キャラクターネーム:サクラ (薄いの)
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拾われたようです

ある所に一人の非業の死を迎えた一人の男が居た。

しかし、幸か不幸か彼は別の世界へと生まれ変わることになる。

彼が望んだのは彼が生前熱中していたMMORPG『GrowTreeOnline』。

その空想の世界で己が育て上げたキャラクターになること。

 

故に彼は真の意味で消えてしまうことになった。

己のキャラクターと同じ恩恵を得ることではなく、『キャラクター自身になること』。

そこにはもはや彼自身の意思はなく、彼の存在は只々消え去ってしまうだけ。

後に残ったのはキャラクターメイキングにおいて、肩まで伸ばした桜色の髪の毛から安直に決められた名前の少年。

キャラクターネーム:サクラ。

 

 

 

 

 

 

「ん……ここ、どこ?」

 

サクラの目の前には見慣れない街並み。

大量に行き交う人々と見慣れない建物。

勝手に開くコンビニの自動ドアに見たことのない材質のもので舗装された道。

 

「……とても不思議。サクラは興味津々」

 

サクラにとっては理解出来ない不思議な物は日常的に溢れていた。

魔法に錬金術、そしてドロップアイテム。

他にもどこからか聞こえてくるシステムアナウンスと呼ばれている代物など。

作られた世界で生きてきた彼にとっては世界は不思議と理不尽で満ちていた。

 

「――アイテムボックス……出て来て、アイテムボックス」

 

いつもならどこからか沸くように出てきたアイテムボックスが出てこない。

これは彼を絶望させるに足る出来事だった。

全身の防具を強化の為に外していたので今あるのは衣装アイテムである彼の髪と同じ桜色のローブと一本の白銀の杖のみ。

サクラは自分の小学生低学年ほどの身長とは不釣り合いな大きなの杖を背負いながら歩き出す。

〈聖竜の杖〉上級ダンジョンの最奥のボス、聖竜からランダムドロップする杖。

『GrowTreeOnline』においては属性魔法、特に聖属性の魔法への多大な補正が期待出来る代物であった。

その、まさに『コスプレ』としか言えない状態の彼を通りがかる人々は時に胡乱げに、又は微笑ましげに見守っていた。

 

「……お金も装備もアイテムも全部、ない」

 

何よりもサクラにとって絶望的だったのがアイテムボックスに入っていた筈の『帰還のスクロール』によって、元居た場所に帰ることも出来なくなってしまったからだった。

 

「モンスターを狩って稼ぐしかない……居そうな場所を、探す?」

 

とぼとぼと覚束ない足取りで歩き始めるサクラ。

当然のことだが、サクラが歩けど歩けどフィールドが見えてくることはない。

 

「……この街には冒険者が、居ない?」

 

サクラが居た世界では服装にかなりの偏りがあった。

ある程度のキャラクターはレベル帯に合ったテンプレートな装備が見受けられた。

だが、この街にはそれがない。

何よりも武器を担いだ人が一人も居ないのだ。

これでは襲撃イベントがあった時にプリーストの自分一人では防衛出来ないなどとサクラは一人、ぶっ飛んだことを考えていた。

 

「おい!早く詰めろ!」

 

サクラが怒声がした方に振り向くと遠くに全身を黒のスーツで包んだ男たちが少女二人の腕を掴んでいるのが見えた。

二人の少女のうち、金髪の少女が悲鳴をあげようとするが、男のうち一人に口元を押さえつけられている。

しかし、サクラには何が起きているのか分からなかった。

道を走っていたものと同じ、無人の馬車のような物に金髪の少女が押し込められる。

そこで紫の髪の少女がサクラの存在に気づいた。

何事か口を開いていたが、距離が離れていてサクラには聞こえない。

だが、サクラには少女が『助けて』と言っているようにしか見えなかった。

紫の髪の少女が無理やり馬車に投げ込まれるのと同時に残っていた男がそれに乗り込み、走りだした。

 

「……助けなくちゃ」

 

この街は不思議に満ちている。

これがサクラの感想だった。サクラの常識が通じない街だと。

それでも彼女が本当に助けを求めているのならさっきの出来事はこの街の『常識』ではないのだろうと判断した。

 

「……『フェアリーブレス』」

 

ゲーム中では全体ステータスを引き上げるスキルであった『フェアリーブレス』。

それを駆使してサクラは駈け出した。

しかし、魔法系等の最上位ジョブのうち一つであるビショップであるサクラだが、筋力に関しては当然の如く全くアビリティーポイントが振られていない。

ゲーム内では上がったことのない息が上がり始めるサクラ。

サクラは本来ゲーム内のキャラクターに過ぎなかったが故の剥離。

だが、そんなことに気づいてもサクラにはどうすることも出来ない。

 

「んぅ、これ、不思議……『ヒール』」

 

瞬時に金色の光がサクラを包み、疲労を癒していく。

サクラは交通ルールや赤信号を華麗に無視し、駆ける度に運転手や、周囲の歩行者から怒号が上がる。

よく分からないがとりあえず怒られていることは分かったのでサクラは半ば泣きそうだった。

 

「……みんな、怖い」

 

それでも二人の少女を乗せた馬車を追いかけることは辞めない。

サクラが馬車に追いついた頃には既に中には誰も居なかった。

 

「……廃墟の中、もう、入った?」

 

サクラは『ヒール』を自分自身に掛け直して、破れた窓から顔を半分だけ出して覗きこんでみる。

少し見渡してみると後ろ手に縛られた二人の少女が見つかった。

金髪の少女の方がサクラを見つけて目を大きく見開く。

そして持ち上げた自分の肩を片耳につけて口をパクパクと動かす。

もしも彼女たちを見つけたのがサクラ以外の人間だったなら『電話しろ』だと気づいただろう。

だが、見つけたのはサクラである。現代人どころか異世界人ですらない。

ひたすら困惑するしか無かったサクラだが肩と同時に縛られた腕も動いていたので『早く助けろ』だと曲解した。

 

「……『フェアリーブレス』『フォーカス』」

 

クリティカル率を上げる『フォーカス』を発動するサクラ。

途端にサクラの視界が明瞭になり、遠い所まで細かく見通せるようになる。

転生者の男はこのスキルを取るためだけに弓術士のスキルツリーを取ったのだが、サクラには当然知る術はない。

 

「アンタたち一体何のつもりなのよっ!」

「ちっ、全くもって煩いガキだな。誰かこの馬鹿の口塞いどけっ」

 

それと同時に布を口元に噛まされる金髪の少女。

黒服の人数は七人。ナイフを持ったアサシン系統が三人、黒い正体不明の恐らく飛び道具の類を持った弓術士系統の男が二人と不明な男が二人。

そう冷静に、だがどこまでも残念な思考でサクラは断定する。

 

「その可愛い顔のまんまで居たかったら大人しくしてろ」

「というかこっちの煩い方のガキは邪魔なんじゃないのか?」

 

男がそう言いながら右足で今にも少女を蹴り上げようとしているのがサクラの目に入る。

 

「……っ!『シェルプロテクション』」

 

見ていられなかったサクラは破れた窓から内部に侵入し、補助魔法を金髪の少女に掛ける。

同時に、薄い光の膜が金髪の少女を包み込むように現れた。

プリーストの下位ジョブ、アコライトのスキルであり、自身のHPと同じだけのダメージを無効にする『シェルプロテクション』。

男の蹴りは当然の様にその範囲内に収まり、男の足にむしろ蹴ったことによる鈍痛を与えるのだが、拳から龍が飛び出してくるようなスキルを乱発する連中なのだと思っていたサクラは気が気では無かった。

ちなみにゲーム内では膜が壊れる一度限りならボスの即死攻撃すら無効に出来る仕様だったのだが、後のパッチにより余剰ダメージが入るように修正され、多くのプレイヤーに涙を流させた。

 

「ア、アンタ警察は、というかさっきの何よっ!」

 

金髪の少女はそう言うが度重なる勘違いのせいでサクラの脳内では戦闘職七人vs補助職一人という地獄絵図なPvP、つまりプレイヤー同士の抗争になっていた。

 

「『サモンユニコーン』……弓術士二人をお願い」

 

突如光と共に現れた全身を白の毛皮で覆い、一本の鋭い角を持った一角獣が現れる。

一角獣は鋭い角を振り回しながら二人の男に迫っていく。

全力で駆けていったユニコーンが一人目の男を轢き飛ばし、二人目の男に勢いを乗せた猛烈なタックルを叩き込む。

ユニコーン一頭で完全に戦力過多である。

だが、そんなものは時間稼ぎにしかならないと勘違いしていたサクラは早くも二人を完全に昏倒させ、主の次の命令を待つように後ろで待機しているユニコーンに気づかない。

 

「……勝てなくても、諦めない」

『なんなんだよお前はっ!』

 

気絶させた二人を除いたその場に居た男たち全員が叫んだ。

 

「……『セイントギア』」

 

サクラは数少ないプリーストの攻撃スキルを放つ。

神々しい光を放つ回転する歯車がサクラの周囲に無数に現れ、踊るように飛び回り、残った五人の男たちそれぞれに迫る。

三つの歯車は抵抗もなくアサシンの男たちの胸部に当たり、吹き飛ばした。

残りの二人の男たちは逃げようと背中を向けた所に一撃貰い、倒れ伏す。

倒れた五人の男たちの元に油断なく残りの歯車が追撃を加えた。

舞い上がった砂煙が止んだ先には完全にノックダウンした五人の男たち。

それと同時にユニコーンは役目を終えたと言わんばかりに嘶きながら光の粒子になって消えていった。

 

「……むぅ、戦闘終了?」

 

残ったのは完全に沈黙した七人の男と呆然とするサクラ。

そして、口をあんぐりと開けたままの金髪の少女となぜか熱の籠もった瞳でサクラを見る紫の髪の少女だった。

 

 

 

「アンタ一体なんなのよっ!?」

 

警察を呼んでくれたのかと思えば突如不思議な力によって七人の男たちを打倒した桜色の髪の女の子。

その叫びは目の前で誘拐よりよっぽど理解不能なことが起こったアリサからしてみれば仕方ないことだった。

 

「……ん、サクラは、魔法使い」

 

よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに胸を張るサクラ。

だが、サクラからしてみれば先程の男たちの方が不可解だった。

Lv150にしてカンストに至ったサクラからしても『セイントホイール』の威力は同レベルの他職に比べれば二十レベルの差があってやっと五分五分の威力の筈なのに一発で五人を撃退出来た。

それほどまでに彼らと自分との間にLv差が開いていたのだろうかと。

そう思いながらもサクラは二人の縄を四苦八苦しながら解いていく。

アリサの縄を解き終わったサクラは紫の髪の少女、すずかの縄を解きに掛かる。

 

「あの……魔法使いって他にも居るの?」

 

すずかは目をまん丸にして問うがサクラからしてみればパーティーに一人は居るような存在を知らない方が不思議だった。

 

「……魔法使い、沢山居ない、の?」

「世界中探したって本当に使えるようなヤツは居ないわよ!」

「……モンスターが襲ってきたら、大変?」

「すずか、やばいわこの子」

 

真剣な面持ちでですずかに告げるアリサ。

そして、サクラの言葉に心底困った顔をするすずか。

 

「アンタ、これからどうする気なのよ」

「……帰れない、ユニコーンに乗って他の街、探す?」

「いや、やめたほうがいいんじゃないかな、それは…」

 

ユニコーンに乗って車道を爆走するサクラを想像しまい、頬を引き攣らせるすずか。

 

「とりあえず常識が致命的に足りないことは分かったわ。アンタ名前は?」

「……ん、サクラは、サクラ」

「苗字は?」

「苗字、多分無い」

 

サクラの言葉に大きな溜息を吐きながら頭を抱えるアリサ。

 

「親はどうしたのよ?」

「……親、チュートリアル。ん、分からない」

 

サクラの最初の記憶は今の杖よりもずっと粗末な木の棒を振り回していた記憶。

一般的には『チュートリアル』と呼ばれている時期のものだった。

当然サクラに親や家族といったものは存在しない。

 

「……一般常識から教え直さないと駄目ね、これは」

「アリサちゃん、どういうこと?」

「サクラはあたしが預かるわ。このままじゃ下手すると実験施設行きよ」

「あ、あはは……」

 

サクラには実験施設の意味はよく分からないが、二人の表情から少なくとも良くない場所であることだけは伝わった。

 

「という訳で今日からはあたし、アリサ・バニングスがアンタの飼い主よ、サクラ」

「えと、私は月村すずか。宜しくね、サクラちゃん」

「……サクラは、男の子」

「アンタその容姿と格好で男だったの……」

 

こてんと首を傾けながら答えるサクラ。

そして、それとは対照的にげっそりとしたアリサ。

 

「……ん、アリサはサクラの飼い主。サクラはアリサの使い魔?」

「なんか良く分からないけどもうそれでいいわ」

 

そして、この時、飼い主発言によりサクラの中でアリサこそが自分の主人〈マスター〉だと刷り込まれた瞬間であった。



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嬉しいようです

アリサの苦悩は加速していた。

サクラの多すぎる意味不明な言動や単語。

自宅でそれを少し調べてみた結果、とんでもない結論に至ってしまった。

しかも、それを否定する材料が一つも見つからない。

 

モンスターを倒し、消滅した先に現れるという『ドロップ』。

死んでしまっても近くの街に経験値と引き換えに蘇る『死に戻り』。

どこに居ても突然流れてくるという『システムアナウンス』。

定期的に意識が途絶える日や、時間が決まっているという『定期メンテナンス』。

突如意識が途絶えるという『臨時メンテナンス』。

新たな場所やモンスター、魔法が世界に解き放たれるという『アップデート』。

 

―――サクラはゲーム世界の住人だった。恐らくジャンルはMMORPG。

 

もはやこれ以外の結論が出てこなくて溜息しか出てこない。

 

 

 

「サクラ、アンタ自分がどんな存在だか分かる?」

 

アリサとしてもサクラにどう聞けばいいのか分からない。

対するサクラは無表情のまま首を傾げていた。

 

「…ん、サクラには良く分からない」

 

サクラからしてみてもそうとしか言えなかった。

人が人から生まれることは知っている。

しかし、サクラはそうではない。キャラクタークリエイトで生み出された存在。

 

「……アリサとすずかが連れて行かれる時にサクラは助けなくちゃと思った。だからサクラはサクラになった?」

 

これがサクラの結論。

帰らなくてはいけないと思っていたサクラが辿り着いた初めての自分の意思とも言える代物。

 

「そ、そう……ありがとう」

 

自分たちを助ける為に生まれたと言わんばかりのサクラの台詞にアリサは頬を赤らめて照れるしかない。

 

「……サクラはユニコーンみたいに消えたり出たり、出来ない。サクラ、出来損ない」

「しなくてもいいわよ。むしろ出来ても絶対にするんじゃないわよ!」

 

本気でアリサの使い魔になろうとしていることなど知らないアリサは戦慄する。

サクラなら魔法使いとやらの力で本気でやりかねないのだ。

 

「お嬢様、サクラ様。お茶が入りました」

 

その言葉と同時に壮年の執事、鮫島がどこからか現れ、てきぱきとテーブルに支度をしていく。

鮫島の存在に幾多のアクティブモンスターを避け続たサクラですら気づくことが出来なかった。

 

「……凄い。サクラは鮫島みたいになりたい」

 

瞳をキラキラと輝かせながら言うサクラ。

サクラはどうやら使い魔の理想型を鮫島に見出したようだ。

 

「……勿体無いお言葉でございます」

 

少女のような少年の手放しの賞賛に鮫島は少しくすぐったそうな顔をする。

 

「そういえばサクラは何が出来るの?」

「ん、サクラはプリースト。回復と解呪に補助魔法が得意。攻撃は苦手」

「アンタ、あれだけ誘拐犯をズタボロにしておいて攻撃は苦手はないでしょうよ」

 

七人の誘拐犯は警察よりも病院に直行。

当然アリサとすずかの最初のサクラへの教育は『やりすぎてはいけません』だった。

サクラがプリーストじゃなくてもっと攻撃的なジョブだったら笑えない事態になっていたかもしれないとアリサは頬をヒクつかせるしかなかった。

 

「サクラは死亡してから五分以内なら蘇生も出来る魔法使い」

「この世界はゲーム内じゃないんだから魔法を無闇に使っちゃ駄目よ!絶対だからね!」

 

流石ゲーム世界出身と思わざるを得ないアリサであった。

しかし、サクラに無作為に回復魔法を掛けられては本気で困るのだ。

 

「……ん、気をつける。サクラはゲーム?」

 

サクラはアホの子であるが決して馬鹿ではない。

ただ、今までの認識が捨てきれないだけだ。

それだけでも十分に致命的だが。

この世界と自分の居た世界が別の物であることも今更ながらに理解していた。

そして、うっかり口を滑らせたアリサは苦々しい顔をしていた。

 

「…そうよ。サクラはゲーム内の住人。でも今のアンタは生きている。だから死んだりするのは絶対に許さないからね」

 

ぷいっと目を逸らしながら言うアリサに不思議そうな顔をするサクラ。

 

「……ん、サクラはアリサの使い魔。居なくならない」

「そうですね。サクラ様が居なくなればお嬢様はきっと悲しまれるでしょう」

「というかサクラ、アンタまだ使い魔うんぬん言ってたのね。友達よ友達!」

「ん!サクラはアリサの使い魔で友達。…でも今のサクラはフレンドリストも出せないぽんこつ」

「あぁ、もう面倒くさいわね!大体サクラはぽんこつなんて言葉どこで覚えてきたのよ!」

 

目に見えて落ち込むサクラと立ち上がってサクラの教育方針に本気で悩むアリサ。

そして、二人のズレた会話を目元を緩ませて見守る鮫島。

 

「サクラは一度見たり聞いたりしたら忘れない。クエスト内容もスキルスクロールも一度見ただけで完璧に覚える」

「サクラ様はハイスペックなお方なのですね」

「もうちょっとハイスペックならハイスペックらしくしなさいよ…」

 

ある意味生後一日に満たないサクラには無理な話である。

 

「……鮫島。これはとても、美味しい」

「翠屋のシュークリームで御座いますよ。サクラ様」

「……きっとサクラのステータスも上がる」

「上がらないわよっ!」

 

そういえば調べた時に食事でステータスが上昇するゲームもあったなと思い出すアリサ。

 

「サクラ、アンタ今まで食事とかどうしてたのよ」

「ダンジョンアタックの前には必須」

「……絶対に三食摂りなさい。鮫島。アンタ、サクラの教育には絶対に参加しなさいよ」

「……承りました」

 

ゲーム世界の住人の厄介さを再認識する二人。

全く知らないならまだしも中途半端に知っているが故の厄介さがサクラにはあった。

 

 

 

 

 

「……大丈夫。サクラは杖が無くてもLv100くらいまでのモンスターなら、負けない」

 

真っ先に邪魔な白銀の杖を取り上げられたサクラであったがその闘士は本物であった。

防具もなく、武器もないがサクラには鍛えに鍛え上げたINT値がある。

Lv150カンストプリーストは伊達ではないのだ。

 

「待ちなさい。アンタは一体何と戦う気なのよ」

 

闘士を漲らせるサクラの襟首を掴み、冷たい視線を投げかけるアリサ。

 

「鮫島はきっと一流のアサシン。サクラは後衛として遅れを取る訳にはいかない」

 

あの無駄の一切無い動きは只者ではないとサクラに確信させるに至っていた。

既にサクラの中では鮫島は引退した一流のアサシンになっていた。

 

「むしろアンタ一人でアタシは天下が取れるわよ」

 

護衛を百人並べてもサクラには敵わないだろう。

文字通りの最高戦力。時代が時代なら本気で天下統一が目指せた。

野心溢れる人物がサクラを拾っていたら世界が本気で危なかっただろう。

 

「サクラ様、こちらをお召しください」

 

サクラが男だと知らない鮫島が持ってきたのは子供サイズのメイド服。

 

「メイド服。サクラは知ってる」

「…鮫島、サクラはこんな見た目だけど一応男らしいわよ。というかサクラはメイド服、知ってたのね」

「ん、街中にメイド服を着てる人は沢山居た」

 

純国産のMMORPGには良くあることなのだがアリサはこの国の将来が本気で不安になった。

しかし、サクラがスク水などと言い出さないだけまだマシであったが。

ジェンダーの違いなどサクラにとっては些細なことなのである。

 

「……鮫島。サクラにはメイド服の着方が分からない。やっぱりサクラはぽんこつ」

 

アイテムボックス以外からの着替えなど当然初めてのサクラは嘆く。

一人、メイド服を引っ張ったり伸ばしたりしている。

 

「サクラ様、そう落ち込まれないでください。後ほど身の回りの物を買いに行きましょう」

 

鮫島がそう言うと一転してパアッと表情を明るくするサクラ。

 

「アンタ、歳相応に出来るんじゃない」

「ん、サクラはエモーションを使っていない。とても不思議」

 

アリサにはエモーションの意味が良く分からなかった。

それでもサクラが嬉しそうにするのを見て小さく微笑んだ。



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気のせいだったようです

「アリサちゃん。私はユニコーンさんに乗ってみたい!」

 

私立聖祥大学付属小学校三年一組。

鮫島に送られてやってきたアリサへと掛けられたすずかからの第一声がそれだった。

 

「すずか。アンタが昨日やたらと目をキラキラさせてたのはそういうことだったのね」

 

確かにあのユニコーンを見たら乗ってみたいと思う人が出てもおかしくないだろう。

まさかその一人目がすずかだとはアリサは思わなかったが。

 

「……というか大体乗馬は結構危ない、いえ、でもサクラに『シェルプロテクション』とやらを掛けて貰えばいいのよね……」

 

万が一落馬しても平気な上にさらに保険で回復魔法まで控えている。

アリサの中で仕事終わりの鮫島が『ヒール』を掛けて貰いながら至福の表情を浮かべていた場面が蘇る。

ちょっと自分にも掛けてみて欲しくなったのはアリサの秘密だ。

アリサが思っていたよりずっとサクラは便利人間だった。

 

「まぁ、家の敷地内ならバレないように乗ってもいいんじゃない。多分サクラも喜ぶわよ?」

 

サクラはアリサとすずか、そして鮫島を特別視している節がある。

アリサはなぜか主人として突き抜けているが、すずかは友達、鮫島はパーティーメンバーだろう。

最後のだけ色々と間違っている気がするが、鮫島はなぜか嬉しそうなのでアリサは特に何も言っていない。

 

「そうなのかな、サクラ…君…。なんかしっくり来ないね」

「本人は気にしないだろうから普通にちゃん付けでいいわよ」

 

丁度この頃、サクラが『付与のスロットが沢山空いてそう』などという理由で着たメイド服で鮫島と共に屋敷内の掃除に勤しんでいることなどアリサは当然知らない。

 

「そっかぁ、じゃあ帰りにアリサちゃんの家にお邪魔させて貰うね」

「……当たり前だけど、サクラの魔法のことは他の人には秘密よ」

「……うん。そうだよね」

 

何か琴線に触れたのか、一転して寂しげな表情で肩を落としているすずかがアリサには不思議だった。

 

「……まぁ、もう少しサクラに常識と分別を付けたらこの学校に入れなきゃね」

「えっ、サクラちゃんこの学校に来るの?」

 

私立聖祥大学付属小学校は本人にそれなりの学力が必要とされる。

すずかがサクラがそれほどの学力に達しているのか不安に感じるのも仕方のないことだった。

 

「正直認めたくないけどサクラの学力は暗記なら間違いなく私以上よ。ちょっと教科書読ませてみたら完全に覚えて見せたわ」

「…なんというか、その…凄まじいね」

 

サクラの『一度見たり聞いたりしたら忘れない』は伊達では無かった。

数学がまだ怪しいが公式自体は頭に入っているので時間の問題だろう。

 

「その分幼児期に教わるべきものがごっそり抜けているのが致命的だけどね…」

 

『赤信号は渡ってはいけません』『三食きっちり摂りましょう』『夜は眠る時間です』

そういった物が致命的に足りないのだ。

サクラは当然お腹は空くし眠くもなる。だが、どうすればいいのかが分からないのだ。

 

「それなら私がサクラちゃんを引き取ろうか?」

「サラッとサクラを狙って来るんじゃないわよ」

 

まだ一日足らずだが、アリサにとってサクラは弟のような存在になりつつあった。

手は掛かるが素直だし、とても懐いてくれているサクラを素直に渡すのは嫌だった。

 

「……私は初動が遅かったのかな」

 

すずかとしてはサクラを引き取れない事情もあって殆ど冗談だったのだが、そう思わざるを得なかった。

存在自体がファンタジーなサクラの他の魔法もすずかは見てみたかった。

その辺りは歳相応の少女なのだ。もっとも、サクラはファンタジーの体現というよりもファンタジーから切り抜かれた存在なのだが。

 

「…あのねえ、すずかはサクラの友達なんだからいいじゃない。サクラに魔法を見せてほしかったら下手したら一撃で屋敷が半壊するような魔法まで嬉々として見せてくれるわよ。……でも絶対にそれは頼んじゃ駄目よ」

 

最後だけは声音が真剣だった。

流石のアリサも謎の光に包まれて屋敷壊滅などという事態だけは勘弁して欲しかった。

 

「…サクラちゃんってそんな魔法が使えるの?」

「……クールタイムが長いし補助職なのにヘイト稼ぎすぎてあんまり役に立たないって言ってたわよ」

 

ゲーム内ならロマン魔法で済んだのに現実だと立派なテロ行為である。

サクラの為に必死でゲーム知識を得たアリサは地味にサクラに対して理解を深めていた。

 

 

 

 

 

「なのは、アンタどうしたのよ。何か挙動不審よ」

 

授業が終わり、下校中アリサとすずかの親友である、高町なのはが唐突にキョロキョロし始めたのを見て、アリサは妙だと感じていた。

 

「もしかしてなのはちゃん何か落としちゃったの?」

「えっと、違うんだけど二人は何か聞こえない?」

 

小首を傾げながら尋ねるなのは。

全く分からない二人はプルプルと首を横に振る。

 

「声って幽霊か何かだったら面白いわよね」

「や、やめてよぅ…」

 

ゲーム内の住人とユニコーンを見た後だと何が出てきてもおかしくないと感じてしまうアリサ。

対照的に怯えるなのは。自分にしか聞こえない声に恐怖してしまうのも仕方がないだろう。

 

「うん。やっぱり聞こえる」

 

なのははそう小さく呟くと同時に駆けだした。

 

「ちょっと、待ちなさいよなのは!」

「えぇっ、結局幽霊なの、違うの!?」

 

慌ててそれを追いかけるアリサと幽霊発言におっかなびっくりしながら二人を追いかけるすずか。

なのはを先頭に二人は脇道に飛び出すと、林道を木々を縫うように走って行く。

五分ほどそれを続けるとアリサとすずかの視界にしゃがみこんでいるなのはの姿が映る。

 

「この子怪我してるの…」

 

立ち上がったなのはの腕の中に出血で毛を赤く染めた小動物。

 

「……フェレット、なのかな?」

 

なのはの腕の中のフェレットを心配そうに覗きこむすずか。

 

「試しにサクラを大声で呼んだらどこからか現れたりしないかしら」

「アリサちゃんはサクラちゃんを何だと思ってるのかな…」

 

本人が使い魔主張を続けているせいでアリサも着々と毒されている。

だが、サクラならこのフェレットの治療も容易いことを知っているアリサは歯噛みしていた。

 

「早くこの子を病院に連れて行ってあげなくちゃ」

 

そう言ってなのははフェレットを抱えたまま来た道を戻るように走りだした。

 

「あぁ、もうっ!」

 

アリサからしてみればサクラが治療出来ることを知っていてもなのははサクラの魔法について何も知らない。

サクラなら別に魔法のことをなのはに教えてしまったからと言って不機嫌になることなどありえないのだが、本人の了解も無しにバラしてしまっては不義理になるのではという思想がグルグルとアリサの中で巡っていた。

 

「…えと、とりあえずなのはちゃんを追いかけないと」

「……そうね。なのは一人に任せるのも心配だしね」

 

アリサは治療が出来ないようだったらサクラの手を借りればいいかと結論を出す。

そして二人はなのはの後を追い始めた。

 

 

 

「で、こんなことがあったのよ。やたら走らされて疲れたわ」

 

一通りフェレットの件を語り終えたアリサが重苦しい溜息を吐き出す。

その顔には酷く疲労が浮き出ている。

 

「…アリサ、お疲れ?」

「まぁ、疲れたっちゃ疲れたわね」

 

フェレットを動物病院に運び込むまでは走り通しだったのだ。

三十分近く走り回る羽目になれば当然アリサも限界だ。

 

「ん、分かった。『リカバリーフォグ』」

 

突如部屋全体に大量の光の粒が漂い、部屋が一段と明るくなる。

光の粒は縦横無尽に飛び回りアリサの傍を浮遊し、定期的に点滅している。

点滅と同時にアリサの体に暖かな力が流れこんできて全身の疲れが抜けていく。

 

「アンタ一体何したのよサクラ!?」

「『ヒール』から派生する魔法。『リカバリーフォグ』の中なら三分間だけ癒やしの効果がある。鮫島は一気に疲れが抜ける『ヒール』よりこっちの方が好きだって言ってた」

「鮫島ぁぁぁ!アンタ朝から妙に若々しいというか生き生きしてると思ったらそういうことだったのね!」

 

アリサが必死で走り回っている間に鮫島は暖かな光に包まれてアンチエイジングに励んでいたなどと想像すると納得がいかなかった。

 

「生涯現役も夢ではございませんね」

 

いつの間にかフォグの範囲内に入ってちゃっかりとアリサのご相伴に預かっている鮫島。

鮫島は屋敷内の仕事を嬉々として手伝ってくれる上に非常に懐いてくれているサクラが可愛くてしょうがなかった。

その上体は日々昔のキレを取り戻していく。生涯現役は冗談ではなかった。

 

『―――けて、―――けてください』

 

突如サクラ頭の中にノイズ混じりの声が響く。

 

「……んぅ?」

「サクラ、どうしたのよ。いきなり変な声出して」

「…プライベートチャット、入った気がした」

 

正確にはプライベートチャットではなく念話なのだが当然サクラが知る筈がない。

 

「アンタまだゲームの中の気分で居たのね。…そういえばなのはも似たようなこと言ってたわね。本当に幽霊なんじゃないの?」

「サクラはプリースト。幽霊とアンデッドには強い」

「……精々出てきたら頼ることにするわ」

 

出来れば出てきて欲しくはないがバイオなハザードが起きてもサクラが居ればなんとかなるような気がしたアリサであった。

 



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珈琲は苦かったようです

口一杯に苦味が広がる。

サクラの目の前には黒々とした液体が一杯に入ったカップ。

それを見ながらサクラは渋い顔をしていた。

 

「…あんまり、美味しくない」

「サクラ君にはまだ珈琲は早かったみたいだね」

 

翠屋。まだサクラと鮫島以外の客が居ない店内。

なのはの父、高町士郎は目の前で渋顔を浮かべているサクラを見ながら苦笑いする。

 

「うちは紅茶も美味しいから次はそっちの方に期待して欲しいな」

「…ん」

 

美味しくないと言いつつも珈琲に口を付け続けるサクラ。

砂糖やミルクを投入しながら一杯の珈琲に悪戦苦闘する姿には微笑ましいものがあった。

 

「口直しにお一つどうぞ。他のお客さんには秘密ですよ」

 

パティシエ、高町桃子の言葉と共にサクラに差し出された皿にはショートケーキが乗っていた。

 

「…いいの?」

「サクラ様、その前に言わなければいけないことがありますよ」

「ん、ありがとう」

「どういたしまして」

 

お礼を言うなり、目の前のショートケーキと格闘しだすサクラ。

 

「なんというか、歳相応な感じがありますね」

「えぇ、私共の周りの子供は少々大人び過ぎて居る節がありますから尚更でしょうか」

「なのはももうちょっと手が掛かっても良かったですね」

 

ショートケーキに舌鼓を打つサクラをよそに大人同士の会話に華を咲かせる士郎と鮫島。

 

「サクラは手が掛かる子?」

「サクラ様は優秀ですからきっと直ぐに私の手を離れてしまいますよ」

 

鮫島の声には誇らしさと少しの寂しさが混ざっていた。

 

「…サクラは鮫島に教えてもらいたいこと沢山、ある」

「それは私の楽しみが増えましたね」

 

好奇心旺盛なサクラは何にでも興味を示す。

先のことを考えると鮫島は頬が緩むのが抑えられなかった。

唐突にサクラがブルリと全身を震わせる。

 

「どうかなされましたか?」

 

上機嫌だったサクラが唐突に顔を強ばらせたので、鮫島は驚く。

 

「鮫島…サクラの杖、ある?」

 

サクラの尋ねる声は小さかった。

その表情は相も変わらず硬いままだ。

 

「揃えました日用品と共にございますよ」

 

無手でも魔法が発動出来るサクラが杖を求めたということは只事では無いと判断した鮫島がサクラに耳打ちする。

 

「良く分からない。でも何かが起きた、そんな気がする」

「…では、参りましょうか」

「ん、ありがとう」

 

急ぎ、会計を終えた鮫島はサクラと共に車に乗り込む。

鮫島はサクラが指差す方向に根気強く車を進めていく。

そして辿り着いたのは神社だった。

 

「…多分、ここ」

 

サクラは車に積んであった〈聖竜の杖〉を手に持つと二人は共に石段を登っていく。

登り終えた先に佇んでいたのは黒い獣。

犬としては大きすぎる巨体と尖すぎる歯を持った怪物がそこには居た。

 

「…アリサ、この世界にはモンスターは居ないって言ってた」

「確かにその筈、だったのですが…」

 

そう言われても鮫島は困るしかない。

だが、目の前に存在するのは間違いなくモンスターと言って差し支えない存在だった。

モンスターは犬歯を剥き出しにしてこちらを威嚇している。

 

「サクラ様、どうされますか?」

 

鮫島としては逃げの一手を打ちたいところだが、アレが自分たち以外の人をターゲットにした時のことを考えると寒気がした。

少なくとも対抗出来るような存在をサクラ以外に鮫島は知らないのだ。

 

「…ん、大丈夫。『シェルプロテクション』『サモンユニコーン』。ユニコーン、鮫島を守って」

 

鮫島とサクラを光の膜が包む、更に光と共に虚空から這い出る一角獣。

思わず鮫島はサクラに召喚された一角獣に魅入ってしまった。

それと同時にそれが自分を守護する存在だと思うと恐怖が一気に薄れていくのが感じられた。

 

「お気をつけて」

「行く。『フェアリーブレス』『フォーカス』」

 

強化された身体能力でサクラは跳ねるようにして飛び出す。

それと同時にモンスターがサクラに向けて突進を仕掛けてくる。

サクラは腰だめに構えた杖を突撃してきた犬のモンスターに振るう。

 

「…先制攻撃。『インパクトブロー』」

 

『インパクトブロー』。遠距離主体の魔法使いの杖専用スキル。

効果はボス属性のモンスター以外の強制ノックバック。

短い呻き声と共に弾かれるように犬のモンスターが吹き飛ばされる。

当然筋力の足りないサクラではダメージというダメージは与えられない。

だが、元々ダメージを与える為のスキルでは無いが故にサクラは追撃を加えることに抵抗はない。

 

「『セイントギア』」

 

サクラの周囲を旋回するように現れた無数の歯車が犬のモンスターを包囲するように迫る。

空中にバックステップをしながら回避しようとした背中にサクラが上空に待機させていた歯車が突き刺さる。

墜落するように落ちてきた犬のモンスターに残りの歯車が次々に追撃を加えていく。

しかし、追撃の止んだ先では犬のモンスターがよろよろと立ち上がりながらも次第に足取りを確かにしていく姿だった。

 

「…ん、回復が早過ぎる。スキル?」

 

自動回復スキルのあるモンスターならサクラは倒しきるのが厳しい。

スキルツリーの上位にある魔法を使えば一撃で倒せるだろうが、神社が無事で済むとは思えないのだ。

鳥居を足場にしながら多角的な攻撃を仕掛けてくる犬のモンスターに翻弄されてしまう。

時に鮫島にも攻撃が向かうが、ユニコーンに鋭い角による一撃を貰ってからは警戒しているようだ。

 

「…動きが止まればなんとかなる?」

「では、私が盾になりましょう」

 

サクラの呟きに答えたのは鮫島だった。

飛び出して来た鮫島は両腕を盾にするように犬のモンスターの突撃に割り込んでくる。

それと同時に『シェルプロテクション』の膜に弾かれるようにして鮫島と犬のモンスターが同時に逆方向に吹き飛ぶ。

 

「…ごめんなさい、『シール』」

 

サクラはどうしても吹き飛んだ鮫島に後ろ髪引かれてしまう。

しかし、サクラは紫色の複雑な文様が刻まれた球体を掌に収めると吹き飛んだ犬のモンスターの胴体に押し込むようにしてそれを突き出す。

球体は飲み込まれるようにして完全に犬のモンスターの体内に消えていく。

 

「…んぅ、どうして?」

 

球体が犬のモンスターに消えていくのと同時に現れたのは明らかに無害そうな小型犬だった。

『シール』の効果はスキル封印。つまりサクラは先程の回復能力を封じてから犬のモンスターを倒そうと思っていた。

それが犬のモンスターから普通の小型犬に変じさせた意味が分からなかったのだ。

 

「…今はそれより鮫―――」

「お呼びでしょうか。しかし、サクラ様の防御の魔法は完璧ですね」

 

珍しく焦った表情のサクラの呼びかけに間髪置かずに答える鮫島。

光の膜は残ったままで、傷どころか服にも汚れ一つ無い。

 

「…あまり驚かせないで欲しい」

「私はサクラ様を信じておりますので」

 

そう言われてしまえば単純なサクラは上機嫌になるしかない。

 

「ん、じゃあ帰ろ」

「はい。しかし、物騒な世の中になりましたね」

 

先程の出来事を物騒で済ませてしまう鮫島は流石であった。

二人は飼い主らしき女性の元へ駆けていく小型犬を見送りながら石段を下り始めた。

その場には『シール』の封印時間の切れたジュエルシードが転がっており、後に一人の少女が再封印を施すのだがそれは別の話だ。

 

 

 

 

 

「…ごめんなさい。本気で頭が痛くなってきたわ」

 

サクラと鮫島の雑談に唐突に出てきた犬のモンスターの話題。

アリサの日常は着々とファンタジーに蝕まれつつあった。

 

「正直に申しますとアレはサクラ様以外には対処不可能でしょう」

「…もしかしたらサクラの世界のモンスターなんじゃないの?」

「サクラ、あれは見たことがない」

 

一度見たら忘れないサクラが知らないのだから、その確率は非常に低かった。

 

「…サクラ、あんまり危ないことしちゃ駄目よ」

「ん、サクラは居なくならない」

 

サクラの中ではアリサとの約束は何よりも重かった。

故に本当に危なかったら被害度外視で魔法をぶっ放す所存だ。

 

「…あたしが思っていたよりずっと世界はファンタジーで満ちていたわね」

 

アリサが吐き出すように漏らした一言は異様な重みを持っていた。




強制ノックバックって結構ヤバい気がする。


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メイドは変態なようです

「お嬢様。サクラと共に夜の逃避行に行って参ります」

「待ちなさい。アンタ、その変態的な台詞をあたしにも分かるように噛み砕きなさい」

 

綺麗な一礼をしながらどう考えてもアウトな言葉を放つ一人のメイド。

清水沙羅。バニングス家のメイドの一人であり、サクラの友達である。

 

「…私はサクラと夜を共にして飛んでしまいます」

「余計に危なくなったわよ。アンタ、逮捕されたいの?」

 

なんでこんなメイド雇っているのだろうとアリサは思ってしまう。

しかし、二十代前半の若輩でありながら、非常に優秀なのだ。

 

「話は変わるのですが、サクラは非常に私好みに育っていますね」

「あたしには全く話題が変わってないようにしか聞こえないのだけど」

 

危なすぎる、このメイド。

思わず歳の差を考えろと言いたくなるアリサ。

 

「そのようなこと、些細なものでございます」

「…十年も経ったらアンタ、おばさんよ。あとサラッと心を読まないで頂戴」

「…サクラも成長して私の背を追い抜いてしまう日が来るのでしょうか」

 

ふと、ゲーム内のキャラクターであったサクラに成長という概念が存在するのかと考えてしまうアリサ。

だが、体はこの世界の基準で動いているのだから成長はするのだろうと思い直す。

これで髪が伸び始めたらもはや確定だ。

 

「…あの子はどんな遺伝子をしているのかしらね」

「私は、私はっ!サクラが『俺』などと自分のことを呼び出す未来なんて認めたくありませんっ!」

 

それはまさに魂の叫びであった。

その声は悲壮感に満ちており、台詞がマトモだったなら、聞いたもの全ての心を揺さぶっただろう。

一瞬『俺』呼びのサクラを想像してしまい、微妙な顔をするアリサ。

 

「…なんというか、『ない』わね」

「私は心配でならないのです。サクラが小学校に通うようになって周囲のガキ共から口調が移る可能性を考えると!」

「清水、メイドにあるまじき口調になってるわよ」

 

いくらなんでも、ガキ共はないだろうと嘆息するアリサ。

 

「失礼しました。今のサクラが消えてしまうならいっそのこと私が……」

「残念ね。我が家から優秀なメイドが一人消えてしまうのは」

 

変態相手に遠慮は要らないと容赦なく脅しを掛けていく。

 

「…勿論冗談でございます」

「えぇ、あたしは最初から信じていたわよ。夜の逃避行とやらも冗談なのよね」

「いえ、それは本気です」

 

一瞬本気で解雇してやろうかと思ったアリサは悪くない。

それと同時に沙羅は唐突に声を張り上げる。

 

「サクラ、出てきて下さい!」

「…ん、サクラ、呼ばれた」

 

いくらなんでも呼んだだけで出てくる訳はないだろうというアリサの考えは容易く打ち砕かれた。

突然数センチほど上空の虚空から現れ、ストンと華麗に着地を決めるサクラ。

 

