフジと言葉ではなく刃を交え、時に酒を交わすことで分かり合えたように、本来自分たちのような人種は言葉など大して重要ではないと思っていた。

 

だから見ず知らずの婆さんが老婆心から心配していたということがわかればいい。

そしてこれからする()()があれば、こんな状態の人間でも"いける"と彼女は思っていた。

 

 

さも自信ありげに、弦一郎が言葉の羅列を咀嚼しきる前に川蝉は小指を出し構える。

さぁこれが本命だ。

 

 

「…」

「…」

「…?」

 

「…」

「…」

「…いや、いや、指切りだって。え?もしかしてもう古い?若いもんは知らない?」

「他になんかあんだろうよ…童じゃないんだよ…」

 

しまらないねぇ…と呟くシラフジに、川蝉は気にした風もなく弦一郎の手を引っ張って無理やり小指を絡ませる。

 

「よし」

「もし私にやったらその指切り落とすからね。後、宮のことも吐いてもらうよ」

「お!指き―――なんでもないよ」

 

 

そんな中、弦一郎はと言うと………よくわかってなかった。

 

話せと言うからまず相手のことも話させることで多少の相互理解を得た後に徐々に本題に持っていこうとしたのにぶった斬られ、突如核心に大跳躍で踏み込もうとしたかと思えば、それをする理由もなく激励されてなんか指切り強要されてる。というか説明下手。

 

纏めるとこんな感じである。

 

 

だが確かに、川蝉の考えたやり方が唐突すぎるが間違っていなかったけではなかった。

彼女の魂胆が成功した…わけではなく、彼女の自分本位の調子(マイペース)が弦一郎にほんの少しだけ響いたのだ。

 

弦一郎が思っている以上に彼の精神は擦り減っている。

 

狼に敗れたその身のままアシナを飛び出し、単身ミナモトの宮へ赴いた。

鍵縄もなく葦名の底へ降り、毒だまりを越え、霧の蔓延する森を抜け、宮の存在を隠したがる村を駆け、そこから断崖絶壁のような宮への道なき道を行ったのだ。

狼のような忍びであれば話が違ったのであろうが、遥かに困難な旅路だったことは間違いない。

 

全てが極限状態の中宮へ入ろうとするも拒否され、押し入り、門番を退けた先には想像を超えた化物(ムカデ)

それに敗れ、遥か下、落ち谷の底へと落とされたのだ。

 

自身がしていることが正しいかと疑問を抱いた時もあった。

伝承通りの力があったとして、今更不死斬りを手に入れた程度でどうにかなる話なのかと思いつめた時もあった。

 

その結果が()()なのだ。

立ち上がれること自体すでに常人の域を凌駕する精神性だ。

 

孤独に戦い続けた彼には、川蝉のひょうきんな態度、所謂 空気間(世界観)の違いという下らない日常を想起させるような態度が枯れた心にほんの少しの水を差した。

 

 

それに加えて全くの偶然だが、"指切り"はどうしても巴との短い子供時代を思い出す。

巴の亡くなる直前、アシナを争いのない国にすると約束したあの時、叶いもしないと理解したながらも互いに弱々しく切った"指切り"。

 

間も無く巴が亡くなり、弦一郎は子供でいることを捨てた。

九郎とそう変わらぬ齢の時の話だ。

 

だから彼は久しく笑みを浮かべた。

ほんの小さな、力ない笑みを。

 

 

川蝉はそれを自身の魂胆が上手くいったと勘違いしていたが。

 

 

「お、弦ちゃんが笑った!」

「その呼び方を止めろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、若い頃の弦一郎は知らなかったことだが、川蝉は梟とお蝶の娘である。

お蝶の言う"あの子"とはまさに川蝉のことだった。

 

忍びの仕事はこなせるが明るく、能天気だがどこか憎めない川蝉は梟とお蝶と、そして猩々の心の支えでもあった。

 

小言女と腹黒男が合わさった結果、一体どんな化学変化が起きたのか、正直者でマイペースな彼女が生まれたわけだが、猩々はそのことを指して生命の神秘と謳ったらしい。

 

だからこそ忍びには向いていなかったのだろう、彼女がアシナを去ったのは必然だったのかもしれない。

 

そして彼らは支えを失い、それでも狼により辛うじて梟とお蝶は繋がっていたが、猩々は忍びをやめた。

 

当人はアシナを出たことに後悔はない。

良くも悪くも自分本位なのだ。

 

さて、その後アシナへと弦一郎を無事送り届け、ただ気まずいからというだけで父と母(梟とお蝶)に会おうとしなかった川蝉だが…

 

「決して通すな!物の怪だ!我らが倒れることはアシナの民が死ぬことぞ!」

「一心様にお伝えしろ!如何なる手段を使ってでもここに縫い留めろ!」

「おお、山内殿!七本槍が来てくれたぞ!皆の者、続けぇ!!」

()()()と一匹とて侮るな!尋常の剣気ではないぞ!」

「夜鷹衆を走らせろ!こうも堂々としているのだ、陽動かも知れん!」

 

「………なぁ、川蝉ぃ?」

「おい、あんたも止めなかったろ。そうだ、弦ちゃんが一人飛び出す事態が起きてるんだった。よくわからんがピリピリしてるもんなぁ。誰かあたしのこと覚えてるやつがいればいいんだけど…」

「…二度目の城下町も戦ってねぇ、三度目までありそうだよ。」

 

ある意味、ここにきて日頃の行いの罰が当たったというべきか。

 

盤双六(ばんすごろく)で負けたせいで(川蝉はこの手の賭博が滅法強い)付いてくるはめになったシラフジはさっそく辟易していた。

ただし、それに巻き添えを喰らったのはなにもシラフジだけではない。

 

騒ぎが起こる前に偶然合流した三人。

 

誰かと言えばミナモトの宮より降りてきた"静"と、その道中で毒沼から拾われた蛇の目"シラハギ"、そして城下町に興味があった水生村のうら若き用心棒"お凛"である。

 

静は大きな平たい半円状の布袋に入った何かと、刀の入った長い刀袋を二本背負っている。

当然蹴鞠は脇に抱えていた。

シラハギとはシラフジの姉であり、彼女と非常に似通った格好をしていた。

 

「私たち三人、関係ありませんよね?シラハギさんの妹と聞いて食いつくんじゃありませんでした…」

「愚妹が悪いねぇ静。しかしあの長をヤった()()()()の相棒とつるんでるたぁなかなかどうして分らんもんだねぇ…」

「むざむざ涙と鼻水で彩った顔で宮に戻ろうとした姉貴にはわからんだろうねぇ」

「あ゛?」

「あ゛ぁん?」

「ううう…うう…」

「何泣いてんの?お凛ちゃんだっけ」

「久方ぶりの姉妹の再会だというのに…悲しい…」

 

ベン…ベン、とこんな中でも三味線を悲し気な音色を奏でた。

 

お凛はミナモトの宮から水生村に派遣された用心棒である。

その桜色と薄桜色によって川の流れを模様にした着物によって隠されているが、まだ二股となっていない若い人魚であり、一本伸びる尾ひれのみで陸上に立ち、それでも謙遜なく移動を可能としている。

 

彼女は悲しいとは言うが、深編笠を被っているためにその表情は読めない。

きっと表情の代わりがこの三味線の音なのだろう。

 

「ヴォォゥ…」

 

それ同調するように獅子猿が身体を縮めさせて鳴く。

騒ぎの原因が自分だとわかっているからだ。彼がいなければこうまで大事にはならなかっただろう。何故連れてきたのか。

 

しかし石火矢を持った包帯だらけの魚人姉妹は止まらない。

積もる話があるのだろうか。

 

「久しぶりに会っても相変わらずお肌が白くて羨ましいねぇ…おや?悪い悪い、全部包帯だったのかい。姉貴は昔からその包帯代わりのボロ布みたいなザラザラ(サメ肌)の肌だったから気が付かなかったよ」

「そっくりそのままお返しするよシラフジぃ。そういうあんたも随分とオシャレに気を使うようになったじゃないの、白に赤い斑模様なんていい(悪い)趣味してるねぇ…おんやぁ?よくみりゃぁ血じゃないかい。あんたは昔っから青白い死人みたいな肌色(魚人の肌)してっから、赤い血なんて通っていないと思ってたよ」

 

薄っぺらい話である。

 

「相変わらず安い挑発ねぇ…面白いやつとヤり合ってね。義手の男さぁ………国盗り戦の時とは違うやつだったがね」

「…姉妹揃って因果なものだねぇ、()()が過去から殺しにやってきたとは」

「…何にやられたってんだい」

「当主殿さ。この兵共の」

 

こうまで平然と言い合ってはいるが、そんな中でもアシナの兵や将軍たちは距離を開けたまま動かず様子を見ている。

彼らの人数はこちらの約三倍、二十人程がこちらを取り囲んでいる。

 

しかし彼らもまた生中な鍛え方をしていない。

正しく彼女らの実力を理解しているからこそ、七本槍である"山内式部"はともかく、他では分が悪いと判断して応援が来るまでの時間稼ぎをする腹積りだ。

 

それを横目にシラフジは姉のシラハギの言葉を咀嚼する。

 

「当…あぁ、そういやアシナからは姉貴のいるとこ通るんだったか、宮へは。」

「知ってる口だね」

「さっきまでそこにいたのさ。なんせ、連れてきたのがそこの(川蝉)だからね」

「何?…ってことは宮の谷から落ちて生きてたのかい」

「獅子猿が見事に受け止め(ダイビングキャッチ)てくれた。弦ちゃんのこと知ってるのね」

「ヴォウァ」

 

遥か高所から落下する人一人を受け止めるのはいくら川蝉と言えど無理だった。

代わりに獅子猿が滝の途中まで登り大きく跳躍して受け止め、落下後回転して受け身を取ることで見事に成し遂げたという。

 

弦一郎の真の命の恩人…恩猿である。

 

「道中、静に聞いのさ…あぁ、あんた(シラフジ)そっち(落ち谷)側にいたから知らないか。今の淤加美一族の長だよ」

「お初にお目にかかります、シラフジ殿。静と言います。貴方の話はシラハギから」

「私は敬うんだね」

「もはや宮の人間ではありません故」

「律儀な子だねぇ。名前は知ってるよ、磯禅師(いそのぜんじ)の娘だね。戦の折から務めてんのかい?随分と若いころから引き受けたもんだ」

 

かつてシラフジら姉妹がミナモトの宮にいたとき、穏健派の磯禅師とも交流があった。

この姉妹は当時の長の考えに共調したけわけではなく、アシナへ戦を求めに下ったというのが正しい。

 

朱の橋で自分たちを引き留めようとした友人、その娘がいまや宮の長というのだから、戦後に宮へ戻らず鉄砲砦に引きこもっていたシラフジには感慨深いだろう。

 

「凝り固まった思想を持つ恐れがある一族の大人は軒並み除外されましたからね。選ばれたその頃から上人様に育てられ、長となったのです」

「苦労をかけたね…謝りはしないがねぇ。後でいろいろ聞かせてもらうよ」

「わかりました………さて、これ、どうしましょうか…」

 

勿論自分たちを包囲するアシナの兵たちのことである。

末端の若い者まで静かにどっしりと構えているのを見れば、一筋縄ではいかないだろうということが彼女にもわかった。

 

 

―――何故かワノ国から音沙汰がない―――

 

それは嵐の前の静けさのように兵に不安が募っていた。

一心が何事もなく、いやむしろかつてないほど元気一杯とはいえ、弦一郎が戻っていないという状況もある。

 

そこで獅子猿のような、さらには鉄砲砦の蛇の目衆、加えてかつて攻め入って来たミナモトの宮の者と思われる面々が揃えば警戒しないわけがなかったのだ。

 

そもそも弦一郎がいれば話は非常に簡単だったのだが…何故か彼は城ではなく別のところ(九十九屋)を目指したようだ。

 

「静ぅ、あんた、自分から首突っ込みにいくのになぁんも()()がないのかい」

「全く。内緒で遊びに行ってましたが、本来不干渉の契りがあるので」

「…思ったよりやんちゃじゃないかい。川蝉!どうにかしな!」

「おーい山ちゃん!あたし!川蝉だよ!ほれ、この左手のわけわからん忍具!…だめだ!警戒しててうんともすんとも言わない」

「その大猿を連れてきたことがまず間違いなんだよ!とりあえず責任者(一心)がでてくるまで暴れるか…?」

「ヴゥォ…」

「…悲しい…うぅ…」

 

 

ベン………と悲しそうに三味線の音が響くが、その音を聞いている者はここにはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アシナの城下町の端でその騒ぎが起きる少し前。

 

およそ一月ぶりの再会を果たした九郎と弦一郎は、その幕を沈黙によって開くことになる。

 

イブキはその二人の間から数歩下がった位置で見守っている。

その手には九郎が先程持っていた盆が乗せられていた。

 

夕暮れ時に差し掛かった西日が九十九屋の前にいる弦一郎の背を照らし、九郎はその表情を眩しそうに眼を細めて見極めようとしている。

 

僅かにみえる彼の目を見ても、それが表す感情を読み当てることは出来なかった。

 

あれ程の激情も、執念も今は感じられない。

 

風に吹かれて飛ぶような弱々しさがあるわけではない。

不安定なわけではないのだ。ただどこか、心の中の枷が緩んだような…

九郎もそれを上手く説明はできなかった。

 

少なくとも今までのような、なりふり構わずに突き進むことはないと思える。

 

間もなく、この二人の会話は弦一郎が口を開くことで始まった。

 

 

「少し、背が伸びたか」

「…そういうあなたは、少し、痩せましたね」

 

それはまるで、久しぶりにあった親戚の叔父が言うような、不器用な切り口だった。

あの竜胤の騒動以降、初めて弦一郎は"竜胤の御子"ではなく"九郎"を見ることを選んだのだ。

それ故の言葉だった。

 

「…茶屋は、とても繁盛していると聞く……おじい様(一心)も、よく来るのだと噂で聞いた」

「…はい、一人お酒を持ち込んで、よく、古くから住む方々とお話をしています。国盗り戦の事…亡くなった戦友のこと…そして、あなたのことも」

「そうか…」

 

どこまでもぎこちなく。

それを見守るイブキも思わず口を挟んでしまいそうな会話。

そこに先ほどまであった九郎の威厳はなく、どちらも等身大の自分自身で会話をしている。

 

ここは茶屋。

城もなく、兜もなく、弓すらない雑巾のような着物の弦一郎はまさに一人の親類として話の幕を開けたのだった。

 

 

 

他愛もない、些細なやり取りが続く。

 

それは誰が茶屋に来ただとか、誰と話したとか、最近の好きな食べ物だとか、あの本が良いだとか。

おおよそ今までの弦一郎からはない気の抜けた会話。

 

しばらくそんな会話を続け、弦一郎が再び口を閉じる。

そこに口を挟むことができない気がして九朗もそれにならって黙る。

 

そしてそれは正しく、彼の発する雰囲気が少しだけ固くなったように思う。

 

()()よ。俺は思っていたよりもこの国を知らなかったのだ」

「…はい」

「俺は…ずっとアシナのために足掻いてきた。竜胤がアシナを救うのだと、そう思っていた。いや、今でも思う。恐らく竜胤を用いればアシナは変わるのだろうと」

「……はい」

「だが、俺が昔誓った言葉の意味を、つい最近まで忘れていた。"平和の国"にする、と…指切りして、約束したことを」

 

