マリア様はみてるだけ (行雲流水)
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第一話:転生とピアスホールとセーラー服

 今更感が半端ないですが『マリア様がみてる』のオリ主モノの二次創作SSです。随分と前から書いてみたかったのですが、色々と悩んでいたらこんな時期に。目に付く人も少ないだろうし、ちょいちょい気ままに書いていきたいと思います。

 【注意】・R-15とGLタグは保険です。
     ・アニメ沿い。作者は原作未読でアニメのみの視聴。
     ・ので熱心な方や原作好きな方はブラバ推奨。
     ・サブタイに『ピアスホール』なんて文字が踊ってる時点で察して下さい。
     ・作品の性質上、日常シーンがメインになります。
     ・アニメや原作と違う点があれば教えていただければ幸いです。


 ――嗚呼、痛い。

 

 まるで他人事のように浮かんだ台詞が『わたし』としての最後の記憶だった。そうして一瞬だったのか、それとも長い時間が経っていたのか。混濁する意識の中でたどり着いた先は、新しい人生の始まりだった。

 

 「樹ちゃん」

 

 柔らかく慈しみを含んだ声。

 

 「樹」

 

 低くしっかりとした優しい声。

 覗き込む二つの顔に何故だか泣きそうになって、腕を伸ばしてみれば随分と小さくなった手に驚いたのが『私』としての原初の記憶。

 

 混乱する頭で状況を整理して導き出した答えは、前世の記憶を保持したままの転生。そんな馬鹿なことがと思いつつも、三十年近く生きた『わたし』としての記憶がしっかりとあるのだから否定はできなかった。

 『わたし』としての人生が終わってしまったことに後悔がないといえば嘘になってしまうけれど戻る方法がないこと、死んでしまったことに悲しむ人が少ないこと。せめて周囲の人たちに『わたし』の死が迷惑になっていなければいいかと願うくらいで、思い返せば随分と希薄な人生を歩んだものだ。孤児として幼い頃から施設で生活し高校を卒業して働いてきた私に、恋愛をして家庭を築き上げることはなかったのだし、友人や親友と呼べる人も少なかったのだから。

 

 それならば今、現実で起こっていることを許容してしまい新たな生を受けて生きてくことの方が建設的じゃないかと思えてしまうのだ。本当にどうしようもない前世だと心の中で苦笑して、小さな私の手を握り優しく微笑む女性がきっと『母』であるのだろうと。初めて得る『家族』というものに、何故だかむず痒さを覚えながら『私』はこうしてこの世に新たな生を受けた。

 

 ◇

 

 随分と恥ずかしい思いをした赤子時代はとうに過ぎて、幼少期と呼べる時間も過ぎてしまった。子供から少女へと差し掛かった十三歳の夏。前世の記憶が抜け落ちないままの感覚である行動に起こしたとあることが、家族のみんなが大騒ぎをして『私立リリアン女学園』へと編入する切っ掛けとなってしまったのはちょっとした誤算だった。

 

 「何故、自分の体を傷つけるようなことを?」

 

 広い我が家のリビングで珍しく早く仕事から戻ってきた父は革張りのソファーにどっしりと構え、その横には困った顔の母。値段の高そうなテーブルを挟んで私が父の正面に座り、両脇には苦笑をしながら困った顔で私を見つめる十歳年の離れた双子の兄と姉。

 

 ――やっちゃったかぁ。

 

 父の一声で家族会議と銘打たれた糾弾が始まろうとしていた。とはいえ酷いものにはならないだろうけれど。

 

 「……ファッションの一環で」

 

 「樹ちゃんが不良になっちゃった……」

 

 三人の子供を産み育てたというのに母は若い。未だ幼さを残す顔に小柄な身長。兄と姉と私は母の身長を越しているから、背丈については父の血が強く出たのだろう。両手で顔を覆って顔を隠している母は泣いているのだろうか。そんなに心配させると思っていなかったし、まさか家族会議が開かれるだなんて全くの予想外の出来事で。それでもこうして家族で集まっているのだから、弁明はしなくちゃいけないだろう。

 

 「母さん……ピアスホールを開けたくらいで不良にならないし、大袈裟だよ」

 

 雑貨屋さんに赴けばピアッサーが手軽に手に入るし、周りのみんなもファッションの一環として気軽に開けていたはずなんだけれど。九十年代の中頃って、ピアスひとつで不良と呼ばれていた時代だったけかと、心の中で考える。

 前世のわたしが生きていたのは二〇二〇年代。現在の私が生きているのは一九九〇年代で、時代を遡って転生をしている。もし仮にわたしが死んだ直後となる二〇二〇年代に生まれていれば、こうして認識齟齬と家族会議を起こすことなんてなかったかも知れないと、居るか居ないのか分からない神様に恨み言を届けたくなるのも仕方ない。

 中学生でもファッションの一環だといって開けている子は開けていたし、わたしも実際に開けていた。当時も今回もお金がもったいないので安全ピンをライターで熱消毒し、麻酔替わりに氷で耳を冷やしてぷちっといったのだけれど、伝えると母が卒倒しそうだから黙っている。聞かれれば正直に答えるけれど、開けた事実に意識がいっているから今は聞かれることはないだろう。

 

 「でも校則違反じゃなかったかしら?」

 

 ふとした母の声に我に返る。ああ、そういえば通っている中学校の校則ってどうだったっけ。校則をまじまじと読んだことなんてないし、スカートの長さは自分で切っていじるか布ベルトなんかで長さを調整しない限りは、そうそうに違反になる事はない。染髪も違反になるけれど、派手に染めている子は極一部。奇麗に染めるには美容院に行った方が確実だし、脱色だと髪が痛むからやっていない。

 

 「ごめんなさい、校則よく読んでなくて……開けてる子もいるから大丈夫だとおもって開けたから」

 

 高校を卒業してからで良かったかと思うけれど、開けてしまったからもう遅い。無駄に知識を得ていたことと、先の未来に生きていた過去が時代の流れを読み間違えて失敗を産んでしまったと反省する。

 

 「しかし大事な時期に参ったな」

 

 母を置いて父が難しい顔で難色を示す。大事な時期という言葉に来年は受験生だなと他人事のように感じてしまうのは、前世で一度経験しているからだろうか。

 

 「開いてしまったものは仕方がないが、樹はどこの高校を受けるつもりだい?」

 

 「校則の緩い公立校、かな。なるべく家から近場がいいけれど」

 

 「樹の成績なら、きちんと塾に通って成績を上げればもっと上の学校を目指せるだろうに」

 

 「そうね。樹ちゃんの成績なら良い学校に入れるもの」

 

 家族に迷惑を掛けるつもりはないけれど、金銭面に関してはどうしても迷惑を掛けることになるから負担は少ない方が良い。私立校なんて選択肢には入らないし、塾に通うつもりなんて毛頭なかった。ただお金に余裕のある我が両親は隙をみては私を塾に通わせるか、家庭教師を付けようと腐心していたけれど、頑なに私が断っていた事情がある。勉強なら自分で頑張ればどうにかできたし、困れば頭の良い兄か姉を頼れば良かったから塾や家庭教師なんて縁遠いものだ。

 

 「父さん、母さん。私、高校に入学したらバイトしてお金貯めて、卒業したら一人暮らしをしながら働きたいんだ」

 

 「……っ」

 

 「へ?」

 

 「は?」

 

 「うそ」

 

 父は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして無言。温和な母が素っ頓狂な声を珍しく上げ、兄は呆けた声を、姉は冗談でしょうと言わんばかりの声が出ていた。私が考えている進路を伝えるのは初めてだったかもしれない。おそらく家族は私を大学にまで上げるつもりだったのだろう。

 兄も姉も大卒だし、妹である私だけを通わせないなんてないだろうし。けれど私が大学にいってまで価値があるのかどうか。確かに大卒ならば生涯獲得年収が簡単に上がるだろうけれど、働きながら資格を取ってお給料を上げていくという手段もあるのだし。高卒の人でも高給取りの人は――私が当てはまるかどうかはわからないけれど――沢山いるのだから。

 

 「本当は中学卒業してからでも良いんだけれど、最近は流石に、ね?」

 

 未だ固まったままの家族に苦笑して、もう少しだけ世話になってしまうことを誤魔化した。

 

 「いや、まて樹」

 

 「父さんと母さんの脛を暫く齧ることになるし、迷惑を掛けるけれどもう少しの間だけ面倒を――」

 

 「――まちなさい、樹」

 

 見てもらえないかな、という言葉は父に遮られ珍しく厳しい顔をして私を見ている。

 

 「自立心が高いと思ってはいたが、まさかここまでとは」

 

 はあと深いため息を吐いてソファーに凭れる父に、未だに固まったままの母。兄も姉も顔に手を当てて天井を見上げてる。絶句している家族には悪いけれど、独り立ちを早くしたいのだ。孤児だったわたしの記憶が、このまま彼らに甘えていては駄目になると警鐘を鳴らしているのだ。

 子供らしさの欠片のない幼少期を過ごした私に、どうしてだか家族は甘く優しい。隙間風が入り込むこともない部屋。温かい食事。『いってらっしゃい』『おかえりなさい』と声を掛けてもらえる幸せ。前世では絶対に得られなかったものが、今では当たり前に転がっている。今当たり前にあるものを失ってしまえば、私は息が出来なくなってしまいそうだから。自分から離れていった方が傷は浅く済む。

 

 「高校を卒業して一人暮らししながら働くなんて駄目よ、絶対に駄目っ! あとアルバイトも!」

 

 「……母さん」

 

 どうやら良い家で育った母には耐えられないものらしい。未だに父も難しい顔をして黙り込んでいるし、どうしたものやら。

 

 「母さん、取り合えず落ち着きなよ」

 

 「ねえ樹、今の話は本当なのかしら?」

 

 今まで口を挟まず黙っていた兄と姉が見ていられないとばかりに口を開く。

 

 「うん。そのつもり」

 

 「理由は?」

 

 そう聞かれると返答に困る私がいる。小さな頃から早く自立しなければと考えていて、過去と同じように高校を卒業したら働いてお給料をもらって一人暮らしをすると漠然と頭で描いていたのだから。

 

 「理由って聞かれると……」

 

 「深い理由はないのかい?」

 

 黙り込んでいた父が復活したのか、返答に困っていた私に声を掛けた。父の言う通り深い理由なんてものはなく、優しい家族に迷惑はかけられないと小さい頃から抱えている感情が思考に現れただけである。これを言ってしまえば絶対に家族は私を大学まで行かせようとするのは目に見えているから父の言葉に小さく頷くしかなかった。

 

 「ならもう少しきちんと考えようか。うちは幸いにもお金には困っていないから学費の事は樹が心配することじゃないし、アルバイトなんてしなくてもお小遣いが足りないなら言いなさい」

 

 「ええ、お父さんのいうとおり樹がそんな心配をする必要はないのよ」

 

 「そうそう。もし親父たちが駄目になっても俺が居るし、こいつも居るんだ。学費の事なら心配なんてしなくていい」

 

 兄が姉を指差して苦笑いする。

 

 「ちょっと指で私を差さないでよ、もう。……樹はまだ未成年なんだから、私たちに甘えておきなさいな。貴方にはその権利があるんだから」

 

 伸びてきた姉の腕に引かれて抱きしめられる。家族としてのスキンシップだろうけれど、姉は過剰な気がするのは気のせいだろうか。それでも包まれた温かさに幸福感を覚えて目を閉じ姉の成すがままになり、この時はそのまま解散となった。

 

 ――一ヶ月後。リビングにて。

 

 「樹、僕たちの話を聞いてくれ」

 

 食事中の父のこの一言が始まりだった。父の横に座っている母はニコニコ顔。兄も姉も当然私の両隣に居て、何故だか満足げな顔をしている。何を考えているのか分からないまま家族会議が始まり、父の口から予想外のことが宣言された。

 

 「リリアン女学園の編入試験を受けようか」

 

 父から出た言葉は予想外と言ってもいいし、柔らかい物言いだけれど強制性を持たせた言葉だった。

 

 「どうしてソコなの?」

 

 その名前は母と姉が通っていた母校である。私が幼かった頃に聞いた話によると、古くからある由緒正しきお嬢様学校で、幼稚舎から大学までの一貫教育を行っており外部入学は割と大変だと有名らしい。

 

 「母さんの提案だよ」

 

 「ええ、リリアンなら安心だし、本当なら樹ちゃんも通っていた筈の学校だもの」

 

 にっこりと微笑む母。子供らしくなかった子供時代の私は幼稚園や保育園に通うことはないまま小学校へ上がった。その時リリアン女学園へ入学しようと両親から言われたけれど、行きたくないと駄々を捏ねて公立校へと進んだのはきっと私の我が儘。私立のお嬢様校だなんてお金がかかる場所に行く必要があるとは思えなかった。

 

 「ああ、なるほど」

 

 ぽんと軽く自分の手を叩く姉。

 

 「えっと。私の学力だと少し厳しいんじゃないかな?」

 

 そう。歴史あるお嬢様校というだけに高等部編入にはふるいを掛ける為、結構な偏差値が必要だったはず。今の私の学力だと少しばかり足りないから、受けても落ちてしまうのが関の山だ。

 

 「樹なら大丈夫よ。これから一年半頑張ればきちんと入学できるもの」

 

 なにが大丈夫なのか理解が全くできないけれど、母の言葉に父と兄、姉は深くうなずいて。過剰評価を改めて欲しいし、どこからその自信がくるのか問いただしたい気分に駆られるけれど、親の保護下に置かれている私にその権利は存在しない。

 急展開に目を回しながら父と母から告げられたことは、これから家庭教師を雇うことと、内申評価を上げる為に色々と中学の担任に便宜を図ってもらうこと。それって裏から手を回しているのではと問うてみれば、中学校側にも利益があるから協力は惜しまないと言われたこと。開けたピアスホールを隠すために髪を伸ばすこと、滑り止めは受けずリリアン一本に絞る等、様々な条件を出され親のはっちゃけぶりに溜息を吐きながら逆らうことは出来ないと半ば諦めて必死に勉強に打ち込んだ結果。

 

 「懐かしいわ。よく似合うじゃない」

 

 真新しいセーラー服に袖を通した私を見て、手を合わせて微笑む母に『ありがとう』と無理矢理に笑顔を作って笑う。神妙な面持ちで家族会議を開いていたころが懐かしい。その日から約一年半の月日が経ち私は『私立リリアン女学園』へと無事合格通知を貰い、制服やら勉強道具やらの用意に追われていた。

 

 「私のお古もあるから予備で持っておくといいわね」

 

 姉の私室のクローゼットから取り出してきたであろう、クリーニングのビニール袋を被ったままのお古の深緑のセーラー服がソファーの上に置かれ。父は父で新調した一眼レフのカメラを携え、私を撮っているし。兄も微笑ましいものでも見るように、ソファーに腰掛けてこちらに視線を向けている。この一年半の猛勉強で落ちた視力を矯正するために買ってもらった眼鏡の位置を直しながら、嬉しそうに笑う家族の姿を見ると頑張って良かったと安堵の溜息を吐いて。

 

 「ありがとう、姉さん」

 

 「少し古いけれど、デザインは変わっていないし虫に齧られた形跡もないから大丈夫でしょう」

 

 「ずっと制服が変わっていないって凄いよね」

 

 「そうかしら?」

 

 「うん」

 

 私立校なら生徒数確保のために時代の流れに乗って、制服のデザインなんてちょこちょこ変えてそうなものだけれど、リリアンは別であるらしい。姉どころか母が在籍していた時と変わらない制服は三つ折りの靴下とローファーという組み合わせに、膝下丈のスカートは随分と古風。悪く言うと古臭い。時代の流れに取り残されたかのようなデザインでも、生徒数が確保できるほどに人気校ということがうかがい知れる。

 

 「ミッションスクールかあ」

 

 「初めは慣れない事が沢山あるかもしれないけれど、直ぐに馴染めるわよ」

 

 私の不安を他所にタイを直しながら嬉しそうに笑う母と横に立つ姉はリリアンの卒業生である。中学二年生の時のように失敗しないように、校則は姉に教えてもらって叩き込んだけれど、カトリック系の学校として独特の行事や習慣が催されるそうなので付いていけるかどうか心配だ。教科書の他に聖書も買う必要があったし、白ポンチョなる謎の布――といっても母と姉から答えを得たけれど――を持参しなければならなかったし、通常の学校に入学するよりも手間がある。

 

 準備に追われつつ時間は無情にも過ぎて。

 

 そんなこんなで中学校を卒業し仲の良かった友人たちと別れを告げ、高校入学まであと一週間というところで編入生向けの説明会なるものが開催されるためにリリアン女学園に単身赴いていた。保護者説明会は既に終えているので、今回は生徒のみの参加となる。

 数度訪れた大きな校門横にある守衛所に立ち寄り、名刺サイズの入校許可書を受け取って首からぶら下げる。まだこの学園の生徒ではないので今日は私服。学園の見取り図が印刷されたA4サイズの紙を持ち、きょろきょろと周囲を眺めれば部活動で訪れているであろう在校生がちらほらと。

 銀杏並木を過ぎれば今どき珍しい木造校舎が視界を覆う。が、今日の目的は校舎内ではなく講堂である。立ち止まって地図を見直して場所をもう一度確認。迷うかもしれないからと早めに家を出てきたけれど、これならば時間に余裕がありそうだと腕時計に目を落として思う。

 遅れるよりはいいかと一つ頷いて講堂へと足を進めてたどり着いた先には『編入生説明会』とパネルが掲げられた講堂は古風で。ついつい思ったことが口に出てしまうのは仕方のないことだった。

 

 「また木造……」

 

 地震、雷、火事、親父――などという言葉がある日本。未曾有の自然災害が増えていた前世。台風や大雨による洪水に、大きな地震により度々の悲劇を目の当たりにした身からすると、耐震性や耐久性は大丈夫なのだろうか。とある事件がきっかけで建築基準が見直された時期は何時だっただろう。古くはあるが手入れはされており汚さは感じないけれど、もしもがあれば不安だ。

 退避経路とかいろいろとチェックしておかなければ危なそうだなぁ、と講堂前で立ちすくむ私。どうやら開場前らしく、中に入ることは無理そうだからこの辺りで適当に時間をつぶすしかないなと溜息を吐いた。瞬間。

 

 「ごきげんよう」

 

 ――マジ。

 

 講堂の前で立ちすくんでいた私の後ろから掛けられた声。母と姉から聞いていた挨拶は朝も昼も夜も関係なく『ごきげんよう』で統一されていると聞いてはいたものの、そんなことはないだろうと冗談で聞き流していた私にとって衝撃的なものだった。おぼっちゃま、お嬢様と呼ばれる人たちには終ぞ縁がなかったし、冗談でもごきげんようなんて使わなかったから。とはいえ掛けられた声に無反応というのは頂けないので、とりあえず振り返り、声の主に向き合う。

 

 「おはようございます」

 

 軽く一礼して、そう返した。声の主はリリアン女学園高等部の制服をかっちりと着込み、顎のラインで奇麗な黒髪をきっちりと切りそろえた人。あまりマジマジと見つめると失礼だろうと思い直ぐに視線を外したけれど、意志の強そうな瞳に奇麗な鼻筋と薄い唇。一瞬だったけれど、凄い美人というのがとても似合う人で。

 身内の贔屓目かも知れないけれど母や姉も美人だが、目の前の人も負けず劣らず奇麗で声も良いときたもんだ。こんな完成された人がいるのだなと、独り言ちてしまうのは仕方ない。

 

 「編入生の人かしら?」

 

 浮かべていた笑みを更に深める目の前の人。それはまるで大輪の花が咲いたようで美しい、と心に刻まれるようなもので。まだ年若いというのにこんな雰囲気を纏えることに驚きつつも、頭を回転させて己の口を無理矢理に動かす。

 

 「はい。本日の編入生説明会を受けに来ました」

 

 「なら、中に入って待っていて。始まるまでまだ少し時間があるから、此処で待っているよりもいいでしょう」

 

 随分と温かくなったとはいえど、まだ少し肌寒い日だ。有難い申し出にお礼を伝え頭を下げる。ここまでへりくだる必要もない気もするけれど、悪い印象を持たれるよりも良いだろう。案内されるまま未来の上級生の後をついていき、持参していた上履きに履き替えて椅子に腰を下ろす。きょろきょろと目を周囲に向けてみれば、さりげなく十字架に縛られたキリスト像があったりとこの場がミッション系の学校であることを意識させるものだった。

 

 先ほど声を掛けてくれた人は、少し離れた場に居た教諭やシスターたちと何やら話し込んでいた。この場に居るのなら生徒会の関係者なのだろう。春休みだというのに駆り出されたらしい。忙しなさげな様子に苦笑が漏れる。手持無沙汰で彼女たちを眺めること五分、新たな生徒二人がその輪の中に加わった。最初に来ていた生徒と負けず劣らずの美人で纏う雰囲気も最初に声を掛けられた人と負けず劣らず、けれど決して同じではない。

 

 ――はあ。

 

 頭の偏差値も高いことながら、顔面の偏差値も高いことに驚いて深い溜息を心の中で吐く。今日で何度目の溜息だろうかと気分が重くなっていく。

 

 「では編入生も全員集まったので始めましょうか」

 

 考え事をしているうちにどうやら時間が来ていたようで、マイク越しの教諭の声が講堂内に響く。編入生はそれほど多くはなく、編入生よりも説明会の為に集まった関係者の方が上回っているのは私立校故なのだろう。進行はそのまま教諭が行い各種行事の説明やテスト期間や校則について。他にもカトリック校独特である『朝拝』の説明をシスターが引き継ぎ、最後に生徒会代表の挨拶で閉められた。

 取り合えず内容は難しいものではなかったけれど、此処では語られなかった独自の習慣もあるようでそれはおいおい慣れていけばいいし、困ったことがあれば周りに頼れば良いとの事。戸惑うこともあるだろうが、この学校に通う選択肢しかないのだから悩んでいても仕方ない。終わりを告げた説明会にもう用はないと言わんばかりに、周りの編入生たちが席を立つ。

 残る理由もないし家に帰ってのんびりするかと私も席を立って、外へと足を向ける。もと来た道を歩いてたまたま目端に映ったマリア像は私をただ見ているだけだった。

 

 ――入学式まであと一週間。

 

 二度目の高校生活だというのに緊張するものなんだなと、私を見ているだけのマリア像に口の端を釣り上げてその場を後にした。

 




 8433字←一話あたりの字数が気になるので後書きのこの場所を利用します。ご容赦ください。

 原作の雰囲気を壊していたら申し訳ありません。これが私の限界です。オリ主のフルネームやらは次回で。ちょいちょい原作に関われて行く予定。
 一話あたりの字数を安定させたいのですが、文字数調整は下手糞なので変動があると思います。五千字~一万字程度には納めたい所です。


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第二話:何気ない行動と出会い

 

 ――天高く馬肥ゆる秋、ね。

 

 春はとうに過ぎ去り夏の翳りがようやく訪れ始めた九月上旬。早いもので一学期と夏休みを経て、始業式もついこの間済ませたばかりである。リリアン女学園という女の園でありお金持ちのお嬢様たちが沢山通うこの学校に、前世の庶民感覚が抜けきらない私のような人間が慣れる事が出来るかどうかの疑問は一応氷解しており、随分と染まったものだ。

 『ごきげんよう』という挨拶もいつの間にか慣れていたし、同級生を『さん』付けで呼ぶことにも随分と慣れてきた。時折気が抜けて間違うこともあるけれど、私が高等部からの編入組であることはクラスメイトには周知の事実なので生暖かい目で見守ってもらっている。上級生の人たちを『先輩』ではなく『さま』付けで呼ばないといけないそうなのだけれど、生憎と部活動や委員会活動にも参加していないこの身では上級生の知り合いなど出来るはずはないので気楽なものである。

 

 今のところ勉強に遅れることもないし、リリアン独特の行事もどうにかクラスの子たちの補佐を受けながら無難にこなしている。無知な私の相手は面倒だろうに見捨てないで世話を焼いてくれるのだから、クラスメイトには頭が上がらない。女子だけのクラス構成――女子校なので男子が居るのはあり得ないけれど――だから、下手をすれば輪の中から弾かれることを危惧していたけれど、杞憂に終わった。

 一応クラス内での私の立ち位置も確保出来ているので、虐められたり除け者にされる心配はもうないだろう。品の良い人が多いから表に出さないだけで心の中ではどう思われているのか謎だけれど、疑っても仕方ないし疲れるだけだ。それなら仲良くなる努力をして『鵜久森樹』という人間を理解してもらいクラスの中に溶け込む方が賢いだろうと、特定の人に固執はせずいろんな人に話しかけている。故に特段仲の良いクラスメイトが居ないのは誤算だった。付かず離れずの距離を保って接しているのが現状で。一緒にお弁当を食べる相手が居ないのは、少し寂しくはあるけれどまあ良いだろう。何かが切っ掛けで距離が詰まることもあるだろうし、誰かと群れていないと落ち着かないという事はないのだし。

 

 なるようになるさ。

 

 心の中で唱えながら返却期限が迫っている本を返そうと放課後、図書室へと向かう。前世で本を読むことは滅多になかったというのに、こうして本の虫と化してしまったのは暇を持て余したからという単純な理由に過ぎない。

 どうにも自ら外に出てはしゃぎまわるというのは苦手になってしまっていたし、パソコンやスマホ以前にインターネット環境がまだあまり普及していないから遊ぶものがないというべきか。ネットゲームが流行り始めるのにもまだ時間が掛かるだろうし、アニメや漫画ゲームも既知の物ばかりだから。なので手を出した経験のないハードカバーの書籍を選んだのは必然だったのだろう。家には家族が買ってきた本を収納するための書斎もあったことが原因だ。暇をつぶすにはちょうど良かったし、読み始めると面白かったし。前世で敬遠していたことが勿体なかったと少しばかり後悔するくらいには没頭しているものの一つだった。

 

 引き戸のレール音が随分と大きい図書室の扉を開け、私に気付いた図書委員に軽く会釈をし、慣れたやり取りをこなせば本の返却は即座に終了。何か借りようかと本棚に視線をやったけれど、今日は随分と生徒が多い。ゆっくりと吟味するには不都合だと、踵を返して扉に手を掛け大きなレール音を響かせて図書室を後にする。

 ホームルームが終わって暫くたった時間帯。運動場には部活動に勤しんでいる生徒の声に、どこか遠くから聞こえる吹奏楽の音。廊下ですれ違う生徒。どこか懐かしいのに、新鮮さを覚えつつ感傷に浸りながら廊下の角に差し掛かった時だった。

 

 「きゃ」

 

 「っ」

 

 不意に視界に現れた人影になす術もなく正面からぶつかる。相手の口から洩れた可愛らしい声と紙束の落ちる音が数舜遅れて耳に入ってくる。相手の人が倒れなくてよかったと安堵しながら、考え事をしながら歩くものではないと反省するけれど、起こってしまった事に後悔しても遅いから。

 

 「ごめんなさい。大丈夫ですか?」

 

 「はい」

 

 取り合えず謝ってしまえば勝ちだ、と考えてしまったのは私の悪癖なのだろう。少し乱れてしまったゆるいウェーブのかかった長く淡い色の髪を片手で直しながら、ぶつかった相手の視線は足元へと向けられていた。

 

 「拾いますね」

 

 ああ、不味いことをしてしまったかと反省しながら、しゃがみ込みながらズレた眼鏡の位置を直して散らばってしまった紙を拾い上げる。ぱっと見たところ同じ内容のもののようなので安心したけれど、枚数が半端ない。骨が折れそうだと苦笑していたら、少し慌てた様子で彼女も拾い始める。見てはいけないものなら目の前の彼女から注意されるだろうし、見たとしても内容には興味がないので半日もすれば忘れてしまうことだ。

 

 「あの、ありがとうございます」

 

 「いえ、考えごとをしていて前方不注意でしたから。私の方こそ申し訳ありません」

 

 同級生なのか上級生なのか判断がつかないので、敬語で話す。中学校時代ならそんな事はあまり意識せず、ため口を利いていたものだけれど。周囲の雰囲気というかこの学校の独特の雰囲気に飲まれてしまったか、それとも染まってしまったのか。

 慣れるものだね、と考えていれば散らばっていた紙は全て拾い終えていて。腕に抱えていた紙束を一緒に拾い集めていた彼女に渡そうと、立ち上がった彼女を見れば既に結構な量の紙を抱えていて。恐らく教室にでも行くのだろう。そう遠くはない距離であるけれど、腕が疲れてしまいそう。

 

 「どう……――どちらまで?」

 

 どうぞ、という言葉を留めて別に言い換える。線の細い彼女にそのまま渡して、この場でサヨナラするのは気が引けてきたからだ。

 

 「え?」

 

 意図が掴めなかったのか、私の言葉に大きな瞳をきょとんと見開いて戸惑う姿は年相応に見える。

 

 「ぶつかってしまった贖罪、は大袈裟ですね。暇ですしついでなので運びます」

 

 「いえ、ご迷惑を掛ける訳には……」

 

 遠慮なんてせず『お願いします』と一声出せば良いだけなのに。単に遠慮しているだけなのか、人付き合いでも苦手なのだろうか。このままだと堂々巡りになりそうだ。こういう時は強引に事を運んだ方が良いだろう。勝手に足を進め始める。

 

 「あ、あのっ!」

 

 困った様子で私の背を見つめる彼女を私は知る由もないけれど。

 

 ――そうそう、大事なことを忘れてた。取り合えず振り返る。

 

 「何処に運べばいいですか?」

 

 無理に事を進めるリリアン生らしくない私の言葉に諦めたのか一つ息を吐いて、困惑した表情を浮かべる。何故そんな顔をするのかはわからないけれど。

 

 「"薔薇の館"までお願いします」

 

 聞いたことがあるような、ないような。記憶を手繰り寄せるけれど、見つからないので自力で思い出すよりも聞いた方が早い。

 

 「わかりました、と言いたいところですが……何処ですか其処」

 

 「えっ」

 

 どうにか聞こえるほどの小さな声は、何故知らないと言いたげな様子で。ちょくちょく聞くような気もするけれど、気にしていなかったから覚えていない。その場所に今の今まで用はなかったし、別に優先して覚えることが沢山あったし。名前からすると薔薇でも育成しているのだろうか。でもそんな場所に何故紙束が必要なのだろう。とはいえ、彼女が嘘を吐く理由はないし、後をついていけば問題はない。

 

 「場所がわからないのでついて行ってもいいですか?」

 

 「え、ええ。それは勿論。――こちらです」

 

 と足を向けた先は私が行こうとした道の逆方向。そりゃ困惑して慌てるのは当然かと納得して、ゆっくりと揺れる長い髪を見ながら歩を進める。彼女と歩き始めた最中にふと違和感を感じた。何故かすれ違う生徒に視線を向けられるのだけれども。私が廊下を歩いていても気に留める人なんて居やしないというのに。

 となれば少し前を歩く彼女が原因かと推測する。よくよく思えば奇麗な人だったから注目されるのは仕方のないことなのだろう。本人は気にも留めないで、すたすたと歩を進めているけれども。なら私も気にしても仕方がないと割り切って、彼女の横に並ぶ。無言のまま『薔薇の館』とやらに辿り着くのは味気ないし、せっかく接点を持てたのだから、はいサヨナラでは寂しいし。

 

 「あー……えっと。私は一年の鵜久森樹です。お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

 

 姉妹制度なるものが存在するこの学園。校則には記載されていない生徒独自のルールで、古くから続く伝統なのだそうだ。そんなものがあるが故に上級生と下級生の線引きが明確で、上下関係は厳しいとのこと。上級生に失礼な態度を取れば、何処からともなくお叱りの言葉を頂いてしまう……らしい。

 上級生との接点を持ったことがないので、真意は不明だけれど、この学園ならばあり得そうと思ってしまうくらいには現実味を帯びていた。なので横に並ぶ彼女が目上の先輩ならば、それなりの態度が必要という訳だ。荷物持ちを手伝っている事から、少しばかりの無礼なら許してもらえるだろうけれど、私が今年からの編入生だと彼女は知らないだろうし。

 

 さてはて彼女の学年を知るにはどうすればと咄嗟に考えたのは自己紹介だった。

 無難すぎるけれど、可もなく不可もなくといったところだろうか。私は彼女の事を知らないし、彼女も私の事を知らないだろうから。

 

 「同じ一年の藤堂志摩子と申します」

 

 同学年ということは知れたのだしもう少し口調を崩してもらいたいものだけれど、リリアンの生徒はおしとやかで礼儀正しい為なのか。硬いままの彼女にむず痒さを覚えながら、同じ一年だし気を張る必要もないだろうと私は早々に猫を被るのを辞めた。正直、このまどろっこしいやり取りは苦手なのだ。

 

 「志摩子さん、でいいんだよねこの学校的に」

 

 「――ええ。樹さんはもしかして編入生なのかしら?」

 

 視線の位置は大体同じ。小さく首をかしげて質問を返してくれたことに安堵しながら、話が続きますようにと願う。

 

 「あ、やっぱり分かるもの?」

 

 「薔薇の館を知らない人なんて珍しいもの」

 

 微笑む志摩子さんは、本当に同じ一年生なのだろうかと疑問に思えるほどに随分と大人びている。美人系の顔の造りがそう思わせるのかもしれないけれど、なんというか目に付く所作が学生の物とは思えないほど奇麗なのだ。前世の高校生活時代、こんなにも大人びてはいなかった。寧ろ馬鹿をやらかして大口開けて爆笑してた方だし、類は友を呼ぶのか周囲も同じような人が多かったし。通う場所や学校でこうも違うものなんだなと実感しながら、二人並んでゆっくりと歩く。今だ視線を感じるときもあるけれど、気にしたら負けだ。

 

 クラスメイト以外と喋るのは初めてのことで、新鮮だった。どうやら志摩子さんは聞き手に回るタイプのようで、一方的に私が喋っていたような気もするけれど。

 主にこの学校の習慣の愚痴を聞いてもらっていたのだけれど、志摩子さんも中等部からの編入生で初めは戸惑ったとのこと。少しばかりのアドバイスを貰いながら、いつの間にか目的地にはついていたようだ。校舎の間にある中庭の一角に『薔薇の館』だと思われる二階建ての木造建築が鎮座していた。先ほどの会話の中で『薔薇の館』は生徒会室だということと、生徒会は『山百合会』と呼称されているそうで。

 

 「ここが薔薇の館です」

 

 校舎の中の一角ではなく、独立した建屋で運営をしているとは思わなかった。てっきり別の校舎の中に入っていくのだろうと勝手に決め込んでいたのだけれども。

 

 「――大型台風とかきたら吹っ飛びそうだね」

 

 余りにぶっちゃけた私の言葉に目が点になっている志摩子さん。いやだって年々自然災害が多くなるのは目に見えてるし。怖いし。

 

 「あ、いやゴメン。気にしないで」

 

 苦笑いをしながら空いている手で頭を掻く。仕方なさそうに笑って流してくれる志摩子さんに感謝しながら、中へと進む。いろいろと思うことはあるけれど、二度目のやらかしは流石に不味いだろう。随分と派手な軋みを立てる階段を無言で登り、会議室とかかれたプレートの部屋の前。私を見て一つ頷き、慣れた感じで志摩子さんはドアノブに手を掛けて静かに回す。それと同時、蝶番が擦れる小さな音とともに部屋の中へと進む志摩子さん。

 

 「ただいま戻りました」

 

 その声で志摩子さん以外の生徒会役員が部屋の中に居るのだと理解して、志摩子さんの後に続いた。

 

 「失礼します」

 

 腹に力を入れてしっかりと声を出す。挨拶なんてものは相手に聞こえなければ意味がないし、どんな人がこの部屋の中にいるのか分からない以上無言での入室は不躾だろう。が、この学園で大声はしたないと言われてしまうから、気を付けないと。気を抜くと随分と音量の大きい声を出している自分がいるのだから。軽く一礼して部屋へと入る。抱えている紙束をどこに置くのか、志摩子さんを視線で追っていた。

 

 「あら志摩子。そちらの方はどなた?」

 

 通る声の主に視線を向ければヘアバンドを付けた気怠そうな様子の和風美人の姿が。どこかで見たことがあると記憶を掘り返せば、この学園における生徒会役員幹部の一人だった。リリアン女学園高等部は『生徒会長』なるものは存在せずその代わりに『薔薇さま』と呼ばれる三名が生徒会代表を名乗り、姉妹制度における妹が生徒会役員を担うそう。

 何度か校内で見かけたことがあるし、学校行事ではちょくちょくと生徒の前に立つ人の一人である。名前は知らないけれど『ロサなんとか』と呼ばれていた気がする。窓際に立ち仕事をしている様子がないけれど、メンツが集まるまで待っているのだろうか。

 

 「私と同じ一年生の鵜久森樹さんです。ご厚意で荷物を半分持って頂きました」

 

 「そうだったの。手伝っていただいてありがとう、樹さん」

 

 「いえ。曲がり角でぶつかった責任もありますし」

 

 ぶつかったことを無かったことには出来ないと自ら白状する。とはいえ何が変わるというわけでもなく、私の気分の問題だ。紙束をテーブルの上へと乗せた志摩子さんに続いて私も抱えていた紙束を置く。半分だけとはいえ、結構疲れてしまうもので自由になった腕が悲鳴を上げていた。ここまで一人で運ぶつもりだった彼女は大丈夫なのだろうか。

 

 「ぶつかった?」

 

 「はい。曲がり角で……」

 

 「二人とも怪我はなかったの?」

 

 こういう返しが即座に出来るのは上級生故だろうか。ぶつかったけれど衝撃は大したものじゃなかったけれど、もしもがあるかもしれないから心配なのだろう。それなら部外者である私が答えるよりも、志摩子さんが先に答えた方が良いだろうと視線を向ける。

 

 「はい」

 

 「そう。なにかあればすぐに保健室に行きなさいね」

 

 「了解です」

 

 私の返事に少し驚いた様子を上級生は見せたけれど、一瞬のことだった。リリアンでは場違いな返事だったかと反省するけれど、口から出た言葉を飲み込むことはできないので、これ以上私の印象が悪くならないようにこの場からそそくさと撤退するのが良策だろう。

 

 「それでは私は失礼します」

 

 「手伝ってもらったお礼がてらにお茶でも飲んでいけばいいのに」

 

 「お気遣いありがとうございます。予定があるので申し訳ありませんが、これで」

 

 少し前に暇だと言い志摩子さんから無理矢理荷物を奪ったけれど、予定があると嘘を吐く。この後は家に帰るだけだし、帰った後の予定は今日の授業で出た課題と予習復習くらい。

 志摩子さんは私の矛盾した言葉を不思議に思うかもしれないが、言葉の綾ということで見逃して欲しい。これ以上引き留められると逃げられなくなるので、足早に進み扉に手を掛け退室の礼をして、ゆっくりと扉を閉める。

 

 私が部屋から立ち去った後、志摩子さんから上級生にその事実が伝わる可能性もあるけれど、嘘を吐いた張本人はもう既にいないし。逃げたもの勝ちだったなと、短い廊下を歩き軋みの酷い階段を今度は降りなければならないのかとゲンナリして。

 

 「ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう」

 

 考え事をしながら薔薇の館の階段を降りようとした時、声が掛かり何事かと顔を上げる。視線の先には編入生説明会で最初に出会った上級生と、新入生歓迎会でオルガンを弾いていた人が階段を上がってくるところだった。確かこの人たちも生徒の皆から『ロサなんとか』と『ロサなんとかなんとか』と呼ばれているのだけれど、正直覚えられる気がしない。取り合えず『ごきげんよう』と随分と慣れて、反射的に出るようになった挨拶を交わして階段を降りて中庭へと出る。

 

 「ふう」

 

 新鮮な外の空気を肺一杯に取り込んで、薔薇の館を見上げる。今頃、館の中に居る人たちは仕事を始めているのだろうか。

 遊びたい盛りだろうに誰かの為にと自分の時間を犠牲に出来ることは誰彼が出来ることじゃない。生徒会に所属した経験なんてないから、彼女たちがどんな苦労をして忙しさに追われているのかは分からないけれど。

 

 ――凄いよね。

 

 ヤケを起こして遊び惚けていた高校生時代の『わたし』は生徒会になど目を向けることなんてなかったし、ソレに所属している人たちは進学の為の点数稼ぎだろうと鼻で笑っていた。思い返せば随分と恥ずかしい考えをしていたものだ。こうして記憶を保持したまま生まれ変わらなければ、今みたいな気持ちを持つことなんてなかっただろう。

 

 部活動や委員会活動をしていない私が、この場所を訪れることはない。でもこの場所でより良い学生生活が送れるようにと奮起している人たちが居ることを、きっと……忘れてはいけないのだ。

 




 7065字

 話が進まないorz
 次話で祐巳さん以外が出てくる予定。


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第三話:憧れとフィルター効果

 今日も夏の名残が残る暑さは健在。夕方に差し掛かるとはいえまだ暑い。けれど真夏ほどの熱気は翳りをみせはじめ、部屋へと入り込む優しい風は涼しい空気を孕んでいる。

 

 ――なんだろう、この場違い感。

 

 さっき目の前の人から言われたことは上の空で、正直この感情しか湧いてこなかった。

 

 時計の針は、随分と巻き戻る。

 

 「樹さん、お客さんだよ」

 

 昼休み。さて今日は何処でご飯を食べようかと、弁当片手に席を立とうかとお尻を浮かせた瞬間、クラスメイトの一人が廊下を指差しながら私に声を掛けた。

 そうして指差された廊下を見てみれば、昨日の放課後に出会った彼女、藤堂志摩子さんだった。彼女が私を訪ねてくる理由がさっぱりだけれど、呼ばれているのなら彼女の下へと行かなければならないかと手に取った弁当の包みを置き、私を呼びに来てくれたクラスメイトには『ありがとう』と伝え。立ち上がり廊下へと歩いてる途中、クラスメイトの視線が私に集まっているけれど、なんだろうか。何か引っかかるものを覚えつつ、廊下の窓際に立っている志摩子さんの下へ。

 

 「ごきげんよう、樹さん。昨日は荷物を持っていただいて、助かりました」

 

 「ごきげんよう。志摩子さん、昨日振り。あとそんなに気を使わなくていいよ。私が勝手にそうしただけなんだし」

 

 軽く手を挙げた私の言葉に合わせて返事をして、手を口元へと当ててくすくすと小さく笑う志摩子さん。品のある仕草にどきりとして、それを誤魔化すように言葉を出した。

 

 「それで、どうしたの?」

 

 「薔薇さま方からの伝言なのだけれど、今日の放課後、薔薇の館に来て欲しいの」

 

 「薔薇の館に?」

 

 何故、と疑問が頭の中で回るけれど『伝言』ならば志摩子さんに理由を問うのは筋違いか。『薔薇さま方』という言葉が誰を指すのか、はたまた全員なのか分からないけれど。

 

 「ええ。樹さんが放課後に予定がなければだけれど」

 

 三年生からの呼び出しを断るには気が引けるし、使い走りになってる志摩子さんも困るだろう。それに今日断ったとしても後日また声を掛けられそうな予感がするし。それならばさっさと用事を済ませてしまう方が賢明だ。

 

 「予定なんてないよ。放課後に薔薇の館に行けばいいんだよね?」

 

 「いえ、また私がこちらまでお迎えにあがります」

 

 「場所は覚えてるから平気だけれど、いいの?」

 

 「ええ、勿論」

 

 お迎えの必要なんてないんだけれど、ここで彼女の好意を断る意味もないし、私がごねて時間を取れば昼休憩を有用に使えなくなる。

 

 「了解。それじゃあ、よろしくお願いします」

 

 「はい。それではまた放課後に」

 

 そうして『ごきげんよう』と言い残して去っていった志摩子さんに『それじゃあまた』と返してしまったのは、私がこの学園にまだ慣れていない証拠なのだろうか。仕方ないか、と教室に戻り出入り口の扉をくぐって直ぐ。

 

 「樹さん、お弁当ご一緒しない?」

 

 とクラスメイトに声を掛けられた。

 

 「あ、うん。構わないよ」

 

 「そう、よかったわ」

 

 くすくすと目を細めて笑う彼女は、このクラスにおける序列一位とかカーストトップに立つ人物だった。これは私が勝手に決めたものだけれど、多分外れてはいないだろう。容姿、頭脳、家格はこのクラスにおいて秀でており、彼女の性格もあいまって、大人しい生徒が多い中で学級委員と双璧を成すクラスを引っ張る存在だった。

 このクラスのお荷物的存在である私の世話を買って出てくれたのは主に学級委員の子で、彼女と話す機会は余りなかった。机に置いていたお弁当を手に取りまあこれも何かの縁だろうと、この時の私はそう考えていた。

 

 「こっちよ樹さん」

 

 ゆっくりと品よく手招きしていくつかくっつけた机へと私を招く。窓側の最奥に陣取り机を無造作にくっつけてたそこ。彼女以外のクラスメイトが二人おり、にっこりと笑って招き入れてくれる。確か彼女たちはトップの子といつも一緒に居て、三人セットのイメージが強い。

 

 「ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう、お邪魔します」

 

 手に持っていたお弁当を軽く上げて空いている椅子に座る。それと同時にトップの子も横の椅子へと座ってお弁当の包みを開けていた。取り合えずは話すよりも食べる準備の方が先だろうし、少し品はないけれど話しながらでも食べることは出来るのだから。

 

 「美味しそうね。樹さんのお母様が作られたのかしら?」

 

 包みを開け弁当の蓋を開ければ中身を見たのか、首をかしげながらそんな質問が飛んできた。

 

 「ううん。今日は私が作ったんだ」

 

 今日のお弁当は自作だった。朝の弱い母が楽が出来るようにと高等部に入学してから、当番制を導入して交互に家族のお弁当を作っているのだ。一人分を作るのも四人分作るのも手間はそう掛からないし。お弁当作りに台所を占領する羽目になるから、朝食づくりも一手に引き受けているのが我が家の実情だったりする。

 

 「あら、ご自分で作られるの?」

 

 「時々だけどね」

 

 料理なんて覚えてしまえば簡単だし、よほど苦手な人でなければ不味いものはそうそう作れない。レパートリーが足りなければ料理本を参考にすればいいし、冷凍食品もある――この時代の物の味は余り保証は出来ないけれど――のだから。でもやっぱり一番嬉しいのは『美味しかった』という一言でそれに勝るものはなく、その言葉が欲しいが為に作っているのは私の我が儘だし。

 

 「凄いのね、樹さんは」

 

 「そんなことないよ。回数こなして慣れればどうってことないから」

 

 とはいえ前のわたしは百円均一で売られている弁当箱を使い潰しては買いなおして、中身が詰められれば何でもいいし味なんて変わらないと信じていたのだけれども。母のチョイスは渋いというか、何故これを選んだのか。少し前に値段も張るし手入れもしなければならないので、どうしてこれを選んだのか聞いてみた所、母の答えは『美味しいものを食べて欲しいじゃない』とにっこりと微笑まれた。

 

 母は味ももちろんのこと、ご飯の彩りやおかずの配置などに随分とこだわる人だけれど、私は適当派。だというのに外装である『曲げわっぱ』の弁当箱が五割増しくらいで美味しそうに見えるのだから、不思議なものである。

 学園の図書室で借りた料理本の片隅に、曲げわっぱの魅力が書かれていて母の言葉に納得したのは記憶に新しい。親の優しさをありがたく思いながら、手を合わせる。

 カトリック系の学校だから神に感謝を捧げる方が正しいのかもしれないけれど、日本人として生きた時間が長い私の習慣は中々抜けそうにないし、他の子も手を合わせているのだから気にする必要はない。むしろ手を合わせている子の方が多く、熱心な子が十字を切っているのを時折見るくらいだから学校側は強制する気はないのだろう。

 

 そうして暫く他愛のない話を進め、お弁当箱の中身が尽きる頃だった。

 

 「志摩子さんが樹さんを訪ねてきてたけれど、どうされたの?」

 

 「ああ、うん。薔薇さま方からの伝言で、今日の放課後薔薇の館にくるようにって態々事前に連絡をよこしてくれたんだ。律義だよね」

 

 そう。志摩子さんが昼休みに教室に訪れ、また放課後に迎えに来てくれるのは良いんだけれど、はっきりいって二度手間だろうに。先輩からの呼び出しならば、放課後無理矢理に拉致することもできたのだ。乱暴な物言いだけれど『上級生が呼んでるんだからツラを貸せ』と。

 

 「ええっ! 本当にっ!?」

 

 上品にお弁当を食べていたというのに、机から身を乗り出して私に体を近づけたトップの子の顔は驚きに満ちている。

 

 「うん」

 

 「樹さんは何故薔薇さま方に呼ばれたのかしら?」

 

 「理由はよくわからないんだよね。昨日のことじゃないだろうし、本当に謎」

 

 「昨日のこと?」

 

 そう聞かれたので昨日の放課後、志摩子さんとぶつかり荷物を薔薇の館に運んだことを話す。志摩子さんの名前が出てからの、話の食いつきが三人とも見違えたように反応があるのが少し面白い。志摩子さんは美人だし、一緒に歩いているだけで注目を浴びるのだから、彼女たちが気になっても仕方ないのだろう。

 

 「薔薇の館の中ってどんな感じでしたの?」

 

 「古い木造建築だから、結構傷んでるところがあってちょっと怖いかも。――あ、でも階段を登り切った所にあるはめ込みのステンドグラスは奇麗だったよ」

 

 少し怪訝な顔をした後、直ぐにぱっと明るい顔をして手を胸の前で合わせる三人のクラスメイト。今の言葉の中で何処に感動する要素があったのか、凡人の私には疑問である。そこから始まった薔薇の館についてや薔薇さま方やそのつぼみ、そしてつぼみの妹へと話は広がっていき。

 私が『ロサなんとか』としか覚えていないことに衝撃を受けた彼女たちは、私がきちんと覚えるまで何度も正式名称を口にして叩き込んでくれ、そして『山百合会』に所属している人たちのフルネームもきちんと教え込んでくれた。

 

 「薔薇の館にお邪魔するなら、お姉さま方のお名前くらい空で言えないといけませんもの」

 

 私がようやく間違わずに名前と呼称を言えることに満足した三人は、にっこりと笑う。そうして次に話題となったのが薔薇の館の住人たちの人柄だった。どこがどうで、どう素晴らしいのかを淀みなくすらすらと言えてしまうほど饒舌になるのは、きっと彼女たちの憧れの対象なのだろう。なんの淀みもなく語る姿は前世の腐っていた話下手な友人――その手の話になると滑らかに語るのだ――と被ってしまうけれど、彼女たちに失礼かもしれない。まだまだ話は続き三年生たちの事を語り終えると、次は二年生である二人の話へ。そして黄薔薇のつぼみの妹と呼ばれる唯一の一年生の話へ。

 三人それぞれに推しが違うようで、トップの子は白薔薇さま、他の二人それぞれ紅薔薇さま、黄薔薇さまのようだ。うっとりとした顔で薔薇さま方の素晴らしさを語る彼女たちは、まるで憧れのアイドルや芸能人について語る熱狂的なファンのごと。

 

 インターネットやSNSが発展していないこの時代の娯楽は少ないから、学園という閉鎖された場所での共通の話題として大事なのだろう。そして山百合会の面々のスペックの高さがさらに拍車をかけて、テレビやラジオを通さずに直接目にすることができ、運が良ければ直接話すこともできる存在。それらと思春期特有の若さも重なり、こうしてリリアン女学園高等部独自のアイドルとして、生徒たちから羨望の眼差しを受けている。

 

 「でも志摩子さんって、白薔薇さまと紅薔薇のつぼみどちらを選ぶのかしら?」

 

 話の意味が分からず首をかしげる。そういえば志摩子さんは薔薇の館に出入りしているはずなのに、先ほどの会話の中には登場しなかった。恐らくそれにつながる話なのだろうけれど、置いてけぼりにされた私を他所に話が進んでいく。

 

 「どちらを選んだとしても山百合会の一員になれるのだから、志摩子さんは贅沢者だわ」

 

 「羨ましい限りですわね。お二方からアプローチを掛けられているんですもの」

 

 ふうと溜息を彼女たちが吐き、一旦話が途切れた。恐らく姉妹制度のことだろう。話を聞いているうちに何となくではあるけれど話が見えてきた。

 どうやら志摩子さんは白薔薇さまと紅薔薇のつぼみから目を掛けられているみたいだ。それならば彼女が山百合会のお手伝いとして薔薇の館に出入りするのは自然な流れなのだろう。でも選ぶ権利が志摩子さんにあるのかどうかは別の話のような気もする。それはお互いの意思によるものだろうし、断る権利もあるだろうし。上級生の方が選ぶ権利があるような気もするのだけれども。

 

 「ええ、とても」

 

 静かに同意の声をあげるトップの子。珍しく口を真一文字に結んで、先ほどまで薔薇さま方のことを熱く語っていたようには見えない。学園のアイドルから志摩子さんが選ばれるのが羨ましいのか、妬ましいのか。おそらく両方なのだろう。

 

 「――どうして志摩子さんがあのお方たちの妹として候補にあがったのかしら?」

 

 「確かにそうですわね。成績は優秀な方ですが、山百合会の方々とご縁があったようには思えませんし」

 

 「桃組の友人に聞いてみても、理由は定かではないようですわ」

 

 私は志摩子さんが山百合会のお手伝いをしていることを知ったのはつい先程。てっきり薔薇の館の住人だと思い込んでいたことは、目の前の三人には言えない雰囲気で何故だか重い空気が流れ始めている。

 

 「それって重要なことなの?」

 

 無知を理由に無謀にも話の中に加わってみた。

 

 「ええ、とても大切な事ですわ」

 

 「志摩子さんが山百合会のお手伝いとして呼ばれ始めたのが四月の終わり頃。だというのに今の今まで聖さまと祥子さまから差し伸べられた手を取っていないもの」

 

 「全く。彼女はどういうつもりなのかしら?」

 

 直接的な批判の言葉は出ないものの、目の前の少女たちは苛立ちを見せていた。

 学園生憧れの先輩たちに目を掛けられているのが、羨ましくてたまらないのだろうか。姉妹の絆を結んでいないというのに、長期間生徒会を手伝っている志摩子さんへの不満がここにきて高くなっているようだった。

 

 「嗚呼、嫌だわ。そろそろお昼休みの時間が終わってしまいますわね」

 

 手首の内側に向けた腕時計の文字盤をのぞき込み、少し大げさにタイムリミットを告げるトップの子。どうやら機嫌は元に戻っているようで、笑みを携えている。

 

 「樹さん、もしよろしければ山百合会でのお話を聞かせてもらっても良いかしら?」

 

 先程まで少し不機嫌だった彼女の興味は、山百合会に招かれる私に移ったらしい。

 

 「了解。機会があればまたその時にでも」

 

 「ええ。楽しみにしているわ」

 

 各々好きな場所で食事を済ませてきた生徒たちが随分と戻ってきており、大分騒がしくなり始めた教室内。席は借りているのだから、持ち主が戻ってくる前に元の場所へと戻して三人に手を軽く上げて自分の席へとつく。

 予鈴前だというのに、ほとんどのクラスメイトが戻ってきているのはリリアン生の真面目さ故だろう。中学校時代は予鈴が鳴って慌てて教室に駆け入る生徒が多かったけれど。

 

 クラスメイトの声をBGMに五限目の教科の準備をいそいそと始めて、六限目もつつがなく終わり。上級生からの呼び出しということで、柄にもなく緊張し始めているのだけれど、流石に『生意気な一年を〆よう』という発想はないと願いたい。

 あり得るとすればリリアン生としての態度がなっていない、位だと思う。慎ましく学園生活を送ってきたつもりだったのだけれど、この学園特有のルールには疎い所があるから仕方ないか。怒られることを覚悟しながら、志摩子さんが我がクラスである藤組に来ることを待っていた。

 

 昼休みの出来事で志摩子さんが藤組を訪れることは周知の事実だったから、取次は素早く行われた。志摩子さんが顔を覗かせればクラスメイトが気を使い、私に声を掛けてくれたので荷物を詰め込んだ通学鞄を下げて、昼と一緒の場所で待っていた志摩子さんの下へとスカートのプリーツを翻さない程度の速さで歩く。

 

 「?」

 

 刺さる何かを感じて振り返る。そこにはお昼ご飯を誘ってくれたトップの子。自分の席に座ったまま、こちらを見ているけれど他の子たちも見ているから気になるのだろう。特に変わった様子もないから、気のせいかと視線を戻して志摩子さんへの挨拶を済ませて、先輩方を待たせてはいけないだろうと足早に二人一緒に薔薇の館へ向かう。

 

 「――……」

 

 「どうかしたの?」

 

 薔薇の館の入り口前。一旦足を止めて館を見上げる私に志摩子さんから声が掛かる。

 

 「あーうん。まさか昨日の今日で呼び出し喰らうなんて考えてもいなかったから。なんでだろうなって」

 

 肩をすくめて笑ってみせる。学校行事で姿を見せる山百合会のメンバーの姿を思い出す。お嬢様学校と呼ばれることだけあって通う生徒たちは皆品行方正で、高校生とは思えない落ち着きようだ。

 廊下を走っている人は居ないし、大口を開けて爆笑する人も居なければ、髪を染めたり制服を改造したりする子も居ないのだから。その中でも特に目立つのが山百合会の面々だった。遠目から見ても目立つ容姿に生徒会役員という称号を持つ彼女たちは、明らかに別の世界の人間だと認識していたのだけれど。

 

 志摩子さんから始まった昨日の切っ掛けから、何かが大きく変わり始める――なんてことは無いだろう。彼女らだって普通の女子高生なのだ。ただリリアンの生徒たちから特別視されているというだけで。

 

 「大丈夫。樹さんと会って話がしてみたいって仰っていただけだから」

 

 「それってリリアン生ぽくない私が珍しい的な意味合いが入ってない?」

 

 珍獣的な。ポカをやらかしてクラスで生ぬるい視線を感じる時があるし。その時は同じ過ちを繰り返さぬようにと、学級委員が私に軌道修正を求めてくるけれど。

 

 「薔薇さま方と話してみればわかるはずよ」

 

 「腑に落ちない……」

 

 面識なんてほとんどないし、あるとすれば私が一方的に知っているだけだ。そういって下あごを突き出す私は生粋のリリアン生ではないなと苦笑し、私の様子を見た志摩子さんも苦笑いをしていた。

 

 「悪いことにはならないはずよ。――多分」

 

 最後の言葉は小さく聞こえそうで聞こえない。

 

 「待って、志摩子さん。今何か言わなかっ――」

 

 「――行きましょうか」

 

 私の言葉を最後まで聞かずに流してにっこりと笑顔を深めて薔薇の館の扉に手を掛けて、中へと入っていく。あれ、志摩子さんって結構お茶目な一面を持っているのだろうか。とはいえ不快感は全くなく、私の気を紛らわせるための冗談の一つだろう。

 

 軋みの酷い階段をまた昇りながら、後ろ手で頭を掻く。学校運営は教師陣やシスターたちの仕事だけれど、生徒会としてそれなりに忙しい彼女たちが無名の、しかも編入生の私を呼んだことに違和感を覚えずにはいられない。ただ頭の中で考えるだけじゃ解決なんてしないだろうし、やはり直接会って聞いてみるのが一番簡単だろうと意を決して。

 

 『会議室』と書かれた扉の前へと辿り着いたのだった。




 7184字

  謝罪。前話の後書きは大嘘でした。展開と辻褄を考えながら詰め込んでたら文字数ががが。ラストだけはきっちり決めて、後は詰めたいことを詰め込んでいくスタイルなのでこうなりやすいんですよね。きっちりプロット作ることが出来ない弊害。

 内情を知らない外野の人たちは好き勝手にこんな感じに思っていそうな? というのに力を入れ過ぎた回になりました。本当はもっとあっさり流すはずだったんです。

 あと日間ランキング入りを果たしていたようで、皆様からの評価・お気に入り登録と誤字報告等ありがとうございます。嬉しい限りです。


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第四話:薔薇の館と住人

 私の前に立つ志摩子さんが会議室と印字されたプレートが掲げられた扉を開ければ蝶番が軋む音。古い割には手入れをが行き届いているのか、はっきりと聞こえるものの不快さはない。

 

 「ごきげんよう。樹さんをお連れしました」

 

 志摩子さんの言葉の後には幾人かの『ごきげんよう』の声。部屋の中へと踏み入り『失礼します』と志摩子さんの後に続く。

 

 「志摩子、ご苦労様。悪いわね、私たちの我が儘に付き合わせて」

 

 部屋の真ん中に置かれたしっかりとした木で作られた長机の真ん中に、その声を上げた人物は座していた。紅薔薇さまと呼ばれる彼女との直接的なファーストコンタクトは編入生説明会で声を掛けられ、次は夏休みの終わり頃に関わっている。顎のラインで切りそろえられた奇麗な黒髪は窓から差し込む光に照らされて奇麗な輪を描き、奇麗な微笑みを携えて最上級生としての貫禄が滲み出ていた。昼休み中の付け焼刃で覚えた知識を引っ張り出すと『水野蓉子』さま。彼女たちからの受け売りだけれど、容姿や頭脳もさることながら、困っている生徒が居ると見逃せないらしく気さくに声を掛けてくれるのが魅力なのだとか。真面目な生徒たちからの支持が厚く、薔薇さまの称号を頂いているだけあって、教師陣やシスターからの信頼も厚い……らしい。

 

 「ごきげんよう、樹さん。昨日は私たちの仕事を手伝っていただいて感謝しているわ」

 

 紅薔薇さまの右隣に座っていたのは黄薔薇さま。昨日と同じようなアンニュイな表情ではあるものの、今日は目に生気が宿っている気がする。セーラーカラーの襟の延長線上にあるタイの結び方は、学園一美しい形と定評があるのが黄薔薇さま、こと『鳥居江利子』さま。左隣に座っている先輩同様に奇麗な笑みを浮かべながら、私を迎え入れてくれるけれど何を考えているのやら。ファンの子たちからすれば何を考えているのか分からないのも魅力的だそうで。苦言を呈すつもりなら笑うはずなんてないから、読めない表情に苦笑いをしそうになるけれど必死にこらえる。

 

 「余所見をして志摩子さんとぶつかって迷惑を掛けたのは私の方ですから、気になさらないでください」

 

 本当に。昨日で終わっている話を蒸し返されても困るというよりも、そのくらいで感謝される覚えはないのだし。

 

 「どうぞお掛けになって」

 

 「はい、失礼します」

 

 部屋の入口で突っ立ったままとは流石にならず、席を勧められ。その場所は蓉子さまの正面だった。横に居たはずの志摩子さんは、流し台へといつの間にか立っておりその横には黄薔薇のつぼみの妹である『島津由乃』さんも一緒に並び何か作業をしている。テーブルの両脇には紅と黄のつぼみが静かに座している。昼休みのクラスメイトの受け売り通りのイケメン――女性には失礼な言葉かもしれないが――と美女だった。

 

 「ごめんなさいね、白薔薇さまがまだ来ていないから、お茶でも飲みながらもう少しまって頂戴」

 

 蓉子さまが仕方なさそうな顔をしながら、流し台へと視線を向けた。その先にはお盆に人数分の麦茶を乗せた志摩子さんと由乃さんが。『おかまいなく』と言う暇もないまま、まるで打ち合わせでも行っていたかのような流れに、私は身を任せるしかなく。

 

 「どうぞ」

 

 にっこりと静かに笑う由乃さん。机にコップを直置きすることなくコースターを使用する辺り、学生ぽさが余りないなと感じてしまうのは貧乏性故なのか。

 

 「ありがとうございます」

 

 どうやら早く済ませて家に帰ることは叶わないようだ。薔薇さまの一人である白薔薇さまが来てないので、話を進められないのだろう。携帯で簡単に連絡を取れる時代じゃないから、こういう所はじれったさを感じる。今は携帯よりもポケベルが普及しているはずなんだけれど、持っている人の数は少ないし、そもそも学園には持ち込み禁止の物だった。白薔薇さまの現在位置が知れない以上ここで待つしかないのだけれど、一体どれほどの時間を待てばいいのか。『遅れる』と蓉子さまの言葉から推測するに集合時間は決まっていたのだろうから、そんなに遅くはならないと願いたい。

 

 ことりと鳴る音に思考が中断され目を向ければ、クッキーまで用意されていた。市販の奇麗に成形されたものではなく、少々いびつだから手作りなのだろう。上級生からの呼び出しだというのに、まるで客人をもてなす準備の良さに片眉が勝手に上がる。これだと茶話会のようなんだけれど、一体なぜ私を呼び出したのか。

 

 「これは私たちが個人的に持ち込んだものだから、ね?」

 

 「経費で落ちる訳がないですからねぇ」

 

 落ちたらこの学園の事務員さんは何をやっているのかと問い詰めなければならないだろうに。肩をすくめてしまったのを見たのか、蓉子さまからフォローが入ると同時に返す言葉で反射的に口にしてしまった。江利子さまが少し吹いて、他の人も呆れたような驚いたような顔をしているから、やらかしてしまった。それを誤魔化すようにお茶を口に流し込む。

 

 「悪い、遅れた」

 

 少し乱暴に開かれた扉から聞こえた声。おそらく白薔薇さまだろう。色素の薄い髪は段を入れたセミロングヘアで、エキゾチックで掘りの深い美貌の持ち主で下級生からの人気も絶大――これもまた受け売りだけれども。挨拶代わりに頭を軽く下げた私を一瞥して乱雑に椅子に腰かけた。

 

 「遅刻よ、白薔薇さま」

 

 「下級生に捕まってたのよ、仕方ないじゃない」

 

 反省する様子が欠片もない聖さまにはあと溜息を吐いて、これ以上の追求は無意味だと蓉子さまは判断したようだ。真っ直ぐこちらを見据えるものだから、つい姿勢を正した。

 

 「さて、始めましょう」

 

 ――こうして時間は元へと返る訳であるが。

 

 三人の薔薇さまとつぼみの二人。そしてつぼみの妹に未来の妹候補が勢ぞろいしている部屋。ぶっちゃけてしまうと場違い感が半端ない。ここに居る人たち皆、顔の偏差値が良すぎて引いている私が居るのだけれども。例えるなら、サルーキやボルゾイとか毛並みの良い大型の洋犬に囲まれたちんちくりんの豆柴――または珍獣。そんな感じだろう。

 

 「回りくどいのも面倒だから単刀直入に言いましょうか。――山百合会を手伝って貰えないかしら、鵜久森樹さん」

 

 「……はあ」

 

 てっきり普段の素行が悪いと〆られるのかと思いきや。身構えていたのでついつい気の抜けた声が出てしまう。

 

 「あら、気のない返事」

 

 蓉子さまがどうやらこの話の主導権を握り、江利子さまはその補佐だろうか声の抜けた私の返事に面白そうに笑ってる。聖さまは我関せずの雰囲気を醸し出しているし、二年生以下は口を出すつもりはない様子。独断で話を進めている訳はないだろうし、私以外は内容を知っているのだろう。――なら相手が単刀直入といったのだから、私もはっきりと疑問を口にした方がいいだろう。

 

 「ご気分を害されたなら申し訳ありません。ただ単純に何故私なのかという疑問と、面識のない一生徒よりも仲の良い方やクラスメイトに助っ人に入ってもらう方が気が楽で手っ取り早くありませんか?」

 

 そう、こんなお茶会じみたことをしなくても。

 薔薇さまは最上級生で受験もあるだろうから、手早く仕事を済ませて家へと帰り進学の為の準備やらで忙しいだろうに。引退するにはまだ少し早い時期だろうけれど、人生の岐路なのだからもっと気を使ってもいいようなもの。推薦入試でも受けるのならば、まだ余裕があるかもしれないが。

 

 「それでもいいのだけれど、丁度暇そうな一年生が昨日みつかったものだから」

 

 「あと単純に、もうすぐ体育祭で人手が足りていないの。部活動をしている子たちは出し物の準備もあるし、手の空いている人って限られてくるでしょう?」

 

 鴨がネギと鍋とついでにコンロを背負って迷い込んできた、と言わんばかり。疑問形で言葉を返されても困るし、なんだか強制性を感じるのは三年生故のオーラだろうか。嗚呼、マジでちんちくりんの豆柴の気分だと嘆きながら、ふと別の疑問が浮上する。

 

 「同じような質問になりますが、それなら先輩方のファンの人たちでも良いのでは? 沢山いますし、やる気のない人間を選ぶよりも彼女たちなら喜んで手伝ってくれるでしょうし」

 

 校庭や校舎で人だかりが時折出来ており何事かと視線を向けると、その輪の真ん中には彼女たちが居るのだ。アイドルのように黄色い声に包まれているから、渦中の人たちがどんなやり取りをしているのか知らないけれど。さっきの『下級生に捕まった』という聖さまの言葉と今日の昼休みのクラスメイト三人を見ていると、山百合会の人たちから声が掛ればすっ飛んで来てくれると思うのだが。

 

 「今の言葉だと、樹さんはやる気はなくて手伝う気もない……と取れるのだけれど」

 

 「そう受け取れるのなら、それでも構いません」

 

 蓉子さまと江利子さまが顔を見合わせる。上級生に対して失礼な言葉かもしれないけれど、いきなり呼び出され余り面識のない人たちに囲まれているのだからお互い様だろう。

 

 「――ふぅ」

 

 「そうくるとは思わなかったわ」

 

 蓉子さまは困った顔で笑い、江利子さまは面白そうな顔で私を見る。生徒会を手伝うことに異議はないのだけれど、話の成り行き上そうなってしまっただけだ。何故、私を選んだのかはっきりとした答えは貰っていないし、答えをはぐらかしている理由は他にもあるのだ。

 

 「どうしても駄目かしら?」

 

 「いえ……どうしても、という訳ではありません。ただ山百合会を手伝うにあたって帰宅が遅くなることもあるでしょうし、その辺りは親の許可を得ないと何とも言えないんです」

 

 成績を落しては駄目と家族から告げられている手前、連日帰りが遅くなったりすると『山百合会』への印象が悪くなる。公衆電話を利用して迎えに来てもらうという方法もあるけれど、何か違う気もするし。

 何より親の庇護下に私はまだ居るのだから、あまり勝手をするわけにはいかない。仮に手伝うとしてどの程度の仕事を私に割り振られるのか分からない以上、保険をかけておいた方が安心だろう。もう高校生、まだ高校生なのだ。一度親に伝え意見を聞いて、それから返事をしても遅くはないだろう。

 

 「あまり遅くなるつもりはないのだけれど、確かにその通りね」

 

 「ええ、そうね。親御さんの許可も必要だろうし、返事は後日でもかまわないわ。よく相談してから返事を聞かせて頂戴」

 

 「すみません、そうして頂けると助かります」

 

 本当ならこの場で返事をした方が良いのだろう。話の流れでまどろっこしいことになってしまったけれど、家族にはどのみち話を通さなければならないし、『不可』と言われる可能性もあるのだから。了承しておいて後からごめんなさいと言わなければならない可能性を潰せたのだから、まあいいだろう。山百合会のメンバーには悪いことをしたかもしれないけれど、一応は納得してくれたのだ。後は家族に良い返事を貰えればいいだけだし、無理なら断るだけだし。

 

 「急かすようで申し訳ないのだけれど、返事は何時頃になりそうかしら?」

 

 「そう、ですね……早ければ明日、遅くても今週中には」

 

 父は時折仕事が遅くなり家に帰らないまま職場近くのホテルに泊まることが時々あるけれど、何日も帰らないということはないから返事は遅くならないだろう。母との会話で今日は帰ってくるはずだけれど、急用が入る可能性もあるから不確かなので長めに時間を取っておいたけれど。

 

 「ええ、それで構わないわ」

 

 「私たちも急かしてしまってごめんなさいね」

 

 「いえ、私も不躾なことを聞きましたから」

 

 その後は少し細々としたことを薔薇さまと打ち合わせをして、私は部屋から退出する。その途端に大きな溜息を一つ吐いて、帰路へ着くのだった。

 




 4667字

 ちょっと字数が少ないですが投げます。

 三薔薇さま以外が空気です。作者の力量だとこれが限界。オリ主の態度に祥子さまが苦言を呈しそうと考えていたのですが、脱線するし止めました。

 親の存在って大事ですよね。創作だと海外赴任で不在とかよくある設定ですが、マリみてだと保護者と同居してなきゃ駄目だし。保護者が居なければオリ主は即了承してましたw

 反省:もう少し会話の流れを自然にしたかったorz 乱暴だったなぁ。

 


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第五話:思惑と困惑

 ――鵜久森樹(うぐもりいつき)

 

 その名を初めて見たのは春休みに行われた編入生説明会で配られた資料の一枚、編入生名簿の中でだった。準備の為に赴いていた先生方の声で意識は直ぐにそれてしまったけれど、あまり聴き慣れない名字に目を引かれた。そうして打ち合わせは終わり、あとは説明会を滞りなく終わらせればその日は解散となる。所用で一旦講堂を離れ少し早めに戻ってきた入り口前、私服を着込んだ黒髪の少女が一人。学園内で制服や運動部のユニフォーム以外を纏っていなければ学園関係者か、部外者か。自ずと絞れるのだが、今日は特別だ。

 

 『ごきげんよう』

 

 中等部から当たり前のように、自然に流れるように口から出るようになったリリアン特有の挨拶。私の声に気が付いて振り向いた女の子は少し驚いた様子で、軽く一礼をして『おはようございます』の声。ごきげんよう、と返ってくるのが当たり前だと思い込んでいた自分に、いつの間にかこの学園に染まり切っていたことに改めて気付かされた。

 

 編入生説明会は何事もなく終了した。教師の方々やシスターたちの出番がほとんどで山百合会としての仕事は殆どなかったようなものだ。リリアンに通う生徒としての挨拶と困ったことがあれば気軽に頼って欲しいと伝えただけ。

 一週間後に入学を控えた編入生の子たちは、目を輝かせながらメモを取ったり配られた資料に目を通しながら私の言葉を聞いていた。ただその中で一人だけつまらなさそうな顔をして椅子に深く腰掛けていた子は、随分と良い性格をしていた。

 

 「紅薔薇さま、口元」

 

 「あら、黄薔薇さまこそ」

 

 山百合会の手伝いをして欲しいと願った本人は、この部屋からもう去っている。集まってもらっていた山百合会のメンバーにも帰ってもらった。この場には薔薇さま三人しか居ない。昨日、彼女を手伝いにと言い出した江利子は楽しそうに笑みを浮かべたままだ。かくいう私も笑っていたようだけれど。

 

 「あの子、了承してくれるかしら?」

 

 「ご両親次第でしょうね。本人の意見は聞けなかったから、どう思っているのか謎だけれど」

 

 一年生が部屋から出ていった後に祥子が彼女の態度に苦言を呈していたけれど、あの程度は可愛いものである。リリアン生とは思えない言動ではあったが、しっかりと自分の考えと意見を伝えてくれたことは評価しなければならないだろう。

 『薔薇さま』の称号を持つ私たちに、ああやってはっきりとモノをいう子は珍しい。それ故に祥子は怒ったようだが、いきなり彼女を薔薇の館に呼びつけた私たちにも非はあるのだ。面識のない上級生――生徒会役員だと知ってはいるだろうけれど――複数人に囲まれている状況だったのだ。委縮してその場で『YES』と答えなかったことは、喜ばしいことだ。

 

 「白薔薇さまはどうお考えになって?」

 

 椅子を窓際へ移し、外の景色を眺めている聖に問いかける。

 

 「……好きにすればいい」

 

 視線だけ私に寄こして、直ぐに外へと向けてまた沈黙してしまう。

 

 まったく、困ったものだ。聖の態度は今に始まった事ではないけれど、もう少し最上級生として薔薇さまとして自覚を持って欲しいものだが。志摩子の件――それ以前に起きたことを含めて引き摺っている彼女に余裕がない事は百も承知なのだけれども。一年生のあの子に山百合会を手伝って欲しいと願ったのは、志摩子の負担を減らすという目的もあるというのに。

 

 黄薔薇のつぼみの妹である由乃ちゃんに無理はさせられない。必然、一年生である志摩子に力仕事の配分が多くなる。令や祥子も居るけれど、部活動をしている令は山百合会の仕事をいつも手伝える訳もなく、由乃ちゃんの付き添いで帰る事が多々ある。

 祥子は生粋のお嬢様で力仕事があまり得意ではない――本人は苦にしていないが――し、一人で作業に赴かせると祥子に憧れる子たちと小笠原の関係者たちが手を貸そうと躍起になり、色々と問題が生じてしまう。絆を結んだ妹だから助けたい思いは強くあるが、祥子は小笠原の看板を一生背負っていかなければならないのだ。社会に出ればより一層そういうものが強くなるだろうし、慣れておかなければならないものだ。心配事が山積みではあるが、目の前のことを一つ一つ片づけねばなるまい。

 

 兎にも角にも、山百合会は根本的に人数が不足している状況なのだ。

 

 同学年の友人たちは受験生なので、気軽に声を掛けるには適していない。令や祥子に頼んでも良いのだけれど、仲の良い友人の話をとんと聞いたことがない。令は由乃ちゃんにかかりっきり。祥子は小笠原の名前が邪魔をする。二人とも顔は広いが、付き合い自体が深くないし、誰か特定の人物と仲良くなりたいという気配もないのだ。

 気軽に手伝って欲しいと願える相手が居ない。それは私たちも同じかもしれないが、大事な妹たちには苦労をして欲しくないと思うのは姉として当然だろう。由乃ちゃんも同じ理由で、なかなか友人と呼べる子が居ない。まだ山百合会メンバーではない志摩子も人付き合いを得意としていないし、聖との関係をどうするかを決めかねているから他の事に気を回せというのは酷だ。

 

 もう少し生徒たちの山百合会への敷居が低くなれば良いのだけれど、特別視している彼女たちには難しい注文なのだろう。純粋培養で育った生徒たちは、幼い頃から憧れていたものがようやく高等部にあがり、それが目の前にあるのだから。夢見がちだと言えばそれで終わりだが、憧れを否定することもないのだし。

 

 「――はあ」

 

 「どうしたの蓉子」

 

 「いえ、ね。……江利子は何故あの子を選んだの?」

 

 沢山居る生徒の中からの一人なのだ。山百合会を手伝っている志摩子には明確な理由があるが、あの一年生には無いと言っていいだろう。

 

 「さあ? 何となく。あえて言うなら勘かしら?」

 

 「貴女……」

 

 もう一度盛大な溜息を吐く。何か理由があるのかと思えばコレだ。勘で振り回される私の身にもなって欲しいものだが、いつもの事だと諦めてしまった自分は悪くはない筈だ。

 

 「ああ、そうだったわ」

 

 「?」

 

 「志摩子には『暇だ』と言って、私には『用がある』って逃げたんだもの。捕まえたくなるのは当然じゃない」

 

 その為に山百合会を使わないで欲しいのだけれど――という言葉は飲み込んで。にやりと薔薇さまらしくない表情で笑う江利子は、私の気持ちを一つも理解しちゃいないのだろう。

 

 もうすぐ体育祭があり、三人欠員状態の山百合会だから猫の手も借りたい状況だ。一年生が訪れたのは渡りに船だったから、こうして私も一緒に彼女を手伝いにと誘った側面があるけれど。江利子に捕まってしまった一年生には同情するが、リリアン生らしくない彼女は江利子に対してどう出てくるのか興味はある。普通ならばあの場で了承していただろう。一も二もなく。それが普通だ。だからこそ江利子は余計に喰い付いてしまった。

 

 「江利子の思い通りになるかしら?」

 

 「断られても、それで関係が終わる訳じゃないもの。また捕まえれば良いだけだわ」

 

 そのしつこさを聖に少し分けて欲しいとは口にしない。それを口にすれば私たちの横で静かに外を眺めている聖の機嫌が急降下してしまう。わざわざ煽る必要はないのだし、一年生がもし『了』と返事をしてくれた場合、彼女のあずかり知らぬところで遺恨を残してしまう。とっつきにくい聖だ。ファンの子たちには良い顔をしているが、山百合会という少し気を許している場所で聖はその顔を見せないだろうから。

 

 「さっきと同じ質問になるけれど、聖はあの一年生をどう思う?」

 

 白薔薇さまとしてではなく、一個人の佐藤聖としてだ。察しの良い彼女だから、私の言葉の意図を理解してくれるだろう。

 

 「悪くはない」

 

 こちらに顔を向け直ぐに視線を戻した。

 

 「あら、珍しい」

 

 「そうね。誉め言葉じゃない」

 

 少しわかりにくい言い方をした聖だけれど、今の彼女の最大限の誉め言葉だ。随分と柔らかくなったが気難しいところがまだ残っている聖から、その言葉を引き出せたのは僥倖。あとは祥子が問題だろうか。ああいう態度を取る下級生に免疫がない我が妹は、過剰反応を見せているし。まあおいおい慣れるだろうし、いい経験にもなるだろう。

 

 「……用は終わったんでしょう? なら、帰る」

 

 「そうね、帰りましょうか」

 

 「ええ」

 

 聖はさっさと薔薇の館から出ていき、江利子も部屋の施錠をしてそそくさと出て行き。鍵を職員室へ返す面倒な役目は、当然のように私の役目となってしまった。

 というよりもあの二人は鍵を返すという事を欠片も頭にない気がする。私を頼りにし過ぎているが、それもまあ悪くはないと思えてしまうのは腐れ縁故か。さっきの一年生がどういう答えをくれるのかまだわからないけれど、江利子の言うように何故か面白いことになりそうだと私の勘が告げている。

 

 ――良い出会いになりますように。

 

 と、願うしかないだろう。ひどく軋む階段を降りて扉を開き外へ出る。扉の鍵穴に差し込んで、慣れた手つきで『かちり』と音が鳴るまで鍵を回し。そのまま鍵を抜いて、薔薇の館の入り口がきちんと閉まっていることを確認して歩き出す。

 

 手に握りしめた鍵は金属製だというのに使い込まれて丸みを帯びている。何人もの人がこの鍵を手に取り、この場所で過ごして。何を思い、何を考え、何を残してきたのか。私も何かを残せるだろうか。ふと姉やおばあちゃんと呼んでいた先輩がたの顔が浮かび、懐かしさが溢れ出す。あの人たちに敵う日が来ることはないだろうけれど、近づくことはできるだろうから。

 

 広い中庭、どこからともなく吹く爽籟が私の髪を撫でていた。

 

 ◇

 

 荷物を持ち込んでいて正解だった。

 

 薔薇の館から出てきた私に、部活やらなんやらでまだ学園に残っている生徒の視線が降り注いでいるのだから。これで教室に戻ろうものならクラスメイトから質問攻めにでもあっていただろう。生徒会室に呼ばれていただけなのだ、直ぐに忘れ去られる出来事だろう。

 部活動の報告や各学級からの陳情にと様々な理由で出入りのある生徒会だ。たった一人の生徒が短時間身を寄せることなど、多々あるだろうし。昨日の出来事でたまたま縁を持っただけの事だ。気にしても仕方あるまい。

 

 早く家に帰って、母の手伝いやら勉強にとやらなければならない事は沢山ある。校門近くのバス停で時間が来るのを待ち、いくらか少なくなったリリアン生の中に紛れ込み帰路へとつく。通学鞄に仕舞い込んでいた文庫本を取り出して、静かに目を通していれば目的のバス停までは直ぐで。凝り固まった肩を解すように何度か首を振り、バスを降りて慣れた住宅街を歩く。土地代も家代も高そうなこの場所にはもう慣れた。最初は住む場所が違うと心が叫んでいたというのに、現金なものだ。慣れただけで、私がこの場所に馴染んでいるのかは謎だけれども。

 

 独特の金属音を鳴らして門扉を開き、重くシッカリとした玄関の扉を開けて家へと帰る。

 

 「ただいま」

 

 「――おかえりなさい、樹ちゃん」

 

 少し時間をおいてキッチンから玄関へと赴き聞こえてきた母の声はいつも優しい。

 恐らく夕飯の準備をしていたのだろう。専業主婦の母が家の事に手を抜くことはない。

 

 「何か手伝おうか?」

 

 「もう仕込みは終わったから大丈夫」

 

 少し残念に思いながら、今日の出来事の為に意見を聞かなければならないと我が家の大黒柱である父は帰宅するのだろうか。

 

 「そっか。――今日って父さんは帰ってくる?」

 

 「ええ、そのつもりだって朝言っていたけれど、どうなるやら」

 

 目じりにしわを寄せて笑う母。時折手を込んで作った晩御飯が急に入ってしまった案件で無駄になる事があるから、そのことを考えているのかもしれない。勿体ないから余ってしまった父の分は、みんなで分けて食べるか保存がきくものなら冷蔵庫へ入れられるけれど。

 

 「わかった、ありがとう母さん」

 

 「何かあったの?」

 

 「大したことじゃないんだけれど……」

 

 私の言葉に小さく首を傾げる母。勿体ぶる必要はないだろうと生徒会を手伝って欲しいと頼まれたことと、その返事は家族の許可が必要だと言ったことを伝えた。あらあらまあまあ、と呑気に言葉を口にする母は嬉しそうに笑ってる。どうしてそんなに嬉しいのか理解できない私の様子を見て、リリアン女学園高等部特有の生徒会について教えてくれた。曰く、幼稚舎や初等部からの純粋培養組は特に山百合会を神聖視しており憧れの存在であると。何故か薔薇さまと呼ばれる方たちは、眉目秀麗で文武両道のカリスマの高い人が選ばれやすいことが拍車をかけていると。

 

 「そんな偶然が続くものなの?」

 

 「不思議よねぇ。お姉ちゃんの時も薔薇さま方は奇麗な方だったそうよ」

 

 「母さんの時も?」

 

 「ええ、勿論。美しい方ばかりだったわ」

 

 「凄いねぇ」

 

 呑気な母と私のやり取り。学校での出来事が気になるのか母はお茶を淹れてくれ、着替えもしないままリビングで話し込んでいた。

 そうして夜になり仕事から戻った父と兄と姉を含めて、もう一度放課後に起こったことを話す。男性陣はリリアンの事に詳しくないから、少し引き気味な雰囲気を見せていて母と姉とのギャップが可笑しかった。まあ男の人にこの手の話は実感はないだろう。男性社会だと見目で優劣を判断することは少ないだろうから。それでも生徒会を手伝うことは成績に影響がない限り、良いことだから無理のない範囲で手伝って構わないと一応の了承は両親から貰えた。

 

 「で、樹自身はどうしたいんだ?」

 

 「え?」

 

 「気づいてないのか。樹がどうしたいのか一切言っていないからな」

 

 父の言葉にふと気づく。ああ、そういえばそうかもしれない。普段の素行に問題でもあって、てっきり締め上げられると考えていた私の脳味噌はきっと八十年代的思考だったのだろう。いったいどこの世紀末なのかと自身に問いかけたくなるが、それは脱線してしまうので棚の上に置いておこう。

 

 「手伝うことは別に。ただ何で私がって気持ちが強かったから、ちょっと意地を張ったかも」

 

 あの場違い感甚だしい薔薇の館の中。四面楚歌もいいところで、有無を言わさぬ雰囲気だったのだから、意地くらい張りたくなるじゃないか。

 

 「今代の薔薇さまがどういう子なのか知らないけれど、急な話よね」

 

 「人手が足りていないみたいだから仕方ないんじゃないかな」

 

 白薔薇さまと紅薔薇の妹が姉妹契約を果たしていないことを姉に告げると、納得したようだ。学校行事を把握している姉だから、さらに頷いていたけれど。父と兄は理解が出来ず、目を白黒させていてちょっと面白い。リリアン特有のしきたりを説明してみても、いまいち掴めない様子に、女性陣からは苦笑が漏れる。

