落雷ブレイブガール!~TS転生勇者、子孫に惚れられる~ (もぬ)
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旅立ちの日 / にじり寄る水禍
01. 約束


 はるか後方のお屋敷から、メイドの怒号が聞こえる。

 

「お嬢様、どこへ行かれたのです!! もう、またお屋敷を抜け出して……」

 

 彼女には悪いが、大事な成長期に屋敷に閉じこもって習い事など、つまらん。

 遠くには行かない、ということでひとつ許して欲しいところだ。

 オレは領内の小さな森を目指し、跳ねるように駆けた。あそこは屋敷に近く危険もない。本当ならもっと先の町中まで出たいが、それは母親をカンカンに怒らせそうだ。

 息を胸いっぱいに吸い込む。風が気持ちいい。昔からこの感覚は好きだ。

 

「あー、肩がこる」

 

 森へ辿り着き、そんなことをひとりごちる。言葉とは裏腹に、身体は元気が有り余っていた。

 今年でオレは8歳となる。外で遊びたいお年頃だ……などと考えていることを、前世の友人達が知ったら大笑いしそうだ。

 伸びをして、何をしたものか考える。

 視線の先、良いところに背の高い立派な大木があった。この森の主だと勝手に思っている。枝が太いのがまた良い。

 

「よっと」

 

 脚が一瞬、“風”を纏う。

 一足飛びのうちに、オレは自分の身長の何倍にもなる高さへと跳びあがった。

 太い枝へと着地し、しかし納得がいかずにうーんと唸る。やはり以前のようには風の魔法を扱えていない。今のはもっと上の枝を目指していたのだ。

 この身体は風の属性にはあまり適していないのだろうか。

 前世で磨いた技を失ってしまったのかと思うと、なんともやるせない。

 

「おや?」

 

 見晴らしのいい枝に座り、森の空気を楽しみ、景色を眺めていると、珍しく自分以外の客が現れた。町の人々はここを領主の敷地の庭だとでも認識しているらしく、あまり足を踏み入れないのだが。

 来訪者は……なるほど、まだ幼さの抜けない少年だ。下を向き、察するにべそをかきながら歩いているようだ。

 この森はいいところだが、下を向いていてもあまり面白くはない。虫や草花に土なんかを愛でるのは少々上級者向けだ。どれ、先達として遊び方を教えてやるか。

 オレは枝から飛び降り、うつむく少年のすぐそばへ華麗な着地を決める。

 

「やあ、ごきげんよう」

「う、うわあ!? なんだ、キミ……」

 

 すっとんきょうな声をあげて驚く少年を見て、いたずら心が満たされる。彼はこちらが年端もいかぬ女子と認めると、急いで目の辺りを腕でぬぐっていた。

 ふむ、からかい甲斐がありそうな子だ。興味がある。

 初めましてだし自己紹介でもするか。誰が相手でも、仲良くなるにはまずそこからだ。

 自分と同じくらいの背丈の少年と目を合わせ、なるべく陽気に話しかけてみる。

 

「はじめまして。オレは……ミーファっていうんだ。君は?」

「……ええと」

 

 何やら少し逡巡する様子。名乗りたくないのだろうか?

 しかし名乗られれば名乗り返すのが礼儀というものだ。少年もそれをわかっているようで、虫の鳴くような声ではあるが、返事をしてくれた。

 

「……ユシド。ユシド・ウーフ」

「ウーフ? それって」

 

 どきりとする。ウーフという名は、先代風の勇者であるシマド・ウーフの家名と同じだ。

 というか、オレがそのシマドだ。死して200年ほど経った今、以前の記憶を持ったまま新たな生を受け、勇者の責任から解放されて気ままに子どもをやっている。

 つまり、この少年は……

 

「前の風の勇者の子孫?」

「う、うん」

「ほお……」

 

 オレの、子孫。ということになる。

 

「君みたいな小さい子も知っているんだね」

「ん? あ、ああ。まあね」

 

 意識してみると、ブラウンの髪に翠色の瞳は以前の自分に似ている。顔はあまり似とらん。

 孫かひ孫か、ともかくその顔を見られた嬉しさが、後から押し寄せてきた。うん。平和な世を求めて旅した意味はあったのだ。そして、無理にでも子を作った意味も。

 ……あれ。

 しかしなんだってそこで暗い表情になる? も、もしや先祖のことが嫌いなのか?

 

「じゃあ、僕はこれで」

「あ、こら、待ちたまえよ」

 

 そそくさと帰ろうとした少年の服の裾を掴む。そのまま木陰に引き込み、ぽんと地面を叩いて隣に座るよう促した。

 町のどこかにオレの家系が住んでいるだろうとは思っていたが、でかい屋敷に籠りきりのご令嬢生活のせいで、これまで確かめられもしなかった。こうして会えたのは初めてなのだ。簡単には逃がさぬ。

 少年……ユシドはおそるおそるオレの隣に腰掛ける。なぜそんなに暗い顔をしているのか問うと、吐き出す機会が欲しかったのだろうか、たどたどしくも、想いを語ってくれた。

 

「これ、知ってる?」

「それは……!」

 

 ユシドが右手の甲をこちらに見せる。そこには、形容するならば剣か矛のように見える図絵が刻まれていた。あざにしては綺麗すぎる。

 オレにとってそれは、とても見覚えのあるものだった。

 これは勇者の紋章。世界に選ばれた、使命を背負う者の証である。

 

「もしかして、『風の勇者』に選ばれたのか?」

 

 ユシドは頷いた。思わず感嘆の息がもれる。我が一族から再び風の勇者が現れるなど、なんと光栄なことだろうか。口の端が上がってしまうのを抑えられない。

 ところが、どうも彼の暗い表情の原因はそこにあるらしい。

 

「勇者に選ばれるなんてすごいじゃないか! ひとつの時代にたったの7人だけ、最も強大な力を秘めた者が選ばれるんだぞ」

 

 七人の勇者には、その時代最高峰の魔力を持つ者でなければ選ばれない。それが使命を果たすのに必要な力だからだ。

 この子が“風の勇者”に選ばれたというならば、前世のオレに匹敵する力にいずれ目覚めるはず。何が不満だというのだろう。

 

「その、僕なんかに勇者の使命がつとまるとは思えなくて。こんなに弱い僕なんかが」

「それはほら、これから修行して強くなるものさ」

「色んな人の期待に応えられるだろうかと思うと……」

「今すぐ旅立てっていうものじゃないんだから、焦らずにいなよ」

「……今まで仲良くしてくれた友達と仲が悪くなっちゃったんだ。なんでお前なんかが勇者なんだ、って」

「あー……」

 

 それが本題か。それはその、たしかにオレにも似たような経験がある。

 若いときは嫉妬やらを向けられ、力を得た後はこちらに取り入ろうとする人間が大勢、自分の前に現れた。もちろん尊敬を向けてくれたり、ずっと変わらず接してくれる友人もいたが、この子がそれに気づけるのはまだ先だろう。

 自分は何も変わっていないのに、ただ手に紋章が表れただけで環境が変わってしまった。今はそういう時期だ。これに戸惑わない子供はいない。

 

「気にするなよ、そんなの。そのうちうんと強くなって見返してやればいい」

「……そんなことがしたいんじゃないんだ」

 

 さっきより少し、語気が強くなった。

 

「僕は……またみんなと仲良く、友達でいたいだけだ」

「なら、そうしなさい」

 

 自分の気持ち、したいことがはっきりしているなら、後は行動するだけだ。

 

「どんなに冷たくされても、オレ達は友達だーっていう態度でぶつかっていけばいいよ。前までは普通に仲良かったんだろう?」

「う、うん」

「なら大丈夫さ。君の友達も、君と同じように戸惑っているだけだよ」

「……そうかな。うまくいくかな」

 

 そんなことはわからない。彼の元友人たちが今どんなことを考えているかなど、想像するくらいしかできないのだから。

 無責任なオレの助言で、このユシド少年は人間関係にさらに深い傷を入れてしまうかもしれん。

 ううむ。とはいえ、いつまでもそう思い悩んでいても状況は良くならないものだ。やはりガンガンいくのがいい、子どもの社会は陰湿だが単純なところもある。

 背中を押す方針で行こう。

 

「まあまずはぶつかってみなって。どうしてもうまくいかなかったら仕方ない。オレが友達になるから、それで我慢しなよ」

「え? ほ、本当?」

「ああ。約束しよう」

 

 ユシドの手を取り、小指を自分の小指と絡ませる。昔からこの世界にある、小さな約束を結ぶときのしぐさだ。

 ユシドは少し顔を赤くして立ち上がった。おう、照れてるのかい。おじさんとしてはどうにも可愛くて仕方ないな、そういうの。

 遅れて立ち上がり、その顔をじっと見上げる。最初に見せた暗い表情と比べるとずいぶんマシになった。

 

「その、ありがとう。僕みんなのところに、もう一回行ってみるよ」

「おー、いけいけ」

 

 わずかな時間だったが、我が子孫と言葉を交わせて楽しかった。これでこそ生まれ変わり甲斐があるというものだ。

 彼が無事友人と仲直りできればもうここには来ないだろうが、同じ町に住んでいるならいつかまた姿を見る機会もあるだろう。そのときは“風”を継ぐものとしての雄姿を期待したい。……いいや、そうでなくともいい。必ずしも勇者が旅立つ必要はないのだ。末永く健康で、楽しく生きていてくれたなら。

 名残惜しい気持ちを抑えて、その背中を見送る。

 すると、ユシドは一度、こちらを振り返った。

 

「あ、あの、えっと……ミーファ?」

「なんだ」

「ま、また明日」

 

 最後にぽつりとそれだけ言って、あの子は走り去っていった。

 これは……なんとしても、また屋敷を抜け出さないといけなくなったな。

 明日はどんな話が聞けるだろう。願わくば、次はユシドの幸せそうな顔を、もっと見たいものだ。

 

 

 

「ごきげんようユシド」

「わ……っ、と、もうそんなに驚かされないぞ」

「ハハ、なんだつまらない」

 

 脚で枝にぶら下がり、逆さまの状態で突然目の前に現れてみたのだが、期待したリアクションは得られなかった。

 だがそうやって驚くまいと身構えている姿も面白い。ユシドには悪いがなかなか飽きないものだ。

 今日の彼を観察する。先ほどから、木で出来た剣を振り回しては、ああでもないこうでもないと難しい顔をしていた。

 何をしていたのか? と、わかりきったことを聞いてみる。

 

「ん? ああ……剣を教えられる人が周りにあまりいなくてさ。自分で練習でもしようと思って」

「ほほう」

 

 いい心がけじゃないか、我が子孫は! まだ齢2桁になった程度だろうに、もう鍛錬を始めるとは。オレを超える勇者になるぞこれは。

 

「ごめんよミーファ、棒ふりなんか見ても退屈だよな」

「いいや。何を隠そう、オレはそういうの大好きだぞ。続けて続けて」

「そうなの? 近所の子たちとは少し違うなあ」

 

 そりゃそうだよ、中身はお前の倍以上生きたおっさんだもの。

 ユシドが懸命に剣を振るのを観察する。さすがにまだ子どもだ、基本的な動きもできていやしない。やはり誰かに師事するか、指南書にでも目を通すべきだ。

 しかし、剣の師がいないのは仕方のないことかもしれない。この町は先代の『風の勇者』や先々代の『雷の勇者』を輩出した歴史ある土地ではあるが、勇者の張った結界に長年守られているゆえか、よそのように街を守る腕利きなどは数がいない。悪く言えば平和ボケしているのだ。

 以前のオレも、旅立つ自信をつけるには時間がかかったものだ。戦い方は我流で、剣の腕は正直めちゃくちゃである。しかし戦いの経験値だけはこの世の誰よりも積んでいる……かもしれない。いまちょっと誇張した。

 ……待てよ。そうだ、いるじゃないか。次代・風の勇者に、おあつらえ向きの師匠が。

 

「なあ、きみ。オレが稽古つけてやろうか?」

「あはは、何言ってるんだよ」

 

 一笑に付された。まあ、そうだよね。

 オレはその辺を歩き回り、しばらくして、良い感じの木の枝を見つけた。片手で軽く振れ、尖っているところもほとんどない。

 その先端をユシドに向け、煽る。

 

「もしオレがお前より強かったら、弟子にでもなった方が良いと思わないか?」

「うん? ええと、そうだね、それは」

「なら……手合せごっこでもしようか、ユシドよ」

「ええっ? ダメだよ、危ないぞミーファ」

「まあ、たしかに危ないかもな――お前がな!」

 

 身を低くして突進する。ぐんと距離をつめると、ユシドの驚いた顔が見えた。次いで、横薙ぎに振るわれる木剣。こちらの足元を払うような軌道だ。もし咄嗟に反応して、しかもこちらをなるべく怪我させないような振り方をしたのだとしたら、すごいな。やはり逸材かもしれん。

 ユシドの眼前でにたっと笑って見せ、地面を蹴る。木剣も相手の頭上も飛び越え、宙返りしつつ、その背中を枝でぴしゃりとやった。

 

「あいたっ!?」

「ふふん、オレの勝ち」

 

 ユシドは振り返って、オレの顔を見たまま茫然としている。いい表情だな、もう少しアピールするか。

 オレは少し開けた場所に目を向け、ユシドをやや下がらせた。樹木をむやみに傷つけないようにしなければ。

 

「見てろ、驚くのはこれからさ。はああ……!」

 

 枝を両手で握り締め、大上段に構える。自分の内側に秘めた力を起こし、外の世界へ働きかける。

 風、あるいは気流という形の現象としてあらわれるそれを、ただ放出せず、手の中の“剣”へかき集める。金の髪が荒々しくなびいた。

 

「せえっ!」

 

 吹きすさぶ風を、剣の振りと共に解き放つ。狭い面に集約された風の魔力が広場に小さな竜巻をつくり、周りの木々を騒めかせた。草葉が舞い上がる。

 ふむ。昔はこの一振りで魔物の軍勢を吹き飛ばしたものだが、今ではこんなものか。

 ……剣たりえなかった、木の枝を見る。刀身に見立てた部分がズタズタに引き裂かれてしまっていた。本来は頑丈な剣に乗せて放つものだ、こうなるのは必然だろう。

 しかし実に久しぶりにこの技を使ったが、身体が違うと加減もよくわからないな。風の魔力が弱いからといって威力を引き上げようとすると、暴発するかもしれない。扱いには気をつけねば。

 

「うそだろ……今の、魔法剣ってやつ? 昔の勇者さまたちが使っていたっていう」

「よく知ってるじゃない。おうちで本でも探したか?」

「う、うん」

 

 ユシドはやや目を輝かせながら詰め寄ってきた。そうそう、その顔が見たかったんだよ、お前のじいさんのじいさんは。

 

「信じられないや。僕より1つ年下なのに」

「世の中メチャクチャ強い子どもだっているものだ。オレのことは格上だと思いなさいね」

「むううっ」

「そのうちこの技を教えてあげよう。先代風の勇者も魔法剣を得意としたという」

 

 ユシドは喜んだり、悔しそうな顔をしたり、考え込むような仕草をした。ガキは何を考えているのかわかりやすくていい。オレの子孫ならばなおさらだな。

 

「ミーファってさ、何者なの? あっちのお屋敷の子だけど、ただのお嬢様じゃないよね。……勇者についてやけにくわしいし、あと、すごいつよい」

 

 おや、気になるかやっぱり。

 前世が風の勇者だから……というのが答えだが、なんだか今ばらすのも面白くないな。どうせならこいつがもっと大きくなってからがいい。

 それっぽい理由をつけてごまかそう。子どもだし大丈夫だろ。

 

「言ってなかったっけ? うちは前の前の『雷の勇者』の家系なんだ。勇者に詳しい理由は君んちと一緒さ」

「えー!?」

 

 ユシドは目を丸くして驚く。向こうの大きいお屋敷が雷の勇者の家だったなんて……などと呟いていた。知らないだろうと思ったよ。

 オレが風の勇者に選ばれる前は、この町からは雷のが出るんだってずっと言われていたくらい、由緒ある家なのだが。

 適当に生き抜いたオレと違い、かの先々代雷様は旅を終えたのち、ここを牛耳る領主として一族を栄えさせたのだ。おかげでこのミーファ・イユの人生はそこそこ上流階級である。

 それと比べて、直近の勇者の子孫なのに普通の町民であるユシドを見ると、もうちょっと真面目に人生やるべきだったかな?と思わなくもない。

 なんとなく、聞いてみる。

 

「なあユシドよ。おまえ、先代のことはどう思う?」

「どう思う……ってなに?」

「すきか? きらいか?」

「ええと、ふつーに尊敬してるけど」

「はは、そうか」

 

 ……まあ。こうして出会えたのだから、これからユシドに良くしてあげることはいくらでもできる。

 それこそが今世の自分の務めではないかとすら思えてきた。こいつのこれからを想像するだけで楽しくなるこの気持ちは、親類ならではのものだろう。

 

「ようし、剣を構えてみせろ。オレが君を一人前の勇者にしてやるからな」

「……うーん、でもな……」

「なんだよ、まだ不服かね?」

 

 力は見せつけてやったが、男の子のプライドも刺激してしまったのだろうか。ユシドはオレの申し出に渋った。

 どうやってその気にさせたものかな。子どもをうまく誘導するのは親の楽しみであり、罪であり、難しいことのひとつだ。

 

「じゃあこういう遊びにしよう。いつかお前がオレに勝てたら、なんでも言うこと聞いてあげるよ。はたしてできるかな?」

「……わかった! よろしくお願いします」

 

 それでよろしい。やや考えるような間があったが、ひとまず師事する気になってくれたようだ。

 ふふ、どう育てたものかな。とりあえず、以前のオレにできたことくらいは全部できるようになってほしい。世界の平和を保つのはおまえだ、我が末裔よ。

 

「ミーファ。さっきの話、約束ね」

「お、おお。街中を大声あげながら走り回れでも、大人にイタズラしろでも、なんでもドンと来なさいよ」

 

 ユシドが小指を差し出す。そこまで改まるような話なのかと苦笑しながら、オレは自分の指をそこにつないだ。

 

 

 今にして思えばきっと。

 それは彼にとって、大切な約束だったのだろう。

 

 



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02. 風の勇者、雷の勇者

 大樹を背に、木陰で本を読む。

 “人間の身体に備わる魔力は、引き起こされる現象の差異によっていくつかの種類に分けられる。”

 そんなことは知っている。読み飛ばす。

 “風の属性を持つものは、大気を自在に操り、世界を自由に駆け回り、”

 読み飛ばす。

 “雷の属性を持つものは、とりわけ強大な力を持つとされ、魔を討ち払う者として大成しうる。以下に雷術の知識を記す――”

 ざわ、と枝葉が揺れる。風の訪れを感じて、ページを閉じた。

 

「ミーファ……あれ? まだ来てないのかな」

「や、少年」

「にょおっ!?」

 

 後ろから近づき、相手の腕に押し当てた指からわずかな魔力を放出する。

 ピリ、とほんの糸くずのような電光がまたたき、ユシドは悲鳴をあげた。

 

「いた……くはない、けど! 何するんだよいきなり!」

「いやあ、その反応が見たくてね」

「もう、なにしたの? 腕がぞわっと変な感じだよ」

「雷属性の術さ、ほれ」

 

 指の間に短く小さな電流の橋をかけてみせる。雨雲から降り落ちる雷電に似た性質を持ち、高い攻撃能力が特徴の属性だ。

 お遊びで練習していたが……前回の旅で同行していた雷の勇者の力とは、まだまだ比べるべくもない。とりあえずはこうしていたずらに使う程度だ。

 とはいえ、この年で魔法術を使う子どもなど、この町にはそういないはず。ユシドは悪戯への怒りも忘れ、感嘆した様子だ。

 

「へえ……! さすが雷の勇者の子孫。ミーファはたしか、まだ10歳になったくらいでしょ」

「おまえの上達ぶりには負けるさ」

「え、っと、へへ」

 

 今日も今日とて稽古だ。この年の少年少女としては、オレ達はずいぶん変わり者に見えるだろう。しかし勇者候補ともなれば、町の連中も納得した目で見てくれる。

 出会ってから、遊びながら修行をつけてきたこの2年で、ユシドは風術の扱い方をずいぶんわかってきている。オレが同じ年の頃は近所のやつらと鼻水垂らして遊んでいたことを思うと、ここからさらにどう成長していくのか楽しみだ。こいつの旅はきっとオレ以上の成果を出すに違いない。

 

「でも、驚くのはこれからだよ!」

 

 互いに木剣を握り向き合ったところで、ユシドはいつになく興奮した様子を見せた。

 何をする気か見守る。ユシドは目を閉じて集中したのち、剣を構えた。力が刀身に集中していくのがわかる。これは……!

 

「だあっ!!」

 

 強い風が巻き起こった。勢いよく飛びかかってくる草葉から顔をかばいながら、だらしなくにやついてしまう表情を隠す。

 あれこそはまさしく、先代風の勇者が使いこなした風の魔法剣。すでにここまで形にしたか。

 風が落ち着いてから、ユシドに声をかける。こほん、あまり心のままに褒めすぎんようにしよう。勢いで、記念に今日は休養! などと言ってしまいかねない。

 

「……やるじゃないか、ユシド? 素晴らしい鍛錬の成果だ」

「へへ、ミーファのおかげ……うわっ!!??」

「ん?」

 

 ユシドは慌ててオレから顔を背けた。なんだ? 顔になんかついてる?

 思わず自分の身体を見下ろす。……ああ、なるほどな。

 風の剣が、オレの魔力の守りを突破してしまったらしい。親から頂いた上等な服があちこち破け、白い素肌がやや露わになってしまっていた。うーわ、怒られるぞこれは……。

 ……まあ、オレの方はメイドや母親にこっぴどく叱られるだろうが、これは外で身体を動かして遊ぶ用の服として贈られたものだ。いつかこうなる運命だった。こちらも油断していたし、がなり立てるようなことではない。

 しかし良い機会だから、先祖としてひとつ教育しておこう。

 

「ユシドよ、おなごの肌を晒させたからにはお前、責任をとらないといかんぞ」

「ごご、ごめ……せきにん……!?」

「なんてな。ハハハ」

 

 近付いていくと、赤い顔で遠ざかるのが面白い。しばらくこのまま楽しんでもいいが……

 どうやらやつには目の毒らしい。子どもの裸なんぞ男女で大して変わらんだろうにな。ガキにしては少し煩悩が多いんじゃないのか、きみ。

 仕方ない、着替えを取りに行くか。これでは修行もままならない。いやある意味修行かもしれんがな。勇者ともなれば色仕掛けの罠によくはめられるものだ。お前も痛い目に遭うだろうな、ふふ。

 少しして戻ってくることを告げ、ユシドに背を向けた。

 屋敷の方向へと森を戻っていく。やれやれ、いかにしてメイドの目をかいくぐったものか。あるいは言いつくろったものか。

 

「………」

 

 足が止まる。

 異常な感覚が頭の中をよぎったからだ。

 記憶の中を探り、原因に思い当たる。これは、破邪結界に異変があったときの警告反応だ。

 このシロノトの町はあまり特色もなく凡庸な土地だが、安全で平和であるという点では他所に勝る。なぜならば、先代風の勇者が遺した結界に守られているからだ。

 人間を襲う魔物たちの侵入を防ぐそれは、大昔にこのオレが、先代の雷に師事し、先々代の雷さまの遺した術を用いて作りだしたものである。自分にしてはまともで勇者らしい大仕事だったと誇っている。

 ……そこにいま、異常事態があった。すなわち、結界のほころび。

 または――魔物の侵入。

 感じ取れたのは僥倖だ。生まれ変わり、少女ミーファとなったとしても、何か前世の自分とのつながりがあるらしい。

 さて。

 放っておいても、結界を管理しているウーフ家の者が対処するはずだが……、

 侵入者の位置はこの森の中。それに末裔たちが万が一ケガなどするのは嫌だ。ここはオレが出張ってもよかろう。

 オレは踵を返し、木剣を握り締め、異物の反応がある場所へと走った。

 

 森の深い場所へ足を踏み入れる。反応が近い。

 幸運にも、ここは屋敷とも市街とも距離があり、人々がうろつくことはそうないだろう。

 ならば……あの獣に、誰かが襲われてしまう心配はないわけだ。

 

「ウェアウルフか」

 

 視線の先には、人間のように二本の後ろ足で歩行する狼がいた。

 彼ら魔物は悪意をもって人を襲う性質があり、我々にとっては害悪でしかない。同じ世界に存在する生命ではあるが、ここに侵入してしまった以上、討ち倒すのみだ。

 木剣を握り締め、遠くから観察する。

 既にこちらを察知しているはずだ。やつらは鼻が利く。獣のごとき俊敏さで獲物に迫り、大男の体格からふるわれる爪、そして子供を丸呑みしかねない大口に備えられた牙は、魔物退治の経験がない者にはあまりに恐ろしいものに映るだろう。

 しかし前世では、彼らには呪われかねないほど、あの手の獣人型は殺してきた。こんな木剣を振り回して敵う相手ではもちろんないのだが、オレならむしろ素手でも殺す手段はある。すぐに仕留めてしまおう。

 奴に正対する。木の剣を構えた。獣の唸り声が肌を刺激する。集中し、己の内にある燃料に火種を近づけた。

 やがて、木々がざわめき始め――、

 

「あれ? ミー、ファ……?」

「なっ――!?」

 

 自分以外の、人間の声。

 視線を横へ向ける。木々の間から、ユシドが顔を出していた。

 想定外の事態に、頭が急速に思考を広げる。

 なぜここに。ユシドは森のこんな端には立ち入らない。町の外に続く場所なのだ。オレや大人から口すっぱく言われているはずだ、常ならあり得ない。

 ……そうか! 結界の維持は一族が引き継いでくれている仕事だ。直系の子孫であり、いずれその役割を担うユシドが、オレの張った結界の異変を感知してもおかしくはない。ましてや次の“風”に選ばれる素養があるのだから。

 

「ひっ!? な、魔物……!?」

 

 だが、自分に呼びかける何かの元が、魔物とは思わなかったのだろう。

 子どもの身から見上げれば、ウェアウルフはとてつもない化け物だ。ユシドは恐怖のあまり尻もちをついてしまった。

 魔獣の顔が、より手ごろな獲物の方を向く。まずい!

 

「う、うわあああっ!!」

 

 獰猛な鳴き声をあげ、少年に襲い掛かる獣。柔肌を爪牙が切り裂くのは、瞬きの後か。

 ――させるものか。

 風を足元に巻き起こし、一直線に跳ぶ。

 一撃でやつを討つには魔力が足りない。爆発的な移動の分、魔法剣に回す風が不足している。

 両腕を広げ、ユシドを捕まえ、さらう。

 強靭な腕から振るわれた爪が、腕を掠めた。

 

「ッ……! 獣畜生が」

 

 ユシドを背に庇い、立ち上がる。左腕に熱が走り、見ると、一筋の掻き傷から赤い血が流れていた。

 家族に見られたら卒倒されるぞ。また悩みが増えたじゃないか。

 

「み、ミーファ……そんな、血が……!」

「やあユシド。ケガはないか?」

「僕なんかより、きみが!」

 

 元気そうだな。本当に良かった。

 さて、あとは目の前のこいつをやっつけてやるだけだが。

 ……自分で思っていたより、風の魔力が少ない。本来のオレなら無意識に身に纏っているものだけで、あれくらいの爪など通さないはずだ。通したとて、腕の筋肉の守りもあった。それがこのざまとは。

 今、残る風を剣にかき集めて放っても、一撃で殺せるかどうか。万が一それを外したりしたら……。

 歯を食いしばる。小娘になり、戦いから離れてもう10年。これしきの痛みに随分と弱くなったものだ。

 だが、ここでユシドを守れなければ生まれ変わった意味など無い。この子はオレの宝だ。獣などにくれてやるものか。

 意を決して、両手で剣を握り――、

 

「え?」

 

 視界が遮られる。

 魔物から庇うように、ユシドがオレの前に立ちふさがった。

 

「……何をしている、バカ者が! どきなさい!」

「いやだ」

「まだお前の敵う相手じゃない! どけ! 早く!」

「僕は……僕が、ミーファに怪我させたんだ。君に守られたままじゃ、自分を許せない」

「何を言っている!?」

 

 やめろ、やめてくれ。

 向こう見ずなガキは嫌いだ。ユシド、お前は愚かだ。ウェアウルフはもうそこまで来ている。

 オレは痛む腕で、無理やり身体を引っ張ろうとした。

 

「自分も許せないけど――それより、お前が許せない!!」

「うわ!?」

 

 突風に身体を押された。急な出来事に混乱し、周りを見る。風はどこから来たんだ!?

 その背中を見る。風は、ユシドから巻き起こっていた。

 木剣を上段に構える。今のオレとは比較にならないほど、濃密な風の魔力が剣を取り巻き、渦をつくりだす。

 

「だああーーッ!!」

 

 ユシドが剣を振り下ろす。小さな嵐が、人狼の身体を巻き込んでいった。

 

「ハァ、ハァ。うっ……」

 

 ユシドは膝を折り、身体をぐらつかせた。慌てて駆け寄り身体を支える。

 オレの顔を見て、やつは安心したように笑った。……ほう。格好いい顔じゃないか。

 そのまま気絶してしまったため、そっと草原に横たえる。魔力を急激に絞り出したことによる疲労だ。

 ……お前、良い剣士になるよ。この土壇場であれほどの魔法剣を繰り出すなど、他に誰ができる?

 

「ま、詰めは甘いようだが。なあ?」

 

 オレは立ち上がり、ボロボロの身体でうずくまるウェアウルフに声をかけた。

 ユシドの落とした剣を見る。やはりこんな木製ではあの威力に耐えられないか。攻撃がしっかり決まる前に刀身が風に引き裂かれ、威力が散逸してしまったようだ。

 魔物は命を絶つとその身体を霧散させるはず。目の前の獣は相当のダメージを受けたようだが、そうはなっていない。やつがまだこちらを攻撃しようとしている以上、とどめを刺すまで終わらない。

 

「ガアアアアッ!!」

 

 手負いの獣が向かってくる。

 ユシドはよくやった。あいつが力を見せたのだ、オレも、力を振り絞ってみせよう。

 

 ――自分に必要だったのはきっと、新しいものを受け入れることだ。

 木剣を握った手に、金色の火花がちらつく。ちりちり、パチパチという断続的な音は、間隔を縮めていき、すぐにけたたましい響きになった。

 滾る力を抑えずに、思いのまま解き放つ。自分の中に眠る最高の力。

 携えた魔法剣にあらわれたのは、“風”ではなかった。

 

「盛大に葬ってやる。じゃあなっ」

 

 派手な光と音に、魔獣が斬り伏せられる。

 やがて彼のいた証は消え失せ、草の焦げた地面だけがそこにあった。

 

「博打でやってみたが、なるほどね……」

 

 振り下ろした木剣、だったものを観察する。刀身はどこかへ消え失せ、その根元は焼け焦げていた。炭にでもなってしまったらしい。

 ふうと一息つくと、少しふらついた。ユシドと同じく魔力の急激な放出、あるいは枯渇によるものだろう。この身体もまだまだ未熟ということだ。

 気絶するユシドの横に座り、膝を枕にして頭を乗せてやる。

――よく頑張ったな。まあ、こいつがオレに似て、バカなのもわかったけど。

 髪をなでてやると、いくらか安らかな顔になった。心地の良い夢でもみているのだろうか。

 

「ん……? はは! こうなったか」

 

 少年を撫でた手の甲に、さっきまではなかったものがある。

 そこには、ユシドのものと同じ……剣のような紋章が刻まれていた。

 魔力を高めるとほのかに金色に光るそれは、この身が“雷の勇者”に選ばれた証明だ。

 

 魔物の消えた跡に目をやる。

 これまで平和だったここに、あの程度の魔物が侵入するとは。

 オレの張った、破邪結界の効果が弱まっているのだろうか。破邪の力が弱まるのも、魔物の力が増すのも、200年前のあのときと同じだ。

 

 ――世に魔がみつるとき、勇者あらわれ、かの地にて星を正す。

 

 旅立ちまでの時間は、すぐそこまで迫っているのかもしれない。前回の勇者たちは少し不甲斐なかったと言われても仕方がないな。本当なら、オレには過ぎた仲間たちだったのだが。

 だが、きっと次の勇者の旅は、前回とは違った結果になる。

 

「偉い、偉い」

 

 髪をさわる指が心地よい。愛しい我が子であり、孫であり、弟。

 ……ユシドよ。オレも君の旅についていこう。

 この先代の風がお前をずっと、そばで守るよ。

 

 



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03. 故郷を発つ

「ここに来るのも久しぶりだな」

 

 森の主である大樹を手で撫でる。生まれ変わりから16年以上が経ち、随分と背は伸びたはずだが、目の前の大樹は変わらず雄大な存在として佇んでいる。

 しばらくそうしていると、やがて風が木々を揺らした。……ちょうど約束の時間だ。

 気配に振り返る。そこにはすでにひとりの青年が立っていた。その容姿を眺めて、いっとき呼吸を忘れた。

 茶の髪に翠の瞳。顔はまだあどけなさを残しているが、立派に成長した体格もあってかずいぶん精悍になった。何より、剣を腰に下げたその立ち姿は、どこかあの日の自分に似ていた。

 

「あ、あの……ミーファ? だよね?」

「他の誰に見える?」

 

 困惑した様子でおずおずと声をかけてくる青年。なるほど、中身は大して変わっていない。思わず笑ってしまった。

 

「あ、その笑い方はミーファだ」

「久しぶりだなユシド。大きくなったじゃないか」

 

 子供の成長というのはまったくあっという間で、ついこの前までちんちくりんだったものがすぐに大人の仲間入りをする。我々はそれを見て、自分が年老いたことを実感するのだ。

 

「今日こそ君に勝つよ。そのためにいろんな経験を積んだ」

「ふん。そうか」

 

 自信の灯った眼でこちらを見るユシド。今日のこいつは、オレに力を見せに来たのだ。

 ――大層なことを口にするが、あのままオレの指導を受けていた方が良かったに決まっている。

 あれはいつだったか。オレ達でこの森に侵入した魔物を倒してからしばらく後、こいつはオレから離れていったのだ。

 森に遊びに来なくなった、だけではなく、町からいなくなった。なんでも親類の商いについていき、護衛の傭兵や旅路を共にした冒険者たちから、戦いを教えてもらっていたとか……。

 後になって『勇者として旅立てるほど強くなって、君を迎えに来る』などという手紙をよこしてきた。やつの中で何か並々ならぬ決意があったようだが、なんでも自分勝手に決めおって。子孫に会うことが年寄りの唯一の楽しみだというのがわからんのだろうな。

 結局オレがまともに教えられたのは、風の魔法剣くらいだ。

 

「どれほどやれるようになったのかは知らないが、生半な技では旅立ちなど認めない。わかっているな」

 

 ユシドは頷き、長剣を抜いた。両手で握り構えるさまはそれなりに雰囲気がある。得物が以前のオレと同じというのは、まあ、教えた基礎は忘れていないらしい。

 しかしそれを十全に扱えるようになったかどうかは、見ないと分からない。

 

「ミーファも構えてくれ。ケガさせたくない」

「……ふうん」

 

 言うようになった。よかろう、その方が安心するというなら言う通りにしよう。

 オレは腰の片手剣を抜き、半身で構えた。意識と身体をやや強張らせ、自分を取り巻く魔力で身を守る。

 修行を積んでいたのはお前だけではない。オレを傷つけられるものなら……

 

「やってみろ……!」

 

 闘気に魔力を乗せ、威嚇する。

 よそで学んだしょうもない術など見せてみろ、その剣ごとお前をへし折ってやる。

 そして今までの分……6年ほどはオレの下で修行させる。商隊の選ぶ安全な道で得た経験などでは、全ての困難をねじ伏せる強さは手に入らない。それを教えてやるために、オレは今日ここへ来たのだ。

 正対する青年をにらみ、この場に緊張を充満させる。オレから攻撃はせんが、半端な攻撃ならば跳ね返す。ケガをしてしまうのはそちらかもしれない、そういう意思を込めて視線を投げる。

 だが……ユシドは、薄く笑っていた。

 

「いくよ。はああ……」

 

 大上段に掲げた剣に魔力が集中する。ユシドから巻き起こる風と、逆にそこら中から集まってくる風に、森の木々が不規則に揺れる。

 やがて、ざわめきが嘘のようにピタリと収まった。森が凪いでいる。やつの剣は、刀身を完全に隠し姿をゆらめかせるほどの濃い風を纏っていた。

 視線が交差する。オレは反射的に、自分の剣に雷を流し込んだ。

 

「風・神・剣ッ!」

 

 剣が振り下ろされる。

 息を呑む。先代風の勇者が振るったという魔法剣。小さな少年だったころに見せたものとは比べ物にならない。オレを飲み込む大きさの竜巻が、轟音を伴って目の前に迫っていた。

 風の魔力の塊に剣を押し当てる。衝撃で弾かれそうになった。こちらを怪我させかねないというのは大言壮語ではない。正面から受け止め、跳ね返せる技ではないな。

 だが、オレには届かないぞ……!

 至近距離の暴風に耐える。魔力が弱まるときを測り、渾身の力で嵐を切り裂いた。

 霧散していく風。その向こうにユシドが……いない?

 

「どうだった?」

「!」

 

 背後からの声に振り向く。

 ……実際の戦闘であれば、後ろからさらなる一撃を加えられる、と言いたいわけか。

 こしゃくなことをするようになった。

 

「……ふん。残念だが、さっきの剣はオレには届かなかったようだぞ。先代の風神剣ならば――」

「ちょ、ウワーーッ!!?? ご、ごご、ごめ……!」

 

 ユシドが慌てて自分の顔を隠した。腕の間から見える部分が真っ赤だ。不思議に思い自分の姿を見下ろす。

 まとっていた衣服が引き裂け、肌があちこち露わになってしまっていた。

 

「むむ」

 

 近頃は家族でさえ見ること叶わぬオレの肌を……。

 オレの守りを突破したということか。撃った後の余裕ある姿を見るに、本気を出せばさらに威力を出せるのだろう。

 その歳で、ここまでモノにしたか。

 

「これなら、旅に出られるな」

「せき、せきにんを……え? いま、なんて」

 

 手を差し出す。

 子どもの成長は早い。オレが見ていない所でも、君は強くなっていった。

 

「認めると言ったんだ。共に行こう、風の勇者」

 

 ユシドに未熟なところはまだまだあるだろう。だが、ひとりではない。

 先代の風が、そしてこの雷の勇者が、お前を守ろう。その思いはずっと変わらない。

 ふたりならば、道行く先の困難など、打ち砕けるとも。

 

「あ、あの……前隠して……」

 

 

 いよいよ。僕たちも、使命の旅に出るときがやってきた。 

 

 7人の勇者は、世界の魔を祓うための旅に出るのがさだめだという。

 では、旅に出て、具体的に何をするのか?

 答えは『儀式』である。世界のどこかにある、星の台座と呼ばれる聖地にて、人類最高の7種の魔力をささげる。

 そうすることで、世界の正邪のバランスが人間側に都合のいいように傾き、人を襲う魔物の弱体化や動物の繁栄、作物の豊作といった加護がもたらされるというのだ。

 この加護の効力が切れると、再び次代の勇者たちが集合して儀式を行う。そういう仕組みらしい。

 

「本当に行ってしまうの?」

「お姉さま~……」

 

 旅支度を済ませたミーファが、家族との別れを惜しむのを見守る。

 

「ユシド殿。娘をよろしくお願いします」

「この身にかけて、お守りします」

 

 そう格好つけると、彼女の父親――このシロノトの領主さまは、安心したようだった。

 心苦しい。本当は、僕の方が守られてしまうような実力差なのだ。今日こそ君に勝つなどと言いはしたが、とんでもない。まだ、旅立ちを認めてもらっただけだ。

 ミーファ・イユという女の子は本当に不思議な子だ。歳はひとつ下だというのに、僕の師匠なのである。

 残す妹や母に微笑みを振り撒く彼女をちらりと見る。ご家族は彼女の、傍若無人な強さを知らないのだろうか。

 

「お父様、お母様、ミリア。ミーファは行ってまいります。メイドたちにもよろしく」

「お前が雷の勇者として旅立つことを誇りに思う。……何年かかってもいい。無事で帰って来なさい」

「ええ、必ず」

 

 まるで別人のように丁寧な口調でしゃべる彼女を見ていると、すこしむず痒い感覚と、普段との差に新鮮さを感じてしまう。どちらが、本当の彼女なのだろうか。

 僕は彼女のことを、実はあまりに知らないと思う。だけど。

 

「行きましょう、ユシド様」

 

 美しい金の髪に、アメジストのような瞳。

 落ち着きを与えるはずのその色に覗き込まれると、このできそこないの心臓は逆に早鐘を打ってしまう。

 だから少しだけ目を逸らして振り返り、僕は彼女の前を歩いていく。

 

 

 

「なぁ~んだその態度。おまえ、オレと一緒が不満なのか?」

「いだだ! ち、ちが……」

 

 ウーフの家に寄ったとき、彼女が「私がユシド様を支えてまいります」などと言って微笑むものだから、心臓の音がばれそうでさらに早歩きになったのだけど……お気に召さなかったらしい。

 猫をかぶったときのミーファは本当に、僕なんかとは違う世界の女性みたいで、ドキドキさせられる。

 じゃあそうでないときのミーファ相手なら平気か、というと、そうでもない。

 

「違う。その、久しぶりに会ったら、すごく美人になっていたから……」

 

 子どもの頃はその言動もあって、男の子みたいに見えるときもあった。

 そのときから彼女のことが好きだったのだが……今のミーファはどうだ。

 この数年で、町の外でも色んな出会いがあったけれど、ミーファ以上の美人はいない。あの頃は見た目も割と粗野な感じが見え隠れしていたけど、今の彼女は高貴ささえ見て取れる理想的な女性だ。

 こうしてすぐそこまで近付かれて耳を引っ張られている今も、なんだかいい香りがして……いかん! ユシド! なんのために修行してきたのだ!

 心臓を落ち着けるべく、距離を取る。深呼吸をする。ミーファの香りがしたので、風の防護でカットした。

 

「ふうん? ふふふ、色気づきおって。まあ、わからんでもないがな」

 

 飽きずにつかつかと距離を詰めてくるミーファ。今度は動揺しないぞ。

 

「お前の幼馴染は領内一の美人ときている。このかんばせや立派なお胸を男たちにねめ回されたものさ。ほれ」

「ギリギリギリ」

 

 ミーファは剣士らしからぬ軽装を指で引っ張り、胸の谷間を見せつけてきた。この前事故で目にしてしまった白い柔肌が脳裏に浮かぶ。

 からかいやがって。目を逸らし、歯をくいしばって耐える。

 

「おっと。それとももしかして、こっちの私の方が良かったかしら、ユシド様?」

 

 耳元で淑やかな声を囁いてくるミーファ。

 うぐぐ……。

 

「ミーファ。そういうのやめて……」

「わかったよ、すまんな、面白くてさ」

 

 いいや、彼女は分かっていない。そうやってからかって、僕が本当に君に惚れてしまったらどうなる。

 そうなれば今までの関係ではいられない。勇者として共に旅をするのも苦しくなってしまうかもしれない。

 ミーファはそういうことに疎いのだ。僕のことは兄弟だとでも思っている。こちらの想いなど想像できていないだろう。

 だから、この気持ちは秘めなければ。

 

「あ、そうだ」

 

 渡すタイミングがなかったが、これを忘れてはいけない。

 足を止め、自分の荷物を探る。

 ミーファの顔色をうかがいながら、思い切ってそれを彼女につきつけた。

 

「こ、これ……ミーファに、おわびというか、贈り物、というか」

「……おわび、というのは?」

 

 紫の瞳がじっとこちらを見る。

 表情には色がない。やはり、怒っているのだろうか。

 

「その、君の修行を放り出して、ずっと外に出ていたことの……」

 

 彼女は無言で手を差し出し、僕からそれを受け取った。

 ……翠色の小さな魔石を使ったピアスだ。風の魔力とまじないがこもっている。身に着けると、わずかに風の魔法の効果を増幅させる効果がある……はずだ。マジックアイテムの創造は旅の魔法使いから学んだものだが、新品を贈りたかったから、効果のほどは試していない。うまくできているだろうか。

 雷の勇者であるミーファには、耳飾り以上のものではないだろうけど。

 言いつくろうように、饒舌にそんな解説をした。彼女はしげしげとそれを眺める。緊張しながら見守っていると、やがてそれを右耳につけた。

 

「似合うか?」

「う、うん」

 

 金の髪と白い肌に、翠色の飾りは良く似合っている。綺麗だ。

 

「ありがとう」

 

 そう言って彼女は笑った。嬉しくなって、僕も笑った。

 少しは許してもらえたかな。この程度で水に流せなどとは思わないけど。

 

 

 

 

「さて」

 

 シロノトの町を出てから少し経つ。

 町の外に出るのはずいぶん久しぶりだとミーファは言っていた。機嫌が良いのはそのためだろう。

 街道の分かれ道で、僕たちは立ち止まった。

 

「どこへ向かう?」

 

 僕たち勇者の最終目的地は、聖地『星の台座』だ。気が遠くなるほど遠い場所であり、この分かれ道をどちらに進むかなど小さな選択だ。

 勇者の旅とは、どう進めていくものか。

 基本的に、『何者にもとらわれず自由な者』などと謳われる風の勇者が一番に旅を始め、残りの6人を集めていくのがならわしだそうだ。誰が考えたのか知らないが、役割が重すぎると思う。

 僕たちはこれから聖地に向かいつつ、あちこちの人里によって、勇者を探さなければならない。しかし風の勇者が迎えに行くまで他の勇者がそれぞれの生活を営んでいるのだとしたら、彼らを見つけられるかどうかは運だ。

 難度の高い使命だ。なんか運命がどうとかで勇者同士自然と引き合うみたいなことがあればいいのだが……、

 そんなことはない。勇者の特徴は、手に刻まれた紋章と強大な魔力だけだ。紋章が互いに響きあうぜとかそういうのはない。魔力を高めると対応する色に光るだけである。

 

「普段は無用ないざこざを避けて紋章を隠している者も多いだろう。オレ達のようにな」

 

 ミーファは薄いガントレットに守られた右手を顔の前で揺らした。

 自分の利き手に目を落とす。グローブで紋章を隠しているのは、あくどい人間や知能ある魔物の目から逃れるためだ。

 こうなってくると、他の勇者を探すには、強い魔導師や魔法戦士のうわさにあたっていくしかないだろう。彼らの方も使命を受け入れ、風の勇者を待ちながら名を挙げてくれていればありがたいのだが。

 

「まあ最悪、勇者は2、3人いれば儀式はできる。オレとお前だけで聖地にたどり着いてしまったとしても、あと100年は平和にできるはずさ。同じ町にふたりも勇者が生まれるなんて史上最高のスタートだ」

「100年じゃ短いよ。叶うならば7人集めよう」

「わかった。……それはいいが、結局どっちへ行く? こういうのは風の勇者が決めるもんだ」

 

 遠い聖地へ行くだけならば、どちらを選んでも大差はない。ならば人里の多いルートを選ぶべきだが……。

 

「ちょっとだけ当てがある。じゃじゃん」

 

 荷物の中から地図を取り出し、ミーファに見せる。事前にしるしをつけた場所を指さした。

 

「1年後にこの大都市……バルイーマで、世界中の強者が集まる闘技大会があるんだ。上位に食い込むような人間は勇者かもしれない」

「おお。なるほど」

「年内にここへ入る。それを当面の目標にしようと思うんだけど……どう、かな」

「その大会って何か優勝賞品とかあるの?」

「1000万エンだったかな……」

「よし。出よう。豪遊しよう」

「いや、優勝できると決まったわけじゃないから」

 

 地図に従い、僕たちは歩き出した。シロノトの東の草原へ向かわず、西の森へ。

 見晴らしが良いあちらの街道と違い、こちらの道はあまり人は立ち入らない。魔物も出るだろう。

 だが、望むところだ。僕はもっと強くなりたい。ミーファを守れるくらいに……。

 

 時折他愛ないことを話しながら、森の中を歩いていく。ミーファの家の森とはちがって、木々に活力がない。魔が世界に満ちつつあるのだろうか。

 

「お。現れたな」

 

 ミーファの声につられてそちらを向く。

 ……出たか。

 魔物がいた。2体だ。獣人型……通称、ウェアウルフ。

 なんというか、思い出の魔物だ。あの頃はとても敵わなかった彼らに、今の自分は通じるのか。

 

「一匹はオレがやる」

「え?」

 

 言うや否や、ミーファの姿が隣からかき消えた。

 閃光のごとき身のこなしで、人狼の1匹の眼前に踏み込んでいる。彼女は腰の剣を抜きもせず、拳を敵の腹に突き刺した。

 ウェアウルフの声。いや、断末魔だ。金色の雷撃が槍の如く、その身体を貫いていたのである。

 ここに至るまで僕も、2匹の魔物も、戦闘態勢に入ることすら出来ていなかった。

 身体が震える。やはりミーファは強い……!

 

「この耳飾り、すごいぞユシド。旅が終わったら魔法細工師になったらどうだ?」

 

 いつの間にかとなりに戻ってきたミーファの足元を見る。足が、雷の魔力だけでなく、風のそれをも纏っていた。

 併用することで、あれほどの高速移動術を可能にするのか。

 

「そら、君の力を見せてみろ」

 

 なるほど。彼女は僕を試している。あのときの魔物に、あざやかに勝てるのかどうか。

 望むところだ。むしろミーファに早々に1匹倒された時点で、なんだか負けた気がしている。

 鬱憤をはらすように、数歩前に出て、長剣を抜いた。

 

「へえ、その剣……」

 

 先代風の勇者が使っていたという名剣。一族から受け継いだものだ。僕にはまだ重い。

 筋力が足りないという話ではなく、この剣の戦いの歴史がだ。こいつに見合う使い手に、きっとなってみせる。

 激昂したウェアウルフがこちらへ駆けてくる。僕は剣を腰に構え、魔力を乗せていった。薄く薄く、すりあわせ、伸ばし、研ぎ澄ませるイメージ。

 

「風神剣・断」

 

 斬撃が文字通り“飛んだ”。斜めに一閃、魔物の身体をすり抜けていく。

 真二つに切り裂かれた獣は、立っていられずに倒れ伏した。その身体が、光の粒になって散っていく。大地に還るのだろう。

 剣をしまい、一息つく。

 魔力消費もまったくどうってことない。うまくやれただろうか。旅路ではこのようにして、力を節約しながら無駄なく戦うべきだろう。これから経験を積み、敵の力量を測るすべを身につけねば。

 

「やるじゃないか。褒めてやるからおいで」

 

 おいでおいでと上機嫌に手招きするミーファの様子を見て、自分の戦いは及第点だったと判断する。

 ……しかし、お互い身体は大人になったと思うけど、まだ子ども扱いか。

 少し不満に思い、正面に立ってほんの少し上の目線からミーファを見下ろしてみると、彼女はやや驚いた表情になった。

 

「おまえ、随分でかくなったな」

「ミーファがちっちゃいんだよ」

「そうかい? 自分では、豊かなほうじゃないかと思うんだが……」

 

 彼女は難しい顔で腕組みをして、そのままおもむろに自分の胸を持ち上げた。たしかにそこは決してちっちゃくはない……いや違うそうじゃない……!

 ミーファの表情が、にやにや笑いに変わっている。僕は、つとめてあらぬ方角に目をやった。

 

「ともかく、これじゃやりにくいな。そこにしゃがみなさい」

「……これでよろしいですか、姫?」

 

 からかわれてばかりで、こちらは常に余裕がない……、というのも悔しいので。

 芝居がかった台詞と身振りで返事をして、ミーファの前で片膝をつく。

 

「おう、偉い偉い」

 

 柔らかい手が、僕の髪を撫でた。

 バカにされているようにも見えるが、きっとそんなことはない。彼女の手には親愛を感じる。

 そう、親愛だ。話に聞く男女の恋愛とはまた違うんだと思う。

 立ち上がる。

 でも、僕は君が好きだ。

 先ほどの戦い、ミーファは剣すら抜いていない。未だ追いつけないあの強さ。彼女にとって僕はまだ、強い自分が見守ってあげるような幼馴染でしかないんだ。

 もしも僕が、君に勝つくらい、君を守れるくらいに強くなれたら、そのときは……!

 

「ん?」

 

 アメジストの瞳に自分の顔が映っているのを見て、彼女をじっと見つめてしまっていたことに気付く。

 ごまかすように踵を返した。

 

「行こう、ミーファ」

「ああ。闘技大会までに、うんと強くなろうじゃないか」

「もちろん」

 

 そのときはきっと、君よりも。

 



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04. 魔物の罠

「はっ! ぜあっ!」

 

 僕が巨大な昆虫の魔物を1匹斬る間に、ミーファは3匹を葬っていた。

 雷電を拳や脚にまとい、投擲し、触れて焼く。シロノトを出てからというもの、もはや戦果ではかなわないと思い、見取り稽古を心掛けていたが……。

 どうしてもひとつ、気になることがあった。

 

「ねえミーファ。剣は使わないのか?」

 

 彼女は今日まで、魔物を倒すにあたって一度も腰の得物を抜いていない。

 その戦闘スタイルは僕と同じ、いわゆる魔法剣士のはずだ。そもそも僕に魔法剣を教えたのはミーファである。

 徒手空拳と魔法術を合わせて戦っているようだが、慣れている剣に魔力を乗せた方が威力も消費効率もより良いはずだ。

 何か考えあってのことだとは思う。格闘術や魔法術の訓練だろうか? 魔物に手加減をしている? ここまで徹底して剣を使わないとなると、いざというときに腕がなまっていたりはしないだろうか。

 

「ん。あー、これね」

 

 話しながら、ミーファの握った拳がスパークする。彼女はそのまま、上空の巨大な蝶に向かって雷を放った。

 

「む、外したか」

 

 距離がかなり離れている。ミーファの雷撃は不規則な軌道のせいで、やや狙いから逸れてしまったようだ。

 すかさず剣を構える。大きく作りだした風の太刀を放ち、蝶を切り裂いた。敵の動きが遅いため、狙いに真っ直ぐに飛ばせば難しい相手ではない。

 

「うまいね」

 

 戦闘を終え、剣をしまう。脇に放り出していた荷物を再び背負い、僕たちは歩き始めた。

 しかし。

 一度こちらから聞いてしまうと、どんどん気になってくる。

 先ほど見た場面のように、雷の属性というのは、威力はトップだがコントロールにコツがいるようなのだ。訓練を積んだ魔導師でなければ、術をあらぬ方向へ飛ばしてしまったり、魔物へのとどめにと剣を高く掲げていた味方に落雷させてしまったなんて話も聞く。あまり集団戦向きの力ではないかもしれない。

 だからこそ、だ。

 だからこそ、魔力を剣に留め凝縮し、任意の対象に向かって解き放つことのできる魔法剣と、エネルギーの大きさに優れる雷の属性は、非常に相性がいいのではないか。そう自分は考えているのだが……。

 

「剣の話だけど……」

 

 あまりに視線がうるさかったのかもしれない。ミーファの方から、先ほどの話の続きを持ちかけてくれた。

 

「ちょっと理由があってね。おいそれとは使えないんだ」

「理由って?」

「うーん……ひみつ」

 

 ここぞとばかりにミーファはしなをつくり、指を唇に当てる仕草をした。

 うぐぐ、可愛い。惚れた弱みにつけこみやがって。これ以上聞けない。

 

「まあそのうち見せてやるよ。君からは、スゴイって思われたいからな」

 

 今でもものすごく尊敬しているのだが、伝わっていないらしい。

 釈然としない想いを抱えつつ、しかし口ぶりからしていつか凄まじい技を見せてもらえるのだと期待を膨らませ、この話題はおひらきとなった。

 僕たちは薄れつつある街道を進んでいく。日が沈みそうだ。近隣の町や村までは距離がある。今日のところは野営となるだろう。

 

 

 

 野営の準備としてテントを設営していると、それを見ていたミーファから歓声が上がった。

 

「おいなんだこれは。素晴らしい。鉄の骨組みと厚い布でこのようなものが……」

 

 平地に立てた三角屋根をしきりにいじり倒し、喜んでいる。これが気になるらしい。

 

「そして破邪結界の出来もいい。ユシドよ、お前は自慢の子だよ!」

「何を言ってるんだか。野営に使うテントなんて大昔からあるものだ」

「いいや、“これ”は無かった。世間知らずと思ってバカにしているだろう。これくらいの小さな筒から骨組みも幕も一式出てきたのを見たぞ。そのように小さく小さく収納できるものではなかったはずだ」

 

 ……その通り。実はただのテントではない。

 これは冒険者の間で絶賛流行中の最新マジックアイテムだ。

 

「お目が高いねえお嬢さん。これね、名の知れた魔法細工師が高度な火・水・地の魔法術を駆使して生成したマジックアイテム。このコンパクトさは他の品には無理だよっ」

「お~!」

「しかしこの世紀の発明が大特価。商隊の小間使いユシド少年はこれだと目をつけ、最後に店先に残った2つを購入したのです」

「おいくらですか?」

「2つ合わせて……40万エン」

「はあ~~~~~??? バカじゃないのかお前」

 

 ミーファは素っ頓狂な声をあげ、呆れ顔で糾弾してきた。

 

「こんなもんなくても野宿はできるだろ。それだけ金あったら馬でも買っておけよ」

「馬はもっとするけど……いいじゃんか、僕がお給料をどう使おうとさ」

 

 さっきまで上機嫌だったのに瞬く間に説教顔へと変わってしまった。素晴らしいって言ってたくせにな。

 

「買い物するときは今度からちゃんと相談しなさいよ。なんでこんなもん買ったんだ」

「それは……ミーファはいいとこのお嬢様だから、屋根のないところで寝るなんて安心できないかなと思って……」

「な……バッ……はあ」

 

 正直に理由を言うと、ミーファの呆れ顔がコロコロといくつかの色に変化した。

 

「そんな理由なら怒れないだろ。……ありがたく使わせてもらうよ」

「う、うん。なんかごめん」

「今度から買い物は一緒だぞ」

 

 ミーファはそのままテントの中へ入っていった。中から「うひゃー」と喜ぶ声が聞こえる。広さに感動しているのかもしれない。

 僕はもうひとつ、同じマジックアイテムを取り出した。魔力を食わせることで、縮んだ骨組みと幕が本来の質量と形状を取り戻し、キャンプに十分なものへ姿を変える。

 魔物に襲われさえしなければ寿命も長い。その点も、小さな破邪結界を張ったためある程度は安心だ。このように、これからの旅の中では、人里へ辿り着けない日も快適に休むことが出来るだろう。

 

「おい、なぜ2つ作る?」

「ん?」

 

 テントの入り口から首だけを出したミーファが声をかけてきた。

 

「なぜって……男女わけないとだろ」

「ははは、バカなことを言うな。ひとつでこんなに広いのに? 詰めれば4人は横になれるほどじゃないか」

 

 それはまあ、そうだけど。最終的に7人が共に旅することに備えて買ったものだし。

 

「昨日の宿屋では、お前が勝手に部屋を別々にしてつまらなかったからな。今夜は寝かせんぞユシド。これまでの日々を共に語り明かそう」

「ちょ……きみ……バカッ!」

 

 テントから登場した彼女は、早々に装備を脱いで薄着になっていた。素足で詰め寄ってくるのを手で制す。

 からかっているのか!? いや、無自覚だ! 耐えろユシド、間違えば彼女との友情も終わりだ……!

 

 

 

 火の前に座り込み、たまに燃料をくべる。空を見上げると、暗い空に小さい光が散らばっていた。

 魔物は人を襲うが、人の灯りを嫌う。

 そのうえ破邪結界もある。そうそう害されることはないだろうが……例外もあるかもしれない。

 そう話して、僕は見張りをつとめることにした。

 先ほどまでミーファが「なんのための結界だ、こっちで一緒に寝ないか」などとのたまいながら暴れていたのだが、今は静かだ。

 耳をすませばかすかに寝息が聞こえる。

 どんな寝顔をしているのだろう。ただ1枚の幕をめくれば、すぐ後ろに彼女がいるのだ。

 

「いかんいかん」

 

 まったく、あの子は。

 二人きりで横になるなんて、そんな状況になったら僕は自分がどうしてしまうかわからない。

 間違いを起こせば幻滅するのだろう。あの態度は、僕のことを弟だとでも思っている。彼女のほうが、ひとつ年下のはずなのに。

 困った話だ。

 惚れた側というのはとにかく弱い。彼女に想いを告げられる日まで、この心地の良い苦しみを耐え忍ばなければ。

 

「ん? ………。」

 

 さっきまでの思考を全て忘れ、代わりに緊張感を頭に詰め込む。この静かな森の広場に、いま、自分たち以外の何かの存在を感じたからだ。

 膝の上に置いた剣を手に、立ち上がる。

 夜風が、何者かの気配にさざめいている。それが近づいてくる方を向いて、僕は柄に手をかけた。

 

「あ……ひ、人が。良かった……!」

 

 灯りに近づいてきたのは、ひとりの女性だった。

 額は汗に濡れ、涙を目に浮かべ、九死に一生を得た様子で安堵している。服装に変わった特徴はない。この地域の住人だろう。懸命に駆けてきたようで足が汚れている。

 そして、腕に傷を負っていた。彼女は痛みを堪え、かばうようにそこを押さえている。

 僕は剣から手を離した。

 

「どうなされたのですか?」

「わた、わたしの村が、魔物に襲われて! お願いです、どうかすぐに助けを……」

「そんな! 大変だ……!」

 

 魔物が人里を襲う。当然そういうこともある。辺境の小さな村ではきっと、やつらに対抗する手段が乏しいのだ。

 村人たちが危険だ。必死な様子に思わず駆け寄ろうとする。

 それを……誰かに、止められた。

 誰か、と言ってもひとりしかいない。いつの間にかテントから出ていたミーファが、後ろから僕の服を強くつかんでいた。

 

「ミーファ?」

 

 彼女は無表情でしばし女性を眺めたあと、よそ行きの微笑を顔に張り付けた。

 

「話は聞いていました。それは一大事ですわ」

 

 相手を安心させるような柔らかい物腰で、彼女は言葉を紡いでいく。

 

「まずはあなたの治療が先決です。こちらへおいでなさって」

「い、いえ……」

「ほら早く。治療などすぐに済みますよ」

 

 女性は何故か、ミーファの申し出を断った。……違和感がある。急ぎたいあまり、気が動転しているのだろうか。

 

「それとも……ここへは、入れないのか?」

 

 たおやかな少女が、声色を変えた。

 ……ここに来てようやく、ミーファが何を考えているのかに思い至る。

 再度女性を見る。やがて、嫌な汗がどっと流れ出た。

 この女性の正体は……

 

「仕方がない。今そちらへ行きます」

 

 今度は汗が出るなんてもんじゃない。寝起きの格好のまま無防備に出ていくミーファを見て、僕は心臓が飛び出そうになった。

 危険だ。その女性は……魔物だ!

 

「ギアアアッ!!」

 

 女性の口があり得ないほど大きく開く。ドロドロに溶けだした顔にはおかしな取り合わせの、鋭い牙が、ミーファの白い首を狙う。

 ――雷光が、迸った。

 夜の木々を、稲妻が白く照らす。

 世にも恐ろしい叫び声を僕たちの耳に残し、不定形の魔物は塵になった。

 

「……ふうっ」

 

 その声を聴いて、思わず尻もちをつく。振り返ったミーファは、いつもの笑みを浮かべていた。

 

「すまないユシド。半死半生でとどめて情報を得るつもりだったのだが、その……見たかいあの形相? あんまり彼女のお顔が怖いもんで、やりすぎてしまった。許せ」

 

 顔を赤くして謝ってきた。

 正直そんなことはどうでもいい。僕はやつの顔より、君のやり方の大胆さに腰を抜かしたよ。もっと安全にやってほしい。

 

「……君が無事なら、それが最良だ」

「そうか? 優しいな、おまえは」

 

 それからしばらく僕たちは、火の前で話し込んだ。

 今夜は正直、もうあまり眠れそうにない。

 ミーファの肩に外套をかける。熱い紅茶を口にしながら、彼女は礼を言った。

 単に寒いからこうなっているのだけど、まるで彼女が弱々しい女の子のようで、なんだか少し変だった。

 

「ああ。あの手の小狡い魔物が存在するのは、知識としてはあっただろう? さっきのがそれさ」

 

 魔物には、人間のような知能を持つ個体が存在する。ときに彼らは人への悪意を、より陰湿な形で向けてくるのだ。

 それにしても、人間に姿を似せるだけでなく、会話までこなすとは。

 

「僕はすっかり騙されたよ。見分けるなんてミーファはすごいや」

「いや? あれを見分けるなんてこと、オレにはできないよ」

 

 彼女はコップの中身をすすりながら、僕たちの野営地を囲むように刻んであった“境界線”を指さした。

 

「できるのは疑ってかかることさ。キミの結界が優秀だから、やつはこちら側へ入ることが出来なかったんだ。誇れ誇れ」

 

 なるほど。

 いい経験になった。結界の魔法術の研鑽もまた、怠らないようにしよう。

 

「……ところでお前。

 ああいう大人しめの女子が好みなのか?」

 

 

 

 

「さて、ユシドよ。少しは休めたか」

「うん」

 

 辺りはまだ夜が明けたばかり。僕たちは仮宿を片付け、装備を整えていた。

 ミーファの方こそ休めたのだろうか。顔色は悪くはない。

 

「これからどうする? 昨夜の魔物が、騙して背後から襲うタイプではなく、テリトリーに引きずり込んで食うタイプだったとしたら、実際にどこぞの村に魔物が巣食っている可能性があるが」

 

 気にかかるのはこのことだ。彼女の言うようなことが起きているのだとすれば、仮にも勇者を名乗る以上見過ごせない。

 ……もう、遅すぎるかもしれないが。

 

「あの魔物が模していた女性の姿だけど」

 

 昨夜見たものを思い起こす。そこにヒントが隠れていた。

 

「身に着けていた首飾りは、トオモ村の特産品に似ていた。地図で言うと、この山を登った先に村はある」

「へえ。よく知っているな。そちらの修行も有意義だったというわけか……」

 

 少しは感心してくれたようだ。僕は強さ以外の部分でも、この旅に貢献できればいいと思っている。この知識が正解を選ぶのに役立てばいいのだが。

 

「では、キミの選択は?」

「村へ行ってみよう。日中にたどり着けるはずだ」

「わかった。十分に気をつけなさい」

 

 ミーファは必ず行先を僕にゆだねる。だから、後で正しかったと思える選択をしたい。

 トオモの山を見上げる。厚い雲が目に入った。

 今日は、雨が降りそうだ。

 



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05. 水魔ミト=ケタ

 トオモ村は、ナキワ地方最大の山岳であるトオモの頂近くに存在する。

 そんな辺鄙なところに誰かが村を立てた結果は自明だ。村人たちは滅多に山を降りては来ないし、よそ者が村を訪れることもない。彼らは稀に特産物である装飾品や山菜を交易の場に持って現れるのみで、ナキワ地方の中では閉じられた里であると言える。

 そうなると。

 村が天災や魔物に襲われて壊滅、などということがあっても、人が気付くには時間がかかる。人間を好んで食らうタイプの魔物が巣食うには、ずいぶんと好条件の土地だった。

 

 僕たちは休憩の回数を通常より控えながら、山を登っていった。あまり時間はかけたくない。

 順調に登山を進めたはずだが……目算より、いささか険しい。

 道中で魔物や凶暴な獣に襲われることはなかった。急ぎながらも、体力と気力の消耗は最低限に抑えている。

 しかし、僕たちがようやく開けた場所に出て、民家が見えてきた頃には、天の日は地平線へ沈みゆくところだった。

 

「これは珍しい! 旅のお方ですかな」

 

 村の入口をくぐると、民家の影から人々が現れた。

 建物や畑が荒れている様子もなく、魔物の襲撃など無かったのだと思わせる。

 村人たちは滅多にない来訪者に相好を崩し、僕たちを快く歓迎してくれた。

 

「ユシド」

 

 わざわざ対応してくれた村長の案内に従い、村唯一の宿であり酒場でもある店へと向かう道すがら。ミーファは僕にしか聞こえない、小さな声を投げかけた。

 

「ここで出されたものは決して飲み食いするな」

 

 

 

 夜も深まり、人々が寝静まる時間。

 しかしそれはすべての生物が眠りにつくわけではない。たとえば夜行性の動物たち。

 たとえば、魔物。

 あまり使われることのない宿の一室を、旅の少女が使っている。村を挙げての歓迎に気を良くし、結果として旅人たちは深い眠りに囚われている。

 虫の鳴き声すらしない、不気味なほど静かな夜。誰も立ち入るはずのないその部屋に、少女のものではない人影がうごめいていた。

 盗人か、悪漢か。どちらでもない。それは人影でありながら、その実、ヒトではなかった。

 害意ある侵入者の細腕がどろりと溶け、鋭利な刃物のように形を変える。やわらかなベッドに身を預けた少女は、もはや二度と目覚めることはないだろう。

 悪意がついに、凶刃を少女の首へと振り下ろした。

 

「村長殿、我々に何か御用ですか」

 

 魔物が振り下ろそうとした腕を斬り飛ばす。

 襲撃に失敗し、振り返った彼の顔には、何の表情もない。

 謝意も、焦りも、痛みも。まったくの平坦そのものだった。言葉が通じているのか測りかねる。

 

「無駄な会話はしなくていい。斬れ」

 

 ベッドから身体を起こして冷たく言い放つミーファの声に従い、つい先刻に笑顔で村を案内してくれた老人の身体を、両断する。

 人間の姿は精巧にできており、非常に気後れしたが……先程斬りつけた腕の傷口も、今しがた真二つにしたものの断面にも、血肉の色やにおいがない。

 

「やれやれ。念願の二人一部屋を台無しにされたな」

「はは」

「……出ようか」

「うん」

 

 戦いの予感に心臓が揺れる。

 旅人の宿となっている2階から下りた。ほんの少し前に人々が騒いでいたように見えた酒場には、誰もいない。テーブルいっぱいに並べられた食事のあとも、綺麗すぎるほど片付いていた。

 まるで村の人々が、夢の泡となって消えてしまったようだと思った。

 ……酒場の出入り口に手をかける。

 消えてしまったのではない。たぶん、最初から、いなかった。

 自分を落ち着けるために、深呼吸をする。覚悟を決めて、戸を開け放った。

 

 外には、大勢の人がいた。こんなに深い夜だというのに、目はらんらんと光っている。反して顔色には生気がなくて、そこがちぐはぐだった。

 村人たちがこちらへゆっくりと近づいてくる。陽気に歌っていた男性、優しく食事を運んでくれた女性、村の外の話をせがんだ女の子。

 彼らは……彼らは、魔物に操られているんじゃないだろうか?

 

「少ししゃがめ」

 

 ミーファに肩を触られて、自分の身体が震えていることに気が付いた。

 言う通りにする。

 

「あまり余計なことを考えるなよ、切り替えなさい。……はあッ!!」

 

 気付けのような一声とともに、ミーファの身体から幾条もの稲妻が伸びた。

 規模も威力もそこらの魔導師とは桁違いだ。そして明らかに、細かい狙いなどつけていない。

 そんなふうに撃ち放てば当然、加減のない雷撃が村人たちを襲う。

 金色の雷霆が、彼らを貫いた。

 

「あれが正体だな」

 

 ドロドロにとけていく人々。雷に焼かれてああはならない。やがてそのまま消え失せてしまった。

 誰かの立っていた場所に近づいてみる。死骸はなく、そこには液体のあとがあった。

 濡れた地面をミーファと共に調べる。

 

「水だ」

 

 不定形の魔物たちの正体は、水のようだ。危険な薬品に使われるたぐいのものじゃなくて良かったと考えられるか。

 立ち上がり、腰の長剣を抜く。

 いつの間にか僕たちは、どこからか現れた新たな村人たちに囲まれていた。

 

「……! くっ!」

 

 手や首を槍や刃のように変化させてこちらを襲ってくる。水とはいえ、まともに食らえば切り裂かれてしまうだろう。

 いなし、斬り返す。次々と順番よくかかってくるやつらを、剣で水に還していった。

 

「きりがないな」

 

 彼らはつぎつぎと湧いてくる。試しに強力な技でまとめて吹き飛ばしてみたが、次の相手をしているうちに、すぐに空いた布陣が埋まっていた。

 

「ユシド、ここを抜けて村の水源を探せ。そこに大元がいるはずだ」

 

 敵は消耗戦を仕掛けている。このままでは飲み込まれてしまうかもしれない。

 ミーファは彼らをここに引きつけるという。残していくのはためらわれたが、彼女はわざわざ僕に目を合わせて、いつもの笑顔を見せてくれた。

 

「"風神剣・断"!」

 

 剣を横一閃に振るい、長大な太刀風で敵の一角を薙ぎ払う。

 囲いを脱出し、水の出所を求めて走った。

 

「はっ、はっ」

 

 湖か、川か、貯水池か。

 そういえば、登ってくるときにトオモ山を流れ落ちる小川を見た。中腹かどこかに、源流があるはずだ。

 村を一歩出て、足を止める。

 あまりに静かだった村内と違い、山中の木々が強い風にざわめいていた。

 集中する。ありがたい。風たちは決して僕の邪魔をしない。むしろ彼らを助けとし、困難を吹き飛ばす。それが風の勇者の担うべき役割だ。

 耳が、水のせせらぎを捉えた。

 

 走る。山を飛ぶように下る。見つけた小川を、今度はさかのぼっていく。

 やがて、村ほどではないが、広い平地に出た。

 中心には巨大な湖。想像以上だ。岸から湖の中心までずいぶんある。

 

「待って!」

 

 後ろからの声に振り返る。ミーファだ。

 

「はあ、よかった、追いつけました。共に魔物を倒しましょう」

「ん、そうだね」

 

 湖をにらむ。あそこに魔物の親玉が潜んでいるのだろうか。

 どうやって引きずり出す? 剣を抜き、魔力を身体に充実させながら考える。

 ひとまず、背後から僕を襲おうとしていた偽ミーファを、なるべく見ないようにしながら切り捨てた。

 

「グ、グ……何故、わかった」

「……好きな女の子を見間違えるわけがない」

 

 などと、初めて魔物が口を利いてきたものだから、格好つけてしまったのだが。

 あれを間違えたら勇者とか向いてないからやめたほうがいい。

 魔物たちはたぶん、僕とふたりで話しているときのミーファをきちんと確認していなかったのだろう。あの子がいつも猫を被っていることにこんなメリットがあろうとは……。

 

『ならばこれはどうだ?』

 

 肝まで底冷えさせるようなおそろしい声が、空気を震わせた。

 

 警戒の度合いを引き上げる。自分を守るように、長刀を正眼に構えた。

 湖から、いくつものヒトが這い上がってくる。身体の動きを阻害しない要所を守る軽装備に、美しい金の髪を濡らした可憐な女性。

 両手で数え切れない人数のミーファたちが、妖しい笑みを浮かべて立ちふさがった。

 

「ぐえ~……」

 

 魂が腐っているのか、この魔物は。

 人を馬鹿にしたような趣向に付き合う気になれず、刀身から旋風を巻き起こして一掃する。

 

「つまらぬことをせずに姿を現したらどうだ。小賢しい」

 

 人間を弄ぼうとする知能はあるようだが、あまり強い魔物のやることとは思えない。

 搦め手ばかりの悪党など、さっさと倒してしまいたいものだが。

 

『安く見おって。良かろう、お遊びはここまで』

 

 湖にあらわれた波紋が、徐々に大きくなっていく。

 太く、長い触手が何本も持ち上がる。それとは別に、湖の中心が山のように盛り上がった。

 ……威容。

 魚の首だ。いや、竜。

 いや、蛙か亀の首にも見える。

 ただしこれまでに見た生物の中で、目の前のものは最も巨大だった。それもそのはず、敵の血肉はこの広い湖そのものなのだから。

 

「水源に大元がって、そういうことね……」

 

 剣を握る腕に力を込める。

 臆するな。あの悪鬼を討てずして、なにが勇者か。

 

「――“断”ッ!」

 

 刃を飛ばす。湖の中心までは遠く、遠距離攻撃でしかダメージを与える方法はない。

 十分に練った魔力が、水面から伸びた柱のような触手を伐採していく。このままやつに届けば……。

 しかし、風の刃は、新たな腕にねじ伏せられた。

 

『やはり人間は弱い。意気揚々と挑んでくるものだから歓迎したというのに……つまらん』

「う……!」

 

 水の巨腕が、目の前に迫っていた。

 飛び上がって避け、湖岸を駆け回る。なんとか躱せるが、防戦に追われていても仕方がない。

 裂帛の気合で、向かってくる水流を両断する。

 そのまま敵に向き直り、右手で剣を水平に構え、左手で狙いをつけた。

 

「“風神剣・穿”!」

 

 刺突の形で魔法剣を放つ。剣先から起こった竜巻がうなり、うねり、竜のあぎとのようにやつへ食らいつく。顔の中心、水山の腹に、風穴が空いた。

 

「よし!」

 

 巨大な魔物には、力の源となる核が身体のどこかにある。

 体積のほとんどを吹き飛ばした。今の技が核に届いていれば……!

 

『風使いなんぞが我に歯向かうとはな。そうれ、貴様の風を返してやるぞ』

 

 ――水の壁が、落ちてきた。

 全身が強い衝撃に打たれる。全身とは、顔から、胴、つま先、耳の穴、余すところなくすべてだ。

 

「ご、が、あッ……!」

 

 山の木々に背中を打ち、肺の空気を何度も交換して、自分がおぼれてはいないことに安堵する。

 ……波だ。重い濁流に、自分は飲み込まれた。

 障壁で身を守ったにも関わらず、多大な全身への負荷。そして踏ん張れずに後ろへ押し流された。

 人にとって恵みであるはずの水が、強烈な質量を伴って襲いかかってくる。攻撃は面となって自分を圧し潰し、なんとか耐えたとしても、はげしく体力を奪う。

 ……水属性の魔法術など、攻撃に向かない。そんなふうに思っていたさっきまでの自分は、空前絶後の馬鹿に違いない。

 人にとって、それはあまりに脅威だ。ともすれば風や火などより、ずっと……。

 

「ハァッ、ハァッ、くそ……!」

 

 巨大な触手が何本も、鞭のようにしなり、追いかけてくる。

 あの腕も、何度斬ろうと無駄だ。身体に風穴をあけても死なない。

 膝に力を入れ、駆けだす。命からがらに丸太のような水塊から逃げる。

 どうすれば倒せる。

 広い湖から核を見つけて潰す? 湖そのものをまとめて攻撃する?

 不可能だ。現実的じゃない。

 

「ぶッ……ぜええ、ぜえ」

 

 無数の腕のひとつに叩かれ、飲み込まれる。

 力を振り絞り、風の守りで自分を包む水塊を散らした。

 ……ただの水ではない。体力が、魔力が、消耗していく。

 目がかすんできた。

 

「ユシド。自力解決はできそうか?」

 

 うずくまる自分のすぐそこで、誰かが砂利を踏みしめた。

 足音には、バチバチと、火花が瞬くような音が混じっている。

 僕を何よりも勇気づけてくれる音だ。

 ……でも。

 

「いや……悔しいけど、糸口が見えない」

「わかった。今回はそこで見ていなさい」

 

 唇を噛みしめる。

 襲ってくる眠気を、霞む目を、痛みでごまかした。

 期待に応えられなかったと思う。そして、悔しい。村人たちをどこかへ消してしまったあいつ。あんなやつに勝てない自分が情けない。

 強くなりたい。

 

 顔を上げる。

 僕の前に、守るように堂々と立つ彼女。その背中を、一挙手一投足を見逃さぬよう、見つめ続けた。

 

 

 

 

「ふんっ!!」

 

 しつこくこちらを狙う触手を、雷で打ち払う。

 

「む」

「そ、んな」

 

 終始水しぶきが飛んでいるものだから、気が付くのにしばし時間がかかった。

 雨だ。分厚い黒雲が、まるで夜の山をさらに暗くしているようだ。

 すべてを洗い流す雨は、しかし、今この場ではあの魔物の力となり得る。見上げていた山のような怪物は、さらに高さを増しているようだった。

 ……背中の情けない声は、聞かなかったことにする。

 

『ファ、ファ、ファ。どこを狙っている。小娘』

 

 湖岸から雷撃を放つも、遠くてやや狙いから逸れる。そのうちの一条は大きく反り、上空の雨雲に吸い込まれていった。

 

 そうやって、笑っていろ、バカが。

 

 まず、自分の足に手を添える。

 右耳の魔石があたたかい力をくれるのがわかる。オレの脚は、淡い風を纏っていた。

 

「いいか、これは本当なら風の得意分野だ。明日にでも身につけろ」

 

 振り返らずに、後ろのやつに言い聞かせる。

 オレは地を蹴った。

 そのまま“空”をも蹴る。

 飛行の魔法術――移動系の技は、7属性の中では、風の領分である。それ以外の属性にも空を行く方法などいくらでもあるが、このように自在に翔けるには、風がもっとも適している。

 湖の中心に向かって飛ぶ。

 遠距離攻撃では、必要な火力が足りない。オレは“剣士”だ。

 腰にずっと大事にしまっていたそれを、さびついてしまう前に引き抜いた。

 触手をかいくぐり、そして届かない高さまで昇る。

 水の化け物に目を落とす。良い眺めだ。

 

 ……右手の剣を、天高く突き上げる。

 真上にはかすかに帯電する黒雲。先程わざと外したように見せかけ、雷術を突き刺した雨雲だ。

 極限まで練り上げた魔力を鋭く放出する。刃のように。いや、もっと。針のように。

 そうして、ソレを喚んだ。

 

 耳をつんざく轟音。紫の稲妻が、掲げた白刃に落ちた。

 人間では到底扱えぬ、極大の力。己の全身を焼こうとする霹靂を、金色の魔力が包み、混ざり、制御し、剣という小さすぎる世界に閉じ込める。

 湖上の矮小な存在を見下ろす。

 今にも飛び散りそうなイカズチを、墜落しながら、そいつに振り下ろした。

 

 ――雷神剣・紫電一閃(シデンイッセン)

 

『ぎいいいいいいああああああああああッ!!!!』

「わっ、うるさ」

 

 雷鳴を轟かせながら、紫光が醜い水塊にひびを入れていく。

 

『よもや、七つの魔の一たるこの身が……ただの一撃で……!! グアアアアアアアッ!!!!』

 

 なんて言ってるか全然聞こえない。

 全身を雷轟につんざかれた魔物は、その体積を縮めていく。

 ……やがて、さざ波も立たない静かな湖だけが、そこに残った。

 にわか雨は止んでいた。

 

 

 

 

 犠牲になった人々への祈りを済ませ、僕たちはトオモ山を下りた。

 

「いやあ、最後の叫び声聞いた? いかにも小物って感じでしょ。風の勇者たる者があれくらいに手こずるんじゃないよ」

「いてっ」

 

 ミーファは僕の額を指で弾き、やがてくつくつと笑った。

 がっかりされていると思っていたが……そんなに機嫌は悪くないみたいだ。

 

「全身が水でできていたんだ。君みたいに雷で焼き尽くす以外にないのでは」

「まあ、風だと相性は悪かったかもしれんが……勇者ならそんなの関係ないぞ」

 

 そうだろうか。火の勇者など、やつには太刀打ちできないのでは?

 

「火の勇者なら、池の水全部蒸発させて勝つ! 地の勇者なら池ぜんぶ埋める! 風の勇者なら……」

「風の勇者なら?」

「水全部よそに吹き飛ばして勝つ!」

「勇者って脳筋しかなれない感じ?」

「バカ言え。最終的にはそれくらいの力がなきゃ、星の台座は動かせないよ」

 

 自信がぞりぞりとすり減っていく。

 なんで僕なんかが勇者に選ばれているんだろう。本当にそこまで強くなれるんだろうか。この紋章、偽物じゃないのかな。

 

「おまえ常識にとらわれ過ぎなんだよ。潜在魔力は、あるの、ここに。鍛錬じゃなくて吹っ切れが足りないんだよ」

 

 指で僕の胸をつついてくる。

 うぐぐ……。

 溜息を吐く。救えなかった村人たちのような悲しい出来事を起こさないためにも、他の勇者たちに並び立たなければ。

 とりあえず、鍛錬は倍だな。

 

「……ところでミーファ。その剣……」

 

 僕の視線を受け、ミーファが腰の片手剣を抜く。

 あのとき垣間見えた美しい刀身は、ほとんどが炭化して崩れ落ち、残った刃元までがボロボロに焦げていた。

 

「最大火力に耐えられないんだよ、キミのみたいにすごい剣じゃないから」

「そうだったのか……」

 

 ミーファが剣を使わない理由は、これ以上ないカタチではっきりした。

 彼女の使う魔法剣の威力に、剣が耐えられない。

 覚えのある話だ。例えば木の剣で風の魔法剣を使うと、刀身がずたずたに裂ける。ミーファの呼び起こす雷となれば、鋼の剣ですらこのようになるのか。

 

「それよりさ。どうだった? オレの技は」

 

 壊れた剣を仕舞い、ミーファは僕の正面に立って顔を覗き込んできた。

 賞賛を期待している目だ。アメジストがきらきらしている。

 

「それはもう……メッッッチャすごかったよ」

「ブハハ」

 

 バカっぽい笑い声をあげて、ミーファは無邪気に喜んだ。

 かわいらしくて、つられて僕も口の端がゆるむ。

 

 正直、化け物染みていると思った。

 彼女がやったことは、『本当の雷』を剣に留めることだ。

 ……人間技じゃない。常人の使う雷術とは比べ物にならないエネルギーがあるはず。自然の雷とは、いわばこの世界自身が扱う魔法術なのだから。

 一生その背中に追いつけない。彼女は天高く飛び、自分は地べたに這いつくばっている。

 文字通り、雷神の一撃。そう感じた。

 

「………」

 

 鞘に仕舞った剣の柄を握り締める。

 名ばかりの風神。勇者たりえない半端者。

 でも。

 顔を上げる。

 歩みは遅いけれど、彼女がこうして隣を歩いてくれるのなら、いつかその手を取れる。一緒の道を、同じ歩幅で進めるようになる。

 僕の心を白く照らす、雷光のように鮮烈なその笑顔を見て、そう思った。

 

 



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機甲都市グラナ / ヘビー・アームズ・アース
06. 機械の虫


 旅には魔物との戦いがつきもの。今日も今日とて、彼らを電撃で屠っていく。

 

「ム、素早いな」

 

 上空に敵影。雷を投げてみたもののうまく当たらず、ユシドの飛ぶ斬撃もかわされた。相手の飛行スピードが速いのだ。いつだったか倒した蝶の魔物と違い、鳥の魔物は一筋縄ではいかなさそうだ。

 地べたを行く我々が大空の彼らを倒す方法は、何通りかあるが……。

 小さく咳払いして声をつくり、ユシドに話しかける。

 

「あら。飛行していて遠距離攻撃が当たらないときた。どうしようかな、弟子よ」

「こうします」

 

 ユシドが己の身体を深く沈める。そして突風を伴い、爆発的な跳躍をした。

 逃げる鳥に向かい、同じように空を駆けて追いすがる。魔法術で伸長した太刀筋が敵を切り裂いた。

 

「いいねー」

 

 ゆっくりと降りてくるユシドに拍手を送る。その足には、淡い翠色のつむじ風がまとわりついていた。

 やはり能力値はすでにある。そこらの魔導師よりずっと成長が早い。

 本人はそう思わないだろうが、余計なたがを外せば、最強の風使いになれるはずなのだ。

 

「さてさて。次はどこを目指す?」

 

 村や町を転々としながら聖地を目指す旅は、着実にそこへ近づいてはいる。

 ただ、他の勇者の情報などはさっぱり得られないままだ。ここはやはり少し道を逸れてでも、大きな町に行ってみるべきだと思うのだが。人集まる所にウワサありというし。

 提案はするが、決めるのはユシドだ。

 

「その話だけど……ミーファの剣が欲しいな」

「お。たしかにな。次の町で買おうか」

 

 装備は消耗品だ。旅の中では何度も購入する必要がある。だからひとつを長持ちさせないと、食料費や宿代より支出が増えがちだ。

 オレの場合は長持ちも何もない。しかし旅立つ折、父上にきゃぴきゃぴと媚びた成果としてせしめた路銀には、かなり余裕がある。いざというときに備えて剣を持つのは正解だろう。

 

「しかし良いものを使ったってあまり意味はないし、思い切って安いのをたくさん買った方がいいかな。どう思う?」

「いや……そうじゃない」

「? なにが?」

「君の技に耐えられる武器が欲しいんだ。この剣みたいに」

 

 ……なるほど。それはまた、難題だ。

 あれに耐え得るもの……死ぬほど頑丈な刀剣、あるいは、雷の属性に適した魔剣……。

 

「欲しいと思ってすんなり手に入る品ではないな」

「そうなんだよ。伝説の剣士の墓とか探して暴こうかな」

「イヤイヤ。呪われちゃうぞ」

「そう? 僕はこの剣の……先代のシマド様からは、呪われたりしてないけど」

 

 そのシマド様、墓から出てきて今お前の目の前に立ってるけど。

 

「呪いパンチ」

「いて。……?? 何?」

 

 しかし、目の付け所はいい。

 話題に出た、ユシドの腰に下げた剣を眺める。

 こいつはオレが超圧縮魔力を閉じ込めようが、天変地異を巻き起こそうが、全く欠けもしなかった。おそらく史上最強の“風の魔剣”だ。我が子孫の旅の、これ以上ない助けとなってくれるだろう。

 入手した経緯を思い返す。伝説の武具を求めて前人未踏のダンジョンに潜り、最奥にて発見した……という話はなく。実は腕のいい鍛冶師に打ってもらった物だ。

 

「ひとつ心当たりがある。地図かしてくれ」

 

 広げてみる。記憶にあった地名を見つけ出してから、ユシドの隣に移動し、指で示した。

 

「ここ。“グラナ”は商工業で栄えている大きな街でね。腕のいい鍛冶職人が多い……らしい」

「鍛冶……新しい剣をつくる、ってこと?」

「そう。君の持っている剣を鍛えたのも、グラナ出身の職人なのさ」

「へえーっ」

 

 ユシドは相槌をうち、オレの広げている地図を覗き込んだ。

 首から、落ち着くにおいがする。

 

「グラナには僕も一度寄ったことがあるけど、ここからだと……ひと月ほどかかるかな」

「どうだ? 少し進路を折ることになるが」

 

 顔を見上げて問う。オレは、悪くない筋道だと思う。

 

「行こう。大都市だし、ついでに勇者探しもかねて」

「よしきた」

 

 気の長い話だが、旅とはそういうものだ。

 大きな人里だ、魔物退治や護衛の依頼なんかで収入を得てもいい。いいぐらいのタイミングだ。

 田舎者だからかな。行ったことのない大都市なんて興味がある。それに剣を打ってくれた彼の故郷だ、一度は訪ねてみたかった。

 遠く遠くへ続く街道を、思わず駆けだす。

 グラナまで走っていくの? とユシドが笑った。

 

 

 

 

「な。新しいワザ見る?」

 

 猫に似た魔物の爪を大きくかわし、ミーファが軽口を投げてくる。

 頷くと、彼女の利き手が金色に発光する。そこから1本、いかずちが伸びた。

 いつもと違うのは、それがまるで刀剣のような形で、手の中に残っていることだ。

 

「よっ。ほっ。雷神剣ーっ!!」

 

 その雷の刀身を伸ばし、化け猫を切り伏せる。今のは、僕もよく風の魔法剣で似たようなことをやる。

 稲妻の刃か。槍のようにして投げているのを見たことがあるが、それの斬撃版といったところだろうか。

 

「どうかしら。もう剣など要らないのではなくて?」

「いやあ。こんなところまで来て、今更何言うんだい」

 

 あれからひと月あまり。ここまで来れば、グラナまではもう2日とかからない。

 

「はは、冗談冗談」

 

 そうは言うものの、ミーファはあまり、新しい剣には期待していないのかもしれない。

 自分の魔法剣に、生半な剣では受け止められないパワーがあることを、よく自覚しているのだろう。

 僕としては、やはりこの旅には、万全な彼女が必要だと考えているのだが。

 

「ん……」

 

 ふと。

 風の声が、語りかけてきた。

 戦いの音。何か硬いものがぶつかり合う音だ。そして人の息遣い。相手はおそらく魔物で――、

 いや。なんだろう、この違和感は。

 

「どうした」

「東の方向かな。人が何かに襲われている」

「ふむ。オレよりも先に……」

「行こう!」

 

 街道を逸れ、雑木林へ踏み込む。

 木々の間を縫い、最短の距離でそこにたどり着いた。

 やや開けた場所に出る。巨大な鈍色の甲虫の魔物たちに、ひとりの男性が囲まれていた。

 ――燃えるように赤い頭髪が、印象に残る。

 ここまで走ってきた呼吸のリズムを崩さず、僕は彼の助けに入った。

 

「だッ!!」

 

 風を纏わせ、切れ味の増した刃で魔物を叩く。

 ……とても硬質な音。自分の腕の芯に、いやな感触が返ってくる。

 

「硬いな」

 

 雑な魔法剣では刃が立たない。魔力を研ぎ澄ませつつ、まずは敵の中に飛び込み、男性をかばう位置に立つ。

 彼も長物を武器として構えているようだが……このように囲まれていては厳しかっただろう。間に合って良かった。

 

「伏せろ!」

「うおっ、なんだぁ?」

 

 頭上から透き通る声。隣の彼に腕をかけ、共にしゃがみ込む。

 日中でも激しく光る電撃が、僕らを狙う虫の群れに直撃した。

 立ち上がる。いくら硬くても、中身ごと焼かれればどうにもできまい。

 

「あー、お二人さん。いまどき助太刀なんて、おじさん心から嬉しいんだけどね」

 

 ……魔物が、塵に還らない。

 頑健なシルエットを保ったまま、堂々と大地に鎮座したそれらは……まだ、うごめいていた。

 

「雷の魔法術はそいつらには効かないぞ。……あとついでに地属性も」

「なにィ……!?」

 

 輪の中に飛び込んできたミーファが、いらついた声を出した。

 ……彼女の雷撃が効かない!? 間違いなく人類最高の使い手のそれが通じないとなると、雷術そのものが全く効かないということだ。

 

「チ、なんで効かな……なぜ、効かないのですか?」

 

 ミーファは急におだやかな笑顔をつくり、男性に話しかけた。こんなピンチでもそれやるの?

 

「ヒットしても中身には雷撃が通っていない。鋼の表皮と脚を使って、電気を地面に流しているようだな」

「ふうん」

「あの、囲いから出ましょう」

「あ、大丈夫、自分で出られるよ」

 

 力いっぱいの跳躍で、四方を囲まれた状態から脱出する。

 男性は僕の手を借りず、「ひえ~」と口から漏らしながら虫の甲羅を踏みつけ、飛び越えていた。

 あとは、どうにかして一掃したいのだが……。

 ミーファの雷術が通じないとなると、僕がまとめて切り刻むしかないのだけど、あの硬い装甲もまた厄介だ。

 先ほどから僕たちは大した攻撃を受けておらず、動きは実に緩慢だ。しかしその分防御性能が発達していると見える。

 どうしたものか。

 

「ユシド、奴らを浮かせろ!」

 

 ミーファが指示を飛ばしてきた。浮かせる……やってみよう。

 

「“風神剣・昇”!」

 

 虫たちを巻き込むように、竜巻を呼び起こす。

 吹き荒れる烈風に、やつらは脚をすくわれ……

 ない。

 

「重くて持ち上がらないんだけど……」

「いいから! やれ! できるから!」

「ミーファも浮いちゃうよ」

「いいから!」

 

 息を深く吐き出し、そして吸う。己の内面に意識を向け、魔力をかき回して竜巻をつくるイメージ。

 その回転を速くしていき、くべる魔力を増やしていき、喉元から吐き出す寸前まで高めて……全部、剣につぎこむ。

 

「おりゃああああ!!!」

 

 再度の一振り。

 後ろの男性が驚く声がしたが、暴風に妨げられて途切れた。

 これほど大きな竜巻を起こしたのは初めてだ。天高く伸びていくうねりは、奴らを倒すのに足る威力だろうか? わからないが、これが自分の中から出てきたのが微妙に信じられなくて、不思議だった。

 出来に少し感動していると、ミーファが、嵐の中に飛び込んでいく。

 ……えっ!?

 

「雷神……グ、アッパーーッ!!」

 

 風の壁に阻まれ姿は見えないが、騒音に混じって、中で少女が暴れる声がする。

 稲光がなんども瞬いていた。なぜか緊張で汗が頬を伝う。一体、この中でどんな技を……。

 やがて、騒がしい時間が終わる。

 竜巻はつむじ風に。つむじ風はそよ風に。それがすべて止んだ頃、ミーファと、虫たちが、空から落ちてきた。

 

「うわ!?」

「死ぬ!!」

 

 ドスドスと、重量級の甲虫たちが地面に突き刺さる。今に一番命の危険を感じたのは、共にいるこの人も同じだったらしく、目が合ったときの顔は血の気が引いていた。

 最後に、ミーファがふわりと着地する。さらされた白くまぶしい脚を隠すように、スカートがゆっくりと落ち、見る者に可憐な印象を与えた。

 やっていることは野蛮である。

 

「ユシド、おつかれ。よくやったな」

 

 ミーファはつま先立ちになって、僕の頭に手を乗せてきた。たしかに頑張ったが、倒したのは君ではないのか。

 

「地面に脚がついてなきゃ、電撃が通るみたいなんだよ。連携の勝利だ」

「ほほーん。なるほど、道理だ」

 

 背後から現れた男性が、嬉しそうな声をあげながら虫たちに近づく。

 ……待て、危険だ。

 魔物が消滅しない。死んだのなら、彼らの身体は細かい粒となって霧散するはずだ。つまりとどめをさせていない。

 

「ああ、兄ちゃん、平気だ。そいつらはもう死んでる」

「……魔物は、命を絶てば消え失せるはずでは?」

「ふつうならな。気になるなら調べてみなよ」

 

 一匹の死骸に刃を入れてみる。

 先ほどは弾かれたことを考え、鋭く、鋭く魔力を纏わせ、丁寧に切り裂いた。

 ごろりと転がった虫の断面を見る。

 

「……なんだ、これ?」

 

 生物の血肉にはとても見えない。

 顔を近づけ、目を凝らす。となりからミーファも覗き込んできた。

 おかしな臭いだ。火を起こすのに使う油に似ている? いや。商隊で扱っていた魔法触媒……? わからない。

 筋肉か臓器か、何もかもが鋼鉄でできている。血管のようなものもやたら太く強靭だ。

 魔物には、生物の常識とはかけ離れた生態をしているものが多く存在するが、これは聞くのも見るのも初めてだ。

 覗き込み過ぎて、ミーファと頭をぶつけた。

 

「お二人さん、機械を見るのは初めてかい」

「キカイ?」

「これがあの……!?」

 

 ミーファは首を傾ける仕草をしながらこちらを見る。

 商隊にいたころ、聞いた話だ。

 機械という単語は、歴史を記した古文書の中で散見される言葉である。

 鉄鋼で生成され、複雑なからくりを小さな体に押し込めた魔導具の一種。それはわずかな魔力を糧に、より豊かな結果をもたらすのだという。

 まれに古代文明の遺跡で発掘されるが、引き起こす効果は個体ごとに単一でしかない。しかし書物の中にしか見られないものの中には、神器めいた恩恵を人間に与えた存在が確認されている。冒険者ならば誰しも一度は、夢のようなそれを求めて発掘に挑むのだそうだ。

 ……僕もいまいちよく知らない。一言で言おう。おとぎ話に出てくるマジックアイテムだ。

 

「いやはや、最高だよ君たち。これだけの数を、しかも原型とどめたまま機能停止に追い込んでくれるとは、な……っと!」

 

 赤髪の男性が、重い虫たちを持ち上げ、運んでいる。いつの間にか彼は大きな荷車を準備していた。車にどかどかと乗せていく。

 今になって気付くが、この人。長身に加えて筋肉をつけており、大人の男性らしい体格だ。粗野な雰囲気で無精ひげを生やし、おじさんと自称しているが、30代半ばの僕の叔父よりは若く見える。

 

「年下だな……」

 

 同じように彼を目で追いながら、ミーファが何かつぶやいていた。

 

「こんだけ狩ればしばらく豪遊できるぜ。おじさん、君らのこと気にいっちゃったよ。分け前は7割で良い?」

「あ、いえ。見返りを求めて助けたわけでは……」

「ええ、ええ!! 見ず知らずの方にお助け賃を吹っ掛けるなど! わたくしたちは正義の戦士。人々の危機に駆け付けるのは当たり前のことですわ。5割でいいです」

「………」

「ほんとか! 謙虚だなあ」

 

 ミーファをじとりと見る。

 

「ああ、勝手に話進めてすまん。この辺歩いてるってことは、グラナに寄るんだろう? それとも出るところ?」

「これから行くところです」

「ようし! 一緒に行くか。地元だから頼りにしてくれ。何日いる予定? 宿もいいとこ紹介するよ」

「本当ですか! ありがたい」

 

 街につく前に、良い出会いを得られた。結構な大都市だ、ガイドをしてくれる人がいると大いに助かる。

 気の良い人だ。好ましい。

 

「おい。……おい! お人よし。簡単に人を信用するな。彼、胡散臭い顔をしている」

 

 ミーファが小声で忠告してくる。

 うーん。悪い人には見えないけど。

 そう伝えると、彼女は腕を組みながら、唸っていた。

 

「あ、手伝います」

「おいおい、そこまでしてもらっちゃお前……助かっちゃうだろ!」

 

 彼と共に、機械の虫を積み終わった。軽々しく持ち上げているように見えたがとんでもない。剣士として鍛えていなければ、とても無理だった。

 額の汗を拭く。大きな荷車の取っ手を握り、前に進むべく引っ張る。

 

「お……重ッ!」

 

 びくともしない! 押しても引いても!

 いやこれ、持って行けるのだろうか。彼の豪遊というのも夢の話に終わりそうだ。

 振り返って荷物を見上げる。虫の山の上にミーファが腰掛け、難しい顔で考え込んでいた。

 

「この魔物……何かひっかかる……」

「ってミーファ!! 重いよ!!」

「は? 重い?」

「あ、いえ……」

 

 うわのそらの行動を注意したはずなのに。急に正気に戻られ、すごい冷たい眼で見降ろされた。何か気に障ることをしただろうか……。

 

「ハハハ、いいよ座っていて。ちょっと待ってな、ふたりとも」

 

 おおらかに笑ったあと、彼が車の下に潜り込んだ。

 何をしているのかわからないが、金属がぶつかり、こすれる音が時折聴こえる。

 しばらくして。彼は煤けた顔から白い歯を見せ、いたずらっぽく目を細めた。

 

「これが機械の力だよ。ゴー!」

「わっ」

 

 僕は引いていないのに、荷車が進み始めた。

 ……車輪が、ひとりでに動いている。

 

「魔力で動くんだ。あとは方向を操ってあげれば、楽に街まで運べるってわけさ」

 

 ……すごい。

 これが人々に行きわたれば、生活の豊かさはさらに発展するぞ。

 自分が世界の変わり目にいるような気がして、僕はなんだか、ドキドキしていた。

 

「俺はティーダっていうんだ。君たちは?」

 

 赤い髪の精悍な人――ティーダさんが、朗らかに笑う。

 

「ユシド・ウーフです」

「ミーファ・イユ」

「良い名前だ。しばらくよろしくな」

 

 握手を求められ、僕は彼の右手を握る。大きなそれに握り返され、手の甲が痺れた。

 

 街道をゆったりと進んでいく。

 行く先には、鉄鋼のにおいかおる大都市。

 硬い壁とくろがねの門に守られた鋼の街――商工業都市グラナの、どこかからのぼる白煙が、旅人の訪れを歓迎していた。

 



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07. 風魔の剣

 日も暮れ、すでに人々は家へ帰る宵の入り。だというのに、街の大通りは多くの人でにぎわっていた。

 商売の町だと言われるだけはある。立ち並ぶ店はどれも、遅い時間まで営業を続けているようだ。

 大きな荷車が人々の間を抜けていく。新しい街並みに見惚れていると、すれ違う人々の視線に気付く。鉄の虫たちの上であぐらをかいていたオレは、脚を直した。

 

「宿の前を通るから、そこで降りとくれ。今日はゆっくり休むと良い……それとも、出会いを記念しておじさんと飲み明かすかい?」

「いいですね。まだまだ宵の口ですし」

「ユシドくん、若いのにノリがいいね。宿の1階が酒場だから待っててくんな。俺は荷物を下ろしてくるからよ」

 

 ここまでの道すがら、ユシドはすっかりティーダなにがし氏に懐いているようだった。人付き合いのうまい方だとは知らなかったが、これも幼少期の旅の成果か。

 オレはあまり、人は好きじゃない。彼らは自分たちとどこかが違う者に、とても敏感だからだ。それを知っている。

 ユシドに初めて出会ったときは本当に、無責任な助言をしたものである。まっすぐに育ってくれてよかった。ただ、いささかお人よしすぎるきらいがある。

 ……あいつめ。なんだ、同じおっさんでも、自分に歳が近い方が良いってのか?

 既にほだされているヤツの分、オレが警戒しなければ。あざむき、裏切るのは、魔物の専売特許というわけではない。商人の町ならなおさらだ。あのトオモ村のときのような顔はもう見たくない。

 

 彼は……うそはついていないが、隠し事のにおいがする。纏っている空気が、どこか尋常ではないような。

 どうしてもユシドがやつに付き合うというのなら、見極める。

 そう決めて、宿へ続く広い道を眺めた。

 

 

 

 

「だかりゃな~~~オレはしゃ~~~、ユシロが心配なのらあ~~? ねええ!! わかる!? わかりゅ!?」

「お、おお。腕は立つが、まだ発展途上って感じだしな」

「わかってくれるかい!!!! ティーら!!! あんたイイやつな!!! オレぁ……オレぁ泣けてきたゆぉ! お~いおいおい」

「この子俺よりおっさんだな……」

 

 人々の声と楽器弾きの演奏でにぎわう食堂。ミーファが顔を真っ赤にして、ティーダさんにからんでいた。

 1時間前にはキリッとよそ行きの表情を決めていたし、「安物で酔ったことなどありませんわ」などと刺々しく言っていたのだが。

 さすがにティーダさんもひいている。

 

「すみません。こんな彼女、僕も初めて見ます」

「終わったらちゃんと介抱してあげな」

「何~~!!?? 何の話!!?? ウェッ」

「あーミーファちゃん、ほら美味しい水だよ」

「みずう!? いりませんよぉ!!! ちがうのがいい!!!」

 

 僕との旅では、素の彼女を見せてくれていると思っていたのだけど……意外と、鬱憤とか溜まっているのかな。

 いつもに輪をかけて横暴なふるまいである。古代の人々の言葉ではこういうのを、傍若無人というらしい。

 

「明日はどうするつもりだ? キミらが良ければ案内役を買うよ」

「いいんですか? そこまでしていただいて」

「おうとも。時間が取れるのは二人のおかげだからね」

「助かります」

「ま、今日は食えよ。おごりだぜ」

 

 言われるまま、テーブルに所狭しと並べられた料理に舌鼓を打つ。飲む人に合わせてか味が濃いめだが、活力がわいてくるようだ。

 明日の朝にティーダさんに迎えに来てもらう約束をし、夜が深くなるころまで互いの話をした。こういう時間は久しぶりかもしれない。気心の知れたミーファとのひと時は一番好きだが、こうやって誰かと知り合うことも、僕は好きだ。

 ただ……自分が勇者であることを隠しながら話すのは、少し、面白くなかった。

 

 ティーダさんを店の外へ見送り、席に戻る。

 テーブルに突っ伏したミーファの肩を優しく叩く。こんなところで寝ては風邪をひいてしまう。部屋へ戻るよ、と声をかけた。

 機嫌の悪い猫のようにうなる彼女を、少し無理やりに起こし、肩を貸す。2、3歩進んだところで、ミーファが声を絞り出してきた。

 

「おぶってくれえ……」

 

 仕方なく背中に彼女を乗せる。今吐かれたら嫌いになるかもしれない。

 なるべく揺らさないようにしながら、階段を1段1段上る。

 

「……!」

 

 背中に柔らかいものが当たっていた。あと、頭を首に預けてきたものだから、髪の良い匂いがものすごく近い。寝息に近い呼吸が耳を刺激する。

 僕も熱くなってきた。飲んだもののせいだろうか。

 精神を凪へと近づけ、悟りの境地で歩を進めていく。ミーファの部屋の戸を開ける頃には、もはや我が魂はこの世の真理にたどり着いていた。――世界を平和に導くのは勇者ではなく、何かもちもちと柔らかいものである――。

 ミーファをベッドに横たわらせる。布団をかけてやり、自分の部屋に戻ろうとした。

 服が後ろから掴まれた。

 

「ぐえ」

「据え膳食わんのかお前はああああ!? 指導してやるにょ!!!」

 

 胴を抱えられ、無理な姿勢でベッドに叩きつけられる。痛え!

 首や腰をさすって悶えていると、後ろから誰かに抱きしめられた。……な、何奴!? 振り返れない。

 心臓があまりにうるさい。好きな女の子のにおいがそこら中に充満している。

 数多の魔物を葬ってきた手足とは思えない、なんてやわらかい身体。こんなに密着していては、鼓動が向こうに伝わってしまう。

 ……ダメだ、こんなのは。僕はまだ彼女に勝っていないんだから。

 約束したんだ。僕が勝ったら。決めたんだ。そのときに、君が好きだって、伝えるんだって。

 こんな形でばれるのは、違うとおもう。……耐えろ! この誘惑に耐えて――

 

「ごごごごご。ごごごごごご」

「………」

 

 ミーファは普段は立てないいびきを盛大に鳴らし、僕の鼓膜を揺らした。

 そっと、腕の中から抜け出す。

 そのときつい、見てしまった。

 彼女の寝顔、きれいで、かわいくて、女神さまみたいだ。

 

「んごごごごごご!! ごっ!? ギリギリギリギリ」

 

 ………はい。

 やかましくなってきたので、最後におやすみと言って、部屋を出る。

 この子に飲ませたらダメだな。今日はひとつ、君の面白いところを覚えた。

 

 

 

 

 朝日が窓からさしてきて、目を開ける。

 見知らぬベッドの上にいた。……記憶がない。

 身支度をして、部屋を出る。階段を下りるとそこは食堂だった。

 う……あたまが……。

 

「おはよう」

「ご、ごきげんよう。ユシド」

 

 不調を悟られまいと、笑って誤魔化す。

 宿の朝食を口にしながら、回ってきた頭で状況を推測する。

 オレは……この酒豪と呼ばれた勇者シマドが……酔っぱらっていつの間にかその辺で寝た、とでもいうのか?

 バカな。何者かの罠では。

 いや待てよ。そういえば。この身体に生まれ変わってからは、飲んだことがない。

 ……まさか、弱いのか?

 テーブルの対面のユシドを見る。いつものように、優し気に視線を返してきた。……醜態を、さらしては、いないよな?

 

 外出の準備を済ませ、宿を出る。

 外にはあの目立つ赤髪――ティーダがすでに待っていた。

 気さくに挨拶をしてくる。ふん、オレは心を許した覚えはない。だが無視するわけにもいかないため、ご令嬢ミーファとして応対する。

 

「おはようさん、ふたりとも」

「ごきげんよう、ティーダ様」

「ハハハ、なんだそりゃ。今さら上辺を取り繕わなくていいよミーファちゃん」

「な……!? なぜそれを!?」

 

 こ、この男! この完璧な高貴さの穴を見抜くとは。やはりただ者ではない。

 

「いや、昨日ミーファが本性さらけ出してたからね」

 

 

 3人で、グラナの街中を歩く。

 昨晩も時間の割に人でにぎわっていたように見えたが、日中の活気はあれとは比べ物にならない。

 行きかう人々、威勢のいい客引きの声が飛び交う。

 出されている品物も、田舎の店先とは質が違って見えた。少し歩いただけでこれだ、手に入らぬものなどないと思えてくる。

 知らない食材が見える度にあれは何かとティーダに聞くと、彼はつぶさに教えてくれた。

 初めて見るものだと思ってひとつ買ってもらった、黄色い果実をほおばる。リンゴという名の果物はシロノトでも、前の旅でも何度も口にしたが、この同名の実は色や味が違うと感じた。

 

「二人は何しにグラナに来たんだっけ? 商材探しなら、いいタイミングだぞ」

 

 ティーダが示した指の先には、昨日使った荷車と同じものがあった。人が引いているように見えて、車輪からは独特の音と、込められた魔力の気配がする。

 すなわち、機械。ここ数年で研究が進められているらしい。そうしてついに実用にこぎつけた機械の第一号が、あの荷車なのだそうだ。

 

「何? 剣をつくりに来た? あー、それは、悪いタイミングだな」

 

 ひっかかる物言いをしたティーダは、しかしそれについては説明せず、先導をつづけた。

 やがて街並みがやや変わる。店先には立派な鎧や盾。そして武器。魔物退治に必須の装備達が、道行く人々の視線を受けていた。

 

「大通りのはリーズナブルかつ質が良く、商売がうまい。で、裏通りの店は、歴史は古いが大体店主が気難しくて頑固ワガママ、やる気がない」

 

 そう説明しながらティーダは、表の道を止まらずに進んでいき、小道へと折れる。

 

「今の話で、なぜ大通りをスルーするんです?」

「後者の方が腕がいいんだよ。お前さんたちの力量にかなうようなオーダーメイドの武器は、偏屈な職人じゃないと作れないのさ」

 

 妙に説得力がある。さりげなくこちらの力を見抜いたようなことを言ったし、人を見る目に長けているのだろうか。

 雑談をしながら、3人で路地を進んでいく。人気はどんどん少なくなり、代わりに、鉄や油のにおいが強くなっていった。

 やがてティーダは足を止め、ひとつの店へと脚を踏み入れる。

 

「うーっす」

「今日は店はやってないよ」

「旅のお客だぞ、バカ。めちゃくちゃ強い二人組」

 

 店の中ではひとりの男が、鉄の塊に向かって、不思議な道具でそれをいじっていた。

 いや、近づくとわかる。あの虫の魔物と同じ……機械だ。彼は鍛冶師じゃないのか?

 ティーダが、互いを紹介してくれる。

 

「こいつは鍛冶職人のムラマサ。友達。腕はこの街では上の方」

「ムラマサ? ハヤテ・ムラマサ?」

「お? そいつは俺のじいさんのじいさんの……ええと、じいさんの名だ。君らも噂聞いて来たクチかい?」

 

 ……思わず、顔を眺める。黒い髪に黒い瞳。目つきの悪さに面影がある。

 はは、200年だぞ。あいつの血、濃いな。

 

「俺はカゲロウ・ムラマサだ。ええと、ミーファちゃんに、ユシドくんか。おい、面白そうなやつ連れてきたな」

「え? お前そんな名前だったの?」

「いや何年の付き合い……?」

 

 ムラマサの子孫というなら、鍛冶の腕には期待できる。

 オレ達は事情をかいつまんで話した。

 

「ゲエ~~! どんな使い方したらこうなるの?」

 

 剣の残骸を見たカゲロウが悲鳴を上げる。

 先端から中ほどまでが消え失せ、刃元が黒ずんだ姿。柄と鞘の豪奢なつくりからわかる通り、実は金にモノを言わせて手に入れたそれなりの名剣なのだが……あられもない姿とは、まさにこのことだ。

 

「魔法剣ねえ。お嬢さん、魔法剣を使うなんて渋いね。お年寄りみたい」

 

 え? 今のヤングの間ではトレンドじゃないの?

 

「なるほど、少ない魔力でもそこそこの威力を出す技だ。それを特大の魔力で使うと」

「こうなるわけね」

 

 ティーダとカゲロウが感心した様子で言葉を交わす。

 そう。だから単に名剣を手に入れたところで意味はない。最上級の雷の魔剣なり、魔法剣を損傷なくまとわせる機能なり、何か特別な要素が必要だ。

 名工だとしても出来る仕事かどうか。

 

「……そっちの彼の剣。見事だな。こういうのが欲しいんだろ?」

「抜いていないのにわかるんですか?」

「それはもう。でも、よければ見せてもらってもいいかい?」

 

 ユシドがずらりと長刀を抜く。興奮を抑えきれない様子のカゲロウを筆頭に、みんなでまじまじと剣を見下ろす。

 

「すごい仕事だな。高純度の風属性が宿っている。造形から考えると大昔につくられたものだが、傷のひとつもない。特上の魔法素材をわけわからん方法で鍛えてあるな」

 

 目利きなのかそうじゃないのか、妙な解説をされる。

 あんたの先祖の仕事なんだがな。これを打った職人はハヤテ・ムラマサという流れ者で、自分で鍛えた刀剣で強い魔物を斬ってまわる狂人だった。

 一時期旅路を共にしたことがある。自分の最高傑作がどんな仕事をするか見たいと言ってついてきたのだ。独り身のはずだったから、あのあと、ちゃんと故郷に帰ったんだな。

 

「ユシドくん、これの由来はわかるか?」

「い、いえ。すみません」

 

 なんだ知らんのか。……まあ別に剣の由来とか、人に話してなかったか。

 その情報が必要だというなら、オレから教えよう。

 

「――七魔の伝説を知っていますか?」

 

 顔を向けてくる3人に語りかける。

 七魔。七騎の強大な魔物。

 人間側の剣として七人の勇者がいるように、それと敵対する者たち……七属性それぞれの頂点に位置する、最強の魔物が存在する、という考え方だ。

 

「それはおとぎ話じゃないの?」

「いいえ、実在します。この風の剣がまぎれもない物証なのです」

 

 ユシドがこっちに少し寄ってきた。興味があるらしい。

 

「これはオ……お、お前の先代が倒した、『風魔テルマハ』の角から作られたんだよ。風の魔法剣としてはこの世で最高のものなんだ」

「へえ……! すごいや、シマドさま」

「ふふん、そうだろう」

「なんでミーファが嬉しそうなの?」

 

 作るのは苦労したんだぞ。そもそも魔物って倒したら消えるし。生かしたまま角を綺麗に折って(ここで失敗したらおわり)、逃げて、加工して、そのあと倒したんだぞ。そういう点もあって、魔物から作りだした武具は非常に希少価値がある。

 

 剣の生まれを聞き、カゲロウが一度は目を輝かせたのが見て取れた。

 ……しかし、すぐに表情を暗くしてしまった。気付くと、ティーダの方も、奥歯にものが挟まったような顔をしている。

 

「このクラスの武具をつくるには、おとぎ話に出てくる怪物を倒さないといけないわけだな」

「難しい話だねえ。それに、今は……普通の剣もつくれない」

「え?」

 

 剣が作れない? どういうことだ。

 そういえば、さっきティーダが言っていた。悪いタイミングだと。

 

「いいものを作るのに必要な鉄鋼や魔石がとれる山が、大昔からグラナの近くにあるんだが、そこにクソ強い魔物が引っ越してきてな。……食ってんの。山を。そいつが」

「は?」

 

 山のようにデカい魔物が、山をかじっている絵を想像する。

 いやいや。大きさに言及はない。我ながらバカな想像をしたな。

 

「おかげで鍛冶屋はみーんな休業さ。在庫でやりくりするか、機械でも勉強するしかないんだよ」

「機械?」

 

 脳裏をあの虫がよぎる。つながりがある気がして、ひとつ、気になっていたことを聞いた。

 

「あの機械の虫は、どこから来たのですか?」

「察しが良いねミーファちゃん。あれはそのお山の大ボスが、山を食った栄養で作った子どもだよ」

「………」

「そんな力を持つ魔物が……グラナは大丈夫なんですか?」

「ははは。むしろめちゃくちゃ潤っている」

 

 ティーダが、続きをどうぞ、とカゲロウを指名した。

 急に振られ、一瞬ヘンな表情。彼は先ほどいじっていた、機械の前に移動する。

 

「倒した虫共を苦労して解体すると、中身が伝説のマジックアイテムだとわかった。山の資源はとても手を出せないが、あれのガキなら狩れるヤツがいる。今は街中こいつに夢中ってわけ」

「なるほど……だから、高く売れると」

「そうそう。昨日はおじさん史上最高に儲かった」

 

 わかった。

 お手上げだということが。

 ムラマサの子孫に会えたのは嬉しいが、剣に関しては無駄足だったようだ。

 

「ティーダの客だからな、力になりたいんだが……山のボスを倒さん限り無理だな。すまん」

「そいつを倒せばいいんじゃないですか?」

 

 ユシドが言った。誰もが動きを止める。

 

「話を聞いた感じだと、強力な魔物ですよね。その身体の一部でも手に入れば、ミーファの剣も作れるかもしれない」

「いや、お前さんなら言うと思ってたよ」

 

 ティーダが笑う。それは馬鹿にしたものではなく、期待と感心が込められているように感じた。

 思わず口の端が上がる。そうそう、オレもそれ、言おうとしてたもんね。

 

「俺達地元民としても、そろそろあいつは邪魔だ。倒してもらえたらもう、この店の武具とか全部あげちゃう」

「え!? 勝手に決めた!?」

 

 ティーダの提案にカゲロウが目を剥く。それはいい。

 ……方針が、少し見えてきた。

 山の魔物を倒す。それで望む剣が手に入るかはわからないが、住民のためにも挑むべきだろう。

 

「まあそれができたら剣なんぞ何本くれてもいいか。……いやあ、オッチャン君らのこと気にいったよ。山のクソボスをぶったおす前祝に、今日は飲もうぜ」

「それもう俺がやった」

「いや! あの、おふたり、飲むのはちょっと、もう……」

 

 ユシドが乗り気ではないらしい。昨日と態度が違うな。

 オレは行きたいけどな。ティーダのことは好ましく感じてきたし、ムラマサの子孫とももっと話してみたい。

 

 まだ見ない山の魔物を想像し、にらむ。

 まあ、ユシドと二人だ。あの風魔よりは余裕だろ。まさか七魔じゃあるまいし。

 早々に店じまいをしたカゲロウがユシドの肩をつかみ、引きずっていく。街を一日めぐったら、また酒場で夜を共にするそうだ。

 こうして、オレ達のグラナでの最初の一日が、進んでいくのだった。

 よし。今日は……飲むか!

 

 



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08. 呪われしミーファ

「アレ……この地図、間違ってないか?」

 

 歩みを阻む深い谷を、ふたりで覗き込む。断崖絶壁だ。底は暗くてよく見えないが、やはり川でも流れているのだろうか。……水の流れる音はしない。

 彼女が広げた地図を、ふたりで覗き込む。グラナとマキラ鉱山をつなぐ最短ルートの上に、このように地割れじみた渓谷はない。

 おかしい。地図はしっかり最新のものを購入したはずだ。

 

「うーん。とりあえず、橋は?」

「ないよー」

 

 振り向く。気の抜ける声を後ろからかけてきたのはティーダさんだ。

 道案内を申し出てくれた彼は、今日は例の荷車は引いていない。動きやすそうな軽装備で身を守り、穂先が奇妙な形の槍を一本担いでいた。護身用だという。

 地図があるから道案内は必要なかったのだが、結局ここまで付いてきてくれた。もしや、この崖について何か知っているのだろうか?

 

「それなあ、魔物が山に引っ越してきたときだったかな。ある魔導師がそいつとメチャクチャな戦いをやって、結果こんなふうに地面をパッカリやっちゃったのよ。バカだよね」

 

 ……1匹の魔物と1人の人間が戦って、こんなふうになるだろうか。

 両者、あるいは片方が、それだけの力を持っているということだ。にわかには信じがたい。地割れのような自然災害を、身一つで引き起こす生物など……

 ちらりと。視界の端に入った金の髪に、視線がつられる。

 

「地図をダメにするなんて実に迷惑な話だが、結果オーライなこともあってね。ふたりとも、向こう岸は見えるか?」

 

 谷を隔てた向こう岸は、地図の通りならば、山まではとくに何もない平原のはずである。しかし目を凝らすと、こちら側とは違う点が1つあった。

 いや。正確に言うと、1つというか、百というか、千というか。

 無数の鈍色の何かが、そこら中に散在している。それらははじめ岩に見えたが、じっと観察しているとわずかに動いているのがわかった。

 ……数本生えた鉄の脚。そして身体の中心に琥珀色の一つ目。おびただしい数の機械虫が、平原を徘徊していた。

 

「ヤツらは山のボスが生んでいる子どもだ、ってのはもう言ったよな? 知能は大したことない連中だから、この崖のおかげで街までは来ないのさ。たまに運よく迂回してきたやつが、入ってきそうなときはあるがね」

 

 それは良かった。万が一この数が攻めてきたのなら、グラナは終わりだ。橋を築かないのはこのためか。

 しかし困ったな。どうやってマキラ鉱山まで行けばいいのだろう。術を使えば向こうへ跳ぶことは容易だが、攻撃の効きにくい機械虫の巣窟とあってはあまりに危険だ。

 動きがのろいのを考慮して、無視して最速で走り抜けてみるか……?

 

「飛び越えていけばいいだろ、あんなの。ティーダ殿はユシドに掴まりなさい」

 

 ふわりふわふわと、ミーファが空に浮いていく。脚の付け根の、例の白い布が見えそうになって、少し目を背けた。

 ……なるほど、飛翔の魔法術。これを使えば平原を飛び越えることは可能だ。あまり長く飛んだことはないが、魔力はもつと思う。試す価値はあるだろうか。

 

「あ、いや、それはやめた方がいいかな。ビーム飛んでくるから」

「びーむ?」

「おーい! なんてー?」

 

 せっかちなもので、すでにミーファは崖を越え、虫たちの領空へと侵入している。

 次の瞬間だった。

 虫たちの一つ目が、頭上の少女に向けて一斉に輝く。

 なんと奴らは光線を撃ってきた。前回は見なかったが、あれが攻撃方法か。

 虫1匹につき1本の光。だがしかし、彼らは群れだ。

 無数の光条が、少女を襲う。

 

「ホゲーッ!!??」

「み、ミーファーッ!」

 

 あわれ、彼女は盛大な一斉射撃にて迎撃されてしまった。

 全身をおそらく魔力ダメージに蹂躙されたミーファは、そのまま墜落するように虫たちの楽園へ飛び込んでいく。

 一瞬まずいと思ったが、表情が怒気に溢れているのが見えたので、ほうっておく。

 

「虫けらがあああああ!!!」

 

 稲妻がぽこぽこ巻き起こっているのが遠目に見えた。雷は基本効かないっていうの、忘れてないかな。

 さて。どうしたものだろう。

 遠回りになるが、この平原を迂回していくしかないか……といったようなことを考えていると、ティーダさんが、話しかけられるのを待っているような顔で眼前へやって来た。

 

「ティーダさん、鉱山に行く方法は?」

「それを教えようと思ってついてきた」

 

 ティーダさんは口笛を吹きながら、槍の石突で地面に地図のようなものを描き始めた。

 あっちの方でやかましく轟く雷鳴と、ハーモニーを奏でて……ない。不協和音。

 

「俺の知っているルートは2つ。まず、迂回していく方法。

 街道沿いに虫の巣を大きく避け、マキラ鉱山の反対側から入り、虫まみれの坑道か山中を進んで、ボスにたどり着く。日にちがかかるから、しんどい」

 

 現在地から大きくカーブしながら山へ入っていくように、軌跡が描かれた。これだけ遠回りすれば安全かと思いきや、結局山で戦うはめになると。

 

「2つめ、古い地下道を通る方法。……このすぐ先に地下坑道の入り口がある。出口はボスのすぐ懐に繋がっている」

「この有様では、地下など崩落しているのでは?」

 

 崖を示す。あんなものができる戦いがここで起きたのだ、地下道なんて地中に埋もれたと思う。

 

「そう、一番楽なルートはそうなんだよ。しかし実は深い部分が頑丈に残っていて、崩れていない。

 というのもこの地下坑道、もともとは大昔からあるダンジョン……何者かが建造して、今では魔物の巣になっている遺跡だ。その上層部分を坑道に使っていたわけ」

 

 こういうときは深い部分ほどダメになっていそうなイメージがあるが、ダンジョンとなると話は変わってくる。

 現代では再現できない建造技術によって成り立っているそれらは、よほどのことがない限り失われない。

 (ちなみに、未踏破のものならば古代のマジックアイテムだとか武具だとかが眠っているのだとか。ダンジョン専門の冒険者も多い。)

 

「うまく抜ければ半日もせずに、虫をスルーしてボスのところに行ける。ただし、中にもやはり魔物がうろついているうえ、古代人がしかけたトラップまみれだ。帰れないダンジョン潜りたちの死霊もいるだろうな」

 

 ふたつのルートを提示したうえで、ティーダさんは判断を委ねてきた。

 話を反芻する。どちらの道も同様にリスキーだ。山中で虫と戦う場合は、僕とミーファの連携でしとめなければならず、消耗を強いられるだろう。また、遠回りをするというのもマイナスだ。

 

「地下を行きましょう」

「おじさんもそれがおすすめだな。虫よりこっちの魔物の方がマシだよ」

 

 そうならより助かる。

 僕の考えとしては、こちらのルートを拓けば、いざというとき拠点のグラナへ戻るのも早い。ただ1回目の挑戦ではトラップまみれというのが厄介だ。

 遠く見えるマキラ鉱山へ、視線を飛ばす。

 さっさと倒して凱旋……とはいかないらしい。ダンジョンとは何度も挑むものだし、山の強力な魔物もそうだ。ミーファがいるとはいえ、一度の戦いで倒そうとは考えない方が良いかもしれない。

 今回はこのような形で長期戦を強いられるようだ。少し気の長い攻略を計画していこう。

 

「ユシド! ティーダ殿! 聞いて驚くなよ。ここを通るのは……無理!」

 

 ようやく戻ってきた彼女が、ボサボサに跳ねてしまった髪を撫でつけながら話しかけてくる。めずらしく、こっぴどくやられてしまったらしい。

 男二人で顔を見合わせ、苦笑する。それから先ほど決めた今後の方針を、彼女に伝えた。

 ……今さらになって気付くなんて馬鹿だけど、ミーファも無敵じゃないんだ。

 風の技が津波になって跳ね返されたように、相性というものがある。あのときはミーファが助けてくれたのだから、今度は僕がしっかり働かねば。

 

 

 

 地下の道は、やはりほとんどが崩れていて、とても役割を果たしてはいなかった。

 ティーダさんの先導でしばし歩き、さらに下層への道を見つけるまでは。

 

「ティーダ殿はどこまで付いてくる気なのです? さすがに危険ですわ」

「冷たいなあ、君らが守ってくれるでしょ? ……なんてな。足手まといにはならんさ、これでも魔物退治や雇われ兵の経験はあるのよ」

 

 ティーダさんが担いだ槍を見せつけてくる。これで一丁やってやるぜ、と。

 他にも腰に剣を二本下げているが、ミーファのものが折れたら貸してくれるとのことらしい。彼女が今装備しているものと同様に、カゲロウさんの店のものだろうか。

 

 ティーダさんの示す方角を逐一確認しながら、ダンジョンを暴いていく。

 壁や通路はとくに変わったところのない、洞窟のようなつくりで、高度な古代技術で建造されたものには見えない。適当に魔物が掘ったものじゃないかと思えてくる。

 だが、そうではない。魔力の気配がかすかに漂っている。ここまでマッピングを進めた箇所には無かったが、トラップのたぐいもそろそろ……あった。

 ただの地面に見えるが、一部に空気の流れる通り道がある。落とし穴か、はたまた。

 手前にしるしを刻み、大きく迂回する。……魔物との戦いは少ないが、精神的な疲労がある。はやく道を拓きたいところだ。

 

「おーい、助けてくれ」

 

 小さくくぐもった声がして、振り返る。

 先ほど通りすぎた落とし穴から、2本の脚が生えていた。

 正確には、ミーファが頭から突き刺さっていた。こんなかかり方する人いる?

 スカートが捲れ、白いふとももと、それ以上に白い布が丸見えである。よその方をみながら脚をつかみ、引っこ抜いた。

 

「ユシド君」

 

 やれやれとか言いながら悪びれもせず、今度は壁の不自然なでっぱりを触ろうとしているミーファに注意を促していると、ティーダさんに話しかけられた。

 

「あの子はお前さんより強いみたいだな」

「ええ。彼女は僕の、剣の師なんです」

「ふーん、どうりで」

 

 強いか、といったら、ものすごく強い。僕も旅立ったときに比べればやや成長しているはずだが、それも師である彼女の導きがあるからだ。そして、あの子の底は、未だに見たことがない。

 彼は隣に立って、小声で続けた。

 

「いいかい。あれだけ強くて、師匠で、しかも顔が超かわいいとなると、自分よりずいぶん高みにいる人間のように見えるだろう」

 

 視線の先にいる彼女について考える。思い当たる節があって、頷いた。

 

「でも結局のところ、君と同じ人間だ。欠点もある。……例えば、強いヤツっていうのは油断しがちなんだ。トラップなんぞにかかっても死なないから、気分によってはああやって突っ込んでいく。でもそれって危ないだろ?」

 

 そうだ。ミーファだって無敵じゃない、っていうのは、さっきも思い直したばかりじゃないか。ああやってわざと起動して処理していくのもひとつの方法だが、対処可能なトラップばかりとは限らない。

 ……今、どこかから飛んできた矢を、刺さる前に手で掴んだけど。

 

「お前さんが気を付けてやんな」

 

 彼女を守れるくらいに強くなるというなら、そうあらねば。

 ティーダさんに強く頷き返し、ミーファの元へ駆け寄る。あの子を先頭にはしておけない。

 

「おわっ!?」

 

 …………落とし穴に、ハマった。

 呆れた顔のティーダさんと何故かうれしそうなミーファに引き上げられる。

 ダンジョンは、少し苦手かもしれない。これを機会に勉強せねば。

 

 

 

 歩測にあまり自信はないが、そろそろマキラの足元に潜り込む頃だろうか。

 あとは階層を上がっていけば、目的地へ出ることができそうだ。少し消耗したが、次回は同じルートを行けば容易に進めるだろう。はじめて自分で作ったこのマップは、大事にとっておきたいものだ。

 

「ん。なあ、あれ」

 

 地図を眺めてにやついていると、ミーファに袖を引っ張られる。

 取り繕いながらそちらの方を見ると、これみよがしに、財宝か大仕掛けでもありそうな台座が配置されていた。

 3人で近づく。台座の上には、豪奢なつくりの一振りの剣が、主を待っているかのように突き刺さっていた。

 

「これあれかな。伝説の剣とかかな」

 

 わくわくした様子で剣に駆け寄るミーファ。もしそうならば、今の僕たちにとってあまりにも都合が良い。グラナにやって来た目的は剣の入手なのだから。

 ……罠では、ないだろうか。しかし確かめる術は無い。ティーダさんの顔を窺ってみたが、彼も緊張した面持ちで考え込んでいた。

 

「……待てミーファちゃん、ここは俺が……」

「よっと」

 

 ティーダさんの静止が届く前に、ミーファが剣を引き抜く。

 見事な刀身だ。白刃は暗い迷宮の中にあってなお光輝いて見える。何年もここに放置されているはずのものが、ああも形を残しているとは。

 

「……ご、ごぼっ!」

「え?」

「ミーファちゃん、そいつを離せッ!!」

「ふたり、とも、にげ……」

 

 同じように剣に見惚れていたはずのミーファが、苦し気な声を絞り出した。

 剣から薄く、煙のように、青い魔力の流動体が立ち上っている。それが、ミーファに絡みついていた。

 地面を爆破するつもりの威力で、跳躍の魔法術を使う。青いなにかが、大きく開いた彼女の口から、中へ侵入していくのが見えた。

 彼女の元へ辿り着く。呼びかける。顔を伏せ脱力しているその肩をゆすった。

 何か良くないことが起きている。ひとまずあの手の剣を遠くへ――

 

「く……くひ。くひひひひひひ」

 

 白刃がひらめいた。

 後ずさり、とつぜん熱を訴えてきた、自分の頬に触れる。

 赤い血が、そこから垂れていた。

 

「ああ……ようやく……ようやく余は、新たな身体を得て蘇ったぞッ!!」

 

 天を仰ぐ彼女の表情は、狂喜に満ちていた。

 知っている声で、知らない音色を奏でる、目の前のモノ。

 目が合う。寒気を誘うこの気配。いつもの深く鮮やかなアメジストとは、真逆の印象を伝えてくる。

 ……ミーファじゃ、ない。

 

「疾く死ねえっ、王墓を荒らす愚か者共が!!」

「な……ぐああ、がっ……!!」

 

 金色の雷霆に、身体を蹂躙される。

 魂まで焼き尽くされるかのような威力! これがミーファの力なのか……!

 風の防護膜を内から呼び起こし、力の限り抵抗する。全力を絞り出しても、無傷でやり過ごすことなど不可能だった。

 雷撃が止んだ。膝をつき、呼吸を整える。喉が焼けつくようだ。

 

 ……ミーファの魔法術まで、使えるというのか。

 目の前に立ちふさがる少女を見上げる。美しい容姿と立ち姿、手には妖しい気配を放つ剣。

 しかしその顔には、いつも僕に力をくれる鮮烈な笑顔はない。昏いよろこびに打ち震える古代の死霊が、そこに立っていた。

 これ……最強の敵じゃないか?

 

「しゃあっ!」

 

 大ぶりで斬りかかってきた敵に合わせ、剣を抜く。鋼のぶつかる音が鳴り響き、鍔迫り合いの状態になった。

 まずい、と思ったときには遅い。僕の身体はまたしても、すさまじい雷撃に侵されていた。剣の触れた箇所から雷を発生させているのだ。

 死に物狂いで風を呼び起こし、敵を追い払う。魔法剣までも……!

 

「ああ……なんと強い身体だ。未来永劫、我が手足として役立つに違いない」

「……!」

 

 ミーファの顔を使って、倒錯した表情をつくったそいつに、今度は、自分から斬りかかった。

 剣を伝い、電撃が全身を焦がす。関係ない。剣に、つよく、つよく、風を纏わせる。

 

「朽ち果てるがいい、侵入者。これはもう余のものだ」

 

 これ、と言ったか。

 その言い草に、態度に、目つきに、心底腹が立った。

 

「うるさいッ!! ミーファは僕の大切な人だ! 貴様などに……渡すものかああッ!!!」

「な……なんだ、その魔力は……!?」

 

 荒れ狂う暴風で、身体を痺れさせる電撃を弾き飛ばす。

 ミーファの魔法術も使えるのか、だって。そんなわけがない。彼女のいかずちが、この程度のものであるはずがない……!

 身を包む風に指向性を与える。拮抗していた剣は大きく弾かれ、やつが身体をぐらつかせた。

 ――隙!

 一歩踏み込む。そのまま剣を振ろうとして……手を止める。

 

「ふ、ふ、はは。どうした。来ないのか?」

 

 剣を持ち上げる。

 

「おっと! この身体を傷つけるというのか?」

「………」

 

 怒りで血が沸騰しそうだ。

 こんなこと、たえられない。思考が高速で回転する。自分の修行は無駄だったのか? この状況を打破できる方策を、何も持っていないのか?

 手のひらが、痛い。見ると、強く握り締めたあまりに、血がにじんでいた。

 誰かが、肩を叩く。

 

「手伝おうか?」

 

 冷静な声色が、頭の温度を少しだけ下げた。

 そうだ。ひとりじゃないだろう。

 

「お願いします……!」

「りょうかい。何をすればいい? 指示を出してくれ」

 

 彼が一歩、前に出た。二人で敵に対峙する形になる。

 ティーダさんの声を反芻し、自分を落ち着ける。二人ならばやり方に幅がずいぶん増える。

 自分の持つ選択肢を頭に並べていく。探すのは、彼女の身体を傷つけずに、死霊を追い出す方法。

 ――ある。

 

「ミーファを傷つけずに拘束することはできますか?」

「できるよー」

 

 こちらを振り返って気楽な表情を見せるティーダさん。僕を安心させようとしているのかもしれないが、それはさすがに無防備……、

 金色の亡霊が、彼の背後で刃を振りかぶっているのが見えた。危ない――!

 

「おっと」

 

 突如、猛烈な勢いで地面から土色の壁がせり出し、敵と僕たちを隔てた。

 ……地属性の魔法術、だ。ティーダさんが使ったのか?

 腕を動かさず、後ろも見ずに。

 

「小賢しい真似を!」

 

 壁を回り込んで襲ってきた、ヤツの剣を受け止める。雷撃を流し込まれないよう強く弾いた。

 数合の剣戟を交わしたあと、距離が空く。敵が腕をこちらにかざしているのをみて、身を固くする。

 視界の端で、ティーダさんが片足を持ち上げ、地面を思い切り踏んづけているのが見えた。あれは……?

 

「何……!?」

 

 少女の周りの地面から、4本の柱が伸びた。

 柱というより蛇と表現するべきだろうか。4匹の土蛇は大口を開け、電撃を撃ち放とうとしていた彼女の四肢に、飲み込むように食らいついた。

 そのまま土から、岩のように、固い拘束へと変化する。

 ティーダさんに感謝しつつ、僕は少女へと駆け寄った。

 肩をつかみ、名前を呼ぶ。

 

「ミーファ! 正気にもどってくれ!」

「離せ愚か者が。小娘の魂など、余が食らい尽くしてくれる」

 

 やはりただ言葉をかけるだけでは、どうにもならない。

 逡巡し、彼女の顔を見る。歪んだ形相の中に、ミーファはいない。今は眠っているんだ。

 思い切り息を吸い、肺に空気を取り込む。

 魔力を練り上げ、複数の属性を合成し、体内で破邪の風を作り上げた。

 慣れない魔法術で気分が悪くなる。失敗は許されない。今はこれに賭けるしか……!

 

 死霊に最も有効なのは、破邪の魔法術だ。これでヤツを引き剥がす。

 敵がミーファに憑りついたとき、その入り口はどこだっただろうか。それは、彼女の喉だ。

 肩にかけていた手を、ミーファの頬に当てる。

 

 こんなのは本意じゃないと思う。だけど、ごめんよ。

 

 四肢を拘束されて無防備になった彼女のお腹を、掌底で叩く。

 

「かはっ!」

 

 空気を求めて大きく開いた口を、自分の口でふさいだ。

 そこから、彼女の体内へ、破邪の風を流し込む。

 

「んぐもお!?」

 

 初めてのそれは、雰囲気も何もあったものじゃなかった。

 絞り出せるだけの魔力は注いだ。これがだめなら……また、違うのを考える。ミーファを助けられるまでは帰らない。

 数歩下がり、警戒しながら様子を見る。

 ミーファは痙攣を繰り返したあと、首をのけぞらせる。……そして、その口から悪霊を吐き出した。

 彼女が崩れ落ちる。地面に倒れ伏す前に、なんとか身体を受け止めた。

 目を閉じて苦しげな表情だが……息をしている。額や首筋に触れて状態を診る。どうやら気絶しているだけのようだ。

 ……良かった。

 

『おのれ……次は殺してやる』

 

 おどろおどろしい声がして、そちらを向く。ミーファの透き通る声を操っていたときとは違う、薄汚い悪党のものだ。

 青い魂の火が、僕らから逃げ去ろうとしていた。これだけのことをしておいて、おめおめと……!

 

「待てッ! 逃げるな!!」

『そこで吠えていろ、間抜けめ。この王墓を侵す者がいる限り、余は不滅――』

「逃げんなって若者が言ってるだろ。ヨイショ、っと」

 

 拳が、無造作に振るわれる。

 その一撃で、青い魂は断末魔のひとつも残せず、粉々に霧散した。

 あとに残ったのは、汚いモノに触れてしまったとでも言いたそうに、顔をしかめて右手を振るティーダさんだけだ。

 ……実に、あっさりと。

 旅を始めて以来個人的に最大のピンチは、助っ人の活躍によって、こうしてあっさりと幕を引いたのだった。

 

「ティーダさん……破邪の属性を使えるんですか?」

「おうさ。達者なもんだろ? まあ、霊体の魔物を一発殴れるくらいだけどね。手も足も出ないのってムカつくよな」

「はは……」

 

 今日の攻略は、ここまでにしよう。

 まだ目が覚めていないミーファの状態も心配だし、僕の方も消耗している。ふたりでそう決めて、しばらく膝に寝かせた彼女の介抱をしていた。

 金の柔らかい髪を、そっと撫でる。

 アメジストの瞳が、暗い迷宮のわずかな灯りを反射した。

 

「うわ」

 

 ミーファはばちりと目を開き、ガバリと身体を起こした。なんか元気そうである。

 膝を貸して痺れた脚を伸ばしていると、彼女は、明後日の方向に顔を向けながら話しかけてきた。

 

「あ、その、迷惑かけたな。助けてくれてありがと。じゃっ」

 

 彼女は唇をおさえ、そそくさと早歩きで迷宮の道を引き返していった。

 は、速い! 雷光の如し!

 

「………」

 

 まさか。

 操られている間、意識あったとか?

 

 

 

 

 

 

 眠れない。

 あのあと、グラナへ引き返し、今は宿のベッドの上。天井を見つめていると、余計なことを考えてしまう。

 僕は今になって、とても、悶々としていた。

 死霊を追い出すのに、絶対他のやり方あったよな。破邪結界に閉じ込めてじわじわ追い出すとか、ティーダさんが霊体だけに攻撃するとか。

 なんであのときはあれがベストだと思ったのだろう。自分の中に、ああいうことを彼女としたいよこしまな気持ちがあったとしか思えない。

 あああああ。

 やったな。やらかしたよこれ。

 

 しばし悶えたあと、ベッドから起き上がる。

 下で、冷たい飲み物でも貰おう。別に水でも良い。湯だった頭を冷ましたかった。

 部屋の戸を開け、廊下を歩く。

 

「「あっ」」

 

 曲がり角で、ミーファと鉢合わせになった。

 

「よう……」「あの……」

 

 目を合わせられない。何か話そうとして、声が被ってしまった。それだけで、お互いに言葉が出なくなってしまう。

 いやいや、なんでこんな。だめだ。やましい気持ちがあると明かしているようなものだ。この沈黙はまずい。

 意を決し、ミーファの顔を見る。

 

「あのさ」

「ちょっと待って」

 

 やわらかい左手が、自分の頬に添えられた。

 ミーファの手。ミーファの手のひらが、すごく熱い。ともすれば、やけどしてしまいそうなくらい。熱が、頬から頭、首、やがて全身へと伝播していく。

 

「な、なにを……」

 

 心の臓にも伝わってきた。鼓動があまりにうるさい。

 彼女の顔が、すさまじく近い。視点が降りていく。甘い香りのする美しい金糸の髪、宝石の瞳、筋の通った鼻、そして、柔らかい唇。

 

「治ったよ」

「え?」

 

 さっきまでミーファが触れていた部分に触れる。

 ……そういえば、剣でつけられた切り傷を治療するのを、すっかり忘れていた。

 触れられた頬の熱さは、治療の魔法術による活性の効果だ。なるほど。ははは。びっくりした。

 

「今日はすまなかったな。キミに、あんな傷をつけてしまうなんて」

「いいよあれくらい。本当の君の技と比べれば、大したことないよ」

 

 ミーファの表情は暗い。

 嫌だな。そんな顔は、あなたには似合わない。

 実際にこうしてぴんぴんしているのだ。平気だと、胸を張って見せた。

 

「それに……気持ち悪かっただろ? その、最後のあれは」

 

 あれというのが何を指しているのか、その仕草ですぐにわかった。

 謝るのはこっちなのに。彼女に暗い表情をさせているのは、自分だ。

 

「い、いや! 気持ち悪くなんか、ない。その、あの……むしろ……あの……」

 

 勢い任せに変なことを言おうとした。いや何言ってんだほんと。僕が気持ち悪いよ。

 どう返したらいいのかわからなくて、言葉がしりすぼみになる。

 

「そ、そうか。ならいいんだ」

 

 どう解釈してくれたのだろうか。ミーファは顔をあげ、はにかんでみせた。

 そのまま上目遣いにこちらを見ながら後ずさり、自分の部屋の戸に後ろ手をかけた。

 

「じゃ。おやすみ」

 

 扉が閉まるまで、僕は彼女から、目が離せなかった。

 ……明日から、普通に接しなきゃ。まだ実力で勝ってない。ノーカウント。そしてあれも、ノーカウント。

 今は、山の魔物を倒すのに集中しよう。

 

 伝えたい気持ちは日に日に膨らんでいく。それだけが少し、苦しかった。

 

 



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09. 地魔イガシキ

 二度目の地下道攻略は、とても静かに進んでいった。

 言葉数少なく、前回開拓した道のりを素早く進んでいく。味気ない道中なのは、もう真新しいものを見ることもないからだろう。

 決して、昨日の出来事が尾を引いているとか、そういうことは、ない。

 

「あっ」

「え?」

 

 暗い通路、足音や装備の擦れる音だけの行軍に、小さな高い声が足される。

 反射的に振り向く。また、怪しげな呪いの装備でも見つけたんじゃないだろうね。

 ……とす、と腕に飛び込んできた何かを受け止める。続いて、甘い香りが鼻をくすぐった。

 その何かが、長い睫毛に縁取られた眼でこちらを見上げる。不意に互いの致命的な距離へと入り込んでしまった僕たちは、急いで間隔を開けた。

 

 後じさり過ぎてぶつかった壁に背を預け、遅れてやって来た爆発的な動悸をこらえつつ、息を整える。

 いま、向こうも……ミーファも、慌てていたような。いつも僕をからかう側の彼女が、あんな態度をとるなんて。見間違いだろうか。

 いやそれより。あのミーファが、たかだか整地が少しおろそかな洞窟くらいで、つまずいて転ぶなんて。……まるで、ふつうの女の子みたいに。

 彼女を盗み見る。顔を伏せていて表情がわからない。

 やはり調子が悪いのだろうか。悪霊に憑りつかれた影響が残っているのかもしれない。魔物退治はまた、後回しにするべきでは。

 そんなことを考えていると、この暗がりにそぐわないやたらと明朗な声が地下道に響き、思考を切り裂いた。

 

「勘弁してくれ~、独身には目の毒だぜ。君達ね、男女二人旅でてっきりそういう関係かと思ったら何なの~もお~? まだそんなイノセントな段階?」

 

 死ぬほどニヤニヤしながら、ティーダさんが話しかけてきた。

 ああ、あの顔。人をおちょくろうと考えている人間のする表情である。

 

「もう、ティーダさん。ミーファはまだ本調子じゃないんです、変なからかいはよしてください」

「いやーそういうんじゃないでしょ。しかし昨日は頑張ったよなあユシド君。最後の術なんかあいでぇっ!?」

 

 早口でまくしたてる彼の言葉が、奇声で途切れる。

 ばち、と。一瞬の閃光と共に、聴き慣れた音が耳を叩く。ミーファがティーダさんをひとにらみした。

 そのまま大股歩きで先へ行ってしまう。いけない、追いかけないと。

 

「なるほど、ミーファちゃんはいじったらダメなんだな。……これからよろしくな、ユシド君!」

 

 電撃のダメージにも懲りず、このおじさんは良い笑顔で肩を叩いてきた。

 何? どういう意味? これから(お前の方をいじっていくから)よろしく、ってこと?

 ……とりあえず。

 ミーファのいるところでは、勘弁してください。

 

 

 

 坑道の出口にたどり着くと、数時間ぶりに浴びる日の光が、身体を暖めてくれた。

 日は僕たちの真上に来ている。朝早くに出発したことを考えると、やはりこのルートは短くていい。道中の魔物も僕かミーファが瞬殺できる程度の力量だ。結局ティーダさんがあの槍を振るうことは、一度も無かった。

 あとは、どのくらい例の魔物の近くに潜り込めているか、ということが大事だ。

 

 地下から這い出してきた僕らを迎えたのは、見上げるほどの岩山だ。これがマキラ鉱山の採掘所だろうか?

 情報通り、機械虫たちの姿はない。うまく巣の密集地を避けられたようだ。ミーファとふたりで、山へ近づく。

 ……普通の岩山に挟まれるようにして、ずいぶん、なだらかな山肌をしている箇所がある。そこだけ綺麗に均されており、つるはしを食い込ませる隙など見えない。

 拳の裏で小突くと、カンカン、という硬い音がなった。

 

「おーい。それ、山じゃないよー」

 

 後ろへ振り返る。とても遠くから、ティーダさんが大声を出していた。

 なぜそんな遠くから。……待て、山じゃない……?

 熱くなってきた。汗がひとしずく垂れる。僕は息を呑み込んで、喉を大きく動かした。

 後ろへ歩きながら、“それ”を見上げる角度を急にしていく。

 鋼の山肌。その中にひとつ、異物が張り付いていた。透き通っても見えるその巨大な物体は、大きさはともかくどこかで見たことがある意匠をしている。……機械。機械の何かだ。

 例えるならばあれは。

 琥珀色の、目。

 

 いつの間にか自分は、ティーダさんのいる位置まで下がっていた。そこでようやく全体像が見えてくる。

 そう。それは山のように巨大な、機械の虫だった。

 

「あれが例の魔物だよ。動かないのは……寝てんのかな?」

 

 絶句する。以前に戦った湖の魔物よりもはるかに巨大。こんな生物が存在することが嘘のような話だった。いや、生物なのだろうか? 機械の虫を生み出し、自らも機械のような身体を持つ、あれは。

 剣の届く距離まで近付けば、ただの硬い壁にしか見えない。全力の魔法剣でも歯が立つかどうか。

 これを倒す? ……人間に、可能なことなのだろうか。

 

「ビビるな、まずは情報収集だ。観察しろ。どんなに強い魔物でも、どこかに隙はある」

 

 同じように隣で見上げていたミーファが、真剣な表情で僕の背中を叩く。

 ……何を戦う前から怖気づいているんだ、僕は。こんなことではまだ、あの湖の魔物にも勝てはしないだろう。

 ミーファと二人で、攻略の糸口を見つけるんだ。まずは、そこから。

 

「ティーダさんは下がっていてください。……どこにいても危なそうだな。地下に戻っていてください、いざというときにはそこから逃げ帰ります」

「平気か二人とも? 死にそうになったらおじさんを呼べよ」

「初戦は深入りしないよ。ティーダ殿、剣はそこらへんに置いといてくれ」

 

 彼が持ち込んでいた2本の片手剣が抜き放たれ、地面に突き刺さる。様子見と言いつつ、ミーファは全力でぶつかることを想定しているのだろう。今装備している剣を損なうような。

 呼吸を繰り返し、体内を巡る魔力の流れを整える。まるでちっぽけな針のような剣を抜いて、小さな小さな虫でしかなくなった自分の身体に、活力を入れる。

 なにがあっても生き抜き、見定める。僕は鋼鉄の山に埋まった、大きな琥珀の瞳をにらんだ。

 

「とりあえず小手調べの……全力!」

 

 ミーファの掛け声にあわせ、渾身の力で斬撃の風を飛ばす。彼女が両腕から放った雷電も、今までのものとは込められた魔力が段違いであることが目に見えてわかる。太く、鋭く、眩しい。

 今の剣は、あの硬い虫たちをも切り裂くつもりで放った。ボスであるやつの装甲があれ以下とは考えにくい。果たして、どうなる。

 派手な音とともに、僕たちの一撃が山へとどく。

 

「……!?」

「これは……」

 

 大地が揺れていた。

 低く響く、人間をひどく不安にさせる音。山が動き、地面が割れるような。

 いや。それは比喩ではなくなった。

 鈍く光る無傷の身体をゆっくりと持ち上げ、山の主が、目を覚ます。

 

『……気持ちよく昼寝をしていたというのに、邪魔しおって。何かと思ったら虫――おおっと。人間ではないか』

 

 鋼の塊から、多数の脚が生えてきた。機械虫と同じ役割を持つだろうそれが動き出したことで、やつの体高がさらに、ぐんと増した。

 男のものとも、女のものともとれる、ひどく不自然な声が空気を震わせる。

 人智を越えた存在であることを全感覚に訴えかけてくるその声は、しかし、とても人間じみた皮肉を交えていた。

 ――知能のある魔物。頭をよぎるのは、あのトオモを襲ったあいつだ。

 すべてを押し流すあの強大な力を想起する。気付けば、脚が震えていた。

 

「虫はお前だろ」

 

 その声を耳が受け取るころには、彼女はすでに敵へと肉薄していた。

 雷速。抜き放たれた白刃が金色の輝きを纏っている。旅の中で見るのは二度目……ミーファの、雷の魔法剣だ。

 剣から伸びた巨大な金色が、鋼鉄を斬りつける。

 ……だめだ、傷はつかない。魔法剣に付随する雷撃のダメージを受けた様子もない。やつの表皮には通用しないんだ。

 

 走る。跳躍と飛翔の魔法術を爆発させ、やつへ迫る。剣には鋭く、しかし濃密な風を纏わせ、頑健さを高める。

 狙うのは身体の中心にある一つ目。あれに弱点があるというのなら、そこ以外考えられない。

 周りの景色が知覚できないほどの速さで後ろへ流れていく。向かい風を味方につけ、追い風に変える。

 あの琥珀を貫き砕くべく、僕は反動も考えずに、そこへ突っ込んだ。

 ――風神剣・疾風――!

 

「うぐっ……!」

 

 腕が痺れ、剣を取り落しそうになる。

 刃を打ち立てようとした琥珀の窓には、傷のひとつも入っていない。なんという硬さだ……。

 いや。違う。何か変だ。

 スローな世界の中で、攻撃を受け止めたやつの瞳、そして表皮に目を凝らす。

 装甲だけじゃない。気流のごとき何かが、たしかにそこにある。やつの守りは――魔力の、防護膜。

 僕たちのような魔法術使いが修めている技術のひとつ、薄い魔力障壁が、鋼の肉体の強度を、さらに上の次元へと高めていた。

 

 鉄の山を蹴り、大地へと引き返す。

 あの守りは無敵だと言わざるを得ない。ただでさえ硬く、魔法術にすら耐性のある鎧を、さらに魔力で補強している。正攻法では何十年攻撃しても倒せる気がしないぞ。

 大声でミーファに事実を伝える。何か、手はないか。

 ……観察しろ。どんなに強い魔物でも、どこかに隙はある。

 

「来たれ、いかずちよ!」

 

 ミーファは雷の矢を、自分の直上の空へと投げた。敵などいない射線上には、日を遮る厚い白雲がある。……あれは!?

 雲はやがて、その姿を黒く染めていく。彼女は宙へと浮き上がり、右手の剣を高く突き上げた。

 あの技、雨じゃなくても使えるのか。

 耳を脅かす轟きが、少女の剣に落ちる。紫の閃きが導かれ行きつく先は、彼女の眼前に立つ敵。

 天空から落ちるように、ミーファの剣が振り下ろされる。

 あれなら、障壁ごと装甲を灼き斬れるか――!?

 

「雷神剣・紫電一閃(シデンイッセン)!!」

 

 雷の落ちる鮮烈な響き。また、敵を焼く雷電に伴う、断続的な空気の悲鳴。

 ……そして。それをあざ笑う、不快な音。

 

『かゆいかゆい。だが、人間が扱うにしてはすさまじい電圧だな。気持ちいいよ』

 

 効いていない。ミーファの一撃すら。

 ……僕は見た。彼女の剣戟が身体を打った瞬間、やつの脚先から、紫電が大地へ流れ出ていた。刃が装甲を焼き切る前に、纏っていた自然の雷がかき消されてしまったのだ。防御を突破できるはずの破壊力が、無かったことにされている。

 ティーダさんに最初に出会ったとき、彼が言っていたことを思い出す。虫たちは、脚から雷撃を逃がすのだと。

 

『分散させてもお腹いっぱいになった。どれ、少し分けてあげようか――アナライズスタート』

 

 無機質な琥珀色の目が、生物のように、僕たちを眺めているように見えた。瞳の中にある何重もの円模様が収縮している。

 わけてあげる……? お腹いっぱい?

 

『魔力波系および遺伝子情報から、対象をT-35、W-51と予測・仮称。……まったく、人間側のパーツどもは代替わりが激しいな。そろそろ呆れるよ』

 

 意味の測れない言葉に思考を乱される。何を言っている? いや、惑わされるな。やつは、何をしようとしている。

 未知の攻撃の可能性に備え、身体を強張らせる。

 

『アンチサンダー/ウインドを書き込み。高濃度魔導粒子砲、充填』

 

 敵の瞳が淡く光る。かすかな震えと音が徐々に密度を高めていき、やがて甲高く耳をかきむしる。

 本能が、全身が、逃げることを訴えてくる。でも、もう遅いんじゃないかと、僕の心は思った。

 激しく発光する琥珀。それはなにかが、もう、喉元まで、迫ってきているような。

 

『照射』

 

 咄嗟に前へ走り、剣を失ったミーファの前に立った。

 破滅の光。熱線が空を引き裂き、僕たちを照らす。

 風の守りをありったけ絞り出した。あとのことは考えない。今は生き残ることだけを。

 剣が極光にさらされる。白刃が閃光を切り開き、僕はまだ人間の形を保っている。だけど、熱い。あまりにも。

 手の感覚がない。風の守りがあっけなく解かれていく。強い力に押され、腕がきしんでいる。足が膝を折りかける。光を見つめる目が焼けるようだ。

 

「……! そんな!?」

 

 剣が。

 これまでずっと美しい刀身で、旅を助けてくれた風魔の剣に、ひびが入っていた。

 このままでは砕け散る。そんなことになれば、ミーファが……!

 

「うわ!? なん……」

 

 突然、僕は肩を後ろから引っ張られた。ただでさえ折れかけていた膝に思いもよらない力が加わり、尻もちをつく。

 ……そんな! こんなときに、何が!? このままでは……

 その背中を、見上げた。

 僕たち二人を隠すように立ちはだかる長身。槍を肩に担ぎ、無造作に前へ突き出された左腕は、太い光線の奔流を受けてびくともしていない。

 風魔の剣にひびを入れるような魔法術に、なぜ対抗できるんだ。彼の腕は光を完全に弾いて……いや。まるで、腕から熱光線を、飲み込んでいるかのようだ。

 

「ふたりとも。今日は撤退するか? 作戦会議、いるだろ」

「……ティーダ殿。あんたは……」

 

 半身で振り返るティーダさんは、いつもと変わらないおおらかな笑みを浮かべている。死に物狂いの僕と違い、そのへんに散歩にやってきたかのような気楽さだ。

 ティーダさん。あなたは一体――?

 やがて、熱線の放射が終息する。目に死の光が焼き付いていて、少しの間見えづらくなってしまっている。僕は瞼をおさえ、かぶりをふった。

 

『……フン。貴様が何度現れても、決着など永遠につかんぞ。消え失せろ』

 

 不穏な声がしたのを聞いて、なんとか視力を持ち直させる。やつの鋼の体に、無数の小さな穴が開いたのが見えた。自ら無敵の装甲に穴を……?

 

「やっべ」

「おわ!」

「おい! 自分で走れる!」

『対人ホーミングミサイル射出』

 

 ティーダさんは左右の肩に僕とミーファをかつぎ、敵に背を向けて猛ダッシュのスタートを決めた。

 揺らされながら、やつの挙動に目を凝らす。

 穴から、細い杭のようなものが打ち出された。……自分たちを、追ってくる!

 

「どっちでもいい! あれは爆破の魔法術だ、今すぐ撃ち落とせ!」

「ひええ!?」

 

 左腕を突き出し、なけなしの魔力で竜巻を巻き起こす。隣からも金の雷が伸びていた。

 無数の杭が、雷を伴う嵐に巻かれる。

 

「うわああ!?」

 

 閃光。いや爆炎だ。

 突風に僕たちは吹き飛ばされた。

 ……暗い。ぱらぱらと土の撒かれる音。それ以外は静かだ。

 思わず急いで立ち上がる。暗く、ひんやりとした空気。僕たちは、あの地下道へと戻って来ていた。……爆発に乗じてここへ逃れたんだ。

 階段をあがって少し頭を出し、陽光照らす外の世界を見る。

 鋼鉄の魔物は、ゆっくり、ゆっくりと、また山の方へと戻っていった。

 追ってはこない。あれだけ強力ならば、抵抗した人間の生死など興味はないということだろうか。

 こうして遠くから見るとよくわかる。山を食うというのはたとえ話ではなく、本当のことだろう。あの装甲や魔力は、マキラの良質な鉱石から得たものかもしれない。

 いや。それにしては強すぎる。きっと人間よりもずっと長く生きているんだ。ああして、世界の山々をいくつも喰らってきたのではないだろうか。

 ……そんなやつに。僕たちが、勝つすべは、あるのか?

 

 

 

 負け戦。

 坑道を引き返し、あれから少し経った。

 身体は多少回復してきたが、やはり休みたい。そしてそれ以上に剣の状態が気になる。カゲロウさんに見てもらわなければ。

 グラナに戻りたい一心で足が速くなる。

 ……そんなときだ。ミーファが足を止め、厳しい表情で、彼に話しかけた。

 

「ティーダ殿。あんた、あいつの情報を多く知っていて、隠していたな」

「おや? 言ってなかったかな」

 

 声には糾弾の色が乗っている。

 ……グラナに戻ったら、僕も聞こうとしていた。

 ここまでついてきてくれた彼は、思えば実力の底を見せていなかった。地属性の魔法術を操るくらいのことしか、彼は腕前を明かしていない。

 本人は魔物退治の経験があると言っていたが……思い返せば、機械の虫たちも、倒せないとは言っていない。僕らが勝手に助けに入っただけだ。

 そして。あの山の魔物。

 彼はやつの熱線をものともしなかった。あれだけは、見た物を信じられない。人を消し飛ばすのに十分な魔力がこもっていたはずだ。何か、からくりがある。

 よし。ではそれは一旦置いておくとしよう。それでもまだ、謎がある。

 ティーダさんがやつに匹敵する力を持つとして……ではなぜ、自分でヤツを倒さないのだろうか。……倒せない?

 様々な疑問が、頭をかすめていく。

 

「それは別にいい。敵の情報は自分で得るのが一番いいからな。だが、あんた自身のことは流せない」

「………」

「やつの魔法術を簡単に吸収していただろう。ただの退治屋じゃないな。何者だ? あっちの手先じゃないだろうな。オレ達を陥れ、始末しようなんて腹じゃないよな」

「ミーファ! それは……」

 

 言い過ぎだ。そんなことを企んでいる者が、土壇場で僕たちを助け出すはずがない。

 そうだ。ティーダさんには秘密がある。だけどそれは、敵とか、そういうことでは、ないと思うんだ。

 彼の様子を窺う。

 これまで常に朗らかな笑みを保っていた顔から、表情が抜け落ちた。

 

「……疑うのは、こちらも同じだ。君たちは俺が信用してもいい人間なのか?」

「なんだと……!」

「魔物が活性化し台頭し始めたこのご時世に、なぜ都合よく旅人が助けに入る? 山の魔物の手先ではないのか? それとも、例の邪教の信者がグラナの機械に目を付け、潜入しに来たか?」

「あんたに恩を売ったつもりだが、そんな物言いをされるとはな」

 

 ミーファの怒気が、バチバチと火花のように空気を鳴らす。それを正面から受けても、ティーダさんは能面のような無表情を崩さない。

 ……だめだ。こんなのは。真意を測るんだ。

 隠し事。僕たちはいま、互いを疑っている。なら、秘密にしていることを明かしてしまえばいい。

 でなければ、始まらない。僕たちとティーダさんの関係はきっと、まだ始まっていないんだ。

 

「二人とも。こういうのはたぶん、違う。……ティーダさん。これを見てください」

 

 手のグローブを脱ぎ、剣の紋章を見せる。意味が伝わるかはわからないが、これが僕たちの隠し事だ。

 ミーファが呆れ、頭を抱えている。……ごめんよ。

 やがて彼女もガントレットを外し、勇者の証をさらした。

 

「今代の勇者に選ばれ、旅をしています。あなたを陥れるような素性はない」

 

 ティーダさんは無言でそれを眺め、検めた。

 勇者の紋章など見せて何になるだろうとは思うけど、こうするのが正解だと思った。

 ……やがて、彼の表情に動きがあった。

 眉が小刻みに動き、口の端がぴくぴくと震えている。

 

「うっはっはっは!! いやすまん! やっぱ俺、お前らのこと好きだな。かわいい」

 

 哄笑。なにがおかしいのか、ティーダさんはしきりに肩を揺らす。

 そんなにおかしいかな。勇者をうそぶくバカだと思って笑われてる?

 

「勇者なのにこんなにスレてないやつ、逆に面倒くさい。旦那にしたら苦労するぞミーファちゃん」

「なっ」

 

 変なことを言われ、変な声が漏れた。漏らしたのは僕だったか、それとも。

 さんざん笑ってから、ティーダさんが、右手の手甲を外す。

 その下には……。

 銀のような、灰のような、鋼のような。鈍色に淡く光る、剣の紋章が刻まれていた。

 

「えーっと、『地の勇者』だったかな。ティーダ・カカンだ。……これで秘密はなし。改めて、よろしく」

 

 手を差し出され、握手を交わす。

 今度はグローブ越しじゃない。互いの手の温度が伝わり、心が触れあった気がした。

 



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10. 倒すには?

 機械虫の頑健な装甲を、ティーダの槍が貫く。

 魔法剣でもなしに武器であの防御を突破するとは、とてつもない威力だ。攻撃を加える瞬間に甲高い異音が鳴ったことと、槍の穂先が奇妙な形をしているのが気になる。何か仕掛けがあると見た。

 

「これか。これはな、カゲロウが開発した次世代の武器……『ドリル槍』だ」

「ど……」

「どりる……!」

 

 螺旋の形状をした穂先が、持ち主の操作によって目に見えぬほどの速さで回転する。これで突くと硬いものでも砕ける、ということらしい。

 ティーダはこれを使い、地属性魔法術の効かない虫たちを狩っていたのだという。すばらしい、これからの時代は魔法術要らずということか。

 

「ところがこうやってそこそこの数を狩ると、あら不思議。壊れて回転しなくなる。試作段階のポンコツだから」

 

 ティーダはオレたちの期待のまなざしを裏切り、壊れた槍をかついで虫たちの眼前からユシドの後ろへと引っ込んだ。後は任せた! などと言っている。

 あれが地の勇者とはがっかりだ。しかしまあ、勇者と言っても戦闘スタイルは『魔導師』であることが多い。魔力に恵まれた人間である以上、必然的にそうなる。

 やつら機械虫は地術を吸収するという。ティーダとは相性最悪というわけだ。

 

「おらあああっ!!」

 

 天空から降る紫電を宿した剣で、直線状の虫どもを真二つに焼き切る。

 この技ならば脚から電撃を逃がすのが間に合わず、装甲を突破できるようだ。しかし“ヤツ”の表皮は、雷撃を伝達させる速さも、脚の巨大さも全く違う。

 電撃も、大地の力も、通じない。勇者が3人も揃ったとはいえ、このパーティーではいささか不利が過ぎる。

 

「おっと……ユシド!」

「“昇”っ!!」

 

 ボロボロに刀身が崩れ落ちた剣を放り投げ、腕をまくる。ユシドが剣を振るい、現れた竜巻が重量級の虫どもを舞い上がらせた。

 旅立ったころのあいつなら、このような芸当はできなかっただろう。自分の中に眠る力を徐々に使いこなしてきている証拠だ。

 大地の助けを失ったやつらに、金色の光を突き刺していく。他に行く場のない電撃は鉄の身体をよく駆け巡り、命を蹂躙する。

 ぼとぼとと落ち、地面に転がった彼らは一見、大きな傷もない。綺麗に内臓だけを焼いたようだ。

 ……本当なら、雷が弱点だと思うんだよな。鋼鉄の身体っていうのは。

 

「こいつらが倒せるなら、あいつもいけそうだと思ったんだがなあ。……そういえば、ふたりだけで戦わせてごめんな」

「いえ。今となっては過ぎた事です」

 

 死骸を荷車に乗せながら、ティーダが核心を突いてくる。この虫たちと、その母親(父親?)は、ほとんど同じつくりをしているように見える。

 攻撃の通じないあの山の魔物。地の勇者であるティーダとは、魔力を互いに食い合って勝負にならないらしい。

 ティーダがあの若さで、魔法術を吸収できるほど自分の属性に長けているのにも驚きだが、それに対抗しうる強大な力を持つヤツは、やはり七魔の一匹ではないかと思う。

 冠する属性は地だろう。大地の力の象徴である山岳を喰らう、地魔。あれほどの力を目の当たりにした今ならば、グラナのように人材豊富な大都市が、これまで排除することができなかったのも頷ける。

 しかも頼みの綱の勇者が属性被り。オレも風魔を倒すのは一人じゃ一生無理だったしな、ティーダが諦観していたのもわかる。

 

「あいつを倒さないと、ティーダさんは僕たちの旅についてきてくれないんですよね」

「まあ、そりゃあな。奴さんがどこかに消えてくれないことには、知り合い連中が心配だからな。……ちょっとだけ」

「ううーん」

 

 腕を組んでうなるユシド。地も雷も効かぬとなると、キミこそが鍵だと思うのだが。

 ティーダが荷車に積んだ虫たちを見る。電撃さえ通れば……。

 

「なあ。さっきと同じ方法はどうかな」

「同じ方法?」

 

 すなわち、風で敵を持ち上げ、電撃を逃がせなくなったところに、最大の電撃をぶち込む。

 うまくいけばダメージを与えて動きを止め、ティーダが攻撃に参加することもできるのではないか。

 

「でも、やつはミーファの雷撃を吸収していなかった? お腹いっぱいって言ってたよ」

「……いや、いい案かもしれん。機械にとって電撃の力は栄養でもあるが、本来は弱点の一つでもある」

 

 やはりか。地魔はあのとき、全てのエネルギーを受けきってはいない。地面に雷撃をあらかた逃がし、許容できる分だけを吸収していたのだ。……と、思う。

 

「希望的観測だが、ミーファちゃんの雷が通って、この虫たちみたいに機能停止に追い込めれば、俺の術も吸収されない。バリアフィールド……魔法防御の膜も解除されるはずだ」

「おお。んんっ、それなら倒せそうですわね」

 

 あとは総攻撃をぶち込めば、装甲のみの防御力ならば問題なく破壊できるはずだ。どりるでも持ち込めば倒せそう。というかあれ、一回貸してほしい。

 希望が見えてきた……と、思ったのだが。ここまでの話を聞いたユシドは、眉尻を下げながら手を挙げた。

 

「あの。ここまで話を進めてなんだけど……大前提が、無理です」

「はー? 何がさ」

「あの山みたいに大きい鋼鉄を! 浮かせるのは! 無理!」

「そうだよなあ」

 

 ティーダは納得してしまったようだが、オレはそうはいかん。

 ユシド、お前に無理なことなどありはしない。オレができたことが、キミにできないはずがないんだ。

 

「ユシド、ちょっと修行がいるな。お前ならアレをぶっ飛ばせるはずだぞ。歴代風の勇者には、魔物の巣になった城をひとつ、まるごと吹き飛ばしたやつもいるんだ」

「う……いくらミーファのいうことでも、今回は自信が……」

「はは。でも少しきっかけは見えてきたんじゃないか? ……ヨイショ、っと」

 

 これ以上有効なやり方は、オレには思いつきそうにない。できることと言ったら、ユシドを鍛えるぐらいか……。

 街に戻ったらどうするかを考えながら、回収し終えた虫たちの山に腰掛ける。

 今日はティーダの魔物討伐を手伝っていたのだ。退治を依頼されていたらしい魔物を倒したあと、その帰り道で運よく出会った金のなる木……機械虫たちを相手に、親玉を倒す方法を考察していたところだった。

 剣を求めてここにやってきたが、思った以上に足止めをくらっている。勇者をひとり見つけることができたのは奇跡的な巡り合わせだが、加入条件がこうも厳しいものになるとは。

 

「さ、今日はもう戻って休もう。おじさんの仕事、手伝ってくれてありがとな」

 

 同じように虫山に登ってこようとしたユシドが、こちらを見て固まる。すぐに背を向け、車を引く赤毛のとなりへ行ってしまった。

 ……なんだというんだ。

 その、あの日から、どうもユシドの態度が変だ。目が合うと、そらしてしまう。

 そしてそれは、自分もだ。あいつの顔を見ていると、思ったより睫毛が長いな、とか、昔の自分よりも瞳の色が濃いな、とか、そういうことを考えるようになった。

 あまり顔を近くでまじまじと見たことがないから、そういうことには気づかなかった。……そして、見ていることをばれたくなくて、視線がぶつかることを避けている。

 オレはユシドに、勇者としてあるべき姿を押し付けていて、あいつ自身のことを見ようとせず、ないがしろにしているのだろうか。

 

 ユシドが無理だというなら、やはり別の作戦を考えよう。

 唇に触れる。あのときのように、嫌な役はさせたくない。本人は気にしていないように振る舞っているが、ふとしたときに距離をとってしまう。恋仲でもない先祖のジジイとあんな真似をするなど、嫌に決まっている。

 少し、胸の奥が、痛い。

 あいつに嫌われでもしたら、オレは、旅など続けられないかもしれない。

 いつからこんなに心が弱くなったのだろう。子孫と出会えたことが、オレを少しずつ変えている。それが良いことなのか悪いことなのかは、わからなかった。

 

「おーいミーファちゃん、下着見えてるぞ。な、少年っ」

「……!」

 

 振り返らずに発せられたティーダの声に、咄嗟に脚を閉じる。

 見ると、ユシドの耳が赤い。

 ……不埒者め。なるほどな。我ながらなにを女々しく悩んでいたものやら。

 なんだか顔が熱い。夕日が近いからだろう。

 これまで散々この手のからかいをやってきたが……もしかしたらこういうのは、子孫の教育に、良くないかもしれんな。うん。あいつも良い年頃だしな。

 

 

 

 グラナへと無事たどり着いたオレ達は、いつかと同じように、街中を重い荷物と共に進んでいった。

 これだけの数を狩れる退治屋はいないらしく、ティーダの赤髪は多少の注目を買っているようだ。

 

「そういえばティーダさん、これはどこへ持って行くんですか?」

 

 機械の虫たちを指してユシドが問う。

 魔物の死骸なのだから、冒険者組合……じゃなかった、今はハンターズギルドだったかな。そこに持って行くんじゃないのか。

 ティーダが持ってきた討伐依頼というのも、そこから請け負った仕事のはずだ。

 

「これは街のジジイやババアのところに売るんだよ。だから、ギルドに寄る前に、商店街の方を通るよ。……なに、今日はついてくる?」

「よろしければ……」

 

 ユシドは興味があるらしい。

 商いに関心があるのかな、やっぱり。でなければ見聞を広めるためとはいえ、叔父の商売について行ったりはしないだろう。勇者でなければ、そういう仕事をしていたのかもな。

 荷車が、人々の間を進む。

 ティーダはひとつの店に虫を卸さず、街の方々へ売りさばいていった。本人の表情を見るに、今が我が世の絶頂といったところだろうか。地魔を倒す前に儲けられるだけ儲けたほうがいい気がしてきた。旅に金はいくらあっても困らない。

 最後にカゲロウの店に1つを下ろし、酒宴の約束を取り付ける頃には、夕日も沈んでいた。

 次に彼は、ギルドに寄ると言って歩き始めた。ユシドにならい、後をついていく。

 

「そういえば、ハンターズギルドって、誰でも会員として受け入れてくれるんですよね。僕たちも登録しておいた方が、旅の間の身分を保証できるかも」

 

 組合のハンターは腕っぷしさえあれば身を立てることのできる、どこか夢のある職業だ。魔物に泣かされている行商人や町人が依頼を持ち込み、ギルドに所属する退治屋が、討伐や危険な地の探索を請け負う。

 幼い男の子なんかに人気の連中であり、トップランクの実力者は王族の護衛にも担ぎ出され、重用されるうちに一国の英雄扱いされる……なんて噂も聞く。この頃は魔物も活性化していて、需要が増していることだろう。

 オレが生きていた頃にもあった組織だ。勇者の儀式が成功した平和な世でも、魔物は弱体化はすれどそこそこの悪さをする。あれから経営破たんはしていないらしい。

 ……そうだ。もしかしたら、最上位であるS級のハンターには、勇者もいたりするかも。

 ユシドの言うように、加入するのもありか?

 

「いいや、止めといた方が良い。恩恵もあるだろうが、君らくらいの腕利きならすぐに名が上がる。そのうち指名依頼が次々舞い込んできて、勇者の旅どころじゃなくなるぞ。俺もそろそろ辞める」

 

 実力のある者はギルドに縛られる、とティーダは言う。なるほど、万が一S級にでもなってしまえば、依頼であちこちの国を行ったり来たりだ。強力な魔物が出現すれば、遠方に出向いての討伐を強制的に命じられることもあるらしい。それもある意味では旅だが、勇者を集めて星の台座に行くことができなければ駄目だ。良い待遇を受けられる分そういう不自由もあるわけだ。

 というか。

 そうなると、ティーダは、辞めさせてもらえるのだろうか?

 

 グラナの繁華街の一角、ハンターズギルドと書かれた看板を冠した、立派な家屋の扉を押す。

 一階は、半分が荒くれたちの酒場、半分がギルドの仕事を管理する社員らの職場、といったところだろうか。冒険者組合だったころとほとんど印象が変わらない。どこの町のギルドもこんな感じなのではないだろうか。

 ガラの悪い連中に絡まれるのが嫌で、ユシドの外套を借りてフードを目深にかぶる。ハンターは小悪党の集団などではないが、ほとんど誰でも登録可という仕組み上、教養や礼儀の欠けた輩もいそうだ。

 まあ、年寄りの偏見だが。そんな連中が街の人気者にはなれまい。

 ティーダは懐から依頼書と、青い石の嵌められた首飾りを取り出し、受付の女性に提出した。

 あの石、おそらくマジックアイテムだ。魔物を倒し、死体が消えるときの光のつぶを、あれが吸い込んでいるのを見た。

 ひとつ疑問なのだが、あの石はすべてのハンターが持っているのだろうか? マジックアイテムの量産は容易ではないというイメージがあるんだがな。

 

「ティーダさん、さすがです! あの魔物を倒すなんて……報酬を準備しますね」

「いやあ、連れが強くて……っと、口が滑った」

「もしかして、期待の新人さんを連れてきてくれたとか?」

「いや、ふたりは新婚旅行中なんだ。ハンターをやる暇なんてないよ」

「まあっ! よく見れば可愛らしいおふたりですね、ふふっ」

 

 あか抜けないが器量の良い容姿をした受付の女性が、顔を赤らめ、笑みを深めた。

 ユシドがあわてて、そのあと顔を伏せる。オレは指から電気の針を伸ばし、ティーダに突き刺した。

 

「いって!! ……ところでメンソちゃん、折り入って相談があるんだけど」

「何です? ナンパな男は好みじゃないんですけど、まあそのティーダさんなら……いやでも心の準備が……」

「近いうちにギルドを辞めようと思ってさあ、いいかな」

「なあんだ、それならいいですよ別に……えっ!?」

 

 女性が大声を出す。部屋中の視線が一瞬、集まった。

 

「ま、待ってください。ティーダさんはうちの稼ぎ頭でしょう。どうしてやめるんです? ……いえ。そう簡単に脱退は認められませんよ、きっと」

 

 彼女の言う通りだ。地の勇者ともなれば、ハンターとしてもある程度活躍してきたのだろう。

 ティーダはグラナのギルドが保有する貴重な戦力だ。経営者側がやすやすと退会をさせてくれるとは思えない。

 

「これを解決するから。そしたらいいでしょ、一生分の働きだ」

 

 ティーダは討伐依頼の掲示板から、一枚を剥がし、受付の机に置いて見せた。

 描かれた対象の図絵には見覚えがある。うまい絵師がいるものだ。

 鈍色の装甲に守られた、山ほどもある多脚の虫……これは、地魔の討伐依頼である。

 報酬を示す欄には何も記入されていない。すなわち、倒すことができた者には言い値での報酬が贈られ、そしてそれ以上の名誉を得ることができる。まさにS級のクエストというやつか。

 

「……一度挑んで、ダメだって判断したじゃないですか。今、各地からS級の集合を待っているところです。あなたがまた出張る必要はないんです」

「今度はあてがあるぜー」

「……わかりました、支部長に伝えます。倒せたならば、の話ですが」

「ふたりとも、オッケーだって!」

 

 笑顔で振り向き、親指を突き立てるしぐさを見せつける赤毛。いや、了承はされていないと思うけど。

 結局こうして無理やり受付嬢を頷かせ、ティーダと共にギルドを出た。

 こいつ悪いやつだな~。彼女、あんたを心配しているんだと思うぞ。

 旅に同行してもらうことになったらお別れだけど……。

 

 宿に戻る。

 1階の酒場はハンターたちのすみかと違い、筋骨隆々の荒くれのような面子はいない。気の良い大衆が集まる食堂だ。

 先に来ていたカゲロウと同じテーブルにつき、飲み物を注文した。

 対面に座ったユシドがさっと青い顔になる。なぜだ? やはり微妙に嫌われている……?

 

 



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11. 風魔テルマハ

「ぢょっどドイレ行っでぐる」

 

 湯浴みを終えたような真っ赤な顔で、紫紺の目をぐるぐると回転させながら、ミーファはおもむろに立ち上がった。

 おぼつかない足取りで、目的地へと蛇行しながら進んでいく。心配だ……。

 

「ああそうだ。お前の剣、もう治ってるぜ。今返すよ」

 

 すっかりいわゆる飲み友達になってしまったカゲロウさんが、脇に立てかけていた剣袋を手渡してくれる。

 あのとき、地魔の魔法攻撃を受け止めヒビが入ってしまった僕の剣を、鍛冶師である彼に預け、見てもらっていたのだ。

 自分もまた、机に立てかけていた長刀を、カゲロウさんに返却しようと手に取る。風魔の剣が直るまでに借りていた代用の武器だ。七魔から創りだした剣には及ばないまでも、これもまた見事な逸品で、正直なところ返すのは惜しいほどだった。武器屋に並べればしかるべき価格で売れるに違いない。

 しかし、カゲロウさんは、それを手で制した。

 

「それはあげるよ。いらんなら、ミーファちゃんのスペアにでもしてくれ」

「いいんですか? こんなに素晴らしい刀を」

「そんなもんでいいならいくらでも打てるさ。鉱山採掘や石の流通が復活しさえすればな」

 

 彼はやはり、腕に覚えのある素晴らしい鍛冶師だ。そう歳を重ねていないが、間違いなく熟練の域だろう。ミーファの手足になる剣を生み出せるのは彼しかいないと、改めて思う。ティーダさんは友人のよしみで彼の元に客を連れていくのではなく、実力に見合った依頼を持ち込んでいるのだ。

 しかしこの刀。ミーファの使い捨てにしてしまうには惜しい。魔法剣にもある程度なじみ、頑丈さと切れ味を高いレベルで兼ね備えている。魔物との戦闘に何一つ不足はない。また、片側に刃のある美しい刀身は妖しい光を備え、造形にも価値をつけられそうだ。

 気付けば僕は、あまりに礼を失したことを口走ってしまっていた。

 

「……これ、どこかで売ってお金にしてみてもいいですか」

「お? いいよー。そしたら参考までに、いくらでさばけたか教えてくれよな」

「こいつ商才は全然だからな、ユシド君、そういうの教えてやってくれよ」

「優雅にまったり暮らせるくらいには稼いでるわ、別にいいっての」

 

 頭を下げ、礼を言う。

 カゲロウさんは気の良い返事をしてくれた。そんな返答をしてくれることを、心のどこかで感じ、期待していたのだろう。自分は狡い男だ。

 刀を再び自分の側に戻す。そして次に、受け取った風魔の剣を、鞘から抜いた。

 ……傷ひとつない。美しい刀身は、まったく元の姿のまま。ひびなど最初から無かったかのようだ。

 流石はカゲロウさん。そう賞賛したくて顔を上げると、彼はどこか煮え切らないような、苦笑いをしていた。

 

「それさ。ひとりでに直ったんだよ」

「え……?」

 

 彼の言うには。

 剣を台に置き、少し席を外して戻ってきた、その瞬く間の時間。いざ作業をしようと刀身を見ると、確かにあったはずのひびが消えていたらしい。

 また他の異常として、部屋に材料として置いてある風属性の魔石が、いくつかは魔力を失った状態になっていたという。

 ……つまり、この剣が、自ら魔力を食って再生したと。

 

「風魔から創ったっていう話、俺はもう心底信じたよ。この剣は、生きている」

 

 剣が生きている。

 今までそんなふうに思ったことはなかった。……武器に関することで、カゲロウさんの言うことに間違いはない。

 

「しかしね、問題をひとつ見つけた」

「問題?」

「ああ。ほら、この前地下迷宮に行った日だったっけ。オレの前で魔法剣を使って見せてくれただろ。そのとき感じたんだが……この風魔の剣はおそらく、君を主人とは認めていない」

「えっ……?」

「だから、本来の性能のほんの一部しか発揮していないと思う」

「なっ!? ……そんな」

 

 思わず席を立ちあがり、また、座る。

 剣は生きていて、それが僕を持ち主と認めていない? たしかに、こいつの持つ戦いの歴史に見合う戦士に、僕はまだまだ届いていないという自覚はある。

 しかしそれが、剣の側にも意思があり、未熟さを見抜かれているとは。

 ……本来の力を、見せていない?

 

「風の魔力の伝導力、許容量、そして増幅機能。ぜんぶこんなものじゃない。何なら機嫌が悪いときは、こいつに注いだ魔力の何割かは食われてるかもよ。めちゃくちゃ燃費が悪いときはないか?」

「ええ!?」

 

 全っ然心当たりがない。今までの戦いで、この剣は不自由なく僕の道を切り開いてくれている……と、思っていたのだが。

 ごくりと喉を動かす。今の段階でも、風の魔法剣がよくなじむという点で、普通の剣よりまったく上等だ。そこにさらに、カゲロウさんの言うような力が秘められているとしたら。

 

「……剣に認められるには、いったいどうすれば?」

「う~ん、さあなあ。地道に使い続けて力を示していくか……あ、胸に抱えて一緒に寝たら、夢の中でお話できるかもよ? なんて」

「僕ちょっと今日はこれで失敬します。ティーダさん、あの作戦、ちょっと詰めておいてください」

 

 いくらかの金を机に置いて、急ぎ二階に借りた部屋へ駆けあがる。

 試さずにはいられない。絶世の剣だと思っていたものに“上”があるなんて……!

