神速リメイク (インパラス)
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ハジマリのカネ

車運転してるあのシーンでバーンてなってたら


 

 

 

 

 何点取られても1点でも多く取れば勝つ。

 如何にもカスらしい信条だ。

 ありえねえよ。完璧にだ。攻撃も守備も。

 全員が俺なら、それがベストチーム。

 敗北?

 ありえねえよ。

 

 

 

 3億、3億、3億。

 

 漂う意識の中で、反芻する。

 深く、深く、意識に擦り込まれる。

 

 

 

 カタ、カタ、カターーー。

 白の壁に囲まれた一室。

 チェアに腰を預ける少年の前には、いくつもの画面が展開されている。

 青井阿含、金髪の小学5年生。

 家族構成は、母、兄、弟。

 数奇な人生を進行形で歩む彼は、暇を持て余していた。

 というのも、この世に生を受けてより執着していた3億を超える資産を手にした瞬間、彼はバーンアウトした。

 更に資産を増やすべく、無意識のうちに頭を働かせるものの、熱が冷めてしまった今、彼にとっては惰性でしかなかった。

 そもそも、目的があって3億という金を望んでいた訳ではないことに気づく。

 使おうにも、今の年齢ではそう用途がある訳でもない。書類上の家族は当然知らず、彼が一財産を抱えていると知るのは、資金を稼ぐ伝手となった偶に会う女の1人のみ。

 そもそも、自分の資産から贅沢をするつもりはなかった。女に払わせればいい。前は、それがポリシーだったはすだ。

 

 思い返せばするほど阿呆らしい。しかし、執着心が消えた今だからこそか、とも考える。

 前世においては、楽に3億が手に入る機会があったからこそ、求めたのだから。

 ああ、あのヒル魔のようにセコセコと金を稼いでいる現状。

 この俺様がなんてザマだ。

 しかし、それを承知の阿含であったが、今更手を止めることもしなかった。

 

 

 悪天候が続き、ついには前日の夜雨で、桜が花を散らした日曜日の昼前。

 外泊先から自宅へと帰った阿含を、玄関先で出迎えたのは、沈んだ様子の葦人であった。

 

 「…兄貴、おかえり」

 「…」

 

 睡魔と闘いながら、葦人の様子を気にすることなく横を通り過ぎようとした阿含だったが、横からグラスが差し出される。

 阿含は、反射的にそれを受け取って、何も言うことなく冷水を嚥下した。

 

 「瞬兄が朝飯作ってる。兄貴に食べろって」

 「あ"ー?」

 

 空になったグラスを卓上に置き、再び気怠げに動き出した阿含を、葦人は再度止めた。

 グゥー。

 言葉に反応した瞬間に空腹を訴えてくる胃に、阿含は舌打ちをしようとしたが、思っていたより眠気が強いのさ、吐息だけが口から漏れた。

 空気を読んで見なかったことにした葦人が、ポトフが入った鍋を温めにキッチンへと向かう。

 阿含は、虫唾が走ったような顔でドカッと椅子に腰を下ろした。

 

 「オカンはまだ寝てる、瞬兄は部活や。オレは…」

 

 葦人の話を無視して、阿含はリモコンでテレビの電源を入れる。

 応えたテレビが最初に映したのは、映画放送だった。ジャンルは何かと疑問に思う前に、アップで映った役者がブスだったので、阿含は反射的に電源を落とした。神速のインパルスによって行われた動作により、邪魔な記憶を保存せずに跡形もなく抹消する。

 

 「…昨日、クラブをやめてきた」

 「飯まだかよ」

 「もうちょい。それで…アニキ、オレどうしたらいい…まだ、サッカーやってもいいんかな…」

 「知るか」

 

 そう切り捨てる阿含だったが、何故葦人がサッカークラブを辞めてきたのか、鍋が温まるまでの暇つぶしがてらに考えーー答えは考えるまでもなく秒でわかった。

 自分本位の性格から察するにハブられたのだろう。中途半端に下手な癖に調子に乗った結果である。

 アホめ、と阿含は鼻で笑った。

 

 「オレって、サッカーの才能ないんかな…」

 

 葦人の一言には諦念が込められていた。仮に、阿含が存在しなければ、抱かなかった感情。

 幼い頃より自分が決して敵わない程の才能を間近で見続けてきた葦人は考えずにはいられない。

 双子なのに、なんで。自分にも阿含程の才能があれば。

 ゲームもしないで、ひたすらボールに触れた。朝は走った。授業は寝た。練習のあとも瞬兄とボールを蹴った。

 でも、練習をしている時点で阿含にはなれない。

 阿含だったら、アイツらを黙らせられた。誰も自分のサッカーの邪魔なんてしてこない。

 そう思ったことは、1度や2度のことではない。

 サッカーは楽しい。しかし、いつからだろう。始めた頃の楽しさはなかった。

 がむしゃらにやっていたのは、悔しかったから。

 

 

 「あ"〜?」

 

 俯く葦人の様子に、阿含はかつての双子の兄を思い出した。才能の1つもなく、しかし凡才として足掻き続けていたハゲ。

 それに対して葦人は。

 普段の阿含と比べれば、今日の阿含は賢人のように穏やかだった。理由は言わなくてもわかるだろう。

 だからよくも考えず、思ったことを適当に言った。

 

 「あるだろ。つっても、俺の100に対してお前はあって、半分以下だけどな」

 「そうだよな………え…?」

 

 葦人は、己の耳を疑った。

 だが今、確かに言った筈だ。あの阿含が、自分にも才能があると認めた。

 うるせえねえよカス。雑魚が。

 返事は、絶対にそう言われると思っていたのに、初めて阿含から認められた。今、それこそ出来ないことは何もない程の天才の兄から、何をするにしても最強だと信じて疑わない兄に、褒められたのだ!

 迫り上がる感情に、陰鬱としたものは全て吹っ飛んだ。

 

 「何!?オレの才能ってなんなんや!?」

 

 この阿含の半分もある己の力とは、サッカーの才能とは一体何なのか。葦人は、お玉から手を離して阿含へと詰め寄るーー「寄んな」阿含の足裏とキスしても、葦人は止まらない。グイグイと迫る。

 

 「オレ、オレの!!ッふげっ」

 

 そのまま床に蹴落とされてようやく葦人は沈黙した。

 

 

 「あ〜…で、なんか言ったかよ」

 

 阿含は、5回ほどスプーンを口に運んでから、再び落ち込んだ様子で何やらぶつぶつと呟いている葦人に、虫を見るような目をして、言葉を投げる。

 別に気づかいの欠片もない、ただ鬱陶しかったから声を掛けた。

 

 「サッカークラブやめたけど……どっか別のチームでやる、やろうかな…うん」

 「?へー、精々頑張れよ」

 

 明らかに見下したような声色だ。しかし、葦人の耳は激励の言葉と受け止め、さらに決意を固くする。

 と、そこで阿含は食べる手を止めた。妙案、いや、いい暇つぶしを思いついただけ。

 

 「よし、この俺が教えてやるから、きけ」

 「…え、アニキ、サッカーやるんか…?」

 

 葦人の声が喜色ばむ。練習に付き合ってくれといくら言っても聞いてくれなかった、あの阿含がだ。

 思わず頬をつねる。痛い。

 

 「あ〜、途中で泣き言1つでも吐いたら殺すから」

 「……えっ、あっ、やる!!」

 

 葦人の想いとは対照的に、阿含にとっては単なる暇つぶしだ。

 こんなことは本来ならばありえない。しかし、彼は近頃、2度目の人生そのものに退屈していた。

 金は潤沢、女も望めば楽に手に入る。

 初めに退屈を感じたのはいつの頃だっただろう。己の知る高校やアメフトチームが存在しないと知ったとき?潰すべき対象がいないのを知った時?