 

 「面倒だなあ……」

 

 ストレートに言葉を零した兄に罪はないだろう。実際、姉妹制度とか実感のない私には『面倒』なものがあるな、くらいにしか思えないし。ちなみに父と兄が卒業した花寺学院高校にも似た制度があるらしいのだが、親分と子分のような関係となるそうなのでリリアン女学園のように尊く美しいものという認識は薄いらしい。

 

 食後のお茶を飲みながら行われた家族会議はそのまま雑談へと移り、リビングのテレビをザッピングしながら面白い番組はなさそうと判断した私は部屋へと戻り。明日の授業の予習復習を済ませて、お風呂に入ればいつの間にか就寝時間になっていて。ベッドに入った私が深い眠りにつくのにそう時間はかからなかった。

 

 ――次の日。朝。

 

 いつものように準備をし、いつものように家を出て、いつものようにバスに乗り込み、いつものように背の高い門を潜り抜け。一年生の教室が並ぶ廊下に差し掛かると、何故か視線が降り注ぐ。志摩子さんと一緒に歩いた二日前や昨日とは違い、私自身に視線があたる為に居心地が良くない。心当たりはあるにはあるが、何故そんなことでこんなにも注目されなければならないのか。教室に入った時、どうなるのやらと溜息を零した。

 

 「ごきげんよう、樹さん」

 

 ごきげんようと次々に声が掛る。声を掛けてくれるクラスメイトの瞳に映り込んでいるのは『好奇』の文字。いつもより多い声の多さに引きながら、己の席に着いて鞄の中身を引っ張り出し机の中に仕舞い込んでいく。

 

 「樹さん、ごきげんよう」

 

 そう声が掛り顔を挙げれば、昨日お昼を一緒に食べたトップの子の姿。

 

 「朝来て早々で申し訳ないのだけれど、今日もお昼をご一緒しません?」

 

 にっこりと奇麗に目を細めて笑うトップの子に、苦笑をしながら『わかった』と返事を返して。やれやれ何を聞かれるのか、なんて考えは無粋だろう。きっと昨日起こった山百合会での出来事を、洗いざらい話す羽目になるのだろう。母や姉から聞いた一般生徒にとって山百合会は高嶺の花という言葉に今更ながら納得するのだった。

 




 6681字

 男の人なら『ジュース一本おごるから手伝ってくれや』くらいで済みそうなものですが、女の子だと途端に面倒になるのは何故だろう。



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第六話:周囲の視線と変化と返事

 

 時間が過ぎるのは早いもので、朝から昼へと太陽の位置が変わっていた。トップの子との約束を果たす為に声を掛け、昨日と同様に適当にくっつけた机は教室の窓側の奥。

 

 「お邪魔します」

 

 「いらっしゃい、樹さん」

 

 迎え入れてくれた三人は笑顔を携えて。女三人寄れば姦しい、といわれて長いが四人になればどうなるのやら。さっそくお弁当の包みを開けて、箸を取り出す。

 

 「今日は樹さんのお母様が?」

 

 「うん、今日は母が当番だから」

 

 母が作るお弁当は私が作ったものと違い、繊細で緻密である。逆に私は食べて胃に入れば同じという理屈から大雑把。あからさまに昨日と違う作りに、一瞬で分かったのだろう。

 

 「素敵ね、美味しそうだわ」

 

 「ありがとう。母が作るものは美味しいよ」

 

 自分が作るものより、人が作った料理の方が美味しいのは何故なのか。とはいえ母が作ったものが美味しいのは事実で否定など出来ない代物だ。同じものを作っても、同じ味にならない不思議。家族は私に甘いので『美味しい』と言ってくれるが、母の方が断然美味しい。

 母が作ったお弁当を持参している、父たちも今頃は食べているだろうか。母は近所の仲の良い友人とランチを食べに行くと、嬉しそうに笑っていたから今頃は街中だろう。少し羨ましいが学生としての本文を果たさねば、高い学費を出してもらっているのだし。

 

 「そう。……――っ」

 

 何か落ち着かない様子で私を見る三人。分かりやすい反応に苦笑が漏れそうになるけれど、とりあえず我慢して。聞きにくいことでも、隠すようなことでもない気がするのだけれど、お嬢さま的にははしたないとでも言われてしまうのだろうか。なるほど面倒だなと納得し、これでは話も続かないから。

 

 「聞きたいこと、何でも聞いてもらっていいよ」

 

 言いたくないことは言わないか、誤魔化すから……とは言えず。驚いた顔を見せる三人に流石に苦笑する。朝から私に視線が刺さること刺さること。妙にみんなざわついているし、私の名前も時折遠くから聞こえる。

 気になるのなら直接問えば良いと思うのだけれど、みんな育ちが良いので遠慮しているのだろう。これが中学時代の友人ならば、なんの躊躇もなく直截に聞いてくれただろうに。

 

 「えっ?」

 

 「みんな朝からそわそわしてる。その原因が私だってことくらいは理解できるんだけれど、この状況の説明、お願いしてもいいかな?」

 

 「編入生の樹さんには分かり辛いものなのね。そういう事でしたらみなさん気になっているでしょうし、私が代表して――」

 

 周囲に聞こえるように少声を張るトップの子は自信満々の顔をしているし、周りは周りで彼女の一言で聞き耳を立て始めた。そんなに面白いことではないし聞く価値があるのかは謎だけれど、興味津々らしく。

 

 二日連続で私が山百合会へ訪れたことは、彼女たちの中では大事件らしい。学級委員や部活の長や副部長、そして委員会に所属している人が山百合会を訪ねることは珍しいことではないが、一般生徒が訪れることはほぼ無いらしい。志摩子さんが居ると伝えても、彼女は四月の末辺りからずっと山百合会を手伝っており、白薔薇さまか紅薔薇さまの妹のスールになることは決定済みだろうとのこと。

 

 そういう訳で一般生徒、しかも編入生である私が、二日続いて山百合会を訪れたのは奇跡らしく、一年生の間で怒涛の勢いで噂が広がっているみたい。なるほど今日の視線の山はこれが原因かと納得するけれど、どうして生徒会室を訪れただけでこうなってしまうのか。

 

 「もしかしたら樹さんが白薔薇さまか紅薔薇さまの妹のスールになるのでは、と皆さん気になって仕方ないみたいですの」

 

 「ちょっと待って。ロサ、ぎがんてぃあとロサ……キ……ごめん――言えない。その人たちに会ったのって、昨日が初めてで話を交わすこともなかったし、志摩子さんが候補なんでしょ?」

 

 「――白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)よ、樹さん」

 

 なんだかトップの子の視線が痛い。昨日あれだけ教えてもらったけれど、付け焼刃で覚え、長ったらしいフランス語に舌が回るはずもなく、慣れるのにはもう少し時間が掛かるだろう。

 

 「確かに志摩子さんがお二方の妹候補だけれど、席は必ず一つ空くでしょう?」

 

 ね、とトップの子が左右に座っている子たちに視線を向けて同意を求め、すぐさま二人は頷く。確かに志摩子さんがどちらかと姉妹となれば、空席は生まれるけれども。志摩子さんでさえ半年近く候補として時間が経っているのだから、ぽっと出の私とそう簡単に姉妹との契りを結ぶものなのだろうか。というよりも聖さまと祥子さまは私に興味なんて抱いてないのだし。ただの手伝いの一年生で、どのくらい役に立つのか位にしか思ってないんじゃなかろうか。

 

 「いずれにせよ、それはないかな。山百合会を手伝って欲しいって言われただけだし」

 

 盛り上がってしまった彼女たちには悪いけれど、此処で修正をしておかないと後が怖い。噂には尾ひれがつくものでどうなるかわからないし、上級生の間にもその内に広がりそうだし先手は打っておかなければ。

 

 「えっ」

 

 「うそっ」

 

 「本当ですの!?」

 

 本当かと問われれば『YES』と答えるしかないけれど、何故そんなに驚くのか。人手が足りていないのだからこれまでに手伝いの生徒は何人も居ただろうから、役職持ちの人以外が仕事をしているなんて日常風景だろうに。

 

 「返事は返していないんだけどね」

 

 「えっ」

 

 「うそっ」

 

 「その場で返事をしなかったのですか!? どうしてそのようなことをっ!!」

 

 「手伝いでどのくらい時間を割くのか分からなかったし、親にも言っておかないと不味いからね」

 

 自分で判断しても良いとは思うけれど、まだ親の庇護下で生活をして学費を出してもらっているのだから許可は必要だろう。ほかの同年代の子から見れば私の考え方が硬いだけかも知れないけれど、そこだけはどうしても譲れないのだ。

 親から強制的にリリアンに通うことを義務付けられたけれど、良い学校に通うことは将来に繋がる。無名の学校よりも有名な学校だと就職や進学の時に覚えが良いのだ。そのことには感謝しているのだし、家族からの期待を裏切るわけにもいかない。

 

 「それは……そうかもしれませんが、薔薇さま方からのお願いを断るだなんて……」

 

 信じられない、と言わんばかりの顔で私を見るけれど、もう起こってしまった事なのだからどうしようもない。それに答えはもう出ているのだし、結果オーライである。

 

 「あ、断ってはいないよ、保留にしただけで。……親からOKは貰えたし、問題ないんじゃないかな」

 

 「ですが……いえ、なら樹さんは山百合会のお手伝いを?」

 

 不満そうに言いよどむ彼女の顔は晴れないが、山百合会にそこまで固執する理由は私には分からないからこれ以上の弁明は無理だ。不要な一言で火に油を注ぐ可能性もあるのだから、迂闊なことは言わない方が良いだろう。

 

 「役に立てるかどうかは分からないけれど、手伝うつもり。体育祭が近いから忙しいみたいだし」

 

 役職も持っていない一年が出来ることなんて限られているだろう。事務仕事よりも力仕事になりそうだとアタリを付けているし、志摩子さんと由乃さんの補佐が妥当なのかな。リリアン独特のルールに馴染んでいないから、それもあるのかもしれない。私の他にも編入生はいるけれど、みんな私よりも周囲に馴染んでいて、姉妹の絆を結んでる人も居て青春を謳歌しているようだった。ま、部活動も委員会活動にも所属していないのだから、本当に都合よく一年があの館に迷い込んだ位にしか山百合会のメンバーは考えていなさそうだし。

 

 「そう、ですか……」

 

 とはいえ三日連続で山百合会へ赴けば、また騒がしいことになりそうだ。

 それはご勘弁願いたいから、山百合会への返事は幾日か伸ばしてしまおう。忙しいと零していた彼女たちには申し訳ないけれど、私の心の平穏の為である。

 

 少し納得していない様子を見せていた三人も、どうにか状況を飲み込んでくれたようだ。いつの間にか話は薔薇さま方の素晴らしさを語っていたけれど。過激な某アイドルのファンみたいじゃなければ良いけれどと願いつつ、山百合会メンバーの人となりが知れる機会なので、耳を傾けてる。あとは時間がある程度経てば、どんな人たちなのか自ずと知ることになるのだろう。

 

 ――そうして金曜日。

 

 週休二日制が導入されていないこの時代。土曜日が週末になるのだけれど、半日登校なので生徒会の人たちが帰ってしまうことを懸念して返事は金曜日の放課後を選択した。一年生の視線は相変わらず。とはいえ私がなにも行動を起こしていないので、少し下火になっている。このまま平穏に学生生活を送りたいけれど、今日また薔薇の館を訪れることで話題にあがってしまうのだろう。噂の人物であるが為に、何処へ行くにも視線が集まってしまう。この視線を一学期から浴びていたであろう志摩子さんも大変だな、と他人事のように思いながら足を進めて中庭に建っている薔薇の館へとたどり着いたのだった。

 

 「よし」

 

 と、入り口前で気合を入れる。ここ何度か薔薇さま方やそれに連なる人たちの素晴らしさを吹き込まれ、柄にもなく緊張している。入り口の施錠がされていれば大人しく帰ろうと、ノブを握れば開いたドアへするりと体を滑り込ませ静かに閉まり、またひどく軋む階段を上り会議室の前へ。

 ゆっくりと二度、強くも弱くもない程度にノックをして数舜『どうぞ』の声。一番良いのは薔薇さま方の誰かなのだけれど、声で判断を付けられないので、取り合えず自分の意思を山百合会の誰かに伝えられれば今日の目的は達成だろう。

 

 「失礼します」

 

 音を立てないように静かにゆっくりと扉を開く。中に入るとそこには黄薔薇のつぼみと黄薔薇のつぼみの妹である支倉令さまと島津由乃さんの姿が。

 

 「ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう――先日の件の返事をしようとお邪魔したのですが、薔薇さま方は?」

 

 「お姉さま方なら、もう少しすれば来るはずだよ」

 

 由乃さんは椅子に座り、令さまはその横に立っている。この姉妹、身長差と令さまのカッコ良さと由乃さんの静かな雰囲気が絵になるなと他所事を考えながら、ぽりぽりと後ろ手で頭を掻く。さてどうしたものか、と考え始めた時、助け船が出された。

 

 「取り合えず座って待ってなよ。お茶でも出すから」

 

 そういって令さまは流し台へと歩き出す。さすがに上級生にお茶を淹れてもらうのは気が引けるし、のんびりお茶を飲むためにやって来たのではない。本来の目的は生徒会の手伝いなのだし、こんなにゆっくりとしてて良いものなのだろうか。

 

 「あ、私がやります」

 

 「良いの、良いの。ほら、座ってて」

 

 私の後ろを通り過ぎようとした令さまが、両肩に腕を置いて少し強引に由乃さんが座っている隣の椅子へと導かれた。

 

 「樹さん、任せておけばいいわ。それにお姉さまの淹れるお茶は美味しいのよ」

 

 由乃さんの言葉に苦笑いしながら、二年生にそんなことをさせてしまう事にはやはり抵抗がある。

 

 「すみません、先輩に」

 

 「構わないよ。それに返事を聞くまでは樹さんはお客さんだ」

 

 さりげない気遣いの言葉に感謝しつつ、隣に座っている由乃さんに顔を向ける。お茶を淹れるまで少し時間があるだろうし、これから山百合会を手伝うのだから無言で待つ訳にはいかないし。

 

 「えっと、知ってると思うけど鵜久森樹です。これからちょいちょいここにお邪魔して迷惑を掛けることになると思うけれど、よろしくね」

 

 「迷惑だなんて思わないわ。一年生が増えて心強いもの。これからよろしく、島津由乃です」

 

 名前を知っているのに名乗りあう事に滑稽さを覚えて、一緒に笑う。同じ笑うなのに品の差がでるのは育ち故なのだろうか。薔薇さまたちにまだ返事をしていないけれど、向こうからのお願いだし今更断られる理由はなく、私の意思は決まっているのだから決定事項だろう。

 

 「由乃さんはずっとリリアンに通ってるの?」

 

 「ええ、幼稚舎からずっと、ね」

 

 こてん、と小さく由乃さんが首を傾げれば、おさげが一緒に揺れる。

 

 「ああ、それじゃあやっぱり迷惑を掛けることになりそう。リリアンのしきたりに慣れなくて、今でもやらかしてクラスメイトに怒られるんだよね」

 

 「あら、そうなの?」

 

 「うん。少し前にここの役員の人たちの名称がきちんと言えなくて、教えてもらったんだけれど未だに怪しいんだよね……」

 

 あんなに教えてもらったんだけれど、頭の造りが悪いのかきちんと覚えられた気がしないし、やたらと長い名称になると舌を噛みそうになる。淀みなく言うにはもう少し時間が掛かりそうだとげんなりしながら、話を聞いていたのだけれど単純に生徒会長とかでは駄目なのだろうか――駄目なんだろうなあ。

 

 「その内に言えるようになるわ。こんなものは慣れだもの」

 

 「だと、いいんだけどねえ」

 

 ついつい遠い目をしてしまう。そんな私を見て由乃さんは笑い、お茶を淹れ終わった令さまも笑いながらお茶を出してくれた。

 

 「どうぞ。やっぱり慣れないものなのかな、リリアンって?」

 

 「すみません、ありがとうございます。――外から来ると驚くことが沢山ありますよ。朝拝や聖書を読んだりすることなんて縁遠いものでしたから」

 

 聖書は読んでみると案外面白い。暇を持て余したときに目を通していたんだけれど、物語として構成されていた。娯楽がすごく少なかった大昔に宣教師が抑揚に話を語れば、そりゃ信者が増えるわな、と。上手いこと考えたもんだなと納得してしまった私の頭は、随分と捻くれている。ま、『神は時に人を救うこともあるが、お金は常に人を救い腹を満たす』が自論の私には欠片も響くことはなかったが。

 

 「ああ、普通の学校だと読まないよね。私からすれば逆にそっちの方が新鮮に感じるけれど」

 

 「慣れって怖いですよね。いつの間にか常識にすり替わってしまう時がありますから」

 

 とまあこんな感じで雑談を三人で繰り広げ、しばらくすると薔薇さま方三人そろって会議室へとやって来た。『ごきげんよう』と蓉子さまが先頭で入って続いて江利子さま聖さまと続く。

 最上級生の登場に呑気に椅子に座っていられるわけもなく、席を立ってお辞儀をする。蓉子さまと江利子さまは私を見てにっこりと笑うけれど、聖さまは以前と同様に一瞥しただけで興味があまりないらしい。以前と同じ席に三人とも座り、立ったままの私を見る。

 

 「いらっしゃい、樹さん。どうぞお掛けになって」

 

 「いえ、この前の返事をしようと訪ねただけなので」

 

 「あら、そうだったの。なら、さっそく返事をお伺いしてもよろしいかしら?」

 

 私が訪ねてきた理由なんて分かっているはずなのに、回りくどいことをするものだと思う。けれど、こういう言い回しをしてもらえるのなら答えやすくなるのは事実なので有難い。

 

 「先日は失礼なことを言って申し訳ありませんでした。それと山百合会のお手伝いの件、両親からの許可も下りたので、これからよろしくお願いします」

 

 腰を九十度に曲げて最敬礼をする。これからお世話になるのだし、やり過ぎたということはないだろう。

 

 「良い返事が聞けて安心したわ。――樹さんにこれから予定がないのなら、仕事の説明もあるし座って頂きたいのだけれど構わないかしら?」

 

 「すみません、失礼します」

 

 「そんなに畏まらなくてもいいわ。これから色々と手伝って貰うのだし」

 

 顔の前に手を組んで蓉子さまは私に声を掛ける。どうやら仕事の説明の一切合切は蓉子さまが仕切るらしい。両横の二人は見ているだけだ。

 座っている位置も真ん中だし、蓉子さまが生徒会長的立場なのだろう。お二人は補佐的な立場なのだろうか。令さまと由乃さんも座っているだけだし。ふと仕事は良いのだろうかと浮かぶけれど、私の為に説明してもらっているのだから真面目に聞かなければ。

 

 流れるように語る蓉子さまからの説明は的確でわかりやすいものだった。まあ新参者である意味余所者――山百合会の正式なメンバーじゃない――でしかない私に、重要な仕事なんて任せる訳がないのだし直ぐに説明は終わった。独特の呼称で呼ばれているから、誰が生徒会長、副生徒会長、会計、書記等の役職が与えられているのかよく分からない。その辺りの事も後でそれとなく聞いておかなければと頭の片隅に置いておく。

 

 「せっかく来てもらったのだけれど、今日は仕事はないのよ」

 

 「気になさらないでください。返事を返しに来ただけなので」

 

 まあ当然だろう。志摩子さんも姿を見せる様子はないので、雑用がないのなら邪魔にならないように撤退するのが賢明。あとはさっきの説明の通り、指定された曜日と呼び出された時にだけ顔を出して与えられた仕事をこなせば良いだけだ。

 

 「では今日はこれで」

 

 「ええ。これからよろしくね、樹ちゃん」

 

 急に変わった呼び方に少しだけ驚いて部屋を出る。ああ、そうか。仲間にカウントされたのだ。上級生が仲の良い下級生を呼ぶときに使うそうだから、そういうことなのだろう。自分の鈍さに呆れながら、階段を降りる。さて、これからこの山百合会の人たちとどうなるのやら。クラスメイトのファンの子たちの話を聞くに、素晴らしい方々だと言われているけれど。

 

 これから体育祭や学園祭、期末試験にと忙しくなっていく。二度目の高校生活になるけれど、まったく違うものだから新鮮だ。

 

 ――楽しい二学期になるといい。

 

 一度教室に戻って荷物を纏めて正門を目指す途中、マリア像の前に出た。六限目終了のチャイムから暫く時間が経っていて、通りがかる生徒はまばらだった。何も言わないマリア像を見上げ、これから卒業まで平和に過ごせるようにと信じてもいない神に手を合わせることもなく願い帰路についた。

 




 7121字
 
 語彙力と適切な日本語力と構成力が切に欲しい今日この頃。真面目なシナリオを考えていると、エロい方面に走りたくなったり原作ブレイクしたくなるのは何故でしょうか……orz ヨリミチヨクナイ。ワタシカンケツマデガンバル。


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第七話:仕事始めと使いっ走りと昼休み

 山百合会の手伝いは返事をした翌週から始まり、何度か薔薇の館に出入りしていた。色々と視線が刺さるけれど、いずれ収まるだろうと無視を決め込んでいる。主に紅薔薇さまである蓉子さまから仕事が与えられ、時折江利子さまや聖さまから。稀に令さまや祥子さまからも頼まれるけれど、薔薇さまからの伝言という形だ。

 

 体育祭まであと少し。出し物の関係で各部活動や委員会への連絡役は主に志摩子さんと私が担当している。他の人は別の仕事があるし、役職持ちの人しか出来ない事もあるので、下っ端である私にはこういった雑事がメインだ。机にしがみついて事務作業をするよりも、広い学園内を東奔西走している方が圧倒的に多い。時期的にかもしれないけれど。入学当初やたらと広い学園内の全てを覚えられるか心配していたのだけれど、どうやら杞憂に終わりそうで。まあ机でじっとしているよりも、こうして体を動かしていた方が性に合っているのだから、文句はない。

 

 広い学園内を何度も行き来すれば、体は十分に温まる……どころか暑い。まだ暑さの残る秋、もう少し時間が経たなければ過ごしやすい季節とは言い辛い九月中旬。薔薇の館の軋む階段を上れば、暑さにやられて頭の回転が鈍くなるのを感じながら、汗をかき。広い学園内をあちこちと回るのは良い運動にはなる。ただ熱中症には気を付けないといけないだろう。まだ日射病と呼ばれ、そう騒がれてはいない時代だけれども。

 

 「ただいま戻りました」

 

 扉を開けて部屋に入ると山百合会のメンバーと志摩子さん全員が揃っていた。仕事を始めた時は数名しか居なかったのだけれど。

 

 「おかえりなさい、樹ちゃん。戻って直ぐで申し訳ないのだけれど、次はこれを放送部に届けてもらえる?」

 

 手渡されたのは数枚の紙。さてはて放送部の部室は何処だったか――なんて他所事を考えていたものだから、随分と意識が薄かった。

 

 「リョーカイでーす」

 

 あ、しまったと気付いたときには遅かった。暑さで頭が回っておらず蓉子さまの言葉におざなりに返事をしてしまった。慌てて口を片手で抑えるけれど、もう手遅れだった。蓉子さまは苦笑いをしているし、江利子さまは仕事の手を止めてくつくつ笑ってる。聖さまは一瞬驚いた顔を見せたけれど直ぐに興味は失せ書類に意識を戻した。令さまと由乃さん志摩子さんは驚いた顔をしている。問題は上下関係にめっぽう厳しい祥子さまだった。

 

 「樹さんっ! 前にも言いましたがお姉さま方に取る態度ではなくってよっ!」

 

 テーブルで作業をしていた祥子さまが、椅子を勢いよく後ろに下げ立ち上がる。

 

 「すみません、口が滑りました」

 

 存外、染みついた習慣なんてものは抜けにくいものだ。今生を得て随分と時間が経つけれど、前世で使い慣れていた言葉は不意に出てしまう。なるべく気を付けてはいるものの、こうして偶に口から出てくる。意識をしていなかったから仕方ないとはいえ、祥子さまの言うように先輩に対する言葉遣いではないのだから、素直に謝るしかない。

 

 「以前にも貴女はそう仰ったでしょう……直す気はあるのかしら?」

 

 少しトーンダウンした祥子さまは溜息を吐いて、私にそう諭す。

 実は前にも同じことで、指摘を受けている。その時も私が悪いのだから謝ったのだけれど、こうして出てしまうのは私の学習能力が低い故か。直す気はあるし、直したいと常々思うけれど。言葉使いは丁寧な方が良いだろうし、社会に出ると尚更必要なものだろうし。言い訳は以前にしているから、同じことを述べても説得力は皆無。

 

 「……」

 

 質問されているのだから答えるべきなのだろうが、こうなると取るべき行動が『沈黙』になってしまう。結果、彼女の怒りを更に買ってしまうのは目に見えていた。

 

 「黙っていても仕方がないのではなくってっ!!」

 

 「――祥子、そこまでにしておきなさい」

 

 私たちのやり取りを見かねた蓉子さまが助け舟を出してくれた。

 

 「ですがお姉さまっ」

 

 「私は気にしていないし、樹ちゃんもワザとじゃないのでしょう?」

 

 声に出すのは気が引けて小さく頷くだけに留めた。蓉子さまは苦笑を浮かべ、苦虫をかみつぶしたような顔をしている祥子さまを見る。

 

 「なら、この話はこれでおしまい。樹ちゃん、書類を放送部にお願い」

 

 「はい、行ってきます」

 

 この場から逃げるような形にはなるけれど、蓉子さまは祥子さまがクールダウンするには私は居ない方が良いと判断したのだろう。軋む階段を下りて仕事をこなす為に、放送部の部室を目指す。書類を渡すだけの簡単な仕事だし、直ぐに用は済む。踵を返してもと来た道をまた歩き、薔薇の館へ。

 こうして同じことを何度か繰り返せば、いつの間にか終わりの時間を告げていた。手伝いなので、一番先に帰ってかまわないと言われて、やることが無いのならばと部屋を後にする。少し空いた時間。まだ開いている図書室へ向かい、本を物色しながら時間を潰した。

 

 ――さて、頃合いかな。

 

 腕時計の文字盤を見れば、幾分か時間が過ぎていた。目に付いた本を適当に数冊借り、まだまばらに生徒が残っている図書室を後にする。少し足早に校門への道を歩けば、一目でわかる見知った背中。

 

 「祥子さま」

 

 「あら、樹さん。帰ったのではなくて?」

 

 長く艶やかな黒髪を揺らして、振り返ったその人は先ほど私を叱ってくれた人だ。

 

 「先ほどの事をきちんと謝りたくて、少し時間を潰していたんです」

 

 「もういいわ。私も言い過ぎたところがあるのだし」

 

 「いえ、その。ありがとうございました。いろいろと慣れなくて、同じことを仕出かしてしまうかもしれませんが、その時は懲りずにまたご指導お願いします」

 

 敬礼をして、気持ちを示す。取り合えず言いたいことは言ったのだし、自己満足に近いものだから、あとは祥子さまが判断することだ。

 

 「……変な人ね」

 

 「はは、そうなのかも知れません」

 

 否定が出来ない事に苦笑いをしながら、片手で頭の後ろを掻く。転生なんてものを果たしているのだし、今の時代の人にとって未来を生きていた私は変な人だ。時折、この時代に使われていない言葉を言ってみたり、先の事を口走りそうになったりして誤魔化したりとやらかしているのだから。

 

 「そこで認めなくてもいいじゃないのかしら……」

 

 はあと呆れ顔を見せて笑う人はとても綺麗で。その姿が照れくさくて、私は無意識のうちに一礼をして駆け出していた。

 

 「それじゃあ失礼します」

 

 「あ、お待ちなさい――……まったくもう、慌ただしい子ね」

 

 走り出して距離が開いてしまったその言葉は私の耳には届かず。後日、みっともなく走るのは淑女のすることではないと彼女からお叱りを受けたのは、既定路線だったのかもしれない。

 

 ◇

 

 天気もいいので外でご飯を食べるかと、お弁当の包みを持って教室を出てみた。さてはてこの広い学園内のどこで食べようかと、思案する。ミルクホールは室内であり上級生の利用者が多く、一年坊の身であるが故に入り辛い。中庭のベンチも人気があり早い者勝ちだから、競争率が激しい場所。良いな、と思った場所は往々にして人気なのだ。考えていても仕方がないので、中庭へと足を向ける。山百合会を手伝っている事から、私に向けられる視線が多くあるけれど、随分と慣れてきた。このまま慣れるのはなんだか癪だなあと、一階の玄関口前に差し掛かった時だった。

 

 「すみません、一年藤組の鵜久森樹さんでしょうか?」

 

 「え、あ、はい。そうですが」

 

 前髪を七三分けにしたショートカットの人が私の進路を阻みながら呼び止めた。視線を向けられることには慣れたけれど、呼び止められたのは初めての事で、すわ何事かと少しおっかなびっくり返事をしてしまう。

 

 「新聞部一年の山口真美と申します。お聞きしたいことがいくつかあるのですが、お時間はありますか?」

 

 彼女の両手にはペンと小さなメモ帳が。新聞部なのだからなにかの取材なのだろうけれど、聞かれるようなことがあっただろうか。四月頭の編入生紹介の取材以来だなあと呑気に考えながら、一つ気掛かりが。

 

 「どのくらい時間が掛かりますか?」

 

 時間はあるにはあるけれど、食べ損ねると五限目から私の胃が悲鳴を上げて授業に手がつかなくなる。お弁当の包みを掲げてまだ手を付けていないことをアピールすれば、どうやら察してくれたようで真美さんが一つ頷いてくれた。

 

 「五分もあれば十分かと」

 

 そのくらいであれば十分許容範囲だと判断した私は了承すると、彼女は肩の力を抜いて一つ息を吐く。同じ一年生相手だから、そんなに気を張らなくてもいいのだけれど、何かあるのだろうか。

 

 「少し場所を移動しましょう」

 

 と彼女が言ってその後を大人しくついて行く。その場所は人気のない階段の下で、周囲の視界からは死角になっており、密談するには丁度良い場所だった。こんな所もあったのだなと感心しながら、真美さんと相対する。

 

 「時間もないので単刀直入にお伺いします。山百合会のお手伝いをしているそうですが、白薔薇さまか紅薔薇のつぼみと(スール)になられるのでしょうか?」

 

 「……へ?」

 

 予想もしていなかった質問に気の抜けた声が私の口から漏れた。どこがどうなってそうなってしまうのか、理解が追い付かない。

 

 「待ってください。何故、そうなるのかお聞きしても?」

 

 「薔薇さま方やつぼみが目を付けた下級生を山百合会の手伝いにと誘うのは、恒例となっているんです。ですから樹さんも志摩子さんと同様に、お二方どちらかの妹になるのではと噂があります」

 

 「そんなものがあったんですか……」

 

 そりゃみんなが私に視線を向けるようになるな、と何故だか納得できてしまった。

 しかしよくよく考えてみて欲しい。山百合会のみんなは単純に私をただの手伝いとしか思っていないし、聖さまと祥子さまは私に興味があるわけではない。二人とも気にかけているのは志摩子さんの方で、特段私を気にかけているなんてことはないのだし。あり得ない。

 

 「それで、どうなんですか?」

 

 「ない、かな」

 

 「どうしてそう言い切れるんです?」

 

 「いろいろと、ね?」

 

 可能性ならば志摩子さんの方が断然高い。まだ山百合会の人たちとの付き合いは短いし、すべてを把握しているわけでもないけれど。

 山百合会の中で何かがあるような気がするのだ。特に聖さまと志摩子さんの間には。その間に入れるほど仲は良くないし、その人たちの問題だから土足で入り込むような真似はしない方が良いだろう。私が出来ることは見守るだけ。そして無暗に口外しないこと。

 

 「ごめんなさい、時間だ」

 

 腕時計の文字盤を指で指して、お弁当箱の包みを顔のあたりまで上げて笑いその場を去る。少し早めに切り上げてしまったけれど、質問の本題はさっきの一つだろうし。

 

 「あ、ちょっとっ!」

 

 その声を無視して足早に歩き去って。気付けば中庭の日陰になっているベンチは埋まっており、日が当たる場所でさえも占領されていた。ありゃ残念、と一瞥して足の向きを変えて裏庭の方へ。そちらの方が人気はないのだけれど、さてどうなるのやら。適当にウロウロとしながら目新しい場所に視線をさ迷わせて。桜の木が並ぶとある建物の裏手に見知った人影。

 

 「志摩子さん。こんな所でお弁当食べてたんだ」

 

 「ごきげんよう、樹さん。春と秋の天気が良い日限定だけれど」

 

 私の姿を見た志摩子さんは柔和に笑って、そう答えてくれた。人気のない裏庭で、人知れず静かに食べていた志摩子さんには申し訳ないけれど。

 

 「ごきげんよう、隣良いかな?」

 

 図々しくも食べる場所を確保すべく、そんなことを言い放った私を志摩子さんは快く受け入れてくれた。

 




 4639字。短いですが投げます。某ソシャゲのイベントが始まってしまった。

 2020/08/01追記:話数のナンバリングを変えました。『零話』を入れた所為で作者のポンコツな脳味噌が勘違いを起こしたのでストレートに『一話』からで。

 


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第八話:駄弁りと顔見知り以上友人未満

 裏庭の建物の陰に隠れた人気のないその場所で、志摩子さんの隣で私はお弁当を広げて食べる。建物の陰になったこの場所に通り抜ける風は幾分か冷たく涼しい。

 こんな良い場所があったのだな、とご飯を口に入れながら周囲を見渡す。人の気配はなく、静かな場所だった。緑の葉を蓄えている桜の木は、春になれば薄桃色の鮮やかな色を纏いやがて散りゆくのだろう。入学した時にこんな場所があることを知っていれば、一人花見遊山と洒落込んでいたのだけれど、来年に持ち越し。きっと艶やかな光景を目にすることが出来るはずだ。

 

 志摩子さんはもともと喋る方ではないし、食事中に喋るのもどうかと思うので一言二言会話を交わした後は沈黙が下りていた。気まずい雰囲気など微塵もなく、長閑な午後の心地よい静寂で。まるでこの場所だけが俗世の時間の流れから切り離されたような、そんな錯覚を起こしてしまいそうになる。

 

 「…………」

 

 「どうしたの?」

 

 「へ?」

 

 落ち着いた静かな彼女の声でどこか遠くへ旅立っていた私の意識が一瞬にして戻ったのはいいけれど、間抜けな声が出てしまった。少し照れくささを感じつつも、私を見る志摩子さんの瞳は優しい。

 

 「食べる手が止まっていたもの」

 

 ふふ、と小さく笑って首を傾げて彼女は箸を随分と減った弁当箱の上に置いた。

 

 「ああ、えっと。この場所って人影も声も聞こえないから学園じゃないみたいだなーって。どこか違う場所に来たみたいで……」

 

 先程まで頭の中で思い描いていたことを口にしてみた。改めて、自分の考え方って如何なものだろうか。前世という上澄みがある所為で、年寄り臭いものになってしまうのは。

 

 「そうね。ここは少し……静かすぎるかもしれないわね」

 

 「うん。でも良い場所だ」

 

 「ええ」

 

 そう、本当に。広い学園内とはいえど生徒数も多いので、どこかしら人の気配や視線が存在する。そんな中でこの場所は人の眼から隠れており、密会や密談には絶好の場所である。もちろん他にも同じような場所はあるだろうけれど、私が知りうる中でここが一番の最適な場所だ。

 

 「志摩子さんは、山百合会の仕事を手伝い始めて結構時間が経つんだよね?」

 

 確か四月の終わり頃からと聞いているけれど、人伝で知った情報で本人から聞いた訳じゃない。

 

 「そうね、もう随分と長いこと皆様と一緒に居るかしら」

 

 「そっか。――さっきね、新聞部の人に私が聖さまか祥子さまの妹になるんじゃないかって聞かれたんだけれど」

 

 人気のない静かなこの場所は、少しばかり込み入ったことを話すにはちょうどいい。

 

 「……」

 

 きょとんと瞳を丸めて私が何を言ったのか理解していないそぶりを見せた志摩子さん。

 

 「あり得ないよね。私はただの手伝いだし、志摩子さんがいるんだし」

 

 実際、聖さまと祥子さまとの仲の良さは志摩子さんの方が勝っているのだし。何故、新聞部の子がそんな質問をしてきたのかは謎のままで。

 

 「それ、は……」

 

 「それにね、私が誰かを"お姉さま"だなんて呼んでる姿が想像できないんだ。姉って言われると実の姉の姿しかでてこないんだよね」

 

 何かを迷うように押し黙る志摩子さんに、捲し立てるように誤魔化すように喋って話の筋をすり替える。

 

 「まあ、未来なんてどうなるか分からないから、嘘になるかもしれないけれど」

 

 「ふふ、そうね。樹さんなら素敵なお姉さまが出来るんじゃないかしら」

 

 「買い被り過ぎだよ。私的には志摩子さんに(スール)がまだ居ないことが不思議なんだけれど……」

 

 「どうしてか聞いても?」

 

 「うん、単純な理由だけれど、美人でおしとやかで優しい。それだけでモテる要素は兼ね揃えているから引く手数多でしょ」

 

 にしし、と歯を出して笑う。少し下品な表現となってしまったが、人間とはわかりやすいものでファーストインパクトは大事だ。仏頂面を掲げているよりも、微笑んでいる方が印象は良いのだし、仕草や口調でもまた違う。上級生からたくさん告白――とは違うけれど――をされていそうだけれど。志摩子さんフリーだし。

 私は一度もそういうことに至ったことはない。編入組で部活や委員会に所属していない身だから、上級生と知り合う機会なんてないし、そもそも私を(スール)にしたいという酔狂な人は居ないのだから。志摩子さんの場合は、聖さまと祥子さまという巨大な壁を乗り越えられる猛者が居ないというのが一番の理由だろう。

 

 「外野の私が勝手に言ってるだけだから、気を悪くしたらゴメン」

 

 「そんなことはないと思うのだけれど……その外野の樹さんは姉妹制度についてどう考えているの?」

 

 「んー……。あくまで外から来た人間の意見なんだけれど、何時の時代のどこの世界なのさって思ったかな。今のご時世、上下関係とか大分緩くなってきてるでしょ? それを律義に守ってるし、ちょっと不思議なんだよね」

 

 上下関係が昔よりも緩くなっているとはいえど年下の友人を作るよりも、年上の友人を作る方が難易度は高い。それこそ部活でもしない限り。社交性が高ければ作れるのだろうけれど、そんな人は一握りである。

 かくいう私も人付き合いはあまり得意としていないが、ひょんなことから出来た前世での年上の友人は良い人だった。色々とお世話になったし、自分とは全く違う生き方をしてきたその人の話やアドバイスは役に立った。ある時期を境に疎遠になってしまったけれど、教えてもらったことは今でも心の中に残っている。

 

 「でも、時代の流れ……というかリリアンに即さないなら自然と廃れるだろうし。その気配がないってことは、そういうことなんだろうね。それこそ部外者が口に出すことじゃないし、否定なんて以てのほかじゃないかな」

 

 編入してしばらく経ったクラス内で、嬉しそうに姉妹の絆を交わしたと頬を染めて語る子がいて、周りは早々に絆を結んだことに『羨ましい』と漏らしていたけれど。姉妹の絆を結んだ理由なんて些末な事で、そこから先に広がる人間関係の方が大事になるのだろうし。それを目的にしている節もある気がするのだ。

 

 「だから、姉妹になった当人たちが納得してるならそれでいいと思う。切っ掛けがどんなことであれ外野が口に出すのは無粋だろうし、色んな形がそれぞれにあるだろうから」

 

 「そんな風に考えていたのね」

 

 「実情を理解していないから、無責任な意見かもしれないよ」

 

 半年しかリリアンに在籍していないのだから、全体を知るなんてできていないに等しいだろう。

 

 「そうかしら? よく見ていると思うけれど」

 

 「だといいけれど……よくやらかしてるからね」

 

 「やらかす?」

 

 「ルールに疎いから、ウチの学級委員の子によく窘められてるし、祥子さまにも言われているしね」

 

 こればかりは慣れるしかないだろう。時間はかかるかもしれないけれど。

 

 「祥子さまに物怖じしない人は珍しいわ」

 

 確かにあの迫力は滅多に味わえるものじゃない。奇麗な人がキレると怖いを体現している気がする。そして御している蓉子さまも侮れない人なんだろう。

 

 「んー。けれど山百合会の人たちって平然と受け流してるよね」

 

 何度も叱られるようなことを仕出かす私が悪いのだけれど、怒る祥子さまをみんなは呆れた様子で眺めている。それを宥めるのが蓉子さまや令さまで、面白おかしく茶化すのが江利子さまだった。聖さまは素知らぬ顔で受け流しているし、そういえば由乃さんも志摩子さんも平然としている。なんだか理不尽な気がしてきたけれど、ぐっと堪える。繰り返しになるけれど規律や習慣に馴染めない私が悪いのだ。

 

 「私たちはもう慣れているもの。以前にお手伝いに来た一年生がいるのだけれど、驚いて次から来なくなってしまったから」

 

 「あれま」

 

 「その一言で済ませられる樹さんはリリアンでは珍しいわ」

 

 「やっぱり私は珍獣かあ」

 

 はあと溜息を吐いて、食べ終わったお弁当を仕舞い水筒を手に取る。志摩子さんもすでに食べ終わっており、のんびりとした空気が流れ始めていた。

 

 「そうは言っていないのだけれど」

 

 「時折、江利子さまの視線が刺さる……」

 

 怒った祥子さまをからかうように、ドジを犯した私を見て面白そうに笑い、いつもアンニュイな雰囲気を纏っているというのに、その時ばかりは吹っ飛んでいて。そんな江利子さまを嗜められるのは蓉子さまだけであり、彼女が居なければからかいは加速して誰も止められる人が居ないという不条理にあう。

 

 「……」

 

 「……そこで無言にならないで」

 

 私を見ていた瞳は右に揺れたり、左に揺れたり。穏やかな志摩子さんに突っ込み役を求めるのは場違いかもしれないが、適当に言葉を返して欲しかった。無言という事は肯定と同義なのだし。

 

 「まあ、気にしてたらあそこに居られないんだけれどね」

 

 祥子さまから逃げた手伝いの子のように。どういう理由で来なくなってしまったのかは分からないけれど、上級生からお叱りを受けることに慣れていなかったのだろう。温室育ちの子が多いリリアンだから、そういう機会に合うことが滅多にないだろうし。逆に私が雑草すぎて強いという証左でもあるのだが。気にしたら負けなのだから肩をすくめて笑う。そんな私を見て志摩子さんは小さく首を振って笑い、こう続けた。

 

 「樹さんが手伝いに来てから、少し雰囲気が変わり始めているわ」

 

 「……良い意味で、だといいんだけれどね」

 

 答えを聞くのが怖くて、一人で勝手に結論付ける。私の心情を理解してくれたのか、志摩子さんはそれ以上を口にしない。そうして少し遠い場所で予鈴が静かに重く鳴り、時間を告げた。

 

 「戻りましょうか」

 

 「うん」

 

 人気のない場所から少し歩けば、まばらに生徒の姿が見え始めて。まるで現実に引き戻すように段々と喧騒に私たちを包む。

 

 「樹さん、新聞部には気を付けて」

 

 別れ際、志摩子さんの口からそんな台詞が飛び出した。――どうしてと問おうと立ち止まれば、ごきげんようと聴き慣れた言葉を紡いで呼び止める間もなく、志摩子さんの背中を見送る羽目になった。仕方ない諦めるかと、私も歩き出して教室へと戻れば眠気との闘いを果たすべく、教科書をそっと机の上に並べる私だった。

 

 ◇

 

 ――数日後。

 

 弘法も筆の誤り、猿も木から落ちる、河童の川流れ。いくら気を付けていても、やらかす時はやらかしてしまうのである。

 

 「あ」

 

 小さく声に漏れた時はすでに遅く。またリリアン生ぽくないことをやらかしてしまったと、反省をするが後悔がまるでないのは如何なものか。置き勉が出来れば楽だけれど、生憎と真面目な生徒が多いこの学園でそんなことをやると悪目立ちするから、仕方なく放課後の私の机の中は空になるように努力している。

 とはいえ反省や後悔よりも先にやらねばならないことがある。やらかしたことのツケをどう払うかだ。

 

 「どうなされたの、樹さん」

 

 「え、ああ。教科書わすれちゃった」

 

 小さく漏れた私の声はどうやら隣の席の子に聞こえていたらしい。心配してくれたその子は気を使い、もしよければ一緒に見ましょうと誘ってくれたものの、流石に机を引っ付けなければならないし教諭の判断も仰がなければならないだろう。それは最終手段で、取り合えずは同じ一年生の誰かに借りるべきである。授業の合間にある休み時間は短い。それならば急いだほうが良い。

 

 「ちょっと他のクラスの子に借りられるか聞いてくるよ」

 

 ぽりぽりと後ろ手で頭を掻きながら、もし見つからなければ一緒に見せて欲しいと言い残して教室を出る。さて、取り合えず桃組の志摩子さんを頼るかと足を向けて教室を覗けば、真ん中あたりの席にぽつんと志摩子さんは一人座っていた。

 本来なら近くを通る桃組の子を呼び止めて志摩子さんを呼んでもらうのがリリアンでの定石なのだけれど、生憎と誰が桃組の人なのか見分けがつかない私は開いた窓から迷惑にならない程度の音量で志摩子さんを呼ぶ。桃組の教室内が一瞬ざわりとしたけれど、志摩子さんは気にした様子もなくこちらに顔を向けて、微笑んで廊下の窓側へと来てくれた志摩子さんに申し訳ないと思いつつ、桃組まで訪ねた理由を明かす。

 

 「ごめんなさい、今日の授業にその教科はなくて」

 

 「気にしないで、忘れた私が悪いだけだから。ちょっと時間がないからこれで」

 

 片手を軽く上げて廊下を進む。さて志摩子さんが駄目ならばクラスメイト以外の知り合いなんて、一人に限られてしまう。

 交友関係をもう少し広く持っておけば良かったかと思うけれど、今更嘆いても遅いし、多分無理だろう。桃組から少し離れた松組へと足を向け目当ての人物を探せばすぐに見つかった。桃組と同様、松組の人が誰なのか分からないので校庭側の窓際に座って本を読んでいる由乃さんを目指して、遠慮なく教室へと入る。これまたぎょっとした視線を向けられるけれど、急いでいるので仕方ないと諦める。

 

 「由乃さん、ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう、樹さん。珍しい、どうなされたの?」

 

 静かに首を傾げ、私が訪ねてきた理由を求めた由乃さんは笑ってた。松組に訪れるのは初めてだから確かに珍しいし、訪ねた理由は情けないものだから私は苦笑いするしかない。

 

 「いや、次の授業の教科書忘れちゃって。借りられないかなーって思って訪ねてみたんだけれど、持ってないかな?」

 

 ここに来た理由を説明すれば、納得した顔で机の中へと手を入れて由乃さんは小さく頷いた。

 

 「――それなら、はいどうぞ」

 

 由乃さんは座ったままなので、立ちっぱなしで教科書を受け取ることに気が引けて、膝をつく。

 

 「ありがとう。神さま、仏さま、島津さまっ!」

 

 膝をついたまま教科書を右手で受け取り、凡ミスを犯した恥ずかしさに耐えきれず冗談吹いて、托鉢を行う修行僧のごとく片手で念仏を唱えるように謝意を示す。

 

 「終わったらすぐ返すよ」

 

 「私たちのクラスはもうその授業は終えたから、急がなくても平気よ」

 

 了解と感謝の気持ちを伝えて松組の教室を去る。どうにか借りられて良かった安堵と、何かお礼をしなければならないなと考えながら自分の教室へ戻って。隣の席の子に無事教科書を借りられたことを伝えて、告げるチャイムの音が鳴りその教科は何事もなく終え、再度松組の教室へと向かう。また遠慮もなく由乃さんの下へと向かえば、呆れられたのか視線は先程よりも幾分か和らいでいた。

 

 「由乃さん、ありがとう」

 

 「どういたしまして。先生に怒られなかった?」

 

 「うん、どうにか乗り越えられたよ。由乃さんのお陰だ」

 

 「樹さん、忘れ物なんてするのね」

 

 「そりゃ人間だもの。一つや二つ、どころか私の場合沢山やらかしてるからねえ」

 

 まだ時間に余裕があるので、他愛のない会話を交わす。机に座ったままの由乃さんの隣で、窓側の壁にもたれて私は愚痴を零す。由乃さんも志摩子さんのように喋らない方かと思えば、言葉を交わすとどんどん返事が返ってくるし、会話を振ってくれる人というのが最近の発見だ。

 

 「置き勉が出来れば楽で良いんだけれど」

 

 「オキベン?」

 

 「勉強道具、机の中に置きっぱなしにして帰るんだよ」

 

 言葉が通じず驚くけれど、少なくともクラスメイトはみんなやっていないのだから由乃さんが知らなくてもしょうがないのだろう。むしろ悪いことを教えてしまったような罪悪感が湧くけれど、話のタネに使わせてもらおう。

 

 「その日に出た宿題や予習とかはどうするの?」

 

 「翌日の朝に必死になって終わらせるか、楽するなら誰かのを借りて丸写しかなあ」

 

 「本当?」

 

 目を丸くして首を傾げる仕草は、可愛いと思う。外の話に興味があるのか、この手の話題だと話は尽きない。

 

 「うん。でもまあ緊急手段だったかなあ。一部の猛者はよくやってたけれどね」

 

 半年と少し前のことだというのに妙に懐かしい。今頃、別の高校へと通っている友人たちは何をやっているやら。夏休みに随分と垢抜けた彼女らと遊んだけれど、新学期が始まればやはり勉学の方に重きを置かなければならないから、疎遠になってしまう。

 

 「そうなのね」

 

 「リリアンだとやってる人見たことないから。みんな真面目だよね」

 

 「硬すぎるのもどうかと思うわ。だから樹さんを見てると楽しいもの」

 

 「うーん。反面教師にしか使えないと思う」

 

 腕を組んで悩むしぐさを見せれば、由乃さんは更に笑みを深めて。

 

 「ふふ、そんなことないわよ」

 

 教室の前にある掛け時計を見れば、そろそろ次のチャイムがなる時間に近づいていた。次の授業の準備もあるし、由乃さんも同じだろう。

 

 「あ、そろそろ行くよ。教科書ありがとう。あと、邪魔してごめん。それじゃあ」

 

 「気にしないで。ごきげんよう」

 

 片手をあげて教室を出る。

 

 「――面白い人ね」

 

 小さく呟いた由乃さんの声は私の耳に届くはずはなく。山百合会の仕事がなかったこの日は、のんびりと帰路につくのだった。

 




 6676字

 誰か私の代わりにマリみて二次創作SS書いてくだしあ。人が書いたものを読みたいでござるorz どこまで踏み込んだら影響をもたらすかとかいろいろ考えていると話が進まねぇ(`ェ´)ピャー ぶっちゃけ面倒くさいし話が詰まるし、理屈臭くなるからどうしたものか。いっそ地の文とかスッカスカにしようかと思うけれど、あまり好きじゃないしなあ。書きたいシーンは一杯思いつくんだけれど。

 前話の後書きにも追加していたのですが一応:話数のナンバリングを修正しました。『零話』を入れた所為で作者のポンコツな脳味噌が勘違いを起こしたのでストレートに『一話』からで。


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第九話:お願いと休日出勤

 体育祭の準備も大方進み、残すところは前日作業となる設営を残すのみとなっているそうだ。山百合会の仕事も慣れて、飛脚もどきから事務作業員へとジョブチェンジされたので、学園内を駆け回る仕事は随分と減り、薔薇の館へ赴く回数が減った気がする。今日は私の仕事はないので本を借りようかと放課後は教室をいそいそと抜け出し、図書室を目指していた。

 

 「樹さん、ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう」

 

 呼び止められて振り返るとそこには手にクリップで止めた紙束を持った放送部部長が立っていた。少し困ったような顔をして、私に歩み寄る。山百合会でのお使いで何度か彼女の下を訪ね既知であるから、声を掛けられることには違和感はない。

 

 「貴女が通りかかってくれて助かったわ。申し訳ないのだけれどこれを薔薇さまへ渡していただけないかしら?」

 

 「構いませんよ。お預かりします」

 

 暇なのだから断る理由もないかと快諾する。紙束を受け取ると、放送部部長はそそくさと部室へと戻っていった。おそらく体育祭のリハーサルで忙しいのだろう。来場者が居る以上、進行に不備があるのは不味いだろうし。部員への指導もあるだろうから、暇な私を見つけてこれ幸いと声を掛けたようだ。

 なるほど大変そうだと他人事のように考えながら、図書室へと向けていた足を薔薇の館へと変える。さほど遠くはないから、書類を届けるならすぐに終わるだろう。人気の少なくなった中庭を通りたどり着いた薔薇の館はもう勝手知ったるなんとやらで。施錠はされていなかったので誰かはいるだろうと、軋みの酷い部分を避けながら階段を上り、会議室の扉の前に差し掛かった時だった。

 

 「っ!」

 

 「うわ」

 

 勢いよく開いた扉から、勢いよく飛び出てきた誰かと肩がおもいっきりぶつかり、持っていた書類がはらはらと床に散らばり。あちゃーという気持ちとぶつかった相手は大丈夫だろうかと気持ちがせめぎあい、相手の無事を確認する方が先だろうと視線を上げた。

 ぶつかったことに驚いた顔をした聖さまは、私の顔をまじまじと見たあとに目を細めて口を真一文字に結び、短い廊下を凄い速さで去り階段を下りて行った。余裕のなさそうな雰囲気が気にはなるけれど彼女を追いかける理由も見つからない。取り合えず預かった書類を渡さなければと、床へとしゃがみ込んで盛大に散らばった紙を拾う。順番に並べていただろう書類はバラバラになっていて、元に戻すのに少し手間取りそう。

 

 「ごめんなさいね、樹ちゃん。聖ったらそのまま行っちゃったでしょう?」

 

 「いえ、気にしていませんから」

 

 開いたままの会議室の扉から出てきたのは蓉子さまだった。聖さまとは打って変わり慌てる様子もなく落ち着き払って、床に散らばる書類を拾い始めた。

 あの様子から何かがあったのだろうと予測はできるけれど、何が原因で聖さまが走り去っていったのかまでは分からない。会議室にはどうやら蓉子さまと聖さましか居なかったようなので、大方ケンカでもしたのだろう。若いな、と他人事で済ませて全ての書類を拾い上げれば蓉子さまは困ったような顔をして笑っている。

 

 「並べなおすの、大変ね。これ」

 

 「やるしかないですねえ」

 

 放送部部長から預かった書類は割と面倒なものだった。枚数は多いし、並びも決まっていたものだったし。お互いに苦笑しあいながら会議室へと入って、ちまちまと書類をもう一度広げ元に直していく。

 

 「ところで今日は仕事はないって伝えておいたはずだけれど、どうしたの?」

 

 「図書室で暇をつぶそうと歩いていたら放送部の部長さんに頼まれたんですよ。コレを薔薇さまに渡してくださいって」

 

 「そうだったの、ありがとう。でも災難だったわね。聖とぶつかるだなんて」

 

 聖さまのファンの子ならぶつかって喜ぶかもしれないけれど、生憎と私はファンでも何でもないので手間が増えてしまった程度の認識。被害事故だったけれど文句を言うべき張本人はこの場には居ないのだから、嘆いても仕方あるまい。愚痴を言うよりも諦めて手を動かした方が早く終わる。

 

 「時間はあるので平気です」

 

 蓉子さまとこうして喋っていれば書類はどうにか元通りになった。さて図書室へ本を借りに行くかと、蓉子さまに退室を告げようとしたその時だった。

 

 「ごきげんよう。――あら、どうして樹ちゃんがいるのかしら?」

 

 きいと蝶番の音が来訪者を告げ、視線を扉へと向ける。

 

 「ごきげんよう。頼まれた書類を届けてくれたのよ、江利子」

 

 いつも通りのアンニュイそうな気だるげな表情で江利子さまが会議室へと入ってきた。

 

 「お邪魔してます、江利子さま」

 

 「そうだったのね、お疲れ様」

 

 そういいながら何か考えるように江利子さまは指定席へ着く。

 

 「――それじゃあ、用も終わっ」

 

 「――ああ、紅薔薇さま」

 

 「黄薔薇さま、なにかしら」

 

 私の言葉は江利子さまにより遮られ、また退室のタイミングを逃してしまった。二人のこのやり取りになんでだか不安がよぎるけれど、一年坊に過ぎない私は勝手に部屋を出るわけにもいかず、その場に止まるしかない。

 

 「由乃ちゃんが体調不良で帰っちゃったのよ。令も付き添いで一緒に戻るから今日は無理だって」

 

 「大丈夫なの?」

 

 「ええ、安静にしていれば問題ないそうよ」

 

 「そう」

 

 「――という訳で樹ちゃん。申し訳ないのだけれど、仕事……手伝って貰えるかしら?」

 

 何がどういう訳でそうなるのか。蓉子さまに『時間はある』と告げている手前、江利子さまのお願いを断り辛い。何故だかにこりと楽しそうに微笑んでいる江利子さまなんだけれど、孫である由乃さんの心配は良いのだろうか。由乃さんは体が弱いと聞いてはいるけれど、私はどの程度のものか知らないので目の前の二人の様子から察するしかないのだが。言葉通りだと大丈夫な感じだけれど。

 

 「そうね、黄薔薇さま。聖も出ていったし、志摩子も委員会で今日は来られない。祥子も家の用事があるって帰っちゃったのよ。――樹ちゃん、お願いできないかしら?」

 

 「…………お二人で頑張ってください」

 

 私が出来る抵抗はこのくらいだ。私の言葉に二人は目線を合わせて数瞬のちに私を見る。これで逃げられればいいのだけれど、人手が圧倒的に足りない状況で、この二人が私を見逃してくれるのかと問われれば、否と答えるだろう。誰だって。

 

 「あら、困っている上級生を見捨てるのね。樹ちゃんは」

 

 「悲しいわ。私たち、信頼されていないのかしら。薔薇さまとしてこんなにも努力しているのに」

 

 言葉とは裏腹にまったく困っている様子のない二人は、何が楽しいのか私を弄んでいる。ああもう逃げ道がないなと、諦め半分。了承の意を伝えるかと口を開く前に、いつの間にか席を立っていた江利子さまが私の後ろに回り込み両肩を掴んで、席へと導かれた。なんだか既視感があるなあと記憶を遡れば、山百合会を手伝う旨の返事をする為に此処に訪れた際、令さまにも同じことをされたのだった。

 

 「まあいいじゃない。お茶くらい出すわ」

 

 「お茶と仕事じゃあ、割に合わない気がするんですが……」

 

 「私が淹れるんだもの。価値は十分にあるのではなくて?」

 

 「そりゃ確かにレアですけど……江利子さまのファンの人なら喜ぶでしょうね」

 

 三年生がお茶を淹れるのは珍しい。部屋に真っ先に訪れて飲みたくなったら自分で淹れるくらいだろうか。誰かが居ればその人が率先して淹れるし、やらせないとでも言えばいいのか。みんな揃っていれば一年生である由乃さんか志摩子さんか私が淹れてるし、二年生である祥子さまと令さまは時折だ。誰かが居る場で三年生が淹れる姿は、見たことがないかもしれない。

 

 「じゃあ樹ちゃんは私の事をどう思っているのかしら、とても気になるわ」

 

 「三年の先輩、ですかね」

 

 冗談めかして江利子さまはいうけれど、面白い回答なんて私の口から出るはずもなく。当たり障りのない当たり前の答えに、きょとんとした顔で突っ立てのちくつくつと笑い始めた。何がそんなに面白いのか私は理解できないまま、まあいいかと諦めて机に向かう。目の前に座る蓉子さまが、苦笑いを浮かべながら私たちのやり取りを見ていた。

 

 「江利子、私の分もお願い」

 

 「嫌よ。蓉子は自分で淹れなさいな」

 

 流し台へと向かう江利子さまを見てこれは本気で淹れる気はないと悟ったのか、蓉子さまは仕方ないといった感じで立ち上がり二人が流し台へ並ぶ。手伝い始めて二週間ばかりになるけれどなかなかに見慣れない光景に、他の人が見れば腰を抜かしそうだなと考えながら、今日の仕事は一体どれほどのものなのか。

 

 「――ところで聖は戻ってくるのかしら?」

 

 「ごめんなさい、江利子。ちょっと突っついちゃった」

 

 「懲りないわね、貴女も聖も」

 

 「仕方ないじゃない……気になるんだもの」

 

 「蓉子らしいわ」

 

 ぼーと座って二人の声をBGMに窓の外を眺める。ケンカをした割りには軽い感じだし、何度もケンカをしたことがあるのだろう。最低でも高校三年間は一緒に時間を過ごしてきただろうから、お互いに気の知れた仲なのだろう。真面目な蓉子さまは二人の手綱を握っていなきゃならないのだから大変そうだけれど。

 

 「どうぞ、樹ちゃん」

 

 「ありがとうございます、頂きます」

 

 「さ、時間も押してるし始めましょうか」

 

 そういって仕事を割り振る蓉子さま。取り合えず私は簡単な仕事を貰って裁いていくのだけれど、どんどんと内容が難しくなっているのは気の所為だろうか。出来るからいいかと、私に充てられた分の紙の山からまた一枚取って目を通す。関係各所から届いた書類の間違いや不備を直して、書き直しが必要なものはひとっ走り必要だなと別に分けてる。訂正印が必要なのに押されていなかったりするが、学生にこういう事を求めてもまだ早いかと諦める。ある程度の訂正の書類が溜まった所で顔を上げて。

 

 「すみません、直しが必要な申請書があるので部室棟まで走るんですが、ついでに他の用もあれば行ってきますが……」

 

 書類に目を向けていた蓉子さまが私の声に顔を上げる。

 

 「あ、ええ。これもお願いできるかしら」

 

 蓉子さまから受け取った書類に目を通しざっと内容を確認。何度か見たことのあるもので、よくお使いに出されていたものだから覚えていた。

 

 「こっちは職員室ですね」

 

 「ええ、そう」

 

 「了解です。それじゃあ直ぐに戻りますので」

 

 そんなに手間のかかるものではないし、直して再提出してもらえばいいだけだ。椅子を引いて席を立ち、薔薇の館を出て先に職員室を目指す。私が山百合会の仕事を手伝っていることは、教職員の間でも広がっており特段注目などされず目当ての教師を見つけて声を掛ければお礼を言われ。

 その後、部室棟を訪れていくつかの部屋を訪ねては、修正部分を伝えてその場で直してもらった。まだ少し暑さの残る秋。真夏よりはましとはいえ、日差しはキツめで。ふうと息を吐いて、戻ろうと気合を入れる。

 

 「戻りました」

 

 「おかえりなさい、ご苦労さま」

 

 そう迎え入れられ、また書類と格闘を始めてしばらく。

 

 「樹ちゃん、これ出来るかしら?」

 

 唐突に江利子さまに声を掛けられて、手渡された書類を見る。今までこなしていたものとは違い応用が必要だし少し専門的なことも書いてある。前世で事務職に就いていたこともあるのである程度はこなせたけれど、無理だと判断。

 

 「……流石にこれは、私には出来ませんね」

 

 「教えるから、やってみて」

 

 「はあ。間違えても知りませんよ」

 

 「いいから、いいから」

 

 江利子さまに言われるまま、書類に向かう。何故か正面に座っている蓉子さまが苦い顔をしているけれど、江利子さまはどこ吹く風で。私に要点と気を付けるべきことと、必要な計算式の説明をさっくり終えて自分の仕事に戻ってしまった。

 いや、せめて横で見ててくださいよと心の中で愚痴りながら用紙に向かう。少しペースは落ちるものの、裁けなくはない。人手も少ないから踏ん張るしかないし、与えられた分の仕事は済ませなければ帰れない。そもそもこうなってしまった以上、二人を置いて帰るのも気が引けるし仕方ない。

 

 「……疲れた。もう脳味噌が限界です」

 

 悲鳴を上げ机に突っ伏した頃には仕事はひと段落がついていた。

 

 「お疲れ様。ごめんなさいね、私たちに付き合わせて」

 

 「でも助かったわ。二人しか居ないから、もっと時間が掛かるはずだったもの」

 

 くすくすと二人は疲れ切った私を見て笑い。窓の外は茜空で、随分と時間が経っていた。凝り固まった首を回せば骨が悲鳴を上げ、さらに手を組んで背伸びをすれば随分とすっきりした。二人は私よりも多く仕事を裁いていたのに、苦にした様子は見せていない。内心はどうなのかわからないけれど、その辺り品が良いと思う。私は疲れれば疲れたと直ぐに口に出てしまうし、隠すつもりもない。

 

 「あ、明日の仕事はどうなるんです?」

 

 「実は今日が山場だったの。これで体育祭関連は大方終わり」

 

 「本当、助かったわ」

 

 「江利子。樹ちゃんに貴女のノルマの分を渡していたでしょう。しかも難しいものを」

 

 ジト目で蓉子さまは江利子さまを見る。知っていたらその無茶振りを止めて欲しかったです、蓉子さま。

 

 「いいじゃない。樹ちゃん、苦もなく捌いていくんだもの。まさか一度の説明でこなせたのは予想外だったけれど」

 

 嗚呼、やっぱり中々減らない書類は江利子さまの所為だったか。前世で仕事としてお金を貰っていたから出来たんです、とは告げられず苦笑いしながら二人を見守るしかない。

 

 「全く。――だから明日は簡単な仕事だけね」

 

 とはいえ江利子さまにやられっぱなしというのは癪だ。

 

 「なら明日にすべき私の仕事を江利子さまに譲渡するのは可能ですか?」

 

 「なるほど。ええ、そうね。樹ちゃんの分を江利子にお願いしましょうか」

 

 「え、ちょっと、蓉子?」

 

 「江利子。それでも足りないくらいでしょう、我慢なさい」

 

 蓉子さまがそう言ったのなら履行されるだろう。書類仕事と雑用では割りが合わないような気もするけれど。意趣返しは出来たのだし、満足だ。そうして仕事も終わり、戸締りはしておくから先に帰って良いと言われ、遠慮なく会議室を後にして帰路へとつく。

 

 ――翌日。

 

 書類を持って学園内のそこかしこを闊歩する黄薔薇さまの珍しい姿が見られたとか見られなかったとか。

 

 




 5705字。

 聖さまは志摩子さんと姉妹の絆を結ぶまでは親父化はしてないくて、まだ感情を持て余してそうというのが私の意見(異論は認める)。原作だとどうなんでしょうね。アニメしか見てないから情報不足です。


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第十話:謝罪と体育祭開始

 山百合会で急遽の仕事を終えた翌日。体育祭まであと数日となった学園内はにわかに浮足立っており、放課後では団体競技の練習に励んでいる子たちや、個人競技に力を入れる子と様々だ。まだ一年生に過ぎない身のため目立つ競技は少なく、点数もそんなに稼げないので気楽なもの。とはいえ、クラス内での足の速さでほぼ強制的に選ばれた学年別クラス対抗リレーの一員となってしまったので、ここ最近での体育の授業中はバトンパスの練習に追われていたのだけれども。

 その為なのかどうかはわからないけれど、お昼ご飯を済ませた後に眠気がよく襲来する。暇つぶしにとお弁当と一緒に文庫本を持って中庭の日陰になっているベンチで昼食を済ませた私は、その戦いを余儀なくされ、ひょっこりと林の中から現れた野良猫は物珍しそうに遠くからじっとこちらを見ていた。

 

 眠気を耐えながら野良猫と見つめ合うこと暫く。野良猫は早々に飽きてしまったのか、呑気に毛づくろいを始めていた。あまり野性味のない行動は、学園に住み着き生徒からおこぼれを貰っているのだろうと安易に想像できる。自前で調達するよりも人間に媚を売った方が遥に楽だし、野良猫故の知恵なのだろう。頭を空っぽにして、ただただ気ままな野良猫を見つめながらゆっくりとした時間が流れ、さらに眠気が加速する。

 

 「ふあ」

 

 野良猫がくわっと大あくびをするのと同時、猫のものが移ったのか私も少しだけ遅れて野良猫のように大あくびが出てしまう。口を塞ごうかとも思ったけれど、どうせ誰も見ていないと油断していたのが不味かった。

 

 「でかいあくびだこと」

 

 小さく笑い呆れた顔で私を見下ろしていたのは聖さまだった。慌てて右手で口元を隠すけれど、もう手遅れで。

 

 「悪い、ばっちり見たから」

 

 やっぱりか、と納得して塞いでいた右手を外して。突然現れた人に驚いて、抱えていた眠気はどこかへ吹っ飛んだ。

 

 「すみません、見苦しい所を」

 

 「いや、いいよ」

 

 はあと深いため息を吐いて項垂れる。まさか聖さまに見られるとは。山百合会で知り合い程度ではあるけれど、仕事のやり取りをしたくらいで個人的に話すのはこれが初めてのハズ。

 だというのに、間抜け顔を晒しながら大あくびというリリアンの生徒にあるまじき行為にさぞ驚いていることだろう。またやってしまったなあと反省しつつ、彼女が私の目の前で立ち止まる理由が分からない。下級生に絶大な人気を誇る彼女は、よく囲まれている所を遠目に見ることがあった。昼休みはまさに絶好の時間で、しばしば目撃していたのだけれど、今日は良いのだろうか。

 

 「構わない?」

 

 聖さまが指をさしたのは私が座るベンチの横。何故ここを選んだかは謎だけれど、ベンチはそもそも私の物ではないのだし断る理由はなかった。

 

 「ええ、大丈夫ですよ、少し狭いですがどうぞ」

 

 二人掛けのベンチではあるけれど、スペースに余裕はない。ゆっくりとくつろぐことよりも、小休止を目的にしたものだから諦めるしかない。横に置いていたお弁当箱と文庫本を膝の上に避難させれば、聖さまはベンチにどっかりと座る。だというのにいちいち様になっているのは、何故だろう。身長差があるので仕方ないけれど視界に映る足の長さとか全然違うし、線が細いのにバランスが崩れているという訳でもない。

 羨ましいと、思った瞬間に別の思考が割り込んでくる。リリアンだと大変だろうな、と。薔薇さま故もあるのだろうけれど、容姿が良くて頭も良く運動神経まで兼ね揃えていると注目の的にされるのだから。目立ちたい人なら別だろうけれど、普通に学園生活を送りたいのならば少々雑音となる。私の横に座る聖さまは普段の様子をうかがうに下級生に囲まれてはいるけれど一定の距離は保っていて、近づけばするりと交わしてしまうタイプのように思う。だからこそ何故横に座っているのかが疑問に残るのだけれども。体育祭まで数日となった今は仕事も山場は過ぎたと昨日蓉子さまが言っていたから、仕事の事で訪れたとは考えづらいが、可能性としては一番高い。下っ端だから急に仕事がはいったのかもしれないし、それならば聞いてみた方が早いかと口を開いたのだった。

 

 「なにか急な仕事でも入ったんですか?」

 

 「私が山百合会の仕事以外の用事で君の下を訪れちゃいけないの?」

 

 ニヒルな笑いを浮かべながら質問を質問で返されてしまったが、答えは一応返って来た。要するに仕事の用事ではなく、何か個人的なことで用があったらしい。はて、なにかあったかと記憶を掘り返してみるけれど、思い当たることは皆無で。

 

 「ん」

 

 短く一言零した聖さまが差し出したのは缶コーヒーだった。

 

 「うん?」

 

 何故私の目の前に缶コーヒーが差し出されたのか理解できず首を傾げれば、聖さまは大仰に溜息を零した。鈍くて済みませんと心の中で謝罪をするけれど、思い当たる節が全くないのだから仕方ない。

 

 「……受け取る理由が見つからないんですが、なにかありましたっけか」

 

 「昨日の放課後、薔薇の館でぶつかった……」

 

 嗚呼、と思い出してぽんと手を打つ。何故か聖さまは私から顔を反らして逆方向を見て、コーヒーを持っている逆の手で顔を覆っていた。

 

 「そういえばそんなことがありましたね。すっかり忘れてました」

 

 取り合えず空に浮かんだままの缶コーヒーを受け取り頭が回ってなくて済みませんと小さく謝罪すれば、また呆れた顔を浮かべてこちらを見る。

 

 「昨日は江利子さまが仕事を大量に押し付けてくれたので、そっちの方にインパクトがいってたんです」

 

 「は、なんでそうなるの。昨日、君の仕事はなかったはずでしょ」

 

 聖さまの疑問に答えれば、謎が氷解した聖さまは微妙な顔をしてこう言った。

 

 「江利子に捕まったのか。――ご愁傷様」

 

 「え……?」

 

 ご愁傷様と言い放った割には私を気遣う様子は全くなく、もう一つ手に持っていたプルタブ式の缶コーヒーの蓋を開け一呼吸で半分程度飲み干していた。

 せっかく頂いたものだし、冷えているものがぬるくなるのも勿体ないかと、聖さまを倣って私もプルタブの蓋を開ければ、小気味よい音が鳴る。大きく一口二口と飲んでいけば、口の中には独特の匂いとほろ苦さが広がり次いで喉へ伝わり、さらに遅れて胃に冷たさを感じて。この苦さに慣れる日は来るのだろうか。コーヒーよりも炭酸飲料を好んで飲む私には、まさしく大人の味。そして私のお腹との相性はあまり良くはない。五分五分の確率で調子が悪くなるのだけれど、今回はどうなるやら。

 

 「あとごめん、昨日の事は私にも責任がある。関係ないはずだった君を仕事に巻き込んだ」

 

 「気にしなくていいですよ。偶々でしょうし、賄賂は受け取りましたから」

 

 ほぼ空になっていた缶の先を持って、左右に揺らして私は笑う。わざわざ謝りに来てくれたのだから根に持つのも筋違いだろうし、友人とケンカをして戻り辛いのは理解できる。

 

 「――、そっか」

 

 そう言い残してコーヒーを飲み切った聖さまは近くにあった鉄網製のゴミ箱に缶コーヒーを投げ、奇麗な放物線を描いて空のゴミ箱へ良い音を鳴らしながら吸い込まれていった。私も残っていた中身を飲み干して立ち上がり聖さまの真似をする。奇麗な放物線など描けず、ゴミ箱の淵に当たり跳ね返った缶コーヒーは嫌味のように私の足元へとやってきた。

 

 「ぶ」

 

 「ぬぅ」

 

 私のノーコン振りを見て口を押えて笑いを堪えている聖さまに、いたたまれないものを感じて缶を拾い上げ大人しくゴミ箱へと向かい、次は絶対に真似しないと心に誓った。

 

 「戻ろうか」

 

 私を見て小さく笑う聖さまは、今まで見たことのない穏やかな顔をして。こんな顔を見せることもあるのだなと、さっきの照れくささを隠すために手を組んで背伸びをして。

 

 「はい、行きましょう」

 

 中庭で二人並び昇降口まで歩き、また放課後と言い残して歩いて去っていく聖さま。ただ歩いているだけなのに『ごきげんよう、白薔薇さま』と声を掛けられ、律義に返しているのも大変だと苦笑いを浮かべて教室へ戻って五限目の準備をして。授業の途中、段々と雲行きの怪しくなってきた自分の腹の弱さに呪詛を吐きながら、五限目終了のチャイムが鳴ると同時にトイレへと駆け込んだのは、果たして笑い話とするべきことなのだろうか。

 

 ◇

 

 体育祭の設営作業も滞りなく終わり、今日は遂に本番である。簡単な予行演習は昨日済ませており、あとは開始の号砲を待つばかり。一年藤組ように用意されたテントの下には、教室から持ってきた椅子が所狭しと並び、思い思いにクラスメイトが過ごしていた。

 

 「樹さん」

 

 「ああ、いいんちょ。どうしたの?」

 

 ほけーと開始時間を待つために自分の椅子に座っていた私を学級委員が呼んだ。入学当初から世話になり眼鏡を掛けて真面目の塊の彼女には『いいんちょ』と敬意を込めて呼んでいるのだけれど、彼女には不評のようで一学期から数度訂正を求められている。

 

 「それ、開始時間までには元に戻しておいて下さいね。あとその呼び方をいい加減に直してください」

 

 苦言を呈しながら私の胸元を指差したのは、頭に巻くはずのハチマキを首にネクタイ風に巻き付けているからだった。中学校の運動会だと競技時間以外はダサいからと言って、大方の女子はこうして巻いていたのだけれども。みんな真面目なリリアンでは奇異に映るらしい。周りを見渡すと確かにみんな手に持っているか、頭にきちんとハチマキを締めている。真面目な彼女らしいと苦笑い。

 

 「了解、入場行進前には直すよ。呼び方は……まあ、うん、善処します」

 

 「そうしてください。私の呼び方もお願いします」

 

 学級委員として仕切らなければならない為に、呆れた顔で伝えたい事だけ言ってぷりぷりとした様子で私の下去っていく少女。以前にあだ名から彼女の名前をさん付けできちんと呼んでみたら、怪訝な顔をしていたことを果たして彼女は覚えているのだろうか。とはいえ人様をからかうのは良くないかと、思い直す。口癖みたいなものになっているから、直るかどうかは謎だけれども。

 

 ――生徒入場。

 

 広いグラウンドにマイクアナウンスが響き、行進曲が鳴る。入場門から少し行進すれば保護者用のテントが直ぐにあり、カメラやビデオカメラを携え、ここぞとばかりにシャッターを切る人にカメラを廻す人。愛しい我が子の姿を残すためにわざわざ出張っている大人たちも暑いのに大変だなあと、横目に見るとウチの両親の姿があった。父はビデオカメラを必死で回しているし、母は横で柔和な笑みを浮かべている。今日、家に戻れば仕事で来られなかった兄と姉の為にビデオ鑑賞会と銘打って、嬉しそうにお酒を嗜むのだろう。正直恥ずかしいのだけれど、小さい頃から父はそうしてきていたし兄と姉が学生時代の時も同じだったのだから。

 

 一周回り全校生徒が並んだグラウンドには所々に配置された教職員に、テントの下には暑そうな格好をしているシスターたちの姿が。その光景にすごく違和感を感じつつも、周囲の人たちには当たり前の光景なのだと言い聞かせて。

 救護テントの下には、幾人かの体育祭に参加できない生徒の姿もあり、その中には由乃さんの姿もあった。体が弱いと聞いていたけれど体育の授業も休まなければならないほどなのかと考えがよぎるが、心配し過ぎるのも何か違う気もするし、一番悩みを抱えているのは本人なのだ。そのことで由乃さんが弱音を吐いている所は見たことがないのだから、きっと心は強い人なのだろうと目を細める。

 

 「宣誓っ!」

 

 考え事をしていた意識がひときわ大きい声で浮上した。宣誓役に選ばれた二年生の人が指令台へと上がり、開始の合図を告げ終えて全校生徒は各テントへと退散。

 

 さて、競技が始まると悠長に座っている暇はなかった。一番最初の競技は一年生からであり、私の出場競技でもあった。テントへ戻ると同時にまた入場門へと整列して。教諭たちの導きで、そそくさとグラウンドに出ていき引かれたトラックの内側の両端に対戦相手が並び、中央の線の上には無造作に置かれた大小の車のタイヤが鎮座している。お嬢様学校でこの競技はどうなのだろうと首を傾げるけれど、実際目の前で起こっているのだから諦める。

 

 『女の意地』

 

 と銘打たれた最初の競技。簡単にルールを説明すれば、中央に置かれたタイヤをどちらが多く奪い自陣へと持ち込んだ数で勝敗が決まる。三回、同じことを繰り返して先に二勝した方が勝って得点を得られるものだった。

 

 ――適当に気張りますか。

 

 スターターピストルを掲げて片耳を塞いだ教諭の指に力が入ると同時、みんな走りだす。私は一呼吸遅れて、少しのんびりと走り誰も手を付けていない小さなタイヤを取って、自陣の方向へと投げ入れる。力が足りず自陣へタイヤが入ることは叶わないけれど、気が付いた仲間が入れてくれるだろうと割り切り、あといくつかのタイヤを投げ入れ周囲を見渡す。

 この競技、性格が如実に出るのだなと感心する。トップの子と二人は大きなタイヤへと向かって、相手クラスと奪い合いをしていた。他の場所でもいくつかの奪い合いが発生しており、力が拮抗している所はその場から一歩も動かないし、体育会系の子が居ればその子一人で何人もの人を相手に負けずに自陣に引き込んでいたりと。

 

 ちなみに前世でも同じような競技に学生時代に参加したことがある。その時ハーフパンツがずれて下着が丸出しになる羽目にあった子がいたのだけれど、そこまで激しいものにはなっていないので、この辺りは流石お嬢様学校だった。眼鏡を落としてしまう心配をしていたのだけれど、このくらいならば大丈夫そうだった。

 

 取り合えずは近場で大きなタイヤを数人で抱え込んで拮抗している所に加勢に行くかと走り出して、斜め横から手を伸ばした。それまで拮抗していたものが私の介入によって相手の子たちが崩れてしまうのは必然だった。力いっぱいにタイヤを引いていたお陰で、尻餅をつく相手の子たちといきなりの助勢に驚いて、後ろに数歩たたらを踏む味方。悪い、とは思いつつ競技だし怪我もそうそうないだろう。何度か同じようなことを繰り返ししながら一度目は終了して、二度目も終わり。どうにか勝ち点を貰って初競技は無事に終了した。

 

 残りは目新しいものはさほどなく、クラス全体出場の綱引きや玉入れと定番の競技が続いていった。途中で団分けされた応援合戦を挟んで、また通常競技へと戻る。ここまでくれば一年生の出番はほとんどなく、大人しくテントの下で上級生の競技を見ている。山百合会のメンバーが出場すると黄色い声が増えることに、苦笑いをうかべていたら突然に周囲のその声が大きくなった。

 

 「樹ちゃんっ!」

 

 名を呼ばれてすわ何事かと、声が響いた方に顔を向ければ私に左手を伸ばす令さまの姿が。きゃあと黄色い声がテント内に響き驚いていれば、クラスの子たちに背中を押されてしまう。そういえば二年生の借り物競走中だったなと、令さまの手を握ってトラックへと走り出す。

 背中には無数の視線を感じ、羨ましいと声が上がっているけれども走り去る私には聞こえるはずもなくトラックへと進んだ。既に借り物を見つけ出し走っている別の二年生が前に二人。一人は重いものを持っているためなのか、あまりスピードに乗れずゆっくりとした足取りで。もう一人は何を持っているか判別ができないから、おそらく小さいものなのだろう。おもいっきり全力を出せば追い付けることが可能な領域だったのだけれど、令さまと一緒に走っているのでどうだろうかと横をみる。

 

 「まだいけるかな?」

 

 「ええ、もちろん」

 

 令さまの言葉にそう答えると、にっと笑う。

 

 「うおっ」

 

 一段、二段とギアを上げた令さまの足は随分と速いが、まだ少し余裕はある。驚きつつ令さまと視線が合えば、またギアを上げた。身長差があるのだからストライドが違うのは当然である。令さまは足の長さを生かして奇麗に走っているけれど、足の短い私はその分回転数を上げなければ同じ速度は出せない。抗議する暇もないまま、前を走っていた上級生二人を抜き去ってゴールを成し遂げた。少し息を切らしているものの疲れた様子があまりない令さま。

 

 「も、もう少しっ、加減をしていただければ、た、助かります」

 

 肩で息をして汗が噴き出している私とは大違いだった。

 

 「ごめん、ごめん。樹ちゃん、余裕そうについてくるから、つい」

 

 足速いなあと零しているけれど、余裕そうな令さまには言われたくはない台詞だった。

 

 「ありがとう、助かったよ」

 

 「いえいえ、お役に立てて良かったです。ちなみにお題はなんだったんですか?」

 

 「うん、『眼鏡を掛けてる知り合いの下級生』だよ」

 

 なんだか随分と限定的だけれど、探すことに手間取るようにと意図があってそうなったのだろうか。さわやかに笑って一番の旗を持っている令さまは、同じクラスの人といつの間にか話し込んでいた。どうやら用が終われば戻ってもよいらしく、令さまたちより前に走っていた数名の借り物たちはテントに戻っている。それなら私も戻るかと踵を返そうとしたその時だった。

 写真部と刺繍された緑色の腕章を付けている眼鏡を掛けた子が手を挙げて、カメラを抱えていた。借り物に過ぎない私が取られるはずはないだろうし、学校行事として参加している写真部の人の意図がなんとなく読み取れた。

 

 「令さま」

 

 「どうしたの?」

 

 話しているときに割り込んでしまって申し訳ないけれど、直ぐに終わるし良いだろうと判断して令さまの名を呼んで、写真部の人を小さく指をさした。

 

 「ああ」

 

 写真部の子を見て納得したのか私の後ろに令さまは立って、一位の旗をもったまま片方の手は私の肩へと置かれた。一緒に映るつもりはなかったのだけれど令さまの好意だからと笑い、ありきたりなピースサインをした右手を突き出した。少し遠くで響いたシャッター音が数度なり、取り終えた写真部の子が一礼をしていた。

 

 「それじゃあ、私も戻りますね」

 

 「うん。繰り返しになっちゃうけれどありがとう」

 

 そう言って手を振る令さまに小さく一礼をしてテントに戻れば、クラスの子たちに囲まれる。それぞれ羨ましいとか、私の手を触ってもいいかとか口々に言って。うーん私を囲むよりも憧れているのならば、本人と喋ればいいのにと思ってしまうけれど、憧れが強い子たちや上級生に話しかけるには勇気が必要だものね。苦笑いを浮かべながら何故か薔薇さまたちのように取り込まれてしまう羽目になった私は、ぽりぽりと後ろ手で頭を掻いていれば、昼休憩へと差し掛かったのだった。

 




 7412字

 オリ主の名前を聖さまが呼ばないのは仕様です。さてこれからどうしよう……呼び捨てにするか『ちゃん』付けするか迷う所。

 追記:アンケートを置いてみました。悩まず直感でOKです。参考にさせていただければと思います。期間はあと……どのくらいだか。おそらく話の進みは遅いので聖さまと志摩子さんが姉妹の絆を結ぶ話の直前まで? 多分!┏○))ペコ

 再追記:アンケート項目で『どちらでもOK』を入れ忘れた事に気付いたので作り直します。入れてくれた十一名の方ごめんなさい。消した時点で……
       ちゃん付け:四票 
       呼び捨て:五票 
       作者がきちんと考えて!:二票 
 
 という結果でしたので最終時に作者が勝手に追加します。入れた方で重複しても良いよという方は再投票お願いします。これ以降は消したりしませんごめんなさいorz


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第十一話:紅薔薇さまによる四者面談と体育祭後半

 2020.08.13追記:作中でオリ主の父親の台詞を変更しました。【蓉子さん】→【水野さん】としました。読み直して違和感を感じた方申し訳ありません。こちらの方が適切と判断しました。


 両親と昼ご飯を一緒に取るのは恥ずかしいからと断ったのはいいけれど、我が母は気合を入れて私の弁当を作ってくれるそうで時間が掛かるからと、昼休憩の時間に渡す約束を交わしていた。

 ちなみに体育祭の昼休憩は保護者が来場していることもあり、通常六十分のところを九十分と今日だけは特別に時間を割いていた。保護者用のスペースは狭く、外に出て食べる人たちも居るだろうとの学園側の配慮だろう。昼休憩のチャイムが鳴って少し、そろそろ頃合いかとテントを抜け両親の下へと行くかと自席を立った瞬間。

 

 「きゃあ!」

 

 「うそっ!」

 