自身の"指切り"と言う言葉に思わず笑みを零す。

懐かしむような、気恥ずかしいような、そんな小さな笑み。

 

―――必ず平和な国にするから―――

 

「そう、約束したたのだったな…巴…」

「弦一郎殿…」

 

あぁそうか、と九郎は気が付く。

 

一心という強大な個の穴を埋めるために彼はなりふり構わず走り続けた。

それが辿り着く先はもはや彼が約束したと言う"理想の平和"はなく、流した血によって固めた地盤の上に立つ平和だ。

 

しかし彼は敗れ、だが幸運にもアシナはかつて自分が夢見ていた理想を叶えんと動き始めていた。

 

"自分は何もできなかった"

他の者がやってしまったのだ。彼と言う全てを捧げ続けた男がそれを認めるのはどれ程辛いことなのか。

 

それでも弦一郎は"理想の平和のために頼る"ことを決意したのだ。

 

もはや彼が一人だけで背負うこともないだろう。

 

過去を思い出しているのか、一度も見たことのないような、そんな優しい笑みを弦一郎は浮かべている。

 

九郎は初めて、"弦一郎"を見た気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも弦一郎はさほど間違いを犯してはいない。

 

全てが瀬戸際で、あの時、異端の力に頼る以方法はなかった。

多くの犠牲を出さずに凌ぐことなど、到底あり得なかったのだから。

それを間違いと、一体誰が言えるのか。

 

では何が間違いだったのか?と言うならば、結果から見てしまえば竜胤を見出してしまったことだろう。

 

それは全ての呼び水だったのだ。

一心を、九郎を、狼を敵に回し、弦一郎自身もそれを手に入れるために躍起になった。

そしてなによりそれらの自身を阻もうとする勢いを()()()()()()()()()()()ことだろう。

 

見誤ったのだ。

彼らの強さを。

 

それがつまり、竜胤に手を出したことを間違いと言える理由。

 

 

だからこそ彼の"強さ"を知った時点でも、川蝉の言う"別の道"を探すべきだったのだ。

こうして今のように、アシナの中に解決の答えがあったのだから。

 

だが、それを求めるのもあまりに酷だろうか。

 

多くの要因が絡み、一心はそんな弦一郎を止められず、九郎は拒否以外の道を示せず、狼は戦うことだけを選んだ。

エマも板挟みに身動きが取れず、刑部は友のためとただ槍を掲げるだけで、梟は全てを俯瞰しながら笑みを浮かべていた。

 

一心が意欲的に口を挟み、道を示せばまた変わったのだろうか。

九郎が竜胤のことだけではなく、他の手段を模索するように協力的になれば変わったのだろうか。

狼が刀を降ろし、主を救う以外にもアシナのことを心髄に考えていれば変わったのだろうか。

 

全ては過ぎたこと。

知っての通り弦一郎は敗れ、アシナのために不死斬りを探し、狼は主のために不死斬りを探した。

 

…だが、互いの辿り着いた先で出会った人物が全てを変えたのだ。

 

イブキと出会ったことで豊穣の力を見つけ、梟が協力関係になりまた多くの竜咳の羅患者が救われた。

仙峯上人と戦ったことで不死斬りという弦一郎の向かう先を()()()()()()()がなくなり、川蝉と出会いアシナに戻ることが出来た。

 

そしてこれからここで、"竜胤"を必要とする夜は終わり、"豊穣"を待つ朝が始まることになる。

 

 

 

 

 

「イブキ殿」

 

ずっと行く末を見守っていたイブキは二人が話す中、背後から名を呼ばれる。

振り向けば狼が一本の刀を持って立っている。

 

「狼殿…?」

「これを、九郎様へ」

「…これは?もしや、弦一郎殿の刀、ですか?」

「そうだ。九朗様へ…必要になると思うのだ」

 

イブキはまだ手に持っていたままの盆を降ろし、言われるままに刀を受け取る。

 

 

 

―――刀を渡すのは如何なる意味があるのか。

古くは敬意を"物"として形に表わすために使われ、または家臣への褒美として忠誠心を繋ぎとめるために渡す場合がある。

 

外海でそうであるようにアシナでもそれは昔から変わらないが、ここではもう一つだけ、刀を渡すことに意味がある。

 

 

共に歩むと誓い合う時だ。

 

 

九郎が狼に"楔丸"を渡したように、弦一郎が九朗に竜胤の契りを求めたように。

何よりも固い約束をする意思の表れとして必要だ、と思った者が行う行為でもあるという。

噂では討ち取った敵将から奪った槍を、部下に与えた隻眼の男からだとか…

誰が始めたかもわからない、誓いの証。

 

再度、イブキが視線を感じて振り返れば、狼の存在に気が付いた九郎と弦一郎がこちらを見ていた。

 

「狼…」

「………」

 

狼は弦一郎の呟きに何も応えない、だがそれは敵意があるからではないだろう。

イブキへと手渡された刀がその証。

 

彼はそのままイブキの後ろへと下がり、代わりにイブキが九郎へと歩みを進める。

 

「イブキ殿」

「これが必要になるでのしょう?…そうですね、狼殿には結局渡すことが叶いませんでしたから…」

 

言葉を区切り、彼女はその穏やかな様子を一変させる。

 

その出で立ちは仙峯寺にあった時の、神主としてのもの。

突然のことに思わず九郎も背筋を伸ばした。

 

 

「覚悟がおありならば…改められよ」

 

 

刀は横に水平に持ち上げられ、九郎の前へと差し出される。

一瞬呆けた九郎であったがすぐに持ち直し、真剣な表情を浮かべて刀を受け取る。

 

 

「確かに…もらい受けました」

 

 

「…」

「…」

 

「…ふふっ」

「…戯れが過ぎますよ…イブキ殿」

「そろそろ一度肩の力を抜かねば、些細なことですが後に響くというものです」

「…ええ…ありがとうございます」

 

そうして九郎は自身の肩に力が入っていることに気が付く。

やはり以前の関係性を思えば、弦一郎との会話にはどこか気負ってしまうものだ。

 

果たしてこれが意図したものかはわからないが、イブキのこの行動は一見おどけたようでも弦一郎の雰囲気をも和らげることに成功している。

彼は今までの自身の九郎への扱いを思えば、九郎が自然体で笑えることに対して安堵に似た感情を得られたからなのかもしれない。

 

九郎を支えると誓った彼女は微力ながら、それでも確かにその役割を務めている。

 

 

 

気付けば周りにはいつのまにか九十九屋の中から出てきたのか、今日ここに集められた人物たちがいた。

 

 

相変わらず一心は久々の孫との再会だというのにお猪口を片手に槍を抱える刑部と話している。

それは自分が最早できることなどないと確信したからか。

 

梟は何があったのか、お蝶から延々とその背に小言を言われている。

徹底的に無視しているようでその額には僅かに冷や汗が見えた。

 

半兵衛とムジナは息があったのかワノ国の侍について先程まで話していたらしい。

今はこちらを見守る様に少し遠くから見ていた。

 

狼とエマは何も語らず、ただ九郎と弦一郎へと視線を向けている。

そこには期待の眼差しが含まれていた。

 

 

それら視線に、九郎と弦一郎は少しこそばゆく感じてしまう。

 

弦一郎は彼らを見渡す。

 

これだけの大物が今日ここに集っていることに、何故か疑問を抱かない。

彼は、まるでこの光景こそが日常だというように受け入れられた。

 

 

―――きっと、俺が目指すべきアシナの姿なのだ、と。

 

 

 

そんな中、久方ぶりの弦一郎を見て一心はかつての戦の最中、酒を皆で飲みまわす時に全く同じような顔をしたことを思い出す。

 

「カカカッ…やはり儂の孫じゃのぅ」

 

そう呟いたとか。

 

 

 

 

 

「弦一郎殿、今度は逆ですね」

「あぁ…」

 

九郎は受け取った弦一郎の刀を持ち、イブキがしたように両手で水平に持ち、彼へと刀を差しだす。

 

 

 

「アシナを平和な国とする"約束"を、私と結んでください」

 

 

「約束する…俺たちでアシナを生かそう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかしおじい様…お身体のご様子は大丈夫なのですか」

「おう!米を食ったら治った!」

「………米?」

「…」

「…なんだ狼………おはぎ…?」

「食え」

「…」

「狼よ、米は生で食べた方が効くぞ?」

「九郎よ…米は炊いて食べるものだろう?」

「?もちろんです。弦一郎殿」

「…?」

「あらあら」

 

 

 

 




後少しだけ続きます。

※数話まとめて誤字報告ありがとうございます!反映させていただきました。
※久々に見返せば明らかにおかしい会話だったり説明不足の箇所があったので修正しました。


そういえばお凛が一番女性で若いという事実。(本作の設定では)
平均年齢の高齢化が止まらない。
怒られそうですが、いつものコーナーの所に括弧に年齢のイメージを書いておきます。

ちなみに川蝉はワンピースを意識して性格を描写しています。
終盤に持ってきたのはこれからそちら側(ワンピース)に近づくにあたっての緩衝材的存在のため。

熨斗目花色→灰みの強い深い青色、名が表す通り川蝉の色のイメージだがさらにくすんだ色。
盤双六→江戸時代後半まで人気だったが、衰退した。バックギャモンに似ている。


■(主に)隻狼との違いまとめ

弦一郎:アシナの最後のピースが戻った。(約30)
川蝉:性格が忍びに適してなかった。獅子猿に食われず返り討ちにした。若い頃の巨大な刀は獅子猿へ。忍義手は彼女の装備を元に作成。指に空けた穴と指輪は包帯で隠してる。(約50)
獅子猿:アシナでは珍しく覇王色の覇気を持つ。川蝉に首を一突きされたあげく蹴り飛ばされ負けた。以降、落ち谷のヒエラルキーが変化。また大太刀を扱う。弦一郎の恩猿。(約100)
シラフジ:戦後、宮に戻ることを恥と思い一部の者で鉄砲砦を築く。戦いに飢えてるも今は分別はある。鮫の魚人。(約50)
シラハギ:戦後、恥と知りつつ宮へ戻り、大人しく罰を受け続けている。二十年ぶりでも姉妹仲は悪くない。鮫の魚人。(約50)
お凛:人魚の用心棒。深編傘で顔を隠す。尾ひれで立ち、回転するような剣技を扱う。舞うような巴の剣技も、人魚故に身に付いたものであった。(約20)
静:一心らに助力するために来たので困っている。色々持ってきたのに…(約35)



















"理想の平和のために頼る"
現実と諦めの先に一心を蘇らせたときとは明らかに違う行為。


"共に歩むと誓い合う時だ"
刀が人から人へ渡されることに、隻狼では何か特別な意味があると思っていました。
勝手に意味を追加したのは、九郎様が楔丸を渡す時に何を思ったのかを想像して。


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霧笛

大変お待たせしました。
そしてタイトルが二文字の時点でお察しください。

つまり、最終回前編です。

※ルビの誤りがあったので修正しました。







 

 

「もう一度頼む!」

「このままではアシナ衆の名折れ!もう一度だ!」

「グ、グゴゥゥ…」

 

わらわらと寄って(たか)ってまだ若いアシナ衆がある人物…いや、猿に何かをせがんでいる。

言い寄られている巨大な猿、獅子猿はその勢いに若干引き気味のようだが、川蝉に言い聞かされているためか要請には従うようだ。

 

その場を見ればこれまた奇妙なもので、獅子猿の周囲にぐるりと円を描くようにアシナ衆が一定の間隔を空けて並んでいるではないか。

 

はて、一体何が始まるのか、などと最早言う者はこの場にはいない。

…どころか、あたり一帯には人が全くと言っていい程おらず、監視役、兼()()()として山内式部利勝(やまうちしきぶ としかつ)鬼庭主馬雅次(おにわしゅめまさつぐ)が少し離れた所で見守っているのみだ。

 

ここは城の裏手よりさらに離れた空き地。

今は(さる)(こく)、日も未だ高く、それを遮る木々すらもない場所。

 

と、そこで獅子猿が大きく息を吸い込む。

アシナ衆も見慣れたそれに一斉に気を強く持とうと全身を力ませた。

 

 

 

 

「グゥゥゥォアァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!」

 

 

 

 

「あ―――」

「ぐ―――」

「くぅ―――」

「ふんんぬぅぅ」

 

突如爆音。

 

そう言っても差し違いない程の獅子猿の鳴き声、というよりは叫び声と言った方が良いのだろうか。

しかもただの大声ではないようだ。

若いとはいえ屈強なアシナ衆が次々と白目を剥き、或いは泡を吹いて倒れていく。

 

それもそのはず、これはアシナでは稀にしか見ることのできない鬼の剣気(覇王色の覇気)を乗せた鳴き声なのだから。

 

そうして叫び終わった後には()()()を残して全員が倒れ伏していた。

そう、今回は全員ではなかったのだ。

 

「ほぅ?」

「なる程…圧に慣れることもある、か…」

 

獅子猿が叫ぼうともそよ風を浴びたと言わんばかりに揺るがない山内と鬼庭は感心したように頷き合う。

伊達に彼らは"アシナ七本槍"と畏れられてはいない。

そうして山内と鬼庭と、今度は倒れなかった幾名かと共に気絶したアシナ衆を起こしていく。

 

獅子猿もどこか結果が実を結んだ所を見れてほっとしているようにも見える。

 

しかし獅子猿は知る由もないが、起きたアシナ衆に一体何度目かも知らない懇願を受けることになる。

その底なしの気力…というより意地に獅子猿がドン引きしているとは川蝉以外知り得ない事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにこれは全員が倒れないまで続けられたが、覇王色の覇気に慣れるなんてことは普通ではあり得ない。

アシナとは誠に摩訶不思議な(さすが一度殺しても死なない奴が多い)島国である。

 

そして哀れ獅子猿はこれ以降、エマ特性のイブキの米成分の入った喉飴を持ち歩くことになったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな修行が繰り広げられている時、アシナ城では微かに遠くから響き渡る獅子猿の鳴き声を聞き流しながら輪を組む一団がまた一つ。

 

「―――ええ、ミナモトの宮は一心殿との古い約定に従い、アシナのために尽力させていただきます。これは、私の個人的な意思でもあります」

「…だが仙峯上人(せんぽうしょうにん)はこの戦には介入しないと?」

 

九十九(つづら)屋での弦一郎との邂逅から数日後、紆余曲折(うよきょくせつ)を経てアシナ城へと集うのは一心に弦一郎、九朗と狼にイブキとムジナ、加えてエマと川蝉だ。

 

…本当に色々あったと言える。

 

(川蝉)が唐突にでかい猿(獅子猿)魚人たち(宮の住人)を連れて表れたのを目の当たりにしたどこぞの()お蝶()はしばらく思考が停止するわ、実は落ち谷にいることを知っていたのを隠していたことが川蝉によってあっさりばらされた仏師(猩々)が数十メートルぶっ飛ばされるわと………主にそこの家族の問題だが…

 

「…弦一郎殿が仰ることもわかります。直接刃を交えたあなたならそう思う事でしょう。しかし、上人様には宮にいなければならない理由があります―――弦一郎殿は、何故ワノ国が"竜の故郷"と言い伝えられているか知っておりますか?」