 しかしだ。いずれも過去、所詮は終わったことである。サッカーでもするか。そんな軽い気持ちで阿含はトップへと第1歩を飛び越えていった。

 

 「ただいま。お、阿含おかえり」

 「瞬兄!オレ、サッカーやめた!っ間違えたチームを辞めた!」

 「おう、昨日聞いたよ」

 「でもこれからは、アニキとサッカーやるんや!」

 「…!へー、よかったな葦人」

 

 阿含に人を育てた経験はない。基本他人の事情などどうでもいい、寧ろ踏み付けて蹴り落とすことを愉しんでやる。考えたことすらない。

 (ま、ヒル魔にもできたことだ。適当でやれんだろ)

 失敗などあり得ないと、揺るぎない自信があった。

 

 

 

 

 

 

 

 2年後。

 ナイター設備のあるコートで、一つのボールが行き交っていた。

 両チームともに社会人を中心としたフットサルチームであり、試合形式と言えども緊張感はまるでない。

 しかし例外は存在した。

 赤ビブスチームの後方。最後列で声を張り上げる葦人は、まさに鬼気迫った顔をしていた。

 葦人の指示に、腹の出た中年たちが緩やかな動きで従う。

 

 「葦人!」

 「!? 瞬兄ィ!」

 

 伝わるのは、兄の瞬だけ。しかし、葦人にはそれだけでも十分だった。アイコンタクトだけで意思は伝わる。

 それにどれほどの価値があるのか、葦人はまだ知らない。

 喘息持ちなど気にもならない動きを、瞬はやってくれる。無駄なく、自分が望むことをやってくれる。

 瞬が望むことも葦人は理解していた。理解しながらも、瞬についていけない自分の技術の低さが歯がゆかった。

 今はここにいない兄とは、どれだけの差があるのだろう。

 葦人は必死だった。天才の双子の兄に、頼りになる秀才の兄。

 追いつきたくて、一緒にサッカーがしたくて、葦人は必死に力を伸ばそうとしている。

 葦人にとっては、兄弟としても、フットボーラーとしても分かり合える、たった2人のかけがえのない存在なのだから。

 兄2人とサッカーがしたい。道は遠く、ずっと遠い。しかし、いずれそうなることを信じて疑わなかった。

 プロになって、3人でサッカーをする。

 俺たち3人で。

 

 

 

 「そこの…眼鏡の少年。君、何年生だ?」

 

 ゲーム終了後。隅で兄と自分とそれをベンチで眺めている母。クールダウンをしていた葦人の耳に、その声は届いた。

 尋ねられたであろう瞬は、疲労が溜まった脚を入念にケアしているため、声には気づいていなかった。

 

 「瞬兄ぃ」

 「…ん?どうした葦人?ああ、手伝うか」

 「や、そこの…オッチャンが」

 「え?…あ、すみません。何か?……て、え?」

 

 驚きに変わる瞬の表情に、葦人は逆を向いて声をかけてきた男を見た。

 ただのおっさんにしか見えない。

 

 「オッチャン、瞬兄になんか用なんか」

 「俺まだオッチャンって歳じゃねえんだけど…まあ、いいや。眼鏡の少年、君は中学生だよな?」

 

 葦人から見えた瞬の顔は、今まで見たことのないほどに輝いてみえた。

 

 「あ、はい。あの…福田選手ですよね?リーガ、エスパニョーラの…」

 

 瞬の声は震えていた。

 

 「ああ、そうだ。その福田選手。今は選手じゃないけど。今は、こういう者だ…ああ、そうそうこれも。そっちのアフロの、君も」

 

 名刺とともに差し出された書類を、瞬は一息おいてから身を固くして受け取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ーー、と特待制度の活用で、全体はこのくらいで」

 「はぁ」

 

 葦人はボンヤリした頭で、母と福田との会話を隣の聞いていた。

 

 「あのー、ご丁寧に。でもこの子、いちおう呼吸器疾患もちなんですけど」

 「……え、そうなの」

 「はいそうなんです。あたしはサッカーのことはよくわからないけど、おたくがしっかりされた所だってことはわかります。けど息子がついていける環境なんでしょうか」

 「……えっ、あ、はい」

 「?」

 「すみません。息子さんのプレーを見たのですが、全く気づかなかったので」

 「……」

 

 この人本当にプロなの?そんなん気づくでしょ。

 紀子はうさんうさげな視線を福田へと向ける。

 

 「…あのさ、母さん」

 

 遠慮がちに瞬が言った。

 

 「何?」

 「俺、治ってるっていうか。コントロールできてるんだ、喘息。ほとんどっていうか、全部阿含のおかげでさ」

 「…は?」

 「最近は発作もほとんど起きないし、サッカーも絶対とは言えないけど、加減を間違えなければ、問題ないレベルでできるんだ。それとさ…」

 

 瞬は言葉を詰まらせた。

 なんで?聞いてないんだけど。

 そんな圧力を母親から感じた。

 今ここで言うべきなのか迷う。何れは言おうと思って、先延ばしにしていた。

 瞬は葦人を見た。葦人は知っている。しかし葦人は福田から渡されたパンフレットを、おお〜、すげぇ、とか呟きながら捲っている。こちらの視線に気づいた様子はない。

 そんな時。思いが通じたのだろうか、ガラガラと引き戸が音を立てた。

 一同の視線が玄関へと集まる。

 

 「あ?誰このオッサン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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怪物カクセイ


瞬が1つ上
双子兄が阿含
双子弟が葦人です。


 

 

 

 

 「エスペリオン?へぇ…行けよ瞬」

 

 一通り話を聞いた阿含は、瞬に向かってそう言った。

 

 「…って、あんた。ただいまは?あと瞬お兄様でしょーが不良息子コラ」

 「は?あ"〜」

 

 瞬の前で、弟と母親がガンを飛ばし合う。見慣れた光景だ。間に挟まれている葦人は気にせず、パンフレットに意識を戻している。

 だが、今日は来客がある。瞬は、目をパチクリとさせている福田に謝罪した。

 

 

 「この辺(の女)にも飽きたから、東京行くか」

 

 瞬が2人を宥め、話が再開したと思えば、阿含がそんなことを言った。

 東京に行くことが決まった、と瞬はすんなりと受け入れた。理由といえば、阿含がそう言ったからだ。流石に引越しの経験は無いが、似たようなことは何度もあったため、慣れていると言うべきか。

 

 「は?なに言ってんのよ、あんた。旅行はまだしも引越しなんてそんな簡単に」

 「うっせ、もう決まりだ。ついでにアフロも来いよ」

 「…」

 「おい、カスアフロ」

 

 阿含はパンフレットに集中している葦人の頭に手を突っ込んだ。

 なんやあ!と悲鳴をあげる葦人だったが、瞬から説明を受けると歓喜で叫んだ。うるせえ、と阿含に蹴り飛ばされた。

 

 「阿含、母さんは…」

 

 不安が過る。母が愛媛に1人になってしまうのは駄目だ。

 

 「あ?行くに決まってんだろ」

 

 誰が飯作るんだよ、と阿含は当然のように言った。

 瞬は沸き上がる嬉しさをそのままに、親愛のハグを阿含へと仕掛けた。しかし、当然のごとく神速の反射神経を持つ阿含は捕まらない。

 それでも瞬は嬉しくて笑い続けた。

 

 

 その後、紀子が働くスナックで。

 深夜、客も姿を消し、店内を四月の夜風が熱を冷ましていた。

 カウンターに、並んで2人。戸締りを任された紀子は、最後まで残っていた福田とグラスを合わせた。

 

 「あの、すみません。なんか俺のせいですかね、これ」

 「いや、気にしなくていーですよ。あの子たちいつもあんなだし。瞬も葦人も自慢の息子だけど、阿含はまんま不良で、んでいわゆる天才って子で」

 「はぁ…」

 「なんかいつのまにか大金持ちになってて、旅行とか突然…ほんと突然やけど!連れてくんで、あたしハワイとか変に詳しくなってんです。あはは。あいつキッチリ自分の分の食費だとか、生まれてからの養育費とか言って大金渡してきて…そりゃキレたわよ!ウチはあんたの親だ!って!そしたらあいつなんて言ったと思うか!ああ!?」

 「はぁ…(酔ってるな)」

 「当たり前だろ。俺と言う天才を生んだんだから、一生誇れよババア。…だってさ!あはは!あはは!そうや!わたしはあのバカな天才を産んだんやぞ!わたしの誇り!わたしの3人息子!」

 「(…やべ、俺も大声で笑いたくなってきた。一気に2人だ。しかも、それだけじゃない。もう1人…)ククッ」

 「あははははは!」 

 「はははははは!」

 