 部屋の戸を開け、中へ入る。少し考え、装備をまとったままの状態でベッドに横になった。

 風魔の剣を眺め、心の中で語りかける。

 お前に話がある。どうか、どうか応えてほしい。

 剣を胸に抱え、目を閉じる。酔いが少し入っているせいか、眠るのにそう時間はかからなさそうだった。

 

 

 

「う~い……あれえ、ユシドはあ?」

「ちょっと用事があるってんで、部屋に戻ったよ」

「なんでえ!? や、やっぱりオレ、避けられてるのかなあ」

「おちつけミーファちゃん。そんなわけないだろー?」

「ただの用事だって。ほら、水だよー美味しい水だよー」

「用事って何さあ! こんな時間にぃ、なんかあるわけないだりょ!!」

 

…………

 

「わかった。風魔の剣か。……ちょっと行ってくりゅ、ごちそうさまでした」

「行ってらっしゃい」

「おやすみ~」

「………」

「………」

「あ、おいバカ、どこへ行くムラマサ」

「だってよお、美少年と美少女の夜の逢瀬だぜ? 心の栄養だろ?」

「デバガメはやめとけよ。……こういうのはさ、朝までここで待って、一緒に降りてくるのをいじるのがオツなんだ」

「ティーダ……」

「ムラマサよ……」

「朝まで付き合うぜ!」

「ああ!」

 

 

 

 

《何か用か、ウーフの小僧》

 

 闇の中で厳かな声がして、目を開く。

 自分は、自分以外に何もない場所に立っていた。

 いや、今のは最初の印象だ。正確に言えば、あるはずのものはそこにある。立っている地面もあるし、肺を満たす空気や爽やかなにおいもある。そして、吹きすさぶ風の音も。

 しかしそれとは逆に。いつも腰に帯びている、風の剣だけが、そこになかった。

 

《どこを見ている。オレはここにいるぞ》

 

 風の音と思っていたものは、僕の頭上から聞こえていた。

 その荘厳な姿が、目の中で吹き荒れる。

 見上げるほどの大きさをした、翠色の毛をもつ馬の姿をした魔物。

 その背中には、一対の翼がある。人間に飼いならされた馬たちと違い、そこに荷や人を乗せる機能など、己にはありはしない。そう主張しているかのようだ。

 翡翠の目は怒りを押し隠しているかのように揺れ、僕を静かに見下ろしている。そしてその上……頭頂部には、根元から折れた角のあとがあった。

 

「お前が、かの風魔か」

《そう呼ばれたこともあるな》 

「……用件を言う。僕に、その力を貸してほしい」

 

 単刀直入に、ここへ来た理由を告げる。

 わずかな無言の間が、重圧となって身体にのしかかるようだ。

 

《貴様などにオレの風は扱えん。ただの剣の役割なら果たしているはずだ》

「それでは足りないんです。その力が必要だ」

《――フフフ。武器の性能に頼るような軟弱が、風の勇者を名乗っているとはな》

 

 わらった。だが、決して愉快だから笑ったのではないとわかる。

 むしろ、怒り。沸点を超えてしまい、やがて暴力をふるう寸前の、原始的な本能の笑い。

 強い追い風が、僕の全身を刺し始める。

 

《どうしてもというなら、貴様自身の力を見せろ。……さあ、戦え》

 

 折れていた風魔の角が、翠色に輝く風の魔力で新たに形作られる。けたたましい(いなな)きと暴風をまき散らしながら、やつは前足を高く上げて踏み鳴らした。

 やはり力を示さなければ、彼がこちらを認めることはない。仕方ないが、全力を見せるんだ。

 慣れた動作で腰の剣を抜こうとする。

 ……そして、気付く。そこに剣はないということに。

 

 眼前で、輝く角が、ほんの軽い動作で振られる。

 僕は竜巻に、全身を叩きのめされていた。

 

「がああッ――!?」

 

 切り刻む風ではなく、鈍器のような、いや、壁のようなそれに吹き飛ばされる。

 地面にみっともなく転がり、血反吐を吐く。……痛い。夢の世界だというのに、身体のそこら中が軋む。

 口元を拭い、震える脚に力を入れ、なんとか立ち上がる。

 

《ただの一撃でそのざまか。風の勇者が風に押し負けるのか? 剣が無ければ、何もできぬとは》

 

 呆れるような声色。

 まったくだ。自分でも笑いが出る。それこそ怒りの笑いだ。

 ミーファから教えてもらった魔法剣。先祖から受け継いだ武器。すべて自分のものにできていない。

 

《このような者に手綱を握られるなど、耐えがたい屈辱だ。……よくぞここへ来てくれた、お前はもう死んでくれ》

 

 再び角先から、嵐がほとばしる。僕は全身の血を沸騰させ、敵と同じように、両手から風を呼び起こした。

 正面からぶつかる二つの魔力。負けたのは……、

 

「う、ぐ、ぎ」

 

 いくら踏ん張っても押し返せない。僕の身体は竜巻に切り刻まれる。鋭い痛みが、四肢や顔を襲う。

 まだ。まだ全身がバラバラになったわけじゃない。魔力を放出する要領で、身体中から力を飛ばし、自分を包む竜巻を散らす。

 晴れた視界の先。風魔が角を、一閃に振り下ろした。

 

「ぐああああ……!」

 

 風の刃。自分にとっても、得意とする技のひとつ。

 しかし風魔のそれは、切れ味がこちらの比ではなかった。

 膝をつき、斬撃の刻まれた自分の胴に触れる。するどく焼け付くような痛み。赤い血。

 ……死んでしまいそうだった。涙が情けなくあふれかける。夢の中だというのに、自分の身体は正直だった。

 傷は負ったが、胴はまだ離れていない。それは攻撃の瞬間、身を包んだ魔力の防御が、紙一重だった証拠だ。

 だけど。折れた膝がいうことを聞かない。立ち上がることが出来ない。

 ただの三度の攻防で、僕の心は、五体は、やつに屈しかけていた。

 

《泣きたいのはこちらだ、小僧。そんな様では、シマドの名も知れたものとなろう》

 

 その名を聞いて、自然に拳を握っていた。

 だけど意思に反して、全く力の入らない手足は、まるで眠っているかのよう。それにつられて、意識もまた。

 情けなくうずくまり、小鹿のように震える。

 

 そこに。

 僕の目の前に、金色の小さな光が現れた。

 握りこぶしほどのあたたかい輝きが、眼前でゆらめく。

 

《……ほう。風の勇者、シマドの魂がお前につきまとっているようだな。やつもとうに野垂れ死んだだろうに、未練たらしい。寿命の短いヒトの妄執だな》

「シマド、様……?」

《しかし良い趣向だ。さあ、先代の前で無様にひれ伏すがいい。自分には世界など背負えません、とな》

 

 ……そうだ。

 僕は勇者の器じゃない。誰よりもわかっていたことだ。懸命に旅を進めることで、そこから目を逸らしている。

 シマド様。あなたのようには、なれない。

 金色の光が、やさしく僕を照らす。

 

「い、いて!」

 

 光がゲシゲシと頭にぶつかってきた。修行のとき、ごくまれにミーファから拳骨をもらってしまったときのように、絶妙に痛い。

 光が語りかけてくる。それはなぜか、威厳ある男性のようにも、透き通る女性のようにも聞こえた。

 「ここで倒れるような者に、風を託した覚えはない。立て」

 そう、言っていると、思った。

 

「……はは」

 

 この拳骨の痛みに比べたら、今の身体の傷がなんだ。

 力の入らない手足を、意思だけで無理やり伸ばし、虚無の大地に脚の根を張る。

 金色の光が細く伸び、剣のような形に姿を変えた。

 思わず手を伸ばし、握る。あたたかい熱が手に伝播する。心に、誰かが寄り添ってくれているようだった。

 それにしてもなさけない。ご先祖さまに、わざわざ武器まで用意してもらうなんて。僕はいつまでこうなんだ。

 

《ああ。もうやめてくれ。お前は醜態を晒しすぎる》

 

 ……まったく、気が合う。

 風魔の頂く角の輝きが、これまでにないほどに濃くなる。

 荒れ狂う暴風。あれほどの風を見たことがない。人間がそれに巻かれれば、たちまち身体は千々に切り刻まれ、肉片はどこか遠くへと舞い飛ばされることだろう。

 光の剣を、両手でそっと握る。剣は僕に、力の限り勝てと言っている。

 だが、四肢には何の力も入らない。

 そしてそれ以上に……剣であいつを打ち倒すのは、僕にとっては、何かが違うと思った。

 

 終わりの神風が、ただひとりに向かって吹きすさぶ。

 鼻の先まで迫る死の気配。耳鳴りがひどく、触れもしないうちから肌が斬りつけられている。

 しかしなぜか。鼓動は安らぎ、落ち着いていた。誰かが手を握ってくれているかのように。

 

 ――風神剣・凪――

 

《何……?》

 

 烈風を一刀で切り裂き、かき消す。なぜこんなことができたのかわからない。夢の中だから心の問題かもしれないし、剣に余計な力が入らなかったからかもしれない。

 最大の一撃を放ち、隙を見せた風魔に向かって、飛ぶ。

 剣を振りかぶり、斬りつけようとして――やめた。

 触れる距離まで近付けたことに気付き、僕は彼の首を撫でた。

 毛並みが良い。良いもの食ってるな。

 

《何の真似だ? そうまでして死にたいか》

「失礼」

 

 眼前の地面に降り立つ。僕は風魔の目を見上げ、再度気持ちを伝える。

 

「僕はあまりに未熟者だ。あなたには勝てない。だから、もっと強くなってから、また来る」

《みすみす逃がすと思うのか?》

「……いいじゃないか。これからも一緒に戦ってくれるなら、いっぱい風の魔力を食わせるよ。魔力の量だけなら自信あるんだ」

 

 手足の気張っていた根性も抜け、尻もちをつく。もう限界だ。負け負け。

 

「あと、怒らないで聞いてほしいんだけど……僕、あなたと馬が合いそうだ。賢いひとは好きだし」

《不愉快が過ぎる》

「気難しいな。力の全部を貸してくれなくても、今の分だけでも最強の剣だと思うんだ。これ以上頼ろうなんてたしかに軟弱だった、反省しました」

 

 そうだ。彼の真の力は魅力的だが、どう転んでも僕の最終目標にその手は借りられない。

 自分の力だけであの子に勝たなきゃ、気持ちを伝えられないのだから。

 目先の困難くらい自分で何とかすべきだろう。ミーファの言うように、あの地魔の身体を己の力で持ち上げられるようにならなきゃ。いつか風魔の力を借りるにしたって、まずはそこからだ。順番が違う。

 

「う……」

 

 上半身を起こしていられなくなり、地面にあおむけになる。

 頭上から、翡翠の目が、こちらをのぞいていた。

 落ち着いた状態で彼の起こす風の音は、どこか澄んでいる。

 

《お前のような惰弱を、戦士とは認めん》

 

 厳かな響きと、微風。

 まぶたが、落ちる。

 

《認めんが……人間にしては気持ちのいい風を起こす。シマドよりまだ礼儀を知っているようだ》

 

 あれほど痛めつけられたのに、なぜだろう。今はまるで、草原で昼寝に興じているかのように心地よい。

 さわやかで、涼しい。

 ……そういえば直接本人からは、聞いていなかった。

 あなたの、名前は?

 

《我が名はテルマハ。お前が己の力を真に息吹かせたならば、多少は力を貸してやってもいい。機嫌が良い日だけな。――何より、オレもあの業突く張りの虫けらは、昔から好かぬ》

 

 

 

 

 目が覚める。

 十分な睡眠をとることができたような、すっきりとした目覚めだ。

 だからといって。

 目の前で、想い人が添い寝していることを、正しく認識するのには、時間がかかる。

 

「マ゜ーーーーー」

 

 奇声を上げて飛びのこうとして、互いの両手を繋ぎ合わせていることに気付く。

 解こうとしていると、アメジストの輝きが、瞼を持ち上げていた。

 眠たげに身体を起こし、目を擦ろうとでもしたのか、手を持ち上げる。当然、こちらの手も、持ち上がる。

 それを見た、寝起きの少女の白い肌は、みるみると色づいていった。

 

「あっ、その……おはよう」

「う、うん」

 

 互いに距離を開ける。手のぬくもりが離れることを、名残惜しく思ってしまった。

 しかしなんでミーファがここに。いや。彼女なら勝手に人の部屋で眠ってもおかしくはないが……だけどそれにしては、こんなにしおらしく顔を伏せて、らしくない。

 

「テルマハには会えたのか?」

「え? あ……」

 

 抱えて寝たはずの風魔の剣が、ベッドから落ちて転がっていた。

 拾う。これまでは無機質な剣にしか思えなかったが、手の中にあるそれには、呼吸をしているような息吹や鼓動を感じる気がする。

 これはあくまで印象だが。落とすんじゃないと、メチャクチャ怒っているかのようだった。

 

「怒ってるっぽい」

「性格暗いからな~」

 

 笑って返すミーファを、不思議に思った。

 彼女はまるで、風魔に会ったことがあるように話す。

 

「ああいや、そういう先代勇者の記録を読んだことがあるんだよ。……キミが読んでいるべきだぞ、まったく」

 

 そういった彼女の様子は、何かをごまかしているように感じた。

 ……まあ、ささいな違和感だ。そんなことより、お、おっ、同じ布団の中にいたことの方が問題である。

 何がどうなっていたのか、あまり聞かないことにして、僕はぼさぼさの髪を撫でつけながら、階下を目指して部屋を出る。

 後ろからミーファが追ってきた。僕たちは並んで、階段を下りていく。

 隣からわずかに、体温が伝わる。

 

 あの光のぬくもりは、シマド様の魂だけじゃなくて、となりで寄り添っていたミーファの熱が反映されたのかもしれない。おかげで心を落ち着けることができた。無謀な挑戦から生きて目覚めることができたのは、彼女のおかげということか。

 ありがとう、ミーファ。

 そう心の中でつぶやき、彼女に視線を送った。

 

 そのあと、朝までここで飲んでいたらしいティーダさんとカゲロウさんの盛大なからかいが、僕たちを待ち受けていた。

 

 



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12. 大地崩壊

 街を出てすぐの外周部にて、装備や体調を確かめる。

 二度目の挑戦。これに勝利することができなければ、グラナには年単位で足止めされることになるかもしれない。やつを倒すために今切り得る手札は、少ない。

 腰の左右に帯びた、二刀の片手剣を握り、具合を確かめる。ムラマサの子孫の作だけあって質が良い。紫の雷を使わなければ、ある程度もつだろう。

 ……まあ、出し惜しみするつもりはないのだが。だから二本装備している。良い剣を使い潰すのは惜しいが今回ばかりは仕方あるまい。奴を倒さなければカゲロウやグラナの商売人たちも、いずれ困り果てるというものだ。

 

 剣をしまい、腕甲の留め具を締めながら、離れたところに佇むユシドの様子を観察する。

 握り締めた長剣を見つめたまま動かない。何を思っているのだろう。

 ……結局あいつは、剣に宿る風魔テルマハの魂を屈服させることは、できなかったのだという。しかしまさか、風魔のやつがユシドに力を貸していなかったとはな。

 性格が悪すぎる。いや、思えばそんな奴だったな。見かけは美しいお馬さんだが、中身は人間嫌いの根暗駄馬だった。

 剣にその魂を写してからは無口なので忘れていたが、思い返せば言うことを聞かせるのには苦労したし、気が合うようになるのには長い時間がかかった。旅の終わりごろにはあいつのおかげで、大群をぶっ飛ばす暴風を巻き起こせるようになったのだが。

 

「……やあ、調子はどうだね」

 

 意を決し、話しかけてみる。やはり集中を邪魔してしまったようで、ユシドは少し驚き、視線を逸らしながらしばし逡巡していた。

 近頃、ほんの少しだけ、うまく話せない。

 ティーダのやつが、男女の関係を疑うように囃すのが良くないと思うのだ。……いや、まあその、反応が面白いのはわかるが、オレ以外にそれを見られるのは少々面白くない。ティーダには一度説教しなければならん。でかいナリしてガキだあいつは。

 オレはともかく、ユシドは可哀想だろう。あんなにあわてさせて。

 好いてもいない小娘との関係をいちいち取りざたされるなど、苦痛に違いない。

 ……なんだろう。

 そう思うと少し。胸の奥が……変だった。

 

「調子はいい、かな。あいつをどうこうできるかは、あまり自信ないけど」

 

 ユシドは伏し目がちで、しきりに手の内の剣を気にしているように見える。剣の力を借りられなかったことを惜しんでいるのだろうか。

 昨日はそう見えなかったのだが。むしろ吹っ切れたような、さわやかな雰囲気だった。

 

「試しに何か、技を撃ってみろ」

 

 コンディションを見るにはそれが手っ取り早い。

 ユシドが頷き、剣を構える。

 緊張した面持ちで、魔力はどこか張りつめている。無理もないか、今回の作戦では、彼が地魔の超重量を持ち上げられるかが問題なのだ。

 ユシドが目を見開く。剣を振ろうとして……それを、取り落とした。

 

「あれ」

 

 拾い上げ、間の抜けた表情で剣を見つめている。

 やはり決行日を延期するべきか? そう思って、声をかけるために近づこうとした。

 もう一度、ユシドが剣を構える。

 先ほどとは、何かが違っていた。

 

「ふっ!」

 

 竜巻が起こる。……それは、これまでのユシドの技とは異なる点があった。

 目の前で荒々しく砂を巻き上げているはずなのに、その風が、こちらまで来ていない。耳と目が、そこに風がうずまいていることを知らせているが、肌が受け取るのはほんの軽風だ。

 試しに、小石を投げ入れてみる。

 真っ直ぐに飛んだそれは、“そこ”に侵入した瞬間、弾かれるように真っ直ぐ上空へと転進した。

 

「なるほど。何か掴んだか」

「……そう、かも。なんか、剣が、リラックスしろって」

 

 本人も驚いているようだが、風の扱い方がどこか洗練されている。

 今のは機械虫相手によく使っている、敵を上昇させてから地面へ叩きつける技だが、その打ち上げる力が強まっているようだ。

 これまでは分散していた力のベクトルが、無駄なく上方向へ集約している。というところだろうか。

 風魔の剣が力を貸したとしても、そんな現象は起きない。あれに風の魔力を上乗せしてもらったところで、それを操るのは使い手自身。つまりさきほどの技は、ユシドによる変化だ。これならやれるかもしれない。

 ……またひとつ成長した。風魔との邂逅の中で、あいつに何があったのだろう。あのときオレも力を貸しはしたが、心の内までは見通せない。

 

「すごいじゃないか。褒めてやる」

「わ……っと。その癖、いつになったら直るんだよ」

「お前がもっと成長したらさ」

 

 背伸びして、ユシドの頭に手を乗せる。手が届く限りはやめないさ。

 ああ。やはりお前はオレに似ていない。似ているのは髪の色と手触りくらいのものだ。このガントレットを外せば、きっとそれが良くわかるだろう。

 他には、そう。自分の瞳はそのように、鮮やかに澄んではいなかった。

 

「あ、あの……?」

 

 どんどん強くなっていく。勇者としてあるべき姿に近づいていく。

 だけどそれは、師の手を離れていくということだ。それはちょっと、さみしい。

 頭に乗せた手を動かし、頬にうつす。……この手はまだ、離したくないと思った。

 

「あの、ミ……ふぁ、さん」

「ユシド……」

「………」

「……ちょ、ティーダさん!?」

 

 魔物に不意討ちをされたときのスピードで飛びのく。そこには、赤髪の男が腕組みをして堂々と立っていた。

 来ていたなら声をかけろ!

 

「なんで良いところでやめるの? 続きをどうぞ」

 

 良いところとはなんだ。続きなどない。

 なんとなく、雷を投げる。いつも説教より前に手が出てしまう。

 土の壁が隆起し防がれた。いや防ぐな。小賢しすぎるわこいつ。

 

「しまったなあ……もう少し二人の時間増えるように調整して行動しないと……」

 

 ティーダは何やらつぶやきながら……例の荷車を引いて、こちらへやってきた。

 戦いの準備をしていたはずだが、そんなものを持ってくるとは。

 積載物を見る。そこには、大量の刀剣と、例のどりるがいくつも積まれていた。

 

「おお」

 

 感嘆が口から漏れる。これだけ予備があれば、武器の損壊を気にすることはないだろう。

 ……しかし、これを引いて地下を行くのか?

 

「ティーダさん、これと一緒に地下道を行くつもりですか? 機械の助けがあっても重労働なのでは。通路は狭いし階段もある」

「地下は通らない。……ふたりとも、準備ができたなら、行こう」

 

 問いにはただ一言だけを返し、ティーダはもう先に進もうとしていた。

 何か考えがあるのだろう。

 最後に持ち物などを再度確認し、オレ達は歩き始めた。

 

 白んでいた空に日が昇り、辺りを照らす頃。あの場所までたどり着く。

 地下への入り口付近。そして、マキラ鉱山への道を途切れさせている、あの地割れのような崖のふちだ。

 先導するティーダの後ろに付き従う。ふと崖の向こう側を見ると、すぐに違和感に気付いた。

 

「あれ……」

 

 以前はのそのそと平原を這っていた、あのおびただしい虫たちが、忽然と消えている。

 何があったのか。邪魔者が消えてくれた、などと楽観はできない。……地魔が命令して、襲撃を警戒して己の元に集結させた、とか?

 

「昨日確認しに来たときからこうだ。多分、巣でボスと一緒にお待ちかねじゃないかな、と思ってる」

 

 意見が一致した。つまり敵は一匹ではなく、百の虫たちとの乱戦が予想されるということだ……。

 なるほど。ならばティーダが用意してきたこの剣たちに、存分に働いてもらうことになるだろう。剣を犠牲にすれば一掃は可能だ。ただ、ボスに迫る前に消耗を強いられることになるが。

 

「虫はもう通せんぼしないから、ここを進んで最短で山へ向かおう」

「……しかしティーダさん。その荷車を運ぶのはどうするんです?」

 

 ユシドが疑問を挟む。たしかに、これを向こう側に渡らせるのは一見不可能に思える。

 しかしそれは、魔法術に長けているならば問題はない。というかお前の仕事だ。

 

「風の魔法術で浮かせて運べばいいんだよ」

「え!? 僕、そんな繊細なことやったことないけどな……」

「ほら、こうするんだ」

 

 荷の剣に向かって術を使う。何本かが浮き上がり、オレの周囲に整列した。これを発展させれば、重いものを複数浮遊させることも可能だろう。たしかに、ただ吹き飛ばすよりは、魔力の細かいコントロールが要求されるが。

 風の魔法術としては、世間で最も重宝される使い方のはず。魔導師があまり食うに困らないのは、こういうところに需要があるからだ。商隊なんぞにいたならば、真っ先に修得しそうなものだが。

 

「あとでミーファちゃんに教えてもらいな。今日は俺が運ぶよ」

 

 ティーダが崖のふちから離れるように言う。それに従い、少し遠くから見ていると、やつはおもむろに崖に向かって歩み始めた。このままでは真っ逆さまに落ちるが。

 大地がうごめく。平坦だった崖の縁が凹み、あるいは盛り上がり、削れ、形を変えていく。

 先ほどオレ達が立っていた場所がごっそり無くなっている。その代わりに……向こうまで続く、土の架け橋がつながっていた。

 ユシドが拍手を鳴らす。地の魔法術とはこのような仕事ができるのか。繊細であり、豪快でもある。……いや、ティーダという男だから、ああも簡単にやってのけるのだろう。

 前の生では、地の勇者に出会うことはついぞなかった。だから初めて見る。これが、彼らの力の一端か。

 

「作戦会議ー」

「まずはみんなで、標的の周りの小虫を排除しましょう。そして……」

「ユシドが浮かせる」

「ミーファちゃんの雷で、強制的に不具合を起こさせる。すまんがそれまで、俺は役立たずだ」

「いいさ。あなたの力は、温存しておきなさい」

 

 そうして、ヤツの動きを止めたら……全員でできる限りボコボコにする。

 ダメならそこで撤退。一連の攻撃を行った後には、おそらく余力は残せない。これまでの旅で魔力が底をつくことはなかったが、今回はそうはいかないだろう。

 

 橋を渡れば、あとは広い荒れ野が続くのみ。邪魔をする魔物の姿がないが、やはりそれはかえって不気味だ。

 激戦の予兆で肌がひりつく。山の上の雲を確認したり、どりるの使い方を教えてもらったりしながら、進む。

 決戦は、もうすぐそこだ。

 

 

 

 

 山に巣食う地魔の元までは、機械の小虫たちが鈍色の絨毯のようにひしめいている。習性を考えると、空から飛び越えたり、地上をすり抜けていくのは難しいだろう。やはりある程度は数を狩らねばならない。

 巨大な鋼の威容はその奥、鉱山の近くに佇んでいる。あのどでかい目はとっくにこちらを捉えているだろうに、以前の熱線や爆発する杭は撃ってこない。まさか、また昼寝でもしているのだろうか。

 軍勢を周りに配置するほど慎重なら、近づかれる前に攻撃するだろう。ティーダとてあちらの手札を全て無効にできるはずはない。臆病なのか、豪胆なのか。魔物の考えることはよくわからなかった。

 腰の剣を抜く。

 右耳の飾りから流れこんでくる心地良い魔力の助けを借り、持てる限りの刃を身の回りに浮遊させる。

 雷の魔力を左腕に溜める。見上げた先にある白雲は厚く、“残弾”には余裕がありそうだ。今日が雨だったならもっと良かったのだが、天気に勝ち負けを左右される程度の技ならば、雷の勇者など名乗らない。

 となりに立つユシドに目配せをする。彼は頷き、風を足に纏わせ、身体を沈めた。

 左の雷電を、上空に向かって吐き出す。それが、開戦の合図となった。

 

「はっ!!」

 

 高く跳躍し、剣を空に向けて突き上げる。眼下には虫たちの海。その水面は少々硬そうで、飛び込むのをためらってしまいそうだ。

 紫電が、腕のその先に落ちる。奔流する力の流れを逃がさず、刃の中だけで完結させる。同時に、虫たちの無機質な目が、一斉にこちらを見上げた。

 百、いや、千ほどもあると思わせる、火のように明るい光矢の束。これだけが集まれば、やつらの親のそれにも匹敵する威力ではないか。

 何の守りもなくこのまま突っ込めば、五体をあれに貫かれることになる。死の未来が迫り、眩しくて目が焼ける。それを、信じているあの子の背中が覆い隠した。

 

「風神剣・凪」

 

 光を、白刃が斬り捨てる。

 散り散りにはじき返された熱線は、眼下の虫たちの元へ返り、軍勢の一部にダメージを与えた。地属性の魔法術を吸収する特性を考えると、自らの放ったそれで壊れるような、お粗末な性能ではないだろうが。

 しかし、想像以上。ほんの数日前のやつはあの熱線に脚を折っていたというのに。自ら提案した通り、防ぎきりやがった。

 笑みを隠すことはない。オレは震えあがる気持ちを剣に乗せ、無傷のまま侵入できた虫たちの中心で、くるりと踊った。

 

「雷神剣・電光石花(デンコウセッカ)

 

 紫電が円形の波となり、機械の海を荒らしていく。

 不運にも巻き込まれた彼らは斬雷に身を引き裂かれ、あるいは琥珀の目から光を失い二度と動かなくなる。

 今ので、どのくらいの数を削れただろう。遠くのティーダはまだ、合図を出さない。ならばこのまま木っ端どもを狩っていく……!

 黒い残骸となって砕ける剣を捨て、周囲を旋回する刀剣たちからひとつを手に取る。

 また、雷が、落ちた。

 

「おおおおっ!!!」

 

 何度も繰り返す。魔力はまだ残っている。天空の光で、ときには身に宿した金色の電光で、やつらを薙ぎ払っていく。

 互いの範囲攻撃に巻き込まれないように、遠くの方で、ティーダやユシドが戦っている。彼らも自分にある手段を駆使して、頼もしい戦果をあげているのがわかる。ティーダはやはり戦いづらそうで、いつものような余裕はなく、根比べといった様相だが。

 ……グラナへ来たばかりの頃、ユシドに機械虫を殺すすべはなかったはず。それが短期間のうちに、ああして一騎当千の役をやってみせるまでになるとはな。

 

 視界でうごめく鋼のつぶたちがあらかた減るころには、手持ちの剣も、すぐに数え上げてしまえるほどしか残っていなかった。残りは、ヤツを倒すために使わなければ。

 魔力にも余裕がない。息がやや乱れる。敵の残存戦力は確実に削っているはずだが、斬っても斬っても、次の相手が眼前に現れる。

 亀のようにのろまなはずの彼らに、じりじりと、追い詰められていく。

 呼吸を繰り返しながら後ずさりをしていると、ふと、背中が誰かとぶつかった。

 振り返らずとも、誰なのかはわかる。

 

「風神――、」

「――雷神、剣ッ!」

 

 風が、取り囲む虫たちを空へと打ち上げていく。

 高く掲げた剣から稲妻がほとばしり、陣風に乗ってやつらを焼く。

 その狂騒がやむ頃に、ようやく。

 見上げる山へと至る道が、ひらかれていた。

 

『楽しかったかな? ピカピカ、ビュウビュウと』

 

 ティーダに視線を飛ばす。……全員、連携の準備はできた。

 勝負は一瞬だ。通じなければ、地下道を退路にして、尻尾を巻いて逃げる。それも勇者には必要な判断だ。

 だがな。

 グラナも楽しいが、オレはそろそろ、次の町に心惹かれるんだよ……!

 

「はあああ……」

 

 ユシドから風の気配がうずまいている。オレは、空へと飛び立った。

 すべてはこれにかかっている。お前ならできると何度も言ったが、あれはやはり、勝手な期待の押し付けだったのかもしれない。

 でもオレは……キミならやれると、もう信じてしまっているんだ。

 自分の心に、嘘はつけないだろ?

 

「風神剣・昇おおおおお!!!」

 

 微風がこちらへ流れてくる。

 けれど巻き起こっているそれは、どうあっても微風とは言えない。地魔の足元で渦巻く風は、やつの周りの地面を一部えぐり、空へ打ち上げていた。

 

『何がしたい? 大地を荒らしたいのなら、手伝おうか?』

 

 巨大な、鎌のような脚の一本が、地面を踏み鳴らす。

 地割れ。雄大で崩れるはずのない存在に、ひびが入る。亀裂は伸びていき、ユシドへと殺到する。

 

「ユシド君! まだ全力じゃねえだろッ!!」

 

 不穏な軌跡が届く前に、赤髪の男が立ちはだかる。

 ティーダが大地に深く槍を突き刺すと、崩壊の進行はそこで止まった。

 

「ぬがががががが!!!」

 

 ユシドが剣を再度握り締める。歯を食いしばり、腕の筋肉を怒張させ、これまでにないほど力んでいた。

 いやおまえ、今朝はリラックスする方が強くなるかもーみたいな感じじゃなかった?

 やがて。 

 風魔の剣が、翠色の輝きを帯び始めた。

 風がそこに集うように。決壊を待っているかのように。輝きが濃く、強く、まばゆくなっていく。

 

「どりゃああああああ!!!!」

 

 二度目のそれは、最初の物とは比較にならなかった。

 全力。肉体の気力から魂まで、すべてを注いだように凄絶な魔力の発露。

 その突風はもはや、地面を崩壊せしめんと荒れ狂っていた。

 自然現象のそれをも凌駕する、あり得ざる烈風。生き物があれに巻き込まれようものなら一体どうなるのか。

 ……その機をのがさないよう、注視する。

 鉄の脚が、わずかに、宙へ浮いた。

 

『む、ムオッ!?』

 

 やつのいた場所の地面が、ガラガラと崩れているのも、一因だったといえるだろう。

 ほんの少しの空中遊泳。ただのジャンプといってもいい。

 その致命の一瞬があれば、雷は、届く。

 がむしゃらに叫び、やつの頭のてっぺんへ突撃する。

 轟きが耳を焦がし、天の怒りが刃に宿る。それを誘導するように、鋼の表皮へと、剣を突き立てた。

 

「雷神剣・大地雷散(ダイチライサン)――!!」

 

 極大の雷電が、機械の血肉を、狂わせていく。

 本来は地上の敵を一掃する技。さきほどのような乱戦など、すぐに終いにしてしまうほどの力だ。

 その、千の敵を灼くいかずちを、ただ一匹のみに落とす。

 

『グオオオオオ!? バカ、な。回路が……!』

 

 大地の魔物が、大地に沈む。

 地面をその重量で盛大に揺らし、脚を折る鋼鉄。

 魔法防壁の守りはないはず。最後のひと暴れだ――!

 

「よくやったぞ二人とも!」

 

 男の声に、眼下の地上を見る。

 ティーダが担ぐのは、あの機械の槍。ただそのサイズが、その、いつも振っているやつより、だいぶでたらめだった。

 

「こいつは街の連中が、お前からもらったプレゼントとストレスだ! メガドリル槍ッッッ!!!」

 

 ごりごり、がりがりと。重たい音を響かせ、巨大な螺旋が地魔の眼球を穿ち、突き刺さる。ティーダが地面に戻り、肩慣らしとでも言うように腕を回した。

 ついに、一撃を加えた!

 

「『巨腕(ハードウェア)』」

 

 地の勇者が、しずかにつぶやく。

 やつが立っている赤い大地。それらがカタチをほころばせ、切り崩された土塊が、男の右腕にまとわりついていく。

 できあがったのは、巨大な岩の拳。しかしあんなものが人の身体についても、頭上の敵を殴りつけることはできない。

 

「ぬうん!!」

 

 ティーダの足場が、塔か杭のように、やつを乗せたまま地魔の顔面へ伸びていく。

 射出。そう表現できる勢いだ。その速度のまま、ティーダは突き刺さっているドリルに巨拳を叩き込んだ。

 硬く巨大な物体がひしゃげる音など、オレは初めて聞く。岩の腕は砕け、しかし成果として、ヤツに致命的なダメージを与えた。螺旋の先端はおそらく、あの巨体の中枢へ届いている。

 

「駄目押しだ! ふたりとも、あれをやるぞ!!」

 

 あれってなんだ。聞いとらんぞ。

 

「決まってるだろ! 合体攻撃だよ!!」

 

 赤毛の男が腕を組み、大地に根を張る。

 さきほどのように、彼の立っている地面が隆起し、高く、高く、何かを形作りながら盛り上がっていく。

 気付けば。空を飛んでいたはずの自分は、“それ”の肩に乗っていた。

 

「剣に力をくれ、魔法剣士のおふたりさん」

 

 山を食うほどの強大な怪物とは、本当はどちらのことだったのか。

 そこにあったのは、地魔を見下ろしかねないほどの、超巨大な闘士の像。よくみれば自分の頭上には、そいつが大上段に構えた岩の巨剣がある。

 こんなでかいのを剣扱いした経験、ないわ。バカか。

 

「ミーファ」

 

 その声に頷き、手を、巨大な剣に添える。

 向こう側からつたわる風の魔力が、雷と混ざり合い、驚天動地のひとふりを創り出す。

 ……できた。

 刃を挟んで、向こう側にいるやつと顔を見合わせる。ユシドのそのほほえみは、死闘の最中だというのに、優しく肌を撫でるそよ風のようだった。

 剣から離れる。

 ティーダは組んでいた腕を解き、鈍色の淡い光を放つ右手を、眼前にかざす。

 

「『断崖(ジャッジメント)』」

 

 断神の剣が、振り落された。

 

『なんという……人間……ニン、ゲ……ザザ、ザザ――』

 

 まっぷたつ。

 巨像の剣は、地魔の鋼鉄の巨体を完璧に両断していた。そいつのいた地面ごと。

 ……ティーダ。

 あの崖つくったの、地魔じゃなくておまえだろ。

 

 平野や山岳のそこかしこで未だ這っていた機械虫たちが、一斉に動きを止める。……おそらく、もう動き出しは、しないだろう。

 地面に降り、身体を投げ出す。いやはや。魔力をこれだけ絞り出したのは、いつぶりだろう。

 

「ユシド」

「なに?」

「帰り、おぶってくれ」

 

 空を見ながらつぶやく。

 顔は見えないが、まあ、断らないんじゃないかなと思う。

 

 



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13. 魔剣のめざめ

 活気に満ちたグラナの商店街。この通りもそろそろ見納めかと思うと、途端に惜しくなる。

 地域限定のおいしいものは今日の内にすべて胃に収めてやろう。そんなつもりでぶらついていると、やがて香ばしい匂いが鼻をくすぐる。

 煙をもうもうとたき、肉の弾けるじゅうじゅうという音。焼き料理の屋台とみた。

 今世の自分は辛い酒や肉よりも、甘い菓子や茶などが好きなようだが、前者が嫌いになったわけではない。むしろ好き。その魅力につられ、ふらふらと店頭に引き寄せられる。

 

「いらっしゃい! おお!? どこのご令嬢か存じないが、こんな大衆料理でもいけるかい、嬢ちゃん!」

 

 店主であろう親父さんは、大声で話しながらもてきぱきと手を動かし、商品をひとつ突き出してきた。

 

「美人さんにはひとつサービス」

 

 得した。容姿の良い者が多い、先々代雷の勇者の血に感謝する。

 受け取ったそれは、肉や野菜を一本串にまとめて刺したものだ。まるで野営時に火を囲んでする食事のようでなんとも豪快だが、腹を満たすだけのあれとは違い、香りと焼き色が食欲をそそる。

 ひとくち、噛みついてみる。

 もぐもぐと咀嚼し、飲み込む。ソースで汚れた小さな自分の口を、ぺろりと舐めた。

 おお。うまいぞ……! 甘辛いソースが肉と野菜に豊かな風味を与えている。素材のやわらかい歯触りと弾力あるのどごしも絶妙だ。

 こういう体験をすると、平和な世における人間の生活レベルの発展を感じる。我々勇者は、おいしいもの溢れる世界にするために、日夜戦っているのだなあ。

 

 店頭に貼られた値札を見て、頭の中で計算する。

 懐から取り出した財布はなんと、これまでになく丸々と太り、嬉しい重みを腕に加えている。地魔やその子どもの死骸を、ティーダが金に換えた結果だ。すべての魔物が死体を残せばいいのに。……いや、あまり金になりそうなやつは、いないか。

 ふたりの財政を管理しているユシドなど、もっと手元に金を蓄えているはずだ。財布ではなく金庫が必要なほどだろう。2年くらい豪遊できそうじゃないかな。あいつがまた変な買い物をしても、許してやろうじゃないか。

 ……ええい、計算など必要ない。マネーはたんまりある。

 ユシドにも買っていってあげよう。あいつは濃い味付けが好きそうだからな。

 おっと。ついでにカゲロウとティーダの分も。

 勘定を終え、受け取った厚い袋を腕に抱え、手に持った一本をもうひとくち頬張る。

 ううん。うまい。しかしトリともウシとも何か違うな。ブタか? ……いや。新しい家畜が研究されたのかな?

 

「おじさま。これは何という動物のお肉ですか?」

 

 そんな疑問を投げる。

 気持ちのいい笑顔で威勢よく客引きをしていた親父さんは、オレの質問を聞くと、急に無表情になってスン……と押し黙った。

 ……え? 何? なんの肉なのこれ!?

 

 

 

 暇つぶしを終え、約束していた時間にカゲロウの店へ寄る。

 そこには、先に来ていたユシドと、少し久々に見るティーダの姿があった。カゲロウの姿はまだ店頭にはない。

 ふたりはどこか、疲れたような表情をしていた。おみやげを渡してねぎらいながら、話を聞く。

 

「無事ギルドは引退できましたか、ティーダ殿」

「……いやー、ハハハ」

 

 ごまかすように笑って赤い頭をかく男。もうそれだけで大体結果がわかった。

 あれを倒してから、ここ数日のティーダはそれはもう大忙しだったが、我々の旅に同行するにあたって彼が消化しておきたい問題のひとつが、ハンターズギルドからのS級認定である。

 あの強力な地魔を打ち破ってしまったのだ。もうギルドとしては手放したくない戦力になってしまったのである。本末転倒という言葉を体現したようなバカだな。

 あとついでにグラナの町民たちにも、旅立ちを引き留められているようだった。ずいぶん人気者のようだ。

 あちこちとの付き合いに顔を出しつつ、今日は懸念のギルドに顔を出してきた帰りだろう。しかしこの反応、どうやら芳しくない事態になったようだ。

 

「もう最終手段だと思って、ユシド君まで動員して、こいつを見せびらかして説得にかかったんだけどさ」

 

 右手に刻まれた、勇者の紋章をちらつかせる。自分の立場を明かしたのか。しかもユシドも。

 勇者の旅の責任を、人々が理解してくれるとは限らない。どう考えても紋章をさらすリスクは大きい。

 ティーダはいいとして、ユシドをじっとにらむ。しょぼくれた顔をしたので、許す。

 

「支部長から『勇者の活躍で魔物が弱くなったら、うちの需要が減るから、むしろもっとダメ』って言われて、やめさせてもらえなかった」

 

 うーん。相手が悪いな。

 しかしその支部長の言うように魔物の台頭を放置してしまえば、いずれ腕利きのハンターや冒険者でも対処できなくなる。今回の地魔がその好例ではないか。

 それをわかってほしいのだが。

 

「まあでもユシド君が説得に加わってくれてさ。支部長は真面目な若者が好きだから、気に入ってくれてね。なんとか俺の方はA級で落ち着けることになった。これなら、遠方へ強制招集をくらう頻度は少ないはずだ」

 

 S級の一歩手前か。

 おそらくこれからは、新しく大きな町を訪れるたびに、ティーダはハンターズギルドに寄って仕事をこなし、経営側の機嫌を取る必要が出てくるかもしれない。

 ……資金源にもなるし、旅の致命的な遅れにならなければ、まあいいか。そう悪い話でもない。

 しかし、ふたりは眉尻の下がった表情を直さない。困り顔というやつだ。

 

「それでその……気に入られちゃった少年がね。試験無しでハンターに登録されちゃった」

「は?」

 

 申し訳なさそうな顔で、ユシドは懐から蒼い石を出して見せた。魔物の討伐を証明するのに使う、例のマジックアイテムだ。あれがギルドの一員である証なのだろう。

 

「何しに行ってきたんだお前ら」

「面目ない……」

 

 当初の決めごとと全く違った結果になったことを反省しているようなので、表情だけ怒って見せて、説教はひかえめにする。

 A級のティーダはのらりくらりとやっていくだろうし、ユシドは多分かけだしのランクだ。たしかFだかEだったかな? S級にさえ上がらなければ無茶な仕事は来ないし……いざというときは、逃げてしまえばいい。手練れぞろいのハンターズギルドとはいえ、まさか星の台座まで追いかけてくるような、屈強すぎるスカウトマンや経営陣はいないだろう。

 ギルドは魔物の情報が飛び交い、強者が出入りする施設という見方もできる。残りあと4人の勇者の情報を得るのに、所属員の立場を役立てることはできるだろう。

 ……しかし、まあ。

 4人のうち、1人はもう、心当たりがあるのだが。

 

「それで今朝ね、ふたりでさっそく依頼を受けさせられてさ。クリアしないと街からは出さん! とか言うんだもんよ」

「グレート・ワンダフル・デリシャス・ミート? とかいう、やたら強い豚の魔物を、わざわざ気絶させて街まで運んできたんだ。大変だったよ」

「“幻のグレート・ワンダフル・デリシャス・バーニング・ミートJr”だよ」

「正直どうでもいいです……」

 

 沈んだ顔のユシドが、串焼き肉に口をつける。

 そして、ぱあっと顔をほころばせた。いいね、キミのそういう顔が好きなんだよ。

 

「これ美味しい! ミーファ、ありがとう」

「ふふ。どんどん食べて大きくなりなさいよ、おかわりもあるよ」

 

 

 そうして、3人でこれからの方針を話し合う。

 地の勇者ティーダが加わってくれるというのは、やはり心強い。グラナでの生活や立場もあるというのに、よく決めてくれたものだ。孤児だから自分を心配する家族はいない――そう言っていたが、町を少し歩けば、彼が人々から慕われているのはすぐにわかる。

 たまたま持って生まれた強い魔力と紋章を、勇者の伝承と結びつけるまでに、彼にどんな人生があったのかは知らない。しかし今目の前にいる者は、正しく使命の重さを理解した、勇者にふさわしい人物だと言えるだろう。おちゃらけた性格はともかく。

 ……これから出会う勇者が、簡単に使命に頷いてくれるとは限らない。ユシドのように、過去の勇者の存在や血筋が色濃く伝わる土地の出身であれば、本人も強い決意を持ち、家族からも快く送り出してもらえる。しかしただ偶然、力を持って生まれ、育ってきただけの人間が、オレ達とともに旅立ってくれるかは怪しい。彼らにもこれまでの人生があるからだ。

 次回もこのように、気持ちのいい青年や女性が、紋章を宿してくれていればいいのだが。

 

「おはよーう、お三方……」

 

 真昼のときに朝の挨拶をしながら、カゲロウが店の奥からのっそりと出てきた。どうやらこの時間まで眠っていたようだ。

 そして。

 彼の両手には、ひとふりの剣と、鞘が、それぞれ握られている。

 しずかに台座に置かれたそれらを、全員がしげしげと眺める。はやる気持ちでカゲロウに視線をやると、彼は不健康そうな顔でにこりと微笑んだ。

 

「人生最高の素材で鍛えた、人生最高傑作だよ。ミーファちゃん、検めてくれ」

 

 震える手で剣を手に取る。それほどまでに、その武器は、一種の覇気を発していた。

 片手剣。重さは右手にずっしりと圧し掛かる。握りこんだ柄は何故か十年来の相棒のように手になじみ、強烈な一撃を容易に想像できた。

 刀身に目をうつす。それは白くきらびやかで美しい、というものではなく。鋼鉄の頑健さや重さが現れたような、鈍色の刃だった。

 ……地魔の鋼殻から創り出した剣。風魔の剣に続く、地上に二振りとない魔剣であった。

 

「外いこうぜ外! おっちゃんに魔法剣見せてくれや」

 

 興奮した様子で真っ先に店を出ていく店主。

 そのあとをついていくと、人気のない広場に出た。

 すぐ近くには、グラナの周りを囲む高い壁が見える。街はずれのここなら、人に魔法術をぶつけてしまう心配もない。

 

 離れた場所の3人に目配せをする。カゲロウが頷きを返した。

 呼吸を整える。体内の魔力を全身に行きわたらせ、その剣を構えた。

 黄金の雷が、鈍色の刃に宿る。

 振り回す。軽いとも重いとも言えるが、それでいて、まるで自分の手足の延長のようにも感じる。

 激しい剣戟を繰り広げる。……魔力の通りがいい。無駄な発散や抵抗が、通常の剣より抑えられている。これが、自分の身体のように操れることの一因だろうか。

 立ち止まる。

 剣を空高くへ向け、一条の電光を上へ上へと伸ばす。それに刺し貫かれた白雲が、ごろごろとがなりたて始める。

 ぴしゃりと、紫電が落ちた。

 身を焼き焦がしかねない電気の力が、いまこの手の中にある、はず。しかし紫光きらめく刀身は、それを感じさせないほど静かだ。まるで雷電が刃の中だけをゆったりと泳いでいるかのようで、これまで抑え込むのに必死だったことが嘘のようだ。

 少しの間、ゆっくりと、型をたしかめるように剣を動かす。雷の力を撃ち放たずにそこに留めたまま、限界まで舞う。今まで、こんなふうに自然の雷を扱うことは、できなかった。

 稽古のようなその時間を終える。深呼吸をするように、慎重に上空へ放電し、エネルギーを霧散させる。

 手に残った、地魔のつるぎを見る。

 ……傷ひとつない、無事なままの姿で、剣はそこにあった。

 

「すごい」

 

 同じ雷属性の魔剣ではないため、注ぎ込んだ力を増幅させたり、剣自身がいかずちを操るなどといったことはできない。しかし、電撃をまとわせるという使い方で、これ以上のものは存在しないだろう。剣の芯を紫電が殺してしまうこともなく、ただ表層に力を循環させ続ける。

 まさしく、自分とユシドが求めていたもの。

 雷の力で損なわれることのない、魔法剣士のための武器だ。

 

「鞘の方も受け取ってくれ」

 

 カゲロウが、もうひとつの品を受け渡してくる。

 琥珀色の宝石があしらわれた、華美ではないが装飾のあるデザイン。手に取ると少々重みがあり、頑丈そうだ。

 

「その鞘はあのデカブツのコア……魔力を身体に送り出す器官を素材にしてつくったものでね。秘密の機能がある」

 

 刃をそこにしまう。まるで吸い付かれるように収まった。

 カゲロウの解説に耳を傾ける。

 この地魔の剣。その耐久性が折り紙付きであることはもう間違いないのだが、それでも武器は消耗品。「ミーファちゃんほどの魔法剣士」が使っていけば、定期的にメンテナンスが必要になるという。それもそうだ。

 ところが。そうして刃に損耗があらわれたときは、鞘にしまって魔力をくわせてみる。すると不思議なことに、剣の傷がひとりでに治る、のだそうだ。

 ……それが本当なら、カゲロウは天才だ。どこまでも都合が良い。一生ものの品だ。いや、一生というのは誤りだ。ウーフ家に残した風魔の剣のように、自分の一族をずっと守り続けてくれるかもしれない。

 

「ユシド君の剣の機能を俺なりに再現した。といっても、ご先祖様の技術は、やっぱり全然意味わかんないんだけどね」

「いいえ。あなたは、ハヤテ・ムラマサに劣らない腕の持ち主です。私が保証します」

「お、褒めるのがうまいね。へへへ」

 

 適当なお世辞にしか聞こえないかもしれないが、ふたりのムラマサの仕事を目の当たりにしたオレには分かる。なあ、あんたの子孫は正しくその魂を受け継いでいるぞ。

 いやはやしかしほれぼれする。敵がいなくとも振り回したいくらいだ。おいみてるかテルマハ。お前よりこの剣の方がすごいもんね。なんて。実際、魔剣として同等のできだと思う。

 再度刀身を見ようと、柄を握って力を込めた。

 ガチンと音が鳴り、手が止まる。

 

「……ん?」

 

 力を入れる。

 魔力で身体を強化して、力を入れる。

 ユシドに鞘を持ってもらって、力を入れる。

 

 抜けないんだけど。

 

「え、まじで? そんなバカな……」

 

 カゲロウが剣をあちこちさわり、叩き、状態をみる。オレとてこんな不具合をカゲロウの傑作が起こすとは思えないのだが。

 そのまま、しばらく経って。

 男性とも女性ともとれる無機質な音声が、オレ達の耳をなでた。

 

『フッフッフッ……愚かな人間どもめ……』

「こ、この声は!?」

 

 鞘にあしらわれた琥珀の“眼”が、あやしく光る。それはどこかで見覚えのある輝きだ。

 ま、まさか。

 そうだ。この声、瞳、間違いない。

 激しい戦いで我々に討ち取られ、町人たちの財産となり果てた、あの山の怪物。――地魔が、姿を変えて、ここにいる。 

 たしかこの宝石は、地魔のコアだと言っていた。やつは滅ぼされる前に、そこに魂を逃がしていたとでもいうのか……!?

 そして今は、剣……ではなく、鞘に意識が宿っていると。

 

『この剣はもう返さんぞ。喰らって身体を復活させ、いずれ復讐してくれる』

「なんだと!」

 

 ユシドがいきりたつ。無理もない、あれほどの死闘を演じた敵が、こうして堂々と生存しているのだ。しかもこちらを挑発している。

 2人の勇者は臨戦態勢で、カゲロウは責任を感じているのか顔色が悪い。

 しかし、まあ。

 

『小娘、お前などにオレのはがねは相応しくない。武器はあきらめるのだな。いや、今から雷の魔物でも倒してきたらどうだ? フッフッフッ』

「ふーん」

『ヌオオオオッ!?』

 

 手の内の鞘に電撃を加える。

 もはや脚もなく、自分で歩けもしないやつを怖がっても仕方がない。あの風魔テルマハですら今は剣として働いているのだから、おまえも新しい職を受け入れたらどうだ。

 

『き……効かんな……グアアアアア!?』

「み、ミーファ。なんだろう、もうその辺に……」

「なんで?」

『グワーー!!?? く、くそ人間め……』

「お、抜けた」

 

 懲りないな。あとでどちらが主人なのか分からせてやる。

 オレはぷすぷすと煙をたてる鞘に再び剣をしまい、腰帯にそれを下げた。いいのかと問うカゲロウに、最高の賛辞を述べる。こんなものはささいな問題だ。

 それよりお代は?と聞くと、むしろその剣が自分から君たちへのお礼なのだと言われた。こっちの懐は潤っているのだから、仕事に相応しい報酬を出したいのだけど。

 しばし互いを立てるような口論を繰り広げる。その間、腰の鞘がわずかにぴくぴくと痙攣していた。生き物みたいで気持ち悪いな。

 どうやら、新たな同行者は、ティーダひとりだけではないかもしれない。

 

 

 

 出発の日。

 荷物をまとめて、グラナの出入り口である鉄の門へとやってくる。

 長い滞在だった。しかしここで得られたものは、とても多い。

 ここを旅立つことが少し名残惜しく、しかしそれでいて、これからまた新たな世界を仲間たちと旅できることが、自分を興奮させる。

 

 壁に背を預け、自分の剣に話しかけていると、街の住人が変なものを見る目でこちらを眺める。

 だけどその中にはここで知り合った者もいて、彼らとは別れのあいさつを軽く済ませた。「またいつか、ここへ来る」と。

 やがて、ティーダとユシドがやって来る。おそい。

 表情を見るに、ギルドにあいさつに行って、逆に次の町までの仕事を押し付けられたというところか。

 人々を魔物から守るのも勇者の使命だ。そうやってあくせく働くのも正しい姿かもしれないぞ? ユシド、キミには良い経験だ。ティーダからいろいろ教えてもらうのも面白いはず。

 ……でも、お前の師は、オレだからな。それはきっと、忘れないでほしい。

 

「ティーダ。これ、ミーファちゃんの剣のあまりでつくったやつ。十文字槍」

 

 かけつけてきたカゲロウが、ティーダに一本の見事な槍を手渡した。ふたつ、いやみっつの刃が、穂先で枝分かれしているような形状だ。カゲロウはそれを、十文字槍と呼んだ。

 剣のあまりだなどと、口では適当なことを言っているが、きっと彼らの間でしかわからない何かが、そこに秘められているんだろう。

 

「あの剣みたいに秘密機能はないが、とにかく頑丈だ。少なくとも、お前がここに帰ってくるまでは、絶対に折れない」

「……ああ。ありがとな、親友」

 

 そんなやりとりをした二人は、互いに後ろ髪を引かれることもなく、すっぱり別れた。彼ららしい。

 カゲロウはオレ達に手を振り、グラナへと戻っていく。ああ、彼ともここで会えてよかった。旅が終わったらきっとそのときは、新たなこの剣の戦歴を、語ってやろう。

 

 

 

 街道を行くふたりの旅路に、男がひとり加わる。

 燃えるような赤い髪の目立つ、大地のようにおおらかなひとだ。

 

「お、魔物がこっちに向かってくるな。ティーダ殿、新たな得物の試し切りといこう……おい。おいイガシキ」

『………』

「都合よく寝たふりをするな」

『ノオオッ!? それはやめろといったはずだ!』

「お前こそ剣にしがみつくな。魔力食わせてやらないよ」

「ミーファ、そのへんで……」

「お前は武器に甘いんだよ」

「ハハハ、なんか新しいフレーズだな、それ」

 

 魔物を退治しながら、何度か通った鉱山や地下の入り口を過ぎて、ずうっと歩いていく。

 そうすると、分かれ道にたどりついた。

 岐路の真ん中に立って、オレは仲間たちに振り返る。

 

「ユシド。次はどこへいく?」

 

 少年は眩しそうに目を細めて、行く先を指し示した。

 



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バルイーマ闘技祭 / ススの魔人
14. デイジーの大変な1日


 あれは、いつの日の話だっただろうか。

 

「なあ。次はどんな勇者が現れると思う?」

「おじさんは可愛い女の子がいいな。癒されたいぜ」

「お、ティーダ殿、気が合うね。オレも野郎ばかりはどうかと思ってたの」

「「わっはっはっはっは!!」」

 

 豪快に笑いあうふたり。おかしなことを言って僕にツッコませようとしているのか?

 我慢できず、かといって堂々とも言えず、小声で反応してしまった。

 

「いや……女の子いるでしょ……一番かわいいのが」

「え? なんて?」

「なんでもありませんー」

 

 これは旅路の中の1ページ。とりたてて記録に残すような場面でもない、道の途中の話。

 こうして退屈を紛らわすやりとりは、何度も、いつでもやってきた。そんなしょうもない雑談の中で、ひとつ、今でもよく記憶に残っている話がある。

 

「ユシド。次の勇者が女の子だとして……」

 

 彼女のひとみが、こちらの心を見透かしているかのように、くらい陰影の中から語りかけてくる。

 

「その子に恋をしてはいけないよ、と言われたら、どうする?」

 

 

 

 

 

 

 

 鉄の鍋をかき回す音に急かされ、色とりどりに盛り付けられた皿を手に持ち、店内を駆け回る。

 木製のタルが人々の手の中でぶつかり合い、耳を休ませない喧騒が飛び交う。

 近頃は例のあれの時期が近づいてきたこともあり、この店は、私が働き始めてから最も盛況な書き入れ時に直面している。おそらくよその店も、どこもこのような状態だろう。

 店主の夫婦ともども、日夜こうして客との戦いを繰り広げている。おかげで今度のお賃金には期待をしてしまうというものだ。

 

「デイジーちゃん! こっちにもビール2つ! あとあっちの人が食べてるやつ」

「あいあーい! お待ちを!」

「おねえさーん、こっちもー」

 

 卓にすべての料理を無事に届けたものの、一息つく暇も無く、新しい注文がすぐにでも入ってくる。伝票に手早く書き込み、すぐに厨房へと伝える。

 そういったサイクルを何度も、何時間もこなしていく。時期に乗っかって営業時間を伸ばしているから、まだまだ客はやってくる。

 ――そんなふうに日々を過ごしているのが、花も恥じらう年頃の乙女。彼氏募集中のうら若き少女、私ことデイジー・マーサンドだ。

 ちなみにここで働かせてもらっているのは、制服のデザインがひらひらしていてかつ清楚で斬新で可愛いからである。

 

 注文の呼びつけに備えて机間巡視をしていた私は、新たなお客様の訪れを知らせるベルの涼やかな音に、視線をつられた。

 ……そこでは。ともに給仕として働く同僚である、金の髪の美しい少女が、いつものようにうやうやしく礼の姿勢を取ろうとしていた。

 

「いらっしゃいませ。ようこそお越し……なんだ。アジさんに、クーターさんか。この頃は毎晩飲み過ぎじゃありませんか? 帰れば?」

「ミーファちゃん、そりゃないでしょ! ミーファちゃんとデイジーちゃんに会いに足しげく通ってるんだぜ?」

「最初の頃のお淑やかな~感じに戻ってくれー」

 

 常連客の二人をすげなくあしらう少女は、名前をミーファさんという。歳はたぶん、同じくらいだろう。

 元は3か月ほど前に、うちの旦那さんとおかみさんが経営する宿屋に宿泊した客だったらしい。ここにははじめ、他に二人の男性と食事に来ていたのを覚えている。

 常連でなくともあの容姿は記憶に残る。どこぞのお嬢様がお付きを伴って、お忍びで下々の店へやってきたのだなあと思って、緊張したものだ。

 だけど何がどういうことやら、彼女はいつの間にかここで従業員として働くことになっていた。おかみさんに彼女を紹介されたときは言葉を失った。

 理由を聞いたところ、例の大会に参加するためにここへやって来たが、早く来すぎてやることがないのだという。それで庶民の生活を体験してみようとは、お金持ちは変わっている。と、聞いたときは思った。

 

 しかし例の大会に参加とは。線の細い(出るところは出ている)彼女のやることとは思えない。

 おそらく一緒にいた二人の男性が出場するのだろう。

 そう。

 ここバルイーマで、数年に一度行われる闘技祭。そのメインイベントである、世界中から腕利きが集まる闘技大会に。

 

「おー、ここは空いてるかあ?」

 

 再び店の扉が開き、団体様が顔をのぞかせる。

 見ての通り、店内はギュウギュウ詰めだ。残念だがお待ちいただくか、今夜は別を探してもらうほかない。

 しかし彼らの先頭に立つ体格のいい男は、店に足を踏み入れてきた。そのまま辺りを見渡すと、床を軋ませながらずんずんと押し入り、先に大テーブルの一席に座っていたアジさんの肩を掴み、無理やりに席を立たせた。

 

「兄さん、ここ譲ってくれよ。オレ達腹ペコなんだ」

「……そうだなあ。もう一食分も待ってくれれば、席も空くんじゃねえかな。なあ、みんな?」

「いますぐ空けろって言ってんの」

 

 そう言って男は、乱暴にアジさんを突き飛ばしてしまった。背後のテーブルに叩きつけられ、料理や飲み物のいくつかが床にこぼれる。

 男の後ろから、これまたガラの悪い人たちがぞろぞろ入ってくる。先ほど起きた、卓上の皿が巻き込まれて割れる音に、店中が静まり、やがて小さくざわめく。

 ……ああ、困ったものだ。大方、彼らは既に酒を飲んで気が大きくなっているのだろう。

 この頃はよそからやってくる腕自慢たちを街中で見かけることも増えたが、中にはあのような世間知らずもいる。よりによってアジさんに手を出すとは。あの人パッと見弱そうだから仕方ないとはいえ。

 ざわめきはやがて、剣呑な雰囲気を帯びてくる。いけない。誰かが何かしら弁償する破目になる前に、おかみさんを呼ばねば。

 闘技の祭なんてものがある街の住民が、どんな性格なのか、外から来た彼らはわかっていない。アジさんはゆっくりと立ち上がり、両手に硬い硬い握りこぶしをつくった。

 

「困りますわお客様。店内で揉め事など起こされては」

 

 爆発寸前の静けさに、大衆酒場には場違いな、淑やかな声が水を差す。

 給仕服を身に着けていてもどこか気品のある器量をした女性。ミーファさんが、男とアジさんの間に割って入った。

 

「な、なんだあんた? ……超可愛いじゃねえか。どうだい、俺達と一緒に飲まないか」

「そういったことは業務内容にないので……」

「わかったよ。なら、今からデートでもしようや。もうこの店はいいわ」

 

 男が彼女に手を伸ばす。いけない! 誰か……アジさん、クーターさん、誰でも良い、あの子を……!

 助けてあげて、と声に出そうとした。

 

「痛えっ! なにしやがる、この女!」

「デートは先約が入っているので」

 

 ミーファさんは背後から引っ張り出してきたモップの柄で、男の手をびしりと叩いた。

 そのまま、先端を突き付けて言う。

 

「あなた、闘技大会の参加者ですか? ……なら、わたしと戦って勝てたら、なんでもいうことを聞きましょう」

「な……ミーファちゃん!?」

「アジさん。次店のもの壊したら出入り禁止だって、おかみさん言ってたよ」

「ヒエッ……すいません……」

 

 自分より小さく弱そうな少女に挑発された男は、しばし怒りに顔を歪ませたあと、ふいに笑顔になった。なぜそんな表情をしているのかは、想像に難くない。

 勝ったら、何でも言うことを聞く。そんなことを言うものじゃない。あの子、世間知らず過ぎはしないだろうか。女の子の自覚あるのかしら。

 

「オーケー。今日ここに来てよかったぜ」

「では、表に出なさい」

 

 ふたりは店を出る。表で一勝負やるとの話に、血気盛んな客たちがジョッキ片手に、ギャラリーにと押し寄せる。これだからバルイーマの連中はよくない、誰か止めるべきでしょうに。

 意義を唱えようとして駆けだすと、アジさんに呼び止められた。

 

「デイジーちゃん、ミーファちゃんなら大丈夫だよ。万が一傷つきそうになったら客総出で止めるさ」

「何言ってるんですか、傷がついてからじゃ遅いんですよ!」

「大丈夫だって。彼女、ただ者じゃないもの」

 

 そりゃあ、ただ者ではないでしょうよ。あの子のご両親がどこぞの領主さまだったりしたら、私、迎えに来るお付きの人に顔向けできないんですけど。

 不安な気持ちのまま、仕事を放りだして外へ出る。

 表の通り道。屈強な男と、美しい少女が、すでに対峙していた。

 男の手に武器はない。さすがに最低限の人間性はあるらしい。大してミーファさんは、わたしと同じデザインのひらひらの給仕服に……武器のように手にしているのは、床掃除に使うモップである。

 

「それ!」

 

 男が、ミーファさんを包み込むように、両手で掴みかかろうとしてくる。攻撃というよりは、まあ、上玉に対する目的の見える行動だ。

 それを彼女はかいくぐり、背後から棒で身体を打ちつけた。男の口からは奇妙な悲鳴、ギャラリーからは歓声が上がる。

 ……見事な身のこなしだ。私も闘士にはうるさく目が肥えている方だが、今のは何か経験を積んでいる人間の動き。いまどきのご令嬢は、護身術もたしなんでいるということだろうか?

 しばらく、攻防が続く。

 男は最初のように、掴んでさらうような余裕のあるモーションをしなくなってきた。拳を握り、素早いフットワークから腕や脚を繰り出している。こちらもやはり、腕っぷしに覚えのある人の動作だ。

 しかしミーファさんには当たらない。まるで見切っているかのように最小限の動きでかわしている。あんなひらひらのスカートを着ているというのに、足さばきには誤りがない。

 これ、もしかして。

 あの子ほんとに、大会に出るの?

 

「クソ……!」

 

 大勢の前で恥をかかされ、頭に血が上ったのか、男は腰の短剣を抜いた。観客からのブーイングにすさまじい形相で睨み返してくる。まずいな、我を失っている。ミーファさんのやったことは相手のクールダウンではなく、これ以上ない煽りだ。

 客たちは……介入しない。皆の目は、もはや助ける対象を見るものではない。次に何を見せてくれるのかという期待の視線を、誰もが向けていた。

 彼女が動く。まるで剣を逆手に持つようにして、モップを右手に構えた。あんな適当な剣術の構えは、これまでの大会では見たことがない。彼女の故郷の武術だろうか。まさか我流ではあるまいし。

 静かになる。これから一瞬で、大会参加者としてのふたりの攻防がある。

 自分が息を呑む音が聞こえるほどの静寂。

 ……いや。なにか、音がする。ぱちぱち、バチバチと、おかみさんが厨房で炒め物か揚げ物をしているのを、遠くで聞いたときのような。

 

「うおおおっ!!」

「……雷神剣!」

 

 黄金色の光が一瞬、夜の通りを照らした。

 男の身体が、地面に倒れ伏す。……やがて、店の前は、野太い歓声に包まれた。

 私は見逃さなかった。彼女のモップが、金の光を纏っていた瞬間を。おそらく雷の魔法術を使ったのだ。

 ……知らなかった。あの子があんなに強いなんて。最近微妙にお嬢様っぽくないところもあるなとは思っていたけれど、まさか荒くれを倒してしまうような魔法戦士だったなんて。

 闘技大会ではどこまで行けるだろうか。決勝トーナメント入りも狙える? やばいな、顔も良いし、それなりに仲良くしている。それでさっきみたいに普段とギャップのある顔を闘技場で見せられたら、ファンになってしまいそうだ。

 この店の客限定とはいえ、大会前からこの人気の獲得ぶり。

 グッズ。出るかもしれんな。初出場で異例の。

 

「何の騒ぎだいッッッ 静かにおしッッッ」

「あ! おかみさん」

 

 がらんどうになった店内と外の喧騒をおかしく思ったのか、ここ『オリトリ亭』の店長が姿を現した。

 ミーファさんはぱっと笑い、彼女に駆け寄る。

 

「わたし、店を荒らす悪漢を倒しましたのです。どうですか、今月のお賃金にいくらか上乗せなど」

「バカ言うんじゃないよ!!! モップが黒焦げじゃないのさ!!!!」

「いてえ!!」

 

 おかみさんがミーファさんの額を闘気のこもった指で弾くと、爆破の魔法術がさく裂するような破壊音がした。あーあ。あの人を怒らせたら、先ほど圧倒的な強さを見せたミーファさんでも頭は上がらないだろう。

 怒号を受け、急に物分かりがよくなった客たちが店内へぞろぞろと戻る。アジさんなど汗を浮かべながら、てきぱきと自分がぶつけられてめちゃくちゃになった机を片付けていた。あれは多分冷や汗だ。被害者なんだからやらなくていいのに。

 

「ミーファさん」

 

 おでこから煙をあげてひっくり返っていた彼女に、手を差し出す。

 ミーファさんは、へへ、と男の子のように笑って、ありがとうと言った。

 ……なんか、最初の頃の印象と違う。思えば仕事中、こういう表情やしぐさをしていることも、あった気がする。

 私は急に、彼女に対して、これまでにない熱い関心がわいてくるのを、自分の心に感じていた。

 

「さ。お仕事の続きですね、デイジーさん」

「うん」

 

 ちらりと後ろを振り返る。

 こてんぱんにやられてしまった彼と取り巻きたちは、すでにどこかへ去ってしまっていた。

 これから内心穏やかでない日々になるのだろうが、あんな揉め事はバルイーマではそう少なくもない。彼らが反省してくれれば、またこの店に来てくれていいのにと思う。

 店の扉を開けると、愛する職場のやかましさがすっかり戻っている。

 私はひとつ思い立って、先を行く金の髪の女の子に、声をかけた。

 

「ミーファさん。明日は夜までお休みだから、このあとどうかな、ちょっとお茶というか」

 

 女の子らしくお茶などと言ったが、オリトリ亭は酒場だ。おかみさんも豪快な料理が得意だし、そう上品なことにはならないだろう。

 だけど彼女は、満面の笑みで応えてくれた。なんだか嬉しくなって、力がみなぎってくる。

 ――さて。残りの仕事も、頑張ろう。

 

 

 ちなみにそのあと私は、彼女に酒を飲ませたことを後悔した。

 

 



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15. デイジーの激動の1日

「次の勇者が女の子だとして……その子に恋をしてはいけないよ、と言われたら、どうする?」

 

 核心をつくようなその一言に、心臓がすくみあがる。

 それは……あまりに受け入れがたいことだ。僕が昔からずっと恋をしているひとは、雷の勇者なのだから。

 

「まあ、単なる世間体の話だがね。我らが愛しきド田舎のシロノトでは、勇者同士の恋愛関係や婚姻はあまりよくないとされる……と、いう話がある」

「それは、なぜ?」

 

 食ってかかりそうになるのを抑えながら理由を聞くと、ミーファは表情を神妙なものにあらためた。

 

「勇者っていうのはさ、怪物と紙一重なんだよ。魔物をものともせずに倒すところとかね」

「だから?」

 

 彼女は空を見上げながら続ける。その目はここではない、どこか遠くに想いを馳せているかのようだった。

 

「過去にも共に旅をするうちに恋心が生まれる者たちもいたが、彼らはこうも思った。『勇者二人分の魔力の才を受け継いで生まれる子が、幸せに生きられるのだろうか?』ってな」

 

 勇者は人々から常に尊敬を集めている、なんてことはない。その力を恐怖のまなざしで見つめている民たちもいる。

 これはミーファから口酸っぱく教えられていることだ。この事実が、紋章を人目から隠すべき理由であると。

 そんな怪物扱いをされる二人の間に生まれる子どもがどうなるか、というのは、たしかに良くない想像が膨らむ。

 

「あとはまあ、優秀な血筋をひとつにまとめてしまうのも、意外と周りにいい顔されない。次世代の勇者候補が減るからだという。建前だな。……理由としては、こんなところかな」

「……そんな」

 

 心底くだらない。次代のことを考えるなら、むしろ歓迎される話じゃないか? 子をたくさん成すことができれば解決だ。勇者の婚姻を妨げる理由としては弱いと思う。

 ……でも。たしかに。

 自分の子孫のことなんて、まだ考えたこともなかった。人と人が結びつきあうとき、そこにはその子や孫を幸福にするという義務や責任が発生しうる。

 だから、勇者が勇者に恋をしてはいけない――そんなことを、他でもない君の口から言われたら。

 自分の想いはもう、届けられないのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「デイジーさん」

「ひゃいっ!? な、何かしら、ミーファさん」

 

 お客の去ったテーブルを片付け、布巾で拭いていると、背後から声をかけられる。私は背筋の震えに身もだえながら、なんとか返事をした。

 もっとも、後ろから話しかけられたくらいでここまで驚きはしない。これは先日、お酒の席において、ミーファさんが二重人格者のごとき酔いっぷりを見せてきたことに起因する、ちょっとした畏れのあらわれだ。

 今や私の中での彼女は、世間知らずのお嬢ではなく、酒乱のお嬢へとランクアップしていた。

 

「明日は休養日でしょう。その、あの、お時間ありますか」

「夜は無理です」

 

 あの厄介モンスターを鮮明に思い出し、素早く断る。すまないミーファさん、私はもう、あなたの第二人格には付き合いきれんのだ。

 なんというかその、あそこまで醜態を晒す美少女がいると、一緒にいる私の美少女力も下がっていくのだ、あれは。

 

「いや、夜じゃなくて。ちょいとお買い物に行ってみたいのですけど、まだまだバルイーマには疎くて。よろしければ一緒にまわってくれないかな、という甘えです」

「……へ? 買い物?」

 

 ……買い物かあ。

 ほう。なんだろう。気になるな。お嬢がこんな男臭い街で何を買うのだろう。闘士らしく武器でも検分するとか?

 それはちょっと、大会ファンとして、気になるぞ。

 しばし考え、承諾する。ミーファさんはぱっと花の咲くような笑顔になって、お礼を言った。ふふ、いつもこんな感じなら完璧なのにね。

 休養日の余暇は大してやることもない。部屋の掃除に買い出しを済ませたら、大通りで筋骨隆々の男たちでも眺めるか、などと考えていた。私のような美少女に見つめられては男どももたじたじだろうが、目立たずに通りを見下ろすスポットがあるのだ。この祭りの時期の、私のベストプレイスである。

 しかし今年はそっちよりもミーファさんの方に興味がある。彼女もまた、私がチェックを入れている、期待の闘技大会参加者なのだ。

 後日の楽しみができ、私はいつものお仕事により精を出すことができた。

 

 

 

 その日がきた。

 待ち合わせの場所はオリトリ亭にした。3か月いてもまだ街に慣れていないというので、ここが適当だろう。

 やがて約束の時間になる。

 

「お持たせしてしまいましたか」

 

 声に振り返る。ミーファさんの姿は、いつもの出勤時、店内での衣装に着替える前に着ているものと、あまり変わらない。

 動きやすそうな軽装で、おそらく戦闘時には、要所や手足を守る最低限の防具を上から身に着けるのだろう。そして腰に下げている剣は、サイズからして片手剣だ。スピードタイプの魔法戦士ってところかな。

 相変わらず似合っている。この衣装を仕立てた人は、ミーファさんの家のお抱え職人とかに違いない。戦う服でありながら可憐さを兼ね備えている。

 ……しかし。大体いつもこの服装だが、ちょっと見飽きたかもしれない。素材が良いから他の姿も見たいというのは、ひと月前くらいからこっそり思っていたことだ。

 そう伝えると、他に装備はこのタイプの衣服しかない、と言われた。

 そんなに顔が良いのにファッションに無頓着なのか? た、耐えられねえ。今日は彼女の服も買おう。そうしよう。

 静かな決意を胸に秘め、私達は連れ立って、バルイーマの繁華街へと出かけるのだった。

 

「うまいうまい」

 

 闘技祭の本番が迫っているこの時期、すでに繁華街には軽食の屋台などが並んでいる。大会にはああいう食べ物を持ち込んで、我々観客は闘技をエンターテイメントとして消費するわけだ。私は流血沙汰となると重いものは食べられなくなる性質なので、飲み物だけ持って行く派。

 ミーファさんはさきほどから、彼女が見たことがないという食べ物を目ざとく見つけては、片っ端から購入して小さな口に詰め込んでいる。太らない系女子か? 許せねえな。

 ただ、食べ物で頬を膨らませるその様子は、小動物のようで可愛い。貪食の魔物という見方もできるけども。

 このままだと永遠に食い続けそうなので、広場の日陰で休憩しながら、今日の主目的を聞く。

 

「友人に贈り物をしたいんですよ。でも、相手は若者なので、いまいちセンスが合わなかったらどうしようかと。そこでデイジーさんの力をお借りしたい」

「友人さんはどんな人?」

「そうだな。お人よしで真面目なやつ……ってところです。今はハンターの下っ端として、あちこち駆け回っているみたいですね」

 

 ううむ。ハンターの友人で若者。

 もしや、彼女と初めのうち一緒にいた、お付きのうちのひとりだろうか。同年代くらいの男の子だったはずだ。

 男の子でかつハンターや冒険者となると、やっぱり実用性を好むと思うから……。

 武器、は贈り物として重いなあ。軽装備の防具か、装飾品か。それとも……

 

「……冒険に役立つマジックアイテムとかかな」

 

 陽光ランタンとか。トラップ解除ツールとか。破邪結界シート(10枚入り)とか。魔力ウォーターサーバーとか。超圧縮テントとか。いやでもあれはぼったくりだからな。

 その手の店もやはりバルイーマこそが充実しているんじゃないだろうか。この町はハンターズギルドもよそより大きいって聞くし。

 適当に商品名をあげ、ミーファさんの反応をうかがう。

 

「うーん。そういう旅の中でみんなの役に立つようなものより、もっとこう、個人的に使うものがいいな」

 

 お?

 今なにか感じた。彼女の表情や声から、こう……独占欲的なものが。

 ミーファさんの、緑色にきらりと光る右耳のアクセサリに、目が行く。

 乙女の勘が熱く叫び、私は衝動的に聞いてしまった。

 

「彼氏か? 彼氏なのか?」

「え? はは、あいつが? まさか。弟みたいなものです」

 

 からっと笑うその表情は、ごまかしているような雰囲気ではない。彼氏ではないらしい。

 少なくとも、今は、そう思っている、らしいな。

 

「でも、気が付いたらどんどん背は伸びていくし、またオレから離れていくし。昔から目をかけていて、長く会わないときは前にもあったけれど、なんだか今は……そばにいないと、退屈だ」

 

 おいおい……。

 それはもう彼氏でいいよ。なんだこの女。そしてここまで心に刺さっている男はどういうやつなんだ。うちのミーファに相応しいといえるのかい? 長らくほったらかしてどういうつもりなんだい。許しませんよ本当に。

 そう思ったが、ミーファさんが良い感じの雰囲気で空を眺めていたので、口は閉じていた。

 

「だけど今度、闘技大会に合わせて帰ってくるんです。そのときに珍しく贈り物なんぞしてやったら、どんな顔をするかなって。久しぶりに、いたずらしてみたくなって」

「う゛~~ん。いいですねえ。今日は一日付き合いますよ、ミーファさん」

「なぜそんなに野太い声を……?」

 

 この同僚のデイジーさんが一肌脱ごう。どうやら私にしかできないつとめだ。

 そしていずれ貴族だらけの結婚式に呼んでもらって、未婚の顔の良い貴族と知り合おう。

 私は脳内に未来予想図と、この町の地図を描き、ミーファさんの手を引いた。

 

 私達は、武具や魔法細工師の店を次々とはしごしていった。

 これまでの付き合いでおおよそ見えていた(目を逸らしていた)ことだが、ミーファさんという人は、例えば服に無頓着であるように、どこかガサツで男の子のような一面があるように思う。

 そんなミーファさんが、しつこく何軒も回って贈り物を吟味しているのは、やはりそういうことだろう。

 私は根気よく付き合ってあげた。いや、そんな言い方は正しくない。同年代の友人とこうして遊ぶことはよくあるが、そんな中でもミーファさんと街を巡るのは、楽しい。

 ……友人になってくれと言ったら、身分の違う彼女は、冷めてしまうだろうか。

 

「これにします」

 

 彼女の声に、意識を引き戻される。

 ミーファさんが手にしていたものは……

 

「え、大丈夫? これって完成品じゃないよ。買った人が自分で編めっていうやつだから。ただの材料だし、多少は魔法細工の勉強もしないと……」

「ちょっとした挑戦ですよ」

「うーん……そう?」

 

 あれだけの店を回って一番ぴんと来たのなら、まあ、いいのか。

 ……しかし最終的にお手製の贈り物とはね。いじらしい。

 そういえば彼女は魔法術使いだ。自分の魔力を込めたものを、彼に贈るというわけか。……なるほど……執着がすごくないか? うぶなふりして実は上級者なのか……?

 満足そうに紙袋を抱えて店を出てくるミーファさんを、店の外で待ち受ける。

 今日はありがとうございました、などと別れの雰囲気を醸し出す彼女の手を掴み、私は再び市中引き回しを敢行した。

 このまま終わらせはせんぞ。次はバルイーマ中の服屋を回る――!

 

 荒くれ者たち御用達の武器屋などに隠れるようにして、女子たちの楽しみの場であるブティックもこの町にはちゃんとある。なかったらもう男しか住んでない。

 私はさまざまなコーディネートをミーファさんに試着させ、青少年の心を奪うのにふさわしい格好を模索した。いつも同じ服装だったらね、美人でも3日で飽きられるという説もありますから。

 彼女の普段着は、上半身は清楚な色調とデザインのものでありながら、脚の露出は割と大胆というものだ。それと雰囲気からして、地元ではお嬢様らしいお高くお淑やかな格好でもしていたのだろうと予想する。

 ならば、それとは違うシックなあかぬけた格好を探すか。いやまて、逆に野暮ったい村娘のように演出するのも落差が良いな。顔が良いから何をしてもいい。

 試着室から登場する彼女の姿に、店員さんと共に腕組みをしながら頷く。そして荷物置きの机に山積みにした服から、次を引っ張り出し手渡す。ミーファさんが嫌そうな顔をする。そんなサイクルを繰り返した。

 しばらくしたら、次の店へ。また同じことをする。なぜだろう、これまでにないほど心身に活力が充実していくのを感じる。逆にミーファさんは身に纏う空気がみるみるしょぼくれていった。

 

 ……と、こんな感じで。

 私達が店を回り終える頃には、すでに日が落ちようとしていた。

 荷物を両手に抱える彼女は、どうにもグロッキーな顔色をしている。なんだ、そんなスタミナでは闘技大会を勝ち抜けませんよ。やはりお嬢様だから、ご自分でお買い物とかしないのかな?

 

「ミーファさん、その人に贈り物を渡すときは、今日買った服を着ていくんだよ」

「えっ? い、いや、なぜ? 知人に見せるのは、少し恥ずかしいのですけど」

「その方が彼の面白い顔が見られるよ」

 

 本日の戦果について他愛ない話をしながら、町の裏路地を歩く。

 今日は楽しかったな。ミーファさんと仲良くなれたように思う。

 ……けれど、彼女はバルイーマの人間ではない。闘技大会が終われば、ここを去ってしまうのだろう。その前にまた、1度だけでもいいから、こうして遊べたらいいな。

 そんな気持ちを伝えようと思って、勇気を出して、振り返った。

 

「――え?」

 

 無防備な彼女の背後で、大男が、巨大な腕を振りかぶっていた。

 

 

 

 

「……あ、う……さむっ」

 

 寒さと、自分の喉が絞り出した声で、目が覚める。

 ブランケットを遠くへ蹴り飛ばしてしまったのだろうか。一瞬、そう思った。

 まぶたを持ち上げ、身じろぎしようとして、気付く。

 ここは知らないどこかで、自分は手と足を拘束されている。後ろに回された手と足首は何か固いものに縛られていて、おそらく頑丈な縄か何かだ。

 何が起きているんだろう? ……そうだ、たしか、ミーファさんが男に奇襲されて、そのまま私も、多分、気絶させられて、連れ去られた。……なぜ? どうして?

 冷静に状況を考えられるのは、ここまでだった。私の心を、恐怖が塗りつぶしていく。

 涙があふれてきて、私は助けを求めて叫ぼうとした。

 

「デイジーさん、落ち着いて」

 

 優しい声が、私の心に響く。

 ……ミーファさんの声だ! 後ろから聞こえた。そうか、同じように地面に転がされているんだ……。

 ひとりではないことに、本能的に安心する。だけど落ち着くと、また恐怖が頭をもたげてくる。

 

「ミーファさん、あの……私達、どうなっちゃうの……?」

「だいじょうぶ。また明日、一緒にオリトリ亭でお仕事をしていますよ」

「で、でも……」

 

 何がどうしてこんなことになっているのか、わからない。

 ミーファさんを襲った男……一瞬だけ顔が見えたけど、どこかで、見たような。

 そのとき、なにか音がして、誰かが足音を立てて私達のところへやってきた。ここでようやく、自分が狭く暗い、倉庫のような場所に閉じ込められていたことがわかった。

 そして、そこにやってくる人間は……

 

「あ、あ……」

 

 目と首を痛いほど傾けて、背の大きな男性の顔を見た。そして、心臓が飛び跳ねる。

 彼は以前、オリトリ亭でミーファさんと勝負して負けてしまった、闘士の男だった。

 男がしゃがみ、顔を近づけてくる。ぎらぎらと血走った眼と荒い息遣いに、私は必死で後ずさりをしようともがいた。

 怖い……! 叫びたいのに、声が、出ない。

 

「おいあんた。なぜこんなことをする? もうやめなさい。いま解放してくれれば、きっと悪いようにはしない。これ以上は後戻りできなくなるよ」

 

 ミーファさんが力強い声で男に語りかける。

 だけど……彼の目は、私の後ろにいるはずのミーファさんではなく、どこか遠いところを見ているようだった。

 

「あ、あの人が……強い魔導師を捕まえれば、あの人が救ってくれる……これからは、もっといい人生が……」

「あの人? それは誰だ」

 

 男は答えない。どうも、ミーファさんの声が耳に入っていないかのように思える。まったく会話になっていなかった。

 男が倉庫を出ていく。定期的に私たちの様子を見に来て、見張りをしているのだろうか。

 また、扉が、閉じた。

 

「……デイジーさん。あなたがさらわれたのは、わたしが巻き込んだようです。本当にごめんなさい」

 

 涙が、いよいよ溢れてくる。

 考えないようにしていたことだ。誘拐犯の目的はミーファさんで、私はそのついでに、目撃者を消すために連れ去られたのだとしたら。

 ……私は、彼女を口汚く罵ってしまうかもしれない。それは、それだけは、嫌だった。だから、涙にして、嫌な気持ちを外へ出す。

 

「大丈夫。この命に代えても、あなたを家へ帰します」

「ミーファさん……っ、うぐ、うっ」

 

 顔が見えたなら、きっと彼女はいま、私を安心させるために微笑んでいるのだろう。

 その顔を想像して、私は心に冷たく吹き込んでくる寒さに、耐えた。

 

「……この拘束具、マジックアイテムだ。魔法術がうまく働かない……イガシキ、イガシキ! いないのか」

「……マジック、アイテムって、どんな?」

 

 ミーファさんも不安なのだろう、考えていることを口にしているのだと思った。

 心細くて、話しかけてしまう。

 

「術者が選んだ任意の属性以外の働きを、著しく減衰させる結界の術があるんです。これはその効果が込められた縄かもしれない。……非常に高度な術だ、やつをそそのかした何者かがいる……」

「そんな……」

「あ、いや、大丈夫ですよ。脱出の目はまだある」

 

 魔法術を封じられては、ミーファさんでもどうしようもないではないか。私を元気づけようとして、そんなことを言っているが……。

 だめだ。これ以上悪い方向に考えるな。

 

「イガシキ、おい」

『……なんだ、飯の時間か?』

「!? だれ……!?」

 

 暗い部屋に、ミーファさんでもさっきの男でもない、知らないひとの声がした。

 ……人、なのだろうか。何か、寒気がする。

 

「おお……いてくれたか、不幸中の幸いだ。あのさ、ちょっとしたトラブルに巻き込まれてね。謎の勢力に誘拐されて手足を縛られているんだ。……どこにいる?」

『何? ……ハハハ、やあ、これは愉快だ。そうしていると、いつもより殊勝じゃないか?』

「おまえねー、性格悪いぞ。たのむ、この腕の拘束の魔力を食ってほしいんだよ」

『見返りはあるのか?』

 

 誰かもわからない人と、気軽にミーファさんが会話をしている。

 助けに来てくれた人がそこにいる……? それにしては、あまり協力的ではない気が。

 

「デイジーさん」

「ひぇ!? は、はいっ!」

「バルイーマで魔石を売っているところって、今日まわった細工屋だけかな?」

「え? ええと……」

 

 何が何やらわからない頭を落ち着け、ミーファさんの質問を反芻する。

 魔石というと、自然由来の魔力が宿っている鉱石のことだ。たしか、今日は回らなかった雑貨屋と、武具店にもあるはず。たくさん欲しければ、道具屋さんに取り寄せてもらう手段もあるはずだ。武具屋の経営者たちはそうやって購入した素材で、お抱えの職人に商品をつくらせている。

 そういった内容を、うまく整理しきれないまま、つたなく、ミーファさんに伝えた。

 短く礼を言い、彼女はまた私ではない誰かに話しかける。

 

「たまには地属性のをいっぱい買ってあげるからさあ。ねえいいでしょー」

『そのままオレを解放しろ』

「それはできませんねぇ」

『フン……もう1メートル後方へ来い。ああいや、大股で一歩分だ』

 

 ずりずりと這いずる音。

 次に、淡い光がぼうっと、倉庫の中をわずかに照らした。

 

『なんだこれ、まっず! この味……お前、最悪なやつと関わりあいになったな』

「え? 何? 何か知ってるの?」

『口直しには期待しているぞ。オレはまた寝る』

 

 ……静かになる。

 どうなったのだろう。見えないからわからない。

 しばらくして。ぱちぱちと何かが弾けるような音がして、倉庫が一瞬だけ、ぱっと明るくなった。

 

「もう大丈夫ですよデイジーさん。よく耐えてくれましたね」

 

 その声が、すぐ耳のそばでした。

 足と手首の縄がなくなる。ゆっくりと力を入れて、なんとか立ち上がる。後ろを振り向く。

 そこにあったミーファさんの顔を見て、私の眼球は、ここに来て一番の大量の涙を絞り出した。

 抱き着いて泣きじゃくる。ミーファさんは声が漏れないように、少し乱暴に私の顔を胸に押し付けたけれど、背中をぽん、ぽんと優しく叩いてくれた。あと、おっぱい柔らかい。

 

「外の様子を見て来ます。あなたはここにいて」

「そ、そんな!」

「ほんの一瞬ですよ。すぐに戻ります」

 

 たしかに、外に見張りがいるとしたら、私がくっついていると足手まといもはなはだしいだろう。

 でも、この中でひとり待つのは、気が気ではない。思わずミーファさんに縋りついてしまう。

 ……いけない。一番だめなやつだ、これは。迷惑をかけている。ふたりで脱出するのに、最も安全な行動を選ぶべきだ。

 そうわかっていても、自分の震える手は、ミーファさんの服を掴んだまま、離してはくれなかった。

 

「わかりました。ならこうして後ろにくっついていて。なに、デイジーさんをおんぶかだっこしたままでも、悪党の10人や20人倒してみせますよ。これは、強がりじゃないです」

 

 頷く。

 帰ったらきっと、ミーファさんにたくさん、たくさんお礼をするんだ。

 それだけを考えるようにして、私はミーファさんの背中に手を置いて、その服を掴んだ。ああ、清楚なデザインが、台無しになってしまう。

 

「開けます。少し身を屈めていて」

 

 ミーファさんが、扉に手をかけた。

 全身に、ぎゅっと力を入れる。

 

「……なんだ? この音」

 

 そう言われ、思わず耳を澄ませる。

 外で、なにか音がする。いや、声……これはたぶん、怒号や、悲鳴だ。

 加えて、なにか騒がしい音。……嵐の夜に、固く閉めた窓の向こうで、びゅうびゅうと吹く暴風のような。

 それらが混ざり合った喧騒が、どんどん、こちらへ近づいてくる。

 ミーファさんが、倉庫の扉を、一息に開け放った。

 

 あまりに思い切りのいい開放に、おもわず身を固くする。

 ……おかしい。静かだ。先ほどの騒音は、どうなったのだろう。

 私はミーファさんの後ろからおそるおそる顔を出し、外の世界をのぞいた。

 

「……ミーファ。だいじょうぶ? ケガはない?」

 

 その青年が振り返る。

 長剣を片手に、その空間に佇んでいる。周りには何人かのごろつきたちが、地面に倒れ伏していた。苦しみ呻き、しかし流血のない様子からして、斬り殺されたりはせずに無力化されたようだ。

 死屍累々といった面々の真ん中に立つ彼は、そんな物騒なことを成し遂げたのにも関わらず、どこか優しそうな顔立ちをしていた。まるで、おとぎ話の王子様か騎士様のようだ。

 しばしぼうっとして、はっとしてから、周りを確認する。

 狭い路地の間から見上げた空は、夜。建築物はボロボロで、人々の気配やにぎわいが感じられない。

 たぶんだけど……どうやらここは、バルイーマの繁華街から離れたところにある、旧市街の廃墟地区のようだ。

 幼い頃によく遊んだこの場所が、こんな、人さらいの温床になっているなんて。この街の衛兵団は優秀だと思っていたから、ショックだった。

 

「おそいよ。もう自力で脱出できるところだった」

「う、ごめん。痛いこと、されなかった?」

「平気だよ。それより、どうやってここがわかった?」

 

 ミーファさんが、青年にかけよる。

 その表情は、さっきまで私を力強く勇気づけてくれた人にしては、なんだか少女らしい柔らかいものだった。お相手の青年もまた、顔つきを見ると、まだ私やミーファさんと同じくらいの少年といっていいことに気付く。

 ……ふたりの話す様子を見ていると。まるで昔話の中で、囚われのお姫様を王子様が助けに来たシーンのようだなと、想像してしまった。

 それで、贈り物を貰う相手を、悟る。

 

「デイジーさん。……デイジーさん?」

「え? あ、はい」

「衛兵たちもすでにここへ向かっているみたいだし、あとは大丈夫です。もうお家に帰りましょう。……あ、そうだ」

 

 ミーファさんが顔を覗き込んでくる。

 なんでもない時間だったかのように、彼女は、可憐に微笑みながら言った。

 

「今日は買い物に付き合ってくれて、ありがとうございました。……良かったら、また――いえ、なんでもないです」

 

 また、なんだろう。

 ……そうか、わかった。気を遣っているのだろう。普通こんなことに巻き込まれたら、もう二度と外で買い物なんか、したくなくなる。

 でも。

 先を行こうとするミーファさんを呼び止める。

 私は勇気を出して、“また一緒に街をまわろう”と、彼女を誘った。

 

 



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16. 君の生まれた日

 勇者は勇者に恋をしてはいけない。

 そんなことを他でもない君の口から言われたなら。自分の想いはもう、届けてはいけないのだろうか。

 足元が崩れるような感覚に、思わず、歩みを止めてしまう。

 そうすると、誰かが、後ろから隣に追いついてきた。

 

「だがな。オレはそんな不文律は無視して自由になってしまえばいいって、今は思っているんだよ」

 

 一緒に立ち止まってくれた少女の声は、誰かに縛られる未来など振り切ってしまうような、明るいものだった。

 

「巨大な力がなんだ、ないよりあった方が自分や誰かを守れるってものだろ。生まれる子供を不幸になんかしない。力の使い方を、しっかり教えてあげればいい。一緒にいてあげられれば、それはできないことじゃない」

 

 ミーファの言葉には、以前からときどき違和感を覚えることがある。

 僕の師としてあるときの彼女は、何かにつけて、過去にそれを経験したことがあるかのように語るのだ。

 彼女に勇者の子を育てた経験など、あるはずもないのに。勇者を育てたとしたら、師匠として僕に魔法剣を教えたくらい――あれ、そういうことなのか?

 

「だからね。キミは後悔しない生き方をしなさい」

 

 ミーファ自身は、何かを、後悔しているのだろうか。

 ……ただ単に、この子は聡明だから、よくそういう語り口になるのだろうか。

 

「ま、そういうわけだから……これから出会う勇者にお前とねんごろになる女子がいるとして、婚姻はオレに話を通してからにしろよ。よろしくない女性に捕まるかもしれないからな、幼馴染として、見極めてやるとも」

 

 バンと人の背中を叩いて陽気に笑い、ミーファはずんずんと先を歩いていく。

 これまで何度か変な空気になったことはあるが、あの程度ではぜんぜん僕の気持ちには気付いていないらしい。鈍感なことだ。

 後ろからやってきたティーダさんが、僕の肩を叩く。そのまま耳打ちしてきた。

 

「ユシド君、おじさんは応援してるからな」

 

 余計なお世話だと思い、僕は口をとがらせた。

 

「なんだよー。いつでも力になるぜ? 俺はふたりのこと、好きだからさ」

 

 ……いや、でも。そう邪険にするものじゃないかもしれない。

 彼が、応援してくれるというのなら。もし力を貸してくれるのなら。頼みたいことがある。

 僕が、ミーファに勝つために。

 

 記憶が語るのはここまで。

 それはたしか、バルイーマにたどり着くより、いくらか前の話だった。

 

 

 

 

 

 

「そろそろ時間か……」

 

 開け放った窓から、心地よい風が入ってくる。昔からこの感覚は好きだ。

 部屋の窓から見下ろす外の町並みは、日が高くなるにつれて活気を増していた。人々が行き交い、笑いあったり、子どもが駆けまわっていたり。

 窓を閉じる。これからオレも外へ出かける。それは別に、何も特別なことではないはずなのに、今日はなんだか何もかもが新鮮だった。

 部屋に備えた小さな鏡を、深く覗き込む。

 やはり変だ。自分の服装は着慣れた旅装束や戦闘装備ではなく、こじゃれた町娘のようにあか抜けた格好をしていた。都会ではこんなものが流行りらしい。

 勇者シマドここにあり、などと前世のように吠えても、誰が信じてくれるだろう。戦士らしさといえば腰に荷物のようにぶらさげている剣のみ。そこだけがいつもの自分であるはずなのに、今は全体の印象から浮いてしまっている。

 こんな服を着ていってはやはり笑われてしまう。故郷に残してきた今世の妹などにはよく似合いそうだが、オレが着て何になるというのか。それに腰にぶら下がったまま延々と寝ているやつに見られでもしたら、どんな皮肉を言われることか。

 ……ユシドが見たら、どんな顔をすることか。

 笑われるか驚かせられるかは五分だが、その反応が気にならんでもない。オレは最後に、先ほど窓からの風で跳ねた、ほんの少しの髪の乱れを整え、部屋を出た。

 

「あら、ミーファちゃん。男の子にでも会いに行くのかい?」

「へっ? なんでわかって……」

 

 経営している宿屋の廊下を手ずから掃除していた、オリトリ亭のおかみさんに声をかけられる。店で雇ってもらっているうえに下宿までしている手前、この人には頭があがらない。それだけでなく、たまにこうして人を見透かすようなことを言ってくる。今日のこれもまた不思議なおかみパワーの成せる業か。

 

「いやあ、その格好と顔を見れば誰だってわかるわよ。別にお相手を部屋まで連れてきてくれていいのよ。防音には気を遣っているから」

「は、はあ。向こうは向こうで宿を確保できたようなので、大丈夫ですよ」

「そういう意味じゃないんだけどねえ。……ともかく、いってらっしゃいな」

「ええと、はい、行ってきますね」

 

 まだ食堂の営業が始まっていない、宿屋としてのオリトリ亭を出る。

 用のある人物は今日この時間、街のランドマークの広場に呼びつけてある。まだここに不慣れなアイツでも迷いはしないだろう。

 

 バルイーマはグラナと同様に、人や物の流通が淀みない大都市である。

 特徴として、例えばここのハンターズギルドの支部は、どこぞの王国にあるという本部に迫る規模を持ち、腕に自信のある猛者が集まっているらしい。元来魔物の動きが比較的活発な地域であるために、自然とこのようになったのだという話も聞いたが、こちらの真偽はわからない。

 そういった土地柄に加え、今は伝統の闘技祭の準備期間ということで、武器防具屋が大盛況のようだ。

 惜しいな。カゲロウの剣をここで売れば、きっとぼろもうけに違いない。彼もこの町のあちこちで商品を広げている旅の露天商たちのように、出張して来ればいいものを。

 そんなことを考えながら、通りを抜けていく。デイジーさんと過ごした1日のおかげで、ある程度は歩き方がわかった。

 人々が活力にあふれ、戦士たちの血がたぎる街。それがこのバルイーマだ。

 

 広場にたどりつく。往来のど真ん中に置かれた大きく趣味の悪い石像は、その昔闘技大会で優勝を果たしたナントカという男の姿だという。噂には7人の勇者のひとりだったとか。一度名前を聞いたが、関わりが全くないので早々に忘れてしまった。そういう好戦的な勇者もいただろうな。

 いやまあ、オレも出るからには優勝する気満々なのだが。

 像の周りを歩き、待ち人を探す。

 ……いた。

 茶色の毛をひょこひょこと動かし、間の抜けた顔でそこに立っている。

 どれ、久しぶりに、後ろから脅かしてやるか。オレは足音を立てずに、やつの背後に近づいていく。

 そしてその背中に向かって、手をのばした。

 

「ミーファ?」

 

 ……ユシドは、オレが触れるより先に、こちらに気付いて振り向いてきた。

 オレの方が驚かされる形になり、半端な姿勢で固まってしまう。

 悔しいな、してやられてしまった。

 

「………」

「え、と……」

 

 だというのに、今度はユシドの方が固まった。

 先に振り向かれてしまったのだから、そちらが会話を切り出す流れではないのか?

 

「あの、ミーファ……今日は、雰囲気が違うね。たしかに君なのに、誰かと思っちゃった」

「ん? ああ、そうか」

 

 そういえば服装の印象がいつもと違うはずだ、それを見て驚いたのか。

 似合っていない格好を笑われると思っていたのだが。ユシドは何やら落ち着かない様子で、視線を泳がせる。ほのかに顔が赤らんでいるようだ。

 ……おかしいな。笑われてはいないのに、なんだか、恥ずかしくなってくる。そうまごついたりせず、何か言ってくれ。

 自分でもよくわからない気持ちをごまかすように、この服は同僚のデイジーさんに贈られたものだという事実を初めとして、ちぐはぐな弁明を並び立てる。

 それを聞いていたユシドは、ただ月並みなひとことだけを口にした。

 

「すごく似合ってる」

 

 ようやく互いに目を合わせて受け取ったその言葉に、心が勝手に喜びを訴えてくる。頭はそれをうまく理解できていない。

 まあ、似合わないと言われるよりは、似合うと言われる方が、良い。デイジーさんの顔に泥を塗らずに済んだ。

 ……どうにも、言葉に詰まるな。ここのところまともに顔を合わせていないからだろうか。

 オレは鼓動の早まりに目を背け、適当に話題をふってみた。

 

「そういえば、ティーダは?」

「宿屋で昼まで寝てるって。……ところで、今日は何の用事? 値の張る買い物とか?」

「ちがうよ。心当たりはないのか?」

「……? よく、わからないんだけど」

 

 とぼけているのか、忘れているのか。どちらでもいいが、本日の主目的をここで明かすのはいささか早い気もする。後回しにするか。

 

「この町にはまだ慣れないだろう。オレの方が詳しいはずだから、案内してやろうと思ってね」

「それは、ありがとう」

「どこか行きたいところはあるかね」

「そうだなあ。どこで手に入るか分からないんだけど、風の魔石が欲しいな。剣が壊れるような事態の備えとして」

「あ! そういえばオレもだ」

 

 イガシキに助力の礼をすることをすっかり忘れていた。やつは居眠りを決め込んだら、基本的には無理やり起こさないと何日でも寝ている。催促がないので後回しにしてしまっていた。

 ちなみに、やつが寝ているときは刀身にしがみついて寝るくせがあるため、剣が鞘から抜けなくなる。機嫌が悪いときもそうだ。改めてほしいと散々注意しているのだが、このせいで結局オレは今までと同じく、剣を抜くのは本当に強い敵が現れたときくらいになってしまっている。

 それはともかく。窮地を救ってもらったからには、電撃で起こしたりするのもなんだ。好物の、瑞々しい自然のちからたっぷりの魔力でも用意して、起きたときにねぎらってあげよう。

 ……まあ、闘技大会までに目覚めなければ、やはり無理にでも起こすが。

 

「じゃあユシド、これから魔石やら何やらの検分に行こう。店の場所は聞いておいた。……ほら」

「あ、えっと……うわっ!」

 

 デイジーさんがしてくれたように、オレはユシドの手を引いて、足早に駆けだす。

 だけどそれで転びそうになる彼がおかしくて、すこし速度をゆるめた。

 

 

 

 比較的空いている食堂を見つけて休憩しているとき、この前にちゃんと聞きそびれたことを、ユシドに聞いてみる。

 

「デイジーさんとオレがさらわれたときだけどさ。どうやって居場所を突き止めたんだ?」

「うん? ……ああ」

 

 ユシドはほんの、ほんの一瞬だけ、似合わぬ厳しい表情をした。ここのところそうだが、自分がいない間に起きてしまったことについて気に病んでいるらしい。

 もう謝らないでくれと言ったから、今ああやって気持ちを隠したのだろう。どうにも真面目が過ぎる。

 表面上は大して気にしていない様子を装い、ユシドはオレの質問に答えた。

 

「久々に戻ってきたその足でオリトリ亭へ行ったら、今日は休みだって。だけど休養日でもこの時間にミーファがまだ帰ってきてないのはおかしいって、あそこの亭主さんたちに言われたんだ」

 

 たしかに、若い女子がふたりで出かけて、何のことわりもなく夜遅くまで帰らないというのは、穏やかなことではないかもしれない。

 よそ者が増えるこの時期は衛兵団が忙しいって、おかみさんも言っていたし。

 

「そこで街を走り回ったら、いかにも怪しい男たちを目撃したって噂が流れていてね。人間大の麻袋をふたつかついで、うつろな目つきで裏道を歩くやつらがいたって」

「そりゃ怪しいや。……それで?」

 

 話の肝心の、居場所を突き止めた方法がまだ出てきていないため、続きを促す。

 するとユシドは隣の席までやって来て、そのまま自然な動作で、オレの横顔に手を添えた。

 ……な、なんだ? ユシドがこちらを見つめてくる。距離感の近さを認識すると、途端に忘れようとしていた出来事を思い出した。あのときと空気が似ている。

 流れがおかしすぎる。普通の会話をしていたはずだ。

 

「お、おい。いきなり何を……」

「これ」

「ひゃうっ!」

「うわっ、いきなり変な声出さないでよ」

 

 ユシドは突然オレの右耳をさわり、そのうえ理不尽に糾弾してきた。

 お、お前! やっていいことと悪いことがあるだろ。貞操観念はどうなっているんだ。

 無遠慮に耳飾りのあたりを触ってくるユシドの指。そこは、これ以上は……!

 

「この飾りの石が、僕に君の位置を知らせてくれるんだ」

「ん、それは、なん……っ!」

「贈ったときはわからなかったんだけど、よく考えるとこれって、僕の魔力が大元に込められているんだよね。だから頑張れば探知できるんだよ。おかげで離れていても君の居場所がわかる」

「ふっ、そ、そうか。ん」

 

 あまり話が頭に入ってこないが、とにかく便利機能があることがわかった。いいことだな。

 ユシドの指が、離れていく。

 

「……なんか今さら気付いたけど、女の子の居場所を常に把握できるのって、さすがに気持ち悪いかな。ミーファは、嫌?」

「ふう、ふう。……え? いや、べつに。ユシドになら、いいよ」

 

 今回のように互いに離れ離れにされるようなことがあれば、その機能は便利だと思う。このまま活用すればいい。

 そういえば、今朝うしろから驚かせる前に気取られたのは、そうやってオレが身に着けているピアスの気配を探っていたからか。

 そうなると……あの頃のように、突然驚かせて、びっくりする顔を見られなくなるのかと思うと。少し、寂しいな。

 オレはそんな気持ちを抱えて、乱れた息を整えながら、ユシドの顔を見上げた。

 

「ッ……! み、ミーファ。そろそろ出ようか」

「え? ああ、うん……」

 

 ユシドは立ち上がり、何やらかぶりを振ってから、食事の勘定を支払いに行った。

 頭が妙にぼうっとする。オレもあいつを真似て頭を振る。

 いかんいかん、今日は目的がある。そろそろそれを果たすべきだ。

 

「なあ」

 

 出がけに声をかける。

 振り返るユシドの顔を見て、良い案が浮かんだ。

 

「髪、伸びたな。切ってあげようか?」

 

 

 

 オリトリ亭の裏の敷地を借りて、日陰に椅子をひとつ置く。

 そこに座らせたユシドの、好き放題伸びた髪を触る。先に水で濡らしたため、湿っていて冷たい。

 短刀で手入れしようと思っていたが、おかみさんが散髪用のハサミなんていう高級品を貸してくれた。完成図を頭に浮かべながらシャキシャキと音を立てる。

 ユシドが怖いからやめてと言い、顔を青くしていた。笑える。

 髪型をばっさりと変えるつもりはない。毛量を減らすくらいでいいだろう。魔力は髪に宿るなんていう俗説もあるし、このまま伸ばすのもいいんじゃないか? ちなみに、瞳の色に宿るという説もある。

 はさみを入れて、髪をすいていく。むむ、やはり専用のものは切れ味がいいな。いやしかし、そういえば理容師が複数の種類のハサミを使って仕事をしているのを見たことがあるが……まあ、素人には違いがわからん。気にしないでおこう。

 

「お前、身長がまた伸びたな」

「え? そうかな。今日ミーファと比べてみて、そんなに変わってないと思ったけど」

「それは、オレの身体も、成長しているからさ」

 

 他愛ない話をしながら、作業を進めていく。

 思惑通り、量を減らすことに成功した。しかし後ろ髪は、いまどきの男子にしてはやや長いくらいを残した。都会ではもっと短髪が流行りだ。

 再度、ユシドに質問をしてみる。

 

「今日は何の日か、心当たりはない?」

「またそれか。……ごめん、ダンジョンの中に何日もいて、日にちの感覚が……」

「ふふ、そうか」

 

 頭をぱっぱっとはらう。仕上げに、風の魔法術を使って、毛の切れ端を吹き飛ばす。

 ユシドは、まだ自分の後ろ髪がやや長いことに、不思議そうな顔をしていた。

 正面に立って顔を覗き込む。一息深く吸って、伝えた。

 

「今日はキミの生まれた日だ。18の誕生日、おめでとう、ユシド」

 

 その喜ばしい記念日を、オレが忘れることはない。キミが生まれ、成長し、無事で目の前にいることが、オレの人生にとっても祝福なんだ。

 きょとんとするその顔に、ちまちまと手間取りながら作り上げた品物を突きつける。

 本当は手首なんかの飾りにしようかと思っていたが、途中で考えが変わった。

 

「これは贈り物。まあしょうもない地味な髪紐だけど、キミを守るまじないを込めた」

「ミーファが、作ってくれたってこと?」

「そうだよ。大事にしたまえよ」

 

 ユシドの後ろにまわり、それを使って髪を束ねてやる。

 ちょろりと子馬のしっぽのような毛が、後頭部から垂れている。ちょっと面白い。

 鏡を2枚持って来て、自身の姿を見せる。正面から自分をみたユシドは「うまいね」と喜んでいたが、後ろ側を見ると微妙な顔をした。

 

「なんだよ。プレゼントが不満かい」

「まさか! でも僕、髪を長く伸ばしたことなんかなくてさ」

「オレはその方が、キミに似合うと思うけどね」

「……じゃあ、伸ばします」

 

 案外素直だ。贈り物を受け入れてもらえて、内心ほっとする。

 

「ま、失くしたら何回でも言えよ。ちょっとコツが掴めてきてさ、そのたびにより素晴らしい品をよこしてしんぜよう」

「失くさないよ、絶対」

 

 ユシドが立ち上がり、オレと目を合わせてくる。

 

「本当にありがとう。きっと、大事にする」

 

 良い顔だ。こちらとしても、頑張った甲斐があったよ。

 オレはその表情を見上げ……ああ、やはり身長が伸びたなと、その健やかな成長を愛おしく思った。

 

 



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17. 面接試験

 日の当たる大通りには、やはり人々の明るい声が飛び交っている。稼ぎ時を逃がすまいとする客引きたちの声や、次の闘技大会について興奮した様子で話す人のおしゃべり。それは、この時期のバルイーマに相応しい景色だ。

 その中に、赤髪で長身の青年が歩いている。目立つ部分のある容姿であるが、派手ななりをした人物はこの時季には多いため、彼が人々の目を集めたりすることはない。

 しかし。明るいとは言えない思案顔で、下の方を向いて歩いている様子は、活気にあふれる人通りの中では、どこか浮いてしまっていた。

 

 赤い髪の青年――ティーダは今しがた、衛兵団の管理する牢屋へ赴き、犯罪に手を染めてしまった者たちに会ってきたところだった。

 武闘大会へ参加する目的でやってきただけの荒くれたちが、なぜ本拠地でもない街で、誘拐などという危険な犯罪を決行してしまったのか? それが、事件の当事者たちにも、調査を担当した衛兵団の人間にとっても、疑問だった。それゆえティーダは許可を取り、彼らと鉄格子越しに面会をした。

 結果としてわかったこと。

 彼らは己が起こした事件について、記憶が曖昧だった。

 酒場の少女にみっともなくのされてしまい、人通りのない場所を見つけて荒れていたところまでは、よく覚えている。ところが、その後だ。

 彼らは気付けば、危険な毒のある薬草を摂取してしまったときのような、強い酩酊感の中にいた。あとは犯罪当時の日まで、日時経過の感覚が定かではないという。

 そのときに、誰かと接触したような、していないような。

 「そこが重要だ。」 そんなティーダの詰問に、彼らは哀れにも答えを持っていなかった。

 身内の少女を大変な目に遭わせてくれた張本人たちとはいえ、ティーダは曖昧な供述しかできない彼らが、非常に気の毒に思えた。実行犯以外の何者でもなく、指示をした誰かの存在も不明である以上、彼らはこれから監獄に身を運ばれ、場合によっては生涯をそこで終えることになるかもしれない。

 ティーダは正直なところ、彼らをどうにか助けられないか、とすら思った。あのふたりには言えないが。

 ティーダにはこの男たちが、こんな大それた罪を犯すような者には、到底思えなかった。本当は、酒で気を大きくして迷惑者になるくらいがせいぜいの、小心者たちだ。

 

 ――人間を操るすべを持つ、邪悪な何者かが、この街にひそんでいる。

 その確信が、ティーダの頭から離れない。

 

 ひとまず仲間たちに注意を促しておこう。

 たとえば。怪しい宗教団体には近づかないように、とか。人の心をあやつる、といえば、巷ではとある新興宗教の黒い噂も流れている。グラナでも聞いた話だが、すでにこの町にも噂は来ているらしい。人さらいに関わっているなんてほど真っ黒だとは、今の時点では思っていないが。

 そんなことを考えながら、人の波に乗りつつ、往来を歩く。

 

「ん?」

 

 人々の喧騒が耳に入る。見ると、街のランドマークのひとつである巨大闘技場の前広場に、人々が集まっている。

 彼らは掲示板を眺めているようだ。

 気になり、確認する。ティーダはそこに記された内容を記憶し、その場を去った。

 ふたりの仲間の顔が脳裏に浮かぶ。黒幕の話はそこそこに留めるとして、この掲示の内容はしっかり伝えよう。

 ティーダはそう計画しつつ、ふと、他愛のないことを思った。

 

(そういえば、デートはうまくいったかな)

 

 うまくいってくれたなら、最高にからかい甲斐がある。そのときの二人の顔を、今夜の酒のアテにしよう。

 ティーダの顔は、暗い話題について考えていた先ほどより、やや前を向いていた。

 

 

 

 

「ではミーファさん。今回の闘技大会に参加しようと思ったきっかけは?」

「賞金……ですね」

「はいダメー」

 

 夕食の席で、ユシドを試験官に見立て、その質問に答える。オレの正直で純粋な応答は、頭ごなしに却下されてしまった。

 

「何がダメだというんだ。きさま偉そうに。何様のつもりかね」

「いや君こそ何その物言い……? ええっとね、お金にがめつい人は、少し印象が悪いというか……」

「だから、それの何が悪いんだ。お金は大事でしょうが」

 

 我々はいま何をしているのかというと、これがなんと、来たる闘技大会に向けての重要な訓練になっている。

 無数の腕自慢たちが押し寄せてくる闘技大会――それを勝ち抜くための第一戦はなんと、『面接試験』だという。

 聞き慣れない単語だ。ティーダの情報によると、要は例えば、経営者が従業員を雇うときに人となりを質問してくるときとか、師匠が弟子入り希望の者を受け入れるか見極めるときとかの、あれだそうだ。

 試験官がひとりひとりを手早くチェックして、予選に参加させるかどうかを決めるらしい。そうなるとどうにも、本当に参加者の腕を競うようなちゃんとした大会なのか、あやしいもんだ。

 闘技祭はこのバルイーマの経済活動に大きく組み込まれた催しであるため、泥臭い殴り合い斬り合いを、エンターテイメントに仕上げられるような、派手な人間を求めているということなのだろう。まあこの意見は、ティーダやユシドの受け売りだが。

 

「訓練の意味あるかい、これ。大会参加への動機なんぞ聞かれるものか」

「まあ、たしかに……」

「ハハ、ユシド君は真面目だな。……とにかく、自分は派手に会場を盛り上げられるってことだけアピールすればいい。君らは魔法剣の一発でもみせてやりなよ、きっとウケるぜ」

「オレの技は見世物の芸ではないのですけどね」

「まあまあミーファちゃん、一時のパフォーマンスさ。おじさんには聞こえるぜ、新進気鋭の美少女魔法剣士、ミーファ・イユを讃える観衆の声がな」

 

 ……悪くない。

 強さに目の肥えたバルイーマの連中なら、勇者を化け物呼ばわりしてくれることもないかもしれない。……あまり期待しない方がいいとは思うが。

 一応、真面目に取り組むか。

 

 それに本当は――賞金なんかより、楽しみがある。

 視線の先。そこに座るあどけなさの抜けない青年は、しかし、風の勇者としての名を自分のものにしつつある。

 シロノトを旅立ってからの1年間は、戦士としてのあいつにとって濃密な時間だったはずだ。

 最後に師として剣を交えたのは、いつだったか。この頃はティーダについていってハンターの仕事をしていて、今のその力がどれほどのものかは知らない。

 知らないのだ。

 ユシドが、どれほど、強くなったのか。

 

 大会で彼が勝ち上がれば、強者たちとの戦いで、きっとその成長を目の当たりにすることができる。師としての達成感や、子孫の栄光と進歩に立ち会う喜びを得られるだろう。

 だが欲を言えば。

 オレが、お前と、戦いたい。

 ふたりで向き合い、つるぎを抜いて視線を交わす。そのときこそがきっと、オレにとっては最高の瞬間だ。我が継承者のその力を、自分の手で確かめたい。

 ユシドに視線を送る。途中で負けてくれるなよ。オレは、風の勇者であるお前がここへ上ってくるのを、待っているぞ。

 そんな意思を、眼に込めた。

 

「おーい。何を熱く見つめあってるの?」

「そういえばミーファさん、デートはうまくいったの?」

「は……はあっ!?」

 

 ティーダの低俗な茶化しと、突如隣にあらわれたデイジーさんからの横やりに、思わず椅子を引いて後ずさる。

 いま師匠としてカッコいいところだったのに! そうやって男女の仲を疑うような言い方をするなと、ティーダにはなんども説教してやったはずだ。デイジーさんも、突然何を言うのか。デート? なんだそれは。

 

「え。だってほら、あの誘拐犯さんに誘われたときに、デートなら先約があるって言ってたじゃない。それってユシドさんがお相手ってことでしょう?」

「いやあれは、言葉遊びで……」

「やだなー。二人きりで歩き回って、最後にプレゼント贈ったんだろ? それって世間で何て言うか知ってる?」

「ちゃんとおめかしして行ってくれたんですよね。おかみさんから聞きましたよーいじらしいなー」

「おじさんは嬉しい。あの男勝りのミーファちゃんが可愛らしい服なんて……。そんな姿を見せてあげた幸せな男って、いったい誰なんだろうね」

「ち、ちが……」

 

 何か良くないことが起きている。歴戦の勇者たるオレをして、いまわかることはそれだけだった。思わず、助けを求めるように、ユシドに視線をやってしまう。

 やつは自分に刃が向かないよう、つとめて存在感を消そうとしていた。

 おい! お前からも弁明しろ! こっちは若いお前の繊細な心を思って否定しているんだぞ!

 

「……デイジーちゃん」

「ティーダさん……」

 

 ふたりは互いの片手を振り抜き叩き合わせ、パアンと明朗な音を鳴らした。いつの間に仲良くなったんだ?

 

「あっちの席でお話しようぜ」

「そうですね! これまでの旅の話とか聞きたいです」

 

 椅子を立ち、ここから一番離れた席へと二人は移動してしまった。

 そっと片目をひらいてこちらをうかがうユシドを、目を剥いて睨みつける。

 オレとユシドは、その……家族みたいなものだ。男女のあれではない。お前がちゃんと否定しろ、お前が!

 

 

 

 

 朝日はすでに高く昇り、窓からその光を差し入れている。

 部屋で装備を整える。昨夜のうちに状態は確認しているため、防具などをしっかりと身に着けていく。今日は必要のない備えかもしれないが。

 思えば、戦うための姿になるのは久しぶりだ。身体もなまっているかもしれない。

 ……なんてな。ユシドは、自分ばかりが修行して強くなっていると思っているかもしれないが、そういうわけでもない。簡単に追い抜かれたら立場がないからな。

 

 支度が済んだ。

 部屋を出て、おかみさんと旦那さんにあいさつをする。気楽にやってきなさいとアドバイスされた。自分も、それが良いと思う。

 そのまま食堂に寄る。そこにはユシドと、デイジーさんの姿があった。闘技場で落ち合うつもりだったが、わざわざ迎えに来てくれたらしい。デイジーさんは何の用事だろう。今朝から仕事でも入れたのだろうか。

 

「ユシドさん。これ、是非持って行ってください」

「ええ、うわあっ、いいんですか? ありがとうございます!」

 

 ユシドはデイジーさんから、何かのつつみを受け取っていた。

 なんだろう? 顔見知りのよしみで餞別をくれたのかな。いやそれとも、以前助けに来たことへのお礼とか?

 ユシドはつつみの中を覗き、大仰に喜んでいた。

 ……ふうん、嬉しいんだ。オレがチンケな髪紐をくれてやったときは、あんな風に大きく喜んでみせなかったけどな。

 女の子からプレゼントをもらうなんてやるじゃないか。そろそろ異性にアプローチされてもおかしくない年頃だし、いいんじゃないの。デイジーさん可愛いし。あんな娘がいたらいいなって思うよ。お前になんかもったいないくらいの良い娘さんだよ。

 

「……ねえ、ミーファさんってば」

「えっ? うひゃっ、なんですか!?」

「ミーファさんこそ……なあに、あらあら、もしかして」

 

 もしかして、なんだ。デイジーさんの表情は見たことがある。それはたしか、ティーダがよくオレ達の前でする顔で。

 

「かーっ、可愛いんだからなあ。そんな風に嫉妬しないで? ミーファさんの分だってもちろんあるわ」

「嫉妬って……」

 

 デイジーさんが手渡してくれる紙袋を受け取る。中を見てもいいかと聞こうとして顔を見上げると、口に出す前に頷いてくれた。失礼して拝見する。

 中には、パンなどの軽食や、焼き菓子が詰め込まれていた。いいにおいがする。

 お昼ご飯だ。デイジーさんが手ずから作ってくれたのだという。さすがに嬉しくて、思わず顔が緩んでしまう。

 

「ありがとう、デイジーさん。……わたしの分がないかと思って、ユシドに嫉妬しちゃったみたいです」

「ふふ」

 

 デイジーさんがうすく笑い、可愛らしいつくりの小さな顔をこちらに近づけてきた。

 耳元で、小声でささやかれる。そうされるのは苦手だから、身体がぞくりと反応してしまう。

 

「嘘つきなミーファさん。ほんとは彼が喜んでるところを見て、私に嫉妬したんでしょ?」

「そ、そんな。そんな失敬なこと考えませんよ」

「そっか。自分じゃわからないんだなー、顔に出るタイプなのに」

 

 デイジーさんはオレをからかうように、意味深な言い方をふりまいて笑う。むむ、年の功だけが強みの男が、こんな若い子に弄ばれるとは。

 女性という人たちにはどうも、いくら歳をとっても敵わない気がする。

 

「ふたりとも、応援してるからね。あ、これ、ティーダさんにも渡しておいてほしいです」

 

 やけにつやつやした笑顔のデイジーさんに激励され、オリトリ亭から送り出してもらう。

 向かうのはバルイーマの聖地であるところの、大闘技場。

 今日は戦いの前段階――メンセツ試験だ。

 

 

 目的の場所へ向かうにつれて、人々の密集度が増していく。

 闘技祭の本格的な開始は今日ではない。だというのに、既に街の様子は、祭のさなかそのものだった。

 

「ユシド、おいで」

「わ、ちょっと、あの」

 

 はぐれないように、やつの手を引いてやる。田舎者に、都会のお祭りの人混みは厳しいだろう。まあオレも同じ町出身なんだけど。

 

「参加者の方はこちらの門を通ってください。見物の方たちは、本日のところはご遠慮くださーい」

 

 誰かの張り上げた大きな声を耳で捉え、そこへ歩を進める。

 そこは、たしかに、例えるならば“門”といえるかもしれない。

 大闘技場の前にある広い通路。そこに、厚い布幕と鉄の骨組みで建てた、仮の屋根がいくつもある。中には数人が常駐し、列をなして押しよせる参加者たちに短く話しかけ、何かを手渡すという作業をしている。

 良いたとえが浮かんだ。これはまるで、関所のようだ。

 様子を見た感じ、あれが大会の受付所ということだろうか。なるほど、これだけの数を絞るのに、いちいち戦わせるのは時間の効率が悪い。振り落すために変な審査があるのもわかる。

 屈強な男たちが列をなし、大会運営側の者たちと思しき若い衆に指示され、やたらと綺麗に並んでいる様子は、なんとも面白い。ここでしか見られない光景かもしれないな。

 ひとまず、首と目を動かして、彼がいないかどうか探してみる。

 

「おっす、お二人さん……え? あ、いや。とにかくおっす」

 

 すでに来ていたらしいティーダが、オレ達を見つけて声をかけてくれた。

 デイジーさんの頼みを思い出し、手に提げていたつつみを渡そうとして……やつの視線が、オレとユシドの繋いだ手に向けられていることに気付く。

 別に恥ずかしいことなど何もないが、ティーダの、ふくみのあるような反応が腹立たしい。どちらからともなく、オレ達は互いの手を離した。

 ティーダが何故か、残念そうなツラをした。なんなんだあんたは。

 

 少しの会話をしたあと、3人で縦一列になり、行列に追従していく。

 受付所では、面接試験をひとりひとり行う旨を説明され、小さな紙片を手渡された。それには『ハ』と一文字だけ書いてある。

 我々は複数の試験会場に分かれ、そこで面接官と顔を突き合わせることになるという。

 

 札と人の波を見比べながら、巨大な円形をした闘技場の壁周りを、うろうろと歩く。

 やがて、一致する文字の書かれた看板を掲げている青年を見つけた。その列に並び、各々の会場を探しにいく2人に手を振った。

 列はゆっくりと、しかし着実に進んでいく。

 ……どうやら、試験の会場が見えてきた。

 コロシアムの壁に沿って雑に設営された、カーテンに区切られた小さな区画。あれはそう、軍勢が戦争をする場なんかに設置する、野営地みたいな感じだ。近づけば中の声は簡単に聞こえそう。

 思ったより早いペースで、中にひとりずつ、武器をかついだやつらが自信ありげに入っていく。出口は反対側にあるようだ。

 列が進むにつれ、喜びの雄叫びや、悲しみの暗い顔とすれ違う。試験を終えた者たちだろうが、たいして汗もかいていない。こんな光景が武闘大会の一幕とは、印象と違っていておかしな話だ。

 ……そんな、刃を交えてもいないのに一喜一憂する参加者たちを、ここまで微妙にバカにしていたオレだが。

 どうしよう。緊張してきた。メンセツってよく考えたら経験がなさすぎる。自分の印象を良く見せつつ強さをアピール……? 王族に謁見したときの態度とか思い出せばいいのか?

 オレの二つ前の青年が幕の中へ入る。

 くぐもった声がいくつか聞こえる。そのあと、気合のこもった掛け声がひとつ轟いていた。なんだろう。やはり技のひとつでも見せたりするのか、闘技大会だものな。

 

「次の方、どうぞ」

 

 いよいよ、自分の番が来た。

 息をのみ、深呼吸をして、中へ足を踏み入れた。

 中にはふたりの男性が座っている。いつになく強張る脚を動かし、彼らの正面に立つ。

 ひとりは知らない青年だ。もうひとりの青年は……

 

「おやっ。すごい美人さんだと思ったら、ミーファちゃんじゃないか」

「アジさん。なぜここに?」

 

 オリトリ亭の夜の常連客、アジ青年がそこに腰掛けていた。

 そこにいるということは、もしや試験官は彼なのか? 見慣れた知人の登場に、緊張がややほぐれる。

 

「街の人手の一部はこの時期、こうやって運営委員会のスタッフに駆り出されてるのさ。これも地域付きあいのひとつだよ」

「はは。そんな適当な感じで、闘士たちを選別するんですか?」

「適当にはやらないよ。俺も、そこの彼も、過去に闘士としていいところまで行ったからさ。人を見る目は自信あるんだ」

 

 ふむ。

 歩き方やしぐさから、クーターさんともども、そこそこやるようだとは思っていたが。

 しかし戦える者が、相手の実力を見抜く目を持っているかどうかは、また別だと思うな。彼らを軽んじるわけではないが。

 

「では、試験を始めます」

 

 もう一人の青年が告げる。それに伴って、アジさんの顔から、慣れ親しんだ客としての表情が失せた。それで、緊張が戻ってくる。

 二人が顔を見合わせる。どんな質問が飛んでくるか身構えながら、オレはアジさんの口が、ゆっくりと開くのを見守った。

 

「可愛いから合格」

「異議なし」

「………」

 

 脱力する。

 いいのか? これでいいのか? オレは勇者だぞ。もっとこう……いっぱい必殺技とかあるのに。

 

「ミーファちゃんの実力ならもう知ってるよ。俺らのあいだでも噂になってる。大会を盛り上げてくれて、かつ倫理観や規範意識はまともか、という基準はクリアしているはずだ」

「強さのアピールとかしなくていいんです?」

 

 腰の鞘を指でトントンと叩く。

 かすかに反応が返ってきた。イガシキは、今日は起きているらしい。

 

「そうだなあ。じゃあ何か技見せてよ。この前見せたあれ、絶対盛り上がる」

「いいなあ、僕も見たい。ミーファさん、お願いできますか?」

「ええ、もちろん」

 

 にっと笑って見せる。せっかくここまでやって来たんだ。カッコよく決めてから、彼らの腰を抜かせてやったのだと、ユシドに自慢しよう。

 アジさんが席を立つ。何やら自身の後ろを探り、腕に、大きなものを運んできた。

 目の前にそれが立たされる。……どうやら、訓練用の木偶人形だ。

 

「それ、加工に魔法術が使われててめちゃくちゃ頑丈だから、思い切りやっていいよ」

「思い切り? ほんとうに?」

「おうとも。まあもう合格だから、適当でいいよ」

「なら、お二人とも、少し離れて」

 

 ずらりと、鋼鉄の剣を抜く。

 空を見上げる。幕で区切られたこの小さな試験場に、しかし屋根はない。上空の雲が丸見えだった。

 白雲を指さす。つられて、ふたりがそこを見上げた。

 指から、雷が走る。

 

「おおっ、雷使い」

 

 声をあげるのは早いぞ、アジ青年。

 雲に突き刺さったオレの魔力は、それを黒く作り変えていく。

 ごろごろと不穏な音がしたなら、あとはそれを、呼び寄せるだけ。

 ――ぱっと空が光る。轟音が世界を切り裂いた。

 

「うわああっ!!??」

「な、なんだ、これは」

 

 しめしめ、驚いているな。

 オレは紫電に輝く剣を握り、木偶人形に向かい合う。

 ……そういえば、周囲にはたくさん人がいるな。この人形に技を撃ったとして、周りに被害が飛んだりしないだろうか。

 剣を上段に構えた状態で、しばし思案する。

 やめた方が良いな。

 いま放とうとしていた、雷神剣・紫電一閃と名付けた魔法剣は、膨大な力で魔物の肉体を内から崩壊せしめるものであり、巨大な斬撃でもある。小さな人型に向けたことはなく、この後の想像があまりできない。

 オレは技をとりやめ、慎重に、雷のエネルギーを霧散させていった。

 剣を鞘にしまう。わずかに刀身に残った自然現象の雷は、イガシキがたまにこっそり食ったりしているのを、知っている。人の魔力より自然の力が好きらしい。

 ふう、と一息ついて、二人の方を見る。

 髪がめちゃくちゃに逆立っていた。雷がそっちにちょっといっちゃったのかな。

 

「合格でいいですか、アジさん」

「あ? あ、ああ。そりゃもう。……ここ天国じゃないよな? まだ生きてるよな俺」

 

 ちょっとやりすぎたな。雷が間近に落ちる恐怖など、自分は忘れてしまっているが、余人にとってはそうではない。

 調子に乗ってしまった。……段々と、後悔が押し寄せてくる。

 “ミーファ”になってから、オレは忘れがちだ。自分が何者なのかを。

 嫌だな。せっかく常連客として知り合った、気の良い彼から……化け物などと、呼ばれるのは。

 

「ミーファちゃん……あんた、すっげえよ。ファン1号を名乗っていいかい?」

「あっ! ズルいアジさん! 僕も最推しです、ミーファさん!」

「え?」

 

 しばし茫然としていた様子だった彼らは、しかし。

 目を輝かせて、こちらへ詰め寄ってきた。

 ……杞憂、だったか。いや、そんな言葉を使う場面じゃない。

 正直。彼らのその、少年のようなまなざしが、嬉しい。

 

「……ファン1号は、デイジーさんが名乗っていますので」

 

 笑顔で、言葉を返す。

 バルイーマの闘技大会。きっと自分は、思いっきり、やろう。それができる舞台を与えてくれた彼らに、感謝すら覚えた。

 ……ところで、最推しってどういう意味? 都会の若者言葉?

 

 

 仮設営された小さな会場を出て、闘技場の周りをうろつく。

 ユシドやティーダはうまくやっただろうか。門のところにいれば、落ちあえるかな。

 

「ぎゃあああ!? 試験場が、竜巻でーーっ!?」

「な……なんだ? 地震か!?」

「なあ、今日やけに暑くないか?」

「あら? ここだけ雨ふったのかしら。ねえ、なんでこんなに水浸しなの?」

「いやそんなことより、さっきものすごく近くで雷が落ちたのを見たかい」

 

 あちこちから、人々の困惑の声が聞こえる。オレでもわかる濃密な魔力の残り香に、鞘が震えている。

 巨大な闘技場を見上げる。コロッセオとも呼ばれるその聖地の上には、暗雲が立ち込めていた。

 ああ、これは別に、不穏な未来を暗示しているとかそういうことではなく、オレが雷雲をつくった影響だと思う。

 だが。

 ――どうやらこの大会、一筋縄ではいかない。それはきっと、間違いないだろう。

 

 



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18. 予選 その1

「うーわ。広いなあ」

 

 観客席へと足を踏み入れたオレは、そこから見下ろす舞台の広さに感嘆していた。

 円形の建造物であるこの大闘技場は、中心には闘士たちが武器をぶつけあうための広いステージがある。これもまた円形をしているが、二人が戦うにしては広すぎる。複数人による乱戦も可能だろう。

 そのステージを取り囲むように、高い壁がある。その上に階段状に観客席がいくつも設けられており、ここから人々は戦いを見渡すことができる。

 しかしこれ、危険ではないかな。オレが拙い雷術など撃とうものなら、客席に電撃が飛び込むことになるが。

 

「大丈夫よ。ほら、魔法障壁が張ってあるから」

 

 デイジーさんの言葉に、目を凝らす。

 わからなかったので、ぴっと指から電撃を出してみた。光の道は不規則な軌道で伸びていき……やがて、途中で行き止まりになった。

 魔法術が見事に遮断されている。透明なバリアの内側には何の影響もないようだ。この規模ならば、内側からこちらへ及ぶかもしれない危険も、ちゃんと阻まれるだろう。

 

「街の魔導師が総出で作り上げる大結界なんだよ。こういう術が、バルイーマが魔物に負けない強さの秘密のひとつなんだ」

「へえ……」

 

 協力して発動させる術か。それはいい。

 人々の結束の力が、オレのような個人の攻撃をものともせず撥ね退ける。いいことではないか。自分が勇者だと、他人との力の差を傲慢に考えがちだが、人間というのは実は強い生き物だ。群れることを力に変えることができる。

 ひとしきり感心したら、手元の紙片と席を見比べながら歩いている、デイジーさんの後をついていく。

 周りを見ると、どうやらぞろぞろと人が集まり始めている。予選の開始まではまだ時間があるが、誰も彼も待ちきれない様子だ。

 このショーのチケットはなかなか倍率が高く、簡単には手に入らないらしい。完全にひとつの商売だなこれは。

 

「ここだ。ここでおかみさんたちと見ているわ。ファンサービスよろしく、ミーファさん」

「ふぁんさ……? 何をすれば?」

「投げキッスとか……」

「ええ。ちょっとそれは」

 

 大会が始まるまで、こうして他愛ない会話をする。

 このあとには予選の第1試合が始まる。それまではこうして、雰囲気を楽しもう。

 

 

 

 

 運営員の指示に従い、僕は猛者たちとともに戦場の入り口に控える。

 そこから舞台をのぞくと、陽光とともに、大勢の人々のざわめきが入ってくる。こんな都会の人たちの前で腕を披露するなんて、うまくやれるだろうか。緊張してきた。

 震える手で腰の剣に手を置く。すると、剣がわずかに魔力の波を返してきて、腕を弾こうとしてきた。情けない手で触るな、ということらしい。

 少し楽になった。彼なら当然、周りに何人いようが、緊張などしないだろう。僕も勇者として立つならば、そこはならうべきだ。

 

 予選に参加する闘士は総勢60人。彼らは4つのブロックに無作為に分けられ、15人で一斉に勝負を争うことになる。生き残れるのは2人まで。これを勝ち抜いた8人が、決勝のトーナメントに進出できる。

 その一戦目に参加する、残りの14名をこっそりと眺める。

 面接の試験をくぐりぬけた彼らは、試験官のお眼鏡にかなっただけあって、張りつめた空気を身に纏っている。魔法術を扱いそうな格好の人もいるし、徒手空拳の武闘家らしき人もいる。大抵は武器を手にしているが、相手を殺害してはいけないルールを考えると、刃をつぶしたり、工夫して扱うのだろう。僕も刃のある側で斬りつけるつもりはないし、切断力のある強い術は使わない。

 そんな、人間相手という縛りのある中で、魔物ばかり相手にしてきた自分は、勝ち抜くことができるだろうか。

 

『さあ! いよいよ予選1戦目の闘士たちの入場です!』 

「うわっ」

 

 先ほどから時折、会場の観客たちに呼びかける非常に大きな声が、会場中にびりびりと響き渡っている。声を大きくして届ける術……なんてものが、今はあるのだろうか。興味がある。

 周りの闘士たちが動き出す。気持ちを切り替えて、僕もまた、彼らに続いた。

 入り口をくぐると、全身が人々の歓声にさらされる。

 うわあ。これで緊張するなというのは、正直無理だ。普段の自分のようにはいかないと思う。

 かちこちに固まる腕と足を動かして、なんとか武闘台にあがる。

 

『ご存知の通り、予選は彼ら15人によるバトルロイヤルです。気絶するか、武闘台の外に足をつけてから10カウント経つと失格となります。生き残れるのはこの中の2名のみ!』

 

 指示に従い、適当にふられた開始位置につく。……僕の立つ場所は、舞台の外側に近い。ルールを考えると少し不利かもしれないな。

 剣を抜く。他の参加者たちがどのような技を使うのか情報がない。ひとまず、自分の身を守る方針でいこう。

 大きな声が人々に呼びかけ、試合開始へのカウントダウンが始まる。まずい、深呼吸だ。柔らかくいこう。そう思っても、加熱する歓声に飲み込まれて、動悸がおさまらない。

 自分の心が助けを求めてしまっているのか、何かを探して視線をさまよわせる。

 ……闘士たちの入場口。そこで、ミーファが僕のことを見ていた。

 そうだ。ここまで自分が来た理由を思い出せ。こんなところで負けていいのか?

 いいはずがない。

 

『試合開始!!』

 

 足の震えを無視して、前へ進む。やるんだユシド。きっと今こそがお前の人生の、一番の頑張りどころだぞ。

 戦いが始まり、自分と同時に、他の参加者たちも動き出す。

 舞台の端側にいた者たちは、リングアウトを恐れて自然と中心へ集まる。僕もまたそうだ。

 そうするとやはり、すでに中側へ配置されていた人と、ぶつかりあうことになる。

 対面には、筋骨隆々の徒手空拳の男性がいた。武闘家に違いない、剣を持つ僕の方が、リーチの上で有利だ。

 彼と視線が合う。互いに戦うべき相手を認識したなら、合図は必要ない。剣を裏返しにして普段とは逆に持ち、正面からまっすぐに駆けていく。

 

「甘いぞ、少年!」

「!?」

 

 武闘家だと思っていた彼は、手のひらを突き出してきた。この距離で張り手を放っても何の意味もない。

 そう、それは、徒手空拳の攻撃ではなかった。敵の手から、水流がほとばしる!

 大量の水だ。身体が押し流されるのがわかる。このままでは舞台から退場させられてしまうだろう。

 そうはなるものか。

 剣を武闘台につきたて、風の障壁で身を守る。彼が水の術を使う魔導師なら、僕は負けるわけにはいかない。なぜならば、“水”には一度負けているからだ。

 水流にさらされながら、真っ直ぐに立つ。今度はもう、押されなかった。

 しかし彼の、ステージから相手を押し出す戦法は理に適っている。真似しよう。

 

「はっ!」

 

 水の魔力を切り裂く。相手の驚く顔が見えた。

 水禍の影響で脱力する身体に気合を入れ、地面を蹴る。カーブを描くように走り、彼との距離を詰める。

 散発的に繰り出される水の攻撃を避け、懐までもぐりこんだ。風の魔力を剣に込める。

 ――もらった!

 

「横やりして悪いな」

 

 男を吹き飛ばそうとしたときだった。

 自分のものでも、相手のものでもない声。咄嗟に剣の魔力を、違う方向に向けて噴射し、無理やり飛びのく。

 武闘家のような魔導師の男は、突然現れたより武闘家らしい男性の強烈な蹴りをくらい、吹き飛ばされてしまった。

 すさまじい威力だ。気絶。それを免れても、痛みで動けず場外負け。そんな想像が頭に浮かぶ。かわせてよかった。

 

「ちぇっ、勘が良いな」

 

 拳を構える青年は、そうは言うが、途中で声をかけてこなければ避けられなかっただろう。せめてもの騎士道精神といったところだろうか。

 しかし、彼の戦法にもまた学ぶところがある。誰かと誰かが戦っているときこそ、一番の隙があるといえるかもしれない。これからは警戒しなければ。

 もちろん今もだ。感覚を彼一人に集中させるのではなく、もっと周りを見渡すようにする。

 すると、この血なまぐさいような空間に似つかわしくない、透き通るような高い声が、耳をふるわせた。

 思わず、そちらを見る。

 

「あなたっ! わたくしとの勝負を途中で投げ出すなんて、どういうつもりですの!」

「げ、領主のお嬢か……きみ、相手はまかせた、ぞ!」

「いたあっ!?」

 

 ……やられたっ! 咄嗟に剣で守ってダメージは薄いが、強烈な蹴りで弾き飛ばされた。

 受け身を取らなければ――

 

「きゃっ!?」

 

 硬い地面に叩きつけられるはずが、柔らかい何かに受け止められた。

 うつぶせの状態から、腕を柱にして立ち上がる。

 ……腕の間には、女の子の顔があった。

 

「いやあ!! けだものっ!?」

「ギョワーーーッ!!??」

 

 悲鳴をあげられ、飛びのく。い、いまの柔らかい感触は、まさか……。

 頭を振る。

 

「あ、あなた。殿方に組み伏せられるなんて、初めてですわ……覚悟しなさい、責任を取らせますッ!」

「いや……! さっきの彼が……!」

 

 みっともなく言い訳をしようとすると、少女は分厚い剣を振りかぶり、斬りかかってきた。

 速い! 躱すことはできず、剣で受け止める。

 重い剣だ。相手の少女は、その、かなりの美少女だった。金の長い髪と勝ち気な目つきは、僕の好きなひとに少し似ている。

 そして、そんな少女の細い身体のどこに、こんな膂力が秘められているんだ……!?

 防戦の姿勢で受け止めたこともあり、このままでは押し負けると判断する。

 僕は自身の魔力を剣に流し込み、突風として解き放った。相手の剣を弾くことに成功し、距離が開く。この隙に体勢を整える。

 剣を崩された少女は、対面で身体を震わせていた。怒りを買ったか……? 謝りたいが、それはこの試合の後に――

 

「あなたっ! もしかして“魔法剣士”なの!?」

「えっ」

 

 音がつきそうなほど眩しい笑顔と、爛々と光る眼で、同い年くらいのその少女は話しかけてきた。

 今にもよそから流れ魔法術でも飛んで来そうで、会話などしている場合ではないのだが。

 

「そうですけど」

「すごいわ、すごいわ! 本物が参加しているなんて……!」

「あ! うしろ!」

 

 少女の後方、ちょうど背後から大男が吹き飛ばされてきている。つい、庇うように近づいてしまった。

 とはいえ間に合わず。ふたりして、弾き飛ばされるはめになる。

 今度はせめて、彼女をクッションになどしてはなるまい。そう考え、風の魔法術で姿勢を制御し、ダメージのないように優しく接地する。

 

「ふう……あっ」

 

 今度は、さっきとは逆に、少女の顔が僕の真上にあった。

 乱暴に突き飛ばすわけにもいかず、固まってしまう。

 少女が目を開く。突き飛ばせないとはいっても、逃げなければ彼女にやられる。どうしたものか考えを巡らせ、身じろぎしようとした。

 しかし。彼女は何を考えているのか、ずいと顔を近づけてきた。ち、ちかい……!

 

「ねえっ、あなた、お名前は?」

「へ? ゆ、ユシド、ですが……」

「ユシド様。わたくしと手を組みましょう!」

 

 彼女は立ち上がり、僕の手を引っ張ってきた。それで立ち上がると、妙な体勢になってしまう。何だこの子、破天荒な。

 いや。今何と言った?

 

「わたくしはルビーと言います。ここは共闘して、ふたりで勝ち抜きませんこと?」

 

 共闘。ありなのか、それは。

 ルール上問題がないなら……非常にいいアイデアかもしれない。2人が生き残れる仕様を考えると、誰かと手を組むのはベストな選択肢な気がする。

 周りから刺される前に判断し、彼女の話に乗ることにした。返答すると、彼女はまぶしい表情をさらにほころばせる。

 とはいえ、初対面の相手と連携など望むべくもない。二人がかりで一人を襲い、互いに援護しあうくらいか。……結構卑怯じゃないか?

 

「ユシド様は、風の魔法剣を扱うのでしょう?」

「は、はい」

「なら、武闘台の中心に行きましょう。そこからすべての参加者を、一気に吹き飛ばします」

 

 ……可能だ。みんなを場外に押し出して、風の結界でステージを覆ってしまえば、そこで勝ちは決まってしまう。

 いいのかなそんなことして。客からひんしゅくを買ったりしないだろうか。

 

「さあ! いきますわよ!」

「あ、ちょっと……!」

 

 ルビーさんという人に、服をひっぱられる。この先導される感じ、誰かに似ている。

 体勢を整えて追従する。

 作戦は正しいように思えたが……しかし、舞台の中心は、激戦区だった。

 先ほど僕を蹴り飛ばしてくれた青年もいる。彼は、強い。

 やがて、彼我の攻撃圏内に足を踏み入れる。その瞬間、少女が僕より先に駆けだした。ならば援護役をやる必要がある。

 待ち構える青年は、殺到する僕たち二人を見て、顔をしかめた。

 

「げ、組みやがったか。ずりい」

 

 返す言葉もない。

 

「いいえ! あなたはわたくしひとりで倒します!」

 

 返す言葉、あったみたい。

 ルビーは片手で僕を制した。ならば、横やりが入らないかどうかを警戒する役をするべきだろう。共闘とはいっても、結局はこのような、いわば同盟の形になったか。

 どうやら彼女は、わりとプライドの高い人らしい。自分の実力が本物だと、この場所で示しに来たのだろう。

 僕も、そうだ。それを示したい相手がいる。

 時折飛んでくる魔法術をはじき返しながら、ふたりの戦いを見守る。

 名も知らない青年は、鍛え抜かれた肉体で戦う、ひたむきな強者といった印象だ。ああいった手合いは対人戦にも心得がある。難しい相手だ。

 対するルビーは剣士だ。やけに重厚で、かわったつくりをしている剣を両手で構えている。

 意匠が妙に複雑で、普通の剣には見えない。どこかのご令嬢のように見えるから、名のある剣を使っているのだろうか……?

 

「仕方ない、殴るぞ。はっ!」

 

 青年はしばし、ルビーの攻撃を避けるのに専念していたが、やがて攻めに転じた。言動から察するに、どうも手加減をしていたらしい。どこかのお嬢様を叩きのめすことなんて、僕も遠慮するだろう。

 でも、なんだろう。彼女相手に、手加減なんて、要らない気がするんだ。

 怒涛の拳が、蹴りが、少女に突き刺さる。剣の腹で受け止めてはいるようだが、武器使いと拳士では攻撃のスピードが違いすぎる。しのぎきれず、ルビーは徐々に追い込まれているように見える。ダメージが身体に蓄積しているだろう。それをただ見ている僕は、ずいぶんと薄情だ。

 ルビーが、剣を落とした。彼女を守るものはもうない。

 思わず駆け寄ろうとする。

 彼女がほんの一瞬、僕の目を見た。だから、足を止めた。

 

「すまんなお嬢、はあっ!!」

 

 大ぶりの拳が襲い掛かる。

 そのとき。僕の目には、彼女の動きがゆっくりと、優雅で美しく見えた。

 

「静ッッッ」

 

 最後の一撃だと思って隙が出てしまったその振り抜かれた腕を、最小限の動きで避け、伸びきった腕を絡めとる。

 そのまま相手の力を利用し、ルビーは自分より大柄な青年の身体を、投げ飛ばした。

 か、金持ちの護身術――!!

 投げられて隙のできた青年に、ルビーは落とした剣を拾い上げ、素早く近づいた。

 剣から――金の光が、迸っている。

 

「サンダーイグニッション!!」

 

 雷に打たれるような衝撃と音が、彼を襲った。

 倒れ伏す青年。しばらくは立てないだろう。それに背を向け、ルビーが戻ってくる。

 彼女が手の内の剣を振ると、柄の辺りから何か、筒状の小さな物体が飛び出し、地面に転がった。

 ……か、かっこいい。彼女、魔法剣士だったのか。なぜ僕なんかに声をかけてきたんだ?

 

「ユシド様、あとは派手に決めましょう!」

 

 にっこりと笑いながら、ルビーは何か小さい筒のようなものを取り出し、剣に空いた穴へ投入していた。あれは……?

 

「聞いてますの?」

「あ、ご、ごめん」

 

 ふたりで中心に立つ。狙いは参加者たちの一掃。身体からわきあがる風の魔力を、刀身に溜め込んでいく。

 剣が翠色に光る。

 背中に、誰かの背中が合わさった。

 

「風神剣ッ!」

「ウインドイグニッション!」

 

 巻き起こった風は、僕だけが起こしたものではなかった。

 背中合わせになった少女を振り返る。先ほどは雷、そして今のは、風。二種類の魔力を、このレベルで扱える魔法剣士がいたなんて。

 ……いや。彼女の手にしている剣。先ほどから観察していると、やはり普通の剣ではない。

 どこか意匠が似ている。たしか……グラナで出回っていた、機械の構造を利用して開発された武器に。カゲロウさんのつくった、穂先の回転する槍に。

 もしかして。機械、なのか?

 

「ユシド様。本物の魔法剣とくらべて、どうでした? わたくしの“魔砲剣”は」

 

 剣を見せつけながら話しかけてくるルビー。やはり、武器にからくりがあるのか。

 すごいと思う。先ほどの風の剣など、僕のものと遜色ないのではないか。

 

「いいえ、やはりまだまだ改良が必要ですわ。あなたの剣は参考になりました、ありがとう」

 

 一撃しか見せていないのだが、何か読み取られてしまったのだろうか。

 もし彼女と戦うことになったら、勝てるかどうか。

 

 竜巻が、晴れる。

 武闘台の上に立っているのは、僕と、彼女の、2人だけだった。

 

『栄えある決勝戦への参加者の第1号と2号が今! ここに決定いたしました! これからふたりの闘士に、インタビューを行います……』

「ユシド様」

 

 声が戦いの終わりを告げ、僕たちは歓声に包まれる。

 だから彼女の声はたぶん、僕にしか聞こえていない。

 

「きっとまたこの舞台で、剣を交えましょう」

「……ああ。きっと!」

 

 その名前と同じ、紅い宝石のような眼に見つめられ、僕は負けじと視線を返す。

 きっとこんなふうに、熱い戦いが何度も、この大会ではあるんだ。これはその一幕にすぎない。でもそれでいて、貴重な出会いだった。

 僕たちは再戦を期待し、互いに握手を交わした。

 

 

 

「いやあ、共闘とは賢いねえ。よかったなミーファちゃん、ユシド君は勝ったぞ。……ミーファちゃん? ヒエッ……」

 

 戦士たちが控える、闘技場の入り口付近。

 そこに、まるで怒気のように鋭い雷の火花が、静かに弾けていた。

 

「なんだァ……? あの可愛い娘っ子は……」

 

 なぜ少女はそんなに、不機嫌な獣のような、あるいは魔物のような表情に、顔を染めているのか?

 それは周りで冷や汗を流す闘士たちにも、当の本人にも、わかっていなかった。

 とりあえずティーダは逃げた。からかってはいけないタイミングも、ある。

 

 



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19. 予選 その2

 第1戦の勝者である二人が、舞台の袖へともどってくる。

 先ほどしのぎを削っていた金の髪がきれいな少女は、ユシドとひとしきり笑い合い、そのままどこかへ出ていった。

 ……あの娘さんが、あいつと仲良くしているのを見ると、なんだろうな。あまり愉快ではない。

 理由は……そうだな。闘技を争う大会なのだから、あまりああいうふうに馴れあうものじゃない、と思う。少し距離が近すぎるんじゃないのか? 剣の腕は達者なようだが、それだけで心を開いてしまうのはどうなんだ。

 たしかに、初対面にしては、最後の背中合わせの連携など、よくやれていた。それにあの少女、明るく器量よしで腕もいい、前世のオレなら口説いていたかもってくらいだ。

 でも、ユシドの背中にいるべきなのは……ユシドには、もっと……

 

 ……今、オレは、何を考えようとしたのだろう。彼を見守る者として、あるまじき過干渉だ。

 これ以上はよくない。試合に集中できなくなりそうだ。

 

 会場に、次の試合がアナウンスされ、人々が歓声をあげる。

 第2戦が始まるらしい。せっかくだからオリトリ亭のみんなに、良いところくらい見せないとな。

 ぞろぞろと入場していく戦士たちの後ろについていく。

 試合を終えたユシドが、それを見ていた。すれ違いざまに声をかけられる。

 

「えっと……頑張って!」

 

 語彙に乏しいやつだ、と苦笑する。柔らかい表情と気楽な態度は、きっと、オレの勝利を微塵も疑っていないのだろうと思わせる。それくらいの気持ちでいるのが、ちょうどいいかもしれないな。

 少し、足を止める。

 ユシドが握手をしていたのは……右手、だったかな。

 オレは彼の右手をとり、自分の手で、固く握った。

 

「頑張ってくるよ、少年。見ていてほしい」

「う、うん」

 

 気が済んだ。

 では行こう。

 

 大闘技場の歴史は古い。この円形のコロッセオは、オレが生きていたときよりもさらに以前からあったものだという。

 しかしここで行われるのは、人間と人間の戦いだ。我ら勇者の敵はいつの世も魔物であり、オレ自身も人からほんの少しだけ外れている。だからあまり、興味がなかった。

 だが今回は、こんな催しものにユシドが参加したいと言った。思えば目立ちたがりでもなく、欲深くもないあいつが、なぜここに参加したいと意見してきたのだろう。

 きっと、やりたいことがあるんだ。

 

『では……試合開始の合図まで、10カウント!』

 

 ならばそれを見届けるのが、自分の務めだ。

 ユシドが勝ち上がったのならば、オレもそうしよう。できる限り近くで、彼を見ていたいんだ。

 腰の剣に手を添える。

 

『試合開始ィイーーーッ!!!』

 

 人々の歓声とともに、鋼鉄を抜き放とうとした。

 あれ? 抜けん。

 

「可愛い嬢ちゃんだなあ! 悪いが一抜けしてもらうぜえー!!」

「おおう」

 

 巨漢の振ってきた腕を適当にかわす。彼は、そう怖い相手じゃないな。フィジカルには目を見張るものがあるが、こちらが小柄だからか少し避けやすい。

 しかしこいつ。大事な時に居眠りかましやがって。……まあ、予選くらい、剣無しでちょうどいいハンデかもしれないな。相手に失礼ではあるが。

 相手のマッチョは腕を繰り出し続ける。攻撃の隙を探して、紙一重でかわしていく。

 魔法術で、倒すしかないか。

 彼のような武闘家にとって、我々魔法術使いは卑怯者に見えるのかもしれないが、使えるものをわざと制限するというのも失礼な話だ。まあ剣は今だけは仕方ないとして。

 魔物をひねり殺しかねないようなその肉体、間違いなく今世のオレよりは鍛えている。そちらが鍛錬のたまものを駆使しているのだから、こちらも、あまり加減はできんぞ。

 

「この!」

 

 彼はいま、焦れて大雑把な動きをした。人間同士の戦いではここが勝敗の分け目となる。

 腕の下をくぐり抜け、素肌を露出している足首に手を添える。そこから、痺れる電撃を送り込んだ。

 

「えい」

「ぬおおお!?」

 

 大柄の彼が膝をつくと、ようやく目線が並ぶくらいになった。

 さて、どうするか。雷術は人間を気絶させるのに向いていると聞くが、試したことはない。

 ちょうどいい。やってみよう、これも経験だ。……先代雷の彼女は、聖女のような顔をしておきながら、人を気絶させるのは大得意だった。倣おう。

 

「えい」

「むほおおおお!!??」

「こうか?」

「き、気持ちいい! そこそこ!!」

「ええ……? じゃあこれは?」

「あぎゃああああああ!!!」

「ん? 間違ったかな……。それ!」

「あっ」

 

 何度か攻撃箇所や加減を変えて試すと、男は白目を剥いて地面に沈んだ。

 触診する。死んではいないし、心臓は元気。彼が頑丈で良かった、勉強になったぞ。

 

「さて……」

 

 苦労して彼をステージの端まで引きずり、救護の手が届くようにしてやる。……ともすれば、引きずられたことによる擦り傷の方が酷いかもしれんと、いま気付いたが、まあいいだろ。

 ぱんぱんと手をはたき合わせて、周囲を探る。……やはり、乱戦状態だ。

 ふと、観客席のデイジーさんとおかみさんたちを見つけたので、手を振ってみた。なんか表情が微妙だ。はずしたか。

 

 腕を組んで考える。ややしゃがむと、頭の上を火の球が通り抜けていった。魔導師がいるらしい。

 このままみんなのつぶし合いを待ってもいいが、ちょっとつまらない。かと言って鼻息荒く勝ちを獲りにくのも、今日はいまいち気分じゃない。

 先ほどの、第一戦の顛末を思い出す。あまり気に入らないが、誰かと共闘すること自体は良いアイデアだ。

 強い魔力を発している人間を探して、武闘台の上を散歩する。

 やはりここまできた参加者たちには、それぞれ強みがある。オレが魔力、さっきの男が肉体ならば、洗練された武術であるとか、練り上げられた戦術であるとか、誰しも長所を持っている。我ら勇者が人類の中で最高の魔力を持っているとしても、簡単に勝てるとは限らない。

 実際、例えば前世で一時共に旅をしたハヤテ・ムラマサは、オレなど足元に及ばない剣の達人であった。本領は鍛冶の腕の方だったのだが。

 そういう技巧派の人物に声をかけてもいいが、武人という人種はこのような場では、誰かと手を組むことを嫌いそうだ。どうしようかな。

 

「ん」

 

 対面にまたひとり、闘士が現れた。

 フードで顔を隠しているが、オレよりもやや小柄だ。素肌をあまり露出せず厚着をしている。正体は読み取りづらいが、もしかしたらまだ幼い少年か少女かもしれない。自分の身の丈ほどもある大剣を背負い、こちらを警戒している。

 ……なんだ、この気配は。非常に強い魔力を感じる。おそらくこの子のものだ。

 まさか、勇者……?

 

「きみ、ちょっといいかい。ここはひとつ、手を組まないか?」

 

 声をかけてみる。どちらにせよ、おそらくこのブロックの参加者で一番魔力の濃い人物だ。……オレを上回っているかもしれない。

 手を組むのなら、彼以外にない。

 気さくな態度を心掛けたオレの提案に対し、相手は……手を、背の剣にかけた。

 

「おれに仲間など……必要ない!」

 

 巨大な刀身が降ってくる。重量を活かした縦斬りは、想定以上の攻撃速度だ――!

 身をひるがえす。すぐそこに大剣が叩きつけられ、舞台にひびを入れた。人を斬れないように刀身を布で厚く巻いているようだが、こんなものを脳天に喰らえば命はないぞ。適切な加減ができていないんじゃないか?

 スカウトは失敗だ。しかも、厄介な輩に目をつけられたことになる。応戦するしかない。

 地面に叩きつけられた大剣を見る。あの細腕で、これをまた持ち上げるのは簡単ではあるまい。その前に、武器を蹴とばしてしまえば。

 

「それに触るなッ!」

 

 少年は剣の持ち手を離し、回し蹴りを撃ってきた。腕でガードしたが、威力が強い!

 やつはそのまま再び、剣を持とうとする。おそらく横一線に斬るはず、跳んでかわせるか――?

 

「なっ!?」

 

 足が、なにかにすくわれる。

 水だ。少年が空いた片手で放った水流が、オレの姿勢を崩した。

 回避できない体勢。敵の剣が横薙ぎに振るわれる。オレは剣帯から、抜けない剣を鞘ごと外し、迫りくる刃を防いだ。

 ガンという衝撃。踏ん張ることも出来ずに、思い切り身体を吹き飛ばされる。

 場外に行く前に体勢をなんとか整える。ガードをしてもノーダメージとはいかない。今のは、腕が折れるかと思った。

 

『痛アアアッ!? ふざけるなよ小娘ェエーーッ!!!』

「あ、ごめん」

 

 鋼鉄のイガシキが、飛び起きてブチ切れるほどの威力らしい。悪いことをしたが、おかげで剣が使えるようになった。

 

『オレを使って防ぐな! あんなものはすべて避けろ!!』

 

 無茶を言う。

 相手のスタイルは、魔法と剣を使って攻めてくる、魔法戦士だ。体術も達者ときている。圧勝というわけにはいきそうもない。

 戦い方は、武器攻撃が主のように見える。ならばこちらは、魔法術で遠くから攻撃を仕掛けてみるか?

 

「しっ!」

 

 雷を投擲する。やつは真っ直ぐにこちらへ突っ込んでくる。

 ……水の膜が、雷の槍を弾いた。魔法障壁!

 

「うああっ!!」

 

 大剣に、鞘から抜いたこちらの剣を思い切り叩きつけ、剣閃をそらす。再び大重量のそれが、地面を叩き割る。

 水の障壁で雷の魔法術を弾くとは、すさまじい魔力だ。だが、いつまでも優位を取らせはしない。

 これならどうだ。オレは雷光を鋼鉄にまとわせ、少年に斬りかかる。魔法剣による気絶を狙う――!

 刃が迫る。自身の剣を振り切ったままの姿勢の少年は……しかし、その目で、オレを捉えていた。

 

「……『イラプション』」

「ぐっ! くそ……」

 

 何もない空間から水柱が立ち、オレと彼を阻む壁になる。

 無視して突っ込もうとしても、地面に対して角度をつけて出ているその水流は、思い切り身体を押してくるだろう。思わず後ずさり、距離をとった。

 相手は近距離にも遠距離にも強い。なら……。

 オレは術後の隙を期待し、剣に纏わせた雷を飛ばそうと、両手で構えた。中距離からの魔法剣。そこに、障壁を突破する威力を込める。

 間欠泉のごとき柱が消え、やがて水煙が晴れる。

 少年が、武器もない片腕を、思い切り振りかぶっていた。

 

「はああーーっ!!」

「おおおおッ!!」

 

 ――水の魔法術。

 それは多くの冒険者たちにとって、攻撃力の高い属性というイメージはない。飲み水を調達したり、身体を清潔にしたり、そういったことによく使われる印象だ。できることが多く、非常に利便性に優れることが特徴の術である。

 とはいえ、実は威力もすさまじいものがある。絞りに絞った水流で魔物を切り刻む魔導師を見たこともあるし、水の弾丸にも重い威力があるのを知っている。

 だが。

 彼のそれは、そのどれとも違っていた。

 これは、濁流だ。津波だ。押し寄せてくる大質量。こんなものを使われたら、武闘台の上は綺麗に洗い流されてしまう。

 前世で一度だけ、海を見た。まさにそれが目の前に、オレを飲み込もうと迫っている。

 あのトオモ村の魔物のように、湖の水を利用したのなら、まだわかる。

 やつは何もないところから、自分の魔力と、空気の中のわずかな水だけを元手に、これを生み出したということになる。あまりに規格外だ。

 水の壁が、迫ってくる。

 

 しかし、自分は何だ。

 前世のように風の勇者だったならば、もしかすると敵わなかったかもしれない。

 今は違う。このような困難に打ち流されることなどありえない。押し寄せる波を千々に切り裂いてこそ、雷の勇者――! 

 彼女がいたならば、きっと、そう言ったはずだ。

 

「雷神剣――ッ!!」

 

 使用する魔力量を上方修正。魔物の群れを焼滅せしめる金色の煌めきで、水禍に対抗する。

 巨大に伸長した雷の刃が、海を思わせる大津波にぶつかる。

 普通の雷と水が、こうしてぶつかることはきっとないのだろう。だがこれは、オレと彼の魔力の猛りだ。二色は拮抗し合い、びりびりと空間を揺らす。

 すさまじい力だ。だが……ここで負けたら、ちょっと、あとで、恥ずかしい。

 

「うあああああっ!!!」

 

 剣に力を込め、無理やりに刃を押す。

 ついにオレの剣は、水の壁を、切り開いた。

 

「!!」

 

 消しきれなかった波が、オレの周りだけを流していく。なんとか自分への被害だけ防げたようだ。

 ……今回はオレ一人の戦いだから、これでいい。だが、守るべき人が後ろにいるかもしれない場合を想像すると、ぞっとする。本来の雷の勇者ならば、水の属性相手にきっとこうはならない。オレも未熟だということか。

 思った以上の魔力の消耗に、片膝をつく。……まずいな、追撃が来たら、負けだ。

 剣を支えに立ち上がり、正面の敵を、見据える。

 少年もまた、雷の刃を受け、消耗していた。

 

「……わ、わたしの守りを……うぐっ!」

 

 彼は手で、自分の胸を押さえた。

 そこには一閃に、魔法剣が衣服を焼き切った跡がある。しまった、必死にやりすぎたか。あとで謝らなければ……

 

「お、お母さんから貰ったローブが……ぐ、く……うあああああッ!!」

「熱っ!?」

 

 熱い。

 身体にかかっていた水が、熱を発している。あたりを見渡すと、先の攻防で水浸しになったはずの舞台が、急速に乾いているように見える。

 蒸気が立ち込め、湿気と温度で闘技場の暑さが増している。その中心で、厚着をした少年が、ゆっくりと、大剣を持ち上げていた。

 

『試合そこまで!! 栄えある2名の勝者は……闘士ミーファと、闘士アーサー!!』

「へ?」

 

 進行の号令と、観客たちの声が、戦いの終わりを知らせていた。

 思わず周りを見渡す。……なるほど。あの津波と雷のせりあいで、巻き込まれた他の参加者たちは軒並みノックアウトされたらしい。当たり前の話だ。

 脱力し、尻もちをつく。ちらりと少年を見ると、さきほどあのように怒り狂っていたのが嘘のように、無言で大人しく剣を背負い直していた。

 

『では勝者へインタビューを……ああ、ちょっと!』

 

 声を無視して、少年はさっさと行ってしまった。不愛想な子だ。

 しかし、あれほどの魔法行使……もしや彼は、“水の勇者”ではないだろうか。声質からしてやはり少年の頃のようだが、あの若さで魔法術の規模は、ティーダのそれにも匹敵するレベルに思える。

 アーサー、といったか。目をつけておいた方がいいな。

 ……なんか、すでに嫌われたかもしれんけど。

 

『ええと……それでは! 勝利したミーファさんに一言、なにかコメント頂きましょうか』

「うん?」

 

 声が響き、やがて舞台にひとりの女性が上がってきた。

 彼女は小走りでこちらへやってきて、オレに筒のようなものをよこしてきた。立ち上がり、応対する。

 

『なにこれ? くれるんです……うわっ!』

 

 オレの声が拡大されて、闘技場中に響き渡った。みんなが笑う声がする。

 なんだこれは、新手のマジックアイテムか。とんだ恥をかいた。みんな田舎者だと思ってバカにしているだろうな。

 

『ではミーファさん、何か一言、観客の皆さんへ』

 

 筒を向けられる。なるほど、これに向かって話せということだな。もうとちらないぞ。

 えーと。……特にいうこともない。適当でいいか。

 

『えー。闘技場から歩いて少し。美味しい手料理と確かな目で選んだ酒、ふかふかのベッドがあなたをお待ちしております。“オリトリ亭”、オリトリ亭をよろしく』

『……はい! 宣伝でした!!』

 

 観衆たちの拍手に、愛想笑いを浮かべながら手を振り返しつつ、みんなを探す。

 おかみさんがぐっと親指を立てて見ていた。だんなさんは恥ずかしそうに顔を覆っていた。

 デイジーさんと目が合う。ふぁんさーびす、を期待しているようだった。

 ……ウインク、というジェスチャーがある。試しにデイジーさんに向かってやってみた。

 うまくいかず、両目をつぶってしまった。

 

 2戦目が終わり、オレは控えへと戻っていく。舞台の袖では、ユシドが待ってくれているのが見えた。

 ……あまりかっこいいところ、見せられなかったかな。それが少し、心残りだ。

 近付いていく中で、目が合ったので、もう一度あれを試してみる。

 やはり、両目をつぶってしまった。

 

 



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20. vs本物令嬢 

 バルイーマ闘技大会、予選第4回。

 これまでの試合によって、観客たちは高揚していた。次はどんな戦いが見られるのだろう。どんな闘士が新しく現れるのだろう。そんな気持ちを刺激され、舞台上の戦士たちひとりひとりを、誰もがつぶさに見ていた。

 しかしその期待は裏切られた。いや、期待の上を行ったともいえるかもしれない。

 ――第4試合は、ものの何秒かで終わってしまった。

 それは今、舞台中央に佇み、皆の視線を集めているローブ姿の女性が、舞台上のすべてを炎の海に変えたからだ。

 人々が見守る中、炎が、消える。

 参加者たちは全員ステージの外に逃れており、軽度のやけどを負っているものの死者はいない。だが10カウントの間、炎に巻かれた武闘台へ戻ることができず、ルールの上で彼らは失格となってしまった。

 すなわち、勝者はただひとり。

 

「うん?」

 

 灼熱を呼び起こしておきながら、自分だけ涼しげにしていたその女性が、ステージの一か所を注視する。

 そこにあったのは、石の壁だ。舞台から生物のごとく生えてきたように見えるそれは、人ひとりを隠す大きさ。

 それが灰になって崩れ落ちる。壁の向こうにいた赤い髪の男は、額から汗を流していた。それはなにも、炎熱にさらされたことだけが理由ではないのかもしれない。彼はここにいる人々の中では、魔力のこもった石壁をも焦がすその術の威力を、最も近くで目の当たりにした人間だ。

 

「ほう。我が炎をしのぐ者がいるとはな。やはりこの祭りに目をつけて正解だった……」

 

 妖艶な声で独り言をもらす女性を、ティーダは遠くから見る。

 あれほどの魔力を持つ人間など、勇者に選ばれないはずがない。十中八九“火の勇者”だろう。

 しかし。ティーダはこの女性のもつ雰囲気が、好きになれなかった。

 彼の知る2人の勇者は、守るべき人間を殺してしまわないよう、己の力を制限している。この繊細なコントロールこそが、勇者に選ばれたものにとって、自分たちが人間でいるという理性の光であり、心の砦だ。

 あれはそんなふうではない。焼き殺してもかまわないだろうという、怠惰や悪意の入り混じった魔力。参加者たちが大したケガもなく済んだのは、女性が緻密に加減を考えたのではなく、この舞台に立つ彼らが強者だったからだ。あの炎には理性などない。

 自分の力におぼれている者――そんな表現が、ティーダの脳裏に浮かぶ。

 

『だ、第4戦終了。生き残ったのは……闘士ティーダと、闘士ロピカ!』

 

 歓声はなく、戸惑うようなざわめきが闘技場を埋める。

 派手な戦闘を好むはずのバルイーマ市民たち。彼らもまた、この女性のふるまいに、ただならぬものを感じ取っているのかもしれない。

 

 早々に闘技場を去る女性にならい、ティーダもまた歩き出す。

 勝者のインタビューという雰囲気でもない。けが人の救護の邪魔にならぬよう足早に舞台を降りると、自然、先に降りた者の後ろをついていく形になる。

 女性は歩きながら、首だけで振り返った。笑みの刻まれた美しい横顔。長い髪の間から、目が見え隠れする。

 血のように紅い瞳が、ティーダを見返していた。

 

「ティーダさん、お疲れ様です。……もしやあの人、火の勇者でしょうか?」

「水っぽいやつもいるし、バルイーマに来たのは大正解かもしれないな」

「……ああ」

 

 舞台の脇に戻ると、少年少女が駆け寄ってくる。たたえるほどの健闘もなければ、話題はやはり例の魔導師の女性へと行きつく。3人が共有する大目的は、強者の中に隠れている勇者たちを見つけ出すことだからだ。

 無邪気に喜んでみせる仲間たちを見て、ティーダはやや悩む。

 正直、あの目つきは得体が知れない。まだミーファの戦った不愛想な少年の方が、人間らしい感情が見てとれた。

 目的のためには、どちらにも勇者であるかどうかを確認するべきだが……

 

「ふたりとも。さっきの女には、近づかない方が良い。試合で遭ったら降参しとけ」

 

 率直な意見としては、関わるべきではない。本能がそう警告している。

 それを聞き、2人は一瞬目を丸くしたあと、表情を真剣なものにした。だからティーダは、感じたことを伝える。

 

「彼女、どうにも性格が悪そうだ。殺害は禁じられているはずなのに、あれは殺しても構わないという威力の術だった。あれが勇者だというなら、“はずれ”だよ。どうやって面接通ったんだか」

「そうか。……そういう人間も、いるだろうな」

 

 大きな魔力を持つ人間のすべてが、人々を助けるために己の力を使うという高潔な精神を持っているかというと、そうではない。当然のことだ。

 ただ救世の儀式を成すのに必要な最高峰の魔力を持つ者を、人々が勇者と呼んだに過ぎない。ならば勇者に選ばれる人間にも、いろいろ種類があるというもの。

 そのような者と、共に使命を追いかける長い旅ができるかどうかは、難しいところだ。

 

「なに、対戦することになったら、少しこらしめてやるさ。改心するまでは引きずって聖地まで連れていってもいい」

「話してみないことには、本当にどんな人かはわからないし……」

 

 両者とも忠告に従う気はないようだ。ティーダは苦笑しつつ、各々に判断をまかせた。

 いざというときは、自分が間に割って入り、盾になればいい。それが此度の地の勇者の役目であると、彼は決めていた。

 

 闘士アーサーと闘士ロピカ。この2名を注意深く観察し、大会が終わって彼らが去るまでに、接触の機会をうかがう。

 そう方針を定め、3人はここまでの情報共有を終えた。

 

『これですべての予選が終了しました。栄えある8人の闘士によるトーナメントが、明日から行われます』

 

 拡大された声が闘技場に響く。

 3人は顔を見合わせる。気になるのは、明日以降の対戦表である。

 客席からはやし立てる声。どうやら対戦順がどこかに掲示されたようだ。見える位置を求めて、3人は客席への階段へと向かう。

 その途中、先ほどしのぎを削りあった闘士たちが、廊下の一部に集まっている。彼らはそろって、何かに注目しているようだ。

 背の高い男たちに遮られたその何かが気になったミーファは、ユシドの両肩に手を置き、しきりに跳躍を繰り返した。ユシドが迷惑そうに苦言をつぶやくが、その表情は誰が見ても、嫌がっているようには見えないだろう。

 

「お! 決戦の! トーナメント表! だ!」

 

 それは闘士たちに向けた対戦順の発表だった。掲示板に、8名の名前と、それらを結ぶ線が描かれている。

 汗臭い人の波を、気にせずかき分け、彼らは自分の名前を探した。

 

「……! なるほど、ね」

 

 それを確認したミーファは、隣に立つユシドの顔を見た。少年は、まるで待ち構えていたかのように、ミーファを見返している。

 

「できれば優勝を決めるところで戦いたかったが、まあいい。お前の力、見せてもらうぞ。初戦で負けてくれるな」

「ミーファ」

 

 師として声をかける少女に、少年は答えなかった。ただ静かに名前を呼び、逆に問いかけてくる。

 

「ミーファは、約束を覚えている?」

「約束……?」

「僕がきみに勝ったら、なんでもひとつ、言うことを聞いてくれるって」

「……ああ! 懐かしいな。おまえ、よくそんな昔のことを覚えているな」

 

 それはふたりが、まだ幼かったころに交わした、他愛もないお遊びの決めごとだ。少なくともミーファにとってはそうだったし、そんなことはとっくに忘れてしまっていた。

 しかし。少年の眼差しは昔を懐かしむものではなく、今目の前にいる者を見つめている。

 それを察したミーファは、不敵に睨み返した。

 

「……なんだ。まさかお前、このオレに勝つ気でいるのか?」

 

 言葉は返ってこない。

 だが、表情が語っている。少年の目的は、師を超えることなのだと。

 ミーファは背筋が震えるのを感じた。これは、歓喜の震えだ。その青い情熱に対し、師として、全力で迎え撃つことを決める。

 短い間、見つめあう二人。彼らはもう、互いのことしか見えていないようだった。

 

「いやあ。青春って感じで、いいな」

 

 ミーファ・ユシドとは反対の対戦ブロック。

 そこに例のアーサー、ロピカと横並びになっている自分の名前を見つけ、ティーダは人知れず嘆息した。

 

 

 

 

 ルビー・デ・エフニは、バルイーマの武器市場と自治を取り仕切る領主、エフニの一人娘である。

 エフニ氏は経営者として身を立てるすべを娘に学ばせながらも、荒事や武器開発には決して関わらせようとしなかった。まだ幼いということもあったし、ルビーをたいそう可愛がっていたからだ。

 それは親子にとってすれ違いだった。ルビーは父親をとても尊敬し、その成し遂げてきたことのすべてを学び取りたかったのだ。

 しかし父は、そうはさせなかった。彼女を血なまぐさいものから遠ざけ、私の探した後継者の妻になりなさい、と言った。その言葉が、ふたりの亀裂になった。

 親の探してきた人間と婚姻を結ぶことについては、とくに何もいうことはない。自分が気に入る男子であれば喜んで縁を受け入れることだろう。実のところ、人間の好みも親子で似ていることを自覚していた。

 だが、父の後継者は、自分だ。

 ルビーの人生において、そこだけが決して譲れない部分であった。何年かかっても、いかなる努力をもいとわない。偉大な父の仕事を継ぐのは、ルビー・デ・エフニである。いかな優秀な人間にも、それを明け渡すことはできない。

 静かな決意だった。

 

 ルビーは家のコネクションを用いて、十代の半ばという若さで小さな武器商を立ち上げた。父に自分の才覚を認めさせるためである。

 そしてそれは、実にうまくいった。当然だ。自分はあの父と、母の娘なのだから。

 当初、父とは口論になったが、斬新な手段を用いて市場に名を売りつつあるルビーの手腕は、やがて彼を認めさせつつあった。ひとつの目的の達成まで、もうわずかである。

 ルビー武具工房をバルイーマの大通りに建て、父の手がけた店と並び立つ。それができればきっと、父は己を後継者と認めてくれる。その後にだって、まだまだ学びたいことがあるのだ。

 ルビーという少女は今、大切な夢の途中にいた。

 

『ついに! 決勝トーナメントの、第一回戦が始まります! 現れたふたりの闘士は……』

 

 人々の声が、少女の意識を現在へ引き戻す。

 顔を上げる。思わず、もしかしたら見ているかもしれない、父の姿を探したりもした。

 

『西方。……ついに彼女がこの舞台へ来た! 戦う若社長、ルビー・デ・エフニ女史だ!!』

 

 家庭で鍛えられた社交的な笑顔を浮かべ、ルビーは観衆……自社の未来のお客様、ひとりひとりにあいさつをするように、周囲を見渡し、淑やかに手を振った。

 

『戦闘スタイルは伝統の“バルイーマ剣闘術”。手にする武器は……工房の新製品、“魔砲剣”とのことです。これは期待が大きい!』

 

 彼女がここに立っているのは、手にしている武器、“魔砲剣”のプロモーションと性能実験のためだ。

 バルイーマとも交易のある大都市・グラナではいま、機械という特殊なマジックアイテムの開発・発展が急速に進められている。それをいち早く聞きつけ、自分の工房へ取り寄せ、職人たちと日夜顔を突き合わせて試作したのが、この魔砲剣だ。

 内部に溜め込んだ魔力を、まるで砲撃のように解き放つ。取り寄せた機械にそんな機能を持つ部品があることに着目し、それを対魔物用の武器に取り入れた商品である。

 各属性を秘めた魔石を加工してつくったカートリッジ。それを消費することで、その魔力を刀身に纏わせたり、術のように飛ばして攻撃をする。……いにしえの魔法剣士たちをリスペクトしたものだ。

 しかしこれには、彼らの剣とはまったく異なる部分がある。それは何と言っても、強い魔力を持たない人間が魔法術の攻撃力を扱える、という点だ。

 これが満を持して売り出す予定の、ルビー武具工房の来期の目玉である。扱いの危険さや、手軽に強い力を発揮できてしまう点、コストが高い点など、問題もいくつかある。しかしそれさえ解決できれば、武器としては素晴らしい出来だと自負している。

 そんな魔砲剣を自らふるい、闘技大会を勝ち抜くことで、コマーシャル・バトルとする。それがルビーの思惑だった。

 ……カートリッジは存分に用意してきた。柄を握り締め、ルビーは対戦相手を見やる。

 

『東方。皆さんご存知、大衆食堂オリトリ亭、第2の看板娘! ミーファ・イユ!!』

 

 金色の美しい髪と、整った顔立ち。淑やかに客席に手を振るその様子は、ルビーにどこか自分との共通点を感じさせた。

 

『戦闘スタイルはなんと、いまどき珍しい“魔法剣士”! 使用武器は……“魔剣ムシムシムッシー”。なんだこれ?』

「……小娘……! ふざけ……!」

「?」

 

 妙な響きの声がそこからした気がして、ルビーは少女を見つめる。彼女は無言で微笑むばかりで、ならばきっと客席の怒号が耳に入ったのだろう、と思い直した。

 そんなことより……魔法剣士! ユシドという少年に続き、またしても本物の魔法剣士だ。

 このつるぎを交える相手として、これ以上の存在がいるだろうか。本物相手に、この手にした技術と学問の粋と、己が、どれほど通用するのか。

 客に性能をアピールするのには絶好の舞台。ルビーは奇跡のような幸運を噛みしめた。

 

 互いに、開始位置につく。近づいてみると、対面の少女への親近感が、より強くなる。

 あの優雅な立ち居姿は、育ちの高貴さのあらわれだ。戦士の集まる場にはそぐわない可憐な雰囲気は、ここが社交界のパーティー会場ではないかという錯覚を、ルビーにもたらす。それでいて少女の目の奥には、なにかと戦う者の持つ、強い光が感じられた。

 総じて、父や自分の、好みの人間である。

 

(こんなところで、わたくしと同じような子と出会えるなんて。叶うならば試合を通して仲良く……いえ、お近づきになりたいですわ)

 

 多分に打算のある目的のもと、闘技大会に参加しているルビーであるが、彼女は非常に純粋な人物であった。真に育ちの良い人間らしさといえるかもしれない。

 先に出会った少年のことを思い出し、幸運な出会いに感謝しつつ、ルビーは一歩前に出る。そして目の前の同世代の少女……ミーファに、右手を差し出した。

 闘士として、そしてひとりの人間としての縁故をよろこび、握手を願い出る。この手がこれから刃を交える彼女との、心を通じ合わせる架け橋になればいい。そんなことを思いながら、ルビーは微笑んだ。

 

「ルビーと申します。ミーファ様、あなたと戦えることが嬉しい。正々堂々、よろしくお願い致しますわ」

 

 少女は一瞬、きょとんとした表情を見せる。しかしたちまち笑顔になり、手を握り返してきた。

 

「ええ。正々堂々戦いましょう、ね……!」

 

 差し出していたルビーの手が、痛む。

 その手は、めっちゃ強い握力によって、すごく固く締め付けられていた。

 

(え……!?)

 

 少女の紫紺の眼が、ルビーの眼に視線を叩きつけてくる。

 このような間近からぶつけられる悪意……いや、生々しい妬みの感情を、彼女は知らなかった。ましてこの少女から、そんなものを向けられる覚えはない。ルビーは戦慄した。

 

(わたくし、この方に何をしてしまったというの……!?)

 

 困惑と、わずかな恐怖の中、ルビーの戦いが始まる。

 

 

 

 

「はあっ!」

「………」

 

 横薙ぎの重い剣戟を、身を屈めて丁寧にかわす。

 可愛らしい女子だと思っていたがなかなかどうして、豪胆な剣をふるうものだ。あの分厚い刀身と、機械のからくりを内包したつくりからして、あれは通常の刀剣より重量があるはず。それを軽々と振り回せるのは、彼女が人並み外れた力を持ち、かつ、なにかしら剣術を修めていることの証左だ。

 いくつかの攻撃を回避したが、だんだんと相手もこちらに呼吸を合わせつつある。このままでは手痛い一撃をもらうことになる。距離を開けてみるか?

 そう思っている間に、かわせない剣が、肩から切り込んできた。

 腰から鋼を抜き放ち、相手の刃に合わせる。――重い! 両手で剣を保持し、なんとか耐える。

 せり合う状態になったが、体勢が不利であることに加え、膂力も向こうの方が上だろう。ならばと思い、刀身から敵へ電撃を流し込もうとした。

 

「サンダーイグニッション!」

「ぐ!?」

 

 ところが、電撃に痺れたのはこちらの身体だ。

 相手の剣が雷をまとい、刃を通じてオレを襲ったのだ。まさか得意の一手を先に喰らうとは。

 

「せいやあーっ!」

 

 硬直するオレを見て、少女は大振りの技を繰り出してきた。だがこちらとしても、慣れ親しんでいるはずの雷属性にやられたのでは、格好がつかない。

 身体を侵す電気をすぐに体外へ逃がし、オレはその場を離脱した。重い剣が、地面を割る。

 お返しにと、やや離れた場所から電撃の光を伸ばし、少女を攻撃した。かすかな悲鳴をあげ、少女が膝を折る。

 

「やりますわね……!」

 

 こちらも、同じことを思った。

 どこぞの箱入り娘がたいそうな武器をひっさげてどうしてこんな大会に、などと思っていたが、彼女はこの舞台に相応しい実力者だ。

 住民からも慕われているようだし、意思も強そうだ。試合開始直後は何やら委縮していたようだが、すぐに調子を上げてきた。目つきを見るに、なにか本人なりの確固とした目標があるのだろう。好感が持てる。

 だが……負けては、やれないな。

 

「ミーファ様には負けません。お父様に並び立つため……それに、ユシド様とも約束しましたもの。もう一度戦うと」

「……ほう」

 

 言葉でも先を越された。決意を口にし、健気に立つ少女。ルビーといったか。

 約束なら……オレの方が、先約だ!

 

「せえっ!!」

「速い!?」

 

 甲高い音が鳴る。剣と剣がぶつかり合う音だ。

 またしても切り結ぶかたちになるが、今度はこちらが優勢。最高速度で踏み込み、先制して上から打ち込んだからだ。

 とはいえ、彼女の力ならすぐに巻き返されるだろう。速度で混乱させている間に、次の手を打つ。

 オレは相手の身体が強張るのを見届け、わざと力を抜いて剣を引いた。相手の体勢が崩れる。隙の出来た少女の腕に触れ、雷撃を流した。

 ルビーが再び地面に膝をつく。これで終わりだ。

 

「グランドイグニッション……!」

 

 少女は倒れようとする身体を支えるように、魔砲剣とやらを地面に突き刺した。

 武闘台に亀裂が入り、彼女を取り巻くように地属性の魔力が吹き出す。オレはたまらず逃げ出し、彼女を倒しきることに失敗した。

 どうやらあの子の強さは筋力や武器だけではない。非常にタフだ。加減していては気絶させることはできない。

 とはいえ、これ以上彼女の肌に傷をつけるような強力な攻撃もしたくはない。……場外負けを狙うか?

 

「ミーファ様……」

 

 息も絶え絶えになりながら、少女が声をかけてくる。体力の回復を図っているのだろうか。

 それくらいはかまわない。ここまで健闘している者の声に、しっかりと耳を傾けた。

 

「今から最後の一撃を放ちます。あなたに勝つための手段ですが、非常に危険な威力です。……どうか油断せず、防いでくださいまし」

 

 戦いの最中に敵に助言とは。普通ならハッタリを疑うところだが、これまでの様子から性格を推し量るに、本心から言っていそうだ。

 そんなもの、避けて隙を突くに決まっているのだが。

 ……それも、つまらないか。

 

「……雲が……?」

 

 剣を空へ向ける。

 そちらが最大の技を繰り出すのならば、こちらも相応の力で迎え撃つ。それがあの子に対する、一番の礼儀のはずだ。

 紫電が降ってくる。刃に宿した極大の雷光を、対面の少女に見せつけた。遠慮せず、そちらの全力で来るがいい。

 少女……ルビーは、これまでの戦いでのダメージなど忘れたかのように、無邪気に表情を輝かせた。

 重そうな剣をぶんと振り回し、切っ先をこちらに向ける。

 まるで矢か魔法術で狙われているかのようなプレッシャー。あそこから、最後の技が飛び出してくるのだろう。

 緊張が剣に伝わり、紫電が揺らぐ。ルビーは、全身全霊で吠えた。

 

「いきますッ! フィフス・エレメンツ――!!」

 

 虹のような光が、彼女の剣から放たれた。

 正確に言えば5色。火・水・地・風・雷。それらの光帯が重なり、混ざりあい、やがて巨大な奔流となって押し寄せてくる。

 魔砲剣。どうも複数の属性を扱えるようだとはわかっていたが、まさかすべてを同時に解き放つとは。どんな魔法剣士でも真似できない技だ。これにはさすがに舌を巻く。

 そしてこれほどの術となると、反動もすさまじいはず。便利な武器ではあれど、そう扱いやすいようには見えない。使いこなすには相応の訓練を積んだはず。裕福な家の生まれだろうに、強い子だ。

 ならば。

 ひとつの属性を極めた魔法剣士の技を、彼女に見せよう。

 迫ってくる光の塊。5属性が秘められたそれは、まさに必殺の一撃にふさわしい。

 だが。切り裂くには、最も信頼できる、鍛え抜いたひとつさえあればいい。

 紫電の剣を下段から振り抜く。稲妻のように伸びたそれが、光とぶつかる。

 ――あの技には、やはり雷の属性が混じっている。ならば、その部分だけを上回り、吸収さえしてしまうような、より強力な雷属性をぶつけてしまえば、どうなるだろう。

 答え合わせだ。

 極大の光は、しかし、オレにたどり着く前に、四散した。

 4色の光が舞台のあちこちを荒らす。だが、その中に金色の雷はない。オレが、それだけを切り裂いたからだ。

 つなぎをひとつ失った残りの4属性は、例えば水と火が反発しあい、ひとつにまとまらなくなる。うまいバランスで成り立っている強力な技だが、改良が必要なようだな。

 

「すごい……! あの砲撃を斬るなんて! ……あら、ミーファ様は?」

「こっちだよ」

「えっ!?」

 

 茫然と感嘆している様子のルビーに、背後から回り込んで、至近距離まで近づいた。

 まだ戦いは終わっていないというのに、暢気なものだ。どうも素直すぎる。そういう子は嫌いではないが。

 オレは腕で彼女を押す。同時に、風の魔力で舞台の外まで吹き飛ばした。

 さらに、場外に手足をついてしまった彼女が戻ってこられないよう、雷の縄で手足を縛る。苦労して会得した拘束の術である。

 自分が負けようとしていることを理解したルビーは、しばらくの間もがく。オレは武闘台のふちに腰掛け、そのさまをじっと眺めていた。お嬢様が荒くれに誘拐された図みたいで、いやらしいな。

 ……やがて。

 観客たちの喝采が、勝負の終わりを報せた。

 

 舞台から降りて術を解き、ルビーの手を引いて立たせてやる。

 彼女は悔しさに顔を歪めた様子だったが、やがてすっきりとした笑顔を見せた。

 

「ミーファ様と戦えたことは、わたくしにとって大きな学びでした。感謝いたしますわ」

「君も強かったよ。素晴らしい腕だ」

 

 健闘をたたえるため、再び互いに握手を交わす。

 

「……ユシド様とも戦ってみたかったのですけれど……それが少し、心残りです」

「むっ」

「い、痛っ! ミーファ様!?」

 

 あいつの名が出てきて、つい、手に力がこもった。

 いかん、彼女に悪いところなどひとつもないのだ。それは、わかっている。

 

「ミーファ様、なぜこんな……ハッ、まさか!? ミーファ様は、ユシド様とはお知り合いですの?」

「あ、ああ。共に旅をしている」

「まあ……!」

 

 ……聞かれていないことまで口にしてしまった。そんなことを彼女に話して、オレはどうしたいんだ。

 

「ふたりの魔法剣士……お若いミーファ様と殿方……なるほど、謎はすべて解けました。ご安心なさってください、わたくしは旅人の方とは結婚しないと決めています」

「け、ケッコ……!?」

 

 何の話だかまったくわからん。

 オレを置いてけぼりにして、彼女は得心がいったというような表情を浮かべる。

 そのまま握手していた右手を、両手で握りこんできた。

 

「ミーファ様! このバルイーマの中でしたら、わたくしが何でも力になります。雰囲気の良いレストラン、上質な仕立て屋、式場の手配……」

「は、はい?」

「そしてゆくゆくは! 次代の魔法剣士さまを、たくさん産んでくださいまし!」

 

 きらきらした目。顔が近くてそれがよく見える。

 いいとこのお嬢様って総じて頭ぶっとんでるのかな。オレの妹もそういうところあるし。

 何を言っているのか、彼女の頭の中でことが飛躍し過ぎていて、わからん。

 

『では! 素晴らしい戦いを見せた2人の闘士へのインタビューと参りましょう』

 

 その後。

 ルビーは延々と、今回使用した武器について客に解説していた。どうやら経営者であり、開発者のひとりらしい。ああいう多芸に秀でた人間を見ると、戦闘しかできないろくでなしとしては素直に尊敬する。

 そして闘士へのインタビューはいつの間にか、オレまで巻き込んでの性能実演タイムと化していた。客席からの質問にも律儀に答え、まるで店頭販売である。これが彼女の目的か……。早々に立ち去るべきだった。くそ。見返りに、せいぜい割引でも求めよう。

 というわけで、戦いよりその後の方が疲れた。

 

 

 バルイーマの決勝トーナメントは、そんなゆるい感じで幕を開けた。

 だが、この後の戦いがどうなるのかは、今は誰にもわからない。

 

 



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21. vs神速の剣

 深呼吸をして、戦いの舞台へ上がる。

 予選とは違い、ここからは1対1の戦闘だ。初めから集中力を上げていかないと、一息の内にやられてしまうかもしれない。

 ……ここを勝ち上がれば、次はミーファと当たる。僕はそのときのために、今日まで腕を磨いてきたんだ。負けるわけにはいかない。

 

 目の前に立つ、対戦相手を見る。

 全身を素朴な甲冑で固めた鎧騎士だ。素早い動きで攻めてくるタイプとは思えない。また、身に纏う戦士の気風からして、遠くから魔法術で攻めてくる魔導師というふうでもなさそうだ。

 ただ、彼が手を添えている腰の長剣……そのつくりが気になる。

 鞘にしまわれていて全容はわからないが、ロングソードにしては幅が細い気がする。また、つばと柄の形が特殊だ。

 丸く小さなつばと、黒色の柄。シルエットは全体的に僕の風魔剣とも似ているが、もっと似たものを見たことがある。カゲロウさんの店で売っていた、“刀”だ。

 刀というのは剣の呼び名の一種だが、カゲロウさんは「これこそが本当のカタナだ」と言っていた。太古の昔に海外の小国から、僕たちの住む大陸に渡ってきた武器だという。

 流通は非常に少ないようで、実際に振るう人を見るのは、これが初めてとなる。

 

『……闘士ユシドに対しますは、ヤエヤ王国の衛兵、闘士イフナ! 魔人領へと続く門を守るガーディアンを務めています。もはや大会常連の暇な人ですが、彼が振るう武器の“刀身”を見た者は、いまだかつていません』

「暇な人……返す言葉もない」

 

 イフナという男性は恥ずかしそうに頭をかく。大会常連ということは、相応の強者だ。

 それより気になることを聞いた。数回はこの大会に出ているはずの、彼の武器を見た者がいない……? どういうことだ?