「遥か昔、アシナに根付き、この国に仏教と並ぶ"水"の信仰を生んだと言う神なる竜。果たして本当に実在したかなどわからんが、それは西…つまりワノ国から来たのだと言われているからだと…それが何の関係が?」

「あるのですよ。ではアシナと言えば何が思いつくでしょうか?大事なことですのでもう少しお付き合いください。」

 

()らすような物言いに、これに対して九朗とイブキが答えた。

 

「島の回りを囲むように存在する深い霧、それの原因とされる金剛山の山頂に近づく程に温暖になる気候…確かに、思えば変わった気候であるな」

「…水でしょうか。山頂に近ければ近い程それは濃く、良質になります。オチの村もその恩恵を受けておりますから。その効能は顕著です、少なくともただの水と言ってしまうには」

「…山頂…?もしや、どちらも宮が関係しているということでしょうか?」

 

何かしらの関係性に気がついた九朗の問いにその通り、と言うように静は頷く。

 

「これから話すことは代々ミナモトの宮の長のみが口伝(くでん)のみで伝えられることです。ご心配なく、上人様から許可をいただいております。故にこの場限りの秘め事としていただきたい………全ては"ある一つの存在"から、この国が、信仰が始まったのです」

「ほう?」

 

ここで一心が反応を示す。

長く生きてる故に、この静の思わせぶりな話し方から解を得たのだろうか。

しかし面白そうに笑うのみで、一心は静に目線で続きを促した。

 

「―――"神なる竜"―――遥か昔から金剛山の山頂に眠る、この国の起源…そして今現在もこの国に流れ出ずる豊穣を与え続けて下さっている()()()が在られるのです―――その名を、"桜竜"と言います。上人様はその眠りを守るという誓いを、命ある限り全うしなければならないのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日が傾き始め、城下町へと一段と濃い城の影が落ち始めた頃。

梟とお蝶()がアシナ城へと姿を表す。

 

これは多くがそうだが、まだ弦一郎は梟を信用できていない。

そのため梟が来てからは冬の空気が肌を刺すような、僅かな鋭い剣気(覇気)が場を満たしつつあり、空気が固い。

その対象である当の本人はいつも通りに腕を組み、彼らを見下ろしているのみ。

 

それを見た弦一郎はふんっ、と鼻を鳴らし、気に入らなさそうにしながらも剣気を緩めて静へと口を開く。

一触即発の空気が露酸したことで静は安堵し、同時にその鋭さに頼もしさを感じてもいた。

これから渡す物は、中々に()()()物であるために。

 

「それが不死斬りか」

「…不死斬り、とは民草がいつしか呼び始めたもの。赤を"拝涙"、黒を"開門"とそれぞれ銘があります」

 

静はミナモトの宮から背負ってきた刀袋から二振りの大太刀を取り出す。

鞘に収まっているにもかかわらず九朗やイブキでもわかるような圧を感じる刀だ。

どちらも見事な(こしらえ)で、同時に手入れされてはいるもののかなり古い物だと言うこともわかる。

 

ちなみに他に背負っていた大きな平たい半円状の布袋の中身は弦一郎の弓だった。

それは既に持ち主へと戻されている。

 

「知られる伝承のような人の理を歪めるような力はありませんが、間違いなく尋常ではない力を秘めた刀です」

 

仙峯上人がアシナの地を見つけるまで、そして国を(おこ)すまでの数百年もの間共にあり、苦難を乗り越えてきた刀だ。

静が言うには二振りとも黒刀ではないが、明らかにそれを凌駕している圧を誰しもが感じ取っていた。

 

それは一心が(うた)った無人(むろうと)(無色の剣気(覇気))の域の極みと言っていいだろう。一体どんな剣気を纏わせ続ければこうなるのか。

その一心は、ただ薄っすらと笑うばかりである。対してエマはその後ろで呆れていた。

 

「どういう風の吹き回しだ…?…いや、確かにあの時に渡すなどと、考えはせんか…」

「ええ…測るようで申し訳ないですが、今ならば渡しても良いと判断したのです…宮の時とは見違えたようです」

数奇(珍妙)な出会いあっただけだ」

「んぁ?」

 

もしや自分のことを言ったのか?と部屋の隅でムジナに絡んでいた川蝉が弦一郎へと視線を向ける。

 

「御伽話のような力などもはや求めてはいない。少しでも力となるならば是非とも借り受けたい」

 

が、無視された。

ひどいや弦ちゃん、なんてぼやきも聞かなかったことにされる。

その呼び方は巴と被るからやめてくれ、と言うのが彼の密やかな心情である。

 

「上人様が振るった二振りです。どちらも言ってしまえば妖刀。危険なのは変わりありませんので、全て終わった後に返していただけるならば如何様(いかよう)にでも」

 

何故かそこで川蝉がたじろいだ。

隣のムジナが疑問符を浮かべている。

 

「使わずに済むならばそれが良いだろう。一度目に入れば力を求める者がまた出てきてしまう、俺のような溺れた者がな」

「その心、忘れないことを願います」

「ああ…不死斬り二振り、確かに借り受けた」

「…お気を付けください。巷で噂の抜けば死ぬという話もあながち間違いとも言えない代物です」

 

静は不用意に刀を鞘から抜く前に忠告をする。

仕込んだ当事者の一人である"噂"の話をされて一瞬ドキリとしたイブキだったが、只事ではなさそうな静の表情を見て持ち直した。

 

「それは…"妖刀"と表現したことに関係があるようですね」

「はい。"拝涙"は担い手の剣気(覇気)を喰らうのです。生半可な者が抜けば干からびたように意識を失うか…過去には確かに死んでしまった者もいたと聞きます」

 

本当にあながち間違ってないことにもう一度ドキリとする。

従者のオボロたちがわちゃわちゃしながら考えていた内容だったからまさか、と言った心持ちだ。

 

"黄泉がえり"を行えると言う伝承がある"開門"と違い"拝涙"はその詳細が謎に包まれていた。

だからこそ妖刀()()()嘘を広めていたのだが、結果的に死者を愚弄するようなことをしてしまったと、人知れず傷心のイブキを置いて話は続く。

 

「ですが、これを上手く扱えたならば切れぬものなどありますまい。奪われた力は刃に乗せられるのです…赤黒い瘴気と共に」

 

妖刀と言われる由縁だ。

静はこの現象を"黒刀"という段階の上の、さらにもう一つ上の他に類を見ない段階に到達してしまったからだと見ている。

 

この刀は()()()()()のだ。

 

自らに()()()()()鬼の剣気(覇王色の覇気)を呼び起こすに至るまで。

それは黒の不死斬りである"開門"も同じ。

 

「"開門"は諸刃造り(両刃の刀)であり、その力は"拝涙"と異なります。この"開門"は流された剣気を()()()()のです。そしてそれ故に数百年分の上人様の剣気が込められており、刀から担い手にその剣気を与えることもできます」

「なる程…黒の不死斬りが人を蘇らせることが出来ると言う伝承が出回ったのはそのためか。持てばたちまち力を得るとなればな」

「死人が蘇るという話は聞いておりませんが、死にかけの達人が刀の剣気によって立ち上がり戦い続けたという話ならば…それがいつしか"黄泉返り"の話に変わってしまったのでしょうね」

 

弦一郎はその"開門"の刃を抜く。

 

そして再び川蝉がたじろぐ…何故?

 

受け取るまで気が付かなかったことだが、見た目よりかなり重く、"溜め込む"と言う性質の割にはやはり異質な剣気を弦一郎は感じた。

 

あの日戦った仙峯上人の剣気とも違う何か。ただ溜め込んだと言うにはどこか違う。

この刀もまた、きっと()()()()()のだろう。

話に聞いた"拝涙"の赤黒い瘴気とは違う黒い瘴気が鼓動し、渦巻いているのを嫌と言う程理解する。

 

その不気味さに、()しもの弦一郎も刀を鞘に収め直した。

川蝉もほっと息をついた。

弦一郎はいい加減に振り返って彼女を見た…が、無駄に綺麗な音色の口笛を吹いている。

………黙って静に向き直る。

 

「…かつて求めた刀とは言え、ここまでとはな」

「上人様はかつてこの二振りを扱う二刀流の達人でした」

 

まるで偉い父親を自慢するかのような物言いに、しかしこれらを同時に振るった仙峯上人という存在への驚きが呆れに勝る。

 

実際に刀に触れた弦一郎は仙峯上人との戦いの記憶を思い起こし、もし剣士として立ち会ったのならばどうなっていたかを考えずにはいられない。

あの時は全く異なる七支刀(しちしとう)を持っていた、それも一度だけ振るわれたのみなのだ。

 

そしてそれを考えたのは何も弦一郎だけではない。

 

「カカカカカカ…なる程のぅ、あの時(二十余年前)確かに只者ではないと思うておったが、惜しいことをした。一度手解きを受けるべきじゃったか」

「一心様、どちらかが息絶えるまで続くものをそう呼びはしませんよ」

 

この男。葦名一心である。

エマは相も変わらず呆れ気味だ。如何せん、元気になったせいで何をしでかすかわからない。

かつては戦の折、一心にも果たすべき責務があり、なんとか…そう、回りが無言で必死に圧をかけまくったおかげで踏みとどまり、和解に来たはずなのに一触即発だった一心と仙峯上人の戦い(大惨劇)は避けられた。

 

…多分その時に戦いが起きてしまっていたら巨大な"アシナ湖"が名物になっていただろう。

説明文は『アシナ跡地。生き残りは殆どなし。アシナは最も悲惨な殺戮の舞台となった』と言ったところだろうか。弦一郎殿は修羅に直滑降だ。

 

「教える者と教わる者の関係などそんなものよ!のぅ、お蝶!」

「あたしに振るんじゃないよ。狼を森に放り投げたこのじじぃ()はともかく、あたしは森の中では死なない程度にやったつもりさ」

「…?」

「なんか言いたいことがあるなら言葉にしたらどうだい。狼」

「え?狼ってお父ん()お母ん(お蝶)に直接叩き込まれたの?よく生きてたね。あたしと猩々以外だと再起不能か死んじゃってたもんねぇあれ」

 

梟が咳払いを一つ。

 

元気あり余り(一心)じじぃが好き勝手に話を振り始めればどんどん脱線する未来が見えた梟は、話が進まなくなりそうなのでさっさと本題に入りたくなっている。

なんで儂が抑え込む役割をせねばならんのだ。

 

「それで?不死斬りを扱うなれば、やはりこの中の誰かしかおるまい」

 

間違いなく強大な力。

使い手を選ぶだろうが、刀に振り回される人間は少なくともここにはいないと言うのは誰もが思っていることである。

それもあってか、弦一郎は一早く意見を口にした。

 

「おじい様。"開門"を」

「…弦一郎よ、何を心配しておるのだ…おまえが使うのが筋と言う物よ」

「しかし…」

「カカカカカカ…(竜泉)も飲んだ!米も食ろうた!…(みなぎ)っておるのよ!刑部から突き返された槍もあるからのぅ。不死斬りなんぞにかまっておる余裕もなかろうて!ものにして見せぃ…」

 

ただ弦一郎は心配だったのだ。

当主としての責任もあれど、心に余裕が出来た今は祖父の事を純粋に案じることができるようになっていた。

 

だからこその"黒"。

剣気(覇気)とは意志の力。

それだけでボロボロぼ身体を支えてきた一心に、弦一郎は持っていて欲しかった…

 

「…分かりました。皆、勝手で申し訳ないが、"開門"は俺に使わせて欲しい」

 

だがそんな憂いをすっぱり切り捨てた。

何故?そんなもの一心を見ればわかる。ただそれだけのことだった。

 

「妥当な線じゃな」

 

そう梟が呟く。

不死斬りは確かに強力であろう。

だがだからこそ、梟やお蝶などの戦い方がその身に染みている老練の忍びには逆に枷になってしまう。

 

お蝶はそもそも刀を扱う忍びではない。

刑部やムジナも然り。

半兵衛やエマ、猩々は辞退するだろうし、川蝉に関しては妖刀?ふざけんな!と結構ビビっている。さっきのはそれが理由か。

 

ちなみに一心は常に進化するので多分使いこなせるだろうというのが満場一致の考えである。出来ないわけがないだろう、とは梟の言葉だ。

 

それに聞いた限りでは"開門"の方が弦一郎の戦い方に合うはずだ。

巴流を扱う以上"刃の音色"を乱す可能性の高い、剣気を吐き出す"拝涙"よりは。

 

ではそうなると、"拝涙"は―――

 

 

 

「―――狼、おまえが使ってくれ…いや、おまえこそが相応しい」

 

弦一郎は真っすぐと、その迷いのない目で狼を見、かつての宿敵とも言える狼に歩み寄る。

竜胤を巡る争いの中で二人を見てきたエマにとって、それは口元が緩むような、眩しい光景だった。

 

アシナの当主に、九朗が問う。

 

「弦一郎殿…よろしいのですか?」

 

九朗の心配も最もだ。

まだわだかまりが解けて浅く、九朗ならばともかく狼となると彼にとって因縁とも言える相手だったのだ。

 

しかし九朗もまたアシナの当主、弦一郎を誤解している。

血は繋がっていなくとも一心の孫、ならば柔軟に全てを取りれるようにと育てられてきた。

火牛のような動物や異端の力をも使う様はまさにそれだ。

 

だからこそ躊躇しない。それが必要ならば。

…そしてもう一つ、当主ではなく弦一郎としての思いもあった。

 

「九朗よ…俺は何もできなかった。だが狼は違う。竜胤の力があったとて、到底成し得るとは思えないようなことを成し遂げたのだ…俺は…()()()()()()()()()。だから狼よ、共に背負ってほしい。この重荷を」

 

彼も己を打ち破った相手に見事と笑える男だった。

アシナだとかそんな執念がなければ、きっとそうだったのだ。

 

差し出された刀は"拝涙"。

背負うは不死斬りかアシナの行く末か。

 

狼は跪くことなくその刀を受け取る。

本来ならば弦一郎は今こそ頭を下げるべき相手、しかし弦一郎がそれを望まなかったのだ。彼らの関係は、ちょっと奇妙かもしれない。

 

だが、この二人の姿は少々堅っ苦しいが、どこか一心と梟の関係を思わせるものを九朗は感じた。

 

()の頃初めて知った一心と梟のようなやり取りを、弦一郎と狼がいつかするようになるのかと思うと九朗はつい笑みが零れてしまう。

それはエマも同じ気持ちで、ここに来て浅いイブキですら微笑ましく見守っていた。

 

「―――御意のままに」

 

「頼んだぞ…狼よ」

 

ここに二振りの不死斬りがアシナの手に渡った。

きっとこの担い手ならば正しく人のために使われると、そう確信するように刀が僅かに身震いした気がした。

 

 

 

 

 

「…して、静殿。一つ頼みがある」

「…?何でしょうか?」

 

 

 

 

 

「巴の…ミナモトの宮の剣技を知る者に、手解きを受けたいのだ。狼よ、おまえも是非とも知って欲しい。今は亡き主従(巴と丈兄様)の、あの"舞"を―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、頭を下げてくる弦一郎と九朗と狼とついでに一心に詰め寄られるお凛(宮の剣士)がいたらしい。