 

 

 

 

 

 「青井葦人です、よろしく。サッカーしに来ました」

 

 中学1年、時期は6月。葦人は神奈川の中学校に転校した。東京ではなく神奈川だ。手続きした阿含には当然尋ねたが、うるせえしか返事が返って来なかった。だが、来年には東京に引っ越すらしいので、葦人はそれから特に気にしなかった。懐かしそうに見えたのは、きっと気のせいだ。

 時期外れの転校である。しかも本人が言うところによればサッカーの為に転校してきたと聞こえてくる。ホワイトボードの前で簡潔に挨拶をする葦人に、教室はざわめいていた。

 

 「じゃあみんなから何か青井に質問あるかー?」

 

 担任の言葉に何人かが反応して手を上げる。

 何処から来ただとか、方言しゃべってだとか、葦人は順に答えた。

 他に質問が出なくなった時、最後尾の席の男子生徒が大きく手を挙げた。周りはシーンとなった。

 その生徒は制服を着崩し、リーゼントヘアで固めていた。

 葦人に怯んだ様子はない。もっと柄が悪くタチの悪いのが身内にいるからだ。

 

 「サッカーで来たって、うまいのかよ?おまえ」

 「…下手だけど」

 「は?意味わかんねー…じゃあ、どこでサッカーすんだよ」

 「来年まではチームには入らん。瞬兄と兄貴とサッカーする。来年は、瞬兄がユースに入るから…あっ、て、えーっと…サッカーやるのか?」

 

 葦人は、頭のリーゼントを見ながら言った。

 

 「おうよ!俺はプロになる男だ。当たり前だろ。アシトだっけ、おまえ下手なら俺がサッカー教えてやろうか?」

 「…えっ?あぁ…いや、そのな…」

 「なんだよ、遠慮すんなって。色々教えてやっーーー」

 

 「うっせーカス。いらねえから」

 

 教室に派手な金髪が入ってきた。葦人と正反対の直毛だ。二卵性にしても顔はまるで似ていない。

 

 「おい、アフロ」

 「兄貴、教室違うぞ。隣やないか?」

 「はあ?あー、何言ってんのかな〜このアフロちゃんはぁ〜…俺のやつ持っててんじゃねえ、この鳥頭」

 

 阿含は葦人の手からスクールバッグを奪い取る。

 そのままクラス(の女子)を期待せずに物色する阿含に、葦人は慌てる。

 

 「おっ俺のは!?兄貴!」

 「はっ、知るかよ」

 「えーっ!?なんで持ってきてくれんかったんや…」

 「…」

 「兄貴ぃ…無視せんでやぁ」

 「あ〜、ブスばっか」

 

 阿含は、泣きそうな顔をする葦人を無視して、さっさと自分のクラスに行こうとする。

 しかし、ドアの前に1人の生徒が立ち塞がった。

 リーゼントの男、冨樫だった。

 

 「おい待とうや金髪。誰がカスだって?」

 「カスカス、カス。聞こえねえのかよカス。消えろ」

 「何度も言ってんじゃねえ…上等だ。表出ろやオラァ!」

 

 阿含は葦人へと振り返った。

 

 「アフロお前代わりに行ってこいよ」

 「嫌やあ!」

 

 こんなことは愛媛でもあった。何度も、何度もだ。

 元凶に至っては、逃げ足速くなっただろ?ほら感謝しろよ、なんていう始末だ。

 もう葦人は、こんなとばっちりを受けるのは勘弁だった。

 と、昔を思い出して目のハイライトを消していると、バタンと音がした。現実に戻った葦人が見たのは、白目を剥いて転がるリーゼントと手刀を定位置に戻す阿含の姿だった。

 葦人は、再度ハイライトを消して、現実から目を背けることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 船橋中のFW、トリポネ・ルフインは未だかつて無い敵と相対していた。

 技術が突出している、自分に相当するフィジカルがある、否である。

 意味が、わからない。

 今のトリポネは、3年後、代表で前線を駆ける彼ではなかった。故に自分を封じ込める、自分と比べるまでもなくこの小柄な相手の力が理解できなかった。

 なぜ、そんなにも動ける。

 なぜ、そんな的確な指示ができる。

 なぜ、そんな所にいるんだーー。

 わけが、わからない。

 去年、あの試合から、俺はチームのために。

 そう強く望み、仲間たちと勝つべく力をつけてきた。この中学最後の大会も、全国を制覇するつもりで臨んでいた。

 勝てない。

 このチームには、この敵だけではない。突出した敵が、もう2人。

 勝てない。

 

 「すんません」

 「…俺か?」

 

 残り時間は10分を切っている。倒れた選手の治療で試合が中断した。

 周りに声をかけるべく、見回したところで声がかかった。

 

 「そう、あんたや」

 

 青井、葦人。試合前に何度もそのプレーを繰り返し研究した相手が、自分の頭を見つめている。

 

 「頭、いっしょっすね」

 「……あっ、ああ」

 

 何を言うかと思えば、親しみさえ感じる声色でソイツは笑いかけてくる。

 

 「あっ、と、俺が言うのもアレやけど、トリポネさん。あんたもっと周り使った方がいいんじゃないすか?序盤のほう、守りにくさとか全然違うっすよ。戦ってて」

 

 なぜ。

 そう思ったのは一瞬だった。わかる。今日の俺はおかしかった。練習では、これまでの試合では、できていたというのに。

 そして気づいた。違和感に。

 この相手は、チームをコントロールしていても、あくまでも個だということに。その意識に引き摺られていたからこそわかる、歪さ。使われている、使っている、一方からの信頼はあれど、その逆はない。

 自分が全てケアすること前提に、動いていたのだ。

 

 「そしたら、もっと、もっと」

 

 俺は成長できる。

 トリポネは葦人の表情から、その先続いたはずの言葉を感じ取った。

 そうか、と腑に落ちた。

 やはり俺は中てられていた。この相手の、この狂うほどの熱に。

 勝ちたい。

 だが、そうだ。忘れてはならない。

 俺は、チームのために。俺はこの相手とは、青井葦人とは違う。チームが、俺の為に運んでくれるのだから。

 ここからだ。まだ終わっていない。

 

 試合が終わった。負けた。

 だが、なんだろうか。

 整列をする。

 ああ、同じ気持ちだったのか。誰も涙を見せていない。

 力を出しきり、この残り10分で個人として、チームとして船橋は段階を上げたと実感する。

 味わったことのない一体感と高揚感。それと同量の悔しさが割り込むように刺激してくる。

 ああ、ああ、ああーーすばらしい日だった。

 頭は重く、全身の筋が悲鳴を上げている。

 今にでも、言葉を交わし合いたい。練習がしたい。もう1ゲームを。

 疲労は極限にあるというのに、心は対極を求めている。

 

 「トリポネさん、楽しかったっす」

 

 青井葦人が握手を求めてきた。

 そこで俺は初めて彼の顔を見た。

 

 「ーーッ」

 

 なぜ、そんな顔をしているんだ。今にも、倒れそうじゃないか。なぜ、ゲームを最も支配していた人間が、そんな顔をしているんだ。

 

 「あんたみたいな強さの人は、初めてやった。いつか一緒にプレーしましょう、あんたなら…」

 

 そう言って、青井葦人はその場に崩れ落ちた。

 俺は反応できなかった。隣にいた、リーゼント頭がユニフォームを掴んで、倒れるのを阻止した。

 

 「考え過ぎてフラつくことはあったけど…ここまでかよ。クソッ、おまえ、次は負けねえ!」

 

 それから俺は、弟のサミーに声をかけられるまでその場から動けなかった。

 何を、満足していたーー?

