【完結】テイルズ オブ ファンタジア ~交わった歴史~ (鉄鎖亡者)
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プロローグ
貴女に贈る手紙


初投稿になります。よろしくお願いします。


 親愛なる友へ。

 

 これを読んでいるという事は、きっと墓前に置いた手紙を見つけてくれたんでしょうね。四隅に金色の刺繍を入れておいたので、さぞ見つけ易かったろうと思います。昨日相談した通りに事が運んでいれば、その時、私は既に遥か遠い世界へ旅立っているでしょう。

 こう書くと、あるいは私が死への旅路を行くかのようですが、ご安心ください。

 きっとその時、私は幸福の只中にいるはずです。そうであることを祈ります。

 

 それにしても、改めてこうしてペンを取ると、何を書いてよいものか迷ってしまいます。今もこうしてペンを握ってから、既に蝋燭が一本消費されようとしているところです。その姿を想像して苦笑される様が、ありありと見えてくるようです。普段からペンを取る習慣を持てば良かったと、今さらながらに後悔しています。もっとも、そんな柄じゃないことは自分が一番よく分かっていますが。

 

 さて、まずは二人の親友へ最大級の感謝を。

 私がここで未来に期待を寄せて胸踊らせていられるのも、全ては二人の存在あってこそです。

 二人に出会うことがなければ、二人の助けがなければ、きっと私は全てを諦めていたことでしょう。本当に、ありがとう。

 

 感謝の気持ちと言葉については、まだまだ書いていられるような気がしますが、それだとどれだけ紙とインクがあっても書き足りないと思うので止めておきます。しかしそれとは別に一つだけ、恨み言のような愚痴を書かせてください。

 

 

 ねぇ、一体いつの間に墓石なんて用意してたの?

 あれ本当に驚いたから。碑文についても既に彫ってあったし、さぞ二人で盛り上がって決めたんだろうね。ここより旅立つとか、愛する男の、とかっていう文言を提案したのはどっちから?

 あの文言には覚えがあるから今さら破棄はできないだろうけど、それでも言わせて。あれ本当に恥ずかしい。

 

 

 まだ取り止めも無く恨み言は溢れて来ますが、インクの無駄になりそうなのでこの辺でやめておきます。

 ええ、それにしても思うことは、もう一人の親友についてです。

 彼女は自分の意見を大きく主張するようになりましたね。昔はもっと控えめで、奥ゆかしい感じだったのですが、やはり逆境に置かれると人間変わるというものなのかもしれません。

 それに今となっては商魂逞しく活発になり、思い返せば再会したあの時からその片鱗は見えていたように感じます。

 彼女にも変わらぬ元気と健康を祈っています。

 ああ、ご安心を。彼女にもこれとよく似た内容の手紙を送ってあります。大きな違いは、たぶん一つだけ。恨み言の長さでしょうね。

 

 この手紙は墓地が完成して、墓石に通うようになる直前に書きました。最初は何も話さずこの手紙だけで済ませるつもりだったのです。

 しかし、それではあまりに不誠実かと思い、ああして自分の夢と決意と我儘を聞いてもらいました。私が平身低頭お願いしたことを快く頷いて下さり、ここでまた改めてお礼を言わせてください。ありがとうございます。

 

 話は変わりますが、あなたならクレスやチェスター、そしてミントにも再会する機会がありますね。

 トーティス村の人たちに会うことがあれば、私は元気だったと幸せに暮らしていたと伝えてください。

 特に両親には本当の事が言えず、また突然の旅立ちに失踪と取られても仕方がないような状態でした。クレスに自分の至らなさを補って貰えるよう頼みましたが、良ければ力添えなどしてやってください。

 

 

 それでは最後に一つ。

 既に何度も確認し、話し合った内容のことですが、あくまで念の為、して欲しいことを書いておきます。

 あの日、世界樹が復活した後、ダオスは五十年後の未来に時間転移しました。その時はもう再び会わない方がいい、という話をしていましたが、その約束を破ってください。

 そして五十年たったその日に、この日あの墓前へ戻るようにお願いして欲しいのです。日付は手紙の末尾を伝えて貰えれば大丈夫だと思います。

 私の決意と、その夢に付き合わせてしまってごめんなさい。

 どうぞ、よろしくお願いします。

 

 

 あまりに長くなってしまいました。まだまだ話は尽きませんが、そろそろこの辺りでペンを置こうと思います。朝はまだ冷えます。夏風邪など引きませんよう、お気をつけください。

 

 

 永遠の別れ、されど心は引き離されず。

 あなたの友より。

 

 

 アセリア歴4210年 七月十七日

 

 



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第一幕 AC.4304年
トーティス村のウィノナ


 
mocca様、誤字報告ありがとうございます。
 


 

 ユークリッド大陸南部、精霊の森近くにあるトーティス村に、一人の少女が住んでいた。

 

 その村は質素を旨とするような小さなもので、暮らしている住人は全てが顔馴染み──家族のように身近な存在で身を寄せ合って生活している。

 そのような村にあって、少女はのびのびと育った。近隣唯一の剣術道場に身を寄せて暮らし、その跡取りとなる一人息子のクレスとも兄弟同然に育てられた。

 

 その少女の名をウィノナ・ピックフォードと言い、年齢は今年で十七歳になる。明るい金髪は顎より下には伸びておらず、ただ首の後ろから伸びる髪だけは一房だけ腰まで伸ばしてリボンで留めていた。快活で誰にでも明るく元気が取り柄の娘で、クレスや門下生と共に剣術修行に励み、またよく遊んだ。

 

 そして、そんな彼女が道場を持つアルベイン家で暮らしているのには、もちろん理由がある。特別珍しい事情があった訳でもなく、ただ実の両親に捨てられたという理由からだった。拾われて育てられ、既に十年以上が経つ。

 捨てられた理由もまた、殊更珍しい理由があった訳でもなく、単純に口減らしの為にすぎない。

 貧しい寒村で働き手にもならない子供が、そういった目に遭うのはむしろよくあることだった。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ウィノナはある日、父親に手を握られて村の外へ連れられて行った。幾つか知らない道を通り、村へ帰る道順を見失った後、どこかの山道を通ってから森に入った。歩き疲れたと声に涙を滲ませて口にすれば、父はウィノナを木の股の間に座らせ、村では滅多に食べられない白パンを与えてくれた。

 

「何か食べ物を探してくるから、それまで良い子で待っててくれな……」

 

 ごめんな、と頭を撫でて背を向ける。それが記憶にある限り、父から聞いた最後の言葉だった。

 パンはとうに食べ終わり、日も暮れて夕闇が見え始めても父は帰ってこなかった。

 

 暗闇が恐ろしく、また見ず知らずの場所が心細く、ウィノナはついに泣き始めてしまった。

 泣き続けても、それを聞きつけて父は駆け付けて来てくれない。

 次第に泣き声も枯れ始め、すすり泣く程度に落ち着くと、疲れて眠りに落ちてしまった。

 

 

 

 一体どれ程の間、眠っていたのか。

 ウィノナは自分の身体が揺すられ、呼び掛けられていることに気がついた。

 父が帰ってきたと思って飛び起きると、しかしそこにいたのは見知らぬ男だった。剣を腰に佩き、体格も厳ついというのに、それを恐ろしいと感じなかった理由は、月明かりに照らされた人好きのする笑みのせいだったのかもしれない。

 

 これが後にウィノナの父代わりとなる、ミゲールとの出会いだった。

 そのミゲールが何故こんな場所にいるか聞くと、ウィノナは素直に父を待っていると答えた。

 

「たべものをね、さがしてくるんだって。ここでまっててくれなって、おとうさん、いってた」

 

 その笑顔と同じく声音も優しげで、ウィノナは訊かれる質問には全て偽りなく答えていく。

 

「名前は?」

「……ウィノナ」

 

 ミゲールはその名を聞いた途端、驚くような素振りを見せたが、すぐに身を屈めて小さな両肩にその手を置いた。

 

「必ず探してみせるから、それまで私の家で待っていなさい」

 

 そう言って慈しむように頭を撫でた。父によく似たその触り方安心し、ウィノナは頷きミゲールと一緒に村まで帰った。

 ミゲールは約束を守って幾度となく両親の捜索をしてくれたが、見つからないまま時間だけが過ぎていった。

 

 

 

 アルベイン家の一人息子であるクレスとも簡単に打ち解け、ミゲール夫妻も二人の子を区別なく愛情深く育てた。ウィノナもまた、その二人の愛を受けすくすくと育ち、裏表のない素直で闊達な笑顔を見せるようにもなる。

 

 しかし時折、ウィノナは村の外へ出て実の両親を探しに出ることがある。子供の足では遠くに行く事も出来ず、村の見える範囲までしか行動は許されていなかったので、当然探せる範囲もやはり狭い。

 それでも探しに出る事はやめられず、幾度も村を出てはその度にクレスを心配させた。

 

 そうして十年が経つと、既にウィノナがアルベイン家で過ごすことは当然となっていた。私室を与えられ、ミゲールのことを父と呼び、その妻を母と呼ぶことに抵抗がなくなった頃、ウィノナは漠然ともう二度と実の両親に会う事はないのだろうと思った。

 それは愛別ではなく、諦感だった。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ウィノナはピクリと痙攣するように目を覚ました。

 顔を横にずらせば、カーテンの隙間から朝陽が漏れている。外で鳴く鳥の囀りは、今の時刻をおおよその感覚で報せてくれており、それを考えれば少しの寝坊をしてしまったようだった。

 

 ウィノナの自室は二階の奥まった場所にある。自宅と道場が繋がったアルベイン家は村の中で最も大きな家だが、初めからウィノナの部屋があった訳ではない。後から増築して作られた部屋で、わざわざそれを拾い子に与えられている事に、ウィノナは多大な感謝を感じていた。

 

 感謝しているのはそればかりではなく、この家の一子と兄弟同然に育てられ、変わらぬ愛情を持って接してくれている事に関してはそれ以上だった。

 何故ここまで良くしてくれるのか、ウィノナはいつだったか訊いたことがある。

 

「この道場を建てるのに出資をしてくれたのが……ウィノナ、君と同じ名前の女性だったからだ。私も父によくその話を聞かされた。これも何かの縁だと思ってね」

 

 勿論それだけが理由じゃないが、と笑って、いつもそうしているように頭を撫でた。

 思い返してもこちらが恥ずかしくなるような、慈愛を向けた笑みだった。その隣にいる妻マリアも同じ笑みを浮かべ、ウィノナも花咲くような笑みを浮かべたものだった。

 

「うぁぁぁ……」

 

 懐かしく感じたものか恥しく感じたものか、あるいは愛情に感謝するべきか、色々な想いが綯い交ぜになって枕にぐりぐりと顔を擦り付ける。しばらく顔を動かし続け、そうして不意に動きを止めるとウィノナはようやくベッドから降りる気になった。

 

 

 

 その日はクレスとチェスターの三人で、村のすぐ傍、精霊の森に来ていた。

 クレスとは道場内で剣を打ち合うことは多いものの、三人揃って切磋琢磨できる環境ではない。それに道場には矢の的当てを練習する場所もなかった。

 

 ウィノナは剣よりも、ミニボウガンを使った曲芸染みた矢撃ちが得意だったし、その二つを組み合わせた戦闘方法が身体によく馴染んだ。

 

 本日、この三人は自主的な戦闘訓練で森に来ている。訓練と言ってもそれは単なるお題目で、遊びの要素を多分に含んでいた。チェスターも共にとなれば、純粋な技量向上を狙うというより、自然とそういう流れになる。

 

 森の入り口付近で、ウィノナとクレスが対峙していた。

 ウィノナは先端に綿と布を巻き付けた、訓練用の矢をボウガンに装填して左手に構え、右手に木剣を握る。

 ウィノナはじりじりと間合いを計り、クレスも木剣を右手で構えて左手に木盾を持って待ち構える。そうして睨み合うこと暫し、最初に仕掛けたのはウィノナだった。

 

「はいさ!」

 

 左手でボウガンを打って接近、クレスを目前に地面を蹴って木剣を降り下ろす。

 

「甘い!」

 

 クレスは矢を盾で弾いて、ウィノナの剣を下から迎え撃つ。体重を乗せた一撃は見事に逸らされ、着地と同時に反撃が来る。幾合も打ち合わせ、その度に木と木がぶつかる音が森に響く。そうして拮抗が続くかと思った二人の剣裁は、ついにクレスに軍配が上がった。

 

 カァンと高い音を鳴らしてウィノナの剣が飛び上がる。何度か空中で回転し、地面の草にトサリと落ちた。

 

「なぁにやってんだよ、ウィノナ。今のは俺にだって悪手だと分かるぜ?」

「焦りすぎだよ、ウィノナ。いつも機敏に動いては、僕を翻弄してくるじゃないか」

「分かってるンだけどね……」

 

 チェスターとクレスに口々に批判され、ウィノナはちぇー、と唇を尖らせながら木剣を拾い上げる。

 

「クレスはもう第三修練終えたでしょ? アタシなんてまだ第二修練で躓いてるし……。焦りもするよ」

 

 アルベイン流剣術の修行は段階を持って教えられる。課題を一つずつ乗り越えることで修練の段階が上がり、より高度な技術を伝授される。

 見込みがなければ、いつまで経っても基礎練から抜け出せない。

 

「焦りの原因は、本当にそれだけかい?」

 

 え、とウィノナは顔を上げた。そこには心配げな顔をしたクレスと、呆れ顔をしたチェスターの姿があった。

 

「いつからの付き合いだと思ってんだよ。ただでさえ、お前は顔に出やすいんだからよ」

「あー……」

 

 言われてウィノナは頭を掻く。十年来の付き合いがある彼らには何事もお見通しのようだった。勿論、ウィノナとしても他二人に心配事があれば、即座に気づける自信がある。

 正直に今朝の夢の事を言おうか迷い、結局濁した言葉が口から出た。

 

「ちょっと夢見が悪くてね」

「おっ、まさかまた予知夢か?」

 

 それで話題が終わると思ったら、しかし返ってきたのは予想外の食いつきだった。

 チェスターが言ったように、ウィノナには未来を夢を通して視る力がある。

 長く一緒に過ごした二人には既にその事を伝えていたし、それに対する理解もあった。

 

 ウィノナも最初は偶然だと思った。しかし、それが二回三回と続き、そして今も的中記録を更新し続けているとなれば、信じないという方が難しい。

 

 予知の範囲は明日の事もあれば、半年以上先の事もある。しかし一年以上も先の事は今のところない。予知範囲という物があるならば、それはきっと一年以内というところなのだろう。

 とはいえ、予知夢の内容を全て覚えているという訳でもない。いつか見たな、と思うことがあっても内容を思い出せない事も多い。

 

「……で? 今度は何見たんだよ。また見たことない栗色髪の可愛い子と仲良くしてた、とか訳分かんねぇこと言うんじゃねぇだろうな?」

「いや、そういうんじゃなくて。ちょっと、拾われた時のことをさ……」

 

 ばつの悪い顔をしたウィノナを見て、チェスターは言葉を無くす。何か気の利いた事を言おうと首を巡らしたが、結局何も出てこない。チェスターは頭を掻いて、頷く程度に小さく頭を下げた。

 

「……悪いこと聞いたな」

「もう昔のことだしね。気にしないで」

 

 それに、とウィノナは首を傾げた。

 

「それとは別に、予知夢っぽいのを見た気がするんだよね」

「ってことは、内容は覚えていないのかい?」

 

 クレスが言うと、ウィノナは頷いた。

 

「うん。昨日だけじゃなくて、もっと前から見てた気がするんだけど……。何か黒い格好した人、のような……。何だろ?」

 

 んんん、と頭を捻って考え込んだが、すぐに頭を上げて笑顔を見せる。

 

「やめやめ。考えたって仕方ない!」

 

 手にしていたミニボウガンを、太股に巻き付けていたベルトに取り付ける。当然、スカートを大きく託し上げることになって、チェスターは大いに顔をしかめた。

 チェスターは即座にウィノナの手を叩くと、スカートの裾を払って手直しする。こういう場面を見るのが初めてではないクレスも、これには苦笑するしかなかった。

 

「まるっきり親か兄みたいなコトするよね、チェスターってば」

「……全くな。出来の悪い妹を持つと、兄貴は苦労するんだよ」

 

 嘆息するチェスターに、ウィノナは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「えー、なに? アミィちゃんに言うよ」

「お前のことだ、馬鹿」チェスターはもう一度嘆息する。「ウィノナ、お前な……。もうちょっと恥じらいってモンを覚えろよな」

 

「えー……アタシの魅惑のベールを覗き見て、言うことがそれだけ?」

「ハッ、言っとけ」

 

 チェスターが笑って、それにつられてクレスも笑った。

 

「それで、今日の修行はもう終わりにするのかい?」

「うん。後は聖樹様の所まで行って、それから帰ろう」

「お前、本っ当にそれ好きな」

「今日みたいに入り口辺りまでならいいけど、奥まで行ったのが大人にバレると怒られるよ」

 

 クレスはいつもの事だとは思いつつ、一応の注意を促す。しかし、ウィノナは悪びれずに笑顔で言った。

 

「だから、バレないように行くンだよ」

 

 怒られても知らねぇぞ、と口では言いつつ、チェスターもウィノナの後に続く。

 二人だけ行かせて、クレスだけ先に帰るわけにもいかない。仕方ない、と一つ肩を竦めて、クレスも後を追った。

 

 

 

 トーティス村では精霊の森に(そび)える大樹を神聖視しており、またそれを守る伝統がある。村の子供が聖樹の傍まで近づこうものなら、拳骨一つでは済まされない。更にこれが余所者となれば強制排除されるだけではなく、懲りてもらう為に手足を縛った上で日干しにされる事さえある。

 

 それほど村にとっては大事であり、守るべき一族の持つ矜持だった。

 村にあるレニオス教会では、聖樹に宿るとされる地母神マーテルを尊敬と畏怖を持って奉っている。

 

 それをよく知るウィノナは聖樹の前に立つ。

 真下に立てば、頂上が見えない程に樹齢を重ねた大樹。その幹は大人が十人がかりで輪を作っても、円環を作れない程に大きい。枝も多く広がるように外へ伸びているが、あるいは流石に寿命が近いのか、くたびれた雰囲気を見せている。

 

 枝には一部枯葉が目立つものの、それでもまだ多くの青葉が茂っていた(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 ウィノナ自身、何故この森が──聖樹が好きなのか分からない。

 ただ一つ理由を挙げるとすれば、それは聖樹から見守られるかのような温かみを感じるせいだからかもしれない。

 こうして目の前に立つと、それがより分かる気がした。

 

 ──それにしても。

 不思議なのは、その樹の根元に白い杖があることで、しかも触ろうとしても弾かれてしまうことだった。

 

「いつも思うけど……何だろうね、これ?」

「さぁなぁ。何か悪いモンなんじゃねぇか? 触れようとするとバチっと弾かれるしよ。大人に訊けば、誰か知ってるかもな?」

 

 この謎の杖は勿論、幹にすら近づくだけで弾かれる。強い衝撃ではないものの、まるで見えない壁が大樹を覆っているかのようだった。

 

「チェスター。そんなこと訊いたら、何で知ってるかって怒られるよ」

 

 クレスがそう言えば、だよねぇ、とウィノナも頷く。

 

 本来、子供だけで聖樹の前まで行く事は許されない。神聖不可侵の存在だから、慶事や祭事の際でもなければ近づくことさえ許可されないのだ。

 ならば何故そんなことを知っているのか、ウィノナ達にその説明が出来よう筈もなかった。

 

 だから何だろうと思っていても、触れないのなら仕方が無い、そういう物なのだろうと納得するしかなかった。

 

 しばらく何とはなしに寝転がって空を見上げ、鳥の囀りと風に揺れる葉音に耳を楽しませ、時として見れる小動物を観察して過ごす。長閑(のどか)一時(ひととき)だが、特別な時間というわけでもない。三人にとってはありふれた日常だった。

 日が中天を過ぎた辺りで今日はもう帰ろう、とクレスが言い出し、チェスターとウィノナは起き上がった。

 

 

 

「今度は遊びじゃなくて、なにか別の目的で森に来たい」

「何かって何だよ」

「……狩りなんていいよねぇ」

 

 三人は口々に言いながら帰路に着くが、その時ウィノナは木陰にピンク色の何かを見た。背が高い樹の枝葉の近く。人が登ろうとしても、足掛かりになるような瘤もなく、手を伸ばすには高すぎる位置にある枝。木登りには全く向かない樹の筈なのに、しかしその樹の上に何かがいる。

 

 人か獣か、それとも他の何かなのか。ウィノナはその何かが見えた方向に腕を上げて指を差す。

 

「ねぇ、あの辺。──ほら、何かピンク色の……。見えない?」

 

 ウィノナが指し示す方向に、クレスもチェスターも顔を向ける。しばらく注視していたものの、木陰から再び何かが見える事はなかった。

 

「鳥か何かと見間違えたんだろ」

 

 チェスターが胡乱げに言えば、それもそうかとウィノナは思う。何しろ一瞬の事だったし、そもそも距離があって見えた物の大きさにも自信がない。

 そう思いつつも、同時に何か引っ掛かるものも感じていた。

 

 幼い頃より樹上の木の葉の陰であったり、あるいは遥か空の向こうから、ちらちらとその色が見えていた気がする。

 珍しい色の鳥でもいたのだろうと思っていたが、最近、それを見る頻度が高くなっているような気がするのだ。想像通り、鳥ならばいい。

 

 ──しかし。

 ウィノナはボウガンを取り出し、今はもう見えないピンク鳥がいた場所へ矢を放つ。

 

「気にしすぎだよ、ウィノナ」

 

 クレスは呆れたような声を出し、チェスターも頷いて同意した。

 ウィノナの撃った矢が幹に命中すると、三羽の鳥たちが羽ばたき散っていく。だが、その飛び立つ鳥の中にピンク色の鳥はいない。

 しばらく注視していても動きがないので、ウィノナはボウガンをしまい首を傾げた。

 

「おかしな気配を感じたんだけどなぁ」

「だから気のせいだったんだろ。鳥じゃないなら花びらかもな」

 

 チェスターは言って、ウィノナの肩を押し森の外へ向かう。

 納得し辛い気持ちでもう一度見上げても、やはり木陰には何の動きもない。

 仕方なしに、ウィノナも自分の勘違いをしぶしぶ認め、クレスらと一緒に村へ帰った。

 




 
※本作の独自設定。
マーテル教は原作ゲームでも登場しますが、トーティスだけで信仰されてる土着信仰に近い精霊信仰であるようです。
子供だけで森に入ることを禁止している訳でもなければ、既に大樹は枯れている為、最奥に行くことを禁じられている訳でもありません。

しかし本作では未だに大樹が存命である事と、不可思議な力で守られていることで神聖視がより大きくなっています。
また、そのように仕向けた者がいるからこそ、このような厳格さを持っているのですが、それは後々判明します。


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忍び寄る危機

 

 村に帰ると、そのままアルベイン道場前まで進み、クレス達は足を止めた。

 道場からは未だに迫力を滲ませる掛け声が聞こえてきており、門下生達がそれぞれ鎬を削り合っているのを感じられる。今ではもうすっかり慣れてしまったが、チェスターも最初は朝から夕方まで聞こえてくる、この罵声とも怒声とも取れる掛け声に辟易していた。

 

「なぁクレス。今度はどっちが早く猪を仕留められるか勝負しようぜ」

「えぇ……? そんなのチェスターの方が絶対有利じゃないか」

「まぁ、いいじゃねぇか。その赤いマントひらひらさせりゃ、向こうから突進してくるかもしれねぇだろ?」

「そんなことあるわけ……、あるのかな?」

「本気にするなよ、冗談に決まってるだろ!」

 

 言って笑うチェスターに、ウィノナはチロリと視線を向けた。

 

「あのさー、ところでアタシは除け者ってわけ?」

「何だ、お前もやんのか? じゃあ、三人で勝負だな」

 

 お互い笑い合って拳を正面から三方向からぶつけ合う。コツンと合わせた拳をすぐさま離して、チェスターは踵を返した。

 

 クレス達の住む道場のすぐ傍に、チェスターとその妹アミィが住む家がある。

 チェスターは背を向けたまま片手を挙げて手を振る。

 

「じゃあ、また明日な」

「うん、また明日」

「絶対負かして見せるから!」

 

 クレスとウィノナの声を順に聞き、チェスターは家のある方向へ歩いていった。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 チェスターは家に入ると、まず妹がどこにいるのか目を動かした。

 この家に住むのは自分と妹だけ。両親はいない。

 

 父は行商を生業(なりわい)にしていたが、道中で他界。母は訃報を聞いてからというもの体調を崩し、後を追うように死んでしまった。

 

 そのような経緯で、物心つく頃には孤児となってしまった二人は身を寄せ合うように生き、チェスターはたった一人の家族であるアミィを無事に育てることだけを考えて生きてきた。

 見える範囲に妹はいない。時間帯を考えれば出かけたとも思えないので、二階にでもいるのだろう。

 

「おーい、アミィ。いま帰ったぞー」

 

 チェスターが家の奥へと声をかけると、果たしてアミィが二階からパタパタと降りてくる。

 まだ幼い妹がこうして一人で留守番出来るのも、この村がチェスター達を受け入れてくれている証拠だ。門下生の剣士たちがすぐ傍に多くいるとなれば、この家は物取りや強盗が近づくには危険すぎる。

 

「おかえり、お兄ちゃん」

「ああ、ただいま。何してたんだ?」

「うん、ちょっと……」

 

 言葉を濁してアミィは視線をそらした。ああして尋ねてみたものの、その(じつ)チェスターはアミィが何をしているのか知っている。

 最近クレスの母マリアに習った手芸で、一つのマスコット人形を作ろうと苦心しているのだ。

 アミィは話題を逸らそうとしてか、チェスターに上目遣いで訊いて来る。

 

「お兄ちゃんは、また三人で狩りに行ってたの?」

「まぁ、狩りはついでに出来ればいいなってくらいで、修行みたいなもんかな。そんな感じのことしてきた」

「ふぅん……」

 

 少しいじけた態度が見えるが、一緒に行きたいとは言わない。

 それは危険だからとか良識を弁えているとかではなく、ウィノナと一緒にいたくないのだということをチェスターは察していた。

 

 何も彼女を毛嫌いしているというわけではない。

 同じ孤児としての共通点もあり少し前までは実の姉妹のように仲が良かった。チェスターもウィノナに対しては、そう言った意味で家族のように身近に感じており、年が同じ妹だという認識が最も近い。

 

 実際クレスとチェスターも相当仲が良いが、最も早く打ち解けたのはウィノナの方だった。

 だから家族ぐるみの付き合いのような形になっていったのだが、最近アミィがウィノナを避けるのは、その複雑な乙女心のせいだろう。

 

 アミィはクレスに恋心を抱いている。それは今も作っていたのだろうマスコットを見れば明らかで、完成すればクレス本人にプレゼントするつもりなのだと思う。

 

 そこに年の似通った、そして血の繋がらない男女が一つ同じ屋根の下に暮らしている。

 恋心に身を焦がす小さな乙女としては、中々に複雑な心境を形作ってしまうようだった。

 

「ま、明日は本格的に狩りに行く予定だからな。大物期待してろよ?」

「うん、それじゃあんまり期待しないで待っとくね」

「なんだと~?」

 

 チェスターは満面の笑みを浮かべ、両手を広げてアミィに近づく。

 きゃあ、と小さく笑いながら背を向けて逃げるアミィに、チェスターはすぐに追いついてその小さな身体を掬い上げるように持ち上げ、ぐるぐると回す。

 きゃっきゃと笑うアミィを見つめながら、チェスターは幸福を感じながら笑みを深くした。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ウィノナはクレスと共に、チェスターと狩りの約束をしてから道場の門を潜る。

 家の中に入ってからは、まず汗を流してさっぱりする。その後ミゲールに多少のお小言など貰いながら、マリアの手料理を食べて一家団欒を過ごす。そうすれば直ぐに睡魔が襲ってきた。

 それに抗う事なくベッドに入ると、ウィノナはその夜に夢を見た。

 

 

 

 豪奢な調度品に囲まれた部屋の中に、黒の全身鎧を身に付けた男がいる。座り心地の良さそうな三人掛けのソファーに一人で座り、テーブルを挟んだ対面には部下らしき男が立っていた。その二人が剣呑な雰囲気をまとった会話をしている。

 

「トーティス村のミゲールを知っているな?」

「それは……もちろんです。前団長ですね」

 

 ああ、と黒騎士は大仰に頷いた。

 

「奴から奪いたい物がある。……ペンダントだ」

「たかが一つの装飾品……。仮に値打ち物だとしても、固執するからには別の理由があるのでしょうね」

「まさしく。この世を統べるに必要となるものだ。素直に渡すならば良し。そうでないなら──」

 

 黒騎士が全て言う前に場面は暗転し、次いで現れたのは草原だった。

 黒騎士と相対している何者かがいる。一人はウィノナで、もう一人はクレスだった。そのウィノナが高々と掲げる手の先には、見覚えのあるペンダントが握られていた。

 

「これをアンタ達にあげてもいい。あの村にはこんなペンダントだって貴重品なんだ。逆さに降っても、これ以上は出てこないよ」

「それを渡すから村には行くなと? 金目当ての物取りのように見えるか?」

「──見える。だから、これをやるから退いてよ」

「……いいだろう。ペンダントを置いて、そのまま下がれ」

 

 ウィノナは言われた通りにペンダントを地面に置き、十歩下がった。クレスも剣を向けつつ、ウィノナに寄り添うように下がる。

 黒騎士は軽い足取りで近づき、拾い上げて確認してから満足げな声を出した。

 

「いいペンダントだ、実にね」

 

 厚い兜の向こうからさえ、ほくそ笑む気配が分かる気がした。

 しげしげとペンダントを眺めてから、ゆっくりと空いてる方の手を肩の高さまで上げる。そして不意に──本当に何でもない気楽さで部下たちに号令をかけた。

 

「……殺せ」

 

 兵達が殺気を持って剣を抜き、黒騎士もまた剣の柄に手を伸ばした時、ウィノナと黒騎士の間に一本の矢が刺さった。

 果たして味方の物か敵の物かと思った直後、その矢に見覚えがあることに気がついた。

 チェスターの矢だ。そして直ぐに、複数の足音を耳が拾う。

 音を立てて接近してくる者達の方へ顔を向ければ、そこには門下生を引き連れたミゲール達がいた。

 

 

 

 翌日の朝に目を覚ました時、あの夢はどういう意味だったのか、ウィノナ恐ろしい気持ちになった。この事を話すべきだろうとは思うのだが、これまで大人達に予知夢を視る力がある事を知らせていない。

 信じてくれる話だとは思っていなかったし、子供同士でのみ知っている秘密という感覚がそれを遮っていた。それに今まで夢に視た予知は他愛のないもので、笑い話にさえならないような内容ばかりだった。

 

 しかし、今日は違う。

 予知夢は必ず実現する。それが明日か一年先か分からないだけで、いつか必ず訪れる未来。ウィノナはそれを知っている。

 

 ──黒騎士がミゲールを殺しにやってくる。

 どこかで見た覚えのあるペンダントを狙って。

 

 今更悔やんでも仕方ないが、一体どうやって予知夢の事を説明したものだろう。

 ウィノナは暗澹たる気持ちのまま部屋を出て一階に降りると、外からチェスターが呼び掛ける声がした。

 

「えっ、もうそんな時間!?」

 

 ウィノナは慌てて飛び起き、パタパタと慌てて準備を進めながらもクレスの方を窺うと、準備を万端整えて寛ぐ姿が見えた。

 薄情者、と唇を尖らせれば、クレスは屈託なく笑ってからミゲールに顔を向ける。

 

「起きない自分が悪いんじゃないか。──父さん、チェスターと三人で狩りに行ってくるよ」

「……まぁ、いいだろう。森には近づくんじゃないぞ」

「分かってるよ」

 

 にこやかにクレスが頷くと、二階からマリアが降りてきた。

 

「無鉄砲な二人だから心配よねぇ」

「大丈夫。平原の方なら、大物にだってそうそう出会わないし」

 

 安心して、とマリアに頷いた時、着替えと洗顔を終えたウィノナが家の奥からやって来た。

 

「セーフ! 準備オッケー!」

 

 両手を左右に広げながら飛び込んでくるウィノナに、両親は苦笑を返した。

 その中でも、特にマリアは一言も二言も言いたげな顔で、ウィノナの頭を手櫛で整えつつ嗜める。

 

「セーフじゃありません。髪もまだボサボサでしょう。もっと女の子らしくしなくちゃ……」

 

 はーい、と返事しつつ、ウィノナの意識はもう外に向いている。

 

「仕方のない子ね。……ほら、行ってらっしゃい」

「それじゃ、父さん、母さん。行ってくるよ」

「大物は約束できないけど、期待しててね! お父さん、お母さん!」

 

 はいはい、とにこやかに笑ってマリアが小さく手を降り、ミゲールがそうだった、と手を叩いた。

 

「ペンダントは持ったか?」

 

 クレスは首元から取り出しつつ頷く。

 

「うん、十五歳の誕生日に貰ったペンダント、いつもこうして身に付けてるよ」

 

 それを見てウィノナは思う。

 夢の中で出てきたペンダントは、なるほど見覚えがある筈だ。ウィノナでさえ数度しか見た事がないほど、クレスは宝物以上に大事にして服の下に身に付けている。

 そして、それを狙って、いつか敵が襲いにやってくるのだ。

 

 いつかやって来るにしても、それは今日ではないだろう。

 そうに違いない、と思いながらウィノナはクレスを促す。

 

「ほら、早く行こう。チェスターもいい加減、待ちくたびれてるよ」

 

 ミゲールもそうだな、と頷くと右手を外に向けた。

 

「詳しいことは今日の夕飯にでも話そう。行ってきなさい」

 

 行ってきます、と二人で挨拶をしてようやく出発となったのだが、その途中に道場に遊びに来ていたトリスタン師匠からも労いの言葉を貰った。

 

「師匠もこれからお出かけですか?」

 

 クレスが訊けば、トリスタンは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「何者かに呼び出しを受けての。名前も載せず無礼な限りじゃが、無視するわけにもいかん」

 

 何と返してよいものか迷っていると、トリスタンは打って変わって朗らかに言った。

 

「まぁ、お主らは狩りを楽しんで来るとよい」

 

 ありがとうございます、と二人で頭を下げて村を出た。

 

 

 

 チェスターとようやく家の前で合流し、村の北にある草原へ向かうことになった。兎か狐でも狩れれば、と思ってのことだったが、小ぶりな獲物しかいないのは否めない。

 

「森に行ければ、猪とか狩れそうなのになぁ」

「アミィにも大物、約束してんだよなぁ。どっかに都合よくいりゃあいいけど」

「草原じゃあ難しいよねぇ。かといって、本当に森に入るわけにもいかないし……」

 

 口々に言いながら、三人は草原を進んでいく。

 その途中、兎を見つけたものの、身を低くして接近している間に逃げられてしまった。

 そうしてズルズルと村から離れて行くと、チェスターが緊張した声を上げた。

 

「……おい、何だよアレ」

「なに、大物でも発見した?」

 

 ウィノナが期待を込めてチェスターの視線を追うと、そこには二十名程の鎧の一団が列を成して行進していた。

 それらを認識した時、一瞬で息が詰まる。

 

 ──夢で視た奴らだ。

 

「ごめん、二人とも。もっと早く話すンだった」

「おい、何だよ。まさか……!」

「うん、昨日……いや、今日かな。とにかく視た。アイツら、お父さんを殺すつもりだ」

「嘘だろ、ウィノナ! 何でだよ……!」

 

 クレスの動揺は大きなものだった。それもそのはず、何しろウィノナの予知は外れない。いつだって、只の夢だと馬鹿にした内容も実現されてきた。

 命の危険まではないものの、人の事故を言い当てた事も過去にはある。そんなウィノナが殺されると言うのなら、本当にミゲールには死の危険が迫っているという事になる。

 

「でも相手の目的はイマイチよく分からない。今回は結末まで見てないンだ」

「今の内に村へ報せた方がよくないか」

「うん、チェスターは行って。それに、さっきはああ言ったけど、本当の目的はお父さんの命じゃない」

「どういうことい?」

 

 聞き返したクレスに、チェスターは待った、と声を上げた。

 

「いや、まずその前によ。ウィノナの予知夢の的中率は知ってるけど、気づかれてないならその前に逃げた方が良くないか」

 

 提案したチェスターだったが、直後それが不可能になったと悟る。

 遠くを見ては目を細め、次いで舌打ちした。

 

「もう遅いか。──気付かれた」

 

 見つかること自体、相手には予想外だったのだと見える。ウィノナが視線を向けるのと同時、相手もすぐさま方向転換し、敵意にも似た気配をを向けて迫ってくる。

 

「──チェスター、助けを呼びに行って」

「俺一人だけ逃げられるかよ……!?」

「予知夢じゃチェスターが呼びに行って、確かにお父さん達を連れてきてた。この場合、他の誰かが行くよりずっと安心できる」

「かもしれねぇけどよ!」

「お願い、行って!」

 

 ウィノナが強い瞳でチェスターを射抜くと、躊躇いながらも背を向けた。

 

「すぐに呼んでくるから、無茶するんじゃねぇぞ!」

 

 力強い足音が遠ざかっていくのを聞きながら、ウィノナはクレスに向き直った。

 

「さっきの続き。結末までは見てないけど、でも一つ分かっている事もある。狙いはクレスの持つペンダント。それを渡さないなら殺すことも厭わないって感じだった」

 

 ウィノナは気を持ち直すように深呼吸し、クレスの瞳を強く見つめる。

 

「クレスの持つペンダントを渡すことになるけど、そうすれば……時間を稼げば、お父さん達が来てくれる。目的はあくまでもペンダントなんだから、手に入ったら逃げていくはず」

 

 黒騎士が率いる連中は、もうすぐ近くまで来ている。迷っている時間もなく、そして背を向けて逃げるにも危険な距離だった。

 

 クレスは迷い迷って、目を強く瞑る。戦うか、逃げるか、信じるか。戦うとは言っても人数の不利を覆せる程クレスもウィノナも強くはない。逃げるのも危険。そうとなれば、後はもう、ウィノナとその予知夢を信じるかどうかという問題だった。

 

「……分かった、ウィノナを信じるよ」

 

 クレスは頷いて、首からペンダントを取り外すと、ウィノナはそれを下から(すく)い上げるようにして優しく受け取る。

 

 そしてついに、黒騎士たちがウィノナたちに接近した。一足飛びでは斬り付けられない距離まで来ると、こちらを窺うように足を止める。

 向こうから動き出すのを待つのは悪手だと思ったウィノナは、一歩踏み出してから武器を取り出し問い質す。

 

「武装兵を集めて、村に一体何の用だ!」

「……野暮用だよ」

 

 先頭にいた黒騎士は、肩をすくめて軽口を叩く。小娘を相手に真面目に取り合う気はないと言外に告げていた。

 でもそれでいい、とウィノナは思う。目的は時間稼ぎであって、打倒することでも、言い負かすことでもない。

 

「金目の物が目当てなら、村にはお宝なんてないからね!」

「いやいや、お宝だなどと……。我々は行軍の最中、少し寄り道をしようと思ったまで。……ただ、人によっては無価値でも、別の誰かにはお宝になる。そういう物はあるかもな」

 

 へぇ、とウィノナはおどけて見せた。

 

「例えばこんなのは、お眼鏡に叶うのかな?」

 

 ウィノナがクレスから預かったペンダントを高々と掲げると、黒騎士からは僅かに息を飲む気配がした。

 

「我々は正規の騎士団だ。騎士団としての道義に則り、盗賊は生かしておけないな」

 

 黒騎士は武器を取り出し、剣を一振りする。それを合図に後ろの兵が横並びに整列した。

 

「勘違いしないで、正当な持ち主だよ。正確には隣のクレスの、だけど」

「それを信じろと? 無理な相談だ」

「これをアンタ達にあげてもいい。あの村にはこんなペンダントだって貴重品なんだ。逆さに降っても、これ以上は出てこないよ」

「それを渡すから村には行くなと? 金目当ての物取りのように見えるか?」

 

「──見える。だから、これをやるから退いてよ」

 

 黒騎士は、ここで考え込むような仕草を見せた。

 ウィノナはこの提案に乗ってくると確信している。何しろ今まで予知夢の内容が外れたことはない。そのことに苦い思いを幾つも味わいながらも実感していた。だが、今回に限っては良いように働いてくれる。

 

 咄嗟に口に出た言葉も、いま思い返せば予知夢の通りの言葉だった。緊張で心臓がばくばくと音を立てていて、思い返してなぞる様な余裕もない。だというのに進行通りに事が運んでいるというのなら、予知夢で見た通り時間を稼く事さえできれば、ペンダントを失う事になるものの助けが来る筈だった。

 

 何より重要なのは、このまま行けば、とりあえずは誰も命を落とさない。

 この黒騎士はペンダントを奪い取る為ならば、人殺しさえ厭わないと考えている。それをウィノナから物盗り呼ばわりされつつも、自ら渡そうと言うのだから、楽に手に入るならばその方がいいと考えているに違いない。

 

 ただ問題なのは、目撃者は殺してしまうつもりだろうという事だった。

 今もこうして相対して分かる。ウィノナ自身と黒騎士との力量の差は歴然だった。だから後はチェスターを頼みにする他なく、彼が逸早(いちはや)く戻って来てくれなければ、ウィノナを信じてくれたクレスの献身が無駄になる。

 

 クレスが父から譲り受けた大事なペンダントを差し出すのだ、なんとも思っていない筈がない。それでも黙ってウィノナの横に着いて居てくれるのは、予知夢の的中率を知っているからだったし、長い間家族として暮らしてきた信頼からだった。

 クレスが大事にしている物を渡すのは確かに心苦しい。だが、後から盗み出してでも取り返せばいい。

 

 ──いや、必ず取り返す。

 

 ウィノナの決意を固めるのと同時、黒騎士は大仰にゆっくりと頷く。あちらにも十分に考える時間も出来たようだった。

 ウィノナの額には大粒の汗が浮かんでいる。相手からは余裕が透けて見えるようだが、ウィノナの方はそうもいかない。心臓の鼓動は早鐘を通り越して爆発するかのようだったし、喉の奥からは胃液が逆流するかのような気持ち悪さを感じていた。

 

 それに、予知夢の内容が覆されるという可能性さえある。もしを考えればキリがないし、そんな事は起きないだろうとも思う、しかし──。

 

「……いいだろう。ペンダントを置いて、そのまま下がれ」

 

 ウィノナは気づかれないよう、細く安堵の息を吐き、言われた通りにペンダントを地面に置いて十歩下がった。クレスも剣を向けつつ、ウィノナに寄り添うように下がる。

 黒騎士は軽い足取りで近づき、拾い上げて確認してから満足げな声を出した。

 

「いいペンダントだ、実にね」

 

 厚い兜の向こうからでさえ、ほくそ笑む気配が分かる気がした。

 しげしげとペンダントを眺めてから、ゆっくりと空いてる方の手を肩の高さまで上げる。そして不意に──本当に何でもない気楽さで部下たちに号令をかけた。

 

「……殺せ」

 

 兵達は隊列を整えると殺気を持って剣を抜く。黒騎士もまた剣を抜いた時、後ろの兵達が前進しよう動き出す。それを見てウィノナは俊巡した。

 チェスターはまだだろうか。予知夢を無視して走り逃げた方が良いのではないか。予知夢を完全になぞらなくても、生き延びる道はあるのではないだろうか。

 

 後悔にも似た不安。もう猶予はない。考えている余裕もない。

 クレスの手を取って、今すぐにでも──。

 

 そう思った時、黒騎士とウィノナの間に矢が刺さった。

 やっと来た、とウィノナは歓喜にも似た思いで安堵した。その矢には見覚えがある、チェスターの矢だ。そして直ぐに、複数の足音を耳が拾った。

 二人が顔を向ければ、そこには門下生を引き連れたミゲール達が駆け付けていた。

 



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企みを追って

 

 状況を天秤にかけて、黒騎士はペンダントが手に入れば良しと判断したようだった。前進していた兵達を旋回させ、目を見張る速度で撤退して行く。

 

 それを油断なく見送ってからミゲールは剣を収めた。続く門下生達は念のため周囲に展開し、警戒を続ける。それを見届けるとミゲールは心底安堵したような顔をして、ウィノナとクレスの傍まで近づいてきた。

 

「ああ、お前達……。無事で良かった。チェスターから聞いた時は、一体どうしたものかと……」

「それなんだけど……、ごめんなさい!」

 

 ウィノナががばり、と頭を下げてミゲールに謝罪した。いま予知夢の事を言っても混乱しかさせないので本当の事は言えないが、それでも謝罪したい気持ちは本物だった。

 

「アイツら、金目の物欲しさに村を襲うと思ったから……。クレスのペンダントを渡せば退いてくれると思って……」

「ウィノナは最善を尽くしてくれたと思う。父さん、怒られるなら僕の方だ。あの黒騎士達を前にして、僕は何も出来なかった」

「いや、怪我も無く無事で良かった。それにクレス、あの人数に向かってはむしろ命はなかったろう。それで良かったんだ」

 

 しかし、とミゲールは腕を組んで思わず唸った。

 

「渡してしまったあれは、ただのペンダントではない。一族の存亡をかけてでも守るべきものだ」

 

 ウィノナはシュンとして肩をすぼめた。

 

「重ね重ね、ごめんなさい……」

「それはもういいと言ったろう? 今回の犯人はユークリッド独立騎士団で間違いないだろう。あの特徴的な鎧は、この近辺にそうあるものじゃない」

 

 それじゃあ、とウィノナが顔を上げれば、ミゲールは毅然とした態度で言った。

 

「騎士団にペンダントの返却を求めよう。多数の武装兵に村人が恐れて金品を差し出したら、誤解を解こうともせずに受け取とった。真に騎士団としての行軍であったならば、これを釈明せずに去って行くなど甚だしい愚行である、と申し立てねばならない。そうすればあちらからも何かしらの反応はあるだろう」

 

「……そういえば、父さんも昔は騎士団員だったと聞いた気がするよ」

 

 団長だぞ、とミゲールは笑った。

 

「まぁ、無視される事だけはないだろう」

「……あの、アタシの勝手な判断でしたことだし、自分で取り戻すよ!」

「馬鹿な事を言うんじゃない。後の事は大人に任せておきなさい」

 

 ミゲールはそう言って一蹴したが、ウィノナの決意は変わらない。自分がやった不始末なのだから、自分の手で始末をつける。クレスとチェスターに顔を向ければ、無言で頷きが返ってきた。

 思うところは一緒だ。親友三人の思いは一つになっていた。

 

 

 

 ミゲールはその足でユークリッドへ向かい、ウィノナ達は門下生達と共に帰路に着いた。家の前で待っていたマリアには大層心配され、クレス共々抱き締められた。その余りの心配ぶりは、腕をなかなか離そうとしない事からも窺い知れた。

 

 その夜、クレスたちは部屋を抜け出し、事前に話し合って決めていた合流場所へ向かう。夜の闇の中を目立たぬように移動して、向かった先の教会の裏では既にチェスターが待ち構えていた。

 

「……で、どうする? あいつら追うにしても、どっかアテでもあんのか?」

「そりゃないけどさ……」

「ねぇのかよ……」

「ウィノナは予知夢で、何かヒントになるようなものは見なかった?」

 

 うーん、と腕を組んで頭を捻って考え込むと、その片隅に何か小さく引っ掛かるものを感じた。

 あれは確か、黒騎士がペンダントを狙っていることを部下に仄めかしている時に――。

 

「そういえば、何か豪華な部屋で悪巧みしてたかなぁ」

「騎士団だもんな? 城の中に部屋でも貰ってんだろ」

「そうだよねぇ」

 

 でも、とクレスが首を傾げた。

 

「何であの鎧を着て来たのかな。父さんも言ってたじゃないか。この近辺では他に見ないって。これから悪事を働くかもしれないっていう時に、自分の正体を教えるような装備をしていくかな」

「つまり、あの鎧は模造品ってこと? ユークリッドの騎士団に罪を着せる為に、あるいは捜査を撹乱させる為に、敢えてあの鎧を身につけた」

 

「十分あり得る話だよな? アイツら、逃げた方角は北だったけどよ。これもユークリッドに帰ったと思わせる為か?」

「そうだと思う」

 

 クレスは頷き見せると共に断言した。

 

「父さんがそうしたように、騎士団に対して直訴しに行く可能性は高いと考えるんじゃないかな。だから、そう見せかけた上で別の拠点に帰ったんじゃないか」

「でも、この辺に屋敷なんてあったかな……?」

 

 ウィノナが腕を組んだ姿勢のまま更に首を傾げれば、チェスターは小さく息を吐いた。

 

「俺なんて村の近辺以外じゃ、トーティスとユークリッドの間しか動いたことないからな。他の地形はさっぱりわかんねぇ」

「屋敷というなら、一つだけ思い当たるのがあるんだけど……」

 

「さっすがクレス。で、どこにあンの?」

「ユークリッドに続く北の山道を西に曲がった所だよ。そのまま行くと海に出るんだけど、山側に一つだけ屋敷が建ってるのを覚えてる」

「……アイツらが逃げていった方向とも、一応合致するな」

 

 チェスターが考え込むように俯き、ウィノナが頷いた。

 

「うん、山道を登らず左折して、その屋敷に帰ったとするならね」

「うーん……。まぁ、それはいいとしてもよ」

 

 チェスターは未だに納得しかねる様子だった。

 

「結局アイツら何者なんだ? わざわざ騎士団を敵に回す様な真似してよ。それで戦利品はペンダント一つだけ。……割に合ってるのか、これ?」

 

 チェスターの疑問にそれぞれが考え込み、それからウィノナがそうか、と顔を上げた。

 

「……騎士団なんだ」

「どういうことだい、ウィノナ?」

 

「あの鎧は偽装じゃない、本物の騎士団だよ。豪華な部屋の中で、お父さんのことを前団長って言ってたんだから」

「マジかよ。単なる考えなしの馬鹿って訳か?」

「それも違うと思う。正体がバレようと関係ないンだよ。アイツは世界を統べるって言ってた」

「それも予知夢か?」

 

 そう、とウィノナは頷き、組んでいた腕を解いた。

 

「何であのペンダントを欲しがったと思う? 特別高価な宝石が付いてるわけでもないのに」

「本人も言ってたけど、金銭目当てじゃないのは本当だと思う。でもそれがあれば、世界を征服できるって言うのは……あまりに荒唐無稽っていうか」

 

「本当かどうかは知らないよ。ただ、本人は本気でそう思ってる。だから身分を隠す必要なんて、最初からなかった」

「自分は世界を支配する王様だ、だから逆らう奴は皆殺しだってか?」

 

 冗談じゃねぇぞ、とチェスターが吐き捨てると二人を促して立ち上がった。

 

「今はまだよく分からねぇけどよ、とにかく動かなきゃって気がするぜ」

「そうだね。クレスの言う屋敷が、アイツらの根城かどうかも分からない。でも、まず行ってみよう」

「他に手掛かりもない以上は仕方ない、か……。まずはそこから探ってみよう」

 

 ウィノナとクレスが次々に言って、チェスターに続いて立ち上がる。

 それぞれが頷き合うと夜のトーティス村を飛び出した。

 駆けて行く三人の背中を、月明かりが照らしていた。

 

 

 

 ウィノナ達は夜を徹して移動を続け、ユークリッドへと続く山道より西方にある海沿いの漁村ヴィオーラまでやって来た。

 屋敷がある場所はここから近くの筈で、騎士団のような目立つ存在が出入りしているなら、村の住人の誰かが目撃している可能性が高い。

 食糧の買い付けにだって来ているかもしれない。

 

 そうして話を聞いてみると、騎士団はこの辺に住んでいないという。しかし、つい最近村の前を横切って行くのを見たとも聞くことが出来た。

 

 ――奴らのマントの裾を掴んだ。

 

 そう思った時、横合いから風変わりな男に声を掛けられた。布を頭にグルリと巻き付けた学者風の男は、自らをトリニクス・D・モリスンと名乗った。

 しかし、何しろ危険に身を寄せようとしているところだったから、この男を信用しても良いものかウィノナには判断が付かなかった。

 

「君たちは何故こんな時間に? それも騎士団のことなど尋ねて。余程の事があったのだと推察はできるが……」

 

 クレスはウィノナの耳に口を寄せ、小さく何か知っているかと聞いたが、ウィノナは小さく首を横に振るだけだった。

 少なくとも、覚えている限りで予知夢に出たことはない。

 

 敵だとしたら、そう易々と自分達を逃がさないだろう。あるいは味方だと誤認させ、警戒を解いたところで背後から襲いかかるということもあり得る。

 何と答えたものか考えあぐねていると、向こうの方から何かを察したような顔をする。

 

「いや、怪しい者じゃない。……と言っても、素直に信じられないか。君達のお父上とは古い友人だし、トリスタンのじい様とは茶飲み友達だ。アルベインの二粒星のことはよく聞いているよ」

 

 ホッと息を吐いたクレスとは反対に、チェスターはクレスの前に腕を出して遮った。

 

「アルベイン家に誰が住んでるかぐらい、調べりゃすぐに分かることさ。それだけじゃ信用するにはまだ早いぜ」

 

 それもそうだとクレスは思い直すと、チェスターに軽く顎を引いて感謝を示す。今度はモリスンが参る番で、どうしたものかと唸り始めた。

 

「じゃあさ、トリスタン師匠と頻繁に話してるなら知ってるかもしれない問題。クレスとアタシ、どこまで修練が進んでる?」

 

 モリスンの顔が明らかに綻んだ。

 

「ああ、勿論知ってるとも。クレス君が第三修練を終えて、ウィノナさんは第二をまだ終えていないんじゃなかったかな?」

 

 クレスとウィノナは顔を合わせて頷いた。

 疑い出したら切りがないが、少なくともこんな事を情報収集しないだろう。

 クレスは頭を下げて謝罪し、気が抜けない状況でしたから、と言い訳をした。

 

「詳しく聞こう。何があった?」

「それが……、何から話したらいいか……」

 

 クレスは唸って首を捻る。ウィノナの予知夢の事など、下手に話せばその説明だけでも一日掛かりになりそうだった。しかも、それは主題ではない。

 あれこれと頭を悩ませていると、ウィノナが先に説明を始める。

 

 クレスが考えをまとめてから話そうと思えば、どれほど時間をかけたか分からない。ウィノナのこういう機微は有り難い、とクレスは思った。

 

「簡単に言うと、ユークリッド独立騎士団がクレスのペンダントを持って逃亡しました」

「いや、それはざっくり言い過ぎじゃないかな」

 

 クレスはもっと他に言うべきことがあるはずだと思ったが、モリスンの変化は顕著だった。

 

「まさか、アルベイン家に受け継がれるべき、あのペンダントを奪われたのか!」

 

 モリスンの剣幕に、三人は思わず姿勢を正した。

 

「は、はい! そうです!」

「多分、こっちの方に逃げたンじゃないかと思い、追いかけてきました!」

 

「君たちだけで? ミゲールはどうした!?」

「いや、そっちはユークリッドの方に直談判してペンダントを返してもらうとかで……行きました」

「なんたることだ! すっかり奴らの後手に回されている! 私は行かなければ!」

「行くって、どこに行くんです!?」

 

 今にも駆け出しそうなモリスンを留め、クレスは両手を広げて行く手を遮る。それだけでは心許ないと思い、ウィノナもクレスに倣って両手を広げた。

 モリスンは唸って立ち止まり、焦る様子も隠す事なく話し始める。

 

「騎士団がこの道の先を進んだというのなら、そこにあるのは地下墓地だけだ」

「じゃあ、今からそこに?」

 

 クレスが問うと、違う、とモリスンは短く答えた。

 

「最悪の事態だが、まず確認がいる」

 

 モリスンは顔に苦渋を滲ませて、額に拳を当てる。

 

「どちらを優先するか迷う所だが、 ミゲールのペンダントが奪われたのであれば……順番的には恐らく二番目だ」

 

 順番とは何か、と訊きたかったが、モリスンの迫力がそれを許さなかった。

 

「彼女の物も同様に奪われているか、あるいは隠し場所を知るため拷問しているか。どちらにしても、ろくでもない目に遭っているのは間違いない」

 

 ウィノナはとりあえず頷く。彼女の物も、ということはペンダントは二つあったということだろうか。

 

「囚われているのなら心当たりがある。私はまずそこへ向かうから、決して勝手に地下墓地へは近づくな」

 

 そうは言っても、その為にここまで来たのだ。家族に秘密で来たのは単に止められるから、という理由ばかりではない。夜が明ければ全てが元通りになっている、それを実現させる為に来たと言ってもいい。

 だがモリスンには、まるで一人で全てを片付けようとする様な雰囲気がある。

 

「地下墓地へ向かったのが先行部隊だとしても、あっちの守りは手薄になってるはず。チャンスはある……」

 

 終いには、こちらを無視して自分に言い聞かせているような口振りを始めた。そうかと思えばこちらへ振り返り、頼みたいことがある、とモリスンが言った。

 

「夜が明けてからでいいから、自宅に来てくれ。ここから見て山側にある。他に屋敷と呼べるような家はないから、すぐに分かるだろう」

 

 そうとだけ言うと、慌しく二人の横を通り過ぎて駆け出してく。

 では、初めから黒騎士の屋敷だと思って向かっていたのは、モリスンの屋敷だったのだ。

 あるいは知らずに突入し、モリスンに迷惑を掛けていたかも知れないと思うと、ここは素直に従っておいた方がよいかもしれない、という気持ちになってくる。

 

「どうする……?」

「どうするってなぁ、ウィノナ……。ここまで来たもんを……」

「じゃあここは、アタシ達の財布の紐を握ってるクレスに任せるよ」

「ええっ、僕かい!?」

 

 とは言っても、とクレスは視線を下に向ける。

 

「やっぱり準備は必要だと思うよ。地下墓地っていうのが、どれほど深いのかも分からないんだし。まずはモリスンさんの言う通り、明日屋敷に向かおう」

 

 協力者が出来れば、ペンダントの奪還も無事に済む可能性が高まる。

 そういうことで、村で一泊することになった。

 

 聞き慣れない波の潮騒(しおさい)、それがウィノナを不安にさせる。これから行うことが全て上手く行く保障は、勿論ない。

 今まではそれでも何とかなるだろう、何とかしてみる、という気持ちでいた。それなのに、その気力を波が引いて行くのと同時、一緒に持っていかれるように感じられた。

 これでは果たして安眠させてくれるかどうか。

 しかし、それは全くの杞憂で、目を閉じた次の瞬間には、既に眠りに落ちていた。

 

 

 

 一夜明けた早朝、まだ完全に日が昇りきる前に、三人は言われた通りモリスンの屋敷へと向かった。

 辺りには屋敷どころか民家の一つもなく、山際に近づくにつれ見えてくる建築物がモリスンの屋敷だと確信できる程だった。

 

 屋敷の門を通り、正面玄関に向かう途中、クレスは二階の窓に人影を見た。恐らくは三十台の女性で、もしかしたら母マリアと同年代かもしれない。長く伸ばした金髪は肩まで掛かるほど長い。

 耳には何やら、白馬とよく似た動物の不思議なイヤリングをしていた。

 

 クレスの視線に誘われて、チェスターも顔を上げる。

 そこにいる金髪の女性が目についたが、モリスンの奥さんだろう、と特に深く考えずにチェスターは思った。

 耳には白馬のイヤリングが見えるが、何故(たてがみ)が緑なのか。

 そのような馬は聞いたこともない為、チェスターには強く印象に残る。その女性の瞳の色も同じ緑だったので、尚更そう思ったのかもしれない。

 

 見るともなく見て観察している自分に気がついたチェスターは、今はそんな場合じゃなかった、とクレスの肩を叩いて屋敷に入っていった。

 

 

 

 中に入ると、そこには既にモリスンが待ち構えていた。隣には貞淑そうな少女もいる。長い金髪は腰まで伸び、普段は芯が強いだろうと感じさせる瞳は、今は悲しげに伏せられている。

 娘さんですか、とクレスが訊く前に、モリスンが悲しげに口を開いた。

 

「彼女だけは無事保護できた……」

「彼女……、保護……とはつまり?」

 

「クレス君、昨晩言った通りだ。拉致され拷問されている可能性があると。誤算だったのは親子共々、拉致されていたことだった」

「え……、でも二人共、助け出せたンですよね?」

 

 いや、モリスンは首を横に振る。

 

「この子――ミントしかいなかった。彼女の母も一緒に囚われ、別の牢にいたと言うから、探してみたんだが。誰もいなかった…」

 

「そんな筈はないんです……! ずっと私のことを励ましていてくれました……!」

 

 伏せていた顔を上げたミントの顔は、泣き腫らした目に涙を溜めていた。

 ウィノナは痛ましい物を見る目でミントに顔を向けたが、目が合う前に慌てて伏せた。

 

 ここで同情するのは容易いが、安易な慰めもミントは求めていないだろう。ウィノナには掛ける言葉が見つからなかった。

 しかし、自分達がすることは変わらない。戦う理由がまた一つ増えたというだけに過ぎない。

 ウィノナは拳を強く握った。

 

「ミントの母親を見つけようよ! 別の場所に移されただけかもしれないンだしさ。一緒にクレスのペンダントだって取り返すンだ!」

「おうよ、俺たちだって戦える! 全員倒すなんて大口は叩かねぇ、だが助勢ぐらい十分こなしてみせるぜ!」

「――いいや、君達では足手まといになる」

 

 きっぱりと言ったモリスンに、チェスターは元よりクレスまで気色ばむ。

 

「……納得できないって顔をしているから尋ねるが、君達は本気のミゲールと戦って勝てるのか? いっそ三人掛かりでもいいが」

 

 クレスはうっ、と息が詰まった。手加減された稽古の中で一本取った事ならある。ウィノナもやはり、同様に取った事がある。

 

 しかし、実力の半分程まで力量を上げてもらった立ち合いでは、全く手が出なかったのを覚えている。

 モリスンの口振りからして、黒騎士の力量はミゲールのそれと同等だと推定しているのだろう。少なくとも、三人掛かりでミゲールを足止め出来ることが最低条件になっている。

 モリスンが、にべもなく断る理由については納得のいくものだった。

 

「私はもう行く。ミントのことはしばらく面倒見てやってくれ」

 

 返答なく押し黙るクレス達を見て、モリスンは一瞥をくれるだけで出て行く。

 玄関に残った四人は、その背を黙って見送るしかなかった。

 

 




漁村ヴィオーラは矢島さら女史著、紺碧の絆に登場します。

実際あの辺り、モリスンの屋敷以外なにも無いんですよね。行商だけで生活必需品を賄える訳でもないだろうし、近辺に村がある設定にしたかったので使わせてもらいました。

モリスンの屋敷というより、あの洞窟の近くに、というのが狙いなのですが、それが活きるのはもっとずっと先の話です。


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始まりの場所、終わりの場所

 

 長く続いた沈黙を破ったのは、ウィノナだった。

 一度息を吐いて、ゆっくりと息を吸う。ぐっと腹に力を入れてクレスの方に顔を向けた。

 

「止められたぐらいで決意が鈍るなら、最初からここにはいないよ。……クレスはどうする?」

「……そうだね、少し弱気になってたみたいだ。ミントは──ミントって呼ばせてもらうけど、どうする?」

「──あ、はい。そう呼んでもらって構いません。私も皆さんと一緒に付いて行こうと思います」

「いいのかい? 今更だけど、危険だよ」

 

 構わない、というような強い意志を感じさせる瞳でミントは頷く。

 

「だよな! ミントのお袋さんの仇、取ってやろうぜ!」

「──チェスター。ミントのお母さんは、まだ亡くなったと決まったわけじゃ……」

「あ、ワリぃ……」

 

 素直に頭を下げたチェスターに、ミントはいいんです、と顔を伏せた。

 

「本当は薄々気付いていたんです。私の他に誰もいなかった、というのもモリスンさんの優しさだと。きっと、母はもう……」

 

 消沈するミントの肩にウィノナが手を置いた。

 

「アタシ達じゃミントのお母さんの代わりにはならないけどさ。でも、アタシ達は味方だよ。精一杯の事をするって約束するから」

「はい……っ」

 

 目の端にうっすらと涙を溜めてミントは頷き、それを見てクレスも分かりやすく意気込む。

 

「準備を済ませたら、すぐにモリスンさんの後を追おう。黒騎士の野望が本当に世界を征服することなら、ますます待っているだけなんて出来ない」

 

 それぞれが頷き、手早く準備を済ませていく。四人はそれから、小一時間も経たない内にモリスン邸を出発した。

 

 

 

 山際を左手に見てモリスン邸から直進すると、地下墓地はすぐに見つかった。自然窟を利用しているらしく、入り口に人工的な細工は見当たらなかった。

 

 中に入ってしばらく進むと、そこで初めて人工物が姿を表す。石を切ってレンガ状にしたブロックを、床にも壁にも使用されている。空気の濁りは予想以上に少なかったが、埃や黴の匂いと焚かれた香が鼻梁を突いた。

 その香に誤魔化されそうになるが、明らかにそれとは別の異臭がある。不愉快な匂いは生理的な嫌悪感を抱かせた。

 

「ここは、アンデッドの住処になってると思います」

 

 緊張した声でミントが言った。

 

「この独特な臭気はアンデッドから出るものです」

「立派な墓地なのに、人が最近訪れた形跡がないのは……」

「アンデッドに占拠されたから?」

 

 クレスとウィノナが口々に言うと、ミントは頷いた。

 

「初期の対応が悪く数が増えてしまった為に、放棄せざるを得なかったのかもしれません」

 

 勿体ねぇ、とチェスターが呟くと同時、目の前の棺が動き出した。

 揺れるような動きではない。内側から何かが這い出ようとしているのだ。

 

「おいおい、何かヤベェんじゃねぇか!?」

 

 クレスの下した決断は早かった。

 

「──逃げよう!」

 

 その声に弾かれるようにして四人は駆け出す。通路の先へ、とにかく先へと走り、奥へ奥へ進んでいく。

 そうすると、今までの沈黙が嘘のようにアンデッド達と出くわした。

 

 ゾンビにマミー、ウィスプまでもが進路を遮る。止まって応戦しようものなら、即座に取り囲まれるのは明らかだった。

 ウィノナがミニボウガンでウィスプを撃ち落とし、チェスターがゾンビの足を射抜く。矢はそのまま地面に突き刺さり、ゾンビの足を縫い止めた。

 

「襲爪雷斬!」

 

 雷を伴う大上段からの一撃で、クレスが止めを指す。

 

「行くぞ皆! 足を止めるな、走るんだ!」

 

 前衛のクレスが先頭になってアンデッドの群れを強引に突破していく。傷を負うことも(いと)わず突進できるのは、ミントの援護があればこそだ。

 致命傷を受ける前にミントが法術を使って癒してくれなければ、さしものクレスもここまで強引に進めなかったに違いない。

 

 走る足を止めず進む先にも、まだチラホラとアンデッドが出てくる。

 無視できるものは相手にせず、近くの者は斬りつけ、突き飛ばし、進路上に飛ぶ敵は軽業の得意なウィノナが撃ち落とした。

 矢の一撃の重さはチェスターに劣るが、こうした身の軽さから重心の安定しない射撃の命中率はウィノナが勝る。

 

 通路を突き進み、そうして最奥近くまで辿り着いた時、アンデッドの気配が薄れた。常に鼻の周りに纏わりつくような、アンデッド独特の臭気もここにはない。

 

「ここは安全そうだ……」

 

 ハァ、と息を吐いてクレスは緊張を解いた。他の面々も、思い思いに体を休める。

 

「とは言っても、突然の襲撃はあるかもしれない。各自、警戒を怠らないように」

「りょうかーい」

 

 ウィノナはひらひらと手を振って応えながら、辿り着いた部屋を見渡す。

 ここまで来た道中同様、幾つもの墓が壁や地面に置いてある。それ以外の特徴と言えば、部屋の奥には一枚扉があるだけだった。まだ奥へ続く道があるという事よりも、それが一種威容な雰囲気を発している事が、ウィノナの気を引き締めさせる。

 

 チェスターも同様に周囲を見ていたところ、しばらくしてから、面白いモン見つけたぞ、とウィノナを手招きした。

 

「ほら、来いよウィノナ。お前、死んでんぞ」

「はぁ?」

 

 眉根を寄せてチェスターの元まで近づくと、そこには一つの墓碑があった。

 

 

『ウィノナ・ピックフォード

 愛する男が救われることを願い、ここより旅立つ』

 A.D.4290~4210

 

 

「うわっ、ほんとだ! アタシ死んでる!」

 

 ウィノナは思わず墓碑を指差して笑ってしまった。

 

「同性同名かぁ、こんな偶然もあるんだなぁ。……そういえば、昔アルベイン流の剣術道場を建てる時、出資してくれた人が、この墓碑に刻まれたその人なのかもしれない」

 

 クレスが言って、そうそう、とウィノナも同意した。

 

「アタシが拾われたのも、名前繋がりだしねぇ。まぁ、それ以上にこのカワユさが、放っておけなかったホントの理由だろうけど」

 

 片手を頬に当て、身体に変なシナを作っておどけるウィノナに、チェスターは鼻で笑った。

 

「馬鹿お前、いいから早く成仏してくれよ。ミントが法術使ったら、コイツ消えんじゃねぇのか?」

「辛辣ぅ! ちょっとチェスター、アンタもっとアタシに優しくしなさいよ!」

「優しくする必要のある奴にゃ、ちゃあんと優しくするぜ、俺は」

 

「よく言った。アタシの飛燕連脚を喰らって、まだ同じ台詞が言えるか試してやる」

「おいおい、こんなところでケンカはよしてくれよ。襲撃があるかもしれないって、言ったばかりだろう?」

 

 腕捲りして鼻息荒くチェスターを睨み付けていたウィノナは、クレスの言い分に渋々矛を納めたが、未だに視線はチェスター急所に固定されていた。

 

 その視線から退避しつつ、助かった、と冷や汗を拭っていたチェスターは、墓碑の前に立ち続けているミントに気が付いた。そのミントは胸の前で両手の指を嚙み合わせ、祈るように見つめている。

 このまま体よく有耶無耶にするつもりで、チェスターはミントの傍に立つ。

 

「どうしたよ、ミント?」

「いえ……、碑文を見ていました。この方が愛する男性は、救われたのだろうか、と」

「ああ……。願いが叶わねぇまま、逝っちまったみたいだよな」

「この方が結末を知らないだけであっても、愛する男性が救われていますように、と。そのように祈っていました……」

 

 勿論、その方がいいに決まってる。何となく同意するのも気恥ずかしくて沈黙していると、チェスターは碑文の最下段にある一文に気が付いた。

 

「おい、これ……生年と没年が逆じゃねぇか?」

 

 それを聞いてヒョイと覗き込んできたウィノナが、本当だ、と呟いた。

 

「でも何でそのまま? 掘った後にでも気づくでしょ、普通。……で、直すでしょ、普通」

「そりゃまぁな。でも、墓石は高ぇからな。代わりを用意出来なかっただけかもしれねぇ」

 

 何となく釈然としないものの、結局は他人事(ひとごと)。そんな事もあるのかな、と思うだけでそれ以上の追求はしなかった。

 

 そろそろ休憩も終わりにしよう、とクレスが言うと、それぞれ武器を確認する。ウィノナは腰の剣を固定し直し、ボウガンに装填された矢を取り外して鏃を確認、再装填する。

 チェスターは矢筒の位置を調整してから、弓弦を一度引き絞って張力を確認すると、満足げに肩に担ぐ。

 

 クレスとミントは元より武器をしまっていなかったので、そのまま構え直した。クレスは左手に持った盾を握り直して再度構える。

 行くぞ、とクレスが一声かけて、一行は更に奥へと進んだ。

 

 

 

 最奥に着くと同時、凄まじい光と振動がクレス達を襲った。

 正確にはクレス達に、ではない。部屋全体、そして墓地全体に及んでいた。

 

 部屋中央には見事な装飾の施された棺。その四方を神官を象った像が囲んでいる。

 恐らくは、その像が棺を守護する為か、封印する為の役割を果たしていたのだろう。

 足元には砕かれた水晶のような欠片が無惨に転がっていた。

 

 そして、棺から今まさに足を掛けて降りてくる男は、完成された彫像にそのまま息を吹き込んだかのような完璧な美を体現していた。

 ゆらめく波立った金髪に憂いを見せる(かんばせ)。その正体を知らなければ、どのような女性も自分に愛を囁いて貰うための努力を怠らないだろう。そう思わせる魅力が、そこにはある。

 

「長かった……」

 

 シン、と静まり返った室内に、ポツリと零れた一言は、やけに響いて聞こえた。

 

「我が身に課せられた大義を思うに……、あまりに長い時間だった……」

「──ま、魔王ダオスよ!」

 

 金髪の美丈夫に最も近くに控えていた黒騎士が、弾かれたように動いた。

 

「私、私がお前を復活させたんだ……! 我が命に応えよ、我に力を! 世界を支配する、何者にも勝る力を!」

 

 魔王と呼ばれ、それに呼応するように顔を向けた男。

 まさか、という思いがクレス達に去来した。

 

 百年も前の時代、人間国家相手に戦争を仕掛けた、魔物どもを操る王。

 ──魔王ダオス。

 

 クレス達の生きる時代には、もう既にリアリティを持った御伽噺とでも呼べるものでしかなかった。本当にそのような者がいたのだろうとは思っても、それがどのような脅威であったかなど想像出来ない。チェスターに至っては、大人が子供に言い聞かせる為に使う幽霊と大差ない扱いだった。

 

 そもそも魔王は討伐されたのだ。存在したのが百年前なら、討伐されたのも百年前だ。

 封印されていたという事実など知らなかったし、討伐者の中にアルベイン流の剣士がいたという話も、眉唾ながらに聞いた事があったくらいだ。

 

 歴史に登場したのと同時に討伐された存在を、どのように受け止めたものか、クレスにもよく分からない。ただ、その身に纏う存在感が、これまで見てきたどのような人物とも懸け離れているのだけはよく分かった。

 そして、その魔王ダオスの視線が黒騎士相手に向けられる。

 

「ああ……」ダオスの目に、嘲りの色が灯る。「お前は復活に成功すれば、この私を操れると思っていたようだが……。そもそも、それが間違いだ。思い出してみるがいい、三ヶ月前の事を」

 

 ダオスがその指先を黒騎士に向けると、それまでの狂気めいた雰囲気が一気に霧散する。突然力が抜けるような動きを見せると、よろけて二歩、後ろに下がった。

 

「私……、私は……三ヶ月前、アンデッド発生の、調査に来て……」

「その時、お前は棺に近づいた。──そして、お前は私に洗脳されたのだ。私の復活も、自分自身の野望と疑わずに動いていた」

「そ、そんな、まさか……。そんな筈は……。だとしたら、私はとんでもないことを……」

 

 黒騎士は兜の上から頭を抱えた。

 

「お前はもう用済みだ。──死ね!」

 

 黒騎士がダオスの手に集まる高エネルギーに気づいた時には、もう遅かった。身を翻し、脱兎のごとく駆けるも、放たれた光の奔流に飲み込まれ、塵も残さず消えてしまった。

 

 ダオスはそれをつまらなそうに一瞥し、そしてようやくこの部屋に他の誰かがいることに気付いた。

 ダオスの視線がモリスンに止まり、不快げに顔を歪めた。

 

「貴様……、一度ならず二度までも。幾度(いくたび)、私の邪魔をすれば気が済むのか……!」

 

 鋭い敵意は形を持って、モリスンを刺すかのようだった。

 クレス達は居ても立ってもいられず、モリスンの近くへ駆け出す。ウィノナとミントも男たちの蔭となる形で遅れてついて行く。

 そのクレスの動きを追って、ダオスの視線もまた動く。

 

「なるほど。ならば小僧までもが私を追って来たとして不思議ではない、という訳か」

「なに、一体何を言って──」

「我が使命を邪魔立てする、小うるさい蝿どもよ! 今ここで果てるがいい!」

 

 ダオスは憎々しい顔つきをクレスに向け、両手に力を集める動きを見せる。

 

 クレスはこれまでの人生で、初めて圧力を持って押し寄せる敵意というものを体感した。身がすくむ思い、という単語が脳裏をよぎる。

 

 たった一つの視線で動けなくなり、震える身体は言うことを利かない。心臓は痛いほどに脈打ち、耳の後ろが熱く、音が上手く拾えなかった。

 ダオスの詠唱が終了し、その力が解放される。

 

「テトラスペル!」

 

 だというのに不思議と、その発音だけはしっかりと聞こえた。

 何かとてつもない攻撃が自分を襲うのだろうと、それだけは理解できたが、それでも自分の身体を動かすには至らなかった。

 身構える事すら叶わぬ中、しかしいつまでたっても攻撃がやって来ない。

 一体どうした事かと見てみれば、ダオス自身が己の手を凝視し、驚愕している。

 

「まさか、既にマナが……!?」

 

 クレスには何が起こったのかまるで分からなかったが、その事実はダオスを前後不覚に陥らせるのに十分なようだった。

 呆然としているようにも見えるダオスを尻目に、モリスンがクレスの肩を掴む。それでようやくハッとして、身体が動くようになった。

 モリスンは四人を一ヶ所に集め、ダオスの注意を引かないよう小声で言った。

 

「──いいか、よく聞いてくれ。奴は過去の人物だから知らなかったようだが、現代に魔術は存在しない」

 

 モリスン自身余裕がないのだろう、明らかに平時よりも滑舌が悪い。そのうえ早口で言うものだから、言った内容を即座に理解できる者は、この中にいなかった。

 

「しかし同時に、魔術でしか傷付かないとされる魔王ダオスは、こちらからも倒せない。君達をある場所へ飛ばすから、倒す方法を探り学んでくるんだ」

 

「あの、それって一体……」

「説明している暇はない!」

 

 言うだけ言って、質問の一切を受け付けず、モリスンは詠唱を開始する。四人を取り囲み始めた光には、流石のダオスも見逃す筈がなかった。

 ダオスにはその光に見覚えがある。非常によく知っているといって良い。

 それはダオスもまたよく使う、時間転移の際に発する光だった。

 

 しかし、ダオスが使用するそれと明らかに違う点は、長い詠唱を必要とする事だった。詠唱中、無防備なモリスンを殺すのは容易い。

 魔術が使えないなら、マルスを殺した時のように、自身の力を放出すれば良いだけのこと。

 ダオスは自らの両手に力を溜める。

 光が両掌の間に集まり、圧縮されていく。

 

 ウィノナはそれを見て下唇を噛む。マルスに使われたのと同様の攻撃が繰り出されるのなら、発動までの猶予はあまりないように思われた。

 

「黙って死を待つくらいなら……!」

 

 モリスンの詠唱がダオスの攻撃に間に合わないと判断した時、ウィノナが一塊となっている中から飛び出した。

 

 ──自分が囮になれば、クレス達は助かるかもしれない。

 

 そうしなければ、皆まとめて死ぬだけだろう。誰かがやらねばならないというなら、クレスたちに恩義を感じている自分がやるべきだ、とウィノナは思った。

 きっとクレスとチェスターは、そんな自己犠牲を許さないだろう。やるなら自分が、とそれぞれが言うだろうし、後一秒でも遅ければ、先にチェスターが動いていたかもしれない。

 だが、真っ先に動けたのはウィノナだった。

 

 クレスたちとダオスとの直線状に飛び込むと、その攻撃動作がピタリと止まった。意識がこちらに向いたなら、次は別方向に──。

 そのつもりでいたのに、ダオスの顔を見たとき動きを止めてしまった。

 ダオスの表情が驚愕で止まっている。

 

「──ウィノナ!」

 

 魔王その人から名を呼ばれ、ウィノナの動き出そうとしていた足が再度止まった。魔王に名を覚えられるような人物ではないし、そもそも面識の事実すらない。

 一体何が、と思った瞬間、視界が暗転した。

 モリスンの詠唱が完了し、クレス達と共に過去への時間転移したのだ。

 

 ただし、ウィノナとクレス達の間は数歩分の距離が離れていた為、 一瞬送れての転移だった。

 その一瞬の間。その後、目の前から姿を消したウィノナを見たダオスは激昂した。

 

「彼女をどこにやった!?」

 

 その怒りは天を衝き、怒号が封印の間を震わせる。

 

「何故ウィノナをこの地、この時に呼んで来た! 何の理由あっての事だ!」

 

 その怒りに()てられて、モリスンは身体が竦み動けなくなる。しかし動けないのは単に恐怖からではない、困惑の度合いもまた大きかった。ダオスがここまで激昂する理由が、モリスンには分からない。

 何故、魔王とウィノナが知り合いかのような発言をするのか。

 

「いや、待て……。彼女のあの姿は……」

 

 ダオスは眉根を寄せ、視線をモリスンから切る。そして消え去った跡に視線を向けた。

 

「彼女の……消え去る直前に見た、あの右手(・・)は……!」

 

 只ならぬ気配を発しながらダオスはそこへ一歩近づく。必然的にモリスンの方へ一歩近づく事になり、それでモリスンも一歩下がる。それはまるで重圧が見えない壁となって押し込んで来るように感じられた。

 

「……そうか、そういう事か。……貴様が諸悪の根元か。貴様さえいなければ、彼女は──ウィノナは斯様な過酷な目に遭わず済んだものを……!」

 

 今度は憎悪を持ってダオスはモリスンを睨み付ける。

 

「貴様は……! 百度殺して尚、足りん!」

 

 モリスンを睨み付けて恫喝し、ダオスがその手に力を込める。モリスンはダオスの掌に力が集中していくのを力なく見つめる。抵抗しようにも、時間転移に全ての精神力を使った為、既に抵抗する力も尽きていた。

 諦めにも似た感情がモリスンを支配する。自嘲気味な笑みを浮かべた時、二人の間に幾つもの光球が降り注いだ。

 

「私が送り出した時と同じ光……!?」

 

 ──ならば、それは一つしかない。

 咄嗟に飛び退き事態を静閑していると、床に着地した光は複数の人型を作り次第に明確な姿へ変わっていく。そうして現れた人物の中には、見知らぬ者も幾人か含まれていた。

 

 光の人型から姿を取り戻し、そこから真っ先に飛び出したのはウィノナだった。

 そう認識して、直後不安になる。本当に彼女自身なのか分からなくなった。それというのも、先程まで身に付けていた物とまるで印象が違ったからだった。

 

 機能性を重視した作りの黒いレザーで全身を纏った彼女は、見た目だけでなく、寸前に見た彼女と雰囲気に違和感がある。それは小さな違和感だったが、雰囲気だけが原因ではなく、年齢もまた違っているように見えたからかもしれない。あちらで何年を過ごしたのかは分からないが、変えてしまうだけの体験があったのだろうという事は察しがついた。

 あるいは、ダオスの激昂はこれに原因があるのかもしれない。

 

「──ダオス!」

 

 喜色満面で駆け付けるウィノナに、ダオスは驚愕した目を向ける。たが、次いで背後に佇むクレス達を見て明らかに警戒して身構えた。そんなダオスを見て、ウィノナは安心させるように優しげな笑み見せる。

 

「待って、ダオス! アタシ達は、ダオスを助けに来たんだよ!」

 




第一幕、これにて終了です。
次回から過去編に入ります。


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第二幕 AC.4201年
予期せぬ出会い、予期せぬ場所


 
第二幕、始まります。

書籍版と大きく話は変わらないのですが、原作キャラとの出会いなど本来はないエピソードも追加していきたいと考えています。

小さな変化から、原作とは全く違う設定に変えてしまっているものもありますが、この小説ではそういう世界線での物語なんだなぁ、と思って下さい。
 


 

 そこは不思議な空間だった。

 光が無いのに暗くはなく、闇の中にいるようなのに光が見えた。

 上下に分割された空の中、四つの光球が一丸となってフラフラと進む。

 

 恐ろしく速く進んでいるのか、あるいは恐ろしく速く後退しているのか、それさえ曖昧な世界で光球は進んでいた。

 それら一つに固まって見えた光球から、一つの球が離れていく。三つと一つに別れた光球は距離が進むに連れ、無視できない間を作っていく。

 

 その離れた光球が更に大きく逸れた瞬間、空間に(まばゆ)い光が溢れる。別たれた光球は、その不思議な空間から飛び出して本来の世界へと戻って行った。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 冬の空は寒く、木枯らしが舞っていた。

 例年よりも厳しい寒さは、空ばかりではなく大地にも広がっていた。

 大地に、空に、活力がない。草木に動物たち──果ては魔物にすら活力がなかった。

 

 ミッドガルズ大陸北部、 はるか昔に打ち捨てられた古城に一つの光球が降りてきた。光球が古城の床に着地すると、その光は人の形を作っていく。

 そうして光が弾けると、そこには一人の少女──ウィノナが現れた。たたらを踏むようにつんのめり、抵抗するような動きも虚しく転んでしまう。しかし身体に染み付いた動きは、そのまま受け身を取らせ反動を持って起き上がらせる。

 

 薄暗い中を見渡せば、そこは砂と埃が漂う場所だった。古く歪な石造り、どこか打ち捨てられた砦か古城のように感じさせたが、元いた地下墓地との違いにウィノナは目を白黒させるハメになった。

 

「ここはどこ! アタシはどうなったの!? あの時、魔王がアタシの名前を口にしたのは何で!?」

 

 口に出したのは確認したかったからだ。自分が今、混乱の極みにいるのは自覚している。声に出すことで少しは冷静になれることを期待していた。

 

 しかし、その期待は全く違う形で裏切られた。

 石畳の奥、ウィノナがいる所から、そう離れていない場所が眩い光に包まれる。静寂が支配した後、光がひっそりと消えると、中から一人の男が姿を現した。

 

 地下墓地で見た魔王が、そこにいた。

 ふらりと一歩、二歩、足を進めると天井から差し込む光で男の顔が(あらわ)になる。崩落して出来ていた天井の穴、そこから一条の光が差し込みダオスを照らす。

 まるで魔王の流麗さを演出する為に、予め開けていたかのようにさえ感じられる光景だった。

 

 思わず見つめてしまったが、それで分かった事がある。よくよく見ると、その足取りはゆっくり進めるというよりは、覚束(おぼつか)ないと表現した方が正しい。

 確認できる顔色も土気色で、正常な状態とはとても思えない。

 

 ウィノナは逃げ出そうかどうか一瞬躊躇い、そして身を(ひるがえ)すよりも先にダオスが倒れ伏した。

 そのままピクリとも動かないダオスに、ウィノナも完全に逃げるタイミングを失ってしまった。

 とはいえ、チャンスはチャンスに違いない。 一目散に走り去れば、この魔王から逃げ切れるに違いない。

 そう思って身を翻しても、足は一歩前に出たものの、それ以上は前に出ない。

 

「ああ、もう……っ!」

 

 自分の人の良さが嫌になりそうだった。勝手に倒れた魔王など放って置けばいいと頭で理解できても、病人のような顔をした相手をウィノナは無視できなかった。

 

「……ねぇ、ちょっと大丈夫?」

 

 しかし、声を掛けても返答はない。肩を揺すってみても、脱力した身体が力なく揺れるだけだった。完全に気絶している。

 ウィノナはどうしようかと途方にくれた。

 

「助けて欲しいのはこっちの方なンだよ、チクショウ……」

 

 

 

 大の男を引き摺りながらの移動は困難を極めた。

 あのまま起きるまで待っていようかとも思ったが、あの古城は魔物の住処である事はすぐに判明した。度重なる発光現象に魔物達が呼び寄せられ、ウィノナも応戦を余儀なくされた。

 

 しかし戦闘が長引けば不利になるばかりではなく、更なる増援が来ることを予期して逃げることを優先し戦う。ミニボウガンで威嚇射撃を行いながら、ダオスの片手を取って何とか逃走に成功した。

 抱える事も背負う事も出来なかったので引き摺る事にしたのだが、身体中砂まみれの埃まみれになってしまった。とはいえ、あの場に放置していけば、魔物に取って食われるしかない。

 それを思えば悪い取り引きでもない、と理解してもらう他ない。

 

 ウィノナはそう納得してダオスを抱え直す。今度は両脇の下に手を入れて、後ろ向きに引き摺る格好を試してみた。

 

「なかなか楽な運び方になったけど……」

 

 ダオスの踵が地面を擦って見事な二本線を引いてしまっている。知恵が少しでもある魔物なら、この線を頼りに二人を追ってくるだろう。

 とはいえ、ウィノナの体力も心許ない。まず動ける内に距離を稼いでしまいたかった。

 

「よし、もうひと踏ん張り!」

 

 ウィノナはダオスを抱え直し、古城から少しでも早く離れられるよう足を動かすことに集中した。

 

 

 

 古城が遠くに見えるようになった頃、旅人が残して行ったと思われる焚き火の跡を見つけた。腕がプルプルと震え、体力も限界に達していたウィノナは、これ幸いと休息を取ることにする。

 

 旅人が離れた焚き火跡は、ぞんざいな処理の仕方でまだ火がほんのりと燻っていた。

 今回ばかりはそのお粗末な処理の仕方に感謝しつつ、近くから素早く種火になりそうなものを見つけ火を大きくする。それでようやく安心できる休息場を作り暖を取った。

 焚き火の前に座り込み、揺れる炎を見つめながら、ウィノナは思う。

 

「誰か助けに来てくれるまで、ここで待っている方がいいのかな……」

 

 遭難した時の対処であれば、それで間違いない。しかし、今のこの状況を、ただの遭難と一緒に考えてよいものだろうか。

 

 ──それに。

 食料も水も無い中、ずっとここにいる訳にもいかない。

 ウィノナは横に寝かせたダオスを見る。火の光に照らされた横顔は精悍さと美麗さがあり、一つの美術品かのようだった。

 瞼はきつく閉じられたまま、あれほど乱暴に扱われたというのに今まで一度も目を覚まさない。

 十分義理を果たしたと思いつつも一度は助けてしまった身、置いていくには良心の呵責がある。

 

「ホント……、どうしよ……」

 

 まずは水だけでも必要だ。すぐ近くに町でも村でもあればいいのに。

 町まで辿り着けば、とりあえず井戸だけは使わせてもらえる。

 財布はクレスが預かり、旅の道中の売買は全て任せていた。今のウィノナは無一文である。

 お金がない中どうやって食料を得たものか。見渡す限りの枯れた大地に、果たして狩れる動物がいるのだろうか。

 

 いや、少しでも大きな町の中なら日雇いの仕事があるかもしれない。そうであれば食い繋ぐことも可能だと思われる。

 

 考え込んでる所で、ダオスが目を覚ました。

 うっすらと開いた瞳には現状の把握も困惑もない。何も映していなかった。それに対し疑問にも不安にも思いながら、ウィノナはダオスに声をかける。

 

「えっと……、大丈夫?」

 

 こんな時でも気遣ってしまう自分に、ウィノナは思わず苦笑した。

 対して男の反応は冷ややかだった。一体なにを言ってるのかと(いぶか)しみ、不審な表情を隠そうともしない。

 ウィノナは腹の底から熱いものが競り上がって来るのを感じ、衝動のまま指先を突き付ける。

 

「むっかー! あのねぇ、それが恩人にする態度!? そりゃ感謝しろなンて言わないけどさ、もうちょっと何かあるんじゃないの!?」

「恩人? ……君が?」

 

 ダオスはしばらく自分の状況を見つめ、そしてようやく自分が助けられたのだと気づいたようだった。

 ダオスは寝ていた身体を起こして向き直り、膝をついて胸に手を当てた。

 

「貴女に最大級の感謝を。受けた恩は決して忘れず、胸に刻むと誓う」

 

 しかしそんな貴人の如き礼を取られては、ただの村娘でしかないウィノナは慌てるしかない。

 

「あ、いや、そこまでして欲しい訳じゃなくて! ……あの、ゴメンね? ホントごめんなさい!」

 

 結果として、お互いが頭を下げ合うという、珍妙な光景が出来上がる事になった。

 

 

 

 しばらくして落ち着いた頃に、お互い状況説明が必要だろうと、どちらからともなく言い出した。

 ざっと簡単な説明──ダオスが古城で倒れており、連れ出したこと──を話した後、もう少し具体的なこと聞きたい、とウィノナが言った。

 

「アタシのこと、なンか知ってる? 前に会った事とか」

「いや、会った事は一度もない」

 

 ダオスは表情を変えずに(かぶり)を振った。ウィノナの目には嘘を言っているようには見えない。

 

「名前は? ──あ、ごめん。普通名前を教える方が先だよね。アタシの名前はウィノナ。ウィノナ・ピックフォード」

「そうか、ウィノナというのか。私はダオスだ」

 

 そう、と頷きながら、実は目の前の男は魔王とは別人の単によく似た男という線を考えていた。だがだとしたら、何故、という幾つもの疑問が湧き出てくる。

 

 魔王と呼ばれたあの男からは迸るオーラのような物があったが、この男からは感じない。そのような気配すら感じられないのが不思議だった。

 

(……記憶喪失、とか?)

 

 だとしたら厄介だ。もしも今まさに記憶が甦るような事があれば、突然襲いかかって来たりするかもしれない。

 

 それに、とウィノナは思う。

 あの時のダオスには烈火の如くとでもいう、怒りの発露があった。人間に対する憎しみも、やはり同様に。それが今は感じられない。記憶喪失故とは、ここまで人格を変えてしまうものなのだろうか。

 

 あるいは──。

 記憶喪失とは全く関係ない何かがダオスを変えているのかも、と無い知恵を絞ろうと必死になる。

 だが何にしても、まず一番に考えなくてはならない事は食料の調達だった。町に辿り着くことが出来れば言う事はないし、それを最優先にしなければならない。

 このような原っぱの真ん中で飢え死にはご免だ。

 

「体調は大丈夫? 動ける?」

「ああ、問題ない」

 

 その返事はウィノナを満足させ、早速足で砂をかけ焚き火を消す。それからすぐに出発する事になった。

 行く当てがある訳では、勿論ない。ここが何処で町があるかも分からない。しかし助けも期待できないなら動くしかない。

 

 このような不安だらけな旅路だが、一人でなくて良かった、とウィノナは思う。

 

(連れは魔王だけど……)

 

 こっそり盗み見れば、ダオスとしっかり目が合った。

 

「どうかしたか?」

「あ、ううん!」ウィノナは慌てて両手を左右に振る。「何であンな場所にいたのかなぁって。何か目的があって来たの?

 そうだな、とダオスは遠い目をして頷いた。

 

「私が倒れていたという、その古城に目的あって来た訳ではない。──ただ遠い場所から旅をしてきた。ここが最後の希望だが、見つからなければ絶望する他ない」

「そう……なんだ」

 

 ここ、という言葉には多くの含意(がんい)があるようだったし、言っている事は決して具体的な事ではなかった。それでもダオスの静かな決意は感じ取る事ができた。

 

 ウィノナの目的といえば、まずクレス達と合流することだ。ここが何処か分からないのが頭痛の種だが、クレス達も自分と同じく見知らぬ土地に飛んでいると考えて間違いないはずだ。

 

「そなたの目的は?」

「うーん、探したい相手はいるンだけどね。目下最大の目的は、村でも町でもいいから人の住む場所に辿り着くことかな」

 

 言ってウィノナは曖昧に笑い、ここまでに起きた事を思い返す。

 突然の発光、視界の暗転、気付けば見知らぬ古城の中。今も魔王を連れて歩いている。誰でも良いから説明しろ、と叫びだしたい気分だった。

 

 

 

 旅そのものは順調だった。途中、湧き水が見つかったことで久々の水分補給が出来たし、野に兎を見つけ仕留める事も出来た。

 水袋はない為、水の携帯は不可能だったが、水分の補給が出来ただけで心身ともに楽になった。

 

 そこを基点として狩りを行い、食料も得た。狩った獲物の肉は固く食べられた物ではなかったが、贅沢が言える状況でもない。

 翌日分まで持つ食糧を袋に入れ、再度町を求めて旅立つ。

 

 そして、食料を少量ずつ消費しながら彷徨い歩き続ける。とうとう日を跨ぎ、喉の渇きも限界に近づいた頃、遠くに町の明かりを見つけた。

 

「やった、ダオス! 壁だ! 建物が見える、町があるよ!」

 

 ダオスにも見えていることは分かっている。それでも町を指差して、ウィノナはダオスへ振り返る。

 ウィノナは感情を隠すことを好まない。喜怒哀楽が激しく、身ぶり手振りも大きい。そしてダオスに対しても既に当初の警戒を解き、ごく自然な態度で接していた。

 

 そんなウィノナに、ダオスは時としてごく僅かな──あるかなしかの笑みを向けてくる。ウィノナはそれを、ダオスもまた心を開いてきてくれている予兆だと感じていた。

 

「おっきいねぇ! 何て町かな?」

 

 ウィノナはダオスの手を引く。既に喉の渇きは忘れていて、今は命を救われたという感覚の方が強い。湧き水や小川を探して目を皿のようにする必要も、魔物に遭遇するより前に発見し回避する必要も最早ない。

 

 近づけば壁だと思っていたものが、より立派な城壁だと分かる。町ではない、もっと大きな城下町がそこにはあった。

 ウィノナが後に知るその都市の名は、ミッドガルズと呼ばれる世界に名だたる軍事国家だった。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ようやく辿り着いた町の名を聞いて、ウィノナは大層驚いた。何しろ名前しか聞いたことのない、自分には縁がないと思っていた、故郷から最も離れた町だったのだから。

 

「実は今も夢を見ているンじゃ……?」

 

 疑うのも当然で、そのままミッドガルズの存在を認めれば、ウィノナはたった一瞬の出来事で世界の裏側に移動してしまった事になる。

 

 しかし、いつまでも現実逃避していても始まらない。

 横に立つダオスを窺えば、感情を感じさせない瞳で町並みを眺めている。ダオスは美男子に過ぎる為、とにかく目立つ。今も城下町の入口に立っているだけなのに、女子の色めきだった視線を感じていた。

 

 このまま佇んでいるだけで厄介ごとを運んできそうだ。

 町には辿り着けたのだから、まずは行動しなければ、とウィノナは意気込む。

 

「路銀に関しては何とかなるかもね」

 

 町に辿り着くまでに仕留めた獣の皮や牙を売れば、悪くない金額になるはずだ。

 しかし、そう思って持ち込んだ雑貨屋には、あまりの毛皮の質の悪さに買い叩かれてしまった。予想よりも遥かに下回った金額で、一日二食に削っても三日の滞在がやっとのガルドしか手に入らなかった。

 

「仕方ない……。あンまりやりたくなかったけど、ダオスも協力してくれるよね……!?」

「そなたの……、思うままに」

 

 眼の光が尋常でないウィノナに、ダオスは恐ろしい未来を予測しつつも、肯定の意を示すことしかできなかった。

 

 

 

 そんな苦悩を持っていたと知らないウィノナが実際やったことは、ダオスを広告塔──あるいは客寄せパンダ──にして、曲芸を披露することだった。

 ダオスの頭の上にある木の板を射ってみたり、空中で三回転捻りしつつ正確に的を打ち抜いてみたり、といった具合に客を沸かせていく。

 

 最後に大きくムーンサルトをして着地が決まった時、ウィノナ達を取り囲む観客から拍手の嵐が巻き起こった。観客の輪は一重ではない。二重、三重と広がっている。

 確かな手応えと共に満面の笑顔で両手を上げ、頭と共に上体ごと腰を折る。

 

「どーもどーも、ありがとー! あ、オヒネリはこちらに!」

 

 ダオスの足元に置かれた木製バケツに、幾つものガルド硬貨が投げ入れられていく。そして投げ入れるついでにダオスへ手紙を押し付けていく女子も見える。

 中々に抜け目ない、などと横目で見ていると、ウィノナの前に燕尾服を着こなした中年の男性が人垣を割って出てきた。

 

「実に素晴らしい演技だった! 名前は!? 何処かに所属してるのか?」

「え、えっ!? 所属って?」

「勿論サーカスのさ。君さえ良ければウチに来ないか? たっぷり稼げるぞ!」

 

 ウィノナは突然の事態に身体が固まっていたが、男の台詞を飲み込む内にようやく自分がスカウトを受けているのだと気付いた。

 

「ウソ!? アタシの宴会芸に、サーカス!?」

「宴会芸なんてとんでもない! 十分、興行で通じる出来だとも!」

 

 ウィノナは頬が綻ぶのを止めることが出来なかった。

 自分のボウガンと体術の腕を、他人が認めてくれた事は素直に嬉しい。より多くの人が自分の芸で喜んでくれるなら、ウィノナもまた嬉しいとも思う。

 

 だが、クレス達を放って置いて興行に精を出す、というのは違う気がした。サーカスならば一地方に留まらず、世界中を旅して回るのかもしれない。そのサーカスと一緒に移動出来るなら安全だし、旅先で偶然クレス達に出会う可能性だってある。

 でも、時間が掛かりすぎるのが問題だ、とウィノナは思う。

 

(下手すると一ヶ月以上同じ町にいたりするンでしょ? その間にクレス達がどんどん離れて行ったら……)

 

 やはり今は、足の早さを優先したい。

 

「ごめんなさい、とっても魅力的なお誘いだと思うンですけど……」

「うーん、そうか。是非ともと思ったのだが」

 

 男は肩を竦めたが、言葉で言うほど残念そうには見えなかった。

 

「いや、こうして大道芸をしている人には、よくあるんだよ。気ままに旅して芸をするような人種が。気の向くまま風の向くままってヤツだ」

 

 ああ、とウィノナ頷いた。確かにウィノナにも覚えがある。ユークリッドの雑貨屋近くの広場で、稼げているようにも見えないのにジャグリングを繰り返すピエロがいた。

 

「ま、そう言うわけだから。気が向いたらいつでも来ておくれ。お前さんならいつだって歓迎だ」

「──ありがとうございます!」

 

 ウィノナはしっかりと頭を下げて、去って行く燕尾服の男を見送った。

 




 
燕尾服の男。
書籍を読んだ方ならピンと来たと思いますが、本来の世界線でウィノナの養父となる男性です。
世界を巡業しているサーカス一座の団長。
本作ではこれ以上の絡みはありません。


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ふたりの旅路

 

 宿に帰り、取っていた部屋に入る前から、ウィノナはホクホク顔だった。

 宿代節約の為、ダオスとは同室を取っているが、ウィノナはそんな事も気にせずベッドに腰掛ける。そうして、壊れ物を扱うように硬貨の入った袋を、その上に置いた。

 

 大道芸による収入は大きかった。何をするにもお金は掛かるもので、クレス達を探しに行きたくても、その現実が邪魔をしていた。しかし、こうして路銀が出来た今、障害はない。

 

(とは言っても、クレス達って、どこにいるのさ……?)

 

 ウィノナがこうして遠くに飛ばされたのだから、クレス達だって何処か遠くに飛ばされた違いない。そう思ってハタ、と止まる。

 

(──飛ばされた)

 

 そう、飛ばされた──より正確に言うのなら、転移させられたのだ。モリスンの法術によって。

 モリスンはあの時、なんと言った。状況は逼迫(ひっぱく)していた。モリスンも焦りを隠せず滑舌が悪かった。早口で(まく)し立てるように言った内容は、ウィノナ自身よく理解できていなかった。

 その時の台詞が、ウィノナの脳裏に甦る。

 

(……ある場所へ、飛ばす? まさか本当に世界の裏側まで飛ンだって?)

 

 モリスンの発言の直後にあった発光と視界の暗転、それは一体何を意味している。気が付くと地下墓地から一転、古城にいた理由は──。

 

 どこか遠くの古城へ飛ばされ魔王と旅を共にするのと、魔王によって昏倒させられ夢見ているのと、果たしてどちらが現実的だろうか。

 

「結論、これはやはり夢である」

「は……?」

 

 突然ウィノナの口から出た奇妙な発言に、ダオスも思わず瞠目した。

 しかし、そんなダオスの様子はウィノナの視界には入って来ない。

 

(そうだよ、夢だとすると全ての辻褄が合う。……さぁ早く目覚めよう。いつもより性質(タチ)の悪い予知夢でしかないはず!)