四名はその場で何曲か困惑を表す演奏を聞かされた後、お凛の師であり静の母でもある"(みなもと)流"師範の磯禅師(いそのぜんじ)が宮より引っ張り出されることとなった。

 

 

ああ、きっとその舞は白い桜のまぼろしを見せてくれるだろう。

そう遠くない内に―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○○○○○○○○○

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「弦一郎殿はご存じでしょうが、ミナモトの宮の剣技は元々は神なる竜(桜竜)の恵みである水を尊ぶための舞だったそうです」

 

所変わって船の上。正面にはあたり一面を覆うあまりに濃い霧。

一寸先も見通せぬとはこのことだろう。

 

そう、既に一月以上が経ち、彼らはワノ国へと船を出したばかりだ。

 

今や使われることのなくなったあまりに古い木造帆船の弁才船(べざいせん)が三隻、霧を前に足を止める。

 

かつて海運のために使われていた帆船で、弁才船の中でも樽廻船(たるかいせん)と呼ばれる酒樽を運ぶために使われた貨物船らしい。

酒樽を運ぶ都合で船倉を広くした種であり、ちょうどよく人員を船内に収容できたのは幸運と言えよう。

 

ちなみに旗艦の名前は「九十九(つくも)号」だ。

茶屋(つづらや)の名前と同じ漢字を使っているが、実はどちらも九朗が考えた名前である。

九朗様とて気に行った言葉を乱用する衝動には勝てなかった。でも「おはぎ号」とか言わないだけましだと思う。

刑部が提案した「タイタニック号」は何故かすこぶる不評だった。

 

「故にその刀により奏でられた音色は()()()()()()()()ように研ぎ澄まされてきました。それは()であり()。霧はまぼろしを形作り、雲は雷を呼ぶ。霧を使った幻術は、稀ですがアシナでも見られるはずです」

 

精神を惑わす類ではなく、霧により()()を持ったまぼろしを作り出す術のことを静は言っている。

極めれば直接外傷を与えることができる程のものだ。

アシナの忍びが扱う幻術は基本的には精神への攻撃手段が主だが、例外はここにいる。

 

「あたしの幻術がそうだね。鈴の音を主に触媒に形作ってるよ…あんたや狼がもう少し器用だったらね」

「お母んのそういう器用な所は真似出来なかったからなぁ…あたしはいい感じの音色の笛が吹けるぐらいだし。お父んも出来るよね。油とか混ぜて燃やしてたけど」

「手の内を明かすでないわ」

 

そう言って梟は狼の方をちらりと見やり、聞こえてないことを確認しては少しほっとしたかのような表情をするのを、お蝶と川蝉は見逃さなかった。

このご老人、(川蝉)が戻ってきてからなのか(イブキ)のせいなのか、身体が闘争を求めてるというなんとも困った状況になってしまったのだ。つまりちょっと一心化が進んでいる。昔に戻ってきたとも言う。

 

しかし一度ずれにずれた彼の中の歯車は早々戻りはしないだろう。

今でもワノ国に野心を燃やし、狼との死合いを望んでいるのだろうか…

これは誰にもわからなかった。

 

「話を戻しますよ?つまり、この一面の霧の対処方はまさに我々の領分なのです。信仰もあるのでしょうが、この霧があったからこそこういった術を身に着けるに至ったのでしょうね」

 

二百年ほど前までは比較的開かれていた土地だったのだ。

霧を開く術があるのは当然で、逆に外海にその術が伝わっている可能性もある。

得心(とくしん)がいったと言うように九朗が感心する。

 

「なる程、どのようにして外海からアシナへ渡っているかと思うたらそういうことだったのですか。まさにアシナらしい歴史ある術ということですね。アシナや宮の守りの為にもあまり(おおやけ)にはできないのでしょうが、いつかこの土地の歴史について宮の者と語らいたいものです」

「ふふっ、ミナモトの宮のように昔から笛によってその音色を学ぶ我々ならば、このような霧はちょちょいのちょいですとも」

 

説明役が自分しかいない(お凛、シラフジ、シラハギはどう考えても向いていない)ために宮への賞賛の声も自分一人に集約される。

自分のことではないが静はちょっと調子に乗ってきていた。

 

「ふむ、ではさっそく見せてもらおうか」

 

ずいっと口を挟むのは梟だ。彼もまた渡る術を身に着けた男。

でもどこか挑発的な気が…

そんなことを考えた静ではあったが、アシナには伝わっていない笛を披露することに矜持やらなにやら刺激されてさっさと笛を取り出した。

 

さあ、宮の笛の心髄を、アシナに轟かせるのだ。

 

美しい音色と共に、それに乗せられた剣気があたりに穏やかに響き渡る。

それは思わず桜を幻視する程…いや、実際に霧で形作られた白い桜の花びらが舞っているではないか。

 

成程ミナモトの宮の長という肩書に恥じない術、同時に美しさをも極めたそれは確かに船に乗る多くのアシナ衆をも魅了した。

 

次の瞬間、目の前の濃い霧が蠢く。

それは目に見える速度で渦巻き、穴を穿つがごとく大きな空間が出来ていく。

一直線にまるで筒状に道が出来るように霧をどかし、遥か遠くに霧を越えた先の海がぽつんと見えている。

おお!と思わず、と言う様に辺りから歓声が聞こえる。あぁただ霧を開くだけでこの歓声...嬉しいぞ!

 

 

 

そんな感じで乗りに乗りまくっていれば隣から別の笛の音...

はて、一体誰の...?

 

ちらりと見やれば白髪の白髭の大男、我らが梟ここにあり。

その自分と謙遜ない演奏に静は思わず息を止める。当然笛の音も止まる。

 

この特技に驚かないアシナの人間がいるだろうか?いやいない。

一心やお蝶など旧知の連中は知っていたようだが、狼さえ目を瞬かせた程である。イブキは個人面談(カウンセリング)中に聞いたのか、感心はしていたが驚いてはいなかった。

 

それもそのはず、川蝉が指笛を扱うのは、それを教えたのが梟だったからだ。

笛の才能はお蝶ではなく梟から受け継いでいたのだ。

猩々もそのことは知っているので、船の奥で何故か半兵衛と共に仏を彫りながら懐かしんでいることだろう。

 

しかし...桜は舞っていない...!

後退(あとずさ)りしそうになった体を押し留めたのはそれだ。音色は素晴らしい。だが一流の笛とは!その最中にも花びらを舞わせるような小粋さを忘れないということ!

 

なけなしの矜持が靜に粗探しという批評的な思考へと誘う。

一流なれば己が喉にも届きうる牙をも笑って褒め称えるべきだったのだ。

 

ここに精神的勝敗が決していた。

 

そしてこれから、技術的にも彼女は打ちのめされる。

 

閉じかけた霧が再び蠢く。

しかし突如手前から四方八方に何かが飛び出す。

 

それは霧のカラスだった。

その数最早数えるのも馬鹿らしいほど!

目の前の霧がはばたき、カラスの群れが飛び去り晴れ渡る。

 

その群れはぐるりと彼らの船団を回ると再び霧の中へ飛び込み、その軌跡が穴となり先程のように道が開かれた。

 

ここにいるほとんどの者が知らなかったことだが、梟のまぼろしの練度はこの一点に限りお蝶のそれをも越える。

今はまだ霧とわかる見た目だが、本気のまぼろしは青白い確かな形で()と成り、姿を表すのだ。

 

そして対抗心で手の内を見せびらかしてしまった梟は己の年を自覚した。咄嗟に白いカラスにしたんだろうけど、やっちまったなぁお父ん。黙っておれ。

 

こうして静の矜持は踏みにじられた。

誠に大人げないじじぃである。

 

そんな人魚だけに死んだ魚の目をした静の矜持を置いて九十九号は進む。

先程までいた場所は霧に閉ざされた。静の口と心も閉ざされた。さらば長の自尊心。

 

それを揶揄(からか)ったシラフジとシラハギ姉妹はフライングドライブオーバーヘッドの鋭く伸びあがる蹴鞠を食らって海へ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イブキが()()の休憩を挟んだ静にお茶と、彼女が能力で生み出した米で作った煎餅をエマと共に持ってきた時のことだ。

 

「そういえばなのですが、この梟殿の永久指針(エターナルポース)が正常に動くのも、この霧渡りの(すべ)によるものなのですか?」

 

べべん…べんと三味線の音が聞こえる中、イブキは静に問いかける。

 

アシナを覆うこの霧は深く広いため、抜けるまではずっと()を維持しておかないといけないのだが、今はお凛が静の代わりを請け負っている。

 

…ただ、剣士としての腕は立つが霧を操る術はまだ静や梟の域に達していないようで、霧も縦列で航行する三隻の船の側面まで迫っていた。

 

御神木(桜竜)から溢れ、流れる温かい水による気温の逆転がこの霧を生む気候を形成しているということはお話ししましたね?」

「はい。それが源流で川に混じり、アシナ特有の水が生まれているという事も」

 

桜竜から生まれる水はそれだけで普通の水を越えているそう。

加えてアシナの山頂付近では"磁鉄"が手付かずだ。

 

磁鉄とは、それで鍛えると硬い鋼となるために、アシナにとって磁鉄は貴重な銭の種となる。

だがこれが採れる岩盤は稀で、採りつくされつつある。

 

だがミナモトの宮のある山頂付近では誰も行けないからというのもあるし、宮の人間が()()()()()()ためにあえて手を出していない。

 

どういうことかと言うと、川は"磁鉄"のある層を削って出来たらしいのだが、この手付かず故に強力な磁鉄の"磁力の間"を流れるために…―――結果だけ言うとおいしい水になる。

色々小難しい話はあるが"磁気活性水"というやつだ。

これは全てに作用するわけでもないが農業用水としても優秀で、まさに豊穣をもたらす水なのだ。

 

ただし、それは宮の中で諸説ある内の一つで、「桜竜から生まれた水が素晴らしいだけ」という事もあり得るらしい。

 

静はそのまま水の素晴らしさを語りたくなった…が、先ほど色々とべきりとへし折られたことを(かえり)みてやめた。

 

「…ともかく、この気候が生む霧によってアシナは守られているわけですが、それだけではただ視界が悪いだけなので問題なく永久指針でアシナに辿り着けます」

 

ではたどり着けない理由は?と言えば何らかの力によって指針が狂わされてるからにほかならない。

静の言葉を引き継いだのはイブキの隣のエマだ。

 

「今話にありました磁鉄が関係しているのです。アシナの地層に含まれる磁鉄が、流れ落ちる滝に僅かに削られ水飛沫(しぶき)と共に舞い上がり、それが霧に混ざり合うことが結果的に磁場を乱しているようなのです」

 

海へ流れ落ちる滝の中にはそういった磁鉄を含んだ層を通るのだが、これはアシナを守るための機能として働いているために採ることは固く禁じられている。

 

誰だって死にたくはない。特に、アシナの天狗が出ると聞けば尚更。

 

「そして何故指針が正しく機能しているかというと、それを私たちが抑え込むことが可能だからです」

 

ちなみに島の磁鉄が記録指針(ログポース)に作用して記録され辛いという話もあるが、それは関係ない。

せいぜい記録(ログ)が溜まるまで時間がかかる程度だ。

エマが霧のにより指針が乱れる実態を話す。

 

「冷えた霧の中で、外海からの風にかき混ぜられた磁鉄の成分を含んだ氷の粒子がぶつかり合い、静電気と共に小さな磁場があらゆるところで生まれるのです。そしてそれが指針を惑わせている…と考えられています」

 

寒暖の天地逆転の例えをいつしかしたが、これは所謂雷雲の生まれる過程に近い。

積乱雲のように分厚い()があるわけでもないので、種類の違う(プラスとマイナス)電気の電圧差が生まれないために放電は起きないが。

 

「その氷の粒子同士がぶつからないように抜け穴内部の表面で固定すると、それが逆に周囲の磁場からの遮断幕となり、ちゃんと先まで抜けてさえいれば指針がぶれることはなくなるということです…正直言えば私もあまり原理を理解してはいないのですが」

「ええ、私も確信を得ているわけではありません…何分、閉ざされた地ですので」

 

エマが残念がるのも無理はない。

アシナの辛いところは他国の事象や文献を見ることが出来ないことだろう。

稀に流れ着く者があるとは言え、技術が二百年前で止まってしまっているのだ。

ワノ国とは違った鎖国国家と言っても差し違えない。

 

…果たして偉大なる航路(グランドライン)の、ましてや新世界で起こり得る事象が参考になるかは疑問しかないのだが、それは今の彼女たちには預かり知らぬことだ。

 

「とは言え古くから伝えられ、理解できないなりにも洗練されているのは間違いありません。ただし、この霧渡りの術は当人の技量と体力に任せられるので、安全を期するならば交代要員は必須です…梟殿は一人でもいけそうですけど」

 

その言葉にイブキは梟の愚痴を思い出す。

 

確か、毎回毎回霧をどかすことのできる者が自分しかいないから大変だ、と言っていた。

 

「…もしや頻繁に行き来していたから鍛えられたのでは?」

「あー…道理で上手いわけですよ…」

 

ここでも年の功ですか…と静は溜息を一つ。

彼女もやはり長として悩みが多いのだな、とそれをイブキは労わる。

 

…指針の疑問は解消したがもう一つ、イブキには桜竜のことを聞いた時に気になっていたことがあったのを思い出す。

失礼なことかもしれないと遠慮していたが、もう思い切って聞いてみることにしたようだ。

 

「…その、桜竜は眠っているという事でしたが、目を覚ましてこの地を離れることはないのですか?ワノ国へ帰郷するようなことは…?」

「…わかりません。上人様は詳しくは教えて下さらないのです…ですがそうなっても喜んで送り出さねばなりません。数百年もの間、豊穣をもたらしたのは一重にかのご神体のおかげなのですから…」

 

―――あぁそうか、だから()はこの懐旧の念を抱いているのですね。

いつか、そういつかきっと―――

 

「―――いつか、()も帰られるといいですね…」

「………え?今、何と…?」

「―――え?私は何か言ったでしょうか?」

「んん?…いえ、違うならばいいのです」

 

彼って言いましたよね?と思いつつも当人がそういうのだからと静はこれ以上触れないでおいた。

エマも不思議そうにしてはいるが、追及する気はないようだ。

 

「?そうですか…その桜竜殿()は目を覚ましたことは一度もないのでしょうか」

「あぁ~私が生きている間であれば一度だけありましたね…ですがその…」

「何かあったのですか?」

「国盗り戦の十年ぐらい後の話です。私が長になる直前にお家騒動がありまして…丈様の義父がアシナに攻め込んだ話は聞いていますよね?」

「はい」

 

猩々が当時の長、丈の義父を討ち取り収まった戦のことだ。

青錆びの毒を仕込んだ小太刀を使ったのだ、とエマが補足をしてくれる。

 

「その一派がもう一度騒ぎを…ご神体(桜竜)を無理やり起こして…」

「まぁ…それは…」

「そして上人様の雷が落ちました、文字通りの意味の。本気の雷ですね…おかげで湖が一つ出来上がりまして…さらに暴走を止めるために止むを得ずご神体(桜竜)の左腕も…」

 