 バカな。

 俺はまだやれた。倒れるほど動いていない。思考していない。

 まだ、まだだ。

 もっと、サッカーを。

 

 

 8月。

 無名の市立中学が中総体を制したというニュースが、少なからず知れ渡った。朝の情報番組にも尺は短いが取り上げられるほど。

 数名のリーゼント、アフロ、金髪というその派手な外見でも目立ったが、異才を放った3人が大きく取り上げられた。

 試合終了間際、対峙したDFは言った。

 ゴーストを見た。

 対峙するチームの戦術は限定された。

 右は攻めるべからず。

 最後尾と中央でプレーする姿に、選手、指導者、観客、誰もが感じた。

 神に、愛されている。

 青井瞬、青井葦人、そして青井阿含。

 1年後、2年後、彼らを手に入れんと、ユースや高校が動き出した。

 しかし、ある事実が知れ渡ってから。そのスカウト合戦は途端に終息した。

 

 

 

 「アシトォ!テメエ、どういうことだよ!」

 「なんが」

 

 10月。この中学校初の快挙を達成したサッカー部は新チームとなり、新人戦へと臨んでいた。

 9月にはUー15の招集があり、瞬と阿含と葦人はそのメンバーに選ばれたが、これを辞退。体力的、時期的なもので断念が長男。私用があったのだから仕方ない、つーか面倒いというのが次男。瞬兄と兄貴行かないならというのは、末っ子。

 新チームのキャプテンは、リーゼントの長、長田である。同年代は勿論、冨樫を初めとした後輩からも人望は厚く、1人をを除いて既にチームをまとめ上げていた。

 葦人に詰め寄る冨樫に、部員の視線が集まる。が、別に珍しいことではない。それは初めの方こそ殺伐としたものがあったが、今では気安い雰囲気だ。各々も練習の準備に戻っていった。

 長田はふと4ヶ月前のこと考える。しかし途端に身体中に鋭い痛みが走ったので、思考を中断した。

 

 「お前が、エスペリオンの福田さんの息子ってマジかよ」

 「オカンと結婚してた。俺も先週聞いた…」

 「はあ?」

 「なんか夏に籍は入れてたらしいんや…」

 「お、おう」

 「オカンに聞いたら、サッカーで忙しそうだったし、あとで言おうと思ってたら忘れていたって…オッチャンよくウチに来るんやなって思ってたんや」

 「…あー、なんつーか」

 「赤ん坊おるらしい。女の子やって」

 「マジかよ!!」

 「あ、兄貴と同じ反応や」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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王冠への野望

 

 

 4月。

 神奈川で終業式を終えた青井瞬、阿含、葦人の兄弟は、東京へと居を移して、次なる環境でのサッカーに臨んでいた。

 ここは、東京CEの敷地内。

 日光を浴びた天然の芝がキラキラと光輝いている。手入れされ均されたフィールドには石の一つも落ちていない。

 今日から、この場所で兄2人とサッカーができるのかと、葦人の心臓は高鳴っていた。

 

 「青井瞬です。今日はよろしくお願いします」

 

 瞬の挨拶に、葦人も続く。

 今日は東京エスペリオンジュニアユースへの中途入団の試験日だった。

 本来はそういった制度は設けてはいない。これは発足以降前例はなく、異例の措置であった。

 試験といっても、その内情はスカウトであり、個々の能力をクラブは把握している。つまり、形だけのものだ。

 よって、参加は自由。阿含はそう考えた。

 

 「瞬、阿含のやつは?」

 「すみません、福田監督。阿含は体調不良で…」

 

 ユースの監督ではあるが、顔を出していた福田に、瞬は困ったように答えた。

 朝、瞬が呼びに行った時にはもう、阿含の姿はなかったのだ。メールでも、風邪引いたと一言だけだ。どうしようもなかった。

 

 「アイツ…」

 

 福田は朝を思い返した。こうなることを考えなかった訳ではない。朝も廊下で会ったというのに。

 愛娘に気を取られ過ぎた。だが、後悔するはずがない。

 ぶっちゃけ比べようがねえし。

 阿含が今日来るのと、朝の癒し時間。答えるまでもない。

 しかし、協調性がないのは問題だ。部活サッカーでは指定の時間には練習に出ていたそうだが、アイツはサッカーをしているわけではなかった。部室にトレーニング器具、エアコン、パソコンなどを持ち込んで、そこにいたらしい。語った葦人に、自分の部屋かよって突っ込めば、そうやなー殆ど兄貴の物以外無かったし、と肯定が返ってきた。まあ偶に出てきて参加、いや指導はしていたらしいが。

 能力のある人間は、逸脱した行為をしても、ある程度は周りが許容する。許されてしまうのだ。だが、そういう人間は所詮その域だ。秀才には勝るが、研鑽する天才には勝てなくなる。

 扱いにくいのは、阿含が研鑽する天才だからだ。努力という言葉が、アイツほど似合わない人間に、少なくとも俺は出会ったことはない。

 だが、その人外じみた空気感に、周りは引き摺られる。カリスマとも言い換えられる。大した関係もなくプレーで魅せ信頼させるそれは、崇拝にも近い。

 嫉妬も沸かない、ああコイツはそういうヤツなんだと判断してしまう存在感が阿含にはある。

 そして、それは大小あれど他の2人兄弟にも存在する。

 愉しみで仕方がない。

 頭に浮かんでは上書きし、形になっていくビジョンの数々。可能だ。この段階で、そう思わずにはいられない。

 今ユース監督でいることを悔いてしまう自分がいる。

 早く上がってこい。阿含と葦人なんてあと2年もある。途轍もなく長く感じる。

 コイツらは俺のものだ。誰にもやらねえ。

 決定事項だ。何が起こるかわからないこの世で、これは確信できる。

 俺のチームは世界を制する。

 

 「オッチャン。オカンが昼にアーちゃん連れて見にくるって」

 「…えっ。いやダメだろ今日寒いしまだ紀子さんもアオもダメだ出かけるべきじゃない。でもそうか。昼に電話するか」

 「フ…、福田。お前ももう親の顔だな」

 

 珍しく望が笑っている。

 だが親の顔って、当たり前だろう。親なんだから。

 

 

 話題に出た阿含といえば、自宅に戻っていた。

 

 「ヘビ頭息子、オムツかえてー」

 「今忙しいんだよ、見ればわかるだろうがババア」

 「あたしも今、あんたがしろって言ったからしてんだけど。オムツもあんただと、その蛇にアオちゃん夢中で大人しいからいいでしょ」

 「チッ」

 

 阿含は心底めんどくさそうな顔で、デスクから立ち上がり、カゴを手に取りベビーベッドへと向かった。

 紀子がニヤニヤと見ていることに気づき、阿含はもう一度舌打ちをした。

 

 阿含が素早くオムツ交換を終え、自分の髪で遊んでいる妹をほっといてタブレットに指を走らせていると、インターフォンが鳴った。

 紀子が対応して、間も無く見知った顔が現れた。

 

 「よお花伯母さーん」

 「お邪魔します阿含くん…いい加減伯母さんはやめろ!」

 「事実だろ」

 

 目をこちらに向けずに適当に返事をする阿含。福田花は憤りを見せるが、すぐにキラキラとした顔へと変わった。

 

 「アーちゃん、お姉ちゃんが来たぞ!」

 

 子守りが来た、と阿含は妹の拘束が弱まった瞬間を察知し、瞬間的な速さで抜け出した。

 

 「あ、そうだ!阿含くん、君を連れてくるように兄ィに頼まれたんだ。全く…」

 「行かね」

 「今日は記者も来るって」

 「あー…チッ、可愛い子いるかもしんねえし行ってやるか」

 「君は…まあいい、行こう」

 「行ってらー。花ちゃんよろしく。あたしはパパからお留守番要請でたので」

 「うん、紀子さんはゆっくりしてて。アーちゃんまた来るからな!…って、阿含くん手ぶら!」

 「持ってこいガキ」

 「…あーー!キミはあ!」

 

 

 

 ーー瞬兄。

 ーーああ、こい葦人。

 

 ロングボールの着地点に、相手より先に辿り着きボールをキープした葦人は、相手DFより早くサイドから中央へ切り返している瞬に、クロスパスを放つ。

 オフサイドの判定を取られるには余裕がある。瞬にはスレスレを狙うこともできたが、そこまでは余程の状況ではないと仕掛けない。

 葦人の狙いより若干ブレたボールを、瞬は危なげもなく受ける。

 守備に意識があるのか、他が上がっていた中で残っていたDFがシュートコースを断とうと動く。

 首を振り確認。味方はまだいない。相手の戻りの方が早い。

 1人でいけなくはないが、まだ紅白戦は始まったばかりだ。このポジション、このチームメンバー、考えるに終盤にはガス欠だ。手を抜けば問題ないけど、それは有り得ない。

 ーーあ。

 大丈夫だ。

 まだ見慣れない独特な頭が視界に入った。

 よしーーああ、この瞬間はいつも楽しくて仕方がないんだ。体の筋の全てが、狂ったように喜んでいる。

 あー、すごい気持ちいい。

 