 令さまがウチのクラスのテントにやってきた時以上に周囲のボルテージが凄い。テントに残っている人や隣のテントの人たちも、一様に同じ方向を向いて黄色い声を上げている。誰が来たのか予想がついてしまうのは、良いことなのか悪いことなのか。とはいえ私に用という訳でもないのだから、気にする必要はないかと逆方向へと歩き始めた。

 

 「樹ちゃん」

 

 ぎぎぎと首を声の主の方へと向き直る。嗚呼、悲鳴にも近い黄色い声の原因は、やはりは貴女でしたかと項垂れる。一年生の下へ三年生が訪れるのは珍しいから、この騒ぎも理解できなくはないけれど、やはり騒ぎ過ぎだろう。口々に『ごきげんよう、紅薔薇さま』とテントの下に残っていた子たちが囲い込むような形で挙って挨拶をしており、蓉子さまも律義に笑顔で対応しているのだから大変だ。

 

 「ごきげんよう、蓉子さま。何かありましたか?」

 

 蓉子さまに自ら近寄れば周囲に居た子たちは空気を読んでくれたのか、私たちを伺うような形で一旦離れていった。

 

 「ごきげんよう。樹ちゃんのご両親を紹介して欲しいのだけれど、今日はご来場されているかしら?」

 

 「ええ、保護者席に居るのは見ましたし、これからお弁当を受け取るので母に会うつもりですが……」

 

 「なら一緒に行っても構わないわね」

 

 「大丈夫ですが、何故ウチの親に挨拶なんてするんです?」

 

 「大事な娘さんを山百合会の手伝いに引き込んだもの。挨拶くらいしておいてもいいでしょう」

 

 「それなら志摩子さんのご両親が先ですし、そんな面倒なことをしなきゃならないなら、最初から部外者を引き込まなければいいじゃないですか」

 

 確かに人手不足で大変だろうけれど、生徒会役員は姉妹の絆を結んだ者を入れるというルールがあるのだし。

 というかこの事実、歴代の薔薇さまのなかで妹が出来なかった人の立場が危うそう。でもまあ役に立つ子だからと貴族や武家みたいな政略婚のように絆を結んだ人たちが居てもおかしくはないか。効率優先の人だっていただろうし、不思議ではないし、表面上取り繕っていれば問題はないのだから。そう考えると姉妹制度なるものは突然に夢も希望も無いものに変わってしまうのは実に世知辛いものだ。

 

 「志摩子のご両親は今日来られないそうだし、電話でもう済ませてあるの。それに、これが私の性分なのだし仕方ないわ。そんなことより樹ちゃんは私とご両親を引き合わせたくないの?」

 

 「へ?」

 

 「貴女、割とあっさりしてるから理由さえ話せば快諾してくれると思っていたのだけれど」

 

 肩を小さくすくめて笑う蓉子さまに、周囲の子たちが沸き上がる。んー、ライブにいって演者のギターパフォーマンスに酔いしれる客のようだと感じてしまうのは失礼なのだろうか。けれど本質は変わらないような気もする。

 

 「あまりそんな実感はないですが、この年になって親を先輩に紹介するって……恥ずかしいですし」

 

 つい、と蓉子さまから視線を外した。うん、本当に高校生にもなってこんなことをしなくちゃならないのだろうか。生徒会の手伝いに関しては親に許可を貰ったのだから、気にせず精々私をこき使えばいいのだし。

 

 「ふふ、それが一番の理由なのね、なら尚更ご両親にご挨拶しなきゃ駄目ね」

 

 「――面白がってませんか?」

 

 「あら、失礼ね。江利子じゃあるまいし。でも、楽しみではあるわ」

 

 「それ、言葉は変わっていますが意味合いは一緒じゃないですか」

 

 面白そうに不敵に笑う目の前の先輩は、何を考えているのやら。まあ真面目な蓉子さまのことだから、ウチの親にはお礼を述べるだけだろうし、そう心配はしていないのだけれど。

 

 「細かいことは気にしないの。さ、行きましょう」

 

 肩をすくめた私の背中に右手を添えた蓉子さまにそそくさとテントの外へと出され、仕方ない腹をくくるかと蓉子さまの隣に並んで保護者席へと向いながらウチの両親について話しておく。なんの情報もないまま接触するのも話題に困るだろうし、蓉子さまがどう話題を振るかでフォローも必要になるだろうから。

 

 平日開催だというのに来場している人が多く、人込みを掻き分けながら周囲をキョロキョロと見渡せば、父と母はテントから外に出ておりわざわざ私を待っているようだった。ちょっと先に行ってきますねと蓉子さまに断って、両親が居る場所へと近づいていく。

 

 「父さん、母さん」

 

 「樹」

 

 「樹ちゃん」

 

 オーダースーツに身を包み朗らかに笑う父とゆったりとした服装を纏い品よく穏やかに笑う母。背の高い父と背があまり高くない母が並ぶと随分とちぐはぐであり、周囲の父母の方々よりも一回り程年齢が上である。兄と姉とは年が離れているのだから当然なのだけれども。

 

 「はい、これ」

 

 いつもより一回り大きい弁当箱を受け取る。朝が苦手なはずの母が作ってくれたものだから残すわけにはいかないと、謎のプレッシャーがかかるが兎にも角にも蓉子さまが後ろで待っているのだから。

 

 「ありがとう。あと紹介したい人が居るんだけれどいいかな?」

 

 「うん?」

 

 「あら、あらあらあらあら」

 

 何故このタイミングで私がこんなことを言ったのか理解できていない父。母はによによと笑っている。まさか私が姉妹の契りでも交わしたと勘違いしているのだろうか。以前から良い先輩は居ないのかとか、誰か先輩に目を掛けられていないのかとか学園の話題を持ち出すと、ここぞとばかりに聞いてくる母だったけれど。

 私の性格を知っていれば、そうそう契りを交わすことなんて無いと理解できるだろうに。ただ母は甘いところがあるし夢見がちな部分もあるからそう考えてしまうのは必然かも知れないが。後ろを振り向けば出てくる機会をうかがっていたのだろう蓉子さまが微笑みを携えて、私たち三人が居る場所へとやってきた。

 

 「ごきげんよう。はじめまして、三年の水野蓉子と申します。樹さんには山百合会の仕事を手伝って頂き、いつも助かっております」

 

 「ご丁寧にありがとう」

 

 「それじゃあ、蓉子さんは薔薇さまなのね?」

 

 「はい、紅薔薇さまを拝命しております」

 

 「まあ、素敵っ!!」

 

 身長も小柄で未だに若い容姿の母と蓉子さまのやり取りに、父は目を白黒させて。まあ、専門用語を使われると訳が分からないよねと、父の横でこっそり補足しておく。母が若干暴走気味なので父とアイコンタクトを取りながら、二人して静観する。こういう時、落ち着き払ってこういう立ち位置についてしまうのは父譲りなのだろうか。純粋なリリアンで培養された母は『薔薇さま』というものに憧れを抱いて、年を経てこうして憧れの物に触れる機会がやってきたのだから舞い上がるのも理解できるけれど。

 

 「――水野さん、うちの樹がお世話になっているようだね。迷惑を掛けることが沢山あるかもしれないがよろしく頼むよ」

 

 「そうね。高等部からの編入で馴染めるかどうか心配だったから……本当なら初等部から通わせるつもりだったのだけれど、この子ったら珍しく嫌だって我が儘を言うんだもの」

 

 ああ、その時のことがリアルに頭の中で再現される。どうすればいいか分からなくて『お嬢様学校になんて行きたくない』と言い残して自分の部屋に引きこもりご飯も食べないまま外へと出なかったから、かなり家族を困らせた。蓉子さまと父と母で、私の昔話で盛り上がっているのだけれど、もういい加減にして欲しい。

 

 「……母さん、お願いだから昔の話は止めて」

 

 「あら、いいじゃない」

  

 片手で顔を覆い項垂れる。お願いだから昔の話を掘り返すのは止めてください、マジで恥ずかしいので。確かに子供らしくなかったし、可愛げなんて皆無の幼少期は正直思い出したくはない。というかここに編入することになった理由も今となっては随分と恥ずかしい話になる気がするので、恥の上塗りはもう勘弁してほしい。

 

 「母さん、水野さんも樹も昼ご飯を取る時間がなくなってしまうし、僕たちも昼を食べ損ねてしまうよ」

 

 「はあい」

 

 苦笑いをしながら母を嗜める父。大学を卒業して社会人になったけれどその時間が短かった母の思考は良い意味でも悪い意味でも若いままで、父もそれを理解している。母よりも私の方がしっかりしているというのが家族の総意でもある。母は不本意そうだったけれども。

 

 「それでは失礼いたします。樹ちゃん、行きましょうか」

 

 「あ、了解です。母さん、お弁当ありがとう。また後で」

 

 軽く一礼する蓉子さまと両親に手を振る私は、保護者席のテントから去りグラウンドを抜け校舎が立ち並ぶエリアへとさしかかる。

 

 「良いご両親じゃない」

 

 「ええ、恵まれています。けれどまさか母があんなに盛り上がるなんて……」

 

 身内にも熱狂的な薔薇さまファンがいるとは。世代が違っても憧れるものなのだなあと考えを改める。

 

 「顔、赤いわよ」

 

 「赤くならない方がおかしいですよ」

 

 他人ならまだしも身内が盛り上がれば、なんだか恥ずかしいのだ。いい年をした中年の女性が若いアイドルに懸想しているみたいだし。いや、まあそれも自由だけれど。やれやれと母が作って渡してくれた弁当の包みを見る。さて、少し時間も経ってしまったので食事を取るにふさわしい場所は目敏い生徒たちに占領されている事だろう。

 

 「樹ちゃん。お昼ご飯を一緒に食べる約束をしている人は居るの?」

 

 「いえ、いませんよ。誘われれば一緒に食べますが、気ままに一人適当な場所を探してそこで食べます」

 

 上級生が多く利用しているミルクホールとか入り辛いし、弁当持参の私が売店を利用することもない。クラスメイトもエスカレーター式の学校故に入学式当日からグループ分けは終わってたので、無理矢理割り込むのも不躾なので、こうなった訳だのだけれども。

 

 「なら、薔薇の館で一緒に食べましょう。良い場所はもう無いでしょうし、急用が入るかもしれないからって山百合会のみんなが集まっているのよ」

 

 「良いんですか?」

 

 薔薇さまである蓉子さまがそう言ってくれるのだから、遠慮する必要もないけれど念を押す。

 

 「ええ、勿論。それに樹ちゃんに聞きたいことが出来たのだし」

 

 「……やっぱり遠慮します」

 

 くすくすと笑う目の前の蓉子さまに嫌な予感が走り、半歩距離を取った瞬間に私の腕をがっちりと握ったその人の瞳は絶対に逃がさないという強い意志を灯していた。――楽しそうだから、という意味を多分に含めて。

 

 「駄目よ。さ、行きましょう」

 

 「うぇ、ちょっ、センパイ!」

 

 逃げられずに追い込まれ、目を細めてくつくつと笑っている蓉子さまになされるがまま引っ張られて薔薇の館へと向かう。これで私の隣に江利子さまでもいれば『捕まった宇宙人』のようにドナドナされる光景になっているのだろうなあと、現実逃避をしながら。

 

 「ごきげんよう」

 

 「……ごきげんよう」

 

 嬉々として私の腕をずっと引っ張っていた蓉子さまは、薔薇の館に入るとようやくその手を離してそのまま会議室へと向かう。ここまで来たのだし逃げるのも変だし、食べる場所を確保するのに時間が掛かるだろうから、大人しく使わせてもらおう。部屋へと赴くと山百合会のメンバー全員が本当に集まっており、この場には志摩子さんも居る。全員が集まる必要もないはずなのに、はて、何故だか。突然やってきた私を気にする人も居ないから、気にしても仕方ない。

 

 「ごきげんよう。遅かったわね、蓉子」

 

 「ごめんなさい、少しやっておきたいことがあったのよ」

 

 蓉子さまと江利子さまのやり取りを横目で眺めながら、自分の指定席となっている場所へ座る。私の横は由乃さんでいつもの挨拶を交わして、お弁当を広げた。

 

 「何かあったかしら?」

 

 「樹ちゃんのご両親にご挨拶をね」

 

 「ああ、なるほど。蓉子らしいわ」

 

 そうして一旦会話は止みお弁当に集中する。ぽつりぽつりと会話があるものの、騒がしさとは無縁の静けさを保っていて、開けた窓から入る風が心地よい。隣に座る由乃さんから視線を感じて横を見れば、私のお弁当をのぞき込んでいた。人の家のお弁当の中身は案外気になるもので、興味深そうにのぞき込んでいる由乃さんの気持ちは理解できる。

 

 「何かつまんでみる?」

 

 「え、いいのかしら?」

 

 「うん、構わないよ。母さんが作ったんだけれど、体育祭だからっていつもより大きい弁当箱に詰めてくれたから」

 

 「ありがとう」

 

 少し恥ずかしそうにはにかみながら箸を伸ばす由乃さんに、取りやすいように弁当箱を横に寄せる。由乃さんのお弁当箱のサイズは随分と小さく、正直その量で足りるのだろうか疑問だった。食欲があるのなら少しでも食べた方が良いだろうし、仲良くなる切っ掛けにもなるだろうと、どれを食べようか迷っている由乃さんの微笑ましい姿に癒されていたのだけれど。

 

 「ああ、そうだわ。樹ちゃんはどうして初等部からリリアンに通わなかったの?」

 

 ――爆弾が投下された。

 

 蓉子さまの言葉は私にとって衝撃的なものだ。なんにせよ私の過去を語らなければならなくなるのだから、黒歴史の披露なんて誰だってしたくないだろう。そして蓉子さまの言葉に興味を持つ人が確実に一人は居る。江利子さまだ。目敏く私が渋い顔をしているのを見て、微かに笑っている。

 

 「あら、そうなの?」

 

 「ええ。樹ちゃんのお母さまがそう仰ったの。珍しく駄々を捏ねたのですって」

 

 「樹ちゃんにもそんな可愛らしい時期があったのねえ。それで、どうして初等部から通わなかったの? そうした方が楽だったでしょう」

 

 他の人はこの会話に興味があるのかないのか分からないけれど、薔薇さまである上級生の会話に割って入るようなことはしないみたい。誰か助けて欲しいと願っても、助け船が出されることはなさそうだった。

 

 「確かにそうした方が楽だったとは思いますよ。余りはっきりと覚えてないんですが、敷居高いじゃないですか、ここ。幼いなりに何か感じるところがあったんだと思います」

 

 「そうかしら? 私は幼稚舎から通っているから外のことは余り分からないけれど」

 

 「まあ同級生に『さん』をつけて、上級生に『さま』をつけて呼ぶことなんてリリアンに来ない限りは縁がないものかしらね。私も最初は知らなかったもの」

 

 不思議そうに語る江利子さまと、納得したように語る蓉子さまはどうやら編入組のようだ。馴染んでいるからずっとリリアンに在籍していたのだろうと勝手に思っていたのだけれど、思い込みは危ないから気を付けないと。

 

 「それならどうして外部受験を受けたの?」

 

 江利子さまの疑問はもっともか。嫌だと蹴っている場所に来ているのだから。

 

 「……まあいろいろとありまして」

 

 「それって?」

 

 「なにかしら?」

 

 やっぱり逃れられないかと、ため息が漏れる。全てを話すべきか否か。とはいえ今ここに居る人たちが好き勝手に吹聴するようにも思えないし、構わないかと諦めた。まあ話の一興だろう。さして面白くはないけれど阿呆な行動を起こして、自業自得を見る羽目になっただけだし。

 

 「中二の夏にピアスホールを開けたんですよね。そしたら家族が騒いじゃって家族会議が開かれたんです」

 

 伸ばしている髪を耳にかけ見えるようにする。ピアス自体は付けていないけれど、穴が開いているのは確認できるだろう。リリアン女学園の編入試験を受ける経緯を洗いざらい喋れば、何故だか少し引かれているような。

 

 「随分と思い切ったことをしたものね」

 

 「そうですか? ピアスくらい誰でも開けてますよ。でも今思えば高校を卒業してからで良かったかも知れませんねえ」

 

 「でもご両親が心配するのは理解できるかしら。アルバイトをしながら高校通いたいって子はなかなか居ないでしょうし」

 

 前世ではそれが当たり前だったから私にとっては違和感のないことだけれど、ここに通う人は違うのか。確かに学生で親の庇護下にあり、金銭に余裕があるのなら勉強に打ち込んだ方が将来は明るいとは思うけれど。

 

 「樹ちゃん、もう少しご両親を頼りなさいな。学校に通いながらアルバイトをしたいだなんて、親は当てにならないって言っているようなものよ」

 

 苦笑いをしながら蓉子さまは私にアドバイスをし、他の人も頷いているから何も言えなかった。改めて考えてみると的を射ているのかもしれないと、考えさせられる言葉で何故かずっとその言葉が頭をぐるぐる駆け巡る。家族との距離感を掴みかねている私には、蓉子さまの言葉は重いもので。

 

 「そう難しい顔をしないで頂戴。大丈夫、いつか受けた恩を返せば良いだけよ」

 

 「ですね。いつか返せるといいんですが」

 

 そうこうしているうちに昼休憩の時間が過ぎようとしていた。少し早めに全員が薔薇の館を後にして、グラウンドへと戻っていく。生徒用のテントの下にはそれぞれ休憩を終えた生徒たちがまばらに戻ってきており、仲の良い子たちとお喋りに興じている。私もテントへと戻って午後からの競技を確認する。私が出場するものはほぼ全て終わっており、残すところは学年別クラス対抗リレーだけだ。

 得られる点も高いから花形競技のような位置づけで、盛り上がるらしい。さて練習の成果がでるといいのだけれど、と考えていれば昼の部を告げるアナウンスが流れて。そうして部活動対抗リレーや三年生の短距離走を経て、最終競技学年別クラス対抗リレーが始まろうとしていた。

 

 「あれ、樹さん眼鏡は?」

 

 「あ、今だけコンタクトだよ、いいんちょ」

 

 眼鏡仲間の学級委員の子が不思議そうに声を掛けた。流石に本気で走るのなら眼鏡は邪魔で、開始前にコンタクトに変えたのだ。

 

 「そうだったのね。リレー頑張ってくださいね」

 

 「うん。展開次第だけれど、どうせなら勝ちたいよね」

 

 いいんちょの運動神経はキレているからリレー選手には選ばれていない。体育の授業ではなかなかに微笑ましい光景を広げてくれる人である。そんないいんちょに手を振って入場を済ませれば、一年生からのスタートなので直ぐに出番はやってきた。

 

 乾いたスターターピストルの号砲と共に第一走者が一斉に走り出し、トラックを一周すれば第二走者へとバトンが渡り。各クラスの代表者を鼓舞しようとテントからは声援が響いていた。ちなみに私は最後から二番目になる第五走者でアンカーは藤組で一番足の速い運動部の子。

 今のところ下から二番目を走りながら、前を追い抜こうと必死になっているが追い付く気配のないまま第三走者へ。そうして一進一退をしながら第四走者へとバトンが渡る。トップを走る松組の走者は少し余裕そうな顔をしており、勝利を確信しているのだろう。

 

 「樹さん、いける?」

 

 「どうだろう、全力は出すつもりだけれど難しいかなあ」

 

 私に声を掛けたのはアンカーを走る運動部の子。第四走者の子が必死に食いついているけれど、順位は下から三番目と振るわない。

 

 「令さまと走っていた時は随分と速かったから期待してるわ」

 

 「はは。良い形で貴女にバトンを渡せるといいんだけれどね」

 

 とんとんと二回肩を軽く叩かれてスタートラインへと第五走者全員が並び、軽く足を動かしながら順番を待つ。そうこうしているうちに松組の子たちがバトンを渡して交代し、スタートラインを過ぎていく。少し間が空き二位を走る子たちがを皮切りに、間を開けず走り出していく。

 

 「お願いっ!」

 

 苦しそうな顔で私の前の子がバトンを差し出してそう言ってバトンを受け取る。練習した成果があったのか随分とスムーズにバトンパスは終わった。ならあとは何も考えずにアンカーの子へとバトンを繋げるだけだ。地面を蹴り上げて踏み出して前へ、前へと加速する。流れる景色は随分と速く。聞こえるはずの声援も歓声も私に耳には届かず、己の心臓の音だけが耳に届いて。遠かった小さな背がはっきりと目が捉え、なるべくギリギリのぶつからないスペースを取り、抜いた。

 せめてあと一人と更にギアを上げれば直ぐに捉えてまた抜いた。けれど一位を独走状態の松組には追い付ける気がしない。それでも一秒でも速くバトンが渡るようにと己の足に力を入れて、グラウンドの土を蹴る。そうして目に入ったのは大役を任されたアンカーの子の姿。

 

 「――っ!!」

 

 声にならないままラストであるアンカーの子に無事にバトンが渡った。あとは松組の子に追いつくようにと祈るのみである。肩で息をしながら、自分が二番目でここにたどり着いたことにようやく気付くと、歓声が沸き上がる。

 

 どうやら運動部の子が松組の子に追いついたようでデットヒートしているようだった。走り終えたリレーのメンバーも必死に彼女を応援している。

 

 「よっしっ!」

 

 流石運動部、足速いと納得しながら最後の短い直線で松組を抜き去りそのままゴールへなだれ込んだ。藤組のテントの下は大盛り上がりで、大きな歓声があがっている。一位に貢献出来てよかったと安心していたらアンカーの子が私の下へとやってきて片手を上げた。

 

 「お疲れ様」

 

 「樹さんもね。ありがとう、一位になれたわ」

 

 上げた手に私の手のひらを当てると小気味よい音が鳴る。そうして一年生のクラス対抗リレーは終わり、二年生へと移る。二年生の出場者の中には令さまが当然のように居て、走っているときには黄色い声援をこれでもかというほど浴びて一位をかっさらって。ラストの三年生は一年と二年の比ではないほどに悲鳴に近い声が上がる。よく見れば薔薇さま全員出場という有様で、みんな浮足立っている。

 

 ――足、速っ。

 

 令さまが一番速かったけれど、薔薇さま三人も速く盛り上げに貢献していた。人気者は大変だなと他人事で済ませていれば、直ぐに三年生もリレーは終了して。さあ、あとは表彰式と閉会式を行うだけだと藤組のテントへと戻ると運動部の子と一緒に揉みくちゃにされ、いいんちょの『そこまで』の言葉でようやく解放されたのだった。

 

 こうして高校最初の体育祭は幕を閉じた。




 8917字

 すみません、最後めっちゃ雑!

 マリみてのキャラって保護者との関係に難がある家庭が多くないですか? 祥子さましかり、志摩子さんもしかり、ドリルもだし、背後霊もか……。話を掻き回すキャラがいろいろと背負いすぎぃ!(キャラ付け大事だからしかたないけれど)

 ふと思い出したのですが、生徒のいる場所にもしかしてテント……なかった? いかんせん記憶が古い。

 アンケート数がn=100↑になってて作者、テンパる。沢山の投票有難うございます!(n=30くらいだろうと思ってた)

 脳髄から 脳髄から 脳髄から分泌~♪(作者は妙な電波を受信したようです。日間ランキングにまた入りました。有難うございます。┏○))ペコ)

 追記:いつの間にかアンケート数がn=240↑になってました。有難うございます!が、差がついてなくて余計に悩むというw


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第十二話:写真と爆弾

 【お知らせ】①前話である第十一話の作中でオリ主の父親の台詞を変更しました。【蓉子さん】→【水野さん】としました。読み直して違和感を感じた方申し訳ありません。こちらの方が適切と判断しました。よろしくお願いします。

       ②タグに『日常』『独自設定』『独自解釈』を追加しました。アニメだけの情報だと補完がしにくく作者の考えが反映され始めたので、急遽追加です。申し訳ありません。なるべくアニメに沿うつもりではありますが。


 体育祭も終わり早数日。山百合会の仕事も落ち着きをみせたようで、ここ数日は簡単な作業をちょこちょこと手伝って直ぐ家に帰るという事繰り返していた。

 

 体育祭が終わってからというもの学園内を歩いていると、令さまと一緒に走ったことで私の顔が少々売れたようで視線を多く感じるし、仲の良い子同士で何やらひそひそと言葉を交わしている。私を見た所で山百合会の人が振り向いてくれる訳じゃないから、勇気を出して話しかけた方が一気に距離が縮まるはずなのだけれど、どうやらお嬢さまたちには難題らしい。私を切っ掛けにして話が出来ればこれ幸いだろうし、仲良くなるチャンスも生まれる。だというのに私に話しかけることすら躊躇っているのだから、道は遠いだろう。

 

 「樹さん、樹さん」

 

 昼休み、後ろから名前を呼ばれて、足を止め声が聞こえた方向に体を向ければ、首から一眼レフのカメラを提げて眼鏡を掛けた子が笑って立っていた。

 

 「ごきげんよう。突然呼び止めてごめんなさい。写真部一年の武嶋蔦子と申します」

 

 そういえば二年生の借り物競走で写真部の腕章を付けて写真を撮っていた子にそっくりだけれど、名前も知らないし確証もないのだから妙なことは口走らない方が良いか。

 

 「ごきげんよう、初めまして。一年の鵜久森樹です」

 

 「少しお話したいことがあるのだけれど、お時間いいかしら?」

 

 「もうお昼も食べ終わっているし構わないんだけれど、蔦子さんは平気なの?」

 

 「ええ。その為にパパっと済ませてきたんだもの、もちろん大丈夫」

 

 にと笑ってカメラを大事そうに軽く掲げ、彼女は歩き出した。人の往来がある廊下のど真ん中では流石に立ち話は憚れるとの配慮だろう。いったいどこに行くのだろうと彼女の後をついていくけれど、終わりは案外早く訪れて廊下の最奥、使われていない特別教室の前だった。

 

 「さて、樹さん」

 

 「うん?」

 

 「先日の運動会で写真部の一員として走り回っていたのだけれど、ようやく全ての現像が終わったのだけれどね」

 

 交代制だろうけれどまだ日差しが強い中、大変だっただろうに。現像にどれほど時間を割かなければいけないのか知らないけれど、体育祭という大きいイベントだから枚数も膨大になるだろうに。

 

 「お疲れ様」

 

 「ありがとう、でも大変だけれど苦ではないの。私にとって写真は生活の一部で、撮った人の一瞬の瞬間を切り取って思い出や記憶以外の方法で現実へ残す手段なの」

 

 なるほど。携帯もスマホも普及していない今の時代、写真を手に入れる為には結構な手間がかかる。大昔よりは随分簡単になったものの写真屋さんに行き現像を依頼しなければならないし、データで複製(コピー)することなどできないし。一番手軽であろうレンズ付きフィルムも値段もそれなりに高く小遣いから捻出するのは大変だし、日常的に使うとなれば尚更で高校生の身分では少々無理がある。

 

 「はは。蔦子さんが江戸時代末期に生まれなくて良かったよ」

 

 「?」

 

 髪を揺らしながら小さく首を傾げた彼女は、私の言葉の意味が分からなかったようだ。写真を撮る事が好きなのか、カメラ自体を好きなのかで、こういう事には差が出てしまうのかもしれない。

 

 「まあ、与太話程度になんだけれど。日本に写真機が入ってきた頃は三十分くらいかかったそうだから、一瞬ってのは難しいだろうなって」

 

 「ああ、そういうこと。面白いことを聞いたかもしれないわ。確かに私がその時代に生まれなくてよかった」

 

 首から提げたカメラをひと撫でして笑う蔦子さん。

 

 「おっと、本題からずれる所だった。――この写真を見てもらっても良いかしら?」

 

 そうして手に持っていた写真を受け取って、見てみる。そこには運動会の借り物競走で令さまと一緒に走りゴール間際の一瞬が切り取られていた。

 

 「うわ、令さまはいつも通りだけれど、私が本物より奇麗……」

 

 何この魔法。令さまは写真も本物どちらも変わらずカッコいいのだけれど、私の容姿が三割増しくらいで写っているのだ。盛り過ぎだろうと突っ込みを入れつつ、彼女の実力が本物であることを確信する。父も趣味の一環でカメラを掲げて私たち兄妹を撮るけれど、ここまで生き生きとした表情を撮ることは滅多に、いやほぼ皆無――父には失礼だけれど――で。腕でこうも違うものなのかと、しげしげと写真を見ていた。

 

 「ええ、今回の私の自信作。それでね、学園祭で写真部の展示を行うのだけれど、そこでこの写真のパネルを飾っても良いかしら?」

 

 「私は構わないけど、令さま次第だろうねえ」

 

 少し恥ずかしくはあるけれど、せっかく奇麗に撮ってもらえたのだから否はない。

 けれど被写体には許可が必要だろうと、主役の名前をあげておく。私よりも令さまが目立っているし、見た人が目に行くのは私ではなく確実に令さまだ。

 

 「あれ、でも学校行事なら学園祭よりも前に展示販売があるんじゃないの?」

 

 規模の大きい行事では終わった後に廊下に写真が張り出されて、欲しい写真の番号を書き込んで販売されるのだけれど、その時にこの写真はどうなるのだろうか。先に公表してしまえば学園祭での価値が下がり、発表物としての鮮度も下がってしまうだろうに。

 

 「それなら心配は無用ね。気に入ったものがあれば、こうして当事者の人に交渉することを約束してコンテストや展示会に応募って約束を学園側と交わしているの」

 

 「なるほど。納得したよ」

 

 ちゃっかりしているのはカメラマン故の矜持なのだろうか。

 

 「あと、樹さんにお願いがあるのだけれど、良いかしら?」

 

 「無理難題じゃなければ」

 

 「この件について、令さま――黄薔薇のつぼみに渡りをつけて欲しいのだけれど……」

 

 困ったような顔で私を見つめて手を合わせてる蔦子さん。私を祈っても何も出ないし出来ないけれど、膨大に撮ったであろう写真の中から己が満足のいくものを選んだのだから、選定作業だってかなり大変だったはず。だというのに体育祭から数日でこうして仕上げて、令さまや私の下まで訪ねる熱意は尊敬できる。なら令さまにこの話をするのはお安い御用というもので。

 

 「そんなことでいいの?」

 

 「本当に?」

 

 言い辛そうに私に話していた蔦子さんは何処へやら。今は嬉しさで嬉々とした顔をしているのだから、現金なものである。

 

 「嘘は言わないよ」

 

 「ありがとう、樹さん。流石の蔦子さんでも山百合会の敷居は高くて」

 

 「そうかなあ? というか、ここの人たちって上下関係を重くとらえ過ぎじゃないかなあ」

 

 頭の後ろを手で掻きながら苦笑いをしている蔦子さんに、ぽつりと零れた言葉。確かに大切なものだし、年下の子が年上の人に軽い態度を取っていれば不信感や不快感を覚えるけれど、時と場所と場合さえ心得ていれば問題ない。

 

 「ああ、樹さんは外部からの人だったわね」

 

 「うん、だからかなあ。山百合会の人たちにみんなが敬意を払っているのは良いことだけれど、ちょっと過剰じゃないかなーって」

 

 「仕方ない部分もあるのよ。初等部から在籍している子たちは高等部のお姉さまたちのことは随分と憧れをもって見てきただろうから。その中でも特に薔薇さま方は特別視されているんだもの」

 

 彼女の言う通り小学生と高校生では随分と年の差があり、自分が小さな頃にみた高校生なんてとても大人びて見えるものだけれど。それでも年齢を重ねて自分が同じ年代になってみれば、体が成長しただけで心はそんなに成長なんてしてなかった。理想と現実は違うものなのだと実感するだけだったのだが。私が特殊過ぎるだけなのか。

 

 「まあ私の個人的な考えなんてどうでも良くて。令さまなら今日は部活に行くみたいだから、そこで待ち伏せか呼び出して貰ったら早いかなあ」

 

 山百合会での仕事は落ち着いているから今日は休みと言われている。令さまも仕事が忙しくない限りは部活動の方を優先させているし、昨日そんなことを話しているのを薔薇の館で小耳にしていたのだ。

 

 「なるほど。なら授業が終わり次第、剣道場で落ち合というのはどうかしら」

 

 部活の名前は言わなかったのに、令さまがどこの部活に所属しているのか彼女は知っていたようだ。有名なのも大変だなあと令さまの顔を思い出す。背が高く中性的な顔立ちに髪が短いが故に男の人に見られることが多々あると、本人は気にしていたようだけれど、リリアン生からの評価はまさしく男性アイドルとして見られている。自己評価と外からの評価が噛み合っているのかいないのかは令さまが決めることだ。山百合会で仕事をするようになって数週間、彼女たちのことを理解するにはまだ遠く。

 

 「わかった。それじゃあ放課後に」

 

 「ええ。お手数をおかけして申し訳ない」

 

 「気にしないでいいよ。それじゃあまた後で」

 

 そう言ってそれぞれの教室に戻って五限目と六限目の授業を無事に終えて、私はいそいそと剣道場に向かったのだった。

 

 「蔦子さん、ゴメン、待ったかな?」

 

 「あ、良かった来てくれた。いえ、私も今来たところだから」

 

 剣道場のすぐそばで少し落ち着かない様子でキョロキョロと周囲を見ていた蔦子さんの名を呼べば、ほっとした様子で深く一つ息を吐いていた。確かにちらほらと部活動へと赴く生徒が歩いているので、立ち止まっている蔦子さんが落ち着かないのは仕方ないのかもしれない。

 

 「令さま、見た?」

 

 「いいえ。まあホームルームが終わって時間が経っていないから、上級生の方はまだ来ていないかもしれないわね」

 

 「んー、じゃあちょっと待ってみよう。誰かそのうち来るだろうし、まだ始まっていないなら呼んでもらえばいいだろうし」

 

 「そうね、そうしましょうか」

 

 剣道場前の邪魔にならない場所で剣道部に関係のない一年生が居ると目立つ。少し視線を感じながら二人で待つこと暫く、噂をすればなんとやらで令さま本人が目の前にやって来たのだった。

 

 「ごきげんよう。珍しいね、樹ちゃんがこんな所に居るだなんて」

 

 「ごきげんよう、令さま。令さまとお話したいことがあって訪ねたのですが、少し時間を頂いてもいいですか?」

 

 「構わないけれど、あまり時間は割けないかな。もうすぐ練習が始まるから」

 

 なるほど、と理解して蔦子さんを見れば彼女は一つ頷いて、例の写真を手に取った。

 

 「写真部一年の武嶋蔦子と申します」

 

 「ああ、あの有名な一年生だね」

 

 蔦子さん有名人だったのかと今更ながらに驚く。リリアンの情報に疎いことは理解しているけれど、こうして事実を突きつけられるともう少し敏感になった方が良いのではと考えてしまう。

 

 「お見知りおきとは幸甚の至りです。黄薔薇のつぼみ」

 

 随分と難しい言葉を使って感情を表現した蔦子さんは、令さまに写真を差し出しながら私の時と同じようにこう言った。

 

 「カメラを片時も離さない子だって有名だからね」

 

 令さまは蔦子さんとしっかりと向き合って話しているし、蔦子さんも口下手という訳ではないだろうから私の出番はなさそうで半歩下がる。

 

 「突然になって申し訳ないのですが、学園祭での写真部の展示コーナーで撮ったその写真のパネルを飾る許可を頂きたいのですが……」

 

 「へえ、良く撮れてるね」

 

 写真を見ながら目を細め小さく弧を描く口元。でもそれは一瞬で。

 

 「――でも、ごめん。少し事情があって許可は出来ないかな」

 

 「っ。――そう、ですか残念です」

 

 そうして令さまは手に持っていた写真を蔦子さんへと戻して。

 

 「樹ちゃんもごめんね。せっかくの写真なんだけれど、ちょっと事情があって」

 

 眉を八の字にしながら困ったようにそう紡ぐ令さまの顔は、無理矢理に笑っているようで。何故駄目なのか理由を探してみれば、すごく簡単なものだったと合点がいく。

 

 「あ、いえ。私も突然訪ねてきましたし、急な話でしたから」

 

 「本当にごめんね」

 

 「いえ、お気になさらないでください。無理を言い出したのは私の方ですから。お時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした」

 

 私の代わりに蔦子さんが口を開いてくれた。

 

 「ううん、大丈夫だよ」

 

 「すみません令さま」

 

 「それでは失礼します。ごきげんよう黄薔薇のつぼみ」

 

 蔦子さんが一礼をしたのでそれに倣い私も一礼する。そうして剣道場から去って、少し古びた温室へと辿り着いた。

 

 「まあ、密談をするなら適当な場所かな」

 

 きい、と錆びた金属音が鳴らしながら扉を開き中へと入る。少し蒸し暑い温室は薔薇の花で満たされていた。

 

 「ごめん、蔦子さん。令さまが断るなんて思ってもいなかったから……」

 

 「ううん。良い写真なのに日の目を見れないのは残念で仕方ないけれど、お蔵入りね」

 

 ふっと笑って蔦子さんは写真を仕舞う。

 

 「でも事情って何かしら?」

 

 「何となく察しはつくけれど、令さまは言わなかったから。多分、蔦子さんなら直ぐ答えに辿り着けると思うよ」

 

 私よりも学園の内情を知っているし、奇麗な写真を上手く撮る彼女なのだ、答えは直ぐに見つかるだろう。

 

 「うん? ――っ、ああ! 失念してた」

 

 「だよね」

 

 二人して苦笑いをしながら、お互いに抜けていたことを今更ながらに頭を抱える。蔦子さんは写真を飾ることを優先して見えていなかったし、私も私で令さまの大切なものが見えていなかったのだ。お互いにどうしようもないなと笑いながら、後日令さまへともう一度謝罪を行ったのは令さまと蔦子さんと私しか知らない出来事である。

 

 ◇

 

 写真騒動から数日後、天候も穏やかで気持ちよさそうという気楽な感情でぷらぷらと広い学園を散策していた時だった。

 

 「お待ちになって」

 

 人気の少ないこの場所で、どこからともなくそんな声が響いてきた。流石に私以外誰もこの周辺には誰もいないので、念の為に左右に首を振り確認をしてみれど誰も居ない。もちろん私が進む方向の前もである。なら残るは後ろのみだと振り返る。するとそこには見知らぬ人が立っており、手には何かを持っていた。

 

 「私ですか?」

 

 「ええ、そう。――鵜久森樹さん、私の妹にならない?」

 

 突然現れた上級生であろう人から、爆弾が投下されたのだった。




 5558字

 言い訳:平日投稿だと文字数が減るし、文章も雑い。申し訳ありません。完結したら手直し決行ですね。

そろそろアンケートを閉じようかと思います。8/17日の投稿時間にしようかと。沢山の投票有難うございました。┏○))ペコ


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第十三話:不発とツインテールと紅姉妹

 

 ――私の妹にならない?

 

 突然に声を掛けられ、突然にあり得ないことを口にした三歩ほど前に立つ人はにっこりと笑っているが、私は困惑するばかりで。驚きと動揺で動かない頭で考える。その言葉振りから上級生であるとわかるけれど、何故に面識も付き合いもない私を妹にしようとしているのか、理解が出来ずにどう返答したものかと黙り込んでいた。

 

 「貴女にお姉さまが居ないことは確認済みなの。時期も時期なのだしこの機を逃すと更に難しくなるわ。いい機会だと思わない?」

 

 「……はあ」

 

 あまりにも現実味のない言葉に気のない声が漏れ出る。

 聞いた話ではあるけれど、この時期に姉を持っていない一年生は『行き遅れ』と揶揄されることがあるという。気にしなければそれで構わないが、純粋培養の子たちは気にするようで。私はいいんちょからの助言で、あまり気にしないで自然に任せていれば良いと言われていた為に、今日までのほほんとしていたのだけれど。

 

 まさか自分の身に降りかかるとは思ってもみなかったから、少し動揺しつつ考える。

 

 流石に見も知らずの人と姉妹の絆を交わすのはどうだろうか。ちなみに初対面で絆を結んだクラスメイトを四月の中頃に見たのだけれど、その子の勇気には感服するものがあった。だって、相手の情報などほとんどない状態で判断したのだから。もしかすればお姉さまの方から強制的にという可能性もあるけれど、喜んでいたのだからそれはあるまい。奇麗で優し"そう"な方、と顔をほころばせて手を合わせていた彼女とお姉さまとの関係が、今どうなっているのかは知る由もないけれど。私ならば怖くてそんな無謀なことは出来ない。もしかすれば絆を結んだのは良いけれど、馬が合わず関係が希薄になったり疎遠になったりしそうだ。結んだ絆を解く――ちなみにその前例はほとんど無いらしい――ことは、掟破りとなりかなり評判を落としてしまうらしいから。

 

 「あら、興味がないのかしら。それとも山百合会のお二方どちらかの妹の席を貴女はお望み?」

 

 「何故、そうなるんです……」

 

 同じことを何度も聞かれているけれど、妹の席が空いている例の二人は志摩子さんを気にかけているのだからあり得ない。山百合会の仕事を手伝っていると、二人は私を見ていない。いや、違うか。一定の距離を保ったまま近づこうとはしていない、という表現の方が的確かも知れない。

 山百合会の中ではなく、外から見ることしかできない目の前の人や私の周囲の人からすれば、私が二人のどちらかの妹にという考えを持っても仕方ないのかもしれないけれど、少し考えれば済むことだろうに。四月から手伝いを行っている志摩子さんと新参者の私では信頼度が全く違うだろうし、過ごした時間もまた然り。

 

 そもそも私には姉なんてものを持つ気はないのだから、話として成立しない。ああ、そうか二人が私と距離を保っているのは、きっと優しさなのだ。仲良さげにしていればこうして勘違いをする人が増えて、厄介ごとも増えてしまうだろうから。

 

 「だってそうでしょう。貴女は随分とあの方たちと仲良くされているんだもの」

 

 「普通ですよ。ただの先輩後輩の関係です」

 

 えらく食い下がるなと目の前の人を見る。ふと彼女から視線を外せば、視界の片隅に私たちのやり取りを物陰に隠れながら見ている人が四人ほど居た。

 そのうちの二人は顔見知りで、一人は同じクラスのトップの子にもう一人はトップの子の姉だったはずだ。入学早々に姉妹の絆を交わした二年生の彼女は、度々ウチの教室を訪れて羨望の眼差しを集めていたから、その光景が記憶に残っている。ふう、と小さく目立たないように息を吐いて力を抜いた。

 

 「へえ……、そう」

 

 「はい。それにお二人も私を妹にだなんて考えていないでしょうし」

 

 「それならば余計に私の妹になればいいでしょう? 肩身が狭くないの?」

 

 自信ありげにそう口にする上級生に少しばかりげんなりする。肩身が狭いのは貴方もではと、質問を質問で返したくなるけれどぐっと堪える。

 

 もしかしてこの人以外にもこうして私の下を訪ねてくる人が今後出てくるのだろうか……。そんなことはあり得ないと言い切りたいところだけれど、何故か不安になる所がある。新聞部の子やクラスメイトにも言われていることだし、上級生がそう勘ぐっても仕方ないのは理解できるが。

 ただ私を妹にしてメリットがあるとすれば、小さいものだけれど山百合会との繋がりだろうか。私をこんな方法で妹にしなくても、薔薇さまたちと友人になりたければ話しかければ良いだけの事で、チャンスは一年生よりも機会がありそうなものだけれど。

 

 「肩身が狭いと思ったことはありませんし、姉が欲しいと思ったこともありませんから」

 

 「なら、この話はなかったことに、と?」

 

 「出来ることならば」

 

 姉妹の絆とは割と面倒なものらしく、断る場合は穏便に済ませなければならないらしい。何故なら上級生のメンツが立たないし、断った側の悪評も流れてしまうからと。

 

 「それはどうしてかしら?」

 

 「流石に初対面の上級生といきなり姉妹の絆を交わすのは、躊躇われます。私は貴女がどんな方なのか、名前すらも知らないのですから」

 

 「正論ではあるけれど、上級生に対して失礼ではなくて? それにこれから知ればいい事でしょう?」

 

 いきなり声を掛けてきて妹になれという方が不味いと思うのだけれど。さっきも思ったけれど、面識のない人と絆を結んで上手くいく可能性って薄そうだけれども。表面上だけ取り繕うこともできるけれど、そういうことを目的とはしていないだろうし。まあ、それぞれに事情や形の在り方があるだろうから、あまり野暮なことを言う気もないが、心の中で思うのは自由だろう。

 

 「断る権利が私にはあるというのに、どうしてですか?」

 

 選択肢はあるのだから断ろうが断るまいが私の自由ではあるけれど、制約の為に随分と遠回りをしなければならなかった。すっぱりと『すみません、お断りします』で終われるのなら簡単な話だというのに。

 

 「どうしてって……それはそうでしょう。こうして貴方の下を訪れてお願いしているんだもの。断る方が失礼じゃないっ」

 

 少し語気を荒げた彼女。話が平行線で終わりそうもないなと、少しばかりげんなりする。このままでは問答を続けることになるだろうし、終わりが見えない。彼女の主張と私の主張が交わることがないのだから。

 

 仕方ないか。

 

 ケンカを売ってしまうような形になるけれど、はっきりと断るしかないのだろう。心配な要素があるから困りものではあるけれど、これできっぱりと目の前の上級生が諦めてくれれば話はそれで決着が付く。

 

 「分かりました。――私は失礼な人間で構いません。申し訳ありませんが、この話はなかったことして、失礼ついでに出来れば先輩後輩の関係で最初からやり直しをお願いしたいのですが……」

 

 「無理、ね。断っておいて図々しいのではなくて?」

 

 譲歩案はきっぱりと却下され、不機嫌さを隠さないまま上級生は去っていった。スカートのプリーツを乱さない程度に早足で去る彼女を、隠れて見ていた子たちが慌てて追いかけている。

 

 ――はあ、疲れた。

 

 深く溜息を吐いて、心を落ち着かせる。

 

 ふらふらと当てもないまま歩いていれば、いつの間にか中庭の隅へと辿り着いていた。人気のないそこにはポツリとベンチが設置されていたので、乙女の嗜みなど皆無な私は誰にも憚られることなく、腰を落とした。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。私が周囲に聖さまと祥子さまの妹候補――盛大な勘違いだし、人から聞いた話だけれども――だと思われているのに、こうして声を掛けてきたことは謎である。色々と頭の中で考えてみるけれど、リリアンに疎い私が答えを得る訳はなく。

 

 嗚呼、面倒なことになったかもしれないと肘を膝の上に置いて屈みこみ両手で顔を塞いだ。本当にどうしてこうなってしまったのか。ここに入学したことが間違いだったのか、四月の初めにみんなに倣うように姉を作らなかったことが問題だったのか。

 はたまた山百合会の手伝いをしたことが発端だったのか。それとも体育祭で目立ったのが不味かったのか。それとも全てが原因で塵も積もって山となってしまったのか。自分の行動に後悔などないけれど、出来れば平穏で楽しい学生生活を送りたいものである。顔を覆ったまま、また溜息が一つ漏れ私にしては珍しく憂鬱な気分に陥る。

 

 「あの、お体の具合が悪いなら――」

 

 保健室に、という言葉は目の前の彼女の口から出ることはなかった。

 

 「へ」

 

 ふと降りかかった陰に間抜けな声を出しながら顔を上げれば、ツインテールが特徴の小柄な少女が立っていた。

 

 「大丈夫ですか?」

 

 小さく首を傾げれば、ツインテールも一緒に揺れた。眉を八の字にさせながら心配そうに私を見つめる瞳に苦笑を漏らす。紛らわしい姿を見せて申し訳ないと思いつつ言葉を口にした。

 

 「すみません、体調が悪いわけじゃないんです。紛らわしかったですね。申し訳ないです」

 

 「い、いえっ! 勘違いをして声を掛けてしまった私も悪いですしっ!」

 

 声を掛けてくれた子に頭を下げると、表情を変えながら目を真ん丸にしているツインテールの子は、少し驚きながら私に謝る。心配で声を掛けてくれたのならば、それは彼女の優しさで何の問題もないというのにだ。

 

 「いえいえ、声を掛けて頂いてありがとうございます」

 

 「そんな、大袈裟ですよ」

 

 少しささくれていた心が癒され、笑みが零れる。そんな私の顔を見たのか、困っていた顔から一転して彼女も笑う。

 

 「でも、どうしてこんな所に?」

 

 誰も居ないし、この時間に人が訪れるような場所でもないのだけれど。

 

 「たまたま貴女が塞ぎこんでいる所が見えたので。もし体調がすぐれないのならばと来てみたんです」

 

 「なるほど。迷惑を掛けたついでに少し私の話を聞いて頂いても良いですか?」

 

 「構いませんよ。もう帰るだけですので、時間はいくらでもありますから」

 

 にへらと笑う少女は随分と人懐っこいようだ。失礼しますね、と言って私の隣に座った。面識もないというのに良いのだろうかと思うけれど、同じ学園の生徒であるしこうして話す機会を持てたのだから身構える必要もないのだろう。

 普通ならば何か裏があるのではと疑いそうなものだけれど、純粋培養で育った彼女は擦れていないようだった。そのことをありがたく思いながら、先ほどの出来事をかいつまみながら彼女に伝えた。

 

 「うぇっ!? 上級生からの姉妹宣言を断ったんですか!?」

 

 瞳が零れ落ちそうなほど見開いた目は驚きに満ちていて。膝の上に置いていた両手は、驚きのあまりかスカートを握りしめていた。しわになるよ、と指を指せば慌てて解いて直していたけれども。なんだか小動物のような彼女を見ていると微笑ましい気分になる。不思議な感じを持つ子だった。

 

 「ええ。駄目でしたかね?」

 

 「いえ、その……初対面の上級生と絆を結んだ子も居るそうなので……駄目ということはないと思いますが、あまり聞いたことがありませんし……」

 

 驚きながらも、言葉を選びながら答えてくれる。

 

 「そうなんですね。今年からここに編入したので、どうしてもこういう事に疎くて馴染めなくて。遠まわしにお断りの空気を醸し出したつもりだったんですが、怒られてしまいまして」

 

 「ええっ!!」

 

 ぴょこんと内側にはねているツインテールを揺らして、さらに驚く。だって仕方なかったのだ。あの場合ストレートに断ってもやんわりと断っても上級生は怒っていただろうから。ひえええ、と青ざめた顔をしながら苦笑している私の顔を見ているツインテールの子はまるで自分のことのように動揺している。

 

 「まあ、もう終わった話ですし、これ以上どうしようもないんですけれどね」

 

 「そう、ですが……。何かもっと上手くいく方法ってなかったのでしょうか」

 

 「あはは。あの場で上級生の言葉を飲んでいれば丸く収まったのでしょうが、私には無理でしたね」

 

 「でも、羨ましいです。そうしてはっきりとお姉さま方に意見を言えるのは」

 

 「?」

 

 「上級生とお話をしていると緊張してしまいますから」

 

 「ああ、なるほど」

 

 この辺りは慣れと経験だろう。まだ目の前の彼女は高校一年生で、おそらくリリアン以外を知らないだろうから。これから大学を経て社会人になって色々と経験を積めば、慣れるはずだ。年上というだけで威張り散らす人も居れば、腰の低い人も居るし、人との付き合い方は社会人になってからも学ぶことが多いし。

 というかむしろ社会人になってからの方が、人付き合いを考えていたように思う。頼れる上司、頼れない上司の選別をしなきゃならないし、自分の下に就いた子の面倒を見て教え方をそれぞれに工夫をしたり、何を任せるか考えたりと色々と大変だ。

 

 まあ、彼女にはまだ先の未来だし、少し頼りない雰囲気のある子ではあるけれど、もしかすれば何かの才能に目覚める可能性だってあるのだから。

 

 「そのうち慣れてしまいますよ」

 

 「そうだと良いのですが」 

 

 「話、聞いて頂いてありがとうございます」

 

 「いえ、本当に聞いていただけなので、何の助力にもなってませんし」

 

 ベンチから立ち上がるとそれに倣ってツインテールの彼女も立ち上がり、笑いあう。やはり一人で抱え込むよりも、誰かにこうして話を聞いてもらえるだけでも随分と気が晴れるものだ。大袈裟に背伸びをして彼女に時間を取らせてしまったことの謝罪と、話を聞いてもらったお礼を述べると彼女は校舎へと戻っていった。名前も何も聞かなかったけれど、縁があればきっとまた再会するだろうと願いを込めながら、私はまたベンチに座り込む。

 

 何故上級生は私を妹にと選んだのか、物陰でこちらを見ていた人たちは何の目的があったのか。色々と疑問は残っているけれど。

 

 ――考え込んでも仕方ないか。

 

 そう、なんとかなるさ。ケセラセラである。もう一度ベンチで背伸びをして、ふうと息を吐く。

 

 「こんな所でどうしたの、樹ちゃん」

 

 「ごきげんよう。蓉子さま、祥子さま」

 

 おや、と顔を上げればそこには紅薔薇姉妹が揃って立っていた。

 

 「ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう」

 

 中庭には薔薇の館があるから仕事をしに来た際に私の姿を見つけて、わざわざ此処まで赴いてくれたのだろう。

 

 「お二人は山百合会の仕事ですか」

 

 「少し雑用があるものだから捌いてしまいましょうって祥子と話していたの、ね?」

 

 「ええ、お姉さま」

 

 そう言って蓉子さまは祥子さまの方を見る。互いに目を細めて笑いあうのは、信頼の証なのだろうか。仮に私が祥子さまの妹になったとして、この中に混ざる姿を想像してみる。――圧倒的に不釣り合いというか違和感が半端ない。私がこの中に混じれば似合わないことこの上ないのだけれど。ついでに聖さまと姉妹になった姿を夢想してみる。…………うーん更に合わない。というか聖さまが妹を従えている姿を想像できないという方が正しいだろうか。それに私が二人のどちらかを『お姉さま』だなんて呼んでる姿を想像すると、気持ち悪いの一言に限る。

 

 何故、周囲の人たちは勘違いしているのか、本当に謎だ。

 

 「それで、貴女はどうしてこんな所に?」

 

 少し呆れたような顔をした祥子さまは先ほどはぐらかした質問を再度問いかけてきた。上手くかわせたと思ったのだけれどそうは問屋が卸してくれないようだ。

 

 「いえ、まあ、色々とありまして……」

 

 「それは私たちが聞いてもいい事なのかしら?」

 

 「問題はない、筈です」

 

 こうして私が言いふらすことに不快に思う人が居るかもしれないが、相手の名前も知らないのだし問題は少ないはず。それに目の前の二人が吹聴するような人ではないのは知っているし、聞いてもらうには丁度良いのかも知れない。

 

 「なら薔薇の館に行きましょうか。そのついでに仕事を手伝ってくれると助かるわ」

 

 「了解です」

 

 どうやらタダで話を聞くつもりは無いようで、仕事を対価で求めてくるとは、蓉子さまはちゃっかりしている。片眉を上げて苦笑をしながら薔薇の館に向かい、いつもの様にいつもの席へと座る。

 取り合えずお茶を淹れるのは下っ端の仕事となっているので、紅茶を用意して二人の目の前にカップとソーサーを置いた。蓉子さまからの仕事は本当に雑用で簡単に終わるものだったので、作業をしながら事のあらましを語れば、蓉子さまは苦笑いを、祥子さまは苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 

 「……樹さん、その上級生のお名前は知っていらして?」

 

 「いえ、それが全く」

 

 「そう。――なら顔は覚えていらっしゃるでしょう?」

 

 少し怒りのオーラを携えている祥子さまの視線は厳しいものだった。真面目な人で道理を弁えない人間を毛嫌いする質だから、突然私に姉妹を迫った人に怒りを覚えるのは理解できるけれど。

 

 「そりゃ、見ればわかると思いますが、断った手前あまり会いたくはないですし……」

 

 私が知っている上級生といえば、山百合会に所属する人たちとその仕事上で知り合った人くらい。しかも部活関係の人は私の名前を知っていても、私は相手の名前を知らないという状況だ。どこそこの部長さん、副部長さんで覚えておけば仕事に支障はなかったし、覚える気もあまりなかったというのもあるけれど。

 

 「祥子、犯人捜しをしている訳じゃないのだし止めておきなさい」

 

 「ですがお姉さま。今後も今回のように樹さんにロザリオを渡そうと躍起になる方がいらっしゃるでしょうし、野次馬をする方までいらしたなんて……」

 

 野次馬していた人は知っているけれどあえて伏せて、知らない人だったと伝えている。バレると私が嘘をついていたことになるけれど、まあその時は泥を被ろうと覚悟している。

 

 「確かに感心はしないけれど、樹ちゃん本人がどうしたいかでしょう?」

 

 「ですがっ! ……樹さんはどうされたいの?」

 

 いつもならそのまま怒りを継続していそうな祥子さまが長い息を一つ吐きだしてぐっと堪えた。珍しいこともあるのだなと目をひん剥いていると、ジト目で祥子さまに睨まれる。大体いつも何か私がやらかして祥子さまに怒られるパターンが常だったから、こうして喋るのは滅多になかったのだし。

 

 「どうもこうも終わった事ですし、先輩後輩の関係を望んだら怒って去っていきましたから、その方と友人関係を築くのも無理ですよね」

 

 プライドが高そうな人だったし、関係継続は無理と判断したのだ。

 

 「なるほど。樹ちゃんは姉を持つ気はあって?」

 

 祥子さまと私のやり取りを静かに聞いていた蓉子さまが、随分と真剣な眼差しで私を見て問うた。

 

 「ないですね。誰かをお姉さまだなんて呼んでる自分の姿を想像すると気持ち悪いですから」

 

 嗚呼もう本当に。お姉さまと呼びながら戯れる自分の姿なんて想像したくない。

 

 「あら、残念。聖か祥子の妹に納まってくれると助かったのだけれど」

 

 「お姉さまっ! 勝手に話を進めないで下さい!!」

 

 「もしも、の話よ、祥子。現状で妹を持っていないとなると、この先に出会う可能性も低いでしょうから」

 

 「ちょっと樹さん、そんな目で私を見ないで頂戴!」

 

 祥子さまに睨まれてしまったので視線を逸らす。また祥子さまが自分の姉になった姿を想像してみたのだけれど、あり得ないと心が否定してそれが目に出てしまったようだ。

 

 「樹ちゃんは、祥子をどう思っているの?」

 

 「ん? どう、どうですか……学校の先輩、ですかね」

 

 どうもこうも、それしか言いようがない。育ちが良すぎて近寄りがたい雰囲気があるし短気な所もあるけれど、困っていると助けてくれるし今回だって動いてくれようとしてくれたのだから、良い人なのだろう。

 

 「そう」

 

 机に肘をついてその手を頬に充ててにっこりと笑う蓉子さまに、その姿を見て顔を赤くしている祥子さま。なんだか甘い空気が流れているような気がするけれど、姉妹でいちゃつくなら他所でやって欲しいのだが、そんなことを言えない下っ端は仕事の手を動かす。

 

 「でも樹ちゃんがああやって悩んでいるなんて珍しいわね」

 

 「悩んでいるように見えましたか?」

 

 ベンチに座って考え込んではいたけれど、あの時は外に出してるつもりはなかった。目敏く見てる人だなあと感心するし、こうして話を聞いてくれるのはありがたいことだ。

 

 「ええ」

 

 小さく苦笑いをして蓉子さまは頷いた。

 

 「人間ですからね。悩むことも愚痴や弱音なんていくらでもありますから、溜め込んでも仕方ないですし吐けるときには吐き出さないと。それにこうして話を聞いてくれる人が居るんですから、恵まれています」

 

 「貴女らしい言い方ね。祥子もそのくらいになってくれれば可愛げがあるのだけれど」

 

 「お、お姉さま!?」

 

 「だって貴女は弱い所を隠そうとするでしょう。姉の立場である私からすれば、頼って欲しいし、甘えて欲しいもの」

 

 横に座っている祥子さまの頬をつんつんと人差し指で突く蓉子さま。そんなことを祥子さまに出来るのは目の前の人しか居ないよなあと感心しながら、改めて姉妹の絆というものは不思議なものだと思いなおす。また流れ始めた甘い空気にご馳走様、できれば誰も居ないところでお願いしますと心の中で念じて、私は薔薇の館を後にした。

 




 8407字 

 さてオリ主はヘイトを順調に(一部勢力から)稼いでいるようで。

 もちろんツインテールの子はマリみて主人公の祐巳ちゃんです。ただ名乗るまでには至らず(笑) 面識を持って欲しかったので、ここで出演してもらいました。

 上級生から妹にならないかと言われて断る人って珍しいのでは、と思います。祐巳ちゃんと志摩子さんはもちろん例外で。てか穏便に断る方法って面倒そうですね。上下関係の厳しいリリアンならば上級生のメンツを立てないといけなさそうですし、断ったら断ったで噂が流れそうで……。まあ普通は初対面でこんなことは言わないでしょうが、モブキャラの間で色々と思惑が交錯している感じです。
 作中でオリ主以外の視点で語るべきかもしれませんが、さてどうしたものか……。所詮モブなのだし……。

 お気に入り登録が1000↑を超えました。拙作を読んでくださる皆様ありがとうございます。何故だか話の進みが凄く遅いので、まだしばらくお付き合いよろしくお願いします。これが終われば久保栞氏に憑依転生したオリ主モノを書きたいのですが、まだまだ先。うっ、そもそも需要……まあ気にするまいて。

 【追記】残業をしていたので報告が遅くなりましたが、設置していたアンケートを締めました。
      ①:ちゃん付け :155+4=159
      ②:呼び捨て  :135+5=140
      ③:作者が考えて:67+ 2=69
      ④:どちらでも :105+0=105
 結果は1番となりました。計472票という沢山の票を入れて頂き有難うございました。前にも言いましたが30票が精々だろうと思っていたので、感無量です。どこかのタイミングで聖さまからオリ主の名前の呼び方が『君』から『ちゃん』付けになります。……いつになるやらorz (2020/08/29:なんだか色々と書き間違っていたのでサイレント修正しておきますテヘッ)



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第十四話:再契約と写真Re

 仕事もほとんどないというのに薔薇の館で仕事をしていることが多くなったのは、気のせいなのだろうか。ほぼ毎日といっていいほど、由乃さんか志摩子さんが教室へ姿を現して私を呼んで薔薇の館へと連行され、来ない日は大体前の日に仕事があるからとにっこりと笑って蓉子さまか江利子さまがそう告げるのだ。その割には軽作業が多く、仕事量が多いわけでもないのだから不思議である。

 

 「私って必要あります?」

 

 みんなが会議室の長机に座り優雅に入れられたお茶を飲みながら黙々と作業をしている最中に、ふとそんな言葉が私の口から零れた。

 

 「急にどうしたの、樹ちゃん」

 

 私の突然の一言でぴたりと止まったみんなの作業の手。私の声に答えてくれたのは、いつもの様に蓉子さまである。

 

 「いえ、さして作業が多いわけでもないのに私がこうして山百合会の仕事を手伝う理由があるのかな、と」

 

 「そうかもしれないけれど、意味はあるわよ」

 

 「あるんですか?」

 

 「――だって私が面白いもの」

 

 私と蓉子さまの会話へ突然乱入したのは江利子さまで、その口にした言葉はぶっ飛んでおり、にっこりとドヤ顔で言い切ったのだから、なんともまあ肝が据わっているというかなんというか。

 

 「いやそれ、超個人的な理由じゃないですか。私の身柄の解放を要求します」

 

 「あら、樹ちゃんのご両親にも許可は頂いているし、何時までとも約束を交わしているわけではないもの。私たちにはいつでも貴女を呼び寄せる権利があるわ」

 

 ふふふと不敵に笑ってその理由を語る江利子さま。確かに手伝いをお願いしたいと言われただけで、期間は具体的に述べていなかったけれど。体育祭で忙しいと聞いていたからてっきりそこまでと考えていて、きっちり期間を決めずに返事をした私も悪いけれど、それにしたって無理があるような。

 

 「……横暴だ」

 

 ぼそりと小さく口から漏れ、その言葉を耳ざとく聞いた蓉子さまは苦笑し江利子さまは更に笑みを深める。聖さまは無言でこちらを見ているだけだ。

 聖さまとはほんの少しだけではあるが、個人的な会話を交わすようにはなったものの、まだまだ仲が良いとは言えないだろうから仕方ない。誰か助けて欲しいと周りを見渡すけれど、祥子さまは知らん顔で書類に何やら書き込んでいるし、令さまは手を止めて苦笑い。横に座っている由乃さんに視線を向けると微笑みながら肩を軽く叩かれた。どうやら無理ということらしい。志摩子さんにも助けを求めてみるけれど、小さく左右に首を振って明確に拒否され、もう一度聖さまを見ると乱雑に頭を掻きながら溜息を吐いて。

 

 「諦めれば」

 

 なんとも淡白な言葉を頂いてしまった。

 

 「見捨てられた……」

 

 がくりと頭を下げれば周囲からは笑い声が漏れる。大口を開けて笑わないところに品を感じるけれど、どうせなら大笑いして私の虚しさを吹き飛ばしてもらいたいところだ。

 

 「冗談はそこまでにして。来月には学園祭が開催されて忙しくなるから、今はいいけれど樹ちゃんを手放すわけにはいかないわ」

 

 笑いが収まると蓉子さまが仕切り直しとばかりに、もっともな理由を語ってくれたけれど、忙しくなるまで私の手は必要ないじゃないかと不満を抱き抵抗を試みた。

 

 「――他の人に手伝いを頼んでください」

 

 「なら、樹ちゃんが代わりの子を連れてきてくれる?」

 

 「誰でもいいんですか?」

 

 山百合会を手伝って欲しいとクラスメイトに声を掛ければ、喜んで引き受けてくれるだろう。ここの仕事自体は嫌いではないし、ここに居る人が嫌いでもないから手伝うことは構わないけれど私に拘る必要はないし、数日前のアレの対策案でもある。山百合会に出入りする人が増えれば、私の印象が周囲から薄くなるのは自明の理なのだし。

 

 「そうねえ、私たちに物怖じせずきちんと仕事をしてくれる子かしら?」

 

 「この学園の人なら仕事はきちんとしてくれるでしょうし、物怖じは慣れの問題なんじゃ……」

 

 「三週間、いいえ、もっと以前からだったかしら。貴女は私たちに溶け込むのが早かったでしょう。今まで手伝いに来てくれた下級生だとなかなかだったもの」

 

 かといって薔薇さま方と同世代である三年生は誘い辛いだろう。受験が控えているのだから、早い人はもう対策をしていて忙しいだろうから。

 

 「お使いの時に上級生が相手だと縮こまってしまう子も居るから、その辺りのポイントも高いわね」

 

 ポイント制なのかと心で突っ込みを入れつつ、確かに真面目な分、上級生相手だと緊張している子が多い気がするけれど、そんなに気を使わなければならないものだろうか。最低限の礼儀さえ弁えていれば、ある程度の粗相も見逃してくれるだろうに。部活や委員会活動をしている子は誘い辛いし、帰宅部所属の子たちは習い事や塾へ行っている子が多いし……。

 

 「あれ、結構難題だったりします、これって……」

 

 「分かってくれたかしら」

 

 「そういう事だから、まだしばらくはよろしく」

 

 苦笑しながら笑う蓉子さまと、にやにやと笑いながら机に肘を置いた手に顔を乗せる江利子さま。このやり取りをしばらく眺めていた聖さまはまた溜息を一つ吐き。祥子さまは無視を決め込み、令さまは私に気の毒そうな視線を向けてくるし、由乃さんはもう一度私の肩を二度軽く叩いて小声でご愁傷さまと呟き、志摩子さんはにっこりと意味深に笑っている。誰も助けてくれる人は居ないのかと心の中で叫びながら、上下関係を崩すことは難しいのだなと実感した一幕だった。

 

 ところで『しばらく』っていつまでの事を指しているのやら。聞いても有耶無耶にされそうだから、結局聞かないままで終わってしまったのだった。

 

 ◇

 

 ――昼休み。

 

 適当な場所を見つけ出して一人で黙々とお弁当を食べた後のことだった。

 

 「ああ樹さん、こんな所に」

 

 名前を呼ばれて、ふと顔を上げるとそこには見知った姿が。カメラを首から提げて眼鏡を掛けた彼女の名は武嶋蔦子さん。片手を上げてごきげんようと言われ、私もごきげんようと返す。

 

 「どうしたの、蔦子さん」

 

 体育祭の時に撮った写真の件で縁が出来て以降、何故かちょくちょくカメラで私を撮っているからそれが切っ掛けでクラスメイトでもないのに気楽に話せる貴重な人となっていた。本人もお嬢様言葉は苦手なようで、畏まらない方が楽で良いとぼやいていたのは記憶に新しいのだけれど、ついでと言わんばかりにカメラを私に向けシャッターを切るのはどうなのだろう。蔦子さん曰く、良い顔をしていたからついついとの事でほとんど無意識のうちの行動らしい。如何にも授業中以外はカメラを離さない彼女らしいけれど、私を撮ってもつまらなくないのだろうかと悩みつつ、その辺りの判断は蔦子さんがすることだし、ガラケーやスマホやらで慣れていたのでカメラを向けられるとついポーズを取る私も私だった。

 

 「大したことじゃないのだけれど、体育祭で撮った写真を渡しておこうと思って」

 

 体育祭の時の写真と言われて思い出すのは、借り物競走で令さまと一緒に走っていた写真のことだろうか。

 

 「あれってお蔵入りにするんじゃなかったっけ?」

 

 「許可が貰えなかったから勿論ね。ただ、公表はしないけれど写真自体に罪は無いでしょう。自信作だしせっかくだから本人には渡しておきたくて」

 

 スカートのポケットからはがきサイズの白い封筒取り出して蔦子さんは私へと差し出した。せっかく良く撮れていたのだから、確かに眠らせたままでは勿体ない出来だったので快く受け取る。そうして受け取った封筒はえらく厚みがあり、何故と疑問が沸き起こる。

 

 「これ一枚だけじゃないよね、中見ても良いかな?」

 

 「ええ、もちろん」

 

 そうして封がされていなかったのでそのまま開いて写真を取り出して見てみると、体育祭のもの以外に、私が写ったものが何枚もあり、その中には制服姿の私やら由乃さんや志摩子さんと山百合会の仕事でお使いに出た時のものもあった。

 

 「いつの間にこんなに撮ってたの?」

 

 蔦子さんの写真に対しての熱意振りに、苦笑が自然と漏れた。

 

 「撮る機会なんて何時でもあるもの。それに樹さんは良い顔をしている時が多いから、被写体として最高の素材なのよ」

 

 「嬉しいけれど、何故だか複雑な気分……」

 

 「あら、何故かしら?」

 

 「リリアンって奇麗な人とか可愛い子って一杯いるし、私を撮って楽しいの?」

 

 ちなみに私の顔面偏差値は凡の凡だから、撮ってもしょうもないものが出来上がるだけなんだけれど、蔦子さんの写真の腕は確かで随分と奇麗に撮れているのだから不思議なものだ。

 

 「楽しいから撮っているもの。ファインダーをずっと覗いていても飽きない人は貴重ね」

 

 提げていたカメラを掲げてにっと笑う蔦子さんは楽しそう。

 

 「うーん、蔦子さんを理解できる日は遠そうだなあ」

 

 まあ私も撮られているけれど、他の人も沢山撮っているんだろう蔦子さんは。一種の職業病のようなものだろうと諦める。

 時折隠し撮りやらをしているけれど、良いものが出来ればこうして本人に赴いて写真を渡しているみたいだし、不味いものは公表しないと彼女の中で線引きがされているのだから咎めることもない。なにより本人は楽しんでいるのならば、止める必要は全くないだろう。

 

 「樹さんは面白いことを言うのね」

 

 「その自覚はないんだけれど……この学園に来てからその台詞はよく言われるようになったなあ」

 

 本当に。それに江利子さまからは玩具扱いのようになっているし。まあ確かにこの学園だと私は珍獣扱いなのだろう。いつもアンニュイな感じを醸し出しているのに、私を見ていると何かやらかさないだろうかと期待の眼を向けてくるのだから。そこまでやらかしている気はないのだけれど、なにか仕出かさないか観察しているのもどうやら彼女にとって楽しみの範疇らしい。

 

 「まあ樹さんは、二学期に入ってから注目を浴びてきているのは事実よね。私も編入生ってことは知っていたけれど、こうして言葉を交わすようになるなんて思っていなかったもの」

 

 このカメラのお陰ね、と愛おし気にカメラを撫でて蔦子さんは微笑んだ。

 

 「私も蔦子さんは有名人なのに知らなかったから、お互い様だよ。――ていうか、私ってみんなから注目されているの?」

 

 山百合会の仕事の手伝いや上級生からの姉妹宣言で私の存在が目立ってきているのは何となく自覚はしているけれど、改めてこうして他の人から聞くとどう注目されているのか気になるもので。

 

 「ええ。白薔薇さまと紅薔薇のつぼみの妹候補の一人。志摩子さんと樹さん、どちらがどちらの手を取るのか。それに紅薔薇さまと黄薔薇さまとも楽し気に話している所を見たって方も居るし。いろいろと噂が流れているわね」

 

 「またそれかあ……」

 

 「あら、樹さんは不本意なの?」

 

 何故か付きまとうのはこの手の話である。何度も言うけれど二人どちらかの妹になる気など全くないので、こればかりは迷惑である。噂をするのは勝手だけれど、本人の耳には入れないようにして欲しいものだけれど、どうやら無理なようで。

 

 「うん。二人どちらかの妹になる気は全くないから、聞かれればこうして言ってるんだけれど……」

 

 「でも、周りはそう見てくれないものね」

 

 「そうなんだよね。前にも言ったけれどここの人たちって山百合会の人を特別視し過ぎてるよ」

 

 「そうかもしれないけれど、樹さんはそろそろ自覚を持った方が良いかもね」

 

 「自覚って?」

 

 「樹さんが思っているよりも周りから注目されてること。あと新聞部には気を付けないと」

 

 樹さんなら大丈夫だろうけれど、と言葉を付けたした蔦子さんは苦笑いをして。ふと以前に志摩子さんも同じことを零していた光景が蘇った。新聞部の一年生が私の下を訪ねてきたことがあって、それ以降は何のコンタクトもないから記事にできることがなくて諦めたのだろうと勝手に思っていたのだけれど。

 

 「気を付ける術がない気もするけれど……」

 

 「確かに」

 

 お互いに肩をすくめて笑いあえば、昼休みの時間の終わりを告げる予鈴が鳴り響く。

 

 「あ、これを令さまにも渡しておいてもらえると助かるのだけれど」

 

 戻ろうか、という声は蔦子さんに遮られ、スカートのポケットからもう一枚はがきサイズの封筒を取り出して、私へと向ける。取り合えず受け取ってみると、私に渡されたものよりも随分と薄く、中身は違うものだとうかがい知れた。

 

 「パネル展示用にするはずだった写真なのだけれど、やっぱりお蔵入りは勿体ないから、お願いできないかしら?」

 

 「うん、わかった。次に会った時渡しておくよ」

 

 「ありがとう、面倒ごとを押し付けて申し訳ない」

 

 「気にしないで、それよりも急がなきゃ」

 

 「ええ、授業に遅れてしまうと大変だものね」

 

 今度こそと手を上げて二人廊下を進みお互いの教室へと戻ったのだった。

 

 ◇

 

 ――その日の放課後。

 

 図書室でなにか暇つぶしが出来るものがないかなと、きょろきょろと本棚を眺めてとあるタイトルの背表紙に手を掛けた時だった。ぬ、と伸びてきた白い手が視界に入り、その手が私と同じものを目指していたので、目的の物の寸でで私の手と誰かの手が同時に止まった。あれま、と横を向いてみると見知った姿があった。

 

 「由乃さん」

 

 「あら、樹さん。偶然ね」

 

 ごきげんようといつもの台詞を呟いてゆっくりと目を細めて笑う由乃さん。何か言いたそうな視線を感じて、ここで話し込むのも周りの迷惑になってしまうからと図書室の外を指差せば、彼女はひとつ頷いてくれた。少し歩いてしまったけれど、天気も良いし気温もそれほど暑くはないから中庭のベンチの一つを陣取った。

 

 「由乃さんも本が好きなの?」

 

 「ええ。私、体が弱いでしょう、だから出来ることが限られているから」

 

 「そっか。でも意外だったなあ、由乃さんが時代小説を手に取るイメージが全くなかった」

 

 「あら、それだと樹さんもじゃない。まさか同じものを手に取ろうとした人が樹さんだなんて。凄い偶然」

 

 小さく首を傾げて奇麗に笑う由乃さん。イメージ的には恋愛小説なんてものが似合いそうだけれど、人は見かけによらないものである。私は以前に見ていた時代劇が懐かしくて、原作を読んでみるのもまた一興だなと思ったものの、お金を出してまで読む気はなく、学園の図書室にあればラッキーだなくらいで物色していたのだった。

 

 「だね」

 

 「ええ。――樹さん、スカートのポケットから何か落ちそうになっているわ」

 

 「ありゃ」

 

 由乃さんの言葉に自分のスカートのポケットへと視線を向けると、昼休みに蔦子さんから譲り受けた封筒が落ちそうになっていた。取り合えず一度ポケットから引き抜いて、落としそうになっていたことを教えてくれた由乃さんにお礼を伝えた。

 

 「手紙?」

 

 「ううん、中身は写真。同じ一年生の武嶋蔦子さんって知ってる?」

 

 「ええ、有名な方だから知っているわ。その方から頂いたの?」

 

 そうか、蔦子さんってそんなに有名なのかと思いなおす。

 

 「うん。良いものが撮れたから、被写体になった私にってくれたんだ」

 

 「見せてもらってもいいかしら?」

 

 拒むものでもないし、見られても困らないので由乃さんに渡すと、彼女は丁寧な手つきで封筒を開けて、ゆっくりと写真を取り出してじっくりと私が写っている写真を見ている。

 

 「あ、これって……」

 

 「うん?」

 

 「少し前に樹さんと一緒にお使いに出た時ね。いつの間に撮られていたのかしら」

 

 由乃さんの目に留まったのは、山百合会の仕事で一緒に部室棟へと向かった時の物で、由乃さんと私がお喋りをしながら笑いあっていた瞬間が切り取られていた。由乃さんは可愛らしく口元に手を当てて笑っているけれど、私は白い歯を見せて笑っているのだから品の差が出ているのは丸分かりで。蔦子さんもよくこんな一瞬を上手いこと撮ったものだと感心するけれど、少し意地が悪いような気もしなくもない。

 

 「タイトル、お嬢さまと庶民ってところかな」

 

 正直、育ちの差が出ていて、同じ制服を着ているというのに品よく笑っている由乃さんとにっと口を引き延ばして笑っている私とでは釣り合いが取れないから、こう表現した方がしっくりくる。適当に言ってみたのに我ながら上手いこと表現したもんだと一人感心してた。

 

 「そんなことないわ。良く撮れているもの。それに私ってこんな風に笑っているのね」

 

 「んー、いつも通りの由乃さんだと思うけれど……あ、隠し撮りが嫌なら言っておくよ」

 

 勝手に撮っているものだろうし、知らずに見たのなら不快かも知らないから念の為に聞いておく。写真に慣れていない人や元々撮られることが好きじゃない人や苦手な人もいるはずだから。自分が嫌じゃないからといって、みんながみんな嫌いじゃないとは限らないのだから気を付けた方が良い。

 

 「あ、写真に撮られたことは気にしてないの。ただ、こうして家族や親戚以外の誰かと一緒に写る機会が中々なくて嬉しかっただけ」

 

 「そっか。じゃあ蔦子さんに頼んで沢山撮ってもらわないとね」

 

 「そうね、楽しみ」

 

 ふふ、と小さく笑って何故だか照れくさそうに、違う写真を眺め始めた由乃さん。私が写っているものが大半だから、楽しいかどうかは分からないけれどしげしげと見つめているから邪魔しちゃ悪いと黙って由乃さんを眺める。

 

 「これって、令ちゃ、お姉さまと一緒に走った時の……」

 

 言いかけて直した言葉に苦笑が漏れた。二人は幼馴染と聞いたから、きっと普段はそう呼んでいるのだろう。

 

 「私しか居ないし、由乃さんがよければいつも通りでいいと思うよ。――その写真ね、蔦子さんが凄くいい出来だって」

 

 「ありがとう、樹さん。二人とも良い顔をしているわ」

 

 「それね、学園祭で写真部の展示会に出したいって令さまにお願いに行ったんだけれど、断られたんだ。きっと由乃さんのこと考えてたんだね」

 

 私の言葉を聞いて笑ってはいるものの、由乃さんの顔には何か影が差したように思えた。

 

 「馬鹿ね、令ちゃんは」

 

 「え?」

 

 私の耳に届くか届かないかの自嘲混じりの声で、由乃さんは下を向きスカートを握りしめる。その様子に何かがあって、私がその地雷を踏んでしまったことだけは理解が出来た。

 

 「小さい頃から私の体が弱くて、令ちゃんは私の為に我慢していることが沢山あるんだもの。この写真だってすごくいい顔をしてるし、断る必要なんてなかったじゃない。本当、馬鹿よ」

 

 「……由乃さん」

 

 「――ごめんなさい、変なこと言っちゃって」

 

 今にも泣きだしそうな顔で、半笑いで無理矢理に言葉を紡いでいるのが分かってしまう。

 

 「ううん、変だなんて思わないし、由乃さんも令さまもお互いにお互いが大切なんだって分かったよ。そうじゃないと令さまは写真の展示を断らなかっただろうし、由乃さんは令さまが断ったことに不満を抱くはずがないから」

 

 私の考えが上手く由乃さんに伝わるか分からないけれど、言わなければ分からないこともあるのだ。ましてや由乃さんと令さまはずっと一緒にいるみたいだから、距離感が近すぎて客観的にお互いを見ることは不得手だろうから、偶には他人から見た二人を知ってもらうのもいい機会だろうから。もしかしたら失敗して不快に感じる可能性もあるけれど。

 

 「ありがとう。こんなことを話したのは樹さんが初めてかもしれないわ」

 

 「はは。愚痴や不満ならいくらでも聞くし、悩みもあれば相談してよ。解決するかどうかは別だけれどね」

 

 「いいのかしら、もしかすればつまらないかもしれないわ」

 

 泣き出しそうな顔が少し明るくなって、小さく笑った由乃さん。

 

 「つまらなくても良いでしょ。友達の話を聞くことに価値があるんだよ」

 

 「――ええ、そうね」

 

 「それにね、楽しくないなら、楽しくすればいいだけだよ」

 

 に、と歯を見せて大袈裟に笑う私を見て、由乃さんもつられてようやく奇麗に笑ってくれた。その姿に安堵しながら、さっき図書室で手に取りかけた本の事に話が移る。どうやら由乃さんは時代小説が好きで勧善懲悪ものが特に好みのようだ。意外だなと思いつつも、由乃さんの新たな発見が出来たのだから今日は大収穫だろう。

 それから随分と本について話し込んでしまい、由乃さんの家に遊びに行く約束まで取り付けてしまったのは図々しかっただろうか。でも由乃さんは楽しみだと言ってくれたのだから、その言葉を信じよう。

 

 そして、蔦子さんから預かった令さまへ渡して欲しいと言われた写真を、どうせなら由乃さんから令さまへ渡してもらった方が良いだろうと判断した私は、理由を話して由乃さんに『支倉令さま』と蔦子さんの綺麗な字が書かれた白い封筒を預けた。

 後に由乃さんからしこたま怒られたよと苦笑しながら話す令さまに、しこたま頭を下げた私がいることを、今の私は知る由もない。

 

 

 

 




 8250字

 平日投稿なのに八千字↑で草。まあ良いことだから、いいか。次も頑張ります。


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第十五話:白と灰と黒

 予約投稿時間を間違えるという凡ミス。せっかく奇麗に揃っていたのに、次の話から十八時投稿になりますorz


 ――見事な曇天。

 

 アレの件以降、見知らぬ生徒に呼び止められ、聖さまと祥子さまどちらかの妹になるのか、とか山百合会に何故出入りをしているのか、などと聞かれることが増えた。この学園の生徒数から考えるに、その数は極々一部なのだろうけれどこう何度も重なってしまうと辟易してくる。一度、蓉子さまと江利子さまにどうにかならないか相談してみたものの、私が本当に困っている訳ではないし色々と事情があるから、申し訳ないがもう少しの間我慢して欲しいと頭を下げられてしまっているので、我慢するしかないのだけれど。それでもまあ、こうして心の中で愚痴をこぼすくらいは許して欲しい。

 

 「貴女、いつまで山百合会に出入りをする気なのかしら?」

 

 「薔薇さま方からのお願いで、文化祭まではと言われておりますので」

 

 こうして今日もまた、見ず知らずの生徒数人に絡まれている訳である。ちなみにこの中の一人は数日前私に姉妹宣言を言い渡した人。暇な人たちだなあと心の中でぼやきつつ、毎回似たり寄ったりな質問なので、毎度同じ返答をするのは流石に飽きてきた。もうすこし捻りがないものかと唸るけれど、山百合会の外側からしか見られない人は、どうにも気になる事は同じのようで。質問はいつも聖さまか祥子さまの妹に納まるつもりなのか、何のつもりで山百合会に出入りをしているのかがほとんどを占めている。

 

 「そう。――けれど、薔薇さま方の妹でもなんでもない貴女が山百合会に頻繁に出入りするのはあまりよろしくないのではなくて?」

 

 それだと志摩子さんも当て嵌まることになるし、忙しい時にお手伝いを呼べなくなってしまうのだけれど良いのだろうか。もし今聞かれたことが本当ならば、真面目な蓉子さまは徹底しそうだから、私の目の前に立つ人の言葉の信憑性は薄く感じてしまう。

 

 「決定権は、それこそ薔薇さま方が持っていらっしゃるので、私が決めることではありませんから」

 

 逃げている発言だけれど、蓉子さまが困ったなら『薔薇さまから言われた』ということにしておきなさいと伝えられていたから問題はない。まあ適当なことを全部彼女たちの所為にするのは筋違いなので、きちんと選んではいるけれど。毎度毎度、こうして否定したり反論したりと面倒だから一度に済ませられないものかと思うけれど、無理な訳で。

 

 「っ! 貴女ねえっ!」

 

 ぱん、と乾いた音が響いたのはその言葉の直ぐ後だった。反動が伝わり痛みで手首を抑えているから、どうやら人を殴り慣れてはいないようだ。慣れていたら慣れていたで怖いけれど、こうも冷静に状況を分析できてしまうのは中二の夏までフルコンタクトの空手を習っていたお陰だろう。小さい頃に両親に無理を言って強請ったものの一つだったのだけれど、リリアンの入試を受けると決めたときにさっぱりと諦められたのは私にはセンスがなかったからだ。

 

 「少しは憂さを晴らせましたか?」

 

 「――っ!!」

 

 少しズレた眼鏡を直しながらそう私が言い放つと、顔を真っ赤にして見ず知らずの人たちは私の下を去っていった。

 

 「はあ」

 

 いつまでこんな事が続くのだろうと面倒になり溜息が出てしまう。ただ何となくの方法があるのは理解している。それは聖さまと祥子さまに妹が出来ればいいだけなんだけれど、難しいのかもしれない。短い時間だから、山百合会の人たちのことを理解するには足りていないけれど、この件について悩んでいるような節も見受けられる。時折、二人に蓉子さまが発破をかけているけれど、決断するには至っていないのだから、私が口を出す問題でもないのだし。出来ることは見守るだけなのだろう。

 

 「なんで、なにもしなかったの……」

 

 「あれま、見られてましたか」

 

 見られたくはなかった光景だけれど、見られてしまったのなら仕方ない。人気のない場所から移動すると、呆然と立っていた聖さまがぼそりと私にそう言葉を零した。

 

 「流石に取っ組み合いの喧嘩なんてする訳にはいかないでしょう」

 

 両肩をすくめて笑うと、聖さまは眉間にしわを寄せて厳しい顔をする。

 

 「……君は関係ないじゃない」

 

 「確かに私はただの手伝いなので関係はありませんが、周りからどう見られているかはさっき聖さまが見た通りなんでしょうね」

 

 「なんで、なんでそんなに余裕そうに笑えるのよ」

 

 「ああ、まあ、こればっかりはなんというか、慣れなんでしょうかね」

 

 一応、以前の『わたし』は親の顔も知らず孤児として施設で暮らしながら、なかなかに捻くれていた学生生活を送っていたものだから、こういうことには耐性があるつもりだ。それを言う訳にはいかないし、信じてもらえるかどうかも微妙な所だし、それを話すタイミングでもないから誤魔化した。

 

 「慣れって……」

 

 「正直、ああいう人たちの相手は面倒くさいですし関わりたくはないんですが仕方ないんでしょうね、集団生活してるわけですし」

 

 取り合えず、ああいう手合いの人たちが志摩子さんの方に行かないことを願うばかりだ。最近は私の方に関心が集まっているみたいだからあまり心配はしていないけれど、多分志摩子さんもこういう目に何度かあっているんじゃないだろうか。

 志摩子さんは優しい人ではあるけれど、芯はしっかりしているから自分の意見をはっきりと述べたりする時があるから、少々心配なのだ。大事にはなっていないようだから上手くかわしているか、蓉子さまあたりきちんと対策を張っているだろうから大丈夫だとは思うけれど、時折人間って突拍子もない行動を起こすこともあるから。

 

 「どうしてそんなに割り切れるの」

 

 「割り切ってなんていませんよ、こういうことに耐性があるってだけで面倒なことに変わりはないですからね。ま、私のことより志摩子さんを気にかけてください」

 

 私のことはどうでもいいから志摩子さんに目を向けて欲しいのが本音だ。愚痴とか文句を言わない子だし、こういうことがあれば絶対に隠し通すだろうし、心配だ。

 四月の終わりごろから山百合会を手伝っているようだけれど、同じことが起こっていてもおかしくない。大半の生徒は見守るか静観するだろうけれど、一部がこうして暴走しているのだし。私よりも長い時間その場に居る志摩子さんがどうなのかなんて火を見るよりも明らかだろう。

 

 「志摩子が、どうして」

 

 志摩子さんの名前が突然出たことに、更にむっとして顔をしかめる聖さま。

 

 「私でこの状態ですからね。志摩子さんが同じ目にあっている可能性は高いですし、私は誰彼に愚痴を吐き出しますけど、志摩子さんって溜め込むタイプでしょう?」

 

 貯めて爆発すればまだいい方だけれど、志摩子さん爆発すらしなさそうだから、心配なのだ。どこかに捌け口でもあればいいけれど、それを知るほど仲が良くはないし。こういう事は私がしゃしゃり出るよりも、年上で先輩で権力のある人に守ってもらった方が安心安全である。

 

 「短期間でよく見てる……」

 

 はあと長く一つ息を吐いた聖さまの強張っていた顔がようやく解けて、片手で髪を撫で上げる。

 

 「そんなことはないですよ。知らないことなんて、まだ沢山ありますから」

 

 いちいち仕草が絵になる人だなと私が苦笑いをしていると、それに気付いたのか目の前の人もふっと笑う。私が見えているものなんて僅かだろう。誰かの内面なんて百パーセント理解することなんて無理だけれど、なるべく近寄ることはできる筈だから。

 

 「そりゃ、そうだろうね――そんなことより、君のそれ」

 

 空に張り詰めていた雲が一転、にわか晴れて見事な日差しが差し込み始めた。たんと吹いた爽快な風が、頬を撫でて去っていく。

 

 「ああ、忘れてました」

 

 平手打ちを貰った頬を指で指されて、ようやく気付く私。足も腰も入っていない膂力だけで打たれたものだから、そんなに酷いことにはならないはず。言葉だけだったり詰め寄られるだけならまだいいけれど、こうして実力行使されると困ることが沢山あるので、正直手を出すならよく考えて欲しいものだけれど、そこまで頭が回らなかったようだ。みんなおしとやかに育ってきたはずだから、次はないはずと願うしかない。

 

 「行くよ」

 

 短くそれだけ言って、私の右手首を取って聖さまに連行されて連れていかれたのは、ひっそりと校舎の外にある手洗い場。乱雑にハンカチを濡らして手渡してくれる聖さまに感謝を伝え、取り合えず頬に充てる。沈黙が下りて少々気まずくなるけれど、話すネタもない。はてどんな話をしようかと頭を捏ね繰り回していると、聖さまが口を開いた。

 

 「――君は私か祥子の妹になる気があるの?」

 

 「みんな同じことを私に聞きますね」

 

 当事者である聖さまならばその権利は当然あるのだけれど、聞かれ過ぎてそろそろいい加減にして欲しいものではある。姉妹宣言をするのは上級生の側だから、下級生である私にその権利はほぼ無いのだから、それはそれでおかしな質問のような気がする。

 

 「仮にあったとしても、下級生は待つしかない立場ですよ。基本は上級生から望むものですし」

 

 「そりゃ、そうか。でも、もし――私が君にロザリオを渡そうとしたら、どうするの?」

 

 「受け取りませんよ。私には必要がないですから」

 

 ゆるゆると首を振り、聖さまの言葉を否定した。この学園の生徒会役員の『白薔薇』の称号なんて似合わないし、重いし面倒そうだしとは言えなかったけれど。

 

 「随分とはっきり言い切るね」

 

 「遠まわしに伝えた方が良かったですか?」

 

 「いや、その方が君らしい」

 

 伸びた片腕が乱雑に私の頭を撫でる。抑えられた力で地面を見ることになって、無言の抗議は叶わないから。

 

 「うわ、なにするんですか、センパイっ」

 

 言葉に出して、無理矢理に顔を上げてみると、ふと鼻で一度笑った聖さまが居て、更に髪をくしゃくしゃにされるのはご愛敬だったのだろう。

 

 ◇

 

 「ごきげんよう、樹さん」

 

 「ごきげんよう」

 

 図書委員の彼女が図書室以外で声を掛けてくるなんて珍しい。図書室に入り浸っているので図書委員の人とは顔見知りではあるけれど、名前までは知らない。そんな関係だ。上級生であろうその人は、奇麗な黒髪を切りそろえ、鳶色の瞳は切れ長で美しい。彼女が薔薇の館の住人だと、私が無知な頃に吹き込まれていれば信じていたほどに。

 

 「どうかしましたか?」

 

 何故だろと疑問に思い、彼女の言葉を待たないまま私から問いかけた。

 

 「少し貴女とお話がしたくて呼び止めたのだけれど、いいかしら」

 

 不躾に質問をされるよりも、彼女のようにこうしてひと手間を掛けてくれるほうが友好的に話せるというものだ。まあ見ず知らずの人ではないということもあるだろうけれど。

 

 「かまいませんよ」

 

 もともと人気のない場所で声を掛けられていたので、移動も何もせずに二人で立ちすくむ。

 

 「唐突な質問でごめんなさいね。白薔薇さまを貴女はどう思うかしら?」

 

 どう、とは一体どういうことなのだろう。外面の事なのか内面の事なのか。はたまた私がこの数週間で感じたことを述べればいいのか。随分とぼんやりとした質問に答えあぐねていると、彼女は言葉を付け足してくれた。

 

 「そう深く考えなくても良いのだけれど」

 

 「あの、逆に聞きたいのですが、貴女から見て聖さまはどう見えるんですか?」

 

 彼女の言葉を塞いでしまう事に申し訳なさを感じつつも、疑問に思ったことを口にせずにはいられなかった。聖さまは背が高くて中性的な容姿で、とんでもなく顔が整っている上に成績も薔薇さまということで悪くはないだろうし、体育祭の時を見るに運動神経もなかなかの物。そりゃ、まだ妹は居ないのだし、気になる存在だろうし、妹の席を狙っているのなら尚更だけれど、私の意見を聞いたところで役に立つとは思えない。

 

 「それは……――言わなければならないかしら?」

 

 「ええ。そうしてもらわないと不公平じゃないですか」

 

 「それもそうね」

 

 くつくつと目を細めて笑う目の前の美人さんは、全く動じていないから、私の言葉を不快とは思っていないだろう。なかなかに肝の据わった人だなと感心しながら、彼女の言葉を待っていた。

 

 「でも、秘密」

 

 「え」

 

 「だって貴女も質問に答えてくれていないもの」

 

 「確かに。なら、どうします、聞きますか?」

 

 おや、と思いながら私の片眉が上がる。

 

 「いいえ、私から聞いておいて申し訳ないのだけれど、自分であの方のことを知らなければ意味はないものね」

 

 「そうした方がいいですよ。きっと」

 

 先程とはベクトルの違う笑みを浮かべて、私を真っ直ぐ見据えている人。そういえば私の名前を彼女は知っているのに、私は彼女の名前を知らないのは変だ。

 

 「ああ、あの貴女のお名前は?」

 

 「それも秘密、で良いかしら」

 

 右手の人差し指を立てて、私の口元に触れるか触れないかの距離で止めた。随分と大袈裟な演出だけれど、似合ってしまっているのだから不思議だ。

 

 「分かりました。いずれ、機会があればその時にでも」

 

 触れそうになる指に一歩だけ下がり、そう口にした私を面白そうに名も知らぬセンパイは微笑んでいる。

 

 「ええ。樹さんと話せて良かった」

 

 「何もしていませんよ、私は」

 

 小さく首を振り、それじゃあと私の下を去っていったその人と再び出会うのは何時になるだろうか。と真面目に考えていたけれど、よくよく考えれば図書室で会うだろうと一人突っ込みを演じていたのだから、間抜けな私だった。

 




 5326字

 謝罪:ネタがないかなとアニメの『片手だけつないで』を流し見していたのですが、作者が盛大な勘違いを起こしてテンパり難産になるという空回りをしておりました。そして雑。アニメ沿いのタグを付けましたが、微妙に変わっております。聖さまと志摩子さんがスールになった時期とかが。アニメ一期一話(だったはず)の桂さんの台詞の『先日』発言を信じすぎた! あと、白薔薇の関係性をちょっとでも弄ると、とんでもないことになりそうで……匙加減が難しい。新聞部も騒ぎを聞きつけて記事にしそうなんですが、聖さまの去年を知っているでしょうから、理性が残っていれば止めるはず。

 余談:何故か無性に明陵帝梧桐〇十郎が読みたくなる。同じ学園ものなのに方向性が全く違うのにw……ただでさえ遅筆なのに読んじゃらめぇ!
 