まさに弦一郎と仙峯上人が戦った湖とはそれだったのだ。

もし仙峯上人が逸らした雷が直撃していれば…どうなっていたかは想像に難くない。

 

十三年前ということだが、どうやらイブキはそのことについて心当たりがあるようでもしや、と口を開く。

 

「…それは十三年前の"白昼の大雷"のことでしょうか?」

「あぁ、私も思い出しました。驚いて、存命(ぞんめい)の道玄様が薬水をひっくり返したことを覚えています」

「そんな言われ方していたのですね…死火山の金剛山がもう一度火を噴くのではと思う程の衝撃と轟音でしたから、何かしら伝わってるとは思いましたが…」

 

しみじみと静は思い出す。

 

結局今回の弦一郎の時と同じで仙峯上人が速やかに鎮圧したので当のご神体(桜竜)の姿を見れなかったのだ。

余程腹立たしかったのだろうなぁ、とその解決速度に舌を巻いたものだ。

 

―――普段はそのご神木のお姿しかお見せになられないですからね…―――

 

ちなみに弦一郎来襲の際、静が観戦していた時に乗っていた大桜のことである。

罰当たりにみえるが、宮の長が木を守るための定位置の様なものなので誰も咎めたりはしない。

そこから長距離射程の神速の蹴鞠が飛んでくるわけで…

 

「そう言えば…十三年前と言えば九朗様が産まれた年のようですね『大雷の年に産まれたのだ』と言っておりました」

 

ふと思い出したのか、イブキはそんなことを言う。

静は目を細めてこう言った。

 

「おやそれは…面白い偶然もあったものです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

未だ霧の道を弁才船が行く中、船内の一室にてその男たちは蝋燭の明かりを囲み盃を傾ける。

 

古い船故に木の軋む音があたりを包んでおり、遠くから笛の音が、或いは三味線の美しい音色を掻き消していた。

 

「ただオロチとカイドウを討てばよいわけではない。我々が首を刎ねただけではワノ国は変わらず死を迎えるのみよ。物騒な、しかし絶対的な力を持つ後ろ盾を失い、歪な格差が残り、汚された土地に絶望する。これでは助命ではなく、延命にしかならん」

「かの将軍も全く面倒なことをするものよ…水を汚すなど…アシナの怒りに触れるには十分と見える」

「ふん。所詮我らは部外者、だからこそ部外者なりのやり方がある…当事者の陰に潜むのよ。かの侍共(光月)のな。やつらが大義名分を持ってきてくれる。使わせてもらおうではないか、その御旗を」

「ほぅ?儂を御旗にするのではなかったか?」

「分かり切ったことを聞くでない。弦一郎が戻った今そうもいかぬだろう…それに、そんなものなくとも良い連中が多くなりすぎた」

「大忍びも随分と読み違えたものよ!儂らはもはや老害と言ったところか」

「…話を戻すぞ。侍共はせいぜい火祭りの夜に仕掛けることしかできんはずだ。後は紛れ込み、しかるべき時に仕留める」

「まるで梟のようなことを言いおる」

「これは狩りよ、一心、お前がいるならば」

「カカカカカカ!勝手に言いよるわ!では、"竜狩り"と洒落込もうではないか」

「斬るべき者を斬れよ一心。御子共との約束もあるからの」

「"最も血を流さぬ道"などとはな………あまりに甘い。だが九朗とあの御子(イブキ)…それに弦一郎までもが言うとなればな…面白い!戦の折には必ず大馬鹿者どもが現れよる!大馬鹿の先駆者(国盗りの体現者)として、若いもんの道をちぃとばかし開いてみようではないか!老害共がアシナの流れ旗を掲げて走ろうぞ!!」

「儂の得物も残しておけよ、一心」

「カカっ!お主もやはり馬鹿者じゃ!」

 

―――人知れず、そんな老人たちの会話が、あったと言う。

 

 

 

船は未だ霧の中。

だが一心と梟の頭の中に既に、それぞれ思い描く行く末がある。

 

"迷えば破れる、惑わば死ぬる"

 

五里霧中とは縁遠い彼らが神なる竜の故郷に辿り着くのは…もう暫し先。

気づけば笛、或いは三味線の音が聞こえてこない。

 

霧が晴れたのだ。

 

 

 

 

 






■言い訳タイム

程々に書けてきた
    ↓
隻狼のアップデートが来るも、クリアできないのでやり込む
    ↓
インスピレーションが湧いてくる
    ↓
文字数が跳ね上がるうえに書き直しも出てくる
    ↓
1話で収まらなくなる………ので断腸の思いで2話に分ける
    ↓
身体は闘争を求める ←今ここ
    ↓
アーマードコアの新作が出る



投稿遅れをアップデートのせいにする大馬鹿者がいるらしい。
私です。
あんなの見せられたら色々湧きますよ。
ゆるさねぇ!あんた(フロム)は今再びッ!俺の期待を『上回った』ッ!ごめんなさい。
ただし"死闘踏破"。あんたはダメだ。というかなんですあれ???見た時思わず爆笑でしたよ?

もう最終話はほぼ書き終えているのですが、冷静になってもうちょっと見直したいので時間を下さい。一週間以内には出せるはず…です…多分………



■(主に)隻狼との違いまとめ

桜竜:ワノ国より遥か昔流れ着いた。"木"であり"竜"である。仔細はいつかワノ国編にて。
不死斬り:覇気持ち長生き妖刀。ある意味噂通りだった。拝涙は桜竜関係。開門は覇気貯蔵庫。
幻術:音色で空気中の水を操る術。お蝶のまぼろしも巴流の雷も使い方が違うだけで同じ技術。
アシナを覆う霧:とんでも理論。触れるべからず。
イブキ:コメコメの実モデルアシナマイの植物人間。土地の特性に影響を受ける。
九郎:最近狼の回りも賑やかで嬉しい。保護者。
弦一郎:共に舞おう。アシナの桜をかの国で咲かせるのだ。
狼:おはぎ。
川蝉:あんま怒られなかったけど自分を見る両親の目が怖い。妖刀も怖い。
梟:笛が上手く、娘に受け継がれた。高身長から繰り出される体重を乗せた蹴りが炸裂した。
お蝶:幻術を娘は受け継いでくれなかった。人生で一番良いと断言できる蹴りが炸裂した。
猩々:川蝉の居場所を知っており、だから狼に落ち谷の情報を渡せた。あの蹴りはやばかった。
静:色々知ってる身なので出番が多い。大海賊キャプテンウィングを尊敬している。
磯禅師:史実にて、宿所に鎌倉の御家人たちが押しかけて宴会を催した時、彼女は舞を披露した。


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(まい)

清き水は流れ出ずる 豊穣は(もたら)される

※後書き一番下に挿絵追加しました。







「―――見よ!!麗しき『花の都』!!絶景かなワノ国!!」

 

そこを見渡せば絶景。

桜が咲き誇り、花びらが舞う。

遠くには藤山が高くそびえ立ち、巨木の上には立派な城が建つ。

 

ここには視界を隔てるものは何もなく、きっとこの景色を見れば誰もが"絶景"と賞賛するだろう―――否。

 

「聞こえているかオロチ!!貴様は広大にあった森や草木も川や(さと)も!!欲深きドロで汚していくだけの!!!」

 

「ただの害虫だ !!!」

 

しかし、とこの男は言う。

"そんなものは欺瞞(ぎまん)でしかない"と。

全ては汚され、最早麗しい桜の根の下にも隠し切れない程に汚泥が溢れだしているのだと。

そしてその元凶の名を指し、声高らかに責め立てる。

 

見せしめのために磔柱(はりつけばしら)によって高所に磔にされた死にかけの男―――"霜月康(しもつきやす)イエ"は、そしてこう言うのだ。

 

「"器の小さき男には―――"」

「"―――一生食えぬ『おでん』に(そうろう)"」

「ワハハハ!!」

 

「お父ちゃん!!」

「ヤス!?」

 

大声で笑う、その男の覚悟たるや桜の如し。

散り際を目前に腹を決めた男の言葉は、ある者には美しく、ある者には薄汚く目に映る。

 

彼が死ねど、最早その美しさ(真実)に魅入られた人々は幾度も涙と共にこの光景を思い出すだろう。

 

(くさび)は打たれたのだ。

 

「子供らの目を塞げ!!『光月』に仕えた"最後の大名"が、いやさ"えびす町のお調子者"があの世へ参るぞ!!!歌ってゆこうか!!!あらよっと♬」

「康イエ〜〜〜〜〜〜!!!」

 

怒号と共にガチャリと重い金属の鳴る音が周りからいくつも響いてくる。

駕籠(カゴ)の中から身を乗り出し銃を構えた怒り狂った"オロチ"も、磔にされる康イエに狙いを定めた。

その様子を、康イエは目に入れることもせず、最後まで自分を見上げる大衆へと視線を回し続ける。彼らの顔を目に焼き付けるように。

 

 

 

(行け鬼ヶ島へ!!主君の仇を討ち果たせ!!!吉報をあの世にて待つ!!!)

 

 

 

 

(許せおトコ!!お前を残してゆく父を――――――――――――………桜…?)

 

 

 

 

数多の銃声。

 

欠片も残すまいと幾重に響く銃声に、一人残す自身の子を想ったその時。

 

康イエは目の前に、美しく舞う白い桜を見た気がした。

 

ワノ国の桜と同じようで違う、その薄い花びらの内に秘める美しさと清さに思わず彼は見惚れる。

 

―――あぁ、この桜はどれ程清く美味い水を飲んで育ったのか―――

 

気付けば舞っていた桜は消え失せ、代わりに花の都の桜が目に入る。

ワノ国のドロを吸い、悲しく咲き続けるドロ桜だ。

 

「おい」

 

それを見て康イエは現実に引き戻され、次いで頭上より発された壮年の男の声に思わず呆け顔のまま痛む首を持ち上げた。

その目が、顔を()()()()()声の主と合う。

 

…恐らく壮年の男だ。

黒い忍び装束のような恰好をした、だがワノ国では見ない造りの。

その背には腰の刀とは別に一振りの大太刀が背負われていた。

 

「トノヤスさ〜〜〜〜―――え?」

「ヤスさ―――ん?」

「康イエ様〜〜〜〜―――あれ?」

「お父ちゃ―――ぅえ?」

「ゾロ十郎さん!トコは…!?」

「なんつー剣を使いやがるあいつは…はっ、そうだあいつどこ行きやがった!?」

 

「―――はっ!?」

 

そしてオロチすらもその()に思わず一瞬見惚れた。

いつの間にそこにいたのか、康イエが磔にされている磔柱の僅かな先端に器用に両爪先でしゃがみ込む男。

 

その男がオロチや彼の配下が放った鉛玉を一つ残らず弾いたのだ。

まるで舞うようにその不安定な足場の上を時に跳ね、時に回り。

 

その姿に見えるはずのない白い桜の花びらを幻視した。

 

いつしか誰一人例外なく手元の銃の引き金から力が抜けており、銃口さえも地面に向けて火薬の匂いを吐き出すだけとなり果てている。

 

「無事か」

「―――あんたは…?」

「言えぬ」

「…では、何故だ?何故…助けた?」

「…」

 

 

 

 

 

「…我が主が、無益な血が流れることを許さぬからだ」

 

 

 

 

 

そのまま答える暇を与えられずに忍びと思われる男に抱えられてしまった。

見れば自身を縛る縄は既に切られている。

一体いつの間に?と思う暇もなく、康イエを抱えた男は不安定な足場から跳躍した。

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぅ!?」

「…」

 

説明もなし。いや、飛び降りるとは思わんだろうに。

この男、何も言わずにお構いなしだ。

と、急に引っ張られるような圧力。そう、縄に内蔵が引っ張られるような、下から上へと振り回される。

次いで浮遊感―――を感じる間もなくまた引っ張られの繰り返し。

 

弱った身体にはきついが、その中でも康イエは冷静に状況を判断しようと重い瞼を開いた。

 

よく見ればこの男、左腕が奇怪な義手ではないか。

釣り竿の釣車(ちょうしゃ)のような構造が見え、そこから放った鍵縄を器用にも建物の屋根や物見櫓の出っ張りに引っ掛けて自在に飛び回っているのだ。

 

それが康イエが意識が途切れる前に確認できた光景だ。

些か、衰弱した身体には負担が大きかったようで間もなく目の前が真っ暗になった。

さすがの器の大きさか、もう少し気を使ってくれとは康イエは思わなかった。

 

「お、お父ちゃ~~~~~~ん!?」

 

おトコは思わず叫び直した。

どこぞの誰とも知らぬ男に父が(さら)われたのだ。とても怪しい忍びっぽい不審者に。

一難去ってまた一難とはこのことであろうか。

 

「ま、待って!!お父―――むぐ!?」

「お静かに。おトコ殿、さぁ何も言わずにこの飴を噛みしめて」

 

おトコは後ろから口を塞がれる。

 

さらには口に何か入れられてしまい思わず吐き―――出すことはせず、声の主が誰なのか気づいたために言う通りにした。

不思議な味のする、こんな表現はおかしいと思いつつも、そう、月のような味がした。

 

「(()()()!!)」

「(もう、あなたは狙われているのですよ?ご安心を、貴方のお父様は私の友人が責任を持って送り届けます)」

「(本当!?)」

「(ええ…さぁ、参りましょう)」

 

()()()()()()()をしていた童―――康イエの娘の"おトコ"は尼僧(にそう)の恰好をした女性の言葉に顔を綻ばせる。

そうして二人はまだ騒ぎの収まらない喧噪の中、()()()()()見つかることもなくこの場を後にした。

 

それと同時に、各所に息を潜めていた影も彼女の後を追うように人知れず消えていったのだった。

 

「(頼みましたよ 、狼殿―――)」

 

尼僧の恰好をした女性―――イブキは康イエを連れ去った忍びの無事をただ祈る。

 

―――オロチが逃げ出した康イエにご執心の間に事態は既に動き、そして終わった。

それはこの場にいた強者含め誰もが例外ではなく、陰に潜むもう一つの勢力に気が付くことは無かったのだ。

 

『―――こちらの撤収は完了した』

「見事なお手際です。こちらが何をするまでもなかったではないですか」

『それが忍びよな。しかしお()()がやつを捕まえた時にどうこうすれば手間など無かったのだぞ』

「お許しを。敵味方入り乱れておるのです。私の立場でもおいそれとは行きません」

『わかっておる。後は手筈通りにな』

「承知しております―――――――――梟様」

 

 

…幾人かの裏切者を除いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一月程前―――――――――

 

 

 

―――各船に三十三人。()めて九十九人…と(鬼鹿毛)(獅子猿)を入れた二匹がアシナのワノ国へ赴く人員である。

船はいよいよ霧の道の出口へ近づき、次第に波もその高さを増してゆく。

 

「間もなく霧を抜けます」

「よし、おじい様にもお伝えしてくれ」

「はっ」

 

「一心様が見当たらぬ!」

「何!?もしや隣の船に…?」

 

「―――全く…あの人は…」

 

九十九と二匹という少人数になった理由は、船の本来の積載量に余裕はあるがあまりに古いがために無理が出来なかった故だ。

 

場合によっては引き返し、人員を補充することも考えられている…とは言え、今回は()()()()()戦い方をするわけではないので必要最小限の精鋭で構成されている。

また、アシナ自体の守りを(おろそ)かにするわけにはいかないから、という理由も付け加えられる。

 