 

『それでは……本戦、第2試合!』

 

 考える間もなく、試合開始のカウントダウンが始まる。ここまできては、まずは向こうとこちらの初撃に集中するしかない。

 自分の中から、観客たちの姿と声を排除していく。今は彼だけを見なければ。

 あと7秒。剣を抜き、両手で構える。

 あと3秒。対面に立つ彼が構える。腰を落とし、鞘と柄に手を添えている。あれは……?

 あと1秒。相手は刀を抜かない。

 ゼロ。彼の姿が、消えた。

 

 背後から、チン、という硬質な音がして、振り返る。

 闘士イフナは僕に背を向け、刀を“仕舞って”いた。

 

「ぐあああっ!?」

 

 全身を打ちのめされる痛み。棒で何度も殴られたかのようだ。一回ではなく、何度も。

 ただの一瞬で身体中を襲ったその鈍い痛みに、膝をつく。剣を支えにして、倒れ伏すことだけは拒んだ。

 

「おや……。やはり闘技用の剣では、鞘走りが心もとないな。悪い、初撃で気絶させたかったんだが」

 

 やはり今のは、怪しげな魔法術のたぐいではなく、彼の剣技!

 一瞬十斬。超高速で剣を鞘から抜き、すれ違いざまに僕を斬りつけたんだ。刀身が見えないというのはこのことか……!

 それもあの鎧姿でだ。関節の動きなどは邪魔しないのだろうが、重量があるだろうに。

 卓越した体捌き、歩法、筋力、剣腕の成せる技だ。試合が始まった直後の調子が上がりきっていない状態では、対応ができない。

 強い……!

 

「悪いがこの技しか俺にはないんでな、ほかに見せられる芸はない。……さあ、もう一度斬るぞ。魔法障壁はしっかり準備したか、少年?」

「……お構いなく!」

 

 そう言い返しつつ、言葉に甘え、ある程度身の守りを固める。

 超スピードの剣士。彼と、命を奪い合う必要のないこの場で戦えるのは、僕にとって……

 これ以上ない、幸運だ。

 

「そら!」

「ぐ……うっ!」

 

 またしても全身を打ちのめされる。

 だが今度は、踏み込みのタイミングだけは察知できた。一撃目だけは、剣で防いだ。

 

「見切るのが早いな! 三撃目を防いだか」

 

 三撃目だったらしい。全然だめだ。

 気を取り直し、膝に気合を入れ、再び立ち向かう。彼の刀身が見えるまで、何度でも受けるつもりだ。

 スピードを兼ね備えた剣士――ミーファの速さを、捉えられるようになるために。

 

 

 

「頑丈だな、闘士ユシド。君みたいなやつには勝てんよ、さっさと魔法術で仕留めにきたらどうだ?」

 

 何度も打ち込みに耐えた結果、全身を鈍痛が苛んでいる。

 成果として、徐々に彼の姿の輪郭を追うくらいはできるようになってきたものの、やはり完全には見切れない。

 頭の回転速度が、神経の伝える光が、まだ、追いついていない。

 

「ご謙遜を。あなたの剣速なら、僕の術など切り捨てられるはずだ」

「どうだか。謙遜をしているのは……いや。俺を舐めているのは、君の方だろう?」

 

 闘士イフナが剣呑な言葉を口にする。

 ……たしかに、本気で勝ちを狙うならば、他にやり方はある。近接戦闘に付き合わないこともできるし、僕はまだ彼に、得意の魔法剣による攻撃を加えていない。

 彼のカタナを見ないうちには、次の試合へ進みたくはないのだ。そんな僕の態度は、闘士として立ち会う彼に対してとても失礼だと思う。

 だが、それもここまで。

 体力は限界だ。もう一度あの剣をくらえば、立ち上がれなくなる。だから、次で決める。

 タイミングはシミュレートした。彼のスピードを捕まえる方法も考えた。後は……見えるか、どうか。

 剣を鞘にしまう。僕はやや腰を落とし、鞘に手を添え、見様見真似で彼の構えを模倣する。

 高速の抜刀術に対応するには、こちらも、高速の抜刀術を撃てばいい。簡単な理屈だ。

 息を整え、相手をにらむ。

 神速の騎士は再度、その腰の剣に、手をかけた。

 

「――それはいささか、侮辱が過ぎるのではないか?」

 

 殺気。斬れない剣だとわかっていても、殺されるのではないかという緊張感。僕の身体は彼の眼光に射すくめられ、震えあがる。

 だけど。

 

「さあ。もう一度、斬るぞ」

 

 この瞬間を待っていた。命を懸けたとき、身体の本能が目覚める。

 鎧の騎士が、とてつもない踏み込みで、武闘台にひびを入れるのが、見えた。

 

 一瞬の時間が、無限に引き伸ばされる。それは死闘の中でのみ垣間見えるもの。人間の知覚の限界性能を引き出してこそ踏み込める、時の静止した世界だ。

 そんな、流れ落ちる汗すら緩慢なはずの世界の中にいながら、闘士イフナは超人的な速さで迫ってくる。すでに彼は剣を抜き、こちらを叩き伏せようとしていた。

 だが……ついに見えた! 黒い鉄の刀身。おそらく本来は、片側が刃になっているのだろう。やはりカゲロウさんの打ったものと似たつくりだ。

 細長い刃は速度という機能を追求したかのような、洗練された姿をしている。きっと彼本来の得物であれば、あの黒い刀身の中に、美しい白刃が光っているはず。そのひらめきを見るときには、こちらの首は胴体と泣き別れになってしまうのだろう。

 しかし今。刹那の中の動きを捉えた今ならば、その死のイメージは不要。

 

 柄を握った手に、全身全霊の力を入れる。

 本当は見切ったところで、僕が彼のような剣速で腕を振るうことなど、できやしない。

 だがもし、付け焼刃の力で、それを補うことができるとしたら。

 やってみる価値があるかどうかは、やってから決まる。

 剣を引き抜く。その速度は実にあくびのでるような遅さで、彼の足元にも及ばないもの。

 だけど、ここだ。同時に僕は、鞘の中に溜めていた風の魔力を、解き放った。

 狭い鞘の中に押し込めていた空気の圧力で、腕がぐんと押される。剣を手放してしまわないよう、渾身の握力で挑む。剣の速度はどうやら闘士イフナの技に匹敵するもので、カウンターとしてはこれ以上ないタイミングだ。

 騎士の表情が驚愕に染まる。やがて二つの刃が、交差した。

 

 僕たちは互いにすれ違い、立ち位置は逆転していた。観客たちには一瞬の出来事だったのだろう。誰もが声を発することなく、静けさが場を支配していた。

 背中越しに闘士イフナの存在を感じる。しかし互いに動かないのは、今ので決着がついたからだろうか。

 

「い……ってえ!」

 

 肩の痛みに、剣を取り落す。尋常でない速度で剣を抜き放つという、無茶な技を試したからだ。激しい勢いのままに僕の腕は、普段は届かないところまで行ってしまったようだった。これは、もっと改良する必要がある。

 あわてて左手で剣を拾い、振り返る。闘士イフナはどうしたんだ……?

 それは、すぐにわかった。

 

「……まったく、邪道もいいところだ。風の魔法剣士とは、突拍子もない手を使う」

「それは、なんというか、すみません」

「おう。だが君の眼はたしかに、俺の剣を見つめていたな。ならば……此度は、こちらの負けだ」

 

 刀の騎士が、はじめて、バルイーマの民の前で、その刀身を晒す。

 黒い鋼は……その中心から、真っ二つに折れていた。

 

「得物がこうなっては、俺はなーんにもできん。まいった! 降参!」

 

 イフナさんの合図に、人々がやがて、歓声を上げる。

 

『勝者は、闘士ユシド! 何が起こっているのか全然わかりませんでしたが、すばらしい戦いだったと言っておきましょう!』

 

 客席からの熱量に、戦いの終わりを実感して、尻もちをつく。

 ……彼はあっさり降参してくれたが、実力の上ではこちらの完敗だ。武器を失えば負けなどというルールはないのだから、片腕を痛めた僕から剣をとりあげれば、向こうが勝利していたはずだ。

 なぜ、勝ちを譲ってくれたのだろう。

 

「なあ。さっきの居合術な、腰をもっと落とした方が良いし、足の位置もおかしい。身体のひねりも遅い」

「は、はあ。面目ないです」

「しかし、だからこそ……君はもっと、強くなれる。そうだろ?」

 

 その言葉の中に、理由が、見えた気がした。

 

「こういう若者が見られるからこの大会は好きなんだよ。……闘士ユシド、もっと腕を上げたければ、いつか王都の方に寄ってくれ。門番は暇だからな、訓練に付き合ってくれよ」

「……ええ、ぜひ!」

 

 固い握手を交わす。

 ヤエヤ王国の騎士、イフナ。勇者のような恵まれた魔力を持たず、たたひとつの技を極限に鍛え上げた強者。その力をこの目で見られたことは、きっと得難い財産だ。

 ここまでくると、もう。

 僕もこの闘技大会のことが、好きになってきていた。

 

 

 

「お疲れさん、ユシドく――あいでっ」

「おい! ボロボロじゃないか! 一体どうしたことだ、こんなに顔を腫らして」

「いたっ!」

 

 声をかけようとしてくれたティーダさんを弾き飛ばし、駆け寄ってきたミーファが僕の顔に手を伸ばしてくる。少し汗ばんだその手が触れると、そこに痛みが走った。

 ボコボコにされたからなあ。次までに治さないと。

 

「治療してやる。大人しく座りなさい」

「あ、ありがとう」

「おじさん便所行ってくるわー」

 

 僕が地面に座りこむと、ミーファもまたすぐ対面に座った。

 治癒の魔法術もまた例に漏れず、対象との距離が近いほど力の効率が良い。だから、自然と至近距離になる。

 ミーファは真剣な表情で治療をしてくれているのに、彼女が当ててくる手と魔力のあたたかさで、鼓動が早まってしまうのは、なんだか申し訳なかった。

 

「お前、なぜオレの教えた魔法剣を使わなかった。そこまでの傷を負うことなく、あの騎士を倒せたはずだ」

「ええと……学んでたんだよ、相手からいろいろと。素晴らしい剣士でね、今度会うことがあったら、修行つけてくれるってさ」

「修行? オレ以外のやつと……?」

 

 すべては君に勝つために必要なことだ。これは僕の大切な、人生の目標だ。

 だけどミーファは、不満そうな顔をした。あの舞台で戦う約束をしたのに、迂遠で危ない勝ち方をしたのが気に入らないのだろうか。だとしたら悪いことをしたかも。

 

「……そうだ。お前がオレに勝ったら、なんでもいうことを聞くという話があったな。それは不公平だと思わないか? オレが勝ったら、そのときはユシドがいうことを聞くべきでは?」

「え? う、うん」

 

 これをもちかけてきたのは、ずっと昔のミーファなんだけど……まあ、今となっては不公平、なのだろうか。

 

「ならオレが勝ったら……キミはもう、他の者に師事するな。ずっとオレの………オレの、弟子でいろ」

「ええ? でも、せっかく……」

「口答えするのか? 教え方が不満なのか」

「そんなことないよ」

「嫌なら、別にいい」

 

 どうしたってそんなことを言うのだろう。彼女の表情は平坦で、考えがうまく読み取れない。

 子どもの頃、僕が彼女の修行を途中で放り出して外に行ったことを、本当はずっと許してくれてはいないのだろうか……。ミーファから見れば、不義理な弟子なのだろう。

 ……そんなことを約束しなくても、僕は君の元から離れたいなんて、これっぽっちも思っていない。まだ教えてもらいたいことは、もちろんたくさんある。

 だけど、“弟子”のままでは、いたくないんだ。

 隣に、並びたい。

 

「いいよその条件で。負けないからね」

「……そうか」

 

 ミーファは立ち上がり、今度は僕の背中の治療を始めてくれた。

 だから今、どんな表情をしているかは、わからない。

 ただ、彼女の手は、とてもあたたかくて、優しかった。

 



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22. vs水の勇者 アーサー

 本戦第3試合 ロピカ対マコハ

 ふたりの闘士はどちらも強力な魔導師で、壮絶な魔法対決をしばし観客の前で繰り広げた。

 しばらくやりあった後、白いローブの人物、マコハがロピカに何事か話しかける。

 それからマコハが手をあげ、降参の合図をした。勝者はロピカに決まった。ふたりが何を話していたのかは、観客たちには聞こえなかった。

 勝利した闘士ロピカの表情は、予選時の涼しく妖艶な笑みと比べて、やや不機嫌そうであったという。

 

 

 

 本戦第4試合 ティーダ対アーサー

 

『えー、手元の資料によると、闘士ティーダはA級ハンターとして活躍している魔導師とのこと! 使用武器は……“超頑丈な槍(作;グラナのムラマサ)”です。宣伝ですね』

 

 観客らの囃す声を、ティーダは適当な表情をつくって受け流す。自分のような地味な男は、華やかなステージに相応しくない。仲間の少年少女に押される形で参加したが、あまり勝敗には頓着がない。それに対人戦など苦手な部類だ。派手な術でそこそこ盛り上げに寄与したら、あとは良いところで負けたいと考えていた。

 だが今回は、そうはいかないわけがあった。

 

『対する闘士アーサーはなんと、世界に数えるほどしかいない、S級のハンターだっ!! その名をご存知のフリークの方も多いのではないでしょうか! 彼こそはあの、“水葬王子”アーサー! 同業者対決になりますが、やはりA級がS級の胸をかりる形になるか!?』

「S級のアーサー? あいつがそうだったのか……」

 

 人々のひときわ大きな歓声が、円い闘技場にこだまする。S級の退治屋となれば、ましてこのバルイーマでは絶大な人気を誇るだろう。ティーダが周囲をながめた印象では、特に若い女性たちから人気があるようだ。

 S級の魔法戦士、アーサー。聞いた話では、身の丈ほどもある巨大な剣を軽々とふるって敵を両断し、強力な水の魔法術で魔物の大群を殲滅するという。

 とんでもない戦士を想像していたが、このように小さな少年だとは。確かにその背の大剣は、小柄な彼と比較してバカでかく見える代物だが、長身の戦士が持てば相応のサイズだろう。いや、噂に間違いはないのだが。

 自分のイメージとはかけ離れていたが、王子という通り名は確かに、華奢なその外見をよく表せているかもしれない。

 フードを目深にかぶっているため、正確な年齢は読み取りづらい。だがそのミステリアスさが女子人気の秘訣だとか、そんな感じだろう。わかるわかる。

 そんなことを、ティーダは思った。

 ティーダは槍を回転させながら、身体のあちこちを伸ばす。彼はいわゆる柔軟体操をしながら、目では闘士アーサーをじっと観察していた。

 ティーダはこれから、彼と刃を交え、勇者かどうかを見極め、旅に勧誘するという仕事をしなければならない。難儀だが、これこそ彼ら勇者がバルイーマにやって来た本来の目的なのだ。放っておくわけにはいかないことだった。

 

『闘士アーサーの使用武器は……“神聖魔剣ミックスカリバー”です。聖剣なのか魔剣なのか、どちらかにしてほしい』

「はは、なんだそりゃ」

 

 思わず軽口を叩いたティーダだったが、そこに鋭い視線を向ける人物がいた。

 アーサーだ。

 自分の言葉が彼の癇に障ったことを察し、ティーダは態度と表情をしごく真面目なものにあらためる。その内心では、面倒そうな子だ、と感じていた。

 

 そうして、戦いのときがやってくる。10秒後の交錯に備え、ふたりの闘士は己の武器に手をかける。

 静かに背の大剣の柄を握ったアーサーを見ながら、ティーダは槍の構えを複数の選択肢の中から決める。アーサーを見極めるため、防御重視の戦法を想定した体勢だった。

 闘技場のざわめきは徐々に減り、客席の誰かが、張りつめた空気に息を呑む。

 ――開始の合図となる声が、闘技場を震わせた。

 

 アーサーが地を蹴り、前に出る。ティーダは動かない。

 すぐに互いの攻撃圏内に入った。たちまち、大剣が振り落される。

 このような重量のある武器は、使い手の動きから軌道を予測したり、遅い剣の振りから攻撃を見極めることは、他の武器と比べて容易だ。しかしその分威力は必殺のものが宿る。真っ向から受けられるようには、できていない。

 それは互いに承知の上。ティーダは身体をひねりながら槍を回し、剣の腹に叩きつける。それによって剣戟をそらし、かわすことに成功した。

 しかし攻防は一撃では終わらない。アーサーは剣を離さず、横切り、縦切り、もう一度縦切りと、おそらくは使い慣れた型の連続攻撃を繰り出した。ティーダは同様に、丁寧にそれをいなしていく。鋼同士のぶつかる音がこだました。

 槍とは本来、接近されたときの防御には向いていないという。しかしティーダがふるう槍は、刃のみではなく柄の部分も含め、しなやかさと超硬度を持つ魔性の素材から創り出された逸品だ。その槍への信頼と、ティーダの経験が、猛攻を紙一重でいなす独特の防御術を完成させていた。

 

(腕が痺れてきた。なんて怪力だ)

 

 そのティーダをして威力を殺しきれないものが、アーサーの振るう剣だ。小柄な体格に似つかわしくない怪力。何体もの魔物を両断してきた剛剣を前に、このまま防御に徹していてもどうしようもないだろう。

 ティーダは次に、攻めに転じることにした。

 

「よっと」

 

 縦一閃の攻撃を早くに予測し、身体をひねる。

 真っ直ぐに振り下ろされようとしている剣の横腹に、回転しながら思い切り槍の穂先をぶつける。逸れた剣閃が地面を叩き割ることにティーダは怖気づくことなく、さらに棒術の要領で槍を振り回し、石突き側でアーサーの足元をはらった。

 

「………」

 

 ティーダの耳に、舌打ちが聞こえる。アーサーは咄嗟に剣を手放し、後退した。

 丸腰になった彼に、さらなる追撃がかかる。ティーダが足を強く踏みならすと、地面から、丸太ほどもある岩の杭が何本も、アーサーを追うように突き出ていった。そのまま荒れ狂う波のように、少年へと殺到していく。

 アーサーはある程度退くと、立ち止まった。迫る岩棘の津波を見据え、避けようともしない。

 突如、アーサーの手前の石畳が吹きとび、青い何かが噴き出した。水の魔力だ。

 水流はすぐに薄く大きな壁となり、アーサーの眼前を守る。岩杭がそこに突っ込むと、まるで削られるかのようにして消滅してしまった。

 攻防を見た観客から、感嘆の声があがる。どちらの魔法術も、事前の“溜め”をほとんど見せなかった。溜めや集中の素振りを見せない術師は、魔力をまるで手足の延長のように使いこなしていると表現できるだろう。

 それは魔導師としては高度な技術である。どちらの闘士にも、恵まれた魔力と、それを使いこなすほどの研鑽があったことを、見た者に感じさせた。

 

「……いない」

 

 水の壁が消え、誰もいない武闘台上を見渡し、アーサーが小さく呟いた。

 だが、彼が焦ることはない。魔法術のぶつかり合いを目くらましに使い、死角から奇襲をかける。よくある手だった。

 ならば、死角に気を配ればいいだけのこと。

 

「やっほー」

 

 まさに警戒していた角度から、煽るような声。

 アーサーは視線をそちらにやる前に、反射的に左の手のひらから水流を放った。それは彼にとって、人を傷つけないように非常に手心を加えた魔法術であったが、向かってくるものを押しとどめるには十分な威力がある。そのまま場外に押し流してしまえば、勝利も目前となるだろう。

 

「残念、効かないぜ」

「えっ……!?」

 

 アーサーは振り向きながらその声を聴いた。そこにいた赤毛の男は、怒涛の水流に押し流されるのではなく、そのまま悠々と立っていた。

 男はにやにやと低俗な笑みを浮かべながら、しかし動かない。アーサーはさらなる魔法術による攻撃を加えようと、もう一度左手を振りかぶる。そこで、違和感に気付いた。

 男の身体が、大きく膨らんでいく。水を受け止めているのではなく、吸収しているかのように。

 

「土人形!」

「よくできてるでしょ」

 

 アーサーが退く前に、地の魔力で形作られた人形の身体が弾けた。その背後にはやはり、赤髪の男がいた。

 水の魔力を吸収した土くれは、粘性の泥となって少年の身体にまとわりつく。少しの間、アーサーは身動きを制限されることになる。

 この程度の拘束、アーサーの力を持ってすれば、数秒もあればいかようにも脱出できる。彼は不快感に顔を歪めながらも、内心では冷静に努め、術を発動するべく魔力の流れを整えた。

 しかし。

 数秒あれば次の手を打つことができるのは、アーサーひとりではない。

 

『幽閉』(ガレージロック)

「なっ!?」

 

 いくつもの岩の壁が、アーサーたちの周囲を覆い隠すように、立ち上った。

 正確には、彼らの周りの地面が、ステージから剥がれるようにめくれ、石の牢をつくろうとしていた。

 これでは閉じ込められる。それを察したアーサーは、しかし、違和感を覚えた。石の膜が包み、隔絶しようとしている空間の中に、術者である男もまた、いる。

 狭い中で一騎打ちなどするというのだろうか? 意図が読めず、アーサーはやや惑わされた。

 石牢がふたりの姿を、観客たちから完全に覆い隠す。暗いところに閉じ込められるのかと思っていたアーサーの予想を裏切り、牢はふたりの直上方向に穴をあけたまま、成長をやめた。

 まるで、客の眼を遮断することだけが目的のようだ。

 赤髪の男が、泥で拘束されたアーサーに、近寄ってくる。その目は悪意にまみれ、弓なりに曲がり、醜く嗤っていた。

 手が、伸びてくる。

 

「……はっ、まさか。や、やめろ! ぼくは……ぼくは男だぞ! いやらしいことをするなっ、悪党め!」

「何言ってるのこの子? そんなに悪人面かな、俺……」

「あっ!」

 

 ティーダは、アーサーが目深にかぶっていたフードに手をかけ、その素顔を晒した。

 上から差し込んでいる陽光の元、その容貌が良く見える。

 ティーダはほんの少し、驚き、息を呑んだ。

 長い黒髪はやや汗に濡れているが、元の髪質は綺麗そうで、女性的な艶がある。そしてその下にあるまだ幼い顔立ちは、少年というより、少女のものだった。

 まだ、本当に幼い。親の元でのびのびと暮らしている年頃のはずだ。ティーダが見守っている2人のよき仲間たちよりも、さらに年下。十代の半ば……言ってしまえば、子ども、だった。

 そして、ひとつ。その特異な容貌を見て、彼女が顔を隠している理由が察せられた。

 左右の瞳の色が異なる。右の眼は猛る炎のように赤く、左の眼は蒼穹のように青い。どちらも純粋で、鮮やかな色だった。

 しかしそれよりも、ティーダは彼女の瞳の中にある、感情が気にかかった。

 “楽しいこと”を知らない目。他人を信頼していない目。自分の人生にとっても見覚えのある目つきを前に、ティーダはその境遇を想像した。

 

「……戦いの最中に、人の目をじろじろと見ないでください。不愉快です。それと、いまから拘束を吹き飛ばすので、離れてください」

「おお、悪いね。想像の10倍可愛い顔してたから」

 

 少女……アーサーの口調と雰囲気が、変わった。おそらくこれが彼女の、素の話し方なのだろう。侮られないため、自分の身を守るために、男性を装っていたというところだろうか。

 しかしティーダは忠告を無視し、少女の瞳を見たまま、離れなかった。わざわざ敵対者に向かって、吹き飛ばすから離れろ、というその言葉に、少女の精神性を感じたからだ。

 だから、話しかけた。

 

「なあ。お前さん、“水の勇者”だろう」

 

 少女は、ほんの少しの間、呆けた表情になった。

 その問いかけに不意を突かれたとでもいうように。

 

「……水の勇者? わたしが? 何を根拠に」

「手にこんな紋章があるはずだ」

 

 ティーダは手の防具を外し、そのしるしを見せる。

 剣をかたどったデザインの紋章。それはたぐいまれなる魔力を有した者に表れる特徴であり、これを宿したものは勇者と呼ばれる。

 紋章を見たアーサーは、悲し気に目を伏せた。その反応を見たティーダの眉が、かすかに動く。

 

「たしかに、あります」

「……おじさんも勇者なんだ。自分から名乗るのは恥ずかしいけどな。それと、あと仲間がふたりいる。かわいい奴らだ」

 

 ティーダは珍しく、聞かれてもいないことを早口で話した。

 そしてひとつ、深呼吸をする。もう一度、口を開いた。

 

「……アーサー。この戦いが終わったら、俺達の仲間にならないか? 共に旅をしよう。S級ハンターより、楽しいかもよ」

 

 ティーダは言葉を偽らず、心からの一言を口にした。もはや勇者かどうかなど関係なく、アーサーという少女には、他者との関わりが与えられるべきだと思った。

 それはおせっかいにも、少女のこれまでの人生に想いを巡らせてしまったからだ。才能があるとはいえ、十年と少ししか生きていないだろう少女が、S級と呼ばれるほどに魔物を屠り、他人を信用しない眼になるまでに、どんな道のりがあったのか。きっと、聞いて楽しい華やかな物語では、ない。

 

「仲間……」

 

 焦がれるような声。それは瞳の奥に秘めた想いを、たしかに感じさせた。

 だが。

 ここで簡単に頷けるほど、アーサーは子どもとして生きられなかったのだ。

 

「無理な話です。あなたが勇者のひとりだというのは、この際信じるとしましょう。それでも、仲間になんかなれませんよ」

 

 泥土の拘束が、どろりと崩れていく。

 ティーダを至近距離から見上げたアーサーの瞳には、様々な感情の色が見えた。

 しかし。少女は再びフードを被り、ただの戦士に戻った。

 

「――弱すぎる。自分より弱い人間と、仲間にはなれない」

「へえ……初めて言われたよ、そんなこと」

 

 突き放すような冷たい言葉に、しかしティーダはたしかに、少女の想いを感じ取った。

 同じように強い魔力を持って生まれた者だからこそ、わかる。彼女は未だ孤独で、信頼できる人間を見つけられていない。自分の力が他人からどう見られているかを恐れているのだ。

 何かが。何かが、彼女の短い人生の中で、あったのだろう。

 ともかくティーダは、あの双彩の瞳を見てから、少女のことをもう、放ってはおけなくなっていた。

 

「こういうのはどうだ。俺が勝ったら、君は俺達の仲間になるんだ。一緒に旅をして、いろんな町で、いろんなことや人に出会う。強い魔物に遭ったら、みんなで協力して立ち向かう。そうして聖地にたどり着いたら旅路をそのまま戻って、これまでにできた知り合いたちに自慢するのさ。勇者のつとめを果たしてきた自分は、ただの魔力バカじゃないんだぜってな」

「……わたしに勝てる人なんて、いません」

 

 役目を終えた石の牢が、時間を巻き戻すように元の地面へと戻っていく。

 観客たちの野次に迎えられながら、ふたりは再び闘士として向かい合う形になった。

 

「自分の力が怖いのか?」

 

 問いかけるティーダから、強い魔力の気配が漏れる。異様な空気を感じ取り、客たちは静かに見守り始めた。

 

「試しに全力でやってみろ。俺は死にはしない、お前さんの2倍は生きてるからな、2倍強いに決まってるだろ」

「………」

 

 ティーダの大魔力を上回る、巨大な気配が、アーサーから吹き出した。

 内心で汗をかきながら、ティーダは槍を握り締める。アーサーはゆっくりと歩き、地面を割るように刺さっていた大剣を、再び手にとった。

 まるで最初の時間に戻ったかのようだ。距離を開けたふたりが、それぞれの構えを取る。

 だが、壮絶な魔力のぶつかり合いが、より次元の高い死闘を予感させた。

 

 アーサーが駆けだす。

 初めのシーンの焼き増しのように、まっすぐに突っ込んでくる。小細工など必要としない。その怪力や純度の高い魔力障壁があるならば、正面から叩きつぶすことが王道だ。

 しかしティーダは、槍で迎え撃つことは、もうしなかった。

 アーサーの進行方向に、突如土の壁が隆起し、突撃を妨害した。勢いのまま突っ込んでは壁にぶつかることになり、手痛いカウンターとなる。

 ぶつかる寸前に速度をゆるめ、アーサーは大剣を振り、強固な壁を粉々に打ち壊した。人体でないならば加減をする必要はない。

 だが。壁を壊した向こうにいるティーダは、魔力を“溜めて”いた。あれほどの魔導師が力を集中するならば、相応の大規模魔法術が行使されるということだ。

 

「させない!」

 

 アーサーは再び走り出す。やはり、壁が進行を阻んだ。

 だが、この地属性の防御には、出し抜ける点がひとつある。発動の起点が地面であるなら、「空中に展開することはできない」のだ。

 アーサーは卓越した身体能力と反射神経を駆使し、妨害のために現れた壁を、むしろ踏み台にし、高く跳んだ。

 ……高く飛び過ぎたと、アーサーは内心舌打ちをした。しかし、眼下に見える赤髪の男は、上空からの攻撃に先ほどのような防御をとることはできないだろう。上を守るような盾やドーム状の土壁を展開しても、それごと押し潰してしまえる。

 アーサーは剣を構えた。同時に、相手の回避に備えて、魔法術を使うための魔力を体内に練り上げる。

 しかし。

 上空に対する防御はできないまでも。上空への“攻撃”ならば、可能なのだ。

 

 ティーダが槍の石突で、地面を突き鳴らす。

 地震。闘技場を震わせるかすかな揺れに、観客たちがおののく。高く飛んでいて地面の揺れを感知できないアーサーは、その眼で異常を捉えることになる。

 すさまじい速度で、ティーダの後ろに広がる部分の武闘台が、山のように盛り上がっていく。それは形を変え、やがて巨大な闘士の像へと変化した。

 巨像が手を伸ばし、手のひらをアーサーに向けて、怒涛の勢いで突き出す。いくら魔法障壁を纏っていても、あの大質量をまともに受けては、コロッセオの外まで吹き飛ばされかねない。

 アーサーは上段に掲げていた剣を、背中にしまった。左腕をかざす。

 ……超絶的な術者であるティーダと同様に。アーサーという魔法戦士の本質は、剣ではなく、魔法術なのだ。

 

「『メイルストロム』」

 

 アーサーの手から、水の魔力が放たれる。しかしそれはこれまでように、相手を場外に押し流すことが目的のような術ではなかった。

 放たれた魔力はまるで渦潮を巻くようにねじれ、螺旋の矢のような形をつくっている。それを見た者はまず、巻き込まれれば溺れ死ぬだろうという本能的な恐怖を覚え、次に、その前に全身を切り刻まれるだろうという、水流の激しい回転に気付く。

 つまり、それは致命的な威力を持つ、攻撃のための術だった。

 技を目の当たりにして、巨大な岩の闘士が、突き出した手のかたちを、拳に変える。

 水禍の槍と、巨像の腕が、ぶつかりあう。

 はげしい音と魔力の応酬に、客席を守る大障壁が揺れる。あまりの臨場感に、席を立って逃げ出す者もいた。

 ……質量に勝る巨岩の腕を、水の矢が削っていく。螺旋の穿孔力を知っているティーダは、なるほどと舌を巻いた。

 土煙に水煙、しぶきと削り飛ばされた岩石が、つぶてとなって結界にぶつかり、客席からふたりの闘士を隠していく。感じられるのは濃密な魔力と、死闘の気配だけだ。

 やがて、激しい音が、やんだ。

 

 地面に降り立ったアーサーは、半壊した武闘台にティーダの姿を探した。

 煙が晴れる。そこには、自分と同じように大したダメージもなく、赤髪の男が笑って立っている。

 

「ぜーんぜん効かないね。なに、自分より弱いヤツとは仲間になれないんだっけ? 俺もそう思うねえ」

 

 その表情を見たとき、アーサーは初めて、“まだ”自分より強い人間がいるかもしれない、と思った。

 その精神的な揺らぎを感じ、ティーダは脚に負った傷と上がらない利き腕を隠しつつ、アーサーを挑発する。

 

「まだ手加減してるだろう。遠慮はいらないから、本気で撃ってみろよ」

「う……」

 

 誰が見ても優位に立っているはずなのは、アーサーだ。しかし少女は、耐え切れるはずのない攻撃をしのいだティーダを見て、ついに、他人への関心というものを覚えていた。

 そして……これほどまでに強くなったはずの、自分の攻撃が、“まだ通じない相手がいる”ことに、恐怖した。

 

「う……うわあああああああっっ!!!」

 

 それを見て、誰よりも驚愕したのは、挑発したティーダだろう。

 咆哮したアーサーの右手から放たれたのは。

 巨大な、紅い火炎だった。

 

「ッ、何……っ!?」

 

 あり得ない。強力な水の魔力を持つ者が、相反する火の術をこの規模で行使することなど、前例がない。

 いや。この火に込められた魔力は、先の水術のそれを上回っている。まさかアーサーは、“水の勇者”ではなく――、

 

 炎が、男を飲み込む。

 

「あ、ああ……そんな……」

 

 観客の誰もがそれを見て、彼の死を予見した。

 だが、声を発するものはいない。強く後悔するようにつぶやいたのは、アーサーだった。

 使わないと心に決めていた術を、使ってしまった。相手が強いとはいえ、ここまでするつもりはなかった。自分は“もしかして、まだ勝てないのか”という焦りを拭いたくて、ここまで、やってしまったんだ。

 少女は顔を伏せる。目深にかぶったフードが、その表情を隠していた。

 

「おお、死ぬかと思った」

「え?」

 

 声がした。

 アーサーは、どこにもいない彼を探し、半分以下になった武闘台の上を駆けた。

 そして、下の方からする声を、見つけた。

 

「いてて……あ、いや、いたくないね。どうだアーサー、君が本気で攻撃しても、俺はこの通り平気なんだがな。仲間には相応しくないか?」

『場外から10カウントが経ちました。勝者は……勝者は、闘士アーサー!』

「まあその、負けたけど……」

 

 ティーダは土壁と魔法障壁で身を守りつつ、崩壊した武闘台の下へと逃れ、火炎をしのいでいた。武闘台の割れた瓦礫に埋もれながらも、火傷などはない。

 守りに関しては密かに自信を持っていたティーダであったが、少女の力はそれを上回っていたようだ。

 その少女が安心したように、ほっと息をつく顔を、ティーダは見た。ティーダは悔しがる心は表に出さずに、アーサーに声をかけた。

 

「大会が終わるまでに考えておいてくれよ。旅の話」

 

 声を聞いた少女は、ほんの少しだけ、何かを考えるように静止した。

 しかし。

 

「……わたしは勇者なんかじゃない。ただの、化け物です」 

『それでは勝者のインタビューを……あっ』

 

 アーサーは一瞬ティーダと目を合わせたものの、再びフードを深く被り、その場を去ってしまった。

 決して悪い子ではなさそうだ。できれば、もっと落ち着いて対話をしたい。ティーダはそう考えていた。

 

『やはり噂通り、水葬王子はクールな方のようですね。声を聞けたファンは未だにいないとのことです。……それにしても、すばらしい戦いでした! 武闘台を弁償してほしい!』

「ゲッ……」

『闘士ティーダ! 皆さまがご覧になった通り、S級ハンターにも劣らない凄まじい力の持ち主でした。一歩およばず敗退となってしまいましたが、その健闘を讃える声が多く上がっています』

 

 客席からの歓声と拍手を向けられ、ティーダは動くほうの手で頭をかいた。

 あまり目立たないように生きてきたつもりだが、アーサー相手ではそうはいかなかった。まあ、たまには、こういうのも、うれしいものだ。

 瓦礫に埋もれたティーダは、恥ずかしそうにしつつ、観客に応え手をあげた。

 そこに、アナウンスをつとめている女性がやってきて、拡声の魔道具を向けてくる。

 

『闘士ティーダへのインタビューです! ティーダさん、是非その言葉をお聞かせください』

『そうですね。……はやく、担架、持ってきてください』

 

 足や腕に少しのけがを負ったティーダは、救護係によって、闘技場内に臨時設営した医療室へと運ばれた。

 ベッドにみじめに寝かされた現状を嘆くティーダの元に、見舞い客がやってくる。試合でのその大立ち回りを、仲間の少年は尊敬し、少女は感心していた。

 

「それより聞いてくれふたりとも。アーサーって子、絶対勇者だと思う」

「それはまあ。あの戦いぶりを見れば……」

「だが説得は少し面倒そうだ。仲間に誘ったが、あまり良い反応をしなかった」

 

 ティーダは息を整えつつ、ふたりに話をつづけた。

 少女が誘いを断る理由に、大まかな心当たりがあるからだ。

 

「勇者にありがちな、強すぎる自分は孤独だと思っているタイプさ。頭でっかちの人見知りさんだ」

「なるほど……」

「……ん? ユシド、なぜ今こっちを見た? なあ?」

「そういうわけだから、機会がありそうならあの子の友達になってあげてくれ。そうしたらコロッといけそう」

 

 3人は顔を突き合わせ、アーサーの印象を語り合った。

 勇者アーサー。彼女が仲間として加わってくれるかどうかは、ミーファやユシドの接し方によるかもしれない。

 だがそれ以上に。少女自身が心に抱えた“何か”こそが、鍵を握っている。

 

 

 

「あの炎……やはり、ここまで強く育ったか」

 

 闘技場のどこかで、だれかが呟き、わらっていた。

 



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23. 記憶の中の炎

 朝日がまぶたを貫いてきて、わたしはやわらかなベッドの上で目を覚ます。

 目をこすって伸びをすると、新しい1日がやってくる。幼いわたしはベッドから飛び降りて、大好きな両親を起こしに、どたどたと自分の部屋を出ていく。

 ふたりの寝室のドアをそっと開けると、わたしの部屋と違ってカーテンが開いていない。大人は朝が苦手だから、ずっと寝ていたいのかもしれない。

 わたしはどのように起こすか迷って、最終的に、ふたりの間に勢いよく飛び込んだ。わたしは甘えん坊で、家族のことが大好きだったから、ふたりの真ん中という場所が一番好きだったのだろう。

 驚き飛び起きる父と、いつものことだから慣れているのだろう、ゆっくりと目を覚ます母。ふたりは身体を起こし、目覚まし係という大役をつとめたわたしを撫でた。

 両親の愛情を感じたわたしが、嬉しそうに目を細めている。

 

 それをわたしは、他人事のように、俯瞰した視点から眺めている。

 またこの夢だ。もう、何度も、何度も見た。熱が出た日には、決まってこの夢を見せられる。過ぎてしまったできごとの記憶を。

 この日も、何の変哲もない一日になるはずだった。

 いや。何の変哲もない、なんてことはない。……とても、幸せな一日だ。幼いわたしには、生まれたときから当たり前にそばに両親がいて、そのささやかな幸せには、まだ気付いてはいなかった。

 

 この日の父は、家で事務的な作業をしていた。仕事だったのかもしれないし、私用かもしれない。わたしはそれが退屈で、何度も構ってもらおうと邪魔しに行っては、母に優しく諭されていた。

 父は外で仕事をしてくることが多く、そのとき母は家事をしている。ふたりの役割は逆の日もある。聞いていた話では、ふたりはとても強い戦士で、人々を襲う悪い魔物をやっつける仕事をしていたのだという。

 とはいえ、住人の少ない小さな村だ。少し行けば街もあるが、そうそう大口の魔物退治の依頼など、入っては来なかっただろう。家族を養っていくには、あまり余裕はない程度の収入だったと思う。

 素朴な暮らしだった。だけど、十分だ。変化は、きっと、いらなかった。

 

 続きだ。

 わたしは父が大事な仕事をしていることを、ようやく子どもながらに察し、外で遊ぼうとして、家を出た。

 わたしの家は村のはずれもはずれで、あまり近所とのかかわりがない。友達はいなかった。

 ……いや、もっと前には、いた。けれど友達だったみんなは、魔法術を習う歳になって、一緒に魔法比べをしてから、それからは遊ばなくなった。

 理由は、今なら、少しはわかる。

 

「そこの娘」

 

 川で水遊びをしたり、野山で木登りをして、あまり村の中心に近づかないように遊んでいたとき。

 ローブ姿の、大人が声をかけてきた。

 その人はローブを、顔や素肌が見えないくらいに着こんでいて、暑そうだなと思った。

 村では見たことのない大人だったが、コミュニケーションに疎いわたしは警戒をすることもなく、素直に応えた。

 

「この村に“火の勇者”がいると聞いたのだが、お前は知らないか?」

 

 火の勇者。

 それは、母のことだった。

 母の手には伝説に語られる紋章がある。赤く光るそれは、火の属性を担う勇者の証であり、いずれ来る風の勇者を待っているのだと言っていた。

 だがこうも言っていた。このことは、絶対に人に話してはいけない。勇者であることは、秘密なのだと。

 だから、「知らない」と言った。

 

「では、この村に腕の立つ魔物の退治屋はいないか? うわさを聞きつけて、はるばるやって来たのだがな」

 

 それなら、うちの両親に違いないだろう。そう思い、わたしは無邪気に、そいつに自分の家を教えた。

 ……強い後悔に、胸の奥が締め付けられる。ここでわたしが家を教えなかったとしても、未来は変わらなかっただろうとは、わかっている。

 

 夜になった。

 わたしは父と一緒に、お風呂場で湯浴みを楽しんでいた。

 この風呂はよその家には真似できないもので、魔法術でつくりだした水を、火の術であたためたものだ。これは家族の中で、いつからかわたしに任された仕事で、父も母も毎日褒めてくれた。

 

「この湯加減、シークはすごいなあ。父さんはもう敵わないよ」

「おとうさんは水の勇者なのに?」

「水の勇者なんかより、シークの方がすごい! 火と水のマルチタイプなんて聞いたことがない!」

 

 ざば、とお湯をかけてきて、それから頭をわしわしと撫でる父の手に、わたしは大笑いして喜ぶ。父の手には、青く光る紋章があった。

 

「おとうさんとおかあさんは、いつか勇者の旅へ行ってしまうの?」

 

 父と母は、伝承の通りなら、世界を救うための旅に出ることを義務付けられている。だけどそうなれば、わたしは村にひとり置き去りになってしまう。

 不安を隠せず、わたしは父に聞いた。

 

「そうかもしれない。でも、旅に出るときは、シークも一緒さ」

「わたしも?」

「ああ。危険は大きいが、父さんと母さんが絶対にシークを守る。それさえなんとかなれば、旅は楽しいぞ。裏の山なんか足元にも及ばない大きな山や、川の何倍もでかい“海”。隣町なんか田舎に見えるくらいの大都会!」

「わあっ……!」

 

 思い返せば、父の言葉は大きさを比べてばかりの、拙くおかしなものだったが、本の中にしか見たことがないそれらは、わたしの心を打った。

 いつかきっと、小さな村を出て旅に出たい。父や母と、そして、頼れる勇者たちと共に、広い世界を巡ってみたい。

 幼い頃の夢は、この日にできていた。だから、よく覚えているのだろう。

 

 母の料理を食べ、父とお風呂に入り、少しお話をしたら、ベッドへ行く。

 この日は母の読んでくれた物語を聞いて、わたしはしあわせな眠りについた。

 眠りが幸せだったのは、これが最後だ。

 

「……う、ん。おとうさん、おかあさん……?」

 

 目が覚めた。いつものように朝日に起こされたのではなかった。

 窓から見える外は、すこし赤く、夜中にしては明るい。そして、なんだか息苦しかった。

 部屋の扉の向こうから、やけに色づいた光が漏れている。わたしはおそるおそる、扉を開けた。

 

「え……?」

 

 家の中は、普段とは違っていた。

 赤く、ごうごうと揺れる何かが、そこら中で踊っている。ぱちぱちと音を鳴らし、家具や柱にまとわりついているもの。

 それは、炎だ。

 

 自分の家が火事に巻かれている事実は受け入れがたく、ひどく非現実的なものに感じられた。

 わたしはふらふらと歩き、燃える家の中をさまよう。あまりにも景色が違っていて、他人の家のようだった。

 暑さと息苦しさはまるで、これは夢なんじゃないかというくらい、わたしの身体をうまく動かせないようにしてくる。それでもゆっくりと進み、きっといつものように家族がいるはずの、リビングにたどり着く。

 

「お……おかあさん!!」

 

 母が倒れているのを見つけて、ようやくわたしの頭は動き出した。

 動かない彼女を外に連れて逃げるために、わたしは母に近づく。子どもにしては良い判断だろう。そのとき、父がどこにいるかなんてことまでは、頭が回らなかった。

 しかし。

 わたしと母の間に、誰かが立ちふさがった。

 

「おや……昼間の娘じゃないか。礼を言うよ、おかげでこの場所がわかった」

 

 フードの中から紅い目だけを見せて語りかけてくるそいつは、どうやら笑っているようだった。

 わけがわからなくて、わたしは目の前に現れた大人に助けを求める。

 

「あの、そこにおかあさんが倒れて……! あのっ、助けてください!」

「ああ、いいよ。でもおかあさんはもうダメだね」

「な、なんでっ!?」

「オレが殺した」

 

 言葉の意味が、よくわからなかった。

 だからもう無視して、母の元へ駆け寄った。

 わたしは母に呼びかける。目を覚まさないから、ひきずって外に連れ出そうとした。子どものわたしには、大人の母の身体は重く、遅々とした歩みだった。

 さらにそれを、邪魔するものがいた。

 

「ああ、だからダメだって。その死体はオレが使う」

「いやっ、何するの! おかあさんを返して!」

 

 母の身体を軽々と取り上げられ、わたしはそいつの足にすがって叩こうとした。

 

「熱いッ!?」

 

 手が火傷しそうになった。そしてそいつの身体には、手ごたえがない。まるで脚などないかのように。

 わたしはその顔を見上げる。……ようやく、小さな自分にも理解出来た。この火事の原因と、目の前の何者かへの恐怖を。

 柱のように大きいそいつは、身を屈めてわたしの顔を覗き込んできた。

 顔を隠していたフードや、布が落ちる。

 そこには、人間の顔などなく。ただ“炎”があった。

 

「お前を助けてあげよう。さあ、オレとひとつになるんだ。お前の母と共にな」

「あ、あ……」

 

 そいつの手が、わたしに触れた。そこから炎が噴き上がる。

 死ぬほど熱いはずなのに、肌に火傷は負わない。今思えばこの炎は、わたしの身体から出たものだったのだ。そいつはわたしの身体から火の魔力を絞り出し、飲み込もうとしていた。

 

「おお……! すさまじい火の魔力だ。やはり火の勇者の娘――」

「い、い……いやああああああっ!!!」

 

 そのとき、わたしの身体から、もうひとつの力が沸き上がった。

 赤い炎に対を成すような、青い怒涛。水の魔力がやつの炎の身体に触れると、まるで熱いものを触ってしまった人のように、やつは悲鳴をあげて手を引いた。おかしな光景だった。

 おそらくこのとき、父と母の手からは、すでに勇者の紋章は消えていただろう。

 

「父親の魔力まで受け継いでいるのか……厄介な」

 

 これまでにない魔力の発露に、意識がもうろうとしていく。

 そんなわたしに、やつは水などどうということはないとでもいうように、再度顔を近づけてきた。

 そこだけは人間のように血走った眼と、紅いひとみが、わたしをつらぬく。

 

「娘。お前の家を焼いたのはオレだ。両親を奪ったのはオレだ。お前を不幸に追いやるのは、オレだ」

 

 刷り込むように語りかけてくる。その言葉は、こうして今でもはっきりと覚えている。

 忘れられるものか。

 

「恨め。復讐するがいい。お前の内にある力を高めろ。そしていずれもう一度、会おう」

 

 気付くと、家の炎は消えていた。母の身体と、火の化け物も、いなくなっていた。

 わたしは、ひとりになった。

 

 

 遺体のない父と母の墓に、村人たちが祈りを捧げている。

 わたしたちを腫物扱いしていた彼らにも、情はあった。表情からして、心から悼んでくれていただろう。これはあくまで夢だから、わたしの願望なのかもしれないが。

 それからの人生は、意味のない日々だった。だから夢の中では、すごい早さで過ぎていく。

 

 村でよくしてくれた年配の夫婦がいた。お爺さんとお婆さんはわたしを哀れに思い、家に引き取ってくれた。

 優しいふたりにようやく心を開けるようになったある日、その家が燃えた。

 なんとか家族は無事だったが、そんなことは救いにならない。原因はおそらく、わたしの扱いきれない火の魔力だった。

 あの日以来、わたしの中にある水と火の魔力は、日に日に力を増していた。何かが目覚めてしまったのだろう。そして水の方はともかく、火の方は使うのが嫌で、コントロールの訓練がうまくいっていなかった。その魔力が、眠っている間に暴走したのだろう。

 わたしはふたりに謝り、村を出た。お爺さんたちは気にしないと言っていたが、いずれ二人を焼き殺してしまうなんてことになったら、もう、生きてすらいたくない。

 村を出るとき、父アーサーの墓から、彼が使っていた大きな剣を持ち出した。この剣と、母ロピカが数年後の誕生日にくれるはずだったローブコートだけが、わたしの持ち物だった。魔法の炎に焼かれずに残ったものは、このふたつだけだ。

 

 剣を引きずり、道中の魔物をつたない魔法術で殺しながら、隣町までやってきた。そのときは、身体が限界だった。

 親切な人が、わたしを孤児院に連れていってくれた。美味しい食事や人のぬくもりに抗えず、わたしはしばらくそこにいた。

 そしてある日、孤児院が燃えた。わたしは街を出た。

 

 そういうことを何回か繰り返して、ようやくひとりで生きていけるようになった。父の剣を振ってもつらくなくなり、母のローブが身長に合う頃には、わたしは何者にも負けなくなっていた。

 ここまで思い返せば、この夢は覚める。

 最後にもう一度、炎に焼かれる自分の家と、両親の顔を、思い出した。

 

 

 

「う……」

 

 目が覚める。眩しい朝日に迎えられたさわやかな朝、などではない。

 わたしは人通りの少ない路地裏にいた。

 ……身体が熱い。火の魔力をうまく扱えなかった日は、水と火が体内でうまく共存せず、こうして身体が熱に侵されてしまう。そしてそういう日は決まって、あの夢を見るのだ。まるで呪いのようだった。

 父の剣を支えに、立ち上がる。気を失っていたのは十数分程度だろう。しかしこのままここで一夜明かすというわけにはいかない。バルイーマの治安は悪くはないと聞くが、近頃人さらいがあったと聞く。

 自分はそこらの悪人にさらわれるほど、か弱くはないが、気を失っていてはさすがにただの小娘でしかない。宿屋を利用しなければ。

 

「あらシーク。起きたのね」

「え?」

 

 優しい声が、わたしを呼んだ。

 その名前は、もう何年も耳にしていない。戦士である父から継いだ、勇猛な名の方を使っているからだ。

 シークという名前を知っている人間が、こんなところにいるはずがない。

 いや。それより、あの優しい声は。忘れるはずのない音は。

 甘い希望にすがるような弱い心を、強い怒りで塗りつぶしていく。

 

「貴様は……貴様は! 母の身体を返せッ!!!」

「そう声を荒げないで。久々の再会でしょう?」

「母の真似をするな!!」

「おお。こわいこわい」

 

 暗がりの中から、ローブ姿の女性が現れる。黒く美しい髪と、紅い瞳。その容貌は、あれから何年も経っているのに、少しも歳をとっていなかった。

 歳をとるはずがない。母は死んだ。あいつが殺して、身体を乗っ取った。あまりに許しがたい所業だ。

 それを知ったのは、闘技大会の賞金を目当てに、このバルイーマへ来てからだ。

 やつは母の身体を使い、母の名前で、闘士として参加している。何度も殺そうとしたが、そのたびにやつは目の前から逃げた。

 だがもう逃がしはしない。あさっての試合はわたしと当たるはずだ。大会では対戦相手を殺すのは禁止だが、ロピカという人はもう……死んでいる。

 

「明後日は、逃げるなよ?」

「……は?」

 

 ――それは、こちらの台詞だ。

 もう我慢がならない。わたしはこいつを殺すために、今日まで生きてきたのだから。

 壁に立てかけていた剣を掴み、一足飛びでやつへ迫る。そのまま母の顔を見ないようにして、剣を振った。

 

「焦るんじゃない。折角の舞台を楽しもうじゃないか」

 

 刃は、やつの背後の空間からしみ出すように現れた、炎の魔人によって防がれていた。

 ……これ以上刃が通らない……! これほどの力を持っているとは。ならば、魔法術で!

 

「ここではやらない。闘技場で殺し合おう。……それと。オレのことは、誰にも言うな。言えばこの街を燃やす」

「なんだと!」

「ではな」

 

 ふっと手応えがなくなる。

 剣をがむしゃらに振り回すも、もうそこには、誰もいなかった。まるであの日のように、あいつは消えた。

 

「う、う……」

 

 憎しみと情けなさでどうにかなりそうだ。あんな邪悪な魔物が、この世に存在していいはずがない。何なんだ、あいつは。

 無理やりに身体を動かしたものの、こうして落ち着くと、忘れていた熱が再び頭を焼いてくる。

 このままでは宿屋にたどり着く前に、また気絶してしまう。

 胴から下の感覚が、薄れていく。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 倒れる前に、誰かの腕に支えられた。

 大人の男の人の声がした。わたしは、意識を手放した。

 

 

 

「おとう、さん……」

 

 誰かのぬくもりを感じた。

 居間で眠ってしまったわたしをおんぶして、部屋に連れていってくれた背中。ベッドに優しく寝かせて、頭をなでてくれた大きな手。

 

「えっ。そんな老けてるかな……」

「ふふ、笑わすなよティーダ。あんたはまだまだ若いさ」

「ミーファちゃんって発言が年寄っぽいときあるよね」

 

 目が覚める。知らない天井だった。

 一日の内に何度、気絶しては目を覚ますことを繰り返しているだろう。夢かうつつかもわからなくなりそうだ。

 身体を起こそうとすると、自分の額に冷たいタオルがあてられていたことに気付く。ブランケットをかぶり、ベッドに寝ていたようだ。

 

「起きたかい」

 

 声の方を見る。

 知らない人、ではなかった。

 赤い髪の男の人。たしか……闘士の、ティーダという人だ。

 

「路地裏で死にそうな顔してたからさ。おせっかいにも宿まで連れてきたよ」

「……ありがとう、ございます」

「お。礼を言われたぞ。嬉しいね」

 

 不思議と、この人には悪意を感じなかった。本当におせっかいで助けてくれたのかもしれないと、思わされてしまった。

 しかし、これ以上はいられないだろう。自分の宿に戻った方が良い。

 わたしは、誰かに優しくされては、いけないからだ。

 

「おっと、まだ動くなよ。疲れてるんじゃないのか」

「迷惑はかけられません」

「迷惑ならもうかけてる。だからダーメ」

「………」

 

 にこにこと笑いながら、彼は立ち上がろうとするわたしを妨害してくる。

 しばらく攻防を繰り返し、わたしはあきらめ、ベッドに身体を預けた。

 

「仲良いな。オレも混ぜてくれ」

「あなたは……それは!」

 

 最初から部屋にいたのだろう、金髪の女性が、ティーダという人の背中から顔を出した。

 そしてその手には、わたしのローブコートがある。それを見て、自分が防具となるそれを身に着けていないことに気付いた。

 

「か、返してください! 大事なものなんです」

「いいよ、はい」

 

 手渡されたそれを広げ、眺める。

 戦いの中で何年も使ってきたそれはもう、既にボロボロになってしまっている。けれどよく見ると、胸の辺りに、新しく布を当てて縫った跡があった。

 それは予選のとき、この女性の術が弾けず、わずかに焼き切れてしまった部分だった。

 

「あの、その、悪いなって思いましてね? 修復してみたの。どうかな」

「……ありがとうございます」

「おい礼を言われたぞ。嬉しい」

「わかる」

 

 ふたりは先ほどから、わたしの態度が意外なのか、いちいち驚いてくる。

 別に、大会でかちあったときと、今とでは、接し方も変わってくる。それに良くしてくれた人に、最低限の礼は言いたい。

 

「……いや、礼なんてとんでもない。わたしが傷つけてしまったのですから、これは償いです。しかも下手だし……」

「いえ。もう、ボロボロでしたから」

 

 縫製ができるなんて、おかあさんみたいな人だ。今になって顔をよく見れば、とびきりの美人で、女のわたしでも見惚れてしまいそうだった。

 わたしは、戦い以外のことは、できない。

 

「わたしはミーファ。こっちはティーダ。それともうひとり、ユシドってやつがいます。君は?」

 

 ミーファという人は、わたしの名を聞いてきた。

 大事な自分の名前が浮かぶ。それは言わずに、いつものように、父の名を口にした。

 

「……アーサー」

「アーサー。ここはわたしの部屋だから、この晩はゆっくり休んでいきなさい。……元気になったら、良かったら、お話をしよう」

 

 ミーファさんはそう言いながら、右手の甲を見せてきた。……剣の紋章がある。

 そうか。彼女も、強かった。ティーダさんのように、勇者のひとりなんだ。

 そしてふたりは……仲間、なんだ。一緒に旅をして、世界を巡る勇者たち。幼い頃に憧れた空想の勇者たちより、よほど鮮烈な人たちだ。

 

「あの……」

「どうした?」

 

 わたしの方から口を開くと、ふたりは食い入るように耳を傾けてきた。すこし気圧される。

 この人たちは、今まで出会った人間の中で、一番強い。わたしが……もし、なにか助けを求めれば、応えてくれるだろう。

 でも。

 助けは、いらない。

 

「あさっての大会……少し、気を付けて下さい」

「うん……? うん」

「………」

 

 ティーダさんは、考えるような表情をした。

 あいつの存在は言ってはいけない。だが、何かを企んでいることは間違いない。

 戦いの中で誰かを巻き込んだり、観客を人質に、なんてことも考えられる。それでも、わたしがやつの前に立たないわけにはいかない。

 できれば巻き込まれる前に、彼らには……いなくなって、ほしかった。

 それは無理な話だろう。だからせめて、気を引き締めておいてほしいと、思った。

 

「……熱は引いたか? 今日はもう寝るといい。何か飲み食いしたくなったら……ミーファちゃん、どうしたらいい?」

「下の階にいろいろあるから、おかみさんか、わたしに声をかけてくれればいいです。宿屋の中にいるから」

 

 ふたりはそれ以上、わたしに何か問い詰めるようなことはせず、休むよう気を遣ってくれた。

 その気遣いは、ありがたい。明日にでも謝礼を払おう。

 

 目を閉じると、炎の魔人の顔が、頭に浮かぶ。怒りの火が、わたしの目の奥を燃やし始める。

 ……ティーダさんがくれた、冷えたタオルを額にあてる。

 そうすると、その憎い者の姿は薄らぎ、消えていった。

 



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24. アーサーという少女

 アーサーとティーダの戦いから一夜明けて、朝。

 オレ達はオリトリ亭に集まり、朝食の時間を楽しんでいた。

 

「………」

「……えーと。おいしい?」

「はい」

 

 楽しんでいた、と言い切るには少し、気まずい雰囲気かもしれない。

 テーブルにはオレとユシド、ティーダという馴染みの仲間が座っているが、今日は変化がある。

 オレの対面には、屋内だというのに深く被ったフードをとらない、アーサーという少女がいた。彼女はあまり楽しくなさそうに、目玉焼きやベーコンやパンを、せかせかと口に運んでいる。

 わざわざ朝から来て食事を用意してくれたデイジーさんに、いささか失礼な態度じゃないか? と思ったが。当のデイジーさんはお盆を抱えて、にやけた顔を隠さず満足そうにしている。

 

「ああ。あのアーサー様が、私なんかの料理を口にしてくださるなんて」

 

 珍しくおかみさんに無理を言って厨房を借りるなんて、どういう風の吹き回しかと思っていたが、なるほど。S級のハンターというのは人気者らしい。

 アーサーを遠巻きに見つめるデイジーさんの目つきは、まるで恋する乙女のようだ。……でもなあ。

 

「お嬢さん。食事のときくらい、フードはとりなよ」

「あっ!」

 

 ティーダが横から手を伸ばし、アーサーの顔を晒した。

 孤高でクールな人物という仮面の下から、きれいで長い黒髪と、料理を口いっぱいに頬張った少女の顔が出てくる。いじきたないと思われるのが嫌なのか、アーサーは顔を赤くしてややうつむいた。その様子は年相応の少女のようで、可愛らしいものだ。

 どうやら本当においしいと思いながら食べていたようだ。やはり人間、表情くらいは見せてもらわないと、思っていることは伝わりづらい。

 

「!!?? 女の、子? おと……おん……???」

 

 突然、デイジーさんがトレイを取り落した。何か衝撃的な出来事を目の当たりにしたかのように、目を白黒させ、おろおろと狼狽えている。

 彼女は誰かに助けを求めるようにきょろきょろと辺りを見回し、最終的にオレと目が合った。すがるような目つきでこちらを見つめてくる。

 オレは眉根を寄せ、神妙な表情をつくって深く頷いた。そうです。彼女は、女の子なのです。

 意図が伝わったかどうか定かではないが、デイジーさんは膝から崩れ落ちた。哀しい恋の終わり、だったのかもしれない。

 それにしてもこの目玉焼きとベーコンはうまい。ただ焼くだけの料理だと思うのだが、コツでもあるのだろうか。バルイーマを出る前に、おかみさんと旦那さんとデイジーさんに、料理を教えてもらうべきかな。旅の中で口にするもののレベルが上がれば、食べ盛りのやつも喜ぶだろう。

 

「ごちそうさまでした」

「ほれ、ハンカチ」

「あ、ありがとうございます」

 

 アーサーは口の周りをやや汚しながも、出されたものをきれいに平らげた。ティーダからハンカチを受け取って口を拭う様子は微笑ましく、つい笑いが漏れる。

 やっぱり。根は良い子なんじゃないかな、と思う。

 

「私もごちそうさま。デイジーさんのお料理はうちのメイド長にも負けませんね」

「はいミーファ、ハンカチ」

「………」

 

 横から突き出された布を奪い取り、口を拭く。

 いつからオレに対して、年長者のポジションになったんだこいつは? ああん?

 まあ実際、身体の年齢はこいつの方がひとつ上ではあるのだが。ふん、もう1年早く生まれていればな。

 

 少し汚したハンカチを、自分の懐にしまう。これは洗って返す。

 最近、師匠の威厳が危うい。こいつがよそに師事するなんてことを避けるためにも、やはりここはひとつ、明日の真剣勝負で腕を見せつけてやらねば。

 ちら、と。横にいるそいつの、翠色のひとみに視線を向ける。

 ……なぜオレは、ユシドがもっと強くなるための道を、邪魔しようとしているのだろう。これでは嫌われてしまっても文句は言えない。

 

「アーサー、あそこの女の子が朝食を用意してくれたんだ。お礼を言ってきな」

「え? えっと、その」

「礼儀さ礼儀。ふつーだろ」

 

 ティーダに促され、アーサーが戸惑いながら席を立つ。どうも昨夜から、あの子は彼のペースに乗せられているな。

 ティーダには何か思惑があるのだろう。少し、見守ろうか。

 地面にうずくまっているデイジーさんに、アーサーが近づく。

 デイジーさんが顔を上げた。主に悲哀の感情の割合が高めな、非常に面白……切ない顔をしている。

 

「あ、あの。お姉さん。お料理、美味しかったです。ありがとうございました」

 

 アーサーはこういう交流になれていないのか、少し恥ずかしそうにしながら言って、ぎこちなく頭を下げた。

 その言葉が自分に向けられていることに気付いたデイジーさんは……素早く立ち上がり、背筋を伸ばして、アーサーの手を握る。

 

「アーサー様! いえアーサーちゃん!! バルイーマにいる間は、いつでもここに来てね! ね!? お姉さん頑張って料理つくるから!!!」

「は、はあ」

 

 内心でどんなことを考えているのかいまいち分からないが、彼女のテンションの上げ下げが激しくて、心配になってきた。

 フードを取れば意外と可愛らしい女の子だから、デイジーさんも彼女と仲良くなりたいと思ったのだろう。たぶん。

 

「友達ひとり確保、と」

 

 一連のやりとりを見たティーダが、胡散臭い顔をしながらつぶやいていた。

 

「さて……今日は大会は休みだが、みんなはどうする?」

 

 ティーダが立ち上がりながら声をかけてくる。

 本来なら今日の昼から2回の準決勝が行われる予定だったのだが、それは主にティーダが武闘台を変形させたせいで、1日分延期になった。

 ゆっくり体を休めてもいいし、対戦相手の情報を集めてもいい。バルイーマの観光を楽しむのもいいだろう。

 まあ、対戦相手の情報はいらない。オレの次の相手は……ユシドだ。こいつのことなら誰よりも知っている。

 ……誰よりも知っている? ほんとうに、そうだろうか。

 

「僕はちょっと、ギルドに寄って簡単な依頼でもこなそうかなと」

「え! ユシドさん、ミーファさんとどこか行かないの? 女の子が暇を持て余しているんですよ?」

「は、え、その……」

 

 なんかユシドがデイジーさんに詰め寄られている。確かに暇だが、オリトリ亭で給仕の仕事でもさせてもらおうと思っていたのに……。

 ちょっと釈然としない。

 

「そりゃあいい。なら、ミーファちゃんと、このアーサーも連れていくといい」

「は? なんでわたしが」

 

 ティーダがアーサーの背中を馴れ馴れしく押す。

 迷惑そうにする少女を見て、ティーダの意図を汲んだ。

 

「そうだな。S級のハンターが力を貸してくれたら、これ以上ない勉強になるだろう。さあさあ行こう、ふたりとも」

「行ってらっしゃいみんな。俺は闘技場のステージを修復する手伝いをしに行ってるから、困ったことがあったらそっちに来てくれ」

 

 ティーダと一瞬、目配せを交わし、デイジーさんには朝食の礼を言う。

 オレはふたりの腕を引き、オリトリ亭を出る。さて、ギルドはどっちかな。

 

 

 

「なぜわたしが人の仕事なんて……」

「アーサーさん。噂に名高いあなたと共に戦えるなんて、本当に光栄です」

「は、はあ。それは、どうも」

 

 お、うまいぞユシド。お前は本当に人当たりがいいな。その調子でアーサーと仲良くなってくれ。

 ギルドにたどり着いたオレ達は、さまざまな依頼が貼られる掲示板へとまっすぐにやって来た。

 建物を外から見たときも、中に入ったときも驚いたが、グラナのハンターズギルドよりずいぶんと規模が大きい。働き手も依頼主も大勢いるのだろう。

 目の前にどんと置かれた掲示板も、やたら面積が広い。自分に合った依頼を見つけるのも一苦労じゃなかろうかと思うのだが、ユシドは慣れた様子でそれらを検めていく。しばらくここに入り浸っていただけのことはある。

 

 ハンターとして働いたことはないが、試しに掲示板を眺めてみる。依頼にも色々種類があるようだ。

 「魔物がうろつく街の外で、希少な薬草やら鉱物やらを採取してきてほしい。」 これなら逃げ足が早い者ならこなせそうな依頼だ、日銭の欲しい冒険者見習いにでも斡旋されるべき話だろう。

 「ダンジョンの調査をするために護衛をつけたい。」 これは最近、ユシドとティーダが受けていたと聞いたな。依頼主によっては冒険者としてよい経験を積ませてもらえるだろうが、長期間にわたることもある仕事だ。そして働き手の信頼性を示すランクについても、Cとか、B以上の人材が求められるみたい。ベテラン向けってことだな。

 「魔物を退治してほしい。」 わかりやすくていい。楽そうだ。魔物の強さによっては大変な目に遭うだろうが、七魔のようなやつらでもなければ、オレは負けはせん。これがいいな。向いてる。

 想いが通じたのか、やがてユシドは、魔物退治の欄から一枚の依頼書を選んだ。それをオレとアーサーに見せてくる。

 

「“カエルの討伐”ねえ」

 

 “バルイーマの地下を巡る水道に、蛙の魔物が住み着いている。” うげ。

 こういった都会は田舎と違って大きな水道が通っているようだが、こういう弊害もあるのか。人気がなく薄暗い環境は、たしかに魔物たちの好みとするところである。我々の住環境を守るために、彼らは討伐するしかあるまい。これも人間のわがままだ。

 この依頼を選んだのは賢い。現場がすぐ近くで街を出る必要はないし、そう苦戦することもあるまい。水棲生物型の魔物の相手は、オレも得意とするところだ。アーサーの出番はないかもしれんな。

 ……しかし、地下水路かあ。下水道の役目もあるだろう。誰もやりたがらなさそうな仕事を持ってくるのは、ユシドの性格かもしれない。

 

「ただこのカエルのボス……いわゆるギガントードとかグランフロッグとか呼ばれる魔物だけど、結構強いらしい。B級以上しか受けられないって書いてある」

「へえ。ならユシド、それ受けられるの? 駆け出しじゃないのか君は」

「問題ないよ。そろそろA級に昇格しそうなんだ」

「はあ~~? お前……」

「ご、ごめんなさい」

 

 勇者の使命からどんどん遠ざかってない? まあ、そこまで一生懸命やれることなら、いいけどさ。

 ユシドはアーサーにも確認を取り、受付に依頼書を持って行った。

 ハンターでないオレやS級のアーサーが同行することは、別に受付に伝えずともいいのだろうか。

 複数人でハンターの仕事を受ける場合、報酬周りのシステムはどうなっているのだろう。

 

 再度掲示板を眺める。どうやら依頼によっては、仕事を何人でこなしたとしても、依頼主が支払える報酬額は変わらない、というものもあるようだ。

 依頼書には来てほしい人数や人材のランクに見合う額が提示されているが、必ずしもその人数で来いという指定は、ないときもある。魔物の討伐依頼なんかは大体そうだろう。その場合、より安全に仕事をしたい者は、求められた以上の人数でチームを組んで依頼を受けてもよい、ということになるのかな。一人当たりの報酬は減ってしまうことになるが。

 では、今回のカエル討伐依頼なら、これが4人以上向けの依頼ならば儲けもの、2名以下向けなら損ということになる。

 このあたりの、内容に見合った依頼料や報酬額の見積もりは、ギルドの経営側の仕事だろうか。

 

 そうなると例えば、ひとりでなんでもできてめちゃくちゃ強いやつにとっては、ハンターという仕事は儲かるわけだ。

 思わず、フードで顔を隠した少女に目が行く。この子実は、かなりお金持ちだったりするのでは。

 しかしなんだかんだで、アーサーもついてくる空気になっているな。しめしめといったところだ。一緒に戦闘をこなすと、多少は仲間意識も生まれるものだからな。

 オレ達の目的が彼女の勧誘なのは、本人もわかっているだろう。それでもついてくるあたり、満更でもないのかもしれない。

 そうだと、いいな。

 

「ミーファはハンターじゃないけど、闘技大会の本戦出場者だから、特別に許可が出たよ」

「おー。それはよかった」

 

 戻ってきたユシドの言葉に、返事をする。

 ということは逆に考えると、ハンターではない者がハンターの仕事に同行するのには、許可が必要になるわけか。

 当たり前か。ギルドに認められていないものが、ギルドに持ち込まれた依頼に出てくるのは、おかしい。いわば人材を送るビジネスなのだから、実力の不確かな人間を送るなんてことをすれば、信用に関わる。

 今後もこうしてユシドやティーダが退治屋業に精を出すなら、オレもハンターとして登録するべきか?

 でないとまた街でお留守番だ。オリトリ亭での日々がつまらなかったわけではないが……。

 少し、考えておこう。

 

「さて! では2人とも、協力して働こうじゃないか」

「う、うん。乗り気だね、ミーファ」

 

 アーサーは返事をしない。オレの故郷では、返事をしないやつは同意したものと見なします。よろしいね。

 おそらくティーダのもくろみ通り、共に戦う中で、仲間意識をはぐくもう。

 オレはアーサーと楽しく和気あいあいと打ち解ける未来を想像しつつ、仕事の準備を始めた。

 

 

 

「はあっ!!」

「『イラプション』ッ!」

「『ハイドロレイ』!!」

 

「つよっ」

 

 仲間意識、生まれない。

 アーサーもなにかフラストレーションがたまっているのか、彼女は見敵・即必殺という方針で、さきほどからそう広くはない水路の中を、縦横無尽に暴れている。

 こちらとしては、楽をさせてもらって助かる……じゃない。これでは協力も何もあったものではない。新たな勇者勧誘大作戦が台無しだ。

 どうしたものかな。彼女に対して、手加減して戦え、などと言うのも馬鹿な話だし。

 

「うーん、さすがS級。このままだと、アーサーさんに報酬を全部渡さないといけなくなるな」

「あ……そんな、横取りするつもりはありませんでした。いつもひとりで戦っているから、つい」

「うん。なら、こういうのはどうだろう」

 

 暗い地下水路の中を立ち止まり、ユシドが何やら提案を持ちかけてくる。

 

「この依頼、大将を倒すのが目的だけど、可能なかぎりその子分たちも駆除するように、との記述がある。さっきからアーサーさんがやっつけているのがそうだね」

 

 倒してきたギガントードたちは、どれも人間に迫るほどの体高があった。カエルが苦手な人なんかはもう、近くで見れば気絶してしまうだろう、といったような外見。

 口から吐く溶解液は厄介だが、それをなんとかできるのなら危険度は低い。ただ、さっきからどうにも、数が多い。相当景気よく繁殖しているようだ。水道の管理とか、今日まで大丈夫だったのだろうか。

 

「というわけで……これから3人で勝負をします。準決勝前の腕慣らしだ」

「ほー。勝負とは?」

 

 ユシドの言葉を聞きながらアーサーの顔を見ると、彼女はしっかりと耳を傾けていた。関心を捉えるのがうまいな、やはり商人なんかに向いているかもよ。

 

「僕たちは三手に分かれて、ボスを探しながら子分たちを倒す。いちばん多く倒した人が報酬をたくさんもらう。以上」

「なんか子供っぽい遊びだな」

「ミーファは好きでしょ、こういうの」

「……アーサーは、どう思う?」

 

 事前に確認したマップによると、栄えた都市であるバルイーマの下に広がっているだけあって、3人1チームで探索するには結構広い。分かれるのはいい手段だろう。

 アーサーに、話をふる。

 そして地下水路の様子を眺め、まだオレ達が通っていないルートへ続く曲がり角に、ちらりと視線をやる。

 

「いいと思います。それでお願いします」

「じゃあスタートッッ!!!」

「あ、ズル! ミーファってほんとお金好きだな」

 

 足に魔力を纏わせ、汚水を弾き飛ばしながら疾駆する。若造どもには負けんぞ。カエルたちには犠牲になってもらう。

 後ろから、「飽きたら出入り口に集合!」という声がした。勝負とあっては、狩り尽すまで帰りませんよ。

 

 

 

 少女は水路の中をひとり、歩く。

 遠くでは電撃の瞬く光や音、それに水路を流れる水がやや風にゆらめいている。それを感じたアーサーは、知らず知らずのうちに、ふたりに負けじと早歩きになった。本人は冷静に、年上の提案したお遊びに付き合ってあげているつもりだが、根の部分では負けず嫌いな性質があるのだろう。ハンターの中で最も上位であるS級の肩書は、その表れかもしれない。

 

「ん」

 

 アーサーは水の魔力に敏感な魔導師だ。

 彼女は水路のどこかに、何かを感じ取った。時折、流れる汚水排水に目をやり、耳を澄ませながら、入り組んだ道を迷いなく折れていく。

 

「いた」

 

 やがてアーサーは、これまでに屠ってきた蛙の魔物とは比べ物にならない大きさの、同種の魔物を発見した。

 討伐依頼の主目的である、ここのヌシだ。

 アーサーは見上げるほどもある巨大な魔物を眺め、怖がることもなく、内心舌なめずりをした。あれを倒せば、特別点でももらえるかもしれない、と。

 

「はっ!!」

 

 アーサーは遠距離から、水の魔法術を放った。ここに来るまでに小ガエルたちを切り裂いてきた、鋭い一撃だ。

 ……しかし。それは敵の厚くぬめった表皮に、難なく防がれた。

 

「やっぱり、そうなるんだ」

 

 水棲生物の魔物は、水属性の魔力に耐性を持っているケースが多い。その中でも強力な個体であるならば、一般的な魔導師の水術では全く効果がないだろう。

 とはいえアーサーの術の規模ならば、そんな耐性は無視できるほどの魔力がこもっている。勇者に選ばれる人間は規格外だ。

 しかしそれでは、この地下水道に少なくない影響を与えかねない。彼らは人々の生活を守るためにここへやってきたのだ。アーサーが力の加減を誤れば、最悪、水路に損壊をもたらし、本末転倒の結果となってしまうだろう。

 ならば、と。

 アーサーは己の右腕を見た。……そして、かぶりを振る。

 今までもこの程度の仕事はこなしてきた。火の術など、使う必要はない。

 

「ふっ!」

 

 静かに、しかしどっしりと構える水路の主に、アーサーは背中の大剣を掴んで接近を試みた。

 じっと動かなかった魔物の目が、ぎょろりと動く。アーサーはいち早く反応し、大きく進路を修正し、跳んだ。

 大ガマの喉が動き、巨大な口が開く。そこから吐き出された液体は、アーサーが進もうとしていた地面を、焼き溶かしていた。

 それは子分たちのものより、数段強力な溶解液だった。攻撃範囲も広い。

 アーサーはどう攻めたものか、思案する。

 しかし敵も戦いのスイッチが入った。考える間を与えないように、魔物の液が飛び散ってくる。それをなんとか掻い潜れば今度は、太い腕や柱のような舌が伸びてくる。

 相手の動きを封じることができたなら。アーサーの剣は、いかなる魔物をも両断するだろう。問題は、どうやってそれを成すか。

 火を禁じているアーサーにとって、敵との相性は、悪い。

 

「ひとりで大変なら、こうすればいいのさ」

「えっ?」

 

 暗い水路に、明朗な声が響く。

 途端に、眩い金色の光が、暗がりに慣れたアーサーの目を刺激する。それは雷術の魔力による光だ。

 虚空から出現した雷は、巨大な魔物の身体にまとわりつき、やがて大きな輪になった。そしてまるで縄のように、その肉の身体を締め付ける。

 雷の属性による、拘束の術だった。

 アーサーにも似た技は使えるが、“敵との相性”が違ってくる。雷は、水に属する魔物に対して、より強い威力を発揮することがある。

 蛙の魔物はその腕や、跳ねる動きを封じられ、どこか苦し気にもがいた。

 アーサーは火が付いたように、前へ駆けだす。

 ――巨大蛙が大口を開け、溶解液を放った。

 

「そのまままっすぐ行って!」

 

 反射的に大きく躱そうとしたアーサーに、先とは異なる声がかけられる。少女は一瞬の判断を迫られ、その誠実な声を、信じた。

 後ろから、風が吹いた。

 

「これは!」

 

 アーサーを避けるようにして、背後から風の魔力が前へ飛び、竜巻を形作って溶解液を吹き散らす。

 あとには、勝利への道筋だけが残る。孤独でいることを選んできた少女にとって、自分以外の者に援護される経験は、これが初めてのものだった。

 追い風が背中を押す。アーサーは跳んだ。いつもより、すこしだけ高く。

 

「やあああっ!!」

 

 鋼鉄の大塊が、魔物の脳天に振り落された。

 

 

 

「それで、結局誰の勝ち?」

「子分を倒した数は……ミーファが一番」

「よしっ! 見たか君たち。これが実力というものだよ」

 

 胸を張って自慢すると、アーサーがむっとしたのがわかった。

 やっぱり可愛い顔をするじゃないか。子どもは素直な方がいい。

 ……少しは、距離も縮まっただろうか。

 

「そしてボスの点数は、小さいの100体分です。よってアーサーさんの勝利」

「はあ~~~~? 聞いてませんけど!!」

 

 理不尽……っ! 小さいやつら倒した意味ないじゃん。オレの小遣いは?

 いくらなんでも納得がいかず、ユシドの頬をつねって抗議とした。

 

「あ、あの。あいつは、みんなで、倒しました」

 

 声の主を見る。

 少女がどこか、これまでに見せた顔の中で一番、嬉しそうに見えたのは、気のせいではないと思いたい。

 

「わたしについてこられる人を見たのは、おふたりとティーダさんが初めてです。だから、報酬は、平等に分けたい、です」

「良く言った! 良い子! お姉さんが撫でてやる」

「ふわっ、あ、あの……ミーファさんって、話し方が、なんか……」

「この人、貰えるお金が増えて喜んでるだけだよ」

 

 ユシドが笑う。オレも笑って、アーサーに接する。

 やはり彼女を、どうか、これからの旅に連れていきたい。この気持ちは通じているはずだ。

 なぜこんな純粋な子が、これまでひとり孤独に戦ってきたというのだろう。……あっては、いけないことだ。

 

「アーサー。僕たちの旅に、一緒に来てくれないか?」

 

 ユシドがついに、その一言を口にする。言葉遣いも変わっていた。これまでのように仕事仲間に向けるものではなく、目の前の少女自身に対して、本心から語りかけている。

 それを聞いてアーサーは……オレの手から、離れた。

 まるで互いの、心の距離を開くかのように。

 

「……まだ。やることが、あります。明日の戦いが終わるまでは、答えは出せません。……ごめんなさい」

 

 それだけ言うとアーサーは、再びフードを目深にかぶり、踵を返して歩き出してしまった。

 オレ達はゆっくりと、その後をついていく。ユシドは彼女に届くように、大きな声で、また話しかけた。

 

「大会が終わったら、また一緒に仕事をしよう。そのときにはきっと、君のことを聞かせてほしい」

 

 返事はなかった。

 もう少しの間、少女を見守ることを決め、オレ達は進む。

 

 明日の戦い。彼女にとって大きな意味を持つ何かが、そこにある。

 

 



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25. 舞台は炎上する

 アーサーはゆっくりと、戦いの舞台への階段を歩く。

 闘技大会・本戦第5試合。それはいわゆる準決勝戦であり、これを勝ち抜いたものは、いよいよ玉座を賭けた一戦に挑むこととなる

 残り3回の試合に向け、観客たちの興奮も最高潮に達していた。ここまで勝ち上がってきた闘士には、人々の惜しみない激励の声が浴びせられる。

 しかしその声も、徐々にアーサーの耳には入らなくなる。彼女は一段昇るごとに、己の内から不要な情報をそぎ落としていった。そうして、残すべき闘志だけを、鋭く研ぎ澄ませていく。

 やがて舞台へ上がった少女の目には、観客たちの声や姿は追い出され、生涯をかけて憎むべき敵の姿だけが、ただひとつ映っていた。

 闘士ロピカ。長い黒髪と紅い瞳、そして端正な顔立ち。それはフードを目深に被り人には見せることのない、アーサーの素顔とよく似ている。ふたりの身体が、血という強い絆で繋がっているからだ。

 だが、その肉体の中身は、いまでは違うものにすり替わっている。

 アーサーは激情にかられつつ、頭の中は怨敵を葬る算段でいっぱいだった。衆人環視の中であることなどはもう、関係がない。アーサーが今日まで生き抜いてきた理由は、目の前の敵を消滅せしめんがためだ。その後のことは、考えていない。

 そのはずだ。

 

 そう自分に言い聞かせ、合理的に戦いの準備に専念しようとするアーサーの脳裏を、しかし、ノイズのように“その後のこと”がよぎる。

 復讐を終えたあと。一緒に行こうと、言ってくれた人たちが、いた。

 

「お友達には話さなかったようね。偉いわ、シーク」

「なに?」

 

 ロピカが口を開く。まるで心の内を読まれたかのような言葉に、アーサーの思考が止まる。

 そして戦慄した。――なぜ、それを、こいつが知っているのか。

 

「ずっとあなたを見守っていたもの。ずっと、ね」

 

 ロピカは優しく微笑む。それはアーサーに、在りし日の母をはっきりと思い出させた。

 家族しか知らないはずのその慈愛に満ちた表情を、母の中に巣食った悪魔がさせている。そのことに、絶望の感情が頭をもたげてくる。

 そして。続く言葉は、幼いアーサーの心にとって、あまりにも大きすぎる悪意だった。

 

「あの頃からずっとそう。村の老人に引き取られたときも、孤児院に入ったときも。そのたびに、あなたの居場所を焼いてあげたわ」

「……え?」

 

 ロピカの言葉が、アーサーに染み込んでいく。

 アーサーのこれまでの数年。つらく、くるしかった。炎の魔力のせいで温かい場所にいられないことは、10にも満たない年齢の少女にとって過酷な生き方だった。だがそれは、自分で選んだことだと思っていた。

 違う。

 すべてあの日から、目の前の魔物が仕組んだことだった。アーサーがこうなるまでの長い年月など、この魔物にとっては、食事の出来上がりを待つ楽しいひとときに過ぎなかったのだ。

 目の前が、灰のように、真っ白になっていく。

 

「…………そん、な」

「そうだ。次は新しいお友達を燃やしましょう! あなたに安らぎなんていらないわ。強い怒りだけあればいい」

「あの人たち、を?」

 

 火の魔物はどこまでも、その汚らわしい炎で、大事なものを奪っていく。アーサーが死ぬまで、ずっとだ。

 力が抜けていく脚。暗い水中に沈められていくような感覚に、全身が重くなる。しかもその水中はあまりに熱くて、全身を熱病に侵されたかのようだ。

 ひとりはもう嫌だ。熱の日は誰かに、顔に冷たいタオルをあててほしかった。

 誰かの顔が浮かぶ。

 

「あの人を、燃やす?」

 

 アーサーの表情が変わる。

 少女は手を強く握りしめ、倒れないように踏みとどまった。

 思い描くのは、父の言葉に抱いた夢と、それが現実になったように現れた3人の大人たち。彼らもまた、アーサーのこれまでのように、魔物の悪意にただ塗りつぶされてしまうような存在だろうか?

 きっと、ちがう。

 

「あの人たちは勇者だ。お前なんかに、易々と燃やせるものか」

「……勇者だと?」

 

 そしてきっと、自分もそうありたい。力を持ち過ぎた化け物ではなく、誰かを救う勇者になりたい。優しかった父と母のように。

 アーサーは剣を掴み、正面に構えた。それは最初の内は、尊敬していた父の姿を拙く真似たものだったが、今では確かな力が宿っている。

 磨いてきた力は、悪鬼の腹を満たすためなどではない。打ち倒し、前に進むためだ。

 アーサーは、心を決めた。

 

「貴様を倒す。父と母の魂は、返してもらう」

「ふん。……何、父親? ……ああ、水の」

 

 魔物はいつの間にか、母親のふりをやめていた。

 しかしそれは、その邪気に満ちた魂を、取り繕わないということだ。

 母の端正な顔立ちが、悪意に歪む。

 

「返すも何も、あんなものを取り込んでも毒だからな。身体も魂も、灰にしてその辺に捨てたよ」

「っ―――」

 

 アーサーの思考が飛ぶ。

 気付けばすでに、大剣を握った手を、振り抜いていた。

 うまく狙いをつけられなかったそれは、わずかに立ち位置をずらしたロピカには当たらず、地面を激しく割り砕く。

 それが、戦いの始まりとなった。

 

「くく、母親にそっくりだな。男を殺したとき、そうやって激昂してきたよ。普段の私ってあんなに穏やかなのにね?」

 

 アーサーは何度も剣を振る。もうこれ以上その言葉は耳に入れたくはなかった。母の声まで使って激情を煽られては、頭の中に冷静な自分を置いたとしても、心はもう止まれない。

 大味な剣戟に対し、魔物は身をひるがえしてかわしていく。まるで人間のように。人間の動作を真似て、それが滑稽だと、あざけるかのように。

 

「そのロピカも、部屋ですやすや眠るお前を殺すと言ったら、みじめに跪いてきたがな」

「貴様あああーーーっ!!!」

 

 怒りを乗せた大剣がさらに振るわれ……そして、止められる。

 ロピカの背後から、立ち上がるように炎の魔人があらわれ、その強靭な腕で刃を阻んでいた。

 アーサーは、その紅い目だけが爛々と光っている魔人の容貌を認め、幼い頃の記憶を呼び起こした。

 

『その怒りの炎だ! それを食うために、これまでお前を生かしてきた!!』

 

 母の顔が狂喜にまみれ、魔人が手を伸ばしてくる。

 それを見たアーサーは、即座に状況を理解し、身を引いた。簡単に取り込まれてしまっては両親の無念を晴らせない。そう思ったからだ。

 怒りに歯を食いしばりながらも、アーサーは勝つための算段に取り組もうとつとめた。

 ……おそらく、あれが“本体”だ。あの日、厚いローブの下にいた火の怪物。自分の身を食らうために、本性を晒したのだろう。ならばあれを攻撃すれば。母の遺体を、傷つけずに済む。

 そんなアーサーの見当は、正解ではあった。

 だが。相手が本性を晒したということは、つまり、その本当の力を見せるということでもあるだろう。

 

「ああああっ!!」

 

 アーサーは左腕に魔力を集中させ、解き放った。

 大海嘯のごとき怒涛の青。予選でミーファに放ったものとは比較にならない力が秘められており、さらにそれを一体に向けて範囲を絞っている。

 魔力はもはや波の形ではなく、間欠泉のような巨大な柱となっていた。

 

『は。水の魔力など、捨ててしまえばいいものを』

「!?」

 

 水が押しとどめられている。ロピカの前に出た魔人の腕から、火柱が噴き上がり、アーサーの魔法術と拮抗していた。

 

『ちょうどよい。その水が枯れるまで絞り出してから、お前を食らうとしよう』

 

 魔力をゆるめず放出しつつ、アーサーは内心歯噛みした。

 水流に、火で対抗するなど。あの凄まじい高熱を発揮するために、あの魔物はどれほどの力を蓄えてきたのか。

 ……そのために、どれほどの人間を手にかけてきたのか。

 ぎり、と怒りを噛みしめる。身体を熱く、しかし腹の内は冷ますことを意識し、アーサーは、次の行動をしかけた。

 

『ち……小賢しく立ち回る』

 

 水の放出が終わる。辺りは2種の魔力のぶつかり合いによって発生した、高温の蒸気が霧のように立ち込め、魔物の視界をおぼろげな景色にしていた。

 目くらましからの奇襲。それは人間同士の戦いでは大いに有効であり、先に相手を捉えた方は有利に立ち回れるだろう。この場合、先に霧中へと身をくらませたアーサーが、攻勢をかけようとしている。

 しかし。アーサーの相手は、人間ではない。

 炎の魔人は、その独自の感覚器官を鋭敏に稼働させ、人間とは異なるビジョンを捉えていた。

 高温の霧に紛れて視え難いが、たしかにそれとは温度の異なる活動体が、迂回しつつ急速に接近してくる。

 そうして人体を色彩で認識した魔人は、背後から近づいてくる小さな体温の塊に向かって、腕をふるった。

 

『……!?』

 

 触れたそれはあっけなく、手ごたえもなく、崩れた。

 魔人は自分が手にかけたものの正体を悟る。それは水の魔法術を使い、矮躯の少女にみせかけた虚影であった。

 ならば、本物は?

 

(とった……!)

 

 アーサーはこのような搦め手を使った経験は、これまでにほとんどない。必要がなかったからだ。

 しかし己の魔力をもってしても圧倒できない敵が現れたとき、どう対抗するべきか。それを考えたとき、アーサーは経験の中から、誰かの戦いを取り入れた。

 そして今、その成果として、魔人の後ろから致命の刃を振りかぶっている。

 

「せえっ!!」

 

 咄嗟に振り返った魔人の肩に、巨大な刃が落とされた。

 どうやら腕部ほどの硬度はない。好機を感じ取ったアーサーは力を振り絞り、やがてその気勢は、魔人の炎の身体を斬るに至る。

 

『グオオ……ッ! きさま、このような』

「まだだッ!!」

 

 苦しげに呻いてはいるが、まだ魔人には声を返す余裕がある。切り裂いたのは表皮、あるいは衣といえる部分だけだ。それを認めたアーサーは、追撃を仕掛ける。

 燃え盛る傷口からのぞく、赤いマグマの血肉。そこに左手を押し当て、力を流し込む。青い、水の力を。

 

『ギアアアアアッッ!!??』

 

 耳をつんざく醜い悲鳴に、アーサーは手ごたえを覚えた。

 これまでとは反応が違う。魔物としての肉体に、ダメージを与えることに成功していた。

 このまま終わらせようと必死に張り付くアーサー。しかしそこに、思いがけない反撃があった。

 魔人の身体が激しく炎上し、至近距離にいるアーサーを火に巻く。炎に対する障壁をまとい、しばらく耐えていたアーサーだが、尽きないそれに根負けし、身を引いてしまった。

 

『アアアア……オオ……ッ!』 

 

 だがダメージは与えたはず。そう思いつつ、アーサーは瞬時に体勢を立て直した。敵が身体からわずかに黒煙を巻き上げ、苦悶の声をもらす今、攻撃を止めるのは悪手。

 アーサーはふたたび接近しようとし――それを、思いとどまる。

 敵の苦しむ様子が騙りで、自身を取り込むための罠であることを警戒し、中遠距離の位置から、魔人へと手をかざした。

 

「ハイドロレイ」

 

 水の魔法術が、動きを止めた魔人に、何度も叩きこまれる。何度も、魔力の限り、敵が消え失せるまで。

 魔法術による、嵐のような怒涛の攻め。それこそが、アーサーの最も得意とする戦い方だ。

 

「はあっ、はあ」

 

 長い攻勢が終わり、武闘台上は静かになる。

 魔物相手に息が上がることなど、アーサーには久しくなかったことだった。

 しかし、だからこそ。その成果は、確かだ。

 魔人の身体は火の勢いを弱め、それによって赤熱色だった体表は、纏っていた炎のその下の、黒く焦げたような皮膚をさらしていた。あれならば、大剣を弾くほどの硬い炎をまとうエネルギーは、もう残っていないかもしれない。

 アーサーは横に突き立てていた剣を掴み、肩にかついだ。ゆっくりと、膝をついてうなだれた母の身体と、魔人へと近づいていく。

 ……十中八九、誘いだろう。いくら自分が強くなったからといって、こうも容易く討ち取れる存在ではない。この程度なら、父と母が負けるはずはなかった。

 だが、あえて近づく。あのまま術で攻撃するべきなのだろうが、魔人の首は、父の剣で刎ねるものと決めている。

 幾通りもの予測を立てながら、アーサーは歩く。

 そうして、たどり着く。アーサーは重い大剣を片腕で持ち上げ、高く掲げた。

 魔人の首に向かって、断頭の刃が振り落される。

 

「シーク……お願い、お母さんを助けて」

「っ……」

 

 そこに、母が割って入った。

 ただ、それだけで。少女の剣は、いとも簡単に止められてしまった。

 ……わかっていた。魂の腐った魔物が、このような手を使ってくることは、事前に想定していた。対応策も考えてある。はっきり言って、あまりに粗末なやり口だ。姑息で、小癪で、猛り狂う炎の魔人のやることにしては、あまりに矮小な手口だ。

 ただ。

 結局、アーサーの身体は、動いてはくれなかった。誰かの愛情を求めていた少女は、この土壇場で、その手で母に別れを告げることが、できなかった。

 それだけのことだ。

 

 母の口の端が吊り上がり、弓のように曲がる。そこから目を逸らすように、アーサーはまぶたを閉じた。

 死から蘇るかのように、ふたたび身体を炎上させた魔物が、アーサーの腕を掴む。

 剣が手の中から落ち、がらんと重い音を鳴らした。

 

『さあ。ようやくだ。オレとひとつになろう。世界を焼き尽くそう』

 

 強く手を引かれると、アーサーの身体が、魔人の大柄な身体の中に沈んでいく。魔人が少女を、肉体ごと取り込んでいるのだ。

 当初、魔物はアーサーを殺し、魂を食らって身体を乗り換えるつもりだったが、予想以上に力をつけていたアーサーに苦戦し、咄嗟に方針を変えたのだった。取り込まれた肉体は魔人の体内で魂と共に消化され、力となる。肉体を乗っ取ることはできなくなるが、人間を食らうにはより手っ取り早い方法だった。

 魔物はアーサーの奮闘に業を煮やしてこの手段を選んだものの、抵抗もなく沈んでいく少女を見て、失策だと感じていた。これほどまでに動きを奪えるのならば、焦らず当初の予定通り、先に肉体を殺すべきだった。

 とはいえ、吐き出すというわけにもいかない。これでまた力を増すことができるのだから、その礼に、美味しく、丁寧に、食い殺してあげよう。

 魔人はやがて巨体の中にアーサーを取り込み終えると、満足そうに天を仰いだ。

 連動して、ロピカの身体が同じ動きをする。娘の殺害に加担したその身体は、心から嬉しそうに微笑んでいた。それはロピカの肉体に、怒り、涙を流すための本来の魂はどこにも残っておらず、魔物の手足となってしまっていることの証左だった。

 

『……ん? 消耗し過ぎたか。取り込むのに時間がかかる……』

 

 腹をさするような仕草をした魔人は、おもむろに周りを見渡した。

 彼が見ているのは、武闘台を円く囲む人々。闘技大会の観客たちだった。

 魔人の魂が発する命令を受け、ロピカの身体は舌なめずりをする。

 

『ならば主菜の前に、おやつでも楽しませてもらおうか』

 

 魔人が身を縮めると、急激に魔力の濃度が高まる。その異様なさまは、結界越しに見守っていた人々を不安にさせた。闘士アーサーはどうなってしまったのか? 試合はこれで終わりなのか?

 誰かが呟いた言葉は、的を射ていた。試合はもう終わっている。

 これから起こることは、ルールに守られた高潔な戦いなどでは、ないからだ。

 

『オオオオッ!!』

 

 魔人は身体の大きさを増していき、そこから突如、4本の火柱を噴出させた。

 火柱は四方に伸び、武闘台を囲む防護結界に到達する。あまりの臨場感に、人々は汗をかく。

 

「お、おい。あれ……」

 

 火柱には確かなカタチがあり、結界に張り付いたそれはまるで、巨大な手のひらのように広げられていた。

 やがて誰かが、結界に、あるはずのないひびを見つけた。

 誰もが目を疑う。これはバルイーマの手練れの魔導師たちが長い時間をかけて編み上げた、最高硬度の魔法障壁だ。内側でいかなる激闘が繰り広げられようとも、ほころぶことなどあり得ない。あっては、いけないはずだったのに。

 そしてあっけなく。今日まで人々の、単なる観客としての立場を守ってきた大結界は、薄氷のように、割れた。

 

「う、うわああああっ!?」

「いやあっ!? 何よこれ!!」

 

 燃える腕は客席に届き、火が人々を脅かす。

 逃げ惑う者たち。それを逃がすまいと、柱のような火の腕からさらに細い触手が伸び、人々の足や腕に取りついた。

 巻き込まれた彼らは火傷を負ってはいるものの、幸いにも死者はまだいない。それはこの腕が、人々に秘められたわずかな魔力を食らっているからだ。

 つまりこれは、幸いなどではない。わずかののち、魔力が尽きた人々は、肉体を焼き尽くされる運命である。

 彼らは一人残らず紅蓮のかいなに囲まれ、ここからは逃げられない。

 アーサーが魔人に取り込まれて、ほんの数十秒。

 人々の心のよりどころであった伝統ある闘技場は、地獄になった。

 

 魔人は地獄を見て、安堵のような感情を得ていた。

 彼にとってはこの光景こそが己のいるべき場所で、人間の世界に潜り込んだときから、ずっとこの瞬間を我慢していたからだ。

 我慢に我慢を重ねた末にある悦楽の、なんたる美味か。そして魔物は、人々の魔力だけではなく、絶望の感情をも食い物にしていた。

 地獄の中心で、魔人の魂の響きが伝播したロピカが、頬を赤く染める。その様子はあまりに妖艶で、とてもこの世のものとはいえない。

 魔人が笑う。人々の悲鳴と協奏曲を奏でるように、彼の哄笑が、世界を包んでいく。

 

 それを、切り裂くものがあった。

 

『何? なんだ、これは』

 

 4つの触腕からくる、魔人への食事の供給が、途切れる。

 炎の柱は既に消え失せていた。ひとつは突風に吹き散らされた。ひとつは刃によって悉く切り刻まれた。ひとつは五色の魔力の光によって消し飛ばされた。

 そしてひとつは、雷鳴によって砕かれた。

 炎上する武闘台に、ひとりの少女が降り立つ。

 見事な金の髪と、宝石のように紫紺に光る瞳を見て、魔物はまた舌なめずりをした。

 

『おや、決勝戦はまだ先だったはず。何か用かな、人間』

「大した用事じゃない。お前を斬りに来ただけだ、魔物」

 

 魔力のあらわれである髪と瞳の輝きは、極上の餌の証である。

 否。金色の髪と紫電の瞳は、雷を担う者の証明である。

 

 魔人のうちに囚われた少女を想い、ミーファは炎と対峙する。

 少女が悪しき火に取り込まれるまで、あと――、

 



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26. 火魔テリオモウイ

 燃える触手が、闘技場に集まった人々を襲う。

 デイジーは席から立ち上がり、熱気と恐怖に汗を流しながらも逃げ道を探す。

 デイジーの身体には、戦士たちのような豊富な魔力などありはしない。だがそんな少女にも例外なく、卑しい悪魔の手が伸びていく。

 

「はっ!!」

「お、おかみさん。ありがとう」

 

 デイジーに迫る鞭を、オリトリ亭の女主人の放った拳圧が消し去る。

 彼女は男性や少女を背に守り、腕や足の振りで触手を断ち切っていく。

 だが、その元手となっている炎の怪腕には、大きなダメージを与えられてはいない。時が経つにつれ、徐々に触手はその数を増やし、懲りずに周辺の人々を食らおうと蠢いていた。

 

「ふん。現役のときならこれくらいの炎、どうってことなかったんだけどねえ」

「おかみさん、危ない!!」

「……! あんた! デイジーちゃんを!」

 

 脅威を認めた触手が、束になって女性に襲い掛かる。彼女は背後のふたりを庇い、前へ出て身を強張らせた。

 

「雷神剣」

 

 透き通る声が、かすかに空気を揺らす。

 デイジーは思わず耳を澄ませる。しかしすぐに、雷鳴がとどろき、彼女の耳を脅かした。

 耳を押さえ、涙目になりながら、それでも少女はその姿を見て、勇気が沸き上がるのを感じた。

 炎の腕が金色の剣に切り裂かれる。それをやったのは、闘技大会の闘士で、どこかのお嬢様で、外からやって来た旅人。そして、デイジーの友人だ。

 

「ミーファちゃん! 助かったよ」

「ありがとうねミーファちゃん。そうやって戦っていると、私の若い頃に似てるわよ」

「何を言うんだおまえ。……おまえの方が、ミーファちゃんよりさらに、美人だったよ」

「あんた……」

「あのー、はやく逃げてほしいんですけど」

 

 剣を鞘に収めたミーファは、人々に避難を促した。デイジーが辺りを見渡してみれば、他の腕もあらかた消えている。深刻な火事になる前にここを去るべきだ。

 客席の出口へと向かう人の波に混ざろうとして、デイジーはあることに気付く。……彼女は、避難しないのだろうか?

 

「ミーファさん! 一緒に逃げないの!?」

「私は少し、やることがありますから」

 

 その目は闘技場の中心にいる、炎の魔人に向けられている。デイジーにはあれが何者なのか分からなかったが、人々を恐怖に陥れる存在であることは、今まさに理解させられたところだ。

 そんな相手に、自分の愛すべき友人は、立ち向かうというのだろうか。

 危険だ。止めるべきだ。そう、思った。

 

「……ミーファさん!」

 

 少女が、デイジーを見る。

 

「どうか、無事で帰って来て!」

「もちろん」

 

 ミーファは、なんでもないことだというふうに、穏やかにデイジーに微笑んだ。

 そのまま大きく跳び、燃え上がる炎の中心――武闘台へと飛び込んでいく。

 少女はそれを見守る。帰ってきたらきっとねぎらってあげよう、そう心に決め、その無事を祈った。

 

 

 

 燃える炎の悪魔と、目が合う。

 紅く光る瞳は邪気にまみれていて、さらに魔人とともにある闘士ロピカもまた、全く同じ目をしている。

 なるほど、彼女は火の勇者などではない。強力な魔物が、人間に化けて潜んでいたというわけか。

 魔物の侵入を防ぐ結界が張られているような都市だからといって油断し、その可能性に思い至らなかったオレは、何年戦っていても未熟者だということだ。

 そのせいで、ひとりの少女が、あんな目に遭っている。

 

 腰の剣に手を当てる。

 アーサーは、まだ生きているだろうか。試合を見ていたが、あの巨体の中に吸収されていった時点では、まだ余力があったはずだ。あれほどの魔力を持つ子だ、魔物の体内でも、魔法障壁で身を守ることはできるはず。意識と、抗う意思があれば、だが。

 ならばオレのやるべきことは決まっている。あの魔人の腹を掻っ捌き、アーサーの救出を試みる。

 ……あの魔物のことは、何も知らない。だが、対峙したアーサーの怒り狂った様子や、会場の人間に魔の手を向けたその所業からいって、ろくなやつではないだろう。

 

『お前はなんだ? 勇者だというのは真実か?』

 

 人間と言葉を交わす、知性のある魔物。

 その事実は、相手が友好にわかりあえる存在であるなどということは、保証しない。

 

「興味があるというなら、答えよう」

『ない。お前は次の食事だ』

「ああ、そう」

 

 魔物の様子を観察する。燃え上がる身体は、アーサーと戦っていたときより火の勢いが強い。口ぶりやこれまでの行動からしておそらく、アーサーや人々の魔力を取り込み、自分の糧としているのだ。

 また、あの体表はアーサーの大剣をも簡単には通さなかった。おそらく、纏っている炎が魔法障壁の役割を果たしているのだろう。属性の特徴を伴って可視化されるほどの障壁となると、それなりに厄介だ。

 だが、負けてやる気など、毛ほどもない。

 

「ならば、お前は何だ? 魔物か?」

 

 右手を剣の柄にかけ、やつの周囲をゆっくりと歩く。

 アーサーにつけられた傷や消耗した魔力は、すっかり回復しているように見える。そうなると防御力も復活しているはずだ。どの程度の加減具合なら、やつの腹をうまく切り裂けるだろうか。

 魔物はオレの言葉に、興奮したような声で返してきた。

 

『我が名はテリオモウイ! 七つ魔の一にして、偽りの民である貴様ら人間を葬るもの』

「なに?」

 

 ……ということは、“火魔”か。だとすれば、一匹の魔物に過ぎない個体が、あれほどの強大な力を持っているのも頷ける。人間と会話し、固有の名前を口にするような知性を持っているのもそうだ。まあ、その知性を、どうやらやつは下らないことに使っていそうだが。

 またしても七魔の一体。此度の人生では、この短い期間で二度も遭遇したことになる。不運なことだ。

 鞘に添えた手の方にも、力がこもる。

 だがこの火魔には、大して脅威など感じない。あの巨大な地魔イガシキと比べれば、常識的な範囲の内にいる相手だ。

 正面から向き合ったときのプレッシャーは、風魔テルマハにも格段に劣るだろう。

 そして、当然……“あいつ”にも。

 

「なあイガシキ。彼、きみのお友達らしいな」

『……はあ? 冗談はよせ、人間食いなどゲテモノ趣味にも程がある。まともじゃないね。大体あんな新参と同列に並べるな、格が違うわ』

 

 鉄が叩かれて響く音のような不思議な声で、イガシキがまくしたてる。今日は機嫌が悪そうだ。気が合うね。

 だけどなあ。小娘の腰に収まったちっさい鞘が、何を吠えているんだか。今の聞かれてたら、笑われると思うよ?

 

『バハハハハ!!! なんだ貴様は、まさか、人間に飼われているのか? 正気か!? ウッハハハハ!! 滑稽の極み!』

 

 ほら。爆笑されてます。

 

『殺そう』

「まともじゃないね、って、魔物にまともも何もあるのか?」

『あるとも。人間と比べればな』

 

 ゆっくりと抜き放った鋼の剣には、いつになく魔力がよく通る。もしかすると力を貸してくれているのかもしれない。

 オレは金色に光る切っ先を、火魔の本体に向ける。一足で踏み込める距離だ。

 さて。

 やるか。

 

 全身の気力を充実させ、頭の回転速度を最大にする。脚に纏わせた雷と風が、前に出ようとするオレを助け、地を蹴る足をさらに押し出す。そうすれば、敵の懐までは、瞬きの間にたどり着く。

 火魔の眼前で急制動をかけると、接地した足がバチバチと放電した。この緩急をつけた接近に、初見の敵は対応できていない。剣に纏わせた輝きが、魔人の間抜けな顔を下から照らす。

 

「ぜえあッ!!」

 

 雷の刃が閃く。オレはアーサーが先の試合で付けていた傷を思い出し、それをなぞるように、やつの腰から肩に向けて斬りあげた。

 

『ぬうっ!? 貴様ッ』

 

 ……浅い! 威力をセーブしすぎたようだ。

 やはり腹の中にアーサーが囚われているというのが厄介だ。彼女を傷つけてしまいやしないか、不安で剣速が鈍る。

 だが、炎の衣にどの程度の防御力があるか、ひとつ確かめることができた。二撃目はもっと精度をあげて……!

 

「!? なにっ!?」

 

 背後から、何者かに組み付かれる。

 オレよりやや背の高い華奢な女性、闘士ロピカだ。魔人の方が本体だろうと思って無視していたが、それぞれ違う動きができるのか。

 だがどうしたことか、大して強い拘束力ではない。見た目通りの人間らしい膂力だ。オレの筋力でも脱出できるはず。

 足が浮いてしまう前に力を振り絞り、彼女を撥ね退ける。魔人と挟み撃ちにされないよう立ち位置に気を配りつつ、オレはロピカを睨みつける。レベルの高い敵に立ち向かうとき、こういう邪魔者が一番厄介だ。先に切り捨ててしまおう。

 剣の届く間合いに踏み込む。鈍く光る鋼の刃が、彼女を両断しようと迫る。

 

『いいのか。それはアーサーの母親の身体だ』

 

 ――斬りつけようとした剣を、咄嗟に止めた。

 魔人が術を放つ。火炎がオレを飲み込み、視界は紅蓮で埋め尽くされた。

 腕で顔を、とくに鼻と口を庇う。障壁を身に纏っていても、息苦しく、気が狂うほど熱い。オレはたまらず大きく退き、火術の攻撃範囲から逃れた。

 

「ゲホッ、ゴホ!」

 

 他の七魔より格下だと侮るのを訂正はしないが、さすがに火の魔物の頂点だ。まともに食らえばひとたまりもない。

 石畳すら焦がし焼き砕くほどの威力は、それ自体は障壁で軽減することはできる。しかしあの呼吸を阻害してくる性質が、人間にとっては厳しい。やつはまるで、火事を具現化したような存在だ。

 まずいな。アーサーは、本当に無事でいるだろうか。敵に消化されてしまう以前に、呼吸困難で死にかねない。

 一刻も早く助けなければ。

 

 やや痛む喉を気にしつつ、体勢を立て直す。あちらから攻め込んでくる気配はない。

 浅い呼吸をしながら真っ直ぐに立ち、相手を見やる。

 ……時間がないから、敵に向かって悠長に質問などはしないが。今あいつは、気になることを口にした。闘士ロピカをさして、アーサーの母親の身体だ、と。

 それが真実なら。火魔が彼女の母親の身体を乗っ取り、操っているのだとしたら。試合でのアーサーの態度や戦い方に、説明がつく。

 剣を強く握りしめる。どうやらあの魔物は、想像を超える性悪のようだ。これ以上は声も聞きたくはない。

 

 剣を手に、再度駆けだす。景色が高速で後ろへ流れていくその中で、炎の魔人の正面を庇うように、ロピカの身体が前に出たのを見た。

 盾に使う気か。――ふざけている。

 途中で進む方向を修正。大きく外れた方角に向かって、最初のように魔力を用いて爆発的に加速する。オレは大回りの軌道をとりながらも、魔人の背後へと回ることに成功した。そのまま剣に魔力を込め、背中を斬りにかかる。

 だが。

 オレが剣を振りかぶるのと同時。いや、それより先に。炎の巨躯がこちらへ振り返りながら、その大きな腕を振り回していた。

 

「がっ――!?」

 

 硬く、重い衝撃。他のことに例えようのない暴力に吹き飛ばされ、オレの目の中で、周りの景色がめちゃくちゃになる。

 無様に地面へ転がり、ほこりまみれになり、うつ伏せになって自分のいる地面を見つめる。……赤い色の液体。口からの血だ。

 内臓にダメージがあったらしく、気付けば自分は腹を手で押さえていた。これでも咄嗟に後ろへ跳び、威力を軽減させたはず。このミーファとしての身体は、昔の自分より少しヤワだ。

 集中し、治癒の魔法術を使う。

 今世では回避に重きを置く戦い方を心掛けているのだが、それはオレがあまり頑丈ではないためである。そこに手痛いカウンターを頂くと、魔法障壁があってもこのざま、ということだ。いい経験になったよまったく。

 ……けれど、ひとつ。仕事はしたぞ。

 

 接近した際に敵に仕込んだ魔法術を、いま発動させる。ロピカにまとわりつくようにあったかすかな魔力の煌めきが、スパークして光量を増し、瞬く間に強固な拘束錠を形成した。それがロピカの手に、足に、かせとして噛みついていく。

 ロピカの四肢を締めあげているこの電光は、ある性質を持っている。両手首のそれ同士、両足のそれ同士が強い力で引き寄せ合い、接着し、対象が身動きをとれなくするのだ。

 術が上手く決まり、バランスを崩したロピカの身体が地面に倒れ伏す。それを炎の魔人は、退屈そうな目で見下ろしていた。

 やつの顔面には人間と共通するパーツは目以外になく、したがって表情というものも読み取りづらい。だがそれでも何を考えているかは大体想像がつく。アーサーの母親をあざけり、貶めるようなことだろう。人間をおもちゃかエサとしか考えていない醜悪な怪物だ。

 しかしこれでやつは人質の盾を失った。これ以上卑劣なことをしでかされる前に、アーサーを助けたいものだが。

 

「ミーファ様、伏せてくださいまし!」

「!!」

 

 聞こえた声に従い、身を屈める。

 

「アクア・イグニッションッ!!」

 

 アーサーの攻撃術にも迫る勢いの水流が、オレの頭上を越え、炎の魔人へ殺到する。

 燃え盛る炎に勝り得る強力な水術は……しかし、魔人の呼び出した、厚い炎の壁によって防がれた。

 惜しいな、かなり有効な攻撃だったはずだ。今やつが呼び出し水と打ち消し合わせたその障壁は、常に身体に纏っている炎と比較しても、いっそう強力なものだったように思える。水が炎の鎧の防御力を上回っていたことの証明だ。

 彼女がああして、こちらへ大声で呼びかけてくるような真面目な性格じゃなければ、魔物が守りを固める間もなく一撃を入れられていたかもしれない。不意打ちは有用な手段の一つだ。

 だが、彼女が真面目な子でなければ、こうして助力に来てくれることはなかっただろう。

 

「ミーファ様、ご無事でしたか?」

 

 重厚なからくりの剣を手にし、少女――ルビーは、オレに並び立つ。

 そして、もうひとり。

 

「すまんな、もっと早く駆けつけたかったんだが」

 

 鉄の鳴る足音。鎧で身を固めた騎士が、ゆっくりと近寄ってくる。駆けつけたかったという割に、動きは悠長なものだ。だがその物腰には強者の余裕があり、彼の確かな力を感じさせた。

 ユシドを散々殴打してくれた神速の剣士。イフナが、得物を掴んで静かに立つ。

 

「バルイーマの人々は、このルビー・デ・エフニが守ります!」

「仕事に戻ろう。今は民のために、この剣を振るう」

 

 闘技大会に集った闘士たちの、頂点を争う高みにいたふたり。それが今となりにいることの、なんと頼もしいことか。

 オレ達勇者にとっては、恐ろしい魔物から人を守るのは当たり前のことだ。それが使命であり、義務だと思っている。苦に感じたことはない。

 だが彼らは、身を守る強い魔力もなく、名もなき人々の代表として、見返りもないのにここに立っている。オレが彼らの立場なら、こんな危険に立ち向かったりはしない。だから心底から、二人のことを尊敬できた。

 背筋を伸ばし、彼らに見合う自分になれるように、しゃんと立つ。

 ……魔物はそれを、つまらなさそうに眺めていた。

 

『なんだ、貴様らか。闘士どもには上物を期待していたのだが、こうも魔力の気配がうすい奴らばかり勝ち上がってくるとはな。期待外れだったよ』

 

 火魔がぺらぺらと、不愉快なことを話す。

 瞬間、背骨が身の危険を訴えてくる。ルビーの身体が強張り、イフナが剣に手をかけたのがわかった。

 ふたりの戦闘勘が正しいことを示すかのように、直後、魔人が火炎を放つ。オレ達三人をまとめて焼き払おうとする強力な攻撃だ。範囲も広く、回避はもうできない。オレはともかく、魔力障壁の弱い二人には致命的だ。

 ……だけど。きっと、大丈夫。

 目の前にもうひとり、誰かが降り立った。

 見慣れた背中は、いつからこんなに広く見えるようになったのだろう。師の前に出るなんて生意気なものだが、それに頼もしさを感じてしまうことは、もう、認めざるを得ないだろう。

 ――ユシドはその翠色に輝く剣で、巨大な火炎をふたつに切り裂いた。

 

「みんな、平気?」

「ユシド様! カッコイイです!」

「そ、そう?」

「……ええい、見つめあうな」

「いででで!!」

 

 無邪気にユシドに近寄り、目を輝かせてほめたたえるルビー。オレはユシドの耳を引っ張り、二人を引き離した。まったく、敵の目の前で遊ぶんじゃない。少し見直したらこれだ。

 とはいえ、あれほどの術をあっさり切り裂くとは。思い返せば地魔の強力な魔力攻撃も弾いていたが、あのときよりさらに太刀筋にぶれがない。戦いの最中でなければオレも褒めてやりたいくらいだ。

 

「人々の避難は済んだのか?」

「うん。あとはアーサーを……」

「皆、散開しろッ!!」

「きゃあっ!?」

 

 イフナの声に反応し、その場から離れる。すでに魔物の手からは、巨大な火球が投げ放たれていた。

 その際、ルビーの腹をかかえ、肩に抱き上げながら地面を蹴った。彼女の反応速度では、若干逃げ遅れてしまっただろう。

 ……い、意外と重い。彼女自身は華奢な体つきだから、手にしている剣のせいだろうか。もしくは見た目に反して、必要な筋肉が細い身体に詰まっているのかもしれない。

 背後では、さっきまでオレ達がいた場所から大きな火柱が上がっている。魔物が放った火球が炸裂したのだ。

 風を切って走り、火魔の斜め後方でブレーキをかけ、ルビーを下ろす。彼女は律儀に頭を下げようとしてきたが、それは今はいい。

 オレは雷を纏わせた剣で、やつの首を狙う。金色の輝きとともに振るう刃は、光の残像を軌跡としてルビーの目に残しているだろう。

 閃きが、魔人に吸い込まれていく。

 

『無駄なことを』

 

 だが、不快な手ごたえと共に、振り抜こうとした腕が止まった。火魔の太い腕部がオレの刃を防いでいる。背後から狙ってもこのように対応されるというのは、さっき学んだ。

 だから、素直にそこを離れた。

 

『ぬうっ……!』

 

 魔人は両腕を使い、自分の身体を庇う。目にも止まらぬ剣閃の嵐が、やつの全身を襲っているからだ。

 闘士イフナの高速斬撃は、間近で見ると迫力が違う。オレの戦闘速度など足下にも及ばないだろう。

 また、間髪入れずに連携を繋げてきたのも見事だ。戦闘経験の豊富さがうかがえる。ユシドは格上相手に、よくぞ真っ向から立ち向かったものだな。

 オレは魔力を練り、周りのメンバーの位置を確かめながら、火魔への攻撃のタイミングを計る。

 そうだ。今戦えるのは4人。ユシド以外との連携は万全ではないが、イフナもルビーもひとかどの戦士。やつにとっては脅威となるはずだ。

 力を極めた魔物は孤独になる。火魔にとって、己以外のすべては、魔力を高めるための糧に過ぎないはずだ。

 そんなあいつに、人間の強さを見せてやろう。災いを前に、互いに刃を交えただけの相手とこうして共に立ち向かうことのできる、彼らの気高い心を。

 

 

 

 ユシドの魔法剣やルビーの砲撃の間を縫い、イフナと共に何度も斬りつけながら、やつの炎の硬度を確かめていく。

 やはり生半な攻撃では通じない。魔法術の補助などがない、通常の武器による攻撃は、ほぼ受け付けないだろうといえるほどの障壁だ。イフナのような手練れの剣であればある程度は効いているようだが、このまま戦えば、倒しきる前に彼の剣が壊れてしまうかもしれない。

 

『人間どもが……!! このオレにたてつきおって!!』

 

 そろそろだ。火魔の声や動きに、怒りの感情が見えてきた。余裕が無くなってきているとも言い換えられる。

 それはオレ達にとって好機であり……しかし、危機でもある。

 

『オオオオオオッ!!!』

 

 闘技大会の客席を守ってきた、あの大障壁を破るほどの力。ここまでやつはそれほどの技を見せていない。だから、真の力を隠しているのはわかっていた。

 魔人の咆哮に、空気が揺れている。それだけじゃない。闘技場を取り巻く熱気が、明らかに、急激に上昇しつつあった。ただでさえ火事が広がりかねない温度だったが、ここまでくるといよいよ本能が危険を訴えてくる。あまりに濃密な火の魔力の波動が、世界に影響を及ぼしているんだ。

 火魔の燃える身体が、ごうごうと勢いを増している。

 やがてやつの全身が、赤く発光しだした。まるで炎をそこに、凝縮しているかのように。

 ルビーとイフナの位置を確認し、ユシドに目配せをする。

 ――広範囲への攻撃が、来る!

 

 爆発、という言葉がある。それは知識として持っているし、口にして使ってもいるが。実際にその意味に最も近い現象は、もしかするとこれかもしれない。

 魔力を溜め込んだやつの身体は、ほんの一瞬、より大きく膨れ上がった。

 そして……。

 全てを壊滅させる紅蓮の嵐が、オレ達を襲う。

 耳がおかしくなってしまいそうな音。落雷のそれにも劣らない轟音は、備わったエネルギーもやはり、匹敵するものがあるのだろう。

 ルビーを背後に守り、オレは普段身に纏っている魔法障壁を、意識して全開にする。前方にそれを集中し、防御の体勢をとった。

 不甲斐ないことだが、守勢はあまり得意ではない。雷の魔力で形成したバリアは、硬度こそあるものの、壁として扱うにはどうにも薄く心もとない。これでも大方の魔物相手ならば十分な守りなのだが、ことが七魔相手とあっては――、

 

「ぐううっ!」

「ミーファ様!」

 

 ルビーの悲痛な声には、たぶん、色んな想いの中に、己を情けなく思っているような気持ちが入っていた。そしてそれは、オレも同じことだ。

 予想していた以上の苛烈な技だ! 爆発の衝撃と、暴風じみた火炎の勢いに、障壁がひび割れ始めている。果たして耐え凌ぐことができるかどうか。

 オレが負けるのは構わないが、それで背後のルビーを守りきれなければ、きっと来世まで悔やむことになる。それにこれほどの広範囲攻撃。闘技場の外は、街は、人々は無事だろうか。

 余計なことを考えて、またひとつ、ひびが深くなる。

 爆発は瞬間のものだと思っていたが、敵はまだ魔力を放出し続けている。時間が経つほどにオレの障壁は亀裂だらけになり、踏ん張る手足もとうに限界を超えている。

 やつはこれで終わらせるつもりなんだ。このままでは……!

 

「っ!? これは!」

 

 ついに、障壁が砕け散る。だがオレ達を襲う熱波の衝撃は、まだやってこない。

 前方を守るように、分厚い石の壁が、地面からせりあがるようにして現れたからだ。

 ティーダの魔法術! オレの障壁よりも断然硬い。ようやく来てくれたか!

 安堵で力が抜け、倒れそうになる身体を、ルビーが支えてくれた。土盾の裏で息を整え、攻撃の終わりを待つ。これほどの力の放出だ、凌げば絶対に隙ができる。

 だがしかし。終わりは、予想とは違った形で訪れた。

 ルビーに身体を預けながらそのときを待っていると。地面、つまり武闘台が、突如白色の光を放ち始めた。

 よく観察すると、白色の光は武闘台のところどころから出ている。光の軌跡を追うと、どうやらそれは、魔力で描かれたまじないの文様だ。

 描かれた術式には一部、覚えがある。これは破邪の結界だ。それも非常に強力なもの。武闘台のすべてを覆うほどの結界が、そこら中に刻まれている。

 

『なんだ、この不快な光は!?』

「みんなーっ! 今がチャンスだ!!」

 

 壁を揺らす爆風がおさまり、ティーダの声がした。

 ルビーと顔を見合わせ、オレ達はそこから飛び出す。

 まず視界に入ってきたのは、ティーダと火魔の姿だ。魔人が身体に纏った炎は、今やか細いものであり、ところどころ黒い筋肉のような部分が見えている。炎がやつの鎧だったのならば、あの黒いものが地肌だろうか。ティーダはやや離れた場所で、槍を地面に突き立てている。どうやら巨大な破邪結界は、彼の仕業だ。

 地面を蹴り、好機に高揚する心を活力に変え、突進する。

 あれほど消耗させられた直後だというのに、身体が軽く感じる。もしかすると、結界の効力だろうか。

 オレ達よりも魔物に近い場所にいたユシドとイフナが、やつに攻撃を加えた。魔物が苦しみもがいているさまから、明確にダメージを受けていることがわかる。

 視界の横を、水流の砲撃が駆けていく。ルビーの技が、敵の正面の防御を打ち崩した。

 ここだ!

 

「しゃああッ!!」

 

 魔人の胴体を、斜め一閃にぶった切る。

 今度は手ごたえがあった。中のアーサーを助け出す!

 

『グオオオッ!?』

「うっ!? くそっ!!」

 

 まるで血しぶきのように、魔人の傷口から火炎がほとばしる。

 どこまでもこいつは! 厄介な構造をしやがって……!

 

「ミーファちゃん、下がれ!」

 

 声のした背後へと退く。魔人はめちゃくちゃに太い腕を振り回し、狂乱していた。あれではアーサーを体内から引き出せない。

 結界を維持しているティーダを中心に、みんなが集まってくる。やつは消えかけの火だ、もう少しで倒せるはずなんだ。

 

「落ち着いて丁寧に攻めよう。破邪の光の効果で、性格良いやつは若干調子がよくなって、性格悪いやつは微妙に気だるくなるはずだ。このまま弱るのを待ってもいい」

「だが、アーサーの体力がもつか……」

「だからこそ冷静に、さ。……結界発動に時間がかかり過ぎたのは、反省してるけど」

 

 ティーダの言葉に従い、落ち着いて思考を回す。

 ……こういうのはどうだ。今ならば、総出の魔法術でやつを拘束するのは容易のはず。動きを止めさえすれば、体内のアーサーに手が届く。

 オレは提案をすっ飛ばし、やつに手のひらを向けて、雷の魔力を集中させ始めた。意図はすぐにみんなに伝わるだろう。

 対象を見つめ、先に斬りつけた際のものが残っているだろう、敵の周囲に散った雷属性魔力を操作する。既に放出したものを再び操るのは、魔法剣士には得意ではない分野だが、この状況ならば問題なくこなせる。一瞬でも動きを止めれば、ティーダかユシドが重ね掛けをしてくれるはずだ。

 腕と足、首と胴に注目する。空間に縫い留めるタイプの拘束錠を形成するため、集中力を高めていく。

 

「……ん?」

 

 やつの胴につけた、大きな切り傷の中に。

 青い光が、瞬いていた。

 

『ギャアアアアアウ!!??』

 

 魔人の苦しみ方が変わった。思わず、術の行使を中止してしまう。一体何事だ。

 炎の怪物はまるで生き物のように、悲痛に叫び、天を仰ぎ、己の傷跡を掻きむしった。そこからは先ほどのように、火炎の血潮がおびただしく噴き出している。

 ……いや、違う。やつの傷口を押し広げるように、怒涛の勢いで出ているのは……水だ。赤い炎がいつからか、青く輝く凄烈な魔力に、変わっている。

 つい、苦笑してしまった。

 まさか、いよいよ助け出そうという直前に、自分から出てくるとはな。

 

『アガ……き、さ、まあああッ!! ゴアッ!?』

 

 水流によって派手に開いた傷口から、細い腕がひとつ。

 魔人が動きを止めたのを認め、オレはやつに、いや、彼女の元にいち早く駆け寄る。

 そのまま腕を掴み、思い切り引いた。

 

 ローブ姿の少女が、魔人の腹から転がり出てくる。服はところどころがボロボロに焦げ、顔も煤だらけでせき込んでいる。

 肩を貸して後ろへ退きつつ、呼吸の様子を耳で確かめる。せきと浅い呼吸を繰り返したあとは、深く息を吸って空気を取り込んでいて、肺がやられた様子はない。呼吸器は心配ないか。

 

「あれ、みなさ、おそろい、ですね。試合は、終わっちゃった、ですか」

「アーサーがあいつに食われたから、みんなで助けに来たんだよ」

「……そうか。お腹の中で大暴れするつもりだったんですけど、失敗しちゃいました。えへへ……」

 

 アーサーはみんなに囲まれると、やや衰弱した様子ではあるものの、笑顔を見せた。眼球などにも損傷はない。

 しばらく彼女とともに膝をついていたが、やがてアーサーは、自分の足ですっくと立ってみせた。みんなの顔に笑みが浮かぶ。

 強い子だ。燃え盛る炎の血が駆け巡るあの魔人の中で、反抗の意思を損なわずに耐えていたとは。根性のあるやつは、好きだ。

 オレもまた立ち上がり、戦いの舞台へと向き直る。呻き、苦しむ魔人を見て、並び立つアーサーに声をかけた。

 

「あとはあいつを倒すだけだ。……アーサー、どうする?」

「え?」

「母親の仇なんだろう。ひとりで復讐を完遂するか?」

 

 その顔を見る。少女の赤、青、二色のひとみが、オレをそこに映している。

 アーサーが旅の誘いを断った理由。彼女がやらねばならないこと。それが何なのかは、すでにもう、察するに余りある。あの火魔テリオモウイの存在が、この子の半生を苦しい戦いに引き込んだのだろう。

 想いを汲むならば、とどめは彼女が刺すべきだ。だから、どうするか聞いた。

 

「……そうですね。あいつには、この手で、決着をつけさせてください」

 

 そう言ってアーサーは、オレから視線を外す。少女のひとみの中には、今日この日まで、あの炎の魔物しか映っていなかったはずだ。

 だが。その目は今、ここに集った闘士たち、全員に向けられた。

 

「だけど。最後の一押しに、みんなの力を借りたい」

「……よく言った!」

 

 それを口にできたのなら、アーサーはもう、孤独じゃない。

 本人はまだ気付いていないだろう。何気なく、この場の空気に合わせてそんなことを言ったのかもしれない。でも、君が口にしたことは、とても尊いことだ。

 アーサーには、心の内を少しでも分かち合える、オレたちという仲間がいる。ここにきた二人の闘士もまた、事情を知らずとも、共に並び立ってくれている。だから、頼っていいんだ。彼女の人生ではきっと、それができなかった。

 アーサーには心がある。本当の彼女と、まだまだ、もっと仲良くなりたい。

 ならばあとは、あの子を縛り付ける鎖を解くだけだ。

 各々が武器を構える。アーサーの剣は、彼女の手元にはない。代わりに、祈るように、己の胸に手を当てていた。

 決別のときだ。

 

 

 のたうつように苦しんでいた炎の魔人は、溜め込んだ魔力を消費し、ようやく身体の傷を回復させつつあった。巨躯に力を漲らせ、敵対者を滅ぼすべく燃え盛る。

 しかし、再び身に纏い始めた炎の衣は、最初に見せていたものよりも火勢が弱い。魔人が狡猾に意図して振る舞っているのでなければ、勇者たちが彼を打倒するまであと一息、といったさまだ。

 しかしその、吹き消す一息の直前にこそ。小さな火は、最後のあらがいを見せる。

 

『娘ぇ……ッ!! そうまでしてオレに抗うかッ!! これまで通り、新しい居場所など消し去ってくれる!』

 

 魔人の吐き出した轟炎が、戦士たちに迫る。

 全盛の威力ではなくとも、常人であれば骨まで焼き尽くすほどの炎だ。これを防ぎきる盾など、いかな名工にも簡単には造りだせない。

 だが。

 石造りの舞台が高速で隆起し、大きな壁を形成する。それは魔の炎をも遮り、悪意ある攻撃に対し、決して崩れることはない。

 地の勇者。彼の操る大地の力には、仲間を守るという揺るぎない意志が宿っているからだ。

 

「俺はいま、ちょっと動きたくない。ので、みんなでボコボコにしてきな」

 

 槍の石突で、男が地を叩く。

 それと同時に、炎の魔人は地面から現れた石の蛇によって、巨大な腕や胴を絡めとられ、その場に縫い付けられた。

 とはいえ、火魔は魔物の頂点に立つ存在のひとつ。燃える炎を血液とし、流動するマグマを肉とする怪物だ。この程度の拘束では、封じられるのはほんの少しの時間のみ。

 たった、それだけの時間。

 それだけの時間があれば、ここに集った闘士たちは、誰もが前に飛び出すだろう。

 

「皆さま! 新技を披露します、見ていてくださいまし!」

 

 ルビーは機械の剣を握り締め、高らかに宣言する。

 分厚い刃と持ち手の間にあるスロットに、カートリッジを装填。機体に充填した魔力は主の命令を待ち、解放のときに向けて熱く震えている。

 少女は重厚な鉄塊を軽く持ち上げ、切っ先を標的に向ける。そしてその指先で、トリガーを引いた。

 

「フォース・バースト!!」

 

 放出された光の帯は、4色。

 水・雷・地・風の魔力が、魔人へと襲い掛かる。

 これはルビーが、先の対戦相手との試合を振り返り、一日かけて開発した新たな機能である。5色の魔力砲撃に比べて威力では劣るものの、相手の強力な一属性をぶつけられたとき結合が解けてしまう、という問題点の解決を目指したものだ。

 課題を見つければ、即解決に動く。これがルビーという少女の強さであり、彼女が見込んだ社員たちの力だ。この魔砲の光は、人間の団結と、叡智の証である。

 砲撃が魔人へと炸裂する。多属性の魔力は怪物の身体を蹂躙し、炎の衣を弱めていく。

 カラフルな爆発を背に、ルビーはあらぬ方向を向いて、ドヤ顔をした。

 

「お求めは、ルビー武具工房まで……!」

 

 火魔が呻き、埃の中で身じろぐ。

 衝撃は彼に大きなダメージを与えたが、同時に土の拘束も崩れた。体勢を立て直し、回復と反撃を企図しているところに――、

 鉄の足音が、聴こえる。

 

「最近の若者は技が派手でいいなあ。……さて」

 

 魔人は声のする方に向かい、炎の腕を大きく伸ばす。

 しかしそれは何も掴めはせず。鉄の足音は、すぐそばに移動していた。

 

「手足はもういらんだろう」

 

 言葉と共に、何かが閃いた。

 光だ。魔人が知覚出来たのは、なにかが光ったということだけだ。だが、魔力の気配はしなかった。

 次いで、キン、という硬質な音。これはイフナが、刀を鞘に収めるときの、鍔鳴りである。

 試合用の刃を潰した武器は、人目に晒してしまうこともある。だが、陽光あるいは月光にきらめく、彼の白刃を目に留めた者は、少なくともこの世にはいない。

 ゆえに、神速の剣。

 ――人を食らう炎の腕が、巨躯を支える炎の脚が、無残に斬り落とされた。

 

「あー、これ以上は剣が刃こぼれしてしまう。高級品なのに。……少年、次よろしく」

「はいッ!!」

 

 地に這いつくばり、強い屈辱の中、魔人が見上げる視界には。

 巨大な竜巻が、天高く昇っていた。

 

「ううおおおおおっ!!」

 

 しかし竜巻は、だんだんとその規模を小さくしていく。次第に風は止み、終いには無風となった。

 静かな世界の中、魔人は気付く。先ほどの暴風はすべて、少年の剣の中に封じられているのだと。

 翠色に輝く刃を見て、魔人は同朋の気配を感じ取った。

 

「風神剣――!!!」

 

 ただそこにあるだけだったはずの竜巻は、今やその暴力のすべてで、少年の向けた剣の先を薙ぎ払っていく。

 嵐が炎を飲み込む。……しかし、風というものは、ときに火を起こす助けとなる。同程度の魔力がこめられた風が火を攻撃しても、煽るばかりで、より大きな炎に飲み込まれることになるだろう。

 だが、火の勢いを極端に上回る突風ならば、その限りではない。ユシドの風には、火属性の最上級に位置する魔人の炎を、吹き飛ばすほどの威力があった。

 それは彼が、風を担う勇者であることの何よりの証明だ。頂点に位置する者同士の戦いにおいて、属性の相性が、常識の通りになるとは決まっていない。

 緋色の衣が、剥がされていく。

 

「ミーファ!」

「……雷神剣――」

 

 嵐に伴い、雷が目をさます。

 何度も何度も斬りかかってきた金色の少女の姿を見て、火魔は怒りの中に冷静さを見出した。

 手足を失い、鎧をあらかた失っても、火魔は生き延びようとしていた。少女の攻撃をしのぎ、残存魔力で肉体を再生し、逃亡を選ぶ。彼には人間以上の寿命がある。この場を後にし、長く身をひそめれば、それはつまり、勝ちだ。

 あれの剣は何度も防いだ。炎の守りが無ければ難しいが、攻撃を見極めれば、その箇所に鎧を集中させ、防ぐことは可能だ。

 火魔の自信や根拠は、実のところ、正しかった。彼らが交えてきた火も雷も、所詮は魔法術で生み出した偽りのもの。そこに秘められたものの威力は、魔力の多寡で決まってしまう。そしてミーファの魔力だけでは、火魔テリオモウイの強大な炎に立ち向かうには、あとわずかに足りなかった。

 ここまでの戦いでは、そうだった。

 しかし――

 

『……バカ、な。貴様は、人間、なのか?』

 

 天より振り来る雷の熱量は。地を這いつくばる魔物のつくりだした炎などとは、比べ物になるだろうか。

 

「――紫電一閃(シデンイッセン)

 

 これまで人々に火の災いを与え、あらゆるものを燃やしてきた悪魔にとって、己の身体を焼き尽くされることは、初めての経験だった。

 紫光のいばらが、魔人の肉を侵していく。炎の鎧が守ってきた筋肉はひび割れ、広がりゆく傷は熱く猛り狂う。そのあまりの痛苦に彼は、“身体が燃えるようだ”と思った。

 

「終わりだ。……アーサー」

 

 さげすむように魔人を見下ろしてきた少女は、ゆっくりと視界から去っていく。

 おぼろげな世界で、最後に彼に立ちはだかる人間は。これまで彼がその生を弄んできた、黒髪の少女。

 ……否。正確ではない。

 

『なんだ、その姿は……?』

 

 魔人の目が捉える少女の身体は、異常に体温が低い。人間の平均より随分と下だった。

 火魔は視界を切り替える。人間のように、世界そのものの色彩を見通す目だ。

 そして目の当たりにする。……少女の黒髪と、二色の瞳は。すべてが、海のように深い青へと変化していた。

 

「メイルストロム」

『な……』

 

 瞬間。魔人の身体の、大部分が削がれていった。

 先の戦士共に食らったどの攻撃も、彼の魔力を、鎧を、すべてを削り取っていった。しかしこの術は、火魔の命そのものを削っている。

 悲鳴すら上げられない致命の一撃。アーサーが放った水術は、彼女のこれまでの生の中で、最も強大な威力が凝縮されている。

 さらなる力の覚醒に、少女の左手の紋章が、強く輝いていた。

 

『おお、お、おおお……』

 

 もはや消し炭のような姿に貶められた魔人は、弱々しく這いずりまわり、舞台に煤の跡を残していく。

 それでも火魔はまだ、生存をあきらめてはいなかった。炎のように燃える執念は、やがて彼を、ひとつの逃げ道へ導く。

 醜い灰が風に舞い、その女性へとまとわりつく。鼻や口、あらゆる部分から体内へと侵入し、彼女を傀儡のように動かした。……激しい戦いの中ですでに、雷の拘束は、解けていた。

 ロピカが身体を起こし、力が足りず動かない足を引きずり、後ずさる。

 アーサーは周りの制止を聞かず、ゆっくりと歩いていく。彼女へ近づき、その顔を見下ろした。

 

「シーク……オ母さンを助けテ……」

 

 人が悲哀しているような表情をつくり、ロピカの身体は懇願した。

 この期に及んで見え透いた命乞いに、その場の誰もが表情を歪ませた。身を強張らせ、警戒して敵を睨む。

 ただひとり。アーサーを……シークを除いて。

 

「おかあさん」

 

 地面を這う母に、少女は身を屈め、その身体を抱き寄せた。

 死人の低い体温が、シークを冷たく拒絶する。それでもその肩を、強く抱きしめる。

 

「あったかいね」

 

 そんな、嘘を言った。しかしシークにとっては、真実だ。

 母の肩に首を乗せ、目を閉じ、微笑む。

 失ったものを取り戻したかのように、シークは、あの頃の少女に戻って、泣いていた。

 

『バカが、のこのこやって来おって!! 次は貴様に乗り移ってくれる!!』

 

 母親の口を使い、魔性がさえずる。あれほど憎んでいた敵の最期だというのに、何も感じなかった。彼はもう、終わっている。

 だからこれは、母と父を送るための炎だ。

 シークの髪が、再び変化する。たゆたう水を象徴する青の髪と瞳は、聖なる炎を宿す、赤へと。

 火柱が、噴き上がった。

 

『ギャアアアアアアア!!! なぜ、炎の術に、このオレが――!!??』

「おかあさん。……おやすみなさい」

 

 破邪の灼熱が、シークの腕の中で眠る、ロピカの遺体を葬る。その身体は炎に巻かれ、灰も残さずに空へと消えていく。その魂が、父のいる空へと無事たどり着けるようにと、シークは祈った。

 これが、遺された子として、最愛の母にしてやれること。

 ただの少女は、当たり前にしたかった家族の弔いを、今、ようやく終えることができたのだった。

 

 

 

 

「ティーダさん、お疲れさまでした。まさか実戦の最中に、あんな大規模な破邪結界を展開できるなんて」

「昨日の修復作業のうちからトラブルに備えて、舞台の下に術式を描いて仕込んでたんだよ。せこせこと」

「本当ですか!? それはそれで先読みがすごい……」

 

 男二人は疲れ果て、舞台に腰掛けながら空を眺めて雑談をしている。

 イフナとルビーは住民への説明や各方面への対応に出ていったというのに、うちの連中ときたら暢気なものだ。まあ、オレもその辺は全然だめだけど。

 彼らは魔力の多さでは我々に及ばないものの、人々を守るという点においては、勇者すら上回るバイタリティがあると言っていいだろう。とくにルビーなどユシドとそう変わらない歳だろうに、本当に尊敬できるやつらだ。

 

「……そういえば、イガシキ。お前、腹とか壊さないの?」

『別に。無論、美味とはいかないが』

 

 鞘に向かって話しかける。こいつはさっき、アーサーが火魔を倒したあとに、なんとこっそり炎の魔力を食っていたのである。むろん、火魔が振るっていた炎をだ。おかげで闘技場の火事はいつの間にか収まっていたが。

 人間食って高めた魔力だろう、それ。食っていいものか?

 

「お前も火魔みたいに、人間を殺して魔力を強くしたことはあるのか?」

『一回か二回はある』

「ふうん……」

 

 そういえば火魔とのやりとりを思い返してみると、人間食いは好かなそうな言い方をしていたな。

 うちの鞘はまだ“まとも”かもしれない。このまま暴走したりしないように、うまくつきあいたいものだ。

 

 休憩終わり。

 武闘台の縁から立ち上がり、誰かに祈りを捧げていたアーサーの元へと歩く。

 ……親の仇を討って、センチメンタルになっているところだろう。今すぐに勧誘、というのも、気が引けるな。

 

「……アーサー。その、お疲れさま」

「僕たちの仲間になりませんかっ」

「おーいー!」

 

 いつの間にかそこにいたユシドが、空気を読まずに突貫していった。

 お前そんなやつだっけ? さすがにアーサーが可哀想だろう。

 

「その話のこと、ちょうど考えていました」

 

 アーサーは立ち上がり、オレ達に向き直ってくれた。

 むむむ……。ときにはずばりと本題に入ることもありなのか。

 しかし、彼女はやはり浮かない顔だ。何かまだ、オレ達の仲間になれない理由が、あるのだろうか。

 静かに、少女が語り始める。

 

「ヤツを倒すのに、協力してくれたのには感謝します。勇者として人を救う旅というのにも、関心はあります。

 だけど……誰かと一緒に旅をすることは、できない。不幸を呼び寄せるんです。わたしがいなければ、人々がやつの恐怖にさらされることも無かった。火魔のせいだけではなくて、きっとそういう運命があるんです」

 

 どうやらアーサーの心には、まだ魔物の影が残っている。

 気持ちは、わからないでもない。強すぎる力は良くないことを呼び寄せるものだ。それは、ここにいる誰もが理解している。

 勇者ならその気持ちも分かち合える、とオレは思う。だがアーサーの力は、オレたちをも上回っているかもしれない。なら、彼女のことを本当に理解しきることは、難しいのかもしれない。

 だけどな。

 悪いがそんなことは、もう知らん。

 

「アーサー。君の力は、誰かを、君自身を不幸にするようなモノじゃない」

「でも……」

 

 口答えを手で制する。

 君の悩みなんて、意外と、勇者なら誰もが通るものかもしれないよ。それはこれからの旅の中で、アーサー自身が知っていけばいい。

 ともかく。オレは絶対に君を仲間にしたいんだ。何故なら……

 

「男連中にはこの凄さはわからんだろうが――」

「ん?」

「君のふたつの魔力があれば! 大量のお湯を! 瞬時に沸かし! 桶になるものさえあれば、いつでも風呂に入ることができる……!」

「ええ……」

 

 アーサーが不満そうな顔をする。

 女子だろ! この幸せがわからんのか!? 呼び寄せる不幸なんか差し引いて余りあるだろ!

 オレは予選のとき、彼女との試合で見抜いていたのだ。放出した水を火の魔力で沸かす力を、彼女が持っていることに。

 すなわち、お湯の勇者。

 彼女の力は人を幸せにするだけじゃない、不幸を消すことも出来るはずだ。

 

「忘れもしないあの日……野営続きで清潔にできず、ユシドに『ちょっとにおうね』といわれた日には、オレは心の涙を流したよ」

「ええ!? ご、ごめんミーファ……」

 

 おっさんは体臭を気にするのだ。お前も将来大変なことになるんだぞ。今から気をつけろ。ティーダなど言わずもがなだ。

 

「ぷふっ」

「あ! わらったなアーサー! 真剣な話だぞ」

 

 アーサーはオレに怒られ、ひとしきり笑いをこらえるように震えていた。そのさまは小動物みたいで、愛らしいものだ。

 ほら。やっぱり、笑顔はきっと可愛いと、思ってたんだ。

 

「……まあその……これからは目的もないですし……面白い人たち、みたいなので……」

 

 アーサーはオレとユシドの顔を見る。

 そして、それよりやや長い時間、ティーダの顔を見た。

 

「ひとつお願いがあります。アーサーは父から継いだ名ですが、ファーストネームは別にあるんです。仲間に入れてくれるというなら……これからは、父と母が呼んでくれた本当の名前で、誰かに呼んでもらいたい」

 

 アーサーは。少女は、花の咲くような笑顔で笑う。

 

「シーク・アーサー・マンゴーパインです。どうか、シークと呼んでください」

 

 オレも嬉しくなって、笑う。

 新しい仲間は、強くて、可愛くて、素敵な女の子だと、思った。

 

「……ところで。すっかり勝手に勇者だと決めつけていたけど、シークはなんの勇者なのかな。火? 水?」

「お湯の勇者だろ」

「えっ、なんですかそれ!? 私は……」

 

 少女が左右のグローブを外す。

 

「おお!?」

「こんなこともあるのか……」

「いいね、目的まで一気に縮まったんじゃないか」

 

 右手と左手。それぞれに、赤と青の紋章が、刻まれていた。

 

 



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27. 武闘大会決勝戦

 バルイーマの市民たちを脅かした武闘大会の騒動から、数日が経った。

 決勝トーナメントに勝ち進んだ闘士のひとりの正体が、魔物の化けた姿であり、人目をはばかることなく堂々と居住区を歩いていたという事実は、住民たちを戦慄させた。今後は同様の事件が起きないよう、自治組織の主導で対策が練られ、街を取り囲む結界の強化や出入りの手続きの厳重化等が、実施されるに至る。

 行政・市民ともに愛すべき地元の行く末を案じ、変化に対応する日々はあわただしくなる。この未曽有の事態に、宙に浮いてしまった闘技祭は、そのまま中止することを余儀なくされるかに思えた。

 しかし。この催しは、バルイーマに住む人々の心の柱である。あらゆる困難にさらされても、決して折れない人間の闘志。魔物の脅威に迫られたくらいで、この“立ち上がる意思”の象徴が崩れ落ちるようなことは、あってはならない。

 

 それゆえ、今日、この日がやってきた。これは、転んでも立ち上がる、バルイーマ市民たちの意思のあらわれだ。

 修復するだけに留まらず、改装され、より頑丈に、より多くの人を内に集めるようになったコロシアム。ひときわ大きな歓声に迎えられ、二人の闘士が、真新しい舞台へと上がる。

 闘士アーサーの棄権により、残された闘士はこの二人のみ。

 バルイーマ闘技祭・武闘大会、決勝戦。

 ミーファ・イユ対ユシド・ウーフ。

 人々の目が、若き二人を熱く見つめる。

 

「頑張れーー! ミーファちゃーん!!」

「ユシド様ー!! 負けないでーーっ!!」

 

 周りの観客たちが熱狂する声を耳にし、ティーダは思わず笑みを漏らした。

 

「人気あるなあ、ふたりとも。見ろよ、ユシドくんは恥ずかしそうだ。慣れてないんだろうな」

「あれ。ミーファさん、なんか機嫌悪そうじゃないですか?」

 

 シークはその鍛えられた視力で、舞台に立つ少女の微妙な表情の動きを捉える。

 初めの方は上品な微笑を浮かべ、優雅に手を振っていたミーファだが、声援をかけられる中で、わずかに眉根を寄せた渋い顔つきになっていた。

 

「あれはなあ。ユシド君が女子からキャーキャー言われ始めたのを知って、もやっとしてんだよ」

「へーっ。ミーファさんって、ユシドさんのこと好きなんですね」

「んぐっ!? ゴホッ! ゲホ!!」

 

 シークの左隣に座っているデイジーが、急にせき込む。飲み物を吸い込んでしまったのだと判断し、シークは少女の背中を優しくさすった。

 

「ありがどう、アーサーさま……シークちゃん。でもそのこと、二人の前で言わないようにね」

「そうだぞ。今の段階で直接からかっていいのは、ユシド君だけだ。シーク、このパーティーでうまくやっていきたいのなら、人間関係をしっかり把握しておくように」

「は、はあ」

 

 左右からの謎の圧力に屈し、シークは小さな身体をさらに縮こまらせた。

 

「ユシドさんの方は、ミーファさんのことが好きなんですか?」

「そう。こちらは本人をからかってもいい。気持ちを自覚しているからな」

「へえーーっ! じゃあ両想い!?」

「うふふ……」

「へへへっ……」

 

 返事の代わりに、おもむろに薄ら笑う二人の大人を見て、シークは不気味に思った。

 この話題は掘り下げれば長くなりそうだと察し、他のことを考える。

 さまよわせた視線が、高い場所にある、火のように赤い髪にぶつかった。

 

「あの……じゃあ、その……ティーダさんは、ミーファさんに惚れているとかは、ないんですよね」

「はっ?」

 

 思わず舞台から視線を外し、ティーダは少女を見下ろす。

 なにかを期待するような目の輝きだ。考えてみればシークも、平和に生きていれば、そういうことに興味の出始めるお年頃といったところだろう。

 ティーダは適当に返事をした。

 

「ミーファちゃんは可愛いが、あれはユシドくんとセットだから可愛いんだよな。おじさんは、今は好きなひといないし、一生彼女募集中だ」

「そうですか。ふふ」

「笑いやがったな」

「いえ、べつに」

 

 やりとりを真横で聞いていたデイジーが、「おじロリ……」と意味不明な単語を口走った。

 シークはやや上機嫌な様子で、再び観客として武闘台の二人を見つめる。司会の大声を聞き流しながら身体を伸ばしているふたりが、徐々に互いだけの戦いの舞台へと埋没しつつあるのが、戦士であるシークにはわかった。

 

「ミーファさんとユシドさん、仲いいですよね」

「幼馴染らしい」

「なるほど。お二人のどちらが強いんでしょうか……」

「シークちゃん、サンドイッチあげる」

「ありがとうございます。もっもっ」

 

 二人のどちらが強いか、という疑問は、これから解消されることになるだろうか。それは一つの試合の勝ち負けで決まるようなことでは、ないのかもしれない。

 隣の少女を見て、餌付けされる動物を思い浮かべながら、ティーダは話題に乗った。

 

「どっちが強いかといったら、戦闘経験が深いのはミーファちゃんだな。なんでもユシド君の魔法剣の師匠らしい」

「なるほど……。確かに、身体の動かし方に似ている部分があります」

 

 師匠と教え子。ミーファの方が年齢はひとつ下であるからして、常識的に考えればそれはおかしな話だ。

 しかしこれまでずっと二人を見ていたティーダは、今ではその話は確かだと信じている。少女は雷の勇者であるにも関わらず、風の属性についても造詣が深い。少年に風の魔法剣を教えたというのは、本当のことだろう。年若い彼女が、いつ、どこで、どうやって魔法剣を修得していたか、というのは、不可解ではあるが。

 

「とはいえ、ユシド君もあの子に勝つためにかなり頑張ってたからな。勝負は分からない」

「ユシドさんも負けず嫌いなんだ。意外です」

「ん? ああいや、あいつがミーファちゃんに勝ちたいってのは……」

「?」

 

 言葉が途切れる。

 あれは彼の修行相手をしたときに聞いた、内緒話だ。自分の口から人に明かすのも悪いな、とティーダは思った。

 

「まあ、勝ったときのお愉しみさ。師匠を負かしたあかつきには、なんか企んでるらしいよ」

「むうん。ゲコクジョウ、ですね……!」

「そう、そんな感じ」

「うぐうう……ミーファさんを応援してあげたい……でも、教え子に追い抜かれて悲し気に微笑みながら健闘を称える美少女の顔も見たい……! 私は、私はどうすれば……」

 

 何かをこじらせている人を尻目に、シークとティーダは、いよいよ開始位置についたふたりを見つめる。

 すでに互いに視線を交わすふたりの耳には、声は入らないかもしれない。

 そう思いつつも、シークはひとつ、好きな仲間の方を応援する声をあげた。

 

「どっちもがんばれー!」

「ははっ」

 

 それを聞き流しながら、ティーダもまた、彼らの心の内に想いを馳せながら、若い二人を眺める。

 ――まあ、俺はユシドくんを応援するけどな。

 ティーダがにやつく。なぜならば、その方が絶対に、彼にとっては愉快なことになるからだ。

 

 互いに勝ちを譲れない二人の戦いが、ついに始まる。

 

 

 

 深呼吸をする。

 目を閉じ、意識を自分の内側に集中すれば、やがて周りからの声は聴こえなくなる。声援を無碍にするのも罪悪感があるが、こればかりは仕方がない。

 目を開く。そこにいるのは、我が子孫にして、風の力を継ぐもの。年若い教え子。旅の仲間。……ミーファ・イユの、友。

 今だけは。この目の中に、あいつの姿以外は、何もいらない。

 

 つるぎを抜き、ゆっくりと歩く。彼我の距離は縮まっていき、声を交わせる近さになる。そこで、足を止めた。

 ……その顔を、覚えている。

 最後にこうして向かい合ったのは、一年も前のことだ。これまでの旅の中で、やつに教えることは多くあったが、思えば、立ち合って剣を交えるようなことはしていない。戦いの訓練相手は、そこら中で襲い掛かってくる魔物たちで事足りたからだ。

 彼の魔力の光のような、翠色のひとみが、こちらを油断なく見下ろしている。長刀を正面に構え、間合いに入ったことを警戒する様子は、以前のあいつとは比べ物にならない経験値が見てとれる。

 もっと、もっと、さかのぼる。

 うちの森にあった大樹も登りきれない小さな身体は、こんなにも背が伸びた。体格は大人のそれと同じで、もしかすると、前世の自分にも、もう届いているかもしれない。

 何も語らずに、剣の切っ先を向ける。

 身体は大きくなった。なら。

 あの頃のオレの攻撃を、君はどうする?

 

 身を低くして突進する。ぐんと距離をつめると、ユシドの驚いた顔が見えた。次いで、横薙ぎに振るわれる木剣。こちらの足元を払うような軌道だ。もし咄嗟に反応して、しかもこちらをなるべく怪我させないような振り方をしたのだとしたら、すごいな。やはり逸材かもしれん。

 ユシドの眼前でにたっと笑って見せ、地面を蹴る。木剣も相手の頭上も飛び越え、宙返りしつつ、その背中を枝でぴしゃりとやった。

 

 身を低くして突進する。

 疾風迅雷をまとった足で地を蹴り、ぐんと距離をつめると、ユシドの真剣な顔がよく見えた。

 やつは剣を振らない。それどころか、油断なく手にしていたはずの剣を、鞘に――。

 彼の眼前に来ると、思わず、笑ってしまった。何故かは分からない。

 正面からは攻撃せず、地面を強く蹴る。

 相手の頭上を飛び越え、宙返り。攻撃体勢に移り、その無防備な背中に、きつい一撃を見舞おうとした。

 時間が静かに流れる、その一瞬の中。前を向いていたはずのユシドと、目が、合った。

 

「“風神剣・抜”――!」

 

 眼前には、はやてのごとき速度で迫る、白い刃があった。

 鋼鉄の剣が交錯する。強い衝撃に腕が襲われ、互いの武器がぽっきり折れてしまったと思わせるくらいの、甲高い金属音がした。

 超高速の、抜刀術。こちらが攻撃をしかけた後に始動したというのに、このように合わせてくるとは。イフナとの戦いで編みだした技を、自分のモノにしたか。

 だがね。その剣は、そう便利なものではない。

 刃が接触した刹那の中。オレは身体をひねりつつ、剣をわずかに傾ける。それだけで、耳や髪をかすめるようにしながら、ユシドの剣がすっとんでいく。

 この技は速い。発生の直後は、当人ですら制動をかけられないほどに。だからこそ、事前に警戒していれば、このように紙一重で受け流すことはできる。

 地面に根を張るように腰を落とし、己の刃に雷光を纏わせる。

 あれほどの剣では、凌がれれば隙になってしまうだろう。そこが欠点になっているはずだ。そう思って、渾身の力で斬りかかる。

 ……ユシドは。

 抜刀術のその勢いのまま、一回転した。

 今度は、受け流さなかった。二つの刃が、正面から鍔迫り合いを演じる。

 武器を思い切り振り、そのまま回転して戻ってくるなど、奇抜でカッコ悪い。それでいて威力は損なっていないのだから、文句も言えん。

 剣の押し付けあいに、腕の筋肉が悲鳴を上げる。膂力ではユシドの方が勝る以上、この状況は不利だ。

 だけど、もっと、楽しみたい。

 剣に纏った金色の輝きが、力強さを増す。それに伴い、相手の剣が纏う風の息吹もまた、ぐるぐると渦巻きを厚くし、雷とぶつかりあって嵐を起こす。

 稲妻と突風が、オレたちの素肌を撫で、傷つけていく。そんな凄烈な魔力の斬雨の中、ユシドは、笑っていた。

 

「ミーファ、楽しそうだね」

「おまえこそ」

 

 指摘しようとしたことを、先に言われる。

 踏ん張る脚が折れる前に、オレは魔力の放出量を上げていく。武器の性能に差はない。筋力は向こうの勝ち。ならば、魔力の扱いで勝負をかける。この世は広しといえど、大抵の相手には、これで片が付くはずだ。

 しかし、それでも。その風は、力のせめぎ合いに揺らぎこそすれ、弱々しく屈し立ち消えることなど、ありえない。

 それもそうだな。キミはその身に世界に選ばれた魔力を秘め、手にしているものは風魔の剣。

 いつまでもオレに教えられるだけの子どもでは、もう、なくなった。ここにいるのは、雷の勇者と共に並び立つ、風の勇者だ。

 

「ずいぶん荒れているじゃないか、その剣!」

「ああ。彼も、君たちに勝ちたいんだって……さ!!」

 

 ユシドの魔法剣が勢力を増す。雷属性の剣に相手を感電させるという特性があるなら、風の剣には相手を押し飛ばす特性がある。

 ああ、やはりユシドの潜在能力は、オレをも凌ぐ。……ここまでか。

 体勢を崩されるのを避けるため、自分から地面を蹴り、後退を選ぶ。

 ただで退いてやるのも悔しい。相手の風の勢いに自分の軽い身体を乗せ、大きく跳ぶ。宙を浮きながらタイミングを計り、雷撃の槍を投げつけた。

 

「はっ!」

 

 だがそれは、ユシドが素早く振るった剣によって、かき消された。

 石造りの地面に降り立ち、再び斬りかかろうとして、思いとどまる。

 これだ。ユシドの厄介な技。純粋魔力攻撃を、剣の一振りで切り裂く。これまでの様子を見るに、どの属性が相手でもやってのけるようだ。

 

「はああっ……!」

 

 空いた距離に甘えて、魔力を溜める時間を設ける。剣を持っていない左腕に、力を集中させていく。抑えきれずに放電のような現象を起こす腕を振りかぶり、渾身の威力がのった金色の輝きを、相手に向かって伸ばす。

 ――やはり。それは切り払われ、二つに割れて地面を蹂躙した。

 かなりの大出力でも、やつの調子が良ければこうして対抗できるのだろう。そして今日は、絶好調と見た。

 息を整えることを選び、その場にとどまると、オレたちは試合開始直前のように、互いににらみ合う状態になった。どうやら向こうからは攻めてこない作戦らしい。カウンター狙いだというのなら、オレの倒し方をよくわかっている。生意気だ。

 遠距離攻撃が通じず、近寄ればカウンター。オレの攻撃偏重のスタイルに対して、守りに重きを置いた戦い。

 手強いな……!

 

「すぅーっ、はぁっ。すぅっ……」

 

 ひとつ、気付いたことがある。

 先ほどオレは、攻撃の魔法術を二度、ユシドに使用した。そのどちらもが剣によって阻まれたが、厳密には、結果が異なっていたといえるかもしれない。

 一度目の雷は、剣によって完全に霧散した。そして二度目の雷は、真っ二つに割られて、ユシドの周りの地面を焦がした。

 つまり規模の大きい二撃目は、完全に消し去ることができたわけではない。

 当たり前の話を再確認するが。ユシドのあの剣は、術を無効化する特異能力・体質のたぐいではなく、剣による技術だ。手元が狂ってミスをすることもあれば、こちらの術の使い方によっては、はじき返せない場合もあるのではないか。

 万能の力ではない。ならば、ユシドの守りを突破することは、出来る。

 

「ふんっ!!」

 

 剣を鞘にしまい、駆け出しながら、雷を二本、投擲。

 威力は一度目に撃った術のように低いものだが、数は見ての通り、倍。やや時間差をつけて襲い掛かる二つの魔法術だ。これに対する、ユシドの出方を見る。

 ……剣を、二度振った。ひとつの雷撃は魔力の粒子へと霧散したが、もうひとつは弾き逸らされ、あらぬ方向へと受け流された。

 予想通りだ。これが、対処法その1。あくまで剣を使った技であるため、ユシドの剣速を上回る速度や、手数でもって攻撃をする。

 これをさらに増やしていけば、どうなる?

 戦いの中で調子を上げ、今や体内で激しく燃えている魔力を、下半身にもまわす。腕に比べればそこそこ鍛えているオレの脚は、風雷二色の魔力を纏うことによって、人間の常識を外れた疾走を実現する。

 ユシドを中心に円を描くように、地面を焦がし、埃を巻き上げ、駆ける。今のあいつは、オレという檻の中にいる。

 腕を獲物に向かって真っすぐに伸ばす。電撃の矢をイメージし、鋭い針のような魔力を、断続的に飛ばす。

 全方位からの、無数の攻撃。

 

「おおおおッ!!」

 

 ユシドが剣を振るう。初めの内は矢を散らしていたが、やがて刃の守りをくぐり抜けたものが、ユシドの身体に突き刺さり、痺れさせる。そうなればもう、結果は自明だ。

 千の針による怒涛が、あいつを襲う。

 

「ふぅーーっ……」

 

 走った石畳には焦げた跡が残る。ブレーキをかけると、長い制動距離に黒い線が描かれた。

 スピードには自信があるが、スタミナが足りない。最高速度で何周もグルグルと回るなんて、普通しないからな。今の技は自分にとって、消耗が激しいようだった。

 それに。

 砂埃と、砕けて散った魔力の霧の中から、真っ直ぐに立つユシドの姿が現れる。

 すこし表情を苦し気に歪めてはいるが、大したダメージではないだろう。一発の威力が低いのなら、風でまとめて吹き飛ばしたり、魔法障壁で防ぐことができるからだ。オレならばそうした。ユシドも、また。

 

「はあッ!」

 

 こちらの息が上がってしまう前に、再び駆けだす。心臓があげる悲鳴を無視して、この戦いに心を捧げていく。

 ユシドは無傷ではない。身体に電撃を食らったような痺れが残っているはずだ。

 対処法その2。

 遠距離攻撃が通じないなら、素直に直接斬り合う。

 ギン、という音。剣が剣とぶつかる音だ。

 今度は鍔迫り合いをしない。あれはユシドが有利になる体勢だ。先ほどは“力”で押し負けた。

 ならば接近戦では、常にオレが不利か? 違う。お前が武器を振るうときの、身のこなしの“速さ”は、まだオレには及ばない。

 

「せえッ!!」

「うっ! ……おおおっ!」

 

 いつものような、互いの顔を突き合わせて、他愛もない話をする距離。

 今は、違う。

 その内側に、二人分の剣の嵐が巻き起こる。幾度も幾度も腕を振り、熱に浮かされるままに身体を動かし、剣閃をぎりぎりで躱し、鋼をぶつけあう。

 心が沸き立つ。ユシドの動きはオレよりやや遅いものの、その目は常に、こちらの剣を捉えていた。一方的な攻めなど、できなかった。反撃は徐々に、その精度を上げていく。

 互いに相手を斬り殺してしまうことのないよう、武器に細工をしてあるとしても、苛烈な剣戟の中で、オレたちはわずかに傷ついていく。

 いま、頬を熱い感覚が走った。まったく、顔に攻撃を受けてしまうことには、実はいつも気を付けているんだけどな。キミの前では敵にどんな攻撃を受けても、澄ました顔で取り繕いたかった。

 でも、戦いの相手がユシドなら、それもいいか。オレとお前は、対等な戦士だ。

 オレの剣が、ユシドの頬をかすめた。その薄く赤い痕に、心臓がひとつ跳ねる。

 ああ……悪くない。キミに傷をつけることも、キミに傷をつけられることも。

 その傷はきっと後で治してやる。でも、オレのは別に、今すぐ治さなくたっていい。強くなったキミの熱が、そこに感じられるんだ。

 オレは刃に雷を纏う。笑いはうまく堪えられているだろうか。あまり戦い好きが過ぎると思われるのも嫌だ。

 ユシドは大きくかわし、瞬いた電光が彼の服を焦がす。

 仕返しだとでもいうように、次いでユシドの剣がうずまく。振るわれた暴風はぶわりと膨れて、紙一重での回避を許さない。魔法剣による攻撃は、範囲が通常の斬撃より拡張される。基本的なことだ。

 オレは大きく後退し、距離を開ける。

 動きを止めて落ち着くと、自分がずいぶん、いつになく、呼吸を荒くしていることに気が付いた。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はっ、ハハ……!」

 

 もう少し、斬り合っていてもよかったのに。楽しい時間というものは、終わるのが早い。

 とはいえ、そろそろ勝負を決めないといけない。体力も魔力も、かなり消耗した。

 ユシドを見やり、隙をうかがう。あいつにはまだ、オレよりも余力があるように見える。それはとても悔しくて、とても、嬉しかった。

 だったら、音を上げてはいられないな。オレはキミの前では、強いミーファでいなければならない。

 息を整えたら、慣れた姿勢で剣を構える。まだまだ続けようと語りかけるように、背筋を伸ばし、胸を張ってみせた。

 すると。ユシドが、遠くから声をかけてくる。

 

「まだ、本気を出していないだろ」

「なに?」

 

 信じられない言葉を口にするものだ。オレの戦いは、お前の目には手加減をしているように映ったのか? 

 ……いや。

 ああ、そういうことか。

 ユシドがオレを指さす。そのまま、その手をゆっくりと上へ掲げ、真っ直ぐに天へと向けた。

 

 対処その3。

 ユシドが剣で切り裂いているのは、魔力による攻撃術だ。

 ならば――天然自然の落雷は、その手の小さな剣で、斬ることができるものか?

 

 ユシドの言いたいことはわかったよ。

 だが、お前も消耗しているはずだ。そんな状態で、紫電の閃きに挑むのか? 天の雷には、制御するオレとて手を焼いている。雷属性魔力の守りがないお前が受ければ無事では済まない。自身の魔力での攻撃のように、調整は効かないんだ。

 お前を、焼き殺したくは、ない。

 

「僕が君に勝ったら。ひとつ、言いたいことがあるんだ。聞いてくれるだけでいい、他には何も望まない」

 

 ユシドが話したことは、それだけ。それ以上は喋らなくなって、あいつはただ剣を握った。

 続きを聞きたいのなら、この戦いを終えるしかない。そしてあいつは、オレの技を待っている。凌いで見せると不敵に構えている。

 そんなあいつを信じられるだろうか? 光の速度で迫る雷を、身をひるがえして躱すのか。鉄をも焼き焦がす力を、その刃で跳ね返すのか。あらがえるはずのない空の光に、その身を焼き尽くされることなく立ってみせるのか。

 ああ。

 この先が、見たい。

 お前は、オレの強さを信じているな。ならば、その信頼に応えよう。オレもまた、お前の強さを信じよう。

 

 遠く、高い空に向けたつるぎに、紫色の光が落ちる。

 この身体を焼き尽くそうと暴れるいかずちを、この身の魔力によって押しとどめる。

 オレがひとつ、この刃を振るえば、抑えるもののいなくなった天の雷轟は、この場に居合わせた者にその怒りを向けるだろう。

 遠くの彼に、目を向ける。 

 翠色の瞳が、紫電の光彩/虹彩を見返していた。

 

「雷神剣・神雷風裂(ジンライフウレツ)

 

 剣を両手で握り、目の前の空間を斬り上げる。

 稲光がほとばしる。敵対者は瞬きの間に、その身を焼き尽くされてしまうだろう。数多の魔物を屠ってきたこの破壊の光は、ひとりの人間が立ち向かえるのものではない。

 その、刹那だった。

 オレとあいつだけしかいない、時間の止まった世界。

 その中で、ユシドは。

 輝く風を、剣と身体に纏い。小さな台風のように、回り、踊った。

 

「あ―――」

 

 渦に乗った雷は、くるりとカーブしてそのままに戻ってくる。

 あり得ざる魔法剣技と、迫る紫翠の光を見て。オレは思わず、笑った。

 

 

 

 

 あまりに騒がしい声に、目を開く。

 視界には青い空。黒い雷雲などどこにもない。

 首を傾けると、コロシアムの客席には、盛大に歓声を沸かせている人々がいた。盛り上がりはこれまでの試合の比じゃない、まるで大会の優勝者でも決まったかのようだ。

 そうか。

 ユシドは、勝ったのか。

 

「よっ……とと、いて」

 

 身体を起こそうとして、全身の重さに負けて無様に尻もちをつく。

 どうやら跳ね返された自分の攻撃を防ぐために、全魔力を使ってしまったらしい。魔力が枯渇するのは久しぶりだ。……しかも、人間相手となると、何年ぶりのことだろう。優に200年は超えていることだろうさ。

 加えて、体力も限界だ。もう動けそうにない。

 なけなしのプライドでなんとか上半身を起こし、人々を眺める。

 彼らは勝者を讃え、敗者にもまた、惜しみない激励を贈る。力なく手をあげて返事とするのは、少し恥ずかしかった。

 

「ミーファ!! あの、身体は大丈夫?」

「いや、もう、死ぬかもしれない」

「ええ!?」

「うそ。自分の技で死にはしないよ」

 

 駆け寄ってきたユシドは、からかうと表情をころころと変え、あわてふためく。さっきまでの戦士とはまるで別人で、どちらの顔も、我が子のように愛おしく思う。

 ああ。

 完全に、負けてしまった。

 ああくるとはな。ずるいな。すごいな。あんな技、前世のオレでもできはしない。同じ風の勇者だというのに、まったく違った発想をする。それは彼が、旅路の中で、多くの人や出来事から様々なことを学び取り、自分の中で育ててきたことの結果だ。

 これじゃもう、師匠面はできないな。

 認めよう。こうしてユシドは、オレを超えていく。

 それは本当に、心の底から嬉しくて。……少し、寂しかった。

 

「……やあ、いつまでも敗者の顔をじろじろ見てるんじゃないよ。君にこっぴどくやられて、立てないんだ。手を貸してくれ」

 

 にっと笑い、ユシドに手を差し出す。

 彼は、なにか、逡巡するように一瞬固まり。そして、この手を取った。

 力強く引かれ、オレは立ち上がるのを通り越して、つんのめる。

 

「うわっ!? お、おい……」

 

 力の入らない身体は、やつの胸で受け止められる。

 ユシドの顔が近くにある。それはいいが、少しくっつきすぎだ。衆人環視の元だ、ティーダやデイジーさんに後でおちょくられても知らないぞ。

 けれど、そのおかげで。歓声が埋め尽くす中でも、オレにだけは、ユシドの声が聞こえるだろう。息遣いや、鼓動の音さえ、わかるのだから。

 視界いっぱいに広がる顔が、緊張した面持ちになる。そういえば、言いたいことがあると、言っていた。

 大きく息を吸う。

 エメラルドの瞳がオレを、真っ直ぐに見つめる。

 

「ミーファ。ミーファ・イユ。僕は……僕は、君のことが、好きです。あなたを、愛している」

「…………へう……?」

 

 師弟の、日々の終わりに。

 その言葉と、心臓の鼓動が、オレだけに向けられていた。

 



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28. 想いを探す旅

 メインイベントである武闘大会を終えることで、しばらく続いたこのバルイーマの祭りもまた、終わりを迎える。

 例年より騒がしい日々だったが、終わってみればそれもいい思い出だったような気はする。私の今後の人生で、今年を超える闘技祭はもうないかもしれない。少し判断が早すぎるだろうか。

 それくらい色々あった。恐ろしい魔物は現れるし、アーサー様は可愛い女の子だったし、人さらいには連れていかれるし。

 そして、その中心には、いつも彼女の姿があった。

 ミーファさん。綺麗で強くて、どこか変わっているあの子。彼女は長いこと、このオリトリ亭を拠点にしていたものの、元々は旅人だ。祭が終わり、目的である仲間探しを達成したのだから、彼女とその仲間たちはもう、ここを出て行ってしまう。

 それは、はっきり言って、ものすごく、寂しかった。ミーファさんがいる日はいつだって忙しくて、だけどそれでいて、鮮烈な時間だった。いなくなってしまえば、しばらくは心にぽっかり穴の開いたような気分になることは、容易に想像できる。

 だけど。いや、だからこそ、私は彼女を盛大に送り出してやりたいのだ。

 友達って、そういうものだと思うから。

 私は最後の思い出作りに、身内で店を貸し切っての宴とか、町巡りとか、恋のアドバイスとか、まあいろいろ考えている。

 ……ところが。

 

 掃除の手を止め、私と同じ店の給仕服を着た、その少女を見る。

 あの記憶に残る決勝戦の余韻も冷めない翌日。朝から店にやって来て、掃除や店の仕事を手伝い始めた、と思いきや、さっきからずうっとボーっとしているミーファさんが、そこにいる。

 彼女は以前黒焦げにしたものを弁償した、新しいモップを手にしつつも、心ここにあらずといった様相で、どこでもないどこかを見ている。もうすぐお別れの私のことなど目に入っていないようで、さすがにそれは寂しすぎた。

 とはいえ、いくらなんでもあの様子は、ちょっと心配になる。ユシドさんと本気で戦いすぎて、やはり疲れているのだろうか。昨日の今日だし。

 

「ねえ、ミーファさん。大丈夫? 疲れてるなら、休んでいいんだよ」

「……あい」

 

 声をかけるだけでは反応しないため、肩をゆすってみる。

 気の抜けた声で返事らしきものを漏らす彼女は、いつもの様子とはまるでかけ離れている。凄まじい戦士であるはずの彼女だが、今なら試しに足をひっかけてみれば、盛大にすっ転んでしまうことだろう。

 あのミーファさんが、ここまで前後不覚になるなんて。一体何があった? 何が考えられる?

 それはいわば、ミーファさんの弱点となり得ること。ふらふらの防御力ゼロになってしまうような何か。そのヒントは、これまでに見てきた、彼女の様々な姿の中に隠されているはず。

 腕組みをして考える。やがて知将デイジー・マーサンドは、あらゆる可能性の中から、最も考えられる原因を導き出した。

 

「ユシドさんと何かあった?」

 

 彼女は返事をしない。だがしかし、それまでふらふらと揺れていたその身体が、ぴたりと停止した。

 いや、停止はしていない。小鳥が身体に止まるほどの緩慢な動きで、時間をかけて、汗をだらだらと流しながら、私のことを見た。

 

「……は、はい~~~? なにか、なにかとか、そんなことねー、そんなことないですのことわよ???」

 

 目をグルグルさせ、顔を紅潮させるミーファさん。

 今にも熱がこちらに伝わってきそうな湯だった声で、わけのわからないことを言っている。

 そうか……。

 

「あったのね……進展が、あったのね!」

 

 見逃していたとはな……このデイジー・マーサンドが……決定的なその瞬間を……。

 一体いつ? 大会後のわずかな隙? それとも、戦いの中で自分の気持ちに気付いちゃったの? いや待てよ……振り返ってみれば、決勝戦の終わった瞬間から私たちのところに来るまでには、二人きりの瞬間があるな。思えばあのときから様子はおかしかった。激闘の疲れがあるのだと思っていたけれど。

 もう推理とかめんどくさいな。

 本人に聞いてみよう。

 

「ユシドさんに告られたとか?」

「あ、うう……」

 

 ミーファさんはへなへなと足を折り、いよいよ倒れてしまいそうだ。肩を貸してあげると、戦わない私と同じくらい華奢なその身体に、やけに熱がこもっていた。

 マジで愛の告白されちゃったのか。

 ユシドさん……素晴らしい。素敵だ。素敵な組み合わせだ。あの人、奥手そうな印象に反して、やるときはやる人だったようだ。

 上辺を見ると、勝ち気グイグイ女子とややヘタレ男子のコンビに見えたものだが、その実、純真攻め男子と恋愛弱者女子だったというわけね。

 聞いた話だと、ユシドさんはもうこんなちっちゃな子供のときから、ミーファさんを想っていたのだという。

 ミーファさんの方は誰が見ても彼のことを意識していたし、晴れて両想い発覚でハッピーマリッジだな。今夜はもう、祝うしかねえ。

 

「いやー、めでたいですな。ミーファさんはユシドさんのこと、好きでしょ? くっついちゃえばいいわ」

「………」

「……ミーファさん?」

 

 ちょっとからかってあげようと思って、声をかけたミーファさんは。

 どこか、浮かない顔だった。

 少なくとも、両想いで嬉しいなという表情ではないようだった。その様子を見て、心をよぎったことが、そのまま私の口から出てしまう。

 

「……ミーファさんは。ユシドさんのこと、好きじゃないの?」

「それは」

 

 彼女は私から離れ、視線を下に彷徨わせる。

 

「わかり、ません。わからない」

「……そっか」

 

 ああ。そうだったんだ。

 ユシドさんの気持ちを伝えられたからといって、話はそれで終わるはずがない。彼女はいま、自分の気持ちを考えている。

 傍から見ると好きあっているようだし、私やティーダさんはやいのやいのと囃し立てているが、今はそれはダメだ。彼女にとって、これは大事な時間なんだから。

 この子が今どんな葛藤をしているのかは、本人以外にはわからない。自分の気持ちが分からないようだが、それは恋心と親愛の違いがわかっていないのかもしれないし、何かユシドさんの気持ちを受け入れられない理由でもあるのかもしれない。色んなことが考えられる。

 けれどもそれは、私が根掘り葉掘り聞くことでは、ないと思った。友達だからといって、心の深い部分まで踏み込むようなことは、しない方が良いこともある。何より、その葛藤に答えを出すのは、彼女自身に他ならない。べらべらと恋のアドバイスなどを語るタイミングではなく、私の出る幕はないだろう。

 でも。

 背中を押すくらいのことは、してもいいよね。

 

「ミーファさん。お昼になったら、ちょっと買い出しをお願いしたいな」

「え? は、はい。いいですよ」

「それまでは部屋で、ゆっくり休んでいて。掃除は私がしておくわ」

 

 ミーファさんが自分の気持ちを考える時間は、必要だ。だけど、ただひとりで考え込んでいても、気持ちに答えは出なかったりする。

 きっかけがいる。本当の心は、咄嗟の行動にこそあらわれるものだ。

 大方、告白されてからは、ちゃんと言葉を交わしていないのだろう。男というのは狡いもので、告白してしまえばあとは高みの見物と洒落込めるわけだ。……と、ユシドさんを悪し様に表現してしまった。

 二人に必要なのは、面と向かって話してみることだ。とはいえ、何も言えなくてもいい。重要なのは顔を合わせることだ。とにかく目の前に、悩みの種がいた方が、自分の気持ちに気付くきっかけになるはずだ。

 

 別に、遠くから様子を見てニヤニヤしようなどという、邪悪なことは考えてはいない。

 

 私はミーファさんを部屋に連れていき、ゆっくりしているように勧めた。きっと彼女は約束の時間まで、うんと頭を悩ませることになるだろう。オリトリ亭に来たのは、ルーチンワークに逃げこんできたんだと思う。こうして追い返してしまうのは、少し厳しかったかな。

 そのまま私は、しばし仕事を離れ、オリトリ亭を出る。

 さて、ユシドさんは、自分の宿にいるかな。

 

 

 

 

 以前も待ち合わせに利用した、バルイーマの中心部にある闘士の大石像の下で、デイジーさんを待つ。

 今日は買い出しを頼まれている。デイジーさんからは先にここで待っていてくれと言われ、言葉通りにこうしてひとりでいる。

 ずっとそうしていると、やがて通りがかった街の人々が声をかけてくる。武闘大会を見てくれた人は大勢いたから、結構話しかけられた。あまり人付き合いは得意ではないから、適当に返事をして、その場を移動し、日陰に逃げ込んでしゃがみ込む。うつむいて地面を眺めていると、彼らにおざなりな対応をしたことを、少し後悔したりした。

 そのまま静かに、膝を抱えて座っていると、ようやく声をかけられなくなった。これは街の人々が、ひとりでじっとしている小娘を誰も気にかけない薄情者というわけではなく、単に気配を薄くすることに成功しているのだ。こう見えて気配を断ったり、空気に溶け込んでしまうことは得意だったりする。不意討ちとか、自分がやる分には好きだ。派手に光って鳴る雷の属性とは相性が悪く、今ではあまり使わない手段になってしまったが。

 そういうことなので。デイジーさんが見えたら、オレの方から声をかけよう。そう思っていた。

 

「あれ? ……ミーファ?」

 

 その声を聞いて、顔を上げる。

 ああ、そういえば。こいつには、オレがいくら気配を殺してみても、見つかってしまうんだった。

 

「……なぜここに?」

「デイジーさんから呼び出されて、ここに集合するように言われたんだけど」

「………」

「えっと……」

 

 何が起きているかなんて、説明されるまでもない。どうやらデイジーさんはいろいろと暗躍していたようだ。このまま待っていても、彼女はここには来ないつもりだろう。

 それは、たぶん。彼にももう、わかったはずだ。

 

「とりあえず、その。買い出し、行く?」

「……ん」

 

 手を差し伸べられる。

 オレは何の気もなしに、その手を取って、引かれるままに立ち上がる。

 ――その顔が、視界いっぱいに広がった。

 

「あっ……」

 

 掴んだ手はやけどしそうなほどに熱くて、オレは手を離す。ついこの前も繋いだはずのその手が、オレより大きくなっていることに、今は気が付いてしまう。

 ダメだ。これは、よくない。あいつの目も、真っ直ぐに見ることができない。どうしたらいいのか、わからなくなってしまうからだ。

 下を向いたまま、動くことができない。沈黙が続く。

 自分の心臓の音だけが、やけにうるさい。何故だ。これは、何だ?

 いつもは、どういうふうに会話をしていたんだっけ。くらくらして思い出せない。

 思い出したとしても、きっと、うまくはやれないだろう。だって、もう、今までと同じようには……。

 

「ね、ミーファ。今日は少し暑いね」

「……ん? ああ……熱い」

「ちょっと待ってて。冷たい飲み物を買ってくる」

 

 彼がオレに背を向けて、歩き出す。それでようやく、オレは顔を上げることができた。

 

「飲み物? 昼間から酒はいらないぞ」

「お酒じゃないって。これくらいのサイズで、冷えた果実水を安く売ってる店を見つけたんだ。最近の世の中では飲み物って言ったら、こっちだよ」

 

 早足で、行ってしまった。

 少しだけ、熱が冷める。冷たい水なんて関係ないな、と思った。

 冷たい石壁に背を預け、空を見る。

 こうしてひとりになると、オレは考え事から抜け出せない。そうさせているのはもちろん、他でもないあいつだ。

 思い出の中の様々な場面が、頭に浮かんでは消えていく。どの瞬間でそれを切り取ってみても、その絵の中には常にあいつの姿がある。

 幼い頃に、木製の剣で訓練をつけたこと。今となってはお遊びの範疇からそう出ないものだったが、ほんの小さな子どもだというのに、あいつは懸命についてきたな。なぜ、そこまで、頑張ることができたのか。

 オレの元へ戻って来て、旅立つにふさわしい力を見せたこと。生意気にも贈り物なんぞをくれた。そんなことまでせずとも、戻って来てくれた時点で、オレは許したというのに。

 器量良しに育った容姿でからかってやると、顔を赤らめて逃げるのが面白くて、二人のときにはつい何度もやってしまったこともあった。楽しい記憶だ。

 旅の中で、オレに負けないくらいに強くなっていったこと。終いには勝ってしまった。まだまだ人生は長く、頼れる仲間も増えていったというのに、どうしてそうまで強さを追い求めたのだろう。

 

 ……何もかも、説明がついてしまう。

 あいつはオレのことを……異性として、好きになってしまっていたんだ。

 気持ちを伝えられてしまった。はっきりと。あの言葉には他に込められた意味もなく、ただオレに真っ直ぐ向けられたものだった。目を背けることは、できなかった。

 

 それは、その気持ちは、理解できる。オレとて生前には憧れた女性もいた。

 だがあいつの憧れているヤツというのは、本当は、男だ。しかも実の血縁で、親の親の、そのまた親の……まあその、じいさんだ。

 それは、許されることだろうか?

 ちがう、そういう話じゃない。

 その想いを知ってしまった今、何よりも怖いのは。

 彼は。……オレの正体を知れば、拒絶してしまうのではないか。

 

 オレは、何を、一生懸命になって、考えているのだろう。

 昨日のあの瞬間から、一日中ずっと、同じようなことを考えている。頭の中は一つのことでいっぱいで、そのときの心臓はまるで、全力で戦っているときのように、激しく熱い血を送り出してくる。

 これが、おかしい。

 そうなると、まるで。

 オレもまた、ユシドのことを、恋い慕っているようではないか。

 

「ああ。熱い」

 

 それが、わからない。

 オレはユシドのことを、どう思っている?