 

 目覚めろぉ、目覚めろぉ、と低く呟きながら頭を抱えるウィノナに、ダオスはおずおずと手を差し伸ばす。差し伸ばしたが直ぐに引っ込め、再び差し伸ばしては引っ込めるという事を繰り返していた。

 完全に珍獣扱いである。

 

 何はともあれ、目が覚めない。覚めるはずもない。

 チクショウ、と呟いて、ウィノナは顔を上げる。

 上げて、見たこともない表情をしたダオスと目が合った。その手はふらふらと二人の間を行き来しており、何やら危ない雰囲気を感じさせた。

 

「どうしたの、ダオス?」

「ああ、いや……。そなたの……、いや何でもない」

 

 ふぅん、と嫌に歯切れの悪い言い分に疑問を持ちながらも、ウィノナは取り敢えず頷いた。

 重いものが胸に圧し掛かったままだが仕方ない、とウィノナは腹を決める。とにかく次の方針を決めなければならない。

 

 ウィノナ自身どこへ行けばいいのか検討もつかないが、それは果たしてダオスにも言える事だろうか。今まで積極的に口にしなかったから気に留めなかったが、あるいは、ダオスにも行きたい場所──明確な目的地はあるのだろうか。

 

「ねぇ、ダオスに行きたい場所ってないの?」

 

 これまでの付き合いは決して長いとは言えない。それでもダオスとウィノナの関係は他人と言うほど希薄でもない。お互いがお互いを好ましくも思っていたし、だからだろう、ある程度のことは語っても良い判断してもらえたようだった。

 

「私が求めているのはマナの恵みだ。大樹カーラーンより(もたら)されるマナのエネルギー結晶体。行きたい場所というなら、その大樹の元という事になるだろう」

「大っきい樹を探してるの?」

「単に樹齢を重ねた大木に興味はない。必要なのは聖樹だ」

 

 へぇ、とウィノナは曖昧に頷いた。

 

「聖樹様ってことなら、ウチの村の近くにあるよ。余所者は誰も近づけさせないくらい大事にしてるンだ」

「ふむ……」

「ダオスが望む聖樹様かどうか分からないけど、でも……もしかしたらって事もあるかも」

「……そうだな、是非行ってみたいものだが」

 

 どうせ手掛かりも皆無、足掛かりとして選ぶなら十分だろう。

 ここから故郷トーティス村への道のりは遠い。船を使えれば旅路も楽になる。本日の成果の中身を確認すれば、何とか大丈夫だろうと思える金額が入っている。

 

「それじゃ、明日は朝から港だね。出航日や航路なんかも確認しなくっちゃ」

 

 言うや否や、ウィノナは靴をポイポイと投げ捨てて、頭からベッドの布団を被って丸くなる。

 

「お休みぃ、ダオスー」

 

 手だけ布団の頭から出すと、ふりふりと振ってすぐに引っ込んだ。

 ダオスは小さく笑んで、その背にお休みと声をかけると自らもまた自分のベッドの中に入って行った。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「すまねぇな、いま船は出せねぇんだ」

「ええー!? 何で!」

 

 朝一番で港に向かい、近くの船員に航路の確認を取ってみれば、返ってきたのは先の無慈悲な一言だった。当然ウィノナも食い下がったが、海の男はにべもない。

 

「何でも何も、城からのお達しさ。こっちも商売上がったりで、困ったもんだよ」

 

 ウィノナはガックリと肩を落とす。

 船を使えば、隣のユークリッド大陸には一週間と掛からず着くと聞いていた。しかし陸路となれば一月以上の時間が掛かる上、過酷な砂漠越えが待っている。

 

 暗澹(あんたん)たる気持ちになりつつも、文句を言ったところで船の出港が許されるわけでもない。ウィノナは仕方なく踵を返した。

 とはいえ、考えてみれば悪いことばかりではない。アルヴァニスタ南の港から出る航路なら、終着点はトーティス南。そこから目と鼻の先に目的地の村がある。

 

 陸路で行くのはいいとして、砂漠越えをたった二人で行うのは無謀だという結論に至るのは、ごく当然のことだった。しかもどちらも豊富な旅経験を持つというわけでもない。

 そこで考えたのはアルヴァニスタまで向かう隊商を見つけることだった。そういう者達は何度も砂漠を往復した経験を持ち、オアシスの場所や夜営に適した地形などを熟知している。

 

 幸い隊商はすぐに見つけることができたし、同行の許可も貰えた。

 少なくない金銭を支払う事になったが、船代よりも安い上に食糧の面倒まで見てくれる。後は隊商の買い付けが終わるのを待ち、都合を合わせて一緒に出発するのを待つばかりとなった。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ミッドガルズから出立する日、宿から出て隊商の集合場所へと向かっている時の事だった。突然その身に強い衝撃を受け、体勢を崩した。

 

「え、なん……何!?」

 

 転ぶ事こそなかったものの、何事かと思って見れば栗色をした髪の少女が目の前で尻餅をついている。

 年の頃はウィノナと同程度に見えた。持っていた荷物を盛大に散らかしてしまい、悲嘆な表情を浮かべている。

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 謝罪もそこそこに、少女は地面に這いつくばって荷物を集め始めた。持っていたトランクへ乱雑に荷物を詰めていく。

 

「何してる、早くしなさい!」

 

 少し離れた路上に馬車があった。その荷台で手綱を握る男性から叱責が飛び、少女は涙目になりながら荷物を集めていく。

 

「あ、ごめんね! 手伝うよ!」

 

 ウィノナはハッとして屈み込むと、とにかく手当たり次第にトランクへ物を投げ入れた。二分とかからず詰め終わり、体重を乗せてトランクを閉めた後、少女はようやく顔を上げた。

 

「あの、……ありがとう」

「どういたしまして。こっちこそ、前をよく見てなくてゴメンね」

 

 苦い笑顔を向けたウィノナは、そこでまじまじと少女の顔を見つめてしまう。見覚えのある顔だ、と思った。

 どこかで会った? この町ですれ違った事がある?

 

 ──そうじゃない。

 

 予知夢だ。いつ見たかも覚えていない程に前の事だが、予知夢で見た子に違いない。そうだという確信はあったものの、しかし夢の内容までは覚えていなかった。

 

「あの……?」

 

 じっと凝視していたことに不安を覚えたのだろう、少女は困ったような笑みを浮かべていた。

 

「……あ、ゴメンね。ほら、行って行って!」

 

 荷台の上の男性が、しびれを切らして再度声を上げた。少女は飛び上がって馬車へ駆けていく。

 その背を見送りながら、ウィノナは思う。

 次にあの子に出会うことがあれば、きっと気をつけよう、と。

 

 

 

 出発時にちょっとしたトラブルはあったものの、ウィノナ達は無事ミッドガルズを旅立った。

 砂漠越えは過酷を極め、ウィノナといえば途中で倒れてしまうほどだった。本来は徒歩で隊商に着いて行くはずだったが、今はラクダに乗せて貰っている。

 

 ダオスは優しく看病してくれたし、隊商の方にも無礼にならないよう、よくよく礼を言ってくれていた。

 隊商を率いる隊長は余程腕が良いらしく、日程の遅れもなく水場への到着も無理なく着いた。砂漠越え最大の危険はバジリスクとの遭遇だったが、遂に一度の遭遇もなかった。

 

 ウィノナが倒れたこと以外は、順調にアルヴァニスタに到着する事になった。

 到着する数日前にはウィノナも体調が快復し、歩いて旅が出来るまでになった。まだ少し養生しながら移動した方がいいのでは、と勧められたが特別扱いにいつまでも甘えていられない。

 年若い少女ということで面倒を見てもらえたが、本来ならそのような事はしていないはずだし、していたとしても追加で料金を取られてもおかしくないのだ。

 

 ウィノナは最後の数日間を歩き通し、無事にアルヴァニスタ港へと到着する事が出来た。

 長く旅を共にすれば隊商の中にも仲の良くなった者達がいる。

 

「本当に、何から何までお世話になりました!」

「いや、いいんだ。旅は助け合いだよ」

 

 隊商を率いる隊長は、そう言って朗らかに笑った。

 ウィノナはその後も他の隊員達へよくよく礼を言ってから別れ、船が出るまでの時間を潰す事にした。

 

 

 

 この港からトーティス村近くの港まで、その航路は非常に短い。掛かった時間は半日足らず。あっという間の船旅を終え、二人はトーティス村に向かった。

 目的の村へはすぐに到着した。ウィノナの故郷であり、それ故に見慣れた風景を通って来た場所のはずなのに、明らかに自分の知ってる村とは違う。

 

 地理的には間違いない。ウィノナ自身確かと思える記憶を辿りながら歩き、その通り着いた場所に村があったのだから。

 

 だが実際目にしている村はウィノナは知る村ではない。似通った町並みだとは思うが見知った人は一人もいないし、石材を中心に使われた町並みは、軒並み木造に変わっていた。樹木などの自然物に人の手が入った形跡もない。

 

 全体的に古臭い印象だった。

 ここで途方に暮れても仕方がないと、ウィノナは意を決して村人の一人に話し掛けた。

 

「……あのぉ、スミマセン。ここってトーティス村で合ってます、よね?」

「おや、珍しい。旅人かね。──いんや、ここはベルアダムの村だよ」

「ベルアダムぅ?」

 

 ウィノナにとって、それは全く聞き覚えのない名前だった。まさか記憶を辿って来た道を間違ってしまったのだろうか。

 村人にお礼を言って別れ、どうしたものかと腕を組む。目の前で心配そうに佇むダオスに小さく頭を下げた。

 

「ごめんね、ダオス。道、間違っちゃったみたい」

「いや、構わない。焦りはあるが、()いても仕方ない」

 

 うん、とウィノナは身体を小さくすぼめた。

 

「別に責任を感じる必要はない。ウィノナが真剣なのは、よく知っている」

 

 うん、とウィノナは笑みを浮かべて肩を開いた。喜色を隠そうともしない反応に、ダオスも思わず口の端に笑みを浮かべる。

 

「道を間違ったというだけならば、誰かこの辺りの地理に詳しい者に聞いてみればよいのではないか?」

「そうだね。村長さんとかなら知ってるのかな?」

 

 ウィノナとダオスは辺りを見回す。村の西側には他の民家より一回り大きな建物があった。大抵の場合、大きい家は権力者の家だ。

 お互い顔を見合わせて頷くと、行ってみよう、と足を向けた。

 

 

 

「はじめまして、ウィノナと言います! 村長さんのお宅ですか?」

 

 ノックと共に家に入ると、ウィノナはガバリと頭を下げた。突然の闖入者に、中に居た老人は目を見開いたが、すぐに温厚そうな笑みを浮かべた。

 

「ほうほう、いらっしゃい。よう来なすった、お客人。いかにも儂が村長のレニオスじゃ」

 

 聞いたその名にウィノナは聞き覚えがあった。トーティス村に関係する何か。人名ではなかったように思う。雑貨屋に関係──は、しない。あと少し、もう少しで手が届きそうな、モヤモヤした感じが脳裏を占める。

 ウィノナは大いに焦れたが、結局思い付く事は出来なかった。

 

「あの、唐突で失礼かもしれませンけど、トーティス村の場所を知りませんか?」

「トーティス……、すまんが聞いたことがない」

「この近辺に在ることは間違いないンです! お願いします、何か少しでも思い当たる事があれば……!」

 

 そうは言っても、とレニオスは立派な顎髭をしごきながら唸った。

 

「山を一つ越えればユークリッド、海側に行けば漁村ヴィオーラ。近辺にある村なぞ、その二つしか知らんぞい」

「えぇ……?」

 

 これは一体どういう事だろう。ウィノナの知る村や町が、聞く限りでは自分の知る地理と同じ場所に存在している。

 

 それなのに、ただトーティスだけが存在しない。では、トーティス南にあった森はどうなっているのだろうか。

 

「あの、ちょっと確認なんですけど。もしかしたら、村の南に森がありませンか?」

「おお、あるとも」

「そこに大っきい樹があったり?」

「うむ、あるのう」

 

 ウィノナは自身の頭を殴られたような衝撃を受けた。

 ただ一つトーティスだけがないのではない。ここがトーティスなのだ。自分の知ってる場所に村があり、周辺地理も一致する。似てはいても確実に違う町並み。

 

 ──全体的に古臭い印象。

 ウィノナは、ハタとして村長に問うた。

 

「今はアセリア暦何年ですか!?」

「なんじゃ突然。……4201年、だったかの」

(──アタシが知るより100年以上も前だ!!)

 

 あぁー、と呻いて、ウィノナは頭を抱えた。

 モリスンは言っていた、ある場所に飛ばすと。

 魔王を倒すどうの、とも言っていた。しかし、まさかそれが過去に飛ばすという意味とは思わなかった。

 

 ──ならば、ここにいるダオスは一体何なのか。

 

 理由も原因も分からないが、記憶喪失だと思っていた。地下墓地にいたダオスが追ってきて、しかし不慮の事故でもあったのだろうと。

 しかし、ここが過去の世界だと判明した今、全く違う可能性が出てくる。

 

「あの、村長さん? ダオスって知ってます……?」

 

 後ろで黙って控えていたダオスが身動ぎする気配が伝わって来た。今ごろ不審な表情をしているだろう、というのも想像がつく。

 

「ダオス……? それも村の名前かの?」

 

 村長は知らない。もしかすると、魔王という存在そのものすら知らないのかもしれなかった。

 だったら、とウィノナはダオスに顔を向ける。

 ──そこには果たして不審な表情をしたダオスがいた。

 

 今のダオスは悪人には見えないし、人類の敵たる魔王にもまた見えない。この悪事を働くとは思えない男が、いつか魔王になるのだろうか。

 初めてダオスと会話した時、焚き火を囲んで訊いた事があった。

 

 ──アタシのこと、なンか知ってる? 前に会った事とか。

 ダオスは会った事はない、と答えた。

 それもそうだ、会うのはこれからだ。百年後に初めて会う事になるのだろう。

 

(あれ? でも待てよ……?)

 

 あの地下墓地で、ダオスは確かに自分の名前を呼んではいなかったか──。

 あの場でウィノナの名を呼べたのは、それより前に出会っていたからと考えるのが自然で…。

 

 つまり、今この時。

 こうして一緒に連れ立っていた事実があったからこそ、ウィノナを知っていたのだろう。

 

「あー、そっかー……! なるほどー……!」

 

 ウィノナはようやく重いものが喉元を滑り落ちていくのを感じていた。

 一人 うんうんと頷く。

 

 百面相のようにコロコロと表情が変わる様を見せられていたダオスは、どうも居たたまれなく感じてきたようだった。珍しく心配そうな表情を作って、気遣うように問いかけてくる。

 

「どうした……? 悩みがあるなら話して欲しい」

「大丈夫! 心配ないよ!」

 

 ウィノナは白い歯を見せてカラッと笑った。

 ダオスは優しく心強い存在だ。これが魔王になるなんて考えられない。

 

 モリスンが提示してきた目標は、ダオスを倒す手段を見つけてくること。しかしウィノナがすべきことは、倒す手段を探るのではなく、魔王となることを防ぐ事だ。

 それでこそ、過去に来た意味もある。

 

(そうだよ! そっちの方がいいに決まってる!)

 

 ウィノナのやることは決まった。

 これから──いつになるか分からないが、魔王誕生の阻止を目標とし、直近ではクレス達と合流するのが目標とする。

 合流してからはこの考えを皆に伝え、その説得も行おう。

 その時までに説得材料をしっかり確保しておかねばならない、とウィノナは決意を固めた。

 

 

 

 クレスと言えば、彼らが現在何処にいるのかも気になるところだった。

 彼らは一体今どこにいるのか、いや飛ばされたのか。

 ウィノナがミッドガルズ近辺にいたことを考えれば、世界のどこにいたって不思議ではない。

 三人一纏めにいればいいが、全員がバラバラに飛んでいたとしたら──。

 

 あのモリスンは何をしたのか、ウィノナは憤慨(ふんがい)する思いだった。これでは合流する前に死んでいても不思議ではない。

 全員が五体満足に再会することが、果たして可能なのかどうか。ウィノナが重い溜め息をつくのと、レニオスと視線に気が付くのは同時だった。

 

 今も尚、レニオスとの会話の最中であったことを完全に失念していた。大変失礼な振る舞いをしてしまったと頭を下げ、快く許してくれたレニオスへ失礼ついでに、と質問を重ねる。

 

「何度も色々訊いてゴメンなさい。クレス、チェスター、ミントという名前の人達に心当たりはありませンか?」

「申し訳ないのぉ、誰も分からん」

「あぁいえ、申し訳ないなんてことは……!」ウィノナは慌てて両手を左右に振る。「こっちがむしろ、申し訳ないっていうか……!」

 

 どうやらクレス達はこの村には来ていないらしい。それとも、これから来ることもあるのだろうか。

 ここで待っていて確実に合流できると言うなら何年でも待つが、その保障はどこにもない。

 まずは当初の予定──、この村を目指した目的を消化しようと決めた。

 

「あの、すみませン。そろそろ、アタシ達お(いとま)しようと思います」

「おや、そうかね? 十分なもてなしも出来ず悪かったのぉ」

「いえいえ! とっても助けになりました!」

 

 背筋と腕をピンと伸ばして、ウィノナは深々と頭を下げた。そうして三秒と待たぬ内に、下げた時と同じ勢いで顔を上げる。

 

「すみませン、最後にもう一つだけ! さっきの三人が来たら、南の森に行ったと伝えて下さい」

「もちろん、構わんよ」

 

 レニオスは皺だらけの顔でくしゃりと笑った。

 



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再会と予知夢

 
数日置きに自分の小説情報を見てみたりするんですけど、ついに評価ポイントを頂くことができました。
ありがとうございます!
モチベがモリモリ上がるのを感じてますよ!
 


 

 精霊の森はかつて訪れていた時よりも、ずっと活力があった。木の一本一本まで幹が太く、葉は生い茂り、実った果実は大きい。

 森が生きている、と実感できる様子だった。

 

 最奥まで進めば、そこには見慣れた大樹があったが、よくよく見れば記憶にあるより多くの葉をつけている。

 ウィノナは聖樹の前で振り返り、両手を大きく広げて見せた。

 

「この樹だよ、どうかな?」

「……確かにこれは大樹カーラーン。……だが、違う」

 

 そう言ったダオスの顔に陰りが出来た。そこには悲嘆な雰囲気すら感じられる。

 

「……ちが、う?」

「いや……、そうだな。これは故郷にある樹と同じ物で、大いなる実りを宿す可能性を持つ聖樹ではある。だが、同時に死にかけてもいる。これでは故郷を救うことは出来ない。……だから、違う」

 

 ダオスは項垂れ、まんじりともせず大樹の根元に佇んでしまった。

 ウィノナはダオスのそんな姿にひどく心が動揺した。何かできないだろうか、元気付けられる言葉でも何でもいい。

 ウィノナは必死に頭を動かす。

 ダオスは死にかけていると言っていた、ならば――。

 

「ねぇダオス、死にかけてるって言ってもさ。ほら、水を沢山あげるとか……、土を入れ替えるとか……」

 

 いや、とダオスは僅かに顔を上げ、首を横に振る。

 

「この森は豊かで緑に溢れている。この大樹だけ水が足りないということは考え難い」

「それもそっか……」

 

 ウィノナとしては足りない頭を使い、考えて言ったつもりだった。しかし、ダオスの反応を見るに、どうやら場違いな発言だったと理解した。

 ダオスは続ける。

 

「足りていないのは、空気でもなければ水でも、まして土でもない。――マナが足りていないのだ」

「じゃあ、それを沢山あげれば、この樹は甦るの?」

 

 ダオスは無言で頷く。ウィノナは表情を明るくした。

 

「だったら話は簡単じゃない! そのマナってのがどこにあるか知らないけど、それを持ってくれば!」

 

 ダオスは表情を動かさず首を横に振った。

 

「マナはこの大樹自身が作り出す。そのマナを持って自身を成長させ、より多くのマナを生み出す。そういう循環を持っているのだ。しかし、近辺のマナの量から察するに、この大樹を維持するには僅かに足りない……」

 

 だから死にかけているのだ、とダオスは声は低い。

 

「じゃあ、もう、どうしようもないってこと……?」

 

 ダオスは頷く代わりに項垂れた。

 ウィノナには、最早どんな慰めの言葉もかけることができなかった。

 ゆっくりと移動し、ダオスからは少し離れた位置で草生えに腰を下ろす。

 

 ダオス、とウィノナは心の中でその名を呼ぶ。

 ダオスが心の整理をつけるには、短い時間では済まないだろう。その横顔にはいかなる感情も浮かんでいなかったが、悲嘆に暮れているのは伝わってきた。陽が落ちたとしても、ダオスはここを動かないかもしれない。

 

 しかし、それでもウィノナは自分からこの場を離れる気はなかった。

 そうして一時間が経ち、溜め息と共にダオスは顔を上げた。ゆっくりと顔を巡らし、ウィノナを見る。

 

「……もういいの?」

「ああ、もう森を出よう、ウィノナ。ここにいても意味がないと分かっていても、未練は募るばかり。離れなければ居着いてしまう」

 

 

 

 村に戻り、ウィノナ達は村長宅へ再び訪れた。不躾な訪問だったというのに、それでもレニオスは歓迎してくれた。

 

「もう森での用は済んだのかね?」

「はい、えぇ、まぁ……」

 

 ウィノナは曖昧に頷く。

 

「それで、すぐに発とうと思うンです。レニオスさんにはお世話になったので、顔を見せに……」

「なに、そうなのかね? 一日ぐらいゆっくりしておけば良かろうに。急ぐ旅なのかの?」

 

 そういう訳じゃないンですけど、と答えながら、ウィノナはダオスを盗み見た。

 

「ちょっと、森の近くにいると辛そうで……」

「ふム……」

 

 それで察した訳ではないだろうが、レニオスはとりあえず頷いた。

 

「とにかくここから離れようかと。それで、これから北上しようと思うんです。なので、もし先程も言ったクレス、チェスター、ミントという名前の若者が訪れたら、そう伝えて下さい」

 

 レニオスは笑顔で請け負い、快く送り出してくれた。

 くれぐれもお願いします、と大きく頭を下げて頼み、それから村を出る。

 

 

 

 道中無言のダオスだったが、それとなく話題を振った方がいいのだろうか、と思考を巡らす。少し騒がしいぐらいが気が紛れていいのでは、と思うが何も思い浮かばない。ユークリッドに続く山道が見えて来た頃、ウィノナは左手に海を見た。

 

「――あ、ほら、ダオス。海が見えるよ!」

「そうだな……」

 

 ダオスの姿は平静に見えるが声に力がない。ウィノナの声にも無視こそしないが、積極的に返事を返すというわけでもなかった。

 

「あっちの海沿いに漁村があるんだよね。レニオスさんが言ってたやつ」

「……ああ、ここからでは見えないようだが」

「流石に距離があるからね。山が邪魔して見えないせいもあるのかな」

 

 ダオスはこれには答えなかった。ただこれは無視ではなく、答えように困ったからだろう。

 

「その漁村から更に南下するとね、地下墓地があるんだよね。――いや、あるのかな? ちょっと寄ってみていい?」

「そなたの好きなようにするといい」

 

 ダオスはそう言ってくれたが、ウィノナとしても必ず確認したいという訳でもなかった。とにかく話題を提供したくて、特に考えなしに口を動かしたら出てきた言葉というだけでしかない。

 だから愛想笑いの一つでもして何か別の話題へ移っても良かったのだが、ウィノナは結局足を運ぶ事にした。

 

 記憶を頼りに辿り着いてみれば、そこには岩肌が見えるばかりで入り口らしきものすらない。

 この時代では、自然窟らしきものもない。あるいは地震か何かで、これから出来たりするのだろうか。

 

「そっかぁ……。まだ地下墓地ってないんだぁ……」

「まだ……ない?」

 

 ウィノナは悪戯好きな子供のように、屈託なく笑う。

 

「アタシのお墓も、ここにあったりするかもね」

 

 その言い方に、ダオスは引っ掛かりを覚えた。その言い方では、まるで――。

 

「なに? それは……」

「――あっと、ダオス! 余計な遠回りしたせいで、時間が危ないかも。夜の山道は危険だよ、ちょっと急いで戻ろっか!」

 

 強引な話題転換だったが、ダオスに追求するほど強い意思はなかった。促されるまま体の向きを変え、いま来た道を引き返して行った。

 

 

 

 問題なく山道を越え、北上して辿り着いたユークリッド村だったが、ウィノナは驚愕して固まってしまった。

 

「……田舎!」

「田舎で何か問題があるのか?」

「ああ、いや、ううん……。ただ驚いちゃって」

 

 ウィノナの知るユークリッドは大きな城を持つ都会であり、必要な物は何でも揃う便利な町という印象だった。ミッドガルズを訪れるまで、ウィノナの知る唯一の都会だったと言っていい。一種の憧れを持って接する町だったのに、この時代では見る影もない。

 

(これを見ると、過去に来たって思い知らされるなぁ……)

 

 観光するつもりはない――する場所もない――ので一泊だけし、ウィノナはクレス達のことを聞いて回る。

 しかし、やはり彼らの足取りは追えない。とはいえ今までだって、きちんと探し回っていたとは言えなかった。これからだろう。

 早々に見切りをつけユークリッドを出る。そこから更に北上し、次に着いたのはハーメルの町だった。

 

 

 

 宿で部屋を取ろうとした時、巾着袋の口を開いて路銀が乏しい事に気がついた。今晩の宿に困るということはないが、どこかで収入も欲しいところだった。

 

 翌日、ウィノナ達はハーメルの町中央に立っていた。ミッドガルドで味を占めたウィノナは、あの時と同じことをすれば路銀を稼げると考えた。

 ダオスを道に立たせ大道芸を披露し、観客もそこそこ増えて来た頃、見覚えのある少女を発見した。

 

 栗色の髪を持つ少女はウィノナの芸に大層はしゃぎ、あのとき見た泣き顔が想像できない程の喜びようで、それを見たウィノナもまた心が温かくなるのを感じた。

 

 ゆるく波打つ栗色の髪を持った少女の名前は、リア・スカーレットという名前だった。芸の披露が終わった後ウィノナは直ぐに話し掛け、そしてあっという間に打ち解けた。

 ミッドガルズで会っていたことをリアは覚えていなかったが、別段気落ちはない。ウィノナが覚えていたのは、既に予知夢でリアの顔を見ていたからだ。そうでなければ、ウィノナといえども観衆の中からリアを見つける事は出来なかったろう。

 

 とはいえ、その肝心な予知夢の内容に関しては全く思い出せてはいなかった。重要そうな事なら強く印象に残っているはずで、覚えていないというなら大したこと事ではないに違いない、とウィノナは自分に言い聞かせていた。

 

 

 

 最近のダオスは元気がなく、部屋から出ようとしない日が続いた。

 ウィノナに付き合い大道芸の補佐をしている間は気が紛れて良かったのだろう。しかし路銀の蓄えに余裕が出来ると、必要もなく部屋を出ようとしなくなった。

 

 窓際に椅子を寄せ、そこから遠くを眺めてまんじりともしない。

 外へ誘っても同行しない、部屋にこもる日々が続く。

 ウィノナはついに見かねて少々強引にでも誘おうと決意した。

 

「ねぇ、ダオス。今日はいい天気だよ! 一緒に散歩しようよ」

 

 しかし、ダオスからの返答はなく、静かに首を横に振るばかりだった。

 

(ダオスにとってはそれほど大事な事だったンだよね……)

 

 今は強引に気分転換させる時ではないのかもしれない。

 ウィノナはもうしばらくの間、この村に逗留することを決定した。

 

 

  ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 本日はリアに遊びに誘われている。

 年の近い女友達は他に一名しかいないらしく、ウィノナと打ち解けた後よく話すようになった。

 特に何処へ行きたいという訳でもなかったが、世間話をしながら二人は歩いた。

 

「そういえば、リアの仲のいい友達ってどういう子?」

「アーチェっていう名前で、とっても元気なハーフエルフよ」

「へぇ、会ってみたいなぁ」

「きっとウィノナと気が合うよ」

 

 そう言ってリアはくすくすと笑った。

 

「そういえば、ウィノナはどうしてこの村に? 旅芸人というやつかしら」

「ううん、旅はしてるけど、芸人って訳じゃないよ。路銀はあんな感じの芸を見せて稼いでるけど」

 

 リアは目をぱちくりとさせて、上品に首を傾げた。

 

「それを旅芸人と言うんじゃじゃないの?」

 

 ウィノナも思わず、おや、と首を傾げる。思い返してみれば、最初こそ獣を狩っては毛皮や牙を売ってお

金を手に入れたが、それ以降は芸を見せて路銀を得る方法で旅をしてきた。

 

「アタシ達、まさかの旅芸人だった……!」

「ええっ、自覚ナシ!?」

 

 リアは口を両手で覆って笑い、ウィノナも釣られてお腹を抱えて爆笑した。しばらく経って笑いは治まったものの、未だにお互いの両目には涙が溜まっている。

 ウィノナは手の甲で乱雑に涙を拭うと、気を取り直すように深呼吸する。

 

「……はー、笑った笑った。それじゃあ、今度はリアのこと聞かせて?」

「私の事は別に面白くないけど……」

 

 人差し指を細い顎に添えて、うーん、と視線を上に向ける。

 

「最近遠くから越してきたとか、親が結構な資産家とか?」

「お嬢様? お嬢様なの!?」

「んー、家に使用人はいたけどね」

 

 そういう訳じゃないのよ、とリアは笑った。実際リア自身は気持ちのいい性格で、お金持ちのお嬢様にありがちな高慢なところもない。ウィノナがすぐ好きになり打ち解けたのも、そうした親しみやすさあっての事だ。

 

 二人の会話は取り止めもなく続く。

 この村に関する小さな噂から始まり、近くのお店やご近所さんへの愚痴等々。話は更に、この町周辺のことにまで広がる。

 

「南のユークリッドは知ってる?」

「うン。この町に来る前、一泊だけしたよ」

「じゃあ、そこに変わった学者さんがいるのは?」

「ンーン。ホントに泊まるだけで、すぐ発ったからなぁ」

「人間でも魔術を使えるようにするとか、精霊と交信する為の研究をしているとか聞いたことがあるよ」

 

 眉唾物だなぁ、とウィノナは胡散臭(うさんくさ)げに目を細めた。

 とはいえ、ウィノナも頭から否定するつもりはなかった。それが世間の常識とは違うとはいえ、自分の夢を見つけ、その夢を追い、向かい続けられる人は素敵だとすら思う。

 

 精霊と会って話が出来るなら、きっと楽しい一時が過ごせるに違いない。あるいは、人によっては師弟関係のような形で知識の伝授を請うたりするのだろうか。

 そうか、とウィノナは唐突に思い付いた。

 

 むしろ、それこそ自分達に必要な知識なのかもしれない。

 

 ――もし、あの樹に精霊が宿ってるとしたら。

 ――もし、精霊が宿るから聖樹と呼ばれているとしたら。

 

 ウィノナの想像は止まらない。……そして。

 

 ――もし、その精霊と交信できて、大樹が活性化する方法を教えてくれたとしたら。 

 

 これがウィノナ自身の願望と空想が混ざり合った物でしかないことは理解している。だが、それでもどれか一つでも事実が混じっていてくれたら……。

 ユークリッドの学者には、会ってみる価値があるかもしれない。

 

 そうは言っても、眉唾には違いない。

 ダオスにこの事を伝えるのは、ある程度確証を得てからでいいだろう。何なら精霊云々は置いといて、学者に会いたいとでも言って一緒に行くというのもいい。

 この事はいずれダオスに話してみよう、とウィノナは密かに心に決めた。

 

 

 

 その後は雑貨屋を二人で回る。可愛い小物をリアが選ぶ中、ウィノナが選ぶのは実用一辺倒の小型ランタンだった。

 ウィノナの旅はまだ続く。今も何処かにいるクレス達を見つけ出さねばならないし、もし苦境の最中(さなか)にあるのなら助けてあげたい。

 

 しかし今のダオスの状態で無理に動かすのも心苦しいし、さりとて置いて行くこともできない。

 まさか、これがきっかけで魔王になるとは思えないが、目を離したら消えてしまいそうな危うさがある。

 クレスやチェスターもしっかりしている、だから大丈夫だと、ウィノナは自分に言い聞かせた。

 

「予知夢も何やってンの、肝心な時に役に立てよ。二人がどうなってるか見せてみろ……!」

 

 頭の中に語りかけ、どうせ無駄だと悟りウィノナは溜め息をついた。

 不思議そうに首を傾げるリアに、ウィノナは何でもないと苦い笑顔で手を振った。

 

 

 

 その日の夜、果たして本当に予知夢を視た。

 ただそれは、知りたいと思い夢に願ったクレス達の安否ではなく、今日も一緒に出掛けたリアのことだった。

 

 闇夜の中をリアと両親が馬車に乗っている。御者台にいる父親は馬に執拗(しつよう)とも思える程に鞭を入れ、走る勢いを上げていく。いつしか海岸の見える場所まで来ると、次いで山際へと続く道を走る。

 

 そして、それを空を飛び追いかけるフードを目深に被った誰か。その手から火炎球が飛び出し、馬車を吹き飛ばす。

 炎上した馬車と、その衝撃で戸から吹き飛ばされるリア。一度地面を跳ねて転がり、よろよろと顔を上げる。

 着ている青い服が赤々とした炎に照らされた。

 リアは這いながら逃げようとし――。

 

 

 

「――ッ!!」

 

 ウィノナは悲鳴を喉の奥に引きつらせつつ飛び起きた。寝汗が酷く、額も背中もぐしょ濡れだった。

 今が何時かなど確認する暇はない。ベッドから跳ね起きて靴を乱暴に履く。

 いま見た予知夢が訪れる未来は、いつになるのか知る術は無い。今すぐの事かもしれないし、半年先の事かもしれない。

 

 一年以上先に起こる未来を視たことはないが、何の慰めにもならないだろう。あの黒騎士による襲撃だって、夢を視た翌日にやってきたのだ。もっと先に起こる事のはずだと思って痛い目を見たのは、つい最近のことだ。

 

 ウィノナはボウガンと肩掛けを身に着けてから、ダオスにこの事を伝えるかどうか逡巡(しゅんじゅん)した。

 しかしそれも一瞬のこと、やはり何も言わず宿屋を飛び出して風を切るように走る。

 

 リアの自宅に到着すると、ノッカーを乱暴に鳴らす。

 何度もガンガンと鳴らし続け、すぐさま反応がないことに焦れてドアノブを捻るが鍵が掛かっていた。すぐ傍の窓へと顔を寄せて家の中を伺う。

 

 そこからは綺麗に片付けられた室内が見えた。明かりも何もなく目を凝らしても見える物が限られる中で、それでも何かしていないと落ち着ついていられず、その場でそわそわと足を踏み直す。そうして待っている内に、手に明かりを持った男性が階段から降りてくるのが見えた。

 

 リアの父親だろう、幾度か見たことがある。名前はランブレイと言ったはずだ。続いてその妻と思わしき女性とリアが、不安げな表情で降りてくる。ウィノナはすぐに玄関へ向かい、警戒しながらランブレイが扉を開けると盛大に頭を下げた。

 

「夜分遅くにすみませン! 馬鹿なことをと思うかもしれませンが、信じてください。家族に危険が迫っています!」

 

 ウィノナの言葉に戯言をと憤るでもなく、ランブレイは目に見えて顔を青くした。

 

「危険というが、それは今すぐかね?」

 

 分かりません、とウィノナは首を振る。

 

「今すぐかどうかの保障は……、でもどうか身の安全を!」

 

 ランブレイは頷く。その危険には心当たりがあった。ミッドガルズから夜逃げ同然に飛び出して来たことには理由がある。

 

 それは、彼の国が秘密裏に開発している魔科学兵器に関することだった。

 ランブレイはその危険をいち早く感じ取り、その旨の進言をしたが聞き届けられる事はなかった。ランブレイは怖くなり、そして二度と関わるまいと、この地へ逃げてきたという経緯がある。

 

「すぐに逃げる準備をしなさい。手に持てるだけの荷物を持つんだ!」

 

 三人は弾かれたように家の中に戻ると、階段を駆け上がっていく。

 その間にウィノナは馬車の準備をする。家に隣接された馬屋に向かい、宥めながら小屋から引っ張り出す。

 

 簡単な身支度だけで、三人はすぐに戻ってきた。

 リアは顔を真っ青にさせて、ウィノナに近づいてくる。

 

「ねぇウィノナ! 本当に危険が迫っているの? 一体どうなっているの!?」

「ゴメン、分からない。危険なのは本当だけど……」

 

 安全を考えてまず移動を、というウィノナの進言に父親は頷く。自分と家族の身に危険が迫るかも知れないことは、ランブレイ自身がよく分かっていた。

 

「敵は魔術師です。多分……そうなんだと思います」

 

 ウィノナが言うと、ランブレイは得心した顔で頷く。

 即座に馬車の荷台に上がると、早く乗りなさい、と父が御者をして家族に顔を向ける。

 

「あの……! アタシもご一緒させて下さい」

「それは心強い、是非お願いしたい」

 

 ウィノナが乗り込むと同時、馬車が走り出した。リアは震える体で母に縋り付いていき、母はそれを抱き止め背中を撫でていた。

 ユークリッドへ行くべきか、と言うランブレイの声が聞こえた。ウィノナは腕を組んで考え込む。ウィノナにこういう時、頼みに出来る知り合いはいない。それに安全な場所すら思いつかない。

 

 確かにユークリッドに逃げるのが一番現実的なのだろうと思う。付近にそれ以外の村はなく、他を考えればヴェネツィアしかないが、道は逆だし遠すぎる。

 一時安全を確認できるまでなら、ユークリッドに居るのが良いのかもしれない。

 

 ――だが。

 予知夢では夜に襲われていた。

 忌まわしい事に、その内容が覆ったことを今のところウィノナは知らない。小さなズレさえなく、全く同じ内容をなぞるように再現される。

 ならば――。

 

 夜に馬車で移動しないように厳重に注意した上で、とりあえずユークリッドまで逃げ、ほとぼりを感じたなら一度帰るでもいいのではないか。

 予知夢の未来がいつ現れるかは分からない、いつ起こってもいいよう常に備える必要がある。

 

(……え、ちょっと待って……?)

 

 だとすれば、一番危ないのは――。

 その時、馬車の外で爆音が轟いた。

 

(――今かよ、チクショウ!)

 

 ウィノナは自分の馬鹿さ加減を呪った。

 リア一家はすっかり寝入っていたのに、それをウィノナが叩き起こした。事情を説明し、家族を馬車に乗せ、今はユークリッド方面に向かっている。

 そしてユークリッドへ行くには、海岸の見える山道を通らなくてはならないのだ。

 

(アタシのせいだ! アタシが予知夢を(くつがえ)えようとしたから……!)

 

 寝かせたままにしておけば良かったのだ。そうしておけば、こんな危険な目に遭うこともなかった。

 

(どうしてこんな事に……!)

 

 ウィノナは俯いて、目をギュッと瞑った。右手で拳を握り自分の額を二度、三度と殴る。後悔は強いが嘆いてばかりもいられない。嘆く事で改善されるなら、それこそ泣き叫んで嘆いてやる。

 しかし、そうではない。この世の理はいっそ無慈悲で容赦がない。

 

「だから、きっと、自分から勇気を持って行動しないと変化しないように出来てるんだ……!」

 

 それは咄嗟に出た言葉だったが、この世の真理の、その一端を掴んだ気がした。いや、ウィノナはそれに縋りたいのだ。そうでなければ、あまりに救いがない。

 

 だから予知夢の内容を覆すには、それだけの強い意志が必要なのだ。そうだと信じる。

 自らの言葉に励まされ、ウィノナはより一層強く拳握って、もう一度額を叩く。

 それから全身に力を漲らせ、両目を開いた。

 

 ウィノナは何もかもを自分ひとりの力でどうにか出来るとは思っていない。自分の力量の限りも把握している。だから出来るだけの抵抗を果たすつもりでいても、全てを解決できるつもりは毛頭なかった。

 己の無力に泣きなくなる気持ちをグッと抑え、御者をしているランブレイに叫ぶ。

 

「アーチェという名のハーフエルフに、助力を頼むのはどうでしょう!?」

 

 これもまた咄嗟(とっさ)の思いつきだったが、悪い案でもない気がした。こちらの勝手な都合で完全に巻き込むことになってしまうが、今は泣きつかせてもらうしかない。

 

 ランブレイは余裕なく頷いた。

 空を飛べる相手にユークリッドは遠すぎる。何しろそこへ辿り着くまでには、二本の橋を渡らなければならない。

 奥の橋に先回りされ、破壊されては立ち往生だし、その間にもう一方の橋も落とされでもしたら完全に孤立してしまう。

 

 だが、ユークリッドへ行くまでの間には、アーチェが住むというローンヴァレイがある。

 魔術師には魔術師、対抗できるほどの力があるかは不明だが、今はそれに賭けるしかない。

 

 重ねて、巻き込むことに謝罪しようとウィノナは誓う。実際会ったら平身低頭して、謝るつもりだった。

 他の良案があったとしても、今のウィノナに思いつく余裕はない。普段から思慮深いと言えないのに、これ以上の案を捻り出す余地は微塵もなかった。

 




 
リア・スカーレット。
ゲーム本編ではアーチェの降霊術により、ほんの少しだけパーティ・インする。死して友の事を想う、心優しい少女。
名前を検索すれば、東方projectの某有名キャラクターがヒットすることで有名(?)。
ゲーム本編で死亡が確定している為、他小説なんかで出番があっても大抵死亡する。本作では……。


因みに一話で言っていた、“見たことない栗色髪の可愛い子と仲良くしてた”という予知夢はこれの事です。
 


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抗う覚悟

 

 闇夜の中を馬車が走る。光源は月明かりと前照灯の僅かな灯りしかなく、激しい振動がウィノナ達の体を震わせた。

 爆音と閃光が馬車のすぐ傍を襲った。その光景に既視感を感じる。全く同じ場所かといわれると自信はない。しかし、よく似ている。

 

(ここは……予知夢の場所だ!)

 

 だとすれば、すぐにでもこの馬車に火球が直撃炎上し、その衝撃でリアが馬車の戸から飛び出してしまうのだろうか。

 

(いやだ、認められない。そんなこと絶対認めない!)

 

 絶対に防ぐ、予知夢の通りになんかしてやらない。

 ウィノナの心の中にメラメラと闘志が灯っていく。予知夢の見せた未来だけでなく、この襲撃を行った敵にも怒りが沸く。

 

 ウィノナは思う。

 怯えてばかりで何もしないのは自分らしくない。ここで縮こまって恐怖に身を震わせ、後悔に身を焼くことが自分らしい行いと言えるのか。

 

 ――絶対違う。

 

(アタシなら反撃する! 親友が死ぬ目に遭うような状況で黙っているハズない! 必ず一矢報いてやる……!)

 

 そこまで考えて、ハタと思う。

 ――いなかった。

 

(そうだ、アタシはいなかった。予知夢にアタシはいなかった……!)

 

 炎上する馬車と、投げ出されるリア。そこに近づく魔術師。

 ――自分はどこにいた?

 

(焼け焦げた? 馬車から逃げ出せずに?)

 

 身の軽さには自信がある。

 揺れる馬車の上に立てるとまでは言わないまでも、しがみ付いて矢を撃つことくらいはできるはずだ。

 ウィノナはそこまで思い至って、力がみるみる沸いて来るのを感じた。

 

 ――自分のせいじゃなかったかもしれない。

 いや、考えるのは不毛だ。

 

(どっちでもいい。変えてやる、アタシが予知夢を変えてやる!)

 

 ウィノナはリアへ顔を向ける。強い視線を感じて、リアも母の胸に沈めていた顔を上げた。

 ウィノナは力強く頷いた。スカートの下からボウガンを取り出し、矢を(つが)える。

 

「絶対守るから。……いってきます!」

 

 ウィノナは馬車戸を開けると、へりを掴んで逆上がりの要領で身体を持ち上げ、そのままの勢いを利用して天井に降り立つ。すぐに振動で滑りそうになり、咄嗟に天井のへりにしがみついた。

 

 後方に敵が見える。ローブを頭から被った魔術師が空を飛んで追跡していた。突然出てきたウィノナに驚いているように見える。

 

 ――やってやる!

 

 ボウガンを相手に向けるが、激しい振動で標準が定まらない。

 敵もそれを見やって余裕めいた雰囲気を出す。ゆっくりと詠唱を終わらせ魔術を放った。

 その手から飛び出した火球が、馬車の横に着弾、爆風で車体を大きく揺らす。中から二人の悲鳴が聞こえてきた。

 

 敵が悠々と攻撃を繰り出してくるというのに、ウィノナは反撃の為の照準すらできない。

 更に余裕が出たのか、顔を隠したローブの奥から笑みが見えた。

 

(舐めるンじゃないよ……!)

 

 火球が更に着弾した。先程よりも至近で爆発し車体が大きく揺れ、ウィノナの身体が宙に浮く。

 ふわりとした無重力感、ウィノナの時間がゆっくりと流れ、一瞬が一秒に引き伸ばされる。その、着地するまで僅かな時間。

 

 魔術師を真正面に照準を付け――付けた瞬間、ウィノナは引き金を引いていた。

 風を切る音を発しながら矢が飛び、相手の驚愕に見開かれた目がハッキリと見えた。その時には、既に矢が敵の右肩に命中していた。

 

 ガクンと魔術師の身体が揺れ、それから高度が落ちる。追う速さも目に見えて落ち、みるみる遠ざかっていく。

 よし、とガッツポーズを取ろうとして、馬車が大きく揺れた。慌ててしがみ付き、御者台にいる父親に声をかけた。

 

「打ち落としました! でも油断は禁物です、このままローンヴァレイへ!」

 

 ランブレイは、おお、と感嘆の声を上げて了解の意を返す。一つ息をついてから、手綱を握り直した。

 開け放たれた戸からウィノナはひらりと戻り、笑顔を見せようとして顔を引き締めた。

 

 油断は禁物と、ランブレイに言ったばかりだ。

 ウィノナは一度身を乗り出して外を見、出来る限りの警戒をして後方を注視した。数秒の後、改めて馬車に戻り戸をしっかりと閉めて息を吐く。

 そうして今度こそリアに笑顔を見せた。

 

「大丈夫、このまま逃げ切れば助かるよ」

「ああ……!」

 

 リアは泣き出してウィノナに抱きついた。

 予知夢は変えられる。

 ウィノナはリアの体温と、その豊かな栗色の髪を頬に感じながら勝利以上の満足を感じていた。

 

 

 

 それからは何事もなくローンヴァレイに到着した。

 まだ陽も上がらない内から訪れたこともあり、アーチェの小屋の家主――バートは大層驚いていた。

 ウィノナとランブレイの両名から事情を聞くと大いに安堵し、労いつつ小屋内へと快く案内してくれる。

 小屋に入ると、何事かと自室から出てきたアーチェにも事情を説明した。

 

「……そンな訳で、なんとかここまで逃げてきて……。完全に巻き込ンだ上で、助けてもらうつもりでした。ゴメンなさい!」

 

 アーチェは少しの間、口をポカンと開け、そしてカラカラと笑った。

 

「ぜーんぜん! ありがと、リアを助けてくれて! むしろ巻き込み大歓迎!」

 

 ここまで来たらとっちめてやる、とアーチェは息巻く。鷹揚(おうよう)に構えた存在が心強い。

 ウィノナはそれを横目に感じながら、リア達に休むよう促す。夜通し馬車に揺られ休む暇もなかったリア達は、疲労も相当なはずだった。

 

「ほら、リア達はとりあえず休んで。疲れてるでしょ? アタシが番をするからさ」

「そんな……。助けてもらったのに、そんな事までさせられないよ」

 

 リアはそう言ってくれるが、ウィノナとしては自分のせいで起きた事態と思う部分も強い。

 

「いいからいいから、今は休んで。アタシも後で休むから」

 

 それでも納得しないリアを無理に背中を押して休ませると、ウィノナは小屋の扉に向かう。扉を開く前にアーチェは近づいて来ると、一緒に行くという。

 

「一人より二人の方が楽しいじゃん!」

「別に楽しむ必要はないンだけど、……じゃあ、お願いできる?」

 

 苦笑するウィノナにアーチェは合点、と破顔した。

 

 

 

 家の前に出てしばらく進み、見晴らしの利く場所に着くと、アーチェから改めて礼を言われた。

 

「ホント、ありがとね! リアを助けてくれて」

「お礼なンていいよ。アタシのせいかもしれないから」

「……どゆコト?」

 

 不思議そうな顔をするアーチェに、事情を説明してよいものかウィノナは悩んだ。予知夢のことは、言ったところで信じられずに終わっても不思議ではないし、そもそも予知夢のせいという確証もない。

 とはいえ、巻き込むと決めてここまで来たのだから、せめて嘘をつかない事が誠意の表し方だろう。

 ウィノナとしては意を決しての事情説明だったが、アーチェの反応は淡泊だった。

 

「ふぅん、なるほどねー」

「……信じるの?」

「そりゃ信じるでしょ。何でウィノナが嘘つく必要があるのさ」

「いや、そりゃそうなンだけど」

 

 それに、とアーチェは笑って言った。

 

「確証のない予知夢のことより、助けた事実の方が大事じゃん!」

 

 

 

 再度襲撃を仕掛けて来ると思われた敵は、結局現れなかった。陽が昇ってからずいぶん経ったので、こちらからも現場を伺ってみようと動き出す。

 そうして発見した血の跡は、追跡を試みたものの途中で山を越えられ、その痕跡を辿ることはできなくなってしまった。

 

 敵はこれで諦めることはしないだろう。仕留められなかったことは大きい、と今更ながらに思う。

 あの時、止めを刺す機会はあったかもしれない。

 しかし手負いの相手も必死の覚悟だ。ウィノナにそれを負かす自信はない。

 

 ウィノナは歴戦の猛者ではない、無鉄砲さは誰にも負けないが今は未熟な小娘に過ぎないのだ。

 落ち込む様子のウィノナとは反対に、アーチェは明るい調子だった。

 

「落ち込んでも仕方ないじゃん。今は助かった、これからのことはこれから考える!」

 

 でいいよね、とアーチェは笑った。

 それはそうだ、とウィノナも笑顔で頷いた。逃げた相手がどこに行ったか、当然分かるはずもない。

 後は村に帰って事情を説明し、警戒網を敷いてもらうか、あるいは――。

 

 

 

 ローンヴァレイに帰ると、既に起床したらしいリアが駆け寄ってきた。感謝と申し訳なさをない交ぜにした表情でいたので、抱き締めて背中をポンポンと叩く。

 

「ありがとう、ウィノナ。……ありがとう」

「いいんだよ」

 

 身体を離してリアを見つめ返し、笑顔を浮かべようとした。だが、違和感がウィノナにそれを許さない。

 何かがおかしい。それは何と言われてもすぐには思いつかない。しかしおかしい、という事については確信すらあった。

 襲撃時は暗かった。明かりなどろくになく、常に魔術師へ意識を割いていた。

 だから、それに気にかけていられる余裕がなかった。

 

 改めてリアの全身を眺める。リアは不安そうな顔を貼り付けて、赤い服の袖を片手で握っている。

 ――赤い服(・・・)の袖を。

 予知夢のリアは青い服を着ていた。赤い服ではない。

 

 ウィノナは頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。

 予知夢のリアは青い服を着ていて、赤い炎が服を照らし、それを恐ろしく感じたものだった。

 ウィノナはガクガクと震える足を止められなかった。

 

 ……まだ、終わっていない。

 リアは再び襲われる。そして『その時、ウィノナは傍にいない』。

 

(嘘だ! 嫌だ! 冗談はやめて……!)

 

 ウィノナは叫びたくなる衝動を必死に抑える。無表情を装うと努力したが、成功しているとは思えなかった。

 明らかに異常な様子のウィノナを見て、二人はぎょっとする。

 

「ちょ、ちょお……! ウィノナ、どうしたの?」

「凄い汗よ。顔色も白い。ウィノナ、大丈夫……?」

「う、うぅ……っ!」

 

 ウィノナは遂にはらはらと涙を流し、嗚咽混じりに説明した。

 自分に予知夢を視る力があること、昨夜リアが襲われる夢を見たこと、しかし回避したと思ったこと。

 だが実際に予知夢が見せた未来は、今回の襲撃のことではなかった。

 今日より更に未来のことで、その時リアは青い服を着ているはずだった。

 

「どうしよう、アタシどうしたら……!?」

 

 泣きじゃくるウィノナに、リアの顔も真っ青だ。しかしアーチェの声はどこまでも明るかった。

 簡単じゃん、とアーチェは笑う。

 

「青い服は全部捨てなさい。これからも買うんじゃありません。これで解決」

「そんなことで……? それで大丈夫なの?」

 

 気色ばむリアにアーチェは頷き、次に滅多に見せない真顔を向けた。

 

「そんで、こっから離れて、二度と寄るんじゃない」

 

 リアの目が見開かれ、幾らもしない内にその目から涙が流れる。

 

「私のこと嫌いになった? 厄介事を運んで来るから……?」

 

 今度はアーチェの目が見開かれ、パタパタと両手を左右に振る。

 

「そんなわけないじゃん! 違うって、そうじゃないってば!」

 

 いい、とアーチェは右手の人差し指を立てて、左手を腰に当てた。

 

「今回助かったのはウィノナのお陰、それは間違いない。でもウィノナだってずっとリアの傍にいられないだろうし、それはあたしだって一緒」

 

 不本意だけどね、とアーチェ一つ溜め息をついた。

 

「予知夢のシーンの再現性は完璧らしいけど、いつ襲われるかまでは分からないって言うし、それに大体、敵だって警戒してる相手をまた襲うか分からないじゃん? ……分からないことだらけだよ。でも、それが分かっただけで、めっけもんだって!」

「それ……?」

 

 リアは涙を拭って首を傾げ、アーチェは人差し指を自分の米神に当てる。

 

「予知夢で見たリアのコト。考えようによっては、青い服を身に着けず、海岸沿いの道を馬車で走らずにいれば、死を回避できるってことなんだから」

「そう、なの……?」

「再現される条件は分かんないよ。でも再現させない努力は必要でしょ」

 

 アーチェは自分の言葉に自分で頷きながら続ける。

 

「少なくとも、リア達の住んでる家は知られちゃってる。同じ場所にはいられないっしょ。だったら遠く、海からも山からも離れた場所に行けばいい」

「それで上手くいく……? 家族も助かるの?」

「絶対の保障は無理だよ。……でもさ……っ」

 

 言い差して、ついにアーチェも涙を流す。

 

「リアが死んじゃうなんてイヤだよ~~!」

 

 わんわんと泣き出し、三人の合わさった泣き声に何事かと家から親が飛び出してくる。緊張の糸が切れたのだろうと勘違いながら、家族らは泣きじゃくる三人を優しく小屋の中へと連れて行った。

 

 

 

 ウィノナとアーチェから事情が説明された。すぐにでも離れた方がいいということになり、リア一家はバートの小屋の前で馬車に乗り込もうとしていた。これからハーメルの町に帰るので、ウィノナも便乗させて貰うことになっている。

 リアが前に出てアーチェに頭を下げる。

 

「色々よくしてくれてありがとう」

 

 悲しげな笑顔でリアに言われ、涙ながらにアーチェは頷く。

 

「もう会えなくなるのかな……」

 

 リアは遠く離れた場所に移り住む。海の見えない遠い町に。

 ウィノナも今は旅人だ。どうせ長く町にはいられなかった。一度離れれば、今度はいつ再会できるか分からない。それでも――。

 

「またきっと、どこかで逢える日も来るよ」

「うん、こっちからだって会いに行くんだから」

 

 ウィノナが言うと、アーチェも笑顔で返す。

 

「アタシも旅を再会するよ。目標を見失ってたけど、ヒントも貰えたから……」

 

「……そっか!」

「あ、でも一つだけ!」

 

 一つと言わず幾らでも、とアーチェは笑った。

 

「クレスとチェスター、ミントっていう名前に聞き覚えある?」

「んーん、初耳。……ダレ?」

 

 ウィノナは三人に特徴を詳しく話したが、やはりアーチェは知らなかった。元より小屋に立ち寄る旅人は多くない。魔物に教われて駆け込んでくる旅人もいないわけではないが、もしその少年達が小屋の前を通っていても気付けなかったかもしれない、という。

 

「……うん、それじゃあもしクレスに会ったら、アタシのこと伝えてくれる? 探してたって」

「もちろん、オッケー」

 

 最後にもう一度お礼を言って、ウィノナ達三人は抱き締め合い、別れを惜しむ。一度身体を引き離して、アーチェはウィノナに顔を向ける。

 

「ねぇ、ウィノナ。会って一日も経ってないけどさ、あたし達、友達ってことでいい?」

「もちろん! 親友だよ」

 

 アーチェは目を瞬いてから笑みを綻ばせる。

 

「いいの? 知り合いから友人まで一気に飛び越えちゃってるけど」

 

 ウィノナはリアにちらりと視線を向けながら頷いた。

 

「友達になるのに時間の長短は関係ない、なんて言うけど、親友になるのにも時間は関係ないンじゃない? リアとも親友ならアタシも親友になりたいって思うし」

「そっか……、ありがとね!」

「絶対気が合うと思ってたけど、ここまでっていうのは私も嬉しい誤算だよ」

 

 リアも笑んで三人は顔を見合わせる。誰ともなく再び抱きつき抱擁を交わす。

 涙を流しながら、また会いましょう、と最後に約束をした。

 

 

 

 リア一家と馬車でハーメルの町へ帰る途中、ウィノナには一つの懸念があった。昨日の襲撃の失敗を、敵は取り返そうとは考えないものだろうか。単なる怨恨ならば油断が生まれるまで待つ事もあるかもしれない。しかし 、これが何者からの命令であった場合、任務が成功するまで帰れないのではないか。

 

 ウィノナが考え込んでいると、馬車の外が騒がしくなった。何かと思い、窓から外を窺ってみると魔物が馬車を追ってくる。

 

(魔術師の手先……?)

 

 タイミングを考えれば十分考えられる気がした。双方が遠距離攻撃を主体とする戦闘スタイルの為、魔術師は自分の方が分が悪いと思ったのかもしれない。

 

(このまま町に逃げ切れればいいンだけど……その前に、魔物が追いつきそう)

 

 ウィノナ達のせいで、町の住人に被害を出すわけにもいかないが、魔物も町が近づけば、追撃は不可能と悟るだろう。追いつかれるまでに牽制を繰り返せば、何とか距離を稼げるかもしれない。

 

 ウィノナはスカートからボウガンを取り出し、矢を装填する。リアに目配せすると、ウィンクして見せた。

 

「ウィノナ、気をつけて……!」

 

 頷き返して馬車の戸を開け、そこから飛び出す。前回の襲撃時と同じように馬車の屋根上にしがみ付き、魔物の数を確認する。

 

「全部で五体。どうにもならない数じゃない……」

 

 一体にボウガンを向け、馬車の振動を見計らい――射撃。

 一体の足を打ち抜き、もんどり転げた魔物は立ち上がる素振りを見せず、そのまま引き離していく。

 すぐに次の矢を装填し、別の魔物に狙いを済ませた時、突如馬車が馬の(いなな)きと共に急停車した。吹き飛ばされそうになって、ウィノナは咄嗟にしがみ付く。

 

 馬が走るのを嫌がっているのを感じたウィノナは、前方を確認して顔をしかめる。魔物が数匹陣取って馬車の進路を塞いでいた。

 動きを止めた事で後続の魔物が追いつき、更に魔物の数が増えた。

 その内の一匹に狙いをつけ、頭を打ち抜く。即座に矢を取り出し装填する。

 

「クソッ、こいつら仲間がやられたのに怯みもしない……!」

 

 既に魔物に包囲され退路はない。これ以上魔物が増えないという保障もない。矢が尽きるまで戦うしかない、と考えた時、御者台にいた父親が火炎球を敵に叩きつけていた。

 

(魔術師だったンだ……)

 

 魔術は使えても戦闘は得意ではないらしい。その証拠に息は荒く落ち着きがない。突き出した掌は震えて、魔物を上手く捉えられていない。

 

 自分が率先して動くべきだと考え身構えた、その瞬間、周りの魔物が金色の爆風で吹き飛ばされた。

 一体何が、と思って見渡せば、少し離れた上空にダオスが浮いていた。呆気に取られて呆然としていると、ダオスは素早くウィノナに近づきを横抱きにする。突然の事に、ウィノナはダオスの腕の中で身を縮めるしかなかった。

 

「えっ、ちょ、ちょっと! 何するつもり!?」

「――時間を飛ばす」

 

 ダオスはただ、平坦な声で返答した。

 

 

  

 目の前に突然光が現れたようだった。あまりの眩しさに目を瞑り、続く衝撃に身を備えた。一秒待ち、二秒待ち、しかし何も起きないので恐る恐る目を開けると、全てが一変していた。

 周りを取り囲んでいたはずの魔物の姿がない。二匹の死体を残して綺麗さっぱり消えている。

 違和感を覚えて空を見れば、まだ時間は昼前だったはずなのに太陽は中天を過ぎ日差しを強めている。

 夢でも見ているのか、と考えるところで、ダオスはウィノナをその腕から降ろしながら言う。

 

「あれから三時間後の未来に来た」

 

 それを聞いて、これか、とウィノナは思った。これが魔王と呼ばれる所以なのだろうか。

 もちろん確かなことは分からない、だがこの力は異常だ。好きなように扱える力だと判明したら、人類は一体どう思うだろうか。

 

 友好的に接するとは思えない。利用しようと考えるか、そうでないなら敵対する。

 ――魔王にされる!

 それが、この優しいダオスが魔王と呼ばれ、封印される本当の理由だとしたら……!

 

「ダオス、その力は無闇に使っちゃだめ! 人前でなんて以ての外だからね!」

「どうしたのだ、一体……」

 

 ダオスは(いぶか)しんだが、ウィノナの切実な視線に根負けした。ただの請願ではない、哀願に近い。理由を問いたくても、それをさせない気配を感じた。

 

「……そなたの言う通りにしよう。命の危険以外に使わない」

「ごめんね、ありがとう……」

 

 ウィノナはほっして笑顔になる。

 御者台にいたランブレイも、一体どうしたことだと目を白黒させている。何しろ突然光に包まれたと思えば、取り囲んでいた魔物たちの姿がない。困惑していて当然だった。

 

「魔物は一体どこに……!? それに、ウィノナちゃんと一緒にいる君は?」

「あ、こっちはアタシの旅の連れです。彼のお蔭で、とりあえず危機は去りました」

 

 ランブレイはとりあえず頷いた。納得した表情ではなかったが、いま危機がないことの方が重要と判断したらしい。ダオスに身体を向けて頭を下げた。

 

「ウィノナちゃんに続いて貴方にまで。……何度も助けていただき感謝の言葉もない」

 

 ダオスはぶっきらぼうにも見える仕草で頭を振ると、前に広がる道の手を向ける。先に進めと判断したランブレイは、手綱を取り馬を宥めて歩かせた。

 その後の帰路は静かなもので、何の危険もなかった。

 




 
原作キャラに会わせよう、その一。
アーチェとウィノナは小説版では出会っている事は出会っているのですが、会話の中でちらりと名前が出るとか、会ってきた事を示唆するような内容だけで実際の場面は描写されていないんですよね。

もっと色々こねくり回してアーチェと仲良くなるイベントを書きたいとも思ったんですが、そういう事をしてるといつまで経っても本題に入れないのでアッサリ終わらせました。
 


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旅路の再開

 
キリが良かったので、今回ちょっと短めです。
 


 

 ハーメルの町に着いたリア達は、落ち着く暇もなく旅支度を始めた。

 ウィノナとダオスも家に上がり、その手伝いをする。母親が警備の詰め所に行き、今回の襲撃について説明に行っているので手が足りない為だ。

 これを機に犯人が見つかり捕まればよし、そうでなくとも警戒して兵の幾人かを町の警邏(けいら)にでも回してくれれば安心できる。

 

 ウィノナはリアの手伝いをしながら、時折ランブレイの指示を受けて家の中の荷物をかき集め、ダオスはランブレイの手伝いへと借り出されていた。

 書斎で片づけをしていたランブレイは、机の上にあった書類の束に肘をぶつけて落としてしまった。屈んで拾おうとしたダオスに、ランブレイは待ったを掛ける。

 

「ああ、それは拾わなくていいよ。ここに捨てていく」

 

 ダオスは頷き視線をずらす。その書類に書かれた文字が何とはなしに目に入った。

 魔科学についての考察と提案――。

 

「これは……?」

 

 ダオスが思わず呟いて、ランブレイもその視線の先を見る。

 その表情は嫌な物を見たと言外に語っていた。

 

「ミッドガルズで、とある研究をしていてね……。私は危険だと進言したが黙殺された。庶民の生活基盤の向上、安定が図れると聞いて参加したのだが、どうにもキナ臭くて逃げてきたのだ」

「では、昨晩襲われたというのは……」

 

 ダオスが眉を(ひそ)めて言うと、ランブレイは頷き渋面を作った。

 

「おそらくは、ミッドガルズの手の者だろう。機密を知る者を殺そうと言うわけだ。私はもう魔科学に関わる気は毛頭ない。書類はここに捨て置いて行く。なに、こんな田舎だ、誰も読まんよ」

 

 ダオスは難しい顔をして頷く。

 それが真実、民の生活の為に生まれ発展した思想と技術であれば問題ない。しかし、もしそれを別の形で利用しようとするならば――。

 

「どうしたダオス君、恐ろしい顔をして。そんなに心配してくれたのかね」

「ああ……」

 

 ダオスは咄嗟に表情を崩し、曖昧に頷いた。

 

「ともあれ、この部屋はもういいだろう。一刻も時間を無駄に出来ない。他も手早く済ませてしまおう」

 

 ランブレイが部屋を出て行くと、ダオスもそれに続く。

 最後に一度だけ落ちた書類に目を向け、そして動かぬ視線を断ち切るように身体を外へ向け部屋を出て行った。

 

 

 

 旅支度は夕方前には全て終わった。

 一息つけるのかと思いきや、リア一家はすぐさま村を出発するという。これから日も暮れるし危険ではと思ったが、村に留まり続けることの方が危険だと言われると、それもそうだと思い直した。

 

「これでお別れだ、本当に世話になった。ありがとう……」

 

 ランブレイがウィノナとダオスへ丁寧に頭を下げた。ウィノナはむしろ、申し訳なさそうに顔を伏せる。

 

「本当は安全な場所まで護衛したいんですけど……」

「いや、君たちにはもう十分世話になった。必要というなら、こちらできちんと雇うとするよ。……そうだな、アルヴァニスタの冒険者ギルドを頼ってみるのもいいかもしれない」

「はい……、どうかお気をつけて」

 

 父との挨拶が終わるのを見て、それまで近くで待っていたリアが前に出てくる。

 

「ウィノナ……、もう何度も言ったけど、本当にありがとう」

 

 リアは正面からウィノナを見つめ、その両手を取る。

 

「この恩はいつか絶対返します。それまできっと、元気でいて」

「……ありがとう、リアも元気で。必ず、また会おうね」

 

 約束、と言ってウィノナは背中に手を回し抱きしめた。リアも抱き返し、数秒お互いの体温を感じると、どちらからともなく身を離して別れた。

 

 夕日というにはまだ早い太陽を背に、遠ざかって行く馬車をウィノナは見つめる。もうリアには見えていないのだろうが、変わらず手を振っていた。

 

 ――きっとまた会えると信じて。

 

 ウィノナは後ろに立つダオスに言う。

 

「ダオスも、もしどこかでリアたちに会ったら助けてあげて。……約束よ」

「……分かった、約束だ」

 

 

 

 ダオスと一緒に宿屋に帰ると、早々に警備兵らしき者に戸を叩かれた。リアの母親が話をしに行っていたと思うが、ウィノナ達にも詳しく話を聞きたくて来たのだろうか。

 特に気を留めず戸を開け事情を聞くと、帰って来たのは意外な言葉だった。

 

「悪いが、すぐに村から出て行ってくれ」

「それ、どういうこと……?」

 

 警備兵が言うには、スカーレット家を襲った襲撃犯は捕まっておらず、野放しになっている状態らしい。そもそも力のある魔術師を捕まえられる戦力が、この町にはない。

 放置するしかないにも関わらず、それを吹聴されたら交易の要のハーメルにも影響が出る。ユークリッド大陸の南北に移動するには必ず通る町なので、そういった商人もよく通る。

 それなのに凶悪犯を逮捕できていないことを吹聴されるような事態になっては困るのだ。だから、そうなる前に出て行って欲しい、と警備兵は言った。

 

「こっちだって長居する気はないよ」ウィノナは気分を悪くして、声が一段低くなった。「明日すぐにでも出て行く」

「くれぐれも口外するな。もし外に漏らすような事をすれば、お前らを牢に入れてやるからな」

 

 警備兵はあからさまに睨み付け、脅し文句を残して扉を閉めた。足音が去り、数秒してからウィノナの肩が沸々と震える。

 

「――ふざけンな!」

 

 感情を爆発させて、ウィノナは手近にあった椅子を蹴り上げた。

 リアを殺そうとした犯人を野放しにしておいて、事実を知っている目撃者に対して高圧的に釘を刺す。特別な期待をしていた訳でもないが、警備兵がやる事は隠蔽に力を注ぐことではないはずだ。

 

 ウィノナの憤懣(ふんまん)を目にしたダオスは、目を丸くしつつも苦笑する。

 慌てたのはウィノナで、どう言い訳したものか頭が真っ白になった。怒りに我を忘れ、最も見せたくない素顔を晒してしまった。

 

「……ごめんね、軽蔑するよね」

「いや、その方がそなたらしい」

 

 気まずく視線を合わせられないウィノナに、ダオスは左右に頭を振り、そして笑った。

 

「何よ、もぉー……!」

 

 怒ったものか笑ったものか複雑な気分だったが、もはや取り繕う必要もない。今までも裏表なくダオスには接していたつもりだったが、明らかに粗暴な仕草は見せないように努めていた。

 しかし、これを機会にウィノナは吹っ切れるようになる。ついには幼少時から傍にいた故郷の少年達に対するような自然体で、ダオスに振舞うようになっていった。

 

 

 

 その日の夜、ウィノナはまたも一つの夢を視た。

 視える頻度はそう多くないはずの予知夢が立て続けに起こることは珍しい。とりとめもない内容であればいい、と思いながら浮かび始める像を見続けていると、そこに現れたのはリアの姿だった。

 

 茶色の外套の裾からは薄いピンク色のスカートが見える。膝よりも更に低い位置にあるスカートの裾が、それを教えてくれている。少なくとも青色の服は纏っていないに違いない。そう思いながら、必要もないのに眼を凝らすように像を注視する。

 

 リアの目の前には全身をローブで覆った何者かが立っていた。リアは明らかに警戒した姿勢で足を一歩後ろに動かす。

 まさか、とウィノナは思った。

 

 ――まさか、リアがこの何者かに害されようとしているのではないか。

 襲撃は回避したはずだが、仕留めることは出来なかった。その相手がまたしてもリアを襲おうとしている。

 

 ――やめて! 逃げて!

 ウィノナは声に出ない声で、その像に声を投げつける。しかし当然声は聞こえていないだろう。ウィノナも伝わるとは思っていない。それでも、声が出ないと分かっていつつも、そうせずにはいられなかった。

 

 ――どうかリアを助けて! 誰か!

 リアが更に一歩後ろに足を動かすと、その背後から弓なりに矢が降ってきた。それも一本ではない、複数の矢がまばらに雨のように降り注いでくる。

 

 リアが背後を振り返り、ハッとした表情を見せる。驚愕した表情ではない、しかし安堵した表情も見せなかった。リアはそのまま踵を返そうというのか身を捩り、そして矢は今まさに不審者へと当たる――、というところでウィノナは目を覚ました。

 

 

 

 がばりと身を起こし、荒く息を吐きながら周囲を見渡す。

 昨晩も泊まったハーメルの宿屋の一室であることを確認し、次いで視線を横に向ける。

 部屋の端と端に位置する隣のベッドにはダオスが静かに寝息を立てていた。

 

 ウィノナはドクドクとうるさく鳴り続ける心臓に手を当てて、息を整えようと努めた。

 予知夢が見せた内容は中途半端で、何が起きたのか、そしてあの先どうなるかがまるで分からない。肝心な場所を見せても、決定的な場面を見せるつもりはないらしい。

 

 悪態を吐こうとしても隣のダオスが気になって声も上げられない。

 口の中で小さく呻いてベッドの上に立てた両膝に顔を埋め、予知夢の内容を反芻する。

 リアは何者かに再び襲われた。そして弓矢が頭上から降ってきた。降ってきた矢は、その何者かへと向かっていた。……いたのだと思う。何しろ短い間の咄嗟の出来事だったので、確からしいことは分からない。

 

 それでも。いや、だからこそ。

 せっかく一度目の襲撃を阻止し、予知夢で視た本来の襲撃をも阻止する為の行動を起こしたというのに、その先でもやはりリアが害されるというのなら、そんなことウィノナは知りたくなかった。

 

(何の為に見せるンだよ……!)

 

 ウィノナは泣きたい気持ちで心中で唸る。やり場のない怒りをぶつけるように、両膝に埋めた顔をぐりぐりと動かす。

 とりあえずリア達に追いついた方が良いのでは、と思い立つも、そもそもリアが身に付けていた外套も、その裾から見えていたスカートも見覚えのないものだった。つまり襲われるのは今日ではなく、また近日ではない可能性が高い。

 

 今すぐ追いつける手段があったとて、襲撃されるのはまだ先の話で、しかもそれがいつになるのか分からない。予知夢の視せた像からは季節を特定できる何かすら映ってはいなかった。

 

 ――どうか、無事で。

 ウィノナはそう願わずにはいられない。そして、そう願うことしかできなかった。

 あの弓矢は襲撃者を狙ったものであったのは間違いないはず。つまり、味方がいたのだ。振り返った時のリアの表情は安堵してはいなかった。しかしそれでも絶望した表情ではない。味方が来ても気を緩ませずいたのだと解釈すれば、納得もいく。

 

 そう思うしかない――そう思わずにはいられないだけなのだと、ウィノナは自覚する。

 

「……どうか、無事でいて」

 ウィノナはもう一度、口の中で小さく呟き、そう願うことしか出来なかった。

 

 

 

 翌日、朝早く追い出されるように村を出たウィノナとダオスだったが、ウィノナの進む足取りに重さはあっても迷いはなかった。

 今まではベルアダムの村から常に北上するように動いていたのだが、今日はその逆で、来た道を引き返す形で歩を進めている。だからという訳だろうか、横を歩くダオスが珍しく疑問を口にした。

 

「ウィノナ、どこに行くのか決まってるのか? 無論どこへ行こうと着いて行く気ではあるが……」

「あ、そっか。言ってなかったっけ。精霊について詳しい人がいるってリアに聞いてたんだ。眉唾物だけど、遠くもないから寄ってみようと思って」

 

 なるほど、とダオスは頷いて、努めて明るく振舞おうとするウィノナの後を追う。

 道中では危険と思える敵の遭遇もなく、陽がすっかり昇る頃にはユークリッドに到着した。

 

 村人に話を聞けば、目的の家の場所はすぐに分かった。名前をクラースと言い、小さな研究所を持つ魔法学者だという。

 ウィノナは扉の前に立ち、後ろにダオスがいることを確認する。息を一つ吸ってからノックをして、しばらく待っていると中から出てきたのは二十代と思わせる女性だった。

 はて、クラースとは女性名だったのか、と思いつつ頭を下げる。

 

「どうもはじめまして。不躾で申し訳ないンですけど、是非、精霊についてお聞きしたいンですが」

「あら、受講希望の方かしら?」

 

 女性に言われて、ウィノナは思わず首を傾げた。

 受講とは一体どういうことだろうか。お金を出さなければ話を聞けないということか考えて、どうしよう、と後ろにいるダオスに目を向ける。ダオスはその意を受けて微かに頷き、それから一つ尋ねる。

 

「その受講というのは知らないが、話だけでも聞いて頂きたい」

「……そう、ウチに学びに来た訳ではないのね」

「精霊について、ちょっと知りたい事があるだけなンです」

 

 ウィノナが申し訳なさそうに言うと、女性は眉根を小さく寄せて苦笑した。

 

「まぁ、ウチの偏屈が納得してくれたらいいけれど……。どうぞ上がって」

 

 女性が扉から身を引いて中を示す、ウィノナは改めて頭を下げた。

 

「失礼します、クラースさん!」

 

 女性はきょとんと目を丸くすると、くすくすと笑い出した。

 

「私はミラルド、ここの助手をしているわ。クラースは奥よ」

「――失礼しました! アタシはウィノナ・ピックフォードと言います、こっちはダオスです!」

 

 顔を真っ赤にして俯いたウィノナに、ダオスはごく軽く背を押すと奥へと進ませる。ダオスはミラルドの前を通る時、小さく会釈し中に入った。

 

 

 

 中に入って出迎えたのは大量の本棚と、そこに余す所なく敷き詰められた本だった。部屋の中央には大きなテーブルがあり、そこの一席で紅茶を飲みながら、本を読みつつ何かを書き留めている男がいた。

 今度こそ間違えようがない、この人こそがクラースだろう。

 ウィノナは男から五歩ほど離れた所まで近づき、頭を下げた。

 

「初めまして、アタシの名前はウィノナ・ピック――」

「――ああ、話はここまで聞こえていた。自己紹介は必要ない。しかし生憎だが、話せる事はないな。精霊に興味を持ったことは感心するがね……」

 

 クラースは本を読んだまま、ウィノナに視線すら向けずに言った。流石に見かねたのだろう、ミラルドが出てきて自分の腰に両手を当てた。

 

「あのねクラース、受講目的じゃなかったからってそんな態度はないでしょう。もっと愛想よく出来ないの?」

「いえ、いいんです……! 突然押しかけてごめんなさい」

「全くだ。こっちも暇じゃないんだが……」

 

 クラースが嘆息すると、ミラルドの目が吊り上がる。それを目の端で捉えたクラースは焦ったように本を閉じ、少しなら聞こう、と言い直した。

 ホントごめんなさい、と前置きしてからウィノナは精霊について尋ねたのだが、しかしその内容は芳しいものではなかった。

 

「まず最初に言っておかねばならないことがある。精霊について分かっていることは少なく、それよりもむしろ分からないことの方が多いんだ」

「そう……、なンですか」

「少なくとも四大精霊はその存在が確認されているし、風の精霊は近くに住んでいるとも聞く。契約できれば、さぞ研究も進む事だろうが……」

 

 ぶっきらぼうに呟き、クラースは嘆息した。

 

「あの、大樹の精霊……とか、樹に関する精霊って聞いたことありますか?」

「樹木に関する精霊……? いや、そのような存在は聞いたことがない」

 

 落胆したウィノナに、もしかしたらというレベルの話だが、と前置きをしてからクラースは言う。

 

「アルヴァニスタは魔術研究が盛んな国だ。私は国を離れて久しいが、もしかしたら詳しいことも何か分かるかもしれない。変わった研究をしている者も多いから、興味があるなら行ってみるといい」

 

 分かりました、とウィノナは頷く。王を戴くアルヴァニスタは大きな都市だということだけは知っている。人口も多く、また訪れる人の数も多いらしい。もしかしたら、そこでクレス達にも会えるかもしれない。

 

「ご親切にありがとうございます」

 

 ウィノナはしっかりと頭を下げ、ダオスは目礼だけで済ます。

 去ろうとした時、そうだ、とクラースが呼び止めた。

 

「何か面白い、興味の引く手土産でもあれば、相手も無下にはしないかもしれない」

「……というと?」

「あそこは変わり者が多いんだ。聞きたい話があるなら、こっちもネタを与えないとな。学術研究のネタになる、興味を刺激するようなネタを」

 

 ウィノナは顎に手を添えて考える。もしかしたら、と思うものがある。信じてもらえればの話になるが、クラースの言う興味とやらを相手に刺激できるかもしれない。

 ウィノナは改めて頭を下げて礼を言い、今度こそクラースの家を出た。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ミラルドさんもお元気で、とウィノナは別れ際に手を振る。元気な笑顔に励まされる気分で、ミラルドも手を振り返した。しばらくそうしながらその背を見送り、背後に向かってミラルドは言った。

 

「随分気をかけてあげたじゃない。……可愛い子だったものねぇ?」

「コブつきを相手にするほど暇じゃないさ。なに、あの子の目が必死だったからな、そういう目には弱いんだ……」

 

 ふぅん、と相槌を打ちながら、ミラルドは仕事の準備を再開した。

 今日はこれから、小さな子供たちに読み書きを教える授業がある。

 




 
原作キャラに会わせよう、その二。

後々の事を考えて、とりあえず顔合わせだけでもさせておきたいと思って当たり障りない内容でこうなりました。
パッと会ってパッと別れて終了。
何とも味気ないですが、ウィノナ編でのクラースの扱いはこんなものかな、と……。


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アルヴァニスタで出会う奇運

 

 ユークリッドから数日掛けて北上し、ウィノナ達はベネツィアに到着した。

 そのまま直ぐにアルヴァニスタへ行こうとも思ったが、一日使ってクレス達を探すことにした。ここベネツィアもアルヴァニスタ程ではないにしろ大きな港町だ。

 何か手掛かりでもあるかと思い、一通り見て回り入った店の人にもそれらしい人がいないか尋ねたが、どこへ行っても良い返事は聞けなかった。

 

 消沈するも、居ないものは仕方ない。

 翌日、船でアルヴァニスタへ向かう。船に乗って最初の夜、ウィノナはまたも予知夢を見た。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 どこかの城の玉座、古ぼけ打ち捨てられた印象のある壁面。それなのに絨毯に装飾品、果ては燭台までもが高級品と分かる。そのいかにも釣り合いの取れていない部屋の中に、ダオスがいた。

 その正面にはウィノナが、見慣れない黒い革製の全身鎧を身に着け立っている。腹部からは血の流れた痕があり、他にも大小の傷が見て取れた。

 

 ──そこは不可思議な空間だった。

 広い筈の玉座の間は、たった二人しかいないのに酷く狭く感じる。まるで、この二人の為の空間のような。

 ウィノナは手にしていたボウガンを捨て、にこりと微笑んだ。

 

「……ねぇ、帰ろう。大丈夫、まだ戻ってこれるよ」

「しかし、……しかし私は、最早人類の敵でしかない」

 

 搾り出すかのような声音でダオスが言う。しかしウィノナの表情に(かげ)りはない。戦闘に明け暮れたものとは別物の、晴れやかで優しい、見るものを安心させる表情だった。

 

「大丈夫だよ。魔導砲も壊れた、設計図もない。またやり直せるんだよ!」

 

 ウィノナは必死に説得するも、ダオスからの返答はない。

 

「……ね、戻ってきて、ダオス……」

 

 ウィノナとダオスのやり取りを見ながら、一人の女性が小さな声で誰に聞かせるでもなく呟く。

 

「道中モリスンさんから、あの方しか魔王を説得できないと聞きましたが……。どうやら本当のことのようですね」

「……ああ、あの女のあんな表情、初めて見るぜ」

「あれがウィノナです。僕らの良く知る、いつものウィノナ……」

 

 ウィノナは手を差し出し、ダオスに向ける。

 どれだけの回数、会いたいと思い、言葉を交わしたいと願ったことだろう。しかしそれが今や、隔ているのはたった数歩の距離だけしかない。ウィノナの願いはとうとう叶う。それを思えば何時間だろうと待てる心持ちだった。

 しかし、その時間は唐突に終わりを迎える。

 

「許せダオス! これしかないのだ、この方法しか!!」

 

 詠唱を終了させた一人の魔術師から、火炎球が飛び出す。

 真っ直ぐ進んだ火炎は、ウィノナに意識を向けていたダオスに驚くほど簡単に命中した。しかし当たった先はダオスが身に付ける、そのローブ。直撃とはいえ致命傷にもなり得ない。

 

 ローブに当たった火炎球は小さな火種すら生む事はなく、翻す動きで完全に消失する。

 一瞬の間の後、ダオスの表情が憤怒に変貌した。

 

「──貴様ァァ!」

 

 黄金の光がダオスを包み、暴風となって吹き荒れる。

 

「やるぞ、皆!」

 

 ダオスを正面に据え、幾人もの男女たちが対峙する。剣士が弓士が魔術師が、ダオスに向かって攻撃していく。

 

 その人数は多く、また裂帛の気合がそれぞれから発せられていることは分かったが、その表情までは窺うことはできなかった。

 ダオスは間違いなく善戦したが、敵の持つ数の有利を覆すことは出来ないでいた。一つ一つの攻撃は、ダオスに大きなダメージを与えていないように見えたが、数による攻撃はそれを蓄積していくことも見て取れた。

 

 そしてついに、魔術師による攻撃がダオスを襲う。眩いばかりの雷光がダオスの身体を貫く。

 身を焼き、焦がし、断ち切られ、ダオスはついに崩れ落ちる。身体中が火傷を負い、焦げた肌からは煙が昇る。

 

「やめてぇぇ! ダオスを殺さないで! ダオス! ダオスーー!」

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ウィノナは夜中に弾かれるような勢いで飛び起きた。全身が震え、涙が止まらない。視えてしまった未来の、あまりの絶望に身が引き裂かれそうになる。

 

「もう嫌だ、もう嫌だ、もう嫌だ……!」

 

 いつか起きる未来、回避可能かも分からない未来。

 それがウィノナを不安にさせ、また視てしまったことを後悔させ絶望させる。先のリアの件もあり、ウィノナにとっては敏感な問題だった。見せるというなら、もっと救いのある夢を見せれば良いものを。

 

 その日以降、ウィノナは眠ることをやめた。

 眠るとまた予知夢を見るかもしれない。それがまた親しい誰かの死を見せるものであったら、ウィノナは自分の感情を制御できる自信がなかった。

 

 怖い、と思う。

 ウィノナは予知夢を見たとしても、努力次第で覆せると信じている。だからこそ、リアの時にも奮戦したのだし、死ぬ未来が訪れない為の方策もアーチェ発案で採用した。

 

 しかしどんな努力や犠牲を払っても、その予知夢を覆すことが出来ないと分かってしまったら、それでも変わらず予知夢を見せられてしまったら──。

 ウィノナはそれが怖い。

 

 しかし眠ることをやめても、いつか限界が来る。堪りかねて眠るが、一時間もせずに目が覚める。ついには目の下に濃い隈を作り、体力も落ち、明らかに衰弱していった。

 その様を見せられてはダオスも平静ではいられない。

 

「ウィノナ、私に何か出来ることはないか?」

「……大丈夫、たまにあるんだ。でもしばらくすると、元に戻るから」

 

 儚い笑顔を見せるウィノナに、ダオスは更に言い募るがウィノナは首を横に振るばかり。それで仕方なく不承不承に頷いた。ダオスは常に傍らに付き添い、ふとした瞬間に気絶するように眠るウィノナを常に支え気遣った。

 そうした船旅が続き、ウィノナもようやく普通に眠るようになった頃、アルヴァニスタに到着した。

 

 

 

 よく睡眠を取れるようになれば、ウィノナもすっかり元気を取り戻した。そのウィノナがダオスと共に港に降りる。

 そこは活気に溢れていて、船員たちが積荷を下ろしていたり商人が買い付けを行っていたりと、とにかく慌しい。邪魔になってはいけないと、ウィノナ達は港を出て市街へ向かう。

 

 整備された町並みは美しかった。

 メインストリートにはタイルを使って目にも楽しい工夫が施されていたし、街路樹を計算的に配置された様子は清潔な印象を与えた。

 

 この時代において、ウィノナが知る王都は他にミッドガルズしか知らないが、ここまで様子が違うものかと愕然とする。

 都に隣接する形で港があるのは、貿易に力を入れてせいでもあるのだろう。しかし運び込まれるのは何も貿易品だけではない、漁業による大量の食料や生活必需品、そして旅行者、それらがアルヴァニスタを富ませているのだ。

 

 ウィノナは自分がとんでもない田舎者になった気分で町を歩いた。もっとも、実際に田舎者であることは否めない。

 何となく道の中央を歩くのは申し訳ない気がして端を歩く。

 宿を見つけて中に入り一部屋を借りた。そのついでにクレス達の名前と特徴を従業員に伝えるものの、やはり知らないと返された。

 もはや恒例となりつつあるので気落ちもしない。

 

 特にこの町には冒険者ギルドがある。旅の剣士とその一行となれば一々注意して見ていない、そう言われてしまえば成程、納得も出来る。

 

 次いで、ウィノナ達は王立魔法研究所に向かった。

 研究所は王城の中にある。身分のある旅人というわけでもないのに、果たして王城に入ることができるものかどうか。どうすれば入城できるのか考えながら城へ向かう途中、そこで思いがけない人物に出会うことになった。

 

 

 

「──モリスンさん!」

 

 ウィノナは思わず声を上げた。通り過ぎようとするその横顔を見て、思わず名前を呼んでしまったのだが、男は素直に顔を向けたものの怪訝に顔を傾げた。

 

「……うん? ……誰だ?」

「モリスンさんもこの時代に来てたなンて! あぁもうホント良かった、クレス達も一緒ですか?」

 

 ウィノナは顔を綻ばせて近づくが、その言動も相まって男は途端に訝しむような顔つきになった。

 

「待ってくれ、誰と一緒だって? 君とは初対面だと思ったが」

「何言ってるンですか。アタシですよ、ウィノナです」

 

 男は首を傾げ考え込むような仕草を見せたが、しばらくして顔を振った。

 

「君の表情と口ぶりから、単に私が忘れてるだけかと思ったが、やはりどうにも記憶にない。誰かと勘違いしてないか?」

 

 ウィノナの近づけていた歩みが鈍る。さわり、と風がそよぐ。ごく軽く吹いた風がウィノナを押し返す壁のように、その足取りを止めた。

 

「……え? トリニクスさん、……ですよね?」

「いや、私の名前はエドワードだ」

 

 ウィノナは眉根を寄せ困惑する。目の前の男は、ウィノナの知るモリスンに見える。知り合ったのもつい最近、一緒にいた時間もごく僅か。それでも目の前の人物がモリスン──トリニクスと別人とは思えなかった。

 それほど、目の前の人物はよく似てる。

 

「しかし、そうすると分からないことがある。君は私の事をモリスンと呼んだ。名は違うのに姓は合ってる。……これはどうしたことだ?」

「え……、っと」

 

 ウィノナの困惑は止まらない。そう言われても、自分にだって分からない。どう答えたものか考えていると、エドワードが続けて言った。

 

「それに先ほど、君はこの時代、と言ったね。それはどういう意味かな?」

 

 ウィノナはしばらく何を言えばよいのか考え込む。

 信じてもらえるか分かりませンが、と前置きしてから、ウィノナは未来から来たことを話した。最早ウィノナに嘘を考えて発言する余裕はなかったし、モリスンという姓を持つ男が自分と無関係とも思えなかったからだった。

 一通り話し終えるとエドワードとダオスは驚愕した。ただし、二人の驚きは種類は違う。

 

「言ってることは本当なのか!?」エドワードは興奮した様子を見せたのに対し、「一体どうやって?」とダオスの声は冷静だった。

 ウィノナは隠すことなく全てを語った。

 

「アタシは百年後の未来から、──多分あなたの子孫の術か何かによって飛ばされました」

 

 ダオスを倒す手段を探せと言われた事は、この際言わないでおく。

 

「百年後……。証拠はあるのか?」

「そういう物はありませン……」

「それに私の子孫が時間転移を? 本当なら素晴らしいが、じゃあ理論は説明できるのか?」

「出来ませン……」

 

 話にならない、とモリスンは(きびす)を代えそうとしたところで、ウィノナは自分の持つ能力──予知夢のことを伝えた。とにかく足止めし、話を聞いて貰うことしか頭になかった。これを逃すとウィノナにはもう手掛かりがない。

 

「予知夢とはまた眉唾モノだ。じゃあ何か客観的に分かりやすい、未来に起こる事を教えてくれ」

 

 そう言われても、最近ウィノナが視た夢はリアとダオスに関する事だけだ。リアのことは客観的に説明できることでもないし、ダオスのことは、そもそも説明すらしたくない。

 ウィノナは結局、苦々しく首を振ることしかできなかった。

 

「意味のない時間だった……」

 

 モリスンが吐き捨てるように立ち去ろうとした時、それまでジッとウィノナを見つめていたダオスが口を開いた。

 

「ウィノナ、そなたにはこの男の助力が必要なのだな?」

「え……?」

「この男を繋ぎ止め興味を持たせる事が目的なら、私にはその力がある」

「ダオス、だめ!」

 

 ウィノナは咄嗟に叫んだが、ダオスは意に返さず光に包まれて消えてしまった。

 

「何だ今のは? 彼は一体……?」

 

 呟くモリスンにウィノナは何も言えない。それどころか、どうしていいかすら分からなかった。

 ダオスは時間転移したに違いない。それがウィノナの助けになると信じて。

 しかしそれは、ウィノナにはとても危うい事のように思われた。

 

 今の内に何でもない目眩ましだと嘘をついて引き離すべきか。先程までのウィノナ同様、証明できない事なのだと。

 どうしたものか逡巡し、ようやく言おうと決めた時、眩い光と共にダオスが現れた。

 

「君は一体……? 今のは何がどうなったんだ……?」

 

 目の前で起こった奇妙な現象に目を白黒させていたモリスンに、ダオスは路傍の石を蹴り上げるような気楽さで言った。

 

「一分前の過去からここに来た。──私には時間を移動する力がある」

 

 

 

 そこからモリスンの態度は一変し、はるかに友好的になった。

 研究肌の強いモリスンは好奇心の赴くまま、ダオスへ根掘り葉掘りと質問をぶつける。対してダオスは質問に答えることに熱心ではなかった。

 

 曖昧な返事を繰り返すような有様だったが、それでもモリスンの熱意は止まらず、ウィノナの事は完全に眼中から消えていた。

 そうしている内に時間が経ち太陽が中天を過ぎる頃、モリスンはようやく自分の用事を思い出した。モリスンは同盟国に請われ技術提供する為に出立する準備の最中だったという。

 

「今ミッドガルズでは大規模な研究が行われていて、私はそこへの参加を求められている。私はすぐにでも、この国を発たねばならない」

 

 ダオスはとりあえず頷いた。

 

「そこで、どうだろうか。私はまだ君の話を聞かせて欲しいし、私の研究内容についても聞いて貰いたい。急ぎの旅でないなら、途中まででも同行しないか?」

「……確かに、急ぎの旅という訳ではない。旅の目的も、今となっては見失いつつある。かと言って彼女の意見を無視してまで付き合う義理もない」

 

 ダオスはウィノナに優しい視線を向けた。話に全く付いていけなくなっていたウィノナは、何となく気まずい思いで肩を竦めた。

 

「うぅむ……、そうか。確かに、あまりに一方的な申し出だった。それで、ああ……、ウィノナ。旅の目的を聞かせてもらっても構わないか?」

 

「そんな大したモノではないンですけど。……ダオスの助けになりたい。故郷に帰してあげたい……」

 

 ウィノナの吐露した思いに、ダオスは慈しむようにウィノナを見つめ、そして悲しむように目を細めた。

 無論、ウィノナとしてもそれだけが旅の目的ではない。当初持っていた理由も捨ててはいない。それでも、自分の目的よりダオスの目的を優先したいのは、大樹の前で項垂れたダオスが眼に焼きついて離れないからだ。

 

「マナがあったら、……ううん、何て言えばいいんだろう。マナや精霊に詳しい人がいたら話を聞いてみたい。今の旅の目的は、そんな曖昧な感じで……」

 

 ウィノナが言うと、モリスンは顔を綻ばせた。

 

「だったら丁度いい。一緒に行かないか」

 

 ミッドガルズでは大量のマナを活用する技術が開発中で、正にその為にモリスンは出立するらしい。

 

「まぁ、多少のキナ臭さは感じているがね」

「マナを活用するとはどういうことか」

 

 ダオスが訊くと、詳しいことは分かってないが、とモリスンは断りを入れる。

 

「人間にも魔術を使えるようにする技術。その為にマナを一箇所に集中させる技術の開発が第一段階。集中させたマナを生活向上の為に使用するのが第二段階。これを確立させるのが目的とのことだが……、相手は軍事国家だ。どうだかね……」

 

 説明を終えて渋面を作ったモリスンとは反対に、ウィノナの顔は明るかった。

 もしもさ、とウィノナは語気を強める。

 

「もしも、その大量に集めたマナを、あの聖樹様に与えたらどうなるかな?」

 

 ダオスはハッとしてウィノナの顔を見つめ返した。

 それが可能なら、死に行く大樹を蘇らせることが可能かもしれない。一つの所に集めて保管、保存できる技術は、大樹の復活に一役買うに違いない。

 行ってみる価値はある、とダオスは判断した。

 

「だが、そこまで私達に話して良かったのか」

「良くはない。だが、君を引っ張りこめるなら安いものだ。君の持つ時間転移能力とその理論には、それだけの価値がある」

 

 しかし一般の人間が関わることは難しい、とウィノナを見るモリスンに、ウィノナは表情を暗くした。ダオスも珍しく眉根を寄せ不快感を表している。

 

「何も単に一般人だからと邪険にしているのではない、危険なのだ」

 

 モリスンは心配している素振りをしてはいたが、学者肌の好奇心を優先していることは明らかだった。それを抜きに考えても、連れて行くなら分かりやすく益が出る方がいいに決まっている。

 あからさまな態度を見せて拒絶している訳ではなかったが、しかしウィノナにも説得できる材料を持っている訳でもなかった。

 

 とはいえ、ダオスとしてもウィノナを置き去りにするようなつもりはない。ダオスはウィノナの顔を窺い、そしてモリスンへ顔を向けた。

 

「ウィノナが共に行けないというのであれば、この話は無かった事にしたい」

「……ダオス!? せっかくの機会だよ?」

 

 自分のせいで話が流れしまうのは心苦しい。それでも離れ離れにならず、気にかけてさえくれるのは素直に嬉しかった。

 モリスンは腕を組み、ウィノナとダオスを交互に見やった。頭の鼻を掻き、眉根を寄せて考え込んだ後、分かった、とダオスに顔を向けた。

 

「ミッドガルズ行きについてはどうにかしよう。無論、研究所に入る事までは無理だ。家族扱いにでもすれば何とかなると思う」

 

  ウィノナは喜びも露に手を叩いた。しかし条件もある、とモリスンは言う。

 

「……な、何でしょう」

 

 ウィノナは身構えたが、用があるのはそっちだ、とモリスンはダオスを見る。

 

「時空間移動の理論について色々教えて欲しい。先ほどはろくに返事を貰えなかったが、少しくらいなら良いだろう? 最近、どうにも煮詰まっていたんだ」

「その程度なら構わない。ただし術そのものを教えることは出来ないし、例え教えても実践は無理だろう」

 

 それで十分だ、とモリスンは笑った。

 

「今はとにかく理論構築を最優先さ、よろしく頼む」

 

 それからは、つつがなくミッドガルズに向かうことが決定した。モリスンにも準備があるので出発は三日後という事になり、その場は解散となった。

 





※本作の独自設定
ここで登場するモリスンさんは、どちらかというと書籍版に近い性格をしています。ゲーム本編だとバジリスクの鱗を大量に要求してくるだけの(?)、穏やかなおじさんなんですが、書籍版だと研究肌で回りの見えない学者という感じです。

学術的好奇心があまりに強く、ウィノナの予知夢についても根掘り葉掘り聞いてきては辟易させていたようです。
本作でも同様に好奇心が強いのは変わりませんが、幾らかマイルドになっています。
 


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想い合い故の衝突

 

 唐突に空いた暇な時間をどうしたらいいものか、ウィノナは持て余してしまった。当てのない旅という訳でもなかったが、宙に浮きかけていた目的が唐突に舞い込んで来たのだ。

 幸運に感謝する気持ちで振り返ると、ダオスは暗い表情を隠しもせずウィノナを見つめていた。

 

「ど、どうしたの!?」

「約束を破ったことを悔いている……。命に危険もなく転移を行った」

「あ、そのこと……。ううん、仕方ないよ。気にしないで」

 

 確かにダオスは約束を破った。

 しかしそれは、ウィノナを思ってのことだと理解していたし、何よりダオスの目的に一歩近づく切欠にもなった。その一歩は間違えれば厄種になっていたかもしれないが、それでも故郷に帰れる大きな一歩になったに違いない。

 

「上手くいくといいよね!」

 

 ウィノナは屈託なく笑うが、ダオスの心情はとても晴れやかになれるものではなかった。

 ダオスは少し歩くように示して、それからウィノナに大通りに面したベンチに座るよう薦める。

 言われた通り、ウィノナはちょこんとベンチの端に座り、ダオスも少しばかり距離を作って横に座った。

 

 しばらく無言の時間が続いた。ダオスは遠い空に目を向け、何か考えをまとめているようだった。ウィノナは急かさず、ただダオスの言葉を待つ。そうしてやっとダオスは空から視線を断って切り出した。

 

「自分の事だけ優先していいものか考えていた……」ダオスはウィノナの目を見つめる。「君は私に尽くしてくれている。私も同様、君に尽くしたいと思っている。君が行きたい場所に付いて行く。君の行きたい場所が、私の行きたい場所でもある」

 

 ウィノナはそれを聞いて胸が温かくなるのを感じた。

 その言葉は素直に嬉しい。ダオスの誠意ある瞳は、それを真実だと教えてくれる。

 

「いつも新しい地に着く度、聞いている名前がある。……故郷の友人に会いたいのではないのか。だが今まで、その影すら見えていない」

 

 ダオスの表情に影が落ちた。

 

「私は一歩前進したかもしれない。しかし、そなたはその場で足踏みしかできていない。……それを申し訳なく思う。ウィノナの探し人が見つかるまで、ミッドガルズ行きは伸ばしてもいい」

「それは大丈夫。この機会を逃したら、次がいつか分からないし。アタシのために機会をなくすのも嫌だ。──アタシの親友達は、きっと今頃上手いことしてるよ、多分ね」

 

 ダオスに顔を向け、笑顔を浮かべる。

 彼らとの付き合いも長い、それに見合った信頼もある。

 確かに不安はないと言えば嘘になる。自分ひとりが離れて飛ばされたのか、あるいは全員がバラバラに飛ばされたのか。

 

 既にここまで主要な町を巡り、世界をほぼ一周してしまった。

 それなのに、まだ誰一人として出会えていない、そこに不安を強くする材料はある。

 だからと言って停滞するつもりも、ダオスの足を引っ張るつもりもなかった。

 

 そして何より、今も親友達が元気に動いているなら、ダオスを倒す手段を探しているという事になる。

 その前にダオスを故郷に送り返せれば、何の問題もない。

 

 ──魔王は誕生しない、だから封印もされない。そういうことだ。

 

 クレス達とここで再会できたなら、帰る事が出来れば倒す必要もないのだと説得する。そして納得させられるだけの材料も、一応はある。

 ウィノナの決意した目を見つめ、ダオスはゆっくりと頷く。

 

「そなたに感謝を。しかしそなたを(ないがし)ろにはしない、それは約束する」

「あ、ありがと……」

 

 ウィノナはその真摯な眼差しに頬を赤らめるが、ダオスの顔は涼しげで変わりない。その彼が、そういえば、と声を上げる。

 

「先ほどのモリスンに言った未来から来たとは、本当なのか?」

 

 ウィノナは一瞬、ドキリとした。

 倒す為に送り込まれたなど、読心術でも持たない限り分からないはずだ、と思いながら頷く。

 

「そうだよ。証明する手段はないけどね」

「帰る手段は最初から用意されていたのか? 君には時間転移の能力はないのでは?」

「ああ、うん…」

 

 ウィノナは決まりの悪い表情で足元を見つめた。

 

「ちょっと急なことだったからね、そういうの余裕なかったんだ」

「それは、つまり……」

 

 思わずダオスの眉根が寄る。

 

「うん、まぁ……」

 

 歯切れも悪く返事をする。言ってて自分が責められているように感じ、ウィノナも項垂れた。

 

「何と無責任な……!」

 

 ダオスにしては珍しく憤慨していた。もっともだと思うのでウィノナも何も言わない。

 ふと思いつき、でも、とウィノナは顔を上げた。

 

「アタシは多分、帰れないんじゃないかな……」

 

 何故だ、とダオスは不安げに顔を歪ませる。

 ウィノナは困ったような笑みを見せた。

 

「アタシの時代に、アタシの名前が入ったお墓があった。同姓同名の別人だって言われたけど、それがもし本当に自分なら……帰れなかったっていう事だと思うから。この時代に骨を埋めたんだろうね……」

 

 ウィノナは一つ息を吐いて、空に視線を移した。雲の流れは緩やかなはずなのに、何故だかそれが素早く形を変えていくような気がした。

 

「……ほら、ユークリッドに向かう時、途中で道を逸れたでしょ? それで地下墓地の話をしたじゃない、覚えてる? アタシの墓があるかもね、なんて……」

 

 ダオスもそれには覚えがあった。まだこの時代にはないのか、とウィノナが呟いた事に違和感を覚えていたので尚の事だった。ダオスは自らの表情が険しく変化していくことを止められない。

 それでか、とダオスが呻くように声を出した。

 

「諦めるような雰囲気を感じたことはなかった。ただ、よく吹っ切れたような雰囲気をすると感じていた。──帰るつもりがないから、私にこうして尽くすのか」

 

 ダオスの声音は次第に重くなっていく。ダオスは自らの感情の昂ぶりを止められないようだった。

 

「友を見つけ、故郷に帰りたいからこそ、今まで旅を続けていたのではなかったのか!? 私は自分さえ良ければそれで良いとは言わんぞ! そなたの行く道が、自分の行く道だと言った言葉に偽りはない!」

「──いや、ゴメン! ちょっと待って!」

 

 ウィノナは慌てて手を振った。滅多に見ないダオスが感情的になる姿にドギマギする。考えを上手く整理できず、とにかく口から出る言葉そのままに弁明した。

 

「そんなつもりは全然なくって……! 変な感想っていうか、他人事のような絵空事っていうか、とにかくアタシは普通に帰るつもりでいるから! ──本当だから!」

 

 どうどう、とウィノナは両手を前に突き出しながら顔色を窺う。

 

「では、友が見つかれば帰るのだな」

「それは……勿論そうだよ。でも、ダオスも故郷に帰る手段を見つけてからね。……きっとダオスも帰れるよ、だから一緒に頑張ろう」

 

 そうだな、と言ったダオスだが、その表情は厳しいまま崩れなかった。

 

 

 

 それから約束の日まで過ごし、海路を使って一路ミッドガルズへ向かった。

 船旅は快適とは言えなかったが、砂漠越えをもう一度する事を考えれば比べるべくもない。その代償という訳ではないだろうが、ウィノナは暇を持て余す事になった。

 

 多くの時間はモリスンがダオスに質問することに使われ、それにダオスが答える事で消費されていく。理論構築がどうのと言っていた割りに、学者としての知的好奇心を満たしている様にしか見えず、ウィノナは辟易としていた。

 

「ああ、それで時間の流れは川に例えられるというのは、まま聞く話だ。しかし、それに渦が加わるというのは、あまり聞いたことがないな」

「ああ、それは……」

 

 二人の話はウィノナには難しく、また興味惹かれて耳を傍立てる程、知的好奇心が旺盛な訳でもない。二人の会話を右から左へ受け流し、海と風の音を聞きながら雲を眺める。

 今までの旅はダオスと二人きりだったし、お互い会話する時間を探すような事もなく、また寂しい思いをする事もなかった。

 

 だがモリスンが来る頻度が増えるに連れ、甲板の上で海や空を眺めるのがウィノナの日課となった。そうでなければ、時々モリスンから予知夢の事情を質問される事がある程度だった。

 いっそ予知夢を見ずに済む方法はないかと訊いてみたが、モリスンも知らずどうしようもなかった。

 

 

 

 そしてまた、ウィノナの眠らない日々が続く。

 ダオスが何者かに討ち倒される夢。多くが霞がかっていて他の人物像は判然としないが、他の予知夢と違い、幾度となく見せてくるこの夢は果たして何を意味するのだろう。

 

 未来は変えられない事を意味するのか、変えて見せろと言う警告なのか。

 ウィノナには分からなかったがダオスが倒される夢など、何度も見たいと思わない。対抗できる手段があるとすれば、それは眠らない事しかなかった。

 

 ウィノナにそのような状態が続いている時、ダオスもまた心ここに在らずといった姿を見せるようになった。物憂げな様子で空を見つめ溜め息をつく。

 重い体を引き摺ってダオスに会いに行っても、言葉を濁すばかりで心境を打ち明けてはくれない。それ以降、ウィノナはダオスの方から話してくれることを待とうと決めた。

 

 

 

 ある日の夜、月夜の見える甲板でウィノナはダオスと二人で星を見ていた。少しでもダオスの気晴らしになればいいと思っての、ウィノナからの誘いだった。

 そういえば、とウィノナは隣のダオスに訊く。

 

「すごーく今更な質問だけど、ダオスの故郷はどこ?」

「……ここより遥か遠い場所だ」

 

 それは分かるけど、とウィノナは苦笑した。

 

「具体的な国名とかさ。アタシたちも色々見て回ったものだけど、ダオスの故郷はどこからも遠かったの?」

 

 ダオスは曖昧に頷き、遠い目をして星空を見つめた。

 

「私の……私の故郷は。……そうだな、いずれからも遠い。このまま私の帰りを待つ者らの期待に背くことにならないかと、身を竦む思いが常にある」

 

「そうなんだ…… 」ウィノナは少し悲しげに目を伏せた。「待っていてくれる人がいるんだね。大丈夫、きっと帰れるよ、ダオス」

「──無責任なことを言うな! 今こうして向かっている先でも望みが叶う可能性が限りなく低いことは分かっている!」

 

 ダオスは思わず激高した。溜まった鬱憤(うっぷん)を晴らすというよりは、堪らず爆発したというような形だった。八つ当たりだということは分かっていても、ダオスは口から飛び出す言葉を止めることはできなかった。

 

「分かっていても諦め切れぬ、最後の一欠片の望みが消えるまでは! 私はここで船に揺られている場合はではない、一刻でも早く帰りたいのだ! ああ、私の故郷はこの星にはない! 遥か遠く星の海の向こうにあるのだ!」

 えっ、とウィノナは双眸を見開く。

 

「私はこの星の人間ではない、遥か宇宙の彼方からやってきた! 我が十億の民を助けるため、星の海を渡ってやってきた! 大いなる恵みがなければ、故郷の星は死滅してしまう。──私はそれを救いたいのだ!」

「そう、なんだ……。でも、きっとそれは無理──っ」

 

 言ってしまってから、ハッと口を手で覆う。

 衝いて出た言葉は諦観(ていかん)のような言葉だった。

 

 ──何で言ってしまった、何を油断してた!