「…サクラ、アンタどっから沸いてきたのよ」

「魔法使いのスキル『テレポート』ですよ、お嬢様。それほど距離が飛べない、溜めが長い、隙が多すぎると三拍子揃った、ゲーム内だったら間違いなく地雷スキル一直線の性能ですね」

 

バッサリと地雷スキルと斬り捨てられたサクラは悲しそうな顔をする。

しかし、本人の反論が一切ない所を見ると事実だったのだろう。

 

「大丈夫ですよ、サクラ。お陰でお部屋の模様替えも楽ですし、重い荷物も一瞬で運べます。一流のメイドになれますよ」

 

アリサは自分で傷つけておいて慰めまで予定調和的にこなし、サクラの好感度稼ぎに勤しむ沙羅の姿に大人の汚さが見えた気がした。

 

「…家のメイドの雇用条件には『テレポート』はないわ。というか清水、アンタなんでそんなにサクラの魔法に詳しいのよ」

「屋敷内にお客様が居ない時のサクラは一切縛りプレイがない最強の存在ですから。魔法エステに労災要らずですね」

 

いつの間にか屋敷内のヒエラルキーの上位にサクラが食い込んでいたことに遠い目をするアリサ。

しかも福利厚生がとんでもないことになっている。

 

「…アンタら、もしもサクラが居なくなったらどうするのよ」

 

早くもサクラ依存が始まっている屋敷内に嘆息するアリサ。

 

「…アリサはサクラ、要らない?」

 

アリサの言葉に眉尻を下げて寂しげな顔をするサクラ。

 

「待って、あたしが悪かったからそんな顔をしないでサクラ!」

「…お嬢様もサクラの前では形無しですね」

「清水、元々はアンタのせいでしょうが!」

 

アリサの責める言葉をすいすいと躱していく沙羅。

その姿にサクラは只々感心するばかりだった。

 

「さて、サクラ、空中散歩に行きましょう」

「…ん、サクラは頑張る」

 

そう言いながら窓際に歩いて行く沙羅とその後ろをとてとてと着いて行くサクラ。

大人二人通れるような大きさの窓ガラスを沙羅が開くと、サクラが沙羅に背中から抱きつく。

 

「サクラのこの子供体温が堪りませんね」

 

ナチュラルに変態的なことを呟いている沙羅。

だが、サクラは只々首を傾げるだけだ。

アリサは本気で通報してやろうかと思った。

 

「『フライング』」

 

サクラの肩から湧き出るようにして、一対の光の翼が現れる。

その光景をアリサは口をあんぐりと開けながら見ている。

着々とファンタジー耐性を上げつつあるアリサでも今回は駄目だったようだ。

『フライング』。『GrowTreeOnline』では、高難易度の空中戦レイドボスのMAPに侵入する為に必要な前提スキルであり、やたらと長い前提クエストをこなすことでようやく手に入れることが出来る全職共通スキルであった。

 

「…沙羅、ちょっと重い」

「サクラはもうちょっと女性の扱いを覚えないとですね」

 

どうやら、サクラに重いと言われたのは流石の沙羅にもショックだったらしい。

 

「…善処、する。『フェアリーブレス』」

 

沙羅の腰に抱きついたまま、サクラは光の翼を羽ばたかせてその場に浮遊する。

光り輝く羽根が床に落ちるのと同時に消えてくのを呆然と眺めるアリサ。

その光景は非常に幻想的で、アリサはこの翼で空を共に駆けることが出来る沙羅が羨ましくなった。

 

「…サクラ、次はあたしの番よね」

「…ん、約束」

 

その言葉ががよほど嬉しかったのか、心底嬉しそうな笑顔を咲かせるサクラ。

 

アリサは久しく歳相応の笑顔を浮かべながら、時に叫び、時に笑いながらサクラと共に夜空を舞うことになった。

そして、アリサが本当の意味でサクラの魔法と触れ合ったのがこの日であった。

 

 

 

 

 

「サクラ、逃げるんじゃないわよ!」

「サ、サクラは丸洗い、出来ない」

「アンタは別に色落ちする訳じゃないでしょうが!」

 

屋敷の一室ほどある脱衣所で走り回る二人の姿。

色落ちはしないが、間違いなくイロモノではあるサクラはアリサの手から逃げ回っていた。

 

「風呂嫌いってアンタは猫か!」

「…目に泡が入る、とても痛い」

 

要するにシャンプーの泡が目に入るのが嫌なのだ。

しかし、逃げるサクラはとっ捕まえるがアリサの信条だ。

素直すぎるサクラが逃げるということはやましいことがあるのだから。

それほど身体能力に優れていないサクラは結局直ぐに捕まってしまう。

 

「…『テレポ――」

「サクラ、今魔法を使ったらお仕置きよ。あとついでにスキルも禁止」

 

逃げる前に先手を打たれてしまうサクラ。

結局サクラは服を脱がされ、風呂場に直行させられてしまう。

 

「天井の染みを数えてる間に終わるわよ」

「上を向いたら余計痛い」

 

珍しくマトモなことを言うサクラだが、頭上からシャワーのお湯を掛けられてしまう。

アリサはシャンプーを掌に広げると、桜色の髪の毛をくしゃくしゃと洗い始まる。

それと同時に瞳を白黒させていたサクラはぎゅっと瞼を閉じる。

 

「相変わらず憎たらしいくらい綺麗な髪してるわね」

「…ん、サクラにはよく分からない」

 

髪の色の基準から狂っているサクラには当然意味が分からなかった。

そこから猫耳犬耳が生えてても普通と言い切るのがサクラである。

サクラの髪を洗うアリサの表情は妙に楽しげだった。

そのまま一通り洗い終えるとコックを捻って、サクラの泡を流し始める。

 

「…サクラも洗う」

「そう。じゃあお願いするわ」

 

今度はサクラが覚束ない手つきでアリサの金髪を洗い始める。

髪を洗うという経験自体が足りないが故なのだが、アリサは満足気だった。

 

「…サクラ、何回か犬のモンスターと同じぞわぞわ、感じた。でも、探してたらいきなりぞわぞわが消えた。もしかしたら――」

「サクラみたいにモンスターを倒せる存在が居るかもしれないってこと?」

「ん、自信はない」

 

アリサの長い髪に悪戦苦闘しながら答えるサクラ。

 

「サクラは正確な場所まで分かるの?」

「…凄く曖昧。多分サクラには感じる才能、あんまりない」

 

本人は知らないがサクラの魔力量は良くてEランク程度。

サクラの魔法やスキルは殆ど『異能』のような扱いとなっている。

そうでなければサクラは別系統のスキルツリーの魔法すら使えてしまう。

退化も進化もしない。それがサクラの魔法の本質なのだから。

 

「サクラ以外はもっとその感覚が鋭いのかもしれないわね」

 

満足行くまで洗えたのか、サクラは丁寧に泡を流していく。

その顔にはやりきった感が溢れ出ていた。

 

「…近くなら、多分分かる」

「それで十分よ。戦わずに済むのならそれに越したことはないしね」

 

アリサはモンスターを直接見たことは無いが、サクラが苦戦するようなら相当な強さなのだと判断した。

なによりアリサが心配していたのはモンスターが同時に複数出現した時のことだ。

可能性としては決して否定は出来なかった。

 

「くぁ…なんだか眠い」

 

目の前でぽやぽやと欠伸をしているサクラと強大な魔法使いのサクラを完全に同一視出来る人は少ないだろうと苦笑いをするアリサ。

こう思えるのもサクラに抱えられて、夜空を飛び回ったからかもしれない。

その点はあの変態メイドに少しだけ感謝してもいいかと思ったアリサだった。

 

「しっかり湯船に浸かるまで逃さないわよ」

 

意地の悪い顔をするアリサだったが、内心自身の頬が緩まないのが不思議な位だった。

 

 

 

 

 

その夜、子供一人寝るには大きすぎるベッドでアリサがサクラを抱き枕にしながら眠りに就いていた。

それを覗き見ていた沙羅は微笑みを浮かべながら足音を立てずにその場から立ち去っていく。

 

「サクラ様はやはり本物の魔法使いでしたね」

 

背後から掛けられた声に沙羅はビクッとしながら振り返る。

そこには先程沙羅が浮かべていたのと同じ表情の鮫島が居た。

 

「…あまり驚かさないでください。それにサクラは元々魔法使いですよ」

「えぇ、勿論分かっておりますとも」

「…相変わらず喰えない人ですね」

「それは清水には言われたくありませんね」

 

クックと普段は使わないような笑い声を漏らす二人。

 

「清水のあの妙な言動も全てこの為でしたか」

 

メイドにあるまじき悪どい顔をしている沙羅に柔らかな笑みと共に鮫島が問いかける。

 

「いえ、あれは結構本気です」

 

一瞬で粛々とした態度に変わった沙羅の返答に鮫島の笑顔が凍った。



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喋るのは好みじゃなかったようです

サクラは現在黒、白、ぶち、その他諸々のバリエーション豊かな猫たちの玩具にされていた。

ペタンとテディベアのように床に座り込んだサクラは至る所猫まみれ。

襟元に入り込み前脚を引っ掛けて満足げに鳴く、袖口を噛みながら引っ張るなどやりたい放題。

当然、サクラが最初にこの世界に来た時に着ていた桜色のローブは毛だらけ。

挙句の果てに杖を街中で持ち歩くのは怪しすぎるという理由で与えられた〈聖竜の杖〉が収められた竹刀袋には子猫が顔を突っ込んで遊びだす始末。

 

「なんというか、凄く懐かれてるよね」

「ここまでいくとサクラちゃんが全く羨ましいと思えないの…」

 

当たり障りのない言葉を選ぶすずかと頬を引き攣らせるなのは。

月村家のお茶会に招かれ、初めて対面したサクラとなのはであったが、当然のようにサクラちゃん扱い。

同じくサクラちゃん呼びのすずかは自然に受け入れ、アリサとサクラは特に気にもしなかった。

 

「飼われてる同士の仲間意識かしらね」

 

アリサはサクラに対して地味に酷かった。

毎回自宅の犬に襲撃を受けた結果、唾液まみれ、毛だらけになっているサクラには慣れていた。

どちらかというと動物に懐かれているというよりは同族意識を向けられているのだ。

 

「…ん、ユーノ。こっち」

「きゅっ、きゅー!?」

 

無表情のサクラはフェレットのユーノを引っ掴んだまま左右に揺らし、尻尾を猫じゃらしのように扱っている。

なんとなくで猫じゃらしにされているユーノだが、本人は飛びかかってくる猫に捕まらないように必死だった。

最近になって食物連鎖という単語を知ったサクラは非情であった。

 

「…ユーノ、野生の本能が足りない」

「アンタも野生の本能は足りてないと思うわよ」

 

生存競争には勝ててもサクラは現代社会には勝てないだろうと判断したアリサ。

 

「…サクラ、やっぱりぽんこつ」

「きゅきゅっ、きゅー!」

 

最近ぽんこつが口癖になりつつあるサクラ。

サクラがユーノを左右に振ることをやめたことで一層盛んになった肉食獣とのじゃれあい。

それから逃れる為にユーノも必死で身をよじる。

唐突にピクリとサクラの拘束が緩む。ユーノはこれ幸いとばかりにサクラの手から逃げ出し、逃走する。

 

「ユ、ユーノ君、えと…私、ユーノ君を追いかけてくるね」

 

逃げ出したユーノに追従するように慌てて駆けていくなのは。

サクラは硬直した姿勢のまま固まっている。

 

「サクラちゃん、いきなり固まってどうしたの?」

 

先程までは無表情ながらも楽しげに遊んでいたサクラが硬直したことを疑問に思うすずか。

サクラは竹刀袋に顔を突っ込んだままの子猫を優しく引っ張りだしている。

 

「…アリサ、来た」

「サクラ、来たってまさか…」

「…ん、凄く近い」

 

事情の分からないすずかは一人、置いてけぼりを食らっている。

 

「えと…来たってなにが来たの?」

「なんというか、そうね…モンスター?」

 

凄く近いという言葉に驚愕しながらもすずかに答えるアリサ。

 

「アリサちゃん、もうお日様は高くなってるよね」

「別にあたしが寝ぼけてるって訳じゃないわよっ!」

 

寝ぼけてるなどという不本意過ぎる評価を避けたいアリサは必死で説得を始める。

五分ほど説得を続け、やっと理解を得られた所で両者は一息吐く。

ちなみにサクラはぽつねんと一人寂しげに足元にじゃれてきた猫に構うだけだった。

 

「…サクラ、行っていい?」

 

とてとてとその場から立ち去ろうとするサクラの襟首をアリサが引っ掴む。

 

「待ちなさい。敷地内なら飛んでも構わないんだからあたしも連れて行きなさい」

「…危ない、よ?」

「もしかしたらなのはが巻き込まれてるかもしれないでしょうが」

 

それだったら自分だけでも先に行ったほうが良かったのではないかと思うサクラ。

 

「それになにかあってもサクラが守ってくれるんでしょう?」

「サクラ、凄く頑張る」

 

アリサからの全幅の信頼に瞳をキラキラと輝かせて即答する阿呆の子サクラ。

そのまま二人は玄関に向かって歩を進めていく。

 

「…『フライング』『フェアリーブレス』」

 

光の翼を背中から出現させるサクラ。

サクラはそのまま背中からアリサに抱きつく。

 

「…アリサ、飛…うきゅ」

「待って待って待って、サクラちゃん!」

 

今まさに飛び立とうとしていたサクラは首に回された手に言葉を遮られる。

引っ張られたすずかの腕によってサクラの首は着々と締まっており、表情は苦しげだ。

 

「私も乗せて行って!」

「正直もう乗る所がないわよね」

 

自然と乗り物扱いされているサクラの表情は微妙に悲しげだ。

 

「ま、まだ肩車があるよっ!」

「…諦めて根性出して頑張りなさい、サクラ」

 

この二人の言によって肩の上にすずか、腕にアリサを抱えた奇妙すぎる団子状態のサクラが出来上がった。

三位一体なのに負担が全てサクラ一人に行っているので、当のサクラは必死である。

本気の羽ばたきと共にサクラは空に舞い上がった。

 

「凄い、凄いよサクラちゃん、本当に空を飛んでるよ!」

「…すずか、はしゃぐと、お、落ちる」

「高さが足りないわよ、サクラ」

 

興奮するすずかと揺らさないように頑張るサクラ。

そして、いつにない低空飛行に不満気なアリサ。

サクラがよろよろと安定しない飛行を繰り返していると唐突に三人の視界が灰色に包まれる。

 

「えぇっ、なにこれ!?」

「…サクラはこの光景に見覚えある?」

「…見たことない、不思議」

 

封時結界。ユーノによって張られたそれは本来サクラ以外の二人は超えられない筈の代物だった。

それによって位置を正確に捕らえたサクラは結界の中心に向けて加速していく。

 

「みゃぁお」

 

そこに居たのは一匹の猫であった。

だが、サイズが段違いであり、小さなビル程度は余裕である。

歩くだけで周囲の木々をなぎ倒してる。

 

「…鮫島、子供の成長、早いって言ってた」

「アレは早いってレベルじゃないわよ」

 

あのサイズの猫の世話をしていたら普通の家庭は食費だけで潰れるのではないだろうか。

そう思わずにはいられないアリサであった。

 

「…なのは、飛んでる」

 

サクラの視線の先には足元から小さな翼を出して浮遊するなのはの姿。

 

「そんな馬鹿なことが……飛んでるわね。なのはが」

 

いい加減ファンタジーには慣れてきたアリサだが、親友すらファンタジーの権化と化している光景には流石に現実逃避しそうになった。

しかし、なのはが杖を構え、肩にユーノを乗せながら浮遊する姿を見てしまえば認める他なかった。

 

「にゃっ!?なんで三人が結界の内側に居る…というかその体勢なんなのっ!?」

「えっと、小さいけど魔力を感じたサクラはともかく他の二人は入ってこれる筈ないんだけど…」

 

なのははアリサ、サクラ、すずかがくっついた団子状態の三人を見て驚愕する。

そして、きゅっ、きゅーと愛嬌を振りまいていたユーノが饒舌に喋り出す。

お互いにツッコミ所満載の状態であった。

 

「ユーノ君、喋ったね」

「…もしもペットが喋ったらどうなるだろうと思うことはあっても喋らない方が可愛いことってあるのね」

「…ユーノ、残念」

 

アリサとすずかはまた一つ大人になった。

喋るマスコット派と喋らないマスコット派の対立は根深いのである。

 

「みゃぁ」

「…サクラ、なんだかあの猫、近づいてきてるんだけど。まさかとは思うんだけど、あの巨体でじゃれついてくる気じゃないわよね」

 

アリサの全身の血が引いていく。

ズシンズシンと地鳴りを起こしながらこちらに駆けてくる巨大猫の瞳は敵意あるソレではない。

だが、生身であれとじゃれあったらどう考えても死ぬ。

 

「…『シェルプロテクション』」

 

アリサの疑問には答えず、自分を含めた三人の体を光の膜で覆うサクラ。

もはやこれだけで返答としては十分だった。

 

「サクラちゃん、逃げて、逃げて!」

 

肩に乗ったままサクラの頭をペシペシと叩くすずか。

飛行するサクラに向かって今にも全身のバネを用いてジャンプ攻撃を仕掛けてきかねない巨大猫に背を向けて、サクラはなのはの元へ逃げ出した。

 

「なんでサクラちゃんこっちに逃げてくるの!?」

「なのは、アンタはこっちが届かない高さまで飛ぶな!こっちは不安定すぎて高く飛べないのよ!」

 

猫じゃらし感覚でじゃれようとしてくる巨大猫。

本気で命の危機を感じているアリサ、すずか、サクラ。

そして理不尽にもそれに巻き込まれてしまったなのはの追いかけっこが始まった。



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ユニコーンの餌ではないようです

スクライア一族。

ユーノの生まれ育った一族であり、遺跡発掘を生業とする一族である。

そして、ユーノ・スクライア主導で発掘されたロストロギア、『願いの叶う宝石』ジュエルシード。

しかし、輸送中の原因不明の事故により、二十一個のソレが海鳴市に散らばった。

その事に責任を感じたユーノは自らそれを収集するべくこの世界に降り立った。

しかし、力及ばず今にも力尽きようとしていた時、彼は一人の少女と出会った。

 

「要するにユーノ、アンタがジュエルシードとかいう危険物を海鳴市に撒き散らして回収に困っていた所で魔法の資質があったなのはを巻き込んだってことでいいのね?」

 

アリサが怒気を垂れ流しているのを感じ取ったのか、なのはの肩に乗ったユーノが震えている。

 

「そうだね。それに関しては僕も非情に申し訳なく思っているよ。…そ、それにしても僕はサクラの使っている魔法についても聞きたいんだけど…その光の翼からも魔力を全く感じないし術式も全く分からないんだけど…」

 

即死級の猫パンチをグライダーのように翼を傾けて避けているサクラについて言及するユーノ。

 

「アンタの世界、ミッドチルダの魔法は一種のプログラムなんでしょ?」

「うん。デバイスっていうなのはのレイジングハートのような発動媒体を用いるのが魔導師の常識なんだけど…バリアジャケットもないし、サクラの杖は違うよね?」

「…ある意味あれはプログラムだけど考えるだけ無駄だから諦めなさい」

「えと、非殺傷設定とかは…?」

「そんなものがあったら経験値が入らないでしょうが」

 

なにを言っているんだと言わんばかりのアリサの態度にユーノがフリーズする。

ゲームクライアントのプログラムの魔法と言うのはいくらなんでも問題だらけだった。

 

「…サクラ、もうレベル上がらない」

 

当然の如くサクラの返答もズレていた。

アリサに速攻で封印された広範囲攻撃魔法など、使い勝手の悪い魔法が多数存在するのがサクラである。

広範囲攻撃魔法。つまりゲーム内ではない今となっては『敵味方問わず範囲内は全て攻撃するのだ』。

こんなものどうしろというのだ。

 

「サクラちゃんにはその…封印ってやつが出来ないの?」

「サクラにも確かに魔導師の素質はあるんだけど、とても実用レベルとは言えないんだ。バリアジャケットの展開も出来るのか怪しいくらいかな」

 

すずかの問いにユーノが答えたことで、サクラの伸び代が完全に消え失せたのがこの瞬間であった。

心なしか高度が下がったのをアリサとすずかは感じた。

 

「サクラは感じ取る才能がないんじゃなくて才能自体が足りなかったのね」

 

無意識にアリサがサクラの傷口をえぐる。

 

「…サクラ、だめだめ」

 

サクラの新たな自嘲語録が増えた。

それと同時に背後を駆けてくる巨大猫の元へ無数の光の礫が奔った。

礫は巨大猫に直撃し、その巨体を横倒しにする。

 

「魔導師一人と…えと、なんだろう…ジュエルシードは頂いていきます?」

 

光の礫を放った主は、泰然としようした態度を貫こうと思ったのだろうが、明らかに失敗していた。

金色の髪に鎌状のデバイス、バルディッシュを携えた少女、フェイト・テスタロッサ。

その視線は一瞬団子状態を続けるサクラたちに向き、すぐさま気まずげに逸らされた。

 

「今あの子、あたしたちから目を逸らしたわね」

 

それは誰だって逸らす。フェイトだって逸らす。

その視線は自然と普通の魔導師である、なのはの元へと向かう。

 

「えぇっ、なんで私なの!?」

「あの状態の三人になにかが出来るとは思えない」

 

ごもっともである。

しかし、それは三団子の中心がサクラでなければの話だが。

フェイトがなのはにバルディッシュを向け、再び光の礫を放つ。

 

「…『セイントギア』」

 

現れた旋回する歯車をサクラは礫の進行するルートに合わせて縦に設置する。

盾として礫を受け止めた光の歯車は空間に溶けるように消えていく。

 

「…お団子さんは魔導師?」

「…ん、サクラはサクラ」

 

フェイトに残念すぎるあだ名を付けられたサクラ、もといお団子。

 

「えと、サクラ、でもジュエルシードは貰って行くよ」

 

バルディッシュの矛先をサクラへと向けるフェイト。

だが、当然アリサを抱えたままのサクラにはそんな格好良い真似は出来ない。

 

「…サクラ、別にジュエルシード、要らない」

「そうね。ユーノはともかくあたしたちは持ってかれても特に困らないわよね。なによりサクラの魔法には非殺傷設定とやらがないのにサクラに戦うように頼むつもりもないしね」

「でも、家の子を攻撃されるのは困るかな…」

 

ユニコーンに食べさせたら大きくなるだろうか程度の認識のサクラには特にジュエルシードへの執着はない。

サクラの魔法を人を傷つける為に使って欲しくないと内心思っているアリサも同様だ。

すずかに至っては飼い猫が攻撃されるのは見ていられない一心。

 

「この子を攻撃したことはごめんなさい…直ぐに封印する」

 

すずかの言葉に申し訳なさそうに頭を下げたフェイトはバルディッシュを倒れ伏した猫へと向ける。

 

「待って三人共!困るよ、僕が凄く困るよ、な、なのはっ!」

 

ユーノが慌ててなのはに視線を向けるとそこには肩で息をしながら地面に膝を付くなのはの姿。

結界内へと平然と侵入してきた三人。

なぜか巻き込まれた巨大猫との長時間の追いかけっこ。

新たな侵入者の金髪の少女による、唐突な攻撃。

なのはの精神的、肉体的、更には慣れない魔導師としての長時間の魔法の行使によって疲労はピークに達していた。

当然、幾多のパッシブスキルにより、自然回復量が底上げされているサクラのMPはそもそも『フライング』『フェアリーブレス』『シェルプロテクション』の併用程度で尽きる訳がなかった。

 

「…みゃぁ」

 

フェイトからバルディッシュを向けられている巨大猫は不安そうにこちらを見下ろしていた。

すずかもまた、不安そうにそれを見つめる。

 

「なんとかしてこの子から痛くないようにジュエルシードを出してあげることって出来ないかな」

 

結局すずかが不安に感じている点はそこだった。

ふとサクラの脳裏に犬のモンスターと戦った時の記憶が蘇る。

 

「…ん、サクラ出来るかも。おいで」

 

地上に降り立ったサクラはアリサとすずかを遠ざけると巨大猫に呼びかける。

のそのそとサクラの元へと近づいてきた巨大猫はベロリとサクラを舐めあげる。

 

「…サクラ、おいしくない」

 

巨大な舌で舐め上げられたサクラは一瞬で涎だらけになっていた。

前脚を折って顔を近づけてくる巨大猫にサクラは手を伸ばす。

 

「…『シール』」

 

サクラは掌に現れた紫色の球体を巨大猫の額に収める。

それと同時に巨体は一瞬で縮小し、元の子猫の姿へと戻る。

足元に転がっているのは『シール』の紫色の球体の中に封じられたジュエルシード。

平常通りの効果なら、三十秒ほどで『シール』の封印効果は切れる。

それでも、痛みを与えずにジュエルシードを排出させられることに気づいたサクラは子猫を抱えながら満足気だった。

 

「良かった!サクラちゃんありがとう」

「うにゃっ!?全部終わっちゃってる!?」

「サクラ、とりあえずアンタはお風呂に直行ね。帰りはサクラがべとべとで飛べないから屋敷で使ってる方で帰るわよ。すずか、なのは、どこでもいいからサクラを掴みなさい」

 

まだ汚れていないサクラの背中を引っ掴みながら言うアリサ。

サクラは一人ショックを受けているが、すずかとなのははアリサと同様にサクラのローブを掴む。

 

「…サクラ、目が痛いのは嫌…『テレポート』」

 

サクラの足元に人一人覆える程度の魔法陣が現れ、くるくると回転し始める。

二十秒ほどで段々と魔法陣の回転が加速し始め、光を放ちだす。

 

「えと、サクラ、ばいばい!」

「…ん、ばいばい」

 

フェイトが慌てて手を振る姿にそれが見慣れたエモーションだと気づいたサクラは一瞬きょとんとしつつ、同じように返す。

光が止んだ先には四人の姿はなく、一人の魔法少女の姿と完全に忘れ去られた小動物が一匹。

そして、魔法少女の手の中には『シール』の封印効果の解けたジュエルシードが収められていた。







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転職クエストのようです

月村家、そこには一度として過去にはなかったような微妙な雰囲気が漂っていた。

おろおろするなのは、不機嫌そうな気配を漂わせるアリサ、少しだけ困ったように微笑むすずか。

そして、なぜかカリカリと鉛筆を鳴らしているサクラ。

サクラは一度お風呂に放り込まれたお陰で微妙に髪が湿っている。

汚れたローブが使えないので多少薄着だが、猫にまとわりつかれているのでそれほど寒くはなさそうだ。

 

「なのはが最近妙な行動してたのは魔法少女活動とやらのせいだったのね」

 

アリサが不機嫌なのはそのことを自分に話して貰えなかったからだ。

こちらもサクラの秘密があったからなんとか自分を抑えていられる。

 

「えと、アリサちゃん、抑えて抑えて」

「あたしは別に全く怒ってないわよ、えぇ」

 

怒っているだなんてそもそも言っていなかった。

どう見ても怒ってるよねとは言えないなのはとすずか。

 

「ちょっと位相談があっても良かったんじゃないとか全く思ってないわよ」

「なのはちゃんも巻き込まれちゃうとか考えてたのかも…」

 

事実そうだと分かっていてもとっくにジュエルシードに関わっていたアリサの溜飲は下がらない。

 

「…ん、出来た」

 

今まで全く発言をしなかったサクラが走らせていた鉛筆を止める。

それと同時にメモ帳から一枚の紙を切り離し、掲げる。

その内容はサクラにとっては見慣れた形式のものだった。

 

 

 

【ジュエルシードの回収】必要Lv1~

【依頼者】ユーノ・スクライア

【必要条件】レイジングハートの起動、及び封印術式の行使

【クエスト説明】

事故によって海鳴市全体に二十一個のロストギア、ジュエルシードが散らばってしまったんだ。

今の僕ではジュエルシードの収集が出来ないから手伝って欲しい。

【失敗条件】海鳴市の消失、又は地球滅亡

【成功報酬】特になし

 

 

 

「このクエスト、質が悪すぎるわよ!失敗条件が酷い上にメリット皆無じゃない!」

 

失敗条件が酷すぎることにアリサがツッコミを入れる。

なまじ冗談になっていないせいで全く笑えない。

 

「…きっとジョブ、魔法少女になる」

「転職クエストにしては難易度高すぎると思うわ」

 

机の上に置かれたなのはのレイジングハートが抗議するように発光する。

どうやら初期武器扱いは耐えられなかったようだ。

アリサはサクラのせいで…いや、お陰で色々とどうでもよくなってきた。

 

「はぁ、それはともかくなのははどうしたいのよ?」

 

溜息を一つ漏らすとアリサはなのはに尋ねる。

 

「うん、このままユーノ君のジュエルシード集めを手伝いたい」

「…さっきの子と敵対することも有り得るのよ?」

 

さっきの子という言葉にサクラは今更になって大事なことに気づいた。

 

「…サクラ、名前聞くの忘れた」

「サクラちゃんはなんというか、ブレないよね。次会った時に聞けるといいね」

「…ん、失敗」

 

サクラの発する独自の空気に慣れてしまったなと今更になって思い知るすずか。

のんびりと二人、紅茶に口を付ける。

 

「どうしてジュエルシードを集めているのか聞きたい。あの子と正面からお話してみたいの」

 

なぜか二極化しつつある空気に驚愕しながらもなのはは話を続ける。

あっちの空気に呑まれては話が進まないのだ。

なのはは真っ直ぐにアリサの瞳を覗き込みながら告げる。

 

「アンタ、妙な所で頑固よね」

 

なのはの覚悟が固いことに気づいたアリサ。

思わず自分に力がないせいで関われないことをことを悔しく思ってしまう。

 

「今更止められないんでしょうけど、サクラとすずかはどう思―――」

 

アリサはすずかの意見を聞こうと振り返る。

振り向いた先ではどうやったのか漫画のように瞳の中に星を浮かべたサクラとそれを見て拍手するすずか。

 

「凄いよ!本当に目の中に星があるみたい!」

「…ん、エモーション、まだ出来た」

 

システム的な制約やメニュー画面は殆ど消え去ったサクラだが、変な部分は残っていたようだ。

ちなみにゲーム中では『期待の眼差し』というエモーション名だった。

説明文は『ちょっとした期待を眼差しに乗せて』。

どこをどう見てもちょっとしたでは済んでいない。

 

「だ・れ・が一発芸をしろって言ったのかしら?」

「…痛い、アリサ、痛い」

 

サクラの頭を掴んでアイアンクローの要領で締め付け始めるアリサ。

向き合って頭を締め付けるアリサと『期待の眼差し』状態の星を瞳に浮かべたままのサクラ。

一言で言うならカオスだった。そこに唐突に一匹の小動物が乱入した。

 

「置いていくなんて酷いじゃないか…って、なにこの状態?」

 

置いてけぼりを喰らったユーノが今更になって現れたのだ。

頭上に疑問符でも浮かべそうな程に首を傾げている。

 

「出たわね、災厄の元凶」

「…その言い方はあんまりだと思うんだ」

 

なのはを巻き込んだことは事実なので強く言えないユーノ。

ユーノが現れたことでやっとサクラが開放される。

 

「というかサクラ!あの子にジュエルシードを渡しちゃってどうするつもりなのさ!」

「…ん、あの状態だとアリサとすずか、危ない」

 

下手を打てばアリサとすずかを巻き込む乱闘になる可能性もあった。

『シェルプロテクション』では衝撃までは消せないことは鮫島が身を持って立証した。

あの時した心配は紛れも無く本物であり、極力被弾は避けたかった。

正直ジュエルシードが封印出来るのなら、なのはでもフェイトでも構わなかったという理由もあったが。

 

「いや、まぁそうなんだけどさ、もうちょっとこう…」

 

それでも、あそこまであっさりと渡されてしまうとユーノとしてもどうしても納得出来ないものがあった。

ましてサクラは正体不明、術式不明の魔導師なのかそうでないのかも分からない存在。

ハッキリと言ってしまえば『敵か味方か分からない』だ。

 

「…サクラはアリサの使い魔、普通」

「ごめん、余計意味が分からなくなってきたよ」

 

リンカーコアを持っていないアリサの使い魔になることなど無理だ。

とりあえずユーノはサクラについて考えることをやめた。

アリサの使い魔を自称しているならなのはに害を為すことはないだろうと無理やり納得することにした。

 

 

 

 

 

最近恒例となりつつサクラによる夜間飛行。

溜まったストレスを発散するようにそれを存分に堪能したアリサはご満悦だった。

そして、一大発表をするかのように胸を張り、サクラと沙羅に告げる。

 

「サクラ、次の連休は温泉に行くわよ!」

「…温泉…火山…ん!火竜狩り?」

 

MMORPGの火山マップに形だけの温泉が付いているのはお約束である。

なまじモンスターが出てしまったせいでサクラの残念思考は加速してしまっていた。

 

「サクラ、私はドラゴンステーキなるものが食べてみたいです」

 

そこに燃料を投下するのが沙羅である。

残念ながら本人は割と本気で言っている。サクラが居るならドラゴンが居てもいいじゃないかと。

 

「そんなのが出たらサクラ以外全員死ぬわよ!」

「…アリサ、サクラが守る」

「そ、そう…ってそんなことは今はそれはどうでもいいのよ!」

 

一瞬サクラの守る発言に照れてしてしまいそうになったアリサだが、それはなんとか堪える。

そんなのがゴロゴロ居たらジュエルシードより先に地球が危なかった。

紅葉狩りと言いながら本当に紅葉を狩りに行こうとする外国人のような思考がサクラにはあった。

 

「お嬢様はLvが足りないから駄目なんですよ、サクラ」

「…サクラ、アイテムボックスがないことを悔やむ」

「アイテムボックスには一体なにが入ってたのよ…」

 

そこでよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに『期待の眼差し』を使うサクラ。

 

「流石ですね、サクラ。やはりエモーションは使えたんですね。これで芸風が増えましたね」

「…ん、沙羅のおかげ」

「清水!サクラのこれはアンタのせいだったのね!」

 

サクラの人間離れした瞳から逃れるように叫ぶアリサ。

 

「…モンスターの召喚アイテム、各種揃ってた。アリサ、安全にLv上げ出来た」

 

サクラのアイテムボックスが封印されていたことにアリサは心から感謝した。

 

「…これじゃ、ケーキモンスターしか召喚出来ない」

「ケーキモンスター、心惹かれる言葉ですね」

「…ん、Lv1のイベントモンスター。イベントの上位報酬スキル。経験値入らないけど、ショートケーキ、ドロップする」

 

元々はゲーム内の各所で大小の大きさのクリスマスケーキが暴れまわるという内容のクリスマスイベントで配布されたスキルであり、攻撃力皆無のケーキモンスターを召喚するというネタスキルだったらしい。

ドロップのショートケーキも多少のHPの回復という殆ど使えないアイテムであったようだ。

ここまで聞いたアリサの脳内にとある考えが浮かぶ。

ニヤリとアリサは口元を歪ませながらその考えを口に出す。

 

「今から十秒後にそれを使っていいわよ」

 

アリサはそれだけ言うと脱兎の如く部屋の外に逃走する。

――相も変わらずその口元は歪ませたまま。

 

「『聖夜の狂乱』」

 

サクラの言葉と共に部屋中に大人一人サイズ程のホールケーキにデフォルメされた足と目が付いたモンスターが部屋に数体現れたのを見届けて、アリサは扉を閉めた。

数分程沙羅の叫び声が屋敷中に木霊し続け、それが止んだ後にアリサが部屋を覗きこむとモップを床に突き立て、肩で息をしながらぐったりとした沙羅の姿。

更には丁寧に包装されていたお陰で綺麗なままのショートケーキが部屋の各所に鎮座していた。

どうやらこのメイドは自力でケーキモンスターを打ち倒したようだ。

その姿を見て、これはお仕置きには使えると確信したアリサであった。

 

後にショートケーキの味自体はとても良かったことから屋敷の各所で時折ケーキモンスター狩りが行われることをアリサはまだ知らない。

バニングス家の使用人たちはアリサが思っていたよりずっと逞しかった。




魔法少女ジョブは年齢によって派生します(小声)


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逃した獲物は居なかったようです

ザアザアと流れる清流の端に鮫島、沙羅、そしてサクラの姿があった。

温泉宿へやってきた一行だったが、サクラが最も興味を示したのがこの清流。

宿からそれほど距離がない場所であった為、三人は温泉より先にこちらに訪れていた。

しかし、アリサは釣餌の虫が理由で不参加を表明していた。

 

「…沙羅、サクラは楽しい」

 

サクラは近くの釣具店でレンタルした道具一式を使い、釣り糸を水面に垂らしながらキラキラと瞳を輝かせていた。

そして、同じように楽しそうにそれを眺める沙羅と鮫島。

 

「やはり適用されていましたね。まさかとは思いましたが正直、驚きの結果です」

 

浅瀬に設置された網の中では溢れんばかりの大小様々の魚が泳いでいた。

網の中の魚は全てサクラの釣果だった。

 

沙羅がサクラに出会った時から不思議に思っていたことが一つあった。

サクラの魔法やスキルは明らかにこの世界用に『調整』されているということだ。

例えるなら『ヒール』や『リカバリーフォグ』。

MMORPGにおいて、傷や身体の欠損等は基本的に有り得ない。

なぜならアバター、つまりは体に傷が付けば『見苦しくなる』。

ゲーム内のボスを倒した後の爽快感や達成感の後に残る自分の重傷のアバターを見て誰が得をするのだ。

いや、得をする趣向の方々も居るかもしれないがこれは一般論だ。

だが、サクラの治癒魔法は重篤な怪我や病気に関しては試したことはないが、『傷が直る』『症状が消える』。

では、実際に『調整』されていた治癒や攻撃以外のスキルはどのようになっているのか。

その結果が網の中を泳ぐ無数の魚たちだった。

隠れていたであろう魚影が飛び出してきて、自ら釣り針に喰いつく。

こんなことは普通は有り得ない。

つまりはサクラの中には間違いなく存在するのだ。『釣りスキル』が。

そんな講釈をついには口から垂れ流し始めた沙羅を横目に鮫島は満足気に頷く。

 

「ふふ、サクラ様は多才でいらっしゃいますね」

 

そんな名推理も鮫島には何事もなかったかのようにスルーされたが沙羅はめげなかった。

 

「…この執事はサクラの真価を分かっていませんね」

「ほぅ、清水。分かっていないとは言うじゃありませんか」

 

サクラの真価と言う言葉に鮫島も興味を持ったようだ。

鮫島にとって、サクラは息子や孫、又はそれに近いものになりつつあった。

その真価と言われては興味が出るのも当たり前の話ではあった。

 

「若い頃から…、いえ、いまでも全然若いんですけどね。ゲーマーの私からすれば簡単なことです。サクラに『釣りスキル』が存在するということは『生活スキル』のカテゴリーに当たるスキル郡が存在する確率が高いんですよ」

「…仕事はこなしているようですから私からはなにも言うことはありませんね」

 

若いを強調する沙羅とその話を噛み砕きながら理解する鮫島。

単語から『釣りスキル』や『生活スキル』の意味をおおまかに把握する程度なら困らなかった。

恐らくは『生活スキル』という括りの中に『釣りスキル』という技能が存在するのだろう。

 

「製作系や調合系のスキルはともかく『釣りスキル』が存在するならほぼ確定で『料理スキル』が存在する筈なんですよ。サクラはまた一つ万能使用人への素質を垣間見せましたね」

「…ほぼ確定、ですか。サクラ様から直接聞いたのではないのですか?」

「サクラに直接聞いてもいいんですが、それじゃ面白くありませんからね」

 

沙羅は自分が見聞きしたスキルや魔法についてしか尋ねない。

なぜならそちらの方が楽しいから。

つまり、沙羅は一度に知ってしまっては勿体無いと思う人間であった。

 

「釣った魚は果たしてどうするのかということです」

「…それは逃がすか捌いて調理…なるほど、そういうことですか」

 

そこまで聞いて鮫島は理解した。

釣ってそこで終わりではないのだ。その先には調理の過程が存在する。

それならば調理に関するスキルが『生活スキル』に存在する可能性は極めて高かった。

 

「料理スキルがどのような形に化けるのか楽しみですね。……もしも食べただけで傷が塞がるような料理になってたらどうしましょうか」

 

そこまで言って沙羅は思い至った。

所謂消費アイテム扱いなら何かしらの効果が存在するはず。

回復効果やステータス上昇効果と呼ばれている代物。

サクラならばコンソメスープを本当にドーピングコンソメスープへと昇華させかねないのだ。

 

「外からも内からも健康になれそうですね」

「…まだ若返る気なんですか」

 

楽しげに釣り糸を垂らしていたサクラは唐突に竿を置いて裸足のまま釣果の収められた網へと近づく。

そのまま網の口を限界まで開くと口を水面に傾けて全ての魚を逃してしまった。

サクラを中心として大小様々な魚影が散っていく。

 

「……ばいばい」

 

パシャパシャと水面で手を洗い、そのままサクラは身なりを整えると二人の元へと戻ってきた。

 

「もう宜しいのですか?」

「…サクラ、満足した」

 

その言葉と当時にサクラは晴れやかな笑顔を垣間見せる。

サクラは最近になってますます表情を表に出すようになっていた。

 

「しかし、本当に全て逃してしまったんですね」

「…ん、一杯遊んでもらったから」

 

今日の釣果は魚に遊んでもらった結果。

サクラは自然とキャッチアンドリリースの形に辿り着いていた。

精神的なズレの結果とはいえ、鮫島にとって、それは微笑ましい光景だった。

 

「サクラは可愛いですね。仕方がないので私と結婚しましょうか!」

 

なにが仕方がないのか理解不能だった。

沙羅本人ですら欲望を吐き出しているだけなので理解はしていない。

 

「…ん、沙羅、サクラの友達」

「なんだかナチュラルにサクラに振られた気がします。これが『友達としか見れない』ってやつなんですか…」

 

ガックリとその場に膝を付く沙羅。

意味が分からないサクラはとりあえず沙羅の頭をよしよしと撫でた。

すると、沙羅は段々と頬を赤らめはじめ、あげくの果てには息遣いまで荒くなっていく。

 