 どうしてやりたいと、思っているんだろう。

 

「ミーファ!?」

 

 空を見るのをやめて、街並みに視線を戻すと、おかしなことに、景色が斜めになっていた。

 目の奥が熱く、魂が沸騰しているよう。立っていることが億劫だった。これから自分が気絶するのだと自覚し、心が強張る。

 でも、オレを支えようと駆け寄ってくるやつがいるのがわかって、最後に少し、安心した。

 

 

 

 目が覚めると、見慣れた天井が目に入ってくる。

 自分の部屋だった。

 ベッドから身体を起こそうとすると、自分がなぜ倒れていたのかがわかってきた。……身体が熱い。どうやら熱を出してしまったようだ。

 大病の類である可能性も否めないが、経験則から言って、これは魔力の枯渇と体力の低下によるものだ。栄養をつけてゆっくり休んでいれば、治るものだと思う。

 

「ミーファ、大丈夫? ……これ、デイジーさんが切ってくれたフルーツなんだけど、食べられる?」

 

 声の主を確認してから、視線を部屋に彷徨わせる。

 どうやらここには、オレとこいつだけしかいないようだ。

 それはよかった。誰かに見られたり、聞かれたりは、したくない。

 

「あー」

「あー、て。自分で食べられないの?」

「この熱は、おまえのせいだ」

 

 はっきり言ってやると、ユシドはオレと目を合わせないようにしながら、フォークに刺した果物を近づけてきた。

 口で迎え入れ、咀嚼する。しゃりしゃりとした触感と酸味が、身体を癒してくれそうだった。

 そうだ。この熱は、お前のせいだ。

 お前がオレを思い切り試合で負かしたせいだし……お前が、オレを好きだと言ったせいだ。

 そして。

 オレは、そんなキミのことを……。

 

「なあ。その手を、少し貸してくれ」

 

 彼が右手を差し出してくる。

 オレはそれを掴んで、自分の頬に当てた。冷たくて、気持ちがいい。

 だけどやがてその手は、オレの熱が移って熱くなっていく。それとも、もしかすると、彼自身の体温も上昇しているのかもしれない。恋い焦がれた人と密着しているとき、人間の身体は熱くなるからだ。

 ユシドの顔をじっと見る。今度はちゃんと、向かい合うことができた。

 紅潮していく顔。その顔を巡る血液は、勇者シマドのそれを受け継いでいる。

 オレの顔もまた、同じくらいには紅くなっているのだろう。けれどこの身体には、シマドの血は流れてはいない。オレとユシドの本当の関係は、オレが口にしない限り、誰も気が付くことはない。

 

「ユシド……。もっと近くに来てくれ。顔を、よく見せてくれ」

 

 ユシドは緊張した面持ちで、ベッドに腰掛け、オレに近づいてくる。

 たしか、彼は言っていた。自分の言葉を、聞いてくれるだけでいいと。ユシドは自分の気持ちを伝えてきたが、それに答えを返すことは、必ずしも求めてはいないということだ。

 ……そうは、いかない。気持ちを一方的に知り、こちらの想いについて何も言ってあげない、なんてことは、できない。このままでは、一緒に旅を続けることはできないだろう。

 だから。

 今の自分の心を、打ち明けてみよう。

 

「キミはオレを好きだと言ってくれたね。それを聞いて……オレは、嬉しかったよ」

 

 ユシドがオレの目と、言葉を紡ぐ唇を見ている。

 そう。嬉しかった。

 お前はオレの宝だと、今でもずっと想っている。その想いはまだまだ、どんどん強くなる。キミがオレを超えて、立派な勇者へと成長していくのを見るほどに。

 そんなキミに、大きな愛情をぶつけられて、それが嬉しくないはずはない。

 だけど。

 キミに答えを、返してあげられない。

 

「ユシドのことはオレも……好きだよ。だけどそれは、君の好きとは違うものかもしれない。まだ、わからないんだ」

 

 本当の気持ちと、それらしく誤魔化す言葉を、混ぜた。

 キミを目の前にしたときの、この胸の高鳴りがなんなのか。わからない。けれど、親愛の情だけではない、何かがある。それは確かなことだ。

 わからないというのは、正直、誤魔化しかもしれない。

 けれどそこに、素直に恋心という名前をつけるには、オレは少し歳を取り過ぎていた。

 そして。

 自分の正体を隠したまま、その純粋な想いを受け入れることは、とても苦しくて。こんな人間に焦がれてしまったというユシドが、可哀想だった。

 いっそ教えてしまおうか、とも思った。

 そして、自分に愕然とした。ユシドの想いを知った今、自分の正体を明かす勇気が、ない。

 そんな矮小な自分を、とにかく嫌われたくなくて、こんなことを言う。

 

「時間をくれないか。旅が終わるまでに、君の気持ちに答えを出すよ。それまでは……今まで通りで、いてくれないか」

 

 話しているうちに、オレはだんだんと、自分の心が重く深く、暗いどこかに沈んでいくように感じた。

 あまりに卑怯で、狡く、醜悪な心だった。自分を慕ってくれる少年に、曖昧な態度で接するオレは。自分の本当の姿を打ち明ける勇気のないオレが、勇者などと。大層な名前を背負っているのは、あまりに滑稽なことだ。

 

 ……だけど、嘘じゃないんだ。口をついて出た誤魔化しの言葉に過ぎないかもしれないけど、それを本当にする。旅が終わるまでには。きっと、答えを探す。キミへの想いに、名前をつけてみせるよ。

 だから……。

 すがるような声で、ユシドに話しかける。

 その音色は、まるで甘ったれた少女のようで、正体をさらに覆い隠すような真似をする自分を、嫌悪した。

 

「優柔不断なオレを、嫌うか?」

「……ううん」

 

 ああ。

 きっと、そう返してくれるのを期待して、自分はあんな声を出したのだ。

 最悪だ。

 

「でも、ごめん。今まで通りには、いかないかもしれない」

「……そう、か」

 

 ユシドはベッドから離れ、部屋のドアへと向かう。

 心の距離が開いてしまったようで、強い喪失感を覚えた。

 ドアに手をかけ、そこから出ていこうとする。

 その前に。こちらを見て、言った。

 

「もう隠せないんだよ。君のことが、大好きだってこと」

 

 いつものような、やさしい微笑みで、いつもとは違うことを言う。

 そのままあいつは、部屋から去っていった。

 

「あ、う。ううううう~っ……」

 

 熱がぶり返してきて、顔を手で冷やそうとする。手も熱くて、逆効果だった。

 人から恋愛感情をぶつけられるというのは、こういう感覚なのか。実のところ、初めての経験だった。それはあまりに強いエネルギーで、落雷のパワーなどよりもよっぽど、オレの身体を熱くした。

 あんなことを言っていたが、あいつの性格なら、極力今まで通りのように接しようとしてくれるだろう。

 だとしたら。

 ……今まで通りでいられないのは。自分の方、かもしれない。

 

 

 

 

 4人の勇者たちが、私達の街を、旅立っていく。

 割と長い付き合いだったけれど、別れの瞬間は思っていたよりあっさりしていた。

 昨日の夜までに、散々お別れパーティーを開催したからだろうか。お酒の入ったミーファさんには二度と絡まれたくないと思っていたが、それもいなくなると思うと寂しく、何回か飲ませたりした。なかなかに楽しかった。

 驚いたのは、ユシドさんの視線を感じると、酔っている状態でもやや大人しくなったことだ。いじらしい。このバルイーマで二人の関係に進展があったらしいことは、彼女の友達として、なんだか誇らしい気分になる。まあ、本人はやたらと悲痛に狂おしく悩んでいるようだが。それも人生というものだ。

 みんなでふたりを見守りつつ、これまでの旅と、これからの旅の話をする。その間だけ私は彼らの仲間になったみたいで、冒険のお話には、子どものときみたいにワクワクした。

 

 別れるとき、私はみんなと、ミーファさんと、約束した。

 旅の帰り道。いや、旅で何か困ったことがあったときでもいい。きっとここに寄って、また話を聞かせてほしいと。

 4人の背中が、だんだんと遠くなる。

 また会うときが楽しみだった。楽しみ過ぎて、すこし、涙が出た。みんなの姿が見えなくなるまで、手を振った。

 

 彼らがいなくなれば、また戻って仕事だ。私は振り返って歩き、ふと思い立って空を見る。

 空は、青く爽やかに晴れている。

 彼らの行く道もまた、きっと、澄んだ青に彩られているはずだ。

 

 私はずっと、ここで彼らのことを覚えている。

 勇者の使命を果たす旅。それはきっと、いずれ必ず果たされると信じている。……けれどもうひとつ、大事なことがある。

 女の子にとって、大事なことだ。まあ、男の子にも。

 

 長い長い旅路。それは、私の友達であるあの子にとっては。

 自分の本当の想いを探しにいく、大切な旅になるだろう。

 

 



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輝きの王都 / あなたのともだち
29. 旅中の一夜


 鋭い意気をもって、少女は怪物へと躍りかかる。

 

「雷神剣!!」

 

 手に握られた金色の光は薄く伸びた刃となり、激しい雷電を伴って岩の人形を斬りつける。必滅の魔力が込められたその一撃は、敵の身体を両断するかに思えた。

 しかし。雷の魔力は、大地の魔力で補強された岩肌を破るのに、あとひとつ不足していた。その身体に痛覚を持たないロックゴーレムは、雷鳴の嘶きにもひるむことなく、勇者たちに立ちはだかる。

 

「むっ。修行不足か……」

 

 勇者の中でも随一の攻撃能力をもつミーファだが、魔法剣士が真価を発揮するのは武器を手にしたときだ。腰に下げた鞘が、振るうべき刃をつかんで離そうとしない以上、少女はただの魔導師でしかない。また、雷属性では地属性の魔物には歯が立たないというのが、この世界の通説である。少女が苦戦を強いられるのは、彼女を知らない者が見ていたならば、仕方のないことだと言うだろう。

 しかし、属性の相性関係などという常識は、規格外の魔力を持つ彼ら勇者には当てはまらない。

 ミーファは体内の魔力をより大きく爆発させ、さらなる一撃を腕に装填しようとした。

 

「ミーファさん、ちょっと代わってください! 試したい技があるんです」

 

 背後からかけられた声に耳を傾け、ミーファはゴーレムの巨大な腕から逃れつつ、後退した。

 声をかけた少女、シークは手にしていた大剣を背に戻し、青い魔力が輝く左手を敵にかざす。

 

「ユシドさん、“風神剣・穿”をお願いします!」

「わかった」

 

 ブラウンの髪を風になびかせ、少年は気合と共に剣の切っ先を突き出す。魔法剣によって引き起こされた風の螺旋が、土色の巨躯へ襲い掛かる。

 そこにタイミングを合わせ、シークは強力な水属性の魔法術を撃ち放った。

 

「メイルストロム!!」

 

 自転しながら突き進む水の槍に、竜巻によるさらなる捻じれが加わる。巨大な水風の槍は、さながら渦潮のように深く岩を穿ち、たちまちゴーレムを粉微塵に破砕した。

 

「やった!」

「つよっ」

 

 ミーファは二人の連携技を目の当たりにし、感嘆の声をもらした。

 まず、人の技の名前を覚えているというのが結構すごい。そう感心するミーファは、例えばティーダの魔法術技の名称などはまったく覚えられていなかった。彼はものぐさな性格なのか、それとも自分の力をひけらかすことが嫌いなのか、滅多なことでは自分の開発した攻撃の術を見せないからだ。今の戦闘でも、ティーダは仲間たちの盾を造りだすことや、敵の動きを妨害することに専念していた。

 しかしシークは、すでに仲間の能力をよく把握しているようだ。戦闘における意識の高さが伺い知れる事実だが、そこには少女が秘めていた仲間への憧れもあるのかもしれない。

 消えゆくゴーレムの残骸を検めている少女を見つめ、ミーファは穏やかに笑った。

 だが、その視線にあらぬことを感じたシークは、あわてて何かを弁明し始める。

 

「み、ミーファさん! これはたまたまの成果ですから! ユシドさんとのコンビネーションは、ミーファさんがベストですよ!」

「……何の気遣い……?」

 

 腕組みをしながら、ミーファは眉根を寄せた顔でシークをじとりとにらむ。

 そして、横にいたユシドに一瞬視線をやり、また逸らした。

 

 

 

「おお~しみるう~」

「えっ? どこか怪我してるんですか?」

「ううん、お湯が身体に染み渡るなーって意味だよ」

 

 木々に囲まれた小さな空間。少女たちが見上げる夜空にはやや白いもやがかかっている。ふたりが浸かっている湯船から立ち上る湯気だ。

 金の髪を湯に浸からないように上げ、岩で作られた浴槽の縁に腕をかけ背中を預けるミーファ。野宿であるにもかかわらず、一流の宿屋のような待遇を受けられることに、天を仰いで感動する。

 それもこれも、地術で浴槽を作ったティーダと、絶妙なお湯を生み出すシークのおかげだ。

 頼れる旅の仲間に感謝し、ミーファは傍らの少女の頭をどこか粗野な仕草で撫でた。シークは気持ちがよさそうに目を細める。森の気配に耳を澄ませ、空にかかる星を眺めながら、ふたりは他愛のない会話を楽しんだ。

 

「いつもシークのこれのおかげで、躊躇しないで思い切り運動できるよ」

「ミーファさんも、汗とか汚れとか、気にするんですね」

「それは、うん」

 

 ミーファの脳裏に、今世の母親の姿が思い浮かぶ。前世では無頓着であったが、この十数年の新たな生においては、清潔さに気を配ることを強くしつけられた。淑女たれという教育である。

 環境が変われば人は変わるものだと、ミーファは内心でしみじみと頷いた。

 

「汗臭いと、ユシドさんの近くに寄れないですもんね」

「……ふうーん。良い度胸だねシーク。オレをからかおうなんて」

「ひゃんっ!?」

 

 口で勝てぬなら手を出す。それがミーファという人間であった。シークは鍛えられた腕の中にわずかにある柔らかい部分をつねられ、情けない悲鳴を上げる。

 

「むううーっ! そういえばミーファさんとは、まだ決着がついていませんでした。反撃!」

「うわッ!? おい、揉むなエロガキ!」

 

 公衆浴場でもないプライベートなこの露天風呂では、マナーを気にする必要もない。ふたりは湯の中で、少女のような無邪気さで暴れ回り、遊んだ。

 

「そろそろ上がろう」

 

 疲れを癒すはずの湯浴みで体力を使い、苦笑した様子でミーファが湯船から立つ。二人でまとめて入浴をした日は、いつもこんな風にはしゃいでしまう。

 夜風で身体が冷える前に、用意していた布で身体を拭こうとして、ミーファは脱衣所の代わりと決めていた茂みへと視線を向けた。

 

「あれ? 背中……」

 

 背後にいるシークの声に何かを感じ、ミーファは足を止める。

 

「ミーファさん、背中の真ん中の辺りに、小さな黒いアザがあります。この前は、真っ白できれいな背中だったのに」

「アザ? いつの間に不覚をとったかな。背中になんて」

「痛くはないですか? ……でも、傷跡というより、何かの模様に見えますけど。もしかしてタトゥーですか? わいるどです」

「え? 背中にタトゥー、なん、て……」

 

 言葉が途切れる。その背を注視していたシークは、やがて、少女の身体が小さく震えていることに気が付いた。

 表情は見えないが、寒そうにしているのは明らかだ。早く上がって、火にでもあたった方が良いだろう。

 

「ミーファさん? あの、大丈夫ですか? 湯冷めしちゃうし、身体を拭かないと」

 

 心配したシークは、少女の顔を覗き込む。

 ……そこにいたのは、いつものように悪戯っぽく笑う、いつものミーファ・イユだった。

 

「年上の背中をじろじろ見るなんて、シークはえっちだなあ」

「ええっ!? ちょっと見惚れてただけです!」

「だから、そこがスケベなんだって」

「違いますよっ!」

 

 心配して損した、とでも言いたそうに、シークは肩をいからせながら茂みへと引っ込んだ。

 ミーファは笑みを浮かべ、その様子を見送る。

 そして。その表情を、無機質で平坦なものに戻した。

 一陣の夜風が、一糸纏わずそこに佇んでいる少女を撫でる。その身体は、寒さに震えてはいなかった。

 

 

 

 焚き木の灯りは、聖なる炎だ。破邪結界の陣と合わせて、悪意ある魔物たちを寄せ付けない。

 地術で形成された石造りの簡易な椅子が、焚き木の周りに並べられている。ちょこんと腰掛けているシークの後ろに座ったミーファは、淡い翠色の魔力をただよわせながら、その長い黒髪をくしけずっていた。風の魔法術を使って髪を乾かしてやっているその様子は、傍から見ればまるで、顔の似ていない姉妹のようでもあった。

 やがて、艶やかに仕上がった自分の髪を見て、シークは無邪気に喜ぶ。

 

「ありがとうございます! ミーファさんの髪が綺麗なのは、いつもこんなふうに、丁寧に扱っているからなんですね」

「まあね。……それよりさ、魔力は髪に宿るっていう話があるじゃない。オレは最近それが本当だと確信した」

「そうなんです?」

「シークって本気出すと、髪と瞳の色が赤か青に変わるんだけど、自分で気付いてる? それが根拠なんだけど」

「えっ!?」

「はは、やっぱり。そういうわけだから、髪は大事にした方が良いよ。君のお母さんに似て、綺麗な髪質なんだから」

「は、はい。えへへ……」

 

 長い黒髪を大事そうに撫で、シークははにかんだ。

 

「ミーファさんって、優しくてきれいで、その。お母さんか、お姉さんみたいです」

「あん? カッコイイお兄ちゃんではなく?」

「え。いやそれは全然」

「そう……」

 

 どちらかというと褒めるニュアンスを込めた言葉に、残念そうな反応を返すミーファを見て、シークは少し不思議に思った。

 そのまま、二人の会話は続いていく。まだ眠る時間ではないから。

 

「まあ、オレも、シークは妹みたいだなって思ってた。故郷の妹に少し似ているよ。あ、性格の話ね」

「おお。ミーファさん、ほんとにお姉さんなんですね」

「……ひとりはまだシークよりも幼くて、年相応に可愛らしい。家ではよく懐いてくれたよ。もうひとりは……最後にケンカしちゃって、それっきりだな」

「そんな! せっかくの姉妹なのに、それじゃ悲しいですよ。帰って仲直りしてください」

「今から?」

「ううーん。まずはぱぱっと、勇者の旅を終わらせましょう」

「ああ、そうだね。……彼女とは、いつ仲直りできるかは、わからないけれど」

 

 ミーファはそう言って、森の木々の間から見える、遠くの星空を眺めていた。

 故郷の方を見ているのだろうと、その様子を見たシークは思った。

 

「ミーファ、シーク。お茶をいれたよ」

「ああ、ありが――」

 

 会話が途切れたタイミングで、少年が声をかけてくる。

 その手からカップを受け取ったミーファは、間近にやってきたユシドの顔を見て、言葉を詰まらせ、視線を逸らしてしまった。

 そんな態度を気に留めず、ユシドはシークにもカップを手渡し、そのままシークを挟んで向こう側の席に腰掛けた。

 座った場所に他意があるのかないのか、ミーファにはわからなかった。

 

「……ユシド。今の話、聞いていたかい?」

「? ううん」

「そうか」

 

 ユシドはミーファの家族構成を知っている。湯浴みや焚き木の熱に浮かされて、シークに語ってしまった妹の話。それを聞かれたくなかったミーファは、確認を取り、ひとまず安心した。

 それだけで、また、会話は途切れる。ミーファは火の様子を見ているふりをしながら、少年のことを見ていた。

 そして、自分自身に向かってため息をつく。

 いつまでもこのような態度では、向こうも愉快ではないだろう。そう思い、ひとまず心を落ち着けようと、手の中の飲み物に口をつけてみる。

 

「……熱すぎる」

 

 淹れてくれた本人は聞こえないよう、小さな声で、彼女は呟いた。

 

 

 

「では。第1095回、仲間会議を始めます」

「1095回もやっているんですか!」

「数字は適当です」

「なんでそんな嘘を……?」

「いちいち反応してくれるおもしろい子がいるからです」

 

 シークが頬を膨らませる。

 4人目の仲間、ティーダは石の椅子に座るなり、真面目ったらしい言葉遣いで仰々しく話した。赤い髪と鈍色のひとみは、揺れる焚き木のあかりによって妙な胡散臭さを演出している。

 会議などとうそぶいても、彼ら勇者の議題はいつも似たようなもの。すなわち、次の目的地と、そこでの方針の再確認だ。

 仲間の中では勇者の使命に最も詳しいミーファが、指針となることがらを語り始める。

 

「今、ここには5つの属性を担う勇者が揃っている。……シークが2人分を担当することができるのかはわからないが、それは置いておこう。だから、残りの勇者は2人だ」

 

 話を聞いたシークが、仲間たちの顔を眺めながら指折り数える。地、風、雷、火に水。この世界で一般的に周知されている、全ての属性が揃っているように思えた。

 

「あれ? 残りの2つの属性って……?」

「君も使っていた属性だよ、シーク。ほら」

 

 隣に座るユシドが、少女の目の前で揺れる火を指さす。これはシークが、己の魔力をつかって起こした炎だ。火魔テリオモウイを葬るときにも発揮した、悪を討ち払い寄せ付けない、聖の炎である。これは実のところ、破邪の力と炎の術を複合させた高度なものだが、シークはそれを感覚的に扱うことができていた。

 次いでユシドは、彼らが野営の構えをしつらえたこの小さな土地を見渡し、その端に描いた境界線を指す。破邪の結界をつくる助けとなる、魔法術の方陣だ。

 

「破邪の術の元となる魔力。魔法術を学んだ者たちはこれを、“光”の属性とも呼ぶんだって」

 

 光属性は、他の5属性に比べて、いろいろと不可思議な現象を引き起こすことのできる、どこか曖昧な力だ。一般的には、敵意を持った魔物を寄せ付けないことや、攻撃の効きづらい亡霊・怨霊への干渉、そして身体についた外傷を癒すことなどができるとされている。

 

「そしてそれに対を成す属性がある。こちらは知らない人間が多いだろう。学ぶ機会もないし、そもそもこの魔力を持つ人間はまれだ」

 

 ユシドの言葉を継ぎ、ミーファが語る。

 光と対に語られるものとは、すなわち。

 

「残り2人の仲間。それは……“光の勇者”と、“闇の勇者”になるだろう」

「闇……」

 

 あまり正義の徒とはいえそうにない単語に、シークはおののいた。

 闇属性は、それを扱える者が非常に希少な魔力のパターンである。魔法術を生活の一部として受け入れる人々でも、これを知らずに生活している者が大半だ。当然、どんな現象を引き起こす属性であるかは、ほとんど知られていない。

 そんなレアな属性を持つ人間の中から、さらにひとりしかいない勇者を見つけ出す。それは途方もなく遠い目標に思えて、シークは眉尻を下げた。

 ところが。

 

「“闇の勇者”なんだが。実は居場所に心当たりがある」

「えっ!」

「……マジか、ミーファちゃん?」

「ああ。オレの家に伝わる情報だ、信ぴょう性はあるよ」

 

 その言葉に、常に落ち着いた態度でいるティーダすら驚く。

 静かに語り始めるミーファを、ユシドは何も言わず見つめていた。

 

「魔人族、ってみんなは見たことあるかな。最近はあんまりこっちの町にはいないみたいだけど……」

 

 魔人族。

 彼らは特性として、非常に優れた身体能力と魔力を持つ人種である。外見は、白や黄、褐色、黒といった肌の色をもつ我々に対し、ブルーやレッド、グリーンの肌をしている。さらに魔物のような角や尾、翼を持つ者も存在し、人里にいれば目立つことだろう。それを嫌ってか、彼らはあまり他の人種との交流を好まない。

 そして、特徴がもうひとつ。

 彼ら魔人族は、非常に長命である。

 

「前回の、200年ほど前の勇者の旅。そこには“闇の勇者”が参加していたらしい。記録によるとそいつは魔人族の領土の出身だ。つまり何を言いたいかというと」

 

 ミーファは目を閉じ、話を締めくくる。その様子はどこか、遠い昔を思い返しているようでもあった。

 

「おそらく、そいつは今もまだ生きている。そして新たな勇者たちに、力を貸してくれるはずだ」

 

 やや、間が空く。

 ミーファは手にしていたカップに口をつけてのどを潤し、そしてユシドを見た。

 彼女はいつも、“風の勇者”に行く道を決めさせている。その視線を受け、ユシドは今後の具体的な話に移る。

 

「じゃあ、次は魔人族の国へ行くべき?」

「いずれ通る必要はあるだろうさ」

「ちょっといいかい」

 

 口を挟んだのはティーダ。次は、彼が話す番だ。

 

「魔人族の住処に行くには、隣接するヤエヤ王国からの通行許可が必要だったはずだ。だから、その前に王都に寄った方が良い」

「ふうん。今はそうなのか……」

「ええっと、王都、王都」

 

 ユシドは地図を広げ、灯りに照らしながら精査する。その横からシークが興味深げに、少年が地図に這わせる指先を追っていた。

 

「では、ここから人里を辿りつつ、王都に向かいます。……王都には優秀な兵や騎士がいて、また伝統ある都に相応しい、大口のハンターズギルドもあると聞きます。しばらく滞在して“光の勇者”の方を探すのもいいかもしれない」

「なるほど。賛成」

「わたしも!」

 

 3人の顔が、ミーファを見た。

 

「……賛成」

 

 闇の勇者はいっそ後回しでいいだろう。寿命もまだまだありそうだった。住んでいる場所も、この200年で遠くへ引っ越したりなどしていないのであれば、把握している。そこは不安ではあるが、ミーファにとっては最も探すあてのある勇者だ。

 魔人族の情勢については、人々の噂の内では、昔とそう変わってはいない。彼らは今も、人類を守るために戦い続けているはずだ。闇の勇者もまた、その役目を守っていることだろう。

 むしろ厄介なのは、“光の勇者”の方だった。

 こちらは長い間、現れたという記録がない。すさまじい幸運に恵まれている今回の旅でも、出会えるかどうか。

 

「まあ、それは、いいか」

 

 ヤエヤ王国は評判がいい。強力な魔物がうろつく魔人族の国に接しているにしては、人々を豊かにする治世を続けているという。王族の栄華のあらわれである王城は、観光の名所となるほど荘厳で美しいとか。

 焚き木を囲み、次の町の話をする仲間たちを、ミーファは優しく見守る。

 彼らと共にいく旅の中、次はどんな出会いや出来事があるのだろうか。それはミーファにとって、何にも代えがたい人生の楽しみだ。

 カップの茶を飲んでいるふりで顔を隠しながら、青年と少女に挟まれて笑う、ユシドの顔を見つめる。それは幸せな時間でもあり、今のミーファには、悩ましいひとときでもあった。

 

「っ……」

 

 背中にちくりと小さな痛みを感じ、少女は目を伏せた。

 



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30. ヤエヤ王国・王都

 ヤエヤ王国は、ヤエヤ地方に点在する人里を領土として法を敷く、長い歴史を持つ王国である。

 自然の恵みが豊かな土地と、堅実な王の治世によって、国民の生活は満足のいく基準を満たしているという。強力な魔物が流れてきやすいにもかかわらず、国を出ていく者は少ない。有能な王宮騎士たちや衛兵、強者ぞろいのハンターたちが人々を守るからだ。

 生活の充実は、国民をさらに次の段階へと進ませる。王都には大規模な教育機関である王立学校が存在し、教育の機会を充実させることで有能な人材を育て、さらに国が豊かになっていく。

 以上のように、ここヤエヤ王国は、現段階では成長著しく幸福度の高い国だと言えるだろう。

 

 門番と挨拶を交わしたのち、噂に名高い王都の入り口をくぐる。

 人々が生活を営む城下町の、奥のその奥。大きくそびえたつ白亜の王城に目を引かれ、オレ達は誰からともなく感嘆の声を漏らした。

 となりではユシドが珍しく目を輝かせている。オレはこういった王国には立ち寄ったことはあるが、この少年には初体験だったのだろうか。それとも、オレ達の出身地であるナキワ地方の王都とでも比べて、より荘厳なつくりのヤエヤ城に感じ入ったのかもしれない。

 歴史の長い国というものは観光のし甲斐があるというもので、城が民に解放されているならばそこを見て回るのも楽しみだ。また、これまでに訪れた町もそうだったが、人々の服装や家の形にも文化の違いがある。しばらくの間は、散策するだけでも充実した時間を過ごせることだろう。

 ……もちろん、目的を忘れてはならない。

 

 オレ達は門から続く大通りを進み、田舎者の丸出しのしぐさを隠さずきょろきょろとあちこちに目を向ける。

 まずは滞在の拠点となる宿屋を探す。広い都市にはいくつもの宿泊施設があるはずだが、その中からとりあえず当面の寝床となるひとつを見つけられればいい。よほどダメそうな宿でなければ、最初に見つけたところで決まりだ。バルイーマのように祭の時期でも無いなら、空きはそう苦労せず見つかると思う。

 そこに宿泊しているうちに、別のより良い宿を見つけて移ることもあるかもしれないが、それはまたしばらく後の話になるだろう。

 そうして街を練り歩くうちに、宿屋をふたつ見つける。目の前にある建物と遠くに見える看板、どちらを選ぶかを4人で協議。多数決というほんの数秒間の話し合いを終えたオレ達は、目の前の宿屋を今一度見上げる。屋根の高さからしておそらく二階建てであり、かつ土地面積も広く、外観は王都の小綺麗な雰囲気に溶け込んでいて印象が良い。

 荷物や鎧、武器をかちゃかちゃと鳴らしながらそこへと入っていく仲間たちを見て、オレもまた後に続いた。

 

「4人分の宿をとりたいのですが、部屋に空きはありますか」

 

 ユシドが受付の若い女性に尋ねる。

 オリトリ亭は酒場と兼業だったが、内装からしてここは違う。これだけのスペースをすべて宿屋として使っているなら、浴場の存在は期待できるかもしれない。

 

「4名様であれば、2人部屋がふたつ空いています。いかがでしょうか?」

「……では、それで」

 

 ユシドは我々の顔を一通り眺め、反対がないのを確認してから受付の言葉に頷いた。

 帳簿に名を記入するユシドの字を横から眺めながら、シークがにこにこと笑う。

 

「じゃあ、部屋割りはわたしとティーダさん、ユシドさんとミーファさんですねっ」

「え?」

「はっ?」

 

 突然の言葉に反応して出た声が重なり、思わずユシドと顔を見合わせる。

 ……同じ部屋だって? それは、まあ首を横に振るようなことではないが、しかし今は、その。

 

「いやいや、男女2-2で分けます。だよね、ミーファ?」

「あ、うん……いや、そうだとも」

「おや。いいのかミーファちゃん」

 

 いいのか、とは?

 

「ちょっ! なんで怒るの。おじさん確認取っただけだぜ? バルイーマのときはユシド君と同じ部屋が良いってごねてただろー」

「それは……」

 

 それは、そうだが。……男女が同じ部屋で寝泊まりなどよろしくない。そういうものだろう。いちいち確認をするな。

 ……ああもう、認めてやる。

 二人きりになんてなったら、さすがに気が気じゃない。満足に休めもしなくなる。

 少し前の自分のように、ユシドを同室に誘うなど、もうできない。ただの友人や師弟ではなくなってしまったのだから。

 

「あ、あんたこそ。シークと二人一部屋なんてどうなんだよっ。いいのか?」

「あー確かに、お子様と同じ部屋だと気を遣うなあ」

「お子様!?」

 

 視界の端で、シークが何やらショックを受けていた。苦し紛れに意地の悪いティーダへと反撃を試みたのだが、どうやらそれはうまく受け流され、こちらに刺さったらしい。

 そんな言い合いをしているうちに契約は済んだらしく、ユシドが部屋の鍵をひとつ、オレに投げ渡してきた。

 ほんの一瞬だけ、目が合う。

 ……やはり、同じ部屋というわけには、いかないよな。

 オレは踵を返し、玄関の端で膝を抱えているシークを猫に見立てて持ち上げ、そのまま荷物のように担ぎ、二階に続く階段を上る。彼女の大事な剣はティーダに任せておく。

 

「重っ」

「重い!?」

 

 シークは小動物のような見た目に反して、そこそこの体重がある。魔力による身体強化があったとしても、あのような大剣を片手で振り回すのだから、相応の筋肉がこの細く見える身体に詰め込まれているはずだ。

 別にけなしたつもりはないのだが、シークはまたしてもショックを受けていた。そういうお年頃ということか。

 鍵に振られた番号を確認し、目的の部屋を探し当てる。

 扉を開くと、ストレスのない広さと清潔さの保たれた、一等の寝室があった。王様のお膝元の宿屋だけあって、いい仕事をしている。

 ふかふかのベッドにシークを叩きつけると、彼女は久々の柔らかい寝床に嬉しそうな顔をする。

 オレは装備を外し、ガントレットやブーツに蒸らされていた手足や、首や胸元の汗を拭く。あいつと同じ部屋ではこのように素肌をさらすことはできない。この部屋割りで正解だろう。

 そう思いながら涼んでいると、シークがこちらをじろじろと見ているのに気が付く。何故か知らんが、妙に顔が赤い。

 

「シークのエロス」

「エロス!?」

 

 だって君の視線、脚とか胸元に感じるんだが。同性だからってそうまじまじと見るなよ?

 背中とか。

 

 さて、今日はもう魔物などと戦う予定はない。戦闘装備は身につけずともいいだろう。剣だけはどこにでも持ち歩くようにしているため、宿に置いていくことはないが。

 ここでしばらく休憩したら、観光でも……と、いきたいところだが。

 我々がこのヤエヤの王都へやってきたのは、光の勇者探しと、魔人族領への通行証を発行してもらうためだ。前者は地道に進めるしかないが、後者ははっきりとやることが決まっている。街並みを楽しむ前に、まずは王都の行政に赴いて、手続きなり審査なりをすべきだろう。

 部屋の窓を開けると、涼しい風が入ってくる。そこから少し身を乗り出し、左の方を見ると、あの大きな王城が見えた。

 あれだけ大きな敷地だ。王政府はやはり城内に設けられているだろう。もう少ししたら、みんなで向かうとしようか。

 

 

 

 

 ティーダやユシドが言っていた話だが、魔人族の領土に行くのに王国の許可が必要なのは、向こうの魔物がこちらの地方のやつに比べて強力だから、という理由らしい。

 たしかにオレの記憶でも、あそこの魔物は強く、また数も多い。200年も前の話だが。情勢が変わっていないのなら、国民を死地にあっさり通すわけにもいかないため、そのような決まりになっているのだろう。

 ちなみに、王都に腕利きのハンターや兵がよく揃っているのは、向こうの強い魔物がこちらへ流れてくることがあるからだという。

 

 宿を出たオレ達は、まるで山のように大きい王城のふもと、もとい、正門へとやってきていた。

 大昔は魔物や敵国の侵入を阻んだことだろう、頑健なつくりに豪奢な装飾が施された城門がそびえたっている。ひとしきり感動してから、門を守る兵たちに声をかけた。

 

「やあ、おはようございます。王城へはなんのご用向きですか?」

「ええと。魔人族の領土へと向かう大事な用がありまして。通行の許可を頂きたく参りました。政務官……というか、担当の機関はこちらにありますか」

「ええ、たしかに、そういった話であればこちらで伺うことになっていますが……」

 

 それはよかった。さっさと済ませてしまいたい。

 そう思ったのだが。どうも雰囲気が変だ。二人の門兵は顔を見合わせ、困った様子の顔をこちらへ向けてきた。先ほどの兵の相棒の方が口を開く。

 

「すまないが、今は通行許可の申請等には対応できかねるんだ。……文官たちの仕事が忙しくて、手が離せなくてね。しばらく後に来るといいでしょう」

「具体的には、どのくらい待てば」

「あー、っと……」

 

 彼らは困り果てた様子で言葉を濁す。困り果てるのはこちらなのだが。

 一体どうしたことだろう? 今になって気が付いたが、王城内部は王族の居住部分以外は国民にも広く開放されていると聞いていたのだが、誰一人ここを行きかうことはなく、門は閉ざされている。

 そして兵たちの煮え切らない物言い。……何か、あったのだろうか。

 彼らも口に戸を立てられているのか、それ以上情報を得ることはできず、オレ達は追い返される形になる。

 

「これからどうする、ユシドくん」

「ううーん……待つ、しかないですよね。ああ言われてしまっては」

「……ん? おおい! 君たち!」

 

 疑問を巡らせながら通りを歩いていると、そこに、聴き慣れた仲間たち以外の声がかけられた。呼び止めてきた人物は全身を包んだ鎧を鳴らしながら、忙しなく走り寄ってくる。

 そうしてやってきたのは……知らない人物では、なかった。

 鎧の衣装や掘られた紋章は、ヤエヤを守る衛兵たちと共通している。そして、その腰に下げた細身の剣。あの特徴的な柄と鍔は、“カタナ”だ。

 顔を見上げる。気さくで明るい顔をした青年、バルイーマで出会った闘士、イフナがそこにいた。

 

「イフナさん! お久しぶりです」

「ここで君たちに会えるとは。どんな用事で来たんだい?」

 

 ユシドと彼が握手を交わす。二人は舞台の上で剣を交えた仲だ。

 そういえば、彼はヤエヤ王国の衛兵だと大会で紹介されていた気もする。地元というわけだな。

 イフナは火魔との命がけの戦いに参加してくれた恩人のひとりでもある。勝手の分からない新しい街に、このような信頼できる人間がいるのはありがたい。

 

「なるほど。事情はわかった。……君たちも、どうにも運が悪いな」

 

 先ほど門番から追い返されたときのことを詳しく話すと、イフナは何か知っているような顔をした。彼も王の元で働いている人間のひとりだ、何が起きているのか知っているかもしれない。

 

「宿はもうとったのかい」

「ええ」

「ふむ。……みんな、これから俺の家へ来ないか。友人たちの、王都への来訪を歓迎したい」

 

 イフナはオレ達の顔を順に見て、恥ずかしげもなく言う。彼にとっては、我々はすでに友人らしい。

 悪い気は、しなかった。いや……嬉しい。一度共に戦えば友だというのが彼の考えだとして、それを勇者という怪物じみた人間たちにも適応できるのは、お人よしなのか豪胆なのか。

 

「それと。今この国で起きていることについて、俺が知っていることを教えよう」

 

 どうする? とイフナは問う。

 オレ達は顔を見合わせ、頷いた。

 

 

 

 

 

「少し奥で話そう」

 

 イフナの子どもたちの相手をシークに任せ、オレ達は彼の書斎に案内される。

 部屋の扉を閉め、聞く姿勢を整えると、彼は優しい父親だった先ほどまでの顔を変え、真剣な表情をつくった。

 

 イフナの口が開く。

 ユシドの声が、それを復唱した。

 

「――魔導師失踪事件?」

 

 



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31. ハンターデビュー

「いくぞ魔物よ、『ハイドロレイ』っ!!」

「わあーっ!! すごいや、本物のアーサーだ、S級ハンターだー!」

「ぎゃあ! この犬でかい!!」

「アーサーが負けてる! あははは」

 

 庭で子どもたちと水遊びをしているシークを、開いた窓から眺める。

 イフナは兵士としてそれなりに高給をもらう立場にいるようで(あれほどの手練れなのだから武官としては最強の部類だろう、当然だ)、家は立派な一戸建て。若々しい美人妻に二人の子ども、やたらおっきい犬という家族構成だ。イフナが戦死でもしない限り、この世で最も幸せな家庭の姿なのでは。

 時刻は日も傾いてきた頃。イフナの奥様は突然の大量来客に戸惑っていたが、今は晩御飯の準備で大忙しだ。オレも手伝おうとしたが、また今度でいいと言われた。

 何度も来る予定はないのだが、彼女は言外にいつでも寄っていいと言っているのだ。自然な態度の優しさに、嬉しくなってしまう。あの夫にしてこの妻ありって感じだな。

 

「少し奥で話そう」

 

 子どもたちの相手をシークに任せ、オレ達はイフナの書斎に案内される。

 部屋の扉を閉め、聞く姿勢を整えると、彼は優しい父親だった先ほどまでの顔を変え、真剣な表情をつくった。

 

「――魔導師失踪事件?」

「ああ」

 

 ユシドがイフナの言葉を復唱する。

 今このヤエヤ王都で、いや、王国の全土で起きていること。それは。

 優秀な魔導師たちが次々と、手がかりも残さずに失踪している、という話だった。

 失踪するまでの彼らには、何も変わった様子はない。いつものように職務や生活に励んでいるだけだった、その翌日。身近な人間の前からこつぜんと姿を消す。ゆえに、このあまりに不審な件の調査を進めている人間のうちでは、彼らは何者かに誘拐されたという説が有力なのだそうだ。

 

「王宮付き魔導師も務める重役の文官たちに加え……これは最高機密なのだが……この国の、第二王女までもが行方不明だ」

「なんだって!?」

「そんなことを俺らに話していいのか? イフナさん」

「君たちの耳には入れておくべきだろう。もちろん、他言無用で頼む。門兵たちも言葉を濁していただろう?」

 

 これが本当なら、国中が混乱するほどのニュースだ。ここまでの厄介ごとだとは……。

 

「本当はもっと明るく歓迎したかったのだが。そういうわけだから、君たちはこの国には長居しない方が良いだろう。……俺がどうにかして、向こう側の領土へ送ろう。君らの実力と実績なら、形式ばった許可証など必要あるまい。そもそもさっき言った通り、法を管理し取り締まる立場の人間が不在だ。咎めるものもいないさ」

 

 赤い夕陽がさしてきて、イフナは部屋の窓にカーテンをかけた。

 

「君たちが指定した日にでも、関所まで案内しよう。どうするね?」

 

 オレとティーダは口を開かない。ただ、ユシドを見つめた。

 こいつの言葉にオレは従う。……まあ、大体、キミの考えはわかるけどね。一部のこと以外は。

 

「関所に案内してもらうのは、まだ先でいい。王国の危機とあらば、見過ごすことはできません。何か協力できることはありませんか?」

 

 ほら。

 真っ直ぐにイフナを見るユシドを、横目に捉える。気持ちは同じだ。

 王都は評判が良い。ヤエヤは民が幸せに暮らす国だ。その陰で、彼らに危機が迫っている。目の前のイフナにも、庭の子どもたち、優しい奥さんにも。このまま優秀な人材を失った状態で、さらに多くの人間が消えていくことが続けば、この国はゆるやかに終わっていくことになる。

 それに、彼らをさらった何者かが、何を企んでいるのか。

 こんな事態を放置して勇者探しに出発するのなら、人々を救うためだという旅の大目的に反する。

 

「……ああ……ありがとう。俺はたぶん、君がそう言うことを期待してしまっていたんだ。卑しい人間だ」

「そんなことはありません。僕たちと……あなたの、仲ですから」

 

 その通り。イフナはあんなことを言っているが、彼は人々を守るために自分の身を省みず、オレ達を助太刀してくれたことがある。今度はこちらが力になるのが筋だ。

 

 

 あたたかい食事と家庭に癒されたオレ達は、イフナの家のリビングで顔を突き合わせ、再び話し合いを始めた。

 よく食べ、よく遊んだ子どもたちは、寝室で奥さんが寝かしつけている。王都の危機を放置していては彼女たちにも不幸が訪れることだろう。美味しいシチューを頂いて、その笑顔に癒されたんだ。恩は返さないとな。

 

「イフナさん、魔導師の誘拐はバルイーマでもあったんだ。把握しているか?」

 

 イフナが頷く。

 ティーダが話しているのは、オレとデイジーさんが誘拐されたときのことだ。彼はあの件について、実行犯が捕まった後も気になって調べていたのだという。

 オレ達をさらったチンピラたちは、事件当時、様子がおかしかった。さらに牢に入れられた彼らは、そのときの記憶を失ってしまっているのだという。ここからわかるのは……彼らを操った、真犯人がいたのではないかということだ。

 そしてこのことが、王都で起きている事件と関係しているとしたら。

 

「ここの事件は人々がただ消えるというものらしいが、バルイーマの一件ではおそらく真犯人がいる。ふたつが同じ事件だとすれば……黒幕は強力な暗示を操る魔導師。あるいは、魔物だ」

 

 少し、冷や汗が出た。

 さらわれた人間たちは、どうなってしまうのだろう。もしもあのとき、共にさらわれたデイジーさんが、オレと一緒の場所に閉じ込められていなかったなら……。

 

「魔物の線は薄い、というのが我々の考えだ」

「なぜ?」

「この王都を守る破邪結界は特別製でね。強度は並だが、魔物避けとしてならば、この世界でも最上級の性能がある。というのも……」

 

 イフナは自分の鎧の一部に彫り刻まれた図絵を指す。この街の中でも何度か見かけたそれは、ヤエヤ王国の紋章だろう。

 

「この国の王族は大昔の“光の勇者”の血を受け継いでいて、強大な破邪の力を扱える者がいつの時代もひとり以上はいるんだ」

「へえ……」

 

 もしかすると、光の勇者を探しにここへ立ち寄ったことは、かなり正解に近かったのか。

 いや、もし今代の勇者が王族であれば、ともに旅人に身をやつしてくれ、なんてことは頼みにくいが。

 

「そんな王族が陣頭に立ち、優秀な王宮魔導師たちと共に作り上げたのがここの結界なのさ。さらに、時代の流れに伴い機能を増強し続けている。魔物がこの王都の内で、堂々と人々をさらっているとは考えにくい。……闘技大会に現れたあの炎の魔物クラスならば、侵入は可能だろうが、真の姿を隠して人に潜むことは絶対に無理だ」

「イフナさん、ものごとに絶対ということはない。例外は常にある。魔物の可能性は捨てない方が良いでしょう」

 

 ユシドが口を挟む。

 そうだな。オレ達からしてみれば、むしろ魔物だと考える方がしっくりくるくらいだ。やつらの相手ばかりしているからかもしれない。

 

「ああ。侵入はできないまでも、王都の外から人間に暗示をかけ、手駒にして犯行を進めている可能性も考えられる」

「魔力のある人間を消すなんて、小狡い知能のある魔物の仕業に決まってる。……はやく、殺さなきゃ」

 

 ここまで話を黙って聞いていたシークが、焦るように声を荒げた。彼女の髪がざわつき、少し気温が上がったように感じる。

 絶対とか、決まっているとか、そう断言することはできないとユシドが言ったばかりだというのに。……だが、シークの過去を考えると、そうやって熱くなるのも無理はない。

 場が静まり、イフナは考えるような表情をする。

 

「あ……すいません、話の邪魔を」

「イヤ……皆さんの意見はもっともなものだ。とても参考になったよ」

 

 やがてイフナは微笑みをつくり、張りつめた空気を緩める。

 

「今日は、ここまでにしよう。夜も遅いし、王都には今日来たばかりだろう。……いや、協力を求めたのは俺だが。すまないね」

「いえいえ。ご馳走をありがとうございました」

 

 向こうが気に病むのを避けるため、イフナに礼を言う。彼の妻の料理はおいしかった。よければ、学ばせてもらいたいところだ。

 

「僕たちは、今後この街で何をすれば?」

「今のところは、普通に生活してくれればいい。もしも何か気になる情報を得ることがあれば……すまないが、俺に直接声をかけてほしい。言伝はダメだ。王宮に内通者がいないとも限らない」

 

 なるほど。

 では、怪しい者がいないか目を光らせながら、ここに滞在していればいいか。魔物退治しか能のないオレなどが無駄に動いて、イフナ達王国兵の必死の調査を滞らせてしまうのも怖い。ティーダならば、うまくやるかもしれないが。

 魔力の大きい狙われそうな人物を、今のうちに聞いておくのもいいかもしれない。

 ともかく、こちらから見えない敵を責める手立てがない以上、大きな動きをじっと待つしかないか……。

 

「最後にひとつ。……くれぐれも気を付けてくれ。君たちのような優秀な魔法術使いが、狙われないはずはないのだから」

 

 オレ達はイフナの家を後にし、宿への道を歩く。

 暗い路地や、ありもしない邪悪な気配に、気を配りながら。

 華やかで美しい王都。その陰に何が潜んでいるのかは、まだ、わからない。

 

 

 

 

 そうして。

 不穏な幕開けではあるものの、オレ達の王都生活がスタートした。

 

 

 その建物の前に立ち、屋根のすぐ下あたりにでかでかと取りつけられた看板を見上げる。

 ヤエヤ王都支部のハンターズギルドは、困難な仕事が多く舞い込んでくる激戦区なのだという。それゆえ選りすぐりの精鋭たちが集まってくる、というのが支部としての特徴だ。

 となれば例によって、大きな力を持つだろう光の勇者の手がかりもあるかもしれない。思い返せばティーダもシークもギルドの退治屋として活躍していたわけだし、新しい支部を見つける度にそこをあたってみるのは、勇者探しの手順として間違ってはいないだろう。

 

 扉を開け、ぞろぞろとそこへ入っていく。

 中の様子を見ながら、オレ達は受付の方に向かう。荒くれたちの集まるギルドというこれまでの印象と比べ、王都支部は人も建物の雰囲気もどこか落ち着いている気がする。そこで掲示板を眺めている鎧の青年は賢そうな顔つきだし、あそこで食事をしている男女4人のパーティーはクールでスマートな美男美女たちである。受付にいる女性もどこか気品のある立ち姿だ。

 エレガント支部。

 

「お、おい。もしかしてS級のアーサーじゃないか?」

「狩場を変えたのか」

 

 こちらへの視線を感じて耳を澄ませると、先客たちがざわめいている原因は、どうもうちのお子様ナイトのことらしい。

 

「アーサーだ……『水葬王子』のアーサー……」

「『炎帝』のアーサーじゃないのか?」

「いや『切れたナイフ』のアーサーだよ」

「堕天使と天使のハーフだって噂だぜ」

 

 フードを深く被った顔で何故ここまで有名になれるのだろうか。大剣とローブ姿の小柄で通ってるのかな。しかしS級とはそこまで、どこに行っても一目置かれる存在なのか。

 実力はたしかにその名声に見合うだろうけれど……こんな可愛らしい子がね。

 彼らにはわからないだろうが、シークはローブで目元口元を隠しながらも、ふふんと鼻を鳴らしている。ドヤ顔でもしているのだろう。あんな通り名をつけられたら恥ずかしくて表歩けないと思うんだが。

 オレはそっと彼女に近づき、耳打ちした。

 

「有名人じゃないか。正体は“お湯の勇者”なのにな」

「むっ。それ、あんまり格好良くないです」

「いいじゃない別に。それが一番シークに合ってるから……」

 

 先頭のユシドが受付のお嬢さんと話し始めるのを見て、こちらは話すのをやめる。

 今日からオレ達はここで仕事をするつもりだ。旅の資金には十分すぎるほど余裕があるのだが、まあいくらあったって困ることはない。ひとつの町に長期滞在をするならば、このようにして生活の資金をさらに稼ぐようにしている。ハンターの仕事は資格さえあればいろんなところで受注できるため、我々のような旅人に向いている。

 

「……というわけですから、すぐに高ランクの依頼は……」

「あ、そうか。たしかに」

 

 何を話していたのだろう。ユシドがこちらへ振り返る。彼が視線を向けているのは……オレだ。

 近付いてくる。オレは翠色の目を正面から見ることができず、彼のくしゃくしゃの髪を見ながらその声を聞く。

 

「ミーファはまだ駆け出しのFランクだったよね。僕らと一緒でも、いきなり高ランクの依頼は受けられないんだってさ」

「えー」

 

 このパーティーで依頼をこなすなら、最低ランクのオレに合わせたものを受注していかなければならない、ということらしい。ハンターの命を守るためだろうが、この場合は面倒なルールだ。駆け出しにあてがわれる任務に勇者4人で乗り込むなんざ、人材の無駄遣いも良いところである。

 これを避けるには……

 

「それなら、オレはひとりでコツコツやっていくよ。駆け出しだもの」

「いいの? ひとりで平気?」

「なんだその言いようは」

 

 思わず、ユシドの目を見つめ返す。君はオレの母親か。

 

「だって、その、ミーファって寂しがり屋だし」

「なにぃ?」

 

 こいつ、オレのことをそんなふうに思っていたのか。

 そんなわけあるか。勇者ってのは孤高なもんだ。仲間がそばにいなくたってやっていけるさ。

 

「ふん、お前こそ! オレがいなくなったら寂しいんじゃないのか? だって、お前はオレのこと、が……」

 

 そこまで口走って、止まる。困ったように笑うユシドは、何を考えているのだろう。

 いや、困りもするだろう。自分の言いかけたことを振り返ると、嫌なやつだな、と思った。

 

「……なんでもない。ごめんな」

「あ、ミーファ、僕と一緒に――」

 

 なんとなく、そこから逃げることを選んでしまった。よくないな。いつも通りにしてほしいと言ったのは、オレなのに。

 魔物の相手でもして頭を冷やしてこよう。

 背中に「また後で」と声をかけられ、振り返らずに手で合図を返した。

 

 

 

 地方の地図を頭に叩き込みながら、身体の筋肉を伸ばす。

 掲示板から見繕ってきた仕事はこうだ。王都から南の方角にある森にある、ジュマという樹木の葉を採取してきてほしい。手元にその品が足りなくなった薬師からの依頼で、達成も容易なら報酬も少ない。

 低いランクのハンターにはお似合いの内容というわけか。まあどんなハンターにだって見習いの時期はあったんだ。しっかり倣うとしよう。

 そうだ、王都にいる間にAランクになるのを目標にしようか。そうすれば、ユシドとも堂々とパーティーを組める。

 ……いやいや。別にそれは、関係ないというか。Aランクになった方が自由に使える小遣いも貯まるというものだ。うん。とにかく真面目に働こう、そうしよう。

 

 身体の調子を整えたら、いよいよ目的地へと出発だ。

 オレはギルドの前からスタートし、大通りを経て王都の出入り口へと向かう。

 ただし、走ってだ。

 古来より受け継がれてきた鍛錬方法のひとつ、ランニングである。運動時のスタミナを強化するための手立てのひとつだ。

 なぜそんなことをするのかというと、別にユシドに負けたのが悔しかったとか、そういうことはこれっぽっちもない。

 いや、嘘だ。あれで思い知らされたよ。

 今のオレは風の勇者ではなく、新たに生まれた雷の勇者だ。ある程度の知識や経験があるとはいえ、これまでのたかだか数年の鍛錬では、自分の力への理解度というものは、決して仲間たちより優れているとは言えない。だからもっと鍛えなければ。ユシドと共に戦う勇者として、あいつに負けたままではいられないと思う。

 ……しかしこんなふうに努力なんぞしている姿を見られるのは嫌なので、ひとりで仕事をするというのはちょうど良い話だったかもしれない。

 それともうひとつ。これは、依頼を片付ける時間を短縮するためでもある。たらたら歩いて向かったのではいつまでたってもあいつらのランクに追いつけないからな。勤勉にいこう。

 

「ひゃっほー!」

 

 王都の門を抜け、人や建物に衝突する可能性がなくなれば、オレの脚は雷と風の魔力を纏い始める。

 景色が後ろに流れていく速さが格段に増す。風そのものにでもなったような気分になれた。

 しかし二つの魔力と体力を同時に激しく消耗するこの魔法術。すぐにでも息切れを起こしてしまいそうだ。

 だがこのスピードこそ、仲間たちにはない自分の強みだろう。より使いこなせるようにこうしてひた走ることは、無駄にはならないはず。

 街道は使わず、森までの最短距離である、整備されていない草原を突っ走る。途中で弱そうな魔物たちも見つけたが、止まれずにスルーしてしまった。追いかけられもしなかったのは、彼らも、何とすれ違ったのかいまいちわからなかったからだろう。

 そうしてやがて森に入るころには、全力の運動に肺や心臓が悲鳴を上げていた。

 

「はぁ、はあ、ふーっ」

 

 我ながらよくやった。王都からこれほど早く南の森にたどり着けるのは、オレか一等の名馬くらいのものだ。

 ちょうどよい木陰をみつけ、頑丈そうな木の幹に背を預ける。地面を見つめて息を整えると、やがて心臓も落ち着いていった。

 頭上を見上げる。木々のつけた葉が天然のカーテンとなり、降り注ぐ陽射しをやや遮っている。見たところこの森は豊かな緑が広がっており、王都の人々は自然がもたらす資源をむさぼりすぎず、うまく付き合っているようだ。

 

 森の中を歩く。人間によって管理されているのか、ここは魔物の支配が薄い。邪魔者のいない静謐の中で、こうして草葉の擦れる音やにおいを感じていると、まるで故郷のあの小さな森に戻ってきたかのように思えてくる。

 目的のものを探して彷徨っていると、やがて大きく太い樹木を見つける。種類は違うのだろうが、やはり思い出の中のあの大木を思わせた。頑丈な幹に手を触れながら横へ顔を向けると、背が低かった頃のユシドや、旅立つ直前のユシドの姿をそこに幻視した。

 思えば、ふたりで故郷にいたときから、あいつはオレを好いていたのだろうか。

 だとすれば、気持ちに気付かないオレを見ては、いつもやきもきしていたことだろう。それをオレに悟らせなかったのは、こちらが鈍感だというのもあっただろうが……きっと、ユシドが優しいやつだからだ。気持ちを伝えれば、オレがこうなってしまうことを予感していたんだろう。

 しかしあいつも若い。いつまでもそれを秘め隠すということもできず、健気にも、オレに戦って勝てば、という決めごとを達成してから想いを伝えてきたわけだ。

 そんなふうに純粋に慕ってくる少年に、自分は……。

 

 風に枝葉がそよぐ音で、意識が現在に引き戻される。

 ここのところ何度、こんなことを繰り返しているだろう。ひとりの時間をつくっても同じことだ。あいつがいなくても、あいつのことを考えてしまう。

 自分が見かけ通りの普通の少女だったのならば、こんなに悩むこともない。ただのミーファ・イユは彼の想いを受け入れるだろう。そう、思う。

 

「ん?」

 

 見上げた大樹の、何かが気にかかった。風の魔法術を使って飛翔し、ざわめく枝葉を観察する。

 ……この葉の形。依頼にあったジュマの樹のものではないか。適当に散策してここに辿り着くとは、我ながら幸運を持っている。

 指定された量の葉を採取し、大樹に感謝をささげ、オレはその場を後にした。

 

 記憶したポイントを辿りつつ無事森の出入り口まで戻ってきたら、深呼吸しつつ身体の筋肉を伸ばす。

 鬱蒼とした森林というよりは、空がチラチラと見えるくらいの涼しい森でよかった。おかげで体力も気力も回復したように思える。

 よし、とひとつ意気込み、オレは来たときと同じように、ダッシュで王都へと引き返すのだった。

 

 依頼の品をギルドに持ち込み、決められた報酬を受け取る。これの7割は仲間との旅の資金として納め、3割は小遣いにしていいとユシドから言われている。それを思うと楽しくもなってくるものだ。

 仕事を達成した実績は数値化して受付のスタッフによって記録され、このポイントをためていくとハンターとしてのランクが上がっていく。腕っぷしで仕事をしている我々のような人間にもわかるように定められた、単純な仕組みである。実は経営者側にとってはもっと複雑に考えられたシステムだったりするのかもしれないが。

 壁にかけられた、時刻を示す数字板を眺める。受付の女性も驚いていたが、先の依頼開始から大して経っていない。まさに電撃のような依頼達成である。この分だとすぐにSランクになれるんじゃなかろうか。

 持久力の訓練を課しているため多少は消耗しているが、休み休みやれば余裕はある。この分なら一日に多くの依頼を達成できるかもしれない。

 鼻息を荒くして依頼の掲示板へと向かう。次は、魔物退治とかがいいな。

 

 

 

 それから半月ほど経った。こなした仕事はもちろん、両手では数え切れないほどにはあるだろう。

 

「お疲れ様です。では……。あら、ミーファさん、そろそろDランクが近づいてきましたね」

「おーそーいーでーすー」

「いやいや。うちの支部では異例の昇進スピードですけどね」

 

 依頼受付窓口の机に頭を乗せ、ぐったりとダレる。

 体力が足りていない、というわけではない。毎日ランニング、ランニングで、息切れまでの時間も随分伸びた気がするくらいだ。

 ランクが。全然。上がらないのである。

 今はFからひとつ上がったE級ハンター。かけだしから見習いへといったところだろうか。退治屋の実績を積むのがこうも大変だとは想定外だ。ユシドなどはAランクには半年前後で辿り着いていたはず。それを思うと、オレが未だEなのは何かの間違いなのではないか。

 ……まあ、今日に至るまでに、原因はおおよそ分かってきた。

 この“ヤエヤ王都支部”という場所のせいだ。

 強力な魔物が多く激戦区だといえるこの地域は、腕利きのハンターたちが名を上げるのにふさわしい場所であるはずだ。……そこが、問題なんだ。

 強い魔物を討伐してほしいという依頼はたしかに多い。今日はどんな珍しいヤツを倒してやったという話は、毎晩のようにシークから聞いている。いや、討伐に何日もかかって、彼らが宿に帰ってこない日もある。他にも、ギルドで顔見知りになったハンターたちも各々忙しそうだ。ここの所属ハンターたちが実績と実力をめきめきと伸ばしているのは間違いない。

 では何が問題なのか。

 強い魔物が多いせいだろうか。……弱い魔物が、少ないのだ。

 FやEランクにあてがわれる魔物は弱い。オレの仕事は99パーセントが移動時間で、彼らの相手などものの数秒で終わってしまう。依頼を検分しようと掲示板の前で粘っている時間の方が長いかもしれないくらいだ。

 そんな魔物は国民を脅かすことはないのか、それとも強い魔物の陰に隠れて見えていないのか、とにかく下級のハンター向けの討伐依頼が少ない。

 少ないんだ。

 依頼が少ない。実績が積めない。ランクが上がらない。だから、上位の討伐依頼を受けることができない。

 これはもう、システムの欠点だとしか言いようがない。いや、十分すぎる経験を経てから上へ進むことになるという点は、欠点ではなくメリットなのかもしれないが。

 結論。このヤエヤ王都支部でソロハンターとしてデビューをするのは、おすすめしない!

 たぶん、よそで経験を積んだベテランがここへ活動拠点を移す、というのが正道だ。うちの3人みたいに。

 

 不景気に干上がっている初心者のオレをよそに、周りのハンターたちは毎日忙しく充実しているように思う。行きかう声に耳を傾けているだけでも、だれだれのパーティーがどこどこの厄介なモンスターをついに倒しただの。どこぞのダンジョンで伝説級の秘宝を発見しただの。彼らは冒険者という言葉の見本にふさわしいだろう。

 多少仲良くなった受付嬢の人によると、これはS級ハンターのアーサーが率いる新参の3人パーティーに刺激を受け、支部全体が盛り上がっているということらしい。

 そして、それに伴うように、この頃は民間の困りごとが以前より多くギルドに回ってきているとか。……これは、失踪事件への対応で兵士たちが忙しくしている影響もあるだろう。

 以上のことから、今は稼ぎ時のはずなんだ。こういうことに乗り遅れると、非常に損をしているように感じる。

 

 こうして今日も、忙しなくギルドを行きかう若者たちを見ながらため息を吐く。

 なんかこう、大物狙いで一気に昇格! とはいかんのだろうか。いかないんだよな。それができないからこうして不平不満を言っているのだ。

 ハンターとは、市民のヒーローである割には世知辛く、意外と夢のない仕事だと思わされる。成功をつかめずくすぶる者も多いんだろうな。

 

「できますよ」

「……何がですか?」

「一発逆転の大物狙いですよ」

 

 ギルドの食堂でひとり寂しく果実水をすすっていると、先ほど仕事を処理してくれた受付のお嬢さんが声をかけてきた。彼女はテーブルの対面に座り、視力を補助する眼鏡という珍しい道具を、きらりと光らせた。

 ……一発逆転の大物狙い? 誰もが夢を見るようなフレーズだが、システム的にできないのでは。

 

「ミーファさんが散々文句を言っているように、この仕組みだと、最初から実力を持っている人が長いこと下積みをやらないといけないんですよね。……そういう人材を腐らせないために、ギルドには特例ってものがあります」

「……ずずっ」

 

 甘い液体が喉を潤す。

 先に言ってほしい。そういうのは。

 彼女は苦笑いし、すみません、とこぼした。まあ新参者の実力などわからないのだから、最初から特例があるなどとは説明しないのか。

 

「特例を認める基準は、支部によって異なります。例えば、闘技大会で有名なバルイーマという都市の支部では、大会での成績によっては上位ランクの依頼を受けることができるようです」

 

 言われてみれば、心当たりがある。

 バルイーマで、ユシドとシークとともに大きな蛙の魔物を倒したことがある。今ならわかるが、あれはかけだしのハンターが受けられるランクの魔物ではない。

 なるほど、決勝トーナメントへ進出したというステータスを見たうえで、業務への同行を特別に認めていたわけか。

 ……しかしそれは、バルイーマの話。ここでは関係のないことだ。

 もしも王都でもあの大会の結果が実績として通じていたなら、自分がE級に甘んじているのはお笑い草である。なにせ今年の準優勝者だ。無敵のアーサー様よりオレの方が成績は上なんだぞ。

 ともかく。

 どうなんだ。王都では、どうすれば特例を認めてもらえるんだ。

 受付嬢さんの顔を見つめる。少しの期待を胸に秘め、視線で続きを促した。

 

「そこであなたの力量を保証するための方法が……あれです!」

 

 彼女は急にテンションを上げ、職務中の定位置であるカウンターを指す。……なに?

 

「あれですよ! 脇にある水晶玉。あれこそはこのハンターズギルド・ヤエヤ支部が保有する貴重すぎる伝説のマジックアイテム! 通称『ステータス占いくん』です!」

「ステータス……なんて?」

「さっそくミーファさんのレベルを測ってみましょう!」

「は、はあ」

 

 ただの飾りじゃなかったのか、あれ。

 受付嬢さんに手を引かれ、窓口カウンターのひとつへとやってくる。ここは彼女のテリトリーだ。

 

「まずは私が使って見せましょう。ちょっと待っていてくださいね」

 

 彼女はおもむろに、机から一枚の白紙を取り出し、水晶玉の真下に設置した。このなんとかなんとかくんというマジックアイテムは、台座と玉の間に紙片を挟める妙な構造になっており、言われてみればただの飾り台ではない気がしてくる。

 彼女が手のひらを水晶に乗せた。すると、それはたちまち淡い光を放ち始める。何かの焦げる臭いがして玉の下を覗き込むと、水晶玉から放たれた小さな熱線が白紙を焼いていた。……どうやら、文字をそこに焼きつけているようだ。

 光がおさまる。彼女はセットしていた紙を取り出し、オレに手渡した。

 

 

 ユタク

 うけつけ レベル10

 こうげき 22

 ぼうぎょ 34

 まりょく 41

 すばやさ 25

 かしこさ 91

 

 

「これは?」

「私の“つよさ”ですね。それぞれの項目について、数字が大きいほど優れた能力を持っていると考えてください」

 

 水晶は触れたものの資質を読み取り、数字の多寡で表現するのだという。ただし、あくまで“戦い”についての情報のみ。

 ユタクさんの解説はこうだ。

 レベルという項目は、戦闘行為の経験の深さを表している。

 こうげきは筋力や武器の習熟度。ぼうぎょは身体の頑丈さや敵からの攻撃を防ぐ技術。まりょくは秘められた魔法の力。すばやさは身のこなしの速度。かしこさは……いまいちよくわからないが、高い人間ほど立ち回りが上手いとかなんとか。

 古代のマジックアイテムなので、未だ完全には効果を解明できていないらしい。そんなものをギルドで実力を保証するものとして使っていいのだろうかと思うのだが。

 

「レベルが25もあればいっぱしの戦士ですから、その場合はEランクより上を受けることが十分に認められるはずです。ちなみに、数字が100を超えていれば、その分野に関しては達人の域です。200以上なら超人ですね。S級の皆さんは、どれかが200を超えている人が多いとか」

 

 彼女に促され、オレも手を水晶に置く。これだけのことで特別扱いをしてもらえるのならば、ありがたい限りだ。文句はない。

 診断が終わり、紙に焼き付けられた文字を見てみる。

 

 

 ミーファ

 ゆうしゃ レベル76

 こうげき 110

 ぼうぎょ  85

 まりょく 477

 すばやさ 189

 かしこさ  88

 

 

「うーん。基準がよくわかりませんね。これで上位の討伐依頼を回してもらえるのでしょうか。……ユタクさん?」

「レベル76……477……!?」

 

 オレのつよさとやらを見つめ、彼女は驚愕の表情を顔に張り付けていた。顔にかけた眼鏡がずれている様子がどうにも笑いを誘う。そうはならないと思う。

 ええと。察するに、魔力が常人より高い数字だから驚いているというところだろう。というか“ゆうしゃ”って書いてあるなこの紙。なんてアイテムだ、とんだプライバシーの侵害である。

 まあいい。そこはとぼけるか。……でも、それで仕事を回してもらえるようになるのだろうか。やはり信頼性に欠ける方法な気が……。

 

「……すみません、ミーファさん。もしかしたらこれ、故障しているかもしれないです。修理を試みますから、もう少し時間を置いて、また来てもらっても?」

「あらまあ。承知致しましたわ」

 

 社交スマイルをつくり返事をする。心乱れた様子のユタクさんが落ち着くようにと思い、余計な口は挟まないようにした。

 壊れているのは困る。結局現状が解決できないじゃないか。ぜひ直ってほしい。

 ところで、強さの数値化なんて少し面白いなと思う。自分一人ではつまらないが、数字というものは他と比べることができる。

 後でみんなも連れてきて、これをやらせてみよう。

 

 

 

「直りましたよミーファさん。パーティーの皆さんも是非。無料ですので」

 

 

 ティーダ

 ゆうしゃ レベル53

 こうげき  96

 ぼうぎょ 140

 まりょく 598

 すばやさ  87

 かしこさ 135

 

 

「直ってない……」

 

 悲し気に肩を落とすユタクさんを尻目に、ティーダのものと自分を比べてみる。なるほど、比較すればたしかに、両者とも戦闘中のイメージに沿うような数字になっているように思える。ティーダよりオレの方が力持ち、のはずはないが、武器を手にしたときの攻撃能力を表していると考えれば妥当か。

 

 

 ユシド

 ゆうしゃ レベル41

 こうげき 107

 ぼうぎょ 133

 まりょく 632

 すばやさ  96

 かしこさ  92

 

 

「な、なにぃ……」

「ミーファ、どうかした?」

「なぜオレよりユシドの方が賢いんだ? 絶対におかしい」

「あ、うん……はい……」

 

 

 シーク

 ゆうしゃ レベル45

 こうげき 167

 ぼうぎょ 101

 まりょく 859

 すばやさ 102

 かしこさ  39

 

 

「は、はっぴゃく!? はち……!?」

「うわあすごいなぁ。最強はシークかな」

「数字だけ見たらムキムキのマッスルだな、お嬢さん」

「ありえん脳筋じゃん」

「ち、ちが……39って、なんかの間違いです! こっ、こんなのただの占いですから! ですよね!?」

 

 数字を比較して考えてみたが、魔法剣の攻撃力や身に纏う障壁の防御力は、ここでは考慮されていないように思える。実際の戦闘では、魔法術が使える状況なら、オレ達のつよさはさらに上昇すると見ていいだろう。

 まあ、かしこさはそのまんまだと思うけど。

 我々がやいのやいのと盛り上がっていくにつれ、ユタクさんは伝説のアイテムの故障を確信してしんなりとしていった。なんか申し訳ない。

 それにしてもシークのステータスは傑作だったな。結局初心者のランク問題を解決することは望めなさそうだが、この時間は楽しくて気分転換になった。

 所詮、占いだし。半信半疑で受け止めて、楽しむくらいがちょうどいい。

 ……しかしまあ、ユシドの“レベル”は興味深かった。彼のそれはオレよりも大きく下だったけれど、それでもあのときオレに勝ったんだ。

 数字では表せない何かというのも、確かにあるのだろう。それはどこか、とても彼らしいなと思った。

 

 

 後日。

 直らない故障に苦しむユタクさんには、あの数字で受理するようにという支部長の声がかかったらしく、オレの特別扱いは無事に認めてもらえることになった。ありがたい。

 しかしながらレベル70オーバーというのがどうも彼女をおののかせてしまったらしく、せっかく話せる仲になった彼女がしばらく委縮した態度になってしまったことは、オレにとって悲しい出来事であった。

 




 ミーファ
 ゆうしゃ レベル76
 こうげき 110
 ぼうぎょ  85
 まりょく 477
 すばやさ 189
 かしこさ  88

 ユシド
 ゆうしゃ レベル41
 こうげき 107
 ぼうぎょ 133
 まりょく 632
 すばやさ  96
 かしこさ  92

 ティーダ
 ゆうしゃ レベル53
 こうげき  96
 ぼうぎょ 140
 まりょく 598
 すばやさ  87
 かしこさ 135

 シーク
 ゆうしゃ レベル45
 こうげき 167
 ぼうぎょ 101
 まりょく 859
 すばやさ 102
 かしこさ  39


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32. パーティーを組もう

 緑色のつややかな塊に向かって、剣を振り下ろす。

 

「うおっ」

 

 ぶよぶよとした感触。なんと、刃は通らず弾かれてしまった。

 なるほど、Cランクの“スライム”。物理攻撃に凄まじい耐性を持っているらしい。魔導師がいるパーティーでなければ依頼が受けられないのは、このためか。

 この粘性の不定形生物をやっつけるには、雷撃で焼き尽くしてしまえば良いだろうが……ちょっと、技の実験台にでもなってもらおうかな。

 

「はっ!!」

 

 剣に雷を宿す。これでも攻撃力は十分だろうが……

 オレは金色に輝く刃を、そのまま腰に下げた鞘に収めた。

 

「イガシキ、炎を貸してくれ」

 

 鞘に沿えた左手に、熱を感じる。

 ゆっくりと蠢く敵を見据え、柄を握る右手に力を込めた。

 

「名付けて……炎雷剣!!」

 

 つるぎを解き放つ。

 敵を穿つのは、金色の魔力の輝き――だけではない。電撃の閃きに混じって、赤い炎の魔力が刃に渦巻いていた。

 刃から放たれた2種の魔力はそのまま敵を舐めるように溶かし、スライムの身体を消し飛ばす。それはうまくコアを砕いたようで、彼はそのまま地面に染み込むように消えていった。

 魔物の遺した魔力のつぶが、首に下げた青い石に吸われていく。これで、討伐は完了だ。この加工魔石をスタッフに提示すれば、報酬を貰うことができる。

 さて。

 ……これは、なかなか使える技ではないだろうか? ただ雷の魔法剣を使うより、さらに威力が増していたように思う。それにイガシキが溜め込んでいた魔力を使っているからか、威力に対して自前の魔力の消費が少ない。

 彼の機嫌が良いときしか使えないという、あまりにも酷いデメリットのぶん、高性能である。必殺技たりえるのではないか。

 さあ、もう戻ろうか。オレは剣に乗った魔力の残光を振り払い、ゆっくりと鞘に収める。

 

『おい。やはり今の術技はうまくないな』

「ん?」

 

 格好良く決めたつもりだが、仕事仲間が口を挟んできた。

 今の魔法剣は、こいつの力によるものだ。以前火魔と戦闘した際に、彼がこっそり吸収していた炎の魔力。それを少し貸してもらったものである。その本人が何か意見があるというなら、耳を傾けるべきだろう。

 

『火炎は雷電と違ってオレの鋼殻には馴染まない。あまり多用すると、肝心なときに刃が溶け落ちるぞ』

「むむ……そうか」

 

 他でもない、刃にいつもしがみついているイガシキの言葉だ。剣の損耗状態にはオレより詳しい。鞘には刀身を回復する効果があるが、イガシキの貯めている魔力にも限界はある。あと、機嫌の良し悪しもある。あまり頼りすぎるものではない。

 珍しく助言などしてくれたのだから、聞き入れよう。炎雷剣を使うのはここぞというときのみだ。

 

「ふふ」

 

 討伐依頼をひとつ終え、王都の方へと身体を向ける。思わず漏れた笑いに、腰のやつが反応してきた。

 

『何を笑っている、人間』

「いや。少し、お前と仲良くなってきたかもしれないと思って」

『……バカを言うな。おぞましい』

 

 機嫌を損ねてしまったようで、また剣が抜けなくなる。気難しいやつだ。

 まあ、頑固なテルマハと比べれば、合理的な性格で付き合いやすいと思う。

 

 

 

「ん~」

 

 ギルドに寄せられる依頼が雑多に張り付けられた掲示板を眺め、唸る。

 オレはD級のハンターだが、探すのはCランクの魔物討伐依頼だ。本来ならば自分のものより上の階級の依頼は受けることはできないが、特例措置によりこれを認めてもらっている。

 討伐は命がかかっている分、報酬や評価が大きい。ハンターとしての名声を求めるのならば積極的に挑むべきだろう。

 しかしまあ、やみくもに依頼を受けていくのは効率が悪い。選り好みすべきだ。目を皿のようにして探しているのは、王都からそう離れていない場所が戦場になりそうな討伐依頼である。その方が早く終わらせることができるからだ。

 ……しかしそろそろ、やり方を変えた方がいいかもしれないな。王都の近場というのはやはり王のお膝元であるゆえか、人間たちの力が強く魔物の討伐依頼なんてものは少ない。オレは今、単独行動で荷物もほぼ持たず、現場と王都を常に往復しながら魔物狩りをしているのだが、国内の各地に現れる強力な魔物たちに目を向けるなら、これは効率がいいとは言えなくなってくる。

 慣れてきたハンターは複数の依頼を同時に受注し、国内をあちこち回って魔物を退治しながら王都へ戻ってくる、という方法をとるようだ。こちらの方が何度も王都と往復するよりも良い。

 だがこれをやるならしっかりと“旅”の準備をしないといけない。広い領内を回るとはそういうことだ。身体を休めるための町や村の位置も考慮しなければならないし、それができなければ野宿もすることになる。

 少々面倒だ。そこまで真面目に退治屋の仕事をやっていくなら、そろそろ仲間のみんなのパーティーに入れてもらいたいところだった。

 そのためには、Bランクくらいまでは自分の階級を上げないとな。

 

「おっ」

 

 王都近辺という文字を見かけた気がして、ある依頼書に手を伸ばす。

 とりあえず仲間に合流できる階級になるまではこうして、地道に働くしかあるまい。その間に王都の事件の方も進展があればいいが。

 用紙に手をかける。

 ……しかし、それにかけられた手は、ふたつあった。

 

「ん?」

「えっ?」

 

 気付かぬうちに隣にいた、その人物に目を向ける。

 少し驚いた。

 知り合いだったわけではない。初めて見る少女だ。ただ、その容姿が、非常に人の目を引くような美貌だった。

 腰まである絹のように美しい髪は、珍しい銀の色。目は長い前髪に隠れていてよく見えない。そのせいかどこか内気な印象だ。だというのに、鼻や唇の形だけで、その容貌は美しいと言えてしまう。不思議だった。

 儚げな雰囲気で、なんとも現実感のない、幻想的な容姿の少女である。美しい少女には見慣れているつもりだが、思わず息を呑んでしまった。

 

「あ、ごめんなさい。どうぞ……」

「……い、いえ。そちらに譲ります」

「え? えっと」

 

 甘く可愛らしい声で、少女が言葉をつむぐ。

 それで現状を思い出した。どうやら見繕った依頼書が彼女と被ってしまったようだ。特別こだわりもなく、他を探せばいいので、こちらが手を引く。

 何か言いたげな彼女から距離を開け、掲示板に向き直る。

 ……しかし、やはり隣の少女が、どうにも気になってしまった。

 横目にちらちらと様子を盗み見る。彼女は依頼書を興味深そうに読み込んでいる。背格好と顔のあどけなさからして、自分と同年代のようだ。服装は質の良さそうな綺麗なものを羽織っており、良いところのお嬢様を思わせる。……その特徴のどれもが、ギルドのハンターという荒くれのイメージと結びつかない。

 もしや依頼者の方だろうか。掲示板を見学でもしているだけかもしれない。だったら、彼女がその手の依頼書を戻すのを待ってしまおうか?

 

「……あ、あの」

「………」

「あのッ!」

「へっ!? な、なんですか?」

 

 掲示板を眺めながら、ぼうっと少女がいなくなるのを待っていると、当の本人から突然声をかけられた。か細い声を絞り出してきたのでちょっと驚いた。

 なんだろう。ギルドの案内でもしてほしいのかね。

 少女は両手で依頼書をこちらに見せつけ、震える声で話しかけてくる。

 

「こ、この魔物なんですけど。結構強いみたいなんです。Cランクの中でも報酬が多いみたいで」

「はあ」

「あ、あの、その。私と、組んでくれませんか! ひとりじゃ難しそうで」

「組む?」

 

 ……なるほど。なるほどなるほど。こうして勇気を出した声かけから、冒険者はチーム活動へとうつっていくものなのか。

 彼女の提案は具体的に言うと、自分と共に同じ依頼に挑み、報酬を分けようということだ。昔から言うところの“パーティー”というやつである。どうやら依頼者ではなく、れっきとしたハンターだったようだ。

 個人に入ってくる報酬が減るかわりに、その恩恵は大きい。ある仕事に独りで取り組むことと二人で取り組むことはまったく能率が違う。これは魔物退治においても同じことで、各々の得意分野を活かせば格上の相手でも殺しきることができるようになる。

 今までの旅の中でも散々実感してきたことだ。

 これは、ありがたい話だ。ギルドの知らない人間をこちらから仲間に誘うなど考えもしなかった。交流も広がって情報を得やすくなるし、オレ達の本来の目的を考えればメリットが多いのでは。

 もちろん、初対面の人間との連携に不安はある。そもそもこの子、戦えるのだろうか? 護衛役をつとめろという話ならば遠慮したい。

 ついじろじろと無遠慮に見てしまったのを不安に思ったのか、彼女はおどおどとした態度でなんとか口を回し始める。

 

「わ、私、魔法術が得意なんです。ケガを治せるし、遠くから魔物を攻撃できます。その、だから、前衛の人がいると、すごく、あの」

 

 こちらが何を考えていたのか概ね察していたようで、彼女は自分のアピールポイントをとつとつと語る。なるほど、魔導師か。

 話しながら彼女はちらちらとオレの足元に視線をやる。いや、あれはどうやら、腰の剣を見ているらしい。彼女なりの打算があって声をかけてくれたようだ。

 果たして実力はどうなのかとか、なんでこんな少女が退治屋を? とか、こちらもいろいろと不安に感じる部分があるが。……そうやって一生懸命にされると、無下にはできない。

 自分にとってもひとつの経験だ、この話に乗らせてもらおう。

 

「あと、当面はランクを上げられれば良くて。報酬の取り分はそちらが優位でいいので、それと」

「わかりました。いいですよ」

「私、あの……えっ?」

 

 笑みをつくり、手を差し出す。

 彼女はきょとんとして。やがて、嬉しそうに両手で握り返してきた。まるですべてがうまくいって終わったかのような表情に、苦笑してしまう。仕事はこれからなのだから。

 

「ミーファ・イユです。あなたは?」

 

 長い前髪の下から、ついに彼女の目が見えた。長い睫毛に縁取られた大きな眼。瞳の色は、金だ。

 

「マリンです。マリン・スモール。……よろしく、お願いします」

 

 

 

 

 マリンさんと共同で受けた依頼の魔物は、話によると4足歩行の素早いやつらしい。猫か犬のたぐいに近いヤツだろう。なるほど、素早い魔物となれば、魔導師ひとりでは相手が難しい。ティーダのような防御に秀でた術の使い方をすればうまくカウンターもとれるのだろうが、あれも並の術師にできる芸当ではないし。

 王都周辺の平原をしばらく西へ行くと、岩がまばらに転がるやや荒れた平野になる。先に進んでも人にとって有用な資源があるわけではないため、整備が遅れているのかもしれない。

 大きな岩は魔物たちが姿を隠す恐ろしいものでもあるが、こちらが身を隠すための遮蔽物にもなり得る。

 オレ達は岩の陰に身を屈め息を殺し、やがて静かに、ヤツの姿を覗き見た。

 

「間違いない。あれだ」

 

 小声でつぶやく。依頼書に描かれた姿や、受付嬢さんから聞いた情報に合致する。

 4本の足で地を掴み、鋭い牙や爪で人間を襲う獰猛な魔物。猫というよりは犬の方……狼の仲間に類する姿だ。

 ここからは殺し合いだ。とりあえず、マリンさんにはあまり無理をしないように言い含めてある。

 正直大抵の魔物はオレ一人で十分だ。彼女にもそれは言ってある。敵の注意が彼女に向けば危険なので、本当にオレがピンチの時以外は攻撃に参加しない方が、安全にことを進められるだろう。

 ……しかしまあ、さすがにそれは過保護というか、彼女に失礼な意見だ。何せマリンさんのランクはC級。オレの先輩である。

 ここまで地道に戦い続けてきた実績がある。ならば身を守る術だってひとつやふたつはあるだろう。もしも彼女が魔物の注意を引いてしまうようなことがあれば、それこそチャンスとして捉え、オレが後ろから斬り殺してしまえばいい。

 本人の言っていた通り、前後衛で役割分担して、魔物に挑もう。

 

 顔を見合わせ、頷く。鞘に手をかけ、オレは岩陰から躍り出た。

 狼は向こうを向いている。先制攻撃で終わらせるつもりでいく――!

 

「!?」

 

 なんと。

 剣が抜けない。

 内心舌打ちをしながら、オレは敵の懐へと飛び込む。魔力を右手に集め、剣の形にして解き放った。

 雷撃が獣の体毛を撫でる。……その身体には、ほんの浅い切り傷しか与えられていなかった。

 

「何……!?」

 

 耳をつんざくような咆哮。狼の遠吠えとよく似ている。不意打ちに激高した敵が戦闘態勢に入ったのだ。

 振るわれる前足の爪を、大きく後退してかわす。同時に雷の槍を投げつけた。

 よく目を凝らし、観察する。金の雷撃は、やつの体表面で弾かれている。ダメージが十全に通っていないのは明らかだ。

 思い当たる可能性を考える。雷属性、あるいは土属性を帯びた体毛、または魔法障壁。事前に得た情報には無かった防御能力だ。警戒すべきはスピードのみだと考えていたが、違った。C級の魔物でも上位になってくると、こういうこともあるのか……!

 やつを殺すには、より出力の高い技で攻めるか、他の属性を試さなければならない。……情けないことに、どちらも剣が無いと難しそうだ。今こそ例の炎雷剣の出番だというのに。

 今さらな話だが、もう一本、地魔の剣が使用不能になったときに備えて剣を持っていた方が良いか――

 

「ちっ」

 

 爪が腕をかすめた。肌を裂かれる痛みに視線を誘導され、赤い血が少し流れているのを把握する。

 この傷からわかったことがある。やつはオレの纏う障壁を突破した。雷の属性に有利な、地の魔力を帯びた爪である可能性が高い。

 腹が立ってきた。こいつは相性が有利だからといってオレを馬鹿にしているに違いない。こちらを睨み牙を剥いているあの口元も、にやにやと笑っているような気がする。

 冷静な分析は大事だが、相性不利など知ったことではない。獣の一匹も倒せないなど、雷の勇者として恥ずべきだろう。

 拳をスパークさせ、敵を睨みつける。魔力を溜めて、大技を食らわせれば!

 

『ギャウッ!?』

 

 やつが地面を蹴ってこちらへ飛びかかろうとした、そのとき。何かが光り、巨大狼が悲鳴をあげて怯んだ。

 思わずそちらを見る。……マリンさんが、指をこちらへ真っ直ぐに伸ばしていた。

 

「アローレイ!」

 

 彼女の指から熱線が奔る。それらは正確に魔物へと命中し、苦しむ様子を見るに、確実にダメージを与えているようだ。

 ……すばらしい働きだ。オレの窮地をしっかりと援護し、しかも術の威力は一線級のもの。侮っていたことを、後で謝らないと。

 少し頭が冷える。今は、ひとりで戦っているわけではないのだ。

 魔物が低く唸り声をもらす。その眼は、岩の傍に現れたマリンさんへと向けられていた。標的が変わったか……!

 全身の筋肉が緊張する。すぐにマリンさんの前で立ちふさがり、彼女を庇うか? いや、いますぐコイツに攻撃を加えるのがいいか。しかし体感的にまだ、魔力の溜めが十分ではない。

 視線が、彼女のものと交錯する。

 前髪から覗く眼が、力強くオレを見つめ返している。彼女は銀の髪をなびかせ、小さく頷いた。

 狼が少女へ殺到する。細身の彼女は、あの大口で噛みつかれればひとたまりもない。

 だけど。オレは彼女を、信じることにした。

 

「スピアレイ!」

 

 目の前に迫る魔物を前に、あの子は勇気を見せた。素早く振り下ろされた手には、大きな魔力が猛っているのがわかる。

 鋭く光る獰猛な牙は、しかし彼女には届かない。やつは虚空から落ちてきた槍に顔を貫かれ、強靭なあぎとを地面に縫い留められた。これでもう、人間を食い殺すことなどできないだろう。

 地面に伏した格好の魔物に、ゆっくりとにじり寄る。あとは彼を大地に還してやるだけだ。

 バチバチと腕の魔力が弾ける。この金色は、純度の高い雷属性の色。

 そして。彼女の腕に宿る眩い白の極光は……今まで見た、どの術とも違う。つまり、おそらく。

 光属性の、攻撃術だった。

 

「……雷神剣」

「ブラストレイッ!」

 

 光が魔物を飲み込む。

 後に残っていたのは、やつの身体を構成していた魔力の粒子だけだった。

 

「ふう」

 

 肉片ひとつ残さず焼き尽くされた彼に、内心で祈りを捧げながら息をつく。

 全く、思ったより苦戦させられた。それもこれも、オレの腰で居眠りをしているだろうコイツのせいだ。

 鞘を指ではじく。まあ、武器に頼るなどやはり人間は弱い、などとイガシキは返してきそうだが。そうなると正直言い返せない。

 どうしたことだろうか。ハンターの仕事をしている間、最近の彼はあまり土壇場でこうなることはなかったのだが。いざ苦戦しそうな敵が出てきたときにこれとは、まったく良い性格をしている。

 

 息を整え、討伐対象の粒子を魔石に吸い取らせながら――横目に、彼女を盗み見る。

 今の魔法術。間近で見てわかったが、オレの雷撃に匹敵する威力が確かにあった。

 珍しい攻撃術を使う。仲間たちの技とも、前世で見た闇の魔法術とも異なる属性だった。……消去法で考えれば、やはり“光”の術だったということになる。

 

「あの、ミーファさん。腕を見せてください。回復の術をかけます」

「ん? ああ、ありがとうございま――」

「治りました」

「――す?」

 

 自分の腕を見る。不覚にも敵にやられた、不名誉な傷がそこにあるはずだった。

 それがない。たしかに一瞬、その部分が温かくなったが、彼女が修復したというのか? ものの数秒で?

 自分が唖然としてしまっているのがわかる。彼女は不思議そうにこちらを見たあと、恥ずかしそうにうつむいた。

 

「す、す、すみません。ミーファさんが怪我する前に、援護できなくて」

「い、いえ……」

「あの……ありがとうございました。私ひとりじゃ、うまく攻撃を当てられませんでした。ミーファさんが引きつけてくれたから」

「とんでもない。こちらも助かりました」

 

 会話をしながら、彼女が放つ気配に五感を、それ以外の感覚をも傾ける。

 高威力の魔法術。凄まじい治癒術の腕前。月や太陽の光を返す美しい髪と瞳。

 まさか……。

 

 来た道とは違い、ふたりで会話をしながら帰る。共にひとつの戦いをくぐり抜け、少し距離が縮まったように思う。

 彼女は見てわかるように引っ込み思案だが、仕草は可愛らしい。それに確かな実力と芯の強さを隠しているようだ。

 良ければまた一緒に、仕事をしてみたいと思う。そう話すと、マリンさんも賛同してくれた。

 そんなふうに、話をしながら、ずっと。

 オレの目は、手袋に隠された少女の手を見ていた。

 



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33. 白銀の少女

「おめでとうございます。これでミーファさんはC級へ昇格ですね」

 

 カウンターから新しく、ひとつ上のランクを示す加工魔石を貰い、古いものは返却する。

 貰った石を灯りの下で眺めてみる。新品のように状態はいいが、システムを考えると、この石もきっと多くの戦士の戦いを見守ってきたのだろう。悪く言えばお下がりの中古品だが。

 この青い宝石は、聞いた話ではランクによって装飾が若干異なるという。スタッフは一目で見分けることができるようだが、オレにはいまいち以前のものとの違いは分からない。

 ただ、S級のものだけは一目でわかる。より多くの魔物の遺骸を収集するためかサイズが違うし、高級店の装飾品のように磨かれ豪奢に飾ってある。こちらは中古品ではなく、S級と認められた者のために貴重な資源を用いて新たに作られるらしい。あれを首から下げてギルドに足を踏み入れれば、誰もが実力を察して息を呑むことだろう。

 なぜそれを知っているのかというと、うちのシークに見せてもらったから。彫金師なり魔法細工師なりが手掛けたのだろうとわかる、綺麗なデザインの首飾りだった。

 Cランクの宝石を手に持ち、後ろに控えていたマリンさんに見せる。彼女は自分事のように顔を赤くして嬉しそうにし、自分の石を取り出して見比べていた。

 

「ようやくマリンさんと同じランクですね」

「は、はい。恐縮です」

 

 思わず笑ってしまう。そちらが先達であるはずなのに、おかしな態度だ。

 

「あ、あの。ミーファさん」

「ン?」

 

 宝石を懐に仕舞っていると、彼女がこちらへ一歩近づいてきた。表情がよく見える。

 前髪から覗く、意を決したような目。……かと思えば、その目を細めてもじもじと身体を小さく揺らす。何を言い出すのかしばらく待っていると、彼女は再び口をきゅっと結び、こちらへもう一歩踏み込んできた。

 

「あ、あの。マリン、がいいです」

「?」

「マリン、って呼んでほしいです。お友達はみんなそう呼びます」

 

 ……ああ、なるほど。他人行儀なさん付けは不要だと言いたいわけか。

 友達、ね。

 若い女の子にそう言われると、デイジーさんのことを思い出す。取るに足らないこの人生の中でできた、大切な縁のひとつだ。

 ああいうふうに親しく、この子ともなれるなら。それはとても良いことだと思う。

 オレに呼び捨てを要求した少女は恥ずかしそうにうつむいているが、ちらちらとこちらを上目遣いで見ている。普段の態度から人見知り気質なのがわかるし、彼女なりに勇気を出して、心を開こうとしてくれているのだろう。ならばこちらも、ちゃんと応えてあげないと。

 

「じゃあ、マリン。……オレのことも、ミーファでいい」

「お、オレ?」

「ああ。こういう喋り方は、おかしいかい?」

「う、ううん。なんだか格好いいです」

 

 その表情を見て、ほっとした。魂が男であることを告白したわけではないが、素の自分の口調を受け入れてもらえると、やはり安心する。

 デイジーさんを相手にしているときは違う口調で話していたが、あれはあれで本当の自分だ。人間、相手によって接しやすい話し方というものがある。

 このマリンが相手なら、いつもの気軽な話し方が楽だと思う。

 

「ええと。これからも一緒に仕事してくれるってことで、いいのかな」

「は、はい。ミーファさんが良ければ」

「呼び捨てでいいって。……じゃあその。またよろしく、マリン」

 

 こういうふうに改まってしまうのは、どうにも気恥ずかしい。うまく笑みをつくることはできているだろうか?

 

「はい、ミーファさん!」

 

 あちらさんからマリンでいいと言っておきながら、彼女自身は呼び捨てができない性分らしい。おかしくて、自然と笑ってしまった。

 ああ。こうして、自分とは全く違う友人ができるから、やはり旅は嫌いになれない。

 

 

 

 少しの休憩を挟んだら、再び割のいい仕事を求め、依頼掲示板を眺める。

 Cに上がったからには、特例措置のことを考えると、自分はB級や、場合によってはA級の仕事を受けることができるはず。そう考えB級の欄を眺めていたが……。

 ふと、不安げな視線に気付く。

 そうだ、マリンがC級ハンターであるなら、特別に認めてもらわなければ上位の仕事を受注することはできない。

 

「マリンさん……マリンはもう、アレやった?」

「あれ?」

「あれ」

 

 受付カウンターを指さす。正確には、そこの脇に飾られている水晶玉を、だ。

 それを受けて、彼女は不思議そうな顔をしていた。なるほど。やっていない。

 手招きをしてそこへ連れていく。受付スタッフのひとりであるユタクさんを呼びつけ、例のあれのことを説明してもらう。

 そうそう、『ステータス占いくん』ってやつ。

 マリンはユタクさんが具体例として出した用紙をしばし眺めたあと、やがてその視線をオレに映した。

 

「ミーファさんが先に、ステータス、を見せてくれるなら、やります」

「え? いいけど」

 

 またしても顔を赤くしながら言う。別にかまわない。オレの数字は、この子には隠さなくともいいだろう。

 水晶に手を置く。魔導具が反応し、紙に字を焼きつけた。それをマリンに手渡す。

 彼女は受け取ったそれを見ずに、同じように水晶に手を置いた。出てきた用紙を手に取り、ここでオレのものと並べて見比べ始める。なるほど、やっぱり興味あるよね、他人との比較。

 二つの紙面に目を這わせる彼女は顔色を赤くしたり青くしたり、ころころと変えていて面白い。一体どういう感情なんだろうか?

 

「あの……見ますか、ミーファさん」

「いいの? ありがと」

 

 別に彼女の診断結果を覗き見するつもりはなかったのだが、断る理由もない。むしろ興味がある。……たとえば、魔力の値、とか。

 手渡されたものを視界に広げ、検める。

 

 

 マリン

 まどうし レベル25

 こうげき  55

 ぼうぎょ  70

 まりょく 650

 すばやさ  60

 かしこさ  75

 

 

「……!!」

 

 汗がひとつ流れる。

 目を強く惹かれるのはやはり、“まりょく”と書かれた箇所である。

 650という数値は、仮にも雷の勇者であるオレのものよりも大きい。破格の才能を持つオレの仲間たちと同レベルだ。すなわち、人類で最高クラスの魔力を秘めているということになる。やはり彼女こそが、光の勇者に選ばれた人間なのではないか。

 だが。

 

「“魔導師”……」

 

 ここに現れる文字は、勇者、ではないのか?

 少し考える。そもそもこの箇所の表記は、どういう基準で決まるものなのだろう。

 

「ああ。そこはあまり気にしなくていい部分ですよ。精度もまちまちです」

 

 ユタクさんに説明を求めると、分かっていることを詳しく教えてくれた。

 話はこうだ。

 ギルドのスタッフが“職業”などと呼んでいるこの箇所は、本人が自分の役割はこうだと自覚しているものが表れるらしい。

 例えば、ギルド向かいの武器屋の店主がこのマジックアイテムに触れたならば、“ぶきや”、“けいえいしゃ”、“しょうにん”などといった言葉が表れる可能性があるとか。ちなみにユタクさんは“うけつけ”と出た。

 

「ミーファさんやお仲間の皆さんは、自分は勇者である! というふうに自負しているわけです」

「むむ……」

 

 そう言われると恥ずかしい。ユタクさんからは、伝承にある勇者という称号を自称するアホとでも思われているのだろうか? “魔法剣士”とでも書いてあればよかったのに。

 そうやって本音を読み取ってしまうわけだから、身分を隠したい者にはまったくもってよろしくないブツである。

 

「あ、あの……やっぱり弱いですよね、私」

 

 あれこれユタクさんと話すオレを見て不安を覚えたのか、マリンが弱気に声をかけてくる。

 とんでもないことを言うものだ。たしかに魔力以外の値は目を見張るようなものではないが、魔法術を鍛えれば間違いなく大成する。それを彼女はわかっていない。

 そして多分……自分が勇者である、などということは、夢にも思っていないのだろう。

 

「マリン。手袋を外して、手の甲を見せてくれないか」

「えと。ど、どうしてですか」

「……どちらかの手に、剣のような形の痣がないか? こんな風に」

 

 おもむろに籠手を外し、自分に刻まれた紋章を見せる。マリンが、息を呑むのがわかった。

 勇者であるということを確認する方法は、やはりこれしかない。今日まで言い出すことはできなかったが、オレはもう確信してしまっている。

 彼女は革のグローブを外し、オレを見た。

 

「……あの。ど、どうしてミーファさんは、これのことを知っているんですか?」

 

 やはり。

 その右手には、淡い白銀の光を放つ紋章があった。

 

 

 

 マリンの占い結果を見せると、ユタクさんはいつぞやのように目を回しながら「支部長に確認します」と言っていた。うまくいけば、魔力を評価されて特例措置を受けられるかもしれない。

 そうでなければ、今日までのように地道にC級の依頼をこなしていけばよい。随分仕事にも慣れてきたし、小遣いも貯まって来てありがたいことだ。

 そして何より、大きな収穫を得た。

 

「……オレが一緒に仕事をしている、マリン・スモールっていう女の子がいるんだけど。今日、彼女が光の勇者だとわかった」

「根拠は?」

「右手に白く光る紋章が。あと例の占いで、魔力の数値が600ほどあった」

「ふうん……」

「すごいじゃないですか! ミーファさんは、幸運の女神ですね」

 

 夜の食事を終え、食堂の端のテーブルで仲間たちと話し合う。入れたときには舌を焼くほど熱かったお茶は、いつの間にか冷めてぬるくなっていた。

 シークが素直な表情で大仰なリアクションを返す。対してティーダは、反応が薄い。

 

「随分あっさり見つかるもんだな、勇者ってのは」

「……ああ。こうも都合よく、うまくいくとは」

「なんか運命的ですよね、ティーダさんっ」

 

 シークの声を聞き流しながら思う。自分が風の勇者だったときとは大違いだ。何年か続いたオレの旅で仲間にできたのは、雷の勇者と闇の勇者の二人だけだった。

 招集役のユシドに、あるいは共にここまで来た今の自分に、本当に幸運の女神でも憑いているのだろうか?

 

「運命ねえ。どうだかな」

「??」

「良ければ、そのマリンさんを紹介してほしいな。魔導師誘拐事件のことも解決まで長くなりそうだし、ゆっくり親交を深めてからスカウトしてみたい」

 

 ユシドの言葉に頷く。明日にでも皆を紹介するべきだろうか。それとも、もう少し彼女のことを知ってから誘いをかけるべきか。

 そういえば自分はまだ、彼女という人間のことを何も知らない。あくまでハンターのマリンとしてしか知らないが、あの若さと性格で、激戦区の王都支部で働いているのには、れっきとした理由があるはずだ……。

 せっかく友達だと言って貰えたんだ。さらにもう少し、互いに深く踏み込むことができたらと思う。

 

「というか、まさにその子が誘拐されなければいいけどな」

「………」

 

 ティーダの言葉に、皆が黙る。

 言われてみれば、強い魔力を秘めた少女など格好のターゲットではないか。仲間に誘うとかいう話の前に、その身を護り通さなければならない。

 イフナとの定期的な情報交換によると、やはり調査はあまり進んでいないらしい。ただ、近頃は被害に遭って消える者が出ておらず、もしかすると事件は終わった可能性もあるという。

 だが。オレ達もイフナも、それは嵐の前の静けさにしか思えなかった。

 

「……そろそろ、全員で行動した方がいいかもしれない。ミーファとマリンさんの二人だけじゃ、“何か”に遭ったときが不安だ」

「む。オレは力不足だと」

「違うよ」

 

 ユシドが身体をこちらに向ける。

 

「万が一君がまた何者かに、かどわかされるようなことがあったら。……とても正気じゃいられない。だから……」

 

 ユシドの顔色はあまり良くない。以前のことがよほど心に残っているのか、ずいぶんと心配をかけてしまっているようだ。

 

「……わかった。明日にでも、みんなをあの子に紹介しよう。マリンはいつも王国の休養日か、平日の夕方に来る。オレや彼女とパーティーを組めばずいぶん稼ぎは減ることになるが、みんなはそれでもいいかな」

「はい! 新しい仲間になる人を、みんなで守らないと」

 

 シークが返事をして、ふたりも頷いてくれた。

 方針は決まった。状況を考えると、やはりみんなで行動するのが一番だ。生活費も今日までにちゃんと稼げていると思うし、ランク差の問題は気にしない方が良いだろう。

 重要な話し合いが終わり、緊張がゆるむ。シークは飲み物を取りに行くと言い、席を立った。

 空のカップをあおって顔を隠しながら、ユシドを見る。我々の支出を書き込んでいるという帳簿を眺めながら、思案顔でティーダと言葉を交わしている。

 

 なあ、ユシド。

 オレも、お前のことが心配だ。手が届く範囲にいれば、きっと何者からも守ってあげられると思う。だから君の言葉に賛成したんだ。

 

 さっきはそれと同じような想いが、ユシドから伝わってきた。

 その想いは実に生意気なものだが、決して不愉快ではなく。

 心地いいと、思えてしまった。

 



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34. マリンについて

 日中に各自が残していた仕事を済ませ、仲間たち全員がギルドに集合する頃には、いよいよ空の日も傾いてきていた。

 そろそろ、マリンがここへやって来る時間だ。併設された食堂で時間をつぶしながら、オレ達は彼女を待つ。

 

「な、なんか緊張しますね……」

 

 シークが肩を強張らせながら、ジョッキの飲み物をすすっている。

 いや、君の方が相手を緊張させる人間だと思うけどな。すでにこのギルドでも有名人だし。現に今も、遠巻きに所属ハンターたちの視線を感じる。

 素顔が見られるのは嫌なのか、緊張した表情をごまかす心積もりなのか、シークはおもむろにフードを目深にかぶった。ますます他人を威圧しかねない感じになっているが……。

 まあ、かくいう自分も少し緊張している。マリンには今日オレの仲間たちを紹介することを、事前に話せていない。彼女が勇者だと確信したのが昨日のことで、すぐにでも顔を合わせて行動を共にするべきだという方針を実行しようとして、こんなことになってしまった。

 オレとてまだ、彼女とは徐々に親交を深めているという程度の仲だ。人見知りのあの子にいきなり3人も紹介するとなると、距離を開けられてしまわないか心配だった。

 

「いいかいみんな、マリンは気弱な感じの女の子だ。くれぐれも威圧しないように、やんわり接してあげてくれ。……ではシーク、自己紹介の予行演習を」

「……S級のアーサーだ。仲間になるのはいいが、おれの足を引っ張るなよ」

「コミュニケーション下手なの?」

 

 フードで顔を隠し、精いっぱいの低い声を絞り出すシーク。話聞いてた?

 そういえばこの子も初対面のときはこうだった。心を開くのに一手間かかるタイプである。

 ……まあ、他の二人は社交性のある方だ。なんとかなる、と、いいな。

 適当な話をしながら、机の上の果物や菓子をつまむ。シーク、本番ではそのフードとれよな。

 

「……お、きた」

 

 ギルドの扉が開き、隙間から夕日が差し込んでくる。

 そこから現れる彼女の白銀の髪は、今は黄昏に朱く煌めいて見えた。

 仲間たちに目配せをし、席を立つ。まずはひとりで近づいて、みんなには後でゆっくり登場してもらおう。

 

「ごきげんよう、マリン」

「あ、ミーファさ、ご、ごき、ごきげんよう」

 

 しっかり目を合わせてから挨拶をしたので、突然話しかけられて驚いた、というわけではないはずだ。言い慣れないフレーズにでも手間取ったのだろうか。今日も可愛らしい。

 さて。本日は一緒に仕事をするのではなく、彼女に大事な話がある。

 勇者の話はもう少し後にするとして、まずは仲間に誘うきっかけづくり。新たなパーティーメンバーとして、旅の仲間たちを紹介したい。

 

「マリン。今日は君に、紹介したいやつらが――」

「あの、ミーファさん! ミーファさんに、紹介したい人たちがいるんですっ」

「――あん?」

 

 固まるオレをよそに、マリンがギルドの扉を開ける。

 そこからぞろぞろと、2人の見知らぬ人物が現れた。どちらもオレやユシドと同じくらいの年頃に見える若者だ。

 黒い髪の青年は体格がよく、大きく重そうな盾を背負っている。印象の良い笑みを浮かべた顔からは、快活な気質が見て取れる。

 ブラウンの髪の少女は、妙に冷たい眼差しでこちらを見ている。腰の短剣で今にも斬りつけてこないか不安になる程だが、彼女はマリンと青年の後ろに位置取っているし、そんなことにはならないだろう。しかしまあ、気難しそうな印象を受けた。

 

「あなたがミーファさんか? オレはストーン・フェンス。防御力には自信がある! わはは!」

「は、はあ」

 

 青年が気さくにオレに話しかけてきた。何者? 一体何の話……?

 視線でマリンに助けを求める。しかし彼女は、もうひとりの少女の背中をぐいぐいと押すのに忙しいようだった。

 

「なあマリン。本当によそ者と組むのか?」

「わ、私が決めたことだよ。やっぱり、嫌?」

「わかったよ……」

 

 マリンより少し背が高い少女は、こちらへ一歩進み、オレと同じ高さにある目線をぶつけてきた。

 しかしそれはすぐに外れる。淡い緑色の目を泳がせながら、彼女は小声でぼそりと言う。

 

「……シャイン・ウェイブスだ。よろしく」

「えと、ミーファです……」

 

 困惑する自分を落ち着けながら、辛うじて挨拶を返す。

 近づいてきたマリンは、顔を赤くして何やら喜んでいた。

 

「マリン? ……説明が欲しいんだけども?」

「えっ? あ、ご、ごめんなさいッ」

 

 マリンはしばし慌てふためき、落ち着くために深呼吸し、やがてこちらへ向き直る。その様子を、オレは初対面の若者二人と無言で見ていた。

 小さな口が開く。ようやく、今何が起きているのかがわかる。

 

「この二人は私のお友達なんです。王立学園の、同じ学科の人たちで、ここで一緒にAランクへ上がろうって、約束していました」

 

 お友達。

 そういえば、友人がいることは仄めかしていたな。

 それに彼らは……マリンは、王立学園の生徒だったのか。

 

 王立学園は文字通り、王の名の元に設立された国営の教育機関である。我々のような田舎者が通う、小さな習い事教室や教会学校とは違い、王国の将来を担う役人やら騎士やら領主やらを育てるためのものだ。ヤエヤの王都にも大きな敷地を持つ学校があり、シークやユシドくらいの歳の子たちが一様に、同じ意匠の服を着て門をくぐるのを見たことがある。

 ちなみに、故郷であるナキワ地方にも王立の学校はあった。あちらの王都はシロノトの町からは遠いため、今世の両親はオレに家庭教師をつけ、教養を学ばせていた。まあよく森の中に逃げていたが。

 前世の方のオレはもちろん、そんな金持ちの子が行くところには縁がなかった。

 つまり。あんまりどういうところなのか知らない。

 

「ミーファさん。ミーファさんは、強いです。一緒に仕事をしたから、すごくわかります。Cランクの実力じゃない」

 

 マリンの口調はいつになく力強い。ちゃんと考えて、練ってきた言葉なのだろう。

 

「私たち3人は、Aランクを目指しています。けれどそのためには力が足りず、4人目の仲間を探していたんです」

 

 マリンの言葉を聞き、二人もまた頷く。なるほど、マリンにはちゃんとした仲間がいたのか……。

 それに、明確な目標もあったようだ。

 

「どっ、どうか。改めて、一緒に、戦ってくれませんか?」

 

 想いが溢れすぎたのか、口調はまた、いつものようなたどたどしいものになってしまった。

 けれどそのまなざしと、二人の仲間から、彼女たちの強い意思が伝わってくる。彼らのことはまだ何もわからないけれど、どこかひたむきで、有望な若者たちだと思った。

 

「それはまあ、いいんだけど」

 

 少し、マリンのことがわかってきた。このまま彼らの手助けをするために、パーティーへ加わるのもやぶさかではない。

 しかし、その前に。

 

「あのさ……こっちも、紹介したい人たちがいるんだけど」

 

 仲間たちが、オレの背後から顔を出す。予想とは違う状況にみんなも苦笑気味だ。

 王都の学生ハンターの3人が、目を丸くした。

 

 

 

 あれから少し時間が経ち、窓から覗く空には日はなく、夜の闇が外を支配している。

 けれど振り返って店の中を見渡せば、人工の灯りの中で、仲間たちがにぎやかに声を交わしていた。

 ここは街中にある大衆向けの食堂だ。自己紹介を済ませたオレ達は、誰が言い出したかは忘れたが、いつのまにか懇親会という名目でこんなところにやってきていた。

 学生が宵のうちとはいえ、オレ達のような根無し草の旅人と酒を飲み交わすなどあまりよろしくないのでは。そう思ったが、顔を赤らめて楽しんでくれる彼らを見ると、まあいいかと思えてくる。

 自分はというと、酒を身体に入れるとユシド……いや、みんなにどんな風に絡んでしまうか我が事でもわからないため、控えた。酔いに強い前世の身体が惜しまれる。

 仲間たちの様子を眺める。

 ストーンという青年は、顔を赤くしてティーダとシークに何かを熱く語っている。上位のハンターである二人に関心があり、すでに心を許しているようだ。シークは同業者の意見を求める彼に真剣に応え、ティーダは適当に相槌を打っていた。

 マリンは隅の方の席にちょこんと陣取り、みんなの話に耳を傾けながら嬉しそうにしている。人の話に対して聞きに回るのが好きらしい。あまり口を開いていないが、それが彼女にとって気楽な過ごし方であるならこれで良いのだろう。

 シャインという少女は気難しそうに見えたが、今はユシドと柔らかい表情で静かに話している。聞くところによると彼女も風の術を使うようで、話が合ったようだ。良かった。

 ……仲良くなるのはよきことだが、初対面にしては物理的な距離が近いように見えるのは気になる。そこそこ以上の美人であることも気になる。ユシドの社交性がありすぎるのも問題だ。

 まあいい。

 またひとつ、自分の心を見えない場所にしまい、よそ見をして頭を冷やす。酒屋で楽しそうにしている人間を見ると、自分も酔ってしまいそうだ。

 

「ストーンくん、そろそろ学生にはいい時間じゃないか?」

「ええ? もうですか。全然話し足りないし、食い足りないけどなあ」

「また今度話しましょう、私達はしばらく王都にいますから」

 

 ティーダたちの声を聞いて店の中を探すと、時刻を示す計りは予想よりも数字を進めていた。明日も彼らが学園へ通うことを考えれば、もうおひらきの時間だ。

 結構、割かし、みんなして親交を深めることができたようだ。時間が経つのが早く感じるのは、このひとときを楽しく過ごせたからだろう。

 誰からともなく席を立ち、店を出る。

 外は暗いが涼しく、火照る身体をほどよく冷ましてくれることだろう。

 解散を前にして、改めて、マリンたちはオレの方に身体を向けた。

 

「ミーファさん。明日からまた、よろしくお願いします」

「……ああ」

 

 結局、オレはこの3人と仕事を共にすることになった。

 7人全員でひとつの依頼を受けるような活動をすると、彼らの目的であるらしいAランクへの昇格が遠くなる。報酬や実績の分散は4人までとすることが、ギルドでも推奨されている。

 彼らのことを考えると、今いる4人の勇者の中では、オレこそが最も理想的なチームメンバーだろう。全員が同ランクのパーティーなら受注可能依頼の問題もない。

 そしてたまに、持ち回りでティーダやシーク、ユシドが彼らのパーティーに加わる日を設けてもいいかもしれない。先達に学ぶこともいろいろあるだろう。

 

 ここまでが彼らと話し合った内容だが、こちらの意図は他にもある。

 どうやら彼ら国民は王都の失踪事件について、あまり大事だとは知らされていないようだ。ならばオレ達が、光の勇者であるマリンも、善良な民であるストーンやシャインのことも、この国の陰にいる何かから守らなければならない。

 それについて、ユシドがうまく、王都の物騒な事件のことを伝えていた。暗い道は通らないように。怪しい場所には近づかないように。単独行動は避けるように……など。

 一様にCランク以上の実力を持ち、学友でもあるこの面々ならば、王都に潜む“何か”にもし襲われたとき、咄嗟にでも相互にかばい合うことができるはず。単独行動をしないように気をつければ、大事に見舞われる可能性は減る。

 そしてもしものことがあれば、オレが全力で彼らを守る。これが彼らのパーティーに加わることの、最も重要な理由だ。

 また、オレの仲間たちも王都からあまりに長く離れることはせず、都内の動向に気を配る方針だ。

 今できることは、これくらいのことしかない。彼らの身に何も起こらなければいいが……。

 

 ストーンとシャインは王都の同じ住宅地に住んでいるらしい。ご近所育ちの気心知れた仲といったところか。二人連れ立ってほろ酔い気分で夜道を帰ろうとしたため、ティーダとシークがそれとなくついていくことになった。二人が付いてくるのを知ると、ストーンは陽気に酒屋の続きを話し始め、他の3人を苦笑いさせながら去っていった。夜道が暗いにしても、あの明るさなら、魔物も悪人も退散していくことだろう。

 そして、マリンは。

 彼らが帰るのとは反対方向の、町はずれに家があるという。そんなところにひとりで夜道を歩くなど、我々からすればとんでもない。さらってくれと言っているようなものだ。

 そういうことで、最初から彼女を送るつもりだったオレに加え、「女の子二人じゃ不安だから」と言ってユシドもついてくることになった。その一言は余計だと思った。

 

 石造りの整備された道を、3人で歩く。

 田舎町と違い、王都には魔力や火を利用した街灯が道を照らしている。おかげで夜道もこうして人が歩くことはできる。

 不穏な気配がないか神経をやや尖らせながら歩いていると、気付けばそんな二人に挟まれたマリンは。委縮して縮こまってしまっていた。

 

「マリンさん。ええと、王立学園の学生だと聞きましたが、学校生活は楽しいですか」

 

 ユシドが適当な話題を振る。声をかけられた本人はしばし慌てたそぶりを見せたあと、たっぷり考え込んでから、ようやく口を開いた。

 

「は、はい。今でも毎日が新鮮なことに感じて、とても、素敵な日々だと思います。人がたくさんいて、みんなが何を考えているのかわからなくて……そこが、楽しいと」

「ふうん」

 

 不思議な感想だ。人付き合いが苦手なようでいて、人のことが好きということだろうか。

 横目で彼女の表情を見ると、とても穏やかな顔に見えた。それは初めて見る彼女の表情で、心から思っていることを語ったのだと感じた。

 

「学園の卒業までは、あとどのくらいかかるのですか?」

 

 他にもそれらしい質問を投げかける中で、ユシドがしれっと重要なことを聞いた。

 そうだ。学生の身分となれば、オレ達の旅に同行するのは困難だろう。彼女の卒業まで待つという選択肢もあるが……。

 

「通常通りなら、あと2年と少しです」

 

 ……さすがに、長いな。

 ため息をつきたくなったのを我慢する。こうなってはマリンを仲間に入れるより、先に闇の勇者を訪ねるべきだ。王都の事件を解決できたら、また方針を変えていく必要があるな。

 

「あ、あ、でも、今やっていることがうまくいけば――あ、すみません。あれが私の家です」

「え?」

 

 足を止める。

 いつの間にか町はずれに来ていたらしく、周りを見渡せば、ややつくりが古く心もとない建物たちに囲まれていた。……はっきり言うと、王都の中心部よりもさびれていて、貧しそうに見える。

 そんな住宅地の端も端。マリンが指した木造の家屋は、言いにくいが、今にも崩れそうなほどのボロ家に見えてしまった。灯りが窓から漏れていなければ、人が住んでいないようにすら見えるかもしれない。

 いやまあその、ボロ家といっても、王都にしては、という言葉がつく。前世のオレが暮らしていた家といい勝負だ。住めば悪いものではない。たぶん。

 安心したのか、軽い足取りでマリンは家の扉へと進んでいく。その後ろをついていきながら、“奇麗な服装に美しい髪をしている王立学園の生徒”と、その帰る家の絵面が、あまり合っていないなと思ったりした。失礼なので口には出さない。

 家の扉に手をかけながら、マリンが礼を言う。後は踵を返して宿に戻るだけだと考えていると、彼女は何かを言いたそうにこちらを上目遣いに見ていた。

 

「どうかした?」

「……あ、あの。少しだけ、中でお話しませんか? い、いえ、迷惑ですよね、すみません」

 

 ユシドと顔を見合わせる。彼女からそう言ってもらえて、悪い気などしない。マリンのことをもっと知りたくて、オレは笑みを作って頷いた。

 

「今日知り合ったばかりの女の子の家には上がれないよ。外で門番でもしてる」

「そ、そんな。お客様なのに」

 

 即刻首を縦に振った俺に対して、ユシドは断固辞退していた。なんかオレが気遣いのできないやつみたいになってない?

 こうと決めたらこいつは入ってこない。マリンをなだめ、オレだけで家にお邪魔させてもらうことにする。もう少し親交を深めてから、みたいな線引きがユシドなりにあるのだろうが、好意を無碍にするのも失礼だと思うんだがな。

 ひとりで外にずっと立たせておくのも良くないし、あまり長話はできないか。

 

「ただいま」

 

 扉を開いたマリンの後ろにおそるおそるくっつき、小声でお邪魔します、と口にする。

 そうすると、家中から返事があった。

 

「おかえり、マリン」

「あら? こんな時間にお客様なの?」

 

 妙齢の男女が、広くも狭くもないリビングに座っていた。

 人のよさそうな金髪の男性と、美しい容姿をした銀髪の女性だ。ふたりはおそらく……

 

「お父さん、お母さん。こちら、お友達のミーファさんです。夜道を送り届けてくれたの」

「お初にお目にかかります。ミーファ・イユと申しますわ」

「ふえっ……」

 

 恭しく挨拶をすると、マリンが驚いた顔をしている。

 なんだ。淑女のふりをするのは、印象を良くするのに有効な処世術だぞ。

 なぜかマリンと同じように、彼女の両親も固まっている。しばしの間をあけて、こちらが不安になってきたところで、ようやくふたりは相好を崩した。

 

「学園のお友達かしら。こんな家に上がらせるなんて、申し訳ないわ」

「いえ、そんなことはありませんわ」

「不快でなければ上がっていってください。マリンの部屋なら、少しは片付いてるだろ?」

「もうっ、お父さんたら」

 

 3人は仲睦まじい家族に見える。こういう家庭には、憧れる。

 家の中の様子は外観の印象に比べて、そう貧困に窮しているというふうでもない。王都の中心部ほど華やかではないが、慎ましく、温かく、こういうのは清貧というのだろう。マリンの自然な笑顔が、普段の家庭の姿を物語っているように思えた。

 少女の後ろをついていくと、小さな部屋に通される。ここはマリンの部屋だという。

 あまり飾り気はなく、生活に必要な最低限のものがあるだけだ。以前に田舎町で泊まった宿屋のようだと思った。

 彼女のいうことに従って、部屋にひとつしかない椅子に座る。勉強机と一緒に使っているようだ。マリンは小さなベッドに腰掛け、こちらと対面する形になる。

 お茶を出そうと言ってくれたが、今日は断った。あまりに失礼であるが、次に来たときは欲しいというと、彼女は喜んだ。

 さて。

 聞きたいことはたくさんある。そしてそれは、マリンがオレに話しておきたいことと、一致しているようだった。今夜はもう少し、彼女のことを知ってから帰ろう。

 

「両親には、ハンターをしていることは言っていないんです。優しいから。二人は少ない稼ぎの中から、私の学費を出してくれているんです」

「ふむ」

 

 あのふたりは知らないのか。

 ますます、マリンを危険な目に遭わせるわけにはいかない。マリンは両親にとって宝なのだろう、それはオレにも、覚えのある気持ちだ。

 

「……マリンは、どうしてギルドの仕事を?」

「最初は王立学園の、武芸科の職業体験学習で、この仕事を知ったんです」

 

 武芸科、か。名前からして、兵士や魔導師を育てるためのクラスだろうか?

 

「そこから在学中にハンターの仕事に従事する学生もいるのですが、その中で、A級の資格を手にした者は、武芸科を飛び級で卒業することができるんです」

「へえ……」

 

 未熟な若者に魔物との実戦を許可するなど、厳格そうな学園のイメージと違うな。それで生徒が死んだりしたら親が怒り狂いそうなものだが……。

 しかしギルドでは学生ほどの若者などあまり見かけない。さすがに許可が出るまでに、厳しい審査や手続きなどあるものと思われる。それにしたって、それほどに実力主義の機関だったとは。

 ……飛び級で卒業、か。

 

「速く卒業できれば、両親への負担を減らせます。その後はハンターとして本格的に働いてもいいし、王宮魔導師として雇ってもらえる進路もあるかもしれません。そのときにやっと、ふたりに恩返しができるんです」

 

 ふむ。

 なんのことはない。マリンが、とてもいい子だとわかった。それだけわかれば、彼女に肩入れするのには十分だ。

 

「マリン。みんなでA級になろう。オレは君を応援する」

「あ、ありがとうございます、ミーファさん」

 

 A級になれば、彼女は学生という身分に縛られなくなる。

 そうなれば勇者の旅に誘うこともできるが……家族のことを考えると、難しいかもしれない。

 ……ひとまず、それは置いておこう。まずは彼女の夢を叶えたい。

 家族への慈しみを感じるマリンの顔を見ていると、打算を抜いても、そう思った。

 

 

 

 本当に少しの話をして、マリンの家を出る。

 やるべきことが増えたな。

 マリンとその仲間たちと共に、A級を目指す。そして王都の事件が解決するまで、手の届く範囲の人々を守る。

 簡単なことではないが、不思議とやる気や使命感に溢れている。きっと、みんなで笑ってこの地を発てるような、そんな結末に導ければと思う。

 

「あ、ミーファ。もう帰る?」

 

 本当に外で門番をしていたらしいユシドが、声をかけてくる。

 彼を連れ立って、夜の道を歩いていく。

 

「見張りごくろうさん。ひとりの夜は怖くなかったか?」

「へいきへいき。好きなひとが近くにいるんだから」

「……っ、そうか」

 

 会話はすぐに途切れる。からかうつもりが、そのたくらみは壊されてしまった。

 こいつ……外面は優しいふりをしているが、実はオレには意地が悪くはないか? 人の悩みを知っているはずなのにそんなことを言ったのか、それとも一丁前に口説いているつもりか。

 その顔を盗み見てみる。

 ユシドは……うぶな少年らしく、顔を赤らめていた。

 まったく、そうなるなら滅多なことを言うなというんだ。やめろ。心臓に悪い。

 

「きょ、今日は色んな人と仲良くなれて良かったね。マリンさんと、ストーンくんと、それとシャインさん」

「ん」

 

 新しい仲間たち、それぞれの顔が思い浮かぶ。

 シャイン、か。彼女は特にユシドと仲を深めていたな。気質の相性がいいのかもしれない。自分も彼女と話したが、つっけんどんなのは最初だけで、マリンの友人らしく良い子だった。

 やたらと、ユシドとの距離は近かったが。

 

「…………なあ。夜になると、少し寒いな」

「外套を貸そうか?」

「いや。そのグローブを貸してくれよ」

「え? 汗で汚れちゃってるよ」

 

 隣を歩く少年との距離を一歩詰め、腕をつかみ、手袋を片方奪い取る。

 それは適当に、自分の小さな荷物入れに仕舞った。

 腕の装備を外して少し冷えていた指先で、ユシドの手を取る。

 

「これでいい」

 

 その手はたしかに多少汗ばんでいた。けれども、もくろみ通り、自分の手を暖めてくれた。

 

 夜道をゆっくり歩いていく。隣にいるやつの顔は、見ない。

 こんなことは、彼の心を弄ぶようなものだとは、わかっている。

 答えを返してもいない。自分の心を直視するのも怖くて、目を逸らしている。

 でも……オレは、ユシドと手を繋ぐことは、好きだ。

 これまでも、ずっとそうだった。

 旅立ったときと違って、今は二人きりになると気まずい。けれど、手を繋ぐ権利は、まだあるはずだろうと、思う。

 

 人数がひとり減った、心もとない夜の道。

 けれど、まあ、怖くは、ない。

 

 

 

 

 巨大な岩のゴーレムが腕を振るう。

 人間の身体くらい大きな拳を、青年が大きな盾で受け止めた。

 

「ぐううっ!! ……シャイン!」

 

 ストーンもうまく立ち回るもので、魔物の注意をちゃんと引きつけ、パーティーの中では文字通りの盾役をこなしている。あの岩の拳を受け止め踏ん張るなど、オレには難しいことだ。

 そして。合図を受ける前に、シャインはすでに、ゴーレムの背後に展開していた。

 

「はああっ!!」

 

 緑の風がうずまき、ゴーレムの四肢に絡みつく。やつはストーンに拳を叩きつけたときの姿勢のまま、硬直する破目に陥った。

 風の拘束術か。彼女の秘める絶対魔力は勇者には劣るのだろうが、それで魔導師としての実力が低いということにはならない。ゴーレムの動きを数秒に渡って止めているあの風は、オレから見ても優秀な出来である。ユシドにも彼女から学ぶところがあるかもしれない、とすら思わせる。

 

「みんな、下がって! ……スピアレイ!!」

 

 上空から丸太のように太い、光の杭が降ってくる。それは岩人形の腹を貫き、地面に縫い付けた。

 以前シークとユシドの合体技で倒したゴーレムよりもランクの低い個体とはいえ、岩を貫くこの魔法術の威力! 経験を積んでいけばどうなることか、末恐ろしいものがある。

 

「ミーファさんっ!」

 

 みんなの視線を受け、大地を蹴る。彼らの連携のおかげで、オレの手には既に、岩を焼き切る雷が充ちている。

 動きの停止したゴーレムの伸びきった腕を駆けあがり、肩を蹴って、背中を見渡し、斬るべき線を定める。

 

「雷神剣」

 

 落雷の音に似たものを鳴らし、岩の巨人を両断した。

 

「ふう」

「や、やった!」

「Cランクの最上位クラスを、こんなにあっさり……」

「すごいぞ、ミーファさん! みんな!」

 

 相変わらず何故か抜けない剣の鞘を小突きながら、嬉しそうに騒ぐ若者たちに、笑顔を返す。

 こちらとしても、彼らには感心している。勇者ならばひとりで倒せるレベルの敵とはいえ、現時点の彼らには格上のはずだ。

 しっかりと身につけた技術を使い、仲間との連携を意識して動いている。確かにとどめは派手にやったが、オレがいなくともいずれ勝っていたはずだ。彼らなら、Aランクに届くのもそう先の話ではないだろう。

 

「さあ、次の仕事に行こう、みんな。走るよ!」

「ええ!? 勝利の昼飯には行かないのか?」

「ミーファ、意外と厳しい……」

「ふふふっ」

 

 彼らをなるべく鍛えてやるのが、ここでの自分の役目かもしれない。

 一緒にいられる時間を、大事にしよう。

 



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35. 忘れられない贈り物

 今日は休養日だ。

 学校や役場などの公的機関は業務を停止しており、民間の労働者たちにも仕事を休む人たちが多い。田舎では休養日にこそ教会学校が開かれたりするため、平日は学生をやっているであろう若者たちが街を歩き回っているこの光景は、不思議に思えた。

 マリンや仲間たちは、こういう学校のない日にハンターの仕事に打ち込むようだが、今日は互いに休むことにした。目的にひたむきなのは感心するが、彼らも学生としての本分に勤しむためには、身体を休めることも大事だろう。

 合わせてオレ達の仲間もまた、今日は退治屋の仕事はしないようだ。

 宿で同室のシークは、朝早くから元気に飛び出していったが、王都の観光でもするのだろうか。どうせなら一緒に行こうと声をかけるべきだった。

 こうして部屋の窓から外を眺めていると、バルイーマやグラナの人だかりを思い出す。大都市というのは、どこもこのように活気があるものだ。

 ……この王都の場合、事件が解決しなければ人々の笑顔は失われていく。早く真相を掴めるといいのだが。

 まあ、今日は難しいことは考えない。オーバーワークも身体の成長には良くないし、一日ゆっくりしよう。

 オレは再びベッドに身体を預け、天井を眺めた。

 

「全然眠くない」

 

 全然眠くない。

 昨晩酒に酔ったわけでもないし、体調の方も今日は良い。部屋でぼうっと過ごす、という第一案は却下だ。

 ひとまずルーチンワークに沿って、外出の準備をしていく。

 人前に出られる顔つきになったら、服を着替える。身体の各部を守る防具は、今日は装備せずとも良いだろう。

 無論それでも念のため、剣は持って行く。……でもこいつ、王都に来てからは全然剣を抜かせてくれないんだよな。正直頼りにならないかもしれない。本当の本当にいざというときは、力を貸してくれるはずだとは思っているが。

 服装を整えたら、部屋に備え付けの姿見の前に立つ。

 

 ……ユシドでも誘ってみるか? 王都を歩くなら、自分一人より仲間と一緒の方が、ずっと充実した時間を過ごせるだろう。

 いやでも、自分が楽しい休日にしたいからと、彼の都合や心の内を考えずに引き回すのもひどい話だ。

 いやしかし。あいつと知らぬ土地を歩くのは、数少ない人生の楽しみだし……。

 

 自分の姿を眺め、髪を一番見栄えがいいように整えながら、鏡の中のそいつにどうするのか相談をしてみる。

 翠色の耳飾りが、金色の髪の合間から、綺麗に姿をのぞかせていた。

 少年の顔が思い浮かぶ。次に、以前デイジーさんに押し付けられた自分に似合わない服を思い出した。……あれはダメだ。今の自分が着て行ってしまえば、言い訳やごまかしはできない。

 外出の準備はできた。これ以上この頭が余計なことを思いつく前に、部屋を出ることにした。

 

 出てすぐに、隣の部屋のドアに視線を向ける。

 手をかけようとして、立ち止まる。躊躇しているのか、何かに緊張しているのか、妙に動悸が早まっている気がする。

 余計な自己分析をしてはダメだ。なに、ただ仲間に誘いをかけにきただけだろう。いつものことだ。ひとつ深呼吸をして、ドアの取っ手に指をかけた。

 

「おはよう、ユシド、ティーダ!!」

「おわあっ!?」

 

 笑顔をつくり、つとめて明るく扉を開け放つと、そこでは、備え付けの机に向かっていたらしいティーダが、何故かやたらと慌てていた。

 

「ど、どうしたのミーファちゃん。……ああ、ユシドくんなら留守だぜ?」

 

 部屋の中に視線を泳がせると、たしかにティーダの他には誰もいない。そう遅い時間でもないはずだが、シークよろしく、早くから出かけているのか。

 ……まあいい。逆に少し、ほっとした。今はティーダの方が相手として気楽だし、たまには彼を誘うのもいい。

 

「ティーダ殿? 今日はわたくしと王都の観光などいかがです?」

「いやーすまん、ちょっと用事がね」

「なんだ、つまらん」

「ごめんごめん」

 

 暇そうに見えたのだが、あっさり断られた。

 まあオレに比べれば暇ではないか。彼も仲間の中では、いつの間にか頭脳労働の役になっていて、独自の行動による忙しさが見えることもある。今日も何かあるとティーダが言うのなら、邪魔はよそう。

 

「適当に出かけてくるよ。また後で」

「あいよ」

 

 ひとりの外出。

 気楽なような……残念な、ような。

 かぶりを振って気を取り直し、王都のどこを歩くかの計画を考えながら、オレは宿の階段を降りて行った。

 

 

 

 旅の中で街を回るときにどこを歩くかというと、やはり商店街だろう。そこにはその街の、独自の文化や土地柄が表れた商品が並んでいるはずだ。それらはときに自分を感心させ、退屈させない。

 というか、美味しいものを発掘したい。

 昼前の活気にあふれた人の流れを歩き回り、初めて見る果物を探し当てたオレは、店主に手ずから解体してもらった切り身を前に、はしたなく舌なめずりをしていた。

 日陰を探して優美な街道に視線をさまよわせると、都を彩るように植えられたいくつもの木の陰の内に、二人掛けの椅子を見つける。観光地はああやって休憩できる場所が設えてあって、とてもよろしい。

 腰を落ち着かせる。そしていよいよ、小さな串にさしてあったその果物を口にする。実の色は鮮やかな黄色だ。

 

「うまい」

 

 舌が痺れるほど甘く、食感はなめらかで、口の中で溶けていく。

 マンゴー? というらしい。海を渡った先にある土地から輸入した交易品で、結構な値段がしたが、退治屋の仕事でためた小遣いで購入してやった。そして味の方は、さすがお高いだけある。感動体験だ。

 そういえば、果物の名がシークのファミリーネームと似ている。彼女の両親のどちらか、あるいはその先祖は、海の向こうの出身だったりするのかもしれない。

 

「ん? あれは……」

 

 人々と露店を眺めながら木陰で涼んでいると、やがて、よく見慣れた人物を視界に捉えた。

 ブラウンの髪の少年、ユシドだ。なんだ、こんなところにいるということは、オレと同じように王都を散策していただけか。

 近付くために腰を浮かせようとして……しかし、ぴたりと止まる。

 今、声をかけるのか? 自然に体が動こうとしたが、果たして正しい行動だろうか。今朝はたしかにあいつを誘うつもりだったが、少し考えるべきである気もしてきた。

 

「ねえ、今日はデートでしょ! 他の女の子に見惚れないでよー」

「あ、す、すまない」

 

 ひとつ隣の街路樹の下から、オレと同じく椅子で休憩している男女の声が聞こえた。

 思わず、ちらと見た感じでは、ユシドやマリンと同じくらいの年頃だ。学園の生徒かもしれない。休日に仲睦まじく遊んでいるわけだ。

 ……今まで、考えないようにしていたのだが。

 あいつとオレとで華やかな王都を歩き回る。それはその、向こうの気持ちをよく考えてみれば、巷で言うところの、逢引とかデートというやつなのでは。

 以前デイジーさんがあれこれ世話を焼いてくれた理由が、今はわかってしまう。

 

「ぐうう」

 

 今がユシドに声をかけるチャンス。それを活かすべきか、殺すべきか?

 ダメだ、ダメだ。

 意図せず自然のうちに二人きりになってしまったときには、ついあいつの優しさに甘えてしまうこともあるが、こちらから声をかけてそういう状況を作り出すのは、やってはいけない気がする。ユシドの気持ちに答える勇気もないというのに、あまりに不埒だ。

 しかし、声をかけたい自分がいるのも否定できない……あいつといるのは心地良い時間になるだろうし、休日としてはベストな過ごし方だ。

 唸りながら見つめる視線の先、露店のひとつを物色していたユシドは、ついにそれを切り上げ、よそに歩き出そうとしていた。

 ふと気付くと、もう、自分は椅子から立ち上がっていた。

 

「ゆ、ユシド……! ん、んん?」

 

 勝手に喉から出てきたか細い声は聞こえなかったようで、あいつの目はオレには向かなかった。

 ただ、その人当たりのいい笑顔は今、誰かに向けられている。ユシドに誰かが声をかけたのだ。

 思わず立ち止まり、離れた場所からその様子を見つめる。現れたのは……ギルドで毎日のように世話になっている、受付嬢のユタクさんだ。

 眼鏡が似合う綺麗な顔立ちの人だが、仕事着ではないいわゆるプライベートの服装をしていると、より美人に見える。よその支部で働いていたなら、女日照りのハンターたちから鬱陶しいほど声をかけられるんだろうなと思った。

 ……二人が親しく話すのを見て、よくわからない気持ちがこみあげてくる。

 まあ、オレだって彼女に街中で遭遇することがあれば、笑顔を作って挨拶くらいする。大人として普通のことだ。何を気にする必要があるだろうか。

 

「な、な……!?」

 

 ところが。

 二人はいくつか言葉を交わしたあと、ユタクさんが行先の方向を指さすと、連れ立って歩き始めた。まるで事前に会う約束でもしていたかのよう。

 笑顔を交わす二人は、思っていたより親密に見える。

 な、なんで。

 ユシドは、ユシドはオレのことを好いているはずじゃ――、

 

「?」

 

 そのとき。不思議そうな顔で、あいつはこちらの方を振り返った。

 自分の狼狽が伝わったのか、右耳の飾りが揺れる。そうか、このピアスが、オレの位置をあいつに気取らせる……!

 オレは踵を返し、王都の街中を走りだす。ユシドに感知されないどこか遠くへ。最近の癖で足に魔法術を使ってしまったため、何人か善良な通行人を巻き込んで吹き飛ばしてしまったかもしれない。

 ……別に、普通にふたりへ話しかければよかったものを。

 そう思ったときにはもう、だいぶ走り込んだ後だった。

 

 

 

 利用している宿屋まで逃げてきたオレは、勢いのまま屋上まで駆け上がり、太陽の下に座り込む。自己嫌悪の唸り声を垂れ流していると、陽射しは熱いが、少し頭は冷えた。

 何がしたいのだろう自分は。

 心を乱され過ぎだ。ユシドがユタクさんと並んで歩いたから何だというんだ、オレだってデイジーさんと街を歩いたこともあるし、何か目的があるのなら、ああして現地に詳しい地元住人を頼ることもあるだろう。

 頭では、わかっている。

 

「………」

 

 しばらくぼうっとしていると、要らぬ考えが頭を巡り、やがてひとつの欲が頭をもたげてくる。

 あいつは今、どこを歩いているだろう。散策の目的はなんだろう。どのように街を歩くのだろう。……ユタクさんと、どんな顔をして話すのだろう。

 ……それを、覗き見したら、やはり怒るだろうか。

 一度そう考えると、それに抗えなかった。普通に会って、素直に聞けばいいという選択肢を、心が選ぼうとしない。

 今日だけ。今日だけだ。この一度だけ、ユシドがどんな休日を過ごすのか、勝手に覗くのを許してはくれないだろうか。

 

 許しを求めているのはユシドに対してか、それとも自分になのか。わからないまま、立ち上がる。

 あそこから逃げたはずの自分は、何故かもう一度、そこに立ち合おうとしていた。頭が、変になっているのかもしれない。

 

 屋上の縁に立ち、王都の町並みを見渡す。

 今から追いかけるにしても、この中のどこをあいつが歩いているのかわからない。しかしそれを解決できる手段を、以前から考えていた。

 オレが身に着けている、風の魔石の耳飾り。これにはユシドの魔力がその中心に込められている。それゆえあいつは、自分の魔力を扱う要領で、この石の位置を感知することができるというのだ。

 そこで思う。以前自分が彼に贈った髪紐には、まじないと共にオレの魔力を刻んである。ならば先の話と同様に、あちらの位置をこちらが把握することもできるのではないか。

 遠く離れていれば難しいだろうが、試してみたい。あいつにできてオレができないなんて、悔しいし。

 

 深呼吸をして、自分の内面に感覚を向ける。

 そこには、体内でたゆたい、主からの命令を待つ、熱い魔法の力がある。体外に放出すれば、それには金の色がつき、雷のごとく弾け空を舞うだろう。そんな自分の魔力を、しっかりと覚える。

 次に、よそに感覚を向ける。

 魔物の気配を探るときの要領で外の世界を見ると、街を行く人々の生命のエネルギーを感じる。やや曖昧な表現をしたのは、それが魔力の気配だけでなく、人によっては体力や気力といったものの方を強く感じることもあるからだ。まあ他人の気配については感覚的な話なので、気のせいと言えばそうかも知れない。

 そんな、たくさんの気配の中から、自分の体内を巡るモノと同じやつを探してみる。

 

「これは……」

 

 これだ! とピンとくるようなことはないのだが、やがてある方角に、自分と引き合っている何かがあるように感じた。そこにユシドがいるかどうかは、自信はないが……。

 感覚としては例えば、自分が町や宿泊地に張った守護結界を何者かに破られたときに、突破された箇所を報せる信号が飛んでくるのに似ているかもしれない。

 ともかく、この感覚がヒントだ。

 

 ひとまずそこに向かってみようとして――

 また止まる。結局、この耳飾りをしている限り、ユシドから隠れながら様子を覗き見ることはできないのだ。

 それを解決するのは容易で、ピアスを外して部屋にでも置いておけばいいだけなのだが……

 それだけはない。これは、簡単に外すものじゃない。あいつがオレのために作ってくれた、大事なものだから。

 ……だからこの話は、ユシドに感知されない遠い距離からその様子を観察するのだという、不可能なものになってしまう。

 どうしたものだろう。

 

「そうだ」

 

 つぶやきを漏らし、踵を返す。

 宿屋の上から飛び降り、地に足をつける。正しい入り口をくぐり、階段を上がっていく。向かうのは、今朝も立ち寄った、ティーダがいるであろう部屋だ。

 扉の前に立つ。中にユシドはいない。よって遠慮なく開け放つ。

 

「たのもー」

「のわあっ!? ま、また!?」

 

 ティーダは今朝も向かっていた机に、今度は身体ごと覆いかぶさりながら、珍しく何やら焦ったような顔でこちらを向いていた。

 ……なんぞ隠し事でもしているようだが、まあ、それは後で追及するとして。

 

「やあティーダ、今朝ぶり。ところで、たしか以前、遠く離れた場所を見渡す道具を自慢していたよな」

「あ? あーっと、望遠鏡のことかい」

「そうそれ。ぶしつけですまないが、一日貸してくれないか?」

「あ、ああ。いいよ。……あの、ちょっと外で待っててくれる?」

 

 言葉に従い、しばらく部屋の外で待つ。

 やがて出てきたティーダは、筒の形をした道具を手渡してくれた。

 

「けっこう高級品だから、くれぐれも壊してくれるなよー」

「わかった。ありがとう」

 

 礼を言って、その場を後にする。

 ……する、前に、ひとつ言っておこう。助言である。

 

「スケベ本とか読むなら鍵かけとけよ」

「え? スケ……? あ、は、はい。すいません」

 

 

 

 再び屋上に立つ。

 先ほどのように意識を集中し、ユシドの髪紐の魔力を探ってみる。

 そうして方角にあたりをつけたら、よその屋根へ飛び移る。いくつか移動して、また気配を探る。それを何度も繰り返していると、漠然とした勘のようなものだった気配探知は、徐々により強いものを訴えるようになっていく。方角はもうかなり確信に近い気がしているし、距離も縮まっているはずだと思う。

 何回目かのジャンプをしたオレは、ここでついに例のアイテムを取り出した。

 筒の形をした道具の、先端を片目で覗き込む。これがただの穴の開いた棒ならば何の意味もないことだが、この望遠鏡という道具はすごい。のぞき穴の向こう側の遠く離れた場所を、拡大して見せるのだ。

 一応前世の頃にもあった道具ではあるが、これでなんと、魔力を伴わないアイテムだというのだから驚きだ。最初に発明した人間は古代文明か異世界からやってきたに違いない。

 

「みえるみえる」

 

 人の家の屋根に腰掛け、眼下の町並みの様子を覗き見る。見える範囲は狭いものの、遠く離れた通りの屋台に並んだ果物の形までわかる。オレも買おうかなこれ。

 ひとしきり街の姿を楽しんだら、勘の告げる方向を探してみる。探すのはブラウンの髪と、深緑の外套の組み合わせだ。あいつがよくする服装のひとつである。

 人々を円の中におさめ、人相や服装を確かめていく。休日の王都の、身なりの整った人々の中で、いかにも旅人らしいあの格好はやや目立つはずだ……。

 ……いた。

 

「え?」

 

 それを視界にいれた途端、細い声が口から漏れた。

 ユシドとユタクさんは、仲が良さそうに歩いている。それは、まあ、いいとしよう。

 しかしそこには、先ほどはいなかったはずの新たな人物がいた。銀の髪が目立つ美しい少女、マリンだ。いつの間に仲良くなったのか、笑顔で彼と話している。

 ふたりに挟まれたユシドは、時折、露店の品物を眺めては立ち止まりつつ、ゆっくりと商店街を回っている。

 オレは、スコープを覗き続ける。

 彼女たちと会話をしているときの気の抜けたような笑顔を見ていると、自分のいないところで嬉しそうに、楽しそうにしているのを見ていると、たまに何かを言われて照れたように顔を赤らめているのを見ていると、ふたりと一緒に洒落た雑貨店に入っていくのを見ていると、

 少し、休憩したくなった。

 

「………」

 

 まぶたを閉じ、こめかみを揉む。眼が、疲れているんだろう。

 高い建物の屋根から、ぼうっと街を眺める。そうすると人々を目で追ってしまうため、やがて視線を青い空へ向けた。

 感知の要領はなんとなくわかった。あいつの居場所が大きく動けば、それはわかる。

 

「ふー」

 

 ユシドの、いろんな顔。

 それを見られるのは、別に、オレだけじゃないんだな。

 

「っ! とと……」

 

 髪紐の魔力が動き出した。望遠鏡を取り落さないよう気をつけながら、おもむろに中を覗く。

 雑貨屋を出たユシドの様子は。

 

「なっ、あ……シークまで?」

 

 なんかいつの間にかひとり増えてた。

 シークは紙袋をユシドに見せ、互いに笑い、マリンとユタクさんがそれを見ている。

 シーク……今日は用事があるから一緒には過ごせないって、オレには言っていたのに。

 それに、あんなにユシドに懐いているとは思わなかった。オレやティーダと話していることの方が多かったから。……いや、それがなんだ。仲間なのだから、何も不思議なことではないはずだ……。

 理性と心情が、連動してくれない。

 みんなの様子は、各々が深く通じ合っているようにも見えた。遠く離れた場所にいる自分は、文字通り輪の外にいる。ユシドの目に、映らないところに。

 

 踵を返し、建物の陰に跳び下りる。

 宿に戻ろう。彼には彼の交友関係があるというのに、無断で覗き込むものじゃない。

 ……いや、そんなことは最初からわかってる。本当は、これ以上見ていたくなくて、逃げ帰るんだ。

 

 

 とぼとぼと歩く。人波を避けようと思うと、自然と暗い路地を行くことになってしまった。

 華やかで伝統ある王都でも、細い裏道の景色はあまり他所の街と変わりはしない。驚きや感動はなく、そうなると退屈で、別の考え事をしてしまう。

 

 今日という日を過ごして、わかったことがある。オレはまたひとつ、自分の愚かなところを見つけてしまった。

 ユシドが自分でない誰かと過ごすのを見て、こみあげてしまうこの薄暗い気持ちは。

 ……独占欲。とでも言えるだろうか。

 ユシドを、自分の元だけに置いておきたい。純粋に慕ってくれるあいつに対して、いつからかそんな、ひどい独占欲を向けている。思い返せば、たぶん、ずいぶん前から。

 それはオレが見た目通りの少女だったならば、可愛らしい嫉妬心だとでも言えたのかもしれない。しかし実態は違うわけだ。

 さすがに、醜さが過ぎる。前世の友人たちが知れば、気持ちが悪いやつだと言うだろう。今はそれを誰にも知られないことだけが救いか。

 

 考えれば考えるほど、自分を嫌いになりそうになる。

 はっきりと答えを返していないくせに、あいつを縛り付けようとするなんて、自分本位の極みだ。そういう優柔不断な人間には感心しないのだが、他でもない自分がそうだとわかってしまった。

 オレはユシドの先祖だ。先達だ。彼を、仲間たちを導くのに、ふさわしい精神を持つ人間でなければならないのに。今さらこんな、子どもじみた心を持ってしまうなんて。

 この気持ちに気付いてしまったいま、オレはどうすればいいのだろう。独占欲をなんとか鎮めるか。そうでないなら、認めて受け入れるか。

 ……いっそのこと、開き直ってしまうか。子どものような心のまま、ユシドが自分だけを見るように、縛り付ける。

 

「はは。馬鹿な話だ……」

 

 考え事は、ここまでにしよう。疲れた。

 魔物の悪事も関係ない、勇者の使命も関係ない、こんなことなんかで、うじうじ悩むことになるとは。

 いつからオレはこのような性分になったのだろう。死ぬ直前か。別の人間として生まれ変わったときか。ユシドに出会ったときか。あるいは二度目の旅の中で、徐々に変わっていったのか。

 生まれ変わるたびに、自分の魂が別の形になっていく気がする。

 そのことを深く考えすぎるのは、怖い。

 

 

 

 日が落ちるまでベッドで横になっていると、やがて少し寒くなってきた。それで今、目が覚めたようだ。部屋の中も窓の外も暗い。

 冷える夜には、食事や湯浴みで身体を暖め、明日のことを考えながら気持ちよく寝る、というのがいいだろう。いつもの生活習慣である。ちょうど夕食や身支度などに手を付けるのに、もういい時間なのは間違いない。

 しかし。今日はいつもに比べてあまり動いていないせいか、腹が空いたのかどうかもわからない。……仲間たちには悪いが、このまま続けて眠ってしまおうか。

 そう考えているところに、ちょうど、扉を軽く叩く音がした。暗い部屋の中に、廊下からの光が差してくる。

 徐々に明るく、木目が見えるようになっていく部屋の壁を眺めていると、オレの背中に、音が高く可愛らしい、少女の声がかけられた。

 

「あ、あれ? ミーファさん、いますか?」

「……ああ、いるよ。寝ちゃってたみたいだ」

 

 返事をするかどうか迷ったが、寝たふりをするという嘘をつくのが、なんだか妙に心苦しかった。オレは身体を起こし、シークに顔を見せる。

 彼女は返事を聞いて安心した顔をしていたのに、オレと目が合うと、なぜだか表情を曇らせた。

 

「大丈夫ですか? 元気、ないです」

 

 近寄ってきて、シークは廊下からの光を頼りにオレの顔色を注視したり、額に手を当てたり、体調を聞いてくる。

 いつもはシークの方が、大きすぎる魔力の影響で熱を出して看病されることが多いのに、立場が逆で変な感じだ。

 

「平気。寝すぎて頭がくらくらするだけ」

「下の食堂から、熱いお茶でももらってきますよ」

「ありがとう」

 

 出ていく折に、シークが備え付けの灯りをつけると、魔力の輝きで部屋が照らされる。ふと鏡を見てみると、寝起きのみっともない顔をしていた。ちょっとシーク以外には見せられない。

 しばらくして。トレイをひとつおそるおそる支えながら戻ってきた彼女から、カップを受け取る。熱い液体は喉を通って身体中に広がるようで、少し目が覚めてきたように感じた。この時間ならふつう、身体を暖めてより気持ち良く眠るために飲むのだろうと思うと、なんだかおかしかった。

 

「ミーファさん、晩御飯は食べられますか? そろそろ今夜の準備ができる頃です」

「今日は少し遅いんだね。……んー、その、あんまりお腹空いてない」

「そ、そんなあ……」

「?」

 

 やたらと残念そうにされる。昼間に深く寝てしまって、全然腹減ってないから夕食はいらないかなと言おうとしたのだが。

 

「ミーファさん、ちょっと運動した方がいいですよ、運動! ストレッチ!」

「お、おう」

 

 そんなに一緒の夕食がいいんだろうか。シークは言外にオレへ、食堂へ来るようにと訴えているようだ。起きたばかりのオレに、変な動きの体操を強要してくる。

 

「わかった、わかった、顔を洗って下へいくから」

 

 別に、どうしても席を外したいわけじゃない。飯が入らなさそうなだけだ。仲間たちの顔を眺めに行くくらいのことはできる。

 だったら、まあ、寝癖くらい直したい。

 そう言うとシークは、見るからに機嫌のいい笑顔になって頷いた。何か、楽しい話でもあって、それを聞かせたいのかな。

 でも、昼間のシークは、たしか……。

 

「後で呼びに来ますから、準備して待っててくださいね」

「え? うん……」

 

 シークは行ってしまった。いちいちまた呼びに来なくたって、自分から行くのに。

 気を遣わせてしまったか。

 

 

 仲間の前に出られるくらいに顔を整えたつもりだが、鏡を見ると、たしかに表情が暗くて気持ちが悪い。眠ればもっと、すっきりすると思ったんだけどな。

 先ほどのシークのように、あとの二人にも心配をかけるのはよろしくない。つとめて明るく、口角を上げていこう。

 それで、ユシドやシークに、今日がどんな一日だったか、適当に耳を傾けていればいい。

 いつもの夕食の景色だ。

 

「ミーファさん、準備はできましたか!?」

「うおっ。あ、ああ」

 

 うじうじと暗い自分とは対照的に、シークはやたらとテンションが高い。いつもならこのくらいの時間帯は、そろそろ眠そうにしていてもおかしくないはずだが。宿の人に好物でも作ってもらったのか?

 ややもたついていると、ついにはシークにぐいと手を引かれ、オレは慌ててついていく。

 一階への階段を降りて、食堂への扉の前まで来た。シークに背中を押され、そこをくぐる。

 

 そのときだった。

 突然、目の前で、赤や青、橙や翠の光がパチパチと火花のようにはじけ飛んだ。

 あまりに油断していたところで、何が起きているのかわからない。反射的に身構える。

 きょろきょろと室内に目を這わせると……オレは、満面の笑みを浮かべた仲間たちに囲まれていた。

 

「「誕生日おめでとう!!」」

 

 それを聞いて。

 自分の心に、ゆっくりと、みんなの光が差し込んできた。

 

「…………」

「わーわー! ミーファさん! ひゅー! ……あれ?」

「やっぱりスベってない?」

「そんな……わたしの考えた完璧なサプライズが……」

 

 シークとティーダのやりとりが頭を抜ける。

 誕生日。誕生日、ときたか。サプライズ。サプライズか。びっくりどっきりか。なるほど。

 

「ミーファ、大丈夫? ほら、おいでよ」

「あ、っ……」

 

 ユシドに手を引かれ、テーブルに案内される。その上には、いつも以上に豪勢な食事が並んでいて。その彩りを見ていると、幼い子供の頃のようにどきどきした。

 仲間たちが席に着き、オレの反応を眺めてくる。それは気恥ずかしかったけれど、でも、やっぱり。

 

「……うれしい。みんな、ありがとう。なんか、言葉とかでない」

 

 悪戯を成功させたように、楽しそうな、みんなの顔。事実として、彼らのたくらみは成功だろう。

 ……自分の生まれた記念日など、歳を重ねるほどどうでもよくなる。こうして忘れてしまうほどだ。ましてオレは、“生まれた日”がひとつじゃない。身体の年齢を数えることに使う以外、そこに特別な意味は、何もなかった。

 けれど今日、それは、大事な仲間たちが祝ってくれる日なんだと、教えてもらった。人を祝うことはあるが、自分が、オレなどが、こうしてもらえるなんて。

 当人ですら忘れてしまうそれを覚えていて、わざわざ祝ってくれる存在なんていうのは、恋人や、仲のうまくいっている肉親くらいのものだろう。

 ならばオレにとって、彼らは家族のうちだと言えるのかもしれない。……いや、もう、そう思っている。

 そんなことを口に出せば、さすがに引かれてしまうだろうか。だけどもう、年甲斐もなく頬が緩むのは、抑えきれそうもない。

 

「喜ぶのはまだ早いですよ、ミーファさん!」

「みんなからミーファちゃんに、贈り物があるよ」

 

 ティーダから、小さな革袋をひとつ手渡される。中を覗くと、そこには色とりどりの小さな鉱石が詰まっていた。

 お馴染みの魔石だが、中でも上質な物である、とのこと。彼が手ずから採取し、厳選したものだという。ひとつ手に取って灯りに透かせると、たしかに綺麗で宝石にもなり得る質の良さだ。手に伝わってくる魔力も澄んでいる。

 

「鞘にでも食わせるといい。機嫌も良くなるんじゃねえかな」

「ありがとう、ティーダ。スケベ本読んでたんじゃなかったんだな」

「スケ? ……こほん! ミーファさん、わたしからはこんなものをあげます」

 

 シークが取り出した包みを開くと、中には円い缶の容器。これは……磨き油だ。

 防具や武器の手入れをするのに使う。なるほど、戦士のこの子らしい。オレとは違っていつも剣を大事に扱っている、シークならではの発想だ。まあ戦闘時は岩とか叩き斬ってるけど。

 こんど、手入れの仕方を教えてもらうことになった。

 

「僕の番だね。ちょっと待ってて」

 

 ユシドは席を立ち、厨房の方に引っ込んでいった。

 ……心臓が妙にうるさい。顔が熱く、高揚しているのが自分でもわかる。

 前にオレが誕生日を祝ったとき、キミもこんな気持ちだったのかな。きっと、そうだと、いいな。

 やがてユシドは、ゆっくりとこちらへやってきた。その両手には、円柱型の何かが乗った、トレイ、いや皿があった。

 

「甘い焼き菓子だよ。王都のあたりの人たちって、誕生日のときはこのケーキを食べて祝うんだって。ユタクさんから教えてもらった」

 

 目の前にどん、と置かれると、なかなかの大きさに目が丸くなる。菓子のたぐいをこんなにいっぱい食う経験などないぞ。

 テーブルに並んだ色とりどりの料理と、大きなケーキ。ちら、とユシドの顔を見てみる。

 

「あの、いっぱい食べてるところが好きだから……」

 

 思わず顔を伏せ、手探りでフォークとナイフを探す。さっき見えたユシドの顔は、少し赤かった。

 

「じゃあ、みんなで食べよう。ひとりで食えってんじゃないだろ?」

 

 ついさっきまで悩んでいたことは、今はもうどうでもよくなった。いや、良くはないんだけど。

 ともかく。

 今夜の、みんなの顔は。きっといつまでも、自分の中に残していたいと思った。

 

 

 

 身体が火照って眠れなくなりそうだったので、表へ出て涼む。

 まだ口の端が下がってくれない。幸せという言葉は、こういうときに使うのだろう。

 今日の思い出があればきっと、自分はずっと自分でいられる。

 たとえもし、また、別の人間に生まれ変わることがあったとしても。

 

「ミーファ、ここにいたんだ」

 

 声に振り向く。

 ユシドもまた、宿屋から出てきたようだ。

 

「今日はありがとう。本当にうれしかったよ」

「ううん。いつもお世話になってるし、僕も君に贈り物をもらったし……今日一日、何を贈るか、いろんな人にアドバイスをもらったりしたんだ」

「ん」

 

 ……その様子は、見ていた。

 覗き見した上に、あげくお前を自分の元に縛り付けたいとか、思ったりしてた。

 不誠実なのはわかっているが、さすがにこれは本人には言えない。今日の自分を振り返ると、いくらなんでも滑稽だ。一生秘密にしたい。

 

「それで、その……贈り物なんだけど……」

「美味しかったよ。オレの家でも、あんなにお腹いっぱい食べたことはない」

「う、うん。でもその……そうじゃなくて……」

「?」

 

 目の前のユシドは、妙に歯切れの悪い様子だ。なんだよ、すっきりしない。

 

「こ、これ!」

 

 しばらくして、何かを決心したような表情になったユシドは、オレに手のひらを突き出して見せた。

 正確には、そこに乗っている小さなものを。

 ユシドの大きな手の中で、きらりと光ったそれは……

 

「指輪?」

「う、うん」

「それがどうしたんだ」

「さっきは渡さなかったけど。これを、ミーファに贈ろうと思って、その」

「…………は、はあ!?」

 

 心臓が跳ねる。これは、さすがに、お前、どこからそんなこと覚えてきたんだ。

 

「おっ、お前……渡す意味をわかってやってるんだよな?」

「ご、ごめん、そうだよね。わかってるんだ、うん」

 

 ユシドが手を握り、指輪が隠れる。

 その様子をみて、「あっ」と声が出た。物欲しそうな、名残惜しそうな、卑しい声だ。

 

「で、でも、これはちゃんと魔よけの効果がこもってるんだ。装備する価値はあるよ。……指につけてっていうんじゃないよ! 決して!」

 

 漏れたその声は、ユシドに聴こえなかったようだ。

 目を泳がせて顔を赤くして、言い訳みたいなことを言っている。そうなるとこっちは少し余裕が出てきて、可愛いヤツだ、と思った。

 

「だから、これはこうして……」

「へ?」

 

 不意打ちだった。

 ユシドの腕が、オレの首に回される。

 距離はとても近くて、ユシドの顔が、顎、唇と拡大されていく。

 

「っ……!」

 

 このままこの距離で、真正面から目を合わせてしまったら。

 自分がどうなるのかわからなくて、咄嗟に、ユシドの顔を見ないように、目を閉じた。

 沈黙と、真っ暗なまぶたの裏。彼の首のにおいがする。自分の心臓の音がする。

 

「……はい、おわった」

 

 気配が離れるのがわかって、そっと目を開く。

 オレの首には、紐を通して首飾りになった、さっきのリングがかけられていた。

 ユシドが顔を赤らめて笑う。自分の顔も、似たようなものになっているんだろうと思った。

 

「18の誕生日おめでとう、ミーファ」

「ああ。……またしばらくは、同い年だな」

「そうだね。ミーファは年下って感じがしないから、この方が好きだな」

「そうかい」

 

 心臓から伝わる、心地いい感覚。

 それを邪魔するように、血の巡りが傷口に痛みを与えるように、背中が、ちくりとした。

 

「………オレも、キミとは、同じ歳の方が、いい」

「やっぱりそう思う? 昔っから態度が年下のそれじゃないもんなー」

「はは」

 

 夜が更けていく。オレ達はそうやって、少しの間、他愛のない話を楽しんだ。

 宿屋へと戻っていくその背中を見ながら、首に下げた指輪をそっと握る。

 

 ありがとう、ユシド。

 キミの気持ちは、伝わっているよ。

 



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36. 王立学園へ       ★

世界一位さん(Twitter→@Seka_ichi)に依頼し描いていただいた、主人公ミーファです。

【挿絵表示】


想像力の上を行くイラストの力と、丁寧なお仕事に感謝です!


 演習用の木剣とはいえ、使い手の腕次第ではこうも痛い。

 ヤエヤ王国でも名の知れた剣士である彼、イフナさんの剣技は、得意の抜刀術を使っていないにもかかわらず、一瞬で僕の全身を滅多打ちにする。

 タイミングを計りながら耐え忍ぶ。

 身体のあちこちが痛い。彼の攻撃はとにかく手数が多く、速い。向こうの攻勢が始まれば、こうして一方的な流れになってしまう。

 だが、無限に剣を振っていられるはずはない。どこかに間隙があるはずだ。それを見極めることができれば――。

 視覚だけでなく、身体の打たれる感覚をも利用し、イフナさんの攻撃を数える。完成された剣技には、完成されているからこそ、決まった流れがあるかもしれない。

 

「っ!!」

 

 ほんのわずかに、イフナさんの手が止まる瞬間。何度も打たれてようやく見つけたそこを予期し、僕は鞘の中に剣をしまう。

 イフナさんの腕が目で捉えられたそのとき。僕は鞘の内部に溜めた、風の魔力を解き放った。

 訓練用の剣が射出される。腕がぐんと押されるのを、無理やり制御して、相手の腰から肩を切り裂く軌道に持っていく。

 ところが。

 刹那の中、イフナさんの動きが、完璧にストップした。そしてすぐに身体を動かし、身を屈めて僕の剣をかわす。今のは攻撃の隙などではなく、わざと腕を止めたんだ。誘われた!

 咄嗟に、僕は抜刀の勢いを利用し、以前ミーファと戦ったときのように、身体を回転させて二撃目に移ろうとする。

 

「うわっ!」

 

 軸にするべき足を、ひっかけられた。

 実にあっさりと、無様に地面に転ばされ、次の手が無くなる。すぐに立ち上がろうとして身体を持ち上げた僕の首に、木剣がトン、と優しく当てられた。

 脱力して地面に尻をつける。……考えてみれば、闘技大会とほとんど同じ手で、彼に一太刀入れられるはずもない。完敗だ。

 

「剣速は達人の域だが、来ると分かっていれば対策はできるさ。そうだろ」

「はい」

 

 拙い戦法を糾弾されるかと身構えていると、彼は薄く笑って手を差し伸べてきた。厚意に甘え、僕はその手を取って立ち上がった。

 

「とはいえ、その技を敵に二度見せることなどないだろう。その剣技を使っていくのなら、当てる技術を身に着けるべきだな。威力にまだ腕がついてきていないだろう。そして、カウンターのタイミングも適切とはいえない」

「ええ……」

「ひとまず、決まりきった軌道でもいいから、完璧にそこを斬れるようにしておくといい。型を体になじませる方向で、地道に練習かな」

「わかりました」

 

 まだまだ熟練度不足だ。カウンターとしてこの抜刀術を使うこと自体は有効な戦術のはずだから、もっと修練をしないといけない。

 そして命を懸けた実戦では、相手の攻撃を見切るまでに、何度も攻撃をしのぐなんてことはできない。イフナさんが本物の剣を使っていれば、僕の五体はバラバラだ。この訓練の中で、攻撃の見切り方というものを、なにか掴みたい。

 

「大した助言もできなくてすまないね。わかりきったことしか言えてない」

「そんなことないですよ。イフナさんの口から聞けば、考えが補強されますから」

 

 それに今日のように、高速戦闘の実力者であるイフナさんに付き合ってもらえば、それだけでも大きな経験値になる。木製の剣でも、だ。

 ありがたいことだった。こんなに素早い魔物や人なんて、そこらにいるはずもないんだから。

 

「しかし面白い技だよ。君がその技を極めるのなら、戦いの中で剣を抜くのはたった一度でいい、ってことになる。そこにすべての力を込めればいいからね」

「まあ、理屈の上でならそうですけど……」

「せっかく自分で思いついた剣技は大事にするといい。魔法剣士なら、魔力だけでなく、小手先の技量も磨かないと損だぜ」

 

 おっしゃる通りだ。せっかく恵まれた力を持っているのだから、色んな技に手を出して、身に着けておきたい。もちろん、それらをしっかりモノにしないと意味はないけど。

 

「お忙しい中、朝から稽古に付き合って頂いてありがとうございます。イフナさん」

「ああ。こちらとしても、部下たちの指導をするより充実した時間だ。もっと気軽に声をかけてくれていい、きっと相手になれるよ」

 

 僕たちは互いに武器をしまい、休憩に入った。

 ここは王都のとある広場だ。朝の早い時間は人もまばらで、こういう訓練をしても誰かに迷惑をかけることもない。

 以前闘技大会でぶつかったとき、イフナさんは、僕に稽古をつけてくれると言った。今日はその約束を果たしてくれた形になる。今後も付き合ってくれるというのなら、この王都に滞在する時間は僕にとって、とても大きな経験のひとつになるだろう。

 

「ところで、そういえば……誘拐事件の方は、動きはありましたか?」

「……いや。不甲斐ないことだが、進展はない」

 

 話題を変える。

 イフナさんは暗い顔をする。良い話題ではないが、これは互いに顔を合わせるたび、どうしても聞かざるを得ないことだ。

 王都に来てから、もうそれなりに経つ。この感じだとバルイーマより長く滞在することになるかもしれない。そんな長い時間を、不穏ななにかを警戒したまま過ごすというのは、正直、歯がゆいことだった。この美しい街で知り合った人々が消えるかもしれないこと。あるいはすでに消えてしまった人々が今、どうなっているのかということ。ここで生活していると、何をしていても、必ず頭の中のどこかにそれがある。それは、嫌なことだ。

 もちろん、解決への進展がないことについて、調査に携わっているイフナさんや王国の兵たちを責める意図はない。彼らこそ毎日気が気ではないはずだ。できることなら、その不安を拭いたい。

 

「僕たちにできることがあれば、なんでも言ってください。協力します」

 

 もう何度目になるだろう、同じセリフを投げかける。イフナさんはまだ、よそ者である僕らに迷惑をかけまいと遠慮をしている気がする。もしも、現状を打破する助けとなることが僕らにできるなら、ぜひ声をかけてほしい。そういう意味で、言った。

 しばらく、イフナさんが押し黙る。その沈黙に何かを感じて、僕は彼の目を見た。

 いつになく真剣な表情で、彼は口を開く。

 

「実は、提案したいことがある。それはきっと君たちに、負担をかけることになるような話だ」

「是非。話を聞きたいです」

「……わかった。みんなを集めてくれないか」

 

 僕は頷いた。

 きっと、僕の仲間たちだって、同じ気持ちだと思う。

 

 

 

 僕たちは例によって、イフナさんの家に集まらせてもらった。

 互いに近況を報告しあううち、やがて話は先ほどのように、イフナさんの“提案”したいことへと移っていく。

 

「今後の方針だが。“学園”と“教会”の内部を探りたいと思っている。これまで調査を後回しにしてきたのが、この2つの施設だ」

 

 イフナさんの言葉に、その2つを頭に思い浮かべる。

 学園とは、やはり王立学園のことだろう。王国が設立したものだし、生徒の安全を確認するためにも、真っ先に調査は入っているものと思っていた。

 教会というのは、こちらの国でもメジャーな宗教である『聖人教会』のことだろう。人々の心の拠り所である教会が、悪事に関わっているとはあまり考えたくない。

 ……大勢の人が消えたということは、大勢の人を隠す空間、あるいは、大勢の人の“残骸”を隠す空間が必要なはず。

 それを考えると、王都の中で広い敷地を持つこれらの施設は、真っ先に疑うべき対象かもしれない。

 

「どちらもおおやけに開かれた機関だからね、正当な理由があっても、おおっぴらに中をひっくり返すことはできなかったんだ。特に教会はね。各国に大きな影響力を持つ組織だから、大義名分があっても入りにくい」

「教会ね。いかにも怪しいんじゃないか? 聖教を隠れ蓑にして、裏で邪教やってるのかもしれませんよ」

 

 ティーダさんが口を挟む。たしかに近年、いかにもな新興宗教のうわさをあちこちで聞くけど……。なんでも、聖人教会のように古代にこの地に現れたという聖人たちを崇拝するのではなく、なんと魔物たちの方をこの世界の本当の主だとする、やや過激な教義を掲げているという話だ。

 ティーダさんのいう邪教というのは、その噂のことかもしれない。

 

「教会のほうは、ようやく幹部の方から協力の返事を頂けてね。施設内の調査許可だけでなく、教会騎士団からも人員を貸してくれるという話になっている」

「おや。やけにあっさりだ」

「もちろん、先方には遠慮なく、洗いざらい中を見せてもらう。そうだな……提案ですが、よければティーダ殿も同行して頂けませんか? あなたに協力いただけるならば、魔物の痕跡などにも気が付くことができるだろう。負担をかけることになり申し訳ないが……」

「おお。よろしいんですか? むしろありがたい話ですよ」

 

 やはりティーダさんも、この件の解決を望む気持ちは同じだ。イフナさんの話を二つ返事で快諾していた。

 

「イフナさん。提案というのはその話ですか? 僕にも何か、協力できれば」

「ああ、その。本題は、むしろ次の話だ。……“学園”だよ」

 

 ティーダさんは息をつき、一度ここで表情を平静なものにする。それは、ここからの話をよく聴いて判断することを、僕たちに求めているように思えた。

 

「王立学園はその名の通り、国王陛下が名目上のトップになる。管理運営しているのは王政府。国費から予算を出している。よって今回の件について、国から命令を出し、学校を休みにして内部の調査を真っ先にやった。……結果は、今のところ問題無し。魔物の痕跡も、怪しい人物もいない」

「……? さっき聞いた話と、違いますね」

 

 シークが疑問を口にする。イフナさんはたしかに、学校と教会は調査をしていない、と言った。

 

「ああ。正確に言うと、最初の調査を行ってから、そのあと一度も入れてもらえなくなった。まだ調べは不十分なのにな」

 

 話すうちに、イフナさんの眉が険しくなる。苦い表情というやつだ。

 

「王国兵ないし王政府の役人である我々が、二度目の調査を申し入れると、あちらの管理者があれこれ理由をつけて拒否してくるんだよ。生徒を不安にさせる。学園の職員を動かして内部調査は進めている。こちらは問題ないから、よそを調べるのに注力した方がいい。といった具合に」

「あちらの管理者、というのは?」

「校長だよ。我が王とは信頼し合い、対等に話せる仲で、この国の重要人物だ。彼女が言うことならば、王も大人しく聞き入れるだろう。……たとえ、娘である第二王女様が、校内で失踪していてもね」

「な……」

「向こうの話だと、失踪されたのは校内ではなく通学路の途中だという。たしかにパリシャ王女は、市民に合わせ、自分の足で城から学園まで歩いて通学するという、王族らしからぬ少女ではあったが。……人目のある公道で、あのお方がものの数秒で不覚を取られたなど、王国兵は誰も信じない」

 

 ……イフナさんの口ぶりを素直に受け取るなら、学園はたしかにキナ臭い点があるように思える。

 彼が疑わしく感じるのも無理はない。

 

「そこで、だ。……その。これはあまりに、君たちに迷惑をかける話なのだが」

 

 言葉を切って、言いにくそうに呼吸を繰り返してから、イフナさんはようやく続きを口にする。

 

「学園内を、潜入調査してもらいたい。生徒に扮し、内部で怪しい場所や人物がいないかそれとなく見回ってほしい」

「……そりゃいい。囮を放り込んで、連絡が無くなったら、やはり学園が怪しいというわけだ」

 

 なるほど、要は、校長に悟られないように、学園の中を調査したいという話だ。やる価値のある仕事だと思う。

 とその話に納得した矢先に、ティーダさんが少し棘のある言葉遣いをした。イフナさんの表情が硬く、苦し気になる。

 

「……そうだ。内部を見回りつつ、生徒の内で派手に目立ってもらいたい。君たちの魔力はこの世界でも随一だ。知れば犯人が狙わないはずはない。今この国にいる人間では、君たちこそがもっとも……」

「釣り餌に適している」

「……ああ」

「ティーダさんっ。あまりイフナさんをいじめないでください」

「おっと。皮肉がわかる歳になったのかいお嬢さん。……すみません、イフナさん」

「いや、断ってくれていいんだ、こんな話。こちらこそ、すまなかった」

 

 彼がイフナさんを咎めるような口調になったのは、おそらく、僕たちを心配しているのだ。

 生徒に扮するとなると、ティーダさん以外の誰かが、その役を買うことになる。自分の手の届かない危険な所に仲間を行かせるのは、不安なことだ。

 だけど、イフナさんの提案は一理ある。誰かがやってみるべきだろう。となると、その危険な役はもちろん……

 

「なら僕が――」

「興味があるな。やりたいやりたい」

「痛って!」

 

 あげようとした手を、横から掴まれて制される。無理やり下げさせられた手が机にガンと当たり、痛かった。

 横をみると、ミーファが笑顔で立候補していた。

 

「は、反対!」

「なんで? 絶対オレの方がいいよ、学園内に友人もいるんだしさ」

「危険だよ」

「お前が行ったってそうだろ」

「ミーファがさらわれたりしたら、僕、心臓止まる」

「平気だって」

 

 ミーファは笑いながら、きれいな金の髪を右耳にかけてみせた。翠魔石の耳飾りが、部屋の灯りを受けて淡く煌めいていて、白い頬に映えている。

 

「さらわれたら助けに来てくれるんだろ? ま、今度はキミが来る前に悪人はやっつけるけどね」

「う……」

 

 それはもちろん、絶対に助けに行く。ミーファの位置を察知することはできるんだし。

 そのことを考えると、もしかすると囮としては本当に最適なのかもしれないけど……やっぱり、すぐには頷けない。

 それに、それに……

 

「……学園に入るってことは、学生のふりをするわけでしょ。……男子学生に人気が出て、声かけられたらどうするんだよ……」

「はあ?」

「ブフッ」

 

 後半は小声になってしまったが、静かな部屋の中だ、しっかり聞かれた。ティーダさんが思わずふき出していた。

 ちらと表情を窺うと、ミーファは呆れた表情で頭をかいていた。

 

「無用な心配だそんなもん。今さらお前以外の若者に悩まされることなんてないさ……あ、いや、言葉のアヤだ」

 

 ミーファはごにょごにょと話したあと、拳で口元を隠し、咳払いする。

 

「とにかく。その話に乗るとすれば、私が適任です、イフナ殿」

「ううーん」

 

 本当に大丈夫なのだろうか。

 真面目な話、いやな予感がする。教会のほうではなく、こちらのほうが、真実に近い場所にある気がするんだ。

 彼女をひとりで行かせることだけは、絶対に反対だ。

 

「では、こういうのはどうだろう。ミーファさんは生徒として。そしてユシド君は……」

 

 

 

 今日はいよいよ、予定の日だ。王立学園へ潜入し、内部を調査する日々が始まる。

 宿屋の部屋で、イフナさんから預かった服装に着替える。長袖のシャツに、長ズボン。どちらも地味な暗い灰色で、汚れたとしてもそれが目立たない、厚手で頑丈なつくり。

 鏡を見ると、なるほど、理にかなった格好だ。

 

「ユシド君は何着ても似合うね」

「ありがとうございます。なんだか自分でも、小奇麗な学生服よりはしっくりきます」

 

 この、いろんな作業に向きそうな服は、王立学園の中を掃除する清掃業者の皆さんが身に着けるものだ。

 今回、彼ら清掃員に紛れて学園内に入り、生徒とは異なる視点で調査をすることになった。意味のある試みだし、何より、同じ校内にいれば、ミーファやマリンさんに異変があったとき、より早く駆けつけることができるだろう。

 イフナさんは清掃業者の中に知人がいるらしく、その方の協力で実現できる話だ。ありがたい。

 ところで。掃除を専門職にして生活している人たちがいるなんて、初めて知った。庶民にとっては、自分の居場所は自分で掃除をするのが当たり前のことだから。……いや、思えばこれは、メイドや執事のような職業といえるかもしれない。実際にこうして需要があるんだ。サービスを売る職業として成り立っている。とても面白い目の付け所だ。どんな業務をしているのか、せっかくだから本来の目的のついでに、学ばせてもらおう。

 

「では、行ってきます、ティーダさん」

「ああ。気をつけて」

 

 その簡潔な言葉を重く受け止め、部屋を出る。

 

「お。来たな。……なんか妙に似合うね、ユシド。飾り気が無い方が合ってるんじゃないか」

 

 言葉を聞きながら、隣の部屋を見る。扉からミーファが首だけを出し、こちらを見てニヤついていた。

 褒めてるんだろうか。いまいちわからないけど、ひとまずお礼を言っておこう。

 

「ありがとう。……それで? そちらの準備は終わりましたか、お嬢様」

「終わったよ。見たいか~?」

「見たい」

「お、おお」

 

 食い気味に返事をすると、ミーファはたじろいだ。そして、自分から見たいかと言っておきながら、中々出てこない。

 しばらくもじついた動きと顔を僕に見せたあと、ようやく、扉から全身を出した。

 ……やっぱり、何を着ていても、ミーファは綺麗だ。

 青や白を基調としたデザインで、女生徒は長めのスカート。印象は、彼女が地元で着ていた、いかにも貴族のご令嬢といった服装と同じ雰囲気だ。清楚な外見で、彼女がこのまま大人しくしていれば、魔物をちぎっては投げる豪傑だとは誰も気づかないだろう。

 一言でまとめると。

 かわいい。

 

「似合うか?」

「似合う」

「お、おお。お前、今日は機嫌が良いな」

 

 上目がちにこちらの目を覗いてくる彼女は、まるで外に出たことのない非力な箱入り娘みたいで、いつもとまた違った魅力がある。

 やはり心配だ。男子学生たちに、言い寄られないかどうか……。

 

「ユシドさん! なんか似合ってますね、その格好!」

 

 シークが部屋から現れ、みんなと同じ感想を言う。よほどこの格好が合っているらしい。僕、転職した方がいいんだろうか。

 

「ミーファさんと並ぶと、えっと、お嬢さまと庭師みたい」

「庭師……」

「そうだ。ひとつ、頼もうと思っていたことがあるんだが」

 

 ミーファが一度部屋に入る。戻ってくると、その手には筒状の袋があった。

 中には、彼女が愛用している剣、そしてそれを納める魔性の鞘があった。

 

「学生は高価な剣とか持ち込めなさそうだからさ。日中は誰かに預かってもらおうと思って」

「なるほど」

 

 自分は清掃用具に見せかけて風魔の剣を持ち込むつもりだが、ミーファが同じことをしようとすると難しいだろう。

 大事な得物が彼女の手元にないのは不安だが、仲間の誰かが預かるしかないか。見た目はすばらしい剣だ、宿に置きっぱなしでは盗まれるかもしれない。

 

「じゃあ、ユシド。これを」

『……待て』

 

 そのとき、金属が震えるような不思議な音が、ミーファの声を遮った。

 

『オレを風の小僧に預けるな。テルマハと揉めるのが目に見えている。そこの赤髪の小僧でいい』

「俺?」

「うわっ、ティーダさん」

 

 いつの間にか後ろにいたティーダさん。さっきは見送ってもらった感じだったのに、なんか普通にいた。

 ミーファは不思議そうな顔をしながら、ティーダさんに地の魔剣……いや、魔鞘……ともかく、イガシキを渡していた。

 

「久しぶりに声聞いたな。最近はどうして力を貸してくれない? こっちはけっこう困ってるんだけどな」

『………』

「まただんまりか。ティーダ、勝手に魔力を食ったりしたら、踏んでいいよ」

「大丈夫、おじさんもこいつの魔力吸えるから」

「そういえば、そうか」

「えっ。ティーダさん、吸収の術まで使えるんですか……?」

「地属性だけね」

 

 仲間と他愛ないやりとりをしながら、階段を降りていく。

 そのまま宿屋の玄関まで、見送ってもらってしまった。残るふたりに、ミーファと一緒に手を振った。

 

 王都の、綺麗に整備された通りを、二人で歩いていく。

 そういえば、初めてだな。ミーファと一緒に、学校に向かうなんて。

 シロノトでは僕も教会学校などに通っていて、友達もいたけど……ミーファだけは、同世代の子どもたちと、一緒に学ぶことはなかった。他の子どもたちにとっては、彼女は“領主のお屋敷のお姫様”で、何度も会いに行く僕は、変にからかわれたり、不思議に思われたりした。

 そんなふうに、住む世界が違っていた彼女と、一緒に通学路を歩くときが来るなんて。……まあ、僕は、掃除をしに行くんだけど。

 それでも、なんだか嬉しくて、僕は歩きながら、横にいる彼女の顔を見ようとした。

 

「っ、と」

 

 アメジストの瞳が、一瞬、こちらに光を返していた。ミーファの方も、自分を見ていたようだ。

 肩を並べて歩く。

 今朝は楽しく話したばかりなのに、二人きりになると、どうしてかこんなふうに無言になってしまう。

 だけどそれは、気が重くなるような沈黙ではないと思った。

 

 やがて、ミーファと同色の服を着た若者たちが、同じ方向へと向かいながら、どんどん人数を増していく。

 こうなると逆に、この格好は目立つな。一緒に正門から入るのはよそう。

 巨大で華美な造りの、門が見えてきた。そしてその向こうには、小国のお城と見まがうくらいの立派な建物がある。もっと大きいヤエヤ城があるから学校だとわかるけど、なかったらまったく、未知の巨大建造物だ。噂に加えこうして真正面から見ることで、裕福な家の子が通うところだという印象が強くなった。

 

「じゃ、ミーファ。後で」

 

 短く言い、事前に聞いていた、用務員舎の場所を思い浮かべ、駆けだそうとする。

 ……だけど。服を、後ろから掴まれた。

 

「待てよ。……門までは、ゆっくり行こうよ。一緒に」

「あ、う、うん」

 

 なるべく目立たないように、魔物退治の経験を活かして、自分の気配を極力消しながら。

 ミーファと、初めての道を、一緒に歩いた。

 

 



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37. 掃除屋さん生活

 朝。生徒達が集まり、学校としての始業時間が来る前に、職員である大人達にもやることはいろいろとある。

 教師たちは朝の連絡会。あるいは職員会議。生徒たちの一日のスケジュールを円滑に導くためには、そういうことがかかせない。

 しかし学園で働く大人は、なにも“先生”だけではない。王宮から派遣された役人である事務職員たち。食堂で働く料理人や従業員たち。

 そして、僕たちのような清掃員ないしは用務員。どれもこの学園に欠かせない人員だという。

 同じ場所で働いてはいても、それぞれ雇用のされ方は違う。だから一日の始まりは、教師達とは別に各々の所属する組織で集まって、朝礼なんてことをするわけだ。

 

「ということだから、みんなも新人にいろいろ教えてやってくれ」

 

 清掃会社の幹部であり、ここの人たちから親方と呼ばれている方が、集まった何人かに向かって号令をかける。僕と同じ作業着に身を包んだ彼らは、それぞれが優しく声をかけてくれたあと、やがて各々の持ち場へと散らばっていった。

 

「じゃあ僕らも行こうか、ウーフ君。親方、失礼します」

 

 そう声をかけてくれたのは、自分よりも年上の若い男性だ。

 彼……ニヌファさんは、僕の教育を担当してくれる先輩である。物腰が柔らかく、優しそうで、とても印象がいい。わからないことを聞きやすい雰囲気を持つ目上の人というのは、きっとものすごく頼りになるだろう。

 ちなみに、ここらでは珍しい黒い瞳と黒髪だ。ファミリーネームはサザンクロスというらしい。ニヌファ・サザンクロス。

 親方にあいさつをしてニヌファさんの後へ続き、小道具の入ったバケツやモップを手に、清掃会社にあてがわれた用務員舎から出る。

 僕たちがこの時間に担当する清掃場所へ向かう道すがら、横に並んだニヌファさんは、小声で話しかけてきた。

 

「イフナから話は聞いているよ。スケジュールを調整して色んなところを回れるようにするから、そのときに校内を調べるといい。もちろん、俺のほうからも、怪しいものを感じたら君やイフナに報せるよ」

「ご協力、感謝します」

「いや。感謝するのはこっちのほうさ。王都の誰だって、知ればこんな事件は早く解決したいはずだ」

 

 ニヌファさんは、イフナさんの友人である。ふたりの間にある縁をたどり、僕が王立学園の内側を動くことができるわけだ。

 このような仕事にはもっとふさわしい人間もいたはず。貴重な機会を自分に回してもらったからには、些細な違和感も見逃さないようにしたい。

 

「生徒がいる平日は、あまり好きに動くのは難しいだろう。僕らのシフトも動かしづらいし。うちの社員が大勢出動する学園の休養日なんかに、しっかり見回りができるといいね」

「はい」

「とにかく敷地が広いから、長丁場になると思うよ。掃除も調べ物も、コツコツやっていこう」

「ご指導、よろしくお願いします!」

「おう。いやあ、この仕事って王都の若者には人気がないから、君みたいな子がいるといい気分だね」

「人手不足ですか?」

「そう。観光地としても有名なこの街では、景観を保つためにも、需要のある商売のはずなんだけどね。王宮にだってツテがあるちゃんとした会社だし、次世代が入ってこないのはもったいない」

 

 うーんなるほど。どの職業の人も、同じような悩みを持っているものだな。家業でないきちんとした会社でも、後継者や次世代には困っているらしい。たしかに、ニヌファさんがあの中で一番若そうなくらいだったし。

 そういった会話をしながら、生徒の邪魔にならないルートを移動していく。

 さあ、お仕事を頑張ろう。

 

 

 

 朝の業務を終え、昼休憩の時間。学園の中は講義から解放された学生たちによって、健やかな活気を帯びてくる。

 たとえばさっき通った廊下は、今朝通ったときには閑散としていたはずだが、昼には若者たちの往来や立ち話によって、にぎやかな空間に変貌していた。

 さて。学生たちと同じように、僕たちもまた昼休みの時間だ。聞くところによると、ほとんどの社員は休憩時間を学園のものとはずらすようだが、理由はこの喧噪を見ればわかる。

 学園内に食堂のたぐいは3軒ほど存在するらしい。そしてそのどれもが、昼休憩の時間には戦場となる。販売所から伸びる人の列を見ると、まるで祭りの様相である。これが毎日の光景だというのだから、田舎者には驚きだ。

 そんな学生たちが押し掛ける前にここへ来ていた僕たちは、今は大勢の学生たちでごった返す食堂の端に、二人分の席を確保することに成功していた。そして僕はニヌファさんから、なんと一食ご馳走してもらっている。

 

「ユシド君、ちゃんと真面目にやってくれるんだね。飲み込みも早いし、本当にうちに就職したら? なんてな」

「はは……。その、旅を終えたら、考えてみます」

 

 働き方について褒め言葉を頂いたものの、本来の目的のほうは進展がない。清掃のノウハウを学びながら、よこしまな気配や痕跡がないか気にかけていたつもりだが、初日から大的中とはいかなかった。たしかに、長い話になりそうだ。

 ただ、ひとつ分かったことがある。

 この王立学園には、生徒を守るためだろうか、王都を囲む結界とは別の破邪結界が施されている。魔物の気配などかけらほどもなく、彼らが侵入できるとはとても思えない。

 やはり、人が起こしている事件なのだろうか。

 

 席につけなかった学生さんには申し訳ない気持ちを抱えつつ、この後の用事のために、そのままニヌファさんとの会話で時間をつぶしていると、ひときわ騒がしい集団が近所にやってきた。学生とはどうやら群れる習性があるようだけど、この集団はその中でもさらに人数の密度が高い。

 中心には、一人の女生徒がいた。

 その顔を見て、僕は彼女たちのいる離れた席に向かって、耳を澄ませる。風の魔力を使い、喧噪をかきわけて音を集める。

 

「ミーファさんはこの国に来るのは初めてなの?」

「いいえ、一度だけ立ち寄ったことはあります」

「ねえっ、ナキワ地方ってどんなところ!?」

「のどかな田舎の多い国です。静かでいいところですわ」

「あの、その……お慕いしている殿方はいますか?」

「うふふ」

「いるの?」

「ホホホ」

 

 突然学園にやってきた彼女が物珍しいのだろう。金髪の少女……ミーファは、おそらくクラスメイトとなる学生たちから、怒涛の質問攻めにあっていた。

 うまく猫をかぶっているようだが、だんだんと飽きて返答がおざなりになっていくのが僕にはわかる。

 猫をかぶっている、とは表現したけれど、思えば彼女はご家族の前でもあの態度だったようだし、ああいうキャラクターを演じるのは特に苦ではないのだろう。……それを考えると、普段のミーファが本当に本当の彼女なのかは、僕にもわかっていないのかもしれない。

 とりとめもないことを考えながら向こうを観察していると、一瞬、紫の瞳と視線があった。薄く笑ったミーファは、学生たちと会話をしながらおもむろに髪を耳にかけ、翠の耳飾りを僕に見えるようにしてきた。

 そのわざとらしい仕草は、その、少し煽情的で、どきりとした。意図を深読みしてしまう。

 まあ、久しぶりに僕をからかってくるくらいだから、機嫌がいいのだろう。僕が想いを一方的に告げた日からこういうことはあまりなかったから、なんか、よかった。いや決してあの子に弄ばれるのが好きなわけではないけど。

 しばらく、ミーファが生徒たちにちやほやされるのを遠くから眺めるという、割とぴりぴりする時間を過ごし、昼休みは終わりに向かっていく。ぞろぞろと生徒たちが出ていく中、あの子と言葉を交わすことなく、食堂から出ていく華奢な背中を見送った。

 

「さ、食堂の清掃といこうか。これも大事な仕事だ」

 

 ニヌファさんに返事をして、席を立つ。

 午後の業務も頑張ろう。

 

 

 

 時刻は日も沈んだ夜。いつものように仲間たちで食事をとろうと、僕たちは宿の食堂に集まっていた。

 

「ブハハハハ!! たまには若者らちに混ざってお勉強すうのも、だかだか楽じいのら!!!」

「ごめん、なんて?」

 

 これである。

 今は学生の身分のくせに景気よく酒精を身体に入れたミーファは、清楚な青い学生服のまま、顔を真っ赤にして馬鹿笑いしていた。遠くの国から留学してきた深窓のご令嬢は一体どこへ行ってしまったのやら。ご学友たちに今の姿を見せてみたい。

 近頃のミーファは明るくて、なにやら機嫌がいいように思う。マリンさんたちとのパーティーがうまくいっているからだろうか。今日は久しぶりに、僕のすぐ隣の席に座ってくれている。だから、彼女がいる側の頬が熱い。

 ごまかすように、話題をふってみる。

 

「そういえばミーファさん。その……やっぱり、モテモテだったじゃん」

「ああ? あんだっで!?」

「ミーファさん、学校ではどんな感じだったんですか」

「それはもう、おしとやかに振る舞っていて、見事に周りの子たちに溶け込んでいたし、お昼休憩の時間にはたくさんの生徒に囲まれていたよ」

「むーん、さすがです」

 

 今隣にいる酒くさい人を見ると、いずれボロを出すんじゃないかなとは思ってしまうのだが。

 

「まあね! 顔が良いから」

「自分でそんなこと言うのかよ」

「んんう、ダメかあ? ほら、よく見なさいお」

 

 ずい、と顔を寄せてくるミーファに、思わずたじろぐ。

 長いまつ毛で飾られた紫水晶の瞳は深い色をしていて、何度見てもそのたびに吸い込まれそうなる。白い頬にはお酒を飲んだせいか朱がさして、頬紅をしているみたいだった。言葉も出ないまま思わず見とれていると、チークの色がどんどん紅さを増していく。

 

「………なにみてんら、バカモンがああーーーっっ!!!」

「理不尽!?」

 

 突如ミーファは僕の顔面を狙い、握りこぶしを繰り出してきた。とんでもない横暴である。

 避けると追撃が飛んでくる。僕は必死になって何度も攻撃をかわし続けた。殴られるいわれはない。

 不毛な攻防を演じたのち、やがて彼女は、息を切らしながらぐでっと机にもたれかかった。顔がパン生地のようにもっちりと机に乗っている。酔っているとはいえ、ここまで行儀が悪くなることはあまりない。楽しいとは言っていたが、本当のところは慣れない一日を過ごして疲れているのかも。

 

「ユシド、ほら、これ、学園でもずっと持ってるから、ユシド、ほら……」

 

 うわごとのような口調でしゃべるミーファは、胸元からあの指輪を引っ張り出して見せてきた。

 何を考えて今見せてきたのかはわからないけど、ええと、その。それなら、よかったです。

 

「わかった、わかったよ。ありがとう、ミーファ」

「ふへへ……」

 

 満足そうに薄ら笑ったあと、彼女は眼を閉じた。そのまま動かなくなる。

 ……寝たのである。あまりに突然だったので、おかしくて吹き出しそうになる。口元に耳を近づけると、かわいらしい寝息が聞こえてきて、少し癒された。

 しかしね。かわいらしいのは今だけのことだ。

 

「シーク。これだけ酔ったときのミーファのいびきは、すごいよ」

「ああ。この俺が地震と間違えるほどだ」

「ええっ!?」

 

 シークに安らかな眠りがあらんことを……。

 

 

 

 

 学園に来てから、数日が経つ。清掃業者としてのスケジュールや業務については掴めてきたため、暇を見つけて手広くいろんな場所を見て回ろうと思っている。

 仲間であるミーファが調査しづらい、つまりは学生が入ることのできない、職員室であるとか用務員舎などには目をつけているのだが、叩けど未だ埃は出てこない。叩き方が弱いのか、それとも、やはり学園はこの事件と関係がないのか……。

 

 予定通り、南校舎の教室をひとつ、清掃し終わった。教えられたとおりに決められた手順をこなすと、なかなかに見栄えのいい教室が出来上がる。学生たちがここでいい学びを得られるなら働いた甲斐があるものだ。

 さて。時刻を確認すると、次の予定まで時間がある。

 もちろん、そうなるように仕事を頑張ったのだ。捻出したこの隙間の時間は、まだ行ったことのない場所を見て回るチャンスだ。

 僕はモップを担ぎ、バケツを手に下げ、学生たちの邪魔をしない筋道を考えつつ、歩き出した。

 

「……そういえば」

 

 視線の先には、お城やお金持ちの屋敷くらいでしか見られないだろう、一度に何人かが通れそうな幅の広い階段がある。

 王立学園はなんと3階まである建物であり、加えて敷地も広く、行き来のためかそこら中にこのような階段がある。こんな建造物はお城かダンジョンくらいのものだ。最初は本当に迷ったし、実は密かにマッピングをしている。学生たちはこの迷宮のような環境に身を置くことで、自然とダンジョン探索の技術を身に着けているに違いない……。

 ともかく。

 目の前の階段は、下だけでなく、上にも続いている。ここは最上階の3階であるはずなのに、おかしなことだ。おそらく屋根上、あるいはバルコニーのようなものがこの先にあると見た。

 試しに行ってみよう。掃除道具さえ持っていれば、誰にとがめられても言い訳はきく。

 階段を上がる。

 やがて現れた扉。『危険につき、学生は立ち入り禁止』と書いた札が貼られている。それを押し開ける。隙間からは、陽光がさしてきていた。

 

 扉の先は、まさしくバルコニーのような空間があった。

 飾りも何もなく、ただ空が近いだけの場所だけど、風が涼しくて開放感がある。なるほど、ここは建物の屋上だ。転落防止のためか、端の方には柵がとりつけてある。

 そして。

 柵に寄りかかるようにして、人影がひとつ。

 

「誰……?」

 

 青い学生服。どうやら、先客がいたようだ。少し都合が悪い。

 しかし何も言わずに無視するのもよろしくない。声の届く距離まで近づき、小さく頭を下げてあいさつをした。

 

「こんにちは。ただの掃除屋です。少し、ここを点検しても?」

「……承知しました。今、出ていきます」

「ああいえ。こちらはすぐ済みますから、そこにいて」

 

 その女生徒は、プラチナブロンドの髪とブルーの瞳が印象に残る色で、あと顔がかなり美人だった。王立学園のお嬢様はレベルが高い。

 しかし表情を窺うに、どうやら先ほどまで涙を流していたようだった。目のあたりが腫れている。今は授業中のはずだが、彼ら彼女らにも心の悩みやら何やらあるということだろう。

 これを放っておくなど我ながら非情だが、突然知らないやつにお悩み相談などできまいし、卑しい身分でわたくしに近づくなんて!とか思われるのも嫌だし、あまりお邪魔をしないようにしよう。僕が解決できるトラブルなど、ギルドの掲示板に載せられる範囲の話くらいだ。勉学に勤しむ学生さんとは関係がない。

 

 柵や物陰など、損耗や汚れを見ているふりをしながら、魔力の気配などが残されていないかを探ってみる。

 瞳を閉じ、第六感を最大限に開いてみる。……だめだ、何の異常も感じられない。ここも他の場所と同じだ。

 正確には、人を襲う魔物がまとうような、淀みのある魔力、か。そういったものがまったく見られない。

 ……まったく見られない? それはむしろ、清浄すぎる。学園独自の結界に覆われているにしてもだ。人間の魔力にだって、そういった要素が少しは混ざるはずなのに――

 

「あの」

「うわっ!」

 

 感覚を鋭敏にしているところに、いきなり後ろから声をかけられた。

 

「驚かせてすみません。あの……初めてお見かけするのですが、清掃会社の方ですか?」

「え? あ、ああ。ついこの間、配属されまして」

「本当に?」

「ええ。……あの、なにか?」

「はっ!!!」

「どほぉうっ!?」

 

 気付くと、僕は清掃道具のバケツの中身をぶちまけ、地面にひっくり返っていた。

 女の子に、腹をぶん殴られたのである。同時に、全身を何かの波が通り抜けるような感覚がした。

 

「いっ……たく、ない……? なんだ?」

「……す、すみません!!」

 

 綺麗な顔をして横暴を働いたその女の子は、今度は謝ってきた。

 

「その、もしかしたら、人間に化けた魔物かも、って思って……本当に、すみません」

「!」

 

 腹をさすりながら話を流していると、聞き逃せないワードが出てきた。

 少し、彼女のことを聞いてみよう。

 

 

 

 突然いわれのない暴行をはたらかれたことをダシに、事情をしつこくたずねてみると、興味深い話を聞くことができた。

 ものすごく躊躇してきたあと、彼女は申し訳なさそうな顔をして語り始めたのだ。

 

「近頃の王都では、優れた魔力を持つ人間が、何者かにかどわかされているのです。ご存知、でしたか?」

「……いえ」

「それで、その。わたくしが一人でいるときに襲ってくるような人は、怪しい者と思い……」

 

 襲ってないんですけど。

 

「本当にごめんなさい。ひとりでいれば犯人が釣れると思っていたから、ついに来たと勘違いしてしまって……焦りで、早とちりを」

 

 なるほど。囮作戦はミーファも今まさにやっているところだ。しかしただの一学生が、なぜそんなことを。

 

「どうしてそんな危険なことを?」

「許せないから」

 

 少女の顔が、険しく、赤く、怒りに染まったのがわかった。

 

「何者の仕業か知らないけど、姉さまをさらったヤツは絶対に許さない。この拳で全身を砕いて、処刑するわ」

 

 声が震えている。怒りだけではなく、悲しみの感情がこもっているように思えた。……多分、姉のことを思って、さっきまでここで泣いていたんだろう。

 そうか。事件は一般に知られていないとはいえ、こうして被害者の家族は存在するんだ。

 

「誰かの陰謀かもしれませんね、敵対国のスパイとか。あるいは……魔物、とか」

「……あなたには、打撃と同時に破邪の魔力を流しました。何の異常もないなら、魔物の類ではないはず。短絡的なことをして、本当に申し訳ありません」

「ああ、いえ。なるほど、そんな方法が……」

 

 だからいきなり殴りかかってきたのか。もっといい方法なかったのかな、結界とかさ。

 探りを入れるように、しらじらしく会話に乗り続ける。

 

「しかしそんな事件があるのなら、王政府も動いているでしょう。安全な場所に身をひそめ、解決を待った方がいいのでは?」

「……聞き飽きたわ、そんなこと」

 

 自分としてはまともな意見を言ったつもりだが、どうも癇に障ってしまったらしい。

 彼女は踵を返し、屋上の入口へと向かって歩き出した。結果として、邪魔をしてしまったみたいだ。

 

「今日はすみませんでした。あなたも、どうかお気を付けください」

 

 最後にもう一度頭を下げ、少女は去っていった。

 同時に、学生たちの時間割を告げる大きな鐘の音が鳴る。向かいの校舎の屋上からだ。

 自分も仕事に行かなければ。

 

 

 

 次の、そのまた次の日。

 例によって余暇時間を作ることができた。今日は、北校舎の屋上を見てみよう。

 意気込み、この前のように階段を昇って、ドアを開ける。そこには――

 

「あ」

「え? あなたは……」

 

 またか。さてはこの子、よく学校をさぼっているな。あんな事情ならとやかくは言えないが、教師から注意されたりはしないのだろうか。

 柵に寄りかかっていたのは、美しい金髪を短めに切りそろえた少女だ。お淑やかに見えるのに突然拳を振るってくるあたりが、誰かに似ている。

 

「あー、すみません。少し、点検しても?」

「ええ」

 

 おかしな縁ができてしまったが、やることは決まっている。

 前回のように妙な痕跡がないか、調べて回る。柵や石畳には、とくに異常はない。

 少し離れたところに目を向けると、このバルコニーから歩いて進入できるように建設された、細い塔のようなものがある。そのてっぺんには、大きな釣り鐘があった。学園の時刻を告げるものだ。

 調べてみたものの、やはり異常はない。特定の時刻になると作動するような、魔法術とからくりを組み合わせた仕掛けが施されているが、これは正常な仕掛けだろう。

 学園を描いたマップに、ひとつチェックをつける。北校舎の屋上にも、異常は見られなかった。

 

「ねえ。あなた、よその国の人でしょ」

「うわっ」

 

 また突然、かのご令嬢が話しかけてきた。しかも鋭い。もしや僕を疑っているのか?