 

 ダオスの荒らげた口調に動揺したのは事実だ。普段より物静かな気質な人だったし、今日この頃、鬱屈としていたことに不満を感じていたのも事実だった。

 しかし、否定するような言葉を滑らすべきではなかった。

 

「何を知っている。私の何をお前が知っているというのだ!」

「それは……」

 

 目を逸らしウィノナは口を噤む。ダオスは痺れを切らし、その細い肩を掴んだ。

 

「私を見ろ、私の目を! 私が帰れないとでも言うのか!」

「──そうだよ! ダオスは帰れない!」

 

 肩を掴んだ手を振り払い、ウィノナはついに言ってしまった。本当はそんなこと言うつもりじゃなかったし、本心からの言葉でもない。睡眠不足からのストレスだと言い訳するつもりもない。

 ただダオスの鬱憤に当てられて、反射的に出た言葉だった。

 

「何故そんなことが言える、何故……未来から来た──それでか!? 何を知っている、言え!」

 

 ダオスの力強い瞳に射抜かれ、嘘を言う気力は生まれなかった。だからウィノナは、ただ言われたまま全ての事を話した。

 未来からは来たものの、ダオスのことや、過去から起きる現代までの歴史などまるで知らなかったこと。

 ダオスに関することは、ただウィノナの持つ予知夢の力で知り得たこと……。

 

「なに……?」

「夢の中で視たことは、いつ起こるかは分からない。でも夢に見るとね、それが本当に起きるんだよ。アタシの妄想でも空想でもない、本当なんだよ……」

 

 ダオスは黙考する。ハーメルの町での不可解な夜の外出。

 いつかの船上で言った、眠るのが怖いと嘆いたウィノナ。

 そこで見たということか。見たくない未来を、つまりダオスの未来を──。

 

「ダオスは未来に行く力、アタシは未来を視る力、あたしたちは似た物同士なンだよ。ダオスを故郷に帰してあげたい、これは本当にそう思う。──でも多分、帰ることは出来ないんだと、思う……」

 

 そうか、とダオスは零す。悲しげな表情ではなかった。能面のようでもなかった。諦めでもないように思う。その表情からダオスの心情を伺うことはできなかった。

 その日はそのまま船室に戻り、お互い無言のまま眠りに付いた。

 

 

 

 翌日、気まずい雰囲気ながら、ウィノナは勇気を出してダオスに声を掛けた。

 

「お、おはよう……!」

「ああ、おはよう」

「──あの、昨日は……ホント、ごめンなさい! 馬鹿な戯言だった、気にしないで!」

「そうだな、……そうしよう」

 

 ダオスは薄っすらと笑む。

 

「故郷に帰る、その意思は持ち続けるべきだ。帰りたいという思いが消えない限りは」

 

 全くその通りだ、とウィノナはうんうんと頷く。

 ウィノナの有様が余りにもいつも通りだったので、ダオスの笑みがより穏やかなものに変わる。ウィノナはそれが嬉しくなり、つられて笑顔になった。

 

「昨日は本当にごめンね、あんなことを言いたかった訳じゃなくって。きっと予知夢で視えた未来だって変えられるンだし──」

 

 ウィノナは腕を持ち上げ、力こぶを作るようなに肘を曲げる。

 

「だから故郷に帰れるように、アタシも全力で応援するし力になるよ! ううん、ならせて欲しい」

「ああ、ありがとう」

 

 ダオスはよろしく、と手を差し出す。

 ウィノナは嬉しくなって、その手を両手で包み込み、また笑った。

 

 

 

 海に揺られる旅路の中で、二人の間では穏やかに時間が過ぎた。

 ウィノナは既に睡眠を問題なく取るようになったし、ダオスの鬱屈した雰囲気も随分晴れたように見えた。

 時折モリスンがダオスの元を訪れ、質問攻めをしていく事は変わりなかったが、それでもウィノナは到着までの残りの時間を有意義に過ごせたと思っている。

 それから一週間が経ち、ミッドガルズ最寄の港に到着した。

 

 着いてからは直ぐに王都内へ入り、モリスンとダオスは城へ行った。ウィノナはやはり同行できないので、ダオスを待つ間の為に一軒家が与えられた。

 それからというもの、ウィノナは一日の大半をそこで過ごすことになる。

 

 最初は毎日帰ってきていたダオスも一日置きになり、二日置きになり、遂には一週間帰って来なくなった。

 それでもダオスがいつ帰って来てもいいように、食事は常に二人分用意してある。無駄になることの方が圧倒的に多いと分かっていても、ウィノナは作るのを止めない。

 

「新記録更新、か……。次はいつ帰って来るのかな」

 

 ウィノナは憂鬱な気持ちそのままに溜め息をつく。憂鬱なのはダオスが帰ってこないことも原因だったが、決してそれだけではなかった。

 

 また眠れない日々が続いている。

 予知夢は見ないが、代わりに悪夢を見るようになった。どういう内容かは朧げにしか覚えていないが、汗をかいて飛び起きることだけは共通している。

 

 だから夜眠れずに昼寝をするようになったのだが、そこでもやはり悪夢で起きる。

 ほとほと参ったウィノナは、待ってる間の時間も有効に使おうと町へ出た。

 

「もしかしたら、クレス達が見つかるかもしれないし……」

 

 言い訳じみた独白だとは理解している。それでも、以前探した事があったとしても、今日にも到着する可能性はある。そう思って探してみたが、どこを歩いて訊いても見つけることは出来なかった。

 

 クレス達はどこにいるのだろう。それとも、もう二度と会えないのだろうか……。

 考えたくはないが、海の真ん中、無人島、人知れぬ荒野など、生存できない場所に飛ばされてしまう可能性だってあるはずだ。

 

 気持ちがどんどん後ろ向きになる自覚はあったが、止めることはできなかった。

 クレス探しも徒労に終わり帰路についた頃、泣いている子供の声が聞こえてきた。なかなか泣き止まない子に、母親が少しばかりきつい口調で叱っている。

 

「いい子にしていないと、ユニコーンはお願いを叶えてくれませんからね」

 

 ウィノナはそれを耳の端で聞いて、ふと思う。

 ──ユニコーンに願えば、ダオスを故郷に帰してくれるのだろうか。

 ダオスは最近帰ってこない日の方が圧倒的に多い。

 

 町を練り歩いている内に、いつだか聞いた事がある。ユニコーンが住むという白樺の森は、ミッドガルズより北西の位置にあるらしい。

 ユニコーンは清らかな心を持った者の前にしか現れず、そしてもし会えたなら願いを叶えてくれるのだと。いや、どんな傷でも病気でも治してくれるのだったか。

 どちらだったのか、ウィノナは正確には覚えていなかったが、それが願い事を聞いてくれる存在だということだけはしっかりと認識していた。

 

 そして、ウィノナは思う。

 ダオスの帰宅間隔を考えれば、行って帰って来ても問題はないように思える。ダオスもウィノナが遠出をしていたことなど、気が付かないに違いない。

 無駄に時間を浪費するだけならば──本当に願いが叶うかは分からないが──、行った方がいいに決まっている。

 そう頭では分かっていても、実際に行動を起こす気にはなれなかった。

 

 

 

 自宅に帰り、ウィノナはダイニングのテーブルに突っ伏す。額をテーブルにつけたまま、腕を投げ出し目を閉じた。

 気力が溶けるように流れ落ちていく気がする。そのまま細く息を吐き出していると、取り止めもない考えが頭をちらつく。

 

 ダオスにミッドガルズ行きを進めたのは失敗だったのだろうか。

 目に見える成果というものが無いせいだというのは分かる。その成果がいつ出るものか分からない不安というのもある。焦りは厳禁だということも理解している。

 

 それでも、全てが悪い方向に進んでいるように思えてならない。

 もしもを考えても仕方ないはずだ。ウィノナに選べた選択肢は多くない。だが、果たしてどうすれば良かったのか、このままただ待つだけで良いのだろうか。

 

 そうして、うとうとと眠りかけた時、僅かな気配を感じて顔を上げた。

 焦点が定まらないままに目を向けると、ダオスがふんわりと笑っている。

 ウィノナは慌てて手櫛で髪を整え、立ち上がった。

 

「帰ってこれたの!?」

 

 声が上ずり、喜びを隠し切れず、ウィノナの顔に笑顔が咲いた。

 ダオスはその笑顔を見て、更に笑みを深くする。

 

「君の真似をしてみた」

「マネってなに……?」

 

 ウィノナが首を傾げると、ダオスは悪戯めいた口調で言った。

 

「椅子を蹴って不満をぶちまけたのだ」

「ひどいなー!」

 

 ウィノナは口では文句を言いつつも、笑みを抑えることができなかった。

 そうして迎えた一日はとても楽しく過ごすことができた。離れた時間が長かった分、ダオスと一緒に過ごせるのは何より嬉しく感じた。

 

 話したいことは幾らでもあった。そのとりとめもない話にダオスは一々相槌を打ってくれ、夜が更けても飽くことなく付き合ってくれた。

 

 ──その日は珍しく悪夢を見なかった。

 




 
椅子「ぐあぁぁぁ!!」
 


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想いの果てに

 
四肢欠損表現があります。
苦手な方はご注意ください。
 


 

 ある日、いつもと同じようにダオスを待っていると、衝撃と共に扉が開く。何者かが力任せにこじ開けたのだと察したと同時、すぐさま挨拶もなく兵士達が乗り込んで来た。

 二名は入り口に陣取り、残り三名はそのまま更に中へ入り込んで来る。

 

 ウィノナは椅子から浮かせていた身体を硬直させる。これが賊ならば即座に対処したろうが、国の兵士となれば暴力に任せた解決は悪手だ。

 

「あいつはどこだ! あの化け物はどこにいる!」

 

 先頭に立った隊長らしき男が怒鳴る。その声に触発され、身体が反射的に動いた。一歩踏み出したウィノナも、その気迫は負けていない。

 

「何のことか分かんねぇよ、ふざけンな!」

 

 ウィノナの思っていなかった態度に、兵士達は一瞬怯む。

 

「ここはアタシとダオスの家だ! 勝手に入って来て好き勝手言ってンじゃねぇよ!」

 

 中まで入った三名の内、二名が素早く家の中を改めたが、そもそも一般的な家屋に隠れるようなスペースもない。すぐに戻って来て兵士達は隊長の男に首を振った。

 

「くそっ! いいか、あいつが帰ってきたらすぐに知らせろ!」

 

 来た時同様、荒々しく扉を閉じて帰って行き、ウィノナはその様子を窓からしばらく観察した。

 一体研究所でダオスに何があったのか、ウィノナには分からない。しかし緊急事態ということだけは理解できた。ダオスは恐らく無断で研究所を抜け出し、そして逃げたのだろう。

 

 ウィノナのいる家に帰り、一緒に連れ去る余裕さえなかったのだ。捨てられたのだとは思っていない。戻ってこられないほど切迫しているというのなら、ウィノナの方から駆けつけ助けるまでだ。

 兵士達が帰っていた路地を睨み付け、ウィノナは静かに決意した。

 

 

 

 旅装に着替え終わり、兵士達が帰ってから十分な時間が経った。ウィノナは窓辺に近寄り外を窺い様子を見る。家の前を通り過ぎる人はいるが、怪しく思える人物はいない。

 ダオスを見失っているというのなら、ウィノナの動向は間違いなく監視されている。ダオスの方から現れなくとも、ウィノナの方から向かうことはあるかもしれない、という考えは当然持っているはずだった。

 

 尾行されいるかどうかを確実に見破る方法をウィノナは知らない。だからいっその事、尾行される前提で動き、そして追いつけない速度で行動すればいいと考え、ウィノナは家を飛び出した。

 

 ただ問題は、ダオスがどこにいるのか検討も付かないということだった。研究所から逃げ出したとして、隠れる場所などミッドガルズに与えられた家しかない。他に匿ってもらえるような場所はダオスにはないはずだ。

 

 そこまで考えてから、この近辺にダオスに関係のありそうな場所は、ウィノナには一つしか思い当たらなかった。

 馬を駆って都から北上、ヴァルハラ平原へと飛び出し、──あの場所へ。

 

 平原北東部の更に先、打ち捨てられた古城。そこにいなければウィノナにはもう当てがない。

 しかし果たして、ダオスはそこにいた。

 いつか初めて逢った時と同様、月明かりが差し込んだ城内にダオスは立っていた。風が吹いただけで崩れてしまいそうな光景の中、ウィノナは声をかける。

 

「……ここにいたんだ」

「ああ、君か。よくここが分かったな」

「賭けだったけどね、初めてダオスに会った場所だったから」

「そうか。そうだったか……。何故か分からぬが、ここは落ち着く。とりあえず飛び出したはいいものの、どうしたものかと歩いていれば、ここを見つけた……」

 

 それきりダオスは沈黙してしまった。沈痛な表情のまま、言葉を探しているように見える。

 

「ねぇ、どうしていなくなったの?」

「研究所の真の目的を知ったからだ。……あそこは駄目だ、あんな研究を続けていれば、いずれマナが失われてしまうだろう」

 

「……え?」

「マナを集める技術、それは間違いではなかった。しかし集め方が暴力的に過ぎる。あれでは大樹を救うどころではない、完全に破滅へ追いやるだろう。──あの技術は唾棄すべきものだ、存在すらあってはならぬほどの……」

 

 ダオスの消沈する声が、静まった城内に響いた。ウィノナは何と声を掛ければいいか分からい。言葉を探していると、後ろから地面を踏みしめる音が聞こえて咄嗟にそちらへ体を向ける。

 

「こんな所にいたのですか、捜しましたぞ」

 

 ウィノナは盛大に舌打ちしたい気持ちを必死に押さえつけた。……尾行はされて当然だと思っていた。だから速さを最優先に考えてここまで来た。しかし、それさえ相手には想定内の事だったのかもしれない。

 ウィノナは自分の見通しの甘さに腹が立った。

 

 自宅を訪問してきた兵士達に加え、更に二十人ほどの兵士がそこにいた。その中で見覚えのある男、隊長格らしいあの高圧的な兵が一歩前に出ると、他の兵も続いて半円状に取り囲むようにして広がる。

 

「さぁ、こんな所で何をしておいでです。研究所へ戻りましょう」

「──言うこと聞く必要ないよ、ダオス。帰ろう」

「……だが、私に帰るところはない。──やはり、もう帰還すること叶わぬのだろうな」

 

 ダオスは無気力に脱力した。最後の一縷(いちる)として希望を見出した研究でさえ、 ダオスの願望を叶える事は出来なかった。それどころか滅びを後押しするような内容だった。故郷を救う最後の手立てが失われてしまった消沈は深い。

 

 悲観に暮れ、抵抗する気力さえダオスにはないようだった。そのまま連行されそうになるダオスを見て、ウィノナは激高する。

 

「ダオスに触るな!」

 

 飛び出したウィノナだったが、接近するよりも早く凶刃が走った。隊長の振りぬいた腕の先には長剣があり、一拍遅れて何かが地面に落ちる。

 

 ウィノナはそれを視線で追って、それが誰かの片腕であることを認識すると間の抜けたような表情をした。

 理解が追いつかない。落ちた片腕は誰のものだ。

 ウィノナは己の右腕を見て、ついで触れようともう片腕を伸ばし、信じられないような顔をした後、絶叫した。

 

「あ、あ、腕……が。あ、アァァァァァアアアア!!!」

 

  傷口から血液が飛び出す。ウィノナは地面に膝を折り、切断された右腕に触れようとするが、痛みで身体が硬直した。涙と汗が噴き出し、痛みのあまり頭痛と吐き気が絶え間なく襲った。

 

「──貴様ァァ!!」

 

 ダオス豹変は劇的だった。その激怒は一陣の風と共に圧力を持って噴き出す。兵士たちは咄嗟に隊長を庇う様に隊列を組んだ。

 その風が通り過ぎるや否や、その身体が衝撃と共に肉片と化した。

 一番奥にいた隊長と他数名は無事だったものの、隊長以外の兵士は既に戦意を喪失している。

 

「駄目、駄目だよ、ダオス……っ。殺しちゃ駄目、怒っちゃ嫌だ……!」

 

 ……これか。もしかして、これが?

 魔王が生まれる。きっと今この時この状況が、ダオスを魔王と呼ばれることになる原因だ。

 

 ダオスを魔王にしないこと。ウィノナはいつだったか、魔王誕生を阻止することも目的の一つと挙げたはずだった。

 歴史通りに世界が進むなら──予知夢の再現が成るのなら、魔王になったダオスはいずれ打ち倒され、封印される。

 

 ──それは嫌だ。嫌だ! 嫌だ!!

 

「ダオス、やめて……!」

「悪魔め……!」

 

 隊長は舌打ちすると、剣先をダオスに向け檄を飛ばす。

 

「総員かかれ!!」

 

 だが、従う者はいない。誰もが歯をかち鳴らし、震える腕で剣を向けるのが精一杯だった。

 

「……悪魔だと、この私が? ならばいたいけな少女を斬りつけるお前は何だ。この星のマナを吸い尽くし、大地を腐らせ、雑草すら生えない大地に変えた貴様らは何だ!」

「魔科学は人の世を助ける技術だ! 今はまだ形になっていないだけに過ぎない! 必ずや人の生活を豊かにする、恵みをもたらすのだ!」

 

「──それはいつだ! 人どころか獣も住めぬ大地を作り、嘆いた後で訪れる恵みか! どれほどの恵みが後に残るというのだ!」

「黙れ! 悪魔に人の恵みの何たるかなど理解できるか!」

「悪魔……悪だと? この世に悪があるとすれば、それは私ではない。貴様ら人間のくだらぬ欲の心だ!」

 

 ダオスの一喝と共に噴き上がる黄金のオーラは、古びた城を揺らす程の圧力だった。

 ダオスは素手のまま兵士達を殴りつける。その暴力の猛威は、残りの兵の八割を一度に肉片へと変えてしまう程だった。

 

 ダオスがウィノナに向き直る。その表情は穏やかで兵士に向けるような激情は欠片も感じられない。

 ダオスは血に染まった手を差し出して言う。

 

「──共に来て欲しい」

「ダオス、だめだよ、だめ。……ね? 私も一緒に謝るから、だからそれは駄目だよ。そっちに行ったら、もう戻れなくなっちゃう。まだ間に合うから……っ、 お願い……!」

 

 ウィノナは斬り落とされた片腕の脇に、もう片方の手を差し込み気休めの止血をしながら懇願する。脂汗と涙で顔中を汚しながら、それでもウィノナは苦痛を押し殺してダオスを見つめる。

 

 ダオスはそれに返答しなかった。ただ代わりに一度悲しそうに眉根を寄せ、差し出した手を引っ込めると握り込む。

 その力いっぱい握った拳をもう一度開き、腕を動かそうとする。しかし表情が歪むだけで、再び差し出されることはなかった。

 

「……優しい一年をありがとう」

 

 精一杯の優しい声でそう言うと、踵を返して暗闇の中へ歩を進める。まるで闇に溶けるように消えて行った。

 

「駄目だよダオス! まだ間に合うんだよ! 帰って来てよ、ダオス──!」

 

 しかし声に反応はなく、ただ静まった城内に声が反響するばかり。追いかけたいのに傷の痛みがそれを許してくれない。

 帰ってくる声も、姿もそこにはなかった。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ウィノナはあれから傷を治療され、片腕を失ったまま、元いた家に帰ってきた。

 帰ってきたというよりは軟禁されている、と言う方が正しい。

 もしダオスがウィノナに会いに来るようなことがあれば、直ちに捕まえるよう配置された兵士が殺到することだろう。

 それを思えば、決して帰ってきてはいけない、と思う。

 

 ウィノナは虚ろな表情のままベッドに横たわっていた。窓から見える空は曇天で、このところ晴れる姿を見せてくれない。まるでウィノナの心境がそのまま映し出されているかのようだった。

 

 ──何故、こんなことに。

 

 一体なにがいけなかったのだろう。

 後悔するというのなら、色々な事が候補に挙がる。ダオスを一人にさせてしまった事もそうだし、研究所に行かせた事もそうだ。そもそもミッドガルドなぞ来なければ良かったのだ。

 

 モリスンに予知夢を見る力を話した事から始まり、ダオスの時間転移の力を教えてしまう事態となってしまった。あの男に教えなければ、こんな事には──。

 八つ当たりだと分かっていても、暗い気持ちは抑えられない。

 事態の好転を願っての一助だったが、それが今や最悪の事態になってしまった。

 

 暗い気持ちをフツフツと胸の内で燻ぶらせていると、外から子供の泣き声が聞こえてきた。

 マナを失った空気と大地、食物の実りは衰えるばかりで、一つのパンを食べるのにも困る町になっている。

 子供の泣き声がやまず、いつまでも耳を震わせる。煩わしく思えてきた時、ダオスの帰りを待ちわびて町に出た事を思い出した。

 

 泣いている子供に、その親が言い聞かせていていた、あの言葉。

 ──いい子にしていないと、ユニコーンはお願いを叶えてくれませんからね。

 

 ここより北西にある白樺の森。ユニコーンはそこに住んでいるという。もしも本当に会うことができれば、願い事を叶えて貰えるのだろうか。

 

 何とはなしに思ったことだったが、ウィノナの胸の奥にじわじわと広がっていく熱がある。

 もしも、もしも本当に──。

 本当にユニコーンに会えれば、今からでもダオスは故郷に帰れるのだろうか。

 ウィノナはその晩、決意した。

 

「──今からでも、遅くない……っ」

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 兵士が手薄になる瞬間を見計らって、ウィノナは家を飛び出した。

 馬を盗んで夜通し走らせ、すっかり陽も昇った頃、白樺の森へと辿り着いた。どこにいるかも分からないので、とにかく息を切らしてユニコーンを探す。

 

 揺れる髪の毛には艶がなく、肌の色は土気色。頬は()け、瞳に合った快活な色は既になく、くすんだ色を湛えている。

 そして右腕があった場所には、袖が力なくぶらぶらと揺れていた。

 

「ユニコーン、お願いがあって来たンだよ! 姿を見せてよ、ユニコーン!」

 

 ウィノナは声を出来る限り張り上げる。

 しかし、ユニコーンは姿を現さない。

 

「お願い、ダオスを帰してあげて! ダオスを故郷に帰してあげて!」

 

 しかし、ユニコーンは応えない。

 

「どうして! 何で出てきてくれないンだよ! 悪いのはダオスじゃないのに! 悪いのは人間の方なのに!」

 

 声が枯れてもウィノナはユニコーンを呼ぶ声を止められない。

 何故なら、最後の希望はここにしかない。

 この最悪の状況を覆せるとしたら、もはや神か精霊以外成し得ない。

 

 もしも、このまま時間が進めば、ダオスは必ず討たれることだろう。

 ──ダオスを殺されたくない。

 

 それを防ぎたいから必死に足を動かす。雪に足を取られ体力の消耗も激しく、声を張り上げれば更に多くの体力が消耗していく。それでもウィノナは探すのをやめられない。

 ダオスを助ける。その思いがウィノナを突き動かしていた。

 

 諦めの気持ちが胸を去来した時、頭上にサッと影が差した。

 ──ユニコーンが出てきてくれた!?

 

 喜びも露に顔を上げると、そこにあったのはユニコーンではなかった。それどころか、ユニコーンとは似ても似つかないその影の正体は、天高くに飛行する魔物の群れのものだった。

 

 ウィノナは顔を真っ青にして、まさか、と思う。魔物の群れが向かって行く先は東の方向。

 ──まさか、そんなはずは。

 

 片手しか動かせない身体で、大変な苦労して木に登る。樹上からは地平線までが良く見え、空に視線を転ずると、古城の方へと飛んでいく魔物の群れが見えた。

 

「なんで、どうしてだよダオス! 故郷に帰りたいだけじゃなかったのかよー!」

 

 ウィノナの叫びは慟哭だった。涙ながら、枯れた声を必死に上げる。

 

「魔物を何に使うつもりなのさ! ユニコーン、止めて! ダオスを止めて! 魔物を止めて!!」

 

 しかし、それでもユニコーンは応えない。

 ウィノナがどれだけ声を枯らしても、ユニコーンがその呼び声に応える事は、遂になかった。

 

 

 

 魔王ダオス、誕生。

 ダオスが魔王と呼ばれるのは、この瞬間からである。

 

 ウィノナはダオスが魔王になるのを防げなかった。ダオスが故郷に帰ることも助けてやれなかった。

 一体どうすればよかったのか、ウィノナには分からない。何をすれば良かったのかすら。

 

 そして、この時よりミッドガルズから彼女は完全に姿を消す。

 町の兵は元より近くの家の住人まで、ウィノナの姿を見たものは誰もいなかった。

 




 
※本作の独自設定

高圧的な隊長は、原作小説ではライゼンでした。
しかしゲーム本編やドラマCDなどで知った彼とはかけ離れているので、特に名前を持たないキャラとして代役してもらいました。
仮に原作キャラの誰かを配役に付けるなら、ワンソンかツーサムあたりでしょうかね?


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幕間
苦悩と悔恨の狭間で


 
前回の補足。
ゲームをプレイした人は分かっていると思うのですが、一応。

身も蓋もない話をすると、ウィノナは頼む相手を完全に間違っています。
ユニコーンは別にどんな願い事も叶えてくれる存在ではなく、治癒、治療といった癒しの力を司り、法術の力の源とされる精霊です。
なので、腕を治して、という願いなら、きっとウィノナの前に姿を現したことでしょう。

しかし、親が子を叱るのに使われた文句をそのまま誤解してしまい、藁にも縋る思いで頼ったというわけでした。
以上、蛇足でした。

さて、今回ちょっと短めです。
 


 

 モリスンがそれを知ったのは、全てが終わった後の事だった。

 

 同盟国のアルヴァニスタから招聘(しょうへい)されてよりこちら、忙しい日々を過ごしていた。

 モリスン自身もまたミッドガルズに魔科学に携わる研究員として所属しており、上からの命令に従いつつ内部から研究の根幹を探ろうとしていた。

 

 しかし内容を知ることは遅々として進まず、焦れた矢先のことに知ったのが、ダオス失踪だった。

 寝耳に水とはこの事だった。

 一体どういう理由があって、彼はその決断をしたのだろうか。

 

「考えられるとすれば、研究の全貌を知り得たから。そして、それが彼の望むものではなかったから。……だから去った?」

 

 元よりミッドガルドにやって来たのは、彼の意に沿う研究が行われているか確認する為だ。詳しい事は知らないが、彼の望みを叶える事は簡単ではないらしい。だから少しでも可能性があればこそ、ああして進んで研究に協力していたのだ。

 

 考えに没頭していると、明らかに憔悴し負傷した兵と一緒にウィノナが帰ってきた。

 いや、それは正しい表現ではない。ウィノナは明らかにぞんざいな扱いを受けていたと判別できるほどに傷だらけで、見るも無残に憔悴(しょうすい)している。

 

 モリスンは、そんなウィノナの姿を見て瞠目した。単に傷だらけの身体、砂と埃に塗れた姿を見ただけではそこまで驚かない。

 ──その右腕がなくなっている。

 

「一体何があった!?」

 

 詰め寄って兵を揺さぶったが、聞かれた兵は何も答えない。視線すら合わせなかった。

 では隊長に、と相手を代えても、やはり言うことはできない、と言う。

 

「たかか一研究員ごときに、何もかも教えてやる必要はない! 事は国運に関わる、お前も私室で待機していろ!!」

 

 隊長の機嫌はすこぶる悪く、とりつく島もなかった。

 力ない足取りで自室に帰ったモリスンは、椅子へ倒れ込むように座ると頭を抱えて深く項垂れた。

 

「一体何があったんだ、どうしてあんなことに……!? ウィノナは一体どうなったんだ。私がしたことは間違いだったのか、誰か教えてくれ……!」

 

 ダオスを招こうとしなければ、ウィノナも着いてこようとはしなかった。着いてこなければ、あのような悲惨な目に遭う事もなかった。

 大体、何故ウィノナが怪我を負うのか。単に魔物に襲われた訳ではないはずだ。そうでなければ、兵士が視線を合わせようとすらしないのは不自然だし、それに明らかに何かを隠している。

 それも後ろ暗い、誰にも話せない内容の何か。

 

 更にダオスの不在が、不安をより大きくさせる。

 彼がウィノナを捨てて行くとは考えられない。船上でも幾度と見かけた二人は本当に仲睦まじく、モリスンも声をかけずに立ち去っことは一度や二度ではない。

 

 ならば一体、今のこの状況は何だというのだ。

 自分の探求心が招いた結果だという、自責の気持ちはある。

 しかし、この状況をどうすれば改善に導けるのか、モリスンには全く分からなかった。

 

 

 

 それからしばらくして、モリスンはウィノナが自宅へ送り返されたらしい事を知った。全身にあった擦り傷はすぐに治ったが、腕の治療は簡単なことではなかった。

 失った腕は戻って来ないが、傷口は縫合され昏睡状態からは無事快復したという。

 

 その事が知れた直後、モリスンは可能な限り早く向かい、ウィノナ達へ貸し与えた家に着く。

 家の扉を叩こうと腕を上げると、横手から男が現れ止められた。

 

 城の兵士だ、とモリスンは分かった。服装こそ一般人と大差ないものだったが、鍛えられた身体と顔つきはそう簡単に隠せるものではない。

 

「邪魔をするな……!」

 

 モリスンは睨み付けて声を荒らげると、男は手荒にモリスンの腕を取る。そのまま腕を捻られ、苦痛に身を(よじ)っている間に家から離された。

 

「現在、あの女に会うことは許可されません。どうか、お引取りください」

 

 口調こそ礼儀正しいが、そこには有無を言わせぬ迫力がある。

 それでモリスンは全て察してしまった。

 

「彼女は撒き餌なのだ、きっとダオスは捕縛されていないに違いない……」

 

 彼が再び現れ、そしてウィノナに接触しようとした時、今度こそダオスは捕われ、そして決して逃がさないだろう。

 ──何とかウィノナを逃がしてやりたい。

 

 しかし、それが困難であることも同時に理解していた。

 モリスンがこのまま強行突破して家の中に入ったとしても、他にもいるだろう仲間が現れ阻止することは容易に想像できる。無論、失敗すれば牢に入れられるだけでは済まない。

 

 モリスンは自分の無力を悟らざるを得なかった。悔しげに俯き踵を返す。ウィノナの家から逃げるように去って行った。

 

 

 

 意気消沈しながら城へ戻る。研究員として招聘されたモリスンには、この国で研究の成果を出す義務がある。だから何にもまして研究に没頭しなければならないのだが、とてもそんな気にはなれなかった。

 

 自分の研究室で机に向かい、気難しい顔をして腕を組む。

 出てくるのは溜息ばかりで思考が悪戯に空回りする。何をしようにも手につかない。どうにかしたいし、どうにかすべきと分かっていても、モリスンにはその手段を思い付かない。

 

「よくない兆候だ……」

 

 どうしたものかと、もう一度溜息をついた時、部屋の外を複数の足音が慌ただしく通り過ぎていった。

 その時の話し声から、モリスンは幾つかの単語を聞き取る。

 

「あのダオスが……」

「魔物を集めて……」

「我が国に脅しを掛けるつもりか……?」

 

 会話の内容から拾えた単語は少なかった。それを抜きにしても、一体それが何を意味するのか脳が理解を拒絶した。

 モリスンは自分の頭で考える事を放棄して、部屋の扉に飛びつく。

 乱暴に扉を開くと、今まさに会話をしている兵士達へ掴みかかった。

 

「おい、一体どういうことだ! ダオスが何だって!?」

 

 その恐ろしいまでの剣幕に、掴みかかられた兵士は思わずといった反応で言葉を返した。

 

「な、なんだ! お前、一体……!」

「いいから答えろ! ダオスが魔物をどうしたって!?」

「詳しい事は知らん! だが、ダオスは北東の古城に籠って魔物を集めてる! それが何を意味するかなど、俺のような末端の兵士が知るものか!」

 

 放せ、と乱暴に腕を振り、他の兵士も慌ててモリスンを引き離す。

 兵士達は乱暴にモリスンを突き放し、一瞥くれると去って行った。

 モリスンはしたたかに尻を打ったが、そんな事はまるで気にならなかった。

 ただ茫然と床の一点を見つめ、兵士が言った言葉を反芻していた。

 

「ダオスが……魔物を集めている? なぜ? どうやって? 何の為に?」

 

 最早、事態はモリスンの理解の範疇を完全に超えていた。あまりに不可解、あまりに不自然とも思える行動だが、それが実際に起こっているとしたら、それはまるで……。

 

 

 

 モリスンは自分の無力さを嘆かずにはいられなかった。

 何も出来ない自分に歯がゆさを感じつつ、さりとて自室に戻る気にもなれなくて、城内をうろうろしていると会議室の前を通りがかった。室内では何やら言い合う声が聞こえてくる。

 その内の一人はウィノナを連れて来た時にいた、あの隊長のものだった。

 

「……だから、あの女を磔にでもして古城の前で脅してやればよいのです! さすれば奴も己が首を差し出すでしょう!」

「そんな事は許可できん」

 

 キッパリと拒否した声はライゼンのものだ。この国の軍部にあって高潔と名高い将軍で、兵にも民にも人気がある。その人物が一人の隊長と口論しているようだった。

 モリスンは思わず足を止めた。

 

「そもそも乱暴な方法で解決を試みた、貴公の失態が招いたことだ。その件では謹慎を申し付けたはずだが」

「ですから、こうして名誉挽回の機会をいただき、此度の件で帳消しに──」

「──もう良い、下がれ」

 

 ライゼンの呆れた溜め息が聞こえ、次いで苦々しく呻く隊長の声も聞こえる。

 その時、慌ただしく駆けてくる兵がいた。モリスンは慌てて身を引き、会議室から数歩離れた所に移動する。

 兵はそんなモリスンを見やる余裕もないらしく、一直線に会議室へ向かうと叩きつけるようなノックをして返事を待つ。

 入れ、との声が聞こえるや否や、乱暴にも思える手つきで扉を開け、失礼しますと一礼すると中に入った。

 

「アルヴァニスタが参戦見合わせを報せて来ました!」

 

 馬鹿な、と隊長が呻くのが聞こえ、モリスンも思わず会議室に足を向けた。

 覗ける範囲からでは、ライゼンが頭に片手を当てて俯いていた。隣ではワナワナと隊長が拳を握っている。

 

「アルヴァニスタめ、臆病風に吹かれたか! まだ奴の戦力が整っていない今が絶対の好機! それを放置することが、果ては世界の危機だと何故分からん!?」

 

 口から泡を飛ばす勢いの隊長に、ライゼンは煩げに手を振った。

 

「謹慎だと言ったはずだ、今は何を言うことも許さん。──下がれ」

 

 しかし、と言い募る隊長に、ライゼンは鋭い目を向けるだけで何を言うでもない。

 それで仕方なく隊長も言葉を飲み込み、会議室を後にした。

 今が絶好の機会だと、入れ替わるようにモリスンが入室し、迷うことなくライゼンまで近づいていく。

 

「本当なのか……。本当に、ダオスが魔物を集めて……」

 

 ライゼンは突然の入室にも咎めず、モリスンへと冷静に顔を向けた。しばらくの黙考の後、ただ頷く。

 それ以上の返答がないので、モリスンは続けて問うた。

 

「目的は分かっているのか?」

「まだ詳しい事までは分かっていない。しかし、古城にてダオスはミッドガルドに対して完全な決別、そして憎悪を向けたのは間違いない。日々、古城へ魔物が集まっている事は斥候が確認している」

 

 ライゼンは気苦労を全て吐き出すような溜息をついた。

 

「あの隊長以外にも、同時に居合わせた兵士達からの聞き取りによれば、ダオスの怒りは相当なものだったらしい。その場にいた兵士の八割が、そこで無残に殺されている」

 

「何てことだ……」

「全くな。声明の発表はまだだが、ミッドガルドとしてはこれを国家を揺るがす脅威と認定するつもりだ。──つまり、戦争になる」

 

 モリスンは思わず唸った。

 それはつまり、単に少数精鋭の兵士たちを送り込み、古城へ奇襲作戦を取って決着する、というような単純な解決は出来ない事を意味する。魔物の数はそれ程までに多いということか。

 

「魔物の数はどれほど?」

「斥候によれば、既に三千を超えている。また、日々絶えることなく魔物が近隣から押し寄せている。警戒網の構築も見られることから、烏合の衆ではなく、指揮官に相当する何者かがいるのは確実だ」

 

 それがダオスか、とモリスンは呟いた。

 

「では、その事をアルヴァニスタに打診したにも関わらず、我が国は同盟国としての義務を放棄したと?」

「まだ放棄したとまでは聞いていない。単なる様子見、あるいは日和見。どちらでもいいが、初戦から轡を並べる気はないようだな」

 

 モリスンは腕を組んで黙考する。

 慎重な行動は当然だ。一人の男が魔物を率いて国に喧嘩を売った、などという印象しか与えられていないのだとすれば、むしろそんな事は自分たちで処理しろ、と考えられても不思議ではない。

 

 しかし、ダオスの脅威が数匹の魔物を操る程度だと思われているようなら、それはとんでもない間違いだ。この数日で三千を超える魔物を集められるなら、更に半月経った時、或いは一月経った時、その数がどれほどまでに膨れ上がるのか、モリスンには想像もつかない。

 さて、とライゼンは口の端に小さく笑みを浮かべ、モリスンへ顔を向けた。

 

「軍部の部外者である貴方に、何故こうまで詳しく話を聞かせたか。アルヴァニスタの聡明な研究者殿なら、そろそろ理解できた頃と思う」

 

 言われてモリスンは、ハッとした。

 それもその筈、そもそも聞かれた程度でライゼンがモリスンに答える義務はない。それどころが軍規により説明不可、と切り捨て追い出すのが普通だ。

 そこでようやくモリスンにも合点がいった。

 

「私が適任というわけか。アルヴァニスタを参戦させようと思えば、説得する者が必要だ」

「その通り」

「……分かった。ここまで聞いて知らない振りも出来ない。……私が説得に行ってくる」

 

 ライゼンは幾らか顔を綻ばせて頷いた。

 

「……頼むぞ」

「分かった、必ず参戦の旨を取り次いでみせる」

 

 モリスンは、何故こうも素直に言う事を聞いたのか、咄嗟には分からなかった。しかし改めて考えてみれば、その理由は明らかだ。モリスンは自嘲するかのように苦笑した。

 モリスンは単にここから逃げたかったのだ。ここから逃げる口実を探していた。だからこれ幸いと飛びついた。

 

 しかし、これは単なる逃避ではない。モリスンにはこうなってしまった事態への大きな後悔があった。

 今やミッドガルズではダオスのことを魔王と呼び、世界の敵に認定させようとしている。だが、そのようにしてしまった原因の一つは間違いなく自分だという自覚もあった。

 

 その為に戦争を終わらせる方法を探り、解決へ導こうと思っても研究所にいるだけでは不可能だ。それに良いアイデアが浮かんだとしても、一研究員の意見具申が上層部に届くかどうかという不安もある。

 

 国内にいては自由に身動きできない不便さは多くあるが、だからといって自由に国外へ出る許可が得られる筈もない。

 今回の話は願ってもない絶好の機会だったのだ。アルヴァニスタの参戦が改めて決まれば、それだけ戦争が早く終わる。あたら将来有望な若者達が死んでいく戦争など、長く続いていいことはない。

 

 軍上層部は、ただダオスを討伐してしまえばよいと考えている節が見られるが、モリスンの考えは完全に逆だ。今はまだその存在は公にはされていないが、しかし、その脅威が目に見えて現れてしまえば、万民の脅威を取り除かんと、他の国家も拳を振り上げるだろう。そうなれば、もう止める事は不可能になる。

 

 だから、そうなる前に戦争を終わらせたいと考えていた。

 では、その戦争をいち早く終わらせるにはどうればよいのか。

 その最良の方法を、モリスンには既に理解していた。

 

 

 

 翌日、モリスンは再びウィノナの家を訪れた。今度はライゼンからの許可証もある。すげなく追い返されることはない筈だ、と家の正面に立つと、その周りを兵が慌しく動いていた。

 

「おい、一体何があった! これはどういう状況だ!」

 

 家の窓と扉は開け放たれ、周辺にまで兵が散っている。隠れて窺っていたはずの兵たちまでも、全てここに集結しているような雰囲気がある。

 周囲で聞き込みをしている兵たちの言葉を断片的に繋ぎ合わせると、一つの驚愕するべき事実が見えてくる。

 

「ウィノナが逃げた……?」

 

 目撃者の言葉を信じれば、夜中の内に家を飛び出したことになる。

 ダオスが迎えに来て連れ去ったのではない。自主的にどこかへ逃げたのだ。それも片腕を失い体力も気力も果てていただろう、あの身体で。

 

「ウィノナ……」

 

 モリスンは思わず呻くように名前を呼んだ。

 どうやって、どんな思いで──。

 いや、考えても仕方ない。

 

 ダオスを止める方法は分かっていた。この戦争を未然に防ぐ──あるいは早期決着させるにはどうすればいいのか、モリスンには分かっていた。しかし今、それが手の平から零れ落ちてしまったのだ。

 

 モリスンはウィノナの帰還を待ち望む。

 この戦争を終わらせられる人間がいるとすれば、それは一人しかいない。

 

「ウィノナ、君は一体どこに行ってしまったんだ……」

 




 
次回から時間が一年飛んで、クレス編が始まります。
これまた原作沿いの展開になりますが、チェスターニキが一緒なので、その違いを少し出していけたらなぁ、と思っています。
 


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第三幕 AC.4202年 春
落ちた先は黄昏、向かう先は夕闇


 
クレス編のプロットが三行しかなかった。
ふざけてんのカナ?
 


 

 視界が一瞬にして光に包まれ、身体が浮遊感で包まれる。永遠にも感じられるその不思議な感覚は、しかし一瞬にも満たない僅かな時間で終わりを迎えた。足が草を踏む感触と共に視界が晴れた時、クレスの視界に映ったのは夕焼けの茜色だった。

 

 見渡せば、自分達が何処か丘の上にいる事が分かる。

 丘の上から見える風景は、クレスの知るどのようなものより美しく思えた。何処かで見たような既視感はあるのに、胸を締め付けるような寂しさも同時に感じる。

 

「ここは一体……。皆は無事なのか?」

 

 我に帰って呟くと、それに返ってくる返事がある。振り返って辺りを見渡すと、ミントはクレスのすぐ後ろにいた。チェスターもそのすぐ横に立っている。二人もクレス同様、突然の事態に困惑を隠せずにいるようだった。

 

「クレスさん、ここは一体……? 私達はどうなったのでしょうか」

「僕にも分からない……」

 

 クレスは首を横に振って、ハタと気付いた。

 ミントもチェスターもいるというのに、ウィノナがいない。

 

 いつも騒がしく、直情的で喜怒哀楽の激しい彼女が、今の状況で口を噤んでいる事などあり得ない。二人が居たからウィノナもまたすぐ傍に居るとばかり思っていたのに、幾ら周囲を見渡してもそれらしい影は見当たらなかった。

 

 辺りは草原で、草の他には石と岩しかない。遠くには森が見えても、近くには隠れられるような樹も窪みもない。仮に今も倒れ伏せていたとしても、草丈は短く姿を見つけられない筈もなかった。

 クレスは声を張り上げてウィノナを探す。それに続いてチェスターも声を上げた。

 

「ウィノナー!」

「おーい、いたら返事しろー! ウィノナー!」

 

 叫んで呼んでも一向に姿は見えず、幾ら待っても声が返って来ることは遂になかった。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 あれから一時間、ウィノナを探すのに時間を使ったが、姿は勿論その痕跡すら見つける事は出来なかった。

 

「きっと、無事ですよ……」

 

 肩を落としたクレスに、ミントがそっと声をかける。落胆具合で言うとチェスターもクレスと変わらないが、それでも呆けてばかりもいられない。

 

「もうすぐ日も暮れる。クレス、移動するなら早い方がいい……」

「ウィノナを置いて行くっていうのか……」

「人を探すにも明かりがないと話にならねぇよ。俺達の身だって安全とは言えねぇ。村でも見つけて、そこを基点に探せばいい」

 

 恨みがましい視線を向けたクレスに、チェスターは諭すように言う。ミントもそれに賛成した。

 

「もしかしたら、ウィノナさんもこちらを探して既に移動した後かもしれません。それに、村へ行けば人手を借りられるかも……」

 

 その説得に励まされて、クレスはようやく移動する気になった。後ろ髪引かれる思いを持ちつつ歩を進める。

 闇雲に動いて見つかるものでもないのだから、とクレスは自分に言い聞かせ続けた。

 

 

 

 丘を下りしばらく歩くと、すぐに村が見えてきた。

 小さな田舎の牧歌的な村で、夕焼けが照らす光景はそれだけで物悲しくさせる風情がある。一度も訪れた事のない場所の筈なのに、懐かしいと思えるのは何故だろう。

 

 村の中を縦断しながら奥へと進む。

 時折見かける村人や試しに入った雑貨屋でウィノナの特徴を伝えてみても、誰一人知ってる者はいなかった。単に余所者に対して田舎者の口が堅いから、ということではないようだ。

 

 ──少なくとも、ここ数日の間に金髪の少女が訪れてはいない。

 まだ来ていないだけなのか、それとも全く別の方向に行ってしまっただけなのか。

 

「村長さんの所に行ってみませんか? ウィノナさんはもしかしたら移動せず救助を待っているだけかもしれません」

「ああ、そうだね。今も助けを待っているかも!」

「じゃあ、とっとと行ってみようぜ。人手を借りれるかは分かんねぇけどよ、号令を出せるのは村長だけだろうし」

 

 三人は頷き合うと、手近な人に村長宅の場所を訊き、逸る気持ちを抑えつつ急ぎ足で向かった。

 

 

 

 奥へ奥へと進むと、頭が見事に禿げ上がった老人が幾人かの村人と共にクレス達を見ていた。

 滅多に余所者が来ない村では、クレス達の行動は悪目立ちしたらしい。

 どこから来たんだ、と不安げな様子で話し合っている。

 

「あの、すみません。ここは……」

 

 クレスが声をかけると老人が一歩前に踏み出す。

 

「旅人、ということでいいのかの? これはまた久しい。儂はこのベルアダム村で村長をしている者じゃ。……おぬしらどこから来たのかの?」

「え、あの……その……」

 

 ミントはどう答えたものか言葉を探している内に、クレスが先に名乗った。

 

「僕はトーティス村のクレスといいます。こちらがミントに、チェスターです」

 

 クレスがそれぞれに手で指しながら言うと、二人は頭を下げ口々に挨拶をする。それを見てからクレスは続けた。

 

「僕らは、とある人の法術で飛ばされて……、気がついたら近くの丘の草原にいたんです」

 

 村長は考え込む仕草を見せ、口の中で小さくトーティス、と呟いた。

 

「そういえば、いつだか来た娘もトーティスという村の名前を口にしとった……」

 

 クレスとチェスターは、思わず顔を見合わせた。

 

「もしかして、その娘はウィノナと名乗りませんでしたか!?」

「おお、そうとも。確かそんな名前じゃったわい」

 

 クレスは安堵の溜め息をついた。チェスターも同様で一気に肩から力が抜けた。金髪の少女はここ最近村に来ていないと聞いていたが、どうやらその村人が知らないだけだったらしい。何故ウィノナだけが(はぐ)れてしまったのかは分からないが、ともかく先んじて村に到着していたのだ。

 

 安否の確認が取れてクレスは安心した。

 チェスターは辺りを見ながら、おどけて肩を竦める。

 

「で、ウィノナはどこにいるんだ? どうせアイツの事だから、騒がしくその辺走ってんだろ」

「ふむ……? どこに? 来たのはいつじゃったかの?」

「おいおい頼むぜ、もうボケちまったのかよ? せいぜい数時間前の話だろ?」

 

 チェスター、とクレスは小さく窘めるが、村長は小さく首を傾げた。

 

「数時間前の話? とんでもない、その娘が来たのは一年は前の話じゃぞ? 正確な日にちとなると、ちと覚えとらんのう」

「──いちねん!?」

 

 クレス達は驚愕し、チェスターは一歩詰め寄った。

 

「おいおい嘘だろ!? アイツが一年も前に来てたって!? それじゃ、アイツは今……今、どうしてんだよ」

「今どうしておるかは知らん。あれから一度も村には来とらんからの。ただ……」

「ただ、何だよ」

 

 深刻そうに眉根を寄せて、村長は唸る。

 

「そうじゃ、クレス……という名前の若者に伝言があった。北上するつもりだと、そう伝えてくれと頼まれとった」

 

 そうか、とチェスターは安堵とも後悔とも取れる溜め息をついて村長に礼を言った。

 

「言葉遣いの悪い奴ですみません」

 

 構わんよ、と村長はからからと笑った。

 

「でも、そうか……。一年も前に……。たった一人、見知らぬ土地で僕らを探して移動してるんだ……」

 

 それを思えば、どれだけ心細い事だろう。

 クレスにはミントがいる、チェスターがいる。相談し合い、助け合える仲間がいる。

 しかし、ウィノナはたった独りだ。

 早く合流しなければ、という気持ちを新たにした。

 

「いや、その娘は一人じゃなかったの。金髪の美丈夫と一緒じゃったな。仲睦まじく見えたが……」

 

 それは一体誰のことだろうとクレスは首を傾げた。無論、時間転移した者たちの中にそのような人物はいない。

 であれば、旅の途中で意気投合した誰かであったり、善意で手助けをしてくれる誰かなのだろう。

 クレスは少しだけ安堵した。ウィノナが実は寂しがり屋なのを、チェスターと共に知っている。

 

「何にしても、一年も前に北上してるんだろ、それじゃあもっと遠くへ行っちまってるだろうな。早く追いつこうぜ」

「それは分かるけど。でも日が暮れるから村を探そうと言ったのはチェスター、お前じゃないか」

「そうですね、今日はこの村で休ませてもらいましょう」

「……ああ、すまねぇ」

 

 どうも気が急いてな、とチェスターはバツが悪そうな顔をして頭を掻いた。

 ミントに優しく諭され、泊まる宿屋を探そうとした時、村長が言った。

 

「だったらウチに泊まっていくとええ。この村に宿屋なんて気が利いたものはないからの」

「では、ありがたく。お世話になります」

 

 クレスが礼を言い、ミントも続いて頭を下げた。

 村長宅に向かう道すがら、クレスはこれから先を考えると不安になる気持ちを抑える事ができなかった。

 

 ウィノナの無事はとりあえず分かった。判明したのは少なくとも去年までは無事だったことだけだが、それでも何も分からないよりは随分とマシだ。今も無事であり続けることを祈りつつ、早急に合流を目指すしかない。

 そして考えなければならないのは、時間転移した本当の目的だった。

 

「ダオスを倒す手段も、どこかで探らないといけないよなぁ……」

「──ダオスとな!?」

 

 何気ないつもりで言った言葉に、村長が振り返って思わぬ反応を示した。

 

「知ってるんですか?」

「知らぬ者はおるまいて。奴は世界の敵じゃからの!」

 

 鼻息荒く言い放つ村長に、クレスは面食らう。

 すぐに村長はハッとなり、咳払いをして身体の向きを戻した。

 

「長い話になりそうじゃ。家の中で話そう」

 

 クレス達は頷き、村長の後に着いて行った。

 

 

 

 村長宅に着き、椅子を勧められるままに座ると、クレス達はまず最初に自己紹介を行った。

 一応初対面時に簡単には紹介していたが、改めてクレス達は名乗り、村長も温和な表情で名乗る。

 

「ワシの名前はレニオスという。よろしくな」

 

 クレスはその名に聞き覚えがあるような気がした。知人の名前ではなかったように思う。しかし喉元に引っかかるような感覚を残したまま、結局思い出すことは出来ず、村長の言葉に反応するのが、ただ遅れることになった。

 クレスは慌てて頭を下げて挨拶すると、ミントに続いて頭を下げる。

 

「さて、何から話したものか……。気がついたら近くにいたと言ったかの?」

「はい、僕たちはダオスを倒す為の力を求めて、法術によって飛ばされてきました」

 

 ホージュツ、とレニオスは口の中で言葉を転がし髭をしごいた。

 難しい顔をするレニオスを見かね、ミントは椅子から立ち上がると傍による。

 

「法術とは癒しの力。こういったものです。──ファーストエイド」

 

 淡い光がレニオスを包み込み、木漏れ日の日差しのような温かさを与える。

 

「おお、気持ちがいいのぉ。……だが、知らん」

 

 ミントは困ったような顔をしてクレスに顔を向けるが、クレスもどうしたものかと首を傾げた。

 

「ホージュツなるものは初めて知ったが、魔術のことならよく知っておる」

「魔術ですって!?」クレスは思わず声を上げた。「以前、僕は母に聞いたことがあります。昔、この世界には魔術という力があったのけれど、ある時を境に消えてしまったと……」

 

「それはおかしい」レニオスは再び顎鬚をしごいて方眉を上げる。「ワシの知る限り、魔術が途絶えたことは一度もない」

 

 見せた方が早かろう、と両腕を前に突き出し両の掌を合わせるように向かい合わせる。

 小さな光が収束するように集まり、両手ですっぽりと覆える量が出来上がると弾くように掌を前に出した。

 

「いでよ、炎!」

 

 集まった光は瞬時に炎へと形を変え、火炎弾として一直線に飛び出す。炎はそのまま、開き放たれていた扉から家の外へ飛んでいった。

 

「凄い、これがダオスを倒す為の力!?」

 

 クレス達は目を輝かせたが、それとは対称的にレニオスは苦笑した。

 

「この程度の魔術で倒せるようなら、とっくにダオスは倒されておる。でなければ、今も着々と勢力を広げておるはずがない」

 

 ちょっと待ってくれ、とチェスターが手を挙げた。

 

「ダオスは封印から目覚めたばかりじゃねぇのか……?」

「封印じゃと?」

 

 何のことじゃ、とレニオスは首を傾げる。その仕草があまりに自然で、とてもレニオスが嘘をついているようには見えなかった。そもそも嘘を言う理由もない。ただの勘違いとも思えず、クレス達も困惑して顔を見合わせた。

 

「──奴が現れてどれほど時間が経つことか」

「時間が経つ……?」

 

 クレスは俯いて黙考する。

 訝しげに視線を送るミントとチェスターだったが、しばらくして顔を上げたクレスは自分の思いつきに興奮していた。

 

「もしかしてここは、未来の世界なんじゃ!?」

 

 言われてミントもハッとした。同意しようと頷きかけて動きを止める。視線を下に向けた後、しばらく考えて出した答えはクレスとは真逆のものだった。

 

「……いえ、ここは封印されるより前の世界ではないかと思います。魔術が途絶えた例がない、法術を知らない、という事が証明になるかと」

「未来だの過去だのと、一体なんのことじゃ? 今はアセリア暦4202年だがのぅ……」

 

 クレス達はそれ聞いて完全に動きが止まった。チェスターは開いた口が塞がっていない。

 

「──百年前!?」

 

 クレスとミントは顔を見合わせる。お互いの表情が、とても信じられないと語っていた。

 

「俄かには信じられないけど……」

「……はい、でも村長さんが法術を知らないと言った裏付けは取れました。私達が使う法術は、その成立が4210年以降だと言われています」

 

「もしかすると、この時代にはまだ法術そのものが無かったかもしれない……?」

 

 ミントは無言で頷く。

 沈黙した室内に流れるのは暖炉の薪が燃える音、そして外から漏れ聞こえる鳥の鳴き声だけだった。

 

 

 

 すっかり陽が落ち、窓の外には夜の(とばり)が降りていた。クレスが窓から視線を戻すと、そこではレニオスが暖炉の前で行ったり来たりを繰り返している。

 

「それにしても驚いた……。ワシもまだ信じられん。久々に訪れた客人が、まさか未来から来た者とは……」

 ミントが頷き、クレスも頷いた。

 

「実感がないのは、僕も同じです」

「でも、多分間違いないと思います」

「俺も半信半疑だ。本当は夢でも見てるんじゃないか?」

 

 夢か、とクレスは俯く。

 言ったチェスターも、恐らくクレスと同じ事を連想したのだろうと感じた。ウィノナはよく夢の──予知夢の話をしていたものだった。

 しんみりとなりそうな空気を振り払い、クレスはレニオスに向き直る。

 

「……それより、ダオスと魔術のこと、教えていただけますか?」

 

 レニオスは頷くと、暖炉の前に立った。暖炉の明かりが剥げた頭部を照らす。

 

「ダオスは魔術でしか傷付かないと言われておる」

 

 ああ、とチェスターが肩を竦めた。

 

「確かモリスンのおっさんも、そんなこと言ってたな」

「ああ、そうだった……。モリスンさんもこの時代に来てるんだろうか」

 

 それは分かりませんが、とミントが困った顔をしてレニオスに視線を向ける。

 

「すみません、続けてください」

「うむ……、いいのかね? ──ダオスは魔術を使わなくては倒せぬ。奴の打倒に魔術は絶対に必要じゃ」

「とはいっても、僕らに覚えられるかな……。勿論、努力を惜しむつもりはないけど……」

 

 いいや、とレニオスは首を振った。

 

「魔術を行使するにはエルフ族であるか、あるいはその血を先祖に持っていなければならない。努力したところで覚えられるものではないのじゃよ」

「じゃあ、どうしたら……」

「なに、使えないなら使える者を頼るまでじゃ。魔術の使い手に助力を求めればよい」

 

 とはいえ、過去の時代と思えるこの世界に、クレス達の知り合いはいない。

 例え現代だとしても──現代なら尚の事、魔術師の知り合いなどいよう筈もなかった。

 それとも、旅の剣士が珍しいものではないように、この時代ならば魔術師もまたよくいるものなのだろうか。例えそうだとしても、手当たり次第に声を掛けていくというのもまた、現実的ではないように思える。

 それならば、とクレスはレニオスに相談を持ちかけた。

 

「どなたか、良い魔術師を紹介していただけないでしょうか?」

「ちょっと待ちなされ。おぬしら、本当にダオスと戦うつもりかね? 君達のような少年少女が?」

 

 クレスとチェスターは意志の篭った眼差しで頷く。

 

「はい、そのつもりです」

「俺たちの時代にダオスが蘇った。その場に居合わせたけどよ、アイツの怒りは相当なモンだったぜ。世界を焼き尽くすつもりだと言われても、納得しちまうぐらいにはな」

「僕たちは過去に逃がされました。でも、それは魔王を倒す手立てを持ち帰る為であって、このまま安穏と過ごす訳ではないんです! お願いします!」

 

 三人が頭を下げたが、レニオスは難しい顔で顎鬚をしごく。クレス達に背を向け、暖炉に踊る火を見つめた。

 

「……残念じゃが、紹介できる魔術師はおらん」

「それなら、どこに行けばエルフに会えるのでしょう? それだけでも教えていただけませんか?」

 

 縋るような声でミントが言うと、レニオスは振り返って小さく笑った。

 

「そう慌てるでない。教えられないのは、単にこの近辺には魔術師がおらんからじゃ」

 

 落胆を隠せないクレス達に、レニオスは笑ってみせる。

 

「ここから北にあるユークリッド村に、クラースという者が住んでおる。エルフではないが、魔術を人間が扱えるよう日々研究に勤しんでおる者じゃ」

「じゃあ、そのクラースって人に会えば?」

「うむ、気難しく無愛想な男じゃが、きちんと話せば必ずや力になってくれるじゃろう」

「分かりました、ありがとうございます!」

 

 破顔するクレスに、レニオスは手を左右に振る。

 

「礼には及ばんよ。おぬしらの気持ちも分からんでもないが、決して無理するでないぞ」

「ありがとうございます、村長さん」

 

 ミントも礼を言うと、レニオスは奥の部屋に手を向けた。

 

「今日はもう遅い、ここまでにしよう。前にも言ったとおり、遠慮なく泊まっていくといい」

 

 三人は顔を見合わせ頷く。その好意をありがたく受け取ることにし、改めて礼を言った。

 

 

 

 その夜、本来は二台のベッドをレニオス夫婦が使っていたものを一台譲って貰い、それを使う事になったのだが、誰が使うかは相談するまでもなかった。まさか同衾する訳にもいかないのでベッドはミントに使ってもらい、男は床で寝ようと言うチェスターの提案は妥当なもので、クレスも賛成した。

 

 ミントは固持したが、女性を床で寝かせて男がベッドを使うわけにもいかない。野宿よりマシだ、と笑うチェスターがミントをベッドに押し込み、それでようやく就寝する事になった。

 

 ベッドから離れた床の上、クレスとチェスターは隣り合って横になる。

 目を閉じようとしてもすぐには眠れない。

 特にチェスターはそれが顕著で、身を起こして壁に背を預ける程だった。

 

「……眠れないのか」

 

 横になったままのクレスが寝返りを打って顔を向けると、チェスターは力なく頷いた。

 

「明日は早くから移動したいからよ、早く寝なきゃって思うんだけどな。でもウィノナの事を思うとよ、どうにも目が覚めちまって……」

「分かるよ……。単にはぐれただけだと思っていたのに、一年も前に来ていただなんて……」

「誰かと一緒にいたんだってな。一人じゃないだけマシかと、聞いた時は思ったけどよ。それだって今も一緒だとは限らねぇ」

「うん、行く方向が一緒だったから、それまでの一時的な同行だっていう可能性は高いと思う」

 

 チェスターは溜め息を一つ零した。

 

「クレス、お前ともそうだけどよ、ウィノナも兄弟同然に過ごしたし、家族のようなもんだと思ってる。同じみなしごだった分、打ち解けるのはクレスより早かった……」

「ああ、一緒に暮らす僕よりも仲が良かった」

「だから、アイツが寂しがり屋だってこともよく分かってる」

 

 クレスはチェスターが何を言いたいか分かった気がした。

 気丈に振る舞い、周りを明るく引っ張るその姿は、ウィノナの心情の裏返しだ。

 チェスターが斜に構え皮肉屋であるのも大人に頼らず生きてきた処世術で、クレス達もそれを分かり合える程には長い付き合いだった。

 

「今も一人で泣いてるんじゃないかってさ、そう思うと気が急いちまってよ……!」

 

 風が窓を叩いてガタガタと揺れた。外の風は強く、春先の夜露はさぞ身体を冷やすだろうと思われた。

 ウィノナは三人を探していたと言う。ならば今も探して旅をしているのだろうか。

 いつだって宿が取れるとも限らない。むしろ次の町に辿り着くまで跨ぐ日数を考えると、野宿して過ごす日の方が多いくらいだろう。

 クレスは一人で焚き火をしながら(うずくま)り、寒さに耐えるウィノナの姿が見えた気がした。

 

「それに、ここは百年前の世界なんだろ……? 俺たち、元の時代に帰れるのか?」

 

 クレスは思わず言葉に詰まった。それ以前の問題が山積みで、今はまだそこまで考えられない。先送りにしてよい問題でもないのだろうが、かといってそれは今すぐ答えが出る問題でもなかった。

 

「僕たちがこの時代のダオスを倒したら、歴史が変わってあの時代が来ない事になるのかな……」

「そういう難しいことは俺には分かんねぇ」

 

 チェスター、とクレスは呟いて再び寝返りを打った。

 

「まずは出来ることをしよう……。明日から頑張らないと」

「ああ、そうだな……」

 

 チェスターも壁から背を離して床に横になる。

 しばらくして、静かな寝息が聞こえてきた。

 

 二人の会話をベッドの中で聞いていたミントは、ゆっくりとベッドから降りると自分に使われていた毛布を取り出す。

 寝ている二人の所に近づき、そっと掛けると小さく呟く。

 

「私も、お手伝いさせてくださいね」

 

 勿論返事は返って来ないが、ミントは満足してベッドに戻る。

 二人の寝息を聞いている内に、ミントも静かに眠りに落ちていった。

 




 
村人A「ファイアボールを神回避!」
 


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召喚術と風の精霊

 
要所要所、重要じゃないシーンは無慈悲にカットしていきます。

原作的には意味があっても、本作では重要視しない所などは特にですね。
精霊を集めるにしても、全てを描写するつもりはありませんので悪しからずご容赦ください。
 


 

 翌日、村長によくよく礼を言って村を出た。

 今どこにいるとも知れないウィノナを追って、そしてダオス打倒のため必要となる魔術を求めての旅立ちだった。

 

「ウィノナが北へ向かったというなら、ユークリッド村に立ち寄った可能性も高いんじゃないかな」

「……だな。着いたら色々聞いて回ろうぜ」

 

 歩き続けてしばらく、山道を越えると小さな村が見えてきた。

 かつてのユークリッドを知る者としては、あまりの変化に度肝を抜かれる。

 村に入り、歩き回ってウィノナを知る者がいないか尋ねて回ってみたものの、覚えている者は誰もいなかった。

 小さな村とはいえ、旅人の出入りもそれなりにあり、そして一年も前に訪れた人物などそう覚えているものではない。それが頭で分かっていても落胆は隠せない。

 

「駄目か……」

「何日も滞在していたならともかく、すぐに立ち去ってしまったのなら覚えている方が難しいかもしれませんね……」

 

 消沈したチェスターにミントが励まし慰める。

 漠然と誰かがすぐに目撃情報を教えてくれると思っていたのは、昨日ベルアダムの村ではそれがすぐに分かったからだろう。

 何もかも上手くいくことなどそうはないのに、上手く行くと勝手に思い込んでしまっていたのだ。

 

「仕方ない。今はクラースさんの家に行こう」

 

 目的の家はすぐに見つかった。

 入ってみると、そこは本棚に囲まれた部屋で、中央には大きなテーブルと椅子があった。恐らくは居間としても兼ねているのだろうが、こうも本に囲まれていて落ち着くものなのだろうか、とクレスは思う。

 それとも、ここの住人にとってはこちらの方がいいのだろうか。

 

 少し視線をずらしてみれば、本棚に前に立って一人の男が物色している。学者のようには見えなかったが、家の中には他に人がいない。それでとりあえず、ミントがその男に声を掛けた。

 

「あの、あなたがクラースさんでしょうか?」

 

 声に気がついて男が振り返る。全身に入墨をした奇怪な風体はミントを困惑させた。

 そうだが、と訝しげに見やる男に、ミントはつい早口になってしまった。

 

「あの、クラースさんの魔術について教えていただきたくて参りました」

「……なんだ、お譲ちゃんは魔術学の受講希望者か。そういうことはミラルドに任せてあるのでね。奥にいるだろうから、そっちに言ってくれ」

 

 ぞんざいな口調で言って、クラースは顎で家の奥を示すと再び本棚に向かってしまった。

 

「いえ、私達は受講目的ではなく、魔術が必要でやってきました」

「同じことじゃないのか? 学ぶことなく使えるようにはならない。必要というなら、前金で二万ガルドだ、お譲ちゃん」

 

 言い終えるとクラースは指を本に沿わせて探し出す。こちらには全く興味を持たない仕草だった。

 ミントが珍しく不満を顔に表していた。柳眉を逆立てて一歩踏み出す。

 

「……その、お譲ちゃんというのはやめてください」

 

 すまないね、と口にしながら、悪びれもせずクラースは振り向いた。

 

「何しろ、まだ君の名前を聞いていない。初対面だと思ったが、私の勘違いかな?」

「──あっ、す、すみません! 私はミント・アドネードと申します。こちらはクレスさんとチェスターさんです」

 

 一息で捲くし立てるように言ってから、ミントは顔を赤くして背を向ける。

 一人ひとりに目を向けると、クラースは腕を組んで天井に目を向け、そうして溜め息を一つ吐いた。

 どうしたものかとクレスはチェスターに目を向けるが、チェスターは肩を竦めて何を言うでもない。

 

「……やれやれ、いつだったかもこんな事があったな。あの時はまだしも礼儀正しいお嬢ちゃんだったが」

 

 クレスとチェスターの見合わせていた顔が、同時にクラースへ向く。

 

「その女の子のこと、名前とか覚えてますか!?」

「いつだったかって、いつ来たんだ!?」

 

 突然の反応にクラースは面食らって一歩後ずさった。

 

「な、なんだいきなり。あー……、来たのは去年のことだったと思うが……。名前まで覚えていないな」

 

 頭を揺さぶってでも思い出させてやろうとチェスターが動き出した時、奥から声を聞きつけた一人の女性が姿を見せた。

 この女性が先ほどクラースが言っていたミラルドだろう。手に持ったトレイの上には四つのティーカップが載っている。

 

「お嬢さんの名前はウィノナさん、だったかしら。一緒に男性もいたけれど、そちらの名前は覚えてないわね。何しろ、ウィノナさんのインパクトに比べて、男性の方はまるで置物の様に物静かだったものだから」

 

 どうぞ座って、とミラルドがお茶をテーブルに置く。クラースが席に座るのを待って、三人も席に着いた。席が一つ足りないので、ミラルドはクラースの後ろに立って控えた。

 

「ウィノナはどこに行くか言ってましたか」

 

 クレスが訊くと、クラースは首を横に振った。

 

「いや、どこに行くかは言わなかったと思う。──ただ、精霊のことを熱心に尋ねて来たな」

 

 当時を思い出そうと首を傾げるクラースに、ミラルドは笑った。

 

「そうそう、その熱意に押されて色々教えてあげたのよね」

「ああ、生憎と精霊の研究はまだ未熟だから分かる範囲で伝えはしたが……。そう、それで思い出した。だからアルヴァニスタに行くのを勧めたんだ」

「アルヴァニスタ……」

「あそこは世界一の魔術研究国だ。分かることも多かろうと思ってね」

 

 クレスとチェスターは顔を見合わせる。次の目的地は決まった。早速向かおうと立ち上がりかけたチェスターの肩を、クレスは掴んで座らせる。その前にもう一つ、ここへ来た目的を終わらせる必要がある。

 

「クラースさん、先ほども少し言いましたが、僕たちに必要なのは魔術を使える人なんです。知識そのものを蔑ろにする訳ではありませんが、でも知識だけあってもダオスは倒せない」

「ダオスを倒すだと?」

 

 クラースはピクリと眉を動かすが、すぐに息を吐いて腕を組んだ。

 

「まぁ、そちらの言い分は分かった。講義をタダで聞く為の嘘と言うにはいささか尊大すぎる話だが……」

 

 クラース、と横で呆れたような声を出したミラルドが、トレイを縦にして頭上で構えていた。

 

「この子たちはあなたを頼って来たんでしょう? もっと優しくできないの?」

「わ、分かった。分かったから、そのトレイを下ろせ。詳しく話を聞くから……!」

 

 にっこりと影の差す笑顔を浮かべたミラルドに、クラースは仰け反りながら手で頭を守り懇願するような悲鳴を上げた。

 クレスは我知らず唾を飲み込む。

 そこには言わずとも分かる、この家の上下関係が如実に表れていた。

 

 

 

 ミラルドが代わりのお茶を用意して、改めて話し合いを再開した。

 クレス達は自分たちがこの時代の人間ではなく未来から来たこと、ウィノナと共に来た筈が逸れてしまったこと、そしてダオスを倒す為の手がかりを探していることなどを話した。

 

 全てを話し終わった後、クラースはむっつりと黙り腕を組んで目を閉じる。

 クレスは説明したことが徒労に終わるかと思ったが、ミラルドの方に視線を向けると安心させるように笑って見せた。

 しばらくして、クラースが口を開く。

 

「未来から来た、か……」

「信じてもらえなくても仕方がないことです……」

「嘘をついて騙したいなら、そんな荒唐無稽な話を持ち出す必要はない。鼻で笑われて追い返されるのがオチだ」

「……はい、だから信じてもらえなくても構いません。──でも、僕らにはダオスを倒せる魔術が必要なんです」

「お願いです、力を貸していただけませんか?」

 

 クレスが言い、ミントが懇願するように続けた。

 クラースは腕を組んだまま姿勢を崩さず、難しい顔をしている。

 

「一つ勘違いをしているようだが、私自身が魔術を使えるわけじゃない。エルフの血は引いていないからな」

「はい、それはこちらを紹介してくれた村長さんからも伺っています。でも、魔術を使える研究を行っていて、きっと力になってくれるだろうと……」

 

 クラースはそれを聞いて再び黙り込んでしまった。

 気まずい沈黙が続いたが、しばらくしてクラースは口を開いた。

 

「……魔術を使えるのは、何もエルフの血族のみじゃない。精霊もまた魔術に等しい力を持っている。私の行っている研究は召喚術。精霊も魔術に等しい力を使えるから、これと契約して力を行使するんだ」

「自分が魔術を使うのではなく、使える者を呼び出す技術、という訳ですか」

 

 そうだ、とクラースは頷くと、隣のミラルドが小さく笑った。

 

「でもまだ使えないのよね」

「理論的には可能というのは分かっているんだ。後は精霊と実際に契約して実証するところまで来てる」

 

 チェスターは首を傾げた。学者だの研究だのは難しい話ばかりでよく分からない。

 だが自分たちにとって大切なこと、知りたいことは一つだ。

 

「……で、結局のところ、そのショーカン術ってのは使えるのかよ?」

「そこで取引だ。君達が協力してくれるというなら、私の召喚術を君達の目的の為に役立てようじゃないか」

「……何だかキナ臭ぇ話になってきたぞ?」

 

 チェスターはクレスの方に顔を向ける。クレスもその表情が多少、強張っていた。

 

「それはつまり、どうすればいいんでしょう?」

「なぁに、簡単だ。精霊っていうのは人里離れた場所に住むだけではなく、人にとって危険な場所を好む傾向にある。私一人では、とてもじゃないが精霊の元まで辿り着けない。──だから、護衛を頼みたい」

 

 クレスは目に見えてホッとしたし、ミントもまた無理難題ではないと分かって安堵していた。

 

「そんな事でいいのでしたら、喜んで!」

「よろしくお願いします!」

 

 クラースはうんうんと満足げに頷き、それなら、と立ち上がった。

 

「早速で悪いがローンヴァレイに付き合ってくれ。あの谷には風の精霊が住んでいる」

「い、今からですか?」

「用事をさっさと済ませれば、それだけ早くウィノナさんとやらを探しに行けるんじゃないか? 私はどちらでも構わないぞ?」

 

 行こうぜ、と言って立ち上がったのはチェスターだった。

 

「クラースの旦那の言う通りだ。用事が早く終われば、その分早く追いつける。アイツが今どこにいるか分からねぇが、今この時だって距離を離されるかもしれねぇしな」

 

 そうだな、と頷いてクレスも立ち上がる。ミントに手を差し出しながら、その様子を伺う。

 

「はい、勿論お手伝いします」

 

 ミントも薄っすらと笑んで、その手を取って立ち上がった。

 ちらりと横を見ると、クラースはミラルドと向き合いながら、しばらく留守にする旨を伝えている。

 話が長くなるかもしれませんから、とミントは二人の背を押して家を出る。

 クレスは背を押されながら後ろを見て、仲睦まじそうに帽子を受け取るクラースを見た。

 確かに、とクレスは思う。別れの挨拶を見物するほど、野暮じゃない。

 

 

 

 クラースが出てくるまで家の前でどうやって時間を潰したものか、クレスは考えてとりあえず空を見上げた。

 どれほど時間が掛かるか分からないが、勝手にどこかへ行ってしまうのはまずい。

 チェスターを見ると、矢を持たずに弓弦を張って遠くの木を的に射撃の練習をしている。

 クレスも素振りして待っていようかと考えていると、クラースは幾らもせずに出てきた。

 

「もう、いいんですか?」

「何、ちょっとしたフィールドワークだ。そう時間をかけることでもないさ」

 

 そうですか、と頷いてクレスはチェスターに目をやると、すぐに弓を背にしまって近づいて来る。

 

「では、出発するとしよう」

 

 クラースは帽子のツバを上げてから自宅を一瞥し、村の外へ顎をしゃくった。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ローンヴァレイはユークリッド村から程近く、架け橋を一本渡った先の島にある。

 その橋を渡り、遠くに島を見つめながらクラースが一つ講釈をしてくれた。

 

「この世の全てには霊が宿っていると言われている。その多くは未確認だが強い力を持つ精霊は、その分世界に姿を見せやすい。四大精霊と呼ばれる存在は特に力が強く、その存在も確認されている」

 

 へぇ、と頷きながらクレスは島の奥にあるという精霊の谷が見えないか、首を伸ばした。

 

「では、今回力を借りるのは、その四大精霊の内の一つなんですね?」

 

 ミントが言うと、簡単にはいかんだろうがね、とクラースは頷いた。

 

「精霊と契約するには自らの力を示す必要もあるが、何より指輪が必要だ。──私は契約の指輪と呼んでいる。まずはそれを手に入れる」

「色々複雑なんですね……」

「まぁ、そう簡単じゃないさ。その指輪もこの先の島に住む男が持っている。代価なくして手に入らんだろうが、それが無くては契約もできない」

「なるほど……」

「……そろそろ着くぞ」

 

 周囲を警戒していたチェスターが言う通り、橋を渡り切った先には粗末な小屋が見えてきた。脇に沿って続く道が谷へと繋がっているのだろうか。

 小屋へと無遠慮に近づくと、クラースが先頭になって中に入る。

 小屋の中も簡素なもので、一人の男がテーブルに座ってこちらを見ていた。

 

「突然の訪問、申し訳ない。あなたがバートさん?」

 

 そうだが、と答えた男が席を立って近づいて来る。

 

「……あなたは?」

「私はクラース。風の精霊と契約を結びたいと思い、ここまで来た。ついては指輪を譲っていただきたい。無論、代価は払う」

 

 バートと呼ばれた男は難しい顔をした。

 

「以前、地震があってから精霊が騒がしいんだ。原因は分からんし、何より危険で調べにいけない。もう少し待った方がいい」

「事情は分かったが──」ちらりとクレス達に視線を向けた。「急ぐのでね。どうかお願いしたい」

「……そうか、分かった。ならば、こちらの頼みを聞いてくれるなら指輪はタダで譲る」

 

 なに、とクラースは訝しんだ。

 精霊との契約に使える指輪は露天で買えるような代物とは根本的に違う。

 今は亡きドワーフによる技術の結晶で、現在では遺跡の発掘などでしか入手できない。それ故、当然高価で取引される。

 ただ言うことを聞くだけで譲るというのは、話が旨すぎるとクラースは思った。

 

「実は、数日前から娘が行方知れずなんだ。精霊の様子を見に行ったかもしれない」

 

 クラースは瞠目した。

 

「女の子が一人で!? そんな無茶な!」

 

 そうなんだ、とバートは困った顔をした。

 

「無鉄砲な娘で参っているよ。だが私にとっては何より大事な可愛い娘だ。無事に帰ってきて欲しい」

「そういう理由か……、なるほど引き受けた」

 

 ありがたい、とバートは肩の力を抜いた。

 

「娘の名前はアーチェという。ポニーテールが特徴だ。誰に似たのかお転婆で、とにかく目立つ子だよ」

「分かった、探してこよう」

「風の精霊は、谷の一番奥、つり橋の向こうにいるはずだ」

 

 娘を頼む、と言ってバートはオパールの指輪を差し出してきた。

 ありがたく受け取り、クレス達は小屋を出て奥へ続く道を進んだ。

 

 

 

 精霊の住む谷は、バートの言う通り酷く荒れていた。

 所々にかまいたちが吹き荒れ、小さな竜巻すら見える。転がる小石が竜巻に巻き込まれると、すぐさま細切れにされて砂のような小さな物へ姿を変えてしまった。

 

「マジかよ……」

 

 チェスターが顔を青くして、かまいたちを見つめる。

 それにこの場所はチェスターにとっては天敵だ。矢を放っても真っ直ぐ飛ぶとは思えないし、仮に命中しても威力は大きく削がれてしまうことだろう。

 風の隙間を縫って射るような神業は、今のチェスターには到底出来ない芸当だ。

 

「とにかく行ってみないと……」

 

 クレスが先頭になって谷を進むと、入り口近くに風を乱暴に引き起こしている精霊が見えた。白いワンピースを着ているように見える少女が(くだん)の精霊で、のたうつように空中を漂っている。苦悶のような、酷く余裕のない表情で風の気流を生み出し暴れていた。

 

 こちらに気付いた精霊たちは、声を掛けるよりも早く襲い掛かってきた。

 高い位置から攻撃をしかけてくる精霊は、クレス達にとって大いに不利だ。

 こういう場合、いつも頼りになるチェスターは今回ばかりは相手が悪い。常時吹き荒れる風と、精霊自身が生み出す風とでチェスターの矢は完全に無効化させられている。

 

「……チクショウ!」

 

 チェスターの悪態を背後から聞きながら、クレスは精霊に向かって駆ける。ミントのサポートを受けながら切り裂いてくる風に真っ向からぶつかり、クレスは剣を振るう。

 振るう刃とて、風の影響を受けないではなかった。強風はそれだけで前進する力を奪うだけでなく、巻き起こす砂が視界を奪い、礫は体力を奪う。

 

「これは……(つら)いぞ!」

 

 クレスは呻きながらも、まず接近する事に注力するが、何しろ相手は宙に浮いている。素早く飛び回って回避運動をする様子は見せないが、それとて傷つけられれば話も変わってくるかもしれない。

 

 クレスはとにかく一撃入れる事だけを考えた。

 ミントに視線だけを向けて盾を構える。

 

「頼むよ、ミント。捨て身で行く!」

 

 息を呑む気配と共に、ミントが杖を構える仕草が見えた。

 

「お気をつけて!」

 

 クレスは脇を絞めて盾を構え、顔面を覆うように持ち上げる。大雑把に敵の位置を把握しながら、風の圧力に負けないよう、全身に力を込めてとにかく前へ走る。

 精霊に近づく程に圧力が増え、傷も増えていく。風の刃が身を引き裂く度、ミントの回復法術がクレスを癒す。

 クレスは歯を食いしばり、前進を続け、そうして精霊の近くまで接近できた事を悟る。

 剣を握った拳にも力が入る。風圧を吹き飛ばすように盾を横凪し、両手で剣の柄を握った。

 全身に吹き付ける風が強まった。更に風の刃が頬を切り裂く。

 クレスは雄叫びを上げ、全力で地を蹴った。

 

「ウォォォ! 襲爪雷斬!!」

 

 高く飛び上がったクレスが、精霊を叩き落さんと雷を伴う上段切りを放つ。

 成す術なく無防備に近い形で斬撃が精霊に叩き込まれ、墜落した。その一撃に余程不意を打たれたのか、風の力が一瞬だけ止む。

 それを見逃すチェスターではなかった。

 

「──そこだ!」

 

 チェスターの放った矢は寸分違わず精霊の胸を打ち抜き、大地に縫い留める。クレスは着地と同時に前方へ跳び、落下の勢いそのままに剣を突き刺す。

 精霊は呻くような声を出すと、全身の強張った力を抜いていく。萎むように周りの風が収束し、ついには弾けて周囲の竜巻も消えていった。

 

 

 

 何とか倒した精霊は、小さく体を震わせ呻くように呟く。

 

「魔界の空気に触れて……」

 

 最後の気力を振り絞っての言葉だったのだろう、それだけ言うと霞のように薄れて消えてしまった。

 

「魔界の空気?」

 

 ミントが首を傾げ、クラースが得心がいったように頷いた。

 

「そうか、瘴気……! 先日の地震が原因か!? それで地表に魔界へ通じる穴が出来てしまったのかもしれない……!」

「そのせいで精霊が暴走してしまっている、ということですか?」

 

 だろうな、とクラースは渋面を浮かべて頷いた。

 

「その穴を塞ぐ事が出来れば精霊たちを鎮めることが出来ると思う。今のままだと契約は無理だ。まず先に穴を塞ぐ」

 

 クラースの提案に皆一様に頷き、クレス達は谷の奥へと進んでいった。

 谷を進むと洞窟があり、幾つもの横穴と繋がった迷路のような構造になっていた。

 洞窟の中には更に地下深くへと続く穴が開いており、そしてその場所こそが魔界の瘴気が漏れ出る場所だった。

 

 瘴気とは魔界の住人にとっては単なる空気と変わりないが、人間にとっては毒に等しい。肌を焼くような環境の中での作業は困難を極めた。

 それでもクレスたちは、何とか岩を移動させて穴を全て塞ぐと地上に戻る。

 洞窟からも出ると、ようやく胸一杯に空気を吸い込んだ。

 

「はぁ~、生き返るなぁ」

 

 大きく深呼吸しながら、チェスターもクレスに同意した。

 

「あん中じゃ、空気で肌が焼けるみたいで呼吸なんて殆ど出来なかったもんなぁ」

 

「ミントの法術がなければ全滅だったよ。──ありがとう、ミント」

 

 胸に手を当てて呼吸していたミントが、クレスに言われて顔を赤くした。

 

「いえ、とんでもありません。私に出来ることをしただけですから……!」

「ともあれ、これで精霊の心も鎮まったことだろう。……奥の方に見える吊り橋に、普段は精霊がいるという話だから早速行ってみよう」

 

 クラースが遠くに見える吊り橋を指差す。切り立った崖を中継するように掛かった橋が、ここからでも見る事が出来た。

 既に満身創痍に近かったが、瘴気の中で活動していた魔族のような強力な魔物はもういない。

 

 精霊の活動が正常に戻ったことで、辺りの魔物も鳴りを潜めたのだろう。これならば、精霊に会うくらいは出来る。クレスは己の心を叱咤させ、足に力を入れて谷の奥へと歩を進めた。

 

 

 

 全てをの吊り橋を渡り終えた最も奥の崖近く、一本の枯れ木の前に風の精霊が待ち構えるように漂っていた。

 クレス達が近づくと、顔を身体ごと向け感謝を示す。

 

「あなた達が……瘴気を取り払ってくれたのですね」

 

 そうだ、とクラースが頷き、指輪を摘んで顔の高さまで持ち上げる。

 

「古の指輪の命に従い、風を司る精霊であるあなたと契約を結びたい」

 

 まぁ、とシルフは顔を綻ばした。クラースの全身を見つめ、時に耳を澄ませ、染み入るように身体を広げる。

「よくぞ人の身で、そこまで召喚術を完成させましたね。……契約を結ぶことに否はありません」

 

 では、とクラースが喜色を示すと、シルフはそれでも、と首を横振った。

 

「契約をしたところで、近いうちに必ず、全くの無意味になるでしょう」

「契約しても無意味になる? どういうことだ?」

「私達の力の源であるマナが、世界から枯渇しようとしているからです。その結果、この世から精霊も魔術も途絶してしまいます」

 

 馬鹿な、とクラースは呻いた。

 

「何故だ!?」

「精霊の森にある世界樹ユグドラシルに会って下さい。そこでならば、納得のいく答え得られる事でしょう。未然に防ぐことが出来るのであれば、それに越したことはありません」

「待ってくれ、その世界樹……樹木の精霊がいるのか?」

 

 はい、とシルフは自明の事のように頷く。

 

「それが何か?」

「いや……、何でもない」

 

 以前、ウィノナが樹木の精霊がいないかと聞いてきたことがあった。そんな精霊は文献にも見たことがなかったから、いないと答えたが、もしかすると──。

 思考に没頭しそうになり、慌てて頭を振る。

 ──悪い癖だ。

 

「そう、何でもないんだ。分かった、その精霊の森に行って話を聞いてこよう」

「ありがとうございます。この精霊の珠(エレメントオーブ)があれば、世界樹はその呼び声に応えるはずです」

 

 シルフが手を一振りすると、光と共に翡翠にも似た色合いの宝珠が現れた。それを恭しく受け取り一礼する。

 

「確かに。……ああ、それと一つ訪ねたい。この谷に一人の少女がやってこなかったか?」

「この数ヶ月の間、谷を訪れたのはあなた達だけです。見落としたとも思えませんので、それは確実です」

 

 シルフが考える素振りさえ見せずに言ったくらいだから、それは真実なのだろう。

 

「分かった、ありがとう」

「では、契約を結びましょう。──オパールの指輪を」

 

 クラースは頷き、指輪をシルフの前に掲げると、高らかに契約の詠唱を読み上げる。

 

「我、風の精霊に願い奉る。我に精霊を従わせたまえ。我が名は、クラース」

 

 精霊は光りに包まれると導かれるようにクラースへと近付き、そうして同化するようにその身を重ねると、光の粒子となって消えていった。

 万事、契約は滞りなく進み、クラースは精霊シルフを得て意気揚々と谷を後にした。

 



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世界樹の真実、混迷の事実

 
中途半端なところで切ってしまいました。
キリの良いところもありましたが、それだと短すぎて……。
 


 

 谷から戻り、バートの小屋の前を通りかかると、見計らったかのように扉が開いた。

 

「やったのか!? 風がすっかり元通りになっているぞ!」

 

 クラースが頷くと、バートは娘の安否を確認する。

 

「いや、あんたの娘が谷に入った形跡はなかった。精霊もまた姿を見ていないと言っていた」

「そうか……、一体どこに行ってしまったんだ、アーチェ……」

 

 明らかに意気消沈してしまったバートに、堪りかねてミントが宥めた。

 

「これから向かう町でも娘さんの事は聞いてみます。どうか、気を落とさないでください」

 

 ありがとう、と一声返して、バートは家の中に戻ってしまった。

 居た堪れない気持ちでミントはそれを見送り、扉が閉まるのを見守ってから振り返った。

 

「では、これから向かうのは精霊の森ですか?」

 

 ちらりとチェスターに視線を向けるも、当の彼は肩を竦めてみせた。

 

「別に俺に遠慮する必要はねぇよ。焦りはあるけど、仕方ないさ」

「済まないとは思うが、精霊自身からの要請だ。無碍(むげ)にも出来ないし、事実であれば尚の事問題だ」

 

 チェスターも頷き、気にするな、という風に手を振った。

 そうしてクレス達はベルアダムの村、その南にある精霊の森へ向かうのだった。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 途中、ユークリッド村に戻って一泊し、クレス達にとっては来た道を戻って精霊の森に辿り着いた。

 中に足を踏み入れると、そこは記憶にあるより遥かに緑の茂った森だった。

 

 空気に、土に、草に、樹に、活力に溢れているのが分かる。百年も経つと森も随分変わってしまうものだと思いながら、クレス達は大樹の元に辿り着いた。

 根本に立って見上げてみると、森全体の雰囲気と違って、大樹の様子はクレスの知るものより少し草臥れて見えた。

 明らかに古木と分かる巨大さは記憶の通りだったが、苔むした根と太い幹に伸びる蔦、それらが大樹の生命を吸い取っているかのようにさえ見える。それぐらい、今の大樹にクレスが知っている姿の面影がない。

 

「どうもおかしい……」

 

 思わず呟いたクレスに、クラースが反応した。

 

「どうしたクレス。これがシルフの言っていた世界樹ユグドラシルじゃないのか?」

「ああ、いえ。それは間違いないと思います。ただ、僕の知ってる大樹よりも状態が悪い気がして……」

「クレスもそう思うか?」

 

 チェスターも同意して、クレスの横に立つ。

 

「何だろうな? 違和感っつーか、何かが足りないっていうか。……樹に元気がないからか?」

 

 首を傾げながら腕を組む。

 幾度となく訪れた場所だというのに、その違和感の正体が分からない。やきもきした気持ちでいると、クラースの持つ精霊の珠が光を放ち始めた。

 動揺をよそに光は収束を終えると、大樹の中心に一人の女性が宙に浮いて現れた。

 

 白く清潔感のあるローブと樫で作られたように見える杖を持ち、母のような妙齢さが伺えながらも少女のようなあどけなさも感じる、不思議な印象を受ける女性だった。

 

「私の姿が見えますか? 声が、聞こえるのですね?」

 

 その女性は悲しい表情でクレス達を見ながら続ける。

 

「滅びの時が近づいています。この声が聞こえる全ての人に、知ってもらいたいのです……」

 

 クレス達は顔を見合わせた。

 やはり、とクレスは思い、なぜだ、とクラースは思った。

 

「私は世界樹ユグドラシルに宿る精霊、マーテル。今、世界樹に死期が迫っています」

「それは寿命ということか?」

 

 クラースが訊くと、マーテルは首を横に振った。

 

「そうではありません、マナの枯渇が原因です。精霊たちと魔力の源であるマナは、この世界樹から生まれているのです」

「この樹一本で世界中を満たすに足るマナを? とても信じられん……」

「嘘は申しません。──それとも、世界樹が枯れた後でなければ信じられませんか? 全てが失われた後でなければ?」

 

 静かに目を伏せるマーテルに、クラースは言葉を失った。

 

「この精霊が言っていることは本当だと思います」

 

 クレスにはそれを言えるだけの根拠がある。未来から来て、未来の常識を知るからこそ言える事だった。

 

「僕とミントが住んでいた百年後の未来には、魔術は存在しないんです。ただ……」

「ただ?」

「僕の知る大樹は、今よりも元気があったように思います」

 

 なに、とクラースは眉根を寄せた。

 

「それは一体どういう事だ? 枯れてもいないのにマナだけ消えてると? 精霊マーテル、そんなことがあり得るのか?」

「いいえ、それは考えられません。マナの現在量と大樹の姿は相互不可分。一方が無くなれば他方もまた無くなる。マナが消えて大樹が存命ということはあり得ません」

 

「どういう事だ……? クレスの見間違いということは……」

「いやぁ、それはねぇよ、クラースの旦那。俺とクレスは小さい頃からこの樹を見て育った。枯れ木と見間違えるなんて、それこそあり得ない」

 

 クラースは黙って考え込んでしまった。それを見て、マーテルが不思議そうな声を上げる。

 

「マナは世界樹が生き続ける為に必要なもの。──この事は人の世では常識ではないのですか?」

「いえ、まさか。マナを生み出すことさえ知らなかったのに、そんな事まで知りませんよ」

 

 クレスが首を振ると、マーテルはその細い顎をそっと摘んだ。

 

「前にも一度、ここに一組の男女が来ていました。その者達は、世界樹がマナを生み出し、また糧として生きる樹だと知っていたのです」

「──なんだって!?」

 

 クラースが顔を上げた。それは思考の渦から帰って来る程、衝撃的な事だった。

 クラースでさえ今知った以上、この世の誰だってマナの真実を知らなかったに違いない。それとも、ここ近年の研究で解明されたことだとでも言うのだろうか。

 しかしクラースにもアルヴァニスタの伝手がある。そんな重要な事実が判明したなら、ほんの少しでもクラースに情報が渡ってもいい筈だった。

 

「その男女は世界樹が枯れかけている事も理解していて、男性は酷く落胆していました。少女は世界樹を救えないかと気遣ってくれました。私はそれに一縷の望みを感じたのです、だからよく覚えています」

 

 私の声は聞こえていませんでしたが、と悲しげに笑んでマーテルは言った。

 

「その男女とは……、一体?」

「少女はウィノナと、男性はダオスと呼ばれていました」

「──ウィノナ!?」

「ダオスだって!?」

 

 マーテルが嘘をつくとは思えない。それでも信じることできないほど衝撃的な内容だった。

 クレス達とて精霊のシルフに教えられてここに来た。

 召喚術という研究を持つクラースがいなければ、精霊に会おうという発想すら生まれなかっただろう。だというのに、一体どうやってそんな事を知ったのか、その疑問は残る。しかし、それよりも──。

 

「ウィノナが僕らよりも先に、世界樹の危機を知って行動している……?」

「それよりも問題なのは、魔王と行動を共にしている事だろ! アイツなに考えてんだ!」

「一体、どういう事なのでしょうか……」

 

 様々な憶測が生まれては消えていく。

 特にウィノナをよく知る二人は混乱が大きかった。

 

「魔王と一緒にいるってんなら、きっと操られてるに違いないぜ!」

「操ってまで連れて行きたい? 何の為に?」

 

 それは、とチェスターは一瞬言葉に詰まったが、それでも思いつくまま言葉を吐き出す。

 

「でも、地下墓地での黒騎士を見ただろ。操って利用して、用が終わったらゴミくずのように消しちまう! ウィノナがそうならないって言えるか!?」

 

 今度はクレスが言葉に詰まる番だった。

 地下墓地のダオスを思い出せば、チェスターの言い分は正しいと思う。

 ならば、利用価値があるから今は生かしているのだと、そう考える方が自然かもしれない。しかしその考えにはマーテルから否定された。

 

「お待ちください。ダオスに邪な気配はなく、ただ世界樹を見て悲しんでいました。……そして少女は、そんなダオスを慈しみ気遣いを見せていました。とても相手を利用し、操り操られる者同士の関係だとは思えません」

 

 マーテルの言うことが真実だとしても、それならば何故、という疑問がクレスの頭を悩ませる。ダオスに邪な気配がないというのも、地下墓地で身が竦むほどの殺気を浴びた者からすれば想像するのも難しい問題だった。

 しかし感情で否定してばかりもいられない、とクレスは(かぶり)を振った。

 

「まずウィノナに会うことだ。何としても確認しなくちゃいけない。そうすれば全て分かる」

 

 チェスターもそれには同意した。

 

「最初から同じさ、何も変わらねぇ。ウィノナを探し出して合流する。……そうだろ、クレス」

「うん。それに聖樹様を助ける方法を探すこと、それがウィノナと合流する手がかりになるかもしれない」

「なるほど、確かにウィノナも──というよりダオスかもしれないが、世界樹の危機をこのままにしておくとは考え難い。きっと回避する方法か、回復させる方法かを探しているだろう」

 

 言ってから、クラースはハタと気付き腕を組んで首を捻った。

 

「だが……待てよ、おかしい。……それとも、何か思い違いをしてるのか?」

「どうしたんですか、クラースさん?」

「ダオスにしてみれば、魔術が使えなくなる方が都合がいいんじゃないのか? マナが消えれば、もはやダオスを傷つける方法はなくなる。弱点はなくなり、思うまま世界を蹂躙できるだろう」

 

 言われてクレスは動きを止めた。

 

「それじゃあ、いま世界樹が死んでしまいそうなのも、ダオスのせいだっていうんですか?」

「そう考えれば自然なんだが……、マーテルの言葉を信じるならダオスはまるで真逆の反応を示している」

 

 分っかんねぇなぁ、とチェスターは片手で頭を掻き毟った。

 

「そういう、ややこしい話は苦手なんだよ、俺は……!」

「まぁ、ここで考えていても仕方ない。やるべき事をやろう」

 

 クラースが一同を見つめ、それぞれが頷く。

 それを見終わったからではないだろうが、マーテルもまた樹の中へと帰っていった。

 

「何てことだ……。まだ訊きたいことがあったのに……!」

 

 クラースが悔しそうに呻くが、呼び掛けたところで再び姿を見せてはくれなかった。

 その横で世界樹を見つめていたミントが、持っていた杖を握り締めて一歩踏み出す。

 

「私がやってみます。試してみたい事があるんです」

 

 杖を身体の中心に構え、世界樹に向かって法術を唱えた。

 

「ファーストエイド!」

 

 眩い光の粒子が螺旋状に大樹を囲み、全てを覆うように上昇していく。

 法術の光は樹の頂点まで行き渡ったが、大樹に何らかの変化をもたらすには至らなかった。

 

「駄目でした……私の力が足りないようです。母のような強い法術の力があれば、また何か違っていたかもしれません……」

「話はそう簡単じゃない、か……」

 

 仕方なしに、今出来る事──今後の指針を考える事にした。

 