「いよいよアシナの外へでるのだな…うぅむ」

「お米で船酔いは治りましたか?それに九朗殿、霧の外へでても島が見えるのはまだ当分先になるのですよ?」

 

「それは、なんだ…?」

「あぁ?あぁ、おめえさんたちかよ。俺のガキにお守りとして貰ったんだがよ、ほれ、ここに」

「『テン吉から、ムジナへ』、と…戻った暁には隻猩(せきじょう)殿に頼んでご子息殿への贈り物を作って貰ってはどうだろうか」

 

梟の手に落ちたワノ国の間者が情報を操作しているために、この機にアシナに攻め込まれることはないはずだが、そんな希望的観測で考えるような者はいない。

仮にも四皇の一人がいるのだ、何が起こるかなど分からない。

なので、十分対応できる戦力を残してある。

 

しかし、一心を始め弦一郎までもが乗り込んでおり、さらには大手門を守る刑部さえ国を空けると言うのだから些か心配にもなる…などという事はなかった。

 

「猩々ぅ、ここまた緩んじまってさぁ。ちょいと見てくれよ」

「全く…相も変わらず使い方が荒いのよ」

「…へぇ?()()()()頻度で来てたのに、ずっと黙ってたわけかい…」

「よもや儂が気づかぬとはな、腕をあ「黙ってな」…ぬぅぅ…」

 

イブキがワノ国へ行くことを説得するためにオチの村に一度戻った際、もしもの時は村の僧や"らっぱ衆"などの忍びがアシナのために戦う事で話を付け―――る前にそういうことになっていた。

これはイブキの従者であるオボロらが事前に働き掛けていたこともあるが、やはりイブキの意向が"そう"であったから"そう"なった、としか言えない。

 

それ程までに彼女が村にとっての大恩人であり、絶対的存在なのだ。

飢餓(きが)を救い、竜泉を生み出し、誰もが健康に生を全うできる場所。むべなるかな。

言うなれば村全体が狼のようなものだ。それは言い過ぎだった。

 

とにもかくにも頼もしい増援がいるのだ。

 

「エマ殿!船倉から頼まれた物を持ってきましたぞ!」

「刑部殿、お手伝いしていただけるのは結構なのですが、槍を置いていただけると…それと一心様も」

「カカカカカ…こいつに(なら)って馴染ませてるのよ!」

「もっと早く…取り上げておくべきだったのか…」

 

それだけではない。

ミナモトの宮の協力をも得られることにもなっている。

静が語った通り、一心との古い約定に従ってくれたのだ。

 

…多分そんなことしなくても、カイドウでも来てしまえば仙峯上人(せんぽうしょうにん)が飛び出してくるのは確定してしまっている。

 

それは静が伝えたある言葉のせいだ。

カイドウとオロチを指して"神なる竜の故郷を汚す野蛮な竜"と静が教えてしまったのである。

内容は割愛するが、梟から聞いたワノ国の惨状を小一時間程話に尾ひれをつけて語ったそう。

なので乗り込もうならばきっと初手で最大級の雷が落ち、地図が書き換わるだろう。南無三宝。

 

「よくもまぁこんな冷える場所で軽装でいられるもんだねぇ男どもは」

「それはあたしが野郎みたいだって言たいのかぃ?毒沼で過ごす内に随分とひ弱になったもんだねぇシラハギぃ」

「あ゛?」

「(何故笛を吹いてる私の所でじゃれついてるんですかねぇ)」

(やかま)しいぃ…うぅ…」

 

ちなみに宮の長である静が飛び出すことはなんら問題視されていない。

良くも悪くもアシナの起源となる場所、考え方も然り…いや、もっとひどい。

さっさと滅ぼして来てくださいね、なんて部下から言われて送り出されているぐらいなのだから。

彼女の母、磯禅師(いそのぜんじ)からの言葉を抜粋しよう。

 

『…そう、静。剣聖に巻き込まれないように気を付けてね…』

『やれやれ…まぁそっちの心配をしますよねぇ………』

 

巴流…(もと)い、(みなもと)流の師範である彼女はそっちの方が心配でならなかったのだ。

一心とは、弦一郎らと交流した時に会ったのみだが、彼女程の域に達していれば話さずとも一度目にするだけで十分。

 

"静かで凪いだ嵐のよう"

 

そう、矛盾した表現をする程に。

竜ならば殺せる、だが嵐など殺せる者はいない。そういうことだろうか。

 

その後、磯禅師は人生で最も刃を交えたくない人物の上位三番目に一心を加えることになった。

二番は仙峯上人で、一番は娘の静だ。梟は見習ってほしい。

 

そんなこんなとオチの村とミナモトの宮という保険があるがために、心置きなく弦一郎も闘志を燃やしていられた。

 

さらに他にも、駄目押しと言わんばかりに心強い()()()が島を守ってくれているのだ。

そう、あれはたしか―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみませぬ、川蝉殿」

「いいよいいよ。イブキちゃん軽いからねぇ」

「わりぃな、俺はこんなナ(チビ)リだからよ」

 

―――オチの村へ行くその道中。

イブキが村へ渡海の話を持ち込もうとした時の話だった。

 

イブキが川蝉に抱えられ、ムジナの道案内に続くように軽快に荒れた道を進む。

仙峯寺のあるオチの村は謎に包まれた村と知られるだけあってか、その道中も非常に険しい。

 

明らかに常人では辿り着くのも困難な崖伝いの参道や、もはや道もなくただの崖の箇所すらある。

 

だが長く住むイブキは意外にも逞しく、時間をかければ超えられないこともないのだが、忍びのような身軽に動ける者と比べると所要時間に天と地の差がある。

なので最初アシナに降りる時も狼が手伝ってくれた。

 

今回は川蝉が申し出てくれたのだ。真実は両親(梟とお蝶)の目が怖いらしく、変わり身の術で逃げてきた勢いそのまま、逃亡のために申し出たということらしい。

供物は猩々。まっこと慈悲がない。

 

「ここでようやく半分ってとこだぜ」

「これなら。(たつ)(こく)にはつきそうねぇ」

「朝も早くに重ね重ね…」

「謝ってばっかじゃないの。はぐれ忍びなんて踏ん反りかえって顎で使ってやればいーのよ」

「性格的に無理があると思うぜ…」

「いや、あたしも言ってて思った」

 

軽いやり取りを繰り広げつつ、ムジナは崖の僅かな出っ張りに手を引っ掛けながら、高下駄をカランコロンと小気味よく鳴らしながら登る。

対する川蝉も鉤縄を使ってひょいひょいと宙を舞う。イブキに気を遣ってか心なしか緩やかだ…だとしてもなかなか恐ろしい体験だろう。

 

「いえ、もう慣れたので…」

 

少しげっそりしたような表情でそう言った。

気の毒にも、狼と共に降りた時に振り回されすぎて慣れてしまったようだ。

 

さて、そんな小男と大女とお米様の御一行は崖の途中にあった、奥が見えない程の長い洞窟の中で休憩をしていた。

先が見えないのは不気味だが、中々どうしてちょうど良い。

 

「そういや(たつ)といやぁ…"ぬしの白蛇"が落ち谷を住処にしてるみてぇじゃねぇか」

 

ぬしとは、土地神。

その心包が、神たる御魂(みたま)を宿す臓であると考えられていたために、一説にはそのぬしの蔵こそが蛇柿である、なんていう話もあったが結局それは今回の件(蛇柿=悪魔の実)で違うということが証明された。

出所が不明なので実際はそうも言い切れはしないのだが…

 

「あーいるいる。基本的に出てくる時はあたしがいない方から出ていくから会うこともあんまないけどなぁ」

「だとしてもよくそんなとこに二十年も居られるぜ」

「話には聞きますが、それ程に大きいのですか?」

「獅子猿を丸呑み出来るぐらいのでかさだよね」

「飲まれなくても、ぶつけられただけでお陀仏だろうよ」

「まぁ、そうなるとこの洞窟ぐらいはあるのでしょうか」

「そうそう。ちょうどこういう穴を行き来してるな、うん…うん…?」

「…あ?」

「…え?」

 

川蝉が洞窟の奥へと振り向き固まる、二人もそれを怪訝(けげん)に思って振り向けばやっぱり固まった。

 

それは真白な鱗だった。

イブキの最初に目に入ったのはそれだ。

 

暗がりの方にいるにも関わらず僅かな光を反射して怪しく光って見える。

真正面からこちらを見る両目も同じく真白であり、それらは鱗と違い瞳の奥へと入った光をも逃さんと言わんばかりに暗くなった白を覗かせていた。

 

何故今まで気がつかなかったのか、アシナでも有数の忍びが二人もいたというのに。

いや、最初からそう遠くない所にいたのだろう。

ただその気配を消し切っていただけで。

眠っていたのか?彼女らのような獲物が来るのを待っていたのか?ただの偶然なのか?

 

…ただ一つ言えることは、すぐに襲わないのだから腹を減らしているわけではない、と言うことだ。

 

髪の毛がぶわっ(ジブリ驚き)と逆立たつ勢いで硬直した三人は、体を動かさずに目線だけ合わせ、刺激しないようにゆっくりと壁際に寄りつつ洞窟の入り口まで後退する。

忍びということもある上、皆それなりに歳を重ねていることもあって顔を引きつらせながらも冷静だ。

 

ゆるゆると後退する三人を見つめる白蛇。

不気味にもただ見ているばかり。

だがこれならどうにかなりそうだとほんの少しだけ希望が見え始めたその時、その身をずるりと這いずらせながらこれまたゆっくりと近づいてくる。

 

「(ほわぁぁぁ!あんで来んだよこっちにっ!)」

「(その大太刀でどうにかできたりしねぇのかよっ)」

「(無茶言うな!ムジちゃんはともかくっイブキちゃんが逃げれないっての!)」

「(仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空)」

「(イブキちゃんが般若心経(はんにゃしんぎょう)唱え始めた!?)」

 

静かに騒ぐ彼らだが余計なことを言いつつも、既に腹を括ってそれぞれの獲物に手が伸びている。

ただ問題は戦闘能力を持たないイブキだった。

()()()()()()()()()()()相手に対して、この閉所でイブキを守る方法は限られる。

 

最適解はムジナが気を引き、川蝉がイブキを抱えて鉤縄によって即離脱だろうか。

お互いにそれを理解しているのかじりじりと立ち位置を変える。

ムジナはここで死ぬかもしれないが、オチの村の神主を死なせたとなれば一生の恥どころか家族にまで影響が出るだろう。

個人としても恩を忘れていないので家族を残すことだけ除けば命を賭すことに迷いなし。

 

洞窟には白蛇の鼻孔を通り抜ける空気の音が、三人分の規則正しい呼吸音を掻き消し反響する。

 

決死の覚悟の下に行動を移そうとする直前、何故か白蛇は迷いなくイブキの方へ身を寄せた。

 

「…っ!…(…やるか?)」

「…(…ここ(洞窟)から出て来なけりゃぁ嫁とガキによろしく伝えといてくれよ)」

 

川蝉は左手で鉤縄を持って腕を引き、ムジナは傘裏に仕込んだ小さな苦無(クナイ)に手を掛ける。

 

だが二人の膨れ上がる剣気を押し留めるように、イブキが左手で止まるように二人の忍びに合図をし、右手は前へと手を広げながら持ち上げた。

 

何をっ…!と思う川蝉とムジナだが、イブキのあまりに落ち着いた雰囲気に、動きを止めざるを得なくなる。

そうだ、最初蛇を目にした時以外イブキは()()()()()()()()()。修羅場を潜ってこの領域にいる二人の忍びと同じように。

 

伸ばされた右手に導かれるようにぬしの白蛇は身を寄せる。

 

そして白蛇の鼻先がとんっ…と掌に触れ、そのままイブキと共に動かなくなった。

 

相変わらず規則正しい呼吸音が響く中、川蝉とムジナは冷や汗を流し警戒しつつも、この一人と一匹の間で()()()起っていると言うことだけは理解した。

 

暫くしてイブキが白蛇の鼻先からゆっくりと手を離し、呟いた。

 

「―――守るのです。()()()を、土地を…流れ出る、豊穣をもたらす水を、そこに生きる生命を」

 

イブキは洞窟の入り口への道を開ける。

 

まるで返事をするように大きく裂けた口を僅かに開いて閉じ、またゆったりとした動きで体を這いずらせ始めた。

イブキに(なら)って壁際に寄った川蝉とムジナを横目に、入り口から外へと()()は消えていった。

 

そこでようやく川蝉とムジナは力を抜く。

小さく息を吐き、何だかわからないがどうにかなって良かったと心底思いつつ、そしてその何だかわからないことを為し得たイブキに声をかける。

 

「すごいなイブキちゃん。よくわからんけどあのぬしを退けちゃうなんて…何やったの?」

「生きた心地がしなかったぜ…これも悪魔の実とかいうやつの能力なのか?」

「…」

「イブキちゃん?」

「―――は、え?どうかしましたか?ええ、そうでした、蛇…蛇は…あれ?何故食べられてないのですか?」

「………これはどう見る?ムジちゃんよぉ」

「わかんねぇよ…ただぁ嬢ちゃんがどうにかしたって事だけだな、言えることは」

「だぁよなぁ…」

 

どうすんだこれ、と頭を抱えた川蝉を他所に、もしかしたらまた白蛇が戻ってくるかもしれないとムジナが急かす。

暫くぼうっとしていたイブキだが、川蝉が抱えて山を登り始めればその浮遊感やらなんやらで正気に戻った。

 

しかし詳しく聞いても「よく覚えていないのです」としか言えないようで、これには二人もお手上げ状態だった。

 

尚、このことがムジナから村の者に伝えられたせいでイブキの神格がさらに上がることとなる。

イブキはまた奥の院に(こも)った。

そして無慈悲に抱えられてアシナに連れ戻された。

 

だが、この三人は知らない。

アシナの海岸、その海へと流れ落ちる大滝の裏にある洞窟に、()()のぬしの白蛇が住み着いたと言うことを。

この三人の話を聞いた梟の助言によってイブキが蛇の元に行かなくてはならなくなると言うことを…

 

 

 

―――その後イブキは一心という最大級の護衛を連れて何度か二匹の元に訪れるが、やはり敵意がなく、しかし以前のように意思疎通のような何かをすることはできなかった。

二匹の顔は海の向こう側へと向けられており、川蝉とムジナが聞いたイブキの言葉から、土地を守っているのは?と予測されているが、結局答えはわからないままだった。

 

しかしそれは、さらにその後に梟が訪れた時に、二匹の()()が明らかに膨れ上がったことでその仮説が受け入れられた。アシナの守り神の誕生である。ひどいことを言いよるわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――さて、そんな頼もしい人々や守り神に見送られ、霧の中を抜け、ワノ国を目指していたたアシナ衆御一行は…

 

「積荷は小舟へ急がせろ!シラフジ殿!シラハギ殿!救助をお願いしてもよいか!?」

「ええぃ仕方ないねっ!静!」

「もう見てきましたよ!流された人はいません!さすがアシナ衆ですね!!」

 

海へと倒れ込むように、或いは別の船へ頭を突き入れるように傾き始める船。

 