 

「はい。……なぜわかったんです?」

「さあ? なぜでしょう。ふふ」

 

 少女は釣り鐘塔の陰に移動して、僕を手招きした。今日は機嫌がいいな。

 

「ね、掃除屋さん。……お願いが、あるのですけど」

 

 少女は伏し目がちになりながらも、こちらをチラチラと伺い始める。たっぷり間を開けたあと、意を決したように口を開いた。

 

「2度も会ったのだし、縁だと思って。あなたの国のお話、とか、聞かせてくれませんか?」

「は、はあ。でも仕事が……」

「少しだけ。だめかしら。……たまには、全部後回しにして、休んでみたくて」

 

 眉尻を下げて、こちらを見てくる。

 ……ここの学生たちは育ちが良いから、仕事を持ち出せば引き下がると思ったのだけど。意外とわがままな人のようだ。

 まあ、気晴らしだと思って、彼女のおさぼりに付き合ってもいいか。

 自分だけじゃなく、この子の気晴らしにもなればいいな。

 

「い、いえ。撤回いたします。今のは聞かなかったことにしてください。私としたことが、愚かなことを」

「じゃあ、少し話をしましょうか」

「え?」

 

 僕は日陰に座り、少女の顔を見上げた。彼女のことは何も知らないけど、誰だって息抜きは必要だ。

 やがておそるおそるといった様子で、彼女が隣に腰掛ける。そちらから提案してきたはずなのに、変な感じだ。

 

 ゆっくりと、時間が過ぎていく。

 ……要望通り、生まれた町の話をした。彼女は王都から出たことがないようで、なんでもない田舎の話を興味深そうに聞いていた。

 聞き上手を相手にしているせいで、やがて話はこれまで旅をしてきた様々な街にまで飛びかける。これ以上は止まらなくなりそうなところで、頭上の鐘が揺れ、僕たちの耳をおそろしく震わせた。

 耳を塞ぎながら、つい、顔を見合わせて笑ってしまった。

 

「では、僕はもう行きます。あなたは?」

「もう少しここにいます。……あの、ちょっと待って」

 

 清掃用具を手に出て行こうとするところを、呼び止められる。

 

「もし良ければ、明日も、ここに来てもらえますか? お昼休み、とか」

「え? ううーん」

 

 自分の予定を思い返しながら様子をうかがうと、彼女は少し期待するような目でこちらを見ている。ただの清掃員の話がそんなに面白かったのだろうか。

 そうだな。昼休憩を食堂でなくここで済ませる、という時間の使い方なら、校内の調査に影響は出ないだろうか。

 さらわれたという彼女の姉のことも、何かヒントが無いか、いずれ彼女の口から聞いてみたいし。

 

「いいですよ、昼休憩の時間なら。あなたも、あまりさぼっちゃだめですよ」

 

 そう返すと、彼女は嬉しそうにした。

 よほど他国の話に飢えているのか、なんなのか。

 それとも。大切な身内をさらわれて、心に穴が空いているのか。

 

「じゃあ、また明日。掃除屋さん」

「さようなら、学生さん」

 

 はにかんで見せる顔は、どうにも健気な印象だった。

 そういえば、まだ名前を知らない。

 名前を知らなくても、こうやって仲良くなれるものなんだなと、思った。

 

 

 

 夜。

 すっかりなじんだ宿屋の人たちは、いつも決まった時間に食事の用意をしてくれる。ただ待つのも退屈なので、ほんの少し手伝った。

 ティーダさん、シークが帰ってきて席に着き、談笑や1日の報告会をする。そうして日も沈んだ頃になると、ようやくミーファがやってきた。

 学生服ではなく、見慣れた戦闘装束だ。学生として過ごしたあと、マリンさんたちと一仕事終えてきたのだろう。かなりハードな毎日だと思う。

 席はあちこち空いている。どこに座るのか少し気になってどきどきしていると、彼女は僕の隣に腰掛けた。嬉しかった。金の髪が揺れて、良いにおいがする。

 

「お疲れさま。ええと、今日はどうする? お酒は」

「……飲む」

「飲むかー」

 

 飲むのかー。

 シークの顔色が一瞬、だいぶ悪くなったのを、僕は見逃さなかった。レストインピース。

 夕食の時間が始まる。報告によれば、各々、事件について有力な情報は得られていないらしい。このままいくと、ティーダさん達が調査に行った聖人教会の方はシロということになるか。

 それぞれの情報を交換し合い、やがて関係のない気楽な話題になる。教会勤めの騎士さんの剣技がすごかった、みたいな話を、シークとティーダさんが楽しそうに話していた。

 相槌を打っていると、突然、左の耳が熱くなる。

 ミーファが、小声で話しかけてきたからだ。

 

「……お前さ。学園の女生徒と、仲良く話していただろう」

「えっ」

 

 どきっと、してしまった。なんか、悪いことをとがめられたような気分と、ミーファの吐息の熱で、心臓が、こう。

 

「なんで知ってるの?」

「教室を移動する途中で見えたんだよ。屋上にいたな?」

 

 悪魔のような視力……!

 いや、いや。別にやましいことはない。見られたことがなんだというのか。

 

「そ、それがどうかした?」

「ふうん。いや、別に」

 

 ミーファは目を細めて僕を見たあと、そのまま視線を手元のカップに移した。

 それをおもむろに持ち上げ……一気に傾ける。

 

「あ!! そんな勢いよく飲んだら、倒れるよ! 身体に毒なんだから」

「………」

 

 頬を紅くした彼女は、ぐい、と僕に顔を突き出してきた。近すぎて、心臓が破裂しそうになる。なんだ、どうしたんだ、今日は。ミーファの行動が読めない。ついこの前もこんなことあったな。

 ミーファはそのまま頭を僕の耳元に持ってきて、僕にしか聞こえない声で、囁いた。

 

「……キミが同じくらいの歳の女の子と仲良くしていると、あまり穏やかな気分ではいられない」

「そ、それって……」

「せいぜい見えないところでやれ、ばか」

 

 そう言って、ミーファは。

 そのまま、僕に寄りかかってきた。

 

「うわっ、ちょ、ちょ……あの……!」

「……すー、すー」

「ええ?」

 

 そして寝た。

 

「はっ!? ちょっと談笑してる間にとんでもないことになってる」

「ゆ、ユシドさん。大胆すぎます」

「ち、ちが……重……」

「ごごごごごご!!」

「ひっ!? お、重くないっす」

 

 耳元で地鳴りのようないびきを聞かされ、思わず謝罪してしまった。半笑いのティーダさんとシークに助けを求める。

 結局いつかのように、僕が彼女をおぶっていって、部屋で寝かせてあげた。着替えさせてあげた方がいいのだろうが、それはシークに任せよう。

 寝つきが良いのは、やっぱり疲れているってことなのかな。なるべく普段は気遣おう。

 



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38. 学生生活

 突然、オレの頭に、硬いものが落ちてきた。

 

「いだっ!?」

 

 暗く心地よい眠りの中に、いきなり稲妻が迸ったのだ。思わず飛び起きる。頭を撫でながらしばし周りを見渡すと、自分が宿のベッドにいて、時刻は早朝だということがわかった。

 そして。顔面を狙って降ってきた凶器の正体は、相棒である鋼鉄の剣だった。昨晩、いつもより朝早くに起こしてくれと彼に懇願し、枕元に立てかけておいたのだ。ちゃんと頼んだ通りに目を覚まさせてくれたというわけである。

 しかし方法は乱暴極まりない。当たり所次第では鼻が折れる。いずれ自分で起きられるように、起床時間を身体になじませないと。

 

「いて……あ、ありがとう、イガシキ」

 

 応答は返ってこない。だが聞こえてはいるはずだ、お礼に後で手入れでもしてやるか。

 ベッドから降りて、伸びをする。隣のベッドでは、まだシークが寝息を立てていた。彼女を起こさないように一日の準備をしていく。

 しばらく経つと、鏡の中には学生服を着た自分が立っていた。顔や体の向きに角度をつけ、様子を確かめる。ふむ、変なところはないな……。

 仕上げに胸元のリボンや頭のカチューシャの位置を整えていると、静かな空間で、かすかに隣の部屋のドアが開く音が聞こえた。

 荷物を手に取り、急いで外に出る。

 

「うわっ、びっくりした」

 

 扉を開くと、すぐに人と鉢合わせる。汚れの目立たない色の作業服を着た青年……ユシドだ。

 

「よう、奇遇だ」

「あれ、もしかしてもう出るの? 今日は早いんだね」

「まあな」

 

 適当な会話をしながら一階に降り、共に食堂に準備されていた軽食をいただく。宿の人が昨夜から用意してくれていたのだろう。

 テーブルの対面に座るユシドの顔をときおり眺めながら、静かに朝食の時間を楽しむ。ふたりだけの朝というのも、久しぶりな気がする。

 

「ミーファは、こんなに朝早くから登校するの? なにか用事かい」

「ああ、まあ、その……朝の方が、道が涼しいから」

「あはは、なんだそれ。いやでも、ちょっとわかるな」

 

 咄嗟に口にした理由で、こいつは納得してくれたようだ。

 ユシドは、清掃会社の職員は、学生よりも始業時間が早いらしい。彼はいつもこの時間に宿を出ていく。今日からは自分もそれに合わせるつもりだ。

 その方が、いいなと思ったから。

 

 食事を終え、宿を出て、二人で街道を歩いていく。

 いい歳して若者、子どもたちの真似など気恥ずかしいものだが、それを誰かに指摘されることもない。学園に向かって歩くこの時間は、ひとりよりもふたりのほうが気持ちがよく、落ち着く。一時はふたりきりの時間が気まずく感じたけれど、それでもやはり、隣でこの肩が揺れていると安心する。

 他の学生と鉢合わせることもなく、静かな通学路を進んでいると、いつものように学園の門が見えてきた。……つまり、ふたりだけで他愛のない話ができる時間は、今日の分はもう終わりだ。

 少し残念で、惜しかった。勇者の旅路を進むときとはなにか違う、この不思議な時間が。

 オレもユシドも、この王都に生まれ育っていたのなら、こんな日常もあったのかもしれない。そう思うと、このかりそめの日々が少しだけ、尊く、貴重なものに思えた。

 

「じゃ、またね」

「ん」

 

 別れ際にユシドが手を振ってくる。オレはつい同じように手を振り返したあと、この青くさい仕草を少し恥ずかしく思った。だけど、悪い気分ではない。

 

 さて。

 学園の敷地に足を踏み入れたからには、今日も気を張っていこう。学生生活を楽しむばかりでは本末転倒が過ぎる。このままではさすがに、王都の人々に顔向けできないというものだ。

 荷物を背負い直し、自分の配属されたクラスの教室に向かう。これはホームルームというそうだ。

 ただし、今日からはなるべく遠回りをしていく。

 朝早くに登校するのは、本来の目的を考えると正解だ。始業時間までにひとつくらいは、まだ立ち寄っていない場所を探索することができるだろう。ああでも、迷わないように気をつけないといけない。ここはまるで王宮のように広く複雑だ。

 

「むっ」

 

 どこを調べたものか考えながらゆっくりと歩いていると、耳が自然のものではない音を捉えた。集中すると、何かが何かにぶつかる鈍い音が、断続的に聞こえてくる。

 我ながらいい聴力だ。風の勇者としての経験も捨てたものじゃないな。そう自画自賛しつつ、音の方向へあたりをつけ、歩を進めてみる。

 校舎のとある角をひとつ曲がると、開けた場所に出た。身体を存分に動かすことができそうなスペースだ。

 ……そこに、誰かがいる。背格好からして学生か。服装も、武芸科の生徒がよく着ることになる簡素なデザインの訓練着だ。

 ひとつ大きく呼吸をして、近づいていく。ここまで来たら、少し声をかけてみよう。

 金の髪が印象に残る女生徒だ。お淑やかそうな外見に反し、彼女は拳を握って、丁寧な動きで木偶人形を殴打している。そこには確かな威力が宿っており、これが異音の正体だとすぐにわかった。

 朝っぱらからひとり訓練とは感心な若者だ。それに、あれは武術を修めている者の動きだな。オレの剣は我流の適当なものだから、ああいう綺麗な動きができる戦士は尊敬する。

 そして。近づいてみてわかったが、オレは彼女のことをどうやら、すでに見知っていた。

 

「ごきげんよう」

「……あなた、留学生の……」

 

 名前は覚えていないが、この少女とオレはいわゆるクラスメイトだったはず。同じ授業を受けているのを何度も見た。

 つまり、武芸科の魔法術クラス、というところに所属していることになる。そのわりに見事な技だ。彼女、なぜ武術クラスではなく魔法術のほうを選択したんだろうか。

 勇気を出して話しかけてみたが、言葉を交わすのはこれが初めてだ。何故なら……

 

「……近寄らないで。危ないから」

 

 うーん、やっぱり。

 彼女は人を避けているのだ。教室でも孤立しているように見える。ずっと機嫌が悪そうな顔をしていて、なかなか話しかけられなかった。こっちもあまりコミュニケーションは得意なほうではないし。

 案の定、冷たい態度で突き放されてしまった。うーんどうしよう。

 せっかく声をかけたからには、ここはひとつ、怪しい教室の噂とか謎の怪物の話などないか、なんてことでも聞いてみたいんだけど。

 

「そんな、そうおっしゃらずに。あの――」

 

 人当たりの良い笑顔を意識し、食い下がろうとした。

 微風でオレの髪が揺れる。目の前には硬く握られた拳。……彼女がいま、突然すさまじい勢いのパンチを放ち、オレの鼻先で止めたのだ。

 次の言葉が出てこない。寸止めする気なのはわかっていたが、か弱い留学生に対して随分と当たりが強い子だ。何か気に障ったことをしただろうか。

 

「あなた。ここは危ないから、あまりひとりで歩かないで」

「……わかりました」

 

 攻撃が当たってしまう、とでも言いたいのだろうか。

 ほんとうに機嫌が悪そうな顔だ。嫌なことでもあったのだろうと察するが、しかしこれが右も左もわからない新入りへの態度かい。

 どうせ短い付き合いだし、望み通りそっとしておくか。

 当たり障りのない笑顔をつくり、小さく会釈して、その場を後にする。笑ってしまうほど会話にならなかったな。喉がさび付いてしまう。

 去り際、こっそり感覚を彼女に向けてみる。すると、身体を動かす瞬間の彼女には、かなり強い魔力を纏っている気配があった。

 けれど視覚的にはどの属性も使っているようには見えない。それが少しだけ、気になった。

 

 

 

 いい収穫を得られないまま、ついにホームルームへ辿り着いてしまう。

 まだ学園内には活気がなく、学生の姿はまばらだ。教室に入ったところで誰もいないだろうし、荷物を置いてまた散策しようか?

 そう考えながら、そこへ足を踏み入れる。

 教室の中を見渡す。前方には教師が授業を披露してくれるお立ち台があり、それ以外の空間は生徒の席と荷物置きの棚だ。席は階段状に上へ上へと学習机が並べられ、講師を皆で見下ろす形になっている。だから、前に座った者の頭で先生が見えない、ということはない。この様式は以前にバルイーマで見た、コロッセオの観客席のようだ。

 まだ始業まではずいぶん時間があり、ほかのクラスメイトの姿はない……と、思っていたのだが。ほとんど人気のないがらんどうの教室に、銀の髪がきらめいているのを見つけた。少しうれしくなり、自分の頬が持ち上がるのがわかる。オレは彼女に近づいていきながら、挨拶の言葉を考えた。

 

「やあ、マリン。ごきげんよう。早起きなんだね」

「ごきげんよう、ミーファさん」

 

 マリンはこちらを認めるとみるみるうちに笑顔になり、さながら日の出のような表情変化だ。それと、その様子はまるで飼い犬のようなかわいらしさがあった。クールに黙っていれば、おとぎ話の妖精みたいなんだけど。まあ、表情豊かな人のほうが好きだから、これでいい。これがいい。

 

「朝早くから何してたの?」

「とくに用事はないんですけど、ええと、なんだかミーファさんと一緒にお勉強できるのが楽しみで。その」

 

 うーん。かわいらしい。随分懐いてくれたものだ。オレだってマリンが同じ教室にいるのはうれしいのだが、気恥ずかしくてこうも素直には言えない。

 そう、同じ教室。先日このクラスに配属されたときは、彼女のとても驚いた表情を見ることができた。オレが潜入したこのクラス……王立学園武芸科・魔法術クラスは、ちょうどマリンの通う教室だったんだ。これは望外の幸運である。

 何かあったときに光の勇者である彼女を守ることができるし、知り合いがいると学生生活もやりやすい。また、もし事情を話せば、きっと学園内の調査に協力してくれることだろう。

 まあ、まだ話していないし、調査も思ったより進んでいないのだが。

 荷物を棚にしまったら、マリンの隣の席に座り、彼女に話しかけてみる。話題はついさっきの出来事についてだ。

 

「さっきクラスメートの子に会ったんだけど、マリンはどんな人なのか知ってるかな? ほら、キラキラした金髪で、きれいな顔立ちの。……それと、武術が達者なんだ。そこらのハンターより腕っぷしは強いかもな」

 

 マリンの表情を伺いながら、あの少女の特徴を思いついたものから並べたてる。

 しばらく考える顔をしたあと、マリンはおもむろに口を開いた。

 

「……ああ、あの方ですね。チユラさま」

「さま?」

「チユラさま……ええと、チユラ・メグォーサ・ヤエヤさまは、この国の王女様のひとりです。つまり、王様の娘」

「はっ!? あれが……?」

 

 思い出すのは顔面につきつけられた握りこぶしの迫力である。

 オレのような庶民が想像するお姫様のイメージとは反する少女だったが。人形をドンドコとテンポよくボコボコにしていたし。

 

「この国の王族は“光の勇者”という人の子孫ですから、あの方もかなりの魔力を持っていそうですね」

 

 マリンの口から光の勇者という単語が出てきたことに、一瞬どきりとする。たぶん、マリンのほうが、王族の人たちよりも強い魔力を持っていると思うよ。……近いうちに、ちゃんと伝えないとな。

 しかし、魔力、ね。

 あの王女様、術なんて必要なさそうだったけどな。

 

「同じクラスってことは、あれで魔法術の専攻なんだよな」

「聞いた話では、武術はもう人に教えてもらうようなことはないから、あえて魔法術クラスに入ったんだという噂です」

「へえ! すごい子もいるものだ」

 

 そういうエピソードを聞くと、記憶の中の彼女が、だんだんと上に立つ人間のオーラを纏っていくような気がする。たしかに、姿勢や細かい仕草には気品があるように見えたし、お姫様っぽさのある器量良しだったかも。マリンが嘘をつくはずもないし、本当に王女様なんだなあ。

 ……となると、ああ、なるほど。機嫌が悪い理由が分かったかもしれない。

 公には明らかになっていない話だが、この国の第二王女が今、行方知れずになっている。さっきのチユラ姫は第二王女の姉妹ということになるわけで、身内を失った被害者だ。張りつめた顔にもなるはずだし、「ここは危ない」という言葉の意味も見えてくる。

 しかし、ということは。彼女は王都の不穏さを知っていながら、人気の無い場所で朝からひとりでいることを選んでいることになるな。

 ……まさかとは思うが、自分を囮にしているのか? バカな、貴人のやることではない。

 いや。あの苛烈そうな性格からして、あり得るかも。

 マリンだけじゃなくて、あの子もそれとなく見守った方がいいだろうか。

 

「な、マリン。少しお散歩でもしませんこと?」

「え、あ……はい。散歩。はい。ふふふ」

 

 快く承諾してくれた彼女と一緒に、教室を出る。散歩と言ったが、実は例のお姫様を遠くから見学できる場所へ向かうつもりだ。どうにも放っておけない。

 学園には今のところ邪悪な気配のかけらも感じられないが、これくらいの用心は必要だろう。イフナも、学生たちを守るという役割を、オレたちに期待しているはずだ。

 道すがら、歩きながら話す。

 

「学園の人たちのこと、もっとオレにも教えてほしいな。そうだ、ストーンとシャインは? 武芸科じゃないのか?」

「あの子たちは学年が違うんです。わたしよりひとつ年下で……」

「なに!? 今日一番の意外な話」

「あ。それって、わたしが子供っぽいってことですか? もう」

「はは」

 

 

 

 自分の席から、眼下で歴史を語る教師を眺める。

 学問としての歴史など興味は無く、初めはぼうっと聞き流していたが、いつの間にかしっかり耳を傾けるようになっていた。そこから何を学びとるかとなると難しいが、学習内容に合わせて先生が語る、教科書に載っていないエピソードが単純に面白いのだ。

 

「……皆さんも知っている通り、初代国王は“光の勇者”ですが。これはおとぎ話ではなく歴史的事実だという説が根強い。そして、彼らの実在を前提とすると、七勇者たちは実に歴史の様々なページに登場しているのです」

 

 今日はなんと、七属性の勇者たちの伝説についての講義だ。オレの故郷シロノトでは勇者の存在はおとぎ話などではないのだが、この辺りではどのように伝わっているのか。さすがにこれは気になるところ。

 

「たとえば、かの有名なバルイーマの武闘大会。あの町へ行ったことがある人はいますか? ……はい。あそこには、やたら大きくて趣味の良くない闘士の像があるでしょう。モデルになった人物、大会の歴史の中で最も強かったとされる彼、アチラス・アチコーコは“火の勇者”だったという話です」

 

 脳裏に筋骨隆々の男の像が思い浮かぶ。ああ、たしかに、なんかこう、メラメラした髪型をしていたな。

 しかし、最も強かったとは聞き捨てならないね。実は当時のレベルが低くて、オレの方が強かったかもしれないじゃないか。……まあ、負けましたけど。ユシドに。

 あのとき負けなかったら、今もあいつを、ただの子孫として見ていたのかもしれないな。

 

「他には、今ではよく知られているハンターズギルド……古くは冒険者組合だとか、魔祓士互助会とか、いろいろ変遷があったようですが。この組織の設立に関わったメンバーである、かのキビトー・ザワワスは、地の勇者だったとか。これは、真偽の怪しい話ですが」

 

 ここまで語ってから、先生は休憩するようにひとつ息をついた。

 彼女が次に口を開くと、声のトーンがやや変わる。彼ら教師が授業を先に進めるときにやりがちな手法だ。話術の一種といえるかもしれない。

 

「さて。ここまでの話をふまえて、あなたたちは“勇者”たちについて、どんな人物像を思い浮かべますか」

「……はい。彼らはみな人格に優れた、偉大で立派な人物たちだと思います」

「なるほど」

 

 前の辺りに座っていた女生徒が、模範的なものに聞こえる意見を発表した。

 ふふ、そうだろうとも。人々を苦難から守ることが勇者の使命なのだから、それはもう聖人君子ばかりさ。少なくともオレが知っている勇者はみんなそうだ。仲間として、誇らしく思う。

 

「そうとも限らないかもしれませんよ」

「ん?」

 

 ちょうど自賛の思考にふけっているところに、先生が冷や水をかけるような一言をつぶやいた。心を読まれたようで、思わず声が漏れてしまう。

 先生は息を吸い、学生たちの顔を見渡しながら、再び語り始めた。

 

「教科書にはない話ですが。このヤエヤ王国と魔人族領を隔てる長大な壁には、かつて二つの関所が設けられていました。西の関所と南の関所です。しかしご存知の通り、豪奢で文化的な建造物だったとの記録がある西の関所は、歴史上のいつからか、倒壊しかけの廃墟になっていますね」

 

 周りの学生たちが頷いている。

 この国と魔人族の国土は、大きな石壁と結界で隔てられている。これは魔物たちの拡散を防ぐため魔人族たちが作ったものを、ヤエヤの王が引き継ぎ、以来はこの国が管理しているという話だ。……ずいぶん昔に聞いたことだが、我ながらよく覚えていたもんだ。

 しかし、魔法術や精鋭の兵たちで守られているはずの関所が、ひとつ潰れてしまったのか。強力な魔物の仕業だろうか。当時の七魔の一騎が現れたとか?

 

「あれはですね。200年ほど前、当時の王は関所を通過する者に重い通行料金を課していたのですが。それに腹を立てた風の勇者シマド・ウーフが、剣の一振りで壊滅させたという話です」

「えっ」

 

 思わず声を出してしまったが、周りも何やらざわつき出したため、幸い目立たなかった。

 ……えっ、ヤエヤの関所を破壊した? 記憶にない。そんなことしたかな。

 たしかに旅の中で、建物のひとつやふたつ、吹き飛ばしたりはしたけど……うーん。あっ、いやでも、やったかもしれない。

 あのご時世はどこも不景気でオレも資金がなく、だというのにどこの国も税がやたら重かったりして、イラついたものだ。そのときにやっちまった可能性は、否定できない。

 旅の中でぶっ飛ばしたもののことなんかいちいち覚えていない、と言ったら、この国の人たちは怒るかな。

 

「しかしその事件以来、若かった当時の王は心を改め、次第に善政を打ち出していくことになります。実はこの人こそが皆さんも知る名君、マァル・アガーハート・ヤエヤ2世なのです」

 

 全然知らん。

 周りの学生の反応を見てみると、まあ自国では有名な王様のようだ。

 短気な時期のオレが悪いことをしたなと思ったが、改心したならいいや。

 

「さて。勇者シマドの行動は結果として国を豊かにしたとも解釈できますが……ここまでの話を聞いて、皆さん自身は彼の行動をどう考えますか? 今から5分間、周りの席の人と話し合ってみてください」

 

 知っているぞ。グループディスカッションってやつだな。どの先生もやりたがるあたり、教育者業界の流行りとみた。

 オレは周囲の学生たちと顔を突き合わせ、議論に臨む。このグループはお嬢様っぽい女生徒が多い。いいね、可憐な女性陣から褒められるのなら良い気分になれる。みんなで勇者シマドを讃えたまえ。

 

「横暴な方もいるものですね。非常識です」

「えっ?」

「勇者の振る舞いとは思えませんわ。偽物なのでは」

「えっ?」

 

 

 

 心地いいそよ風を肌に感じ、上を見上げてみると、青い空が広がっている。

 次は屋外での授業。魔法術の訓練の時間だ。身体を動かしやすい訓練着に着替え、教師が出したテーマに沿って術の訓練をする。

 魔法術を他人から教えてもらうなんて、何年ぶりのことだろう。

 正直な話オレは未だに、雷の術は、風属性ほどには習熟していない。それは昔の仲間である先代雷の勇者の強さを思い出してみれば、明らかな事実だ。

 魔力が多くても、扱う技術がなければ勇者たりえない。それはユシドにもよく偉そうに言ったが、実は自分のことは棚に上げていたわけだ。

 そこでせっかくのこの機会、ぜひ色々と学びたいものだが。

 

「本日のテーマはこれです。よっと」

 

 眼鏡をかけた、理知的なイメージの男性がみんなの前で話し始める。彼は魔法術クラスの担当講師のひとりで、細身で落ち着いた感じがいかにも魔導師らしい。

 彼は持参したカゴの中から、ひとつの球を取り出した。ちょうど片手で掴んで持ち上げられる大きさだが、異様に重そうだ。金属製かもしれない。

 やがて、先生の腕が淡く光りを放つ。魔力の輝きだ。それに伴って、ボールがふわりと手のひらから浮きあがる。……風属性の魔法術だ。オレもよく使っている。

 浮き上がったボールは、先生が腕を振るのに連動して、縦横無尽に動き回る。学生たちのほとんどはそれを感心した様子で眺めていて、何人かはつまらなさそうに見ていた。

 

「今日はこのように、“物を運ぶ”ということが主題です。物体を優しく運ぶにはこのように、風の魔法術が適していることが広く知られています。皆さんの中にも、既に修得している方はいるでしょう」

 

 歴史の時間の女性教師と似た口調で、彼の講義が始まる。

 風の運搬術など、風属性メインの魔導師は一番初めに修得するといってもいいくらいポピュラーだ。オレの今の魔力でも、武器などを身の回りに複数浮かせることだってできるし、これに関して新しく学べることなんてあるだろうか。これじゃつまらないな。

 せいぜいたくさん浮かせて、魔導師としての力をアピールするか? その方が、例の事件の犯人の注目も得られるかもしれないし。

 

「ではしかし、それならば。他の属性を扱う魔導師は、物体を運ぶことはできないのか?」

「!」

 

 先生の言葉が頭に入ってくる。

 

「そう。他の属性でも、工夫を凝らすことで、物体を移動させることは可能です。ほとんどの人は自分の魔力に目覚めたとき、試したことがあるでしょう? そしてより重いものを運ぶためには、風のエネルギーでは足りない場面もあります」

 

 なるほど、なるほど。興味深い。先生は人の関心を引くのがうまいじゃないか。オレも指導の腕を見習いたいな。

 

「今日の時間では皆さんに、自分の持つ属性にあった運搬のすべを見つけてもらいたい。これがめあてです」

 

 周りの学生たちから魔力の気配が漂ってくる。彼らも試したくてうずうずし始めたのだろう。

 

「まずは10分間時間をあげます。自分で思いつくやり方を試してみてください」

 

 その言葉で、学生たちは自分のボールを受け取り、敷地内に散らばっていった。

 オレも同じようにする。今試すべきなのはもちろん……雷の魔力だ。

 

 

「うーん」

 

 そして10分後。

 オレはそこそこの重さがあるボールを前に、腕組みをして唸っていた。

 風を使えばこれを持ち上げてよそへ持って行くのは簡単だが、“雷”でモノを動かすなんてどうやる? わからん。

 わからなさすぎて適当に電撃を放ってみたら、なんか周囲の学生たちがそそくさと離れていった。おかげで集中できるが、助力を求めづらい。マリンだけちょっと近くにいるけど、彼女は雷使いじゃないしな。

 行き詰ったところに、ようやく先生の集合の声がかかる。生徒に悩みや疑問ができたところに指導を入れるという授業計画なんだろう。なかなか勉強になる。

 

「今から紹介するのは書物や伝聞で今日に残された、各属性の物体運搬術です。参考にしてみてください。ただし、これこそが正解だという話ではありませんからね」

 

 先生が魔力を発揮し始める。先ほどは風の属性を操っていたが、これは……。

 

「地属性。地面のある範囲だけを流動させる。または、土や岩の荷車を作り、魔力で操る……など」

 

 地面に転がったボールが、ひとりでにずるずると動く。そのあと、もこもこと生えてきた小さな車がボールを運び、生徒のひとりの足元へとたどり着いていた。

 あー、そういえば。いつかの戦闘時、ティーダが腕を組んで直立したまま地面を滑るように高速移動するという、変態みたいな動きをしていたのを見たことがある。あれはこういう理屈だったんだ。

 術の成果を見て、学生たちからまばらな拍手が送られる。しかし先生の講義は、これで終わりではない。

 

「水属性。水流に乗せて運ぶ。あるいはこうして……水の噴射で打ち上げ、水のクッションで受け止める。まあ荷物が濡れるんですが」

「火属性。非常に難しいです。ボールに術の発動陣を設置して……噴射で一気に持ち上げる! そしてそのまま火力をキープすると、このように持ち上がります。これは風属性を同時に持っている人じゃないと、感覚がつかみにくいかもしれないですね。しかしパワーはあります」

 

 先生が目の前で実践していくたび、鉄のボールがぽんぽんとぶっ飛んでいく。危なっ。

 たしかに色んなアプローチがあって面白いが、風で浮かせるのに比べると難しいしデメリットがある。運搬に適しているのが風属性である理由がよくわかる授業でもあるな。

 一部の元気な学生たちが先生に野次を飛ばすのを聞き流しながら、次の属性を察知する。先生の腕が、雷属性の特徴的なスパークをまとい始めたのだ。

 というかこの人、さらっと5つの属性を操っていないか? それってとんでもない話だぞ。ひとつの才能だな……。

 

「そして、雷属性。攻撃に特化し、あまり汎用性のない属性のように知られていますが、実は特殊な運用方法があります」

 

 先生が腕を鉄球に向けると、そちらも雷の魔力を纏い始めた。……なんだ? 今、腕と球の魔力が、不思議な形状と動きをした。

 しばらくすると、鉄球が浮きだした。まるで腕に引き寄せられるかのように動き、やがて先生の手に収まる。こんな作用を、雷の魔力で?

 

「やり方はですね。雷を、さながら竜巻のようなルートで流します。この竜巻を、運びたい物と自分の腕に巻きつける。すると……ふたつの魔力が、引き合う力を作りだす。また、流れを逆回転させると、反発し合う力に」

 

 先生の手の中のボールが浮く。正確には、手とボールが互いを撥ね退けようとしているという。

 

「このように雷の魔力には、金属を引き寄せ、または遠ざける力があります。古代の人類はこれを“磁力”と呼んでいたそうですが、仕組みはよくわかっておらず、現代では不可解なパワーです。あ、まあ、人体に危険はないですよ。ないかな? ハハハ」

「へえ……」

 

 何笑ってんだと思ったが、ともあれ興味深い。金属を引きつけるというなら、剣を取り落してしまったときなんかに使えるかもしれないな。

 さっそく真似をしてみようか。

 

「ああ、っと。もうひとつ、光の属性についてですが。これは私も研究不足でね。どう応用したものか困っていまして」

「簡単です、そんなの」

 

 後ろから声。学生たちの間を通り抜け、ひとりの女生徒が前へ出てくる。

 ……おや。例のお姫様じゃないか。

 彼女は先生が地面に放置していた、一番大きく重そうな鉄球を見つめている。あれは重いぞ。先生もちゃんと運ばずに、足で転がしていたのを目撃したからな。

 みんなに注目される中、彼女は……鉄球を、ひょいと持ち上げた。普通に手で掴んで。

 驚きのあまりバカみたいな声をあげるところだったが、なんとか堪える。からくりを見極めようとよく観察していると、チユラ王女から魔力の気配がした。そして、わずかに身体全体が発光している。

 

「肉体を強化して、自分の腕で持ち上げる。武術家と同等の膂力を得ることができます」

「なるほど、さすが光の勇者の子孫ですね。ありがとうございます、チユラさま、じゃない、チユラさん」

 

 学生たちの拍手。オレもまた、手を叩いて賞賛した。

 それって魔法か? とも思ったが、光の属性にそんな使い方があったとは。あの子から今朝感じた魔力は、光属性のものだったというわけか。

 魔力で身体能力を強化する技術は知っているが、あれはうまく扱わないと、流した魔力に肉体が傷つけられてしまうリスクがある。武器が魔法剣に耐えきれず壊れてしまうケースと同じだ。

 しかし光の属性は、傷を癒すことにも効果を発揮する。肉体に備わったエネルギーを活性化させる力があるわけだ。それを考えるとなるほど、他の属性と比べると、身体強化を成しやすいのかもしれない。

 ……でもなんか……やだなあ。

 マリンがシークみたいに、片手で岩を持ち上げるような細マッチョになったらどうしよう。

 

 先生から全体への助言はこれで終わり。後は自分でいろいろ実践してみるための時間だ。

 雷を腕に纏わせてみる。バチバチと弾けるこの金と蒼の雷光は、このまま放てば触れるものを傷つけてしまうだろう。

 これを形状変化させ、腕の周りをうずまくように流動させていく。……そもそも放出した魔力の形を任意に変えること自体がなかなかに難しい技術なので、これを学んでいる王立学園の生徒たちは、やはりレベルが高い魔導師になるのだろう。

 さて。魔力を竜巻のように流す、すなわち回転を取り入れた動きをさせるということには、風の勇者としての経験が役に立つ。風の魔力でより強い威力を発揮するには、この運動の修得が不可欠だったからだ。たとえば、現にユシドの技も、竜巻による暴風を作り出すものが多い。

 ちなみにこの回転の動きをさらに質量のある水の魔力でやると、シークが好んで使っているあの恐ろしい技になる。ティーダってあれの前に立ってよく生きてたよな。

 竜巻を起こすイメージ。あの要領で、雷の魔力を操る。

 あちこちに飛んで行こうとしている電気を、腕の周りで一方向に誘導し、さまよわせる。やがて雷が形作ったものは、竜巻というより、“ばね”に例えたほうがしっくりくるかもしれない。

 よし。次は、鉄のボールに向かって同じ作業を……

 

「ん?」

 

 腕に、なにか小さく軽いものが飛んできた。そして、ひっついている。

 それは王立学園の訓練着の袖についている、小さなバッジだった。学園のシンボルマークが掘られている。校章というらしい。

 見ると、自分の袖についていた校章がない。剥がれて腕にくっついてしまったようだ。

 なぜだ。……ええと。金属だから?

 

「うわ! うわわわ!?」

 

 他の生徒の校章が、腕にどんどん飛んでくる。みるみるうちにオレの腕はバッジに埋め尽くされていき、もうなんか芸術的なものになっている。

 それと、ビシビシと地味に痛い。学生たちの困惑の声に罪悪感もわいてくる。

 

「うおっ!」

 

 腕に重みが。見れば、鉄球がくっついていた。

 お、おかしい。まだ先生の示した手順を行っていないのに、なぜくっつく?

 

「ミーファさん、あぶない!!」

 

 声に振り向く。マリンの声だ。

 ものすごい勢いで、大きな鉄球がこちらに飛んできていた。王女様が持ち上げていたやつだ。ものすごくまずい。

 咄嗟に身構えようとするが、右腕が重くて持ち上がらない。オレに引き寄せられているから、避けられもしないだろう。破壊するしかないか……!

 

「はっ!!」

「え……!?」

 

 そのとき、誰かが目の前に躍り出た。金の髪が風に揺れる。

 

「はやく魔力を解いて!」

「あ、そうか」

 

 少女の言葉に、腕の魔力放出を取りやめる。すると引きつける力が無くなったのだろう、校章バッジの群れが一斉に、どばっと地面に落ちた。これではどれが誰のものやら……。

 そして、重いものが地面に落ちる低い音。鉄球だ。

 気付いて、王女様に駆け寄る。彼女は一番大きな鉄球を受け止め、身を挺してオレをかばってくれたんだ。

 

「助けて頂いてありがとうございます! お怪我はありませんか? ええと、チユラさん」

「いえ」

 

 わずかに汗をかいてはいるものの、怪我は本当にないようだった。彼女のそばに転がっている大きなボールを見る。これを無傷でキャッチしたというのか。武術に優れているという話は真実だな。

 もう少しちゃんと感謝を示したいと思い、言葉を選んで組み立てていると、やがて、異常に気付いた先生や生徒たちが駆け寄ってくる。

 

「……どうやら、雷魔力の出力がでたらめに強すぎたようですね。あんな現象は初めて見ます」

「あー、その、あはは。……申し訳ありませんでした、先生、皆さま」

 

 本当に申し訳ない。頭を下げ、みんなに謝った。初めて試すことだから、細かい手加減を失念していた……。

 一瞬の間のあと、クラスメイトたちが一斉に、よってたかって声をかけてくる。妙に明るい表情からして、どうやらオレを糾弾してはいないようだが、何が何やらわからん。

 彼らの隙間から、ひとり離れたところへ行ってしまう王女様が見えた。

 態度は冷たいが、明らかに善意で助けてくれたようだし、しっかりお礼をしたいのだが、他の生徒たちにやたら話しかけられる。もう一回今のを見せてくださいまし! とか聞こえた。大道芸人だと思われている。

 

 ……あとでちゃんと、改まって、お礼を言いたいな。

 そう思いながら、実はたぶん優しい少女に、視線を向け続けた。

 

 



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39. 金髪美少女サンド

「……つくりすぎたかな」

 

 ここは宿屋の厨房。朝早くから許可をいただき使わせてもらっている。

 眼下に並んだ白い四角形の群れを眺める。我ながら綺麗な形に切れた。味付けした具材をパンで挟んだ食べ物……サンドイッチである。おいしさの秘密はデイジーさんから授かった門外不出秘伝のソース。

 食べるやつの顔を想像していたら、いつの間にか予定より数が増えていた。オレは食べるのは好きだが、男だったときと比べるとやや胃は小さい。この量はひとりでは無理だ。

 

「んー、まあいいか」

 

 ユシドがもりもり食べてくれるはずだ。育ちざかりだし、お坊ちゃまお嬢ちゃまが通う学園の食事では量が足りなかったりするかも。もともと食べさせるつもりで作ったのだし、量はこんなものだろう。喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。

 

「何にやけてるの?」

「うわっ!?」

 

 予期していなかったところに後ろから話しかけられ、素っ頓狂な声が口をついて出る。振り返るとそこには、ブラウンの髪を揺らして無邪気に笑うやつがいた。

 

「へへ、びっくりした? 子供の頃の仕返しだよ」

 

 普段の柔らかく落ち着いた雰囲気と違った、子どものような表情を間近で見せられ、少し変な気分になった。驚かされたからかやけに頬が熱い。おのれ調子に乗りおって、今に見ていろ。

 

「おはよう。朝早くから何してるの?」

「おはよ。これはな、お昼に食べるやつだよ。今日から持参するんだ。ほら、学生食堂って混むだろ?」

「なるほど。かしこい」

「そうだろうそうだろう。それと、ほら。キミの分もある」

「ほんと!? ありがとう、ミーファ」

「ふふ」

 

 話しながらひとつひとつを包装していき、ティーダとシークの分は残して、まとめて紙袋にしまう。荷物が増えることになるが、あの食堂を毎日利用するよりは楽だろう。

 ……そうして一仕事終えてから、気づいたことが一つ。

 

「においが気になるな」

 

 紙袋に収めたものの、おいしそうな香りが漂っているのがまだわかる。これでは教室の級友たちに迷惑だ。普段はこういうことをしないから、想定できてなかったな……。

 

「! そういうことなら……ちょっと待ってて!」

 

 何か思いついたらしく、ユシドは明るい表情を見せてどたどたと食堂を出て行った。自分の部屋にでも帰ったのだろう。

 やがて戻ってきた彼は、小脇にいくつかの箱を抱えていた。箱、である。

 頑丈そうにも見えるが軽いようで、ユシドはそれらをひょいとテーブルに置く。サンドイッチを入れた紙袋と同じ程度の容量がありそうだ。

 

「これは?」

「これかい……これはね……王都の有力な商会がついに開発に成功したという最新のアイテムでね……古代人が使っていたとされるものを現代によみがえらせたという伝説級の……」

「お前ほんとそういうの好きな」

 

 武具や食い物には財布のひもが固いくせに、たまに変なものを買いたがる。商人のセンスが何かをささやきかけるらしいが、絶対はずれをつかまされているときのほうが多いと思う。

 とはいえユシドには前世のオレと違って財産の管理能力があり、パーティーの経済状況をうまく回しているため、文句は言いづらいところだ。

 

「ともかく一言でいうと、これは“ランチボックス”だ」

「ランチ……これが?」

 

 昔ながらの、木で編んだ手提げのカゴが頭に思い浮かぶ。昼飯を入れて、るんるんと鼻歌を奏でながら腕に下げて、ピクニックに持って行くようなアレか? 

 そんなに仰々しく紹介するほどの品ですかね。

 と、微妙な気持ちが訝しむ表情として出てしまっていたのだろう。それに反発するように、ユシドはここからテンションを上げて商品を紹介してきた。

 

「ミーファさん。これは人類にとっての技術革新の第一歩なんだ。……すべての冒険者たちが抱える悩みのひとつである、食料の保存。そこに差し始めたひとつの光明。どんな剣や鎧よりも、この箱こそが! 我々の命を守るかもしれないんだよ!」

「具体的なことを言ってくださいね」

「こちらの商品、特殊な素材と加工により、中に詰めたものをより長持ちさせる効果があります。口にすればパワーは出るがすぐ痛みがちな食材を、ダンジョン探索などに持ち込めるわけですね」

「ふーん」

 

 それは別に、今まで通り日持ちがするやつを持って行けばいいじゃん。干し肉、レーズン、果実酒とかね。

 

「あとまあ、仕様的に、においやソースのたぐいを外に漏らさない。使ってみてください」

 

 それを早く言えよ。

 

「ねえ。お昼はどこで食べるつもりなの? 教室とか?」

「そうだなあ、どうしようか」

 

 紙袋から謎箱へと中身を移す作業をしていると、ユシドがまた話しかけてくる。

 昼休憩に利用できそうな場所……中庭にあるガゼボとか、そういう学生たちの憩いの場は、やはり人がいる。場所取りで若者といがみ合うのも嫌だし、ホームルームでいいか。

 

「実は良い場所を知ってるんだ。ええと、知人がひとり一緒になると思うんだけど、どうかな」

「……ふうん? わかった、いいよ」

 

 知人か。ユシドが良くしてもらっているという清掃会社の協力者か、それとも……。

 提案はありがたい。ユシドと一緒に、今日の昼休憩時間はゆっくり過ごさせてもらおう。いつも慌ただしくて疲れてたからな。

 ひとつ、楽しみができた。

 

 

 

 朝方の授業を終え、時刻は太陽が真上に来る頃。念願の昼休みがやってきた。

 ユシドの言うには、北校舎の入り口のあたりで待っているそう。あの辺に掃除屋の作業着で突っ立っていると目立つだろうし、早く行ってあげないとだ。

 

「そうだ、マリン……あれ」

 

 ふと大事な友人のことを思い出し、教室を見回してみるが、既にその姿はない。自分が荷物を準備している間に、教室を出て行ってしまったようだ。

 絵に描いたような良い子であるマリンにはひとつだけ、変わったところがある。お昼時になるといつも、ふらりといなくなってしまうのだ。彼女の食べる分も用意していたのだが、やはり今日も捕まらないか。

 一度本人に聞いてみたところ、家から持ってきた昼食を、ひとりでいろんな場所で食べるのが趣味だとか言っていた。うん、変わっている。

 まあ、ユシドは変な買い物、ティーダは滞在する街の裏通りの散策、シークは装備品の手入れという、誰しも何かしらの好むルーチンがある。そんなものか。

 さて。

 食べ盛り3人前ほどの量が詰まったランチボックスを大事に抱え、教室を出る。足取りは自分で思ったよりも力が入り、たぶん、今の自分は、にやついているのかもしれないと思った。

 

 せっかくのこの人生だ。旅の中で見つけた、こういう小さな幸福を、大事にしていたい。

 

 

 

 ユシドの手引きで案内されたのは、なんと北校舎の屋根の上である。最上階であるはずの3階に、上に続く階段があるのだ。気になってはいたが、実際に行くのはこれが初めてになる。

 ユシドが、立ち入り禁止との注意書きがある扉をゆっくり開けていく。自分は偽物の生徒だが、それでも学生としての規律を破るのには、少しドキドキしてしまう。

 日の光が視界を照らしていく。片手で陽射しを遮りながら、オレは屋上テラスへと足を踏み入れた。

 

「おおー」

 

 存外広い空間が広がっている。涼しさと日の熱さのバランスもちょうどよい。そして立ち入り禁止だから学生がいない。たしかに、ここは穴場だな。

 

「……ん?」

 

 学生がいない、というのは訂正する。

 しっかり見れば、屋上の端に、オレと同じ青い学生服を着た女生徒がいる。ユシドが言っていた知人とは、どうやらあの子のようだ。

 ……そういえば、いつかここで仲良く会話していたのを見つけたことがあったな。暇つぶしにあいつの位置を、例の魔力感知を使って探っていたときに気付いたんだ。

 ほう。あれからずっと仲良く親交を深めていたというわけか。学園のお嬢様と。以前もこういうことがあったが、こいつ、金持ちのお嬢と妙に縁があるらしいな。

 

「ええと、紹介します。こちらで知り合った、知り合いの……えーっと、知り合いです。いや友達。そしてこっちは……幼馴染の、ミーファさん」

 

 その少女とオレが顔を合わせると、ユシドが互いを紹介する。おそろしいことに、こいつ、どうもこの子の名前を知らないらしい。何が知り合いだ、バカ。

 そして。相手の困惑する表情を見ていると、冷や汗が出てきた。……知らない顔では、なかったからだ。

 今ほどユシドをアホだと思ったことはないかもしれない。

 失礼ながら、本人を前に小声で耳打ちする。

 

「……お前、この人が誰だか知らんの?」

「え? よくここでさぼってる学生さんだけど」

「ちょっ、大声で失礼なことを言うな!」

「あの、よろしいですか。留学生の……ミーファさん、でしたね」

「は、はいっ!」

 

 姿勢を正して向き直る。

 今日まで見てきた印象とは違って、眉尻を下げたしおらしい態度で声をかけてくる。

 ユシドの知人――その少女の名と顔を知らないのは、オレ達のように外からやって来た旅人くらいだろう。

 彼女の名前は、チユラ・メグォーサ・ヤエヤ。

 オレのクラスメイトであり、この国の第三王女だ。

 

 

 

 風の涼しさを感じながら、3人で顔を突き合わせて話す。

 

「今まで、黙っていてごめんなさい。……私のことを知らない人とお話しするのが、本当に楽しくて。仲良くなってみたかったんです。他の子たちみたいに、気楽な話し言葉で」

 

 それが、チユラ王女がユシドに素性を明かしていなかった理由らしい。貴人らしい、健気な悩みというか。意外と可愛らしい人だったわけだ。

 そういう話なら、ユシドがとるべき対応は決まっている。

 

「なんだ、言ってくれればよかったのに。それなら改めて。僕はユシドと言います。これからもよろしく、“学生さん”……じゃなかった。チユラさん」

「……! は、はい。あの、よろしくお願いします」

 

 王女様は嬉しそうに、顔を紅くしてユシドの手を取っていた。彼女にお友達がひとり増えたというわけだ。良い話。

 でもなんか、こいつ、思ったより手慣れた感じなのが腹立つな。歳が同じくらいの女性と話し慣れているのか? 色男ですこと。

 ユシドにだけ聞こえる声で、小さくつぶやく。

 

「……女たらし」

「えっ」

「チユラさま。以前の授業では助けて頂き、ありがとうございました。もしよければ、昼食などいかがですか? 私が今朝作ったものです」

「いえ、王族が市民を守るのは当然のことで……」

「お礼を受け取るのも器の見せどころですよ。さあさあ」

「あ、ありがとう」

 

 庶民と親しく話すのは本当に経験がないようで、あえてこちらが強気に出ることで押し切ることができた。心情を知れば年相応の女の子じゃないか。良い子だし、仲良くなろうとするに越したことはない。

 ランチボックスからサンドイッチをひとつ取ってもらおうとして、あ、と懸念が生まれる。

 これを食べて万が一この子の体調に何かあったりしたら、さすがにまずい。旅人が王女を毒殺未遂。処刑。終わり。みたいなイメージが一瞬頭を過る。最初の一口を彼女に食べてもらうのはよろしくない。王族というのはそういう人たちだ。

 

「ユシドくん、毒見をしなさい」

「もがっ!?」

 

 少年の口に、一切れ突っ込む。とても光栄な仕事だ、彼も喜んでいるだろう。

 ユシドはしばし悶絶した後、時間をかけてそれを咀嚼し、飲み込んだ。

 

「うまいです」

「よろしい」

 

 そうだろうとも。もっと食うといい。

 庶民の食べ物など口に合うか分からないが、王女様にも勧めてみる。彼女はひとつ手に取ってくれたものの、すぐには口にしなかった。綺麗な青い瞳は、オレ達をじっと見ている。

 

「ああ。おふたりは仲が良いのね。なんだか、私……」

 

 言葉の続きを待っていると、チユラ王女はおもむろにサンドイッチを食べ始めた。……どうもさっきから、こちらの顔を見るときの顔があまり気分がよくなさそうに見えるが、もしかして嫌われてないかな。これで不味かったらもう仲良くなれないかもしれない。どうだ……!?

 

「おいしいわ、ミーファさん。私のメイドよりずっと料理上手」

「!! ありがとうございます、光栄です!」

 

 手応えあり! デイジーさんありがとう……! やはり食事。食事こそが人間を救う。

 

「ねえ、明日もここに来て下さるの?」

「は、はい。お邪魔でなければ」

「お邪魔、ね。ふふっ」

 

 花が揺れるような、可憐な微笑みを見せるチユラ姫。仲良くできそうで良かった。美人だし。

 だけど、なんだろう。少し……

 目が、笑っていないような。ほんの一瞬だけ、そう見えた。

 

「おいしい、おいしいこれ、うん。意外に料理上手だ、ミーファは」

 

 意外には余計だ、もう作ってやらんぞ。

 オレと王女様が、どうしてかお互い無言になり、ちびちびと食を進める中。ユシドだけがもりもりと元気に食べていた。お前、もっと仲介者としての役割を果たせよ。

 ……どうしてだろう。

 なんだか今日は、いつも人と話すときとは、何かが違う。一言でいえば――

 ピリピリする。

 

 

 

 午後の授業は訓練場。今日は武術クラスの先生がやってくるカリキュラムの日らしい。

 魔法術クラスでも、白兵戦や格闘術を学ぶ機会はあるようだ。まあ今時は魔導師も動けないとな。そうでなくとも、ひとりで戦うにせよ仲間と組むにせよ、近接攻撃役の動きを知っていることは必ずプラスに働く。知識だけでも彼らの財産になるだろう。

 しかし。残念ながら今日は、単なる訓練のようだ。新しい知識を先生が教授してくれるというよりは、それらを自分に取り入れて実践する時間。もう少し早くこの学園に入っていたならば、講義を聞くことができただろう。少し惜しい。オレも魔物相手の経験こそ人並み以上だが、戦法は我流だ。先日の魔法術の授業に続き、新しいことを取り入れるべきである。

 この時間の訓練は、試合形式で行うらしい。ペアを組み、その相手と一緒に身体の動かし方を試す。ということはつまり、対人戦、あるいは人型の魔物との戦いを想定したものを、みんなは近頃学んだということだな。

 相手のいる修行は効率がいい。多くの学生が通う学園ならば実力の近い者を見繕いやすいだろうし、やはりここはいい環境だ。

 

「では、散開して4組ずつ試合を始めてください」

 

 指示を聞いた皆が動く。新参者らしく周りの流れを見守っていると、彼らは既にペアを組んでいるらしかった。

 むむ、どうしたものか。こういうときはマリンに声をかけるようにしているが、彼女今回は空いているかな。後衛のマリンに前衛の動き方を教える良い機会だと思うんだけど。

 視線をさまよわせ、マリンの姿を探す。……いた。しかし他の学生に話しかけられているようだが、どうしようか。

 

「ミーファさん、いいかしら」

「え?」

 

 声の方を向く。知っている声だが、まだ慣れてない。だから、驚いた。

 同じクラスの女生徒……チユラ王女が、そこにいた。

 

「私とやりましょう、ほら」

「わ、っと……」

 

 短くぶっきらぼうに告げ、訓練用のグローブをひょいと投げてきた。反射的にキャッチする。

 王女は返事も待たず、つかつかと試合場のひとつに歩いていってしまった。手の中のものを見る。これを受け取ってしまったからには、彼女と試合をしなければならないだろう。しかし、なぜ声をかけてきたのか……。

 その意図を、想像してみる。

 高貴な人を相手に殴る蹴る投げるを試すなど、よそ者のオレでも恐れ多い。まして国民なら……。それに彼女の近接戦闘の強さは、マリン以外の生徒もうわさしていた。魔法術クラスの子相手では訓練にならないのだろう。

 あの子はこれまで、対戦相手には恵まれていなさそうだな。学園の訓練時間は退屈だったと思う。突然やって来た留学生に、気まぐれに声をかけてみたってところか。

 ――おもしろい。

 光の勇者の子孫だという彼女がどんな技を使うのか、間近で見られる。無論、彼女は王族だし、女の子だ。こちらは手加減するけれど、退屈はしなかろう。

 いいひとときになりそうだ。

 

 試合場の中心に立ち、麗しい少女と向かい合う。グローブに手をおさめ、ぎゅっと締め付けながら、相手の様子をうかがう。

 彼女は胸を張って凛とした姿勢で立ち、気の強そうな目で、オレを見据えていた。

 

「ミーファさん。ひとつ、勝負をしませんか?」

「……勝負?」

「ええ。両膝をついたら負け。そして勝った方が――」

 

 薄く笑いながら言葉を紡ぐ少女の、どこか妖しい雰囲気に、ごくりと喉が動く。

 

「明日は、ユシドさんの隣に座る」

「は?」

 

 なに。

 それ。

 

「あら。だって、ミーファさんばかりあの人の隣にいて、ずるいもの」

「あ、ええと、あはは。席にこだわりがおありなら、譲りますよ」

「……そう。つまらない」

 

 いまいち意図がわからない。エキセントリックな子だな。王族って、庶民の常識では測れないところがあるのかも。

 身体を伸ばし、チユラ王女に向き直る。教師の号令がかかり、4つのスペースで、4組のぶつかり合いが始まる。

 オレは半身になり、腕を軽く構えて相手の出方を待った。

 

「……幼馴染だって言っていたけど。いつまでも独り占めできるとは、限らないわ」

「え?」

 

 王女が、踏み込んできた。

 速い! 初動からこのスピードは、戦い慣れない学生には出せないはず。相応の訓練を積んでいるんだ。

 だが動きは愚直だ。構えた拳を振りかぶり、真っ直ぐに右腕を刺してくる。狙っているのはこちらの顔面か。威力は怖いが、ガードしてみよう。

 腕をさらにあげ、顔を守る。しかし……

 力がこもっているように見えたその右腕が、静止した。

 

「あぐっ!? か、は……!」

 

 誰かがうめき、あえぐ声。いや、これは自分の声だ。視界には地面だけがある。何が、起きた?

 ……初撃はフェイントだったんだ。そうして無防備になっていた腹部に一撃、重いものを食らったらしい。早くうずくまって、苦痛が過ぎるのを待ちたかった。

 重い痛みと、冷たい汗を感じながら、考えるのは、チユラ王女のこと。

 “独り占め”。“ユシドの隣に”。そして、ユシドといたときの顔。

 彼女は、彼女は……

 

「……すごいわ。これで膝をつかないなんて」

 

 身体を起こし、少女に向き直る。膝をつかないのは、当たり前だ。

 考えるのはやめる。女の子の考えることなんて、明日の天気ぐらいわからない。ただ……

 負けるつもりは、なくなった。

 

「らあっ!!」

 

 相手の首を切り落とすイメージで、脚を振るう。

 それは硬く頑丈な腕によって防がれる。足を引くと、チユラ王女は、好戦的に笑っていた。

 拳が飛んでくる。今度はしっかりと受け止めた。……重い! ビリビリと、筋肉の奥の骨までしびれるようだ。

 蹴る。蹴る。殴られる。殴る。殴られる。そうしているうちにいつの間にか、彼女の拳は白銀の光を湛えていた。やり返すオレの手足もまた、雷の線をまき散らしている。それらは無意識に互いが纏っていた魔力障壁とぶつかり、時折強く輝く。

 ……強い。こんなふうに、筋肉と魔力で殴ってくるお姫様がいるか。いるんだけど。どんな育て方をしたんだ、ここの王様は。

 けれど楽しい。ぶつかり合うたび、綺麗な火花が舞い散って、身体が痺れる。心臓が調子を上げていき、身体が熱くなっていく。

 そして。それは、あの表情をみるに、向こうも似たような気持ちだと、思った。

 

「はっ!!」

 

 右拳直打が飛んでくる。もうガードはしない。自分のいつもの戦闘速度に、ようやく身体が追いついてきたからだ。

 肩のあたりを狙ったその攻撃を見切り、紙一重でかわす。そのまま腕を絡めとり、身をひるがえす。彼女の重さを肩に感じた刹那、腕を折らないよう留意しつつ、思い切り、上に投げた。

 うまくいった。空中に浮かされてしまえば、ほとんどのやつはどうしようもなくなる。あとはどうにでも討ち取ってしまえる。

 身体を深く沈ませ、拳を腰だめに構える。雷光が弾け、独特の音が訓練場を少し騒がせる。

 見上げた視線の先には、宙に投げ出された王女。……だが彼女は、そのままそこで身体を回転させ、姿勢を整えた。さすがだ。

 それだけじゃない。相手はそのまま、高さをアドバンテージに変えて、反撃をしようとしている。力を溜めるかのように身体を縮めたチユラ王女の脚に、眩いほどの光が凝縮している……!

 体現するのは、力強さと美しさ。今の彼女は一本の槍であり、流星だった。

 

「ロイヤル……キイィイーーーック!!!」

 

 なんだその技の名前。カッコ悪っ。オレの方がセンスがある。

 

「雷神グ……アッパーーーッ!!!」

 

 屈めた足をばねのように伸ばし、跳躍しながら、魔力を乗せた拳を突き上げる。

 黄金の稲妻が、白銀の流星とぶつかり――、

 

 

 

 

 昼休みになった。

 荷物の中から昼食を持ち、あの屋上へと向かう。人目があるときはゆっくり、人目が無くなれば、跳ねるように階段をのぼっていく。

 テラスへ出る扉を、力強く開けた。

 

「むっ」

 

 そこには既に、二人の姿があった。チユラ王女とは同じクラスのはずなのに、昼の時間になるとオレの目を盗んで必ず先にここへ来ている。一体どうやって……。

 そして、距離が、近い。

 どこから持ってきたのか、石畳の地面に優雅な絨毯のようなものを敷いて、二人は隣り合って座っている。

 ……まあ、いいんじゃないですかね。お姫様がこんな田舎出身の旅の優男の隣に座りたいというのなら、座ればいい。たぶん若い乙女にありがちな、恋をすること自体に酔うような、一種のお遊びだろう。多感な時期の少年少女が集うこの学園では、婚約を交わした男女のように仲睦まじいやつらもいるようだし、王女様もやってみたくなったとかそういう感じだと思う。数えるほどしか会っていない異性に入れ込むなんてこと、そうそうないはずだ。

 だから、別に、彼女がユシドにどう接しようと、オレには関係ない。

 

「ミーファも座ったら? これね、僕が買ってきたカーペット」

「……ん」

 

 オレは逡巡したのち、ユシドの左隣に腰を下ろした。姫様がいるのとは反対側だ。

 

「ん? あれ、お二人とも、なんか位置が」

 

 ユシドが違和感を覚えた通り、オレ達の位置取りはどうにもおかしい。

 三人横並びで同じ方向に顔を向けているわけで、これから観劇でもするのかという具合だ。

 ……あのとき、彼女との勝負は引き分けだった。互いの大技は膝をつくほどのダメージを与え、死闘に発展しそうだったところを先生に止められ、決着がつかず終わってしまったのだ。

 だからまあ。その、別に、ユシドの隣に座るとか、良い大人としては非常にどうでもいいんだが。

 引き分けは引き分けだし、彼女の意に沿うなら、こうするのが自然だろう。

 

「あ、あの。食事は向かい合って団らんを楽しむものでは?」

「………」

「………」

「なに……これは……?」

 

 そんなのオレにもわからん。わからんが……

 あまり、向こうの方ばかりは、見るな。

 

 



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40. ダンジョン潜行訓練

 集合場所の地図を眺め、周りの景色と見比べ、目の前のものがそれかどうか確かめる。

 王都の街道を北東へ歩き、さらにたどり着いた小さな森の拓かれた道を進み、奥山にまで入ってしまう寸前の、とある岸壁に行き当たったところ。

 そこには大きく口を開けた、洞穴があった。

 足を踏み入れてみる。すぐにわかったのは、入り口であるこの穴は自然のものではなく、近年に掘り進めたものだということだ。下に続く石の階段が整備されている。集合場所はこの先だ。

 オレはひとつ深呼吸して、地上の空気を肺いっぱいに吸い込む。そうして地下へと続く長い階段を、ゆっくりと降り始めた。

 

 向かっているのは、王都の政府が近年発見し管理している、地下ダンジョンのひとつである。

 今日はもちろん制服を着ていないし、装備や荷物も探索を意識したものだ。つまりハンターとしての仕事でここへ来た。

 ……わけでは、ない。

 本日の日程は“地下ダンジョン潜行訓練”である。学園のカリキュラムとして行われる職業訓練、または実地訓練。オレは多くの職種の中から、人気があるだろうハンターズギルドのものを選んだ。これから向かう先では、ほかの学生たちや引率の教師、外部講師の現役ハンターが待っていることだろう。

 学生の訓練なんかに使うくらいだから、もうほとんど資源を取りつくしていて、潜む魔物も低級のものなんだろうが……まあ、マリンがこれを選択するというものだから、オレもついていくことにした。彼女はダンジョン関連の依頼を受けたことがないからと語っていたが、学園でまでハンターのお勉強をすることを選ぶとは、真面目なことだ。

 しかしたしかに、貴重な機会ではあるな。ハンターってのは互いにより高みを、より良い報酬を目指して競争しているわけだから、打算なしに後輩に仕事のいろはを教えてくれるような、優しさの塊人間はあまりいない。

 おそらく外部講師のハンターも、報酬を学園側から受け取ったうえで学生たちの前に立つのだと思うが、それでもありがたい話である。知識は武器だ。経験者から基礎的なものを学ぶだけでも、生存の確率は大きく上がる。この実地訓練は、魔物や迷宮を相手にする進路を考えている若者たちにとって、きっと意義があるものになる。

 

 階段を降りきると、地下の穴倉らしからぬ、想像より明るく広い空間が広がっていた。あちこちにテントや魔力灯の光が見え、炭鉱の道具、魔物退治の武具など揃えられているようだ。ここは王都政府が業者に建設させた、入り口にして探索の拠点となるフロアなんだ。

 周りをきょろきょろと見まわし、何人かが行きかう中で、知った顔を見つける。一緒にこの訓練を受けようと示し合わせていた友人、マリンだ。

 

「おおい、マリ……ゲッ」

 

 こちらを認めて笑顔で手を振ってくるかわいい銀髪、の横には、これまた美しい金髪少女の姿が。

 しかしその表情は、なんというかちょっと厳めしい。考えすぎだとは思うが、現れたオレをにらんでいるようにも見える……。

 金髪の少女――チユラ王女が、このホコリまみれの地下ダンジョンにいる様子は、どうにも組み合わせが悪い。

 その容姿を眺めてみる。

 彼女はオレと同様に、お姫様っぽくはない短めの髪に、いつもの学生服姿ではなく身体を動かしやすそうな軽装備を身にまとっている。しかしさすが高貴な身分の人なだけあって、そのデザインは美麗、かつ質も良さそう。何より着ている本人のオーラがそう見せているのかもしれないが……。

 ともかく、そんな彼女の輝きに、薄暗いダンジョンは合わない。

 彼女がここにいることは意外中の意外だ。別の訓練を選択すると思っていた。

 

「マリン、ごきげんよう」

「ごきげんよう、ミーファさん」

「……チユラ様、ごきげんよう」

「……ええ、ミーファさん。まさかご一緒することになるとは思いませんでした。うれしいです」

「そんな。わたくしもです。ウフフ」

「オホホホ……」

「ウフフフフフ!!!」

「オーホホホホ!!!」

 

 二人分の甲高い笑い声が地下にこだまし、間に挟まれたマリンが迷惑そうな顔をしていた。ごめんね。

 スン、と互いに真顔に戻る。

 オレはこのお姫様のことは、まあ嫌いではないのだが、向こうは少なくともこちらを好きではないらしい。

 あれから今日まで、何かと因縁をつけられている。抜き打ちの試験の点数で勝負とか、組手で背中をついたほうが負けとか。仲良くなるには、遠そうだ。

 

「やあ、みなさん。全員集まったようだね」

 

 彼女の感情をどういなしたものか考えていると、男性の声。眼鏡をかけた細身の人……魔法術の授業を担当してくれている先生が、オレたちに話しかけていた。背中には、授業のとき以上にやたら荷物が詰め込まれた重そうな背嚢が見えており、大変そうだ。

 ちなみに、彼の名前は、デキヤという。

 

「ん? 全員?」

 

 周りを見る。デキヤ先生。オレ。マリン。チユラ王女。そしてその斜め後ろに、白黒の給仕服を着た、黒い髪の女性がひとり。メイドだ。

 え? なんで地下にメイド……?

 

「なんで地下にメイド?」

「おや、なぜ地下にメイドが……?」

「わあ、メイドさん、ですか。初めて見ました」

「……ええと、私の付き人です。今日はうまく撒けませんでした。すみません、先生」

 

 チユラ王女が謝るのに合わせ、みんなの視線を受け止めていたメイドさんがお辞儀をする。こちらも会釈をした。

 

「ハイムル・サザンクロスと申します。姫様のご意思とはいえ、魔物の巣窟に護衛もつけず向かわせるわけには参りませんので」

「下級のダンジョンくらい、ひとりで平気です」

「脳筋……いえ、姫様はもう少し、ご自分の立場を自覚してください」

「はいはい。……ん? 脳筋って言った今? ねえ。おい」

「お言葉遣いが乱れておられます」

 

 チユラ王女の嵐のような連続パンチを涼しい顔でかわし続けているこのメイドさんは、ハイムルさんというそうだ。なるほど、強いな……。

 珍しい黒髪と黒の瞳が印象的だ。歳はオレ達よりも、やや上くらいか。背格好からして20前後だろう。魔力の気配は薄いが、チユラ王女に無礼な口を聞けるあたり、ただものではない。王族の付き人とはこういうものか。……いやこういうものか? 本当?

 さて、ハイムルさんはお姫様の護衛役ということだから……参加している学生は、オレと、マリン、チユラ王女か。

 

「え、じゃあ3人だけ?」

 

 少ない。ギルドのハンターは人気の就職先ではないのか? 対魔物の激戦区だし、高い実力を持つ武芸科の生徒たちならば、裕福な暮らしも夢ではないはずだが。

 ……いや。王立学園の生徒たちの大多数は、もともと裕福な暮らしをしているし、それより国を動かす側や経営者に興味がある子が多いのかな。彼らから見れば、ハンターや冒険者のたぐいは、一獲千金を狙って刹那的な生き方をしている連中に見えるかもしれない。

 いずれにせよここにいる3人は、他の学生たちとはこれまでの生き方が異なっている。だから、実は人気のない訓練を選んでしまったのかもしれない。

 例えばマリンは、清貧な暮らしの庶民で、魔力を人より多く持っているから、この道を選ぶのが最適に思えたのだろうか。

 王女様は……わからん。拳で魔物を叩きつぶしたいとか?

 まあ、一般的に見て、変わり者が集まってしまったわけだな。

 

 先生を交えて今日の訓練について確認事項を整理していると、近くにある大テントのひとつから、大柄の男性が現れ、こちらへとやってきた。

 

「おう、訓練の学生さんたちかい。俺の名は………なんでメイド?」

「お気になさらず」

 

 ナンデメイドさん。覚えた。

 風体や装備品から見て、今日の引率を買ってくれたハンターだろう。……ようく思い返せば、ギルドで何度かすれ違った気がしないでもない。

 実力のあるハンターの顔はなんとなくオーラがあって自然と覚えるのだが、彼についての記憶は怪しい。腕っぷしに関して学ぶところはなさそうだが……まあ、ダンジョン侵攻の基礎知識でも教えてくれるなら、オレとしてはありがたい。

 

「おおう、とびきりの美人さんが4人とは、ついてるね、はは。……ん?」

 

 精悍に笑っていた彼は、オレ達を見るうちに、やや訝しげな表情へと変化していった。オレの顔になんかついてるか?

 

「そこのお二人さんは、たしか新参の……ご同業じゃねえか。え? 学生だったの? すごい勢いで昇格してるよね? 俺と同じランク……」

「先輩方のご指導のたまものです」

 

 にこりと作り笑いをしておく。

 先輩は先輩だ。彼に学ぶことは間違いなくあるはずなので、敬意をもって接していこう。

 

「お、おお。よろしくな。……あと、そこのお嬢さんは……」

 

 ナンデメイドさんは、続いてチユラ王女に視線を注いだ。これは、驚くだろうな。顔の良いお姫様っていうのは国民の憧れの的だ。そんな人に、こんな思いもしないところで出くわしたら、いやはや、もう。

 しかし身分を知っている者から見れば、いささか不躾な視線である。王女が気を悪くしなければいいが。

 

「王女様たちに似てるな! 髪を伸ばせばそっくり! 美人さんだねえっ」

「よく言われます。光栄ですわ」

 

 と、優雅に微笑むチユラ王女。……なんでバレないんだ? 公務のときはウィッグでもしているのかな。

 

「それでは、先生。学生さんたちの準備はよろしいですかい」

「ええ。各自、装備や携行品の点検と、注意事項の確認は済みました」

「オッケイ。ではこれから、地下迷宮の潜行訓練を開始する」

 

 ナンデメイドさんが号令をかける。彼もこの仕事は何度か請け負っているのか、慣れた様子がうかがえる。内容に期待してもいいだろう。

 出発だ。

 ……オレは試しに、腰の剣に触れ、刃を引き抜こうと力を入れてみた。しかし、やはりびくともしないそれに、ため息が出る。

 最近のイガシキはまさしく、ただのお荷物だ。一体なぜずっと機嫌を悪くしているのだろうか。ハンターの仕事を始めたとき……いや、マリンたちと組んだときくらいからそんな感じか……。

 まあ今回は、これを抜くような修羅場はない、と思いたい。

 

「お嬢様方。先導は俺、しんがりは先生さんがやるから、安心してついてきてくれ。……いやまあ、君らに指図するのもおかしいが」

 

 言葉に従い、警戒をしながらダンジョンに潜っていく。人間が設営したセーフゾーンを出れば、そこはいつ怪物たちに襲われてもおかしくはない魔窟だ。

 ただ、学生たちの訓練などに使うだけあって、この洞窟はそう危険がないという話だ。調査進行度は高く、訓練に使う浅層ではトラップのたぐいも除去済みで、魔物のレベルも低い。あくまで現場の雰囲気を掴みながら、基本的なことをおさらいするのが目的だろう。そう表現するとつまらなさそうだが、生徒を丁寧に育てるならば、大事な訓練だと思う。

 

 道中、敵が現れた。大きなネズミの魔物だ。常であれば先頭のナンデメイドさんが引きつけている隙に倒すのだろうが、血気盛んな姫様が速攻でぶちのめしていて、彼は「えっ……」とだけ漏らしていた。わかるわかる。彼女、黙っていれば清楚だからね。

 あと、普通の王女様は人間大のネズミを殴りつけたりはしない。

 

「さて。ここまでの行軍は、まあその、あまりセオリー通りでは、なかったんだけれども、危ういことなく連携……連携? はできていたように思う。……さすが王立学園の生徒たちだ!!」

 

 ややひらけたスペースに辿り着くと、一行は脚を止めることになった。

 めちゃくちゃ言いよどみながらも、ナンデメイドさんはオレ達を褒めてくれる。実にやりにくそうだ。

 しかしこちらも感心している。彼の先頭役……いわゆる盾役としての脚運び・立ち回りはしっかりしていて、こういう場所での進み方の参考になった。きっと、護衛の仕事を数多くこなしてきたのだろうな。彼はたしかな実力者だ。

 オレ達と同じということは……Bランク。普通は数年かかると言われた等級だ。彼がこの王都で中堅ハンターになるまで生き残れていることこそが、その力の証明であるといえよう。

 

「よし、先生、講義の方をどうぞ」

 

 次は、ナンデメイドさんに話を任されたデキヤ教諭が、我々の前に出てきた。彼の方からもいろいろと指導することがあるのだ。学生3名に先生2人というのは、よく考えればいつもよりずっと手厚い。

 

「ダンジョンというのは、自然がつくりだした迷路や古代人の建造物までいろいろありますが、つまりは“資源と魔物が混在する迷宮”の総称です。知っていますね。……では、我々がいるこの迷宮の正体は、一体なんでしょう? ただの洞窟ですか?」

「はい」

 

 先生の質問に対し、王女が挙手をする。さすが優秀だ。

 

「チユラさん、どうぞ」

「古代人由来の何かだと考えます」

「根拠は?」

「それ」

 

 彼女が指さした先に視線を向ける。さっきからオレも少しだけ気になっていた。

 そこには、天然の地下洞窟にはありそうもない、なぞの物体が鎮座している。円柱の形をしているが、素材がどうもこのあたりの鉱石ではないし、形も計算されて綺麗に削られていると思う。直線で描かれた模様があちこちに彫られていて、これは間違いなく知性ある者によって造られたものだ。

 そして、円柱は一部が切り取られたように欠けている。大人の腹辺りの高さの位置だろうか。そうして欠けた部分にできたスペースには、まるで宝石の断面のように滑らかな黒い板と、人の頭くらいの大きさの丸い石が設置されている。

 こういった制作意図の全く読めない物体は、宗教的な飾りであるか、古代人の遺した“何か”だ。学者たちも当然、目を皿のようにして研究する。

 だが冒険者たちにはこの価値はわからない。直接の儲けにはつながらないものだ。だからいつも、こうしたものは無視している。

 ともかく。

 たしかにこのダンジョンは、古代人関連のものらしい。

 

「そうですね。そして大事なのが、こういうものには決して触れない、近づかないのが鉄則です。何故かはわかりますね」

 

 と言いつつ、オレ達は形状の詳細がはっきりとわかるほどに近づいていて、同じ空間で授業なんぞ始めているわけだが。

 まあ、調査済みのダンジョンだという話だから、今回は問題ないということだろう

 

「今回は特別に許可を得てここまで近付いています。危険性がないことは既に調査済みですので、問題はありません。……このように、ダンジョンとは、失われた歴史を解き明かすための、貴重な資料でもあるのです。まあ歴史の先生の受け売りですが」

 

 なるほど。今まで関心はなかったが、そう聞くと面白いな。意匠から古代文明のなんたるかを推測したりできるのかもしれない。

 でもそれより、破壊したら伝説の武器とか出てこないかな。破壊したい。

 不穏なことを考えながら見学する。みんなで謎物体を囲み、どんな歴史的意味を持つものなのか考察し合った。オレは宝箱だと思う、破壊しようぜ。

 

「この丸い石が気になりますね」

 

 王女様の言葉を聞き、それに目を向ける。

 そういえば前に、ギルドで同じような形のマジックアイテムを見たな。あれは水晶玉だが、手で触れると起動して、触れたもののステータスというのを紙に焼き付けるんだ。

 これも同じ方法で起動するマジックアイテムの類かも。触れてくれと言わんばかりの位置にあるし。

 

「触ってみたら何か起きるかもしれませんよ」

「こう?」

「あ、チユラさん。あまり触れないように――」

 

 離れて見ていた先生が、注意を投げかけようとしたときだった。

 王女様の触れた、ただの丸い石が、光を放ち始めたのは。

 

「これは――!?」

「いけない!! みんな、そこから離れて!!」

「っ、手が、離れない……ッ!」

 

 先生の声色が必死なものに変わる。指示に応じようとしたが、王女の手が、光る石に張り付いてしまったようだった。これは、罠か……!?

 王女の腕をつかみ、引っ張ってみる。びくともしない! そもそもが怪力のチユラ王女だ、力でどうこうできないものである可能性がある。

 ――破壊する!

 雷撃を腕から放出し、円柱にぶつけてみる。……王女が傷つかないよう威力を絞り過ぎたようで、壊せなかった。もう一度!

 腕を振りかぶろうとして、さらなる異変を目の当たりにする。

 

《……ザザ……移門を起動し………市民の皆様は……の内側に……ザザ……》

 

 この場にいる誰のものでもない。無機質な声。おそらく、この柱が発したもの。イガシキの出す声質と、どこか似ていると思った。

 気付くと、円柱に彫られていた直線模様に、同色の光が走っていた。同時に、円柱を起点に、彫模様の線がはみ出るようにして、地面に魔法陣が描かれる。見たことのないタイプの術式で、効果が想像できない。

 何かが起きている。オレ達は一刻もはやくここから離れるべきだ。それはわかっている。

 魔法陣がまばゆい光を放ち始める。どうする、このままではみんな……!

 

「ナンデメイドさん! 先生! ここを離れて!!」

「……えっそれ俺のこと!? くそっ!! みんな――痛あ!?」

 

 大人の二人を蹴り飛ばし、魔法陣から追い出す。

 何が起きるか分からない以上、効果範囲内に人は少ない方が良い。

 マリンと、ハイムルさんを遠ざけようとして二人を見る。だがそこで、視界は完全に光に覆い尽くされ――

 世界が、白く染まった。

 

 

「……どうなった?」

 

 閉じていた目を開く。

 身体の感覚を確かめながら、自分の姿を見下ろす。どこも異常はない……と、思う。思いたい。

 

「ミーファさん、手を離してくださいな」

「あ、ごめん……って、チユラ王女! 平気ですか?」

「ええ、身体の方はなんとも……」

 

 すぐそばから声をかけられ、慌てる。言葉の通り、彼女は五体満足、無事のように見える。石にくっついていた手も離れているみたいだ。

 視線を彷徨わせる。目の前には例の物体。先ほどの派手な光はなんだったのやら、最初のときのようにただそこで沈黙している。

 そして、魔法陣の広がった範囲の中にいた、マリンと、ハイムルさんも異常はなさそうだ。

 じゃあ今のは、一体なんだ?

 

「ミーファさん、大丈夫ですか? ケガはありませんか?」

「うん、なんともない。ありがとう」

「……これは。大変なことになりましたね。どさくさに紛れて姫様を見捨てるべきでした」

「あなたねえ」

「お嬢様方。周りをご覧ください」

 

 言葉に従って、きょろきょろと見回してみる。

 ……デキヤ先生と、ナンデメイドさんの姿がない。そして。

 天井の高さが違う。部屋の広さが違う。においが違う。……ただよう魔力の気配が、違う。

 

「どうやら我々は、どこか違う場所に“跳ばされた”ようですね」

 

 

 

 しばらく、オレ達のいる部屋を、手分けして探索してみた。

 これといって特徴はない。すべては岩土に囲まれ、洞窟のように見える。

 ただ、ところどころに。“整地”されていた過去が垣間見える。これは洞窟ではなく、建物だ。巨大な城のような。それが地中に埋まり崩壊していったものが、この迷宮の正体なのかもしれない。

 つまりは、あれは古代人の仕掛けた、侵入者を離れた場所に跳ばす装置。そういうことになるだろうか。

 

「こういう罠もあるんですね。人間の考えるものって、面白いです」

「そうかな……」

 

 考えたやつは相当性格悪いと思うけどな。

 ……あれはおそらく、大きな魔力を感知すると起動する仕組みなのではないだろうか? これまで動かなかったものが今になって作動するのは、メンバーに問題があったと推測する。雷の勇者に光の勇者、初代光の勇者の子孫だ。何が起きても不思議ではない気がしてしまう。

 まったく最悪だ。おかげで先生やナンデさんとは離れ離れになり、帰る道もわからない。

 そう。帰る道が、わからない。

 どうやらここは、事前にもらった地図には記されていない、新たな階層であるらしかった。周囲のつくりと、情報との特徴が一致しないのだ。

 

「みなさん、良いかしら」

 

 チユラ王女が呼んでいる。オレたちは例の、謎の魔法術発生装置の前に集合した。

 

「もう一度触れたら戻れないかと思って、やってみたんだけれど……これを見て」

 

 王女が示したのは、丸い起動装置に近い位置にある、黒い板だ。

 いや。……ただのっぺりとした黒い板では、なくなっている。そこにはいつの間にか、何かの文様があらわれていた。

 この並び方は、図絵、ではない。これは文字列……現代では失われた、古代人たちの扱う文字だろうか。

 

「古代文字を読める人は?」

 

 王女の呼びかけに対して首を横に振っていると、オレの背後から、はい、と控えめな声がした。

 マリンだ。

 

「自信はないんですけど、選択科目で習ったので……試しに、解読してみます」

 

 マリンは荷物から、紙と金属ペンを取り出した。黒いプレートにあらわれた文字を写したあと、何やら書き込んでいく。みんなして後ろで見守っていると、ときどきこちらを振り向いては、やりにくそうにしていた。ごめん。

 

「できました。意味の分からない部分は、なるべく発音のままです」

 

 マリンの広げた用紙を、みんなで覗き込む。

 

 

 6番転移門 上層 飛空船発着所行き

       下層 モール・マーケット行き

 ※一級市民専用につき 血中マナ・ライセンスの提示を求めます

 

 エラー 駆動系のトラブルにつき 動作不能 

 現在使用不可 専門技師によるメンテナンスを実施してください

 

 

「“転移門”。なるほど、聞いたことがあります。遠く離れた場所に、一瞬で移動できる魔法術があったとか……。いわゆる、ロスト・マジックのひとつですね」

 

 現代には術式が伝わっていない、大昔の魔法術ということか。

 うーん、失われてしまったのが勿体ない。こんなことができるなら、いちいち長い旅をすることもないし、交易も楽になる。古代人はさぞいい暮らしをしていたのだろう。

 ともかく。マリンが解読し、王女様がピックアップしたこの箇所。読み取るべきはここだ。

 

「転移の術だというのなら、同じように使えば元居たところに戻れないのでしょうか?」

「“使用不可”とある。もうこの装置は壊れてしまったのだと思います。でも……」

 

 ハイムルさんの声に答えながら、マリンの解読書の字を指でなぞる。

 

「“転移門”の前に番号が振ってあります。マリン、これは確か?」

「数字は比較的読み取りやすいので、確度は高いです」

「ならば、6番というのは、他にもこの装置があることを示していると考えられます。だったら」

「別の、まだ動くものを探して、動かしてみる」

「ええ」

 

 みんなと顔を見合わせる。帰還の糸口が見えてきた。

 たぶん、“上層”というのが、今まで我々が初心者向けダンジョンだと思っていた階層だ。上層へ行くことができる転移門、もしくは、昇りの階段を見つければ、地上に戻れる可能性はある。

 

 オレ達は話し合い、今いる広場を拠点にして、脱出を目指すことに決めた。

 みんなの荷物を検めたところ、食料は一週間分程度。

 正直、これにはどきりとしたのだが……他のみんなの顔色を窺うと、絶望した様子などなく、意外にも落ち着いている。命がけで戦うこともあるマリンはまだわかるが、温室育ちなイメージのお姫様までこうも精神的に強いとは。

 負けてはいられないな。近頃は若者に負かされすぎていて、そろそろ勇者シマドの名が泣く。

 

 それにしても、マリン。まさか古語を読み取れるとは。

 稀有な能力じゃないだろうか。彼女が旅に出て冒険者になれば、きっと役に立つに違いない。というか今まさに役に立った。

 オレは、自分にできないことをできる人間が、好きだ。敬意を抱く。

 

「マリンさん、でしたか。あなた、本当にこれを学園の講義なんかで学んだの?」

「あ、その、正確には、学園の図書室で……こういうものに、興味があって……」

「……そう。すごいわ」

「み、身に余る、お言葉で、その」

 

 彼女が王女様に褒められているのを見ると、我がことのように嬉しくなった。

 

 

 

 迷宮の中は、意識してよく観察してみると、なるほど、何かの建造物の内部であることは見えてくる。壁のつくりなどが、岩山を掘削してできるものじゃないからだ。進むごとに、ここが地中に掘られた洞窟ではなく、地中に埋まった何かだったのだ、という説が補強されていく。

 地図を作成しつつ、ゆっくりと進んでいく。恐れ多いことに、地図を描いているのはお姫様だ。

 最初はオレがやろうとしたのだが、へたくそな線画を見た彼女に用紙を奪い取られた。だってやったことないし……地図が無くても道覚えられるタイプだし……。

 チユラ王女のほうは一度やってみたかったらしい。本当なら今日の訓練で、こういうことを学ぶはずだったのかもしれないな。

 

「ん……」

 

 足を止める。先頭を歩いていたオレの合図で、後続のみんなも警戒する体勢になっているはずだ。

 行く先から魔物の気配を感じる。それはかすかな足音、唸り声であったり、けものの臭いであったり、彼らの身体を形作る魔力の波動であったりする。

 肌を刺す殺気は、どうやら上層の大ネズミとはレベルが違う。だがみんなを危険にさらすことはない、オレが倒してしまおう。マリンもチユラ王女も強い子だが、彼女たちはいろいろな役割を担っている。露払いは、戦いしか能がないオレに任せてもらおうか。

 

「魔物なら大丈夫よ、ハイムルに任せておけば」

「へっ?」

「お嬢様、お下がりを」

 

 勇ましく前へ出ようとしたところ、誰かに先を行かれる。

 ゆっくりと歩くのは、メイドのハイムルさんだ。

 

『グアアアアアッ!!』

「!! ハイムルさん!」

「はい」

 

 ちん、と何かが鳴る音がした。

 

 暗がりから素早く飛び出してきた魔物。蝙蝠の翼や牙、爪をもち、しかし人に似た形をしている。ウェアウルフのような、亜人型の魔物だ。

 襲い掛かってくるやつに対し、なんとハイムルさんは、無防備にオレの方を向いている。名前を呼んでしまったからだ。

 冷たいものが全身を流れる。咄嗟に魔法術を放とうとして――

 しかし。

 蝙蝠の魔物は、真っ二つになって、地面にぼとりと倒れた。

 

「……これは……?」

「うー、久しぶりに見たけど、やっぱり見えない……」

 

 隣で王女様が悔しそうに唸り声をあげている。魔物は光の粒をまき散らし、暗闇に消えていった。

 

「ミーファお嬢様。魔物の退治ならばご心配なく。ただ、私の定位置は姫様より後ろと決まっていますので……」

「は、はあ」

 

 恭しく頭を下げるハイムルさん。その両手に、何かが握られていることに気付いた。

 カタナだ。イフナと同じ武器。

 魔物が倒れる前に鳴った音。たしかに聴いたことがあった。あれは、刀を鞘に納める音だ。

 嘘でしょ? この人が斬ったってこと?

 

「おや、これは……巣に踏み入ってしまったようですね」

 

 道の先、やや広い空間に出る。マリンが灯りの魔法術を強め、部屋が照らされていく。

 そこには何匹もの蝙蝠人間が、天井にぶら下がっていた。

 一斉に顔を向けてくる魔物たち。この数となると、誰かを守りながら戦うのは難しいぞ。今度こそオレも助太刀せねば。

 

「いい運動になりそう。お嬢様方、お下がりを」

 

 くすりと笑い、ハイムルさんが前に出る。鋭い殺気のようなものに押され、オレは思わず後じさった。

 ひらひらのメイド服を着た女性が、腰を深く落とす。黒い鞘を腰だめに構え、右手が、柄を握り締めた。

 

「――ここで死んでいけ。シッ」

 

 あ、消えた。

 

「シャッ!」

「ぬぅん!!」

「イヤアアァーーオ!!!」

「斬る!」

 

 んん……?

 異様な光景に目をこすり、もう一度そちらを見ようとすると。既にハイムルさんは鋼が擦れる清廉な音を鳴らし、納刀しようとしていた。

 キン、と鍔が鳴る。人の来ないダンジョンで健気に生きてきた魔物たちは、哀れ、地面に墜落し、光のつぶへと崩壊していった。

 なるほど、惚れ惚れするほど鮮やかな手並みだが……

 幻覚でなければ、いま、ハイムルさんは、4人くらい見えた。

 

「今なんか分身してませんでしたか? あの人」

「残像よ」

「残像……」

「普通の人には消えたようにしか見えないはずだし、ミーファさんは目が良いのね。さすが私の好敵手」

 

 なんか……勇者なんて、大して強くないのかもしれないな。世の中広い。風の勇者の奥義を継ぐものとして、スピードの世界に関しては自信があったのだが。もうだめだこれ。

 ん? ていうかこの姫様、最後にさらっと変なこと言わなかった?

 

「メイドさんって、すごい職業なんですね」

「いや……そうかな……」

 

 うちのメイドとはえらい違いだけど。みんなこんなだったらハンターとか勇者とかいらないよ。

 

 着実に地図を埋め、魔物を討ち払い、進んでいく。

 道すがら、激強メイドのハイムルさんに、ひとつ気になったことを聞いてみた。

 

「ハイムルさん。イフナさんとはお知り合いですか? 王宮勤めの、剣士の」

「うちの兄弟子とお知り合いですか」

「兄弟子……なるほど。いえ、以前バルイーマの闘技大会でお見かけして……」

「ふうん。イフナ殿ったら、また護衛任務の合間に出場したのね。お父様も甘いわ」

 

 やっぱり。

 あんなほそい剣で目にも止まらぬ抜刀術を操る剣士など、そこらにいるはずがない。兄弟子と言うからには、ふたりは同じ流派の出身ということだ。

 あとついでに、王女様もイフナのことは知っているらしい。まあ兵士の中では一番活躍してそうだしな。

 

「二人とも超人のような強さですが……さぞ名のある剣術流派なのでは?」

「いえ。マイナーすぎて、門下生がいなくて」

「マイナーだからじゃなくて、超常の剣だからでしょ」

 

 姫様のつっこみ。もっともである。才能と凄まじい鍛錬なしに、あの域にはたどり着けまい。修行の風景を想像するだけで怖い。

 

「ちなみに、流派の名前は?」

「インフィニティエターナルセイバーブレイド流」

「なんて?」

「インフィニティエターナルセイバーブレイド流」

 

 ちょっと意味が分からない。

 

「しかしよくぞ同じ流派と見切りましたね。技の型は、イフナさんとは厳密には異なるはずです」

 

 いや。見切ったのではなく、見えないからそうだと判断したんですけどね。

 とはいえ興味が出たので聞いてみる。

 

「技の型とは?」

「私のものは殲尽(センジン)の型。イフナさんのものは千刃(センジン)の型というものです。他にも、閃迅(センジン)の型というものがありまして……」

 

 全部同じじゃん。

 

「まあ、外の人から見れば全部同じですかね。聞き流してください、お嬢様」

 

 さらっと3人目の使い手がいそうなことが示された。それにこんなものを教える師匠とは、創始者とはどんな人物だろう。謎は深まるばかりだ。

 

 

 

 

「む、あれは……」

 

 またしても魔物が現れる。地属性の魔法生物、ゴーレムだ。この地方に来てからよく見かけるが、古代人が使役していたのかもしれないな。彼らは人間が作り出し操った、岩の魔法人形が由来の魔物だ。

 敵のゴーレムを見やる。やつを倒さなければ、向こう側にすこし見える狭い通路を抜けるのに、邪魔になるだろう。

 しかし。見たところ、このゴーレムの外殻には金属的な光沢がある。人間が加工した鉱物からつくられたのだろうか。岩石製より硬そうだ。

 

「姫様、ここはお任せ致します。なけなしの賃金で購入した剣が折れますので」

「はいはい……」

 

 ええ。あの人、ご主人様に戦わせるの? なんか面白。

 

「ロイヤルパンチ……! フンッッッ」

 

 ガインと、奇妙な音。やつの身体がチユラ王女の光る拳を阻んだのだ。そりゃそうなる、相手はどうみても物理攻撃に強い。

 

()った~~っ!」

 

 王女は顔をしかめ、利き手をふりふりとやっていた。……しかしよく見ると、ゴーレムの体表面が一部へこんでいる。すさまじい拳打だ、魔法術クラスとは一体……。

 あの子、訓練の授業のときにたまにオレの顔面に入れようとしてくるけど。加減を誤ったらこっちは死ぬよね。

 

「王女様、交代っ!」

 

 数歩引いた彼女の、開いた手のひらをパチッと叩き、前へ躍り出る。

 ああいうのは体内に魔法の核があるんだ、それを焼き切ってしまえばいい。

 

「雷神剣っ!!」

 

 雷の刃を形作り、敵に押し付ける。出力を高めれば装甲を焼き切ることも可能だが、そこまでする必要もないだろう。

 魔力を放出し続け、やつの内部に電撃を染み渡らせる。派手な電光が迷宮を照らし、やがてゴーレムは、柱のような足を曲げ、膝をついた。

 後退する。……まだ、頭部に魔力の灯りが揺らめいている。しぶといな。

 

「マリン、交代!」

「ひゃ、ひゃいっ」

 

 後ろにいたマリンを引っ張ってくる。とどめをさしてやれ!

 

「スピア・レイ」

 

 膨大な魔力を凝縮した、白銀の槍が顕れる。肌をびりびりと震わせたそれは、マリンの振るった腕に合わせ、敵に向かって撃ち放たれた。

 異音とともに、光が突き刺さる。あの鋼を貫いたのだ、恐ろしいほどの威力が込められていると言っていい。

 そしてそれは、うまく核にダメージを与えたようだ。ゴーレムは地面に沈み、やがて動かなくなった。

 

「よっし。マリン、ないすふぁいと」

「わっ」

 

 彼女に片手を上げさせ、ぱちんと自分の手と叩き合わせる。これはハイタッチといって古代の戦士が互いの健闘を称えるときに行ったという伝統的儀礼であり……まあどうでもいい。

 ともかく、さすがだ。彼女の魔法術の腕は上達している。

 

「すごい魔法術。姉さまみたい……」

「姫様も見習って下さい」

「うるさいですね」

 

 実のところ、マリンは動く敵に術を当てるのが苦手だ。まだ戦闘経験が必要なのだが、仲間との戦いならば、彼女の長所はしっかり発揮できる。

 これからも、もっと強くなるかもしれない。……底が、見えないくらいだ。彼女が秘めている魔法の才能は。シークにも匹敵する可能性が、ある。

 暗い迷宮の中で、マリンの白銀の髪が、光って見えた。

 

 みんなで、先に進もうとする。

 ふとマリンを見ると、彼女は自分の手のひらを見つめていた。

 

「ミーファさん、手が、じんじんします」

「え。ごめん」

「……でも、なんだか。楽しい、です。とても」

 

 長い前髪に隠れた目を細めて、マリンは笑った。

 そりゃよかった。強く叩きすぎたかと思ったよ。

 ぼうっと立っているマリンの手を引いて、チユラ王女とハイムルさんの後へ続く。

 まだまだ。もっと楽しくいこう。迷宮の暗闇なんか、吹き飛ばすくらいにさ。

 

 

 

 その日の夜。

 いや、本当に夜かどうかはわからない。体内時計や疲労の具合から判断しているだけだ。迷宮には、マリンや姫が使う灯りの魔法術以外に、光源となるものはない。

 オレ達は、最初に転移した場所とは別の広い部屋に拠点を移していた。破邪結界で魔物を避け、ついでに姫様が力任せにどこかから剥がしてきた石畳で通路を塞いだ。彼女は「ドアだ」と言っていた。閉めないと眠れないのだとか。わからんでもない。

 食事を済ませ、見張りを交代で務めながら、身体を休めていく。荷物の中には宿泊を想定したブランケットやらの寝具があって、岩でゴツゴツのこんな場所でも意外にぐっすりといけた。

 何時間か経った頃だろうか。一眠りしたオレは、姫様と見張りを交代するため、形の良い岩に腰掛ける彼女に話しかけた。

 彼女はオレを見上げ、すこし間をあけたあと、口を開いた。

 

「……ありがとう、ミーファさん」

 

 なんだろう。まだ脱出できてないけど。

 それにしおらしい。表情も穏やかだ。いつの間にか魔物と入れ替わったかな? なんて。

 めちゃくちゃ無礼なことを考えながら、なんのことかと返してみる。

 

「転移装置が動いてしまったとき、ずっと私の腕を離さなかったでしょう。あなたはきっと、逃げることも出来たのに」

「ああ……まあ、その、必死だったので」

「多分、ミーファさんとマリンさんが一緒じゃなかったら……つらかった。だから、ありがとう」

 

 そう言って微笑むチユラ姫は、うん。

 良い子だな、と思った。

 そんなことは口には出せないので、当たり障りのない返事をする。彼女は立ち上がり、寝床の方へと行った。

 オレは彼女が残した魔法の灯りを見つめながら、王女さまのことを考える。

 正直……こんな目に遭えて、よかったかもしれない。だって、少しだけ、仲良くなれたように思う。

 誰かと、繋がることができた。そう思える瞬間は、オレがどれだけ歳をとっても、かけがえのない、嬉しいものだ。

 さて。できれば、明日で脱出したい。こんなとんでもない事故を、あって良かったと思うためにも。マリンやチユラ王女のような優しい子を、地上に返すためにも。

 しっかり、頑張っていこう。

 

 ちなみに。

 ハイムルさんがこのやりとりを、寝ずに暗がりから見つめていたという事実を知ったのは、次の交代時間になってからだった。

 

 

 

 

「あった――」

 

 あれから少し経って。やっと、転移装置を見つけた。

 広い広い空間の、奥の方にある。まだ動くかどうかはわからないが、ひとまず見つかって良かった。

 だが……。

 

「霊体のタイプね、あれ」

「刀で斬れないものは苦手です」

 

 こちらが灯りをつけずとも、そこにいることがわかる存在。青白く発光する球体は、人間や魔物の魂が肉の形をとらないまま力を得た存在だ。

 あの手の魔物には、物理攻撃が効きにくい。魔法術による攻撃も、属性によっては吸収してしまう。

 加えて、浮遊する霊の周り。やつの周囲が心地よいのか、迷宮に棲む魔物たちの憩いの場にでもなっているらしい。なかなかの数が集まっている。ここにきて、一番の修羅場になるかもしれない。

 

 だけど、不安は無かった。

 霊体の魔物は、光の魔力を持つふたりならば全く問題なく倒せる。数の多い連中は、ハイムルさんが殲滅せしめるだろう。けど、半分はオレに任せてくれていい。身体がなまりそうだから。

 みんなと手順の打合せをする。失敗の恐怖はない。まるで、今も地上にいる仲間たちと一緒にいるかのような、心強さだけがある。

 さあ。

 みんなで、外に出よう。

 

「行くかっ!」

 

 雷光をひらめかせ、魔物の群れに突進する。

 両手に二振りの刃。長く長く伸ばし、襲い来る亜人を、獣を、石人形を、視界におさめていく。

 

「雷神剣ッ!!」

 

 左右の剣を振るう。魔物たちは彼らを焼く稲妻に身体を巻かれ、光の中で動きを止めた。

 そこで、後退する。

 ゆらりと前へ出てきたのは、洞窟には似つかわしくない、白黒のエプロンドレス。

 そして、鋼の黒と、光を跳ね返す刃の白だ。

 

「安らかに眠れ……!」

 

 消えた。いや。

 何度も戦いを見るうちに、少しだけ見えるようになった。だが目に焼き付く残像は4人じゃきかない。彼女はこの一瞬で、この場にいるすべての魔物を、尽く斬り伏せようとしていた。

 

「ディメンションエッジ」

 

 いつの間にかオレ達の前に戻ってきていたハイムルさんが、刀を納め、こちらへ悠々と歩いてくる。

 背後を振り返りもせず、ただぼそりと技の名前をつぶやく。その瞬間、あれほどの数がいた魔物たちは、一斉に光に還った。

 か、カッコいい……。

 

 魔物たちが一斉に消えたあと。

 この部屋を照らす、青く、昏い光を見上げる。今にもこちらを焼き尽くさんと蠢き燃え猛る彼らを倒さなければ、オレ達が地上へ帰ることはできない。このくらいくらい迷宮に、ずっと、囚われ続けるだろう。とても暗く、重く、黒い想像だ。

 光線が放たれる。あれは破滅の光だ。オレ達の身体を焼き、骨を永遠にここへ置き去りにするための、昏い敵意。

 けれど。

 ふたりの光は、その闇を討ち払う。

 

「ブラスト・レイ!」

 

 マリンの杖から放たれた光の怒涛が、敵の魂を蹂躙していく。青は白銀の光に飲み込まれ、こちらへ攻撃が届くことはない。

 敵の動きが止まる。さまよう霊魂を眠らせることができるのは、暖かい破邪の光だ。

 そして。

 目を焼くほどの眩い光が、いま、一点に集まっている。

 その光が走り、飛び、跳ねた。

 迷宮を閉ざす魔物を切り裂かんと、真っ直ぐに振り下ろされる、それは――!

 

「はああああっ!! ロイヤル……! ブレイカーーーーッッ!!!」

 

 それは。

 ものすごく、光ってはいたが。名前も、少しカッコいいが。

 やはりただの、パンチであった。

 

 チユラ王女の鉄拳が、迷える魂に叩き込まれる。ダイナミック鎮魂である。

 光る球のなかに囚われていたものが、霧散していく。悲鳴のような、いや、どこか安心したような、不思議な断末魔が、耳に残った。

 

 

「じゃあ、みんな、私の身体につかまって」

 

 チユラ王女の身体に、みんなで触れる。ハイムルさんは姫の目を隠す悪戯をして、一回怒られたりしていた。

 いよいよだ。姫様が、転移門の起動装置に触れようとしていた。……緊張がすごい。これが動かなかったら、また探索だ。さすがに精神的にしんどい。

 それを彼女も感じているのか、険しい表情をして、なかなか触れられない様子だった。ハイムルさんが文句を言い始める。

 

「王女さま」

 

 しずかで細い声に、みんなが耳を傾けた。

 マリンの声だ。心を、休めてくれるような、安心する声だった。

 

「大丈夫です。みんなで、帰りましょう。上の方が、ここよりもっと、楽しいもの」

「………」

 

 チユラが、装置に触れる。

 光があふれ、チユラの、ハイムルさんの、そして、マリンの笑顔が、はっきりと見えた。

 

「お願い、上層へ……!」

 

 チユラの声にかぶせて、自分も祈る。

 頼む。地上へ、返してくれ!

 

 

 

 

 立ち続けるのに疲れて、膝を折る。

 冷たい石と土の地面が、恨めしい。

 

 オレ達はあの転移装置で、ようやく上層フロアへと戻ることができた。思えば都合よくうまくいったものだが、まあ、幸運の女神っぽい人がひとり、いやふたりくらいいそうな面子だからな。これくらいの奇跡は、起こってもいいだろう。

 今は、オレ達を心配して不眠不休で調査や救出活動、人手の動員などの対応にあたっていたデキヤ先生とナンデメイドさんから、小一時間泣きながら帰還を祝福されて、ちょっと疲れたというところだ。はやくベッドで眠らせてくれよ。そちらも疲れているだろうに。

 あと、話を聞きつけてやって来たらしいユシドとかも、かなり泣きそうになっていた。心配かけちゃったな。

 

 救助にやってきた王宮の人たちや、親切なハンターたちと一緒に、外への階段を上がっていく。なんだか長旅を終えた気分だ。ダンジョン探索、きついな。ユシドやティーダをはじめ、これを生業にしているハンターたちはすごい。

 ようやく日の光が見えてきたところで、オレは転びそうになった。マリンもしっかり歩いてるってのに、情けないもんだ。

 

「ん」

 

 差し伸べられる手がひとつ。

 見ればオレと同じくらい、土埃に汚れている。

 見上げたその顔は、後ろからの陽射しも相まって、目が開けられないくらいに、眩しい笑顔だった。

 マリンの光が夜の星なら、彼女のは、太陽ってところかな。我ながら詩的じゃないだろうか。などと、適当な感想を抱く。

 

 チユラの手を取る。

 ちょっとだけ久しぶりに吸う外の空気の味やにおいと、次の彼女との小競り合いが、少し、楽しみだった。

 



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41. 恋のロードレース(前)

「じゃあミーファ、今日はがんばってね」

「応援に行きます!」

「行ってらっしゃい」

「お……おお。ありがと、みんな」

 

 いつものように宿屋を出ようとすると、やたらと仲間たちに激励される。

 王立学園の生徒に支給される訓練着を身に纏ったオレは、気恥ずかしさをごまかすようにして適当に手を振って返し、その場を後にした。

 

 これから向かうのは、いつもと同じ王立学園の校舎ではない。王都の最も大きな出入り口、つまりは玄関であるといえる、南門だ。

 ゆったりと歩いていると、周りの学生たちも同様に、訓練着姿でそこへ向かっている。彼らは各々が得意とする武器を装備していて、見た目だけなら戦いの予感を思わせる。しかしながら耳を澄ませてみると、「だるいなあ」だの「休もうかな」だの、あるいは逆に「今日こそが一年の頑張りどころですわ」「やってやろう」とか、色んな声が聞こえてくる。

 やがて、向かう先に、王都を囲み守る厚い石壁の姿が見えてきた。背は大して高くないが、なんでも魔物避けの術式を直接刻んだ特別製で、結界としての機能は折り紙付きなんだという話だ。オレが地元に張った結界より性能は上。なんか悔しい。

 そして、南門が見える。

 それに伴う景色として、南門から王都の内側へ続く大通りが、オレの視界に広がっている。常であれば商隊や軍など、大人数の通行を許す広い道路だ。

 だが今日は。それが、歳若い学生たちの姿とざわめきで、ごった返していた。

 

 今日は王立学園の授業はない。この日は王国民に許された休養日であり、街の住人たちも休日としている人々が多数だ。つまり学園も休みの日。……いつもなら、そうだ。

 だが、年に一度。こんなイベントがあるという。

 その名も「ヤエヤ王国王立学園・校内ロードレース大会」なる奇妙な催しである。

 内容をおさらいしよう。先生の説明によると……

 巨大な円形の道になっている王都の外縁部、すなわち石壁の外を、武芸科の学生たちが一斉に走っていき、ゴールまでの順位を競う。そのスタート地点は南門で、終着点も同じく。

 走行には“障害”があるため、各々訓練に使う得物を持参すること。

 体力の強化を目的とした伝統行事である。

 上位に入賞した者にはなんと、国王様から直々に表彰される栄誉が。

 多学科の学生や王都の住人たちの声援を胸に、最後まで必ず走り抜くこと。

 

 とまあ、こんな感じ。

 みんなで走り込みしつつ順位を競うなど、奇妙なものだが、まあバルイーマの闘技大会の変則版みたいなものか。学生同士に斬り合いなんてさせられないし。

 しょせんは若者たちのお遊び。適当にこなしてしまおう……

 と、最初は思っていたのだが。

 よく考えればこのイベント、なかなかに過酷である。王都の外縁部を一周と軽く言うが、そこらの町村の一周とは距離が全く違う。そんなに長い距離を懸命に走った経験は、正直あまり記憶にない。一部の学生たちが辛気臭い顔をしているのもわかる。

 しかしスタミナの強化は武芸科の学生たちにとって、そして今のオレにとっても重要なことだ。魔物を追いかけて走ること、あるいは逃げるために走ること、いろいろある。走る力というのはある意味、何よりも大事だ。そういうわけで、このイベントで懸命に走った末にちょっとした栄誉が得られるのなら、まあ、真面目に取り組んでみようか。

 今はそう考えている。……王都に潜む何者かに実力をアピールするのにも、絶好の機会であることだし。

 

 級友たちにあいさつをしているうちに、所定の時間がやって来た。教師陣の指示に従って整列していく。マリンの姿が同じ列の前に見えたので、あいさつの合図をした。

 マリン、杖を持っていなかったな。まああれ、走るのにはすこぶる邪魔だろうしな……。そうなると、どこかの列に並んでいるだろうストーン少年などは、トレードマークの大盾を今日は持ってきているのだろうか? あれを背負ってこの長距離を走るなど、悪夢だぞ。

 そんなことを考え、教師の朝礼を聞き流しながら、自分の装備に目をやる。

 剣帯には二振りの剣を取りつけてある。どちらも刃引きをした、訓練用に準備していた剣だ。今日はこの備えで行く。

 重い荷物を増やすかどうかは悩んだが、念のため二つ持つことにした。紫の雷神剣が必要になる場面がある、かもしれないし、そうでなくとも何回か魔法剣を使うことになるかもしれない。一本では足りないだろう。……イガシキの装甲から造った剣でなければ、やはり技には耐えられない。

 ……それと、まあ、実戦ではこんな動きやすい訓練着を身に着けているわけじゃない。魔物の攻撃に耐えるために、頑丈な鎧で固める者もいる。そんな姿であちこち走り回らないといけないのが現実だ。つまり、これくらいの重さはあってしかるべきということだ。学生諸君もオレのように、得物の重さくらいは我慢するといい。

 身軽そうな格好で消極的な表情をしている、魔法術クラスの生徒たちに視線を移し、そう思った。

 

 確認事項やら激励のことばやらが終わり、いよいよスタートの時間がやってきた。

 身体を伸ばし終わったオレは、生徒たちの群れの中でぼうっと開始の合図を待つ。

 周りを観察してみる。南門に集まっているのは学生だけでなく、王都の庶民たちもまた、若者たちの奮闘を見物しに集まってきているようだった。それも半端な数ではなく、よくよく見まわしてみれば、王都の外縁部が見える石壁の上や家屋の屋根に人々が集っている。あそこから声援を送り、野次を飛ばすわけだ。

 バルイーマの闘技場と同じだな。このロードレースとやら、単なる行事というよりは、国民的な祭りに分類されるようだった。

 この日だけは、武芸科の生徒たちが王都の華になれるわけだ。さらには王様も見に来ているようだし……。

 

「――いた。ミーファさん」

 

 おや。ちょうど良いところに。王様のことから、彼女の存在を連想していたところだ。

 声をかけてきたのは、この国の第三王女であるチユラ姫。

 そしてもちろん、武芸科の生徒でもある。つまり彼女は、父親の名のもとに催される競争で、これから戦うわけだ。性格と実力からして、やはり上位入りを狙っているのかな。

 彼女の武器は、光の魔力を宿す己の手足。重い武器など必要なく、身軽そうな装いだ。うーん、優勝候補なのかもしれないな。武術クラスの生徒に勝てるのはたぶん、彼女くらいだろう。体力バカっぽいし。

 

「こんなところで何をなさっているの。ほら、先頭に行きます」

「え? あ、ちょっと!」

 

 なんだか強気な表情をした彼女は、あいさつもそこそこに、どこかへ向かってオレの手を強引に引きはじめた。か、怪力! 逆らえないんですけど。

 人波をかきわけ、いや、チユラ姫のオーラに圧され勝手に開いた道を通り、厳密なスタート位置となる一線……すなわち、生徒たちの先頭に出る。

 その瞬間だった。ギャラリーの民衆たちが。一際大きな声で湧き上がる。

 彼らの視線や声は、チユラ王女に向かっている。それを受けた彼女が周囲に淑やかに手を振ると、場の熱量がさらに上がっていく。

 すごいな。めちゃくちゃ人気。あまり隣に立っていたくないんだが。

 あと、別に髪が短くても民衆にはわかるらしい。以前彼女を髪型で判断し一般人と間違えた、B級ハンターのナンデメイドさんを思い出す。彼はただのアホだった?

 しばらく愛想をふりまいていたチユラ王女が、オレへと向き直る。

 その顔は、国民に向けるものとも、初めて会ったときのものとも違う。勝ち気そうで、芯の強そうな、熱のある視線。今オレに向けられているそれが、きっと本当の彼女だ。

 この短い時間の中で、この子とはとても……気心が知れたように、思う。

 

「ミーファさん。勝負、しましょうか」

 

 ああ、言うと思った。彼女も飽きないな。

 国民に大人気なお姫様の敵役をつとめるなんて、オレには荷が重い。今日だけは勘弁してほしいんだが。

 チユラ姫はオレだけに聞こえる声で続ける。口調はくだけていて、王女様という感じは、あまりしない。

 

「ね。もうすぐミーファさんたちは、いなくなるでしょ。だから、勝負は今日が最後」

「……!」

 

 そのときの顔は少し、寂しそうに見えた。

 どうしてそれを……。たしかに、このまま成果が出ないようなら、オレ達は近く学園を去る。学園生活に勤しむことが目的では、ないからだ。

 ……最後だなんていわれたら。逃げるわけにもいかない。

 苦笑いを漏らしてしまいながら、王女様に問う。

 

「どんな勝負ですか?」

「勝った方が、ユシドさんに愛の告白をする権利を得る」

「………」

 

 ……………。

 

「聞いてます?」

「……は、はあ!? な、なん……そん、え!? いや、ええと」

「あら、おもしろい顔」

 

 いや、だって。それはその、つまり、そういうことで。

 それはたしかに、彼女がほのかに? ユシドを良い感じの目で見ていることは? まあなんとなく感じてないことも無かったけども?

 大胆すぎるというか、なんというか、というかその言い方だとオレが勝ったら愛の告白をしてもいいよみたいな意味になる。ちょっと待ってくれ。だめなんだそれは。

 

「お、王女様ともあろう方が、そこらの掃除屋なんかに……」

「いいじゃない。今だけ、想うだけなら」

 

 王都の門の向こう、どこか遠くに視線を投げながら、彼女は言う。

 

「こういうのって、この今しかできないでしょう。自分の惹かれたひとに、自分から想いを告げるのって、なんだか憧れる」

 

 チユラ王女は笑って見せる。だけどそれは、どこか、儚いもののように感じた。

 ……そうだ。彼女の立場は、彼女自身が一番分かっている。若く、青く、甘い恋なんてものは、一国の王の娘にとっては、とても遠くにあるものだ。

 

「ああ、そんなに、恋しくて愛しくて……ってほどじゃないの。あなたたちとは知り合って間もないもの。だけどね」

 

 また、オレを見る。

 

「わたし、あの人と、あなたのことを考えていると。毎日がドキドキして、楽しい。この想い出があれば、きっと戦っていける。だから……」

「………」

 

 想い出があれば、戦っていける。

 その言葉に、“同じだ”と思った。

 

 彼女は、ユシドを好いてくれるという。オレは、ユシドを好いてくれるやつのことは、好きだ。あいつはオレの自慢だから。

 愛の告白? それは、ああ、どんな結果になるにせよ、チユラ王女にとって、きっと記憶に残る出来事になる。それをオレは邪魔などしたくはない。

 だけど……。

 胸に手を当てる。小さな円環の、心地よい冷たさと硬さを、そこに感じた。

 

「……いいだろう。オレは君に負けないよ、チユラ」

 

 静かに返す。チユラは、少し、驚いた顔をした。

 いきなり庶民に無礼な口を叩かれて、びっくりしただろうか? そんなことを考えると、笑ってしまった。

 彼女もまた、さわやかに微笑む。そしてそれはだんだんと、不敵に、熱く。

 

「ふふ。それ、本気でやってくれるってこと?」

「ああ」

 

 もちろん。

 

 人々の大きな歓声を聞き、その声の行先を探す。

 運営者側の詰めるテントの近くに設けられた、即席の観客席。あれは名のある招待客の座る席だ。ヤエヤの兵士たちに守られたそこに、ひとりだけ、“あれがそうだ”とわかる人物がいる。彼が、席から立ち上がり、人々に向かって合図したのだ。

 豪奢な衣服に身を包み、理知的な雰囲気をまとう男性――ヤエヤ国王、その人である。

 

 彼が手を振りかざすと、空中に大きな円が出現した。なんらかの魔法術だ。水面のように揺らめく白銀の光の中にあらわれたのは……はちゃめちゃに巨大な、チユラの顔だった。

 

「うわっ。えっ?」

 

 思わず隣を見る。チユラはにこにこと公務スマイルを保ち、空に映し出されたそれと全く同じ表情をしている。これは?

 円の中の景色が動く。次にそこにあらわれたのは、金の髪と紫の瞳の少女――オレだ。困惑したような顔が、やがて紅潮していき、あわてた様子で顔を伏せる。

 それはまるで鏡を見ているようだった。すなわち……

 あの魔法術は、いわゆる“遠視の窓”か。おそらく国民に学生たちの様子を見せるためのものだろう、なるほど、こうすれば見世物として成り立つわけだ……。

 それにしても、あれは希少な光属性の術である。また、こんな大規模な行使は初めて見た。王宮の優秀な魔導師はこぞって誘拐されていると聞いたし、まさか国王ひとりが操っているのだろうか。

 チユラといい、さらわれたという第二王女といい、魔導師としても確かな力を持つ王族が治める国、ということか。

 こんな国に魔物が侵入してどうこうできるとは、やはり信じられないな……。

 

 映像が、王へと切り替わる。

 彼が天高く上げた手が光を放ち始めると、観客たちが静かになる。となりにいる、社交的な表情をやめた女の子から肩を小突かれ、気合を入れ直す。

 ――始まりの、合図だ。

 

 白銀の光球が立ち昇る。それは小さい光だけど、とても明るくて、目に焼き付くようだった。

 身体を低く沈める。ふわりと風が吹き、周りの学生たちが困惑の声をあげた。

 やってくるその時が近づくにつれ、鼓動が早まっていく。二本の脚に、使い慣れた風と、無意識に出てしまった雷が、まとわりついていく。

 すぐそばからは凄絶な魔力の気配。光の熱が、こちらまで伝播してくる。彼女も、負ける気など、少しもないわけだ。

 果たして。

 王の放った光球が、炸裂した。

 大地を蹴る。風がオレの脚を後押しする。

 白銀の光に照らされる王都の門。人々の怒号のような熱狂の声。それらをすべて置き去りにして、ただ懸命に駆け出す。

 

 学生たちの中に、大人げない勇者がひとり。けどそんなのはどうでもいい。オレはミーファとして、今の自分の本気で、この子と戦う。

 そうして、すべてを駆け抜ける決闘が、始まったんだ。

 

 

 

 流れていく景色と心地よい風。それと人々の声援。前方に他の学生の姿はない。今日まで持久力づくりを意識してきた甲斐あって、ゴールまで余裕はありそうだ。このままいけば一番も狙えるかもしれない。

 この子がいなければ、の話だが。

 並走するチユラに視線を向ける。最後までの距離を考えるとあきらかにオーバーな速度をわざと出しているのだが、涼しい顔でいる。

 ……むしろ徐々に、オレより足の回転を速くしようとしている気がする。いずれ“ついていく方”はオレになるだろう。ちぇっ、体力バカめ。それに見たところ、魔力による身体強化を使っているな。オレに易々と対抗できるのも頷ける。

 どう出し抜いたものかな。

 

 しばらくそうして、頭の中でたくらみを巡らせながら、走っていく。途中、チユラは観客に笑顔を振りまくなど、余裕のあるアピールなどしていた。やるな。王女と争う以上こっちは悪役なので、客に愛想よくする必要はないだろう。

 

「……ファさん! ミーファさーん!!」

 

 ざわめきの中から自分を呼ぶ声がした気がして、石壁の上に目を向ける。

 街の人々の中にほんの数人だけ、オレを見ている者がいる。見慣れた服装に、目立つ赤い髪の長身……が、ローブコートの少女を肩車しているのを見つけた。

 

「ふふ」

 

 シークが、ティーダの上で手を振り回して暴れていた。いや応援していた。めちゃくちゃ危ないな、そんな高い場所で。

 そしてティーダの方はよほどシークが重いのか、なんとも言えない味のある苦笑をしていた。けれどその眼は、こちらに向けられている。

 思わず、笑ってしまった。

 ……よし。いいところ、見せてやるか!

 

「!! くっ!」

 

 少しだけスピードを上げる。競争の序盤でやることじゃないが、楽しいからいい。

 チユラの焦った声と、観客のどよめき。盛り上げに貢献できたと思う。

 だがもちろん、彼女もさるもの。チユラの気配はまだぴたりとついてくる。そのうち逆転することもあるだろう。

 シークの嬉しそうな声に背中を押され、そのエリアを駆け抜けていく。

 ……こんなことをしていては、あとでバテて情けなく敗退するかもしれないが、それは嫌だな。仲間の前ではかっこよくいたい。最後までやり抜こう!

 

「ん! あれは……」

 

 しばらく進むと、平坦な道のりだったコースに、異常な景色があらわれた。

 目を凝らす。行く先にあるのは……半透明の、光の板。おびただしい数のそれらが地面から突き出している。なんらかの魔法術だろう。

 ……いや。より正しく表現しよう。近づくにつれて、あれがなんなのかわかってきた。

 “迷路”だ。魔力で壁を形成して生み出した、迷路だ。壁が半透明なのは、ギャラリーが学生達の苦しむ姿を鑑賞するためだろう。

 

 このように、ロードレースには様々な障害が道中に現れるらしい。ただ走るだけならつまらないということかもしれないが、これはまあ過酷だ。

 迷路となると足を強制的に止められる。長距離を走るなら、途中で止まってしまうことこそが一番身体に負担だ。意地が悪すぎる。

 だが……、

 障害が意地悪である分、学生がどう対処するのかも、自由にしてよいとされている。

 ならば、こんなものは障害にならないはず。わざわざ付き合う必要はないのだ。迷路など避けてしまえばいい。つまり迂回だ。

 ……しかし光の迷路は、見渡す限りの広さに広がっている。壁の背も高く、正攻法で挑むしかなさそうに見える。

 

「なんて、な! よっと」

 

 オレは風の魔力を振り絞り、身体に纏わせる。翠色の輝きが身体を宙に浮かせ、地面が遠くなっていく。

 このように、飛行してしまえば、いかに壁が高くそびえようと無視することはできる。ここは青空の下で、天井などないのだ。

 光の迷路と、そして眼下に広がる王都の町並みを眺めながら、悠々と飛んでいく。良い景色だ。

 だが、風の勇者だったときと比べると、あまり早くは飛べない。残りの距離の中で必要になる場面も考えて、魔力の消費を抑えておかねば。

 ……シマド・ウーフだったならば。こんなレース、今回のスタートダッシュにも使った風魔力のブーストをゴールまで全開にして、そのまま終わりだっただろうな。

 

「……ん?」

 

 地上の世界から異音が耳に届き、真下の景色に目を向ける。

 そこには悪銭苦闘するチユラの姿があるはずだ。迷路の中に囚われた彼女は、当然ここでオレと差がつくことになるだろう。

 ……そう、思っていたのだが。

 おかしい。豆粒のように小さくなったその姿はしかし、ずっと、ずっと、真っ直ぐに進んでいる。空を行くオレと同じように。

 よく、目を凝らす。

 

「マジか……」

 

 異音の正体がわかった。

 あれは、迷宮の壁を、チユラ姫が破壊する音である。迂回せず、進む方向を変えず、拳や蹴りでブチ破りながら真っ直ぐに進んでいるのだ。

 脳は筋肉、よって筋肉は脳、したがって筋力のある人間こそ最高に頭が良い。みたいな解決法だな。恐い。どんな教育されてんだ……?

 彼女、国民からはどう思われているんだろうか。さっきは愛想よくやっていたのに、こんな蛮行を国民に知られてしまっていいのか?

 

「うおおおおおおっ!! チユラ様――!!!」

「きゃああっ!! さすがだわ! わたしたちの姫様!!」

 

 いやめちゃくちゃ人気だ……!?

 優雅で穏やかな印象のあるヤエヤの人々だが、なんかもう……あれかな。普段みんな、ストレスとか溜まっているのかな。

 ともかくチユラは、容姿や愛想だけでなく、あの豪胆なふるまいも含めて国民に人気があるみたい。おとぎ話や物語でいうヒロイン、ではなく、ヒーローの人気だな。

 

 迷路の果てに辿り着き、地面に降りる。

 ちょうど降り立ったとき、轟音を立てて壁に大穴を開け、チユラが登場した。後続の学生たちは彼女の開けた穴を通ればいいわけだな……。

 再度走り出す。空を飛んでしまったため、地を蹴るリズムを失ってしまった。また調整していかなければ。

 チユラもまた並走してくる。あれほどのことをやってのけて、呼吸が乱れた様子はない。

 そうしてオレ達はひとつの障害を乗り越えた。しかしそこに差は、まったくつかなかったようだ。

 

 

 

 いくらか時間が経ったように思う。さっき、観客が多く集まっていた王都の東門を過ぎた。だからゴールまではあと七割ほどだ。

 ほんの少しきつくはなってきたが、限界まではまだまだ。オレは負けるつもりはない。

 しかし……そろそろ、何か、きそうだ。

 

「!」

 

 前方に、進路をふさぐように、岩で形成された壁がある。しかし規模は大したものではなく、跳び越えたり破壊したりするのは容易そうだ。

 だが。その前に、人影がいくつか。

 その中から、ひとりが前に出てくる。眼鏡をかけた細身の男性だ。

 ……あれは、魔法術の講師、デキヤ教諭! 他にも、王立学園の教師陣が何人か。彼らは杖や槍など、学生たちと同じく各々の武器を手にしている。それが次の関門というわけか。

 これはたしかに厄介だが……高速で、抜き去ってしまえば!

 

「!?」

 

 脚に力を入れ、魔力を発揮する寸前。突如、地面が揺れ、バランスが崩れる。

 そのまま前方、いや、四方を、大地から隆起した岩の柱に囲まれた。視線の先、デキヤ教諭の構えた小さく短い教鞭のような杖が、淡い光を灯していた。

 術者は彼。そう考えに至り、半ば反射的に、石柱の隙間から雷撃の矢を飛ばす。威力はさほどでもないが、人間が受ければ身体が痺れるだろう。

 ……しかしそれは、彼が生み出した岩の盾に阻まれる。これも地属性の魔法術。面倒な……!

 

「雷は地属性に相性不利です。知っていますね」

「はああーッ!!」

 

 説教を述べる先生に、チユラが突っ込んでいく。たしかに彼女なら、あんな岩の壁などものともしないだろうが――

 

「うっ!?」

「接近戦をしかけてくる相手には、水属性による妨害が有効だったりします」

 

 チユラが足を滑らせる。地属性と水属性を併用し、彼女の足元を泥まみれにしたようだ。

 その隙を逃さず、デキヤ教諭はすかさず水の球を生み出し、チユラの首から下をそれに閉じ込めてしまった。そのまま宙に浮かされ、あれでは手足を振ってもどうしようもない。

 ……うまい。少ない魔力で、効果的な運用をしている。水の球ならばあのように、敵の動きを制限する檻として機能する。魔力に乏しい者であれば、囚われてしまえば逃れるすべはないかもしれない。

 これは、チユラを出し抜いてオレが先へ行くチャンスかもしれない。

 そう思ったときだった。彼の眼鏡が、こちらを向いて光った気がした。

 向けられた杖の先から、赤い魔力が迸る。岩の間に閉じ込められたオレに、流動する紅が襲い掛かる。熱く、呼吸が阻害される。これは、炎の魔法術!

 石柱に込められた魔力が火を外に逃がさないようにしていて、際限なく熱が高まっていく。身に纏う魔法障壁により直接焼かれることは防げても、あぶられた岩に宿る熱は無視できない。規模は大したものではないはずなのに、結果としてはまるで上位の火術のような威力だ。

 流石は、かの王立学園の先生だ。

 強い……!

 

「おふたりにはもう少し、ここで足を止めてもらいますよ。……ん? これは」

 

 ほとんどの学生は、彼には才能で勝ることがあっても、術の運用では敵わないと思う。5つの属性を操り組み合わせるデキヤ教諭の腕前は、脅威だ。

 だが……

 ただひとつだけでいい。己に適した属性を、オレ達は磨き上げるべきだと。それは彼が、授業を通して生徒達に教えてくれることだ。

 雷が弾ける。岩の牢と炎の責め苦、そのすべてを、耐えながら内に溜め込んでいた雷によって貫き崩した。

 ガラガラと崩れる土塊をまたぎ、訓練用の剣を抜く。今度は、彼の知覚を超える速さで斬り伏せる。そのまま後ろの先生たちを飛び越え、駆け抜けてやる。

 走り出す。同時に、チユラが水球を破裂させていた。彼女もやはり魔導師、光魔力の放出によってあれを切り抜けたのか。

 当然、血気盛んな彼女もまた、先生へと跳びかかっている。

 剣と拳。ふたつの武器が、不敵に笑う彼に迫る――!

 

「参りました」

 

 刃を止める。

 先生は杖をしまい、フリーにした両手を宙に上げていた。

 

「え、ええと……?」

「ここからこてんぱんにやられてしまっては、後続の生徒達の妨害ができないので……。さあ、君たちは次へ行きなさい」

 

 デキヤ教諭だけでなく、他の教師陣も道を開ける。……拍子抜けだな。いや、彼らと本気でやって、存分に消耗したかったというわけではないけど。

 剣をしまい、ちら、とチユラの方を見る。

 あちらもなんともいえない表情をしているところで、目が合った。

 

「……!」

 

 互いに無言のまま、同時に再スタートを切る。

 どこかで彼女を出し抜ける場面は、はたしてやってくるだろうか……。

 

 



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42. 恋のロードレース(後)

 しばらく進むと、またしても異様な景色に辿り着く。

 顔には出さないようにしているが、だんだんと余裕が無くなってきた。あまり強烈な足止めは食らいたくないのが正直な気持ちだが……。

 ――岩だ。いくつもの大きな岩が、行く道を阻むように点在している。まっすぐ進むには邪魔だ。

 まあ別に、ただこうして転がっているだけなら、間を縫っていけばいいだけの話。

 ……しかし。やはりそうはいかないらしい。

 

「校長先生……!」

 

 チユラの声を聞き、遠くに目を向ける。転がる岩群の向こう、高くせりだした土のお立ち台の上に、綺麗な容姿の女性がひとり。

 一度見たことがある。……王立学園の、学園長を務める女性だ。王と対等な立場で話し、イフナたちの調査の手を学園に入れないようにしているという、なかなかに怪しい人物である。想像よりもずっと若く見える容貌に驚かされたものだが、学生たちの噂によると未知の魔法術で若い外見を保っているとかなんとか……。

 その彼女が、まさか学生の妨害役として出てくるとは。どんな技を使うのかを見るチャンスではあるが、さて。

 オレは学園長を見据えながら、岩のフィールドに足を踏み入れた。

 そのときだ。周りの岩が、ぐらぐらと動き出す。

 

「ゴーレムか」

 

 岩は二本の脚を生やして立ち上がり、オレ達の行く手を阻む。

 ゴーレム。岩人形。何度も戦った、おなじみの魔物だ。元は人間が魔法術で創造したものであるから、こうして訓練相手に出てくるのは不思議ではない。

 しかしまあ、こいつらが何体居ようと敵ではない。ゴーレムといえば頑丈で力持ちという理想的な兵士ぶりが特徴だが、しかしその動きは鈍い。魔物との戦闘が得意でない初心者ハンターなどには、逃げを選べば安泰だと知られているくらいだ。

 つまり、トップスピードで足元を駆け抜ければ、ここは無視できるはず。

 身体を低くして、脚の回転を上げていく。

 

「!!」

 

 丸太のような岩塊が、目の前に迫っていた。

 身体を反らして、ぎりぎりでかわす。今のは、ゴーレムの腕だ。馬鹿な、こんなに的確なタイミングで……!?

 考えをまとめる間にも、彼らの数体が腕を振りかぶってこちらを狙っている。いや! もう攻撃してきた。腕の振り、あらゆる動作が早い!!

 仕方なく、大きく跳んで後退する。まさか今さらあいつらに遅れをとるとは。

 これは……なるほど、近くにいる学園長が、魔力で直接操作しているんだ。操者がいるだけで、こうも違うとは。

 見れば、チユラの方もうまく前に進めていない。オレ達を足止めできるほどの数を同時に操っているのか。

 遠くで、不敵に笑う校長先生。

 強い。これが最終関門と見た……!

 

 土と岩で出来ているタイプのゴーレムには、電撃が効きづらい。

 魔力・体力の消耗を避けるためにも、動きを見極めて通り抜けるのが正解。そう思っていたのだが……とにかく、動きがうまい。熟練の軍隊のように、オレを取り囲んでくる。

 仕方なく剣を抜き、雷を纏わせ、一体を攻撃し破壊する。……だが、残りの数はまだまだ多い。雷属性では相応の魔力を込めなければ倒せないため、これではやはりだめだ。剣がもたない。

 どうする?

 

「! チッ……!」

 

 近くのやつが太い腕を振りかぶっている。これまたうまいタイミングだ。オレの身体は硬直している。

 魔力を放出して、真っ向から破壊する!

 

「ん?」

「うおっとお!」

 

 ガン、という音に阻まれて、衝撃がやってこない。オレの前に、誰かが立ちふさがったからだ。

 大盾を構えて岩の塊を受け止める、少年の背中。……学園の後輩、そしてマリンの幼馴染。この街で何度も共闘した少年、ストーン・フェンスだ。

 

「はは、大丈夫か、ミーファさん、はあ、はあっ! オレが来たからには安心だ! ぜえっ、ぜえっ!!」

 

 めちゃくちゃ疲れていた。

 そんな大盾背負ってたら、当たり前である。

 

「あー、ありがと」

「はあ、はあ、ミーファさん……!」

「あなたがいるってことは、ここが先頭ね」

 

 次いで、マリン、シャインが現れる。そうか、ひとりではなく、他の学生と協力して切り抜ける道もあったのか。

 しかしもう追いつかれるとは。後ろからは他の学生たちも次々とやって来て、一瞬絶望的な表情を見せながらも果敢にゴーレムに立ち向かっていく。そしてやられている。

 走りでかなり差をつけたつもりでいたが、やはり彼らも精鋭ということか……。まあやられてるけど。

 見たところ、追いついてこられた学生は殆どが武術クラスだ。体捌きでは素晴らしいものを持っているが、頑健なゴーレムには武器の歯が立たないようだ。そうなんだよ、こいつらには魔導師じゃないと不利だ。

 

「うお! やばい!! 2体同時!」

 

 ターゲットがばらけて楽にはなったが、悠長にしている間にストーンが2体を引きつけてしまった。同時に太い腕が振りかぶられている。

 

「耐えろストーンッ!!」

 

 剣に魔力を注ぎ、構える。

 後ろにいるマリン、シャインに視線を送る。

 

「ぐううっ!!」

 

 はたして、彼はふたつの凄まじい質量を受け、足を踏ん張って見せた。

 それでこそだ!

 

「肩を借りるぞ!」

「おわっ!?」

 

 既にゴーレムの四肢には風の魔力による呪縛が巻き付いている。シャインの魔法術だ。慣れた連携の、必勝パターン!

 2体のゴーレムのうち、左側の個体の腕を駆けあがる。そのまま跳び、宙で姿勢を変え、無防備な背中を雷鳴の剣で深く斬りつけた。

 同時にもう一体の方も、銀色の槍に貫かれる。2体は力を無くし、ただの岩へと戻っていった。

 

「さすがみんなだ! いえい!」

「きゃっ、ミーファさん!?」

「ちょっと、疲れてるんだけど!!」

「た、体力が……」

 

 3人に飛びついて肩を抱き、髪を両手でくしゃっとやる。みんな、強くなったじゃないか。前に討伐したゴーレムなんかより、校長のゴーレムの方が倍は強いぞ。ユシドといい、若者の成長は早い。

 この調子でやれば、ゴーレムを殲滅するのは不可能ではない。

 だが……。

 

「なあ、みんな。助けてくれてありがとう。……でも今日は、オレ達は競争相手だろ」

 

 横目で、戦場を見る。

 目に入るのは、チユラだ。その手と足と魔力で、身体ひとつでゴーレムと戦っている。誰とも共闘はしていない。

 まだ、“一番”をあきらめていないからだ。

 

「今から、オレがあいつらをまとめて倒す。そしたらまた、競争だ」

「ミーファさん、でも」

「マリン、そこで見てて! かっこいい技、見せてやるから!!」

 

 ならば、オレも。

 彼女のように、本気で。

 

 手に溜めた魔力を、上空を行く雲へと刺す。

 倒したゴーレムの上に立ち、天へと真っ直ぐに刃を向ける。

 雷鳴が轟く。そうして、オレの手に、紫の光が落ちてきた。

 

「……!!」

 

 チユラとマリンの驚く顔が見える。ふふん、良い気分だ。そういう表情、一回は見てみたいと思ってた。

 轟雷のあと、静まった学生達の視線を感じる。もくろみ通り、うまく注目を集められたようだ。

 

「……全員、オレより後ろに下がれッ! さもなくば、もろともに倒す!」

 

 出せる限りの大声で呼びかける。これは威力に加減が効かない。悪いが、一番先頭は譲ってもらうぞ。

 みんなが前方からいなくなるのを確認する。視界にあるのは、ゴーレムの軍団と、遠くで見守る学園長のみ。彼女までは効果範囲が届かないように、うまく絞ろう。

 踏ん張った脚先から地面へ、雷の魔力を放出する。それは根のように地を這い、枝分かれした黄金の筋道を作り出す。

 経路は、すべての岩人形を通過している。あとは解き放つのみ!

 

「雷神剣・大地雷散(ダイチライサン)――!!」

 

 雷電が地上を蹂躙する。空から来た力は、土と岩の身体を粉々に破壊していく。

 激しい紫光がおさまる。そのあとには、もう動くことのない岩石と土くれだけが残された。

 ボロボロに崩れ落ちる剣。それを適当に投げ捨て、オレは後ろを向く。

 他の学生たちと同様、茫然とするマリンとストーン、シャインに笑顔を投げる。恐がられたかな。化け物だと思われたかな。

 いいや。きっと、みんなはそうは思わない。

 そして、チユラに目を向ける。彼女は、驚いた表情を見せつつも……また、笑った。

 何を考えているかはわかる。それでこそ好敵手だ、とか言いたそうだ。あの子は、そういう子だ。

 

 みんなが呆けている間に、走り出す。

 後ろの学生たちと、観客たちの声に背中を押されるように、オレはスピードを上げた。

 ……校長先生と目が合う。準備するのも大変だっただろう人形たちを全て砕いてやったというのに、彼女は楽しそうに笑っていた。

 それはなんというか。どこか妖艶で、不思議な雰囲気があった。

 

 

「すごいわね、あの子。……でも、今年のレースは一味違うわ。フフ……」

 

 

 

 走る、走る、走る。

 呼吸がつらくなってきた。先頭に出てきたことで、逆に焦ってしまっているのかもしれない。

 だが、西門を過ぎた! 残りの距離は2割程度のはず。このまま駆け抜ければ……!

 

「!」

 

 行く先に人影がひとつ、他には何もない。次は、一体誰だ? だがただひとりならば、いくらでも出し抜けるはず――

 

「おや。まさか姫様でなく、お嬢様がトップとは」

「な――!? あぐっ!!」

 

 とっさに剣を抜き、()()を防ぐ。硬い音がして、腕が強く痺れた。

 衝撃に押され、後退しながら姿勢を整える。オレは顔を上げ、立ちはだかる相手を確かめた。

 ……遠くにいた影が、一瞬で目の前に来て、攻撃をしかけてくる。そんな芸当ができる人間は限られている。

 白と黒のエプロンドレス。恭しく頭を下げるその人は、髪の色も、手に持つ鉄鞘の色も、黒。

 チユラ王女の侍女、ハイムル・サザンクロス――まさか、こうして剣を交えるはめになるとは。

 

「あら、もう来ましたね。なんだ、姫様の負けに賭けていたのですが……」

「ふっ、ふっ、はあ、最悪……」

 

 勝ち筋が見えず、身動きを取れないでいるうちに、後続が追いついてきたようだ。

 あのチユラ王女が素直に悪態を吐いている。いやはや、気持ちは同じだ。

 オレ達は何も、ハイムルさんを倒す必要はない。ただ通り抜ければいいんだ。

 だが、どうやって?

 

「メイド……?」

「なぜメイド……?」

「メイドがどうして?」

「あ! 君たち――」

 

 懸命にここまで頑張ってきた武術クラスの生徒達が、オレ達を追い抜いていく。いけない、彼らは油断しているが、その人はただのメイドじゃないんだ。

 ……ところが。ハイムルさんはこれをスルーした。何事もなかったように、他の生徒達は先へ進んでいってしまう。

 どういうことだ? 気付かぬうちに斬られてたりしないよな?

 

「……ふっ!」

 

 チユラが高速で飛び出した。身体強化に使う魔力を溜めていたのだろう、凄まじいスピード、スタートダッシュのとき以上だ!

 だが――

 

「峰打ち」

「ぎっ! ……な、なによ! どうして私達だけ攻撃するの!?」

「おふたりだけに集中しないと、ここ通られちゃうので」

「他のみんなは通っちゃってるでしょう!」

「彼らはいいんですよ。今年はそう簡単にゴールできませんから。なので……」

 

 ゆらりと動き、ハイムルさんが構える。

 腰を落とし、柄に手を当てる姿。見えない抜刀術を繰り出す予備動作だ……!

 

「――ミーファお嬢様には、刃の試練を。姫様には、賃金に関するストライキを」

 

 汗が、地面に流れ落ちる。

 ここまで走ってきた疲労によるもの、ではあるだろう。だが。きっと、彼女の殺気がオレの身体にそうさせるのだと、このときは思った。

 

 雷撃を放つ。とにかく当てることを目的とした、範囲攻撃だ。

 だが、当たらない! 術を放つ段階になって、忽然と姿が消える。そしてお返しとばかりに、カタナの鞘でオレの身体を叩いてくる。伸び方が不規則であるはずの雷術の間隙を見極めている、あるいは、術の範囲に当たらないよう、オレの間合いの外と内を、一瞬で往復しながら攻撃しているのか……!

 チユラの攻撃も似たような結果だ。いかにパワーとスピードを兼ね備えた彼女の拳打でも、追いつけないものはある。そのうえ、リーチは刀の方が上だ。

 ハイムルさんはオレ達をすんなり通す気はない。……どうやって勝つ。こんな訓練用の剣一本で、超速の刃を打倒できるのか?

 

 カタナのひと振りに仲良く弾き飛ばされ、地面にみっともなく片膝をついたとき。すぐそばから、チユラが声をかけてきた。

 

「ミーファさん。提案があります」

 

 ああ。……オレも、共闘を持ちかけようとしていた。ハイムルさんは、命を懸けて、殺す気でかからないと倒せない。“学生”のミーファ・イユでは、ひとりでは倒せない。

 だから耳を傾ける。

 

「限界まで力を溜めて、彼女を封じる技を出します。……30秒。時間を稼いでください」

 

 それだけの時間、ハイムルさんを引きつけなければならないと。30秒、短いようだが、あの超常の剣士にとっては、敵を葬るのにあまりに十分な時間。秒の内に数体の魔物を斬り捨てる人だぞ。

 困難な仕事だ。その辺の魔物と命のやりとりをすることよりも、ずっと。

 

「共同戦線とは結構なことですが……よろしいのですか、ミーファお嬢様? そのまま置いていかれるかもしれませんよ。姫様は、ワガママのケチの業突く張りですから」

 

 それは言い過ぎじゃない?

 オレを惑わし、姫をからかい煽る言葉を投げかけるハイムルさん。

 それに対して、チユラは……意外にも、落ち着いた表情をしていた。

 

「そうね。ハイムルの言う通り。……それでも、信じてくれる?」

 

 ブルーのひとみがこちらを見据える。

 信じるも何も。ここでうそをつくような人間が、オレに何度も真っ向勝負をふっかけてくるはずがない。

 脚を伸ばして立ち上がる。一振りだけ残された剣、その切っ先を、打倒すべき相手に突き付けた。

 

「ハイムルさん、一騎打ちだ!」

「くす……」

 

 きち、という音。黒鉄の鞘から、鋼の鈍い光が覗いていた。

 

 自分より速いやつを相手にするなんて、どれくらいぶりだろう。

 まだ風の勇者の()()を手にする前、使命の旅を終える前に、何度かあったくらいか。あの頃はオレも速度で勝負する戦い方じゃなかった。

 だけど最後の最後に、本当の力の使い方を知った。それからは、誰にも遅れることはなくなった。疾風のごとき速さこそ、本来の、風の勇者の――、……。

 今の自分は、戦い方を変えた後のスピードタイプの動きをそのままやっている。けれど、あの頃のような風の魔力はない。だから、本当の速さを持つ彼女には、追いつけない。

 姿を捉えることすらできていない。

 

 ある日の、少年の姿を思い返す。闘技の祭で、自分より上の相手を打ち破った。

 ユシドはあのとき、己の知覚を上回るほどの速度で仕掛けてくる相手に、一撃返してみせた。なぜ、そんなことができたのか。

 見えていたからだ。身体は動かないまでも、その世界に目が追いついていた。

 その眼こそ、風の勇者に必要な資質のひとつ。

 

 今は身体が追いつくすべはなくとも、あの世界に入ることはできるはずだ。できないはずはない。オレは、俺なのだから。

 思い出せ。“疾き者”――かつての風の勇者だった自分を。

 神速の世界を。

 

 景色から音を、においを、味を、色を追い出す。

 挑むのはただひとつのこと。凄まじい速度で動く敵を、この目の内に捉えることだ。

 ハイムルさんの身体が沈みこむ。厚い靴で踏み込み、地面を割り砕いている。

 

「シッ――!」

 

 ――見えた!

 すべてがスローな世界。かつての自分に見えていたもの。今のユシドにも、同じものが見えているはずだ。

 だが、その世界の中にあってなお、彼女は動く。動いて見せる。まっすぐにこちらへと切り込んでくる。

 カタナが抜きはなたれた。閃くそれは、刃を潰してはあるものの、ぎらりと光を返すさまは処刑人の刃のよう。

 だが今は、見えることが重要だ。彼女は無駄のない動きで、こちらの胴を打つ軌道に入ろうとしている。それがわかる。無駄のない動きということは、そこにフェイントのたくらみなどはない。

 ならば、対応できる……!

 剣を握り締め、向こうに合わせる。刃がぶつかりあい、舞い散った小さな火花に、ハイムルさんの顔が照らされる。そのときの彼女はほんの少しだが、驚いた顔をしていた。ああ、これなら、この神速の世界を垣間見た甲斐がある。

 

「ぐっ……はぁっ、はあ、はっ」

 

 刃は受けたものの、腕の振りの速さに弾き飛ばされ、後退させられる。世界の音が戻ってきて、自分の乱れた息遣いが耳を叩いた。

 心臓と頭が痛い。30秒は、まだだろうな。まだ、やらなくては。

 

「一振りで倒せない人と、1対1で戦うのは、得意ではないのですが」

 

 またしても、ハイムルさんが動く。脳みそを回して、彼女の速さに感覚だけで追いすがる。

 刀を一撃、さばいた。だがこちらが次の姿勢をとる前に、もう向こうは攻撃態勢に入っている。オレが剣を一度振るごとに、彼女は二度振っている!

 剣閃の嵐。なるほど、イフナと同門なのは間違いない。数秒の中で、彼女が10回剣を振ったなら、5回は身体を打たれている。もう全身が痛い。魔法障壁に守られているから立っていられるが、本当の刃なら何度も殺されている。

 しかしこれなら。この、命を奪わない立ち合いの中なら。

 

「!! む……」

 

 刃が交差するとき、オレの剣が金色の光を帯びる。幾度の打ち合いの中のただ一度か二度、向こう側が守りの態勢になるときを見計らい、電撃をその刃に押し付けた。

 剣を通して流れた魔力は、ハイムルさんの身体を蝕む。ほんの少しの痺れが腕にあるはずだ。

 初めて、彼女の方が後退する。間髪入れずに、魔法術で追撃する。まあ当たりはしない、牽制だ。

 だが、ようやく――!

 

「……30秒! ミーファさん、すごいわ。私の目には何が何だか。でも、ここからは!!」

 

 そう声をかけてくれた、チユラに目を向ける。

 その身体からは、白銀の光が立ち上っていた。これが、彼女の奥の手!

 

「いくわよ、ハイムルッ!!」

 

 彼女の立っていた地面が、爆発した。

 いや、一歩目の踏み出しが、大地を破壊したのだ。その姿は既に、彼方の敵へと迫っている。ハイムルさんに追いつくスピード! チユラの奥の手とは、凄まじいまでの肉体強化術か……!

 刃と拳のぶつかり合いは、もはや目で追いきれない。頭が限界を訴えてきて、オレは膝をつき、瞼を閉じた。しばらくは彼女に任せるほかない。

 眼を休めるための暗闇の中、嵐のような戦いの音が聞こえる。人と人が接近戦をしている音とは思えない。ヤエヤ王国、すごいな。こんな王族や兵士が守る街なら、強力な魔物に囲まれていたとしても幸せに暮らせそうだ。

 ………。搦め手には、弱そうだけど。

 

「っ!! 姫様の筋肉魔力バカ! 外面だけ美少女!! 筋肉!!」

「うるさい! 不敬罪パンチ!!」

 

 なんかケンカしている。ハイムルさんもヒートアップしてしまっているようで、このままでは互いが倒れるまでやり合いそうだ。

 目を開く。もう何が何だかわからない領域の戦いになっていて、石壁の上の国民たちも頭がおかしいくらい熱狂してしまっている。よろしくない空気だ。

 チユラはハイムルさんを封じると言っていた。たしかに、それを成し遂げてはいるが――この戦いは、終わるのか?

 たぶん、思ったよりさらにもう一段、ハイムルさんが強かったんだろう。予定通りには、いっていない。

 ならば。

 

 ……チユラの技。あの若さで、感心する出来だ。恵まれた魔力を、あえて肉体の強化に使う。あそこまでのレベルまで練り上げるのには、並大抵でない努力をしてきたはず。彼女の性格を考えると、きっと原動力は“民を守るため”とかそんなところだろう。尊敬に値する。

 しかしまあ。

 お忘れかな、姫。これはハイムルさんとの死闘ではない。

 君の相手は、このオレだ。

 

 腕をまっすぐに伸ばす。魔力の通り道を、竜巻、あるいはバネのように、ぐるぐると腕に巻いていく。そして、一気に雷を走らせる!

 

「あっ!? これは――」

 

 先ほど打っておいた布石。ハイムルさんのカタナには、オレの魔力を流していた。

 それを操作し、カタナの鉄を、オレの腕と引き合う金属に変える。雷属性による、限定的な物体の操作術だ。

 果たして、彼女の武器は今、オレの手の中に飛び込んできた。

 

「ふん!」

 

 がっしりとキャッチしたそれを、膝を使って思い切り折り砕く。

 細い剣だ、一流の使い手の掌中に無い状態なら、横腹を思い切りやれば折れる。見たところ訓練用のものだし、あとで弁償できる値段だろう。たぶん。

 さて。

 これで、ハイムルさんは武器を失った。あとにはただ、水を差され、茫然とそこに立つ二人がいる。

 やがて、彼女は深く息を吐き、ここまで何事もなかったかのように、恭しく頭を下げた。

 

「参りました。刀が無ければただのメイドなので……」

 

 オレ達を交互に見て、ハイムルさんは微笑んだ。こちらは息も絶え絶えだというのに、向こうは乱れた様子がない。

 

「お嬢様方。完敗でございます。……姫様、本当に、強くなられましたね」

「ハイムル……」

「どうぞ、先へ。刃の試練、よくぞ乗り越えました」

 

 ふたりで顔を見合わせ、息をつき、やがて横並びになる。息を整え、身体を伸ばす。

 ここからはまた、ライバルだ。

 

「……いや。なんか良い戦いだったふうにまとめてきたけど、悪口は全部記憶したわよ」

 

 明後日の方を向いて知らん顔をするハイムルさん。彼女が気の抜けた声で「早く行って下さいよ」と漏らしたのを合図にして、オレ達は走り出した。

 もう、多くの学生たちに追い抜かれてしまった。一等は望めないかもしれない。

 それならそれでいい。あとはただ、懸命に走るだけだ。

 彼女と、最後まで。

 

 

 

「はあ、はあ……!」

「……っ、ふっ、ふっ」

 

 並んでいると、体力の差がよくわかる。

 あれほどの魔法術を使ったというのに、チユラはまだ余力を残している。正直、負けたくない一心で食らいついているだけだ。オレはもう、疲れを隠せなくなっていた。

 ゴールまではあと少し。それが見えるまでは絶対に、彼女から離れない。

 あいつの名前を出されたら。負けたく、ない。

 

「う、うわああーーーーっ!!」

「!?」

 

 悲鳴。そして。

 上の方から、何人かの学生たちが()()()()()

 チユラとともに、彼らを避けながらも進んでいく。あ、いや、助けるべきだろうが、一応普通に元気そうだったので。

 一体何が起きている? このゴール目前の場所で。

 

「な、なんだあの用務員! 強すぎる!!」

「いやあああっ!! 風はやめてくださいましーー――……」

 

 悲鳴をあげながら後ろへすっとんでいく学生達。絵面が面白い。

 この先。ゴール寸前、最後の壁がある。ハイムルさんをさしおいて最後の門に選ばれた人間。

 何者――!?

 

「あ、やっときたね、ふたりとも」

「お前かーーーーー………」

 

 一気に疲れがやってきた。

 翠色に光る剣を右肩に担ぎ、ついでに左肩に掃除のモップを担いでいる青年。

 彼の周りには突風が吹き荒れ、寄る者を尽く吹き飛ばしていく。

 やつこそは。王立学園の臨時清掃員。その名も、ユシド・ウーフである。……応援に来てくれてないなと思ったら、そういうことか……。

 目立たないように掃除屋をやっていたはずじゃないのか。何やってんだこいつ。

 

「さあ! ここは通さないよ」

「ユシドさん、どうしてあなたが?」

「校長先生と仲良くなれたときにお願いされてね、一定のタイムまでは、本気で誰も通さないようにやってほしいと言われてる」

 

 校長や学校職員に取り入ろうとしているという方針は聞いていたが、普通に気に入られてないか? いつの間に。

 ……じゃあ、やっぱり、学園の運営者たちはシロなのか。

 と、それは後で聞こう。

 

「チユラ」

「ミーファさん」

 

 横にいる彼女に呼びかける。同時に、向こうもオレの名を呼んだ。

 たぶん、同じことを考えている。

 

「……これで最後だ。あいつを倒したら、そこからは最後まで走り抜く」

「ええ。それじゃあ……」

 

 四肢がいかずちを纏う。

 身体が白銀に輝く。

 

「――彼に想いを告げる権利をかけて。ふたりで、ユシドさんをぶっ飛ばしますわよ!」

「ああッ!!」

「え? ぶっ飛ばすって言わなかった今?」

 

 同時に地を蹴る。ここまでの戦いの中で、チユラの動きは何度も見てきた。

 呼吸がわかる。拳打の繰り返しで相手が下がったなら、首を刈り取るような蹴撃。そして今回限り、その大振りの隙をついて動くのは、戦いの相手ではなく、オレだ。身を屈めた態勢から、スパークする拳を振るう。

 互いの体術の隙を埋めながら、ユシドに攻撃を重ねていく。やつは訓練用の長剣と、何故かモップを使って丁寧に対応してくる。その力にも感心するが……今日は、容赦しないぜ。

 弟子だったやつに対して2対1。プライドがやや悲鳴を上げているものの、まあ、仕方ないだろう。

 オレ達はユシドを相手にしている。だけどその実、こいつを優勝賞品にして競っているのだ。

 バカみたいだし、知ればさすがにユシドも怒るだろう。けれどなんだか、楽しくて、笑ってしまう。

 でも、ただ遊んでいるんじゃないんだ。……オレは真剣だよ、ユシド、チユラ。

 

「あっ!? 何その技!?」

 

 ユシドの握っていた長剣が、すぽーんと飛んでいく。オレが雷の魔力でいたずらして、“引き離す力”で射出してやった。

 焦りを見せながらも華麗なモップさばきでなんとか耐えるユシド。だが、これで終わりだ。

 勝たせてもらう!

 

 やがて足を止めてしまったユシドに、虚空から現れた黄金のつると白銀の光錠がかみついていく。四肢を縫い留められ、胴と首をがんじがらめにされる哀れな奴。オレの拘束術に合わせ、チユラも似た魔法術を使ったんだ。

 これではユシドは、もう数秒は動けないだろう。ま、王女様に気に入られるような態度をとった、罰だと思いな。

 

「すうううっ」

 

 深く息を吸う王女様。

 そのすぐ横で、オレの右手がばちばちと音を立てる。

 握られた二つの拳は、互いの利き手。チユラの左とオレの右が、まったくの同時に光った。

 受け取れ、ユシド!

 

「雷神グ・ブローーーッ!!!」

「ロイヤルパンチッッッ!!!」

 

 まばゆい光が少年に突き刺さる。

 

「ギャアアアア!? 普通に死ぬ!!」

 

 ユシドは勇者らしからぬ情けない声をあげながら、王都を囲む石壁へと吹き飛んでいった。

 右手にまとわりつく雷を振り払う。

 少年よ。これはご先祖様からの説教だ。そう――

 あまり色んな人間にいい顔をしすぎると、こういうこともある。

 ……あるかな? いやある。現にあいつは今、壁に突き刺さっているしな。

 

「ふふっ」

「あはは……!」

 

 さっきも戦っているときに笑ってしまったけれど、やっぱりなんだかおかしい。ユシドの有様は傑作だ。チユラもつられて、口を開けて笑っている。

 そして……

 

 ……ひとしきり笑ったら、互いに視線を交わす。

 やがてチユラは、手に光の球を生み出した。スタートのとき、彼女の父が使った魔法術だ。

 彼女はそれを高く投げる。オレ達は再び、前を見据えた。

 今度こそ、最後の戦いだ。

 

 ――降り注ぐ、眩い白銀の光。

 全力で、地面を蹴った。

 

 

 

 ユシドの妨害で、先を行く学生は残らず後ろに飛ばされてしまっていたらしい。観客たちが、オレ達の一位争いをやかましく見守ってくれていた。

 石壁に沿って、カーブを曲がる。……一際、大きな歓声。ゴールの前に集ってお祭り騒ぎの人々と、高い来賓席から見守る貴人たち。ついにオレ達は、元の南門へと戻ってきた。

 だが……

 

「はあっ、はあっ、うっ! く!」

 

 足が重い。肺が、心臓が破裂しそうだ。

 やはり最後の最後、懸念していたスタミナ切れがやってきた。チユラだって限界に近いはずだが、追いすがるのが精いっぱいだ……!

 南門。ゴールである一線が見える。

 そして、チユラは。

 スピードを、上げた。

 ラストスパート。みっともない呼吸をしながら、ついていく。チユラの姿が視界にある。それは彼女が真横ではなく、半歩前にいるからだ。

 ああ、やっぱり。チユラは、最後の力を残していた。それだけでなく、精神もタフだ。オレの足はもう折れそうなのに、彼女は真っ直ぐに走る。

 すごい子だ。オレは本当に、精いっぱいに戦った。ミーファ・イユの出せる力を全て出した。それでも最後に上回られたのは、オレもまだまだだということだ。

 最後の勝負が終わる。楽しかった。

 この戦いが終わったら、何をするんだっけ。

 ああそうだ。彼女は、ユシドを。それはきっと良い記憶になる。心の内に秘めた想いを交わして、少し、大人になるのだろう。オレにも覚えがある。それは大事な経験で、彼女がオレに勝つのは、良いことだ。

 でも、じゃあ。

 オレが、彼女に、勝ったら。

 どうしようとしていた?

 ――何故、勝ちたいと思った?

 

「あああああっ!!!」

 

 剣を引き抜く。

 走るだけの勝負にはもう、必要のないもの。邪魔な荷物だったそれ。それが、光を帯び始める。

 終着点となる一線が眼前に迫る。チユラはオレの前にいる。走っても追いつけない。オレの足はもう、折れる寸前だ。

 魔力を、叩き起こす。

 剣に集う、()()の魔力。これはオレの魂の光だ。ずっと使っていなくとも、殆どを失っていたとしても、それでも。

 これは“駆け抜ける戦い”。その最後、この瞬間に、最も信頼できるのは!

 

風神剣(フウジンケン)ッ!! おおおーーーっっ!!!」

 

 風が巻き起こる。

 後方に向けて放たれたそれに、ぐんと押され、足は浮き、身体は空を駆ける。

 チユラの背中と、戦いの終着点。

 勢い余って転ぶ直前、それらが見えた。

 

「う! うお! いたっ! いだだだ!!」

 

 地面にごろごろと転がる。それが止まると、身体があちこち痛い。

 それと、多くの人の視線を感じる。這いつくばりながら辺りを窺うと……おそろしいことに、あれだけ熱狂していた彼らが、すっと静かになっていた。それに気づくと、全身に刃を突き付けられているかのような緊張が襲ってくる。あわてて体勢を整えようとして……また転ぶ。

 だめだ、身体が動かない。本当の体力の限界だ。全身が震え、死ぬんじゃないかというほど鼓動が響いて苦しい。魔物と戦っていてもこんなふうになることはない。

 少し、息を整えないと。

 

「ミーファさん」

「ち、チユラ……」

 

 なんとか上半身を起こすと、オレとは違って、呼吸を荒くしながらもしっかりとした足取りで歩く王女様がやってきた。

 ……勝敗は、どうなってしまったのだろう。終わった後のこの差が、結果を表しているように思えてならない。やはり、土壇場であがいたところで……。

 少しこちらを見下ろしたあと、彼女は手を差し伸べる。

 逡巡し、震える手で、彼女の手を掴んだ。

 強く引き上げられ、しゃんと立たされる。やはり彼女は力持ちだ。そのまま、オレに肩を貸してくれる。おい、この衆人環視のなかで、王女様にこんなことをさせるなんて、仲良くなれても恐れ多すぎる。困ったな。

 そこに、誰かがやってくる。たぶん、ゴールを監視していた、審判役の男性だ。

 

「王女様。ロードレースの、第一着は――」

「わかっています。私が皆に伝えますから」

 

 チユラが、オレを見る。とても近くから見たその青いひとみは、晴れたときの空のように、気持ちのいい色だと思った。

 

「ほら、ちゃんと立つ」

 

 チユラがオレの腕を肩から降ろす。ふらつきながら、なんとか立ってみる。

 彼女はそれを見届けて……そして、オレの腕をつかんだ。

 

「勝ったのは、あなたです。ミーファさん」

 

 そう言って、オレの腕を高く上げる。

 人々の声が沈黙を破り、割れんばかりの音が広場に響き渡った。

 

 

 

 これで、ロードレース大会とやらはようやく終わった。

 一着と二着が決まってしばらくして。オレ達の後にも、ぼろぼろのへとへとになった武芸科の生徒たちが帰ってきて、人々に温かく迎えられていた。

 その後は表彰の式だ。街の人々や学生たちに見守られる中、チユラをさしおいて、よそ者の自分が王の前に立つのは、さすがに緊張した。大昔の勇者たちは王様の前に立つことも多かったと聞くが、オレにはとても務まりそうにない。たしかに、ほんの数えるほどの似た経験は、ありはするけど。

 優勝者をたたえる祝辞をつらつらと述べ、オレに栄誉を与えたあと。轟く拍手の中で、王はオレだけに聞こえる声で言った。

 

「イフナ隊長と、娘から、君の話を聞いている。ここまで、この国のために心を砕いてくれてありがとう。雷の勇者よ」

「……!」

 

 もったいないお言葉だった。何故なら、王都の怪異はまだ何も解決していないからだ。

 栄誉と、友人を得た。たくさんの経験を得られた。思い出を手にした。光の勇者も見つけた。

 けれど……どこかへ消えた人々は、未だ戻らない。このひとつのひっかかりが、どうしても。いつも心に、しつこく染みついている。

 それだけが、本当に、嫌だった。

 

「ミーファさん。私に勝っておいて、なにかしら、その顔」

 

 すべての予定を終え、人々が会場から去っていくなか、話しかけてくる女の子がひとり。

 これは申し訳ない。気持ちを切り替えて、笑顔をつくる。

 

「ミーファさん。私、今日は楽しかった」

「わたしも、です。王女様」

「なに。その話し方。せっかく、その……友達になれたって、思ったんだけど?」

「……まあ、人の目が、まだあるし」

 

 彼女の言葉を聞くと、口の端が上がってしまう。

 あっちも、友達だと、言ってくれた。嬉しくないはずはない。長い距離を走った労力が報われる。

 

「さて。勝った人には、やるべきことがあります。……人の恋路のチャンスをダメにしたんだから、ミーファさん、わかっていますね?」

「えっ、う、その」

 

 眉を吊り上げた顔を、ぐっと近づけてくる。

 ……悪いことをした。なんでもないふうに彼女はふるまっているけど、実は悲しさを押し隠しているかもしれない。

 チユラを負かしてまで、その、なんだ。

 想いを告げる権利、とやらを勝ち取った、オレは。それを果たさなければならないということになる。

 

 ――ああそうだ。オレの中には、ユシドを大切に想う気持ちがある。それはただの親愛の情とは、少し違っている。

 こんな勝負を持ちかけてきやがって。とんでもない子だ。必死に頑張ってしまった以上、彼女の前では言いつくろえない。

 でも。オレは、まだ……その気持ちに、形を与えることは、できない。まだ。

 

「チユラ。……それって、今すぐじゃないと、ダメかな」

「あら。ミーファさん、意気地なしなんだ」

 

 言葉が心臓に刺さる。

 それを指摘されると、つらい。

 

「――オレとユシドは、一緒に旅をしている。長い旅だ。だから、その」

「じゃあ、期限をつけますか」

 

 石壁の向こうに、夕日が落ちていく。

 今日の一日を讃えるような、大きな赤い夕陽だ。

 

「旅の目的を終える頃に、必ず、気持ちを伝えることです。そのときのミーファさんが、彼を、どう思っているとしても。それと……」

 

 チユラは金の髪を赤く染めて、それと同じくらい、顔を紅くほころばせた。

 それは、笑っているようにも……少しだけ、泣いているようにも、見えた。

 

「明日会うときは、これまでの旅の話を聞かせてください。よその国から来た、勇者さま」

 



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43. 王都を守れ!

 夜。その暗い空の下では、人は火を灯すことで闇から身と心を守る。

 ここは王都近辺の野外。オレは仲間たちとともに強力な魔物討伐の仕事を終え、設営した休息地で灯りを囲み、団らんを楽しんでいた。ちょっとした遠征だ。

 仲間というのは……おなじみの勇者仲間、シークとユシド。そしてこの街で知り合った3人の若者、マリン、ストーン、シャインのことだ。今回ティーダは王都でひとり留守番をするとのこと。

 火とお茶で身体をあたため、みんなの様子を眺める。今日は大人数で敵を打倒することを通して、さらに親交を深められたように思える。シャインもストーンも達成感のあるすがすがしい表情だ。

 また、希少かつたちの悪い魔物を討伐できたことで、実績もずいぶん稼げた。オレとマリンのAランク到達に、もうすぐ手が届くというところまできている。

 

「ん……?」

 

 準備していた食事をみんなが口にしている光景。けれど、マリンがいないことに気が付いた。準備のときにはしっかり働いていたのに。

 シャインに、彼女がどうしていないのか聞いてみる。マリンは、すぐそこにある小高い丘で涼んでくると言っていたそうだ。オレにはこの火の周りがちょうど良いくらいの暖さだったのだが、彼女には暑かったらしい。

 視線を彷徨わせてみると、テントの向こう側になだらかな自然の坂道があった。オレは席を立ち、みんなに断って、マリンを探しに歩いた。

 

 しばらく坂を少し上り、草の緑を踏み進むと、広大な平原に出る。岩が転がっていたり木が立っていたりするのはもう少し向こうなのだろう、いま視界にあるのは、風に揺れる緑と夜の蒼だ。

 ……それと、星明りに濡れた、白銀の髪。

 ひとりでぼうっと佇むマリンの顔は、ただ何もない平原の向こうへと向けられている。前髪に隠れた視線は遠くからではわからないけれど、なんだか、ここではないどこかを見ているような感じだった。

 どこか儚く神秘的な雰囲気に、話しかけるのをためらう。オレは少し息を整えてから、彼女へと近づいていった。

 

「マリン、ここにいたんだ」

「ミーファさん」

 

 声をかけると、いつもの彼女に戻った。まだ学生らしい幼さの抜けきらない、あどけない表情のマリンだ。

 けれどこの頃は、戦いの中でも頼れる仲間と思えるほどになってきた。すぐにオレたちと肩を並べる魔導師になるだろう。マリンには強い力がある。

 光の勇者の証、巨大な魔力、治癒術の才能、魔法術や古代語の知識、そして……信頼だ。

 彼女とは……本当に、親しくなれたと思う。今はもう大事な仲間のように思っている。それだけ、短いようで長い時間、この王都でたくさんの経験を共にした。

 オレ達は、いつまでここにいられるだろうか。この街で出会った人々との別れは着実に近づいているはず。

 そろそろ、話をしないといけない。自分たちが王都に立ち寄った、本当の目的を。

 

「マリン。少し、いいかな」

「ミーファさん、見て」

 

 話の出鼻を挫かれる。マリンはそんな台詞を言いながら、自分の真上……空へと、目を向けていた。

 彼女の隣に立ち、夜空を見上げる。

 

「おー、これはなかなか」

 

 暗闇のカーテンの上に、たくさんの小さなひかり。つまりは、見事な星空がそこにあった。

 あまり星見の趣味はなかったが、けっこういいものだ。美しく散らばった白銀の瞬きは、マリンやチユラの使う光の魔法術と似ている。絶対に手が届かないそれらを掴もうとすると、何も触れられはしない代わりに、心に何かが入ってくるようだった。

 

「良い場所ですよね。よその星が綺麗にみえる」

「ああ、うん」

「ねえミーファさん。空の星って、ひとつひとつがこの世界より大きいんですよ。とっても遠くにあるから、小さく見えるだけなんです」

「へえっ。なにそれ、おとぎ話の一節?」

「ううん。本当の話」

「ふーん……あ、いやまあ、知ってたけど?」

「ふふ」

 

 話しながらマリンの顔を見ると、やけに機嫌がいいように思えた。真実かどうかわからないが、彼女の話はおもしろい。“星”と“世界”は同じ意味のある言葉だから……ええと……なるほど。

 と、分かった気になる。学校の教科書や最近の本に載っている話だろうか。さすが博識なことだ。

 もっと話を聞きたい気分にもなったけど……先に、こちらのことを伝えよう。

 

「マリンはさ、ヤエヤ王国から出たことはある? 遠くの町まで、旅をしたことは」

「……あります。ええと、バルイーマまでは行ったことがあるんです。闘いのお祭りを見ました。そのときは、なんだか、楽しかった。色んなものがあって、色んな人がいて」

「ああ。旅は楽しいよ。特に、仲間たちとの旅は」

 

 すうっと息を吸いこむ。やっぱりこの瞬間は、どうしても緊張してしまう。

 不思議そうな表情をする彼女に、視線を合わせる。そして、少しの勇気を出した。

 

「だから……オレ達と一緒に、外の世界へ行かないか」

 

 言った。

 続きの言葉を組み立てていると、しばらく沈黙が続いてしまう。その間、ゆっくりと、マリンの目が丸くなっていく。

 

「ええと、というのもね。七勇者の伝説について、学園で習っただろ。……君のその手の紋章。それが勇者に選ばれた人間の証なんだ。ほら、前に見せた、オレのも。だから――」

 

 マリンの手を取って、自分の手の甲と照らし合わせる。形は完全に一致している。以前見せたときは説明をしなかったけど、これで隠し事はない。

 これは勇者の役目にふさわしい魔力を持つ者の身体に浮かび上がるもの。彼女の秘めた才能とこの刻印は、マリンが光の勇者であることを示している。

 だから、いつか共に旅立ち、使命を果たしてほしい。

 そう伝えた。

 

「……やっぱり、そうだったんですね。そうじゃないかなって、思っていました」

 

 紋章の刻まれた右手を大事そうに抱え、マリンは目を閉じた。

 あとは、彼女がどうするか。人間世界を守るためとはいえ、マリンにはマリンのこれまでがあるのだから、無理強いはできない。命を落とすことや、取り返しのつかない怪我を負うこともある。ただの気楽な旅ではない。

 それを聞いて、彼女は。

 

「みんなと……あなたと、旅をする。この星の色んなところを、見に行く」

 

 目を開いて、オレを見る。白銀の髪が星明かりなら、金色の瞳は月のようだ。

 

「それはきっと、何よりも素敵なことだって思うの。本当よ? 嘘じゃなくて、ほんとうに……。だから、わたしも、あなたと」

 

 自然な笑顔だと思った。笑うマリンは綺麗で、瞳と髪が光って見える。

 これが彼女の気持ちだ。なら、あとは、連れだすだけ。

 君の心を聞けて良かった。

 

「……それが素の喋り方?」

「あ、ご、ごめんなさい、馴れ馴れしくて……」

「なんで? いいよ。やっと仲良くなれたみたいで、嬉しいんだ」

 

 しばらく笑い合いながら星を眺める。

 そのあと、もうひとつ大事なことを伝えることにした。

 

「これはある意味さっきの話より大事なことなんだが……実はいま王都では、力ある魔導師が何者かにさらわれているんだ」

「え?」

 

 びくっ、と、肩をふるわせ反応するマリン。その表情は不安と恐怖に彩られていた。

 大丈夫だ。君に危険が及ぶことだけは、オレ達がさせない。

 

「マリンが狙われたら、オレ達が守ってみせる。けれど、くれぐれも気を付けてほしいんだ。もうすぐ何か、動きがある気がしてならない」

「……私がさらわれたら、ミーファさんは助けに来てくれますか?」

 

 上目遣いに見上げてくるマリン。声は少し震えている。

 

「絶対に助ける。約束するよ」

「ならきっと、ミーファさんがさらわれたら、私があなたを守ります。ヤクソク、ですね?」

「へ? お、おう。ありがとう」

 

 全然想定していなかった言葉をかけられ、面食らう。オレがさらわれる、か。たしかに一度あったことだしな。気を付けているつもりだったが、もっと気にした方が良いか。

 

「じゃ、ほら」

「?」

 

 小指を立てて差し出すと、マリンは首を傾げた。

 なんだ、知らないのか? ここの地方だとやり方が違うのかな。

 

「約束を結ぶときは、こうして小指を絡ませる仕草をするんだよ。誰でも知ってると思ってたんだけど」

「あ、その。えへへ」

 

 そうして約束を交わす。

 きっとこの王都で、マリンを、人々を守って見せる。できることは、あまりに少ないけど。

 

「……ミーファさん。わたしたちは、お友達、ですよね」

「? もちろん! マリンからそう言ってくれて、嬉しいよ」

 

 そう返すと彼女は、前髪から覗く目を細めて、微笑んだ。

 

 

 

 いつものように、学園の訓練着を着て、屋外訓練場で汗を流す。

 “いつものように”と思える程度にはここで過ごした。級友たちとも、まるで旅の仲間か家族のように多くの時間を共にしたことになる。とくにチユラ王女とは絆を深められただろう。王立学園での日々は、オレにたくさんの心地よい記憶をもたらした。

 だが……。

 並行して、消えた魔導師たちの行方を追っていた。怪しい空間の探索、関係しそうな人物の追跡など、ユシド共々、出来ることはやったつもりだ。

 けれど結果として、学園の関係者は恐らく、事件とは関係がない。あの校長先生もだ。彼女はただの頑固で学生想いな人物でしかなかった……。

 こうは言いたくないが、本来の目的を考えれば、無駄な時間となったわけだ。オレ達が王都にやって来たあたりから魔導師は消えていないという事実だけが幸いだが、結局何も手がかりがない。下手人はもう、別の町に行ってしまったのだろうか。だとしたら、悔しくてものも言えないくらいだ。それに、王都の消えてしまった人々は……。

 

「ミーファさん、平気? 顔色が悪いわ」

「――ああ。ごめん、考え事をしてた」

「………」

 

 今は、いつかのように新しい魔法術を試す訓練の時間だった。チユラが、いつの間にかオレのすぐ近くにいる。

 

「ミーファさん、あなた方はよくやってくれています。あまりこの国のことだけに縛られないで。私たちはそんなに、弱くはないもの」

「……うん。でも、もう少しだけここにいたいんだ」

 

 チユラと話していると、心が落ち着く。彼女にはなにか、人の心を掴むような力があるのかもしれない。王女様だし。

 彼女には勇者としての素性を明かした。以来、学園内の調査に協力してもらっている。いや、そもそも彼女自身も、消えた姉……パリシャ王女の行方を追って、できることを探していたのだ。王国の力ある人々はみな、この事件を追いかけている。

 なのに、なぜ。こんなにも、尻尾が出ない?

 オレは……オレたちは、何を見落としているんだ。

 

「……? 何か、騒がしいな」

 

 遠くの方で声がする。人が、大きい声を出している。

 耳にしてから数秒の内に。ひどく、不安な感じがした。

 

「きゃああああっ!!??」

 

 今度は遠くからじゃない。

 すぐそば。クラスメイトの女生徒の声だった。反射的にそちらを見る。

 そこにいたのは……

 赤い髪の女生徒。同じ魔法術クラスに所属している育ちのいいお嬢さんだ。

 だが、その顔はいま、涙と恐怖でいっぱいになっている。

 彼女は――大柄の、獣人型の魔物の手に、捕らえられていた。

 

「な――」

 

 なんだ、これは。

 全身の毛が浮き上がる感覚。到底受け入れられない光景。次代の平和を担う子どもたちを育てる、王立学園。そのど真ん中に、いてはならないものがいる。

 誰もが身体を固くする中、その注目を集める獣は……たしかに、その耳元まである口角を、上げた。

 笑ったのだ。

 

「いや、だ、だれか――」

 

 狼の亜人、いわゆるウェアウルフに分類される魔物。そいつが地を蹴る。向かう先は無防備に陥った学生たち――では、ない。

 あらぬ方向。学園の端へと身体を向けている。つまりやつは、捕らえた彼女を傷つけるのではなく……そのまま、連れ去ろうとしている。

 ――なにをやっているんだオレは! このままでは、まずい!!