「とりあえずウィノナを追う。それはいいのか?」

「そうだな。今もダオスと共にいるのだとしたら、会うことは困難を極めると思うが」

 

 ああ、とチェスターは顔を(しか)め、クレスも複雑な顔をする。

 その気持ちはクラースにも分かる。クラースが出会ったウィノナは、ごく普通の少女に見えた。少なくとも魔王と行動を共にする境遇にあるとは想像もしない。

 

「思わぬ事で話がこんがらがってしまったが、とりあえず当初の予定通り動くべきだと思う。即ち、ウィノナを追って旅をする過程で精霊も集める。──どうだ?」

 

 異議なし、と全員から返事があって方針は決まった。

 

「では当面の目標はアルヴァニスタ王国へ行く事にしよう。あの国は魔術文化が世界で最も発達している。そこに行けば精霊の貴重な情報が得られると思うし、去年ウィノナにアルヴァニスタ行きを勧めたのは私だ。──彼女の足跡を辿るという目的にも沿う」

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 それから再び大陸を北上する事になり、ユークリッドを越えハーメルの町に着いた。

 ユークリッド大陸の中央部分に位置するこの町は、物流の基点として多くの商人に利用されている。

 

 クレス達もここで一泊の休みを取ってから北上するつもりだったのだが、最近とある事件があって住人たちが不安の声を上げているという。

 首を突っ込んでいる暇はないと思いつつも、やはり見過ごすことも出来ず、話を聞いてみれば何とも奇妙な話だった。

 

 かつて夜逃げ同然で町を去った一家の家屋が、放火によって燃失させられたという。

 未だ空き家だったせいで他に被害もなく、更に言えば飛び火もなかったので人命に影響もない。単に無人の家が放火されたという、珍妙な事件だった。

 

 犯人は魔術師であることが判明していて、この辺りで知られている魔術師と言えば、遠く孤島の館に住んでいる者しかいない。容疑者としては最有力なのだが、それ以降音沙汰もなく暴れるわけでもない。連行して事情を聞こうにも、逆上されても面倒だという事で、町の自警団は放置しているという。

 

 住民たちは自警団の不甲斐なさに呆れ半分諦め半分という気持ちで、次は自分達の家かもしれないと日々不安を募らせていた。

 そこでどうしようかと頭を悩ませている時に、アーチェが町にやって来たのだと言う。

 

「──アーチェですって!?」

「あ、ああ……。それが?」

 

 突然の反応に、町の住人を驚かせてしまった。

 

「時折遊びに来るし、箒に跨って飛んでくるから目立つしね。町の名物みたいなもんで、皆よく知ってるよ」

「あの、親御さんに行方知らずだから探して欲しいと頼まれていまして。──今どこに?」

 

 そう訊くと、住人の男性は困ったような顔をした。

 

「さっき話した、焼失したっていう家。あそこがアーチェの親友の家だったらしいんだ。それで、それを知ったらすぐに飛んで行っちまって……、もしかしたら孤島の館に向かったのかもしれない」

 

 何か思いつめたような表情だったな、と零してその男性は帰っていった。

 クレス達はお互いに顔を見合わせる。

 

「バートさんに頼まれていたわけだし、その孤島の館に行ってみませんか」

 

 そうだな、とクラースは頷いた。

 

「そのアーチェって子も、どうやら魔術師らしいが。突然家を燃やして去っていくような奴相手に、どこまでやれるか分からん」

「そう聞くとかなりヤバそうだな。すぐに追いかけようぜ」

「結構乗り気だな、チェスター」

 

 クレスが茶化すように言うと、チェスターはやれやれと大仰に肩を竦めた。

 

「まぁ、どうやら俺達の旅は、よく脱線するらしいという事が分かってきたからな。気を張ったって仕方ねぇ」

 

 クレスも苦笑しつつ曖昧に頷いて、すぐさま町を出て北上。それからヴェネツィアからの船で、孤島の館に向かうのだった。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 船に乗って辿り着いた孤島の館は、薄気味悪い霧に覆われていた。

 館は孤島の中にあるとは思えないほど立派なもので、整備された道に植えられた樹木が町の一等地にあっても不自然ではない高級感を漂わせている。

 

 しかし聞こてくるのは、カモメの鳴き声と小波の音ばかり。

 人の気配を感じさせない環境は、想像以上の薄気味悪さを与えていた。

 そして、その入り口近く、門扉の前で館を窺う少女がいる。

 

「……こんな所に女の子? もしかして──」

 

 クレスが音を立てて近づくと、びくりと肩を震わせて少女が勢いよく振り返った。

 

「わっ! な、なんだ、驚いたぁ……!」

 

 髪の色から服の色まで、全身をピンク色に染めた少女は目を見開いてクレス達を見ていた。数秒にも満たない凝視の後、少女は明らかに肩の力を抜く。館の住人とは関係がないと判断したらしい。持っていた箒をくるりと回して柄の先で地面を突いた。

 そんな様子を見つつ、クレスが近づきすぎない距離で止まって声をかける。

 

「君がアーチェ?」

「そう、だけど……。どこかで会ったっけ?」

 

 言いながらクレスの全身を上から下まで見つめ、そして他のメンバーにも視線を移していく。

 

「いや、そういう訳じゃなくて。バートさんから探して欲しいって頼まれていたんだ。ハーメルの町に行ったら、アーチェがこの館に飛んでいったと聞いて追いかけてきたんだよ」

「あー、そうだったんだぁ。ごめんね、迷惑かけて……」

「それは親父さんに言ってやるといい」

 

 クラースが言うと、そうだね、とアーチェは明るく笑った。

 

「よくハーメルの町に遊びに行くんだけどさ、リアの家を放火した奴が出たって聞いて……。とっちめてやろうと思って反射的に出てきちゃったんだよね」

「ああ、無鉄砲な娘だとは聞いていたが……、まさにその通りって感じだな」

「何よぉ、ちょー失礼じゃん、それってぇ!」

 

 クラースが言うと、アーチェは頬を膨らませた。

 

「じゃあ聞くが、何でいつまでもこんな所にいるんだ? 中の様子をコソコソ窺ったりなんかして」

「いやー、それは……」

 

 アーチェは目を逸らして両手を頭の後ろで組んだ。わざとらしく口笛まで吹き始める。

 ハァ、とクラースは小さく溜め息をつく。

 

「状況から(かんが)みるに、来たはいいが一人じゃ心細くなったとか、そんなところだろう」

 

 うっ、とアーチェが呻いて、吹いていた口笛が止まった。

 何やってんだか、とチェスターも呆れて肩を竦めていた。

 

「散々な言われようですけどね、──アンタ達、一体全体ダレな訳?」

「ああ、そういえば自己紹介がまだだったね」

 

 クレスが言うと、腰に差した剣の柄に手を乗せる。

 

「僕の名前はクレス・アルベイン。そして、隣がクラースさん」

「よろしくな、アーチェ。クラース・F・レスターだ」

 

 クラースは帽子のツバを上げてから、顎を小さく落として礼をした。

 ミントが一歩前に出て杖を横持ちにして、頭を大きく下げた。

 

「ミント・アドネードです。よろしくお願いしますね、アーチェさん」

「うん、よろしくね、ミント。あたし、アーチェ・クライン」

 

 アーチェがにっかりと笑うと、ミントもつられて上品な笑みを浮かべる。

 

「それで最後が、チェスター・バークライト」

 

 クレスが顔を向けると、チェスターは気だるい仕草で手を上げた。

 

「へぇ……、クレスに? ……ミント。そんで、チェス、ター……って、まさか!」

 

 クレス達を順に見て顔を向けていたアーチェが、驚愕して目を見開いた。

 

「もしかして、ウィノナの言ってた探し人!?」

 

「──おいお前、ウィノナ知ってんのか!?」

 

 それにいち早く反応したのはチェスターだった。掴みかからん勢いでアーチェに近づく。

 

「お、おおう。凄い反応。ウィノナとアタシは大親友! 付き合いは短かったけど」

「今アイツ、どこにいるか分かるか!?」

「それは分かんない。……でも、いつかまた会おうって約束したんだ。もう一人の親友とね」

 

 そうかよ、とチェスターは目に見えて肩を落とす。

 アーチェはそれに申し訳なさそうに頬を掻いてから、クレスの方に向き直った。

 

「ウィノナの友達に、ここで会ったのも何かの縁ってことでさ。ちょっと、お願いがあるんだけど」

「何だい?」

「ここに隠れ住んでる魔術師に会いたい。協力してくれる?」

「私達の目的は、君をバートの所へ無事に帰す事なんだがね」

 

 クラースが難しい顔をして言うが、アーチェの決意は変わらない。始めから倒すつもりで来ていたし、会って話を聞いて確認したいこともある。それまで帰るつもりは毛頭なかった。

 

「そいつ、デミテルって言うらしいんだけど、ソイツがリアの家を燃やして逃げた……んだと思う」

「……まあ、誰だかの家が燃やされたっていうのは、ハーメルの町で聞いたよ」

「既に無人になって長い空き家を狙ったんだよな? 何だってそんな事……」

「分かんない。でも、リアは前にも襲われてる。それをウィノナが撃退したんだけど……」

 

 へぇ、と感心したような声をチェスターが上げ、クレスは我が事のように喜んだ。

 

「でもソイツは戻って来た。また襲おうとしたけど誰もいないから、腹いせに放火したのかもしれない。だけど、もしそうじゃなかったら……」

 

 アーチェは顔を俯ける。

 

「リア一家は去年の内に夜逃げ同然で逃げ出してる。新しい居場所はあたしも知らない、どこから漏れるか分からないから住居が決まっても報せないようにって言ったくらい。──だから、リアのことソイツに確認しないと気が済まない」

 

 アーチェは顔を上げて、意思の篭った視線でクレスを射抜く。

 

「もしリアを殺してたりしたら、アタシが仇を取ってやる……!」

 

 あまりに強い物言いに、クレスは思わず言葉に詰まる。その気持ちはクレスにも分かる。もし自分の家族や親友が殺されたら、きっと復讐を誓うに違いない。

 どうしようかと思いつつチェスターを見れば、既にやる気のようだった。クレスとしても話を聞いて心は決まっていた。

 後はクラースさえ説得できれば問題なかった。

 

「クラースさん、アーチェを助けてあげることは出来ませんか」

「そうは言うが、急ぎの旅だったんじゃなかったのか?」

「……でも、放っておけないですよ」

 

 どうにもテコでも動きそうにないな、とクラースは思った。

 ここで一人奮闘しても仕方がない。よく見れば、チェスターだけでなく、ミントまでやる気を見せている。

 

「……まぁ、放火に加えて殺人未遂、そんな魔術師を放っておけないっていうのは事実だな」

 

 それじゃあ、とアーチェの表情がみるみる晴れやかになる。

 

「私達の力を君の為に使おうじゃないか」

「──助かるよ、ありがとね!」

 

 喜色満面を顔に張り付け、アーチェは全身で喜びを表す。クレスの手を両手で握って、ブンブンと上下に振っている。

 チェスターは、そんなアーチェをジッと観察するように見つめていた。

 ミントの手も握って振っている時、アーチェもようやく、その視線に気づいた。

 

「……ちょっと、さっきから凄い見てくる人がいるんですけど」

 

 ぴたりと動きを止めて、アーチェは油の切れた機械のように、チェスターへと身体を向ける。

 チェスターは、そんな様子にまるで頓着せず、やはり腕を組んでアーチェの全身を矯めつ眇めつして見ている。

 

「ちょっと、何なのよ……」

「いや、どっかで見た覚えあんだよなぁ……」

「……はぁ?」アーチェは思わず気の抜けた声を上げた。「初対面ですけど?」

「……そうじゃねぇよ」

「まぁ? アタシみたいな美少女とお近づきになりたくて、ついついそんな事言っちゃう気持ち、分からなくもないけどね」

 

 言いながら、アーチェは両手を腰に当てて胸を張る。チェスターはげんなりとした顔で溜め息をついた。

 

「ああ、そういうところウィノナにそっくりだな。さぞ気が合ったことだろうよ」

 

 アーチェはフフンと鼻を鳴らして、更に胸を張った。

 

「あたしのこと放って置く男は滅多にいないんだから。ハーメルの町のラッキーウィッチって言ったら結構有名──」

 

「──聞けよ、他人(ひと)の話。だからそうじゃねぇんだって。お前の見て呉れは関係ねぇ」

 

 チェスターは組んでいた腕の片方を上げて、口を覆うように手を当てた。

 

「……色か? その色に見覚えが……」

 

 ──だが、どこで。

 それがチェスターには思い出せない。大事なことのような気もすれば、酷くどうでもいい気もする。

 

「あー……、チェスター。悪いが、急を要するというのでなければ館に入りたい。……どうだ?」

 

 チェスターは腕を解いて弓を握った。

 

「いや、すまねぇ旦那。今はどうでもいい事だったな、先に進もう」

 



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孤島の魔術師と薄紅の魔術師

 
戦闘シーンは、ごくアッサリと流しています。
読み応えもないんですが、書きたいシーンに早く到達したい欲が強かったのです。
いつか余裕のある時に加筆修正するかもしれません。
 


 

 館の中は、カーテンが締め切られ薄暗かった。

 柱の上に作られたガーゴイル像が侵入者を見つめている。

 

 柄も形も良い絨毯、高級そうな調度品を適度に配して、蝋燭やランタンもふんだんに使っている。二色の正方形を交互に配したチェック模様を床にあしらっている事といい、館の主は相当趣味の良い人物のようだ。

 だというのに、使用人は一人もいない。執務室の中にも主人はおらず、それどころか人の住んでいる気配すらない。思うままに屋敷内を巡り、見咎められる事も妨害される事もなく、クレス達は地下への入り口を見つけた。

 デミテルはこの先にいるに違いない、と全員が確信し、奥へと進んだ。

 

 

 

 最奥の間、大きな姿見が飾られた部屋に男がいた。

 黒いローブに青い髪、前髪の一房を赤く染めた男で、その顔には余裕めいた表情が浮かんでいる。

 クレスが先頭、そのすぐ後ろにアーチェがついて部屋に入る。

 

「随分と物騒な客人だな」

「……あんたがデミテル?」

 

 アーチェが一歩踏み出して緊張した面持ちで言うと、いかにも、と男は返した。

 

「ハーメルの町を襲ったでしょ。その内の無人の家――元スカーレット家を燃やして逃げた。……違う?」

「……ふむ」

 

 デミテルは顎を摘んで、視線を顔ごと右上に向ける。

 

「一年前、スカーレット一家を襲ったのもアンタじゃないの? もう全員始末した? だから家も燃やしたの?」

 

 ほう、とデミテルは愉快な出し物を見るような表情をして、逸らしていた顔をアーチェに向けた。

 

「随分と物騒な事を言うものだ。家を燃やした? 一家を襲った? ……何の事だね」

「とぼけんの?」

「いや、いや……。ランブレイ・スカーレットは私の師匠だ。その弟子たる私が、何故そのような無体をせねばならない? 根拠や証拠はあるのかね」

 

 アーチェはそれ以上、言葉を発することが出来なかった。

 確かに根拠も証拠もない。ウィノナに聞いた襲撃犯の格好も、ローブ姿で顔をすっぽりと覆っていて人相を確認できなかったという。ハーメルの町の襲撃犯も、魔術師という目撃情報だけでデミテルだという証拠はなかった。

 

 話の流れを聞いていたクラースは、どうも形勢が不利だな、と思った。

 相手の方が口が上手い。こればかりは教育や年齢の差から生まれるものだろう。アーチェには荷が勝ちすぎる。

 そもそも初対面の相手、嘘を突き崩せる程の情報もない。

 

「まぁ、証拠というなら――」

 

 クラースはアーチェの肩に手を置いて、そっと後ろに押して庇うように背中に隠した。帽子のツバを摘みながら不適に笑う。

 

「そちらが言う弟子とやら。その証拠とて出せるものではないだろう? 第一、弟子であるなら師匠に反意を抱かない、というのも説得力に乏しい。弟子であるからこそ、師に貶され逆上するという場合もある」

 

 アーチェがクラースを尊敬するような視線を向けた。

 自分にはこれ以上詰め寄る言葉を探せないと思えばこそ、尚の事だった。

 

「……なるほど。言葉遊びをお望みかね? 私が殺したと言えば信じるのかな? 欲しい答えでなければ信じないと? だったら質問など最初から無駄だ。私が殺したと思って勝手に帰るがいい」

 

 今度はクラースがむっつりと押し黙る番だった。

 確かにこれは言葉遊びだ。言葉尻を捕まえて、口を滑らせれば鬼の首を取ったかのように攻め立てるつもりだった。しかし根拠も証拠もないのだから、結局根負けするか飽きるかした時点で終わりとなる。

 

 それを見やって、アーチェは必死に頭を巡らせた。

 ――何か、何かアイツに繋がる情報を。

 決定的なモノ。証拠、アイツの正体が分かるような。

 

 アーチェは恐らく、今までの人生の中で最も思考を回転させた。アーチェはデミテルが犯人だと確信している。それは確かに証拠もない只の勘だったが、単純なアーチェはそれだけで物事の本質を見抜く。

 アーチェは自分の思慮が浅いことを自覚している。しかし、これからは改めるべきだろう。守りたいものを守るためには、これからきっと必要となるのだ。

 

 アーチェは考えなければならない事に、必死に頭を働かせた。

 ――そうだ、アイツが一年前の犯人と同一人物なら……!

 アーチェはクラースの陰から姿を出して、デミテルに指を突きつけた。

 

「じゃあ、肩を見せてよ!」

「何……?」

 

 初めてデミテルが動揺を見せた。今までの飄々とした雰囲気が、その一言で一気に霧散する。

 

「去年の襲撃犯、ウィノナが犯人を撃退してる。――肩を矢で射抜いて!」

 

 へぇ、とチェスター笑った。小馬鹿にするような仕草がデミテルの癪に障ったらしい。顔が一気に赤くなった。

 

「やましい事がないなら見せられるでしょ! 裸になれっていうんじゃないんだから。肩だけ見せてくれれば!」

 

 デミテルは動かない。言葉も発しなかった。次第に表情は抜け落ち、能面のように生気が消えていった。

 怖いほどの沈黙の中、誰もが身動きできずにいると、ようやくデミテルが顔だけを動かした。

 

「……なるほど。エルフの血族、単なる馬鹿者である筈もなかったか」

「認めるのね?」

「一部はね」

「さっさと白状しなさいよ」

 

 アーチェは腕を組んで、鼻から一つ息を飛ばした。

 

「……ふむ。去年、スカーレット夫妻を襲撃したのは私だよ」

 

 アーチェの拳が強く握られる。

 

「そして確かに失敗した。一家には逃げられ、消息を失った。……話はそれで終わりだ。見つかったという報告は受けていない」

「……報告? 私怨で襲ったわけではないのか? 背後に何者かがいるのか?」

 

 クラースに問われ、デミテルは小さく笑った。眉間を揉みながら顔を下に向ける。

 

「いや、いや、どうにも……口が滑っていかんな。……それを知る必要は無い」

「必要ない訳ないでしょ! リアが襲われるかもしれないのに!」

「いや、事実必要ないのだよ。最後に受けた報告も半年以上前。今は(たもと)を分けている。最早私にも関係ないことだ」

 

「どういう事……? 結局リアは無事なわけ?」

「知る限りにおいては無事、という事になるのだろうな。私はスカーレット一家を手にかけていないし、これからかける理由もない。――というより禁止されている」

「禁止だって!? 一体誰に!!」

 

 クレスが思わず割って入った。デミテルは一瞥(いちべつ)するも、すぐに視線を外した。どうやら話すつもりはないらしい。

 

「じゃあ放火は! 手にかけることを禁止されていて、何故家に放火なんか!」

「家は無人だったろう? 乞食が隠れ住んでいた可能性もないではないが……。少なくともスカーレット家の誰かがいる筈はない、そうだろう?」

「一家を殺さなければ何をしてもいい、そういう意味か?」

「そう曲解してくれるな」

 

 今度は言ったクレスの方に目を向けた。くつくつと笑いながら、他の面々にも視線を移す。

 

「……正確には家を燃やしたい訳ではなかった。家の中にあるであろう、とある物を消したかった。探し出して消すより、家ごと燃やした方が手っ取り早い。――そういう訳だ」

「……それも、リア一家を殺すことを禁止した人の命令って訳?」

「袂を分かつと言えば聞こえはいいが、要は前の主を裏切って、今の主に鞍替えしたって言う事だろう?」

 

 アーチェとクラース、順に言われてデミテルは片方の眉を上げた。

 

「……ふむ。裏切り者が簡単に真実を口にするか、と? 信じて貰うしかないし、君達も信じる他ないだろう」

「今の主の名を言う事はできる? リアを殺さないっていうなら、敵じゃないって思っていいの?」

「……さて、それはお前達次第だろうな」

 

 デミテルはクレス達に背を向ける。ゆっくりとした足取りで、部屋の奥にある鏡に近づく。

 クレスはその鏡越しにデミテルを見ながら、明らかな違和感を覚える。

 その背には本来ならあるはずのない、死神のような影が見える。何者かがデミテルに取り憑いている。恐らくは本人の意思とは別に、指示されたとおりの行動を取らされるのだろう。そして、そういった事が出来る存在を、クレスは一人しか知らない。

 

「お前は、まさかダオスの手先か!?」

 

 ぎょっとして振り返り、デミテルは憤怒の表情で襲い掛かってきた。

 

「――貴様、見えるのか!!」

 

 

 

 デミテルは確かに一流の魔術師だった。

 ゴーレムを盾に用いて、遠距離から魔術による攻撃を仕掛けてくる。クレス達を容易には近寄らせない。自分の出来ることを理解した立ち回りで、クレス達を苦戦させた。

 

 常に自分はゴーレムとの対角線上に置き、距離を保つ力量は相当な手練れを感じさせた。それをチェスターが持ち前の弓術で隙間を縫って矢を放ち、牽制と同時に自由に身体を動かさない。

 そうしている間にクレスが割って入る抜群のコンビネーションを見せ、クラースのシルフでゴーレムの動きを阻害し、アーチェが魔術を放つ。

 ミントはその全員のサポートを過不足なくこなす。

 そうやって数の有利で攻め倒し、クレス達は辛くも勝利を得た。

 

 

 

 アーチェが最後に放ったファイアボールが直撃し、倒れ伏すデミテルはぴくりとも動かない。

 それを確認して、クレス達はようやく構えを解き、武器をしまった。

 

「あ~……、しんど……。一人で来てたら返り討ちだったぁ……」

 

 地面に突いた箒に(もた)凭れながら、アーチェが息を整える。

 クレスも汗はかいていたが、呼吸はしっかりしている。収めた剣の柄に手を置いて晴れやかな顔をアーチェに向けた。

 

「これで君の友達、リアさんが襲われる事も、もうないと思うよ」

「……うん、ありがとね! ――でもアイツ、襲うのは禁止されてたって……」

「ダオスの手先の言う事なんか信用できるもんか!」

 

 チェスターの声に含まれた怒りは強い。世界の敵たるダオスに敵愾心を持つのは、クラースにもよく分かる。

 

「まぁ、確かに煙に巻くのが上手い奴だったか。デミテルがどれほど真実を語ったか、最早誰にも分からない」

 

 うん、とアーチェは小さく頷いた。

 

「ともあれ、これでアーチェの気も済んだだろう? バートの所に帰るんだ」

「えー……、一人で?」

 

 げんなりとして言うアーチェに、チェスターが笑った。

 

「一人で来れたんだ、帰りだって一人で行けんだろ」

 

 ジットリと睨み付けてくるアーチェにも、チェスターはどこ吹く風で澄ました顔して遠くを見ている。

 

「いや、もちろん送り届けるよ」

「あんまり甘やかすなよ、クレス。こういう手合いは際限なく付け上がるぞ」

「やっぱ分かってるよねー、クレスは。どっかの誰かさんと違ってさ」

 

 アーチェはクレスの手を取り、これみよがしにチェスターへ視線を向ける。クレスは多少たじろぐが、振り払うような事はしなかった。

 

「……いいか、クレス。俺は親切心で言ってやってるんだ。こいつに優しさなんて見せてみろ。今に第二のウィノナが誕生するぞ」

 

 言われてクレスは思わず呻いた。

 アーチェとウィノナは、言われてみれば確かに似た者同士だ。

 それを考えると、少し前までの日常が蘇る。男女間の遠慮は皆無で、自分の我を押し通すお転婆がそこには居た。

 

「ああ、えーと。……クラースさん、どうしましょうか」

「そこで私に振るのか……」クラースは半眼になってクレスを見つめた。「まぁいい。とにかくもう送り届けてしまおう。放置しておけば、それこそ面倒事を引き起こしていくのが目に見える」

 

 クラースの意見は正鵠を得ていた。

 誰にもそれが予想できる。クレスにしても、それは確かに、と口にはしないまでも思うことは止められない。

 無邪気に喜ぶアーチェを横目に見ながら、クレス達はデミテルの館を出た。

 

 何かにつけてアーチェとチェスターの(いさか)いはあったものの旅路は順調に進み、そうして数日の後、ようやくバートの小屋に送り届けることが出来た。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「アーチェ!」

「お父さん! ……ごめん、実は……」

 

 小屋の中で久しぶりに対面するアーチェ親子の様子を、クレス達は玄関入り口近くで見ていた。

 

「いいや、いいんだ。無事で帰って来てくれれば、それで……」

「うん、ごめんね……」

 

 バートが一歩踏み出し、アーチェもそれに合わせて踏み出す。どちらからともなく抱きつき、お互いの体温を確かめるかのように抱擁した。

 

 クラースとミントはお互いに目配せし、チェスターもそれに気付いてクレスを肘で突く。親指で外を示すと、言葉も音も発することなく退出した。

 

 アーチェは改めてバートに抱きつく。久方ぶりに会うというだけで、アーチェもここまで大仰な態度を取らない。無鉄砲にデミテルの館へと突貫し、ともすればクレス達がいなければ死んでいた事に対する恐怖からの行動だった。

 父の腕の中でそれを再確認し、アーチェは密かに落涙した。

 

 

 

 小屋の前で待つことしばし、アーチェだけが小屋から姿を現した。

 背を向けて外の景色を眺めていたクレス達は、扉の開く音で背後を振り向く。

 

「アーチェ、もういいのかい?」

「うん、お父さんにも話してきたんだけど。クレス達ってウィノナの事、追ってるんでしょ?」

「それだけが目的って訳でもないよ。ダオスの野望を阻止するのもそうだし、その為に魔術師に助力を乞おうとしてたのもそうだ。でも確かに、一番の旅の理由はウィノナかな」

 

 そっかそっか、とアーチェは頷くと、手元に箒を出現させ柄先で地面を突く。

 

「あたしもウィノナに会いたいって思ってたんだ。一緒に行ってもいい?」

「それは、もちろん……魔術師が同行してくれるのは願ったりだけど……」

 

 クレスが言葉を濁すと、クラースが言葉を継いだ。

 

「予め言っておくと、危険な旅だ。生きて帰れる保障もない。デミテルのような手練れと戦う機会もあるだろう。それでもいいのか?」

「うん、助けてもらった分、今度はあたしが助けるからさ!」

 

 アーチェは満面の笑みで同行に加わった。

 ズボンのポケットをまさぐると、二つの指輪を取り出す。綺麗な装飾がされたリングと類を見ない輝きを見せる石は、それが単なる装飾品でないことを示していた。

 

「これ、お父さんからお礼だって。遠慮なく受け取ってちょーだい」

「契約の指輪を二つも……! 報酬としてはあまりに破格だな」

 

 口ではそう言いつつ、クラースは口の端をだらしなく曲げて指輪をそそくさと受け取る。

 

「そんで、これからどうすんの? アテとかあるの?」

「ウィノナをアルヴァニスタに行くのを勧めた事がある。まずそこに向かって足跡を辿る。……そして、途中精霊の住処を見つければ契約を求める、といったところか」

「ダオスの勢力に対抗するため?」

「ああ、そうとも」

 

 ふーん、とアーチェは曖昧に頷く。考えるような仕草を見せてから、改めて頷いて見せた。

 

「それじゃ、行こっか!」

「ああ、まずはベネツィアだな。そこで用事を済ませてからアルヴァニスタに向かう」

 

 了解の意をそれぞれが言い、小屋に背を向けて歩き出す。

 アーチェは最後尾を歩くチェスターの横に近づくと、肘の先でちょいちょいと突いた。

 訝しげな視線を向けるチェスターに、アーチェは意味深な笑みを浮かべて離れていく。

 後には困惑した顔のままチェスターだけが取り残された。

 

「何だ、ありゃ……」

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ベネツィアに着き、一泊してからクラース主導で行った場所は港の船乗り場だった。

 この町での用事は、船を使って北の孤島――侵食洞に行くことだった。

 デミテルの館がある西の孤島へ行く際に、見えていたその洞窟について船乗りに聞いてみたところ、精霊が住まうという噂があるという。水と関わりの深い精霊といえば、ウンディーネしかいない。

 

 その時は契約の指輪がなかったし、手に入れる当ても無かったので心の片隅に留めて置いたが、しかし幸運に恵まれ手に入った指輪があれば話は違う。

 船長に大枚はたいて船を動かしてもらい、クラース達は侵食洞へと向かった。

 

 四大精霊の一つに数えられるだけあって、ウンディーネは手強かった。

 剣と水圧を組み合わせた飛ぶ斬撃は特に厄介で、狭く散会し辛い場所で戦う事もあって大いに苦しめられた。

 しかしクレスが攻撃を前面で受け止め、ミントがそれをカバーし、残りの後衛が遠距離から反撃を許さない攻撃を加え続ける事により、勝利を収めることができた。

 

 クラースの契約も滞りなく終わり、クレス達一行は改めてアルヴァニスタに向かう。

 アルヴァニスタまでは風や波の影響次第ではあるが、大体一週間はかかるとの見通しだった。

 

 

 

 その日も船上の甲板で、クレス達は特にやることもなく手すりに身を預け、空とも海ともつかない水平線を眺めていた。

 クレスやチェスターは当初鍛錬しようと思ったが、甲板は動き回るには狭すぎる。実際、一度やって船乗りに怒られている。それ以降、こうしてやる事もないので、マストが風にたなびく音と潮騒を聞きながらボーっとしているしかやる事がない。

 

 アーチェとミントが隣り合い、揺れる水面を見つめながら、二人はゆったとした風を楽しんでいた。手摺に腕を乗せ、更にそこへ頬を乗せたアーチェがぼんやりと呟く。

 

「潮風が気持ちいいねぇ」

「そうですねぇ……」

 

 緊張をなくした面持ちで、やはり緊張感のないやりとりで会話している。その対面で背中合わせにして、クレス達も手摺に寄りかかって海を見ていた。

 女子グループと違って長く沈黙が続いていた男性組だったが、ある時クラースがぽつりと言った。

 

「……クレス、お前はどっちが好みなんだ」

 

 しかし、ぼんやりとしていた時に投げ込まれた爆弾に、クレスは全く気づけなかった。

 

「えっ、何のことですか?」

「ミントとアーチェのことさ。ミントは清楚で落ち着きがあっていいが、アーチェはあの破天荒で屈託のない明るさがいい。どちらにも、どちらなりの良さがある」

 

「ちょ、ちょっと、僕はまだそんなこと……!」

「私の好みを言わせてもらえばだなぁ……」

「クラースの旦那、アンタ……」

 

「チェスター、お前には後でキッチリ聞いてやるからな。今は――」

「アンタ、故郷に女を残してきておいて、そんなこと言うのかよ……」

「――ば、馬鹿なことを! あいつは只の助手であって、そんな関係じゃ……」

「えー、本当ですか? 凄く仲が良いように見えましたけど」

 

 クレスも自分の不利がクラースに転換されたと感じて、すぐさま茶化しに移った。らしくもなく、その口元も随分緩んでいる。

 三人の騒ぎを聞き付けて、手摺から身を離しアーチェ達が向かってきた。

 

「ねぇねぇ、さっきから何の話してんの?」

「何でもねぇよ、引っ込んでろ。お前にゃ何の関係もない話だ」

「何なのよぉ……。アンタ、あたしにちょっとヒドくない?」

 

 シッシッ、とぞんざいに手を振るチェスターにアーチェがむくれる。よくある光景にクラースが苦笑していると、少し離れた所で同じく潮風に当たっていたらしい男が声を掛けてきた。

 

「……あんたら、冒険者か?」

「まぁ、そんな所だが、あんたは?」

「流れの剣士をやってる、メイアーってモンだ」

 

 へぇ、とクレスが物珍しげにメイアーを見る。同じ剣士として感じる物があるからだった。汚れて黄色く変色したターバンに擦りきれているマント、旅慣れた雰囲気を感じさせるし、実際腰に()いた剣を見るに手練れであることが分かった。

 

 身に付けている装備品は、冒険者としての格を見定める指標となる。

 特定のパーティーと一緒にいない所を見ると、傭兵稼業を生業にしていると思われた。一人であれば身動きが軽いのでどの募集にも参加できるし、腕さえあればどこも拒まない。

 

 この時期、傭兵自体は珍しくない。というより、今は最も欲される職業の一つだろう。魔物の動きが活発になっているので隊商や要人の護衛には事欠かないし、対ダオス軍との最前線であるミッドガルズでは常に傭兵を募集している。

 

「……傭兵志願者か?」

「いいや、探索希望さ。モーリア坑道……名前くらい知ってるだろう? お宝ざくざくのウハウハって話だ。噂じゃ、精霊が守っていたりもするらしい」

 

 ほう、とクラースの目付きが鋭くなる。これは是非とも現地で確認せねばならない。

 

「とはいっても、今はアルヴァニスタの許可がないと入るのは無理なんだけどな」

「伝手でもあるのか?」

「一応、冒険者ギルドに知り合いがいるんでね」

 

 精霊については大いに興味があるところだが、許可を得られる伝手となるとクラースにはない。アーチェについても同様だろう。この時代の人間ではないクレス達は考えるまでもない。

 モーリア坑道の精霊については、棚上げにするしかないかもしれない。クラースが黙考していると、会話に空白ができた。

 

「……ん、そろそろ腹が減ってきたな。ぼちぼちメシの時間だろう。邪魔して悪かった」

「いいや、こっちもいい暇つぶしになった」

 

 軽い身振りで手を振って、メイアーは船内へと戻っていく。

 クラースはそれを見送り、訊きもしないことを随分と喋る奴だと考えていた。実際話したことは隠すような内容でもない。調べればすぐに裏が取れるような内容ばかりだったように思う。それとも顔繋ぎ目的で話しかけてきたのだろうか。本題は別にあるとしたら――。

 

「……ねぇ、クラース。なんかあたしもお腹空いちゃったよ」

 

 取り止めも無く考えていると、アーチェの一声で思考が中断された。実際、憶測だけで考え続けていても仕方がないと思い始めていたところだった。

 クラースは素直に頷くと、メイアーが入って行った船室を親指で示した。

 

「私達も食事に行くか」

 




 
デミテルは本作では普通の人間で、かつ操られているだけの、むしろ被害者です。
悪人かというと別にそういう訳でもなく、リア一家を襲ったのも国からの命令であって私怨でもありませんしね。

小説版では実は魔族であったり、ダオスに対して従うフリをして後で魔界の王に献上するつもりであったりと、大いに設定が盛られていましたが、本作では上記の通りです。
今後も出番はありません。
 


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不意遭遇の悪意

 
基本的に原作の流れに沿った内容が続いてます。

正直クレス編は、番外編として一本の話でサラっと流して次章に行く予定でした……。
でもダイジェストで流すにしては書きたいことが多すぎて、詰込み過ぎの手抜き話にしか見えなかったので、仕方なく長くなってしまうの覚悟でこのような形になりました。

中だるみを感じてしまいますが、もう少し辛抱してください。
 


 

 さて、とクラースは室内を見渡す。

 

 入った船室は奥にバーカウンターもある食堂めいた場所だった。非番なのか休憩時間なのか、多くは船乗りがテーブルを使用しており、それ以外のテーブルには乗客として乗船している者たちが座っている。

 時刻は夕刻に入ったばかり、夕食時に来てしまったので何処も満席だった。

 時間を少し後にずらさなければ、全員が座れるテーブルがありそうにない。

 

「参ったな。私達が座れる場所はあるのか?」

「──よぉ、どうだ。一緒に食べないか?」

 

 クラースの呟きが聞こえた訳ではないだろうが、奥の席から声を掛けてきたのは先程まで会話していたメイアーだった。

 他の席は全て満員であることが分かった為、ありがたくその申し出を受けさせてもらうことにした。

 

「助かるよ、他の席はどこも空いていないみたいだからな」

 

 奥にあったテーブルは、この室内で最も広いテーブルだった。この時間まで相席が誰も入らなかったのは幸運だったと思う他ない。早速クラースはメイアーの隣の席に座ったのだが、気付けば一人分だけ席が足りない。

 

「ない物は仕方ないじゃん。あんたは床で食べれば?」

 

 アーチェがチェスターを見て。意地の悪い笑みを浮かべる。

 最後尾を歩いていただけに、自然その割を食うハメになってしまったチェスターは、笑うアーチェにコメカミをヒクつかせる。

 幸いテーブルの面積には余裕があるので、椅子さえ調達できれば同じテーブルで食事を取る事はできそうだった。

 

 チェスターは席の間を通り抜けざま、アーチェの額をぺしりと叩いてカウンターへ向かう。

 椅子を借りられないかを聞いて快諾を貰うと、そのまま戻り改めて空いてる場所に椅子を置いた。

 

「酒はどうだ? いけるクチだろう?」

「いいねぇ!」

 

 チェスターが席に座ると、既に出来上がっていたメイアーがクラースを誘う。食事が来る前に、もう飲む気分でいるクラースに、幾らか先行き不安な思いを抱いたが、結局何も言わなかった。

 クラースとメイアーはお互いにグラスを叩き合わせる。

 

「偶然の出会いに乾杯!」

 

 

 

 一時間後──。

 一向に飲むペースが衰えない二人に、クレスは半眼を向けた。

 

「この二人、いつまで飲んでるんだろう?」

 

 クレス達はとっくに食事を終え、食後のお茶を楽しんでいるところだが、前に座る二人はくだらない馬鹿話を肴に笑って飲み続けている。ちらりと横に目をやれば、いつの間にか、アーチェも酒をちびちびやっていた。

 チェスターに目を向ければ、コップを口に運びながら首を横に振っている。

 好きにさせろということらしい。心配要らないというより相手にするな、というつもりでいるようだった。

 

 

 

 更に一時間が経過し──。

 チェスターは先程、アーチェに構うな勝手にさせろ、とクレスに身振りしたのを後悔していた。精々、勝手に飲んで勝手に酔いつぶれればいい、と簡単な気持ちでいた。それが間違いだったと認めないわけにはいかなかった。

 

 酒を大量に飲んだアーチェは前後不覚に陥るほど酔っていて、チェスターに酒臭い息を吐きかけながら絡んでくる。

 

「ねぇ、あんらもそう思うれしょぉ?」

「分かった、分かったから離れろって!」

 

 酒の入った木製のコップを掴んだまま離そうとせず、チェスターの肩を揺さぶっている。

 

「アーチェ、大丈夫かな……」

 

 心配そうな声音は真実だろうが、だったら代わってくれとチェスターは心底思った。

 

「お前、酒癖悪すぎだろ……!」

 

 突き返そうとその肩を押すと、構いもせず、今度はチェスターの肩まで組んでくる。より密着するようになり、顔の距離も自然、縮まる。

 平時なら違う感情も芽生えただろうが、今は単に酒臭い息をより近くで感じさせる結果となり、迷惑でしかなかった。

 

「あんら本当はあたしの事スキなんれしょお、分かってるんだからぁ!」

「アホか。どこをどう見りゃそうなるんだ、自意識過剰女! さっさと離せ!」

 

 力ずくで離しにかかるが、どこからそんな力が出てくるのか、まるで振り解ける気配がない。

 クレスに助けを求めようとした時には、ミントを伴って食堂を後にするのが見えた。

 

「あんの裏切り者……!」

「ちょっと、聞いれんのぉ!?」

 

 ぐいぐいとアーチェが迫ってくるせいで、お互いの頬が接触するほど近くなっている。

 チェスターは、この旅始まって以来の盛大な溜め息をついた。

 

 

 

「それでな、苦労して辿り着いた先にあった宝箱の中は、空っぽだったってわけだ!」

「あっはっは、こいつは傑作だ!」

 

 クラースとメイア―は、お互い顔を赤らめて酒を喉に押し込む。

 辺りには既に人気(ひとけ)はなく、同じテーブルを囲んでいた仲間達もアーチェを残して部屋に帰ってしまったようだ。そのアーチェも机の上に突っ伏し酔い潰れている。

 

 コップの中の酒を飲み干したメイアーは、杯を静かに置いた。そのまま空になった杯を上から覗き込み、しばらくしてからクラースに顔を向ける。先程までの赤ら顔が嘘のように真剣な表情がそこにあった。

 

「……ところで、俺は本当はモーリア坑道に行くのが目的じゃないんだ」

「あぁ? じゃあ何しに行くんだ? 女でも漁りに行くのか?」

 

 酔った頭と判断力では、クラースはそれに気付けなかった。変わらぬ調子で問い返すが、帰って来たのは別の方向からだった。

 

「ちょっとチェスター、どこ触ってんのよぉ……!」

 

 完全に寝ていると思っていたアーチェから、予想以上にしっかりした声が上がって、びくりと肩を動かす。

 二人してアーチェの様子を窺い、すぐに寝息を立て始めたのを確認して、メイアーは続きを話し始めた。

 

「俺の本当の目的は、冒険者ギルドの知り合いを通じてアルヴァニスタに関する秘密の情報を売りに行くことだ」

「なんだ、おっかない話になってきたな」

「一見平和に見える王国だが、実はもう殆どダオスに支配されてるって話だ」

「何だって? 本当なのか? ……しかしどうやって」

「ここが重要なんだが、王国唯一の王位継承者レアード王子が、ダオスの側近の操り人形になってるらしい」

 

 メイアーは辺りを見渡し声を潜める。

 

「ミッドガルズに匹敵し、同盟国でもあるアルヴァニスタがダオス討伐に参戦しない。……いや、出来ないのはそういう裏の事情があるからだ」

「驚いたな……」

 

 クラースは我知らず溜め息をつき、ダオスの目的について考えを巡らせた。

 ダオスの行動には矛盾が多い──多いように見える。世界からマナが失われようとしている原因がダオスかと思えば、事前にそれを憂う行動を取る。魔科学に関わる学者一家を殺そうとしたかと思えば、その後禁止している。

 

 あるいは、ウィノナと同行していたダオスと魔王ダオスは別人なのだろうか。

 自分の思考に没頭していると、突然アーチェが顔を上げた。

 

「……チェスター、だめだってばぁ……」

 

 目は虚ろで先が見えていない。何度か口を開けては閉めを繰り返し、アーチェはまたテーブルに突っ伏

す。

 それを硬直して見ていたクラースとメイアーは、何事もなかったかのように会話を再開した。

 

「──しかし、何だってそんな重要なことを私に言うんだ?」

「さて、どうしてかな。一人で抱え込むには大き過ぎる荷物だったからか……、誰かが一緒に持ってくれれば安心できる──いや、酒の勢いって事にしておいてくれ」

 

 小さく笑って息を吐き出し、メイアーは空の杯を爪弾いた。くすんだ音を聞いてから首を巡らし身体を伸ばす。

 

「それじゃ、ぼちぼちお開きにするか」

 

 クラースが頷き、メイアーはそのまま食堂を後にした。あれだけ飲んだのに足取りは確かで、揺られる船舶の影響も殆ど受けない。

 関心する気持ちでクラースも立ち上がると、テーブルに突っ伏すアーチェの肩を揺する。

 

「アーチェ、そんな所で寝ると風邪引くぞ」

「チェスターのばか……」

「全く、一体どんな夢を見てるんだか……」

 

 クラースはアーチェを持ち上げようとしたが、酒の影響は予想よりも強かったらしい。力が入らないので、アーチェをそのまま引き摺って船室に帰ることにした。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 その日の朝早く、水平線に太陽が顔を出してから間もなくの事だった。

 クレスは自室の扉が開く音を聞いて目を覚ます。

 

 部屋は五人部屋で全員が一室で寝泊りしてるから、誰かがトイレにでも行って帰って来たのだろうと思い、そのまま寝直す事にした。ずれていた毛布を抱え込み、首元まで持ってこようとした時、隣で寝ていたクラースが驚くほどの速さで飛び起きた。

 

「グッ!」

 

 何事かと顔を上げると、クラースが部屋に入ってきたメイアーに体当たりを仕掛けていた所だった。

 クレスが慌てて起き上がり、続いてチェスターも飛び起きた。既に弓を手に取っているが、狭い室内では有効とは言い難い。指摘するよりも早く、チェスターは矢筒から矢を取り出して即席の短剣代わりにして手に持っている。

 

 クレスとチェスター、どちらかが動くよりも早くメイアーが動き、室内から逃走していく。

 追いかけようとした瞬間、クラースが崩れ落ちた。

 何かされたのかと近寄ってみると、クラースはか細い声で呻く。

 

「メイアーを追え、操られているんだ……。私は頭が、痛くて……、後は頼む……」

「二日酔いかよ、こんな時に!」

 

 チェスターが毒づくのも無理はない。

 クレスは目線で頷くと、即座に剣を抜き放ち扉の外を窺う。息を潜め、いつでも斬りかかれるよう注意しながら外へ顔を出すも、人の気配はない。それどころか外に駆けていく足音も聞こえる。

 

 この時間にあれだけ足音を立てて移動する者など限られてくる。

 クレスは視線は外に向けたまま、空いている手で手招きしてから身体を外に出す。狭い船内の通路、隠れられる場所もない。曲がり角で待ち伏せしている可能性は考慮して、その部分だけは注意を向けながら外を目指す。

 何度か通路を曲がり、階段を上がって外に出る。

 

 甲板の上には、目を血走らせ明らかに尋常でない様子のメイアーがいた。船長を含め船員達が遠巻きにそれを見つめ、抜刀したメイアーに手を出せずにいる。

 

「メイアーさん!」

「しっかりしろ、おっさん!」

 

 クレスとチェスターを確認すると、一瞬縋るような視線を向けてメイアーは呟く。

 

「た、助けて……」

 

 言った直後、すぐに目が据わり、口角が持ち上がる。メイアーは剣を持ち上げ、奇声を上げて飛びかかってきた。

 

 

 

 クレスを一刀両断にする勢いで振り下ろされた斬り下ろしは、寸前の所で受け止める事ができた。

 一秒に満たない鍔迫り合いから突き飛ばす。半歩離れたところで剣を手首で転がして剣先で突き、払い、牽制しつつ距離を測る。

 クレスは敵と己の間合いを、正確に把握してから剣を斬り上げた。

 

「虎牙破斬!」

 

 下から持ち上げるような斬り上げにメイアーは後ろに避けるも、それを追って迫る斬り下ろしがメイアーの肩を叩いた。マントの下に隠していた装甲がクレスの一撃を逸らす。

 

「クレス、殺すなよ! 無力化しろ!」

 

 チェスターは言いながら矢を放つ。クレスの着地時、無防備な隙が生まれる瞬間に合わせた矢の一撃が、メイアーに反撃を許さない。チェスターは立て続けに矢を放ち、更にメイアーを追い込む。最初から当てるつもりのない、自由に行動させない為の牽制攻撃だった。

 

 クレスもよく分かっているもので、矢の隙間を縫ってメイアーに接近する。

 上段から一撃を、と見せかけて軌道をずらし、膝先を斬りつける。

 

「ぐぁ!」

 

 声を上げて姿勢を落とした所にチェスターの追撃が来る。

 

「凍牙!」

 

 矢はクレスが斬りつけた足の爪先に命中し、一瞬で凍らせて船の床に縫い付ける。

 

「今だクレス! 締め落とせ!」

 

 声を合図にクレスは剣を手放し、手馴れた動きで背後に回る。首と頭に腕を回し、完全に極める。ろくに動けないメイアーは抵抗らしい抵抗も出来ず、幾らかもがいた後、力なく腕を落とした。

 クレスは拘束した腕を解いて、ゆっくりと床に身体を横たわせる。足の一部が凍りついている為、多少不恰好な形だったが今は仕方ない。

 

 それと同時、メイアーの頭付近から甲冑を身に纏った魔物が飛び出してきた。

 チェスターはそれに即座の反応を見せて狙い撃つ。敵に一切の動きを許さないまま、その一矢が突き刺さる。

 

「轟天!」

 

 矢の直撃と同時に雷が敵の頭上に落ちた。甲冑を着込んでいる為その効果は高く、また動きを痺れさせる事にも成功したようだった。その隙にクレスが剣を拾い上げ、持ち上げる勢いのまま横薙ぎする。

 

 首に刺さった剣は半分ほどまで食い込んで止まったが、続くチェスターの一撃がとどめとなった。

 兜の隙間を縫い、チェスターの矢は眼球を射抜いている。悪魔はがくりと項垂れると霧とも灰ともつかない物質に姿を変え、崩れ落ちるように消えていった。

 チェスターは油断なく弓を構えたまま、後ろの船員に顔を向けずに怒鳴りつけた。

 

「俺達の船室に行って人を呼んできてくれ! 傷を癒せるやつがいる! ──早く行って来い!」

 

 弾かれたように船員の一人が飛び出し、クレスも剣を構えたまま、ミントが来るまで油断なく警戒を維持していた。

 

 

 

 しばらくして、クラースを先頭に仲間達が駆けつけてきた。

 

「クレス、大丈夫か!?」

「僕達は大丈夫です。言ってた通り、メイアーさんに魔物が憑り付いていました」

「ダオスの手先に違いないだろう。アルヴァニスタの内情を知る者を害そうと憑り付き、そこから更に知った私達を同士討ちにして殺そうとしたのだと思う」

「……ミント、メイアーさんの傷の具合は?」

 

 既に凍った足を解凍し治療を始めていたミントは、クレスへ僅かに顔を向ける。

 

「はい、大丈夫だと思います。致命的な傷もありませんし、足の傷もすぐ良くなりますよ」

 

 クレスはホッと息を吐いた。

 

「良かった……。どうなることかと思ったけど」

「……だな。俺の弓で負った傷で、一生歩けなくなっちまったら申し訳が立たねぇ」

「状況を考えれば、死んでしまってもおかしくなかった。大金星だな」

「かもしれねぇけど……」

 

 結果よければ良しか、とチェスターは頭の後ろを掻いた。

 

「いや、それにしても驚いた。まだ若いっていうのに、あれだけの弓の腕だ! それに剣士の少年も! 後ろから矢が飛んでくるというのにまるで物怖じしない。お互いの信頼、剣の腕、可能な限り最小の被害で無力化まで! 君達のような人たちが乗船してくれて助かった!」

 

 船長はべた褒めでクレス達の方が萎縮してしまう程だった。褒められるのがむず痒いという訳でもなく、それに見合った働きをしたという実感がない為だった。

 

「ともあれ、送り込んだ刺客が帰ってこない事は、いずれダオスにも知られるだろう。調べれば返り討ちにした者たちも簡単に判明する。私達も、うかうかしてられないな……」

 

 重苦しい沈黙が続く中、船はアルヴァニスタに到着した。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 帰港し船から下りたクレス達は、船長と対面していた。

 

「どうも、お世話になりました」

「世話になったな、船長」

「いや何、こちらこそ助かった。また何かあれば言ってくれ。助けにならせてもらうよ」

「ありがとうございます。……それと、メイアーさんの事ですが」

 

 船長は得心がいったように頷いた。

 

「大丈夫、こちらで面倒見るよ。すぐに動かすと危ないだろうから、様子を見て大丈夫そうなら宿に運ばせる」

「それを聞いて安心しました」

「なに、こんな時代だ。助け合いが必要だろうさ」

 

 船長はニヒルに笑って船に戻る。クレスはその背に一礼してから仲間達に向き直った。

 

「それじゃあ、早速お城に向かおうか。王子様を助けないと」

「──そうだな。今の刺客を送り込んだのがダオス本人なのか、レアード王子の傍にいる手先なのかは分からない。ダオス本人ならまだ時間の猶予はあっても、こっちの手先なら時間を空ければ警戒されるだけだろう」

 

 クレスに続いてクラースがそれぞれ言うと、ミントもアーチェもなるほどと頷く。

 そうして、クラースが皆に向けて手を上げる。

 

「ついては、私に考えがある。まずは宿にチェックインして部屋を借りよう」

「……クラースさんがそう言うなら」

 

 そうしてクレス達は港から出て町に入り、宿に着くまでの道すがら観光しながら歩を進めた。

 

 

 

 旅程に必要な消耗品、保存食や食料、その他細々とした買い物を済ませる。

 入港したのが昼過ぎだったので、宿に着いたのは夕日が赤く染まった頃だった。

 

 食事を済ませ、夜の帳も落ちた後、クレス達は宿屋の一室で円陣を組むように座っていた。王子救出について、ずっとやきもきしていたチェスターはようやくか、と落ち着きをなくしている。

 

「考えたんだが……」

 

 落ち着きがないのはチェスターだけではなかったが、とりあえずクラースは全員を見渡してから自分の意見を開陳した。

 

「王室内にダオスの息がかかっているとすると、下手に動くのは相手のツボだと思う」

「相手のツボってどういう意味だい、旦那。俺達の事は、まだバレてないはずだろ?」

「バレているかどうかは関係がない。相手が馬鹿じゃなければ、最初から露見している前提で網を張っているはずだ」

 

 裏から王子を操るという事は、つまり表の権力を自由に使えるということ。事情を一般の兵士に知られないよう脅しもかけている筈で、だから兵士は王族の命令を問題なく遂行する。

 

「ウィノナの足跡を追うことは勿論、魔術やマナ、精霊に関する情報を掴むどころじゃない。我々の命も危うくなる」

「つまりどゆこと? 王様とかに王子様助けましょうって言ったら捕まるってこと?」

「そうだな。国家情報漏えい罪だとか、何か理由をつけて表側から処罰する。裏で何かが暗躍していると思わせないだけの証拠も、捏造すると考えるべきだろう」

 

 不安に眉根を寄せ、ミントは小さく首を傾げた。

 

「では、どうすれば良いのでしょう?」

「そうだな……。であれば、表側にすら秘密裏に、ダオスの手先に操られている王子を救出するしかないだろう」

「……え? それってつまり王城に侵入するって意味ですか!?」

 

 そうだ、と至極真面目にクラースが頷く。

 クレスは自らの口元がヒクつくのを抑えられなかった。それこそ見つかれば逮捕どころではない。国家の象徴たる城に対する不法侵入は紛うこと無き重罪だ。どんな言い訳も通用しない恐れがある。

 

「しかし、問題はどうやって忍び込むかだが……」

「ちょっと待ってくださいよ。その忍び込むっていうのは、もう確定なんですか?」

「腹くくれよ、クレス。それとも他に良い案あるのかよ?」

「いや、そりゃあないけど……」

「では決まりだ。……ああ、勿論、良い案があればいつでも受け付けるからな。遠慮なく言ってくれ」

 

 クラースが申し訳程度にそう付け加えると、クレスはハァ、と力なく答える。元より頭脳労働は得意ではない。きっとこれからも思いつく事はなく、そして、だからやはり不法侵入する事になるのだろう、とクレスは思った。

 

「さて、肝心の侵入方法についてだが……」

「なんか秘策でもあんの?」

 

 あっけらかんと言ったのはアーチェで、クラースはそのアーチェにニンマリとした笑みを浮かべた。

 今までに向けられた経験のない種類の笑みだった。そしてそれは決して良い方向に転ばない類のものだろう、ということをアーチェは瞬時に理解し、半身を後ろに仰け反らせる。

 

「な、何かなぁ? その受け止めがたい熱視線は……。ね、ねぇ皆──」

 

 気付けば種類は違えども、皆がアーチェを見つめていた。中でもクレスは意味が分かっておらず、とりあえず視線を向けているという感じだったが、他の二名は明らかに何かを期待した目を向けている。

 

「え? なに……、あたしに出来る事なんてないでしょ?」

 

 クラースはゆっくりと首を横に振った。その視線がアーチェの箒にチラリと動く。

 

「……あたしの箒で? え、マジぃ……?」

 

 クラースが頷き、他の二人が追随し、そしてクレスは首を傾げた。

 

「頼む、王子の近くに必ずダオスの手先がいるはずなんだ」

「お前、いつも無駄にプカプカ浮いてるだけの箒が役に立つってんだから、もっと喜んで協力しろよ」

「ああ、そうですか。じゃあ協力してあげますけどね。運ぶ最中、あんたの生殺与奪の権はあたしが握ってるってこと、忘れない方がよろしくてよ?」

 

「お前、マジでそういうの止めろよ!」

「あんたが最初に言い出したんでしょ!」

「ンだよ、お前、やんのか!?」

「──何よぉ!」

 

 放って置けば際限なく加熱する二人に、とうとうクラースが割って入った。

 

「分かった、分かったから暴れるんじゃない、全く……。今はそういうの止めて後にしろ。──という訳でアーチェ、頼んでもいいな?」

「そりゃいいけど、いつから……?」

 

 クラースは窓から見える王城を、ちらりと見つめてポツリと言った。

 

「本当なら、警備の人数と配置、巡回ルート、曜日による人数の変動など、調べたい事は幾らでもある。余裕を見ても十日前後は情報収集に充てたいところだ」

「ちょっと待ってくれよ、旦那。そんなに悠長にしてられないって、さっきも話してたろ?」

「だが、捕まってしまえば元も子もない。一生を牢獄で過ごしたいのか?」

 

 そう言われてしまえば、チェスターも黙るしかない。

 とはいえ、時間の経過は、むしろ相手に有利に働く。メイア―の件も確実に相手の耳に入るだろうし、宿に泊まった宿泊客の素性を調べる時間も与えてしまう。

 そうなれば、事を起こす前に罪を捏造された上で逮捕される心配も生まれる。

 そう考えた矢先、クラースはふと一つ思い当たる事があった。

 

「──そうだな。むしろ捕まってもいいのかもしれん」

「……へ?」

 

 間の抜けた声はアーチェのものだった。

 

「アタシ、嫌だからね! 一生、臭い飯を食べさせられるなんて!」

 

 少々言ってる事が可笑しいが、クラースは一つ頷いてから皆に顔を向ける。

 

「ま、大丈夫だ。私の考えてる通りならばな。──とはいえ最低限、見張りの位置くらいは知っておきたい。今日はその調査に充て、明日忍び込む」

 

 そういう事になった。

 




 
メイア―さんは原作通り、別に死んでいても良かったのですが、折角チェスターもいるし違う展開にさせたいと思って、ああなりました。

死別するキャラを今後出演させるつもりもないのに安易に生存させるのも良くなかったなぁと、読み直して思いました。

でも、書き直すのも面倒なのでヨシ!


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王子救出作戦

 

 深夜になり、王子を救出すべく行動が開始された。

 

 宿から抜け出し、城に近すぎない位置でそれぞれが待機し、アーチェが順に城壁の中へと運び込んでいく。

 全員を二階のバルコニーへと運ぶのは相当な体力を消費し、最後にミントを運び終える頃には肩で息をする有様だった。

 

「うへぇ……、これで全員だよね」

「そうだな。では、王子の寝室を探そう。……皆、静かにな」

 

 それぞれが動き出し、足音を殺しながらバルコニーの出入り口へと向かう。その途中、最後尾を歩くアーチェが(かね)てより思っていた事を呟いた。

 

「ダオスって、本当に悪い奴なのかな……」

「悪いから王子に魔物なんて取り憑かせてるんだろ」

 

 その前を歩いていたチェスターが、ぶっきらぼうに答える。

 チェスターの言いたい事はアーチェにも分かる。ダオスがアルヴァニスタに行っている行為は悪事には違いない。それでも、やはり違和感は拭えない。

 ──言うなれば、やっている事が中途半端なのだ。

 

「やっぱり、おかしいよ。なんでダオスはもっと国を混乱させないんだろう。王子様を抑えてるんならさ、もっと色々出来るでしょ?」

「これからするんだろ」

「……まぁ確かに、まどろっこしい」

 

 クラースが声を潜めて、アーチェの方に顔を向けた。

 

「私ならば、まず悪政を敷く。悪法を無理に施行し、国民へ王族に対する悪感情を植え付ける。その上で民を扇動し内乱を引き起こすな」

 

 ぴたり、と空気が固まった気がした。元より潜めていた呼吸が、より一層小さく細いものとなる。

 

「ダオスとて二正面作戦は避けたいだろう。内乱鎮圧により軍を使わせ傷口を広げれば、もう他国に軍勢派遣など出来ない。国力の回復にも数年では足りなくなり、しばらく国の疲弊は免れない。それは、いずれ攻め込む布石にもなる」

 

 うわぁ、とアーチェは思わず口を動かした。まるで悪魔の発想だ。エルフは人間の事を野蛮で暴力的だと評すると聞くが、それも納得の悪辣(あくらつ)さだった。

 

「ねぇ、クラース。エルフ族が人間を嫌う理由、あたし初めて分かった気がする」

「……どういう意味だ」

「そういう意味」

「ほら、無駄話してないで、早く行くぞ。私たちはまだ見つかる訳にはいかないんだからな」

 

 クラースは前に向き直り、バルコニー出入口付近に身を潜める。巡回中の兵士が鎧の音を立てながら近付いてくる。

 

「誤魔化した……」

「いいから、お前も早く来い」

 

 チェスターもバルコニー出入口へ屈んで近づいて行く。

 でもさ、とアーチェは言いかけ、結局うまく言葉に出来ずに唸った。

 ウィノナと一緒にいたというダオス。そのウィノナが今のダオスの行動を許容するだろうか。あれだけ真っ直ぐで、他人を助ける事に自分を投げ出せる人間が、ダオスの凶行を放置するものだろうか。

 ウィノナならば、やはり体当たりで止めに行くだろう。

 

 その違和感が、ここにある。

 レアード王子を抑えればそれで良しとし、それ以上を望まない。だがそれは、無駄な流血をこそ望まないから、だとしたら──。

 それが違和感の正体なのかもしれない。

 アーチェはそれを口にするか迷い、しかし結局城内に侵入を開始した面々に着いていくことで。うやむやになった。

 

 

 

「……この部屋か?」

 

 二階に侵入し、幾つかの通路を経て到着したのは最奥の部屋だった。途中、兵士が巡回警備していたものの、緊張感はなく誰かが侵入してくるとは思ってもいない様子だった。不真面目という訳でもなかったが、決まった順路を繰返し通るだけで注意して物陰を見るほど熱心ではない。

 

 隠密行動など素人同然なのにも関わらず、実際奥まで来られているのがその証拠だ。

 クレスを先頭にして部屋の前に立った。他の部屋より豪華な文様が扉に装飾を施されているのは、王族の為に用意された部屋だからだと予想できる。

 

 ドアノブを静かに捻れば鍵は掛かっておらず、そのまま開く事ができた。

 目だけで合図をすると扉をゆっくりと開き、中へと身を潜り込ませる。全員が入るのを確認すると、音を立てずに注意しながら扉を閉めた。

 

「真っ暗で何も見えないな」

「──何の用だい?」

 

 明かりとなるものが一つもなかった為、もしかすると倉庫の類かと思い口にした途端、返って来た声に身構える。

 即座に蝋燭に火を点され、部屋の中が露になった。

 

 王子の部屋というには、随分質素な部屋だった。ベッドが一つにドレッサーと姿見、そして花瓶が幾つか置かれ部屋の中を申し訳程度に彩っている。その花瓶の横にはペットだと思われるインコが、鳥篭も用意されず棚の上に直接鎮座していた。

 

「この国の王子である私の部屋に忍び込むとは、いい度胸をしている」

「あんたがレアード王子か?」

「──侵入者だ! 誰か!」

 

 冷静に見える王子は、大きな声で外に呼びかける。すぐにでも兵が押し寄せてくるだろう。どうしたものかと王子を見ると、その目は何も写していないように見えた。こちらを見ているのに焦点が合ってない、操られているというのは間違いないようだった。

 

「ど、どうすんの? ヤバイじゃん!」

「近くに王子を操っている奴がいるはずなんだが……」

「……あのインコは?」

 

 クレスが目を向けると、そこには鳥にしては随分と落ち着き払ったインコがこちらを見ていた。小鳥は基本的に臆病で警戒心が強いのに全く動じる様子もないし、鳥篭の中で飼われている訳でもない。そればかりではなく、その鳥はこちらを窺うような視線を向けている。

 

「──それだ!」

 

 クラースが指差し叫ぶと同時にアーチェは箒を呼び出し突貫、クレスも弾かれるように飛び出す。チェスターも背中にしまった弓を引き抜く。

 飛び掛かり捕まえそうになった瞬間、インコはその手から逃れるように部屋の天井近くに飛び上がり、王子の近くに着地した。

 

「ふふふふ……」

 

 インコから明らかに鳥とは違う女の声がする。インコが光に包まれると、それは形状を変え魔物の姿に切り替わる。

 赤い頭髪に角を生やし、蝙蝠の羽を持った女悪魔がそこにいた。先の尖った尻尾が腰から伸び、鞭を打つように床を叩きつけ戦意を露にしている。

 

「うげぇ、かわいいインコがあんな姿に!」

「私の名はジャミル。事の顛末を高みの見物と洒落込もうと思ってたんだけど……気が変わったわ」

 ニタリと笑い、異様に鋭い爪を掲げる。

「覚悟するがいい!!」

 

 

 

 狭い室内で、レアード王子を巻き込まずに戦うのは至難を極めた。

 チェスターの弓も射線を捕らえきれず上手く矢を放てない。頼みの綱はクレスなのだが、相手の張るバリアーが近接攻撃を無効にする。無効にしている間は相手も動けないようだったが、脈打つような螺旋の波動がクレスにダメージを与えてくる。

 咄嗟に防御するも、どうにも攻め手に欠けた。

 

「ならばこれで! ──シルフ!」

 

 局所的な竜巻がジャミルを包み、風の刃で斬りつけつつ、その身体を上方へ持ち上げる。

 

「まかせて! ファイアボール!」

 

 浮き上がっていたジャミルを複数の火球で弾き、王子から引き離した。跳ねるように飛ばされ壁際へと追い込まれた時、チェスターの矢がジャミルの持つ羽と壁を縫いつけた。

 

「やれ、クレス!」

 

 言われるより前から接近していたクレスは、矢を抜こうと無防備になっていたジャミルの側面から斬り掛かろうとした。

 ジャミルはニヤリと口を曲げると、羽が千切れるのも構わずクレスに身体を向ける。己の一部を自らもぎ捨てるような行為に、クレスは思わず身を竦めてしまった。

 

 それはほんの一瞬の事だったが、その一瞬が致命的だった。

 ジャミルは腕を大きく振りかぶると、そのままクレス目掛けて手刀で刺し貫く。脇腹を大きく抉り、ジャミルの抜き手がクレスの身体をを貫通する。

 

「──グハッ!」

 

 クレスの口から吐血が出て、ミントが悲鳴を上げた。

 

「クレスさん!!」

「──野郎ッ!!」

 

 残虐な笑みを浮かべるジャミルの額に矢が刺さり、顔がのけぞる。

 駆け寄ろうとするミントを手で制しながら、クラースが召喚術を発動させる。

 

「ウンディーネ!」

 

 床から染み出すように出現した水の精霊は、起き上がる動作からそのまま持った剣を振り上げる。クレスに突き刺さった腕を両断し、庇うように自らが纏う水の膜へ受け入れた。

 ジャミルが己の腕を見つめ、憤怒の表情を浮かべるのと同時、チェスターの矢が再び頭部を撃ち抜き頭が揺れた。

 その決定的な隙を、クレスは見逃さない。震える膝と痛みで朦朧とする頭で身体を叱咤し、己を鼓舞するように奥義を放つ。

 

「魔神双破斬!」

 

 まず地を這う剣圧がジャミルの体勢を崩した。その剣圧を放った際に、振り上げた斬撃のまま斬り下ろす。斬りつけられるがままのジャミルに、隙を生じぬ再度の斬り上げと斬り下ろし。

 一瞬の間に放たれる怒涛の斬撃と、追撃に放たれたクラースのウンディーネが、クレスの最後の一撃と剣圧を重った。

 身体を真っ二つに切り裂かれた悪魔は、そのまま灰となって崩れ落ちた。

 

 

 

 ジャミルの腕が刺さっている間はまだ良かった。

 その身の消滅と共に腕も消え去り、栓の役割をしていた物が無くなったことで腹部から大量の血が流れる。

 

「……ぐぁ!」

「クレスさん!」

 

 ミントが泣きそうな顔をして近寄り、力なく膝をついたクレスに法術を使う。淡い光がクレスを覆い、ミントが翳す掌は患部に直接蓋をするように添えられている。

 

「クレスは大丈夫なの?」

 

 アーチェもまた、ひどく心配そうにミントを伺い、チェスターは唇の端を噛み締めながら様子を伺っている。

 

「いいから。ミントに任せろ」

 

 チェスターの静かな口調は有無を言わせない迫力があった。

 そうして時間が経つこと暫し。

 ミントが息を吐くのと同時、光も消える。白くなっていたクレスの顔色もずっと良くなり、咳き込むように吐血していた様子も嘘のように元気を取り戻している。

 

 クレスが傷を負った腹部を恐る恐る撫でれば、微かな違和感があれども痛みはない。ほっと息を吐いてクレスはミントに微笑んだ。

 

「ありがとう。助かったよ、ミント」

 

 朗らかな笑みを見せるクレスに、チェスターもアーチェも肩の力が抜けるのを感じた。戦闘よりも余程疲労を感じた瞬間だった。

 

「ヒヤヒヤしたぜ、まったく……!」

「でも良かったぁ! ミントがいなかったら、どうなってたか!」

 

 アーチェの一言にクラースもまた同意する。ミントの法術については信頼していたが、今回のような生死に関わる大怪我をした者が出たのは初めての事だった。

 どれ程の傷まで癒せるかは未知数だったので、今回の癒しの術に感嘆しつつ、ミントを労った。

 

「ご苦労だったな、ミント。まさに縁の下の力を感じた思いだよ」

 

 そんな、とミントは頬を赤らめ顔を伏せる。

 立ち上がったクレスが改めて傷の具合を確かめていると、ハッとしたように辺りを見渡した。

 

「──そうだ、レアード王子は!?」

 

 

 

 悪魔が倒れたと同時、レアード王子もまた崩れ落ちていたらしい。その場に横たわる姿が見える。

 慌てて近寄り確認するも、倒れた時の外傷はない。絨毯の上に倒れたのも良かったのかもしれない。すぐに起き上がって虚ろな視線をクレス達に向けたが、その瞳にもすぐに活力が戻って来る。

 

「……私は一体……、誰だお前達は!?」

「私達は……」

 

 何かあれば法術を、と身近に控えていたミントが返事をすると、その言葉を待つより前に王子が身を引いて大声を上げた。

 

「侵入者だ!!」

「……え?」

 

 呆気に取られ、ミントは元より他の面々も動けなかった。固まっている間にレアードは脇をすり抜け、部屋から入ってきた兵士達に合流する。

 

「殿下、ご無事ですか!」

「私は大丈夫だ。それより、この無礼者どもを捕らえよ!」

「ハッ!」

 

 兵達は気合の入った掛け声と共に、武器を構えてレアードの壁となりつつ迫ってくる。

 どうします、とクレスは隣のクラースに目だけ向ける。クラースは小さく頷きを返した。

 

「皆、武器を捨てろ。今は事情を話しても聞いて貰えそうにない。大人しく捕まる方が良い」

「嘘でしょ!? 臭い飯食べちゃうわけ?」

「いいや、事情を知るのは国王とその側近──それも限られた重臣だけだと思う。王家の中で朝食を共にするのかまでは知らないが、近いうちに王子と接触はあるはずだ」

「王子が正気に戻ったことが分かれば、僕らも釈放されるということですか?」

 

 クレスが問えば、クラースは自信ありげに頷く。

 

「何をごちゃごちゃ言っている! 大人しくしろ!」

 

 クラースが魔術書を放り出すのを皮切りに、クレスを始めとした他の面々も武器を地面に落とす。両手を挙げると乱暴に引き落とされ、黙って拘束されるのを耐えた。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 地下牢は薄暗く湿った空気が淀み、一日たりとも居たくない思わせる場所だった。

 牢に放り込まれて数時間、明り取りや通風孔となるような穴もない為、正確な現在時刻は分からない。いつまで待たされるか分からないので、体力温存の為に全員一度眠った事もあり、やはり正確な時間を知る手段がなかった。

 

「ねぇ、あたし達これからどうなっちゃうの?」

 

 目が覚めてからしばし、お腹の音も大きく鳴り始めた頃、アーチェが暗い表情を隠す事なく言った。

 しかしクラースは気楽なもので、腕を後ろで組んで寝転がっている。

 

「心配いらない。王子が正気に戻ったと知られれば、きっと出してくれる」

「あー、もう! こんな所にいたら、お肌が荒れちゃうよ……」

「安心しろよ、アーチェ」チェスターが珍しく気を遣った声を出す。「長旅が続けば肌荒れなんて言ってられなくなる。むしろ荒れ放題になるからな」

 

「言うに事欠いてそれか! ちょっとは期待したあたしが馬鹿だったわよ!」

「──そうだ、お前が馬鹿だったんだよ」

「何よぉ!」

「あんだよ、やんのか!?」

 

 腕まくりして立ち上がるチェスターを見て、クラースは大仰に溜め息をつく。とはいえ、こんな状況でもいつもと同じ事が出来るのは、心に余裕がある証拠かもしれない。

 

 むしろ、とクラースは嫌味な笑みを浮かべるチェスターを見る。

 チェスターは敢えてアーチェを挑発するような事を言ったのではないか。消沈したアーチェを無理に元気付けようとしたのかも。そう思えば、中々気が利く男なのかもしれない。

 

 ついに取っ組み合いの喧嘩が始まると、牢の入り口に人が近づいて来るのが分かった。

 エルフらしき男性と、お付の兵士が扉の前で止まる。

 

「……こんな状況なのに、随分と元気な様子だな」

 

 エルフの男性はチェスターとアーチェを見て苦笑している。

 

「チェスター、指、指が鼻に入ってるから! ──フガッ! ちょ、離ひれぇ!」

 

 エルフの男性はついに声を出して笑い、クレス達が恐縮する。チェスターも流石に動きを止め、アーチェから身体を離す。

 アーチェは鼻を両手で包むように抑えると、チェスターのふくらはぎに蹴りを入れた。

 エルフの男性は隣の兵士に扉を指し示す。

 

「鍵を開け、この者達を謁見の間にお連れしなさい。丁重に、無礼のないようにな」

「はっ、は……? 謁見の間、ですか? ──いえ、了解しました!」

 

 エルフは頷くと、クレス達に向き直る。

 

「私はアルヴァニスタの宮廷魔術師、ルーングロムという。この度、そなたらの行動について、国王陛下より直々にご下問なされるとのこと」

 

 扉の鍵が開けられたのを見届け、ルーングロムは牢の出口方向へ手の平を向ける。

 

「謁見の間までお通しいたそう」

「やったじゃん!」

 

 アーチェは飛び跳ねて喜び、ついでにもう一発チェスターに蹴りを入れた。

 

 

 

 玉座の間に通されたクレス達は、両脇を槍を持った兵達に挟まれながら国王の前で膝を付いた。

 クレスとクラース両名を先頭に、その後ろに左からミント、チェスター、大きなたんこぶを付けたアーチェと続く。

 

 国王は髪の毛だけでなく髭までが白く、その豊かな顎鬚は威厳を感じさせた。その横には同じく玉座が据えられ、その后と思わしき女性が鎮座している。こちらに好意を持った感情が窺え、ひっそりと笑みに似た表情を浮かべている。その后のすぐ傍には、昨晩も世話になったレアード王子が立っていた。

 ルーングロムは一歩前に出て、クレスとクラース両方を見る。

 

「おぬしら、夜分城内に侵入した理由を申してみよ」

 

 クラースが顔を上げ、国王を見つめる。

 

「王子殿下を、お助け申し上げる為でございます」

 

 レアードは顔を顰め、クラースを不快げに睨み返す。

 

「何を馬鹿なことを……!」

「レアード、お前は何も知らぬのだ。黙っておれ」

 

 クラースは今一度頭を下げ嘆願する。

 

「今、私達は魔術を必要としているのです。より強い魔術を体得する為、ユークリッドより参りました」

「何故、魔術を?」

「魔術でしか傷付かないとされる、──ダオスを倒す為です」

 

 玉座にいる全ての者が瞠目した。

 それを見ながらアーチェは思う。

 ダオスを倒す。その為に魔術を求める。でも、本当にそれでいいのだろうか。最近は特にそう考えるようになった。頭を悩せ思考を巡らすも、いつも通りやはり答えは出なかった。

 

「クラースと申したな、それは真か!」

 

 クラースは再び面を下げ、肯定の意を示す。

 

「実は、そなたらが偶然レアードを助けた賊に過ぎぬのか、あるいは最初からレアードを助けるつもりだったのか。それをはっきりさせたかったのだ」

 

 アルヴァニスタ王は頷くような礼を見せる。国の頂点に立つ者が一介の旅人に表す事の出来る礼は限られてくる。口頭だけで済ませるのが慣例の中で、頭を動かす仕草は、その中で最大級の礼と言えた。

 

「……心から礼を申す」

「私が操られていた? 父上、それは本当なのですか?」

 

 うむ、と大仰に国王は頷く。

 

「真だ。その為、近く起こる戦に我が王国は加勢すること叶わなかった。ダオスの目的は、正にそれだったのだろう」

「戦いが起こる、と言う事はつまり……?」

 

 クレスが訪ねると、これにはルーングロムが答えた。

 

「行く先々で噂くらいは聞いただろう、同盟国ミッドガルズとダオスの軍勢が激突間近だという話だ」

「存じております」

「もし魔術探索の旅が十分達成されたと感じたなら……、戦に力を貸す事も考えてみて欲しい」

「畏まりました」

 

 頭を深く下げて一礼すると、ルーングロムは近くの兵士に顎を動かす。心得た兵士は何かの包みを持ち出し、それをルーングロムに預けた。

 

「灰となって死んだ魔物の亡骸痕から見つかった魔術書だ、受け取って欲しい。他には我国が所持する中で譲渡できる魔術書もある。遠慮はいらぬので、受け取るといい」

 

 クラースはそれを両手で恭しく受け取り、再び頭を下げて感謝の意を示した。

 

「それから何か困った事があれば、遠慮なく声をかけてくれ」

 

 クラースが喜色を浮かべて頭を下げる。

 

「ありがとうございます。では早速ですが、モーリア坑道への入場許可証をお願いしたいのです」

「それはまた何故? 単に宝探しに行きたいという訳でもあるまい」

「そこにいるとされる精霊との契約、また契約の指輪があれば是非入手したいと考えている為です」

 

 国王は小さく頷き、契約の指輪か、と小さく呟いた。

 

「それならば我が国にも一つ保管されておる。火の精霊イフリートと縁の深いガーネットの指輪、これを進ぜよう」

「よろしいのですか……!」

 

 クラースは顔を上げて驚愕した。既に多くの財を下賜されている。これ以上は過分とも思えた。

 

「よい。それを持って戦力が増せるとなれば倉庫の肥しとなっているより有用であろう。今は戦時でもある。飾った指輪で民は守れぬ」

 

 クラースは深く頭を下げ、同意と謝意を同時に示す。

 

「ご英断、格別の御厚情賜りまして、真に感謝いたします」

「うむ、許可証についても、すぐに準備させる。ギルドにて受け取るが良い。……話は以上か?」

 

 国王が左右を見ると、ルーングロムが頷き、レアードが頷いた。

 

「うむ、では謁見は以上とする」

「ハッ! 国王様のご尊顔を賜り、真に光栄でございました」

 

 クラースが言って頭を下げるのを見て、クレス達一行も慌てて頭を下げる。

 ルーングロムとレアードが退出し、そうしてクレス達もまた退出を許され、全ては事なきを得たのだった。

 

 

 

 玉座の間を退出した後、魔術研究所に寄ってみれば、呪文書と精霊の目撃情報を得ることができた。入所については話が通っていたらしく、門番をしていた兵士は顔を見るなり脇に逸れ、慇懃に礼をして中へ促してくれたし、研究所内の魔術師も非常に協力的だった。

 そうして城から退出し、明るい日差しの元に出ると、クレスはようやく大きく伸びをした。

 

「王子救出の謝礼としては、正に望外の褒美だったな……!」

 

 クラースの興奮は冷め止まない。単にダオスの思惑を阻止してやろう、ぐらいの気持ちでしかなかった。王子救出に際して打算がなかったとは言わないが、ここまで厚遇してくれたのは慮外の事で、しかも国王の懐の深さに非常に感じ入るものがあった。

 

「それにしても、クラースって敬語とかちゃんと使えたんだねぇ」

 

 アーチェが感心したように言うと、クラースは呆れたように小首を傾げた。

 

「確かに私は本に囲まれ研究漬けの毎日だったから、世間知らずという自覚はある。しかし、礼儀知らずではないぞ」

「そして命知らずでもある」

「茶化すな、チェスター……」

 

 だってよ、とチェスターは笑う。

 

「普通、学者先生ってのは契約したいからってだけの理由で、危険地帯に住む精霊に会いに行ったりしないだろ」

「言えてる!」

 

 思わずクレスは手を叩いて笑う。クラースは憮然としたが、気分を害する程ではなかった。

 何しろ先程までの玉座の間のやりとりが、まだ気分を高揚させている。

 

「それで、これからの事なんだが……」

「あ、はい。ウィノナの足跡についても、これといった収穫はありませんでしたね」

 

 観光客の出入りも激しいこの町では、旅人自体珍しいものではない。冒険者ギルドの存在もあって、住人からの認識も薄かった。一年も前に立ち寄っただけの旅人など記憶に留めている方が例外なのだ。

 

「うむ、足跡が途切れてしまった以上、精霊の契約で訪れる町などで地道な聞き込みをする他ないだろう」

 それしかないか、とチェスターは嘆息した。

 

 大きな町は人の出入りが激しすぎて、特定の誰かを探すのに向かない。より小さな町や村ならば記憶に残る事もあるだろう。ウィノナも食料や水の補充などで必ずどこかの町に立ち寄るはず。その際、誰かの記憶に留まっていることに賭ける他なかった。

 

「じゃあ、それはいいとして……モーリア坑道には行かないの?」

「無論、行きたいところだが……。魔術研究所の情報によれば、坑道の奥深くには四大精霊の祭壇があるという。未確認の精霊の目撃情報もそこだ。となれば……」

「四大精霊の契約者にのみ、姿を見せてくれる?」

「姿だけなら他の者でも見ることは可能だろう。だから証言が残っている。しかし対話をしたいとなれば、四大精霊を御する力が必要なのかもしれない」

 

 なるほど、とクレスが頷き、ミントが首を傾げた。

 

「では、これからどこに向かうべきなのでしょうか?」

「それなんだが、私はまず砂漠地帯のフレイランドに足を運びたいと思う」

「何で? 火の精霊がいるから?」

「そうだとも。陛下のお心遣いを無碍(むげ)に出来るか? どういう順序で他の精霊と契約を交わすかは自由としても、それが誠意というものだ」

「ぉ、おう……」

 

 それに、とクラースは思案するような仕草を見せる。

 

「ウィノナの足跡は、おおよそ一本の順路を進むように世界を横断している」

「どゆこと?」

「行ったり来たりを繰り返さず、今いる場所から見える町へ向かっているということだ」

「つまりどういうこった? やっぱり分かんねぇぞ?」

 

 アーチェに続いてチェスターまで首を傾げ、クラースは苦笑しながら自身の首の後ろを撫でた。

 

「私の説明の仕方も悪かった。ウィノナもまたクレス達を探しているだろう? だから町から町へと移動を繰り返している。行き先は常に行った事のない町だ。だから、アルヴァニスタの次に向かえる先は、南の港から行ける砂漠の町以外ない。ウィノナが向かったと思える町は、このオリーブヴィレッジである可能性は高いと思う」

「なるほど、流石旦那だぜ!」

 

 チェスターはようやく得心がいって喜んだが、クラースの内心はそうでもなかった。

 一つ見逃している点がある。

 現在の航路では直接ミッドガルズには行けないし、ウィノナが滞在中もそうだったかは分からない。

 

 だが、もしその航路が有用だったとすればウィノナは砂漠を回避してミッドガルズに直接向かった可能性が残る。誰しも過酷な砂漠を越えたいとは思わない。クラースとて、そこに精霊の契約があると思わなければ行きたいとは思わなかった。

 

 ウィノナもそう考えるのではないだろうか。そしてウィノナも、クレス達が砂漠を避けて通ることを考えたのだとしたら、やはり足跡を見つけることは出来ないかもしれない。

 そこまで考えて、クラースは下手な考え休むに似たり、という諺を思い出した。

 

 何にしろ始めから雲を掴むような思いで探しているのだ。可能性があるなら赴かない理由はない。

 クレス達は旅の準備を整えるのに一日使い、翌日南の港へと旅立った。

 




 
アーチェとチェスターがいると、パーティが明るくなって良いですね。
陰鬱だったウィノナ組との対比となってイイ感じです。

王から下賜される品の中に、本来グーングニルも入っているのですが、本作では描写をカットしました。
いずれヴァルハラ戦役でどうのこうのと使える伏線になるのですが、あの辺はバッサリとカットするつもりなので……。

クレス編はこんな感じで色々と不憫です。
 


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真実と疑惑と憶測と

 
ミントの影が余りに薄い。
積極的に会話に参加するタイプじゃないんですよね。
完全に空気になんかしたくないので、なんとか会話に混ぜたいんですが、無理に話させると違和感が凄い……。
なので合いの手を入れる位しか出番を作れないのです。

今後ミント主導のイベントも一応用意してるので、それまで我慢してもらいましょう。
 



 

 港から船でフレイランドへ渡り、降り立って最初に思ったことは暑すぎる、ということだった。

 

 これまで経験した事のない灼熱の風土は、クレス達を大いに困らせた。砂漠が暑いということは知っていた。だから、その為の準備も用意していた。しかし、それでも気力を削ぐような暑さまでは考慮の外だった。

 額から浮き出る汗を拭うことすら億劫で、顎の下から滴り落ちていくままにしている。とにかく早く終わってくれと、誰もが思いながら足元を見つめて前進していく。

 

「暑いぃ……、チェスターちょっと凍牙使ってよぉ……」

「あぁ? お前の頭に突き刺せばいいのか……? 色んな意味で冷たくなれるぞ」

「馬鹿なこと言ってないで、ほら……、早く使いなさいよ……」

「お前だって自分で尖った氷柱、魔術で出せんだろ……」

「やーよ、疲れるから……」

「お前は自分が何言ってんのか分かってんのか……。俺を怒らせても、これ以上何も出ねぇぞ……」

 

 チェスターとアーチェの掛け合いはいつもの事だが、流石のこの暑さではいつも通りとはいかなかった。

 

「……ほら、もうすぐ着くから頑張れ……」

 

 クラースも呻くように言って、額の汗を手の甲で拭った。帽子のツバを上げながら前方を見ると、地平線の向こうに人工物が見える。岩と砂ばかりの中にあって、唯一緑が見える中に木製の建物が幾つかある。

 

 目的地のオリーブヴィレッジで間違いないだろう。

 クレスが皆を鼓舞するような声を掛けて、更に一時間後。疲れた身体を引きずって、ようやく到着することができたのだった。

 

 

 

「早く木陰に入りたいぃ……」

 

 村の中に入るや否や、アーチェは夢遊病患者のようにフラフラとヤシの木に近づいていく。

 それをチェスターが肩を掴む事で引き止め、クラースが入り口付近に立てられた小屋を指差す。

 

 高床式になっている建物は、見慣れないクレス達からすれば奇妙に映る。しかしあれは厳しい暑さを乗り越える知恵なのだとクラースから解説され、物珍しく観察させてもらった。地上から建物を離すことで風通しが良くなり、また地熱で家が温まることもなく、暮らす上で随分違ってくるのだとクラースは言う。

 

 その高床式宿屋に入り、熱く刺すような日差しからようやく開放されたクレス達は崩れるように床に座った。

 まだ入り口付近だから邪魔になると思うのだが、どうにも身体が動かない。宿屋の主人から水を受け取り、喉を潤してそれでようやく少しマシになった。

 

 宿の窓はどれも大きく取られており、開け放たれたそこから風がそよぎ入って来て心地よい。

 宿屋の主人も心得たもので、商売の邪魔になりそうなものなのに何も言わない。ただクラースだけは何とか立ち上がり、一泊する代金を払い多少の色も付けた。それで気分を良くした主人が果物までサービスしてくれた。

 

 

 

 その日はそのまま一泊し、翌日の朝、クレスは何者かが宿を利用しようと入ってきた音で目が覚めた。

 ベッドから起き上がれば、既にアーチェ以外は全員起床している。

 

「おはよう、皆」

「おはよう、クレス」

「おはようございます、クレスさん」

 

 それぞれから挨拶が返って来てクレスは鎧など装備品を身に付けていく。昨日は疲れ果てていて宿に着くなり寝入ってしまった。本来ならウィノナの足跡を探さなければならない貴重な時間を、大きく無駄にしてしまっている。それを取り戻さなければならない、とクレスは胸の奥で決意していた。

 

 何しろ、ウィノナが今も独りで自分達を探して世界を回っているかもしれない。それを思えば胸が張り裂けそうになる。

 ダオス打倒の事もあって、常に最優先とはいかなかったものの、いつだってウィノナのことは忘れていない。

 ミントにアーチェを起こしてもらっている間に、クレスは準備を整え終わった。

 

 クレスは一足先に外の空気を吸いに出ようと、既に準備を終えていたチェスターを誘い部屋を出た。

 短い通路を歩きカウンターを通り過ぎようとして、今しがた来店した男を見る。宿を借りようと話している男は、クレスが起きるきかっけとなった来客だろう。通り過ぎ様、盗み見るように横目で顔を窺ったクレスは思わず足を止めた。

 

「──モリスンさん!?」

 

 呼ばれた男は訝し気に振り返り、クレスの顔を見て首を傾げた。

 

「……どこかで会ったかな? 私は確かにモリスンだが……そんなに驚いてどうした」

「え? いや、僕は……何というか……」

 

 ああ、とモリスンと呼ばれた男は、懐かしむような悔やむような複雑な顔をした。

 

「そういえば前にも、君と同じく初対面のはずなのに名前を呼ばれた事があった……」

「──おい、ちょっと待て」

 

 チェスターがクレスを押しのけて前に出る。険しい表情をした少年の乱入に、モリスンはつい身構えた。

 

「まさかと思うけど、一応聞いとくぞ。……その初対面であんたの名前を呼んだ奴の名は、ウィノナって言わないか?」

「……知り合いなのか? ではまさか、君達も未来から?」

 

 チェスターの目が驚愕に見開かれる。咄嗟に腕を掴んで引き寄せた。

 

「ちょっと来い。部屋で話を聞かせてもらう」

「お、おい。ちょっと……」

 

 チェスターは有無を言わさずモリスンを引っ張る。クレスも申し訳ないと思いつつ、止めることはしない。ようやく見つけたウィノナの手掛かりだ。多少手荒になってしまっても、是非話を聞かねばならない。

 クレスはチェスターとモリスンを挟むような形で付き添い、部屋に戻った。

 

 

 

「なんだクレス、随分早かっ──」

 

 部屋に入り扉を閉めるとクラースが暢気な顔をして振り返り、そして固まった。

 クラースにとっては見たこともない中年の男性が、クレスとチェスターに連行されて部屋に入ってきたのだ。何があった、と聞く前に後ろからミントが叫ぶ声が聞こえた。

 

「モリスンさん!?」

「……君もか」

 

 部屋に連行されて来た男が、気まずそうに俯く。クレス達とその男を見比べて、アーチェは首を傾げた。

 

「ほぇ? どゆこと? 皆のお知り合い?」

「アーチェさんには言ってませんでしたね……。私達、実は百年後の未来から来たんです」

「ふぅ~ん、そうなんだ」

「信じるんですか? そんな簡単に……」

 

 アーチェはからからと笑う。

 

「だってそんな嘘、今ここでつかないでしょ。明らかにワケアリです、って顔してさ。クレスとチェスターもおっかない顔しておっさん連れてくるし。……っていう事は、ウィノナも未来から来たの?」

 

 ミントが頷くのを見ると、アーチェは感嘆めいた声を出した。

 

「ここにもウィノナの知り合いか。それで、私に何を聞きたいのだね」

「ああ、いえ、突然の無礼、許してください」

 

 クレスは慌てて頭を下げた。椅子を勧めながら、チェスターにも頭を下げさせる。

 

「強引な方法で連れて来てしまったことは謝罪します。でも、是非ウィノナの事を聞かせて欲しいんです」

「ああ、なるほど。それならば断る理由はない。私も急ぎの用事があったんだが、誰かに話したいとも思っていた。……彼女の友人なら、その資格が十分にあるだろう」

 

 顔は俯き、悔恨の声音が強いモリスンに、クレスは嫌な予感がした。

 だがもうここまで来てしまったのだ。聞いて後悔するような内容でも、今更後戻りはできない。

 椅子は全て使われていたので、クレスとチェスターは仕方なくベッドに腰掛ける。ベッドの軋む音を合図に、モリスンがぽつりぽつりと語り始めた。

 

 

 

「彼女の現在の動向については、申し訳ないが私も知らない……。既に一年近く消息を断っている。だが会いたい、会って謝りたいと思っている」

「──アイツに何をした!」

 

 チェスターが立ち上がり掴みかかろうとする所をクレスが止めた。両肩を抑えて無理やり座らせる。

 項垂れていたモリスンは驚きはしたものの、身構えることはしなかった。殴られるならそれでもいい、と思ったのかもしれない。

 

「私は取り返しのつかない事をしてしまった。私が不用意にダオスに興味を持たなければ……。ウィノナが姿を眩ませたのも、私の責任のようなものだ」モリスンは重く息を吐く。「ダオスが魔王と呼ばれている事も、直接的ではないにしろ私にも責任はあるのだろう……」

 

「どういう事だ……。何故そこでダオスが……、それも魔王と呼ばれる遠因だと?」

「知ってる事を、全て教えてください」

 

 クラースが眉根を寄せてモリスンを注視するのと同時、クレスは正面から緊張感を滲ませた表情でモリスンを見つめる。

 

「僕達はきっと、それを知らないといけない」

「……私も事の顛末を聞かされた身だ。その場で見聞きした訳じゃない。ウィノナからも失踪する前に色々聞いたものだが、……それでも、やはり聞いただけだ。一時船上で共に移動しただけで、一緒に旅をしたと言えるほど長い付き合いでもない。……だから、知っている事だけを最初から話す」

 

 それからモリスンは滔々(とうとう)と語った。

 

 ウィノナとダオスが共に旅をしていたこと。

 世界樹が枯れ行く運命にあることを拒み、それを阻止しようとしていたこと。

 救う手段がないため諦めていた頃、モリスンがミッドガルズでマナを集める技術──魔科学を研究していると教えたこと。

 ダオスには時を越える力があり、それを理由に人体実験同然で研究所に潜入したこと。

 ある時、ダオスが研究所から逃げ出したこと。

 逃げた理由は、マナを集めるどころかマナを加速度的に失わせる原因になっていたと知ったからとのこと。

 兵たちは逃げ出したダオスを追うのにウィノナを使い、見つけた先でウィノナを斬りつけ片腕を奪ったこと。

 それに激怒したダオスが、その場にいた兵士の八割を虐殺したこと。

 ダオスは当初、魔科学を捨てるよう呼びかけていたが、説得がきかないと知ると武力をちらつかせてきたこと。

 それから北部の古城に篭って魔物を率いミッドガルズと敵対、魔王と呼ばれるようになったこと。

 ウィノナは都内で軟禁中だったが、魔物が古城に集結している辺りで姿を消したこと。

 モリスン自身も捜しているが、一年経つ今も全く行方が知れないこと。

 

 

 

 そこまで話し切って、モリスンは重く息を吐いた。重く蓋をしていた感情が流れ出るような語り口だった。苦悩と後悔が混じりあい、俯いた口から出る言葉は聞いていて耳を塞ぎたくなる思いだった。

 知らなければならない、と思ったことは間違いではなかった。

 

 しかし、余りに重い。

 

 沈黙が続くのは皆がモリスンの言った事を咀嚼しているからだろうと、クレスは思った。あまりに多くの事を一度に聞いたので、自分の中で消化しきれないのだ。

 アーチェは顔面蒼白で、その身は小刻みに震えている。怒りと悲しみ双方の感情を、どこにぶつけてよいのか分からず、ただその拳を握って耐えていた。

 

 聞いた内容の事が事だ(・・・・)。ウィノナの身に悲惨としか言いようのない不幸が襲っている。

 今もどこかで元気にやっていると思っていたのに、実際はそれとは真逆の事。ウィノナは今、一体どんな感情を持って生きているのだろう。それとも──果たして本当に今も生きているのだろうか。

 長く続く、その沈黙を破ったのはチェスターの怒号だった。

 

「ふざけんなよ! なぁ、全部ミッドガルズが悪いんじゃねぇか! お前も! ミッドガルズも! 全部! ──ウィノナを返せよ!」

 

 チェスターは涙を流してはいない。それでも泣いている事だけはクレスには分かった。

 ウィノナがどれほどの苦しみを感じたか、クレスにはその半分程だって分かってやれないだろう。それでも、クレスの内側にさえ燃えるような憎悪が生まれてくるのを抑えることは出来なかった。

 

 魔王誕生の原因は、少女を傷つけられた激怒から。

 いま聞いた話を振り返ると、悪逆非道、人類の敵、魔王と呼ばれるダオスに違和感がある。

 

 クレスとチェスターが怒りを隠しもせずモリスンを威嚇する中、クラースは冷静だった。そもそも激昂する程ウィノナを知らない、というのが理由だが、とはいえ一人の少女を絶望の淵に落としたことに対して怒りはある。

 

 だが、こういう時こそ最低一人は冷静でる人間が必要だ、という戒めの元に行動していた。

 ウィノナとダオスは、共にしている所を度々、目撃されている。

 ウィノナは行く先で人助けをした事もあるようだし、それにダオスも随従していたと思われる。

 マナの消失を懸念しているようだったし、しかもそれに逸早く気付いて動いていたのも二人だ。

 それを理由にミッドガルズに向かったようだし、魔王と呼ばれつつ直接的な敵対行動はミッドガルズだけ。

 

 ──だが。

 その敵対行動が、魔科学を捨てない国に対して、やむを得ない武力行使だとしたら……。

 無論、魔物を使うという手段は手放しに褒められたものではない。だが領土も人員も持たない者が国に武威を見せようと思って、急造で用意できる軍隊など、それでも他にあっただろうか。

 

 クラースがそう思考している外で、アーチェもまた思考を回転させていた。

 ずっと前から違和感を感じていたし、アルヴァニスタでは答えが出せないままでヤキモキもしていた。

 王子に魔物を憑り付かせ脅すだけ、国丸ごとは無理でも王家の崩壊は出来た筈なのに、それはしなかった。

 しなかったのではなく、するつもりがなかったのだとしたら。

 

 そして、デミテル。

 リアを襲った魔術師が再び現れた時には、もう襲う事は禁止されていると言った。

 これは洗脳を施すことで、暗殺そのものから守ったとも言えるのではないか──。

 そうだよ、とアーチェは呟いた。

 

「なんでデミテルは、とっくにリア達のいなくなった家を燃やしたのか疑問に思ってた。リアたちはミッドガルズから来たんだ。そして両親は魔術師でもあった」

 

 アーチェは過去を思い出す度に、うんうんと頷く。

 

「両親の急な引越しは、ミッドガルズでやっていることが怖くなったから逃げて来たって、リアは言ってた……」

「それって魔科学のことかな……」

 

 合いの手を入れるように呟くクレスに、クラースは可能性は高い、と返した。

 

「であれば、最初の追っ手はミッドガルズからだろう。しかしダオスはそれを逆に利用した、と考えると辻褄は合う」

 

 デミテルが言ってはいなかったか。

 家の放火はあるものを消したかったからだ、と。探し出すより家ごと燃やす方が手っ取り早い、と。

 もしかすると、家の中には魔科学に関する資料などがあったかもしれない。

 誰かが見つけ出して再利用するのを防ぐため、どこに隠したのか探すより、全部燃やしてしまう方を選んだ。

 

「魔科学を疎ましく思うダオスは、研究資料のような物がスカーレット邸にあることを知っていたのかも……」

 

 室内に痛いほどの沈黙が続く。

 クレスは、ダオスに持っていた敵愾心(てきがいしん)が急速に衰えていくのを感じていた。

 地下墓地で遭ったダオスは恐ろしかった。復活したばかりのダオスは怒りに身を染めていたし、それが人類全てに向いているのだと思っていた。

 

 何故なら、それは魔王と呼ばれていたからであり、過去に飛ばされたこちらでも、その脅威は変わらないと思ったからだった。

 

 しかし、それは人間が作った偶像でプロパガンダだったとしたら。

 ミッドガルズが自らの行いから目を逸らし、周りに敵を周知させることで自らを正当化していただけだとしたら。

 

 ──悪は人間の方にこそ、あるのかもしれない。

 

 ここにいる誰もが、ダオスによって身内を殺された訳ではない。

 不幸な事故はあったが、だれもがダオスに──ダオスの直接の指示で害されたことはない。

 当初の目的のまま、ダオスを倒す力を身につけ、進んでいっていいものだろうか。

 

 クレス達はお互いに目配せをする。

 合った視線で感情を読み取れば、同じ事を考えている、とすぐに分かった。

 

 魔王は世界を蹂躙する事を望んでいない。ただただ魔科学の研究を中止、あるいは完全破棄を望んでいる。

 ──だが、何の為に。

 

「この際、魔科学憎し、で戦ってるでもいいさ。……でも、何でだ? ダオスは自分を傷つける魔術の元をなくしたいんじゃなかったのかよ?」

 

 疑問を呈するように言ったチェスターに、クラースは首を横に振る。

 

「──今まで悪し様に言っていた相手に対して、簡単に手の平返すのは抵抗あるだろうが……認めねばなるまい」

「……なにを?」

「ダオスの行動は一貫していた。破壊や蹂躙を望んでいない。──逆だ」

 

 全ての点は繋がった。ある問題に対して、点と点が線となって繋がってしまった。

 

「世界樹に宿る精霊マーテルは、ダオスが枯れいく世界樹を見て嘆いたと言っていた。救う手段を模索しようとしていたとも言っていた。デミテルは洗脳されたが、その目的はあくまで研究資料の破棄だった。レアード王子の洗脳はミッドガルズへの参戦を止める為。無駄な流血を避ける為だ。メイアーが憑り付かれたのは、王子洗脳を暴露されると、遅かれ解除され参戦を決意させてしまうからだ。ミッドガルズを武威でもって脅したのは、魔科学を完全に破棄させたいからだ」

 

 クラースはそこで一拍置いて、そして続けた。

 

「何故なら──魔科学は世界からマナを奪ってしまう害悪だからだ」

 

 全ては世界樹を守る為。健全なマナの循環を取り戻す為。それこそが、ダオスの目的。

 

「マジかよ……。でも本当か? 憶測でしかないんじゃないか?」

「そうだ、全て憶測だ。私が勝手に、良いように解釈してしまっているだけかもしれない。だが、ダオスが多くの流血を求めていないのは間違いない。中でも、レアード王子の一件は決定的だろう」

 

 チェスターは唸るように呟いた。

 

「じゃあ、どうしろってんだよ……」

「そうだな、どうしたものか……」

 

 クラースは力なく言って、帽子のツバを下ろした。

 

「ちょっと待ってくれ……!」

 

 モリスンが顔を上げ、クラースの方へ顔を向ける。

 

「レアード王子が洗脳されていた? それがミッドガルズへの参戦拒否の理由だと?」

 

 そうです、とクレスが頷いた。

 

「もう退治してしまったので、アルヴァニスタは参戦表明を近日発表すると思いますが……」

 

 言いながら表情が苦いものへと変わっていく。ダオスの思惑を潰してやったと思ったが、これで望まない流血が生まれてしまうことになる。

 

「そう……、なのか」

「どうかしましたか?」

「いや……、私にも急ぎの用があると言ったろう? その理由がアルヴァニスタに参戦の返事を貰いに行く事だったんだが……」

 

 もう済んでいたのだな、とモリスンは苦い笑みを浮かべた。

 クレスもどう返事していいものか分からず、曖昧に頷いた。

 

「……で、結局どうするんだよ」

 

 そうだな、とクラースは腕を組んで顔を上げた。

 