 「ーーえ、はっ…あ?」

 

 キーパーと1対1。

 動揺している。明らかだ。隅を狙う必要はない。

 力を最小限に振り抜く。

 よし、1点。

 ガッツポーズをついでに、阿含に向かって早く来いと手を振る。

 

 

 「兄貴、今日はアンカーか!」

 「見りゃわかんだろ、アフロちゃん。お前、さっきみたいなプレーしたら潰すから」

 「それは兄貴がいなかったせいやろ!」

 「カス相手じゃやる気でねーよなあ〜。さっさとプチっと潰すぞ」

 

 遅刻して来たというのに、当然のようにフィールドに入ってきた。相変わらず口が悪く性格も最悪な兄だが、これは通常運転。口も上手いから、適当に理由はつけてきたのだろう。

 なんにせよやる気になっている。ともすれば、アフロヘッドの中で巡り巡る戦術。

 さて、やろうや。

 栗林だったか?すごいやつや。オッチャンがよく話題に出していたってのもあるけど、実際プレーしてみると、想像以上だった。他の奴らもすげえ。その中でも栗林は抜け出している。

 スピード、視野、思考、特にテクニック。どれだけ持ってんのや。

 だけど、兄貴のほうがもっとだ。

 兄貴にはフィジカルもある。そして、絶対的な反応速度。

 瞬兄の方が速い。

 本気を出せば、誰1人として追いつけない。

 俺の視野。

 中総体の決勝で当たった、北野ってやつが言ってたか。

 俯瞰。全部、見下ろしてやる。

 俺たち3人が負けるはずがねえよ。どんな奴が相手でもだ。

 

 「福田さん、俺こっち入りたいんだけど」

 「おっ。いやー…俺は見学しているだけだし」

 

 「は…?」

 

 オッチャンに断られた栗林が、ジュニアユースの監督と話に行って…なんか栗林がこっちのチームに入ったぞ。なんやこれ。いいんか。

 向こうはレギュラーで固められたチーム。対するこっちは俺らと栗林と、それ以外のメンバー。ついでにオッチャンがこっちのチームの指揮に。

 どっちのメンバーも戸惑っているのが伝わってくる。

 ああほらな、そこらじゅうが、穴だらけ。

 視てるだけで、楽しいなあ。

 

 

 

 「栗、林…」

 

 

 なんだこれは。わかる。

 でも、なんだこれ。そう言わずにはいられない。

 楽しいんだ。

 コイツらとやるサッカーが、一番息が合うと思っていた。何年も一緒にやってきたんだ。癖も、考え方も、プレーも知っている。

 だけどさ。違っていた、のかもしれない。認めたくない自分がいる。仲間だろって。でも不思議なんだ。こんなにも楽しい。お前らにもわかるよな、そうだろう?俺の顔、今さ、笑っているんだ。

 ーーでもそんな顔することはないぜ、高杉。今は敵だけど、チームなんだ。そんな情けない顔しなくていい。

 まあそんなことより。

 お前ら気持ちに引きずられて全員動けてないぜ。もっと戦意を昂らせろ。そうじゃないと、折角のゲームなんだ。勿体無いぜ。

 上がってこい。できるさ。頼むから。

 意識の共有が、この3人とは比べられないんだ。

 俺がいない時、エスペリオンは1度だけこいつらがいた中学と対戦していた。福田さん、俺がいない時に試合組むんだもんな。

 その試合の映像も繰り返し見たが、やはりプレーしないと体感できない。

 面白いのは、3人全員がエゴイストであることだ。

 阿含は典型的。2度目はない。使えないと決まれば、幾らフリーでもボールを回さない。だが、それをやれるんだアイツは。1人で、もしくは瞬と葦人がいれば問題ないのだから。

 葦人はそれがコーチングに変わっただけ。コイツは1度でも自分の言うことを聞かなければ、それ以上の高度な指示はしない。守備の質が下がる分、目に見えて淀んでいるのは、コイツの周りだ。

 瞬はいい奴なんだろう。周りを活かそうと、合わせている。

 だけどな、お前が一番残酷だ。なぜって、明らかだ。使い分けしているんだからな。

 ここにいる奴らはみんな分かっているぜ。手加減されてるって。

 楽しいなあ。

 今、サッカーをしているんだと実感している。

 近くの、青井阿含から感じるひりつくような空気が心地好い。

 あの映像。アレは、3人でサッカーをしていたに過ぎない。言葉通りだ。ああでも、1人だけ食らいついていたっけ。どうでもいいか。

 俺がいるんだ。

 福田さん、この日ほどアンタに感謝した日はないぜ。愛媛だっけ、見つけて来てくれた。

 でもな、言葉にはしない。アンタが、俺より笑ってるから。

 

 だがまだだ。まだ、なんだ。やはり特に、青井瞬。周りを使おうとして、気持ち悪い淀みが。これはみんなが気づいている。味方も敵も、誰もがその事実を突きつけられ、動揺は続いている。

 うーん。

 ………………………あ、そうだ。なにをしていた?いや、チームのみんなは大切だ。

 しかしサッカーを、俺はしていたんだろうか。

 そう、合わせる必要はないんじゃないか?瞬だけじゃなかった、俺もじゃないか。

 ーー付いてこれないなら、もういいんじゃないか?

 いつだったか、化け物の巣窟だと言われた。

 それじゃダメだろ。プロになれば、化け物しかいない。その先でなければならない。

 サッカーは1人ではできなかった。

 しかし、今は4人いる。

 だけどサッカーには最低11人必要なんだ、お前らも早く来いよ。

 サッカーしよう。

 青井、青井、青井。福田さんも。遠慮することはない。

 だって俺は、お前らよりもサッカーが上手いんだぜ。

 さあ。

 サッカーを。今できる、最大のサッカーを。

 満足してはならない。この先達成すべき課題を、際限なく見つけていこう。

 

 サッカーをしよう。

 福田さんの野望のため。

 俺がこの時代の中。世界で、最高の選手になるために。

 

 

 

 



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ブルーオブブルー



希望なんてありはしない。


 

 

 

 

 

 福田葵の朝は早い。

 寝るのも早い。昨日の就寝時刻は7時だ。

 そんな彼女は先月誕生日を迎え、歳は2になった。この家に住む人間の中で最年少である。

 葵は、父と母の間から抜け出して大きく背伸びをした。

 キングサイズのベッドからぴょんと無音で降り立ち、その足で寝室を出て洗面所へと向かう。途中でリビングに寄り、カーテンを開けて、朝の光を全身に浴びた。

 洗面所で彼女専用の台をセット。これが無いとまだ届かない。温水で洗顔して、歯を磨き始める。

 しゃこしゃこ…ぐすぐす、ぺっ。

 浄水器を通した水を1杯こくり。

 次に彼女が目指すのは玄関だ。

 ロックを解除して、庭に出る。

 右手には犬小屋があった。しかし中には何もいない。彼女は犬を強請ったが、誰も世話をしたくないという理由で却下された。優しい瞬にしても、彼の身体を考えると頼めない。

 小屋は、いつか自分が成長した時、犬を飼うためものである。

 新聞紙をポストから取り、リビングで読み始める。

 他人からすれば目を疑うような光景だが、この家で気に止める者はいない。先駆者がいたからだ。阿含は3ヶ月で立ち上がった。葵も少し遅れたが、それに続いた。ただそれだけのことだった。父親も初めは驚いたが、さすが俺の娘と全肯定である。

 コーンと朝の6時を告げる鐘が鳴る。

 葵は新聞紙を畳んで自分の棚にしまった。この家で新聞を読むのは彼女だけである。

 ボタンを押して、地下へと降りる。

 地下にあるのはトレーニングルームだ。

 

 「アゴン、おはよ」

 「あ?あ〜、行くか」

 