 

「止まれ」

 

 駆け出そうとした矢先、低い男性の声。同時に、ウェアウルフの動きが止まる。見れば、全身を水と風の魔力によって拘束されていた。

 やったのは、杖を構えた男性……この時間の訓練を担当していた、デキヤ教諭だ。

 

「うちの生徒を、離しなさい」

 

 鋭い風の刃が、ウェアウルフの太い腕を切断する。手の中に囚われていた少女は、地面に投げ出された。

 すぐに走る。チユラが彼女を抱え離れるのを見届け、雷の刃で敵を焼き尽くす。

 悲鳴のような遠吠えを上げ、魔物は光の中へと消えた。

 

「……バカな。王都の中、いや、学園の中に、魔物が現れるなど……ありえない」

 

 倒した魔物のいた焼け跡を見て、先生がつぶやく。

 そうだ。このヤエヤ王都は、世界でも有数の堅固な結界に守られている。その中にいて、ダメ押しとばかりに、この王立学園にもまた独自の結界が施されている。

 どちらも強力な光の魔法術。破邪の魔物避けを、彼らが越えられるはずはない……。

 

「みなさん、校舎の中へ! 何か、恐ろしいことが起きている。学園の職員として、あなたたちの身は我々が守ります」

 

 珍しくデキヤ教諭が声を荒げるのを耳にして、我に返る。

 騒動の直前に遠くから聞こえた声。あれは、誰かの悲鳴だ。

 終わっていない。これから、始まるんだ。何かが。

 

「そんな……!? うわああーーっっ!!??」

 

 校舎の中に、屋外の生徒たちが逃げ込んでいく途中。

 次々と、魔物たちが()()()()()。地面から、しみ出すように。

 そして彼らは人に牙を剥けず、どこかに連れ去ろうとしている。オレは訓練用の剣を抜き、逃げ遅れた生徒たちを襲う個体を焼き斬った。彼に、彼女に、走るように伝える。

 

「ち!」

 

 剣が崩れ落ちる。動揺が魔力に伝わり、必要以上の力を刃に流してしまったんだ。

 魔物は一匹ではない。周りの個体が、オレに手を伸ばしてくる。それはウェアウルフだけでなく、他の動物の魔物もいたが。やはり一様に人のような手足を持っていて、そして、笑っていた――

 

「ロイヤルキック!!」

 

 一番近くの魔物が吹き飛んでいく。オレは拳を握り、そこにつくりだした雷の刃で、周囲の獣を切り払った。

 だが終わりではない。次々と、まるで限りがないかのように、やつらは現れる。

 オレは脚に力を入れ、チユラと背中を合わせ、胸の魔力をたぎらせる。

 

「王女様? みんなを率いて、避難を先導するべきでは」

「御冗談。それは副委員長に任せます。……それにこれ、どう考えても“核心”でしょう」

 

 彼らの目は、こちらを見ている。

 オレ達の魔力の輝きに、引きつけられているかのように。校舎の中にいる他の学生達より、こっちが“対象”らしい。

 つまりは……そういうこと。

 真相は何もわかっていない。今わかるのは、こいつらが、魔力を持つ人間をさらおうとしていること。

 そして。今戦わなければ、オレがここに来た意味がないということ。

 それだけ。それだけあれば、頭を切り替えるには十分だ。

 金銀の光が弾け始める。背中越しにいる彼女が心配な気持ちが、3割くらい。……頼もしい気持ちが、7割くらい!

 考えるのはあとだ。今はただ、目の前のやつらを退ける!

 

 

 ………。

 もう何体目か分からない獣を切り裂く。

 かなり長く戦っている。オレはまだ余裕があるが……校舎を守っている先生たちが、見るからに消耗している。

 これは、まずいな。やつらが魔力を持つ人間を狙っているのだとしたら、その対象は、魔法術で戦っている先生たちも――

 

「ぐっ!?」

 

 デキヤ教諭が両手で腕を押さえこまれた。いけない!

 ここからは少し遠いが、すぐに助けなければ。

 ……いや、あれは!

 魔物に、光の槍が突き刺さる。どこかから飛来したそれに助けられ、先生はなんとか窮地をしのいだ。

 色からして光の魔法術。チユラのものではない。なら、あれはやはり。

 

「はあ、はあ。ミーファさん!!」

「マリン……!」

 

 「来てはダメだ」、最初に浮かんだのはその言葉だ。

 しかし校舎から出てきてしまったのは、彼女だけではなかった。

 大盾の少年がマリンを魔物から守り、短刀の少女が敵の首を斬りつける。……ストーンに、シャインまでもが。たしかに彼らはみな、頼りになる仲間だが。

 ……まだだ。まだ、出てくる。

 各々の武器を手にした武術クラスの学生たちが、魔法術クラスの子たちを厳重に庇う陣形で展開しつつある。拙さはあるものの、しっかりと互いをかばい合い、獣人に立ち向かっている。

 大人に守られるべき彼らが、自分たちの学園を守ろうと奮闘している。それは、良いことなのか、愚かなことなのか。

 魔物たちの目的を知っているオレからしてみれば、それは褒められた行為じゃない。

 けれど……

 気分は、上がってきた。

 

 彼らに魔の手が伸びないよう、敵の群れに切り込んで暴れる。

 自分の身は自分たちで守ると、みんなは主張しているのだ。ならばオレも、後ろを気にせずに攻めてしまっていい。

 魔力の猛りに惹かれ、獣たちが向かってくる。これでいい。うまく引きつけられている。

 電撃の刃で、前方の敵を吹き飛ばす。そして、後ろの敵は――

 

「風神剣っ!!」

 

 翠の風が切り刻んでいく。

 やっと来たか。これでもう……不安は、何もない。

 

「ごめん、遅くなった。学園内の魔物は、ここに集まってきてる」

「わかった。なら、戦うぞ、ユシド!」

 

 そばにいるユシドの魔力に、右耳の飾りが反応している。

 翠色の光を宿した剣が振り上げられる。周りを取り囲んでいた獣たちは、風に巻かれて宙に投げ出される。

 彼らの身体を斬りつける荒々しい風に、さらなる破壊のエネルギーを上乗せする。竜巻に乗った稲妻が、敵を貫いていく。

 ふたり分の魔力が敵を蹂躙していく。それは、文字通りの嵐だ。

 そうして、目につく敵を倒していく。何故今ここを襲ったのかは知らないが、それは失敗だ。オレはおまえたちを倒しきるまで、戦うのをやめない……!

 やがて、嵐が止む。学生たちを襲う獣の群れは、ほとんどが光に消えていった。

 もう少しで、どうにか乗り切れるか。

 

「ぐあああっ!!」

「っ! ストーン! 大丈夫か……」

 

 向こう側から、ひとりの少年が吹き飛ばされてきた。得物の大盾とともに弾き飛ばされてしまっている。すぐに駆け寄ろうとして、けど、嫌な予感がして、みんなが戦っている校舎の辺りを見た。

 ……ひとまわり、大きい身体。鋭く長い爪。今まで蹴散らしてきたやつより、明らかに格上だ。

 それが。

 マリンの前に、立っている。

 

 すぐに、身体が動いた。

 風を纏った足が、地面を抉る。景色がぐんと流れて、真っ直ぐ向かう先にあるひとつの光景だけに意識が集中していく。

 もう腕を振りかぶっている。鋭い爪だ。マリンを連れ去るにしても、傷つけずに、という決まりはないんだと思った。あれが振り下ろされればただではすまない。

 どうする。腕を斬り飛ばすか。殺すか。爪はもう届く寸前だ。だめだ。だったら――

 手を伸ばす。マリンの、見たことないくらいの驚いた顔が、見えた。

 

「……が、ふッ」

 

 血が流れる。なんとか、追いついた。

 オレの身体に、爪が突き刺さっている。気持ちが、悪い。

 この、や、ろう。人の、腹に。痕が残ったら、どうして、くれる。

 爪を掴んで、力を入れる。吹き飛ばしてくれようと思った、けど、うまく頭が回らない。

 

「うああああっっ!!!」

 

 どうしたもんかと思っていると、獣は、横から来た翠の風にぐしゃぐしゃにされて、目の前から吹き飛んでいった。

 残った爪を握りながら、膝をつく。これ、抜いたほうが、いいんだっけ……? 抜かない方が、正解?

 

「かふ、ぶッ、ぐ……」

 

 痛い、な……! 久しぶりだ、こんなの。まあこういう、うまくいかない日もある。大丈夫だ、これ、くらいの、傷!

 

「………どうして」

「――?」

 

 ぼやけてくる目と耳。なんとか首を動かすと、目の前に、銀色の少女が立っている。

 顔が良く見えない。声は……心底不思議だ、とでも言いたそうな、そういう声だった。

 

「ミーファ! ……ミーファ!! 今すぐに治療する、少し耐えて……!」

「ぐ、あ、があああっ!?」

 

 眠りそうになっていた意識が引き戻される。これは、刃を引き抜かれる痛みだ。痛い、痛い、痛い!!

 情けない。こんな姿を見られるなんて。おかしいな、こんなこと、勇者なら、シマドなら、平気で立っていないといけないのに――

 爪が抜かれる。赤い血が流れだす。熱い痛みのあとは、力が抜ける恐怖と寒さがやってくる。

 この感覚は、知っている。魂が知っている。すべてが暗い場所に落ちていくような感覚は、初めてじゃない。

 これは、死というものだ。

 目を閉じる。温かいものを身体に感じながら、オレは、眠りについた。

 どうして、こんなことになってしまったんだ。

心残りだらけだ……。

 ごめん、みんな。マリン。ごめん、ユシド………。

 ………。

 …………。

 ……………。

 …………あれ、もう痛くないな。

 

「あれ? うおっ」

 

 目を開ける。泣きそうになっていた少年の顔が飛び込んできた。近い。

 

「よかった、ミーファ!!」

「ちょっ、おい、アホか……!」

 

 横になっていた身体を起こすと、盛大に喜びながら、ユシドは抱き着いてくる。ユシドの身体はオレより太く、重く、硬くて、強く抱きしめられるとちょうど心地がいい。首からはいつもの香りがする。

 いや、こ、こんなことしている場合か。魔物がすぐそこにいるはずだ。

 頭をぽかりと叩き、やつを引き剥がす。ユシドは立ち上がり、首を振って、表情を落ち着いたものに戻した。

 

「ミーファ、身体はなんともないんだね? ……マリン、ありがとう。君はすごい人だ」

「………」

 

 その言葉を聞いて、すぐそばに、マリンが座っていたことに気が付いた。

 そうか。彼女がオレを治してくれたんだ。あの一瞬で、完璧に。

 すごい、すごすぎる。彼女は正真正銘、光の勇者だ。人々を救うのに、こんなに明確に役立つ力は他にない。マリンの手は、人を癒す手なんだ。

 でも……浮かない顔を、している。

 

「ミーファ、さん。ごめんなさい。こんなことになるなんて。私のせいで、あなたが……」

「マリンのおかげで、治った、だろ。ありがと!」

 

 手を差し出す。まだ、こんなところで座っている場合じゃないさ。喜び勇むならともかく、うじうじする理由なんかあるか?

 ためらいながら、それでも、マリンはオレの手をとった。強く引き上げ、手を繋いで、共に並び立つ。

 

「さあ、もう少しだ。みんなで、学園を守ろう」

 

 振り返れば、オレを見守っていたのは、ふたりだけじゃなかった。

 お世話になった先生に、クラスでの時間を共にした少年少女達。離れた所で戦っているチユラやストーン、シャインも、こちらを気にしてくれている。

 情けないところを見られちゃったな。だったら、ここから挽回だ!

 

「ミーファさん。手を離さないで」

 

 マリンがそういうと、白銀の光が、彼女の手からオレに流れ込んできた。

 身体が熱い。治癒の魔法術……? いや、これは。

 腕に、足に、力がみなぎるようだ。まさかこれが、光の、身体強化の術?

 他の学生から、訓練用の片手剣を受け取り、無造作に振るってみる。それだけで、ちょっとした風が起きた。……なるほど、感覚としては、魔力の流れが筋肉の動きを補助しているかのような……。

 口角が上がる。これなら、誰にも負ける気がしない。

 手を離して一歩下がってしまったマリンの、その手を、また引っ張る。目を合わせて、自分の手と彼女の手を叩き合わせた。

 

「オレと君なら、なんだってできる。一緒に戦うよ、マリン!」

 

 この身体に満ちる力は、彼女の光だ。だから、一緒に戦っている。

 振り返って、戦場に向き直る。ユシドと頷きあい、残りの獣たちを視界におさめる。

 さあ、力を振り絞れ――!

 

 

 

 同じ時間。学園の外。

 すなわち、ヤエヤ王国、王都守護結界壁の内側にて――

 おびただしい数の、獣人が出現していた。

 

 魔物と呼ばれる彼らは、本能のままに人を襲うものたちだ。人々は結界が機能していない事実に驚愕しつつも、戦う者、守る者たちは武器をとり、国を守るために獣へ立ち向かった。

 そして、気が付く。人を襲うだけでなく……人を、どこかに連れ去ろうとしている個体が存在することに。

 事態に当たりをつけた王国の兵士たちは、国民を守るべく街中を奔走する。王の膝元で、兵たちの目の前で、人々がかどわかされる。それだけは決して、あってはならないことだ。兵たちは指示に従って魔物の襲撃地へ向かう。

 だが、その中には、指示を無視して自分の大切な人間の元へ駆け出す者もいる。救援の届いていない区域に家を持つ者たちだ。

 この広い王都の全域で起こった突然の事態に、軍はまだ対応しきれていない。その手が国民のすべてに届くには時間がかかる。……とりこぼす可能性が、出てしまう。

 例えば。

 城や駐屯地から離れたこの区域にも、逃げ遅れた人々が、そこかしこに。

 

「な、なんで街の中に、魔物が!?」

 

 立派な槍や剣を担いだ彼らは、王都のギルドに所属する若いハンターたちだ。しかし仕事をこなして帰還する途中、気を抜いていた街の中で襲われ、今は混乱の極みにある。

 逃げ遅れた人々どころか、自分たちの身を守るのが精いっぱいだ。今も、パーティーの魔導師が執拗に爪に狙われ、得体のしれない恐怖にさらされている。

 

「ギルドに、ギルドに逃げ込めば安全だ。早く行こう!」

「でも、こいつら、強くて――あ」

 

 惨事から逃げ出そうとして、背中を見せたのがいけなかった。無防備な背中に、魔物の非情な爪が迫る。

 

「ううっ!! ……う?」

 

 しかし、それが届くことはなかった。

 舞い散る血しぶきが、光のつぶに変わっていく。獣人の魔物は、大質量の鉄塊によって脳天から叩きつぶされていた。

 王都の整備された道を割り砕いた大剣は、持ち主の背中に戻される。

 やったのは……背の低い、フードを目深に被った少年だった。

 

「あ、あんたは……S級のアーサー!」

「た、助けてくれたのか」

 

 腰を抜かしてしまった魔導師の男性が、アーサーを見上げる。それによって、普段は見えないはずの少年の素顔が、垣間見えた。

 紅と蒼、二色のひとみ。遠くを見ていたふたつの目が、ふと、ハンターの男を見下ろした。

 

「……弱い奴らは、大人しくしていろ。おれが、全部倒す」

 

 まだ声変わりもしていない、幼い少年の声だった。しかしそこには、本当にそれを成し遂げるだろうと思わせる威圧感がある。

 大剣を背負った少年がそこを去る。その区域にはもう、魔物の姿は無かった。

 

「……おい。弱いやつら、だってさ」

「S級だからって、新参に活躍持ってかれていいのか」

「みんな。ひとまず、できることをやろう」

 

 若いハンターたちは、震える身体をなんとか持ち直し、恐怖に怯える人たちを導いてハンターズギルドへと向かった。その場所こそが、彼らが王都で最も安全だと信じる施設だからだ。

 人々を守りながら、そちらへ向かう。破裂しそうな心臓を押さえつけながら、なんとか最後の角を曲がった。

 

「あ、あれは……!」

「はいダイモさん、12体討伐ね。あー、全然ランキング外ですよ。オーフさん、東門付近が手薄みたいです、すぐ行ってください。はい次の人ー」

「武器防具レンタルはこちらのカウンタでどうぞー!」

 

 ギルド前広場。そこでは、臨時の受付所を設営したギルド職員たちに荒くれたちが詰めかけ、また別の意味で戦場になっていた。

 王都のベテランハンターたち。彼らはこの突発的な危機に対しても、自分の力を示すことを忘れていない。次々と戦果を報告し、また次の戦場に向かって走っていく。

 

「これは一体……」

「あ、ディーゴさん。住民の避難を成し遂げるとはさすがですね。実績に記録しておきます」

「ユタクさん」

「彼らは我々のところで守ります。さ、次へ行った行った」

 

 眼鏡をかけた受付嬢から忙しいとばかりに追い出されたディーゴは、仲間たちと顔を見合わせる。だがそれは、先ほどまでの恐怖に陥った表情ではない。栄光と自尊心、そして手の届く人を守るという使命感に溢れた、血気盛んなものだ。

 

 王都を守るのは、国軍の兵たちだけではない。

 彼らもまた、人々の盾であり、剣である。

 

 

 

「あれ……さっきの人たちだ」

 

 ひとり王都を走り回りながら魔物を斬り捨てていたシークは、やがて逃げ惑う街の人々よりも、剣を取ったハンターや衛兵とすれ違うようになったのに気が付いた。

 

「ギルドの中の方が安全だって言ったのになあ」

 

 言っていない。

 シーク・アーサー・マンゴーパイン。彼女は、コミュニケーション能力が低かった。

 

 視界内の魔物を排除したあと、大剣を肩にかつぎ、考える。

 戦える者が事態に対応できつつある。これなら、最悪の事態は避けられるかもしれない。ハンターや兵の助けが届きそうな地域は任せていいだろう。そして……王立学園には、信頼できる仲間がいる。これも後回しでいい。

 シークは感覚を研ぎ澄ませ、人々の声や血のにおいを探す。飛び上がり、近くの屋根に上り、周りを見渡す。魔物が消えるときの光の粒子が上がっておらず、戦士による闘いの気配がなく、悲鳴がこだまする区域。それらを見つけ出す。

 家々の屋根を飛び移り、最短距離で移動する。

 やがて、人家に押し入ろうとする獣の群れを、目の内に捉えた。

 

「だっ!!」

 

 両断。そして周りの個体には、渦巻く水流をぶつける。いくつかの攻防により、周囲の獣人を一掃した。

 しかし――家に入ろうとしているやつがいた。これは、よくない。シークの顔を一筋の汗が流れる。

 耳を澄ませる。既に家に侵入している魔物がいる可能性がある。惨劇を見つけ防ぐには、悲鳴を捉えるか、痕跡を見つけるか、もしかするといちいち扉を開け放って調べる必要があるかもしれない。

 いま、シークの耳が、かすかな叫び声をつかまえた。ここから一つ飛ばして右の家屋からだ。

 急いで駆けつけ、扉を開ける。今まさに、若い女性が獣人の腕に捕まろうとしていた。

 

「はああっっ!!」

 

 シークの強烈な蹴りが、狼の頭を撃ち抜く。

 がっしりとした腕をこじ開け、女性を助け出してから、まだぴくぴくと動く巨体を大剣で切り裂いた。

 

「い、いや、おかあさーん!!」

 

 女性が口にした礼をさえぎる金切声。すぐに表へ出ると、声の主はシークと歳が同じくらいの女の子だ。……今まさに、最悪の窮地に陥っている。少女を乱暴に抱えた魔物は、獣の俊敏さで地を蹴り、ここを去ろうとしていた。

 遠い。既にそこは遠かった。シークは敵を指さし、驚異的な視力で魔法術の狙いを定める。だがこの距離では、間違って人の方に当たるかもしれない。

 判断ミスによる数秒のロスを察したシークは、すぐにスタートを切った。獣すら追い詰める速足。いくらかの時間をかけ、狩人は獣へと追いつく。

 そして、追いつくよりも倒すことの方が簡単だ。鈍い剣の閃きに、魔物が沈黙する。足の何十歩と腕の一振りにより、シークは少女を助け出すことに成功した。

 だが……

 

「また……!!」

 

 反対方向。シークの目が、ほとんど同じ光景を捉える。すなわち、壁の向こうに人を連れ去ろうとする獣人を。

 すぐに走りだすも……また別の個体が、別の方向へ逃げようとしている。心臓が跳ね、背筋を冷たいものが走る。彼女はいま、完全に後手に回ってしまっていた。

 一匹を殴り飛ばし、ひとりを助け出したシークは、遠く離れたもう一匹を見る。

 捕らえられた人にとっても危険だが、魔法術で水をぶっかけてやれば、動きを一瞬止められるかもしれない。……そう考える頃には、既にそいつは、攻撃範囲の外にいた。

 

「待てっ!!」

 

 追いかけられる人狼が一瞬、こちらを向く。シークの目には、彼が人間のように笑ったように見えた。

 

『ギャウッ!?』

 

 しかし。

 敵の目論んだようには、いかなかったようだ。

 人狼の行く道が突如、泥沼のように液状化した。それに足をとらわれ、抱えた男性を取り落す。

 そして。次に、泥沼から、岩の杭が勢いよく突き出された。身体を貫かれた魔物は息絶え、光に還っていく。

 一部始終を見届けたシークは、まず、地面に投げ出された男性を介抱した。

 

「大丈夫ですか? 歩けますか?」

「あ、ああ……なんともない。助かったよ」

 

 これで、周辺の魔物は倒した。屋内にも気配はない。次の場所へ向かう必要がある。

 シークは魔物を探して走りながら、ふと、遠くにそびえたつ、細く高い()を見上げた。ついさきほどまで、この街には無かったものだ。

 

 

 岩でできた、王都のあちこちを見下ろせる塔の天辺。そこでは、赤髪の男が、あぐらをかいて座っていた。

 

「あ、いた」

 

 遠い場所を見通す筒型の道具、望遠鏡を覗き込みながら、ぶつぶつと独り言をもらしている。

 そして、覗かれた先にいた巨躯の魔物は。地面から生えだした岩の杭に身体を貫かれ、絶命するのだった。

 次々と、あらゆる場所に岩杭が出現する。魔物を貫いたあとはボロボロと崩れ、土くれに戻っていく。

 それらはすべて、ティーダが発生させている魔法術だ。遠く離れた箇所へ、正確に、攻撃を行っている。間違っても住人へと危害を及ぼさないよう、細心の注意を払いつつ。

 超人的な集中力と、魔法術の経験値が、このような技を実現させていた。

 

「やばい、疲れた」

 

 魔物の数が確実に減少していくのを見届け、ティーダは空を仰いだ。

 

「でも、今回はマジでやらんとだ。場所を移すか……?」

 

 そしてまた、望遠鏡を覗きこむ。筒が向けられているのは……彼が、彼らが、この王都に来て何度か通った、ある幸せな家だった。

 

 

 木造の家。扉をくぐった先のリビング。家族が幸せな食卓を囲むためのテーブルが、無残にひっくり返されている。

 低い唸り声を上げる巨躯の獣人。それを、ふたりの子どもを背に庇った母親が、強く睨みつけていた。

 彼女は強い人間だ。夫がいない間は、いつも家と子どもたちを守ってきた。けれど、残忍な魔物の爪に対しては、なすすべを持たない。

 この家を守るべき勇者たちは、今はそれぞれが別の場所で戦っている。ならば、少し住宅街から離れたところに建つ、この家を守りにやってくる者は、いない。ハンターや兵士たちも他の区域に気を取られ、手が届かないのだ。

 

 獣が狙っているのは彼女の子どもだ。邪魔をする人間は大した魔力を持っていない。

 ならば、殺してしまってよい。

 

 獣人の爪が迫る。子どもたちを強く抱きしめ、視線は後ろに迫る魔物から目を離さない。最後のときまで、彼女は目を閉じることは、しなかった。

 だから……

 突然、人狼が細切れになって、光に消えるところまで、しっかりと見届けた。

 

「間に合った……!!」

 

 イフナは唯一の武器である刀を投げ出し、家族を二本の腕で抱きしめた。

 彼は国軍兵として剣を振るっていたが、虫の知らせから、状況が優勢に傾いたところで上司に許可をとり、凄まじい速度で自分の家へと帰ってきた。

 愛する妻と子に怪我はない。イフナは、これまでの様々な巡り合わせに感謝した。

 

「みんなはこの家にいるんだ。今からここが、世界一安全な場所だからね」

「そうね」

「なんで安全なの、おとうさん?」

 

 投げ出したものを拾い上げ、扉を開ける。

 外には醜い獣たち。少ない数ではない。この場所に守りが行き届いていない証拠だ。

 しかし、それでも。

 

「父さんが、ここにいるからさ」

 

 襲い来る魔物たちが、この家の敷地を跨ぐことはもうない。

 イフナの刃が、鉄の鞘から、その光をのぞかせる。だが、刀身の全貌を見たものはいない。これから、いなくなるからだ。

 一にして千。無限の刃が、全てを切り刻む。

 

 

「――しっ」

 

 人にも、人でないものの目にも捉えることの出来ない、超速の刃がひらめく。

 傍目には、ただその女性が腰を深く落としたようにしか見えない。しかし結果として、彼女の周りにいた獣たちは、すべて無残に斬られていた。

 

「少し多いですね。早く姫様の元に行かねば……」

 

 エプロンドレスを着た黒髪の女性、ハイムル・サザンクロスはいま、王立学園を目指し進んでいた。

 本来ならば王都で最も魔物の侵入できない場所であるが、この状況ではそれも怪しい。そう考え、主人であるチユラ王女の元へと急ごうとしていたのだが、行く先々で魔物と出くわす。

 ハイムル自身に魔力はほとんどない。ゆえに、彼らの標的にはされにくい。だが、魔物たちが人々を襲っているのだから、無視はできなかった。そこに敵を殲滅するまで戦いをやめない彼女の性格が重なり、これまで王立学園に辿り着くことができていないのだった。

 しかしもうそこまで来ている。先ほど敷地内から雷と竜巻が見えたことから、戦いが起きているのは明らかだ。

 何もチユラを保護しようと考えているのではない。彼女は強い。だが、「王は民を守るために前に立つべきだ」と考えている。その無鉄砲な性格が、従者としての心配の種だった。

 

 また1匹魔物を斬り捨て、学園に続く道へ視線を向ける。ここまでくれば、全速力で向かってしまうか。

 そう考えていたときだ。向かうべき方から、ひとりの男が、ハイムルの元へと歩いてきた。

 その人物の、いつもの朗らかな表情が崩れていないのを認め、ハイムルは胸を撫で下ろした。

 

「兄さん。学園の人たちはご無事ですか?」

「うん。なんか今年は肝の座った実力者が多いみたいで、戦力過剰なくらいさ。学園の外の人たちの方が心配でね」

「その荷物は?」

「あれ。間違えて持ってきちゃったよ。俺もけっこう動揺しててさあ……」

 

 その男は、灰色の作業服を着て、掃除用具の詰まったバケツを右手に提げていた。彼――ニヌファ・サザンクロスの職業は、学園や王都の清掃員である。

 ただ。左手にある長物は、モップや箒……ではない。ハイムルの手にあるものと、同じもの。

 

「あ、兄さん後ろ……」

「後ろが?」

「いえ、なんでも」

 

 ニヌファの背後に、爪を振りかぶった獣人が現れていた。なぜ魔力を持たない彼がこうして狙われたのかは、はっきりとはわからない。それは例えば、周囲に魔力を持つ標的がいなかったゆえの、優先順位の問題か。

 それとも……圧倒的な上位者に対し脅威を感じとった、獣の本能か。

 いずれにせよ。襲い掛かった獣の身体は、既に脳天から股間までを両断されていた。

 誰が斬ったのか? それはこの場にいる兄妹しか知りえないことだ。ニヌファの腕が()()()のは、同じ次元にいる剣士にしか見えなかっただろう。

 

「ふふん、まだまだやるもんだろう。兄さんカッコいい、と言ってくれていい」

 

 その言葉を聞いたハイムルは、ちら、とニヌファの足元を見た。

 左手に保持していた刀を右手で抜き放ったため、右手に持っていたバケツの荷物が散乱している。

 全然、かっこよくはなかった。

 

「自分より弱い魔物相手に得意顔。兄さん、かっこ悪いですね」

「ふふふ! そうだろそうだろ……ん?」

 

 ニヌファはやりとりの中であれ? と思ったが、それを訴える前に、周囲に魔物の群れが現れた。

 仲間の無残な死にざまを見ても逃げ出すことはない。彼らは、死を恐れていないようだ。

 

「さて。大変なことになってしまったけど、頑張らないとだね。王都の掃除は、俺達の仕事だ」

「いえ。メイドの仕事です」

「張り合うなよ。それじゃあ……」

 

 二人は鞘に納められた刀の柄に触れる。

 同じ構え、同じ流派だ。だが、ここからの展開は異なる。兄弟が修めた型はそれぞれ別のものだ。

 しかし。その目にも止まらぬ速さは共通している。これから斬り伏せられる者たちにとっては、見えもしない型の違いなど関係のないことだ。

 

「やるか」

「ええ」

 

 二振りの刃が、十字の閃光になる。

 

 

 

 数多の魔物を切り裂いた。これで、最後の一匹!

 マリンの光がオレを走らせる。剣に迸る雷の光に、白銀の色が混じった気がした。

 標的は大柄の獣人。数は脅威だったが、それももう終わりだ。

 光の刃を振りかぶる。

 

「雷神剣――!!」

 

 剣を受けた魔物の身体がよろめく。刀身が限界で、両断とはいかなかったが……ともかく、これで。

 

「ロイヤル! ブレイカアアアアッッ!!!」

 

 よろよろと何かに向かって手を伸ばす獣人。それを、チユラの光パンチがぶっとばした。

 学園の敷地の端へとすっとんでいく巨体。飛んでいきながら、彼の身体は光のつぶへと崩壊していった。

 

「ふふ、最後の一点は私ね」

「はあっ? さっきのやつは殴り飛ばす前に死んでたからね」

 

 チユラの宣言に異議を申し立てる。絶対オレの攻撃で倒してたから、今の。オレの点だ。

 下らない言い合いをしたあと、笑いあう。オレは疲れて、尻もちをついてしまった。

 ……ああ、疲れたな。魔力も体力も、気力も使った。ユシドもチユラも元気だというのに、この有様だ。悔しいぞ。

 

「ミーファさん」

 

 顔を上げる。薄く微笑むマリンの顔があった。

 手を差し出してくる。彼女の方からだ。

 それで嬉しくなって……、にっと笑って、その白い手を強く掴んだ。

 



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44. 友達

 王都が無数の魔物に襲われた事件は、多くの名もない戦士たちや次代の担い手により、これによる犠牲者をゼロに抑えることができた。

 現在はことの真相を求めて、一部の逃げだした獣人たちを追う国軍兵・ハンターの一団が編成され、のこされた足跡をたどって外の世界へと調査に向かっている。

 オレたちも同行を願い出たのだが、ここまでくればこれ以上国外の人間の手は借りられないという言い分で、隊には入れてもらえなかった。ただ、イフナやチユラ王女の口からは個人的に、留守の間の王都を気にしてほしいと頼まれている。

 そういうわけで現在は、建国以来の歴史に残るかもしれないような、恐ろしい事態にさらされたこの街を、ひとりうろうろと歩いている。

 

 あれから一日が経つ。王都の人々は恐怖のどん底に陥れられ、家で震えている……

 かと、思いきや。そうでもない。

 夕方を経て夜の闇が近づくにつれ、逆に街の明るさが増していくようだ。街道のあちこちに、ランプやかがり火、魔力灯のひかりが煌めいている。繁華街には臨時の商店屋台が隙間なく並べられ、笑顔の客たちが押しかけている。

 一言で言えば……街はいま、お祭り騒ぎだった。

 大変な恐怖をのり越えた彼らは、ただ震えて寝ているだけでは終わらなかった。みんなで示し合わせたように灯りを焚き、気分を上げて笑い合う。街中で出会った級友の学生たちによると、年に二度ほどある記念日の祭と雰囲気が似ているらしい。

 ……あんな目に遭ったというのに、みんなは朗らかに笑っていた。それは、恐怖を必死に押し隠している、というものではなく、何かを乗り越えたかのようなすがすがしさがあったように感じた。

 獣人たちの襲撃は、終わってみれば不思議と被害は少なかった。ならば苦しく思い悩み怯えるのは、違う。頼れる戦士たちの帰りを、人々は笑顔で待つ。

 この祭りは、こんなことには負けずに心を強く、みんなで恐怖に立ち向かっていこうという、人々の意思のあらわれなのだと思う。

 

 夕日も半分降りていって、いよいよ暗闇が向こうの方に見えてきた。だというのにどんどん活気を増す人々の間を、ゆったりと歩いていく。

 オレは今、王立学園の制服を着ている。これも今日か明日くらいで着納めだと思うと、なんとも寂しい。動きやすく質も上等なので、記念に貰っておこうとは思っている。

 そして、寂しいということ以外にも、これを着ている理由がある。

 

「あら、学生さんじゃない。元気そうでなによりだわ。これ、持ってお行き」

「その腕章、武芸科の生徒だろ? 噂は聞いたよ! ほれ、サービス!!」

 

 と、このように。粋な町人たちから色んな好待遇を投げつけられる。人生で二番目くらいにもてはやされている気がする。一番はバルイーマで準優勝したとき。

 ともすれば、前世で勇者の旅を終えて、地元に凱旋した時よりちやほやされているかもしれん。

 そういうわけでオレの腕は今、おいしい御当地グルメでいっぱいなのだ。

 

「うまいうまい」

 

 商店街を練り歩き、ただで食事を確保したオレは、人々が足を休める休息所で舌鼓を打っていた。こちらの方もなかなかに人が多いが、他の場所を探す余裕はなかった。欲張って何でも受け取っていたら、さすがに消費しないと歩けないくらいの手荷物になってしまったのだ。

 食べながら戦利品を検めていく。明日の朝の分まであるな、これは。いやあ、いいことをした後の報酬は格別のものがある。より取り見取りの品物たちは、どれもオレの身体の栄養となってくれることだろう。人々の好意がありがたかった。オレは、食事は好きだ。

 こうして食べて、真っ当に成長していれば……いつか大人の身体になれる日が、またくるかもしれないから。

 

「けぷ」

 

 おっと、はしたない。

 こちとら深窓のご令嬢で通っている。人の目があるところではお行儀よくしていないとな。学園で知り合った少年少女たちにでも見られたら、よろしくない。

 取り繕いながら視線を周囲にさまよわせる。

 

「あ、こんなところにいた。ミーファ、こんばんは」

「!!」

 

 知り合いがいた。

 まあその……今この街にいる人間の中では、一番付き合いの長いやつなのだが。

 

「……見た?」

「ん? 何を?」

「いや。べつに」

 

 安心する。なんか、こいつに変なところを見られたくはない。ちょっとだけ。あまり。比較的には。どちらかというと。

 やってきたユシドは……こちらも王都の中を、困りごとがないか見回りしていたはずだ。宿へと戻る道すがら、ってところか。手に荷物は何もない。普段通りの出で立ちだ。

 

「ユシド、夕飯は食べたかい?」

「ううん、今から宿に戻る」

「それなら、ほら。ほらほら。ほらほらほら」

 

 手荷物の9割くらいをユシドに押し付けていく。困惑しているうちに、彼の手元はオレの貯めこんだ食糧品で埋まっていった。

 

「こ、これは……」

「先に宿に戻っといてくれ。オレも少ししたら帰るからさ」

「ええー? 勘弁してよ」

「力持ちだろ、がんばれ」

 

 背中をばんと叩くと、抱え込んだ紙袋から、果物がひとつこぼれ落ちる。それを拾い、服で拭きながら手に持ち、じゃあなとその場を後にする。

 バカだな、風の魔法術でもなんでも使えよ。大量の荷物で身動きが取れない様子のユシドは面白くて、なんだか可愛らしかった。

 

 また、街の中を歩く。

 本当はユシドともう少し過ごしたかったのだが、ひとつ用事がある。大事な話をしておきたい人がいるんだ。

 しかし待ち合わせもしそびれたものだから、適当にうろついてたんじゃ全然会えないな。

 学園も、ハンターの仕事も今日は休み。いつもはどちらかの場所に行けば会えたけど。

 彼女は……マリン・スモールは、どこにいるんだろう?

 

「……家かな?」

 

 進路を変えてみる。マリンの家は、繁華街からは外れたところにある。言い方は悪いが、少し物寂しい住宅街だ。

 でも、住宅街なら静かなのが心地いいに決まってるか。我ながらおかしな印象を抱いてしまっている。たぶん、マリン一家の住んでいる家屋の外見が、ずいぶん古ぼけていたからだろう。

 そんなことを考えつつ、人の声が少ない場所へと向かっていく。とはいえ今日のこの時間なら、多分どこにいても人の声は聞こえてくるけど。街中がお祭りだから。

 しばらく歩いて、目的の角を曲がる。もう少しでマリンの家だ。

 ……不思議なことに。人々の活気ある声は、あまり聞こえなくなっていた。

 

「ミーファさんっ」

「うわ!!」

 

 後ろから声がして、驚かされる。

 振り返ると、声で分かっていたけれど、はたして探し求めていた人物がそこにいた。

 綺麗な白銀の髪を長く伸ばしたあどけない少女。この街でできた友人のひとり、マリンだ。

 

「どうしてここに? もしかして、私に何かご用ですか?」

「あ、うん。そうだよ。探してたんだ、マリン」

 

 そう言うとマリンは、どこか機嫌が良さそうだった表情や声を、さらに朗らかなものにした。

 

 

 家の前までやってくると、マリンは扉を開けずに、ことわってからオレの手をとった。

 

「いい場所があるんですよ」

「え? お、おおおお?」

 

 互いの身体が、ふわりと浮いていく。そしてそのまま高く、高く上がる。まるで風の魔法術のようだが、光の属性らしい。授業のときは誰もやってなかったけど、こんなこともできたのか。

 やがて上昇は止まり、オレ達はある場所に降り立った。そこはマリンの家の屋根の上だ。

 ……たしかに、ここは良い場所だ。風が涼しくて、そして、街の灯りがぽつぽつと見える。星明かりとはまた違うけど、これもきれいな景色というのだろうと思った。

 

「あれ……、今夜は、あまりいい景色じゃないみたい」

「え?」

「ミーファさん。お話ってなんですか?」

 

 屋根に座り、こちらを見上げてくるマリン。オレもまた、彼女の隣に腰を下ろした。

 

「マリン。まず……この前の戦いでは、助けてくれてありがとう。やっぱり君は、頼りになる光の勇者だよ」

「いえ……」

 

 彼女は少し目を伏せる。おかしなことに、オレを治したことを誇るのではなく、自身を庇って怪我をさせたことを悔やんでいるようだ。

 もっと明るく考えてくれていいのに。まあ、こんな性格もそう嫌いではない。彼女の美徳というふうに見よう。

 

「これ食べる? 高級フルーツ。マンゴーっていうんだ」

「い、いえ。私、お腹空いてないから」

「遠慮するなよ美味しいぞ、ほら、あーんしなさいよ」

「むううっ!?」

 

 小串に刺した黄色い果実の切り身を、無理やり彼女の口に入れる。

 うまいと思う。あ、待てよ。特定の食べ物に体質が合わない人とかいるよな。しまった、どうしよう。マリンがそうだったら。

 

「ど、どう? すごく甘いと思うんだけど」

「甘い……?」

 

 口を動かしながら、不思議そうな顔をする。

 

「ええ、そうですね。あまくて、美味しいです」

 

 ほっと胸を撫で下ろす。思えばものを食べているところをあまり見たことがないから、マリンが体質的な問題を持っていて隠しているかもしれない可能性があったんだ。配慮が足りなかったな。今度から人と接するときには気をつけよう。

 さて。おいしいものでなんとか気を休めたところで。

 ……大事な話というのは、ここからだ。

 

「あのさ。……もう少ししたら、オレ達はここを出るよ。君はしばらく、この王都で待っていてくれないか?」

「え――」

 

 火が付いたような勢いで、マリンが顔をこちらへ向ける。

 

「どう、して? 連れて行って、くれるんじゃ、ないんですか?」

「ん? あ、えっと、ちがうちがう、整理しよう」

 

 言葉の順番を間違えたかな。

 マリンは、オレ達との旅に興味を示してくれている。けれどそのためには、やっておかなければいけないことがいくつかある。

 

「昨日の戦いが認められて、オレと君はA級に昇格しただろう? だから、王立学園を飛び級で卒業できる。そうだね?」

「は、はい」

 

 言葉通り、オレ達は昨日から晴れてAランクのハンターになった。

 なお、それには例の事件が関係している。

 

 魔物による王都の襲撃は、王都支部のハンターたちを大きく成長させ、功績を積むことができた。

 あのとき、彼らのひとりひとりが人々のため戦った。それについて大した報酬はないけれど、代わりに、支部はハンターとしての実績という形で彼らの戦いを認めた。結果、何人かのハンターが一段程度昇格したと聞いている。

 オレやマリンは学生として戦っているから関係がないと思っていたが、奮闘は誰かが必ず見ているもので、王立学園の生徒達を守るため戦ったという事実がオレ達の実績に記録された。よってついに、このタイミングで、A級へとたどり着くことができたのだ。

 思えば長く働いた。感慨深い。ユシドやシーク、ティーダも、こんなふうに一生懸命やって今の地位を勝ち取ったということか。そんな仲間たちに肩を並べられる自分に、少しはなれただろうか。

 

 思考がそれた。

 在学中にAランクハンターになった武芸科の生徒は、それが卒業までに積み上げるべき成績のひとつとして計上され、結果として他の者より一足先に卒業を許される。これがいわゆる、飛び級だ。

 マリンはそれを達成したため、今年度のカリキュラムを終えれば晴れて学園の卒業資格を得る。この経歴を持つ人間は、王都では雇用の引く手あまただ。

 何より既にAランクハンター。マリンはこれから人間として大成していき、この王都で豊かな暮らしを勝ち取ることができる。それが予定されていた、彼女の“これから”だ。

 けれど。

 勇者の旅に出る、となると、少しだけ道は変わってくる。

 そしてマリンの将来を考えるなら。今すぐには、この街から連れ出すわけには、いかない。

 

「マリンが学園を卒業するまで、もう少しかかるだろ? その間、近くにいるはずの、もうひとりの勇者を探しに行きたいんだ」

 

 オレ達は、近くこの街から出るつもりだ。事件は解決に向かっている。結末を見届けたら、ここでやることはもうない。

 マリンが卒業するまでには、まだほんの何か月か残っている。この年の学業を終えるまではまだ学生なのだ。

 そしてそれだけの時間があれば、オレ達は、ヤエヤ王国に隣接する魔人族の領土を訪ねることができるはず。つまり、先に闇の勇者を勧誘しに行くわけだ。仲間たちとも相談したが、そうした方が合理的だとオレは思う。

 

「それに旅に出るならいろいろ準備がいるだろう。ご両親の懐事情も考えないといけない、そのときは、オレ達も協力するよ」

 

 この屋根の下にいるはずの、マリンの父母を思い返す。素朴で優しい、温かい家庭だと思った。

 けれど彼らはあまり裕福ではない。マリンは王立学園に通わせてくれたふたりに、その恩を返したいと言っていた。

 

「恩返しするために今日まで頑張ってきたんだろ? 勇者の旅なんかより、ずっと大事なことさ。まずは卒業、それから、お父さんとお母さんの生活を助ける!」

「………」

 

 じっとこちらの言葉を聞くマリン。

 言葉の意味は、わかってくれただろうか。

 

「君がもう少し大人になる頃に、必ず迎えに戻るよ。待っていてくれる?」

「……わかり、ました」

 

 そう言ってマリンは、小指を差し出してきた。

 これは……小さな約束をするときの、幼い子どもがするおまじないだ。

 

「いつかきっと、一緒に、旅を。ヤクソク、です」

「うん。きっと」

 

 ほんの軽い約束事。

 けれどこういうものを、ユシドは大人になるまで覚えていた。

 ならオレも、見習って。こんな小さな約束を、大事にしたいと思う。

 

 

 

 まぶたの裏の、暗闇の中。

 どん、どん、と、静寂を切り裂く、不安な音がする。

 身体を起こす。時刻はおそらく夜更けで、こんな時間に宿の部屋を訪ねてくる客など、日常ならいるはずはない。

 寝起きの頭を振る。同じようにして切り替えたシークもまた、扉の外を警戒している。

 灯りをつけないまま、ドアの取っ手を握る。強く強く向こう側から叩いてくる、その人物は、はたして何者なのか。

 一息に、戸を開けた。

 

「はあ、はあ、はあ! み、ミーファ、さん」

「マリン!? どうしたんだ?」

 

 この深い夜に、まるで長い距離を走ってきたかのような彼女の様子は、とても尋常ではない。

 騒ぎをききつけ、隣の部屋からも仲間たちが現れる。オレ達はマリンが落ち着くまで待ち、不安を押し隠して耳を傾けた。

 

「シャイン、が。あの子が、この前の魔物にさらわれて。ストーンが、それを追いかけて行って。私は、助けを、あの」

「――!!!」

 

 この前の魔物。あの、獣人タイプの魔物たちのことだろう。まだこの街の中に、潜んでいたなんて。

 彼らにはひとつの特徴がある。魔力のある人間を襲い、どこかへ連れ去ろうとする、おそろしい習性が――。

 

「魔物がどこへ向かったかはわからない?」

「わ、わかり、ます。学園の、あの、ええと。案内、できます」

 

 学園の……? 王都の外ではないのか?

 

「すぐに向かおう。ミーファ、シーク、ティーダさん、今すぐに、出来る限りの戦いの用意を」

 

 ユシドが号令をかけた。頷き、頭を叩き起こしながら身体を動かす。

 マリンに言葉をかけながら、最低限の装備を整える。時間はない。すぐにでも、ふたりを助けに行かなければ!

 

「行くぞ!」

 

 宿を出たら、全員で走る。

 場所は学園の中だという。途中から、ユシドがマリンを抱きかかえて走った。

 

 学園の門を乗り越え、そこへとたどり着く。

 夜の王立学園は、日中に訪れたときとは、まったく雰囲気が違う。あるべき人の気配がなく、ありもしない気配を自身が見つけ出そうとしてしまう。

 正直に言うと。怖い、と感じた。今の精神状態のせいもあるだろう。

 マリンの声に従って、学園の校庭を横切る。

 彼女が案内したのは……中庭にあるガゼボ。庭園に配置された休憩所で、生徒たちが腰を落ち着けて時間を過ごす、石造りの憩いの場だ。

 どういうことだ? ここも調べた。異常は何もなかったはずだ。

 冷や汗が流れる。自分が見落としていた致命的な間違いを、今、指摘されるんだ。

 

「ここに、ここに、地下への階段があったはずなんです。魔物はそこに入っていって、ストーンもそれを追って……でも、あれ、そんな」

「嬢ちゃん、どいてくれ」

 

 マリンの言う階段はない。そこに、ティーダが前へ出た。

 槍の石突で、強く地面を打ち付ける。音を鳴らそうとするかのように。これは、ティーダが魔法術を使うときの動作のひとつだ。

 ぐらぐらと、地面が揺れる。

 

「!!」

 

 石造りの柱が、屋根が、ぼろぼろと崩れ果てていく。無残に割れ砕けていくものの瓦礫を転がすと……そこには、本当に、地下への階段があった。

 心臓が跳ねる。学園に、学園にあったんだ。すべての真実は。

 恐ろしい想像がいくつも頭を過る。自分がのうのうと楽しくやっていた、その地面の下で、人々が囚われていたのだとしたら。

 

「……行こう」

 

 後悔などしても意味がない。今は、今できることをしなければ。

 身体に力を入れて、足を踏み入れる。オレ達は昏く、じめじめとした地下室へと、階段を下っていく。

 階段を下りきる。つくりからして、人間の建造した空間だ。もともと学園の一部だったのだと思う。

 ……かすかに、魔力の気配がする。どうしてわからなかったんだ。学園の地下にもう一階あったなんていう、くだらないことが。

 進もうという意思を込めて、仲間たちの顔を見る。そこで大事なことを思い出した。

 マリンは、これ以上進ませることはない。危険な戦いの予感がする。彼女には、さらなる救援の手を求める役を頼みたい。

 そう思って、一歩近づいたときだった。

 

 オレ達の立っていた地面が、光り輝き始める。

 ただの光ではない。なんらかの術式を描いた魔力の光だ。形と文様を目に焼き付け、その機能を記憶の中から高速で探す。これは――

 ――転移。転移の魔法陣!!

 あのとき、チユラやハイムルさん、マリンと一緒に、地下階層に飛ばされた。あのときのものと似ている。

 魔法陣は全員の足元にそれぞれ展開している。

 ……罠だ。これは、オレたちを分断するための罠。

 みんなの位置を見る。オレは一番近くにいたマリンに、必死で手を伸ばす。

 光が、視界を白く染めていった。

 

 

 ……空気のにおいと、音が変わる。

 目を開ける。不安から来る心臓の高鳴りを抑えきれない。

 予想通り、周りに仲間たちの姿は無かった。オレは勿論、みんなも、それぞれ別の場所へ飛ばされてしまったんだ。

 

「ミーファさん……」

「……マリン。こうなったら、オレから離れないで」

 

 けれど、ひとりだけ。仲間がいた。

 跳ばされる寸前で手を掴んだおかげか、彼女とは離れずに済んだ。……良かった。不幸の中の、せめてもの救いだ。

 みんなは、強い。ひとりでも戦い抜けると、オレは信じている。けれどマリンはまだ経験が浅く、やや心配だ。誰かと一緒にすることができて良かった。

 さて……

 ここから、どう動く。警戒しているが、すぐに襲われる気配はない。道は先に続いている。進むべきか……けれど方向もわからない。

 仲間との合流を目指すにしても、どうしたものか。

 いや、待てよ。合流、合流か。それなら……少なくとも一人は、心配はない。

 

「ミーファさん、みんなを探したほうがいいんじゃ」

「ああ。……でも、もしかしたら、さらわれた人々やストーンもいるかもしれない。……ここを、探索してみる」

 

 危険な選択だ。罠であることは明白ないま、軽々に動くべきではない。

 だが……動かなければ、何にもならない。リスクを覚悟してでも、足を動かすべきだ。

 それに、仲間と合流する手段はある。同じ空間にいるのなら、そのうちあいつとは出くわすはずだ。

 翠色のピアスの重みを、耳に感じた。

 

「わ、私も行きます」

「わかった。油断せずにいこう」

 

 マリンのことは心配ではあるが、彼女が頼りにならないというわけでは全くない。この王都ではずっとオレの相棒だった。誰よりも彼女の良さをわかっているつもりだ。

 力を合わせれば、この苦境は乗り越えられる。

 シャインを、ストーンを。人々を、助けに行こう。

 

 

 静かな空間を歩く。

 時にマリンが先行し、時にはオレが。二人で感覚を研ぎ澄ませ、進んでいく。

 魔物とは出くわさない。それが不思議だった。闘いの気配も、感じない。

 

「!!」

 

 いや。いま、地面が一瞬揺れたように思える。

 ……ティーダだ。彼が、どこかで戦っている。戦闘が起きているんだ。

 どうする。感覚としては、遠いな。ここからティーダとの合流を目指すか……?

 

「ミーファさん! あそこ……!」

 

 やや高揚した声。マリンの示した方向に目を向ける。

 そこには次の部屋への扉がある。何の変哲もないドアだが……考えるべきは、その向こうにあるものだ。

 かすかな魔力の気配がある。それも、複数だ。あの獣たちの巣である可能性があり、そこにシャインやストーンが連れ込まれているとしたら。

 ……いや。魔物に特有の感覚がない。毛や足跡などの痕跡もなく、そして、より集中してみるとわかる、これは、魔物のものというより、そう。人間の、魔力。

 まさか。

 これまでさらわれてきた人たちが、あそこに捕らえられているのか? 王宮の魔導師たちや、チユラの姉君も。

 

「行きましょう、ミーファさん」

「あ、マリン――」

 

 罠の可能性はある。だが、確かめないわけにもいかない。

 せめてマリンに先を行かせないようにすべきだ。そう思って後を追いかける。

 だけど、彼女も焦っているのだろうか。マリンは先に辿り着き、すぐにドアに手をかける。待て、と声をあげようとしたときにはもう、彼女はそれを開けてしまっていた。

 ……何も、起きない。罠ではないのか?

 扉が開かれると、中の気配はより明瞭に感じられるようになった。確かに、これは人間のもの。だが弱々しい。きっと何か月もここに閉じ込められているんだ。

 早く、助けないと。

 マリンがこちらを見て振り向いて頷く。

 その後に続いて、オレはドアへと向かっていく――。

 

『待て』

 

 足が、止まる。

 全く、予想もしていない声がしたからだ。その声は、オレの腰に下げた鞘から出ている。

 本当に、どれくらいかぶりに。イガシキが、話しかけてきたんだ。思わずそちらに目を落とし、耳を傾ける。

 

『その入り口をくぐるな。()()()の後に続くな』

 

 声を聞いて、顔を上げる。

 目の前では、マリンがこちらに背を向けて静止している。

 そいつ、って?

 

『そいつは人間じゃない。オレの同類だ。“何か”にさらわれようとしているのは、お前だよ。雷の勇者』

 

 ………。

 彼が、何を言っているのか、わからない。

 久しぶりに喋ったと思ったら、それは唐突で、支離滅裂だった。

 

「……はは、ごめんマリン、こんなときに。しゃべるんだよ、この道具。驚かせてごめん」

 

 しばしの沈黙の中で絞り出した声は、何故か震えていた。

 汗が落ちてくる。身体が冷たい気がする。

 ああ、なんだよ、こんなときに、こいつは。困ったものだ。意味が分からない。その言い方だと、まるで。

 

 マリンが、ゆっくりと、振り返る。

 その顔はいつものように、戸惑った笑顔なんだろう。あどけない顔立ちで身体を引きながら、困った顔で見つめてくる、記憶の中のマリン。何度も見た顔だ。

 身体がこちらを向く。

 戸惑った笑顔――

 では、なかった。

 

 虚無。

 平静。平坦。なんの感情も読み取れない、そんな顔。

 その中で。その金色の瞳だけが、地下の暗い闇の中で、灯りのように淡く発光している。

 そして、小さな口が、開く。

 

 

「―――イガシキ。どうして、話してしまったの? あなたはヒトの側についたの?」

 

「え……?」

『お前こそ、なんだその姿は。笑わせる、人間は嫌いなんだろう。……何より、あの強大な魔力はどうした?』

 

 知っている口、知っている声。知らない言葉。知らない、色。

 何を、言っている? どうしてイガシキの名を。どうして、そんなふうに、知り合いみたいに話す?

 

『ああ、ようやくわかった。何があったのか知らんが、失った力を回復するために人間どもを飼っていたわけか。飯さえ食わせておけば、魔力を生むからな』

「……どうして?」

 

 イガシキの言葉に、マリンのうつろだった顔が、声が、だんだんと仄かな怒りと卑屈な不安定さを帯びてくる。

 これは、こんな、こんな彼女は、見たことがない。

 

「どうして、どうしてばらすの? お友達だったでしょう? ほ、ほら、この子はあなたがモデルなの。ねえ、イガシキ?」

「っ、え? す、ストーン?」

 

 いつの間にか、マリンの隣にはストーンが立っていた。まるで闇の中からじわりとしみ出してきたかのように、静かに、突然に。

 一体どこから。わからない。そして……

 そこにいるストーンの顔には、なんの感情も浮かんでいない。明朗快活だったあの少年は、まるで別人のように。……人形のように、ただそこに立っていた。

 

『知るか。お前と友になった記憶はない。単なる同族のくくりだろう』

「そんな……ひどいわ……ひどい、ひどい、ひどい!!」

 

 悲痛な叫びとともにマリンの手が白銀の光を帯び、それはやがて鋭い刃に変わる。

 そして。彼女は、傍らにいた少年の身体を、刺した。

 

「!? や、やめろッ! マリン、何を!? ストーン、が……え……?」

 

 何度も何度も何度も刺され、地面に仰向けに身体を投げ出したストーン。

 だがそれでも、彼の顔には何も浮かんでいない。そして、血も、流れていない。

 そして、消えた。こつぜんと。何の前触れもなく。目を擦る。たしかに、ストーンはそこにいたはずだ。なんで、なんで。

 

 足が折れる。膝が地面に着いた。

 ストーンを刺して顔を伏せていたマリンから、目が離せない。

 その白銀の髪が、淡い光を放っている。頭のてっぺんには、魔力の光で形作られたナニカがじわりと現れていく。

 あれは、王冠だ。光の、王冠。

 

「マ、リン……?」

『でも、いいの!』

 

 顔を勢いよく上げる少女。金色の輝く瞳は、今度は、喜びに満ちていた。

 

『わたしにはミーファさんがいるもの。素敵な方よ。ね?』

 

 目を細めて笑ってくる。それは、自分の知っている笑顔のようでいて。どこか、肝心な部分が、違っているような。

 

『驚かせてごめんなさい。そのうち話すつもりだったの、本当よ?』

『わたしの本当の名前はマ・コハ。でも好きなように呼んでね? 今まで通りマリンでもいいの。あなたにそう呼ばれるのは好き』

『あなたは優しいひとだわ、イガシキと仲が良いもの。優しいひとはきらいじゃない』

 

 マリンは、マリンだったなにかは、一方的に話しかけてくる。

 その目はオレを見ていて。だけど、本当にオレを見ているのか、わからなかった。

 

「きみ、は」

 

 かすれた、ふるえた声が出た。

 

「人間じゃ、なかったのか?」

『そうだけど。それが何?』

「君の両親や、仲間たちは」

『このひとたちのこと?』

 

 いつの間にか。さっきみたいに、マリンの傍らに、人がいた。

 優しく懸命なマリンの父親と母親。若く明るい仲間だった、シャインとストーン。

 

『最初からいないわ。ほんの少しの間、人間の真似をしてみたかっただけ』

 

 つまらなさそうにそう言うと、マリンは腕をひとつ振るった。

 4つのヒトが、ぐしゃぐしゃにひしゃげて、つぶれる。たたまれて、丸くなって、小さくなって、そのまま消えた。

 

『すべてはやつの光の操作で見せられた幻覚だ。得意技だよ』

「まぼ、ろし? あれが?」

 

 そんなはず、ない。シャインにもストーンにも、触れた感触があった。人格があった。将来の夢を語っていた。

 あれが、全部、嘘? 魔法で作られた影だっていうのか?

 

 力の入らない足で地面を押して、みっともなく後ずさる。気付いたら、そうしてしまっていた。

 それを見た彼女が、眉をわずかに動かす。

 

『ねえ、ミーファさん。そんなに怖がらないで』

 

 あたたかい声で、語りかけてくる。

 

『人間はわたしたちを魔物と呼ぶけど、ひどい言いがかりだわ。わたしたちだって、この星を救いたいだけの、あなたと同じひとつの命なのに。こうして、お話だってできるでしょう』

 

 マリンが、白い手を差し伸ばしてくる。

 あのときと同じように、あのときと同じ微笑みで。

 

『ミーファさん。手を取りあいましょう?』

「……戦わなくても、いいの?」

『もちろん! 一緒に星を救う旅に行きましょう。わたしとミーファさんなら、きっとできるわ。“なんだってできる”、そう言ってくれた』

 

 優しく笑う白銀の少女。

 オレは、彼女の手に、右手を伸ばす。

 ……そのとき。無意識に左手で触れていたイガシキが、かすかな振動を伝えてきた。

 

「……どうやって、星を救う?」

 

 そう聞くと少女は、にこりと花が咲くように笑った。

 

『まずはこの街を壊しましょうね。人間は星にとっての害悪だもの。今のうちに滅ぼさないと、大変なことになるわ?』

 

 無邪気な……いや。

 こういうものを、酷薄な笑み、というんだろう。

 それで、彼女に伸ばそうとしていた手が、止まった。

 

『あなたにはまだ想像できないかもしれないけど、一緒に見た綺麗な星空だって、やがて人間の手で見えなくなる。そんなの、いや』

 

 足に力を入れて、立ち上がる。

 破裂しそうな心臓を手でおさえて、相手の目を見る。

 

「なぜ、こんなことを」

『?』

 

 小さな声しか出ない。喉が何かにしめつけられているかのようだ。

 

『ああ、魔法使いたちをここに連れてきていたこと? 魔力を分けてもらっていただけです。この先のお部屋でみんな安らかに眠っているし、心はわたしが作った異界で幸せにしているのよ』

『魂を静止させられることが幸せかどうかは、大いに疑問だがな』

『もう、イガシキったら。何百年経っても皮肉屋なのね。ほんとうに、ひどい』

 

「ちがう……」

 

 そんなこと、今はどうでもいい。そんなことが聞きたいんじゃない。

 

「どうして……どうして、オレに近づいて、ずっと騙していたんだ。最初から、他の魔導師みたいに、襲ってさらえばいいだろう」

『……………さあ?』

「ふざけているのかッ!!」

 

 話すうちに声が荒くなっていく。それを受けても、彼女は、まるで本当にわからないというような、とぼけた顔をした。

 そして。

 

『そんなの自分でもわからないわ。――いちいち、理由がないといけないの?』

「ぐ、っ……!」

 

 重圧。

 言葉が、視線が、態度が、重くのしかかってくる。膝がまた折れそうだ。儚く気弱なマリンにはなかったものを、瞳の奥から感じる。

 これが、本当の彼女。得体のしれない、圧倒的な何かを秘めた、上位の存在。

 でも……

 屈するわけには、いかない。

 

『ほら。一緒に行こう、ミーファさん。あなただって、心の底では人間は好きじゃないでしょう? 目を見れば分かるの』

「……は」

 

 人間を好きじゃないって? たしかに、そういう時期もあったよ。苦しくてつらかった。人のいやなところはよく知ってる。

 だけど……

 目を見れば分かる? 笑わせるな。ずっと一緒にいて、オレの何を見てきたんだ。

 

「……いいや。君はオレのことを、何もわかっていない」

 

 オレも、君を、わかっていなかった。

 

「好きな人間も、いるんだ。――いっしょには、いかない」

 

 柄に手をかける。マリンと出会ってからずっと抜けなかった剣は今、驚くほど簡単に抜けた。

 切っ先を……マリンに、突き付ける。

 いや。

 人々を脅かす、光魔マ・コハに。

 

『そう。なら、遊びましょうか』

 

 少女は目を細めて笑い、星明かりのようにきらめく。

 楽しいことが始まるのだと、声を弾ませる。

 

『ミーファさん。わたしの、素敵なお友達』

 



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45. 星の降る夜

 薄暗い地下室を歩き回って、いくらかの時間が経つころ。

 少年は自分のいる場所について、ひとつの推測に行き当たった。

 

(この部屋の広さ、かたち……)

 

 既視感がある、と。

 ユシドは自分の記憶の中から、ひとつの地図を引き出した。何日も通って地理を把握した施設、王立学園だ。

 その地図と、今歩き回った場所の構造を照らし合わせる。しばらくの沈黙ののち、彼の中では確信に近い仮説を立てる。

 いま目の前にある、何か形あったものが崩れたあとと思われる石塊。これはおそらく、北校舎の一階に続く階段ではないだろうか、と。

 ここは広大な学園の地下である。ならば元々は、あの隠された入り口以外にも、行き来するための階段はあったのかもしれない。

 ならば……階段が続いていたかもしれない天井の一角。そこを、攻撃してみれば。出口を確保できる可能性がある。

 天井の崩落による生き埋めというリスクはあるが、やってみる価値はある。

 少年はそう考えた。

 

 焦りの混じった思考で、ユシドは賭けに出る。この地下に足を踏み入れた途端、()()()()()()()()、仲間たちと分断された。合流することが先決だが、退路の確保もできればしておきたかった。

 天井をにらみ、鞘にしまわれた剣に手をかける。

 少年は緊張感から汗を流し、武器を抜くことをややためらった。

 

「……マリンさん! 少し離れていて。天井が崩れるかもしれない」

「は、はい。あの、でも、危ないんじゃないですか?」

「うん。でも、最悪でも君は生きて返すから。そこの、部屋の出入り口まで下がっていてくれ」

「………」

 

 マリンと呼ばれた少女は、後ろ手に隠していた淡い光の刃を、音もなく消し去った。

 ユシドが見ていないのを良いことに、つまらなさそうに小さく息を吐き、そこを離れていく。

 

「よし!!」

 

 覚悟を決めたのか、少年は腰の剣を引き抜いた。

 白い刃に集っていくライトグリーンの魔力の光が、地下室を淡く染める。窓も何もない部屋に、風が吹いた。

 

「穿てッ!!」

 

 少年が剣を一振りすると、先端を鋭くとがらせた竜巻の槍があらわれる。それは天井に突き刺さり、さらに深く進んでいく。

 掘削が進むにつれ、瓦礫や土くれが降ってくる。目論見が外れていたのならば、このままでは生き埋めになるだろう。ユシドは額に汗をにじませ、頭上を強くにらんだ。

 やがて……

 

「!!」

 

 穴が、通った。

 風の槍が消え、土煙が晴れたあとには、天井に開けた穴の向こうが見える。そこには地下の暗闇ではない、何かの光源が垣間見えた。

 月の光。学園の窓から差し込む月光だと考え、ユシドは喜んだ。

 

「マリンさん! こっちへ」

 

 言葉に従ってやってきた少女に、ユシドは笑顔を向ける。そのまま風の魔法術を使い、自分と相手の身体を宙へと浮かせ、上昇させていく。

 穴を通った先は……考え通り、見知った王立学園の校舎内、二階へ上がる階段のすぐそば。やはり古い昔は階段で地下と行き来できたのだろうと、ユシドは結論付けた。

 ふたりが地上に立つ。ユシドは少女と目を合わせ、考えていた頼みごとを口にした。

 

「マリンさん、頼みがあるんだ。難しいと思うけど……街を走りまわって、ハンターや王宮兵に協力を呼び掛けてほしい。いや、先生でも、清掃員でもいい。誰か一人にでもこの大穴を見てもらって、救護の備えをしておいてほしいんだ」

 

 言い切った後で、再び逡巡する。

 相手も今は不安に満ちているはず。仕事を押し付けすぎるのも良いことではない。

 

「……いや、家に帰って、自分と家族の身を守っているだけでもいい。僕の仲間たちは強いんだ。あとのことは任せてくれ、それじゃあ!」

 

 ユシドはそう言い残し、また穴の中に飛び込んでいった。

 彼が去った後には、白銀の少女だけが残る。

 

「かわいいひと。ミーファさんと、少し似てる」

 

 少女は暗い闇を覗きこむ。ほのかに光る金色の目には、何かが見えているようだった。

 窓から差す月明かりの中、薄く微笑む。

 そうして、煙のように、あるいは雲に隠れる星のように、その姿はだんだんとぼやけていって、やがて消えた。

 

 

 

 地下空間の狭い廊下を、ふたつの人影が歩く。

 赤髪の男――ティーダは、道中において奇妙な行動を繰り返した。壁を拳で叩いたり、天井を槍で突いたり。這いつくばり、耳を地面に当てたり。

 それを、白銀の髪色をした少女が、困惑した表情で見つめている。

 

「よいしょ。あ、腰いて……」

 

 ティーダが立ち上がる。彼はいつもの、どこか疲れたような顔をしながら頭をかき……

 鋼の十字槍を、少女の首に向けて突き付けた。

 

「……どうして、私に槍を?」

「なんでだと思う? 心当たりとか、あるかな」

 

 そううそぶくティーダの中では、しかしまだ、明確な真実は掴めてはいなかった。

 今日この瞬間までの“マリン”の言動や、こうして陥っている現状。そして、目の前の少女から地面にかかるはずの体重が、異常に軽いこと。それらのことから、ティーダは自分の後ろをついてくるこの少女が、人間ではないと考えた。

 ティーダの胸中では今、ふたつの仮説がうずまいている。

 ひとつは、目の前の存在が、何者かの作りだした幻や、黒幕の擬態した姿であること。

 もうひとつは……マリンという少女が、最初から、敵であったということ。

 後者が正解ではないことを願う気持ちと、これまでに感じた違和感の積み重ねがせめぎ合う。

 

「うーん。心当たり? ありません」

 

 ふたつの説は、どちらとも正解である可能性も、ある。

 ティーダの脅しに対して、目の前の人の形をした存在は、とても場違いな、明るい笑みを浮かべた。

 それを見て、槍を動かす覚悟を決める。

 

「そうか、よッ!」

 

 首を狙って突き出される刃。それを……素早く動いた白い手が、素手のままにつかみ取った。

 ぎりぎりと震える刃先と、ティーダの腕。流れる汗が、彼の緊張と、右腕に込めた力を物語っていた。

 

(……ッ! 動かねえ。話に聞いた、光の身体強化の術か? それとも)

 

 魔物の身体を貫く鋭い刃を、これほど強く握り締めているのにも関わらず、少女の手から流血はない。

 

「なあマリンちゃん。君、幻……いや、分身とか出せるの? それは魔力で作った身体で、よそに本物がいるとかさ」

「………」

「あれ、当たりかな。適当に言ってみるもんだな」

 

 話しながら、ティーダは槍を押すことをやめ、一気に引く。

 少女が、尋常でない握力で刃を掴んでいた手を離す。保っていた笑顔は、やがて無表情に。そして、だんだんと、不愉快な感情を隠さない冷たいものへと変わっていった。

 

「賢しらなのね。あまり好きじゃない。消えてくださる?」

「おや、厳しい上に怖い怖い」

 

 気丈に返しつつ、内心冷や汗を流す。肌で感じるこれまでにない重圧と、恐ろしい想像が、彼を脅かす。

 ……マリンという少女は元から人間ではなく、勇者を害する敵。そしていま、“よそに本物がいる”なら……、分断された仲間たちにも、彼女の魔の手が迫っていることになる。

 もしもこの想像が当たっているとしたら。他の面々はマリンを信じ切っていて、無防備な状態で何をされるか分からない。一刻の猶予もないだろう。

 ティーダはひとつ、深く息を吸い、吐き出した。

 ひょうひょうとしていた態度と表情が切り替わる。

 

「仲間に手を出してみろ。一生かかってでもお前を殺してやる」

 

 魔力の猛りと、ひとりの人間が健気に吠える様子を見て。光魔は、一転して機嫌を良くした。

 

『そういうのは、嫌いじゃない』

 

 

 

 細い廊下を警戒しながら歩くシークは、突如足の裏から伝わってきた、人間に根源的な恐怖を与える感覚に揺れた。

 小さな地震。身体にかかる振動と、大地が鳴くような低い音。しばしの困惑のあと、シークはそれが、仲間のひとりであるティーダが戦っている影響だと理解した。

 しかし……狭苦しい地下で、地震地割れを起こしかねないような大魔力を行使する。シークの知る限り、慎重な彼がやることとは思えなかった。

 つまり。それほどまでに、彼を追い詰める敵がいるのかもしれない。

 シークは走り出したい気持ちを抑え、背後の少女に声をかけた。

 

「マリンさん、私から離れないでください。やっぱりここは危険です」

「は、はい」

 

 一緒に迷い込んでしまった少女を背中にかばいながら、シークは警戒し進んでいく。

 

「!」

 

 立ち止まり、後続を手で制す。すぐ近くに戦いの気配を感じたからだ。

 肌を刺す感覚は、やがて音となって予感を確信に変える。進む先の側壁に、亀裂が入った。

 廊下の壁の一部が、砕け崩れ落ちる。空いた横穴からは土埃が激しく吐き出された。向こう側から何者かが壊したのだ。

 シークは武器である大剣を構え、壁から現れつつある人影を見つめた。

 土煙が徐々に晴れる。

 

「魔物!」

 

 人間と同じ、二足歩行の獣。先日王都を襲った、人をさらう魔物たちと同種だ。

 マリンの話も考えれば、やはりここが彼らの本当の巣なのかもしれない。そう考えたシークは、敵を切り裂くべく、剣の柄を強く握り締める。

 敵の特徴を鮮明にとらえようと、目を凝らす。そうして、それに気が付いた。

 

「ティーダさんの、槍?」

 

 魔物はその腕に、一本の槍を携えていた。

 人型の魔物が人間のように武器を振り回すという事例は、たしかにある。ならば……彼らの振るう武器は、どこから持ち出したものなのか。

 目の前の獣人が担いでいるものが、自分の良く知る鋼の十字槍であることを認め、シークは全身の毛が逆立つ感覚に襲われた。

 たかだか一匹の魔物に、彼が後れを取るはずはない。理性はそう言っている。

 しかし感情は、既にシークの身体を動かしていた。

 

 それを取り返さんと、足は火が付いたように走り出す。大剣を携え、狭い廊下の壁を深く傷つけながら、シークは横払いの一撃を振るった。

 火花が散る。あらゆる魔物をねじ伏せてきた剛剣が、あろうことか、槍の腹で受け止められていた。

 あの槍の頑丈さなら、折れずに重量級の攻撃を防ぐことは可能だ。しかしそれを、野蛮で原始的な行動をする獣人が成し遂げるというのは、シークには信じがたいことだった。

 

『アア……ガアアアアウ!!』

「くっ……、うあああーーっっ!!」

 

 普段はなんてことのない獣の声が、身体をすくませる。得体のしれない敵の技が最悪の想像をさせる。奪われた槍に、想い人が貫かれる姿だ。

 それを振り払うように叫び、シークはがむしゃらに攻撃を続けた。

 何度も剣を振る。だが、そのいずれもが槍によっていなされる。大剣を振るうのに適していない閉所ゆえに、慣れた動きがしづらいというのもあるが、振りにくいのは槍も同じであるはずだった。

 武器での戦いは決着が遠のく。そう判断したシークは、剣を振る勢いに身体を乗せ、強烈な蹴りを敵に食らわせた。空いた距離を勝機と捉え、水の魔力を蓄えた左手を眼前にかざす。

 後退した獣人が、槍を地面に突き立てた。

 

「な……!?」

 

 狭い廊下を駆け抜ける水流の槍。それを、地面・天井・左右の壁から瞬時のうちにせり出してきた石壁が阻む。

 石と水流の衝突が視界を邪魔する。予想もしないことに立ち止まったシークの四肢に、土石で形成された蛇があらわれ、からみついた。

 いずれも見覚えのある、魔法術だった。ただの魔物が扱うようなものではないはずだ。

 敵の正体を考え始めたとき、シークの頭に大きな手が乗せられる。それは、恐ろしい獣人の手のひらだった。

 全身の筋肉がみしりと音を立て、窮地を脱しようとする。だがそれは叶わない。

 シークの目が映す景色が、かげろうのように揺れる。にぶい吐き気と、身体の先端が無くなってしまったかのような感覚。顎や頭を強く打ち、膝を折ってしまうときのそれに似ている。

 頭の内側を揺らされ、遠のく意識の中で、シークは懸命に敵をにらもうとあがく。

 

「ティーダ、さん……」

 

 少女は自分の力のなさを呪い、目を閉じた。

 四肢の束縛が解け、土くれに戻る。

 前のめりに地面に倒れようとするその身体を……()()()()は、優しく受け止めた。

 

「………」

 

 幻覚によって操られた仲間との死闘の後、身体はきしみ、しかし強い怒りが彼に膝をつかせない。

 大地に震動を与える術の応用で昏倒させたシークを一瞥し、また、顔を上げる。だが、そこから彼の感情を読み取ることはできない。

 激しい憤怒を通りすぎた、仮面のように冷ややかな表情で。ティーダは、ずっとシークの後ろにいた少女に視線を刺した。

 

『なあんだ、短い見世物ね。どう? おもしろかった?』

 

 シークを左腕で支え、ティーダは右手ですぐそばの壁に触れる。

 瞬間、廊下の側面から生えた岩の巨拳が、少女の全身を叩きつぶした。

 

『どうしてお返事をしてくれないの? おしゃべりな人だと思ってたのに、これじゃ退屈』

 

 しかし少女は、何事もなかったかのように岩の塊を()()()()()

 次いで、上下左右の四方から、岩杭の群れが激しく襲い掛かる。……しかしそのどれも、少女の身体に突き刺さってはいない。まるで、身体のない亡霊のようだった。

 実体のない幻影。しかしほんの先刻、少女はティーダの十字槍を、手で掴んで止めてみせた。その場面が男の脳裏をよぎる。

 ティーダは、気絶したシークの身体をそっと横たえた。

 ゆっくりと歩き、互いに近づいていく両者。言葉だけではなく手が届く距離にまで近付いたとき、ティーダの右手が、あわい白銀の光を帯びる。

 少女が眉をひそめる。男の拳が閃き、その華奢な身体を殴りつけた。

 少女の像にノイズが走る。魔力によってつくられた半実体の分身体は、同じ属性の魔力に干渉され、崩壊し、霧散し始めた。

 

「やっぱり光の属性か。さしずめお前は、光魔ってところか」

『……つまらない人。夢を見ないのね。やっぱりあなたは嫌いよ、魔導師さん』

 

 少女は淡雪のように溶けて消える。あとには、ふたりだけが残された。

 

「俺も、君は嫌いになった」

 

 ぼそりとつぶやき、ティーダは踵を返した。

 ふたりの武器を、岩で形成した小さな荷車に乗せ、魔力で動かす。それを確認し、気絶したシークを背負い、歩き出す。

 

「よっと、重いな!」

 

 望まない戦いで傷つけあってしまった少女を労わり、揺れないように、優しく歩く。

 視線の先、暗く細い廊下を眺め、男は自問自答する。

 ここから脱出するか。それとも、進むか。

 

「決まってる」

 

 大事な仲間の姿を思い浮かべ、ティーダは重い足に力を入れた。

 

 

 

「ああああああっ!!!」

 

 暗い地下室で、稲妻の明滅が目を焼く。

 魔力を纏わせた剣を何度も振るう。それでも、それでも敵はオレから目を離さない。

 大盾を構えた少年と、ダガーナイフで武装した少女が、無機質な目でオレをじっと見ている。それもただふたりじゃなくて、ストーンが、シャインが、そこにも、ここにも、あそこにも、この部屋中に何人も何人も何人もいるんだ。そのずっと後ろで、ただひとり、“彼女”だけが笑顔を浮かべてそこにいる。

 今、ナイフが腕の皮をかすめた。咄嗟に返した刃が、シャインの細い首を刎ねた。

 大盾に圧し潰されそうになり、電撃を放出した。何人目かのストーンが焼け焦げ、地面に倒れて動かなくなる。

 噴き出す少女の血の赤や、少年の肉が焼ける臭い。剣が彼らに突き刺さる感覚。どれも幻にしてはあまりに鮮明だった。

 

「うっ……げえェッ! く、そ……」

 

 胃の中のものをみっともなく戻す。

 何もダメージなんて受けちゃいない。でも、ひとり斬るたびに、共に過ごした時間を思い出す。

 ……ダメだ。

 切り替えろ。

 人に化ける魔物を相手にするのは、初めてじゃないはずだ。

 もうずいぶん前のことだが、ユシドに偉そうにアドバイスしたこともあった。オレがこんなざまではいけない。

 一度目を閉じ、再度開く。においや音、景色の色を自分の中から追い出していく。

 強い魔力を剣にただよわせ、彼らを見る。短い間、確かに仲間だと思っていたふたりに、さようならと告げる。

 

「雷神剣」

 

 その場で回転し、周囲の影を一斉に切り裂いた。

 ぼとぼとと転がるもの。どろりと流れ、あるいは噴き出すもの。おびただしい数の死体を見て、また吐きそうになる。

 また目を閉じ、それに耐えると。気付いたとき、彼らがそこにいた証は、何もかもが消え去っていた。

 

『強いなあ、ミーファさん。ふたりもきっと、遊んでもらって喜んでる』

「………」

 

 細くか弱い音だと思っていたあの子の声は、今はよく空間に通って、はっきりと聴こえる。この地下室が、とても静かだからかもしれない。

 けれどもう、この静けさにも、彼女の声にも、たえられない。気が狂いそうだ。

 剣を握り締め、駆け出す。最短距離で、オレは無防備に立つ光魔に斬りかかった。

 “マリン”の顔が重なる。それに知らないふりをして、腕を砕くべく剣を横薙ぎに振る。

 

「……っ!」

『あら? ちゃんと首を狙わないの? ふふっ』

 

 無邪気な表情で笑う少女は、しかし左腕でオレの剣を受け止めている。まるで鋼のように硬く、刃が通らない。

 目を凝らすと、白銀のもやが彼女の身体を包んでいるのがわかった。鋭い刃を拒絶するほどの、魔力障壁!

 光魔が腕を振ると、剣が弾かれる。彼女の腕がより強く輝き、魔力が光の刃を形成するのを見た。

 ふところに飛び込んでくる。突き刺すような攻撃を剣で防ぎ、斬り返す。しかし同じように、こちらの技もいなされ、かわされ、防がれる。

 いくらかの剣戟が続いた。彼女の腕とオレの剣がぶつかる音は、鉄を打ち合っているかのようだった。

 隙が、無い。後衛で魔導師をやっていた者の身のこなしじゃない。ぜんぶ、ぜんぶ嘘だったんだ。いつだって後ろからオレを貫けたんだ。滑稽だとあざ笑っていたんだ。

 

「せえっ!!」

 

 怒りに任せた大振りの一振りを、相手もまた大きくかわした。少女は後ろに跳び、オレと距離をあける。なにかする気だ。

 全身に力が入る。この距離から先に攻撃するか、走り出して詰めるか。ふたつの考えからひとつを選ぶ一瞬。

 そこに、俺たち以外の声が入ってきた。

 

「ミーファっ!! 無事……か……」

 

 思わずそちらを向く。

 ……ユシド。来たのは、ユシドだ。偽物じゃない、本物だ。オレにだけはそれがわかる。

 ユシドは、こちらを見て驚愕の表情を浮かべている。正確には、光魔の姿を見て、だ。

 

「どういうことだ? さっき、マリンさんは地上に……」

『邪魔』

「ユシド!!!」

 

 白い腕が無造作に振るわれると、立ちつくす少年に、白銀の槍が飛んだ。

 風を足に爆発させ、槍の腹を剣で叩き、弾く。なんとか間に合ったのは、警戒していたからだ。

 発光する少女を睨み、背後のユシドをかばう位置に立つ。

 

「ミーファ! これは!?」

「……あれは、“光魔”だ。光の勇者は、最初からここにはいなかった」

「彼女が敵だっていうのか?」

 

 説明はもうしなかった。

 あれは、倒すべき魔物だ。……ユシドが後ろにいるなら、オレは冷徹な戦士でいられる。そのはずだ。

 

『もう少し二人で遊びたかったのに、仕方ないな。お客様も増えたことだし、次の演目ね』

「!!」

 

 光魔の足元に魔法陣が現れる。描かれた術式によって様々な現象を引き起こすそれは、知能のない魔物に扱えるものではなく、人間のものだったはずだ。

 しかし、例外はある。高度な魔法術を操る魔物は、たしかに存在する。

 あの魔法陣は先ほども見た。ストーンとシャインの幻覚を複数出現させた術だ。

 充満する白い光。最初と同じように、いくつもの人影が形を成していく。人間の男性と、女性の体格。

 

「な――!?」

「これは……」

 

 それらは、良く見知った顔だった。シャインとストーンではない。

 ブラウンの髪に翠色の目の少年。金髪の少女。……ユシドと、ミーファが、そこにいた。

 それらが、部屋を埋めつくしていく。オレと同じ、困惑した表情で互いを見つめあっている。気味が悪かった。

 

「くそ、幻影は消えろッ!」

「ぐっ!? 何を、ばかな!」

 

 すぐ近くのミーファが斬りかかってくる。声も表情も、オレとそっくりだ。自分が喋ったのではないかと思ったくらいに。

 攻撃をかわしたせいで、本物のユシドの位置を見失った。これでは連携ができず、幻影を斬ることを躊躇してしまう。これがあいつの狙いか……!

 だが、その手には、乗らない!

 攻撃をはじき返し、雷を宿した剣で焼き尽くす。幻がこのいかずちに耐えられるものか。

 さらに、周りのユシドとミーファに、躊躇なく攻撃を加えていく。そこに、本当のユシドはいないから。

 ……この幻影を攻略するには、各々が自分の偽物だけを全員倒せばいい。けれどそれは少し手間だ。

 そんな面倒に付き合う必要はない。オレは、既にユシドの偽物を把握できている。そしてそれはきっと、あいつも同じだ。

 集中して感覚を研ぎ澄ませる。……ユシドの身に着けた髪紐には、オレの魔力が込められている。オレの身に着けている耳飾りには、あいつの魔力が込められている。そもそもユシドがこの場所へいち早くたどり着いたのは、オレのいる方角が察知できたからだろう。

 だから、こんな偽物には惑わされない。

 まだ、ストーンとシャインの方が、つらかったよ。

 いくつもの視線が交差する中、ある一対の瞳と目が合う。幻影たちの間をくぐり抜け、オレ達は、互いの右手と左手を固くつなぎ合った。

 離さないように、大きな手を握る。幻のように消えないでほしくて、強く力を入れる。

 繋いだ手を中心に、くるくると回る。風の刃と金色の稲妻が、幻を薙ぎ払っていく。

 やがてまた、静寂が訪れる。幻たちはすべて、銀の煙になって消え去った。

 

「もう回りくどいことはやめろ! 腹が立つ」

『……ふうん。ミーファさん、その子と、そんなに仲が良いのね』

 

 会話がかみ合わない。光魔はオレを見ているようでいて、見ていない。声を聞いていない。

 虚ろな輝きを放つひとみから、そんな印象を覚えた。

 

「ユシド、戦えるな」

「ああ。でも、君こそ……いや、なんでもない」

 

 攻め手をいくつか浮かべながら、剣を敵に向けて構える。細い刃の向こうに、可憐に微笑む少女が見えた。

 走りだそうとして、足に力を入れる。そして……

 ――地面から突き出した岩の杭が、彼女の腹を貫いた。

 

「!?」

「あれは……」

 

 光魔の顔が驚愕に歪み、人間のように赤い血を吐き出す。

 次いで、この部屋に続く細い廊下の向こうから、いくつかの炎の矢が飛来した。しかしそれらは、薄い光の膜によって防がれる。追撃を加えようとしたオレは、それを見て踏みとどまった。まだ、敵は健在だ。

 廊下から、新たにふたりの人間が現れる。分断されていた仲間たち……ティーダと、シークだ。

 ティーダは油断のない様子で槍を構えているが、シークは困惑した様子が見て取れる。先ほどの炎の矢も、彼女の技にしてはかなり威力が低かった。

 

『……みなさま、お揃いね。一対一で過ごせば、お友達になれるかなあって思ったのに』

 

 ティーダの術だろう、岩杭が崩れ落ちる。光魔の腹には、風穴が空いていた。

 顔色も悪い。効いている、のか?

 

『今度は4人ね。どんな演目がいいかしら』

「え……!?」

 

 瞬きをした。その間に、マ・コハの傷はきれいに消えていた。一瞬で治療したのだ。

 たしかに、……マリン、も、光属性による治癒術の腕は、すさまじいものだった。なら、いくら傷を負わせても、やつを殺すことはできないのか……?

 

『……攻撃は効いている。以前のやつならば、わざわざ二撃目をバリアフィールドで防いだりはしない』

「イガシキ?」

『今のあいつにお前達全員を相手にするほどの力はない。余裕があるように見せているだけだ。殺すのなら堅実に殺せ』

 

 思わぬところから助言が来た。イガシキは、思えばさっきも助けてくれた。敵は同じ七魔のはずなのに、こうもはっきりと味方してくれるのか。

 ……その言葉を、信じよう。臆せず、敵が死ぬまで、剣を振り続けてやる。

 

「……あ、の。本当に、マリンさんが、敵なんですか? どうして、なんで。……人間に化ける、魔物……?」

 

 ぽつぽつと。声を漏らすのは、シークだ。

 最初は困り切ったようなか細い声。それが徐々に、怒りに置き換わっていくのが、表情からわかった。

 それを受けて、光魔は、シークの方を見て、くすくすと笑った。

 

『なあに。こういうのはお嫌い? テリオモウイとの戯れは、つまらなかった? わたしは、あの戦うお祭りは、見ていてどきどきしたけど』

 

 テリオモウイ。たしか、バルイーマで戦った、“火魔”の名前だ。やつはシークの人生を滅茶苦茶にして、母親の死体に乗り移り、弄んでいた。吐き気のする外道だ。

 ……あの場に、光魔もいたのか?

 ふと、汗が一滴流れた。気温が上がったような気がする。

 光魔から視線を外し、後ろを見る。

 シークの長い髪が、紅く染まっていた。

 

「貴様……ッ!!」

「待て、挑発に乗るな!」

 

 ティーダが制止をかけたときには、もうシークは走り出していた。

 真っ赤に燃える髪が残像となって目に焼き付き、真っ直ぐな軌跡を描く。シークは最短距離の正面から、敵に斬りかかっていた。

 地面を砕く音や、刃と刃がぶつかり合う音が、幾度も響く。ゆるやかに後退しつつ大質量の剣をさばく光魔は涼しい表情をしていて、怒り心頭といった様子のシークとは対照的だ。

 攻めているのはあくまでシークの方、ではある。暴風のような体技で戦っており、あれでは援護に入るのは難しいが、その激しい攻撃はときおり光魔の障壁を抜け、肌に浅い傷をつけている。

 ……しかしそれも、瞬時のうちに回復する。生半な物理攻撃では打倒できない。魔力を使った大きな技を使うべきだ。

 オレは二人の戦いを追いつつ、仲間たちに目で合図を送る。剣を鞘にしまい、剣帯から外して構え、内に納まった刃に雷の魔力を巡らせる。指でイガシキを叩き、意図を伝えた。

 屋内、それも地下となれば、紫の雷神剣を使うことはできない。それ以外の強力な技が必要だ。

 イガシキの蓄えた炎の魔力との合わせ技……炎雷剣なら。魔法障壁を破り、大きなダメージを与えることができるはずだ。

 ふたりの攻防の切れ目、光魔の隙を見計らって、魔法剣を叩き込んでみせる。

 

「うっ!! この……!」

 

 シークの声が、オレの心臓に響く。

 光魔が手をかざすと、一瞬の強い光が部屋を白く染め、シークの身体が吹き飛んだのだ。単純だが、強力な魔法術だ。

 もちろんシークはあの程度では、ひるむことはあっても止まらない。宙で身体をひねり、姿勢を整えてまた突撃しようとしている。

 それを、地面からシークの眼前に出現した岩壁が、今度こそ制止した。

 

「今ッ!」

 

 光魔に一撃入れる好機。たとえ通じなくとも、ここからみんなとの連携に移ればいい!

 鞘が熱を発している。力をそこから解き放とうと、身体を沈める。

 そして――、

 

『――山霊イガシキ・アンバーアイアン。跪け』

 

 手元から、武器が落ちた。

 

「な……」

 

 ()()。鞘が、尋常でない重さになり、地面から持ち上がらない。剣だけを抜こうとしても、いつもイガシキが寝ているときのように、いやそれ以上に、びくともしなかった。

 光魔がこちらを見て、何かを唱えてから。

 

『気霊テルマハ・ジェイドグラス。頭を垂れなさい』

「ぐっ!? これは……」

 

 ユシドが呻く。見れば、手にしていたはずの剣を、同じように鞘にしまった状態で取り落していた。抜刀術で攻撃しようと準備していたのか……。

 あちらの剣は少し地面から持ち上がっている。オレとユシドの筋力の差だろうが、どちらにせよあの有様では重くて振ることはできない。

 なぜ、こんなことが。

 

『マ・コハは……人間で言う、“王族”のような、存在だ……。上位種の、命令には、逆ら、えん』

 

 聞いたことのない苦しげな声を絞り出すイガシキ。そんな、バカな。同種の魔物ならばわかるが、イガシキとマ・コハでは明らかに生態が異なる。属性も外見も大きく違う魔物の間に上下関係があるなど、聞いたことがない。

 あったとしても……あの強大な七魔たちに、命令を下せる存在がいるなんて。

 

「……だったら!」

 

 イガシキを地面に放置し、手に電光を瞬かせる。威力は減じるが、魔法術のみで戦うしかない。

 風の魔力を足に纏い、じり、と地面を鳴らす。得体のしれない光魔へのおそれを振り切り、視線を突き刺す。

 ――左足に、何かが、からみついた。

 

「え?」

 

 オレは、光魔にむかって雷を放った。

 はずだった。

 だが、眩い電光の明滅も、激しく空間を駆ける音も、何も起きない。脚を押し出す追い風も、止まっている。

 身体の中にたしかに感じる魔力を、もう一度放つ。

 ……出ない。魔力の放出が、妨げられている。

 左足に巻き付いた光の環。それはまるで、錠のついた足枷のようにも見えた。

 

「これは……あのとき、の」

 

 現状を受けて、思い出すものがあった。闘技大会に参加する前、バルイーマの街中で、デイジーさんと共に人さらいに閉じ込められたときのことだ。

 あのときも魔法術のたぐいを封じる手錠をかけられた。オレの魔力を封じるほどのものを作成するなんて、普通の人間には無理だ。それができるのはオレ以上の魔導師か……人間の力を上回る、未知の魔物。

 まさか。あれも、彼女の仕業、なのか。

 情けなく助けを求めるように、みんなの方を見てしまう。光の輪は、ユシドの左手、シークの両手、ティーダの右手……それぞれの首を絞めつけていた。

 

 剣が重い。

 魔力を封じられた。

 マリンが、こっちを見て、笑っている。

 

 戦え、ない。

 

「休んでろ、二人とも!」

「!!」

 

 十字に交差した刃が、少女の白銀の髪をなびかせた。

 槍の一撃をかわした光魔に、分厚い大剣が襲い掛かる。

 ティーダとシークが、愚直な白兵戦で光魔に追いすがる。そうか、ふたりの武器はまだ使えるんだ。

 ……人間大の敵を相手にするふたりの繊細な連携に、オレは丸腰で立ち入ることができない。このオレが、シマドが、仲間の戦いをただ棒立ちで見ている。あまりに、惨めだ。

 せめて光魔の妖しい動作をひとつも見逃さないよう、目を凝らす。

 ふたつの武器による攻撃はやがて、光魔の守り避ける動作や、反撃に飛ぶ白銀の槍や矢の数を上回り、やつが纏う魔法障壁に届くようになった。

 

「はあっ!!」

『っ……』

 

 ティーダが隙をつくるような動きを重ね、シークが一撃を確実に入れている。シークは頭が冷えたようで、髪の色は黒に戻り、戦闘経験を活かした堅実な動きをしている。

 ティーダは重い槍を技術で扱い、シークはあの大剣を片手でも振り回す。互いの隙を埋める剣戟に、光魔の表情から笑みは消えていた。

 光の膜に渾身の重撃が叩きつけられ、たしかにそこに、ほころびが生まれたように見えた。消耗した箇所を、さらに十字槍が的確に突く。

 光魔の左腕が、深い切り傷を負っていた。

 

『ッ――! 遊んであげていたら、つけあがって!』

 

 瞬時に修復された左手が、ティーダの槍を掴む。マリンのときからは信じられないような怪力で、槍ごとティーダが投げ飛ばされた。

 ユシドが彼を受け止める。まずい、連携に穴があく!

 

「ぐっ!? そんな――!」

 

 せめて格闘術で援護に入ろうと駆けだす。向かう先では、シークの剛力の剣が、右手で受け止められていた。

 指が、剣に亀裂を入れている。おそろしいほどの握力だ。このままでは……!

 光の衝撃波が放たれ、シークの小柄な体が飛ぶ。オレは彼女を受け止め、一緒に大きく後退させられてしまった。

 

「う……か、返せッ!!」

 

 シークが大声をあげる。彼女の手元にあの大剣はなく、それはまだ、光魔に刃を掴まれたままだった。

 あれはシークの父親が遺したもの。彼女の大切なものだ。

 少女が走りだす。そして……

 眩い白銀の光の中で。鉄の剣が、粉々に砕け散った。

 鉄のかけらが散らばる。シークはそれを、茫然と見ていた。

 

「なんてことを……!」

 

 無防備になったシークに駆け寄ろうとする。精神的な拠り所を砕かれ、茫然自失としているんだ。あれでは光魔に狙い撃ちにされてしまう。

 震える背中に、もう少しで手が届く。

 そして――

 

「うあああああああああああああっっ!!!!」

 

 爆発が起きたような凄まじい熱波に、身体を押し戻される。

 シークの髪が紅く、炎のように逆立っている。いや、例えではなく、凄まじい炎の魔力が全身から噴き上がっていた。

 両腕に噛みついた光の枷に、びしりと亀裂が入っていく。そしてそのまま、あっけなく割れ砕けた。

 光魔の封印を上回るほどの魔力の放出! だが、今のシークにコントロールできているのか!?

 猛り狂うシークの魔力はやがて、炎のそれだけでなく、水の属性もまたあらわれ始めた。髪色が赤と青に、交互に激しく変化している。異様な姿だ。呼びかけてみても、返事がない。

 

「ああぁあぁああああ――!!!」

「シーク!! やめろ!!!」

 

 ティーダの声をも無視して、シークは敵へと突っ込んでいく。

 マ・コハに組み付き、光の衝撃波をものともせず、離れない。

 魔力が際限なく上昇し、感じているだけでこちらの鼓動が破裂しそうなくらいになる。髪色はちかちかと明滅するように切り替わり、やがて――

 一瞬、なにも見えず、なにも聞こえなくなった。

 

 地面に転がる。すさまじい衝撃に吹き飛ばされたからだ

 すぐに身体を起こす。視界が揺れ、耳鳴りがひどい。この広い部屋の中で、何かが起きた。

 何とか歩き出し、さっきまで見ていた方向に進む。その先には、誰かが倒れていた。

 ……シークの、小さな身体は。

 己の発した魔力の爆発で、ひどい火傷を負っていた。

 

「シーク!!」

 

 遠くにいる彼女に向かって駆けだす。

 ダメだ、だめだ駄目だ。気絶している。ひどいケガだ。だけど皮膚の損傷なら、すぐに治癒の術を施せばなんとかなる。でないと、残る。痛みが、痕が残る。早く治さないと。

 ふらつく足で進む、その先。シークに、オレの前に辿り着く者がいた。

 

『なんて魔力なの……この子、わたしたちよりも、ずっと……』

 

 マ・コハだ。苦し気に表情をしかめ、全身の損耗部分を再生させている。

 あれほどの爆発を間近でくらって、まだ生きているのか。

 やつは再生した右腕に、光の刃を出現させた。

 ……待て。待ってくれ。やめてくれ。

 

『こんな力を持っていたら、生きているのがつらいでしょう。次は、幸せな子に生まれてね』

「やめろ!!!」

 

 断頭の刃が、振り落される。

 

「……ッ!」

 

 それを、男が、槍で受け止めた。

 

『じゃましないで』

 

 ティーダはシークの前に立ちふさがり、槍で光魔の攻撃をさばいている。今のうちに、シークを助け出さないと!

 進むオレの前に、光の矢が突き刺さった。足が止まる。光魔の金色の目が一瞬、オレを見ていた。

 こんなことで、止められてたまるか!

 走りだす。光の矢がひとつ、肩に突き刺さった。痛みで立ち止まり、また進む。その度に矢が増えていく。くそ……!!

 視線の先ではティーダが必死にシークをかばっている。だが、光魔の狙いはあくまでシークの命だ。

 オレにも向けられていたあの光の矢が、ティーダの頭上を跨いで、シークに落ちようとしている。ティーダは光魔に背中を向け、シークに覆いかぶさった。

 矢が、広い背中に突き刺さっていく。

 

「ぐ、く! ……おおおっ!!」

 

 痛みに顔を歪め、ティーダはがむしゃらに槍を振るった。

 十字の刃が、輝く細腕に易々と受け止められる。

 

『イガシキの身体を、勝手に使わないで』

 

 返すように、少女が刃を振った。

 

「ぐああああああーーっっ!!??」

 

 聞いたこともないティーダの絶叫。何が、起きている?

 目を凝らして、それを見る。

 ……彼が槍を握っていた右腕が。肘の少し先から、なくなっていた。

 

「あ、ああ」

 

 槍と、ティーダの腕が、地面に転がる。流血と凄まじい痛みに、大事な仲間が襲われている。

 光魔は無邪気な笑みをやめ、目の前のふたりを冷たく見下ろしている。ティーダの腕を斬り飛ばしたその魔力の光は、未だ曇りなく白銀に輝いている。

 …………死ぬ。みんなが。

 

「はあああっ!」

「!! ユシド……!」

 

 ふたりにとどめを刺そうとする光魔に、ひとりが立ち向かった。

 ユシドだ。焼けてしまったのだろう上着を脱ぎ捨て、薄い服と、手足だけで、敵に向かっている。

 ダメだ。剣も魔力も無しに挑んでは。お前まであいつにやられたら、オレは。

 キミが、みんなが死んだら、もう生きていたくなんてない――!

 

 身体の矢を抜き、動ける程度に傷を治して、走る。地面に打ち捨てられていた、ティーダの槍を手に取った。

 まだ、彼の太い腕が力強くそれを握り締めている。痛々しいその指を解き、オレは槍を携えた。

 

「ユシド!! 下がれッ!!」

 

 言葉を聞きつけ跳んだユシドを避ける軌道で、斬り払う。

 長い槍の刃先が、光魔の腕に傷をつけた。

 

「ふたりの応急処置をしてくれ。オレが、あいつを倒す」

「………」

 

 ユシドは、異論をはさまなかった。

 ふたりともこのままでは死んでしまう。一秒でもはやく処置し、地上に戻って、ちゃんとした治療をしなければならない。

 そのためには……

 彼女を、殺さなければならない。

 

『よかった。やっぱり、ミーファさんといる方が楽しいの』

 

 唇を噛みしめ、槍を勢いよく突き出す。足を狙ったそれは、相手が少し下がっただけで外れた。

 ……マリンじゃない。そんな人間は、最初からいなかったんだ。目の前にいるのは光魔だ。言葉を聞くな。……顔を、見るな。

 槍を回し、敵を追い立てる。剣に比べれば経験は浅いが、ある程度は使いこなせる。回転で追い詰め、要所で突きを入れる。

 心臓か、首を刺すことができれば。でも、当たらない。マリンは踊るように、オレの槍をかわしていく。攻撃はうまくいって手足を傷つける程度だ。

 彼女の体捌きが驚異的なわけじゃない。動きは見えている。相手も消耗しているはずで、障壁による防御がない。もうすぐ倒せるはずなんだ。

 雑に大振りの攻撃をすれば、マリンは後ろに大きく跳んで、反撃もしてこない。オレを弄んでいるんだ。わざと時間をかけているんだ。くそ。くそ……っ!

 

「交代」

 

 肩を、誰かに叩かれた。

 それほど自分が、隙だらけの棒立ちだったということ。

 

「手が震えてる。僕が代わる」

「なんで……」

「治癒の術は、傷に直接触れて魔力を送ればなんとか機能する。ふたりにかけ続けてくれ」

 

 槍を奪い取られる。

 オレは、ただ情けなく、自分よりも大きなその背中を見ていた。

 

 少年が鋼の槍を振る。師に教えられた武器ではないが、それなりに扱えているようだ。

 だが、それなりだ。光魔が白兵戦の達人というわけではないが、ユシドの槍術はそれにも及ばない。突きを中心に攻撃を続けた少年はいつからか、記憶の中の仲間の動きを真似た、守りの姿勢に転じてしまっていた。

 

『がっかりねユシドさん。あなたも、お友達にはいらない』

 

 光魔の手に現れた刃が、槍を弾き飛ばした。強い衝撃に、慣れない右手はそれを放してしまう。

 二本の光の槍と、数え切れない光の矢。宙につくられたそれらが、ユシドに切っ先を向ける。飛来する白銀を、紙一重で回避する。矢の一、二本は身体をかすめ、焼け付くような痛みが彼を襲う。

 ユシドは膝を折り、光魔の前に屈してしまった。

 

『じゃあ、さようなら』

 

 心臓が止まるような光景に、オレはふたりの治療を手放し、失いたくない人に、届かない手を伸ばす。

 翠色の瞳が、こちらを見た気がした。

 

『あ……、な、に……?』

 

 ――振り抜かれている。

 ユシドの手に、風魔の剣が握られているのを見た。

 それはすぐに重さに負けて地面に落ちたけれど、ユシドはたしかに、地面にあった剣を鞘から抜き放った。

 最初に鞘に巡らせていた風の魔力が、まだ残っていたのか。いくら重くとも、あの力があれば一度限り刃を振ることができる。できたんだ。

 そして、剣を捨てた位置に敵を誘導した? この反撃を狙っていたのか。

 ……お前は、いつの間に、そんな。

 

 負わせた傷はただのひとつ。だが、たかが一撃は、たしかに彼女を苦しめているようだった。

 ユシドが傷を負った少女に躍りかかる。今が、敵を倒すための好機だ。

 

退()けッ、人間――!!!』

 

 光の瞬き。ユシドは小さな人形のように吹き飛ばされた。

 地面に転がり、必死に動いているけれど、立ち上がれていない。

 

『こんな傷、すぐに治して――』

 

 深い切り傷を手で庇いながら、マリンはあえぐ。

 そして……その小さな口から、紅い血が吐き出された。

 

『が、ぐ……いた、い』

 

 鋼の槍が、彼女の心臓があるべき位置を貫いている。

 槍は高速でまっすぐに投擲されたものだ。

 それをやったティーダは、オレのすぐそばで荒い呼吸をして、痛苦に表情を歪めている。

 槍を投げた彼の()()がボロボロと崩れ、腕の形をしたものから、ただの石くれへと戻っていく。

 

「クソ。……ズレ、た…………」

 

 ティーダは膝をついた姿勢で、気絶してしまった。

 腕の流血はなんとか止めているけど、無茶だった。オレが、やるべきことだった。

 

「………」

 

 傷ついた仲間たちの姿が目に焼き付く。

 オレのせいだ。オレが、マリンと、ちゃんと戦わなかったから。

 そんなに、恐ろしい敵じゃなかったはずだ。イガシキも言ってた。今のあいつに力はないとか、そう言っていた。

 立ち上がる。身体が、ふらりと力なく揺れた。

 

『う、あ。かふっ!! はあ、はあ』

 

 聴き慣れた、か細くて儚い声がした。ずっとこの王都で一緒にいた、ある女の子の声だ。

 綺麗だった銀の髪のあちこちを紅く染めて、彼女は地面を這っている。どこかへ、逃げようとしているように見えた。

 

『殺せ』

 

 少し遠くに転がっていた、鋼の魔物が言う。

 

『代わりをやってくれるお仲間は全員やられたぞ。お前が、とどめを刺せ』

 

 ゆっくりと歩く。

 

『今のあいつは何故か人間とそう変わらない身体を形成している。首を絞めて……いや、首の骨を折れ』

『あ、うっ!?』

 

 這い進む少女に追いつき、弱々しい身体を蹴り転がす。

 仰向けになった彼女に跨り、首に手をかけた。

 

『やめ、て……ミーファさ……くるしいのは、いや、なの……』

 

 鮮血に濡れた身体。白く細い首。少しの温度。指で感じる感触は、人の肌そのものだった。

 一緒に戦って、一緒に歩いて、一緒に笑ったその顔が、眼が、オレを見ている。

 

「あ、あ……マリ、ン……」

 

 指に、力が入らない。オレは彼女を殺す手を、緩めてしまった。

 マリンの口が空気を求めるようにあえいで……

 金の瞳が、オレを睨みつけた。

 

「うぐっ!? く、な、これは――」

『ひどい。ひどい、ひどい、ひどいひどいひどいなんてひどい人!!!』

 

 光の輪がオレの身体に巻きつき、締め付け、腕や足を動けなくする。

 地面に転がされたオレは、うずくまりながらも身体を起こそうとするマリンを見上げた。

 垂らした長い髪の間から、彼女が語りかけてくる。

 

『ね、ミーファさん。あなたが一番苦しむことを、思いついたの』

 

 楽しそうに笑う口元が、髪の間から見えた。

 オレが拘束を解こうとしている間、彼女は赤ん坊のように地面を這い進んでいく。やがて進むのをやめ、前方に視線を向けた。マリンが見ているのは……傷ついて動けない、ユシドだ。

 

『あなたの愛する子の魂は、わたしが永遠に囚えるわ。ミーファさんなんて、ひとりで取り残されてしまえばいいの』

 

 マリンを中心に、地面に白銀の魔法陣が描かれる。規模の大きな術だった。残された魔力をここで使う気か。

 こちらまで広がってきた魔法陣の記述の一部が、視界に入る。

 この紋様。術式。

 ……ずっとずっと前に、見たことが、ある。生命と、魂に関する言葉と図絵。

 忘れない。忘れるはずがない、これは!

 あれを、ユシドにだと? ユシドがオレと同じ目に遭うのか?

 ……やらせるか。

 やらせる、ものか。

 

「があああああああああっっ!!!!」

 

 雷が全身を駆け巡る。

 まだ魔力の放出は封じられている。シークのように無理やり封印を突破することはできない。だが、体内の魔力を操ることはできる。

 魔力による身体強化。何度も目にして、理屈はわかった。だが使い慣れない技術は諸刃の剣も同然だ。雷が血管を、神経を巡り、筋肉を焼く。全身が引き裂かれるような痛みだ。

 だが、これでいい。魔力の流動が無理やりに筋力を補強していく。

 身体を締め付ける光の輪を打ち破ろうと、オレの細い腕にありえない力がかかった。やがて痛みと痕を残して、光が砕け散る。

 

『これで、おしまい』

 

 光魔が前方に展開した光の環が回り輝く。

 そこから放たれた呪いが、ユシドに届く前に。オレは、彼の前に立った。

 

「っ!! ミーファっっ!!!」

 

 くらいかがやきが、視界を圧しつぶしていった。

 

『……ふ、ふふ。あはは。あははははは』

 

 ころころと、かわいらしい笑い声が耳を叩く。

 

『本当にその子が大事なのね。いいわ、いいわ! これでよかった。あなたと一緒に、これからずっとずっと過ごせるんだもの』

「最期の言葉はそれでいいか? 光魔マ・コハ」

『え?』

 

 術を終え、ふらふらと立ちながらこちらを見ていた魔物は、きょとんとした顔をした。

 オレはゆっくりと歩き、途中で地面に転がっていた鋼の剣を拾う。

 

『そ、んな。繋がりができない? どうして術が効かないの? ま、まさか……』

「マリン。お前の悪意は、わかったよ」

 

 目の前のそれを押すと、力のない少女のように、こてんと倒れた。

 刃を引き抜く。もう、重いとか、抜けないとか、そういうことはなかった。

 

『…………ま、待ってミーファさん。ごめん、なさい。もうしないわ、こんなこと。絶対にしないから』

 

 力を使い果たした光魔は、ひどく怯えたような顔でこちらを見上げている。

 その小さく細い身体に馬乗りになって、身動きをとれないようにする。

 

『いや! どうして!? 友達なのに――』

「最初からオレを狙って呪いをかけていたのなら、別に構わなかったよ。君に付き合ってもよかった」

 

 そうだ。最後まで、ちゃんと憎めなかった。

 うまくやったものだよ。倒そうとするたびに、想い出がちらつくんだ。友達だっていうのは、オレも、そう思っていたから。

 でも、もう、終わり。

 君は、絶対にやってはいけないことを、しようとした。

 友達でも、誰でも。それだけは許さない。

 

「お前はオレの大事なものを奪おうとしたな」

 

 剣の切っ先を、胸に当てる。

 

「絶対に許さない。……死ね」

『いぎっ!! み、ふぁ、さ』

「死ね。死ね、死ね、死ね――――!」

 

 何度も何度も何度も何度も何度も剣を突き立てる。血が顔にかかっても、腕の感覚がなくなっても、それをつづけた。

 やがて、誰かが、オレの腕に触れる。

 

「もう、そこまでにしよう」

「うるさい!!」

 

 許せるものか、お前は、お前はあの呪いを知らないんだ――

 

「よく見て。もう、ただのマリンだ」

 

 ユシドの声に、剣を止める。

 ぐちゃぐちゃに紅くなっていた胸は、淡い白銀の光のつぶに崩れていって。光の王冠も、瞳の発光も、もう消えていた。

 

「ちゃんと看取ってあげてくれ。きみの……友達、だったんだろ」

 

 マリンと、目が合う。

 前髪の下から覗く、月のようにきれいな瞳だ。

 

「……ねえ」

 

 小さな口を開いて、話しかけてきた。

 

「どうして、あなたたちは、そこまで、他を、想えるの? カタチを真似してみても、やっぱり、わからない」

 

 そんなの……人間にだって、わかることじゃない。ばかげた質問だ。

 ……君は、どうしてこんなことをしたんだ。

 本当は、どうしたかったんだ?

 

「ねえ、ミーファさん。わたしも、わたし、も……ともだち、に。みんなと、たび、に……」

 

 流れ出した赤い赤い血が、銀の髪が、白い頬が、金の瞳を閉じたまぶたが、やがてばらばらに崩れて、白銀色の光の粒になって宙へ浮き上がっていく。

 暗い地下を淡く照らす、無数の光たち。

 それはまるで、あの夜に彼女と見た、満点の星空のようだった。

 



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46. ひかりの残像

 乾いたノックの音に、ユシドは部屋の扉を開けた。

 

「うわ! ええと、その、こんにちは」

「ごきげんよう。……少し、お話してもいいかしら」

 

 意外な来客に、思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。

 簡素な木製のドアの向こうにいたのは、金の髪が美しい、この国の王女だったからだ。

 

 いつも口にする熱い紅茶を机に出したあとになって、ユシドは気が付いた。

 来客者は貴人である。見慣れた学生服姿ではなく、あまり見ないつくりのドレスを着ている。華美ではないけれど庶民が着られるようなものでもなく、ミーファが家族の前でしていた格好よりも、もう少し上等だ。そんな外見からも、彼女が本物の王女であることを、ユシドはあらためて意識させられた。

 だからこう思う。こんな、冒険者が常備しているような安い茶を出すべきではなかった。宿の人にでも助けを求めるべきだった。先ほど湯を沸かしに行ったとき、彼らも初めて訪れる彼女に相当に驚いていたが……。

 チユラがカップを口に運ぶ。ユシドはそれを、緊張の面持ちで見る。

 少女が、薄く笑っておいしいと言うと、少年はほっと胸を撫で下ろした。

 

「さらわれた人々は全員、戻りました。この国を救ってくれたこと、感謝いたします。勇者ユシド」

「え……と。光栄、です」

 

 かしこまった謝辞にむず痒くなり、礼儀に欠ける返しをするユシド。それを、王女は笑ってみていた。

 戦いは終わった。このヤエヤ王国、王都で起きたある事件について、ふたりは結末を確かめ合う。

 

 すべては、光魔マ・コハが己の魔力を回復するという目的のために起こしたことだった。

 それによってさらわれてしまった人間たちは……全員が、生存していた。

 その中には精神を病んでしまった者もいるが、王政府の主導による治療が行われ、今はそれぞれが元の生活に戻りつつある。

 そこにはチユラの姉である、パリシャ王女も含まれる。チユラは深く、勇者たちに感謝した。

 未曽有の危機に陥った王国の人々にとっては、最良に近い結末だ。この経験によって彼らはより懸命になり、人々が安心して暮らせる国を形作っていくだろう。

 しかし、光魔の討伐を成し遂げた、勇者たちにとっては……。

 

 あの日、傷ついた彼らは瀕死になりながら地上へ戻り、近場の衛兵詰所へとたどり着いた。事態はその日の内に王の耳に届き、治療が始まり、遠征へ向かった軍団は呼び戻されることになる。

 その足で軍団からひとり先駆け、いち早く王都へ帰ってきたチユラ王女をはじめ、王都の動ける医者や治癒術師たちが、彼らの回復を助けた。

 シークの負ったケガは後遺症を残すことなく完治し、ユシドやミーファも、戦いなどなかったかのように万全な健康状態へ戻った。

 だが、戻らなかったものもある。

 

「本当に、あなたたちには感謝してもしきれない。……このヤエヤが、その旅の助力となることを約束します。これは王の言葉でもあります」

「ありがとうございます。元々、魔人族領への通行許可をもらいに寄っただけなんですけど」

「それだけ? もっといろいろ要求してくださいな。馬車とか、ええと、船とか」

「船って、海を渡るっていうあの? あ、いや、畏れ多い。それと馬はずっと考えていたんですが、コストと実利が合わなくて。馬や荷車が進めないところを歩くこともあるし。今は、必要ないです」

「うー。世話になりっぱなしは性に合わないわ」

 

 王女様っぽい見た目で快活な言葉遣いをするチユラを見て、ユシドは微笑む。

 

「……ミーファさんは。ずっと、ああなの? まだ、どこかが痛むの?」

「ううん。……眠りたい盛りなだけだよ、たぶんね」

 

 二人の視線が、同じ方を向く。同じ部屋にある柔らかいベッドの中で、ミーファは静かな寝息を立てていた。

 ミーファはこの数日、一日の大半をそうして眠りの中で過ごしている。ユシドはそれを、心を癒しているのだと考えていた。呪いがどうとかいう話をしていたから心配したが、光魔のそれは失敗に終わったのだとミーファは説明し、それ以上を語らなかった。

 

 ミーファ・イユには、なにか隠していることがある。

 それをユシドはずっと感じていたが、しかし、本人の方から話してくれるまで気にしないようにする、と決めた。

 しかしそれは、そこに踏み込む勇気がまだ、少年にはなかったからなのかもしれない。

 

 チユラがミーファに近づく。その心に寄り添うように、少女は、少女の髪を撫でた。

 

「それじゃ、もう行きます。何か思いついたら、城に直接おいでくださいな。言っておくけど、直接お礼を言うくらいじゃ、私は満足できませんから」

「うん。ありがとう、チユラさん」

「だから、“ありがとう”はこっちだって」

 

 眉を吊り上げて昂る様子は、“学園でできた友人”のチユラのままだ。ユシドはそれが嬉しくて、また笑う。

 そして、外まで王女を送り届けようとして……ひとつ、確かめたいことを思い出した。

 

「王女様。手を、見せてくれませんか?」

「え、え? え、っと、その……。こうですか」

 

 顔をほのかに赤らめて、チユラは手袋を外した右手を差しだした。

 うやうやしく手を取ったユシドは、王女の顔ではなく、手の甲をじっと見つめる。

 そこには、彼の期待するものは、なかった。

 

「……勇者の紋なら、私にはないわ」

 

 顔を上げる。どこか残念そうな、困り気な表情で、チユラは言葉を紡ぐ。

 

「城にある文献で、勇者のことを調べたの。紋章は姉様方にも、兄様にも、妹にも、お父様にもない。特に姉様なんて、私が足元にも及ばない光の魔力を持っているのだけど……それでも選ばれないのだから、今代の光の勇者は、信じられないほど強い魔力を持っているのかもしれないわ」

「そうなんだ。なら、いつか見つけられるかもしれないな」

 

 ユシドが手を離すと、チユラは名残惜しそうに手を見つめた。ユシドには、その仕草の意味は分からなかった。

 

「じゃ、外に馬止めてるんで。お見送りは結構です」

 

 チユラは踵を返して明るく話す。

 

「また、ミーファさんと話したかったな。旅立つときはきっと教えてね。また会いに来るわ」

「うん。また」

 

 部屋の扉を開け、チユラ王女は出て行った。

 ユシドは窓から宿の外を見る。馬、というからには、馬車で従者たちに囲まれて帰るのだろう。と、思っていたら。

 チユラはやたらかっこいい白馬に自ら跨り、町民たちの迷惑にならないよう微速で去っていった。主に女性から黄色い声を浴び、人々に手を振りながら進んでいる。

 王子か? とユシドは思った。よその国に嫁いだりせず、次のヤエヤ国王は彼女かもしれない。チユラ女王だ。

 

「おもしろ。後で教えよう」

 

 かたわらにいる少女の寝顔に目をやり、ユシドはつぶやいた。

 

 

 

「うーん。うまくいかん」

 

 隣の部屋。

 赤髪の青年、ティーダは机に向かって唸っていた。

 

「なにしてるんですか?」

「これはね、手紙書いてるのよ」

 

 ティーダは、一通の手紙を準備していた。それはヤエヤ王政の公的な連絡に使う封筒であり、王国の印と王の直筆の署名までがそこに準備されている。

 ティーダはこれを、バルイーマの自治組織に送ろうと考えていた。内容は、光魔にあやつられて人さらいを働いた者たちを擁護するような文書だ。

 大事な仲間に手を出したどうしようもないやつらだが、彼らは光魔の暗示によって操られた可能性が高い。あの特殊な幻術を目の当たりにして、ティーダはそう結論づけていた。冤罪のようなものをそのまま放置しておくのは、彼にとって寝覚めの悪いことだ。この話は、ミーファにもしておいた。一緒にさらわれていたデイジーにも手紙を送るつもりだ。

 ところが……

 慣れない左手でペンを動かし、ティーダはまた顔をしかめた。字が、綺麗に書けなかったのだ。

 シークはそれを察し、沈痛な面持ちでティーダの右手を見る。

 正確には……ティーダの右手は、もうない。服の袖の先、肘から進んだところにある空虚を、シークは見つめていた。

 

「おいー。そんな顔すんなよ」

「でも、私のせいで……」

「そんなわけないでしょ。もう飽きたぜ、この話は」

「………」

「ああごめんって。泣くな、泣くなよ。泣きそうな顔禁止ね」

 

 しばらくそんなやりとりをしたあと。シークは突然顔を上げ、泣きそうな顔というわけでもなく、まるで一世一代の何かの告白をするような決意の表情で、ティーダの目を見た。

 鼓動を押さえつけながら、いま懸命に考えた言葉を口にする。

 

「ティーダさん。あの……私が、あの。わたしが、これから、ティーダさんの右腕になります。ずっと」

「マジで? じゃあお願いしようかな」

 

 即座にペンとインクを渡され、シークは妙な表情をした。

 半泣き、半笑いだ。えへへと暗い声で漏らしている。その感情がわからず、ティーダは少し引いた。

 二人は机に向き直る。シークは、ティーダが言葉にする文面を聞き、新しい紙に向かってペンを動かした。

 そして。ミミズが這いまわった後のような字が、できあがった。

 

「………」

「あ、あの……わたし、教会学校にはちゃんと行ったことなくて……字は、今は読めるようになったけど、書いたことってあんまり、なくて」

 

 眉尻を盛大に下げてシークは述懐する。

 ティーダはそれを見て、微笑みながら右腕を持ち上げ……そして、下げた。代わりに、左腕を持ち上げる。

 利き手ではない左手で、少女の髪をくしゃくしゃと粗雑に撫でた。

 

「一緒に字の練習、しないとな」

 

 その言葉に、シークは、頬を紅くして笑った。

 

「ティーダさん、これは、どこに送るんですか?」

「ん? ああ、それは」

 

 ティーダが準備した封筒は3つ。ひとつはバルイーマの衛兵、ひとつはデイジーに宛てたもの。

 そしてもうひとつは、個人的な用事で準備した安物の封筒だ。

 

「グラナってところに送るんだよ。おじさんの地元」

「ティーダさんの? じゃあ、お知り合い……ご家族に?」

「いや、友達」

「へーっ。近況報告ですか?」

「それもあるけど……」

 

 ティーダは、何も無い自分の右側を見る。

 その表情は悲観的なものではなく、どこかいたずらっぽい笑みだった。

 

「内緒にしておこう」

「え? ……え、なんですか? なに? 気になるんですけど」

「ハハハ」

「気になる! 気ーにーなーる!! 待って!」

 

 ふたりは連れ立って、その部屋を後にした。

 

 

 

 まどろみの中で、目を開く。

 この王都にきて長く経ち、もう大分見慣れた天井が目に入った。

 ベッドの上で、身体を起こそうと身じろぎをする。

 ……そうだ。今日も、ハンターの仕事に行かないと。みんなと一緒に、A級になるんだ。

 この街での臨時の仲間だけど、たしかに認め合ったみんなの顔を思い出す。

 ふたりの若者。そして……白銀の、少女を。

 

「……あー。ああ」

 

 いや、違う。まだ、寝ぼけているな。

 あの子は、マリンは、もういない。オレが殺した。

 マリンも、マリンの両親も、ストーンもシャインも、最初からいなかった。彼らが存在していたのは、オレの頭の中だけだ。本当にいたのは、光魔という、不思議で変わっている一匹の魔物だけ。

 彼女は……最期に、何を言いたかったのかな。

 激しい憎しみは、今はもう薄くなって。光魔がどうしてすぐに正体をあらわしてオレと戦わなかったのか、なんてことを、ときおり考えるようになってしまっていた。

 

「ミーファさん、おはようございます」

「寝坊だけどね」

 

 身体を起こすと、良く知る声がオレを呼んだ。

 そこにいるのは、この人生でできた大事な仲間たち。シークは人懐っこくベッドにやってきて、ユシドはお茶を入れてくれている。少し離れたところでは、ティーダが机に向かって何やら唸っていた。

 ここは二人部屋だろ。この大所帯は定員オーバーだ。

 少しおかしくて、それと、寝ているときの顔を見られたことが恥ずかしくて、オレは笑った。

 

「みんな」

 

 寝起きのかすれた声が出て、みんながこちらを見る。

 まだ頭がぼうっとしているから、こんな、自分らしくないことを言うのかもしれない。

 

「ユシド、キミは……ティーダ、シークも……みんな。みんなは、消えたり、しないよな」

 

 あの、白銀の幻のように。

 このミーファとしての人生は、死んだシマドが妄想した幻なんじゃないかって、ときどき思うことがある。

 都合がいいくらい、幸せなことがたくさんあるから。

 

 病人みたいにベッドに座ったまま、顔を伏せる。

 少し冷えてきた手に、火のように温かい手が触れた。

 

「ミーファさん、手、あたためてあげます」

「じゃあ僕は、隣に座ってる」

「……ええと。歌でも歌ってあげようか?」

 

 3人分の視線がティーダに行く。

 

「なんてな。果物でも貰ってくる」

 

 しばらくあと。

 宿屋の食堂でテーブルを囲み、食事を共にする。

 温かいものを食べると目が覚めて、頭が回る。あらためて仲間たちの顔を見ていると、まだ、言っていなかったことを思い出した。

 

「ティーダ。……腕、すまないな。たくさんの人を助けるその腕を……」

 

 ティーダは、それを聞いて……一瞬だけ神妙な顔をしたけど、やがて左手でスプーンを握って悪戦苦闘を再開し、気にするなよ、と笑い飛ばした。

 

「シーク。すまない。君の剣、大事なものだったのに」

「どうしてミーファさんが謝るんですか?」

「………」

 

 シークの剣は粉々に砕け、手元に残ったのは握り締める柄の部分だけだ。あの剣は死んでしまった。

 ティーダの腕も、シークの剣も、オレが光魔ともっとうまく相対していれば、犠牲は避けられたはずだと思ってしまう。

 だから、謝った。

 謝るのもきっと、彼らに許してほしいという、自分勝手な気持ちからだ。

 

「……剣が無くなっても、お父さんは、わたしの中にいますから。お母さんも」

 

 だからいいんです、と、シークは微笑んだ。

 

 食事を終え、宿の二階へと上がる。

 いつものように、男部屋と女部屋に分かれるように自然と歩き、ユシドとシークはそれぞれの部屋の扉に手をかけた。

 

「なあ」

 

 別れる前に、声を出す。

 呼び止めてから、少し後悔する。さすがに、いい歳して、気持ち悪いよな。

 どうしよう。やっぱりなんでもないと言おうかな。

 3人と目を合わせず、床の木目を見つめる。次にオレが出した声は、消えそうなくらい小さなものだった。

 

「今日は、みんなで一緒の部屋で眠りたい。……ダメかな」

 

 小娘のような、甘えた言い方。それを自分が言った事実に、耳が熱くなる。むしろ聞こえていませんようにと思いながら、顔を上げる。

 オレは一度みんなの顔を見て……また、床に目を落とした。

 

 

 

 

 旅立ちの日。

 ヤエヤ王国に隣接する、魔人族の住む領土。そこへの入り口である国土の境界線、南の関所。

 そこでは、イフナが兵士の格好をして立っている。実はここの門番が本職なのだそうだ。なるほど、強力な魔物が侵入してくる入り口となるのがこの場所だ。王国兵でも指折りの手練れが配置されるのは、正しい人事な気もする。

 

 そんな、盛大に記念すべき旅立ちの日だが。今ここにいるのは、ほんの数人だけだ。

 そして……ティーダとシークは、ここにはいない。彼らは、まだ王都に残っている。

 オレ達はこれから少しの間、ふたつに分かれて行動する。大事な話し合いで決めたことだ。

 ティーダとシークはまだ、王都に用事が残っている。それが済むにはひと月かふた月ほどかかるらしい。それなら、王都からそう遠くない魔人族の居場所になら、オレ達二人は先に入ってしまってもいいだろう、と提案した。

 大変な目に遭ったいま、せっかく集まった勇者を分断するのは愚かかもしれないけど……王都には、頼れる戦士たちが何人もいる。そして、これから行くあの()には、それ以上に、頼れる、信じられる仲間が、待っているはずだ。

 だから、大丈夫。きっと大丈夫だ。

 それに。

 ユシドが、一緒にいてくれるから。

 

「きっともう一度来てくれ、と言いたいが……君たちには、大きな負担をかけてしまったね。本当にすまない。いや、ありがとう」

 

 イフナはきっと明るく送り出したいのだろうが、なんとも困ったような顔でオレに視線を向けている。事件の詳細を知っているからだろう。気遣い屋だ。

 だから、こっちの方から、ちゃんとあいさつしてやらないと。

 ……そうさ。彼の気にしている通り、オレはこの街で長く過ごして、……長く過ごしたから、悲しい記憶が刻まれた。

 でも。温かい記憶も、たくさんある。

 

「イフナ殿。……ここは良い街でした。いつかもう一度、仲間たちと共に立ち寄ります」

「……ありがとう」

 

 握手を交わす。剣技を教えてもらったユシドはとくに、彼との別れを惜しんだ。

 

「さて……」

「ん? なんか聞こえない?」

「はあ?」

 

 ユシドの言葉を聞き、耳を澄ませる。

 遠くから、なんか音がする。人の声、かな。

 

「……ぁぁぁぁああああああ!!!」

「うわっ」

「こわい」

 

 遠くの丘に、人影がひとつ。それは土煙をあげながら、凄まじい速度で近づいてきた。

 誰なのかがわかって、苦笑する。青い学生服を着た、金髪の少女だった。

 チユラは、王都からわざわざひとりで走ってきたらしいこの危ないお姫様は、オレ達の前までやってくると、やや息を切らしながらこちらをにらんだ。

 

「………」

 

 何も言わない。彼女には、一応別れの挨拶はした。まさか王女がこんなところまで見送りに来るわけはないと思って、出発の時間はとくに伝えはしなかったのだが。

 彼女の方は、見送りたかったらしい。ここまでやってきたのはそういうことだろう。その気持ちが、嬉しかった。

 

「ん!!」

「うお」

「わっ……」

 

 チユラはオレ達を並べ、まとめて両手で肩を抱き寄せてきた。

 か……怪力!! 肩がみしみしと言っている。というか首も。抗議しようと思って近くにあった顔を見ると、彼女は目尻に少しの光るものを溜めて、楽しそうに笑っていた。

 だからあんまり、長々と言葉を交わすことはしなかった。代わりにしばらく、こうしていた。首が痛い。

 そうしてオレたちは、友人と、ここでの最後の時間を過ごした。

 

「きっと、また!!」

 

 大きく手を振るチユラ、イフナを振り返り、手で合図をする。

 大事な縁を記憶に刻み、オレ達はまた先へ進む。

 

 この先は、魔人族たちが治める領域だ。魔物たちは強いし、ユシドにとっては、交流のない未知の文化を持つ人々が住む土地。

 また、何か、大変なことも起きるかもしれない。けれど今度はきっと、最良の結果を手繰り寄せる。

 ……闇の勇者。懐かしいあいつ。今のオレを見たら、どう思うかな。変わらないようにつとめているつもりだけど、短いようで長い時間は、オレを知らぬ間に変えているだろう。彼女は、シマドではないオレを、受け入れてくれるだろうか。

 

 

 関所の門をくぐり抜け、ユシドとふたり、新たな地へと踏み出す。

 ………。

 もしも……

 あり得ないことだけれど、もしも。

 もしも、あの子がいまここに、一緒に歩いていたのなら。広い星の、知らない場所を見に、共に旅に出たのなら。

 どんな顔をして、どんなことを言うのかな、と。

 そう思ったりした。

 

「!」

 

 耳のそばを風が撫で、誰かが自分の横を駆け抜けた気がして、顔を上げる。

 ……見たことのない場所に足を踏み入れ、見せたことのないはしゃいだ笑顔で、こっちに手を振る銀の髪。

 そんな光景の、幻を見た。

 



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《外伝》サバサバ積極的系巨乳TS転生王女様 vs 振り回され従者くん vs たまたまそこを通りがかった光魔マ・コハ

 退屈だ。

 

 どこぞの時代錯誤な国の王女の一人に生まれ変わってから、5年ほどが経過した。その時間は、正直、あまり面白みのない日々であった。

 ファンタジーの世界のお姫様なんて、幼い少女なら誰もがあこがれる立場なのかもしれないが、あいにく僕は自分が男だったと記憶している。日本という国で、毎日生きるために労働していたくたびれた男だ。

 それが今は鏡を見れば、日本人離れした人形のような顔立ちと、陽射しを受けて輝く金髪に宝石のようなブルーのひとみ。社会的な立場は、お城の中で優雅に暮らす王女様。これがいまわの際に見ている夢でないとすれば、最高に勝ち組の人生を手に入れたと言ってもいいかもしれない。

 だが、退屈だった。

 元居たところより文明が発展途上である世界で、このような贅沢な悩みが出来ることに感謝はしているが、退屈なものは退屈だ。

 ネットワーク技術もない。インフラストラクチャも未発達。娯楽の種類は僕の元いた世界に大きく劣る。

 毎日家庭教師に淑女教育を受け、父親は国王、兄も姉もお勉強のことしか頭にない筋金入りの王族。

 それと、思ったよりちやほやされないし、波乱がない。聞き分けのいい子だと思われていて、あまり構われないのだ。

 まあそれは別に良い。純粋な子供のふりをするのは疲れる。

 一番つまらんのは、手足が短くて身長が低く、できることが少ないこと。例えば、図書室の本を読もうにも、ひとりでは手が届かない。それとなにをしようにも常に大人の目が光っている。当然の環境なのだろうが、行動が制限されるのにはストレスを感じる。

 そういうわけで、今の自分の楽しみといえば、少し歳下の妹である、言葉もまだ流暢に話せないチユラと遊ぶことくらいしかないのだった。

 

 僕の新しい身体の名前は、パリシャ・ユイマール・ヤエヤという。

 早く時間が経って、行動範囲が広がるのを願うばかりだ。

 

 

 

 

 いよいよ家庭教師が“魔法”なるものを教えてくれる段階になった。元の世界にはなかった学問であり、これには大いに興味を刺激された。

 では、今日までに学んだことを復習してみよう。

 

 この世界には魔力というエネルギーが存在している。その源は、ただよう空気であったり、流れる水であったり、我々の立つ大地であったり、自然界の様々なところから発生しているという。また、人間と魔物を含めた生物の体内にも、魔力を生成する器官が備わっている。

 魔力は、それが引き起こす事象によって6つの属性に大別される。火、水、風、雷、地、光だ。これらは本物の火や水に限りなく近いものとなって、我々の目に映り、現実の世界に働きかける。

 また、闇という属性も存在するらしいが、非常に限られた人間にしか発現しないものであり、現代においては研究が進んでいないのだそうだ。

 

 以上のようなエネルギーを我々は、街の灯りや水源の浄化、土木建築など、日常生活の様々な場面に利用しているという。

 ……その割には、文明の発達が遅れている。

 というのも、どうやら魔力というものは、この世界のみんながみんな操れる力だというわけではない。

 魔力の多寡、そして属性は個人によって異なる。そして、生活の発展に寄与できるような知性と技術、魔力を兼ね備えた人間は、そう育たないらしい。

 また、仮にそういう人間がいたとしても、どうも魔法の才能をほかのことに使っているようだ。

 ここが重要だ。この不思議なエネルギーを、彼らは何に活用しているのか?

 ……『戦闘』だ。すなわち、街の外をうろついている、人類の敵対存在――魔物の討伐である。

 

 魔導師と呼ばれる彼らは、魔法術という、魔物との戦闘を想定した魔法技術によって、ちまたにあるギルドとかいう魔物退治稼業や、王国軍といった場所で、戦士の一人として活躍しているらしい。たしかにうちの城でも、鎧騎士だけでなく、童話の魔法使いのような、杖を携えた軍人をみかけることがある。

 魔物。元いた世界にはいなかった彼らの存在が、この異世界の人類の発展を遅らせている原因の一つだとみていいだろう。このようなエネルギーが、魔物との生存圏争いや国家間戦争などばかりに使われるなど、宝の持ち腐れというもの。厄介なことだ。

 

 さて。

 魔力は個人によって、体内に生成しうる絶対量と、何より属性が異なる。たいていの人が魔法術として発揮できる属性は、1つか2つ程度。魔導師として身を立てるにしても、最も自分に適した1属性を学ぶのが一般的だという。

 教師は、僕の幼い身体に眠る魔力を測定してくれた。僕が特殊な紙片を口に含み、吐き出した唾液まみれのそれを、何かの液体に浸す。すると、このとき紙片の見せた反応で、属性とその強弱を判別することができるという。

 僕の力は、雷と水と光だった。雷、水はさほどでもないが、光の魔力の量が数十年にひとりの逸材なのだという。

 あまりおもしろくない。雷か火がメインである方が、できることがわかりやすくてよかったな。光、闇、地あたりがいまいちピンと来ない。どんなことができるのか曖昧だ。……例えば、太陽光のパワーやあたたかさなんかを考えると、“当たり”の属性なのかもしれないが。

 聞くところによると、このヤエヤ国の王族たちには、強い光の魔力を持って生まれる人間が多いのだという。父上も、若いころは術師として軍事に参戦していたのだとか。今の温厚さからは想像できない、武闘派な来歴だ。

 そういうわけで、代々の王族教育のデータを参考にして、光の魔法術を伸ばす授業をしてくれるらしい。しばらくはそれで楽しませてもらおう。

 

 ふと、なぜ王族に光属性が多いのか、教師に聞いてみた。

 彼女はこう答えた。初代ヤエヤ王が“光の勇者”であり、その力を絶やさぬよう、これまで大切に血筋を受け継いできたのだと。

 勇者?

 勇者とは、なんだ。

 

 

 

 

 背も少し伸びてきて、暇さえあれば図書室にこもっていた日々の中で、わかったことがいろいろとある。

 

 この世界には、勇者と呼ばれる存在が、一つの時代に最大7人まで出現する。

 彼らは、魔物の脅威から人々を守るために、“星”によって選ばれた、人類最高の魔力を持つ7人だ。7人というのはこの世に存在する魔力属性と同じ数字であり、つまりは、火の勇者だったり水の勇者だったりが存在するという。

 例えば火の勇者には、その時代に生きる人間の中で最高級の火の魔力を有しているものが選抜され、身体のどこかに剣の形をした紋章が現れる。

 そしてそれを持つものは、勇者として旅に出て、人々を脅威から救わねばならない。

 具体的な役割としては……、彼らが最終目的地である“聖地”で“儀式”を行うと、魔物たちの脅威は薄れ、儀式に使用した魔力が生きている間は平和な世界が訪れるという。この世界に生きる人々は、しばしの休息を得るのだ。

 

 ……正直、曖昧で真偽のわからない言い伝えだと言わざるを得ない。魔物も人間もこの世界で生きる者に違いはあるまいに、“星”とやらが人間だけに肩入れするものだろうか。どこかキナ臭い。

 剣の紋章が体のどこかに出現するというオカルティックな現象も、いかなる魔法技術によるものなのか、仕組みがわからなくてスッキリしない。魔法はびこるファンタジーの世界だからといって、必ず理屈があるはずだ。

 できることならこの勇者の伝承の、具体的な部分を解明してみたい。

 

 ひとつ想像できるのは、これは人間が作ったシステムなんじゃないかということだ。文明発展に邪魔な魔物たちをけん制するための、魔法的儀式。そんなことをして得をするのは当然、人類しかいない。つまり少なくとも、“星”によって勇者たちが選抜されるんだという記述は、怪しいということだ。

 

 僕の考えでは、このシステムは、“古代人”の生み出したものではないかと思う。

 考古学の書物によると、この世界の古代人は、現在の世界より発展した文明を有していたのだという。(それがどのようなものかはわからないが、“機械”というワードを見つけたときは驚いた。魔法とは縁遠そうな単語だ)

 しかしそれらは滅び去り、現代を生きる我々の時代には恩恵はあまり残っていない。遺跡から用途不明のオーパーツが発見されるのみだ。

 つまり。古代人たちは、機械を生み出すような科学と、ファンタジーな魔法学を組み合わせた、未知のオカルト技術を持っていた可能性がある。そのひとつが、勇者の役割を果たせる者を選別する、何らかのシステムなのではないだろうか……。

 

 とまあ、なぜこんなに興奮気味に考察などしていたのかというと。

 それはもう、興味があったわけだ。僕だって子供の頃はテレビゲームなどして、画面の中で魔王と戦う勇者にあこがれたりもした。それがこの世界では、本当に存在したし、今もどこかにいるのだという。

 ならば自分も。勇者にはどうしたらなれるのか、などと幼心に火をつけ、一通り調べてみたわけだ。

 結果として、僕の体には剣の紋章などなく、落胆することになったわけだが。

 ああ、窮屈な城を飛び出して、世直しの旅などしてみたかった。旅の最後には胡散臭い儀式の裏にある真実にぶちあたって、そんなバカな~とドラマチックに嘆いたりしてみたかった。

 ……ま、お姫様ってのは、魔王にさらわれて勇者に助けられるっていう、ヒロインの役回りな気もする。あと、裕福な暮らしのできる立場に生まれただけでもすさまじい幸運なのだし、それに加えてあこがれの勇者にまでなりたいというのは、欲しすぎなのかもしれない。

 

 けれど、叶うなら会ってみたいな。

 ゲームの中の物語に出てくるような、勇気のヒーローたちに。

 

 

 

 

 生まれ変わって12年ほど。

 身体が大人に近づくにつれて、護身術など身につけさせられるようになった。

 魔法術などという武器要らずの異能があり得るこの世界では、悪人が大きな武力を持つこともあるだろうし、何より魔物の脅威がある。王族もこうして自分の身を守る手段を持つのは大事だろう。僕も無用なトラブルには遭いたくないので、そこそこ真面目に取り組んだ。

 しかし……やらされているのは、剣術である。

 剣。ファンタジーの世界では主流かもしれないが、実際に握って敵対者と対峙するとなると、どうにも心もとない。リーチが短いのだ。槍の方が良いと思う。

 だが、ヤエヤ王国に伝わる伝統の剣術があるとかで、父上や家庭教師たちも大層この剣という武器を気に入っている。というか他の武器を教えてくれない。ゆえに仕方なく、これを学んできた。

 

 さて。

 近々、王宮内で開催される、少年少女剣術大会がある。兄上や姉上、貴族連中の息子どもなんぞが参戦するらしい。次代を担う若者がしのぎを削るのを大人が見て楽しむ、お遊びイベントだ。

 この細い剣で、教師以外の人間相手につつきあうのは初めてになる。他の子どものスペックと言うのは、一体どの程度だろう。散々剣を貶してきたが、自分がどれほどやれるのかは気になるのが男心だ。

 せっかくのこれほど恵まれた人生だ。……頂点を目指す、というのも、面白いかもしれないな。

 

 

「だああっ!!」

「………」

 

 少年の大ぶりの一振りをうまくかわし、隙をついてその武器を弾き飛ばす。そのまま身体を足蹴にして地面に叩きつけ、首に刃を突き付けた。

 少年の顔が、しばし呆けたのち、悔しさにゆがむ。舞台を取り囲んでいた大人たちから、まばらな拍手が届いた。

 

「こんなものか」

「!! っ……」

「っと、ごめんなさい。あなたを悪く言ったのではありませんわ。さあ、手を」

 

 作り笑いを顔に貼り付け、少年に手を差しだす。彼はそれを取ることなく、僕に背を向け、その場を去っていく。

 最後に、少し振り返って、肩越しの視線をこちらに向けていたのを見た。強い感情がこもっているように思えて、印象に残った。

 

「パリシャ、驚いたぞ。座学に傾倒していたお前が、アンダーギア軍団長の子息に剣で勝つとは」

「お父様。……おほめに預かり、光栄ですわ」

「次の試合も応援しているからな!」

 

 汗を拭いていたところに、父が興奮ぎみに話しかけてくる。こういう言動はまったく普通の父親で、王様らしくない。周囲からはそういうところが人気らしいが……。

 しかしさっきの、王国軍トップの息子だったのか。アンダーギア軍団長と言えば筋骨隆々の恐ろしい親父で、この家長からして武力に重きを置く家柄なのは間違いない。

 こんな色白の女子、しかも守られるべきお姫様に剣で負けたとあっては、彼もそれはそれは悔しいかもしれないな。

 しかし、こちらの鍛錬もそれなりの努力であったということだ。

 この調子で、どこまでいけるか試してみよう。チユラも大声で応援してくれていることだし。

 

 

 長い戦いの果てに、こちらの剣が大きく弾かれ、ついに手元から離れてしまう。

 僕は反射的に光の魔力を腕に込めようとして……試合の趣旨を思い出し、腕を押さえつけて、無様に膝をついた。

 

「ちッ……」

「良い戦いだった、パリシャ! 君が俺と同じ歳なら、俺は負けていたに違いない。兄として、君の技の冴えを誇りに思う!」

「……光栄です、兄様」

 

 屈辱に歪む表情を、顔を伏せている間に取り繕い、立ち上がる。

 兄である第一王子と固い握手を交わし、舞台を後にする。結果として、僕はたかだか4番手の順位で、このちびっこ剣術大会の成績を止めることとなった。

 

 言い訳をしよう。ファンタジー世界の剣術など、やはり肌に合わない。

 前から疑問だったのだが、どうやって剣一本で「敵の攻撃を弾き、防ぐ」なんてことができる? 常識的に考えて、反射神経がとても追いつかないと思うのだ。あと、攻撃を受け止める構造をしていない。

 だから、必ず先攻に出て素早く勝負を決めていたのだが……剣才のある人間が相手となると、通用しないらしい。兄は目をかっぴらいて僕の動きを見つめ、漫画のように剣をぶつかり合わせてきた。そうなればいずれこちらが守る側に回ることになり、最終的には、こうなってしまうわけだ。

 もしも僕が剣の腕をさらに磨くのならば、反射神経だか何かを鍛えねばならないだろう。そのときこそ僕もファンタジー剣士の仲間入りを果たせるわけだが、さて、できるかどうか。

 いずれにせよ、兄にはまだ勝てそうにない。剣の腕にしろ治世の能力にしろ、トップを目指すならば、彼が一番の競い相手となることだろう。

 

 

 そして、その兄もまた、彼と同じくらいの年頃の女の子に敗北していた。

 優勝した少女は、ハイムル・サザンクロスという名だ。貴族らしからぬ清貧な身だしなみだったが、聞くところによると、父が懇意にしている剣術家先生の娘らしい。

 あれこそがファンタジーだ、と思った。日本刀らしき武器を使っていたのはわかるが、その技が目で捉えられないのだ。

 たかだか10代の前半でこれとか、どんな鬼の家なのだろう。天才だったとしても相応の鍛錬が必要に違いないし、修行の様子を想像するだけで怖い。

 

 

 大会の後は、参加者の少年少女を労う名目の立食パーティーだ。しかしこれも貴族王族による繋がりづくりイベントの一環であり、当の子どもたちをよそに、大人たちはそれぞれの会話に夢中である。これが彼らの仕事のようなものだ、文句は言うまい。

 そうなると手の空いた子どもたちは、各々が各々の感性で友達づくりに走ることになる。こういうとき、いつも僕はさっさと部屋に戻って本など読んでいたが、今日はちゃんと出席しておいた。

 無暗にひらひらしたドレスを着て、チユラと手を繋ぎ、会場を練り歩く。そして、目的の少女を発見した。

 黒髪黒瞳が目立つ少女。ハイムルだ。優勝者だというのに誰かにねぎらわれることもなく、ひとりでぼうっとしている。そんな彼女に、僕は声をかけた。

 

 興味があったので、いろいろと質問をしたり、剣技を間近で見せてもらううちに、多少仲良くなれたかなと思う。懇親会がお開きになるころには、人見知りのチユラもハイムルに懐いていた。彼女も、表情に乏しい少女のようだが、最後には微笑んでいるように見えた。

 

 この縁は後になり、超人的な剣の実力を買われたハイムルは、チユラ付きの騎士に任命されることになる。

 本人は騎士という肩書が気に入らないのか、いつもメイド服を着てチユラの従者ぶっている。

 

 

 

 

 10代の半ばになり、教育を受ける場も、城の中から王立学園へと移った。

 しかしどうも、この王立学園の中での生活が将来にえらく響くらしく、人間関係での腹芸や成績には気を遣っている。おかげで周囲からの評判は上々で、兄に次ぐ王候補のひとりに挙がっているという噂もある。

 手足や身長は伸び、図書室の本は自力で取れるようになり、身体もずいぶんと動かせるようになった。魔法術も鍛えているし、同世代でも僕ほど能力のある人間はそういないだろう。そう思える自信を手にした。というかこの身体はやはり多方面に才覚があるらしく、努力が結果になるので、自分を高めることが楽しい。第二の人生は今のところ、充実していると言っていいだろう。

 

 学業を終えて王宮へ戻ると、王である父が声をかけてくる。

 それを耳にした僕は、内心、舌打ちをした。彼が出す話題はここのところ毎日、同じ内容である。

 

「そろそろ従者をつけてくれないか? 私はお前が心配でならん」

 

 これである。チユラに対するハイムルのように、僕に常についてくる人間を選べというのだ。今はおられないが、母も目が合うと同じことを言ってくる。

 嫌に決まっている。

 

「お父様。わたくしに護衛となる従者や騎士など必要ありません。それに、一人でいる時間が好きなのです」

「そうは言っても、城の外に出ればお前を見守る目は減ってしまう。平和な我らの都であるが、どこに危険が潜んでいるとも限らない。自分の立場について、もっと自覚を持ちなさい」

「………」

 

 ……そろそろ、年貢の納め時だろうか。

 仕方あるまい。父の言う通り、王族がほんの一瞬でもひとりで外をうろつくことは、よろしくないだろう。他国の密偵、町民に紛れた盗賊、ふいに起こりうるかもしれない魔物の襲撃。考えられるトラブルはいろいろとある。

 僕は護身のすべを十分身に着けたつもりだが、盾役になる輩のひとりくらいは、たしかにいた方が良いかもしれない。

 

「そこまで言うのなら、わかりました」

 

 父が顔を明るくさせる。彼の頭の中では、どんな人間を娘のガードマンにするのかいろいろとリストアップしていることだろう。

 しかし……自分の従者は、自分で決める。当然だ。賃金も、僕が個人的に投資などで稼いだ金から出す。本当に信頼できる従者をつけるのなら、雇い主は王ではなく、この僕であるべきだ。

 つまり、やるべきことは……

 

「面接をします」

「ん……んん?」

「そう、例えば……護衛が護衛対象より弱い、などということがあれば、お話にならないとは思いませんか?」

「つ、つまり?」

「わたくしの目に適う戦士は、わたくしが選別いたします。近々、護衛として働きたい人間をつのり、集まった者たちを対象に採用試験を開きますが、お父様はこれに口出しすることのないよう。それが従者をつける条件です」

「ええ~」

 

 なんで残念そうなんだ。どうやらやはり、娘の騎士となる人間を勝手に見繕っていたようだ。冗談ではない。

 というわけで。

 募集要項をひっそりと、有望そうな界隈にだけ広め、国の休養日に、試験を開催することにしたのだった。

 

 そして、その日がきた。

 浅慮を反省しよう。この状況は、想定していなかった。

 王城の門を跨いではみ出すほどの、想定の数十倍の人数が並ぶ行列を部屋の窓から眺め、ため息をつく。そう大々的にお触れを出したりなどしていないのに、一体どこから情報を聞きつけてきたのか。

 こうなれば、受験者の足切りを手すきの兵たちにでも頼むしかないか。人に迷惑をかけたくなかったのだが……。

 ちゃんと何人かスタッフを雇おう。もちろん、バイト代も支払うとして。

 

 城勤めの役人や兵たちに指示を出し、集合場所を定める立札を王宮の屋外庭園の一角に設け、列の整理を行う。

 募集要項が読めてないどころか、「姫様に会えると聞いて来た」みたいな者たちには、申し訳ないが引き取ってもらった。祭か何かだと思っている。

 そうして列を縮めていったのだが、まだ数えるのも面倒なほどの人数が残っている。……もう時間に余裕もない、試験を始めよう。

 予定を変更する。面接の前に、“一次試験”をする。

 

 僕は城内を移動し、門兵たちが立つための、城壁上部に姿を現した。眼下に並ぶ希望者たちを一度に見下ろせる高さだ。

 事前に外国から取り寄せた、拡声器の役割を果たすマジックアイテムに向かって、声を出す。

 

「「お集まりいただいた皆様、ごきげんよう。パリシャ・ユイマール・ヤエヤと申します」」

 

 彼らの視線が集中し、ざわめきが起こる。表情を観察してみたところ、どうも護衛に必要のない下心を持っていそうな者が、男女ともに混在しているようだ。なるほど、こうまで人数が押し寄せた理由がわかったかもしれない。高給に惹かれたか、僕の美貌に近づきたいと考えたか……、高貴すぎるのも考えものだ。

 残念だが、彼らは僕の従者にはなれないだろう。僕の姿を視界に入れることで、そのように油断する人間が、この仕事を全うできるはずがない。

 油断をしてしまった彼らには……この、今しがた即興で考えた試験は、通過できない。

 

「「これより一次試験を行います。()()()()()()が一次通過となります。では」」

 

 懐からアンチョコを取り出し、しおりを挟んでいたページを開く。

 眼下の庭園内を見下ろし、攻撃対象の数を脳に入力。

 携えていた魔導杖を高く上げ、体内の魔力器官を稼働。メモしていた術式を頭の中に貼りつけ、展開し、実行に移す。

 人混みとアンチョコに視線を行き来させながら、トリガーに設定した呪文を口にしていく。

 

「『矢』、『矢』、『麻痺』、『多重』、『多重』、『多重』、『多重』!!」

 

 人数分の光の矢が、頭上に現れる。

 ひとつひとつに標的を設定。処理に時間がかかるため、彼らが準備をする隙は十分に与えた。

 ぎゅうぎゅうとひしめいていて身動きも取りづらいだろうが。あなたたちはこれを、凌げるかな?

 

「『射出』」

 

 斉射の命令を受け付けた魔法術が、雨のように庭園へと降り注いだ。

 大丈夫、怪我とかはしない。身体に突き立ったら、ビビビッと痺れるだけだ。護衛として適当な人間なら、この程度で膝を折ることはないだろう。

 阿鼻叫喚の醜態を晒す民衆たちを見下ろし、笑いそうになった口の端を引き締める。メモ帳と杖を仕舞う頃には、真っ直ぐに立っている人間はずいぶん減っていた。

 本当のことを言うともう少し減らしたかったのだが、まあいい。

 ここからなら、うまく予定通りに採用試験を進められそうだ。

 

 

 一次通過者を集め、王宮の講堂に移動させる。

 まだまだ参加者が多い。面接を行う前に、また口減らしを行う。二次試験だ。これは最初からやるつもりだった。

 内容は簡単。父に申し立てた通り、護衛対象よりはるかに弱い護衛など頼りにならない。すなわち……

 一対一の模擬戦で僕を満足させられたら、合格にする。

 

 試験の概要を説明したら、用意させていた訓練用の剣を握り、希望者たちの前に立つ。最初のひとりを眼前に招き、武器を手に取らせた。彼の得物はオーソドックスな片手剣のようだった。

 

「では、どこからでもかかってきなさい」

 

 と声をかけたものの、向こうも緊張しているのか、王女に刃を向けることに抵抗があるのか、なかなか来ない。

 仕方ない。くじ運と判断力に欠ける彼には、後に並ぶ希望者たちへの見せしめになってもらおう。

 地面を蹴り、静の世界から動の世界へと踏み込む。相手が正眼に構えていた剣に、こちらの剣をぶつけ、弾いた。ガードの崩れた敵の懐に飛び込み、魔力で強化した腕で腹を殴りつける。膝を折ってうずくまる姿勢になってしまった彼の背を乱暴に足蹴にし、地面に這いつくばらせた。

 傍目から見れば、将来有望そうな青年を踏みつける形になってしまったので、退いて体裁を整える。勝敗は決定した。

 弱々しく立ち上がる男に作り笑いを向け、なるべく優しい声で囁いた。

 

「これで試験は終了です。お疲れさまでした。……では、次の方」

 

 まだ両手で数えきれない程度の人数が残っている。この中に、何かぴんとくるものを持っている人材がいればいいのだが。

 

「……次!」

 

 槍の薙ぎ払いを受け止め、へし折り、男を蹴り飛ばす。

 

「次!」

 

 大盾での制圧を図る男の背後を取り、刃を首に突きつけた。

 

「次!」

 

 魔導師の女が放つ術を、すべて光の術で打ち破った。

 

「……次は?」

 

 そんなふうにやっているうちに、講堂に残る人間の姿はもう数えられるほどになっていた。

 僕の臨時の護衛たちとバイトスタッフ、そして……受験者が、ひとり。

 困ったな。十分に手加減したつもりだが、まさか全員に不採用を突き付けてしまうことになるとは。

 まあ、しかし、これで父も僕にケチをつけるのは難しくなるだろう。これからも、護衛のたぐいを付かせるのは外交のときくらいでいいし、王国軍兵士の中から適当な者を選べばよい。騎士など、僕には必要ないんだ。

 王族に生まれ、最高級の教育を受ける環境と鍛錬に費やす時間が多くあったことが、毎日を懸命に過ごしている一国民である彼らとの、実力差の正体だろう。そう思うと申し訳ないような気持ちもややある。環境と身体の才能にあぐらをかいているだけだし。いや、どうやら彼らの中にも、服飾から見て、貴族の家の者もいたようだが。

 

 最後の受験者が剣を構える。どうやら同じくらいの年齢……まだ学生くらいの少年だ。

 剣を握り締め、向かい合う。……汗をかいてしまった。湯浴みが待ち遠しい。

 ケガをさせないように、一気に制圧してやった方が良かろう。

 一人目の受験者にやったように、僕は地面を蹴り、少年に肉迫した。

 刃をふるい、その剣を叩き落としにかかる――。

 

「……!!」

「ぐ、ぐ……おおッ!」

 

 こちらからの攻撃をやり過ごされたのは、これが本日初めてのことだった。

 ふたつ、みっつ。鋼のぶつかり合う音がこだまする。数歩退いて体勢を整え、相手を見やる。丁寧にこちらの剣を耐え忍んだ彼は、警戒を解くことなく目をぎらつかせていた。

 

「……あなた、名前は?」

 

 ひとつ尋ねる。興奮した様子の少年の頭には、問いかけが届くまでやや時間がかかったようで、数秒の間をあけて、彼は答えた。

 

「サータ・アンダーギアと申します」

「アンダーギア? 軍団長のご子息ですか」

「ええ、まあ」

「ふむ……?」

 

 家のことを聞くと、少年は目線を泳がせ、礼儀もないぶっきらぼうな返事をした。

 あの目つき、どこかで見た気がしていたが……。

 過去の記憶を手繰り寄せる。髪の色や顔つき、扱う剣の種類……、アンダーギア家の者。

 

「――ああ、思い出した。たしか、ちびっこ剣術大会で」

 

 そう口にした瞬間、彼の瞳に火が付いた気がした。

 たしか数年前、このサータという少年は、僕に剣でこてんぱんに負けたのだ。その悔しそうな表情を思い出した。

 なるほど。従者の試験に来たはずなのに、こいつときたら……今は、リターンマッチのつもりでいるようだな。

 

「よろしい。どうか遠慮なく、あなたの力を示しなさい」

 

 今度は、向こうから攻め込んできた。

 大ぶりの剣技。のろまな敵ならば両断できるのだろうが、大したことのない一手だ。容易くかわし、隙を探す。

 ……おや。

 切り返しが早い。既にガード可能な姿勢に入っている。豪快な剣のようでいて、先の展開を考えた立ち回りを意識しているようだ。

 こちらから手を出してみる。少年にダメージは通ることなく、すべて見切り、対処された。それどころか調子に乗ってカウンターを入れようとしてくる。

 なるほど。……これは、守りの剣! 空想世界の技だとして僕が避けてきたそれを、こいつは学んでいる。家長であるアンダーギア軍団長に師事して得たものだろう。

 プロスポーツ選手級、いやそれ以上の反射神経や運動能力で剣を振るうことができるのは、彼らが剣と魔法の世界に生きる異世界人であるからこそだ。なかなかやる。

 とはいえ。

 今は、僕も、異世界人だ。

 全身に光の魔力を行きわたらせる。血管を、神経をイメージした空想の経路を、力の奔流が駆け巡っていく。

 空気が変わったことに気付いたのか、少年はさらに身を固くし、堅固の姿勢に入った。守りの剣。果たしてどれほどのものか、見せてもらおうか。

 

 

 何度目かの激しい剣戟に打たれ、しかし、少年はまだ立ち上がった。

 ふむ。やはりまだ発展途上だ。彼の技術はまだ、僕の魔力という天授の才をしのげるほどの高みには無い。剣の結界は未完成で、強化された剣速には追いつけていない。

 だが……

 大の大人でも立ち上がれなくなるほどの攻撃を入れたのだが、まだ膝を折らない。体力、身体の頑丈さに恵まれている。そして何より、目が負けを認めていない。こちらも呆れてしまうしつこさだ。

 どうやら、“しぶとさ”というひとつの才能が、少年にはある。

 

「あなた、なんのつもりなの?」

「……え?」

「目が、従者が主人に向けるものではない。何故ここに来たの?」

 

 そう、こいつ、僕とケンカをしに来たとしか思えない。

 志望動機を聞いておこう。そういえば、これは面接試験なのだから。

 

「そ、それは……」

「嘘は許さないわ」

「……ち、父上が……王女の従者を選抜する試験に、必ず参加しろと……」

 

 あーあ、本当に正直に言ったよ。バカなのかな?

 アンダーギア軍団長は王である父とも交流が深い。おそらく、父から彼に頼み、差し向けたものだろう。サータ少年は、父のピックアップしたガードマン候補のひとりだったわけだ。

 だが、本人には全然やる気がないようだ。

 

「この仕事について、何をしたい?」

「え、っと。それは、あ、お、王女様を、身命を賭してお護り致すべく」

「できるのかしら? 後ろからわたくしを斬ったりするのではなくて?」

「め、滅相もない」

 

 受け答えがつまらんな。

 僕は剣を再度構え、彼に斬りかかった。

 今度は全力に近い攻勢をかける。それに対処するうちに、少年の目にまた熱が宿っていくのを感じた。

 斬りつけながら、また同じことを聞く。お前の、本心を聞かせろ。バカな若さをこじらせてそうな、青い本心を。

 

「なぜここに来た! 従者になって、どうする! 望みは!!」

「お、俺は……あなたが俺以外に負けるのは、許さない!! あなたを倒すのは、この俺だッ!!」

 

 聞いた。

 気持ち悪っ。何言ってんだこいつ? あー、面白い。気に入った。今の言葉は一字一句覚えて、一生からかおう。

 

 体内に溜め込んだ魔力を爆発させるイメージで、身体強化の出力を引き上げる。

 剣を強く弾き、自分でも知覚が追いつかなくなりそうな速度で、少年の後ろにまわる。蹴り飛ばし、腕をつかみ、地面に押し倒し、身動きをとれないようにマウントをとり、締め上げた。

 肩が曲がらない方向に向かって、少年の腕をひねる。

 

「いっ……いたたたたた!?」

「ギブアップ?」

「しない!! 痛ーーっ!!??」

 

 涙目気味になりながら、いつか見たときのように、目を動かしてこちらを睨んでくる。

 

「ガッツがあるとこは気に入ったよ、サータくん」

「くそッ! なんだこの女! あれだけ修行したのに……っ!!」

「だが、雇い主への口の利き方がなってない。感情で動くガキめ」

 

 ぱっと腕を放し、ぜーぜーと呼吸を繰り返す少年を、馬乗りのまま見下ろす。

 

「明日から僕につけ。目つきから教育してやる」

 

 熱が冷めたのか、こちらを見上げて青い顔をしている少年を見て。僕は逆に、自分の身体が熱くなるのを感じた。

 

 

 

 

 十代の後半。

 色々と毎日に刺激があり、これまで以上に人生は充実している。

 身体は成長し、生まれ変わる前の自分の身長にほとんど追いついたのではないかと思う。

 しかし、身体が成長したことは歓迎しているのだが……、

 発育が良すぎた。胸が、やや大きすぎる。どう鍛錬しても何故かここが痩せない。ファンタジーだ。元男として、女性の魅惑的な体つきは良いものだと考えてはいるが、自分についているとなると残念ながら運動の邪魔だ。剣技の修練すら億劫で、近頃は魔法術に傾倒しているほどだ。

 無駄に視線も買ってしまう。例えば学園で交流のある若い生徒たちは、王族である僕に失礼のないよう、鋼の理性でリビドーを抑えつけながら接してくるのだが、まあ、そうしているのが見てわかるので、哀れに思えてきた。

 

 そして……、

 美しすぎるのも、良いことばかりではないらしい。

 

 生徒会室、という、教師と生徒の橋渡しとしてあくせく働く若者たちが集まる、校内に設けられた専用の一室。

 僕は用意させた紅茶を口に運ぶ。忙しい中にほんのひととき許された、優雅なティータイムだ。

 王立学園の生徒会の一員、中でも生徒会長となると、経歴に大きく箔が付くらしい。たかだか学生時代のことがそうまで将来に響くとは、これもファンタジー、フィクションならではだろうか。

 席を立ち、窓から校庭を見下ろし、嘆息する。

 最近になってひとつ、大きな悩みが浮上した。人生に関わる大事なものだ。

 

 結婚。

 王宮での自分の地位を押し上げるべく、めきめきと自分を磨いてきたのだが、磨きすぎた。交流のある他国の王が、ヤエヤにおける僕の評判を聞きつけ、跡取り王子との婚約を望んでいるそうだ。

 関係強化のための、ありがちな政略婚である。

 よその国で女王として活躍するのも良いルートかもしれないが、どうも気乗りがしなかった。どうやら僕は、自分で思っていたより、このヤエヤという国を気に入っていたのだ。

 

 家族は無理に他国に嫁ぐことはないと言っているが、どうしようか。

 断るような特別な理由がないのなら、この話に乗ることこそが王女に生まれた僕に課せられた仕事なのだろう。押し付けられた役割、ともいえるが。

 どうしようかな。コヤミ王国の第一王子は相当の人気者だと噂を聞く。相応の伴侶が求められているのだとか。光栄な話だが、やはりどうも……気乗りしない。

 僕だって元は男だし、イケてる王子さまに、求められる女性らしさを前面に出して媚びを売るなど、性に合わない。時代遅れだし。むしろお前が僕のところに嫁いでこいという感じだ。有能な男だというなら、僕がのし上がるのに協力してくれるだろう。

 

 結婚……結婚ねえ。

 王族として求められるのは治世の手腕だけではなく、後継ぎを産み育てることもそうだ。

 これがちょっとな。ろくに人となりも知らんやつとまぐわうとか、特に僕の男性の部分が悲鳴を上げている。出産もたいそうしんどいものだと聞くし、異世界の医療は僕のいた世界ほど信頼できるかというと不安だし……。

 

 子ども……子どもか。

 僕は自分の国民人気はそこそこあると考えているが、兄から王位をさらうには力が足りない。最近はチユラの人気も見逃せなくなってきた。この国でトップに立つことは、難しい。あちらの国の女王になるのがベストなのかもしれないが……

 ……子ども。次代のヤエヤ王となる子を産み育てる……そういう手も、あるな。

 やはり僕はこの国にいたい。飛び出して世界を旅したい欲はあるが、それとこの話は別。僕はヤエヤが好きだ。

 適当な伴侶を家族に紹介し、愛し合っているので嫁ぐことはできません、と訴えてみるか? 

 うまく演じれば、お人よしの彼らのことだ。父もうまく向こうの王様に断ってくれるだろう。大体、人気者の王子だというなら、もっとふさわしい女が現れるだろうさ。僕のような偽物女ではなく。

 うん、そうしよう。それがいい。

 やはり僕は最高に頭がいいのでは。女王の器。

 

 ……だが、しかし。

 相手。……いないなあ。学園の男子生徒達のデータは把握しているが、どれも王家に入れるのにふさわしいかと言うと。

 そもそも、仲良くないし。表面上優しく接してはいるが。

 うーん。

 

「……あの、パリシャ様? 先ほどから悲しそうにしたり、にやにやしたり、唸ったりしていますが。体調が優れませんか?」

「うん? ああ、いや」

 

 同じ生徒会室にずっといた、もうひとりの人間が話しかけてくる。

 パッと見精悍な印象で、実際体格がよく鉄のように頑丈だが、精神的に貧弱でアホなやつ。僕の騎士、サータ・アンダーギアだ。

 同い年ということで、学園内でも着替えのとき以外は常に斜め後ろを歩いている。

 僕が素の自分でいられるのは、こいつの前だけだ。猫を被ることは苦ではないのだが、やはり己の内面をさらけ出しても問題ない人間をひとり確保していると、人生がやりやすい。こいつは否定するだろうが、友人、と言ってもいいだろう。

 ……待てよ?

 サータの顔をじろじろと眺める。あのヒョロヒョロのガキだったこいつも、今は男性らしい精悍な見かけになった。生意気なことに、学園の女生徒からそこそこ人気であるらしい。僕にはただの唐変木にしか思えんが……。まあ、見栄えは良い方ではあるのか?

 

「な、なんですか。紅茶のお代わりですか?」

「サータ。貴様、軍団長の息子だったな。さらにたしか兄貴も次期団長候補の現役隊長で、お姉さんは僕も出資している魔導研究部の室長候補……妹は、三年生の学年主席だっけ? フフ、すごい家だな。もしかして、劣等感とか、ある?」

「さあ。……私の家が、何か?」

 

 うん。

 いいんじゃないかな? これで。

 

「よし、婚約しよう。家柄もいいし、見てくれも清潔で減点はなし。何より気心知れてる方がやりやすい。猫を被ったまま夫婦の営みなど、そのうち気が狂うからな」

「………は?」

「よしサータ。指輪でも買いに行くか。そしてご両親に挨拶しよう。スケジュールを組め」

 

 席を立っていそいそと下校の準備をしていると、しばらく凍り付いていたサータが、それなりの時間をかけてようやく再起動した。

 

「何してんの? 僕の荷物を持て。アクセサリ店に寄るぞ。お前は僕と結婚するんだ」

「は、はあ? 正気ですか?」

「正気だが。何、嫌なの?」

「嫌ですね。私は心から愛することのできる方と添い遂げるのが、夢ですので」

 

 バカっぽい夢だな。

 

「なに、恋人でもいるわけ?」

「いえ、いませんが」

「じゃあいいだろうが、僕以上の女がこの世にいるか?」

「愛のある家庭を築きたいんです! 人間味のある女性と!」

 

 生意気に口答えしやがるじゃないか。口で僕に勝てると思ってんのか?

 

「な~にが愛だよ。お前最近僕の胸ばかり見てるだろ、従者の分際で。ああ、別にいいんだぞそれは。だが男女の結びつきなんて性欲以外ないね、それを潔く認めたまえ。ほら、婚約するなら揉ませてやってもいいぞ? どうせそのうち触るんだから」

「いーやーだ!! 俺はおしとやかで清楚な人がいいんだ!!」

「だーかーら、わたくしに何の不満があるというの? 清楚の塊でしょ」

 

 じりじりとにじりよれば距離を取られ、狭い生徒会室でしょうもない攻防が繰り広げられる。

 クソだなこいつ。王女様の求婚を断るとは何様だお前は。手ずから教育してくれる。

 

 

 

 かたくなに婚姻を認めようとしないので、とりあえず今日のところは下校を決める。いつもより帰りが遅くなってしまったため、辺りはすっかり日も沈んでしまっていて、夜の暗さが訪れていた。

 やれやれ、どうしたものかな。あいつが首を縦に振らざるを得ないよう、追い詰める企てを組む必要があるか。

 ま、こいつは僕の手のひらの上から逃れられはしないのだ。誰が主人なのか、そのうち改めて教えてやるさ。それまでせいぜい優秀な遺伝子を鍛えておけ。

 

「………?」

 

 ふと、街の景色に、違和感を覚えた。

 まだ暗くなったばかりだというのに、人々の生活の音がしない。酒屋は賑わい、夜営業の商店もまだ元気に客引きをしているはずだが……。

 僕と、サータの足音しかしない。

 心臓の音や、喉が動く音が、やけに自分の中に響く気がする。

 緊張をおさえつけながら、家路を急ぐ。

 王立学園から王宮はそう遠くない。何も起きない。起きやしない。そう思いながらも、歩く足が速度を増していく。

 そして……

 

『見つけた』

 

 ぞくり、と。全身の毛が立つ感覚。

 いつのまにかすれ違っていた誰かが、僕の耳元でつぶやいていた。

 

「姫様ッ!」

 

 大きな背中が眼前に広がる。異音が聞こえ、彼が、何かから僕をかばったのだとわかった。

 

「平気か?」

「問題ありません」

 

 横に並び立つと、剣を構えたサータの腕に、わずかな切り傷がある。僕はすぐに患部に手を当て、傷の治癒を行った。

 その間、それに目を向ける。

 僕たちを攻撃した何者か。その姿は……ボロボロの白いローブを身に纏った、背の低い、少女だった。フードで顔が隠れているから、もしかすると少年かもしれない。

 

『その魔力。やっぱり、つよいひかり。見つかって、よかった』

 

 可愛らしい少女のものであるはずの声には、怪しい何かが宿っているように思える。

 ……深く被ったフードの下から、瞳が見えた。それは夜の闇の中で、うすぼんやりと金色に光っていた。

 サータがまた一歩前に出て、警戒を強める。僕もまた、体の中に眠る魔力を叩き起こした。

 

「貴様、何者だ。人間ではないな」

『………』

 

 問いただすも、答えは返ってこない。

 人間に擬態する、魔物? しかし魔物がどうやってこの王都に侵入するというんだ。

 疑問を解決する時間を、敵は与えてはくれない。少女の周囲に虚空から出現した光の槍が、僕たちを目がけて飛来する。

 サータが素早く腕を動かす。彼がこの程度の技に串刺しにされることなどない。僕の選んだ騎士だ。

 だが、この技。魔力の特徴。もしや光の魔法術……!?

 この属性を術として扱えるほど使いこなす魔物が存在するなど、僕の知る常識と違う。王都を守る破邪結界を乗り越えることができたのは、このためか。

 

「サータ、僕も戦う。前衛をつとめろ」

 

 一番慣れたやり方で、光の魔物と対峙する。王都を脅かす者は、この僕が許さない。

 

 

 

 時間が経った。

 夜が深くなるほどの時間が。

 

「サータ……!!」

 

 僕を守り立ちはだかる男には、何本もの光の矢が突き刺さっている。白銀の槍に利き手を貫かれ、今すぐに治療してやる必要がある。

 強い。人間の魔導師には想像もできない、不可思議な魔法術を使ってくる。まずい、貫かれた足を治癒して、サータの元に行かなければ。

 だが、怪我を負った上に、両手足が拘束されている。同じ光使いのはずなのに、それらは未知の術式で構成されていて、解析ができない。解除ができない……!

 

『もういい? 疲れたわ。はやく、あなたの魔力をもらわないと』

「ち……ッ!!」

 

 ゆっくりと、力の入らない弱々しい様子で歩き、僕へと迫る白い少女。しかしそんな見かけの様子に反して、尋常でない使い手であることを、もう思い知らされた。

 こちらに伸びてくる細い手は、ただの少女のものであるはずなのに。ひどく、恐ろしいものに見えた。

 

「やらせ、ねえッ……!!」

 

 それから、守ってくれる人がいる。動けない身体を無理に動かして、彼は僕を背中に庇う。

 サータは動く方の腕で剣を振り回し、少女を退けた。僕の方を向き、刃で足の拘束を、なんとか破壊することに成功した。

 

「姫様、お逃げください」

 

 お前を残しては、行けない。

 そんな言葉が喉まで来た。だが、サータの言うことこそが正しい、僕は身体を治し、走って助けを呼びに行くべきだ。

 

『逃げられないわ。ニンゲン除けの結界でここを囲んだもの』

 

 ……!

 どうりで、粘っても粘っても、誰も助けが来ないわけだ。こんな王都のど真ん中で戦っているのに。

 ははは。魔物除けの結界があるのだから、人間除けがあってもおかしくはない。

 笑いが漏れる。

 いいさ、彼をおいていくなんて、性に合わないことをしなくて済んだ。

 足を引きずって、痛みと絶望にうずくまるサータのそばに行く。

 ――視界を埋めつくすほどの数の、光の矢を見て。僕は彼の手を取り、強く握った。

 

 

 光の槍で四肢を地面に縫い付けられ、寝転がりながら少女の声を聞く。

 

『はあ、はあ。魔力を、もらわないと』

 

 苦しみにあえぐような声。どうやらこの魔物は、魔力を求めているらしい。扱う属性からして、この僕の身体を欲しているのだろう。

 

『こっちは、いらない……』

 

 僕をかばって全身に矢を受け、虫の息で横に転がるサータに、少女がとどめとなるだろう光の刃を向けた。

 それを見て、急激に収縮する心臓に脳みそが叩き起こされ、僕は声をあげる。

 

「待て」

 

 少女の刃が止まり、視線をこちらに感じた。

 落ち着け、落ち着け。言葉が通じる。相手をうまく説き伏せろ。

 

「殺す必要はないだろう。君は、僕の魔力が欲しいんだろ? あげるよ。だから、そいつはほっておけ」

『……顔を知っているヒトは、じゃま』

 

 ……どういう意味だ。

 正体を知られないようにしている。人間への擬態を続けるつもり? もしや、この街で、人間に化けて潜むつもりなのか。

 

「まあ待て。君の目的はなんだ。これからこの街で何をする?」

『……魔力を、回復する。魔力がないと、誰もいうことを聞いてくれない』

「僕や国民たちを食い殺して回るのか?」

『……どこかに、あなたを眠らせて、力を、貰い続ける。動けるようになったら、他のヒトを、眠らせて、つれてくる』

 

 やはり国民たちに手を出すつもりか……!

 そんなことになれば、人々が。……同じように光の魔力を持つ、僕の家族が。チユラが。

 どうする、どうする。こいつを食い止めるルートが見えない。

 

『もう、いいでしょ。殺すわ』

「待てッ!!!」

 

 すべての思考が吹っ飛んで、大声を出した。

 いい、わかった、僕はどうなってもいい。

 

「そいつに手を下せば、僕は舌を噛み千切って自害する。君がこの戦いで消費した魔力は、回復させない」

『………』

「そ、それがいやなら。殺すな」

 

 少女は……静かに、その手から刃を消し去った。

 心底ほっとする、とはこのことだ。だがまだ何も終わっていない。

 少女が緩慢な動きで、こちらを覗き込んでくる。フードの下に隠された素顔が、見えた。

 銀色の髪に、金色の瞳を持つ、幻想的な容貌の少女だった。人間の外見をしているのに、人間らしい感情の宿っていない奇妙な瞳は、不思議そうに、僕の顔とサータの顔を、交互に眺めている。

 

『どうしてあなたは、このひとを守ろうとするの? どうしてこのひとは、あなたを守ろうとするの?』

 

 それは、どうやら彼女には、言葉の通じるはずのこの生き物には、まったくわからないことのようだった。

 どうして、か。サータの方はそれが仕事。僕も国民を守るのが仕事だ。

 ……いや、まあ、うん。正直、こっちはそんなのが理由じゃない。

 

「こいつは僕の、最も親しい友だ。友達だ。だから死んでほしくないのは、当たり前のことだ」

『……トモダチ?』

 

 首をかしげる。仕草だけなら、普通の人間のようだ。

 

『トモダチ、って、“お友達”のこと? お友達、って、死んでほしくないものなの? そんなふうに、かばい合ったりするの?』

「何かおかしいかい? 人間の常識では、大体そうだよ」

『………』

 

 少女は沈黙する。何を考えているのかは、わからない。

 僕ももう、打開策を考えるのはめんどうになった。というかおそろしいことに、この少女がどこか無垢な存在にも思えてきた。

 動けないし頭も働かないので、思ったことを、好き放題口にしてみる。

 

「きみ、隠れ家とか欲しい? 向こうにある王立学園っていうところの地下に、大昔の空き部屋があるんだ。今は誰も使ってない。人を攫うなら、そこを使えばいいよ」

『……いいの?』

「だめだよ」

『意味が分からない』

 

 だよな。余分なことまでいっちゃった。どうしよ。

 交換条件を提示したいんだよ。相手にもメリットがあるようなこと言わないと、って思ったんだけど。

 

「わかった、わかった。魔力をあげるから、その代わり。……僕以外の誰も、殺さないでほしい。満足したら、みんなを解放してほしいんだ。あとさ、そこに転がってるやつを治療させてくれ。……あ、そうだ。妹のチユラにも手を出さないでくれ」

『そんなにたくさん、覚えられない』

 

 かすれた声で少女が言う。イラついた声色……でも、ない気がする。静かなトーンだ。

 

『それに、そんなヤクソク、守る必要ないわ。ニンゲンは滅ぼさないといけないの』

「そう。じゃあ今、こいつと一緒に僕も死ぬよ」

 

 真上に広がる夜空を見る。異世界の空、地球とあまり変わらない。むしろ空気が澄んでいて、もっときれいだ。

 んーいいね。狙っている異性と地面に転がり、天体観測。ロマンチックである。

 

 そんなバカなことを考えていると。

 視界の端で、白銀の光が輝いているのがわかった。

 顔を動かしてみる。少女の身体から魔力が漏れ……サータの傷が、治っていく。

 そして彼女の手が僕の顔にかざされる。途端に、つよい眠気が、おそってきた。

 なんとか、言葉をつないでみる。

 

「治して、くれたの? ありがとう」

『あなたが、いちいちうるさいから』

「そう。きみは、いちいち真面目だな」

 

 返事はない。

 これからどうなるのかな。もう、目覚めることはないのだろうか。

 それはつまらない。やっと、面白くなってきたところだったのに。

 

 最後に、横で眠るやつの顔を目に収める。僕なんかについたばっかりに、こんな目に遭わせて、悪かったな。

 

 いつの間にか、僕を地面に縫い付ける光の槍は消えていて、手が動いた。その手でサータに触れる。

 

 でも……。

 君が、まだ、僕の騎士でいてくれるのなら。

 願わくば、また。何気ない時間を君と過ごしたいのだと、思う。

 

 願いを内に抱きながら、舞台の幕が落ちていく。

 落ちきる最後まで、この世界でただひとり友人と呼べる彼の姿を、見つめ続けた。

 



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二つの魔王城 / 真夜中に見える影
48. 魔人族の国


 またいつものように、森中でやや開けた土地を見繕い、野営の準備を設える。

 旅の中で、ここで泊まろう、と発言するのは、大体は僕かミーファで、思い返せば二人とも森のロケーションが好みなのかもしれない。なぜだろう。子どものころによく遊んだミーファの家の敷地が、こんなふうに緑に囲まれた場所だったから、とか?

 木々が風にざわめく音は落ち着く。緑のカーテンは魔物にとっても身を隠すために絶好の場所だけど、この旅の中で結界を破られたことはまだ一度もない。火や荷物の管理もうまくやっている。ずいぶんこの生活に慣れたものだなんて思ったけれど、よく考えてみれば僕の人生は、あまりひとところにいたことがない。慣れるも何もないか。

 

 火の番をしながら、その向こう側にいるひとを盗み見る。

 暗い夜でも、火にあたる金髪は色彩の美しさを落としていない。けれど、紫水晶のようなひとみには、以前のような鮮烈な光はあまり、みえない。

 旅の中で、彼女にもいろいろあった。王都ではあんな目に遭ったし、その前にも、後先考えていない僕から勝手な想いをぶつけられたりして……。

 だからだろうな。

 こうして二人きりなった旅の景色は、場面を切り取れば最初の頃と同じものなんだけど。でも、昔のように話すことは、うまくできなかった。余計なことは考えないようにしていても、こうして向かい合ったとき、ちょっとだけ、沈黙が長い。

 今のミーファは……どんなことを、想っているのだろう。

 

 そういった、面白くもないことを頭の中でかき回しているとき。盗み見ていたつもりが、目が合ってしまった。

 ミーファは穏やかな笑みをつくって、口を開く。

 

「随分久しぶりだな」

「うん?」

「こうして、ふたりだけで野宿をするのがさ。いろいろと思い出すだろ?」

「う、うん。そうだね」

 

 考えを見透かされているかのような言葉に、少したじろいでしまう。

 あのときは……ミーファは、僕の想いを知らず、明るくて鮮やかだったな。あとまあ、無防備で、やんちゃで、横暴で、男勝りというか。

 今の彼女はというと。たまに、僕と目が合うと、そらしてしまったりする。逆にじっと見てきたりもする。それとあんまり隙は見せてくれなくなったな。機嫌の良いときは、こうして話しかけてくれることもあるけど。

 っと、よくないな。人のことを無遠慮に観察してしまっている。普段からどうしても彼女を目で追ってしまうから、これは僕の習性みたいなものなんだけど……。

 しばらく間をおいて、またミーファが話し始める。こっちの変な心の声が伝わっていないといいけど。

 

「強くなったね、ユシドは」

「どうしたの、いきなり」

「いやほら、最初はさ……、トオモ村で水の魔物と戦ったときなんか、相手の強さに、足ガクガクさせて涙ボロボロだっただろ」

「はあ~? そこまでじゃないし」

 

 そりゃ、苦戦はしたし、ひとりじゃ勝てなかったけれど。

 ミーファはくつくつと笑い、悪い悪い、と軽口を叩いた。

 

「野営に使う結界も最初に見たときより優れているし、剣の腕も冴えてるじゃないか。今ならひとりでも、あのときの敵を倒せるんじゃないか?」

「そうかな。だといいけど」

 

 今二人きりになるのは気まずいと思っていたけど、意外にも思い出話は弾んだ。

 彼女は……僕に対しては、つとめて、今までと変わらないような接し方を心掛けているんだろう。僕もなるべくそうした。ミーファがそうしてほしいのだと、わかったから。

 そのまま、夜が深くなり、眠りにつくべき時間まで、僕たちは昔のように他愛のない会話をした。この時間が突然終わらないよう、話題には少し気をつけながら。

 

「ずいぶん長くおしゃべりしたな。もう寝ないと、明日が大変だ」

「そうだね。今夜は僕が先に見張りをやるよ」

「んー」

 

 ミーファはがちゃがちゃと装備を外していき、テントの中に入っていく。シークが仲間になる前の、ひとりだと広い寝床だ。

 火に燃料をくべ、見張りに備えて紅茶のお代わりを沸かそうかと考えていると……テントの入り口から、ミーファが首だけを出した。

 可愛らしい仕草だった。いつかも見たような気がする。

 

「なあ」

「?」

 

 声をかけておいて、あとから目を泳がせる。何か言い淀んでいる様子だ。

 少しの間をあけ、ミーファはよその方に視線を向けて、続きを口にした。

 

「こっちに入れよ。たまには、一緒のテントで眠ろう」

「………」

 

 …………。

 

「いやです」

「な、なんでだ。もう見張りなんか必要ないだろ。お前の結界を破れる魔物なんてそうはいないよ」

 

 たしかに、結界はしっかり研究している。今回設置したのは、基本的な魔物避けの機能に加え、害意あるものに反応して風が巻き起こるという攻性の結界だ。何かが侵入しようとすればこれらが襲撃を報せ、深く眠っていても対応できる自信はある。

 だからと言って、ふたり一緒に同じテントで横になるのはよろしくない。

 ……ずいぶん前に、似たやりとりがあったような気もする。

 でも、僕たちはあの頃とは違う。ミーファはもう、僕の気持ちを知っているはずなのに。それをもう隠せないとも僕は言ったはずだ。

 からかっているんだろうか。それは、少し、ひどいなって思う。きみは、こっちがどれだけきみのことを好きなのか、ちゃんとわかってない。

 

「駄目か。……そうだよな。意地悪なことを言ってしまったな、許せよ」

 

 僕の動揺に勘付いたのか、ミーファはそう言って取り繕った。

 けれど、その顔は、なんだかすごく不安そうで。僕はそれを見て、王都での出来事を、いろいろと思い出した。

 だから……

 

「あ、あの」

 

 ついに。了承、してしまった。

 

 

 外の火を消すと、星の光は木々とテントが隠していて、視界はとても暗くなる。木々の静かなざわめきや小さな虫の声は、普段なら眠るのにちょうどいい、心地よい音だ。

 けれど今は、自分の鼓動の音がうるさくて、眠れない。

 背中越しのすぐ近くに、ミーファの存在を感じるからだ。ひどく目がさえてしまう。

 これはやっぱりだめだ。彼女が眠ったら、自分のテントに戻ろう。

 

「なあ……」

 

 かすれた小さな声が、後ろから聞こえてくる。そしてその声はなんだか、微妙に遠い気がする。ミーファも僕に、背中を向けているんだと思った。

 

「風の魔剣とは、うまくやっているのか」

「……うん。気まぐれだけど、本当に必要なときに力を貸してくれるんだ」

「よかった」

「ミーファは、あの地魔の魂とは、信頼し合ってるよね」

「ああ……、ん。いや、そうかな。いうこと聞かないことのほうが、おおいけど」

 

 そうは言うけれど、傍から見ればうまく相棒のような関係を築けていると思う。魔物だからといって、全部が邪悪なものとは限らないのかもしれない。ミーファがイガシキと話す様子は、それをちゃんと最初からわかっていたかのようだ。

 ……魔物のすべてが、邪悪なものとは限らない?