「ちびっ子のサクラ…いえ、チビザクラに撫でられるというシチュエーション…アリですね」

 

どうやら沙羅は新たな世界が開けたようだった。

沙羅の頭の中ではバラ科サクラ属に新たにチビザクラという新種が増えた。

 

「サクラ様、清水が危険水域に突入しましたので宿に帰りましょうか」

 

病状を悪化させ始めた沙羅を置いて鮫島はサクラの手を引いて歩き出した。

鮫島は最近になってこのメイドに対処する方法を身につけつつあった。

 

 

 

 

 

宿に一足先に辿り着いたアリサ、すずか、なのはは今回の目的である温泉に浸かっていた。

そして、ユーノはお湯の張られた桶の中から首を出している。

 

「サクラの遊びに私が着いて行かなかったのは仕方ないんだけど…なんか納得いかないわね」

 

肩まで湯に浸かったアリサは不服そうに言う。

それを聞いているすずかは苦笑いを漏らす。

 

「…最近、アリサちゃんはサクラちゃんにべったりだよね」

「はぁっ!?そんなこ…わぷっ」

 

慌てて否定しようとしたアリサはお湯の中で足を滑らせ頭までどっぷりと温泉に浸かってしまう。

 

「……そんなことないわよ」

「さっきのを見た後だと恐ろしいほど説得力を感じないよね…」

 

頭まで濡れたせいで、前髪の先から雫を滴らせている。

そんな姿を見てすずかが説得力を感じる訳がなかった。

 

「にゃはは、その分だと夜までぴったりくっついて寝てるのかな?」

 

なのはが半ば冗談で言うとなぜかアリサが硬直したまま目を泳がせる。

それを見たすずかとなのはは「え?」と思わず声を漏らす。

 

「…最初は一回だけのつもりだったのよ」

 

一度きりで終わらせるつもりだったそれが常習化しつつあった。

誰かに甘えるという経験の少なかったアリサ。

両親共に忙しかったアリサは誰かと共に眠りに就くということが殆どなかった。

当然サクラがその要求を拒むことや、恥ずかしがるということは当然ない。

しかも鮫島や沙羅がそれを止めるはずがない。

つまりはアリサを止めるストッパーが全く存在ないのだ。

 

「いえ、全部サクラの人間離れしたふわふわした髪の毛が悪いのよ!なんであんな柔らかい髪の毛が存在するのよ!」

 

いっそ清々しい程の逆ギレだった。

サクラのせいではなくサクラの髪の毛のせいにする辺りも流石であった。

 

「アリサちゃんはサクラちゃんを独り占めしてズルいよね」

 

すずかの言葉に未だにサクラの普段発する空気に慣れないなのはは困った顔をした。

サクラがゲーム内の住民であることを知っているアリサと知らないすずか。

二人のサクラに対する理解度は違うが、二人共出会いでサクラの力に救われた人間だ。

しかし、なのはは違う。

不思議な力の持ち主であることは知っているが、サクラの掴みどころのない性格が仇となっていた。

 

「…い、いいじゃない。これでも色々と大変なんだから。サクラは風呂嫌いだから一緒に入ったりとか大変よ。…ん?あのメイド、わざわざ有給取って自費で温泉に来たってどう考えても年齢と風呂嫌いを理由にサクラと混浴する気満々じゃない!」

 

風呂嫌いという単語だけでそこまで辿り着いたアリサ。

しかし先程大変なことを口走った自覚はない。

 

「…サクラちゃんって一応男の子だったよね」

「本人が気にしてないんだからいいじゃない」

 

すずかからはサクラは辛うじて男の子にカテゴライズされていたようだ。

 

「えっ、サクラちゃんって男の子だったの!?」

 

サクラのことをずっと女の子だと思っていたなのはは目をまん丸に見開いている。

そういえばなのはの前では明言していなかったなと思い至るアリサ。

 

「うん。サクラ君って呼ぶの違和感があるからサクラちゃんって呼んでるんだ」

 

普段はいちいち訂正するのが大変なのでアリサとすずかは為すがままだった。

本人がちゃん付けでも普通に反応するのでその勘違いは蔓延していた。

 

「…サクラちゃんって色々と凄いんだね」

 

どうやらなのはもサクラ君呼びには抵抗があったようだ。

 

「…さっさと慣れないと後が大変よ」

 

アリサの言葉には実際に苦労したが故の説得力があった。

着々と常識は身につけつつあるので今となっては大分マシだが、それでも尚、サクラは色々な意味でアクが強かった。




>「うん。サクラ君って呼ぶの違和感があるからサクラちゃんって呼んでるんだ」

ぴぴるぴるぴるされるのが桜君でぴぴるぴるぴる出来そうなのがサクラ。
…別に万能血まみれロッドにする予定はないです。


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契約するようです

遊び疲れたことで後部座席ですやすやと寝息を立てているサクラを乗せて車は走る。

もうじき夕暮れを迎える空は徐々に昼間の明るさを失っていく。

 

「お嬢様たちも今頃は温泉を堪能していらっしゃるんですかね」

 

言葉とは裏腹に沙羅は後部座席に座ってサクラに膝枕をしながらご満悦の表情だった。

しかし、それどころではない事態が起きていることに気づいた鮫島は車の速度を下げた。

 

「これは、一体…」

 

辺り一面に広がり出した黒々とした霧。

これは普通ではないと確信した鮫島は車を脇に寄せて停止させる。

 

「なんでしょう。この黒い霧を見ていると寒気がしてきます…」

 

沙羅の全身に怖気が走る。

見たこともない黒い霧と突如感じた怖気に体が自然と震える。

それとサクラが眠りから起き上がったのは同時だった。

 

「…ジュエルシード、来た」

 

サクラが感じた気配は間違いなくジュエルシードだった。

だが、その規模が今までとは段違い。

願いの強さがジュエルシードの強さならば今回は間違いなく規格外と言えた。

黒々とした霧は時間が経てば経つほどその色を濃く、禍々しく変えていく。

 

「サクラ様、今回は危険です。一旦逃げたほうがいいと思われますが」

 

鮫島は一度ジュエルシードに関わった経験から今回は明らかに異常だと感じ取る。

どう見ても犬のモンスターの時の規模ではないのだ。

 

「…ん、でも車、出せない」

 

どちらにせよこの黒い霧の出ている間は間違いなく車を出せない。

下手をすれば交通事故を起こすかもしれないのだ。

他人の事故に巻き込まれるという可能性も有り得る。

 

「…問題はこの霧がなんなのかですね」

 

沙羅は黒い霧が一体なんなのかが分からなかった。

この霧を見た瞬間に生き物として感じた怖気と黒い霧との関連性。

霧自体が一つの存在なのかそれとも霧はなにかの副産物なのか。

 

「…調べてみないと、分からない…『シェルプロテクション』」

 

瞬間、訪れた変化は劇的だった。

サクラとしては癖としてなんの気なしに自分を含めた三人に掛けただけの『シェルプロテクション』。

その光の膜は徐々に車内に侵入していた黒い霧に触れると同時にそれを一瞬で霧散させた。

 

「…驚きました。サクラ様の魔法はこのようなものにも反応するのですね」

 

鮫島がそう言うとサクラは不思議そうに首を傾げる。

本来『シェルプロテクション』にそのような効果はない。

万能どころか毒霧に突っ込めばきちんと毒状態になるような代物だった。

ならば残った理由は一つしかない。

この霧はサクラの魔法が持つ、『聖属性』に弱いのだ。

 

「…この霧、瘴気……幽霊?」

 

強い願いに応えるジュエルシードとこの世に強い未練を残す幽霊。

それならば『聖属性』に極端に弱い理由も分かる。

 

「…まさか、幽霊なんてオカルトですよ、ね?」

 

沙羅は顔を真っ青にしてサクラが否定するのを待つ。

だが、当のサクラは平常通りに無表情のままだ。

 

「…ん、サクラは行ってくる」

 

サクラは座席から腰を上げるとドアを開いた。

開いたドアから瘴気が車中に侵入しては光の膜に浄化される。

 

「待ってください!置いていかないでください!」

「…多分、危ない」

「ここに置いて行かれるよりはマシです!」

 

いつ幽霊に襲われるか気を揉むよりはサクラに着いて行く方が安全だと判断した沙羅は半ば泣きそうだった。

 

「そうですね。私も着いて行くことにしましょう」

 

鮫島も車内で待機するよりはそちらの方が良いと判断した。

単純に二人が心配だったこともある。

如何にサクラが魔法使いだったとしてもやはり子供。

足手まといになると分かってはいても放っておけなかったのだ。

 

「ん、分かった」

 

車外に出ると同時に三人の耳に小さなノイズのような音が漏れ聞こえてくる。

ビクビクする沙羅を二人は引っ張っていきながらサクラと鮫島は周囲を探る。

 

「…あっち」

 

サクラはジュエルシードの気配を慎重に探り、歩を進めていく。

その方向に進めば進むほど周囲の瘴気は色濃くなっていく。

 

――な…で…う…して…

 

ノイズは次第に人間の声として聞こえ始める。

どこまでも悲しげな、悲嘆に暮れるような人間の声として。

 

――思いだせ…いよ…忘…ちゃ駄目なのに…

 

車道から完全に外れた小さな林の中、一つの小さな影が存在した。

少女に見える黒々とした影は頭を抱え、うずくまっていた。

只々人型を模しただけの影。

突如彼女は表情も、顔すらも存在しない顔をサクラたちへと向ける。

 

「ひっ…」

 

思わず沙羅はその場にペタンと膝を付いてしまった。

彼女から溢れだす黒い霧は生あるもの全てを拒絶するかのように周囲の木々を枯らしていた。

 

「…ねぇ、教えてよ。私はなんで…なにをっ!」

 

少女が腕を天に掲げると黒い霧が集合するかのように寄り集まり、質量を持つ。

黒の霧はいつしか漆黒の巨大な槍へと姿を変える。

 

「…鮫島。沙羅、守って」

「…承りました」

 

その光景はサクラからしてみても想像以上だった。

何もかもが段違い。のっぺらぼうの少女は腕をサクラへと振り下ろす。

それに呼応するように巨大な槍の矛先はサクラに向けて放たれた。

 

「『マジックシールド』」

 

サクラが竹刀袋から杖を取り出し槍へと照準を向けると、半透明な騎士盾が槍の軌道を阻むように現れる。

その一撃は盾によって受け止められるが、第二、第三の槍が盾へと突き刺さる。

 

「…『フェアリーブレス』『フォーカス』『サモンユニコーン』」

 

四発目の槍が盾を砕くのとサクラがありったけの補助魔法を唱え終えるのは同時だった。

ユニコーンは平常通りに鮫島と沙羅を守る為に二人の元へと駆け出す。

 

「分からないよ…嫌だよ。でもなにが嫌だったのか分からないんだよ!」

 

砕けた盾の向こう側に見えたのはこれまでのものとは全く大きさの違う巨大な漆黒の槍。

大木一本ほどあるであろう黒槍がサクラへと向けられる。

 

「…『セイントギア』」

 

幾多の歯車が無数に重なり、先程とは厚みの全く違う即席のラウンドシールドが出来上がる。

十枚ほどの歯車のうち、七枚の歯車が槍に次々に貫かれ、九枚に差し掛かった所で黒槍は消滅する。

しかし、影の少女の周囲に集まる瘴気は際限なく濃くなっていく。

 

「誰かがおかしくなって、私もおかしくなって…あの子は…私は…?」

 

少女の嘆きは渦巻く瘴気となって刃のように周囲を切り刻む。

樹木に、大地に、黒々とした斬撃が奔る。

 

「…あの子?」

「全部私のせいだった筈なのに覚えてないんだよ。少しずつ、少しずつ削れていくの。ここに私が居るのにもなにか意味があるのかもしれないのに…」

 

のっぺらぼうの顔から透明な雫が零れ落ちていく。

 

「…ここに居る、意味」

 

その言葉はサクラの中のなにかを揺り動かした。

人ですらなかったサクラが存在する意味。

これまで誰かが動かしていたであろう『キャラクターネーム:サクラ』ではないサクラ。

少なくともサクラはアリサが、すずかが、鮫島が、沙羅たち使用人が好きだった。

サクラは良くも悪くも単純だ。

分からないなら探す。見つからないならもう一回探す。

 

「…ん、サクラも手伝う」

「…駄目だよ。私はもう止まれない。只々穢れを撒き散らすだけの存在になっちゃったもん。ほら、真っ黒でしょ?」

 

ジュエルシードに狂気を増幅させられた彼女は立ち止まれない。

摩耗しきった魂は破壊を振りまいて消滅するだけだと語る少女。

その間もサクラへの攻撃の手は緩めない。

遂には少女が巨大な黒槍の裏に忍ばせた小サイズの黒槍が光の膜ごとサクラを貫いた。

腹部から背中までを貫いた槍は瘴気でサクラの体内を蹂躙しながら消え去る。

 

「サクラ!」

「ぁぅ…」

 

『シェルプロテクション』が破られたことに焦る沙羅とそれを制止するユニコーン。

ユニコーンは冷静だった。なぜならユニコーンの主人は一撃で殺されない限り、それは負けではないからだ。

 

「けふっ!『ヒール』『ディスペル』」

 

血を吐き、足を震えさせながら辛うじて立っていたサクラの腹部の巨大な穴が消えていく。

『ディスペル』の解呪効果により、瘴気の侵食も同時に止まる。

だが、足元の血溜まりもサクラが感じた激痛も本物であり、それは紛れもなくサクラの命の残量を減らしていた。

 

「…丈夫なんだね」

 

間違いなく殺したと思った相手の傷が一瞬で消え去ったことに驚く影の少女。

 

「…ん、約束したから」

 

アリサと死なないという約束をしたサクラはなにがあっても死ぬ訳にはいかなかった。

『なにをしてでも』死なない約束をした。だが、今回は派手にスキルは使えない事情があった。

少女を完全に消し飛ばしてしまう訳にはいかないのだ。

サクラは杖を腰だめに構えて走りだした。

 

「こっちに来ないでっ!」

「『シェルプロテクション』」

 

上空から無数の黒槍がサクラを目掛けて襲いかかる。

サクラはそれを避けようとするが、右肩に飛んできた一本は膜が弾いたが左足へと向かった黒槍が防ぎきれず、浅く突き刺さる。

 

「『フライング』」

 

動かなくなった左足の代わりにサクラは光の翼で低空を駆ける。

少女の眼前で突如空に舞い上がった際に彼女の顔に左足から流れ出したサクラの血がぱたぱたと降りかかった。

 

「ッ!『ライトアロー』」

 

痛みに顔を歪ませながらもサクラは空中から杖を少女へと向ける。

そこから放たれたのは浄化の矢。

小さな柱のようなサイズのそれは寸分違わず少女へと飛翔し、貫いた。

少女を呑み込んだ光の柱は時折脈動し、彼女の漏らす呻き声と共に彼穢れを消し去っていく。

 

 

 

 

 

「あーあ、負けちゃったね」

 

仰向けに倒れ伏している少女の姿は既に影ではなかった。

金色の髪の少女は穏やかな表情でいつの間にか貫かれた足を治して無表情で佇んでいるサクラを見やる。

 

「…ん、勝った」

 

サクラは空気を読まなかった。

満足そうに腰に手を当ててアリサの真似をする。

若干気分が高揚しているようだ。

 

「…ふふっ、ありがとう、私を止めてくれて。でもこれでお別れ、だね」

 

少女の言葉にサクラは答えない。

「なんで?」といいたげな表情を向けるだけだ。

その姿がおかしくて少女は小さく笑う。

 

「ほら、見て。体がほどけていくみたい」

 

彼女が空に腕をかざすと腕の輪郭が徐々にぼんやりとしていく。

只でさえ消えかけだった少女は既にジュエルシードを失った。

足元で転がるジュエルシードは消えかけの彼女に力を貸さない。

 

「…忘れてること、探さない?」

「この体じゃもう無理かなぁ…」

 

少女は力なく笑う。

後数分もすればこの体、霊体は消え去ってしまうのだろうと少女は確信していた。

それでも破壊を撒き散らす悪霊として消え去るのではないことだけは少女にとって救いだった。

 

「…消えなかったら、探す?」

「うん。やらなくちゃいけないこと、あった気がするんだ」

 

しかしそれが叶わない願いであることは少女自身が分かっていた。

 

「…ん、サクラと『コントラクトパートナー』になれば消えない」

「…え?」

 

意味が分からなかった。

まだ自分は消えなくていいのか。果たしてそんな都合の良い話があるのだろうかと。

思わずそう疑ってしまう。

 

「本当に、私はまだ消えなくていいの?」

「ん!」

 

サクラは珍しく自信有り気に頷く。

『コントラクトパートナー』。

ゲームによって『テイミング』等様々な呼び方で呼ばれるシステム。

弱らせた一部のモンスターに対して使用可能であったそれはサクラにも当然存在した。

ゲーム内ではレアなスキル持ちのパートナーを手に入れる為にハムスターのようにそれを繰り返した廃人も居た程だ。

 

「私はまだ、諦めたくない。悪魔でもなんでもいいから縋りたい!」

「サクラ、悪魔…」

「ご、ごめんなさい、例えだから!」

 

突然の悪魔扱いに泣きそうな顔になるサクラとそれを必死に宥める少女。

先程まで戦っていたとは思えないような空気が漂っていた。

 

「……コントラクト、する」

 

どこまでもテンションの下がりきったサクラが呟く。

 

「えと、お願い、します?」

 

奇妙な空気の中、サクラは掌を少女へと向ける。

それを少し離れた場所で鮫島と沙羅が微妙な表情で見守っている。

 

「『コントラクト』」

 

眩い光が少女を包み、一瞬の後に少女は消え去る。

そして、代わりにその場にパサリと一枚のカードが落ちる。

材質不明のカードには可愛らしくデフォルメされた先程の少女の姿が描かれていた。

『コントラクトカード』と呼ばれるそれはコントラクトパートナーを召喚する為のアイテム。

サクラはそれを拾い上げると裏返す。

裏面はビッシリと文字で埋めつくされていた。

 

 

 

【名前】 ※※シア※※

【種族】 精霊

 

【詳細説明】

 

苦悩し、そしてなにかを探し求めた元幽霊の少女。

時と共に徐々に魂が摩耗したことで名前と記憶の一部を失っている。

一度祓われたことによって契約の際に精霊として分類された。

 

【コントラクトスキル】

〈精霊憑依〉

対象に憑依することが出来る。

憑依中は常にMPを消費する。

 

〈下位スキル共有〉

契約者の下位のスキルが使用可能。

効果は使用者のステータスに依存する。

 

 

 

「……シア?」

 

それに目を通したサクラが固まる。

サクラの契約した幽霊少女はいつの間にか精霊少女になっている上に名前も含めてあらゆる意味でバグっていた。



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幽霊ではなくなっていたようです

周囲には二人によって行われた戦闘の傷跡が生々しく残っていた。

立っているのは血で赤黒く染め上げ、腹部の布地の消え去った服を身に纏うサクラのみ。

鮫島はその有り様を見て、真っ先にサクラを着替えさせないとアリサが卒倒すると確信した。

 

「サクラ、そのカードはどうやって使うんですか」

 

デフォルメされた少女の絵を横から覗き込みながら不思議そうな顔をする沙羅。

内心自分が同じようにデフォルメされたらどうなるのか気になっていたが、それはおくびにも出さない。

 

「…ん、出てきて」

 

沙羅の疑問に、サクラはカードで呼びかけることで応える。

次の瞬間、サクラの掌に収められたカードから淡い光を放ちながら、一人の少女が現れる。

水色のリボンを使ったツインテールに真っ白なシャツ、そしてリボンと同色の水色のネクタイ。

現れた少女の姿を見た沙羅は思わず感心する。

 

「まるでコスプレみたいですね」

 

沙羅は言葉を選ばなかった。

ストレートな言葉が少女に投げかけられるが本人はそれどころではなかった。

少女はなぜかわたわたと慌てながらサクラの頬に手を伸ばす。

 

「…むにゅ」

「嘘、温かい、温かいよ…」

 

少女は確かに感じたサクラの体温に驚きながらももう片方の掌もサクラの頬に当てる。

そのままサクラの頬を夢中でこねくり回す。

 

「えと、なんで私に体があるの?」

 

要するに少女が言いたいことはそこだった。

幽霊であった頃の少女は観測されることすら稀で、当然物に触れることすら出来なかった。

それなのに今、掌で感じている温もりは紛れも無く本物だった。

 

「れいふかごーふほだとおほったらへーれー…とっへもふひぎ?」

「わー、すっごいほっぺたもちもちしてるー」

 

頬を弄くり回されても特に動じないサクラ。

そしてそれを肯定と受け取ったのかサクラ弄りを継続する少女。

 

「待ちなさいそこの元幽霊少女。サクラは私のものです」

「えー、でもでも、私のご主人様だよ?」

「…マニアックですね。個人的にはアリです」

 

ツッコミ不在の会話は加速していく。

今更になって頬を弄られていると喋りにくいことに気づいたサクラは拘束からするりと逃れた。

 

「ん、名前、教えて」

「…覚えてないんだよね。名前も記憶もぼんやりなんだよ」

 

〈時と共に徐々に魂が摩耗したことで名前と記憶の一部を失っている。〉

その言葉にコントラクトカードの表記を思い出したサクラ。

 

「…名前、シアしか読めなかった」

「シア、シア…うん、じゃあ私はシアだね!」

「なんか凄く適当ですね」

「あんまり違和感ないから全然ダイジョーブだよ」

 

存在が安定したことで少女、シアは元来の明るい性格を取り戻しつつあった。

 

「しかし、この子全く幽霊に見えないんですけど、どうなっているんでしょう」

 

しっかりと大地を両足で踏みしめているシアを見て不思議に思う沙羅。

 

「…ん、多分分かる。これ、持って?」

「え、うん…」

 

そう言うとサクラは杖をシアに差し出す。

シアはおっかなびっくりしながらも、それを受け取った。

 

「インパクトブロー」

 

サクラは無手のまま両手を組んで、握りしめたまま腕を上げたままの体勢で振り下ろした。

当然無手では杖専用スキルである『インパクトブロー』は発動しない。

 

「シア、真似して?」

「い、行くよ。『インパクトブロー』」

 

シアがサクラの真似をして振り下ろした杖は淡い光を纏い、周囲に鋭く空気を裂く音を響かせた。

 

「サクラのスキルが使えていますね」

「ん、多分『下位スキル共有』のお陰」

 

沙羅に差し出されたのはデフォルメされた少女の消えた『コントラクトカード』。

恐らく召喚中はデフォルメキャラクターは消えているのだろう。

問題は裏面だ。コントラクトスキル欄に存在する、『下位スキル共有』という表記。

 

「…体がないと、物理系のスキル、使えない」

「なるほど。『コントラクト』の影響ってことですか」

 

『釣りスキル』で沙羅が試したようにサクラのスキルはこの世界用に『調整』されている。

それならば肉体のない少女にサクラの『コントラクト』を通してサクラの物理系統のスキルが共有されたならばどうなるのか。

 

「…サクラの仲間、出来た」

 

嬉しそうに呟くサクラを見たら沙羅はまぁいいかという気持ちになった。

ある意味でシアはサクラと同じ存在。

スキルによってそれが証明された以上変えようのない事実。

サクラがこれまでにスキルや魔法のことで疎外感を感じたことがあったのかは沙羅には分からない。

 

「サクラ、良かったじゃないですか」

 

結局の所、サクラが可愛いならそれで世界は平和なのだ。

沙羅はサクラの頭を優しく撫でながらそんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

宿の一室、そこではアリサが椅子に腰掛けながら頭を悩ませていた。

その視線の先にはサクラとシアと名乗る自称精霊の少女。

 

「…サクラ、とりあえずこの子は元あった場所に返してきなさい」

 

まるでシアは捨て犬か捨て猫のような扱いだった。

だが、内心アリサは拾ってきてしまったものは仕方がないと諦めてもいる。

 

「…きちんと散歩には連れて行く」

「良い?幽霊だか精霊だかを飼うのは大変なのよ…多分」

 

流石のアリサもこればかりは自信がなかった。

シアの見た目が人間にしか見えないのがその不安に拍車を掛ける。

 

「基本的に私はサクラに引っ付いてるから大丈夫だよ~」

 

シアはのんびりとした笑みをアリサへと向ける。

どことなくその様子がサクラに似ていてアリサは複雑な気分になった。

ならば、絶対にこのシアという少女の大丈夫は大丈夫ではないのだ。

 

「引っ付くってどうするのよ」

「サクラにとり憑くかカードに戻るかのどっちかかな。でもでも、カードの中は暇だから外には出てたいかな」

「…やっぱり普通に外に出てていいわ」

 

常にサクラの中にシアの影を見るような事態になるのは勘弁して欲しかった。

特にとり憑かれてシアのように饒舌に喋るサクラを想像したら違和感が酷かった。

 

「……で、アンタからどうして鉄臭い臭いがするのかしらね、サクラ?」

「…サクラ、血はきちんと拭いたはず」

 

動揺したサクラは思わず手の甲を鼻に押し当ててそれを確かめてしまう。

 

「…へぇ。気のせいかと思ったけど一応カマ掛けてみただけなんだけどね」

「…アリサ、酷い」

「シア、サクラを捕獲しなさい。お風呂に連行するわ」

「了解しました~」

 

背後からガッシリとサクラを羽交い締めにするシア。

これまでの会話からシアは既にアリサがサクラよりヒエラルキーが上位の存在であることは理解していた。

 

「うーん。体があるって素晴らしいね。サクラに感謝感謝だよ」

 

シアはそう言いつつもサクラの拘束を緩めない。

そもそも出血させた原因なのだからなにがなんでも洗い流させる所存だ。

シアは自分を救い出してくれた時に感じたサクラの温もりを守りたい。

失くした記憶と同じくらいにはサクラを大事に思っている。

 

「…シアは意地悪?」

 

きょとんとした表情でそれを尋ねてくるサクラになぜかシアの何かが掻き立てられた。

擦り切れた筈の記憶の一部が何かを訴えかけてくる。

 

「お姉ちゃん…うん?よーし!シアお姉ちゃんがサクラをお風呂に入れてしんぜよう!」

 

ピースがピタリと嵌ったかのような爽快感にシアは晴れやかな笑顔を見せる。

 

「アンタ、その見た目でお姉ちゃんはないわよ。というかサクラの姉ならあたしでしょうが」

 

ポッと出のシアにサクラが持っていかれると思うとなんとなく納得いかないアリサ。

しかし、姉と言っておきながらアリサは不思議と納得してしまった。

 

「どこからどう見ても私は立派なお姉ちゃんだよ!」

 

なぜか自信満々に告げるシアにアリサがジトーっとした視線を向ける。

 

「…アリサとシア、髪の色同じ」

 

ボソッと呟いたサクラの一言にアリサとシアが硬直する。

両者はその先に続いたであろうサクラの言葉を瞬時に察する。

それから二人はジッとお互いに視線を交わす。

 

「それは絶対にないわよ」

「それは絶対にないよ」

 

両者に妙な連携が生まれた所でアリサはサクラの右手を。

シアはサクラの左手を引っ張って浴場にサクラを放り込む為にその場から引きずり始めた。



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寝ぼけているようです

太陽は既に落ち、辺り全体に薄暗く影を落としていた。

その中を一人の少女が歩みを進める。

暗闇の中、少女の表情にはどこか沈鬱としたものが存在した。

少女、なのはは髪を揺らしながら肩の上の友人に問いかける。

 

「…ユーノ君」

「なんだい、なのは」

 

ユーノは体に触れた髪の毛にくすぐったさを感じた。

誰もが寝静まる時間帯の筈なのに外に出たなのはをその表情も相まってユーノには放っておけなかった。

 

「あの子、そっくりだったね」

 

なのはが気にしていたのはサクラが拾ってきたシアのことだった。

しかし、襲ってきた少女と見た目はそっくりでも中身はまるで別物。

だからと言って気にするなと言われてもそれは無理な話だ。

 

「気にすることはないんじゃないかな。サクラが言うには使い魔みたいな存在みたいだし」

 

ユーノの言葉は実際は建前で少なくともジュエルシードの回収が終わるまで出来るだけサクラには関わりたくないというのが本音だ。得体の知れない力に掴みどころがない性格。

ここに来てからサクラがいつの間にか対処していたジュエルシードについての状況説明も曖昧。

敵ではないかもしれないが、疑わしい所が多すぎた。

例えそれがサクラとシアが血みどろの闘争を繰り広げたことを隠すためにサクラが見せた、珍しい気遣いだとしても。

 

「…ちょっと羨ましいんだ」

「羨ましいって何がだい?」

「うん、あの子、シアちゃんとサクラちゃんが仲良くしてる姿を見てたらね、襲ってきた子とお話出来たのかなぁって思うの」

「アレは仕方がないよ。向こうが問答無用で襲ってきたじゃないか」

 

話が出来るような状態ではなかったのは、なのはも承知の上。

ジュエルシードを狙う理由も彼女の名前も分からない。

それでもと思ってしまうのはなのはの性分によるものだ。

 

「おやおや、夜遊びは感心しないねぇ?」

 

その言葉と同時に、なのはとユーノの少し前方の暗闇から一つは小さな、一つは大きな二つの人型が這い出て来る。

 

「アルフ、先走らないで」

 

小さな方の人型、フェイトは傍らに立つ女性、アルフへと視線を向ける。

アルフは掌をひらひらと振りながら苦笑いを零す。

 

「どちらにしても戦うんだから気にしちゃ駄目だよ」

「えっ、戦うって…」

 

既にバリアジャケットを着用しているフェイトを見やり、なのはは思わず全身を硬直させる。

 

「…ジュエルシードを求める限り、貴女と私は敵同士」

「なのは!レイジングハートを!」

「でも…!」

「早く!」

「うぅ…レイジングハート、お願い!」

 

ユーノに促されるままになのははレイジングハートを起動させる。

純白の衣がなのはを包み、身の丈程ある長大なロッドが現れる。

そのままレイジングハートの先端をフェイトへと向ける。

 

「手持ちのジュエルシードを賭けて戦ってもらう。貴女はここで一つジュエルシードを収集した筈」

「…正確には私が手に入れた訳じゃないよ」

「どちらでもいい。ジュエルシードがあるのならそれだけで理由としては充分」

 

フェイトはそのまま踏み込むとそのままバルディッシュを大きく振りかぶる。

その行動に目を見開きながらも、なのはは飛行術式を発動し、その斬撃の上へと逃れるように避けた。

 

「なんでっ!そこまでしてジュエルシードを集めるの!?」

「…貴女には関係ない」

 

なのはの言葉はフェイトへと届かない。

無数に奔る斬撃はフェイトに会話の意思がないことを雄弁に主張していた。

そして、熾烈な攻撃を避けることに全力を費やすなのはは気づかない。

 

「お相手は一人じゃないんだよ?」

 

大きく跳躍したアルフが振るった拳が辛うじて発動させたプロテクションごと、なのはを弾き飛ばす。

流れ星のように大地に叩きつけられるなのは。

それでもなのはは呻き声を上げながら立ち上がる。

 

「二対一じゃ分が悪い…なのは、一旦逃げよう!」

 

ユーノは多数の相手と戦うという経験のないなのはでは厳しいと判断した。

前回は一人で現れた相手が仲間を連れてきたことに動揺する内心を見透かされないように冷静に振る舞う。

 

「二対一じゃないさ。肩のソレも使い魔なんだろう?」

 

その言葉に首を傾げていたアルフの姿形がみるみるうちに変わっていく。

遠吠えをあげながら現れたのは一体の獣。

牙を剥き出しにしながら重圧を放つ獣はなのはとユーノを睥睨している。

 

「…君は…彼女の使い魔だったんだね」

「フェイトと…いや、ご主人様と使い魔はセットだろう?」

 

巨大な獣は口角を釣り上げながら語る。

その姿がユーノにはまるで笑っているかのように見えた。

 

「…フェイトちゃんって言うんだね」

「…それがどうしたの」

「本当はフェイトちゃんから直接お名前聞きたかったな」

「…そんなこと、別にどうでもいい」

 

斬り捨てるような言葉と共に雷光が放たれる。

それを迎撃するようにレイジングハートから桃色の砲撃が繰り出された。

雷光と砲撃は互いを喰い尽くさんばかりに周囲に破壊の余波を飛ばす。

 

「攻撃に夢中で後ろがお留守だよ」

 

砲撃の際の隙を突いて背後からアルフは走る。

強靭な四肢を用いてなのはに食いつかんばかりにその背中へと着実に迫っていく。

 

「なっ!?」

 

だが、アルフの歩みは突如眼前に飛来した無数の歯車に止められた。

ゆっくりと回転する光の歯車がアルフを取り囲むように制止している。

それだけではない。動きを妨害するだけではなく、急激にその数は増えていく。

なのはの砲撃の経路だけを残して完全に覆い隠すように歯車の繭が完成する。

 

「これは…」

 

繭の完成と共に桃色の砲撃が止んだことをフェイトは訝しむ。

フェイトの十秒ほどの思考の後、繭は徐々にその光を失っていく。

しかし、その先に存在した筈のなのはとユーノの姿は既になかった。

フェイトに出来たのは徐々に歯車が透けて消えていくのを見送ることだけだった。

 

「…逃げられた。この歯車…やったのは多分……」

 

一度フェイトは光の歯車を見たことがある。

十中八九やったのはサクラだろう。

恐らく目眩ましで歯車を使用し、転移術式で移動したのだと当たりを付けた。

 

「フェイト、どうするんだい?」

 

アルフの問いかけに暫し悩んだフェイトは空を見上げる

 

「…今から追いかけても、多分追いつけない」

「まぁ、次があるさ。元気出しなよ」

 

フェイトの表情がアルフには上手く読み取れなかった。

だが、落ち込んでいるのだろうと判断したアルフはフェイトを励ます。

 

「うん。ありがとう、アルフ」

 

小さく微笑んでフェイトはその場から背を向ける。

思っていたよりも落ち込んでいなかったフェイトの様子を不思議そうに眺めていたアルフは慌てて人型に戻ってフェイトの横に並ぶ為に駆け出した。

 

 

 

 

 

踏み台式に何度も『テレポート』を繰り返したサクラは宿近くでようやくスキルの使用を止めた。

首を時折こっくりこっくりと傾けながら『テレポート』を繰り返すサクラの姿に思わずなのはは居眠り運転に近い恐怖を感じた。

転移する位置の目前に障害物があったり、転移する場所が安定しないのだ。

 

「お、起きて、サクラちゃん!」

 

バリアジャケットを解いて、普段着に戻ったなのはの服の袖を掴みながら船を漕ぎ始めたサクラを揺り起こす。

なのははそのうち立ったまま寝息を立て始めかねないサクラを起こそうと必死だった。

 

「…ん…サクラは…起きてる」

 

ようやく僅かに瞼を開いたサクラを見て安堵する。

 

「え、えと…なんであそこにサクラちゃんが居たの?」

「…車の中でお昼寝して、寝付けなかった。…もう少しで眠れる?」

 

色々と足りていないサクラの言葉を頑張って頭の中で補おうとするなのは。

 

「寝付けなかったから追いかけてきたの?」

「ん、朝になって居ないと士郎、心配する」

 

戦闘を止める等の理由だと思っていたなのはは一瞬で脱力した。

まさかあの場で全く関係のない父親が理由だとは思わなかったのだ。

 

「……すぅ」

「サクラ、とりあえず僕と話をしよう!」

 

沈黙と同時に再び眠りに落ちそうになるサクラの意識を必死で自分に誘導するユーノ。

ゆらゆらと首を揺らしながらサクラは唐突にユーノとなのはを引っ掴むと胸元に抱え込む。

 

「なんで私は抱きつかれてるの!?」

「…ユーノ、ぬくぬく…『テレポート』」

 

回転する魔法陣の中心でサクラは前のめりに倒れながら、なのはを連れて最後の転移を発動する。

数瞬後、転移により宿の部屋、布団の真上へと落下したサクラはユーノとなのはを抱えたまま瞼を閉じた。

結局サクラの腕から逃げ切れないまま、なのははいつしか訪れた眠気に敗北していた。

 



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アリサは暴走するようです

微睡む意識の中、なのはは手を伸ばす。

伸ばした指先は柔らかいなにかに触れて、沈む。

無意識にその柔らかさを確認するかのように掌全体でそれを包んだ。

 

「んっ……」

 

体全体に未だ残る気怠さを押しのけるようにしてなのはは瞼をゆっくりと開いた。

それと同時に視界に広がるのは鮮やかな桜色。

なのはの掌は桜色の中へと沈み込んでいた。

 

「……もふもふ」

 

寝ぼけたままのなのはは一瞬で目の前に広がる桜色に夢中になった。

一房の桜色を手に取り、両腕で挟んで柔らかな感触を堪能する。

 

「ふぅ、やーらかいよぉ…」

 

これは素晴らしいもふもふだとなのはは感嘆の溜息を吐く。

未だかつて触れたことのないような魅力的なもふもふ。

これは癖になる感触だとなのはは掌を桜色に彷徨わせる。

 

「…お持ち帰りしたい。このもふもふ」

 

自然と口から独り言が漏れた。

なのはは未知の桜色に頬を押し付けるように顔を埋める。

 

「もう少しだけ…おやすみなさ……ひっ!?」

 

再び微睡みの中に沈もうとした意識が一瞬で覚醒する。

桜色の向こう側から、これまでに見たこともないような冷たい瞳がこちら側を覗きこんでいた。

 

「…おはよう。いい朝ね、少なくともなのはにとっては」

「お、おはよう…ございます?」

 

なにがどうして目の前の冷たい瞳の主、アリサが不機嫌なのかがなのはには理解出来なかった。

割りと直情型のアリサがこんな表情を見せることなどこれまでに殆どなかった。

 

「唐突なんだけどね、朝起きた時に抱いていた筈のサクラがなぜかシアにすり替わってたのよ。このなんとも言えないガッカリ感、なのはに分かる?」

「えと、ご愁傷様です?」

 

なのはの発言が終わった瞬間、アリサの不機嫌オーラが爆発的に増した。

まるで意味が分からないなのはは泣きたくなった。

 

「…なぜか朝から布団で簀巻きにされた私が一番可哀想だと思うんだよ」

 

傍らに転がるくるくると巻かれた布団の中心からシアの生首が生えていた。

その表情からは達観に似たなにかが感じられてなのはは心の中で静かに敬礼を送った。

 

「幽霊もどきの抱き心地は微妙だったわ…」

 

苦々しい表情でシアの抱き心地を語るアリサ。

どうやらシアはアリサ的には及第点には至らなかったようだ。

 

「幽霊もどきじゃないよ!精霊だよ!将来は聖剣っぽいなにかを守護するとか大役が与えられる偉い精霊になるかもしれないし!」

「浮遊霊がいつまでも夢見てんじゃないわよ」

「精霊って割と夢に満ち溢れた存在だと思うんだよ…」

「せめてなにかしらの属性司ってから来なさいよ。現状じゃ只の劣化サクラじゃない」

 

アリサの鋭い指摘によってシアは敗北を感じ取ったのか生首を布団の中へと引っ込めた。

それによって簀巻きにされた布団の中心から金色の髪のみが垂れるというシュールな光景が出来上がる。

 

「それにしても、なんでアリサちゃん怒ってるの?」

「別に怒ってる訳じゃないけれど自分が今抱いてるのがなにか答えてみなさいよ」

「…もふもふ?」

 

そこで初めてなのははもふもふの正体を確認した。

桜色のもふもふな髪をしたサクラ。

どこからどう見てもその光景はアウトだった。

浴衣の着方を見様見真似で真似しただけのサクラの着衣は一晩の内にくちゃくちゃに乱れている。

なのははそういえば結局寝ちゃったのかと晩の出来事をようやく思い出す。

 

「わざわざシアとすり替えてまで人のものを取るのはどうかと思うのよ」

 

なぜかサクラがアリサのもの扱いされているがなのははスルーした。

世の中は触れない方がいいもので満ち溢れていた。

 

「いや、これは別にサクラちゃんを取った訳じゃ……」

 

そこでなのははふと思った。

夜中に一人で出歩いていたらいきなり襲撃された上、サクラちゃんに連れ戻されましたと正直に言えば間違いなくロクなことにはならないのだ。

言ってしまえばアリサに再び心配を掛けることになる。

寝起きで回らない思考のままなのはは考える。

そして思考の末、なのはは未だすやすやと寝息を立てているサクラの頬を人差し指で突いた。

 

「サクラちゃんのもちもちのほっぺた。略して桜餅……な、なんちゃって?」

 

とりあえずボケればなんとかなるんじゃないかと思ったなのは。

しかし、アリサの額に青筋が立ったのを見て自らの失敗を悟った。

 

「…ユーノ君助けて!」

 

困った時のユーノ君。

そんな考えの元、なのははサクラに半ば押しつぶされながらも藻掻いていたユーノを引っ張りあげた。

ユーノは不思議そうになのはを見た後に続いて不機嫌なアリサへと視線を向ける。

一瞬の思考の後、ユーノは見事現状から逃げ出す打開策を見つけ出した。

 

「きゅっ!きゅー!」

 

それは露骨な小動物アピールだった。

いっそ清々しいまでの無関係を貫く姿勢になのはは初めてユーノに憤りを感じた。

 

「……ぁぃ、さ…」

 

小さな呟きがなのはの耳へと届いた。

その声の主であるサクラはなのはの右腕を小さな両腕できゅっと抱えた。

当然のごとくなのははサクラを異性として見ている訳ではないが、どう見てもアリサと間違われて抱きつかれていることになのはの女の子の挟持的なものが刺激された。

 

「納得がいかないよ!なんでアリサちゃんばっかりサクラちゃんに懐かれてるの!」

「すずかも結構懐かれてるわよ」

 

サクラが動物のような扱いをされているがアリサは自然と受け入れた。

割と似たようなものだと。

 

「…出会った日にち的にはそんなに変わらないのにこの差はおかしいよね」

「ひよこの刷り込み的ななにかが働いてるのかもしれないわ」

 