「言ってる場合かい…この歳にゃぁ堪えるんだがねぇ、泳ぐのは…」

「お母ん大丈夫?あたしが手伝おうか?」

「甘やかすでないわ…ばばぁならほっといても問題なかろう」

「カカカカカっ!そもそも慣れたお主がちゃんとせんからだろうにのぉ?」

 

宮の住人である魚人らは投げ出された者を見つけ出し、引き上げ、まだ船上に残る者も傾いた弁才船(べざいせん)に括りつけられた小舟に積み荷を慌ただしく乗せていく。

 

「どうにも、道玄のやつを思い出すのよ…この穏やかな川の向こうにいるようでなぁ」

「隻猩殿!こちらへ…あぁ、(それがし)も代償に泳げないのであった…!」

 

運悪く被害を受けた船室にいた者もなんとか無事であるものの、この荒れた海では立て直すのに一苦労。

 

「九郎様!ご無事で…!?」

「げほっ、済まぬ狼…蛇柿(悪魔の実)のせいで泳げないのを忘れておった…」

「お嬢ちゃんをわりぃなおめぇさん、こんなナリだからよぉ…」

「すみませぬ狼殿、私まで…あ、エマ殿は!?」

「あそこじゃ!狼!頼む!」

「御意…!」

「You must promise me that you’ll survive…」

「刑部殿!?」

「…鬼鹿毛(おにかげ)殿は獅子猿殿が小舟へ乗せてくれました…人員も一人残らず確認できました…」

「お凛殿!引き続き放り出された荷の方を!」

 

 

 

―――そう。沈みつつあった。

三隻とも。

 

さらば九十九(つくも)号。

せめて海で果てれて本望であった…

 

「うっ…狼殿、すみませぬ…私、泳げなくて…」

「エマ殿、とにかく掴まっていろ」

 

小舟に積み荷と泳げない者を乗せ、それらに収まらない者は泳げる人間が引っ張っていくしかなかった。

既にワノ国は視界に入っている距離とは言え、この荒れた海をだ。

…しかしそれも杞憂かもしれない。

 

「皆のもの!!ここで果てることは儂が許さぬぞ!もし海の底に沈んだとなれば…儂が海の底まで追いかけて斬ってくれる!」

「「「応!!!!」」」

 

これである。

 

荒れた海より刀を手にした一心の方が恐ろしい。

水の中とてそれは変わらないのだ。

 

そんな様子を伸びた九朗やイブキの乗る小舟を引っ張る静や弦一郎、黒傘の上に器用に乗って進むムジナは少し離れて見ていた。

 

「あれは激励なのかよ…?相変わらずアシナ衆のやつらはおっかねぇぜ…」

「魚人や人魚の我々は大丈夫でしょうが、この荒れた海を無事超えられますかね…」

「生半な鍛え方をしている者などおらぬ。それに、おじい様が後ろから追って来るとなるとな…」

「あぁ…」

 

皆必死なのだ。

剣聖に後ろから怒涛の勢いで迫られるから。

 

堂々と小舟を一隻占領した鬼鹿毛が悠々と泳ぐ獅子猿に引っ張られているのを横目に、彼らは嵐などなんのそのと呑気に会話する。

 

そもそもの原因は海へ出た者が…いや、新世界の海を知る者が梟とその配下しかいなかったことだ。

梟が寝返らせ、或いは鍛えた忍び集団である"孤影衆"は数も少なく、且つワノ国でほとんどが活動をしているために船に乗っていた者はさらに少ない。

 

アシナ衆は屈強だが付け焼き刃でどうにかなるはずもなく、結果がこの通りである。

 

尚、凄まじい勢いでワノ国に向かうアシナ衆を追いかける梟がいたそうだ。

先に行かれてはどう考えても厄介なことにしかならないと、水をたっぷり吸った羽蓑と髪の毛に難儀しながら…

 

 

 

 

 

数刻を経て全員がワノ国の港の一つ"潜港(もぐらみなと)"へと泳ぎ着く。そこは隠れ港であり、ワノ国へ鯉を使った"滝登り"をせずに入港できる港だ。

 

―――ワノ国はアシナのように海面より遥か高い位置に人々が住むが、違いは海岸の有無だろう。

アシナは長い階段を経由する不便はあるものの、船をつけること自体は容易だ…勿論、霧を越えることが出来ればの話ではあるが。

 

ワノ国は逆に海岸はない。正確には上陸可能な港が海洋の平均的な高さより遥か上にあるのだ。

それ故に"滝登り"のような常識外れの方法でそこまで登るしかない。

そう思えばアシナも入るには囲う霧があるので似たようなものか。

 

それはさておき、潜港を利用するのであれば滝登りは必要がない…が、この港は滝裏に存在し、内側より滝を割って貰わなければ入ることはできない。

また、この港の奥にある昇降機(ゴンドラ)を動かすことでようやく入国が可能になる。

 

これについては事前に梟が配下に連絡を入れ、手配していた。

 

梟が細長い筒の様な何か(スマートタニシ)に向けて一言二言喋った後、滝は開かれ、港への入り口が姿を現す。

そうして皆がずぶ濡れのまま上陸する先、一人の人物が彼らを待っていた。

 

「…」

「手筈通りじゃ。後は任せたぞ」

「っは…」

 

そこには頭からすっぽりと蓑帽子を被った小柄な人物。

瑠璃紺(るりこん)色の半纏(はんてん)を纏い、顔にはシラフジらと同じように包帯が巻かれているため顔はわからず、ただその隙間から赤い瞳が覗いているのみだ。

 

そしてその瞳は梟の後ろに続くアシナ衆へと向けられている。

異様な姿であるものの、その実力の高さはアシナの面々も理解できた。その視線は探る様な、或いは怪訝そうな色を浮かべていた。

 

なんでこの人たち泳いで来たんだろう、という視線だということは誰も気が付かなかったが。

 

オロチに不審感を抱かせないように大きな動きはさせられないが、()()()()()()()がある者を引き込んでいるために警備人員を変動させることができたのだ。

彼は今回のために梟が配置した一人であり、そして同時にアシナ衆と()()()()をさせるために意図的に呼ばれた。

 

釘を刺すため。

それは彼に裏切りをさせないための精神的枷を取り付けることが目的であった。

…彼は"オロチお庭番衆"の一人、名を"矢ざえもん"という。

 

そして彼は、今しがた一心を見つけたその瞬間、冷や汗が噴き出る体験をすることになる。

 

覇気を感じ取った?それは違う。一心から感じ取れる覇気など回りの人間たちに比べれば矮小な程度しか感じない。不自然な程に。

 

だが恐ろしい。あまりにも。

 

カイドウを前にした時のような重圧とは違う静かに研ぎ澄まされた()()

覇気ではない、その目、出で立ち、仕草、笑い方、その存在自体でこちらを刺激してくる。

 

彼は自身の積み上げられた経験と、その本能でもって突拍子もなく理解する。理解してしまった。

 

―――聞いた通り、この老人はカイドウ(四皇)に匹敵しえ得る…!―――

 

何をするのかが全く読めないのだ。

いつのまにか次の瞬間斬られていてもおかしくないと思ってしまう程に。足を前に出せばその足は少し先の地面につくだけのはずなのにそれすら()()()()

 

この時、話に()()()()()良かった、と彼は思った。

 

もしカイドウの支配が終わるのならばオロチ直属のお庭番衆では後がない。

待っているのはどこをどうしようとも破滅だけ。

ただでさえ過去に(光月)を裏切った身であるため、そうなれば詰みなのだ。

 

主を裏切ったことに何も感じなかったわけでもない。汚れ行くワノ国に何も思わなかったわけでもない。

だがそんなことよりも、彼はただただ死にたくなかった。

 

そしてその生への渇望が、カイドウが討ち取られるというあり得ないような"もしも"を()()()()()()()()()()()()

 

梟を監視するようにとオロチに命令され、そしてその果てに梟によって息の根を止められる直前、彼の示した条件を呑むことで生かされている。

故に梟の手を取ることになる。その時は強制的にオロチやカイドウを裏切ると言う絶望的な心地だったが今は違う。

 

"アシナ"

 

そしてこの老人がカイドウを斬った剣聖…葦名一心…

 

絶望の中に示された生への希望が彼の行動を縛る。

カイドウが討ち取られるという自分が描いていた"あり得ないはずの未来"がここにきて輪郭をはっきり表してきた。

 

梟の思惑通り、彼に"一心"という特大の釘が刺さってしまったのだ。

術中から逃れるすべなど、矢ざえもんにはなかった。

 

だが彼は知らない。

まさか"近く"にも経緯は違えど同じ裏切者がいるという事を。

それを知っていれば幾分かましな精神状態になれたのだが…悲しいかな、それを許す梟ではなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

矢ざえもんがその心の内を蓑と包帯によって隠すことに成功していた頃、弦一郎は隠すこともなく不審な目を梟へと向ける。

 

重要であろう裏口の人員を変え、あまつさえ()()()()の実力者を配下に収めている。

事前に語られてはいたが、このような権限を持つ者をまだ従えていると言うことは、言ってしまえば梟が裏切ればあまりに危険ということだ。

今更ではあるのだが、それでも弦一郎や狼を含めた幾人かは改めて警戒せざるを得ない。

 

だが梟を警戒しているのはオロチも同じだった。

だからこそ貴重な戦力である御庭番衆を潜港の警戒に回すことを承諾したのだ…と言っても、それは逆手に取られてしまったのだが。

しかしこれ以上は危険なため融通が利かすことは出来ず、嵐の中の長距離水泳を経て着いたばかりだが港のある白舞から速やかに出なくてはいけなかった。

 

矢ざえもんにこの場を任せ、彼らは今や滅び、何も無くなってしまった"希美"の跡地を島の外周を回るように目指す。

"白舞"を出て、"鈴後"を通り過ぎ、数日掛けて辿り着いた"希美"、そこに梟が用意した拠点があり、ようやく一息つけるのだ。

 

 

 

 

 

―――ここにアシナの精鋭が密かにワノ国に揃った。

彼らは影に潜み事を進める。

 

それは自身すら答えを見失いつつある野心のため、大馬鹿者共のため、復讐のため、忠義のため、アシナのため、そして無辜(むこ)の民を救うため。

 

何が起こるかなど、わかりきったこと。

 

それを思い知ることになるのは、そう遠くない―――

 

 

 

 

 

『火祭りの夜まで、後一月…ぬかるでないぞ?』

『お任せください。万事ぬかりなく…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ではな福ロクジュ』

『ええ、それでは』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錫杖(しゃくじょう)を持った尼僧(にそう)が、先端に取り付けられた遊環(ゆかん)を丁寧に鳴らしながら歩く。

その錫杖は通常の物より長く六尺程あり、彼女の背丈をも超える長さがあった。

 

隣には黒傘を被った3尺程度の小柄な男が高下駄のまま静かに歩く。

ただ錫杖の音色だけが辺りの木々に染み渡っていた。

 

この二人組、イブキとムジナの回りに人影は見えず、荒れた土の道が木々の間に続くだけだ。

 

そんな中、イブキは想起する。

 

"迷えば敗れる"

 

それは一心の口癖ではあるが、まさにアシナという土地の歴史そのものを表した言葉だと言える。

 

そしてイブキもまたその地に長く生きた女性だ。

故にイブキは躊躇(ちゅうちょ)しない。無辜(むこ)の民の流血は許されないが、賊の血と言うなれば。

 

九郎はまだ若い。その若さに比べてあまりにも大人びているが、それでも躊躇(ためら)いはあるだろう。

それは当然のことなのだ、だがここは弦一郎のように九郎に敬意を持つような者などいやしない。()()()などまさにないのだ。

だからこそイブキが側につき、時に助言を、時に行動を持って示してきた。

 

そして今もそうだ。

イブキがワノ国から顔を知られていないと言うこともあるが、九郎と言う存在はワノ国に、カイドウとオロチにとって"竜胤"という大きな力を持つ存在として見られている。

まだ表に立たせるわけにはいかない。

 

勿論、彼の役割というのもある。だからこそワノ国へと来た。

その名と力が知られているからこその()()()というものがあるのだ。

だが今はまだ違う。だからイブキが唯一表に立ち、行動をしている。

 

"迷えば敗れる、(しか)らば迷わせず"

 

彼女は行動でそれを示す、そうアシナ城であの時誓ったのだから。

九朗のように、イブキもまた覚悟でもって彼の優しい迷いを振り払わなければならない。

 

まさに()、イブキがしていることは自身を囮とした慈悲のない罠なのだ。

 

 

 

―――ある話がワノ国の一部の地域で噂されている

 

曰く、女神の様な女性が錫杖の音色と共に現れる。

 

曰く、貧しい地域に白き豊穣をもたらす。

 

曰く、"豊穣の女神"が飢えた人々を救ってくれる、と…―――

 

 

 

「黒傘の小男と錫杖の尼僧!おまえだな!?"豊穣の女神"とやらは!?」

 

そんな彼女らの頭上高くから聞こえる大声と、羽ばたく音。

二人は応えることもなくゆっくり見上げれば、珍妙な恰好をした肥満体の男が弓矢を構えながら宙を飛んでいた。

 

見上げるだけで二人とも反応を示さないためか、空を飛ぶ男―――蝙蝠のSMILE能力者のバットマンは苛つきからか早速矢を(つが)え、狙いを定める。

 

「何も言わねぇってことは、()()()()()()でいいんだな!?」

 

無言。

彼の大声と蝙蝠の羽が風を切る音だけが虚しく響く。

おこぼ町に偶に姿を現し余計なことをする女神様とやらを追う任を受けた彼は、それでも反応を示さない二人に苛立ちを隠さない。

 

(どの道消していい人物とのお達しだ!構いやしねぇ!)

 

そうして問答無用で放たれた矢は正確にイブキの頭へと向かった!

…が、これはムジナの黒傘によってあっさり落とされる。跳躍し宙を一回転、その最中で弾いたのだ。

イブキは身動(みじろ)ぎ一つせずにバットマンを見上げたままだ。その澄んだ瞳が彼には挑発としか思えなかった。

 

「~~~~~~~っ!生意気なやつらめ!」

 

さらに矢の雨を降らせるも、その全てが黒傘によって阻まれる。

時に小振りな苦無(クナイ)を振るい、時にイブキの持つ錫杖の上をイブキに全く負担を与えることなく跳ね、そうして容易(たやす)く落としていく。

 

遊環の揺れる小さな音がやけに大きい。

 

全く当たってくれない敵にさらに苛立つも、だがバットマンもなんの策もなく矢を放っているわけではない。

彼の能力によって非常に高くなった聴覚が、森の奥から高速で走る音を捉えた。

 

「この野郎!!さっさと当たりやがれ!!(予想外に厄介なやつら!だが!後はガゼルマンが女を確保して終わりだ!)」

 

小柄な男を倒せないと見るや否や、保険のために連れてきていたもう一人のガゼルのSMILE能力者によって、守られているイブキを連れ去る計画に変更したのだ。

事前にその合図は決めていたために、ガゼルマンはその意図を読み取り既に行動に移している。

 

そして凄まじい速さで木々の間から一人の、これまた珍妙な恰好の男が飛び出してきて―――そのまま地面に倒れ伏し、勢いのまま転がる身体が血の跡を真っ直ぐに描いていく。

 

「何ィっ!?」

 

動揺。

傷跡から恐らく使われた得物は刀。

 

未だ混乱の中ではあるが、何故かこの状況が()()()()()()()ということは理解していた。

下っ端とは言え仮にも"百獣海賊団"の能力者だ。加えて動物(ゾオン)系の能力による恩恵なのか、本能的に撤退する選択肢を彼に選ばせた。

 

(何かわからんがやばい!!このまま全速力で―――)

 

自尊心すらも投げ捨て逃げ出すそんな彼の聴覚が、一人の老人の言葉を捉える。

 

「よいかおぬし()、よく見ておれ。これが無人(むろうと)の、それ極めた剣の一つじゃ」

 

(馬鹿な!!他に誰もいないことは俺の耳が証明していた…は………ず…―――?)