「私はもう、ダオスと正面から敵対するつもりはない。──皆はどうだ?」

 

 クラースが顔を巡らすと、誰もが困惑した顔つきであるものの敵意を持った者は誰もいなかった。

 クレスが頷いてみせる。

 

「確かに、もう打倒ダオスと思っていないのは事実です。確認も必要だろうとは思いますが」

「そうだな。だから今からダオスを打倒ではなく、説得に切り替える」

 

 ミントは小首を傾げる。

 

「説得……ですか?」

「降参してくださーい、って呼びかけるわけ?」

 

 アーチェが両手を挙げてそう言うとクラースは首を横に振った。

 

「それが出来れば一番楽だが、ダオスとて魔科学の完全破棄か、あるいは魔科学が完全無害な技術として確立されなければ兵を引かないだろう」

「どっちも無理っぽいじゃん……」

「魔科学については無知もいいところだから、無理かどうかは分からんが……」

 

 ちらり、とクレス達未来組に顔を向けると小さく息を吐いた。

 

「未来でマナが失われることを考慮すれば、まぁ実現不可能だろう。数十年の研究の果てに可能になろうとも、その研究過程でマナが失われる」

「ですよね……」

 

 クレスが小さく呻いた。だが、とクラースは続ける。

 

「ハナから話し合いの出来る可能性を捨てるべきではない。説得しに会いに行くだけでも力が必要だ」

「城の外から呼びかけて、出てくるダオスでもないですよね」

「……露払いにも力はいるか」

 

 そうだな、とクラースは頷く。

 

「基本としては、今まで通りだ。精霊と契約を続けながらウィノナを探す。ダオスの真実とて、ウィノナならば知っている筈」

 

 だな、とチェスターが立ち上がる。

 

「クラースの旦那が言ったことが真実なら、ウィノナだって今のダオスを説得したいって思ってる筈だぜ。いま姿が見えないのだって、きっとその為に動いているに違いねぇんだ……!」

 

 ウィノナの動向が全く見えないのは気にかかる。だが今はいつか見つけ出せる、合流できると考えて進むしかない。

 

「ウィノナを探しながら精霊と契約し呪文書の蒐集を行い力をつけ、最終的にはミッドガルズへ向かう。倒すのではなく、説得の上で戦争を終結させる為に。──皆、それでいいか?」

 

 はい、というクレスの返事を皮切りに、それぞれが了解の返事を返す。

 

「そういう訳です、モリスン殿。あなたに会えたのは幸運だった」

「というと……?」

 

 一瞬、面食らったように目をぱちくりとさせるモリスンに、クラースは方眉を上げておどけて見せる。

 

「ミッドガルズの研究員という肩書があれば、入国に関するいざこざも、随分と簡略化できるのではないですか? 例えば、許可証のようなものを発行してもらうとか」

 

 クラースがそう言うと、モリスンはすぐ得心がいったように頷いた。

 

「……ああ、なるほど。確かに。ミッドガルズでは自由に動けるよう手配しよう。場合によっては助っ人としてダオス軍と一当たりして貰う事になるかもしれないが……」

「構いません。ダオスに近づこうと思ったら、それは避けられませんから」

 

 クレスが承諾すると、モリスンは安堵して笑みを作った。

 

「それであれば色々と捩じ込み易い。……正直、助かるよ」

 

 では、とモリスンは立ち上がると扉へ向かって歩き出す。

 

「もう行かれるんですか?」

「こういう事は早い方がいいだろう。君達が辿り着いたというのに、こちらの準備は間に合いませんでした、では話にならん」

 

 クレスが苦笑し、よろしくお願いします、と頭を下げた。

 

「こちらこそ、頼りにしている。どうか、よろしく頼む」

 

 モリスンも一同に顔を向け、腰から曲げて深く頭を下げる。数秒体勢を維持した後、踵を返して部屋を出て行った。

 その背を見つめてからしばらく、クレスが立ち上がり皆を見渡す。

 

「何だか突然、色んなことが変わってしまって困惑する事も多いけど……。クラースさんが言った通りだ。説得でこの戦争が終わるというなら、それに越したことはない。皆、頑張ろう!」

 

 おう、と全員から気合の入った返事を貰い、クレスも全身に力が漲るのを感じた。

 これからウィノナに会う。必ず見つけ出す。それを胸に旅立つ準備を進める。

 

 まずは当初の目標通り、火の精霊の居場所へ。

 照りつける太陽は忌まわしいほど強い日差しを放っていたが、今のクレスの心は決意に満ちていた。

 昨日はすぐに降参した日差しにも、今ならば問題なく耐えられる気がする。

 

 宿の室内から見える出入り口は白く光って見え、それがクレスにはこれから進む先を照らす光にも、勇気を鼓舞する光にも見えた。

 クレスは一度振り返って全員の顔を見つめ、そして光に向けて歩き出した。

 




 
第三幕終了です。
精霊集めは宣言通り、アーチェのエルフの集落イベントもカットです。
あれは未来編まで行かないとお話が回収できないので、やはり今作では扱わない事にしました。


そして、ついに原作改変への一歩を踏み出しました。
ウィノナの存在で本来知り得ないダオスの事情を知ることになり、そうして悪の魔王を倒すという目標が変更に。

次回は、ゲームOPで登場する???達から物語が始まります。
 


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第四幕 AC.4202年 冬
傭兵と修道女


 
ようやくタイトル回収が近づいてきました。
次回当たり、本来出会う筈のない者たちが交わります。


 

 ミッドガルズ大陸北部、そこにはヴァルハラ平原と呼ばれる広大な草原地帯がある。

 平原といっても起伏は激しく、人の身の丈を大きく越える切り立った岩や大木がそこかしこにある。それが重なり道を塞ぎ、場所によっては迷宮のような状態になっていた。

 

 その平原では、現在ダオス配下である魔物の軍勢とミッドガルズの兵達による泥沼の戦争が行われていた。

 既に過去二回、大規模な軍の衝突が起こっており、現在はダオス軍の僅かな優勢で落ち着いている。

 軍の構成としては中核を担うのが正規兵であり、その他実に半数以上が傭兵だった。

 

 当初は軍人と自発的に軍に参加する市民兵が主力だったが、その被害が広がるにつれて市民兵への志願は激減し、傭兵に頼る割合が増加していった。

 最初は戦線を押し上げていたものの、ダオスが住む居城へ繋がる一本橋を落とす事ができず長期化。物資も糧秣も底を尽き、次第に前線を維持出来なくなっていった。

 

 またダオス軍は無闇に人を殺さない。無論死亡者が出ないという意味ではなかったが、過去にあった戦争の死傷者数と比較すると驚くほどの低さだった。何故、魔物が人を殺さないのか。民兵や傭兵は喜んだし、軍上層部も喜ばない訳ではなかった。

 しかし、手加減され侮辱されているのか、そう色めき立つ者が出る中で、次第に真実が浮き彫りになってきた。

 

 生きている人間がいれば、戦友はそれを見捨てられない。重傷者を引き連れて下がれば兵数は単純に二倍減っていなくなる。

 また負傷しても息があるのなら手当てをせねばならない。医療品が想定以上の消耗を見せ、物資は早期の段階で底を尽いた。

 これが狙いだったのだ、と分かった時にはもう遅かった。

 

 ミッドガルズの壁内には負傷兵が溢れ、呻き声が途切れる事もない。地獄の釜が開いたかのようだった。

 初期にあった戦勝ムードは露と消え失せ、誰もが俯いてその日を乗り切る事で精一杯になっていた。

 

 

 

 その日も散発的に発生するダオス軍との衝突に、一人の傭兵が戦っていた。

 配属された部隊は三日前に合流したばかり。だというのに、この部隊は既に彼一人しか残っていない。

 

 傭兵の名前は、アラン・アルベイン。

 二ヶ月前からこの戦争に参加しているアランは、部隊が壊滅する憂き目に何度も遭いつつ、その全てに生き残ってきた。生き残っては前線から戻り、その度に再編成された部隊に配置された。今回も変わらず配属される部隊を指示され、意気揚々と剣を振るっていたものの、その部隊がたったの三日で失われたのだ。

 だがそれも、この戦線では珍しい事ではない。

 

 アランは目の前にいる最後の魔物を斬り倒し、そして大きく溜め息をついた。

「はぁ……。クソったれ」

 辺りを見渡せば死体の山、人間を殺さない傾向の強い魔物も、今回ばかりは難しかったらしい。生存者は皆無だった。

 

 アランは荒い息を整えながら、持っていた剣を肩に掛ける。

 (つば)付近には罅が入り、固い鱗を斬りつけた刃は欠けている部分もある。軍から支給された剣だが、どうにも具合がよろしくない。戦争中に使われた鉄、そして失われた鉄は数知れない。良質な鉄は、もう傭兵には与えられないのかもしれなかった。

 

「あーあ! またとんぼ帰りか。ろくに魔物を斬り殺してねぇってのに……」

 

 傭兵は基本給としての支払いの他に、殺した魔物の数と戦地にどれほど滞在したか──戦闘日数でも支払いが発生する。現在、全滅判定を受けたアランの部隊は明日以降、ここに滞在していても報酬支払いが発生しない。次の部隊が再編成されるまで、全く稼ぎが発生しない事になる。

 

「稼ぎに来たってのに、これじゃあな……」

 

 アランは自分の心境を表すような鈍色の空を見ながら踵を返し、駐屯地まで急ぎ足で帰るのだった。

 

 

 

 駐屯地で待機して一日、結局この場で新たな編成は難しい、と指揮官から伝えられた。傭兵の補充が順当に行われておらず、またここ最近は補充されても目標数に達しない事は珍しくない。

 このまま駐屯地にいたとしても無駄に時間を浪費するだけだと、アランは悟った。

 

 何しろ、この待機日にも報酬は発生しない。いつ折れるか分からない武器の代わりも欲しいが、駐屯地で手に入る武器は全て同じ物だ。またすぐ壊れてしまうと予想できる。

 アランは望みは薄くとも替えの武器を探す為、また再編成までの時間潰しに、一度ミッドガルズまで帰ることにした。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ミッドガルズ王国は巨大な城塞都市である。

 町の周囲を全て壁で取り囲み、東西には城門が構えられ、一定間隔で望楼(ぼうろう)が設置されている。これは遠くを見る為のやぐらのようなもので、外敵を早期発見するのに役立つ。

 

 町の北部は王城と貴族街で成り立ち、南部は中流階級以下の民家や商店などが立ち並ぶ。また同じ南部でも東側と西側では印象が違う。

 しかしそれだけの都市であっても、戦火の影響で城壁内はくすんだ気配を発していた。町の中に活気はなく、草花も萎れている。

 

 地の実りは年々減少傾向にあり、食うに困って危険な外に獲物を探して狩りに出る者もいる。

 それでも最近は、以前よりずっとマシになった。

 長く沈黙を保っていた同盟国アルヴァニスタが、多くの補給物資を持って参戦してきたのだ。中でも医療品は多分に含まれており、戦場から帰って来れたのに結局命を落としてしまう者を多く助けた。

 

 現在のミッドガルズ南部は、負傷兵の手当てを行う野戦病院の役割を果たしていて、本日も多くの負傷者が運び込まれ、阿鼻叫喚の様を呈している。その手当てに奔走するのは衛生兵だけではない。

 軍事に関係を持たない医師や産婆まで従事を強要され、国家総動員として教会のシスターもまた治療に駆り出されていた。

 

 今も現場で尽きた医療物資を補充しようと、一人のシスターが通りを走っている。物資を集積する場所が足りない為、少し離れた区画にある空き家を使ったりと、とにかく色々な部分で余裕がない。

 もっと近くに集積場所があれば、より多くの救える命があるはずだ、とシスターは本日何度目かになる怒りを露わにしていた。

 

 このシスターの名前を、キャロル・アドネードという。

 

 キャロルは急ぎ足で通路を進む。家と家との間の通路は広いとは言えず、また自力で動けずとも重傷ではない負傷者たちが転がっている。毛布の数が足りておらず自身で用意するか、そうでなければ身に付けているマントを毛布代わりにして寒さを凌ぐしかなかった。これから本格的な冬が到来するというのだから、このままでは凍死者が出るかもしれない。

 

 そう考えて、キャロルはまた一つ怒りの向ける先が増えた事を自覚せざるを得なかった。

 キャロルの怒りはこの戦争そのもの。そして、負傷者が増え続ける今も戦線を維持しようと、人を戦場に投入し続ける王侯貴族に対してのものだった。

 

 この戦争の為に流れた血はどれほどの量になったのか、それはキャロルには分からない。

 ただ、この惨状を目の当たりにして、それでも冷静でいられるほど臆病ではなかった。献身は大事だと思う。一人でも救える命は助けたいと思う。しかし、そもそもこの戦争にどれほどの意味があるのか。

 

 ただただ人命を思うだけの自分では、この戦争の終結後に何が残り何が得られるのかは分からない。

 しかし、(おびただ)しく横たわる戦傷者達と助からず失われていく命を見て、ただ救われて欲しいと思わずにはいられなかった。

 

 思考が後ろ向きになっていく事を自覚して、キャロルは一度立ち止まり息を整える。

 ここで憤っても何も始まらない。それに傷病者には看護人の感情が伝わってしまうものだ。物資を補充して戻るまでまだ時間があるとはいえ、この感情のまま戻るのはよろしくない。

 

 二度、三度、キャロルは深呼吸し、ふと視線を遠くにやれば、そこには横たわる負傷者の傍に男が座っていた。看護の為ではない。気遣う風でもない。横たわる男の正面に屈み込むように座り、負傷者の装備を不躾に見つめている。

 

 男は見知った傭兵だと、すぐに分かった。この町では度々目に入る存在であるし、行動が目に余る存在でもある。身に付けた装備品からも当人だと考えるのが妥当に思えた。

 その傭兵が、意識を失っている負傷者の武器を小突いている。

 キャロルは訝しげに眉をひそめ、その二人の所へ近づいていった。

 

 

 

「よぉ、兄ちゃん。良いヤッパ持ってんな。俺に使わせてくれよ」

「……あなたはここで、何をしてるんです」

 

 横たわる男の剣に手を伸ばしていた男は、びくりと肩を竦めて動きを止めた。その後ゆっくりとキャロルへと顔を向けると、バツの悪そうな顔をする。

 

「よ、よぉ。奇遇だな、キャロル」

「奇遇だな、ではありませんよ、アラン。傭兵をやめて盗賊にでもなりましたか?」

 

 ミッドガルズに戻ってきたアランは武器屋で商品を物色するのを止め、路上にいる負傷兵に目をつけた。場合によっては金を使わず武器が手に入るかもしれない、と考えたからだった。

 

「キャロル、よく聞いてくれ。俺はただ道具の有効活用をしてやろうと思っただけなんだぜ? ここで寝てても武器は振るえねぇ。だったら俺が代わりに使ってやった方が、よほど意味があるだろ?」

「それが窃盗の理由として成り立つと思っているなら、是非とも牢の中で同じ事を言ってもらいたいものです」

 

 キャロルは頭痛を抑えるように額に手を当てる。大きく息を吐いてから、改めてアランに目を向けた。

 

「大体、あなた高給取りの傭兵でしょう? お金ならあるのでは?」

「馬鹿言うな。このミッドガルズで良質な剣を買おうと思ったらな、金が幾らあっても足りねぇよ。金稼ぎに来て、稼いだ分ここで全部使ってたら意味ないだろ!」

「ならば支給品を使えば良いでしょう」

「あんな数打ちのナマクラじゃ、一戦しただけで折れちまうよ。実際──ホレ、これがその一戦しただけの剣だ」

 

 気軽な調子で剣を抜いて、手首の回転だけで器用に柄をキャロルに向ける。刃の先を挟むようにして持つアランは剣の根元を指で指した。

 

「見えるだろ、ヒビ」

「……ありますね」

「そっから下に刃渡り十センチの部分、どう見える?」

「素人判断で恐縮ですが、潰れているように思いますが」

「ご明察。……こんなのしか傭兵には支給されねぇんだよ。正規兵は知らんがな」

 

 ああ、とキャロルは同情めいた溜め息をついた。どこもかしも優先されるのは正規兵。武器でも薬でも包帯でも、それは変わりないらしい。正規兵が傭兵よりも重用されるという考えは、キャロルにも分かる。それでもこれは、あまりに酷い。

 

「なるほど、事情は分かりました。ですが、やはり無体を見逃す理由にはならないようです。諦めて購入するか、一時この町から離れて購入してくるしかないでしょう」

 

 アランは目に見えて顔を顰める。それだけでは飽き足らず、苦虫を十匹まとめて噛み潰したような顔をした。

 

「俺は故郷に道場を建てるっていう夢の為に頑張って稼いでるんだぜ? その稼ぎだって良いとは言えねぇのに、この町で買うなんてできねぇよ。他の町に行くのだって無理だ。いつ部隊編成が終わるか分からねぇし、いない日数分稼ぎが減る」

「あれも嫌だこれも嫌だと、我侭な人ですね」

「こんな劣悪な環境に入れば、そうもなるさ」

 

 キャロルは思わず言葉に詰まる。それを見てアランも慌てて言い募った。

 

「いや、お前たちはよくやってるよな! 皆感謝してるし、悪く言う奴なんて誰もいねぇさ! ただ、ちょっと、ホラ、アレなだけだろ……」

 

 結局上手い事を言えずに言葉を濁してしまったが、キャロルには言いたい事が伝わったようだった。

 小さく頷き、来た道を振り返る。

 

「……そうでした。救護の為の物資を取ってくる途中だったんです。……私はこれで」

「おう、そうか。……そうだな。ここだって戦場だよな」

「ええ、一人でも多く救わなければ。──いいですね、その人から武器を奪わないように」

 

 最後に指を突きつけそう言うと、キャロルは小走りで道を駆けて行く。

 アランはその背を見送ってから、奪うのではなく交換ならいいだろ、と名案を浮かべた表情で負傷兵に向き直った。

 

 

 

 アランと別れた後、キャロルは目的の空き家に辿り着いて、眉を顰めた。

 家の前には一人の人間が立っている。外見からして傭兵だろう、背はあまり高くないが戦士の立ち姿だと思った。黒く汚れた松の葉色の外套を全身を覆うように身に付けている為、詳しく判断出来ないが女性であるかもしれない。

 

 その傭兵がフードを目深に被り、塀の外から家を見つめている。

 フードの隙間から見える物悲しい瞳は、過去の憧憬(どうけい)を写して泣いているように見えた。

 しばらく待っても傭兵は動こうとしないので、キャロルの方から近づき声を掛ける。

 

「あの、この家に何か用が……? もう随分と前から空き家ですよ」

 

 声に反応して傭兵がうっそりと振り向く。

 

「傭兵の志願なら、城に入ってすぐに受付が設置されています。行けば分かると思いますが……」

 

 キャロルがそこまで言うと、フードの隙間からようやく視線が向けられた。

 

 目が合った瞬間、キャロルは凍りつく。背中に氷柱を差し込まれたと錯覚するほどの寒気を感じた。

 目の前の人物からは人間味を感じさせない冷徹な視線がある。魔物が紛れ込んだと言われれば、そのまま信じてしまいそうな程で、殺気がないのが不思議だった。

 キャロルが動けないでいると、傭兵が踵を返した。歩き出す前に一度振り返る。

 

「……ありがとう」

 

 声音は女性のものだったが、やはり人間味を感じさせない底冷えのする声だった。

 傭兵が見えなくなるまで立ち尽くし、そして姿が消えると弾かれたように空き家に入る。必要な包帯や傷薬を補充すると逃げるようにして去って行った。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 それから幾日か過ぎたある日、キャロルは朝から負傷兵の手当てに追われていた。

 切り傷、噛み傷、四肢損傷、あらゆる傷と血と呻き声に囲まれ、キャロルはその身に怒りが募る。

 この忙殺される状況に、ではない。この状況を作り、今も尚も作り続けるよう指示している王候貴族に対してだった。いつからか感じ続けていた憤りが、ここでついに爆発した。

 

「王をこの場に連れてきなさい! この状況を見て、自分が何をしているか理解させてやらねばなりません! 王城の玉座からでは見えない光景を自覚させるのです!!」

「……落ち着きなさい、キャロル」

 

 午前中の治療を終え、ついに激したキャロルに年配の修道長が窘める。

 

「そのような姿勢で、傷病人の前に出るものではありません。彼らは今も傷付いた身体で待っているのです。ただでさえ弱った心に、そのような昂ぶった気持ちを()てられた方達はどう思うでしょう」

「……はい、申し訳ありません。仰るとおりです」

 

 キャロルは項垂れ反省する。傷が深まれば心もまた弱るものだ。そんな時こそ献身的な介護が必要だというのに、キャロルは自らの感情を優先させた。自分の未熟さに心が萎れる思いだった。

 

「私達に出来ることは多くありません。それでも今は、ただ救える命に救いの手を差し伸べる事に全力を尽くすべきなのです」

「はい、修道長。私には私の出来る事を」

 

 キャロルが毅然として頷き、修道長は笑む。

 午後の治療が始まるまでには、まだ幾分時間がある。それまでに食事を摂り、万全の状態で治療に向かわなくてはならない。逸る気持ちを抑え、キャロルは炊き出しが行われている広場に足を向けた。

 

 

 

 炊き出し広場に着くと、キャロルは見知った顔を発見して肩を落とした。

 金銭の収入が見込めない人たちへの施しとして設けられたこの場所は、昼食時となると大変な賑わいを見せる。立って歩ける負傷者は自ら受け取りに来るし、戦災孤児や夫を戦で亡くした未亡人なども見え、ある程度その層には偏りがある。

 

 その中にあって、明らかに健康そうな若者が負傷者に混じっている。地面に胡坐をかいて皿の中のスープに夢中になって食べているのは、最近目にする機会が多い傭兵だった。

 

「……アラン、ここで何をしているのです」

「おお、お前も昼飯か? それとも配食の手伝いに来たのか?」

「食事の方です。──で、あなたは?」

 

 アランは持っている皿とスプーンを持ち上げて笑う。

 

「見ての通りだ。まぁ味がいいとはお世辞にも言えねぇが、贅沢も言えねぇよな」

「そういう事を言いたいのではありません!」

 

 一際大きな声が広場に響き、一時その場が沈黙を支配する。キャロルが顔を赤くして俯くと、すぐに喧騒を取り戻した。

 

「……いいですか、ここは傭兵に食事を提供する場ではありませんよ」

「まぁ、固いこと言うなよ。今は少しでも金を貯めたいんでね。こういう機会は逃がさないようにしねぇと」

「でしたら、食べる間を惜しんで戦場に出ればよろしい」

 

 それなんだがな、とアランは苦笑してスプーンの柄で頭を掻いた。

 

「未だに所属部隊が決まらねぇ。編成準備中だとよ」

「それはお気の毒ですが……。でしたら遊撃でもしていらしてはいかがですか。そこに救われる命もある筈ですよ」

 

 アランは気の毒なものを見るような顔をして、皿の中のスープをスプーンでかき回す。

 

「金も貰えんのに命をかけられるか。傭兵は慈善事業じゃねぇんだぞ」

「全く、あなたと言う人は……」

 

 キャロルが溜め息をつき自分もそろそろ昼食を、と考えていると通りの向こうからモリスンが歩いてきた。

 モリスンはアランとの知り合いで、その(よしみ)でキャロルも顔だけは知っている。会った事は何度かあるが、会釈して通り過ぎるぐらいの間柄で、詳しく話したこともない。好奇心の強い学者だという話はアランから聞いている。

 近くまでモリスンが歩いてきたところで、アランが片手を上げて呼び止めた。

 

「よぉ、モリスンさん。久方ぶりだな」

「……こんな所で何してるんだ、アラン」

 

 瞠目(どうもく)したモリスンの視線が、アランとキャロルを行き来する。アランの手元にある皿を見て、殊更に溜め息をついてみせた。

 

「……まぁいいがね。何にしろ久しぶりだと、挨拶しておこうか」

 

 アランがモリスンと知り合ったのは、ミッドガルズへ傭兵志願をしに向かっている最中の事だった。

 オアシスで休憩中のモリスンと同じく、休憩するつもりで立ち寄ったアランは偶然出会った。世間話のつもりで話しかけると、道中を同じくする学者だと言う。支払いさえ出来るなら護衛を受け持つ、と持ちかけて了承を得たのを切っ掛けに縁ができた。

 

 旅の道中で腕の立つ戦士と知ったモリスンの計らいで、すぐにでも戦場に出られたのは幸運だった。

 審査と言う程の事ではないが、それでもやはり手続きと言うものはあるもので、志願して即稼ぎに出られるということはない。

 

 モリスンは軍の中でも顔が利くらしく、推薦状を貰ってすぐ編成に組み込まれることになった。

 旅の中で気心が知れた事もあって、それからというもの会う事があれば世間話もする。とはいえモリスンはもっぱら研究室に篭っているし、アランも基本的には戦場に出る。

 出会う事は珍しく、こうして顔を合わせるのも久々だった。

 

「それで? どうしたんだ、モリスンさん。やけに思案顔じゃないか」

「ああ……。いや、そうだな。アランには聞いてもらうか」

 

 モリスンはアランの横に座り込み、まだ極秘なんだが、と前置きしてから話し出した。

 

「近く、大規模な攻勢をしかける」

「なに?」

 

 ぴくり、とアランの眉が動く。

 

「こちらの軍も疲弊が激しいのは知っているだろう? 傭兵の集まりも悪くなっている」

 

 アランは頷く。以前なら二日と待たずに編成が完了していたのに、未だにこうして燻っているのがその証拠だ。

 

「これ以上の長期化は望ましくない。物資は援助ありきで、兵站も底を尽きかけている始末だ」

 

 何しろ勝ったところで得るものがない。戦勝国として得られる筈の賠償金は、この戦争に限っては発生しない。

 貴族連中が軍部をせっついて、この戦争を早く終わらせろと声高に言うのも当然と言えた。

 

 その為に以前から行われていた魔科学研究も、予算を上乗せされて完成を近く見ている。そして、その皺寄せは軍部に向けられ、傭兵徴募や武器製造などに影響を見せていた。技術開発局などの研究部門と軍部の仲が悪いのはどこの国も一緒だが、あからさまに予算を奪われる形となった為、対立もあからさまになって纏まりがない。

 頭が痛い事、この上なかった。

 

「だからまぁ、軍部としては動ける内に乾坤一擲(けんこんいってき)の大攻勢を仕掛けたいと。タイミングとしてはこれ以上後ろにずれ込むと、もう不可能という考えでだ」

「……なるほどね」

 

 アランは大きく溜め息をついた。

 

「長引いてくれりゃ、俺みたいな稼ぎ目的には都合がいいんだが、そうも言ってらんねぇよな。お上の連中は」

「お上どころか市民だってそれは同じだ。余裕は既に底を尽き、この生活にはもう耐えられないはず……」

 

 だな、と相づちを打ちつつキャロルを見ると、非常に難しい顔をしていた。

 何を考えているかは知らないが、攻勢による大規模な死傷者と終結による安全を天秤に掛けているのではないか、と予想した。

 アランはキャロルから視線を外し、遠く市街の方を見る。敢えてモリスンには視線を合わせなかった。

 

「それはいいとしてもよ、勝ち目はあるのかい。魔物の数が減っているなんて話は聞かねぇ、こっちは減る一方。相手方には竜だっている。訓練受けた兵士よりは強いってレベルの傭兵じゃ、数がいたって意味がねぇ」

「それについてはアタリを付けている、(じき)に選りすぐりの戦士が来てくれるはずだ」

 

 アランはモリスンに顔を向けた。面白そうに唇の端を歪めた。

 

「へぇ、この俺よりご立派かい?」

 

 アランの実力はモリスンも知るところで、それ比べれば戦士の一人一人はまだその力に及ばないと予想している。しかし、攻守共に揃い魔術師と召喚術士といった高い攻撃力、そのバランスの良いパーティ構成は単体戦力のアランよりも多角的な活躍を見せてくれると期待している。

 それこそ、竜に対してアランが一人で突撃するより、よほど勝算が高いはずだ。

 

「私はよく知りませんけれど、アランって強いのですか? 凄腕と聞きますが、いつもだらけている暇人としか写らないのですが」

「こりゃまた辛辣だね」

 

 キャロルが半眼を向けてアランを見ると、食べ終わった皿を持って肩を竦める。それを見てモリスンが笑った。

 

「まぁ、彼より優れた剣士というのは探すのが難しい。騎士の隊長格でも、彼には敵わない」

 

 へぇ、とキャロルの細い眉が疑わしそうに寄せられるのを見て、モリスンは苦笑しながら続ける。

 

「彼の編成部隊が何度となく全滅判定を受けても、彼だけは五体満足で帰って来る。……こう聞けば、どれだけデタラメか理解できるだろう?」

「……なるほど。確かに、見た目通りの怠け者という訳ではないようですね。これでお金に汚くなければ、もう少しマシなのでしょうけど」

「いやいや、俺は単に夢に向かって努力しているだけなんだぜ?」

「故郷に剣術道場を建てる、でしたか?」

「──そう、未だに頭金の分にも不足してんだ。もうひと頑張りしねぇとなぁ」

 

 どこか遠い目をしながら顔を上げて空を見る。晴れる日の少ないミッドガルズも、今日は珍しく雲の切れ目が見え、その間から漏れた太陽光が光のカーテンを作っていた。

 アランは年寄り臭い掛け声を上げながら腰を上げ、首をぐるりと回して骨を鳴らす。

 

「そんじゃ、ちょっと上をせっついてくるか。部隊の編成を急がせてやる」

「ああ、私もそろそろ戻らねば……」

 

 モリスンも続けて立ち上がった時、視線の向こうの路地を横切る傭兵らしき人が見えた。

 松の葉色をした外套を被っていて体型はよく分からなかったが、歩き方から女性のように見える。思わず注視するような形になったモリスンを怪訝に思い、アランもまた同じ人物を見た。

 

 纏っている雰囲気が尋常ではない。常在戦場を心がけているとしても、この街中であれほど剣呑な気配を見せるのは普通ではなかった。アランはまるで敵地にいるかのような動きに違和感を覚える。

 横目でキャロルを窺っても、特に気にした様子はない。気配に鈍感というよりは、単に見慣れているだけのように思えた。

 アランは傭兵から視線を外さず、キャロルに顎で指しながら問う。

 

「アレは誰だ、知ってる奴か?」

「ああ……、ええ、最近よく見ますね。倉庫代わりに使用している空き家の前で、しばらく立っては何もせずに去って行きます」

 

 まさか、とモリスンが呟く。

 あれ程の気配を発する誰かに心当たりがあるのだろうか。

 アランがそう思って首を傾げてみれば、横にいたキャロルの目には、アランが顔見知りを思い出そうとしているように写ったらしい。

 

「知っている傭兵ですか?」

「……いいや、見た事はねぇな。だが戦場と一口に言っても端から端まで随分と広い。全て見てきたわけじゃないから何とも言えんが」

 

 ただ、とアランは面白そうに口の端を歪める。

 

「魔王のスパイって可能性はあるわな。空き家の前の行動に、どんな意味があるのかは分からんが」

 

 見ている内に、件の人物は雑踏の中に隠れてしまった。行き先自体は分からないが、王城がある方向のようだった。

 

「──待ってくれ!」

 

 モリスンが声を上げて慌てて追うが、既に見失っている。探し当てるのは骨だろう、と思いながらアランも後を追う。

 せめてその背だけでも見えないか、と時折跳ねて見るものの、フードの端さえ見えやしない。アランはモリスンまで見失わないように注意しながら雑踏の中を追い駆けて行った。

 




 
アランやキャロルは原作ゲームではOPしか登場しないのが残念です。
クレス達の目線では気づかなかっただけで、アランは戦場のどこかにいたりしたのでしょうが、絡みがあっても良かったよなぁと思います。
 


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望まぬ再会

 setohima様、誤字報告ありがとうございます。


 今回ちょっと短めです。
 


 

 アランは例の傭兵を見失った事は分かっていたが、それでも構わず走り続けた。運良く再び発見できれば良し、という程度の心持ちでいたのだが、それもモリスンが立ち止まったことで終わりを迎える。

 

 辺りにチラリと視線を向ければ、どうやら王城付近の通りであるようだった。

 息切れかと思いながら後ろに立って窺うと、モリスンは破願しながら手を広げ、そこにいた冒険者らしき者たちに近づいていく。

 

「よく来てくれた!」

「モリスンさん、遅くなってすみません」

 

 いやいや、と手を横に小さく振り、先頭に立っている剣士の少年の前に出る。

 

「それにしても、何かトラブルでも? 旅程が順調に進まないのはよくある事だが、それを抜きに考えても随分かかったじゃないか?」

「ああ、それは何といいますか……」

 

 少年はバツが悪そうに、後方の帽子を被った男に目をやった。

 

「精霊との契約に手間取りましてね。モーリア坑道で契約の指輪は手に入ったものの、壊れていたので修復したりと……まぁ、そんな感じでした」

 

 男は肩を竦めて息を吐いたが、次に帽子のツバを持ち上げると自慢げに鼻を鳴らした。

 

「ですがその甲斐あって、無事、大物の精霊と契約できました。――ルナですよ」

 

 おお、とモリスンが驚愕も露に笑みを浮かべ、何事か納得したように何度も頷いていた。

 

「なんとも心強い話じゃないか。現在確認できている中で、もっとも高位の精霊だ。色々な場面で頼りになるに違いない」

 

 調子の良いモリスンとは反対に少年の顔は芳しくない。

 でも、と言いかけ、しばらく言葉を探すように顔を(しか)めた後、そっと息を吐いた。

 

「今まで何処へ行っても、ウィノナを見つけることは出来ませんでした……」

「共にいないからそうではないか、と思っていたが案の定か……」

 

 難しい顔をして腕を組んだモリスンは、それ以上言葉を発しなかった。沈黙が生まれたが、すぐに雑踏が押し流す。ピンク色の髪をした少女が訝しげに周囲を見て、次いで空を見上げる。

 

「何かこの辺、元気ないよね。この辺っていうか、国全体? 草も花も木だってさ。おっかないよ……。これってやっぱりアレの影響?」

「う、む……」

 

 モリスンが返答に詰まる。

 アレが何かは分からないが、モリスンが携わっている研究と関係あるのだろうか。大きな声では言えない、と詳しい事は教えられていないからアランには予想すら出来ないが、どうにもキナ臭い気がした。

 ところで、とアランは目の前にいる冒険者のグループを見渡し、そしてモリスンに顔を向ける。

 

「これが言ってた選りすぐりってわけか? ガキばっかりじゃねぇか」

「……なに?」

 

 不快げに眉を寄せる者、鼻息荒くつっかかりそうな者、そのどちらでもない者と反応は様々だったが、食って掛かるような者はいない。一人の少年が手で制しただけで、それ以上の反応をしなかった為だ。

 なかなか統率されている、とアランは思った。下手な傭兵連中の混成部隊よりは役に立つ、と思いを新たにする。

 そんな感想を頭の中でボヤいていると、モリスンが先に小さく頭を下げた。

 

「すまないな、皆。……おい、アラン、この者たちの実力は私が保証する。頼りになるのは間違いない」

 

 そうかい、と頷いて、アランは少年に向き直り軽く頭を下げる。

 

「スマンスマン。どうも俺は昔っから、思ったことはまず口に出ちまう性分なんでね」

「……いえ、実際まだ子供だという自覚はありますから」

 

 アランは口笛を吹いて手を頭の後ろで組む。

 

「そういうところは大人だな」

 

 微かに笑んで、アランは少年の腰のモノを見ては面白げに鼻を鳴らした。

 

「あんたの流派を聞かせてくれ」

「……アルベイン流です」

「やっぱりか。どうだ、ひとつ手合わせしてみないか」

 

 待て待て、とモリスンが手を挙げて二人の間に割って入った。

 

「自己紹介だってまだだろう。それに彼らを登城させた上で、そちらへの紹介だってある。生傷こさえて面会させるわけにもいかない。やるなら後にしてくれ」

 

 そりゃ残念、とアランはそっぽを向く。クレスは苦笑してモリスンに向き直った。

 

「すぐ城に向かった方がいいですか?」

「……そうだな。宿の用意はこちらでしてあるので、そちらの心配はいらない。とりあえず傭兵登録だけでもしてもらって、その後の事は……ちょっと分からんが会議に出席してもらうことになるかもしれん」

「何だか大事みたいじゃん」

「実際、城内の緊張は高まるばかりだ。……少し時間を使いすぎた。自己紹介は歩く道々で行おう」

 

 言うや否やモリスンは先頭を歩き出す。

 当初は一人の傭兵らしき人物を追ってきたのだが、これでは完全に消息不明だろう。辺りを一応見渡してから、続く一行にアランも追いかけた。

 

 

 

 クレス達の自己紹介が一通り終わった辺りで、一向は王城に到着した。

 中に入れば入り口脇に傭兵受付の机があり、幾人かが実際に登録を行っている。クレス達をその列に並ばせてしまえば、後は終了するまで待ち続けるしかない。アラン自身の目的である編成状況の確認も、クレス達の受付が終わるまで待つべきだろう。

 

 アランはその流れる列を見るともなく見て、また新たに受付の前に立った人物に目が留まった。

 モリスンが探し、またアランが追った、あの傭兵らしき人物がいる。

 まだ未登録だったのか、と思う一方、むしろ未登録でいる事に納得する自分もいた。

 

 アランの視線に気付いたモリスンもまた、その傭兵に気付いたようだった。モリスンは何かに憑り付かれたかのような不安定な足取りで近づいていく。

 

「では、お名前をお伺いします」

「……ロミー・カルディナーレ」

 

 受付の問いに幾つか答えた後、傭兵が自身の名を名乗るがアランはその名に覚えはない。底冷えするような声音は女のものだったが、特別危険な兆候は感じられなかった。

 モリスンは遠慮なくその傭兵に近づくと、フードを外そうと手を伸ばす。もう少しで掴めるというところで、傭兵はするりとその手から逃れた。フードの隙間から見える瞳がモリスンを捉え、その目が冷ややかに細められる。

 

 不快なものを見る、敵意を隠さぬ眼差しだった。

 それからつい、と周りに視線を向けると、あるい一点で動きが止まる。目だけではなく、その身体もまた硬直したように止まっている。止まった先はクレスと言う名の少年の所だった。

 

 フードの隙間から見える眼が瞠目している。

 クレス、と小さくか細い声が漏れた。

 名を呼ばれた少年は、フードを被った傭兵を見て首を傾げる。外套に目印でもなければ顔見知りでも分かるはずがない。

 

「何処かで会ったかな……」

 

 クレスの言葉に返答はない。幾らか逡巡する動きを見せて、そしてようやく傭兵はフードを下ろす。

 クレスは元より、他幾人かの息を呑む音がアランには聞こえた。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「ウィノナ……!」

 

 クレスは名を呼んだものの、直後に確証が持てなくなった。

 そこにいた女性は、確かにウィノナの面影を多く残しているのに決定的に違う部分が多くある。

 かつてあった快活な雰囲気はそこにはなく、瞳は氷のように冷たく研ぎ澄まされている。目の下にある隈はあまりに濃く、その黒く広がる様は、まるで化粧をしているかと思える程だった。

 

 そして何より最も信じがたいのが、隠そうともしない敵意だった。

 ウィノナは親友達に出会えたというのに、幾ばくかの感情も表に出さない。諦観にも似たような雰囲気を発し、クレス達から小さく視線を外す。

 

「何度会いたいと願い、捜したことか……。でも、こんな事になるのなら会わない方が良かった……」

「一体、何が……、何があったんだ……」

 

 クレスは絶望にも似た感情で、ようやくそれだけ言葉にした。

 あれほど快活で、花開くかのような笑顔を持つ少女が、クレスの知るウィノナだ。

 太陽のように眩しく、野に咲く花のようにあどけない姿をした少女が、クレスらの知るウィノナだった。

 気安い性格で誰にでもすぐ打ち解けるような雰囲気は、今はもうどこにもない。

 

 敵意と殺意、それがウィノナから向けられるのが、クレスには到底信じられなかった。

 そして全身を覆う装備もまた、クレスの知るウィノナのイメージからは想像出来ない物だった。

 

 その黒く全身を覆う革鎧は、各種間接部には動きを阻害させない造作がなされており、軽戦士としてのウィノナを最大限に生かすだろう特長をしている。身体つきは少女というより戦士のもので、離れている間に随分鍛えたのだと実感させるものだった。

 

 実際、半年ほど前に別れたという感覚だったが、ウィノナはそれ以上の時間を過ごしている。

 そうして上から下まで不躾とも思える態度で眺めると、その右腕の部分で動きを止めた。外套の端から見える肘から下は木と鉄を組み合わせた無骨な義手になっている。

 

 話には聞いていた。しかし信じ難く、また信じたくない気持ちだった。

 指には間接部分が見えるため、物を掴むことは出来るのだろうが、戦闘をする時に必要な強い握力は生み出せないだろう。戦う者にとっては致命的な弱点を抱えることになる。

 

 ウィノナは背中から布を巻いた一本の棒らしきものを取り出すと、それを肘に近づけた。

 ただの棒ではない。棒の根元に近づく途中で太さが増し肘と同等程度になっている。ウィノナは器用に義手を取り外すと、代わりにその棒付き義手を取り付けた。突然の事に見ることしか出来なかったクレスだが、その布が取り払われてギョッとする。

 

 それは棒ではなかった。義手でも剣を取り扱えるように肘の先から刃に改良された、義手剣だった。

 何を、と思う前に、ウィノナは自由になる腕で腰からボウガンを取り出す。ボウガンはクレスも見慣れたもので、ウィノナが良く使っていた愛用品だ。片手でも扱い易いように小型化されたボウガンは、擦り切れた痕を所々に残す以外威力に問題はありそうにない。戦闘による磨耗とその修復痕が、使い続けた年月を感じさせた。

 

 ウィノナはそれをごく自然な動作で持ち上げると、クレスの眉間に照準を合わせた。

 向けられながら、クレスは何が起こったのか理解できなかった。

 

「何故だ、ウィノナ……」

「おいオマエな、笑えねぇ冗談はやめろって!」

 

 チェスターが慌ててクレスの前に出ようとするも、その視線に射抜かれて動きを止める。

 

「やめてよ、ウィノナ! お願い!」

 

 アーチェも叫ぶが、ウィノナはそちらに一呼吸だけ視線を向けただけで、すぐに辺りを警戒するように視線を動かす。

 

「アーチェ。あなたのことも親友だとは思っているけど、クレスに付くなら容赦しない」

 

 視線は彼方を見ているのに、クレスに向けられた標準にブレはない。

 王城の受付ホールはシンとして動きがなかった。誰もがいつの間にか起きた、殺傷沙汰寸前の状況に息を呑んでいる。

 

「――さっさと許可証をよこせッ!」

 

 顔を半分だけ向け、怒号と共に片目で射抜かれた受付は慌てたように準備を始めた。

 

「やめるんだウィノナ、冷静に話し合おう」

 

 モリスンが両手を前に出しながら近づこうとするが、その前にウィノナの殺気が込められた視線で動きを止める。

 

「気軽に名前呼ぶんじゃねぇよ、偽善者が! もう何があってもお前には何一つ話しゃしねぇよ!!」

 

 口汚く恫喝されてモリスンは固まり、そして項垂れるように脱力した。

 

「どうして……、何でこんな……」

 

 涙目になったアーチェは動くに動けない。チェスターはよろめくように一歩足を前に出した。

 

「何があったんだ、ウィノナ……。話してくれ、頼む。きっと分かり合えるはずだ」

 

 ウィノナはそれに憐憫(れんびん)を込めた視線を向け、薄っすらと笑んだ。

 

「……無理よ」

「――何をやっている!」

 

 その時、受付ホールに男の怒声が響く。

 受付ホールの先、一般は立ち入りが許されない階段上から降りてくる最中の男が、その発声元だった。ウィノナはそちらへチラリと視線をやり、彼女に似合わぬ感情を感じさせない軽薄な笑みが漏れた。

 

「ウィノナだ、魔王の情婦ウィノナがいるぞ! 斬って捨てろ、首を落とせば魔物も復活せん!」

 

 チェスターは一瞬の内に視界が真っ赤に染まるのを感じた。口の奥から我知らず唸り声が上がり、背中の弓を取り出した所でクレスに羽交い絞められる。

 

「落ち着け、チェスター!」

「離せクレス! あの野郎、いま何つった!!」

「――ほら、無理だった」

 

 ウィノナの顔に冷酷な表情が浮かぶ。

 

「あら、いつかの隊長さん。アタシってば、いつの間にか魔物になっていたのね。そうやってダオスも魔王呼ばわりしているのかしら。……ま、どうでもいいけど」

 

 目だけで確認していた受付を、その準備が終わったのを見計らい跳躍して接近する。

 兵士を使った包囲網が出来上がりつつあった人の壁を飛び越え、許可証を義手剣の切っ先で引っ掛け、更に兵士達から距離を取る。

 

「――衛兵! 捕まえろ!」

 

 ツバを飛ばす隊長に、逃げるウィノナから振り向き様にボウガンから矢が放たれた。

 弦が弾かれる音と共に矢が空気を裂く音が聞こえたかと思うと、その矢が隊長の腹部に突き刺さる。

 王城の出口に辿り着くと、ウィノナは一度振り返りクレスらを睨みつけた。

 

「――ダオスは殺させない!!」

 

 怒声と殺気が込められた視線がクレスを貫く。

 人垣で出来つつあった壁を巧みにすり抜け、クレスが衝撃を受けたまま声を掛けようとすると、その前に見えなくなってしまった。

 

 大騒ぎになったホールと、隊長が医務室へ運ばれていくのをクレス達は呆然と見つめる。

 アーチェはその場に崩れ落ち、小さく泣き始める。ミントはその背を優しく擦った。

 

「どうなってんだよ……」

 

 チェスターの呟きには、誰からの返答もない。

 

「追い詰められた獣、という感じだったな……」

 

 クラースが言うと、ミントがアーチェを優しく介抱しながら悲しげに呟く。

 

「以前のウィノナさんとは全く違いました……。本当のウィノナさんはもっとずっと優しいんです。私が本当に辛い思いをしていた時、ウィノナさんは真っ先に優しい言葉をかけてくれました……」

 

 その時、再び階段上から声が降ってきた。

 

「静まれ」

 

 人垣が割れ、その後から現れたのは、前線指揮を任せられている将軍のライゼンだった。

 

「何があったか詳しく話せ」

 

 手近にいた兵士に事情を聞くと、難しい顔をして頷く。とりあえず状況については理解したようだった。

 

「一応、周囲の警戒はしておけ。隊長の傍にも兵を一人はつけておく必要があるか」

 

 手早く指示を出し終わると、ライゼンは改めてクレス達に向き直る。

 

「私はこの国の騎士団長でライゼンという者だ。貴方達の事はモリスンから聞いている。……何でも一騎当千の勇士であると」

「いえ、若輩者ですが、戦列の端に加えていただければ幸いです」

 

 クレスが頭を小さく下げると、クラースも続いて下げる。それを見て、慌ててチェスター達もまた頭を下げた。

 

「それで、開戦はいつ頃になる予定でしょう?」

「ダオス討伐の作戦会議がもうすぐ開かれる。そちらで詳しく説明しよう。モリスン、貴様はそちらの方達を、時間まで別室に案内してやってくれ」

 

 それだけ言うと、ライゼンはモリスン達には背を向け、近くにいた兵士に何事かを命じ始めた。

 




 
※本作の独自設定
 書籍版でのウィノナは、オーバーテクノロジーとしか言えない義手を身に着けているのですが、それは名工ギースの作であるようです。

 旅の一座に属している時、たまたまウィノナの芸を見て感激し、その後色々なボウガンをプレゼントしています。
 その縁があって失踪している間に義手を作って貰ったようなのですが、今作では当然ギースとの縁を作れていないため、現実味のある義手やボウガンを装備させる事にしました。
 


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望む未来の為に

 
何か小難しい話になってしまいました……。
今後、もっと小難しい話が出てきます。
 


 

 モリスンはクレス達に向き直り、申し訳なさそうに顔を伏せた。

 

「君達の落ち着きを取り戻すのにも時間がいるだろうが、ゆっくりしている暇がなくなった。会議が始まる前に、こちらも話を済ませてしまおう」

 

 クレス達としても一同で話し合いたいことがある。その言葉に異存はなかった。

 モリスンの案内ののまま、移動中クレス達は一切の会話もなく別室に移動していった。

 

 

 

 やはり会話のないまま部屋へ入り、それぞれが適当な席に着くまで沈黙が続いていた。アーチェは既に泣きやんでいたが、その目はまだ赤い。

 モリスンは皆が思い思いの姿勢で落ち着いたのを確認すると、数秒待って口を開く。

 

「まず何から話したものか……」

 

 嘆息混じりの声に困惑を感じさせるが、それは誰しも理解出来る事だった。モリスンの言葉を引き継ぐ形で、クレスが口を開く。

 

「ウィノナの今の姿には、正直……驚かされました」

 

 ああ、とチェスターも力なく頷く。

 

「俺達みたいに、苦労はあってもアイツらしく元気にやってるんだと思ってた。……いや、思いたかったのかもな」

 

 誰しも身内の不幸は望んでいない。そうであるはずだ、そうに違いないと思い、期待する。連絡を取る手段がなかった以上、そう思って行動する他なかった。

 それでも、あの変わりようには言葉もない。

 

「一体何が、ウィノナをあそこまで変えたんだ……」

 

 片腕を失った痛みは相当なものだろうと、クレスも思う。単に身体の痛みだけではなく、心に負った傷も大きなものの筈だ。傷を負わせた当人に恨みが深いのは当然で、だから隊長に放った矢については自業自得と納得もできる。

 

 それとも、ウィノナは何か新しく予知夢を視たのだろうか。それがウィノナ駆り立ててといるのだとしたら──。

 その考えを中断させるように、モリスンが口を開いた。

 

「ウィノナには、もうダオスを救うことしか頭にないんだと思う……」

 

 力なく呟いた声に力はなく、気力らしきものは伺えない。モリスンのくたびれた雰囲気も、その姿に拍車を掛けている。

 モリスンの言う事にも説得力があった。実際にモリスンから聞いたウィノナが腕を失った時に起こった出来事が真実ならば、その行動にも一定の理解が得られる。

 

「それじゃあ僕らが敵に見えるわけだ……」クレスの消沈した表情が下を向く。「僕らはダオスを倒すために──、倒す手段を得るために未来から来た」

「……でもよ、ダオスが一方的な悪モンじゃねぇって、俺らはもう知ってるだろ?」

 

 チェスターは若干不機嫌そうに言うと、クラースが頷く。

 

「そうだ、私にしても力をつけるのはダオスに近づく為だと割り切っている。だから、ダオスの居城に向かうのは説得する為だと彼女に説明できればいいんだが……」

「でも、ウィノナはもう城から出て行きましたから……、今はもうどこにいるのか」

 

「──既に前線に向かってるかもな」

 

 これまで沈黙を保ち続けていたアランが口を挟んだ。

 

「許可証があるんだ、すぐにでも平原を抜けて古城に向かいたいだろうよ。城の奴らだって黙っちゃいない。追跡部隊が追いかけて来る事くらいは予想するはずだ。時間は掛けたくないだろう」

「けどよ、ヴァルハラ平原はモンスターだらけって話だろ? 古城に近づくのは簡単じゃないはずだ」

 

 チェスターが首を振って難色を示したが、モリスンはそれとは違う意味で首を振った。

 

「自信があるんだろうな。それを突破する為に、この一年間を準備に使っていたとするなら姿が見えなかった事にも納得ができる」

 

 それに、とアランが言い差す。

 

「あの身軽さなら、むしろ一人の方が安全かもしれねぇ。……俺が先に行ってよう。これから始まるっていう会議を待ってる余裕もないだろ? 俺の部隊は全滅したから身が軽い。すぐにでも出られる」

「……分かった、私も後で向かおう。今回の実動部隊に私は組み込まれていないから、身が軽いのは一緒だ」

 

 当初はモリスンも、その魔術の腕を見込まれて実動部隊に組み込まれる予定だったが、軍部と研究室の確執が深まり外されてしまった。

 軍部はあくまで自分達の主導で手柄を独り占めしたいと考えているようだった。

 

「だから、私も会議が始まる前には出発できるようにする」

「じゃ、また後でな」

 

 モリスンが了承すると、アランは直ぐに立ち上がり部屋を出ていく。

 それを見てチェスターは苛立たしげに唸る。ウィノナの安否を気掛かって同じく飛び出したいと考えている顔だった。しかし、今はパーティで行動している。クレスがゆっくり首を横に振るのを見て、腕を組んではむっつりと黙った。

 

「だが……そうだ、その前にやることもある。危険な魔科学兵器をそのままにしてはおけない。あれが破壊できれば、ウィノナとダオスとの説得も容易になるだろう。最終調整といって魔導砲に近づく。溜め込んだエネルギーが暴走するよう細工するつもりだ」

「見つかれば危険です、十分気をつけて」

「ああ、無論だ。……だがまずは、こちらの相談を片付けてしまおう」

 

 クラースの気遣わしげな言葉に、モリスンは自信に満ちた表情で頷く。

 アランが出ていった時の扉が閉まるのを見計らって、ミントが口を開く。

 

「会議が終われば、すぐに出陣でしょうか……」

 

 恐らくは、とクラースが返す。

 

「では今のうちに、ウィノナさんを説得する打ち合わせが必要ではないでしょうか……。これから向かう場所で会うことになれば、問答無用で戦闘ということもあり得ますし」

「そんなことさせないってば!」

 

 ようやく普段どおりに話せるようになったアーチェがテーブルを叩く。

 

「でもな、アーチェ。聞く耳もってくれなけりゃ、身を守ることもしなくっちゃよ……」

「チェスターの言う事も尤もだ。聞く耳持つような材料を提示できれば、きっとウィノナも武器を降ろしてくれる。今はそれを話し合おう」

 

 クレスが言うと、一同が頷く。それを見渡してミントが切り出した。

 

「まず、私達はダオスと戦うつもりはない、これが大前提ですよね」

 

 クラースが頷く。

 

「最初は魔王という肩書きから、ダオスはこの世全てを憎んでいると思っていた。しかしそれは、モリスン殿の話を信じる限り間違いだと推測できる。ダオスが憎むのは、魔科学とそれに関わる人間だけだろうとも思う」

 

「じゃあミッドガルズの王様とかを説得できれば、この戦争は終わるわけ? あたし達が城に乗り込む必要なくなるじゃん」

「ダオスも当初、説得を試みたと聞いている。しかし聞き入れられなかった。だから戦争になった。それでも、私たちが出て行って王や家臣を説得できるかと言われたら……まぁ、無理だろう」

 

 クラースが腕を組んで嘆息すると、引き継ぐようにモリスンが口を開く。

 

「お互いに譲れないものがあるからこそ、最後の手段として戦争を選んだ。これは単に研究主任を暗殺すれば終わるような問題ではない。首が()げ変わるだけで研究は続行されるだろう。国として魔科学を禁止する法令を作るか、国そのものをなくして研究を出来なくするか、そういう二者択一の問題だとダオスは考えたようだな。そういった旨の最後通告も、ダオスから送られている」

 

「……でも、皆が幸せになれるハッピーエンドに持って行きたかったらさ」

 

 アーチェはクラースを真似るように腕を組み、首を傾げた。

 

「ウィノナ説得して、ダオス説得して、魔科学を捨てるように国を説得すればいいわけ?」

 

「改めて聞くと全く展望が見えてこないが……、それに近いことは実現させる必要があるだろう」

 

 クラースが頭を抱えそうな表情で言うと、モリスンが片手を挙げる。

 

「──待ってくれ、それが正しい歴史なのか?」

 

「何いってんだよ、どういう意味だよおっさん?」

 

 チェスターが難しい顔をして顔を向けると、モリスンは渋面を作って問う。

 

「君たちは未来から来た。つまり、これから先ダオスとの戦いもどうなるか知ってるんじゃないのか? 教えてくれ、ミッドガルズは魔科学を捨てる事に賛成するのか? そしてダオスはこの時代で忽然といなくなり、そして未来に現れるのか?」

 

「いえ、魔科学の方は分かりませんが、ダオスはこの時代の英雄に倒されたと聞いています。その実、時間転移して逃げていたとは知りませんでしたが」

「そう、か……」

 

 更に難しい顔をして黙り込むモリスンに、ミントが不安げに柳眉を寄せる。

 

「あの……、それがなにか?」

「ダオスが倒されたというのが君たちの知る歴史ならば、それを不用意に変えてはならない。……そう、思う」

 

 チェスターが机を叩いて立ち上がった。

 

「おいおいおいおい! 突然なに言ってんだよ。そもそも説得しようって話だろ? 倒しちまったらご破算じゃねぇか!」

 

 チェスターを鎮め座るように指示しながら、クレスがモリスンに顔を向ける。

 

「僕たちはダオスを倒すの止め、説得しようという事で話は決まっていました。実際、彼は悪逆非道の魔王ではなかったという結論にも達しましたし、ダオスは世界を蹂躙しようとも考えていない。──でも、歴史を変えるなっていうことは、説得を諦め倒してしまえということですよね?」

「それは、そうだが……」

 

 モリスンは難しい顔のまま腕を組み、顔を俯ける。その姿を見て尚もチェスターは言い募る。

 

「あんたも説得するのに賛成だったじゃねぇか! それなのに何で突然、そんな言い分変えちまうんだよ? 歴史がどうのって、それがそんなに大切なのかよ!?」

「──そうとも、事はそう簡単ではないのだ。……極端な話をするぞ。もし君の親が君を生む前に死んでしまったら、今の君はどうなると思う?」

 

 なに、とチェスターは目をパチクリとさせて、突然の質問に面食らった。

 

「俺の親? んなこと言ってもな、俺はここにいるんだから……」

 

 考えを口に出す度、難しくしていく顔を更に歪ませていく。

 

「君を生む人がいなくなったとしても、君は現在ここにいられるのかね」

 

 ついに口を真一文字に結んで目を瞑ってしまったチェスターを見かねて、クレスが聞き返した。

 

「でもそれと、ダオス倒しちゃいけない事と何が関係するんですか」

「だから極端な話をすると言ったろう? 歴史を変えるということは、ここにいる誰かが消えてしまうかもしれない、という事だ。よしんば、そこに問題が発生しなかったとしても、未来へ帰った時、世界が様変わりしている可能性もある。君の生まれ育った村に、君の家がないし家族もいないなんて事は、決してあり得ない想像じゃない」

 

「せっかく無事に説得できて、八方丸く収めて意気揚々と帰っても、その未来が別物に変貌している可能性、か……」

 

 クラースはしばし考え込んでから、首を傾けた姿勢で停止してしまった。てっきりクラースが反論してくれると思っていたチェスターは、苛立ちをぶつけるようにモリスンを睨み付ける。

 

「説得が成功したとしても危険だ、だから倒しちまえって? ウィノナがあんなんになって止めようとしてるのに、諦めろって言えんのかよ!」

「──待ちたまえ。どうしようもないとは言ってない」

「何か手があるんですか!?」

 

 断言にしたモリスンに、クレスは喜色を浮かべる。

 

「少なくとも、今は説得することを諦める。考えなしの無鉄砲な行動はあまりに危険だ」

 

 立ち上がりかけたチェスターを手で押さえ、クレスが続きを促す。

 

「それはつまり、どういう……?」

「君たちは未来から来た。だから未来で判明している、確定した情報を知っているだろう。それを覆さない前提で、やれることをやるんだ」

「今やれることだけやる? そう言われてもピンと来ませんが……」

 

「君たちは未来を知っている。しかしそれは、過去の人間という私の立ち位置から見ればの話だ。しかし君たちに置き換えると、現代に生きた君たちは未来を知っているかい」

「もちろん、知りません」

 

「──そこに突くべき穴がある」モリスンは断言する。「今ここで未来を変えれば、帰った所で君たちの帰るべき家はないかもしれない。しかし、帰った後でなら未来を変えても──変わると思われることをしても存在を危険に晒すことにはならない」

 

 ミントは眉をひそめる。

 

「傲慢な考え方とも思えますが。自分たちの未来さえ確保できれば、より未来の存在を危険に晒してもよいのだと」

「──もちろん傲慢だ」

 

 モリスンは強い意思を感じさせる視線で言い放った。

 

「過去に飛び、望む未来を手に入れようという所業が、そもそも傲慢の極みなのだ。それを悪行と思うのなら、このまま何もせずに帰るしかない」

「結局、あとは覚悟だけってことね」

 

 アーチェは困ったような顔をして肩を竦める。

 

「知りようのない未来、変わる可能性のある未来全てが悪いってことはないっしょ。結果的に、より良い方向に変わるかもしれない。……そう思ってやろうよ!」

「悪くなった場合、責任の取りようがないのが腑に落ちんが……。まぁ、それすら知りようのない話ではある」

 

 クラースは納得し難い表情で嘆息したが、チェスターは逆に息込んで身を乗り出した。

 

「傲慢なことをしようって言うんだ。傲慢になりきって、むしろ何が悪いと開き直ろうぜ」

「チェスター……」

 

 呆れた声を出してクレスは半眼を向け、ミントは気を取り直すように胸の前でポンと手を合わせる。

 

「でも、やろうとしてることを考えれば、そのぐらいの考えでいなければいけないのかもしれませんね」

「皆、どうだ。覚悟を決めるか、それとも諦めるか。……ここで決めてくれ」

 

 モリスンが一同を見渡すが、その表情は言葉にしなくとも何をしたいか物語っている。

 

 ──ウィノナを救いたい、ダオスを救ってやりたい。

 物言わぬ決意は、モリスンに十分以上に伝わる。一つ頷き、テーブルの上で手を組んだ。

 

「よし、じゃあ次は具体的な話だ」

「歴史を変えずにダオスを救う……。でも、これは本当に可能なのでしょうか?」

「聞いただけじゃ、どうしようもないように思えるけどな」

 

「そうだな。歴史を変えないという大前提がある以上、まず我々が絶対にしてはいけないこと。それはダオスを、この時代で助けることだ」

 

 モリスンの言い分に、場を納得しがたい空気が包む。それを見て取って、モリスンは方眉を上げて首を小さく傾ける。

 

「何もそれでダオス救済が泡と消えるわけではないだろう? 君たちが言っていたじゃないか、──ダオスは復活するのだと」

「……ああ!」

 

 クレスもチェスターも、言われて初めてそのことに気が付いた。助けようという気持ちが先行し過ぎていて、この後ダオスの待ち構える古城で事を成さねばならないと思い込んでいた。

 しかし勿論、救う手立ては、その一ヶ所にしか存在しない訳ではない。

 モリスンは頷いて、顔の前で指を一本立てる。

 

「この時代でダオスを倒す、しかし復活もする。そこで助けてやればいい」

「……待ってください。確か、もっと正確に言うと、復活する前に封印されているんです。恐らくですけど、逃げた先の時代で僕の父たちが封印して、それが僕らの時代で復活したんだと思います」

 

「詳しい年代は?」

「そこまでは……」

 

 難しい顔を作ったモリスンに、クレスは渋面を作って首を横に振った。

 モリスンは表情を変えないまま腕を組み、椅子の背もたれに体重を預ける。

 

「……だったら、こちらで下手に手を出すべきじゃないかもしれないな。手を出すと、むしろその封印をするべく行動する者たちを、私達が阻害する可能性も出てくる」

 

 でもさ、とアーチェが指を一本立ててコメカミに当てる。

 

「ダオスだって決まった年代に逃げるとは限らないじゃん? 何となくで、考える事なく時間を飛んだかも。……今回は未来じゃなくて過去に逃げるかもしないし。っていうか、逃げるならそっちの方がよくない?」

「起こるべくして起こる。全ては必然だ、なんて考えるのは楽観的すぎるか」

 

 クラースは苦笑して天井を見上げる。

 

「いいや、それについてはむしろ賛成の意見だが──」モリスンはそう前置きしてから、強い口調で言う。「これだけは言える。ダオスは過去に逃げない」

 

「何でそんなこと言えるのさ」

 

 アーチェが不審さも隠さず言うと、モリスンは周りに言い聞かせるようなゆっくりとした口調で話し始める。

 

「順に説明する。そもそも、先程から根拠に使っている時空間理論にしても以前ダオスから聞いたものを、私が研究していた考えと合わせたものだ。それを考えると、ダオスは過去に行く恐ろしさを知っている」

 

 それは、とクレスは困惑気味に眉根を寄せる。

 

「ダオスはウィノナに心を開いていた。恐らく、この時代で心安らかに隣で過ごせる唯一の人間だろう。過去に飛んでしまえば、そうして過ごせたウィノナの存在を消してしまう可能性を生む」

「だから過去にはいかない、未来にしか飛ばないはずだって?」

 

「その通り。だからこそ、飛ぶ時代の先も予想できる。未来に飛ぶというなら、ウィノナという執着を捨てたいだろう。彼が再び現れる時代は、即ちウィノナが寿命で死んだ後だ」

「つまり、少なくとも五十年以内には飛ばない。飛ぶつもりはない……」

 

「そうだな。とはいえ百年先には別の形で復活をしている。それより何年前のことか分からないが、一度封印されてもいる」

「……それを考えると、八十年から九十年先の間にダオスは飛ぶと考える、ですか」

 

「聞いた限りじゃ、反論の余地は無いように思えるが。──いや、待てよ」

 

 クラースが顎の先を摘んで眉根を寄せた。

 

「ウィノナは未来で生まれているわけじゃないか? ──つまり、クレス達の感覚では現代という意味だが。このままこの時代で寿命を迎えて死ぬ年より、生まれた年の方が後になるんだから、より遠くの未来へ飛ぶことを選ぶんじゃないのか?」

 

「ふむ……、確かに。ウィノナが自分の年齢を伝えていたならば、生まれた年代より後ならとりあえず良しと考えたのかもしれない。年齢を知らないなら尚の事、予想でアタリをつけて飛んだという事になるだろう。実際に遥か未来へ逃げなかったのが、その理由にならないか?」

 

 モリスンの解説は言わんとしている事は分かるが、どうにも説得力に欠ける気がした。

 その視線を受けてか、モリスンは苦笑する。

 

「これは勿論、ただの推論だ。完璧と胸を張って言えるものではないだろう。しかし考えてもみて欲しい。ダオスは確かにここの誰より時間転移に慣れているのだろうが、全てを完璧に計算尽くして行動できるというわけでもないだろう。話を聞くに、ダオスが逃げるのは戦闘に破れたが故に、咄嗟の逃げ先として未来を選んだと考えられる」

 

 それについては異論はない。敵に背を見せて部屋から逃げるより、よほど安全な逃げ先だろう。

 

「つまり切羽詰って逃げ出したんだ。そんな時に、過去には逃げない、未来へ逃げるにしても五十年以上は先だと、そう判断は出来たとしても、その先まで考え抜く余裕と時間はあるのか? 今まさに止めを刺されるという状況だぞ?」

 

 そう言われれば、クレスも腑に落ちるものを感じた。誰もが死ぬ寸前──それも敵の凶刃が迫っている状況で、逃げる先を完全に脳内で検証できるとは思えない。単に近くの扉に飛び込むというのならまだしも、その扉が幾百も用意された中から一つだけ正解を選ぶかのような難易度だ。

 むしろ、咄嗟の判断として未来を選び、その上で八十年以上先を選べる判断力は感嘆できる事なのかもしれない。

 

「追い詰められればミスも生まれて当然、そして咄嗟に取った行動としては、そのミスを最小限に抑えられたとも言える。……後付の難癖のようにも聞こえるかもしれないが、しかし現状では、そう考えておこう思う」

 

 はい、と頷くクレスに対して、チェスターはしかめっ面のまま頭に手を当てる。

 

「……頭がこんがらがってきたぜ」

「なに……、やることはシンプルだ。少なくとも、現段階では。……ややこしいのは、それからだ」

「それは……つまり、どういうことです?」

「ダオスを倒すほど追い詰め、時間転移させる。──ほら、至ってシンプルだろう?」

「あー……、そりゃ確かに」

 

 問題は、とクラースはむっつりと眉の間に皺を作る。

 

「ウィノナを説得できるかどうかだ」

「倒しますけどいいですか、でウィノナが納得するか?」

 

 チェスターは言って肩を竦める。

 そんな事は不可能だろう。ダオスを救う事に、あれだけの執着を見せるウィノナに生半可な説得は意味を成さない。

 

「……どうすんだよ? いっそ無理やりにでもダオスを倒すか?」

 

 チェスターとしては単に茶化すつもりで言ったに過ぎなかったが、返って来たのは剣呑な沈黙だった。クラースならば無碍に却下してくるとばかり思っていたのに、そちらに顔を向ければ真剣な眼差しだけが返って来る。

 

「……おい、まさか」

「それしかないだろう」クラースが頷き、「ダオスを殺すんじゃない、逃がすだけだ」モリスンが頷いた。

 

「そんな言い訳、あのウィノナに通じるかよ!? あいつの目を見たろう、この世の全てを敵に回しても構わないって顔してたぜ!?」

 

 底冷えする殺意と敵意、それは今思い出しても身が竦むほどだった。

 例え両腕を失っても、喉笛を噛み千切ろうと迫ってくるのが目に見える。ダオスの敵は誰が相手でも容赦しないだろう。

 

「言っても無駄ならやるしかない」

 

 クラースは天井を仰いでから嘆息して、再び視線をテーブルに戻す。

 

「事前の説明も意味がない。邪魔されるだけなら御の字、下手すればここにいる半数が倒れる事になるだろう。……だが、事が終われば必ず説明する。聞く耳を持ってくれないかもしれない。──しかし未来を守りつつ、ダオスを救おうとするにはこれしか方法はない」

 

 沈痛な雰囲気が場を支配する。クレスは何言うでもなくテーブルに視線を落とし、一点を見つめている。ミントも、アーチェさえも口を引き絞って苦渋な表情を浮かべている。

 チェスターは何も言う事ができなかった。

 モリスンが重い息を吐く。

 

「……とどめの一撃は私が放つ。それが私の償いでもあるし、彼と彼女をこのようにしてしまった責任だと思う」

 

 可とも不可とも取れる沈黙の中、扉を叩くノックの音がする。返事を返せば兵士が敬礼と共に入ってきた。

 

「会議の準備が整いました、こちらにおいでください」

 モリスンは他の誰より早く立ち上がった。

 

「私はこれから魔科学研究所で細工を行ってから、アランを追って合流しよう。頼むぞ、派手に動いてくれれば、そちらに戦力が分散される」

「……ああ、我々独自で陽動作戦、それもいいですね。作戦の邪魔にならない範囲ならば」

「ウィノナとモリスンさん達が城に潜入するなら、それも有効な手かもしれない」

 

 クラースとクレスが互いに顔を見合わせ頷く。

 今回の戦いは、戦争に勝つことではない。戦傷者が少なくなるよう努力するのは当然としても、そのまま軍がダオス城に雪崩れ込むようなことは阻止したかった。それを考えれば敵の注意をクレス達へと集中させ、多くの敵部隊が寄ってくれれば都合がいい。

 

 幸い、クレス達には範囲攻撃を得意とする召喚術や魔術がある。魔術に疎いミッドガルズの兵士達ではこうはいかない。

 

 本番はむしろ、ダオス討伐後だった。

 考えることは山積している。やるべきことはそれ以上に多く、大変だろう。

 しかし今は──まずこの一戦を制しなければ、その後の事も考える機会を失くす。

 

「こちらも出来る限りの努力を約束する」

 

 男三人と拳を合わせたモリスンは部屋を出て行き、その背を追いかけるようにクレス達も部屋を出て行く。

 

「これから詳しい作戦説明があるとはいえ、私達に出来ることを決して多くはない」

 

 クラースの言葉にクレスは分かっています、と短く返事を返す。

 

「まずは小さいことから積み上げるしかない、ですよね」

 

 それができなければ、自分たちの未来、ダオスの未来、ウィノナの未来を救うことは出来ないに違いない。

 クレスは一同に頷き、先頭に立って歩くと会議室へと向かっていった。

 




 
当時ゲームをプレイしていて、ダオスは何で過去に逃げないんだ、と思ったものです。
その答えをこの小説で読んだ時、衝撃を受けると共に凄く納得したのを覚えています。

そして時が経ち、ナムコ側の指示で未来編を後付けした為にああいう展開になったという裏話を聞いて、何とも言えない気持ちになったものです。(笑)
 


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ヴァルハラ平原にて

 
 クレス側のヴァルハラ戦役の描写は、まるまるカットします。
 書こうとは思ったのですが、まるで筆が進まず時間が過ぎるばかりで……。書けないのなら、いっそ飛ばしてしまおうという判断です。

 ここもまた、いつか加筆修正するかもしれません。
 ドラマCD版のヴィクトリア・スリーソン、結構好きでした。
 今思えば、完全にくっころ系騎士って感じでしたね。
 



 

 アランは飛ぶような勢いで城を出ると、周囲を見渡す。

 既にウィノナは城壁内から逃げただろうが、念の為にと姿を探した。あれだけの跳躍力に人垣をすり抜ける身のこなしがあれば、城の兵など役に立たない。

 一戦でもすれば一方的な戦いになるだろうし、もし戦闘になっていれば悲鳴の一つでも上がるだろうと耳を澄ましても、雑踏に掻き消されて何も聞こえない。

 

 向かう先はヴァルハラ平原だと分かっているのだから、とにかく北上すればいいだろう、とアランは考え直して走り出す。

 人垣の間を縫うように走り、時にぶつかり、時に避けながらアランは走る。数分の間そうしていると、前方によく見た顔を発見した。気付いていないなら無視して進もうか、と決めた時、向こうの方から小さく手を挙げてきた。

 気付かれたなら仕方がない、手早く済ませて先に進もうと腹をくくり、アランは足を止める。

 

「よう、キャロル。悪ぃが……、何だその格好」

 

 遅れて気付いた格好は普段の修道服ではなかった。正確に言えば、修道服の上から外套やサックを背負った格好で、それは例えば旅装と呼ばれる格好によく似ていた。

 

「なんだ、まるでどこかに出かけるみたいじゃないか?」

「どこをどう見てもそうでしょう。気軽に隣家に遊びに行くような格好に見えますか」

 

 相変わらずキツいね、と(うそぶ)いて、しかし同時に疑問に思う。

 

「こんな危険な時期に、敢えてどこへ行こうって言うんだ? ……あー、一人で?」

 

 キャロルは首を横に振る。キャロルの向けた視線の先を見れば、後方に同じ教会に身を置いていると思われる修道女が見えた。結構な人数だが十名は越えない。しかし人数がいたとしても、女性だけの旅はいかにも危うく思えた。

 

「なんでまた? 夜逃げっていうには早すぎる時間だ」

「なんと無礼な……! 傷付き倒れた無辜の民を捨て、我々だけが逃げ出すなど……あってはならないことです!」

 

 鼻息荒く迫ってくるキャロルを宥め、アランは両手を軽く突き出し平身低頭して詫びた。

 

「あー、すまん、悪かった。まぁ、そういうつもりじゃなかったんだ、分かるだろ? ……だが、それならそれで、一体何しようってんだよ?」

「ただ祈りを捧げるだけでは救えない命があると知りました。……徒労に終わるかもしれません。しかしそこに希望があるのなら、私達に出来ることを試してみたいのです」

 

 その意志の篭った瞳に、アランは何を言う事もできなくなる。何が起ころうとも納得した上での行動ならば、それでいいのだろう。既にお節介で何かを言う範囲を超えている。

 

「──では、参ります。機会があれば、また会うやもしれません」

「ああ、幸運を。俺も今は急ぎなんだ、また今度な」

 

 言うや否や片腕を上げてアランは駆け出す。キャロルが背後で修道女を纏める声を聞きながら、ミッドガルズ北部へ抜ける道を探して足を進めた。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 駐屯地に滞在する衛兵の仕事は、今日もまたいつもと同じ、代わり映えしないものだった。

 それはヴァルハラ平原の要所に設けられた関所での人員管理であり、立ち入る傭兵や兵士を確認するのがその主な任務だった。しかし訪れる全ての人間が戦士に類する者という訳でもない。時折商人も出稼ぎに傷薬や包帯など医療品を売りに来る。基本的に駐屯地から町までの旅路は自己責任だが、傭兵や兵が移動する日付を教えてやったりもする。

 

 その一人一人を確認するのが衛兵の仕事であり、積み荷があるなら中身を改めるのが役目だった。

 しかしその日は、たった独りで傭兵がやって来たのが、変わっていると言えば変わっていた。

 

 既にダオス軍との開戦の報はこちらにも届いており、平原で決戦を行う為に軍を動かしていると聞く。傭兵もまた慌ただしく動いており、最後の稼ぎ時に目を血走らせていた。

 多くの傭兵は今も部隊編成に向けて動いている頃だったが、しかし、今日は追加で送られて来るという話も聞いていない。それにミッドガルズで徴募された傭兵は、部隊に組み込まれてからやってくる。最低単位は四名から。それでも実際に四人で来ることはない。一定の人数が集まるまでは出発しないものだし、順次出来上がった部隊から送り出したのだとしても、駐屯地までの移動を安全に過ごせるように、即興の徒党を組んでやってくる。

 

 そんな中、たった一人で来た傭兵はいかにも怪しく思われた。だが何をもって怪しいと断じればいいのか衛兵には分からない。

 ここに関所を設けたのは周囲の安全を確保出来たからだ。広い平原、隠れて侵入する事は実は容易い。しかしそれをしないのは、他から進むには崖を登らなければならなかったり、強力な魔物が跋扈していて平原を進むどころじゃなかったり、他の安全なルートまで数日を要するからという理由があるからに過ぎない。

 衛兵は幾らか緊張を滲ませた口調で手を差し出す。

 

「……許可証の提示を」

 

 薄汚れた松の葉色の外套から見慣れた許可証が出てきたのを見て、一応の安心をした。表裏を確認すれば、やはり見慣れた物。何度となく確認してきた反復は、その違和感を感じさせなかった。

 

「許可証は本物だな……」

「当然、城の入り口の受付で貰ってきた」

 

 許可証自体が本物であるのは疑いようがない。

 これから行われるのは人類の存亡をかけた最終決戦だ。そういう時期ならば混乱も相応に多いはずで、中にいるチームに遅れてやってきたのだろう、と衛兵は判断した。

 

 許可証が返却されて、傭兵は軽く頭を下げる。

 フードを一度も取ろうとしない事に衛兵は不満に思ったが、傭兵が礼儀知らずで躾も知らないというのは珍しくない。

 つまらなそうに鼻息を一つ吐いて、傭兵に奥の方を顎で示した。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ウィノナはミッドガルズ城の受付で許可証を手に入れてから、無理なく所々で休息を取りつつ足を急がせた。遠くに見える駐屯地を目指して北上し、草原の上に雪が混じり始め、ヴァルハラ平原に入ったのは、それから二日後の事だった。

 

 その頃には両軍の準備も終えたらしく、開戦の気配も濃厚に漂っていた。そればかりではなく、ミッドガルズ軍が足並みを揃えて地面を叩くように行軍する音さえ、ウィノナには聞こえて来る気がした。

 その中にクレス達もいるのだろうか、といたたまれない気持ちになる。夢の中で幾度も見た光景。ダオスと戦う戦士達の影──。

 

 いや、とウィノナは首を振る。それは今は考えても仕方のない事だ。

 駐屯地前では簡単なやりとりで入所の許可を得ると、そのまま駐屯地にあるキャンプを抜け、平原を奥へと進む。

 

 キャンプ内で休息を取ろうとは思わなかった。長い間いても、いらぬ諍いに巻き込まれるか、さもなくば追いついた兵に捕まるだけだ。

 ヴァルハラ平原は、平原と名が付いていても見渡す限り何もない、といえる場所は少ない。特に平原南部はそれが顕著で、木々は乱立し、ひと一人分以上の高低差はある垂直に隆起した崖もある。

 

 隠れて行動するのにはうってつけで、そしてウィノナにとって難しいことではない。

 ウィノナは北上を続け安全な場所まで移動すると、強い香りを出す木の根本でようやく休憩を取ることにした。こういった木の根元でマントを頭から被って身動きをしなければ、鼻の利く魔物ほど発見率が下がる。人の体臭が木の香りで打ち消してしまうのだ。

 

 それが分かっていれば、人の多い休息所よりも余程安全な場所と言えた。

 ミッドガルズに潜入してからは気の休まる暇もなく、ろくな睡眠も取れなかった。そもそもこの一年、取れた睡眠時間は長くない。いつ予知夢を見るか知れなかったし、それがダオスを害するものであったらと思えば、とても眠ることなど出来はしなかった。

 

 そして、例え予知夢でなくとも見るのは悪夢で、最早ウィノナが見る夢は予知夢か悪夢か分からなくなっていた。

 ミッドガルズでは直ぐにでも許可証を貰って、その日の内に発つつもりだった。しかし、ダオスと共に過ごした家を見つけた時、そのまま素通りする事は出来なかった。かつて失ったものがどっと胸に去来した。一度感じるともう、だから去る事が出来なかった。長く留まればその分早く存在を知られる。顔見知りに見破られるかもしれない。早く行かねばと思うのに、それでも去る事は出来なかった。

 

 幾度となく足を運び、人の住まない倉庫として活用されていると知ってからは、その遠慮がなくなった。

 人目を憚ることは考えつつ、思い出を手繰り寄せるように足を運ぶ事を止められなかった。ようやく踏ん切りが着いたその日に、クレス達と再会したのは何かの皮肉だろうか。

 

 そう思いながら移動していたウィノナだったが、ここで一度睡眠を取る事にした。長い間の睡眠不足はこれから先の行動を著しく阻害する可能性がある。

 人の居ない場所でこそ、今のウィノナには睡眠が取り易い。

 そうと決まると寝付くのは早かった。

 

 

 

 予知夢とも悪夢とも取れる夢を見る覚悟はあったが、幸いそのどちらもなく、幾らか快適に目覚める事ができた。短い睡眠ではあるものの、少しは疲れが取れたと感じながら身を起こしたところで、人の気配を感じる。気付けなかったのは敵意がなかったからか。

 視線を向けると少し離れた場所にはアランがおり、呆れたような顔をして佇んでいた。

 

「……余裕だね。流石、魔王の女」

「何しに来たの」

 

 警戒を崩さずウィノナが訊くと、雇ってくれ、とアランが言った。

 

「何ですって?」

「部隊の再編成を待つにも長い時間が掛かる。部隊単位で戦場に出ないと報酬も出ない。アンタの下につけりゃ問題は解決するんでね。金が要るんだよ、俺は」

「アンタの事情なんて知ったことじゃないわ、構わないで」

 

 言うや否や、腰に差してあったボウガンをアランの方へと向ける。

 

「おいおい……」

 

 アランが口の端を痙攣させて両手を挙げても、ウィノナの両目の剣呑さは消えない。むしろそれが強まったと感じた瞬間、躊躇う事なく即座に矢が放たれ──、アランの後ろに忍び寄っていた魔物を打ち抜いた。

 ドサリと倒れる重い音を聞き、アランは後ろを振り向いて口笛を一つ吹く。

 

「助けてくれたってことは、着いて行ってもいいんだな?」

「馬鹿なこと言わないで。アタシはダオスを救うこと以外はどうでもいいんだ」

 

 ウィノナは視線を断ち切り、振り切るように走り出した。背後からアランが慌てて追いかけて来る気配を感じたが、敢えて無視する。余力を残して走っているものの、重い鎧と剣を身に付けている割りによく着いて来ている。

 

 アランは振り切るような速度で走っていないなら、共に行動していいと判断しているようだった。ハッキリ言って迷惑以外の何物でもないが、振り切る為の労力を考えるとそれも面倒に感じた。

 そうして走り続けたものの、しかしその足はすぐに止まる事になる。

 

 前方に四体、ドラゴニュートがこちらに対して向き直ったところだった。足音で感づかれたらしく、警戒始めたところで鉢合わせたということらしい。横に倒したL字型となった地形だったので、視線が通らず避けることが出来なかったという理由もある。

 

 ウィノナは義手剣を構えて相対し、アランもまた剣を抜こうとしたが、それを手で制す。手出し無用という意図は伝わり、アランは数歩下がって剣の柄に手を添え待機する。いざとなれば制止を無視して介入するつもりだと理解したが、どうせやられるつもりもない。

 

 遣り合う意図を察したらしく、魔物も抜き身の剣を構えてじりじりと近寄って来た。

 ドラゴニュートはリザードマンの上位種で、人間に近い身体を持っている。人間の身体に頭を蜥蜴、尻から尻尾を生やした上で全身に固い鱗を生やしたものを想像すれば、あながち間違いではない。そこに武器や鎧を身に付けるのが他の魔物とは一線を画すところだろう。魔物は本来、己の牙と爪以外の武装を好まない。それもまた、人間に近いと評される一因かもしれない。

 

 その内の二体が、剣を振りかざし奇声を発して、ウィノナを挟むように襲いかかる。

 ウィノナは姿勢を低くしてそれを回避し、右から迫ってきた魔物の腹を斬り払った。鮮血が吹き出し、斬られた魔物が膝から落ちる。致命傷だが、魔物はこの程度で死にはしない。追撃しようとした所で、左から迫っていた魔物に対処を切り替え、その喉元に剣を突き立てる。

 たたらを踏んで二歩、三歩と後ずさる魔物に、斬り上げと同時に跳躍して接近し、頭上目掛けて斬り下ろす。かち割った頭から剣を引き抜くと、返しの刃でもう一方の腹から血を流す魔物を袈裟懸けに斬り殺した。

 

 あっという間に二つの死体が出来上がり、残りの二体は明らかに怯んだ様子だった。しかしウィノナは攻撃の手を緩めない。

 素早い一歩で次の獲物に近づき、胴を右足で蹴り上げると同時に左足の回し蹴りで顎をかち上げ、無防備になった身体を刺突で貫く。その衝撃は魔物を大きく吹き飛ばし、唖然として棒立ちする残った魔物の眉間にボウガンの矢が突き立つ。

 

 何が起こったか理解できず、頭に手を持っていったところで白目を剥き、もんどり打って魔物が倒れた。眉間の傷から一筋の血を流しながら痙攣を繰り返し、次第にその動きも鈍くなる。

 

「……ハァ」

 

 ウィノナは一つ、息を吐いて呼吸を整えた。何の造作もなく、また気負いもない。圧倒的な勝利だった。

 ウィノナはボウガンの矢を回収しようと、魔物の眉間から抜こうと近づく。その頭に足を乗せ、力任せに矢を引き抜く。血の滴る矢を二度、三度と上下に振って血を落とすと、上から横からと矢を眺めた。

 

 固い鱗と骨とを貫通させた矢は歪んでしまっていた。舌打ちをして、ウィノナは矢を放り投げる。真っ直ぐ飛ばなくなった矢に用はない。本来なら歪んだ矢は修正して再利用するのだが、今はそれをするだけの余裕はない。今だけは使えなくなった矢は捨てた方が身軽になって都合が良かった。

 戦闘の終了を見てアランが近づいて来る。

 

「いや、見事なもんだ。助太刀がいるかと思ったが、なかなかどうしてやるじゃないか」

「太鼓持ちがしたくて着いてきたの?」

「いや、そういうんじゃねぇって。同じ剣士として感じる部分があった、そういう話だ。最初に見せた斬り上げからの一撃、そして膝蹴りからの連携技、ありゃ我流って訳じゃないんだろ? 俺がよく知る技だ」

 

 へぇ、とウィノナは顔を上げる。今まで無視同然の扱いだったが、ここでようやく興味が沸いたらしく、剣についた血糊を落としながらアランに視線を向けた。

 

「一応、そっちの流派を聞いてあげるわ」

「アルベイン流だ。そういや名乗ってなかったな。俺の名前はアラン・アルベイン。よろしくな、部隊長」

 

 アランはにっかりと笑って手を差し出すが、ウィノナはその手を取る事はなかった。

 

「アルベイン、ね。……なるほど、アタシもよく知ってるわ。感謝もしてるけど、今のアンタには関係ない話ね」

「感謝……? やっぱりさっきの技は虎牙破斬と飛燕連脚か? 俺も体得しているが、少しばかり違うんだよな。独自で変化させたとか手を加えたとかじゃなくて、何代も経て洗練され昇華した技のような──いや、そんな馬鹿な」

 

 言いながらあり得ないと自嘲するアランに、ウィノナは何を言うでもない。アランからは興味深けな視線を感じたし、ウィノナについて知りたい様でもあったが、それ以上ウィノナも言う気がなかった。

 

「まぁ、アルベイン流は古い流派だ。俺の知らない亜流があったってことなのかねぇ……」

 

 血糊を落とし終えたウィノナが、アランに背を向け刃をしまう。

 

「世間話をしたいなら、誰か他の人を探しなさい。邪魔するだけの存在を傍に置く理由もない」

「ああ、いや、悪ぃ。そんなつもりはなかったんだって……!」

 

 ウィノナが歩き出そうとした時、アランの更に後方から走る足音が聞こえてきた。その足運びから人間であるということは判断できた。ただ、周りに魔物がいても構わないということなのか、あるいは隠す余裕がないだけなのか、盛大に足音を響かせて近づいて来るのは迷惑だった。

 

 敵であると考え──警戒しながら、その何者かを待ち構えた。

 即座に迎撃しようとボウガンを構えた時、姿を現したのはモリスンだった。

 

「何をしに来たの」

 

 ウィノナは口調は刺々しく素っ気無い。構えたままのボウガンも降ろす事はしない。

 

「ここは学者先生なんかが来れる場所じゃないの。黴臭い研究室にでも帰って、大人しく大好きな研究でもして篭ってなさい」

「そういう訳にもいかない」

 

 モリスンの口調は固く、また表情も固い。ボウガンを向けられているから、というだけではなく、確固とした意思を持っているように見えた。

 どうしたものかと睨み合い、二人の間を一つの風が通り過ぎた時、地面が盛り上がって魔物が現れた。ドラゴントゥースと呼ばれる骸骨の魔物だった。

 

 ウィノナが相手とするにはすこぶる相性が悪い。スケルトンの身は斬撃も射撃も有効打になり難い。特にウィノナは対アンデッドとの戦闘経験が少なく、有効武器を持っていない為、対策と言えば逃げることくらいだった。

 さてどうしたものか、と考えた時、アランが言った。

 

「手ぶらって訳でもないんだろ? 何か土産があるんだよな、先生」

 

 そうまで言われて黙っているモリスンではなかった。気まずそうに頷いて、両手を胸の前に掲げると呪文の詠唱を開始する。

 その詠唱と共に形成されていく魔方陣を目にして、ウィノナの形相がみるみる険しくなった。

 

 現代で目にしたモリスンと、瓜二つの顔を持つこちらのモリスン。だからそれに引き摺られて、この時代のモリスンもまた法術師であるとウィノナは頭から思い込んでいた。時間転移もまた法術の一形態であることは現代で使われた術だったことから推察できる。去年ダオスから様々に知識を教授されていたことも、それに拍車をかけていた。

 だからまさか、魔術師であるとは思っていなかった。

 

「ファイアボール!」

 

 詠唱が完了し、モリスンの突き出す掌から火炎球が飛び出す。着弾した炎は魔物を粉々に吹き飛ばした。

 アランは口笛を吹く。

 

「やるねぇ!」

 

 気楽な口調な物言いで、足を交差させた爪先で地面を突つく。

 

 その所作に、更なる苛立ちを感じながら、ウィノナはズカズカとモリスンに近寄って、その胸倉を片手で掴んだ。力強く引き寄せ、その掴んだ拳が余りに強く握り込んだ為に震えさえする。

 

「ハーフエルフだったの!? 精霊を祖先に持つあなたが、何故あンな研究に手を貸した!?」

 

 ウィノナの怒号が辺りに響く。アランはぎょっとして身を竦めた。

 

「知識欲が満たせれば満足!? 祖先の魂を裏切ってまで!?」

 

 ウィノナは殴り飛ばすようにモリスンを突き飛ばし、一瞥もくれずに踵を返す。

 モリスンは尻餅をついたまま、呆然とした風でウィノナの背を見送った。そのまま立ち上がる事もできずにいると、その視界に収まる上空を見て驚愕する。

 

 魔物の飛行部隊がそこにいた。それも尋常な数ではない。一国を攻め落とすには十分な、膨大な数の魔物が押し寄せようとしている。

 モリスンの気配を察する必要もなく、ウィノナも上空の異変に気付いて眉根を寄せた。とはいえウィノナにはどうすることも出来ない。矢を撃つにしろ距離がありすぎるし、たった一人で撃ち落とせる数など微々たるものだ。そして何より、ミッドガルズがどうなろうと知った事ではない。

 

 上空からの奇襲には注意した方がいいだろうと考えていた時、ミッドガルズの方向から眩い光が生まれた。

 魔導砲の砲身から発生する光だった。ミッドガルズの尖塔の一つから、砲撃用に転換されたマナを射出しようとする時に発生する光。その光が収束していくにしたがって、急激に周辺のマナが失われていく。

 

 只でさえやせ細った大地から生気が失われ、辛うじて生を保っていた雑草も枯れ、そして大地は遂にヒビが生じて割れさえする。

 それを正に目の前で見せ付けられ、ウィノナは咄嗟に振り返り叫んだ。

 

「やめなさい! そんなものを使ったら……!」

 

 しかし、その叫びも空しく光の塊は解き放たれた。塊は光の帯となって射出され、魔物たちを蹂躙していく。

 魔物は光を受けると、直後遅れてやってきた衝撃に吹き飛ばされていった。

 その効果は絶大で、地面に衝突する前に灰となって消えるもの、地面の衝突で粉々に砕けるもの、そして衝撃を受けて尚身体を保つものとある。

 

 しかし、その地面に衝突した魔物も、当然重傷を負い只では済まない。ウィノナの視界に映る範囲に落ちてきた魔物もその一匹で、単に殺されるより一層悲惨な有様だった。

 受けた傷から凄まじい速さで爛れ、腐り、肉が落ちる。苦痛に歪む顔すら留めず骨のみ残して魔物を絶命させる。おおよそ攻撃によるものとは思えないほど、凄惨な光景だった。

 

「──見なさい!」

 

 ウィノナはモリスンの胸倉を掴んで、無理やり地面に顔を近づかせた。

 

「あなたたちがマナを無造作に喰らった結果がこれよ! ひび割れた大地、草すら生えない土壌! 空気は腐り、腐臭が漂う! ──あなたたちは何がしたいの! 自分たちから死にに行くような振る舞いをして、それで後に何が残るというの!」

 

 息を震わせて叫んでいたその時、第二射が放たれようと再び光が集まりだす。

 ウィノナの表情が驚愕を超えて大きく歪む。怨嗟の声が滲んで聞こえてきそうな程の変化だった。

 モリスンを掴む手が強く握り締められる。事の成り行きを黙って見守る事しか出来ない自分が歯がゆかった。

 

 ついに発射されると覚悟し、大きな光が膨れ上がると予想したが、いつまで経っても第二射が発せられることがない。

 一体どうした事か、と怪訝に思うのと同時、大きな爆発が起こり砲塔が崩れていく。

 ウィノナがそれを不可思議に思いながら見つめていると、モリスンが苦しそうに声を上げる。

 

「……ここに来る前、細工をしておいた。暴走したエネルギーで自爆するような細工だ。何しろ急ごしらえだったから、溜め込まれたエネルギーを利用するような細工しか出来なかった。設計図も焼却してきたから再び使うことはできないはずだ……!」

 

 凄まじい形相だったウィノナは、それで少しは表情が和らぐ。

 フンッと鼻息荒くモリスンを投げ捨て、そのまま足早に去って行く。

 

「……なんだかね。訳アリってことなんだろうが……、おっかねぇ奴」

 

 アランは肩を竦めて息を吐くと、倒れたままのモリスンに手を差し伸ばした。

 



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念願の邂逅、そして

 

 古城へと辿り着いたウィノナは、一人突出して走っていた。

 かつて来た事のある、打ち捨てられ朽ちた城はそこにはない。

 修繕された外壁に加えて内装も整えられ、計算されて配置された装飾家具と行き届いた掃除は、もはや完全な別世界と化していた。

 

 増改築も施されているらしく、かつて見知った通路の面影は少ない。奥へ進むのに殆ど手探りで進まなければならないような状況だった。時々ウィノナの覚えている構造に合致する部分を見つけては、それを頼りに前へ進む。

 

 アランやモリスンのことなど気にかけず、通路の先に何があるのかを考えるよりも早く足を進める。

 

 ──ダオスがこの先にいる、ダオスに会える。

 その一心の思いを、酸素の代わりとするように力を生み出していた。

 ──先へ。ただ先へ。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 アランはウィノナの背を追いながらいかにも(あやう)い、と感じていた。

 横合いから奇襲でもされようものなら、いい餌食だ。追いついて横に着くべきかどうか、アランは僅かの間逡巡した。

 魔術師のモリスンの走速は早いとは言えない。引き離される距離は徐々に広がって行くし、かといってモリスンを一人にするわけにもいかない。どちらを優先しても被害が出そうなところが悩ましい、と思っていた所でウィノナが魔物の奇襲を受けた。

 

「言わんこっちゃない……!」

 

 舌打ちしたい気持ちを抑え足に力を込める。

 ウィノナは前方しか見ていなかった。他方への注意も怠っていた訳ではなかったが、逸る気持ちが邪魔をしていたのも事実だった。咄嗟に反応して身を捻り、急所は外したもの腹部に傷を負う。剣と盾を持つ人型の魔物、その突き出した剣が、ウィノナの横腹を貫いていた。

 

「ぐはっ……!」

 

 ウィノナは痛みを堪えて息を吐き、義手剣を振り下ろす。頭部を狙った一撃は大きく外れ、その肩を浅く斬り裂いたに過ぎなかった。その一撃を受けて警戒した魔物が距離を離した時、アランが後ろからウィノナを追い越し魔物に斬りかかる。

 

「襲爪雷斬!」

 

 大上段からの斬り下ろし、追撃で発生する雷が魔物を打ち倒した。

 仰向けに崩れ落ちる魔物を油断無く観察し、息絶えたところを確認してからアランはウィノナに向き直る。

 

「おいおい、その傷──」

「うるさい、大した傷でも……ない」

 

 ウィノナは蒼い顔をして腹部に手を当てる。流れる血は止まらず腰から太股まで伸びている。すぐに血が滴り地面に点々と痕を残すのだろうが、ウィノナはそれに頓着せず顔を歪めながらも前進を始める。

 

「おい、待てって! 傷の治療はしておけよ、()たねぇぞ」

「あンたの知ったことじゃないわ……!」

 

 ウィノナは一瞥すらせず、取り付く島も与えない。

 アランを無視して進み続けるが、その足取りは重い。明らかに足は上がっていないし息切れも激しい。立っているだけでも辛そうで、遂に左手を壁に当てて体重を支え始めた。そうしなければ前進するだけの事さえ難しいのだろう。

 

 そして、とうとう血も腹部を下って床に落ちていく。

 血の臭気を濃厚に感じられる程になって来た頃には、ウィノナの膝が笑っていた。とても戦闘が出来る状態ではないし、休息が何より必要な状態なのにも関わらず、それでもウィノナは前進をやめない。

 

 この状態でまた横合いから魔物が襲って来た時、十全な対応など望むべくもない。ウィノナとて、それは分かっているはずだ。

 それでもやはり、ウィノナは前進をやめなかった。

 ブツブツと小さな呟きがアランの耳にも聞こえてくる。

 

「……もうすぐ」

 

 その瞳は前方の何物をも見てはいない。床も壁も、あるいは通路さえ見えてはいないのかもしれなかった。

 

「……もう少しの辛抱で」

 

 恐らくは、とアランは思う。

 それだけを励みに、ウィノナは重い身体を引き摺り前進しているのだろう。ただダオスの元へ行く為に。

 

「──あともう少しで逢えるから……」

 

 更に一歩、もう一歩と歩みを続ける。一度立ち止まり、己を叱咤するよう強く拳を握っては、止まらぬ冷や汗を拭い震える息を整える。そして更にもう一歩を踏み出した時、──ついにウィノナは頭から倒れた。

 

 

 

「ああ、くそ……っ!」

 

 受身も取れずに倒れたウィノナを見て、アランは慌てて近づき介抱した。

 アランとしても、これまで幾度も助けようとした。止めるのが無理ならせめて肩を貸そうともした。

 

 しかし、いずれも断られ、しまいには言葉すら出さず、しつこいとばかりに剣を向けられた。

 どうしようもないから、アランはウィノナの後を付いて行くことしか出来なかった。その道中とて、ウィノナは気づいてすらいなかったが、横合いから魔物が襲って来る事もあった。

 

 その全てをアランが剣で斬り、時には叩き落し、ウィノナの歩みの露払いをした。ウィノナの視線は常に前だけにあり、戦闘音すら聞こえていないようで幽鬼のように前進を繰り返す存在になっていた。

 しかし倒れてしまっては、流石のアランも慌てる。

 

「くそっ、どうすりゃいい……!?」

 

 アランは包帯を取り出しつつ背後を窺う。

 少し前から追いついたモリスンがいたが、問われたモリスンも渋面で懐を探る。

 

「私も応急処置以上の医術は知らない……」

 

 まず包帯を巻こう、いやその前に消毒だ、などと言い争っている間に、背後──廊下の奥から切羽詰った声が飛んで来た。

 

「そこで一体、何をしているのです!?」

 

 そこにいたのは、ミッドガルズで別れたキャロルだった。その背後にはキャロルと共に旅立った十名程度の修道女も見える。

 

「決戦の舞台になると思い、直接ここまで来ましたが……いると思った軍は見えず、奥へと進めば怪我人を前に何と稚拙な……」

 

 言いながら、キャロルはアランとウィノナの間に割って入り診察を始める。

 多くの負傷兵の治療をしていたキャロルだ。彼女に任せれば万事問題なしだろう、と立ち上がって距離を取る。

 

「それにしても、あんた何でここに。軍ならまだヴァルハラ平原で戦ってる最中か、あるいはケリが着く頃だぜ」

「それは誤算でしたが……。ならば直ぐにでも戦場へ救護人を助けに行かねば」

 

 キャロルがそう言うと、後ろで控えていた修道女の一人が歩み出る。

 

「では、私たちは先に来た道を戻ります。キャロルさんは引き続き、こちらの方の支援をしてはいかがでしょうか」

「それは……、しかし、戦場の方も捨て置くわけにはいかないでしょう」

 

 ええ、と修道女は頷く。

 

「でも、この方たちも同じく捨て置くわけにもいかないのでは?」

「そうですね……」キャロルは考えるような仕草を見せる。「では、そちらはどうかよろしくお願いします。皆にユニコーンのご加護がありますように」

 

 修道女は一つ頷くと振り返り、残りの者たちを引き連れて廊下を走っていく。

 それを見届け、キャロルはアラン達に向き直った。

 

「お騒がせしました。すぐに治療に取り掛かります」

「ああ、頼むぜ。どうすりゃいい? 手伝える事があれば言ってくれ」

 

 キャロルは頭を横へ小さく振る。

 

「いえ、大丈夫です。私達は法術士としての力を授けて頂きました。白樺の森のユニコーンより慈悲と癒しの力を」

 

 キャロルはウィノナの腹部に手を当てると、瞳を閉じて小さく呟く。

 

「……ヒール」

 

 手の平から白く輝く光が溢れ たちまち傷が塞がり血も止まる。たった数秒の間に肌色もずっと良くなった。

 

「……うっ」

 

 意識が回復したウィノナが目を開ける。キャロルの存在に気付き、次いで何をしているのかも理解した。

 助けられたのか、と感謝する一方、その耳に動く物があって目を剥く。

 一瞬の間に頭に血が上り、咄嗟にキャロルを突き飛ばした。

 

「キャッ!」

 

 両腕で地面に手をつき、咄嗟の事に呆然としてウィノナを見つめる。キャロルの耳にはユニコーンのイヤリングが揺れていた。

 

「あんたの力なんて絶対に借りない! アタシは絶対認めない……!」

 

 ウィノナは壁に手を付くと、再び足を引き摺って前進を始めた。

 突き飛ばされた衝撃に、今もキャロルは気が動転して立ち上がれずにいる。まさか感謝しろなどと言う気はないが、敵意を向けられるとは思いもしなかった。

 アランはそれに、申し訳ないと表情で語りながら、キャロルを起こす。

 

「今のは俺にもよく分からんけどよ……。アイツの現状は、ちっと複雑なんだ。許してやってくれ」

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ウィノナはようやくの思いで、古城の最奥、その玉座の間まで辿り着いた。

 ウィノナが部屋の中まで入ると、玉座に座っていたダオスは俯けていた顔を上げる。

 

「……来たのか」

 

 ダオスの静かな言葉に、ウィノナはうん、とだけ小さく答えた。

 

「そんなに傷だらけになってまで……」

 

 痛ましそうに見るダオスの顔が小さく歪む。ウィノナは笑顔を作って顔を横に振った。

 

「平気だよ、このぐらい」

「平気なものか。そなたの傷を見れば分かる、何故そうまでしてここまで来た……」

「言わなきゃ分からない?」

「……眠れぬような思いまでしてか」

 

 ウィノナは自らの目の下を擦り、照れたように苦笑した。

 

「まぁ、これは……みっともないなぁ、もう。……でも、もう関係ない。ぐっすり眠れるようになるよ」

「その腕とて、私のせいだ。私と関わる事さえしなければ……」

 

 ダオスはウィノナの義手を痛ましいものを見るように顔を顰めた。ウィノナは顔を横に振る。

 

「だったとしても、ダオスと会わずにいれば良かったなんて思わない。この腕の報いだって受けさせた」

 

 ウィノナは一歩踏み出しダオスに近づく。

 

 そんな中、玉座の間に駆け寄ってくる足音が聞こえる。

 ウィノナに遅れて入室していたアランが、新手の敵かと身構え、そして相手を見た途端に力を抜いた。そこにいたのは平原の戦闘を制して駆けつけたと思しき、クレス達だった。

 ウィノナの方に顎をしゃくりながら、これからだ、と短く言う。

 

「静かに」

 

 キャロルが手で制して注意すると、クレス達は音を立てないように玉座の間に入って端に寄る。

 

 ──そこは不思議な空間だった。

 クレス達が見る玉座の間は、たった二人しかいないのに酷く狭く感じる。まるで、この二人のための空間のような。

 ウィノナは手にしていたボウガンを捨て、にこりと微笑んだ。

 

「……ねぇ、帰ろう。大丈夫、まだ戻ってこれるよ」

「しかし、……しかし私は、最早人類の敵でしかない」

 

 搾り出すかのような声音でダオスが言う。しかしウィノナの表情に翳りはない。戦闘に明け暮れたものとは別物の、晴れやかで優しい、見るものを安心させる表情だった。

 ウィノナはダオスの表情を見つめながら、この光景に強い規視感を感じていた。どこかで見た覚えがある。

 

「そんな事ない。ダオスは魔物に人を殺すように命じなかった。死者の数を減らす努力をしてたでしょ? それは何故? 敵でしかないなら、そんな命令出したりしない!」

「それは……違う。人をより多く殺せば、ウィノナが悲しむと思った。だから極力殺すなと命じた。別段、人の命を(おもんばか)ったからという理由ではない」

 

 しかし、その彼女を想う気持ちが結局ミッドガルズを窮地に追い込むとは、何たる皮肉だろう。

 ウィノナはダオスの思いをまた一つ知って、感情が高揚するのを感じた。

 思わず目尻も下がり、薄っすらと笑む。

 

「ありがとう、ダオス。じゃあ、やっぱり同じことだよ。──大丈夫、魔導砲も壊れた、設計図もない。またやり直せるンだよ!」

 

 ──どこかで見たも何もない。

 

「……ね、戻ってきて、ダオス……」

 

 ──予知夢だ。

 ウィノナとダオスのやり取りを見ながら、キャロルは小さな声で誰に聞かせるでもなく呟く。

 

「道中モリスンさんから、あの方しか魔王を説得できないと聞きましたが……。どうやら本当のことのようですね」

「……ああ、あの女のあんな表情、初めて見るぜ」

「あれがウィノナです。僕らの良く知る、いつものウィノナ……」

 

 嬉しく思うべきなのかどうか、クレスには分からない。かつてのウィノナを取り戻した事は素直に喜ばしく思う。しかし、これから起こることを考えれば悲劇と言う他ない。クレスは目を伏せ何事かに耐えるように唇をきつく結んだ。

 

 ウィノナは手を差し出し、ダオスに向ける。

 どれだけの回数、会いたいと思い、言葉を交わしたいと願ったことだろう。しかしそれが今や、隔ているのはたった数歩の距離だけしかない。ウィノナの願いはとうとう叶う。それを思えば何時間だろうと待てる心持ちだった。

 

 早くこの手を取って、と願いながら、薄墨が広がるような不安が去来した。何時間でも待てる心持であった筈なのに、頭の端では別の事が脳裏から染み出してくる。

 

 この一年の間で幾度となく見て、その度に忘れようと努力した。覆せるものだと叱咤して、しかし恐れは消えず、だから眠る事を拒否するようになった。それから堪りかねて気絶するように眠ると決まって見る夢は悪夢となって現れ、予知夢は見てないと自分に言い聞かせるようになった。

 だからウィノナは判断が遅れた。覆すと決めていた瞬間は──。

 

 集団の中から、ゆっくりとモリスンが離れていく。

 それをクレスは感じ取り、視線だけモリスンに向ける。モリスンは小さく頷いてから詠唱を始め、クレスも同じく返答するように頷いた。

 

 そのやり取りを見たアランは、何をするつもりなのか察する。音を立てないように、足をじりじりと動かす。

 ダオスはウィノナの手にゆっくりと手を伸ばし、その手を掴もうか逡巡する。伸ばしは退いてを繰り返し、ようやく手を伸ばす踏ん切りが着いた時、モリスンからの叫び声が聞こえた。

 

「許せダオス! これしかないのだ、この方法しか!!」

 

 詠唱を終了させたモリスンから、火炎球が飛び出す。

 ウィノナはここで、予てより考えていた予知夢に対抗する手段を講じた。

 ──予知夢を変える、変えてやる。変える事が出来るはずなンだ、証明してやる!