 ところで全く関係のない話ですが、聖さまにHRSWを聞かせると闇落ちするか浄化するかのどちらかしかない気がする。マジでどうでもいい話。


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第十六話:人助けと噂と噂【前】

 ※医療知識は適当極まりないので、鵜呑みにしないでくださいね。


 ――どうにかなるものだ。

 

 人生何が起こるか分からない。前世の記憶を待ったまま生まれ変わったりしたのだから、本当に。あと前世で無駄に終わったことが、まさかこんな時に役に立つだなんて。巡り巡ってどうなるかなんて、神様ですら分からないのかもしれない。いや、まあ信じていないのだから、神様の名前を持ち出すなんて変な話だけれども。

 

 少し帰りが遅くなった夕方。空は茜色から濃紺色の空へと変化していた。

 

 帰路を急ぐ学生に買い物帰りの主婦やサラリーマン。いつも利用するバスの中は、いつものようにエンジン音が鳴り、いつものように制服姿の学生たちが周りの迷惑にならない程度の声で楽しそうに青春を謳歌している。そんな彼女彼らの姿をなんとなく眺めながら、家に一番近い最寄りのバス停まであと少しの時だった。

 

 「きゃあ!」

 

 「誰か倒れたぞ!」

 

 突然、バスの中で響き始めた悲鳴と怒声は、困惑を纏い動揺を広げていく。すわ何事かと顔を上げると、白髪交じりの還暦を過ぎているであろうスーツ姿の男性が胸を押さえ、バスの床へと倒れ込んでいた。思い掛けない突然の非日常に戸惑い混乱を極める車内は、倒れた男性を眺めているだけで、誰も彼もが立ち尽くしている。どうするべきかどうか少し逡巡したのち、私は座っていた席を立ちあがった。

 

 「すみません、通してもらえますか」

 

 人垣をかき分けてしゃがみ込んで、とにもかくにも声を掛けて意識の有無を確認するが、肩を叩こうが、さらに強く声を掛けようが反応が返ってこない。舌打ちをしたくなるのを我慢しながら、近くに居る人に運転手さんに路肩にバスを停め無線で救急車を呼ぶようにとお願いすると、血相を変えて飛んで行ってくれた。

 人差し指と中指で男性の脈を確認をしても反応がみられないし、胸が上下する気配もない。倒れて横になっていた体を、仰向けにさせても何の反応もなかった。腕時計で時間を確認、ふうと深い息を一度吐く。流石にバスの中なので何かを食べていてモノを詰まらせたということはないだろうけれど、念の為に無理矢理に口の中をこじ開けて確認。――よし、何もない。

 気道の確保の為に、顎先を上に上げ、次に、スーツとシャツのボタンを外して胸をさらけ出す。倒れた人が女の人だと、色々と気を使わなければならない場合があるので、正直男性で助かった。そうこうしているうちに、救急車が来てくれると運転手さんが声を出しながら、こちらへとやってきてくれた。バスも路肩へと停車したようで、揺れないのでこの方が助かる。

 

 腕を伸ばして肘をまっすぐにし、倒れた人の上にかがんで両手を重ね、胸骨の下半分の部分にあて胸骨圧迫を開始した。一、二、三、四、五――同じテンポで腕に力を込めて、ぐっと胸骨を押し下げる。本当なら三十回胸骨圧迫をした後に、二回人工呼吸を行うというサイクルを繰り返すのだけれど、初挑戦の素人にそんな高度なことは無理なので、胸部圧迫のみに専念。

 単純作業だというのに汗が直ぐに噴き出してくる。どうにか再び鼓動が蘇るようにと願いを込めながら、腕に力を何度も何度も込めるけれど、男性の意識が戻る様子はない。どんどんと体の中の酸素が奪われて、自分の思考が鈍くなっていくのが分かってしまう。額を伝う汗を感じ取り、誰か代わってくれる人は居ないのかと叫びたい気持ちを抑えて、ただひたすらに続けていた。

 

 「お嬢さん、代わろう」

 

 「すみません、お願いします」

 

 はたと声を掛けられて、待ってましたとばかりに声を掛けてくれた中年男性と交代する。体内から失った酸素を求めはあはあと何度も肩で息をしながら、床へとへたり込んだ。腕時計を見てみると、たったの二分ほどだというのに、体感時間は随分と時間が経っているように感じたのだけれども。少し落ち着きを取り戻して、交代してくれた男の人を見ると、倒れた男性の命を取り留めようと無言で必死に胸部圧迫をしていた。

 

 「代わります」

 

 「すまない、頼む」

 

 時計の時間と胸部圧迫を続けている男性の様子を見て、また交代した。そうしてまた何度も何度も無心で胸部を押し込む。まだ意識が戻らない焦りに、果たして自分がやっていることは正しいのだろうかという不安に襲われながらも、それでも続け、また先ほど声を掛けてくれた男性に代わり、少しした時だった。

 

 「はひゅっ」

 

 何の前触れもなく突然に、倒れた男性が息を吹き返した瞬間、車内がどっと沸き上がる。一応、脈を取って確認して、呼吸もあるのかどうかみてみると、どちらも弱くはあるけれど自発呼吸が出来ているし脈も少し早いけれど、きちんと反応している。どうにかなったかと安堵のため息を吐いて、一緒に救助活動を行った男性へ頭を下げると、彼もようやく笑顔で応えてくれた。

 

 「救急車が来たっ!」

 

 その声を皮切りにどこか遠くから響いていたサイレンが、だんだんと近くなる。緊張から解放されたバスの車内はみんな明るい。倒れた人はまだ起き上がることは出来ないけれど、息はしている。

 

 前世で衛生管理者の資格や運転免許証を取得した際の講習で習っておいてよかった。知識だけを身に着け覚えていて、こうして実践したのは初めてだったけれど。

 AED――自動体外式除細動器――があれば一番簡単で確実なのだけれど、この時代に普及してはいないから安易に手にするにはまだ時間が必要だ。何も知らないまま傍観者のままで終わるよりは良いだろう。ただこうして応急処置はしたものの、助かる確率は低いと聞いているから、男性の命を繋ぎ留められたものの、この後どうなるかは分からないし後遺症の心配もある。

 

 ようやくやって来てくれた救急隊員は、倒れた人の意識が戻っていることを確かめて、色々と応急処置を施しながら救急車へと乗り込んで、病院へと去っていった。嵐が過ぎ去ったような車内。時折視線を感じるけれど、我慢するしかない。バスの運転手から、状況の説明と時刻通りの運行が出来ない旨のアナウンスを受けて、ようやくバスは動き出した。そうして家に帰った時間は、いつもより随分と遅く。母に何故こんなにも遅くなったのかと問い詰められて、バスの車内で倒れた人がおり、助けたことと救急隊の処置の為に待ちぼうけをくらったと説明すれば、ようやく納得してくれたのだった。

 

 ――次の日。

 

 眠い目をこすりながら起き、今日のお弁当には何を詰めようかと考えながら、筋肉痛の腕を無理矢理に動かして卵を割り、菜箸で解きほぐし、目分量の塩と醤油を加えてさらに混ぜ、フライパンに火を入れ。母以外の家族分の弁当を作るのが当たり前となっている日常に感謝しながら、いってきますと鞄を手に取り家を出て学園へと向かい、自身の教室へと入る。

 

 「樹さん、紅薔薇のつぼみが志摩子さんにフラれたって本当?」

 

 教室へ入り数歩足を進めた時だった。いつもより幾分か騒がしい教室内は、にわかに色めき立っており、クラスメイトの第一声の内容に理解が追い付かなかった私の頭はエラーを引き起こす。

 

 「え?」

 

 事情も呑み込めずまともに答えを返せないまま、その場に立ち尽くすと、私に声を掛けたクラスメイトの他にも数人が私の周りに集まって期待の視線を向けてくる。

 

 「ごめん、私はその話を知らないんだけれど、何かあったの?」

 

 祥子さまも志摩子さんも、そんなことを周りに話す性質ではないからこうして噂が出回るはずはないし、姉妹宣言を周囲に人が居る場所で行うこともないだろう。だとすれば第三者、隠れて見ていた誰かが居て、その話を意図的に広めたか、くらいに絞られてくるけれど。

 

 「昨日の休み時間の最中に白薔薇さまが紅薔薇のつぼみの教室へいらっしゃって、志摩子さんは渡さないって仰ったんですってっ!」

 

 「……は?」

 

 ――この騒ぎの原因は聖さま自身かいっ!

 

 と心の中で盛大な突っ込みをしてしまった私は悪くない。悪い方向に流れなきゃいいのだけれどと、色々と考えてどうするべきか一瞬頭を悩ませた私の時間を返して欲しい。そういうことならば怒涛の勢いでこうして噂が広がってしまっても仕方ないのだろう。何やってるんだあの人は。姉妹の絆を結ぶことは婚姻に近いといわれているリリアンで、聖さまは堂々と衆人環視の中で略奪宣言をしたようだ。先に唾を付けたのが祥子さまならある意味NTRでもあるような気もするけれど、まあ表現の仕方はこの際どうでもいいだろう。

 

 「素敵よねえ……」

 

 「私もそんなことを言われてみたいわあ」

 

 きゃあとみんなと騒いで悦に入っているクラスメイトは放っておいて、我がクラスの学級委員のいいんちょを呼び止める。超がつくほど真面目なので、こういうことには興味がなさそうなのだけれど、一通りの噂を集めて情報収集をして何か起こるようなら助言をくれるのだから、抜け目のない子である。いいんちょの話を要約すると、さっきクラスメイトの子が言っていたことは本当で、休み時間終了直前に聖さまが志摩子さんを一年桃組の教室から連れ出したので、きっとそういうことなのだろう、と。

 

 「これで白薔薇さまの妹も決まって、残すは紅薔薇のつぼみだけ。樹さん、これからいろいろと大変でしょうね」

 

 「いや、流石に鎮静化するんじゃないの?」

 

 三角関係の中に突如、四人目として放り込まれたからこその騒ぎだったように思えるのだけれど。見知らぬ人から声を掛けられたり、不躾な質問をされたりしたけれどようやく収まる。

 

 「まさか、あり得ません」

 

 「言い切らないでよ、いいんちょ。あとその根拠を教えてもらってもいいかなあ」

 

 安堵したところにこれである。いいんちょも案外意地悪な部分もあるんだなあと、目を細めて笑う。

 

 「祥子さまの妹候補最有力は樹さんになるでしょうから、祥子さまを崇拝している人たちはどう動くかしら」

 

 「んー、祥子さまに直接アピールすればいいだけのような……」

 

 「それが出来れば苦労しませんね」

 

 そうこう話しているうちにホームルームの時間が迫ってくるので、いいんちょと別れて自分の席へと座る。この学園の生徒はチャイムが鳴ってから着席する習慣はあまりなく、みんな予鈴が鳴る前に自席に着いているのだから本当に真面目だ。チャイムの音と同時に担任の教諭が教室へとやって来て、ホームルームが始まり、そうして一限目の授業が開始される。学生らしく勉学に励みますかと、机に向かい真面目に聞いてノートを取っていれば、既に昼休みの時間になっていた。

 

 『一年藤組、鵜久森樹さん、至急生活指導室へ来てください』

 

 ようやく昼休みに入り、腹を空かせた自分の胃に早く栄養を放り込もうと、そそくさと弁当箱を持った時だった。突然入った校内放送。まさか自分の名前が呼ばれるとは思わず、呆けた顔になった途端、クラス中の視線が私に集中する。はて、何もやらかした記憶はないし呼び出される理由もない、と首を傾げるとようやく鈍い頭が動いたようで、もしかすれば昨日の事だろうとアタリを付けた。

 

 「樹さん、なにかあったんですか?」

 

 「さあ。思い当たることはないんだけれど、取り合えず呼ばれたからには行かないと」

 

 何故か凄く心配そうに声を掛けてくれたいいんちょには誤魔化して申し訳ないと心の中で謝りつつ、いいんちょの私のイメージはどんなものなのか心配である。まあ四月からリリアンのルールに慣れなくて迷惑を一番かけてきたのはいいんちょなんだし仕方ない。行ってくるよと笑っていいんちょに伝えて、教室から出ようとした時。

 

 「生活指導室って何処だっけ?」

 

 私には縁のない場所だと思って、記憶から切り捨てていたから何処をどう行けばいいのか分からなかった。

 大袈裟な溜息を吐いたいいんちょが、丁寧にわかりやすく説明してくれ、弁当箱を持ったままの私はどうにか生活指導室にたどり着いた。

 

 「失礼します」

 

 二度、扉を叩いて入室する。呼ばれているのは私だけだし、返事を待つ必要も無いだろうと勝手に入っていった。そこには学園長であるシスター村上と一年藤組の担任、そして数名のシスターと教諭が揃っていてものものしい雰囲気だった。

 

 「さて、鵜久森さん。今日ここに呼ばれた理由は分かるかしら?」

 

 椅子に座った学園長が、私を見据えて問うてきた。

 

 「いえ、さっぱりと」

 

 流石に、人命救助をしましたので誰かが連絡を入れたのでは、なんて恥ずかしくて言えるわけがないので、すっとぼけることにした。

 

 「今日、学園に一本の電話が入りましてね、昨日バスの中で倒れた男性に人命救助を施した生徒がいると」

 

 「はあ」

 

 「少し現場が混乱していて、名前も聞くのを忘れていたけれどリリアン女学園の制服に身を包んでいたそうなの」

 

 やんわりと微笑む学園長はゆっくりと語り、バスを運営している東京都や消防署から表彰したい、とか地元紙の新聞記者が取材をしたいとか、昨日の今日だというのに既に申し込みがあるのだそうで。嗅ぎつけるのがハイエナ並みだなあと、ため息を吐いてさてどうしたものか。私じゃないと言い張って逃げるか、それとも私だと伝えてもろもろを断るか。

 

 「あの時間、乗っていたバスのルートで黒縁の眼鏡を掛けたリリアン女学園の生徒は貴女しかいないのよ」

 

 なんて考えていたら、私が言い出さないことに痺れを切らしたのか、既に断定されていることが学園長から言い渡された。

 

 「そうですか」

 

 「貴女の口から聞きたかったのだけれど、嬉しくはないのかしら?」

 

 「人命救助をした人が息を吹き返したときは、確かに嬉しかったですよ。どうにかこうにか記憶を掘り出して、怖さに手を震わせながら必死に胸部圧迫を施していましたから」

 

 「あら、何か含みがあるようだけれど」

 

 「助けた事実だけ受け止めても、その結果が最良だとは限りません。倒れた人は熟年の男性でした。持病や疾患を持っていれば、助かったとしても後遺症が残りやすいそうですから」

 

 そう。息を吹き返しても健康体であるとは限らないのだ。先ほど言った通りに持病や疾患を持っていれば、いろいろと弊害が出てくる可能性が高くなるし、後遺症もあるかもしれない。極極一部だろうけれど、何故助けた、と恨みを吐かれる可能性だってあるのだから、ある程度の助ける覚悟は必要だろう。

 

 「それに、助けたのは私だけではありませんから」

 

 「ええ、その話はもちろん知っているわ。貴女の他にも男性が居たと。その方は消都や消防署からの表彰を受けるそうなのだけれど、貴女はどうしたいのかしら?」

 

 なんだか表彰式の場にマスコミが居そうだし、目立ちたくはないし。

 

 「出来るならば、お断りをしたいのですが」

 

 「そう――」

 

 「お待ち下さい、学園長。――ここは彼女に感謝状を受け取ってもらうべきではありませんか?」

 

 学園長と私の話に割り込んできた一人の教諭。あまり生徒からの評判が良くなかったような気がするけれど、こういう所でもアレな人だったようだ。

 

 「あら、それはどうしてでしょう?」

 

 「ここで彼女に表彰を受けてもらえば、我が学園のイメージアップになり生徒数確保にも繋がります」

 

 流石にこの会話に割って入る度胸はないので、黙っておく。我がクラスの担任は、申し訳なさそうに私を見ているので、教諭の中でもなにかあるのだろうと悟る。こうして何度かの学園長と教諭のやり取りは繰り広げられ、最終的には学園長の意見が通ることとなった。

 それは私の意思が反映されているので文句はないのだけれど。まさか表彰式に私の代理として、かの教諭が参加することになったのは、なにをどうしてそうなってしまったのかよく分からない。まあ学園側にもいろいろと考えがあるのだろうし、私が目立たなければそれでいいのだ。

 

 「鵜久森さん、どういう結果になったとすれ誰かを助けるという行為は尊いものですよ」

 

 私が退出する直前に学園長に呼び止められ、にっこりと奇麗に笑うその顔は慈愛に満ちていた。

 

 




 6290字

 ※応急処置はネットで拾ってでっち上げたので、皆様はきちんと勉強してください。人工呼吸は、現在、救助者が心肺蘇生の訓練を受けていないか、胸骨圧迫の訓練しか受けていない場合には、胸骨圧迫単独による心肺蘇生が推奨されているそうなので、人工呼吸はしませんでした。描写を大分はしょったものの、面倒くさいから、この時代にAEDがあれば良かったのですが。心臓が動いているかどうか自動で判断してくれて、動いていると電気ショックは発動されないので。救急車も付き添いとか、名前が分かっているなら記入とかしなきゃならないはずなので、描写は適当にぼかしておりまする。

 ところでこれってイキリ主人公になるのかなあ。ちょっとやりたいことがあるのでオリ主にイキってもらいました。

 余談:読み上げ機能を使ってみたんですわ……。聖さまが『きよしさま』と読まれて草を生え散らかした私でございます。いや、そこはせめて『ひじりさま』ではないのだろうか。
    あとオリ主の苗字を忘れ去りそうになってた作者がここに居ます。


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第十七話:人助けと噂と噂【後】

 きいと蝶番が軋む音と共に、疲れがどっと押し寄せる。

 

 「――はあ」

 

 生徒指導室に呼ばれ、昨日のバスの中での出来事を聞かれたまでは良かったのだけれど、これからどうなるのやら。一応、感謝状の授与は代理が叶ったから、私が出張る必要がないのが救いだけれど。長い溜息は誰にも聞こえることがないまま、空に溶けて消えていく。

 

 「樹さんっ」

 

 「由乃さん、志摩子さん、どうしたの?」

 

 床へと向けていた視線を上げるとそこには由乃さんと志摩子さん、二人の姿があった。あまり見たことのない表情で立ち尽くして私の名を呼んだけれど、なんでこんな場所に居るのだろうか。周囲にも生徒が何人か居て、私たちの様子を遠くから見ている。

 

 「どうしたもこうしたもないじゃないっ、生活指導室に呼ばれたのよ。樹さんが!」

 

 確かに指導室と名がついているから、この部屋の主な用途はその名の通り、問題のある生徒が呼び出され指導することが主となっている。

 今回のような場合もこうして使用されるようだから、おそらく生徒に何らかの話がある場合も使われる部屋なのだろう。

 

 生活指導室の扉の前に立っていた私の下に、由乃さんはつかつかと歩いて対面し、私の腕の制服をぎゅっと握りしめて、強張った顔で言い放った。どうやら心配でこの場へと駆けつけてくれたようだ。彼女の横に静かに佇んでいる志摩子さんも、由乃さんほどではないにしろ、珍しく顔を歪ませているのだから。

 

 「心配させてごめん。でも、何かやらかして指導を受けたとかそんなんじゃないから、大丈夫だよ」

 

 「本当に?」

 

 「うん、本当。――ありがとう、由乃さん、志摩子さん」

 

 事情を知らない彼女たちが、こうして心配して駆けつけてくれたことと、迷惑を掛けてしまったことに礼を述べると、由乃さんは肩の力を抜いてようやく笑って、志摩子さんもいつもの様に微笑んだ。

 

 「ねえ、樹さん」

 

 「ん?」

 

 「生徒指導室にお弁当持ち込んだの?」

 

 「だって、昼一呼び出されてすぐ終わるかどうか分からなかったから。食いっぱぐれたくないから念の為に持ってたんだ」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「いや、二人とも黙らないでよ」

 

 呆れた顔と苦笑いの顔をして沈黙する二人だけれど、なんでもいいからコメントは下さい。沈黙は辛いのです。こうも食い意地が張っているのは、前世での幼少期時代に刷り込まれたトラウマのようなものが原因である。経営状態があまり良くなかった保護施設。育ち盛りの子供に与える食事量が滅法少なく、よく腹を空かせていたものだから、食える時には食っておけと記憶がそう命令するのだ。今では随分と鳴りを潜めたけれど、こうして予防線を張っておくのを忘れないのは、コレが原因であることは明らかで。まあ、過去のことなど笑って済ませれば良いだけの話だから、今は関係ない。

 

 「ところでお二人さん、お昼ご飯は?」

 

 「樹さんが心配だったから――」

 

 「まだね」

 

 二人の顔を見やると苦笑しながら答えてくれた。どうやら本当に心配してくれていたようだ。

 

 「由乃さんも志摩子さんも、今日はお弁当?」

 

 「ええ」

 

 「そうね」

 

 「なら、どこかで一緒に食べない?」

 

 持っていた弁当箱を掲げると、由乃さんと志摩子さんは顔を合わせて一つ頷き、私の方に向き直って了承とばかりに私にも頷いてくれた。さて、どこで食べようかと悩み始めたら、志摩子さんがいつもの所に行きましょうと提案してくれて。由乃さんの頭の上には疑問符が浮かんでいて、ああそうかと納得する。

 お昼ご飯は大抵教室で済ませている由乃さんが、知っている訳がないのだから。それならばと由乃さんの教室までくっついて行き、いつもの場所まで案内することを私が。志摩子さんは自身の教室にお昼ご飯を取りに行き合流しようと分かれてそれぞれに歩き始めた。

 

 「……なんだか視線が痛い」

 

 「それはそうよ。生徒指導室に呼ばれるなんてこと、滅多にないんだもの。――みんな気になるのよ」

 

 口元に手を当ててくすくすと笑いながら静かに歩く由乃さんは、随分と楽しそう。でも『気になる』と言った瞬間、ほんの刹那ではあるけれど、目を細めた理由は何だろうか。由乃さんによる黄薔薇のつぼみの妹効果で、私たちに詰め寄る人は居ないけれど、これ私一人で歩いていたら取り囲まれそうだと苦笑してしまう。とにもかくにも助かった。自分のクラスに戻れば問いただされることは確定だと覚悟していたけれど、まさかこうも視線を集めてしまうだなんて想像の埒外だったから。

 謹慎処分や停学処分を受ける生徒を見ていただけに、リリアンでは珍しいことだとは考えていなかったし、生徒の呼び出しなんて茶飯事だろうと思い込んでいたのが間違いだったのだ。みんな、真面目過ぎるからもう少し息を抜いてもいいのではと思いつつも、伝統を守る保守的なこの学園では難しいことかもしれない。

 

 「はあ」

 

 「溜息を吐くのはまだ早いんじゃないかしら。白薔薇さまと志摩子さんが姉妹の絆を結んだでしょう?」

 

 「うん。今朝クラスの子が騒いでて、それで知ったよ」

 

 山百合会の人たちとはそれなりに仲が良いと自負しているのだけれど、流れてきた噂で事実を知るとは。ま、全てを見ているわけでもないのだから仕方ない。

 

 「でも、その事と私に何の関係があるの?」

 

 「鈍いわね、樹さんは」

 

 「んー、そうかなあ」

 

 「ええ、とっても。――だって、祥子さまの妹候補じゃない」

 

 「なんでそうなるかなあ。私はただのお手伝いに過ぎないのに」

 

 聖さまと志摩子さんが結ばれた裏で祥子さまはフラれたと噂が流れているのに、その事を差し置いてなんでそんなことになるのだか。

 

 「樹さんがそう思っていても、周りはそう見てくれないんだもの。諦めましょう」

 

 由乃さんは、儚げな見た目と違ってこうして語り合うと、割と竹を割ったような考え方をしている。時代小説の勧善懲悪ものを好んで読んでいるみたいだから、理解は出来なくはない。そんな彼女を苦笑しながら見て、今朝いいんちょからも同じことを伝えられているのだから、あまり楽観視はしない方が良いのかもしれない。

 面倒なことにならなければいいと願いながら、片手で頭の後ろを掻いていると一年松組の教室に辿り着く。廊下の片隅でお弁当を自席に取りに行った由乃さんの後ろ姿を眺めながら、どうか平穏無事に過ごせますようにと願うばかり。そうこうしないうちに由乃さんは直ぐに戻ってきて、いつも人気のない例の場所へと二人で赴くのだった。

 

 「志摩子さんの方が早かったか」

 

 「樹さん、勝負をしている訳じゃないんだから」

 

 いつもの場所へと着いてそうそう、そんな言葉が漏れ、遅くても早くても良いじゃないと由乃さんが呆れた視線を向けてきた。

 

 「お昼休みの時間も少なくなっているから、食べましょう」

 

 私たち二人のやり取りを見ながら、志摩子さんはやんわりと微笑んでお弁当を広げる。こんな感じが最近の三人でのやり取りとして定着していた。

 

 「――それでどうして生徒指導室になんて呼ばれたの?」

 

 ある程度お弁当に箸をつけたところで、口火を切ったのは由乃さんだった。少し前に心臓の病気だと彼女自身から教えてもらった。そのせいで無茶はできないけれど興味津々といった感じで私の顔を覗き込んでいるのだから、これが彼女本来の姿なのだろう。

 

 「ん、気になる?」

 

 別段、秘密にすることではないけれど、自分から語るには正直恥ずかしいことこの上ない。どうにか誤魔化せないものかと思いつつ、追及するのが由乃さんなので逃げ道は少ない。志摩子さんならば、私が躊躇う姿を見せればそれ以上は踏み込んでこないのだけれど。

 

 「もちろん。志摩子さんも気になるわよね?」

 

 「私は特には……」

 

 「じゃあなんであの場所に居たの?」

 

 由乃さんの遠慮のない突っ込みに、志摩子さんもたじたじである。由乃さんがあの場に居たのは、心配と好奇心。志摩子さんも心配してくれたのだろうけれど、彼女の性格上なにもなければそれでいいという感じなのだろう。

 全く違う性格でありながら、こうして三人でご飯を食べていることが面白い。半年後には志摩子さんは『白薔薇』の称号を持つ人になるのだし、由乃さんも遅れて『黄薔薇』の称号を持つこととなる。『紅薔薇』の椅子に誰が座るのかは、まだ謎であるけれどきっと良い生徒会となるだろう。

 

 「……それ、は」

 

 「まあまあ、由乃さん」

 

 珍しくたじろぐ志摩子さんに、ここぞと言わんばかりに由乃さんの攻めが始まるのを止めた私をみて、頬を膨らませる由乃さん。その可愛らしい姿を見て、吹き出したのは仕方ない。

 

 「樹さんは、志摩子さんに甘くない?」

 

 「そうかなあ。でも甘い理由があるのなら、まだ短い付き合いだけれど山百合会の下っ端仲間だし、一番一緒に居たし、美人だし」

 

 うん。最初こそぶつかって迷惑を掛けて、その縁が切っ掛けで山百合会の手伝いをすることになったけれど、こうしてこれたのも志摩子さんのフォローがあったからだ。最後はまあ照れ隠しだ。外部受験組でまだリリアンに詳しくない私に、丁寧に根気よく教えてくれた人なのだから。もちろん由乃さんもなのだけれど、黄薔薇のつぼみの妹という役職持ちだから、少し意味合いが違ってくる。

 

 「志摩子さんばかりズルい」

 

 「え」

 

 「なんでそうなるの」

 

 突然の由乃さんの嫉妬に驚いた顔を見せる志摩子さん。そんな顔を見せる志摩子さんは珍しいなとにやにやしつつ、ズルいと言い放った由乃さんには苦笑が漏れてしまう。

 

 「私、由乃さんにも甘いつもりなんだけれどね」

 

 相手によって踏み込んでいい距離や保つべき距離は異なってしまうから、こうして差が出てしまうのは仕方のないことだ。まあ、私がそう思っているだけで本人にそれが伝わっているかは分からないから、不満が湧くのだろうけれど。なら、言葉にするしかない訳で。少し恥ずかしくはあるけれど、勘違いで人間関係が拗れてしまうことなんてよくあることだから。とはいえ、まだ履行されてはいないけれど遊びに行く約束もしているのだから、そこまで言われてしまうのも不思議ではあるが。

 

 「同じクラスじゃないのも仕方ないよねえ。どうしても過ごす時間は減るから」

 

 「むう」

 

 「拗ねないでよ。ところでもう時間が無くなるけれど……」

 

 あ、と由乃さんが気が付いたのか呆けた顔になる。脱線して違う方向に話が行っていたから、割と時間を食ってしまった。それを思い出したのか、からりと表情を変えた由乃さん。そんな彼女を見て志摩子さんとお互いに顔を合わせて、肩を小さくすくめあう。

 

 「そうだった。それで樹さん、どうして生徒指導室に呼ばれたの?」

 

 「――まあ、誰かに語るには恥ずかしいんだけれど」

 

 そう言って私は昨日起こった出来事を、少しぼかして話すことにした。流石に心臓が止まって倒れた人が居たと、由乃さんに伝えるのは心苦しい。肝心な部分をぼかすことになるけれど、話の筋は変わっていないからきちんと伝わるはずだ。

 私の話を聞きながらころころと表情を変える二人に、初々しい微笑ましさを感じながら凄い凄いと手放しで喜んでくれる由乃さんに、静かに畏敬の念を込めて見つめる志摩子さん。そんなに大した人間じゃないから照れるし、経験を積めばある程度出来てしまうのだから、あとは度胸とその場に出くわす運があれば駒は全て揃う。ただドラマや映画の様に毎回ドラマチックな結果になるとは限らないから、懸念事項もきちんと伝えて。

 

 そうして話し込んでいれば予鈴の鳴る五分前。これ以上話すと五限目の授業に遅れてしまうからと、解散となった。藤組の教室に戻ると、残念そうにするクラスメイトの姿に苦笑いをしながら、いいんちょを見ると左右に小さく首を振る。

 おそらく諦めてくれ、という意味を多分に含んでいるのだろうと予想できる。生徒指導室に呼ばれた私を、クラスメイトは何があったのかと騒いでいただろうから、それを窘めることが出来なかったという意味も込められている。そんな優しく生真面目ないいんちょに、私は小さく肩をすくめて余り気にしないで欲しいと視線を向けたけれど、伝わったかどうかは謎で。

 

 五限目の本鈴が鳴るころには静かになっている教室で、これが終われば取り囲まれること間違いなしだと、一人外を見ながら笑う私だった。

 

 ◇

 

 どうやらバスの中に私の他にもリリアンの生徒がいたようで噂の広まりは言わずと知れず。その数人が感動的に尾ひれと背びれを素敵に付けてくれて、感動的な話が仕立て上げられ余計に噂が広まった。どこへ行っても視線を感じるし、何故だか目をキラキラと輝かせながら私を見ているのだ。その噂と共に同じタイミングでまことしやかに広がっているのが『紅薔薇のつぼみがフラれた』『白薔薇さまが志摩子さんと姉妹の絆を結んだ』ということだ。

 

 ――おや、あの後ろ姿は。

 

 校内をあてもなくウロウロとしていると、体操服に身を包んだ志摩子さんの姿が見えた。重そうな荷物を一人で持っている所を見るに、無茶をしているようで私はプリーツのスカートを乱さない程度の速さで走り出す。

 

 「志摩子さん、荷物半分持つよ」

 

 もう少しで追いつくところで、先に声を掛けて私の存在に気付いてもらう。

 

 「樹さん、大丈夫よ。これは委員会の仕事だもの」

 

 「はいはい。それはそれ、これはこれ。重そうに持ってて見てられないし気になるから、そういうことなんで半分貸して下さいな」

 

 冗談めかしながら半ば無理矢理に荷物を奪い、隣に並んで歩きだす。どうしてそんなに遠慮をするのだか。委員会だろうと山百合会の仕事だろうと、重いなら誰かに声を掛ければいいのに。彼女自身に身についたものとはいえ、誰かを頼ればいいのにとも愚痴を零しそうになるけれど、割と頑固な部分を持ってて決めたことは曲げない性格の彼女には難しいことなのかもしれない。

 

 「ありがとう、樹さん」

 

 「どういたしまして。――てか、誰かに声掛ければいいのに」

 

 彼女には難しいことなのだろうと理解しながらも、つい口に出してしまった。そんな自分に呆れつつ苦笑しながら志摩子さんを見ると、彼女も困ったように笑う。

 

 「これは私の仕事だもの」

 

 「真面目だなあ」

 

 無理に彼女の意思を曲げてしまうこともないだろうと、この話題はもう終わりにする。

 

 「志摩子さんが所属してる委員会って何だっけ?」

 

 「環境整備委員会ね」

 

 「へえ。そんな委員会があったんだ」

 

 「樹さん、四月の初めにホームルームで所属委員を決めたはずだけれど……」

 

 「あー、あれよあれよという間に決まっていったから、あんまり覚えていないんだよね」

 

 目立つところで学級委員、保健委員、体育委員、図書委員くらいだろうか。そこから後に続く委員会活動ってどんなものがあったかはっきりと覚えていない。真面目に聞いていないのが悪いのだけれど、難航することなくするすると決まっていったものだから、あまり印象に残っていないというのが私の本音だった。手を頭の後ろに回して掻いて、場の空気を誤魔化した。志摩子さんも仕方ないかといった感じで、それ以上に責める気はないようだ。

 

 そうして歩くこと少し、人気のない場所の一角の花壇に志摩子さんは荷物を下ろす。それに倣って私も横に荷物を下ろして、きょろきょろとしてしまう。こんな場所があったのかとしみじみしながら目を細める。まだまだ学園について知らないことが沢山ありそうだ。随分と涼しさを含む風が、私の髪をひと撫でして去っていく。園芸用のスコップを手にしゃがみ込んだ志摩子さんの横に、私も一緒にしゃがみ込む。仕事の邪魔になりそうだけれど、少し興味が湧いてきたからもう少しここに居たい。

 

 「制服が汚れてしまうわ」

 

 「家に替えがあるから、少しくらい汚れたって平気。邪魔になるかもしれないけれど、横で見てても良いかな?」

 

 「ええ、それは構わないけれど楽しくはないと思うわ」

 

 「いいの、いいの。そうなったらそそくさと退散するから」

 

 にっと笑って志摩子さんに顔を向けると、優しく微笑んでいた。ざくっという硬い土にスコップの鉄が小気味よく突き刺さる音。遠くからは合唱部の歌っている声が響いているし、少し離れた所から楽しそうにお喋りをしている学園生の声も聞こえてくる。人気のない場所ではあるけれど寂しさは感じない、そんな学園の一角をこうして志摩子さんは一人で整備をしているようだった。

 ほかにも委員会の人が居るはずだけれど、聞くのは野暮かもしれないと黙っておく。運んだ荷物の中には花の苗がいくつかあり、どうやらこの花壇に移植するらしい。大事そうに手に抱えて、掘り広げた穴に丁寧に移していく志摩子さん。その右手首にはロザリオが巻かれていた。

 

 「あれ、志摩子さんそれって」

 

 「あ……」

 

 「ごめん、ごめん、咎めるとかそんなんじゃなくて、おめでとう、が一番しっくりくるのかな?」

 

 そういえば聖さまと姉妹の絆を結んだことを祝っていなかったなあと思い出して、ここぞとばかりに伝えておく。聖さまに言えばきっと嫌がりそうだから、彼女には言わないけれど。

 

 「樹さん、ありがとう」

 

 右手首に提げているロザリオを左手で優しく触れた志摩子さんは、随分と嬉しそうだった。なんとなくではあるけれど、聖さまと志摩子さんの間には独特の空気が流れていたし、そうなるのだろうと感じていたけれど随分長い時間を掛けたようだ。蓉子さまが発破を掛けていたような気もするけれど、最終的にその決断を決めたのは祥子さまなのだろう。山百合会の外から見ればフラれたと噂されているけれど、実際の祥子さまの行動は随分と漢前な行動だった。

 

 「学園祭まで山百合会の仕事は手伝うことになってるけれど、その後は私もお役御免だねえ」

 

 「え」

 

 きょとんとした顔で志摩子さんが、立ち上がった私を見上げる。

 

 「だって、二学期最大のイベントは学園祭でしょ。それが終わればほとんど仕事なんてないはずだし、理由もなくあの場所に出入りするのは、ねえ……?」

 

 うん。祥子さまの妹は決まっていないけれど、学園祭が終われば確実に暇になるだろうから、さっきも言った通りお役御免だろう。

 

 「でも黄薔薇さまは樹さんのことを気に入っているし、紅薔薇さまも目を掛けているわ。お姉さまも、まんざらではないみたいだし……」

 

 江利子さまと蓉子さまが私を便利屋扱いしていることは知っているけれど、少しづつではあるけれど会話が増えているとはいえ、聖さまが気にかけているなんてことはないだろう。でも周囲をよく見ている志摩子さんの言葉だ。疑うつもりはないのだけれど、信じられないのは今までの聖さまの雰囲気の所為だろう。志摩子さんと同じで独特の雰囲気を醸し出しているからなあ、あの人。

 

 「ないない。これ以上、私を仕事に引っ張る理由はない筈……」

 

 あの人たちなら適当に理由をでっち上げそうだなとか、一瞬でも思った自分を全力で否定しておく。今回のバス事件で私の知名度が、山百合会の手伝いの一年坊から人助けをした一年生と少し評価が変わっているのだ。平穏な学生生活を送る為にも、これ以上の面倒ごとは避けたい所である。

 

 「どうかしら?」

 

 頭を抱えている私を見てくすくすと笑う志摩子さんに、がっくりと項垂れると更に笑みを深めた志摩子さんだった。

 




 7586字

 聖さまと志摩子さんが姉妹の絆を結んだことを祝福してくれた人って限りなく少なそうなので、オリ主に無理矢理言ってもらいました。書いた私の自己満足です。
 二十話くらいで終わるだろうなとこの話を書き始めた頃にアタリを付けていたのですが、まだまだ続きそうです。アニメ一話の時間軸にもなってないよ、どうしたものか……w だらだらと続いていくので起伏が欲しい人にはつまらないかも知れません。書いている本人が言うなと言われそうですが(苦笑 よくよく考えれば、今まで投稿した作品に起伏なんてものは存在してなかったorz


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第十八話:依頼と見返り

 生徒指導室へと召喚されてから数日。流れる噂が消えることはなく、なんでか一躍時の人となっている。人の噂も七十五日と言われて久しいけれど、長すぎるというのが正直なところ。そのことわざを根拠にすると二か月半近く、噂が蔓延しているのだから三学期開始あたりまで、この辱めを受けなければならないのだから憂鬱である。

 クラスメイトには取り囲まれて、一から十まで事細かに内容を問いただされ、困りながらどう答えたものかと思案する私をいいんちょが助け出してくれたりと、この数日忙しかった。噂が流れ切ったようなので、視線は感じるけれど取り囲まれる事態はなくなったので、ソレを気にしなければ随分と平穏であり、日常が流れている。

 

 「えっ!」

 

 「きゃあっ!」

 

 「紅薔薇さまと黄薔薇さまよっ!!!」

 

 ……日常が、日常が流れている筈だったのに。急に騒がしくなった我が一年藤組の教室内は、全校生徒の憧れの象徴である三人のうちの二人が現れたことで、にわかに色めき立っている。

 たらりと嫌な予感が走る額から流れる汗を感じ、鞄の中へと仕舞い込んでいた教科書を机の上に放り出して、こっそりと教室を抜け出そうと試みたのだけれど、その様子を目敏く見ていたトップの子たちが私の行動を阻んだ。退路が塞がれた、と頭を抱えて上級生二人の方に視線を向けると、そこには随分とにーこりと笑った二人が見えてしまった。その姿にクラスの子たちは更に黄色い声を上げるけれど、私の頭の中では某人気SF作品の黒い仮面を被ったラスボスがシュコーシュコーと鳴らす荒い息の音と半端ない威圧感を吐き出しながら登場する超有名なBGMが流れ始める。

 

 「面白いことをしているわね、樹ちゃん」

 

 「どこに行くのかしら?」

 

 「……お二人とも、ごきげんよう」

 

 つかつかと歩みを揃えて私の前に立つラスボ――……薔薇さまの登場である。がっくりと項垂れている私を面白そうに見つめる江利子さまに苦笑いをしている蓉子さま。さて二人が私の教室に現れた理由は分からないけれど、無駄な行動は起こさない人たちなので何かしらの意味はあるに違いない。

 

 「ごきげんよう。ここだと落ち着かないから薔薇の館に行きましょうか」

 

 「ごきげんよう。さ、行きましょう」

 

 江利子さまが私の右腕に左腕を絡ませ、蓉子さまは蓉子さまで私の背中に手を充てるものだから、逃走は不可能となってしまった。私たちのやり取りを見た子たちがまた黄色い声を上げる。この様子を見るに、この二人から逃げ出すと、周囲から何を思われるのか考えるのが怖い。そして今現在突き刺さっている視線も痛い。由乃さんや志摩子さんが迎えに来た時の視線の質が全然違うのは、私の気のせいだろう、そうだろう。さて仕事はないと聞いていたのに何故薔薇の館へと連行されるのか考えるのも億劫になり、腕に当たっている江利子さまの胸は柔らかいなあと現実逃避をしながら、電光石火のごとく私は二人に拉致されたのであった。

 

 「ごきげんよう」

 

 薔薇の館の会議室へと三人同時に入ると、そこには聖さまが窓際の桟に腰かけていた。ようやく来たかと言わんばかりの顔で、そこから降りて椅子に座る聖さまに助けを求めようとしたけれど、今の今まで助けられたことはない。こりゃ諦めて観念した方が楽かもしれないと、私は勝手に流し台の前に立っていつものように三人の分のお茶を淹れ始める。どうやら今日は薔薇さま方三年生だけが集まったようで、他の人たちが来る気配がない。

 

 「貴女も随分とここに馴染んだものね」

 

 そんな私の姿を見て、蓉子さまが椅子に座り声を上げる。

 

 「そうねえ。最初はどうなることかと思っていたけれど、良い拾い物をしたものだわ」

 

 私の返答を待つことがないまま、蓉子さまの言葉を継いだのは江利子さまで。私はそこらの石ころですかい、と心の中で突っ込みをせざるを得ない。口に出すと更に江利子さまはからかってくるので、切り返しのタイミングは見図らないと。

 

 「まあ、頑張っている方じゃないの」

 

 珍しく二人の会話に入る聖さまに驚きを感じて、つい振り返ってしまう。

 

 「……何?」

 

 「いえ、聖さまが私のことについて会話に加わるのは珍しいな、と思いまして……」

 

 怪訝そうな顔をして私を見る聖さまに、馬鹿正直に話すのもどうかと考えたけれど、ここ最近纏う雰囲気が随分と変わってきた今の聖さまになら、少しくらいの冗談は通じそうな気がする。賭けになってしまうけれど、怒られたらその時は腹を括るしかないかとそう口にした。

 

 「まあ、確かに否定できないけどね」

 

 両腕を後ろに回して頭に添えて椅子の背もたれに体を預ける聖さまの姿に、二人は苦笑いを零してる。深く追求することもないだろうとそれ以上は聞かず、電気ポットに手を掛けて給湯スイッチを押し込むのだった。

 

 「どうぞ」

 

 「ありがとう、樹ちゃん」

 

 「ありがとう」

 

 「ん」

 

 同じ三年生の薔薇さまという立場の三人ではあるけれど、返答一つでもこうして違いが出ているし、飲んでいるものもそれぞれに違いがあるのだから。お茶を淹れなければならない立場の私からすれば、面倒なので統一して欲しいけれど、みんな割と自由にしているので私も持参した緑茶やら煎茶を勝手に淹れて飲んでいるので文句が言えない、

 ちなみに蓉子さま、江利子さま、聖さまの順であり、江利子さまと聖さまに関しては日々の機嫌やら気分やらで返事が変わるのだ。私がここに訪れた初期の頃、聖さまなんて無言だったから随分と進歩したのだけれど、これを喜んでいいのかよく分からない。

 

 「それで、なんで私をここに?」

 

 私の指定席となっている場所に置かれている椅子を引いて、ゆっくりと座りながらここへ連れてこられた理由を聞いた。仕事も何もないのに、こうして呼ばれるのは初めてのような気がするし、三年生である彼女たちが直接私のクラスまで迎えに来たことは一度もなかったのだから、何かあるはず。

 

 「山百合会を通して新聞部が取材の依頼を貴女に申し込んできたのよ」

 

 「樹ちゃん、新聞部の子にインタビューを申し出されたけれど、断っていたでしょう?」

 

 「それで私たちの方にって訳」

 

 蓉子さまからの言葉を切っ掛けに息の合った継ぎ方に三人とも仲が良い。そんなことより、この連日バスの件を聞き込みに来た新聞部の一年生を煙に巻いて逃げていたのだけれど、まさか山百合会を通す手もあったとは。手法を変えてきたことに驚きを感じながらも、選択肢が存在するのならば私の出す答えは一択である。

 

 「お断りします」

 

 「――そう」

 

短く言葉を零した蓉子さまは江利子さまと聖さまに視線を向け、少し呆れたような顔をしていた。

 

 「やはり、賭けは成立しなかったわね」

 

 「なんだ面白くない」

 

 どうやら何かやらかそうとしていたようで、蓉子さまはストッパーとして諫めたけれど止まらなかった、そんなところだろうか。

 

 「気を悪くしないで頂戴ね。江利子が面白がって聖と賭けをしようとしてたのよ」

 

 「私が新聞部の取材を受けるか、受けないかでですか……」

 

 「結局どちらも受けない方に賭けたから成立はしなかったのだけれどね」

 

 馬鹿よねえ、と言いたげに二人に視線を向ける蓉子さまに二人は何食わぬ顔で笑ってる。賭けは成立しなかったようなので構わないのだけれど、江利子さまは完全に私を面白い物体くらいに考えていないだろうか。時折、江利子さまと私のやり取りを見ていた山百合会メンバーに、ご愁傷様とか諦めてとか小声で言われるから、これからまだ何か起こりそうな気もするけれど、気にしたら負けだ。

 

 「賭けが成立しないのが分かっているなら、わざわざ私を呼び出すまでもなく断ってもらっても良かったのですが……」

 

 「流石にそれは不味いでしょう。貴女の意見をきちんと聞いておかないと」

 

 「どうにか逃げられた、と思っていたんですが……まさかこっちに話が来てるなんて」

 

 とはいえはっきりと断っているのだから、この話はこれで終わりである。今流れている噂をこれ以上広める気なんてないし、記事になんてされれば二年生や三年生からの視線も集めることとなる。

 

 「拒んだ樹ちゃんには悪いのだけれど、この話――受けてもらえないかしら?」

 

 にっこりと笑って組んだ両手の上に顎を乗せ、蓉子さまがそんなふざけたことを言い出した。それにしても何故新聞部の取材を私が受けなければならないのだろうか。面倒極まりないし、これ以上に目立ちたくはない。『リリアンかわら版』と銘打って発行される高等部限定の新聞は、インターネットがあまり発達していない今だと貴重な情報源であり、学園内の流行り廃りを感知するための一つのアイテムでもある。そんなものにバスの一件が載ろうものなら、噂にさらに拍車が掛かり平和な日常が謳歌できなくなってしまう。一時的なものであれ注目を浴びてしまうのだから、なるべく避けたい。だからこそ新聞部の子たちから逃げていたというのに。

 

 「嫌です、と言いたいところですが何か理由でもあるんですか?」

 

 新聞部のネタとして山百合会は重宝されていると聞いたことがある。学園内での人気や影響力が強いから、何かあると新聞部が駆けつけて記事にしようと躍起になっていて、目の前の三人は新聞部に苦手意識があるとかないとか。江利子さまは面白がりそうだけれど、真面目な蓉子さまが興味本位で記事を組もうとしている新聞部の取材を許す人に思えないから、もしかすれば何かあるのかもしれない。理由を問いただした私に、蓉子さまの顔が笑みから真顔に変化する。ああ、これは確実に何かあるのだろうと悟った私は、姿勢を正すのだった。

 

 「今、この学園で流れている主な噂は全部で三つ。それは知っていて?」

 

 この学園について疎い私ではあるけれど、流れている噂を把握できていないこともない。山百合会の動向はみんな気になるようで、真相を知りたいクラスメイトの子たちに質問されるのだ。その時は私はただのお手伝いだからよく知らない、と言って逃げているけれど。流石に当事者でもないのに見たり聞いたりしたことを勝手に喋って憶測を広げる訳にはいかないから。

 

 「聖さまと志摩子さんが姉妹の絆を結んだ、祥子さまがフラれた、私が人助けをした、ですかね」

 

 「その通り」

 

 「てか、それなら新聞部も私の事より山百合会のことを優先的に記事……――まさか」

 

 断ったのか。それしか考えられない。蓉子さまが妹である祥子さまのある意味不名誉な噂に拍車をかけるようなことはしないだろうし、聖さまと志摩子さまの一件も、喜んでみんなに報告するような人でもない。教室前で祥子さまと問答を起こしたのは、おそらく聖さまなりの周囲への牽制だろう。志摩子さんに何かあれば、姉である私が出てくるよ、という意味の。

 

 「その依頼も同じタイミングで来ていたのだけれど、断ったのよ。これ以上騒ぎを大きくする訳にはいかないもの」

 

 「私は生贄ですか……」

 

 丁度良いタイミングで私がネタを提供したということか。かなりの偶然であり奇跡でもあるけれど。

 

 「生贄って訳じゃないんだけれどね」

 

 唐突に聖さまが蓉子さまと私との会話に割り込んできた。いつもつまらなそうに仕事をこなしている聖さまが割と真面目な顔で私をみている。珍しいと思いつつ、話の続きを聞くために何も言わず聖さまを見る。

 

 「君の精神的な強さを頼りたいって言えばいいのかな。全てを話せるわけじゃないから悪いとは思うけれど、今回の一件に協力して欲しいのよ」

 

 「協力、というか生贄にされるのは構いませんが……」

 

 「腑に落ちない?」

 

 「ええ、まあ」

 

 「そりゃ、そうだよねえ」

 

 苦笑いを零す聖さまに、困ったような顔をする蓉子さま。江利子さまは珍しくだんまりを決め込んでいて、どうやらこの話にはあまり関わらないつもりらしい。カーテンを揺らす風が心地いいけれど、これから先の話は一体どうなるのやら。仮に私が受けたとして、今流れている噂がかき消えるわけでもないだろうに。それが分からない人たちじゃないだろうし、こうして私を説得しているのが不思議なのだけれど。

 

 「少し内情を話すことになるから、これから話すことは他の人には黙っていて欲しいのだけれど」

 

 小さく頷いて、先を促した。曰く、普段は気の強い祥子さまであるが、今回のことで傷ついていない筈はないこと、志摩子さんも聖さまの妹になったことでそれなりに負担があるだろうから、今はそっとしておいて欲しいこと。それらを加味して私が都合のいい存在――流石に言葉は濁していたけれど――だったこと。

 

 「あとだんまりを決め込むよりも、ある程度情報を渡した方が噂の鎮静化は早いわよ、樹ちゃん」

 

 だそうだ。あまりにも私にメリットがなさすぎるような気もするけれど、蓉子さまには今まで世話になっていることもあるし、志摩子さんにも色々と迷惑を掛けたこともある。祥子さまにもこの学園のルールを沢山教えて貰っている。

 そう思えば、新聞部の取材に答えるくらい、なんともないかと腹をくくった。ただ、なんとなく目の前の三人に踊らされているような気がして、余計な一言を言ってしまうのは私の悪い癖なのかもしれない。

 

 「そりゃそうかもしれませんが、私って損しただけじゃありませんか?」

 

 「それを言われると、反論しづらいわね」

 

 「見返りを要求します」

 

 はいはーいと右手を上げると、それは何かしらと蓉子さまが聞いてきた。

 

 「三年生にとって大事な時期だとは分かっていますが、私に勉強を教えて下さると大変嬉しいのですが」

 

 大変、を誇張して伝える。目の前の人たちは頭脳明晰なのだから教えを乞ういい機会だ。私の頭の出来はあまり良くないので、気を抜くとすぐ駄目になる。今はまだついていけているけれど、いつ落とし穴に嵌るかわからない。なら予防策を講じていてもいいはずだ。

 

 「樹ちゃん、編入組なんだからそんなの必要ないでしょう?」

 

 きょとんと呆けた蓉子さまと聖さまをしり目に、だんまりを決め込んでいた江利子さまが、アンニュイな表情のまま首を傾げて聞いてきた。

 

 「今のところついていけていますが不安があるので、教えてもらえる人が増えるならお得ってもんです」

 

 「お得って……」

 

 「人のことを生贄扱いしたじゃないですか」

 

 「そうは言ってないでしょう」

 

 私の発言に三人は苦笑いを零してるけれど、そのくらいの見返りでもなければやってられないし、出来の悪い一年坊に勉強を教えるくらい、良いじゃないかと開き直る。

 

 「まあいいわ。私は構わないから、分からないところがあればいつでも聞きにいらっしゃい――全く。私たちにそんなことを強請るなんて貴女くらいのものよ」

 

 祥子にも言われたことないのに、と小さく零す蓉子さま。いや祥子さまも頭脳明晰なんだし、お姉さまにご迷惑を掛ける訳にはいかないって人だから、言わないだろう。そんなことなど分からない筈はないのに口に出てしまったのは、蓉子さまの願望なのだろうか。完璧な人のように見えて、こうしたところで人間臭さが垣間見えることに、少しばかり嬉しさを覚える。

 

 「それじゃあ私は蓉子の横で邪魔をしようかしら」

 

 「いや、普通に教えてくださいよ」

 

 「あら、それじゃあつまらないじゃない」

 

 アンニュイな表情から、面白そうに目を輝かせて江利子さまがそう言い放つけれど、いつものことで平常運転だ。さて、あとは聖さまのみだけれどと視線を向ける。

 

 「気が向けばね」

 

 がしがしと頭を掻きながら仕方ないかとありありとそんな雰囲気を醸し出して、曖昧な答えをくれたのだった。条件は飲んでくれたのだし、おそらく蓉子さまが無理やりにでも聖さまを引っ張って巻き込んでくれるだろうと、想像してしまう。三人でのヒエラルキーの頂点は蓉子さまだから、はっきりとしない返事でも心配はない。

 

 「あ、もう一つ条件をだしてもいいですか?」

 

 「構わないけれど、内容にもよるわね」

 

 志摩子さんや蔦子さんから『新聞部には気を付けて』という警告されていたことを思い出して、保護者役と牽制役に三人のうちの誰かに新聞部の取材を立ち会って欲しいと願い出た。少し考えた様子を見せた蓉子さまが、そんなことならばと快諾してくれたのはいいけれど、興味本位で江利子さまの参加も決まり、それなら聖さまもついでにと薔薇さま三人参加という贅沢極まりない保護者役が出来上がってしまった。

 こうなったので薔薇の館で取材を受けることとなり、私の後ろには三人が控えるという異様な光景が広がり、新聞部の部長さんが笑みを引きつらせてかなり気を使いながら私にインタビューを行うという珍事が発生したのだった。

 

 あの時は寿命が縮むかと思ったと新聞部の部員たちに愚痴を零した部長がいた、らしい。

 

 ◇

 

 ――し、視線が痛い……。

 

 新聞部のインタビューから数日、『リリアンかわら版』がどうやら発行されたようで昼休みに廊下を歩いていると、視線が刺さること刺さること。

 今までの視線のメインは一年生からのものがほとんどだったのだけれど、二年生、三年生と追加されたのだから当然である。それでもまあ、悪意や敵意が含まれているものではないから、ただただ刺さる視線が気になるだけで、なにか問題が起こるという訳でもないから無視を決め込むだけだ。

 

 「樹さんも随分と有名になったものね」

 

 山百合会の仕事があるからと、放課後に由乃さんが藤組の教室まで迎えに来てくれた所まではいつも通りだったというのに。にっこりと笑いながら廊下をしずしずと歩く由乃さんは随分と嬉しそう。

 

 「不本意なんだけどね」

 

 「悪名で噂が広がるより良いでしょう?」

 

 「それはそうなんだけど。私が山百合会に出入りしてなきゃここまで注目されなかったんじゃないかなあ」

 

 「樹さんは、私たちと過ごすのは嫌?」

 

 少し寂しそうな顔をしてそんな質問をしないで欲しい。

 

 「嫌じゃないよ。でも……」

 

 「でも?」

 

 「周りが騒ぎ過ぎるから、それがちょっと苦手かな」

 

 ああ、と思い至った顔をして暫く苦笑いをする由乃さん。由乃さんにも覚えがあるのか、返答に困っているようだ。

 

 「神格化されてるでしょ。ただの生徒会なのに」

 

 「確かに。幼稚舎からずっと過ごしていると、いつの間にかそうなってしまうのよ」

 

 不思議よね、と小さく零して笑う由乃さんに私も笑う。仮に私が初等部からリリアンに通っていれば、彼女たちと同じような考え方になっていたのだろうか。

 

 「私も初等部からここに通ってたら、みんなと馴染んで山百合会の人たちを憧れの対象として見てたのかなあ」

 

 「どうかしら。樹さんだもの、案外今と変わっていなさそう」

 

 気になって聞いてみると、そんな答えが返ってきた。

 

 「というか、お嬢さまみたいな自分が想像できない……」

 

 「ふふ、そうね。ちょっとおかしいかも」

 

 そうして何気ないやり取りをしながら、薔薇の館へと辿り着く。私が初等部からリリアンに通っていれば、もしかしたらこうして手伝いとしてここを訪れることはなかったかもしれない。本当、人生なにが起こるのか分からないものだから、こうして繋がった縁を更に良いものへと変えていけば、きっと手放せない大切なものへと実っていくのだろう。

 

 「行きましょう、樹さん」

 

 薔薇の館を何気なく見上げていると、由乃さんが私を呼ぶ。さあ今日も下っ端として頑張りますか。

 

 「うん」

 

 ビスケット型の扉を開けて、ひどく軋む階段を上り会議室のドアを開けば。

 

 ――ごきげんよう。

 

 そう、声が響いた。

 




 7737字

 誤字報告を毎回くださる方、ありがとうございます! この場を借りてお礼申し上げます。情けない話になりますが、気を付けてはいるもののどうしても無理な所があるので本当にありがたいです。
 閲覧、お気に入り、評価、しおり、ここ好き等も感謝感謝です。モチベに直結するので、こうして三日間更新が一ヶ月半続けていられているので、有難い限りであります。

 なんだか最終回みたいになってしまいましたが、まだまだ続きます、ハイ。アニメの一話にも辿り着いてないので(苦笑 あと聖さまがオリ主の呼び方を変えるタイミングが切り出せない。もう変わっても良いのですが……。しれっと変えるのもありですが、なにかイベント的なものを起こそうか起こすまいか。祥子さまも『さん』付けのままなので、いつかは『ちゃん』付けに変わって欲しい。何か考えないとなあ。


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第十九話:腹痛と島津家訪問

 ――ああ、まいったなあ。

 

 お腹が痛い、腰が重い、足も重いし、気持ちが悪い。完全にただの生理痛で、お腹が痛く気分が悪いものの、我慢が出来てしまうというのが質が悪い。月に一度必ず襲われる痛みにムラがあるのも、今回の手落ちの原因ははっきりしている。まあ、ようするに痛み止めの薬をポーチの中へ仕込んでおくのを忘れ、ただひたすら我慢しなければならないという状況に陥っていたのだった。

 

 「……はあ」

 

 自然と口から出た溜息は随分と長かった。お昼ご飯を食べようと、適当なベンチを探して座ったものの食べる気力も湧かないし、痛みの所為でお腹が空いているのかどうかも分からない。母が作ってくれたお弁当は私の膝の横にちょこんと置かれたまま、手を付けることはなく昼休みの時間が過ぎていくだけ。残すのは勿体ないけれど母に詫びて、痛んでいないのなら夕飯にでも食べようかと考えていた。

 

 「どうしたの、貴女がぼーっとしているだなんて珍しい」

 

 眼は開けていたものの、映る光景を脳内へと流し込む作業なんて億劫だったので声を掛けられ、ようやくその作業が再開された。きょろきょろと周りを見た後に視線を前に戻すと、数歩分先に私の様子をうかがうような蓉子さまとあまり表情が読めない聖さまが二人そろって立っていた。

 

 「こんに……――ごきげんよう」

 

 どうやら痛みのせいで頭も回っておらず、慣れたはずの『ごきげんよう』という台詞が一度で私の口からでてはこず、言いなおす羽目になってしまう。数度頭を振ってみるものの、回復の見込みはなく。どうにか無理矢理に笑って誤魔化してみるものの、勘の鋭い目の前の人たちに通用するかどうかは謎である。

 

 「ごきげんよう。樹ちゃん、本当にどうしたの?」

 

 「あー、いえ……生理痛で」

 

 リリアンに編入してから半年あまり、女子ばかりのクラス編成だというのにナプキンが飛び交ったり、『ヤバい血が垂れてきた』なんて台詞が飛ぶ所を一度も見たり聞いたりしたことがない。時折、調子を悪そうにしている子がいるけれど、空気を読んで黙っているのが淑女の嗜みのようで、なにかあるようならば、陰でこっそりとやり取りをするのがこの学園での風景らしい。

 男子生徒の眼はないというのに、ほんとうにお嬢さまなのだなあと感心していたけれど、こうして自分の身に起こると、周囲に言い出し辛い状況になってしまうのは如何なものか。いいんちょ辺りは気が付いた雰囲気を見せてくれていたけれど、聞くか聞くまいか迷っていた様子だったから、若いなあと微笑ましい姿を見ながら痛みを紛らわせていたのだった。

 

 「あら、大丈夫なの?」

 

 「はい、どうにか」

 

 はい、と言い切ればよかったのに、どうにかなんて口にしてしまったものだから、蓉子さまの片眉が一瞬上がる。

 

 「本当に?」

 

 「ええ」

 

 ふいに私の弁当箱を持った蓉子さまは、更に顔をしかめて盛大に溜息を吐いた。

 

 「樹ちゃん、お弁当全然食べていないのではなくて?」

 

 「お腹痛いし、食欲もわかなくて」

 

 「痛み止めの薬は飲んだの?」

 

 「それが忘れちゃって」

 

 あはは、と空笑いをして場を誤魔化したつもりが、どうにも蓉子さまの琴線に触れたらしく。

 

 「立てるかしら」

 

 有無を言わさぬ声で私を立ち上がらせて『ついていらっしゃい』とだけ言って、私のお弁当箱を持ったまますたすたと歩き始める。まるでついてこないことを確信して、後ろを振り返る様子もない。

 

 「あー、えっと……」

 

 「蓉子のお節介はいつものことだから、行きなよ。悪いようにはならないし」

 

 蓉子さまと私のやり取りを黙ってみていた聖さまが、苦笑いをしながら蓉子さまの方を指差す。いや、お昼を一緒に食べるか、何か用事があったのではと聞いてみると、もう食べ終わって教室に戻る所だからと言われてしまい。

 

 「ほら、行っておいで――樹ちゃん」

 

 私の後ろに回り込んだ聖さまは、両肩に手を置いて私が歩き出すようにと促す。後ろを振り返って聖さまを見ると、笑いながら小さく手を振っていたので、軽く会釈をして先を行く蓉子さまに追いつく。

 

 「顔色が悪くなるまで我慢だなんて。貴女らしくもない」

 

 横に並ぶとそんな苦言が飛んできたけれど、怒っているというよりは無理をしていたことに対してだろう。どこに行くんですか、と聞く前に『保健室』と書かれたプレートがある扉の前に立っていたのだった。

 

 「失礼します」

 

 扉を開けてつかつかと蓉子さまは入室していき、養護教諭といくらかやり取りをすると、二人して苦笑いをしながら扉の前に立ちすくんでいた私を見た。

 

 「鵜久森さん、こっちへいらっしゃい」

 

 手招きされ、言われるがままに保健室に足を踏み入れると、独特の薬品の匂いとシーツにかかった糊の匂いが鼻をくすぐる。この匂いは何時まで経っても慣れないなあと感慨深くきょろきょろと周りを見やる。並べられた二つのベッドには誰もおらず、室内は静かで。立ち上がった先生は、薬品棚から小さな箱を取り出してPTP包装シートに包まれた錠剤を二錠手渡してくれた。

 

 「ありがとうございます」

 

 「無理なんてせずに、ここに来ればよかったのに」

 

 そう言いながら、やんわりと早く飲みなさいと言わんばかりにせかされ、包装シートのプラスチック部分を強く押すとアルミが割ける音が鳴ると同時、水が入ったコップを手渡してくれた。蓉子さまも蓉子さまで、仕方ないなという顔をして苦笑している。そんな二人に気恥ずかしさを覚えて、さっさと錠剤を口の中に放り込んで水を含み、飲み込んだ。

 

 「調子が悪ければ、ベッドで休ませてもらいなさい。担任の先生には私から伝えておくから」

 

 「あ、いえ。薬も飲んだし暫くすれば効いてくると思うので、授業には出ます」

 

 現金なもので薬を飲んだら少し楽になった気がするのだから不思議なものだ。プラシーボ効果があるのかどうかは知らないけれど。

 

 「本当に?」

 

 「本当です」

 

 私の言葉を聞いて先生に確認を取る蓉子さま。どうやら休ませるほどではないだろうと判断したらしく、私の言葉を選んでくれた。それでも調子が悪ければ保健室にもう一度来るか、担任の先生と相談して早退しなさいと告げられると、さっさと出ていきなさいとばかりに保健室から追い出されたのだった。

 

 「すみません、蓉子さま、ご迷惑をおかけして」

 

 「いいのよ、これくらい。お節介かもしれないけれどあの場で貴女を放っておいて後から気になるくらいなら、声を掛けてこうした方が良いでしょう?」

 

 「それはそうかもしれませんが、面倒ごとに巻き込まれたりしませんか?」

 

 変に首を突っ込むと、厄介ごとが訪れたりするものだ。蓉子さまは真面目な人なので、そういうものから逃げたりする人ではないだろうから、苦労をするのではないだろうかと聞いてみた。

 

 「そうね。そういうこともあるけれど、貴女も私と同じようなものじゃない」

 

 曰く、ぶつかって拾った紙をついでに運んだり、バスで倒れた人を助けたりしたでしょうと。確かに手助けをしたりはするけれど、嫌な時は逃げるし断るし。それをしなさそうな蓉子さまが言える台詞ではないだろうに。

 

 「いえ、私より蓉子さまの方が周りをよく見てますよ」

 

 本当に。困っている生徒を見つけると、その子に声を掛け手助けしている。薔薇さまという立場もあるのだろうけれど、それは中々できることではないし、真似できるものでもない。どうにも彼女のお節介は、パッシブスキルのような気がするけれど、口に出すと嫌な顔をされそうなので言わないでおく。

 

 「褒めてもなにも出てこないわ」

 

 「ありゃ、残念です」

 

 照れ隠しなのか、冗談そうに言うものだから私も冗談で返すと、くすりと笑う蓉子さま。階段へ辿り着くと、そこが別れる場所となる。三年生と一年では教室のある階が違う為だ。

 

 「樹ちゃん、今日の山百合会の手伝いはいいから帰ってゆっくり休んで頂戴ね」

 

 「ですが、昨日は仕事があると言ってましたよね」

 

 学園祭の開催日が近づくにつれて、山百合会での仕事が忙しくなってきているのは目に見えて明らかだった。

 

 「こういう日くらい構わないから、気にせずに休みなさい。それに学園祭が近くなると忙しくなるのだし、今のうちだもの」

 

 「すみません、そうさせて頂きます。みなさんにも手伝いに行けなくて申し訳ありませんとお伝えください」

 

 せっかくこう言って貰っているのだから、あまりしつこいのも無礼だろうと蓉子さまの気遣いをありがたく受け取っておく。

 

 「わかったわ。それじゃあ、ごきげんよう」

 

 そう言い残して背を向けた蓉子さまに小さく礼をして私も教室へと戻ると、さっそく蓉子さまと一緒に保健室へと赴いたことを、クラスメイト数人に取り囲まれて質問攻めにあう中。現実逃避と言わんばかりに違うことを考えていて、ふと思い出した。さっき聖さま私のことを何てよんだのだっけ、と。

 

 ◇

 

 ――秋麗な日曜日。

 

 由乃さんと交わした以前の約束を叶える為に、私は両親から高校入学祝いとして贈られたマウンテンバイクに乗り、一路リリアン女学園を目指し、軽快にペダルをこいでいる。私のズボンのポケットの中には、由乃さんが書いてくれた地図が一枚忍ばせてある。リリアンからほど近いと聞いていたので、学園を起点に地図を書いてもらったのだ。ようやく見えてきた背の高いリリアン女学園の校門前で一旦停車して、地図を取り出す。可愛らしく丁寧な字は読みやすく、きっちりと引かれている線も彼女の性格が所以なのかも知れないと、自然と笑みが零れた。

 

 「さて」

 

 地図を頼ればここからそう時間はかからないはずだ。

 時間には十分に間に合うなと、腕時計の文字盤を見てゆっくりとまたペダルをこいで閑静な住宅街を突っ切っていくと『島津』と書かれた表札を見つけ、地図と照らし合わせてここが由乃さんの家だと確信。邪魔にならないようになるべく壁際にマウンテンバイクを停め、背負っていた荷物の中から母から預かったものを取り出して。立派な門扉の前に立ち、呼び鈴を押すと暫くして聴き慣れた声が聞こえてきた。

 

 「いらっしゃい、樹さん」

 

 「由乃さん、お招きありがとう。――お邪魔します」

 

 玄関に通され靴を脱ぎ一旦上がらせてもらい、振り返り隅へと靴を揃えて置く。そんな私の様子を由乃さんは楽しそうに見ながら、自室へと案内しようとしてくれているけれど、少しばかり用があった。

 

 「由乃さん、ご家族の方は?」

 

 「今日は出かけていて誰も居ないの」

 

 「そっか。これ母が持たせてくれて、ありきたりなものだけれどみなさんで食べてくださいって」

 

 それじゃあ仕方ないかと先ほど用意しておいた紙袋から、中身を取り出して由乃さんに差し出す。以前にも友人の家を訪れる際は、母がこうして用意してくれていた。しかも、状況や立場によって変わる渡し方まで手ほどきしてくれて、色々とマナーを教えてくれたのだ。この辺りの心遣いは良家のお嬢さま出身の母らしいなあと感心していたのだけれど、またこうして役に立つ日がくるとは。

 

 「ありがとう。でも、そんなに気を使わなくてもよかったのに」

 

 「あはは。私もそう思うんだけれど、母に友達の家に遊びに行くって伝えるといつも用意してくれるから」

 

 手渡した菓子箱を抱えて、由乃さんが苦笑いをしていた。友人の家に遊びに行くときなんて、何も考えずにお邪魔していたものだけれど、こうして親同士のネットワークを広げるためでもあるのだろう。これを切っ掛けに、声を掛けやすくなったりするものなあ。直ぐに繋がることのできない時代の努力なのだろう。

 

 「そうなんだ」

 

 ふふ、と小さく笑いながら自室へと案内してくれる由乃さん。

 

 「女の子の部屋だねえ」

 

 「それだと樹さんは女の子じゃないみたいよ」

 

 部屋に入るなり漏れた声に、口元に手を添えながら笑って私をみている由乃さん。本棚の中は奇麗に出版社や作家ごとにわかれて並べられているし、そのうえには可愛らしい縫いぐるみがいくつか置かれ。カーテンの色や家具の色調も私の部屋とは大違いで、なんと表現すればいいのかわからないが、色が多いとでも言うべきだろうか。

 どうぞ、と言われてふかふかのカーペットが敷かれた床へと腰を下ろして、お茶を用意してくるから少し待っていてと部屋を出ていった由乃さん。もう一度、本棚に目を向けると彼女から以前に聞いていた、とある作家の小説がずらりと並んでいて。他にも時代小説に、漫画や文庫本が。

 

 「面白いものでもあった?」

 

 「あ、ごめん。勝手に覗いてた」

 

 「本棚を見るくらい構わないわ。それよりも、気になるものでもあれば手に取って読んでもらっても良いのだし」

 

 お盆に紅茶とケーキを乗せて運んできた由乃さんは、静かに小さなテーブルにへと移して座る。

 

 「これ、令ちゃんが作ったケーキなの」

 

 「令さまが?」

 

 そう聞いてつい首を傾げてしまった。背が高く、学園内では『ミスターリリアン』なんて呼ばれる令さまが。

 

 「意外でしょう?」

 

 「そうだね。でも、令さまのこと一つ知ることができたから。あとの問題は味かなあ」

 

 人は見かけによらないし、見かけで判断してはいけないという例でもあった。私の目の前に置かれたケーキは見栄えも良く、かなり凝ってるように見えるから味もきっと美味しいはず。

 

 「味は私が保証するわ」

 

 何故か嬉しそうににっこりと笑う由乃さん。小さい頃からの幼馴染だから、きっとこうして何度も令さまが作ったものを食べたことがあるのだろう。期待に胸を鳴らしながら手を合わせて、添えられていたフォークを手に取って小さく切り取り、口へと運ぶ。

 

 「美味しい」

 

 「でしょう?」

 

 「――うん」

 

 こくこくと由乃さんの言葉に頷いて、何度もフォークを口に往復させる。美味しくて、つい無言になってしまうけれど由乃さんは何も言わないから、もう少しだけとケーキを堪能していた。少し食い意地を張りすぎたかなと反省するけれど、由乃さんには生徒指導室に弁当箱を持ち込んでいたりと、私が食べることに少々執着していることはバレているから、黙ってくれている。

 

 「幸せそうに食べるのね、樹さんは」

 

 「あ、ごめん。美味しくて、つい」

 

 「いいのよ、気にしないで。それに令ちゃんが喜ぶもの」

 

 「そうなの?」

 

 「令ちゃんはあんな見た目でしょう。お菓子作りや料理が趣味だなんて、学園だと言い出せないみたいで」

 

 気にしなければいいと思ってしまうけれど、令さまは優しい人だから周囲が持ってしまったイメージを崩さないようにと心がけているのだろうか。そうなってしまうと話題として出しづらくなるし、相手も言わないだろう。山百合会の人たちならば知って良そうだけれど、そういう話が出たこともないから私が今まで知らなかったのは仕方のないこと。

 

 「――由乃、いいかな」

 

 ふいに扉越しにくぐもった令さまの声が聞こえてきた。

 

 「……どうぞ」

 

 少し間をおいて令さまの声に反応した由乃さんは、頬を膨らませている。

 

 「紅茶のお替りどうかな?」

 

 ひょっこりと顔を出した令さまに『こんにちは』と挨拶をすると、一瞬呆けた顔をして『こんにちは』と返してくれた。おそらく私が『ごきげんよう』と言わなかったことに驚いたのだろう。学園外だと使い辛いし、慣れの問題もあるのだろう。純粋培養組と俗世の毒が抜けきっていない養殖組である私との差が出ていたのだった。隣どうしで家族ぐるみの付き合いだと聞いていたから、令さまが由乃さんの部屋に現れたことに違和感は全くない。

 

 「令ちゃん、邪魔しないでって言ったのに……」

 

 「これ淹れたら直ぐに出ていくから」

 

 「もうっ」

 

 怒る由乃さんに、苦笑いをしながら紅茶を淹れてくれる令さま。二人の微笑ましいやり取りを見ながら、またケーキを一口放り込む。――うん、美味しい。せっかくシェフは目の前にいるのだから、素直な気持ちを伝えるのは今だろう。

 

 「令さま、ケーキありがとうございます。上手く言えなくて申し訳ないのですが、すごく美味しいです」

 

 「口に合ったみたいで良かったよ。それじゃあ樹ちゃん、由乃の相手は大変だけれど、ゆっくりしていってね」

 

 「余計なこと言わないでよ、令ちゃん」

 

 「はいはい」

 

 それじゃあ、と言って立ち上がり部屋を出ていく令さま。由乃さんはその後姿を見ながら、ぷんぷんと少し怒ったオーラを出していた。

 

 「笑わなくても良いじゃない」

 

 「だって、二人のやり取り見てると楽しいんだもん」

 

 「樹さんの意地悪っ」

 

 その言葉にごめんごめんと平謝りをして、どうにか由乃さんを宥めて、しばらく他愛のない話をする。学園のこと、山百合会のこと、私たちを取り巻く状況や、これからのこと。そういえばと最初に話していた本のことに話が戻って、私の家にも来てみないと誘ってみると、由乃さんが今日一番の笑顔で『絶対行くっ』と前のめりに約束をしたのだった。

 

 「――由乃」

 

 「…………どうぞっ」

 

 また扉の前からくぐもった令さまの声が聞こえ、由乃さんが先程よりも雑な返事で部屋へと招き入れる。

 

 「樹ちゃん、ケーキのおかわりどうかな?」

 

 「いいんですか?」

 

 「うん。沢山作ったから食べてもらえると嬉しいな」

 

 にっこりと笑って私に語り掛ける令さまは、どうやら中の様子が気になるらしくケーキや紅茶を理由にして覗きに来ているようだ。切り分けたケーキをよそう令さまをしり目に、由乃さんは私の横でぷるぷるしている。あれ、これ大丈夫かなあと心配になってきたその時だった。