 葵は無表情で頷いた。

 持っていた抱っこ紐を阿含へと渡す。そして、装着した阿含の手で持ち上げられ、そのまま背に収まる。

 リビングに上がると瞬がいた。キッチンに立っている。休日の朝食はいつも、瞬が自分から進んで作っている。

 

 「あ、おはよ。2人とも気をつけてな」

 「おはよシュン。気をつける、アゴンが」

 「誰に言ってんだ。俺ほど安全運転なやつはいねえよ」

 

 葵は土曜日と日曜日が大好きだった。平日はいたりいなかったりする阿含と出かけられるからだ。

 何処に行くかといえば、ランニングだが。

 阿含の背は揺れない、大きい、心地よいで満点。

 葦人だとこうはいかない。少し揺れる。阿含で味をしめている葵だ。2度目は乗れなかった。

 

 「3、2、1、スタート」

 「おし」

 

 葵は小声で告げ、ストップウォッチのボタンを押した。

 

 途中で合流した葦人を加えて葵が家へ帰って来ると、リビングに、ぷんとコンソメの匂いが広がっていた。

 瞬はランニングを下にあるマシンで済ませて、朝食を作っていた。

 

 「瞬兄、俺シャワー浴びてきていい?」

 「おう、達也さんと母さんもさっき起きたばっかだし、ゆっくりしてこいよ」

 

 阿含は何も言うことなく、葵を背から降ろしてタブレット端末を操作していく。

 葵は朝食までの間、阿含の膝に座って画面を眺めることにした。

 

 「おはよ…」

 「おはよう。葵、ほらパパのとこ来ていいぞ」

 

 母と父がリビングに来て、みんな揃って朝食を食べ始める。

 みんなが揃う土曜日の朝が葵は好きだった。

 

 今日は、ユースへと昇格する阿含と葦人の入団式の日だ。見学にと、葵は紀子と花と、父方の祖父母(花の両親)ともにエスペリオンのクラブハウスへと足を運んでいた。ちなみに福田達也と福田花の血は繋がっていない。互いの親が再婚したためだ。

 祖父母はそれぞれ医者と看護部長として病院に勤めていたが、この日の為に休みを取っていた。今日のディナーは、家族全員で行く予定だ。

 

 「あれ、阿含は?」

 「兄ィもいないぞ」

 「兄貴さっき見たけど。オッチャンは知らん」

 

 前に座っている葦人が紀子と花に応えた。

 入団式の会場で設置されたパイプ椅子に、葵はジャンプして座ろうとしたが、花に捕まり膝の上に抱えられた。

 

 「あ、そうだ。セレクションで2人入ったんや。こっちが大友。橘」

 「どーも、大友です!」

 「橘です、よろしくお願いします」

 「あとは知ってるやろ?」

 

 葵は東京CEユースへと昇格する面々を見回した。何人かいないが、見た顔が揃っていた。

 気づいた数人と目が合った。それは共通して、幼児に向ける表情ではなかった。

 暗い、畏怖の眼差しが向けられている。

 しかしそれは自分に直接向けられた感情ではない。兄達を通した、間接的なものであると葵は理解していた。

 なんと誇らしい兄達なのだろう。

 

 「アシト、ほら前の中学で一緒だった友達は?リーゼントなんていないぞ」

 「冨樫はトイレや。あれ、俺冨樫の話したっけ」

 「嘘だろ君、昨日言ってたぞ!」

  

 何だかんだ待っていると、うつらうつら。

 花の椅子が心地よい。

 葵はもう2歳。されど2歳。身体の発達段階からして、眠気には勝てなかった。

 

 

 心地の良い目覚めだ。暖かな光がベビーカーの日除け越しに当たり、葵の意識を覚醒させた。

 久々のベビーカーに思うところはある葵だったが、快適なお昼寝を提供してくれたのも彼(?)だ。懐かしさを感じないことも無かった。前回乗ったのは、いつだったか。

 深呼吸をすると、天然の芝の香りが鼻をすーと通っていく。

 喉が少し乾いている。

 水分の催促をするべく、隣に見える花の足にタッチしようとーーふと、気になった。

 静かだ。

 葵は顔を上げた。

 ああ、そうかと納得した。

 先のフィールドで試合が行われていた。試合が行われていること自体は何となく把握していたが、寝起きで頭の回転が緩やかだったのだ。

 

 

 見物人がぐるりとフィールドを囲んでいる。多くは一般人のようだったが、カメラマンや記者などの姿も確認できた。

 その反応は半々であった。

 半分は、空気に中てられている。

 もう半分は、笑っていた。これ以上に楽しいものはないかのように。静かに、口の中でゆっくりと味わうように、高揚していた。

 異様な空気が漂っている。

 黄色の選手達がしているのは、戦争だった。

 獲物は、己が足。

 砦を落とさんとするのは、1つの砲弾のみ。

 誰もが戦略に沿った戦術を絶え間なく練り、破られ、また練る。

 無理に陣地を奪う必要はない。時には引き、勝機を狙え。技術は劣る。フィジカルも劣る。ならば一丸となれ。

 黄色の歩兵がしのぎを削る中。

 隼が獲物に狙いを定め、龍が佇み、鴉が大空から見下ろしている。

 息苦しさを覚えるほどの中で唯一、そのトライアングルの空気は澄んでいた。

 

 これが、エスペリオンユースなのか。

 

 部下の記者に連れられ、足を運んだベテラン記者は戦慄する。

 まるで高校サッカー、いやそれ以上。一部を除き、誰もが死に物狂いでプレーをしている。

 ただ、恐ろしい。

 これが、ユースのサッカーと言えるのだろうか。

 戦っているのは、本当にトップチームとユースで合っているのだろうか。

 ゾクリと記者の皮膚が粟立った。

 トップチーム側のベンチへと視線が向き、主力FWとしてチームを牽引する出口選手ーーその隣に佇む彼の顔を見た。

 口角が大きく歪んでいるその容貌は、今の世間が騒ぎ立てるような、まさしく悪魔のような笑みであった。

 昔から彼を知るファンの誰かが言ったのが始まりだ。

 昔の彼のプレーは華麗で、純粋に美しかった。だが、トップチームに上がった彼は変わってしまった。

 堕ちた天才。ああ、あれはまるで悪魔のようだと。

 しかしながら、それからの彼のプレーは、より人々の目を引きつけるようになった。

 記者はその意味を改めて理解した。

 理解できないほどの光に惹かれるのは、人間の性なのだ。

 早く俺を出せ。

 威圧がここまで届いている。

 

 

 用を済ませ、水分を補給した葵が設営されたテントに戻ったときに見たのは、カウンターに成功、残っていた相手DFの1人を抜き去ったのは瞬だ。

 そして、ゴールを決める葦人の姿があった。

 葵はサッカーに興味はあるが、兄達がしているからだ。自分がプレーするのを考えたことはない。ボールも蹴ったことも無い。

 この日初めて、葵はサッカーをしてみたいと思った。

 瞬に突破されたDFが、呆然と立っているのを見つめながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京エスペリオン。

 全世界においてサッカーファンであるならば、福田達也率いるJチームを誰もが知っている。

 世界一。その栄光は、ここ数年間不動のままだったが、昨年奪還されている。

 今年また返り咲かんとするエスペリオンは、この日さらなる伝説を築く。

 

 女性初のJリーガー、ストライカーの誕生である。

 それも、日本が世界に誇るチームからという異例。

 監督の娘という情報が開示されると、大数はこう考えた。

 なんだ、またバケモノか。

 それは彼女が初出場でハットトリックを達成したことで実証された。

 ゲームを目にすれば、裏があると考える者も出なかった。

 それほどまでに、彼女のプレーは美しかった。

 

 血が受け継いだ、絶対的な才能の化身が福田葵という存在だった。

 父の思考。彼の全盛期を彷彿とさせる、攻撃的なプレー。

 瞬のステップ。活かすためのテクニック。加速。

 阿含の反射神経、敏捷性。

 葦人の俯瞰。判断力。

 それらと並ぶほどの、彼女が持ち得る天性の闘争心。

 1.9mに迫る、念密に作り上げた柔軟な肉体。

 

 

 

 