 ウィノナは火炎球の前に飛び出し、その身を盾に両手を広げる。

 

「ウィノナ!!」

 

 男女複数の声が重なった叫び声が聞こえたが、ウィノナにはどうでもよかった。

 迫る火球が見える中、ウィノナは歓喜の中にいる。本来ならばダオスに命中するはずの火炎球、それがダオスではなく自分が受ける。それでどれだけの変化が現れるかは分からない。

 

 ──しかし、それでも。

 未来を変えた、予知夢を破った。その思いだけが胸中を歓喜で満たされる。

 

 何事かに対する覚悟を決めた時、ウィノナに着弾するはずの火炎球が、その直前で何かに遮られる。何かと思ってみてみれば、ダオスがウィノナを庇うように立ち塞がり、そのローブでウィノナの身を守っていた。

 

 ローブに当たった火炎球は小さな火種すら生む事はなく、翻す動きで完全に消失する。

 一瞬の間の後、ダオスの表情が憤怒に変貌した。

 

「──貴様ァァ!」

 

 黄金の光がダオスを包み、暴風となって吹き荒れる。

 

「やるぞ、皆!」

 

 クレスの号令が全員を戦闘体勢に移行する。それぞれが自分の武器を掲げ、構え、矢を番い、箒に跨り宙に浮く。全員がダオスに相対した。詠唱に時間の掛かるクラースが後方に飛び退き、そして魔術書を開いては詠唱を開始した。

その中にあってアランとキャロルが突出し、その後を全員が続く。

 

「クレス!? ──やめて! ダオスを殺さないで!」

 

 ウィノナは咄嗟に動こうとしたが、腹部の傷が邪魔をして思うように動けず膝をつく。立ち上がろうとしても立ち上がれない。幾ら動けと命令しても、極度の疲労と失血は痙攣を返してくるだけだった。

 

 だからせめて声を張り、ダオスを助けてと懇願する。しかしクレス達は動きを止めなかった。

 キャロルがアランに法術をかけ即座に離脱、その一歩先を行くアランが跳躍する。

 

「バリアー!」

「──鳳凰天駆!」

 

 アランが接近と攻撃を同時に行い、懐に飛び込む。キャロルの盾となりつつ意識を自分に向ける為の行動だった。

 ダオスはローブを盾代わりに構えてアランの攻撃をいなすと、そのまま反撃に転じる。しかしそれをもう一人の剣士が遮った。

 

「襲爪雷斬!」

 

 上段よりも更に上からの一撃に、ダオスも反撃の手を防御に回さざるを得なかった。

 腕を振り払い、二人の剣士を吹き飛ばすと、更に追撃しようと一歩踏み出す。しかし、その顔面目掛けて矢が飛んできた。

 

 攻撃の合間を縫う見事な一撃だったが、ダオスはこれを難なく回避する。

 しかし、回避される事は想定済みだ。その意識と動きを、一瞬でも阻害する事がチェスターの狙いだった。

 

「アイストーネード!」

 

 アーチェの唱えた魔術は氷結の嵐を呼ぶ。

 氷礫の混じる局所的暴風は、視界を奪うばかりではなく更に動きまで阻害する。

 その隙を利用して、二人の法術士は剣士たちの強化を終えていた。

 

「シャープネス!」

「バリアー!」

 

 再びクレスとアランの剣士達がダオスに迫り剣を振るう。

 

「悪ぃがとっととやられてくれや! 襲爪飛燕脚!」

 

 アランが再び上空からの一撃を見舞い、ダオスも再びそれを防ぐが、続く足技のコンビネーションに思わず怯んだ。

 そこをクレスが見逃さず、横合いから技を繰り出す。

 

「やるしかないんだ! 今、ここで! ──魔神千裂破!」

 

 下段から迫る衝撃波攻撃とその多段突きはダオスのローブによって遮られる。しかし、そもそもの狙いは手数で圧して自由にさせない事にある。その事にダオスは気付いたが、もう遅い。

 クレスの稼いだ数秒が、戦闘開始と同時に行われていたクラースの詠唱を完成させた。

 

「ルナ!」

 

 喚び出されたのは月の精霊。ダオスを中心に一本の線が降り注いだかと思うと、次々に新たな光が降り注ぎ呑み込んでいく。それはあらゆる行動を制限させるだけではなく、確かな傷を与えていった。

 

 二人の剣士は左右から挟撃し、更に剣を横薙いだ。確実に隙を捉えたタイミングだったが、ダオスはこれに対応してみせる。

 

「──煩わしいわ!」

 

 二つの剣を絡み取るように左右の手で弾き、大きく隙を見せたアランの横腹を殴り付ける。

 吹き飛んだ剣士は膝を突き、立ち上がろうとしたものの咄嗟の事に身体が言うことをきかない。ダオスは更なる追撃を仕掛けるべく、両手を合わせる形で胸の前で組む。

 さしたる詠唱もないままに、魔術が発動した。

 

「テトラスペル!」

 

 放たれたのは四つの魔術の連続複合技。

 襲い来る魔術の奔流に身の覚悟をした時、クレスが突き飛ばして代わりになった。

 

「うわあぁぁ!」

 

 揉んどり打って倒れたクレスは、やはり即座には立ち上がれない。

 二人の前衛を一時的に失なってしまい、緊張が高まる。ダオスの猛攻は凄まじく、後衛だけでは支えきれないのは容易に想像がついた。法術士が傷を癒す時間を、何としても稼がなくてはならない。

 チェスターが番えていた矢を引き絞った時、後方から高らかな叫びが聞こえた。

 

「頼むダオス! これで終わりにしてくれ!」

 

 ダオスが振り返り、モリスンの両手を見て瞠目する。その囲い込むような両手の中心には極度に濃いマナが集められている。あれを解き放たせてはならない、とダオスは直感で理解し身体を向ける。即座に止めようと動き出したところで矢が肩を穿った。

 

「クッ! 小癪な!」

 

 火の力を内包した矢とはいえ、身を貫くほど強力なものではない。このまま無視して進むか、一瞬の思考。それがダオスの運命を決めた。

 

「天光満つる処に我はあり、黄泉の門開く処に汝あり、出でよ神の雷……」

 

 集ったマナが中空に魔方陣を描き、その莫大な魔力を解放する。

 

「これで最後だ! ──インディグネイション!! 」

 

 ダオスを中心に幾つもの雷球が螺旋を描きながら上昇し、そしてついに頭上から極大の雷がダオスを襲った。

 

「ガアァァァァ!!!」

 

 身を焼き、焦がし、断ち切られ、ダオスはついに崩れ落ちる。

 身体中が火傷を負い、焦げた肌からは煙が昇る。

 

「やめてぇぇ! ダオスを殺さないで! ダオス! ダオスーー!」

 

 ウィノナ必死に手を伸ばす。伸ばすが、その手は届かない。予知夢を覆したと思った。ダオスに命中するはずの火炎球は、自分が身代わりになれると思った。しかし、実際は何一つ変化は起こらなかった。

 

 だからせめてウィノナは手を伸ばす。この手に触れて欲しいと手を伸ばした。

 ダオスも余力で手を伸ばすが、その距離は絶望的なまでに遠い。

 

 その手に引かれるようにして、ダオスはうつ伏せに倒れる。そして何度か這いずるように手を伸ばした。

 しかし、縮む距離はごく僅か。届くより前にとどめの一撃を刺される方が早いと理解すると、悲嘆の表情を浮かべた。

 

 ダオスは伸ばしていた手を力いっぱい握り、歯を食いしばる。そして一拍の間の後にダオスの体が光に包まれる。

 その後、発光が収まると、ダオスの身体は跡形もなく消えていた。

 

「アタシも連れていってよぉぉぉ!」

 

 ウィノナの絶叫が室内に反響した。

 嗚咽が玉座の間に響く中、戦闘後の荒い息遣いを落ち着かせつつも、誰一人として動けなかった。

 ウィノナの絶望した姿が、それほど皆の心をかき乱させ、動くことを拒否させた。

 ウィノナもまた動かなかった。がっくりと脱力し、面伏せたまま動かない。

 

 髪が表情を隠しているものの、どのような顔をしているのかは、実に明らかだ。

 嗚咽が鎮まり沈黙が続いた後、しばらくして、のっそりとウィノナが立ち上がった。

 

 足を引きずりながら遅い歩みで進む途中、床に転がったままのボウガンには目も向けない。右腕に装着された義手剣を億劫そうに取り外し、力なく投げ捨てる。

 

「……ウィノナ、その……」

 

 おずおずとしたクレスが、そろりと腕を上げて声をかけるが、ウィノナは顔を向けない。俯いた表情は前髪で隠れたまま、玉座の出口を目指して歩を進める。

 

「もういい。もう、疲れた……」

 

 ウィノナが絶望を滲ませた声音で小さく零す。その怨嗟とも自虐とも取れる声が恐ろしい。また古城から去った後でウィノナが何をするつもりなのか、想像するだに恐ろしかった。まさか自ら命を絶つとまでは思わないが、それがあり得てしまうと思わせる雰囲気がある。

 クレスはウィノナの傍に近寄り、必死の思いで声を掛ける。

 

「ウィノナ、ダオスを助けよう。まだ間に合う!」

 

 ウィノナの俯けていた頭が持ち上がり、目がカッと見開く。力任せに右腕が振るわれたが、それは義手剣を取り外していたことを完全に忘れていた動作だった。

 クレスの眼前を素振りするような形になり、その腕の動きにバランスを崩す。振り子のように揺れる身体を持て余しつつ、ウィノナはクレスに顔を向ける。

 

「お前らが倒しておいて、何が助けるだ! ダオスは悪くないのに! お前らが、お前らが……っ!」

 

 声が徐々に尻すぼみしていく。その最後には嗚咽が混じった。

 

「違うんだ。よく聞いて、ウィノナ」クレスは我知らず唾を飲み込む。「確かに僕らはダオスを倒した」

 

 ウィノナはキッと鋭くクレスを睨む。

 クレスは思わず身を硬くした。強い殺意と敵意を浴びて逃げ出したくなるが、まさか本当にここで逃げ出す訳にもいかない。

 

「聞いて、ウィノナ。僕らは確かに倒した、──でも殺してはいない」

「なにを、言っているの……!」

 

 ウィノナが掴みかかろうとした瞬間、その動きを止めざるを得ない言葉がクレスの口から飛び出してきた。

 

「思い出して、僕らが過去に飛ばされる前のことを。──ダオスが復活したのを覚えてるはずだ」

 

 言われてウィノナはハッとした。

 確かにダオスは地下墓地で復活していた。つまりは、まだ死んでいない。クレスが父親から譲り受けたペンダント、それが封印の鍵であり、そしてもう片方のペンダントが揃う事でダオスは復活する。そうなる未来をウィノナは確かにこの目で見ている。

 

 そして……、他ならぬウィノナがペンダントを敵に渡す事で復活するのだ。つまり、ウィノナはダオスの復活を計らずとも助けていた事になる。

 

「ちゃんと詳しく説明する。凄く複雑で、僕にも上手く説明できる自信がない……。でもこれだけは言える。現代でダオスを救うために、今ここで追いつめ時間転移を使わせた」

 

「この時代ではダオスを救うことが出来ないからな」

 クレスの後をクラースが引き継ぎ、続ける。

「様々な問題が発生し、それを制御できないからだ。しかし現代でならば、救う事が可能だろうと我々は考えている」

 

 ウィノナの頭の中はぐちゃぐちゃで、クレス達が何を言っているのか理解が追いつかない。

 それでも、僅かな希望がこの先にあるということは、おぼろげに理解できた。

 クレスはウィノナの目をしっかりと見つめ、その目に力強い意志を乗せて言う。

 

「ウィノナの事情は全てモリスンさんから聞いた。僕らは……、ウィノナ、僕らは君とダオスを救う為に戦っていた。ただ傷付け倒す為じゃ決してない。──これからダオスを、一緒に救い出そう」

 

 ウィノナから、はらはらと涙が落ちる。

 

「本当に、……そんなことが出来るかな」

「──出来る。僕らは本気でそれをやるつもりでいる。話を聞いた後でも許せなければ、僕らを斬っていい。だから話だけでも聞いてくれ」

 

「助けたい。ダオスを助けたいよ……」

 

 ウィノナは顔を上げて、涙でぐしゃぐしゃになった顔を皆に向けた。

 

「ダオスを、助けて……っ」

 

 搾り出すようにそれだけ言うと、遂に限界が来てウィノナは膝から崩れ落ちた。

 




 
書籍版だと、ここでウィノナは人間なんて嫌いだ、と呟いて立ち去り、物語が終わります。
その後、自分で一座を立ち上げ旅の巡業をしている最中に予知夢を見、ダオスの宿願が果たされる事を知ります。そうして自分の事ももう少し前向きに考えてみようかと夜空に思い、エピローグも終わるのです。

これをバッドエンドと見るか、ビターエンドと見るかは人それぞれだと思いますが、自分はやっぱりウィノナも幸せになるハッピーエンドが見たい、と強く思ったものでした。

そんな訳で、書きたい話はここからようやく始まります。
長い前振りでした……。
 


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第五幕 AC.4203年
帰還、束の間の休息


 

 気絶したウィノナを連れ、クレス達がミッドガルズへ帰って来たのは二日後の事だった。移動中はクレスとチェスターが交替して背負い運んでいたのだが、その間も一度として目を開ける事はなかった。

 ミントとキャロルによる法術の癒しも、然したる効果を挙げていない。

 

「一体なにがいけないのでしょう……。傷は完全に癒えているはずなのですが……」

「目が覚めないのは傷のせいではありません。心に溜まった心労や睡眠不足、それらの淀みが原因ではないしょうか……」

 

 そうであれば、後はウィノナの身体が自然と目覚めるのを待つ他ない。ミントはキャロルの疑問にそう答えた。口調こそ心許ないもの、その意見には確信めいた断定がある。

 キャロルはそれに頷きながら、敬意を込めた視線を送る。

 

「私よりも随分お若く見えるのに、とても色々なことに詳しいのですね。法術にしても、あるいは私たちがこの世で初めて授かった癒しの術かと思っていましたが……」

 

 言ってキャロルはハッとして頭を下げる。

 

「まだ十分なご挨拶をしていませんでしたね。私はキャロル・アドネードと申します」

「アドネード、さん……?」

 

 聞いたミントは満足に返事もせず茫然とキャロルを見つめる。しばらく微動だにせずいるミントに、キャロルは居心地の悪さを感じ始めた。

 

「あの……?」

 

 訝しげに首を傾けたキャロルに、ミントは慌てて頭を下げる。

 

「し、失礼しました……っ! あの、私のことはミントと……、ただのミントとお呼びください。名を名乗れぬ無礼を、どうかお許しいただけたら……」

 

 恐縮しがちなミントに、キャロルは気を悪くもせずに頷く。人には簡単には口に出来ない様々な事情があるものだ。

 

「では、法術についてはどうでしょう? よろしければ、ご教授いただけたら」

「あ……、はい、ええ、それは勿論! それはきっと回りまわって、私の為にもなるのでしょうし……」

 

 どこかしどろもどろとなって言うミントに、キャロルは頷いて見せる。

 

「そうですね。他人に教えてあげることで、自分もまた勉強になるということもありますし」

「ああ、いえ、そうではなく。実際に後々自分の為になるというか……」

「……はい?」

 

 ミントの言う言葉にイマイチ理解を示せなかったキャロルが首を傾げるも、ミントは慌てて両手を左右に振った。

 

「ああ、いえ、何でもないんです。私も未だ若輩の身ですが、ミッドガルズに着いてからはお約束できません。それまでで良ければいかがでしょう……?」

 

 是非、と笑んだキャロルにミントも笑顔で返す。

 そうして二人はウィノナの面倒を付きっきりで診た。時折法術の講釈も交えて癒す、キャロルにとって何事にも代え難い旅はこうして終わりを迎えた。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 そうしてミッドガルズの門を潜ったクレス達は、万感の思いを込めて息をついた。そこには歓迎するように腕を広げるモリスンがいる。

 

 クレス達より一足先に戻っていたモリスンは、事の顛末を国王に報告していた。無論、ダオスが逃亡したなどと伝えるはずもなく、必要なことのみを抽出しウィノナの存在は隠したまま、討伐に成功したと伝えた。

 

 魔物が統率感もなく四散し逃げていく様を見ているので、そうではないかと期待していた軍部も確信できる報告を得られて大層喜んだ。

 国で大々的に凱旋式を執り行うべきだとする声や、英雄の誕生を祝うべきだと声があり、上へ下への大騒ぎとなっている。

 門前でクレス達を迎え、そのことを話したモリスンだったが、返ってきた反応は予想通りのものだった。

 

「困りますよ、僕らが英雄だなんて……」

「私達が求めたのは名誉ではなかった。ただ一人の男を助けたいと、そう願った少女に報いてやりたいが為の行動だった」

 

 クラースからの言葉に、クレスも頷く。

 元より最初は魔王を倒そうという強い義務感、現代より託された思いを糧にして始まった旅だ。しかしウィノナの足跡を辿るにつけ、魔王と呼ばれる存在は世界の蹂躙を目論むどころか、救おうとすらしている事に気付かされた。一方的な敵愾心を持ち続けてたクレス達としては、英雄と呼ばれ持て囃されるのは非常に複雑な気分になる。

 

「だが何にしろ、謁見を拒否する事はできないだろう。国にも面子の問題があるし、戦勲第一の功労者を蔑ろにしたと知られれば、国内外からも批判される事になる。……申し訳ないが、本意でなくとも耐えてもらわねばならない」

 

 苦虫を噛んだ様な表情のモリスンに、チェスターがあっけらかんと言う。

 

「ま、言いたい奴には言わせておけばいいさ。報奨金も出るんだろ? 貰えるモン貰って、さっさとズラかろうぜ」

 

 余りにもぞんざいな物言いに周囲の一同は苦笑するが、アランだけは顔に輝きが満ちた。

 

「そうだ、報奨金があったな! 予想より稼げなくて困ってたが、結構な額が出るんだろ? 俺の夢にまた一歩近づいた!」

 

 手を叩いて喜ぶアランに、とりあえず、とクレスは抱えたままのウィノナを背負い直して辺りを窺う。

 

「どちらにしてもウィノナを王城に連れて行くわけにもいきませんし、そもそも早くベッドで休ませてやりたいんです」

「……だな。クラースの旦那が部隊長になってたんだし、そっちの方は任せるぜ」

「本気か……? 面倒な事は全部私任せか、全く……」

 

 クラースは帽子のツバを下げて溜め息をついた。ミントからすらも助け舟が出ないところを見るに、誰もが王の御前に拝謁するのは抵抗があるようだった。

 

 ──当然か。

 この国に対して(わだかま)りがないとは言えない。

 ダオスを追い詰め、ウィノナもまたこうなるまで追い詰められた原因は、間違いなくこの国の軍部にある。泥を被る人数は少ない方がいいに決まっている。

 

「……仕方ない。モリスン殿と二人で──いや、アランもか。三人で向かうとしよう。晩餐会だとか舞踏会だとか、そういった催しの誘いもあるだろうが、そちらはなるべく断る方向でいこう」

 

 モリスンが頷き、アランが肩を竦めた。

 

「こっちとしては貰えるモンが貰えれば、それでいいんでね」

「若い君らには難しい場だろう。私も宮廷慣れしているとは言い辛いが、それでもどんな言質を取られるか分かったものではないという不安もある。それ以上に気分的な問題として遠慮したいだろうしな」

 

 はい、と難しい顔でクレスが頷く。

 

「出ろと言われても困りますよ。踊りなんてしたことないし……」

「珍獣扱いされるのがオチだ。どうせ祝福だの何だのは建前で、今回の一件で有名になった奴らを一目見ようとか、そんぐらいの気持ちしかねぇだろ」

 

 辟易とした言い様にクラースは苦笑する。

 

「チェスターの言い分も少々穿(うが)ちすぎだが、まぁ当たらずとも遠からずだな。……最悪、ウィノナが目覚めるまで時間を稼いで返事を遅らせ、動けるようになったら逃げればいい。謁見を済ませば、最低限の義理は果たしたことになる。そもそもが傭兵の遊撃部隊、それ相応とも言える」

 

 やれやれ、とモリスンが息を吐いて、クラースの肩を叩く。

 

「では我々は行こうか。若い連中に苦労っていうものがどういうものか、後でたっぷり土産話をくれてやる為にな」

「違いないですな。……お前たち、後で必ず愚痴を聞いてもらうからな」

 

 人差し指を向けるクラースの目は本気だった。アーチェは視線を合わせず口笛を吹き、明らかに気まずい調子に困り顔で頭を下げるミント。そして、それぞれが労いの言葉をかけて別れる。

 最後にキャロルもミントに深々と頭を下げた。

 

「ここまでの帰路の旅は、本当に身になる旅でした。このことはユニコーンにもよくよく感謝を捧げたいと思います。また、もちろん貴女にも、この出会いに感謝を……」

 

 ミントも頭を下げてその謝辞を受け入れた。杖を斜めに立て、抱くようにして捧げると返礼する。

 

「貴女にもご加護がありますように。どうかご健勝でいらしてください」

 

 キャロルは改めて礼を言い、そうしてから自分の修道院へと道を別れ帰っていく。そうすると、いつものメンバーだけが残った。

 クレス達はなるべく揺らさないよう注意しながら、ウィノナをゆっくり休ませてやろうと宿に向かった。

 

 

 

 クラース達が王城へ赴き、謁見と戦勝報告を行い、その後帰って来たのは陽もとっぷりと暮れてからの事だった。

 謁見自体は即座に終わった。型通りの拝謁と王からの労い、報酬の約束などを貰ってそのまま退室という運びだった。時間が掛かったのは、その後にしたモリスンとの談義が白熱したからで、これは何もお互いの意見の不一致からという訳ではなかった。

 

 むしろ意見それ自体は一致しており、これからウィノナ達の前で話し合うべき事柄の整理と言った方が正しい。そして、この話はクラース主体で話さなくてはならず、だからこそ尚のこと理解を深めておかなければならないからだった。

 特に時空間理論について疎いクラースは、そこを中心に話し合う。

 

「時の流れに矛盾する行動は……」

「それがつまり、先程の渦の話に繋がるのですね?」

「そう、影響の大小について議論の余地はあれども──」

 

 白熱した議論は数時間に渡り、気付いた時には日が茜色に染まっていた。そこからはお互いの意見の摺り合わせに集中し、日が完全に落ちた後ようやく納得の行く話し合いが終わった。

 

 モリスンはそのまま王城に留まり何かと雑務を引き受けてくれたので、クラースは問題なく帰れたのだが、あの時の宣言を違えることなく愚痴を吐き散らし、クレス達を辟易とさせた。

 酒だけは取り上げて茶で済ませていたので、酷い惨状は回避できたが酒好きのクラースとしてはそれが尚も不満で、余計に聞かせてくる愚痴が増えることになる。

 

 アーチェとチェスターは早々に退散してしまったので、ミントとクレスの二人だけで宥めて休ませるのは、相当な骨だった。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 翌日の早朝、クレスはウィノナの寝室へと足を進めていた。

 クレス達が寝泊まりしている部屋は二人部屋で、ベッド以外は大した家具もない。しかしウィノナの部屋は広く、椅子やテーブルも用意された宿屋の中でも最も良い造りをした一室だった。

 これは未だ眠りから目覚めないウィノナの看病など、何かと人が立ち入る必要があった為で、特別な配慮をしたからという理由ではない。

 

 クレスが一応のノックをした後、返事がない前提で勝手に扉を開ける。するとそこには、ベッドから半身を起こしたウィノナが窓の外を見つめていた。

 

「……ウィノナ! 目覚めてたんだ! もう、平気なのか……?」

 

 ゆっくりと顔を向け、ウィノナは小さく笑む。

 

「うん、大丈夫。ありがとね、色々……」

 

 目の下の隈はまだ完全には消えていなかったが、それでも大分薄くなってきており、今では数日徹夜した程度の隈にしか見えない。まだクレスのよく知るウィノナの顔からは遠かったが、あと数日もすれば、恐らくは注視しなければ、気付かない程まで薄くなるだろうと思われた。

 

 消えたのは隈ばかりではない。その表情も憑き物が落ちたような有様で、かつてのウィノナの面影がより濃く見える。

 ここ数日、会えば敵意の満ちた鋭い視線ばかりぶつけられていた身としては、ひどく懐かしく、また泣きたくなるほど嬉しい視線だった。

 

「まだ動かない方がいいんじゃないのか。無理をしすぎても……」

「ううん、無理はしてないよ。皆が起きて来たら顔を見たい。それで、一言でいいから謝りたいよ」

「謝る必要なんてないんだ。ウィノナは本当に、たった一人でよくやったと思う。誰も気にしてなんていないよ」

「ありがとう。でも、それでも……」

 

 分かった、とクレスが頷き、ウィノナは再び小さく笑む。今度は少し困ったような笑みだった。

 クレスは軽く手を振って部屋を引き返し、自室へチェスターが起きたか確認しに行った。

 

 

 

 そこからの行動は早かった。

 チェスターは眠気眼で頭を掻いて欠伸をしていたが、ウィノナが起きた事を知らせると飛び上がってベッドを降りた。

 

 扉を乱暴に開けたものだから隣の部屋のアーチェも顔を出し、それでウィノナが起きた事を知らせると、一度閉まったドアが五秒と経たずに開けられて普段の格好をしたアーチェが飛び出してきた。

 

 クレスが呆れて見てたのも束の間、あのまま直行させたら容態に響くのではないかと顔を青くさせた。同じく顔を覗かせていたミントには、ゆっくりでいいから後で来るように伝えると、途中でクラースにもウィノナの事を報せて欲しいことを付け加えて、クレスもまた走る。

 

 ウィノナの部屋に到着した時には、既に二人は部屋に入っており、アーチェはウィノナに抱きついて泣いているところだった。

 

「ウィノナ、良かった。良かったぉ……!」

「ありがと、アーチェ。心配かけた……」

「ホントだよぉ!」

 

 ぐしぐしと泣き腫らした顔をウィノナの肩口に擦り付ける。ウィノナはアーチェの頭を優しく撫でた。

 

「ありがとね、アーチェ。厳しい言葉を投げつけたのに……」

「いいんだ、ウィノナの気持ちも分かるから。必死だったんだもんね……!」

 

 目を真っ赤にしたアーチェが顔を上げて、にひひと笑って鼻を啜る。横からチェスターがやってきて、アーチェの顔をハンカチで乱暴に拭って渡す。

 

「あんまソイツに迷惑かけんなよ。着てる上着がオマエのせいで濡れちまってるだろ」

「なによもぉ……! 水差さないでよね」

 

 アーチェの頭をもう一度一撫でして、ウィノナはチェスターに顔を向ける。

 

「チェスターも、ありがとう」

「俺は別に何もしちゃいねぇよ」

「一番心配してたのは、チェスターだってアーチェが教えてくれたけど」

 

 チェスターはアーチェからハンカチを奪って、その頭を乱暴に叩いた。

 

「オマエ、何言ってくれてんだよ! ある事ない事、勝手なこと言ってんじゃねぇ!」

「なによ、事実でしょお? 誰かさんがアイツがどうのー、ソイツがどうのー、って騒いじゃってさ」

 

 お前な、と腕まくりを始めたチェスターに、遅れてやってきたミントが窘める。

 

「元気がいいのは結構ですけれど、安静にしておきたいウィノナさんの前では控えて下さいね」

 

 静かな声音だったが有無を言わさぬ迫力があった。アーチェもチェスターも動きを止めて、ピシリと背筋を伸ばして直立する。

 ウィノナはくすくすと笑ってミントに顔を向けた。

 

「ミント、ありがと。三日も眠ってたのに、思ってた以上に身体の調子がいいのは、ミントが法術を使い続けてくれたお蔭?」

「はい。……ああ、いえ、当然のことですから」

「うん、改めて、ありがとう」

 

 素直に頭を下げたウィノナに、ミントは微笑を浮かべて片頬に手を当て、ほぅっと息を吐く。

 

「いつかのウィノナさんが戻ってきたかのようです」

「そうなれたらいいな、って思うよ」

 

 ウィノナも笑んで頷く。まだぎこちない笑みだったが、それでもウィノナの気持ちが良く伝わる笑みだった。

 それから間もなくクラースも部屋を訪れ、労い、そして安否を気遣った。

 

「もう大丈夫なのか? 確かに顔色はいいようだが」

「ええ、貴方にも色々迷惑を掛けたようで……」

「なに、私に掛かった迷惑など微々たるものだ。気にしなくていい。色々聞きたいこともあるだろうが、まず飯にしないか。少し難しい話題が続くだろうし、頭を働かすには脳に栄養を送らないとな」

 

 その提案に異を唱える者はいなかった。

 クレスは気遣しげにウィノナをベッドから降ろし立たせてやり、しばらく腕を貸していたが直ぐに一人で歩けるようになった。途中片腕がないことを思い出して、チェスターに義手を取ってきてもらいつつ一階の食堂で朝食を頼む。

 

 チェスターが持ってきたのは木と革で出来た生活用の義手で、自由自在に動かせるようなものではないものの、食事や普段の生活には多少の不便で動ける程度になる物だった。

 

 食事が届くまでは他愛のない話題で盛り上がり、今まで離れていた時間を埋めようと、とにかくアーチェは口を動かす。

 痺れを切らしてチェスターが怒鳴りつけるまでがお約束で、見慣れぬウィノナは大いに楽しんだ。

 

 食事が運ばれてからも楽しいひと時は続く。

 ウィノナは固いバケットのパンをスープに浸し、柔らかくしてから口に少量ずつ運んでいく。

 脂質の少ない消化に良いメニューをミントが選んでくれて、ウィノナとしても安心して食べる事ができた。お腹に優しく満足のいく朝食を摂りながら、時折アーチェと顔を合わせクスクスと笑い合う。

 

 クレスはいつだったか、アーチェからたった一日で親友の間柄になったと聞いた覚えがあったが、なるほどあれを見ると納得できる。友達というより姉妹のような親密さすら感じられた。

 そうして食事の時間も終わり、食後のお茶を楽しんだ後、さて、とクラースがカップを置いて切り出した。

 

「ここで話すような内容じゃないから、詳しくは部屋に戻ってからになるが……。色々と気分が落ち着いて、話せる状態になったんじゃないかと思う」

 

 ウィノナはクラースを見つめ、とうとう本題がやってきた、と心を落ち着かせた。

 

「本当なのね? 彼を──救える方法があるっていうのは」

「絶対に確実に救ってみせる、と約束するものじゃない。その為の話し合いをしたい、という意味合いも強い」

 

 分かった、とウィノナは頷く。隣のアーチェが心配そうに顔を窺ってくるので、大丈夫、とその手を握る。アーチェは緊張が解けるのを感じながらクラースに目を向けると、彼はゆっくりと立ち上がるところだった。

 

「さて、全員が入れるとなると、ウィノナの部屋しかないか。それでいいか、皆?」

 

 一同頷き、それを合図に各々席から立ち上がる。その表情は様々で、緊張した顔つきもいれば挑むような顔つきの者もいる。何も考えておらず、身に任せようと思っている顔つきもあった。

 クラースは一度振り返って全員を確認すると、先頭を歩いてウィノナの寝室へ移動を開始した。

 



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時の流れと渦の役割

 
説明回です。
分かり易いと言えたものではないですが、何となく理解して貰えたら……。

次回までこんな感じのが続きます。
 


 

 最初に部屋の中に入ったクラースは、とりあえず壁際に身体を預ける。

 次々とクレス達が入室し、ウィノナは自分のベッドに腰掛けると膝を立ててその上に頬を乗せた。

 アーチェはベッドに上がり込んで、そのすぐ隣に座り胡座を組む。

 ミントはアーチェの傍に膝を揃えて姿勢正しく腰かけた。

 クレスとチェスターは置いてあったテーブルを挟んで二脚ある椅子に座る。

 クラースは全員が着席したのを確認して、壁から身を離した。

 

 本来ならば、この場にモリスンも呼んで共に協議したいところだった。しかし、ウィノナが起こすだろう反応を考えれば、遠慮した方が良いという判断だった。まだウィノナとの間にある(わだかま)りは深い。顔を合わせるのは時期尚早と思えた。

 

 その代わりに昨夜の時間の大部分は、お互いの考えを擦り合わせるのに使った。昨日遅くに帰ってきた原因は、このモリスンとの話し合いが長引いたからだ。無論、クラースはそんな事を恩着せがましく説明する気はない。

 さて、とクラースは手を叩く。視線が全てクラースに集中し、クラースはウィノナに顔を向けた。

 

「どこから話したものかな」

「どこから、というのに興味はないけど、どうすればダオスを救えるのかを知りたいわ」

「ああ、そうだな。まずそこからだ」

 

 チェスターが頷き、クラースは少しばかり難しい顔をする。

 

「まず始めに、前提として過去──我々にとっては現在を変えることは大変な危険が伴う、という事を知ってもらいたい。だから、ここでは未来で知られている通りダオスを倒し逃亡させた。……より正確に言うならば、逃亡させる為に攻撃していた」

 

 ウィノナがむっつりと押し黙る。理解はしても感情は納得できないという顔をしていた。

 

「ダオスは逃げた先で封印される、しかし後に復活する。これが歴史の正しい流れだ」

 

 クレスが頷き、ウィノナが渋々頷いた。古城の玉座でクレスが言っていたことでもある。

 

「だが、復活したその先の歴史を我々は知らない。志半ばで倒れるのか、それとも願望を成就するのか。どのような未来が待っているのか分からないが、ウィノナの望む結果を手繰り寄せたいというのなら、現代で復活したタイミングで行うべきだろう」

 

 その結果、クレス達が生きていく先の歴史にどのような変化が訪れるか分からない。しかし、そもそもの正史を知りようがない以上、どのような災難が起きようとも受け入れる覚悟でいなければならない。

 

「その覚悟を持って、はじめてダオスを救う事が出来る」

 

 そう結論付けたと言って、クラースは持論を締めた。

 ウィノナは目を閉じゆっくりと息を吸う。数秒止めて長く息を吐いた後、目を開いた。

 

「中途半端な覚悟は出来ないね」

「勿論だ。どのような変化が起きるか観測できない以上、身に降りかかる惨事が起きればその全てに自責の念を覚えかねない。それをここにいる全員で共有するんだ。半端な覚悟で出来ることではない」

 

 ウィノナは立ち上がる。一通り全員の顔を見つめ、そして返って来る視線を見て、既に全員がその覚悟を決めている事を悟った。

 ウィノナ自身、既に覚悟は出来ている。先程の呼吸一つで覚悟を決めた。そしてその覚悟を、自分の信頼する仲間が決めていてくれた事に、例えようのない感謝の気持ちが湧き上がる。

 

「──皆、ありがとう。覚悟を決めてダオスを救う、その手助けをして下さい」

 

 ウィノナは大きく頭を下げる。腰から深く下げられた頭に、アーチェが抱き竦める。

 

「ウィノナの頑張りを無駄にしないよ。皆でやってやろうって、もう決めてたんだからね」

 

 ウィノナはアーチェの手を、ごく優しく解くと改めて皆の顔を見た。

 どこか照れたような顔をした者、そして笑顔を見せる者もいる中で頷く。

 誰もが口に出さないが、やってやろうという意志だけはしっかりと感じる事が出来た。

 

「さぁ、それじゃあ次の話だ」

 

 クラースが再び手を叩くと、ウィノナもベッドに腰掛け、アーチェもまた横に座る。

 

「現代に行けば救える。そういう前提で考えてはいるが、だが単に現代へ向かえば、それだけで解決する問題でもないだろう」

「それは……分かるけれど、つまりどういう事?」

 

「まず確認させて欲しい」

 クラースはそう前置きしてウィノナに問う。

「ダオスは世界樹を救うことを望んでいた。では、それが成れば彼は救われた事になるのか?」

 

 違う、とウィノナは首を振った。

 

「ダオスは世界樹が十全な働きをすることで生まれる、大いなる恵みを求めていた。マナが枯渇し滅び行く故郷を救うために……、そう言っていた」

 

 なるほど、とクラースは頷く。

 だからダオスは魔科学を研究し、その成果を兵器にさえ転用するミッドガルズにのみ戦争をしかけ、そして魔物を使ってでも止めようとした。

 

 ──ダオスは大いなる恵みを求めている。

 

「……それは世界がマナで満ちていなければ生まれない物、という訳か?」

「でも僕らの時代では魔術が失われているんです」

 クラースの疑問にクレスが慌てたように言う。

「今よりももっとマナが薄くて、世界樹も枯れてこそいませんが、十全とは程遠い姿です」

 

「いきなり難問にぶち当たったな……」

 

 クラースは渋面を作って唸る。

 ダオスを追って現代へ向かっても、救う手段がないのなら意味がない。簡単な話ではない事は理解していたが、マナがないというのは目も当てられない惨状だった。

 昨日モリスンと議論し合った内容が頭をかすめる。

 

「過去から未来への流れは複雑で難解だ。望む未来を手繰り寄せる事は至難であり、また可能であってもその為に掛かる影響は最小限でなければならない……」

 

 クラースが呟いた言葉の後に生まれる一拍の間。

 疑問と沈黙が部屋を支配する中で、それを破ったのは首を傾げたアーチェだった。

 

「……どゆこと?」

 

 何と説明したものか、と思案顔でクラースが言うと、片方の手を握って拳を作り、もう片方の指を一本立てる。

 

「過去から未来という時間の流れは、複数の流れが入り乱れている川の様なものだ、と考えられている。川の上を球が流されて行く様を想像してみて欲しい、これが時間の流れを示している。一つの流れの上でを転がる球──歴史は、普通に考えればその延長線上にある流れを進み続ける」

 

 クラースは指先で空中で線を引くように動かしてから、握り拳でその上をなぞるように動かす。

 クレス達はそれを見ながらとりあえず頷いた。

 

「しかしこの線の上を行く球は非常に移ろい易い。簡単な事で線を逸れ、別の流れに乗ってしまう」

 

 指先で引いていた線の上から斜めに新たな線を引く。

 

「如何様にでも枝分かれして進む世界だが……当然、それを観測する手段はないので我々は一本の流れを直進しているように感じている。だが、時間転移した者がいるとなれば話は別だ。その者が起こした行動は、未来に影響を与える可能性を生む。逸れた事に気付かず、現代に帰った時には別の流れになっている。元々の未来に帰りたいなら、一切の影響を出さず、あるいは誤差と言える変化しか与えず帰らなければならない」

 

 アーチェが眉の間に深い皺を寄せて、クラースを見返す。

 

「……よく分かんないけど。過去をみだりに変えちゃダメっていうのは、前に聞いたじゃん? 下手をすると現代に時間転移しても、そこにダオスがいないって事になるかもなんでしょ?」

「そうだな。一度観測された歴史を大きく変えることは、クレス達が帰る世界を別の未来に変えてしまうかもしれない。だからダオスには、この時代で助ける事はせず歴史通りに倒させてもらった」

 

 そもそも、とクラースは握っていた拳を額に当てて、何度か叩く。

 

「移ろい易い時の流れを制御する事は不可能に近い。だから下手な事をするべきじゃない、という判断なんだが……」

「でもそれって、つまり世界樹は枯れていくままにして現代に戻るっていうことじゃないですか?」

 

 何をどう理解すれば良いのか分からないまま、クレスは思いついた事を言ってみたが、それはどう好意的に捉えても事態が好転するような事にはならないように思われた。

 果たして、この問題を解決せずに現代に帰ることに意味はあるのだろうか。

 クラースは事も無げに頷いた。

 

「かつて取り戻した事実がないのなら、そうするしかなくなる。取り戻した事実があったとしても、現代で失われているのなら、やはり途中で失われてもらわねばならない」

「それで一体、どうやって世界樹を救うんです!?」

 

 思わず声を荒らげたクレスに、クラースは諭すように呟いた。

 

「世界樹を救える手段があったとしても──事実救ったとしても、帰るべき未来を失うのでは意味がない」

「それは……そうですけど」

「そもそもの話、クレス達が過去に時間転移して来た時点で歴史は多少なりとも変わってしまっていると言える。だからこれ以上の歴史に関わる変化は抑えなくてはならないし、どれ程の影響までなら安全か分からぬ以上自粛するべきだ。しかし、クレス達が現代で観測した事実は余す所なく再現されるようにする必要もある。その上で世界樹を救う手段を構築しなくてはならない」

 

 クラースの羅列する言葉に、ついにチェスターの頭が悲鳴を上げた。自らの頭を両手で押さえて蹲る。

 

「うぉぉ! もう何言ってるか分かんねぇ!」

 

 ウィノナはそんなチェスターを見ながら、さもありなん、と同情する。ウィノナとしても我ながらとんでもなく無謀な事に挑戦しているとしか思えなかった。

 

「……本当にそんな事が可能なの? 今のままでも私達の知る世界に帰る事すら不可能に聞こえたけど」

「今のところは大丈夫だと思うがね。無論、小さな誤差が現在発生している以上、確からしい事は何一つ保障できないが」

 

 嘆息しながら言うクラースに、ウィノナは眉根を寄せる。根拠が乏しいように感じるのに、その自信はどこから来るのだろう。

 

「じゃあ何故? 何故そうまでして言えるの?」

「ダオス本人から、直接モリスン殿が聞いた話がある。時空転移理論、と彼は呼んでいたようだ。時間を旅するダオスから聞いたからこそ納得の行く話なんだが──、さっきの川の流れに例えた時間の経過には、もう一つ重要な要素がある」

 

 クラースは一度言葉を区切り、そして続ける。

 

「実際の川がそうであるように、流れの中には所々渦が出来ているものだ。これは時の流れにも同様の事が起きるらしい」

「……渦? その渦に巻き込まれて抜け出せない事もあるということ?」

 

 ウィノナは球が流れから渦に取り込まれ、ひたすら螺旋を描き続ける様を想像する。そういう意図を持って訊いたのだが、クラースから返ってきた返答は否定だった。

 

「いや、この場合の渦とは、あくまで流れの揺らぎを作る為、そして本来の流れに戻す為の役割を持つ為

らしい。取り込むというよりは弾くというイメージか」

「そういう渦が流れの随所にあって、そもそもの歴史の改変を起こさせない、ということ?」

 

 そうだな、と頷くクラースに、ウィノナは首を傾げた。

 

「でもさっき、クラースは流れに乗っている球は非常に移ろい易いって言ってたじゃない?」

「そう、そこがまさに言いたかった主題なんだ」

 

 クラースは一本指を立てる。

 

「時の流れが移ろい易くとも、それを修正する渦があるのなら問題はないと思うかもしれない。歴史とは本来、既に決定付けられている事で大きな変化は訪れない。幾らでも揺れ動く球であるが故に、些少の変化は歴史という流れに取って最初から織り込み済みという訳だ」

 

 ウィノナは眉根を顰める。クラースの言いたい事が、いまいち理解できない。それならば一体何が問題になるのだろう。

 

「──不満そうな顔をしているな。では何が問題か? それがまさに君たち、時間転移者の存在だ」

 

 クラースは立てた指を小さく振る。

 

「君たちのような存在は、それ自体が時の流れにとっては異物で、君たち自体が渦となる。球の真下に突然渦が出来ると、一体球はどこへ行くことになるのか?」

 

 クラースは全員を見渡すように首を巡らす。

 

「答えは分からない、だ。渦の回転の方向さえ分からない。というよりは、その行動でもって回転の数も方向も変わる。修正してくれる筈の渦にさえ逆らい、全く別の流れに乗る可能性を生む。一度未来を観測している君達が、過去に来て動くというのは、そういう事だ」

 

 ウィノナは何も言うことが出来ずに唇を噛む。

 この時代に生きる者では、そもそもの行動は全て渦によって修正されるから、どう動いても予定調和の元に歴史は流れる。時間転移者は歴史の流れに別の渦を生み、周囲の者を巻き込み新たに生まれた渦の影響を与えてしまう。

 

 だから事情を隠した上で、この時代の者を利用しようとしても、やはり何かしらの変化を与えてしまう。歴史を変えようと試みて過去に来た時点で、どう足掻いても変化を起こさずにはいられないのだと、クラースはそう言って自説を締めた。

 チェスターは唸ってきつく目を閉じ黙り込み、アーチェもクレスもやはり唸り込んで黙ってしまう。

 

「じゃあ、どうしろっていうのよ……」

 

 ウィノナは絶望にも似た気持ちで顔を伏せた。未来の歴史や事情を知る以上、それを変えようと動く事は難しくない。しかし動いて現代に戻っても、自分の知らない全く別の世界に帰ることに意味はないのだ。下手をすると、ダオスは封印されるのではなく、殺されてしまう可能性さえある。

 

 救う為に動いた結果、待っているのが最悪の顛末だとしたら、ウィノナは自分を許す事は決して出来ないだろう。

 クレスはそれでハッとする。

 何故、現代に逃げたダオスが、待ち構えていた者達に討伐されず封印されたのか、それで分かった気がした。

 

「ああ、そうか……。それじゃあ、やっぱり世界樹はそのままじゃないといけないんだ……」

「どういう事だよ、クレス?」

「チェスター、ダオスはどうして封印されたと思う?」

 

「そりゃ……魔王だ何だって言われて、危険だと思ったからだろ」

「じゃあ、何で封印なんだ。どうして殺さないんだ? 傷ついて、満身創痍の身で現れたダオスを、万全の状態で迎え撃つ者達が、どうして討伐しようと思わなかったんだ」

 

 チェスターは言葉に詰まった。言われて初めて気がついた事実に、チェスターは困惑を隠せない。

 その横で、ウィノナは得心がいったように頷いた。

 

「そう……、そういうこと。殺さないんじゃない。殺せなかったのね……。魔術でしか傷付かないダオスに、マナの枯渇した世界では倒す手段が存在しなかった……」

「だから、せめて封印した、か……」

 

 そう、とウィノナは頷いてから、クレスに顔を向ける。

 

「だから世界樹はそのままでなければいけないのね? マナが復活するということは、逃亡した先のダオスを倒す手段を与えてしまうということ。クラースが言った通り、歴史の流れが大きく変わる。現代に帰った時、待っているのはダオスの朽ちた亡骸かもしれない……」

 

 ウィノナの言った訪れるかもしれない未来に、誰もが口を開けない。沈黙が続く中、しかしチェスターが遠慮がちに、ウィノナを伺いながら口を開く。

 

「……でもよ、それなら、その逃げた先で討伐される前に時間転移して助け出すとかよ……」

「そうね、それもいいと思う。でも起こる変化ってそれだけかしら。他に何があると思う? まさかマナの復活で起こる変化がそれだけな筈がないでしょう?」

 

「ん……なこと言ったって……。分かるもんかよ」

「そう、分からないのよ。何が起こるか予想がつかない。起きた現象の一つが自分たちに取って都合が悪いからと言って、一つ一つ潰していくと、そこからまた別の不測の事態が生まれてくるのよ。──クラースの言いたいことは、そういうことでしょう?」

 

 ご明察、とクラースは手を広げた。その様子は見方によっては降参しているようにも見えた。

 

「じゃあ、結局ダオスは救う事が出来ない、そういう事なのかしらね……」

 

 ウィノナは顔を伏せて肩を落とした。その背をアーチェがそっと撫でる。僅かに震えるその背を少しでも癒そうと、アーチェは言葉を呑んで撫で続けた。

 だが、クラースが広げていた手を、勢いそのままに叩いて音を上げる。それに驚いて誰もがクラースに注目した。

 

「勘違いしないでもらいたいな。そんな結論になるのなら、最初からウィノナにダオスを救おうなんて話を持ちかけたりしない」

「それじゃあ……?」

「最初に言ったはずだ。今のところは大丈夫だ、と。救う手立てはまだ潰えてはいない」

「本当に!?」

 

 アーチェが飛び跳ねるようにクラースへ向き直った。

 

「こんな時に嘘はつかないさ。──さっきの渦の話に戻るぞ。歴史の渦とはその流れの中で、歴史が正しく動くよう調整する役割を持つ、とされる。それは歴史に取って重大であれば在るほど大きな渦になる」

「その重大な、というのは誰が決めるの?」

「少なくとも人ではないだろうな。振り返ってみると、それが歴史に名を残すような出来事になっている、そういう部類の話だ」

 

 とりあえずウィノナは頷く。難しい顔は納得とは程遠いものだったが、話の腰を折るほど突っかかりたい内容でもない。

 クラースは続ける。

 

「時間転移者は小さな渦を否応なく作り出す。行動如何によっては、その渦の大きさや向きは変動する。しかし、より大きな渦には時間転移者とて影響を受けずにいられない。小さな渦に小さな回転、それが本来ある大きな渦に乗った場合、どうなると思う?」

 

 う、とクレスは言葉に詰まり、思案に暮れる。それを見ていたミントが恐々と片手を上げた。

 

「小さな渦は、より大きな渦に呑み込まれる。つまり、歴史の流れに沿って動く……ということですか?」

 

 クラースは満足げに頷いた。

 

「その通り。そして、この時代で起きた、大きな渦と呼ばれるような出来事と言えば、それは一つしかない」

「──ヴァルハラ戦役」

 

 クレスが呟くように言って、クラースは大いに頷く。

 

「現代に生きるクレス達にも、よく知られた歴史的事実。これは時間の流れから見て大渦と捉えて間違いないだろう。ウィノナには酷な話になるが、ダオスが魔王として立ち、ミッドガルズに対して戦争を仕掛ける事は、まず変更できない歴史であったと言える」

 

 ウィノナは俯き押し黙る。ダオスを魔王と立たせない為に尽くして来た多くの行動、それが全て無駄だったと言われた事に、ウィノナは落胆を隠しきれない。震える手で膝を掴むが、それを押し留めることは出来なかった。

 

「だからこそ、我々の動きは逆に、この時点で歴史を大きく逸脱していない証明とも言える訳だ。影響の大小について議論の余地はあれども、別の流れに入ったという程の変化はない。──そう考えていいはずだ」

 

 その言葉には救いがあった。ウィノナはそれに飛びついてしまいそうになる。しかし、渦を観測することは出来ないと言っている以上、それを鵜呑みにするのはいかにも危険に思われた。

 浮かない顔をするウィノナに、アーチェは心配そうな顔を向ける。

 

「どうしたの、ウィノナ? これって良い知らせって奴じゃないの?」

「そう思いたいンだけどね。楽観的になるのも駄目かなって……」

 

 分かったような分からないような顔をして、アーチェは頷く。

 言いたい事は十分理解できるが、とクラースが口を挟んだ。

 

「そう神経質になる心配はないぞ、今回のような小さい渦ならば大きな渦の前に呑み込まれるのは道理。ダオス自身から聞いたという理論だ。……なかなか信じられる話じゃないか?」

「……そうね」

「さて、ここで最初の難題に戻るとだ。このままただ現代に帰って、それで問題を解決できると思うか?」

 

 クレスは難しい顔をして腕を組む。

 

「僕は現代にウィノナを連れ帰ってそれでダオスを説得できれば、問題は解決するんだと思ってました。マナの事までは全然考えてなくて……」

「俺なんて漠然とウィノナから誤解が解ければ、それで何とかなると思ってたぜ……」

 

 クラースは二人の意見を聞いて息を吐く。

 

「まぁ、差の大小はあっても、そんな所だろう。無策で現代に帰るのは論外だろうな……」

 

 ウィノナは当然だと言うように頷き、そもそも、と続ける。

 

「大いなる実りが手に入る目処が立たない内から、説得は不可能でしょう」

「そうだよ……。まず世界樹を癒す目処が立たない限り、説得は無理なんじゃないかな」

「……それが問題なんだよな」

 

 チェスターが溜め息をつき、誰もが眉根を寄せる。そうした中でクラースに期待を込めて視線を送れば、そこにあるのはクレス達に問いかけるような伺う表情だった。

 

「クレス、何か現代で思い当たる事はないか。もしかしたら、既に我々が行った痕跡のようなものが残っているかもしれない。──いや、残っていなければいけないんだ」

 

 クレスは困り顔で首を捻る。

 

「何かと言われても……」

「例えば、世界樹に我々がこれから傷をつける。そうすると、クレス達は幼年時代から傷のある世界樹を当然のものとして認識している事になる。そういったような目印になる何か、それを思い出して欲しい。私はその何かが鍵だと睨んでいる」

 

 どうだ、と顔を覗き込むクラースにクレスとチェスターは首を横に振る。

 

「いえ、そんなものはなかったと思います」

「……例え話だとしても、もうちょっと内容は選んで欲しかったわね」

 

 不快さを滲ませた声でウィノナが苦言を呈すると、クラースはすまないな、と苦笑して続けた。

 

「未来を知る君達──時間転移者にとって過去の出来事は、時間の流れを観測する手段になり得る。君達が知る些細なことが、我々がこれから行う必然だと私は考えている。そして、それを怠れば今度は逆に流れが変わり、帰るべき未来を失う」

 

 クラースは一つ息を吐いて、帽子のツバを無聊を慰めるように指でなぞる。

 チェスターは頭を抱えて固まっていたのだが、ついに掻き毟るように両手で自身の髪を握り込んでしまう。

 

「ただでさえ分からんのに、この上まだ俺を混乱させるのかよ……!」

「安心しろ、チェスター。もう僕もついていけてないよ……」

 

 ウィノナも眉間に皺を作り、難しく引き締めていた口を開く。

 

「アタシも理解する努力を怠るつもりはないけど、これはちょっと厳しいわね……。結局、どういう……?」

 

 クラースは帽子のツバから指を離して顔を上げる。

 

「過去に転移したことで起き得る現象の一つに、因果の逆転現象、というものがある。本来、因果とは必ず原因の後に結果が来る。──そうだな、気紛れで球を投げたら人に当たった、それが結果として事故を防いだ、というような事があったとしよう。だが、当然だが投げたことで事故が防げるなど最初から考えていない。しかし投げることで助けられるのだと、予め知っていたら……?」

「やはり、その人に球を投げるんじゃないでしょうか」

 

 クレスが得心したように答えれば、クラースは逆に、と恐ろしいほど真剣な眼差しでクレスを見る。

 

「助けられるのに球を投げる事を失念していたら、例え故意でないとしても、それは未来を変えてしまうことになってしまう。だからクレス、未来で生きてきた君達は私達が行った球を投げるような行為を、きっと知っているはずなんだ」

「つまり、その因果の逆転を利用するのが、ダオスを救う鍵だと言いたいのね?」

 

 ウィノナはここで、ようやくクラースの言わんとすることを理解した。

 とはいえ、これは相当な賭けに分類される事柄だろう。そもそもの因果を知らなければならないだろうし、本当に解決策を思いつけたのかという疑問も残る。未来の自分に丸投げという風にも考えられるが、時間をかければ確かにクラースならば解決策の一つや二つは思いつきそうな気もした。

 それを前借りさせてもらうような意味合いだろうか。

 

「……でも、そう言われても、まるでピンと来ませんが」

 

 クレスは困り顔で首を傾けた。それはチェスターも同様で、そもそもクラースが言っている事の半分も理解していなかった。

 

「第一、そんな分かりやすいモン現代にあったか?」

「思い付かないってことは、実はもう大きく時の流れがずれちゃってるとか?」

「当然の事と考え過ぎて、それと認識できていない可能性もあるのかしらね……」

 

 チェスター、アーチェ、ウィノナとそれぞれが思い付くまま口に出し、クラースはそれぞれを頭に入れながら黙考する。

 アーチェの言うように、既にそれと気付かず大きな渦を時間の流れに作ってしまっていたなら、最早手遅れでどうしようもないのかもしれない。しかし、まずはそうではないという推論を基に考え、安易に思考放棄する訳にもいかない。

 

 ──何かを見落としている。

 まだ大きな渦を作るような事象は発生していない、その前提で考えて良いとモリスンは考えていた筈だし、クラース自身もそう考えている。

 更に熟考していると、クラースの額には汗が滲んでくる。

 しばらくそのまま思考に没頭していると、クラースは不意に閃くものを感じた。

 

「歴史の渦に干渉する程の変化を、この時代で発生させる訳にはいかない。だからクレス達の時代においてマナが枯渇しているというなら、この先マナは世界から消えなくてはならない」

 

 クラースの独り言に近い呟きに、ウィノナの顔が歪む。

 

「しかし、こうして頭を悩ませる私達は何の対策もせず、百年も時間を無駄にするとも思えない。……何かをしたはず、だが何をしたんだ……?」

「でも、本当に何かしたのかなぁ? いや、ケチつけたいんじゃなくって。でもね、どうしようもない事ってあるもんじゃん……」

 

 アーチェは自分の呟きに慌てて手を振って弁解する。

 どのような理不尽であっても、受け入れなければならないと言う事も世の中にはある。そしてこれは、そういう類の事にも思えてしまうというのが、アーチェの本音だった。

 クラースは疲れた顔をして額に手を当てる。

 

「その可能性はある。だが、仕方がないから諦めようと考えるか? 我々はそれを由とするのだろうか」

 

 クレスは首を横に振り、ウィノナも首を横に振った。

 当然だろう、とクラースは思う。ダオスにあれだけの執着を見せるウィノナに、それを助けようとするクレス達。これだけの人間が揃っていて、諦めて終わる筈がない。ならば可能性は絞られてくる。

 

「だがクレス達が観測した未来を見れば、マナが枯渇しているのは明らかだ。……では何故か。可能性は三つある」

 クラースは指を三本立てた。

「今アーチェが言ったように、あらゆる方法を試したが無駄に終わったから。実は既に渦を越えてしまい、別の流れに入ってしまったから。そして──」

 

 説明しながら立てていた指を折っていき、そして最後に一本が残る。

 

「救う手段だけを用意しておいて、帰った現代でそれを使うから」

 

 クレス達はハッとして顔を上げる。

 

「それなら時間の渦への影響は最小限のまま抑えられるし、時間の流れに然したる影響も──」

 

 クレスとチェスターが顔を見合せ、クラースの言葉を遮って口を揃えた。

 

「世界樹の根元にあった杖……!」

「あれって今の時代にあったか? ──いやいや、覚えてねぇよ! 見たような見てないような……」

「アタシがダオスと見に行った去年はなかったと思う、けど……」

 

 チェスターが額に手を当て自信なさげに呟き、ウィノナも自信なさげに顎先を摘んで言った。

 クラースは心が晴れやかになっていくのを感じた。あれだけウィノナに啖呵を切っておいて、やはり無理でしたなどと言えるはずもない。

 

「おそらくそれこそが今、我々が求めていた情報だよ。この先の近い将来、我々が行う痕跡に違いない」

「でも、僕はあの杖が世界樹を枯れさせる原因だと、子供心に思ってましたよ。……勿論、根拠はないんですけど」

「それにあの杖には触れねぇ。弾かれてちまって近づくどころじゃねぇんだ」

 

 ああ、とウィノナが過去を思ってクスクスと笑う。

 

「だからあれは悪いものだって思ってたのよね」

「しかし……杖、……杖ねぇ? その杖の正体は知っておきたい所だ。さっきは自分の推論に飛びついてしまったが、真実それだという証拠は何もないわけだからな。ウィノナが言う通り、杖が世界樹を蝕む原因になっている可能性は十分にある」

 

 なにせ、とクラースは顎の下を親指で掻いた。

 

「マナを大量消費する魔導砲はもうない。世界樹はこれから百年かけて、ゆるやかに回復していく筈じゃないのか?」

「そういえば……」

 

 クレスの口は開いたまま、驚きを隠す事ができない。

 

「でもさ、その百年の間にまた魔科学が研究再開しちゃうって事もある訳じゃん?」

「それが更に致命的なマナ損失に繋がると? ……あり得る話ではあるな」

「可能性を言い出したらキリがないと思うけど、マナ枯渇の原因は別にあると思う」

 

 何故そういい切れる、とクラースが視線を向ければ、ウィノナは当時を思い出すように緩く握った拳を口元に当てる。

 

「世界樹は自身が生み出すマナを持って維持、成長する。でも既にそのバランスが崩れてしまっていて、かつての姿を取り戻すには手遅れの状態だとダオスは言っていた。ゆるやかに滅んでいくしかないとも……」

 

 尻すぼみするように言葉を切ると、ウィノナは拳を解いて顔を伏せてしまう。

 

「なるほど……。魔科学が今後復活するかどうかは分からないが、マナの枯渇を早める事はあっても元より衰弱するしか道はないわけか……」

「そんな……」

 

 クレスの顔もウィノナ同様に落ち込む。アーチェが難しい顔をして腕を組んだ。

 

「じゃあ結局、杖は何の為にあったワケ? 勝手に世界樹が衰弱していくなら、わざわざ杖を使って悪さする必要ないじゃん」

「そうだな……。すると逆説的に考えれば、杖は世界樹に対して善い事をしている、となるわけだが……」

 

 あの、と控えめな声で注目を集めたのはミントだった。

 

「先程から気になってはいたのですけれど、その杖は一体、どういった形状をしているのでしょうか」

 

 慎重な声音で訊いて来たミントは、強張った表情で手を握り締めていた。その真剣な様子に、ウィノナは何度か思い返すように首を捻り、それから答える。

 

「捩れた骨みたいな……もしくは動物の角のような。くすんだ白色、あるいは灰色の杖だった、と思う。先端にルビーのような赤い石が嵌ってた」

 

 ミントの柳眉が僅かに歪む。

 

「もしかしたら、それはユニコーンホーンと呼ばれるものかもしれません。法術を強める効果があると伝えられています。それがあれば世界樹を癒し活性化させる事も可能かもしれません」

「そりゃいいや!」

 

 チェスターが喜びも露に手を叩くが、それをクレスが止める。

 

「でも待って。あの杖は触ろうとすると弾かれるんだ。樹にだって近づけない。それは何の為だい?」

「杖にはバリアーの法術が張られていたのかもしれません。バリアーの効果はそこまで強力ではありませんが、杖による増幅効果だと考えればあり得ない話ではないと思います」

 

 あぁ、と納得したようにチェスターが頷いて、しかしそれからすぐに首を傾げた。

 

「それは良いとして、何の為にバリアーを杖なんかにかけてんだよ。意味が分かんねぇよ」

「いえ、もしかすると……。杖それ自体守るのではなく、杖に掛けられた回復法術を封じこめる為だとしたら……」

 

 それだな、とクラースは頷く。

 

「この時代で世界樹復活の準備を済ませる、という目的に叶っている。十中八九、それで間違いないだろう」

 

 クレスは得心がいったように頷いた。

 

「だとすると、それをしたのは当然ミントだよね」

「過去で世界樹を復活させる訳にはいかなかった、あるいは単にその為の力が足りなかった。その杖が法術を強化するというのが本当なら、回復法術を杖の中で循環させて強化され続けるよう封印し、根元に刺しておいた、としたら……」

 

 独り言のように呟いてクラースの言葉を引き継ぐように、ウィノナが言う。

 

「現代に帰って、ダオスが封印から解けてから開放すれば……」

 

 ──上手くいけば、世界樹を回復させる程のエネルギーが生まれる。

 

 百年間に渡って循環強化させる事に成功しているヒールは、開放されれば莫大なエネルギーが放たれることは間違いない。ミントがヒールを掛け続けても焼き石に水だというなら、焼き石を冷却できるだけの大量の水を用意すればいいという発想だろう。

 

 そして、その発想は全員が得心するのに十分だった。

 




 
タグの独自設定、独自解釈が遺憾なく発揮されております。
 


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流れの進む道、見えてきた道の先

 
前回はブツ切りになってしまって申し訳ありません。
どうにも丁度いい感じで終われませんでした……。
 


 

 それぞれが納得する顔を見回し確認した後、クレスはふと思い当たるものを口に出した。

 

「……じゃあ、村に伝わる聖樹様を守る使命っていうのもそれかな?」

 

 教会を建てて地母神を奉る。あるいはそれも、世界樹を守るという使命を全うする為、そして後世まで語り継ぐ為に必要だとして、作ったものなのかもしれなかった。

 

 誰もがいつまでも同じ気持ちを持ち続ける事は難しい。世代を経れば忘れられていく。

 しかし、そこに地母神に対する信仰を作り、その上で森の守護をさせたなら、それはきっと百年先まで守られると考えたのだろう。

 

「とはいえ聖樹様を守るっていっても、余所者を近づけさせないってくらいだけどな」

 

 チェスターが言いながら肩を竦めて、それからウィノナに顔を向ける。

 

「最初はどうにもならんと思ったけどよ、こりゃ何とかなりそうじゃないか?」

「希望が見えてきたのは確かね」

「じゃあ、あと考えなければならない事は何だろう?」

 

 クレスが言うと、一つ思い出したことがある、とウィノナが切り出す。

 

「今の村の話で思い出したんだけど……。かつてウィノナいう名前の女性がアルベイン道場を作る手助けをした、という話があったでしょう? ──覚えてる?」

 

 ああ、とチェスターが呻くように頷いた。

 

「それ、本当にお前じゃねぇのか? 今なら同名の別人と考える方が無理があるぜ。どう手助けしたのかまでは知らねぇけどよ」

「確か道場を建てる為に出資したとか、そういう話だったと思うけど……。でも、そうか……。ただの偶然かと思ってたけど、そういうことなのか……」

 

「だからってさ、百年もの長~い時間、名前が残るように言い伝えるなんて、あり得るのかな。大体、何の為なのよ」

 

 アーチェが胡乱げに顔をしかめ、クレスが何気ない調子で返した。

 

「そうじゃないと、今こうして思いつけなかったからじゃないかな。それだけ道場建設への手助けは重要だって事だと思うよ」

 

 これから先、何も知らないままでウィノナが道場建設に手助けするかと問われれば、確かに疑問だった。

 興味がないとまでは言わないが、未来に道場がある以上、いつか建設される事になるだろうと思うに留まるだけだろう。

 

「名前が残るのはまぁ、それだけ感謝してるって事でおかしな話でもないだろ。……とはいえ、確かにそこは別に誰でも良いじゃねぇかとは思うけどな」

 

 ああ、とウィノナが口を挟む。

 

「駄目よ。その名前がないと、私が拾われたかどうか怪しいもの」

 

 沈黙とそれに対する疑問の視線が集中する。知ってて当然と思っていたウィノナは、そこでハタと視線の意味を理解して周りを見渡す。

 

「──ああ、アタシ捨て子なのよね。精霊の森に捨てられてたの。だから見つけられた時、名前を言うと恩人と同じ名前だから、これも縁だと引き取られたっていう経緯があって……」

「……だったよな。そりゃ確かに、誰の名前でも良いワケにゃいかねぇ。ウィノナの名前が必要か……。そういや聞いた事あったけど、あの森で拾われてたんだっけか」

 

「ならばウィノナの名を残すように努めなくてはならないな。さて……誰か、他に何かあるか?」

 

 クラースが皆を見渡すが、その面々から色よい返事はない。

 

「すぐには思いつきませんね……」

「──待って。そもそもの問題があるんだけど」

 

 ウィノナが小さく手を挙げて、クラースに顔を向ける。

 

「どうやって現代に帰るの? 来た時と同じ手段? 法術を使うの?」

「いや、残念だがこの時代に時間転移の術を使える人を私も知らない。モリスン殿にしても最近まで術の開発を諦めていたぐらいで、到底扱えるものじゃない」

「それじゃあ、ここで何を議論して無駄だってこと?」

 

 いいや、とクラースは手を横に振る。

 

「超古代都市トールがある。かつて、今とは全く別の文明が栄えていた国で、そこでなら未来に行く手段があるかもしれない、とモリスンさんは言っていた」

「……嘘でしょ? いま思いつく、帰る手段はそれだけ?」

 

 ウィノナは思わず呆気に取られた。確からしい事は何一つない、そう言われたに等しい言葉だった。

 過去に飛ばす事を考えた現代のモリスンは、そこから帰る手段を当然知っているものだと思っていた。当時の状況を考えると、それを伝達する時間がなかっただけで、この時代でも調べれば分かるような確かな帰還手段を確信しているからこそ送られたのだと。

 

 それこそ自分の祖先が術を開発したのだから、祖先を頼れば送ってもらえる、そのように考えたいたのなら問題はない。

 しかし実際には術の発明自体、実現されていない。単なる思い付きで行ったのなら、それは手の込んだ置き去りに等しい行為だ。

 

「今考えられるのは、それしかない」

「何とも頼りねぇなぁ。あるかどうかも分からないんだろ?」

「しかも今は海の底で、誰も近づく事は出来ない」

 

 そこまで聞いて、とうとうウィノナは盛大な溜め息を吐いた。帰る為の手段が全く見えてこない。暗澹たる思いが肩に重く圧し掛かる気がした。

 

「海の底にあって、どうやって行くのよ……」

 

 そこは私に任せてくれ、とクラースが自信ありげな笑みを浮かべる。

 

「ウンディーネの力を借りる。水の精霊の力ならば、我々を海の底へ送ってくれるはずだ」

 

 ウィノナはホッと息を吐く。両肩の重みも幾らか和らいだ気がする。勿論、まだ気の緩みを出して良い訳ではないのだろうが、それでも全ての道が閉ざされていないと分かれば、気持ちも軽くなるというものだった。

 

「じゃあ、今のところはトールの技術に期待してみましょう」

「では、……他に意見のある者は?」

 

 クラースが改めて全員を見渡す。見返す視線に不安はあっても確たる疑問はなく、誰も意見を述べない。

 切り上げようとしたその時、おずおずとミントが手を挙げた。

 

「その……、ここで言うのは違うかもしれませんが……、私の母は、駄目ですよね」

 

 一瞬、部屋の空気が固まる。

 事情を知る者が知らない者たちに掻い摘んで事情を話すと、やはり部屋を沈黙が支配した。

 

「牢の中で、母は私をずっと励ましてくれていました。モリスンさんは私を助けに来てくれましたけれど、他には誰もいなかったと。でも、母は、確かにいたんです……」

 ミントの声が次第に震えていく。

「今でも考えてしまうんです。あれはモリスンさんが吐いてくれた優しい嘘なのか、それとも本当にいなかったのか……」

 

 アーチェがミントの肩を優しく抱いた。泣きたい気持ちだろうに、ミントは眉根に力を入れて必死に耐えている。

 ミントの意図は分かっている。叶えるものなら叶えてやりたい。しかし人の生き死にというものは、時間の流れそのものだ。時を遡って親殺しを行う事が矛盾を生み出すように、死ぬ筈の者を生かすこともまた別の矛盾を作り出す。

 

「そういうことなら、残念だが……。現代に大きな歪を生むのは──」

 

 避けなければならない、とクラースが言おうとしたところでチェスターが声を上げた。

 

「どうにかなんねぇかな……! ダオスを救おうってんならさ、ミントのお袋さんだって助けてやりてぇよ……!」

 

 チェスターの言い分には同意も同調もするが、誰もが沈黙して、何を言うでもない。

 全員を見渡して堪りかねたチェスターは、クレスに身体ごと向き直った。

 

「なぁクレス、お前もそうだろ? 何とかしてやりてぇって思うのは俺なんかよりよっぽど……!」

 

 尚も返事を返事すら返さず下を向くクレスに、チェスターが昂ぶる気持ちに任せて拳を握る。とうとう胸倉を掴もうとした時、クレスが俯いていた顔を上げ、ちょっと待って、と手で制した。

 

「……いや、 なんか思い出せそうなんだ……。現代でペンダントを追って、向かった先でモリスンさんに会ったろ?」

「ん……、ああ。一足先に勝手に行っちまった時の事か? そんで自分の屋敷に来てくれ、とか何か言われたんだったよな?」

 

 チェスターは、その必死な形相に思わずたじろぎながら、それでも当時の事を何とか思い出し、たどたどしく口に出す。

 

「それで向かった時にさ、二階の窓に女の人がいたんだ。金髪で、肩に掛かるぐらいの長さで……。覚えてないか、チェスター?」

「ああ、言われてみれば──そうだ、そういやいたな。 そん時のゴタゴタで忘れてたけど、窓の近くに誰かいたよな? てっきりモリスンさんの奥さんだと思ってたからな、気にもしなかった」

「金髪……、髪の長さも母と同じ……」

 

 チェスターが首を捻りながら、当時の事を紐解くように思い出していく中で、ミントが一縷の望みをかけるように呟く。

 クレスはそれに都度頷き返して、それからミントに顔を向けた。

 

「──ミント。もしかして、なんだけど……。お母さんはイヤリングとかしてたりするかい? 馬、かな? 何か動物だと思ったけど」

「ああ、 ありゃ白い馬だった。(たてがみ)がなんで緑なんだって思ったぞ、俺は」

「そうだよ、ミントと同じ青色の瞳だった。あれきっとミントのお母さんだよ!」

 

 二人の口から次々と飛び出てくる女性の特徴にミントは晴れやかな表情へと変わっていったが、最後に言ったクレスの言葉にその顔を強張らせる。

 口を挟もうと思う矢先に、チェスターがちょっと待て、と人差し指を立てた。

 

「違うぞクレス、あの人の目の色は緑色だった。鬣と同じ色だったから覚えてる」

 

 沈めかけていたミントの顔が蘇った。

 

「そうです、母の目の色は緑なんです! それにイヤリングは馬ではありません、ユニコーンです。白い体躯に緑の鬣、白い角、でも角まではお二人には見えなかったんですね。それは母より前の代から伝わる大事な物で、いつも身に付けていました!」

 

「あー、かもしれねぇ」

「にしてもあんた、よくそこまで見えたわね。覚えてるのも凄いけど」

 

 アーチェは半眼でチェスターを見つめる。口では褒めてもその顔は明らかに呆れていた。

 

「弓士やってりゃあな、目の良さなんて勝手に上がっていくんだよ」

「──でも、ちょっと待って。モリスンさんは地下牢に他には誰もいなかったって言っただろう? ミントがいる前でそんな嘘を言う必要があるのか?」

「あー……」

 

 言葉に詰まるチェスターに、ウィノナが思いついたまま、ぼそりと呟く。

 

「本当に知らなかった、というのは? ……つまり、モリスンの知らないところで救助され、知らない内に屋敷に匿われた」

「そんなこと出来る奴いんのかよ? ──いや待て、それ以前に意味がねぇだろ。助けたんなら会わせてやりゃいいじゃねぇか」

 

 チェスターは自分で言いながら、その疑問が当然だと思いを深めていた。助けておいて再会はさせない。その所に意味があるとは思えない。

 そしてクラースは、チェスターの言い分を頭の中で反芻させていた。妙な引っ掛かりを感じ、どうしてもそれを無視する事が出来ない。

 

 ──助け、匿い、再会させず。しかし、外には隠さない。

 少なくとも外からの目撃者について無頓着だ。助けた事を秘匿したいなら別の場所を用意するだろうし、そもそも窓辺に立たせる筈もない。

 その時、クラースの脳裏に一つ閃くものがあった。

 

「……ミントの母親が問題なく救出されて親子が再会した場合、ミントはクレス達と共に着いて行ったか?

 襲撃され監禁されていたと言う状況から不安も大きかったはず。ミントは確かに芯の強い女性だが、安全な場所で母親と一緒ならば、屋敷から動かないことを選ぶと思わないか?」

 

 言われてクレスは元より、ミントもハッとした。

 それは確かにあり得る話だった。母が傍にいる中で、それでも敵の懐に入って行ったかと言われると自信がない。ミントに取ってはクレス達に着いていく理由が希薄になるのは否めなかった。

 

「転移して来てからこちら、何度ミントの法術に助けられた? ダオスの元へ辿り着くまでに失った仲間すらいたかもしれない。そしてそれよりも遥かに重要な、世界樹を癒すという大役を失う事になる。だからミントの母親が救われるにしても、それを救出直後に知られる訳にはいかなかった。………そういう事じゃないのか?」

 

 クレスは我知らず唾を飲み込む。言われれば言われるほど不可思議な説得力が迫って来ていたが、理解しようとする事に何か違和感がある。あるいはそれを忌避感と呼ぶのかもしれないが、それを今、正確に表現するのは難しかった。

 

「これは明らかに、クレス達が過去へ時間転移する事を知っていなければ出来ない芸当だ。誰にも知られておらず、かつ事情を知っていて、しかも秘密裏に自由に動ける。そして素早い移動手段を持てる人物。となれば──」

 

 クラースが一人の人物に視線を向ければ、全員がその視線を追いかけ、そして止まる。目に留まった人物さえ呆気に取られて自らを指差した。

 

「──え? あたし!?」

 

 アーチェは素っ頓狂な声を上げて驚いた。周りの驚愕以上に自分自身が一番驚いている。

 予想外からの指摘に、アーチェは指折り数えてクラースの言った事を整理する。

 

「アタシなら確かに事情全て知ってるし? 箒を使って上空から観察できるし? モリスンさんに見つからず尾行できるし? ある程度近づけば、行き先だって分かるわけだし? 箒で移動だから先回りも簡単だし、そんでお母さんだけ助ければいいワケだし? ──全部ホントに出来ちゃうじゃん!」

 

「おお、いいぞ脳みそスポンジ女!」

「なによ、その言い草は!」

「褒めてんだろ!」

「どこがだー!」

 

 アーチェがくわっと口を開き、両手を上に突き上げる。

 それをチェスターが揶揄するように笑みを見せた。

 

「ぐいぐい水分吸収するみてぇに知識吸収してんだな、ってところがだよ! そんですぐまたボトボト落とすんだろ!?」

「うがー!!」

 

 いつもの取っ組み合いが始まりそうになり、ウィノナがベッドから降りてアーチェが動き易いように場所を確保した。積極的に加勢するつもりはないが、チェスターが痛い目に遭うのを止めるつもりもない。

 しかし、それより前にクラースが手を叩いて場を取り直した。

 

「いいから落ち着け、喧嘩するのは後にしろ」

 

 クラースは三人が元に戻って座るのを確認して続ける。

 

「状況はこちらに有利そうだ。アーチェ、この件でお前以上の適任はいない。というより、お前にしか出来ない問題だ、任せるぞ。──現代では目を光らせろ、いつやってくるか分からん。だが事前には助けると矛盾が生まれる。牢に囚われた後だ」

 

 うん、と真面目な顔でアーチェが頷く。

 クラースの言葉が止まるのを待って、ウィノナが言葉を継いだ。

 

「それじゃあ、開始のタイミングはトーティス村に黒騎士がやって来てから? アタシがペンダントを黒騎士に渡す時。そのタイミングなら奴は根城にいないだろうし……」

 

 言ってウィノナは思考を巡らし、つられるように首を捻る。

 

「警戒自体も動かした兵の分だけ手薄になる。チャンスはここしかないと思う……けど」

 

 考え込むように顎を指先で摘んでしばし、それからウィノナは一人納得したように頷いた。

 

「ああ、なるほど。……だからか」

 

 何がだよ、と不満げにチェスターが顔を向けると、ウィノナはちらりと笑った。

 

「アタシたちの視界に、ちらちらピンク色が見えてた理由。こっちの状況知る為にアーチェが覗いてたのよ」

「あー……?」

 

 南の森で時折、視界の端に映っていたピンク色の何か。

 ──鳥か何かと見間違えたんだろ。

 時過ぎ去る毎にその頻度は増え、しかしそれは鳥だとも花びらが舞っただけとも思いながら気にしないでいた。

 

 そして、アーチェとの初対面ではそのピンク色に規視感を覚えもした。

 ──聞けよ、他人(ひと)の話。だからそうじゃねぇんだって。お前の見て呉れは関係ねぇ。

 ……色か? その色に見覚えが──。

 

「あーーーー!!!」

 言っている事に理解できた途端、チェスターは我知らず声を上げていた。

「そうか! ちょいちょい見えてた、あのピンク! あれ、アーチェだったのか!? だから、その色に覚えがあったんだ! てめぇ、ふざけやがって!」

 

 チェスターはようやく喉の奥の(つか)えが取れた興奮のまま、アーチェを指差し自分でも分からない謎の怒りを向けた。

 

 大した理由はないと思っていた。その色がチラついて見えていたことも、その色に既視感があったのも、そこまで特別な理由があるとは思っていなかった。

 ──だが、そうではなかったのだ。

 

「ふざけるなって、あんたねぇ! 大体さ、あんたの言ってる事って百年後の話じゃん。今のあたしに関係ないし」

「お前になくても俺には関係あるんだよ! お前と初めて会った時の違和感、ぜってぇコレだ!」

 

 やれやれ、とアーチェは肩を竦めてかぶりを振る。小馬鹿にしたような視線すら向けてくるアーチェに、チェスターは挑むような目つきで凄んだ。

 

「お前そんな態度取るけどよ、準備やら何やらこれから用意が全て終わって、そんで諸々あって全部にケリついたとしてだ。現代まで待ってる間、アーチェ……、お前クレス達の様子見に行かないって言えるか?」

「い、言えるよ~……」

 

 自信を持って断言しないその言葉に、チェスターは本当か、と更に語気を強めるが、返って来たのは視線を逸らして、それでも頷いて見せるアーチェの頼りない姿だった。

 

「あ、だめだ。こりゃ見に行くわ」

「なによー! 仕方ないじゃん。絶対気になるに決まってるよ、皆の小さい頃なんてさー!」

 

 堪り兼ねて思わず本音を暴露したアーチェに、クラースは溜め息を吐いた。

 

「チラチラと見えていたという事実が観測されていたなら、それぐらいはいいんじゃないのか。どんなに危険な目に遭っていても助けにいかない、姿を見せないという条件はつくが」

「う……!」

 

 アーチェは思わず息に詰まる。本当に危険な目に遭った時、動かないでいられる自信がなかった。だが、それではいけないのだ。思うが侭に動いた結果、目も当てられない時間の渦を作る事になりかねない。

 

「ま、確かにアーチェに出会った記憶はないしな。我慢しろよな」

「ぐぐぐ……!」

 

 歯噛みをしながら睨み付けるアーチェは、苦し紛れに言い放つ。

 

「でも、絶対チラチラ姿を見せにいってやる……! 遠くからギリギリで、あたしだって分からない範囲で! それが正しい歴史ってモンでしょーよ!」

「いらん知識、身に付けやがって……。言っとくけどな、本っ当に見つかったら駄目だからな」

 

 チェスターが凄んで釘を刺すのと同時、ウィノナからも特大の釘が飛んで来た。

 

「あ、そういえばアタシ、そのピンクに向けて矢を射ったから気をつけて」

「──ちょ、ちょおお! 何してんの!?」

「……ごめん。何か変な気配を感じたから……」

 

 流石のウィノナも、当時のピンク色が何かなど知らない。人だとすら思っていなかったが、何か悪い物かもしれないとは思っていた。だからこそ牽制を込めて矢を撃ったわけだが、それがまさか後の親友になる人物など分かるはずもない。

 申し訳なさそうに肩を小さくするウィノナを見て、チェスターが軽い調子で諌める。

 

「そんな責めてやんなよ、悪気があってやったんじゃないんだから」

「分かってるよ、そんなこと」

「それより、それで油断して見つかる様な事すんなよな? お前ヌケてんだから」

「あんたは何で、いつもそー……」

 

 コメカミに一本指を当てて、大きく溜め息を吐きそうになったとろこで、チェスターが立ち上がりアーチェの両肩を掴む。その強さは痛いくらいだったが、抗議をの目を向けるとそれ以上に強い、懇願にも似た意志の篭った視線がアーチェを射抜く。

 

「だからなアーチェ。マジで、頼むぞ……!」

「──うん、任しといて。絶対ヘマなんてしないよ。ミントのお母さんだって、必ず助けるから」

 

 チェスターに頷き、次いでミントに顔を向ける。肩からチェスターの手をやんわりと外してミントに向き直るとにっかりと笑う。

 ミントは深々と頭を下げた。

 

「はい……! 何卒、よろしくお願いしますアーチェさん!」

 

 任せて、とアーチェは親指を立てた。

 次いでアーチェが事の流れをまとめようとした時、それまでむっつりと黙っていたクレスから声が上がった。その声は強張り、それまでの明るい雰囲気を打ち消すのに十分な重量を持っていた。

 

「ちょっと待って。……本当にそれでいいのか」

「どうした、クレス。怖い声なんて出してよ……」

 

「皆は何とも思わないのか。確かに歴史の流れを守る事は大事かもしれない。感情でものを言うのは、この場合間違いなのかもしれない。──でも、こっちの勝手な事情でミントを引きずり込む為に、ミントのお母さんと再会させないって言ってるんだぞ」

 

 クレスが先程感じた強い違和感と、それに付随するような忌避感は、これだったのだと理解した。

 死んだと思われていた母が生きていたかもしれない、それは喜ばしいことだ。しかしそれは決して単純な事ではなく、母の命を人質に協力を要請するような悪辣さを秘めている。

 

「それでいいのか……! 過去に行くなら僕たちだけでもいいはずだ。大事な人が生きていることを隠してまで利用しようっていう、そういう魂胆でミントまで連れて行く必要はないだろう……! この後、法術が必要だっていうなら、キャロルさんたちに協力してもらう事だって出来る!」

 

 クレスは拳を強く握って訴えた。

 今ここにミントがいるのは、それと知らずに協力を申し出てくれたからだ。確かに事実としてクレスは知らなかったが、今こうして知ってしまった以上、このさき行われる救出劇は素直に再会させやる事こそ正しい行いに思えてならなかった。

 

 そんなクレスを見て、ミントはすぐ傍で膝を折り、その震える拳にそっと手を添えた。

 俯いていたクレスの顔が上がり、ミントと視線が合わさる。ミントはゆるゆると首を横に振った。

 

「確かに怖い思いもしました。でも、無事です。母も私を庇って怪我をしました。でも、生きていると分かりました。助けることができるなら、思うところはありません」

「でも……!」

 

「ジャミルとの戦いで、クレスさんは大怪我をしました。皆さんも小さな傷なら数えきれないほどの怪我をしています。私がいなかったら、一体どうなるでしょうか。もしかしたら、その傷でクレスさんは最悪の事態に陥ってしまうかもしれません」

 

 思い返せば、確かにジャミルには深手を負わされた。吐血し腹部からも絶え間なく血が流れた。あの場の状況から考えて、賊と思われたクレス達に、果たして医者を即座に呼んでくれたかどうか不安が残る。

 それに旅の道中には幾らでも魔物との戦闘はあったし、その度に幾つも傷を負ったものだった。

 しかし、だからといって──。

 

「もしも私が母と共に助けられていたら、きっとその傍を離れられなかったでしょう。母を失ったと感じた悲しみは辛く思いましたけれど、今こうして無事と知れるなら大した問題ではありません。……それよりも、皆さんのいずれかが大怪我で倒れてしまう方が余程恐ろしく思います。──だから、いいんです」

 

 ミントはクレスの目を覗き込んで、ふんわりと笑う。それは強がりでも何でもなく、クレス達の助けとなりたいと願う献身の心が見える笑みだった。

 そのような姿まで見せられたら、クレスとしてもこれ以上は何も言えない。

 

「……うん、分かった。ありがとう、ミント」

「いえ、いいんです。そこまで憤っていただいて、私こそ嬉しかったです」

 

 お互いが見つめ合い、数秒。

 えへんえへん、とアーチェがわざとらしい咳をして、ミントは触れていたクレスから弾かれるように手を離した。

 

「あ、いえ、その……!」

「万事綺麗に纏まった所で、あたしの方もお話を再会してよろしいですかね?」

 

 ああ、うう、とクレスが呻くように頷き、そのまま顔を伏せてしまった。ミントも同様に顔を赤くして伏せており、元の場所へ戻り腰を下ろす。二人の再起動には時間が掛かりそうだった。

 

 クラースに視線を向ければ、構わず続けろという意図を持って顎をしゃくる。アーチェはもう一度二人に視線を向けてから、先程言いかけていた続きを話し始める。

 

「えーと、それで……。そう、あたしはクレスの村の異変を見たら、すぐにモリスンさんのトコにいって上空で待機。救出に動くモリスンさんの後をつけて、根城を上空から発見次第急行。モリスンさんに先んじてミントのお母さんを助け出す。……えっと、その後はモリスンさんの屋敷の二階の部屋に──クレス、二階のどこの部屋?」

「ああ、うん……。あー、玄関のすぐ真上だった、かな……」

 

 クレスの煮え切らない返事は記憶を掘り起こす為というより、先程のダメージが抜け切っていないせいだろう。アーチェはそれを合えて無視して続けた。

 

「おっけー! じゃあそこに連れてって介抱して、んでクレスたちが来たら窓辺に立つようにお願いすればイイ感じ?」

「大筋はまぁ、そんな所だろうな」クラースが頷いて顎の下を撫でる。「とはいえ、それはアーチェに取っては百年も後に行う事だ。今は置いといて、また後で話を詰めていこう。──まずはダオス救済と、その為に行うべき一連の事だ」

 

 アーチェはウィノナに一度視線を向け、それから頷いた。

 

「では、その我々が行うべきことは、ユニコーンに会うことだな」

 

 ウィノナは思わず顔を顰める。

 

「白樺の森ね……」

「はい、ユニコーンは清き乙女にのみ、その姿を現すと伝えられています」

 

 調子を取り戻したミントがそう言うと、ウィノナは明らかな敵意と共に、フンと鼻を鳴らした。

 

「どうだか……。随分気まぐれな奴だと思うけど。必死になって捜すだけじゃ出会えない」

「ウィノナさん。何か、あったんですか……?」

「別に、そういう……噂」

 

 ミントの気遣いとも言える視線からウィノナは逃げる。完全な善意と分かっているからこそ、ウィノナは気まずい気持ちを抑えきれない。

 

「じゃあ、出発はいつにしたものかな?」

「アタシは直ぐにでもいいけど……」

「駄目です、いけません」

 

 何気なく言ったクラースとウィノナだったが、意外にもミントが強い口調で否定した。

 

「ウィノナさんは目覚めたばかりなんですよ。身体に不調を感じないからといって、まだ万全とは言えません。ゆっくり静養して下さい」

 

 非難さえ混じる視線からウィノナが逃げてクラースに顔を向けると、クラースもまた然もありなんと頷いていた。

 

「まぁ、いい機会だ。我々もゆっくり休もう」

「いいですね、時間ならたっぷりあるんだ」

「そうだよな、百年も」

 

 チェスターが茶々を入れるように笑って言うと、ウィノナも苦笑しながら頷く。クラースは呆れたようにチェスターを見ながら言葉を続けた。

 

「どのみち、報償金の受け取りに何日か掛かる。それまで自由時間としようじゃないか。ここまで随分、張り積めた旅を続けていたんだ。これからもまた、厳しい旅が再開される。丁度いいんじゃないか?」

「やったー!」

 

 アーチェは我が事に舞い降りた予期せぬ休暇喜び、チェスターも同じように喜んだ。

 早速飛び出していくアーチェを、チェスターは慌てて追いかけていく。ウィノナが自分を気にせず行くよう言うと、一言詫びてクレスも出て行った。

 

「ま、ゆっくり養生してくれ」

 

 クラースも一声かけて部屋から出ると、後にはウィノナとミントだけが残された。

 

「ミントはいいの?」

「折角ですから傷の治療をしてしまおうかと。表に見える傷は塞がっていますけれど、内蔵はまだ完治とは言えないはずです」

 

 そう、と頷いて、ウィノナは上着の前をはだける。魔物によってつけられた刀傷は、ひきつった痕を残して塞がっていた。

 

「じゃあ、お願いできる?」

「お任せください」

 

 ミントは笑んで、ウィノナの腹部にゆっくりと手を当てた。

 



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ミッドガルズからの出立

 翌日、ウィノナは自室のベッドの上から、一人で窓の外を見つめていた。

 

 アーチェは何度も一緒に出かける事を望んだが、ウィノナはその度にやんわりと断った。

 ついに諦めたアーチェは、お土産を約束すると言ってから他の面々を連れて宿を出ていった。

 

 窓より外から見える街中は戦勝ムード一色で、国民達は悪の魔王討伐に浮かれている。

 ウィノナにはとても、そんな空気に触れる気持ちになれなかった。

 気持ちを落ち着け、また一新させるには外に出るより部屋に居た方がいい。世間の常識とは真逆のようだが、そういう場合も時にはある。

 

 時折訪れるアーチェ達と話をするだけでも気分的には随分違う。この一年はずっと一人でいたし、心安らぐ暇もなかった。一人鬱々と気持ちが内に籠るだけで、負の感情が一層蓄積、増幅されるような有り様ですらあった。

 それを考えれば、この養生にも意味があるのだろう。凝り固まった気持ちが、少しずつ解れていくような心持がする。

 

 ユニコーンに会いに行く為、荷物の準備を始めたのはそれから三日後の事だった。

 

 

 

 三日の養生に意味はあった。ウィノナの険は幾分解れ、かつてよく知った顔を覗かせている。それに気付いたアーチェは何かを言うわけではなかったが、終始頬が緩みっぱなしだった。

 

 この二日の間、クラースは王城へと出向き、モリスンと意見の摺り合わせをしていたと聞いている。まさか宿まで呼びつける訳にもいかない、という言い分は間違いではないのだろうが、ウィノナとの鉢合わせを避ける為だろう、というのが大方の見解だった。

 

 モリスンから聞いた時空転移理論は役に立った。それを元に大方の指針も設けることができた。それについては感謝をしても、顔を合わせればやはり冷静でいられないだろう、とウィノナは心の奥底で思っていた。

 

 三日目の朝には、クラースはウィノナ以外を連れて王城へ向かった。王との拝謁は滞りなく行われ、報奨金の支払いと今大戦への貢献を称えられた。

 

 王城で騒ぎを起こし、また魔王の情婦として手配されていたウィノナが顔を出せる筈もない。窓辺から外を眺め、クレス達が帰って来るまでただ待って時間を潰す。

 そうして実際に彼らが帰って来たのは昼前になってからだった。

 

 苦労話に華を咲かせながら早めの昼食を取り、それからすぐに出発する事になった。

 宿から部屋を引き払い、入り口脇に集合したウィノナ達は今後の方針について確認を取る。

 

「まず白樺の森に向かう事は、周知の通りだ」

 

 クラースが全員の前で肩掛けサックを地面に置きながら言った。

 

「クレス達の時代には既にユニコーンホーンという杖があったことから、ユニコーンに頼んでこれを入手する必要がある。その後、世界樹のあるベルアダム南の森まで移動だな」

「大移動じゃん……」

 

 アーチェがげんなりとして言うと、チェスターも流石に顔を顰めながら肩を竦めた。

 

「確かに世界の端から端と言っても過言じゃねぇよな……。けどまぁ、こればっかりは仕方ねぇ」

「そして世界樹まで辿り着けば、後はミントに任せることになる」

 

 ミントは強い意思の篭った瞳で頷く。

 

「世界樹を確実に復活させるだけの力が私にあるのか自信はありませんが、精一杯やらせていただきます」

「頼むよ、ミント」

「そうしたら、ヴェネチアから今は海底に沈む超古代都市トールに向かい、現代へ時間転移する。──以上が簡単な旅程と方針だが、何か質問は?」

 

 質問ってわけじゃねぇけどよ、とチェスターは前置きし、顔を難しそうに歪める。

 

「どれもこれも行き当たりばったりだよなぁ。確かに現代じゃ杖があったけど、それが今から取りに行くものと同じ物か分からねぇし。現代に帰るにしても、トールに行けば確実ってわけじゃねぇんだろ?」

 

 クラースはそれには曖昧に笑って肩を竦めた。

 

「ま、やるだけやってみるさ」

「もし、出来なかったら?」

「笑って誤魔化すさ」

 

 いっそ晴れやかに笑って、クラースは地面に置いていたサックを肩に掛けると街の城門へ顔を向ける。

 

「さぁ、出発だ」

 

 それぞれが自分の荷物を背負い、クラースの後に続いて歩き出す。しばらく道を歩いていると、前方から見覚えのある顔が歩いて来る事に気付いた。鼻歌でも歌いそうな程の上機嫌なアランが、こちらに気付くと軽く手を振って近づいて来る。

 

 ウィノナ達と同じく旅装をしているところを見ると、アランも宿を引き払い街から出る予定なのだと分かる。すぐ傍まで近づいたアランがクラースに軽く目配せして笑みを浮かべる。

 

「よぉ、そっちもお出かけかい」

「ああ、今日出立する。どうやらお互い、長居する気はないらしいな」

 

 違いない、とアランは笑う。

 

「残ってても金が減ってくだけで入るアテもないしな。ま、たんまり報奨金も出た。これで夢の道場を開けるぜ。とはいえ、まだ十分とは言えないんだが、頭金と考えれば釣りも出るだろうさ。……どっかで金でも借りるかね」

 

 アランに憂い顔が浮かんだが、それも僅かなことで、その顔はすぐに晴れやかなものに変わった。自分の道場を持つという夢の実現が目の前にあって、不安よりも希望の方を大きく感じているのだろう。

 しかし、クラースはそこで待ったをかけた。

 

「借金だけはやめておけ。門下生がどれだけ集まるか分からない現状で、それはあまりに危険だ。アランの夢に賛同してくれる人を探して出資を求めるべきだろう」

 

 アランは明らかに顔を顰める。

 

「……そりゃ、ちっと厳しいぜ。ただでさえ金を貸してくれる奴だっているか分からんのに」

「後々苦労するのは自分かもしれんのだぞ。重ねて言うが、借金だけはやめるんだ」

「……うーん」

 

 クラースの忠告に、アランは腕を組んで唸る。眉根に皺が寄る所を見ると、納得できていないようだった。

 

「せっかく出来た道場が一年で奪い取られる、なんてことにならなければいいな」

「おっかねぇこと言うなよ!」

「だが、楽観的に金を借りるのは危険だと言いたいんだ」

 

「ああ……、まぁ故郷に帰る道すがら、出資を頼んでみるさ。なに、帰るまでには幾つも町を回るんだ。一つくらい……」

「くれぐれも借金だけはするなよ、我々も探しておいてやるから」

「すまないな、恩に着る」

 

 それから一言二言、言葉を交わた後、アランと別れた。ウィノナ達は移動を再開し、そうして歩きながらクレスは不安げな顔をしながらクラースの横に付く。

 

「あの、ウィノナがする筈のアルベイン道場の出資って、この事じゃないんですか?」

「まぁ、十中八九そうだろう」

 

 視線を前方に固定したまま軽い調子で返答するクラースに、クレスは思わず声を上げた。

 

「えっ、だ、大丈夫なんですか! 今の内に出資する名乗りを上げるとか、そういう事しておかないと! 他に出資者が出たらどうするんです?」

「そうはならんと踏むがね」

「どうしてそう言えるんです? もしも、という事があるじゃないですか。確実に事を運ぶなら、今の内に言っておいた方が絶対にいいですよ!」

 

 クラースはちらりと笑って、クレスに視線を移す。

 

「どの町だって、自分の所に腰を落ち着かすわけでもないのに親切心で金を出す訳ないだろう? 貸すんじゃないぞ、金を出せって話なんだから」

「あ、ああ……。それじゃあ、彼は困って故郷に辿り着くわけですか……?」

「最寄の村でもユークリッドだ、道場に通うには山道を越えなきゃならん。通うというには、いかにも不便だ」

 

「言われてみれば、確かに。……うん、そうか。話を聞けば聞くほど、出資者が出るとは考え難いですね」

「──そして、どこからも出資者が現れないところで、ウィノナの登場というわけだ。話を持ち出すなら、こちらの方が効果的だろう? きっと大変な感謝をしてくれるに違いない」

 

 クラースはその笑みを深くする。

 

「あるいは孫の代まで、その話が伝わったりするかもしれないな」

「うっわ、あくどい。出たよ、あくどいクラース! 略して、アクラースだよ!」

 