 

 「――令ちゃん」

 

 低く唸る声。今まで聞いたことのない由乃さんの声に、数度部屋の温度が下がった気がした。

 

 「よ、由乃? 怒ってる?」

 

 「当たり前じゃない、邪魔しないでよっ」

 

 「……っ」

 

 あまり無理が聞かない所為なのか叫んだり大声を出すことは無かったけれど、由乃さんの本心が込められていた言葉で。それでも私は令さまの気持ちもわかってしまうから、出しゃばるのもどうかと思いつつ、二人の会話に割って入る。

 

 「由乃さん、私は気にしないから」

 

 「樹さんが良くても、私が気にするものっ」

 

 「どうして?」

 

 「だって二人で遊ぶ約束をしたのに、令ちゃんが邪魔するんだもの……」

 

 トーンダウンした由乃さん。子供じみた理由に苦笑をしながら折衷案を出してみる。

 

 「なら、さっきも約束した通り家においでよ。それに、まだ三年もあるんだよ? 何度でも遊びにいくし、遊びにきてよ、ね?」

 

 だから今は令さまが側に居ることを許して欲しい、と付け足して。言葉に出すのは恥ずかしいけれど、二人の事をもっと知りたいからと懇願したのだった。

 

 「……分かったわ。――令ちゃん、今回だけだからね?」

 

 「う、うん。ありがとう由乃」

 

 なんだか力関係が学園と逆のような気がするけれど、こちらが彼女たち本来の姿なのだろう。――女三人寄れば姦しい、という言葉通りに令さまが加わったことで、会話のテンポが上がる。由乃さんと令さまの会話は、慣れたもののようで遠慮のない口ぶりだし、私も私で必要なところ以外は畏まる必要もないという人間だから、学園外ということである程度気が抜けている状態だ。

 令さまもどうやら本好きなのだけれど、由乃さんと傾向が合わないと愚痴を零している。ならばとおすすめや好きなものはと聞くと、意外にも恋愛小説や少女漫画のタイトルが上がり、『快感〇レーズ』や『MA〇S』『風〇る』などを勧めてみる。期待の眼差しで由乃さんから視線を受けたので、由乃さんには『BAS〇RA』『天は赤い河の〇とり』。あと少年誌になってしまうけれど、最近掲載されたばかりの『MIND AS〇SSIN』を勧めておいた。勧めるだけでは申し訳ないので、読みたければ家に来ればいつでも読めるし、持ってくることも可能だと伝えて。

 

 こうして初めての島津家訪問は日の沈む幾分か前に終わり、私は元来た道を自転車に乗りゆっくりと家へと帰るのだった。

 




 7893字

 お腹の痛みでオリ主は『さっきの手紙のご用事なあに』状態になってしまい、直ぐに気付くことが出来ずw ちょと由乃さんが子供過ぎたかもしれません。力不足を感じる。うーん難しい。


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第二十話:自習室と雑談と雨

 そろそろ近くなってきた学園祭のクラスの出し物を決めようと、ホームルームの時間に黒板へと書き出されたみんなの希望は、食べ物系にアトラクション系に展示系とさまざまである。冗談半分でこの時代にはまだ概念のないメイド喫茶を提案したら、そんな破廉恥なことは出来ないことと、女子校のこの学園だと需要がないと即座にクラスメイトから総スカンを喰らったのだった。

 ツンデレなんて言葉もまだ存在しないから、少し早すぎたかと反省する一方で、勿体ないとも考えてしまう。本物のお嬢さまたちが集うこの学園で、クラシカルなメイド服に身を包んで接客サービスをすれば集客数一位は簡単に取れそうなのだけれど、と俗なことを頭の片隅で思い描いていたのだった。

 

 「樹さんは、山百合会のお手伝いがあるのでしょう?」

 

 それが駄目ならばいっそのこと男装して執事喫茶にと他所事を考えながら黒板を見ていると、ふいに声を掛けられた。

 

 「ああ、うん。忙しくなるから手伝って欲しいって言われているけれど」

 

 強制ではないだろう。クラスの出し物だって手伝わなければならないのだから、薔薇さまにそれをきちんと伝えれば理解して貰えるはずだ。山百合会の手伝いよりもクラスの出し物の方に比重を重くしておかないと、批判が怖いし。

 

 「なら、樹さんにはあまりクラスの出し物で重要な役を担わせるにはいけませんわ。みなさんもそれでよろしくて?」

 

 トップの子が突然声を上げてそんなことをみんなに言い放った。いや、ちょっと待って欲しい、私の意思はどうなるのだろうか。手伝って欲しいと言っただけで、クラスの出し物を手伝えないとは言っていないのだから。山百合会のこととなると少し熱くなり過ぎだろうと、肩を下げる。私の同意ではなく、周囲の同意を得たトップの子は誇らしげな顔で、私に意味深な視線を送るとそれ以上は言うことはないようで、真っ直ぐに黒板を見据えたのだった。

 

  「――樹さんも大変ね」

 

 出し物は展示系となり、ある程度の意見をまとめ終えたいいんちょが、席に座ったままの私に声を掛けてきた。

 

 「止めてくれても良かったのに」

 

 むう、と怪訝な顔をした私を見たいいんちょは苦笑いをしながら、こう答えてくれた。

 

 「助けたい所だったのですが、無理だと判断しましたので」

 

 いいんちょの淡白な言葉を聞くと薄情な人だと思えてしまうが、親切心で無理に言い出して厄介ごとに巻き込まれるくらいなら、これで正解なのだろう。真面目な上に正義感も強いようだから、弱い人が的になっていれば必ず盾として行動するのがいいんちょなのだけれど、口を出さなかったのは、私だったからという可能性もある。

 

 「酷いなあ」

 

 「ええ、そうかもしれません」

 

 ふふ、と目を細めて笑ういいんちょに笑い返す。今日は山百合会の手伝いはないので放課後はフリーだった。そういえば宿題が結構出ていたなあと、面倒くさい気持ちと共に思い出す。家に帰って宿題を捌くよりも学園で済ませてしまいたい。一瞬、図書室へと赴いて一角を陣取って宿題を終わらせるかとも考えたけれど、人気の場所である図書室で読書以外の用事で席を占有するのは不味いだろう。

 

 「あ、いいんちょ、宿題を学校でやりたいんだけれど、教室と図書室以外でどこかいい場所ないかな?」

 

 私立校であるし、お金持ちのお嬢さまたちが通う学園なので、その為の設備は充実している。更衣室のロッカーなんかも、一人に与えられるスペースが広いし他の場所でもそういう所が垣間見える。少々古いのが玉に瑕ではあるけれど、あることに越したことはないのだから。

 

 「それなら自習室がありますよ」

 

 「へえ、そんなのあったんだ」

 

 「入学式翌日のオリエンテーションで案内されたはずですが……樹さん」

 

 「ごめん、必要のないことって忘れやすくて」

 

 優先すべきものが沢山あったので、使用頻度の低そうなものは覚える気が全くなかったというのもあるけれど。それを正直に言う必要もないのだけれど、今言った私の台詞もどうなのだろう。老後を迎えた人のような発言に呆れ返るいいんちょも、自習室で勉強をするそうなのでついでに案内してくれるとのこと。いそいそと宿題が出ている教科の教科書とノートを抱えて、いいんちょと横に並んで歩き、立派な木製の観音扉を開けるとその空間には静寂が漂っていた。

 

 「迷惑にならなければ、多少のお喋りも大丈夫ですよ」

 

 一人で静かに勉強をしたい人は奥へ行くのが、ここでの暗黙のルールだそうだ。入り口手前の丸テーブルには、椅子が数脚備えられているので一緒に勉強をすることを目的とされているのだろう。なるほど、出入り口付近はどうしても人の行き来があるから、その辺りでは必要のあるお喋りならば黙認されるということなのだろう。一緒に捌いた方が楽だろうと下心が見え見えな状況だけれど、声を掛けると快諾してくれるいいんちょ。入り口付近の丸テーブルを一つ陣取り持ってきていた筆記用具と教科書を広げて、さっそく宿題を開始する。私の横に座るいいんちょは、明日の予習をするようだ。相も変わらず真面目だなあと笑いながら、ノートに向かう。

 私の頭の出来はポンコツなので、よく文章を読まないと勘違いしたり、意図を読み間違えたりとこういう所でもやらかしている。勉強を教えてくれる兄や姉から『ケアレスミスが多い』とも言われ、一旦落ち着いて読んでゆっくりと解いていきなさい、と。なので、はじめてすぐに問題に取り掛かるよりも一度息を吐いて落ち着いてから始めるようにしていた。

 

 「あら、樹ちゃんじゃない」

 

 頭上から響く慣れ親しんだ声に、振り返るとそこには当然蓉子さまが居て。その後ろには蓉子さまの友人であろう、三年生らしき人の姿が二人。

 

 「蓉子さま、ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう、宿題かしら?」

 

 奇麗に切りそろえられた横髪を右耳に掛けながら問うてきた蓉子さま。私の横に座っていたいいんちょが珍しく驚いた顔をしていて、少しおかしくなる。

 

 「ええ、家に帰ると捌くのが億劫になりそうでしたから」

 

 「そうだったの。――そういえば以前に約束したこと、貴女は覚えていて?」

 

 「アレですか」

 

 「そう、アレよ、アレ。貴女たちさえよければ、同席してもいいかしら?」

 

 二人しか判断のつかない会話に、いいんちょや蓉子さまの後ろに控えている先輩二人が不思議そうな顔をして、黙ったまま私たちのやり取りを見ていた。

 

 「私は構いませんが、蓉子さまのお連れの方たちは……?」

 

 「――どうする?」

 

 その言葉の後に友人二人に視線を向けると私の疑問は割とあっさりと解決してしまった。見ず知らずの下級生の面倒を見なければならないことになったのだけれど、蓉子さまのカリスマにより押し切られたようにも見えるが、どうやらお二人とも同席するのは構わないらしい。……割と横暴な気もするのだけれど、いいのかなあと目を細めつつ気にしても仕方ないと割り切るけれど、私の横に座っていたいいんちょが固まっていた。

 

 「いいんちょ、いいんちょ、戻ってきて」

 

 「はっ。樹さん、どうしてこんなことに……?」

 

 戸惑っている彼女を尻目に、これまでの経緯を説明すると『薔薇さま方と交渉なんて』と小声で頭を抱えていた。せっかくなんだし教えてもらえばいいじゃないと軽い口調でいいんちょを諭してみるも、眼鏡の奥で光る視線が鋭い。

 どうやらこの状況に納得していないようで、文句を言いたいのだけれど紅薔薇さまである蓉子さまと先輩方が居る手前、言い出せないといったところだろう。私といいんちょのやり取りを見ながら苦笑している三人を横目に、諦めてと一言伝えて取り合えず作業を再開させた。蓉子さまたちも自分たちの勉強があるので、あまり関知する気はないようだ。

 

 出された宿題の山を崩していくこと暫く。ふと、手が止まってしまう。数学の問題だったのだけれど、分からないからといって直ぐに聞いてしまうのも駄目だし、自分の脳味噌にインプットされそうにないからもう少し考えてみようと、握っていたシャープペンを廻しながら、思案していた。

 

 「ここと、ここ。――それさえ判れば簡単よ。あとは数をこなして慣れることね」

 

 私が手を止めていたことを目敏く見つけた蓉子さまから、アドバイスが入る。その指摘を基にもう一度考えてみると、さっくりと解けてしまった。

 的確な説明に、蓉子さまの頭の出来が良いのか、同じところで躓いたことがあるのかは謎だけれど、今は感謝だけ述べて先に進もうとノートに視線を向けたまま、問題を解いていく。どこからともなく聞こえてきた生徒の声は少し騒がしい。どうやら雨が降り出したようで、外に居る子たちは濡れないようにと、避難を始めたようだった。暫くすると、雨に濡れた地面が独特の匂いを風に含ませて、自習室へと運んでくる。静かな自習室にとつとつと響く雨の音は、耳に心地いい。

 

 「ああ、そこはこうした方が分かりやすいかしら」

 

 「は、はいっ」

 

 いいんちょが珍しく問題に詰まっているのを、蓉子さまは見逃さなかったようだ。緊張気味に蓉子さまに返事を返すいいんちょの顔は少し赤い。流石のいいんちょも薔薇さま相手では緊張するのだな、と心の中で苦笑いをしながら、真面目に課題をこなすのだけれど、蓉子さまは一緒に来ていた友人二人にもアドバイスを送っている。

 ここでも彼女のお節介スキルはパッシブで発動しているようで、誰かの面倒をみることを苦にしている様子がない。疲れないのだろうかと一瞬頭をよぎるけれど、彼女にとって気になることがある方が疲れてしまうのかも。本当に面倒見がいいなあと感心しつつ周りを見ると、私以外の人たちは一通り終わってしまったようだった。

 

 「あ、済みません、私は最後まで終わらせてから帰るので、お先にどうぞ」

 

 私に最後まで付き合わせるわけにはいかないかと、そう声を掛けておいた。上級生に関しては最後まで歩調を合わせる程仲が良いわけでもないのだし、あとは各々の判断で解散すればいい。

 

 「みなさん申し訳ありません、予定があるのでこれで失礼します」

 

 真っ先に退室を言い出したのは、誰でもないいいんちょだった。普段ならば根気強く最後まで付き合ってくれるのだけれど、上級生に囲まれて緊張してしまったのだろう。悪いことをしてしまったから、明日にでも頭を下げなければなんて考えていると、上級生二人もいいんちょに続いて自習室を出ていったのだった。

 

 「蓉子さま、お二人に付いて行かなくて良かったのですか?」

 

 「いいのよ。樹ちゃんの勉強をみる約束をしていたのだし、それにあの子たちなら教室でも教えることができるのだもの」

 

 「そうですか。てか、蓉子さまも私に最後まで付き合わなくても。――受験だってあるでしょうに」

 

 「偶には息抜きしたって良いじゃない。それに復習を兼ねているようなものだし、こうして貴女の面倒をみるのも悪くないわ」

 

 片肘をついてその手に顔を預けて笑う蓉子さま。見返りとして勉強を教えてもらうのは間違いだったかもしれないと少し反省をするけれど、蓉子さまの解説は分かりやすいので正直助かる。

 

 「お喋りはいいから、早く済ませてしまいましょう。雨、酷くなると困るでしょうし」

 

 「……頑張ります」

 

 私の頭がショートしなければの話だが。蓉子さまに何を言っても私の分が終わるまで、梃子でも動かないだろうから説得は諦める。雨も気になるところだし、手早く終わらせて帰路についたほうが良さそうだ。広げていたノートにまた向かい、蓉子さまは蓉子さまで持参していた教科書を読み込むらしい。そろそろ私の頭が限界になりそうな頃、出された課題がやっとのことで終わったのだった。

 

 「お疲れさま、樹ちゃん」

 

 「ありがとうございます。結局最後まで付き合わせてしまいました」

 

 軽く頭を下げると、蓉子さまは小さく首を振る。

 

 「いいのよ、気にしないで。さあ、用は終わったのだし帰りましょうか」

 

 お礼がてらの賄賂とか受け取ってくれないだろうし、これは学園祭の手伝いは頑張らないといけないなあと考えながら、席を立つ。少し暗くなり始めた外は雨。朝、天気予報を見てから家を出てよかったと安堵する。

 

 「大分降っているわね」

 

 「そうですね。蓉子さま、傘は?」

 

 生徒が随分と減った廊下を歩きながら、聞いてみた。

 持ってきた傘とロッカーに忍び込ませている折り畳み傘があるので、持っていなければ濡れ鼠になってしまうだろうと念の為に聞いてみたけれど、雨に濡れても絵になっている蓉子さまを想像してしまい、余りの格差に何故だか心が切なくなる。これ以上、妙な妄想を繰り広げると私の心のダメージが積もっていくだけなので、頭を切り替える。

 

 「それが忘れちゃって」

 

 「ありゃ、珍しいですね」

 

 ばっちり天気予報とか見てて備えていそうな蓉子さまだけれど、口から出た言葉は意外なものだったので、ついそんな言葉が出てしまう。

 

 「忘れ物くらい誰だってあるでしょう?」

 

 「まあ、そりゃそうですが」

 

 教科書を忘れて志摩子さんや由乃さんに声を掛けて借りて難をしのいだ私が、蓉子さまを笑えないか。

 

 「どうにかできるアテはありますか?」

 

 「いいえ。濡れて帰るしかないわね」

 

 肩を竦めて笑うと、丁度昇降口に差し掛かり別れる場所となる。

 

 「なら、傘渡しますよ。持ってきた傘と置き傘があるので」

 

 「あら、いいの?」

 

 「ええ、今日のお礼がてらに」

 

 「それだと貴女が要求した見返りを返せないじゃない」

 

 苦笑いをしながらそんなことを言っている蓉子さまだけれど、冗談のつもりなのだろう。本気で言っていないのは直ぐにわかったから、私も冗談で返すとしよう。

 

 「あはは。じゃあツケってことで」

 

 「全く、高くついたものね」

 

 そんな馬鹿なやり取りをしながら、荷物を取りに行ってまたここで合流しようと約束。私は一年藤組の教室を目指し、蓉子さまもまた自身の教室へと行くために去っていった。上級生を待たせるのは申し訳ないと急いで教室へと戻り、置いていた折り畳みの傘を手に取り通学鞄も忘れずに抱える。そうして昇降口に戻ると蓉子さまの姿はまだなく、それならばと持参していた傘を取りに行く。

 

 「ごめんなさい、待たせてしまったかしら?」

 

 「いえ、平気です」

 

 昇降口からだと、一年の教室よりも三年の教室の方が遠いのだ。それは仕方ないし、どうしようもないことだけれど、蓉子さまはそう言わずにはいられない人だ。ゆっくりと左右に首を振って、やんわりと否定しておく。

 

 「どうぞ」

 

 持ってきた傘の方がサイズが大きいので濡れづらいだろうと、傘の柄を蓉子さまに向け、そちらを渡す。

 

 「樹ちゃん、私が借りる立場なのだから、折り畳みの方でいいわ」

 

 やはりそうきたかと苦笑いをしつつ、引き下がるわけにもいかない。

 

 「いえ、バス停までしのげればいいですし、降りてからもあまり歩きませんから大丈夫なので――」

 

 「――いいえ、駄目よ」

 

 そんなこんなの問答を続けること暫く、どちらも引き下がる気はなく終わりが見えない。そんなやり取りに終止符を打ったのは意外な人の登場だった。

 

 「蓉子、傘入れてもらってもいい?」

 

 唐突に後ろから声が掛り振り返ってみると、そこにはにっと笑いながらこちらへと歩いてくる聖さまが。予定がなければさっさと帰っていそうなイメージがあったのだけれど、どうやら違ったようだ。

 

 「聖、まだ居たの?」

 

 「ああ、うん。暇つぶしにウロウロしてたらこんな時間になってた」

 

 いやあ参ったよ、と言いながら後ろ手で頭を掻いている聖さまは、蓉子さまが持っていた傘をかっさらってネームバンドのボタンを外して広げ、下はじきを押し込んでばっと傘を開いたのだった。

 

 「二人とも帰らないの?」

 

 あまりにも素早い聖さまの行動にあっけにとられていた蓉子さまと私に、きょとんと不思議そうな顔をして首を傾げている。私の横に立っていた蓉子さまは、呆れたように溜息を吐く。

 

 「聖、その傘は樹ちゃんのものなのよ」

 

 「えっ、そうなの?」

 

 あちゃーと言いたげな顔をありありと浮かべて、聖さまは私を見る。

 

 「蓉子さまに貸したので、好きにしてもらって構いませんよ」

 

 「そっか。んじゃあ借りてくね」

 

 にっと笑って蓉子さまの肩を掻き抱き、傘を差したまま歩き出した。ここ最近の聖さまの変わりように驚くけれど、私はどちらかというと今の聖さまの方が好感が持てるので、以前のような壁をまた作らないで欲しいと願いつつ歩き出す。

 

 「聖、もう少し遠慮というものを覚えたら?」

 

 「えーいいじゃん。樹ちゃんも好きにしていいって言ってくれたんだし」

 

 仲が良いなあと横目で見つつ校門を目指して歩く。バス停は校門横のすぐそばにあるので、この雨の強さならばそうそう濡れることはない。あとは二人が濡れないことを願うばかりなのだけれど、どうするのやら。そんな私の心配を他所にまだ言い合いは続いている。

 

 「樹ちゃんも、黙っていないで聖に言ってやって頂戴」

 

 「あ、いえ。夫婦喧嘩は犬も食わないって言いますし、邪魔しちゃ悪いですから」

 

 蓉子さまの言葉にそう言い放ちながら歩を進める私と、その言葉で立ち止まった二人。暫く止まったままなので後ろを向いてみると、見たこともない妙な顔をしてお互いの顔をマジマジと見つめて、ぷいと違う方向へと顔を反らす。そんなことをするから、そんなことを言われてしまうのだと苦笑いをしながら、それでも濡れないようにと蓉子さまの側を離れない聖さまは優しい人なのだなと、改めて知る。

 

 「ないないないない。蓉子とそんな関係じゃあないからね?」

 

 「そうよ、樹ちゃん。聖とは腐れ縁で面倒を仕方なく見ているだけだもの」

 

 「え、ちょ、その言い方は酷くない、蓉子っ」

 

 「あら。今の今まで面倒をかけてきたのは何処のどなた?」

 

 「ぐ……」

 

 蓉子さまの止めの言葉に押し黙る聖さま。そんな気の置けないやり取りが羨ましくもあるけれど……。

 

 「ぶっ」

 

 学園のあこがれの的である薔薇さまの内の二人が、こんな馬鹿なやり取りをしているのが可笑しくてつい吹いてしまうのは仕方のないことなのだろう。

 

 「笑わないでくれるかしら……」

 

 「……笑わないでよ」

 

 ジト目を私に向けてくるけれど、いつもの薔薇さまオーラは健在せず。私はあははーと誤魔化すように笑って先に歩き始め、二人も私に追随する。誰も何も言わないけれど、バス停までの心地よい時間が流れていた。

 




 7316字

 いいんちょ、とばっちり。

 自習室ってリリアンに存在するかは謎です。アニメのいばらの森の回だか白き花びらの回で、夏休みに栞さんを待つ聖さまが座っていた場所が図書室ぽかったのですが、蟹さま登場回に祐巳ちゃんが図書室に行っていた時と雰囲気が違うので無理くりにでっち上げ。
 あとオリ主と一緒にいいんちょを連れていくつもりはなかったのだけれども、オリ主だけ薔薇さまとエンカウント率高いのもどうかと思い一緒に行動。いいんちょ、蓉子さまと面識を持ったのでちょいちょい関わっていてくれれば嬉しいなと。まあ、その話はオミットですが。

 そんなことをさせているので、いいんちょのキャラが立ってきたので名前……と考えたのですが、やっぱり止め。いいんちょはいいんちょで。私がオリ主以外のオリキャラになるべく名前を与えないのは、他の作品を読んでいると唐突に登場したキャラがあなた様はだあれ? となることが多々あるからです。何度か読み返したり見返したりしてようやく名前を覚える始末。ようするに作者の頭がポンコツなのです。てへぺろ(・ω<)
 
 あと聖さまが勝手に出てきて、勝手に場面をかっさらっていった。どうしてこうなったの……。

 蓉子さまみたいな姉ちゃん欲しい。親父化した聖さまもいいなあ。江利子さまも、五人兄が居てその下に妹が居たら可愛がってくれそう。大半はからかいだろうけれど。しかしまあ、完璧超人みたいな人たちだから、下手をすればコンプレックスの塊になりそうだから、図太い人間じゃないと妹になれなさそう。


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第二十一話:マリア像と不満と愚痴

 雨が降った翌日とは思えないほどにからりとしている朝。いつもの時間に家を出て、バスに乗り込み流れる景色を眺めながら暫くすれば学園へと辿り着く。まばらに生徒が歩いて行く背の高い大きな門を抜けて、俄かに色付きはじめている銀杏並木を抜けようとした時だった。

 

 「樹ちゃん」

 

 不意に後ろから名前を呼ばれ、振り返るとそこには聖さまが居た。

 

 「ごきげんよう、聖さま」

 

 「ん、ごきげんよう。――はい、これ。昨日はありがとう。お陰で濡れ鼠にならなくてすんだよ」

 

 蓉子さまに貸したはずの傘が聖さまから戻ってくるとは。お二人の家の場所を知らないので何とも言えないけれど、貴女の方が歩く道のりが長いとか理由を付けて蓉子さまが聖さまに押し付けでもしたのだろう。

 

 「いえ。わざわざありがとうございます」

 

 聖さまが手に持っていた傘を私に向けられたので受け取って再度歩き始めると、聖さまは私の横に並び一緒に歩く。行先は一緒だから何故着いてくるのかなんて聞くのも野暮なのだろう、何か会話、会話と考えてみるけれど聖さまがどんな話に食いついてくれるのだろうか。登校中の生徒から時折『ごきげんよう、白薔薇さま』と声を掛けられて、それに答える聖さま。聖さまの返事を受けた生徒はずいぶんと嬉しそうに足早に去っていく。

 

 「人気者ですねえ」

 

 「あーうん。まあ、ね」

 

 あまり嬉しくなさそうに私の言葉に声を返す聖さま。

 

 「というか、君も有名人じゃない」

 

 ぼんやりとそのやり取りを見ていた私の零した言葉に答えてくれる聖さまは、まるで他人事の様にしている私に苦笑いを向ける。私が有名になったのは、山百合会の手伝いをしているからで、私自身の力ではない。バスの一件も、もうしばらくすれば落ちつくだろうから。

 

 「私は薔薇さまほどではありませんし、一時のものでしょうしねえ」

 

 「でも祥子の妹候補でしょう?」

 

 リリアンかわら版に人助けをしたことを取り上げられて、幾分か日が経ち生徒指導室へ召喚された時よりも落ち着いては来たものの。かわら版のお陰かどうかは分らないがけれど、一部界隈では私が『祥子さまの妹候補にぴったり』だなんて声も上がっているらしい。何をどのようにすれば、そんな考えに辿り着くのかが理解できないけれど、まことしやかに囁かれているそうで。

 

 「……」

 

 「そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃない」

 

 「本人の預かり知らぬところで勝手に話をでっち上げられても、嬉しくはないですよ」

 

 そもそも私は姉を作る気がないし、祥子さまも私を見ていないのだし。上級生と下級生という関係ならば築くことが出来るだろうけれど、姉妹の関係を築けるかと問われると無理だと即答できる。

 

 「苦労するねえ、樹ちゃん」

 

 「めっちゃ他人事ですね」

 

 「うん」

 

 ジト目で聖さまを見る私を、へらっと笑って流す聖さま。そうこうしているうちに多くの生徒が立ち止まり、祈りを捧げる場所になっているマリア像の前へと辿り着く。私は信じてもいない神様に手を合わせるつもりは更々ないので、聖さまが祈るだろうとマリア像から少し離れた場所で立ち止まる。すると不思議なことに聖さまも私と同じ場所で足を止めたのだった。

 

 「ねえ樹ちゃん」

 

 「はい」

 

 「祈らないの?」

 

 マリア像を軽く指差して、そんなことを言う聖さま。聖さまもでしょうと言いたいところだけれど、聞かれた問いの答えを伝える方が先だろうと口を開く。

 

 「ええ。私の神さまは留守で休暇を取ってラスベガスにでも行っているので、ここには居ませんから」

 

 流石に身も蓋もない本心を垂れ流してしまうのは気が引けて、とある漫画からの流用で誤魔化してみた。

 

 「……」

 

 私の言葉を聞いて目を丸く見開らくこと数舜後に聖さまは破顔し笑い始める。祈っている他の生徒が居る為か、随分と抑えているようではあるけれど、確実に笑っているのだった。

 

 「なに、それっ。どんな理屈なのっ」

 

 江利子も居れば良かったのにと恐ろしいことを言い放つ。この場に江利子さまが居れば確実に面白がって根掘り葉掘り神様はなにをしているのかしら、とか聞かれてしまうのが安易に想像できてしまう。横に本人が居なくてよかったと心底安堵するけれど、聖さまだって祈っていないのだから人の事は笑えないだろうと、ちょっとした抵抗を試みる。

 

 「聖さまも祈っていないじゃないですか……」

 

 「私の神様もバリ辺りに行って休暇を楽しんでるんだよ」

 

 「ぐぬ……」

 

 くしゃっと私の頭を撫でて、向いていた体の方向を変える聖さま。その先は昇降口に向いており、まあようするに祈る気はまったくないようなので、無言のまま足を進めて昇降口へと辿り着いた。

 

 「ああ、そうだ。蓉子から樹ちゃんに伝言。山百合会の仕事があるから今日の放課後は薔薇の館に来て頂戴――てさ」

 

 「了解です。では、また放課後に」

 

 「うん」

 

 軽く手を上げて聖さまは振り返りもせずに校舎の中へと消えていった。さて私も教室へ行こうと歩を進め始めた時、一瞬何かの気配を感じて後ろを向く。そこにはまばらではあるけれど登校中の生徒の姿があるだけで。不思議に思いつつも、何の変化もない普段の光景に気の所為だろうと自分を納得させて、一年藤組の教室を目指す。

 ここ最近、向けられる視線は刺さるもののただ見ているだけのもので気にしても仕方ないと割り切っていたのだけれど、マイナスの感情を含んだものを感じるのは随分と珍しい。けれど、誰のものかもわからないし、これもまた気にしても仕方ないと決めて、教室へと入るのだった。

 

 ◇

 

 ――昼休み。

 

 四限目が終わりようやくお昼の時間がやってきた。お弁当の包みを持ち、やっとご飯が食べられると歓喜しつつ席を立とうとした時だった。

 

 「樹さん、少しお話があるのだけれど、お時間はありますの?」

 

 「大丈夫だけれど、どうしたの」

 

 「教室だと話し辛いので、場所を移動してもよろしいかしら?」

 

 その言葉に私は一つ頷くとトップの子はすたすたと歩き始めて、その後ろをついて行く。横に並ぶかどうか迷ったものの、何故だか話しかけるなオーラを感じて、後ろをついて行くだけに留めた。しばらく歩いて辿り着いた場所は、温室だった。扉を開けて誰も居ないかどうかを確認した後、トップの子と向き合うと、いつもより厳しい顔をしていたのだった。

 

 「今朝、白薔薇さまと一緒に歩いていたでしょう?」

 

 「うん。貸した傘をわざわざ待ってて返してくれたんだ」

 

 私の登校時間をいつ聖さまが把握したのかは知らないけれど、聖さまがあの時間帯で登校していないことを私は知っていた。傘を返すために登校時間を合わせたのだろう。それでもああやって偶然に出会う確率は低いのだから、どこかで待っていたのかもしれないのだ。こういうことを面倒だと言い放ちそうな人だと思っていたのだけれど、どうやら勘違いだったらしい。

 やはり人は見かけや話を聞いただけで判断するものじゃないのだろう。先入観は拭い辛いものだけれど、ああやって付き合いを深めていけば新たな発見がある。昨日から今日までの一連のことを思い出しながら苦笑いをしていた。

 

 「そうでしたの。それならば、今日のことは仕方ありませんが……――しかしあまりに距離が近いのではないかしら? 白薔薇さまの妹は貴女ではなく志摩子さんでしょう?」

 

 「うん、聖さまの妹は志摩子さんだよ。ロザリオを持っているのも知ってる。でも、距離が近いって……」

 

 距離が近いと言われても、あのくらいで近いのだろうか。それに私が近寄った訳ではなく、聖さまが歩み寄ってくれたのだから少し違う気もするけれど、外から見ればそう見えるのかも知れない。

 

 「……編入生である樹さんでは気付きにくいのかも知れませんが、皆さま節度を持って上級生と接しておりますの。姉妹の絆を結んだお姉さまの存在は特別でしてよ?」

 

 私の言っていることが分かっているの、と言いたげな不服そうな顔で私を見つめるトップの子。その子の言う通り、姉妹の絆を結んだのならば特別な関係になるのは理解できる。理解はできるけれど、それ以外の人たちを仲良くなることを良しとしないのは、どうなのだろうか。人間関係が狭くなってしまうだけで、広がるはずの交友関係も広がらなくなってしまう。それにあれくらいで距離が近いというのならば、蓉子さまや江利子さまとの距離感にも気を遣えと言われているようなものであるが、彼女たちの妹である祥子さまと令さまから苦情をこうして貰ったことはないのだから問題はない気もするのだけれど。

 

 「理解してるつもりなんだけれどねえ」

 

 「いいえ、樹さんは理解なさっておりません。上級生の中でも薔薇さまといえば、全生徒の憧れであり特別なのです――」

 

 だというのにあまつさえ私は彼女たちとの距離が近く馴れ馴れしいのだと、目の前の子は饒舌になる。なにか鬱憤でもたまっていたのだろうか、身振り手振りと言葉に抑揚をつけて喋るものだからまるで舞台女優のようで。火の吹くように止まらない口上に、やれやれどうしたものかと話半分に聞き流しているとようやく止まる。言いたいことを言い放った為なのか、先程のような不機嫌さはなく。

 

 「貴女が薔薇さま方に呼ばれ、山百合会のお手伝いをなさっているのは重々承知しておりますが……、もう少し周囲の目を気になされた方がよろしくてよ?」

 

 「ああ、うん。ありがとう」

 

 何をどうすれば良いのか全くわからないまま、彼女の言葉に頷く私。それをみたトップの子は満足したのか、軽い足取りで温室を出ていく。何故そんなことを言われなければならないのか、周囲の目を気を付けるとは何なのか、やれやれと自分の頭を掻いてふと大事なことに気付く。

 

 ――しまった。

 

 お弁当、教室に置いてきちゃった。

 

 ◇

 

 蓉子さまからの伝言で、薔薇の館へと向かう私の足取りはいつもより重い。昼休みにトップの子から言われたことを考えていたのだけれど、どうしようもないという結論しかでないのだから。

 とはいえ山百合会の手伝いも期間限定だろうから、二学期最大のイベントである学園祭が終われば、私が必要となることはないのだし。深く考える必要もないのだけれど、何故あんなことを言い出したのか疑問ではある。まさか、私に不満を持つ人が彼女以外にも居るのだろうかもしれない。それ故の忠告であるならば、納得は出来るのだけれど。

 

 「ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう、樹さん」

 

 「樹さん、ごきげんよう」

 

 軋む階段を上がり会議室と書かれたプレートが掛る扉を開けるとそこには、由乃さんと志摩子さんが先に来ていたようだ。どうやら軽く掃除をしていたようで、それぞれの手には雑巾と箒が。手伝うよ、と声を掛けるともう終わるからとのこと。それならばポットのお湯の入れ替えでもするかと、流し台へと立ったのだった。

 

 「他の人たちは?」

 

 がさごそと流し台に立って作業をしながら二人に話かける。私の声を聞いた志摩子さんと由乃さんも手を止めることはなく、床を掃いたり机を拭いたり。

 

 「まだ来られていないの」

 

 「もうしばらく掛かるんじゃないかしら」

 

 仕事の呼び出しがかかったものの、今日は何をするのか伝えられていない。学園祭が近くなってきているので、おそらくは体育祭の時のように学園中を駆け回る羽目になりそうだ。

 

 「そっか。二人とも何か飲む?」

 

 既に慣れ親しんでいるこの場所で、遠慮の文字は存在していない。お茶が飲みたければ勝手に淹れているし、他に欲しい人が居ればついでに淹れてしまうのも癖がついてしまった。いつものでお願いと言われ、何を淹れればいいのか把握できているのも慣れてしまった証拠だろう。最初こそ何故手伝わなければならないのだろうかと、不満を持っていたというのに案外楽しんでいる自分がいるのも事実で。

 

 流石に掃除中に茶葉の封を開けるわけにはいかず、ポットのお湯が沸くまで大人しく待つ。流し台に背を預けて、由乃さんと志摩子さんが掃除をしている様子をぼーっと眺めていた。

 

 「樹さん、何かあった?」

 

 「え」

 

 「珍しく考え込んでいるわ」

 

 二人の言葉に顔に出ていたのだろうかと手を充てる。ポーカーフェイスは苦手だし、隠し事も苦手な部類に入るから、昼休みの事を考えていたのがバレてしまっても仕方ないのだろう。話してみるのも良いかもしれないと決意をすると、湯沸かし器の沸いた音がけたたましく鳴り響いたのだった。

 

 「バレバレかあ。ちょっと愚痴になるけれど話、聞いてもらってもいい?」

 

 「ええ、もちろんよ」

 

 「構わないわ」

 

 掃除も丁度いい頃合いだったようで、二人は階下の倉庫へと道具を戻しに行ったので、その間に手早くお茶を用意して、二人の席の前に置く。ゆっくりと優雅に席についた二人を見て、私も指定席となっている場所へと腰を下ろして、今日の昼休みの出来事をかいつまんで話す。

 

 「どうしてそんなことを樹さんに言わなきゃなんないのよっ」

 

 怒り心頭の由乃さんが、ぷりぷりしている。

 

 「そうね。――でも難しいことね」

 

 志摩子さんが困ったようにそう言った。

 

 「どうして? 関係ない人からそんなこと言われる筋合いはないじゃない」

 

 「まあ、そうなんだけれど……」

 

 「けど?」

 

 「私がこの場に居るのが相応しくないって考えているのかもね。でもまあ、少数派だとは思うけどね」

 

 あははーと笑って誤魔化して、場の空気を軽くしたかったのだけれど、由乃さんの怒りは収まりそうにない。

 

 「なに言ってるのよ。それを決めるのは私たちと樹さんでしょ?」

 

 「そう思ってくれれば、簡単なんだけれど……まあ忠告じみたことをされたから流石に気を付けないと」

 

 「気を付けるって、何を?」

 

 少しトーンの下がった由乃さんに苦笑いをしながら、二人の顔を見る。

 

 「ま、薔薇さま方との距離感を間違えるなって言われただけだから、少し離れてみるのも良いのかも知れないね」

 

 近づくなと考える人は少数かも知れないけれど、何か行動に出た場合困るのは私ではなく蓉子さまたちだろう。火消しに奔走しなくてはならなくなるし、三年生の時間を奪ってしまうのは心苦しい。少なくとも薔薇の館以外で接触を図るのは止めた方が良いのかも。

 

 「…………」

 

 「そう不満そうな顔をしないでよ」

 

 眉間にしわを寄せて私からぷいと視線を反らす由乃さん。どうやら私の出した答えに納得がいかない様子で。

 

 「山百合会のお手伝いはどうするの?」

 

 「それは頼まれているからきっちりやり通すよ。ただ薔薇の館以外で会うのは控えるってだけ」

 

 「樹さんはそれでいいの?」

 

 「私にだけならどうとでもなるんだけれど、流石に山百合会の人たちに迷惑を掛ける訳にはいかないから」

 

 肩をすくめて笑うと、由乃さんと志摩子さんが微妙な顔をした。その顔色にどんな感情が含まれているのか分からないけれど、私のことを少しでも考えていてくれるのならば嬉しいことだ。仲が良くなった証拠なのだから。距離を取らなければならなくなったことは少し寂しくはあるけれど、仕方がない。

 

 「さて誰か来たみたいだから、この話はこれで」

 

 階段が軋む音に気が付き、聞いてくれてありがとうと言って立ち上がり、飲み終わったカップを回収して流し台へと向かう。――問題を先送りにして。

 




 6025字

 ※次回の投稿から18時→17時に戻します。17時の方が都合がいいので……。

 なんだかシリアスな空気が流れましたが、重くする気はないですし、何かあってもメンタルの強いオリ主なのでへこたれません。キャラ作りちょっと間違えたかもw


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第二十二話:役割と姉妹宣言

 薔薇さま方との距離感を考えろ、と忠告を受けてから数日が経ち。これといって普段と変わることなく過ごしていたのだけれど、学園祭の準備の為に薔薇の館に赴くことが多くなっているが為に薔薇さまたち、山百合会のメンバーと接触する機会はどうしても増えてしまうもので。忠告通りに仕事以外での接触を減らそうと、外で取っていた昼食を教室に変えてみたり、仕事のない日は家に直帰したりと努力している為なのか、彼女たちと会うのは手伝いの時だけになっており私的に会うことは滅多になくなっていた。

 

 「――今年はシンデレラね」

 

 薔薇の館で全員が揃いいつも通りに仕事をこなしていると、不意に蓉子さまが仰った……というよりは考えごとをしていたが為に私が話をまともに聞いていなかっただけなのだけれど。きょろきょろと周囲を見渡すと、みんなは理解できているのか蓉子さまの言葉を受け入れている。

 

 「ああ、樹ちゃんは知らないものね」

 

 私を見てにんまりと笑った江利子さまが補足説明をくれたのだった。曰く生徒会――ようするに山百合会でも出し物を催すそうで、毎年各部活から協力を募り演劇を開催しているのだそう。ただでさえ準備で忙しいのに更に演劇までこなさなければならないとは。なまじ優秀な人が集まってしまうばかりに、負担が多くなっているような気もするのだけれど、人の言葉を借りれば『伝統だから』で済まされる。大変だなあ、と他所事を考えていたらにししと笑った聖さまが私を見ていて口を開いた。

 

 「もちろん樹ちゃんにも出てもらうから」

 

 「何でですか……って聞くのは野暮なんでしょうね」

 

 私が嫌だと言ったところで『人が足りていない』から始まり『ある程度の融通は効かせる』とか『出番は少ないから』なんて言われて丸め込まれるのがオチなのだ。それならばいっそのこと抵抗なんてせず素直に了承しておいた方が面倒はない。嫌がると江利子さまが面白がるし、最近それに聖さまも乗ってくるのだから質が悪いし、二人のストッパー役である蓉子さまも仕事以外のことでは機能してくれないのだし。

 随分とここに慣れてしまったけれど、私が山百合会の劇に参加することによって、例の彼女はどう思うかが一番の問題だったりする。おそらく山百合会の手伝いはきっちりとこなせと口にしていたので、問題はないのだろう。あとは役柄によるだろうか。薔薇さま方が担う役によるけれど、なるべく関係のない立ち位置の役だと良い。無用な反感は買わない方が吉だろうし、暴走した人は何をしでかすか分かったものじゃないから。ぼりぼりと後ろ手で頭を掻きながら、微妙な顔をしてしまう。

 

 「理解が早いようで、よろしい」

 

 「といっても樹ちゃんのクラスの出し物もあるでしょうし、あまり重要な役ではないのだけれど」

 

 シンデレラの話をあまり覚えていない――というよりも現実を見過ぎて結婚後に苦労しそう、という感想しか持たなかった私がその物語を好きになれるはずもなく。

 現実を見れば王族は王族同士で結婚するのが妥当だし、よくて国内の有力貴族と縁を結び後ろ盾となってもらうのが常套手段だけれど。シンデレラの実家って何か国に益をもたらせるような家だとは聞かないし、国の中枢に関わるような家柄でもなかったような。王子さまが将来王太子になるのならば、余計に心配な要素である。結婚後も正妃として公務があるだろうし、外交にも顔を出さなきゃならないし、後宮も支配しないといけないし。子供が出来なければ、やれ側室を迎えろと五月蠅いだろう。夫が愚王や暗君になればクーデターや革命に巻き込まれるだろうし、やだ怖い。小さな子供に読み聞かせるものだから仕方のないことと理解はしてるけれど、現実を見てしまう癖はなかなか抜けない。

 

 「あー。クラスの出し物なら展示物になったので、準備に手間がかかるだけで後は見張り役やらで駆り出されるくらいですかね。それにこっちの方に比重を置けと言われてしまいましたし」

 

 聖さまと蓉子さまの言葉にそう答えた私に、おやと首を傾げるみんな。由乃さんと志摩子さんは事情を知っている為か微妙な顔をしていた。クラスの方に再々顔を出していれば、それはそれで反感を買ってしまうのである。本当に女社会は面倒だし、少子化を嘆いているご時世になってきているのだから、早く共学化すればいいのにこの学園、と皮肉りたくなるのだけれど我慢ガマン。

 

 「何か、あったのかしら?」

 

 目を細めながら組まれた両手の上に顔を乗せる蓉子さま。少し発言が迂闊だったと思いなおしながら、距離感うんぬん以外は話してしまっても問題はないだろう。

 

 「ホームルームの時間に私の了承を得ないまま、周囲の同意だけを取り付けた子が居たんですよ。山百合会のお手伝いがあるだろうからって」

 

 手に顎を乗せたまま長い溜息を零した蓉子さまが苦笑いをし始めたので、私も肩をすくめて笑う。こればかりはどうにもならないのだろう。悪意のない善意ほど質の悪いものはない。もしかすれば蓉子さまたちも、他の生徒から同じようなことを言われたことがあるのかもしれないし、強くは出れないのだろう。

 

 「まあ、そういうことなので山百合会の方に比重を置けるので裏方仕事なら任せてください。劇の方はちょい役でお願いします」

 

 そもそも山百合会に所属してないのだから、名有りの登場人物なんて演じる訳にはいかないのだ。そうすると、そこでもまた火が起こってしまうだろうから。無理の利かない由乃さんと一緒に裏方仕事が一番無難なのだけれど、文字通り山百合会は人手不足なので、何かの役が振られるみたいだけれど。

 

 「あら、良いのかしら? 言質は取ったわよ。――証拠はこの場に居る全員」

 

 「あれ、自分で自分の首絞めました?」

 

 冗談のつもりだったのに、どうやら本気で忙しいらしく蓉子さまが逃げられないように囲い込んできた。自分で言い出したのだから、責任をもって裏方仕事ならば駆けずり回る覚悟は出来ているので構わないのだけれど、手加減はして欲しいものである。

 

 「そうね」

 

 「ええ」

 

 「だね」

 

 声を揃えてそれぞれ言葉にする三年生。他の人たちも苦笑いというか、阿呆な子が居ると言わんばかりの視線を私に向けてくるか、同情の視線かどちらかだった。もう慣れてきているので、みんなも三年生と私の馬鹿なやり取りなんて慣れているだろうと、訂正やら言い訳やらは諦める。

 

 「さ、配役を発表するわね」

 

 脱線していたので仕切り直しとばかりに蓉子さまが一つ手を打って、話を戻した。主役のシンデレラ役は祥子さまで、相手役である王子は令さまが担うそうだ。三年生は蓉子さまと江利子さまが意地悪な姉AとB、聖さまが男性役、志摩子さんも台詞の有る女性キャラ役。由乃さんは、裏方で大事なことを担うそうだ。必要な道具や衣装に台本は被服部と演劇部が用意してくれるそうで、実質役者として動くだけらしい。それでも台詞覚えや立ち稽古、最終的には通しで本番もどきもやらなきゃならないだろうし、結構重作業である。それを平然と受け取ってやり遂げる山百合会のみんなに感心しながら、端役ではあるけれど自分は役者なんて演じきれるのだろうかと心配になってきた。

 

 「どうしたの、微妙な顔をして」

 

 隣に座っている由乃さんが、制服の袖を引っ張って小声で問いかけてきた。

 

 「いや、大根役者になりそうで心配になってきた」

 

 こんなことは初挑戦なので、劇の雰囲気をぶち壊さなければいいのだけれど。とはいえ蓉子さまから下された役は本当にモブなので、そう心配はいらないはず。小さく笑っている由乃さんを他所に、色々と説明が終わっていき。近々の取り合えずの仕事は、各部活動や各クラスとのやり取りが主になりそうだった。また学園を方々駆けずり回ることになりそうだと苦笑いをしながら、いつの間にか日が暮れていて帰路につく面々だった。

 

 ◇

 

 学園祭の準備に追われ始めてしばらく、部室棟へ必要書類を届けたり、逆に必要書類を薔薇さま方に手渡して欲しいと頼まれたり。

 各部活や委員会の役職持ちの人たちや学級委員の人たちが持つ私の立ち位置は、山百合会への便利な伝書鳩という認識になっている。学園内をウロウロと駆けずり回っているので、どうせ薔薇の館に赴くだろうとホイホイ捕まえられる私だった。私も私で、ついでだし軽いものならばとひょいひょいと受け取るものだから、その認識がまかり通ってしまった。同じように学園を駆け回っている志摩子さんと比べると、圧倒的に私の方が数が多い。流石、役職持ちとからかうと志摩子さんは苦笑いをしていたけれど。雰囲気のある子なので志摩子さんに声をかけ辛いという気持ちは理解できなくもない。

 

 そんなこんなで職員室や部室棟へと赴き、頼まれた用事を済ませて薔薇の館へ戻り、会議室の扉を開く。すると祥子さまと三年生三人が相対するような形になっており、なんだか気まずい空気を醸し出していた。恐らく取り込み中なのだろうと、その様子を静かに見守っている令さまと由乃さんの方へと向かう。すると二人は私に苦笑いを向けて、令さまが『祥子のいつもの癇癪がね』と小声で状況を伝えてくれ。

 それだけでは状況が掴めただけで、事態が理解できないわけなのだけれどそれ以上令さまが語ることはなかったので、何かあるのかも知れない。聞いて不味い話ならば、私が入室した時点で止められているだろうから、その辺りは気にしないことにする。祥子さまが薔薇さま方に詰め寄るなんて珍しいことではあるけれど、意味もないままそんな行動に出る人ではないのは知っているつもりだ。

 

 「――祥子、それでは理由にならないでしょう」

 

 「ですが、私は聞かされておりませんでしたもの」

 

 どうやら王子さま役だと聞いていた令さまは代役であり、本来の王子さま役は花寺学院の生徒会長が務めるようだ。令さまからの補足で、姉妹校であるリリアン女学園と花寺学院では生徒同士の交流と名を付け、イベントが開催されるとどちらかがどちらかへ伺うことがあるという。花寺の体育祭では薔薇さま方三人がお邪魔したそうで、何らかの役目があったらしい。

 男子ばかりの学院に凄い美人が三人も放り込まれると、えらいことになりそうだと安易に想像できる。競技の内容によるだろうけれど、血みどろの争奪戦とか起きそうなんて考えていたのだけれど、思えばそのことを私も聞いていなかったと心の中で愚痴を零しつつ、よくよく聞いているとどうやら祥子さまは男嫌いの様子。

 

 そうなってしまった経緯は全く知らないけれど、幼稚舎から女子校育ちなのだし苦手意識くらいはあっても不思議ではないか。衣装合わせも終え、被服部怒涛の張り切り振りによってほとんど衣装が完成しているというのに、個人の我が儘を押し通そうとする祥子さまは本当に珍しい。

 祥子さまはシンデレラ役を回避したいが為に必死になっているようだけれど、分は蓉子さまの方にあるだろう。余裕の表情で祥子さまの言葉を捻じ伏せているのだから。どんどんと祥子さまが追い込まれていく状況に、助けなくていいのかと令さまに顔を向けると左右に顔を振る。

 

 どうやら関わらない方が良いらしく、それならば見守るしかないのだろうと窓の桟にもたれ掛かろうとすれば、薔薇の館の前で立ち止まっている女の子が二人。何故かそこで立ち止まったまま一向に動こうとしないから、それなら出迎えでもしようかなと考えていると、少し離れた場所から志摩子さんの姿が見て取れた。

 なら、私が出向く必要もないだろうと、志摩子さんに任せてしまう。祥子さまと蓉子さまの言い合いは、未だ続いており納まる様子はない。江利子さまと聖さまは、どうやら蓉子さまの味方らしく、時折援護射撃を打っていたので、祥子さまが勝てる要素が見いだせない。どちらも引く様子がない為に、これは長丁場になりそうだと苦笑いする。

 

 「妹ひとり作れない人間に発言権はないわ」

 

 「っ、――お姉さま方の意地悪っ。…………だったら今すぐ見つけてくればいいのでしょうっ!」

 

 仕事を放り投げてこんなことが出来るのだから、余裕があるなあとぼーっと眺めていると、どうやら祥子さまは限界に達したようで、会議室から出て行った。いつぞやの聖さまでもあるまいし、誰か人にぶつからないと良いけれど。ってそうそうそんな奇跡は起こるまい。

 

 「うぎゃっ」

 

 「っ」

 

 そんなことを考えていたらどうやら奇跡が起こってしまったようだった。リリアンに通うお嬢さまらしくないへしゃげた声が上がり、床が鈍く鳴る音がこちらの部屋まで響く。突然の事態にすわ何事かとみんなが立ち上がり、扉の外へと勢揃いしたのだった。

 

 「あーあ。随分派手に転んじゃったわね」

 

 「え、祥子の五十キロに押しつぶされちゃったの? 悲惨ー」

 

 「おーい、被害者。生きている?」

 

 頭を打っていなければいいけれどと願いつつ私も一緒に外へでた。倒れ込んだままになっている二人は、何が起きたのか分からない様子で立ち上がろうとしない。剣道を習っている令さまがしゃがみ込んで様子を見ているので、私が出しゃばる必要はなさそうだ。祥子さまの下敷きになっている子の様子を見て安堵する令さま。

 

 「えっ、私が押しつぶしちゃったの? ちょっと、貴女大丈夫っ?」

 

 三年生の言葉にようやく気が付いて、立ち上がり下敷きになった子の安否を確認する祥子さまは珍しく慌てていた。まあ、部屋の外に出て速攻で誰かにぶつかるだなんて、思いもしないよねと苦笑いをしながら、祥子さまとぶつかり立ち上がった子を見ると、以前に愚痴を聞いてもらったツインテールの子だった。

 

 「は、はいっ。お尻を打っただけですから!」

 

 とお尻をさすりながら緊張気味に声を上げたツインテールの子の横には、志摩子さんと蔦子さんが居る。志摩子さんはお使いに出ていたから、この場に居ても何らおかしくはない。けれども蔦子さんが何故いるのか疑問に思い視線を向けると、何故か目を輝かせていた。祥子さまとツインテールの子のやり取りに目がいっている山百合会のメンバーを他所に私は蔦子さんに話しかけたのだった。

 

 「蔦子さん、どうしたの珍しい」

 

 写真狂いの彼女が山百合会を訪れるなんて珍しい。放課後はもっぱら良い写真を撮ろうと学園内を闊歩しているというのに。

 

 「いや、ちょっとした野暮用があって」

 

 と苦笑いをしていた。どうやら蔦子さんもこの展開は想像していなかったようで、カメラを大事そうに抱えながら苦笑いをしている。

 

 「樹さんは山百合会のお手伝い?」

 

 「うん。ここ最近の日課になってる。蔦子さんは、もしかして写真関係でここに?」

 

 彼女がこの場に訪れる理由があるとすればそれしかないだろう。そう思い言葉にすると自信ありげに一つ頷いた。やはり蔦子さんは蔦子さんであり、写真には誠実である。恐らく薔薇さま方か誰かの許可を取りに来たのだろう。そうするとツインテールの子がどうして一緒に訪れたのか謎になるのだけれど、答えはあの子に聞くべきか。

 

 「ええ。――ねえ樹さん、困ったら助けてくれるかしら?」

 

 「困るって……困るような状況に陥るの?」

 

 蔦子さんが珍しく助けを求めてきたけれど、一体何をするつもりなのか。

 

 「前にも言ったような気もするけれど、流石の蔦子さんでも山百合会の幹部は、ね?」

 

 最後は言葉にせずかなりの小声で誤魔化していた。まあ目の前に本人たちが居るのだから、堂々と言えないか。

 

 「理由や状況によるかな」

 

 「――それでも構わないわ」

 

 ほっと胸をなでおろす蔦子さんは、そうとう緊張しているようだと苦笑いをする。二人で話し込んでいたら状況が進んでいたようで、目を白黒させているツインテールの子と祥子さまが廊下で相対していた。山百合会の全員に囲まれて、だ。壮観な絵面だなと他人事のように眺めていると、周りのみんなも何が起こるのだろうと興味津々の様子で。

 

 「時に貴女一年生よね、お姉さまはいらして?」

 

 「――い、いません、けど」

 

 「結構――」

 

 ツインテールの子の乱れてしまったセーラーカラーとタイを直しながら、祥子さまが何かを決意したような顔に変わる。

 

 ――この出会いが波乱の姉妹宣言の幕開けだった。

 

 ツインテールの子にとっての、と修飾語が付くけれど。部外者である私には、ようやく祥子さまに妹が出来るのだなという感覚しかなかったのだった。

 




 6521字

 よ、ようやくアニメ一話に辿り着きました。祐巳ちゃんの登場を楽しみにしていた皆さまお待たせしました~。

 ファイファイ屋! ってことでようやく感嘆符をたんまり使える……(なるべく使わずに、祐巳ちゃんに使おうと決めておりました)


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第二十三話:姉妹宣言後と一騒動

 流石に廊下で話すのもアレだろうと蓉子さまが、部屋の中へとみんなを導いた。祥子さま突然の姉妹宣言にみんな驚いているけれど、一番驚いているのはソレを告げられたツインテールの子本人だろう。薔薇さま方をはじめとする山百合会のメンバーに囲まれ、緊張しているのが目に見えてわかってしまう。蔦子さんは平然としているようだけれど、内心は何を考えているのやら。

 こうして外側から見ると、山百合会を手伝って欲しいと薔薇さま方から言われ、一度保留にした私は確かに珍しいのかも知れない。傍から眺めていると、圧迫面接にしか見えないのは三年生たちのオーラ故なのだろうか。

 とはいえこの話について私は部外者なのだし、口を出す理由はない。祥子さまとツインテールの一年生との問題であり、将来薔薇の称号を背負うのならば、山百合会の人たちの問題なのだ。山百合会の人たちはツインテールの子の名を知らず、何故か祥子さまが自己紹介を求めそれに答えるツインテールの子は『フクザワユミ』と名乗ると、蓉子さまが漢字でどう書くのかまで聞いたのだった。

 

 「福沢諭吉の福沢、しめすへんに右を書いて祐、それと巳年の巳です」

 

 「目出度そうでいいお名前」

 

 律義に答えるツインテールの子改め祐巳さんに聖さまが冗談を吹かすのだけれど、場の空気を和らげたかったのかどうかは分からず仕舞い。蓉子さまも蓉子さまで、何故漢字の書き方まで問うたのかは謎である。祥子さまの妹となるのだから、学校にあるはずであろう身上表でも手に入れるつもりなのだろうか。一生徒がそんなことが出来るはずがないと思うけれど、祐巳さんの姉になるその人は小笠原グループ代表のご令嬢なのだ。蓉子さまに開示されなくても、小笠原家の方には情報は渡りそうだ。

 

 ふと思う、それだと志摩子さんも私も情報がいった可能性が浮上してくるのだけれど、やましいことなどしていないし、バレた所で問題がある訳でもない。精々、住所、出身、年齢、学歴に両親の職業や家族構成くらいだろう。何か問題があったと判断されたならば、物理的に近寄ることが出来なくなるだろうし。 

 そもそも私が平然としていられるのは、祥子さまが小笠原グループのご令嬢だと知った時期が、山百合会を手伝い始めて暫くした頃だったから。珍しい苗字ではあるけれど普通に一般家庭の人も居るのだから、良いところのお嬢さまなのだろうと位にしか考えておらず、聞いて吃驚し周りにドン引きされたのは腑に落ちない事態だった。

 まあ祥子さまに平然とした態度を取っていたので、納得されてはいたけれど。一人称が『わたくし』の時点で気付くべきだったのかもしれないけれど、江利子さまも普通に使っている時があるし違和感がどこかに行ってたのだから。

 

 薔薇さま方の反応に困り果てている祐巳さんを祥子さまが庇い、蓉子さまが話を聞こうと江利子さまに告げ、長くなりそうだなあと眺めていると、唐突に祥子さまが祐巳さんと姉妹の絆を結ぶとはっきりと口にしたのだった。

 

 「取り合えず、座ってお話ししましょうか」

 

 祥子さまの突然の告白に驚いているのは、私を含む一年生組だけで他の人たちは案外落ち着いている。蓉子さまの意見に全員が頷き、各々の席へと向かう。お客さんである祐巳さんと蔦子さんには、新たに椅子を引っ張り出してきてそれに座ってもらうのだった。由乃さんと一緒に用意したお茶をそれぞれに配膳して、指定席へと座る。いつもより狭く感じる会議室は、興味と困惑の空気がありありと流れていて。

 

 「祐巳さん」

 

 「は、はいっ!」

 

 緊張した声で蓉子さまの言葉に返事をする祐巳さん。まあこのメンバーに囲まれれば、誰だってそうなるよねと眺めながら紅茶を啜る。お客さんが来ているので、今回は全員同じものを淹れてある。ああ、渋い緑茶が飲みたいと微妙な顔をしていると、隣に座る由乃さんが私を見やり苦笑いをしていたので、どうやら心の中はバレバレらしい。

 

 「よろしければいつでも薔薇の館に遊びにいらっしゃい。貴女は祥子の妹だというのだから」

 

 祐巳さんを見たあとで、祥子さまに意味ありげな視線を向けた蓉子さまに、江利子さまがさっきの姉妹宣言を姉として認めるのかと問う。どうやら姉としては妹である祥子さまの意思を尊重したいようだけれど、何か含みがあるような。

 

 「あ、あの……」

 

 おお、この場で言葉を発する勇気があるとは思わず、祐巳さんを見た。緊張しているようではあるが自分の意思が主張できるならば、そんなに心配はしなくてもいいかもともう一度紅茶を啜る。以前話したときに上級生相手だと緊張すると言っていたから気にしていたのだけれど、どうやら無用のようだった。

 

 「貴女は黙ってらっしゃい」

 

 祥子さまの言葉にツインテールがしゅんとなる。未来の姉の言葉には逆らえないのだろうか。割と理不尽で意地悪なものに感じてしまうけれど、そう告げられた祐巳さんは何も言えず。当事者が流石にこれでは不味いだろうと、助け船をだそうと口を開いた時だった。

 

 「結論はもう少し先じゃないと出せないんじゃない?」

 

 椅子から立って志摩子さんの横に腰に手を充てて立っていた聖さまがそう述べてくれたので、口をつぐむ。もう少し聖さまの言葉が遅ければ、私が言わないといけなかったので正直助かったし、薔薇さまである聖さまの言葉の方が重いのだから、その方が良いに決まっている。

 聖さまの言葉に同意した蓉子さまと江利子さまだったのだけれど、部外者である祐巳さんや蔦子さん、ついでに私ももう少し詳しい状況は知りたいところだ。一応、周囲の人たちの間では未だに私は祥子さまの妹候補でもあるのだから、新たな候補、というよりも本命である祐巳さんと私が噂の渦中に放り込まれるのは必然で。

 

 「はい」

 

 「何かしら、武嶋蔦子さん」

 

 「お見知りおきとは光栄です。白薔薇さま」

 

 「祐巳さんはともかく貴女を知らない生徒は居なくてよ」

 

 後ろ手で頭を掻く蔦子さんに、名前を突然呼ばれて引き合いに出されてしまった祐巳さんがあからさまに落ち込んだ。私も蔦子さんのことは体育祭後までは知らなかったのだから、割と胸に刺さる。当の蔦子さんは、今のこの状況が見えていないようで遠回しに理解できるように説明を求めると、それに答えたのは蓉子さまだったのだが。

 

 「説明なんて必要ありません、私が妹を決めた。それだけのことなのだから、今日はもう解散」

 

 立ち上がり話を無理矢理終わらせようと立ち上がったのは祥子さまで。

 

 「なに勝手なこと言ってるの、解散したければ一人でお帰りなさい。もちろん祐巳さんはここへ置いていってね」

 

 祥子さまが話に割り込み中断させそれを蓉子さまが一蹴するのだけれど、祐巳さんがモノ扱いになっているような気がするのは何故だろう。三年生故のジャイアンオーラを醸し出している蓉子さまの言葉に従うことなく、祥子さまが椅子へ座り、祐巳さんを見て微笑んだ。それを見た祐巳さんは照れている。

 いきなりぶつかり、いきなり姉妹宣言をした祥子さまの第一印象は良くはなさそうなものだけれど、祐巳さんの中ではどうやら好印象だったのだろうか。女心はよく分からないと頭を捻っていれば、蓉子さまが今回の顛末を知らない祐巳さんと蔦子さんに話したのだった。

 

 祥子さまの相手役が令さまではなく花寺の生徒会長だったこと、男嫌いを直せと言われたこと、妹一人も作れない人に発言権はないこと、それならば妹を作ればいいと部屋から出ていこうとしたこと。

 

 「だからといって誰でも良いから妹にしろとは言っていないわ。部屋から出て一番初めに出会った一年生を捕まえて妹にするなんて」

 

 「わらしべ長者じゃあるまいし」

 

 蓉子さまと祥子さまの話を目を白黒させながら聴いていた祐巳さんに、聖さまが興味を示したのか話しかけていた。基本他人には自ら近づくことはない聖さまが珍しい。こりゃ明日雨でも降るかもなあと失礼なことを考えていると、蓉子さまが祥子さまに苦言を呈す。曰く『そんな関係は認められない、姉である私の品位まで疑われる』のだと。

 初対面で姉妹の絆を結んだ人たちも居るのだから、そんなに気にする必要はない気もするけれど、山百合会という生徒会に所属している故なのだろうか。他の生徒の手本となるようにと、きっとそうして過ごしてきたのだろう。

 蓉子さまらしいといえばらしいのだけれど、疲れはしない――疲れるかもしれないが、それを表に出すような人でもないし、気にしていないのだろう。全く、真面目過ぎだと苦笑が漏れそうになるけれど我慢する。ここで笑うと場違い感が半端ないし、突っ込まれるので堪えていると話が随分と進んでいたようで。

 

 「――本当はさっきまで祐巳さんの名前も知らなかったのでしょう」

 

 「それは……」

 

 蓉子さまの言葉に言いよどむ祥子さま。この様子だと話の決着がつくかなと、また紅茶を啜ると意外な人が助け舟を出したのだった。

 

 「待ってください。お二人は先ほど初めてお会いになったのではないと思うのですが。――だって祐巳さんは祥子さまを訪ねてここにいらしたのですもの」

 

 立ち上がって声を上げたのは志摩子さんだった。誰かと誰かが話している最中に、こうして志摩子さんが割って入るのは珍しい。おそらく、伝えておかなければならない大事なことだったのだろう。このまま蓉子さまと祥子さまだけの会話が続けば、先程の姉妹宣言はなかったことになるだろうから。

 

 「それは本当なの?」

 

 「……はい」

 

 「証拠もありますっ」

 

 自信がなさそうに蓉子さまの言葉に答える祐巳さんを援護したのは蔦子さんだった。写真を差し出して三人の薔薇さま方に見せると、それぞれに思い思いに声を上げ。

 

 「それは失礼したわ」

 

 同じ言葉が三人分重なり、写真が祥子さまへと渡ると息を吹き返したように祐巳さんの肩を抱いて、親しい関係だと主張する。すると蓉子さまは机を指で叩きながら、何か考えている様子を見せる。

 

「いいわ、認めましょう。――ただしシンデレラの降板までも認めた訳ではないのよ」

 

 確かに今まで妹にするかどうかの話だったから、シンデレラの事までは口にしていない。歯噛みしている祥子さまに蓉子さまが落としにかかる。

 

 「帰ります」

 

 「待って、一つ確認させて。祐巳さんは貴女の何。今でも貴女は祐巳さんを妹と思っているのかしら?」

 

 「勿論、祐巳は私の妹です」

 

 祥子さまと蓉子さまの姉妹喧嘩のようなものが始まったけれど、周りの人たちは動じていないので本気という訳ではないようだ。仕事、やらなくていいのかなあと遠い目になり、また紅茶を啜る。もうすぐ空になるのだけれど、この空気で淹れなおすのは勇気が必要で。仕方ない諦めるかと、用意されていたクッキーを一枚口の中に放り込み咀嚼して飲み込むと、余計に喉が渇いたのだった。

 

 「樹さん、助けてよ」

 

 「ん、無理」

 

 蔦子さんが私に声をかけてきたけれど、到底この状況から抜け出すのは無理である。部外者だからと言い張っても、仕事がまだあるのだから駄目と言われるのは目に見えているし、蔦子さんも写真関係でここを訪れているのだから本題を切り出せていないので、帰れない。なら静観をするしかないわけで。仕事しなくていいなら帰りたいんだけれどなあと、残っていた紅茶を飲み干した。

 

 「――それもいいわね」

 

 上の空で時間を食っていると、いつの間にかみんなの前で祥子さまと祐巳さんの姉妹の絆の儀式を行うことになったのだった。祐巳さんの意見が全く反映されていないまま、祥子さまの意思だけでこの展開になっているのだけれど、本当にいいのだろうか。祥子さまが困っていると、それを助けようと薔薇さま方の会話に割って入れる優しい子だ。もしかしたら祥子さまを助ける為にと、ロザリオを受け取ってしまいそうなのだけれど、そこから先でキチンとした姉妹として過ごせるのか。何か、心に靄がかかったような気分に陥り、祐巳さんと祥子さまを見る。ロザリオを首にかけようとする祥子さまを見る祐巳さんは、何かを考えているようで。

 

 「お待ちください」

 

 「まっ――」

 

 「祥子さまもお姉さま方も大切なことをお忘れになっていませんか、祐巳さんのお気持ちです」

 

 私よりも志摩子さんが先に口にしてくれた。良かったという安堵と私の声に気付いた人が居たら恥ずかしいなあという気持ちが湧いてくる。

 取り合えずは志摩子さんに任せて、何かあれば援護すればいいだろうと黙っていると、どうやら蓉子さまは志摩子さんの主張に納得したみたいだけれど随分と含みを持たせた言い方で言葉を返していた。その言葉に一切表情を変えない志摩子さんは、強いのか鈍いのか、話が脱線してしまうから黙っているだけなのか。皆思い思いに口にしながら、祐巳さんが祥子さまのファンであることを確認して。

 

 「貴女は祥子のロザリオを受け取る気持ちがあって?」

 

 最後に確認の為だろう、蓉子さまがそう祐巳さんへと質問を投げかけた。

 

 「申し訳ありません。私は祥子さまの妹にはなれません」

 

 「どうして、と聞く権利が私にはあるわよねえ」

 

 祥子さまのあとを蓉子さまが継ぎ、祐巳さんが答えやすいように質問をしていた。それに精一杯誠実に答えようとする祐巳さんの顔は晴れない。

 いきなりぶつかり、いきなり姉妹宣言をされた挙句、それはシンデレラを降板したいからという理由だったのだから、仕方ないだろう。ファンだというのなら余計に。どこかで偶然知り合い仲を深め、姉妹の契りを結べたのならば、そっちの方がよっぽど良かっただろうし。乙女心は複雑で何時までも輝くものだ。憧れの存在からぞんざいな理由で姉妹の絆を結ぼうとしているのだから、その心境は複雑なものだろうから。

 

 薔薇さま方が振られた祥子さまをからかっていると、祐巳さんがシンデレラ役がどうにかならないかと声を上げたけれど、祥子さまがそれを優しく止める。それを見ていた薔薇さま方が急な方向転換を見せた。曰く、後輩が納得できていないことを強要する人間に生徒会を引っ張っていくことは出来ないし、と。江利子さま、生徒会を引っ張っていく気があったのかと驚きつつも、今更変更するなんて可能なのだろうか。

 

 「ひとつ、賭けをしましょう」

 

 茜色に染まり始めた空を背に、聖さまが一つの提案をしたのだった。どうやら『祥子が祐巳さんを妹にできるのかどうか』で勝負をするらしい。一度フラれているのだから難しいけれど、祥子さまはその勝負を受けることにした。祐巳さんが驚いているけれど話はとんとん拍子で進んでいき、結局、学園祭の前日までに祐巳さんを妹に出来れば祥子さまはシンデレラ役を降りることができ、祐巳さんは祥子さまが抜けた穴を埋めないといけないようだ。なんだかなあとと思いつつも、本人たちが納得しているのならば私は口出しする理由はない訳で。

 

 「蔦子さんの用事はどうするの?」

 

 「この状況じゃあ言い出せないわね」

 

 目的と違う方向へと話が進んでしまったものの丸く収まりかけているので、どうやら蔦子さんは口に出せないらしい。小声で聞いてみたのだけれど、諦めているのか溜息を吐いていた。取り合えず、お客さんである祐巳さんと蔦子さんは薔薇の館から去っていったのだった。

 

 「祥子も随分と大胆な行動に出たものね」

 

 「本当。まさか最初に出会った一年生を妹にするだなんて」

 

 「樹ちゃんは、さっき何も言わなかったけれど良いの?」

 

 お客さんが居なくなったあと、口々に思い思いに考えていたことを口にする三年生は、先程よりも軽い口調で。

 

 「良いも何も、私は祥子さまと何の関係もありませんよ」

 

 そう言って苦笑いをしながら祥子さまの方を見ると、怪訝な顔をしつつ口を開く。

 

 「そうね。樹さんとは周囲の方々が私の妹候補だと仰っているだけなのだし、あるとするなら先輩と後輩の関係なのでしょうね」

 

 その言葉に納得して私は一つ頷く。祐巳さんのように祥子さまに特別な感情を抱いているわけでもないし、妹になりたいとも思わない。祥子さまが祐巳さんを選んだというのなら、応援するだけだ。山百合会は人手が足りていないのだし、学園のイベントがあれば一気に忙しくなってしまう。手伝いは多い方が良いし、正式に祥子さまの妹に祐巳さんがなれば、私は必要なくなるだろうし。反対する理由など一つもない訳で。

 

 「さ、遅くなってしまったのだし、最低限の仕事を済ませて今日は終わりにしましょう」

 

 蓉子さまの声でそれぞれ持っていた仕事を捌く。そうしていくらもしないうちに祥子さまが今日は予定があるからと、珍しくみんなより先に帰っていったのだった。どこからともなく響いてくる歌声。どこかで聞いた曲だと気になり、耳を傾けているとようやくその曲のタイトルを思い出した。

 

 ――マリア様のこころ。

 

 おそらく合唱部の人が歌っているのだろう。この学園に編入してから知った曲で、聖母讃美唱歌のひとつらしい。 典礼聖歌四百七番や典礼聖歌第七編一般賛歌四百七とかなんとか言われているそうで、聖母マリアの心を『青空』『樫の木』『うぐいす』『サファイア』に例えて謳っているそうだ。

 

 「……サファイアねえ」

 

 「サファイアがどうかしたの?」

 

 「すみません、独り言です」

 

 えらく抽象的で適当であり、サファイアなんて金目のものが出た所為で、やはり最後はお金か……といいんちょについ言ってしまった事があったのだけれど、その時は凄い冷たい視線で見られたものだ。

 

 「えー気になるじゃない。マリア様のこころが聞こえてきたからでしょう?」

 

 あの時と同じ過ちは繰り返すまいと誤魔化したのだけれど、興味を持ってしまったのか江利子さまと聖さまが突っ込んでくる。

 

 「まあ、そうなんですけど……」

 

 さて、どう逃げたものかと頭をフル回転させてみる。サファイアの宝石言葉には『誠実』『慈愛』『徳望』といった意味合いがあるそうで、ほかにも平和を祈り一途な想いを貫くというメッセージが込められているとか。枢機卿や司教がもつ指輪にはサファイアがはめられ、その指輪をした手で信者に触れることは、誠実や慈悲を与え、病を癒し、人々を悩みや苦しみから救うと言われているそうだ。そんなことで救われるなら、いくらでも跪くんだけれどなあと遠い目をする。

 

 「で?」

 

 「サファイアよりダイヤの方が価値があるし、なんでそっちにしなかったんでしょうね」

 

 お金儲けをしたいならサファイアよりダイヤモンドの方が高価である。産地やカット数によって値段が変わってくるので、一概には言えないけれども。寄付として譲り受けるなら高い方が良いだろうし、ダイヤの方が換金しやすいんだけれどなあと、結局のところ同じような思考になってしまったのだった。

 

 「そんなこと考えたことなかったよ」

 

 私の言葉に少し引きながら聖さまが言葉を返してくれた。この話題は終わりとばかりに蓉子さまが仕事を促し、ようやく帰路へとつくのだった。

 




 7541字

 すみません、話が進まず……orz


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第二十四話:新しい噂と昼ご飯

 ――翌日。

 

 朝、一年藤組の教室へたどり着くと、いつもよりざわついていた。はて、何かあったのだろうかと耳を澄ませていると、どうやら昨日の薔薇の館での出来事がすでに噂になっているようで。しばらく祐巳さんは時の人だなと心の中で手を合わせて無事を祈るのだけれど、あの場を関係者以外が知る由はないのだから、誰がどこから聞きつけたのか。可能性としては蔦子さんが第一候補。第二候補は薔薇さま方。第三候補は祥子さま、第四候補は祐巳さんといったところだろうか。とはいえみんな吹聴して回るような人ではない気もするし、本当に不思議である。

 

 「フクザワユミさんってどんな方なのかしら?」

 

 「そうね。同じ一年生だけれど、知っている方は少ないようですし。休み時間、桃組に行ってみませんこと?」

 

 たのしそうにきゃっきゃっと笑っている我がクラスメイトに苦笑いをしながら机に通学鞄を置き、椅子を引いて座って眺めていると、不意に数人私に視線を移して何やら話し込みそのまま私の下へとやって来た。

 

 「ごきげんよう、樹さん」

 

 「みんな、ごきげんよう」

 

 「樹さん、フクザワユミさんという方が紅薔薇のつぼみをフッたって本当なの?」

 

 クラスメイト数人に取り囲まれ、一人が代表をして私にそう聞いてきた。昨日私が山百合会の手伝いに赴いていることは、クラスの子たちはみんな知っている。だからだろう、一番情報を持っていそうで一番聞きやすそうな人間を選んだのだ。

 

 さきほどの彼女の質問は事実だ。

 

 実際の現場を見ていれば、祥子さまからの申し出を断っても仕方ない状況といえたが、見ていない人たちの話をよくよく聞けば祐巳さんが紅薔薇のつぼみからの姉妹宣言を無碍に断った人となっている。誰がこの噂を広めたのかは分からないけれど、祐巳さんにとって不都合な事実となっているような。しかし、祐巳さん本人に聞いてみて欲しいなんて言えば、本当に一年桃組の教室まですっ飛んでいきそうな雰囲気である。『普通』という言葉が似あう祐巳さんが、唐突に学園内の噂の的となってしまった状況に耐えられるのか微妙な所。はあと一つ溜息を吐いて、彼女たちに視線を向ける。

 

 「ごめん、私の口からは何も言えないよ。――あと興味本位で首を突っ込むのはどうなんだろうね。仮の話だけれどフクザワさんの立場になって同じことされたら、嫌じゃない?」

 

 直接的すぎる言い方であるけれど、意味さえ彼女たちに伝わればそれでいい。目立ちたい人ならば、大立ち回りをして周囲の状況を変えたり煽ったりできるだろうけれど、昨日のあの子の様子では無理だろう。

 

 「え、ああ……そう、そうね。少し、盛り上がり過ぎたかしら……」

 

 頬に手を充てながら考える様子を見せたクラスメイトはそう言ってくれたのだった。私の言葉一つで噂が少しでも収まってくれれば御の字だけれど、まあ無理だろう。私に、薔薇さま方のような影響力はないのだし。精々、今の言葉を聞いた人たちのみといったところか。彼女たちが素直な人で良かったと安堵するけれど、人間状況に流されやすいものだから、これで収まるとは考え辛い。椅子から立ち上がり、教室内のある人の下へと向かうのだった。

 

 「いいんちょ、ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう。相変わらずですね、樹さんは」

 

 ウチのクラスで一番頼りになるいいんちょの下へと行き、今日、怒涛の勢いで流れている噂の詳しい情報を聞き出したのだった。

 

 「なんだか随分と、昨日とは違いがあるんだけれど」

 

 「人伝での情報ですから違いは仕方ありません。一番肝心な紅薔薇のつぼみを振ったという噂は真実なのでしょう?」

 

 「悪い、いいんちょ。口外する気は……あーいや、全部は口に出来ないけれど、まあ独り言かな」

 

 とはいえ噂の確認をいいんちょに願ったのは私からなのだし、いいんちょもいいんちょで口が堅いし、今までいろいろと助言を貰っている。なら、彼女には話しておくべきなのかもしれないと考え、独り言として伝えると黙って聞いていてくれた。そんないいんちょに感謝しながら呟やきが終わると、少し考えたそぶりを見せながらこう口にしたのだった。

 

 「ユミさんという方にとって今の状況が幸か不幸か分かりませんが、はっきりとしていることは山百合会という生徒全員が注目している的の中に放り込まれたということですか……」

 

 「だね。本人の意思とは関係ないって所が気になるんだけれど」

 

 「目立つようなことを好む人ではない、と?」

 

 「多分、だけれどね」

 

 そもそも目立つことが好きならば、あの場で祥子さまの申し出を断っていないだろう。紅薔薇のつぼみの妹となれば今朝と同じように噂になるし、好奇の視線を受けるのではなく羨望の眼差しを向けられるのだし。

 

 「なるほど。それだと今のこの状況はその方にとってはあまり良い状況とは言えませんか」

 

 いいんちょの言葉を聞いて、こくりと頷くといいんちょは眼鏡の位置を指で直しながら私に気を付けるべきことを教えてくれるのだった。曰く、周囲の状況に耐えれない可能性も出てくるだろうから気を付けて、強引な人は本人に直接問いただそうとするだろうから、あまり一人にしないこと。

 

 「助かるよ、いいんちょ」

 

 「助言だけでいいならば、いくらでも」

 

 苦笑いをしながらそう言ってくれたいいんちょには感謝しかない。一学期から世話になっているけれど、お嬢さま校という特殊な環境なので、どうしても読めないこともあるから、こうして相談に乗ってくれる人は貴重だ。

 

 「フラれたってだけで話が終わっていれば、こうも大騒ぎにはなっていなかった気がする」

 

 あの場で聖さまがあんなことを言い出さなければ、祐巳さんはもう山百合会……祥子さまに関わることは無かっただろう。

 

 「薔薇さま方の真意は分かりませんが、祐巳さんを山百合会に引き込む価値はあったということでは?」

 

 「なるほど」

 

 いくらなんでも最初に出会った相手にロザリオを渡すなんて行為は無茶振りであるが、意味もなくそんなことを祥子さまがする人ではない気がする。だからこそこんな時期まで妹を作らずいたのだろうし、きっと祐巳さんに惹かれるものがあったのかも知れない。タイを直している写真も、いつもの祥子さまならば口頭で注意するはずなのだ。

 さんざん祥子さまにリリアンのしきたりについて教え込まれてきた私も、タイが乱れているから直しなさいと注意されただけだから。本当にあの写真は奇跡の一瞬を切り取ったもので。そんな祥子さまの機微を感じ取れない蓉子さまでもないだろうし、だからこそ聖さまの賭けを認めた。山百合会は人手不足だから、猫の手も借りたいという気持ちもあったのかも知れないが。

 

 「ああ、それともう一つ。――樹さんが紅薔薇のつぼみの妹候補だったのに、件の方が横入りしたと言う方もいらっしゃるかもしれませんので、気を付けた方がいいかと」

 

 「いや、それって言い掛かり……」

 

 「無理がありますが、そう思う人も居るということですよ」

 

 澄まして笑ういいんちょに、勝手に想像して勝手に行動した人に巻き込まれてしまう祐巳さんも私も笑えない状況に、口の端が吊り上がる。

 

 「バスの一件で樹さんの名前は売れてしまいましたので」

 

 「え――。その事実はもうみんなの記憶から消えてなくなっているって思ってたんだけれど……」

 

 「まだ忘れるには早いですよ。それに樹さんが紅薔薇のつぼみの妹候補という声は、志摩子さんが白薔薇さまの妹に納まってからバスの件も含めて強くなっていましたからね」

 

 「勝手に話が進んでる……」

 

 片手を顔に当てて盛大な溜息を吐くと、そんな姿を見たいいんちょが苦笑いをしながら私の肩を二度軽く叩いたのだった。

 

 「私も含めて傍観者は気楽なものなんですよ。頑張ってください」

 

 「これ私も巻き込まれるの……」

 

 「その可能性もあるということです」

 

 マジかあと頭を抱えそうになるのを堪えて、天井を仰ぎ見る。このまま現実を逃避してしまいたいと考えるけれど、無理なんだろう。

 また周囲に気を配らないといけなくなるなあと、胃が重くなるのを感じながら女性社会の冷徹な仕組みにゲンナリする私が居たのだった。このまま私がやらかしたことはみんなの記憶から消え去ってしまえと、一瞬でも頭に浮かんだことがいけなかったのだろうか。やはり神などいないと視線を床へと下げれば、朝のホームルームの時間を告げる予鈴が鳴り響いたのだった。

 

 ◇

 

 腕時計の針がようやく真上を指した、昼休憩。いまだ例の噂に盛り上がるクラスメイトが気になり、祐巳さんのことが心配になり始める。あまり自己主張をしない大人しそうな彼女は、新聞部や周囲の好奇の視線を耐えられるのだろうか。桃組には志摩子さんがいるから大丈夫だろうし、他のクラスからわざわざ出向くのもどうかと暫く席に座っていたのだけれど、結局気になってお弁当箱を持って桃組に向った私は、教室前で沢山の生徒がたむろしている状況に溜息を吐いたのだった。

 

 「フクザワユミさんってどなた?」

 

 友人と桃組に訪れたのであろう野次馬たちは、きょろきょろと教室内を見渡しながら、きゃっきゃっと声を上げて楽しそうにしていた。当事者である祐巳さんは、蔦子さんといっしょにその光景をゲンナリしながら見ているから、この状況は彼女にとって不本意なものなのだろう。とはいえ祐巳さんは運があるのか、リリアンの生徒たちには顔は広くないようで。教室を覗いている誰も彼もが祐巳さんを探していたし、桃組の人たちも野次馬たちに祐巳さんを紹介することなく静観しているだけ。

 桃組の人たちが良識ある生徒で良かったと安堵しつつ、いつぞやに見た七三分けが特徴である新聞部一年の山口真美さんが桃組の教室に訪れたことにより、状況は急を急ぐのだけれど私が祐巳さんに声を掛けると注目を浴びることになる。さて、どうしたものかと様子を見ていたら、志摩子さんが祐巳さんの手を握って行動を起こしてくれたのだった。

 

 「――二人とも、ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう、樹さん」

 

 「ご、ごきげんよう」

 

 桃組の教室を少し過ぎた廊下で声を掛け志摩子さんはいつも通り静かに挨拶を交わしてくれ、祐巳さんは私の登場に驚いたのか、ツインテールを揺らすとどもっていた。

 

 「志摩子さん、いつもの所でお弁当?」

 

 「ええ。あそこは静かだもの」

 

 ゆっくりと目を細めて私の質問に答えてくれた志摩子さんに、その様子をころころと表情を変えながら私を見ている祐巳さん。聖さまの言った通り、百面相だなあと微笑ましく眺めながら、お弁当箱を目の前に掲げる。

 

 「だね。私も一緒にいってもいいかな?」

 

 「私は構わないけれど」

 

 そう口にすると志摩子さんは祐巳さんの方を見たのだった。

 

 「祐巳さん、親交を兼ねて私も一緒に行っていいかな? あと由乃さんも誘いたいんだけれど……」

 

 由乃さんはこの場に居ないので、了解を取れればという形だけれど、山百合会のメンバー一年生だというのに一人だけ外すのはなんだかなあと思い、勝手に名前をだしたのだ。

 

 「あ、はいっ! 平気ですっ!!」

 

 「ありがとう。あと同じ一年なんだし、そんなに気を使わないで。――由乃さんに声かけてくるから先に行ってて貰っていいかな」

 

 「ええ、わかったわ」

 

 志摩子さんには了承を取ってないけれど、由乃さんも来ることは気にしないだろうと、それじゃあと軽く手を上げて松組の教室を覗くと、どうやら四限目の授業が長引いたらしく弁当箱の包みを開けようとした由乃さんの姿が見えたのだった。

 

 「由乃さん」

 

 「樹さん、どうなされたの?」

 

 持ってきていたお弁当箱をまた掲げると、首を傾げた由乃さん。結わえたおさげが小さく揺れて、少し驚いた表情を見せたのだった。

 

 「外で一緒にお弁当食べない?」

 

 「いいの?」

 

 「いいも何も、一緒に食べたいから誘ってる。あと他の人と約束してたり嫌だったらはっきり断ってもらっていいから」

 

 「そんなわけないじゃない。勿論行くわ」

 

 前のめりになりながらそう答えた由乃さんに苦笑いをしながら、椅子から立とうとする由乃さんに手を差し伸べる。

 

 「あ、後出しになるんだけれど、志摩子さんと昨日の子も居るんだけれど、良いかな?」

 

 「あら、そうなの?」

 

 「うん、ほら大変でしょ、朝から」

 

 「なるほど」

 

 肩をすくめて苦笑いをする由乃さん。由乃さんも山百合会のメンバーの一人で注目を浴びる人だから、祐巳さんの苦労が分かってしまうのだろう。ゆっくりと由乃さんと一緒に雑談を交わしながら歩を進め、人の少ない建屋の裏へと辿り着くのだった。

 まだこの場所が物珍しいのかきょろきょろと周囲を見ながら歩く由乃さんに、足元がおざなりになっているので転倒しないか気を使いつつ歩みを進めると、建屋の出入り口となっている二段程の階段で座り込んでいる祐巳さんと志摩子さん。どうやら二人もおしゃべりに花を咲かせていたようで、楽しそうに笑っていたのだった。

 

 「お待たせ」

 

 「待たせてごめんなさい」

 

 二人が腰かけている場所に適当に座り込む。四人となると少し狭く感じるけれど、ぎゅうぎゅう詰めまでとはいかない。これ以上人数が増えると大変だけれど、もう一人二人ならば可といった所だろうか。由乃さんの登場に、背筋をピンと伸ばした祐巳さん。有名人は大変だなあと由乃さんの方を見ると、祐巳さんを見た由乃さんも少し苦笑いをしていた。

 

 「いらっしゃい」

 

 「お、お邪魔してますっ!」

 

 「そんなに緊張しなくても」

 

 肩をすくめ、おどけながら祐巳さんに伝えると、みんな学園内だと有名な人たちだからと緊張を滲ませる。

 

 「昨日の方が緊張しない? あの濃い三年生に囲まれてたし、祥子さまも居たんだし」

 

 私の『濃い』という言葉に極端に反応を示した祐巳さんだけれど、声にはならなかったようだ。

 

 「うっ……。それはそうなんだけれど……」

 

 「まあいっか。自己紹介がまだだったよね。祐巳さんと同じ一年の鵜久森樹です。山百合会の下っ端の手伝いだから、学園祭が終わるまで顔を合わせるだろうから、よろしくね」

 

 「ふふ、祐巳さんって面白い方ね。黄薔薇のつぼみの妹の島津由乃です。山百合会でこれから顔を合わせるでしょうし、よろしく」

 

 「い、一年桃組、福沢祐巳ですっ。いろいろとご迷惑をお掛けするかもしれませんが、よろしくお願いしますっ!」

 

 ぺこっと勢いよく由乃さんと私に頭を下げた祐巳さん。

 

 「硬い。カット。リテイクを要求します、もう一度」

 

 「ええっ!?」

 

 頭を下げていた祐巳さんは私の言葉に、ガバっと体を起こして目を真ん丸にひん剥いて驚いている。そんなに驚くことでもないのに、もう一度やり直そうと考え込んでいる彼女が微笑ましくて、笑いがこみあげてくるのだった。そしてそれは私以外の二人も一緒のようで。小さく笑っている志摩子さんと由乃さんは、声を出さないようにと我慢しつつ堪えていた。その様子を見た祐巳さんはどんどんと顔を赤くしていき。

 

 「みんな、酷いよー」

 

 渋い顔をしながら抗議する祐巳さんは、少しぷりぷりしながらお弁当に置いていた箸を取り、口元へとご飯を運ぶ。

 

 「ごめんごめん。緊張してそうだから、つい」

 

 「ううっ。樹さんってイメージと全く違う」

 

 「そうかな。割と自由にしてるつもりだけれど」

 

 そうしていると祥子さまの指導を受けることがあるけれど。それは直せばいいことだし、一度やらかしても二度目をやらかさなければ祥子さまも目を瞑ってくれるようになった。

 

 「近寄りがたい人と思っていたのに、冗談を言う人なんだって」

 

 一度、偶然出会って愚痴を聞いて貰った相手ではあるけれど、その時は彼女が一年生と知らなかったし気を使いながら喋っていたから、こうしてからかうこともないまま別れたのだから仕方ないのかもしれない。

 

 「でも前に愚痴を聞いてもらったよね」

 

 「あの時はお互いに名乗らなかったし、有名な人に喋りかけられたって驚いていたから」

 

 「あら、お二人は面識があったの?」

 

 静かに祐巳さんと私の会話を聞いていた由乃さんが、気になったのか声をかけた。

 

 「うん。知らない上級生に妹になりなさいって言われて断ったんだけれど、スッキリしないから愚痴を聞いてもらったんだよね」

 

 「樹さん……そんなことがあったなんて知らないんだけれど……」

 

 「いや、終わった話だったし話す機会もなかったから」

 

 お箸を握りこんで負のオーラを背負う由乃さんがちょっと怖い。愚痴は祐巳さんと蓉子さまと祥子さまに吐き出したから、これ以上は出す必要もないし、上級生の名誉にも関わるから伝えていなかっただけなんだけれど。

 

 「むう」

 

 「ほら、怒らないでご飯食べようよ。あと今日の主役は祐巳さんなんだし、ね?」

 

 ぷいと横を向く由乃さんに苦笑いをしながら、話題反らしに奔走する。名前を出された祐巳さんは、またぴゃっと驚いて背筋を伸ばし、祐巳さんの横に座っている志摩子さんが小さく微笑んだ。

 

 「――仕方ないわね。あとでその話詳しく聞かせてね、樹さん」

 

 「え、終わったこと掘り返すの?」

 

 「勿論よっ」

 

 「……ハイ」

 

 何故だか逆らわない方が良いだろうと本能が叫んでいるので、素直に返事をしておく。それに納得したのか満足そうな顔をした由乃さんに、みんなが苦笑いを浮かべていたのだった。

 

 「ところでお二人さんは何を話してたの?」

 

 「あ、えっと昨日のことと、志摩子さんは銀杏が好きだって盛り上がっていたんだ」

 

 志摩子さんが余りリードして喋らないことを知っているのか、私の言葉を祐巳さんが答えてくれた。

 

 「おお、渋いねえ」

 

 うんうんと私に同意の頷きを寄こすとツインテールとおさげが揺れていた。志摩子さんはきょとんとしているけれど洋の雰囲気を纏う彼女に余り和のイメージが付かないのは仕方ないことだろう。とはいえ和が駄目という事ではないし、志摩子さんの意外な一面が知れたのだから良いことである。確かに茶わん蒸しに入っている銀杏は不思議な味がするけれど、嫌いではない。銀杏は毒素を含んでいるそうなので食べ過ぎると駄目らしいのだけれど、志摩子さんも知っているだろうしその話題を流してしまっても良いだろう。

 

 「じゃあ、みんなの好きな食べ物は?」

 

 私のその声に由乃さん祐巳さんが答えてくれるのだけれど、それぞれの性格が出ているというか、なんというか。

 

 「樹さんは?」

 

 それぞれが答えたので最後となった私に、志摩子さんがそう言ったのだった。

 

 「和菓子の練り切り食べながら、コーラを一気飲みするのが至福かな」

 

 練りきりを食べて甘くなった口の中と喉を、キツイ炭酸でスッキリ洗い流すのが快感なのだけれど。

 

 「ええっ?」

 

 「ないわね」

 

 「……合うのかしら?」

 

 驚愕の表情に、ドン引きしている顔と頭に疑問符を浮かせている顔。やはり同意は得られないかと、項垂れる。中学時代の友人にも話したことがあるのだけれど『いや緑茶か抹茶でしょ』とばっさり切られたのだ。

 

 「いいよ、いいですよ。誰の理解を得られなくても、私の幸せな時間だもの」

 

 悔しまぎれの言葉と、理解を得難い行為だと知っているので強要はしないのだ。

 

 「え、えっとっ、人にもよるし、好き嫌いはそれぞれあるものだからっ!!」

 

 「ありがとう、祐巳さん。なら、今度試してみる?」

 

 「えっ……」

 

 懸命にフォローを入れてくれる祐巳さんに悪戯心が湧いて、すこし意地悪をしてしまったけれど、このくらいならば構わないだろう。

 

 「ですよねー」

 

 「うっ、あ、あのっえっと……」

 

 「樹さん、祐巳さんをからかい過ぎよ。あと祐巳さんも樹さんの冗談を信じちゃ駄目っ。それと志摩子さんも笑っていないで樹さんを止めて」

 

 この場で唯一の突っ込み属性を持つ由乃さんがたまり兼ねたのか苦言を呈し、その隣で志摩子さんはくすくすと笑ってる。なんだかこの四人の立ち位置が決まってきたなあと、腕時計を見ればそろそろ昼休みの時間が終わる頃だった。

 

 「あ、そろそろ時間なのね」

 

 私が腕時計を見たのが気になったのか、由乃さんも腕時計の文字盤を覗いてそんな言葉を零す。

 

 「戻りましょうか」

 

 「うん」

 

 「そうね」

 

 「ん」

 

 志摩子さんの声にそれぞれが頷いて先を歩き始めたのは、由乃さんと志摩子さん。

 

 「樹さん、一つ聞きたいことがあるんだけれど……」

 

 「答えられることなら答えるよ」

 

 聞き辛そうに少し視線を落としている祐巳さんが聞きやすいようにとなるべく声を明るくして。

 

 「祥子さまの妹候補だったでしょう? それなのに私なんかが……」

 

 言葉を選んでいるのだろう。そこで止まってしまった祐巳さんの言葉の続きを想像するのは簡単だったから。

 

 「祥子さまと私じゃあ、姉妹にはなれないよ。よくて先輩後輩の関係かなあ。それにね、祥子さまは私を見ていなかったんだし、周りが勝手に騒いでいただけだよ」

 

 「志摩子さんも、樹さんと同じことを言ってた。――どうして私だったんだろう……」

 

 だんだんと言葉尻が小さくなっている祐巳さんに苦笑いをしながら、どう答えたものかと思案する。

 

 「祥子さまの心の中が分かる訳じゃないけれど、なにか祐巳さんに惹かれるものがあったんじゃないかな? でないとあんな勝負引き受ける人でもないんだし」

 

 「私の魅力ってなんだろう……」

 

 「自分自身じゃあ分かりにくいだろうね。さ、二人に置いて行かれるし授業に遅れるから行こう」

 

 祐巳さんと私が話し込んでいることを気にすることなく、二人の背がどんどんと小さくなっていく。こうなることを予想していたのかも知れないと、二人の優しさに感謝しながら。そして、未だ悩むそぶりを見せている祐巳さんに、心の中でそっとエールを送るのだった。

 




 8599字

 祐巳ちゃんが輝くのはまだ先だなあ……。


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第二十五話:練習と新参者

 祐巳さんにとって波乱の姉妹宣言から数日が経ち、いろいろと噂が流れている状況に私は辟易していた。曰く、私が先に紅薔薇のつぼみの妹候補だったのに彼女が横入りしただとか、それに嫉妬した私が祐巳さんを引き連れていたのは〆る為だとか。

 根も葉もない事実だというのに噂は尾ひれ背びれが大きくついて、クラスメイトには質問攻めにあい、いいんちょには『大変ですね』とまるで他人事のように言われ。それでもまあ、助言を残して去っていくあたり、やはりいいんちょは良い人なのである。取り合えずは噂は噂であって、静観している生徒が大半なので助かっているけれど。あとは祐巳さんがこの状況に耐えれるかどうかだけだ。

 

 ――ふごぉっ!