サクラがアリサ>すずか>>なのはの順で懐いているというのは二人の共通認識だった。

実際はその間に鮫島や沙羅が間違いなくなのはより上には入っているであろうということは流石にアリサには言えなかったが。

 

「でもでも、サクラちゃんが男の子と女の子の境目が分かってない今の状態はどうかと思うよ」

「その結果、サクラが『今日からサクラ、別の部屋で寝る』とか言い出したらアタシはどうすればいいのよ!」

「アリサちゃんがシスコン…じゃなくてブラコンっぽくなってるよ!」

 

一瞬、なぜかなのはの兄、恭也とアリサの影が重なったような気がするが気のせいだろうとなのはは頭を振った。

 

「サクラちゃんだって、その内思春期とか反抗期とか…」

「…正直な話、サクラに思春期とか反抗期が来ると思う?」

「なのはは嘘を言いました。サクラちゃんの反抗期だけは全く想像出来ません」

 

なのははなぜか敬語で即答した。

反抗期どころかサクラの不機嫌な表情すら想像出来なかったのだ。

 

「それにサクラには男の子って年齢の友達どころか知り合いすら居ないから無理もないわよ」

 

なのはは一体どんな人生送ったらそうなるのとツッコミを入れたくなったが辛うじてそれは堪えた。

 

「でも特にそれで困ったことはないしね」

「私の右腕にサクラちゃんがくっついてることは困ってるうちには入らないんだね…」

 

なのははお陰で布団に横たわったまま全く動けない。

だからといって無理やり振りほどいてサクラを起こしてしまうのも忍びない。

 

「大体サクラにはまだ男とか女とかまだ早いのよ。万が一、本当に万が一だけどまかり間違って彼女とか出来たらどうするのよ!そういうのは早くても中学生…いえ、高校生くらいになってからじゃないとアタシが認めないわよ!」

「高校生って先が長いよ!後、なんで私にそれを言うの!?」

 

事の発端がなのは自身の夜歩きだとしてもこの仕打ちはあまりにも理不尽だった。

結局、話し合いという名目のアリサとなのはの漫才はその後三十分にも及び、余りの騒がしさにすずかが起き出すまで続いた。




先生、患者(アリサ)は手遅れです


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頭の上に乗せられるようです

一泊二日の温泉旅行も既に終わりが近づいていた。

自らの荷物を既に纏め終え、バッグに詰めたなのはの兄、高町恭也は一つ息を吐いた。

 

「それにしても、今回の旅行は中々落ち着けたな」

 

自動販売機で購入した缶珈琲を掌で弄びながら恭也が独り言を漏らすと、ふと視線を感じた。

不思議に思い、視線を辿ってみると床にぺたんと腰掛けたサクラが恭也の手元へと熱い視線を向けている。

 

「…それにしても、サクラが背中に担いでいるのは…竹刀か?」

 

その視線は自然とサクラが背負っている竹刀袋へと向かう。

中に収められているのがまさか魔法使いの杖などという発想は当然存在しない。

 

「なるほど。確かに俺にも覚えがあるな。買って貰ったばかりの道具を大事にする余り、手元から全く離さないというやつか」

 

恭也は静かに頷いた。

自然とその表情は柔らかなものへと変わっていた。

恭也はなのは辺りから自分が御神の剣士であることを聞いたのかもしれないと当たりを付けた。

しかし、サクラの所作からは武道を収めた人間特有の癖が一切感じられない。

年齢から考えてもまだまだ初心者の域を抜け出さないのだと判断した。

体つきも剣を振ってきた者のソレではない。

恭也は無言でサクラの居る方向へと歩みを進めた。

 

「…恭也?」

 

サクラは腰を曲げて真面目な表情をしながら視線を合わせてきた恭也の姿に首を傾げる。

 

「……サクラと稽古する場面を想像すると傍目からは児童虐待にしか見えない。それにもう少しサクラの体が完成してからだな」

 

少なくとも知り合いだけには絶対に見られたくないような光景になるであろうことを恭也は確信した。

そのまま恭也は腕を伸ばし、くしゃくしゃとサクラの頭を撫でる。

 

「…んっ」

 

くすぐったそうにサクラは目を細める。

硬い掌がサクラの頭上から離れた時にはその代わりにサクラの頭には缶珈琲が乗せられていた。

缶珈琲を頭の上から落とさないようにサクラの体がゆらゆらと揺れる。

 

「またな」

 

水族館のイルカのショーのように頭上に缶珈琲を乗せたまま揺れるサクラを暫く眺めた恭也は少し意地の悪い笑みを浮かべ、その場から立ち去って行った。

 

 

 

 

 

「アンタ、珈琲は苦手じゃなかったの?」

 

アリサは缶珈琲と睨めっこをしているサクラを見て、疑問に思う。

基本的に子供舌のサクラは苦いものや酸っぱいものが苦手の筈だった。

 

「…ん、恭也がくれた」

 

そもそもサクラはこの缶の開け方を恭也を眺めながら理解しようとしていただけなのだ。

今か今かと恭也が缶珈琲を開けるのを待ちわびていたのになぜか手渡されてしまった。

そもそも筋力が初期値のサクラは武道どころか動体視力や力が輪を掛けて低い。

下手をすればスキルによるドーピング抜きでは犬の散歩すら満足にこなせない程の貧弱っぷりだ。

恐らくこの真実を知れば恭也は恥ずかしさで心に深い傷を負うだろう。

 

「でも、サクラには開け方が分からない。やっぱりサクラ、駄目駄目」

 

サクラの声音は悲壮に満ちていた。

屋敷内では基本的に缶の飲料を飲む人間は居ない故に当然サクラも手にとったことすらない。

 

「…そうね。缶ジュースで回復するゲームなんてないものね。こう、プルタブ…じゃなくて上の出っ張りを引っ張るのよ」

 

一瞬、飲料会社とのタイアップがあればと考えてアリサはその考えを頭の中から追い出した。

アリサは着々とサクラの思考に毒されていた。

カツンカツンとプルタブに指先を掛けては失敗を繰り返すサクラ。

プルタブと格闘を繰り広げるサクラを眺めながらアリサは頷く。

 

「このなんとも言えない駄目な子な感じがサクラよね」

 

所々突き抜けているが基本的に残念なのがサクラなのだとアリサは再確認する。

もう少しサクラがマトモな性格だったのならむしろ警戒していたかもしれないと一瞬考えて、それどころかしっかりしているサクラが想像出来なくて諦めた。

 

「…サクラはとても頑張った」

 

ポンと軽い音を立ててスチール缶の底が机を叩く。

そのプルタブは未だに微動だにせずその存在を主張していた。

 

「スチール缶に負けてるんじゃないわよ」

 

ジュエルシードの化け物には勝てても缶珈琲にはサクラは勝てなかった。

 

「…爪が、サクラの爪が届かない」

 

爪の綺麗に切りそろえられた指先は若干赤くなっており、サクラなりの戦いの痕跡が見て取れた。

流石に可哀想になってきたアリサは諦観の念と共に缶珈琲のプルタブを開け、サクラに差し出す。

 

「…アリサ、力持ち」

「……こんなことで尊敬の眼差しを向けられるとむしろ恥ずかしくなってくるんだけど」

 

アリサがサクラの眼差しから逃れるように目を逸らす。

すると、沙羅がその手に怪しげな物体を握ってそろりそろりとサクラへと近づいてくるのが目に映った。

そのまま沙羅はサクラの背後へと付くと握っていた物体をサクラの頭へと取り付けた。

そのやり遂げた職人のような表情を顔に貼り付けたまま、沙羅はアリサの隣へと並ぶ。

 

「なんで猫耳なんてものをここに持って来てるのよ!」

 

サクラの頭から生えているもの、それは紛れもなく猫耳だった。

若干タレ気味かつ、サクラの髪と同じ桃色の猫耳からは沙羅の無駄なこだわりを感じた。

 

「メイドの嗜みです。他にも犬耳、狐耳、狸耳と各種取り揃えてございますよ」

 

そんなことを嗜むメイドがどこに居るというのか。

やけに荷物が多いと思ったらこんなものが入っていたのかと嘆息するアリサ。

 

「…清水、メイドの嗜みって言っておけばとりあえずなんとかなると思ってるんじゃない?」

 

沙羅はニコニコと上機嫌に笑みを浮かべるだけで答えない。

アリサでなくともこれが沙羅の趣味であるだろうことは簡単に理解出来た。

 

「んぅ?」

 

サクラは頭上に寄せられる二人の視線に気づき、掌でぺたぺたと猫耳に触れた。

 

「あー!サクラ、猫耳は取っちゃ駄目だよ!」

 

とりあえず頭に付いているものの正体を確かめようとするサクラを制する声が響く。

その声の主は両手一杯に怪しげな獣耳カチューシャを大量に抱えたシアだった。

 

「沙羅さん。カチューシャ全部持ってきたよ?」

「ありがとうございます。やはりシアは出来る精霊ですね」

「そうかなー、えっへっへー」

 

沙羅に褒められて照れ笑いを浮かべるシア。

いつの間にやら仲良くなった上に完全にシアの扱いを心得ているメイドの姿にアリサは驚愕した。

どこにそんな時間があったというのか。

 

「古今東西、使い魔といえば小動物や犬猫…ならばそれを自称するサクラも倣うべきかと思いまして」

 

すまし顔で語る沙羅はその心の奥底に宿る欲望を一切出さない。

それ故に沙羅の質の悪さは加速し続けていた。

 

「…ん、サクラはアリサの猫。にゃーにゃー?」

 

きょとんとしながらも両手を軽く握り、胸の辺りで垂らして小さく鳴き真似をするサクラ。

その仕草にアリサの理性を司るなにかはガリガリと順調に削り取られていく。

 

「アリサ、アリサ!犬にする?猫にする?それとも…き・つ・ね?」

 

物凄く良い笑顔をしたシアが両手一杯に、ある意味兵器と成り得る代物を抱えながらアリサへと尋ねる。

しかし、アリサは抱えた大量のカチューシャを差し出しながら颯爽とボケるシアを無慈悲にもスルーした。

そしてアリサは半ば無意識にそのうちの一つへと手を伸ばした。

そう、伸ばしてしまったのだ。

 

 

 

この日から、アリサは時折サクラの頭上に桃色の犬耳を、そしてサクラが喜んでいる時にはパタパタと揺れる犬の尻尾の幻を見るようになる。

アリサの犬好きは伊達ではなかった。



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ヒーラー失格のようです

「肉、魚、野菜…っと買いたかった物は揃ったんやけど…」

 

車椅子を転がす彼女、八神はやてにとって買い出しは中々の苦行だ。

買えば買うほど車椅子を転がす腕には力が必要になる。

――だが、今回はそういったことが問題ではなかった。

 

「…あかん、めっちゃ見られとるやん」

 

それも、ただ見られているどころではない、具体的には車椅子の真横で中腰になった少女からの視線がはやてに突き刺さる。

これまでに気まずそうに目を逸らす人、気を使ってさり気なく手伝いや車椅子を動かす道を作ってくれる親切な人。

様々な人々に出会ってきたがこの反応は初めてだった。

 

なによりもその少女は外見からして突き抜けていた。

柔らかそうな桃色の髪にどことなく眠たそうにとろんとした瞼。

はやてと同年代、もしかするとはやてよりも更に幼いかもしれない容姿。

そして何よりもはやての目を引いたのは―――。

 

「ちびっこメイドさんはなかまになりたそうにこちらをみている!」

 

紛れも無く少女が纏っているのはメイド服だった。

足元までスカートが伸びる正統派のメイド服はちょっと目立つとかそんなレベルの代物ではなかった。

ちびっこメイド、もといサクラはそこで初めて先程まで車椅子を真剣に観察していた瞳をはやてへと向けた。

 

「…ロケットパンチとミサイルはどこ?」

 

なにかを期待するような視線と共にサクラは尋ねた。

 

「んな物騒なもんが車椅子にあるかーッ!」

 

はやては即座に大声を上げながらツッコミを入れた。

スーパーの生鮮コーナーにはやての叫びが響き渡った。

ここまで車椅子に歪んだ期待を寄せられたのは生まれて初めての経験だった。

 

「…んぅ?スキルツリーはレーザー特化?」

 

ポムと右手を左の掌に重ねながら呟く少女。

ここで雷鳴と共にはやての脳裏に稲妻が奔った。

それと同時にある考えが浮かび上がってくる。

 

「…とうとうわたしの元にもエロくてアホの子なピンク髪チョロイン枠の不思議ちゃんメイドが訪れた」

 

属性がインフレを起こしていたが、残念ながらエロいこと以外は大体合っていた。

 

「わたしは実は物理特化のステータスなんよ」

 

はやては不思議ちゃん属性は基本的に神出鬼没なレアエンカウントだと認識していた。

よく分からない段階で現れて会話が終わればいつの間にか消えているのだ。

という建前の元、興味本意でサクラの会話に乗ってみる。

 

「…茨の道、サクラは尊敬する」

 

よく分からないが尊敬されたようだ。

嘘は付いていない。ソロの車椅子ユーザーには筋力は必要不可欠。

とりあえずちびっこメイドの名前は確保したのではやては小さくガッツポーズ。

 

「まぁ、好きでこれに乗ってる訳やないけどなぁ」

 

はやては自嘲するように笑う。自力で歩けるに越したことはないのだ。

それが叶わないことは自分でも分かっているが。

 

「…むぅ。違うの?」

「足が病気で乗ってるだけやね。わたし以外にそういうこと言うのは不味いなぁ。気ぃ付けんとあかんよ?」

 

下手をすればサクラの物言いは煽っているように聞こえかねない。

本当に悲観している人からは怒りを買ってしまうかもしれない。

それは避けねばならないと思い、はやては微笑みを浮かべながらも忠告する。

はやてにはサクラの言葉に悪意や害意が存在しないのはこれまでの会話で十分に分かっていた。

 

「…足、動かないの?」

「医者に見せてもサッパリというのは流石にビックリやったけど今となっては慣れてしもたなあ」

 

何度見せても原因不明、足だけで済んだことが幸いと考えるべきかと頭を悩ませるはやて。

それとは対照的に無機質な瞳をはやての足へと向けるサクラ。

 

「…サクラ、魔法使い。……間違えた。メイド」

「一体どんな間違いをすれば魔法使いがメイドになるん?」

 

不思議ちゃんを加速させるサクラを笑いながら眺めるはやて。

これは想像以上の逸材だとはやては確信した。

 

「…まじかるなメイド?」

「頑張れば深夜枠アニメに食い込むことが出来そうやね」

 

はやては夕方枠は厳しいと判断した。

サクラの方向性は若干ニッチな度合いが強すぎたのだ。

 

「サクラ、実は病院よりもみらくる」

 

買い物籠から手にした魚肉ソーセージの束をふるふると振るいながら語るサクラ。

 

「個人的にはメイドの服で買い物してる時点でわたしの中ではミラクルが増量中」

 

至極もっともな台詞だった。

久方ぶりに訪れた刺激溢れる人物との会話に、はやては頬を緩ませる。

 

「みらくるにおまじない、掛けてみる?」

「メイドさんのおまじないなら本当にご利益がありそうやね」

 

ふんすと胸を張りながら問いかけるサクラになんとなく付き合ってみようという気になったはやて。

カラカラと車椅子を回転させるとサクラの前へと車輪を転がす。

サクラは相も変わらず魚肉ソーセージの束を握ったままその先端をはやての足首へと向ける。

 

「…『リカバリーフォグ』」

 

サクラの小さな呟きと同時に小さな光の粒がはやての足元を包み込むように薄く展開される。

使用回数が少ない、又は使うこと自体が危なすぎるスキルとは違い、サクラが日常的に使用している一部の魔法やスキルについては細やかな調節が可能になっていた。

その中でも普段はリラクゼーション施設代わりに利用されている哀れな魔法である『リカバリーフォグ』。

活用方法は非情に残念だが、本来は一度の使用での総回復量はサクラの魔法の中でも随一だった。

 

「…なんか足元に粒みたいなのが舞ってる気がするんやけど気のせいやろうか」

 

残念ながらそれは気のせいではない。

光を放つ自らの足を呆然と眺めるはやてはおもむろに足へと力を入れてみる。

 

「…冗談、やないみたいやね」

 

ピクリとはやての意思に反応し、ゆるやかに起き上がる膝。

目の前で起こった嘘のような状況に瞼を擦るが状況は変わらない。

 

「…あっ」

 

しかし、光の粒が消滅するとぷるぷると震えていた膝がストンと落下する。

それをサクラは悲しげに見つめていた。

 

「治って、ない?」

 

目前で起こった光景は治癒の魔法に絶対的な自信を持っていたサクラの自信を打ち砕くに足る出来事だった。

だが、それでも効かなかったのは治癒の魔法のみだ。

 

「…『ディスペル』、『リフレッシュ』」

 

呪いやバッドステータスを解除する『ディスペル』。

毒や麻痺などの状態異常を回復する『リフレッシュ』。

それらの魔法は効果を発揮したエフェクトすら発生せず、空振りへと終わる。

 

「…サクラ、やっぱりぽんこつ」

 

数分後、サクラは膝を抱えるようにその場にうずくまっていた。

戦えないのは別にいいのだ。そもそもプリーストはそのようなロール、つまり役割を担っていないのだから。

しかし、治せないというのはヒーラーとしてのサクラの挟持を見事に打ち砕いていた。

 

「…って、いやいや、スーパーで床に座り込むのはあかんやろ」

 

床に座り込む子供メイドという珍しすぎる光景を買い物客は発見しては目を丸くし、逸らすという行動を繰り返す。

 

「…ぽんこつサクラはやっぱり、駄目駄目」

 

瞳からハイライトの消え去ったサクラは明後日の方向を向いてほうと溜息を吐いた。

放っておけばどこまでも暗黒面に堕ちていきそうなサクラに危機感を感じるはやて。

 

「あっ!あーっ!荷物がとっても重いけど誰か手伝ってくれへんかなー!」

 

はやては苦肉の策として露骨にチラチラとサクラへと視線を向けながら大声を出す。

 

「出来れば物凄く仕事の出来る優秀なメイドさんとかがええなー!」

「ん、サクラが持つ」

 

豆腐メンタルはプリンのような弾力を以って復活を遂げた。

どうやら「優秀な」という言葉がサクラの琴線に触れたようだった。

 

「…なんか凄く面倒くさいメイドさんを引っ掛けてしもた」

 

引っ掛けたことを別に後悔している訳ではないが口に出すとスッキリした。

そこでサクラはふとなにかに気づいたように目を見開いた。

 

「おまじない、秘密にしないとサクラが怒られる」

 

今更だった。とんでもなく今更なことだった。

はやては自らの顎に手を当てて考える。

暫し考えたはやてはニヤリと笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「げっへっへ。お嬢さん、秘密にしてて貰いたきゃ誠意ってのを見せなあかんよね」

 

わざわざスケベ親父のような言葉をチョイスする辺りにはやての性格が窺えた。

 

「…ん、誠意?」

 

きょとんとした表情のサクラを満足気に見やり、はやては言葉を続ける。

 

「わたしと友達になってや」

 

なんとなく照れくさくて変なことも言ったが要するにそこだった。

その言葉にサクラはパァッと表情を明るくして満開の笑顔を咲かせた。

 

「ん、サクラは友達!」

「そかそか」

 

ここまで喜ばれるとは思わなかったはやては面食らう。

それでも悪いことじゃないと思い直して頬を緩ませる。

 

「…でもサクラ、お嬢さんじゃなくて男の子」

 

メイドだとかおまじないだとかよりもその言葉にはやてはここ最近で一番の衝撃を受けた。




ピンク髪への熱い風評被害


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ホバー移動するようです

「ん、お布団を干すにはいいお天気」

 

荷物持ち、という名目で八神家にやってきたサクラは八神家の庭にてはやての寝室から持ち出して来た布団一式を干していた。

アリサが学校へと通っている間、一日の殆どを鮫島や沙羅と過ごしていたサクラ。

それによって、やたらとハイスペックな執事とメイドに普段から様々な技能仕込まれている。

故に、足の不自由なはやての普段行き届きにくい所に目が行ったのも仕方がないことだった。

 

しかし、それよりもはやてには気になってしょうがないことが存在した。

 

「…おかしい。メイドさんがホバー移動しとる」

 

視線を彷徨わせながら呆然とするはやて。

サクラの足元には浮遊する巨大な光の歯車。

それを乗りこなすサクラはひょいひょいと布団を物干し竿へと掛けていく。

一枚サクラが布団や毛布を干す度に横へとスライドしていく光の歯車、『セイントギア』。

数多のモンスターをその回転で薙ぎ払ってきた筈の歯車は今となってはその回転を完全に止め、浮遊する踏み台と化していた。

 

「…お日様、ぬくぬく」

 

サクラは降り注ぐ柔らかな日差しに目を細めたまま、掛けたままの毛布に抱きついた。

はやてからはその表情に幸福感が満ち溢れているように見えた。

 

「あの…もしもし、サクラさんや。流石に毛布に顔を押し付けられると匂いとか、その、わたしの羞恥心がですね。ってそのまま寝たらあかんって!」

 

立てかけた毛布越しに両腕をだらんと垂らしながら背中から太陽光を浴びているサクラを見てようやく我に帰ったはやて。

今ツッコムべき所は違うような気もしたが年頃の乙女的にまずはそこだった。

その上放っておけばただでさえ普段からとろんとしているサクラの瞼は更に落ち、光合成を始めそうだった。

 

「…はやて、恥ずかしい?」

 

そこでようやくサクラは手を止めてホバー移動する歯車に乗ったままはやての元へと移動する。

 

「人によってはむしろご褒美かもしれんね。ってそれ!その足元のそれなんなんや!」

 

はやてはビシッとサクラの足元へと指先を向ける。

正確には足場にされている光る歯車に向けてだが。

 

「…ろーらーすけーと?」

「確かにロールしそうやね。でもローラースケートって縦回転なんよ。明らかにそれ横回転しか出来へんよね」

 

縦回転する歯車に乗っていればもはやそれは大道芸の領域だ。

それはそれでネタ的に美味しいようなと思い始めたはやてを他所にサクラは口を開く。

 

「はやて、サクラのおまじない見たから。サクラ、本当は魔法使い」

「……ほんまもんの魔法使い?」

「ほんまもん…多分、そう」

 

サクラが歯車から降りると同時にソレは光の粒子となって消えていく。

おまじないも含めてここまで見せられたらはやてとしても信じない訳には行かなかった。

 

「…なんという。サクラには魔法少女属性まで付いとったんか」

 

はやての感想も色々とおかしかった。

サクラは属性はインフレどころか闇鍋へとはやての中で残念な進化を遂げていた。

 

「はやての話、サクラには難しい」

 

きょとんとした顔のサクラは只々首を傾げるだけだ。

 

「この平和な世の中でのファンタジーの需要がいまいち不明」

「…んぅ?平和…多分、大体平和」

「ちょっと待ちぃ!その多分とか大体とか不安になってくること言うのやめてくれへんかな!?」

 

はやてはサクラの煮え切らない答えに戦慄する。

非日常に片足を突っ込んでしまったのではないかとはやては思わず不安になった。

 

「…はやて、青い宝石は見つけても食べちゃ、めっ」

「せやね。拾い食いはあかんよね。わたしも気をつけんと…って誰がそんな怪しいもんを食べるかっ!」

「…んっ、はやては出来る子。サクラはなでなでする」

 

サクラは無表情のままはやての髪をぽむぽむと撫でる。

 

「残念ながらわたしにナデポは効かへんよ?」

「なでぽ?サクラはなでなで、嬉しい」

「…むしろわたしの目の前に効きそうなのがおる。むしろわたしがなでなでしたい。このメイドさんお持ち帰りしたい」

 

やはりサクラがチョロイン枠だと考えたのは間違っていなかったとはやては確信した。

 

「サクラ、アリサのだから、お持ち帰りは出来ない」

「……既にお手つき、やと?」

 

衝撃の新事実にはやては目を見開く。

はやては物語の中のお約束のようにサクラを流浪の野良メイドだと思い込んでいたのだ。

当然ながらサクラは理想のご主人様を探し求めている訳ではない。

 

「ある日主人公の元に訪れる魔法メイド。そこから始まる不思議ファンタジーライフが…わたしは主人公にはなれへんかったよ…」

 

ペタンと膝に両手をついて前傾姿勢のままぼやくはやて。

どうやら大分斜め上の方向のファンタジーライフを夢想していたようだ。

 

「…サクラ、元からメイドだった訳じゃない」

 

その言葉にはやては再びの衝撃を受けた。

それが本当ならそのアリサとやらはとんでもない変態さんなのではないだろうか。

 

「魔法メイド男の娘趣味。そのアリサとやらはとんでもない業の深さを背負っているのではないやろか」

 

はやての中でまだ見ぬアリサへと魔法メイド男の娘趣味という恐ろしいレッテルが張られた瞬間だった。

もはや風評被害といったレベルではなかった。

この場にアリサが居れば必死で否定するだろう。

成り行きなのよ。仕方がなかったのよ。と繰り返すだろう。

そして恐らく毎日サクラを抱き枕にして眠りに就いていることは言わない。

つまり、内情をよく知る人間から見れば風評被害ではないのかもしれない。

 

「アリサ、犬耳が好き」

 

サクラの自然と放った言葉がはやての想像に拍車を掛けさせる。

 

「気持ちは分からんでもないけど、もう手遅れかもしれんね」

 

諦観と困惑の混ざり合ったはやての呟きは誰にも届くことなく消えていった。

 

「でもなんで最初はおまじないってはぐらかしとったのに今になって魔法使いって教えてくれたん?」

 

ふとはやての中に芽生えた疑問。

おまじないと誤魔化しを続けるなら光の歯車にも乗らず、なにも言わなければ良かったのだ。

はやてからはおまじないについては一度も触れなかったし触れていいのかも分からなかった。

 

「…ん、サクラも言うつもり、なかった」

「だったらなんで――」

「はやて、サクラの友達だって思ったら、なんだかここがおかしくなった。ちくちくして、なんだかへんてこ」

 

きゅっとメイド服の胸の布地を押さえるサクラ。

その表情は困惑に満ちていて、はやてには言葉が出なかった。

 

「サクラ、バグってたかもしれない。でも今は直った。とても不思議」

 

はやては思わず先程とは一転して穏やかな顔付きに変わったサクラに思わず目を奪われた。

それを振り払うようにはやては頭を振るとキリッと表情を整えて告げた。

 

「サクラ、ちょっとだけぎゅっとしてもええか?」

 

欲望のメーターが振り切れたはやては自重を遠い彼方へと投げ捨てた。

 

「…んぅ?サクラ、はやてならいい」

 

はやては視線を合わせるようにして屈んだサクラを正面から力の限り抱きしめた。

本人の許可を得たことではやてのネジは完全に弾け飛んでいた。

 

「最高やね!本当に無垢っ子は最高や!」

「…む、むぅ…はやて、苦しい」

 

その後、はやてによる抱きつきという名の拘束は三十分足らず続いた。

残ったのはほくほく顔のはやてとデフォルメにするなら目がバッテンになる程ぐったりとしたサクラ。

どうやらサクラの新たな友達は一癖も二癖もあったようだ。



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起床時々ジュエルシード、所によりお弁当のようです

薄ぼんやりとした意識と気を抜けば持って行かれそうになる柔らかな微睡み。

しかし、彼女が意識を覚醒させると同時に感じたのは若干の物足りなさだった。

 

「……くぁ」

 

彼女、アリサの口から漏れ出たのは小さな欠伸。

それを噛み殺すことなく吐き出す。

どうせ今は誰もアリサのことなど見ては居ないのだから。

 

「…あぁ、そういうこと、ね」

 

――なるほど。サクラが居ないのね。

 

自分一人しか居ない部屋を見渡して納得したのかアリサは目を細める。

意外にもサクラの朝は早い。

早朝から100%中100%の力で動いてちょいちょいとバテるのがサクラの日常となっている。

 

帰宅したアリサが洗濯物と一緒に干されているサクラを目撃することも珍しくはない。

最近はそれにシアが追加されているがアレはうっかり太陽光で成仏しないのだろうかとアリサは考えてから上体を起こした。

 

「全く。あたしから逃げ出すことばかり上手くなっているわね…。次は両手首を引っ掴んで寝てやろうかしら」

 

手早く身支度を済ませながらぼやくアリサ。

どう考えてもそれはやりすぎだったが只でさえストッパーが緩み始めているのに加えて寝ぼけ混じりのアリサは特に疑問に思わなかった。

 

「あっ、アリサ、おはよー!」

 

数分後、未だ残る眠気を噛み締めながらリビングへと現れたアリサへと声を掛けられる。

やたらと目立つ水色のネクタイを締めたシアが小さな体とは不釣り合いに大きな木製の椅子に腰掛けて両足をぶらぶらと揺らしていた。

 

「ええ、おはよう。サクラはどこに居るの?」

「流石アリサ。アリサはサクラ至上主義者だよね……」

「んなことないわよ。アレはある意味で弟みたいなものだから」

 

アリサは憮然としながら疑心で溢れかえっているシアの視線を躱す。

 

「なるほど。私は頼りになるお姉ちゃん枠ということかぁ」

「なにトチ狂ったこと言ってるのよ。アンタ、今年でうん百歳とかだったりするんじゃない?」

「どうしてそんなお婆ちゃんどころじゃないことになってるの!?」

 

まるで意味の分からないシアは唖然とする。

なにがどうなればそんなことになるのかシアには理解出来なかった。

 

「アンタそっくりの子を最近見たことがあるんだけどアレってシアの子孫かなんかなんじゃないの?」

「記憶取り戻して実は子持ちだったとか大往生したお婆ちゃんとかだったら私はどうすればいいんだろう…」

 

戦々恐々として呟くシアの顔色は真っ青だった。

しかし、なにかに気づいたのか沈んでいた表情を明るくする。

 

「いやいや、私ってほら、若いから!なんというか、見た目が!」

 

どう見積もってもシアの外見は十代に届くか届かないか。

それを力説すべく声を張り上げるシア。

しかし、対照的にアリサの言葉は冷ややかだった。

 

「幽霊の見た目なんてアテにならないわよ」

 

シアは巨大な椅子の上で体育座りになってどことなく淀んだオーラを出し始める。

 

「うぅ…いっそのことその子を探してみようかな。でも本当にそんなんだったら私は……」

 

霊体ロリババア疑惑を向けられたシアの瞳から感情の色が消える。

シアの言葉には若干の恐怖の感情すら含まれていた。

 

「話は変わるんだけど、ドッペルゲンガーって都市伝説があって自分そっくりの人を見たら死ぬらしいわね」

「死ねと!?アリサは私に死ねと言ってるの!?」

「もう死んでるじゃない」

「あっはっはー、そうだったねー」

 

ひとしきりシアを弄ったことで満足したアリサ。

くるくると一変する表情を楽しげなものに変えて笑うシア。

お互いに冗談を交わし合う。そんな悪友のような関係が構築されつつあった。

 

「そういえば記憶といえばさ、私ってサクラと会ったことってあったっけ?」

「…別に毎日会ってるじゃない」

 

アリサは困惑しながらも答える。

まさか本当にお婆ちゃんでボケてしまったのだろうかと思わず不安になる。

 

「うーん。温泉の時より前かな?多分気のせいなんだろうけどね」

「本当にボケが始まったのかと思ったじゃない」

「まだ引っ張るんだね。そのネタ…」

 

出来ることなら年齢については考えたくないシア。

鮫島より年上という事態だけはありませんようにとひっそりと両手を合わせて祈った。

 

「で、結局サクラはどこ行ったのよ」

「わんこたちのご飯あげに行ったからそのまま遊んでもらってるんじゃないかな」

 

遊んでもらっているという表現にアリサがツッコミを入れようと思ったが大体合っているかと思い直す。

暫らく他愛もない会話を交わすアリサとシアだったが見慣れたメイド服の沙羅が妙に慌てた様子で現れるのを目撃して会話を止める。

 

「清水。珍しいわね、アンタがそんなに落ち着きなく入ってくるなんて」

 

アリサの言葉に基本的に完全無欠メイドを貫いている沙羅の表情に初めて困惑が浮かぶ。

 

「いえ、その…ジュエルシードとやらを見つけてしまいまして柄にもなく取り乱してしまいました」

 

沙羅の掌の上に純白のハンカチに包まれた青色の宝石――ジュエルシードが鎮座していた。

完全無欠のメイドも流石にひょんなことから見つけてしまたジュエルシードの扱いについては困るようだ。

 

「……はっ?アンタそれどこで見つけたのよ!」

 

暫し呆然としていたアリサは瞳に鋭い光を宿して叫ぶ。

 

「サクラが出した洗濯物のポケットから出てきました」

 

その言葉と同時にシアがすすっと目を逸らしたのをアリサと沙羅は見逃さなかった。

気まずそうな顔をしたシアへとアリサと沙羅のジトっとした視線を向けられる。

観念したのかシアは早くも口を開き始めた。

 

「…その、ですね。結局ジュエルシードってなのはちゃんが学校に行っている間に処理出来るのはサクラと私ぐらいな訳ですよ。それに私も魔法が試し打ちしてみたかったしなー……なんて?」

「割りと分からなくもないです。それで使ってみて気分はどうでしたか?」

「いやー、あれは中々爽快感があるね。でもでも、MPとやらの総量が少ないのかあんまり撃てなかったよ。割と地味なのしか使えなかったし」

 

ちょっとお試ししてきました感覚でジュエルシード狩りが行われたなどアリサは知りたくはなかった。

着々と海鳴が修羅の国と化しているのではとアリサは不安になる。

魔法少女に元幽霊、そして代表格のサクラ。非日常的存在はもうお腹一杯だった。

 

「しかし、回収してポケットに入れたまま洗濯ですか。ポケットティッシュとかだったら危なかったですね。全く、サクラはうっかりさんですね」

 

紙屑が他の洗濯物にくっついて大変なんですよと微笑む沙羅。

アリサはそれをありえないものを見る目で見つめる。

 

「…アンタらの感覚は狂ってると思うんだけど自覚ある?」

「別に普通じゃないかな?」

「お嬢様は冗談がお下手ですね」

 

アリサの言葉を朗らかに笑いながら受け流す二人。

自覚がないことを確認したアリサは特に気にしないことにした。

どうせヤツらにマトモに付き合っても疲れるだけなのだと一人納得する。

 

 

 

 

 

私立聖祥大学付属小学校屋上。

去り際の春の陽気と時折吹く柔らかな風。

アリサを含めた三人の少女はそこで昼食のお弁当を広げていた。

 

「…という訳でこれがジュエルシードよ。どうせサクラが持っててもロクなことにならないでしょうから渡しておくわ」

 

朝から巻き起こったジュエルシード騒動にひとまずの決着を付けたアリサ。

その掌の上には沙羅が手渡したままの純白のハンカチに包まれたジュエルシードが乗せられていた。

 

「あ、あはは…お疲れ様でした」

 

乾いた笑いを漏らしながらなのははハンカチを受け取る。

反応が消えたことでフェイトに回収されたと思い込んでいたジュエルシード。

もしかしたらとは思っていたがサクラが回収していたことはなのはにとっては幸運だった。

なのはの労いにアリサは嘆息しながら自らの弁当箱へと手を伸ばす。

 

「あれ?アリサちゃん今日はその、普通のお弁当なんだね」

 

ごくありふれた白一色の簡素なプラスチックのお弁当箱。

おかずには綺麗に並べられただし巻き卵にタコさんウインナー、アスパラのベーコン巻き。

極普通の一般家庭のお弁当のような様相が広がっていた。

 

「サクラが料理の練習を兼ねて作ってるからね」

「…なのはにはサクラちゃんが料理出来るとは思いませんでした。本当にごめんなさいサクラちゃん」

「…まぁそう思うのも無理もないわよね」

 

最初はアリサも恐ろしくて堪らなかったがサクラのレシピ本を丸暗記するという荒業によって生まれた品々は意外にもマトモだった。それ以外にも出所不明のレシピもあるがアリサは特に気にしていない。

ステータス振りやスキル決めで一歩間違えば大惨事になるというサクラの経験はマニュアル通りにするという点で基本に忠実だ。

それ故に独創性はないがそれなりのものを作るということに関してはサクラは及第点に達していた。

 

「…違うよ。アリサちゃん、大事なのはそこじゃないんだよ」

 

唐突にすずかは凛とした口調で言い放つ。

一瞬で周囲に静寂が広がる中、すずかは静かに腰を上げ、立ち上がる。

そのまま自身の行儀の悪さを自覚しながらも指先を真っ直ぐにアリサへと向ける。

 

「こう、サクラちゃんが早起きしてちょこちょこと厨房を走り回ってお弁当を作ってたって事実が一番大事なんだよ!なんというか、想像すると可愛いよね」

 

何事かと身構えていたアリサはその言葉にガックリと肩を落とす。

今だけは普段から真面目な口調で斜め上のことを語るメイドと先程のすずかの姿が一瞬ダブって見えた。

 

「すずかはやけにサクラのことを買うわね」

「むしろ物理的に買ってもいいよ」

「ぜっっったいに売らないわ!」

 

生粋のお嬢様二人の会話は斜め上だった。

二人共元気だなぁとのんびりと考えながら若干の悪戯心の湧いたなのははアリサのだし巻き卵へと箸を伸ばす。

気にならない程度の焦げ目を残しただし巻き卵を口に運んで感想を一つ。

 

「…うん。美味しい。でもこれお砂糖入ってないのかな?あんまり甘くないけどこれはこれでいいかも」

 

だし巻き卵の味がお気に召したのか、なのはは頬を緩ませる。

アリサとすずかのやりとりが終わる頃には昼食時間は残り少なくなっており、アリサは慌ててお弁当を口に運ぶことになる。

それによってなのはがお弁当を味わって食べるべきだとすずかに同調したことでアリサは更なる苦難を強いられることとなった。




可愛い×の子がお弁当をくれるのはよくあるテンプレ(迷走)
だし巻き卵に砂糖を使わないのは関西風。つまりレシピの出所はそういうこと。


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ツンデレを拗らせたようです

記憶のない幽霊とはサクラ風に言えばどの程度のレアリティなのだろうか。

目の前の光景は間違いなくそれよりも珍しいのだろうと学校から帰宅したアリサは思考を一瞬巡らせて、その思考をすぐさま放り投げた。

 

膝枕や添い寝は世間では専門店が出来る程需要があるというニュースがアリサの脳裏によぎる。

相も変わらずこの国はちょっと、いや、大分おかしい。

 

「でも、流石にこれはないでしょうよ」

 

アリサからすれば懐かしさすら感じる全身を包む桜色。

サクラの全身をすっぽりと覆うだけでは飽きたらず、足首まで伸びた丈の長いローブ。

しかし、問題はその膝の上に乗っている存在だ。

正座のまま手をせかせかと動かしているサクラの膝からはだらりと金髪が垂れ下がっている。

 

「ぁふ…さくらぁ。くすぐったいよぉ」

 

甘ったるい、どこか甘えるような響きを伴った声がアリサへと届く。

特に意図はないのだろうがその声はアリサに苛立ちを感じさせるには十分な威力を持っていた。

 

「…動くと、やりずらい」

 

サクラは指先に摘んだ綿棒を困ったように虚空に彷徨わせる。

耳かきだった。紛れもなくアリサの目の前で広がっている光景は耳かきだった。

幽霊もどきに果たして耳かきをする必要なのかはアリサからすれば甚だ疑問だったが。

シアはそもそも体の中がどうなっているのかすら分からない完全なブラックボックス。

なんとなく怖いので特に調べてやろうともアリサは思わないのだが。

 

そんなことよりも問題は目の前で繰り広げられているコレだ。

どう控えめに見てもいちゃついているようにしか見えない。

どんな経緯でこんなことが起きているのかは知らないが納得が行く筈がない。

アリサが小学校で真面目に勉強を、落書きを大量生産している間に楽しそうにしやがってという完全な私怨だった。

 

「物理ね。そろそろこの似非幽霊へのツッコミに物理を用いる時が来たのね」

 

瞳を閉じて考えこむアリサの頭の中で人外に効きそうな、又は効かなそうなあらゆる単語が飛来する。

――塩、十字架、ニンニク、玉葱、銀の弾丸。

アリサの脳は暴走と迷走をひたすらに繰り返す。

 

「岩塩で思いっきり殴ったら上手く成仏してくれないかしら」

「撲殺だよ!それ間違いなく撲殺だよ!」

 

聞き逃したら二度目の浮遊霊ライフを迎える羽目になりそうな単語がシアの耳に届いたことで、そこでようやく帰宅したアリサに気づいた。

どうやらシアは首の皮一枚繋がって消滅は免れたようだった。

 

「…ん、アリサ、おかえりなさい」

「えぇ、ただいま」

 

平常通りに嬉しそうに表情を綻ばせるサクラに僅かな癒やしを感じながらアリサは答える。

それから数秒ほどで無感動な瞳に戻ったサクラは綿棒を再び膝の上のシアの耳へと向ける。

 

「あー。サクラ、深いよ。ちょっとだけ痛いかも」

 

くすぐるように侵入してきた綿棒が最奥まで届いたことを感じ取ったシアの表情が渋く変わる。

 

「…少し、難しい。濡らせば、楽?」

「うーん。そうかも?」

 

サクラの脳裏に一瞬の閃きが訪れる。

考えの赴くままにサクラは未だに綿棒の未使用な反対側を口に咥えて唾液で湿らせる。

そして、水分を含んで幾分か柔らかくなった綿棒の先端を再びシアの耳の中へと滑らせた。

当然寝転がったシアの視界からはその行為が見えることはなかった。

 

「あーうー。…いい感じかも」

 

問題があるとすればアリサからすれば見えていたどころの騒ぎではなかったことだろう。

 

幾らなんでもサクラは知り合いに甘すぎるのではないかと。

もうちょっとこう、淡泊に接してもいいのではないかと思わずには居られなかった。

しかし、アリサ自身に淡泊に接するサクラを想像したら脳内の自分は三日目の朝を迎えた所で心が折れたので口には出さない。

胸の辺りまでもやもやとしたものがせり上がってきたので蕩けた顔をしながら口の端からよだれを垂らしたシアを軽く足蹴にする。

 