 後ろで聞いていたアーチェが大袈裟に身を引いた。黙って話を聞いていたウィノナも似たような気持ちだったが表情には出さない。むしろ咄嗟にそこまで考えた事に感心していた。

 

「失礼なことを言うんじゃない。大体なんだ、その略してってのは」

「でも、出資するのはいいとして、どこからそのお金を出すの?」

 

 流石にウィノナとしても、そこを言及しない訳にはいかなかった。ウィノナが持つ所持金は一人旅をするならば問題ないだけの金額しかなく、今ではそれもクレス達との共同資金となっている。仮にそれを全額使えたとしても建設資金として十分かと問われれば、まるで足りないと思われた。

 しかしクラースは事も無げに言い放つ。

 

「我々にも報奨金が出ただろう? それを使う」

「でも、いいの……?」

「元より受け取る謂れのない金だ。それに……未来の為だろう、喜んで差し出すさ」

「あ……、うん。ありがとう」

 

 なぁに、とクラースは何でもないように手を振って城門へと歩を進めた。

 

 

 

 ようやく町の外へと繋がる城門が見えてきた。ダオス討伐からこちら、魔物の動きも散漫になり襲撃自体も見えなくなった。隊商の行き来も活発になり、そういった商人達が城門での出入りするのがよく見える。

 

 馬車の通りの邪魔をしないよう道の端に寄りながら進むと、その先にモリスンが立っているのが見えた。

 気まずそうな顔をしたまま、モリスンはクラースに手を挙げる。

 

「やぁ、良かった。もう行ったかと思ったよ」

「何か用事でも?」

「去ってしまう前に、どうしても一度は会っておかねばと思ってね」

 

 モリスンはウィノナに顔を向ける。不躾にならない程度に近寄って、ターバンを取ってからしっかりと頭頂部が見えるように頭を下げた。

 

「私の軽率な行動が今回の悲劇を招いた。どうか、心からの謝罪をさせて欲しい」

 

 ウィノナは顔を余所に向けたまま、何を言うでもない。そうして十秒ほど経過してから、モリスンがゆっくりと頭を上げた。それでも尚、顔どころか視線すら向けないウィノナに、思わずクレスがその肩に手を置く。

 

「ウィノナ……」

「いや、無理もない。ただ頭を下げて許しを貰えるとも思っていない。……だから、いいんだ」

 

 そうね、と顔を向けないままにウィノナは答える。

 

「あなたの自己満足に付き合わされても迷惑よ。──ただ」

 ウィノナは一つ息を吐く。

「ダオスも自分自身の意思で付いて行った。だから、あなたにばかり非があるとは言わない」

 

 モリスンの目が見開かれる。無視されるだけでも上等、殴られて当然という覚悟で来たのに、返って来たのは肯定とも取れる言葉だった。

 ウィノナは続ける。

 

「アタシはあなたを許すとは言えない。でも、……もう終わった事よ。今はまだ感情の整理がつかない。だから、それ以上の事は望まないで」

「ああ……、いや、ありがとう……。ありがとう」

 

 モリスンは顔を俯かせ、そして頭をもう一度下げた。

 ウィノナはやはり視線を余所に向けたまま、一度もモリスンに顔を向けない。クレスもチェスターも何も言えない中、アーチェはウィノナの背後から抱きつき、痛いくらいに締め付けてくる。

 

 ウィノナはその手を優しくポンポンと叩き、その手が緩められると、腕を優しく撫でた。

 モリスンの頭が上げられたのを見て、クラースはその肩をごく軽く押しながらウィノナから距離を離す。

 

「全く、どうなることかと思いましたが……」

「そうだな……、殴られる覚悟は済ませて来ていた。最悪、刺される覚悟まで」

「こんな往来で、そんな事されたら困りますよ……」

 

 目が赤くなってるモリスンを見れば、どういった思いでここまで来たのかある程度は理解できる。元の鞘とはいかないまでも、少なくとも怒りや恨みはない事が確認できた。胸の痞えが取れたような思いだろう。

 

「……それで、目的はそれだけですか?」

 

 いや、とモリスンは首を振ってターバンを被り直す。

 

「相談したい事があるというのも一つの理由だが、他にもう一つ。……今日これから直ぐという話ではないが、私もいずれこの国を離れる。その事を伝えるのを忘れていてね」

「元々アルヴァニスタから、戦争の為に招聘(しょうへい)されていた部分もあったのでしょうし……。それも当然ですか」

 

「そうではあるが、理由はもっと別のことだ。いつか現れるダオスを封印するのは私──我が一族の役目だろう。その為の対抗策を考えておきたい。腕の立つ剣士が必要だろうし、この先魔術が失われるなら法術士とも縁を結んでおく必要があるだろう」

「それならアランとキャロルがいるじゃないですか」

 

 呆れたように言うクラースに、モリスンは苦笑した。

 

「……それもそうだ。君たちといると、どうにも彼らが霞んで見えた。頭から除外してしまっていたよ。彼らの優秀さを否定するわけじゃないが」言ってモリスンは苦い笑みを正す。「あとは、私もダオス到来に備えて居を移すつもりだ。次はどこに現れるものかな……。やはり古城で待つのが最善なのか?」

 

 クラースの後を遅れて着いて来ていたウィノナ達から、クレスが一人抜け出て横合いから口を挟む。

 

「ああ……、ダオスは世界樹のある森から近い、とある地下墓地に現れています」

「何だってそんなところに……」

 

 眉を顰めたモリスンに、クラースも同様疑問に思う。顎の下を何度か擦りながら首を捻る。

 

「まず考えられるのは、世界樹の現在の状況も知りたかったからだと思いますが」

「分かる話だ。……しかし、何故その近くにあるという墓地に? 直接世界樹の前に出現すれば良いだけの話だろう。……それとも、何かあるのか?」

 

「どうでしょう。目的があって墓地に出現したというなら、墓に用があった……のか? 誰かの墓に──」言いながら、ハタとクラースは顔を上げる。「そうか。死没しているならウィノナにも墓があるはず、それを確認したかったのかもしれない……」

 

 得心がいったように頷くクラースに、モリスンも同意するように頷く。それを聞いたウィノナの顔が暗くなった。

 

「そういえば、そんな事もダオスには言ったっけ……」

 

 未来から来たことを話した時、そしてユークリッド村へ行く前に墓地のあった場所に立ち寄った時。その際にウィノナの墓がどこにあったか伝えたはず。確かにダオスはウィノナの墓が何処にあるかを知っている。

 ウィノナという執着を捨てたいダオスが、確認を取りたいと思うことはあり得ると思えた。

 

「ならば、まずは出来ることから始めよう」モリスンが言って踵を返す。「私の居もその近くに移す事にしよう。他の面々とも密なやりとりを取るつもりだ。……今日は話せて良かった。また近い内に会いたいものだ」

 

 ウィノナに少しの間視線を向け、それから全員に顔を向ける。一度礼を言ってから去るモリスンに、複雑な表情でウィノナは見送った。

 

 クレス達はその背を何とはなしに見つめ、それから改めて城門の外へ身体を向けた。

 今も引っ切り無しに往来を続ける荷馬車などの間を縫って外に出る。

 

 遠く北の平原に薄っすらと雪が積もっているのが見えた。

 夜になる前に駐屯地に着けば、そこで安全な寝床を確保できる。戦争が終わったとはいえ、国境と平原を隔てる関所には人員も配置され魔物の警戒も行っているはずだった。

 

 ウィノナ達は歩き出す。駐屯地から白樺の森へは徒歩でも二日あれば到着する。旅程に障害がなく、かつ順調であれば一日で辿り着く事も十分想定できた。

 そうして実際、白樺の森に着いたのは翌日で、時刻は昼を少し回った頃だった。

 




 
ダオスが時空転移して逃げた先が、何故地下墓地だったのかは永遠の謎ですね。その当時は存在すらしない場所なので、自らの意思で選んだ場所ではないのだと思いますが。

とにかく逃げることを優先して目的地を明確に設定しなかったが故だと考えられますが、最悪の場合、
*いしのなかにいる*
というような事になっていたのではあるまいか。
 


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白樺の森と一角獣の杖

 

 白樺の森は雪に埋もれた静かな場所だった。

 兎が木々の間を走り抜け、その奥には人間の気配を敏感に感じ取った鹿が跳ねるように逃げていく。その獣道とは思えないほど太い道を歩きながら、ウィノナは苦いものを喉の奥へと飲み下した。

 

「それじゃあ我々は、入り口の辺りで待っているとしよう。ミントにはウィノナとアーチェが着いて行ってやってくれ。我々男連中が近くにいると、ユニコーンは姿を現さないかもしれん」

 

 言うや否やクラースは倒木の上に腰を降ろし、チェスターは近くから石と薪になりそうな枝などを手早く集めていく。クレスもチェスターの手伝いをしながら、行ってらっしゃいと手を振った。

 珍しくミントが先導する形で森を歩き、湖が見えてきた頃、ウィノナが唐突に動きを止めた。

 

「どうしましたか……?」

 

 ウィノナの眉には皺が寄っている。湖の奥を睨み付ける様な眼差しで見つめ、そうして鼻から息を吐いて足を一歩引いた。

 

「ミント、アーチェ、悪いけどアタシは行かない。二人だけで行ってきて」

 

 返答を待たずにウィノナは踵を返し、止める間もなく走り去っていく。唐突な豹変にミントが目を丸くしていると、アーチェが箒を取り出して跨る。

 

「ごめん、ミント! あたしウィノナの事、見てくるから! 気にせずユニコーンに会って来て!」

 

 またもミントが止める間もなくアーチェは飛び出し、手招きするように伸ばした手が虚空を掴んだ。しきりに首を傾げながら、それでもここで立ち往生しているわけにもいかない。

 湖にユニコーンが生息しているのかは知らないが、めぼしい場所に目を通した結果、残っているのはこの場所だけだった。

 ミントは独りで心細いものを感じながら、それでも意思を強く持って湖の畔へと足を近づけて行った。

 

 

 

 ウィノナは二人と別れてからも走り続けて、森の奥深くへと辿り着いた。

 周りは白樺の樹と雑草ばかりが目立ち、奥まったこの場所にはそれ以外何もない。ぽっかりと空いた雑草すら生えない剥き出しの地面の上に立ち尽くしながら、ウィノナは息を整える。

 

 空を見上げると木立で出来た穴から雲が流れていくのが見えた。ゆっくりと形を変えていく様を眺めていると、背後から気配がして振り返る。武器に手を伸ばさなかったのはよく知った気配だったからで、そこには果たしてアーチェがいた。

 

 突然逃げ出すように飛び出したことは申し訳なく思う。ここにアーチェがいるという事は、今はミントが独りだけということ。

 何か危機に襲われる前に帰った方がいいのだろうが、ウィノナは到底そのような気持ちになれない。

 

「ウィノナ、急にどうしたのさ?」

 

 アーチェの問いかけは優しげに気遣うもので、ウィノナは一層申し訳なくなる。

 ウィノナは搾り出すような声で事情を話した。

 

「去年、ここに来た事があった……」

 

 えっ、とアーチェが息を呑む。

 

「叶えて貰いたい願い事があったけど……。必死に願って走り回って探しても、アタシの前には現れなかった……」

 

 遠くを見つめる瞳は暗く、勝手なことだと思いつつ怨嗟が漏れ出すのを抑え切れなかった。

 

「必死に願っても、請い願うだけでは影すら見せてくれなかった。アタシはきっと心が清いとは言えないんだろうね。だから、ミントの傍にいたらユニコーンは出てこないと思った……」

 

 ウィノナはハァ、と息を吐いて笑う。苦い苦い笑みだった。

 

「でも、こんなこと言えないでしょう?」

 

 悲嘆に暮れるような顔をするウィノナに、アーチェは抱きついて慰めたくなる気持ちになった。

 それだけの告白を聞いて、自分だけ何も言うわけにもいかない、とアーチェは思った。

 

「あたしもね、ここに来たのはミントの前から逃げ出す為だったんだ……」

 

 ウィノナの眉が寄せられ、難題を突き出されたような顔をする。

 

「だからさ、ユニコーンは心と身体の清い乙女にしか姿を見せないでしょ? ……だから、そういうことなんだよ!」

 

 アーチェは顔を赤くして、そっぽを向く。やはりウィノナは今一理解できず、首を傾げた。自分と同じでただ必死に願うだけでは現れない、と言いたいのか。心が清らかではないと自覚しているのだと。

 

 尚も問いを重ねようとした時、ウィノナは邪悪な気配が森のどこかから漏れ出て来るのを感じた。動きが固まったウィノナを見て、アーチェは何があったと寄ってくる。

 

 それは湖があった方から広がるように迫ってきて、肌が焼けるようにすら感じられた。この気配には覚えがある、一定以上の強さを持つ魔族から放たれる気配だった。森の奥深くまで来てしまったのが仇となった。ここからでは随分と距離がある。

 ウィノナはアーチェの腕を取って走り出す。

 

「ミントが危ない、急ぐよ!」

 

 

 

 ウィノナ達が到着した時、決着は既に着いていた。

 同じく気配を察知してやって来たであろうクレス達が、倒れたミントを庇うようにして立っている。その足元に三体の魔族の死体が転がり、そしてその更に先──湖の畔にはユニコーンも倒れていた。その首筋からは血が流れ、湖の端を赤く染めている。

 

「ミント、大丈夫!?」

「私は大丈夫です、それより……」

 

 ミントは自力で起き上がると、縋りつくようにユニコーンの傍に寄る。

 

「……先程の話、信じますよ」

 

 ユニコーンが首をもたげ小さく身を起こし、人の言葉を発した。ウィノナはそれを複雑な心境で見守る。

 ミントとユニコーンとの間にどのような会話があったのかは分からない。しかし見る分において、この一人と一匹はこの短い時間で信頼関係を築いたようだった。

 

「お嬢さんの心には一片の曇りもない……。きっと、これより先にマナが失われること、そしてそれを救いたいという心に偽りはないのでしょう……」

 

 ユニコーンは起こしていた首をゆっくりと降ろし、荒くなってきた呼気を落ち着かせる。

 

「私は別の形となって、貴女に力を貸しましょう」

 

 ユニコーンは一つの嘶きと共に光に包まれる。次にそれが晴れた時には、一本の捩れた白い杖が現れていた。杖先には赤いルビーのようにも見える大粒の石が嵌め込まれている。

 

 確かにウィノナには覚えがある。もっと古ぼけた印象だが、それは確かに世界樹の根本に刺さっている杖だった。

 その杖はゆっくりとミントの前まで導かれるように空中を進んでくると、その手に収まる。

 

「この杖──ユニコーンホーンから法術の聖なる力を感じます。これならば母のような強い法術がなくとも、世界樹を救う事ができるかもしれません」

 

 クレスは明らかにホッとした息を吐く。そうしてから、思い出したように後ろを振り返った。

 

「──ところで、アーチェとウィノナはどこ行ってたんだ?」

「あぁ……」

「えー、えっと……」

 

 ウィノナとアーチェは揃って目線を空に向け、乾いた笑いを響かせた。

 

 

 

 その日は白樺の森で一夜を過ごし、翌日朝早くから出発して平原を一気に越えることになった。

 石で囲まれた焚き火を中心に幾つか倒木を椅子代わりに用意し、各々席に着く。

 

 チェスターからはミントの危機についての厳しい言及があったが、いずれも黙殺されるか露骨な話題転換で理由をついに話す事はなかった。ただミントに対しては二人でしっかりとした謝罪を行ったが、ミントはまるで気にしていない。

 

 自分よりも二人の心配をする程だった。

 せめてもの償いに寝ずの番を引き受け、アーチェとウィノナがその任に着く。夜は二人で交代して火と周辺の警戒をし、朝陽が昇ると軽めの朝食の後すぐに出発となった。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ミッドガルズ近郊の港から、船の出航が再開していたのは幸いだった。

 そこでヴェネチアまで大幅な旅程の短縮ができた。徒歩なら三ヶ月掛かる道のりも船ならば一月あれば到着するし、この時期の海は荒れ辛い。

 順調に航路の予定が半分過ぎた頃、チェスターがある事に気がついた。

 

「なぁ、そういや……ユークリッドには寄ってかねぇの?」

 

 それは男三人、甲板で手摺に身を預けながら海を見ている時の事だった。

 

「別にその予定はないな」

 

 クラースは海を背にして手摺に肘をつき、ボーッと空を見上げて言った。

 

「いいのかよ、クラースの旦那? 顔ぐらい見せに行けばいいじゃねぇか」

「世間じゃ魔王を倒してめでたしめでたし、かもしれんが、我々にはまだやらなければない事がある。寄り道している暇はないよ」

「……それで、本音は何です?」

 

 クレスが笑いながら訊くと、クラースはげんなりとして言う。

 

「村にいるとバレてみろ。ミラルドから飛んで来る小言は、きっと尋常ではないぞ」

 

 クレスとチェスターは声を揃えて笑う。

 ウィノナはそんな男連中を、後ろから無感動に見つめていた。その隣ではアーチェがミントに指導されながら、手袋の修繕を行っている。

 

 それは肘から二の腕辺りまでの長さを持つ、オペラグローブと呼ばれる手袋だった。防塵防寒目的というよりも、おしゃれ目的で身に付ける類いの物だった。

 

 このところ暇な時間を持て余しているので、その空いた時間を利用しようとアーチェは裁縫に夢中だった。いや、夢中というには語弊がある、楽しんでいる様子は皆無だった。

 

 アーチェが裁縫に手を付け始めた日にそれとなく訊いてみたのだが、その時ははぐらかされてしまっていた。もう一度訊けば教えてくれるだろうか、と物は試しにウィノナはアーチェに顔を向ける。

 

「前にも訊いたけど、アーチェって裁縫とかする人だった? 突然そんなこと始めてみたりして」

「いやー、全くそんなつもりなかったんだけどねー」アーチェは手元の作業に悪戦苦闘しながら返答する。「前にミッドガルズでさ、イイ感じの手袋見つけたんだけど、このままじゃチョット使えなくてさ」

 

「ふぅん? 穴でも空いてたのを掴まされた?」

 

 アーチェは手元から目を離し、ウィノナの顔を見て苦笑した。

 

「そう言うんじゃなくって。元々見た目だけで決めて買ったからさ、そのままじゃ使えないから手直ししたくて……」

「それでわざわざ、ミントに教えて貰いながら?」

「うん、こういうのは自分でやらないと意味がないから」

 

 ふぅん、と相槌を打ちながら、アーチェの手元に目をやる。どうやら継ぎ布を当てているようだが、まさかそれを一回り大きくしようと試みているのだろうか。

 

 チェスターにでも渡す為かとも思ったが、それにしてはデザインが女性的に過ぎた。かといって、アーチェが使うには調整の必要はないように思われる。

 何にしても、これを使える状態に戻すには大変な苦労が必要だろう。既に気分転換と称して、わざわざ甲板で作業しているのがその証拠だ。

 

 幸いにして、この航路が終わるまで自由に出来る時間は余るほどある。到着までに目処が立てばいい、と思いながら、ウィノナは視線を上に向ける。

 

 空はどこまでも青く、流れる雲は白い。遮るものがない海の先には水平線が見えた。この時代における旅の終わりも近い。

 ウィノナはそれを予期して満足感に近い充足と、これから起こるだろう出来事に思いを馳せた。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ベネツィアに到着してからは、ひたすら南下を続けベルアダムより南にある精霊の森へと歩を進める。

 ユークリッドには立ち寄らないとの事だったので、その手前にあるローンヴァレイで、アーチェの顔を見せる目的も兼ねて宿を借りる事にした。

 

 ベッドの数が圧倒的に足りないので、男連中は床の上で寝ることになるが我慢してもらうしかない。

 ローンヴァレイの小屋にアーチェが先頭になって入っていく。一応、形としてノックだけして返事を待たずに入るアーチェに笑いながら、ウィノナ達もそのすぐ後に着いて行く。

 

「お父さん、ただいま!」

 

 元気よく挨拶する様子は長い間、家を留守にしていたと感じさせない自然なものだった。突然の闖入者にバートは驚いたものの、すぐ破顔してアーチェを抱きしめる。お互いの抱擁を十秒程続けてから、その後ろにいるウィノナ達に気が付いた。

 

「おお、随分久しぶりだ。元気だったかい?」

「お蔭様でね」

 

 クラースが代表して答え、軽く会釈して笑む。

 その後はクレスを始めとする面々が順に挨拶していき、再開を祝して握手をしたり肩を叩いたりと様々な方法で喜び合った。

 

 ダオス討伐の報は通った町や村では広く知られていたが、どうやらこの辺境の小屋までは届いていないようだった。だがアーチェも自慢したいわけでも労われたいわけでもなかったから、そのような煩わしさがない事はむしろ嬉しい事だった。

 知らないなら知らないでいい。少なくとも、今のところは。

 

「しかし随分急な帰宅だったな! ぼちぼちゆっくりできるのか?」

 

 バートが問うと、アーチェは申し訳なさそうに首を振る。

 

「ごめんね、お父さん。実は明日にでもまた出かけなきゃならないんだ。──でも安心して、今度はすぐ帰ってこれるはずだから」

 

 そうか、とバートは寂しげな笑みを見せたが、すぐに表情を取り直す。

 

「それじゃ、今日はせめても豪勢な食事にしなきゃな。……肉もいるか」

 

 クレスとチェスターが意を得たりと動いて、扉に手を掛ける。

 

「そういう事なら、少し行って狩ってきますよ。大物、期待していてください」

「慣れない土地での狩りも旅の間、嫌って程やってますんで大丈夫。──ほら、行こうぜクレス」

 

 その背を押して出て行くチェスターをウィノナは見送る。相変わらず仲の良い兄弟のようなやりとりは、見ていて微笑ましい。

 

 クレス達を待っている間、バートは他の料理の準備や下拵えを済ませていき、ウィノナ達はお茶を飲みながら何をするでもなく待つ。女性三人はそれなりに会話に華を咲かせる中、クラースだけ残されどうにも手持ち無沙汰で居心地が悪い。

 

 何時間もの間、女性達のかしましい口撃の的にされ、ようやくクレス達が帰ってきて開放されたクラースはホッと息を吐いた。

 

「肉は既に血抜きしてありますから、すぐに解体しますね」

「ああ、ありがとう。助かる」

 

 料理の準備で手一杯のバートは素直に好意に甘え、すぐに竈の前へ戻っていく。それを見ながらチェスターは呆れるような溜め息をついた。

 

「おい、女連中三人も──二人もいて、何で誰も手伝ってねぇんだよ」

「……ねぇ、なんで一人減らした? 誰をカウントから外したのさ、言ってみ?」

「アタシも凄く興味があるわね。今、チラッとこっち見たのと何か関係ある?」

 

 アーチェが眉をひくりと動かしながら椅子から立ち上がると、ウィノナも悪戯めいた笑みを浮かべながら立ち上がる。チェスターはサッと小屋の外へ逃げていく。

 

「あ、俺も解体の手伝いしねぇと!」

「ホントにもー! いっつも、あぁなんだから!」

 

 ウィノナとミントが偲びを漏らすように笑い、お互い顔を見合わせる。その様子を厨房からバートが微笑ましそうに見ていた。

 

 

 

 夕食はバートが言った通り、大変豪華なものになった。

 船の上では基本的に保存食に向いたものであったり、塩で保存した物を水で戻したものを使ったりで、とにかく食事を楽しむという内容のものではなかった。今は新鮮な野菜のサラダや、今日解体したばかりの猪肉の鍋、そしてふかふかのパンと、船旅を抜きにしても普段から食べられるようなものでは決してない物ばかりが並んでいだ。

 

 ウィノナ達は大いに舌鼓を打ち、旅の最中にあったことを面白おかしくバートに伝え、アーチェは親に甘えられる大切な時間を過ごした。特に酒の入ったクラースの精霊自慢は留まる事を知らず、メンバー全員が床に着いてもバート相手に尚も続ける程だった。

 

 

 

 翌日、ウィノナ達が目覚めると、クラースは案の定二日酔いだった。

 自業自得だとアーチェは笑い、クラースの二日酔いの頭に鞭打つように出発の準備を進める。幾らかの保存食をバートから分けて貰っただけでなく、本日の昼食まで用意してもらって恐縮の至りだったが、バートは笑って手を振った。

 

「なに、アーチェにいつも良くしてくれてるみたいだからな。その礼とでも思って欲しい」

「もー、本人がいるところでそういうのやめてよ!」

 

 アーチェがバツの悪そうな顔をして箒を上下に振る。照れ隠しだと分かってはいるが、こういうのも親の特権なのだろうな、とウィノナは羨ましく思う。

 

 あまり見つめていても変に思われると、クラースの遅々として進まない準備を手伝い、そうしてようやく出発の時間となった。

 

「どうも、お世話になりました」

「また来ますよ、今度はこちらから何か用意しないとな」

 

 それぞれの礼にバートは笑顔で返し、そしてアーチェの頭に手を置いた。

 

「それじゃ、行っておいで。身体に気をつけて──まぁ、これまでの事を考えれば大丈夫そうだな」

 

 フフンと鼻で笑いながら、アーチェは首を縦に振る。

 

「うん、今度はすぐだよ。多分だけど、きっとね。そいじゃ行ってくんね!」

 

 既にアーチェとバート親子を遠巻きに見ていた面々に、アーチェが駆け寄る。踵を返して小屋から離れていく途中、アーチェが一度振り返り、小屋に向かって大きく手を振る。

 離れていく背に向かってバートも手を振り返しながら、その背が見えなくなるまでいつまでも見送っていた。

 



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精霊の森、深部にて

 

 陽の傾きが大きくなって来た事もあり、ウィノナ達はベルアダムの村には立ち寄らず、直接精霊の森に向かう事にした。

 

 森の中は相変わらず生気に溢れ、空気の清涼感というものがまるで違って感じられた。長い間ミッドガルズにいたからこそ、あの大地のマナがいかに希薄だったかと分かる。森の中は動物達も多くいて、その元気な姿を見せてはウィノナ達には近づかず逃げていく。

 

 魔物の陰も見えるがクレス達の実力からいって、まるで相手になるようなものはいない。魔物自身も力量差を理解しているのか、敢えて向かって来るようなものはいなかった。

 

 世界樹の前まで一つの障害もなく到達すると、場所を譲ってミントを前に出す。

 ミントはユニコーンホーンを掲げ、世界樹を下から上までゆっくりと眺めた。

 

 蔦の絡んだ樹肌は確かに生命に溢れるようには見えない。ただこれが枯れる寸前の様子を見せているかというと、そのようにも見えなかった。ただこれが寸前のところで耐えているだけに過ぎないのか、実際に余力を残しているのかまでは、ミントには分からない。

 

「いえ、下手な考察など今することではない筈……」

 

 ミントは首を小さく振り、ユニコーンホーンを世界樹の目の前、木の根の間に突き刺す。そのまま先端の石を目標にヒールを唱えると、すぐさま封をするイメージでバリアーを張る。

 

 杖の中で循環するエネルギーが感じられ、外に拡散されるような気配はない。ミントからすれば、至極あっさりと達成できてしまって拍子抜けしてしまう程だった。

 

 しかし──。

 これでは杖の中のエネルギーを守護できても、杖そのものを守護できているとは言えない。クレス達が言うには、触れれば弾かれる程だったというから、これで作業の完了とはいかないだろう。

 しかし、これ以上バリアーの範囲を拡大させれば、その分強度が落ちてしまう。落ちた強度ではヒールの圧力を耐えることが出来ないだろう、とミントは思う。 

 

「とりあえず、ヒールを杖の中で循環、強化する事は叶いました。ですが、まだまだ不安が残ります……」

「明日また様子を見て来ればいい。ぶっつけ本番で解除する必要はなし、何も急ぐことはない」

 

 クラースがそう提案すれば、反対する者も出なかった。

 日は既に傾き、夜の帳が降りようとしている。身体を冷やす前にベルアダムの村へ戻り、一泊しようという提案にも皆が賛成した。

 

 

 

 久方ぶりのベルアダムに、クレスは元よりウィノナも懐かしい気持ちが溢れた。前回の訪れは一年以上前であるのと同時に、その時には隣にいた一人の男を思い出させる。

 じんわりと目頭に熱が生まれそうになるのを必死に抑えて辺りを見渡すと、緊張した空気が狭い村を覆っている。

 

 どういう事かと思って、すぐに思い至る。ぞろぞろと大人数の旅人が村を訪れるのは珍しい事で、時にそういった旅人を装う山賊もいる。だから明らかに警戒を強めた村人達が、遠巻きにウィノナ達を見つめているのは当然と言えた。

 

 下手に刺激するのも不味いと思っていると、村の奥から一人の男がやって来る。見事に禿げ上がった頭、立派な口髭を生やしているのは、この村の村長であるレニオスだった。

 どうやら危険を察知した誰かが、レニオスに報せたらしい。

 クレスは破顔して一礼した。

 

「レニオスさん、お久しぶりです。覚えておいでですか、クレスです」

「……おお、おお! お前さん達じゃったか。実に久しい!」

 

 レニオスもまた破顔すると、村人達の緊張も目に見えて解けた。レニオスはクレス達に近付き一通り見渡すと、老人特有の柔らかい笑みを浮かべる。

 

「無事、合流できて良かったの」

「……はい、お陰様で。色々、大変でしたけど」

「それも旅の醍醐味よの」レニオスはカッカと笑う。「嬢ちゃんも無事じゃな」

 

 ウィノナは一つ頭を下げる。

 

「伝言もしっかり伝えて貰えていたみたいで、ありがとうございました」

「いやいや、半分近く忘れておったからの。礼など逆に申し訳ないわい。ところで──」

 

 レニオスは今一度クレス達全員を見渡し、それからウィノナに視線を戻す。

 

「あの金髪の美丈夫は一緒ではないのかの?」

「ああ……」

 

 ウィノナは一度面を伏せ、それからすぐ笑顔を張り付かせて顔を上げる。

 

「今はただ、別の場所にいるだけです。これから再会する予定なンです」

「そうかそうか……。一時の別れや、その再会もまた、旅の醍醐味よな」

 

 レニオスが何度か頷いた後、クレスが間を見計らってウィノナの隣に立つ。ウィノナに断りの視線を向けてから、村に着いた時より気になっていた事をレニオスに問うた。

 

「アランという人物がここの出身だと思うんですが、まだ帰って来てませんか?」

「ふむ、また懐かしい名前が出てきたの……。昔、飛び出して行ったきり、それからとんと見とらんなぁ……。帰って来たという話も聞かん。何じゃ、あやつを訪ねてきたのかの?」

「ああ、いえ……。それだけの為、という訳でもないんですが……」

 

 ゆっくりとした旅路だったとはいえ、いつの間にかアランよりも先に着いてしまっていたらしい。クレス達はベルアダムの村まで、特に用事というものも障害となるようなものもなかった。順調ではあったが急ぐ旅でもなかったので、旅の予定は余裕を持って組まれていた。

 

 それなのにアランがまだ村に着いていないということは、出資者探しが難航している証拠だろう。一つ一つの村や町で断られる度に、根気よく説得や拝み倒しなどしているのかもしれない。

 

 アランもまさか、この慎ましく生活している村から出資者が現れるとは思っていないはずだ。帰郷への距離が近づくほど、その説得に粘りが生まれていると考えても不思議ではない。

 アランについては、気長に待ってみる方がいいのかもしれない。

 

「それじゃ、レニオスさん。アランが帰って来る予定だと聞いているので、それまでこの村でご厄介になってもいいですか?」

「無論、構わんよ。好きなだけ滞在なさるといい」

 

 レニオスが鷹揚に頷くとクレス達も頭を下げて感謝を示す。どれだけこの地で足止めを食うのかはアラン次第だが、まだこちらの目的も達成できたとは言えない。

 その日は早くに休み、翌日に備える事にした。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ウィノナ達は翌日、朝靄が晴れるのを待って精霊の森へ赴いた。

 世界樹の前に突き刺さった杖の前にミントが立ち、その様子を検分しているその後ろでは、ウィノナ達が少しの距離を取って見守っていた。

 

「……本当に微かではありますが、ヒールの法力は増幅されています」

 

 ホッと息をつく気配もあれば、喜びに声を漏らす気配もミントは感じたが、同時に申し訳なさも感じる。杖に効果が期待できるのは嬉しい。このままの増幅が続けられるなら、時が経つ度にその力は膨大な物となるだろう。

 

 しかし、同時に問題もある。

 如何なる努力を行ったところで、バリアーの効果時間を長く保つ事ができない。バリアー自身は一度使用されれば不可視の壁となってくれるが、今見てみれば薄く色づいているように見える。

 

 ミントはそのバリアーに、そっと手を触れる。

 それは指先だけの圧で蜘蛛の巣状にヒビが入り、たった一日の経過で膨れ上がったヒールがバリヤーを割って飛び出した。ヒールの治癒力に方向性は与えていなかったが、すぐに世界樹へ向かい溶けるように消えて行く。

 

 これでは百年もの間維持し続けるなど、とても不可能だ。

 現代ではこの杖に触れようとすると弾かれる程の強度を持ち、しかもそれが世界樹全体に及ぶとクレス達は言っていた。ミント自身、自分がまだ未熟者である事は承知しているが、だからといって成長すれば可能な現象かと言われれば、無理だと断言できる。

 

 どうしたものかと首を傾けて考えていると、突如眼前に光が溢れた。空間に穴が開かれ、その中から精霊マーテルが現れる。

 ミントは両手の平を胸の前組み、祈りのような姿勢を取って頭を下げる。

 

「──精霊マーテル、ご無沙汰しております」

「貴女方は……。では、今の温かな光は貴女がしたことだったのですね?」

 

 ゆっくりと瞼を持ち上げ、辺りを確認したマーテルは得心がいったように頷く。ミントは敬虔な信者のごとく、そのままの姿勢で両膝を突いて頭を下げた。

 

「はい、私が行いました。……何かご不快なことがあったでしょうか?」

 

 いいえ、とマーテルはやんわりと笑む。

 

「先の急激なマナ減少により、この姿を顕現させるのも最早不可能と思っておりましたが……。貴女の光で幾ばくかの時間、こうして話す事が出来るまでになりました。感謝します」

「……勿体無いお言葉です」

「それで……此度はどのような用向きで参られましたか? この世からマナが失われる事は避けられないでしょう。最期に話す事が出来て良かった、と思うべきなのでしょうか……」

 

 ミントは顔を上げ、マーテルと視線を合わせる。

 

「──いえ、今回の用向きは、まさにその事なのです」

「と、申しますと?」

「私達は世界樹が枯れるのを阻止する為に、こうしてやって参りました」

 

 マーテルは笑みを浮かべる。それは儚い笑みで、ミント達に対する気遣いか、あるいは思いやりの為に見せた笑みだった。

 

「残念ながら、それは不可能です。人が水なくして生きられないのと同じ事……。五年と経たずにマナは消えてなくなり、私も共に滅ぶでしょう」

「いえ、私達はそれを防ぐ手立てを持つからこそ、ここに来ました。先ほどの温かな光を思い出して下さい。その力を法術と呼んでいますが、それを持ってすれば世界樹の復活も不可能ではない、と私達は考えております」

 

 まぁ、とマーテルは顔を綻ばせる。あどけない笑みは、その見た目に反して少女のようにも見えた。

 

「それは大変、素晴らしい事です……。先ほどの光は確かに、この身を癒してくれました。しかし──決して貴女を侮辱するつもりはないのですが、……あの癒しの力を持ってしても滅びを免れる事は不可能でしょう」

「それはよく存じております」

 

 ミントは再び頭を下げる。

 

「私に母のような強い法力があれば、世界樹を救う事もできたかもしれませんが……今すぐ身に付く力でもありません。ですので、この杖──ユニコーンホーンを使い、私の法力を増幅させ続けようと考えていました」

 

 マーテルは根元に突き刺さったままの杖を見て首を傾げる。

 

「一時の強化ではなく、長い間それを続けるということですか?」

「仰るとおり、ユニコーンホーンに掛けたヒールを強化させ、それをバリアーを使って封じ込める事で増幅循環を繰り返させようと試みていました……。そうすれば、いずれ世界樹を癒せるだけの法力を蓄えるだろうと……」ミントは力なく息を吐く。「しかし、それも二日と保たない有様で困っていたのです」

 

 なるほど、とマーテルは首肯する。足元にある杖に触れ、次いで黙考するように目を瞑る。

 

「これは……ユニコーンそのものが形を変えたものなのですね。であれば……」

 

 マーテルは再び沈黙し、ミントは固唾を呑んで見守る。その後ろでクレス達もまた、様子を黙って見ていた。

 マーテルが杖から手を離し、ミントに顔を向けたのはそれからしばらくしてからの事だった。

 

「私にも協力できることがあるかもしれません」

「それは……つまり、どういう事なのでしょうか?」

「私には法力のような癒しの力を持ちませんが、それを補助する事は出来ると思うのです」

 

 ミントは首を傾げ、それから恐る恐ると言った風に口にする。

 

「……例えば、張ったバリアーを拡大させ、それを維持し続ける事も可能に……?」

「拡大を……? それが何を意味するか分かりませんが、試してみなければ確かな事は何一つ言えません……」

 

 マーテルが困ったような笑みを浮かべて杖から手を離す。それからふわりと宙に浮いた。

 

「さぁ、始めてごらんなさい。こちらでユニコーンと共に事に当たりましょう」

「はい、よろしくお願いします」

 

 ミントはその場から立ち上がり、ユニコーンホーンの前まで移動すると杖の先端を包むように両手を添える。

 

「……ヒール!」

 

 まずは世界樹回復の為の法術を杖先に掛け、間髪置かずに次の法術を発動させる。

 

「バリアー!」

 

 杖の先端に留まる光は、それで霧散する事なく留まり続ける。そこまで終えて、ミントは窺うようにマーテルへ顔を向けた。

 マーテルは心得ているとばかりに頷くと、その手の平を杖先に付いている赤石に向ける。それで光は消失するが、ミントにはそれが石の中に吸い込まれたのだと理解した。時折淡く光を発するところを見ると、当初の予定通り癒しの法力を強化し続けることが出来ているのだと思う。

 

「これでよろしいでしょう。次に──」

 

 向けていた手の平をくるりと回転させ、その後指先を立てて頭上で一振りさせる。

 それだけでバリアーの光が拡大し世界樹全体を覆い尽くす。一度小さく発光すると、すぐに光は見えなくなった。透明化させたのか、それとも別の要因によるものかミントには判別はつかない。

 

 しかし、マーテルの表情を窺う限りは満足の行く結果に終わったようだった。

 バリアーが消えたように見える事で、不安に思ったクレスがそろりと近づき杖に触れようとする。しかし杖に触れるよりも、随分手前でその手が弾かれる事になった。

 

「こ、これだよ……! 僕らが現代で弾かれた時、確かにこんな感じだった……!」

 

 興奮気味にクレスがミントに言うと、ミントは明らかにホッとした様子でマーテルに頭を下げた。クレスも、その後ろにいる面々も慌ててそれに倣う。

 

「お力添えに感謝いたします」

「感謝など……。世界樹を癒すという貴女達の試みに助力をするのは、世界樹に宿る精霊として当然の事。この結界一つを取っても、私個人で行使する事は出来なかった以上、助けられているのは紛れもなく私達の方です。こちらこそ、感謝しますよ」

 

 恐縮です、とミントは頭を下げる。

 

「それで……法力を循環させ続ける期間についてなのですが……、世界樹を癒すのにどれ程の癒しが必要か分からない以上、少しでも長めの方が良いのではないかと思うのです……」

「そうですね、ここまで衰えてしまった世界樹を癒す……。これにかけるべき法力となれば、途方もないものになるだろうという事しか、私にも分かりません」

 

 はい、とミントは頷く。続く言葉を探して口を開いては閉じを繰り返し、遂には手で手を握って黙ってしまう。八の字に曲がった柳眉は見ている方が申し訳なる様な有様だった。

 見かねたクラースが一歩前に出てから頭を下げ、ミントの傍に立つ。

 

「精霊マーテル、私の方から説明する無礼をお許しいただきたい」

 

 ミントから視線を移し、どうぞ、とマーテルは笑む。

 

「先に結論から申し上げます。──これを維持していただきたい時間は、百年です」

「百年……」

 

 マーテルは目を瞬かせる。何を言われたのか分からない、という表情ではなかった。一瞬の動揺はあったが、杖に視線を移動させ、そして直ぐに理解の表情で頷いた。

 

「だから、結界の拡大を望んだのですね?」

 

 今度はクラースが目を瞬かせる番だった。拡大させる事の意味は誰にも触れさせない、という意味だと思っていたし、クレス達の話を聞く限りはそれ以上の疑問の余地はないはずだった。しかし、マーテルには確かな理解の色がある。

 

 こちらの無理難題を快く引き受けるとも思っていなかったので、クラースとしても思わず疑問をぶつけてしまった。

 

「失礼……、それはどういう?」

「違ったのですか? 百年も待てば世界樹は枯れ果てるが道理。枯れた後に如何なる癒しの法力を当てたところで全くの無意味でしょう。だから結界を拡大し、生まれてくるマナの発散を食い止めると同時に、杖から漏れ出る癒しの法力で世界樹を維持しようと思ったのでは?」

 

 クラースは頭を殴られたような衝撃を受けた。

 クレスが言っていたではないか。現代ではむしろ今より世界樹の姿が元気であると。

 言われるまでもなく、滅びかけた世界樹がこの先百年も無策で維持される筈がなかった。百年後にも枯れずに存在していると聞かされたから、そう思い込んでいたに過ぎなかった。

 だから『触れれば弾かれる壁』の存在意義について、そこにあるという以上に深く考えたこともなかった。

 

 これでは順序が逆だ。クレス達の言葉を聞かなければバリアーの拡大をしなかったが、そもそも拡大するという発想が過去にはなかった。

 因果の逆転、それをまざまざと見せつけられた思いだった。

 

 マーテルは意を得たりと頷く。

 

「いずれにしても、マナが世界からなくなる時期については誤差程度だったでしょう。この結界の中でならば百年待つのも可能だろうと思います」

「しかし、こちらの都合で勝手に付き合わせてしまっても良いのでしょうか……。申し訳が立ちません」

 

 ミントが顔を伏せて言うと、マーテルは笑顔で顔を振る。

 

「既にこの命を諦めていました。それがどのような形であれ、救われるというのです。私に否はありません。百年という時間は人にとっては長くとも、精霊にとっては実に短い一時。……貴女が悔やむような事ではありませんよ」

 

 マーテルは笑んで宙を滑るように近づき、ミントの頬を優しく撫でた。

 

「貴女方の救う努力に感謝を」

「ありがとう、ございます……っ」

 

 ミントは感情の波に押されて思わず声が震えてしまった。両手を下で組んで頭を下げる。

 そんなミントを優しく見つめながら、ふわりと離れ世界樹の幹近くへと浮かんで行く。

 そして、それを見つめる面々の中で、一人そこからアーチェが前に出る。

 

「あの! ちょっと聞きたいことがあるんだけど──あるんですけど、いいですか?」

「如何しましたか?」

 

 不躾とも思えるアーチェの闖入にも不快な姿勢を見せることなく、マーテルがおっとりと顔を向ける。

 

「えっと……。その世界樹を守る結界ですけど、それのせいでやっぱり世界からマナが枯渇するんですよね?」

 

 マーテルは少しばかり考えるような仕草を見せたが、すぐさま首を横に振って見せる。

 

「いいえ、枯渇する訳ではありません」

「えっ、しないんですか!?」

 

 驚きの声はクレスから上がった。確かにクレスの生きた現代では、魔術という形態はなくなっているのだ。

 これが枯渇でないというのなら、自分の知る未来とは矛盾してしまう。

 マーテルはゆったりとした仕草で頷いた。

 

「枯渇ではなく、極端な希薄状態になるのだとお考えなさい。このバリアーではマナの流出の全てを堰き止めることはできませんし、出来たとしても致しません。そもそもそれでマナが枯渇するというのなら、他の精霊たちが死んでしまいます」

 

 そのような事は本意ではない、とマーテルは締めくくった。

 それを聞いてなるほど、とクレスは思う。

 

 確かに世界樹の精霊としての存在ではあるのだろうが、だからといって世界樹が守られるのなら他の精霊の存在がどうなろうと知らない、という利己的な性格ではないのは確かだ。

 それを聞いていたアーチェが再び問う。

 

「じゃあ、魔術はどうなる……のでしょうか?」

「間違いなく使えなくなるでしょう。マナは精霊の存在が危ぶまれない程度に拡散しますが、それだけです。とても魔術に転用できるほどのマナは広がらないでしょう」

「そっかぁ……」

 

 期待した答えではなかったものの、アーチェにさしたる楽観はなかった。

 それよりも余程心配なことはただ一つ。

 

「あのー、あたしってば箒で空を飛んでたりするんですけど、それもやっぱり難しかったり……?」

「箒で、空を……」

 

 マーテルは再び考えるような仕草を見せたが、やはりそれは一瞬のことで、すぐに頷き返してくる。

 

「それぐらいならば、不可能ではないでしょう。しかし簡単にはいかないと予測できますし、また出来たとしても、今とは全く勝手が違っているはず……」

「いえ、それならいいです! 飛べるなら、それで!」

 

 アーチェは笑顔で頷いた。

 空を飛ぶことはアーチェにとってごく自然なことで、それを失うということは例えば両足を失うに等しい。しかし何も自分の足が無事だったことを喜んでいるというだけでもない。

 

 これから先、百年先には空を飛ばなければ達成が難しい使命がある。

 無くても可能だとは思うが、あるに越したことはない。

 それを思えば、マーテルからの返事は望外の喜びだった。

 

「聞きたいことは以上ですか?」

「はい、ありがとうございました!」

 

 アーチェが笑顔で返事を返すと、マーテルもまたおっとりと頷く。

 それから改めて一同を見渡した。

 

「それでは私は百年間、この結界を維持、守護し続けましょう」

「──はい、よろしくお願いします。バリアーを解いて欲しいタイミングも、こちらから指定してもよろしいでしょうか?」

「ええ、構いません」

 

 クレスがマーテルへ一歩踏み出し、顔を上げる。

 

「そのタイミングは、大きな振動を感じた時。ダオスが蘇った時に莫大なエネルギーが解放されます。それが合図です」

「……分かりました。百年後、莫大なエネルギーと大きな振動、それを合図に結界を解きましょう」

 

 皆が口々に感謝の言葉を述べ、マーテルが母を思わせる慈悲に溢れた笑みで返す。

 その笑みに誰もが心穏やかな気持ちに包まれた。

 

 ウィノナもまたその笑みに魅了された一人で、マーテルが世界樹の中へ帰っていくのを最後まで見つめていた。そのマーテルが消える寸前、その目と目が合う。

 マーテルの感じる感謝の気持ちがその瞳に映っているようで、ウィノナも同様に嬉しくなった。

 



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あの時代、あの場所へ

 
一部描写は意図的にカットしております。
言ってしまえばトール上陸後の大部分なのですが、ここで一話使って長々と描写する意味もないかな、と思いまして。

そして何より、これでようやく第一幕のラストに繋がります。
 


 

 達成感を胸一杯に溜め込み意気揚々と村に再び戻ると、丁度アランが帰郷したところのようだった。

 村人の幾人かと親しげに会話していたが、ウィノナ達の存在に気が付くと、こちらにもまた親しげに手を挙げる。

 話している最中の村人とは早々に切り上げ、アランはこちらに近寄って来た。

 

「よう、ミッドガルズで別れて以来だな。どうも先に着いていたらしいな、すまん」

「なに、誤差の範囲内だろう。こっちは用事が済んでから、ここまで一直線だったしな」

 

 クラースが事も無げに言うと、アランは困ったような笑みを浮かべて頷く。それは単にこちらに対しての申し訳なさというよりは、ここまでの道のりにあった苦労を感じさせるものだった。

 

 特にクラースの顔を見て出資の件を思い出したのだろう。アランの姿はどう好意的に見ても、順調だったとは感じさせない。

 クラースは心の底に同情と笑みを隠したまま、それと察せられないよう尋ねる。

 

「不躾なことを訊くようだが……、出資はどうだった」

 

 アランは一瞬だけ息を止め、それからすぐに大きく溜め息をついてみせた。

 

「何となくは分かってんだろ? どこからもいい返事が貰えなかったよ、チクショウ。もう借金するしか手はないぜ……」

 

 それならば、とクラースが目配せすると、ウィノナはそれだけでクラースが何を言いたいのか分かった。ウィノナもまた横目で窺い、一つ頷き返して前に出る。

 

「アラン、アタシが出資してもいいけど──」

 

 言った言葉を聞き終えるより前に、アランは顔を跳ね上げると、肩を震わせ一気に飛びつく。思わず身構えたウィノナの手を、喜悦を満面に浮かべながら両手で取る。

 

「本当か!?」

 

 確認というより念押しに近かった。何度も取った手を上下に振りながら問い返してくる。

 ウィノナは成すがままにさせながら、ぞんざいに頷く。

 

「……あなたには世話になったから」

 

 ウィノナもいよいよ手を振り解き、顔を顰めながら言う。そんなウィノナの様子には目もくれず、アランは腕を組んで幾度も頷いている。その表情には笑みが張り付き、ウィノナの言葉に何の疑いも持っていないようだった。

 

「──でも条件がある」

 

 その一言にアランの動きが固まった。ウィノナはそんなアランに頓着せず続ける。

 

「幾つかあるからよく聞いて。……まず、感謝してくれるなら出資者の名前を後世に伝えて。苗字まではいらない。名前だけでいいから」

「なんとも奇妙な頼みだな。感謝しなけりゃ伝えなくていいって意味か?」

 

 ああ、とウィノナは笑む。

 

「あなたの良心がそれを許すならね。条件はまだあるの、いいから聞きなさい。──精霊の森を守り、特に大樹の近くには誰にも近寄らせないこと」

「昔っからある、あの大きな樹の事か? ……まぁいいけど、レニオスの爺様に相談してみるか」

「それはいい考えね」

 

 ウィノナとしても、その案には大いに賛成できるものだった。思い返してみれば、トーティスの村にはレニオスと名の付いた教会と地母神信仰があった。

 恐らくは──世界樹の根元にある杖や決して触れる事の出来ない神秘が、そういった信仰が生まれる要因になったのだろう。

 

 地母神については、あるいは昔からある自然信仰と合わさり形成されたりするのかもしれない。いずれにしても、その信仰が失われない限り大樹に近づいてはならない、という教えもまた忘れられはしないだろう。

 

「そして最後、これが一番重要よ。必ずあなたの子に剣術を継承させて。そして……、ダオスの封印に協力して」

 

 空気が一瞬、固まったような錯覚を覚えた。アランは眉根に深い皺を作り、渋面を作る。

 

「……いいのか?」

「その為にモリスンも遠からず越してくる予定よ。連絡を取り合って協力して、それを代々の使命として。封印には頼りになる前衛が必要になる。そしてそれはアタシの知る限り、──あなたの流派しかない」

「褒められて悪い気はしないがよ……、そっちの坊主だって剣の腕は確かだぜ。弓使いのソイツが一緒なら、尚更頼りになるだろうさ。何故そいつらを使わない? それとも最初から組み込まれる予定なのか?」

 

 ウィノナは首を横に振る。

 

「いえ、この二人は使わないわ。……彼らには彼らの都合がある。この件には関われない」

「そうかよ……。ダオスはいつか、必ず戻って来るんだな?」

「来るわ、必ず」

 

 ウィノナが僅かな逡巡も見せずに頷いてみせると、アランは口の端から息を吐く。数秒の黙考の後、素直に頷いた。

 

「ま、いいぜ。……何にせよ、断るつもりも最初からねぇしな」

 

 ニッカリと笑ってアランは組んでいた腕を解く。

 ウィノナはホッと息を吐いて、それでようやく笑みを見せた。

 

「これで契約成立ね。約束通り、あなたの道場建設に出資するわ」

 

 ウィノナはクレスに顔を向けると、目配せの必要もなく得心顔で頷き一つの皮袋を取り出してウィノナに渡した。

 既にメンバー全員との話し合いで、どれ位の額を渡すべきかは検討されている。今まで稼いで来た額に報奨金を加えたもの、これから先に掛かる旅費と雑費を大まかに計算したものを引いた分だけが入っている。実に現財産の八割以上になる計算なのだが、頭金しか用意できていないというアランの言を信じるならば、これぐらいは用意しておかないと道場は建たない、という見解だった。

 

 それに単に大金を用意するのではなく、一つの企みも混じっている。

 そして、道場が建たないで困るのは、ここにいる全員なのだ。

 

 ウィノナはアランにその皮袋を投げて渡す。敢えて投げたのは、その質量を感じて貰うためだ。

 ガルド硬貨がみっちりと詰まったその袋を受け取ったアランは、目の色を変えて口を開ける。皮袋に視線が固定され、その両手に収まる袋から手を離せない。まるで皮袋にそうした魔力を宿っているかのようだった。

 

「こ、こんなに……!? これだけありゃ、道場だけじゃねぇ! 隣接して自宅まで作れちまうし、それに訓練用の木剣や木人形──ああ、そんだけじゃねぇ、アレやコレだって買えちまう!」

 

 最早嬉しさを飛び越えて悲鳴すら上げたアランに、ウィノナは薄く笑った。

 

「それで……もちろん感謝してくれるんでしょうね、アラン?」

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「俺はお前の銅像を建てる! 感謝の証として、また後世に伝える為にだ!」

「──本当にやめて」

 

 流石に薬が効きすぎたか、とウィノナは後悔にも似た気持ちで思った。

 企みは結実したが、アランとくればウィノナを拝み倒すような有様で、さしものウィノナも辟易としてしまう程だった。

 

 終いにはウィノナの事を偶像崇拝でもしようというのか、先程の口上が飛び出る始末で、これにはウィノナだけならずクレス達も本気で止めた。

 

 何しろ、そんなものトーティス村には存在しない。時の流れに矛盾するという、その一点を以てしても看過できることではないし、それに何よりウィノナが自らを模した銅像など見たくもない。

 

「殴ればいっそ、記憶が飛ぶんじゃねぇかな……」

 

 物騒なことを口走ったチェスターだったが、ウィノナは本気で採用しようと考えた程にはアランは本気に見えた。

 最終的には銅像は絶対にやめてと釘を刺してから、逃げるように村を旅立ち、ウィノナ達は再び北上した。

 数日での到着を目標にベネツィアを目指していた訳だが、そのある日の夜営の最中にアーチェが声を上げた。

 

 

 

「かんせ~い!」

 

 焚き火を前に喜びも露に頭上に掲げているのは、船旅の最中から始めた修繕された手袋だった。その白いオペラグローブは二の腕程までの長さがある。丈夫な布を使ってはあるのだろうが、装飾目的で使うべきもので実利的とは言えない代物だった。それが左右で大きさに違いがあり、右の方が一回り大きくなって見える。

 

 アーチェがやっていたのは、この右手の方の拡張作業で、元の手袋にあるデザインをそのままに使えるよう調整していたのだった。

 

 今回のように夜営があれば寝るまでの時間であったり、あるいはふと沸いた暇な時間があればアーチェの裁縫する姿を見る事が出来た。僅かな時間を見つけコツコツと続けていたのだが、すぐに飽きると思っていたチェスターも、これには素直に感心する。

 

「よくやったなぁ、お前。ぜってぇ途中で匙を投げると思ってたのになぁ」

「アーチェさん、おめでとうございます」

 

 裁縫の師匠であるミントも我が事のように喜び、ウィノナもそれを横で見ながら祝いの言葉を送る。

 

「おめでとう。よく頑張ったね」

「へっへー、そうでしょお? ……という訳で、はいどうぞ」

 

 アーチェは二つ揃いの手袋を丁寧に重ね、それをウィノナの前に差し出す。

 しかし、差し出された方のウィノナは思わず固まってアーチェの顔を凝視してしまった。自分使いの為か、プレゼントの為だろうと予想はしていたが、それがまさか自分の為だとは夢にも思ってもいない。

 それに、そもそも貰う理由がない。誕生日や何かの記念日でもないはずだった。

 

「え……、どうして?」

 

 そりゃあ、とアーチェは指を一本立てて頬を掻く。

 

「だってさ、ウィノナの義手を見てると、やっぱ辛いよ……。不自由しているみたいじゃないけどさ、それでも女の子だもん。普通は無理でも、オシャレできればちょっとは変わるかなって」

 

 ウィノナはアーチェの気遣いに胸が温かくなるのを感じた。ミントの方を窺えば、事前に相談に乗っていたのだろう、ごく柔らかい笑みを浮かべてウィノナとアーチェを見つめている。

 

「でも、ウィノナの義手って左手に比べてちょっと太めでしょ? どっちかに合わせて買えば、どっちかに不満がでちゃうし。だから自分で作ろうと思ってさ。……だから、受け取って欲しいんだ」

 

 ウィノナを正面から見つめ手袋を差し出すアーチェに、それ以上の動きはない。ウィノナが取るまで動かないというようにも見えた。ウィノナはそっと手を伸ばし丁寧に受け取る。胸の前で抱き込むようにして頭を下げた。

 

「ありがとう……。大事にするから……!」

「大事にするのはいいけど、仕舞ったまま使わないとかナシにしてよ~? 身に付けてもらう為に用意したんだから」

 

 それもそうだ、とウィノナは頷き、早速手を通す。

 シルクとは違うが優しい手触りのする丈夫な布が、義手を包むようにして嵌めていく。両手共に着けてみると太さが違う筈の両手に驚くほど違和感がない。素肌と木製の手が違和感を顕著にしていたのだが、それが無くなった今、少し離れれば見分けがつかない程になっていた。

 

 ウィノナは両手を表にしたり裏に返したりと矯めつ眇めつ眺める。

 

「ありがとう、アーチェ。何だか自分の手が帰ってきたみたい……!」

 

 はにかむ様な笑顔から満面の笑顔に変わる。アーチェはその笑顔が見れただけでも、ここ何十日と掛かった苦労が報われたと感じた。ウィノナの事をよく知るクレスとチェスターも、ようやくウィノナが帰ってきたと胸中で思った。

 

 ウィノナは感極まりアーチェを抱きしめ、アーチェもウィノナを抱き返す。あまりに強く抱いたせいで、アーチェが悲鳴を上げる事になるのはそれから三秒後の事だった。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 翌日、昼より早くベネツィアに到着し、休憩を挟むことなく港へ向かった。トールへ向かう船上で十分な休息時間が取れるだろうというクラースの意見に、特に反対が出なかったのがその理由だ。

 

 港に停泊しているガレオン船にクラースは淀みなく歩を進める。ウィノナにとっては全くの初対面だったが、クレス達にとっては勝手知ったる仲のようでズカズカと船上に上がっていく。

 

「あんたらは……、またどこか変な所に行きたいって言うのかい?」

「またって……、こう言う事をするの何度目なの?」

 

 ウィノナが隣にいたアーチェに訊くが、乾いた笑みを浮かべるだけで答えをはぐらかす。

 髭面で強面の船長が、訝しげな表情でクラースを見やる。久々の再開に喜びも束の間、クラースは挨拶もそこそこに本題を切り出す。

 

「ああ、また一つ頼まれて貰いたい」

 

 船長は仕方ないと苦笑するばかりで、断るつもりはないようだった。腕を組んで顎をしゃくり、続きを促す。

 

「目的地は海の上。……洋上に船を出して欲しい」

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「ベネツィアより北東、海上百キロ地点……。まぁ、まずまずこの辺りだろう」

 

 クラースの要求に目を剥き、危険手当を込みにした過剰な料金の請求したものの、難なく支払いを済まされてしまえば、船長としても否とは言えなかった。

 

 そもそも船とは馬車のように扱うものではない。あそこに行け、あちらに行けではなく、決まった道のみ──航路を行き来する為に使われる物なのだ。

 

 それでも嫌な顔一つするだけで送り届けてしまうのは、やはりクレス達の事が気に入っているという理由からだろう。

 

「ありがとうございます、船長。ここまでで結構です」

 

 クレスが頭を下げると、船長は首を傾げる。

 ここは見渡す限り海の上だ。孤島がある訳でも、或いは珊瑚礁が見える場所でもない。

 

「本当にここで? 何もない海の上だぞ? 何がしたいんだ?」

「我々の目的は海中に潜る事だからな……。世話になった」

 

 クラースもまた帽子のツバを摘まみ、頭を下げる。

 

「まぁ、あんたらみたいな突拍子のないこと言う客は他にはいないが、金払いの良い客ならこっちも文句はないしな」

 

 他の面々も続いて礼を言うと、それを見計らってクラースが船上に手をかざした。 

 

「では、ウンディーネを召喚するぞ」

 

 詠唱の終了と同時、宙に不思議な紋様が現れると、次いでそこから絶世の美女が現れる。大きな剣を持った波打つ青い髪を持つ女性は、辺りを一瞥するとクラースに目を向ける。

 

「我が主よ、用件は何か?」

「私達を海底深く沈んでいる、超古代都市トールまで導いて欲しい」

「承知した」

 

 またも突拍子もない事を言う奴だ、と船長は思った。しかし精霊は事も無げに頷くと、大人十人が入ってなお余裕のありそうな、大きな泡を作り出す。

 

「この泡の中に入るがよい」

 

 クラース達は言われるままに泡の中へと入っていく。

 その糞度胸は何なんだ、と船長はまたしても苦い顔をする。普通、精霊が作り出したものとは言え、少しは躊躇するものだろう。

 

 考えている間に、その泡は宙に浮き上がり、船上を離れて海底に沈んでいく。後には沈黙と、風の凪ぐ音だけが残された。

 

「何とも不思議な連中だったが……。よし、引き上げだ!」

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 海の中は静かで暗かった。

 入った泡の中は問題なく呼吸が出来たし、透明な膜の中から見える海の世界は新鮮で楽しかった。ただし、ふわふわと頼りない足場だけが不満で、転んだ拍子に泡の表面から飛び出してしまうのではないかと思える程には安定感がない。

 

 下へ下へと進むにつれ、建築物らしい何かが徐々に見えてくる。海中を進むほどに光の差し込みも薄くなり視認性も悪くなるはずなのに、それだけは嫌にハッキリと確認できる。そうして更に近づいた時、それが都市であると理解できた。

 

 今まで見て来たどの建築様式とも違う家が幾つも連なり、苔むした地面のせいで都市全体が緑に覆われて見える。

 ウィノナ達は都市の地面に降り立つと、泡はそのまま弾けるように消えてしまった。

 

 海中に沈んだはずの都市なのに、そこには空気があって水に溺れる心配もない。海上から差し込んでくる光がカーテンのように都市を照らし、その都市の横を多くの魚影が通り過ぎていく。

 

「ここは本当に海の底なのでしょうか?」

「わぁお! 上に海がある!」

「──勝手に離れるんじゃねぇよ」

 

 ミントが周りを見ながら呟き、ふらふらと歩いていくアーチェの襟首をチェスターが掴む。ウィノナは呆気に取られぽっかりと口を開けたまま、視界に広がる異常な光景を見上げていた。

 クレスはそんなウィノナの顎を、そっと押し上げてやる。

 

 それを横目で見ながら、クラースはごく冷静にトールという都市を観察していた。

 

「目では確認できないが、水圧に耐えられる壁のような物で都市全体を覆っているようだな……」

「僕たちには想像もつかない技術ですが、それでも時間転移装置なんて、本当にあるんだろうか?」

「トールが沈んでいるのは本当だった。モリスン殿から聞いた話は嘘じゃなかった。これ以上は信じて進むしかないだろう」

 

 クラースの言う通り、信じて進むより他はない。決意と共に足を前に進めるが、そこからが問題だった。

 何しろ、この都市では自分達の常識がまるで通用しない。不可解な建築様式から来るドアの開閉にしてもそうだった。何しろドアノブが存在しない。近づくだけで開くので、その必要がないのかとも思ったが、全く反応しないドアもある。

 

 そうなると手も足も出ないので、とりあえず叩いてみたがやはり開かない。試しに入り口脇にあった細長い穴に拾ったトランプらしきものを差し込めんでみると開いてしまった。しかも、人の気配がないのに誰かが話しかけて来さえする。

 

 早々に理解する事を諦め、ウィノナ達は奥へと進めるだけ進んでいく。

 その中の一つ、大量のドアを横一列に貼り付けた大部屋があったが、これが理解不能の極致だった。

 ドアには鍵が掛かっているのに、鍵そのものは部屋の中に置いてある。その鍵をドアに使えば、単なる倉庫とも思える部屋に繋がっていたのはいいとして、その隣の部屋も先程と同じ部屋に繋がっている。

 

 よく似ただけの部屋かとも思ったが、次に入った隣の部屋はここに入って来るのに使った通路だった。入ってきたのは一番右端の扉からだったはずで、今は左から二番目の扉を開けた。どう考えても繋がっているはずがないのに、それでもやはり見間違いではなかった。

 

 どういう事かと頭を悩ませながら次々と別のドアに入り、そうして辿り着いた新しい部屋は、明らかにそれまでのものと様子が異なっていた。

 使われている床の石材からして違うのは勿論、その先に続く細長い通路の先には見た事もない特殊な装置がある。

 

 もしも時間移動装置というものがあるのなら、これがそうなのかもしれなかった。

 ウィノナ達は装置の前まで足を進めると、円形に広がる舞台のような場所で立ち止まる。

 

「さて、使おうにも一体どうすればいいのやら……」

 

 装置を下から上へ眺めつつクラースが呟くと、どこからか不思議な声が聞こえた。

 

「メインシステム起動。バイオロムチェック」

「な、何だ!?」

 

 空間そのものに響くような声質は、今まで聞いた事もない物だった。思わずクレスが身構え、同じくウィノナとチェスターも武器を構える。部屋全体が薄暗くなると共に、ウィノナ達の目の前に人の顔とも仮面とも取れる半透明で巨大な幻像が現れた。

 

「これは!?」

 

 クラースも同様に身構える。

 

「マザーコンピュータールームへようこそ。私はトールシティの全機能をサポートする、マザーコンピューターシステム・オズ。使用目的を選択して下さい」

「え、なに……? 何を言ってるの?」

 

 ウィノナは困惑して浮かぶ幻像を見返すも、無機質な表情が視線を向けもせず浮かんでいるだけで何を言うでもない。どうしたものかとクラースの方へ顔を向ければ、顎の先を摘んで考え込んでいた。

 

「使用目的……、と言うからには、こちらがここに来た目的を話せば理解してくれるのか?」

「言ってみますか?」

「……まぁ、物は試しか。いきなり豹変して襲ってくる事もあるまい」

 

 クラースは一度咳払いをしてから、改めてオズへ顔を向ける。

 

「時間転移をしたいのだが、頼めるか」

「──音声認識。タイムワープ・デバイスドライバー起動」

 

 オズの周囲に半透明の板のような物が複数表示され、そこに文字の羅列が凄まじい勢いで流れていく。

 

「反重力エネルギーチェック。……時間転移に要するエネルギーの蓄積を確認。……転移相対年数を述べよ」

 

 クレスが困惑してクラースに顔を向けると、少し難しい顔をしてからクレスに顔を向ける。

 

「クレス、お前達が来た正確な年代はいつだった?」

「え、えぇっと……。A.C4304年です。五月二十一日から来ました」

 

 なるほど、とクラースは頷いてからオズに向き直り、ハッキリとした声音でオズに伝えた。

 

「今から百一年後、五月二十一日を指定する」

「精霊の森より南にある地下墓地、その最奥へ!」

 

 クレスがクラースの言葉に補足を入れると、オズはその姿を消す。部屋が明るさを取り戻し、それからしばらくすると、またどこからかオズの声が聞こえた。

 

「時間転移先空間座標、安全条件クリア。メインプロセスを開始します。乗員は所定の位置に移動して下さい」

 

 クラースが振り返り、一同を見渡しながら言う。

 

「どうやら始まるようだな……。準備はいいか? 一度向こうへ飛べば、すぐにダオスと相見えることになるだろう。準備不足と感じたなら、今ならまだ引き返せる。──どうだ、行けそうか?」

 

 口々に大丈夫だと返す中、クラースは最後にウィノナに目を向ける。その視線は他のものとは種類が明らかに違う。

 ウィノナも何を言いたいのか理解している。

 

 ──ついにここまでやって来た。

 ウィノナにとっては邂逅の時であり、ダオスにとっては再会の時が、あの時代とあの場所にはある。

 

「失敗はしない。今度こそ、ダオスを救ってみせる……!」

 

 ウィノナの力強い決意と宣言に、皆が頷く。

 

「行こう、みんな!!」

 

 クレスの掛け声で全員がオズの直下にある、円形の舞台らしき台に立つ。

 

「いよいよだ……」

 

 チェスターが言ってクレスが頷く。

 

「僕らの時代に帰るんだ……。ようやく」

 

 そうしてタイムワープが開始する。電流のような光が辺りを切り裂くように飛び、舞台を中心に集まっていく。それらは時と共に合わさり、クレス達全員を中心として円形の光の空間を作り出す。

 光の奔流が始まり、幾らもしない内にそれらが一層の激しさと共に輝き弾ける。

 

 ──そして、次の瞬間には全員の姿がない。

 後には奔流の名残りと静寂だけが残された。

 




 
クレスが指定している年代と日にちは原作通りです。
場所の指定の方は少し変えてあるんですが、ほぼそのままです。

それでもX,Y,Z座標も伝えずに、時空転移の場所をピンポイントで特定するオズさん凄すぎない?
 


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第六幕 AC.4304年
終わりの場所、そして始まる場所


 
ようやくここまで来れたかぁ、と感無量。
この物語も、もう終盤です。
 


 

 地下墓地、その最奥の間にて、モリスンの詠唱が今まさに完了したところだった。

 

 直前までその場に立っていたクレス達は光と共に姿を消し、過去への時間転移を果たした。後には飛び立った際に舞い上がった埃と、消えた瞬間に発した音が残響として残っている。

 

 その一瞬の間の後、目の前から姿を消したウィノナを見たダオスは激昂した。

 

「彼女をどこにやった!?」

 

 その怒りは天を衝き、怒号が封印の間を震わせる。

 

「何故ウィノナをこの地、この時に呼んで来た! 何の理由あっての事だ!」

 

 その怒りに()てられて、モリスンは身体が竦み動けなくなる。しかし動けないのは単に恐怖からではなく、困惑の度合いも大きかった。ダオスがここまで激昂する理由が、モリスンには分からなかった。

 何故、魔王とウィノナが知り合いかのような発言をするのか。

 

「いや、待て……。彼女のあの姿は……」

 

 ダオスは眉根を寄せ、視線をモリスンから切る。そして消え去った跡に視線を向けた。

 

「彼女の……消え去る直前に見た、あの右手(・・・・)は……!」

 

 只ならぬ気配を発しながらダオスはそこへ一歩近づく。必然的にモリスンの方へ一歩近づく事になり、それでモリスンも一歩下がる。それはまるで重圧が見えない壁となって押し込んで来るように感じられた。

 

「……そうか、そういう事か。貴様が諸悪の根元か。貴様さえいなければ、彼女は──ウィノナは斯様な過酷な目に遭わず済んだものを……!」

 

 今度は憎悪を持ってダオスはモリスンを睨み付ける。

 

「貴様は……! 百度殺して尚、足りん!」

 

 モリスンを睨み付けて恫喝し、ダオスがその手に力を込める。モリスンはダオスの掌に力が集中していくのを力なく見つめる。抵抗しようにも、時間転移に全ての精神力を使った為、既にその力は尽きていた。

 

 諦めにも似た感情がモリスンを支配する。自嘲気味な笑みを浮かべた時、二人の間に幾つもの光球が降り注いだ。

 

「私が送り出した時と同じ光……!?」

 

 ──ならばそれは一つしかない。

 咄嗟に飛び退き事態を静閑していると、床に着地した光は複数の人型を作り次第に明確な姿へ変わっていく。そうして現れた人物の中には、見知らぬ者も幾人か含まれていた。

 

 光の人型から姿を取り戻し、そこから真っ先に飛び出したのはウィノナだった。

 そう認識した直後、不安になる。本当に彼女なのか自信がなくなった。それというのも、先程まで身に付けていた物とまるで印象が違ったからだった。

 

 機能性を重視した作りの黒いレザーで全身を纏った彼女は、寸前に見た彼女と雰囲気に違和感がある。それは小さな違和感だったが、雰囲気だけが原因ではなく、年齢もまた違っているように見えたからかもしれない。あちらで何年を過ごしたのかは分からないが、変えてしまうだけの体験があったのだろうという事は察しがついた。

 

 あるいは、ダオスの激昂はこれに原因があるのかもしれない。

 

「──ダオス!」

 

 喜色満面で駆け付けるウィノナに、ダオスは驚愕した目を向ける。たが、次いで背後に佇むクレス達を見て明らかに警戒して身構えた。そんなダオスを見て、ウィノナは安心させるように優しげな笑み見せる。

 

「待って、ダオス! アタシ達は、ダオスを助けに来たんだよ!」

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ウィノナの嘆願すら込められた言葉に、ダオスの動きが止まる。

 警戒を解く事がないのは、背後に見えるクレス達を信用できないからだった。一度その命を追い立てられた相手、しかしそれがウィノナと共にあり、そして一定以上の距離に近づいて来ない。それがダオスを警戒以上の行動を取らせない原因だった。

 

 警戒と、それ以上に緊張を隠せないのはクレス達も同じだった。

 ウィノナの邪魔をしないよう、必要以上に近づかないのは当然としても、それが安全に繋がる訳でもない。ダオスが怒りに我を忘れるなどという事になれば、真っ先に狙われるのは、その最も近くにいるウィノナではない。

 

 クラースはモリスンの傍に立ち、その顔を見て驚きと共に納得した。これでは、クレス達が過去の時代において出会ったモリスンと、見間違えても無理はない。

 

「……君達は?」

「お探しの魔術師と召喚術士ですよ、モリスン殿」

「私の名を……?」

 

 当のモリスンは突然の闖入者に驚きはしても警戒は薄かった。何しろクレス達と共に出現した者達だ、信頼はともかくとして敵ではないと予想できる。

 しかし、そのウィノナから理解できない発言が飛び出した。

 

 ──封印された魔王を救う、とは一体……?

 

「我々は魔王ダオスを倒す為に追いかけてきたのではありません。──逆です」

「それは、一体なぜ……」

 

 話している合間にも、ウィノナとダオスの距離は縮まっていく。

 懇願するかのように手を伸ばすウィノナに、ダオスもその手を取ろうかと逡巡している様子が見える。

 

 しかし、その手が取られる事はなかった。出した拳を握り締め、眼前に持ち上げる。震える拳を抑えるように手を下ろした。

 

「これは……、どういうことだ」

 

 ダオスの詰問に、ウィノナは動じる事なく一歩出る。

 ウィノナは自分とクレス達が持つ思いが伝わるよう、必死になって答えた。

 

「クレス達がした事は……確かに許せないと思う。アタシも話を聞くまで、そう思ってた。でも、お願い。──聞いて」

 

 ウィノナの必死な眼差しに嘘はない。そもそもダオスにウィノナを疑う気持ちはなかった。それでも素直に信じることが難しいのは、自らの負う責務の為。

 もう二度と足元を掬われるような事があってはならない、という思いからだった。

 

「クレス達は未来からやって来た。だからダオスが追い詰められれば未来に逃げる事も知っていたし、その先で封印される事も知っていた。だから、クレス達はその再現をしなくちゃならなかった。過去をみだりに変えるのは危険だから。……でも、それだけじゃない!」

 

 両手を広げ、声を張り、ウィノナは必死に訴えてもダオスの表情は変わらない。

 それよりも、むしろウィノナは彼らに利用されているのではないか、という疑いさえ浮上してきた。

 ウィノナを盾にすればダオスは攻撃の手を緩めざるを得ない。あるいはそれこそが狙いではないか、とダオスは思う。

 

「この時代じゃ魔術が使えないぐらいマナが希薄な事だって知ってた! だから世界樹を癒してマナを回復する手立ても過去で取ってきた! 全部全部、ダオスを救う為にはそれしかないって思ったからなンだよ!」

 

 ウィノナは息を切らす程に気持ちを込めて訴え続けた。全ての労苦は倒す為ではなく、救う為であると。ウィノナの訴える視線を受け止めて尚、ダオスの表情は変わらない。場を沈黙が支配し、聞こえるのはウィノナの呼吸音と僅かな衣擦れ音だけだった。

 

 ダオスはその端正な顔を、ゆっくりとクレス達に向ける。

 

「……計られた、ということか」

「したのは僕らだ、ウィノナは関係ない」

 

「それを信ずる証拠は!」ダオスは声を荒らげる。「またも封印する為、今度は彼女をも利用し機を窺っているだけではないのか! 失われたマナを回復するだと? ならば今も尚、魔術が使えないのはどう説明する!」

 

「──待ってください!」

 

 ミントが制止しつつ前に出て声を上げる。

 

「私達がしてきたことは世界樹を癒す事ではなく、その癒す手段を確立することでした。過去の時代で癒しては歴史が変わってしまう懼れが強かったから……!」

 

 ミントは両手を胸の前で組み、天井のあらぬ方向を見つめる。その方向にあるはずの世界樹を見つめながら、期待を込めて天に祈った。

 

「……約束を守ってくださるなら、そろそろのはず」

「何を言っている……」

 

 ミントの言葉を合図とするかのように、特大の振動が墓地を襲った。

 その場に居る全員が、その発生した強力過ぎるエネルギーを感じ取る。ダオスの時とは比較にならないエネルギーの奔流が、この地の近くで起きている事が分かった。

 その余波を受けて天井に罅が入り、次いで裂け、墓地に瓦礫と土が降って来る。

 

「ここは危険だ、崩落するぞ! 表に出よう!」

「時間を稼ぎ、もろとも生き埋めにする気だったか……!」

 

 モリスンの言葉にダオスは大いに顔を顰め、マントを翻し襲い掛かろうと構えを取る。

 

「お願いだから信じて! アタシ達はダオスを助けたいンだよ!」

 

 ウィノナの必死の懇願が届いて、ダオスは思わず息をつめた。崩落してくる天井を思えば確かに猶予はそれ程ない。ウィノナを助けながら他の者を打ち倒し、その上で時間的余裕があるかどうか。

 

 どうしたものか、と一瞬の思考の内に、またも天井が崩れる。その大きな瓦礫は、ウィノナの真上に落ちようとしていた。

 

 咄嗟に気付いたクレスが地を蹴り手を伸ばす。しかし、その距離は絶望的に遠く、間に合わないことはクレス自身も理解していた。それでも手を伸ばさずにはいられない。

 

 きっと助けられると、無茶でも何でもやってやると身体に気合を入れる。あんな思いまでして来たウィノナを、このまま死なせる訳にはいかない。そんな結末は受け入れらない。

 その一心で手を伸ばす──しかしそれよりも早くダオスが身を投げ入れ、覆いかぶさるようにウィノナを庇った。

 

 抱きしめられ、ダオスの腕の中でウィノナは呆然とする。

 落下して来た瓦礫はダオスに衝撃を与えたが、怪我らしい怪我もなく悠然と瓦礫をどけ立ち上がった。

 

「早く外へ!」

 

 クラースは片腕を大きく振って、出口へ走りながら叫ぶ。

 ウィノナを抱えて立ち上がりながら、ダオスがその後を追い、クレス達もそれに続く。

 

「ちょっ……! 降ろして、自分で走れるってば!」

 

 赤面しながら身を捩るウィノナだったが、ダオスはそれに取り合わない。激しい振動が続き、いつ崩落するとも限らない中でウィノナを降ろす訳にもいかなかったし、手間を考えれば走り続けた方が良いという判断だった。

 

 実際、その足取りが一番確かなのがダオスで、人を一人抱えているというのにその体幹は安定している。後から追随するクレス達にも追いつかれる事なく走り続けるのが、その証拠だった。

 

 ウィノナは最早ダオスの腕から逃れる事を諦め、せめて少しでも邪魔にならないよう──あるいは全く他意はないが、体重を軽く感じるよう──に身を小さくする。

 

 そうして走り去る通路の中、通り過ぎていく墓石を見て、その一つにウィノナは大きく記憶を揺さぶられた。

 

 かつて休息する場として利用した部屋──。

 暇つぶし程度の理由で墓石を眺め──。

 そしてチェスターが一番始めにそれを発見し──。

 

 一際大きな振動と落盤にダオスが横に大きく跳躍する。それでウィノナの意識が墓石から移る。今はそんな過去の記憶よりも生命の危機を優先するべき時だった。

 

 人工的な墓地部分を抜け、そこに繋がる自然窟へ足を踏み入れる。落ちる瓦礫や石は激しさを増し、前進する先にも次々と落ちてくる。そもそもの地面にも落ちてきた岩などがあって進める場所も限られていた。

 生き埋めの可能性も脳裏を掠めそうになった時、ついに出口の光が見えた。

 

 光の先に身を投げ出すように飛び込み、全員がそれに続く。背後を振り返ると全員の身の安全を確認できると共に、洞窟の入り口が崩れて落ちる。

 

「間一髪だった……」

 

 クレスが息を吐いて肩を落とすのと同時に異変を察知した。大きく呼吸を繰り返せば、その違いは顕著に感じられる。

 空気の密度が違うとクレスは感じたし、それは他の全員が思ったことだった。

 

 それ以外にも何かが違う事は分かったが、何がと言われると表現するのは難しい。ただ分かるのは、心地よい清らかさが満ちているということだった。

 

 見上げると、遠くには青々と茂った葉を持つ大樹が見えた。そして、その方向に見える大樹と言えば、それは一つしかない。

 山の向こう、トーティス村より程近く、精霊の森のある場所に、クレス達が知るより遥かに大きな樹がある。

 それを見たダオスも困惑した表情で言葉を零した。

 

「あれは……。では、本当に?」

「いい加減降ろしてってば!」

 

 ウィノナが身を小さくしながら言うと、今度はダオスも素直に降ろす。ウィノナは気まずそうに身なりを整えた後、上目遣いに尋ねる。

 

「……信じてくれた?」

「これを見せられれば信じる他ない……。死に行くしかないと思った大樹が、ああも見事に復活していれば」

「賭けな部分もあったけどね」

 

 ウィノナは苦笑しミントを見る。ミントもまた、上品に口に手を添えた笑みを見せた。

 

「世界樹の元まで行きましょう。精霊マーテルに感謝と、そして一応……その無事を確認しなくては」

 

 ミントの言葉に全員が頷き、そしてダオスを伴って世界樹の根元に向かうことになった。

 



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宿願の結実

 

 精霊の森に辿りつき世界樹の根本まで足を進めると、その樹幹の正面に光が集まった。一瞬の輝きと共に現れたマーテルは、その目元を涙でしっとりと濡らしている。

 

「ありがとうございます……。かつて交わした約束の通り封印を解いてみれば、莫大な癒しの力がかつての姿を取り戻させてくれました。感謝の言葉が見つかりません……」

「それは何よりです……!」

 

 ミントが両手を胸の前で組んで笑みを浮かべる。ウィノナも同様に笑んで頷いた。

 

「それじゃあ、大いなる恵みは……?」

 

 そう聞けば、マーテルは少女のような無垢な笑顔を浮かべて軽やかに答えた。

 

「……いずれ、必ずや実ることでしょう」

 

 マーテルのその言葉に、ダオスが思わず皆をかき分け前に出る。そこからマーテルの正面まで歩を進めると、マーテルのきっちり三歩前で足を止めた。片膝をついて頭を小さく下に向ける。

 

「唐突かつ無礼を承知で、お願い申し上げる。その実りが生まれた時には、是非私に授けて欲しい。……我が故郷は死に行く大地。大いなる恵みを求めて、長くの時を旅してきた。魂削る旅を耐えてこられたのは、まさしくこの恵みを手に入れる為。……どうか!」

 

 血を吐くような思いで言い終わり、ダオスは改めて深々と頭を下げる。

 見るに見かねてウィノナも横に立ち、一緒に頭を下げた。

 

「アタシからもお願いします、どうかダオスに大いなる恵みを授けてください!」

「……頭をお上げください。元より断るつもりはありません」

 

 ダオスが顔を上げ、そうしてもう一度、感極まった仕草で頭を下げる。ウィノナもまた顔を上げると、ぱぁっと花開くような笑顔へ変わっていく。

 

「ですが……、もちろん今すぐにというのは無理です。世界樹は今まさに活力を取り戻したばかり、実りを得るには多くの時間が必要です」

「それは、ごもっともだと思います」

「実りを得るのに必要な時間は、百五十年は後になるでしょう」

 

 その膨大な時間にウィノナは思わず瞠目した。マーテルの顔を窺えば、その端正な顔を申し訳なさそう歪めている。しかし対してダオスは、事も無げに(かぶり)を振った。

 

「時間は私にとって敵ではありません。百年の歳月とて私には瞬きに等しい。だが、気掛かり──というよりは懸念が一つ」

 

 何でしょう、とマーテルは微かに首を傾けた。

 

「いえ、これは世界樹やマーテルとは直接関係のある話ではありません。それとは別の──」

 

 ダオスは真摯に向けていたマーテルへの視線をずらし、幾らか剣呑の混じったそれをクレスらへ向ける。

 

「貴様らの言う通り、確かにこの時代にマナはなかった。だから魔科学も用を成さず、衰退したと言われれば納得もする。しかし、これより先の時代は別だ。かつての技術を掘り起こし、あるいは新たな技術として生まれて来る可能性は常にある……」

 

 それは確かに、ないと断言する事はできない事柄だった。むしろ、当然あり得る未来だと納得できる。

 マナの復活と共に魔術の復活を察知し、研究研鑽の再会が行われ、それに伴い魔科学への関心が深まっていく様は目に見えるようだった。

 それは十年、二十年という短い時間でならば杞憂に過ぎないかもしれない。しかし百年以上先の未来では、何が生まれて何が衰退しているのか想像する事は難しい。

 

 これから百五十年先の未来へ行っても、魔科学の発展と共に、またもや大樹が枯れているかもしれないのだ。

 これを防ごうと思えば、ミッドガルズ同様また戦争を持って技術を捨てるよう脅すか、より過去に戻り発明者を殺すか。だがこれは完全にいたちごっこで、成功したところでまた別の誰かが新たな理論を構築する可能性が常に付きまとう。

 

 未来へ小刻みに飛び、魔科学の兆候があれば説得する、納得しなければ殺す。そんな事はとても現実的とは思えない。

 大いなる実りが得られる希望はある。それは確約して貰えたが、その実を得ることは言うほど簡単なことではないようだった。

 

「──人間によるマナの大量消費。それによる大樹への被害、この懸念が消えぬ」

 

 ダオスが吐露すると、意を得たりとミントが頷いてみせた。

 

「では、ユグドラシルに再びバリアーを張り、マナの流出を防ぐというのは如何でしょう。世界は依然変わりなくマナは希薄、魔術が使えるほどにはなりません。バリアー内のマナは大樹の周りだけに限定して循環します。実りの時も、より早く訪れるのではないでしょうか」

 

 ダオスは顎の先を摘むようにして考える仕草を見せ、しばらくして、マーテルへ窺う視線を向ける。

 

「……問題はないと思います。そうであれば、実りの時期も早まり、五十年の時で現れることでしょう」

「懸念は取り除かれた」

 

 ダオスはようやく表情を和らげる。それを見ながらミントは頷く。

 

「私達も、ただ手をこまねいている訳にはいきません。魔科学の危険性、マナの重要性を説き、世界樹があるがままに生きられるよう尽くす必要があるのではないしょうか」

 

「ならばそれは、私にも協力できるな」クラースが胸を張って言う。「こと魔術の研究となれば私の右に出る者はそうはいないぞ。魔科学そのものが悪という訳でもない。マナの大量消費こそが悪だという論説でいけば、世間の賛同も得られるかもしれない。我が研究所にも、召喚術だけではなくスポンサーの得られ易い研究の一つも設立してみるのもいいかもしれない」

「そしてそれに乗っ取られるわけか……」

 

 チェスターがボソリと言うと、クラースは目を剥く。

 

「恐ろしい事を言うんじゃない! 我が召喚術の可能性は無限、魔術にも魔科学に決して劣るものではない。──そうとも、十年先には立派な学問として認めさせてみせる」

 

 決意を胸に秘めるクラースを横目に、とりあえずクレスは胸を撫で下ろした。

 

「何はともあれ、これで安心できるって事なのかな……」

 

 良かった、と息をつくクレスに他の面々も笑顔で頷く。そうして緊張していた空気が幾らか弛緩する中、ウィノナがぽつりと寂しそうに呟いた。

 

「じゃあ、会うのはこれで最後になるのかな……」

 

 え、とクレスはウィノナに身体を向け、そしてダオスは目を伏せる。

 

「別にいいじゃないか、一緒に着いて行っても……」

「……出来ないよ」

 

 朴念仁のクレスでも、流石にウィノナがダオスに向ける感情は分かる。だから、その何気ない提案にウィノナが断るとは夢にも思わなかった。

 

「いや、でもよ……」

 

 悲壮なウィノナの表情を見て、チェスターは言いよどむ。その表情からは思いつきで言っているのではない、既に決意した心情が窺えた。あれだけ尽くして来たというのに、ウィノナは共に行く気がない、という事にチェスターも意外に思った。

 

 しかしそれでも、決めたのはウィノナなのだ。それをチェスターが何かを言えるはずもない。一時考えるように眉根を寄せ、しかし説得するのも何かが違うと思い直す。

 すぐに無理して笑顔を作った。

 

「まぁ、なんだ……、着いて行かないまでもさ。──ホラ、五十年先には会えるだろ。そりゃ老けた顔を見せるのは抵抗あるかもしれないけどよ……!」

「過去は変えちゃいけない。──でしょ?」

 

 ウィノナの寂しげな表情から出された唐突な一言に、チェスターは困惑を隠せない。ウィノナはそんなチェスターを見てから、全員を見渡した。

 

「まだ一つ、やり残してることがある。それを思い出した。地下墓地を脱出する時に気づいたンだ、それが目に入ったから……」

「もう埋まっちまったろ、何があったっていうんだよ」

「……お墓」

「そりゃあ墓ぐらい幾つでもあったさ!」

 

 溜まりかね、苛立つように返答するチェスターに、クレスがハッとする。ここに至って、ようやくウィノナが何を言いたいのか分かった気がした。

 

「──違う、ウィノナの墓があった!」

「ウィノナの墓……? どういうことだ、ウィノナはここにいるのに一体いつ死んだっていうんだ?」

 

 クラースは思わず、ウィノナとクレスの間に視線を行き来させる。クレスの言った事に驚きはしたものの、まず納得できる内容ではなかった。その名が刻まれた墓があったとして、だからそれがここにいるウィノナと関係があるとは限らない。

 

 いや、とクラースは思う。事ここに至って、全く無関係の同姓同名だと考える方が無理がある。

 帽子のツバを下ろし眉根を寄せ、思考を加速させる。

 

「まさか知らずに、時間の流れ変えてしまっていたとでも言うのか……?」

 

 だとすれば、抜本的な改善が必要となってくる。一体どこで何を間違ってしまったのか、改善を行うにしてもそれで何が変わるかの検証も重要だろう。

 頭が痛くなって額に手を当てた時に、チェスターが声を上げた。

 

「なぁ、ちょっと待ってくれよ。……その墓石、年号が変だったろ! だから……なんだ、オマエとは関係ねぇって!」

「いや、……それだよ。むしろ、だからこそじゃないかな」

 

 クレスが得心が言ったように頷いたが、その表情は決して晴れやかなものとは言えなかった。

 

「確か……そう、死没の年が生年よりも先になってたんだ。だから、きっと間違えて彫ったんだろうって。その時はまるで気にしてなかったけど……」

「でも、それには勿論、意味があった」ウィノナは目を伏せる。「時を越えて旅をしてきたアタシたちに、時に関した矛盾が無関係だとは思えない」

 

 それまで現代の事情に疎いが故に、口を挟めないでいたアーチェが声を上げる。

 

「ねぇ待って待って。だったらさ、そのおかしかった年号って大事なことなんじゃん? 死没の年号ってやつ、覚えてなきゃマズいんじゃないの?」

「いや、流石にそこまでは……」

 

 アーチェに指摘をされて顔を顰めたクレスは、ウィノナはどうだと顔を向けるが、そこには諦めにも似た表情で首を振る姿があった。

 

「もちろん覚えてない。アタシにとっては二年近くも前のことだし……」

 

 一気に空気が重くなる。しかしそれを払拭するように、チェスターがわざと明るい声を上げた。

 

「いや、でもよ! 墓さえあればいいってんなら、過去に戻ったクラースの旦那が墓石だけ立てちまうとか!」

「没年まで正確に合わせて立てるのは無理だ。そんな必然を作り出せるわけがないだろう?」

 

「……ああ、クソッ。何だよ。それって、そんなに大事なことか!? 年号なんて適当に刻んで、墓さえ用意すりゃいいじゃねぇかよ!?」

 

 チェスターは地面を蹴る。憤懣やるかたないといった表情で、その内から湧き出る感情を持て余していた。

 クラースは冷静さを取り戻すのを待って、出来るだけ感情を込めずに理を説く。

 

「必要なのは刻む数字の方じゃない。その地でどれだけ生き、影響を与えたかという方だ。人が営みの中で生きていれば、誰かに影響を与え、そして与えられるのは当然のことだ」

「でもよ、そんなに大それた人生送るとは限らねぇだろ」

 

「影響を与えるというのは何も人生を左右する大きな出来事を、誰かの人生に起こすという話ではない。本人にとっては些細なことでも、他人にとっては価値のある出来事というのは往々にしてあるものだ。その些細なことが、百年後の世界にどういう影響を与えるかとまで考えると、もはや予想は不可能だ」

 

 チェスターは黙って唇を噛む。

 

「過去で生きたウィノナの人生が再現されなかった場合、今とは全く違う時間の流れが生まれる可能性は高い。それを無視して、こちらに都合よく変えた結果が最悪な事態を引き起こすかもしれないんだ。……過去にウィノナの墓があったというなら、それを限りなく正しい方法で再現する必要がある」

 

「──ウィノナはここまで、あんなに苦労して来ただろ! それなのに、なんだ……? ダオスに付いて行く事もできず、現代にも残れず、過去に戻って寿命で死ねって!? そんな可笑しな話があるかよ!」

 

 チェスターは自分で言った言葉を頭で理解するにつれ、更に怒りが爆発しそうになった。

 それに待て、と言って掌を前に出したのはクラースだった。

 

「一度、冷静になってよく考えてみよう。そう……チェスターが言う通り、可笑しな話だ。どうして過去にウィノナの墓がなくてはならないんだ? 我々が考えうる必要な役目は全て終わったはずだ。後はダオスを見送って、それで終わりじゃないのか。他に何がいる……?」

「それは……、確かにそうです」

 

 クレスも同意して頷き、首を捻る。

 しかし、その隣でミントが深刻な表情で呟くように言った。

 

「今までだって、現代で観測できたことに無意味なことは一つもありませんでした……。過去の時代で行った、私達が起こした必然でした」

「ってことはさ、つまりウィノナがこれから過去へ行くにも意味があるの?」

 

 アーチェが不満顔で言うと、クラースも流石に首を傾けた。

 

「当然そうだと言いたいが、根拠がな……。単に墓石に刻む年号の帳尻あわせの為だけとは思えん。そもそも単に間違っただけなのか、他に狙いがあるのか、それさえ我々には分からないんだ」

 

 しばしの沈黙が流れる。

 誰もが必死で考え込む。その中にあって誰もが思考に耽って身動ぎさえしない。幾らか時間が経った後、ミントがふと思い出したように顔を上げて言った。

 

「私たちが旅をしたあの時代、まだ地下墓地はありませんでしたよね? でも、だとしたら一体いつ造られたのでしょう?」

「いつというより誰が、と考えるべきかもしれない。……ウィノナの墓は地下墓地のどこにあったんだ?」

 

 クラースが顎の下に手を当てて返答すると、クレスが疑わしそうに眉根を寄せる。

 

「それって関係あるんですか?」

「あるかもしれないな。──で、どこなんだ?」

「ダオスが封印されていた場所より、少し手前でした」

「つまり最奥、か。だとすると……」

 

 クラースは一度考えを整理するように首を右へ左へ動かして、それから続ける。

 

「ああいった墓地の場合、奥地に行くほど身分の高い者が葬られるのは、よくある事だ。……ウィノナはこの先、過去に戻ることで身分が高くなるのか? それが過去に戻る意味なのか?」

 

 クラースは皆の反応を伺ってぐるりと見渡す。期待する顔、不安になる顔、苛立たしくする顔、それぞれ違うが、共通していることは誰も納得していないという事だった。クラースはそれに肯定するように頷く。

 

「──私も違うと思う。幾つか別の理由も考えられるだろうが、墓地の最奥に葬られるのは、何も高い身分の人間だけじゃない。例えば墓地を作った人間なんかも、その功績でもって奥地を使用する権利を与えられる事があるんだ」

「では、クラースさんはそれが理由だと?」クレスは息を呑む。「それが理由ですか? ウィノナがあの時代であの場所にいるから。だからこそ墓地が出来るというんですか?」

 

 ──他の誰でもなく、ウィノナが?