 

 乙女らしからぬ声が漏れたのだった。講堂を借りてダンス部による指導を志摩子さんと私は受けているところで。

 この学園、どうやらダンスの授業が二年生からあるらしく、習ったことのない一年生に教える為にダンス部に薔薇さまが願い出た、とかなんとか。そうしてダンス、踊ったことないのでしょうとにこやかな笑顔の薔薇さま方から告げられ、練習してきなさいと薔薇の館から追い出され。ダンス部の部長から正しい姿勢の教えを受けているのだけれど、姿勢矯正の為に腹に一発キレの良い掌底を貰い、丸くなった背を利用してすかさず顎を持ち上げられて首を伸ばされるだけれど、せめて何か一言告げてから、行動に移して欲しいものだが周りの視線が生易しいので、もしかしたらこの部長はこれがデフォなのだろうか……。

 

 「なんで……私だけ……」

 

 「あら、志摩子さんの姿勢は綺麗だもの。樹さん、猫背とはいかなくても少し丸いわ」

 

 お腹を抑えながら姿勢を維持する。ちなみに気を抜くと部長からまた指導という名の掌底が入るのだ。言葉よりも手が先に出てしまうようで、割とスパルタ。それでも背が伸び首が長くなったような気がするのだから、教えるのは上手い方かもしれない。若干の疑問が残りつつも、舞踏会シーンのモブ役を命じられたので仕方ないのだけれど。本番で無様を晒すよりはいくらかマシかと気持ちを切り替え、部長の声を聴く。

 簡単にいうと踊るダンスは社交ダンスとなり、全ての種類が十種。男女が組んで踊る『スタンダード』そして男女が少し離れて踊る『ラテン』があるそうな。ダンス部部長が饒舌に説明をしながら目の前でダンスを披露してくれるのだけれど、今回は関係ないし専門的なことは覚える必要はないだろうと右から左で済ませ、今回踊るのはワルツのみなのでその部分はキチンと見聞きする。一見ゆっくりと踊っているようでも、足運びや上半身の使い方に気を付けなければならないようで、体の筋肉の使い方が重要になってきそうだった。素人が踊るものなのでバリエーションは簡単なもので組んでいるらしいけれど、シンデレラと王子ペアには特別バージョンがあるそう。大変だなあと遠い目をしながら考えていると、祥子さまは生粋のお嬢様なのでもしかすれば社交ダンスを習っているかもしれないかと完結付けたのだった。

 

 「志摩子さん、余裕そうだね」

 

 「そんなことはないのだけれど。――日本舞踊とは随分と違うもの」

 

 「いや、表情に出てないだけで十分凄いよ。私、結構キツイ……」

 

 姿勢の維持やしなり具合も大変だし、足運びも独特で足裏の使い方にも気を配らなければならないから、脳味噌が悲鳴を上げているし喋ることも必死だった。私が貰った役は喋ることはない男役だったので本当にモブ。しかしながら舞踏会のシーンで踊るという、割と目立つことを言い渡されたので、失敗する訳にはいかなくなった。

 みんなステップを合わせて踊るから、一人違うことをしてしまうと限りなく目立つのだ。本当に真剣にやらないと恥をかいてしまうのだけれど、それよりももっと怖いのが、山百合会主催の劇を台無しにしたと後ろ指を指されることである。もしも失敗して劇を台無しにしたと言われようものなら、非難轟々になってしまうのは目に見えている。だからこそ必死になっているのだけれど、これがまた難しい。志摩子さんはどうやら日本舞踊の経験があるようなので、その体験を器用に転用して踊っているのだけれど、ずぶの素人の私が直ぐに上手くなる訳もなく。

 

 「はい、一旦止まって」

 

 ぱんと手を打って志摩子さんと私を呼び止める部長やダンス部部員の眼差しは真剣で。こりゃ舐めたことをしようものなら、即座に指導が飛んでくるなと覚悟する。

 

 「志摩子さんはジャンル違いとはいえ経験者でもあるから、慣れれば問題なさそうね。樹さんはリード役だから、もっと努力が必要かしら」

 

 ちなみに『リード役』とは男性を指す言葉である。男性が女性をリードし、女性は男性をフォローするとかなんとか。プロ並みに上手い人は打ち合わせをしていなくても、女性を導くことが出来るのだとか。

 流石に今回はそこまで求めていないし、そもそもリリアンは女子校なのだから完璧な男性役なんて求めてはいないし、みんなに合わせて動けるのならばそれでいいと部長から有難い言葉を頂ている。そして一番大事なことは『ワルツは笑顔』と言われたのだった。

 若干脱線しながら部長の説明はしばらく続くと、段々と人が増えてくる。どうやらダンス部のメンバーが講堂に集まってきたようだった。そうしてまたしばらく時間が経つと、にわかにみんなが出入り口へ注目していたのだった。その様子を何事かと眺めていたら、どうやら祥子さま以外の山百合会メンバーが講堂へと来たようで。

 

 「ごきげんよう。少しは踊れるようになったかしら?」

 

 一時間程度で踊れるようになるずぶの素人がいるのだろうかと疑問に思いつつも、ダンス部部長が蓉子さまに答えたのだった。

 

 「ごきげんよう、紅薔薇さま。志摩子さんは合格ラインといったところかしら。樹さんはまだ少し時間が必要ね」

 

 どうやらダンス部部長は三年生で薔薇さまとは面識があるのだろう。気軽に喋っている所を見るに、それなりに仲は良さそうだ。

 

 「そう。ごめんなさいね、面倒事を頼んでしまって」

 

 「ううん。教えるのは楽しいし、これでダンスの魅力に気付いてもらえたなら僥倖だもの」

 

 割と辛口評価を部長から頂くと、薔薇さま方三人が一斉にこちらを向く。蓉子さまは苦笑いをしているけれど、江利子さまと聖さまはほくそ笑んでいるという言葉がぴったり似合うような顔をしていた。何故あの二人は私をからかうのか謎であるけれど、玩具にされていることだけは事実である。薔薇さま方とダンス部のやり取りをぼーっと眺めながら、うだつの上がらない中年男性がダンス教室の窓辺で物憂げに佇む女性に目を引かれ、その教室に通うようになってダンスの魅力に嵌っていく映画ってそろそろ公開だったろうか、なんて頭の片隅で考えているとひょっこりと私の目の前に立つ人が。

 

 「樹ちゃん、今度は私と踊りましょうか」

 

 「江利子さまがパートナーですか……」

 

 「あら、私だと不満かしら」

 

 不満というよりも薔薇さまの誰かと踊ると確実に周囲の視線を集めてしまうから、つい愚痴のようなものが出てしまっただけである。これで江利子様の後にとっかえひっかえで全員と踊れば、何故か私の尻が軽いと言われてしまうのだから、不思議というか女の嫉妬は怖いというか。

 

 「そういう訳ではありませんが、良いんですか?」

 

 「構わないわ。聖も志摩子の相手をするようだし、蓉子はダンス部と打ち合わせをしているんだもの。それに樹ちゃんに教えながら踊れる人は限られてくるでしょう」

 

 江利子さまの言葉に、志摩子さんの方を見ると聖さまがとホールドを組んでいた。姉妹同士で踊るのならば令さまはいいのだろうかと壁際に視線を向けると、なんだか微妙な顔をしている令さまに肘鉄を打っている由乃さんが居た。こりゃ何かあったのだなと察して後ろ手で頭を掻く。

 

 「えっと、よろしくお願いします」

 

 足手まといは嫌だし、和を乱しても碌なことにならないだろうから、せっかくだし教えてもらおうと決意して軽く一礼するのだった。

 

 「ええ」

 

 手を出して綺麗に背筋を伸ばしびしっとポージングをとる江利子さま。有無を言わさぬ視線に押され、タイミングを合わす為に彼女が声を上げるので、慌ててホールドを組むとぐっと押されて足が勝手に動いていく。操られているような感覚になんじゃこりゃと少し混乱しながらも、徐々に息を合わせて踊る……というよりも江利子さまに踊らされていると言った方が正解か。志摩子さんと組んだ時とは違う感覚。志摩子さんは遠慮してくれていたのか、私に合わせてくれていたのだけれど、江利子さまとは歩幅も違えば動きの切れも違った。

 

 「あら、それなりに出来ているじゃない」

 

 「いや……これ、江利子さまが支えてくれてますよね?」

 

 「ふふ、分かったのね。なら、樹ちゃんがすべきことは分かるのではなくて?」

 

 澄まして笑う江利子さまがなんだか憎たらしくて、意地を張る。全身の筋肉を総動員させて、がっちりと江利子様の手を握り、腰を使って江利子さまに合わせるのではなく、合わせさせる。ダンス部の部長が伝えてくれたことを再度頭の引き出しから引っ張り出して、ぐっと足を前へと進ませ腰をしならせながらステップを踏んでいく。

 

 「――あら」

 

 「……っ」

 

 使い慣れない筋肉が悲鳴を上げるけれど、いまだに余裕の表情で踊る江利子さまを見ていると、なんだか悔しい気持ちが沸き上がり疲れたからとここで止まるのは負けを認めたようなもの。まだできることがあるはずだと、手本として踊ってくれたダンス部部長と副部長のワルツを思い出し、その動きをトレースする。

 

 「ふふ」

 

 「何で笑うんですか……」

 

 「気を悪くしたかしら。――負けず嫌いなのね、貴女」

 

 「あー……。否定は出来ませんね、ソレ」

 

 余裕の笑みでのたまう江利子さまに、必死で踊っている私の心の中を見抜かれる。バレても構わないけれど恥ずかしいからスルーして欲しいのだけれど、ここ最近は機会があれば遠慮なんて存在しないかのように、突っ込んでくれる江利子さまだ。隠そうとすれば余計に突っ込んでくるのだし、正直に答えておいた。勉強はあまり得意ではないが体を動かすことに関してはそれなりに自信があるから、ああも明け透けにしてやられると、やり返してやろうという気持ちが湧くのは仕方のないこと。――彼女の好奇心を煽るのは目に見えていたけれど。

 

 とはいえ慣れないことを更に無茶をして体を動かしていれば、限界なんてすぐに訪れるものである。それを悟った江利子さまがゆっくりと足を止めホールドを解いたのだった。

 

 「少し休んでいなさいな」

 

 「そうします」

 

 余裕の笑みを携えて江利子さまはダンス部部長の下へと去っていった。ポケットから取り出したハンカチで汗をぬぐいながら周囲を見渡すと、どうやら聖さまと志摩子さんも練習を終えているようで、周りの人たちも各々休んでいる。蓉子さまとダンス部部長の話し合いで、どうやら一度全員で踊ってみようということになったのだけれど、主役である祥子さまが居ないが為に合わせるにも合わせられないので待っているようだった。

 

 「ああ、祥子が来た」

 

 「遅いよー」

 

 「練習を中断させてごめんなさい。――さあ、続けてください」

 

 遅れてきた祥子さまは祐巳さんを引き連れていた。どうやら練習を再開させるらしくそれぞれ位置についているので、私もモブ役をこなす為に輪の中へと加わるのだった。ちなみに私のペアを組む人は、ダンス部の小柄な二年生。どうやら見栄え優先で組まれた人選だというのは丸わかりだった。ど素人と組む先輩には申し訳ないけれど、我慢してもらうしかない。

 なるべく失敗しないようにと注意をしながらどうにか一曲踊り切ってしばらくすると、聖さまが祐巳さんを引っ張りワルツを踊っていた。戸惑いながら聖さまとあたふた踊っている祐巳さんに、みんなの視線が刺さっている。憧れの白薔薇さまと一緒に踊れて羨ましいという、嫉妬の視線だというのは鈍い私が見てもわかってしまう。祥子さまの件で注目を浴びているというのに、更に煽ってどうするのだろう。それを理解できない聖さまでもない気がするのだけれど、意図が理解できず首を傾げるばかりだった。

 

 しばらく様子を見ていると、聖さまはペアを誰か組んであげてと気軽に声を上げるけれど、既に相手が決まっている人たちがほとんどなのだから無茶を言うなと心の中でぼやいていると令さまが名乗り出る。どうにかこの場をしのいだなと安どのため息を吐いて、また練習が再開されるのだけれど、祐巳さんが祥子さまに気を取られ過ぎている。あとでダンス部部長からスパルタ特別レッスンが開かれそうだなあと、苦笑い。

 

 「失礼しますっ!」

 

 「あ、祐巳ちゃんっ!」

 

 突然、講堂を飛び出していった祐巳さんにみんなが驚き、そして何事かとざわつき始める。ある程度事情を知っている山百合会のメンバーだけなら問題はなかったけれど、ダンス部部員がいたことは不味い。練習を放り出した一年生として、すぐに噂が流れてしまうだろう。舌打ちしたくなる気持ちを抑えながら、どうしたものかと考える。いっそのこと私もこの場から立ち去るかと頭をよぎった時、ふいに声が上がったのだった。

 

 「――お騒がせして申し訳ありません。去っていった彼女に代わって私が謝罪しますわ」

 

 奇麗に一礼して頭を下げた祥子さま。ダンス部の人たちが祐巳さんのことを口にする前に、間髪入れずに頭を下げたものだから誰も何も言えなくなってしまったのだった。祐巳さんを連れてきたのは祥子さまなのだし、薔薇さま方が謝るよりは効果的……なのだろうか。まあ妹候補になっているのだから、姉候補として頭を下げたという部分もあるのだろうけれど。

 

 「もう一度合わせて今日は終わりにしましょうか」

 

 ざわついている講堂内に響いた乾いた音と声。一つ手を打って蓉子さまがそう仰り練習が再開されて直ぐに終わり。用事がある人はさっさと講堂から去っていくし、仲の良い人とおしゃべりに興じている子もいる。先ほどの祐巳さんのことが気になり、壁際に移動して様子を見ているのだけれどみんな普通の様子だし平気、なのだろうか。

 

 「なーに黄昏ているの」

 

 その声と共に肩と首に衝撃が走る。声で犯人が誰なのかは分かってしまったので、というかこういうことをする人は数が少ないので自ずと絞れる。

 

 「重い」

 

 「酷い言い草だなあ。最近、江利子と私にどんどん遠慮がなくなってない?」

 

 私の肩に腕を廻して体重をかけてくるものだから、重くない筈はないのである。そもそも身長差があるんだし加減をしてもらいたい所であるけれど、最近の聖さまたちは私に遠慮がないので諦めている。なので彼女たちに遠慮をすることはないかと、最初の頃よりもずかずかと言いたいことを言っているけれど。それで凹んだり傷ついたりするような人でもないので、言いたい放題である。

 

 「自業自得でしょう。何かあればすぐに私を玩具にしてるんですから」

 

 「ドンマイ、樹ちゃん」

 

 「聖さま。その言葉って日本だと慰めだったり応援的な意味合いで使われてますけど、英語圏じゃあ『私は気にしない』って意味だったはずですが……」

 

 「おや、良く知ってたね」

 

 に、と白い歯を見せて笑う聖さま。本当、志摩子さんを妹にしてから何かを吹っ切ったように変わったものだ。とはいえ、祐巳さんをああして巻き込んだことには不満を覚えるけれど。噂の中心に放り込まれてしまった彼女の立場を考えて欲しかったのだけれども。

 

 「はあ……」

 

 「どうしたの?」

 

 未だ私の肩に腕を廻したまま私の顔をのぞき込む聖さまは、不思議そうな顔をしている。

 

 「いえ、ただもう少し祐巳さんのことを考えて欲しかっただけですよ」

 

 「ん、何で?」

 

 心底不思議そうな顔をした聖さまに、呆れてもう一度溜息が出た。

 

 「ここ数日のうちに今や彼女は時の人で、一挙手一投足を周りから見られているんです。あれだと火に油を注いだようなものじゃないですか」

 

 逃げ出した責任は祐巳さんにあるかもしれないけれど、もう少し穏便に物事を進められたような気もするし、どうしてこうも彼女を目立つようにさせているのか。

 

 「知ってる。でも、あの子には君や志摩子に由乃ちゃん、あとカメラちゃんもいるでしょう? ――だからそう睨まないでよ」

 

 「丸投げじゃあないですか……」

 

 「かもね」

 

 苦笑いから一転、あははーと気楽に笑う聖さまの腕を振りほどいて、私は講堂を後にして教室に置いている荷物を取りに行くのだった。

 




 6588字

 相変わらず話の進みが鈍足でして。祥子さま、急に立ち去った祐巳ちゃんの尻拭いをしたはず……はず……。

 マリみてアニメだと簡単そうに踊っているけれど、足運びとかいろいろと大変だろうなってことで――『ボールルームへようこそ』って漫画がかなり面白いです。アニメもあるので機会があれば是非。
 

 マブラヴオルタの公式アニメサイトが開設されて、我歓喜。が、あと何ageかかるのやら(遠い目


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第二十六話:クラスメイトと噂の子

 すみません、予約投稿の日付を間違えて投稿して慌てて修正したのですが十七時過ぎていたので十八時投稿でお許しを……


 山百合会での仕事も終わり帰る用意をしようと教室へと戻ると、珍しい人が居てつい声を掛ける。部活動で忙しい彼女が本来いる場所は体育館であり、この場所に居るはずがないのだから。

 

 「あれ、今の時間に珍しいね」

 

 「忘れ物をしたから取りに来ただけだよ。また体育館に戻らなきゃ」

 

 私の言葉に苦笑いをしながら答えてくれたのは、体育祭のクラス対抗リレーでアンカーを務めた子だ。あの時以来体育の授業でなにかと張り合ったり、面倒見がいいのか私の世話を焼いてくれて、割りと良好な関係を築いているので気楽に話が出来る相手となっていた。通学鞄をごそごそと漁りながらまだ何かを探しているようで、私は自席へと行き帰り支度を始める。

 

 「ああ、樹さん。同じ部活の子たちが、講堂で黄薔薇さまと貴女が一緒に踊っていたって噂をしてたんだけれど……」

 

 「山百合会の劇にちょこっとだけ出るからトチらないようにって、江利子さまが練習相手になってくれただけだよ」

 

 何故か既に噂をされている事実に驚きつつ、肩をすくめて笑うと彼女も片眉を軽く上げ苦笑いをし『そっか』と短く言葉を零して私に向けていた視線を自身の鞄へと戻す。

 

 「二学期に入ってから、何かと大変ね」

 

 「あはは。なんでこんなに目立つようになったのかよく分からないんだけれどね」

 

 本当に不思議である。一学期なんて、上級生に呼び止められることなんて一度もなかったし、クラスメイトに囲まれるようなこともなかった。たかだか生徒会の手伝いとして出入りしているだけなのに、なぜか姉妹にならないかとか、仲が良すぎるのではないかと詰め寄られたり。仕舞には引っ叩かれたりと、なかなかに面白いことになっているし、噂が流れるのは爆速で蓉子さまと自習室で勉強をしたあとに傘を貸したこととか、それに聖さまも加わったこととかが翌日には知れ渡っているのだ。そうして今日も今日で、どうやら江利子さまと一緒に踊ったことが生徒の目に留まり、こうして噂となっているようだった。

 

 「みんなが憧れている山百合会の人たちと、あんなに仲良さそうにしていれば、この学園だとそうなるわね」

 

 「普通だし、私以外の人付き合いもあるだろうから、妙な話なんだけれど……」

 

 「薔薇さま方は同級生で仲が良い人はもちろんいるけれど、下級生となると珍しいもの。それこそ妹と山百合会の関係者くらいしか見たことがないのに、そこにいきなり樹さんが入ってきたからみんな大騒ぎ。――大変ね」

 

 「うわー、他人事だ」

 

 「樹さん、棒読みになってる」

 

 丸投げとか他人事とかって台詞をよく言うようになってきたのだけれど、きっと気のせいだ。少しゲンナリしつつ、そんな私を見た彼女は笑い目当てのものが見つかったのか、手に持っていた。

 

 「なんだかねえ」

 

 「苦労するわね。――ああ、そうそうフクザワユミさんだっけ。紅薔薇のつぼみをフッたって子」

 

 「うん、一応そうなってるみたいだね」

 

 祥子さまをフッたことには違いないけれど、事情を知っている身とすればどうにもその言い回しが好きになれないまま今に至る。噂が流れて数日が経ちはしたが噂が収まる気配を見せることはなく。それどころか私の下に訪れてまで真意を聞き出そうとする人たちには辟易しているのだけれど。彼女が私の気持ちを知らない筈はないし、何故そのことを今更聞くのか不思議だ。

 

 「さっき樹さんのことも話題にあがっていたけれど、その子はフったのに祥子さまと一緒に居て、尚且つ山百合会の劇の練習にも顔を出したって」

 

 その後の言葉は続くことはなかった。ただ単に続けるのが面倒だったのか、伝えることを躊躇ったのか分からないけれど。

 

 「……」

 

 「そんな顔しないでよ」

 

 「どんな顔してた?」

 

 「嫌そうな顔してた」

 

 どんどんと眉間にしわが寄っていくのが分かっていながら、彼女の前でならば構わないかとそのままにしておいたのだけれど、どうやら気になったらしい。右手を眉間に当てて揉み解してどうにか皺を取る私を、何も言わずに彼女は見ているだけだった。

 

 「あら、みなさん、まだ帰っていらっしゃらなかったので?」

 

 茜色が差し込む人気のない教室にトップの子がそんな言葉を零しながら、中へと入ってきた。どうやら彼女も帰り支度をする為に戻ってきたようで、自分の席へと座りゆっくりと教科書を鞄の中へと仕舞い込んでいる。

 

 「私は忘れ物を取りに来ただけだから、まだ帰らないよ」

 

 トップの子の言葉に先ほどまで一緒に喋っていた彼女が答え私を見るので、どうやら先程の質問に答えろということらしい。

 

 「今日はもう帰る所」

 

 荷物を掲げて家に帰ることをアピールする私に、それじゃあ途中まで一緒に行こうと彼女が誘ってくれたので快諾して。

 

 「ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう」

 

 「ええ、ごきげんよう」

 

 それぞれに挨拶を交わし、トップの子を残して教室を出る。しばらく無言で歩いていると私の隣を歩いていた彼女が、じっとこちらを見ていることに気が付いた。

 

 「どうしたの?」

 

 「私の考えすぎだといいんだけれど……」

 

 「うん」

 

 「あの子には気を付けて。――特に白薔薇さま関係」

 

 内容が内容だけに最後の方はかなりの小声だった。誰が聞き耳を立てているか分からないから、彼女なりの気遣いなのだろう。それにしたって彼女の言葉には頭を抱えたくなる。トップの子が白薔薇さま、聖さまのファンだということは周知の事実であるのだけれど、以前に上級生との……特に薔薇さま方との距離感を考えろと注意されたことがあるのだ。そのあとはなるべく山百合会の上級生に仕事以外で会わないようにと、学園内をウロウロすることは止めているので大丈夫だと気楽に考えていたのだけれど。

 

 「わかった。教えてくれてありがとう」

 

 気掛かりがあり過ぎる為に、素直に忠告は受け取っておく。少し緊張した面持ちから一転、私の言葉を聞くと少し深い息を吐いて彼女は力を抜いたのだった。

 

 「なにもないと思うけれど、彼女ちょっと突っ走っちゃうことがあるから……。学園祭の出し物を決めるときも、山百合会の方にって樹さんのこと勝手に決めたし」

 

 「あー……」

 

 「止めたかったんだけれど、何も出来なくてごめんね」

 

 歩いていた足を止め後悔の表情を浮かべる彼女は、あの時のことを気にしてくれていたようだ。何も出来なくてと謝ってくれているけれど、こうして心配をしてくれるだけでも有難い。

 

 「ううん、気にしないでいいよ。そのおかげなのかどうかは分からないけれど、山百合会の仕事多めに渡されてるし」

 

 「え?」

 

 「そのことを薔薇さまに話したら、遠慮なく仕事をふれるわねって笑顔で言われて、学園中走り回る羽目になったよ」

 

 薔薇さまのイメージを彼女がどう持っているのかは知らないけれど、もしかしてイメージを壊してしまっただろうか。リリアン高等部のみんなの憧れである薔薇さまの夢を壊して申し訳ないと思いつつも、事実なので誤魔化すのも憚られる。

 

 「樹さん……いろいろと頑張って」

 

 「いや、助けてくれると嬉しいんだけれど」

 

 「私には無理ね」

 

 なんだか憐みの視線を受けつつ歩みを再開させ分かれ道へと差し掛かり『ごきげんよう』と言葉を交わして彼女と別れたそのあと。広い学園内を歩いていると見知った背中を見つけ、その背をしばらく眺めていたのだけれど、その子のトレードマークであるツインテールに元気がない。講堂を飛び出していったことと、すでに流れ始めている噂になにか関係があるのだろうかと、少し足を速めその背を追う。余計なお世話かも知れないけれど、このまま見過ごせば気になってしまうのは確実だ。それならば声をかけて例え嫌な顔をされても、声をかけなかったことを後悔するよりは良いはずなのだから。

 

 「祐巳さん、さっきぶり」

 

 「ふえっ」

 

 「驚かせてごめん。なんだか元気がなさそうだったから声を掛けてみたんだ」

 

 いつもよりも謙虚な驚きを見せた祐巳さんの目元は少し赤いような気が、横に並んで歩くこと暫く。こりゃあ何かあったのだろうとアタリを付けるけれど、その理由までは分からず。苦笑いが出てしまうのを理解しながら、何故私が彼女に声をかけたのか全く分からないといった表情で見ているのだけれど、さてどうしたものか。

 

 「何かあった?」

 

 何も思いつかず、結局気の利いた言葉なんて出てこずにストレートに質問したのだった。

 

 「な、なにもないよっ」

 

 あーそんな驚いたような顔をした後で直ぐに表情を取り繕ってそう言われてしまうと、何かあったと言っているようなものなのだけれど無理に突っ込んでも仕方ない。

 

 「そっか。――ま、吐き出したいことがあるなら遠慮なく言ってよ。いつでも聞くし、私じゃ頼りないなら誰か適当に巻き込むから」

 

 リリアンのお嬢さまたちの悩みは、私だと解決できない可能性がある。一人で無理なら二人、三人と増やせばいいことだし、幸いなことに話を聞いて欲しいと願えば、聞いてくれる人は幾人か居るのだから。

 

 「うん、その時はお願いするね」

 

 「祐巳さんはもう帰る所だよね?」

 

 「そうだけれど……」

 

 「一人だと寂しいから途中まで一緒に帰っても良い?」

 

 一人だと考え込んでしまうし、余計なことまで思いついて心の底まで気持ちが下がってしまうこともある。そんな時に誰かの存在は邪魔かもしれないけれど、助かることもあるから。祐巳さんの家がどこにあるのかも知らないし、通学方法も知らないけれど最低学園の正門までは一緒だ。そこまではまだ少し歩かないといけないし、このまま気落ちしたままで歩くよりも良いだろう。

 

 「もちろん」

 

 「やりいっ!」

 

 ぱちんと指を鳴らして、祐巳さんの横へと並ぶと彼女は静かに歩き始めた。出会って数日ではあるけれど、ころころと表情の変わる百面相は鳴りを潜めていて。ぽりぽりと後ろ手で頭を掻いて、よしと気合を入れて。――にっと笑って他愛のない話を始めるのだ。昨日観たテレビやドラマ、最近読んだ漫画に家族のこと。どうやら祐巳さんは庶民派らしく、私が観たテレビの話題もついてきてくれて、少しだけではあるけれど笑顔が見え始めた。心の中で良かったと安堵しながら、正門を抜けてバス停へと辿り着き『またね』と言って別れたのだった。

 




 4073字

 どこまで関わるか考えていたら、どん詰まって筆が進まず文字数が少ないです。申し訳なく。アニメ沿いなので大きく逸脱するつもりはないですし、祐巳ちゃんが乗り越えるべきことだからなあ……。バランス難しいのですが、オリ主に降りかかることは着々と進んでる(笑


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第二十七話:近況とイケメン

 二学期に入ってからというもの、どうにも自身の周囲が騒がしいと頭を抱えたくなるのは何故だろうか。祥子さまと祐巳さんの問題だと言うのに、何故か私も周囲の思い違いで勝手に巻き込まれいまだに視線を感じる始末。表立って何かをしようと考える子は皆無らしく、噂だけでとどまっているのが唯一の救いだろう。

 もし誰かが行動を起こしてしまえば、火消しが面倒になるので有難いことではあるけれど、この学園内に居ると始終見られている感覚を拭えないのは、精神的に疲れる。同じ思いをしているであろう祐巳さんも心配になるが、どうやら山百合会のメンバーが盾になってくれているので、噂が流れ始めた頃よりも随分とマシな状況になっている様子だし、山百合会の仕事にも巻き込まれているのでそれどころじゃないという部分もありそうだ。

 

 「こういうことは如何に自分が楽をするか、手を抜けるかを考えればいいよ」

 

 「へ?」

 

 祐巳さんと一緒に各部活動に必要書類を配り歩いていたのだけれど、二人で一緒に回っているのでどうにも効率がよろしくない。

 

 「案外近道だったりするからね。楽をしようとして、考えることは悪いことじゃないから。てことで、二手に分かれようか」

 

 まあ道理を無視するとかなり痛い目に合うんだけれど、そこまで考えられない子ではあるまい。そんなこんなで学園祭の準備で忙しい山百合会は猫の手も借りたいらしく、祐巳さんや私がしょっちゅう呼び出され雑用を押し付けられる事態となっている。人の良い祐巳さんが薔薇さま方からのお願いを断れる訳はないし、祥子さまを見ていると幸せそうな顔をしているので、この環境はまんざらでもないらしい。それならばと居なくなってしまう身としては仕事の引継ぎをしておいた方が、山百合会の人たちも多少は楽になるだろうし、祐巳さんも上級生から教わるよりも同学年に教えられる方が緊張もないだろうと色々と自分なりのアドバイスを送っている所だ。

 祐巳さんが仕事が出来ない人だと判断されれば、学園祭が終わったあとも私が山百合会に引っ張り込まれる可能性が大きくなる。

 とはいえ祐巳さんが祥子さまの妹にはなっていないけれど、彼女たちを近くで見ていると、もう姉妹でいいじゃないかと思えてしまえるくらいには微笑ましい光景を作り出してくれている。そして蓉子さまがまんざらでもない様子で見守っているのだし、誰も文句なんて言えないのだけれど、勝負の最中だからといって姉妹の絆を結ぶつもりが全くない祥子さまも律義というか真面目というか。

 

 「ええっ!!」

 

 「そんなに驚かなくても。慣れれば一人で行動しなきゃいけなくなるんだから、早いか遅いかの違いだよ」

 

 要領が悪い子でもないし、何度か部活の長と私のやり取りを見ていたから大丈夫だろうと判断してのことだ。おそらく祐巳さん一人ででも平気なはずだというのに、無理だと顔に出ている。

 分かりやすい子だなと苦笑しながら、手を振って無理矢理分かれると私の背中に『酷いよう』と祐巳さんの抗議の声が刺さり、配り終えた後に祐巳さんが珍しくぷんぷんとむくれていたので、どうやら慣れないことに四苦八苦していた模様。

 

 「ま、慣れる慣れる」

 

 「うう。樹さんみたいに先輩方と話す時に緊張しない日って来るのかなあ」

 

 「きっとくるよ」

 

 がっくりと項垂れる祐巳さんを横目で見ながら苦笑し、軽いやり取りをしながら薔薇の館に戻って今日の仕事を終え、帰路につくのだった。

 

 ◇

 

 劇の打ち合わせや練習に学園祭の準備に追われる山百合会の面々にこき使われながら数日、数日後には花寺学院の生徒会長を招いて劇の通し練習を行うと蓉子さまから告げられていた。そして祥子さまには黙っておくことと、顔にすぐ出てしまう祐巳さんにも伝えないことを念押しされ山百合会のメンバーに緘口令が敷かれていたのでソレを直前で知った祥子さまの機嫌が急降下しているのだけれど、もう遅い。

 男嫌いを直したいという理由は理解できるけれど、だまし討ちのような感じなのは如何なものかと思いつつ、花寺の生徒会長が来ると知れば祥子さまは逃げてしまうのだから仕方ない。それに社会人となれば、女だけで構成された職場なんて皆無なのだ。社会に出るならば確かにその欠点は損だろう。働くのならばどこにでも男性は転がっていて単純確率で二人に一人は男性なのである。そこから逃げようというのは土台無理話だし、女性だけの職場があったとしても、色々と男性が関わってくるものだし。出入りの業者やら客先やらエトセトラエトセトラ。

 

 「…………」

 

 「……祥子さま」

 

 薔薇さまである蓉子さまの無慈悲な宣言に、逃げることが出来なくなった祥子さまとそれを心配そうに見ている祐巳さん。やはり紅薔薇のつぼみの妹の席に座すべきなのは祐巳さんなのだろう。どうにかしたいと頭を張り巡らしている祐巳さんと、なるようになるさと考えている私では祥子さまに対する思い入れが全く違うのだから。そんな薔薇の館での出来事を隅っこで眺めながら、花寺の生徒会長が訪れる日がやって来たのだった。被服部に保管してある舞台衣装をそれぞれに持つのだけれど、ここに居ないメンバーの三人分と花寺の生徒会長の分も持たなければならない。

 衣装が凝った作りになっているので重量が結構あるのだが、下っ端である私が持たない訳にはいかないので渋々名乗り出る。下っ端仲間の祐巳さんがこの場に居ないので、仕方ない。聖さまと祥子さまも居ないのだが、何処で何をしているのやら。自分の衣装くらい自分で持って欲しいと心の中で愚痴りながら、皺にならないように注意。被服部渾身の衣装が本番前に駄目になったとなれば、いつかは笑い話になるかもしれないけれど学生時代の間は確実に恨まれる。

 

 「ごめんごめん、遅くなった」 

 

 「聖、遅いわ」

 

 へらりと笑いながら遅れて登場した聖さまに蓉子さまが苦言を呈したのだった。

 

 「だからごめんって。――ああ、祥子と祐巳ちゃんが取り込み中だからちょっと時間を潰してから薔薇の館に行こうよ」

 

 それを軽く受け流して、蓉子さまの背を押して薔薇の館へと入った面々を二階の会議室へ向かわないようにと、倉庫へ誘導され。蓉子さまも江利子さまもその事に異議はないらしく、汚れないように衣装を置いてどうやら本当に時間を潰すらしい。三年生が動かないのならば、下級生がどうこう言える権利はなく同じように待つしかない。私は衣装を持ったまま壁に寄りかかって、窓の外を眺めることにしたのだった。

 

 「ねえ、樹さん」

 

 「うん?」

 

 外を眺めようと窓へ向けていた視線が、呼ばれた声によって引き戻された。そこに居たのは由乃さんで、何故だか深刻そうな顔をしている。声をだそうかださまいかと迷っている様子だったので、彼女が何かを口にするまで急かす必要はないだろうと、黙っていたのだった。

 

 「祐巳さんと祥子さまが姉妹になるのは決定事項でしょう」

 

 「可能性は高そうだけれど、まだ姉妹の絆を結んでいないなら早計じゃないかなあ」

 

 お似合いだと思うし、お互いに惹かれ合っているのは丸わかりなのだけれど、流石に勝手に決めるのは不味いし、二人の意思を尊重しなければならないだろうと一応念を押しておく。

 

 「なら、可能性の話でいいわ。――樹さんはその後どうするの?」

 

 その後の意味があまり理解できず、後ってどういう事と聞いてみると話題にあがった彼女たちが姉妹となると、山百合会役員の空席がなくなった後は私はどうするのかということだった。

 

 「どうするもなにも、どうもならないよ。学園祭が終わればココの仕事は減るだろうから、私は必要ないだろうし」

 

 祐巳さんという戦力も加わるのだから、一年の間で最大のイベントが終われば仕事も落ち着くだろう。なら私が薔薇の館へと訪れる理由はなくなるのだし、呼ばれることもないだろうから。

 

 「必要ないって……」

 

 「だって忙しいからって理由で手伝ってただけだからね。それがなくなるなら私がココに来る理由も一緒に消えるでしょ」

 

 肩をすくめてそう答えると、何故か由乃さんは怒ったような顔をしていて。これ以上何も言うつもりはないのか、黙っている由乃さんに困った私は苦笑いを浮かべるしかない。

 そんな由乃さんと私をみて見かねて声を掛けてくれたのは令さまだった。

 

 「樹ちゃん、由乃はね寂しいんだよ」

 

 「へ」

 

 令さまが語った言葉に頭がついて行かず間抜けな声が漏れた。

 

 「由乃にいろいろと構ってくれてたから。それが無くなるのが寂しいみたいでさ」

 

 私の間抜けな声の後に答えてくれた令さまの横で由乃さんがぷるぷるしているけれど、大丈夫だろうか。

 

 「構う?」

 

 なにか特別なことを由乃さんにしたっけかと、頭の中の記憶を掘り返すけれど思い当たることが特段ないのだけれども。微妙な顔をしている私を見て令さまが苦笑いを零し、興味が湧いたのかいつの間にか令さまの近くに江利子さまが来ていた。

 

 「由乃ちゃんに踏み込む同級生って少ないでしょう」

 

 「踏み込む?」

 

 「ええ」

 

 ここにいるみんなは理解しているようなのか、江利子さまの言葉にうんうんと頷いている。疑問を浮かべたままの私に江利子さまが、由乃さんの周囲についてのことを教えてくれたのだった。体が弱いので気を使い学園内でも一歩引いて接して、遊びに誘ったりなんて以ての外のようになっていて、気軽に由乃さんの家へと赴いた私は貴重なのだそうだ。先程までぷるぷるしていた由乃さんは鳴りを潜め、視線を床へと向けている。

 

 「それに由乃ちゃんの隣には始終令が一緒に居るでしょう。だから余計にそれに拍車をかけているんだもの」

 

 心配なのはわかるけれどちょっと過剰よねと間を置かずに言い放たれた言葉に、そうですねとは頷けず黙るしかない。名指しされた令さまは、困惑した表情で江利子さまを見つめてるのだけれど、抗議の声は上がらないので自覚があるのだろうか。

 

 「お、お姉さま……」

 

 見た目に反して情けない声を出しながら、がっくりと項垂れる令さま。江利子さまに手酷いことを言われた事に項垂れているのか、由乃さんの近くにいすぎて仲の良い友人が由乃さんに出来ないことを嘆いているのか区別がつかない。

 江利子さまの容赦のない一声に、周りは助け船を出すこともなく小さく笑っているし、由乃さんは激しくうんうんと何度も首を縦に振っている。令さまの扱いがぞんざいなんだけれど、これでいいのだろうか。姉と妹の間で板挟みになっている令さまの苦労が思い知れるけれど、これはこれでいいのかもと思えてしまうのは、令さまの人柄故なのかは疑問だ。

 

 「よ、由乃ぉ……」

 

 やはり、人柄なのだろう……。

 

 「まあ由乃ちゃんの心配は仕方のないことなのかしら」

 

 「祥子の妹になるのはあの子だろうしね」

 

 黄薔薇姉妹のやり取りを静観していた蓉子さまと聖さまが肩をすくめながら声を上げた。やはりみんなの心の中でも、祥子さまの妹は祐巳さんに決定のようで。それなら引き継ぎのようなものを行っていたのも無駄ではなかったなあと安堵して、学園祭が終われば平穏な日常が戻ってくる。少し寂しくはあるけれど、あんなことを言われている手前ここに居る理由がないのならば居ない方が良い。

 

 「そろそろ行きましょうか」

 

 「ええ」

 

 「うん」

 

 蓉子さまの声に江利子さまと聖さまが答えて、ぞろぞろと倉庫から出ていくメンバーの後を最後尾でついて扉を抜けるとそこには江利子さまが立っていた。

 

 「樹ちゃん、学園祭が終われば山百合会の仕事から解放されると思い込んでいるようだけれど、そう簡単にいくかしら?」

 

 「……なんで疑問形」

 

 「だってそう聞かないと貴女は答えてくれないでしょう」

 

 ドヤ顔を披露している江利子さまに溜息を吐いて、取り合えず私の考えを伝えておくのも悪くはないかと口を開いた。

 

 「さっきも言いましたけど、祐巳さんが祥子さまの妹となれば私は必要ないですからね」

 

 「そうね。でも、理由なんていくらでも作れるわ」

 

 「そんなドヤ顔で言い切られても……」

 

 ついつい江利子さまからの圧に耐えきれず声に出てしまうと、私の言葉を聞いた彼女は不思議そうな顔をした。

 

 「『ドヤ顔』って何かしら?」

 

 あれこの時代にまだ使われていなかったっけかと冷や汗がでるけれど、ここで誤魔化すと余計に怪しまれるので素直に言葉の意味や語源を伝えるようにしている。いずれば使われるようになるのだし早いか遅いかの問題で、何故私がこの言葉を使ったのか理由を問いただしたくても、二年後には高等部を卒業しているし大学生になるとしても、疎遠になっている可能性があるから、あまり重大な事と捉えていない。

 

 「ん、ああ。簡単に言うと自慢げな顔ってことです」

 

 確か使われ始めたのは二〇〇〇年代初頭だったか。そりゃ江利子さまが疑問に感じても仕方のないことだろう。

 

 「樹ちゃん、時折貴女オリジナルの造語を使うわね」

 

 「癖みたいなものですよ。さ、行きましょう」

 

 「ええ。――やっぱり貴女と居ると面白いわ」

 

 ドヤ顔から転じて奇麗に笑った江利子さまを直視できずに、階段を早めの足取りで上ると余裕の笑みで追い越され、先に歩いていた蓉子さまたちへと江利子さまは追いついて会議室へと入る。そこには祥子さまと祐巳さんが居て。どうやら聖さまが言っていた通りにいちゃついていたようだ。劇の練習をしていたと慌てた様子で弁明する祐巳さんは微笑ましい。

 

 「衣装合わせをするんじゃないんですか?」

 

 「ええ。今日は衣装合わせと立ち稽古だから花寺の生徒会長も見えるのよ」

 

 江利子さまの声に、少し緊張した雰囲気を醸し出した祥子さまを敏感に悟った蓉子さまが逃げられないようにと『前に伝えておいたでしょう』と釘を刺すと、祥子さまは観念したのか何も言わずに黙り込んだ。

 

 「そろそろお迎えに行かないと」

 

 「祐巳ちゃん、樹ちゃん、行ってきてくれる? 柏木さん……ああ、花寺の生徒会長ね正門に居るはずだから」

 

 祐巳さんの方をみると頷いてくれたので客人を待たせるわけにはいかないと、さっさと薔薇の館を後にする。少し急ぎ足で歩きながら、銀杏を踏まないようにと二人して地面を見ながら歩いていく。

 

 「樹さん、どっちが声を掛けるの?」

 

 「ん、そりゃ祐巳さんでしょ」

 

 「えっ!? 樹さんがやってくれないのっ」

 

 抗議の声を上げるけれど、これから山百合会のメンバーとして動かなきゃならないのは祐巳さんなので、私が出しゃばる訳にはいかないと丸投げしておく。

 

 「ほら、祐巳さんは祥子さまの妹候補なんだし、頑張らないと」

 

 「なにを頑張るのっ?」

 

 「色々とね」

 

 「はあ……」

 

 それだと樹さんも祥子さまの妹候補だったのではという祐巳さんの言葉は聞こえないふりをして校門へと急いで行くと、大きな門の横に姿勢よく鼠色の詰襟の制服を着こんだ花寺の生徒会長らしき人が姿勢よく直立していた。しかも鞄は両手で持ち、前にだして。花寺もいいところのお坊ちゃんが通う学校なので、こういう所にも品がでるのだなと感心しながら、祐巳さんを先に行かせるために少し私は歩みを遅くした。

 

 「あの……失礼ですが柏木さんですか?」

 

 「山百合会の人? 柏木優です。今日はよろしくお願いします」

 

 祐巳さんの声に答えて一礼をして微笑む彼はまさしくイケメンでイケボで高身長で、花寺に通っているのだから家もお金持ちだろう。テレビの画面から抜け出たような、造形に感心しながら祐巳さんとのやり取りを見ていると、私の方にも微笑みを向け軽く会釈をくれたのだった。

 なんなのだろうこの無駄に完璧オーラを醸し出す青年は。今は男子校だからそうそう心配は必要ないだろうけれど、共学の大学に通い始めるとモテまくりそうだし喰い放題だろうなあと、彼の将来を想像してしまうけれど杞憂に終わる。どうやら花寺の大学に進学は決定事項だそうで、祐巳さんからの情報だと成績優秀者しか選ばれないらしい。頭の中で考えごとをしながら歩いていると、いつの間にか来客用の玄関へと辿り着いていて祐巳さんと私は上履きに履き替えてくるからと言い残して、柏木さんにはここで待っていてもらうようにお願いしたのだった。

 

 「文句のつけようもない王子さまなのに、シンデレラには嫌われているんだ……」

 

 「何か理由でもあるんじゃないかなあ。祥子さま」

 

 小さく零れた祐巳さんの言葉を拾ってしまった私は、反射的に疑問に答えてしまう。理由もなく男嫌いになることは早々ないだろうし、社交界に幼い頃から出ていたはずだから、男性と交わることは多々あっただろうし。私の言葉に悩むような仕草を見せながら、元来た道を戻ると急に祐巳さんが立ち止まる。

 

 「……あ」

 

 「どうしたの?」

 

 急に立ち止まった祐巳さんに声をかけると、首を傾げて不思議そうな顔をしていた。

 

 「ううん、何でもない」

 

 「何、幽霊でもいた?」

 

 首を横に振った祐巳さんに冗談で返すと『うっ』と妙な顔に変わったのだった。古い学園だし、生徒がなんやかんだで幽霊にでもなって出てくるとか噂がありそうだなと、冗談で言ったのだけれどこの手の話は苦手な様子で。

 

 「からかわないでよ、もう」

 

 「あはは。祐巳さんはこの手の話は苦手とみた。来年の夏に怪談話でもする?」

 

 「絶対しないもんっ!!」

 

 もう、と怒って先を行く祐巳さんの背を追いながら上履きに履き替えてもう一度柏木さんを迎えに行き、薔薇の館へと向かうのだった。

 




 6931字

 ギンナンオウジガアラワレタ!


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第二十八話:王子と銀杏

 花寺の生徒会長である柏木さんを引き連れて、祐巳さんと私は薔薇の館へと入りみんなが居る会議室へと案内する。軋みの酷い階段は男性故の重みの所為か、普段よりもさらに酷いのはご愛敬。

 階段を上る歩みが微妙に慎重になった柏木さんに心の中で苦笑しながら、扉を開けて柏木さんを通すと山百合会の面々が一斉に顔を向け、少しビビってしまったのは一生の秘密である。というか動じない柏木さんが凄いのかもしれない。蛇に睨まれた蛙……ではなく、超絶美人たちに囲まれたイケメン。やはりイケメン補正なのだろうかと、ぼんやりと考えているといつの間にか柏木さんは上座へと蓉子さまと江利子さまに連れられ。

 

 「お招き、ありがとうございます。素敵な館ですね」

 

 素敵の部分で言いよどんだ気がするのは気のせいだろうか。理由があるとすれば、あの階段のボロさ故にだろう。時間もないのだし、これから衣装合わせをして練習だろうと考えていると、祥子さまの姿が見えない。

 どうやら祐巳さんも気付いたのか部屋の中を見渡していると、聖さまが祐巳さんの耳元で何かを囁いていた。そのやり取りは、みんなが柏木さんの方を向いている為に気付かれる様子はない。気付くとすれば、私たちの方を向いている柏木さんか、一番後ろで突っ立っている私くらいだろうか。

 

 「花寺の生徒会長、客観的に見てどう思う?」

 

 「どう思うって……客観的だったらかなりいい線いってるんじゃあ……」

 

 柏木さんの評価点を付けているようだけれど、外面的な評価だけの様子。まあ出会ってから一時間も経っていないのだから、彼の人となりが知れる訳もないのだから仕方ないけれど。

 

 「そういえば、シンデレラは?」

 

 「先に体育館に行くと出て行ってしまって……」

 

 珍しく困ったように江利子さまが柏木さんの質問に答え、蓉子さまは呆れた様子で一つ息を吐いた。どうやら祥子さまは理由を付けて逃げてしまったようだ。祐巳さんとの勝負に勝たなければ、シンデレラ役から降りられないことは承知で受けているから、立ち稽古には参加するだろうと薔薇さま方の判断だろう。祥子さまが逃げる可能性があるのならば、薔薇の館から出ることを許すはずはないだろうし。

 

 「祐巳ちゃん?」

 

 「あの……わたくしも先に行ってます」

 

 祥子さまのことが気になって気になって仕方ない祐巳さんは、心配になったのか会議室を出ていき誰も咎めることはないまま、衣装合わせの為に体育館に併設されている更衣室へと移動したのだった。柏木さんは男性教職員用のロッカールームへと案内されて着替えを行うとのことで、当然だけれどこの場には居ない。着ている制服を乱雑に脱いで、着慣れない中世貴族の衣装に四苦八苦していると、先に着替えを終えた志摩子さんが苦笑いを携えて私の下へとやってくる。

 

 「樹さん、手伝うわ」

 

 「ありがとう。いまいち仕組みが分からなくて難儀してたんだ」

 

 下のズボンは制服を脱ぐ前に穿いていたので、下着が見えることはないから気を使う必要はない。被服部が気合を入れて作ってくれたが為に、忠実に再現された衣装は複数枚着こまなければならないので、非常に面倒だった。

 

 「…………」

 

 「志摩子さん?」

 

 私が着る衣装の上着を一枚持ったまま視線を一定の場所に向けて固まっている志摩子さんが不思議で声を掛けると、はっとした様子で意識が戻ったようだった。

 

 「どうしたの?」

 

 「ああ、ええ。ごめんなさい、不躾に見てしまって」

 

 「見るのはかまわないんだけれど、何かあった?」

 

 何か面白いものでも見つけたのならばそれでいいけれど、変なものでも見たのなら申し訳ないし。何もないはずだけれど。

 

 「大したことではないのだけれど、樹さん鍛えていたの?」

 

 「ん、ああ、うん。小さい時から空手習ってて。まあ、ここを受けることになって辞めたけれどね」

 

 とはいえ動かずにいられないし、体重維持も兼ねて走ったり軽いトレーニングは続けているけれど。だからだろうか、同年代の子よりは筋肉はついているけれど、本格的に運動部に入っている子たちには敵わないという中途半端なものになっている。辞めてから二年近く経ってしまうと、使わない筋肉はどんどん失われていくし、以前よりも脂肪がついて丸みを帯びてきた体。一時期、ストイックになり過ぎて体脂肪を落とし過ぎていた時、生理が止まり家族を随分と心配させたのは今となっては笑い話になっている。お腹が六つに割れていたころが随分と懐かしい。今ではそれもなくなってしまい、うっすらと縦に筋が入っている程度で鍛えているというには程遠いのだけれど、どうやら志摩子さんは目敏く見つけたようだ。

 

 「そうだったのね」

 

 空手を辞め勉強に打ち込んだら、背が丸くなり眼鏡も必要になったのは誤算だったけれど。

 

 「……また始めないの?」

 

 「え、そうだね、やりたくはあるけれど……どうだろう。興味本位で親に強請って始めたものだから、もういいかなって。それに勉強と両立できる気がしないから」

 

 私の頭のデキはよろしくないので、この学園に通う為には勉学を疎かにすると瞬く間に成績が下がる自信があるし、そもそも空手のセンスはあまりなかったのだ。骨格がどうにも細いらしく、一撃必倒なんてお前には無理だと告げられ、そのまた逆の多撃必倒も狙えなかった。試合というものがある以上、勝ちたいと思うのは当たり前で勝てないとなると一気にモチベーションは下がってしまったのだ。

 

 「そう。変なことを聞いてごめんなさい」

 

 「いいよ。気にしてないし、今の生活も気に入っているから」

 

 やたらとボタンの多い衣装にゲンナリしながらようやく着ることができ、志摩子さんにお礼を言うとどういたしましてと微笑んでくれたのだった。みんな着替えも終えて体育館の中へと向かうと、そこには祥子さまと祐巳さんが制服姿のままで居て、祥子さまと柏木さんが対面することとなったのだけれど。

 

 「――初めまして、小笠原と申します。よろしくお願いいたします」

 

 「こちらこそ、よろしく」

 

 一瞬懐疑な顔をした柏木さんだったけれど、直ぐに平静を装ったのか先ほどまでの顔となり祥子さまに一礼したのだった。

 

 「素敵でしょう柏木さんの王子姿」

 

 江利子さまが柏木さんを褒めて、着替えていない二人を連れて蓉子さまが更衣室へと入っていくのだった。残った私たちは立ち稽古の準備の為に、衣装姿のままごそごそと必要な小物なんかを用意して練習に備える。手持無沙汰そうな柏木さんには申し訳ないけれど、お客さんであるが故にこういうことをお願いできない。力仕事ならばお願いするかもしれないけれど、そういったものは先に済ませてあったのだ。こういう気遣いは薔薇さま方からの提案なので、見習いたい所だけれど鈍い私が気付くかどうか。

 

 「結構似合ってるね、その衣装」

 

 手持無沙汰になったのか、いつの間にか私の横には聖さまが立っていて。

 

 「ありがとうございます。でも聖さまの方が私より似合ってますよ」

 

 「ありがと」

 

 うん、きっとファンの子たちは卒倒ものだろう、そのくらい男装が嵌っているというかなんというか。令さまほどではないにしろ、女性にしては高い身長と中性的な顔立ちだから余計にソレを際立たせているのだ。

 この派手な衣装を着こなしているということもあるだろうか。私の場合は衣装に着られていると表した方が的確で、本人よりも衣装の方が目立ち『馬子にも衣装』という言葉がぴったりなのである。そんなことを考えていると、苦笑いをしながら聖さまの両手が伸びてきて私の眼鏡を奪ったのだった。

 

 「眼鏡、本番でどうするの?」

 

 眼鏡の補正を失った途端に世界がモザイクに染まり、眉間にしわが寄るのが分かる。慣れない勉強になんて打ち込んで、多少は頭が良くなったのはいいことなのだけれど、視力がかなり落ちたのは頑張ったというのに酷い仕打ちだろう。

 

 「流石に雰囲気に合わないでしょうし、コンタクトに変えます。……というか眼鏡返してください」

 

 「はは。樹ちゃん仏頂面になってるー」

 

 「見えないんだから仕方ないんです」

 

 おそらくからからと笑った聖さまが目の前に立っている筈なのだけれど、生憎とその顔はぼやけて見えており、シルエットでしか誰か判断できない状態だ。

 

 「うわっ、なにこれ、きっつ」

 

 「視力良いのに、そんなことをするからですよ。ほら、返してください」

 

 どうやら聖さまは興味本位で私の眼鏡を掛けたようだ。すぐさま掛けた眼鏡を取り払ったのは、当然だろう。視力の良い人に、視力矯正したところで悪くなるだけなんだし。

 

 「聖、樹ちゃん、遊ばないの」

 

 「げ、江利子」

 

 「すみません」

 

 いつもなら陣頭指揮は蓉子さまなのだけれど、祥子さまと祐巳さんの着替えに付き添っている為、この場の指揮権は江利子さまへ移譲されている。手が止まっていたのは事実だし、一言添え軽く一礼しておいたのだけれど私の横に居るはずの聖さまは、注意されたことに納得していない模様で。

 

 「聖さま、眼鏡返してください」

 

 「ああ、ごめん。はい」

 

 三度目の正直でようやく眼鏡を返してもらえて、ようやくモザイクの世界からいつも通りの世界へと戻るのだけれど、つまらなさそうに両手を後ろに回して江利子さまの言葉にどこ吹く風の聖さま。

 

 「ほら、さっさと済ませてしまいましょう」

 

 「へーい」

 

 私の言葉でようやく動き始めた聖さま。どうやら江利子さまの言葉に従うのは、不服だったらしい。仲が良いんだか悪いんだか良く分からない関係だと、横目で見ながら作業をしていると三人の様子を見てくると江利子さまが言い残して、更衣室へと向かっていく。細々とした作業はこれといって困ることもなく終わってしまい、あとは着替えに向かった祥子さまと祐巳さんを待つばかり。何をしているのか分からないけれど、どうも時間が掛かっているような気がする。

 

 「お待たせして申し訳ございません」

 

 ようやく更衣室からでてきた祥子さまが、対外向けに、ようするにお客様である柏木さんに謝罪をして、ようやく立ち稽古が始まったのだったけれど、今日はダンス部の人たちが居ないので一人で踊る羽目になったのはご愛敬。この場に私は必要ないよねと苦笑いしながら一人で踊っているのだけれど、祥子さまは男嫌いが発動しているのか、大丈夫かと心配になるほど怪訝な顔でやる気のないまま柏木さんとペアを組んで踊っていた。

 

 「はい、十五分休憩」

 

 蓉子さまの言葉で音楽が止まると自然とみんなも踊りを中断した瞬間、祥子さまが突然走り出して体育館を出ようとすると、それを令さまが阻止したのだった。

 

 「祥子、嫌なのは分かったけれどもう少し笑顔を見せたら? あれじゃあ観客が引くよ」

 

 「本番ではちゃんと笑うわよ」

 

 令さまが掴んだ手を振り払い立ち去る祥子さまを、祐巳さんが心配そうに見送っている。その心配そうにしているその背を押し出したのは、先程祥子さまに苦言を呈した令さま本人で。それに推されるように何も言わないまま祐巳さんもこの場から去っていったのだった。シンデレラから逃げられた王子さまは何も言わずに立っているだけだ。まだ若いのに祥子さまのあの行動を見逃すなんて、しっかりしているのだろう柏木さんは。客人である柏木さんにかなり失礼な態度を取っているのだけれど、それがわからない筈もないのに祥子さまの行動には不可解な部分が多すぎる。生粋のお嬢様だから社交ダンスも習っていたと聞いたから、男性と踊った事だってあるはずだし、潔癖だと言うのならそもそも手を握り腰に手を廻された段階で拒否しそうなものだけれど。

 

 「ごめんなさいね、柏木さん」

 

 とまあ妹の不手際を謝るのは、姉の蓉子さまとなるのは当然で。

 

 「いえ、なにか理由があるのかもしれませんし、問題はありませんよ。それに僕が気付かないうちに彼女になにか嫌われるようなことをしたのかもしれないですから」

 

 にっこりと微笑み蓉子さまの方へ向き直って柏木さんはそんなことをのたまい、それを理由に彼女と少し話がしたいからと体育館を出ていった。女子校に男性を解き放ってもいいものだろうかと考えたけれど、柏木さんは花寺学院生徒会長という肩書があるから悪いことは仕出かさないだろうし、薔薇さま方も了承したのだから口にはさむべきことじゃない。主役不在の為に、することもなく待ちぼうけ状態で。暫くすると祐巳さんが不安そうな顔を抱えて戻ってきた。

 

 「祥子は?」

 

 「あの、柏木さんとお話があるって……」

 

 「主役の二人が居ないんじゃあ稽古にならないわね」

 

 「まあ、少し待ちましょう」

 

 蓉子さまの一声で待つことに決めたのだけれど、随分と時間が経つ。戻ってこない二人に段々とみんなに焦燥が漂い始め、窓から差し込む光が茜色に変わり始めた頃、祥子さまと柏木さんふたりしてエスケープしたのではないかと声が上がる。

 

 「祥子はそんな子じゃないわ」

 

 その声をきっぱりと強い声音で否定したのは蓉子さまだった。その声に周りのみんなもはっとして平静を取り戻し、二人を探そうとなりみんなが一斉に走り出す。流石に私も行かない訳にはならないので、一緒に走り出したのだけれど、祥子さまと柏木さんが二人して行きそうな場所って何処だろうか。学園内には居るはずだけれど、ここの敷地は広大でたった二人を探し出すには苦労だろうし、時間も経っているから体育館の近くになんて居ないだろう。

 

 「銀杏、くっさ」

 

 足元を気にする暇もないまま駆け出し、校内をウロウロとさ迷っていると銀杏並木に差し掛かっていたのか、かなり臭う。衣装の靴のままだから、被服部の人たちには申し訳ないと思いつつも二人を見つける方が先決で。マリア像の前に差し掛かると、派手な衣装に身を包んだ一団を見つけ、その中に祥子さまと柏木さんの姿があったのを確認できたので、ようやく酷使していた足を止めることが出来たのだった。

 

 「調子に乗るのお止めになったら」

 

 マリア像の前までゆっくり歩いていくと、ぱんと乾いた音が響き、祥子さまが辛そうな声で一言苦言を柏木さんに投げてその場を去っていき、すぐさま祐巳さんが後を追行けかけていった。

 

 「さっちゃんっ!」

 

 更にその後を追いかけようとした柏木さんを聖さまが止めて、去っていった二人を見守るのだけだった。

 

 ――一体何が起こったんだろう。

 

 タイミングを逃して、こうなってしまった理由を全く知らないまま、何故か銀杏臭を醸し出している柏木さんを不思議に思いながら、薔薇さま方に囲まれる彼にご愁傷様と手を合わせるのだった。

 

 ◇

 

 柏木さんが祥子さまに引っ叩かれる前にひと悶着があったようで、何故か柏木さんをみんなが敬遠しているので、柏木さんの相手を務めるのを山百合会の下っ端の私に丸投げされたのだけれど、嫌がらせなのだろうか。とはいえ柏木さんは紳士的な態度で不快感はないのだけれど、理由を知れば私もみんなの様な態度になってしまうのだろうか。

 

 「やれやれ、酷い目にあったよ」

 

 祥子さまに引っ叩かれたことなのか、銀杏塗れになってしまったことなのか判断に困ることを言わないで欲しいのだけれど。

 

 「銀杏の臭いは重曹でとれるそうですよ」

 

 制服へ着替えた柏木さんは、まだ臭いが気になるのか腕を嗅いでいた。そんな姿も様になってしまうのだから、イケメンは羨ましい。あとは彼を校門まで送り届ければ、今日の仕事は終わりである。被服部は明日、強烈な臭いに染まった衣装に滂沱の涙を流す羽目になりそうだけれど。

 

 「へえ。――君は僕のことを避けないのかい?」

 

 数時間前とは少し砕けた様子の柏木さんは、私を面白そうな目で見ている。

 

 「避けないといけない理由が今のところありませんし、柏木さんを送り届けるのは仕事ですからね」

 

 「でも、彼女たちは僕を避けているだろう」

 

 「見ていないので知りませんが、貴方がなにかを仕出かしたからでしょう」

 

 「君ははっきりと物事をいうんだね」

 

 「気に障ったのならすみません。ただ、過ごした時間は柏木さんとは違って長いから、どうしても山百合会の人たちの肩を持ってしまうのは当然です」

 

 「それはそうだ。さあ行こうか」

 

 ふ、と笑って歩き出す柏木さんの後を取り合えずついて行く。足が長いので追いつくのが大変だけれど、それに気が付いたのか少し速度を緩めてくれたのだった。こんな所まで紳士だとは。祥子さまが嫌う理由がわからないのだけれど、まあ私が見えていないだけで、彼に何かあるのだろう。マリア像の前を通り過ぎ、銀杏並木を抜けてようやく正門へと辿り着く。

 

 「今日はありがとう。それじゃあ、また」

 

 「お疲れ様でした。また、よろしくお願いします」

 

 立ち稽古一回では流石に無理があるので、彼はこれから何度か練習の為にリリアンに訪れるし、本番もあるから愛想は振りまいておいた方が得だろう。軽く手を上げて去っていく背を見送り、元来た道へと帰る。

 

 「銀杏、臭うなあ……」

 

 さっきから嗅ぎ続けているのだけれど、慣れることはないこの臭いに苦笑いが漏れるのだった。

 




 6769字

 この作品のオリ主に眼鏡取ったら超美人とか、そんな補正はないのです。そういえば柏木さんは何処ですっ転んだのだろうか……。あと私は柏木さんのことはそんなに嫌いじゃないので、大嫌いな方はブラバ推奨ですかね。
 アニメだと学園祭シーンぶった切られていましたが、ちょっとオリジナル展開いれて一話分消費する予定。薔薇さま方と絡みたいんだけれど、それをやるとオリ主がヘイトを稼ぐ仕様になってるので笑えないーw


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第二十九話:染まりゆく自分と学園祭①

 後から聞いた話になるけれど花寺の生徒会長である柏木さんが祥子さまの婚約者と知り、親同士の決めた契約で人生を左右される上流社会の住人は大変だなと遠い目をしてから幾日が経ち。山百合会主催の劇の立ち稽古に参加すること数度、もう学園祭は目の前に迫っていて。書類仕事やら関係各所との取次に劇の練習と鬼のように忙しい日々が過ぎている。今日もこれから学園中を駆け回らないとならないらしく、薔薇の館で仕事前のお茶で気合を入れている最中で、上級生たちはまだ来ていないから下っ端である一年四人だけだった。

 

 「樹さんは学園祭、誰を誘うの?」

 

 こてんと首を傾げると彼女のトレードマークであるツインテールも一緒に揺れ。

 

 「あ、すっかり忘れてた。入場制限設けているんだっけ、リリアンって」

 

 お嬢さま校らしく不特定多数の人間が学園内に入ることは良しとせず、在校生に入場券を配布し名前を記入させるという徹底っぷりで。そのチケットにプレミアムがついて高く売れるだなんて実しやかな噂もあるけれど、お金持ちの親が多いこの学園でそういうことをする生徒は限りなく少ないだろう。

 

 姉がリリアン女学園在学時に、両親と一緒に連れられて学園祭に参加していたことをふと思い出す。あの時は姉の友人たちに囲まれ迫力の美人オーラに縮こまっていた記憶があり、住む世界が違うとむざむざと見せつけられ驚いていたのをしっかりと覚えている。私が初等部からの入学を頑なに嫌がった原因の一端だったけれど、おそらく家族は気付いていない。

 

 「ウチの家族がみんな欲しいって言ってたから、その分は確保しておかないと。あとは中学の時に仲の良かった子が行ってみたいって連絡寄こしてきたからその子に、かな。祐巳さんは?」

 

 配布枚数で足りないと、クラスメイトや仲の良い子に融通してもらうそうだ。名前を記入しなきゃならないから、信頼のおける人にしか渡せないという縛りもあるから大変。

 

 「ウチも似たようなものかなあ。家族の分は確保して、あとは弟のお友達に」

 

 「祐巳さん、弟さんが居たんだ」

 

 「うん、同学年なんだけれどね。樹さん御兄弟は?」

 

 一瞬同学年と聞き双子なのかと考えが浮かぶけれど、早生まれと遅生まれだと同学年になるのも可能だなと思いなおして、聞き返すのを止めたのだった。

 

 「十歳離れた双子の兄と姉がいるよ」

 

 「なんだか意外。妹さんか弟さんが居そうなイメージがあったんだけれど」

 

 「へえ、私ってそうみられるんだ」

 

 「あ、気に障ったのならごめんなさい」

 

 「これくらい構わないよ。てか妹とか弟がいそうなのって、由乃さんと志摩子さんのイメージが強かったんだけれどね」

 

 「あ、それはそうかも」

 

 今この場に居るのは一年生だけなのだし、会話を二人だけで広げるのも勿体ないだろうと輪を広げてみる。勝手な想像だけれど、話のネタにはなるだろう。

 

 「そうかしら?」

 

 「……そうなの?」

 

 祐巳さんと私とで話していたのに、急に話題を振られて一瞬驚いた様子を見せた由乃さんと志摩子さんは、ティーカップをゆっくりとソーサーの上に置いて目をぱちくりさせて、由乃さんの不思議そうな声と微笑んでいる志摩子さんの声が続いたのだった。

 

 「うん。勝手な思い込みだったけれど、二人に初めて会った頃ははそんな感じがしたかなあ。今じゃあいろいろと知っていることが増えたから、イメージで決めつけるのって良くないよねえ」

 

 由乃さんは一人っ子で、志摩子さんにはお兄さんが居るそうだ。本当に人は見かけによらないというかなんというか。兄妹の話や家族の話で盛り上がっていると、上級生たちがようやくやってくる。彼女たちの分のお茶を淹れて、しばらくすると今日も鬼のような量の仕事を一つずつ捌いていくのだった。

 

 ◇

 

 ――ただいまより、一般入場を開始いたします。

 

 大役を任せられたから今から緊張していると数日前にボヤいていた放送部部長の開会の合図とともに、今年のリリアン女学園高等部主催の学園祭が始まった。放送部部長のアナウンスはまだ続いていて、生徒に向けた説明と来場者へ向けられた説明が続いていたのだった。さて、これから時間まで何をしようかと教室を出る。

 トップの子に言い渡された通り、一年藤組が主催する展示会に参加は殆どしていない。準備をちょこちょこと手伝っただけで終わってしまったのだ、楽で良いのだけれど少し寂しく感じてしまうのは仕方ない。クラスの主なメンバーには手伝えなくて申し訳ないと頭を下げているのだけれど、トップの子による暴走だと事情を知っているからか誰も私を責めたりはせず苦笑いを浮かべているだけだった。

 

 「樹さん、今日の山百合会主催の劇、楽しみにしているわね」

 

 「私は端役なので、祥子さまや花寺の生徒会長に注目した方が目の保養になりますよ。王子さまはかなりのイケメンですから」

 

 廊下を歩いている最中に、薙刀部の部長さんに声を掛けられたのだった。各部活やクラス委員の人たちと山百合会との橋渡しをしている所為なのかどうかは分からないけれど、こうして上級生と私的な会話を交わすことが以前よりも多くなっている。数度会話を交わすとウチのクラスで出し物をしているから是非来てねと、タダでチケットを渡される。それでは申し訳ないからとお金を払おうとすると、下級生なのだから遠慮なく受け取っておきなさいとお姉さまオーラを出されて、受け取るしかなった。

 薙刀部の部長さん以外にも、他の上級生たちから同じようにチケットを渡されている。回るの大変だなと苦笑しながらも、現金な私はタダで美味しい思いが出来るなと顔がニヤけてくるのが分かる。中学時代の友人と交わした約束の時間まで少し時間があるから、せっかくだし貰ったチケットを使っておこうと三年生の教室を目指す。まだ開場したばかりなので、一般のお客さんの数はまだ少ないので迷惑にもならないだろう。

 

 「あら、樹ちゃんじゃない」

 

 「蓉子さま、ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう。貴女が三年生の教室に顔を出すなんて珍しいわね」

 

 確かにもっともな質問であるけれど、今回はキチンとした理由があるのでここにいる訳で。というかココが蓉子さまの教室だったのかと、入り口上に付けられているプレートに目をやったのだった。初めて知る事実を記憶に刻み付けながら、この人は山百合会の仕事の他にクラスの出し物にもきっちりと関与していることに筋金入りの真面目さだと改めて思いなおす。

 

 「薙刀部の部長さんやらにチケットを貰ったんですよ。約束もありますし混まないうちに使っておかないと、せっかく頂いたものが無駄になってしまいますからね」

 

 山百合会の劇にも参加しなくちゃならないし、中学時代の友人とも会う約束をしているし、家族とも会わなくちゃいけないので結構忙しいスケジュールとなってしまった。

 

 「貴女、いつの間にか上級生の間で顔が広くなっているわね」

 

 「ええ、これも蓉子さまたちが私をこき使ってくれているお陰で、部活やら委員会関係の人たちとも縁が出来ましたから」

 

 入り口の受付で座る蓉子さまが、手を口元に持っていき笑っているのだけれど蓉子さまの横に座っているクラスメイトであろう三年生がぎょっとした顔をした。このくらいの憎まれ口なら彼女は気にしないし、時折煽ってくる場合もあるのだ。薔薇さまにこんなことを言う下級生がほぼ居ないだろうから、隣の人の驚きは理解できるけれど、そんなに驚かなくてもいいのに。

 

 「いいことじゃない」

 

 「それはそうかもしれませんが、色々と目立ってしまうのは遠慮したい所ですね」

 

 体育祭の時よりも上級生と私的な会話が増えているのだけれども、この状況は好意的に捉えていいものかどうか。一歩間違えればトップの子が増えてしまいそうで怖いのだけれど、その気配は今のところ感じないのであとは私が何かを踏み間違えなければ良いだけなのだけれど、実行できるかどうかが謎。

 ま、運は天に任せるしかないなと苦笑しながらチケットを蓉子さまに渡すと、丁寧に切り取り線に沿って半券を私に返してくれたのだった。そうして『初めての学園祭、楽しんでらっしゃい』と奇麗な微笑みで返され私は一つ頷く。

 

 「ああ、劇の時間に遅れないようにね」

 

 「……善処します」

 

 聖さまや小さな子供じゃあるまいに……と感じてしまい返事がおざなりになると、それを感じ取ったのか蓉子さまが更に口にしたのは私が悪かったのだろうか。

 

 「遅れたら、放送部の子に頼んで呼び出ししてもらおうかしら」

 

 「迷子の呼び出しじゃあるまいし、勘弁してください」

 

 少し意地悪さを含んだ声に片眉が上がりながらまた憎まれ口をたたく私に『冗談よ』と返してくれたのだけれど、私以外の人に彼女はこんなことを言うのだろうか。何故か不本意な思いを抱えながら蓉子さまのクラスの出し物を堪能して、貰ったチケットを消費しようと次へと向かうと江利子さまにばったり会って蓉子さまと同じことを言われたり、後で聖さまにも会いまた同じことを言われ。

 部活の長である三年生と顔見知りになったのは、貴女たちが私に山百合会の雑用を押し付けるからだと苦言を呈しても、二人はどこ吹く風で。いつもの事だけれど、薔薇さまと呼ばれる人がこんな人たちでいいのだろうかと疑問だ。

 とはいえ蓉子さまのお陰で成り立っているのだし、江利子さまと聖さまもやる時はやる人だし一人前以上の結果を出してしまうので教諭陣やシスターから苦言を出されていないのだから、これでいいのかも知れない。薔薇さまと呼ばれている三人に振り回されているけれど悪い気はしないのは、彼女たちの魅力に惹かれてしまっている一人であるからなのだろうか。

 

 ――いやいや、ないない。

 

 心で軽く否定しても何処か納得している自分も居たりして。上級生から譲り受けたチケットを消費した私は腕時計の文字盤に視線をやり、頃合いだなと友人との約束を果たす為に正門を目指す為、三年生の教室から去ったのだった。

 

 「うぐちゃん、久しぶりっ!」

 

 人波に埋もれながら銀杏並木を歩いてきた私を目ざとく見つけて、満面の笑みを向けて私の愛称を呼び走って近寄ってくる少女が一人。鵜久森だから上の音二つを取って『うぐちゃん』と呼び始めたのは、彼女が一番最初で回りの女子たちもそれに流されて真似するようになったのは、目の前で満面の笑みを携えている彼女の人柄故なのだろうか。

 

 「うん、夏休み以来だからね。……てか、銀杏踏んで臭くなるから気を付けて」

 

 「うっ……、電話で先に教えておいて欲しかったよ」

 

 臭い取り大変だなあと愚痴を零す彼女は中学時代の三年間ずっと一緒のクラスだった子だ。どうにも孤立気味だった私を一年生の時に、無理矢理輪の中に溶け込ませたという荒業をかましてくれたのだ。小柄で可愛らしい外見に人懐っこく誰とでも喋る性格であるが故に、クラス内での人気者で男子連中にも受けが良かった彼女は、当時あまり同年代の子たちと関わることを良しとしていなかった私を変えてくれた人物でもある。

 

 「ごめん、ごめん。入場手続きは済ませたんだよね?」

 

 会って手渡しをしたかったのだけれど、二人の都合がつかなかったので仕方なく郵送でチケットだけを彼女の家宛に届けてもらったのだ。学園まではバスを使えば迷わずこれるだろうから心配はしていなかったのだけれど、無事に入場手続きは済んだようなのでこうして学園内で会えているのだろうけれど。