 

 

 

何故か落ちている。真っ逆さまに。

 

何故………?

 

 

 

見る見るうちに地面が急速に彼の視界に広がっていく。

 

バットマンの身体はそのまま成すすべもなく落ちていき、倒れ伏したガゼルマンの真横へと土煙を上げて落下した。

 

見れば背中を斬られており、それにより意識を失っている。

そうして刀を抜いた一心が木々の合間から姿を現し、次いで幾名かの人物が姿を現した。

 

「…『相手に力を悟らせず、無駄な(剣気)を使わず斬ればいつしか無色と成る』…透き通り過ぎてるよ…あんたのはねぇ」

 

無人の概念、無色の剣気(覇気)について語られていることの一つを、お蝶が呟く。

その教えとは、剣気(覇気)を纏いながらも自らの内へと、まるで圧縮するように押さえ込むこと。

無駄な剣気(覇気)を使わずに最小限で断ち斬ることが目的ではあるが、そのために"体幹"が重要と考えられているために編み出されたものだ。

それは秘伝に忍びの技、ミナモトの宮の技すらも含まれているからだろうか。

 

つまるところ、身体の"芯"が剣気により固くなる。それが"体幹"の強化へと繋がる。

これにより地に足を付けた技も、宙を舞う技でも僅かな力で見事な斬撃を繰り出せるのだ。

 

しかしこれは所謂"武装色"での扱い方。

"見聞色"にも同じく、無人の境地があった。

 

内へと押さえ込む。それ(すなわ)ち自らの"声"を抑えることになる。

どうなるかというと、相手の見聞色によって()()()()()()()のだ。

 

アシナの忍びであれば、いや、ワノ国の忍びでも体得している者もいるかもしれないが、

極めれば殺気をなくすことができ、それ相応の実力者でなければ見聞色でも容易に探知できない。

それを極めたのが梟で、精度は落ちるが狼やお蝶、一部の夜鷹衆すら使える者はいる。

 

当然一心も扱えるが、それはあまりにも極められていた。

太刀筋を読ませないどころか動いたことを認識させない境地に至ってしまっていたのだ。

 

その結果、老齢の剣聖の技、その"秘伝(秘伝一心)"は刀を鞘に収めたままにあたりを切り刻む。そう見えてしまう。

狼や梟ですらそう錯覚させられる程に。

 

一心が刀を鞘に収めながら、斬られた海賊を見下ろすイブキの横へと並ぶ。

 

「死んではおらぬぞ」

「………ええ、そういう手筈ですから」

「カカカカカ…思うことはあるかも知れぬが、それもまた()よな」

 

イブキの心の内、それは憐れみもあるが、明らかに憎しみの念があった。

自分の感情のようで、そうではない感情。

 

(私は…この人たちを…どうしようもなく、憎んでいるのでしょうか…)

 

イブキは今までこんな感情を抱いたことは無かった。

この姿でワノ国を回り、貧しい村を、滅びた街を、汚れた水を、悲しむ人々を見てきた。

確かに許せる行為ではない。だがそれはまだほんの少しだけ見ただけだというのに、思い入れがある土地でもないというのに…

 

()()()()()()()()()のだ。

 

それでも、感情が()()()()()()()()とわかっていても自身のそれに僅かな戸惑いを覚えてしまう。

 

―――それは豊穣の力、もといコメコメの実の能力のこと。

ぬしの白蛇の一件や、桜竜への不可解な自身の発言。そして今回のような憎しみの感情の事を改めて整理した時の事だ。

 

この能力の理解を深めようとした所、古い話だけではあるが前任者との力の使い方が()()()()()()のだ。

どうやら前任者は大量の米を生み出し、それを使って戦闘をしたという。(それ自体もおかしな話だが)

使い方の違いなのでは?と言われればそれまでだが、梟が言うには竜胤であるヨミヨミの実と対になるという話があっただけで()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()らしいのだ。

 

ではイブキの癒しの力とは?

"対"とは何を指しているのか。

 

さらに調べれば面白いことが分かった。

何故か前任者の()の回りの人間は"熱い性格の人間"が多かったらしい。

言ってしまえばその者たち熱血的な勢いでどうにか出来てしまうことが多かったとか。

 

ふざけた話だが、その中に答えはあった。

勢いでどうにかすると言っても本当にそれだけでなんでも出来るわけがない。

その感情面が主張し過ぎているが、咄嗟の"機転が利いた"のだと考えられている。

 

その理由は竜胤とも、イブキの豊穣の力とも関りが深い"血"だ。

 

"血液量が増えれば脳が活性化する"という話がある。

言いたいことはつまりそれで、健康的な血が増え、それが脳に運ばれることで頭の回転や、果てはその性格すらも脳内物質の増加によって前向きになったのでは?というのが彼らで出した推測だった。

 

"前任者は健康的な血を増やす増血剤のような能力だった"

 

都合の良い当て推量なのは否定できないが、血が関係しているというのが大前提とした結論ではある。

コメコメの実の前任者の出す米が凄まじい量なのも、この効果が自身に影響した結果、大量の血液によって生み出したのだとすれば筋が通る…のかもしれない。

 

"竜胤"は血を(よど)ませる。

"豊穣"は血を()ませる。

 

恐らくそうなのだろう。

では、能力の"差"は何故ついたのか?これからが本題なのだが―――

 

「お蝶!任せたぞ?」

「わかってるよ…狼、ちょっと手伝いな」

「っは」

「…よし、皆耳を塞ぎな、()()()()

 

お蝶の言葉で慌ててイブキは両手で耳を塞ぐ。鈴の音を介して幻術をかけるのだ。

囚われたとしても周りに助けてくれる人がいれば容易に解除できるので問題ないのだが、少し恥ずかしいことになるのでそうもいかない。

 

これから行われるのは捉えた海賊への幻術を使った情報の抜き出し。それとSMILEの研究のため。そのためにお蝶とエマがイブキに同行しているのだ。

狼とお蝶以外の他の忍びは梟含めてワノ国各地へと散っている。

 

この場にいるのは、出歩くには顔が知られてしまっている一心、イブキと護衛のムジナに、九朗と狼、加えてお蝶とエマの七名だ。

既に過剰戦力ではあるが、例えカイドウが来ようともイブキを渡すわけにはいかないからでもあり、そこに九朗がいるのは一心の傍が一番安全だからでもある。

 

拠点に残っているのは各地に指示を出し、報告を纏める弦一郎と静。気配を消せない(声が煩い)という理由で刑部と獅子猿。川蝉が猩々と共に勘を取り戻すために残っている。

シラフジとシラハギ、お凛もそれに付き合ってる形だ。彼女らもまたその見た目から秘密裏に動くには向いていないために。

 

「イブキ殿、ご無事で何より。さすがは"黒傘"であるな」

「褒めてもなんにも出ねぇぜ?この…ミブ風船ぐらいしかな」

「おぉ!どこから出したのだ…?」

 

九朗がイブキの顔を覗き込むように声を掛ける。鋭い感性を持つためか、イブキの様子に気が付いて心配してくれたのだろう。

ムジナもその空気を読んで気を使ってくれているのがわかる。

 

「イブキ殿、これを」

「エマ殿…これは?」

「なんの変哲もない、ただのお茶です。でも、とても落ち着くのですよ?」

 

青竹で出来た水筒を手渡され、素直に口を付ける。

あぁ、これはアシナの水で漉した茶だと一口飲むだけでもわかった。とても落ち着く匂いだ。

 

そうしてお蝶が幻術をかけ終わるのを見計らい、イブキとムジナを除いた五人は再び姿を消し、歩き出す。

惑わされている二名の海賊は拠点へ向かうように誘導されているので放っておいて問題ない…それにすまぁとたにし(スマートタニシ)で連絡を入れたので近くの夜鷹衆か孤影衆がそこに加わるはずだ。

 

イブキは再び何事もなかったように静かになった道で、改めて気を引き締める。

 

 

(どうにもまだ()()()()()()()()…道を示すと言いながらこの様では)

 

 

(だけどこれを御した時、きっと良い方向に向かうはず…!)

 

 

―――先程の続きではあるが、前任者との能力の差についてだ。

結論から言うと"生まれた土地"または"住んでいた土地"の違いではないかと思われている。

 

コメコメの実は()()()()になる悪魔の実。

"米"になるのではなく生み出していることから恐らく"稲"の役割の方が近いのではないか。

ならば土が違えば品種も異なるように、悪魔の実を食べた場所、或いは能力者の関係が深い場所、そういった要因に影響され変化が起きるのではないか、と当たりをつけた。

 

その発想に至った理由こそが彼女の感情に干渉していると思われる、桜竜やぬしの白蛇なのだ。

 

植物人間となったイブキは、そのアシナという土地に文字通り根付いて(繋がって)いるのではないか。

それ故にアシナの起源ともいえる桜竜、ひいてはその()()と思われるぬしの白蛇にまるで()()()()()()()()()な意思の疎通ができたのでないか。

 

つまりイブキのこの憎しみの感情は、"故郷を荒らした海賊に対する怒り"が、桜竜と繋がりがあるがために湧いて出てきてしまっている…と、思われている。

 

何もかも、その全てが材料の少ない憶測でしかない。

しかしそれを聞いたイブキ自身がどこか納得してしまったために、あながち間違いでもなさそうなのだ。

 

"豊穣の力"

 

桜竜(御神木)から流れ出ずるアシナの清き水のように、それは人々に豊穣をもたらす。

 

イブキはまさに"アシナの豊穣"そのものなのだ。

 

そして今―――――――――

 

 

 

「あ!()()()!」

「あら、ほんとに?…あぁ!ほんとに女神様じゃないかい!」

「おぉ!本当じゃ!おぅい!」

「あの、お鶴さん…彼女は?」

「あぁお菊ちゃんは初めて会うんだったね、あの人が噂の女神様だよ!」

 

森を抜け町に付いた頃、錫杖の音を聞きつけ、イブキの回りに多くの町人が集まってくる…集まり過ぎではあるが、それも仕方ないことだろう。

 

「皆さん…もう、"女神"などとは大袈裟ですよ?」

「諦めな嬢ちゃん。ここはオチの村のまさにあの時(飢饉)と同じなんだからよ」

「…ムジナ、分かっています。だからこそ、私がこの地に来たのです…でもやっぱりこそばゆいのですよ…」

 

彼女は人々に歩み寄る。

血の量の問題と、後々を見据えた理由から多くは渡すことはできない。

彼ら彼女らを見渡せば過去の苦しんだ自分たちが見えてくるようで心苦しいが、程度を(わきま)えなくてはいけないのだ。

 

だから念じる。

まだ見たこともないアシナの桜竜の思いを受け取り、()()の人々の一助にならんと。

それ故に僅かな量でもその効果は絶大。

 

目を閉じ、両手を胸の前で握りしめる。

 

 

 

 

 

「さぁ皆さん、お手を…」

 

 

 

 

 

「豊穣を――――」

 

 

 

 

 

「豊かな実りを、皆さんに―――」

 

そして手から零れ落ちる白い豊穣。

小さな手の平が、或いは痩せ細った、または皺くちゃな、伸ばされた多くの手の平がそれを受け止める。

 

 

 

 

 

「お米は大事と、存じます。噛めば噛むほど甘くなり、元気も出ましょう」

 

 

 

 

 

「しっかり噛んで、食べてくださいね」

 

"オチの御子"

これはワノ国にて豊穣の女神と呼ばれる彼女と、そのお供の話。

(豊穣)を生み出すために血を捧げる彼女たちが目指すは、民の血を流さぬ道。

 

さぁ神なる竜の故郷にて、成すべきことを成すのだ。

 

 

 

 

 




これにて()幕。



…長い!纏める能力が欲しいです。
実はこの話は茶屋ルートと思わせておいて竜の帰郷エンドという。
というか絶対アシナの面々はファッションセンスにドン引きしますよね。

また、投降日を有言実行できなくて申し訳ないです。
平日が4倍以上に増える自然災害にあってました。進行形ですが。

未回収の伏線もありますが続編は本当にやるのかは何とも言えません。
やるとしても少なくとも本誌でワノ国編が終了するまで続きは書かないと思われます。
一応やった場合の終わらせ方は決めてはいるのですが、どうか期待せずに…
番外編として小話をやる可能性は…ある…かも………?

長くしたくないがために無理やり詰め込んだりと、色々と至らない作品でしたが最後までお付き合いいただきありがとうございました!
それと完結に伴い非ログイン状態での感想を可能にしました。
感想で何言われるかと想像すると怖くて仕方なかったので制限していましたが、もういいでしょう!知らぬ!
以下いつもの。



■(主に)隻狼との違いまとめ

『そのお供の話』:後にワノ国でイブキの存在感が強くなり、弦一郎含め皆そう思われる。
船の転覆:アシナの方々「霧の外(新世界)の海とか出たことないし…」
You must promise ~(以下略):船が氷山にあたって沈む映画の名言。
無色の剣気(覇気):使い方が特殊なだけで"黒くなるより強い"というわけではない。結局使い手次第。見聞色を極めた境地は相手の予知のそれを断つ。
SMILE狩り:諜報能力のある能力者などを、光月とかになすりつけながら始末している。
イブキ:コメコメの実モデルアシナマイの植物人間。アシナの土地そのものに根付いているので、『隻狼』の竜胤のようにアシナの起源たる桜竜と繋がっている。それを断つ必要はないだろう。
コメコメの実の前任者:まさかの伏線。イブキが視力を回復したように、自身の能力が適用され血がめっちゃ増えた結果めっちゃ米出た。お米よく噛んで食べろ!
ぬしの白蛇:神なる竜である桜竜の末裔。イブキと重なった母の意思を聞き受ける。
一心:最強の護衛だが恐ろしいのは一目見ても脅威がわからない所。老いた一心+全盛一心状態。
梟:一心のせいでただの苦労人になりつつある。
九朗:音を立てないように狼の背中に張り付いて、頑張って息を止めてた。
狼:桜散る日は、もう近い。

ちなみに一心含め全員が心中モードお米リジェネレーションアシナ衆である。詰んでる。










康イエ:アシナの桜を知る。
おトコ:きっと心から笑えるだろう。
お庭番衆:裏切者がいる。彼らは恥を忍んでも生きたい。
お菊:左腕とは、因果なものだ。




【挿絵表示】

オチの御子ことイブキと川蝉(イメージ)です。完結記念に描かせていただきました。
ここに載せるのも微妙かもしれませんが取り敢えず。
色々と勝手がわかっていませんのでご意見ありましたらご遠慮なく。


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