「なんで私蹴られてるの…」

「アリサ、危ないから今は駄目」

 

サクラが窘めるような言葉を放ったことによりようやくアリサは足を止めた。

相も変わらず不機嫌なオーラを放ったままだがサクラがアリサへとストップを掛けるのは初めてのこと。

納得はいかないがひとまず矛を納めることにする。

 

「…で、なんでこんな訳の分からないことしてるのよ」

「膝枕は青春のオプションと聞いて。私の失われた青春の絶賛穴埋め中なのですよ」

「失われた青春よりも失われた記憶の方探しなさいよ!」

「見つかる目処が立たない記憶よりも目の前の楽園だよ!……はふぅ」

 

サクラはよほど集中しているのか一切口を利かず、指先へと全神経を傾けていた。

耳かきなど当然した経験のないサクラは本人なりに必死のようだ。

 

「一応言っておくけど膝枕って普通男女逆なの分かってる?」

「またまたぁ。私がそんな初歩的なミスを……えと、冗談だよね?」

「…本当にそう思う?」

 

アリサが全く笑っていない表情のままで問いかけるとシアはふっと視線をアリサから外す。

 

「いや、その…途中から、じゃなくて割と最初からなんとなく違うような気もしてました。なんとなくサクラに言ってみたら本当にしてくれそうだったから流されたというか…あ、あっはっはー!」

 

アリサの中の疑惑が完全に確信へと変わった瞬間だった。

清水やすずか、そしてシアに至ってまで、なぜに事ある毎にサクラを狙ってくるのか。

マスコットか。マスコットポジションなのか。このままで果たしてサクラは大丈夫なのだろうか。具体的には五年後、十年後。そんな風にアリサが一人、思い悩んでいるとサクラが大きく息を吐く音が周囲へと広がった。

 

「…ん、終わり」

「うぁー!もうちょっとだけー!」

 

駄々をこねるようにシアはサクラの膝の上に乗せた頭を起点にころころと転がる。

瞳に困惑の色を乗せたサクラは再びシアの後頭部に掌を添える。

 

「……分かった。もうちょっとだけ、する?」

 

数秒も持たずにサクラは折れた。

こうなることを確信していたシアは口元に手を当ててニヤリと笑んだ。

サクラは甘デレ、アリサはツンデレと退屈しない環境はシアの精神を日々図太いものへと鍛えあげていた。

 

「とりあえずシア、アンタにはそろそろ上下関係を躾けてあげなくちゃいけないと思ってたのよね。これはいい機会だわ」

「ふっふっふ。魔法使い見習いの今の私をそう易易と躾けられると思ったら大間違いだよ!」

 

自信満々のシアを横目にアリサは制服のポケットから一枚のカードを摘み上げる。

それを目にしたシアの表情がみるみるうちに凍っていく。

 

「なんで私のコントラクトカードをアリサが持ってるの…ですか?」

 

それは紛れも無くシアの本体や依代とも言えるコントラクトカード。

自然とシアの口調も丁寧になる。

 

「寝室の机の上に置きっぱなしだったわ」

「……えと、サクラ?」

 

シアは壊れたブリキ人形のようにギギギとサクラに向けて首を動かそうとしてやめる。

今そんなことをしたら綿棒が大変な所に突き刺さってしまう。

 

「…着替える時に置いたの忘れてた。いつも持ってるの、結構邪魔」

 

幾らなんでも邪魔はないだろうと一人絶望に浸るシア。

ハイライトの消えた瞳のシアを余所にサクラは言葉を続ける。

 

「次は、気をつける。お財布に入れて、スーパーのポイントカードと一緒ならきっと失くさない。でもシア、ポイントで召喚コスト減らない。サクラはがっかり」

「それはそれでどうかと思うんだよ。というか私って召喚コストあったんだね……」

「多分、時間で回復する分の殆ど持ってかれてる。シア、結構重量級」

 

重量級という言葉がシアの心に深々と突き刺さる。

慌ててサクラの膝からシアは頭を起こしたが、決して体重が重い訳ではないのだと自らに言い聞かせて立ち直ろうとする。

しかし、そこにアリサが容赦のない追い打ちをかけた。

 

「ちょっとこのカード、牛乳に浸けてくるわ」

「アリサ、お願いだからやめて!絶対にそれ、生臭くなっちゃうから!」

「いい気味だわ。むしろ望む所ね。それとも額縁に貼り付けてやればカードに戻った時にそのまま封印出来るのかしらね」

 

アリサの冗談混じりの脅しにシアが本気で震える。

このお嬢様なら本当にやりかねない。そもそもサクラ関連でアリサを弄ったのが失敗だったのか。

目の前で繰り広げられる会話に不思議そうに口を挟んだのはサクラ。

 

「…アリサも耳かき、する?」

 

サクラは正座のままローブの膝の部分をぽむぽむと叩く。

その姿はアリサから見ればある意味恐ろしいほど魔力とも言えるものを秘めていた。

このまま流されてしまってもいいんのではないかという考えが首をもたげる。

いや、しかしこのまま流されては目の前の似非幽霊に示しが付かない上に弄ばれるネタを提供する羽目になってしまう。

 

「…別に、そんなことする必要はないわよ」

 

辛うじてアリサの口から言葉が絞り出される。

 

「……ん、分かった。少し、残念?」

 

言った本人も残念な意味が分からないのか首を傾げながらサクラは呟く。

そんな未だかつて見たこともない反応を目の当たりにしたアリサは無言のまま部屋の壁の方向へと足を進める。

そのまま己の心の赴くままに額を強かに壁に打ち据えた。

ゴツンと鈍い音が部屋全体へと響き渡る。

 

「…アリサ、大丈夫?」

 

アリサによって唐突に行われた謎の自傷行為にサクラは困惑する。

心配そうなサクラの声にアリサは出来る限り気丈に振る舞おうとする。

 

「えぇ、全く、これっぽっちも問題はないわよ」

 

アリサは全く声音を変えずに言うが、誰がどう見ても問題だらけだった。

現にシアですらその表情を引き攣らせている。

 

「いや、これは重症だよね。色々な意味で」

 

結果的にシアの非常に小さな呟きは誰にも届くことはなかった。




シア(天真爛漫)サクラ(甘デレ)アリサ(ツンデレ)
を書きながらシアの設定を固めていた結果がこれ。
次回ストーリー進行予定。多分。


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牛乳を切らしていたようです

暗雲の立ち込める中、サクラとシアは歩みを進める。

今にも雨の降り出しそうな空模様。

それに備えるべく、サクラの手には桃色の、シアの手には空色の傘が握られていた。

 

「ねぇ、サクラ。なんだか魔力、だっけ?これ、私でも感じ取れるくらい凄いんだけど……」

 

街中に突如現れた二つの大きな魔力反応。

それは例えサクラの鈍い感知能力でも気づくほど強烈で、サクラの心配を煽るような鮮烈さすら伴っていた。

二つの強大な魔力は時に弾け、交じり合い、お互いを喰い破らんとばかりに衝突を繰り返す。

当然それを追うサクラの足取りは自然と確かなものになる。

それに加えて、サクラとシアの間に繋がる不可視のリンクはとても曖昧なものだが、その魔力の奔流を感じ取るに至らせていた。

 

目の前に広がるのはビルや高層建築物が立ち並ぶビル街。

周囲を包む薄暗さと今にも雨が振り注ぎそうな雨雲、それらの要因によって視界は最悪。

サクラがジュエルシードを警戒して周囲に視線を巡らせた瞬間。

轟音と共にシアの遥か前方で黄金色の雷撃と桃色の砲撃、二つの魔法がぶつかり合う。

それによる魔力の余波が容赦なくサクラとシアに襲いかかった。

 

「にゃ、っとぅ!?」

 

その衝撃に、シアは奇天烈な叫び声を上げながらその場から半歩足を退く。

 

「ん……うどん?」

「あっ、サクラの負けだよ…って違うよ!納豆でもうどんでもしりとりやってる訳でもないんだよ!」

 

たったの一単語で敗北を喫したサクラ。

それにツッコミを入れながらシアは曇り空を見上げる。

弾ける雷、奔る閃光。そこには最終決戦さながらの光景が広がっていた。

 

レイジングハートを両手で握り、縦横無尽に砲撃を放つなのは。

そして、それを全て見透かすかのように空中で高速機動を繰り返し、反撃を見舞うフェイト。

距離があるために遠目ながらもその戦闘の様子は十分に伺える。

自然とシアの瞳は一人の少女に釘付けになる。

 

「……あの娘」

 

シアと瓜二つと言って差し支えない容姿。

アリサは『ドッペルゲンガー』という言葉を用いたがそれすらも信じてしまいそうな程に。

そしてシアの中の記憶の扉は軋みを上げ始める。

重厚な一枚の扉。それには無数の錠が掛けられている。

一つ、また一つとその扉に設えられた錠は弾け飛ぶ。

それと同時にシアが感じたのは圧倒的なまでの既視感だった。

 

「私は、多分あの娘を知ってる」

 

だが、それでも足りない。

記憶の扉はその入り口を、固く閉ざしたままだ。

 

「……思い出した、の?」

 

サクラの言葉はどこか重苦しいものを孕んでいた。

心配されているのかと思ったシアはサクラへと視線を向ける。

そして、直ぐにそれとは違うことに気づいた。

 

「サクラ、もしかして怖いの?」

 

その表情は無表情。それでもその瞳には小さな恐怖の感情が秘められていた。

なぜそれがシアに分かったのかはシア自身も分からない。

それがかつて自らも抱いた感情なのか、それとも違うのか。

シアの記憶の扉は未だに軋みを上げ続けていた。

 

「…シア、記憶を取り戻したら、居なくなっちゃう気がした」

 

あぁ、そういうことかとシアは納得する。

どうやら彼女のご主人様は酷く寂しがり屋だったようだ。

 

「大丈夫だよ。私は居なくなったりなんて―――」

 

―――私のせいで、私のせいで貴女は居なくなった

 

唐突に脳裏に響いた言葉にシアの言葉が止まる。

どこか懐かしく、そして狂おしいまでの狂気の込められた言葉。

 

「……シア、大丈夫?」

「えっ、あっ、大丈夫、大丈夫……あはは」

 

気づけば、サクラはシアの瞳を真っ直ぐに覗きこむように見上げていた。

それに若干慌てながらもシアは誤魔化すように笑う。

一体先程聞こえた声は一体なんだったのか。

 

ただ、一つだけシアには本能的に理解出来たことがある。

間違いなく、あの言葉の主は長い間、それこそ何年も何年もシアを苦しめ続けた。

 

「なのはっ!」

 

サクラとシアにまで届くようなユーノの叫び声。

魔法少女、高町なのははアスファルトまで真っ直ぐに堕ちていく。

 

それを目撃したサクラは閉じられた桃色の傘の先端をなのはへと向ける。

しかし、既に地上に居たユーノはサクラより早く魔法を完成させていた。

一瞬で地面と平行に広がる巨大な魔法陣。魔法陣はクッションのような柔軟さを以ってなのはを受け止める。

そして、サクラの決断は早かった。

 

「ん、サクラは行ってくる。『サモンユニコーン』『フライング』」

 

サクラは光り輝く翼を頼りに曇り空の中を駆ける。

それとは別に虚空から現れたユニコーンは主の命を受けるまでもなく、魔法陣に受け止められているなのはの元へ向けて四肢を踏み出す。

 

「えっ、馬!?なんで此処に馬が居るの!?」

 

突如ユーノの目前に駆けてきたユニコーンに動揺するユーノ。

なのはの浮かぶ魔法陣の真下へと移動したユニコーンはユーノへと鋭い視線を向ける。

直感的に目の前の幻想生物が不機嫌なことに気づいたユーノは困惑する。

 

「……むぅ。ユーノ、馬じゃない。ユニコーンが怒ってる」

 

その光景を空中からユーノを不満気に見下ろすサクラ。

背から若干離れるように生える一対の光の翼で飛行するサクラとそのサクラに仕えるユニコーン。

それはもはやサクラの頭上に輪でもあれば天上の住人にしか見えないような出で立ちへと変えていた。

 

「いや、ユニコーンさん……僕が悪かったのでそんなに睨まないでください」

 

未だに鋭い視線に晒されているユーノは内心冷や汗を掻く。

だが、今はそれどころではない。

距離こそあるが、ユーノの目には相対していたフェイトのデバイスにジュエルシードが収納されていくのが見えた。

 

初めての、敗北。

これまでもサクラに引っ掻き回されたことやフェイトに一歩先を行かれたことはあれど直接対決による敗北はなのはにとって初めてと言えるだろう。

少なくとも、今は無理をする時ではない。

ユーノは口を開くことなく魔法陣を操り、ユニコーンの背に未だ目を覚まさないなのはをうつ伏せに寝かせる。

 

「……なのは、ごめんね」

 

ユーノの呟きがどのような想いを持って紡がれたものなのか。

それは、未だに精神的に未成熟なサクラには分からない。

どこまでもサクラは子供。それ故に、好きなものは好きで嫌いなものは嫌い。

当然目の前で繰り広げられる戦いは、嫌い。

果たしてその感情はプリーストという単なるジョブ設定によって生まれたものか、それとも繰り返す穏やか日常によって育まれたものか。

 

ユニコーンがなのはとユーノを乗せてその場を去っていく。

そして、それと入れ替わるように現れたのは二人の鏡合わせの少女。

インテリジェントデバイス、バルディッシュをその手に収めたフェイト。

地上からサクラとフェイトへと真剣な眼差しを送るシア。

強い風にたなびく髪をそのままに、フェイトは口を開いた。

 

「久しぶり、だね。サクラ」

 

――違う。

サクラがその時に持ったのは余りにも単純な感想。

初めて会った時はこんなに濁った瞳はしていなかった。

諦観や苦しみ、そんな負の感情を混ぜ合わせたようなその瞳。

その瞳を、サクラは一度だけ目にしたことがあった。

 

「サクラは、知ってる」「私は、知ってる」

 

―――ねぇ、教えてよ。私はなんで…なにをっ!

 

それと同時にサクラの中でフェイトとシアの影が、更にはサクラとシアの言葉が重なる。

その言葉の意味が分からないフェイトは困惑する。

 

「まだ、足りないんだ。もっとジュエルシードを集めなくちゃ。だからね、今は――」

 

シアの記憶の扉、その最後の錠はフェイトの手によって砕かれる。

 

「――『ばいばい』」

 

サクラに向けて手を小さく振り、背を向けるフェイト。

その姿を捉えたシアは全てを理解した。理解してしまった。

 

 

 

脳裏に蘇るアリシアの、いや、私の断片的な記憶。

それが奔流となって私自身へと牙を剥く。

苦しい、辛い。繰り返す日々の中。目の前で壊れていく一人の女性。

私の声は決して届かない。そして手で触れることも、出来ない。

苦しみの日々。その過程で産まれた、いや、産み出されたのは一人の少女。

女性の口から漏れ出たのは願いが叶う宝石の話。

だから私は一つでいい。一つでいいから彼女より先にその宝石を手に入れて言葉を届けたかった。

 

その過程で私は今の彼女と同じように、サクラに向けて手を振った。間違いなく、振ったのだ。

そう、産み出された少女の内側から。取り憑いた彼女の意識の端で一人沈黙していた。

その頃にはとっくに私の心は擦り切れていたけれど。

 

そして、彼女の行動を頼りに手に入れた願いの叶う宝石は私の願いを叶えなかった。

何年も、何年も目の前の狂気に晒され続けた私がマトモで居られる筈がなかったのだ。

 

簡単なことだった。私のコントラクトカードに存在する二つのスキル。

サクラとコントラクトした結果手に入れた『下位スキル共有』。

――それとは別に、元々私は持っていたのだ。その技能は『精霊憑依』と名前を変え、スキルとして確立されていた。

 

苦しみも辛さも悲しみも、全てが私の元へと帰ってくる。

それとは別に、私の中に一筋の希望が降り注いだ。

アリシア・テスタロッサとして、そしてシアとしての私にしか出来ないことがある。

 

 

背を向けた彼女、フェイトへと真っ直ぐに手を伸ばし、私は願う。

どんなに使い勝手が悪くてもいい、私には正面切って彼女と戦うだけの強さはない。

それはずっとフェイトを見てきた私が誰よりも分かっている。

だからなによりも疾く、なによりも力強い魔法を教えて。

『下位スキル共有』は私の想いに応えて、無数の魔法の呪文を私に教えてくれる。

それでも尚、足りない。

彼女が、フェイトが反応出来ないような疾さが、一撃で意識を刈り取るような力強さが欲しい。

そう願った瞬間、私の中の『下位スキル共有』が砕け散り、砕けたスキルの欠片は再び集い、生まれ変わる。

 

思わず頬が緩みそうになるのを必死に堪えて、その呪文を唱える。

奇しくもその魔法はサクラがかつて私に向けて放ったのと同じ魔法。

私が貴女を傷つけるのはこれが最初で最後だから、お願いします。情けないお姉ちゃんを許して。

だから、今だけは、お休みなさい。

 

「『ライトアロー』!」

 

現れたのは浄化の光。私の掌から生まれた膨大な光は巨大な矢を形作る。

その光は目を剥くサクラの真横を通り過ぎ、フェイトの背中へと、確かに届いた。

 

 

 

 

 

フェイトが曖昧な意識の中で感じたのは全身を包む暖かさ。

そして、未だ、閉じられた瞼の裏へと訪れる穏やかな光の奔流。

事態を理解しきれないフェイトは慌ててその目を見開く。

 

「これは、どういうこと……?」

 

フェイトの眼前に広がるのは不可思議な光景。

辺り一帯を舞い踊る光の粒と周囲を包む暖かな光。

なによりも疑問に思ったのは全身を侵していた戦闘による疲労が殆ど消え去っていたこと。

なのはとの戦闘はフェイトを後一歩の所まで追い詰め、憔悴させるに至っていた。

手を伸ばせばそれにじゃれるようにして光の粒が集まる。

そのまま数分ほど光の粒と戯れていたフェイトだったが、その光は粒と共に徐々に力を失い、虚空へと消えていく。

 

「……帰らなくちゃ」

 

ジュエルシードの収集は終わった。

周囲には既に誰の姿もなく、今にも降り出しそうな雨雲が顔を覗かせるのみ。

フェイトは先程の事象に首を傾げながらも帰路へと急ぐ。

 

そして、去っていくフェイトの後ろ姿を見つめる一つの視線。

視線の主は空高くから浮遊する光の歯車に腰掛けながらフェイトを眺めていた。

その手には元々持っていた桃色の傘が。そして、新たに託された空色の傘を携えていた。

 

「……シアの馬鹿。大馬鹿」

 

呟きと共に歯車の端から伸ばされた足はゆらゆらと揺れる。

その声の主の膝の上には一人の少女の決意が記された一枚のカード。

 

結局の所、サクラにフェイトは救うことは出来ない。

それが分かっていても、やはり納得は行かなかった。

うーうーと恨めしい声を出してからサクラは小さな溜息を吐き、膝の上のカードを指先で摘まみ上げ、変化した表記へと目を走らせる。

 

 

 

【名前】 シア/アリシア・テスタロッサ

【種族】 精霊

 

【詳細説明】

 

大きな決意を以って過去を受け入れた少女。

失った筈の願いを秘め、動き出した彼女は止まらない。

 

追記:お夕飯はハンバーグがいいです。

 

【コントラクトスキル】

〈精霊憑依〉

対象に憑依することが出来る。

憑依中は常にMPを消費する。

 

〈中位スキル共有〉 Rankup!

契約者の中位以下のスキルが使用可能。

効果は使用者のステータスに依存する。

 

 

 

どう考えてもシア自身が弄ったとしか思えない文面に追記欄。

もはや無駄に器用と言う他なかった。

サクラはカードの詳細説明欄を不満気に見つめる。

 

「むぅ。ばーか、ばーか。……ひき肉、パン粉、玉ねぎ、みじん切り、牛乳」

 

徐々にその声音は小さくなり、レシピ本の内容を反芻するものへと変わる。

ぶつぶつと呟いていたサクラはそこであることを思い出した。

 

「……牛乳、もうなかった気がする」

 

それがトリガーになったのかサクラは頭の中で買い物リストを構築し始めた。




次回。サクラがむすっとしながらハンバーグ捏ねてる間に無印クライマックス予定。


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掴み取った未来のようです

時の庭園。数多の次元を渡ることの出来るその庭園はフェイトの生まれ育った場所。

しかし、そこを歩くフェイトの表情は決して芳しいものとは言えない。

今にも途絶えてしまいそうな足並みを自らを叱咤して再び進める。

彼女にはそもそも足を止めるという選択肢そのものが存在しないのだ。

 

「…フェイト、ごめんよ。あたしじゃやっぱりジュエルシードを見つけるのは無理だったよ」

「ううん。私こそ、無理言っちゃってごめんね」

 

口を開いたのは帰還したフェイトを待ち受けるように現れた彼女の使い魔、アルフ。

時間がない。それを理由に、一刻も早く一つでも多くのジュエルシードを回収しなければならないフェイトとアルフは二手に別れた。

 

その結果は高町なのはとの遭遇。

それでも尚、なのはに打ち勝つことが出来たのはフェイトにとって幸いだった。

少なくとも、一つもジュエルシードを回収出来なかったという事態は避けられたのだから。

 

「…あのババァの所に行くのかい?」

 

心配そうなアルフの声。

その顔に怒り、そして悔しさすら滲ませたアルフを見て、フェイトは微笑む。

 

「大丈夫だよ。私が失敗しちゃっただけだから」

「フェイトはきちんとジュエルシードを集めているじゃないか!なんで……こんな…!」

 

絞りだすような、唸るように放たれた叫び。

それはこれから確実に起きるであろう出来事に対して、アルフがなにも出来ないこと、それを分かっているからこそ放たれた叫び。

 

「……きっと分かってもらえるから平気、だよ」

 

尚も制止を続けるアルフを宥め、フェイトは歩み続ける。

無意識の母への渇望はフェイトの中で日に日に肥大していく。

渇望は鎖となり、彼女を縛る。

彼女は自らの母に逆らうことなどしない。なぜなら母はフェイトの優先順位の一番に居るのだから。

 

母に言われればフェイトは自らの使い魔のアルフですら消すことを選択するだろう。

大いに躊躇いながら、そして涙を流しながら、許しを懇願しながら。

それでもフェイトは母の望みを叶えることを選ぶ。

 

フェイトはひたすらに、ただひたすらに足を進め続ける。

―――自らの母親、プレシア・テスタロッサの元へと

 

フェイトが辿り着いたのは玉座の間と呼ばれる場所。

周囲を薄暗い闇が覆う中、現れたフェイトへと彼女の母、プレシア・テスタロッサはその瞳をフェイトへと向ける。

 

「……来たのね。フェイト、此処に来たということはジュエルシードは集まったのかしら?」

 

爛々と光る妖しさと狂気を秘めた瞳にフェイトは狼狽えそうになるのを必死で堪える。

 

「一つだけ、見つかりました」

 

気を抜けば震えてしまいそうになる体を意思の力でねじ伏せて、フェイトは口を開く。

しかし、予期していた通りにプレシアの答えは非情だった。

 

「貴女はプレシア・テスタロッサの娘なの、それが一つだけしか集められなかった?貴女はどれだけ……どれだけ私を期待を裏切れば気が済むのかしら…!何度も……何度も……!」

 

ギリッと奥歯を噛み締めながら放ったプレシアの言葉には溢れんばかりの憤怒が込められている。

果たして一体なにがプレシアの逆鱗に触れてしまったのか。

それはフェイトには分からなかったがプレシアが未だ嘗て一度も見せることのなかった激情。

 

「か、母さん……?」

 

決して冷ややかなものではない、心の奥底から滲み出てくるほどの怒り。

その発露はフェイトを大いに困惑させるに足るのものだった。

 

「……そうね。何度言っても分からないのなら口で言うだけじゃ駄目なのよね。貴女が駄目なのがいけないのよ」

 

プレシアは目を細めると一転してその表情を冷たい氷のようなものへと変える。

どこまでも堕ちて行きそうな暗闇のような瞳。

能面のように感情を宿さないその表情にフェイトは恐怖を抱く。

プレシアのその手にはフェイトをこれまでに何度も打ちのめしてきた鞭が握られていた。

 

先程の激情は全てこの鞭に込められているのだろうとフェイトは理解した。

恐らく気を抜けば意識を飛ばしてしまいそうになる程にこの鞭はフェイトへと痛みを与えるのだろう。

 

それでも、それを理解していても、フェイトには逃げ出してしまうつもりはない。

鞭を振るった分だけプレシアがあの憤怒を晴らすことが出来るのなら、フェイトは躊躇わない。

目前まで歩みを進めてきたプレシアへと真っ直ぐに視線を向ける。

 

「貴女は…いえ、そんな目をしても無駄よ。これから起こることは変わらないわよ」

 

プレシアの表情に僅かな動揺が浮かぶ。

それは長年プレシアを娘として見てきたフェイトにしか分からないものだったがそれだけで十分。

この折檻が終わればいつもの母に戻るのなら、フェイトは躊躇わない。

恐ろしさに歪みそうになる表情を笑顔に変える為に表情筋を総動員して笑おうとする。

 

きっと不格好な笑みになってしまっているだろう。

きっと苦し紛れの笑みで母が変わることはないだろう。

それでも尚、フェイトは薄っすらとした笑みを浮かべる。

 

「……気に入らない。気に入らないわ。なにが貴女をそこまで掻き立てるのか、私には理解出来ない」

 

なぜこんな状況で笑うことが出来るのか。

笑みを、とっくの昔に捨て去ったプレシアには理解出来ない。

そんな迷いを振り切るようにプレシアは手中の鞭を大きく振り上げる。

既にフェイトはその瞳を閉じ、全てを受け入れようと微動だにしない。

 

――鞭が風切り音を鳴らし、彼女の肌を打ちのめすべく振るわれる。

 

だが、それよりも一瞬早く、フェイトの唇が微かに動く。

唱えられたのはフェイトが、大魔導師プレシア・テスタロッサですら耳にしたことがないような魔法の呪文。

その呪文を唱えることが出来るのは二人だけ、それでもフェイトの口は彼女の意思に反して確かにその魔法を紡いでいた。

 

「『シェルプロテクション』」

 

フェイトの全身を覆うようにして突如現れたのは薄暗い玉座の間を照らす光の膜。

振るわれた鞭はフェイトへと軽い衝撃を与える。――しかしそれだけだ。

痛みなど当然感じることはない。更にはフェイトの意思とは関係なく、その口は再び開かれる。

 

「……やっと話せたね、ママ」

 

その言葉と同時にフェイトの体に自由が戻ってくる。

だが、その後に見た光景にフェイトは思わず意識を手放してしまいそうになる。

 

なぜなら、自分の体から一人の少女がまるで壁抜けでもするかのように突如現れたのだから。

 

プレシアは現れた少女へと警戒心を露わにし、その場から半歩足を退く。

 

「……この場所に来れるなんて貴女は何物なの?それにその容姿、まるで――」

「フェイトそっくり、でしょ?むしろフェイトの中で何年も掛けて成長するのを真似続けたんだから当然だよ。あっ、私が居ない間にフェイトが成長した分は分からないんだけどねー」

 

両手を背中で組んで「あっはっはー」と軽い笑いを漏らす少女。

その言葉には理解出来ないものが多分に含まれているだけではない。なぜ人の体から出てくるなどということが出来るのか。

相も変わらずプレシアの表情は険しく、一つ質問を違えれば目の前の少女を殺害することも厭わないだろう。

だが、問題は少女が放った「ママ」という言葉。

 

「それにママなんて貴女に言われる筋合いは……まさか、そんなことは絶対に有り得ない。だってあの娘は……」

「五歳の時に死んじゃった?」

 

ドクンとプレシアの心臓が跳ねる。

そのことを知っている人間はそう多くはない。

次元航行エネルギー駆動炉ヒュウドラ。嘗てプレシアが携わった研究。

 

彼女の娘はそれによって引き起こされた不運な事故に巻き込まれた被害者の一人。

周囲から見ればそれだけなのだ。誰かの記憶に留まることもなく、消えていく。

それだけの存在であった筈なのだ。プレシアは決してそれを認めることは出来なかったが。

 

「アリシア、なの?」

 

プレシアのその言葉はもはや懇願だった。

そうであって欲しいという願い。僅かな、微かに降り注いだ希望の光。

そしてそれを肯定するかのように少女、アリシアは頷いた。

 

「……アリシアはもうこの世には居なかったはずよ」

 

その言葉にアリシアは答えない。

悲しそうに、それでもその表情に僅かな微笑みを讃えて。

 

「今の私が生きてるのかって聞かれたらうーんってなるけどね。でもね、ずっとずっとママを見てきたよ。幽霊として、二十年くらいかなぁ?途中からあんまり時間の感覚がなかったけどね」

 

まるで太陽と月のように、暖かな顔と穏やかな顔。

二つの顔を、今だけは月へと傾けてアリシアはぽつぽつと語り始める。

 

「少しずつ、少しずつ、ママはおかしくなっていっちゃったよね。それでも幽霊の私にはなにも出来なくて段々私もおかしくなってきちゃって、穢れ始めたっていうのかな?ちょっとずつ壊れ始めちゃったんだ。もう駄目だなって思った時に産まれたのがフェイト、貴女なんだよ?」

「わ、私……?」

 

突然話の矛先を向けられたフェイトは困惑する。

そもそもが目の前の少女への理解が足りないのが現状だ。

プレシア・テスタロッサの娘はフェイト・テスタロッサのみだというフェイトの認識。

 

しかし、その認識をアリシアは打ち砕こうとしていた。

全てのはじまりは自らにあるとアリシアは理解している。

それ故に、アリシアは自身の口から語らなければならないと思うのだ。

 

幽霊としてのアリシアは半分の時間をプレシアと過ごし、もう半分の時間をフェイトと確かに過ごした。

フェイトにとってのプレシアはあまりにも重い。

それを取り上げてしまえばきっと彼女は壊れてしまう。

だからこそ、語るのはアリシアでなければならない。

 

「プロジェクトF.A.T.E。使い魔を超える人造生命の作成……だったような気がする。盗み聞きしたのがずっと前だし…え、ぁ、その……お、覚えるのはあんまり得意じゃないんだよ!」

 

ごほんとわざとらしい咳払いをするとアリシアは話を続ける。

こういう時だけは記憶力にINT値を全て振ってしまっているサクラが少しだけ羨ましくなる。

でも、覚えるのとそれを使いこなすのは別物だよね。と一瞬思考が脱線しそうになるのをアリシアは頭の中で修正する。

 

「……要するにママはアリシア、つまり私のクローンに記憶を移そうとしたんだ。……でもね、私の記憶を移してもそれは私じゃない。だって目の前に本物が居るんだから当然だよね。だからそれに気づいたママは結局そのクローンから私の記憶を抜いたんだ」

 

プレシアはその言葉に沈んだ表情のまま耳を傾けている。

もはや疑問の入る余地はなかった。目の前の少女は自らの娘、アリシア・テスタロッサだと。

アリシアは語った。「穢れ始めた」と。

当然だ。なぜならアリシアはすぐ傍に居たのに、それでもプレシアはアリシアを求め、自らで創り出そうとした。

その行為が一体どれほどの苦痛なのか。プレシアにはそれを計り知ることすら出来ない。

 

どれだけ娘を苦しめ続ければ気が済むのだと、果たしてこのまま全てをアリシアに委ねてしまっていいのかと。

 

アリシアは既に此処に居る。確かにプレシアの瞳に映っているのだ。

生きているのか、死んでいるのかは定かではない。それでも此処に存在する。

ならばフェイトは、フェイト・テスタロッサの存在は既にプレシアにとっては――。

 

――アリシアの体の代用品

アリシアが現れた時と同じようにフェイトの中にアリシアが居れば、フェイトは要らないのではないか。

その考えに至った時、プレシアの全身に怖気が走った。

今更なにを恐れているというのか。所詮はフェイトの存在はプレシアにとっては自らを慰めるお人形。

 

それだけのはずだった。

フェイトから全ての記憶を奪い、そこにアリシアを納めればいい。

嘗てフェイトからアリシアの記憶を抜き取った時と同じことが出来るはずだ。

 

それなのになぜ、今更になってプレシアは躊躇う。

フェイトに対して情が沸いてしまったのか。そんなことは有り得ない。

プレシア・テスタロッサの娘はアリシア・テスタロッサだけ。

少なくともプレシアはずっとそう考えて生きてきたはずだった。

 

「えぇ、その通りよ。フェイト、貴女はその記憶を抜いたクローン。所詮私の寂しさを紛らわせる為のただの…ただの……」

 

お人形。そう言ってしまえば全てが終わる。

そして、アリシアとの、愛する一人娘との生活が始まるのだろう。

それなのに、どうしてもプレシアの口はそれ以上の言葉を紡ごうとしない。

 

その様子を少しだけ寂しそうに、そしてそれ以上の安堵を以ってアリシアは眺め、口を開いた。

 

「……フェイト。私はね、貴女をずっと見てきたよ。もしかしたら、フェイトがママを昔のママに戻してくれるんじゃないかって思いながら、貴女の中で眠りに就いていたんだ」

「私の中に、ずっと居たんだね」

「あはは、ごめんね。勝手に住み着いちゃって。それと、おめでとう。やっぱりママは貴女を道具には見れなかったみたいだよ」

 

アリシアの言葉にプレシアは口をパクパクと動かすがそれでも言葉が出ない。

そして認めてしまうのだ。プレシアはフェイトに対して非情にはなりきれなかったことを。

 

「……貴女は、アリシアはそれでいいの?」

 

プレシアの声音は苦く、重く、そして彼女自身の苦しみが声を伝い、周囲へと伝播する。

しかし、アリシアは陽気にそこへ爆弾を投入する。

 

「幽霊だった私が望んだのはママとお話することだったから、もうおしまい。あっ、でもでも、だからって消えていなくなったりなんてしないから大丈夫だよ。ご主人様がお夕飯作って待ってるしねー」

「……はっ?」

 

プレシアの喉から出たのは呆けた声。

 

ご主人様。主人。旦那。

彼女の頭の中で様々なワードが飛び交う。

いやいや、年齢的におかしいだろうと。しかし死んでしまってからの時間も足せば二十歳は優に超えている。

そもそも幽霊がお夕飯を食べるのか、フェイトの体がうんぬんと考えていたプレシアは一体なんだったのか。

 

「そういえばママって結構重い病気、患ってたよね」

「……え、えぇ、そうね。もう長くないでしょうね」

「とりあえずそれ、治しちゃおっか。ダメージなのか状態異常なのか分かんないけど両方試せばいいよね。万が一私じゃ駄目でもサクラならなんとかなりそうだしねー」

 

あまりにもあっさりと告げられたことにプレシアは愕然とする。

 

サクラの魔法はゾンビのような再生力すら与えうるあらゆる治癒魔法の頂点。

当然〈下位スキル共有〉を〈中位スキル共有〉まで進化させたアリシアにとって、人一人を治癒するなど容易いこと。

 

 

 

 

 

プレシア・テスタロッサ事件。通称PT事件と呼ばれる第97管理外世界で繰り広げられた事件。

それは願いを叶えるロストロギア、ジュエルシードを巡り、繰り広げられた戦い。

 

易易と許されることはないプレシアの所業。それでも尚、それを補って余りある程に彼女は優秀だった。

 

PT事件は犯人ことプレシア・テスタロッサが自らジュエルシードの大半を封印し、訪れた時空管理局員へと提出するという顛末を辿る。

そんな数多の次元世界を揺るがすほどのお騒がせ事件。それはプレシア自身の有用性を過剰なまでに見せつけることに成功していた。

 

―――未来は千変万化。一人の元幽霊の少女。その願いは確かに叶った




プレシアママンのダイナミック自首で無印終了。
サクラ…サクラェ……

A's練り練りしてきます。


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冤罪だと主張するようです

朝独特の喧騒。それは平時と変わらずにアリサを出迎える。

会話を交わし、時折笑い声を漏らす少年少女たちを横目にアリサは自らの席へと赴く。

 

椅子に腰掛けたアリサは溜息を吐きながら無造作に机の上に教材を並べていく。

その目に映ったのは一冊のノート。

それを暫く眺め、ソレが半ば落書き帳と化してしまったことを思い出し、少しげんなりとする。

 

真面目に授業をしてくれる教師には悪いが、授業内容は今更そんなことをやられてもという内容ばかり。

授業は目新しいものは特になく、日々アリサは退屈を弄ぶだけ。

 

だからといってアリサは勉強だけが学校だという偏屈な考えを持っている訳ではない。

所謂大人の立場に立てる子供であるが故に特に反抗意識もない。

 

それらのことを理解出来る思考能力と存在してしかるべき子供としての意識。

相反する要素を兼ね備えたどこかアンバランスな少女こそがアリサ・バニングスである。

結果としてクラス内では「取っ付きにくい女の子」。そんな評価が付けられてしまうのも致し方ないことだった。

 

ふと、視線を少し離れた席へと向ける。

それと同時にアリサの視界へと二人のクラスメイトの姿が映る。

低身長で長い髪をポニーテールにした少女。そして、それより少し身長の大きな、髪をミディアム程度まで伸ばした少女。

 

所謂お喋りが好きな生徒の部類に入る二人はアリサの視線に気づくことなく会話を続けていた。

特に興味はなかったのだが、頬杖を突きながらなんとなくにアリサはその会話に耳を傾ける

 

―――海鳴には天使様が住んでいるらしい

 

一般的には都市伝説と呼ばれる呼ばれる類の噂話。

 

海鳴には無数の化け物が存在しており、それを狩る天使様が存在している。

その天使様は一対の翼を駆り、人々を陰ながら守護しているらしい。

 

本来ならば「そんな馬鹿な」このような一言で片付けられてしまうような代物。

時の流れと共にいずれは忘れられ、風化してしまうような、そんなお話だ。

 

しかし、二人の話の流れは段々とおかしな方向へと向かい始める。

 

曰く、天使様は車椅子を両手で必死に掴みながらよろよろと低空飛行していたらしい。

曰く、天使様の通った後に残っていた不思議な光を浴びたらなぜかおじいちゃんのボケが治ったらしい。

曰く、化け物を倒した天使様におばあちゃんが畑の大根をお供えしたら少しの間姿を消し、その後になぜかショートケーキをくれたらしい。

曰く、漁船が沖合で翼を羽ばたかせながら釣り糸を垂らしている天使様を発見。ちなみに大漁だったようでとりあえず海神様か何かだと思ってお神酒代わりに日本酒を撒いたらしい。

 

なんというか、酷い与太話の上に内容が非情に俗なのだ。

それでも、どこか引っ掛かるものを感じる。どこかで似たようなものを見たような、聞いたような。

全く覚えのない内容も混ざっていたのでアリサはスルーに徹しようとした。

 

「後ね、天使様って髪の毛も含めて全身桃色で子供の姿をしているんだって!」

 

その発言に顔を載せていた腕が机からズレてアリサは顔面を机に強打した。

唸り声を上げながら悶絶するアリサ。

 

どう考えてもサクラだった。というか天使なんだか海神なんだかハッキリして欲しい。

しかもその釣果がアリサの胃に収まっている可能性が非常に高い。

というか車椅子って一体なんなのだ。サクラの行動はもはやアリサの理解の外に存在していた。

 

その時だった。パンパンと手を叩く音と共にクラス内の喧騒が止む。

 

「はい。皆さん、席に着いて下さい。出席を取りますよ」

 

現れたのはアリサ、すずか、なのはたちのクラスの担任。

彼女は教師らしいカリスマを発揮し、あっという間にクラス中に散っていた生徒たちを席へと着かせる。

無事にクラスを治めることに成功した彼女は僅かに頬を緩め、その口を再び開いた。

 

「――その前に、今日は転入生が居ます」

 

その一言によってクラス内がにわかにざわめき出す。

この程度ならばと判断したのだろう。注意することもなく担任はその様子を静観に徹する。

 

アリサからしてもその転入生という単語は僅かに興味を惹かれるものだった。

私立聖祥大学付属小学校は中学、高校、大学とエスカレーター式に続く学校。

それ故に度を超える程駄目ならともかく基本的には身内には割と甘く、外には厳しい。

つまり、転入試験もそれなりの難易度が課せられる代物になるのだ。

もしかすれば、トップクラスの学力を有するアリサの立場を揺るがすかもしれない人物だ。

 

「は、はい!男の子ですか?それとも女の子ですか?」

 

噂話に興じていたポニーテールの少女は大きく声を張り上げて教師へと質問を飛ばす。

 

「そうですね……男の子ですかね。多分、恐らく」

 

いまいちハッキリしない教師の態度に誰もが大なり小なり首を傾げる。

その反応にアリサは微妙に不穏なものを感じた。

 

コホンと咳払いした後に、教師は転入生の苗字を呼んだ。

 

 

―――鮫島さん、と

 

 

アリサの嫌な予感は不幸にも的中してしまう。

扉を開いて現れたのは鮮やかな桜色。肩まで中途半端に伸びた柔らかそうな髪。

明らかにワンサイズ、いや、ツーサイズほど大きなサイズの合っていないぶかぶかの男子制服。

 

確かにその人物は普段から元から持っていたローブ、そしてメイド服など、丈の大きなものを好んで着ていた。

恐らくワザと大きなものを選んで発注したのだろう。

迷いなき足取りで教卓の前に辿り着くと、桜色は穏やかそうなその微妙に垂れた目元を僅かに細め、嬉しくて堪らないというように微笑んだ。

 

「……サクラは鮫島サクラ。仲良くしてくれると、とても嬉しい」

 

独特の喋り、そして不可思議な雰囲気を漂わせるサクラへと男子女子問わず、クラス中の視線が集まる。

誰しもが先程の喧騒を忘れ、言葉を失っていた。

 

早くもクラスの空気を掌握したサクラを余所に、アリサは真っ先に机に突っ伏し、頭を抱えた。

一体どうなっているというのだ。確かに膨大なそのINT値を全て記憶力に振ってしまったようなサクラなら転入試験は容易いだろう。

だが、問題は苗字として名乗った「鮫島」だ。

 