 

 「うん。まさか名前書くだなんて思わなかった。流石お嬢さま校――というかうぐちゃん、制服弄らないの?」

 

 「この環境下でそんなことをする勇気はないかなあ。やったらやったで直ぐに生徒指導室に呼び出しされるだろうし」

 

 「うわあ、息が詰まりそう」

 

 肩をすくめて屈託なく笑う彼女に苦笑する。中学時代も可愛らしく目立っていたのだけれど、高校に入ってからアルバイトを始め自由なお金が手に入るようになり化粧や染髪、服飾に力を入れているようで容姿に磨きが掛かっており、随分と印象が変わり可愛いから美人へと変貌していた。沖縄出身の女性人気アーティストが好きで、真似しているようだ。街中にも同じような格好をしている若者が蔓延っているので、そういえばそんな時代だったなあと懐かしい。

 

 「みんな真面目だからねえ。あ、何処から回る?」

 

 「何か食べたいかな。朝、抜いてきたし」

 

 お腹が空いているのか彼女は腹に手を充てて撫でていた。それならばと飲食を多く出しているエリアへと移動しながら、最近起きたことを彼女が面白可笑しく喋っている横で、私が聞き手に回るのはいつもの事で。あれが食べたいこれが食べたいと彼女が気になった出店に寄りつつ、色々な場所へと闊歩していた時だった。

 

 「ねえ、うぐちゃん」

 

 「ん?」

 

 「なんだか視線を感じるんだけれど、気の所為かなあ……」

 

 彼女の言葉でふと気付く。山百合会に関わることになってから視線の多さに辟易していたというのに、悪意を含まないものには随分と鈍くなっていた。だから今日も向けられる視線を一切合切無視できていたのだけれど、どうやら横に立つ友人は気になるようで。

 

 「あーまあ、目立ってるかもね。原因は周り、見てみりゃわかるかも」

 

 学園生は仲の良い友人同士で回っているが為にリリアンの制服を身に纏っている一方、私たちは制服姿と私服姿なのだ。それに私の横に立つ彼女は幼い容姿ながら、染髪もしているし目立つピアスも付けている。

 来場者も学園の性質上、裕福な人たちが多いが為に身なりもかっちりしていて。だからこそ私たちの組み合わせは目立っていて、視線を受けやすいのだ。街中に出れば彼女くらいの見目の派手な子は沢山いるというのに、この学園内となると物珍しさからくる好奇の視線を受けるのだから、彼女の言葉は仕方ない。

 

 「浮いてるかな、私」

 

 「この学園内に限っては、だね。外に出ると私たちの方が目立ってるよ」

 

 この学園の制服を着て外を闊歩すると、よく視線を受けるのだ。リリアン女学園が近い場所ならば、長年見慣れている光景として受け入れられているけれど、学園から離れれば離れるほど珍しいのか視線をもらうのだ。

 

 「リリアンの制服って、何処にいても目立つもんね」

 

 「だよね。せめて三つ折りの靴下とスカートの長さだけでも変えて欲しいんだけど……」

 

 視線を下に向け、スカートをひらひらさせると横に立つ彼女が苦笑した。昭和から平成と変わってから数年が経っているというのに、いまだにこの学園は古き良き伝統として制服を一新する気配がない。在学中は無理だろうと諦めているので、いつになれば変わるのか楽しみではあるのだけれど、さてはていつになるのやら。

 

 「お嬢さま校を売りにしてるんだから、無理じゃないの?」

 

 「そうかなあ。ここの人たちって品が良いから所作だけでも同年代の子たちと差があるし、スカート短くして黒のハイソックスでも十分お嬢さまを演出できるはずだけれどねえ」

 

 自分に似合うかどうかは別として、みんな似合うはずだ。というか美人とか可愛い系の人が多いから、何でも似合うというのもあるけれど。そんな他愛のない話を交わしながら視線を感じつつ食べ歩きをしながら、興味のあるアトラクション系の出し物に挑戦したり、展示物をゆっくり眺めたりと楽しんでいると、偶然に彼女たちと出会ったのだった。

 

 「ごきげんよう、樹さん」

 

 「ごきげんよう、祐巳さん、祥子さま」

 

 「ごきげんよう、樹さんのお友達かしら?」

 

 幸せそうに笑っている祐巳さんと、いつになく上機嫌な祥子さまと偶然鉢合わせ、友人を紹介する運びとなったのだった。

 

 「ええ、中学の頃からの。ここの学園祭に興味があるって言ってたので、誘ったんです」

 

 「そうだったの。楽しんでいらしてね」

 

 営業スマイルなのかどうか分からないけれど祥子さまが微笑みを友人へと向けると、固まっていたので肘をついて意識を呼び起こすと、どうにか再起動して。

 

 「は、はいっ。ありがとうございます」

 

 ぐっと頭を下げる友人はどうやら祥子さま独特の洗練された雰囲気に呑まれたらしく、珍しく緊張している様子だった。長話をする気は元々なかったのか、言葉を数度かわしただけで直ぐに別れたのは二人の気遣いだったのだろう。先を行く祥子さまの後を追いかける祐巳さんが小さく手を振っていたので、私と友人は手を振り返したのだった。

 

 「すっごい美人っ。あんな奇麗な人、生で初めて見たかもっ!」

 

 「あー女優さんとかにも負けてないよね、祥子さま」

 

 「『さま』ってなに? というか『さま』付けで呼んでるの? え、マジで? あり得ないんだけれどっ!」

 

 「あり得るんだよね。これがまた」

 

 彼女の反応に、四月に入学した頃の私のようだなと遠い目をしながら、リリアン独自のルールにぎょっとしている友に学園のしきたりを説明すると、驚いた顔を見せ興味があるのか根掘り葉掘り聞かれて。姉妹制度も珍しいのか興味深そうに聞いているけれど、結局最後には『うわ~、なにそれ面倒なだけじゃん』と元も子もないことを言っていた。

 

 「あ、ごめん、もう行かないと」

 

 ふいに腕時計の文字盤に目をやると集合時間に迫っており、遅れると本気で放送で呼び出しされかねないことに内心焦りながら、友人に告げた。

 

 「生徒会主催の劇に出るんだっけ?」

 

 「うん。台詞もなにもないし踊るだけだから気楽だけれどね」

 

 「そっか。前言ったとおりバイトの時間があるから最後まで見れないのは残念だけれど、頑張ってね」

 

 「ありがと。内容、シンデレラだし面白いかどうかわからないけど、楽しんでいって」

 

 「うん。男装したうぐちゃん、楽しみ」

 

 にししと笑って歯を見せる友人と別れて薔薇の館を目指そうとしたその時、一瞬黄色い声が沸き上がり二人してそちらへと視線を向けると人だかりが出来ていた。

 

 「あれ、なんだろう? みんな集まっているけど、さっき通った時何もなかったよね……」

 

 友人の疑問に目を細めて人だかりを注視すると、その輪の真ん中には蓉子さま、江利子さまに聖さまが囲まれていて。

 

 「ああ、生徒会役員の人がみんなに捕まったみたいだね」

 

 「ん? 生徒会の人があんなに囲まれたりするものだっけ。ウチの学校の生徒会の人なんて、顔も名前も知らないし興味もないんだけれど」

 

 普通なら、確かに気にしないだろう。生徒会長や役員の人たちが行動派で目立っているのならばともかく、この学園の生徒会は一年生ですら注目され動向を見られているのだし。ああ、この学園の生徒会はやはり面倒なものだなと改めて認識しながら、頭に疑問符を浮かべている友人に説明を開始すると、お嬢さま校って大変なんだねと苦笑いを浮かべている。いまだに解ける気配をみせない人だかりが、丁度私たちのいる直線状の位置だけが偶然に解け、隙間から三人の姿がようやく見ることが出来たのだった。

 

 「うわ……さっきの人も美人だったけれど、あの人ごみの中心に居る三人も凄い奇麗な人たちだね……」

 

 呆れているのか羨ましいのか、どちらなのか分からない友人は苦笑を顔に貼り付けている。何故だか山百合会の人たちは美人処が多いのは不思議だ。連綿と続いているだろう歴代の薔薇さまたちも、今の山百合会のメンバーに負けず劣らずの美人なのだろう。母や姉の話でも口をそろえて、奇麗な人たちだったと答えてくれたのだし。

 ぼけーと眺めていた人だかりの隙間から、私たちの視線を感じ取ったのか目敏く気付いた聖さまが江利子さまの制服の袖を軽く握り、私たちの方を指差した。

 

 「げ」

 

 彼女たちが私を指を指したことはまだ良いのだ。問題はそれに気付いた生徒らである。まだ一人で居たのならば問題は軽かったのだけれど、学園外の友人と居ることが不味い。

 

 「どうしたの?」

 

 ばっちり二人に見られているので、遠目からでも黙って去る訳にはいかず軽く頭を下げ、横にいる友人の手を握る。

 

 「いや、なんでもないよ。行こうか」

 

 「え、あ、うん」

 

 向けられた視線から逃れ、ようやく人心地がつくと友人に一応の経緯を説明しておく。それを聞いて驚いた様子を一瞬見せて、のち苦笑いに変わると言い放つ言葉は、ここの所よく聞く言葉。

 

 「なんだか大変そうだね、うぐちゃん」

 

 そして他人事のように言い放たれるのも、もう慣れてきてしまった気がする。頑張れ、と私の肩を二度叩く友人に『助けて』と冗談を吐くと『無理』と短くあっさりとそんな返事を頂いて、お互いに再会を誓い別れるとふと立ち止まる。

 

 ――染まったなあ。

 

 驚きだらけの入学当初にくらべ、過行くこの日々に随分と染まったものだなと感慨深く秋晴れの空を仰ぎ見たのだった。

 

 




 8212字

 更新ペースを落としたいと思います。毎週日曜日の十七時更新目標で。┏○))ペコ
 
 すみません、学園祭の入場チケットの配布枚数が記憶がおぼろげなのと、生徒の名前を記入するのは覚えていたのですが、入場者の名前って必要だったのか覚えていないので誤魔化しております。あと学園祭の話はもう一話くらい消費しそうです。助長になるのはいつもの事ですが予定は未定……orz

 


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第三十話:学園祭②と白薔薇さまと銀杏王子

 更衣室は演劇部とダンス部や有志の人たちに先に開放されるので、山百合会のメンバーは時間差をつけて最後に着替えることとなっていた為に、集合場所は慣れ親しんだ薔薇の館である。友人と別れて喧騒から遠のいている薔薇の館のいつもの部屋へ入ると由乃さんと志摩子さんが既に来ており、ごきげんようと掛けられた声にごきげんようと返す。まだ少し時間には早い為か、二人はお茶を淹れてゆっくりしていたようだった。

 

 「樹さん、初めてのリリアンの学園祭はどう?」

  

 自分が飲む為のお茶を淹れていると、背中から由乃さんの声が聞こえてきた。

 

 「いつもより騒がしいけれど、やっぱり落ち着いた雰囲気があるよね。この学園のイベントって」

 

 「そうかしら?」

 

 普通の学校だと羽目を外して馬鹿騒ぎをしている男子とか、大勢と徒党を組んで大移動をしている女子とか見るけれど、この学園だとそんな景色は当然のようにない訳で。教育の差って偉大だなあと感じつつも、あのどこか懐かしく若者らしいエネルギー溢れる喧騒も知っている身としては少し寂しくもあるのだけれど。

 

 「中学の時なんて、徒党を組んで馬鹿騒ぎしながら回ってる男子とか居たからね」

 

 「なんだか楽しそう」

 

 目を細めながら笑う由乃さんと、少し驚いた様子を見せた志摩子さん。どちらもはかなげで大人しい外見の二人は、それぞれ反応が違っていて面白い。由乃さんとはよく話すので、大分彼女の人となりは見えてきている。外見の大人しい雰囲気と中身とは大違いで、随分とさっぱりとした性格をしているから『楽しそう』と語った言葉は彼女の本心だろう。

 志摩子さんも大人しい見た目ではあるが、その心根は強い人だ。私の言葉に何を思ったのかは分からないけれど、駄目なものは駄目だと言ってしまえる人だから、単純に見たことのない光景を想像したのだろう。

 そうして三人でお茶を飲んでいること暫く、祐巳さんと祥子さまがやって来た。少し遅くなったことに謝罪をしながら、部屋へと入ると祥子さまと目が合った。

 

 「樹さん、先程の方は?」

 

 「劇があるので別れましたよ」

 

 「……そう」

 

 ゆっくりと目を伏せて何かを考える様子を見せる祥子さまを、心配そうに祐巳さんが見ているけれど一体何だろうか。

 

 「樹さん、あまり言いたくはないのだけれど、ああいう方とはお付き合いを控えた方が良いのではなくて?」

 

 ああ、やはり。――彼女の言い放った言葉は、あらかた予想が付いていた。この学園では滅多に、いや見ない部類の友人の外見はとても目立っていたのだから。連れてくるべきではなかったのだろうかと一瞬頭の中によぎるけれど、友人は学園祭を楽しんでいたのだから、間違いではなかったのだろう。

 反省すべきはこの学園の人たちが友人をどういう目で見るのかを思い至らなかった私の浅はかさだろうか。この学園の生徒からみれば私の友人は『不良』の類に見えてしまうのだろうけれど、彼女は一応チケットを用意して正規に入場した客人なのだ。主催者側に属する生徒にはもてなす必要があるし、邪険に扱えばこの学園の品に関わるから表立って行動に出る生徒は居なかったのだが。

 

 「……分かりました。考えておきます」

 

 声に出して苦言を呈したのは祥子さまらしいのだけれども、友人との付き合いを改めるつもりはない。が、祥子さまとも関係を疎かにするつもりもなく。当たり障りのない言葉で場を有耶無耶にしてしまおうとするのは、私が擦れた人間故だろうか。

 本来なら、友人の良い所を述べ外見に捕らわれるべきではないと諭すべきなのだろうが、そうすると祥子さまも私もどちらも譲らない展開となってしまいそうな気がするのだ。不毛な争いを好むほど若くはないし、これから一仕事があるのだからここで体力を使う訳にはいかないし、一触即発の空気を感じ取って不安そうな顔をしている一年生組に悪いだろうと自分を納得させ、いつの間にか握りこんでいた両の拳を解いたのだった。

 

 「ええ、そうして頂戴。その方が貴女の為にもなるのでしょうから」

 

 祥子さまの性格を考慮すれば分かっていたこととはいえ、こうストレートに口に出されると受け入れ辛いというかなんというか。彼女に悪意がないのは明白で悪気も何もないのだし、重くとらえる必要もないのだけれど、それでも心の隅に何か引っかかるものを感じてしまうが首を振って無理矢理に振り払い、二人分のお茶を用意しようと流し台に立つ。

 

 「大丈夫?」

 

 いつの間にか私の横に立っていた志摩子さんに顔を覗かれながら音量を下げた声でそんな言葉を掛けられた。

 

 「うん、大丈夫、大丈夫」

 

 肩眉を上げて無理矢理に笑うと、少し困ったような何とも言えない顔を志摩子さんは作り上げ『そう』と私の言葉に短く返してくれたのだった。

 

 「――ごきげんよう」

 

 何の前触れもなく部屋へと入ってきた令さまの声で少し重かった空気が霧散し、数分も経たずに三人の薔薇さまたちがようやくやって来る。そうして先輩たちのお茶を用意して飲み終わると蓉子さまの一声で、部屋を出てぞろぞろと体育館の更衣室へと向かう。道中、見知らぬ生徒から『頑張ってください』『楽しみにしています』などと口々に声を掛けられる山百合会のメンバーの最後方で、ぼんやりとその背を見ながら歩いていく。

 

 「樹さんっ」

 

 「うん?」

 

 私の少し前を歩いていた祐巳さんが一度足を止めて私の名を呼び、横に並ぶと再び歩調を合わせて歩き始めた。彼女もまだ山百合会のお手伝いとして出入りしている生徒だから、役職持ちの人と比べ生徒から声を掛けられることは少ない。

 

 「あの、えっと……さっき祥子さまの言っていたことなんだけれど……」

 

 「アレの事なら気にしてないよ」

 

 少し時間が経ち平常心はもう取り戻しているし、祐巳さんが気にする必要もないのだから。

 

 「でも、上手く言えないけれど……お友達のことをああやって言われたらって思うと……」

 

 あの子を連れてこの学園を闊歩すれば、どういう目で見られるのかは予想はついていたので友人の頼みじゃなければ連れて歩かなかったし、もし誰かから頼まれてもチケットがないからと断るつもりでいたのだ。

 

 「祥子さまに悪気はないのは理解してるつもりだよ。この学園にあんな派手な子は居ないしね」

 

 ニュースでも流行りものとして取り上げられている格好ではあるけれど、お金持ちのお嬢様たちが通うこの学園では遠い存在だろうし無縁のものだろう。特に上流階級と呼ばれる人たちになら尚更だ。社会に出れば嫌でもいろんな人と付き合わなければならないし、あの頃は若かったと祥子さまの黒歴史にならなければ良いのだけれど。

 

 「えっと、うっ……」

 

 あまりにも率直な私の言葉に答えあぐねている祐巳さんを見て、つい可笑しくなり笑みが零れる。

 

 「気にしてないって言うと嘘になるけれど、こうして気にかけてくれる人が居るから平気だよ。――行こう、みんなに置いて行かれる」

 

 話し込んでいて随分と先を行くみんなと距離が開いてしまった。祐巳さんと私が遅れていたことに気が付いたのか、祥子さまが振り返る。

 

 「祐巳、樹さん、急ぎなさい」

 

 「は、はいっ!」

 

 「了解です」

 

 スカートのプリーツを翻さない程度に小走りする祐巳さんと、大股で早足になる私。嬉しそうな顔をしながら祥子さまの隣に並ぶ祐巳さんを眺めながら、この人たち何時くっつくのだろうかと疑問符を頭の上に浮かべる私だった。

 

 ◇

 

 そんなこんなで更衣室に着いて着替えはすぐさま終わると、周りのみんなはまだ着替えていた。昔取った杵柄とでも表現すべきか化粧も自分で出来てしまうので、演劇部の人たちの手を煩わせる必要もあるまいと道具を借りる許可を取って勝手に終わらせ。髪も適当にワックスで撫でつけ残った髪は結わえ、眼鏡からコンタクトに付け替えると準備は終了してしまった。さて、どうしたものかと周囲を見渡すと、まだ着替えている蓉子さまと目が合った。

 

 「樹ちゃん、申し訳ないのだけれど柏木さんを迎えに行って貰えないかしら」

 

 柏木さんなら男性教員用の更衣室で、衣装に着替えている筈である。メイクは演劇部が行う事になっているのだけれど、誰が柏木さんに化粧を施すのか演劇部内で闘争があったとかなかったとか。

 

 「あ、はい。――行ってきます」

 

 その言葉と同時に、ふっと影が差し横を向くと着替えを終えた聖さまがいつの間にか立っていて、何故か私の肩を抱いたのだった。

 

 「蓉子、私も樹ちゃんについて行っても良い?」

 

 「ええ、そうね。聖にもお願いしましょうか」

 

 聖さまの言葉に一瞬考えたような雰囲気が見えたけれど、すぐさま了と返した蓉子さまはにっこりと笑っている。

 

 「いや、一人でも大じょ……」

 

 「了解ー。さ、行こうか樹ちゃん」

 

 大丈夫という言葉は、聖さまが私の肩に回していた腕によって遮られ、無理矢理に方向転換させられた。マリア像前での祥子さまと柏木さんの一騒動から、山百合会の人たちからの柏木さんの株が暴落しているのは目に見えているけれど、それにしたって信用されていないのではと考えてしまう。

 祥子さまと柏木さんは親同士が決めた婚約相手としか知らないので、二人の関係性には憶測を立てるしかないのだけれど、柏木さんが下手を打つような人には見えないし何故祥子さまに嫌われてしまったのかは謎。事実は祥子さまが柏木さんを嫌っているというか敬遠しており、それを追いかけているのが柏木さんだ。相手は手強いだろうから、何時捕まえることができるのか分からないが。

 それはさておき、花寺学院の生徒会長という立場を担っている柏木さんが、リリアンの学園内で滅多な行動は起こせないから無用な心配なのだけれども。例え人前でキスをしようとした柏木さんでもだ。祥子さま相手ならば婚約者として言い訳がたつけれど、他の生徒に手を出せば最悪強姦未遂くらいにまで話が発展しそうだ。お嬢さま校だけに。

 

 「聖さま、私一人でも大丈夫ですので中のみんなを手伝った方が効率良いんじゃあ……」

 

 「その辺りは心配しなくていいよ。蓉子と江利子が仕切ってくれるから」

 

 付き合いが長い所為なのか信頼を寄せている言葉に納得しそうになるけれど、やはり柏木さんを迎えに行くことに二人も人員を費やすのは余りにも無駄というかなんというか。着替え途中のみんなはこの後、化粧や髪をセットしなければならないし人手は多い方が良い気がするのだけれど。蓉子さまが許可を出したのだから、時間には間に合うのだろうと歩を進める。

 

 「さっきも思ったんだけれど、背高くなってない?」

 

 「男役なので背が低いと格好がつかないので、靴の中に中敷きを仕込んだのでその所為ですね」

 

 一緒に踊るダンス部の人の背は低いけれど、少しでも見た目が良くなるようにと秘かに購入していたのだ。貯めていたお小遣いが減ったのは痛かったけれど、自己満足の為なので仕方ない。

 

 「なるほど。――妙な所で真面目だよねえ」

 

 群舞だしそう目立たないだろうから気にする必要はないかもしれないが、家族は楽しみにしているとビデオカメラ片手に観客席に座っているだろうし、友人も見ている。それにお前のせいで山百合会の劇が台無しだ、などと言われてしまう可能性も秘めているので無難にやり過ごしたいという下心も多分にあったりするのだ。

 

 「みんな奇麗に着飾っているのに、一人だけ野暮ったいのは不味いですしね」

 

 奇麗どころや可愛い人が多いし、男装してもきっちりと似合っているのだし羨ましい限りだ。特に山百合会のメンバーが群を抜いていて、黄色い声を上げられるのも理解できる。衣装を着ている聖さまと一緒に歩いていると視線が刺さること刺さること。本当、目立つ人たちだなあと目が遠くなる。

 

 「そんなことないって……おっと、もう着いたか。悪い、あの人の相手お願いしてもいい?」

 

 名前を呼ばずに『あの人』と表現されてしまった柏木さん。本当あの一件から山百合会の人たちから苦手意識というか、嫌われている柏木さんを少し不憫に感じてしまう。何度か彼とやり取りをしているけれど、話しやすいし冗談を飛ばしても受け止めてくれる柔軟性は持ち合わせているのに。イケメンで頭が良くて家柄も良い優良物件の柏木さんを、肉食女子の中へと放り込めば一瞬で喰われるだろうに、ここの人たちは無欲らしい。

 

 「構いませんが、それだとついてきた意味がなくないですか?」

 

 「まあ良いじゃない」

 

 にっと笑って聖さまが私の左肩を二度叩く。

 

 「分かりました。――柏木さんの横に立つなら聖さまの方が似合ってるんだけどなあ……」

 

 小さく呟いた最後の言葉を聞き取ったのか笑っていた顔が一瞬で曇り、私の両頬に聖さまの細長い指が伸びて掴む。

 

 「今、何かおぞましいことを言わなかったかな、樹ちゃん……」

 

 にっこりと笑っているけれど青筋を立てている聖さまに、どこに切れる要素があったのかまったく分からないまま抗議の声を上げたのだった。

 

 「せい、さま。けしょう……取れる」

 

 割と痛いので、どうやら彼女の逆鱗に触れてしまったらしい。地雷がどこに埋まっていたのか全く見当もつかないまま踏んでしまったのだけれど、ぺちぺちと聖さまの腕を叩くと取り合えず解放してくれた。

 

 「銀杏王子の横に立つなんて、絶対嫌だね」

 

 「子供じゃあないんですから……」

 

 「子供で結構」

 

 ぷいと私から顔を反らす聖さまは、本当に子供である。一応生徒会役員なのだから猫を百匹でも用意して、柏木さんの隣に立つべきではと思うけれどどうやら無理らしい。

 

 「面白いやり取りをしているじゃないか、二人して」

 

 扉を開けた柏木さんが、今までのやり取りを聞いていたのかそんなことを言いながら顔をだしたのだった。

 

 「ごきげんよう、柏木さん。少し遅くなってしまいましたが、お迎えにあがりました」

 

 「ありがとう。それにしたって白薔薇さまは客人に対しての態度がなっていないんじゃあないかな?」

 

 にっこりと笑ってそんな言葉を吐いた柏木さんに、聖さまがむっとした顔をすぐさま浮かべて、柏木さんと聖さまの間に私を挟み込む。あー盾にされたなあと思った瞬間、ゴングが鳴り響いたのは気のせいではないのだろう。

 

 「はっ。仮にも花寺の生徒会長だっていうのに公衆の面前で女の子に手を出そうとしたヤツに言われたくないねっ!」

 

 「おや、僕とさっちゃんは婚約者同士なんだ。べつにキスの一つくらいで怒ることもないだろうに」

 

 「嫌がってる相手にあんなことをするアンタが気に喰わないっての」

 

 最近、祐巳さんとのじゃれ合いが増えている聖さま。それから逃れようと一生懸命になっている祐巳さんだけれど、三年生相手に無茶は出来ず逃げられないまま捕まっている所を良くみるのだが……。

 

 「――へえ。それじゃあ君は可愛い女の子に手を出さないのかい?」

 

 「むっ」

 

 妙なセリフを吐きながら、柏木さんの両手が私の両肩に乗り引き寄せられる。密着とまではいかないけれど、お互いの衣装が引っ付くくらいには柏木さんとの距離は近い。男装をしているし普段の私は可愛いには程遠い人間なのだけれど、柏木さんなりの気遣いなのか聖さまを煽る為の道具なのか判断がつかないのだが、痴話げんかに巻き込むのは勘弁して欲しい。これで腰でもくっつけるような素振りでも見せてくれれば、即座に彼の手を振り払うのだけれども。

 

 「汚い手でウチの生徒に手を出すなっ!」

 

 勢いよく腕を掴まれ柏木さんの乗せていた手からすり抜けて、聖さまの腕の中にすっぽりと納まり、私の腹に両腕を絡ませ肩越しに顔を近づけて叫ぶので、耳に響く。

 

 「リリアンの生徒会役員は乱暴者なのかな? 彼女が驚いているじゃないか」

 

 「うっさいっ!!」

 

 一向に収まりそうにない同レベルの罵り合いにどうしたものか、眉間にしわを寄せて仏頂面になる。

 

 「……似た者同士」

 

 「は?」

 

 「うん?」

 

 ぼそりとボヤいた言葉はしっかりと二人に聞こえたようで、ありありと不満を表した声。どうやら矛先は私になったのだけれど、美人とイケメンの凍り付いた顔が一瞬で氷解して私に視線が刺さる。さっきは物理的に痛かったのだけれど、今度は精神的に痛い。

 

 「何の冗談を言っているのかな、君は……!」

 

 ドが付くほどの美人の聖さまを随分と見慣れて耐性が出来たつもりだったけど、至近距離で凄まれると迫力があり過ぎる。最近は随分と丸くなり以前のような態度はとらなくなったけれども、こんなことで怒るものだろうか。

 

 「白薔薇さまの意見に同意するつもりはないが、それだけは同感かな」

 

 にこりと特上の笑みを見せているけれど、口の端が吊り上がってる柏木さん。落ち着き払って余裕そうな姿をいつも見せているというのに珍しいもので、なかなか見れる光景ではないのだけれど彼も何故そんなに不機嫌になるのやら。

 

 「二人ともなんでそんなに怒るんですか?」

 

 疑問を素直に口にするとヒートアップしていた雰囲気が急に気配を収束させ、柏木さんは一つ溜息を吐き聖さまは右腕だけ私から離し頭を何度か掻いて。

 

 「……行こうか。銀杏王子は放っといて」

 

 「いや、柏木さんを迎えに来たのに本末転倒じゃないですか」

 

 「アレなら勝手についてくればいい」

 

 「銀杏王子って僕のことかい?」

 

 「それ以外に誰がいるんだよ」

 

 むっとした顔でまた柏木さんを睨む聖さまは回した左腕を解く様子はなく、本当に歩き出してしまった。柏木さんが付いてきているのか気になって、後ろを振り返ると苦笑いを浮かべながらゆっくりとした足取りで私たちの後を追っていた。道中、すんすんと鼻を鳴らして私に顔を近づける聖さまが怪訝な顔をして、一言零す。

 

 「樹ちゃん、銀杏の臭い移ってる……」

 

 「え、マジですか?」

 

 どうやら祥子さまとひと悶着した時に銀杏を踏んでしまい、王子さまの衣装を着たまま滑って転倒したそうだ。シミ取りに被服部が頑張ってくれたのだけれど、臭いは未だに残っていて。どうやらソレがさっきの間に移ったようで。

 

 「……うん」

 

 そういって後ろを振り返るとにっこりと笑った柏木さん。

 

 「だって一人だけ臭うなんて不公平だろう」

 

 いけしゃあしゃあといつもと変わらぬ素敵笑顔でそんなことを抜かした王子さまに初めて腹が立ったのだった。

 




 7244字

 祥子さまが悪いように書いていますが、茶髪で見目が派手な女の子をみて苦言を呈さない祥子さまは居ないと思うので。代わりに他のメンツでオリ主のフォローに回る展開に(苦笑

 調子が良ければ次の日曜である10/25日よりも前にどこかで更新をしたいのですが、あくまで予定は未定で。更新があればラッキーくらいでお願いします。┏○))ペコ





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第三十一話:学園祭③と劇と兄と姉

 一人爽やかに笑う花寺学院生徒会長である柏木優というその人は、劇の役である王子の派手な格好を見事に着こなし泰然と歩いている。そんな姿にゲンナリとした顔をしてしまったのは、全て彼の所為である。

 

 ――殴りたいその笑顔。

 

 割と本気でそう思ってしまった自分自身に驚きつつも、自分だけが銀杏臭がするから誰か巻き込んでしまえという安直な彼の考えに呆れを覚えつつ、現在の状況にも頭を抱えているのだけれども。

 

 「聖さま、放しててください……」

 

 「ヤダ」

 

 「銀杏の臭い聖さまにも移りますよ」

 

 「あれの臭いが残るよりいいじゃない」

 

 銀杏の臭いなのか柏木さんの匂いなのか疑問ではあるけれど。高嶺の花である彼女の腕の中に居るまま体育館を目指して歩いているのだけれど、先程からリリアンの生徒やら一般客の若い女性陣から視線が刺さるのだ。

 

 超美人と超イケメンに挟まれている芋の私が睨まれるのは当然で。

 

 外部の人たちからの視線はまだいい。ただ単純に周囲よりも特段見目の良い二人に目が惹かれただけなのだから。問題は学園の生徒である。今にも歯ぎしりが聞こえそうなほどに強いものを感じる瞬間があるから、聖さまのその腕をせめて放して欲しいのだ。

 

 「そういう問題じゃなくて、歩き辛いんですが……」

 

 「我慢して」

 

 「放してあげればいいじゃないか。君、それでも上級生なのかい?」

 

 もっと言って下さい柏木さんと心の中で応援をしながら、犬猿の仲である二人には無理難題のようで、回された腕に力がこもるだけで。

 

 「あーあーあー、聞こえない」

 

 はん、と鼻を一度鳴らして柏木さんが居る方向から聖さまが顔を反らす。本当に何故柏木さんにこんな反応を示すのかは謎だし、彼も面白がってからかっているような気もするのだけれど果たして聖さまは気付いているのかどうか。聖さまを後ろに背負い、横には柏木さん。目立つことこの上ない格好で移動をしているし、先程から刺さっている視線が取れることはなく。

 

 ――っ。

 

 取れない視線の中で一切強いものを感じて、そちらをチラ見してみると人波の中からトップの子とそのお姉さまが居た。いや、まさかなあと嫌な予感を振り切って、ようやく体育館へと辿り着いて蓉子さまの下へと行き柏木さんと念の為にと打ち合わせをはじめていた。

 暫くすると、開演のブザーが鳴り響くと拍手と共にスポットライトを浴びるシンデレラ役の祥子さまがトップを切って舞台へと立つ。それと同時に祥子さまに憧れをよせる人たちが小さく黄色い声を上げ、きらきらとした瞳で見つめ。

 

 「流石さっちゃん。人気者だ」

 

 いつの間にか私の横へ立っていた柏木さん。どうやら蓉子さまとの打ち合わせも終わってしまい手持無沙汰のようで、喋る相手を探していた模様。同級生となる薔薇さま方とは祥子さまとの一件があってからというもの、敵対心を露に見せている――その最たるが聖さまだ――ので居心地が悪いのかも知れないが、それをおくびにも見せずに堂々とこの場にいるのは柏木さんだから出来る芸当なのだろう。薔薇さまたちが柏木さんに近づかないイコール令さまや由乃さん志摩子さんもあまり柏木さんと関わろうとしないから、消去法で私の下へと彼はやってくる訳である。

 

 「ですね」

 

 「君はさっちゃんの事をどう思う?」

 

 「どうって……」

 

 蓉子さまにも聞かれたけれど、どうして同じ質問を柏木さんからも問われるのだろう。私が怪訝な顔をしていると、それが可笑しかったのか柏木さんが片眉を上げて小さく笑う。

 

 「深く考えなくても良いんだ。ただ君が彼女をどう見ているのか気になっただけだから」

 

 迷惑にならないように小さく低い声色にはどんな感情が含まれているのか。リリアン生ぽくない私の意見を興味本位で聞いてみたいとでも言われれば納得もできるのだけれど。とはいえ黙っていては始まらないし、当たり障りのないことを頭の中で考えながら口にする。

 

 「はあ。――とんでもなく美人でお嬢様、真っ直ぐでいてどこか脆そう、ですかねえ?」

 

 以前蓉子さまに聞かれたときは先輩後輩の関係と答えてたのだけれど、今回は祥子さまも側に居ないということと、相手が柏木さんという異性だから割と正直な感想である。過ごした時間もあの時よりも長くなってきたし完璧な人というよりも、己が求める理想を体現しようと足掻く人という方が今の私が思う祥子さまである。ついさっき友人との付き合いを改めろと言われたことも含めて。なので社会に出た時に理想と現実に押し潰れないか心配なのだけれど、強い人だしその辺りは時間が解決してくれるのだろう。

 

 「へえ」

 

 「柏木さん……これって私よりも、祥子さまの妹候補の祐巳さんに聞いた方が良いんじゃないですかね」

 

 「いや、一生徒である君の言葉を聞いてみたかったんだ」

 

 「婚約者的に祥子さまが学園でどう思われているのか気になると?」

 

 くつくつと笑う柏木さんは私の答えを聞いて何を考えているのやら。

 

 「ああ、そんなところだよ。しかし君もはっきりと言うね」

 

 「……柏木さんが男性だからですよ。もし女の人に同じ質問をされたら怖くて言えません」

 

 「そのココロは?」

 

 「裏でどう行動するのか読めませんからね」

 

 人となりを知らない人に誰かの事をぺらぺらと喋るのは危険だ。付き合いの浅い柏木さんにこうして言えてしまうのは異性だからだし、学園祭が終われば会う機会はないだろうという打算もある。

 

 「そういうものなのかい?」

 

 「相手にもよると思いますが、余計なことは言わない方が良いでしょうね。特に女の人には」

 

 「ふむ」

 

 何か考える様子を見せながらそれ以上彼は何も言わないので、私は舞台の方を見る。シンデレラ相手に意地悪な姉を祐巳さんが演じているのだけれど、どうしてだか似合わないのはご愛敬なのだろう。祐巳さんの後ろには蓉子さまと江利子さまも継母役と意地悪な姉役で居るのだけれど、似合い過ぎている。後が怖いので決して口には出来ないが。

 

 「また貴様はこの子に何をやってんだ」

 

 呆れ顔で登場した聖さま。聖さまも柏木さんのことを毛嫌いしている割にこうして間に入ってくるのは、愛情の裏返しとかそんなものだったり……はしないか。肩にのしかかる彼女の重みに耐えながら、舞台袖で聖さまと柏木さんの一悶着が始まったのだった。

 

 「別に。君たちが僕の相手を拒んでいるようだから、彼女にお願いしていただけさ」

 

 「は? あんたが祥子にあんなことするからだろうが」

 

 まーた始まったとゲンナリしながら、きょろきょろと客席を見渡すとウチの家族全員も中々に良い場所をキープしたようで、父はビデオカメラ片手に撮影に勤しんでいるようだ。

そして友人はウチの家族と合流した様子で、母の横でちょこんと座っていた。少し前、高校デビューを果たした姿に驚いていたけれど、彼女は私の友人としてウチの家族にきちんと認められている仲である。

 

 「樹ちゃん、無視しないで何か言ってよ……」

 

 聖さまと柏木さんのじゃれ合いを放置していた為か、たまらず突っ込みが入る。

 

 「へ?」

 

 「全然聞いてなかったのね」

 

 はあと深い溜息を吐いて柏木さんとの罵り合いを止めた聖さまは、私が見ていた客席を見る。

 

 「あの茶髪で目立ってる子って、樹ちゃんが連れてた人だよね?」

 

 「良く分かりましたね。遠目だったのに」

 

 「この学園だとああいう子って珍しいでしょ」

 

 少し自嘲気味に笑う聖さまと、その横で黙って私たちのやり取りを聞いている柏木さん。柏木さんならば何かあればずけずけと会話に入ってくるだろう。

 

 「確かに。中学の時の友人なんですが、高校に入ってアルバイトを始めてそのお金でお洒落してるみたいですよ」

 

 「……そっか。どうやって友達になったの?」

 

 「聞いても面白くもなんともないですよ」

 

 「面白くなくてもいいよ、私が聞きたいだけだから」

 

 本当に面白くも何もない話である。

 

 前世の記憶なんてものを持っている所為なのか、幼稚園や小学校ではクラス内の世話役的な立ち位置で収まっていたけれど、中学生ともなればみんな自立しているからそんなものは必要はなくなる。

 楽しそうに日常を謳歌している同級生の輪の中へと積極的に混ざる気はなく、自席で持参したものや図書室から借りてきた本を読み、一人過ごしていたことが多かった私を、クラスのムードメーカーだった彼女が輪の中心へ私を放り投げた。ただそれだけの事なのだけれど、嗚呼こういうのも悪くないのだなと考えを改め直せたことには感謝しているし、男女問わず友人と呼べる人が増えたのも彼女のおかげだし、私がこの学園で笑っていられるのもその時の気持ちの変化があったからだ。

 

 「へえ。……樹ちゃんにもそういう時代があったんだねえ」

 

 憧憬、なのだろうか。なにか遠く懐かしいものでも見るような目で客席を見つめている聖さま。何を考えているのか分からないし掴みどころのない人であるが、最近は祐巳さんがお気に入りのようでよく話している場面に遭遇するし、迷ったり悩んだりしている彼女の背をそっと後押しするように見ている。時折、祥子さまに発破をかけて怒らせてもいるから、もしかすれば玩具にしているだけなのかもしれないけれど、悪い方向へと向かってはいないので聖さまなりの応援の仕方なのかも。

 

 「ここでこんな話をするとは思いませんでしたけどね」

 

 「まあいいじゃない。私は聞けて楽しかったし」

 

 「聖さまが楽しかっただけで、私は過去を暴露したっていうのに何も得るものがないんですが」

 

 ジト目で聖さまを睨むとあははーと軽く流され肩を軽く二度叩かれたと同時、どうやら時間が随分と経っていたようでシンデレラの物語は舞踏会へと移っていた。いつの間にか柏木さんの姿はなく、どうやらこの後の出番の為にスタンバイしているのだろう。王城のホール内は豪華な衣装を身に纏ったダンス部や演劇部の生徒に囲まれたシンデレラ役の祥子さまが、ようやく王子さま役の柏木さんと運命の出会いを果たすときゃあと歓声が上がる。祥子さまと柏木さんの仲は最低気温になっているというのに、演技だけはどちらも完璧でその雰囲気を感じさせないのだから二人とも流石である。

 

 「さて、そろそろ出番だね」

 

 「ですねえ」

 

 群舞で踊り切れば私の役目は即終わるので気楽なものだ。

 

 「行こうか」

 

 「はい」

 

 メインである祥子さまと柏木さんが目立つように演出されているから、ゆるゆると踊るだけ。が、ステップを間違えるとダンス部部長になにを言われるか分からないので、キチンと踊り切らなければ。ズブの素人に教えるのは大変だっただろうし、いろいろと面倒を掛けたのだからせめて間違わずに踊り切りたいものだ。ふうと息を吐いて、ようやく出番となりスポットライトのあたるステージへと足を進め、ワルツの音に合わせて踊り始める。――途中、シンデレラと王子さまの姿が視界に入ると、余裕そうに踊っている柏木さんの口元が引き攣っていたのだけれど、一体なんだったのだろうか。

 

 ◇

 

 「お疲れさま」

 

 「お疲れ様でした」

 

 鳴りやまぬ客席からの拍手に呑まれながら、舞台袖で学園祭の準備期間中に顔見知りとなった被服部やダンス部に演劇部の人たちと言葉を交わす。山百合会主催の劇なので生徒会役員のみんなはカーテンコールを行っている最中で、柏木さんも花寺学院側のゲストとして挨拶をしていた。

 ひとりひとり、今回の役どころの話や苦労話を短く話して終えると、黄色い声と拍手が沸き起こる。みんなそれぞれ押しが居るようで、本命の人の挨拶が始まると一層キラキラとした瞳で壇上を見上げている生徒が何人も居て。正式メンバーとなっていない祐巳さんも私の横で、祥子さまの番になるとしっかりと目に焼き付けていた。憧れを抱いている人へと素直にそういう感情を見せられる姿を少し羨ましく思いながら、ウチの家族と友人が居た席へと目を向けると、どうやら会場である体育館を既に抜け出しているようで。

 

 『また来年もよろしくお願いいたします』

 

 スピーカーから響く蓉子さまの声が聞こえると同時、舞台へ立っていた山百合会のみんなが深々と一礼すると最大の拍手が沸き起こり幕が閉じたのだった。無事に終わったことからの安堵の顔を見せるみんなが舞台袖へとやって来る。蓉子さまをはじめとした薔薇さま方は、劇の協力者である部活動の主メンバーへねぎらいの挨拶に出向いていた。

 

 「お疲れさま、祐巳さん、樹さん」

 

 「お疲れ、由乃さん、志摩子さん」

 

 「お疲れさま」

 

 「お疲れさま」

 

 真っ先に戻ってきた由乃さんと志摩子さんが祐巳さんと私に向かい、ようやく役目が終わったことに二人は安堵したのか上演開始前とは違い笑顔が零れている。

 一年生組は保護者の方たちに顔見世的な意味合いが強いから、緊張も仕方ないのだろう。母や姉妹もリリアンだという生徒は多いようなので、山百合会がどういう所か知れ渡っているようだし。特に志摩子さんは聖さまの妹となったばかりだったから、最後の挨拶は品定め的な意味合いも含まれているかもしれないし、それに気付かない二人でもないだろう。

 

 「さ、着替えましょう」

 

 ようやく窮屈な衣装から解放されるのだけれど、着替えは体育館に併設されている更衣室ではなく山百合会のメンバーは薔薇の館で着替えることになっている。ダンス部や演劇部の人たちが優先で使えるようにという気遣いらしく、ロッカーへ預けた制服を回収して中庭をこの格好で突っ切らなければならないのだ。

 まさか出待ちの生徒は流石に居ないよねと頭の片隅で考えながら制服を回収して外へと赴くと、ひっと声が上がりそうになったのは秘密。マジで山百合会のメンバーを出待ちしている人が居たことに驚きつつも、私は関係ないのでスルーを決め込む。由乃さんや志摩子さんは出待ちの生徒から声を掛けられていて、無難に対応しているのだから大変だろう。

 

 「す、すごいね」

 

 「だねえ。でも祥子さまの妹に祐巳さんが収まれば、同じように声掛けられるようになるよ」

 

 恐らく私たちと遅れてこの場を通るであろう上級生である薔薇さまたちもこうして声を掛けられるのだろうけれども、もっと凄いことになるのだろうと安易に想像できる。感嘆の声を上げながら祐巳さんが私の隣で由乃さんと志摩子さんを見ているのだけれど、山百合会に加われば同じように見知らぬ生徒からああして声を掛けられるだろうに。

 

 「うえっ!? 私が?」

 

 「うん。だって祐巳さんって話しかけやすい雰囲気醸し出してるし、人気出るんじゃない?」

 

 「ま、まさかあ。それに祥子さまの妹になるって決まった訳じゃないんだし……」

 

 「ま、その辺りはなるようになるとして……早くこの場を逃げないと大変なことになりそう」

 

 「へ?」

 

 「出待ちの人が増えてるよ。大方、この機会に薔薇さまたちと接触したいんじゃないかな?」

 

 今日は学園祭という無礼講がまかり通る日でもある。普段、薔薇さま方に喋りかける勇気がない人たちも、この現状に便乗してどうにか接点を持ちたいと考える人は一定数居そうだ。

 私は山百合会の役員という訳ではないので、この場に居ても仕方ないし余計な不興を買いたくないのもあるので、さっさと衣装を着替えたいこともあり薔薇の館へと急ぐと祐巳さんも一緒について来る。出待ちの生徒に囲まれれば『どうして祥子さまをフッたのに一緒に居るの?』やら『祥子さまの妹になるの?』などと質問攻めにあってしまうだろうから賢明だ。由乃さんと志摩子さんも、言葉は悪くなってしまうけれど上級生たちを囮に抜け出せたようで、薔薇の館へとようやくたどり着くとベンチに見知った姿の男女二人。

 

 「樹」

 

 名を呼ばれてみんなに一応の断りを入れて兄と姉の下へと歩いていくと、ベンチからゆっくりと立ち上がる二人。双子ではあるけれど、二卵性なので全く似ていないのだけれど美男美女と言っても過言ではない。

 身内の贔屓目かもしれないが私よりも確実に奇麗な顔立ちをしているので、兄と姉がきょうだいだと納得できるけれど双子と私がきょうだいだと伝えると不思議がられることが多々ある。鷹が鷹を生み、鷹からトンビが生まれたのが私なのである。

 

 「兄さん、姉さん。なんでここに?」

 

 「コイツが親父から一眼借りて写真撮りたいってさ。俺はその付き添い」

 

 「ちょっと指で私を差さないでよ、まったく。――劇が終わった後に山百合会の人たちは薔薇の館で着替えること知ってたから、樹もこっちだろうってヤマを張ったのだけれど、正解だったようね」

 

 兄が指した指を姉が叩き落として笑う。どうやら姉にとってこの学園は幼稚舎から高等部までの間通った慣れ親しんだ場所。勝手知ったるなんとやらで薔薇の館へたどり着いたようだ。高身長の兄と姉にそれなりの背丈とそれなりの顔つきの私は『似ていない』とよく言われるけれど、それを聞くと両親と兄と姉は怒るので、鵜久森家の親戚の皆々さまには禁句となっている。何故だか上機嫌の姉が微笑みながら私の結わえた髪をすき、ふと視線を別方向へと向けた。

 

 「よければみんなも一緒に撮らない?」

 

 姉が向けた言葉の先には、祐巳さんと由乃さんと志摩子さんが。どうやら先に薔薇の館へは行かずに待っていてくれたようだ。祐巳さんがどうしようか迷った顔を浮かべ、志摩子さんは様子見のようで他の二人を気にして、真っ先に反応を示したのが由乃さんだった。

 

 「いいんですか?」

 

 「ええ、もちろん。あとよければなのだけれど、私たち三人を何枚か撮ってもらえないかしら?」

 

 家での姉とは全く違い外だと随分と確りしている。職業柄そうならざるを得ないのは重々承知であるのだけれど、家だとズボラな面を見せたり酔うととんでもない行動に出たりするのだけれども。

 

 「はい!」

 

 自分の家族との距離感を測りかねているけれど仲は良いはずだ。けれどもこうして誰かに仲が良い所を見られてしまうのは、少し気恥ずかしいのだけれども。それでもみんなと写真を撮ることは悪いことではないのだし、記念にもなるだろうと頭を振って姉の言葉に従うまま何枚かの写真を撮っていると、出待ちの人たちから解放された上級生組がやってくる。

 

 「ごきげんよう。――樹さんのご家族の方ですか?」

 

 相変わらずこういう場面で一番初めに口火を切るのは蓉子さまで。いつもの『ちゃん』付けを『さん』付けに変えて営業スマイルを張り付け、兄と姉に対面すると姉も姉で営業スマイルを引っ提げ兄は傍観者役に徹するようだ。

 

 「ごきげんよう。妹の樹がいつもお世話になっています」

 

 定型文のようなやり取りに苦笑を浮かべながら、蓉子さまと姉の話を聞いていると横から江利子さまと聖さまが話に加わる。どうやら二人も薔薇さまモードとなっており、営業的な言葉を幾度か交わしているうちに、あれよこれよとみんなで写真を撮る羽目になったのだ。

 リリアンを熟知している姉のお陰なのかどうかは分からないけれど、紅、黄、白に別れて写真を撮ったり、入り乱れて集合写真やら私をからかって遊ぶ江利子さまと聖さまに、それを諫める蓉子さまたちを面白そうに姉がその場を写真に収めたり。随分とわちゃわちゃした薔薇の館前はいつもより賑やかで。

 

 「すみません、沢山撮って頂いて」

 

 「いいのよ、気にしないで。私たち三人も撮ってもらったのだし。あとで焼き増して樹からみんなに渡すわね」

 

 「いえ、ご迷惑になるでしょうしそこまでは……」

 

 「私はリリアンのOGなのだし、みんなは可愛い妹のようなものなの。だから姉の顔を立てて頂戴な」

 

 あ、上手いなあと感心する。そういわれると断れなくなるのが、上下関係の厳しいリリアン故というか。蓉子さまが少し困った顔をしつつも、始終余裕の笑みを浮かべている姉が押し切る形となった。この辺りは経験とかの差だろうし、社会人だからという手前もあるのだろう。それぞれ兄と姉に礼を述べて、笑顔で帰っていく二人を山百合会のみんなで見送ることになってしまった。

 

 「樹ちゃんのお兄さんとお姉さん、美男美女って感じだったねえ」

 

 去っていった兄と姉の背中をしげしげと見ながら聖さまがそんな言葉を漏らすと、それぞれに兄と姉のことを口にし始める。誰かの口から家族のことを聞くのは気恥ずかしいし、どんどんと顔が赤くなっていくのが分かってしまう。それに目敏く気付いた由乃さんが『顔、赤いわよ』と小声で零すと苦笑いで誤魔化しておいた。

 

 「さ、そろそろ着替えましょう」

 

 蓉子さまの一声で薔薇の館へと向かい、ようやく閉場の時間となったのだった。

 




 8169字

 シンデレラってどういう話なのかはっきり覚えていないです。シンデレラをオマージュした『あやか〇びとドラマCD「よいこのどうわ カ〇ルンデレラ」』の内容の方がはっきり覚えてるという。

 柏木さんは今のところ祐巳ちゃんよりオリ主の方が喋りやすいようです。
 てか柏木さん、祥子さまにカミングアウトしなくても黙っていれば夫婦生活送れそうなんですよね。バイだって公言してたはずだし。ストレートに言い過ぎたのはアレですが、祥子さまに打ち明けたのはある意味で優しさだったのでしょうかね?(異論は認める

 明日(10/25)も予告通り更新予定です。……予定です。


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第三十二話:後夜祭と新姉妹とその後

 

 衣装を着替え、若干存在を忘れていた柏木さんを送って後片付けが始まったのだった。作り上げることにはかなりの時間と労力を掛けたというのに、解体や片づけは割とあっさりと終わってしまう事が少し哀愁を漂わせ、心を陰鬱な気持ちにさせるのか周りの子たちの顔が少し暗いような気がする。

 とはいえ非日常から日常に戻る為の切り替えが、後夜祭というミニイベントな訳で。使い終わり不要になったものをくべて、校庭でキャンプファイヤーをするのだけれども、ダイオキシン問題が騒がれ一般家庭での焚火が禁止となったのは何時頃だったか。何でも燃料としてくべてしまうので不味いような気もするけれど、駄目ならば学園側が禁止とするだろうし、無用な心配だろう。

 

 集まった生徒たちによって『オクラホマミキサー』が鳴り響く校庭で、フォークダンスを踊りあかしている。憧れの上級生が相手となると途端に頬を赤く染める一年生や、その感情を受け取りはにかむ上級生にと、いろいろだ。若いなあと校舎の窓から眺めながらきょろきょろと見渡す。ふとグラウンド側の土手に座り込む祐巳さんが目に留まるのだけれど、なんだか元気がないような。

 いつもよく笑っている彼女が珍しいのだが、よくよく考えれば彼女は祥子さまとの賭けが学園祭で終わってしまうことを純粋に悲しんでいるのだろう。祥子さまに憧れ、ファンだと言い切った祐巳さんにとって、夢のような時間が終わってしまう。私はようやく山百合会の仕事から解放される――それと共に巻き起こる外野からの面倒ごとの方が強いかもしれないが――という嬉しさしかない。祐巳さんと自分との心の在り方の差が、如実に出てしまっているというか。

 いろいろと枯れてしまっているので、祐巳さんの初々しさは見ていて微笑ましいものがあるから、祥子さまと姉妹になって欲しいという気持ちがあるのだけれど、こればかりは本人たちの意思が大事だし他人が出しゃばるものでもないから。ここで彼女を見ていても仕方ないと気持ちを切り替え、帰る支度をしようと一年藤組の教室に足を向けようとしたその時だった。

 

 「あ」

 

 短い間抜けな声が私の喉から洩れ、祐巳さんが膝を抱えて座っている土手に、祥子さまが現れなにやら話し込んでいる。覗き見しているようで、これ以上見るのも悪いだろうと教室へと戻り、クラスメイトに『ごきげんよう』と声を掛けながら外へと向かう。少し肌寒い夜の帳が降り始めていて、街灯の明かりが灯ってはいるものの周囲は暗く銀杏並木を抜けようと、マリア像の前へと差し掛かると、先程見た祐巳さんと祥子さまが。

 時間も時間だったので人が居ないマリア像の前で向かい合い、祥子さまがロザリオを取り出して胸の前で掲げている。流石にリリアンに疎い私でも、これから何をしようとしているのかは察しがついて。これ以上見るのは本当に出歯亀になってしまうと視線を外し、回り道を決め込んだ。

 

 ――おめでとう。

 

 見ているだけのマリア像と祐巳さんと祥子さまに背を向けて、そんな言葉を心の中で捧げたのだった。

 

 ◇

 

 二学期最大のイベントも終了し、しばしその片づけに追われること暫く。ようやく落ち着きを取り戻した薔薇の館で打ち上げをやるからと、由乃さんに腕を引っ張られて連れてこられたのだけれど、祥子さまが不機嫌マックス状態でなんだこれと部屋に入るなり困惑している。周りのみんなは祥子さまのこの状態が気にならないのか、いつも通り各々で始まりまでの時間を過ごしているようなので、放置していても大丈夫なのだろう。そういえばお手伝いの祐巳さんが居ないけれど、呼ばれていないのだろうか。

 

 「遅くなりましたっ!」

 

 軋む丁番の音と共に祐巳さんが会議室へとやってきた。要らぬ心配だったことに安堵しながら、ゆらりと祥子さまが席を立ったことにぎょっとするが、イライラの原因はコレだったかとようやく理解したのだった。

 

 「今、一体何時だと思っているの?」

 

 少しきつい口調で祐巳さんに問いただす祥子さまに、腕時計の文字盤を見て時間を告げる祐巳さん。時間前ならば良いのではと考えてしまうが、三年生が先に来ているというのに下級生が遅れてこの場に訪れたことに納得がいかないらしい。確かに時間は大事だけれど、遅れた時間を取り戻そうと急いで事故にあったりするならば、ゆっくり落ち着いて来る方がマシである。ただこの時代は連絡手段が乏しいので、こういう万が一の時に困ってしまうのが頂けない。

 

 「あーら祥子も偉くなったもの、ねっ!」

 

 「ふえ?」

 

 遅れて登場した聖さまは片腕を思いっきり祐巳さんの肩へと置くと潰れた声が漏れていた。

 三年生故の余裕なのか最後にやってきたことを気にもせずに、時間前だから良いじゃないの一言で終わらせようとして何かに気が付いた様子。

 

 「ん?」

 

 「うえっ!!」

 

 祐巳さんの胸元に手を突っ込んで呑気にまさぐっているのだけれど、同性でなければ犯罪だよなあと私も私で呑気にその光景を眺めているだけで誰も祐巳さんを助ける気がない。祐巳さんの首にかかったロザリオをどういう手段で取り出したのか、謎の技術を発揮した聖さまの手によって祐巳さんと祥子さまが姉妹の絆を交わしたことをみんなが知ると、蓉子さまと江利子さまが席を立って祐巳さんが居る方へと向かった。

 

 「はっはーん」

 

 「いつの間に」

 

 「やる時はやるのね」

 

 小さくなっている祐巳さんを取り囲んで興味深そうに観察をしている三人衆に呆れたのか、祥子さまはいつの間にか席へと戻り一つ息を吐く。

 

 「反省会をする時間がなくなりましてよ、お姉さま方」

 

 至極もっともな意見を言い放った。この集まりって反省会だったのかと初めて知るのだけれど、失敗したところなんてあっただろうか。つつがなく学園祭は終了したし、もしかすれば由乃さんの言った通りに打ち上げという名目では体裁が悪いからだろうか。

 

 「まあそういわずに少しはサービスしなさいよ」

 

 一体いつどこで姉妹の絆を結んだのかが聖さまたちは気になるようで。そしてその言葉に律義に祥子さまが怒ってしまうのもいつもの光景であるが、姉である祥子さまが拒否すれば妹である祐巳さんへととばっちりが行ってしまうのだった。

 顔と態度にありありと感情が乗ってしまう祐巳さんがこの危機から逃れる方法はなく、洗いざらい薔薇さま方から吐かされるのだろうなと苦笑いが浮かんでしまう。祥子さまを見つめたあと、薔薇さま方を見て何かを考えるような仕草をしながら、片手を腹の上に当てた。体調でも悪いのだろうかと心配になるのだけれど、部屋から逃げ出そうとしたので一瞬でそれは氷解する。逃げ出そうとした祐巳さんの腕を聖さまが掴んで引き留めたのだった。

 

 「言えないくらい素敵な思い出なの?」

 

 にいっと笑って祐巳さんを問い詰める聖さまは随分と楽しそうである。蓉子さまと江利子さまもにやにやと笑っているから、彼女をからかうことが楽しいのだろう。

 

 「あ、あの……っ」

 

 ――ぐう。

 

 一度鳴ってしまうと止まらないらしく、以降も鳴り響く祐巳さんの腹の虫に一同笑い始める。いつもより騒がしい会議室。薔薇の館が笑いの館に変わった瞬間だった。

 

 ◇

 

 反省会という名の打ち上げが終わって暫く、学園祭の後片付けだと言われて山百合会を手伝う事数度。とはいえ祐巳さんが祥子さまの正式な妹となったので、今現在の仕事量と人数と各個人の能力を考えると十分に事足りている。お迎えやお誘いがあっても七対三の確率で断るようにして、自然消滅を狙っているのだけれど、気づかれているかどうかは分からない。部外者が頻繁に出入りするのも問題だし、山百合会メンバーの技量を問われても困ることになるし。

 

 「樹さん」

 

 「いいんちょ、どうしたの?」

 

 「いえ、祐巳さんが迎えに来ていたのに一緒に行かないことを不思議に思いまして」

 

 祐巳さんが祥子さまの妹となったことは新聞部が発行している『リリアンかわら版』で周知の事実となっている。ダークホース的な書き方をされていたけれど、最初から二人を見ていた側からすれば必然だった気もしないが。

 

 「ああ、まあ、今日は用事があるから仕方ないよ」

 

 「そう、ですか」

 

 とまあ時折こうして声を掛けられるのだけれども、いずれ山百合会へと私が赴くことは滅多になくなるだろうから、いいんちょの心配も杞憂に終わるし、見知らぬ誰かから妙なやっかみを受けることもなくなるだろう。そうしてまた数日が経ち暇だったので放課後、図書室へと立ち寄った時だった。

 

 「ごきげんよう、樹さん。貴女がココに訪れるのは久しぶりね」

 

 「ごきげんよう、お久しぶりです、センパイ。――学園祭前後は山百合会の仕事に引っ張り出されていましたから、やっと時間が取れました」

 

 奇麗な黒髪を切りそろえ鳶色の瞳は切れ長で美しい図書委員の上級生に、周りに迷惑が掛からない程度の声で呼び止められた。以前に聖さまについて尋ねたその人は、私の言葉に少し驚いたような顔をしたけれど直ぐに微笑みに変えて『そんな言い方をするのは貴女くらいね』と片眉を少し上げ、困ったような声を上げる。奇麗に笑っているその人の名を未だに私は知らない。前に機会があれば名乗ると言っていたのだけれど、一体いつになるのやら。まあ名前を知らなくてもこうして会話は出来るのだし、問題ないかと済ませてしまう私も私だけれども。

 

 「ああ、新書が入荷されのだけれども興味があれば覗いてみるといいわ。貴女が好みそうなものがいくつかありそうだったから」

 

 「マジですか。ありがとうございます、さっそく行ってきますね」

 

 図書室で長話も迷惑になってしまうし、彼女は図書委員としての仕事がある。邪魔をしてはいけないだろうと、お薦めされたものを見に行くかと小さくお辞儀をして図書委員の先輩と取り合えず別れて。

 新書コーナーへと立ち寄るとそこにはまだ真新しい本の山が。お嬢さま校だからなのか、ハードカバーの本が多いし料理本もいくつか見受けられる。このあたりは公立校と私立校の財力の違いをまざまざと見せつけられているなと実感しながら、いくつか本を手に取って貸し出し手続きを行うと、黒髪の美人さんが対応してくれたのだった。

 

 「――また名前を聞かれなかったわね。本当、変わった子」

 

 ありがとうございます、と礼を伝えて去ったのだけれども先輩の呆れたようなその言葉は私には届かないまま。適当な距離感のまま黒髪美人の図書委員の上級生とは、しばらくそんな関係が続くのだった。

 

 ◇

 

 …………はあ。

 

 逃げると追われるのは何故だろうか。

 

 「ほら、キリキリ歩く」

 

 中世の奴隷商人の言葉じゃあるまいし。一年藤組の教室へと江利子さまと聖さまが訪れ、有無を言わさずに罪のないクラスメイトに声を掛け、逃げられずにいた私の首根っこを文字通り捕まえ、人目を憚らず廊下を歩く。首には聖さまの片腕ががっちりとホールドされているし、私の左腕には江利子さまの右腕が絡んでいて。この光景を見た一年生たちが頬を染めながら、廊下から眺めたり騒ぎを聞きつけ廊下側の窓から覗いている子さまざまだった。

 

 「放してください」

 

 「駄目よ。放すと貴女逃げだしそうなんだもの」

 

 畜生、なんでふたりとも制服姿だとそんなに感じさせないのに、密着すると途端に胸の豊かさが強調されるのは何故なのだ神は不公平だと現実逃避をしながら、重い足を無理矢理どうにか動かす。

 そんな私に苦笑いを向けながら二人は中庭を突っ切って薔薇の館へと辿り着き、酷く軋む階段を上って会議室に入ると、そこには某アニメの眼鏡を掛けた特務機関総司令のごとく椅子に鎮座した蓉子さまが。他のメンバーは居ないのでどうやら今日は三年生しか居ないらしい。

 

 「いらっしゃい、樹ちゃん」

 

 にこやかに笑っているけれど何故だか負のオーラを噴出させて。彼女を怒らせた覚えはないし、怒られる理由もないのだけれども。

 

 「ごきげんよう、蓉子さま。今日は何もなかったはずでは?」

 

 とまあありきたりな返事をして椅子へと座ると更に笑みを深めた彼女の真意は何処にあるのやら。取り合えずお茶でも淹れるかと席を立ち上がろうとすると、江利子さまに両肩を抑えられ立ち上がれないままで。

 その間に聖さまが流し台に立ちみんなの分のお茶を淹れるという、明日は槍でも降るんじゃないかと叫びたくなる光景が。一人だと自分で淹れて飲んでいるけれど、誰かが居れば動かないのが聖さまだというのに。こりゃなにかあるのだなと察した私は、お茶が出されるまで黙ったままでいるしかなかったのだった。

 

 「どうぞ」

 

 「ありがとうございます」

 

 私が熱いものが苦手なのを聖さまがいつ知ったのか知らないけれど、冷やさずにそのまま飲める程度で淹れてくれた気遣いに感謝しながら、目の前に座る三人を見る。何度かお茶を飲み、カップをソーサーの上に置くと、蓉子さまが江利子さまと聖さまを見て一つ頷いた。

 

 「回りくどいのも面倒だし、貴女だから単刀直入に聞くわね。――樹ちゃん、私たちを避けていないかしら?」

 

 「は?」

 

 妙なセリフに妙な声が漏れてしまうが、確かに今の状態で私が彼女たちの立場なら避けているように見えるだろう。まいったなあと後ろ手で頭を掻いて誤魔化すけれど、逃してくれるような三人ではない。

 

 「祐巳ちゃんや由乃ちゃんに志摩子が貴女を迎えにいっても、最近断ることが多くなってきているんだもの。あの子たち、顔には出していないけれど気落ちしているのよ」

 

 気付いていて? と問われるが一年生組が気落ちしているのは予想外のことで左右に何度か首を振ると、安堵なのか呆れなのかよくわからない溜息を一つ蓉子さまは吐いた。

 

 「貴女は平気かもしれないけれど、いままで当たり前にあったものが遠ざかってしまうのは案外クるものがあるもの」

 

 「祐巳ちゃんと由乃ちゃんは特に気にしてる。志摩子も志摩子で表に出していないだけで、結構ダメージが深いみたいだし」

 

 蓉子さまの言葉を引き継いで江利子さまと聖さまが畳みかけた。

 

 「はあ。――でも私はココの役職持ちでも何でもありませんし、今の仕事量と状況とこれからを考えると必要のない人間ですよ」

 

 「……確かにその通りかもしれないけれど樹ちゃん、その考え方淡白過ぎない?」

 

 よく言われる気もするが、山百合会の中でしか関係が継続できない訳ではないし、遊ぼうと思えばいつでも誘えば良いだけである。それこそ考え方が狭いのだけれども。

 

 「否定はしませんが。――というか、私がココに居ると祐巳さんの立場がなくなるでしょう?」

 

 人員が足りているのにこのまま私が山百合会に出入りを続けていれば、祐巳さんの立場が揺らいでしまう。祥子さまの妹として相応しくないといい始める人間が必ず出てくるはずだし、逆にいつまで私が山百合会へ出入りしているのかといい出す人も出てくるのだ。

 その不満を薔薇さまへと直接伝えればいいのだけれど、お淑やかなリリアンの生徒は言えないだろうから、立場が弱いこちらへと流れてくる。私は耐えるかかわすかできるので良いのだけれど、祐巳さんは真正面で受け止めて悩み抜くだろうから。厄介ごとの可能性があるのならば、可能性を潰せばいいのだ。そうすればハナから問題は起ころうはずもない。

 

 「……」

 

 私の言葉に何も言わないのは認めているのと同義で。

 

 「ま、もともと人数が足りないからって理由で手を貸していただけなので、これが良い機会なんでしょうね」

 

 聖さまが淹れてくれたお茶を飲み干して、もう用はないとばかりに席を立つ。

 

 「ごちそうさまでした。――忙しければまた手伝いますので、その時は呼び出すなりなんなりして下さい。それじゃあ」

 

 一礼してそそくさと会議室の扉を開いて軋む階段を再び降りていく。薔薇の館の玄関口で振り返り建屋を見上げる。ここに来る機会は激減するだろうと、少しもの悲しさを感じながら教室へと戻る私だった。

 




 6235字

 他の生徒に詰め寄られるのは流石に薔薇さまに伝えられない。が、……逃げると追われるのだよ、オリ主よ。

 以下、愚痴になるので見たくない方は読まない方向で。


 ああん、なんで最新話を投稿するとお気に入りが減るのぉおおおおおお!!! まあ理由はなんとなく察することが――ちょっとテンポが悪かった――できるので、仕方ないのは理解できるのだけれども、それでもテンションは下がってしまうから。さすがに十近く外されたのは笑いが止まらなかった。でも外さないでだなんて言えないし、言う権限もない。耐えろ、ワイ。逃げたいけれど、最後のシーンまでは書き上げたいのぉおおおおおお!! 悩ましいねえ。ちょっと心が折れて更新が停止することもあるかもしれませんが、最後のシーンまでは書き続ける気ではいます。原神やらはじめて、浮気しそうになっていますが……見逃してえ!


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第三十三話:鵜久森樹という一生徒①

 【お知らせ】この話からオリ主視点と他の人の視点を描写する予定なので、オリ主以外の視点となると練習がてらに三人称とさせて頂きました。なんちゃって三人称なので読み辛いですし、文章が堅いですorz あと話が重複してますが、ご容赦を。五話でオリ主以外の視点を入れるかどうか迷いつつ蓉子さまの視点を入れたことを今更ながらに反省中です。今回こうするならば、ここまで我慢すべきでした。


 ――放課後、薔薇の館にて。

 

 これから体育祭に学園祭にと忙しく動き回らなければならなくなる二学期当初、山百合会幹部である水野蓉子は頭を抱えていた。

 

 原因は人手不足という単純なもので、解決を早々に望むのならば白薔薇さまである佐藤聖と自身の妹である小笠原祥子に妹が出来れば良いだけの話であるが、そんな夢は見ていない。

 聖が一年生である藤堂志摩子を気にかけている様子を見せ良い雰囲気ではあるけれど、過去の出来事により彼女が及び腰になっているのは理解しているし、無理もさせられない。かといって祥子が妹を作るとなると、そうとうに胆力のある下級生を選ばなければ、姉妹関係は上手く続かないだろう。聖も祥子も学園内で憧れの対象となっているが、当の本人たちは気難しい部分を持っているのだから。

 

 そしてもう一つ、黄薔薇ファミリーの一人である島津由乃も体が弱く、あまり無理をさせる訳にはいかない。こればかりはどうしようもないし、彼女を責めてしまうのは筋違いで、由乃を妹として選んだ支倉令にも責任はない。令の姉である江利子にはその分頑張って欲しいものだが、本人はどこ吹く風である。まったく大変な世代の薔薇さま役を背負ってしまったものだと、自然と苦笑が漏れてしまう蓉子だが、不満を口にせず悪くはないと考えられるのは彼女自身の性格なのだろう。

 

 「蓉子……いえ、紅薔薇さま」

 

 珍しく蓉子と江利子しかいない薔薇の館の二階の部屋の一角で、ゆっくりとした時間が流れていたというのに唐突に言葉を発した彼女が蓉子へと問いかけた。

 

 「どうかして黄薔薇さま」

 

 いつもつまらなそうな顔をした黄薔薇さまこと鳥居江利子が、珍しく蓉子のことを役職で呼びにたりと笑う。その様子に一瞬不安を感じる蓉子であったが、とりあえず彼女の話を聞かなければ始まらないと姿勢を正したのだった。

 

 「面白そうな一年生を見つけたのだけれど、お手伝いとして引っ張ってきても構わないかしら?」

 

 まるで蓉子の考えていたことを見透かしていたような発言に驚きを隠せないが、江利子は恐らくなにも考えてはいないのだろうと見切りを付ける。ただ単純に自分の興味を引いた一年生を手元に置いて観察したいという、身勝手なものではあるが棚から牡丹餅、渡りに船、言葉はなんでも構わない、お手伝いの子を見つけたというのならば忙しくなっていくであろうこの時期に有難い話ではある。

 

 「それは……いいけれど、役に立たなければ直ぐに切るわよ」

 

 自分たちから手伝いとして引っ張りこんでおいて非情な言い方ではあるが、過去に手伝いとして招いた一年生に仕事を任せてみたものの、緊張からなのかあまり上手く回らず手伝いにきた本人も落ち込んでしまうことがあった。

 それを見て祥子が正論を一年生に伝えてしまったことも、彼女が落ち込んだ理由に輪を掛けてしまったのだから目も当てられない事態となってしまったのである。手伝いに招いた一年生に仕事の速さや器用さを求めてはいないが、山百合会という憧れの対象に緊張してしまい本人が持ち得る能力を発揮できないという事態が何度かあったのだ。役に立たなければ直ぐに切る、という蓉子の非情な言葉はある意味で救済処置でもあった。何度か手伝って貰い山百合会に馴染まないのならば『お役御免』とやんわりと告げて、幸せな記憶だけを残した方が下級生の為でもある。

 

 「ええ、それでいいわ」

 

 笑みを深める江利子に溜息を吐く蓉子。後に『志摩子には"暇だ"と言って、私には"用がある"って逃げたんだもの。捕まえたくなるのは当然じゃない』と言い放った江利子に蓉子は呆れたものの、彼女の勘を侮るものではないと唸ってしまったのは、後から知ることとなるあの一年生の所為だったのだろう。

 

 ◇

 

 山百合会の手伝いとして一年生を引き込むと、紅薔薇さまである蓉子が薔薇の館の住人たちに伝えた次の日。件の一年生が志摩子に連れられて薔薇の館へとやって来たのだった。黒縁の眼鏡に少し長い黒髪を小さく揺らしながら『失礼します』と堂に入った声を発した少女は、薔薇さまである二人から目をそらすこともなく正面からとらえ。

 

 ――へえ。

 

 にたりと心の中でほくそ笑む鳥居江利子は、目の前の一年生に期待と歓喜の眼差しを向ける。判断を下すにはまだ早いが、薔薇さまである自分たちへ今まであまり感じたことのない視線を向けているのだから。山百合会に憧れを持っているリリアン女学園に通う生徒たちとは違う、目の前の彼女が抱える異質なモノに、己が持つセンサーが頭の中に鳴り響き直ぐに喋り掛けたくなる感情をぐっと堪えて平静を保つ。

 

 「志摩子、ご苦労様。悪いわね、私たちの我が儘に付き合わせて」

 

 ねぎらいの言葉を掛ける蓉子に江利子はいつものことであると思考を切り替えて、孫にあたる由乃へと視線を向けると一つ頷いて立ち上がった。黙ったままでの意思疎通ができるのは、由乃ゆえである。

 妹である令が他の下級生を妹として迎えていたならば、こうはならなかったかもしれないし、今以上のものが得られていたのかもしれないと一瞬他所事を考えてしまうが、今は目の前の彼女のことである。志摩子から昨日のあらましを根掘り葉掘り聞き出して彼女の情報を出来る限り手に入れてはいたものの、学年と名前くらいしか分からず。人付き合いをあまり得意としない志摩子を責めてもしかたないし、これから知ればいいことなのだと割り切る江利子は薔薇さまとしての笑顔を張り付ける。

 

 「ごきげんよう、樹さん。昨日は私たちの仕事を手伝っていただいて感謝しているわ」

 

 本心を隠して薔薇さまとしての言葉を紡ぐと、目の前の一年生が小さく分からないように呼気を吐き、少し猫背気味だった背をきっちりと伸ばして口を開くのだった。

 

 「余所見をして志摩子さんとぶつかって迷惑を掛けたのは私の方ですから、気になさらないでください」

 

 随分と淡白な物言いをする子だと目を細める江利子は昨日よりも更に彼女に惹かれていた。もちろん恋愛感情や先輩後輩として下級生を導くというような尊い感情ではなく、自分のつまらない日常を変えてくれる人物になり得るという期待の心であるのだが。純粋培養であるリリアンの生徒であるならば、はにかみながら照れくさそうにもう少し気を使った言い回しをするだろうが、随分とこの一年生はストレートな言である。どうやら志摩子とぶつかったことに対して悪いと思っているのだろうが、ここに呼ばれた理由にはあまり納得していない様子。

 彼女の口ぶりに祥子が少し反応を示しているが、話の主導権は薔薇さまである自分たちが握るからと彼女がこの場に来る前に牽制を掛けたのだから、一年生が酷い態度にならなければ割り込んでは来ないだろうと江利子は考える。

 

 空いている椅子へ蓉子が一年生を招き着席を促すが、一人重要な人物が足りていなかった。白薔薇さまである聖がまだこの場へ訪れていなかった。新たなお手伝いを招き入れるから、その前の事前報告の為に全員集まるようにと蓉子が彼女にきっちりと昨日伝えていたのを江利子は側で見ていたのだが。どうやら聖の悪癖が発動されたようだった。以前から時間にルーズな部分が彼女にあるのは知ってはいたが、己の楽しみにしている時間を奪われてしまうのは不本意な江利子は少しばかりの苛立ちを覚え。

 

 「悪い、遅れた」

 

 ようやく登場した腐れ縁の悪友は悪びれる様子もなく、一年生が軽く頭を下げたというのに一瞥しただけで何の反応も示さぬまま指定席へと着く。もう少し協調性や愛想よく出来ないものだろうかとふと江利子は頭の片隅で考えるが、自分もそれらについては聖とあまり変わったものではないなと心の中で笑うのだった。

 

 「回りくどいのも面倒だから単刀直入に言いましょうか。――山百合会を手伝って貰えないかしら、鵜久森樹さん」

 

 考えごとをしているうちに蓉子が話を進めていたのだった。

 

 「……はあ」

 

 リリアンの生徒ならばすぐさま顔を綻ばせ『よろこんで』や『私なんかでお役に立てるのでしょうか』と言うのだが。目の前に座す一年生、鵜久森樹という少女は黒縁の眼鏡の奥にある瞳を一瞬だけ細めて、なんともいえない声を上げた。

 

 「あら、気のない返事」

 

 「ご気分を害されたなら申し訳ありません。ただ単純に何故私なのかという疑問と、面識のない一生徒よりも仲の良い方やクラスメイトに助っ人に入ってもらう方が気が楽で手っ取り早くありませんか?」

 

 嗚呼、やはり彼女はリリアン生らしくないと江利子はほくそ笑む。普通のリリアン生ならば先程の己の言葉を受けて気分を害したと委縮してしまうのだが、目の前の彼女は随分と肝が据わっている。

 

 「それでもいいのだけれど、丁度暇そうな一年生が昨日みつかったものだから」

 

 蓉子に全てを任せて己は横で傍観し彼女の観察に勤しむ腹積もりだったのだが、つい江利子は口に出てしまうが直ぐに思考を切り替えて蓉子の方へと視線を向ける。

 

 「あと単純に、もうすぐ体育祭で人手が足りていないの。部活動をしている子たちは出し物の準備もあるし、手の空いている人って限られてくるでしょう?」

 

 江利子の意図をくみ取った蓉子がフォローに入ると、一年生は考えるようなしぐさを一瞬だけ見せて更に反論するものだから、江利子の興味を引いてしまうのは当たり前である。随分と上級生に対して失礼な物言いではあるが、不快感は不思議と湧くことはなかった。幾度か交わしたやり取りの後、蓉子の『どうしても駄目かしら?』という言葉で流れが少し変わる。

 どうやら自分の一存では決められないらしく、彼女の両親の許可が必要だと言うのだ。確かに彼女が『了』とこの場で快く返事をしたとしても、この話を聞いた保護者が『否』と言ってしまえばこの話はなかったことになるし、一年生の保護者が厳格な人物であれば勝手に生徒会へと引き込んだことを学園側へ苦情が行く可能性だってある。

 

 ――助けられた、か。

 

 確証のない今現在の時点では可能性の話でしかないが。いままでの手伝いの子たちが余りにも素直だったばかりに失念していた江利子は、目の前の一年生に期待の眼差しを向ける。ありきたりで変わらない日々を、もしかすれば彼女が楽しいものに変えてくれるのではないか、という期待を。そして彼女が江利子のその期待を裏切らないことを、そう遠くない日に江利子は知るのだった。

 

 ◇

 

 ――悪くはない。

 

 確かに自身の言葉としては珍しく素直に人を褒めたかもしれないと、佐藤聖はひとつ溜息を零したのだった。何故そんなことを言ったのか理由は定かではない。ただ一つだけ確かなことは、下級生たちが薔薇の館の住人である聖たちに向ける憧れの視線、それを一切彼女から感じなかった。ただそれだけではあったが、随分と気持ちが楽だったのだ。

 聖が山百合会で白薔薇さまを担うのは、ただ単に自身の姉から引き継いだだけのもので薔薇さまとしての自覚などほとんどなく、降りろと言われれば簡単に捨てられるものである。執着など全くないし学園の生徒から憧れの眼差しで見られるのは、少々気が重い。ただこの場所は聖が潰れそうになったあの時、手を差し伸べてくれた人が拠り所として残してくれた場でもある。自身の両隣に立つ二人はかけがえのない友なのだと、今ならばそう思える。時折、鬱陶しくもあるが。

 

 そうして今現在、中等部から交友を持つ蓉子が聖に対して気の立つ言葉を発し、言い争いになるのはここ最近での常である。四月から山百合会の手伝いとして薔薇の館に赴いている志摩子の立つ足場は脆く、彼女の処遇をどうするのかと口を開けばそう聞いてくるのだ。

 志摩子を薔薇の館へと招いたのは自身ではなく蓉子だろうと、心の中で毒づく聖は迷う。山百合会のことを考えるのならば志摩子を妹に迎えるべきなのだろう。ただ彼女を妹にして聖に一体何ができるというのだ。自分と似ているあの子にロザリオという重りを与えているようにしか思えないが、聖自身も迷っているのだ。どこか希薄な志摩子に自分と同じように彼女にも居場所を与えることが出来るのではないか、と。答えを先延ばしにしているだけだと理解している、けれど今はまだ。

 

 蓉子の言葉に答えることもなく、薔薇の館二階のあまり新しくない扉を思いっきり開いて、そこから聖は飛び出した。

 

 「っ!」

 

 「うわ」

 

 走ってはいなかったが随分と歩く速度が出ていた為に、どんっと勢いよく肩をぶつけた痛みに立ち止まると、先日から山百合会を手伝う事となった件の一年生がぽかんとした顔で下を向いていた顔を聖へと向けたのだった。黒縁の眼鏡の奥にある瞳に浮かべる感情が読み取れず、聖は口を真一文字に結んでその場を去り、ひとしきり走ったところで立ち止まりふと考える。今頃ぶつかってしまった彼女は蓉子にでも泣きついているだろうか。黙って去っていった白薔薇さまの機嫌をそこねてしまったと。――いや、ぶつかってしまった彼女はおそらくそんなタマではないと、聖は幾度か頭を振る。

 あの江利子が興味を引いた子なのだから、この学園での普通ではないだろう。ならば今頃はぶつかって散らばってしまった紙束を拾いも謝罪もせず去っていったことに対して文句でも言っているかもしれないと、聖は少し気が楽になる。自身は学園の生徒らに憧れを抱かれるような人間ではないし、その期待に応える気もないのだ。それでも上辺だけ取り繕うことを覚え、どうにかこうにか薔薇さまとしてやってはいるが。

 

 ――謝らないといけないか。

 

 今思えば流石に出会い頭でぶつかって何も言わずに去っていったのは不味かっただろうと、聖は思いなおす。今日は手伝いがないから薔薇の館へ訪れるはずのない彼女が居たのかは謎であるが。

 翌日の昼休み、缶コーヒーを自動販売機で買った聖は学園内をうろうろと彷徨いようやく彼女を見つけ立ち止まる。人気のない中庭のベンチに座り食事を終えて、眠そうな顔で聖が助けた猫を見つめ大あくびをしていた。そんな間抜けな彼女の姿に気が抜けて足を踏み出して声を掛けてると、ぎょっとした顔で口元を塞ぎみっともない所を見せたと謝るが、謝罪すべきは己なのだけれどもと聖は彼女に聞こえないように独り言ちる。

 

 さて、どう言葉を掛けたものかと迷っていた聖に彼女から声が掛った。どうやら聖が彼女の下へと現れたのは山百合会の仕事関係だと踏んだらしい。謝罪しようとようやく探し出したというのに、昨日のことをこれっぽっちも覚えていないようで気が抜ける聖。取り合えず持っていた缶コーヒーの一本を彼女へと渡して事情を説明する羽目になったのはご愛敬なのだろう。

 彼女は昨日聖とぶつかったことを忘れ去っており、江利子に仕事を押し付けられたことのほうが印象に残ったようだ。嗚呼、これは江利子の興味を完全に引いたなと目の前の彼女に憐みの視線を向けてしまう。あの悪友のしつこさは並ではないので、そうそうに逃れることなど出来ないだろう。ご愁傷さまと、小さな声でつぶやくと聞こえなかったのか彼女は不思議そうな顔をする。

 江利子に捕まったことはひとまず置いておき、昨日のことを謝罪すれば『賄賂は貰った』とカラカラと笑う彼女に安堵が漏れて。飲み終わった空き缶を鉄籠のごみ入れに放り入れると、彼女も聖に倣って空き缶を放れば見事に外れて聖から自然と笑みが零れ落ちる。時間も時間なので彼女と一緒に校舎へ戻る為に中庭を歩き、昇降口でまた放課後と言って別れた。

 

 「ごきげんよう、白薔薇さま」

 

 見ず知らずの生徒にそう声を掛けられて聖も『ごきげんよう』と返す。それは必要であったが為の自然に染みついてしまった無意識の行為であったが、ふと思い返す。

 そういえばあの子はまだ一度も聖のことを『白薔薇さま』と呼んだことはないな、と。何故そう呼ばないのか理由は知らないがそれはそれで気が楽であるし、もしそう呼ばれる日がくるのならばきっと何か意味があるのだろう。そして願わくばそんな日がこないようにと聖は校舎の窓から見える空を見上げ、邪魔になる前髪を片手でかき上げるのだった。

 

 




 6448字

 【謝罪】薔薇さま三人のイメージが崩れていたら申し訳なくorz そして三人称難しい。あと前話で愚痴を吐いて申し訳ありませんでした。沢山の感想や評価ありがとうございます。モチベーションは持ち直しております。

 次の更新は日曜日(11/1)予定です。三日に一度ペースを取り戻したいのですが、仕事が忙しくて、仕事中に頭の中で話を組み立てられない……。はよ暇になって。


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第三十四話:鵜久森樹という一生徒②

 薔薇の館に山百合会メンバーとお手伝いとして出入りをしている志摩子に、三年生である薔薇さま方から伝えたいことがあると集められたのは体育祭まで数週間という頃だった。朝だというのにまだ暑さの残る薔薇の館二階の一室で全員が揃い、何も知らない二年生と一年生は何か問題でもあったのだろうかと、互いに顔を見つめ合わせ山百合会の代表的な存在である蓉子の言葉を待っているのだった。

 

 「あと少しで体育祭。――人手が足りていないから新たにお手伝いの子を増やそうと考えているのだけれど、みんなはどう思って?」

 

 にこり、と微笑みを浮かべる蓉子の顔に少し苦いものが浮かんでいるように感じる祥子。今の言葉に喜べる要素など一つもないのだし、姉である蓉子の気持ちも理解しているつもりだ。己か三年生である聖に妹が居たならば、手伝いなど必要もなくこうして姉が苦笑交じりに今の台詞を零すことにはならなかったのだから。すべては自分に妹が出来ない不甲斐なさがこうして姉を心配させつつ、山百合会の仕事を万全にこなす為に必要なことだと決断させたとなると、祥子の心にちくりと痛みが差す。

 

「忙しい時期ですしそれは構いませんが、私たちが知っている子なんですか?」

 