 ………。

 今はあまり、深く考えたくない話だった。思い出す顔がある。

 でも、それはいつか、ちゃんと考えないといけないことだという気がする。

 

 ミーファはどうして、魔剣とうまくやれているか、なんて聞いてきたのか。

 勝手な推測だけど……、やっぱりまた、あの子のことを考えているのかな。

 彼女のそういう、“友達”を忘れずにいる優しいところは、すごく好きだ。でも、ときどき悪い夢を見るようだし、あまり後悔を追いかけすぎないようにしてほしい。

 

 沈黙が続く。

 気が付くと、ミーファの呼吸の音が深くなっていた。寝息だ。

 ほっとする。無事眠れたのなら、さっさと退散してしまおう。

 上体を起こす。隣を見ると、暗闇の中だけど、ミーファが仰向けになって、安らかな顔で眠っているのがわかった。

 やっぱり、ドキドキする。あんまりそうやって無防備でいられると、困る。

 ……さて。彼女が悪夢を見てしまったり、起きたときに寂しがるかもしれないと思うと心苦しいけれど、こればかりは許してほしい。

 すぐそこの出入り口から出て行こうとして、身じろぎする。

 何かが、僕の服に引っかかった。

 首を動かして確かめる。……服が引っかかるような物が、寝具以外何もないテントの中にあるはずがない。僕をひっぱったのは、眠っているはずのミーファの手だった。

 身動きができなくなる。彼女は眠ったままだ。このまま無理に引き剥がして出ていったら、起きてしまうかも。

 ……いや、こんな寝相が本当にあり得るのか? 実は起きているんじゃないか。

 

「ミーファ」

「………」

 

 小さく呼びかけると、深い寝息だけが返ってくる。

 彼女が寝たふりをしているのか、眠っているのか、どっちが本当かはわからない。寝たふりだとしたら、彼女はどんな気持ちで僕を引き留めているのか。いや、疑うなんて僕も失礼というか、おかしいけど。

 ………。出ていくわけには、いかないよな。

 身体を寝床に戻す。

 本当にすぐそばに、ミーファの体温を感じる。からだのにおいや、吐息の音色も。

 もうこの夜は、あまり眠れそうにない。

 

 

 

「ああ゛~」

 

 ずんずんといつも通りの歩幅で進むミーファの後ろを歩いていると、悲鳴のようなおそろしいあくびが出た。

 さらに、あまりの疲れに足を止めてしまう。こちらを振り向いたミーファは怪訝な顔をしていた。

 

「お前、なんだ。寝不足か? その顔は」

「うん、まあ……」

「おいおい、冒険者何年目だい君ぃ。あきれちゃうぜー」

 

 寝不足は誰かさんのせいなのだが、それを言うのは負けな気がする。

 ここのところ、二回に一回くらいの頻度でミーファと同じテントで横になってしまっている。一度うんと言ってしまうと、なんだか断りにくくなる。その結果、いまいち眠れない日が続いている。

 ……次からは、強い心でもって、断ろう。ミーファもたぶん、シークのいない広いテントが寂しいのだろうが、やっぱりよくない、これは。結婚前の男女が。いろいろと勘違いしてしまう。

 僕はなけなしの気合を入れながら足を動かし、彼女に追いつく。人間、足を動かしている間は居眠りなどしないものだ。次の野営地を見つけるまで、今日はなんとか耐えよう。

 

「よその土地なら、眠気覚ましのハーブでも嗅いでおけと言うところだが……、あまり、無理をするな。ここらの魔物はそこそこ強いぞ。他の国に強力な魔物がいかないように、魔人族たちが彼らを引きつけるまじないを使っているんだ」

「うん。大丈夫、油断はしてない」

「そうかねえ」

 

 ミーファが立ち止まり、こちらの顔をのぞきこんでくる。

 だから、そういうことをされると眠れないんだって。

 

「まったく、もっと早く言えばいいものを。ほれ見ろ、奇跡的に、まっすぐ先に岩の穴倉がある。大方魔物か動物の巣だろうが、実はああいうのが休むにはおあつらえ向きなんだ」

 

 抜き身の剣を肩に担いで笑い、ミーファは遠くを指さした。そのまま剣を揺らしながら先導してくれる。魔物の襲撃を警戒してくれているんだ。

 ……休もう、と言われると、一気に疲れが重く圧し掛かってくる。

 ぜいぜいと旅の初心者のようにあえぎながら、しばらく歩いて、僕は、ミーファの言った浅い洞穴へとたどり着いた。

 ちょうど涼しいくらいの気温。背負った荷物を下ろすと、すぐに尻もちをついてしまった。結界を施さないといけないのに、立ち上がれなくなる。

 ハンターの仕事でも一晩眠らないで気を張るようなことはあったし、これからもそういうことはきっとある。睡眠不足で前後不覚だなんて、剣を振って収入を得ている者としても、聖地へ向かう勇者としても、情けない限りだった。

 

「横になっていいよ。オレが守るから、キミは眠りなさい。安心安全、快適快眠を保証しよう」

「でも……」

「いいから。たまには頼ってくれよ。こっちはまだ、お前の師匠のつもりなんだから」

「……ありがとう。甘える」

「ああ」

 

 洞穴の壁に寄りかかり、目を閉じる。しばらくして思い直し、身体を地面に横たえた。

 荷物を枕にすればよかったなと思いながら、呼吸が深くなっていく。もう動く気になれなかった。

 

「おやすみ」

 

 その声を聞くと、本当に安心する。僕の中でも、彼女は頼れる雷の勇者だ。少し弱さがあるところを知っても、それは変わらない。

 だからそのまま、眠気に身を任せた。

 

 

 

 退屈なので、自分の膝の上に置いたその寝顔を覗き込む。

 深い眠りだ。昼寝という感じじゃない。夜の眠りが足りていないのは、もしかして、オレのせいかな。

 そっと髪を撫でる。柔らかい手触りが指に返ってきて、嬉しくなった。こうでもしないとそろそろ、頭に手が届かなくなるかもしれない。オレもこれからもう少し、一緒に、背が伸びればいいんだけど。

 背が伸びるまで、ここに、いられればいいんだけど。

 ……寝息を聞きながら、妙に心地よい気分に浸る。

 ユシドが目を覚ますまで、それなりに長い時間、そうしていた。

 

 

 

 目を開ける。

 最初に飛び込んできた景色は、世界で一番、自分の好みな顔であった。

 

「よう」

「うわあああっ!?」

「おごっ!?」

 

 額に衝撃。痛みに目が覚めていき、この惨事は、自分が身体を勢いよく起こしたのが原因だと把握する。

 立ち上がって彼女の方を向く。ミーファが顔を押さえ、恨みがましい目つきでこちらを見上げていた。

 地面に女性特有の座り方をしていた、白い脚が目に入る。自分が枕にしていた柔らかいものが何だったのか、わかってしまった。

 

「お前。顎に食らってたら、舌噛むか歯が欠けるかしてたぞ。美しい顔が台無しになったらどうしてくれる」

「ご、ごめんなさい」

 

 ミーファは脚が痺れたとかなんとか言いながら立ち上がり、身体を伸ばす。

 しばらくしてから荷物を背負い出したので、僕も同じように出立の準備をした。

 おかげで、身体はずいぶん軽い。お礼を言おうと思って彼女の顔を見ると、先に口を開かれた。

 

「さ、行こうか。今日はもう、日が暮れるまで休みなしだ」

 

 

 

 道中。ミーファが足を止める。彼女が眺める遠くの景色に、自分も目を向ける。

 青い空が続く先に、それとは対照的な暗雲が立ち込めている場所がある。まるで、空に天気の境界線がきっちりと引いてあるかのようで、違和感と不自然さのある光景だ。

 暗雲からは時折、雷が迸っている。おどろおどろしい雰囲気とでも言おうか。

 

「あれが目的地だよ。あの下に、魔人族の住む城と城下町がある」

「お城。王様でもいるのかな」

「おや、鋭いね。あんな雰囲気だから、地元のやつらはお城のことを魔王城って呼んでるよ」

「ま、魔王?」

 

 魔王。それはおとぎ話や物語で聞く単語だ。

 どんな物語かというと、それは例えば、“魔王”は、“勇者”という人間の英雄に立ちはだかる、最後の強大な敵だったりする。悪者の名前だ。そういうイメージしかない。

 そして奇しくも、自分は仮にも勇者だ。

 息を呑み込む。緊張に唇をかむと、ミーファは、そんな僕の顔を眺め、にやにやといやらしく笑っていた。

 

「なんだ、怖いの? せいぜい本物に会えるときを、震えながら待つといい。期待していいぞ」

 

 そうしてまた歩き出す。期待していいってなんだ? どういう意味!? 想像通りの恐ろしいものが待っているとでもいうのか。

 背中を追いかける。華奢な後ろ姿と、遠くの暗雲を見比べて、僕はやや気を引き締めた。

 

 ミーファは、魔人族の国に詳しい。

 どうしてか聞いてみると、少し言葉をつまらせたあと、本で調べた、と言って……実は、一度訪れたことがあるのだと、答えた。

 ……少し、疑問を覚えた。ミーファは僕の知らない間に、シロノトからこんなに遠い土地まで、来たことがあるという。

 どんな用事で。何歳のときに。誰と。

 問い詰めることはできる。でも……それは、しなかった。

 

「!」

 

 しゃりん、と鋼がこすれる音を聞いて、目の前の光景に意識を引き戻す。ミーファが、剣を抜いていた。

 前方に、魔物がいる。二足歩行で前傾姿勢、武器であろう前脚には鋭い爪がある。魚かトカゲみたいな顔にはびっしりと牙。丸まった背中にはヒレか骨かわからないけど、背骨の節に沿うように何かが生えている。

 動物の種類で分類することができず、警戒を強くする。そういう魔物は強い。強いて言えば、顔つきや、体表にある鱗の感じからして……トカゲの獣人、だろうか。

 リザードマン。そう呼ばれる種に近い。仮に、そう呼ぼう。

 

 4体ほどのリザードマンが、僕たちをにらんで警戒している。膠着状態だ。普通なら、魔物は本能のままに襲い掛かってくることが多い。そうしないことから、やつらの知能が平均より高く、人間との戦いに向いた習性を有していることが見て取れる。

 だが、この程度の数ならば大したことはない。こちらから攻めてしまってもいいだろう。

 剣を構え、胸の内にある魔力を高めていく。一歩前に出ようとすると……細い腕が、僕の前をさえぎった。

 ミーファの手が、僕を制していた。

 

「敵意が弱い。どいつも後ずさりしている。たぶん、襲ってこない」

「え?」

 

 ミーファの言葉を聞いて、よく感覚をひらく。言われてみると、いつもは肌につき刺さる魔物の殺気が、あまり感じられないようにも思える。

 ミーファが武器を鞘にしまった。心臓の鼓動を押さえつけながら、魔物たちから目は離さずに、僕も剣を下ろす。

 ……彼らは、こちらに背を向け、ゆっくりと去っていった。

 

「いいのかな。いつか、他の人間を襲うかもしれない」

「ここは強靭な魔人族の治める土地だ。やつらがそういう生き方をするのなら、どうせすぐに討たれる。大した悪さはできやしない」

 

 そう言って魔物たちの背中を見送る。……こんな景色を見るのは、初めてだ。

 他の土地では、魔物を見逃したことはない。彼らのほとんどが、人間を憎むような目をしているからだ。ミーファは、人々に害を成す魔物たちに、容赦などしてこなかった。

 ……何かが、変わったのかもしれない。彼女の中で。そうなるきっかけが何だったのかも、想像がつく。

 

『ほう』

「……なんだ。なにか、文句でも?」

『いや、別に。たしかにお前の感じた通り、人間に関わらないようにしているものはいる。慣れれば見分けられるだろうよ』

「そうか」

 

 剣を仕舞った鞘からする不思議な声と、ミーファが言葉を交わしていた。

 人間を襲わない魔物も、いる? 

 ……たしかに、すべての個体が同じ行動をするわけではないのは、人間も、動物もそうだ。魔物のすべてが人間を憎んでいると、言い切ってしまっていいのだろうか。僕は魔物たちについて、本当は何も知らないのかもしれない。

 今、耳にしたイガシキの言葉にも、何か含みを感じる。彼は多くを語らないが、たまに人間の常識にないことを話す。

 魔物には、どこか人間には測り切れないところがある。特に、これまでに戦った七魔たちの存在がそう思わせる。人間の言葉を話すなんて機能が、彼らに必要だとは思えない。敵対するのに、言葉は邪魔だ。

 僕の手の中にある、この剣は。ミーファのかたわらにある、地魔の魂は。

 あの、光の中に消えた少女は。

 何か、僕たちの知らない世界を知っている。

 

「? なんだ……?」

 

 低い唸り声がする。先ほど僕たちに背を向けた魔物たちが、身体を丸めて身もだえしている。その様子はまるで、頭か内臓の痛みに苦しんでいるかのようだ。

 それと、見間違いにも思えたが、彼らの身体に黒い()()のようなものがまとわりついているように見える。

 リザードマンたちが振り返る。その眼は先ほどまでと違い、爛々と見開かれ、こちらを凝視していた。ああ、あの目は……。

 猟奇的な叫び声をあげてこちらへ走り寄ってくる。僕たちは武器を構え、刃で彼らとの距離を測る。

 

「……。止むを得ない」

 

 ミーファの声は、少し、悲しそうだなと思った。

 そうして、僕たちは各々の戦い方で、彼らを迎え撃った。

 

 戦いを終え、剣を納める。リザードマンたちの死体が光に還るのを見届け、彼らに対して覚えた違和感を反芻する。

 突然苦しむような動きを見せたあと、豹変して僕たちを襲った。戦闘時のがむしゃらな動きはまるで、発狂してしまったようにも見受けられ、今の彼らが通常の状態に無いのではないかと思わされた。凶暴化、という言葉がしっくりくる。

 

「イガシキ。話が違うようだが」

『………』

 

 荷物を背負い直し、ミーファは腰の鞘に語りかける。

 

『……わからん』

「わからん、とは?」

 

 どういうことだ? 彼の目から見ても、おかしな状況だということか。

 人間に背を向ける魔物が、一転して狂ったように襲ってくる、という今の出来事は。

 

『わからんが、せいぜい気を張れ。マ・コハ以外にも、“王”はいるぞ』

 

 思わぬ名前が出てきて、ミーファと顔を見合わせる。

 地魔イガシキは、それから何を訪ねても、応えることはなかった。

 

 

 

「ここが……!」

 

 見上げた先にあるのは、分厚く巨大な門。街の周りが高い壁に囲まれているのは、ヤエヤ王都のつくりに似ているけど、ここの門はさらに頑丈そうだと思った。

 さらに後ろに下がって首を上に曲げれば、大きな城と黒い雲が見える。

 

 僕たちは今日、あの暗雲の下へとたどり着いた。確かに王都からそう遠くはない。隣国、どころか、距離的にはほぼ同じ国だと言ってもいいかもしれないと思った。

 世の中の人里が全部、最低限これくらいの近さなら、世界を巡る旅も楽なのだが。もちろん大体の場合は点在する村々を辿って進めるけど、たまに全然人が住んでいない領域がある。そういうとき困るんだよな。

 

「しかし、どうやって通るのこれ。人力で開く門には見えないけど」

「あー、入り口は、こっち」

「ん?」

 

 笑い混じりの声がしてそちらを向くと、ミーファが示した先、門の脇に、人ひとり通れる小さな扉と、そのそばには誰かが詰めている小屋があった。そこかよ。

 近づいていくと、小さな窓から中にいる人が見える。門番の方かな。

 ミーファに手招きされ、覗いてみる。……僕は息を呑んだ。

 中には二人の人間がいる。たぶん、体型の違いからいって、男女の組み合わせだ。

 ただ、外見は。ひとりは赤い肌の色をしていて、ひとりはうすい緑色。赤い女性にはトカゲのような尻尾が生えていて、緑の男性の額には一本の角が真っ直ぐ伸びている。どれも、仮装というわけではなさそうだった。

 これが、魔人族。感覚を澄ませると、彼らの体内から強い魔力を感じる。一般的な人々とは比べ物にならないものだ。

 ミーファによると、彼らは総じて、僕たちよりもあらゆる能力に優れた種族だという。

 それが本当なら、彼らがよそに戦争でもしかけていけば、すぐにこの世界は支配できてしまうだろう。なぜ、こんな荒れた地にひっそりと暮らしているのだろうか。

 

 ミーファに目配せされて、咳払いする。話しかけようとタイミングをうかがいながら、窓から中をよくのぞき込むと。

 彼らは……机を挟んで向かい合い、互いに真剣な表情をしていた。肌がぴりぴりと刺激される。まるで、激しい戦いに立ち合っているかのよう。こちらに気付かないくらい集中しているようだ。

 何をやっている? 机の上を見てみる。

 あれは……絵札? 占い師なんかが持ち歩いてる、カード?

 

「オレは防御力2000のアイアンゴーレムを召喚!! こいつのブロックは突破できまい!」

「ククク……、本当にそれでよかと?」

「……ターンエンド!」

 

 なんだありゃ。

 

「絵札遊びでもしているらしいな。彼ら魔人族は、寿命が長いのとお気楽な性格からか、やたら色んな遊びを知っているんだ」

 

 イメージと違うんだけど?

 ミーファが小声で説明してくれる間にも、なんか彼らはヒートアップしていく。

 

「わたしのターン! 手札からマジックカード『星の導き』を発動! デッキから任意の“勇者”カテゴリーのユニットを1枚選び、直接召喚する!」

「な、何ーー!!」

「『風の勇者シマド』を召喚!!」

 

 となりでミーファが、「おっ」と嬉しそうな声を出した。

 

「シマド様でアイアンゴーレムにアタックや!」

「攻撃力は?」

「5万」

「ありえんだろ!!!」

「ダメージは受けてもらうばい」

「アガーーー!!!」

 

 緑の肌の男性が椅子ごとひっくりかえった。決着がついたらしい。

 彼はすぐさま起き上がり、怒り心頭と言った様子で赤い肌の女性に向かってまくしたてた。

 

「このゲームおかしいやし! “人類”と“魔物”と“精霊”のバランスが崩壊してるやんに」

「知らんよそんな。あんたも裏通りのショップからレアカード買うてくれば?」

 

 何やら言い争っているようだが、言っていることの意味がいまいち分からない。

 どう切り出したものか逡巡していると、見かねたミーファが、大きな声を出した。

 

「あのー。ごめんください。私たち、こちらに人探しに参ったのですが」

「ああ?」

「おおん?」

 

 ふたりが振り返る。迫力のある目つきでこちらを睨んでくる。異なる肌の色や実力からくる威圧感がなかなかのものだ。

 雰囲気を音であらわすなら、ゴゴゴゴゴゴ……

 

「……やあ、やあ!! 客なんて珍しい! 旧人の旅人さんかい!?」

「バッ、おま、旧人っていうのは差別用語やけん、言い直し! あっちは“人族”、うちらは“魔人族”よ」

「そうなん? ウーキー」

「オーケーのことウーキーって言うな」

「……人族の旅人さんたち!! 探しているのは、どなたですかな?」

 

 ふたりは気さくな言葉遣いと笑顔を向けてくる。意外だ……。

 ミーファはあまり驚いた様子はない。もしかしてこのふたりだけでなく、魔人族の人々自体がみんなこんな感じだったりするのか?

 

「こちらにお住まいの……イシガントという人を探しています。私たち、こういう者でして」

 

 にこやかな作り笑いを保ちつつ、ミーファは右手のしるしをみせつける。え、いきなり?

 彼女に促され、僕もまたグローブを外した。

 ……そこからの反応は、劇的だった。

 門番のふたりは小窓から我先にと身を乗り出し、僕たちの手を凝視した。

 

「勇者!? 現役の!?」

「すげーーっっ!! 次の弾のSSRになるよや! サインもらっていいかな?」

「は、はあ」

 

 目を輝かせ、あれこれ話しかけてくるふたり。

 しばらくしてミーファが、再び探し人の名を出した。“イシガント”、と。

 

「ああ、軍団長ね。……今さっき帰ったばかりだよ! 案内するから、ついておいで」

「走るばい!」

 

 小屋を出た二人が、門のそばの小さな扉に手をかざす。すると、かちゃりと音がして、ひとりでに扉が開いた。

 

「魔人族が走るって言ったら馬より速いぞ。いこう、ユシド」

 

 風のように行ってしまう彼らに、慌ててついていく。大門の先には、城下町の大通りが続いていた。

 赤い肌、青い肌、真っ白な肌、角や尻尾、翼まで。様々な外見をもつ人々の好奇の視線を受け止めながら、僕も彼らを同じ視線で見返す。

 家々の建築様式も見たことがない。頑丈な建材でできていそうで角ばったフォルムは、魔物に襲われても傷すらつかなさそうな印象だ。

 商店の並ぶメインストリート。武具屋に食べ物、……レストラン……カード屋? 何屋? いろんなものが矢継ぎ早に僕の視界を流れていく。興味深いぞ。

 立ち止まりそうになると、ミーファに腕を引っ張られる。ちょ! なんで走らないといけないんだ! ゆっくり進みたい!

 そうやって、せっかちな案内人たちにくらいついていく。気が付くと僕たちは、山のようにそびえたつ城の、すぐふもとにいた。

 重厚な城門のすぐ前に……ひとりの、女性が立っている。

 門番のふたりが呼びかけると、城に向かっていた彼女は、こちらに振り返った。

 

 美しい女性、というのはこういう人のことだと思わされる。

 青い色の肌。これはたとえではなく、皮膚の色がブルーであるということだ。僕の常識からすれば人の容姿からかけ離れた色であるはずなのに、なまめかしい美しさを感じてしまう。

 その、体型が、出るところが出ている。大きかった。あと、薄着の軽装で、やばいと思ってそこから目を逸らす。

 黒い尻尾と、蝙蝠のような翼があった。

 肌よりもさらに深い青色をした、長く美しい髪。その上には、大きな牡牛のごとき二本角がある。そこらの魔物よりずっと立派な角だ。

 切れ長の目は、驚くことに、眼球の色が黒い。瞳の色は湖のような淡いブルー。

 吸い込まれそうな目だ。ここまで美しいひとは、あまり、見たことがない。

 

「おい。……おい! 見惚れるな、ばか」

「いてっ」

 

 ミーファに頭を叩かれ、我に返る。おおう、なんか、人ならざる怪しい魅力があって……見すぎるとまずい。彼女が、ミーファの探していた人物なのだろうか。

 ミーファがちら、とこちらを見たときの目は、なんか冷たかった。あと当たりが強い。

 彼女は咳払いして、青肌の、長身の女性に話しかけた。

 

「ええと、その。何と言ったらいいかな。……初めまして。あなたが、闇の勇者イシガントですね?」

「!!」

 

 闇の勇者……! この人が?

 そう言われると、彼女からはただならぬ魔力の気配を感じる。ただ、それは僕らのものとどこかが違うように思えた。異質な魔力。感じたことのない魔力。

 たしか、軍団長、と言われていた。どの程度の地位なのか知らないけど、やはり実力者なのか?

 なら本当に、この人が――。

 

「……? 初めまし、て? ええと、人族のお嬢さん……」

 

 女性は、きょとんとした気の抜けた顔で、ミーファをじっと見つめた。どうしたのだろう。様子が変だ。

 疑問をたたえた顔で、ずい、とミーファに近づいていく。ミーファは緊張した面持ちで一歩下がった。

 女性の顔が、だんだんと、目を見開き、どこか嬉しそうな表情へと変化していく。ミーファの両肩を掴み、妖艶な容姿に反して、無邪気な子供のように口を大きく開いた。

 

「その魂の色! もしかして、あなた、シマ――」

「うわーーーーーーーっっ!!!!!」

 

 甲高い大声。誰かと思ったら、ミーファのものだった。慌てた様子で女性の口を押さえにかかっている。ど、どうしたんだろう? こんな様子を見るのは初めてだ。

 

「しょ、紹介しようユシド。実は初めましてじゃなくてね、知り合いなんだ。そうでしょう、イシガントさん。まったく久しぶりですね」

「え? え? まあ、そうね。え、何?」

「彼女はイシガント。200年前の、“闇の勇者”だ」

 

 200年前の。

 え、この人いくつなの?

 

「そして私は! ミーファ・イユ! 雷の勇者! こっちは! ユシド・ウーフ!! 風の勇者!!」

 

 やたらと力強く自己紹介をするミーファ。え、知り合いじゃないのか?

 紹介に預かり、頭を下げる。すると、闇の勇者であるというイシガントさんが、こちらに近づいてきた。うわっ、良い匂いがする……!

 

「……もしかして、シマドの子どもか何か? うそ、似てる」

「似てない」

「似てるわよ」

「あ、ええと。シマド様の子孫です。よろしくお願いします……」

「似てないわね、態度とか」

 

 何故かミーファに目配せをするイシガントさん。彼女は、シマド様のことを直接知っているのか。

 なんだか、すごい人と話している実感がわいてきた。

 

「勇者の旅? もうそんな時期か……それに、なるほどね」

 

 彼女は僕とミーファを見比べ、なにやら頷く。

 そして、朗らかな笑みを見せてきた。

 彼女の右手で、剣の紋章が“黒”に光る。

 

「闇の勇者、イシガントです。これからよろしく、ええと、ユシドくん」

「は、はい」

 

 良い匂いにくらくらしていると、足先に痛みが。見ると、ミーファが人の足を踏んでいた。痛え。

 

「そしてようこそ、“魔王城”へ!!」

 

 ぴしゃり、と。

 紫電が空からほとばしり、暗い城の全貌を一瞬だけ、照らす。

 

「思わぬお客さんだったけど、来てくれてうれしい。歓迎するわ。……これまでの旅のお話、お姉さんに聞かせてね。ね、()()()()ちゃん」

 

 花の咲くような笑みを向けてくる、彼女に対して。

 ミーファは、なんだかひっかかるような、苦笑いをしていた。

 



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49. 女子会の恋バナ

 王の住むべき住居とはいまいち思えないような、やや薄暗く埃っぽい部分のある城内をまっすぐ進んでいく。

 大きな階段を上がってそのまま行くと、ここまでの歩みで目にしたものの中では最も重厚なつくりの扉に行き当たった。

 先導していたイシガントが首だけで振り返り、オレ達に向かって笑みを作ってみせる。

 

「さ、こちらが我が王のおわす玉座の間です。まずはあいさつくらいしておかないとね」

 

 すぐ隣で、ユシドが緊張しているのがわかった。

 まあ、なにせ“魔王”だからな。最初は誰でもそうなる。それにオレも久しぶりに会うとなると、イシガント同様、どう会話したものか難しい。

 厚く大きな、古めかしい扉が開いていく。少しだけ、鼓動が速くなった。

 

「王よ。国外からの客人が謁見に参りました」

 

 視線の先には、貴人の姿を隠す薄いベールが、その大きな影だけを映している。

 イシガントにひけをとらない大きな一対の角と、眼球からあふれる剣呑な光がこちらを射抜いている。人間のものとは思えない、凶暴なシルエットだ。

 

「……ああ。ごくろう」

 

 影の魔王が言葉をひとこと漏らすと、それだけで強烈なプレッシャーがのしかかってくる。これは、相手の禍々しいほどの魔力による圧力だ。己を上回る者と相対しているとき、人はそういうものを感じる。勇者に選ばれるオレ達をも上回る“力”がうかがえる者。それが、この魔王だ。

 ユシドが跪き、礼の姿勢をとる。汗をひとすじ流し、委縮している様子だ。

 オレも倣って、適当にしゃがむ。

 

「この国へは、何をしに来た?」

「や、“闇の勇者”を探しに参りました」

「軍団長を? ふむ。もうそんな時世か。ならば、貴様らが今代の勇者どもか」

「え、ええ」

「なるほど、旧人にしては練り上げられた魔力だ。それにその魂の色――ん? あれ? ちょっと待って」

 

 ユシドにやりとりを任せていると、魔王が途中から変な声色になった。席を立ちあがったのか、巨大な影がさらに大きくなる。ユシドが唇を引き締め、その姿を見つめる。

 そして。

 幕の内側から……、青い肌色をした幼い少女が、ひょっこりと出てきた。

 

「あれ? お前、そこのおなご、まさかシマ――」

「勇者パンチ!!!」

「マオーーーッッ!?」

 

 人の正体を口にしようとする悪い魔王は、勇者の聖なる拳によって成敗された。

 

「ええー!?」

 

 素っ頓狂な声をあげるユシドや笑いをこらえるイシガントは一旦放っておき、吹き飛んで玉座に受け止められた女の子に近寄る。ちなみに、王の護衛っぽくこの部屋に立っていた魔人族たちも、とくに彼女をかばうとかはしなかった。人望ないんじゃない?

 オレは昔のように彼女の首根っこを掴み、小声で話しかけた。

 

「魔王ちゃん……久しぶり……」

「いやこんな無礼者おる? シマドだろおまえ。手ぇ離さんか!」

「元気そうで嬉しいな」

 

 にこりと笑って語りかけると、魔王ちゃんは独特の言葉遣いで反抗してきた。魔人族の人々はこうして、各々が妙な訛りの言葉を話すことがある。古代人の伝統を後世に残すためだとかなんとか。

 彼女はこの国のリーダーだが、イシガント共々、ずっと昔に酒を酌み交わした親しい仲だ。あんなに時間が経つのに、相変わらずその体型は出るべきところが出ておらず、青い肌はナスのようにつるつるしていて、角とかが無ければその辺の子どもとそう変わらない。懐かしさが刺激されて、嬉しかった。

 ちなみに、こう見えてイシガントの姉だ。体型を除けば、よく見れば容貌は似ている。

 

「思い出話は後でするとして、最初にひとつ大事なことを確認しておこう。……オレがシマドだということは、決してあそこの少年には明かすな……。いいな……」

「わ、わかったから。というかいきなりそこまで怒る? 理不尽の権化じゃ。カルシウム足りとらんが」

「大事なことなんでな」

 

 小声で強く念押ししてから、彼女の身体についた埃を手でパッパと払って、服の襟をピッピと伸ばしてやる。じゃあ、もう一回やり直しということで。

 オレは元の位置に戻り、再び適当にしゃがんだ。

 

「あ、あの、ミーファ?」

「……いやあ、子どもの頃ぶりに会ったものだから、つい。興奮して昔のようにじゃれあってしまった。びっくりした?」

「そうなんだ……?」

 

 ユシドの訝しむ視線がつらい。オレだってもっと穏当に解決したかったんだ。

 

「では……王よ。客人がお目通りを所望です」

「う、うむ。よくぞ来た、今代の勇者どもよ」

 

 そこからやってくれるんだ。

 取り繕うように咳払いして、魔王ちゃんは玉座に再び腰かけた。魔力で編んでいたらしいベールは取り払われ、大きく豪奢な椅子に、足の短い少女がふんぞり返っている絵面がしっかり見える。

 とはいえ、真面目な表情で話せば、やはり長年リーダーをやっているだけあってカリスマを感じる。仕切り直した魔王ちゃんの言葉に、ユシドが真剣に耳を傾けていた。

 

「訪れた目的は、うちの軍団長を連れ出したい、ということでよろしいか?」

「はい。七勇者の使命についてはご存知でしょうか」

「ああ、嫌というほど知っている。説明はいらん。だが……」

 

 少女は足を組んで、行儀悪く肘掛けに頬杖をつく。そして、冷たい視線で見下ろしてきた。

 

「今はダメだ。我が妹、軍団長イシガントは貸せん」

 

 そう言って拒絶する。イシガントもまた、眉尻を下げた申し訳なさそうな表情でこちらを見ていた。ユシドの緊張が高まるのが、わかった。

 ……彼女たちがオレの頼みを断るというなら、相応の理由があるはずだ。魔王ちゃんは、“今は”ダメだと言った。

 また、何かしらの厄介ごとを抱えているらしい。

 

「しかし、シマ――あ、えー。そうだ、そなたらの名前はなんといったかな?」

「っ! そ、そうか。名乗らずにいた無礼をお許しください。ユシド・ウーフと申します」

「……ミーファ・イユ」

「ウーフ? は? シマドの子孫ってこと?」

「え、ええ。先代はこちらの人々と懇意にさせて頂いたと聞いております。あ、こちらおみやげです」

 

 ユシドが荷物から食料品の入った箱を出す。それを、傍らに控えていた召使いらしい魔人族の女性が受け取っていた。なにそれ? 律儀な性格。先代感心しちゃう。

 ……そんな様子を見た魔王ちゃんは、妙な目つきでオレ達ふたりを見比べていた。

 

「ほおん……はあん……子孫と……へえ……」

 

 意味ありげな視線である。それがだんだんと嘲笑の雰囲気というか、喜色に傾いてきた。ほっておくとムカつくことになる予感がした。

 

「ん。ということは、魔法剣の使い手だったりしないか?」

「ええ。この腰の剣も、先代から継いだものです」

「おお! 魔法剣……! 風の勇者はいつも、そこそこいいタイミングで来よるな。なー?」

「そうね、姉さん」

 

 やがて魔王ちゃんは、ぱん、と手を叩き合わせ、王様モードから一転して人懐っこい笑みを浮かべた。

 

「ともあれ! 今夜は、旅で疲れていることだろう。礼儀正しい者は好ましい。客人として、この城に泊まっていくがよろしい。シマドの血縁、ユシドよ」

「あ……ありがとうございます、魔王様!」

「ふふん」

 

 ちなみに魔王というのは彼女の自称するあだ名であり、他人からそう呼ばれると喜ぶ。

 正確に役職名を言うなら、こう呼ぶのが正しい。

 魔人族の治めるこの地……『影の国』の女王、とでも。

 

「あ、貴様は起きとけよ、シマ……ミーハ? あとで部屋に行く」

「かしこまりましたわ、魔王様」

「オエエ~ッ」

 

 しゃらん、とへりくだって礼をすると、気分の悪そうな顔をされた。は? お前が礼儀正しい方がいいと言ったんだろう。

 こちらです、という従者たちに従い、謁見の間を後にする。

 すれ違いざま、イシガントが「後で女子会ね」とつぶやいた。今は女性として生きている自覚はあるが、彼女の前ではどうも頷きかねて、苦笑してしまった。

 

 

 

 その後は、王の客として会食に招いてくれた。オレが豪華な食事をもりもりと口に放り込んでいる間、ユシドは、魔王ちゃんやイシガントからこれまでの旅の話をしつこく聞かれていた。

 

「幼馴染? へえ」

「魔法剣の師匠? なるほどな」

「――そうなんだ。ということは、5つの魔力を担う勇者たちを仲間にしたの! すごいわね」

「ふん。勇者の使命など、よくやるのぉ」

「ところで……」

 

 会食の途中、イシガントがオレの方を見た。

 

「ミーファちゃんの右耳の飾り、素敵ね。誰かからの贈り物かしら?」

 

 残りのみんなもこちらを見る。だから思わず、ユシドと視線をぶつかり合わせてしまった。

 ……答えられない。でも、答えは教えてしまったようなもの。うつむくと、白いテーブルクロスに、先ほど乱暴に口に入れた果実酒が一滴、こぼれた跡が目立っていた。

 

「……え? マジ? この魔力……お互いの魔力入りの品を?」

 

 何も言っていないのに、魔王ちゃんが勝手に言葉にしてきた。魔人族は、オレ達よりずっと感覚が鋭敏だ。だから、知られてしまっている。

 それを深堀りするのはナシだろ。オレとユシドだけの想い出なのに。

 やっぱり、イシガントのそういうところは変わっていない。これだけは苦手だ。あと魔王ちゃんはムカつく。

 

「あ、あはは。その。ちゃんと冒険に役立つアイテムでして。拙い手製ですが」

「手製!?」

 

 ユシドは少し恥ずかしがりながらも、あまり気にせず答える。

 すまんが、今回は、これ以上話さないでくれ……。

 ちら、と視線を上げる。

 イシガントと魔王ちゃんが、ねっとりとした目でこちらを見ていた。

 

 

 

 会食や湯浴みを終え、広々とした客室でゆっくり夜を過ごしていると。

 宣言通り、おそろしい二人の、まずは妹の方が乗り込んできた。

 

「好きなの!!??」

「帰ってください」

 

 扉をぐっと閉めようとすると、しかし魔人族のすさまじい膂力には勝てず、結局押し入られた。

 はぁはぁと興奮したような吐息を漏らすイシガントは、昔と変わらず妖艶だ。だが、今日はなんか、目つきがヤバい人みたいだった。

 しかたなく招き入れ、互いにテーブルを挟んで腰を落ち着ける。

 彼女が持ってきてくれた、とっておきの酒を開けて、オレ達は向かいあい、笑った。

 

「シマド。本当に、こうしてまた会えることが嬉しい。あなたには、不本意なことかもしれないけれど」

「そんなことないよ。オレは今が楽しいんだ。……イシガント、君とまた会えたことも」

 

 グラスを軽く打ち合わせる。ほんの少しだけ、その液体を、舐める程度口にすると、それだけで顔がほんのりと熱くなった。これくらいなら、前後不覚にはならないだろう。たぶん。

 

「それにしても、すっかり可愛くなっちゃったね。それにその髪の色を見てると……ミナリのこと、思い出すな」

「ああ……そうだな」

「ね、ちょっと意識して手入れしてるでしょ。彼女のこと好きだったもんねー」

「う。まあ、そうだよ。悪いか?」

「まあちょっとキモイかなー」

「………」

「うそ。冗談です。あの子も喜ぶと思うよ」

「……そうかな」

「そうだよ」

 

 200年ぶりくらいに二人になると、自然と、足りないあとひとりのことも恋しくなってしまう。

 思い浮かべる姿は、先代の3人の勇者たち。闇の勇者イシガントに、風の勇者シマド。そして、雷の勇者、ミナリだ。

 彼女は……オレの、憧れた女性だった。

 

「何度もお膳立てしてあげたのに、あなた、結局ミナリに気持ちを伝えなかったわね。意気地なしすぎてもう、呆れたわ」

「おい、今さら説教するのか。……いいだろ別に。ほら、勇者同士でくっつくのって、良くないって言うし」

「その言い訳も懐かしいな~」

 

 オレ達は、思い出話にふけった。

 オレとミナリがこの国にやって来てすぐ、魔人族の人々に窮地を助けられたこと。

 魔王ちゃんが王を引き継ぐための儀式に、従者として付き従ったこと。姉妹喧嘩中だったイシガントと剣を交え、わかりあったこと。

 他の王候補たちと、いくつもの激しい対立争いを繰り広げたこと。候補のひとりが、王になるために呼び出した禁忌の召喚獣を操り切れず、世界が滅ぶ窮地に陥り、けれどそれを、この国の全員が協力して打倒したこと。

 あれはシマドの旅の中でも、一、二を争う修羅場だったな。

 イシガントが旅に同行して、共に戦ってくれたこと。本当に素晴らしい仲間だった。オレ達が聖地までたどり着けたのは、彼女の力が大きい。あの3人だったから、最後まで進むことができたんだ。

 そして……

 

 最後に彼女たちの顔を見たのは。オレが、死ぬ直前だったかな。わざわざ遠い、オレの住むシロノトまで来てくれて。

 嬉しかったな。

 だから……またこうして話すことができたら、たくさん、礼が言いたかった。

 

「ところで……。次の恋の相手は、まさかの子孫の男の子ってことでいいの? ねえ? そうなの? 詳しく聞かせてくれるまで寝かさない」

 

 お礼、言いたくないな。

 

「……別に? まあ、ほら。先達として、とっても優しくしてやったから、向こうは懐いてくれているかもしれんな、もしかしたら」

「告られたの? 魔力入りの贈り物なんか貰っちゃって」

「……………」

 

 ここで返答に詰まってしまったのが、まずかった。

 イシガントは目を輝かせ、オレにユシドのことを根掘り葉掘り聞いてくる。

 酒精で茹だってきた頭をなんとか動かし、なるべくこいつの好みそうな部分を避けながら、これまでの出来事を話してやった。そうしないと本当に寝かせてくれないからだ。彼女は本当にそうする。

 

「……それでさ。その闘技大会で、あいつはついにオレに勝ったんだ。悔しかったな。このシマドさまが、こんな若者に、って」

「その割に、嬉しそうな顔」

 

 どうやらへらへら笑ってしまっていたらしい。口角を手で揉む。

 イシガントがユシドのことを聞いてくれるのは、まあ、楽しい。共通の思い出話に続く、次の話のタネとしては、悪くはない。

 

「で、旅のどっかで告られたわけだな。それで、あんまり好意をまっすぐぶつけられて、ほだされつつある。自分の魔力入りのまじないものなんかを、返してあげちゃったりして」

「………あぇ……?」

「図星! さすが私ね」

「……ち、違う。バカだお前は。そんな事実はない」

 

 情報を与え過ぎた。いい歳して人の恋愛がどうのこうのに興味津々とか、田舎のおばちゃんか、きみは。

 

「あ~おかしい。シマド、昔より少し隙があって可愛いわ。子孫くんに影響されちゃった?」

「くそ……」

 

 ごまかすようにしてグラスを煽る。顔が、かっと熱くなっていった。

 

「ほだされてるとかいうな! あっちが……あっちが、オレにほだされているんりゃ」

「かー、ちょっといいと思ってた男が、美少女になって恋してるとか……」

「は? しっ、しとらんわ。してない」

「自覚がないふりをしてるのね。あ、なんか顔熱くなってきた、あてられて」

 

 イシガントは手をぱたぱたとやって、自分の顔をあおいでいた。

 けれど、そんなのは小休止どころか息継ぎのようなもので、彼女は青色の顔を赤らめ、オレに一方的に詰め寄ってくる。黒い眼球の中の蒼い瞳は今、好奇の色をしている。

 

「ちゃんと返事はしてあげたの?」

「へっ、へんじは……まだ……」

「あ? 保留ってこと? 脈ありの人がやることだよ、それ」

「ちが……」

「どうして答えてあげないの。このままだと、あなたは……」

「だ、だって――!」

 

 イシガントがあんまり畳みかけてくるものだから、大声が出てしまった。

 それで、彼女が口をつぐむと、逆に部屋が静かになって、オレの声がいやに通って、自分の出した言葉が、自分の耳にちゃんと入ってくる。

 

「だって。……懸想している女の中身が、先祖のじじいだなんて……嫌、だろ。どう考えても」

 

 考えないようにしていたそれを、言ってしまって。

 イシガントの顔色を窺う。彼女は、あの頃と同じ優しい表情で、オレを見つめていた。

 

「いや~、長生きもしてみるものね。200年ぶりの再会の話題が、甘酸っぱい恋の悩みとか……」

「旧人どもは性欲旺盛で大変よな」

 

 いつの間にかすぐそばに魔王ちゃんも来ていて、うお、と声が出た。

 にやついた表情が腹立たしい。こういう目に遭うから、オレは、この手の話題は嫌いだ。もうお前たちの口車にはのらん。

 やつらの追及を逃れようとしてそっぽを向き、目を閉じて見せる。

 そうすると自然と、話題の中心だったやつの顔が脳裏に浮かんでしまう。今はこれは良くないと思って、頭から追い出すために、グラスの液体をまた口にした。

 

 ……ユシド。

 あれからずっと口を閉じたままのオレを、キミは、嫌いになったりは、しないのかな。

 それに、中身はじいさんだし。ずっと、隠し事をしているし。

 本当のことを知ったら、どう思われるのだろう。オレを慕ってくれるあの目は、どんなものに変わってしまうのだろう。

 …………怖い。

 

 妙な感傷から逃げて、3人での話に花を咲かせる。オレが去ってから今日までに、この国がどんなふうに発展したのかとか、対立していた王候補たちともうまくやっている話だとか、魔人族の使命に苦労している話とか、いろいろ喋った。最後の方はやっぱり、頭がくらくらして、早く眠ってしまいたかった。この身体は酒に弱いのだとふたりに言うと、目を丸くしてから、大笑いされた。オレも、この変化は大きいと思う。

 そして。酒瓶が底を尽きて、窓から見える夜の空気も深くなってきて、楽しい夜会がお開きになる時間。

 

 ずっと、それを聞きたかったんだろう。

 イシガントは、あのことについて、最後に触れてきた。

 

「ねえ、シマド。あなたがこうして、違う人間に生まれ変わってここにいるということは、まだ……」

 

 イシガントの視線を感じる。魔人族の色の深いひとみは、オレの身体に刻まれた何かを見透かしているようだった。

 

「いいの? 今の仲間たちに、伝えなくて。特に、あの風の子に」

「シマド。後悔するぞ」

 

 かつての仲間たちが、これからの未来のことを心配してくれる。そういうところは、やっぱり好きだ。

 

「いいんだよ。言いたくない。言うなら解決してからがいい。だからふたりも、ずっと、内緒にしていてくれ」

 

 だから、こう返して、それで悲しそうな顔をされるのが、心苦しいと思った。

 そんな顔をするものじゃない。だって、こうして、また会えたんだから。

 

 

 ふたりが部屋を出ていく。

 楽しい思い出話に礼を言って、そして、おやすみを言う。

 それともうひとつ、思いついて。ずっと昔の、最後の最後には言えなかった言葉を、付け加えた。

 また明日、と。

 



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50. シマドのいた町

「さて。早速だがお前たちに頼みごとがある。よもや断るまいな、勇者ともあろうものが」

 

 頼みごとをする態度かこいつ。

 

 あれから一夜が明け、この魔人族が治める影の国にやってきてからは二日目。

 朝からオレたちを呼び出した魔王ちゃんは、例によって王様の椅子にふんぞり返りながら、高圧的な物言いをしてきた。

 断るかどうかは頼み事次第だぞ。そういう意思を視線に込めてみたものの、やつは主にユシドのほうを見ていて、どこ吹く風だ。断らなさそうな人間がどちらか、よくわかっているようだ。

 

「なんなりとお申し付けください、魔王様。一等の宿や食事をふるってくれた恩がありますから」

「ほう、感心な若者じゃが。なるほど、こういうところがなー。好ましいのかなー。ほだされるのかなー」

 

 ちらちらとオレのほうを見ながらにやつく魔王ちゃん。

 あ? ほかの誰におちょくられてもいいが、お前だけは許さんぞ。なんとなく。

 ユシドに見られないタイミングを計り、顔面の筋肉を総動員させて魔王ちゃんを威圧する顔をつくる。

 それを見た彼女は、けっこう狼狽していた。

 

「で、では、おっけーってことでよろしいな? 少し説明をしちゃろう」

 

 ひとつ咳払いして、王は語り始める。

 

「ちょうどここ最近の話だが、このあたりの土地に生息する魔物たちがかなり狂暴化している。お前たちは見たか? 黒い魔力が彼らを覆うところを」

「……!!」

 

 見た。一度は背を向けて立ち去ろうとした魔物たちが、狂乱して襲い掛かってきた瞬間を。

 あのとき、たしかに、彼らは黒いもやに身体を取り巻かれていた。

 

「人気のないところにひっそりいた大人しい連中も、これに憑りつかれると、狂ったように人間の居所を探して襲う魔物に成り果てる。昼夜問わず、休みもせず、体力がつきて死ぬまでだ。……我が国の精鋭たちですら手を焼いている。隣国のヤエヤにでも流れ込めば、旧人の戦士たちでは歯が立たんだろう」

 

 ヤエヤで出会った人々の顔を想起する。彼らは、決して守られるだけの弱い人々じゃない。だが……、

 魔人族たちは、人間に害をなす強力な魔物たちをこの地方に抑え込んでいる。それらがさらに猛り狂い、ヤエヤの王都に押し寄せるようなことになれば。

 絶対に、犠牲者が出る。

 玉座に座る少女の目を見返す。どうすればいい。……魔物たちを、殺しつくせというのか?

 

「そうなる前に、だ。我々はつい先日、この異変のファクターである、魔物たちに作用する黒い魔力が、どこからやってきているかを突き止めた。軍団長、バトンタッチ」

 

 説明に疲れたのか、魔王ちゃんはイシガントに続きを投げた。

 視線を移す。

 

「この魔王城からやや離れた地に、ある地下迷宮への入り口があるの。特殊な()()()()()()は、そこから湧き出ている。たぶん、最下層に原因があるみたい」

「たぶん、と言うなら、まだ調べてはいないのですか?」

「これが厄介でね……、この迷宮の中では、“闇”以外の魔力がうまく働かないの。中には狂った魔物たちがうじゃうじゃいるけど、戦えるのはこの国では私だけ。地下37階まであるから、もー大変で」

「地下37……!」

 

 ハードすぎる。なんだってそんな深い迷宮があるんだ? どうやって建造したのやら。

 それに、闇属性を体内に持つ人間は非常に希少で、それを戦闘で扱える者となればさらに希少だ。人間による探索は不可能じゃないか?

 

「とゆーわけで。ミーファちゃんとユシドくんが手伝ってくれたら、お姉さん超助かるな」

「そう。それが頼み事じゃ」

 

 強者っぽい見た目にそぐわない、柔らかくて明るい笑顔で、イシガントは言う。

 もちろん、力になりたいのはやまやまだが。

 無理じゃない? 勇者なんて、魔力を封じられればどうしようもない存在だ。そんな条件下で37階層も潜行できるはずがない。そうでなくとも、そのような長い道のりでは補給に戻るのも難しい。これほどのダンジョンアタックを試みるのなら、綿密な計画と準備が必要だ。

 

「もう少し詳しく説明してもらっても? その状況じゃ、僕たちなんてとても力になれるとは思えません」

「あ、うん。なにも37階分をぶっ通しで進み続けるんじゃないよ。迷宮の中には、えれべー……は、わかんないか。えーと……転移装置、って知ってる? 大昔のだけど、それが各階にあるから、魔力を充填してあげればその階と地上とで簡単に行き来できるようになる。だから、気楽にぶらりと進めばいいわけ。というか、もう10階までは攻略済みだから、あと27階層」

 

 ……転移装置! 以前王都で関わったあれか。離れた距離の間をほんの一瞬で移動するという、驚異的な魔法術が発動する祭壇だ。

 なるほど、それはいい。最高だ。全く条件が変わってくる。

 いやはや、転移装置。オレはあれ、好きだな。ひどい目にも遭わされたが、やはり便利さが勝る。37階建ての建造物にこれがあるのは道理だ。迷宮を作り上げたのが古代人だか大昔の魔人族たちだか知らんが、とにかくそんな往来が大変なものを建設するはずがない。

 

「あ。いま、余裕だとか思ったでしょ。油断しないの、ミーファちゃん」

「え……ええ。すみません、イシガントさん」

「昔会ったときみたいに、気軽な口調でいいよー」

 

 イシガントはそう言いつつ、目配せしてくる。

 ……ユシドの目が少し気になるが、そうさせてもらおう。

 

「まあ、まずは実際行ってみた方が話は早いじゃろ。お前達は明日、軍団長イシガントと共に地底迷宮へ潜れ。今日はそうさな、城下町の観光なり、探索行の準備などしておくがいい」

「明日? よろしいのですか?」

「それほどしっかり準備しておけ、ということじゃ」

 

 うーん、このふたりが脅かしてくるからには、相応のダンジョンだな。仕事で長期探索の経験があるユシドも、やや緊張を感じ取っているようだ。

 しかし、わざわざ観光をすすめてくれるとは嬉しい言葉だ。オレにそういう時間を与えてくれるのは、魔王ちゃんなりの気遣いだろう。良いところもあるね。

 

 話し合いを終えて、王の前から下がる。

 さっそく街に出ようとユシドに声をかけると、どうやらそれを今まで我慢していたようで、みるみる内に喜色満面といえる様子になった。

 かわいいやつだ。

 しかしまた変なものを買わないか、しっかり見張らないとな。

 肩を並べて、魔王城の中を進む。分厚い城門を開けば、そこは独特の活気がある、魔人族たちの里だ。

 

 

 

 ユシドが足を運びたがったのはやはり、メインストリートに立ち並ぶ商店の群れだ。

 市場をふたりで歩くと、魔人族たちの好奇の目線が突き刺さる。王の客だというのは伝わっているはずだが、オレ達が彼らとは異なる種族で、滅多に訪れない異邦人である以上、興味をひきつけてしまうのは仕方がない。それをなるべく気にしないようにして、純繰りに店を見て回っていく。

 食料品を売っているエリアに寄り、ダンジョン探索に必要な物資を頭に浮かべながら、品々を眺めていく。

 あーそういえば、昔からこんなふうにいろいろ商品があったな。魔人族っていうのはどういうことだか、こんな辺境の土地に暮らしているのに、物珍しい食料品を豊富に取り揃えているんだ。畜産や農作も、オレ達より発展しているのだろう。

 

 相場よりずいぶん安く質のよい品を見て、ユシドは愉快そうだ。

 それに引っ張られるように、気分が高揚してきたところで。……自分に向けられた、ひとつの視線に気付く。

 珍しい人族の客をじろじろと見ていた店主の男性が、何かに気付いたような顔をして、口を開いた。

 

「あの、人族のお嬢さん。まさかとは思うけど、この気配、もしや、シ――」

「ユシド、あの果物は何かな? ちょっと見ておいでよ」

「え? おお、すごい! 大きい!!」

 

 無理やり身体を振り向かせ、向かいの商店を示してやると、ユシドはうまくつられ、そちらの方へ行ってくれた。

 このくだり、ちょっと慣れてきたな。

 

「シマドさん、シマドさんだよな? 違う?」

「そうだけど、ええと、どなただったかな」

「やだなあ。継承の儀で今の魔王様の対立候補だった、コイートですよ。いやあ~っ、本当にシマドさんですか!? 懐かしいなあ、あなたに剣で負けてからは、すっかり商売人です」

「んん~。ははは。お久しぶり」

 

 全然思い出せないが、とりあえず笑顔をつくった。

 

「その姿、何か事情があるのでしょうが……まあ、それより、あなたが来てくれたのなら嬉しい! お安くしますよ!」

「……ありがとう」

 

 今度は、自然な笑みが漏れたと思う。

 ここの人々の中には彼のように、オレをシマドと呼んでくれる人がいる。昨夜イシガントや魔王ちゃんと話したときもそうだったけど、自分のことをはっきりその名で呼ばれると、強い旧懐の情が押し寄せてくる。

 嬉しいものだ。オレの中にはまだ、シマドの心がちゃんと残っているのだと思わされる。もちろん自分ではそのように考えていたけど、それが他人の口から補強されて、気持ちが落ち着いた。

 

「お連れさん、まさかシマドさまの血縁では? 容貌が似ているようですが」

「そうだよ、子孫なんだ。でも、オレがシマドだというのは、くれぐれも内緒にしといてくれ」

「ふむ。……わかりました、商店街の仲間たちにも、伝えておきますよ」

「ありがとう」

「よければ夜にでも、あそこに見える居酒屋に来てください。みんなシマドさんと会えるのを喜びますよ。あなたは、我々を救った英雄のひとりだ」

「大げさだな」

 

 この国が今もあるのは、この国の人々が力を合わせたからに他ならないし、まとめあげたのは魔王ちゃんとイシガントだ。オレはちょっと前の方で働いたってだけで、英雄呼ばわりはこそばゆい。

 悪い気はしないが。

 ……ところで。魔人族のみんなは、200年なんて長い時間ぶりに会うのに、喜んでくれはすれど、あまり驚いた感じが見えない。オレは200年前の知り合いが突然現れたら、結構心臓が動くと思うけどな。

 彼らは寿命が長いから、せいぜい10年か20年ぶりくらいの感覚だったりするのかもしれない。

 

「あ、そうだ。……そこの干し肉、たくさんください」

「まいど! じゃあ、今回は半額にしちゃいますよ。夜にみんなに、冒険の話を聞かせてくれるならね」

「よっしゃ!! 任せとけ」

 

 ありがたすぎる。

 勇者としての行いをもてはやされるのも、たまには悪くない。

 どうせならイシガントも呼んで、外の話が好きな彼らに、酒の肴になるお話でも提供してやるか。

 10年ぶりに会ったな、くらいの、ちょっとした友人の感覚で。

 

 

 

 買い物の途中、ユシドの後をついていると。あいつは軽快な足取りのまま、商店街の主要な道を逸れ、裏通りの何を売っているのかいまいちわからない怪しげな店に入っていった。

 い……いかがわしい店! 子孫の情操教育は、このオレがしっかりしてやらねば。

 入り口の引き戸に手をかけようとする。しかし、中から誰かが開けたのか、店の扉はオレが手を触れる前に、勝手に開いた。

 誰も出てこないのを不思議に思いながら、中へと足を踏み入れる。

 

「おお!! カード映えしそうな人族のお嬢様!!」

 

 中にいたのは、ずいぶんと機嫌を良くした様子の、店主らしき魔人族の男性だ。

 狭い店の中をきょろきょろと見渡す。ユシドが背を屈めて覗き込んでいる、ガラスの張られた棚に飾られているのは……、

 たくさんの、小さな絵札だ。門番のふたりが遊んでいた、魔物や人間の戦士が描かれた札。

 驚くべきはその絵の精緻さだ。まるで本物が絵の中に閉じ込められたように精巧な出来である。どんな画家を雇っているのだろう。

 素直に感心していると、店主の親父が話しかけてくる。

 

「魔王様に招かれた、人族の勇者さま方ですね。まさかこんな娯楽屋にお越しになるとは、いやはや、油断しておりました」

「これが、魔人族の皆さんの娯楽なんです? 絵画の店かと」

「まあ、元々は画家の家系ですが、一念発起して新しい商売を始めてみたら、これが大当たりしまして。近々隣国のヤエヤにも商品展開しようかと企んでいるところです。勇者さまがたもどうですか? 遊び方など」

「是非!」

「おい……」

 

 全然ダンジョン攻略とか関係なさそうな品に飛びつくな。

 店主から何やらうろんな解説が始まるが、まったく用語の意味が分からず、やがてリタイアする。ユシドは途中から楽しさがわかったのか、首がガタガタになるほど頷き、目を輝かせていたが……。そういうの、おじさんは興味ない。

 魔物や戦士たちの絵は、なかなか見ていて飽きないので、店の中をゆっくり歩き回ってみる。

 今まで見てきた魔物たちが、共通の枠模様にふちどられ、カードの中に閉じ込められている。強力な魔物ほど、枠のデザインが豪華になっているように見えた。ギルドのハンター稼業のように、手強さでランク付けされているのかもしれないな。

 人間たちの絵が飾られた棚を眺める。まあやっぱり、魔人族の人物絵が多い。ときどき人族が混じっているようだが……

 と、ある一枚に目が留まる。見知った人物だったからだ。豪華に輝く絵の縁には、『闇の勇者 イシガント』と文字が書いてある。

 やはり、人間のカードも、実在する人物を使っているのか。絵の中のイシガントは大きく翼を広げ、艶やかな表情で闇の魔力をまとっている。なかなか真に近い迫力があり、感心した。

 気になり、飾られたカードの下にある、売値らしき数字を見てみる。

 120万エン。

 

「高っ!!」

 

 どんな遊びだ、これ。金で叩きあうゲームなのか?

 

「これ、イシガントさんだね。カッコいいなあ」

 

 遊びの解説は終わったのか、ユシドが声をかけてくる。

 

「あ……そうだ、もしかして。あの、すみません。……シマド様のカードはありませんか? 風の勇者、シマド・ウーフ」

「おお、ご先代様ですね。ございますよ。少々お待ちください」

 

 ユシドのせりふを聞いて、少しどきりとした。

 そういえば、門番の誰かがシマドの絵札を持っていたな。イシガントのものがあるなら、あってもおかしくはないのか?

 ……思えば、ウーフの家には肖像画の類など残してはいない。もしや、ユシドは初めてシマドの顔を見ることになるのだろうか。

 店のガラス棚をあらため、店主が一枚の札を取り出す。それをうやうやしく盆にのせ、オレ達の前まで持ってきた。

 

「こちらがシマド様のカードです。風属性のSSRですね」

 

 小さな絵札をふたりして覗き込み、凝視する。

 茶けた荒っぽいくせのある髪に、薄い翠の宿った瞳。身に着けた装備はおそらく、この影の国に訪れたときのもの。手には風魔の魂が宿った剣を携え、不敵な表情でこちらを見返している。

 ……驚いたな。たしかに、これは俺だ……。

 特徴を見つけるほど、昔の記憶がよみがえってくる。けれど、見るのが久しぶり過ぎて、変な感じもする。確かに自分であると感じつつ、なんだか、遠い他人のような気もする。

 顔を上げ、横にいるユシドの様子をうかがう。

 彼は少年のように目を輝かせ、食い入るようにその絵札を見つめていた。

 なんか、照れるな。

 

「これが、シマド様のお姿」

 

 感動しているらしい。なんというか、偉いな。オレなんて、イユ家にある先々代雷の勇者の肖像画は見飽きたぞ。

 

「かっこいい、って言う感想はありきたりすぎるかな。でも、本当に憧れる。強い大人の戦士って感じがして」

「……そうか? お前の方がカッコいいよ」

「え? そ、その。あはは、ありがと」

 

 正直、いまいち角度が気に食わない。もっと左から映す構図にしてほしかったな。ポーズもあんまり決まってない。

 あとまあ、ユシドの方がシマドより顔が良いというのは、本当にそう思っている。こうして見比べるとやはり、オレ達は似ていないなと感じる。

 ……それにしても、どうやってこんな精巧な絵画を起こしたのだろう。影の国に初めて寄ったときに、似顔絵を描かせた記憶なんてないが。

 

「ユシド様、シマド様にそっくりですねえ。これは子孫組み合わせコンボを是非考えたいな……」

「もし。この勇者シマドの姿は、どのようにしてここまで正確に描いたのですか?」

「わかりますか。これはですね、我が家には古い先祖の代から、記憶力の良い精霊様がついてくださっていまして。モチーフが故人の場合は、精霊様のお力と、古い記憶をお借りしているのです」

「ふーん……?」

 

 精霊、って。自然が生み出した霊的な存在ってやつか? あまり良く知らないが、本当にいるものなのか。

 

「……と、ところで、あのお。勇者さま方? ひとつ、恐縮ですが、お願い申し上げたいことがござりますれば候にて……」

「なにか?」

「お二人のカードを作成させてください!! ほんの数分で済みます!!! 謝礼金を出します!!!」

「うおっ」

 

 すさまじい勢いで、店主が詰め寄ってきた。

 

「僕がカードゲームに登場できるんですか?」

「ええ、ええ。もちろんです。ユシド様にミーファ様、お二人とも若く健康的で、絵になる容姿です。これは是非、商売の糧に……いや、若く強い勇者たちの記録を残したいな、と」

 

 正直な商売人である。

 時間の無駄だ、と思うが、ユシドの方は乗り気なようだ。むしろお願いしますと言い放ち、話はまとまってしまった。

 仕方ないから付き合ってやるが、報酬はちゃんとふんだくるぞ。オレの顔は安くはない。

 

 店の奥に案内されると、黒いカーテンを背景にしたお立ち台に導かれる。そこにいつになく子供っぽい顔をしたユシドが立つと、店主は何やら見たことがない道具を持ち出してきた。

 小さな箱、だ。その中心には水晶がはめ込まれた筒のようなものがある。店主は箱の筒をユシドに向けると、その反対側から箱の中を覗くような姿勢を取った。

 ……これは? 記憶の中から無理やり類似品を探すなら、ティーダの持っていた望遠鏡、に似ているが……。

 

「とりまーす。目はつぶらないように」

 

 店主がそうつぶやくと、まぶしい光が一瞬、瞬いた。

 何をしているのだろう。ちょっと説明が欲しいな。

 

「これですか? 古代人が使っていた“機械”のひとつですよ。景色を絵にする機能があるんです」

 

 機械。なるほど。久々に聞いたワードだ。彼曰く、光を放った瞬間に水晶が映していた景色が、絵となって箱の中に閉じ込められるらしい。

 この驚異のアイテムと、さらに精霊の力を借りれば、今は亡き人物ですら絵として蘇らせることができるのだと豪語していた。理屈は……理解出来そうもない。

 サツエイは進んでいき、ユシドはさまざまなポーズを要求される。数分と言っていたくせに結構な時間が経ってから、店主の親父は「オーケーでーす」と言って、ようやく満足そうな顔をした。

 

「では、次は雷の勇者・ミーファ様! そちらへどうぞ」

 

 気乗りせんな。めんどくさそうだ。

 ちら、とユシドの様子を見ると、期待するような顔でこちらを見ている。

 仕方ないな……。

 

「では、魔法を放つような立ち姿で……」

「こうですか」

「おお!! 美しい!! 希代の大魔女のようだ! 次は剣で!」

「こうか」

「勇ましい!! 姫騎士のよう!!」

「フフ……」

 

 適当に指示に従っていると、親父のテンションにあてられてか、だんだんと身体が熱くなってきた。

 

「こう?」

「美少女!!!」

「こうかな?」

「妖艶!!!」

「ふふ」

「セクシー!!!」

 

 と、時間はあっという間に過ぎていき。

 サツエイを終え、オレ達は店先でできあがりを待たされた。

 これもまあ遅い。数分で終わるとか大嘘中の大嘘だな。

 とはいえ、他にない経験だったから、文句は控える。

 

 やがて、大満足といった様子の親父が、ゲームのカードとやらにする前の、先ほどのオレ達の姿を切り取った絵札を持ってきた。

 

「なるほど。……いいものだな」

 

 試験的にだがひとつできあがった、ユシドの絵札を、「風の勇者 シマド」と並べる。

 この世に二本は存在しないはずの同じ剣を持って、背中合わせに構える、ユシドとシマド。

 ありえない共闘だ。ふたりが同時に並び立つことは、現実にはない。

 それをこうして想像できるのは……まあ、たしかに。楽しい娯楽だと言っても、いい。

 

 そろそろ帰ろう、と、店に心を奪われつつあるユシドに声をかける。

 名残惜しそうな顔をしてから、ユシドはある一枚の札について、店頭で口に出した。

 ……風の勇者、シマドのカードだ。

 

「このカードはおいくらですか?」

「えー。シマド様は当店で取り扱う中でも最上級のレアカードでして、まあそのお……5万エンになりますねえ」

 

 高い。こんな小さい紙っ切れが。しかし……

 ……イシガントより物凄く安い……っ!

 

「これ、買います」

「はあ? やめとけ、金が勿体ないぞ。こんな小さな絵に」

「ご、ごめん。でも、シマド様の写し絵なんだよ。家に持って帰りたい」

「んんんん」

 

 いじらしい言い方をするな。甘やかしたくなる。

 

「勝手にしろ、オレの見ていないところでな」

 

 それほどご先祖様のお顔が好きなら、まあ、とやかくは言わない。無駄な出費だとは思うが、金銭感覚はオレよりもあいつの方がしっかりしているし、財布の余裕はよく把握しているだろう。

 オレは店の出入り口をくぐる。またしても、その扉はひとりでに開閉した。魔力で動かしているのだろうか。

 

 しばらく外で待っていると、会計を済ませたユシドが、平たい包みを大事そうに抱えて出てくる。いつになく嬉しそうな顔をしていた。

 そんなに、シマドの絵札を手に入れたことが嬉しかったのだろうか? 先祖冥利に尽きるが……。

 たかだか一枚しか買っていない割には、袋の面積が結構大きい気がするな。気のせいか?

 

「……お前まさか、他のカードも買ってはいないよな?」

「えっ? ……いやあ? まさか、そんな」

 

 ユシドの目が泳ぎ、平たい紙袋を胸にぎゅっと抱え込んだ。

 こいつ……。

 

「見せなさい」

「買ってないよ」

「みせろ!!!」

「ノー!!!」

 

 攻防の末、紙袋を奪い取ることに成功した。無駄なあがきをしおって。

 中身を見る。やはり一枚ではなく、いくつか入っているようだ。手に取ってみる。そこに描かれていたのは……

 挑発的な表情で笑う金髪の少女。

 まあ、ミーファだ。オレだ。

 

「………」

「………」

 

 しかも、一枚だけでなく、色んなポーズのやつが、いっぱい出てきた。中にはちょっと、調子に乗せられた立ち姿のやつもある。今になって、本当に恥ずかしくなってきた。

 それを、このばかは、大事そうに店から抱えて出てきて。

 耳が熱い。

 

「……返してこい」

「えっ」

「返してこい!!」

「うう。はい……」

 

 異様にしょぼくれた顔をして、ユシドはみじめに背中を丸めていた。どういう感情なんだ? 他ならぬオレに見られた羞恥なのか、手放したくないとでも思っているのか。

 ……今までにない物悲しい姿を見て、少しだけ可哀想になって、後ろから声をかける。

 

「……一枚だけなら、持ってていい」

「え?」

「早くしろ、置いていくぞ」

 

 店に背を向け、裏通りから出るべく歩く。気分を変えないと気まずい。

 そんな絵札など、欲しいものかね。陰気な奴め。

 ……本物が、いつも横にいるだろうに。

 

 

 そんなふうに、色んな店に寄って。声をかけられたり、かけられなかったりしながら、買い物を済ませていく。

 どういう理屈なのか不明だが、どうやら力の強い者には、オレがシマドだとわかるようだ。すごいな魔人族。

 

 だから……ここでは、“シマド”のことを、たくさん思い出せて。

 悪くない、時間だった。

 



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51. 地の底に潜むモノ

 魔人族の街からほんの数時間ほど歩いたところで、イシガントが「ここよ」と言った。

 

「これが、37層もあるヤバいダンジョンの入り口?」

 

 何の飾り気もなく、荒野の中に突然地下への階段だけが現れた、といえる簡素な入り口だ。ちょっと探検してみようかな? ぐらいのテンションで足を踏み入れたくなる。しかしその油断が何人の冒険者を殺してきたか。しめしめ何か掘れるぞ、と思って中に入ると、果てが測り知れない迷宮だった……。

 ……みたいな物語がありそうだ。恐ろしい罠のような入り口である。

 

「感覚をひらいて、よく目を凝らして見て」

 

 イシガントの言葉に従い、階段をより注意深く観察する。

 ……なるほど。

 薄い黒色のもやが、そこから漏れ出ている。イシガントの言によると、これは特殊な闇属性の魔力なのだそう。魔物たちを狂気に陥らせる元凶は、たしかにこの下に潜んでいるのだ。

 

「覚悟を決めたら、中に入りましょうか。見た感じはちょっと身体に悪そうだけど、人間の精神や肉体に影響を及ぼすような効果はないわ」

「よかった」

「たぶん」

「多分!?」

 

 怖いことを言うな。

 

 

 イシガントの尻を追いかけ、地下に足を踏み入れる。ただよう魔力の影響によるものかどうかはわからないが、身体に、息苦しくなるようなプレッシャーがかかる感覚を覚えた。

 彼女に促され、宙に向けて魔法術を撃ち放ってみる。……話に聞いていた通り、手のひらからいくらも進めずに、雷は弱弱しく霧散してしまった。

 このような状況には、つい最近の出来事でも覚えがある。強大な存在が行使できる、対象の魔力放出を阻害する術。結界。呪い。それが今回は、この地下空間全体に対して働いているようだ。

 この状態で、狂暴化した魔物との会敵があるのなら、苦戦は必至だ。

 

「これでどうやって戦う……のですか? 魔物も徘徊しているのでしょう」

 

 小さいが大事な疑問をぶつけてみる。

 ……イシガントとあまりに親し気に話すと、ユシドに何かを疑われる気がして、少し言葉遣いに気をつけた。

 

「魔法術封じが効いているのは、あくまでこの空間に対して。今度は試しに、魔法剣を使ってみて」

 

 ユシドに目配せをする。彼は長剣を抜き、その刀身を輝かせ始めた。

 翠色の風の魔力が、剣に収束している。……そうか、イシガントの言いたいことが分かった。

 魔力の働きを阻害する効果が、今回は個人ではなく空間全体を対象にしているぶん、若干効力は弱いのかもしれない。体の表面から測ってほんの人差し指ほどの距離……くらいまでなら、魔力を扱うことができているようだ。

 それだけでも、できることは変わってくる。

 

「剣の内側に魔力を押し込めたり、刀身のほんの表面を魔力で覆うことくらいはできる……ということか」

「そうそう!」

「……ふっ!」

 

 ユシドが剣を一振りする。

 刃に集っていた風の魔力は、それで消え去ってしまった。

 

「武器の攻撃範囲を延長できるという、魔法剣の強みは発揮できませんね。これじゃあ単に切れ味がよくなる程度です」

「じゅうぶんでしょ。ふたりとも、強そうだし? この迷宮を制覇するには、このメンバーしかいない!」

 

 イシガントは眉をきりりと吊り上げ、拳を握りしめた。

 お気楽に言ってくれる。地下深くとなれば紫の雷神剣も使えないし、加えて魔法術封じによって手札がずいぶん制限される。不安だ。

 ……まあ、しかし、そう臆することもないか。魔力障壁もなんとか使えるし、白兵戦でも人並み以上には働けるはずだ。

 それに何より、イシガントは本当に強い。彼女の言うように、うまく連携できればどうとでもなるだろう。今回は剣術の修行だと思って、挑んでみるか。

 

 先導に従い進んでいくと、やがて向かう先に、どこかで見たようなオブジェが現れた。円柱形で、細やかな彫り模様(おそらく、魔力を駆け巡らせるための経路だ)が施されているそれは、以前王都付近のダンジョンで見たものによく似ている。これがこの迷宮を往来するための、“転移装置”のひとつだろう。もしかすると王都のあのダンジョンとここは、同じ時代に作られたものだったりするのかもしれない。

 イシガントが装置に触れ、オレには意味のわからない言葉をつぶやくと、あのときのように装置が光る。やがて視界が光に包まれ、身体が一瞬浮くような感覚に襲われた。

 

 目を開く。イシガントが、進みましょう、と言った。ユシドはこの初めての経験を経て、そわそわした様子で周囲の景色の変化を確かめていた。

 オレもみんなに続き、転移装置の底部から地面にしみ出すように描かれた、独特の術式で構成された魔法陣の内から出てみる。すると、最初の階にはなかった、何かが息づくような気配と、肌を刺す殺気を感じた。

 ここから先には、まだイシガントが手にかけていない魔物がいるのだ。

 

「頼りにしてるわよ、かわいい魔法剣士さんたち」

 

 気を引き締める。ここからは、着実に、油断せず進んでいきたい。

 いきたい、のだが。

 

「ところで……」

 

 先ほどから気になっていたことがあり、口を開く。3人の視線がオレに注がれた。

 

「なんで魔王ちゃんも一緒なの?」

 

 そう指摘すると、この場でいちばん身長の低い彼女は、その体格に対してなかなかに大きく重そうな背嚢……、リュックサックを背負いながら、何やらプルプルと震え始めた。

 そう、彼女は魔王城からここまでずっと、重い重いと文句を言いながら、健気にオレたちについてきていたのである。

 

「なんでとか、うちが聞きたい。うち……いや我、魔王さまなんだが?」

「荷物持ちです」

 

 イシガントが朗らかに言い放った。ひどい。ががん、と悲しそうな表情で妹を見やる魔王ちゃんには、上司や姉としての威厳はない。

 

「もし異変の根源が()()()()()()にいるなら、姉さんがいないと鍵開けられないでしょー。それでいて、この状況じゃ戦えないんだから、荷物持ちくらいしてくれないと」

「一番下に何があるのか知っているの? イシガント」

 

 そう聞くと、イシガントは気軽な表情は崩さないものの、少しだけ真面目なトーンで語った。

 

「……“城”があるのよ。先代の王が今の場所に引っ越す前の、私たち魔人族のいた城が。今は、生きている人は誰も住んでないけどね。本当はこの迷宮も、今の王である姉さんが責任をもって管理しなきゃいけないの」

「ええやん、こんなかび臭いところ。墓参りのときくらいしか入らんじゃろ」

「と、このように悪びれていないので、荷物持ちです。民のためだと思ってしっかり働いてください」

 

 なるほど、もとは魔人族の管理下にあった建造物だったのか。……それが今は転移装置も動力切れで、魔物が住み着いている、と。

 管理責任者の顔をじっとりとねめつけると、彼女は気まずそうにそっぽを向いた。

 

「あの、荷物は僕が持ちましょうか、魔王様……」

「甘やかさなくていいのよユシドくん。あなたは自分の戦いに集中していて」

 

 魔王ちゃんの顔がぱっと明るくなって、ずんと暗くなった。

 彼女はあまり筋力とか運動神経とかがない。以前と変わっていないのなら、普段は自分の住まいの中だけを歩くことすら嫌う怠け者である。今の状態はまるで刑罰を受ける罪人のようで、ちょっとだけ気の毒に思ったが……、

 まあ、いっか。何もしないくせにあの偉そうな態度でついてこられたら、腹立つしな。それによく目を凝らせば、小さな身体にうすい光がまとわりついている。身体強化の魔法術でも使ってズルしているのだ。

よし。荷物持ち、任せた。

 

「! 来た……」

 

 ユシドのつぶやきを耳にして、警戒を強める。暗闇の中から、ぎゃあぎゃあと何かがわめく声がして、それは次第にこちらへ近づいてくる。

 魔王ちゃんが手元の灯りを強めた。今いる部屋が広く照らされ、ただひとつの出入り口となる通路に、オレ達は向き直る。呼吸を整えながら、腰の剣に手をかけた。

 だが、それを遮る手があった。

 

「おほん。君たち、まずはこのお姉さんに任せなさい」

 

 一歩前に出たイシガントから、黒い蒸気のようなオーラが吹き出す。可視化されるほどの、強烈な闇の魔力の発露だ。この空間に漂うそれにも、決して負けていない。

 

「まずはあたらしい風の勇者さんに、実力をアピールしなくちゃ」

 

 そう言って彼女は、こちらを向いて片目をぱちりとやった。いわゆるウインクというやつ。

 う、うまい。オレはできないぞ。さすがイシガントだ。ユシドも見惚れている。オレは少年がイシガントの技を見逃さぬよう、親切にその頬をつねってあげた。

 イシガントが部屋の出入り口に立ちはだかる。魔物たちの狂った気配は、そこまで来ていた。

 黒い魔力が、彼女の両手にまとわりつき……獣以上の鋭く巨大な、“爪”を形作った。彼女が生来備える翼と尾も相まって、まるで人の形をした怪物だ。けれどその瞳には、人以上の知性が宿っているのだ。

 そうして……蹂躙が、始まる。

 

「さッ!!」

 

 丸太のように屈強な大蛇が、すばやくイシガントに噛みつこうとしたのを見た。だが、彼女が片腕を軽く振るっただけで、魔物たちの一番槍は輪切りにされてしまう。

 次いでぼんやりと光る人間の悪霊。次いで大蝙蝠。次いで大ミミズ……一本道ゆえ、一体ずつ押し寄せてくる彼らを、イシガントはきっちり容赦なく殺していった。細切れになった身体と血しぶきだけがこの部屋に飛び込んできて、やがて光の粒に分解されていく。

 うん、さすがだ。恵まれた身体能力をさらに鍛え抜いた彼女の動きには、いささかのなまりもない。むしろ200年も経って、さらに磨きがかかっている可能性もある。彼女はこの人間世界を陰から守る、魔人族の戦士だからだ。

 ……だが、本来の彼女ならば、もっとすさまじい戦いができることを、オレは知っている。こんなものではない。

 イシガントの戦闘スタイルは、シークのような“魔導戦士”だからだ。すなわち、魔法術の扱いについても、一流の使い手である。

 

「ふっふっふ。驚いたか風の勇者よ。だが、我が妹の力はこんなものではないぞ」

「え……!?」

 

 あ、我慢できなかったのか、魔王ちゃんがそれを言った。

 

「闇の魔法術というのはな、おどろくべき特性があってだな――」

「闇の魔法術は、他の属性の特徴を変質させることができる。つまり、“属性の強化”を可能とするんだ。炎はしつこく消えない黒炎に。雷は激しく猛り敵を蝕む黒雷に。水属性は……どういう理屈だかわからないが、“氷”になったりする」

「氷!! すごいな……それだけで商売ができる……」

 

 魔王ちゃんが始めようとした解説を横からかすめ取り、実際に目にしたことのあるイシガントの技をユシドに教えた。彼は真面目な顔で、変な感想を口にしている。

 魔王ちゃんが目に涙をためてこちらを見ていた。泣くなよー。オレもこういう解説が好きなんだよ。すまないねえ。

 

「……とゆーわけで、あれは軍団長の実力のほんの一端に過ぎんというわけじゃわ。妹を連れ出すのなら、相応の働きをしろよ、ユシドよ」

 

 緊張した面持ちでユシドが頷く。

 ……まあ、今の風の勇者はお前なんだから、オレではなく彼自身が、魔王ちゃんやイシガントに認められる必要は、あるのだろうな。

 この戦いでそれを示してやるといい。単なるご先祖の後釜じゃないってことをさ。

 

「ふー。やっぱり、あんまり良い気しないな。普段は大人しい種族の子まで、襲ってくるんだもの」

 

 自分の浴びた返り血が、光に分解されていくのを目で追いながら、イシガントが戻ってくる。

 オレの目の前までやって来たころにはもう、汗ひとつかいていない、綺麗な彼女のままだった。

 

「お疲れさま」

「おー、イェイイェイ。どうだった? 久しぶりに見た私のバトルは!」

「さすがですわ。感嘆致しました」

「うーひっひ。敬語やめろ~うりうり~」

 

 機嫌よく肘で小突いてくるイシガント。共闘が久しぶりだからか、こっちが女性になったからか、無駄に距離感が近いな……。

 

「どう、ユシドくん。私は仲間にふさわしいかな?」

「え……ええ。そんな、こちらこそ、あなたに並び立てる勇者にならねばと」

「おっ、殊勝だねえ」

「シマドとは大違いじゃ」

 

 二人がちらちらとこちらに目配せしてくる。

 うざ。

 

「まあ、本当は氷結の術がお気に入りなんだけどねー。ここを出たら見せてあげよっか」

「はい!」

「ようし。それでは、第11層までのクリア目指してがんばろー」

「おい……この荷物は、もういいんじゃないかな……? 妹? ……軍団長? ねえ」

 

 イシガントを先頭にして、オレ達は地底迷宮の攻略を開始した。

 

 部屋を出て幾ばくもしないうちに、道中でもやはり、狂乱化した魔物たちが襲い掛かってくる。たしかに、ここは歯ごたえがありそうだ。並のハンターでは潜行できまい。

 だが、彼らはことごとく、イシガントの圧倒的な力によって薙ぎ払われていく。オレ達の力は要らないんじゃないの、とも思ったが、どうやら若者の見ている手前、いつもより張り切っているらしい。気持ちはわからんでもない。

 一緒に進んでいくうち、ユシドが敬意のこもった眼で、彼女を讃えた。

 

「すごい……これが、200年前の、勇者の力……!」

 

 ……………。

 オレも、200年前の勇者なんだが?

 

「んんっ。んん! んん、ごほっ」

 

 咳払いしながら前へ進み、先頭のイシガントを肩で押しのける。しすぎて少しむせた。

 ほら、魔法剣がどれほど通用するのか、そろそろ試さないと。イシガントの実力に文句などないが、君ばかりに戦わせるわけにもいかない。

 そういう意図を込めてイシガントに目配せする。彼女はしばし、きょとん、としたのち、ウインクしながら親指を立ててきた。ちゃんと伝わってるよね?

 

「よし、いくぞ!」

 

 腰の剣に手をかけ、ぐっと力を込める!

 がち、と音がした。

 抜けない。

 

「…………」

『ヌウッ!? なんだ、その起こし方はやめろと言ったはずだ』

 

 ぱりぱりと電流を流し、イガシキを優しく起こす。

 現在の事情を説明し、今回は剣が無いと厳しいことを伝えた。

 力を貸してくれるだろ、相棒っ!

 

『何? フハハ、いい気味だ。剣も術も使えんとなっては、いよいよ貴様も終わりというわけだ』

 

 剣帯から鞘を外し、地面に叩きつける。そのまま何度もめちゃくちゃに踏みつけた。

 

『イタタタ!! わかったから! やめろ!! 剣渡すから! 小娘! やめ……クソ人間!!』

 

 説得の末、剣はやがてするりと抜けた。

 オレにもイガシキを許すときと、許さないときがある。互いの機嫌を読み、もっとうまく付き合おうじゃないか。

 剣を振り、魔力を通してみたり、と具合を確かめていると、後ろの魔王ちゃんが声をかけてくる。

 

「精霊を宿した武器か。またしても業の深いことをするものだな、ミーハよ」

「……精霊?」

 

 聞き間違いじゃないよな。こいつは、イガシキは、“魔物”だ。

 ……どういう意味だ?

 

『しかし、この場に漂う魔力……まさかな』

 

 イガシキの特徴的な声が、オレの思考を中断させる。

 また、気になる物言いをした。何かあるのか聞いてくれと言わんばかりだ。

 でも、匂わすだけ匂わせておいて、こいつは何も言わない。性格が悪いんだと思う。

 

「イガシキ。何か言いたいことでも?」

『………』

 

 ほら。

 別にそういうところはとくに嫌いではないのだが……ちゃんと教えてほしいと思うときも、ある。

 テルマハと違って結構お喋りなのだから、たまには饒舌に、言いたいことを言ってくれ。

 

「なあ。お前がそうやって意味深な発言をすると、大体トラブルが待ってるって、そろそろ学んだよ」

 

 バルイーマでも王都でも、思い返せば、何かに勘付いているような口ぶりをしていた。

 

「この前は……お前がずっと黙っていたから、大変な目に遭った。いや、違うな。イガシキのせいにはしたくないし、最後に助けてくれたから、感謝はしてるよ。でもさ……」

『………』

 

 うまく言葉を選べず、静かになる。みんなが耳を澄ませているのだと分かった。

 やがて……、鞘にかけた指が、かすかな振動を受け取る。彼が、話し始める音だ。

 

『……同胞たちを狂わせるほどの闇の魔力となると、心当たりはひとつ思いつく』

 

 イガシキが応えてくれたことに、ささやかな喜びを感じる。みんなもまた、オレたちを取り囲むようにして集まり、その声に耳を傾けた。

 

()()()は星霊マ・コハに匹敵する力を持つもの……“夜霊ヨニナグ”。お前達の呼び名で言うなら――』

「……闇魔(あんま)?」

『そうだ』

 

 闇魔・ヨニナグ。闇を司る魔物。強大で測り知れない何かを秘めていたあのマリンと、対を成す存在がいる……。

 汗が一滴、頬を流れた。

 

「それが、この先にいると?」

『わからん。……あいつは、むやみに己の魔力をまき散らすことを良しとしないはずだ。ましてそれで同胞たちの理性を奪い取るなど。なにせ、人間と精霊がいがみ合うことを嫌っていた馬鹿者だ……』

「ちょっと待った。精霊、って?」

 

 さっきから時々話に出てくるが、どうもオレの知るものと言葉のニュアンスが異なる気がする。

 その疑問を口にすると、答えは、思わぬところから帰ってきた。

 

「精霊っていうのは、彼ら魔物の元々の姿よ。本来は、星の自然が生み出した純粋な魂たちなの。星を豊かにする役割を持っている生命のひとつ――の、はずなんだけど」

『お前たちが魔物呼ばわりしているのは、人間への負の感情に侵された精霊たちだ。よその世界から人間どもが引っ越してくる前は、うまく星を運営していたさ』

「あら。失礼を言って、ごめんなさいね」

 

 ………。

 初耳、だな。

 魔物たちの由来は、この世界に漂う魔力の影響で強靭に発達した動物たちであったり、その動物たちの霊がさらに魔力の影響を受けて、恐ろしい怨念となったもの、だというのが俗説のはずだが……。

 古くからの文明の一部を継承している魔人族たちと、一体何歳なのかわからないイガシキが言うのなら……うそだ、なんて、言えない。

 星を豊かにするはずの存在、か。それが明確な憎しみのまなざしで人間を襲い、ときには下劣な悪意を持って陥れたりもする。

 なんだか、ショックな話だった。

 

『ともかくだ。もしも、マ・コハのように魔物に堕ちたヨニナグが、この先に待ち受けているというのなら、お前達に勝ち目はないだろう。()()()()は多少やるようだが、この闇の結界内ではな。……解決したいのなら、この地下施設をまるごと永久封印するか、あるいはせめて、貴様らの仲間のガキども二人と合流しろ』

「……おや、意外。二人のことを買っているんだな、イガシキよ」

『勇者共の中では、お前が一番弱いからな』

「あ゛あ゛?」

 

 今とんでもないことを言ったか、こいつ。

 ぎりぎりと鋼の鞘を力んで握り締めていると、ユシドが声をあげる。

 

「どうしましょうか。彼の情報は貴重です。そう的外れなことではないかも」

「はー、最悪じゃ。帰っていい?」

 

 やる気のなさそうな人が一名いるが、それは無視。

 イシガントは、顎に手を当ててしばらく考えたあと、口を開いた。

 

「……まずは異変の元凶の、顔と居場所だけでも確かめないと。退却を念頭に入れつつ、迷宮を調べていきましょう。それで、武力で解決できそうなら、そのまま倒してもいい」

『忠告はしたぞ、人形』

「むっ。失礼な鞘なのねー」

 

 方針は、このまま進むということに決まったらしい。

 オレも賛成だ。イガシキの言うように、ティーダとシークの合流を待つにしても、まずは偵察が必要だ。そもそも、闇魔が元凶だとはまだ決まっていない。イガシキの知るそいつとは齟齬があるようだし……。

 ただ。ひとつだけ、聞きたいことがある。

 

「闇の魔力に、その……精霊、が操られているのなら。光の、破邪の魔法術で、彼らを黒いもやから解放することはできないのか?」

 

 その問いには、この国の王である少女が答えてくれた。

 

「もう試した。結果は失敗じゃ。一度ああなれば、もう殺してやるしかない」

「そうか。わかった」

 

 なら、今まで通り、彼らを斬るだけだ。

 

『なんだ、やつらに同情しているのか? お前がか? 今さら?』

「……うるさいな」

 

 多少思うところは、あるさ。

 だがオレは、人間は、わがままだ。彼らが襲ってくるのなら、迎え撃つ。本当は魔物たちの世界だから、邪魔な自分たちはこの身を捧げます――、なんて考えになるはずもない。この話を聞いたくらいで、やるべきことが今までと変わることは、ない。

 オレ達は聖地に辿り着き、世界中の魔物たちの力を抑制する。これも人間のわがままだが、この世界の悲劇を減らすためには、必要なことだ。

 

 みんなで顔を見合わせ、先へ進む意思を突き合わせる。このとき、魔王ちゃんだけが嫌そうな顔をしていた。

 先の見えない暗闇の中へまた一歩、踏みだしていく。オレはその、自分の足を見た。

このずっとずっと下に、何かがいる。“もうひとつの魔王城”で待ち受けるものは、果たして――。

 

 

「よし、装置のメンテと、魔力の充填完了! これでまた一階層クリアね。いや~だいぶラクできました、ありがとね! 動作確認をしたら、帰って休みましょ」

 

 と、イシガントが明るい声をあげたのは。

 攻略を開始して、一日が経ってからのことだった。

 一日である。暗く埃っぽいダンジョンの中を歩きまわり、魔法術が制限される中で強力な魔物たちと戦い、次の階層の転移装置に辿り着くまでに、およそ一日が経過していた。

 疲労に膝を折り、深く息を吐きながら、イシガントに悪態をつく。しかしこいつ、こんなところをたったひとりで、これまでに十階層ぶんも進んだというのか……。

 さすがだ、と思う。それはそれとして、しんどい。

 

「ひとつの階層がこんなに広大かつ複雑だなんて聞いてない。……なんなんだ、このダンジョン」

「さあねえ。うちの王様になる人って偏屈ものだから、性根の捻じれた人が趣味で迷宮を創らせるとこうなるんじゃない?」

「趣味で迷宮なんか作るのか……?」

「すごいなあ、ここ! 見てよミーファ、発掘されてない古代のアイテムがたくさん! 魔王様もいくつか持って行っていいって!」

「おー、よかったね」

「ほら、物凄い純度の雷の魔法石だよ。み、ミーファにあげるよ、雷だし」

「……おー、ありがと」

 

 断面が紫色に輝いている鉱石を受け取り、眺める。たしかに、いい品だ。

 荷物の中に仕舞う。ユシドの顔を一瞥すると、目が合ってしまったので、逸らして知らないふりをした。

 ……良いことを思いついた。これは、後で……。

 

 それにしても、疲れたな。早く帰ろうじゃないか。

 イシガントがいそいそと転移装置を操作しているのを眺めながら、雇い人に文句を言う。

 

「こんなところを攻略させようだなんて、魔王様も人使いが荒いですこと。……あれ。魔王ちゃん?」

 

 返事がない。部屋を見渡して魔王ちゃんを探す。

 彼女は……疲れ果てた彼女は、哀れにも、自らが背負っていた大きなリュックの下敷きになり、死んでいた。

 かわいそう。とりあえず、安らかな眠りとなることを祈ろう。

 地べたの方から、か細い声が聞こえてくる。

 

「妹よ……。最下層にたどり着くまでは、別にうちはいなくてもよくない?」

「どうせ暇でしょー。このふたりと仲良くなるためにも、一緒に頑張りましょうよ、姉さん。それにたまには運動運動! 私達は無駄に長生きな分、健康寿命こそが大事なんだから」

「月一でエクササイズもヨガもしとるもん……」

 

 これだけ体力と時間を使って、ようやく一層。ユシドとイシガントは平気なようだが……。

 単純に考えて、全て調べ終えるまでにはあと一か月はかかりそうだ。元凶が最下層にいないことを祈りたい。

 

 

 

 

 

 二カ月。

 二カ月が経ち、オレ達はようやく、そこに辿り着いていた。

 最下層の転移装置を稼働させ、すさまじい達成感。だが、いまいち、はしゃげなかった。

 ……しばらく進んだ先。非常に広い空間に出る。天井になるべき岩肌も、ずいぶん上にある。そしてそこに納まるようにして……“城”が、ある。

 地底の中にたしかにあった、魔王の城。

 そこから、何か禍々しい気配がする。イガシキの言うような、人間と争わない精霊が発するものだとはとても思えない。

 

「どうする? イシガント。今日は戻るか」

 

 横に立って共に城を見つめていた、闇の勇者に、声をかける。

 

「……みんなが良ければ、中を見ていきましょう。退却の準備はしっかり用意したし」

「やれやれだ。湯浴みか水浴びをしたい」

 

 わざと軽口を叩き、緊張をほぐす。

 実際、服の胸元をひっぱって鼻をすんすんと鳴らすと、なんともよろしくない匂いがする。なるべく清潔でいたいんだがな。

 

「大丈夫大丈夫。汗臭いくらいがエロいみたいなときもあるから。そのままユシドくんにくっつきなさいよ」

「何言ってんのお前?」

「なによー、元男性なんだからわかるでしょー」

「……いや、いやいや、それは特殊な嗜好ですから」

 

 しょうもない会話をしていると、ユシドと魔王ちゃんが追いついてくる。

 少しユシドと距離を取りながら、先へ進んでいった。

 

 際限なく高まっていく、闇の気配。

 この場所の主であるべき魔王が、城門に手をかざす。

 扉が、ゆっくりと、開いていく――。

 

 

 

 地下を行く勇者たちは、ついにそれと対峙する。

 

 そして――場所は変わり、地上では。

 

「な……、あれは……っ!」

 

 魔人族の都を守る門番たちは、高く厚い門の上に立ち、遠くの地平を見渡す。

 荒野には土煙。そして、荒い息遣いと、暗くよこしまな魔力の猛り。

 闇に侵された魔物たちが、大群の群れとなって、人々に害成すべく、この都へと押し寄せようとしていた。

 

「まずいな。軍団長も魔王様もいないときに」

「うちらだけじゃきついけん、犠牲者が出るかも……」

「だがやるしかない。兵たちを招集しよう!!」

「……おおーーい!!」

 

 決意の表情で不安を覆い隠す門兵たちに、はるか下、門のふもとから声をかける人間がいた。

 ひとりがすぐに跳び下り、その異邦人たちに事情を説明しようとした。

 

「すまん、人族のお客さん方。大変なことになっちまったよ。ええと、絶対に傷つけさせないから、さあ、ひとまず街の中へ」

「あー、向こうから大群の足音がするなあ」

「そうなんだよ。だから、お連れの方々も早く……」

 

 門兵の焦る声は真剣なもの。優れた軍事力を持つ魔人族の戦士のひとりが、このように取り乱すことから、尋常でない災厄が迫っていることがわかる。

 しかし……

 男は、なんでもないことだというように、へらへらと笑った。

 

「ちょうどいい。俺達が加勢しよう。それで宿とか安くなるかもしれんし……」

「あ、あんた! 待ってくれ!」

「魔人族の兄さんたちは、後からゆっくり来てくれたらいいよ。……行こうか、シーク」

 

 赤髪の男が、豪奢な馬車を護衛していた少女に声をかける。

 巨大な斧を肩にかつぎ、少女は元気よく返事をした。そこに恐れの色はない。

 それを聞いた男は不敵に笑い、その両手で、槍を握った。

 



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52. 闇魔ヨニナグ

 地底城の扉が開くと、これまで内側に閉じ込められていただろう黒い魔力が、まるで黒煙のようにあふれ出してきた。

 思わず腕で顔をかばう。……()()。今まで地下空間や魔物たちを侵していたものは、ここから漏れ出したほんの一部に過ぎなかったんだ。

 息苦しさの錯覚を振り払って、城内に足を踏み入れていく。仲間たちも最大限の注意を払っているのがわかる。この先に、間違いなく、この魔力の根源がいるのだ。

 

 城内部の様子は、地上の魔王城と印象があまり変わらない。もしかするとあの城は、こちらに似せて作ったのかもしれない。まっすぐ先に進めば、玉座の間がある二階へと自然にたどり着くのではないだろうか。

 ところが、イシガントは進むべき先を訂正した。

 

「玉座じゃないわ。もっと、下にいる」

「下には何がある?」

「墓」

 

 魔王ちゃんが、平坦な表情でつぶやく。

 

「この城は王たちの眠る墓地。霊廟。ゆえに、そこには遺体がある」

「誰の」

「例えば、私たちのお父様。先代の王で……先代の、“闇の勇者”」

「闇の勇者? ご先代も……」

 

 闇属性の強かった、前の魔王様のご遺体、ねえ。

 ……少し、予想できてきた。この嫌な予感が、具体的にどんな形になって立ちはだかるのか。

 ふたりの表情も硬い。下に存在する何者かについて、考えを巡らせているのだろう。

 

 仲間たちと共に、暗い廊下を進んでいく。向かうのは、この地底魔王城の、さらに地下の部屋。

 進むにつれ、身体にかかるプレッシャーがより重いものになっていく気がする。となりを歩く少年の足が、ほんの一歩分遅れたのがわかった。

 様子をうかがう。ユシドはあまり、本調子ではなさそうだ。

 

「大丈夫か?」

「少し……気分が、悪い」

「この黒い魔力のせいだろう。魔法障壁を構成する魔力の、光属性の割合を多くするんだ」

 

 彼が日ごろその身にまとっている障壁は、おそらくほぼ風属性のもの。闇に対抗するには、それと反発しあう光の魔力を使ったほうがいいだろう。この光と闇の関係は、昔イシガントから教わったものだ。

 ユシドの身体が、うすぼんやりと白銀色に光る。幾分ましな顔色になり、彼は礼を言った。

 その様子を見て、イシガントが口を開く。

 

「……あ、言っておくけど、闇属性がぜんぶ人体に悪いなんてことないからねっ。魔力の持ち主によるから、ほんと。こっちは無害お姉さんなんで」

「え、ええ。イシガントさんの魔力は、人々を守る力です」

「そうでしょうとも」

 

 イシガントの軽口に励まされ、進む足取りを強くする。

 やがて、さらに地下へと続く、幅の狭い螺旋階段を見つけた。先が見通せないその暗い道のりは、まるで死の世界への入り口のようだった。

 

 しばらく下り、城の最下層であろう階を歩いていくと、そこには大きな扉があった。

 玉座の間にもひけをとらないような分厚い扉だ。こんなものが薄暗い地下に存在するのは違和感があるが、この先の一室はそれほど、魔人族たちにとって大事なものだということだろうか。

 城の入り口と同じく、魔力による封がなされた鉄門を前に、魔王ちゃんが嫌そうな顔でもたつく。

 

「やだなー、開けたくないなー。最後に墓参りしたの、いつぶりやったっけ?」

「それこそ200年ってところじゃないかしら。ほら、王として認められたことを報告しに来たじゃない」

「カビ生えてそうじゃねぇ」

 

 200年て。ちょうどオレが前に来たときぐらいじゃないか。ずいぶん管理をサボっていたんだな……。

 果たしてちゃんと王として働いているのかね、こいつ。統治者は椅子にふんぞり返ってばかりじゃダメだよ。

 

「では、覚悟はよいかな、勇者諸君」

「みんな。撤退も視野に入れて、互いの状況をしっかり確認しながら行動しましょうね。せっかく4人パーティーなんだし、連携連携」

「わかりました」

「了解」

「……4人? それってうちも入ってない? 絶対戦わないからね、マジで」

 

 そう不安そうな顔になることはない。地底城までの荷物持ちと開門という仕事を終えれば、魔王ちゃんは用済みである。魔法術を封じられた彼女など、ただの偉そうな小娘だ。元仲間として、それはちゃんと把握しているとも。

 とりあえず弾除けにでもなってもらおう。

 

 魔王が門に手を当てる。刻まれた封印の術式を白い光がなぞり、仕掛けが作動する。200年ぶりに目を覚ました重厚な扉は、ゆっくりと、静かに、来訪者を導くかのように、内側へ開いていった。

 ――瞬間、氾濫。

 これまでの比ではない重圧と、黒い魔力が押し寄せてきて、オレ達は自分の身体をかばう。いつもは治癒術や結界を使用するときにだけ使う破邪の魔力を、体内で高め、外に出して身に纏う。

 仲間たちの様子を確認し、頷きあう。重苦しい空気を振り払うように、しゃりん、と剣を抜き、足を前へと進めていく。

 少し廊下を進んでいくと、広い空間に辿り着いた。天井は、巨人でも手が届かないような非常に高いところにあり、これまで降りてきた螺旋階段の長さを思い起こさせた。

 墓というには広々としていて、内装からはどこか神聖な雰囲気を感じさせる。本来は清浄であるべき場所なのだろう。

 しかし今は、すべてが重い魔力で淀んでいた。

 そして、その発生源が……オレたちの視線の先に、ある。

 

 部屋のど真ん中に、ぽつんと、“棺桶”がある。とても不自然な配置で、まるで、ひとりでに動いてこの位置に辿り着いたかのようだ。

 そして、これが遺体を納めるための棺桶だと分かったのは、この場所が墓地だと事前に聞いていたからだ。でなければ、あの()()な箱はなんだろう、と思っただろう。

 一般的な人間用のものと比べて、数倍の大きさがある棺桶。その、ともすれば住居の屋根ほどもありそうな、厚く大きな蓋は……、すでに封を解かれ、横にずれている。

 かすかな腐臭。棺桶の中には、誰もいない。

 それは、部屋の奥の方に、いた。

 

 黒い闇の塊が、立っている。

 立っていると表現したのは、それが人間のシルエットをしていたから。人の足元から伸びる黒い影のようなそいつに、よく目を凝らす。

 煙のような闇に覆われた巨人、だった。ときおり、纏った魔力に隙間ができて、()()()が垣間見える。ほとんど朽ち果てているはずの肉体は、未だに生前の力強さを思わせる体格を保ち、立派などくろに成り果てた頭には、イシガントたちにも劣らない見事な二本角が見えた。

 ……魔人族の男性、それも、特別に強靭な肉体を持っていた人物の死体。

 姉妹の表情をうかがう。ふたりともいつになく、深刻な眼差しで相手をにらんでいた。

 

「お父様の遺骸に、魔物が取りついたのね。……これは故人の冒涜。このままにはしておけない」

「こういうことがあるから、これからは火葬がいいって言っといたのに。あのクソ親父、『焼かれるとか怖くね?』じゃおえんが。ハァ~」

 

 闇の魔人と化した先代王は、こちらの方を向いているものの、動かない。

 そもそもこちらを認識しているのだろうか。あれに、意思はあるのだろうか。死体を動かしている魔物の正体は? この強烈な闇の魔力は、王の身体にあったもの? それとも。

 オレ達は武器を手に構えたが、どう出るか測りかねていた。

 そのとき。自分の腰のあたりから、敵に語りかける声があった。

 静かに耳を傾ける。

 

『おい。お前、ヨニナグじゃないのか?』

 

 生物的ではないはずのイガシキの声に、今日は、彼の感情がこもっているように聞こえる。

 

『何をしている。お前の魔力で同胞たちが暴走しているぞ。それは本意なのか? 何があった?』

『……オ。オオ、お……』

 

 闇の巨人が、動いた。

 非情に緩慢な動作で、こちらに向かってくる。頭蓋骨をきょろきょろと回し、闇から覗く空洞の目で、オレ達をひとりひとり、見た。

 そうして彼は。この中のひとりに向かって、黒い黒い巨腕を伸ばした。

 

『ヒカリ――光の、力――』

「おわっ!? なんじゃコイツ、人のパパの身体で!」

「姉さん、私の後ろに!!」

 

 魔人が狙いをつけたのは、魔王ちゃんだ。腕の振りはそう素早くはないものの、それが纏う闇の衣が伸びて、いくつもの蔓のようになって魔王ちゃんを襲う。彼女が本気の身のこなしでそれらをかわすと、間に入ったイシガントが、敵と自分の闇を相殺させて、姉を庇った。

 巨人はイシガントに興味を示さない。しゃれこうべの目に宿った妖しい瞳は、オレやユシドを意に介さず、魔人族の少女をじっと見ているように思えた。

 ……魔王ちゃんを狙っている、のか。何故だ。

 

『光――。行っては、ならない。あなたは――』

 

 魔人の声は、厳かな音ではあるものの、抑揚がない。まるで寝起きの人のようで、感情、意思がそこにあるように思えない。

 けれどたしかに、何かを言おうとしているのがわかる。これは闇魔の言葉なのか……?

 緊張を全身に巡らせていると、腰に下げたイガシキが震えたのが、よくわかった。

 

『……そうか、わかったぞ……! おそらくやつは、マ・コハと本気の潰し合いをしたのだ。理由はわからんが』

「!? マリ……マ・コハと?」

 

 意外な名前を聞いて、ほんの少し心がざわついた。

 

『そもそもマ・コハがあのように弱体化し、ヨニナグが人間の死体なんぞに取り憑くような事態など、この星では起こりえない。この二柱が、正面衝突でもしない限りは』

「弱体化、ね」

 

 光魔との戦いを思い出す。確かに、思い返せば、そう派手な攻撃などは無かったし、向こうの魔力切れも早かったかもしれない。

 しかしそれでも、手痛い被害を受けた戦いだった。あれで弱体化だというなら、光魔や闇魔は本来、人間では太刀打ちできない存在なのだろうか。

 

『そして、戦いの結果。消耗したマ・コハは人間に紛れての回復を図り、ヨニナグは……』

 

 魔人の様子を再度見る。彼はイガシキの声や呼びかけには反応しない。魔王ちゃんの光の魔力を感知して襲い掛かるだけ。

 ……自我がない。知能のある魔物の動きではなかった。たぶん、あの闇の集合体は、彼の言う“ヨニナグ”ではないのだ。

 

『ミーファ・イユ』

 

 初めて、その声で自分の名前を呼ばれ、どきりとした。

 彼が発する、次の言葉を待つ。

 

『夜霊ヨニナグの魂は、そこにはない。あるのは、やつが遺してしまった強大な魔力の残り香だけだ。強い死体に憑依したのも、同胞たちを凶暴化させているのも、あいつの意図ではない。口に出している言葉は、死の直前に考えていたことが魔力に焼き付いているだけだ』

 

 いつになく饒舌に、鉄の精霊は語る。

 それで、愛想のない機械の怪物の、本当の心が少しだけ、伝わった。

 きっと闇魔は、イガシキにとって……

 

『――手間をかけるが。あれを、消し去ってくれないか』

 

 彼はそう言った。

 こいつからちゃんとした頼み事なんていうのはこれが初めてで、こんなこと、この先もう一生聞くことはないだろう。そう思った。

 ……気まぐれだが、大事なときは力を貸してくれるヤツだ。いきなり倒して剣にしてしまったのだから、これくらいは聞いてあげなきゃ、天罰が下る。

 それに何より。イガシキはもう、オレにとっては。

 

「いいぜ。仲間の頼みは断らない」

 

 剣と鞘を強く握って立ち構え、魔人を見やる。

 魔王ちゃんとイシガントの父親の尊厳。イガシキの友人の尊厳。

 ふたつを守るために、あの闇を葬る。

 

「みんな、戦おう!」

 

 仲間たちに声をかける。皆が頷き、各々の魔力の猛りで応えた。

 

「とりあえず攻撃を試みる! ふたりとも、最悪、お父さんの身体はバラバラにしてもいいか!?」

「これはもう仕方ない!」

「どうせこのあと火葬するし……うおお!?」

 

 ぎりぎりで闇をかわす魔王ちゃんは、あまり余裕がなさそうだ。

 ユシドと目配せして、剣に魔力を纏わせる。

 

「雷神剣……!!」

 

 あちらが注意を引きつけているうちに、素早く地面を駆け、一番槍を買う。雷の魔力が、鋼の刃を覆い包んだ。

 敵はあくまで死体に取りついた魔力。どう倒したものかわからないが……まずは、足を狙ってみよう。敵の動きを制限する!

 柱のような脚を、斬り飛ばす勢いで攻撃する。……硬い!! 遺体の周りを覆う闇の魔力は、例によって、障壁の役割も果たしている。

 オレの魔力は闇に阻まれ、激しい雷が迸るが、剣から離れた電光は闇の中に霧散してしまっている。やはり魔法術による遠距離攻撃は不可能であることを、改めて確かめる。

 だが魔法剣なら! オレ達に残された最も信頼できるこの武器なら、障壁を切り裂くことができるはず……! 

 剣に詰め込む魔力を増やしていくと、黄金の光が強くなっていく。同時に剣を思い切り押し当てると、たしかに、刃が闇の鎧に沈んでいくのがわかった。このまま攻撃力を高めていけば、倒せる。

 そう思ったときだ。

 激しい雷光が、消えた。暗闇の衣に、ついに刃が通ったから――では、ない。

 ()()()()。ように、見えた。

 

「!!」

 

 黒い雷が、オレの頬をかすめた。

 飛び跳ねて後退し、思わぬ反撃をなんとか避ける。オレの斬りつけた魔人の下半身から、闇属性の雷が生まれ、周囲に破壊の痕を刻んでいく。

 あれは……イシガントも使っていた技だ。雷属性の魔力を強化した、暗黒の雷霆!

 これは一体!?

 

「うおおおッ!!」

 

 雷をかいくぐり、ユシドが風の刃で斬りつけた。

 そして攻撃のあと、ユシドはすぐに身を引いた。彼の立っていた位置を……、やつの身体から発生した、黒い竜巻が薙ぎ払った。

 一部始終を見たイシガントが叫ぶ。

 

「――属性攻撃の、反射!!」

 

 闇属性は、他の属性を強化することができるという特性を持つ。それはきっと、こういうふうに応用することができるのだ。敵の魔法術を吸収し、強化して跳ね返す、というように。

 雷の魔法剣で攻撃すれば、黒い雷電がオレを襲う。風の魔法剣で攻撃すれば、暴風がユシドを脅かす。こうなっては属性攻撃は悪手だ。

 しかし魔法剣の攻撃力が無ければ、あの闇の衣は切り裂けない。

 ……! 厄介な……っ!!

 

「ふたりとも、私の後に続いて!」

 

 イシガントが、闇の魔力で形成した爪を構える。低く身を屈めて黒い触手をかわしていくと、敵の巨大な腕が彼女に向かった。

 のろい速度とはいえ、大質量の打撃。それに、イシガントは、真っ向から己の掌を叩きつけた。

 彼女の立つ地面にひびが入り、首や腕には青筋が立って、翼と尾を大きく広げ、全身の筋肉を怒張させている。いま、両者が凄まじい力で拮抗しているのが、傍目に見てもわかった。

 

「ぎぎぎ……がああッ!!」

 

 イシガントの爪と魔人の拳が、煙のように揺らいだ。

 闇の魔力が、魔人から彼女の方へ流れている。それからすぐに、魔人の纏う暗闇の内側――、腕の一部分が、闇の中から姿を見せ始めていた。

 なるほど、ここかッ!

 

「しゃあっ!!」

 

 跳躍し、宙を回りながら、太い腕を斬りつける。今度はたしかな手ごたえがあった。

 腕を斬り飛ばすとまではいなかったものの、魔人とイシガントの勢力のバランスは崩れたようで、敵がほんの少しだけよろめいているのがわかった。

 ……これが、やつを討ち倒す方法。

 イシガントが、彼女自身の闇で敵の鎧を相殺、あるいは吸収することで、その内側にある依代の肉体が垣間見える。その隙を、オレとユシドが攻撃する。

 幸いなことに、この敵には知能がない。イガシキ曰く、闇魔の遺した魔力が遺体に取りついているだけだ。ならばこちらがどう作戦をとろうと、向こうが新しい対応をしてくる可能性は低い。この戦法を続けていくことで、敵を削っていくことは可能だ。

 ……だが、あの巨体。とうに朽ちているはずなのに、まだまだ動きそうだ。

 

「イシガント! このやり方で、君は平気なのか?」

「だいじょうぶ! 私が頑丈なの、知ってるでしょ」

「……わかった!」

 

 闇の魔人の周囲に展開している、仲間たちに合図を送る。

 本人はああいっているが、この戦いはイシガントの負担が大きい。もっとうまいやり方を模索する必要もあるかもしれない。

 というか、これは、長期戦になるぞ……!

 気合を入れ直して、声を張り上げる。

 

「まずはこの線で攻めよう! イシガントが鎧を剥がし、オレとユシドが攻撃!! 魔王ちゃんは囮っ!!!」

「……はあああああ!!?? 鬼かお前は!!」

「信頼してんだよ!」

 

 刃を鞘に仕舞い、魔力を巡らせながら、敵の観察を続ける。

 あの鎧には、イシガントが一時的に隙間を作ることはできるようだが、どうやらその源は無尽蔵らしい。すでに新しい闇が、また腕を覆っている。

 だが、内側の肉体につけたさっきの傷が、治ることはないだろう。そもそもが死体だ、ヒトの動作が不可能になるほどめちゃくちゃにしてしまえば、もう動くことはないはず。

 地道な戦いになる。もしも鎧を大きく剥がせたなら、その部分に強力な魔法剣をぶち当てることができるはずだが……。

 

 体力の持続を意識し、息を整える。

 暗闇の重さに負けないように、仲間たちの姿を視界に入れ、自分の気持ちを強く持ち上げた。

 



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53. 影を斬り祓う

「おら!」

 

 鋼の十字槍が魔物を貫き、絶命せしめる。

 男が槍を引き抜く間もなく、背後からはさらなる凶爪が襲い掛かる。首を狙っていたそれを、身を屈めてかわし、ティーダは地属性の魔力を拳に乗せ、地面を叩いた。得意の、岩杭を呼び出す術が展開し、彼の周囲にいる魔物たちを貫いた。

 ティーダは右腕の調子を確かめるように、硬く無骨な指を開閉させた。その手で、傍の死骸に突き刺さっていた槍を抜き、握り直す。

 一連の動作をする間、彼の鋼鉄の右腕からは、独特の駆動音がかすかに漏れ出ていた。

 

「よし……」

 

 手首や肩を回しながら、あたりを見渡す。

 ティーダを取り囲む魔物たちは、目に怒りと憎しみをためながらも、彼に跳びかかることはしない。いや、できないのだ。

 魔物たちは皆、足元を、あるいは全身を、粘性の強い泥の塊によって拘束されていた。これは水属性と地属性の大魔力を使用した、ふたりの勇者による戦略的な連携魔法術である。現在この一帯を自由に動けるのは、術者である二人のみだ。

 戦いを再開する。この一戦は彼にとって、新たな自分を試す機会でもある。

 

「結構倒せたか」

 

 身体の調子を逐一確かめながら、周囲の敵をあらかた葬り、ティーダはひとつ息を吐く。

 この腕を使っての初めての戦闘は、彼に繊細な戦闘行動を要求した。

 友人であるムラマサに作成させ、ヤエヤまで送らせた『機械の義手』は、取りつければ本物の腕のように自在に動く魔法の品物……というわけでもない。内側にある疑似的な神経回路にティーダ自身の魔力を通し、その流れを精密に操作することによって、本物の腕と同じ動きを再現しているに過ぎなかった。

 しかし幸いにして、彼は地属性の魔力を通じ、鉱物に人体を模倣した動きをさせる魔法技術を持っていた。だからこそ、動かせる。

 ムラマサの機械技術と、ティーダの魔導師としての技が合わさってようやく動く。機械の義腕は、この時代にはまだ早すぎるテクノロジーであった。

 

「よし、もうひと踏ん張り……あれ」

 

 やや離れた場所で戦っているもうひとりの仲間に加勢しようと、ティーダはそちらの方に注意を向ける。

 そこでは。既に、おびただしい数の魔獣たちの死骸が、光の粒子へ還ろうとしていた。

 見れば、身動きを制限された哀れな獣たちの真ん中で、一振りの武器を使い、暴虐の限りを尽くしている少女がいた。

 シークの手に握られているのは、片手剣ほどの全長を持つ一本の斧。木こりの振るうものではなく、魔物の頭蓋を叩き割るための、バトルアックスだ。先端に分厚い刃がある分、見た目よりずっと重量のある武器で、小柄な少女が持つにはいささかミスマッチな品である。

 しかしそれを、シークは棒きれのように軽々と振り回し、魔物たちを叩き伏せ、あまつさえ投擲もしていた。

 

「どんどん野蛮になっていくな、あいつ……」

「……えー!? 何か言いましたか、ティーダさん!!」

 

 遠くからそんな声がして、ティーダはぶるりと背中を震わせた。戦闘中の彼女は、五感の一部が異常に研ぎ澄まされているようだ。

 

 加勢を少し後回しにして、ティーダは、自分たちの後方……この戦いで守るべきものに、目を向けた。

 最奥には、白く厚い壁に遮られた城塞都市、魔人族の住む街がある。

 その前方には、国を守るべく、色彩豊かな肌を持つ兵士たちが展開しつつあり、自分たちが時間稼ぎの役割を果たせたことを実感する。

 しかし……まだ、この戦場を彼らだけに任せるわけには、いかなかった。

 兵たちの後方、都市の正門付近に、数台の馬車が停まっている。あれは魔人族たちの所有物ではなく、ティーダ自身がヤエヤ王都からこの場所まで、護衛してきたもの。

 中には……、なんと、ヤエヤ王国の王女のひとりが、乗っている。

 

 ヤエヤと魔人族の王の間には、古くから交流があり、定例会議を設けているという。これは国家間の重要な取り決めを行うものと、王族同士の個人的な交流、関係づくりで行うものの二通りがある。ヤエヤの王族が、少ない人数でこの影の国へやって来る場合は、後者のケースだ。

 ティーダとシークは、仲間たちへ合流する準備を終えて旅立つ間際、かのヤエヤ国王から直々に呼び出しを受けた。

 用件は、『影の国へ向かう王族の護衛』だ。

 単なる移動のついでに、貴人の馬車を守るだけでそれなりの謝礼が入り、王族との縁を作れる。そんな見返りの期待できるこの依頼に、ティーダは快く承諾した。

 ちなみにこのとき、シークは何も考えずに首を縦に振っていた。

 

 しかし今、彼はそのことをやや後悔していた。

 中に乗っていたヤエヤの王女が、どうにも厄介な人物だったからだ。仲間のユシドやミーファが友人になったという第三王女とは、どうも性格が違う。

 今も、青い顔をして門の中へ入るよう嘆願する魔人族の兵たちに、馬車の主はノーを付きつけ、車窓から戦場を、見世物のように眺めている。

 ……ヤバい方の王族だ。と、ティーダは思った。

 彼女が戦火の中で傷つくようなことがあれば、魔人族たちとヤエヤの国際問題。その前に、護衛を全うできなかった自分たちに大変な重責が及ぶ。

 ティーダは空を仰ぎ、ため息をついた。

 

「……ん!? ありゃあ……」

 

 最初は、鳥だと思った。

 それにしては遠近感がでたらめで、ティーダは経験から、それを大きな鳥の魔物だと察知した。これだけの種類の魔物が凶暴化しているこの戦場だ。飛行型の種が混じっているのは、当然あり得ることだった。

 

「高いな……!」

 

 常に軽薄な余裕を浮かべていたティーダの目が、細く引き絞られ、敵を睨む。

 地属性の魔法術には、上空の敵を討つことの出来る手段が少ない。

 少ない手札の中から、ティーダはひとつを選択する。地面に岩の砲筒を作りだし、火山噴火の要領で弾殻を撃ち出す技だ。

 味方に被害の及ばない角度を計算している間に、魔鳥の群れが勇者たちの頭上を跨いでいく。ティーダは、砲弾の雨を空に向けて返した。

 ……だが、戦果は小なり。群れの一部を破壊したものの、魔鳥たちは十分に生きている。そして、不得手な局面で後手に回ってしまった間に、彼らは影の国の領空を侵していく。

 ついには、次に砲弾を放てば味方に岩が落ちてしまうという位置に、到達してしまった。

 

「クソ! 空の敵はいつもユシドくんに任せてたからな……!」

「『メイルストロム』ッ!!」

 

 ティーダの近くまで走ってきたシークが、水の魔法術を撃ち放つ。渦潮の槍は、空を行く敵から、大きく狙いを外してしまっていた。彼女は狙撃の技術に難がある。

 ティーダとシーク。強力な術師である二人だが、上空高くの敵という存在は、彼らの“穴”であった。

 

「ティーダさん、踏み台ッ!!」

 

 疾走するシークの呼びかけに反応し、ティーダは大地を揺るがした。

 シークの進む道のりから、巨岩の多面体がいくつも隆起していく。少女はそれを足蹴にしていき、空へと跳びあがった。

 足の裏側から炎を噴射し、推進力にしてさらに昇っていく。

 

「せえあっ!!!」

 

 斧の振りと、水の魔法術による刃。二刀の圧力が、空の魔物たちを駆除していく。

 魔鳥たちは一匹残らず撃ち落とされ、墜落しながら光に分解されていった。

 

「やった!」

 

 落ちながら笑顔を見せるシーク。

 そこに影が差したのは、ほんの数秒後のことだった。

 

「また……っ!」

「第二陣か……」

 

 二人の目に、魔物たちの新しい群れが立てる土煙が見えた。

 飛行タイプもまた混じっている。あれを通せば、後ろにも戦士たちが控えているとはいえ、どうしても致命的な被害が出る可能性は拭いきれない。

 自分たちがいる限り、1%でも、その確率があってはならない。ティーダはいよいよ、槍を長杖のように大地に突き立て、体内で大魔力を練り上げ始めた。

 わざわざ敵の規模に合わせた小技で仕留めなければならない、などという決まりがあるはずもない。こうなれば、大質量の巨像を創造し、全てを薙ぎ払うのみ。

 

「!?」

 

 ところが、男はいま、集中を欠いた。予想外の展開が起こったからだ。

 厄介な空の魔鳥たちが、次々と墜落している。

 彼らの身体は……一様に、白銀の光剣によって貫かれていた。

 

 

 

「お……、敵の増援か。一騎当千の勇者たちも手が回らなくなってきている。ちょうどいいシチュエーションじゃないか」

 

 荒野の戦場には不釣り合いな、豪奢な馬車。その窓から外を覗いていた女性が、ようやく車を降りた。

 楚々とした態度で美しい笑顔をつくり、先ほどからこの場から退くよう説得していた魔人族の兵士を、やんわりと退ける。

 そして、ドレスの裾と靴に埃がつくのをいとわず、王女は傲慢な顔つきで、戦場に足を踏み入れた。

 

「ふふ、これなら活躍できるな。予想外なタイミングで、うまいトラブルだ……んんっ! ……サータ? さあ、わたくしの杖を」

「……え? ありませんが」

「何?」

 

 王女は被った猫を脱ぎ捨て、不満げな表情で傍らの従者を睨みつけた。

 文句を言おうと口を開き、しかし、自分が出発時に「必要ないから捨て置け」と指示したことを思い出し、矛を収めた。

 

「じゃあ貴様の剣でいい。指揮棒代わりにするから、よこせ」

「は、はぁ……」

 

 従者から徴収した剣を手に取り、懐から一冊の小冊子を取り出す。そこには彼女の書き溜めていた、独自の魔法術の術式が記録されていた。

 

「えーと。『剣』、『剣』、『剣剣剣』、『剣』!!」

 

 剣の先に白銀の火がともる。少女がそれを操ると、宙にずらりと、光の刃があらわれた。

 そのひとつひとつが、彼女の視線によって、遠くの空を飛行する魔鳥たちに紐づけられる。

 

「『射出』」

 

 剣群が真っ直ぐに飛ぶ。やがてそれらは、確かな精度で魔物たちを貫いた。

 そうして、この場に集った人々の視線が一点に集まる。いっぱしの戦士でも手こずる、飛行する敵の迎撃を成し遂げた、ひとりの少女に。

 結果に満足するような表情を見せた王女に、次に、従者は小さな棒状の魔導具を手渡した。

 王女がそこに向けて語りかけると、従者の保持していた大きな箱から、拡大された彼女の声が、広大な戦場へと爆発的に響いた。

 

「「魔人族の戦士たちよ。わたくしはパリシャ・ユイマール・ヤエヤと言います。通りすがりの小娘です」」

 

 ヤエヤ、という名を聞き、この場にやってきたばかりの兵士たちを含め、戦場の全員が、この魔導師の少女の素性を把握する。

 

「「これから敵の第2陣がやってきます。さらなる増援もあるやもしれません。寝物語に語られし、勇壮なる魔人族の戦団とはいえ、少々の被害は免れないでしょう」」

 

 少女の声には、人々の耳を引きつける、不思議な力があった。

 それは拡声器の効力だけではなく、彼女自身の持つ何かだ。それが、突然現れたよそ者へ抱くはずの感情を、煙に巻く。

 

「「ならば……友好国であるこの国の危機を、黙って見過ごすことはできません。――私も戦います。どうか共に、守るべき世界を守りましょう」」

 

 少女は再度、宙に光の刃を形作る。その剣群は、先ほどのものとは比べ物にならない規模であり、軍の弓兵たちが一斉射撃を行うに匹敵する、暴力の雨だ。

 

「「勇士たちよ! 我に続けッ!!」」

 

 強い魔導の力とカリスマ。戦場がもたらす緊張感。自分たちの都を守るという使命感に、ノリの良い気質を持つ魔人族たちは吠え猛った。

 ティーダは、別に大したことを言っていないにもかかわらず群衆を熱狂させた、お姫様の一連の演劇を見て、ヤバそうな方の王族だという認識を強めた。

 

 

 

 

 この戦いが始まってから、どれほどの時間が経っただろうか。全力運動をしたときの時間感覚の加速を考慮しても、数分、というわけにはいかないだろう。

 数時間。……いや、半日。いや、あるいは……。

 足や手先の触覚は鈍く曖昧なものになり、今にも膝が折れそうだ。少しでも足を止めてしまうと、流した汗は体を冷やし、熱という動力源を奪っていく。

 持久力切れ、である。昔は何日ぶっ通しで戦っても、割と平気だったのにな。やはりオレは、ある面では弱くなった。

 今は、平気な顔で戦いを続ける仲間たちにがっかりされるのが嫌で、気力だけで身体を動かしている。ユシドも、魔王ちゃんも、自分の仕事をしっかりこなしている。イシガントはさすがに消耗しているようだが、しかし息が上がってくるにつれて、彼女はさらに発奮して調子を増していくようだった。瞳は鋭くなり、口の端はわずかに上へ吊られている。めったに見ない本気モードだった。

 

 続いて、敵対者である、闇の魔人の様子を確認する。

 オレだけが体力の限界ならばあまりに情けないが、そうではないはずだ。この長い闘いは、今にも確実に成果を上げようとしていた。

 闇の内側にある先代魔王の遺体には、ここに至るまでに多くの損傷を与えた。緩慢だった各動作はさらに鈍くなり、次第にこちらの優位性は増している。

 

「うおおお……だああっ!!」

 

 これまで敵の巨体をささえてきた足に、今、闇の鎧のほころびが現れたのを、ユシドは見逃さなかった。

 渾身の風神剣がぶつかる。魔人は片足を切り刻まれ、ついに膝を折った。

 ……よしっ! ここまで削れば、勝利は目前……!

 

「!! ぐっ!」

 

 巨木のような黒い腕が眼前に迫っている。オレは剣の腹を左腕で支え、衝突の力が働くだろう方向に跳躍した。

 痛烈な一撃が体をきしませ、オレの軽い身体を吹き飛ばす。なんとか態勢を整えたが、肺は多くの空気を求めてきて、みっともなく肩が上下に揺れた。

 ……戦いが長引くと、避けられる攻撃も避けられず、このように防御を選ぶはめになる。

 身体が痺れる。剣を杖にして、なんとか身体を持ち上げる。見れば、片足を破壊されて移動が難しくなった魔人は、これまで魔王ちゃんを執拗に狙っていた腕を、狙いをつけず、めちゃくちゃに振り回していた。

 さらに、闇の魔力で形成された触手が、イシガントやユシドを襲っている。まだ、もう少し、ふんばらないと……!

 

「平気か、シマド」

「!! 悪い、ありがとう」

 

 魔人の標的から逃れた魔王ちゃんが、いつの間にかそばにいて、オレの肩に手を当てていた。

 治療・回復に調整された彼女の魔力が、肌を通して流れてくる。体の痛みは薄まり、息遣いも楽になった。

 

「……おまえ、本当に平気か? 体力だけでなく、魔力も尽きかけているな。……勇者に選ばれるほどの人間が、これしきの長期戦で――」

「大丈夫だって。シマドさまをなめんなよ」

「………」

 

 笑って見せたけれど、彼女の持つ魔人族の眼は、こちらの状態を何もかも見透かしているかのようだった。

 親しい仲だからってなんでも覗いていいわけじゃないぞ。オレは立ち上がり、ちょうどいいぐらいの位置にある魔王ちゃんの額を、指ではじいた。

 

「痛あ!? お前ぇ!」

 

 刃に再度、魔力を纏わせる。

 戦況を見てみれば、イシガントの全身を、彼女自身の強烈な闇が渦巻いているのがわかった。その強大な魔力が、空気を震わせているのを肌で感じる。闇魔の魔力に埋め尽くされたこの空間にあって、はっきり感知できるほどのものだ。

 おそらくこれで決めるつもりだ。合わせる……!

 

「喰らうッ!!」

 

 鋭い黒爪が、さらに巨大で禍々しいものに変わる。イシガントは獣のごとき俊敏さで敵に肉薄し、その腕を振り下ろした。

 闇と闇の喰らい合い。……粗野で荒々しい数条の斬撃が、魔人の鎧を引き裂いた。

 

「せりゃああっ!!!」

 

 その、闇の晴れた部分。魔人の胴体にできた黒の切れ間を、正確になぞるように、電光の刃を叩き込む。

 魔人を挟んだ向こう側から、ユシドが同等の一撃を見舞っている。二色の魔力の光が、少年の顔を照らしていた。

 オレたちは剣を振りぬき、互いにすれ違う。背中越しに、ついに巨人の倒れ伏す音を聞いた。

 ふー、と息を吐きだし、剣を振って光の残滓を払う。

 

「やったか……!?」

 

 あっ! ユシドお前、やったか、とか言うな。

 誰かがそう発言すると、たいていの場合は魔物が起き上がってくる。ずっと昔からあるジンクスだ。

 ……いや、まあ、まだ終わってないよな。ここまではあくまで、闇魔の力が憑りついた、先代魔王の遺体という依代を損壊させる戦いだった。

 オレたちが真にやるべきは、あの亡霊のような魔力を消し去ること。それがイガシキの願いだ。それを成すまで、もうひと踏ん張りしなければ。

 振り返り、油断のないように構え直す。

 そこには予想通り、巨大な遺骸から、黒い闇の塊が立ち上っていた。

 

「ふたりとも、あと一撃で決めるよ。最大攻撃の用意を!」

「……属性の反射は!?」

「一気に消し去れば、反撃なんてできないでしょ!!」

 

 なるほど、それはそう。

 イシガントの言葉に頷き、もう一度剣を強く握る。

 オレは最大級の魔力を刃に注ぎ込み、激しく明滅するそれを、そのまま鞘にしまった。鞘を左手で保持し、腰を落として全力運動に備える。

 イガシキ、力を貸してくれるだろ。

 

「オオオオッ!!」

 

 イシガントはさらに巨大な黒爪を作りだし、悪鬼のような形相で吠え、暗闇に向かって激しく叩きつける。ほころび、きしみ、霧散しかける魔力の塊。

 

「風神剣・凪――!」

 

 そして、実体のないそれを、ユシドの静かな刃が切り裂いた。魔力を斬るあの不思議な剣は、闇魔の遺した妄念にダメージを与えるだろう。

 もうひと押し。最後のとどめだ!

 

「炎雷剣……ッ!」

 

 柄を握る手に、熱が伝わる。

 引き抜いた刃には、ごうと燃え盛る炎と弾ける雷が混じりあう。その熱をもって、オレは暗い地の底を走り抜き、黒い塊を薙ぎ払った。

 ……煤のように散り散りになっていく闇。それを見て、オレは自分の全身に張り巡らせていた気力の骨が、溶けてふにゃふにゃになっていくのを感じた。これで、ようやく……。

 

「まだ! そこから離れて!!」

「!?」

 

 燃え残った灰のような、ほんの少しの黒が……まだ、蠢いていた。風に揺らいでいるのでもなく、先の攻撃で消しきれなかったものがたしかに、まだそこに留まっている。

 ひゅ、と息を吸って動こうとすると、闇は、まるで羽虫の群れのようにオレに向かって来た。まだ害意があるのか!

 闇のかすみは魔法剣の一振りをかわし、オレを包み込もうとする。イシガントの言う通り、この場を離脱した方が良い。

 でも……足が、動かない。身を守るための魔力も、ほとんど底をついている。戦いが長引いたせいだ。

クソ、この程度の亡霊に、このオレが、やられてなるものか……!

 

「ミーファっ!!」

「……! ユ、ユシド――」

 

 膝をついてしまったオレの前に、少年が躍り出る。大きな背中をこちらに見せて敵に立ちはだかる様子は、どうみてもこちらを守っている構図だ。

 オレは、オレは、いま。ユシドに、守られている。庇われている。

 ……そういうことは、これまでにも何度かあったけど、あくまで仲間としての連携の範囲だったように思う。

 でも今は。情けなく魔力も体力も尽きた、今は。自分がシマドであったことを強く思い出した、今は……。

 本気の、大事な戦いの途中で。こうしてキミの背中に庇われてしまったら、オレは……、

 

 一瞬、そんなふうに、妙なことを考えた。

 けれどその思考は、途中でどこかへ飛んで行った。

 ……ユシドが、苦し気に呻く声が聞こえたからだ。

 

「ぐ、ぐ、が、は……!?」

「ユシド? ……ユシド!」

 

 体力が限界だとか、そんな情けない事実は、ユシドのこの声の前では関係がない。オレは再度立ち上がり、ユシドの様子を注意深く見る。

 ……オレをかばった少年の、顔に。煤のような闇の魔力が、まとわりついている。

 

「クソっ!」

「が、あ、ぐああああ……!!」

「!!」

 

 汚らわしい虫のような闇を振り払おうとしたとき。ユシドの腕が、オレを強く突き飛ばした。

 強い力だった。みっともなく後ろに転げ、彼を見上げる。たぶん、自分は今、呆けた顔をしているだろう。

 ユシドの口や鼻から、闇の魔力が体内に入り込んでいっているのが、見えた。

 苦し気にうめき、身体のあちこちに青筋を立て、頭をおさえているその様子は、激しい頭痛にさいなまれているように見える。

 オレはユシドに、手を伸ばした。

 

「があああああっっ!!!」

 

 暴風。

 黒い風が吹き荒れ、オレの身体を押す。

 その、闇と風が混ざり合った魔力で、わかった。先代魔王の死骸から追い出された闇魔の亡霊は、ユシドの身体を新しい乗り物にしようとしている。

 この危険性をなぜ考えなかったのだろう。この暗闇は人間の身体に憑りつく。それは死体だろうが生きている人間だろうが関係ないんだ。最初から、予測できていた性質だったのに。

 ユシドは尋常でない様子で狂い叫び、魔力をほとばしらせている。抵抗しているのだろうか。オレ達に直接攻撃を仕掛けてきたり、身体を使って暴れ出すといった様子はない。だがこのまま体内の魔力を放出し続けては、いくら勇者だといっても……

 ……死んで、しまう。

 オレをかばったばかりに、こんな――、

 

「ち! 厄介な!! あんな雑な憑依など、と言いたいが、まだ術封じの結界が効いとる……!!」

「さっきみたいにユシドくんの身体を傷つけるわけにもいかないし……」

 

 魔人族の姉妹も、手が出せない様子だ。

 どうする、どうする。このままじゃ……

 

「ミー、ファ……。逃げ、てくれ……」

「……!」

 

 その声を聞いて、また、直前に考えていたことが飛んだ。

 オレが、お前を置いて、逃げる?

 ……バカだな。そんなこと、ありえない。

 オレは、オレはもう、キミが横にいないのは、嫌なんだから。

 

「……ふたりとも! ユシドの身体を、動けないように抑えつけられないか」

 

 声かけに、ふたりは返事をしない。ただ視線を合わせてきただけだ。

 それだけで、彼女たちは動きだした。ずっと昔からの仲間は、オレのことを信じてくれている。そんなふたりを、オレもまた。

 

 魔王ちゃんがユシドを挑発するように、軽い威嚇攻撃を加える。風を切って接近する、翼で飛行しながらの蹴り。

 近づいて来た彼女に、ユシドの中に潜む闇が反応した。黒き突風がやや勢力を弱め、注意が彼女に向く。

 そうしてできた隙を、イシガントは見逃さない。

 彼女は闇の魔力を使い、黒い拘束具を作りだし、ユシドの五体にかみつかせた。その拘束具から伸びた強靭な糸が、地面にぴんと根を張り、彼の身体をその場に縛り付ける。

 これ以上ない仕事だ。……ありがとう、ふたりとも。

 ユシドはまた苦し気に呻き、身じろぎをしている。内を駆け回る闇の魔力が、彼を無理やり動かそうとしているんだ。魔法術によって縛り付けているイシガントの表情からも、魔人族の彼女ですら竦ませるような力を、本来そこまでの筋力はないユシドの身体が発揮していることがわかる。身体強化の魔法術と同じ要領だろう。そんなことをすれば、彼の身体には凄まじい負担がかかっているはずだ。

 オレは、正面から彼に近づいていく。

 

 なあ。こんなこと、前にもあったな。キミは覚えているだろうか。

 オレは、まあ、忘れてない。けっこう衝撃的だったからさ。

 

 体内の魔力を振り絞る。それはここにきて底をついてしまった雷の魔力ではなく……、“光”と、“風”だ。

 耳飾りからも、力をかき集める。

 オレは深く息を吸いこむ動作をする。

 今からやるのは、ふたつの魔力を合成した“破邪の風”をつくりだすこと。それはユシドの体内にまで入り込み、彼を蝕む闇の魔力を体外に追い出すことができるはずだ。

 この作用は光属性のみでは難しい。水や風と組み合わせることにより、対称の体内から浄化を試みる魔法術。

 もちろん、そんな術は、オレにとっては造作でもないこと。

 そう、だった。

 

「……! かふっ! ゲホ、けほ……」

 

 みっともなくむせてしまう。口元を押さえた手には、ほんの少しだけ、赤いものが付いていた。

 肺が、喉が、痛い。強い風の魔力を操るのに、この身体はあまり向いていない。

 けれど、もう一度、風を吸いこんだ。今はこんな方法しか思いつかないんだ。でも効果は間違いないと思う。だって、前に一度成功したことだ。キミはオレを、そうして助けてくれた。

 胸の中で風と光をぐるぐるさせながら、苦しむ少年に近づく。

 彼の頬に、両手で触れた。

 

「ユシド。ええとだな。これは、というか、これも、ノーカウントだからさ。許してくれ」

 

 なんとなく、オレは笑顔をつくっていた。

 顔を、互いの距離が無くなるまで、近づける。

 ユシドの口を無理やりこじ開け、オレはそこに、破邪の風を流し込んだ。

 

「……ん」

 

 唇を離すと、ユシドの苦しみ方が変わった。

 喉や胸元を押さえ、天を仰ぐ。やがてユシドの口から、闇の残滓が煙のように這い出てきた。

 

「よし……!」

 

 うまくいった。オレは倒れかけるユシドの身体を支え、闇から庇う。

 もう油断はしない。少しでも攻撃圏内に入れば、今度こそ焼き尽くす。

 黒い塊がゆらゆらと揺れる。片手で引き抜いた剣を構え、切っ先を向けて意味のない威圧をする。

 

「はああっ!!」

 

 そこに、期待していた援護がきた。イシガントの手には、大昔に見たことのある、氷で作られた刃が握られている。水と闇の掛け合わせ、冷気を操る魔法術によって形成したものだ。

 ずっとこの空間に仕掛けられていた、闇以外の属性を制限する結界が、ようやく効力を失っているのだとわかる。

 あと一撃! それだけでこの亡霊は霧散する……!

 

「くっ!!」

 

 だが黒塊は、凍てつく刃を、予期せぬ素早い動きでかわした。いや、かわしたというよりは……!

 闇は一直線に、そこに向かって殺到していく。無防備な様子でそこに立っている、魔人族の少女の元に!

 

「マブイ!! 逃げろッ!!!」

 

 王である少女の名を、大声で呼ぶ。また誰かを乗っ取られたりしたら、たまったものではない。オレは目を見開き、その一瞬を凝視した。

 ――時間の流れが、遅くなる。ここが、決戦の瞬間だ。

 すべてが緩慢な世界の中で、オレは見る。

 

 その闇を前に。彼女は、それを見下すように、つまらなさそうな表情をしていた。

 マブイの、空色の瞳の奥にある黒が、ぎゅっと細く凍てついた。

 

「触れるな妄執。浄滅せよ、今、ここで」

 

 極光が、オレの目を焼いた。

 暗闇に覆われた地下王墓を、彼女の魔法術が真っ白に染め上げる。

 強烈な光に目を閉じ……、しばらくしてから、景色を確認する。

 闇の亡霊はもう、どこにもいなくなっていた。

 

「……いやあー、終わった終わった。帰ろうぞ勇者諸君。ようやったわほんま。さあ、回復してやろう」

 

 上機嫌でこちらへ近づいてくる魔王ちゃん。

 相変わらず、魔法術の能力だけは凄まじい。これが最初から使えたなら、荷物持ちじゃなかったんだけどな……。

 

 魔王ちゃんの惜しみない治癒術により、ユシドはやがて目を覚ました。

 身体に問題はなく、むしろ回復されて、最初と同じくらい元気なんだと。そりゃいい。

 すべてが終わり、ユシドは元気にぺらぺらと魔王ちゃんやイシガントを賞賛し始める。オレは地面に尻もちをついて一息つき、その軽快に動く口元を眺めていた。

 ……意識を失いかけていたようだし、覚えては、いないのかな。さっきのことは。

 

「ミーフィよ。身体は回復させたぞ。ほれ、立たんか、うちもう帰りたいんじゃ。この変態キス魔がよ」

「キッ……!? 焼くぞお前!! あ、れ?」

 

 立ち上がろうとして、力が入らず、がくりとまた膝を折る。

 ……まあ、魔力切れからくる特殊な疲労だ。この疲労度は身体能力とはまた違うところにある。魔王ちゃんがいくら身体の傷や体力を回復させてくれても、こればかりはな。

 

「……おまえ……」

 

 少女の視線を無視して、どうしたもんか考える。

 オレはいつも通り……どんな激戦でも最終的には毎度元気そうな少年に、声をかけた。顔には、笑顔を貼りつけて。

 

「ユシド。つかれた。おぶれ」

 

 闇の脅威は、妄念は、去った。

 腰に下げた鉄の鞘は、何も言わずに、ただそこで揺れていた。

 



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54. 少女たちの隠し事

 力の入らない身体を、信頼できる背中に預ける。

 ユシドが歩き始める。なかなかに苦しゅうない安定した運び心地に安心し、普段の印象よりも広い肩に腕を回し、上半身という荷物を押し付けた。

 

「……っ」

 

 そこで気が付いてしまった。……いつもより、互いの汗のにおいが強い。とても長い戦いを終えた直後だからだ。これでは、自分の匂いが気取られてしまう。

 離れようとしたけど、身体が持ち上がらない。それどころか、何故か鼓動のスピードが増していく。以前に背負ってもらったときには、こんなふうにはならなかったのに――。

 心臓はなおも鳴りやまず、密着している相手にそれが伝わってしまうのかもしれないと思うと、もっと落ち着かなくなる。

 これだけは気付かれたくない、と思い、オレはユシドの耳元で、ごまかすように、うわずった高い声を出した。

 

「や、やっぱり、イシガントに運んでもらおうかな」

「ん?」

 

 すぐ近くを歩く、長身の女性に助けを求める。よく考えれば彼女の方が断然、元気で力持ちだ。シマドだったときのプライドのようなものが邪魔したのか、彼女に頼る発想が先に出なかった。今は、ほら、見た目だけは細っこい女なのだから。イシガントに背負ってもらうのは、効率的だし、糾弾されるようなことでもないはず。

 視線で合図をする。彼女は、長年の仲間であるオレのサインを正確に理解し、にっこりと笑った。

 

「いやあ、お姉さん剣より重たいもの持てないからさ。ミーファちゃんって意外と下半身とか逞しいし、ちょっと無理だなー。ごめんね」

「……いて! 痛い痛い!」

 

 怒りのあまり、ユシドの身体にぱりぱりと電気を流してしまった。

 この女……! 思えばオレがシマドだったときも、ああいう表情でちょっかいをかけてきた。いずれ復讐してやる……。そんなことを考えていたのを、今になって思い出した。今世のうちに果たしてやるぞ。

 あと、別に重くないわ。

 ……重いのか?

 

「そら、念願の転移機じゃ。はよ帰ろ帰ろ、城で凱旋パーティーとしゃれこもう」

 

 魔王ちゃんが転移装置を起動させる。

 眩しい光に目を閉じると、余計に。ユシドの体温やにおい、呼吸の音が、自分のものと混じりあって。

 それは熱になり、自分の頭を茹でて、煮込んでいく。

 

 何故か今、さっきの、口元を重ね合わせた場面を思い出した。あれは仕方のない、緊急事態でのことだったはずなのに。

 「何故か」、じゃないか。もうわかっている。

 ああ。あってはならない。

 

 ……これはさすがに、子孫へ、弟子へ向けて良いものでは、ない……。

 

 零してしまわないように、口をきゅっと閉める。けれど身体はこいつに、まるで甘えるように、全部預けてしまっているわけで、これは矛盾だ。

 だから、

 ()()()()()()()うちに。

 オレは、ついに、おかしくなったのかもしれないと……そう、思った。

 

 

 

 

 狂乱化した魔物たちと、人間の戦士たちとの戦いは、最終局面を迎えていた。

 ヒトを憎む以外の心を失ってしまった、哀れな獣たちに、多種多様な形状をした武器や、魔法の光が突き刺さっていく。

 精霊の存在を重んじる魔人族たちは、星へ還る彼らが、また生まれ巡り現れることを祈り、刃を振るう。

 人族の勇者たちは、ただ自らの世界を守り通すため、死力を尽くす。

 

「ああああーーーっっ!!」

 

 シークは、重量のある戦斧を片手で前方に投げつけた。回転しつつ獣たちをなぎ倒していくそれを追うように、さらに二色の攻性魔力を吐き出す。魔物たちは肉体ごと浄化され、その魂は大地の奥深くへと沈み、生まれた場所へと戻っていく。

 少女の通る道は、あらゆる敵の屍によって形作られる。味方は大勢いても、同等の力を持つ者以外、少女の周囲に立つことはできない。

 

「よし! 奥の手を使う!!」

 

 赤髪の男、ティーダが戦場で吠える。

 唯一の武器であった槍を傍らに突き刺し、彼は……右腕の、内蔵機関を駆動させた。

 

「ええと? たしか説明書によると……親指の付け根を三度回して、手首に現れたスイッチを押し……これかな?」

 

 ティーダは鋼鉄の右腕をまっすぐに突き出し、魔物の群れに向ける。開かれた手のひらの中央には、琥珀色のレンズが、充填された魔力の運動により、煌々と輝き出していた。

 ――そして、熱光線。

 細い光が瞬き走り、獣たちを貫き、焼き払う。

 ティーダの右腕に仕込まれた機構は、これまでの地属性の魔法術とは異なる、鋭利かつ爆発的な破壊力を有していた。それは、全身を機械化していたあの大怪虫、地魔イガシキの操る、未知の武装に似ていた。

 

「あ!!! ()っっっっつ!!! ふざけんなよあいつ!!」

 

 赤熱する鋼が接続部の肉を痛めつけ、ティーダはあわてて義腕を外し、地面に叩きつけた。

 男の脳裏に、これを開発した友人の、能天気な表情と声が浮かんだ。青い空から、黒髪黒目の目つきの悪い人相が、ティーダを見下ろしていた。

 

(~わたしが作りました~)

「ムラマサ……覚えてやがれよ……」

 

 

「『斉射』」

 

 光の雨が降りそそぐ。それは味方側を丁寧に避け、敵方の魔獣たちを撃ち貫いていく。

 魔法術の使用者、パリシャ王女は口元を隠し、用意させたお立ち台から戦場を見渡してほくそ笑んだ。

 その間にも、運良く戦士たちの防御網を抜けたわずかな数の魔物たちが、王女の傍らに控える従者の男によって斬り伏せられている。

 

「終着が見えてきたな。このまま人的被害ゼロに持ち込めば、こちらの国民にも顔が効くようになるだろう。ふふ」

 

 パリシャは従者からの冷ややかな視線を無視し、拡声器を再び手に、影の国の戦士たちへと呼びかける。

 

「「勇敢なる戦士たちよ! 我らの勝利は目前である!! いずれ戻るあなたたちの王に、誇るべき戦果を示せッ!!!」」

 

 怒号のような歓声で、彼らは応えた。

 守護者としての誇りを刃に、災禍へと立ち向かっていく――。

 

 

 

 

「えっ? あれ……? なんか我が軍が、よその偉そうなおなごに統率されてるんだけど?」

 

 魔王城近隣の小高い崖から、戦場を見下ろし、魔王ちゃんが茫然と呟いた。

 どれどれ、と思って、ユシドの肩越しに、指揮官らしき人影に目を凝らす。しかし疲労で視力も低下しているのか、はっきりとした容姿までは捉えられない。軍隊のリーダーらしからぬ、ひらひらした服装をしているのはわかった。

 状況は詳らかにはわからないが……、おそらくオレ達が闇魔の亡霊と戦っている間に、凶暴化した魔物たちが、領内唯一の人里である魔王城に集まってしまっていたようだ。リーダー不在の状況は、彼らにとって大きな窮地なのではないだろうか。オレ達も参戦しなければ。

 

「あれは! ミーファ、シークとティーダさんも戦っているよ!」

「ん。おお……本当だ……!」

 

 あの赤髪と、周囲の魔物を単騎で屠っていく黒い影は、遠方からでもわかる。大事な仲間たちだ。ふたりとも武器や腕を失っているはずだが、こんな修羅場で戦えるのだろうか。なんとしても助力しないと。

 だが今のオレの力では心もとない。誰か、強力な助っ人を送り込みたいな。

 

「……ほら、魔王ちゃん。たぶんみんな、王様のことを待ってるんじゃないかな。さっさと参戦しないと、部下たちみんなあの女の子にとられちゃうぞ」

「うおおおお!! 今行くぞ我が精鋭たち!!」

 

 白銀の光を身に纏い、魔王ちゃんことマブイは、戦争の只中に飛び込んでいった。あいつが本気を出せば、敵がいかなる軍勢であっても、すぐに片付けてくれるだろう……。

 

「ユシド……、ここまでありがとう、もう下ろしてくれ。戦わなきゃ、だろ?」

 

 少年にそう頼むと、やがて互いの身体が離れていく。それを少しだけ名残惜しく思いながら、足を地面につけた。

 

「……あ、つっ……」

 

 ふらりとよろめく。すぐに、ユシドが支えてくれた。

 情けなさを抑えて、小さく礼を言う。

 ……オレは、なるべく表情をいつものままにしながら、彼に声をかけた。

 

「悪い、まだ体力が戻ってないみたいだ。この辺りで見学してるから、キミは行ってきなさい」

「ううん、ここで魔物に襲われないとも限らない。僕は残るよ」

「だーめ。風の勇者だろ、お前は。ここで戦果を挙げて、ちゃんとこの街の連中に認められてこい。“シマドの子孫”じゃない、キミ自身の名を、その力を」

 

 少年の目を見て語りかける。これは適当な言葉じゃない。本当に、ユシドにとって必要なことだから言っている。

 シマドを知る彼らの前だからこそ。ユシドには、それを成し遂げてほしい。

 

「……わかった……!」

 

 ユシドは素早く、オレの周囲に簡易的な結界陣を描く。優しい風の守りが、オレを囲った。

 やがて、ユシドは高台の縁に立って、両足に飛翔の魔力を纏う。……そして。こちらを一瞥して、朗らかに笑って見せた。

 良い顔だ。オレも、ちゃんと、笑って。彼が戦場へ行くのを、見送った。

 

「………」

 

 地面に膝をつく。背後の岩に背を預けて、座る。

 視線を持ち上げられず、視界いっぱいの荒れた砂地を眺めながら、声を絞り出した。

 

「君は行かないのか? 軍団長」

 

 わざと役割を強調して、すぐそばにいるだろうイシガントに声をかける。

 彼女は、あまり愉快そうではない声色だけど、返答をくれた。

 

「……そうね。行かなきゃ。でも、置いていって平気?」

「もちろん。オレが寂しんぼうの子どもにでも見えるのか?」

「見えますけどねぇ」

 

 彼女の足先が目の前までやってきて、あたたかい手が肩に触れる。オレは、その手に自分の手を重ねた。青い肌は、見た目には冷たそうだけれど、そんなことはない。

 しばし無言で触れ合う。イシガントが仲間想いなのは、ずっと昔から知っている。変わらないその気持ちが、嬉しかった。

 やがて、手が離れていく。彼女が翼を広げて、羽ばたかせる音がした。

 ……皆は戦場へと向かった。ここにはもう、誰の目もない。

 

「………あ、ぐ……っ! ぐ……」

 

 みっともなく地面にうずくまる。

 背中が、熱い。自分の背中の上を、焼けた鉄の蛇がうぞうぞと這いまわっているようだ。

 それはやがて体の内側に潜り込んできて、胸の内から何かを食い千切っていく。身体の先端からは温度を奪って、その蛇だけが、際限なく熱くなっていく。

 痛い。苦しい。

 もうだ。まただ。また、そのときがやってくる。

 ……悲しい。

 だが……それ以上に、腹が立つ。

 痛みに屈しそうな身体、折れかける精神を、無理やり怒りで縫い留める。

 蛇がただの痣に戻るまで、この痛みが治まるまで、自分の喉が出そうとする、弱者のような声を殺し続けた。

 

 

 

 

 戦いののち。影の国では、国民総出での戦勝を祝う祭が催された。

 彼らと共に戦った勇者たち。危機に駆け付け、自らも剣を掲げた隣国の王女。長きを生きる魔人族たちの記憶に、新たな友人らのことが刻まれた日であった。

 人々は三日三晩騒ぎ続け、一時の平和を大いに喜び、隣人を褒めたたえた。

 そうして、本来あるべき日常に戻っていった……。

 

 魔人族たちの住む里の中央にそびえたつ、頑健な王宮。通称は魔王城。

 その客間にて、この国では珍しい白い肌を持つ人間が、王である少女と向かい合っている。

 客人は、ヤエヤ王国第二王女。ふたりはこの場で、国家間の盟約や交易状況の確認などを話題にしつつ、個人的な交流関係を深めていた。

 魔人族にとっては、能力に劣る人族は単なる庇護対称であるが、互いが友好国であることに越したことはない。

 そしてパリシャにとっては、この異世界における最先端の文明を持つ、魔人族との交流を深めることは、非常に重要なタスクのひとつであった。

 

「次のヤエヤの王はそなたか、パリシャ王女。父親と比べて、何かと才に恵まれているようだな」

「いえ……。立場的に、兄には敵いそうにありません。ただ、兄の次には、私の息子が王位を継ぐでしょう」

「えっ? もう子どもいるの?」

「いませんが、ひとまずその予定です。ちなみに、これが夫」

「ほう」

「えっ!?」

 

 突然視線を注がれ、王女の斜め後ろに立っていた騎士、サータは狼狽した。

 夫!? いや、そんなの承諾してませんけど。息子を王に!? ……いや子ども!? 婿入り!? 子作り!? え!?

 冷や汗を滝のように流す青年を眺め、マブイはふたりの間柄を想像し、苦笑した。

 

 友好会議、あるいは交流会を終え、客人であるパリシャは席を立ち、恭しく礼の姿勢を見せる。

 客間の扉から出ようとすると、魔王が、パリシャを呼び止めた。

 

「おっと。もう少し個人的な話題を、ひとつ思いついた。ガールズトークじゃ。男子はちいと外で待っておれ」

 

 パリシャは、従者であるサータに視線を送った。逡巡の末、彼女は従者に頷いて見せる。

 客間に控えていた、魔人族の給仕たち共々、ヤエヤ王女の護衛たちはその場を出て行った。

 ガールズトークなどというものではないことくらい、誰もが察していた。パリシャはある種の覚悟を決め、魔王の前に再度座り、向かい合う。

 パリシャには、自分をじっと見つめているあの空色の瞳が、底知れないものに見えた。

 

「……なに、そう警戒するな。むしろ緊張しているのはこっちだというのに」

 

 少女は、もう冷めてしまった紅茶で、唇と喉を濡らした。

 

「ひとつだけ聞いておこう。興味があってな」

 

 カップを静かに机上に置き、また視線を交錯させる。

 しかし、少女の透き通る瞳は。

 今度は、パリシャの、胸の内側を視ているようだった。

 

「おまえ……。()()から、()()へ来た?」

 

 

 

 

 魔王城の食堂で、息のつまる会食を終え、そそくさと部屋に戻っていく。

 息がつまる、というのも、なんとヤエヤの王女様が、客人としてこの城に宿泊しているのだ。そうなると、食事は魔王ちゃんの主催する会食という形で、一緒の空間になったりする。なんでだよ! 貴人とはちゃんと分けろ。

 あと、昨日は浴場で鉢合わせになったりした。女性の風呂場に混ざることにはとうに慣れたとはいえ、さすがに王女様と一緒となると、不敬罪が怖い。というか、ちゃんと護衛には、外で入り口を守らせておいてほしい。全員浴場の中にいるのはダメだろ。

 このときはもう、浴場に何人もいる彼女の付き人の視線を肌に感じながら、鳥の水浴びのごとくさっと湯浴みを済ませる羽目になったのであった。一日の癒しなのに……。

 同じヤエヤの王女でも、チユラとはあまりに雰囲気が違う。顔はそっくりだが、パリシャ王女のほうは、どこか異なる世界の人間であるような感覚が強い。チユラが庶民派すぎるといえば、そうなのかもしれないが……。

 彼女がそういう雰囲気を纏っていることもあって、会食の間、オレは田舎領主家の娘として、令嬢ランクの低さを弁えながら、黙ってもそもそと食うしかないのだった。

 

 そして、そんな場から解放され。少し開放的な気分で、さっさと早足で部屋に戻っていく……。

 その、道すがらだった。

 耳が、自分に呼びかける声を拾う。

 

「もし。雷の勇者さま」

 

 少し動揺しながら、後ろを振り向く。

 オレを呼んだのはやはり、件の人物……パリシャ王女、そのひとだった。

 彼女は護衛もつけず、無防備な様子でこちらへ近づいてくる。チユラと似た、美しい金の髪とブルーの瞳が、窓から差し込む月明かりで艶やかに飾られていた。

 

「な、何かご用向きでしょうか」

「あなたにはまだ、お礼を言えていませんでした」

 

 王女は優しく微笑み……深く、頭を下げた。

 恐れ多くて、背筋と心臓が委縮する。もしチユラが同じことをしたとしても、こうはならないんだが……!

 頭を上げた彼女は、こちらを見つめ、静かに言葉を紡ぐ。

 

「少女の姿をした魔物から、我々を救出してくれたこと。心から礼を言います。……ありがとう。あなた方のおかげで、私はまた親しい人たちと、言葉を交わすことができる。これ以上の幸せなど、ありはしない」

 

 ………。

 この言葉だけは、やや底が知れない彼女の、本当の心なのだと、今は思った。

 ……そしてそれは、オレにとって、ほんの少しの救いだ。

 自分が王都でしたことに、あの日々の果てに、ちゃんと意味があったのだと思えるから。

 

「この恩は忘れない。あなたたちの旅で、何か助けが必要になれば、きっと力になります。妹もまたそう言うでしょう。というか、今回はこちらに来られなくて、とても悔しがっていました」

「はは……。ん、いえ。ありがたいお言葉です」

「ふふ。……では、今夜はこの辺で」

 

 パリシャ王女は暖かい微笑みを残し、踵を返そうとした。

 だが、その途中で立ち止まる。半身だけ振り返り、こちらを見つめながら、再度語りかけてきた。

 

「ああ、そうだ。ミーファさん、でしたね」

「はい」

「……あなたは、ニホン、という国は知っていますか?」

 

 何気ないことを確認する声色で、王女は言う。

 しかしその目つきは、それが軽い質問ではなく、彼女にとって大事なものであることを感じさせた。

 

「……? 初めて聞く名です。いや、歴史書で見たことはあった……? 申し訳ありません、やはり存じ上げない」

 

 少なくとも、この大陸の地図では見たことのない名前だ。記憶にも浮上しない。人一倍旅なれた身の上ではあれど、不勉強なオレ程度の知識ではお姫様の役に立つことはできず、なんとも残念だった。

 

「そうですか」

 

 オレの返答に、安堵したようにも、落胆したようにも見える態度を見せ。王女はしばし、静かに佇んだ。

 

「では、おやすみなさい」

 

 王女と別れ、部屋に戻る。

 あの少女の纏う不思議な雰囲気は、やはりしばらく、脳裏に残った。

 

 

 

 灯りを消して、くらいくらい部屋の中。

 ベッドに寝そべり、天井を眺めながら、そこにいるはずのものに向かって声をかける。

 それは彼に、個人的に聞きたかったのを、今まで我慢していたことだ。

 

「イガシキ。……闇魔とは、友達だったのか?」

 

 オレの言葉は、夜の闇に吸い込まれていく。しばらく、誰も返事をしてはくれなかった。

 それなら眠ってしまおうか。そう考えた矢先に、あの、鉄の震えるような声が、どこかから返ってきた。

 

『さあな。まあ、いがみ合っていないのは、やつだけだったか』

 

 きっと今夜は、何かを話してくれる気分なのだろう。そう思って、さらにこちらから言葉を足していく。

 

「マリ……光魔のことは、あまり好きじゃないみたいだけど。魔物にも人間関係ってあるの? あ、人間じゃないのか……」

『………』

 

 ずっと気になっていたこと……彼ら七魔の間にあるらしい繋がりについて、聞いてみる。

 イガシキは、しばらく黙ったあと、仕方ないとでもいうように、わざとため息をつくような音声を出した。呼吸なんかしてないだろうに、相変わらず、いちいち小癪なやつだ。

 しかし今日はやはり、彼も何か、語りたい気分だったのかもしれない。

 イガシキの不思議な声による語りに、オレは、寝物語を聞く幼子のように、静かに耳を傾けた。

 

『そうさな。お前達の言う魔物……精霊は、あるときから二つの派閥に分かれてしまった』

 

 派閥。耳慣れないワードであるうえ、魔物……いや精霊の口からそれが出てくるのは、どうしようもない違和感があった。

 確かな知性を持つ彼らは……まるで、人間のようだ。

 それで、その派閥とは?

 

『ひとつは、人間を滅ぼすことこそが使命であるとするものたち。以前殺し合った火の若造はこれの典型だろう。加えて、海霊ミト=ケタ……おまえたちの呼び方だと、“水魔”もだ。……そして。星霊マ・コハも、ついには、その思想に傾いていたようだったな』

 

 これまで倒してきた七魔たちの姿が思い浮かぶ。

 火魔テリオモウイ。やつはシークの家族を襲い、ヒトの魔導の力を食らって非道を働いていた。最終的な目的は、人間を滅ぼすことだったのか。

 光魔マ・コハ。……彼女は……本当に、ただ、人間を滅ぼしたかったのだろうか。

 水魔。たぶんまだ会ったことない。

 

『もうひとつは、夜霊ヨニナグを中心に、人間とは関わらず、静かに星に寄り添う者たち。オレやテルマハは、こっちだ』

 

 ……星に寄り添うぅ? ほんとか?

 地魔イガシキ。おまえ山食ってたじゃん。人間的にはかなり困りものなんだけど。

 風魔テルマハ。あいつも保守派だったのか。オレとはあんなにバチバチに殺し合ったはずだが。

 思い返せば。両者とも、こっちが先にケンカをふっかけたと考えることもできる。あげく、倒して剣にしちゃってるし……

 なんか……かなり、悪いことをした気がしてきた。もう少し優しくした方がいいかな……。

 闇魔ヨニナグ。この精霊は……イガシキから語られる断片的な情報によると、どうも、人間とはいい関係を築きたかったんじゃないかと思える。もしも、亡霊ではない本当の彼と、言葉を交わすことができていたなら……。

 

『数多いる他の精霊たちも、必ずどちらかのスタンスだといえるだろう。……魔物と呼ばれるものたちは、ひどく歪んでしまっている。彼らは人間憎しをこじらせすぎて、逆に人間に近づいている。姿かたちすらな。精霊としての本来の役割を忘れている……哀れなやつらだよ』

 

 ……たしかに。

 人間のような姿をした魔物は、多い。獣の身体を持ちながら二足で歩く獣人や、人間の身体に憑依し操るもの。姿を人間に擬態させるもの。

 彼らが元は皆、星の自然が生み出した魂だというのなら……それは、摂理から外れたことなのかもしれない。

 魔物たちはなぜ、人間を憎むのだろう。彼らと人間の間に、何があったのだろう。

 

 イガシキの話は、今まで考えないようにしていたかもしれない、新しい視点だった。

 ある意味では、大事な……良い話が、聞けたのかな、と思う。

 

「ああ。そうだ。もうひとつ聞きたい」

『……なんだ?』

 

 今のイガシキとの会話の中に、登場していないやつが、まだ、いる。

 

「雷魔は? 雷の強い魔物。どっちの派閥?」

『それを知ってどうする。貴様に関係のあることか』

「――“雷魔ロク”。知っているんだろう」

 

 自分でも、思っていたより、冷たい声が出た。

 イガシキは、しばらく黙りこくって。やがて、また返答をくれた。

 

『やつは、大の人間嫌いだ。機会を得れば、率先して人間を殺戮しにかかるだろう』

「ははは。やっぱりな」

『マ・コハよりも、テルマハよりも性格が悪い。陰湿だ』

「ああ、そうだろうよ」

 

 目を閉じ、脳裏にその姿を思い浮かべる。

 紫色の閃光が、オレの記憶の奥底に、ちりちりと焦げ付いている。

 背中が、ずぐんと、疼く。

 ……目を開ける。気が付くと、少し、汗をかいていた。

 

「なあ、イガシキ」

 

 それからしばらく会話をしていると、ここにきて、眠気がようやくやってきた。夜ももう遅い。

 頭も、まぶたも重くなってきた。

 だから、今まで考えもしなかったことを、いや、口にしづらかったことを、彼に吐き出してしまった。

 

「元はみんな、精霊なんだよな」

 

 カード遊びの店の親父は、精霊と協力して店を繁盛させたのだと言っていた。他にも、魔人族たちは、古くからこの星に棲む精霊たちを、敬い尊ぶべき存在だとして、手を取りあえる存在だとして、共存を図っている。

 それは魔人族たちだけに、任せっぱなしにしていいことでは、ないはずだ。

 本当は、人と、精霊は……、

 

「だったらさ……、本当はもっと、うまく、仲良くやれたのかな。目が合えば殺し合う、なんてことをせず。たとえば、一緒に、旅をしたり……」

 

 互いに手を繋いで、共に歩いていく未来は、本当に、ありえないことだったのだろうか。

 他でもない、ここまでの旅路を共にしてきた地魔の魂に、そんな言葉をかける。

 ……しかし。彼はその事実を否定するように、冷たい、鋼の声を返した。

 

『到底、無理な話だ』

 

 突き放すような言葉だった。

 けれど、まだ続きがあるらしい。

 

『だが……過去は覆せないが、未来は、不確定である。すべては、お前たち次第だろうよ』

 







あとがき
 いつも読んで頂き、ありがとうございます!
 次回から最終章です!
 以下、おまけ


☆本編と関わることは正直もうない設定(でもせっかく考えたので人に言いたい)

・魔人族の目
 魔人族の眼球と視神経は特殊な機能を有しており、これによって旧人類には捉えられない情報を入手することが可能となる。
 具体例として、ヒトに擬態した魔物が近づいてきたときや、大昔の知人が少女の姿となって目の前に現れた場合には、即座にその正体を看破することができるだろう。
 しかし上記の例は、創造主の意図したケースではなく、副次的な恩恵だ。
 本来の役割は、こちら側に紛れ込み侵略行為を働く可能性のある“来訪者”を視覚で識別するというもの。異界の尖兵への対抗手段である。

・テスト ケース■■.
「異界への境界線をこちら側から生身で越える技術の再現は、未だ成し遂げられていない。あるかどうかもわからない資源のためにこうして働くのは無為にも思えるが、これも仕事だ。
 今回調達した被験体からは、脳内の記憶と人格情報データのみを抜き出し、あちら側への送信を試みた。ちなみに、よその部門ではこの情報構造体を魂とか呼んでいるらしいが、理解できない。
 ……テストの成否を確かめるすべはない。それはそうだ。結果としてこちらに残ったものは、被験体の亡骸のみ。
 そろそろ無駄金使いとして社から切られないか、不安だ。」

・姉妹の名前
 イシガント=ブルーブラッド・タイプエー(オールラウンダー)
 マブイ=ブルーブラッド・タイプエム(マジックユーザー)


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雷の落ちる… / 天帝招来
55. 水魔ミト=ケタ(2回目)


「うわーっ! 気持ちいいや! 地上の風とはまた違うんだ」

 

 ユシドは朝日に輝く一面の青を見下ろし、興奮した様子で声を上げる。

 オレは潮風にきしむ髪を手で撫で付けながら、少年の姿を、昔の自分と重ねた。

 

 勇者の旅も、もう最終目的地まではあとわずか。

 大陸での勇者捜しを終え、見つかったのは光の属性を除く6つの魔力。これだけ揃えば大変な成果だ、オレのときの二倍の仲間が集まった。風の勇者であるユシドは、胸を張って故郷に凱旋していいだろう。

 そう、これから立ち寄ることが決まっている目的地は、あとほんの2か所ほど。うちひとつは七勇者の儀式を行う聖地、『星の台座』のある場所だ。

 そしてそこは大陸からの地続きではなく、広い海の小さな島の上にある。つまりは、そのうち、船を使った旅に切り替えなければならなかった。

 これに関しては前回のシマドの旅のように、船を調達するのにも、何かしら1トラブル分ほどの手間が発生するものだと思っていたのだが……、そうはならなかった。

 ヤエヤの王が小型の軍用船を一隻、貸し与えてくれたのだ。小型といっても、長旅に耐えられそうなほどでかい。専門家の人手も雇用させてもらった。

 これは彼らヤエヤの人々との間にできた縁のおかげだろう。王女ふたりと個人的なつながりを築けているうえに、大きな事件をひとつ解決できたから。こうやって次の場所への旅を続けられる。

 オレたちがヤエヤで過ごした日々はきっと、無意味ではなかったのだ。

 ………。

 

 ヤエヤ領の港町から発って、まだほんの一日。

 いくつかの港に立ち寄りながら、大海原の上を行く船に揺られる旅は、おおよそひと月ほどもかかるという。その間、なんのトラブルもなく、仲間たちとのあたたかな日々を楽しみたい。

 長いようであっという間だった、このかけがえのない旅路は、もうすぐ終わってしまうのだから。

 

 

 

 などと感傷に浸りながら過ごすのも、三日ほどで飽きる。

 仲間のみんなの顔を記憶に焼き付けるのは大事だが、四六時中仲間たちにべたべたくっついているのも悪いし恥ずかしい。オレは船の縁から釣り糸を垂らしながら、雲の形を眺めてぼうっとしていた。

 ユシドもシークも、本や物語の中にしか聞いたことのない海を前にして、何日も飽きずにきゃっきゃとはしゃいでいる。オレもあいつらと同じ年頃だったらそれができたかもしれないが、実際の自分は年寄りだし、海を見るのは初めてではないし。

 

 新たに加わった仲間、闇の勇者イシガントは……、潮風や湿気、頭上から照り付け海面にも反射して肌を焼いてくる太陽の光がいまいち好きでないようで、毎日無限に寝ている。食事のときにだけ寝ぼけ顔のあけっぴろげな服装で部屋から出てきて、男連中をむやみに刺激しているくらいか。お前はほんとに青少年の前に立つんじゃない、目の毒だ。

 前回の旅のときには彼女もいろいろ働いてくれたが、今回は人手を雇っている。イシガントは基本的には誠実な性格だが、自分がやらなくていいことはやらないようだ。昔からの仲間だが、まだまだ知らない一面を見せてくれる。

 ……そういえばイシガントって肌青いけど、日焼けしたらどうなるんだろ。

 

 そうそう。愉快な旅の仲間はまだいたな。

 仲間のもうひとり、地の勇者ティーダは……

 

「オエエエエ~~~ッ」

「だ、大丈夫ですかティーダさん。まだ慣れませんか」

「お、俺……大地に足がついてないとダメなんだよ……」

 

 この数日間ずっと、彼はイシガントよりも青い顔をして、シークなどに介抱されていた。

 寝ても覚めても気分が悪いらしい。さすがに可哀想で、船旅を中断しようかとすら仲間内の議題にあがったのだが、本人がなんとか耐えると言って却下した。しかし正直、見ているこちらも気分が悪くなるほど彼は体調を崩している。いわゆる、船酔いだ。雇われの海の男たちによると、地属性の術師にはこういう人が多い、という俗説もあるそうだ。

 あと、機械の腕と鋼の槍も、錆びるとかなんとかで一時的に外していた。あの状態ではもし魔物に襲われでもしたら、ひとたまりもないだろう。

 抜群に優れた魔導師だと思っていたが、意外な弱点があったものだ。あれでひと月ももつのだろうか。あいつ、死ぬんじゃないかな……。

 ちなみにオレの剣と鞘も彼の装備とほぼ同じ材質であるが、どうやらイガシキが必死に潮風に抵抗しているらしいので、ほっといても大丈夫。

 

 こうなってくると、長い船旅になるかもな。

 ティーダのためにも、寄港する回数やその期間を少し増やした方が良さそうだ。

 ……旅はもうすぐ終わる。少しくらいは伸ばしたって、大丈夫だろう。オレは(・・・)まだ平気だ。これまでの経験から、体感でわかる。

 

 とりとめのないことを考えつつ、ぼうっと水平線を眺めて、時間を浪費していく。

 こんなことより、みんなと少しでも長く話した方が良いか。それにイシガントのふるまいのせいか、陽射しに肌を焼かれるのも気になってきた。これまではあまり気にしていなかったのだが。

 オレは、そろそろ船の縁を離れようと思い立った。

 

「……お?」

 

 回収しようとした竿に、震動が伝わる。こ、これは! 大物の予感……!?

 などと色めきだった自分を、次の瞬間――、

 感じたことのない、地面の大きな揺れが襲った。

 足元がおぼつかず、立っていられないほどの揺れだ。船が傾いているのかと感じた。

 な、なんだこの揺れは……! 海の上で地震も何もないだろうに。波が荒れるにしても、頑丈で大きなこの船が、突然こんな揺れ方をするだろうか。

 船尾の辺りにいたオレは、ひとまず仲間たちと合流するため、移動を始める。その間も揺れは収まらず、ときには這って進んだ。

 甲板に辿り着くと、勇者の仲間たちを含めた乗員たちが、この異常事態に困惑していた。海のプロたちをあのように慌てさせるとは、やはり普通の出来事ではないな……。

 

「うっ! やば……ウプッ! 自分が地震を起こすのはいいが、他人に揺らされるのは……!」

 

 中でもティーダは、非常に深刻な表情をして口元を押さえていた。とても心配だ。

 

「!! みんな、あれを……!!」

 

 誰かの声に、周囲を見渡す。

 それで、ああ、これが異常の原因なのだと、すぐにわかった。

 

 船外……青い大海原の内から、巨大なナニカが顔をのぞかせている。

 魚。いや蛙、それとも亀……いや。物語の中にだけ登場する幻想の生物、“竜”にも似たその頭部。

 まるで海面がそのまま形を成して動いているかのような、異様な流動体。

 そして、巨大。すさまじい魔力を蓄えた、その威容!!

 こいつは……!

 

「トオモ村で倒した、水の魔物!!」

 

 ユシドが鋭い声をあげた。

 そう。海原のど真ん中でオレ達の目の前に現れたのは。オレとユシドが倒したはずの、あの魔物だった。

 

 

 

「シャッ!!」

 

 雷を纏った巨大な斬撃で、船上に上ってきたヒトガタたちを薙ぎ払う。

 あのとき倒したはずの魔物は、いつかのように、水で形成した子分たちを差し向けてきた。船と非戦闘員たちを守るため、オレ達は武器を取る。

 しかしこれらを相手にしていてもらちが明かない。やつの術の元となる水分は今、まさに無限!! 守りに入ってしまっては、勝ち目はない。

 だが、一度は倒した相手だ。幸い雲も頭上にある。ここが湖ではなく海である時点で脅威度は段違いだが、負ける気は全くしない。あのときのように、さっさと本体を焼き殺してくれる。

 

「みんな! オレがけりをつけて……」

「ミーファっ」

 

 少年の声。

 このぐらぐらと揺れる凄惨な戦場で、ユシドは、まっすぐにそこに立ち、オレを見つめていた。

 戦いの最中。予断は許されない状況の中、あいつは短く、気持ちを伝えてきた。

 

「僕がやる」

 

 ユシドはそれだけ言って、ふわりと空に浮き、剣を握った。

 つまり。自分の力のみで、ヤツを打ち倒す、と。

 ……そうか。あいつはずっと、トオモ村の人々の命が失われたことを悼んでいた。そしてそれをした魔物を、己の力のみで倒せなかったことを、忘れずにいたのだろう。

 同じタイプの魔物が目の前にいる、この瞬間は。ユシドにとって、あのときの雪辱を晴らす好機だというわけだ。

 

 思わず、口の端が吊り上がる。そういう青臭いことは嫌いじゃない。

 本来なら被害を最小限に食い止めるために、ここは水の魔物に強いオレが出張る場面だろう。ユシドにやらせるのはあまり良い判断ではない。

 だが。今のあいつになら。

 成長した姿なんて、もう何回も見せられたけど。でも、何度だって見たいじゃないか。

 

「一瞬だ! 一瞬で決めて見せろっ!!」

 

 声を張り上げ、少年に呼びかける。

 それができなければ、オレ達の旅はここで終わり、海の藻屑に成り果てるかもしれない。

 風の使い手であるユシド。その攻撃が半端なものだと、手痛い反撃を食らうことになるだろう。海の人間たちが恐れるもの――、巨大な波や、渦潮という形で。

 これは恐ろしい挑戦だ。だからこそ、あいつ自身の力で、乗り越える価値がある!

 

 水の使い魔や触手による船への攻撃は、オレとシークが対処する。シークにとっても、海は大きな力の源だ。こんな魔物ごときには負けないだろう。

 あ、ティーダはグロッキーな様子で戦場を右往左往しており、使い物にならない。

 そういうわけで。こちらの勝ち筋は、あいつの手にゆだねられた。

 オレ達の刃となるべく空を行く、少年の姿を見つめる。

 

『……ファ、ファ、ファ。風使いごときが、この我に、』

「うううおおおおおおおっっ!!!」

 

 風に圧される。オレは脚を止め、髪を押さえつけた。目を細めて、風の発生源を見守る。

 凄まじい突風が、ユシドから生まれている……! 剣技の面でも成長しているが、いつの間にかここまでの魔力を扱えるようになっていたか。

 魔物の発生させる波に拮抗するほどの波を生むその強烈な風は、やがて力となり、ユシドの掲げた剣に集まっていく。

 荒れ放題だった海に――ほんの刹那の一時、凪が訪れた。

 

「“風神剣・昇”おおおおおおおッッ!!!」

 

 竜巻。

 土埃を巻き上げるそれではなく、ありあまる水を天高く立ち上らせるそれは、渦巻く巨大な柱を作りだした。

 それは海面ごと、不定形の魔物の身体を巻き込んで、空へと打ち上げていく。

 上昇方向への風神剣。地魔イガシキの超重量の身体を一瞬浮かせた、あのパワーを、ユシドはもう使いこなすのか!

 

『グオオオ!!?? 何が起きている!?』

「……見えたッ!!」

 

 無限の海そのものを血肉とするこの魔物は、あまりに強大だ。雷の勇者でもなければ、あれを正面から焼き殺すことなど不可能だろう。

 ならば、ユシドがその目に捉えた勝機とは、なんなのか。

 自分が風の勇者だった経験を呼び起こし、その世界を垣間見る。吹きすさぶ疾風が生きる世界では、目に映るものすべてが緩慢で、水滴の一粒一粒が捉えられる。

 

 あの水の魔物の他にも、不定形の身体を持つ魔物は存在する。以前倒したことのあるものだと、スライムと呼ばれる古代人の遺物由来の怪物がそうだ。

 やつの生態はそれに似ている。倒すには、身体を構成する液体をすべて焼却する必要がある。でなければいつか再起し、人間を襲うからだ。

 しかしそんな芸当は、風の魔法術では難しいだろう。

 だから――

 心臓を潰す。ほんのひとしずくの、小さな核――やつの身体を繋ぐ魔法的な器官を、攻撃する。それを成せば、あのタイプの魔物を殺すことはできる。

 

「風神剣・疾風――!」

 

 剣を構え、驚異的な速度で、ユシドは自ら起こした大竜巻へと突撃していく。

 その向かう先には……、わずかに光を反射する、透き通った水晶があった。水中にあっては非常に見つけにくいだろうやつの核は、魔物の用心深い性格を表しているように思えた。

 竜巻の表面に露出させられたそれを、ユシドの鋭い刃が、貫いた。

 

『ぎいいああああッ!!?? よもや、守護精霊の一柱たる我を――』

「オエエエエエーーーーッッ!!! おろおろおろおろおろおろろろ」

「うわあっ!! ティーダさん、大丈夫ですか!!」

「ユシド、おつかれー」

 

 戦場に降り立ったユシドは、いつになく精悍な表情をしている。満足いく戦果だったようだな?

 もちろん、オレから見ても、なかなかの技だった。

 ……風の勇者として、追い抜かれる日も、もうそこまで来ているのかもしれない。

 とりあえず、今日のところは褒めてやる。

 

「偉い、偉い。やるじゃないか」

「わっ! それやるの、久しぶりだな……」

 

 ユシドに近寄り、踵を上げて、無理やりその頭に手を置いた。

 ……だけど、これをやると、互いの顔が近づいて、あまり良くないことに気付く。オレは早々に切り上げ、ユシドから一歩退いた。

 ああ、ちょっと前までは、これもよくやっていたはずなのに。

 

 仲間たちから少しだけ離れ、ふうと息を吐き、戦いで高揚した身体を落ち着かせようとする。今回は、魔力をあまり消耗せずに済んだ――。

 傍らに、鋼の剣が突き立っている。水の使い魔を貫いたときに、敵ごと甲板に突き刺してしまっていたんだ。あとで修繕しないと。

 剣を抜き、オレは腰の鞘に刃を納めた。

 そうすると、そこから、独特の震えが返ってくる。鞘に宿る精霊の魂――イガシキが話すときの振動だ。

 

『バカな。あのミト=ケタが、風の勇者ごときに……』

「……えっ、知り合い?」

 

 イガシキは口走ったのは、おそらく名前。つまりは、今倒したあれの。

 固有の名前を持ち、それをイガシキが知っているとなれば。もしや、あの魔物――

 

「もしかして“水魔”?」

『……海霊ミト=ケタは、オレと同等の古参だ。やつの受け持つ海で遭遇するとなれば、勇者どもをたやすく皆殺しにするものと期待していたが……まさか、こうもあっさり敗北するとは』

 

 どさくさに紛れて最悪なことを言うな。海に沈めるぞ。

 しかし、あれが水魔ねえ。たしかに、並の魔導師や戦士たちでは到底勝ち目のない敵ではあったが……

 

「でも、七魔ってひとつの属性に一体じゃないのか? さっきのに似てる魔物を一撃で倒したことがあるよ。あれは山の中の湖だったけど、まったく同じ顔で、同じ能力だった」

『何? い、一撃……?』

 

 珍しく困惑したような声を出したあと、イガシキは黙り込んでしまった。

 しばらくして、再び話し始める。何か考え事をしていたらしい。

 

『おそらくだが。超級の魔力を有するミト=ケタは、この時代には己のコアを分裂させ、支配地域を広げようとしていたようだな。お前が倒したのはその分体だろう』

 

 分裂……? 不定形の水の魔物となれば、たしかに可能だろうが、生物としての個々の性能がかなり下がるはずだ。そこそこ強い魔物だったが、全盛期はもっとすごかったってことか?

 

『やつはオレ達の中でも随一の魔力と、狡知を持ち合わせていた。雷使いとて易々と打倒できる相手ではない。……だが、今の言動から察するに、どうやら分裂することで頭脳の方もアホになっていたようだな』

「アホって……」

 

 狡知か。言われてみれば、あの水の魔物ほどうまく人間を誘い込んで喰らうようなやつは、そういない。もし本来の力を持っていたならば……そう考えると、運が良かったのか。

 

『ふん。山はオレのテリトリーだというのに、欲をかくからこうなる。これがあの海霊ミト=ケタの末路だとはな』

「仲悪かったの?」

『当然だ。昔ならいざ知れず、今は人間を好んで食うようなゲテモノ趣味だぞ。度し難い』

 

 お前も大概人間嫌いだよな……。

 

 イガシキからの愉快な情報提供が終わり、身体も落ち着いてきた。

 仲間たちの元に戻り、後片付けに参加しなければ。

 ………そう考えていた、そのときだ。

 

「!?」

 

 また、船がひどく揺れる。ユシドは確かにあの魔物を倒したはずなのに、同じような揺れ。

 まさか……!!

 

『おのれ、小童どもが……。圧し潰してくれる!!』

『海の怒りを思い知るがいい』

『ファ、ファ、ファ。人間ごときがこの広大な海に進出するなど、片腹痛いわ』

『一匹残らず喰ろうてくれるわ』

 

 船の右舷に向かってやってくる、山、山、山。

 ……水魔ミト=ケタの“群れ”が、オレ達を圧倒していた。

 

「うおっ!? この揺れ……!」

「ぎゃあああ!? 俺泳げねえんだーーっ!!!」

「ティーダさんッ!」

 

 転覆しかねないほどの途方もない揺れに、仲間のひとりが船から投げ出された。ティーダ……!!

 泳げないと丁寧に自己申告した彼は、武器や義腕も無しに水面に叩きつけられ、やがて海中に沈んでいってしまう。仮に彼が泳げたとしても、隻腕になって日も浅い。間違いなく溺れてしまう!

 ――いち早くそれを追って海に飛び込んだのは、シークだった。オレは彼らのいるあたりに意識を割きつつ、水魔を警戒する。ユシドも先ほどのように空を飛び、魔力を練りつつ、船と仲間たちを守るように、やつらに立ちはだかった。

 ……二人は、無事か……!?

 

「んっ?」

 

 海面が、揺らいだ。

 波の揺れではない。

 渦巻いている。……渦潮だ。だが、ユシドの技ではない。これは……

 螺旋を穿ち始めた海に、やがて大穴が開く。覗き込んでみれば、船上からは決して見えるはずのない、“海の底”が見えた。

 目を凝らす。そこには、ふたつの人影があった。

 シークだ。シークが、水の魔力を猛烈に発揮して両手を掲げ、海水を操っている。彼女がこの大穴を作ったんだ……!

 大質量の海をこうも操って見せるとは。まさに、水魔にも劣らない力の持ち主だ。

 そんなシークのかたわら。少女に庇われ、ぐったりとしていた様子の男が、よろよろと立ち上がった。ふたりの声に耳を傾ける。

 さすがに距離があるのと、渦潮や波風の音で聞き取りづらい。何を話しているのだろうか……。

 

「……ん? 何だこれ、“地面”がある……」

「ティーダさん、大丈夫ですか!? このままだと、わたしたち……」

「――シークっ!! このまま海を開いていてくれ! 柔らかく湿った海底でも、船の上と比べりゃ天国だ……!!」

「え、え、でも」

「俺の隣にいろ! ここから反撃するッ!!」

「とっ、となりに……!? は、はいぃ……」

 

 なんか元気そうだ。

 いけるか……!?

 

「ユシド! オレも加勢する!!」

 

 さすがにこの局面では、ユシドだけに任せるわけにはいかない。オレも飛翔の魔法術を使い、彼の隣に飛び上がった。

 すぐ横に並べば、頼もしい魔力と、かすかな体温を感じる気がする。それだけで、力が湧き上がってくる。一人で戦うときには無い力だ。

 やがて、雨がふってきた。上空に広がる黒雲は、雷を増幅させるオレの味方だ。運が向いているようにも思えて、気分が高揚する。

 剣に力を奔らせる。仲間たちと、ユシドと一緒なら、絶対に負けない!

 

 

 

 そのあと。

 オレたちは死力を尽くし、水魔の群れと戦った。無限に思えるほどの軍勢であるやつらを、千切っては投げ、千切っては投げ。それは、筆舌に尽くしがたい戦いだった。

 

 ちなみに、最終的には。

 昼寝を邪魔されて死ぬほど機嫌の悪い状態のイシガントが船内から出てきて、一面の海を凍結させ、水魔たちを粉々に砕いてしまった。

 凍結は海の割と深い部分にまで及んでおり、我々が航海を再開するのには、それなりの時間がかかった……。

 

 

 陽射しも白雲に隠れ、のどかな天気の昼。船の縁から釣り糸を垂らし、物思いにふける。

 

「いやあ、水魔ミト=ケタ……なかなかの強敵だったな」

 

 そうしていると、やがて。釣り竿が大きく揺れたのが、手に伝わってきた。

 

「おっ!? 今度こそ大物……!?」

 

 足腰を踏ん張り、しなる竿を必死に引く。広い海に生きる魚たちとのこの激しい攻防は、やめられない。独特の魅力がある。

 しかし……

 

「なんだよ、食われちゃったか」

 

 竿にかかる力は突然失われ、釣り糸が切れたか、餌を持って行かれてしまったのだとわからされた。敗北か……。

 だが、これしきで心を折っては釣りには挑めない。オレは気持ちを新たに、青い海と再び向かい合うのだった。

 

 

 

 

『おのれ、人間どもめ……。いつの日か必ずや、報復してくれよう』

 

 陽の光も届かない、深く昏い水底で。何者かの低い声がささやく。

 いつの日か、彼は再び現れるだろう。この星に、生命への恵みをもたらす豊かな“水”が存在する限り……。

 



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56. 温かい記憶を、終わりの日までに

 断面が見事な紫に光る鉱石を、どんな形に加工したものかと、手の上で転がしながら眺める。そんなことをしているときだった。

 仲間たちのにぎやかな声が、船の前方から聞こえてきた。

 石を懐にしまって、船尾を後にし、左舷の縁から身を乗り出して景色を見る。

 ……ようやくたどり着いた。この小さな島にあるのが、この旅で最後に立ち寄る人里だ。

 

 

 海沿いの港町や大海原のど真ん中を舞台に、記録に残すほどでもない様々な冒険がありつつ。

 我々はついに、重要な目的地でのひとつあるその島へとたどり着いた。

 水夫たちが船を固定し、点検する作業が終わるのを待ちつつ、オレ達は先に陸地へと降り、島唯一の港から、一本だけ伸びる細い道路を目で追った。

 

「ごくり……ここが例の島、勇者の旅の最終目的地なんですね」

「ん? いや、違うけど」

「えっ?」

 

 どうやらシークはちゃんと説明を聞いていなかったらしいな。誤解したまま船旅してたの?

 ここは聖地にほど近い島であるが、『星の台座』のある場所ではない。ここにあるのは……

 

「ここにあるのは、7つの『勇者の神殿』だよ」

「神殿?」

 

 もちろん、勇者たちは神サマなどではないのだが。この島の住人たちは古くから、偉業を成し遂げた歴代の勇者たちを祀り崇めているのだ。いや、今でもそうなのかは、まだわからないが。

 

「お祈りでもしにいくんですか」

「ううん。これからみんながするのは、修行よ、修行。特訓。パワーアップ」

 

 イシガントがシークに答えた。

 そう、この神殿は勇者たちに祈りを捧げるだけの施設などではない。この建造物にはある強力な術が働いており、内側では世にも不可思議な現象が起こる。それがどういうものかは、彼らにも直に体験してもらうとして……。

 ともかく。7つの神殿は、現役のメンバーたちが、魔力や魔法術の能力を極限にまで高めるための場所だ。それをしないと星の台座を起動できるだけの能力値に至らないことがあるため、これも通過しなければならない道である。

 

「ちなみに、シークはみんなの2倍修行するんだよ。火と水、どっちもコントロールしないといけないんだから」

「ふえっ!? あ、あのぉ……。修行って、やっぱり過酷なんですか? ミーファさん」

「……さあ? どうなのかね、イシガントさん」

「吐くぜ! 血ヘド!」

 

 いい笑顔で言い放つイシガント。シークは青い顔でおののいた。

 そうかこいつ、修行とかしなくていいんだよな。200年前にもう済ませたから。オレもやらなくていいんじゃないかと言いたいが、雷使いとしてはまだまだ未熟だ。これを機に歴代の雷の勇者たちに追い付かなければならない。

 

「修行かあ……。僕も、シマドさまに追い付けるかなあ」

 

 そんな言葉を耳にして、思わず反応する。

 

「簡単だろ、そんなの。もうそろそろシマドより強いんじゃないか」

「え? それは買いかぶりすぎなのでは。……イシガントさん、どう思います?」

「んー。今の時点では、もし二人が戦うようなことがあれば、シマドが勝つと思うよ。と言っても、たぶん潜在能力は同じくらいだと思うんだけど――」

 

 ユシドはオレではなく、“シマド”の直接の知り合いである彼女に意見を求め、耳を傾ける。おいおい君ィ、そいつよりオレの方がシマドには詳しいぞ。

 

「彼は豪快でめちゃくちゃなことをやっているように見せるけど、本当は繊細な小心者でね。そういう性格が戦い方にも出ていて、魔力の扱い方がうまくて、強かった。というか、いやらしかったな。そう、エロい人でした」

「いやらしい……」

「えろ……」

 

 ユシドとシークが先代風の勇者の姿に想像をはせている間に、イシガントはこちらを見て、くすりと笑った。

 おい。なんだその評価。お前オレのことをそんな風に思っていたのか。エロはお前だろうがよ。後輩たちに変なことを吹き込むんじゃないよ。

 

「ま。シマドにはきっと、そのうち会えるわ」

「え?」

「おおいみんな、そろそろ行こう。イシガントさん、村まで先導してくれるか」

「は~い。任せて、ティーダくん」

「この歳でくん付けで呼ばれるのは……」

「だってまだまだ若者でしょー。ワカゾーよ」

 

 ティーダの声がかかり、この話題は終わった。

 ……振り返ってみれば少し、興味深い話だったかもしれない。

 ユシドは“ミーファ”には一度勝ったけれど……、“シマド”と対決すれば、果たしてどうなるのだろうか。

 ………。

 

 それは、これから、わかることだ。

 

 

 

 これから向かう村のことを話しながら、細い砂利道を集団で進んでいく。

 ヒラク村に住む人々は、七勇者の伝承と、修行場である神殿を現代まで残すこと、そして聖地を守ることを民族的な使命としていた。最初の村長は、何代目かの勇者のひとりがつとめていたという。

 島に残る人は神殿の管理。島から出る人は伝承の流布。彼らがいなければ、七人の勇者という仕組みのことを知る人間はいずれいなくなってしまう。

 人間世界を守ることにつながる、とても重い仕事を担っている人々だといえる。

 ……というのが、200年前に知った話。今現在、彼らが我々の到着を待ってくれていて、快く迎えてくれる保証はない。

 200年というのは一般的に見て短くはない年月である。村が無くなっていたりしないか、やや不安だ。

 

 道なりに進むと、やがて村の門が見えた。立ち上る白煙や、耳が拾う生活音。期待していた光景に安堵し、明るい声をあげる仲間たちの後ろをついていく。

 そうして、入り口に辿り着いた。

 木製の門を見上げると、それを飾るように上部に取り付けられた、アーチ形の看板が目を引いた。まるで商店のように、村の名前が書いてある。

 『勇者村』と。 

 

「勇者村……?」

「勇者村て」

 

 おかしいな。『ヒラク村』じゃなかったか?