 ああ、ようやくだ。

 Jリーグのフィールドはこんなにも狭いのか。瞬が阿含が葦人が、まるで隣にいるかのようだった。

 ベンチで父が笑っている。チームドクターとしての叔母は微笑んでいる。母はどうだろう。きっと、1番応援してくれている。

 この日から、この先以降全てが自分の日。

 父も瞬も葦人も、阿含も。知人も他人も誰も彼も。

 自分のためだけにサッカーを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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隼のケンシン

 

 

 

俺には翼がある。

大空を飛ぶ鳥は多分、こんな気分だ。

 

 

双子の弟達は、サッカーの天才だ。

1人はサッカーに限らず、なんでもできる。1つ、2つの話じゃない。神様は一体いくつの才を与えたのだろう。

だが、サッカーに関しては、天才だけど実は努力ーー本人は努力とも思ってないけどーーしている。少なくとも俺から見ればそう映る。

 もう1人の弟は、双子の兄に追いつこうと足掻き、努力している天才だ。阿含と俺とサッカーがしたい。そんな想いが葦人からは溢れている。けど時折見せる、お前らよりも上手くなってやるという、爛々と昏く欲に満ちた光。そんな目をする時に、葦人は一段階上のプレーをする。

 正直今でも、ゲーム中の葦人は見ていて少し心配になる。母は試合後に、いつも俺に葦人は大丈夫なの?と聞いてくる。決まり文句のように、大丈夫と答えている。

 1度、葦人は怪我をしたことがある。小さな怪我だ。その時から、葦人は怪我を恐れるようになった。怪我したばかりの頃、夜魘されていたのを覚えている。目に見えて憔悴していた。眠れないことが続き、クマだって酷かった。酷い悪夢だったと、葦人は言った。内容は言わなかった。俺も聞かなかった。それ以来、葦人はウォーミングアップとケアを誰よりもしている。

 俺にも才能がある。

 だって、この天才2人についていけているのだから。それが何よりの証明だろう?でも、実感すればするほど、焦りも生まれてくる。葦人は、こんな俺を慕ってくれている。だから手本でいたいと思うのが、兄としてのプライドだ。

 外側では、涼しい顔でいる自分に笑えてくる。重圧は感じていられない。内心はいつも必死だ。

 葦人。本当は、俺の方が追いかけているんだ。

 弟達が俺をここまで強くしてくれた。阿含は改善を考えてくれて、葦人はキツイ時励まして寄り添ってくれた。

 ここで止まるつもりはない。兄として、仲間として、阿含と葦人に尽くし、フィールドでは対等で無ければならない。

 問題のある翼なんて言ったけど、与えてくれ、育ててくれる母には感謝しても仕切れない。

 俺は恵まれて、ここにいる。

 

 だから、Jの試合に出る時は3人一緒だ。楽しみにしてくれていた晴久には悪い気はするけど、提案を断ったことに後悔はない。

 弟達の力を1番引き出せるのは、俺じゃないと。それだけは、何があろうとも譲れない。

 時間が勿体無いんだ。連携はまだまだ磨ける。

 俺が、2人の弟を最強にする。そのための努力を惜しむつもりはない。

 晴久にそう言ったらつっこまれた。

 なんだ、お前だって1番になりたいんじゃないか。だって、お前ら兄弟だろ。

 まあ、少し違うが、あながち的外れでもないことに気づいた。

 ああ、そうだな晴久。この想いがお前に負けるなんてあり得ないと、確信したよ。

 

 この力は俺だけのものじゃない。

 家族のための、チームのための力だ。

 だから、使い時を誤ってはならない。

 最もチームに必要で、最も相手を絶望させるに適したタイミングを計れ。

 本当はいつでも、思い切り走りたい。

 1度味わってからは、試合中は頭から離れなくなる。頭の中で叫んでいる。

 早く、早く、早くと。

 でも焦るなよ。

 いつかはわからないけど、そのうち。でも出来るだけ早く。弾数の制限は無くなる。

 だから、その時まで。

 

 

 

 

 やれ。瞬。

 

 葦人と阿含が連携して奪ったボールを、瞬は既に見ていない。阿含がボールに触れた瞬間、走り出していた。

 絶好のチャンスだ。だが相手は控え中心で構成されているとはいえ、トップチーム。阿含に絶好の信頼を置きプレーする瞬に、僅かに遅れたタイミングで反応したDFがいる。

 瞬は1段加速する。

 阿含からのパスだとこれが可能。葦人からだと今はまだズレが起きる。全ては、俺の実力不足だ。

 トラップに時間は不必要。軌道、強弱、高さ、回転数、全てが揃った芸術のようなロングパスが、初めからそこにあったかの様に足元に収まった。

 試合は開始15分。スコアは互いに0。

 他DFの到着を待つも、プレッシャーをかけてくる目の前のDFを前に、瞬は更に加速した。

 神経を、尖らせ。

 前より上を行け。常に最高を更新し続けろ。

 このボールは決めなくてはならない。繋いでくれた弟達のために。前を任せてくれるチームのため。応援してくれる、みんなの為。

 繋げろ。

 一陣の風が、フィールドに吹き込んだ。

 DFに隙はない。故に、まっすぐだ。

 彼我の距離2、3メートル前。瞬はボールを足元に置いたまま、ステップを連続させた。

 ゴースト。

 自分が言い始めたわけではない。気づいたらそう呼ばれていた。ただ、何となく気に入って、阿含が珍しく笑っていたから、俺もそう呼ぶことにした。

 キーパーと1対1。抜き去ったDFとの距離はある。初見ではすんなりと行くが、相手はプロだ。2度目はこう簡単にはいかないだろう。

 決める。

 足を振り抜く前に、瞬は左へと首を振った。

 左上の枠内をターゲットに、回転を意識して、シュートを撃つ。

 ああっ、と外野が声を上げた。キーパーの右手がラインを超える前に弾いたのだ。

 されど瞬に焦りはない。首を振った時、見えていたからだ。特徴的なヘアスタイル、末の弟の方の姿を。

 ほら、ドンぴしゃり。

 拾い玉。葦人が俺の溢れ玉をミスしたことなんて、1度だってないんだ。

 

 

 前半が終わり、ハーフタイム。といっても試合時間は半分の紅白戦のため、まだ20分。だけども20分。同年代の相手の比ではないスタミナの消費量だ。

 だが、試合に出場している面々は、息を荒げながらも口角をつり上げていた。

 汗ひとつかいておらず、涼しげな表情でいるのは阿含だけだ。瞬は阿含のスタミナ切れを見たことはない。想像すら出来ない。呼吸を乱した姿さえ目にしたことはない。

 この時ばかりは、羨望する。こちらはペース配分が常に頭にあるというのに。

 

 「よくやっている」

 

 福田監督が、セリフとは真逆の声で言った。

 

 「スコアは1ー1。相手が控え中心とはいえ、健闘している」

 

 1点取られたのは、此方のミスだった。自滅したようなものだ。

 

 「だが、健闘している程度では駄目だ。向こうも後半はメンバーを代えてくるはずだ。折角だ、そう願いたい。それにこんな機会、滅多にはない。わかってるだろお前らも。想像を超えてこい。先に行けるのは、それが出来るやつだけだ」

 

 それぞれが自らを鼓舞する声が揃い、心地がいい。

 

 「阿久津、青井。後半は修正しろ。俺が言うまでもないよな」

 

 葦人が返事をした。阿久津は歯を食い締めた。

 こうなることを予想をしていなかった訳ではないが、かすかに息が漏れる。

 葦人は、フィールドに上がれば普段とは真逆の雰囲気を纏う。変貌ぶりは見事で、余計なもの一切を削ぎ落としたかのように、静かに集中する。

 そして、容赦がなくなる。敵にも、味方にもだ。この辺りは、双子だなあと思う。言い方は悪いが、使えないと分かれば切り捨てる。

 レベルを落としたコーチングはするが、俺からすれば、無視しているとの同じだ。

 阿久津は素晴らしいCBだ。性格以外は完璧といっても過言でない。

 だが、完璧の上も存在するんだ。阿含はやろうと思えばいつも、葦人だって越えてくる。

 理解できないのはわかる。俺だって弟達の考えがわからなければ理解できなかった。今だって必死に頭を働かせている。

 