要するにアリサは鮫島にしてやられたのだ。

アリサがもたもたしている間に養子なりなんなりの形を以って、先を越されていたのだ。

しかし、それでも心の何処かに冷静なアリサが居て、分かってしまうのだ。

 

サクラに与えるには、バニングスの姓は余りにも重い。

同じように鮫島がしたであろう養子という形にすれば様々な厄介事にサクラを巻き込むことになる。

 

「……でも実際は間違いなく私情よね」

 

情が沸く、等というレベルではない鮫島の入れ込みようからするとそうは思えない。

あんにゃろうという気持ちが沸々と湧いてくるが今は隅に置いておくことにする。

 

「え、と。もう少し自己紹介が欲しいかな。例えば、そう!好きなものとか!」

 

酷く簡潔なサクラの自己紹介に困った教師はサクラへと懇願に似た視線を送る。

その目を真っ直ぐに見上げていたサクラは少しだけ考えこむように目を閉じ、数秒の後、僅かにその目を見開いた。

 

「…サクラが好きなのはアリサ。後、サクラはアリサの使い魔……間違えた。飼われてるから、ん。多分、ペット」

 

転入早々に口を滑らせたばかりか、サクラはとんでもない爆弾を投下した。

サクラへと向かっていた視線が全てアリサへと集まる。

驚愕、諦観、羨望。それを向けるクラスメイトは性別問わず、そして、様々な感情を孕んだそれをアリサは機敏に感じ取った。

 

しかし、驚愕はまだ分かる。諦観はどういうことなのだ。

とりあえず羨望の眼差しを向けた男子と女子の名前は一瞬でアリサは自らの脳内に刻み込んだ。

人を見た目だけで判断するアンタらにサクラはやらんと一瞬でアリサは駄リサと化した。

特に男子。可愛ければそれでいいのか。正義なのか。そんなものを認める訳にはいかないのだ。

 

「天使様を拾って、飼って……バニングスさん好みに調教?」

 

沈黙が教室を包む中、先程のお喋り二人の片割れ、ポニーテールの少女がポツリと呟きを漏らしたのをアリサは聞き逃さなかった。

恐らく桃色の髪と結びつけただけでなんの確証もないのだろう。

だが、間違いなく桃色なのは彼女の脳内だった。

 

それでもアリサはその呟きに大いに動揺せざるを得ない。

違うのだ。アリサ好みに調教した覚えなどない。もし、万が一、億が一、結果的にそうなってしまってもそれは仕方ない。

先程から新たな環境に喜んでいるのか瞳を輝かせているサクラの後ろに陽炎のように揺らめく桃色の尻尾が見え始めていてもこれは無罪なのだ。

駄リサ思考は斜め上の方向へと走り出して止まらない。

 

結果としてアリサは感情の赴くままに椅子から立ち上がり、その声を張り上げることになる。

 

「か、飼っているのはともかくそれ以外は事実無根の冤罪よっ!」

 

少なくとも飼っていることは事実なので冤罪もなにもあったものではない。

様々な感情を吐露していたクラス中の視線が途端にシラッとしたものへと変わったのがアリサには辛かった。

 

 

 

 

 

結果としてこの奇行により、クラスメイトたちがアリサに感じていた付き合いづらさが薄れ、この日から会話が少しずつ増えることになる。

そのことを今のアリサはまだ、知らない。

 




作者のミスタイプから産まれた駄リサという単語


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さいきょうのかいふくまほうのようです

人には誰しも、譲れないもの、プライドというものがある。

例えばそれは特定の分野における自らの自負であったり、積み重ねた功績によるものだ。

 

そしてそれは仮想世界の落とし子たるサクラであっても例外ではない。

 

季節は十二月。肌を撫でる風は冷たく木枯らしが枯れ葉を転がしている。

吐く息は白く、サクラの首には見るからに柔らかそうなマフラーが幾重にも巻かれている。

 

「……今日こそは、負けない」

 

小さく呟いたサクラはその手を覆う手袋を外し、ポケットへと仕舞いこむ。

途端に指先にかじかむような冷たさが訪れるがその瞳に迷いはない。

その代わりとばかりに握られているのは一本の虫取り網。

 

冬着にマフラー、そして虫取り網とサクラの装いは季節外れなことこの上なかった。

 

なぜか竹槍が鉄の槍よりも強く、大量の属性付与を施したクリスマスツリーが生半可なユニーク装備を上回るような出鱈目な世界。

当然のように、そこから訪れたサクラにとっては例えそれが傘であっても、竹箒であってもましてや虫取り網であってもサクラにとってはあらゆるものが武器であり、装備品だ。

 

サクラの様子を眺めていた一匹の獣は呆れたように塀の上から軽やかな足取りで飛び降りた。

しかし、その瞳に込められているのは剥き出しの警戒心。

未だかつて一度もなかったほどの真剣さを見せるサクラを警戒してのことだ。

 

今までに幾度となく下してきた相手。それを見やり、その獣は尻尾をしならせて四肢に力を入れる。

その頭部には屹立する耳、そして、若干乱れ気味の毛並み。

 

―――その姿は紛れも無く、一匹の猫だった

 

最初に動いたのはサクラ。恵まれていない身体能力のままのサクラによるあらん限りの跳躍。

サクラの振りかぶった虫取り網では当然のように捕獲には至らない。

 

幾多の戦場を駆け巡ったその猫にとっては止まって見える程の動き。

大きく距離を取ることもなく、小刻みにバックステップとサイドステップを駆使してそれら避ける。

 

同時に気づいてもいた。次に目の前の子供は奇怪な術を用い、本気で自らを狙い始めるだろうことも。

 

「『フェアリーブレス』」

 

網を振り下ろしたままの体勢。サクラはそれを持ち上げることもなく強化された身体能力を以って再びの跳躍。

猫が元居た塀の上へと着地したサクラはそこから飛び降りるかのように網を振りかぶりながら猫の頭上へと跳ねる。

 

猫の双眸が捉えたのはサクラのおおよその着地点と網が振り下ろされるであろう円の範囲。

冷静なその頭は僅かな悪戯心と共に僅かにその円から逸れた場所へとその身を置くことを決断する。

 

「……あぅっ」

 

眼前に落ちた網。サクラの驚愕の表情を余所にその場から大きく跳ねた猫の後ろ足はサクラの後頭部を軽く足蹴にし、その後方へと降り立つ。

その表情は甘い甘いと言わんばかりに澄ました表情だ。

 

それ故に小さな獣は気づかない。サクラの手に新たに握られているモノに。

 

スリングショット。要するにパチンコだ。

駄菓子屋に売っていそうなチープな代物。傷つけようとしている訳ではないのでゴム紐にはなにも込められてはいない。

玩具でなければ狩猟具として用いられる代物であるソレはサクラが用いることでその使い道を大きく変える。

 

『フォーカス』。弓術士基礎ツリーに存在するそのスキルの効果はクリティカル率アップ。

サクラが唯一取得している魔法使い以外の戦闘技能ツリーこそが弓術士。

ステータスも殆ど降っていない、更には肝心のスキル自体も殆ど取得していない。

その上、無手で発動可能の魔法と比べれば使い勝手は遥かに劣る。

 

それでも捉えるということに関しては弓術士はピカイチの性能を誇る。

遠距離からターゲットを惹き、自らに到達するまでに殲滅するのが弓術士のスタイル。

故に、到達までの時間を遅らせるスキルも存在した。

 

引き絞られたそのパチンコにはいつしか深緑に染まる球体が込められている。

 

「……捕らえて。『ワンポイントウェブ』」

 

放たれた深緑。それを大きく目を見開いて避けるべくその場から駆ける小さな獣。

だが、その球体は飛来の最中にその有り様を大きく変える。

 

まるで球体が中心から切り裂かれたかのように広がる。

幾多の隙間を残しつつも空中でそれは未だサクラの片手に収められたままの虫取り網のように変化する。

 

その様相はまさに『蜘蛛の糸』。

そう形容する他なかった。為す術もなく、それに捉えられる哀れな一匹の猫。

油断がなかったとは言わない。これまでも軽くあしらって来た相手だ。

いつも戯れに遊んであげている。その賢すぎる猫からすればその程度の認識だった。

 

「くっ!殺せ!」と言わんばかりにその猫はサクラを睨みつける。

そのありったけの敵意の込められた視線にサクラはたじろぐ。

 

「……そんなに、睨まないで欲しい。痛いことはしない」

 

目の前の子供が容赦なく自分を保健所に放り込むために奮闘していたのだと思い込んでいる猫の視線は未だ厳しい。

サクラは困ったように一歩ずつスキルの網に捕らえられたままの猫へと近づく。

 

「きっと出来る、はず。『リカバリーフォグ』」

 

サクラの両腕を中心に光の粒が周囲へと広がり始める。

その表情は真剣味溢れるもの。

サクラの体温を下げるはずの木枯らしはその役割を果たさず、その額に一滴の汗が伝う。

徐々に光の粒はその拡散を止め、両の掌を中心に集い出す。

 

その光景に思わず捕らえられた猫は感心する。

無数に広がる小さな粒。その一つ一つが制御下にあるのならどれほどの集中力が必要とされるのか。

並大抵の精神ではそれをこなすことが出来ないことも容易く理解出来た。

 

複数操作の極地とも呼べるソレが為すのは光の御手。

回復魔法をひたすらに極めた先に至る一つの到達点。

 

本体ならシステムに設定された魔法やスキルを歪め、変えることは出来ない。

しかし、それはサクラの『元居た世界』での話。

鍛え上げたステータスによるパワーゲーム以外の力の用い方。それは異世界の魔導師によってサクラにもたらされたもの。

 

サクラの瞳が輝きで満たされ、穏やかな本来の表情を取り戻す。

 

「……出来た。『サクラのかんがえたさいきょうのかいふくまほう』。これならきっとはやての足も治せる」

 

光り輝く掌。同様に期待に揺れるその瞳が猫へと向けられる。

哀れな小さな獣の脳裏に『治験』という単語がよぎった。

保健所よりは遥かにマシだが嫌なフラグが立った、もしくは立てた気がしてならない猫は『ワンポイントウェブ』を喰い破ろうとその牙を立てるがビクともしない。

 

「ん、大丈夫。痛くはない、はず」

 

信用ならないことこの上ない台詞を吐いたサクラがその掌を猫へと近づける。

インフォームド・コンセント。つまり参加者本人の自由意思など存在しなかったのだ。

 

全力で逃避を試みようとする小さな被験者。

しかし、無情にもその不安を煽るように煌々と煌めく指先がとうとうその毛並みに触れてしまった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

「どうもこうも却下以外ないんやけど」

 

はやての白い目がサクラへと突き刺さる。

若干悲しそうなサクラの表情が気にかかるがこれだけは許容する訳には行かなかった。

 

「……そう。サクラはとても残念」

「ごめんなぁ、サクラ。しかしわたしにも譲れない一線があるんよ」

 

はやての視界に収まっているのはある意味で危険すぎる状態の一匹の猫。

なんと表現するべきか、倫理的に非常に危ないのだ。

 

端的に言ってしまえば『リカバリーフォグ』とは空間という名の水で薄めることが前提とされている範囲回復魔法。

肉体的な癒やし。更には精神的な癒やしすら内包し、対象に微量の快楽すらも与えられるが故にリラクゼーション魔法などと不名誉な呼ばれ方すらされている。

もしも薄められるべきソレを一点に集中し、相手に直接触れさせればどうなるか。

 

サクラの両腕で抱かれている一匹の猫は手足をピクピクと震えさせ、口の端からは涎が溢れだし、サクラの服を汚している。

瞳は与えられた快感に完全に蕩け、既に力を失ったはずのサクラの指先に時折触れるだけで軽い痙攣を起こす有り様。

 

「こんな風に生き恥を晒すのはちょっと嫌や」

「……サクラは全く使えない魔法を生み出してしまった」

 

はやてはガックリと肩を落とすサクラを慰める言葉を探る。

こんな代物でも副作用が酷すぎるだけで効果自体は真っ当なのだ。

副作用だけでもなんとかならないだろうかとはやては頭を悩ませる。

むしろ副作用をメインに、と考えた所ではやての脳裏に天啓のように閃きが訪れた。

 

「せやったら攻撃に使ってみたらええんやない?こう、触ったら勝ちー!みたいな」

 

このはやての発言によってこの日以降、複数の被害者が生み出されることとなる。

「言い訳をさせて貰えるなら甘く見ていた」と後のはやては沈痛な面持ちで語る。




尊厳的な大事なモノを失うナデポっぽいナニカ


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使い魔はヘイトを稼いだようです

ロストロギア、闇の書。

それは世界を、人を、時には時代すらも喰い物にする古より伝わる破滅の魔導書。

 

背中まで降りた髪、そして屹立する猫耳。

此処は彼女たちに与えられた一室、リーゼアリアは心底呆れたような溜息を吐く。

 

最初から彼女は反対だったのだ。

サクラと名乗る少女のような少年はアリアたちにとって非常に危ない。

遠からず敵対することになるのは明らか。彼に触れるべきではないのだ。

 

しかし、ロッテが少年との間に行ったお遊びは決して無意味ではない。

ミッドチルダ式でもベルカ式でもない、既存のどの魔法とも違う独自の魔法を操る人間。

例えお遊びの範囲とはいえ、傾向と対策を練ることは可能だ。

 

だが、アレは決して魔法と呼べるような代物ではない。

嘗てのアリアは情報規制によってあの少年のデータが少ないのかと考えたのだが、それは違う。

あんなものを調べても分かるはずがないのだ。

魔法を用いれば大なり小なりその痕跡とも呼べる残滓が残る。それが存在しない時点ということはアレはそもそも魔力を用いた技術ではない。それはもう、便宜的に魔法と呼ばれる形になっただけの代物だ。

 

発動が読めず、現在把握しているだけでも治療、放射、捕縛、魔法生物の召喚とバラエティに富んでいる。

その中でも治癒に関しては既存のあらゆる魔導師を凌ぐだろう。アレはもはや再生の領域に踏み込んでいる。

例え、期せずしてでも魔法の残り香のみで生物の体調を快方へと導く。

八神はやてが彼の存在のせいでやたらとアクティブになり、彼と共に飛んだり、消えたりを繰り返すせいで監視する側としては頭が痛いのだが。

 

距離を選ばず、なおかつ万全の治癒。

もしもミッドチルダの住人ならば最高の医者として、管理局入りするならば史上最強のバックアップ要因になるだろう。

殆ど固有技能であるが故に総合評価でランク付けするのなら間違いなくとんでもないことになる。

 

そんな一種の化け物の領域に踏み込んでいる人間とお遊びなど正気の沙汰ではない。

最もロッテ本人も玩具のパチンコで捕獲されるなどとは露ほどにも思わなかっただろうが。

確かに格闘技脳においてはあの少年は大きく劣るだろう。残酷な言い方をすればセンスの欠片もない。

 

だからといって侮って良いのかといえば否である。

現にサーチャー越しに喉元を撫でられてごろごろと鳴く自らの妹を見ればそれが悪手なのは一目瞭然だった。

そもそもロッテは監視のはずが潜入になっていることに気づいて欲しい。

 

 大体なぜに飼い猫のようにロッテは餌を貰っているの。刺し身は旨いか、ツマの大根は器用に避けるのか畜生。

 

アリアはその場で頭を抱えた。

稀に居る敵疑心を削ぐような人物。あの少年はまさにそれなのだろう。

確かに治癒魔法の使い手としては病人や怪我人から緊張や警戒心を解きほぐす人となりというのは天性の才能だろう。

しかし、こちらからすればやりにくいことこの上ない。

 

闇討ちでもして病院にでも叩き込もうにも呪文一つで全快するような存在。

あの少年が関わっている時点で割りと状況が積んでいるのだが、一体どういうことなのか。

これでまだ守護騎士すら現れていないのだが本当にどうしろと。

 

 で、貴女はなにを目を細めながらブラッシングなどされているのよ。やたらと手慣れてるわね。本職のトリマー顔負けか、絶対に許さん。

 

徐々に蓄積されていた監視によるストレスと徐々に懐柔されつつあるロッテの姿にアリアのヘイトは自然とロッテへと向かう。

魔導師なのにナチュラルに挑発スキルを連打しているとしか思えない所業。

ロッテは攻撃を一手に引き寄せるタンクではないが軽くサンドバックにする位は許されるのではないかとアリアは思うのだ。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

三食しっかりと頂き、適度な睡眠という名目で惰眠を貪るのは正直な話、幸福であるとロッテは思うのだ。

ブラシが時折スッスッと優しく肌を撫でる。感じるのは適度な柔らかさと暖かい体温。

尚且つロッテのお腹は十二分に満たされている。

 

後は簡単だ、瞼を閉じて微睡みに身を任さればお手軽な幸せがやってくる。

本能の促すまま、ロッテは静かに瞼を―――

 

〈……楽しそうね。ロッテ〉

 

一瞬でロッテの全身の血が凍った。

 

底冷えするかのようなどこまでも冷たく、鋭利な言葉。

念話のはずなのにその言葉は一瞬で微睡みを凍結させるに至った。

一瞬で目を見開く。動揺は当然隠せず、その場でロッテの尻尾がぺたんと垂れた。

 

ロッテが体を預けていた、体温の主、サクラはその変化に気づくことなく膝に乗せたまま、ロッテのブラッシングを継続する。

帰宅すればアリサの飼犬に襲撃を受け、すずかの家では大小問わず猫に群がられるサクラにとって小型のブラシはなにかと役に立つのである。

 

〈…た、隊長!無事に監視対象者に接触、加えて潜入に成功しました!〉

 

ロッテはトチ狂った念話をアリアへと飛ばしてから気づく。

よく考えたら監視対象に接触という言葉だけでアウトな気がする。

 

〈……そうね。よくやったわね〉

 

思ったよりも怒っていないのではないだろうか。

労いの言葉にロッテが安心しそうになった瞬間、それを嘲笑うようにアリアの念話が再び届く。

 

〈――ねぇ、お刺身、美味しかった?後、大根は別に害はないんだから好き嫌いするのはどうかと思うんだけど?〉

 

そんなことは全くなかった。未だ嘗てないほどに怒ってる。

ロッテは確信した。直接対話してないのに、地鳴りのように怒張が伝わってくる。

 

しかし、お刺身は美味しかった。最近マトモな食事を摂っていない分より美味しく感じた。

生魚を食べる国はあまり多くないと聞くが、正直勿体無いと思った。

だが、そんなことを正直に返したら五体満足でミッドチルダに帰れる気がしない。

ロッテは口を噤んだ。

 

〈で、遊んであげてたと思ったらアッサリと捕獲されちゃったみたいだけど気分はどう?〉

 

これは明らかに不味い。

どう考えても煽りに着ている。恐らくアリアの誘いに乗ってこの家から出たらドナドナされた後にサンドバックだ。

略してドナサン。闇の書に殺される前にアリアに殺される。

 

〈は、敗北した罰として自らを戒める為に――〉

〈戒めた結果、勝者の膝の上で丁寧にブラッシングされながらうとうとしてたのよね。えぇ、よく分かるわよ〉

 

言葉を最後まで紡ぐ前にアリアの絶対零度の言葉がロッテの胸に突き刺さる。

ロッテの目前には鮮やかな桜色のローブ。感じるのは勝者の太腿のじんわりとした暖かさ。

 

もう無理だった。これ以上言い逃れすることなど出来そうにない。

ぷるぷると怯えを存分に含んだ身震いを起こすロッテ。

 

ロッテは自らの行動を振り返る。

独断で動き、捕獲され、輝く手で触られる。旅立ってはいけない所に赴き、食事をしてブラッシングをされながらお昼寝寸前。

コレは誰だってキレる。ロッテがアリアにそれをされてもキレるだろう。

 

突如挙動不審な動きに加え、小刻みに震え始めるロッテを不思議そうに眺めるサクラ。

 

こてんと首を傾げた後になにかに気づいたサクラは室内についてからは外していたマフラーを手に取る。

そのまま、ロッテの体を軽く持ち上げ、お腹から背中に掛けて何度もマフラーを巡らせる。

数分後、ロッテは全身をマフラーで包んだもこもこの謎生物へと変貌を遂げていた。

 

「……ん、冬だから、寒いのは仕方がない。でも、これで寒くない」

 

 違う、そういう意味じゃない。




補足
ヘイト:敵対心。一番多い人が狙われる。稀に良くヒーラーが稼ぎすぎて痛い目を見る。
タンク:攻撃を一手に引き受ける人。HPとか防御が高かったりする。ロッテではない。


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者どもであえであえー!のようです

跳ねる。跳ねる。跳ねる。

 

木板を踏みしめロッテは身軽な体を用いてその身を躍らせる。

跳ねて触れるは冷たい鉄のドアノブ。飛びついたソレをロッテは体を撚ることで開くことに成功する。

 

僅かに開かれていく扉。その先にはやや大きめのベッド。そして些か無機質な印象を受ける家具の置かれた室内。

その中へとロッテは歩を進める。

 

家宅捜査、あるいは家探し。

せめてなにかしらの収穫を持って帰れば五体満足で済むかもしれないと考えたロッテははやての寝室を物色する腹積もりだった。

 

〈この世界の遊戯では勇者と呼ばれる存在が家屋を物色するというのが一種のテンプレートになっているそうだけど年端も行かない少女の部屋を物色と言葉にすると犯罪臭しかしないわね〉

 

正直な話そんなことを念話で言われると良心がジクジクと痛むからやめて欲しい。

気にしたら負けだとロッテは自らに言い聞かせてロッテは捜索を再開する。

 

それにしても個性の薄い部屋だとロッテは思う。

部屋には性格が出ると言うがあの少女の様子からすると違和感を感じる。

感じるのは無骨さ。もう少し賑やかさや華やかさがあっても良いと思ってしまうのだ。

 

〈……ロッテ、余り深入りしてしまうと後が辛いわよ〉

 

この台詞に限ってはアリアの声色は真剣味に満ちていた。

遠からず彼女は人として生きる全てを終わらせてしまう。恐らくは最悪の形で。

 

〈……うん、分かってる〉

 

そんなことは監視任務に就いた時から分かっている。

それでも、と願ってしまうのだ。残りの時間がせめて穏やかなものであって欲しいと。

 

ロッテの視界の端に見えたのは一つの写真立て。

まるで海鳴の町を空から映したかのような構図。その中心に映るのは一枚の抜け落ちた羽根。

光を凝縮して固めたかのような一枚の羽根。

 

 綺麗だと思った

 

同時に気づいてしまう。もしも、もしも全てを最良へと導くイレギュラーがあるのならきっとあの子なのだろう。

慌ててロッテは首を左右に振る。

これはどこまでも都合の良い考え方だと気づいたから。現実を見据えたソレでは決してないから。

何年も、何十年も思い悩み、苦しみ、決断を出した人のソレではないから。

 

ロッテは視線を暫し視線を巡らせる。そして、その目は傍らにそびえ立つ本棚で止まる。

幾多の本が並べられた本棚に一冊だけ立てかけられていた本。

厳重に鎖で縛り付けられた一冊の重厚な書。その名称は『闇の書』。

 

ロッテもアリアも、そして彼女たちの主ともとても深い因縁で結ばれた書物。

気づけばロッテは闇の書を敵を見るかのように睨みつけていた。

 

こんなことをしても意味はないのに。

その事実を理解していても感情が着いて行かない。

どれほどの時間そうしていただろうか。ふと腹部に柔らかな掌が添えられていることに気づいた。

 

同時にロッテの四肢が床から離れ、抱き上げられた。

 

「……余り、ちょろちょろしてはいけない。キミの毛が散ってしまう。だから、めっ」

 

「めっ」なんと甘美な響きだろうか。甘やかな口調の中に潜む一筋の強調。

出来れば今度は「こら」とか穏やかな表情で叱ってみて欲しい。

 

 いやいや、だからそうじゃない!

 おのれ、これもあの掌による洗脳が悪い。なんて卑怯な!

 

両手で顔を洗うように頭を抱えるロッテを不思議そうに見るサクラ。

その視線はロッテが先程まで睨みを利かせていた闇の書へと向かう。

それと同時にサクラの眉が僅かに顰められた。

 

「アレはきっとあまり良い由縁を持つ品物ではない。近づいては、ダメ」

 

その言葉にロッテの目が大きく見開かれた。

『由縁』という単語を用いた意味が良く分からないが、間違いなくなにかを理解している。

 

しかし、闇の書であるということを知っているのなら既になんらかの行動を起こしているはずだ。

そこまで考えてロッテは余計に意味が分からなくなった。

 

実際、サクラは闇の書に関してなんら知識がある訳ではない。

サクラはその視界に只々捉えているだけなのだ。

 

―――闇の書の周囲に漂う黒い靄を

 

アリシアと初めて出会った時と同じ黒い靄。アレは生けるもの全てを拒絶するかのように木を、土を腐らせていた。

死や穢れ、呪いと相反するサクラの属性故か、一度その目に捉え、相対した経験故か、それともその両方なのか。

 

どちらにせよ、あの穢れは人にも動物にも生あるものにプラスの影響がないことくらいはひと目で理解出来た。

果たしてあの靄が内側から発されるものなのか、外部から向けられたものなのかは分からない。

少なくとも、サクラの目に映るほどの負を溜め込んでいる時点で危険物だ。

 

サクラはゆったりと書の立てかけられた本棚へと近づく。

そして、鎖に包まれた書へと掌を翳し、小さく呟くように魔法を唱えた。

 

「『ディスペル』」

 

その一言だけで黒い靄は一瞬で霧散した。ロッテからは闇の書が淡い光を放ったようにしか見えなかったが。

これは只々邪魔な靄を払っただけ。恐らく靄を纏うだけの負の感情を向けられたナニカには恐らく変化はない。

 

少なくともコレが今後はやての手の届かない場所へと移動させるべきだとサクラは気づく。

見上げればはやてはおろか、サクラですら手の届かないであろう本棚の上。

あそこに放り投げれば誰の手にも触れることはないだろうと結論を出す。

 

「……『シール』。これで―――」

 

それはジュエルシードの封印に有効だった封印魔法。

サクラの掌の上に収められたのは紫色の複雑な文様の刻まれた球体。

効果時間は必要ない。それに元々短時間の封印しか出来ない。

封印してから本棚の上に放り投げる間の時間だけ稼げればそれで良い。

 

 

 

例えばソレがサクラの魔法の効果はそう長いものではないと知っていたのならば。

例えばソレがジュエルシードのような意思を持たぬ完全な道具だったならば。

例えばソレが人や動物のように眠りを知り、暗闇を受け入れられたのならば。

 

 

 

本来ならばこの段階でこんなことが起こるはずもない。

サクラの掌は、紫の球体は、徐々に闇の書へと沈みこんでいく。

 

闇の書単体における実質的な封印手段など存在し得るはずがなかった。

だが、サクラこそが唯一の例外。どれだけ力を込めても一度の封印時間は三十分を超えることもないだろう。

それでも、サクラの魔法は確実に闇の書へと封印を為すことが出来る。

 

最初に転生機能が封印された。

次に復元機能が。闇の書の主とのリンクが途絶える。

 

有り得ない。こんなことが有り得るはずがない。

防衛プラグラムは幾度もエラーを吐く各所へと反応を求める。

それは刹那の時間の出来事であった。だが、何度も何度も闇の書の各所はエラーを吐き続ける。

 

主が壊れる度に幾度も転生を繰り返す闇の書は眠りを知らない。

例え眠っているように見えてもそれは只の準備期間。

 

――永遠に訪れるはずがなかった暗闇。

狂いし防衛プログラムは死を、暗闇をこの場に居る誰よりも恐れた。

 

故に闇の書はその身に巻き付く鎖を自ら引きちぎる。

サクラは突如砕けた鎖に驚愕するも、封印を施す掌を止めることはない。

 

それは酷く簡潔な命令。眠りに落ちる前の闇の書の恐れより出された命令。

 

 守護騎士よ、書に害為す者を消し去れ

 

現れたるは四人の騎士。

烈火の将シグナム、紅の鉄騎ヴィータ、湖の騎士シャマル、盾の守護獣ザフィーラ。

 

同時に紫の球体は闇の書を覆い尽くす。サクラの封印は成功したのだ。

期せずして、この封印は守護騎士と闇の書を繋ぐものを断ち切った。

この段階では成し得ない筈の守護騎士の出現。そして、闇の書と守護騎士の分離は成った。

 

 

 

しかし、未だ四人の騎士たちは優しき主に触れることはない。故に残るは害為す者を消し去れという命のみである。

訪れたるは死闘の幕開け。

かくして騎士の刃は振り下ろされる。

 




いつだかにあとがきにしたスキルまとめは増やして活動報告に移しました


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神聖な魔法(自己申告)のようです

突如眼前に現れた四人、そして迫る刃。

炎の魔剣はサクラ、そしてサクラに抱えられたロッテをも切り裂こうと空を裂き、唸る。

 

当たり前のように無警戒。

だが、サクラは幸運にもそのお陰でその場に尻もちを付く。

結果として、炎の魔剣レヴァンテインはサクラの頭上を通過するだけに留まった。

 

「……サクラは、びっくり」

 

抱かれているロッテで辛うじて分かる程度に目元を細めたサクラ。

驚いてるなら驚いてるなりに表情を動かして欲しいとロッテは思わざるを得ない。

 

だが、そんなことよりも問題は目の前の状況だ。

ロッテの視線の先には守護騎士と呼ばれる四人の騎士。

しかし、感じるのは果てしない違和感。瞳からは光が消え失せた騎士たちの姿はどこか無機質な人形を彷彿とさせる。

四人が四人共、インナーの様な黒い着衣を身に纏っている。

 

しかし、とロッテは一人思案する。

あの攻撃は『蒐集を目的としたものではない』。

下手をすればサクラの命を刈り取りかねない程の斬撃だった。

つまりは蒐集と排除を天秤に掛けた結果、命を刈り取らねばならない程のナニカがサクラにはある。又はあったということだ。

 

ロッテが思考を巡せている間にも、シグナムによる返す刃が横薙ぎにサクラの首へと放たれようとしていた。

だが、それよりもサクラの口が開くことの方が早い。

 

「『マジックシールド』」

 

威力の乗る前の剣の軌道上に突如半透明の騎士盾が現れる。

瞬間、盾と剣が衝突する鈍い音が辺りに響き渡った。

 

サクラは理解し始めていた。この世界でも自らの魔法の使い勝手、威力共に非常にバラつきがあるということに。

魔法使い、アコライト、プリースト。ベースの魔法使いから派生を繰り替える毎に魔法は威力を、強度を増していく。

『マジックシールド』はベースの魔法使いの段階の魔法。

それ故に貴重な盾に使える魔法でありながらも嘗てアリシアにも易易と砕かれたような、脆い魔法へと成り下がっている。

だからこそ、攻撃自体を潰す。挙動を潰す。

 

『マジックシールド』の利点は攻撃を受け止めるということではない。

距離に制限はあれど、突如として障害物を出現させるという点だ。

 

サクラの魔法は未だ扱えないもの、掌握しきれないものはあれど、魔法自体が新たには生まれることはない。

つまりは、限られた手札を有用に活用することが必須になる。

サクラ本人はそこまで深く考えてはないが、だからこそリカバリーフォグのように定形である魔法やスキルの別の用い方を模索しなければならない。

 

「……サクラは久しぶりに剣を見た。少し前はよく見たけど、やっぱり格好いい、ね」

 

両腕でロッテを抱え、語りかけながらロッテの頭を人差し指で優しく撫でるサクラ。

あくまで自らのペースを崩すことのないサクラの様子にロッテは諦めたかのように明後日の方向へと目を向けた。

 

 あぁ。やっぱりこの子の手は温い。

 というか半年前までは頻繁に剣を見てたのか。この世界って割りかし平和なんじゃなかったっけ。

 

なんか抱きしめられる腕に力が入って役得。と現実逃避を始めると同時にサクラという存在がロッテの中で一層理解の外へと離れていく。

 

〈アリア、これからどうしよう〉

〈……ロッテ、今の貴方はただの野良猫って設定だから諦めなさい〉

〈それって普通に死んじゃわないかな?〉

 

守護騎士四人対ちびっ子。

巻き込まれたら、いや、もう巻き込まれているが野良猫設定だとロッテは生き残れる気がしなかった。

 

〈……父様にはロッテは勇敢に戦ったと伝えておくわね〉

 

アリアは無慈悲だった。姉妹の絆とは一体なんだったのか。

 

〈大丈夫、安心して。きちんと結界くらいは張っておいてあげるから〉

 

人目に触れることなくひっそりと逝きなさいと言われた気がするが恐らくは気のせいだろう。

これはアリアのブラックジョークの類だと信じている。信じたい。信じないとやっていられない。

アイスクリームを半日ほど常温で放置して溶けていない確立くらいにはロッテはアリアのことを信じているのだ。

 

〈大体本当にこの子なんなの。ここで結界張らなかったら直ぐにでも大事になりかねない上、張っても誰かが結界を張ったことは分かるだろうからどこかしら綻びは生まれるだろうしでもうどうしようもないんだけど〉

 

ぐちぐちと念話で文句を垂らし続けるアリア。

ぼやきながらも結局はアリアが結界が展開するのを感じてロッテは苦笑いを漏らした。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

もはや魔力をおおまかに感じ取ることにしか利用されないサクラのリンカーコアは久方ぶりにその本懐を果たす。

突如展開された結界。守護騎士の誰かが展開したのだろうとサクラは間違った当たりを付けた。

 

そして、サクラに感じ取れるということは守護騎士四人も例外ではないということ。

面々はそれぞれ僅かな動揺、困惑を浮かべながらも両者は相対を続ける。

しかし、その僅かな困惑によって生まれた隙はサクラにとってチャンス以外の何物でもなかった。

 

剣を、槌を持つ戦士ジョブが相手ならば近距離戦は避けるべき。

ある意味究極のゲーム脳とも言える思考へとサクラは至る。そして、結界があるならば多少派手に撃ち逃げが繰り返せる。

左手で抱くようにロッテを抱え直し、サクラは尻もちを付いた状態から立ち上がった。

 

それと同時にサクラの頭上に現れたのは巨大な光の矢。

加減なしの矢はもはや巨大な柱のようなその存在感を以って周囲を圧倒する。

 

「『ライトアロー』」

 

人差し指を振りかざしそれと共に放たれた矢と並行して矢を追うようにサクラは走りだす。

流石に危機感を感じたのか、四人の騎士はそれぞれ思い思いの方向へと大きく跳躍して光の矢を避けた。

 

 光の矢は穿つ。壁を、窓ガラスを。それでも止まることはない。そして隣の家屋までを突き破り、轟音を撒き散らし炸裂した。

 

瓦礫が舞い落ち、風通しの良くなった壁の縁から矢に追いすがるように駆けたサクラは勢い良く飛び降りた。

それを追うようにサクラによってすっぽりと開けられた空洞へとシグナムが視線を向ける。

 

 砕かれた壁の奥から、輝きが満ち、光の羽根が舞った。

 

羽ばたきの音が聞こえる。

その身は飛ぶための翼を、守護の光の膜を、そして強化魔法を。

臨戦態勢に入ったサクラがロッテを抱えながら大空から四人の騎士を見下ろしていた。

 

最初に動いたのはヴィータだった。人形めいた表情に陰りは見受けられない。

その手に持つものはサクラの武器種別から言えば槌。

一言で言えば不人気武器。やはり斧、槌等は少年少女の趣味からは外れがちである。

だが、槌にはそれを補って余りある一撃の重さがあることはサクラも身を持って知っていた。

 

「……思っていたより、速い。『ライトアロー』」

 

重撃。そう言って差し支えないほどの一撃を与えられる代わりに攻撃速度を引き替えにする。

そんなサクラにとっての常識は魔導師には存在しない。

弾丸のようにサクラに向けて一直線に跳ねてきたヴィータを撃ち落とすべく、新たな矢は放たれた。

だが、ヴィータの冷たい双眸は静かにそれを嘲笑う。

そして、その手はアームドデバイス、グラーフアイゼンを握る手に力を込めた。

 

「ハッ!」

 

唸るような声と共にグラーフアイゼンはヴィータの肩越しにサクラではなく、光の矢へと振り下ろされた。

パァンと軽快な音が木霊する。

手加減なしのライトアローはいとも容易く、叩きつけられた槌によって捻じ曲げられ、下方へと弾き飛ばされた。

 

光の矢は弾ける。

巻き上げられる瓦礫。その欠片が幾度かサクラを打ち据えるがシェルプロテクションの光に遮られる。

しかし、サクラの瞳は驚愕に彩られていた。ライトアローは重単発攻撃。

ノータイムで放て、なのはのディバインバスター程ではないがサクラの中でも単体上位の威力を持つ魔法のハズだった。

想定を大きく超えた相手。サクラは認識を改め、脅威度を上方修正した。

 

しかし、決して勝てないという訳ではない。

叩き落としたということは叩き落とさなければいけない程度の威力はあったということなのだから。。

その上、まだ百発でも二百発でも光の矢を放てる程度には余力のあるサクラの表情には焦りはそれほどない。

 

サクラは幼いながらも最高クラスの資質を持つなのはやフェイトを魔導師の基準値として捉えている。

要するに魔導師とは皆極太ビームを放ち、プリーストとは別のメイジ派生ばりの落雷を起こすような規格外だと思っている節がある。

それに加えてプレシア・テスタロッサである。

幾度か垣間見た愛する娘とのデートの為にジュエルシードをハイテンションで封印していく姿はサクラと同等以上のレベルカンストの壁を破壊したような立派な人外であった。

そんな基礎ステータスから狂っている魔法少女が、愛娘とのデートに燃える大魔導師がサクラの魔導師への認識を狂わせていた。

 

ぽつりと呟きのように呪文を唱えるとサクラの周囲から十、二十と無数の歯車が空間から滲み出るように出現する。

その内、四つを自衛の為に残し、サクラは残りの全てを騎士各々へと放った。

だが、飛翔する歯車を騎士たちは捌き、斬り裂き、砕き、時に殴り付ける。

いとも容易く、かつ強大な威力を以って破壊されるセイントギア。

 

騎士シグナムは返礼とばかりにレヴァンテインを虚空に向けて振るう。

剣閃は猛火へと姿を変え、大気全てを焼きつくさんばかりにカーテンのように広がり、その質量を増す。

 

十数メートルにも及ぶ巨大な猛火。それは点ではなく面による攻撃。

セイントギアを主防御として扱い、シェルプロテクションを保険として張るという二重の守護。

炎は歯車では押さえきれない上に保険である光の膜すら焼き尽くすだろう。

既に目前まで迫る猛火による熱風を感じながらサクラは耐久、かつ離脱することを選択した。

 

「『テレポート』」

 

飛行するサクラの足元に広がる魔法陣。炎を背に、同じように膜に覆われたロッテを庇うように抱きしめながらサクラは耐える。

テレポートの致命的な弱点は転移までの所要時間。

 

サクラは火炎に飲み込まれた。

炎の渦中。ジリジリと光の膜を喰い破らんと襲いかかる炎に気をやられそうになりながら転移の完遂を待つ。

そして、それは成った。

 

元の位置よりも更に上空。翼が焼き尽くされずに済んだことにサクラは安堵する。

しかし、眼前には拳を振りかぶる守護獣ザフィーラ。

 

見事なまでの連携。だが、一つだけ誤算があるとしたならばザフィーラが攻撃手段に拳を選んだこと。

サクラの手の、魔法の届く位置に居るということ。

 

「『マジックシールド』」

 

ザフィーラの拳から鈍い音が鳴り、鮮血が舞った。

その拳には、半透明の騎士盾の底部、鋭い三角形を描く部位が突き刺さっている。

縦に召喚するのではなく拳と平行に召喚されたマジックシールドはカウンターの役割を果たしたのだ。

 

「……安心して欲しい。サクラが綺麗に治す」

 

その慈愛に満ちた声を聞いてロッテは確信した。あぁ、一人終わったと。

ロッテを抱く手から右手を外し、サクラはその小さな掌でザフィーラの砕けた拳を包み込んだ。

サクラのローブへと目と耳を押し付けるロッテ。下心は少ししかない。

ロッテはこれから起こるであろう事態を見ずに済むように身構えただけだ。

 

「『リカバリーフォグ』」

 

放出された光の粒は集う。サクラの掌へと集まり、その手は光の御手と化す。

まるで逆再生のビデオを見せられているように、破れた拳の皮は繋がり、砕けた骨は再生する。

だが、問題はそこではない。

 

 再生が終わり、行き場を失った光の粒は一気にザフィーラの中へと流れ込んだ。

 

 

 

 

 

   「ぉ゛ぉお゛―――わひんっ!?」

 

 

 

 

 

筋肉隆々の男の野太い嬌声。

トラウマとして刻み込まれそうなその声から逃れるようにロッテはサクラの腹部へと幾度も顔を摺り寄せて全てを忘れることにした。



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ツッコミを我慢出来なかったようです

豪炎が舞い踊り、無数の光が炸裂する戦場の中、シャマルは一人空を駆けていた。

未だ騎士を動かすは『害為す者を消し去れ』という命のみ。

だが、決してそれは弱体化ではない。今に至るまでも幾度と繰り返した出来事。各個自らの戦闘スタイルを貫いている。

 

そして、シャマルの得意とするのは治癒に転送といったサポート。

本来ならばシャマルたちベルカの騎士にとって少人数戦はホームグラウンドといってもよい戦場だ。

更に加えるならば相手は一人、通常の相手ならば押されることはない。

 

それなのになぜこうまで苦戦するのか。

シャマルの目前で繰り広げられる戦いはもはや常軌を逸していた。

 

近接攻撃の殆どを歯車による牽制により潰し、それを追うように光の矢が奔る。

長期戦を想定しながらも本来ならば最も重要視されるべき燃費を無視、更には継続的に放たれ、衰える様子のない光の矢による弾幕。

一定以上の距離には近づけず、無理を押して近づけば手痛いカウンターが襲いかかる。

 

現に今、ザフィーラは堕とされた。

真っ逆さまに落下する体。どのような異常があればあのように堕ちるというのか。

盾によるカウンターが原因か、それとも触れた際に毒でも流し込まれたのか。

 

ともあれ、結果として対策を練り、かつザフィーラの戦線復帰を支えるのがシャマルの役目。

ドスンと鈍い音を立てながら振ってきたザフィーラの体を支える。

近場にあった家屋の屋根の上へとその体を横たえ、初めてシャマルはその顔へと視線を向ける。

 向けてしまった。

 

僅かな硬直。

これまで感情を示さなかった表情が初めて動いた。

人形のような瞳に光が舞い戻る。但し、それは多大な怯えを交えたものだったが。

 

「……ひぃっ!?」

 

切り離されていることで書の影響も少なくなった原因か、それともソレのインパクトが異常すぎたのか。

どちらにせよ、『害為す者を消し去れ』という命から最初に抜けだしたのはシャマルだった。

 

肉体的、又は精神面ショックを与えさえすれば回帰することも可能なのだろう。

 

そんなことを考える間もなく、シャマルは視界一杯に広がるザフィーラのR-15相当の表情に怯えていた。

一言で言うならば『朝起きたら目の前に【検閲】顔マッチョの顔が広がっていた』。

特に語るまでもなく最悪の目覚めである。

 

彼方まで逃避行しそうになる意識を押さえつけ、シャマルは歯を食い縛る。

 

 此処で私が逃げたらシグナムやヴィータちゃんにも【検閲】顔を晒させることになってしまう!