 

 クレスにはそれが信じられない。何故ウィノナでなければならないのか。クレスの中ではウィノナと墓地が線で繋がらない。

 クラースは尚も続ける。

 

「勿論、それが絶対の正解だと言うつもりはないよ。……しかし、一応の納得はできる」

「でも本当にそうなら、有力者として近くの町に住んでたんじゃないですか? 漁村のヴィオーラ、そこに子孫が住んでいたっておかしくないですし……」

 

 クレスの咄嗟の反論に、しかしクラースは首を横に振る。

 

「クレス、ウィノナは捨て子だったんだろう? トーティスから目と鼻の先、捨てた親かその親戚が住んでいるかもしれない、と思わない筈がない。クレスの親御さんだって、当然捜したはずに違いない。しかし現実として、ウィノナは養子になっている」

 

 だから、あの村にウィノナの親戚はいなかったに違いない、とクラースは持論を展開しながら確信する。そして、だからこそ過去に飛んだウィノナの実情も類推する事が出来た。

 

「どちらにしても、ウィノナに子はいなかったろう。というより、もしいたとしても遠く知らない土地でなければならない。それこそ幼いウィノナがその村に身を寄せることになり、トーティスからいなくなる。……であれば歴史が変わり、ここにいるウィノナはいなくなる事になってしまう」

 

「ああ、もう訳分かんない! じゃあ、どうすんのさ!?」

 

 堪り兼ねたようにアーチェが頭を抱え、クラースも帽子を取って乱暴に頭を掻いた。

 

「話が脱線している、元に戻そう。百年前に地下墓地はなかった。じゃあ一体、誰が作ったものだったのか。それが過去に戻ったウィノナであり、それこそが墓石にあった死没の意味だろうとも思う。突然どこかの誰かが作り出したと考えるより、よほど理屈に合っている」

 

 自分口から出た言葉に、クラースは自分自身で納得がいった。

 ──理屈に合う。

 

 それだからこそ、自分が次に言う言葉が全てを決定づけるだろうと予測した。

 もしかしたら、あるいは別の、と期待する皆の気持ちが打ち砕く言葉。その事を申し訳なく思いながらも、しかし言わねばならないと決意する。

 

 クラースは表情を隠すため帽子を被り直した。

 ──逆説的ではある、しかし。

 因果の逆転。なればこそか。

 

「何故ならあそこは、ダオスが封印されなければならない場所だからだ」

 

 その言葉はアーチェの胸に抵抗なくストンと落ちた。

 反論はしたかったが、それだけの根拠を持たない。子供の癇癪のようなもので、とにかく目の前の事実が気にくわないだけで、それ以上の意味はない。

 先程から何も話さないウィノナに、アーチェはここでようやく顔を向けた。

 

「ねぇ、まさかウィノナは、そこまで考えてたの?」

「それこそまさか。ただ墓石に名前があったんだから、きっと意味がある、それなら仕方ないか、って思ったぐらい。──だからダオス、もう最後なんだ」

 

 吹っ切れたような笑顔を見せるウィノナに、ダオスの切れ長の目が伏せられる。

 

「大好きだよ、ダオス。……きっと故郷を救ってね。」

 

 ウィノナはここに来て確信する。

 この先の未来は誰にも分からない。しかしダオスの希望は叶い、長い旅は終わりを迎える。滅び行く星は救われ、そしてダオスの帰りを待つ民から万雷の拍手と歓呼によって祝われるだろう。

 

 だから笑う、ウィノナは笑顔で送り出すことが出来る。

 

「ウィノナ……」

 

 ダオスは顔を上げ、真っ直ぐにウィノナへ視線を合わせた。

 ウィノナもまたダオスに視線を合わせ、毅然とした態度で頷く。

 

「だからもう行って。今は覚悟ができてる、優しい言葉を聞いたら挫けちゃうと思うから」

 

 それを聞いたダオスは、ぐっと口を引き絞り、ウィノナから顔を背ける。一声でも掛けたい言葉はウィノナの方から止められてしまった。

 ダオスはその代わりに、辺りにいる一同に一人ずつ視線を動かす。

 

「世話になった……。この苦労に報いる手段を持たないが、恩と感謝は決して忘れず心に刻む」

 

 それぞれが頷き、気にするな、と言う。

 

「ダオスの為というより、ウィノナの為にやったんだ」

 

 チェスターが言うと、クレスも曖昧に頷く。

 

「僕ら一人一人がいても、きっと救うという話にはならなかったと思う。だからきっと、これはウィノナの功績だ」

「そのウィノナが会えないっていうんだ。俺たちが健康に生きてても、五十年後ここには来ない」

「その方がいいだろう……。ウィノナも息災でな。そなたへの感謝と恩義は常にこの胸の奥に」

 

 ダオスは情感の詰まった声をかけ、せめての手向けとストールによく似たダオスのマントを肩に掛ける。ウィノナは顔を俯けたまま動かず返事もしない。

 

 ただその掛けられたマントを、掻き抱くように両手で握った。

 ダオスはそれを目にしただけで満足すると背を向ける。

 俯いたウィノナは、それでも顔を上げない。しかし、その背が小さく震えた。

 

 もうダオスは行ってしまう。行けばもう二度と会うことはない。

 ウィノナはこの後、百年前に飛ばねばならないし、ダオスはきっと過去にはやって来ないだろう。

 

 このままでいいのか、ウィノナは自問自答する。

 せめて一言、その背に伝えることがあるのではないか。

 行かないで欲しいとは言えない。だが会いに来て、迎えに来てとは言えるのではないか。

 

 ──幾ばくかの逡巡。

 やっぱり一言、と声を掛けようと顔を上げたのと、ダオスの姿が光に変わり、そして消えるのは同時だった。

 

 ウィノナは消え行く光の粒子を呆然と見つめた。

 ──遅すぎた。

 

 あまりに遅い決断だった。

 ウィノナはがくりと膝を突く。ダオスのマントをより強く掻き抱き、そしてその背が震える。その内から溢れる激情を抑えようとしても無理だった。涙が落ちて地面に幾つもの点を作る。

 

 小さく嗚咽を漏らす始めるウィノナに、誰もが掛けられる言葉を持たなかった。

 



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帰郷

 

 その時のトーティス村は、凄まじい騒ぎだった。

 一つ小さな振動が村を揺らし、地震かと警戒してると更に大きな振動が村を襲った。

 これが単なる地震であったとしても、村は騒ぎになったのは間違いないが、今回の振動は村が守護する聖樹に関する事だった。

 

 眩いばかりの光と振動は、まさに聖樹そのものから発せられたものであり、ともすれば精霊の怒りだと勘違いしてしまう者も出る程だった。近年、次第にその姿を枯れさせていき、寿命も間近なのかもしれないと憂いてさえいた時に、この騒ぎだ。

 

 何が起こるかと固唾を呑んで見守っていたところに、立派な姿を取り戻した聖樹がある。

 様子を見に行くべきだ、いや危険かもしれない、今はまだ静観しよう、と村人達が言い争っている時に森の方角から何者かがやって来た。

 それも一人二人ではなく、明らかに五人は超す集団が近づいてくる。

 

 ユークリッドから帰ってきたばかりのミゲールだったが、その警戒と対処に当たって欲しいと村人たちに頼まれては否とも言えない。妻のマリアとの話し合ってを中断させ、腕の立つ門下生数人に声を掛けるとすぐに家を飛び出す。

 

 急ぎ村の入り口へ移動して、やってくる一団を警戒する。 

 この騒動と関係のある一団なのかと睨み付けていると、その先頭に立っているのが少年だと気が付いた。ただの少年ではなく、ミゲールのよく知る人物──。

 自分の愛息子、クレスがそこにいた。

 

 

 

「クレス! 一体なにが、どうなってるんだ! どうして森からやってくる!?」

 

 村人であっても立ち入りが制限されている森、しかも未成年は入り口までしか許可されない。

 外部の人間となれば近づく事さえ許可されず、気付いたならばすぐにその旨を伝えて帰ってもらわねばならないし、場合によっては力ずくで退去させる。

 それが聖樹を守護する者たちの務めだ。

 

 その事を知らない筈もないクレスが、明らかに部外者と共にやって来る。

 ミゲールでなくとも、慌てて詰問口調になるのも仕方のない事だった。

 

「朝から姿が見えないと、母さんも心配していたところだったんだぞ。……ああ、良かった。ウィノナも一緒か」

「父さん、ごめん。色々心配かけて……。でも、大丈夫。聖樹様も元気になっただけで心配いらないよ」

 

 ウィノナは目元を腫らしていたが、ちらりと儚い笑みを見せた後、右手で顔を覆ってしまった。白い手袋に包まれた手だったが、その手の太さに違和感を持つよりも前に、身に付けている装備に目が移った。

 

 今まで見たこともない全身レザーを身に纏い、黄土色にも見えるストールのようなマントを肩から掛けている。

 よくよく見ればウィノナと見て間違いないのに、どこか違和感を覚えた。髪の長さが違うようにも思えたが、それだけではない気がする。

 

 しかし考えが形になる前に、集団より前に出てくた人影によって思考が中断された。クレス達を遮るようにして出てきた人物は、旧知の仲であるモリスンだった。

 

「どうかクレス君たちを責めないでやってくれ。部外者を森に入れようと言ったのは私だ」

「……どういう事だ? 先程までの異変と何か関係があるのか?」

 

 モリスンは頷く。幾らか神妙となって後ろの者達を気遣わしげに窺ってから、改めてミゲールに顔を向けた。

 

「まさしく、言いたいのはその事だ。まず最初に気になっている事から話そう。──精霊の森の振動は、聖樹がかつての活力を取り戻したが故だ。心配する事は何もない。それは約束する」

 

 話を聞いていた村人達は目に見えて安堵した。中には脱力して座り込んでしまう者さえいる。

 

「そして、それを事前に察知したのが……。紹介させてくれ、こちらの二人だ」

 

 モリスンは振り向いて背後に黙って成り行きを見守っていた者達の中から、二人を手招く。

 一人が帽子を取って礼をして、その隣に立ったピンク髪の少女も窺うように小さく礼をした。

 

「クラース・F・レスターです。精霊に対する研究をしてまして……、今回、その事でモリスン殿からお呼びが掛かりましてね」

「アーチェ・クラインです。魔術に詳しいハーフエルフって事になってて──ああ、いやいや、詳しいんです。何か役に立てるかなぁって思って来ました。ウィノナとは親友です!」

 

 愛想笑いを盛大に浮かべた少女を見てミゲールは首を傾げる。ハーフエルフはともかくとして、ウィノナと遊んでいる姿は見た事がない。友人と言うならいつから友人なのか、と思ったが、ここでする質問ではないだろうと気を引き締めた。

 

「では、そちらの精霊の研究家、さん? クラースさんの見解でも心配はないと?」

「ええ、それは間違いありません。そちらの村でも地母神として信仰されているそうですが、あの大樹には精霊が宿っている事が確認出来ています。枯れ行く大樹を救う為、長い間溜め込んでいたエネルギーを開放し、かつてあった姿まで回復させた。これが今回の顛末です」

「即興にしてはよく考えた──フガッ!」

 

 アーチェと名乗った少女があっけらかんと呟いたのを、背後からチェスターが羽交い絞めにして口を塞いた。

 ジバタバと暴れるアーチェを無視して、チェスターはミゲールに愛想笑いを向けながら更に強く締め上げる。

 

 ぐげっ、という乙女として出してはいけない声を上げてから沈黙したのを見て、チェスターはずるずると背後にアーチェを引き摺っていった。

 モリスンもそれを見ながら、咳をして場を取り成す。

 

「まぁ、とにかくそういう訳で、今後危険が生まれる心配はない。それどころか活性化したことで森も、水も、空気までが清浄にされて行くだろう。外部から人がやって来る可能性は高まるが、これからも変わらず守り人とやってくれればそれでいい」

 

 ふむ、とミゲールは頷き腕を組む。

 納得できるようなできないような、という気持ちはあるが、危険がない事だけは確かだろうとミゲールは結論付けた。

 何より旧知の仲であるモリスンが、ミゲールとトーティスに対して害になる嘘を吐く筈がないという信頼がある。

 

「それについては分かった。安心していいのだと、後で他の村人にも伝えさせよう。それより……」

 

 ミゲールが気になったのはクレス達の姿だった。

 ウィノナが気になったのも勿論だが、クレスやチェスターとてその姿に違いが見える。土や埃で汚れているのはまだいい。また訓練でもして盛大に地面を転がったのだろうと想像が付く。

 

 しかし汚れはともかく鎧についた大小の傷、単に訓練で付いたというには年季がありすぎる。傷だけではない、磨耗して擦り切れた鎧の淵や、剣柄の握りに染み付いた痕がそれを物語っている。

 

 それにその体格。

 男子三日会わざれば刮目して見よ、とは言うものの、これはあまりに違いが目立つ。鍛錬からだけではなく、実戦にて鍛えられたかのように見える筋肉と、剣の柄に手を当てた隙のない立ち振る舞い。

 

 見れば見るほど、見違えた、という言葉がしっくり程に逞しい。実は別人と入れ替わっていると言われても、納得してしまいそうだった。

 

「クレス、お前に何があった? 一体どうすれば、たった半日でそうなる?」

 

 ミゲールの口から出た問いに、クレスは口をぽかんと開けた。

 

 クレスはミゲールが言った言葉に虚を突かれた思いがした。

 思ってもいなかった、という訳ではなかった。頭のどこかでは確かにそれを理解していたのに、多くの冒険、多くの苦楽、そして多くの時間を過ごしたせいで、それが全く麻痺していた。

 

 トーティスという小さな村で過ごし、そして何事もなく生きていたなら、きっと遭遇しなかった多くの出来事があった。

 信頼できる仲間達と共にある魔物との戦い、己が力量を示す為の精霊との力比べ、人類の存亡を賭けた魔王軍との戦争──。

 

 どれもこれもが作り話だと笑われても仕方がないような冒険ばかりだった。誰かに話しても幻想的な冒険譚だと感心するか、あるいは面白い作り話だと笑われてもおかしくない内容だった。

 

 それでもクレス達は、確かに、間違いなく、過去の時代を生き、そして駆けた。

 道場を継ぐため剣を振るい、時として森に獲物を狩りに出かけるような平和な毎日を過ごしていた。その頃との落差を考えると、まるで別の世界に迷い込んでしまったかのような錯覚さえ覚える。

 

 実は夢だったと言われても信じてしまいそうだった。

 チラリとチェスターを見ると同じような事を考えていたらしい、目が合うとどちらからともなく笑い出した。

 

「そうか……。まだ半日しか経っていないんだ」

 

 たった半日に凝縮された大冒険は、今ここに終わった。

 空を見上げれば青い空と疎らに浮いてる白い雲。風が髪を撫でつけ、小さな花びらが空を舞った。視線の向こうには青々とした葉を茂らせ、堂々と聳え立つ世界樹が見えていた。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 無事、村へと帰ったクレス達は自宅へと向かっていた。その頃にはウィノナも大分落ち着きを取り戻し、隣を歩くアーチェと談笑していた。アーチェは締め落とされ事を愚痴りながらチェスターの背中を箒で突いている。

 

「ねぇ、信じられる? 他にもっとやりようがあると思わない?」

「確かにちょっと短絡的だったよね」

「もう謝っただろ? あんま昔のこと穿(ほじく)り出して文句言うのもどうかと思うぜ?」

「──たった十分前の事ですけど!?」

 

 アーチェとチェスターの喧嘩はいつもの事だし、それが二人の交流方法だと知っているので誰もとやかく言わない。ただ一人それに慣れていないモリスンだけが、仲裁した方がいいのか迷っていた。

 

 クレスの家が見えてくると、近くまでチェスターを出迎えに来ていた妹のアミーが目に入った。

 チェスターは一目散に駆け出すと、その小さい身体に抱きついて、そのまま両脇の下に手を入れ持ち上げる。

 

「いま帰ったぞ!」

 

 笑顔で声高に言うチェスターに、アミーは困惑を隠せない。いったい何に喜んでいるのか不明だし、起床してから数時間会えなかっただけで、その反応は過剰に思える。

 喜ぶ兄を見るのはアミーも好ましく思えたが、何しろ突飛な事で反応に困った。

 

「昨日の夜からいないのは知ってたけど……。お兄ちゃん、どうしたの?」

「ああ、何て言ったらいいかな。まるで一年以上会ってない気がしたから、かもな」

 

 尚のこと言ってる意味が分からず首を傾げたアミーに、チェスターはもう一度抱きしめてから地面に降ろした。

 

「うわぁ、この子がチェスターの妹さん? かっわいいなー。はじめまして、アーチェ・クラインだよ。気軽にアーチェさんって呼んでね」

「お前にさんづけはいらんし、そもそも勝手に近寄るな」

 

 人懐っこい笑みを浮かべて手を差し出すアーチェに、チェスターは横からその手を叩いてアミーを庇うように立った。

 

「ちょっと何よ。今はアンタに用はないから。とっとと、どきなさいよ」

「お前になくても、こっちにゃあるんだよ。妹を守るのは兄の役目だ。オマエなんかと会わせてみろ、悪影響しか与えないだろ」

「何よその言い草さはー!」

 

 ついに取っ組み合いの喧嘩が始まり、アミーはそれを見て固まってしまった。

 クレスはやれやれまたか、と嘆息交じりにそれを見つめ、誰が止めに入るか仲間内で相談を始めた。

 

 

 

 結局気が済むまで好きにさせようという事で話が纏まり、クレス達は自宅へ帰宅した。

 出迎えたのは母のマリアで、病弱な身体を押してまでクレス達の身体を気遣った。

 

「ああ……、お帰りなさい、クレス。地震があったというのにあなたの姿が見えないから、どんなに心配した事か……。お父さんに捜して貰うように言っていたけれど、……でも大丈夫だったみたいね」

 

 クレスの髪を撫でつけ眉根を八の字に下げていたマリアは、次にウィノナに顔を向ける。

 

「ウィノナも良かったわ。……でも、何だか……随分違って見えるわ? それにその服装は……、どうした事かしら」

「恋をすると、女の子は変わるもンだよ、お母さん」

 

 ウィノナが照れたように言うと、マリアもまぁまぁ、と頬に片手を当てて嬉しそうに笑った。

 

「そうよね、ウィノナも年頃だから……! 今までそういう話を全然しないから、お母さん心配してたのよ?」

「やめてよ、お母さんっ。……お客さんも来てるンだから」

 

 そこでマリアはようやく後ろにいる人物達に気が付いた。

 

「あら、こんな所で立たせたままで、どうも失礼しました。どうぞ、お入りになって下さいな」

 

 柔らかい笑顔を向けて身体を引き、マリアはドアの奥を手で示した。

 クレスも入るよう促して、それで全員が後に続く。マリアにとっても旧知の仲であるモリスンとの再会には顔を綻ばせた。

 

 

 

 その日の夕食はマリアが腕によりをかけて振舞う事になった。

 病弱で長い間の調理場に立つのは身体に障るからとクレスは止めたが、マリアは珍しく強情に首を振って譲らない。外から連れて来た子供達の友人に、母らしいところを見せたいのだろう、というミゲールの言葉にクレスは渋々引き下がった。

 

 それに、ミントが法術で身体をサポートしてくれるという、手助けを約束してくれたのも納得した一因だった。

 

「是非、夕食を召し上がって一泊していって下さいな」

「ああ、いや……。私はすぐにでもお暇しようと……」

 

 クラースが固持するような仕草を見せたが、ミゲールの一言で動きが止まる。

 

「旨い酒もありますから、是非色々話を聞かせていただきたいですな」

「ああ、うん……まぁ、そういう事なら無碍に断るのも失礼というもの」

 

 だらしなく相好を崩し、クラースは立ち上がりかけていた腰を下ろす。クレスが半眼で見つめると、咳払いをして窓の外に顔を向けた。それを横でくすくすと笑うウィノナとアーチェを、ミゲールは物珍しく見ていた。

 

「随分仲が良いみたいだな」

「ウィノナとは大親友ですから!」

 

 アーチェが顔を輝かせて頷くと、ウィノナも横で頷いてみせる。様子を見ていればそれが嘘でない事はすぐに分かるが、ミゲールは釈然としない気持ちもまた持っていた。

 

「……だが、村で見かけたことはないな。遊びに来た事はなかったのかな?」

 

 ああ、とウィノナはちらりとアーチェの方を向く。

 

「いつも外で会ってたから。ユークリッドより向こう側に住んでるから、あまり気軽に会えなかったし」

「そうそう、たまに会えれば良く話し込んでたよねー」

 

 ウィノナが言った事にアーチェも即座に考えを見抜いた。全てが全て嘘と言う訳でもなかったが、誤魔化し続けるのは難しいとウィノナは思った。特にアーチェも話を合わせてくれているが、どこでボロが出るか気が気ではない。

 

 それでウィノナ達の事情の全てが露見する事はないだろうが、特に腕の事を知られると厄介この上ない。食事中も手袋を外さない理由を考えねばならないだろう。

 

 そうして夕食が始まった。酒の入ったクラースが饒舌に精霊について語り、クレスとチェスターが賑やかし、ミントやアーチェがアミーの世話を買って出て、モリスンはミゲールと杯を重ね、とにかく騒がしい夕食になった。

 

 食事が始まって何かとミゲールやマリアの注意をウィノナ以外に向けようと協力してくれた面々だったが、やはりオペラグローブを外さないウィノナはマリアからすれば目だってしまった。

 

「ウィノナ、食事時ぐらい外したらどうなの?」

「うん、でもお気に入りだから」

「マナー違反とまでは言わないけど……、でも、そうした物を着けてると……」

 

 マリアが食事の手を止め、まじまじとウィノナを見つめる。視線は腕だけではなく上半身を回り、最後は顔に行き着く。ウィノナどことなく気まずさを感じて手元の皿に視線を向けた。

 

「何だか凄く大人びて見えるわね。まるでこの一日で一年も二年も成長したみたい」

「やめてよ。いきなりそンなに老けたくないよ、アタシ」

 

 母の目の鋭さにウィノナは自然、上向くような視線になる。まさか本当にそれが真実だとは気付かないだろうが、やはり心臓に悪い。ウィノナと母のやり取りに気付いたクレスがわざとらしく話題を逸らし、それにチェスターが乗っかりアーチェが加わる。

 

 賑やかな食事が再開され、それに流されるように大いに食べ、飲み、笑い、そして食事が終わった。

 

 

 

 クラース達は客間に案内されると、すぐに眠りに落ちた。

 チェスターの家はすぐ近所なので帰宅し、マリアやミゲールは勿論、クレスも自室に戻ってベッドに入っている。

 ウィノナも勿論すぐにでも眠りにつきたかったが、まだやるべき事が残っている。クラースが食事の最中、すぐにでも帰宅するつもりだと言っていたので、ウィノナもそれに合わせた準備が必要になる。

 

 あまり長時間をかけなければクラースも嫌な顔をしないだろうが、何よりウィノナの腕の事もある。

 一つ気合を入れて決心をすると、机の上にある小皿の燭台に火をつける。椅子に座り羽ペンにインクを浸すと、その文面に頭を悩ませ始めた。

 



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別れと抱擁

 

 そうして五日あまりの日が、あっという間に過ぎていった。

 

 陽もすっかり上がった昼頃、クラースは村を出立すると言って来た。それに驚いたのはクレスで、早々に帰るという事は聞いていたが、こんなにも早くとは思ってもいなかった。

 

 大体、ウィノナの準備だって必要になると言って止めたのだが、そのウィノナが準備を既に万端整えてしまっていた。

 旅支度をしっかりと整え終わり、家の前でクレスの両親にクラースが代表して挨拶をする。

 

「随分とお世話になりました。あまりに長居するのもご迷惑となりますので、これにて失礼させていただきます」

「まぁ……、大したお構いもできませんで……。もっとゆっくりなさっても結構ですのよ?」

 

 一礼したクラースにマリアは心に思ったままの言葉を口にしたが、クラースもそれには感謝し心遣いだけいただきます、と固持した。

 

 アーチェもそれに倣って礼をすると背を向ける。家から出るとチェスターが待っており、クレスとウィノナも後に続いて数歩進む。そこで一度振り返り、玄関前まで見送りに来ていたマリアとミゲールにもう一度頭を下げた。

 

「お世話になりました」

 

 マリアは肩口まで上げた手をゆっくり振って、その横に寄り添うミゲールがその肩を抱いた。

 アーチェが大きく手を振りながら歩き出し、それに着いていくようにして全員が歩き出す。

 

 村の出口に着くと、ウィノナの荷物を持っていたアーチェが持ち主に手渡す。偽装と言う程の事ではないが、ウィノナが背中に荷物を背負って不審がられない為の措置だった。

 

 ウィノナは既に出立するなら同時で、早いものなら本日にでも、とクラースには伝えてあった。

 とうとう村の外に繋がる境まで来ると、それに着いて来ていたクレスが不満を滲ませながら言った。

 

「まだいいじゃないですか。もう少しゆっくりしていっても……」

「それだと何日でも居ついてしまうよ。別れが惜しくなる、いつまで経っても旅立てない」

 

 クラースが頭を振ると、クレスは元よりチェスターも落胆して見せた。引き止めたいが、クラースの意志は固い。それが分かって諦めざるを得ないと感じ取る。

 仕方ない事は分かるが、それでももう少し、と思わないではいられなかった。

 

「ごめんね、クレス……。早い方がいいって言ったのアタシだから……」

「本当に行くのかい……」

 

 クレスが寂しげに眉尻を下げた。クラースに今後二度と会えないことと同様、ウィノナとも今生の別れになる。同じ別れでも、一緒に過ごして来た時間はウィノナの方が遥かに長い。それを思えば、やはりまだ残っていて欲しいとクレスは思った。

 

「クラースさんはまだしも、ウィノナは故郷を出るんだ。もう少し居ても……」

 

 クレスは寂しげな表情を隠さぬまま自分の真意を伝えたが、しかしウィノナの決意はクラースのそれ以上に堅かった。

 

「これを機会と考えないと、一年経ってもふんぎりは付かないよ。……だから、行く」

 

 ウィノナはまだミゲールとマリアに別れを言ってなかった。しかしこの旅立ちを、そもそも言う気がない。

 ここから離れます、二度と帰れませんが行ってきます、などと言っても頷いてくれるはずもない。

 かと言って、そもそも本当の理由を言った所で通じるものでもない。

 我ながら薄情だと思う。実の両親以上に愛を注いでくれ、ウィノナもまた実の両親以上に二人を慕った。

 

 その感情に嘘はないし、血の繋がらない自分を育ててくれた恩義を感じない日はなかった。もし何も起こらず平和なまま、このトーティスで骨を埋める事になったなら、それに不満を一切感じず、それこそ二人の最期を看取るまで暮らしていたに違いない。

 

 ──しかし、ウィノナはダオスと出逢った。

 

 ダオスを故郷に帰す為、出来る事なら何でもする、叶えてみせると決意した。その決意が薄れない限り、ウィノナは立ち止まることなく進み続ける。

 

 だから、せめてこの五日の間は親孝行を尽くした。唐突な行動に思えただろうが、マリアはすっかり花嫁修業に取り組みだしたのだとはしゃぎ、父は寂しげに笑いつつも、その孝行を喜んで受け入れてくれた。

 

 マリアは時折、ウィノナを見て寂しげな笑みを見せてウィノナをドキリとさせた。

 それでも数秒後には直ぐ元通りの笑顔を見せてウィノナに接してくる。いつもおっとりしているマリアには珍しく、時に厳しい指導すらして見せた。

 

 もしかしたら、ある程度を察した上で、全て呑み込んでくれたのかもしれない。

 

「寂しくなるな……」

 

 その意思を変えられないと悟ったチェスターは、悲しげに目を伏せた。

 ウィノナとは物心ついた時からの友人だ。お互い親を失った者同士、分かり合える事も多かった。異性の友人というよりは兄妹という方が、チェスターとはしてはしっくり来る。

 身内に向ける愛情は人一倍強いチェスターだからこそ、この別れもクラース以上に辛かった。

 

 行くなとチェスターは言いたかったが、あの日森で見た姿を思い出せば、何も言えなかった。ウィノナがダオスをどれだけ強く想っているのか、チェスターは身を持って実感した。

 

「……ただ、風邪には気をつけろよな」

 

 だからチェスターは当たり障りのないことだけを言い、他の言葉を飲み込む。言いたい事は山ほどあったが、決意の込められた瞳を見るだに、野暮だと思って口を結んだ。

 

「皆も元気で……」言ってウィノナは深く頭を下げる。「今まで沢山、数え切れないくらい助けてくれてありがとう。数え切れないくらい素敵な思い出をありがとう……っ」

 

 頭を上げたウィノナの瞳は涙で濡れていた。

 クレスの目端にも涙が溜まる。

 

「アタシの机の上に手紙を置いてあるから、お母さんとお父さんに渡してね。本当の事は書けないけど、でもアタシの本当の気持ちが綴ってあるから……!」

「ああ、必ず渡すよ……」

 

「ごめんね、損な役回りで」

「いいさ、両親には僕の方からも上手くフォローしとく」

 

「ごめんね。ううん、ありがとう……っ!」

「……いいんだ」

 

 二人の顔は涙で濡れて、それでも拭おうとはしない。お互いを見つめて分かり合っている。

 それに触発されたわけではないだろうが、アーチェもチェスターに、ジト目で何か言いたそうにしていた。

 

 視線に気付いたチェスターが、何だよ、と訝しむ。それでもアーチェは、やはり何も言わない。

 クレスとウィノナの二人と違って素直になれない二人に、ついに焦れたミントがチェスター達の間を取り持つ。

 

「何か言ってあげてください、このままは行っては少し寂しいと思います……!」

「……俺は別に寂しくねぇし」

 

 チェスターはぶっきらぼうに言い放つと、そのまま一顧だにしない。

 そうとなれば、アーチェも面白くない。たちまち仏頂面になり、腕を組んでチェスターとは逆方向へ身体ごと目を逸らす。

 

「あ、そういうこと言うんだ。いーですよー、あたしだってせいせいするし!」

「──アーチェさんまで! チェスターさん、アーチェさんは一度帰れば百年も私たちと会えないんですよ! 何とも思わないんですか!?」

 

 目端に涙を溜めながら訴えるミントに、チェスターも流石に後悔の念が生まれた。実感は持てないながらも、百年という年月の重さは理解できる。実際にその時を過ごさねば会えないというのは、確かに茶化すような事ではないだろう。

 

 それでも簡単に素直になれないチェスターは、仕方なし、やむを得ずという雰囲気を滲ませて言葉を吐く。

 

「待ってるからよ……。必ず、会いに来いよな」

 

 変わらず視線を合わせず身体は横を向いたまま。それにも関わらず発せられた言葉に、アーチェもとうとう堪えきれずに笑みを浮かべた。

 

「うん、会いに来るよ。──約束だかんね」

 

 喧嘩別れにならずに済んだか、と見守っていたクラースは安堵の息を吐いた。ここまで来て関係が拗れるなど笑い話にもなりはしない。

 最後になったが、とクラースが前に出る。

 

「トールへ行って時間転移装置を使ったら、今後使用されることがないよう責任を持って封印するつもりだ」

「それがいいと思います」

 

 クレスが頷き、ウィノナも頷いた。続いて他の面々も追随する。

 時間転移がどれだけ危険のある行為なのか、それは自分たちはよく知っている。しかし今後、それを悪用しようとする者、あるいは何も知らず偶然使用してしまう者、それらが現れないとも限らない。

 

 クレス達がウィノナやクラースと再会できる唯一の装置だが、それよりもいつ何時悪用されるか懸念させられては、安心して暮らせるものも暮らせない。

 だから、きっとこれでいいのだ。

 

 全員の賛同を得られた事にクラースは安堵した。

 これで憂いを残す事もない。

 

「……私たちは本当なら出会う筈がなかった。いや、出会うことが出来た」

 クラースは帽子のツバを上げて微笑む。

「感謝するよ」

 

「僕らの方こそ、ありがとうございました。あの……」

 

 言おうとして、一度口を閉じる。クラースの横に立つウィノナにバツの悪そうな顔を向けた。

 

「いや、やっぱり止めとこう。ウィノナに怒られるな……」

 

 クレスは頭の後ろを掻いて、照れくさそうな笑みを浮かべる。

 

 それから、しばしの沈黙があった。沈黙は苦ではなかった。クラースも何か気の利いた事でも言おうかと思い、しかしこの沈黙ほど雄弁に語るものはない、と考えを改めた。

 

 その沈黙を楽しむように空を見上げ、流れる雲を楽しむ。他の面々も同じく空を見上げて頬を撫でる風を楽しんだ。

 しかし続いた沈黙も鳥の囀りで終わりを迎える。我に返ったようにクレスは鼻の下を人差し指で擦り、クラースは顎の下を撫でてから別れの言葉を放つ。

 

「……それじゃあ、そろそろ行くな」

 

 ふわりと笑って一度、手を振る。クラースが踵を返すのを見て、ウィノナとアーチェも背を向けた。

 

「お元気で!」

 

 クレスも手を振り、続いてミントとチェスターも、同じ言葉をめいめいに三人に送る。

 その言葉に弾かれるようにウィノナは向けた背を翻し、再びクレス達の元へ走り寄って来る。

 

 どうしたと思うも束の間、ウィノナはクレスに抱きついた。何を、と思う暇もなかった。クレスの両腕が宙を彷徨う中、ウィノナの方は背中の後ろまで手を回し強く抱きしめる。

 

「……ありがとう。クレスも元気で」

 

 それでクレスも力を抜いて抱き返す。ああ、と小さく返すと、ウィノナはすぐにクレスから離れ、隣のミントにも同様に抱きついた。

 

「ありがとう。ミントがいなければ、アタシは死んでたかもしれない。命の恩人だよ」

「いえ、そんな事は……」

「クレスのこと、お願いね」

「……はい、怪我や病気は私が責任を持って癒してみせます」

 

 そう意味じゃない、とウィノナは思ったが、改めて言うのも野暮かと思ってそのまま身体を離す。

 それに敢えて言うまでもなく、クレスと気持ちは通じているように見えた。

 アミィという強力な恋敵がいる事は知らないだろうが、それでも旅の間に育んだ二人の絆が、いつか芽吹くだろう。

 

 ウィノナは意味深な笑みをミントに向けた後、チェスターにも同じように抱きつき抱きしめる。その肩に額を押し当てれば、チェスターが痛いほどに抱き返してきた。

 

「いつだって、アタシの為に怒ってくれて、叱ってくれた。ありがとう……」

「まぁ……、出来の悪い妹の為に苦労するのが兄貴の役目だ」

「これからは、しっかりする……」

「ああ……。オマエはいつだって馬鹿やるし危なっかしい。心配だよ、俺は……」

 

 家族に対してしか向ける事のない、偽りない心配をウィノナは受け取る。クレスと同様、常に傍にあって、そして常に気を配っていてくれた親友。だが、それももう今日で最後なのだ。

 ウィノナの方からも一度締め付けるほど強く抱きしめ、それでようやく離れてクラースの元へ帰る。

 

「──アタシは幸せ者だ! それだけで、これから頑張っていける!」

 

 大きく手を振り、今度こそ背を向ける。アーチェの背を押しながら、クラースの横に着いた。

 遠のいていくウィノナ達の背中、それをクレス達が手を振り返しながら見送る。

 その背がいよいよ小さくなりかけた頃、クレスが一歩を踏み出して大きな声を上げた。

 

「……クラースさん、やっぱり一つだけ!」

 

 その遠退いていく背に必ず届くように、より腹に力を入れて声を出す。

 

「辛い事もあったし、大変な旅でしたけど……! けど、やっぱり楽しかったです! ありがとうございました!」

 

 クラースも振り返り、一度だけ大きく手を振る。

 

「──ああ、楽しい旅だった!」

 

 隣のアーチェがぴょんぴょんと飛び跳ね、やはり大きく手を振った。何事かを言っているようだったが、こちらに声までは届かない。クレス達は大いに笑みを作り、その背が見えなくなるまで手を振り続ける。

 

 そうしてついに、稜線からその姿が消えてしまった。

 惜しむように振っていた手を下げ、もう誰もいない平原を見つめる。

 

 この余韻を楽しむか、それとも気分を切り替えて村の中に戻るか、迷っている内にサッと上から影が降ってきた。

 敵か、と咄嗟に身構える。それは旅の間に身についた習慣のようなものだったが、実際に武器に手を添えるより先に声がかかる。

 その、ぶっきらぼうにも聞こえる明るい声が、クレス達の耳朶を打った。

 

「──よっ! 約束通り、会いに来てやったよ」

 

 その人影は地面に降り立ち、箒の柄を地面につける。確信を持って目を向ければ、そこには素知らぬ顔を横に向け、視線を合わせないアーチェがいた。

 呆れたように戦闘態勢を解いたチェスターが、思わず食って掛かる。

 

「来るのが早過ぎんだよ、オマエ余韻ってもんを考えろ!」

「何よ! あたしだって精一杯待ったんだからね!」

 

 アーチェは怒りも露に箒を振り回し、チェスターはそれを縦に横にと回避し続ける。口では文句言いながらも、お互いその顔に笑顔を隠しきれていない。

 

 クレスが顔を上げて笑い、ミントも口元を綻ばせ手を当てる。

 ギャーギャーと騒ぐ二人を見て、先ほどの空気が嘘のようだ、とクレスは思った。

 

 旅の中、幾度となく見てきた光景がそこにある。クレスにとっては昨日まで──あるいは今日まであった当たり前の光景だったが、これこそアーチェが百年待ち望んだ瞬間だった。

 その光景をしばし眺めた後、ハッとしてクレスはアーチェに詰め寄る。

 

「そうだ、アーチェ! ミントのお母さんは!?」

「やっべ、すっかり忘れてたぜ! 悪ぃミント!」

 

 チェスターがミントに顔を向け、両手で拝むようにして頭を下げた。

 ミントはゆっくりと首を横に振る。

 

「いいんですよ、チェスターさん。私はずっと気になっていましたけれど、アーチェさんを信頼してましたから」

 

 言ってアーチェの方に顔を向けると、ふわりと微笑む。アーチェもそれに応えて右手で指を二本立てて掲げる。

 

「ふっふーん! 誰かさんと違って、百年先のことでも覚えているのが、このアーチェさんなわけよ」

 

 クレスは顔を綻ばせる。

 

「それじゃあ……!」

「ばっちり助けてあるよ! 今もモリスンさんの屋敷にいるんだから。──ほら、今から会いに行こうよ!」

「……はいっ!」

 

 ミントが輝くような笑顔を見せて胸の前で手を合わせる。それを合図にクレスは歩き始めた。

 アーチェがチェスターの肩をバシバシと叩きながら、それに続いて村を出る。

 

 途中まではウィノナ達が先を歩いた道をなぞるように進んでいたが、山道が見えてきた所で左へ曲がる。

 ウィノナ達は、この先の山道をそのままユークリッド方面へ進んでいったのだろう。一瞬、哀愁のような感情が浮かんで、咄嗟にクレスは首を横に振る。

 

 アーチェが浮かべる笑顔が実に眩しい。百年の間に積もりに積もった何かを掻き出すかのように、アーチェのお喋りは止まらない。それに逐一ツッコミを入れるチェスターも、それに一つ一つ丁寧に頷くミントも、その笑顔に照らされるように表情が明るかった。

 

 温かな陽の光を浴びながら、クレス達はウィノナとはまた違う道を進んでいく。

 今のクレスの心の中には希望が溢れている。ウィノナ達もそうでありますように、と願いながら、クレスはモリスン邸を目指して行った。

 とりあえず、再会を果たした親娘に、どういった言葉をかければよいのか考えながら──。

 




 
これにて本編終了です。
次回、エピローグ。
 


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エピローグ
新たな生活


 
八千字くらいでササッと済ませるつもりが……、おかしい、全然終わらない。
おそらく、あと二話続きます。
 


 

 トーティス村を出立したウィノナ達の旅路は順調だった。魔物による被害や旅程の遅延もなく、ベネツィアからの船路もまた同様に問題なかった。

 

 トールへ辿り着いてからは機械兵による妨害はあったものの、やはりウィノナ達の敵ではなく、問題なく最奥の部屋に到着する。

 時間転移装置によって百年前──クレス達と共に現代へと転移した直後に帰還し、来た道をまた戻る。

 

 同じ道とはいえ百年違えば見えるものも随分違って、ウィノナはアーチェと共に会話に花を咲かせながら道を進む。

 旅の道中いつまで経ってもそんな調子だったので、クラースも呆れを通り越して感心しがちだった。いつの時代も女性と言うのは変わらんらしい、と内心で唸る。

 

 ベネツィアから南下し、ユークリッドへ向かう前にローンヴァレイに立ち寄る事になった。元より通り道なのでクラースにも異存はなく、むしろ遠慮なく実家に顔を出すべきだろうとさえ思った。

 

 

 

 小屋の前に着くとノックをしてから返事も待たずにドアを開ける。アーチェが先頭になって入るとバートは破顔して迎える。

 

「どうしたんだ、こんな急に……! ああ、いや……お帰り、アーチェ」

「ただいま、お父さん!」

 

 アーチェも元気に笑って応え、身体をずらしてドアへの道を開ける。アーチェの陰から出てきたウィノナとクラースを見て、バートは微笑む。

 

「二人もよく来てくれた。さぁ、是非上がってくれ」

「では、遠慮なく」

 

 クラースが先に入って、ウィノナもお邪魔します、と会釈しながら中に入る。

 入った後は適当にテーブルのある席に座り報告と雑談の時間になった。

 

 報告とは言ってもウィノナに関する事情は出来るだけ伏せ、話せる部分だけを掻い摘んで話す。他にもやるべき事を終わらせた事、これからクラースは帰宅する途中である事などを話し、その都度バートは楽しそうに相槌を打っていた。

 

「そうかそうか……。帰って来るのはもっと遅くなると思ってたが、それじゃあ旅はもう終わったんだな?」

「そだね。少なくとも、どっかにパッと出かけて世界を救っちゃうような事はもうしないんじゃん?」

 

「何だか凄まじく語弊のある言い方だが……、まぁそうだな。私もユークリッドに戻ったら今回の旅で得た知見などをレポートに起こして、その後はゆっくりするつもりだ」

 

 そうか、とバートは心底安堵したように溜め息をついた。大事な一人娘が危険を顧みない旅をしていた事を思えば、その心配も当然で、こうして無事帰って来ただけでも嬉しのだろうという事は見ていれば分かる。

 

 バートは暖炉の上に掛けていたヤカンの湯が沸き上がった事に気付いて、それぞれにお茶を振舞ってくれる。

 ウィノナがカップを口に運んで喉を潤していると、クラースもお茶を飲みつつ顔を向けてきた。

 

「それで、ウィノナはこれからどうするんだ? 特に考えがないならユークリッドまで一緒に行くのはどうだ? 何だったら泊まって行くといい」

 あー、とウィノナは視線を宙に彷徨わせ、それからゆっくりと首を横に振る。

 

「ユークリッドまで一緒に行くのは全然いいんだけど、そこまで世話になるのは……ねぇ」

「何だ、遠慮する事はないぞ。知らない仲じゃないんだ、ミラルドにも改めて紹介したいしな」

 

 ウィノナはあからさまな溜め息を吐いてみせる。口に運んでいたカップを離し、じっとりとした視線をクラースに向けた。

 アーチェは目を見開いてクラースを見ており、唐突な二人の変化にクラースは身を硬くする。

 

「な、何だ一体、二人して……」

「クラースって恋人いたの!?」

 

 声を上げて驚いたのはアーチェで、今度はクラースが面食らう番だった。

 

「馬鹿! ミラルドはそういうんじゃない、ただの助手だ!」

「へぇ……。一緒の家に住んで家事まで任せている女性を、ただの助手、ねぇ……」

 

 更に冷ややかな視線を向けるウィノナに、クラースはたじろぐ。気を紛らわそうとカップを口に運ぶも、中にはもう入っていなかった。飲めないと分かると、何やら余計に喉が渇いてくる気がした。

 

「うわぁ……、それホントなの、クラース?」

「いや、確かに家事はしてるが……。別に頼んだ訳でもなく……」

「──そんな訳ないでしょ」

 

 しどろもどろになるクラースに、ウィノナがぴしゃりと言った。

 

「仮に頼んでなくてもクラースから進んでやらず、結局ミラルドさんにやらせる形になっているなら、頼んでいるのと同じ事よ」

 

 ウッ、とクラースの息が詰まる。確かに、いつの間にかミラルドが家事全般を取り仕切る事になっていたが、事実クラース自身から頼んだ記憶はない。しかしウィノナの言っている事がそのまま当て嵌まるのも事実だった。

 でも、とウィノナは続ける。

 

「恋人じゃないっていうのは本当だと思う」

「あ、そうなの?」

「……あれは妻よ」

 

 クラースは思わず盛大に吹き出す。今度ばかりはお茶が切れている事に感謝した。もしも口に含んでいたなら、前に座るウィノナの顔面は水しぶきで濡れそぼつ事になっていただろう。

 その後の顛末は考えるまでもない。

 

「ちょっと待て。私はまだ結婚していないぞ!?」

「あ、そうなんだ。まだ、なんだ?」

 

 アーチェがにんまり笑うのを見て、クラースは我ながら失言をしたと悟らざるを得なかった。とはいえ──。

 

「いや、そういう事ではなくてだな。そもそも学会の方にも色々提出したレポートもあるし、それらに時間を使う事を思えば──」

「ミラルドさんは既に内助の功を尽くすような生活をしているように見えた。お茶が必要ならスッと持って来たり、時間になったら食事を運んで来るような……。多分あの状態から鑑みるに研究の方についても明るくて、必要な学術書とか探してたら横から差し出して来たりするよ」

 

 それもまた事実だったが、口にすると更に厄介な事になるだろうと思い、口を結んだままバートに目を向ける。手にしたカップを小さく掲げ、お代わりの催促をしたのだが注がれたのはお茶ではなく燃料だった。

 

「お前も、もういい年じゃないか。そろそろ身を固めてもいいんじゃないのか?」

 

 グッと思わず息が詰まる。

 動揺を押し隠そうと、カップの淵を強く握ると、握りすぎて小さく罅が入った。目だけアーチェの方へ向けると、そこにはやはりにんまりとした笑みが浮かんでいる。

 

「へぇ~? やっぱりそうなんだ? 何よクラース、そういう相手がいるなら、ちゃんとあたしにも教えてくれないと!」

「お前に一体何を教えろと言うんだ……」

 

 いよいよクラースは頭を抱えた。そんなクラースに、ウィノナは相変わらずの視線を向けて続ける。

 

「……だからね、話を最初に戻すけど。そんな女性が待っている家に、クラースが女を連れて帰って来てごらんなさい。一体どれだけの衝撃を与えるか」

「いや、しかし。別に一緒に旅をした以上の仲ではないだろう……?」

 

「それは事実だけど、そんな事は関係ないの。長い時間、家を守って待ってたのに、帰って来たと思ったら同伴してる女性がいる。その事実の方がよほど問題になるのよ、この場合は」

 

 クラースは腕を組んで唸り、ついには黙り込む。それを見て、アーチェも頭の後ろで手を組んで天井を仰いだ。

 

「クラースって、そういう女心理解してなさそうだもんねー」

「ミラルドさんに改めて紹介っていうのは、むしろこちらからお願いしたいくらいだけど、今回は見送った方がいいと思う。代わりに何かプレゼントでも用意して帰ればいいンじゃない?」

 

「プレゼントと言っても何を買えばいいんだ……、いや第一どこで買えと? ベネツィアまで戻れとでも言うのか?」

 

 アーチェは姿勢はそのままに溜め息を吐く。

 

「流石にそこまで言わないよー。貰えたら何でも嬉しいものだし、……でも魔術書とかやめてね」

「私を何だと思ってるんだ……。だが分かった。一応……忠告感謝する、とは言っておこう」

 

「まぁ、今までの態度を見ると気の利いた事なんてして来たなかっただろうから、きっと面食らうと思うよ。ちゃんとフォローする台詞も考えておいた方がいいと思う」

「……ご親切にどうも」

 

 クラースは憮然として溜め息をつき、視線を感じてバートの方へ顔を向けると、苦笑としか言いようのない表情が見えた。

 何を言わんとしているのか分かって、クラースは更に気持ちが重くなるのを感じた。

 

 

 

 それから話題は次々と移り変わり、まるで途切れる事なく続いていく。旅の間にあった事はそれだけ魅力に満ちたものであり、話す方も聞く方も十分に楽しむ事が出来た。

 そうしてついに話し疲れが見えてきた頃、クラースは最初に聞こうと思っていた事をウィノナに問うた。

 

「それで、ウィノナ。これからどうするつもりなんだ。まずはどこかに腰を落ち着ける必要があるだろう? どこかに小屋を建てる訳にもいかないだろうし、家を借りるなりするにしても探すには時間も掛かる。だからウチに居候もいいんじゃないかと思ったんだが……。まぁ、今更そう言う訳にもいかなくなったな」

 

 それはウィノナとしても、ここに来るまでの間ずっと考えていたことだった。

 確かに暫くの間、暮らしていけるだけのお金はあるが、小さな小屋でも買おうと思えば結構な額がするものだ。では借りるという事にするとしても場所はどこにするか、という問題が浮上する。

 未だ展望は見えず無計画な考えになるが、最初に一つだけ、これはというものは決まっている。

 

「まず現代で地下墓地のあった場所、あそこの近くに住むのが第一条件かなと思ってる。それを考えるとユークリッドも悪くはないんだけど……」

 考える仕草をするウィノナに、クラースは助け舟を出すつもりで言った。

 

「村に越してくるつもりなら口添えは出来ると思うぞ?」

「うん、もしもの時には頼るつもりだけど。でも、より墓所のあった場所から近い村なら一つ思い当たる場所があって、漁村のヴィオーラに行ってみようと思う。それからのことは、それから考えるよ」

 

 そうか、とクラースは頷く。

 

「あの村からユークリッドは決して近いとは言えないが、いつでも頼りにしていいからな」

「あたしン家にも、いつでも遊びに来ていいからね。……ううん、こっちから毎日だって行ってやるんだから!」

 

 まるで悪戯をするような顔で笑って、アーチェが言った。

 ありがとう、とウィノナも笑みを返す。

 

 ──全てはこれからだ。

 ウィノナは気持ちを新たにする。

 

 地下墓地の完成こそが、ウィノナの命題。

 これが完成できなければ、過去に戻った意味もない。

 地下墓地はダオスが封印される為の大事な場所であり、失敗は決して出来ないし許されない。

 今はまだ、その取っ掛かりさえ見えていないが、必ずや完成させると心に誓った。

 

 

 

 その日はクラース共々アーチェの実家でベッドを借り、翌日朝食まで頂いてから出発となった。

 アーチェも着いて来たがったが、今は帰ってきたばかりなのだからと説得しても納得しない。

 

「住居が決まれば必ず報せるから、それまで親孝行していて」

「うん……、そこまで言うなら。……そうする」

 

 ウィノナの度重なる説得に、ようやくアーチェが折れた形で落ち着いた。

 小屋の前でウィノナとクラース、アーチェとバートに別れて手を握る。

 

「きっとだよ。すぐに連絡してね」

「うん、なるべく早くするよ。ここで躓くわけにもいかないし」

 

 ウィノナはアーチェの手を握り、その握った手を一度上下に振る。そのあと、空いた方の手を互いの握った手の上に置いた。

 約束を違えぬよう。今の自分の気持ちが相手に寸分の違いなく届くように。

 

 対してクラースとバートの挨拶は淡白なもので、一宿一飯の簡単な礼と挨拶だけで終わった。

 ウィノナは名残惜しげに手を離し、一度短く抱擁してその背を叩く。同じようにアーチェも背を叩き、それから離れた。

 

「それじゃ……!」

「うん……! またね」

 

 クラースが歩き出し、ウィノナもそれに続く。時折振り返りながら手を振り、アーチェもウィノナが見えなくなるまで手を振り続けた。

 

 

 

 ローンヴァレイからユークリッドは近く、クラースと分かれる時もあっさりとしたものだった。

 ただ、気遣いと心配してくれる気持ちだけはしっかりと伝わり、年長者としての配慮を感じさせた。

 

「それじゃ、今度ミラルドさん紹介してよね」

「……その言い方は非常に意図的なものを感じて気に入らんが……、まぁ分かった。困ったらちゃんと頼るんだぞ? 金がなくなれば、少しなら貸してやれるし──」

 

 クラースの言いかけた言葉を手を振って遮る。

 

「大丈夫だって。子供の頃から森に入って狩りとかしてたんだから、食うに困るって事はないよ。実際、クレス達と合流するまでの一年間はそんな感じだったし」

「聞いてないぞ、そんな事……」

 

 クラースは溜め息をついて額に手を当てた。

 

「まぁ、ちょっと逃げ隠れしてたからね。ミッドガルズじゃ指名手配されてたし、それがどこまで広がってるかも分からなかったから……。念の為にね」

「逞しい性格しているのを再確認した思いだよ。……だが、それと頼るべき時にさえ我慢するのとは、また話が別だからな」

 

 はいはい、とウィノナは困ったように笑い、背を向ける。

 顔だけ横を向いて、視界の端にクラースを収めて言う。

 

「クラースも早く、待たせてる人に顔を見せてあげて。アタシも忠告を無視するような事はしないから」

 

 だといいが、と言いながらクラースも背を向ける。一度だけ手を振って村の中へと入って行った。

 

 ウィノナも改めて歩を進める。ここから南下し山道を越えれば、すぐにでも漁村ヴィオーラが見えて来る筈だった。急げば夕方までには到着できる。

 ウィノナはいま一人だが、その胸の内は温かく、一年前の一人旅とはまるで違って足取りは軽い。

 応援してくれる人がいる、心配してくれる人がいる、頼れる人が、友人がいる。

 ウィノナの足取りは軽かった。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 視界の奥に海が見えて、太陽はもうすぐその水平線に接しようとしていた。

 海岸沿いには桟橋が幾つも作られていて、その上に平屋が幾つもある。漁師として生活を営む者達が暮らしていて、船が自宅に係留できるようになっているようだった。

 

 家があるのは何も桟橋の上ばかりではない。海岸沿いに家を建てて暮らす者達もおり、ここでは浅瀬に作った養殖場などを管理していて、そういった住み分けが出来ているようだった。

 

 ウィノナは村の中をちらちらと眺め、海とは反対側へと目を向ける。目と鼻の先という訳ではなかったが、近くには森がありその奥には山が見える。山林からの恵みも期待できそうだったが、その近くに住居は見当たらない。この村と交流がある村などは目に見える範囲にはないようだった。

 

 ウィノナはしばらく歩いて見つけた村人に声を掛ける。網の手入れをしていた男性は、声に気付いて顔を上げた。

 

「おや、どうなすったね?」

「この村に移住をしたい者なのですが、住める土地はあるでしょうか」

 

 なるべく丁寧に愛想よく尋ねたつもりだったが、村人の表情は動かなかった。どうしたものかと首を捻ると、すぐに村人の表情が驚愕とも歓喜とも取れるものに変わる。

 

「なんだ、ウチみたいな所に自分の方から住みたいなんて人が来るとはなぁ! 勿論歓迎だが、そういう事は村長に言ってもらわんと! ──早い方がいいだろうね。どれ、着いてきんさい」

 

 村人は破顔して網を丁寧に片付けると立ち上がる。手招きに応じるままに背中を追い、向かった先は桟橋だった。

 踏むだけでギシギシと板が鳴いて、人がすれ違うだけの幅しかない細い板張りの道を歩いていく。潮の香りが漂い板張りの隙間から水辺が見えると、見慣れない雰囲気に身震いする。

 

 着いた先は他の民家と変わらぬ大きさの平屋のような家で、戸が開き放たれた家に村人はそのまま入っていく。田舎の家はどこもそうだな、という感想と共にウィノナも続く。

 

 村長には挨拶もそこそこに、先ほどの村人と同様移住したい事を伝えると、二の句もなく了承を貰えた。常々村の人口を増やしたいと思っていたそうで、近くユークリッドにも移住希望を募る為に出かける予定があるという。

 

 一年ほど前に流行の病がこの村にもやってきて、薬もろくに用意がなかった家は病床に伏し、そして帰らぬ人となる者が多かった。一度に多くの人口が減少し、漁をするにも保存食を作るにも人手が足りない。

 

 働ける健康な者は今はどんな人でもありがたいという事情も助け、ウィノナが驚くほど簡単に受け入れを叶えてくれた。

 多くの村は余所者を嫌うので、そこをどう切り崩すか、あるいは信用を得る為の努力をどう払うかを考えていた身としては肩透かしを食らった気分だったが、もちろん簡単に済むのならば、それに越した事はない。

 

 空き家が多く出来ていたので、その一つ、森に一番近い家を譲ってもらえた。無料で、というのがこの村の逼迫さを物語っているようでウィノナも少し不安になる。

 しかし、その家の掃除を手隙の村人が総出て手伝ってくれたりと、その人情にも助けられ、ウィノナはすぐに打ち解ける事が出来た。小さな家だったので掃除はあっという間に終わり、それでは食事はどうするかという問題になった。

 

 ウィノナは当然、旅の間に食べていた保存食で済まそうと思っていたのだが、村長が夕食をご馳走してくれるという。

 その日は歓迎の記念というということで、宴というほど豪勢なものではないが海の幸をふんだんに使った漁師料理を振舞ってくれ、ウィノナも大いに舌鼓を打つことになった。

 

 漁師の町の夜は早い。日が沈みきる前に解散となり、ウィノナもその日は処分されてなかった家具と寝具を使い、眠りに落ちた。

 

 

 

 翌日、ウィノナは保存食で朝食を済ますと、早速森へ出かける準備をした。

 狩りはボウガンだけで済ませるつもりだが、もしもの時の為に義手剣も用意しておく。この辺りの準備は手馴れたもので、ものの数分で済ませると家を出る。

 

 遠くに見えていたつもりの森も、すぐに足を踏み入れる事になり、初めての狩場ということで獲物の種類もまだ分からない。獲物の癖と縄張りの範囲など把握すべき事は沢山あるので、今日の所は収穫ナシを覚悟していたのだが──。

 

 昼前に帰宅する時には猪を一頭、狩猟に成功していた。

 これは完全に運が味方したせいだったが、昨日の宴のお礼に何か小さくても一つでいいから獲物が得られればいい、と考えていたウィノナからすれば僥倖と言えた。

 

 ウィノナが単身、獲物を森で捕らえて来た事を村人が知ると、誰もが喝采して喜んだ。

 魚は豊富に手に入るが、肉類は手に入らない。村に漁師はいても、猟師はいない。今までは獣肉が欲しければ遠くの村まで魚と交換で商いの旅を行わなければならなかったのだが、これからはそれが村の中から手に入る可能性がある。

 

 これを喜ばない村人はいなかった。

 女一人で何とも見事なものだ、と村の誰もが絶賛した。只でさえ歓迎の気持ちがあった中で、この特技によりウィノナは完全に村人の一人として迎え入れられたのだった。

 

 

 

 しばらくして──。

 

 手に付けた職も馴染み、ウィノナの生活は順調そのものだった。週に一度ならば少しの贅沢をする事も出来たし、僅かながらの蓄えも作れた。

 

 その頃になるとアーチェに連絡を取り、お互いの再会を喜び近況を報告し合った。それからというもの、アーチェは三日と置かずに遊びに来る。山を挟み、人なら辟易とする道のりも、箒に乗って移動できる魔術師にとっては関係なかった。

 

 時として一緒に狩りへ出ることもあれば、時として水難事故の救出を行うこともあり、アーチェまでも村に歓迎されつつある。

 それが、ここ半年の事だった。

 

 

 

 ある日、ウィノナは自宅で椅子に座り、ここ最近のお気に入りである紅茶を飲みながら今後のことを考えていた。

 行儀悪く椅子の上で片膝を立て、その上に頬を乗せ顎を乗せと忙しなく姿勢を変える。思考に没頭しきれないのは、今最も頭を悩ませている金銭面について解決案が見えて来ないからだった。

 

 今の仕事は性に合っているとは思うが実入りが少ない。このまま仕事を続けていって、果たして地下墓地の工事着手はいつになるだろう。

 どれほど時間が掛かろうと達成するつもりではある。しかしこのままでは、十年先でも十分な額は貯まらないと分かる。何か別の金策を考える必要があるだろう。

 

 クラースならば何か考え付いたりするのだろうか、と考えて(かぶり)を振った。本当に金策について明るいなら、あの研究所とは名ばかりの自宅にはもっと研究費用があるはずだ。

 

 ミラルドが文字の読み書きを子供に教えて月謝を貰うなどという、涙苦しい努力も必要ないに違いない。

 ウィノナは溜め息をついて紅茶を啜る。

 

 いっそ貿易を始めてみてはどうかと考えてみたものの、商才の無さには自信がある。収支の結果を考えて身震いした。

 

 そんな時、家の扉が叩かれてウィノナは顔を上げた。

 その特徴的な叩き方で誰かがすぐに分かる。ウィノナは椅子から立ち上がって扉を開ける。外で待っていたのは、期待していた通りアーチェだった。

 

「いらっしゃい、どうぞ上がって」

 

 お邪魔するよー、と声を上げて勝手知ったる様子で椅子に座る。ウィノナと対面になるように座ったアーチェは、やはり勝手にポットから紅茶を注ぐと喉を潤す。

 

 ウィノナ自身が家の中では好きにして良いと許可していて、お互い遠慮のない関係が続いている。

 特に用事がなくてもお茶だけ飲んで帰る日もあって、丁度今日はそういう気分でやって来たようだった。アーチェは沈黙を好まずよく喋るが、時に何をするでもなくボーッとする日もある。

 

「今日はどうしたの?」

「いやー、別に何の用があるって訳じゃなくてさー。ここ居心地いいし。……ウィノナは何してたの?」

「金策を考えてたンだけどね。いい案は浮かばないね、やっぱり」

 

 そっか、と返事をしてアーチェはベッドに移動して仰向けになって寝転がる。頭だけベッドの縁から落として天井を見上げた。

 ウィノナはそれを特に気にも止めず、昨日していたやりかけの作業を再開する事にした。金策について思考を巡らせても良かったが、どうせ急いで考えても良案は浮かばないだろう。

 

 ウィノナはボウガンに使う、矢の手入れ道具のある場所に移動する。

 そうこうしていると、アーチェが不意に声を溢した。

 

「ねぇ、ウィノナ……」

「んー……?」

 

 アーチェの声を聞くともなく聞きながら、矢尻を研ぐ。時折目線の高さより上に持ち上げ、研ぎ目が綺麗か確認する。

 

「あたし達、出会ってそろそろ一年経つっけ……?」

 

 どうだったろうと考えながら、ウィノナは次に矢のシャフトが曲がっていないかを上から横からと真剣に検分する。ここが少しでも歪曲していれば、矢は真っ直ぐ飛んでいかない。

 

「ンー……」

 

 小さな歪みを見つけたので、小刀を使ってシャフトを薄く削り修正する。

 少し削り過ぎたかもしれない、と眉をしかめながら、アーチェに言われた事を反芻する。

 

「多分、もう過ぎたと思うけど……」

「そっかぁ」アーチェは言って体勢を直し、うつ伏せになる。「最近、予知夢の方は?」

 

「見てないなぁ。でも見ない時は平気で数ヵ月くらい見ないから……。どうしたの、急に?」

「いやー、別に……。ウィノナは気にしないでいいよ」

 

 ウィノナは何か含みのある言い方が気になり、顔を上げて視線を手元からアーチェに移す。

 

「そんな言い方されると、却って気になるンだけど」

「ううん……。でも、そっか。経ったかぁ、一年……」

 

 アーチェは言葉を濁して窓を見る。つられて見た四角く区切った景色の向こうには、砂と海と空が見えた。

 アーチェはベッドの上で上体を起こして胡座をかく。その表情には決意のような力強さが宿っていた。

 



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思わぬ再会、命題の意味

 

 アーチェが何やら含みのある言い方をして去ったのが、今から一週間程前になる。

 

 その時はあまり気にしてなかったが、二日と置かずに訪ねて来ていたアーチェが来なくなれば心配にもなってくる。あの時の会話にそれほどの意味があったかどうか、ウィノナには分からない。

 

 単に用事があって時間が取れず、ウィノナの家に遊びに来れていないだけ、というのなら問題ない。しかし、それが更に十日経っても姿を見せないとあっては、ウィノナも別の危惧を考えない訳にはいかなかった。

 

 ウィノナの懐事情が温かくないのは、アーチェもよく知るところだ。単に一人暮らしを続けていくだけなら、今の収入で問題ない。しかしウィノナには、地下墓地を建設しなければならないという事情がある。その資金の事を考えれば全くと言っていいほど、お金がない事になる。

 

 事情を知るアーチェが、まさか自分から何やら負担を強いているのでは、と不安になった。

 これはウィノナの命題だ。

 

 一人で全てを解決しなくてはならないとは思っていないし、アーチェの協力を拒むつもりも更々ない。

 しかし、もしもアーチェが身を粉にして働くような仕事をしていたのならば、それは自分が代わると言わねばならない。

 

 

 

 それから更に数日が経ち、悶々として仕事もろくに手が着かずにいると、家の扉が叩かれた。

 アーチェだろうかと考え……いや違う、と思い直した。

 

 彼女の戸の叩き方は特徴的でもっと容赦がない。この音には、遠慮と言うより不安のような気配が感じ取れる。村人の誰かならば、もう少し気安い感じで叩いてくるものだ。

 はて誰だろう、と思いながら扉を開けると、そこには予想もつかない人物が立っていた。

 

「──リア!」

 

 扉を開けた目の前にいたのは、ウィノナとアーチェの親友だった。

 ハーメルの町で出会い、予知夢を覆そうと奮闘し、そして一縷の希望を持って家族と共に町から逃がした。そのリアが、今ウィノナの目の前にいる。

 

「……あぁ、どうして……!?」

 

 考えるよりも前に身体が動き、駆け寄り、抱きしめる。

 彼女の豊かな髪に顔を押し付け、その感触の懐かしさと確かに感じる体温を身に受け、それでようやくリアが幻ではないと実感する事が出来た。

 

 ──しかし、何故。

 

 そう思わないではいられなかった。

 リアの安否は気になってはいたが、しかし同時に考えないようにもしていた。予知夢で見えた内容のままリアが命を失っていたら、ウィノナはどうしたらいいか分からない。リア一家を狙う魔術師に、どこから情報が漏れるか分からないので転居先を誰にも報せないように言ってあった。

 

 だから安否の確認を取ろうと思っても出来ない、そう自分に言い訳して目を逸らし続けてきた。

 それが今、目の前にいる。

 

 ウィノナが何かに対してか感謝していると、リアの背後にチラリと満足げな顔をして立っているアーチェを見つけた。

 それでようやく思い出す。

 以前アーチェが聞いてきた内容は、予知夢を見たかどうかと、自分と出会って一年経ったか、という事だった。アーチェと出会って一年なら、当然リアの予知夢を見てからも一年という事になる。

 

 そして、予知夢の実現期間は一年以内だと、以前アーチェにも説明している。

 もしも、予知夢の内容から多くの対策を講じて、それでも結局害されてしまったのなら仕方ない。しかし、変えられるはずだという信念の元にリア一家を送り出した。

 

 それをアーチェが見つけ出し、ウィノナと出逢わせてくれた、という事なのだろう。

 一年という時を経て今なお平穏無事でいることは、予知夢で見た惨劇を回避する事ができた、という保障でもある。

 

「でもアーチェ、どうやって捜し出したの?」

 

 ウィノナの声が思わず震える。リアがそっと背中を撫でてくれ、それが嬉しくて目頭が熱くなる。

 

「そりゃあもう、虱潰しにね……。ミッドガルズの近くじゃなくて、海からも離れてる、そういう町や村を中心にね。逢えると信じて箒を飛ばしてたけど、案外早く見つかって良かったよ。最悪、見つからない可能性もあったしさ」

 

 だから、とアーチェは頭を掻きながら小さく頭を下げた。

 

「何も言わずに行ってゴメンね。……だってウィノナも今、大変だしさ。期待させて駄目でした、とかそういうの止めといた方がいいかと思って、勝手に動いてたんだ」

 

 ウィノナはリアの体から身を離し、何にしろ無事で良かった、と笑顔を見せる。

 

「さぁ入って入って。──あ、そこ適当に座って」

「ありがとう」

 

 リアを室内へ通し、ウィノナはお茶を用意する為に竈に掛けていた鍋からポットにお湯を移す。遠慮してどこに座ろうか迷うリアに、アーチェが手を引いてテーブルのある椅子に座らせた。

 

「あまりいい葉っぱじゃないんだけどね? ウチじゃ高級品なンだ」

 

 ウィノナは笑いながら、動きも軽快に手馴れた様子で紅茶を用意していく。来るのが分かってたら何かお菓子も用意できたのに、と思いながら、三人分の紅茶を注いだ。

 

「今日はゆっくり出来るの? ウチに泊まってく?」

「……お願いできるなら」

「そんじゃ、あたしもー!」

 

 リアがおっとりと頷き、アーチェも手を挙げて便乗する。寝る場所どうしよう、などと世間話に華を咲かせ楽しい一時が流れていく。再びこうした時間が持てる幸福に感謝し、そして三人で過ごせる空間が何より尊く感じた。

 

「この一年どうしてたの、って訊いてもいい?」

「うん、でも特別な事は何もなかったのよ……?」

 

 リアはこの一年間であった事を掻い摘んで話した。

 アルヴァニスタの冒険者ギルドで人を雇い護衛と共に移動し、山林に囲まれた内陸の町に移り住んだ。そこで護衛をしてくれた者達に一年の契約延長を頼み、そこで共に慎ましく暮らしていたのだとリアは語る。

 

「実際に襲撃はあったんだけど、未遂で終わって……。やっぱり弓を扱える人が複数いると違うのね……。手数も違うから近づく前に逃げ帰ってしまって……。それからは襲撃者も見ていないの」

「そうなんだぁ」

 

 ウィノナは安堵の息を吐いた。

 かつて視た夢があった。襲われるリアと対面する何者か。その何者かに、リアの背後から弓矢によるまばらな雨が襲う。

 

 矢が何者かに当たった場面は見えなかった。それがリア達を救う攻撃であって欲しいと願っていた。願うことしか出来ない自分を不甲斐なくも思ったが、こうしてこの場にいるということは、真実救いの矢だったのだろう。

 安堵の笑みを浮かべるウィノナに、リアも笑みを返しながら話を続ける。

 

「後は父が新しく事業を始めて、その手伝いなんかをして過ごして……。それなりに忙しくこの一年が過ぎて行ったかしら」

「良かった……」

 

 ウィノナが嬉しそうに呟きテーブルに手を置くと、オペラグローブに包まれたその右手にそっとリアの手が重ねられる。

 

「私はウィノナの話が聞きたい……。辛い事だもの、話したくないかもしれないけど。でも、知っておきたいって思うの……」

「うん、もう吹っ切れたし、その事はいいんだけど……。聞いて愉快な話じゃない、それでもいいなら……」

 

 それからウィノナは滔々(とうとう)と語り、リアは逐一相槌を打って頷き、そして悲しみを分かち合うように涙した。

 

 暗い話はそこまでで、お互いにあった楽しい出来事やリアと護衛の一人とのロマンスなど、女子らしい話題へと移り、そして楽しい時間はあっという間に過ぎていく。陽の傾きも見えてきた頃、リアがゆっくりと茶器を置いて姿勢を正した。

 只ならぬ雰囲気に、ウィノナは思わず首を傾げる。

 

「……ウィノナ。貴女、何か困り事があるんじゃない?」

 

 ぎくりとして、咄嗟にアーチェを見る。

 アーチェは顔の正面で手のひらを合わせ、きつく目を瞑って拝むように手を掲げる。ウィノナは一度息を吐き、バツの悪そうな顔をして音を立てながら紅茶を啜った。

 

 とてもではないが、久方ぶりに──それも再会できるか分からないと思っていた友人に、話せるような内容ではない。ウィノナはリアに目線を合わせられないでいると、彼女の方から再び名を呼ばれた。

 

「ウィノナ、何か困り事があるのでしょう」

 

 ハッキリとした口調で言われれば、リアが既に事情を細かなところまで知ってるのだろうと想像できる。とはいえ、だからといって素直に口に出せるはずもない。お金が必要だなどという事を、再会して間もない親友に相談するのは憚られたし、ともすれば金の無心とも取られかねない事情を話せる図々しさもなかった。

 

「……お願い、あなたの口から聞きたいの。是非、聞かせて」

 

 リアに真摯な表情でそこまで言われてしまえば、抗うことは難しかった。

 ぽそりぽそりと話し始め、最後には堰を切るように話し、地下墓地建設にどういう重要性があるのか全てを暴露した。

 

 ダオスは滅び行く故郷を救う為に、長い時間を掛けて別の星から来たこと。

 その唯一の救う手段を、ミッドガルズが潰してしまう研究をしていた為、それを破棄させる目的で戦争が起きたこと。

 それに破れたダオスは、やがて時間を飛び越えてやってくること。

 その魔王が一度封印される為に、地下墓地が必要なこと。

 それには莫大な費用が掛かること。

 ウィノナの労働と稼ぎでは、あと十年掛かっても無理であろうこと。

 全ての話を語り終えて息をつくと、リアは満足げに頷く。

 

「話してくれて、ありがとう」

 

 言って、ふわりと微笑む。一呼吸の間を置いてから、リアは笑んだ表情を真剣な表情に切り替え、ウィノナが思ってもいない衝撃的な事を口にした。

 

「──その費用、全額スカーレット家が負担します」

「なっ……!?」

 

 ウィノナは開いた口が塞がらなかった。

 一体何を言い出したのか理解できない。どれほどの費用が掛かるのか説明したばかりだったのに、おいそれと用意すると言える筈もない。その疑問は直後にリアの口から語られた。

 

「この事は既に父も知っていることで、そして費用についても全面的に同意しているの」

「そンな馬鹿な……」

 

 ウィノナが零すと、リアは手を頬に当て首を傾ける。

 

「知っていたかしら、スカーレット家は多くの資産を持っているのよ」そうして少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。「……何度も家を取り替えたり、新しい事業を始める事が簡単なくらいには」

 

 思わずウィノナは喉の奥で唸りを上げた。

 それについは思い当たる節がある。ミッドガルズから越す前は家に使用人がいたと、リアは言っていた。ハーメルに越して来てから直ぐ逃げ出すことになったが、家財も置いたままだった。あの時は逃げるのを優先し、嵩張る物は捨てていくのも仕方ないことだろう、と思っていた。

 

 普通ならば、そもそも簡単に住居を何度も変えられるものではない。命がかかっていたのだから逃げ出すしかないのだとしても、そこから新事業など考えられる事ではなかった。リアの言った事が考えるだに信憑性が増していく。

 リアはウィノナの顔から視線を動かさない。

 

「確かに簡単な額じゃないわ。全ての資産を投げ打って、尚足りないかもしれない。それでも──是非、協力させて欲しいの」

 

 でも、とウィノナは更に渋る。出させる金額は尋常でないものだ。はいお願いします、と簡単に言えるものではない。

 頼っていいのか、甘えていいのかと自問する。ウィノナもその全てを自分だけの力で出来るとは考えていない。どこかで誰かに頼る事になるだろうとは思っていた。だがそれは、自分やるべき事と力を全て注いでからだとも思っていた。突如、天からお金が降って来るような幸運を期待した事は一度もない。

 

 悩み続けるウィノナに見かねたリアは両手を差し出し、その手に重ねる。

 

「いつか必ず、この恩は返すと言ったでしょう? 是非、いま返させてちょうだい」

 

 ウィノナの瞳から涙が零れ落ちる。そこまで言わせた自分の不甲斐なさと、リアの優しさが心に沁みた。

 ウィノナはリアに重ねられた手を取り、両手で包んでから頭を下げた。

 

「よろしく、お願いします……っ」

 

 

 

 泣き腫らした顔を柔らかな布で拭って、ウィノナはようやく落ち着いた。

 隣ではアーチェが肩を抱いて寄り添ってくれていて、それがウィノナを落ち着かせる要因になった。その日は三人で川の字になるように狭いベッドの中でお互いを抱くように眠り、目覚めてからも三人で着かず離れず行動していた。

 

 朝食を摂り、食後のお茶を楽しみながらリアはしみじみと呟いた。

 

「それにしても、昨日は色々と驚いたわ……」

「それはこっちの台詞でしょ」

 

 ウィノナが半眼になりつつ恨みがましく言えば、リアは小さく苦笑した。

 

「まぁ、そうなんだけれど。でも、まさか魔王と呼ばれ恐れられていた人物が──手段の是非は置いとおくとしても、マナを保護する為に戦っていたとか……」

 

 信じられないでしょう、と隣に座るアーチェに流し目を送る。アーチェは視線を受け止めて、ヒョイと肩を竦めた。

 

「ま、これが真実だって言っても、誰も信じないのは確かだよね」

「その上、実は異星人、でしょう? 信憑性を更に失うのがオチだと思うわ」

 

 でも、とリアは人指し指を顎先に当て、上方に視線を向ける。

 

「一つだけ気になる事があって……」

 

 この上いったい何が気になるのか、ウィノナは戦々恐々とする思いだった。何しろ昨日一日だけで、リアのその鋭い思考は嫌と言うほど味わった。

 そこへ更に言いたいことがあるというなら、それはきっと意味のあることに違いない。

 

「ウィノナはそれでいいの?」

「それって?」

 

 んー、と言葉を濁したリアは、顎先に当てていた指を戻し、視線をウィノナに向ける。その表情は真剣味を帯びたようなものではなく、ごく自然な疑問を浮かべたものだった。

 

「あまり持って回った言い方も良くないと思うから、この際ハッキリ訊くけれど──」

「う、うん……」

「ウィノナはダオスと結ばれたいとは思わないの?」

 

 突然の指摘にウィノナは息が止まる気がした。ドクリと心臓が一度大きく跳ねて、それから思い出したように鼓動が早鐘を鳴らす。

 顔に一気に熱が登り、耳鳴りが近くから聞こえて来た。

 

「え、え……?」

 

 ウィノナは咄嗟に返事をすることができなかった。正確には返す言葉を持っていなかった。それでとにかく何か言おうとするのだが、思考が空回りして上手い言い訳を返せない。

 口だけが開いては閉じてを繰り返し、結局言葉をつぐんでしまった。

 

 興味深く見守っていたアーチェも、ウィノナが何も言えなくなったのを見て深く溜め息をつく。リアもまた似たような反応だった。

 

「ウィノナ、その献身はさ、大したもんだと思うよ? でも、こんだけ頑張ってるのにさ、何も報われないっていうのもね……。言いたいこと、分かるっしょ?」

「いや、でも……」

 

「貴女はもう少し、我が儘言っても許されると思うの」

「それは……、うん。かも、しれないけど……」

 

 ウィノナはモゴモゴと口を動かすだけで、それきり俯いてしまった。二人の言いたいことは分かる。全ての努力と献身は報われるべきだ、とは言わない。それでも報われてもいい努力というのは、あってもいい筈だった。

 だけど、とウィノナは言い募る。

 

「ダオスは過去には、やって来ない」

 

 あ……、とアーチェが声を漏らす。

 トールの時空転移装置が封印された以上、ウィノナが未来へ転移する手段は持てない。会いたいと思っても、もう二度と会えないのだった。

 

「過去をみだりに変えない為──ううん、それによって、ウィノナの存在を不確かにしない為。ウィノナの事を思えばこそ、ダオスは過去へは転移しない。聞いた話から考えると、そんな感じかしら?」

 

 そう、とウィノナは項垂れるように頷く。それを見ながら、リアは首を小さく傾げた。

 

「──でも、それって突ける穴があると思う」

 

 えっ、とウィノナが顔を上げ、アーチェが驚きを隠すことなくリアへ身体ごと顔を向ける。

 

「嘘でしょ!?」

「ウィノナが一人だけいる状態で、かつ他人が来れない場所で会う。これだけで、条件は満たせるでしょう?」

「いや、そりゃあそうかもしれないけどさ……。言うほど簡単じゃないってば。まず、その状態を作るのが難しいんじゃん? どんな場所でも不慮の遭遇ってあるものだし。……それに、だから不慮って言うんでしょ?」

 

「……そうね。人は勿論、動物はおろか魔物にだって遭遇しないことが好ましいと思う」

 

 言って、リアは時分の顎先を摘まみ考えに集中し始めた。何かを考える時、顎に手をやるのが癖らしい。

 

「動物や魔物も二人に遭遇すれば逃げの一手でしょう。その逃げた先で何が起きるか予想がつかないもの。……だから、屋外よりは中がいい。坑道の様な人工的な洞穴で、かつ新造。これなら動物も魔物も即座には棲み着かない。そして出入りを制限できれば完璧ね」

 

 そこまで一人で呟くように捲し立て、しかし諦めの色が濃い息を吐いた。

 

「とはいえ、今のところそんな都合のいいもの、探し出すのは無理でしょうね……」

 

 当たり前でしょ、とアーチェはそこまで一息に考えてしまうリアに呆れてしまった。

 しかし、それよりも気掛かりなのは、もし実現したら三人は離ればなれになるだろうという事だった。

 

 何しろ、ダオスと共に生きると言うことは、ダオスに着いていくということで、そしてダオスはこの星そのものから去っていく。

 

「どこか遠い国っていうくらいならさ、何日かけてでも会いに行くよ。でもさ、ダオスと一緒に旅立つっていうなら、それはもう二度と会えないってことだよ……」

「そうだよね……」

 

 暗い顔をして眉根を寄せてしまったアーチェに、ウィノナも気持ちを同じくする。これは二者択一の問題だ。どちらか一方を選べば、必ずもう一方を諦めねばならない。

 

 クレス達との別れの時は、地下墓地の完成という目指すべき道があった。やり遂げてみせるという確固たる意思があった。だからこちらを選ぶのに躊躇はなかったが、今のウィノナは、それを選ぶ──選べる確固たる意思を持たない。

 

 そもそも、今の内から考える問題でもなかった。ダオスに再び──あるいは三度──会う為の方法も確実に目の前にある訳でもなく、今はリアの疑問に心が揺らいだに過ぎない。

 ウィノナが何より優先すべきことは、地下墓地の建設に邁進し、まずその目処を立たせることに他ならない。

 ウィノナは一度かぶりを振って気持ちを切り替える。

 

「最初に考えるのは、地下墓地の完成だよ。それからのことは、それから考える。決意と覚悟は、その後にしか出来ないと思う」

 

 そう言った今のウィノナの目にこそ、決意と覚悟が見て取れる。

 リアは一つ頷き、紅茶で軽く唇を濡らして気分を落ち着かせる。アーチェもそれに倣うようにして紅茶を口に運び、それから今後について詳しい話をする事になった。

 

「分かったわ。それで……確認だけど、ウィノナは墓地が欲しいんじゃくて、あくまで地下墓地が必要なのね?」

 

 リアがそう切り出して、ウィノナは頷く。

 

「うん。そして、その最奥に封印の間を作る必要があるンだ」

「ふぅん……、でも話を聞いてると違和感があるのよね……」

 

 リアはその小さな顎に人差し指を当てて、小首を傾げた。

 それにつられてアーチェも首を傾げる。

 

「なんで?」

「私は完全に部外者だし、実際に見たこともないから、先入観なく物事を見る事が出来るだけなんだと思うんだけど……、それって順番が逆じゃない?」

「……何が逆?」

 

 ウィノナが難しい顔で尋ねると、リアは視線を天井に向ける。

 

「話を聞くと、必要なのは封印の間であって、地下墓地その物ではないでしょう? なのにどうして墓地が欲しいの?」

「え……」

 

 言われてウィノナは言葉を返す事が出来なかった。

 確かにこれは、部外者であり先入観なくして見れる者でなくては出てこない発想だ。ウィノナはあくまで墓地を作り、その先に封印の間も作られなければならない、と思っていた。

 

「極端な話、地下通路を一直線に作り続けて、その最後に封印の間でも良い訳でしょう?」

「いや、それじゃ駄目なワケよ。最奥の間の前にウィノナの墓がないといけないから」

 

 アーチェが口を挟むと、リアは眉根を寄せる。

 

「ウィノナの墓? それも必要なの?」

「うん、多分……という予想なんだけど、アタシが寿命か病気か何かで死んだ時、アタシの墓がそこに作られているのね。それが現代で観測されている以上、アタシの墓はそこになければならないから……」

 

「だから、その墓石があくまで違和感なくその場になくてはならないから? ポツンと墓石を置くだけじゃ不自然っていうだけの理由で、わざわざ地下墓地まで作っちゃうの?」

 

 そう言われると、確かに墓地の建設という大事業に違和感がある。これではまるで、成金が財力に物を言わせて無理をさせているようにしか聞こえない。

 しかし現代では実際そうなっているのだから、としかウィノナには説明できない。

 

「だから順番が逆だって言ったの。……物事にはしっかりとした原因と、そこから生まれる結果があるものでしょう? 単にウィノナの墓が違和感なくその場にある為に墓地まで作ろうなんて、本末転倒だもの。ガルドが幾らあっても足りな……」

 

 言ってる途中でリアが言葉を切った。ハッとした顔で口を隠すように手を当てている。

 それでウィノナもリアの意図に気付く。

 

 ──ガルドが足りない。

 それがまさに、墓地を作る原因となったのではないか。リアはそう考えている。しかし、何故墓地だったのか、それがウィノナには分からない。リアは一体そこから何を考え付いたのだろう。

 

 リアは細い顎を摘むように持ち、ぶつぶつと小さく呟きながら視線を外に向けている。ウィノナはアーチェと視線を合わせ、その意図に気付いたか問うたが、アーチェから返って来たのは肩を竦める身振りだけだった。

 

 しばらく見守っていると、リアは興奮したように息を吐き、それからカップを持ち上げて喉を潤す。改めてリアはウィノナに視線を向けた。

 

「私の家はその商売柄、色々と知ってる事も多いんだけど……。近々ユークリッドに王国が出来るのは知ってる?」

「え、知らないよ、そんな事……! ウィノナは?」

 

 問われてウィノナも首を横に振る。

 

「初耳……」

 

 現代では既に王国があった。あったからにはいつか建国されたのだろうが、歴史に疎いウィノナはそんな事は知らなかった。

 

「ユークリッド大陸にある三つの豪族が手を組んで、国を作る事にしたみたい。ダオスのような強大な敵が現れた時に、成す術も無いと危機感を持ったのが原因だとか……」

 

 ウィノナはとりあえず頷く。

 

「即ち、デロノイ族、メイルガン族、ユークリッド族、この三つの部族が統一されることにより建国される予定らしいの」

「そして、その王城がユークリッドに出来るのね?」

 

「うん、そう。つまり王族はいずれ墓に収まる時、埋葬されるに相応しい墳墓が必要となってくるでしょう?」

 

 あっ、とアーチェが声を上げた。

 ウィノナもようやく、リアが何を言いたいか分かってきた。

 

「やけに立派な地下墓地だと思ったけど……、そっか……、そういう理由?」

「権威にはそれなりに見栄えが必要になるけれど、墓を建てるとなると場所も考えなくてはならないでしょう? 王都の傍であればいいけれど、近過ぎるのも嫌がるものよ。ウィノナが言うように、この近辺に造られるなら遠すぎるとはならないし適所じゃないかと思う。売り込むにも十分、勝算がある」

「それで出資を頼むのね?」

 

 リアは我が意を得たりと、笑って頷いた。

 

「やっぱりスカーレット家だけじゃ全てを賄うのは難しいと思うの。それこそ一本道の地下道を掘り進めるだけでも苦労すると思う。だから出資を募る訳だけど、それなりの理由も出資額も解決しなくちゃいけない。でも王墓を造るとなって、それが地下墓地っていう箔付けも加われば高確率で頷いてくれると思う。封印の間を造る為の隠れ蓑として最大限活用できるし、地下墓地完成の功で持ってウィノナの墓の場所取りも出来る」

 

 リアは何度も頷き、興奮したように息を吐く。

 

「最初は何故と思ったけれど、よく考えられてる。これは謂わば一石三鳥の策なのね……!」

 

 ダオス封印の間を造ること、その場にウィノナの墓を作ること、そしてその為の資金を稼ぐこと。この三つの条件を満たすことが、これならば可能となる。

 盲目的に、未来に存在しているから、というだけの理由で造ろうとしていた地下墓地だったが、その理由を紐解けば実に複雑な事情が絡んでいて、ウィノナは正に瞠目した。

 

 時の流れというものはウィノナにとっては、その為に動きを制限されるものという認識しかなかったが、ここに来て味方であるようにも思えてきた。クラースがウィノナが過去に渡る必要性を説いたのは、まさにこういう事なのだろう。

 

 流れに身を任せる、というのとはまた違う。

 ウィノナがこの時代に帰って来なければ、アーチェが一年という区切りに気付かなければ、リアとの再会が叶わなければ。

 その全ての縁なくして、果たして地下墓地は完成しただろうか。

 

 ウィノナは時の流れに背を押されるという感覚を、その身を感じる。

 

 ──だが、それでも。

 

 後は完成を期待して待つだけとなった。無論ウィノナとしても座して待つつもりはなく、完成までの協力の一切を惜しむつもりはない。

 それでも、ようやく完成へと道筋をはっきりと感じて、ウィノナは目の奥が熱くなるのを感じた。

 リアはそれを見て、より強く感じさせる笑みを浮かべる。

 

「安心して。全て、私達に任せてちょうだい」

 




 
実はリアさんが気づいていなかっただけで、一石四鳥の策でもあったのです。四鳥目が何なのかはリアの口からも出ているのですが、次で明らかになります。

次回、ラストエピソード。
 


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時を越えて口づけを

 
kuda様、誤字報告ありがとうございます。
 


 

 それからの行動は早かった。

 ウィノナが何もしなくても、全てスカーレット家が取り仕切って豪族と契約を交わし、手配した職人が集まり工事に着手する。

 

 クラースにも連絡を取り、事の経緯を説明すれば、洞窟の横穴の拡張など精霊を召喚して手助けしてくれた。人力で穴を掘る事に比べれば、その速度は凄まじく完成への道のりが大幅に短縮できたと確信できる。

 

 これで自分の使命も終りか、とウィノナは感慨深く工事の光景を眺め、そして陽が落ちるまでそれを見守っていた。

 手伝うと言う申し出には、やんわりと断られてしまった。それでも是非にと言うと、手伝いが欲しい時には必ず声を掛けるという返事で説得されるに至る。だからせめて現場で声がいつ掛かってもいいように、傍で見守るに留めていたのだが──今の所お呼び声が掛かる気配はない。

 

 その日は自宅に帰り、簡単に食事も済ませると、ぽっかりと空いた時間に将来を思う。

 自分はこれからどうしようか。

 やるべき事はやった。これでダオスが救われる線は繋がった。

 

 ──そして、これからは?

 その考えは頭の中を際限なく巡り、時間も忘れて没頭する。一体どれだけそうしていたのか、ウィノナ自身にも分からなかったが、窓の外、海の水平線には一筋の光が見えている。

 それを見ながら胸の奥にある素直な自分の声を聞いた。

 

 ──ダオスに逢いたい。

 想えば想うほど、その気持ちが強くなる。何度逢いたいと思い、そして嘆いた事だろう。地下墓地建設に向けての準備が終えた事で、気が緩んでしまったのかもしれない。

 

 目の奥が熱くなり、堪えきれずに落涙する。

 ウィノナは涙を拭い、誘われる様に家の外へ出た。夜明けの光を見つめながら決意する。涙を見せるのはこれで最後、これからは自分の夢を見つけ、幸せになれる道を模索する。

 遠い明日に思いを馳せながら、ウィノナは思う。

 

 その道とは、あの時──ダオスが未来へ旅立つ時、ウィノナが言えなかった言葉を伝えた、その先にしかない。

 ウィノナは目を瞑り顎を上げる。

 朝陽が瞼を溶かすような、温かな錯覚を感じながら、その為の方法を模索し始めた。

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 それから幾年もの月日が流れ、地下墓地建設が佳境に入った。そろそろ終わりも見え始めた頃、アーチェはスカーレット家の仮宅を訪れていた。

 

 スカーレット夫妻への挨拶もそこそこに、リアの部屋に向かうと軽くドアをノックして返事を待つ。

 どうぞ、という警戒を感じない声音が聞こえると、アーチェは気さくな所作でドアを開いた。

 

「やっほー、アーチェさんだよー」

「あら、やっぱり。明るい声音が聞こえるなぁと思ったら……。いらっしゃい、どうぞ座って」

 

 何か書き物をしていたリアが椅子から立ち上がり、近くにあるソファーへ手を向ける。アーチェも慣れた調子で部屋を横切り、飛び乗るようにしてソファーに座った。

 

 それを見ながら、リアはお茶の用意を始める。アーチェもまた、その間に何をするでも言うでもなく窓の外の景色を眺めていた。

 用意が終わってリアが茶器をアーチェの前に置き、自分の分の紅茶も淹れ終えると改めてアーチェに視線を向ける。

 

「……それで、今日はどうしたの?」

「うん、ウィノナのことで。ちょっと」

 

 アーチェが紅茶に口をつけながら答える。

 

「そろそろ墓地も完成するワケじゃない? だから、ウィノナの墓石のことも考えなくちゃなぁって思ってさ」

「そういえば、そんな話もあったわね。でもそれなら、当のウィノナも存命なんだし、考えるにしても気が早すぎるんじゃないかしら」

 

「そりゃそうなんだけどさ。でも、あたしの考えを実行しようと思えば、むしろ今の内の方がいいんだよ」

「どういうこと? ウィノナが嫌がるような事なら、やらない方がいいと思うけど」

「いやぁ……。これ聞いたら、きっとリアも賛成すると思うなぁ。悪戯でも意趣返しでもないけどさ、本当のことも刻んでおかないと」

 

 殊更明るく振舞うアーチェだったが、それには勿論理由があった。

 墓地が完成となれば、それは即ちウィノナとの別れが訪れることを意味する。

 ほんの数日前、ウィノナはその胸に秘めた想いと決意を語ってくれた。そして三人による協議の結果、その方策が成れば、墓地の完成後数日から十日前後が、共に過ごせる最後の時間となる筈だった。

 

 それを考えれば、もう殆ど時間は残されていない。

 この時間が永遠に続けばいいと思う反面、ウィノナの努力は報われて欲しいとも思う。そしてその報いとは、離別の先にしかないと分かっていた。

 

 リアもまたアーチェと同じ気持ちだった。

 ウィノナとアーチェの二人から幾度となく話を聞いてきたからこそ思う。ウィノナには報われて欲しいという思いが強い。

 

「何となく読めて来た。……けど、いいの? 多分、ウィノナ怒るよ?」

「怒られるくらいで済むなら幾らでも。だから、ちょいと良い感じの碑文、一緒に考えようよ」

「もう、仕方ないわね……」

 

 ──ダオスとウィノナを再会させる。

 それこそが二人の願いであり、そしてそれこそがまた自分の夢だと、ウィノナが語った内容だった。

 

 しかし、過去に転移しないダオスが、この先の未来で心変わりする可能性は限りなく低い。

 それに実際転移してきたとしても、時間転移者が過去の人物と不慮の接触があれば、未来への影響がどうなるか分からない。

 だから、もし逢うにしても、ウィノナが一人だけいる状態で、かつ他人が来れない場所でなければならない。

 

 そしてそれを可能にするには、屋外よりも屋内を選ぶべきだった。

 それは例えば、坑道の様な人工的な洞穴で(・・・・・・・・・・・・)かつ新造である物(・・・・・・・・)。それであれば、動物も魔物もまだ棲みついていないだろうし、人の出入りも制限できる場所であれば、不慮の接触も起こらない。

 

 そして、その様な場所を、今まさに作り終えようとしているのだ。

 

 事が成れば、ウィノナは遠くの世界へと旅立つ。それは海を隔てた遠い土地、という訳ではなく、この星からいなくなることを意味する。会いたいと思っても不可能で、せめて手紙だけでも、と思ってもそれすら不可能な遠い世界へ行ってしまう。

 

 魔王と呼ばれた男が、実は異星人だと聞かされた時は実に驚いたものだった。

 しかも人類への侵略というわけでも世界の破滅を狙ったわけでもなく、男にあった願いは故郷となる惑星の救済だった。

 

 ダオスは確かにやり方が苛烈だった。だからこそ魔王と呼ばれ、封印されもした。しかし、その故郷を想う救済の願いは尊く思うし、その協力に尽力したウィノナもまた尊く思う。

 

 一人の男にかける冷めることのない情熱は、今もウィノナの胸の内に燻っている。だからこその、あの夜聞かされたウィノナの決意なのだろうし、一種の賭けとなるダオスの説得も、アーチェは必ず成功させるつもりでいる。

 

 リアもアーチェもウィノナの想いを成就させるつもりでいるし、またその努力を怠ろうとは思わない。今生の別れは辛い。しかし、別れを惜しんで親友に涙を流し続けさせるつもりもなかった。

 だから、そう──。

 一種の意趣返しくらい、許してもらってもバチは当たらないだろう。

 

「私も乗るわ。話を詳しく教えてちょうだい」

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 それから、約百五十年の月日が流れた──。

 

 ユークリッド大陸南に位置する精霊の森、その世界樹の根元に一つの光が現れた。それはやがて形を変え、人の姿を取るとその場に膝をつく。流れ波打つような長い金髪、鍛えられた健康的な肉体、彫刻のように整った容姿の美丈夫、時を越えて現れたダオスがそこにいた。

 

 その姿を認めたマーテルが、世界樹から姿を現す。そうして挨拶の一つも交わさぬまま、その両手を広げ空に向ける。

 向けた先、世界樹の頂点から眩い光が溢れ、その光が一極に集中していくに連れ、次第に形を作る。光は時間と共に輝きを増し続け、遂にそれが弾けると一つの結晶が現れた。

 

 蓮のように幾つもの花弁に覆われた、金剛石のような輝きを持つ特大のマナの結晶だった。

 世界樹の頂点で実ったそれは、ゆっくりとした速度で降りてくる。マーテルの元まで来ると、赤子に接するような優しさで受け止める。

 そうしてマナの結晶を慈しむように眺めた後、その両手をダオスに向けた。

 

「約束の恵みはこちらに。どうぞ、お受け取りください」

「感謝いたします、マーテル」

 

 ダオスは深々と礼をして、その手に大いなる実りを受け取る。

 実と言っても決して小さくないそれは、ダオスが触れると溶けるように消えていった。何がと思うよりも先に理解する。今はダオスの身体の中に保管され、場所を選ばず好きに取り出せるようになっている。

 これもマーテルの配慮なのだろうか、と顔を向けると、マーテルの得心のある笑顔で頷きが返って来た。

 

「……多大なる配慮、誠に痛み入ります、マーテル」

「気にしませんよう。長い旅路の果て、無事帰れることを祈っています」

「地母神からの祈り、これほど心強い事もありません」

 

 改めて深々と礼をしダオスが顔を上げた時、マーテルは大樹の中に帰って行くところだった。その一切の見返りを求めない心根に感謝をしつつ見送ると、改めて一礼してダオスも踵を返す。

 

 そして、そこに初めて人がいることに気が付いた。

 ピンク色の髪を持つ魔術師、アーチェが箒の柄を地面に突き立てこちらを見ている。あれから随分時が経つというのに、容姿の変化は見られなかった。ただ服装に幾らか小さな変化は見られる。

 アーチェは小さく手を挙げる。

 

「どうも。念の為に一月前から待ってたけど、きっと会えると確信してたよ」

 

 その言い分には些か妙な引っ掛かりを覚えたが、それより気になったのは約束が違うということだった。確かに約定を交わしたという訳ではない。単なる口約束に過ぎないが、ウィノナに関わる約束事を反故にされた気分で、ダオスは自然と眉に皺が寄るのを感じた。

 

「ここには誰も来ないと聞いた筈だが、違ったのか」

 

 憮然とした口調になってしまったのは仕方のない事だろう。アーチェもそれを知ってか気にする風でもなく、いや、と手を振る。

 

「それで間違いないよ。クレスたちはまだまだ健康で元気だけど、ここには来てない」

 

 ならば何故、とダオスは問えば、アーチェは少し蔭のついた笑顔を向けた。

 

「お願いがあってきたんだ。……ウィノナが過去に向かった後はね、順調だったよ。全て上手くいった」

「……そうか、それは……良かった」

 

 と言っていいものか、とダオスの顔にも翳りが差す。

 だが、それが彼女の言うお願いと、どう繋がると言うのか。訝しげに思った疑問だったが、それはすぐに氷解した。

 

「七年だよ。クラースが精霊に助力を頼んでくれたお陰で、僅か七年で地下墓地は完成した。そして、それからすぐ……ウィノナの墓石も作ることになったんだ……」

 

 ダオスの眉根にグッと皺が寄る。

 

「あれから、たったの七年か……」

「そう。だからさ、せめて墓石の所まで会いに行ってあげてよ。ちょいっと過去まで飛んでさ。誰かに迷惑かける話じゃないんだし、それぐらいいいでしょ、お願い」

 

 くっと小さく呻いて、アーチェは頭を下げた。

 

「ダオスが過去に行かない理由は知ってるよ。でもさ、百四十年以上も待たせるなんて、あんまりだよ。出来たばかりの墓地の最奥だし、当時は無関係な人の出入りだって禁じてる。だからお願い、ウィノナの墓石の前に行ってやって」

「……そうだな。せめて、そうさせてもらおう。──それで、いつだ?」

 

 ダオスの問いを正確に理解して、まるで最初から答えを用意していたかのように、アーチェは素早く答えを返した。

 

「今から百四二年前、七月十七日」

 

 顔を上げて答えるや否や、ダオスは姿を光に変え、次には一瞬の発光と共に掻き消える。

 それが消え行くのを見送るアーチェの顔は、悪戯に成功した子供のようだった。既に誰もいない空間に指を突きつけ、高らかに告げる。

 

「──嘘は一つも言ってないかんね!」

 

 腕を下ろし息を一つ吐くと、そこには儚い笑顔に変わった表情があった。

 

「ウィノナ……。手紙を残して行ったのは正解だったね。流石に今日まで忘れずにいるなんて不可能だったから……。でも──遠い約束、ようやく果たせたよ」

 

 それから顔を上げて空を見る。

 この百五十年の間に忘れた事は多くある。それでも、不思議と親友の笑顔は忘れず今も鮮明に思い出すことが出来た。

 晴天の向こう側に遠い過去の想いを馳せながら、アーチェは万感の思いを込めて呟いた。

 

「──いってらっしゃい、ウィノナ」

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 光に包まれ、時間転移特有の無重力感から解放されると、次に見えた光景は薄暗い地下墓地の中だった。

 懐かしい、というほど思い入れもないし、墓地から出る時は落盤と崩落から逃げる時だった。余裕を持って墓地内を見れた筈もない。それでも、これで見納めかと思えば感慨深くもなるものだ。

 

 そして、自分が現界した場所が封印の間だと気づくと苦笑する。

 ──よくよく、この場所には縁がある。

 

 時間の束縛が意味を成さない身とはいえ、時間を無駄にする気もない。ダオスはウィノナの墓が、最奥の間そのすぐ手前にあったと言っていたのを思い出していた。

 封印の間の入り口となる扉を抜けて歩くこと暫し、通路を抜けると大きな墓石が目に付いた。

 これだろうか、と正面に回ると、果たしてそこにはウィノナの名前が刻まれていた。

 

 あの時、ウィノナ達が語っていたように、生年と没年が逆になった碑文。

 A.D.4290~4210と刻まれた数字を見て、思い返すように計算する。

 

 一緒に旅したあの年は4201年だったか。現代から再び過去へ戻ったのは4203年。

 その時は十八歳だったはず、本当にそれから僅か七年で……。

 

「僅か二十五歳での他界、さぞ無念であったろう……。許せ、ウィノナ……」

 

 墓石の前に屈み込み、ダオスは涙を落とす。

 それから労わるように、墓石に刻まれたウィノナの名を撫でた。すぐにその場から動くことも出来ず、放心したように固まる。

 

 そうしていると、ふと手向けの花も用意してなかったことに気づき、どこからか調達しようかと悩んだ。外に出なければ花もないだろうが、かといって人目に触れる可能性を作る事も憚られる。

 

 そういえば、とダオスは墓前を窺う。

 そこには哀悼に訪れた者が置いていって当然の花束もなければ、供える物も何一つない。

 既に撤去されたところだとしても、花びら一つ落ちていないのも不自然に思えた。よくよく掃除をしていると考えたとしても、土を踏んだ後も見えない。

 

 思えば、アーチェが言っていた事にも違和感があった。

 ──墓石を作る事になったんだ。

 この言い回しは少し変ではないだろうか。ウィノナの死について伝えるならば、その死を悼む内容であったり、埋葬する事になったと伝えるのが自然に思う。わざわざそれより先に墓石について言及する必要はない。

 

 思い悩む間に入り口方面から足音が聞こえ、ダオスはぴくりと身を強張らせる。

 哀悼に来る者がいたとしても不思議ではないが、ダオスにとってそれはタイミングが悪すぎた。ダオスは念のため言われた日付よりも一週間、時間を後ろにずらして飛んできた。

 

 当日や、その近日では花を捧げに来る者も多いだろうと思っての措置だったが、あまりに間が悪かったのだろう。

 ダオスは短い時間しか滞在しないつもりだったから、本日何者かがやって来たとしても遭遇率は低いと思っていた。後悔するほど長居したつもりはなかったが、何をするにも遅すぎる。

 

 厄介な、と思いながらどこか陰に隠れようとし、それから体が固まった。

 部屋の入り口から姿を現したのは、ウィノナとよく似た女性だった。

 

 一体何が、とダオスは驚愕する。

 もしもウィノナが順当に年を重ね、少女からおどけなさが取り払われたなら目の前にいるような女性になるに違いない。快活さよりも女性らしさが目立ち、髪型にも若干の変化が見られる年相応の美人。当時はしていなかった化粧も薄っすらと見える。

 

 ダオスのよく知るウィノナとは違う、しかし決定的に違うとも言い切れない容姿。何より死んだはずの人間がいる筈もない。それなのに目の前の女性は、かつてダオスが渡したマントを羽織っている。経年劣化を感じさせる色素の変化や小さな汚れと染み、そして解れを修繕した痕などが女性の正体を言外に語っているかのようだった。それが更にダオスを困惑させる。

 

 その女性はダオスの姿を認めると、泣く様な笑う様な複雑な顔をして近づいて来る。

 ダオスは近づいて来る女性から逃げる事も出来ず、成り行きを見守る。逃げようと思えばいつでも逃げられたが、しかし身体が動かない。動く事を身体が拒否しているかのようだった。

 

 ひどいよね、とその女性は笑う。

 その仕草があまりにもダオスのよく知るウィノナのものだったので、これは幻でもなく本当に現実のウィノナなのだと実感してしまった。

 

 ──しかし、何故。

 それだけがダオスには分からない。

 ウィノナはダオスの傍まで近づくと、そのまま倣うように墓石の前に屈みこむ。泣き笑いに似た表情はそのままに、ダオスへと一切顔を向けずに墓石を指差す。

 

「この名前の下の文言、やめてって言ったのに気付いたら彫られた後でさ……。これ、将来クレス達に見られちゃうンだと思うと複雑な気分になるよね……」

 

 そう、照れたような拗ねたような声音で言った。

 

「ウィノナ……、ウィノナ、でいいのだな? これは一体……」

 

 未だ動揺を抑えきれないダオスが請うように問うと、ここで初めてウィノナがダオスに顔を向ける。

 

「ダオス、アーチェを責めないで。ここにダオスが来たっていう事は、これからアタシが置く手紙の内容を、きちんと覚えていてくれたっていう事だから……」

 

 ウィノナは自らが言った通り、懐から一つの便箋を取り出す。四隅に金の刺繍の入った(・・・・・・・・・・・)白い便箋を、大事そうに墓前に置いた後、再びダオスに顔を向けた。

 

「この墓地が完成したその日から、毎日ここにやって来ては一日中ここにいたンだよ。手紙を持って、いつダオスが来てもいいように。……そして落胆して帰るのが、ここ一週間のアタシの生活」

 

 我ながら酷い生活だ、とウィノナは笑った。

 

「でも、ようやく来てくれた」

「ああ、いや……」

 

 ダオスは何と言っていいのか分からず言葉を濁したが、それすらもウィノナにとっては些事に過ぎないようだった。ウィノナはむしろ笑んで、それから再び墓石に顔を向ける。

 

「この墓石はね、地下墓地が完成したその日に設置されちゃってね……。前から親友二人に話してた決意を、こんな風な悪戯心で形にされた。それが、ここにアタシの墓があった真実、っていうことになるのかな」

 

 ウィノナの言わんとしている事がダオスには判然とせず、それが思わず表情に出る。

 ウィノナはそれを見て察し、苦笑しながら続けた。

 

「こんな墓石があったから、アタシは過去に戻る事になった。実際、それは必要なことだったけど、墓石がある理由はアタシの死じゃなかった。──真実っていうのは、時として予想もつかない所から来たりするんだね」

 

 ウィノナは首をカクリと傾けた。両膝を合わせて屈んでいた姿勢だったので、その膝上に顎を乗せるような形になる。ウィノナは墓石に遠い目をして見るともなく見る。

 

「だからね、これはアタシの決意を聞いた親友たちが、その時に作った物。ここに刻まれた命日は、それを決意した日」

「……決意とは?」

 

 何気なく思った疑問がつい口に出た。無遠慮かと思ったが、ウィノナは気にした風でもなく続けた。

 

「一つは過去への決別。ダオスの為に、ダオスが救われる為に、大いなる恵みを手に入れられる道を作る為に、そうして生きたアタシへの決別。それが悪い生き方だと思ってたわけじゃないけど……。でも、アタシも自分が幸せになれる為の努力を頑張ってみようかなって……、それがもう一つの決意」

 

 ダオスは自らの表情が引き締まるのを感じた。目の前の女性は、かつてから強い心根を持つ人間だったが、それは今も変わらない。むしろより強くなっているように思う。

 

「故郷を救いたいと願うダオスを助けるっていうのは、あくまで目的であってアタシの夢じゃなかった。──アタシの夢は、ダオスの隣で一緒に生きること。だから、それを叶える為にちょっと我侭をしてみた」

 

 それがあれだよ、とウィノナは手紙に指を差す。

 ダオスは混乱していて頭がついていかない。ウィノナの登場も、そして決意の言葉も、今のダオスには刺激が強すぎる。

 

 ウィノナはその場から立ち上がり、ダオスの方を向く。つられてダオスも立ち上がり身体を向けた。

 ウィノナの視線は真剣そのもので、緊張からか、その瞳は熱く潤んでいる。

 

「でもこの死没は、全くの間違いっていうわけでもないかもしれない。これからアタシは新しく生まれ変わった気持ちで生きて行く。だから、今度こそ──あの時、言えなかった事を言わせて下さい」

 

 ウィノナはダオスに一歩近寄り、両手を広げ差し出す。

 

「アタシも、一緒に、連れて行って下さい……!」

 

 ダオスの身体はわなわなと震え、涙は止め処なく溢れ出る。身の内から沸き上がる情動は、とても抑えることが出来なかった。感極まってウィノナに抱きつく。

 

「勿論だ……!」

 

 ダオスはウィノナの耳元でささやき、更に強く抱きしめる。

 ウィノナもダオスの広い背中を抱き返し、きっとだよ、と呟いた。

 抱きしめながらダオスは頷く。

 

 ウィノナとダオスはどちらからともなく身体を離すと、ウィノナは顎を上げる。ダオスを潤んだ瞳で見つめて、そっと目を閉じる。ダオスも目を閉じると、その柔らかな唇に自らの唇を重ねた。

 

 情感をたっぷりと含んだ口付けを交わしながら、抱き合った二人は光に包まれていく。二人は重なり、合わさり、一つの光球へと姿を変える。

 次の瞬間には眩い光が辺りを照らし、幾秒も過ぎぬ内に二人は完全に姿を消した。

 後には静寂と一つの手紙、そして一つの墓石が残された。

 

 

 

『ウィノナ・ピックフォード

 愛する男が救われることを願い、ここより旅立つ』

 A.D.4290~4210

 




 ♪BGM IN
「夢は終わらない ~こぼれ落ちる時の雫~」



これにて本作は完結です。
最後まで読んでいただいた皆様、ありがとうございました!

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