 だが、的確に突かれた。相手はプロだ見逃すはずもない。

 どちらにも責任はある。だがどっちがと聞かれたら葦人だ。

 失点後は修正した。しかしそれでも最低限だ。

 阿久津は高校からのスカウト生だ。葦人とは顔を合わせたことはあれど隣でプレーするの今日が初。

 急造のチームといえばそうだか、何だろうか、根本的に相性が悪い気がする。

 そもそも今日のメンバーも1年の阿含と葦人が入れ替わっただけだ。チーム全体の力は確実に上がっている。

 問題があるとすれば、葦人と阿久津の間だ。そこだけだから、余計に目立っている。

 けど、たぶん大丈夫。ここからだ。

 後半が始まる。勝つぞ、阿含、葦人。



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鴉のアイ








 

 

 

 

 

 

 点がいっぱい獲れるFWが好きだ。

 サッカーを始めた頃からFWだった。好きなようにボールを集めて、好きなだけ点を獲れた。

 今もFWが好きだ。でも、1番っていうと、そういう訳でもない。

 ここは広い。

 全部見える、全員に指示できる、GKを除けば広いフィールドの最後尾。

 兄貴にもできない指示ができる。兄貴も、瞬兄も 俺の思った通りに動く。動いてくれる。

 守備も、攻撃も、点も。

 我慢して、ためてためて、前に上がって全部ぶつける時。すごく気持ちいい点の取り方をするなら、絶対に、この場所しかない。

 俺が、俺が、俺が。

 全部見えるんだ。全部俺ができるようになる。

 点を獲るのも、ボールを奪うのも、俺のものだ。

 指示を出せ。出すために常に思考を止めるな。見ろ、見ろ、見ろ。

 見直す。繰り返せ。考えろ俺。

 

 兄貴に、テストで勝ったことがある。

 数学だけ勉強してしてして、しまくった。他は全く勉強しなかった。あとで結果を見た母ちゃんには、怒られるかと思ったけど、大声出して爆笑された。

 担当が同じ教師だったから瞬兄にテストの傾向聞いて、解けるようになった問題も何回も解いて、ミスをしないように。

 あの時、阿含は90点。途中式を書かなかったらっていう、答えは全て正解だったけど。でも俺は100点だった。

 勝った。

 兄貴は天才だ。すぐになんでもできる。勉強も、スポーツもできなかったことはない。

 俺は最初からはできない。どれだけやっても出来ないことの方が多い。最初から間違ってばかりいる。兄貴みたいな才能が、俺にはない。

 だけどな。

 スタートは違っても、最後は俺でも勝てることがある。同じこともできたりする。

 だから繰り返せ。追いつけ俺。

 考えた。自分ができることを。どれだけ何が出来ないかを思い知った。でも、出来ることもあった。

 兄貴にはない力があったんだ。

 見つけたその日から、磨き続けた。少しだけ兄貴の背中が見えた気がした。

 ぜったい隣に立つ。1つでも多く、兄貴と…いや、追い抜くんだ。それができて、瞬兄と兄貴と対等になれる。

 今はまだまだやけど。

 だからな、頭がぶっ飛ぶくらい、とにかくやれ俺。

 鼻血がなんや、気絶がなんや。むしろ繰り返す度に、自分は毎回毎回少しずつでも、どんどんどんどん良くなっていると実感できる。だからもっと鼻血出せや!

 ただ、怪我だけには。怪我だけはもう二度としないように、出来るだけのことをする。

 怖い。

 あの時が1番怖かった。夢にも、何度も見た。俺は観客席で、瞬兄と兄貴の試合を見ている。

 いやだ、いやだ。吐きそうだ、絶対に許せない。

 あんなのはもう。置いて行かれたくない。俺だけ、そんなの絶対に嫌だ。

 瞬兄みたいな技術もない。兄貴の絶対の反射神経もない。怪我が1番近いのは俺だ。

 だから、頭を動かすんだ。リスクが最小限に済むように。確実に、ボールが奪えるように。死ぬ覚悟で目を凝らす。

 サッカーだけなんだ。

 誰にも、邪魔はさせない。俺のコーチングを聞かないやつは要らない。

 俺が1番考えている。瞬兄と兄貴を除いて、俺より上の奴なんていない。

 死にたくない。

 俺が全部考える。だから、言う通りに動け。指示に従え。

 瞬兄と、兄貴と、俺のために。

 

 

 

 

 すごいCBや。今まで一緒にプレーした中で、1番って断言していいくらい。

 でも、もう要らん。

 

 「青井…いや、アシト。聞け」

 「なんやオッチャン。もう後半始まるんだけど」

 

 フィールドに戻ろうとしたところを、葦人は福田に呼び止められ、足を止めて振り返った。

 近づいてきた福田に、顔を寄せられる。

 

 「アシト、阿久津と連携しろ」

 「さっきするって言ったけど俺」

 「違う。お前がこれからしようとしてるのは、連携じゃない。合わせるな、アシト。コーチングをしろ。お前が阿久津に教えろ。逆も然りだ。お前も阿久津から学ぶこともある」

 

 福田の指摘は、ゾワ、と葦人の肌に悪寒を走らせた。

 

 「悪いな、これは瞬からさっき聞いていた。お前ならそうするかもしれないと。俺はお前が切り捨てるのを見たことがなかったが、当たっていたらしいな」

 「なんや、瞬兄からか」

 

 それならば仕方がないと、葦人は納得する。

 

 「アシト、お前が更なる成長を遂げるためには、1番近くにいる阿久津のーー」

 「やる」

 「成長が結果的に…は?」

 「だからやるって。約束する」

 「…よし、ならいい。行ってこい」

 

 右腕を回して駆けていく葦人を眺めながら、福田は思った。

 面倒くさい性格だけど、扱いやすいよなアイツ。

 

 

 

 なんやこれ。

 阿久津の実力は、周りより1つ抜け出している。それは前半のプレーからもわかっていた。

 けど、それだけじゃない。俺が指示して、周りを動かす。阿久津は、それをサポートしているつもりなのか。すごいやり易い。

 ぞわぞわと鳥肌が立った。なんやこれ、楽しい。

 阿久津も笑えばいいのに。楽しいよな?なんでそんな苦々しい顔なんだ。汗すごいし、なんでそんな息上がってるんだ?意味わからん。

 後半から交代で出てきた、エスペリオン、それどころか代表屈指のFW出口保。

 エスペリオン入るまで知らんかったけど、すごい人だというのはわかる。

 だけどた。負ける気がしない。

 ここは抜かれることはない。確信する。

 要には兄貴がいるから、中央はない。その兄貴が右寄りに位置している。

 ああ、最高や。ありがとう、兄貴。嘲笑ってるの見えているから、声に出してお礼は言わないけど。

 

 「阿久津、そこや。もう一歩前」

 「チッ」

 

 兄貴に指示はいらない。伝わっている。兄貴と阿久津が出口さんを挟み込む。

 距離があるからか1度は突破しようと試みるも、兄貴を補助するようにコースを塞ぐ阿久津と、兄貴の速度を察して断念。今、ボールを出す箇所は、2ヶ所。

 戻せはしない。避けなければならないMFのダンヴィッチへのコースは兄貴が牽制している。

 1つは、逆サイド。だがそれは通らない。既に右SBの山田さんがハンドサインで動いている。

 流石は代表FW。出すならもう1つの方だ。こっちの障害は俺だけ。そう。俺も同じ選択をする。

 まだ可能性があるから。

 阿久津のおかげや。今日はお前がいたからできた。今回は、俺の判断の方が早かった。でもそれだけや。俺はまだまだ。こんなんじゃ駄目だ。

 速さ…アジリティには限界がある。俺は兄貴じゃない。だから、もっと早く動かなければ。そうしないと、世界には通用しない。

 力もない。誰が見てもわかる体格。フィジカルが圧倒的に足りない。兄貴みたいな体格が、才能が俺にはない。

 先読みする。癖の1つまで観察して、相手の見えているものを分析。察知されるギリギリを読んで、接触しないベターなルートを選択。

 カットする。ああ、危なかった。だけど奪った。

 さあ、もう1点とろうや。

 

 

 

 

 

 



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