 

目覚めたばかりでトンでもないものを見せられたせいでシャマルも大分混乱していた。

最初に目覚めたからにはシャマルには義務がある。

具体的にはこれ以上の被害者を出さないこと。

肉体的な死よりもある意味むごい状態のザフィーラの二の舞だけは避けること。

 

今まさにシャマルはLv1勇者が魔王に立ち向かうような健気な心境だった。

そして、視線を無数の歯車を取り巻きに光の矢を乱射しているサクラへと向ける。

 

その光景にシャマルの頬がヒクつく。

まずはシャマルの頭からサクラを倒すという案が消え去った。

別に日和った訳ではない。敵対していた理由は書の命というだけならば和解の余地があるのではないかと考えただけである。

 

だが、問題はシグナムとヴィータは未だこの洗脳じみた状態から抜け出せていないこと。

さて、どうするべきか。シャマルは思考を巡らせる。

 

 回帰のきっかけとなったザフィーラを盾にして突貫。二人の目前に晒せば目が覚めるでしょうか?

 

サラッと外道な思考が出てきたのをシャマルは首を左右に振って振り払う。

盾の守護獣は盾にも使える便利な守護獣という訳ではないのだ。

もしかして私、今ちょっと上手いこと言いましたか?などとは断じて思ってはいない。彼女も誇り高きベルカの騎士である。

なによりもそんなことをしたら目覚めたザフィーラが自害しかねないのだ。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

無数の光の矢が飛び交い、それをシグナムがザンと切り裂き、ヴィータがパンと撃ち落とす。

かれこれ数十分ほど繰り返されてきた出来事である。

 

両者は完全な硬直状態にあった。

今回の場合はそもそもがお互いの相性が問題となっている。

 

ロッテは思考する。

非常に堅固な防御を誇るサクラに対しては遠距離からの全ての防御を打ち破る一撃こそが求められる。

例えば遠距離戦に強いアリアならば有利に戦闘を展開することが出来るだろう。

 

しかし、ベルカ騎士足る彼女たちの攻撃では決定打が与えられない。

歯車を歯牙にも掛けず、貫き、尚且つ光の膜を打ち破るだけの攻撃力がない。

そして、長年の戦闘勘によるものか、サクラの攻撃も一発残らず撃ち落とされてしまう。

戦況はサクラへと傾き始めていた。

騎士たちの息が徐々に上がってきているにも関わらずサクラの表情に変化はなく、余裕さえ見られる。

 

観察していたロッテはふと、サクラの光の矢による射撃にパターンがあることに気づいた。

時にシグナムへ、時にヴィータへと無差別に射出されているように見えてどこか規則性があるように見えるのだ。

 

矢が空を裂く音へとロッテは耳を傾け、ひたすらに思考する。

 

 

  ビュビュンビュンビュビュン!

 

 

どこかリズミカルに、なぜか若干興が乗りそうな音を立てて発射される矢。

それでも矢は正確にシグナムへ、ヴィータへと向かい、斬られ、叩き降とされる。

 

底の見えない光の矢の数に疲弊を加速させていくシグナムとヴィータ。

後は時間の問題だろうとロッテは判断した。

 

 

  ビュビュンビュンビュビュン!

    ザザン、ザン、ザ、パァン!

  ビュビュンビュンビュビュン!

    ザザン、パァン、ザ、パァン!

 

 

なぜだかロッテにはその戦闘音に不思議な既視感を感じた。

具体的にはこの世界に降り立ってからどこかで聞いたようなという謎の既視感。

少なくともそう昔のことでないと感じた。

 

ロッテの脳裏になぜか仮面の男の姿が浮かんだ。

それはこの世界で活動する際に変身魔法を用いて使用すると決めていたアリアとの共通の姿。

 

 だが、どこか違う気がする。

 

深い思考の海へとロッテは潜り込む。

探る。探る。戦闘音。男。仮面。様々な単語がロッテの脳裏を巡る。

そしてロッテは遂に辿り着いた。仮面の男から仮面を外し、サングラスに挿げ替える。

 

―――完璧だ。

どこかからてれれー、てーれーれーと音楽が流れてきた気がする。

その正体を完全に理解した瞬間にロッテの額の血管がブチリと音を立てて千切れた気がした。

 

沸き出た感情の赴くままに身を任せるロッテ。

それと同時にサクラの腕の中に居たロッテの体から淡い光が溢れた。

 

現れたのはサクラよりは少し短い程度のショートヘアの少女。

なによりも特徴的なのはその頭からひょっこりと猫耳を覗かせていることだろう。

彼女、ロッテは多角形を描くように空中で跳ね回り、最も近い場所に立っていたヴィータの腹部へと掌底を叩き込んだ。

 

ヴィータの体が崩れ落ちるのを無視し、ロッテは再び宙を駆ける。

シグナムがレヴァンテインを振り降ろすのを体を傾けるだけで避け、再びの掌底。

長期間の戦闘による疲労に侵された騎士を沈める攻撃などそれだけで充分だった。

 

ようやく本懐が遂げられる。ロッテはその顔に笑みを貼り付けサクラへと視線を向けた。

腕の中から突如ロッテが消えたことによる驚愕。更には人の形を取るロッテが邪悪な笑みを貼り付けていることにサクラは怯えが隠せない。

 

「……ひぅ」

 

 ゆらり。

揺れるように、幽鬼のような不確かな飛行でサクラに近づくロッテ。

レイスやグール、どんな死霊種よりも恐怖を抱かせるような笑顔を浮かべたロッテがサクラには怖くて仕方がない。

 

そして、とうとうロッテはサクラの目前まで辿り着いてしまう。

だらりと垂れ下げていた両手は持ち上げられ、サクラの両頬へとそっと添えられる。

同様に俯き気味だった顔を上げ、正面からサクラを見据え、ロッテはその頬を抓り、引っ張った。

 

 

 

 

 

「だ・れ・が!魔法でターミ○ーターのテーマを演奏しろって言った?ねぇ?」

 

 

 

 

 

ギリギリと引き伸ばされる柔らかな両頬。

それは虐待紛いの全力のツッコミ。ロッテを縛るあらゆるシガラミをぶち破った全力のツッコミである。

 

「……だふぇ?いふぁい、いふぁい。ふぇくらはあきへしまっはらへ。やめへほひい」

 

 あの膠着状態に飽きたと申すか。飽きたら演奏に走るのか。子供か!

冷静に考えれば普通に子供なのだがどちらにせよ今のロッテは冷静という言葉を地平線の彼方へと投げ捨てた存在。

この程度で終わるはずがなかった。

 

結果としてロッテのツッコミという名の制裁はサクラの目尻に涙が浮かぶまで続いた。




活動報告に没ネタの墓場を設置。気が向いたら弔ってやってください。


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現実逃避の果てのようです

薄っすらと赤く染まる頬。涙の雫が目の端に溜まり、潤んだ黒曜石のような黒い瞳。

冬の風が入り混じり、その桜色の髪を上下左右、悪戯をするように揺らす。

髪が目に入り込んだのが僅かに顔を顰め、乱暴にこしこしと目元を擦り見上げる。

 

その仕草は期せずして彼女の身長からは桜色の主が上目遣いで覗きこむような形となる。

自らの赤い頬にぺたりと掌を這わせ、僅かに首を傾げた。

 

まるで此処に新たな出会いが紡がれたことを祝福するように再び風は吹く。

ローブが巻き上がるように浮き上がり、木枯らしの中を揺蕩う。

 

 ぱさり。

舞い踊るローブの袖や裾がひとまずの休息を得て、その動きを止めた。

涙の滲んだ瞳をローブの袖で払うように拭う。

彼女の、ロッテの心臓が跳ねる。

痛いほどにその鼓動を伝えてくる心臓。

 

その雫で僅かに濡れた袖の隙間から見えたのは縋るような、だがどこか不満そうな顔。

 

「――ってなんでよ!」

 

ロッテは叫んだ。

確かに思う存分抓ったせいでサクラの頬は赤い。

間違いなく目の端に浮かぶ涙もロッテのせいだ。

それに加えて、涙が出れば拭うということにも不思議はない。

 

だがしかし。

それがなぜ、アドベンチャーゲームの一シーンのようになるのか。

一人やり場のないツッコミの業務に励むロッテ。

 

「痛かった」

 

当然サクラには訳が分かるはずもない。

むすっと若干の不満を表情に浮かべて不況を露わにする。

 

「えっ。いや、その……」

 

ロッテでも一目見て分かるほどの不機嫌。

斬りかかられたのはセーフで抓るのはアウトだったのだろうか。

基準がいまいち分からないが、価値観はひとそれぞれということでひとまず納得しておく。

 

「ごめんなさい」

「ん」

 

どうやら許しを得たらしいとロッテは安堵する。

些か軽すぎるのではないかと思わないでもないが、同時にサクラの表情が無表情に戻り、余計に感情が読めなくなる。

そして、その視線は徐々に上に、上に。

ロッテの頭上へと向かう。

そこで完全に固定された視線。ロッテはむず痒い、なんとも言えない感覚に襲われた。

 

サクラは視線の先、屹立する一対の猫耳に手を伸ばす。

だが、その手が届くことはない。当然のように両者の間には険しい身長の壁がそびえ立っていた。

 

「……おすわり」

「なんか勘違いしてない?私一応アンタが好き勝手してた猫なんだけど」

「……サクラは猫耳より、猫のほうが、好き」

 

その言葉にロッテの脳天に雷撃のような衝撃が走った。

おかしい。普通はこちらの姿を晒せばもうちょっと、こう、前向きな反応が貰えるはずだ。

 

だが、猫の方が好き。

この一言でロッテの女性として積み上げてきたアイデンティティーがガラガラと音を立てて砕ける音が聞こえた。

よく分からないがロッテ自信の想像を超えたダメージを被ったロッテはその場に膝を着いて崩れ落ちる。

 

ロッテがその場で膝を着き、頭の位置が降りてくるのに合わせてサクラはその猫耳に手を伸ばす。

サクラはぺたぺたと興味深いと言わんばかりにそれに触れる。

時折ぴくぴくと反応を示す猫耳。そして、サクラは感想を呟いた。

 

「……本物。イヌミミ三号より、凄い」

「なぜに犬耳と比べられてるの」

 

未だ立ち直れないロッテが思わず声を漏らす。

というか三号ってなんだ。一号と二号はどうした。

 

「……ん、イヌミミ三号は脳波で動く。アリサがくれた。とても、はいてく」

 

そのアリサとやらは駄目な人かもしれない。

ロッテは偶然にもはやてと同様の感想を抱いた。

一号はただの桃色タレ気味の犬耳。二号は三号と同様の性能だが、若干重いことがネックであった。

三号はその弱点を改良した果てしなく無駄なオーダーメイド製の犬耳である。

余談だが、犬耳に並々ならぬ情熱を燃やすアリサの様子には流石の沙羅も若干引いていた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「……ハハハ、我ら全員で幼子に襲い掛かりあげくの果てに真っ先に倒され無様を晒すか」

 

光の失われた瞳で彼方へと視線を向けて黄昏れる一人の男。

虚空へと消え去っていく自嘲の声。

言葉と共にその体は光を纏い、みるみるうちに縮小され、歪み、その姿を変える。

 

年端も行かないであろう幼子に襲い掛かり、見事に返り討ち。

砕けた拳を包み込むように触れられただけで尋常でない醜態を晒した。

得るものは特になにもなかったのに失ったものは余りに大きかった。

 

現代風に言えば小学生に喧嘩で負けて泣かされた高校生のような言葉にするのも躊躇われるような虚しさがあった。

 

体は傷どころかむしろ快調なほど万全だが、ザフィーラの心には深すぎる傷跡が刻まれている。

光が止んだ先では、小型犬程のサイズまで変じてみせた小さき狼が四肢で大地を踏みしめていた。

 

 

 

「―――もはや既に守護獣を名乗る資格などない。ザフィーラという名も捨てよう。気軽に『ざっふぃー』と呼んでくれ」

 

 

 

きゃるんとしたつぶらな瞳の小さな狼は渋い声で可愛らしい愛称を提案した。

端的に言えばザフィーラはぶっ壊れていた。

非常に残念ながら彼には暴走していた間の記憶が消えるなどというご都合主義が機能しなかったのだ。

しかし、そのことを恨んでいても仕方がない。

 

そして、ザフィーラの暴走と迷走を繰り返す思考はとある答えを導き出したのだ。

 

 【検閲】顔を仲間に晒した騎士は既に死んだ。

  此処に居るのは新たな騎士であり、愛玩動物『ざっふぃー』である、と。

 

それは心の防衛機能。此処に居るのは『ざっふぃー』であり、『ザフィーラ』ではない。

余りに酷すぎる現実からザフィーラはダイナミックに逃避していた。

そして、衝撃の余りとんでもない着地点を見出してしまったのだ。

 

その眼前では、全ての元凶、サクラが微睡むような瞳をザフィーラへと一直線に向けていた。

 

無意識にザフィーラの体がぶるりと震える。

――だが、これ以上の無様を晒す訳には行かない。

砕かれたはずのプライドの欠片が集い、ザフィーラを辛うじてこの場に留めていた。

 

「……ざっふぃー、もふもふ」

 

膝を曲げ、その場に屈みながらその毛並みに手を伸ばし、ぽやぽやと微笑むサクラ。

一瞬ビクッと挙動不審な反応を示す。だが、目の死んでいるザフィーラはサクラに大人しく撫でられている。

幾度も、幾度も。手櫛が背筋から毛並みを溶かすように滑る。

 

暫くの間、そうしていたサクラの手が離れると同時にザフィーラは息を吐く。

サクラに危害を加える気がないと察したザフィーラはなんとも言えない表情のシャマルへと初めて目を向けた。

 

「――シャマルよ。気づいているか。我らと書を繋いでいたものが失われている。つまりは我々は既に主の守護騎士ではあるが書の守護騎士ではないのだ」

 

守護獣を名乗りはしないが騎士であることを辞めることはない。

言外にそうザフィーラが意思を固めたのではないかとシャマルはその確固たる意思を読み取った。

 

ザフィーラはなんにせよ、乗り越えて見せたのだ。

 

 現実からダイナミックに逃避こそしてしまった。

 そして、『ザフィーラ』から『ざっふぃー』へと彼は身をやつしてしまった。

 

だがそれでも彼は、いや、彼の中に在る騎士足る挟持は死んではいない。

力強く燃え上がる騎士としての信念は未だその熱を失ってはいない。

 

シャマルの胸に熱いものがこみ上げてくる。

瞼の裏がかっとなり思わず涙が溢れそうになるのをシャマルは辛うじて堪えた。

 

 

 

「おのれ猫の姿の方がいいなんて許せるかぁ!こらぁちび助!年上のおねーさんの魅力を分からせてやる!」

「……や!それに、サクラはちび助ではない」

「や!じゃない!ちょっと可愛いじゃないか馬鹿ぁぁぁ!」

 

 

 

遠くから喧騒交じりに聞こえてきた叫び声にシャマルの熱いものは引っ込んでいった。

何事も萎える時は一瞬であるとシャマルは悟った。

そして、いつでもそれらは「なにやってたんだろう」という寂寥感だけを残すのだ。



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ターボネコミミのようです

守護騎士、ヴォルケンリッターの出現から半月。

八神はやてに特に変化はない。

彼女、そして守護騎士四人は表面上は平々凡々とした生活を営んでいる。

 

――だが、彼にとっては変化がないこと自体が問題だった。

 

リンカーコアの蒐集により集める666の頁を未だ埋めていない闇の書は主――この場合は八神はやてを指すが。

闇の書は常時主から魔力を吸い上げる。その結果としてはやては常時魔力枯渇状態に陥る"はずだった"。

 

その魔力枯渇状態はこれまでは肉体、足の麻痺という形で現れていた。

闇の書は吸い上げる魔力の不足分を生命力で補い、主を長い時間を掛けて蝕む。

 

この時点で闇の書にとってのイレギュラーは数多あれど、目立つ、又は致命的なものが三つ。

 

 

一つ、シールスキルによって短時間であれど闇の書の全ての機能が強制停止に追いやられること。

二つ、本体のシールスキルによる完全な機能停止による障害を避ける為に守護騎士を完全なスタンドアロン。つまり、独立した存在として放出したこと。

三つ、闇の書の主、八神はやての魔力は徐々に、生命力はほぼ完全に回復していること。

 

 

魔力の回復に必要なものは休息である。

大気中に存在する魔力素をリンカーコアが吸収することで魔力は時間の経過と共に回復する。

 

八神はやてがこの世に生誕してから常に闇の書は傍らにあり、魔力を吸い上げていた。

それが初めて封印によって途切れたのだ。

結論から言えば全ての機能が停止するシールの効果時間内には八神はやての魔力は回復するのだ。

 

更にはサクラは暇さえあれば闇の書へと無慈悲に封印を施す。

サクラが認識している限り、負の概念足る靄が纏わりついているものは、少なくとも良いものではない。

 

加えて、サクラがはやての足の治療に精力的なのもそれに拍車を掛けた。

手間でもない回復魔法を頻繁に施すサクラによって削られていた生命は完全な形を取り戻している。

 

不完全ながらも取り戻しつつある魔力と無尽蔵に生命力を回復させる桃色の理不尽の権化。

闇の書の魔力消費と八神はやての魔力の回復、常に消費へと傾いていた天秤は此処に来て初めて、回復へと傾いた。

それらの要因ははやての肉体に多大な影響を与えていた。

 

辿るべき過程を大きく逸れたことによって男に生じるのは生半可な表現では表せないほどの心労。

使い魔、リーゼアリア、リーゼロッテの主、ギル・グレアムは今日もどこかで頭を抱え、禿げ上がるほどに苦悩する。

 

なぜかサクラによってリーゼロッテが懐柔されていること自体は構わない。

ロッテが齎した情報。"魔法使い"の非常識の一端を垣間見ることが出来たことはこれ以上ないほどの収穫だ。

 

アレはもはや魔法ともかけ離れた代物。

治すものは確実に治す、封印するものは確実に封印する。

振りまくのが破壊の力でないだけ地味だが、間違いなくやり遂げたことは規格外である。

 

サクラというストッパーが現れたことによる現状維持の可能性。

だが、次代の闇の書の主が生まれた際にサクラのような存在が居るとは思えない。

 

今代の闇の書の主、八神はやてをどう扱うべきか。

 

サクラが今日も元気にぶんぶんとぶん回すロープの先では間違いなくギル・グレアムが悲鳴を上げながら引きずられている。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

乱切りにされた大根。そしてブリの切り身が鍋の中で踊る。

冬。ブリ大根が……いや、食べ物全般の美味しい季節である。

 

みりんや醤油の匂いが鼻腔をくすぐり、食欲を掻き立てる。

車椅子のはやてでも使いやすいように調節されたキッチンは小柄なサクラであっても問題なく使用出来る。

 

そっとサクラは鍋からお玉を用いて一掬い。

味の染み込んだ大根と柔らかな身から僅かに醤油とみりんの香りを漂わせるぶりの切り身。

サクラは火を止めるとその場にしゃがみ込み、小皿にそれを盛り、フローリングの床の上へと載せる。

 

「……味見」

 

それだけ。

酷く簡潔な一言に反応する小さな影が一つ。

無駄に機敏な動きで小皿を捉えた影は色に深みのある大根とぶりに齧りつく。

 

無我夢中。

そう言って差し支えない程に目の前のご馳走にがっつく。

此処最近のカップ麺と冷凍食品、時々キャットフードの生活は一体なんだったのか。

そして、使い魔になって人間と同じものを食べられるようになったのは幸運であった。

 

美味しいものはそれだけでもはや正義である。

どうやら答えるまでもなく及第点には達していると判断したサクラは僅かに表情を嬉しげに崩した。

 

サクラの後方からきぃきぃと車輪の転がる音。

滅多に見れないような渋顔、そして僅かに額に汗を滲ませたはやてとそれを呆れた目で見やる鉄槌の騎士、ヴィータ。

 

「サクラさんや、体中の至る所が痛い。凄くビキビキするんやけど助けてぇ……」

 

その心底弱った声にサクラが振り返ると車椅子に座り、サクラへと手を伸ばした状態で硬直するはやての姿。

 

「……それは、筋肉痛。その内治る。それに、サクラは治す気がない」

「そんなぁ!」

 

この遣り取りと似たものが実は過去三回行われている。

人間誰しも筋肉痛になる可能性は存在している。衰えた筋肉の悲鳴、当然はやてとてそれは例外ではない。

 

「……リハビリを頑張るのは、構わない。でも、やり過ぎは論外。サクラを当てにしすぎるのも良くない」

 

はやての肉体に及ぼされた影響。それは足の麻痺症状からの開放である。

闇の書が原因で陥った魔力枯渇がシールスキルによる封印によってリンカーコアの休息によって緩和された結果。

だからといって、衰えた足の筋肉で直ぐに立てるのかと言われれば否である。

回復魔法で筋肉が付くのならば鮫島は今頃はムキムキマッチョマンである。

 

伸ばしたままだった手をぱったりと床に垂らして打ちひしがれるはやて。

確かにサクラの回復魔法は強力なことこの上ないが、それがはやての過剰なリハバリ行為に繋がることだけは避けたかった。

 

サクラも最近になって気づいたことだが、回復魔法自体も意識的な意味で大変危ない代物である。

要するにサクラが居れば無茶しても大抵なんとかなってしまうことが問題だった。

長い目で見て、これは間違いなくはやてにとってプラスにはならない。

 

「うぐぐ……サクラがそう言うなら今回は止めとく」

「……そう急ぐことではないから、焦らないで欲しい」

 

普段だだ甘な分、サクラが否定する時はなにかしら理由がある。

そう判断したはやては素直に引き下がる。伊達にサクラと友人をやっている訳ではない。

 

そもそも致死量寸前の血液を流しても「ほんの致命傷で済んだ」なんてことをのたまうのはサクラだけで充分なのだ。

 

「……なぁなぁ」

「どしたん?」

 

なんとも言えない空気を崩したのはヴィータだった。

指先を真っ直ぐにロッテへと向けて不思議そうな表情を浮かべている。

 

「コイツ、なんというか、全体のフォルムがこう……丸くなってないか?」

 

サクラとはやての視線がロッテへと向けられる。

どう表現するべきか、半月前よりも若干大きくなったような、とはやては曖昧な感想を抱いた。

サクラはその場にしゃがみこみ、ロッテの胴体へと手を伸ばし、お腹へと触れ軽く摘んだ。肉が引っ張れる。

 

恵まれた食生活か、それとも隙あれば八神家の暖房の近くで丸くなって結果的に食っちゃ寝の生活を繰り返しているからか。

間違いなくロッテは横には大きくなっていた。

その様子を眺め、サクラ、はやて、ヴィータはそれぞれ感想を漏らす。

 

 

 

「……サクラは過度でなければでぶ猫も、可愛いと思う」

「あれ、人型になったらこれどうなるん?」

「なんかそのうち『ぶにゃ!』とか鳴くようになってそうだよな」

 

 

 

ロッテは駈け出した。

理由は言わずもがな。この日から海鳴の街に自動車を走りで追い抜く『ターボネコミミ』という都市伝説が吹き荒れた。

目標体重を達成するまでの所要期間は二週間であった。

 




殺人的な暑さとPCの放出する熱に作者は完全にヤラレてます。


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休みの日の風景のようです

朧気に揺れる意識の中、囁きが聞こえる。

 

―――起―て、―きて

 

蜂蜜を溶かしこんだような甘ったるい声が彼女の意識を再び微睡みの泥濘へと導く。

ぼやけた意識と催眠効果を発揮する囁き。

再び惰眠を貪るべく意識が再び遮断される間際、彼女の、アリサの体が軽く揺さぶられた。

 

「……起きて、アリサ」

 

この数分だけで幾度も繰り返された言葉はようやくアリサの耳に届いた。

声の正体を正確に把握したアリサは一瞬開きかけた瞼を自らの力で再び閉じた。

 

まだまだ肌寒い季節。

厚めに掛けられている毛布を頭から被り、アリサは体を丸めた。

 

「……起きてくれないと、サクラは困ってしまう」

 

相も変わらず抑揚のない声。

しかし、アリサにはサクラが心底困っていることが分かってしまう。

 

むしろ近頃はサクラ困らせることに意義を感じ始めたアリサ。

――もはや完全に引き返せない境地に辿り着いてしまっている。

ただでさえ最近放置され気味なのだから多少困らせる位で丁度いいのだとアリサは自らに言い聞かせる。

 

アリサは顔までを覆い隠す毛布でその笑みを隠し、サクラの反応を待つ。

ゆさゆさと先程までアリサの肩を揺さぶっていたサクラが唐突にその手を止める。

 

「……よく考えたら、アリサが起きなくても、サクラは余り困らない気がしてきた」

 

確かにアリサの記憶が間違っていなければ今日は日曜日。

いくら朝からだらだらしていても問題はないし、時間的な余裕は有り余っている。

 

 しかし、今更よね。

そう突っ込みたい気持ちを押さえてアリサは狸寝入りを継続する。

 

「……ごめんなさい。もう少しだけ、おやすみなさい」

 

無意識か否か囁くように呟いたサクラはベッドに乗せていた両膝を降ろし、その場から去るべくベッドの外に乗り出す。

同時にそれを阻止すべくアリサの掌がサクラの着ていたパジャマの袖を掴んだ。

 

掴まれた袖のせいでサクラはつんのめるように再びベッドに沈む。

当然のようにアリサは狸寝入りの知らんぷり。

 

要するに「アタシは寝ててこれは無意識の行動だから全く悪くない」のだ。

アリサが体のどこかを引っ掴んだ状態ならば仮に転移をしてもアリサを巻き込んで、寝ているアリサを起こしてしまう。

そんなことをサクラが出来るはずもないし、当然避けるはずだ。

 

日曜の朝から無駄に頭の回転を発揮して他人を困らせる少女の姿があった。

実際の所、この行動も"サクラならば困らせても良い"というアリサの親愛表現の一種なのだが、果てしなく分かりにくいし伝わりもしない。

しかも当の本人も無意識である。本当にどうしようもない。

 

「……出られなくなってしまった」

 

サクラは僅かに首を傾げた。

特別なにかに困る訳ではないが、なんとなく落ち着かない。

現在充電率100%のサクラは二度寝の必要も感じなかった。

 

困り果ててしまったサクラは袖を掴む指先を一本ずつ丁寧に外しに掛かる。

爆弾解体もかくやという無駄に丁寧な仕事を終えたサクラは「ほぅ」と小さな溜息を吐き立ち上がろうとする。

 

それと同時に再び閃いた掌がサクラのパジャマの袖をひっ捕まえた。

立ち上がろうとしていたサクラはバランスを崩して再びベッドの上へ崩れ落ちる。

 

悪戯に興じるアリサの毛布で隠された表情はニンマリと笑んでいた。

 

「……あぅ。また―――」

 

繰り返すこと合計七回。

流石に可哀想になってきたアリサはようやく悪戯を止めた。

 

そして、サクラが寝室の扉を閉める音がアリサの耳に届く。

普段はぼんやりとして見えるがサクラは日曜といえど掃除洗濯朝食の準備とやることには事欠かないのだ。

 

アリサは横たわったまま自らの枕に顔を押し付け右へ左へと転がり出す。

傍目から見れば怪しいことこの上ない。

 

「―――やっぱりアタシのサクラが一番可愛い!んふ……んふ……んふふふ♪」

 

 右へ、左へ。

枕で自らの視界を塞ぎながら転げ回り、「んふんふ」とどこぞのなめこのような奇怪な声を上げて転がる少女の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

くしゃっと乱れた金色の髪の少女。その目は一人の人物に訝しげな視線を向けていた。

 

「―――やっぱりアタシのサクラが一番可愛い!んふ……んふ……んふふふ♪」

 

目の前で悶え、枕で口元を隠しながら「んふんふ」と言いながら転げまわる少女。

 

 誰だコイツ!

 

寝起きからトンでもないものを見せられたアリシアは早くも意識を彼方へと飛ばしそうになった。

アリシアの記憶によるとこの目の前で転げまわる怪しい少女はアリサ・バニングスのはずだ。多分。恐らく。

それがなにがあれば日曜朝から「んふんふ」と悶え転がり回る事態になるのか。

 

 正直な話、普段とのギャップが酷すぎてちょっと気持ち悪い。

 

アリシアは助けを求めるべく、桜色の髪を探す為に視線を部屋中に巡らせた。

 

しかし、見つかるはずもない。

普段から無駄にだだっ広いキングサイズのベッドにアリサ、アリシア、サクラが三人で眠るのは常のこと。

 

恐らくは今のアリサはアリシアが目覚めていることに気づいていない。

でなければこんな醜態を晒すはずがないのだ。

 

 ここは見てみぬふりをしてあげるべきなのではないか。こう、お姉ちゃんポジションとして。

 

むしろこの姿を見られているとアリサが気づいてしまったらマズイ。

せっかくのセカンドライフすら半年も経たずに強制終了させられてしまいかねない。

 

「ふぅ」

 

しかし、現実は非情だった。

アリシアが決意を固める前に転げまわる芋虫が顔に押し付けていた枕を外すほうが早かったのだ。

 

満足したかのような溜息。外される視界を隠していた枕。

同時にだらしない笑みが張り付いたままのアリサの顔が挙動不審なアリシアの視線とカチ合った。

一瞬で周囲の空間を絶対零度の空気が包んだ。

アリサの浮かべていた笑みが一瞬で無表情に変わる。同時にアリサの頬が上気し、数瞬後にそれが収まる。

 

 

 

   「―――見た?」

 

 

 

人が殺せそうなギラつく瞳でそれだけをアリサは問うた。

既にその目だけで悪霊時代のアリシアよりも人を恐怖へと誘えそうだった。

気づけばアリシアの肩はその威圧に震えていた。

 

「み、見てないよ?」

 

辛うじてそれだけを吐き出すアリシア。

この威圧の中、よく答えられたとアリシアは自分を褒め称えたいぐらいだった。

 

「……ねぇ」

「な、なにかな」

「見たか見てないか聞かれたら普通なにを見てないのかを聞くと思わない?」

 

――早速ドジ踏んだ!

アリシアはこの場で叫びだしたい衝動に駆られた。

 

「いやぁ。こんな清々しい朝は久しぶりだね!走り出したくなってくるよ!」

 

大分無理のある会話へと方向転換を試みるアリシア。

そして、勢い任せにベッドから飛び降り、逃走を試みる。

 

「まぁまぁ。休日だからこそ女の子同士相互理解を試みるのもいいと思わない?」

 

それよりも素早くアリシアの襟首を掴んだアリサは綺麗な笑みを浮かべて笑う。

しかし、当のアリシアからは笑うというより嗤っていたというべきか、少なくともロクなことにはならないことだけは確信出来た。

 

「朝からんふんふ言いながら転げまわるサクラ依存症の方と相互理解はちょっと――」

 

サクラ依存症。

アリシアは口に出してみてえらくしっくりと来たのを感じ取った。

そもそもの話、アリシアは自分は全く悪くない気がした。むしろ気を遣っていた方なのだ。

そうだ、大体転げまわっていたこのサクラ依存症が悪いのだ。

 

「それにサクラもアリサを甘やかしてばっかいるのが悪いんだよ!アリサはツンツンしようとしてヘタれるツンヘタだし!」

「誰もヘタれてないでしょうが!しかもアンタも他人のこと言えないし!」

「そ、そんなことないし、ガワだけツンデレめ!」

「その海外製のパチモンみたいな扱いやめなさいよ!」

 

ギャーギャーともはや罵倒にすらなっていない言葉を交わし続ける二人。

そして、結局日曜の半分を論争だけで潰して二人して激しく後悔する羽目になるのだ。

 




なんかこう……アリサが……アリサェ……


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ラスボスが帰還したようです

「――あぁ、会いたかった。ずっと会いたかったわ、アリシア」

 

艶やかな髪を靡かせ、涙を流しながら女性は少女に抱きつく。

如何にもな「感動の再開」を匂わせる風景だが、女性の目には狂的ななにかが混じり、少女の瞳からは光が消えている。

 

現在、アリシアの肉体が収められていた水溶液に満たされたカプセルを充血した眼で見つめていた実の母親の顔がフラッシュバックしてアリシアは挫けそうだった。

あの時よりは幾ばくか薄まっては見えるものの、根本的に目があの時と一緒なのだ。

 

更には連鎖していくつものトラウマが誘発され、掘り起こされていく。

瞳から光が消え、いつしか鬱々としたオーラがアリシアの全身から吐き出されていた。

十年単位で刻まれた心の傷は恐ろしく深い。

 

「……まるで、水羊羹のような、目」

 

静かに緑茶をテーブルに運んでいたサクラはそう評した。

今日のお茶請けが水羊羹に決定した瞬間である。

アリサはいきなりやってきた女性――プレシアを見て、眉を顰めた。

 

「……結局貴女はどちら様で?」

 

どことなく執着を感じさせる瞳のプレシアとプレシアにいいようにされて完全に目が死んでいるアリシア。

 

「そういえば貴女とはお話ししたことがなかったわね」

 

表向きは穏やかな顔持ちだが、なにかに強い執着を見せる人間は内でなにを考えているのか分からなくてアリサは苦手だ。

鮫島や紗羅が部屋に通したからには変な人間ではないのだろうが。

 

「プレシア・テスタロッサ。アリシアの母親よ。この子がお世話になってるわね。そしてこっちの子がフェイト。仲良くしてくれると嬉しいわ」

 

――訂正。滅茶苦茶に変な、危険すぎる人間だった。というかなんで通したのか。

 

「……母親がテロリースト。本当にテロリースト……」

 

ぼんやりと、かつ虚ろな瞳のまま歌い出すアリシア。

この有様には流石のアリサも頬を引き攣らせた。

既にクリスマスは過ぎ去っているがどこかで聞いた時に恐らくフレーズが脳にこびりついていたのだろう。

なんて嫌な替え歌なのだろうか。

 

「……てっきり別の世界で服役中なんだと思っていましたが。あと今抱えてる子はお返ししますね」

 

表情筋が崩壊しそうになる中、アリサは辛うじてその言葉だけを絞り出した。

アリシアいわく母親がテロリスト。

明らかにやらかしちゃってる人間だ。

しかし、容赦なくアリシアを生贄という名の厄介払いに処する辺りアリサも流石であった。

 

「……あの、一応、サクラのコントラクトパートナー……」

 

困惑を伴ったサクラの小さな声はスルーされた。

悪代官よろしく内心喝采を挙げながら粛々とプレシアにアリシアのデフォルメ絵が描かれたコントラクトカードを差し出すアリサ。

カードの説明欄の大きな空白の中心に『救出求ム。』と書いてあったがアリサはスルーした。

 

「うがぁぁぁ! がうっ!」

 

アリシアはキレた。

その動きはまさに小さな獣。

アリシアは 母親/ラスボス の抱擁を無理矢理振りほどくとアリサが差し出していたコントラクトカードにかぷりと齧り付くとメイド服のサクラの背後へと逃れ、フカーッとアリサとプレシアを威嚇した。

アリシアは今まさに野生に帰ったのだ。

 

「チッ」

 

舌打ちをしたのはアリサであったかプレシアであったか、恐らく両方である。

邪魔者の売却に失敗したアリサとせめてコントラクトカードのデフォルメ絵をデバイスに永久保存して置きたかったプレシア。

サクラとフェイトは野生動物保護のドキュメンタリー番組をぼんやりと見つめながら時折水羊羹を口にすると満足気に息を吐く。

この二人は生き物としての波長が似ているのかもしれない。

 

「前から思ってたけどアリサって実は私のこと嫌い!?」

「そんなことないわよ。まぁまぁ好きよ」

「アリサが動揺も淀みもなく他人に好意的な言葉を吐き出すなんて絶対嘘だよっ!」

 

なんて嫌な信頼なのだろうか。

そして、再びの舌打ち。

意図せずして長年の幽霊生活とだいたいプレシアのせいで培われた鋼のメンタルのお陰でアリシアは挫けなかった。

 

「大丈夫よ。私は貴女のことを愛しているわアリシア」

 

穏やかに言い放つプレシア。

だが、アリシアはプレシアの目にどことなく不穏なものが混じっているのを見逃さなかった。

 

「……一体アンタはなにが不満なのよ」

 

疲れたようなアリサの声。

どちらかというとこれはアリシアの勘に近い。なんというか、だ。

 

「……なんか今家に帰ったら軟禁生活が始まりそう。『あぁ、アリシア。二度と貴女を死なせたりなんてしないわ』とか言いそうで……」

 

アリサとプレシアは黙って目を逸らした。

アリサは『あぁ、この感じ、やりかねないわね』と感じ、プレシアは図星を突かれたからであった。

ドキュメンタリー番組は佳境に差し掛かり保護され、怪我の完治したチンパンジーが時折職員を振り返りながらも自然に帰っていく場面であった。

サクラがほぅと再び息を吐き、フェイトが目元を僅かに潤ませた。

サクラとフェイトはハッとなにかに気づいたかのようにアリシアへと気を向けた。

 

「……お家に、おかえり」

「なんでそうやってなんにでも影響されちゃうのさサクラッ! しかもその返されるお家もれなく檻付きだよ!」

「お姉ちゃん。海鳴に借りたお家には檻なんてないよ。でも地下室があるお家を探すのはちょっと大変だったけど……」

 

――地下室。地下室ってなんだろう。あと海鳴『には』とは一体。

 

直感が正しかったことを確信したアリシアの背筋が凍りつく。

母親がじわじわと壊れたように、アリシアの生きていた頃の母親に戻るのにも時間が必要だろうと思っていたアリシアにこの接触は早すぎたのだ。

加えて、『海鳴の家』と聞いて嫌な予感しかしないアリシアである。

 

「――まぁ、いずれアリシアは連れ帰るけれど今は先に伝えなくちゃいけないことがあるわね」

 

プレシアを包む空気が変わったことをアリサは感じ取った。

真剣な面持ちのまま、プレシアは再び口を開いた。

 

「鮫島サクラ。本日より未だ独自の技能体系を身に宿した貴方は時空管理局の特別保護対象となります。まぁ、敵に回すのは論外。とりあえず監視でも付けておくって感じね」

「……どういうこと?」

 

アリサの目が剣呑な光を宿す。

 

「そんな恐い目をしないで頂戴。どちらにせよ管理局はその子に対してなにも出来ないから。なんだか化け物だらけの世界から来たみたいじゃない、その子。ハラオウン君だったかしら、凄く怯えてたわよ。下手を打てば次元世界が滅ぶとかなんとか」

 

頭上にに大量の疑問符を浮かべたアリサは首を傾げた。

次元世界が滅ぶってなんだ。

 

「何十万人って魔導師が各地で暴れる修羅の世界だとかなんとか」

 

――同時接続者○○万人達成!

という売り文句がアリサの脳裏を雷光のごとく奔った。

 

「魔導師同士が殺傷設定で喜々として相手の息の根を止めるまで殺し合うだとか。ハラオウン君『魔導師の蠱毒か……』とか完全に目が死んでたわよ」

――PVP。プレイヤー同士の交戦。又は大規模交戦イベント。

 

「新たな大陸や土地、あげくの果てに世界を見つけるなり一日で何十万人って魔導師が訪れて蹂躙の限りを尽くすんでしょう? 惑星レベルの戦闘民族よね。管理局がどれだけ人材不足か分かる? 果てしなくアウトな私が引き抜かれるレベルよ。 だからって生半可な面子を送れば程度が知れるとかなんとか」

 

――○月○日大型アップゲート到来! ついにあの新大陸○○が冒険できるように! 同時に新サーバーを開放致しました!