 なんともいえない表情の仲間たちと顔を突き合わせ、軽い門扉を押し開ける。

 集団で脚を踏み入れた我々を、各々の生活を営む人々の、奇異の視線が迎えた。

 先導役をしていたイシガントが口を開く。

 

「えーっと。そうそう、まずは村長に顔見せして、神殿を使わせてもらう話をしないと……」

「やあやあようこそ、古き伝統残す地、勇者村へ! 観光客の方ですかな!?」

 

 イシガントの声をさえぎって、明るい表情を顔に貼りつけた青年が声をかけてくる。

 観光客だあ?

 村内を遠くまで見渡してみると……なんだあれ。『おみやげ屋』? ずいぶん昔とは様変わりしているようだ。

 今は村おこしにでも取り組んでいるのだろうか。

 

「いえ、その。観光客ではなく、僕たちいわゆる、まあ、勇者というか……」

 

 ユシドは顔を赤らめながら応対する。たぶん彼はオレと同じ気持ちだ。

 なんだろう。この青年や街の様子を見ていると、急に勇者を名乗るのが恥ずかしくなってきたのである。

 だが、それを聞いて、青年の目は素早くオレ達の手を検めていた。表情が真剣なものに切り替わり、商売人のような揉み手をやめる。

 

「………。失礼ですが、それは“本物”で?」

「え、ええ」

「少々こちらでお待ちいただきたい。すぐに戻ってまいりますので」

 

 しばらくして、観光ガイドの青年は、いかにもな威厳をまとった老婆を伴って戻ってきた。

 服装は青年のものと違い、大昔に見たこの村の伝統織物の意匠が入ったもの。おそらく村長に相当する古老だ。

 彼女は我々を一瞥すると、老人らしいしわがれた声で、しかしハキハキとした口調で話し始めた。

 

「お初にお目にかかります、今代の勇者さま方。すぐにでも歓迎の宴を催したいところですが……観光業に手を付けたはいいが、ときどき偽勇者たちがやってくるようになりましてね。失礼ながら、あなた方が本物かどうか、テストをさせて頂きたい」

「へえ……」

 

 イシガントが目配せをしてきた。前とは違うね、みたいな意味のアイコンタクトだろうと思う。たぶん。

 老婆は懐から、子どもの握りこぶしほどの大きさの、石ころを取り出して見せた。

 

「神殿の建材にも使われている、ヒト由来の魔力を多量に吸収してみせる鉱石です。これに触れながら、体内の魔力を高めてもらいたい。並の魔導師ならば何も起こらずに終わりますが、勇者ならば相応の反応を示すでしょう」

 

 ふうん。魔力量に反応するようになっているなら、周りにいる仲間たちの誰が試しても、テストはクリアできるだろう。

 ユシドが一歩出て、それを受け取る。彼女の言う通り、その身に秘めた魔力を石に伝える……のかと思いきや。

 

「誰がやる?」

 

 こちらに振り向いて、そんなことを聞いた。

 

「自分でやればいいだろ」

「なんか、緊張しちゃって」

 

 苦笑するユシド。……まあ、万が一何も反応しなかったら、自分が勇者に選ばれた人間だという、この旅の大前提が崩れる。

 こんな果ての島までたどり着いて、今さら試験など、嫌と言えば嫌かもしれない。

 

「えと。じゃあその、ミーファ。ど、どうぞ?」

 

 ユシドは仲間たちの顔を順繰りに眺め、最終的にオレに石を差し出してきた。

 力を信頼してもらえているようで、嬉しいことだが……、

 

「いや、オレはいい……」

「あ、なんだよ。きみだって緊張してるじゃない」

「まあな」

 

 その石が、魔力量の多寡を測るものだとしたら。

 ……今のオレは、もしかすると、触れない方がいいかもしれない。

 

「お嬢ちゃん。この方を驚かせてやるといい」

「むえっ、わたしですか……」

 

 ティーダが半笑いしながら、シークに話を振った。

 まあ、それが一番派手だろうな。魔力の強さでいうなら、この中で一番幼いはずの彼女こそが最強。イシガントをも感嘆させるほどの力である。

 緊張した面持ちでそれを受け取るシーク。両手で大事そうに持ち、目の高さくらいまで掲げた。

 シークの両手がぼうっと光る。手の甲に刻まれた紋章が、魔力の高まりに反応し発光しているのだろう。やがて、熱気と湿気が彼女を中心に高まりだし、村人たちの顔に汗が浮かぶ。

 石は……シークの右手側が赤熱した様子になり、左手側は深い青に変色していた。

 

「うわ!!」

 

 色がはっきりと濃くなっていく果てに、鉱石は彼女の手の中で、粉々に砕けてしまった。

 これがどういう結果を示しているのかわからず、なんともいえない雰囲気で、オレ達は老婆の様子に目を見張る。

 彼女は石の残骸から、欠片を手に取り、しばし眺める。とても厳かな表情で、ひとつ頷いた。

 そして、くるりと機敏に身体をひるがえし、村へ身体を向ける。

 

「みんなあああああ!!!!! 仕事しとる場合かあああアアアア!!!! わしら当たり世代じゃああああ!!!!」

 

 そんな大声を轟かせながら、ドドドと走り去ってしまった。

 テンション高いなこの婆さん。

 

 

 

 

 夜という暗い天井の下で、煌々と明るい火が、人々の心を弾ませる。

 人々から絶えず声をかけられ、もてなされることに、少し疲れた僕は、喧騒から抜け、やがて適当な場所に腰を下ろした。

 

 この夜は、村をあげての祭になった。

 人々は笑顔で、勇者の来訪を歓迎してくれる。共に飲み、食い、騒ぐ。仲間の誰かが、これまでの冒険を人々に語る。

 広場に設えられた舞台の上では、面で顔を隠した者たちが踊り歌う。過去の勇者をテーマにした劇仕立ての舞踊は、この村の伝統芸能だという。

 ……勇者なんていっても、僕達は世界の陰で動く者だ。これほどまでに旅を激励し、在り方を讃えてくれる土地は、この村と僕らの地元くらいだろう。だからこのお祭りは、得難い体験で、楽しいものだった。

 

 少し向こうでは、初代村長を模したという守護霊像を眺め、ティーダさんが腕を組んでいる。やがて彼は大地の魔力を使い、より精巧で戦士らしく武器を構える石像を地面から生み出した。

 それを見ていたイシガントさんが、対抗するように、氷でできた美しい戦士の像を創造する。彫刻家顔負けの仕事に、見物客たちから感動の声があがった。

 

 今度は舞台を囲む人々の声がして、そこに目を向ける。壇上には、飛び入り参加させられた様子のシークがいる。初めは困り果てた顔だったものの、周りのキャストが客を魅せるのを真似て、派手な火吹き芸やらを見せていた。強すぎる魔力に苦しめられていたあの子が、ああやって魔法術を戦い以外のことに使う様子を見ると、あたたかい気持ちになる。

 ある程度観客から拍手をもらい、ほっとした様子でシークが舞台を降りると、面で顔を隠した出演者たちは、今度は金髪の少女……ミーファを壇上に引っ張り上げた。

 やや照れた様子の彼女だったが、目立つのが嫌いじゃないのは知ってる。次の瞬間、ミーファは派手に魔力を瞬かせ、蒼や金の電光で夜空を彩った。さすが、芸達者。求めにしっかり応えた少女に、人々が歓声をあげる。

 綺麗で力強い雷の芸も愉快なものだけど、僕はそれよりも……光の下にいるミーファの、人々に向けた柔らかい笑顔を見ていると。なんだか、顔が熱くなって、胸の中が、心地よく締め付けられる感覚がした。

 

 ひととおり騒ぎ終えて、仲間たちもまた、腰を落ち着けられる場所までやってくる。

 舞台や祭りを楽しむ人々が見えるところに集まって。どこからか椅子をもってきたり、敷物を広げたりして。屋台や商店から頂いた品を飲み食いしながら、楽しい話をした。

 

 やがて、夜も深くなった頃。広場の中心にある大きな明るい焚き木を囲み、楽器持ちたちが奏でる、僕らにとっては耳慣れない民族的な曲に合わせ、人々は好き好きに踊り始めた。

 どこのお祭りも、最後の方は似たような光景になる。疲れて眠くなるまで、楽しく踊り明かすんだ。

 彼らのそれは、先ほどの舞台劇でみた気がする振付の一部だったり、都会の貴族たちの舞踏会を真似たようなものだったりした。

 守るべき人たちの笑顔を眺めながら、飲み物を口に運ぶ。

 すると、ある仲間の小声を耳が拾った。我ながら、ジゴク耳というやつだった。

 

「……ねーねー、シークちゃん。ティーダくんをダンスに誘ったら?」

「え、ええー? で、でも、わたし踊りなんかやったことないし、というかその、なな、なぜティーダさんを……」

「ふ……。みなまで言わせるでないよ。ほら見なさい、あっちで踊ってる若いふたり、いい雰囲気だわ。あっちのふたりも。こういう特別な夜にこそカップルは成立するんだぜ?」

「うむむ……!!」

 

 なんかいたいけな子供に悪いことを吹き込んでいる大人がいる。

 イシガントさんにそそのかされたシークは、やがて腰を上げ、ほろ酔い気分で地面に座るティーダさんの前にやって来た。

 しばらく彼女の両手は自身の服をつかみ、もじもじとしていたが、ついには意を決したような表情で口を開く。

 

「あ、あの! ティーダさん、わ、わ、わたしと、おっ、踊ってくださいませ!?」

 

 言葉の途中から目をぐるぐると回しながらも、アドバイス通りなんとか誘いをかけている。シークのその必死な姿を見ていると、まるで我が事のように応援したくなった。

 ティーダさんは地面からシークを見上げ、だらけながら返答する。

 

「あー? いやだよ、おじさんこういうの、参加しないで見てる派」

「ガーン……」

 

 我が事のように、シークの心臓が冷たい槍に貫かれているのがわかった……。

 しかし彼女もあの見た目で、僕なんかよりもずっと強くたくましい戦士だ。あきらめない不屈の精神を持っているらしい。

 

「え……ええーい!!」

「のほぉっ!? 左腕もなくなる!!?」

 

 少女は無理やり男の手を引き、人の渦の中に飛び込んでいった。

 ティーダさんがこぼしていってしまった飲み物を片付けながら、僕は笑った。

 

 踊る人々や揺れる火を眺めるのに戻ると、やがて、なんだが汗が出てきた。火の熱にあてられたような感じがする。

 いや、これは……ふたりが席を立ってしまい、ここには、僕とミーファのふたりきりになってしまったことに、気が付いたからだ。

 あれ!? イシガントさんは!?

 一度気づくとダメだ。隣にいるだろう存在に意識を集中してしまう。戦闘用に鍛えた感覚が勘違いを起こして、彼女の息遣いを耳が拾い、ほのかな香りを鼻が察知する。

 ど、どうしよう。イシガントさんの言葉を聞いていたせいだろうか、彼女を意識してしまう。ミーファが答えを返してくれるまでは、変に惑わせないようにしないといけないのに。

 でも、こういう機会ってそうないし。お互い退屈だし、こういうときは、僕から声をかけないといけないのでは? いや待て待て、イシガントさんの言葉に踊らされているぞ、あのひと、僕が聞き耳を立てていたことに気付いていたに違いない。

 そんなふうに、ばかみたいに、一人悶々と懊悩していると。すぐ近くに座っていた少女が、椅子から腰を上げた。

 思わず目で追う。ミーファは、髪を耳にかける仕草をしてから、僕のほうを向いた。

 

「……あー。オレたちも、その、踊りに行こうか? ……ユシド?」

 

 火のせいかいつもより紅く見える顔で、ミーファがはにかむように笑う。こちらの名を呼びながら少し身をかがめ、目線を合わせてきた。

 紫水晶の眼。急に顔が近づいてきて……、それで、ふわっと浮くような感覚から後頭部への衝撃。僕は椅子からひっくり返っていた。

 

「なんだよ、おい。大丈夫か」

「う、うん」

 

 彼女が差し伸べてくれた手を取り、強く引かれるのに合わせて、立ち上がる。

 そうなると、互いがどういう体勢になってしまうのかは、自明なわけで。

 さっきよりもさらに近づいてしまい、僕は至近距離からミーファを見下ろす形になる。視線がぶつかり合ったのはほんの数秒のことだと思うけど、頭が戦いのときくらい目覚めてしまって、無駄に体感時間を引き延ばしていた。繋いだ手から心臓の音が伝わってしまわないか、焦った。

 

「近いぞ、少年」

「いて」

 

 でん、と空いた手で押される。けれどもう一方の手は繋いだままだから、あまり距離は離れなかった。

 ミーファは照れた様子でよそを見てから、そのあとにまた僕を見て、いたずらっぽく笑う。

 

「この手はもう、踊ろう、ってことかな」

「あ……その、うん。あっ、でも、僕、ダンスとかわからないし」

「そりゃいい。リードしてやる、おいで」

 

 手を引かれて、村人たちに紛れ、向かい合って立つ。ミーファが、繋いでいない方の手を僕の肩に回してきて、ぐっと身体を近づけてきた。これは、お貴族様がやるタイプのやつでは。ああそうか、彼女は領主家のご令嬢だった。

 これはまずいと思って、よそ見をする。ほとんど密着状態だ。

 あまりのできごとに、心臓が普段の二倍くらいうるさい。人間二人分の鼓動が身体に響く。……二人分?

 

「さすがに気恥しいな……。ま、まあいい、想い出作りだと思って、付き合いなさい」

 

 音楽の変化と、彼女が動くのに合わせて、ついていく。僕が足をもつれさせたり、変にもたついても、ミーファが手を引いて導けば、結果的にそれはなんだか愉快な絵になる。へんてこな動きも、彼女が一緒なら、踊りと言い張ることはできないこともない。

 

「うまいもんだろう。なんでもそれなりにできるミーファさんだ」

 

 言葉通り、彼女は色んなことをそつなくやってみせる。ひとつ年下だというのに、一回り以上はなれた大人のように経験豊富な人だ。いつ、どこで、たくさんのことを学び、身に着けたのだろう。

 ミーファは僕にとって、最も頼りになる先達だ。けれど、いつかその横に並びたいと思う。剣の腕だけじゃなく、他にも、色んなことで……。

 旅の中で、多くの出来事があったけど。なんだかんだで僕の、彼女への気持ちは、あまり最初と変わってはいない。

 ミーファのことが、好きだ。

 

「旅が終わって、シロノトに帰ったら……今度は、僕から踊りに誘いたいな。内緒で練習して」

「……ああ。楽しみにしてる」

 

 金の髪を火に濡らして、彼女は微笑む。

 それはなんだか、彼女らしくない、儚げな雰囲気で。寂しそうな表情だと感じた。

 

 素人と経験者の妙なダンスは、村の人たちに溶け込みながら、それからもしばらく続いた。

 心地よく跳ねる心臓のリズムと、目の前の少女のまつ毛の長さや瞳の色味、髪の香りと息遣い、触れ合ってしまう部分の温度。ミーファのすべてが心を占領してきて、この場面が記憶に焼き付いていく。

 これが想い出作りだというなら、こちらにとっては大成功だ。と、思った。

 

 

 

 

 勇者の神殿は、この島の中に7つある。

 例えば、風の神殿には風の勇者のみが入ることができる。内側でもたらされる“試練”に打ち勝った者は、外の世界に戻ったときには、強くなるための、何かしらのきっかけを得ていることだろう。

 

 仲間たちと話し合い、オレ達は、イシガント以外の全員が一斉に神殿へ入ることを、避ける方針にした。

 神殿内部は神秘性の強い閉鎖空間であるためか、一度足を踏み入れると、外部で何が起きているのかわからなくなる。このときにもし、何か不測の事態が起きたとして、イシガントだけにその厄介ごとを任せるのは無責任で、勇者として本末転倒だという話になった。(正直、彼女一人がいれば、よほどのことでない限りどうとでもなるだろうとは思うが)

 そこで、神殿には、二人ずつが入ることになった。まずはオレとティーダが入る。ユシドは雷の神殿を守り、シークは地の神殿を守る。イシガントも、想定できるトラブルに備えて待機する。

 という感じ。

 

「じゃあ、お先に」

「しっかり守るよ」

「一日そこらじゃ終わらないぞ。夜はちゃんと寝ろよ」

 

 見送るユシドに軽く手を振り、固く閉ざされた扉に手を触れる。

 剣の紋章が浮かび上がると、扉が反応し、やがて重々しく石扉が開いた。

 

 内側は、遠い記憶に残っている風の神殿の中と、同じつくりに見える。

 だからきっと、“機能”も同じだろう。

 

「!!」

 

 ぴしゃりと。空も見えないこの屋内で、空気を切り裂くような、雷の音がする。

 

 神殿が溜め込んだ雷属性魔力の源。それは歴代の勇者たちが過去にここで使い込んだ、彼ら自身の魔力の残滓である。

 

 それらが瞬き、光り、やがて神殿内の一点に稲光が収束し始めた。光は塊になり、塊は、形を変えていく。

 

 神殿は修行・訓練のための場所だ。ところで、より効率の良い修行には、一体何が必要だろうか。

 ……それは、“修行相手”、あるいは“師”だ。

 

 集った雷の魔力が、やがて非常に具体的な形になる。頭、胴、二本の腕、二本の脚。

 ……五体揃った、人間の形だ。

 魔力は次第に、一個の生体に置き換わっていく。黄金の雷霆は、一本一本が美しい、見事な金の髪に。蒼の稲妻は、女性的な魅力を備えたしなやかな肉体に。

 紫電の光は……、いつか、どこかで、見たことのある、強い意思を秘めた眼差しに。

 

 気付くとそこには、ひとりの女性が立っていた。

 オレより……ミーファより、ひとまわり年上の美しい女性。

 でも、だけど、ああ。

 俺は、彼女を知っている。

 

「ふう。なんか変な感じ。……あら?」

 

 瞳が、オレを捉えた。

 女性は柔らかく微笑み、初めて出会う者に向けて声をかける。

 

「かわいらしいお嬢さん。あなたが、今代の“雷の勇者”ですか?」

「………」

 

 思わず、ふらふらと近づいて、その容貌を確かめた。

 困った様子でこちらを見返す表情を見て、自分の深い記憶がよみがえってくる。

 そうか。この人はたしか、こんな声をしていた。

 

「……ミナリ」

「え? あれ、もう名乗りましたっけ?」

 

 200年前の雷の勇者、ミナリ。

 その再現が今、目の前にいる。

 



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57. 雷の試練

「改めて……私はミナリ。雷の勇者として、あなたに同行します」

 

 金の髪が美しい女性は、しかし居丈高な態度でじろりとこちらを睨みつけた。

 

「ですが、風の勇者なんて単なる招集役でしょう。こちらの足を引っ張らないように」

「ああ? 言ったな、おまえ!」

「まあ、なんて粗野な人なの」

「……ふん! あんたこそ」

 

 街を出るとき、行先が東か西かでケンカになる。顔を突き合わせると、目がばちりと合って。

 不覚にも、瞳の色はきれいだと思った。

 

 ▼

 

「ミナリ、合わせてくれ!!」

「ええ!」

 

 連携で強力な魔物を仕留め、思わず互いに武器を叩き合わせ、かちゃりと鳴らした。

 力を合わせると、俺達は個々で戦うよりも、何倍も強くなった気がした。

 

 ▼

 

「なかなか、勇者が見つかりませんね」

「ああ……さすがに、二人旅が長すぎて、飽きた」

「あら、ひどい人。私はそれなりに、楽しいですよ」

「そうかい。……まあ、噂ではこの地方に魔人族の里があるらしいから、そこでなら強い魔導師のひとりやふたり、見つかるだろう」

「なら、残り少ない二人旅を楽しまないと、ね?」

 

 無遠慮に、無邪気に顔を覗き込んでくるミナリ。そういう仕草はズルいなと思いながら、目を逸らした。

 

 ▼

 

「おーい、シマドくん。きみ、どうやらあの子にしか興味ないようね。お姉さん自信なくしちゃうな」

「は……はあ? 何言ってんだ、あんた」

「告った? もう告ったかオイ? うりうり」

 

 やたらとその女性らしい仕草で誘惑してきたイシガントが、今日はからかいの方向性を変えてきた。反応してしまって、彼女がにやにやと口を歪めるのを見て、しまったなと思った。

 遠くでミナリが手を振っている。

 この想いは……伝えるほどのものでも、ない。

 

 ▼

 

「が……ああああっ……!?」

「シマド!?」

 

 背中の肉が焼けるような痛みにうずくまってしまう。それで、イシガントにも、ミナリにも、俺がみじめに敗北したことがばれた。情けないことだ。

 

「どうして……私がいれば、こんなことには……」

「シマド、ごめんね……」

 

 二人は神殿で修行していたのだから、仕方がない。修練を終えて出てきた頃には、もう勝負は決していた。

 でも、我ながら最低限の仕事はできたよ。あいつは誰も殺せなかったし、一生消えない傷も残してやった。勇者に求められるようなことは、ちゃんとできた。

 そう悲しむことはないだろ。

 さあ、集まった勇者は3人ぽっちだが、それでも旅はもうすぐ終わる。笑っていこうぜ。

 

 ▼

 

「シマドさま。旅のお仲間が、あなたに会いにと」

 

 手を強く握って語りかけてくれる彼女の声に、なんとか反応を返す。

 そろそろやばいなーと思っていたときにみんなが来てくれるなんて、やはり俺は最高に幸運だ。ちゃんと別れを言いたかった。

 いやまあ、もう声は出ないんだが。みんなの顔も見えない。

 

「シマド、私、私ね。あいつを見つけて、倒してみせるから……。でも、でもそれができなかったら。いつかまた、あなたと会う。会えるのを、待ってるわ」

 

 イシガントの、戦うときには氷みたいに冷たくなる手は、しかしひんやりと心地よい温度で、俺に触れてくれた。彼女は心があたたかいから、うまくバランスが取れている。

 

「………おやすみなさい、シマドさま」

 

 ああ、すまない。君には望まぬことをさせたし、俺が死んでもその苦労は続いてしまうだろう。これこそ呪いみたいなものだ。

 難しいかもしれないけど。これからはきっと、あなたの望むように、生きていってほしい。俺はそう願う。無責任で最悪な男だと、墓には書いておいてくれ。あ、うそうそ。墓とか弔いとか適当でいいよ、ほんと。

 

「ありがとう、シマド。あなたのこれからが幸福であることを、私はずっと、願い続けます」

 

 ……ミナリ。

 最後に会えて嬉しいよ。俺は、その。彼女の前で、きみにこんな気持ちを向けるのは、まあ本当に人として最悪なんだけども。

 俺は、君のことが――

 

 ▼

 

「……ミナリ」

「え? あれ、私もう名乗りましたっけ?」

 

 近づいてみて、わかる。自分は随分と変わってしまった。身長は彼女よりも少し低いし、声は、彼女の落ち着いたそれよりも、やや高い。

 だから、このままただのミーファとして名乗れば、きっと気付かれない。それは悲しいことでもあり、しかし、逃げ道でもあった。細くて弱そうな今の自分を、この女性に知られてしまうのは、少しだけ、怖い。だから顔を伏せて、地面を見つめる。

 けれど。かつての仲間と顔を合わせて、再会の言葉も言えないなんて、苦しい。二律背反の心はやがて、ばかみたいにぽかんと開いた口から、言葉を絞り出そうとしていた。

 

「……お、オレは……その」

「………シマド?」

 

 その名前を、懐かしい声で呼ばれて、顔を、上げてしまった。

 

「シマド、なの?」

「……ああ、そうだ。きみの仲間だった、シマドだ。ど、どうして……」

「っ――!!」

 

 正体を看破されたことが不思議で、困惑していると。彼女は突然両手を広げて……オレのことを、抱きしめた。

 魔力と術式が再現した、かりそめの肉体のはずなのに、ぬくもりと、やさしい香りが、彼女にはあって。

 

「あ、あの? ミナリ、さん? ちょっと、距離が。当たってるんだけど……」

「シマド……こんな、こんな形で、また会えるなんて……」

 

 ミナリの声には、涙と嗚咽が混じっている。

 ひとまず、役得だと思うことにして、しばらく彼女の好きにさせた。

 

 

 

 神殿の真ん中、どこから水を引いているんだかわからない噴水広場の縁に腰掛け、彼女と話をする。

 やはりミナリは今のオレより背が高く大人で、それがなんともまあショッキングだった。くだらないプライドが、いたく傷ついた感じだ。

 

「……そう。もう200年もの時間が経っているなんて。それにあなたの呪刻はやっぱり、生まれ変わりを強制する契約だったのね」

「ああ。ほんと性格悪いよ」

「そうね。あの龍は陰険です」

「傲慢で強そうな割にやり口がね、最悪だ」

「ほんと。むかつきます」

「キモい」

「おおばかもの」

「しつこいやつ」

「小心者」

『根暗』

「!? 今のは誰が……」

「あ、ごめん、オレの今の相棒だ」

 

 ひとしきり悪口を言ってから、どちらからともなく失笑する。

 オレは腰を上げて、彼女と向き合った。

 

「でもさ、オレは……この結果も、きっと悪くないと思っているんだ。今の“ミーファ”としての人生は、君たちと旅をしていたときくらい、かけがえのないもので……まあ、気に入ってる」

「あら。嫉妬しちゃいますね」

「なんだよ。そう言うなって」

 

 手を広げて、彼らの姿を思い浮かべる。

 

「今の仲間たちは、若くて懸命で、本当に愛おしいやつらでさ。この人生じゃなきゃ彼らには出会えなかった。……君にも、会わせたかった」

「そうね。あなたがそこまで言うなんて、できることなら、会いたかった」

 

 柔らかい笑みは、昔の彼女そのものだ。

 記憶と一緒に、心の深くにしまっていたものが出てきて、オレは、胸が、少し熱くなったように思った。

 

「代わりに、話を聞かせて? あなたが雷の勇者としてここに来るまでの、ミーファと、仲間たちの物語を」

「もちろん、いいよ」

 

 こっちだって、話したくて仕方がない。このミナリが、あくまで再現された仮の存在だとしてもだ。

 だから笑って応える。オレの前にいるミナリは、とても懐かしそうに目を細めた。

 

 

 

 声が枯れてしまうほど、長く、長く思い出話をした。

 ミナリはにこにこと、子どもを相手にする母親のように笑い、オレの語りを聞いていた。そこに気が付くとさすがに気恥しいと感じたけど、でもそれ以上に、彼女は聞き上手だった。

 

「すごい。たったの2年ほどで6属性の勇者が揃うなんて、ほとんど奇跡……運命的ね」

「はは。まあ、今回の風の勇者には、かなりの幸運がついてるんだろうさ」

「そうですね。幸運の女神がね」

「?」

 

 じっとこっちを見るミナリ。何かおかしな点でもあったかな。

 

「ところで。光属性の勇者は、まだ仲間になっていないのですね」

「ああ。それっぽい子には、何人か出会ったんだけどな。はずれだったよ。あ、ハズレって言い方はあの子らに悪いな……」

「“光の勇者”は魔王ちゃんですよ。気が付きませんでしたか?」

「ぷはは、魔王ちゃんね」

 

 ぱっと脳裏に浮かぶアホ面の魔人族。彼女もまあ、強い縁で結ばれた、仲間のひとりと言っていいだろう。

 ………ん?

 

「ん? なんて?」

「魔王ちゃん、イシガントの姉上の、マブイちゃん。まだ健在だというなら、あの人が光の勇者ですよ」

「……はあああっ!? そんなバ、カな……」

 

 これまでの彼女を思い出す。暇そうに玉座でだらけている姿。荷物持ちで死にそうにへばっている姿。

 眩い光で闇魔の魔力を消し去った場面。オレたちの体力や傷をすぐに回復させた腕前……。

 

「この私……肉体は全盛期で再現されているようですが、晩年にもこの神殿に立ち寄ったので、年老いてからの記憶もありまして」

 

 ミナリの語りを傾聴する。彼女は、旅を終えた後の、オレの知らないことを知っているミナリだったようだ。

 

「勇者の役目はとっくに終えた頃に、久しぶりに魔人族の方たちと交流の宴を催して……魔王ちゃんが、その場にいないあなたの死を嘆いて、しこたま酔ったときにね。ぽろっと漏らしたんですよ。自分は本当は、光の勇者なんだって」

「はあ」

 

 そう言われてみれば、今まで気付かなかったのが恥ずかしいくらいだ。あいつは光属性の魔導師として、並ぶ者がいないほどの力を持っていた。当然手の甲を検めさせてもらったことはあるが、剣の紋章はなかった。今思えば幻術で誤魔化されていたに違いない。

 はあ……。あいつに騙されているなんて、想像したことも無かったな。

 自分よりアホだと思ってたから。いや今も思っている。

 ……しかし、だとしたら。

 少し、悲しい。オレは彼女に、その秘密を明かすほどには、信頼されていなかったのか?

 

「なんで教えてくれなかったんだ……」

「彼女もあのごたごたの中で王を継いだばかりだったから、そう簡単に国を離れるわけにはいかなかったのでしょう。けれど、こんなことになるのなら、ちゃんとついていってやるべきだった。シマドに申し訳がない――、と言っていました」

 

 ……魔王ちゃんも、オレのことは悼んでくれていたのか。

 なら、まあ、いいのかな。魔王ちゃんに限らず、旅の中で出会った勇者たちに対して、個人の事情を無視してまで参加を強制することは、できない。したくない。

 理由があるのなら、仕方がない。

 

「あと……、『魔王なのに光の勇者なんて、意味分からんしかっこ悪くない? いや、むしろかっこ良すぎる? ちょっと恥ずかしい。えへへ。』とも言っていました」

「もう、殺すか――」

 

 息を吐きながら天を仰ぐと、魔王ちゃんがムカつく笑顔で陽気なポーズを取っている姿の幻が視えた。

 ゆるさん。えへへじゃないんだよ。

 

「……結局今回も教えてくれてないし。今のあいつは暇そうだからな。そういうことなら、ここを出たらすぐにとっちめてくれる」

「あの人のやることだから、意味のあることだとは思いますが……。一度ちゃんと話すことは、必要ですね」

 

 

 

 ひとしきり会話をしたあと。ミナリが、おもむろに腰を上げる。

 

「さて。良い旅物語も聞かせてもらいましたし、そろそろ――この私の、役割を果たしましょうか」

 

 静かだった神殿に雷鳴がとどろき、光と共に、ミナリの手の中に一振りの杖が現れた。魔導師が求められる性能を高める、彼女の得物だ。

 それだけで、彼女がかつての勇者としての威厳を取り戻したように感じて、思わず息を呑む。

 ……雷の勇者としてやってきた今だから、わかる。オレとは、雷術使いとしての、迫力が違う。

 

「シマド。いえ、ミーファ。この神殿には、力をつけるために来たのでしょう。“試練”に挑みますか」

 

 ふう、と呼吸を整え、腰の剣を抜く。

 

「ああ。この先、まだ何か厄介ごとが起こるかもしれない。オレに、仲間たちと、肩を並べるための力を」

「よろしい」

 

 ミナリはオレの意思を、柔らかく受け止めてくれた。

 

「本来ならば、じっくりと魔法術の力を伸ばすカリキュラムを組むのですが、あなたにそれは必要ですか?」

「いや……そういうのは自分ひとりで、いつでもできる。一応、“経験者”だし」

「ならば、欲しいのは“雷の奥義”ですね」

 

 にこりと笑い……、彼女はおもむろに、指を自分の頭に置いて、唸り始める。

 傍から見てその様子は、奇妙の一言に尽きた。

 

「うみみみ……」

「え? 大丈夫?」

「少々お待ちを。神殿に蓄積されたデータにアクセスして、あなたに適した技を検索しているところです」

「??」

 

 緊張を抜かれてしまった。鋼の剣を鞘に仕舞い、身体の筋肉を伸ばしたりしながら、しばし待つ。

 

「ぴーん!」

 

 突然ミナリが明るい声を出し、びくっとしてしまった。

 

「あなた、今でも魔法剣を使っているでしょう。ちょうどいい能力を見つけました。過去の雷の勇者にも、あなたのように白兵戦を得意とした人物がいたようですね」

「そうか。ありがたい」

 

 神殿には、ここを修行場として利用した過去の勇者たちの情報が眠っている。

 新たな勇者がここを訪れると、その情報の中から、修行相手に相応しい人物を選び、再現する。そうして現れた幻影は、師として、力の底上げに協力してくれるのだ。

 また、過去の勇者の情報の中には、彼らが使っていた独自の技能も蓄積されている。基礎的な能力の上達に加え、先人が編み出した特別な技を学び取ることができれば、新たな勇者の力は飛躍的に向上するだろう。

 いかなる不可思議な術式でもって建設されたのか定かではないが、この神殿の仕組みにはまったく感心してしまう。

 

「ですが、修得は容易ではない。偉大な先人が生み出した電光石火の極致を、あなたのそのか細い身体で、受け止められるかどうか」

 

 ミナリの表情が厳格なものになる。彼女は今、オレに教えを授けるものとして振る舞っている。

 ……そう。神殿の仕組みはよくできたものであるが。簡単に強くなれるかというと、もちろん違う。

 過去の勇者が生み出した技。それは当然、彼ら自身の個性に最適化された技であるため、他者が修得することは困難を極める。例えば、筋骨隆々の大男が使っていた技を、腕が細く持久力のないミーファ・イユが、果たして扱うことはできるか?

 だから、これは“試練”。乗り越えることで何かを得る。乗り越えられなければ、何も得られない。

 

「望むところだ」

「……いえ、やはり別の技を探しましょう。あなたには、向いているけど、向いていない」

「ミナリ」

 

 神殿がもたらしたものこそが、オレにとって最も必要なものであるはず。だがその情報を得た彼女は、どうも乗り気ではなくなったようだ。

 

「頼む。君が授けてくれる試練なら、オレはどんなものでも乗り越えてみせる」

「………」

 

 強く決意を示しても、ミナリの険しい表情は変わらない。

 眉根を寄せ、目を閉じ……真っ直ぐにオレを見て、言う。

 

「わかりました。技を修得するなら……剣は必要ありません。外しておいていいでしょう」

 

 困惑しつつ、言う通りにする。剣とは関係のない、得物に寄らない技か。

 剣帯ごと外してよそに置いたら、ミナリの言葉に集中する。ここからは、彼女の口にする一言一句、聞き逃してはならない。

 

「これから私は、あなたの身体に幾度も雷撃を浴びせます。あなたはそれに抵抗せず、ただ耐え続けなさい」

「な、に……!?」

 

 愕然とした。この、この弱い身体で、ミナリの雷撃を受ける……!?

 長い時間が経った今でも、記憶に鮮烈に焼き付いている眩い雷光。オレなんかの雷術は、あれに比べれば偽物だ。それに、耐え続けろというのか。

 ダメージはコントロールできるのだろうが、それでも、わかりやすいほど死の危険がある試練。だから彼女もためらったのか。

 

「そして……。この奥義がどのようなものかは、あなた自身が気付き、理解する必要がある。あなたが神殿に来るのは二度目、それはわかっていますね」

 

 ……そうだ。ヒントは与えてもらったとしても、答えには、本質には、自分で辿り着かなければならない。でなければ手にすることはできない。

 かつてのオレも、そうして力を掴んだ。

 拳を強く握り、頷く。

 

「――『その身を焼く雷と、自身との境界を考えなさい』。それがあなたの……ミーファ・イユの、“雷の試練”です」

 

 神殿の高い天井の下。屋内にあるはずのない、黒い雷雲が立ち込める。紫電を蓄え、雷神の槍をオレの喉元に突き付けている。

 心の恐れを隠すように、オレは、にっと笑ってみせる。

 極大の光が降りそそぐ寸前。ミナリは、また、懐かしそうに目を細めていた。

 



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58. 200年の恋に

「ぐ……がああああああっっ!!??」

 

 全身を雷に蹂躙される痛みは凄まじく、意識が飛びそうになっても、しかしまた痛みで戻ってくる。それを何度も繰り返していると、いよいよおかしくなりそうで、こんな苦行から何がつかめるのか全くわからない。

 雷撃に慣れ親しみ、耐性のある身体とはいえ、この痛みは消せない。逃げ出したくて仕方がないと思った。自分が今まで退治してきた魔物たちは、これに肉体を引き裂かれ、焼かれ、ずいぶんと苦しんだのだなとわかった。

 

「………」

 

 気が付くと、自分は地面に伏していた。みっともなく立ち上がろうともがいているうちに、治癒術を施されたのか、雷轟でおかしくなった耳に音が戻ってきて、喉も、声を出せるようになっていた。

 

「少し休みましょうか」

 

 休憩の号令。それを聞いて、立ち上がろうとしていた膝は折れた。

 雷撃、休憩、雷撃、雷撃、休憩、雷撃雷撃雷撃、休憩……そんな感じのサイクルを、オレはあれからしばらく繰り返している。

 地面に尻をつけ、行儀悪く脚を放り出して天井を見上げていると、すぐ近くにミナリがやってくる。

 じっとこちらを見下ろされると、すこし居心地が悪い。オレは足を畳み、()()()姿勢に座り直した。

 

「ね。シマド、仕草がすっかり女の子みたいですね」

「ん? そうかなー……」

 

 意識してそういうふうに見せることはあるが、ミナリの前で女性のように取り繕うつもりはなかった。ミーファとして過ごすうちに、いつのまにかそれらしい動作が染みついていたのだろうか。

 ()が男だったら、これは直さないといけないな。

 

「それに、髪なんて、昔はボサボサだったのに。服も無頓着だったけれど、今は綺麗な格好してる。あなたがシマドだって気付けるのは、私かイシガントくらいですよ」

「ああ、まあ、それはその」

 

 せっかく、きみのような、きれいな金髪の女の子に生まれたから。

 ちょっと、憧れの女性の雰囲気を真似てみた、というか。少なくとも、昔の自分のように無造作にしておくのはもったいない。

 ……さすがに言えない。魂は老人といっていいような男が、若い異性の立場を割と楽しんでいた、なんてのは。こればかりはオレだけの秘密だ。

 

 

 

「ちょっと、ヒントが少なすぎましたね。あまり厳しすぎるのも時代遅れの指導法と言いますし」

 

 修練再会の折、すっかり師匠になってしまったミナリが講釈を始める。

 ありがたい。あのままやみくもに雷を食らい続けていては、糸口は見えそうになかった。「雷と自身の境界について考えよ」という助言はあったが、もう少し具体的な技のかたちを聞きたいところだ。

 ……ところが、やはり、ずばり答えを教えてくれるというわけにはいかないらしい。

 ミナリの次の助言も、いまいち意味が判然としなかった。

 

「雷を拒まないで。受け入れてください」

「……それって、敵の術を吸収して力に変える技能を身につけろ、ってことか……?」

 

 思い浮かぶのは、過去の戦いで、地の勇者ティーダが地魔の熱光線を吸収していた光景。属性への理解を極めた魔導師なら、ああいった芸当ができるようになるようだが……。

 

「いいえ。今回は、吸収・変換術はむしろ禁止。それとは少し違う。……身を焦がす雷と、あなたとの間に、境界があってはならない。拒むから、焼かれるんです」

「??」

「ああっ、もどかしいなあ。丁寧に技の性質を教えようとすると、神殿側から言動を制限されるんですよ。先人たちはどういう意図でこんなシステムを作ったんだか……」

 

 彼女にしては珍しく、なんだかイラついてる感じ。申し訳ないな。

 神殿は勇者に試練を与える。過去の勇者の情報を伝授できる力があるのに、どうしてかそれを簡単に寄越してくれることはない。

 神殿を建設した人物の思想かもしれないな。勇者たるもの、必殺技が欲しいならなるべく自分で辿り着きなさいよ、みたいな。

 それに、課題に取り掛かる子供に答えをすぐ教えてしまうと、思考力、発想力が鍛えられない……という理屈も、世の中にはありはする。

 頑張るしかないか。攻撃に耐える中で、何かを見出さなければ。

 

「ぐ、あああ、ぐ……っっ!!!」

 

 全身を焼き尽くされ、しばらくしてまた倒れる。

 ミナリの操る雷撃は驚天動地のすさまじさで、食らうと思考なんか飛んでしまう。

 折れるつもりはないが……、さすがに、前途多難だ。

 

 

 

 休息時間に、外から持ち込んだ保存食をちまちまと切り崩していると。食事をとる必要のないミナリは、退屈からかよく声をかけてくる。

 ともすれば、共に旅をしていたとき以上に、オレ達は親しく、距離の近い仲になっているかもしれない。積りに積もった互いのこれまでが、オレ達の口を動かすんだ。

 

「ねえシマド。あなた、子孫だっていう男の子に懸想しているの?」

「ぎょああああああっっ!?!?」

「えっそんなに……?」

 

 オレはひっくり返った。

 よりによって、大昔に好いていた女性が、聞いてはいけないことを聞いてきた。性別の違いで距離感が変わるのも考え物だ。

 ……こっちはそれを認めるかどうかで、何カ月も迷っているというのに。

 なぜそんな根も葉もない世迷言を? と取り澄まして返すと、ミナリの言うには、ここまでの旅の話に一番よく出てきた名前がユシドで、活躍を語るときの表情も穏やかなものだったから……とのこと。

 それは、一番名前が出てくるのは、共に旅をした経験が一番長いのだから当たり前で、多少肩入れしているのは、あの子が自分の血を引く者たちの末裔だからだ。そう説明した。

 

「だから、まあその、目に入れても痛くないってやつさ」

「ふーん。ふふふ」

 

 微笑ましいものを見るような目……とでもいえるだろうか。いや、生温かい視線といおう。そういう目で見てくるやつらはこれまでにもいたが、相手がミナリとなると……。

 複雑な気分だ。

 

 

 

 神殿に入ってどれくらいの時間が経っただろうか。

 変化は、既に訪れていたようだ。

 

「情けない悲鳴をあげなくなりましたね。痛みを感じなくなった?」

「え?」

 

 ミナリが放つ雷轟の凄絶さは、最初から変わっていないはず。だが……どうしたことだろう。

 身体を焼く雷の奔流に対し、しっかりと立って、普段と変わらない平静さを保っている自分がいた。そうだ、もうのたうち回るほどの痛みはない。痛みに慣れたのだろうか? いや、それとは違う気がする。感覚の問題ではなく、事実として、身体が受ける電撃のダメージそのものが減衰しているように思える……。

 この場での師であるミナリの顔をうかがう。彼女は、眉を吊り上げた勝気な笑顔で頷いた。予定通りとでも言いそうな表情だ。

 

「ここまでの時間、ただあなたをいじめていたわけではありませんよ。幾度も身体を焼かれ、焦がされたことで、今のあなたの身体は雷電に馴染んでいる! なら、どんなことができる? どんな姿になれる?」

 

 馴染んでいる、という言い回し。それは具体的にどういう状態なのか。

 再度、ミナリの雷を受けながら、自分の手足に意識を集中する。電撃はいま、この身体の肉や骨を引き裂くのではなく、それらの上を滑るように駆け巡っている……そんな感覚がする。

 そうだ、今の自分はさながら、雷の魔力を纏っても刀身を損なうことのない、イガシキの鋼殻から造り出したあの魔剣のようだ。

 雷はオレの身体を害さない。ならば!

 集中し、外部から自分を苛もうとする電撃に、自分の魔力を混ぜていく。この力のめぐりをコントロールするためだ。

 身体中にほとばしる雷の力を、自分の表面に留め、その上で循環させていくイメージ。そう、魔法剣のときと同じだ、この身をひとつの刃だと思えば……。

 

「……できた」

 

 ミナリによる電撃の放出が終わっても、黄金の光はオレの身体の上を走り回っている。腕を振れば、スパークが軌跡となってついてくる。

 この状態! 強大な力が身体を取り巻いているのがわかる。

 ……身体強化術。これはチユラ王女などが使っていた、身体強化の魔法術に似ている。以前それを真似たときには、電流に神経や筋肉を焼かれるような痛みに襲われたが、この状態はきっと“成功”だ。

 肉体を駆ける魔力は動作を補強し、運動能力の上昇が期待できる。さらに体表面を雷魔力が走っているという特性から、魔法障壁の出力が上がり、触れるものを焼く攻性防御とすることも可能になるだろう。また、この魔力の光を宿した身体なら、ただの徒手空拳が魔法剣のごとき威力を得るはず。

 なるほど……! これが、

 

「これが、雷の奥義……!」

「の、中途段階ですね」

「あれ?」

 

 勝手に盛り上がってしまっただけだったらしい。

 なんだか悲しく、恥ずかしい気持ちになった。

 

「雷を肉体に纏うだけ。そんなの、あなたの得意な魔法剣の理屈とそう変わらないでしょう。これがあなたに足りない、ここでの修行の果てに手に入れるべき力だと思いますか? ……まだですよ。その先の姿を、想像してみてください」

「これの先ねえ……」

 

 身体能力を強化するような方向性なのは当たっていると思うのだが。それなら今の段階で十分凄まじい気がするけどな。チユラやシークのような怪物じみた運動能力を得られるだけでも、剣士には凄まじい恩恵だ。

 シマドだったときに会得した風の奥義も、これと似て、風の魔力を全身に纏う技だったんだけど。まさかその先を要求されるとは。

 ……いや、まあたしかに。これでも、その前世の自分より()()気がする。雷の勇者として完成したとは言えないか。

 

「うーん」

 

 しかし。今の、雷を全身に纏っている状態……それ以上の姿となると、どんなのだろう。もう雷と一心同体にでもなるしかないんじゃないか。

 とっかかりは見えている気がする。

 腕組みして唸っていると、師匠サマが声をかけてきた。休息時間の合図だ。

 

「休憩にしましょう。シマド、あなた修行しっぱなしだから、ちょっとくさ……汚れちゃってますね? 水浴びでもなさいな」

 

 清潔さは大事。お言葉に甘えることにした。

 

 服を脱いで、神殿の中にある噴水装置の内側に足を踏み入れる。これ、ただの飾りではなくて、修行者にとって大事な水源になっている。おそらく、大きな街の水道のように、雨水や海水などを術で浄化しているんだろう。

 不思議なことに、神殿の中は水場があるのに、湿気はあまり感じず、虫やら植物やらはない。部屋の中を快適な環境にする結界術でもあるのだろうか、ぜひ修得してみたいのだが。

 中央の高い装置から噴き出す水を、頭から被る。冷たいものに身体を洗い流される感覚が気持ち良かった。

 自分の身体に触れ、優しく撫でると、そこに電撃に焼かれた痕などはなく、白い肌のままなのがわかる。

 どう加減すれば、あの威力でありながら痕が残らないようにすっきり治療できる、なんて絶妙な電撃が放てるのだろうか……。

 

「シマド」

「うわ! ちょ、っと、なんだよ、おい」

 

 ひとりリラックスしているところに声をかけられ、思わずあちこち腕と手で隠す。

 そりゃ、同じ空間にいるんだから、目につくし音もうるさいかもしれないけどさ。異性の水浴びを覗くのはマナー違反だろうに。

 声のした方向に視線を向ける。噴水の中にやってきたミナリは、オレとは違って服を着たまま。霊体のような存在であるためか、衣服は濡れていない。

 そして、こちらをじっと見ている。

 

「あの。オレだって羞恥心がないわけじゃないんだぞ。……君に裸を見られるのは、その、流石に勘弁してほしいというか」

「……その、背中」

 

 ミナリの表情は。

 あまり、愉快そうではなかった。

 

「呪刻がそこまで拡がっているなら、もう時間が……。進行が早いのは、雷の勇者になってしまったから? ……こんな修行なんて、後にした方が」

 

 ……ああ。なんだ。

 心配してくれているらしい。その表情は、大昔、旅の終わり頃にも見た。

 

「体感ではけっこう余裕だけど? ほら、元気元気」

 

 ポーズをとっておどけてみせる。自分の身体のことだ、状態はよく把握できている。

 強がりではない。まだ、平気なはずだ。何度も体験しているのだからわかる。

 ……この先、聖地へ辿り着いて、みんなと勇者の旅を終えて、その後。あともう少し、猶予はある。ヤツを探すのはそのときだ。ずっと前から、そのつもりでいた。

 勇者の素質を持って生まれるなんていう、奇跡のような好機は、もう訪れないかもしれない。やれることはやっておかないと……。

 

「この修行は必要だよ。今のままじゃ、あいつには敵わないんだ」

「……痛くないの?」

「平気さ。雷の勇者は強いんだ。そうだろ?」

 

 これはまあ、虚勢かもしれない。けれど、雷の勇者は、仲間の進む道を切り開く閃光だと、鮮烈な輝きを担う者でなければと、オレは思っている。だって、君がそうだったからだ。

 

「今の仲間たちには、話していないの? 死の呪いを背負っていることを」

「それは……」

 

 話してどうする。話して、悲しい顔をされたらどうする。

 彼らが目にするのは、強いミーファだけでいい。無様なところはこれまでにも見せたが、これだけは……。

 みんなは、共に旅の目的を達成したという想い出をもって、それぞれの故郷に帰ればいい。

 君たちと俺のように、悲しい別れ方をするのは、嫌だろ。

 

「また意地と見栄を張って。自分が彼らと同じように、今の時代を生きる一人の人間だとは、認められないのね。シマドでいなければ、彼らの先達でいなければと思ってる。隔たりを作っている。だから助けを求めない」

「……なんだそれ。オレはそんなふうに、面倒なやつじゃない」

「えっ?」

「え? ってなんだよ」

 

 じゃぶじゃぶと脚で水をかきわけ、ミナリから離れる。

 水浴びくらい静かにさせてほしい。

 

「逃げた」

「逃げてない」

 

 風呂やら食事時の語らいは、もっと楽しい話題にしてほしいもんだ。

 

 

 

「こ、これが……!」

 

 時間が経った。そしてその長い時間は今、無駄なものではなく、意味のある大事なものになった。

 

 自分の首から下を眺める。オレの腕や脚は今、金色に激しく発光している。これは雷魔力の光がもつ色のひとつ。自分には馴染みの光で、この輝きで多くの敵を倒してきた。

 その光は今、剣や手足だけでなく、全身に行きわたっている。見た目にはまるで、雷の鎧だと形容できるだろうか。

 だが、この雷は纏っているものではない。内から湧きだすもの……いや、溶けだした自分の血肉そのもの。

 ――オレの肉体は。激しく迸る、雷魔力の流動体へと変化していた。

 魔力で肉体を補うことの先は、肉体を魔力と同化させることだった……とでもまとめられるだろうか。いや、難しい。まだ理論的に説明できそうにない。今の自分の状態を解明し、把握しなくては……。

 

「ようやくここまできた。あとは、使いこなす訓練ね」

 

 ミナリの言葉に頷きを返す。修行はここからが本番だとも言えるだろう。

 ……しかし、動く前からわかることもある。今の自分は、人間の思考能力と可動性を持った雷。意思を持つ稲妻だ。それが強力でないはずがない。

 だが、奇しくも。

 この自分の姿は、あいつに……雷魔ロクに、まったくよく似ていた。

 

 

 

 長い修行を終え、ついに神殿を発つ日がやってきた。

 新しい技……過去の雷の勇者が編み出したという雷化の術について、自分なりの理解はできた。あとはこれで、倒すべき相手に立ち向かうだけだ。

 今度こそ、一人でも、やれる。

 

「お疲れさま。これでもう、あなたは私なんかよりずっと強い、正当な雷の勇者ね」

「何言ってるんだ。なんとか追いつけるかどうかって程度だろうに」

 

 最後の会話をしながら荷物をまとめ、そうして、神殿の出入り口まで戻る。

 扉の近くまで来て。オレは、彼女に振り向いた。

 

「君と言葉を交わせるのも、もしかしたらこれで最後かもしれない。……今日まで、楽しかったよ。あの頃の自分に戻れたようで」

「そうね。夢のような時間だった」

「だ、だから。言っておきたいことがあるんだ、せっかくの機会だから」

 

 荷物を下ろし、息を整える。

 少し、緊張する。人間、いくつ歳をとっても、こういうときは若者に戻ってしまうものなのかもしれない。

 やや早まる鼓動を、手で押さえて。今の自分と似た紫の瞳を見据えて、気持ちを口にした。

 

「俺は……、君のことが好きだった。恋してた。初恋だった。君と結ばれたい、とか、お、思ったりしてた。……ずっと好きでしたっ!」

 

 途中から何をどう言ったものかわからなくなり、投げやりに叫んでしまった。

 ああ。うう。

 ユシド、お前はすごいな。あんな大勢の観客の前で、こんな……こんな、心臓が破裂するようなことを……。

 

「……ありがとう、シマド。すごく、すごく嬉しい。あなたの温かい気持ちが、今頃になってわかるなんて」

 

 優しい声がして、ちゃんと彼女の表情を見る。

 ミナリは、慈母のように目を細めて。オレに、その美しい顔を近づけてきた。

 心臓が一段と大きく跳ね、そして……。

 

「でもね。私……。故郷の幼馴染のことが、好きだったんです」

 

 

 しばらく壁に向かって膝を抱えて座っていると、後ろからミナリが肩を叩いた。そのあと杖で突いてきた。

 

「なあに落ち込んでるんですか。今のあなたは、新しい道を歩いているでしょう。大昔の秘めごとを口にしてスッキリしたなら、晴れやかな気持ちで、ここを旅立ちなさい」

「わ、わかったよ。つつくな」

 

 気を取り直して、いよいよ出発だ。もう、言い残したことはない。

 ……このミナリは幻影で、本当の彼女には、シマドの想いは届けられなかった。その過去は動かせない。だから、今の気持ちは自己満足だけど。

 それでも少し、心が前に進めた気がする。

 気がしないでもない。たぶん。おそらく。

 

 ミナリに向き合い、別れを告げるべく息を吸う。

 だけどオレが声を出す前に、彼女が口を開いた。

 

「私からも、最後に、いい?」

 

 頷く。オレの大切な人からの、最後に贈られる言葉に耳を傾ける。

 

「まずひとつ。今の仲間たちに、本当のあなたを明かすこと……もう一度ちゃんと考えてほしいな。隠すのもひとつの生き方だと思うけれど、あなたの、仲間たちへの想いを聞いていたら。本当は彼らにも、全部話してしまいたいんじゃないかって思えた」

「………」

「特に……あなたの子孫、ユシドには。本当の自分を受け入れてほしい気持ちと、拒絶されることへの恐れがある。違いますか?」

 

 ずけずけ言うじゃないか。きみ、そういえば、そういうやつだったな。

 ………。

 他でもない、君の言うことなら……。

 少しだけ、考えてみる。

 

「そして……。意気地なしで弱虫で意地っ張りで、素敵なあなたへ。私から、最後の激励。ううん、お説教です。心して聞くように」

 

 すうっと大きく息を吸う仕草をするミナリ。

 ああ。口うるさい、あの頃の彼女だ。誰かに説教されるなんて、どれくらいぶりのことだろう。

 誰よりも信頼できたあなたの声は、オレの心に、しっかりと届いてしまう。

 

「知られることはそんなに怖い? あなたの仲間たちは、本当のあなたを受け入れられないような子たちだと思うの? 向こうはきっと、あなたを信頼している。それに応える勇気はあなたの中にもあるはず。ないなら、何年勇者やってるの? って感じ。

 ……それとも。変わることが、怖い?」

 

 ……ああ。

 怖いよ。変わることは、怖い。

 だって、本当は、自分が自分としてちゃんと続いているのか、自信がないんだ。単にシマドの記憶を持っているだけの、まったく別の魂なんじゃないかって、ときどき思うんだ。

 だから……

 たしかに男だったはずの、こんな気持ちを抱くはずのない自分が……ユシドのことを想うこの気持ちを、口にしてしまったら。

 自分がシマドではないと、認めるみたいで、怖いんだ……。

 

「ふんっ、なーにうじうじ悩んでるのやら。子孫の男の子を好きになることくらい、長生きしてればそりゃありますよたぶん。しかも今は血縁でもない同世代の女の子なんだから、誰かに恋路を咎められることもない。大ラッキーじゃないの。何か問題がありますか?」

「ひ、人の悩みを、そんな適当に」

「だいじょうぶ。大丈夫です」

 

 背を屈め、ミナリはオレの目を覗き込んでくる。

 

「長い時間がどんなにあなたを変えても、瞳の中にはシマドがいる。魂を感じるわ。イシガントや魔王ちゃんも、きっと、すぐにあなたをわかってくれたでしょう? あなたがミーファでいることで、シマドがいなくなる、なんてことは、絶対にない。だから……」

 

 ミナリは、オレを両腕で抱きしめてくれた。雷の魔力で作られたその肉体は、けれど、何よりも優しい感触で、あたたかくて。

 ……そうして彼女は、オレをくるりと神殿の扉に向かせて。ひとりでに開くそこに向かって、とん、と背中を押した。

 

「私は本物のミナリではないけれど、きっとミナリはこう言うわ」

 

 最後の言葉が、心に刻まれる。

 

「――どうか、恐れずに。今のあなたを、全力で生きて」

 

 

 

「……ああ」

 

 外からの涼やかな風が、通りすぎていく。背中の向こうには、もう誰の気配もない。

 振り返ることはもうせずに、心で、あなたに礼を言う。

 

 ありがとう。俺の、ずっと好きだったひと。

 



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59. めちゃくちゃ強い最強の光の勇者!

 神殿から出ると、天井などない無限の青空と日の光、何日かぶりの外の空気が、まったく心に染み渡る。思うに、ダンジョン潜りのやつらなんかは、この瞬間のために働いているんじゃないだろうか。

 そうしてすがすがしい気分で胸を膨らませていると、誰かの足音を耳が拾う。外を守ってくれていたらしいユシドが、こちらを認めてすぐに駆け寄ってきていた。

 ものすごく明るい表情をしていて、ああ、オレの顔を久々に見られて、嬉しいんだろうな、などと思ってしまった。

 オレも、そういう気持ちだからだ。

 

「やあ、異常は無いかね、衛兵くん」

「うん、今日も平和です」

「それはよかった」

 

 などと軽口を投げて見たものの、いつものようには、続く言葉が思いつかなかった。ちらちらと向こうの表情をうかがいながら、会話の種を探す。

 ……ユシドの顔を見てしまうと、どうしても。さっきミナリに言われたことが頭をよぎる。

 変わることを恐れず、今の自分を生きてと彼女は言った。それと、彼らに本当の自分を知られることも、恐れる必要はないと。

 まあ、つまりは。

 目の前にいるこいつに、自分の心を全部ぶちまけてしまえば、オレはもう無意味に悩むこともない……そういう話だ。

 

「……ユ、ユシド」

「?」

 

 目が合う。ユシドはオレの気持ちなど知らず、きょとんとした顔でいる。

 今。今なら、周りには誰もいない。オレとユシドの二人だけだ……。

 

「あ、のさ。オレ……オレは……」

 

 心臓が急激に運動をはじめて、あちこちに血液を送ってきて、熱くなってくる。

 ま、待った。なんで今、自分の身体はこんなに火照っているんだ。勝手にその気になってる。ちがう、こんなにいきなり、あっさり言えるわけがない。

 

 キミのことが好きになってしまった、なんて。

 

 そうだ、言えない。ユシドは、もしかすると喜んでくれるかもしれないけれど、それじゃダメなんだ。

 隠し事がある。これを伏せたままじゃ、オレは彼を騙していることになる。

 でも、本当のことを言えば、ユシドは……。

 ……ミナリ。やっぱり、簡単には言えないよ。

 「キミの好きな“女の子”なんて、最初からいないんだ」、なんて話は。

 

「ミーファ?」

 

 やっぱり、もう少し、考える時間が欲しい。

 オレは、顔を伏せて地面を見つめ……なるべく普段通りの表情をつくって、顔を上げた。

 

「……そうそう、あたらしい必殺技を身につけたよ。見る?」

「え! 見る見る!!」

「へへ。いい反応を頼むよ」

 

 

 髪が、肌が、肉が、骨が、神経が。ぴりぴり、ぱりぱりと逆立ち、裏返るような感覚。

 全身を雷に変貌させ、オレはユシドの前に立った。

 

「す、すごい。なんというか……まるで本物の雷が目の前に落ちてくるような、圧倒的な威圧感だ」

「褒めるのうまいね」

 

 手をぷらぷらと振り、ユシドを挑発する。

 

「攻撃してみろ」

 

 わかった、と素直に応じる少年。ユシドは剣を抜かず、徒手空拳を武器に身構えた。

 別に抜いてもいいんだぞ。今のおまえじゃ、脅威にならない。

 

「くっ!」

「フ、当たらないねえ」

 

 ユシドの速さでは、やはり今のオレに攻撃を当てることはできない。この状態の自分は、体感では、全盛期のシマドに匹敵するスピードで動けているはずだ。まだまだ若いやつには捕まらないぞ。

 とはいえ、目はオレの動きに追いついているようだが……。

 

「よっと」

「いだだだだ!! し、しびれる!!」

 

 後ろから密着し、手足を動かせないように絡みつき、組み伏せる。

 なるほど、触れているだけでも相手にダメージを与えられるようだ。

 

「はあ、はあ。すごいな。ただでさえ素早いミーファが、もっと速くなるなんて……」

「術の威力も上がってるぞ。食らってみる?」

「勘弁してください」

 

 雷への変化を解き、ユシドに手を差し伸べる。彼はそれを握り返し、立ち上がった。

 

「どんな理屈でこんなことができるんだ……。気になりすぎる」

「技名だけなら教えてやれるよ」

「なんていうの?」

「雷迅黄煌戦閃葬装」

「なんて?」

雷迅黄煌戦閃葬装(ライジンコウコウセンセンソウソウ)

「名付けた人のセンスが……」

 

 ……もう、ユシドとも、いつものような会話ができる。身体を動かして気分が落ち着いたみたいだ。

 

 こうして、雷の試練は無事に終わった。これで、自分を含めた5人の勇者のうち、2名が修行を終えたことになる。

 次はユシドが風の神殿に入る番だ。その間はオレが、仲間たちと共に神殿とこの島を守る。

 と、言いたいところなのだが。ひとつ別の用事ができた。

 “光の勇者”を仲間に引き入れるという、大事な用がな……。

 

 ユシドに、光の勇者に該当する人物が、魔人族の王である少女(に見える年寄)、マブイである可能性について話す。

 それを確かめ、話をつけるべく、オレは魔人族の里を再訪問しなければならない。船で行ってまたここへ戻ってくるとなると、ひと月以上はかかるだろう。

 ふざけるなよあいつ。絶対ボコボコにしてやる。真剣な話、オレの寿命が尽きたらあいつのせいだ。

 そういうわけだから、ユシドには修行を後回しにして、島の守りについてもらいたい。今はシークが水の神殿に入っているらしいから、ティーダ、イシガントと協力して、オレが戻るまで待っていてほしい。そう話した。

 

「それなら、ミーファが離れている間、僕は神殿で修行しているほうが効率的だと思うけど」

「悪いけど、それは我慢していてほしいんだよ。ちょっと理由があってさ。……この島は過去に、勇者と敵対する魔物に襲われたことがあるんだ」

 

 大体200年前の話だ。仲間が神殿に入っている間、ひとりで外を守っていた風の勇者は、急襲をしかけてきた雷の魔物と壮絶な一騎打ちを繰り広げた。襲ってきたのは、ここが人間にとって重要な場所だと知ったからだろう。

 そして。勇者と魔物は、互いに致命的な傷を負い、戦いを終えた。このときの傷が元で、のちに風の勇者は死んだ。

 これは遠い過去の出来事だが、しかし同じようなことが起きないとも限らない。神殿の中に入り機能を作動させると外部の情報が遮断されるから、島を守るには誰かが常に外にいる必要がある。そしてそこには、常にそれなりの戦力が揃っていてほしいんだ。最低でも2人、できれば3人、動けるようにしておくべきだ。

 ……と、ユシドには説明した。その無様な風の勇者というのがシマドだとは、言わなかった。カッコ悪いところは教えたくないし。

 修行を後回しにして防衛にあたれ、というのは臆病でやや過敏かもしれない提案だったが、素直に納得してくれた。ユシドはティーダに知らせると言って、その場を離れていった。

 こちらはイシガントを探そう。言いたいこともある。

 

 

 

「というわけで、君のお姉さんをこれから殴りに行くんだけど」

「ふうん。どうしてあの人が、光の勇者だって思うの?」

 

 イシガントはきわめて平静だ。隠し事がバレた人間らしからぬ態度だが、果たして。

 

「ミナリから聞いたんだ。雷の神殿で、彼女の写し身と話した」

「……なーるほど」

 

 彼女の名を出して、ようやく、イシガントは観念したようだ。

 

「いやあ~~ついにバレたか。ごめんね、シマド。ごめーん!」

「絶対ゆるさんぞ」

「むぁーっ、ほんとごめんて! ウチにもいろいろ事情があるの」

「事情ってなにさ。じゃあ結局、マブイは仲間になってくれないのか?」

「うーん。どうだろう。聞いてみないとわからないな。姉さんにも色々と、役割ってものがあるから……」

 

 どっちつかずな答え。仲間になってくれるかどうかわからないやつのために、航海一か月という時間を支払うのは損だ。

 マブイを勧誘するために船に乗るか、乗らないか……。

 彼女が来てくれれば、勇者七属性勢ぞろいという、前代未聞の偉業が達成できるんだよな。星の台座の性能をフルに発揮できる。数千年にも及ぶ平和が訪れ、人類は魔物たちの脅威を忘れ、目覚ましい発展を遂げる……なんて未来が待っているかもしれない。

 やはり簡単にふいにできる話ではない。マブイに会いに行こう。

 

「オレは影の国に行ってみるよ。また船でひと月以上かかると思うから、その間、ユシドたちと島を守っていてほしいんだけど」

「ううん、船は必要ないわ。私が連れていってあげる。これまで姉さんのことを黙ってたお詫びってことで」

「? ええと……」

 

 ありがたい申し出? なのだろうか。

 ……餌を脚で捕らえる鳥みたいに、オレを掴んで飛んでいってくれるとか?

 船の方が良さそう。

 

「あっ。翼で飛んでいくのか? とか思ったでしょ。バカだねー」

「はっ? お、思ってないし」

「転移の魔法術を使うのよ。あんまり得意じゃないけど」

「……何?」

 

 転移。転移の魔法術、と言ったのか。

 地底の迷宮内を移動するのに使った、古代に作られたと思しき装置を思い出す。転移とは、長距離を瞬時に移動することができるという、旅人や行商人には夢のような魔法だ。いや、あらゆる人にとっての夢だろう。

 あれを使えるのか? 今から、装置もなく? うそだろ。

 

「術式教えて!!!」

「いいよ。でも、理解して再現するのに何十年もかかったし、魔力も死ぬほど要るから、人族の魔導師にはほぼ不可能だと思うな」

 

 なんだよちくしょう。革新的な移動手段なのに。

 

「装置の補助なしに個人で使うとなると、けっこう制限があるよ。具体的には……」

 

 イシガントは、転移術についての話と関連させ、ここから影の国に移動するまでの旅行計画のようなものを説明してくれた。

 この術は、移動距離と移動させる人数に比例して難易度が上がる。よってイシガントがオレを目的地に連れていくには、一度のジャンプでは足りず、魔力を回復させるための休息を入れながら、複数回の転移を行うことになる。とのことだ。

 一度の転移に使う魔力は、一両日ほどゆっくりすれば回復できるという。そこに時間がかかってしまうことを勘定しても、船で戻るよりは早いだろう。ありがたい話。

 ところでそんな術が使えるのなら、前の旅でももっと勇者探しがはかどったんじゃないか。などと言ってみた。

 しかし彼女の使う転移術は、事前にその場所を訪れ、煩雑な儀式による特殊な陣を設置して、ようやくそのポイントに跳べる……というものらしい。そしてさっきも聞いた通り、距離にも限界がある。

 十分便利ではあるが、たしかに制限があるな。勇者探しにはあまり寄与しなかったかもしれない。

 

「というわけで、まあ一週間はどうしてもかかるかな。……ね、シマド?」

「うん?」

「二人きりじゃ退屈だしさ。あなたが神殿で会ったミナリのこととか、たくさん話そうよ」

「……ああ。いいよ」

 

 こうして、イシガントのおかげで、影の国まで短期間で行く目途が立った。

 島の守りがティーダとユシドの二人しかいないのはやや不安で、他の案も考えたが……オレは結局、短期間でことを解決するため、明日からイシガントと出発することを選んだ。

 寝床で明日からのことを考えていると、魔王ちゃんの能天気な顔が瞼の裏に浮かぶ。全く、本当に余計な手間だ。どうしてくれようかな。

 

 

 

 影の国。魔人族の城にて。

 威風堂々たる王の姿を置くべき玉座の上で、寝そべりながらだらけている少女がいる。

 

「いやあ。何かと問題が解決して、すっかりヒマ……忙しいわ。魔王って大変。誰か~。アイスクリーム持ってきて、アイスクリーム」

 

 臣下にそう要求し、冷たい目を向けられる少女に届けられるのは。残念ながら、城下町で流行りの甘い氷菓子などではない。

 突如、轟音とともに、玉座の間への重厚な扉が猛烈な勢いで開く。少女は小さく悲鳴をあげ、ソファのように寝そべっていたその玉座から転げ落ちた。

 

「な、なにごと!? くせもの!?」

「そうだよー。少し久しぶり、魔王ちゃん」

「お、お前は……シマド! 何故ここに!?」

 

 オレは笑いを顔に貼りつけて、魔王ちゃんににじり寄る。

 どう声をかけたものか迷ったが、さっき随分暇そうにしているのを扉の隙間から見ちゃったので、こいつに遠慮とかしなくていいなと思い直し突入した。

 さっと警戒態勢になった城勤めの魔人族たちも、訪問者がオレとイシガントであることを認めると、今にも酷い目に遭いそうな魔王ちゃんを放って、各々の持ち場に戻っていった。みんなから王様と思われてないんじゃない?

 

「なんでここに来たと思う? 当ててごらん」

「はあ~? なんや偉そうに。……えーと。うちの超可愛い顔が見たくなったとか? えへ」

「ちがうよ。別にかわいくないよ」

 

 今はオレの方が顔はかわいいよ。

 

「チッ……お土産もないなら来んなや、我は忙しいのだ」

 

 などと言いながら手を振り、帰れという意味のジェスチャーを見せてくる魔王ちゃん。だが、本当は訪問の理由に見当がついているんだろう。若干動揺している様子がオレには分かる。

 さて。言葉で問い正してもいいが。まあ暴力を働いたほうが答えはすぐに出るだろう。

 オレはおもむろに彼女の両手を掴み、電撃を流した。

 

「ぎゃああああああ!!?? なにすんじゃボケーーッッ!!!」

 

 強い魔力の発揮によって、オレは吹き飛ばされる。予期していたため、すぐに体勢を整え、そして、一時的に麻痺させた彼女の手を注視する。

 ……!!

 たしかに見えた。ほんの一瞬だが……、

 勇者のひとりであることを示す剣の紋章が、マブイの右手に現れ、すぐに薄れて消えたのが。

 不意の攻撃と、本人の強い魔力行使に反応してしまうという紋章の性質から、右手を上塗りしていた幻が一時剥がれたのだろう。ミナリやイシガントの言う通り、彼女は己が勇者である証拠を、ずっと人の目から隠していたようだ。

 

「ついに見つけたぞ、光の勇者ァ……」

「……へっ? あ、な、何の話? うち魔王ですし」

「ごめーん姉さん、もうバラしちゃった」

「何ーーーーーーーー」

 

 顔を青ざめさせて、目をぐるぐると回す魔王ちゃん。いや、顔は元から青い。

 ともかく、彼女の百年の秘密はここに暴かれた。嘘をつき通すという選択肢はもうないんだ。このあと口を開くのなら、仲間入りの宣誓か、仲間入りができない真剣な理由でも語ってほしいものだ。

 なるべく冷たい目つきを作り、腕組みをして、背の低いマブイを見下ろしてみる。

 彼女はしばらくうろたえていたものの、やがて、ひとつ決心をした様子で、こちらの目を見返してきた。

 

「ば、ばれてしまってはしょうがない。我もお前たちの旅に同行しよう。……と言うとでも思ったかああああ!!! 絶対にこの椅子から離れんぞ!!!」

 

 叫びながら玉座にしがみつく姿は非常にみっともなく、とても最強クラスの魔導師には見えない。

 こいつ……。やっぱり外に出るのが面倒くさいだけじゃないのか?

 

「どうしても仲間にしたいのなら、この我を倒してみろ! 転生し弱体化したお前ごときに負けんぞシマド! いやミーファだ!! ハハハハ!!!」

「ん?」

「……え? ……何?」

 

 一番わかりやすくて良い言質がもらえた。

 ちょうどいい。マブイほどの使い手に、自分の新しい力がどれくらい通用するか、試させてもらおうか。

 

 

 

「隠しててすいませんでした……」

 

 お互い本気ではないじゃれ合いみたいなものだったとは思うが、ひとまず結果として、魔王ちゃんは全身ボロボロの状態で地面に座っている。

 良い手応えだ。体感だが、シマドだったときの自分に匹敵する速度での戦闘ができていたように思える。ユシドに技を見せたときと同じだ。

 ……実はこれまで、自分のトップスピードで動くには、この身体には乏しい量しかない風の魔力が必要だったのだが。これからは、ミーファの得意分野である雷だけで戦っていけそうだ。

 自分の中にあるシマドをひとつ捨てるような気がして、寂しさもあるが……。

 雷装を解き、魔王ちゃんに話しかける。

 

「で、どうする? 光の勇者として、星の台座まで一緒に行ってくれるか」

「……6つも集まるなら、7つにしても同じか。よし、わかった。いいぞ、仲間になってやろう」

「え?」

 

 立ち上がりながら、魔王ちゃんは身体のホコリ汚れを手で払っている。この重要なやりとりが、なんでもない話題であるかのような仕草だ。

 ……意外だ。断られると思っていた。そのときに、勇者の役割を敬遠するような理由が何か、というのが彼女の口から聞ければと。

 

「いいのか。ずっと隠すくらいだから、大層な理由を抱えているんじゃないのか」

「……そうさな。マジメな理由ならあるぞ。聞く?」

 

 はい。

 と頷くと、彼女は、簡単に話すと……と前置きをしてから、語り始めた。

 

「勇者が“星の台座”を稼働すると、星への魔力充填に加え、魔物たちの活動力を抑制する効果がある。けど、それってウチら魔人族としては~、魔物というか精霊たちをないがしろにして人類だけに肩入れするのって、よろしくないんスよね。惑星の寿命問題とかあるしね? だから、勇者はあんまり集まり過ぎないようにしたい。……それが、お前に正体を隠していた理由よ」

 

 ……なるほど?

 我ら勇者の使命は、人間世界を守るためのもの。それは確実だ。

 しかし、長い目で見れば……星と生命を永久に見守る、魔人族の眼から見れば。

 魔物たちを排除して人間だけが発展することを目指すのは、この星にとってあまり良いことではない、ということになるのか……?

 納得がいくような。いかないような。

 

「それと余談だが。実際、過去の魔人族の王にも、その時代の勇者たちの旅を思いっきり妨害したやつがいてな。すべてはこの星のためなのだろうが、形としては人類に敵対している。……おとぎ話の題材によく魔王vs勇者みたいな話があるのは、そういう歴史が本当にあったからじゃ」

「へえ~……」

 

 そりゃ面白い話だ。つじつまが合うかも。

 ともあれ。マブイが正体を隠していた理由は、まあ聞けた。そういうことなら、魔人族の王が、堂々と勇者に協力するわけにもいかない。のかな。

 無理やり連行などせず、あらためて、ちゃんと確かめないと。

 そんな理由があるうえで、本当に仲間になってくれるのか、そうでないのか。

 

「話してくれてありがとう、マブイ。まるっと納得したわけじゃないけど、少なくとも、君を無理やり連れていく気持ちはなくなったよ。それで……」

「おお、そうか? いやあ、ぜんぶ今適当に考えたんじゃけどね!」

「は?」

 

 

「ずびまぜんでじた……仲間に入ります……」

 

 光の勇者が仲間になった!

 

「さーさ戻ろうイシガント。このボロ雑巾と一緒にな……」

「いいけど、ここからは姉さんに転移術使ってもらうんだから、機嫌取らないと」

「え? そうなの?」

「私のは定員ふたりまで。魔力も技術もそれで限界なの。3人以上を送れるのなんて、たぶん世界でこの人だけよ」

「へえ」

 

 転移に回復、強固な結界に破壊の光……様々な神秘の力を使いこなすさまは、まさに光の勇者。とでもいっておこうか。

 今は地面に正座してめそめそと泣いているが。

 

 

 

 しばらくして。

 反省の時間は終わりだとでもいうのか、魔王ちゃんはすっくと立ちあがり、いつもの調子で話しかけてきた。座っている状態から立ち上がるまでの一瞬で全身の傷を完治させているのが、なんか気持ち悪かった。

 

「じゃあ、まあ、ついていくけど。ちょっと準備があるからそこで待て」

 

 そう言うと、彼女は静かに目を閉じる。白銀の光が全身から溢れ出し、まばゆく輝いて――、

 気が付くと、目の前に魔王ちゃんが二人いた。

 こわい。

 

「準備おわり。じゃ、おまえ、シマドと一緒に行け」

「はあ? おまえが行くんじゃろが」

「はあ~? 本体が残るに決まっとろうが」

「本体はウチやろがい!」

「何言うとんじゃ! バカか!」

「おまえがバカじゃ!!」

「はいはいはい。はーいストップね」

 

 二人のマブイはイシガントになだめられ、互いをにらんで威嚇する。

 あまりに異常な光景で、逆に冷静になった。何が起きているのかいまいちわからないが、とりあえず、両方ともバカだと思う。

 

「いくら勇者の仲間になるからといって、王が席を空けるわけにはいかん。旅には分身体がついていく」

 

 イシガントの右手で頭を撫でられている方の魔王ちゃんが言う。

 分身体。身体を分ける術があるというのか。幻のたぐいではなく?

 

「幻術とは異なる。分身は本体と限りなく近い存在だ。ただ注意事項として、分身体を増やすほど魔力が分割されてしまうことと、死ぬようなダメージを受けると消滅してしまうことがある。そしてこの場合、分けた魔力は二度と本体に戻らない」

「え! デメリットがやばい。いいのか?」

「お前のためだぞ、感謝せえ」

 

 イシガントの左腕で肩を抱かれている方の魔王ちゃんは、オレに向かって指をぴっと突き付けてきた。

 そこまでしてくれる気になったなんて、ありがたいことだ。

 しかし、ひとつ疑問。

 

「魔力が分かれるなら、光の勇者に選ばれるための魔力量に届かないんじゃ……?」

 

 光の勇者に選ばれるには、人類最高の光属性魔力を保有していなければならない。

 そしてその順位付けは、常に変動していく可能性がある。過去には、ある不幸から魔力を失ってしまったと同時に、手の紋章が消えてしまった勇者がいたという伝承もある。この場合、世界で二番目に魔力の多かった人物の手に紋章が移動しているわけだ。厄介な仕組みである。

 光の魔法使いといえば、チユラとか、そのお姉さんとかも半端じゃなかった。マブイの力がいくら凄まじくても、半減してしまえばよその魔法使いに抜かれるのでは。その場合、彼女は光の勇者と認められない。

 

「ああ、それは要らん心配じゃ。見ろ」

 

 左右のマブイが、同時に利き手の甲を見せてきた。

 ……右の方のマブイには、白銀色に発光する勇者の紋章がある。そして、左の彼女にはそれがない。これは……?

 

「本体に49%、分身体に51%の配分で魔力を分けた。だから、今はこっちが“光の勇者”というわけじゃ」

「……あっ! おまえ、最初からうちの方を行かせる気か! 配分変えろや!!」

「やだもーん、光の勇者はおまえじゃもーん」

 

 また自分同士でケンカしてる……。思考が完全に同レベルなんだろうな。とんでもない術だ、常人が使えば頭がおかしくなるだろう。

 しかし、そうなるとこいつ。ほぼ半分の魔力でも光の勇者だとみなされるということは、仮に地上で最強の光使いと比べても、少なくともその2倍は強いってことか。

 あのヤエヤの王族たちよりも、倍以上。

 底知れなさすぎる。もしかすると、あの光魔マ・コハが王都からそう遠くない場所にいるはずの魔王ちゃんを狙わなかったのは、戦えば敵わないと判断したからかもしれない。

 うーん。

 

「おのれ! シマド共のお守りを押し付けおって! ちゃんと働け!!」

「うるせー!! お前も働け!!!」

「もう、姉さんたち。ケンカ続けるなら、もう二度と外からお土産買ってきてあげないわよ」

「「すいませんでした……」」

 

 まあ口に出してまでこいつを持ち上げたりはしたくないな。あと、よく考えたら、魔力が多いほど戦闘が強いってわけでもないし。

 畏敬の念を抱きはしたが、今まで通りの接し方でいいや。

 

「じゃ、マブイ。200年越しに、やっとだ。一緒に来てくれること、感謝する」

「……お、おう。隠していて悪かったな。まあ、その。……よろしく」

 

 互いに握手を交わす。オレからは、200年分の想いを込めて。

 彼女が一緒の旅についてきてくれるなんて、すごいことだ。この人生はやっぱり、捨てたものじゃない。

 

「……あ、あの。ついていくのは、こっちの方なんじゃけど?」

 

 握手してない方の魔王ちゃんが、物悲しい表情でこちらを見ていた。

 

 

 

 

 ミーファは、思っていたよりもずっと早く戻ってきた。

 新しく仲間に加わってくれた魔王様が、凄まじい距離を一発で転移してきたからだという。しかも半分の魔力しかない状態で。

 あまりにも頼もしい味方すぎて、話を聞いた僕は魔王様にへりくだった。なんか気に入ってもらえたようで、余暇の時間にはよく話しかけてくれる。

 

 そうして、ついにすべての勇者が揃った。

 シークという例外がいるため、6人という数ではあるけど。7つの“剣”を集めたお前は歴史に残る偉業を成し遂げたのだと、ミーファは言ってくれた。でも、みんながこうしてひとつに集まれたのは、全部ミーファのおかげだと、僕は思う。

 

 長かったこの旅は、もうすぐ終わる。

 あと、やるべきことは、この場所で自分の力をできるだけ高めることだけだ。

 

 風の神殿の扉に触れる。

 僕がここに入る間、外はミーファが守ってくれることになっている。今も、後ろに彼女がいて、僕を見送りに来てくれていた。

 紋章に反応して厚い扉が開くと、神殿の内から風が吹き出してきた。それは単なる建物の外と内の差が生む空気の圧じゃない。濃密な魔力の波だった。

 神殿では、過去にここを訪れた勇者の写し身が、師となって多くのことを教えてくれるという。ここで偉大な先人たちの胸をかりて、僕は強くなってみせる。勇者の使命のために。

 

「ユシド」

 

 後ろから声。振り返って彼女を見る。

 きっと僕を激励してくれるんだ、なんて思いながらそっちを見たけれど……ミーファは、なんというか。

 あまり、明るい表情じゃ、なかった。

 

「がんばれよ。たとえ中で何があっても、きっと。折れないで、ほしい」

「う、うん。もちろん」

 

 じゃあ、と手を振り、僕は暗い神殿の中へと、脚を踏み入れた。

 ……やっぱりもう一度振り返って、ミーファと話そうと思ったけど。重い扉はもう閉じて、外のことはなにもわからなくなっていた。

 

 神殿は大きな建物だけど、内に入るともっと広い感じがした。これならどんな修行もできそうだ、と思った。

 

「!」

 

 ひとつしかない出入り口を閉じてもなお、ここでは風が吹く。

 魔力。神殿が溜め込んだ魔力の風が、どこからともなく吹きすさび、渦巻いている。

 風はやがて翠色に色づき、一点に収束しはじめた。それは目に見えるほどの魔力の塊になっていき、やがて、何かの輪郭を成していく。

 人だ。人のかたち。

 魔力で再現されていく、誰か。それは本物の人間のように肉を持ち、服を着て、靴を履いて、僕のところに歩いてくる。

 風がやんだ。

 その人の顔を見て、僕は。驚きのあとに、歓喜の想いがあふれてくるのを感じた。

 

「ん……お、お。これが神殿のアレか。なんか変な感じ」

 

 その人は首を鳴らしたり、身体をあちこち伸ばしてから。やがて僕に気が付いて、目が合った。

 深緑の瞳。

 

「やあ。君が今の風の勇者かな。……ん? なんかどこかで……というか、俺と似てるか……?」

 

 この人のことを、知っている。

 風の勇者シマド。200年前の勇者で、僕の、ご先祖様だ。

 



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60. 風の試練

 彼は、こちらの顔を見てから、しばらく茫然として。

 それから、ゆっくりと口を開いた。

 

「はじめまして、だよな。俺はシマドっていうんだ。君は?」

「ユシド。ユシド・ウーフといいます」

「ウーフ……それって」

「200年後の、あなたの子孫です」

「………」

 

 彼は、シマド様は、僕の顔やら服装やら、あちこちをじっと見ていた。

 しばらくそうしてから、ようやく言葉を受け入れてくれたのか、こちらに向けて破顔一笑する。

 

「おおお……こんなことが起こるとは! 俺の子孫!! ハハ、さすがに興奮しちゃうな」

 

 ここまで喜んでもらえると、僕もさらに嬉しくなってしまう。ひそかに憧れていたシマド様と会えて、言葉をかわせて……。

 

「ユシドよ。君に会えて、俺は嬉しい。こんなにうれしいものだとは思わなかったよ。子どもや孫なんて、縁のない話だと思っていたのに……」

 

 シマド様は感慨深そうにつぶやき、そして、こちらに右手を差しだしてきた。

 

「勇者としてここまで来てくれて、ありがとう。返礼に、君の修行相手をさせてくれ」

 

 多くの戦いを乗り越えてきただろう彼の掌は、今の自分にはとても大きく見えて、これが大人の手なんだと思った。

 

「願ってもないことです……! よろしくお願いします!!」

 

 手を握り返す。互いの力が伝わると、大人だと思った彼はしかし、どこか年若い少年のように、にっと笑った。

 

 

 

「……と。この神殿でできることはこんなもんだ。必要なら他の“風の勇者”と交代してもいいぜ」

「い、いえ! せっかくシマド様に教えてもらえるのに、そんな。ぜひあなたに、師事させてください」

「へへ、そう言ってくれると嬉しいよ」

 

 勇者の神殿では、修行者に最も相性のいい人格を呼び出して、訓練相手としてつけてくれるそうだ。その気になれば、記録された過去の風の勇者の、その全員に教えを請うことも可能だという。

 あまりに魅力的な話だけど、それは後々のことでいい。僕がいま教えを受けるべきは、同じ魔法剣士だったというシマド様以外にありえないと思う。

 

「しかし、そのシマド様っていうのは居心地悪いな。シマドでいいよ」

「えっ? あっ、でも」

「ただの田舎者の剣士だぞ? 友人はみんな気安く呼ぶ。お前はどうなんだ?」

 

 じろっとこちらを眺めてくるご先祖様。いや、友人だなんて、恐れ多いにも程があるのだけど。

 

「え、と。……シマド?」

「おう」

 

 にっと笑い、彼はおもむろに、握った右手をつき出してきた。

 自分の拳を、それに合わせる。互いに小突き合わせると、魔力で形成されているはずの彼の拳は、固く、確かな響きを返してきた。

 それで、シマドという人の実在性を強く感じて、身体の芯が震えた。

 

「さて。まずはどうしようかな。……なあ、ユシド」

「はい」

「ちょっと技、見せてみろよ。剣を使うんだろ」

 

 いよいよ修練が始まる。僕は頷き、腰元に携えていた魔剣を抜き放った。

 

「おおお~、テルマハ!」

 

 と、そこに笑みを浮かべたシマドが近寄ってくる。

 そうか、この剣は元々、彼の所有物だ。剣の中に宿る風魔テルマハの魂を知っているのは当然だ。

 

「あれ、でも……」

 

 見れば、シマド様もまた、同じ意匠の剣を腰に下げている。それは……?

 

「ん? ……ああ、こいつは俺と同じで、中身のない偽物さ。服のついでに再現された棒きれだろうよ。……な、ユシド。ちょっと触らして」

「ええ」

 

 風魔の剣を手渡そうとする。テルマハの魂と意思疎通するには、手で触れているとやりやすい。

 ところが。シマドが触れようとすると、剣は突然、強風を発生させ、彼の手を弾いた。

 

「うお! なんだ、怒ってんのか? シマドの偽物だからダメ~みたいな感じ? なんてな」

「す、すみません。気難しい人で……気難しい馬?」

「ああ、いい、いい。今の主を気に入ってるのさ。ユシド、お前はすごいな」

 

 憧れていた本物の勇者からそう言われると、やはり嬉しくなってしまう。

 だが、手の中の剣は、口がついているのなら思い切り反論していることだろう。あまり機嫌を損ねないよう、気を引き締めねば。

 

 シマドが距離を取る。こちらを静かに眺める彼の目は、剣を握った僕の手元に向けられている。

 良いところを見せようなどと思うと、緊張する。息を整え、いつも通りの自分を思い出し、魔力を起こして身体に巡らせる。循環しだした魔力は、自分の身体の一部になりつつある剣にも、滞りなく流れ込む。

 風を纏う刃。目の前の空間に存在しない敵をイメージ。上段から剣を振り下ろしつつ、魔力を解放する。

 

「風神剣!」

 

 強風が目の前の空気を荒らす。何度も使ってきた、ミーファから教わった魔法剣の、最も基本的な技だ。

 疲れてもいないのに息をひとつ吐き、僕は剣を下ろした。

 そして。この場の師であるシマドの顔色をうかがう。

 彼は……。

 少し、驚いていた。

 

「……いや、驚いたな。俺は技まで家に残していたのか? 魔法剣なんて難しくも珍しくもないとはいえ、個人のクセをああも細かいところまで再現できるものかね」

 

 シマドの言葉を聞くに、今の技が彼のものと非常に似ていて、驚いているようだ。魔法剣は誰が使っても似たような技に行きつくと思っていたのだが、違うんだろうか?

 

「いえ、これはウーフの人間ではなく、幼馴染の子に教えてもらったものです」

「何? どんなやつだ」

「シロノトの領主……雷の勇者の家の子で、多くのことを知っていました」

「……ふーん? 『風神剣』っていう、若いときの勢いで考えた技の名前も?」

「え、ええ」

「自分では気に入ってるけど、後世に遺ってるのは恥ずかしいなあ……」

 

 技の詳細も応用方法も、根幹の部分はぜんぶ幼いミーファから教わったものだ。風神剣というのが、かつてのシマドの技だというのも、彼女から聞いた覚えがある。

 ………。

 僕の家に、シマドの使っていた技の記録まではなかった。

 領主であるイユの家に、かつてシロノトから出た勇者の記録が眠っているのはおかしいことではないと思うけど。一般的に考えると、シマドの記録はウーフの家に残っているべきだと思う。

 ……少しだけ。

 違和感を覚えた。

 

「まあいいや」

 

 シマドの声が、意識を現在に引き戻した。

 彼は腰の剣を抜き放ち、その刀身を眺めている。一度、二度と振って空を斬ると、彼は僕に視線を向けてきた。

 

「じゃ、戦うか。俺と」

「え?」

 

 戦う。

 僕が、彼と?

 

「何かおかしいか? 強くなりに来たんだろ。力を鍛えるためにも、まずはお前の腕を見せろ」

 

 数秒の間、呆けてしまって。それから言葉を理解して、僕は震えた。

 

「なに、びびった?」

「……いいえ!」

 

 かの風の勇者、シマドと刃を交え、力を測ってもらえる。叩きあげてもらえる。

 多くの人から戦い方を学んできたけれど、今回のこれは特別。夢に見るような出来事だと言っていい。

 剣の柄を握り締め、歓喜の震えを抑える。僕はいつもの要領で剣を構え、魔力を流した。

 対面を睨む。シマドは笑っていた。

 剣の構え方は、同じだった。

 

 

 

「く……!」

 

 剣戟の応酬では相手を打ち崩すことができず、距離を取る。シマドはこちらを追ってくることはなかったが、その目が、僕の動きのすべてを、追い捕らえているのがわかった。

 剣に乗った風を研ぎ澄ませる。互いに魔法剣士である以上、ここはまだ攻撃圏内の中。小休止はない。

 

「風神剣・断!」

 

 斬撃が風の刃となって飛ぶ。刃の魔法は風属性の攻撃では代表的なものだが、鋭い刃物を振るう魔法剣士との相性は特にいい。魔物の肉体を両断するこの技は、原則として人間相手に使うものではない。切断はヒトにとって致命的な傷となるからだ。

 そんな、恐ろしい刃を向けられた彼は。

 無造作な仕草で、僕のものとそっくりなその剣を、一振りした。

 

「風神剣・断」

 

 全く同じ技。

 二つの太刀風がぶつかる。威力が全く同じならば、ふたつの魔力攻撃は干渉しあって、互いに消滅するだろう。

 しかしそうはならなかった。シマドの刃は……適当な魔力行使に見えた技は、僕の風を打ち破ってなお、猛然と突き進んでくる。斬撃の軌跡を象った風は、使い慣れたそれより鋭く、より強固なものであると、受ける前からわかった。

 剣でそれを受け、逸らす。耳にでも当たれば見事に斬り飛ばされていただろうと思って、どっと汗が出る。

 だめだ。自分の身体が汗を出したことに気付くようでは、戦いに集中できていない。没頭しなければ。

 距離を保っていることを確認しつつ、別の型に入る。弓をうつ構えのように剣を持つ右腕を引き絞り、刺突の狙いをつける。

 

「風神剣――……」

「――穿」

 

 水平方向に伸びる竜巻の槍。

 それが放たれたのは、しかし。僕の剣からではなかった。

 

「っ!?」

 

 同じ技を、先出しされた。

 出遅れた僕の魔法は、刃のほんの先で彼の風を迎え撃つ。

 彼の魔法剣はあまりに重く、鋭かった。加速しきっていないこちらの風神剣では、簡単に相殺しきれない。放出する魔力をさらに後乗せしなければならなかった。

 それに加え、身体に纏う魔力障壁にも意識を割き、僕は自分を守ることに専念した。

 

「はぁ、はぁ」

 

 息が上がり始めた。対して、シマドはそんな様子を微塵も見せない。

 ……幾度かの攻防を経て感じたのは、僕と彼とで、魔力や身体能力にはそれほど差がないということ。魔法剣を抜きにした剣術の技量も、驚くほどの開きはない。

 だけど、押し負ける。

 こちらだけが消耗させられる。

 この力の差が、どこから生まれているのか。ありきたりな答えだが、それはたぶん、“経験”だろう。僕と彼が、ここまで歩んできた道のりの違い。

 だから、同じ技で押し切られる。向こうのほうが洗練されているんだ。

 

「つまらんな」

「え……」

 

 こちらの様子をうかがっていたシマドは、おもむろに剣を下ろす。

 失望した、ととれる一言に、心臓がすくみあがる。

 

「ああ、違う違う。悲しい顔するなって。俺の考えた技で勝負したら、俺の方が勝つのは当たり前だろ?」

 

 だからさ、と彼は言い、好戦的に笑う。

 

「お前だけの技を見せろよ、ユシド。ご先祖様の物真似だけで、ここまで来たんじゃないだろ? 動きを見れば分かる」

 

 自分だけの技。

 そうだ。ミーファに教わった剣だけで、これまでの戦いを越えてきたわけじゃない。それを土台にして、多くのことを試みたからこそ、自分はいまここに立っているんだ。

 剣を、鞘に仕舞う。

 柄と鞘に手を添え、腰を落とす。魔力を内側で循環させつつ、僕は彼をにらんだ。

 

「へえ……」

 

 シマドが剣を構える。僕たちは数秒、膠着状態になった。

 

「しっ!」

 

 あからさまな“待ち”の姿勢から、近接範囲のカウンター狙いだと読んだのだろう。シマドは先ほどのように、離れた距離から鎌風を飛ばしてきた。

 だが、この抜刀術の使い方は、今は2種類ある。

 

「風神剣・抜!」

 

 中距離攻撃。

 溜め込んだ風の魔力を乗せて、うんと伸ばした刃で斬る。攻撃範囲を伸ばすほど斬撃が届くのは遅れてしまうが、特別なタメを必要とする分、威力は基本の魔法剣に勝る。

 解き放った僕の風はシマドの斬撃を弾き、彼自身へと迫っていた。

 

「いいね、真似しよ」

「なっ!?」

 

 素早い動きで、シマドは剣を鞘に仕舞った。

 腰を深く落とし、剣を再度抜き放つ。これは……!

 果たして、形を持った風が、向こうからも伸びてきた。それは僕のものとぶつかり、身体を押すほどの風圧を巻き起こした。

 あんな一瞬で、同じものをぶつけてくるなんて……! いくら単純な発想の技だからって!

 

「おおッ!」

「!!」

 

 こちらがひるんだ隙に、凄まじい勢いでシマドが迫ってくる。剣から放出した風を推進力に使って、宙を滑るように飛んでくる!

 僕は再度、剣を鞘に仕舞う。

 この抜刀術の真価は、やはり高速のカウンターだ。ここが絶好の使いどころ!

 

「は!!」

 

 刃を解放する直前。

 スローになった時間の中で。彼が、僕に向かって、にっと笑うのを見た。

 シマドが視界から離脱していく。僕が剣を放つ刹那の寸前に、上に飛んだのだ。

 この動き、どこかで。

 猛烈な勢いで解き放たれた刃が、しかし虚しく空を斬る。だが、僕には何故か、彼の次の動きが予想できた。

 ――後ろにまわって、背中を攻撃してくる。

 だから僕は、この勢いのまま半回転して、背後を斬った。

 やはり、シマドの姿はそこにあった。

 

「え!?」

 

 たしかに斬りつけた彼の姿が、ぶわりと消えた。手ごたえもなかった。

 これは、風の魔力で作った、身代わり……!?

 

「実は後ろじゃなくて上でした。ご先祖パンチ」

「いたっ!?」

 

 空から声がして、そちらを向く前に、頭のてっぺんにガツンと痛み。

 尻もちをついて、僕は目を回してしまった。

 ………。

 また、一敗。

 

「あー、ユシド、お前は素直だな。性格が戦い方に出てるよ」

 

 宙から降りてきたシマドは、剣で肩を叩きながら僕に語りかける。僕と違って、息のひとつもあがってない。

 

「でも、殺し合いってのは、ズルした方が勝つんだぜ」

 

 そう言われて、顔を上げると。

 シマドが。10人以上のシマドが、僕に剣を向けていた。

 風で作り上げた身代わり。いや、単なる囮じゃなくて、攻撃力のある精巧な分身だ。もし斬りつけられれば怪我を負うに違いないという、迫力があった。

 彼は剣士としてだけでなく。魔導師としても一流なんだ……!

 

「気になる技があったら勝手に盗めよ。もちろん、今の自分にある技を磨きあげてもいい。ひたすらやってみよう。いくらでも付き合うぜ」

 

 師が、手を差し伸べてくれる。僕は彼の大きい手を取り、立ち上がる。

 

「さ、もっと気張れ。俺の子孫なんだろ? こんなオッサン、乗り越えていけよ。……期待してる」

「……はい!」

 

 互いの距離をあけたら、また剣を構える。

 彼との戦いは、僕を必ず強くしてくれる。そんな確信があった。

 

 

 

「……それで、そのシークって女の子は、仲間内ではお湯の勇者って呼ばれちゃってて」

「ブハハ、なにそれ、ケッサク」

 

 修練の合間。食事や睡眠をとって、身体を休める時間。

 噴水装置の縁の部分に、僕は腰を落ち着けていた。顔を上げるとシマド様が、行儀悪く寝そべる姿勢のままふよふよと空中に浮き、こちらを見下ろしている。

 シマドは僕に、これまでの旅の話を語らせた。話をせがむ様子は、失礼だけど、寝物語を要求する幼子のようで、そんな一面が敬うべきご先祖様にあったことは、なんだか意外だった。

 でもどうしてか。シマドと言葉を交わすのは、楽しい。彼の隣は居心地がいいんだ。うんと年上の話しづらいおじいさん、ではなく、長年の友人のような。年上の兄弟のような。

 それと。

 笑う顔とか、話す雰囲気とか……、

 僕なんかよりも。違う誰かに、似ている気がする。

 

「おーい? なんだ、人の顔をじろじろと見て。まさか、じじいが思ってたより美青年で、惚れたか?」

「え、あ、いやあの。すいません」

「はは、冗談だよ。お前のほうが顔はかっこいいさ。どこかで美形の血でも入ったのかね?」

 

 彼が空中から降りてくる。そして、何の遠慮もなしに、ぐっと僕に近寄り、顔を覗き込んできた。

 近。

 

「ちょ、っ……」

「なるほど、瞳の色は少し違うかもな。お前のほうが風の才能はありそうな彩度だ」

 

 そう言うシマドの眼の色は、僕のものより暗い。どんな色のほうが魔力の素質がある、とか、わからないので、なんとも言えない。

 シマドはまたふわりと浮き、適当な位置へと行ってしまう。気まぐれな人だと思った。

 ……至近距離で見つめられたせいか、心臓の動きが早い。この動悸の感じは、ミーファが何かしら不意打ちをしかけてきたときに似てる。

 いやなんだそれ。同性の人相手に、なんで動揺してるんだ。どうしたんだ僕は……!?

 不思議な魅力というか、雰囲気のある人だな……。

 

「しかし楽しいな、きみの話は。旅ってのはやっぱり、人数が多くて、歳は十代くらいが楽しいのかもしれない。ああいや、一人旅もあれはあれで良いものだけどさ。……でもお前は、最初から雷の勇者が仲間なんだっけ?」

「はい。魔法剣を教えてくれた、幼馴染です」

「心強いねえ。雷使いのやつらって、なんかほら。攻撃力すごいしな」

「それはもう。そんな子が師匠として、ずっとついてきてくれているわけですから」

「それは素晴らしいや。……ところで、ユシドよ」

 

 今度は横から声がした。地面に降りて、僕と同じように噴水のフチに腰かけたのだろう。

 

「お前の話。やたらそのミーファって幼馴染の名前が出てくるけど……」

 

 隣にいるシマド様を見る。

 

「好きなの?」

「……な……」

 

 なんか、にやにやしていた。

 

「おやあ図星かい。おっと照れるなよ、俺も恥ずかしくなる。同じ勇者に恋するなんて、まあ青臭いったらないね」

 

 シマドは僕を煽る。なんだってみんな人の色恋沙汰をこう……大人ってやつは、まったく。

 

「な、おっさんに教えなよ、そのミーファちゃんとの、これまでの色々なイベントをさァ。旅の各地で女の子にモテモテ・恋愛百戦錬磨のシマドさんが、好感度判定してやる」

「は、はあ……」

「なにさ。かわいい末裔がさらに後世に血を残していけるのか気になるだろー、俺にだけは教えろよ、全部吐き出しちまえよ、それまで寝かさんぞ」

「わかりましたよ、もう」

 

 話せば話すほど、超然としたご先祖さまのイメージが崩れていく。若者の話にずいぶん興味津々なようだ。

 ……ミーファとの、いろいろなことか。

 ええと。

 その、本当にいろいろあった。例えば、以前に影の国の地底城で、闇魔の霧に身体を乗っ取られそうになったとき、ミーファは僕に……、

 

「えっと、あの。こないだ……チューされました」

 

 彼女は僕に意識がなかったと思っているかもしれないけど、実は鮮明に覚えている。ミーファの綺麗な顔が限界まで近付いてきて、睫毛の長さまでちゃんとわかって……熱い息遣いと、柔らかい感触が……

 

「な……何ぃ!? チューだと……!?」

 

 シマド様は。

 心底たまげた様子で、狼狽しだした。

 

「あ、ありえねえ……破廉恥かよ。進みすぎだ、最近の若者」

 

 あれ、恋愛百戦錬磨のはずでは。

 

「な、どうやってその状況に持ち込むもんなの? 意外と積極的だよなお前」

「いえ、向こうから」

「はあっ!? マジか。そのミーファちゃんとやら、きみのことがよっぽど好きらしいな。両想いなんじゃないの」

「い、いえ、それは……」

 

 たしかに……自惚れと願望が多分に混じるけど……想いが通じ合っているように思える瞬間は、ある。

 だけどミーファはまだ。僕にはっきりと、答えを返しては、いない。

 ……まあ、ご先祖さまに見栄を張りたくてチューしたとか言ったけど、あれは僕を救うためのことだし。両想いも何もない。

 

「真面目にアドバイスしてやろうか」

 

 ばかばかしい虚勢を告白する前に、そんな一言が耳に届く。

 シマドは僕をみて、優しく笑っていた。

 

「これから先、勇者の旅はもう終わりだと感じているかもしれないが……きみの人生はまだ続く。トラブルもまた、だ。だからさ」

 

 まるで自分のことを思い返しているように、僕には見えない遠くを見ながら、彼は言う。

 

「何があっても後悔しないように、想いは告げておけ」

 

 きっとこの人は。後悔しているのだろうなと、思った。

 ……まあそれはそれとして。

 

「あ、それはもう、やりました」

「は?」

 

 バルイーマの闘技大会でミーファに勝ったとき、彼女に想いを告白したことを話した。

 

「何? もう? なんだよ。さっきのかっこいいアドバイスを返せよ……」

「すいません」

「ユシド、おじいちゃんはお前の貞操観念が心配だよ。軽薄じゃない? チューとか告白とか、そういうのは10年ぐらい一緒にいてからさあ……」

「そ、そうですかね」

 

 軽薄かな……。初めて言われた。認めたくない。シマド様が物凄く奥手な人だっていう可能性もあるのでは。

 

「まあ。なら良かったよ。俺は……仲間の雷の勇者には、自分の気持ちを言えなかったからさ。そうだ、たぶん、死ぬまで言わなかった」

 

 ……雷の勇者に。やっぱり、後悔があったんだ。

 自分のことのように思えて、彼の言葉は胸を打ってくる。向こうも、僕の話に自分を重ねてくれていたのだろう。

 いやでも、散々こちらをからかっておいて、自分も仲間に恋してたのかこの人。

 あれ? でも……、

 

「僕の代まで家が続いているということは、誰かと添い遂げたのではないのですか? 家系図では……すみません、お相手の名前は、覚えていませんが」

「んー。この俺はあくまで、聖地での儀式を終えてから、再度この神殿に立ち寄ったときの俺だけど……恋人なんかいた記憶はないな。この先、長生きは無理だし……そうだなあ。想像だけど、地元に帰ってすぐ、あの厳しい領主サマの命で誰かと子作りでもしたんじゃないの。

 お互い言葉を交わしたこともない、勇者の子を残せ、なんて時代遅れの使命を背負わされた、可哀想な誰かとさ」

「………」

「と、すまん、悪いな……。お前の婆さんの婆さんかもしれない人のこと、悪く言ってしまった」

「いえ」

 

 今の話を聞いて誰かを思うとしたら、僕はあなたのことが気にかかる。今のはひどく、寂しそうな顔に見えた。それでいて、まだ見ぬ誰かを憐れむような。

 彼の言葉を反芻し、自分の中に刻んでいく。彼の話すことをしっかり記録にまとめて、家に持ち帰って。そしてさらに、家にある記録と情報を合わせて、シマドの足跡や人生をちゃんと知りたい。

 勇者としての旅を終えたあと、彼はどうしたのか。

 ……「この先、長生きは無理」? それって……。

 

「あの、シマド……」

「もういいだろ俺の話なんて。おっさんが自分語りなんかして悪かったな。ユシドの話の方が、100倍楽しいよ」

 

 そう話を切って、彼は腰を上げた。

 

「もうちょっとしたら、修行を再開しよう。そうしたらまた、きみの物語を聞かせてほしい」

 

 首肯する。

 けれどその代わり、あなたのことも聞きたいと、僕はせがんだ。

 なんだか嫌そうにしていたけど、こっちのわがままも聞いてほしい。あなたは僕の、兄で、父で、祖父で、師で……友人、なのだから。

 

 

 

 あれからずいぶん経った。

 魔力の精緻な扱い方、出力の上げ方、剣への乗せ方。ここに来る前と今の自分では、レベルが違うと思う。

 シマドとの削り合いが、急速に自分の力を高めてくれた。

 

「ここまでやれるようになれば、聖地でトチることはない。お前はもうここを出てもいいが……最後に、俺が使っていた“技”をひとつ、教えたいんだ」

 

 技……。魔法剣とは違うもの?

 それが最後まで彼と僕の間にあった実力差の正体だろうか。それを伝授してもらえるというのなら、これほどありがたいことはない。

 

「だが、それは過去の勇者が編み出した、風の奥義のひとつ。“試練”を乗り越えて掴めるものだ。お前は、それに挑むことができるか?」

 

 言葉にするまでもない。僕は視線に意思を込めて、小さく頷いた。

 

「本当に? どんなことが起きても?」

 

 彼らしくなく、神妙な雰囲気で、曖昧な物言いで勿体ぶる。

 ……どうしてか、ひどく不安になった。風の勇者を名乗るなら、ここで去るなんて選択肢はありえないのに。

 逃げてもいいと、彼の目が言っている気がする。

 

「……やらせてください、試練を」

 

 弱気を振り払って、言葉を絞り出す。そうだ、どんな試練だか知らないが、たとえ命の危機に瀕したとしても、僕は挑むべきだ。

 シマドのことを知ったからこそ、そう思う。彼の後を継ぐのなら、後ろへ逃げるのではなく、前に進まなければ。

 

 僕の返答を聞いたシマドは、わかった、と小さくつぶやいて。

 どこか、あらぬ方を向いて。

 誰かに呼びかけた。

 

「だとさ」

「……え?」

 

 彼が見ている方向にあるのは、神殿の出入り口だけ。そしてそれを通行できるのは、風の勇者だけだ。僕ひとりだけ。

 けれど。

 そこから、誰かの足音がした。

 ゆっくりとやってくる人影。

 その誰かは……僕にとっては。一番よく、知っているはずのひとだった。

 

「ミーファ?」

 

 少女は僕に目を向けながら、シマドの元へと歩いていく。

 表情は平坦なもので、何も言ってはくれない。

 ……いや、ミーファがここにいるはずはない。彼女は雷の勇者だ。風の神殿に入ることはできない。

 試練のために現れた、幻だろうか。

 

「……幻じゃないよ、ユシド」

「え?」

 

 聴き慣れた綺麗な声が、語りかけてくる。

 彼女は、首に提げた指輪を握り締めて、消えそうに儚い笑顔で、僕を見ていた。

 歩みを途中で変えて、こちらに近づいてきて。細い腕を伸ばしてくる。

 ミーファは装備を外した左手で、僕の頬に触れた。

 その温度と感触は、たしかに、とても幻とは思えない……。

 

「ミーファ……?」

 

 僕が瞬きをすると、彼女はまた、平静な面持ちに戻っていた。

 踵を返して、再びシマドへと近づいていく。

 並んだ二人は向かい合い、互いを見ていた。

 

「いいんだな?」

「ああ……」

「はは。不思議な気分だ」

「オレもさ」

「……人間、変われば変わるものだ……」

「そうかな?」

「そうさ」

 

 風が吹いた。

 シマドの身体が翠色に輝き、彼の肉体は徐々にほどけて、魔力の風に戻っていく。

 そしてその風は、静かに目を閉じたミーファを取り巻いていった。

 

 そうして、そこには。

 ひとりの少女以外、誰もいなくなった。

 彼女は、左手に現れた、翠色に輝く剣の紋章を見せ、僕に鋭い視線を向ける。

 

「ミーファ・イユは、普通の少女じゃない。生まれたときから、過去に生きたある人間の、記憶と魂を持っている」

 

 彼女は自分の名前を、まるで他人の名のように口にする。

 ……目の前で起きていることが、理解出来なくて。いや、理解してしまいそうになって、頭の裏が、強く殴られたように痺れる。

 そして。強く吹いていた風が、突然止んだ。

 

()の初めの名は、シマド。シマド・ウーフ」

 

 真実を告げる声が、静かに届いた。

 

「我が子孫、ユシド。風の試練を受け、継承者である証を立てよ」

 



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61. こんなに、あなたのことが

 相手の剣が、こちらの剣を軽々と弾いて見せる。剣戟の応酬のなかで、自分だけが手傷を増やしていく。

 いつもとは比べ物にならない剣のスピード、そして重さだ。ミーファは、ここまでの剣士じゃなかったはずだ。雷の奥義を使っている様子もなく、あるのは風の気配だけ。

 あのとき。闘技大会の決勝で戦ったとき、剣の腕について、僕と彼女にここまでの差はなかった。どうして、なんで……。

 いや、もうその理由は、彼女が口にした。自分は普通の少女ではないのだと。

 

「ぐ……ッ」

 

 すさまじい一振りによって身体ごと弾き飛ばされる。息も上がって、肩が重く沈みそうだ。

 それでも身体はいつものように、あきらめまいと戦いの相手を注視する。

 敵は、僕の好きなひとは、ありえざる風の魔力を剣に集め、小さくつぶやいた。

 

「風神剣・五輪互乗(ゴリンゴジョウ)

 

 巨大な竜巻の柱。それが五つ。刃から生まれたそれはたちまち僕を取り囲み、逃げ場を塞ぎながら迫ってくる。

 回避不能の技――だけど、ひとつでも破壊すれば、突破することができるはず。

 

「!! う、あ……!」

 

 身体がふわりと浮く。自分の意思じゃない。周囲の気流が、こちらの足をすくう動きをしている!

 体勢を立て直し、反撃を。浮遊の術を使い、剣を握れ。

 そう自分に命令する頃にはもう。視界も、空間も、嵐に埋め尽くされていた。

 

「ぐあああああっ!!??」

 

 全周囲から、五体をバラバラに引き裂かれるような、痛烈な斬圧。魔法障壁を纏っていても、切り刻まれ、圧し潰されるようだ。

 こんな凄まじい威力のある風の魔法剣を、雷使いであるはずの彼女が使うなんて……。

 

「が……あ」

 

 地面に落ちた衝撃が身体の内側に響く。なんとか立とうとしても、足が、手が、震えて力が入らない。

 それほどのダメージを受けたから。

 ……いいや、ちがう。

 

「こんなものなのか、ユシド。俺を失望させるな」

 

 冷然とした目つきで見下ろしてくる少女。

 彼女が動くたび、話すたびに……これまでのすべてが、繋がっていく。

 ミーファ。年下なのに、年上のような、不思議な女の子。

 そのミーファが、旅の中で口にしてきた言葉。情報。違和感。

 それらはすべて、彼女がシマドの生まれ変わりとして記憶を残しているのならば、何もかも説明がつく。ついてしまう。

 

「う、う……」

 

 でも、それの何が、自分にとってそんなにショックなんだろう。

 僕はどうして、自分がいま立てないのか、わからない。

 

「……いきなりあんなこと話して、悪かったよ」

 

 遠くで構えていたミーファが、剣を下ろす。

 

「少し休め」

 

 その言葉は、すぐ耳元から聞こえた。

 腹部の方に衝撃があった。電撃か、殴打のどっちだったのかはわからない。苦しくて目を閉じると、そのまま思考が、暗いところに沈んでいった。

 

 

 

 次に目を開けたとき、僕はミーファに介抱されていた。

 柔らかい太腿を枕にしてくれていて、いつもならたぶん、顔を紅くして飛びのいてしまうところだけど。そういう気分にはならなくて、ゆっくりと身体を起こした。

 

「あっ……」

 

 ミーファの漏らしたか細い声が、どうしてか耳にはっきりと残る。

 

「……まだ、傷は治っていない」

「自分で治療できる。できます」

 

 少し距離をあけて、自分の身体を魔法術で癒していく。

 僕たちは互いに話すことなく、しばらくは時間だけが過ぎていった。

 

「ミーファは。ミーファには、シマド様の記憶がある?」

 

 彼女の方を見ずに聞く。

 彼女に聞いた、というより、自分の中で話を整理するための発言だったかもしれない。

 答えてほしかったわけではない、かもしれない。我ながら理不尽なやつだった。

 

「記憶があるし……魂も、シマドそのものだ。自分はシマド本人だという認識で生きている」

「………」

「……すまなかった。どうしても自分の手で、先代として、きみに試練を……」

 

 今のすまなかった、は、どういう意味だろう。

 これまで隠し事をしていたことに対して、というより、今このタイミングで真実を明かしたことについて……だろうか。

 よくわからない。

 たしかに、動揺はしたけど。でも僕には、それで謝られるおぼえはない。

 そんなことよりも。

 

「この試練。あなたは、あなたの本気で、僕と戦ってくれる。そうでしょう」

「……ああ。その戦いの中で、奥義を見出してほしいんだ」

「……わかった」

 

 などと返事をしたものの、奥義とか、正直もうどうでもいい。ついでだ。ついでのことになってしまった。

 僕は……本気の君に、勝ちたい。ミーファとしてだけでなく、シマドだったことをさらけ出した、本当のあなたに。

 もしもそれが叶ったら、そのとき。言いたいことがあるんだ。

 あのとき……武闘大会で君に勝ったとき。あれはひょっとすると、本当の勝ちじゃなかった。だから……、

 

 理由はできた。

 もう、足が折れることはないだろう。

 

 

 

 剣を交え、傷を負っていく中で、彼女の声が耳に届く。

 

「言っておくが、風の奥義を得ないことには俺を打ち倒すことはできない。がむしゃらに戦っても無駄だ」

 

 また重く速い剣に弾かれる。すぐに体勢を整えて反撃の流れを……

 

「ッ――!」

「ぜえッ!!」

 

 速い! 追撃が速すぎる。

 なんとか剣を合わせて防いでいるけど、この速度は魔法使いとしては異常だ。以前手合せした超神速の剣士、イフナさんのスピードにも近い……!

 ミーファはもともと、反応速度や脚の速さに優れた剣士ではあった。でも今は、脚だけじゃなく、あらゆる動作が速い!

 

「がっ!?」

 

 胴体に強い衝撃があり、ミーファが目の前から離れていく。いや、自分が蹴りで吹き飛ばされたんだ。

 膝をつきそうになるのを、耐える。相手から、もう、目を離さないようにしないと。

 

「おまえ。俺の動きが見えているだろう。太刀筋を見切っている。……それでいい。大事なことだ」

 

 ミーファが言葉をかけてくる。それは彼女からの、何かのヒントだと感じて、聞き漏らさないように耳を傾けた。

 

「そして、“見えた”なら。次は“追いついて”みせろ」

 

 追いついて?

 ……あのスピードで動く彼女に勝つには、いろいろと作戦が考えられる。例えば、耐え抜いてスタミナ切れを狙う。高速カウンターで打ち破る。相手の動きを制限するような……術による拘束や、移動ルートを限定する策を考える。

 だが、それではだめなのか? こういったやり方ではなく、あの速さに自らも追いつかなければ、彼女には勝てない。

 これまで、動きのスピードで相手を翻弄する、なんて戦い方はあまりしたことがない。鍛えたこともない。その僕が、どうやればミーファに追いすがれる……?

 

 剣のぶつかり合う音。ミーファは再度斬りこんできた。

 やはり速い。空いた距離を一瞬で詰めるその駆け足。旅の最初のときから、彼女はこういう動きをしていたけれど……

 それに加えて、今は剣腕も重い。膂力では僕が勝っているはずだったのに、鍔迫り合いで押されている。どうやってその細い腕で?

 

「いいか。お前は既にその“技術”を見ているし、身に着けている」

「……!?」

 

 激しい攻防が再開される。

 神殿内を走り回り、剣を振り、魔力を絞り出し。傷を負い、呼吸を乱しながら、しかし考える。

 見ている、と言った。

 もしかして、ミーファはその風の奥義を、既に使って見せているということか。

 一体どの場面なのか。最初の方に使った、回避不能の魔法剣……?

 いや違う。もしかして、いままさに使っている、のか?

 例えば……、“運動速度を引き上げる技”を。

 

「せれッ!!」

 

 また剣のぶつけ合い。

 至近距離で、観察する。彼女に、いつもと違うところは。

 ――ある。それは、ここで戦い始めてからずっと、写し身のシマドが変じた風の魔力を身に纏っていることだ。ミーファの腕、背中、全身を薄い翠の気流が取り巻いている。

 これは、雷の勇者である彼女に、風の神殿が魔力を貸していることを示す現象だと思っていた。身体を取り巻く魔力を使って、強力な風神剣や魔法術を撃ってきているのだと。

 それだけじゃない、気がする。

 

 それと……今までの旅でも、ミーファが瞬間的に、凄まじいスピードで動くときはあった。

 あの動きはどうやって実現していたのか。……そう、たしか、脚に風の魔力を纏っていた。

 旅の初めに、高速で魔物に近づいて、焼き殺したとき。王立学園のロードレースで、チユラのスピードに対抗するとき。他にも、頻繁に使っていた。

 よくよく考えてみれば、あの術はなんだ?

 あれは、教わっていない。

 少なくとも、一般的な風の魔法術の教本にはないものだと思う。ほとんどの場合、風使いが魔力を身体に纏うときは、彼らが空中を浮遊し飛行するときか、魔法障壁として防御力を高めるときくらいだ。

 けれどミーファは、あの風で「加速」している……?

 

 奥義の性質が見えてきた。けど、まだ明確な答えとしてまとまらない。

 ………。

 ――お前は既にその技を“見ている”し、

 ――“身に着けている”。

 

「風神剣・昇」

「!!」

 

 下から突き上げる暴風に襲われる。これまで何度も世話になった技で、元はミーファに教わったものだ。向こうが使えるのは当然。

 この狭い嵐に巻き込まれれば、ダメージとともに空に投げ出され、さらなる追撃や落下の衝撃までありうる。単純だが有用な技だ。

 しかし、逆に、うまくその風に乗ることができれば。こちらが反撃する機会を作り出せる。

 僕は攻撃圏内から紙一重の位置で地面を蹴り、自分から上昇した。

 

「風神剣・断!」

 

 宙で相手に狙いを定め、薄く研ぎ澄まされた風の刃を、剣の振りと共に放つ。

 使いやすい中遠距離攻撃。斬撃の魔法術は多くの風使いにとってポピュラーな技だが、僕たちのような魔法剣士が刀身に乗せて撃つそれは、さらに洗練された刃となり得る。

 しかし斬撃そのものは撃った時点で攻撃範囲が決まっている、見切る眼を持つ相手にはそう当たらない。ミーファはほとんどその場から動かず、身体をそらして太刀の風をかわした。

 まだだ。それなら手数で攻める!

 地面に降り立ってすぐに、先ほどと同じく飛ぶ斬撃を幾度も放つ。風神剣・断は速度に優れ、消耗も少ない。こうして数を増やすことで技として幅が出る。

 刃の群れはミーファに殺到する。さきほどのようには避けられない。

 ……が、有効打にはならない。手数と技の出を優先したそれらは威力に欠け、彼女が展開した、可視化されるほど厚い魔法障壁によってかき消された。

 防御に力を割いたことによって、彼女の脚が一瞬止まる。

 ならば次の手は!

 

「風神剣・穿」

 

 既に自分はその型に入っていた。

 刺突の要領で、範囲を引き絞った魔力の竜巻を、剣先から撃ち出す風神剣。

 敵の防御を突破したい場面、弱点を正確に突きたい場面に使うものだ。これで、ミーファの障壁を崩す。

 

「―――。」

 

 一連の流れは、ミーファには読まれていた。螺旋の槍は角度を変えた障壁と、剣技によって逸らされ、ミーファの後方の地面を穿った。

 やはり通じない。ミーファに、シマドに教えてもらった技では、本人には……。

 ………。

 ミーファに教わった技は、まだある。

 

「風神剣――!」

 

 身体を沈め、風の魔力を体外に渦巻かせる。

 相手のいる方向を意識し……地面を蹴ると同時に、身体を押す追い風になるように、魔力を後方で炸裂させた。

 

「“疾風”!」

 

 高速で景色が流れ、あっという間にミーファとの距離がうまる。接触するタイミングで剣戟を繰り出すと、彼女は冷静な表情でそれをしっかりと防御し、しかし踏ん張ることはなく、弾かれるようにして飛んだ。衝撃の方向に合わせて飛び退いたんだ。

 

「………今のは」

 

 高速で動き、間合いを瞬時に詰める突進術。

 ずいぶん久しぶりに使ってみたけれどこれは、思えばまるで、ミーファの戦闘スタイルに似ていて。

 これだけのスピードでいつも動けたなら、今のミーファにも、追いつくことが……、

 

「……風で、身体を、押す……?」

 

 単純な理屈の技。追い風が吹いているときとそうでないときでは、全力疾走のスピードがほんの少しだけ変わる……そんな当たり前にある出来事を、風の魔力で再現するスキル。

 それを、ミーファが今。

 “すべての動作”において、使っているのだとしたら?

 

「………!」

 

 教わっていない、わけではなかったのか。

 やってみるべきだ。

 風神剣・疾風の要領で。すなわち、体外に放出した魔力を操作し、自分の肉体の動作と連動するようにコントロールする。

 魔法剣士として経験を積み、ついには先祖シマドによって直接叩きあげられた今の自分なら、そのような魔力行使も可能なはず。

 

 再び身体を沈め、低い姿勢になる。全力疾走の予備動作。

 ミーファが何度も旅の中で見せたように……身体に、走りの起点となる脚に、風という推進力を加える。そんな自分のイメージを、翠色の魔力がなぞっていく。

 今だ。

 スタートを切る。

 ぐん、と。空気の壁が、自分を拒むような感覚。それに耐える。

 

「――――ッ!?」

 

 跳び過ぎた。

 ミーファの横を思いきり通り越して、神殿の内壁に着地する。頑丈そうなそれにひびが入って、僕の足も軋んだ。

 もう一度、今度は出力を調節して――

 

「しゃあッ!!」

 

 その前に、おそらく同等のスピードで、ミーファがすっとんできた。

 剣の腹を腕で支え、障壁と共に盾のようにして、なんとか攻撃を逸らす。一瞬の間、僕たちは壁に足をつけたま、にらみ合った。

 ミーファは、うすく笑っていた。

 地面に降りてすぐに、また向こうの一撃。それを受け止めると、相手も刃をひるがえそうとはせず、普段のミーファが好まないはずの鍔迫り合いに持ち込まれる。

 やはり重い……! 圧し潰されるような力だ。 そして、その秘密は!

 剣を受け止めながら、ミーファを取り巻いている魔力の流れを観察し、模倣する。

 いまから行うのは、腕力と、踏ん張る脚の補助。そのために必要な、力を加える箇所と、力の向きは……!

 

「む……」

「うおおっ!!」

 

 風が吹く。

 魔力を吹かす。

 それで、こちらを追い詰めつつあった刃の侵攻は止まる。

 ぎちぎち、きしきしという音の錯覚を、耳以外の感覚が作り出す。地魔の剣・風魔の剣でなければ、どちらの刃も砕け散っているだろう。それほど大きな力の拮抗。

 いや、バランスは再度傾いた。ミーファの剣を、徐々に押し返していく!

 至近距離で、また、ミーファが笑った。

 

「残念」

「―――うわあああっ!?」

 

 たぶん、向こうが、力を抜いたんだと思う。

 地面をごろごろと転がり、体勢を立て直すと。ずいぶん遠いところにミーファがいて、また長い距離を吹っ飛んだものだと思った。

 なるほど。そりゃ、こうもなるか。

 

 けれど、腕力を補うあの力。速度を著しく上げる推進力。

 きっとこれは、大ハズレじゃない。まだ、いろいろ試したい。

 

 再度、ミーファと剣を交える。

 動作に合わせて、身体の各部に風を起こす。そんなことをしたらやっぱり、腕も足も胴も、無様に流れて、とても剣技にならない。まるで、握りたての武器に振り回されている、見習い戦士のような有様だ。

 でも……

 そうだ……

 これなら……追いつける!

 大切な予感を得て、試練に挑む。気が付くと、自分も、笑っていたようだった。

 

 

 

 楽しい時間、だったのかなと思う。

 自分の呼吸のリズムも忘れて、没頭していた。

 だから、彼女が剣を下ろしたとき、呆けてしまった。

 

「どうやら、モノにしたようだな」

「え?」

 

 ミーファの攻撃に一方的に傷つけられることは、いつの間にかなくなっていた。

 それで、ようやく自分が……彼女と同じものを纏っていることに、気が付いた。

 

「それが、シマドの使っていた風の奥義のひとつ、『追い風の衣』だ」

「……なんか、安直なネーミング」

「オレだってこの神殿で教わったんだよ、文句は受け付けないよ」

 

 ミーファは……試練の中で、いつもの彼女に、戻っていた。

 

「こんなやり方で習得するなんて、すごいよ、ユシドは」

「あなたに教えてもらった風神剣がヒントになったのと……、それと、ミーファがずっと使っていた技だから」

「そうだったか? 人のことをよく見てるじゃないか」

 

 悪戯っぽく笑う表情は、ずっと旅の中で見てきたもので。

 でも、そこに、僕が出会ったシマドを感じる。

 こうして落ち着くと、現実に実感が追いついてくる。

 似ている、というより、同じ。変わらない。話し方とか、笑い方とか。

 本当に、彼女は彼なんだと。僕の先祖で、男性で、今は女の子で、けれど魂は変わっていないのだと。

 

 そして……。

 僕は、今この瞬間の自分に、心底安心した。

 

「おめでとう。お前は試練を乗り越えた。正真正銘、風の勇者だ。この俺が認める」

「まだだ」

 

 ほんとうのことを知っても、まだ――、

 

「まだ、あなたに、君に、勝っていない」

 

 こんなに、あなたのことが、すきだ。

 

 剣を握る。

 魔力も体力も、当たり前の事実としてかなり消耗しているはずだ、とは思うけど。それでも、今が人生で一番絶好調。追い風は心にも吹いている。

 

「……勝ってどうする?」

「なんでもいうこと聞く、っていう約束だ」

「約束? ……ああ、それはもう、前に済んだ話だろ」

「ううん。あれじゃやっぱり、不満だよ。だって――」

「わかったよ」

 

 彼女は再び剣を抜く。

 鈍色の刃と紫水晶の瞳が、これ以上の言葉を断った。続きは、剣で語れと。

 約束の先には、願いがある。

 最初は、君を守れるくらい強くなりたかった。それで、認めてもらいたかったんだと思う。

 いまは、まあ、それとは少し違う感じ。

 こうだ。

 “君と、並び立てる自分になる”。

 それができたなら、そのときは――、

 

「行くぞ!!」

「ああッ!!」

 

 そうしてまた、刃が瞬く。

 剣の打ち合いは、互いに傷をつけ合うもの。少し間違えば殺し合いだろう。

 でも気持ちとしてはなんだか、この前の夜の、ダンスみたいだった。

 ミーファだけしか目に映らない。息遣いや体温を感じる。心臓の駆け足は止まらない。

 ずっとこうしていたい。

 

 これがすべての力を振り絞る戦いである以上、終わりは来る。

 そのときまで、僕たちは舞い続けた。

 

 

 

 やがて、ひとつの剣が、使い手の元から弾き飛ばされ、離れていった。

 嵐の終わり。ふたりの風の勇者に、凪が訪れる。

 

「完敗、だな。さすがに悔しいよ」

 

 勝者は決定した。

 ミーファの手に、もう剣はない。

 

「本当の意味で、キミは(オレ)を超えたんだ……」

 

 自分の握っていた剣をしまう。

 これで戦いは終わって、僕たちはもう剣士も勇者もない。

 そして……、

 目の前のミーファでもシマドでもある少女は、僕にはミーファもシマドもない。

 ただ、そこに好きなひとがいるだけだ。

 

「えっと、約束、だっけ。どうしたら――」

 

 両手で彼女を抱き寄せる。あんなに強い戦士なのに、細い身体で、力を込めすぎると折れてしまいそうだった。

 でも、あまり加減ができなくて、ぎゅっと抱き着いてしまった。彼女の吐息が耳にかかる。

 ええと、なんて言おうか。気持ちがはちきれそうだ。

 もどかしさを吐き出すように、僕は、ミーファと出会ってから今の瞬間までに胸に溜まった想いを、口に出した。

 

「あなたを愛しています。ずっと、ずっと一緒にいてほしい」

 

 ……ああ。

 いつかのときより、もっと好きになってる。

 本当はもっと気の利いた言葉で想いを伝えたかったんだけど、いざとなるとそうもいかないみたいだ。気持ちが先にぽろっと出て、いまいちな台詞だったのをなんとかしたくて、僕はミーファに自分の心臓を押し付けた。

 表情は見えない。当たり前だ。ミーファの顔はいま、僕の肩のところにある。相手の気持ちが分からなくて、怖い。一回目の告白よりずっと怖い。でも、伝えずにはいられなかった。

 どんな強大な敵と戦うときよりも、心臓がばくばくと動いている。

 

「……本当に?」

 

 耳のすぐそばで、ミーファが、小さな、小さな声でつぶやく。

 うるさい心臓の鼓動は、まるでふたりぶんみたいだった。

 

「オレは、男なんだよ」

「うん」

「お前のおじいさんの、そのまたおじいさんの……とんでもないおじいさんなんだ」

「そうだね」

「性格も、こう見えて暗いんだ。気分屋だし、頑固だし、嫉妬もするし、面倒なやつなんだ」

「知ってる」

「オレは……シマドだ。ミーファでもあるけど、でも、ミーファじゃないんだ。この魂は――」

「だから、あなたに恋をした」

 

 そうだ。きみが、きみじゃなくて、ただのきみだったなら。きっと僕はこんなに惹かれなかった。

 あなたはいつだって、優しくて、強くて、僕を見守ってくれていた。愛情をくれていた。

 でも、あなたは、ばかだと思う。

 歳が近くて、可愛くて、幼馴染なんだ。そんなふうにされたら、好きになるに決まってるだろ。

 

「じゃあ、じゃあ……オレは、キミを……」

 

 背中に、優しい感触。

 ミーファの手だった。

 今度こそ、この時間がずっと続いてほしくて、僕はいっそう力をこめる。想いは、伝わっているはずだと思った。

 

 

 でも。

 とん、と胸を押されて。

 突き放されて。そうしたら、やっと顔が見えて。

 ミーファが、困ったような笑顔を、つくっているのを見て。

 それで、返事が、わかってしまった。

 

「ユシドの気持ち、嬉しいよ。でも…………。一緒にいることは、できない」

 

 ああ。

 さっきまでうるさかった心臓が、ぎゅっと締め付けられている。

 

「約束だから、聞いてあげたいんだけどさ。……ほら、その、男だから。オレにとってキミは、恋仲になるような相手じゃないんだ。悪いな」

 

 軽口を言うときの声で、彼女は話している。冗談で済ませるみたいな。そんなの、僕は怒ってもいいだろう。

 でも、そんな顔で言われたら、口を挟めない。

 ……どうして。僕よりも、つらそうなんだろう。

 

「……それは。本当、に?」

「…ああ」

 

 ミーファは、僕に背を向けた。そのまま、一歩、二歩と、行ってしまう。

 これ以上ない、わかりやすい意思表示だ。

 

「………………わかっ、た」

 

 ひとつの終わりを、噛みしめる。

 恥ずかしいことに、少し泣きそうになった。

 失恋のショック、なんだろうか。それとも、ミーファにそんな顔をさせたことが?

 地面を見る。いや、失敗だったな。このままでは熱いものが落ちていきそうだ。

 そんなものはおさえこんで、彼女に言うんだ。せめてよき友人でありたいと、言うんだ。

 

「……?」

 

 ふと、変な感じがした。

 それは音だったのかもしれないし、何かの魔力的な気配だったのかもしれない。

 虫の報せだったのかもしれない。

 

 顔を上げる。

 視線の先、すぐそこに。

 地面に、ミーファが倒れていた。

 今の今まで、互いに言葉を交わしていたあの子が。

 

「……ミーファ?」

 

 呼びかけに、返事はない。

 



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62. サンサーラ

 まず、いつもの魔力切れだと思った。

 ミーファは真剣な戦いの場では、力を使い果たして動けなくなることが多い。今回も、それほど本気で僕と戦ってくれたのだから、こうなってしまうのも仕方ないと思った。

 彼女を介抱しようとして、その苦し気な様子に気が付いた。

 浮かぶ汗、荒い呼吸は尋常な様子ではなく、身体に触れると、おそろしいほどの熱が彼女を苛んでいるのがわかった。

 僕は神殿を出て、島の宿屋に彼女を運び、仲間たちを頼った。

 

 ティーダさんとシークも修行を終えていたらしく、狭い部屋の中に6人の勇者全員が集まった。いつだって僕たちの中心だった彼女を、みんなが心配そうに見つめる。

 でもその中で、イシガントさんと魔王さまの姉妹は、何か、知った風な様子を見せた。

 

「この症状は……」

「まさか、もう?」

 

 反射的に問いただすより先に、向こうが口を開いた。

 

「ごめん、着替えさせるから、男の子ふたりとシークちゃんはちょっと外で待っててもらっていい? 若い子には刺激が強いしね~」

「いいや……その必要はない」

 

 イシガントさんはいつもの言動を見せてやりすごそうとしたみたいだったけど、魔王さまは違うようだった。

 

「ここですべて話そう、イシガント」

「姉さん、でも……」

「もうタイムリミットじゃ。こいつのわがままなんぞ聞いてられん。お前はまた後悔するつもりか?」

「………」

 

 いつになく神妙な様子に。これまでにないほど大きく、嫌な予感がした。

 

 

 衣擦れの音と、ミーファの荒い息遣いが耳に入る。やっぱり普通の状態じゃない。疫病の類か、そうでなければ……

 

「こっちを見ていいぞ、童ども」

 

 すぐに振り返って、その有様を、見た。

 

「……なんだ、これは……!?」

 

 ミーファはうつ伏せの姿勢で寝かされているが、衣服をはだけさせられ、白い背中が露わになっている。

 いや。白い背中、とは言えない。

 彼女の背には、見たことのない禍々しい紋様が描かれていた。ただの刺青でないことは一目でわかる。感覚を鋭敏にすると、何者かの魔力の気配もわずかに感じ取れた。

 

「呪いだよ。背中の呪刻が体力と魔力を吸っていって、模様が広がっていくほど苦しみが増す、という。よくある呪いじゃ」

 

 ……バカな。

 全身を怖気が走る。魔王さまはこれを、教会で祓ってもらえばなんとかなるような、なんでもないもののような言い方をした。

 だがこれを目の前にすると、決してそんなやさしい代物ではないのだと、心が感じ取り、訴えてくる。どうしてミーファがこんなものを背負っているんだ。

 いったい、いつから……?

 

「今までの旅でも、こうやって、この子だけが魔力を激しく消耗していたことはない? 体調を崩していたことは?」

 

 頭の中を、これまでのミーファの姿がよぎった。

 旅の記憶を思い返す。大きな戦いの後では、仲間たちがまだ動けるくらいの余裕を残している中、彼女だけが力を出し切ってバテている場面があった。

 考えてみれば、勇者に選ばれるほどの人間が、体力ならともかく、動けなくなるほどに魔力を絞り出すことになるなんてのは、そうそう起こりえない。シークのように、強すぎる魔力で熱が出て倒れるというケースならまだしも……。

 ミーファのあれは、呪いの紋によって魔力を失っていたから、だというのか。

 

「……あ、の。な、治るんですか? このまま広がり続けたら、ミーファさんはどうなるんですか?」

「死ぬに決まっとるじゃろ。この様子だと、あと2年……いや1年で限界、ってとこかや」

 

 魔王さまは軽く言い放ったが、僕にとってそれは、頭を強く殴られるよりずっと重い衝撃だった。他のみんなも、多分そうだったと思う。

 シークの目にしずくが浮かぶ。

 

「そんな……、どうしてこんなことに……。呪いなんて、いつ?」

 

 すぐに思い当たったのは、王都の地下で、光魔の最後の攻撃からミーファがかばってくれたときのこと。

 それ以外に考えられない。あのとき、僕が不覚を取らなければ。

 

「こいつに呪いが刻まれたのは、約200年前のことじゃ」

「―――!?」

 

 魔王さまの言葉に、思わず顔を上げる。

 200年前? つまり、ミーファがまだ、シマドだった頃……?

 いったい、何があったんだ。

 

「いま、すべてを話そう。お前達は、このミーファが今日まで隠してきた秘密を知る必要がある」

「……反応からして、半分くらいはユシドくんも知ったみたいね」

 

 イシガントさんの匂わせ方からして、ミーファの隠し事、というと、彼女がシマドの生まれ変わりだという話か。

 それが、この呪いのことと関係している?

 ……仲間たちの様子をたしかめる。

 シークは困惑した様子で、ティーダさんは眉も動かさずに僕ら全員を見ている。イシガントさんはミーファの髪を優しく撫で、魔王さまは――。

 魔王さまは、ゆっくりと、語り始めた。

 “昔話をひとつ。”と。

 

 

 ほんの200年前の、魔人族にとってはわりとはっきり思い出せるくらいの、昔の話。

 星の台座を目指して旅をする男がいた。名をシマド・ウーフといい、当時の風の勇者に選ばれた者だった。

 やがて彼は己のほかに、あと二人の勇者を探し出し、共に旅を続けていく。

 そのまま数年のときを費やし、他の勇者たちを探したが……勇者探しをしていられるほどの余裕が世界から無くなり、ついに彼らは3人のまま、旅の終わりへと舵を切った。

 そうして聖地に向かう途中、力を得るため、ある島の神殿へ立ち寄る。

 このとき、シマドの命運は定まった。

 

 仲間たちが神殿へと修行に入り、ひとり外の世界にいたシマドの元に、全身を紫光に濡らした稲妻が……竜が、降ってきたという。

 今日でいう“七魔”の一騎、雷魔ロクの襲撃である。かの雷魔は精霊として高位の存在でありながら、魔物として模範的な怪物で、さっそく島の人間を焼き殺そうとした。

 シマドはそれにたったひとりで応戦し、その死闘は7日続いたという。

 まあ、うちはそこはウソだと思っとるけど。せいぜい2日くらいだと思う。だが、シマドが七魔とのタイマンを互角に持ち込むビックリ人間だったのは、紛れもない事実じゃ。

 おほん! 話がそれたな。

 

 死闘の果てに、シマドは雷魔を追い詰めるところまでいった。

 だが、死にかけの雷魔は最後に、彼に精霊由来の強力な術をかけた。

 それは死の呪いである。それだけのことで、シマドの人生に先はなくなった。

 そのうえ雷魔にはとどめも刺せず、まんまと逃げおおせられたらしい。さぞ無念だっただろう。

 しかし、シマドの奮闘により、島の民たちにはただのひとりも死傷者は出なかったという。やつは正しく勇者、ヒトの英雄だったといえよう。

 

 3人の勇者たちは聖地での儀式を終え、その後は各々がシマドの呪いを解く方法を求めた。

 だがそれは叶わず。背中の呪刻に魔力や生命力を吸われ、見返りに痛みと熱を与えられ、彼は衰弱していく。

 そうして。務めを果たした勇者シマドは、しかしその偉業を報われることなく、若くして死んだ。ほんの数人の友に看取られてな。そうだな? イシガント。

 

 さて。

 ここまで、「勇者シマドの死」について話した。このことが、ミーファ・イユと何の関係があるのか。

 もうしばし傾聴せよ。

 

 シマドが課せられたものは、正確に言うのなら死の呪いではない。

 死んだあと、その先がある。

 “生まれ変わり”だ。

 記憶と魂を引き継ぎ、全く別の人間として転生する。それがこの呪いの真骨頂であった。不滅の存在である最上位精霊による、魂を縛る契約だ。これくらいのことはありえる。

 そうしてシマドはおそらく、この星の誰かに生まれ変わったはずだ。

 そして……

 ここからの話は我らの得た情報からの推測で、真実は本人と雷魔にしかわからないのだが。

 非情に悪辣なのは、その転生後の身体にも、シマドを死に追いやった呪いの紋がそのまま刻まれることになる、という点だ。呪刻は肉体ではなく、魂を侵している。

 だから、次の生でも、長くは生きられなかっただろう。

 その次も。その次もだ。

 シマドの魂は、転生の輪廻に囚われ続けている。短い生を何度も繰り返している。

 雷魔はそこから、魔力と生命力……そして、シマドの絶望を喰らっているのだろう。

 

 さあ。ここまで聞いたなら、もうわかったな?

 シマドの魂は今もこの世界に生きている。そして、死の紋に痛めつけられている。

 そこのベッドの上で。

 此度の生では、ミーファという少女として……。

 

 

 

 

「あなたを愛しています。ずっと、ずっと一緒にいてほしい」

 

 似たような言葉は、いつかの日にも聞いた。

 だけど、そのときとはまるで意味が違う。ユシドはオレの正体を知った。きっと、今までのように、憧れてくれはしない……はずだった。

 それなのに、ユシドはオレを強く抱きしめてきた。少し痛いな、と思うくらいに。こういうことをされると、今の自分の体格をわからされてしまう。ユシドの腕の中に収まるのなんて、彼より小さい身体の少女くらいのはずだから。

 そして、彼は胸の鼓動を直接伝えてくる。そこに、嘘はないんだと言うように。

 

「……本当に? オレは、男なんだよ」

「うん」

「お前のおじいさんの、そのまたおじいさんの……とんでもないおじいさんなんだ」

「そうだね」

「性格も、こう見えて暗いんだ。気分屋だし、頑固だし、嫉妬もするし、面倒なやつなんだ」

「知ってる」

「オレは……シマドだ。ミーファでもあるけど、でも、ミーファじゃないんだ。この魂は――」

「だから、あなたに恋をした」

 

 そう、言ってくれた。

 オレの全部を肯定してくれた。

 気が付くと、自分もまた、彼の背に手を回している。

 すがるように。

 

「じゃあ、じゃあ……オレは、キミを……」

 

 好きになっても、いいのかな?

 

「………」

 

 でも、ダメだ。

 ユシドの想いに応じるのは、だめなんだ。

 オレはじきに死ぬ。

 ユシドにはきっと傷が残る。また、愛しい人に、しかもこんなにまで思ってくれる相手に、見送らせるっていうのか。

 そんなこと、してはいけない……。

 大好きなキミに、死ぬところは見せられない。

 

「ユシドの気持ち、嬉しいよ。でも…………。一緒にいることは、できない」

 

 彼を突き放す。

 死に別れよりはマシだ。オレは……、

 オレのことは、単なる想い出にしてくれればいい。キミにふさわしい伴侶でも見つけて、幸せになってほしい。それこそがオレの宝だから……。それだけで、またこの繰り返しに挑めるから。

 だから。その恋だけは、あきらめてほしい。

 

「約束だから、聞いてあげたいんだけどさ。……ほら、その、男だから。オレにとってキミは、恋仲になるような相手じゃないんだ。悪いな」

 

 “ふつうのこと”を言い訳に突き付ける。

 ユシドは、今までに見たことがないような、悲痛さに耐えるような顔をした。

 ああ、なんでオレは……。ユシドのこんな顔が見たくないって、思っただけなのに……。

 

「……それは。本当、に?」

「…ああ」

 

 逃げた。

 ユシドの顔を見ていられなくて、背を向けてしまった。

 それで後悔した。後ろからは泣きそうな声がする。

 

「………………わかっ、た」

 

 ユシドが泣いているのを最後に見たのは、最初に見たときだ。出会ったあの日、彼は木の下でべそをかいていた。

 あれからキミは、どんな試練にも泣かない、強い男の子になった。

 そんなキミを悲しませるオレは、世界一の悪者だ。

 

 やがて、意識が暗いところから浮上し始める。

 これは夢だ。記憶の整理。

 この神殿を出ようとすれば、目が覚める。

 ああ、ミナリ。せっかく背を押してくれたのに。悪いけど、きみの思ってるよりずっと、オレはダメなやつだったみたい。

 周りの声が聞こえる。眠る自分を誰かが囲んでいるようだ。

 まどろみを抜けて、目を開いていく。

 

 

「そして……肝心の、ミーファを救う方法だが。とても簡単で、とても困難じゃ」

 

 手足の感覚が戻ってきて、脳みそが回転し始める。ずっと話していたのは……魔王ちゃんか。

 

「こいつに無限転生の契りを強制している張本人……今も世界のどこかにいる、“雷魔ロク”を殺すことができれば、この呪いは終わる」

 

 みんなの声は、なんとなく耳に入って、眠る自分の頭に届いていた。

 さすがに、かっこ悪すぎるな。ミナリにも説教されたのに、結局人に全部言わせちまった。

 

「やあ、みんな……」

 

 かすれた声を出すと、仲間たちがこちらを向く。

 どうも自分は、ベッドに寝かされた状態で彼らと向き合うことが多いらしい。昔話のお姫様じゃあるまいに。これに気が付くと、さすがに、あまりに情けない。

 

「魔王ちゃん、全部言わせちゃってごめん。……みんな。隠していて、ごめん」

 

 仲間たち。とくに、自分がシマドの生まれ変わりだと明かしていなかった、ティーダとシークの様子をうかがいながら謝る。

 これは信頼を裏切るような真似だと思う。軽蔑されても文句はいえない。

 

「……いや。いろんな疑問が解けて、やっとスッキリしたよ、ミーファちゃん。あっと、シマドさまって呼んだ方がいいか?」

「よしてくれ。……図々しいことを言うと、今までどおりがいいな。君たちにとってオレはミーファだし、今の自分も気に入っている……」

 

 話しながら、ある少年のほうを見る。

 彼は……、口を開こうとせず……とても、冷淡な表情をしていて。

 それだけで、自分の血の気が引くのがわかった。

 

「な、なるほど……そうだったんですね。元は男の人。どうりで、一緒にお風呂に入ったときの目が、え、え、えっちだな、と……」

「え? ……えっちなのは君だろ、人の身体をじろじろと見てきた」

「ふぇっ!? ち、違います! あれは……」

 

 シークはころころと表情を変える。楽しい子だ。好きだ。

 でも、最後には、あまり楽しそうじゃない顔になった。

 

「……背中のタトゥーを、見ていました。しばらく見ないうちに、こんなに大きく広がっていたなんて」

 

 ずき……。

 と、胸に何かが響く。

 知られてしまったという痛み、隠していたことへの罪悪感、結局自分では言えなかったことの情けなさ、後悔……そんなところか。

 もちろん、もしも雷魔を倒すことができたなら、みんなにちゃんと話すつもりだったんだ……。こんな雰囲気にさせるのは、いやだった。

 ………。

 しばしの沈黙を、イシガントの明るい声が破る。

 

「……ね! 少し休憩しましょ。みんなも外に出て? ミーファちゃんも、私達の声で起きたみたいだけど、まだ眠った方が良いんだから」

「いや、しかし……」

「無理すると侵食が早まるんだから。大人しくしてて」

 

 イシガントはずるい。そういうふうに言ったら、みんなは出ていってしまう。

 食事をもってくるから、と言う彼女を含めて、仲間たちはぞろぞろと部屋を出ていく。

 もちろん……ユシドも。

 

「あ、ユシド――」

 

 彼がベッドのそばから立ち上がったとき、何か言うことを考えるより先に、呼び止める声が自分から出た。

 静かに見下ろしてくる目は……、いつものように、優しい目つきじゃない。それに、神殿で想いを告げてくれたときとは、全然違う……。

 ………。

 そうだ、これでいいはずなんだ。

 ユシドがオレを想うことがなければ、冷たい目を向けてくれれば、何も苦しみはないじゃないか。

 最後にユシドが傷つくことがないのなら、それが正しいんだ。

 

「あの、さ。そういうわけだから、オレはキミの気持ちには応えられないんだ。このままじゃ死んじゃうんだから、そんな人間に、その想いはもったいない」

 

 それが正しいはずなのに。

 ……どうしてかな。悲鳴を上げたい気分だ。

 不安定な、震えるような声が、出てしまう。

 

「悪いけど、諦めてくれよ。想い出にでもしてくれたら、いい」

 

 拙く並べ立てた自分の台詞は、そんなにも悪かったのだろうか。

 ユシドは、きっ、と強くこちらを睨んだ。長く一緒に過ごしたけれど、そんな顔を向けられるのは、初めてで。

 胸の内にあるものが、ぎゅっと締め付けられて、頭の後ろあたりに、がん、ときた。

 

「きみは、ひどい隠し事をしていた」

「……あ、ああ……。気持ちをもてあそんで、本当にごめん。オレは、オレは本当は、男なのに……」

「違う。死の運命を隠していたことだ」

 

 語気を強くして、ユシドは訴える。

 

「呪いのことを知らなかったら、君の言い分を受け入れていたと思う。でも、もう知った……」

 

 ユシドの顔が、ぐっと近づいてくる。

 冷たい目、じゃなかった。強い、強い眼だ。

 オレのものよりも澄んだ、きれいな翠――。

 

「いいか。これからは、たとえ君が僕を嫌いだと言っても、君のことを絶対にあきらめない。僕はしつこいんだ。ミーファがいない未来なんて、いやだ」

「あ――」

 

 言いたいことを言ったのか、そのまま彼は離れていく。立ち、歩き、部屋の扉に手をかけた。

 

「待って……」

 

 ユシドの言葉を、熱の回っている頭はまだ整理していない。

 だから、自分の喉から、とびきり甘えたような声が出たことに、とても驚いた。

 

「………」

 

 一瞬立ち止まったものの、ユシドは出ていった。

 ………。

 いつの間にか伸ばしていた手を、下ろす。

 怒っていたな。あんな顔もするんだ、って思った。

 ……………。

 謝りたいな。

 だけど、やっぱり言えなかったんだ。キミが好きだと言ってくれるほど、オレが死んだときの、その顔を想像したら、もうだめなんだ。

 だから……内緒にして、いなくなろうと思っただけだ。

 もちろん、雷魔をそれまでに倒せたら、全部解決で最高なんだけど。それは何度も失敗しているし。

 うまくいかないな。

 …………………。

 ユシドのことが、頭から離れない。

 今眠ったら、また、夢に出そうだ。

 …………………………。

 それもいいかもしれない。休むときくらい、好きなひとの、好きな顔を見ていたい。

 イシガントの介抱を待たず、再び横になる。

 目が覚めたら、謝りに行こう。そう思って、一度目を閉じた。

 



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63. TS転生勇者、子孫に……

「では、お前達は、このミーファのために、最後まであがくと。そういうことでいいな?」

「議論するまでもないだろ」

「わたし達みんな、ミーファさんのことが大好きですから」

「今度こそ、彼の……この子の幸せを、ちゃんと見届けるんだから」

 

 新たな……目的地の決まっていない、旅の準備を終えて。勇者たちは志を分かち合う。

 最後に、全員の視線が、ひとりの少年に集まった。

 いや、もうじき少年とは呼べなくなる。7つの光を呼び集める存在――彼は、風の勇者を担う者。

 

「200年の呪いに、終わりを。必ずまた……この6人で、共に旅を」

 

 これは、約束だ。

 

 

 

 寝かされていた部屋に時計はなく、あれからどれくらい眠っていたのかはわからない。身体はまた楽になったので、旅を続けるのに問題はない。

 やはり勇者としては、ここからそう遠くない聖地での儀式を終えるのが先決だろう。みんなも修行を終えていたようだし、星の台座へ向かうことを提案しなければ。

 そう思って、村の宿を出る。

 

「……みんな……?」

 

 しかし。仲間の誰とも、会わなかった。

 ……村人たちに、みんなを見かけなかったか聞いてみる? あるいは、神殿の方へ行っていないか見に行く?

 普通ならそうしていたと思う。でも、なぜだか、不安に襲われた。

 幼い子どもの頃、家で目が覚めたら、家族が誰もいなかった……そんなときに感じた怖さだ。

 だから。大事な荷物以外はほとんど持たずに、オレは村の門から外へ出る。

 足取りはやがて速度を上げていき、いつの間にか走っていた。

 

「はっ、はっ。……あ……!」

 

 やがて、道の途中で、探していたうちのひとりを発見する。

 子どものように小柄だが、頭部に二本の強靭な角がある。魔王を名乗る少女、光の勇者マブイだ。

 

「おお。来たのか……。これはまた、運命的なタイミングよな」

「……? 魔王ちゃん、あの、みんなは?」

「もうここを発った。貴様を苦しめている元凶、雷魔を探す旅に出たよ」

「え――?」

「それぞれ慣れた土地から探し始めると言うんでな、赤毛とちびっこは転移術で送ってやったよ。イシガントは、まだ調べていない大陸に渡ると言っていたな」

 

 ……そんな。

 みんなが、オレのために。

 ここまで来ておいて、もうゴールだと言うのに、勇者の旅を投げ出して。雷魔の居場所のあてもないのに。

 もしもオレが眠っていなかったなら、気持ちは嬉しいが後回しにしてくれと意見しただろう。だからみんな、オレに黙って行ってしまったんだ。

 さみしさと、小さくはない喜びが、心を通り抜ける。

 

「シマド、おまえは我が城にてかくまう手はずである。気休めほどの時間だが、眠りの封印術をかけることで呪刻の侵攻は停滞するはず。それと我が軍団からも探索隊を派遣しよう。できる限りの安全策じゃ」

「君が、そこまでしてくれるのか」

「正直、お前には悪いが、半ばあきらめておったよ。しかしまあ、なかなかいじらしく生きている姿を、こうして見せられるとなァ」

「いじらしいとか言うなよ」

 

 彼女が、同族でもない人間の、単なる個人にここまで肩入れしてくれるなんて。

 ああいう態度だけど、これはマブイからの、最大限の友情と敬意の表明だと思う。

 イシガントも、200年前にもあんなに尽くしてくれたのに。ティーダ、シーク……。こんなにも慕ってくれているなんて。

 

「ありがとう。君やみんなが、そこまでしてくれるなんて……。オレは幸せ者だな」

「ああ、そうだろうとも」

「でも、みんなが走り回ってるのに、当のオレがぐーすか眠ってるなんて心地が悪いよ。それに、雷魔とは自分で決着をつけたいんだ」

「………。まあ、そう言うだろうとは思っとった。おまえの性格的に」

 

 魔王ちゃんはおもむろに目を閉じ、何かを考えるような間をつくった。

 そして、再びこちらを見る。宝石のように青い眼は、オレの心の奥を視ているかのようだ。

 

「シマド。いや……ミーファ。たまたま、3人を見送ったところでちょうど、魔力が切れてしまってな。

 ……おまえの子にして孫である、ユシド。あれだけは、船でここを出るそうだ。そして、まさに今しがたここを通ったばかり。道なりに行けば追いつけるだろう」

 

 その名前を聞いて、身体の芯が震えた。

 

「人よりも長いようでいて、人よりも短いおまえの生。尊く大切な時間。今度は、どうしたい?」

 

 ――走る。

 懸命に、ちゃんと走っているはずなのに、なぜだか無様に息切れはするし、肺も破裂しそう。転んだりもした。前にレースで走った自分とは別人にでもなったんだろうか。

 追いつきますようにと願いながら、もたもたと、もどかしく進む。

 やがて。

 

「は、あ。あっ……!」

 

 やっと……その背中が、見えた。

 もう少しだ。そう思って、また走っていく。

 

 ユシド。ユシド。ユシド。

 ああ。何と言って呼び止めよう。隠し事を謝る? 逆に、黙っていなくなったことに文句をつけてみる? どんな話をすればいい?

 一瞬で、いろんな考えが頭に浮かんだ。

 

「え……? ミーファ?」

 

 でも。

 振り返ったその顔を見たら、もう。

 今までみたいに想いを隠すことも、見栄を張ることも……なにも、できなくなった。

 乱暴にぶつかって、それでも揺れない、その背中にすがりつく。

 大きかった。

 

「あ、えっと……」

「………待って、くれ」

 

 みっともなく、服を掴む。子どもみたいに。

 でも、いま本当のことを言えなきゃ、ユシドはもう遠くへ行ってしまう。そうしたら、二度と会えない可能性だってあるわけで。

 それだけは、たえられない。ほかのみんなも大事だけど、でも、ユシドは……

 オレにとっての、特別な人なんだ……。

 だから。

 

「……離れたくない。キミとだけは、離れたくないんだ。……一緒にいたい」

 

 息を吸いながら、何度も、同じ意味のことを言う。

 

「ずっと、一緒にいたい……。

 ひとりで、行かないでくれ。これからずっと、一緒にいて……」

 

 ユシドは――、ユシドも、あのとき、ずっと一緒にいてほしいとオレに言ってくれた。

 オレはそれをないがしろにした。

 でも本当は。きっとその想いは……こっちの方が、強いんだよ。

 それを伝えたくて、何度も何度も声を絞り出して……自分のことを、見てもらう。

 やがて。

 ユシドはようやく、身体をこちらに向けてくれた。

 

 

 

 島の端、海沿い、崖に続く野原。若干盛り上がっているくらいの丘に座って、二人で風を感じる。

 太陽は紅く、もうすぐ地平線に沈んでいくだろうといった時間帯。

 世界にはこのふたりしかいない。だから、今から自分が何を言っても、何をしてしまっても。それを知るのはユシドだけだ。

 

「ミーファ。君は……シマドとして生きたあと、何度も別人に生まれ変わっている……、っていうのは、本当?」

 

 その質問には、心臓を掴まれたような感覚がした。

 「それは知られたくなかった」という気持ちが一瞬、顔に出てしまったと思う。

 ミーファでもシマドでもない、たくさんの自分がいたこと。彼らの、あるいは我の人生は。愉快な笑い話でも、光に彩られた日々でも、誰かに誇れる生き様でも、なかった。

 

「……ああ。内緒にしていて、ごめんな。でも、何度もって言っても、手指で数え切れる回数さ。魂が眠っている期間もあるから、200年ぶっ通しで生きていたわけでもない。過ぎてしまえばあっという間だったと言えるね」

 

 ……でも、もう、ユシドに隠し事をしなくていい。そう思うと少し楽になって、口が饒舌になった。

 

「なあ、知ってるかな。この世界は広い。オレたちの旅してきた土地なんて、全体の半分も行かないくらいだと思う。だから……今までキミが見てきた、綺麗な世界ばかりじゃなかったりする。オレたちのいるこの場所の裏側では、例えば、奴隷の扱いが悪い国もあるし、魔物はあまりいないけど、人間同士で醜く争っている国もある」

「君は、そこにいたのか?」

 

 それには答えず。足に力を入れて、立ち上がって夕日を見る。

 

「でもさ! 何度も生まれ変われるなんて、どう考えてもお得だろ? だってそのおかげで、キミや仲間たちとも出会えた」

 

 そうだ。

 これは呪いだけど、本当は呪いじゃないんだと思う。

 シマドが見ることのなかった景色、得られなかった想いが、たしかに自分の中に息づいている。これだけは、呪いであるはずがない。

 

「それは心の糧だ。だから俺は転生の果てに絶望なんてしない。この繰り返しに飽きた頃にでも、うまいこと雷魔をぶっ倒せればそれでいい。やつに魂を掴まれていても、屈することだけはしない。

 ……そう思っていたんだ。でも、今は……」

 

 日が眩しくて、少しうつむく。すると、目から落ちてくるものがあった。

 これは……涙だ。……これには、驚いた。

 本当に、いつぶりだろう。自分が死ぬ直前にだって、泣かなかったのに。

 

 その、むき出しになってしまった心を流しながら。

 ずっと、誰にも言わず、自分でも目を背けていた、本当の想いを。震える声で、吐き出していく。

 ユシド。

 ユシド、オレは……

 

「オレは……オレは、ミーファでいたい。もう他の誰にもなりたくない。キミといたい。キミと一緒に生きて、一緒に歳を取って、一緒に眠りたい……」

 

 そうだ。それだけが、オレの叶えたい望みになった。これ以外のことなんて、何もいらない……。

 

「だから、ここに置いていかないでくれ。せめて死ぬまでは、一緒に居てくれ……」

 

 ぐすぐすとみっともなく、鼻も、目も腫らして、赤くして。

 しばらく、ユシドの胸に、自分を押し付けた。

 自分のことを、彼の心に刻みつけるように……。

 

 しばらくそうしていると、さすがに頭が冷える。

 恥ずかしいやつだ。オレはユシドに、甘えに甘えて、しかも自分のことを忘れられないようにとまで、たくらんでいる。

 ああ、自分の嫌な面まで出してしまった。オレだって、オレがこんなやつだなんて知らなかった。

 ちょっと、ショックだ。

 

「……女々しいだろ、お前の先祖は。幻滅したかい?」

 

 少し痛いくらいに泣き腫らした顔を、あまり見せないようにしながら、ユシドの顔色をうかがった。

 

「ううん。そんなことない。僕もきっと、きみと同じ気持ちだから」

 

 ……とても、優しい声だった。

 ユシドの目にも、なにかが光っている気がした。

 

「死なせないよ。僕も一緒に、戦う。たくさんしゃべらせちゃってごめんよ。これからは、君と離れたりしない。

……まあ、もし、仮に、そんなことはありえないんだけど、万が一……ミーファが、死んでしまうようなことになったら。今度は僕も生まれ変わって、必ずまた、君を見つけるよ。

 だから、安心して。泣かないで。僕の好きな人」

 

 ああ。

 なによりも、信じられる言葉だ。

 ユシドが一緒にいてくれる。なら、オレはもう無敵だ。泣き虫のまま、弱虫のまま、無敵になった。

 オレは、とてもたくさんの冒険をしてきたけれど。

 キミとの旅が、一番好きなんだ。

 

「ありがとう」

 

 膨れ上がった愛しさと信頼を、短い文字に込めて返す。

 

 

 

 

 また一緒に座って、ユシドの肩に身体を預け、夕日を眺めていた。そろそろ、古代人の言葉で言うところの、「黄昏時」だ。

 相手が誰だか、ちょっとだけわかりにくくなるという、夜の次くらいに暗い時間。

 けれど今のオレ達には、世界の何よりもはっきりと、互いの姿が見えていた。

 

「……大事な話があるんだ」

 

 そう、切り出した。とてもありきたりな言い回しだ。

 でも、だからこそ意図は伝わる。隣のユシドが緊張したのがわかった。

 

 ……まあその、さっきからほとんど口にしてるし、態度に出してるし、今更かよ……って感じなんだけど。

 こうなったら、もう、伝えないといけない。いや、伝えたいんだ。

 

「……スタンダップ」

「は、はい」

 

 夕日を傍目にして、ぎこちなく向かい合う。

 ええと。そうだな、ちゃんと段階を踏んでいこう。まずは……

 

「えふん。その……これからしばらくは、ふたりで旅をしていくわけだけど……。思い出さないか? 最初の旅立ちを」

「そういう話、ちょっと前にもしなかった?」

「まあ、聞いてくれよ。キミは贈り物をオレにくれたんだ。オレをシロノトに置いていったことの、おわびだと言ってな」

 

 それで貰いっぱなしも嫌だから、ユシドの誕生日に髪紐を贈った。

 ユシドは、次のオレの誕生日に……リングを贈ってくれた。

 だから……

 

「ほんとは次の誕生日に贈るつもりだったけど、まあ、前倒しってことで」

 

 懐からそれを取り出す。

 他の荷物は宿に置いてきてしまったけど、これだけはずっと持っていてよかった。

 ……そうしてユシドに見せたのは、ひとつのリング。雷の魔石をあしらった、いわゆるマジックアイテムだ。指輪だが、指につけなくとも、どこかに持っていればいい。

 やっと、渡せた。これは最初に貰った、風の耳飾りへの返礼でもあり、……今自分の首から下げている、指輪への、返答だ。

 

「どうだい、このディティール。お前より才能あるかもよ。影の国くらいからコツコツ勉強しながらつくってたんだ」

「……次は、もっとすごいのを贈る」

「“次”? ……ぷっ。あはは……!」

 

 そう、言ってくれるんだ。このやりとりが、これからも、何度でも続くと、ユシドは言えるんだ。

 

「さあ、ユシド。……図体が大きくなったな。ほら、かがんで?」

 

 紐を通したリングを、首にかけてあげる。

 それで、すごく、顔が近づいた。

 互いの息遣いがわかる。

 

 なあ、ユシド? たしか、もうすぐ19だろ。19歳は、もう大人だよ。

 だから……、この指輪を贈るのには、意味がある。

 お互いそれはわかっていて。でも、旅が終わるまでは、言葉にはしない。

 それは、またあとで。

 

 少し引いて、首飾りにリングを下げた彼を眺める。

 うん。まあ、紫の石っていうのは、オレのセンスだと、あんまりおしゃれではないんだが。

 でも、似合ってるよ。いや、似合え。無理にでも似合え。

 それにはさ、いろいろ、込めてあるんだから。

 

「機能の話をしようか。これは風使いであるお前が身につけていても、あまり意味はない。だけど……」

 

 ぴしゃりと音を立て、雷の装衣を纏う。肉体をいかずちと化す魔法。これは触れる者すべてを千々に切り裂く、刃の鎧だ。

 こんなに近くにいるユシドには、まだ奥義に慣れない自分では、危害を与えてしまってもおかしくはない。

 でも。

 

「この世でただ一人だけ、自らの魔力を宿した品を身に着けた者だけは、絶対に傷つけはしない。……ほら」

 

 ユシドの頬に触れる。

 

「しびれる? 焼ける?」

「ううん。いつもの、ミーファの手だよ。あったかい。昔から、撫でるのがうまいんだ」

 

 それはよかった。目論見は成功だ。

 ………。

 手で触れるだけじゃ、物足りなくて。オレはユシドに、両腕で抱き着いた。

 彼は少し驚いて、互いの胸がくっつくように押し当てると、そこが少し騒がしくなったのがわかった。

 これはいい。

 でも、もう一息ほしいな。

 

「なあ。全然物足りない。ぎゅって、してくれ」

 

 ユシドの腕が自分を抱き寄せて、ああ、これだ、と思った。

 互いの鼓動と、魔力の流れを、静かに、はっきりと感じる。オレの身体である雷が、力強さと輝きを増す。

 しばらくの間、その心地よさに身を任せた。

 …………。

 

「……なあ。ここまでしたら、わかってる、よな」

 

 ――オレの、キミへの、本当の気持ち。

 

「えっと、ちゃんと言葉にしてほしいというか……」

「……よ、欲張りもの」

「僕だって、ちゃんと言ったもの。2回も」

 

 それを言われると弱い。

 ま、オレも、言われっぱなしは性に合わないって、ずっと思ってた。

 そんなのは、男らしくないって。

 

「じゃあ、ちょっと深呼吸しなさい」

 

 なんて言いながら、自分が深呼吸をする。

 これは、なるほど、一世一代の瞬間とはこういうやつだ。緊張してしまう。

 

「…………覚悟はいいか?」

「ん。ちょっと、落ち着かないけど」

「オレもさ。こういうのは、本当に……、初めて、だから」

 

 雷装を解き、一歩下がる。ユシドの姿を視界に収め、息を深く吸った。

 

 

「子孫である君のことは、子であり、孫であり、弟であるように想っていた。

 でも、今は違う。この旅の中、オレの心の真ん中にはずっと、キミがいた。キミを想う気持ちの意味は少しずつ、だんだんと変わって、最初のものとはもう違う……。

 もう、嘘はつかないよ。隠し事もなしだ」

 

 ああ、心臓がやかましく鳴っている。ユシドはすごいよ。こんな熱を、2回も経験して、乗り越えてるんだから。

 視線が強くぶつかる。彼はその言葉を、答えを待っている。

 だから――――、

 ずっと言葉にしなかったその心を、いま、伝える。

 

「ユシド」

 

 それは喉が焼けるほど、熱の宿った声だった。

 

「オレは、キミが好きだ」

 

 ……言葉にすると、じわりと、とくとくと、自分の中の想いが溢れてくる。

 ああ。本当に、愛おしい。いつからかわからないけれど、ずっとそうだった。もう抑えられない。

 

「……髪の手触りが好きだ。首の匂いが好きだ。淡い瞳の色が好きだ。優しい声が好きだ。

 一生懸命さが好き。手の暖かさが好き。心臓の音が好き。そうやって顔を赤くするところが好き。

 まだ、まだたくさんあるよ。ずっと言えなかったことだから、たくさんある」

 

 思わずここまで出してしまってから、相手の顔が真っ赤になっていることに気付く。

 それはきっと、もちろん、こちらもだ。

 でも、もう気持ちを隠して変な駆け引きをすることもない。これからは、一緒に恥ずかしくなろう。

 

「まあその。まとめて言うと……」

 

 一歩前に出る。身長に差があって、少し下から、彼の顔を覗き込んだ。

 

「ユシド、キミを愛している。ずっと共に、そばにいてほしい。この雷が、キミのとなりで鳴り轟けるように――」

 

 夕日が彼の顔を照らす。自分の顔がとても熱いのは、きっとこの紅い陽のせいで。

 それともちろん、キミのせいだろう。

 また、視線が重なり合う。

 ああ……。

 その顔が見られたなら、こうして恥をさらした甲斐はある。

 

 もう一歩前に出て、翠緑のひとみを覗き込む。そこに写っていたのは、風の勇者シマドではなく、少女ミーファだった。

 つま先立ちになって、互いの顔を近づけていくと、瞳の中のその姿がどんどん鮮明になっていく。

 そうして……、

 互いの唇が、優しく触れ合った。

 

 

 



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64. イチャイチャ回

 道中、襲い掛かってきた魔物にやむを得ず対応する。

 戦闘開始から瞬きの内に、僕の剣は獣の首を刈り取った。かつての自分から少し変化した、速度重視の戦い方だった。

 

「おー、あざやかだ」

 

 剣をしまいながら声のしたほうを見る。ミーファは、近くにあったちょうど良い体積の岩に腰かけ、こちらをみて拍手をしていた。

 

「そろそろ交代してくれていいんだぞ。見てばかりなのは性に合わない」

「でも、ミーファが消耗することは避けないと」

 

 彼女は雷魔に呪いをかけられている。それは生命力と魔力を、背中の呪刻に吸われていくというもの。そして、本人が体力と魔力の消耗が激しい状態でいると、呪いへの抵抗力が弱まり、進行が早まるという。

 それを知った今、ミーファにこれまでのように前線を任せようとは思えない。彼女がどんなに強い勇者でもだ。

 

「そいつは過保護ってものさ。体がなまって、逆に不健康だ」

「うーん。そうかな」

「そーだよ」

 

 ミーファが立ち上がり、僕のそばまでやってくる。その視線の先には、いま首を刎ねられた魔物の遺骸。

 僕たちは、それが光の粒に変わっていくのを見届け、この名も知らぬ精霊に祈りを捧げた。

 

 

 

 仲間たちといったん別れてから、もうふた月ほども経つ。

 ミーファとはまた二人旅。それはとても穏やかで大事な時間だけど、過ぎていくほど焦りは募っていく。まだ誰も、雷魔の手がかりを突き止めてはいないからだ。

 

「なあ。この旅が終わったら、キミはどうする?」

 

 宵の口。野営の準備をある程度終え、火を点ける作業をしているところに、ミーファが話しかけてきた。

 

「どうするって、なんのこと?」

「将来設計さ。何をして生計を立てるのか? ということ」

 

 未来の話。そういう話をして、僕たちは離別の恐怖から気を紛らわせる。

 ぼうっと火が立ち上がってきて、互いの姿がよりはっきり見えた。さらに手持ちサイズの魔力灯を動かせば、夜の闇はそう怖いものではなくなる。

 

「例えばさ。勇者が全員そろった状態で儀式を終えた後の世界では、ギルドの退治屋なんかは収入が減ると思わないか? まあ、魔物がまったくいなくなるわけじゃないから、食べてはいけるだろうけどさ」

「うーん、たしかに」

 

 火を見ながら、燃料となるものをくべていく。

 ミーファの意見は確かにあり得る話だ。魔物の被害が抑制されれば、需要が減る商売もある。

 しかし同時に、その一方で、大きなビジネスチャンスが訪れる商売もあるだろう。そしてそんな新しい時代が、いつから始まるのかをいち早く知ることができるのは、僕たち勇者の仲間だけ。これは商機を見逃さないためのアドバンテージになる。

 多分に願望が入った、楽しい想像が膨らむ。魔物の脅威が薄れることで伸びしろがあるのは、あの職とか、あの職……。商品の流通事情も変わっていく……。

 そうだな。この旅を終えて、僕がやりたいことは……

 

「漠然とだけど、いろいろと考えてるよ。この旅の経験を活かせる、楽しいやつ。シロノトに帰ったら教えてあげる」

「ふうん? そうかい」

 

 火を挟んで向かい側に、ミーファが腰を落ち着けた。ゆらりと燃えるものの向こうに、紫水晶の眼がきらめいている。見慣れた絵だが飽きたりはしない。ずっと好きな光景だ。

 

「ミーファは?」

「ん」

「ミーファは、旅が終わったらどうするの」

「はは、オレにそれを聞くのか」

 

 彼女は苦笑をしてみせる。

 ……ミーファに残された時間は少ない。こんなふうに未来の話を向けられるのは、あまりいい気持ちではないのかもしれない。

 でも、でも僕は、彼女がこれからもずっとこの世界で生きていくんだって、信じてる。仲間たちと僕が、君を雷魔から助け出すんだから。

 だから、希望に満ちた未来の話をしてほしいんだ。そう思って、ミーファに水を向けた。

 ……しかし。

 

「ふふ」

 

 どうも思っていた展開と違う雰囲気。ミーファはいつの間にか、その整った顔に、子供のようないたずらっぽい笑みを浮かべていた。

 

「そんなの決まってるさ。お前の将来設計、まさかと思うが、自分の隣に誰かの姿を忘れてはいないだろうな」

 

 彼女はにやにやと笑う。頬が薄ら紅く色づいて見えたのは、火のせいだろうか。

 

「ユシドについていくよ。ずっと一緒にいてくれるんだろ? だから、キミが職なしのその日暮らしにならないか心配なの」

「そっ! そ、それって……」

「おまえ、オレを自分のものにした自覚はあるのか? 甲斐性なしは良くないねえ」

 

 色気のない話し方でそんなこと言わないでください。

 し、しかし、そうか。この先、生きていくということは、そういうことにもなるわけで。自分一人が食べていけるような生活を想像するのは見通しが甘いというか、ええと、その。

 

「ところで、シロノトに戻るなら覚悟しておけよ。うちの父親相手にキミがどう戦うのか見ものだ」

「………」

 

 戦うって、剣と魔法の戦いじゃないですよね、やっぱり。

 記憶にある領主さまの顔が頭に浮かぶ。ミーファのこと、娘としてすごく愛していそうだったなあ。ミーファの将来を考えて上流階級の教育をしていたらしいし、そんな大事な娘を僕みたいな庶民に……うう。

 で、でも、シマドの功績に加えて、僕も勇者として箔をつけていけば、ウーフの家柄でもなんとか……なる……といいな。

 しかしその場合、ミーファの名前がシマドから伸びる家系図に書き足されるのだろうか。なんだかおかしな話だ。

 

「……はー」

 

 荷物から飲み物用のカップを引っ張り出してきてから、再度火の前に腰かける。

 せっかくミーファと両想いになれたのに、関係はなんだか以前に戻った感じがする。すなわち、僕は惚れた弱みをからかわれる側。

 向こうは見かけの年齢に反して経験豊富な大人(性格はともかく)で、会話の駆け引きでは勝てそうにない。

 くそ。

 前みたいに、ミーファの照れる顔とか、見たい。

 どうすればそんな表情が見られるのか悶々と考えていると。当の本人がすっと立ち上がり、今度は僕の真横に座ってきた。肩を寄せてくる。甘い匂い。

 そしてそのまま、カップを持ってないほうの腕に両腕でしがみついてきた上、頭を肩に乗せてきた。

 なんか柔らかいのが腕に当たっている。

 ……!!!???

 

「ちょっ! なにしてんの!?」

「何って……もし来世が男だったらこんなことできなくなるから、今のうちに甘えているだけだが?」

「だが? じゃないよ。の、呪いはここで終わらせるよ、絶対」

「ふっ」

「うひぃっ!?」

「プハハッ、笑える」

 

 耳に息を吹きかけてきた。な、なんなんだよ! からかいがエスカレートしてるぞ。ひどい。

 

「ねーえ、ユシド。今日は一緒のテントで寝るだろ? 今なら誰の目もないよ。どうする? ひひっ」

 

 甘い声で脳みそに囁いてくるミーファ。いかん、おかしくなる。

 ……想いを伝えあった結果、一時期はしおらしかったミーファはこうして、開き直ってそれをネタに人を弄ぶようになった。あまりによろしくない。

 

「ん? なんだよ。そうだ、おまえがオレに見惚れるたびに罰金1000エンってのはどうだい」

 

 無邪気な表情で邪気にまみれたことを言うミーファは、ダメだ、やはりこの距離で向き合うと顔が好きすぎてドキドキしてしまう。声とか香りも。

 反抗の意思が弱い。

 うう。僕は彼女におちょくられるのが、癖になっているのか? このままではまずい気がする。

 将来的に。

 

 

 

 二人での旅は続く。

 雷魔の痕跡、関連しそうな噂、なんでもいい。それらを探して、魔物の住処や人里を手当たり次第に回る。

 今日は、昼のうちに小さな村に辿り着いた。街道沿いにある村であるため、まともな宿屋がある。

 新しい街についたのなら、最初にするのはまず、部屋をとらせてもらうことだ。そのあとで情報収集といこう。

 宿屋に足を踏み入れ、従業者の女性に声をかける。女性は人数を確認したのち、借りる部屋の数を聞いてきた。

 

「部屋はおいくつで?」

「ふたつ――」

「一部屋でお願いしますわ」

 

 よそいきの微笑みを浮かべながら、ミーファが答える。

 ちょっと何言ってんの!

 

「何かしら? 路銀も減ってきているのだから、節約しないとでしょう」

「いやいや……!」

 

 今の君と同じ部屋にされると、いろいろともたないんだよ……! ミーファは絶対わかってて僕を振り回している。だって元はあのシマドなんだし。

 目で訴えるが、どこ吹く風という感じでかわされる。

 結果、相部屋になった。僕が強く反対できなかったからだ。なんかもう、だめかもしれない。

 部屋の鍵を渡される際、宿屋の人がにこにこと笑うその表情には、何かの含みを感じた。

 

「お、田舎だがいい宿じゃないか」

 

 部屋の中に入ると、宿なんていくつも利用してきただろうに、浮ついた雰囲気の声をミーファが出した。

 

「……!? こ、これは」

 

 そして驚く声。彼女のあとに続いて入っていくと、その理由はわかった。ついでに宿屋の人の、にこにこ顔の理由もわかった。

 ベッドが大きな一台しかない。いわゆるダブルサイズ。

 

「は、はは。ユシド、いまどんな気持ち? 他人から見たら恋人らしいぞ、我々は」

 

 ふん。今までにも、互いにかなり近い距離で睡眠をとったりもしたんだ。今さらこれくらいで、これくらいで……。

 

「床で寝ます」

 

 僕は荷物を抱えたまま、静かにベッド横の地面と同化した。

 

「おいおい。無理するなよ、意固地だねまったく」

 

 ミーファがやってきて、顔を見下ろしてくる。

 この角度だと、彼女の脚が長くきれいなのがわかる。あと、短いスカートから覗く、白いふとももが大迫力の太さで見える。そしてその先にある脚の付け根の、

 

「ああああああ!!!」

 

 床をゴロゴロと転がって難を逃れた。

 

 

 部屋についてからは、しばしの休息時間とした。ここからもう少し経ってから、昼食と噂話のあてを探しに外出しよう、という話になった。

 ミーファはガントレットやブーツを脱ぎ、自分の足をマッサージしている。世間話でもしようと思って視線を向けると、彼女は部屋に備え付けの椅子に、行儀悪く脚を開いて座った。

 

「ここのところ暑いな。風呂ありの宿にありつけて良かったよ」

 

 そう言いながら、スカートをぱたぱたとやる。たしかに暑そうで、むわっとした空気がそこにあるように幻視してしまった。

 

「………。あー、暑いなー」

 

 シークと同部屋だったときもこんな感じだったのか、どうなのか、彼女は身に着けているものをどんどん脱いでいく。暑そうなものをとっぱらっていくと、白い肩を出した大胆な見かけになる。

 そのうえ服の胸元もゆるめて、引っ張ってそこに涼しい空気を送り込んでいた。

 

「あ。何見てんだよ、少年。やらしいね」

 

 それで、こちらに視線を合わせて、にっと挑発的に笑いかけてきた。

 

「………」

 

 立ち上がる。狭い部屋を横切り、ミーファとの距離を詰めていく。彼女も椅子から立ち上がり、こちらに身体を向けた。

 

「お。な、なんだよ。言いたいことがあるなら口でどうぞ」

「………」

 

 無視して詰め寄っていく。少しでも気圧されたのか、ミーファは後ずさりして、やがて壁に背中をつけることになった。

 片腕を持ち上げ、彼女が寄りかかる壁に自分も重みを預ける。すると自然、ミーファをこれ以上ないほどに追い詰めた姿勢になる。僕にとっての最強の勇者は、それだけで逃げられなくなった。

 あまりに距離が近くて緊張するが、ここは言わせてもらおう。

 

「ご、ごめん。怒ったか?」

「いや」

 

 数々のいたずらを反省したのか、ミーファは少し眉尻を下げてこちらを見上げてくる。

 怒るとかはない。ないのだが……

 

「ミーファにとっては、まだまだ子どもなのかもしれないけど。ぼ、僕は、もう大人だよ」

 

 君に「少年」と呼ばれるのは好きだけど。でも、そろそろそうではなくなるわけで。

 そんな僕に対して、君がそういう悪戯をしかけてくると、どうなるか。それにもう気持ちを受け入れあったのだから、これまでの抑えも利かなくなってしまう。

 ミーファは元は男性だから、こういうところを見せると、嫌われてしまうかもしれない。でも、いや、だから、釘はさしておかないと。

 

「その、だから、あんまりからかわれると、困る。ミーファは、困ったことになってもいいの?」

 

 拙く、きもちのわるいことを小声で言う。

 あー、もう後悔してきた。だからそういう方向のからかい方はだめなんだって。まだ旅は全然終わってないのにさ。

 これで嫌われないといいけど。

 

「あっ……っと、その……オレ……」

 

 僕の胸元、目と鼻の先にいるミーファは、しばし逡巡するように視線を彷徨わせる。

 そしてそのあと。

 ミーファは、そっと両目を閉じて。僕を見上げるようにして、わずかに顎を上げた。

 やや緊張した面持ちで、小さな唇が何かを待つようにしている。それで意図が分かった。

 

 ~~~っ! 好きなひとが可愛すぎる。胸が締め付けられる想いとは、今この瞬間のこれのことだ。

 しかもこれで元があのシマドさまだなんて。友人のように話し込んだ、ものすごく強いあの人とは、ギャップがあり過ぎる。

 普通の幼馴染だと思ってたのに、ミーファのせいで、僕の女の子の好みがおかしくなる。なった。

 ここまでされたらやるしかない。

 血流と、相手の息と体温で、顔が熱くなる。わなわなと震えてしまいそうな手を、彼女の細い肩に伸ばした。

 

「んっ……」

 

 なるべく優しくふれたはずなのに、ミーファが小さく声をもらす。彼女の肩は、驚くほど熱かった。こんなんじゃ、暑い暑い言ってたのはウソじゃなかったかもしれない。

 顔を近づけていく。まつ毛の長さも髪の匂いもわかる。雪のように白い肌には朱がさしている。

 感覚が鋭敏になって、いろいろな情報が頭に入ってくる。熱がうつってくる。魔力の気配すらわかる。互いの距離は極めてゼロに近づいていく。

 そして、僕らのすぐ真横に、なんともいえない表情でこちらを眺めている青い肌の少女が立っていることもわかる。

 

「ん……っ」

「………」

「……あ、ごめん。ぜんぜん続けていいから」

「うわあああっ!!!!????」

「おごっ」

 

 ミーファを突き放す。彼女は部屋の壁に、したたかに頭をぶつけた。

 

「いやあ、ほ~んとすまん。連絡事項があって転移して来たんじゃけどね? 色々と邪魔したくないから昼間を選んだけど、まさかこの時間帯にいちゃついてるとか魔王でも見通せないじゃん……?」

 

 いつの間にか部屋にいた少女、僕たちの仲間、光の勇者こと魔王さまは、ばつの悪そうな顔で述べた。

 ウオオオ!!!! 身内に一番見られたくないところを、見られた!!!!!

 消えてしまいたい。

 

「……。連絡事項って、何」

 

 後頭部をさすりつつ、機嫌の悪そうな顔になったミーファが問う。

 魔王さまは咳ばらいをしてひとつ間をつくり、そして、表情を真剣なものに変えた。

 

「雷魔の居所を特定した。最後の戦いの準備をせよ」

「……!」

 

 どくん、と心臓がひとつ跳ねる。

 雷魔。ミーファを、シマドを死に追いやる元凶。僕たちが倒さなければならない、文字通りの“魔物”だ。

 そして……、最後の“七魔”。そいつを打倒すれば、もう旅の障害となり得る敵はいない。

 準備を。打ち倒す準備を。

 我らのすべての戦いに、決着を。

 ミーファの様子をうかがう。

 彼女は……、震えていた。だがそれはきっと恐怖からではなく、決意にだ。

 そうだ。最大の力をもって、最後の敵を討ち果たそう。

 僕は強く、強く、拳を握った。

 

「ふ。その意気だ。ではな、我は他の勇者どもの都合をつけにいく」

 

 魔王さまも力強く笑う。そうだ、あの仲間たちが揃えば、勝てない戦いなどありはしない。

 ミーファ、約束するよ。僕たちは絶対に、あなたと一緒に、この旅路を終えるんだって。

 魔王さまの足元に魔法陣が描かれる。この場から移動しようとしているようだ。

 

「あっ。明日の昼にまた迎えに来るから、それまでごゆっくりしてていいっすよ。ほなまた……」

「はやく消えろや」

 

 最後にニヤニヤと卑しい笑みを浮かべ、魔王さまはスーッと消えていった。ミーファが投げた靴が、彼女の残像を通り抜けていった。

 なんか、あれこれ見られてそうで嫌だな。

 

「………」

 

 なんか妙な空気になった。

 とにかく! 決戦のために、十分な準備をして臨もう。魔王さまは明日また来てくれるそうだが、もう少し準備期間は必要だ。みんながそろって決戦に臨めるのは、あと数日後ってところか。しかし雷魔が移動する可能性も考慮に入れないとだ。

 ミーファの呪いにもまだ余裕はある。あとは雷魔を逃がさない策を練って挑めばいいんだ。希望が見えてきた……!

 

「おい」

「うん? おわっ!」

 

 どん、と押される。どん、どん、と追撃。そのまま僕はベッドに倒された。

 何するんだよ、と声をあげるつもりだったのに、出なかった。ミーファが、上から覆いかぶさってきたからだ。

 さっきとは逆の構図。なんか、追い詰められた!?

 

「つづき」

「え!? えと、あの……」

「女の身体だと、すぐに落ち着かないんだ。切り替えられない。だから、さっきの続き」

「いや、雷魔とどう戦うか決めないと……」

「そんなやつは後回しでいいよ。火を入れた責任をとれ」

 

 そう言ってミーファは、いつかのように、顔を近づけてきた。

 心臓が破裂しそうだ。ミーファがこんなに積極的な態度になるなんて。愛しくてかわいくて、しかしなんだかかっこよくも見えてきた。今の構図、体勢も向こうの方が男らしいし。

 じ……

 女子にされるッ!

 




こういう感じの格好です

【挿絵表示】



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