 

アリサの脳内では『乗り込めぇ!』と叫びながら最終的にログインサーバーをダウンさせる大小様々な冒険者たちの姿が。

 

 

 

「………………そうね」

 

アリサ・バニングスは全てを諦めた。

『それ、ゲームの話よね』などとは今更言えるはずもなかった。




生きてます。
仕事でしばらくPC環境もPCもないところにいるので仕方なくはじめてのスマホ更新。書きにくい。
来年の二、三月にはお引越ししてネット環境引いてパソコン買い換えて落ち着きたい。


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『お菓子を貰ってお返しや値段、体重を気にするようになったのはいつのことだっただろうか』……のようです

ブーツの底がアスファルトを叩く。

コツコツと鳴り響く軽快な音色。それは幾度なく停止し、一定のテンポで行き来を繰り返す。

 

子供用の小さなブーツで音楽を奏でる少女、フェイト・テスタロッサは右へ、左へと時折溜息を吐きながらうろうろとしといた。

落ち着きのない視線で時折厚手の上着の裾をきゅっと掴む仕草を繰り返すフェイトはやがて意を決したように振り返った。

 

「……ど、どうしよう。……あぅ。なのはになんて言って会えばいいんだろう。だって私、すっごい敵対しちゃってるよ。今更どんな顔して出ていけばいいのかなぁ」

 

右往左往しているフェイトを眼福とばかりに表情筋を緩めながら眺めているのが二人。

 

「我が娘ながら犯罪的な可愛さよね」

 

元テロリストの重犯罪者が犯罪的な可愛らしさという言葉を用いたことでアリサの頬が引き攣った。

小学生がツッコムにはあまりにもブラックで過酷な状況である。『貴女は重犯罪者で娘さんは犯罪的な可愛らしさですか! HAHAHA!』などと言えるほどアリサははっちゃけた性格はしていないし疲れそうなのでしたくなかった。

 

「ほら! ほら!生まれた時からずっと憑いてたけどやっぱりうちの妹様は可愛いよね!きっとアリサだってああやって純粋な時期が……なさそうだね。……うん。ごめん」

 

――もうやだこの親娘。

アリサの肩を掴んで前後に揺さぶってくるアリシア。かっくんかっかくんとアリサの頭も前へ後ろへと、髪が乱れる。

加えて付け足すならばアリサにだって純粋な時期くらいはあった。具体的には紗羅を姉のように思い、慕っていた時期である。ちなみにアリサの中では満場一致で黒歴史認定が下った。

可及的速やかに忘れたい。

 

「……シアの癖に生意気ね」

 

アリサは無言で赤いポシェットからアリシアのコントラクトカードと油性のマジックペンを取り出した。

この赤いポシェット、クリスマスに行なった身内でのパーティーの際にサクラから贈られたもので、見た目以上にものが入る上にパンパンに物を入れても羽のような軽さを誇る珍品である。

『手づくり』とサクラが言ったことで今更製作系のスキルの存在をアリサは思い出した。どうせファンタジー素材なんてないのだから使えないと無意識化でスルーしていたのだが宝石に鉱石、糸や布などの汎用性のある素材の存在を忘れていた。

最もそんなことを考えていたのも大分後であり、当のアリサは崩壊寸前の表情筋を抑えるために柱に頭部を打ち付けて額から赤々とした血を流しながら『さ、サクラにしてはまぁまぁね』などとのたまった。その場に居合せたなのは、すずか、アリシアは当然ドン引きであった。

今にも泣きそうな顔でサクラが傷の治癒をしていたのが多少アリサの心残りであったが次は額を打ち付ける時は力加減に気をつけようと反省するだけに留まった。

 

「アリサ、それはやめよう! 教科書の歴史上の偉人みたいにカードの私にヒゲを加工とするのだけはやめよう! アリサの教科書に落書きしたのは謝るから! ねっ!?」

 

教科書の落書きに関しては初耳である。

アリサは必ず、かの邪智暴虐の悪霊を除かなければならぬと決意した。

アリサの目の前には翠屋の看板。そして未だにその前をうろつくフェイト。時折の来客にわたわたと手を振りながらその場を退く仕草が一際プレシアとアリシアの庇護欲を誘っている。

 

「もうコイツラの相手は嫌……サクラ、サクラ……?」

 

アリサは精神の安定を求めるべく、視線をさまよわせた。前を見れば翠屋の看板の前でうじうじと悩んでいるフェイト。隣を見れば飽きもせず延々とフェイトを目で追うプレシア。

そして後ろ手に目の粗いロープで縛られて、冷たいアスファルトの上で転がるアリシア。

 

「まったく、サクラったら先入っちゃったのかしら」

 

まだ肌寒い季節にも関わらず僅かに滲んだ汗を払うようにアリサは額に掛かった汗を拭った。

 

「ねぇ!? それって一瞬で友達を縛り上げた人間が言うセリフじゃないよね!?」

いい運動をしたとばかりにロープの余りをポシェットにしまい込むアリサに対してアリシアは吠えた。

 

「……友……達……?」

「その『信じられない!』みたいな目もやめよう!」

「話は変わるんだけど魔導師の使い魔って人型になれるならそれって奴隷みたいなものよね」

「アリサって小学生だよね! 発想が真っ黒でビックリだよ! 使い魔…………リニス……ごめんね、リニスゥ……」

 

縛られたまま、虚ろな目で虚空を見つめ始めたアリシア。意図せずアリサはアリシアの大量のトラウマのうち、かなりヘビィそうな一つを掘り当てた。

アリサは死んだ目のまま縛られて転がっている少女という社会的に危うい爆弾をその場に残したまま、フェイトの元へと向かった。

 

「……はぁ。 アンタもいつまでもうじうじと悩んでんじゃないわよ。怪我もしてないのにその程度のことでなのはがうだうだ言う訳がないから」

「……本……当?」

「本当よ。賭けてもいいわ」

 

やはり照れ隠しで額から流血する少女は言うことが違った。

 

「……いやいや、そもそも私に対する反応とフェイトに対する反応のあからさまな違いはどうなのさ」

 

十年単位で鍛えられた形状記憶合金メンタルのアリシアが即座に復帰してツッコんだ。何時の間にかアリシアを縛っていたロープは外れていた。

 

「結構キツく縛ったはずなのになんで抜け出してるのよ」

「んふふー、アリシアちゃんはアストラルでマテリアルなスーパー使い魔さんだからね!」

「ほら、フェイト。早く入りなさいよ。あとが詰まってるんだから」

「……う、うん。入るね」

「あの……アリサさんや……無視しないで……」

 

意を決したフェイトは翠屋のドアを開いた。

からんからんとドアに誂られたベルが可愛らしい音を立てる。

 

そこそこに込み入った店内は人に溢れ、活気を見せている。アリサはカウンター席になのはとすずかが並んで座っているのを見つける。

「というかサクラが居ないんだけど本気でどこ行ったのよ」

 

溜息を吐き出しながらぼやくと同時にアリサの服の裾が引っ張られた。

 

「アリサ、あれあれ」

 

アリシアの指差す先には数人の大人が固まっていた。なのはとすずかの隣、しかし、集まっているのはだれもかれもそれなりに歳のいった男女。そのせいでその奥に居たサクラに気づくのに時間が掛かった。

その中心ではサクラがぼんやりとカップの中のコーヒーに口をつけていた。

 

「…………にが」

 

少し口をつけただけでサクラは眉をへの字にして表情を渋くした。

そして、次にシュークリームに齧り付き、その端に小さな歯形を付けた。

 

「…………あま」

 

一瞬で表情を綻ばせたサクラ。それはじっくりと観察しないと分からない程の差であるが、サクラの言葉が柔らかいそれに変わったことで誰しもが察した。

 

それをサクラの座るカウンターの隣から横目で眺めていた徹夜明けなのか目元にクマを作ったくたびれた印象のスーツを着た中年の男は穏やかな笑みを浮かべて椅子から立ち上がって後ろに並んでいた老婦人に席を譲った。

 

「食べるかい。おじさんはもうお腹一杯でね」

「……いい、の?」

「あぁ」

「……ありがとう」

 

しかもなぜか一つ新たなシュークリームをサクラの皿の上に重ねて。

 

「…………にが」

 

再びコーヒーに口を付けて唸るサクラ。

苦いのならばミルクと砂糖を入れればよいものを、入れないのは本人なりにコーヒーの苦味を堪能しているのだろうか。

 

「…………あま」

 

老婦人もまた暫くすると満足したかのようにいくつかサクラと言葉を交わすと飴玉を一つ握らせて去っていく。

そしてすぐに別の人物が老婦人の座っていた席に座り込む。

 

 

 

 

 

 

「…………なにあれ?」

 

アリサは理解出来ないというふうに呟いた。

事実全く理解出来ない。

 

「なんて言えばいいのかしらね。大人になってしまうとどうしようもなく眩しく見えるものってあるものなのよ。まだ貴女たちくらいの歳じゃ分からないでしょうけどね」

 

プレシアはどこか遠い目をして呟いた。

なんとなく哀愁漂う表情をしていたが結局アリサには『この人結局何歳なんだろう』以上の疑問は浮かばなかった。



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超えるべき壁(Lvカンスト済み)を用意するようです

「暑苦しい! アンタはわざわざアタシに引っ付くな!」

 

 ギリギリギリと音が聞こえてきそうな程に頬に当てた手を押しのける。

 

―――鬱陶しい。

 

 アリサが首を軽く左右に回せば、それを避けるようにアリシアが移動する。

 なぜにコイツは先程からやたらとアリサの背後に立とうとしてくるのか。

 

「いーやーだー!」

 

 しかし、遠ざけようとしただけ抵抗が激しくなることにアリサは眉を顰めた。

 

「あーっ! いつまでアンタは実の母親避けてんのよ! ほんっと面倒くさいわね!」

「……長い長い時間を掛けて刻みつけられたトラウマは消えないのだよワトソン君。ご覧ください。あの目、表情だけは柔らかいのに目が虚ろで時折狂的な光を宿してるんだよ。ギッラギラだよ」

「アンタの母親だもんね」

「その理屈だとこの大天使アリシアちゃんの母親というだけでママが偉大すぎる存在に……」

「あ、そういえば清水にお土産頼まれてたっけ……というかメイドの癖にアタシをお使いに使うのはどうなのよ」

「わーたーしーのーはーなーしーをーきーいーてー!」

「……アンタどんだけ構って欲しいのよ」

 

 アリサは嘆息しつつ、サクラへと視線を向ける。

 カウンターに腰掛けるサクラ、そしてプレシアからは口元こそ動いている癖になぜか一切声だけが聞こえない。

 

「あの声が全くこっちに聞こえない謎現象、アンタの母親の仕業でしょう」

 

 サクラ、そしてアリシアのスキルも魔法も言葉にしがたい気持ち悪さや条件付けが必要になる場合があり使い勝手が悪いことが多い。

 例えば『フェアリーブレス』。肉体的、魔法的なあらゆる能力を引き上げるが夜中だとぼんやりと全身が発光して怖いだとか屋敷で頻繁に使われる『巻き込まれヒール』によって消滅したアリサの初期の虫歯はどこへ行ったのだろうかなどどこまでも意味のない疑問等は時々言いようのない気持ち悪さとなる。

 「もう楽にしてあげるしかない」レベルの病人がブレイクダンスし始めるような規格外の治癒の力で初期の虫歯を治して罪悪感に苛まれるアリサは小心者なのだろうか。

 少なくとも痛くない麻酔なんて目じゃないとか開き直れるような神経をアリサは持てなかった。

 

「ママの結界かなにかじゃないかなー」

 

 アリシアはオレンジジュースをジュルジュルとストローで吸い上げながら答える。

 こんなピンポイントに使い勝手の良い魔法をサクラが持ってるはずがないというアリサの確信は当たっていたようだ。

 半径数キロに渡って踏み込んだものを癒す聖域を造るだとかは出来そうなのに盗み聞ぎ防止の魔法は「まぁ無理だな」と即断出来てしまうあたりも残念だった。

 

「結界まで張っていかにもな話してるのに気にならないの?」

「……うーん。なのはちゃんけしかけて乱入する?」

「なのは、行きなさい。骨は拾ってあげるわ」

「なんで!?」

 

 突然話を振られたなのはが酷く動揺した声をあげる。

 それも当然である。というかそもそもの話、翠屋は喫茶ではあってもヒャッハーしてよい闘技場ではない。

 

「……違うよなのはちゃん。これは一人で訓練しているだけで最近行き詰まりを感じているであろうなのはちゃんへの気遣いなんだよ」

「アリサちゃんそこまで私のこと分かって……って違うよね! 絶対違うよね!」

「そんなことないわよ。もしもアンタがいつか魔法世界……ミッドチルダに渡りたいって言うならアタシが止めても無駄でしょ」

「アリサちゃん……」

「だからアンタが全力のサクラとプレシアさんを相手取って勝てるくらいになったらアタシもアンタを安心して送り出せるわ」

 

 表情に影を滲ませて沈痛な面持ちで語るアリサ。

 アリシアはまんまとアリサの口車に乗せられて頬を興奮で上気させているなのはに憐れむような眼差しを向ける。

 そして顔を伏せたまま深刻そうに語る、しかし口元だけが邪悪に歪んだアリサを眺め、「無理ゲー」と呟いた。

 

「……えっ、無理なの?」

 

 呟くような小さな声ですずかはアリシアに問う。

 すずかからしてみればなのはもサクラもプレシアも一纏めにして『魔法使い』だ。

 

「……我が家のママンはあんなんでも大魔導士とかちょっと痛々しい異名で呼ばれるようなお方なんだよね。しかもわざわざ全力のサクラって言うあたり魔法の縛りなしっぽいしもうこれアリサ行かせる気ないよね」

「えー……」

「見てくださいよあの無駄に感動的な演出。『私、頑張って強くなるから!』ってなのはちゃん騙されてるよ……アリサ、絶対あの憂いを秘めてるっぽい表情の裏でほくそ笑んでるよ。親友に対する仕打ちじゃないよ……」

 

 いつの間にやらアリサの腹芸は進行していたようで、目元を潤ませたなのはと柔らかい微笑みを浮かべたアリサが小指を絡ませてなにかの約束を交わす光景は傍目から見れば微笑ましい光景。

 それが一瞬邪教かなにかのろくでもなさげな儀式に見えてすずかはそっと目を逸らした。

 

「そ、そんなことないよ。アリサちゃんはなのはちゃんが心配なだけ、だよ?」

 

 目を逸らしたままぼそぼそと口元で言葉を霧散させるすずか。

 手段が汚いことと手際が無駄に良いことなどには特に触れなかった。

 

 それと同時にアリシアは最も近い場所にあった魔力が霧散したのを感じた。

 魔力を扱うこと、魔力を感じることに関してはアリシアは才を持っていた。

 それと同時にサクラがリンカーコアを持つにも関わらずミッドチルダの魔法を扱うことが困難である理由も薄らと理解しはじめていた。

 アリシアとサクラを結ぶパイプ、それからはサクラがMPと呼ぶ膨大すぎるエネルギーとサクラのリンカーコアから精製される微量な魔力が混じり合って流れてきている。

 元々持つ力が巨大すぎて比較すれば酷く劣る量の魔力を存在を完全に把握出来ていないのだ。

 だからこそ過剰すぎない力を持つアリシアが魔力を掌握することが出来る。

 サクラ風に言うならば所謂『死にスキル』である。

 

「頭が痛いわ」

 

 ふと我に返るとプレシアが顎をカウンターに乗せて突っ伏している。

 

「ママ、どうしたの?」

「いえ、たいしたことじゃ……いやたいしたことなんだけれども……そうね……楽な仕事だと思っていた案件が大事に発展してしまったというか適度に手を抜いてのんびりしようと思っていたらアテが外れてしまったというか……」

 

 プレシアは重い溜息を吐きながら言葉を濁した。

 

「……はぁ。お会計は済ましてくるからこの子ちょっと借りていい?」

 

 プレシアは両脇から腕を通してひょいとサクラを持ち上げ、アリサへと向ける。

 

「汚さないできちんと返してくださいね」

 

 まるで人形のように大人しく抱えられているサクラの視線の先には最後の一欠片となったシュークリーム。

 一言も言葉を発さずひたすらに熱視線を送る。

 

「サクラ、あーん」

 

 アリシアはその一欠片をサクラの口元に寄せる。

 

「……あっ、ん」

 

 二人の背中が遠ざかっていく。

 そして、退出を知らせるベルが鳴り響いた。

 勝者の口元にはクリームが。

 

 

 

 口元のクリームをぺろりと舐めとる。

 コンマ数秒。華麗な動きで愛娘からの『あーん』を奪い取ったプレシアは満足げに熱の籠った吐息を吐き出した。

 今だけは手元で恨めしそうにプレシアを見上げてくる桜色のことも忘れられそうだった。



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管理局期待の新人(御年××歳)のようです

 たおやかな指先が毛先を撫でる。

 微かに肌を撫でる感触がどこかくすぐったくて彼女は一つ鳴いた。

 

 一言で言えば妙齢の女性が穏やかな顔つきで猫の額を撫で付けている図。

 どこにでもありそうな一幕。

 

 そう、なんら突っ込むところはないのだ。

 

――撫で付けられている猫がリーゼロッテであり、女性がプレシア・テスタロッサであること以外は。

 

「そういえば、ありがとうねはやてちゃん。全く困ったものだわ。この子の面倒も見て貰っちゃって」

「気にせんでください。わたしも楽しかったんで」

 

 プレシアが表面上だけは穏やかな笑みを浮かべ、それに倣うようにはやてがロッテへと笑顔を向けた。

 

「ロッテ、良かったなぁ。うちに帰れるんよ」

 

 

 

―――ねぇ、なんの話!? 本気でなんの話よ!? うちってどこ!? なんでこんなところに管理局期待の新人(御年××歳)が居るの!? しかもなんで隙を突いて私を台所の三角コーナーに溜まった生ごみを見るような目で見てるの!? なんなのよこの家出した猫を引き取りに来ましたみたいなやりとりはァ!」

 

 

 

 ロッテはキレた。静かに心の奥底でキレた。

 意味がまるで分からない。

 八神家の居間で自宅同然に寛ぎながら近頃ハマっていた濡れせんをもしゃもしゃと貪っていたロッテだが、シグナムに首元をひっ捕まえられ唐突に玄関に連れ出されたと思えばこの仕打ちである。

 

「なるほど。彼女がお前の主か。確かに生活面には問題はあるものの能力で言えば優秀であろうお前の主に相応しい魔力量だ。意識を凝らせば小さなスパークが散っているかのような雷の魔力まで感じるぞ」

 

 シグナムが納得するかのように呟いた言葉がロッテの耳に届いた。

 誤解である。あと、痛い。凄く痛い。

 この新人(御年××歳)、先ほどから笑顔でロッテを抱き、ごくごく小規模のスパークをぶち当ててくるのが非常に痛い。雷の魔力を感じるどころじゃない、直接ぶち当てに来てる。

 基本的に魔法の極端な使用は難易度が高い。一の規模で発動する魔法の規模を〇,一の規模まで縮めるのは非常に繊細な制御が必要になる。

 気を抜けば空気中に霧散するかしないかの密度の魔力球を生成し、維持するような緻密な制御で嫌がらせをされているのだと思うとどうしようもなく虚しいものを感じる。

 

「……わしゃわしゃ」

 

 広口のポケットからガシャガシャと音を鳴らして一本の櫛を取り出したサクラは電気によってクシャクシャになった毛をどこか弄ぶように梳きだす。

 舌打ちが聞こえる。見上げれば真顔だったプレシアが一瞬で繕ったような笑顔を作った。女って怖い。ロッテは強く思った。

 

 そもそもの話、自分が一体なんの恨みを買っているのかが分からない。精々の話、下手打てば世界を一つ喰い荒らす、処理しようもない危険物がこの海鳴の地にあり、特に対処法も分からないので不貞腐れてぐーたらしていたぐらいだろうか。

 

―――それか!

 

 それである。

 

 名ばかりの監視任務として娘たちとの安寧の時間。

 しかし、蓋を開けてみれば人間辞めた方の娘の微妙な対応。その上自分と娘たちが住む土地は「闇の書」というとんでもない爆弾が埋められている有様。

 過去に「闇の書」が世界にどのような爪痕を残したのかを知らないプレシアではない。そんな場所に娘たちを置いておけるほどプレシアは暢気ではなかった。

 「生存」という一点に置いてサクラ以上にしぶとい存在などまぁ居ないことを踏まえても絶対の安心はない。まして相手は長い時を経てあらゆる魔法を喰い尽くしてきた魔道書だ。

 

 翠屋にて「ロッテという猫の使い魔」の話を聞いた時から嫌な予感はしていたが完全な飼い猫と化しているということにプレシアはぷっつんした。――働けこの駄猫、と。

 プレシアはロッテを再びきゅっと抱き寄せると顔を向き合わせた。

 

「ひに!?」

 

 有り得ない鳴き声と共にロッテは硬直する。

 ハイライトの消えた濁り切った瞳がロッテを真っ直ぐ見つめていた。

 

「タダで食べるご飯は美味しかった? リーゼ……いいえ、ロッテちゃん。うふ、うふふふふ。そうよね。ごめんなさいね。あなたはロッテちゃん。ただのロッテちゃんだものね。私の猫ちゃん、可愛い可愛いロッテちゃんだものね」

 

―――誰だ! コイツの調書に「更生の余地あり」って書いたヤツ!

 

 体を掴む掌が異常に冷たく感じる。

 もう嫌だ。コイツ嫌だ。

 ロッテの心は早くも折れ掛けていた。

 

「――そういえば」

 

 プレシアが言葉を切る。

 その瞳からは相も変わらずどろりとしたなにかを感じた。

 

「リーゼア……アリアちゃんはどこ行っちゃったのかしらねぇ」

 

 穏やかな笑みだった。

 だが、薄皮一枚剥がせばそこに居るのは狂喜のマッドサイエンティストである。

 

〈―――言ったらコロス〉

 

 ロッテへと非常に切羽詰まった念話が届いた。

 嫌なのだろう。というか、そもそもの話、ぐーたらの極みを堪能していたのはロッテだけである。アリアは割かしあちこち飛び回って多忙な毎日を送っていた。ぶっちゃけ冤罪である。

 まぁ、流石のロッテといえど、アリアを売るような真似はしない。ここで足を引っ張るという美味しい展開にも若干後ろ髪を引かれるものがあるが、しない。

 

「……まぁ、いいわ」

 

 プレシアは途端に興味を失ったように一瞬だけ色のない瞳をサクラに抱かれているロッテへと向けた。もはや、怖いとかそんな次元ではない。

 

「あ、あの!」

 

 はやての伺うような瞳がプレシアへと向いていた。

 

「ロッテの飼い主さんいうことは不思議な力、持ってるんでしょうか?」

 

 どうやらこの駄猫は颯爽と魔法バレをかましたらしいと判断するプレシア。また一段階ロッテの評価が下がった。ロッテの評価さんはもう地面にめり込んでいる。

 

「……そうね。まぁ、ほどほどにはあるわね」

 

―――嘘吐けっ!

 

 ロッテは抱かれながらぷらぷらとぶら下がった前脚をぷるぷると震わせた。コイツがほどほどにあるで済むなら管理局員はこんなに苦労していない。

 震える前脚をサクラが引っ掴んでにゃーにゃー言いながら招き猫のポーズを取らせているがこれは些細なことだ。

 

「……使い方、教えて貰えたりせんでしょうか」

 

 プレシアは目を伏せ、考える。

 情報が、情報が足りない。もっと情報を引き出す必要がある

 

「変なことを聞くかもしれないけれど、貴女、闇の書って言葉に聞き覚えは?」

「……あります」

「……当然よね。今代の闇の書の主だものね」

「知っとったんですか」

「……えぇ、この猫はついでよ。ところで、闇の書の歴代の主がどうなったか知ってる?」

「知りません」

「全員なんらかの形で闇の書に殺されたわ」

 

 はやてはその言葉に目を見開いた。

 ――闇の書に殺された。冗談であって欲しいのに胸の奥へとすんなりとその言葉は入り込んだ。はや

 

「ま、待て!闇の書に殺されたとは一体どういうこと――」

「黙りなさい、駄犬」

「わん」

 

 子犬形態のままプレシアに喰ってかかったザフィーラがたった一言で沈黙する。一度プライドをへし折られた狼は脆かった。

 

「……それって」

「貴女は放置すれば死んでいたはずの人間よ。死因は闇の書に魔力だけでなく生命力を枯渇させて死ぬ。討伐されて死ぬ。闇の書を完成させて死ぬ。冗談でなく、どれがあってもおかしくはなかったわ」

「と、討伐……?」

「そう、討伐。そうすれば貴女の次の闇の書の主が現れるまでは次元世界は平和よ? 闇の書はどうあっても誰かを、なにかを傷つける」

「……そんなことない! だって、だってわたしは、みんなに助けて貰った! だから、だから……」

「そうよ。"助けて貰った"のよ。この子にね」

 

 プレシアがサクラへと一瞬だけ視線を向けた。

 

「……ごろごろ」

 

 サクラにお腹を撫でられてなぜかふてぶてしい顔を晒しているロッテとプレシアの視線がぶつかる。

 

「に、にゃぁ」

「ロッテちゃんは可愛らしいわねぇ」

 

 額に青筋が立っていた。

 ロッテの脳は「可愛らしいわねぇ」を「いい加減にしないと鍋に入れて煮込むぞ」と正しく変換した言葉の意味を捉えた。

 

「この子が闇の書を押さえこんでいるから貴女には魔力が漲っている。逆にこの子が居なければ貴女は魔力どころか命を保てすらしないわ。そんな状態でも魔法が欲しいの? 憧れるだけにしておきなさい。幸い、闇の書が主から吸い出す魔力はそれほど多くない、封印が解けてもある程度は常人と同じように過ごせるでしょう。だけどそれは貴女が魔法を行使しないという前提があってこそだと知りなさい」

「……」

 

 はやては口を噤んだ。

 その通りだった。全てが順風満帆。望んでも望んでも手に入らなかったものが次々に手に入る。今の自分は考えが足りなかったのだと。

 

「……厳しいことを言い過ぎたわね。いい? どうしてもと願うなら貴女を闇の書の呪縛から解き放ってあげるわ」

「……へ?」

「闇の書をこの世界から消し去ってあげる」

「そんなこと、出来るんですか?」

 

―――そんなこと、出来るはずがない。

 

 ロッテは知っていた。父と慕うグレアムがどれほど思い悩み、苦しんでいたか。計画を直前になってサクラとかサクラとかサクラとかに邪魔されてどれだけ胃潰瘍に苦しんだものか。好きだった珈琲もブラックで飲むと胃がシクシクすると飲めなくなってしまったというのに。

 

「えぇ、そうね。魔道炉を暴走させて次元断層を引き起こすだけの簡単なお仕事よ。そうね、私の持ってる時の庭園を使って虚数空間を生み出して庭園ごと沈めるわ。はぁ……さいっこうね。この子の封印の魔法、いいわぁ。これを使えば魔素が存在せず、魔法の使えない虚数空間に永遠に闇の書が漂い続けるのよ? 封印がなければ放り込む前に所有者にくっついて戻ってきちゃいそうだけど封印して一度虚数空間に飲み込まれればもうお終い。魔素や魔力を動力源とする道具なら抗う術はないわ。いっそのこと、管理局に保管されてるロストロギアを纏めて全部捨てちゃってもいいんじゃないかしら?」

 

 下手をすれば幾つもの世界を滅ぼす最悪の災害、次元断層を引き起こすことをなんとも思っていない悪魔の姿がここにあった。




やっと出来た。
今日か明日中にもう一本。
なんかオリジナルで懲りずに男の娘投下してるかもしれませんが、サクラはよとか突っ込まないであげてください(白目)


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バニン○スさんのようです

「すみません。わたしにはこれは捨てられません」

「……どうして?」

 

 はやてはゆっくりとプレシアへと頭を下げた。

 それがプレシアには理解出来ない。闇の書ははやてを縛る鎖だ。あって得するようなことは一切ないはずだ。

 

「……夢を、最近になって夢を見るんです。夜中に封印が解けて、眠っている時に闇の書と繋がった時だけなんやと思うんですけど。女の人が、寂しそうに笑いかけてくるんです」

「……」

「なに言ってるんだか分かんないですよね。わたしにも分からないんです。ただ、きっとこの闇の書の中にはもう一人、居るんやと思います」

「……後悔するわよ?」

「捨てて一生後悔するんやったらわたしはこれを捨てません」

 

 その言葉に、プレシアは一瞬だけその表情に寂しげな笑みを浮かべた。

 

「……そう。貴女は捨てないのね。……私は捨てすぎてしまったわ。大事なものまで捨てそうになって、ようやく気付いた大馬鹿者」

 

 はぁ、とプレシアは大げさな溜息を一つ。

 

「好きになさい。手が欲しいことがあるなら、手伝ってあげるのもやぶさかではないわ」

「……ありがとうございます」

 

 はやては丁寧に頭を下げると、サクラと向き合う。

 申し訳なさげな表情を浮かべたはやてときょとんとした瞳のサクラ。

 

「ごめん、サクラ。余計なことばっかりさせてわたし、結局なにも出来ひんのになぁ」

「……構わない。サクラははやての友達」

 

 はやてが捨てないと判断したのならばそれで構わない。理由はそれで十分だった。どうしても危険なものならばまた封印してはやての手の届かない本棚の上にシュートするだけだ。サクラは割かしさっぱりとした性格であった。

 

「じゃあ行くわ。次に会う時は面倒事じゃないことを祈ってるわよ」

 

 プレシアはメモに電話番号を書いてはやてに押し付けるとゆったりと去っていく。――ロッテを置いて。

 

「おい、この駄猫持ってってくれよ!」

 

 ヴィータの叫びは届かない。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「……と、いうことがあった」

 

 サクラのたどたどしい口調で話される言の葉は常人にはいささか難しいものであったが、アリサはそれを正確に理解した。流石はプロである。

 

「へー」

 

 アリサは机に肩肘を突きながら紙パックのオレンジジュースにストローを突き立てて吸い上げる。

 感想としてはさっさと捨てたほうが良かったんじゃないかとアリサは思ったが、空気を読める子であるアリサは特に口出しをしなかった。

 飲み終わって潰したソレをビニール袋で包んで鞄に放る。

 小学校で紙パックの飲み物のゴミを捨てるとなにかとうるさいのだ。

 

「そういえばアリサちゃん、アリサちゃん。今日、転校生さんが来るんだって」

「連続で同じクラスに転校生が来るって珍しいわね」

 

 なのはがふと思い出したとばかりに口を開いた。それに合わせてアリサは考える。サクラが来たばかりだというのにもう転校生かと。いささか早すぎはしないかと。

 

「女の子二人だって」

 

 ふと、猛烈に嫌な予感がした。

 それと同時に教室の横開きの扉がからからと開かれた。

 教師と共にゆったりとした歩調で二人の少女が歩みを進めている。

 

「……」

 

 騒々しさが支配する教室でアリサは頭を抱える。

 出来ることならば今日はもうサクラ以外のなにも目に入れたくはなかった。

 

 教室中の人間の視線が一箇所に集まり、教師の手を叩く音が聞こえた。

 

「――はいはい、静かに」

 

教師の静止の声と共に教室が瞬時に静まり返った。

 

「今日は皆さんに――」

 

―――聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない!

 

 アリサは心の中で慟哭する。

 

 教卓の前に立っている少女は二人。

 一人はどこか活発そうな、そして自信ありげな笑みを浮かべて。

 一人は教室中の視線を浴びて、不安そうなどこか引き攣った笑顔で。

 

「……ごほん、転校生を紹介します!」

 

 教室が沸くのと反対にアリサは机の上に崩れ落ちた。

 金色の髪をした、"異様に容姿の似通った二人"は順番に名乗りを上げる。

 

「アリシア・テスタロッサさんとフェイト・テスタロッサさんです。双子さんが同じクラスに来るのは非常に珍しいですね。……それにしても、どうして校長先生は虚ろな目で何度も「フタリハオナジクラスデ」とか言ってたんでしょうね」

 

 最後の方は声が小さかったがアリサの耳は確かにその声を捉えた。

 「プレシア・テスタロッサァァァ!」と叫びたいのを堪え、アリサは机の上にうつ伏せになって拳を握りしめた。

 

「やっほー! アリサ―!」

「……えと、やっほー?」

 

 活発そうな方の金髪少女、アリシアがぶんぶんと手をアリサへと振る。

 それに合わせてフェイトが控えめに手を振る。

 周囲の視線が一気にアリサへと集まる。

 

「またバニングスかよ」

「なんなの。マジでバニングスなんなの。なんで美少女片っ端から侍らしてるの。ちょっと意味が分からない」

「……バニングスさん、すごーい」

 

 侍らしてない。そんな趣味もないし、そのカテゴリーにサクラが入ってるのはおかしい。むしろこっちの方が意味が分からない。というか称賛の声はなんなのだ。別に称賛されるようなことはしていない。

 

「あ、あの! バニングスさん!」

「な、なによ?」

 

 サクラが転校してきた時もテンションを上げていたポニテ少女が息を荒げながら喰い気味に話しかけてくる。

 

「バニングスさんは女の子みたいな男の子が好きなのか、それとも女の子が好きだけど妥協して最強の男の娘育ててみた的な! 的な! ど、ど、ど、どっちなのかなっ!?」

 

―――なんだその二択!

 

 女の子みたいな男の子が好き←変態

 女の子が好きだけど妥協して最強の男の娘育ててみた←救いようのない変態

 

―――駄目だ。マトモじゃない。

 

 それならば他になにがあるだろうか。

 

 男の子が好き←そもそも考えたことがない。というかヤツらには愛嬌が足りない。

 女の子が好き←アブノーマル

 

 結局マトモな選択肢は残っていなかった。

 そもそもアリサはマトモではなかったのだ。今更なのだ。

 

「ヤツは今日からバニンゲスだ」

「バニンクズさんの可能性が微粒子レベルで存在している……?」

「お前らバニンカスさんを虐めるのやめろよ」

 

 近年のネットスラングに毒されてしまった小学生男子が囃し立てる。既に小学生の煽りテクニックではない。結局のところ、三体の哀れな蓑虫が廊下に吊るされることになるのは確定事項なので、特筆語る部分があるわけでもなかった。




なんか縛り上げる技術だけで初期のゴロツキ枠ぐらいならアリサちゃん勝てる気がしてきた
最初はせいぜい布団で簀巻きにする程度だったのにどうしてこうなった


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私立聖祥大学付属小学校殺人事件(偽)のようです

「呼ばれず飛び出て、熾天使アリシアちゃん降臨!」

 

 ブルーのリボンを揺らしながら、アリシアはきゃっきゃと騒ぎながらアリサの周囲をぐるぐると回る。

 

「だぁぁ! アンタはいつも鬱陶しいのよ!」

 

 ―――犬か! 犬なのか!

 

 生憎バニングス家には犬は足りているのだ。これ以上要らない。

 大型犬と桜色の方の犬に囲まれて悠々と生きるつもりなのだ。ヤバめの親御さんの引っ付いた自称熾天使は天に還れ。

 

「やだなぁ、アリサのツンデレさん!」

 

 テンションが上がりすぎてひとつ突き抜けてはいけないなにかを突き抜けていそうな様子のアリシアにアリサは一歩退く。

 

「アンタ馬鹿なのによくこの学校に来れたわね」

「その心底蔑んだような目はとても友達に向けるものじゃないと思うんだけどそこのところ、どう思う?」

「まずは、アタシがアンタの友達っていう前提から検証し直してみましょうか」

「この遠慮のなさこそが友情! うりうりー!」

 

 アリサの胸、いや、胸板に頭をぐりぐりと押し付けるアリシア。

 柔らかな感触は皆無だった。ロリ巨乳などというものは幻想だったのだ。

 

「沙羅さんの方が柔らかかった……」

「今、廊下に三つほど蓑虫が吊り下げてあるんだけど、アンタも吊られてみる?」

「転入してきたばかりのちやほやされたいお年頃の女の子に対する仕打ちがそれ!?」

「ちやほやしてるじゃない。ねぇ、すずか」

「ちやほやしてるのかなぁ。……アリサちゃんが言うならそうかも」

 

 すずかは一瞬だけ考えるポーズを取ってから答えた。

 まぁ、いいんじゃないかなレベルの適当さだった。段々と純粋だった少女が歪んだ常識に汚れていく。アリシアは確かにそんな無情な現実を感じ取った。

 

「諦めた! すずかちゃん、今絶対諦めたよっ!」

「仲良しさんだもんね。きっと良くあることだよ」

 

 隣で話を聞いていたなのはは戦慄した。

 仲良し同士で吊るし合うような世紀末的小学校など想像したくなかった。一瞬脳裏に豚肉や牛肉と一緒に吊るされているユーノの姿が浮かんだので、慌てて頭を振る。特になにもなく、ミッドチルダに帰ってしまったユーノは元気だろうかと一瞬だけ思案して、まぁ、いいかぁと割り切った。なのはにとって、ドラマティックな形で始まったはずの魔法少女稼業がいつの間のか勝手に終了していた時の虚しさの象徴がユーノである。平和なのは良いのだが、消化不良感がハンパなかったのである。

 

 それよりなのはにとって問題だったのはプレシアとサクラである。

 

「すずかちゃん、すずかちゃん、すずかちゃん! なのはにはサクラちゃんをぎったんぎったんにするだけの力が足りないのです!」

「なのはちゃん、落ち着いて自分がなに言ってるんだか一回再確認した方がいいと思うよ」

 

 口調が完全崩壊しているなのはを心配気に見るすずか。

 

「大魔導士ってゅうの、もぅマヂ無理。勝てなぃ。これじゃぃつになってもミッドぃけなぃ」

 

 ――駄目だ、完全に壊れてる。

 

 メンヘラ特有の言語を喋り始めたなのはからすずかはそっと目を逸らした。放っておけばそのうち勝手に直ると信じて。

 

「ねぇねぇ、すずかちゃん聞いてぇ」

「あっ、うん……」

 

 逃げられなかった。

 正直、絶賛ぶっ壊れ中のなのはは出来るだけ相手したくなかった。僅かに涙に濡れたなのはの表情が愛らしいとかそういうことを含めてももう面倒な気しかしなかった。

 

「無理、無理だよぉ。逃げるしバリア張るしどっかから稲妻落ちてくるし逃げても歯車追いかけてくるし攻撃当たってもサクラちゃんに回復されちゃうんだよぉ……」

 

 なのはは濁った瞳をしていた。

 一体なにがあったというのか。基本的に強靭すぎるなのはのハートがぽっきりと折れている。すずかは頬を引き攣らせた。

 

「えと、アリサちゃんともう一回約束の中身決めてきたらどうかな? アリサちゃんもきちんと話せば分かってくれるよ」

「そうかな? 「なのはは指切りまでした約束破ったりなんてしないわよね?」とか言われないかなぁ?」

 

 ――うわぁ、言いそう。

 

「そ、そんなことないよ。とりあえずアリサちゃんと一回話してみれば?」

 

 すずかは心ではそう思いつつ、口だけでなのはを励ました。正直話してみても無理だろうなとある種の核心もあったが、やらないよりはやったほうがマシだろう。パタパタとアリサの元へと駆けていくなのはを見ながら、すずかはある種、達観した思考をしていた。

 

「ア、アリサちゃん!」

 

 手持無沙汰だったのでアリシアをルービックキューブや知恵の輪感覚で縛って遊ぼうか悩んでいたアリサはなのはの言葉に顔を上げる。

 

「アリサちゃん、あ、あのねっ!」

「あっ、そういえばなのは。この間、二人を倒したらミッドチルダ渡航を認めてあげてもいいんじゃないかって話、ご両親に鮫島経由で伝えておいたわよ。大分悩んでたみたいだけど、プレシアさんとサクラを倒せたなら考慮くらいはしてもいいって話に纏まったからよろしく」

 

 なのはは踏み出した足をくるりと半回転させてUターン、すずかに狙いを定めようとする。

 

「……ばたんっ。きゅー」

 

 案の定、面倒な事態に陥っていたことを察したすずかはあざとさ溢れる効果音を口にしながら、これ見よがしに机に寝そべり狸寝入りを決め込む。

 

 ――完全に詰んでいる。

 

 すずかは察した。察してしまった。もうなのはには道が残されていない。これで、なのはが条件の緩和を狙って妥協すれば両親からのバッシングが飛んでくるだろう。例えば、条件などなしに、ミッドチルダ渡航を決めていたのなら最低限のことをこなせば、それはそれで許して貰えただろう。

 だが、今回の場合は別だ。ましてや、自分で決めた目標を勝手に投げ捨てる。それは、決して体面の良いことではない。間違いなくなのはの両親は難色を示すだろう。九割九分九厘大悪魔アリサに誘導させられたこととはいえ、了承したのは間違いない。そして、そのことをなのはの両親は知らない。これは、完全に親友同士の輝かしい友情が契った約束などというほんのり青春模様を覗かせる代物ではない。――悪魔の契約である。

 

 ――娘が、心配する両親に覚悟を示すために自ら魔法世界有数の強敵を打倒する。

 

 アリサが用意した着地点は恐らくここだった。文句なしの美談である。難易度インフェルノのクソゲーであることを除けば。

 

「すずかちゃん! すーずーかーちゃーん!」

「すー、すかぴー」

「すかぴーなんて寝息なんて誰も言わないよぉ!」

 

 涙目のなのはが延々とすずかの肩を掴み、揺さぶる。

 なのはが割と本気で揺さぶってくるせいで、すずかは何度か机に鼻が叩き付けられて割りと本気で痛かった。こちらもある意味で涙目である。

 

「……うぐぐぐ、サクラちゃん。なのはにはサクラちゃんしか残されていないのです」

 

 どこからか、割と強引にサクラを引きずってきたなのはは、サクラの胸元に顔面を押し付けて、制服をぐしゃぐしゃに乱す簡単なお仕事が始まった。

 

「……よし、よし?」

 

 丸きり状況が掴めていないサクラは、とりあえず犬猫にするのと同じような感覚で頭を撫で回してから、まるでロッテにするようになのはの顎に手を添え、ゆっくりと同じように撫でる。

 

「……っ、う、うにゃー」

 

 サクラの制服の上着をより強く掴み、ごしごしと上着に擦り付ける作業をしていたなのは、改め、にゃのはが照れ臭そうに鳴いた。

 

「ぶふっ!」

 

 傍目から見れば美少女の顎をつつつ、と撫でる美少女という健全という言葉を次元世界に投げ飛ばしたかのような光景を目撃してしまったごく平凡な男子生徒Aが鼻を両手で覆いながら水道目がけて駆けていく。覆った両手の隙間からはぽたぽたと血の滴が伝い、廊下に不規則な血液のラインが描かれていく。その最中、生徒Aは自らの血液で足を滑らせ、廊下に鼻から落ちていく。気絶する男子A、意識を失って尚、加速する鼻血。男子Aの倒れる場所からじわりじわりと面積を広げる巨大な血痕。

 

 ――倒れたまま微動だにしない男子A。

 ――廊下一杯に広がる血痕。

 ――男子Aの指先が描く謎のダイイングメッセージ「ゆりもどきはいがいとありかも」。

 

 少年少女の悲鳴。

 血溜まりに沈む少年。

 自身の証明を刻むかの如く血濡れの指先が描く軌跡。

 

 ――私立聖祥大学付属小学校殺人事件(偽)はこうして始まった。




つづかない


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