 どうやら薔薇さま方の間では既に話は決まっているようで、蓉子以外の二人、江利子と聖は黙っているだけだ。生徒会の運営は三年生である薔薇さまが決定権を持っているので、つぼみと妹である祥子たちが持つ権限は少ない。とはいえ一緒にリリアン女学園高等部の生徒を導く存在であり、一緒に山百合会を運営しているメンバーなのだから、薔薇さま方の意思だけで進めるつもりはないようだった。それならばと右手を軽く上げて令が疑問を口にしたのだった。

 

 「どうかしら……。一年藤組の鵜久森樹さんという子なのだけれど、誰か知っていて?」

 

 蓉子の言葉に江利子と志摩子以外が小さく首を振ると、江利子が昨日の顛末を話し始める。曰く、昨日の放課後に志摩子と出合い頭にぶつかり、散らばった書類を一緒に拾い上げやや強引に纏めた書類を志摩子から奪い薔薇の館まで運んだそうだ。"やや強引"という言葉に祥子のこめかみがぴくりと動くが、重い書類を志摩子ひとりで運ばせていた自分たちにも非があるのだと、静かに己の心の中で納得させた。

 

 「お姉さま方、一年生は他にもたくさんいらっしゃるでしょう何故その方なのです?」

 

 単純な疑問であった。確かに薔薇さまの誰かしらが下級生に一声かければ、喜んで手伝いを引き受けてくれるであろう。しかしながら今回はこうして全員に周知させてから、件の一年生を迎え入れようとしていることが祥子はなにか引っかかるものを覚えたのだ。

 

 「彼女、あまりリリアン生らしくないんだもの。――面白そうじゃない」

 

 珍しく覇気のある笑顔を浮かべた江利子の言葉に祥子は心の中で盛大な溜息を零す。薔薇さまとして彼女はきっちりと仕事をこなしてはいるが、こうして悪癖が発動し自分たちを巻き込んで何か一騒動起きることが時折ある。まだ学年が違うので直接的に巻き込まれた事のない祥子ではあるが、彼女と同級生である自身の姉の蓉子や同じつぼみである令が巻き込まれ、彼女の暴走を止めるストッパーとして動かざるを得なくなる場面を何度か見ているのだから。

 

 「そういうこと、らしいわ。……少し嫌な言い方になってしまうけれど、その子に何か問題があれば言って頂戴」

 

 肩をすくめて笑う自身の姉に少しばかりの同情の視線を向け、わかりましたと静かに告げれば周りの皆も異論がないのか、蓉子の言葉に頷くのだった。先程の蓉子の言葉は、不都合があれば切るという遠回しな物言いなのだが、自分たちの為でもあり手伝いとして招く一年生の為でもある。

 どうにも『小笠原』の名前は周囲の生徒にとって価値あるもののようだ。確かに保護者が小笠原グループ、もしくは関係会社にでも務めているのならば小笠原グループトップの一人娘である祥子へ恩を売り、昇進にでも繋がるのならば娘を介してどうにかしようとするのは理解できる。――納得は出来ないが。祥子が幼い頃からの常であったし仕方のないことと割り切ってはいるが、どうにかならないものかとも心の片隅で考えてしまう事もあるのだ。幼い頃から抱えていたソレを軽くしてくれたのは姉である蓉子だったし、学園内で我を出しても良い場所を齎せてくれたのも、今この場に居る皆のお陰である。

 

 江利子の話によれば一年生は高等部からの編入組だそうで、リリアンの伝統やルールに疎い可能性もあり、仕事をこなせるのか心配であるのだが、見てもいないうちに判断を下すのは下策であろう。それにルールに疎ければ教えればいいだけである。それが姉妹制度の本質であるし、姉妹関係でなくとも上級生と下級生という間柄となるのだから導いていけばいい。

 そう考え以前、手伝いにきた一年生へと助言をすると何故か祥子の言葉に凹んでしまい、次の仕事から来なくなるという事態に陥ったことがあるのだが。それについて祥子は間違ってはいないとはっきりと言い切れるし、何より自分たちに見とれて仕事になっていない時があったのだから、必要悪であったと判断している。次に来る一年生はそうでないことを願うしかないわね、としばしの時間目を閉じ、始業前の朝の一時であった。

 

 案ずるより産むが易し。

 

 山百合会の手伝いにと招いた一年生、鵜久森樹は存外に早く薔薇の館の住人たちに馴染んでいる。一年生である由乃や志摩子とは雑用の関係でいろいろとやり取りも多く、雑談にも興じている様子で普段大人しい二人がよく笑みを浮かべているのだ。同学年である令も由乃が心を許している雰囲気を出している為に、彼女に接する態度は以前に山百合会へと手伝いに来ていた一年生たちよりも随分と素をだしているようにみえる。

 蓉子も彼女の仕事ぶりには驚いているようで、雑用であれど手を抜く様子はないし、書類仕事も無難にこなしている。お使いに出た先の各部活動や委員会の上級生たちからの評判もなかなかに良いらしく、安堵していたのを見てしまった祥子は志摩子と同じように妹候補とするべきだろうかと頭の片隅にふと浮かぶが、まだ早計だろうと打ち消す。

 

 山百合会へと早々に溶け込み始めた彼女になにか問題があるとすれば、編入生故の上下関係の薄さであろうか。外の中学生の時や別の高等学校であれば許されることかもしれないが、ここは由緒ある私立リリアン女学園であり古くから守り育て上げてきたものを簡単に崩してしまうのは問題がある。

 お使いから帰って来た手伝いの一年生が少し汗ばみ疲れた様子をみせているが、体育祭前の山百合会は猫の手も借りたいほど忙しく、蓉子が申し訳なさそうにもう一仕事あると彼女に告げると、疲れているのか小さく口を開くと問題のある言葉が出てきたのだった。

 

 「リョーカイでーす」

 

 蓉子へと返った言葉は気の抜けたもので、とても上級生に対する言ではなかった。それを聞いた祥子は一瞬で沸点へと達して、がたりと椅子を後ろへと引き下げて勢い良く立ち上がり。

 

 「樹さんっ! 前にも言いましたがお姉さま方に取る態度ではなくってよっ!」

 

 そう、これで二度目である。以前よりも厳しい口調で祥子は一年生を嗜めたものの、やってしまったなという顔色を見せてはいるがそれだけであり、一言謝罪の言葉があるだけで。何も言わない一年生に何故だか余計に腹が立ちはじめ、語気を荒げた言葉を発する祥子だが、二人のやり取りを見かねた蓉子が祥子を止め、一年生をそそくさと薔薇の館から外の仕事へと向かわせたのだった。

 

 「祥子、気持ちは理解できるけれど少し言い過ぎではないかしら?」

 

 目を細め苦みを含めた蓉子の笑みに気の立っていた祥子は少しトーンを落として席へと着く。確かに言い過ぎたかもしれない。以前にお手伝いに来ていた一年生も祥子の怒りを買いそこから訪れなくなってしまったのだから。

 しかし今、山百合会の手伝いとしてやってきている一年生は様子が違い、祥子が怒ろうともおびえた様子は見せず『すみません』と短く謝罪するだけであるが、一応、直そうとしている雰囲気もあるのだ。以前よりも上級生に対しての受けごたえは丁寧なものになってきてはいたし、入室時の挨拶の仕方などもきちんと出来ている。――時折、崩れてしまい、こうして祥子の怒りを買うのだが。

 

 「お姉さま、少しあの子に甘いのではありませんか……?」

 

 「そうかしら」

 

 机に両肘をついてその手の上に顎を乗せている蓉子は微笑みを深めて、祥子の言葉を受け流す。どうして新しく招いた一年生に甘いのか不思議で仕方がない。

 

 「そうねえ、仕事を覚えるのが早い。外におつかいに行っても無難にこなしているし、先生やシスターたちからの評判もいいんだもの。甘くなるのは仕方ないのではなくて?」

 

 どうやら祥子の説得は蓉子が行うらしい。他の薔薇さま二人は黙って蓉子と祥子のやり取りをみているだけで、口をはさむつもりはないらしい。もっとも聖は以前より我関せずの態度を貫いているのだが。

 

 「確かに仕事はきちんとこなしていますが、先程も言った通り上級生に対する態度ではありませんわ」

 

 「でも祥子の注意で改善しているじゃない」

 

 「ええ、少しづつではありますが……。けれど、先程も結局お姉さまに失礼な態度を取ったでしょう」

 

 「暑い外を駆けずり回ってくれているのだもの、あれくらい可愛いものじゃない」

 

 「…………」

 

 気にしていないというのならば何も言い返せなくなる祥子に、なんともいえない顔をする蓉子。曲がった事やルールや掟を破る人間が嫌いな祥子にとって、リリアンのルールに疎い一年生に腹を立ててしまうことは重々承知であり、今日の出来事もある程度は予想済みであった。あとは一年生が持つかどうかの問題なのだが、忙しいこの時期に使える人間を手放すのは惜しくもある。仕方なく止めの一撃を入れるかと蓉子は苦笑しながら口を開いた。

 

 「それとも祥子が今すぐ代わりの子を連れてきてくれるのかしら」

 

 う、というような微妙な顔になり沈黙する祥子。クラスメイトに声を掛ければ簡単に捕まるだろうが、部活や習い事などで忙しい子たちが多い為に安易に声を掛けずらい。蓉子の両隣に座る江利子と聖はいつものことだとどこ吹く風で、令は諍いに発展しなかったことに安堵の溜息を一つ吐いているし、由乃と志摩子も慣れてしまいいつものことだと黙ってみているだけであった。助けてくれる人が居ないわねと心の中で思いつつ祥子は、件の一年生にどう言葉を尽くせばリリアン生として三年間を過ごしてくれるのだろうかと、頭を悩ませる羽目になるのだった。

 

 ――銀杏並木。

 

 どうにもこの場所は苦手であるが、通らなければ正門へと辿り着けないし仕方がないと諦めて祥子は歩を進める。

 

 「祥子さま」

 

 不意に後ろから声を掛けられて、あわてず優雅に祥子は振り返って足を揃え鞄を前にだして立ち止まるとそこには件の一年生の姿が。少し息切れしている様子に走って追いついてきたのだろうかと祥子は考えるが、何故先に帰ったはずの彼女がこの場にいるのか不思議になる。

 

 「あら、樹さん。帰ったのではなくて?」

 

 「先ほどの事をきちんと謝りたくて、少し時間を潰していたんです」

 

 己を待つ必要などなかったはずだ。手伝いに来る意思があるのならばいつでも薔薇の館で会えるだろうから謝罪などいつでも出来る。

 ただこうして失敗したことを後回しにせず即座に謝ろうとしたことには好感が持てるし、直そうという意思があるのならば上級生としていつまでも怒りを抱えているようでは失格であろう。彼女の謝罪を受け入れた祥子は、江利子の言うように目の前に立つ人は変わっていると納得し、ぽつりと小さく言葉を零す。

 

 「……変な人ね」

 

 聞こえてしまったその言葉に怒る様子もなく後ろ手で頭を掻く彼女に笑みをつい零してしまうと、彼女は何故だか祥子の下を去っていくのだった。

 走り去り遠ざかる彼女の背を見つめながら、取り合えず逃げるように走り出すのは淑女の作法ではないと注意しなければと心に誓う祥子は、嫌いな銀杏並木道を幾分か軽い心で歩き進むのだった。

 

 ◇

 

 最近、由乃の様子が随分と明るい。

 

 その原因は手伝いに招いた一年生のお陰であるというのは、由乃をよく知る人物であれば明らかで。楽しそうに件の一年生について語る由乃に少しばかりの寂しさを覚える令であるが、良いことなのだからと自身の心に言い聞かせるのだった。

 

 「聞いてよ令ちゃんっ」

 

 「どうしたの、由乃」

 

 くすくすと小さく笑いながら笑みをこぼす由乃。家が隣同士ということで生まれた時から一緒だった由乃の部屋で、放課後こうして過ごすのはいつものことで。体が弱いことで無理のできない由乃に令が甘くなるのは必然だった。ただ時折過剰になり由乃から鬱陶しく思われていることも理解はしているのだが、離れられないのもまた事実。そして由乃も令から離れられないこともまた事実。

 学生の身故、まだこの時間が続いていくことを願っている令であるが、それも遠からず無理になるだろうとおぼろげながらに考えてはいるものの。お互いにもたれ掛って支え合っている状況が心地いいのだから、現実に向き合うにはまだ早い。

 

 「あのね今日、樹さんが教科書を借りに来たのっ!」

 

 「教科書? もしかして樹ちゃん忘れたの?」

 

 あの一年生らしいといえばらしいのか。山百合会の最高幹部である薔薇さま方となんの緊張も見せずに話しているような子だ。編入組とはいえ四月からの数か月間で薔薇さまたちの人となりは知っているだろうに。

 自身も黄薔薇のつぼみとして生徒会活動に勤しんでいるが、幼稚舎からリリアンに通っている子だろうと、高等部からの編入組であろうと憧れの眼差しを向けられながら声を掛けられる。しかし鵜久森樹という一年生はその様子が一切なく、あるとすれば上級生と下級生の線引き位であるし、山百合会の手伝いの返事をしに薔薇の館へと訪れた際に会話を交わしたが、普通にやり取りをしたのは随分と新鮮だった。

 上級生に対してそういう態度を取る人物だから祥子の怒りを時折買ったりしているが落ち込む様子もなく、薔薇の館に呼ばれ与えられた仕事をきっちりこなし帰っていく。蓉子は忙しいから即戦力の子は助かると零していたし、自身の姉である江利子も彼女は気に入っている様子で、ちょっかいを掛けては楽しそうに笑っている。白薔薇さまである聖は何も言わないが、彼女のことを嫌っているのならば排除するだろうと、令は考える。去年よりはマシになったとはいえど、まだ取っ付きにくい部分を残しているのだから。

 

 「ええ。それで持っていないかって私の所に来たのよ」

 

 「それで由乃は持ってたの?」

 

 身内にしかみせない顔の由乃に自然と笑みが零れる令。どうやら新たな手伝いの一年生は由乃のお淑やかな雰囲気に呑まれることもなく、普通に接してくれているようだ。教科書を忘れてしまうなどリリアン生にとって珍しいのだが、こうして堂々と由乃に借りに来る辺り肝が据わっている。よくよく話を聞いていれば志摩子にも頼ったようで、図太いというかなんというか。

 由乃も由乃だが、志摩子も近寄りがたい雰囲気を醸し出している子だというのに。ひとりを好んでいるのか、誰かと一緒にいる所をあまり見たことがないし友人と呼べる人物がいるのかどうかも分からない。ただ確実なことは由乃や志摩子に友人と呼べる子が出来る気配を感じていることに嬉しく思う令は、ただただ由乃が一生懸命に話す言葉を一言一句聞き逃すまいと耳を傾けるのだった。

 

 そうして幾日か過ぎ体育祭も間近と迫ったとある日。衝撃の出来事が令の目の前で起こっていた。

 

 「樹ちゃん、珍しいね」

 

 「何がですか?」

 

 きょとんと不思議そうに顔を傾ける一年生は、どうやら令の真意が分からないらしい。

 

 「ココでゆっくり座ってお茶を飲んでるのが」

 

 体育祭間近の生徒会はとにかく忙しい。部活動や委員会との連絡を密にしなければならないし、教師陣やシスターたちとのやり取りも大変である。だからこそ動ける一年生をと彼女を山百合会の手伝いにと招き入れたはずなのだが。

 

 「ああ」

 

 ぽんと手を叩いて納得する様子を見せる彼女はにんまりと意地の悪い笑みを浮かべたのだった。

 

 「昨日、江利子さまに仕事を無理矢理押し付けられたので、蓉子さまと交渉して今日の私の仕事分を江利子さまに全部なすり付けました」

 

 へらりと笑っている一年生に、己が姉は何をしでかしたのだろうかと蓉子の方を見る令。

 

 「ええ。江利子ったら面白がって自分の仕事分を樹ちゃんに渡すんだもの」

 

 「私の扱い酷いですよねえ」

 

 「まあいいじゃない。貴女の言葉を尊重して今日は江利子に動いてもらっているのだし」

 

 にっこりと二人して笑い軽口を言いあう光景に、この部屋にいる全員が驚いた顔を見せた。昨日は由乃が体調を崩してしまったから、山百合会の仕事は手伝えないと姉に申し出て由乃を連れて一緒に帰宅したのだが。その間になにか一悶着あったようだ。話を聞くと、どうやら昨日は蓉子と江利子以外にメンバーが集まらなかったらしく、偶々訪れた一年生に仕事を頼む羽目になったのだそうで、昨日ここに来られなかったメンバーが頭を抱える。

 

 「江利子さまにはキリキリ働いてもらわなきゃ割に合いません」

 

 「ふふ、そうね」

 

 己が姉は現在お使いに出ている。何故蓉子が江利子にお使いを頼むのか不思議で仕方なかったのだが、これでようやく納得がいった。

 お使い先の部長は、黄薔薇さまの登場にさぞ驚いていることだろう。本来ならば一年生の仕事であるし、三年生でしかも薔薇さまと呼ばれる人が雑用をこなすなどとあり得ない光景であるのだから。まだ体調のすぐれない由乃がここに居れば心の中でほくそ笑んでいたに違いないと、たらりと冷や汗を流す令は目の前に居る一年生の肝の太さを実感したのだった。

 

 さらに数日が経ち、体育祭本番となった。順調に競技は進んでいき二年生の出番となる借り物競走に『眼鏡を掛けている知り合いの下級生』というピンポイントの紙を選んだのは果たして必然だったのか。

 最近、よく話すようになった一年生が所属している藤組のテントへと走り名を呼ぶと一瞬驚いた様子を見せたが、手を差し伸べるとクラスメイトたちに背を押されてこちらへと来てくれた。手を握り走り始めるとどうやらまだ余裕があるようでピッチを上げてもいいか確認すると、にっと笑って『ええ、もちろん』と返してくれたが為に令は走る速度を上げた。

 

 「うおっ」

 

 小さく零した言葉が聞こえたような気がしなくもないが、もう少しで前を走る人たちを追い越し一位を取れる可能性が見えてきた。更に速度を上げても一年生はついてきてくれるので、それが嬉しくなり全力に近い速度で走りゴールへと辿り着く。一番の旗を体育委員の係り子から渡されて同じクラスの子に話しかけられ、一年生を放っていたことに後から由乃に怒られたのは秘密である。

 

 「令さま」

 

 唐突に呼ばれた一年生の声に振り返り指差す方向を見ると、カメラを抱えた写真部の姿があり意図を理解した令は隣に居た一年生の肩に手を置いて笑うと、彼女は無邪気に腕を伸ばしてピースサインをする。にかっと笑っている一年生を横目で確認できた令は本当に面白い子だなと苦笑が漏れ。のちにこの写真で由乃と一悶着あるのだが、きっと遠い将来笑い話になるのだろう。

 

 




 7798字

 重複申し訳なく。次は一年生視点に移って、その次に新しくアクション起こさないと。

 初期の頃の祥子さまからのオリ主の心象はよろしくないようです。逆に令さまは、由乃に友人と呼べる人物が出来そうなので見守りつつ期待してるという感じ。三年生組もオリ主の砕けた態度には文句はないし、仕事はさばけるので許容範囲。時折、面白いことをやらかすので江利子さまがにんまりしているようですぞ。


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第三十五話:鵜久森樹という一生徒③

 

 ――不思議な人。

 

 新たなお手伝いの一年生を一言で表すのならば、この言葉が適当だろうと志摩子は頭の片隅で考える。今の今まで彼女の存在を知らなかったことも不思議ではあるが。外部からの編入生ということで物珍しさからくる周囲の視線を受けていただろうに、どうやら彼女は直ぐにリリアンの日常に埋没したようだ。志摩子も中等部からの編入故にある程度、興味本位の視線を受けていたことがあるのだが、こればかりはそれぞれの性格が自ずとでてしまったのだろう。

 件の一年生は、お嬢さま校に通う生徒らしくない突飛な行動に呆れられつつも、藤組のクラスメイトに受け入れられ直ぐに溶け込み、一方の志摩子は見目の良さと近づき難い雰囲気からクラスへ馴染むまでに時間が掛かってしまった。そんなどこか壁を作っている志摩子に彼女は簡単に足を踏み入れた。不用意に土足で入り込んだという訳でもなく、自然に滑らかに気が付くと深いところにまで入り込んでいたようだ。

 

 志摩子と彼女、どちらが聖の妹となるのか周囲から騒がれていたが、気が付いていないのか、はたまた知っていてもどこ吹く風で志摩子と接してくれたのか。

 初めこそ偶然ではあったが一緒に昼ごはんを食べたり、余った時間に彼女の愚痴を聞いたりと。まさか自分がリリアンのしきたりやルールについて、誰かに教えることになるなど想像もできなかったし、彼女と笑いあえるなどとも思っていなかったというのに。

 

 右腕に巻き付いたロザリオを見る。

 

 少し前に聖と交わした姉妹の絆。期限付きだけど私の妹になりなさい、と強い言葉で迫られたが不快感など全くなく聖らしいと思えるくらいには一緒の時間を二人は過ごしている。互いのことを語り合うことや、リリアンの生徒にとって一般的な姉妹の形をしていなくとも互いに認め合い側に居られた。四月からずいぶんと長く時間が掛かってしまったようにも思えるが、きっとこのタイミングが二人にとってのベストだったのだろう。

 

 聖と志摩子は三年生と一年生という間柄で、一部の生徒たちから良く思われていない。二年生をすっ飛ばして絆を結んだことに反感を買っているのは理解していたし、聖という姉は学園内ではかなりの人気を誇る生徒であるが為に、志摩子にやっかみが降りかかることもあったが、姉妹になったお陰でソレは翳りを見せている。

 

 そして志摩子が気になることは、件の同級生がどうなるかであった。体育祭で人手が足りていないが為に駆り出された同級生は、聖と志摩子が姉妹となると『おめでとう』とへらりと笑い祝福してくれた。今後は祥子の妹候補として周囲から見られてしまうのだろう。祥子の姉である蓉子も彼女のことを気に入っているようだし、妹が出来ない祥子に以前から発破をかけていたのだから当然である。ただ件の彼女はそんなことなどまったく気にもしないで薔薇の館へと出入りしている。

 誰かの妹になるなど露程も考えていない様子で、仕事をソツなくこなして与えられたものが終われば更に手伝えることがないかと薔薇さま方へと進言してなければ『それじゃあ私は帰ります』と言い放ちそそくさと帰路につく。随分と素っ気ない態度でそんなことが山百合会の外に漏れれば彼女はどうなるのか、志摩子はあまり考えたくないことを予想してしまう。一部に山百合会を神聖視している過激な生徒もいるのだ。聖と長い期間、姉妹の絆を結ばなかったために、そういう人たちに絡まれたことがある。やんわりと遠回しにであったが、数人の上級生に囲まれてしまえば、上品なお嬢様たちとはいえど威圧感は十分にある。

 

 ――その後は私もお役御免だねえ。

 

 どうやら彼女はキチンと考えを持って行動をしているようだった。体育祭が終わり、二学期最大行事の学園祭が終われば、山百合会の手伝いとして薔薇の館に出入りすることもなくなるだろうと踏んでいるようだが。

 ただ紅薔薇さまと黄薔薇さま、そしてあまり誰かに近寄ろうとしない自身の姉の白薔薇さまさえ、彼女を気にかけている。仕事を無難にこなしていることも一因としてあるのだろうが、とにもかくも周囲に溶け込むことが早いのだ彼女は。部活動や委員会へと書類の提出や回収に回ることが多くあるのだが、いつの間にか各部長や委員長たちとの繋がりも出来ているようだし、教師やシスター陣からの評判も良い。

 

 さらに拍車をかけたのがつい先日に起こった彼女が帰宅途中で人助けをしたという吉報。

 

 紅薔薇のつぼみの妹として彼女は相応しいのかという身勝手な憶測は立ち消え、彼女こそ相応しいとこれもまた身勝手な言を囁く人たちが増えていき。祥子がフラれた噂と聖と志摩子が姉妹の絆を結んだという、リリアン生ならば一大事件が彼女の行動によって少しだけ鎮静化されたのは、一体誰の手引きだったのか。興味本位の視線に辟易して、後ろ手で頭を掻きながらゲンナリとしている彼女の為を思うのならば、薔薇の館から彼女が身を引くのも一つの手なのだろう。

 

 「あ……」

 

 そう考えた瞬間に何かよくわからない感情が志摩子の中に流れた。そもそも彼女を引き留めているのは自分たち山百合会の人間――特に薔薇さま方である。祥子の妹となる可能性も捨てきれないので、まだ早計なのかもしれないが、彼女にその意思は皆無であるし祥子にもその意思はなさそうだと志摩子は考えている。

 やはり彼女の言う通り学園祭が終われば役目を終えて離れてしまうのだろうか。いや、同学年なのだし進級すれば同じクラスになる可能性だってありえるのだが。薔薇の館での一室に穏やかに流れる時間を愛おしく感じている志摩子は、彼女が去ることによってもたらす一抹の寂しさを感じつつ、自分にはどうしようもないことだと教室の自席で静かに目を閉じるのだった。

 

 ◇

 

 初めて彼女を見た時は何処にでもいるような子だと、由乃は薔薇の館の一室で静かに観察していた。

 

 新たにお手伝いの子を一人招き入れると、上級生である薔薇さま方から告げられた朝。そうして授業も進み、昼休みも終えて午後の授業も問題なく終え。志摩子が迎えにあがり薔薇の館へと彼女を部屋へと招き入れ、席へと導き静かに椅子へと座る。

 

 ――あら。

 

 何か今までと違うものを由乃は彼女に感じ取るが、江利子の視線を受けこくりと一つ頷いた。自身は一年生なのだから雑用は当然であるのだが、令の姉である江利子に顎で使われるのは、正直癪である。いろいろと思うことはあれど今この場で、その感情を押し出す訳にもいかないし、取り合えずは自分に与えられた仕事を成すことだと割り切って、流し台へと立つと同じ一年生である志摩子も並んで慣れた手つきで、全員分の紅茶を用意したのだった。

 黄薔薇のつぼみの妹なれど、発言権など持ち合わせていない由乃は黙ってみているしかない。ただ面白いことは今までのお手伝いの生徒とは違い、あの薔薇さま方に臆することなく喰いつこうとする彼女の胆力だろうか。薔薇さまが『貴女にお手伝いをお願いしたいの』なんて言えば、断る生徒などいなかったし、顔を赤らめながら『嬉しいです、一生懸命頑張ります』と健気に答える子たちが殆どで。だけれど今回の一年生は随分と確りとした性格をしているようで、保護者の確認が必要との事で一旦保留となった。彼女が部屋を去った後であり得ない態度を取った一年生に祥子が苦言を呈していたが、姉である蓉子に丸め込まれていたのは日常風景であろう。

 そんな二人を見ながら由乃の祖母となる江利子がほくそ笑んでいるのが気に喰わないが、自分も何故だか彼女が今考えているであろうことに同意はしているのだ。もし今回の一年生が山百合会の手伝いをすることになるのならば、楽しいことになりそうだと心のどこかで期待をしている自分がいるのだから。

 

 そして彼女は由乃の期待を裏切ることはなかった。

 

 教科書を忘れてわざわざ由乃のクラスである松組まで訪れてきたし、由乃の下を訪れる前に志摩子を頼ったようで。授業が終わったその後で彼女は直ぐに教科書を返してくれたのだが、苦笑いをしながらいろいろと外の学校のことを教えてくれることに感謝し。江利子の悪戯に正攻法で仕返しをしたと体調が悪くベッドに寝ていた由乃に学校で起きたことを語る令から聞いた時、その場に居なかったことをどんなに悔やんだか。

 挙句の果てには由乃の家に遊びに行く約束を自然と取り付けてくれたり、倒れた人を助けたというのに生徒指導室に呼ばれたり、知らない上級生から『妹になりなさい』と声を掛けられたりと彼女の日常は随分と忙しく日々が進んで。

 

 夏の暑さも随分と薄れ銀杏の木も随分と色好き始め、学園祭が近くなってきたある日。

 

 ――私は必要ないでしょ。

 

 薔薇の館の倉庫、祥子と祥子の妹候補として唐突に表れた福沢祐巳以外のいつものメンバーが居る側で、その一言を聞いた由乃は随分とショックを受けていた。ただなんとなく心配になり聞いただけの言葉が胸に刺さる。令や江利子の言う通り由乃に随分とお手伝いの一年生は構っていたし、なにより素の自分を出せていた。

 いつも自分を偽ってクラスの子や同級生、上級生と接していたハズなのに不思議と彼女の前では考えていることをストレートに口にして、そして彼女も平然と受け止めてくれて。そんな彼女が薔薇の館から居なくなると考えると、寂しいという気持ちが由乃の心から溢れ出てくるが、学園祭までにはまだ時間があるのだと言い聞かせ、とりあえずその場は誤魔化しておいたのだった。

 

 学園祭が終わった直ぐ後に、祥子さまの妹の座に祐巳さんが収まったことをみんなで祝福したのだが、素直に喜べない自分がいることに驚きを隠せない由乃。その出来事はお手伝いの一年生が薔薇の館に出入りする理由が完全になくなってしまうことを意味していた。

 空白だった役員という席が埋まったというのに薔薇の館に部外者が出入りする訳にもいかないし、そのまま何の意味もなく彼女が出入りを続けていれば周囲が良く思わない。それが分かっていても現実を突きつけられると泣きたくなるほどに辛いものなのだと、由乃は知ることとなる。

 

 「樹さん、薔薇さま方が仕事があるからお手伝いに来て欲しいって言っているのだけれど」

 

 大丈夫かしら、という意味の視線を由乃が彼女に向けると、後ろ手で頭を掻いて少し困ったような顔をした。

 

 「あ、ごめん。用事があってこの後直ぐに家に帰らなきゃならなくて。今日のところはゴメン」

 

 苦笑いをしながら片手を真っ直ぐに立てて顔の真ん中で止め、小さく頭を下げる同級生に由乃は不満を感じるが、用事というのならば無理には誘えない。本当ならば彼女の腕を取って無理矢理にでも引き連れていくのだが、由乃が体調を崩したときに彼女が代わりに山百合会の仕事をこなすこともあったのだから、余計に口には出せないでいた。

 

 「……そうなの。――仕方ない、わよね」

 

 「次があれば手伝うから。それじゃあ」

 

 苦笑いをしながら藤組の教室へと戻る彼女の背を見つめていると、ふと違和感を感じた由乃は周囲を見渡した。

 

 ――何、この感じ。

 

 自身に刺さったものではないが、なにか強いものを感じて目を細める由乃が見たもの。それは先ほど由乃の願いを断った彼女に一切強く向けられた、誰かの視線であった。

 

 ◇

 

 初めてのことで慣れない祐巳を笑いながら慣れるから大丈夫だと、仕事のコツを教えてくれたのは鵜久森樹という編入生だった。リリアン女学園というお嬢さまが通う学園に随分と毛色の違うその人物は、周囲の目も気にした様子もなく薔薇の館へと出入りをし、祐巳と祥子の仲を応援してくれているようにも感じていた。

 周囲の圧に耐えきれず逃げた先に彼女がひょっこり現れて、面白可笑しく関係のない話を語ってくれたり、新聞部からの追求を逃してくれたり。もちろん彼女以外にも志摩子や蔦子、そして由乃までもが手を差し伸べてくれたことにはとても感謝している。

 

 だというのに生徒会役員の席は全て埋まってしまったからといって『はい、さよなら』ではあんまりではないかと思えてしまうのだ。もちろん薔薇さま方である三年生もそんなことは欠片も考えてはいない。ただ、山百合会以外の周囲の眼が厳しい。

 ただの生徒会だというのに山百合会は学園内で神格化され、薔薇の館は近づき難い場所と認識されているのだ。今の今まで一般生徒であった祐巳も祥子との縁がなければ一歩も踏み入れなかった場所であろう。お手伝いをお願いと紅薔薇さまである蓉子から告げられて、仕事があるからと言われて参加するために訪れた初日は緊張して夜もあまり眠れなかった。

 

 ――祐巳さん、手伝うよ。

 

 どうすればいいのか分からず困り果て右往左往していた祐巳に一番最初に手を差し伸べたのが、噂の一年生だった。

 体育祭前、山百合会が新たな人をお手伝いに招いたと、周囲が少し騒がしく彼女のことを噂をしていたし、白薔薇さまの妹候補として名前が挙がったこともある。そしてのちに祥子とも妹候補として名前が挙がり、一時期、祐巳の目の前で笑っている人物に嫉妬したりもした。ただその張本人は祥子の妹になるつもりはないし、祥子も自身を見ていないと言い切った。どうしてそんなことが言えてしまうのか不思議でたまらなかったが、彼女を見ていると『姉』なんて存在を必要ともしていない人なのだろうと祐巳は感じる。

 

 「祐巳さん、志摩子さん。――少しお話があるのだけれどいいかしら?」

 

 「どうしたの、由乃さん」

 

 「?」

 

 放課後、一年生しかいない薔薇の館の一室で由乃が祐巳と志摩子へと声を掛けた。一階の倉庫から道具を持ち出して三人で上級生がくるまえに簡単に掃除を済ませてしまおうと、会議室へと戻った矢先のことである。

 

 「学園祭のあとから何度か樹さんをお手伝いに引っ張り出そうとしたでしょう」

 

 「うん。でも最近は数回に一回、断るんだよね……樹さん」

 

 「学園祭までは一度も断ったことがないものね……」

 

 どうやら祐巳以外の二人も件の同級生の行動には違和感を抱えているようで、困ったような顔をしている。ただどうすればいいのか分からず、動こうにも身動きが取れないという状況であった。山百合会の手伝いとして彼女と会わなくなっても、同級生なのだからどこかで会う機会はあるだろう。しかしその回数は確実に減ってしまう。

 由乃は目に見えて落ち込んでいるし、どこか他人を寄せ付けない志摩子も彼女のことは気にしているようだった。彼女たちよりも付き合いの短い祐巳でさえ、どこか寂しさを覚えている。もし仮に無理矢理に彼女を連れだせば、彼女自身はやれやれと言いながら着いてきてくれるだろう。ただ周囲は席は埋まったはずの山百合会に部外者が出入りをすれば、あまり良く思わなく、自分たちではなく彼女へと矛先が向かってしまう。それを理解しているからこそ、三人は押し黙ってしまう。ただ今は何も起きてもいないしただの妄想に過ぎないし、リリアン生らしくない彼女ならばどんな苦境でも乗り越えてしまいそうな強さを持っていると、妙な確信もある。

 

 このまま離れてしまうのか、それとも何かしら行動を起こして彼女を山百合会に引き留めるのか。自分たちだけではどうしようもないが、困れば頼りになる姉たちが居る。どうしようもなくなれば彼女たちを頼ろうと三人で決め。

 

 そうしてそう遠くない未来に一騒動があるのは必然だったのかもしれない。

 




 6182字

 ちょっと短いですが昨日も投げたので許しておくんなまし。
 
 志摩子さん、オリ主と少しでもやり取りをするつもりで書いていたのに全く接触しないまま独白だけで終わっちまった……。彼女らしいっちゃらしいんだけれど。由乃さんもまだ無理は出来ないので、手足に枷をつけているのでなかなか身動きが取れない状態。あんなにアクティブなのにw 教室前で山百合会関係者とこんなやり取りをすりゃあ聞き耳立てている連中の一部は腹立てるよねーって。やっぱ動くとしたら祐巳ちゃんなんだけれど、どうしたものか……(ノープラン!)


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第三十六話:山百合会とその周囲

 学園祭が終わってから山百合会の手伝いにと呼ばれること数度。トップの子からのアドバイスや新しく紅薔薇のつぼみの妹となった祐巳さんの立場やらも考えて、あまり出入りする訳にはいかないだろうと、以前までは言われるがまま手伝いとして訪れていた薔薇の館に踏み入れる回数は確実に減っているはず。

 新しく山百合会のメンバーとして加わった祐巳さんが居るとはいえ一人欠員状態の山百合会だ。二学期最大のイベントが終わり落ち着きを見せ始めたといえど、いろいろとやるべき仕事があるらしく忙しい気配をみせていれば顔を出している。そして今日がそんな日であったのだけれども。

 

 ――あれ?

 

 落ち着いた雰囲気と時間が流れる薔薇の館のいつもの部屋だというのに、今日は妙な空気を感じ取ってしまう。その原因の最たるは由乃さんであり、基本、大人しく静かに仕事をこなしているというのに、今日はご機嫌斜めの様子で視線が合っても直ぐに反らす。

 何故、と思い由乃さんの姉である令さまに顔を向けると、呆れたようななんだかよく分からない苦笑いをしているだけだし、さらにその姉である江利子さまに視線を向けると不敵に笑っているだけである。そんなものだから更に謎が深まり、蓉子さまと聖さまに視線を向けるとゆるく顔を左右に振って何も言わないままで終わってしまった。

 

 「……っ」

 

 もう一度由乃さんに視線を向けると、また反らされてしまった。想定外の出来事にどうしたものかと片手で頭を掻きながら、一年生二人に顔を向けると苦笑い。事情を知っていそうなので後から聞いてみるかと、与えられた仕事をこなしながら、さてはてどうしたものかと考えている私に生暖かい周囲の視線が向けられていたことなど知る由もなく。

 

 「私、由乃さんになんかしたっけ……?」

 

 とまあ理由が分からないので仕事が終わった後、祐巳さんと志摩子さんにストレートに聞いてみたのである。そんな私の言葉を聞いた二人は苦笑いを浮かべるだけ。由乃さんがこの場に居ないのは三年生の配慮なのか、一番先に由乃さんと令さまが仕事が終わったからと先に出ていき、三年生も『最後の戸締りはお願いね』と笑って出ていったのである。この状況を作り出してくれたことはありがたいけれど、理由を知ってるなら三年生の口から教えてもらってもよかった気がするのだけれど、まあ何か伝えられない理由でもあるのだろう。

 

 「あー……えっと……その」

 

 私へと言い辛いのか祐巳さんが口ごもりながら志摩子さんの方を見る。志摩子さんは一瞬きょとんと不思議そうな顔をして、私の方を向いてその表情を変えて。

 

 「樹さんはなにもしていないけれど……」

 

 「多分、だけれど由乃さんは樹さんが私たちのこと避けてるんじゃないかって」

 

 「避けてる、かあ。――まいったなあ、そういうつもりじゃあないんだけれど……」

 

 まあ見方によっては私が山百合会を避け始めていると思われても仕方ないけれど。何度も言うが、部外者の私が薔薇の館に出入りすると周囲は生徒会役員としての資質を疑い始めるだろう。

 特に新参者の祐巳さんには真っ先に矛先がくるだろうし、長く続けばいずれは他のメンバーにも波及していくだろうし。それに私がこんなに手伝いに赴かなくても、少し時間を掛ければ終わってしまう仕事ばかりなのだけれど。その辺りも不思議だし、少しばかり三年生の意図が理解できない。この状況が分からない人たちじゃないだろうし、自分たちが周囲からどう見られるのかも考えられない人でもないというのに。

 

 「あー……、二人は私が避けてるように見える?」

 

 「う、うん」

 

 「ええ、そう、ね……」

  

 「そっかあ」

 

 椅子の背もたれに思いっきり体重を預けて背をそり天井を見上げる。二人の顔は見えないけれど、私の言葉に何も言わないまま困ったような雰囲気を滲ませていて無言のまま。山百合会の周囲に目を向けていたせいで、山百合会の中のことまで考えられなかった自分が至らないのだが、どうしたものかと頭を悩ませる。ここに出入りする理由をゼロにするのならば、自分の親の名前をだして『勉学に集中しなさい』と言われて手伝えなくなったとでも嘘を吐けばそれで終わる。

 けれどウチの親にこの話が知れた時の反応が怖い。母はリリアン出身者で山百合会にあこがれを持っていた人だから、私が薔薇の館に出入りすることがなくなれば気落ちするだろうし、父は嘘を嫌う人だから話を勝手にでっち上げたことに怒るだろう。それなら直接両親に頼むこともできるけれど、学校で起こっていることを親に解決してもらうのも気が引ける。ある意味で保護者は最強のカードなのだから、どうしようもなくなった時に切るものだろう。

 

 「樹さん、どうするの?」

 

 「どうするもこうするも、私が山百合会に頻繁に出入りすると流石に不味いよね」

 

 天井へ向けていた視線を元へと戻して二人を見る。

 

 「不味いって?」

 

 祐巳さんが分からなかったのかツインテールを揺らして小首を傾げ、その様子を見た志摩子さんは小さく笑い、私も笑みが零れる。

 

 「いや、祐巳さんの立場が揺らぐことになるよ。そこから波及していくものもあるだろうし」

 

 「へっ、なんで私が?」

 

 「祐巳さんが最後の空席に座ったから生徒会としては全員が揃ったって訳でしょう。そこに部外者の私が頻繁に出入りしたら、祐巳さんに生徒会の仕事をこなせる能力がない、イコール祥子さまの妹に相応しくないって見られるようになるよ」

 

 本当は一つ席が空いていないこともないのだけれど、これは仕方のないことだ。三年生が一年生と姉妹の絆を結んではいけないというルールはないのだし、山百合会の役員なのだから一つ下の妹を作れだなんて不条理なこともないのだし。

 

 「ええっ!!」

 

 いい反応を見せてくれた祐巳さんは目をひん剥いて固まり、志摩子さんは小さく息を吐いた。どうやら祐巳さんはそこまでは思い至らなかったようなので、私の言葉で周囲の状況も気にしてくれるようになるのなら御の字なのだけれど。

 

 「樹さんは大丈夫なの?」

 

 「今のところは」

 

 恐らく先程の話で気が付いたのか志摩子さんが私に声を掛けてきた。このまま出入りを続けたり、なんやかんやとしていれば以前のような事態になりそうだけれど、距離を取っていれば平気だろうと踏んでいる。

 

 「――ま、私はどうとでもなるからいいんだよね。それよりも、こんな時期に三年生や二年生が問題に巻き込まれるのは、ねえ」

 

 リリアンがただの進学校というのならば成績が重要視されるだろうし、内申もソレを重視されるだろうけれど、ここは伝統あるお嬢さまが通う女子校だ。成績はもちろんのこと普段の素行や授業態度も大いに反映されるだろうし、山百合会の役員ともなれば教師の査定も厳しくなるだろうから。くだらないことで内申を下げることはないし、仕事もそうそう忙しくないのだから私は要らない子状態の方が上手く周囲が回るのだ。ヘソを少々曲げているらしい由乃さんには申し訳ないが、こればかりは堪えてもらうしかない。

 

 「それだと樹さんが手伝い損になるんじゃあ……?」

 

 「んー、それはそれで。人手が足りないっていって駆り出された人は他にもいるんだし、その人たちが何も言ってないなら私も文句は言えないかな」

 

 志摩子さんは聖さまの妹に納まったのだから四月からずっと手伝ってきたことはノーカウントになる。タダ働きしてただけじゃね、とかいいたくなるけれど手伝っていた本人の志摩子さんが何もいっていないのだし、私が口をだしていいことじゃない。他にも手伝いとして駆り出された人がいるはずだ。ここに出入りを始めるまで興味がなかったので、どれだけの人が手伝いに訪れていたのか知らないけれど。

 

 「そっか。でも、由乃さんのことはどうするの?」

 

 「友達が私だけってわけじゃないだろうし、流れに身を任せるしかないかな。それに祐巳さんと志摩子さんがいるんだし」

 

 大丈夫でしょ、という言葉は飲み込んで。何故か二人からの視線が痛いような気がするのだけれど、きっと目の前にある問題を二人に丸投げしたことにでも呆れているのだろう。

 山百合会の中で起きたことは山百合会の中で解決して欲しい気持ちが正直あるから、二人には頑張って欲しい所。問題の張本人である由乃さんは居ないので長話しても仕方ないから、取り合えず解散となった。開いていた窓の鍵を掛け戸締りを万全に済ませてあとは二人に任せると言って『ごきげんよう』と薔薇の館を後にしたのだった。

 

 ◇

 

 ――雑音が酷いな。

 

 最近、クラスメイトからよく聞かれるようになったのは『山百合会のお手伝いに行かなくていいの?』という疑問である。行かないもなにも人手は足りているのだし、本来ならば生徒会役員以外の生徒が仕事をしている方が問題のような気もするのだが。これを伝えるとほとんどの人は納得して引き下がってくれるのだけれど、時折喰いついてくる人がいるのである。

 

 「仕事がなきゃ行っちゃ駄目だなんて理由はないでしょう」

 

 掛けた眼鏡のレンズを光らせ人目に付かない階段に隠れた一角で、質問をしてきたのがカメラを提げた蔦子さんだった。生粋のリリアン生である彼女がこんなことを言うのは珍しい。蔦子さんの観察眼は鋭いものがあるから、私があの場所に行くと周囲がどういう反応を見せるのかなんてお見通しだろうに。

 

 「山百合会ってある意味で閉鎖された場所だから、役職持ち以外がうろちょろしてると目障りだって周りが見るし、それに巻き込まれるのは面倒だしねえ」

 

 「確かにそうね。でも貴女ならそんなもの跳ね除けてくれるだろうから、期待しているのだけれど」

 

 「私は言われるがままに与えられた仕事をこなしてただけだよ。期待されるようなことなんて何もしてないんだし」

 

 雑用を捌いて足りないところを補っていただけだし、たいしたことはしていないのだけれど。そもそも蔦子さんが望んでいる『期待』とはなんなのだろう。私の言葉を聞いた蔦子さんが大袈裟に溜息を一つ吐いて、そのまま何も言ってくれそうにないので遠回しになるけれど突っついてみる。

 

 「なんで呆れ顔なの、蔦子さん」

 

 「んー、これは当事者であるからこそ分かりにくいものなのかもしれないわね」

 

 一人納得したように意味の分からない言葉を口にした蔦子さんは、眼鏡のふちを持って位置を直して私へと視線を向け。

 

 「気付いてなくて? 貴女がお手伝いとして薔薇の館に行くようになって、随分とあそこの人たちの雰囲気は変わったもの」

 

 果たしてどうなのだろうか。山百合会のことなんてなにも気にしないまま二学期まで過ごしてきたので、二学期からの彼女たちしか私は知らないので以前の彼女たちと比べようがない。

 

 「それって私があの人たちの玩具ってこと?」

 

 むしろ楽しいものを見つけたというのが一番適切なような気がするのだけれども。

 

 「えっ?」

 

 「私って完全に珍獣扱いだよ、リリアンの生徒らしくないって理由で。……特に三年生は」

 

 蓉子さまは仕事がそれなりに捌けるから必要としてくれていたし、江利子さまは今言ったとおり玩具として、聖さまはよくわからないけれど初期は仕事ができるし自分が楽が出来るならいいか位にしか考えていなかっただろうし。祥子さまと令さまもお手伝いが増えるなら、誰でもいいかくらいだろうし、一年生に意見する権利がある程度あるとはいえ『お手伝い』を選ぶ権利はそうそうないだろうし。そんな理由なのでやっぱり私は珍獣枠であの場所に出入りしていた気がする。

 

 「い、いや、そんなことはないと思うのだけれど……」

 

 蔦子さんが若干顔を引きつらせながら自信なさげに呟いたあと沈黙しているので、なんだか本気であの人たちが珍獣とかペットとかの扱いで私を見ている気がしてきたのだけれど……。まあ、薔薇の館に訪れる機会は減るのだし気にしたら負けだろうと頭を振る。

 

 「ああ、こんな所に居た」

 

 返答に困ったのか時間停止したままのこの場を動かし、沈黙を破った人が現れた。

 

 「ごきげんよう、白薔薇さま」

 

 「聖さま、ごきげんよう」

 

 誰かの視線に目に付きにくい場所で話し込んでいたというのに、聖さまは目敏く私たちを見つけ出したようだ。にっと笑って私の肩に腕を置いて蔦子さんの方を見る。

 

 「カメラちゃん悪いんだけれど、この子借りていってもいいかな?」

 

 しれっと蔦子さんのことを『カメラちゃん』と聖さまは言ったのだけれど、当の本人は何も気にした様子はなく、奇麗なスルーをかましているのだけれど良いのだろうか。名誉なのか不名誉なのかは蔦子さん本人が決めることだし、私が口を出すことでもないかと黙っておくことに決めて。

 

 「ええ、勿論かまいませんよ。話は終わりましたので」

 

 「ありがとう。それじゃあ、ごきげんよう」

 

 私の意見が全く反映されないまま聖さまは蔦子さんに片手を上げて別れ、そのままどこかへと連行されていく。蔦子さんは三年生からのお願いを断れないのか、あっさりと抵抗もなく引き渡してくれたし、聖さまががっちりと首に腕を廻したままなので逃げられない。

 仕事はそんなに忙しくない筈なのに何故私を連れまわすのかと直接聖さまに聞いてみても『いいじゃない』とはぐらかされるだけだった。もしかして由乃さんの機嫌が悪いことが関係していて、どうにかしてくれというサインなのだろうか。――それなら仕方ないのだろうと自分で自分を納得させて薔薇の館へと赴くのだった。

 

 ◇

 

 ――同日、リリアン女学園高等部某所にて。

 

 「またあの方は白薔薇さまと一緒に居たのですって」

 

 「白薔薇さまには志摩子さんという妹が居るのにどうしてあんなにも距離が近いのかしら。ましてや薔薇の館の住人というわけでもない方が」

 

 「ええ、そうね。お手伝いという立場をわかっていないのだと思うわ。彼女、高等部からの編入組でしょう」

 

 「なら、わたくしたちが教えてあげなければなりませんわね」

 

 「そうですね。彼女は山百合会のみなさまとは釣り合いませんし」

 

 とまあ、こうして雀たちが鳴いていることを私が知る訳がないのであった。

 

 




 5436字

 またしても短い……。オリ主、完全に由乃さんのことを誤解中。人気者だけれど、友人って呼べる人少ないべ、由乃さん。そしてようやく仕込んでおいたものが発動してくれそうな気配。引っ張り過ぎたのは反省中なのですが、平和的に丸め込む予定ではあります。本当はドシリアスに持ち込みたいのですが封印。

 次の更新予定は、最低でも11/8の日曜日に。筆が進めば予定が早くなりまする。日曜日は最低担保で更新するので日曜日に覗いて頂ければと思います。


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第三十七話:しがらみと上級生と空気

 蔦子さんと話していたというのに聖さまが突然乱入し私を拉致って、人気のない場所まで連行された訳なのだけれど。ここまでの間、私を逃さないためなのか首に回された聖さまの腕は外れることなくここまで来たのだけれど、彼女たち薔薇さまから逃げられようもはずもない。薔薇さま方から逃げたという噂が光の速さのごとく広がるだろうし、その結果からの周囲の視線やらが怖いのだから。

 そういう理由で、手伝い始めた頃ならば何も考えず逃げ出したかもしれないが、薔薇の館の住人を取り巻く環境を考慮できるようになってしまったが故に、逃げることが終ぞ出来なくなってしまったという訳だ。今のところ何もないけれど、最近以前よりも強い視線を感じる時があるから用心しておいた方が無難だというのに、自分一人でどうこう出来る問題でもないので流れに身を任せるしかなく。

 

 「樹ちゃん、何かあった?」

 

 後ろ手で頭を掻きながら、聞き辛いのか珍しく視線を反らして問う聖さま。殆ど誰も通らない校舎裏の一角。よくこんな場所を知っていたなあと思いつつ、私が知らなくても彼女は二年分は長く高等部で過ごしているのだから、当然なのかもしれない。

 

 「何かって、何もありませんし、特に思い当たることもありませんが」

 

 時折、彼女は何の前置きや説明もないまま言葉をすっ飛ばして核心から喋り始めるのだけれど、癖なのだろうか。どうにかこうにか言葉からアタリをつけて答えたのだけれど、ここ最近は見なくなった少しばかり覗かせた剣呑さに驚きを隠しながら、どうしたものかと考えるが既に出している答えだから変わるはずもないのだ。

 

 「本当に?」

 

 聖さまには以前、私が見知らぬ生徒から張り手を頂いた所をバッチリ見られていたのだから、心配になっても仕方ないことなのかもしれない。仕事があるからと迎えに一年生を寄こしても、断っているのはバレバレで。とはいえ私があの場所にこれ以上出入りするのは、あまりよろしくないだろうし、他の生徒からの目もあるのだから。それに気付かない人たちでもないだろうに、こうして伺いを立てられるのが不思議で仕方ないのだけれども。

 

 「ええ。本当に、何もありませんよ」

 

 苦笑いをしながら聖さまの質問に答えるけれど、今だ表情を変えない目の前の人は何を思っているのか。タダの手伝いに過ぎない私に執着する必要もないだろうし、山百合会の人たちなら仕事は万全に捌けるだろうから。

 やはり私があの場所に出入りする理由、忙しい時期は過ぎたのだから消失している。後の懸念は嫉妬の嵐を息巻いている一部の人たちの対応だけなのだが、まあソレが山百合会へと向くことはないのだし、私が適当にあしらえばいいだけ。それを行うには、やはり薔薇の館へと行き来するのは不味い。由乃さんのことも気になるけれど、彼女には志摩子さんや祐巳さんが居るから平気だろう。

 

 「わかった。――今は何も言わないよ……」

 

 何を聖さまは聞きたかったのか余り要領を得ないまま会話を交わしていたのだけれど、核心は突かれていないし、聞かれてもいない。私が薔薇の館に出入りすることを良く思っていない人たちが居ることを、山百合会の人たちに露見することだけは避けたい。

 三年生や二年生がこの時期に不祥事なんて起こせば問題だろうし、逆に私のことを良く思っていない人たちも自分たちの進路が狭まるだけなのだから、解決を望むなら一番穏便な形で納めたいのだ。手っ取り早い方法は、私が山百合会へ行かなければ済む話だし、面倒を引き起こして忙しい薔薇の館の住人の手を煩わせる訳にもいかないのだから。

 

 それじゃあ、と背を向けて私の下を去っていく聖さまの背を見送り、晴れているのか曇っているのか微妙な判断が必要な空を見上げて。

 

 ――はあ。

 

 一つ溜息を零し。

 

 私自身だけの問題なら物事を乱暴に進めることも出来るけれど、流石に他の人、しかもその人に責任は全くないというのに巻き込んでしまうというのも気が引けるのだし。もう少し上手く立ち回れたらと考えてしまうが、これが今の私にできる最善の手なのだろう。

 視線を空から地面へと下ろして、高望みなんて出来る程の力を持っていないのだし、せいぜい地を這いつくばりながら生きていくのが精々だなと、皮肉を溜息に変えてまた一つ息を零して、教室へと戻り帰路へと着くのだった。

 

 ◇

 

 夏が過ぎ、随分と肌寒くなり秋も過ぎ去ろうと躍起になって冷たい風を吹かし始めた今日この頃。最近は気ままに学生生活を送っていたというのに、一つ気になる事が起こっている。体育祭が控えていた二学期初めにお手伝いとして江利子が目を付けた一年生の事だ。先程、同級生同士で話していたというのだが、無理矢理に人気のない場所にまで連れて来て、何か糸口でも見つからないかと曖昧な問いかけをしてみたのだけれど、結局何も変わらないまま。

 どうして彼女が急に薔薇の館に寄り付かなくなったのか、何も分からないままである。何か理由があるとすれば、他の生徒からのやっかみを受けているかもしれないが、彼女はそんなことで折れてしまうような子ではないのは知っている。偶然ではあるけれど、彼女が何人かの生徒に詰め寄られていたところを見てしまった。普通ならば、詰め寄った生徒たちの言いなりになりそうなものだが、彼女はそうならなかった。あまつさえ腹立ちまぎれに放たれたであろう平手打ちを喰らい『憂さ晴らしができましたか』とそんな愉快な言葉を返したのだ。

 

 リリアンの学園生らしくない彼女に、色々な期待を抱いてしまったことが不味かったのだろうか。

 

 薔薇の館で彼女と話す由乃ちゃんは随分と楽しそうであったし、誰かとあまり話すことのない志摩子も彼女とはとつとつとであるが談笑していた。それを見ていた令も目を細めながら見守っていたし、癇癪を起した祥子を平気で受け止められる度量もあった。蓉子は彼女が仕事に対して意外と真面目な所を評価しているし、江利子も退屈そうな顔を見せることが少なくなっていた。私も私で初めの頃は彼女に不躾な態度を取っていたのに、ある時期を超えるとどんどん馴れ馴れしい態度へと変わっていったのだが、それに対して何も追及されないし受け入れてさえくれていたのだ。最近、祥子の妹となった祐巳ちゃんにも仕事のアドバイスやら助言をしつつ、テレビドラマの話やバラエティ番組を話題に選び学生らしく楽しそうに日常を過ごしていたのに、本当に何故、急に私たちから離れるような態度を取っているのか。

 確かに彼女の言う通り学園祭を過ぎてからというもの、生徒会としての仕事は減っているし人手も足りているのだが。罪作りな子だなと苦笑が自然と漏れ、無意識に目の前の扉を開く。

 

 「ああ、聖。戻ってきたのね」

 

 考えごとをしながら歩いていたというのに、自動で私の足は薔薇の館へと向いていたようだ。掛けられた蓉子の声にはっとし周りを見ると山百合会のメンバー全員が集まっていた。

 

 「ごめん、遅くなった」

 

 「いいのよ。こちらもこちらでやることがあったのだし。――で、聖。何か収穫はあったかしら?」

 

 どうやら私の行動は蓉子にはお見通しだったようだ。おそらく澄ました顔で蓉子の隣に座っている江利子にもだろう。下級生の子たちは驚いた様子を見せているが、まあ恐らく蓉子と江利子がなにかしていたに違いない。取り合ず自分のいつもの指定席へと座ると、志摩子が私の分のお茶を用意する為に席を立ったが、聞こえているだろうから構わないかと口を開いた。

 

 「いや、なんにも。――蓉子は?」

 

 そう聞くと蓉子は志摩子と祐巳ちゃんに視線を向けた。どうやら考えることは同じようで、関わった本人に直接聞けばなにか糸口が見えると踏んだのだろう。そんな蓉子と江利子に苦笑いをしながら片肘を机に付いて顎を手のひらに置くと、由乃ちゃんが何かを考えている様子で私たちの言葉など気にも留めていない。これは何かあったのだなと目を細めるが、取り合えず蓉子の話を聞いてからでも遅くはないだろう。

 

 「そうね。あの子の本心は量れないけれど、どうやら私たちの為を思っての行動みたいなの」

 

 「は? ……私たちの為ってなによ?」

 

 つい声色が一瞬低くなってしまった事に気付いて力を抜いた。それに目敏く蓉子が気付くあたり、お節介にも程があるが彼女の性分なのだから仕方あるまい。それを受け流せるようになったのは最近だけれど、まだ少し腹が立たない訳でもないのが正直なところだ。

 

 「あ、あのっ、ろ、白薔薇さま。……樹さんは、この時期に三年生や二年生に問題が起こるのは不味いだろうって……」

 

 話に割って入ることに遠慮を覚えているのか、祐巳ちゃんが縮こまりながら蓉子の言葉を継いで。

 

 「それに、自分はどうとでもなるから、と」

 

 志摩子がお茶を淹れ終えたようで私の背後からゆっくりとした動作で、ティーカップを机の上に置く。ありがとう、と礼を述べるけれどいつものような微笑みはなく、珍しく困ったような顔をしていた。

 

 「参ったわね。あの子の強さが今度は逆にアダになるなんて」

 

 山百合会の実権を握る蓉子ですら頭を抱えて、どうしたものかと考えているらしい。以前は彼女の強かさを頼って噂の鎮静化を図った手前、どうにも強く出られない部分もあるのだろう。

 

 「それで、どうするの蓉子?」

 

 こういう話題に頓着するはずのない江利子が蓉子へ疑問を投げかける。彼女の言葉次第でみんなの行動が決まるのだ。出来ることなら樹ちゃんにはこれからも山百合会の手伝いとして招き入れたいのだけれども。

 

 「どうしたものかしらね……。おそらく何度か生徒から私たちのことで詰め寄られたでしょうし、これから起こることも樹ちゃんは理解できているのでしょうね。だからここから離れるのが一番簡単で手っ取り早いと判断したのでしょうけれど」

 

 その判断は蓉子の言う通り正しいのかもしれないが、こうして凹んでいる下級生組を見ているとなんだかやるせなくなる。まさか自分たちの知名度がこうしてあの子に降りかかるとは思っても……――いや、それは言い訳なのだろう。理解しながら、彼女の強さに頼り問題を先送りにしていただけなのだから。

 

 「お姉さま方」

 

 「なあに、祥子」

 

 小さく手を上げて声を上げたのは祥子で、蓉子はその声に優しく答える。

 

 「この機会ですし、彼女を薔薇の館へ招き入れるのは控えた方がよろしいのでは?」

 

 「そうね、それがおそらく一番良い方法なのでしょうけれど……」

 

 祥子の言葉に苦虫を噛み潰したような顔に一瞬なる蓉子。次の瞬間、ガタリと椅子を引く音が鳴り響き、意外な人物が声を荒げるのだった。

 

 「待ってくださいっ! それじゃあ私たちが樹さんを便利な道具くらいにしか思っていなかったってことになるじゃないで――っ!」

 

 急に取った動作に体が追い付かなかったのか、胸を抑える由乃ちゃんに令が駆け寄り背に手を置いて彼女を支える。

 

 「由乃、あまり無茶をしないで。由乃の言いたいことはみんな分かってるよ。でも、どうしようもないことだってあるんだから……」

 

 どうしようもない、か。本当にどうしようもないのだろうか。生徒たちからの憧れである山百合会に、過剰なものを抱いている人たちが一部居ることを知ってはいる。以前、お姉さまたちが頭を悩ませていたが、まさかここに来て自分にも降りかかってくるだなんて。やれやれ彼女は本当にどうしようもない子だと呆れ半分と、連綿と紡がれてきたしきたりやしがらみの所為で、何もできない無力さを全員が感じ取り部屋の中に沈黙が訪れた。

 

 ――コン、コン。

 

 小さく扉を叩く乾いた音がふたつ。その音に蓉子が頭を振り、全員を見渡してから一つ頷く。

 

 「どうぞ、お入りになって」

 

 誰か来る予定なんてなかったはず……、いや、蓉子ならば把握しているだろう。私は大雑把すぎてそういうことには関心がないのだし、そもそもそういうことは蓉子に任せっきりである。

 

 「ごきげんよう。――って、どうしたの暗くない?」

 

 「あら、珍しいわね。ここがこんな空気になっているだなんて」

 

 重くなっていた空気をカラリとした声で吹き飛ばしてくれたのは、薙刀部部長と放送部部長だった。手には書類の束を持っているので、おそらく提出しにきたのだろう。以前はちょくちょく顔を出していたけれど、便利な一年生を捕まえたと言って最近はめっきりとここに訪れることはなかったのだが。過ごした時間の長さ故なのだろうか、緊張もなにもなく部屋へと足を踏み入れて蓉子へと書類を渡した二人は不思議そうな顔をしている。用事は済んだというのに立ち去る気配はなく、何かを考えているようだった。

 

 「で、なんだか悩んでいるようだけれど一体どうしたの?」

 

 座る椅子がない為に壁に寄りかかって薙刀部部長がストレートに話題を投げかけた。横に居る放送部の部長も横に立って苦笑している。私たち山百合会の仕事を手伝うようになってからというもの、樹ちゃんには上級生の知り合いが増えていた。書類関係のことで苦心していると樹ちゃんが口をだしていたようで、部活関係者や委員会関係者には有難かったようで、記入ミスや再提出が減っていたのだ。特に今いる彼女たちは『便利屋が出来た』と冗談を言い、本来彼女たちがやるべき仕事を樹ちゃんへとなすり付けてはいたものの、可愛がっていた節がある。それを蓉子も知っている所為か、事の顛末を二人に話して珍しく知恵を借りようとしているようだった。

 

 「まあ、ありえる話だし、熱烈な思いを貴女たちに向けてる生徒は実際居るものねえ」

 

 「偶に見るわね、そういう子」

 

 蓉子の話を聞いた二人は小さく笑い合い、割ととんでもないことを言い始めたのだった。

 

 「ま、私の意見だけれど貴女たちが動かないのなら、樹ちゃんウチの部に貰おうかしら。勿論、来てくれるならだけれど」

 

 あの子って運動神経良さそうだから体育祭の頃から目を付けていたのよねえと薙刀部部長が。

 

 「あら、それならウチの部もあの子が欲しいのだけれど。お腹から声を出す癖がついてるみたいだし、鍛えれば通る良い声をだしてくれるでしょうねえ」

 

 呑気に薙刀部部長にそんな言葉を投げかけた放送部部長。――あれ、これって宣戦布告なのだろうかと思った瞬間にゆらりと立ち上がる人物が。

 

 「へえ。――面白いじゃない」

 

 「え、江利子?」

 

 「お、お姉さま?」

 

 困惑した声を上げる蓉子と令には申し訳ないが、火が付いてしまった江利子を止める術はあるのかどうか。あの一年生がこの場に居れば止められたかもしれないなと、思ってしまったのは決して悪いことではないのだろう。

 

 「あんな面白い逸材を山百合会が手放す訳ないでしょう?」

 

 その言葉を聞いた蓉子が額に手を充て、令はがっくりと項垂れ、由乃ちゃんの機嫌が向上する。やれやれ先ほどまでの重かった空気は何処に行ったのだろうと、部屋の中を見渡すけれど欠片も見つからない。祐巳ちゃんが江利子をキラキラとした視線を向けてみているけれどそんな良いものではなく、私の玩具を他人には取られたくはないというただの我が儘なのだが、気づかない方が幸せなのだろう。蓉子と祥子は大袈裟な溜息を吐き、志摩子はガラリと空気を変えた上級生二人を見て小さく笑っている。

 

 「あら。――何も行動に移せないのでしょう? 江利子さんは指を咥えて見ていらっしゃいな」

 

 「ふふっ、指を咥えて見なければならないのは貴女たちではなくって?」

 

 賞品にされた樹ちゃんがいないこの場では無用な争いのように思えるのだが、けれどまあ。――あとでこの話を樹ちゃんに聞かせれば、どんな反応を見せてくれるのやら、とほくそ笑んでいる私も江利子と同類なのだろう。

 




 6223字

 簡単にルールやらを変えられるなら、蓉子さまの望み通りに薔薇の館には一般生徒が出入りできたと思うのん(小声 あと薙刀部部長と放送部部長は予定では山百合会に協力するという形だったのに、火に油を投げ込んで出て行ってしまった……なんで?w そしてやはりオリ主は珍獣扱いなのである。ドンマイ。

 余談:来年がヤヴァイ!!!

 マブラヴオルタのアニメ化に喜んでいたら、まさかの2021年10月放送予定……。え、最低でも三年くらい掛かるはずでは? そしてあまりの速さに驚いていたら、まさかのセスタスのアニメ化。しかも放送予定日が2021年4月。え、平成じゃないですよね、今令和だよね? 何故今更と首を傾げつつ、私はむせび泣きながら来年の二つの時期は、なにがなんでも見るという使命を背負ってしまった。そして最新刊はやく出て。私はコミックス派。



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第三十八話:黄薔薇さまの策とお嬢さま喧嘩殺法

 薙刀部部長と放送部部長が薔薇の館を去った後、少し換気をしようと窓を開けてもらえば冴えた空気が入り込んで、淀んでいたものを一掃する。

 あまり長く換気をすると体が冷えてしまうだろうと、早々に閉めて貰った。空気の入れ替えが目的というよりも頭を少しすっきりさせたいという思いがあったからだ。しかしまあ江利子も大胆なことを言ったものである。何も策が浮かばない己の不甲斐なさに無力感を感じつつも、やはり同じ薔薇さまなんてものを担っている仲間は頼りになる。

 

 「それで、あんな啖呵を切っていたけれど江利子はどうするつもりなのかしら?」

 

 「ああ、そうね。――どうしようかしら……?」

 

 「……江利子、アンタって奴はっ」

 

 先程まで好戦的な顔をしていたというのに、今では普段通りのアンニュイな顔をしているのだが、江利子の言葉に期待した私が悪いのだろうか。聖が隣に座っているからか、毒づいた言葉を小声で言い放つが、おそらく私と江利子以外には届いていないだろう。

 他の子たちも気の抜けた台詞に肩を落としたり、間の抜けた顔をしている。先程まで黄薔薇さまとしての株が急上昇していたというのに、今では底まで乱降下だ。呆れて頭が痛くなり手のひらで額を押さえて、溜息を吐く。少し前に吐き出した溜息は無茶振りな言葉に驚かされてのことだったが、今のものは江利子の考えなしの発言による振り回されてしまった己への戒めの為だ。

 

 「江利子はさっき彼女たちに言われた通り、指を咥えたまま見ているだけなのかしら?」

 

 「まさか。一番最初にあの子に目を付けたのはわたくしなのだから、突然現れた方に横からかっ攫わられるだなんて。――……ありえないわね」

 

 「でも何も考えてはいないのでしょう?」

 

 にやりと江利子は笑っているが方策もなにもなければ動きようがないのだし、下手に動いてしまえばそのツケが全部樹ちゃんへと降りかかる可能性が高い。というか全てを彼女へと背負わせてしまう。私たちに憧れを抱くのはそれぞれの自由だし、咎める気もないけれど己の行動次第でどう周囲に影響するのかを考えて欲しいものだけれど、無理……なのだろう。そして、私の横に悠然と座っている江利子にも。

 

 「そうね、でも……遠慮なんてする必要はないのだし、そもそも樹ちゃんならしかめっ面しながら適当にあしらってくれるでしょうし。くすぶっているのなら、火を付けて完全に燃やし切れば後には何も残らないもの」

 

 「江利子、それって全部樹ちゃんに丸投げじゃないの。――しかも火を付けてどうするのよ。どう延焼するのか予想がつかないじゃない」

 

 江利子の割りと乱暴な物言いに、私たち三年生以外の子たちが驚いた顔を見せる。確かに樹ちゃんなら耐えられるかもしれないが、それを利用して周囲を煽るのはどうなのだろう。しかも、自分たちがやらかしたツケを下級生に全て任せるつもりらしい。ただ樹ちゃんであればどんな重荷であろうと耐えきりそうだと思えてしまうあたり、彼女に毒されているのだろうか。

 

 「良い機会よ。――くだらないものなんて全て燃えてしまえばいいじゃない、蓉子」

 

 「良くないわよっ! 貴女が何を考えているのかは知らないけれど、あの子は今後のことを見据えて行動してくれているのよ。それを私たち自らが壊すようなことをしてどうするのっ!」

 

 そんな暴言が良く吐けたものだ。樹ちゃんは三年である私たちの進路が狭まらないようにと配慮して動いているというのに、その思いをぶち壊すようなことをしてどうするのだろうか。そしてその後始末は誰がやるというのだろう。面倒なことが嫌いな江利子や聖が動くはずはないし、その尻拭いも当然私へと降り注ぐわけである。

 

 「勿論、それは理解しているわ。でもね紅薔薇さま、中途半端に手を出すくらいなら樹ちゃんを山百合会から奇麗に切り離すか、取り込んでしまうのか決めておいた方が良いのだし、そもそもわたくしは彼女を手放す気はなくてよ?」

 

 唐突に敬称へと切り替えた江利子の意図は何だったのだろう。個人的な感情ではなく、生徒会のお手伝いとして今後も招きたいという意思表示なのだろうけれども。

 

 「……黄薔薇さまの意見はそれだけかしら?」

 

 はあとありありと溜息を吐いて、心に溜まったものを息と一緒に吐き出すが、この後のことを考えると頭が痛い。面白いことや珍しいことに興味を引く江利子がどう動くのか、全く予想ができないし止める術も見当たらない。

 

 「いえ。少し時間をおいて派手に動こうと考えているから紅薔薇さまや白薔薇さまには協力して欲しいのよ」

 

 「ん、私も?」

 

 今の今まで黙っていた聖がきょとんとした顔で江利子の顔を見上げるのだが、何を考えていたのやら。

 

 「一体どうするおつもりなの、黄薔薇さま」

 

 「やることはいつもと変わらないかしら――私たちが一年藤組に直接出向くのよ。ただそれだけね」

 

 その行動の結果、一部の子たちが荒れてしまうのが目に見えているのだけれど。そしてその矛先が樹ちゃんに向いてしまうのも考えなくてもわかってしまう。ただ樹ちゃんの行動が少し読みづらい。あの子がそういう手合いの子たちにどういう態度を取るのかが予想ができないのだ。退学になるような無茶はしないだろうけれど、最悪取っ組み合いの喧嘩くらいに発展してしまうのではないかという不安はある。物事に火を付けるのは江利子と聖で、私はその火消しに追われる。――頭を抱えてしまうが、ある意味でいつもの事だと悟ってしまったのは過ごした時間故だ。

 

 「薙刀部と放送部の件は?」

 

 「それこそ、樹ちゃんの自由ね。部活動に入りたければ入部すれば良いだけなのだし、彼女を止める権利なんて持っていないのだからそんな無粋な真似はしないわ」

 

 「貴女、さっきは取られるつもりはないって言っていたじゃない」

 

 「売り言葉に買い言葉、ね。――ああ、言ってみたかっただけかもしれないわ。あんなことを言われるだなんて滅多にないんだもの」

 

 「それはそうかもしれないけれど……はあ」

 

 振り回されることは確定したようなものだけれど、どうにも納得がいかずため息が漏れ。

 

 「どうしたの、蓉子」

 

 「いえ、江利子に振り回されることに嫌気がさしただけよ」

 

 「ああ、ゴメン蓉子。今回、私も江利子に乗っかるから」

 

 「貴女まで何を言い出すの、聖」

 

 もう一人問題児が居たことを失念していた私は、江利子でさえ頭が痛いというのに更に火を注ぐことになってしまい、樹ちゃんには申し訳ない気持ちで一杯になるのだった。

 

 ◇

 

 ――平和だなあ。

 

 聖さまが突然現れ、人気のないところまで連れ出されてから数日。実に平和な日々を送っている。朝、登校してそのまま教室へ向かい、授業が始まって昼が訪れ最大の楽しみである食事が始まり、睡魔と闘いながら午後が過ぎていく。

 放課後はすぐさま直帰するか、図書室へ赴いて食指が向く本を探すかのどちらかで。心配していた過激派――面倒だからこう名付けた――の人たちも鳴りを潜めているようだから、このまま時間が過ぎれば自然消滅しそうな勢いである。ふんふんと鼻を鳴らしながら、今日は図書室へ返却するものがあるからと長い廊下を歩いて、見慣れた扉の前で立ち止まる。さてあの人は今日は当番であればいいなと願い、引き戸の取ってに手を掛けて図書室へと入るのだった。

 

 「ごきげんよう、静さま」

 

 カウンターへと目を向けると、目的の人はなにやら図書委員としての作業をごそごそとしている様子で。邪魔をしてしまうのは悪いと思いつつ、借りた本を返さなければならないしと声を掛けて。

 

 「あら、残念。結局バレてしまったのね。――ごきげんよう、樹さん」

 

 何時までも名前が分からないのも何だし、いつまでもそのネタで引っ張られるのはどうかと思い、いいんちょやクラスメイトに聞いてみるとすぐにわかった。どうやら学園内では有名な人らしく、合唱部のエースで曰く『歌姫』だなんて呼ばれているそうだ。ま、山百合会の人たちと負けず劣らずの美人さんだし、頭のキレも良いようだから、姉候補として目を付けられて騒がれるのは理解できる。ようやく名無しの先輩から名前をつけてきちんと呼べるようになったことにほくそ笑む。少し気恥ずかしさはあるが、周りの人たちもそう呼んでいるのだから、私の羞恥心さえ捨てればいいだけの話だ。

 

 苦笑いをしながら返却を頼むと笑顔で本を受け取る静さまが、まじまじと私の顔を見つめる。

 

 「そうだ、樹さん」

 

 「はい?」

 

 返却手続きを行いながら、彼女が声を掛けてきた。いつも落ち着いた表情を見せている静さまなのだけれど、今日の目の前のその人は随分と楽しそうである。

 

 「最近、少し周りが騒がしいけれど貴女は気付いているのかしら?」

 

 「へ? いえ、至って平和なんですが、何か騒ぎ立てるようなことってありましたっけ?」

 

 平穏な日々が訪れそうな気配を見せているので、これ以上何かに巻き込まれるのは御免こうむりたい。この学園は基本、品の良いお嬢さまたちの集まりなので、イベント事がない限り至って平和である。不良が暴れたり、仲の良い人たちが小さなことで諍いが起こり殴り合いの喧嘩に発展したりだなんてないし。いじめも今のところ見たことがないので、精神的に大人の集まりだよなあと思える。

 

 「――なら、そういうことにしておきましょうか。学園祭から今日まで随分と平和だものね」

 

 「ん?」

 

 随分と含みを持たせた言い方に首を傾げる私だけれど、おそらく静さまは答える気なんてないのだろう。

 

 「ね」

 

 片肘を付いた手に頬を乗せて満面の笑みを見せる上級生にそれ以上の追求など出来る訳もなく、溜息を吐いた私に『さ、後が詰まっているわ』と言って私を追い払うあたり、本当図太い人だよと心の中で愚痴るのであった。

 

 ――彼女の耳に入れば、後が怖い。

 

 迫真の微笑みを携えた彼女が私の前に立ちはだかる姿が簡単に思い浮かぶと、ぶるっと震えるながら本の森の中へと消えるしかないのだった。

 

 ――平和、平和だあ。

 

 さらに数日が過ぎて平和だと和みながら自分の席で窓の外の景色をぼんやりと眺めていた、その時だった。きゃあと上がった黄色い悲鳴に以前の私ならば、すわ何事かと振り向いたものだが、慣れは怖い。

 山百合会の関係者が来たのだろうと外を眺めたままな辺り、やはり慣れは怖いものだと思い知る。このまま逃避を続けていたいものだが、向こうを向かなければクラスメイトを引っ捕まえて私を呼び寄せるのだから、諦めて廊下側を向くと薔薇さま三人が揃って優雅に立っていた。

 

 「……」

 

 受け入れたくない現実に、ついと廊下側に向けた視線を窓へと戻す。三人が揃って呼びに来たことなんてないから、一体何があったというのだ。というよりも薔薇さまたちの使者である一年生組や二年生たちをすっ飛ばしてここを訪れたのなら、なにか直接的に用があった場合だけだったから、嫌な予感しか湧かない。

 

 「樹さん、行かなくていいの?」

 

 「嫌だ。行きたくない……」

 

 純真な心配から声を掛けてくれるクラスメイトには悪いが、唸りながら頭を抱えて机に突っ伏す。こんなことをすれば江利子さま辺りが喜ぶだけだと理解しているが、やらずにはいられない。心の平穏を返してと願い始めると、無慈悲にも私の肩に手を置く人物が。

 

 「愉快なことをしているわね貴女」

 

 「そうっスね」

 

 いつも取り繕っている言葉を放棄して乱れてしまったのは、聞こえてきた愉快そうな声が原因であることは間違いない。ゆっくりと首を捻り見上げるとそこには江利子さまがにっこりと笑っていて。嗚呼、また珍獣扱いが始まるのかとゲンナリするのだが、その様子を見ていた彼女が更に笑みを深めたのは言うまでもない。

 

 「ごきげんよう、樹ちゃん。――行きましょうか」

 

 問答無用で脇に手を入れられて、ひょいと立ち上がらされた私。行くしかないのかと諦めて溜息を吐いていると、なんでか腰に手を廻され廊下へと導かれる。

 

 「やっほ、樹ちゃん。さ、行こうか」

 

 「はあ」

 

 聖さまが随分と陽気に声を掛けて肩に腕を乗せる。なんだこの状況と思い、振り返って後ろを付いてくる蓉子さまに視線で問いかけると『諦めて頂戴』という妙な視線を感じ取ってしまった。ああ、これは暴走した二人に付き合わされているだけなのだろうなと、苦笑いをして前を見据える。距離が近いなあと嘆きつつ、一体、二人はどういうつもりで何処へ私を連れて行こうとしているのか。というよりも薔薇の館なのだろう。彼女たちの居場所はそこが適しているのだから。

 

 「さ、入って」

 

 予想通りに薔薇の館へと連行された私は部屋の中に居た意外な人物に驚く。いや彼女もここの住人なのだから居ても不思議ではないのだが、彼女の他に誰も居ないという状況が私の首を傾げさせたのだ。

 

 「……由乃さん?」

 

 「ごきげんよう、樹さん」

 

 ごきげんよう、と言葉を返し私の両脇に居る二人に何事かと顔を向けると、二人でゆっくり話しなさいなと言ってお茶だけ用意をして薔薇さま三人は出て行ってしまった。せっかくのお膳立てだから良い機会だろうとゆっくりと椅子に腰を落とすと、どうしていいのか分からない顔を浮かべた由乃さんが。これは話始めるきっかけは自分が作るしかないのだろうと、一口紅茶を含む。

 

 「熱っ!」

 

 いつもより熱い紅茶に吹き出しそうになるのを我慢して口元を手で押さえる。何度かせき込んで気管に入りそうになるのをどうにか阻止し。

 

 「だ、大丈夫っ?」

 

 「ああ、うん、平気……。これ淹れたのって江利子さまだよね……」

 

 「え、ええ」

 

 「――あの人はっ……!」

 

 畜生という小声が自然と漏れると、驚いたのか由乃さんが笑っていた。もしかして江利子さま私が猫舌なのを見越して熱いものを淹れたのかと感心するが、あの人の場合気遣いよりも『面白さ』が先行する人である。ある程度それも含められていたかもしれないが、絶対に私がこうなることを予測して楽しんでいるはずだ。敵わないなあと目を細めつつ、由乃さんがゆっくりと最近のことを語り始めたのだった。

 

 曰く私が薔薇の館へと来なくなったのが寂しく、離れていってしまうのではないかという不安。そこから自分の感情が上手く処理できず私を無視するようになってしまったと。

 

 そういう経験もなくもないので理解は出来るし、私は由乃さんから離れるつもりなどない。周囲に影響がない程度で友人づきあいを続ける方法何ていくらでもあるのだし、そもそも三年生たちは由乃さんのことが心配でこうして場を設けてくれたのだ。離れてしまうなんてありえないだろうと若干の舌の痛みを我慢しながら口にすると、由乃さんは驚いた様子を一瞬だけ見せた後、奇麗に笑ったのだった。

 

 ◇

 

 薔薇さま三人が一年藤組の前に唐突に現れてからというもの、入れ代わり立ち代わりで連日彼女たち三人の誰かが私を連行しに訪れる。クラスメイトは憧れの薔薇さまが近くで見れるし、声を掛けられる偶然を狙っているらしく嬉しそうな顔をしている人たちが殆どである。一部、不平そうな顔をしている人がいるものの、薔薇さまが居る手前何もできないらしい。こりゃあ爆発するのももうすぐだろうなと苦笑いをしていると、今日は聖さまがお迎えらしくずかずかと教室へと入ってきて私の席の前に立つ。

 

 「さー、今日もキリキリ歩くよ、樹ちゃん」

 

 「なんだか楽しそうですね、聖さま」

 

 はいはい行こうね、と軽い調子でのたまい私を立たせて腕を取る。今日は肩に手を乗せる気分ではないらしく、腕に腕を絡めている。

 

 「楽しいかどうかは別として、取られるわけにはいかないしねえ」

 

 「取られる……なんの話ですか?」

 

 「樹ちゃんは知らなくても良い話、かな。――まあ、いずれは分かるんじゃない?」

 

 「……」

 

 「そんな嫌そうな顔しなくても」

 

 くつくつと笑いながら歩を進める。しかめっ面になった私を見て苦笑いをするその人は、随分と気楽な調子で言ってくれるものだ。

 

 「面倒ごとが起こりそうな予感しか湧かないんですが」

 

 「おお、鋭いねえ。頑張れ、樹ちゃん」

 

 「また他人事じゃあないですか」

 

 起こりうる面倒ごとを考えると『登校拒否してもいいですか』と叫びたくなるのだけれど、両親に学費を――しかも私立だから高い――出してもらっているのだからそんなことは出来るはずもない。溜息を零すと更に苦笑いを深めて私の頭を乱雑に撫でる聖さまは、何を考えているのやら。

 そうこうやり取りを交わしているうちに薔薇の館へと辿り着くと、簡単な仕事ばかりなので直ぐに終了してしまい、用事がある人たちはさっさと部屋を出ていく。帰ろうとした私に少し話があるからと、最後に残っていた蓉子さまが声を掛けてきたのだった。

 

 「――ごめんなさいね。江利子や聖が無茶をして」

 

 「ああ、もう慣れました。私が玩具にされているのは理解していますし、なんだかんだ言ってここの人たちと過ごすのは悪くないですしね」

 

 珍獣にみられているのは重々承知だし扱いが悪いという訳でもない。からかっている節はあるけれど、新しく祥子さまの妹となった祐巳さんにも私にもみんな優しいのだから。

 

 「そう言ってもらえると助かるわ。……編入生の貴女がここまで馴染むだなんて思ってもいなかったのだけれどね」

 

 「ですね。私も最初にここに訪れた時、場違い感が半端なかったですから」

 

 「あら、そうなの? 随分と堂々としていたけれど」

 

 「それは、まあ、面識のない人たちにあれだけ取り囲まれれば、何をされるのかって予防線は張りますよ」

 

 「まって樹ちゃん。私たち生徒会役員だしそれなりに顔を知られているはずなのだけれど、どうすればそういう思考になるのかしら?」

 

 「顔くらいは見たことがありますしクラスメイトから予備知識は授かりましたが、いやあ、新手のカツアゲかと」

 

 冗談だけれども。

 

 「失礼ねえ」

 

 くすくすと小さく笑い紅茶を一口含んで飲み込み、蓉子さまが真剣な顔をして、最近の学園、というよりも山百合会を取り囲む生徒たちの事情を話し始めた。少し誤魔化している所もあるのだろうけれど、江利子さまの企み――企みというほどでもない策――やら薙刀部部長や放送部部長のこと。そして一番の問題である山百合会を崇拝し過剰な理想を求める一部の生徒。

 

 「面倒ですねえ」

 

 「ええ、そうね。でも申し訳ないのだけれど貴女に期待している部分はあるのよ。何か変えてくれるのではないかって」

 

 「まさか、私は一生徒に過ぎません。だから動かすなら蓉子さまたちでしょう」

 

 「嬉しい言葉だけれど、しがらみに縛られることもあるから、なかなか……ね」

 

 眉尻を下げて珍しく物悲しい雰囲気を見せる蓉子さま。しがらみとは一体何を指しているのか、『なかなか』という言葉に何が含まれているのか。少し先に起こるであろう展望を蓉子さまと話して、今日は解散となったのだった。

 

 ――さらに数日。

 

 今日は誰も来ないので大人しく帰るかと通学鞄に荷物を詰め込んで席を立つ。少し時間を置いたので帰る生徒や部活に赴く生徒も数は減っており、いつもは騒がしい廊下も人はまばらだ。そうして昇降口に辿り着き自分の下駄箱に手を掛けて扉を開けると白い便箋が一枚。なんだろうと手を伸ばして、取り合えず封を切って中を確認すると『放課後、校舎裏にて』と短い字数で丁寧に書かれた古式ゆかしいお礼参りの書状であったのだった。

 これを無視すれば余計に相手の感情を荒げるだけだろうと、校門へと向かうはずだった足の方向を変えて校舎裏を目指す。時間指定もしていないので、何時までも待つつもりだったのだろうか。この辺り詰めが甘いなあと苦笑いを浮かべながら、指定された場所へたどり着くと七、八人固まった生徒の姿が見えた。相手を視認したイコール向こうも私を視認できるのだ。どうやら目敏く一人が私を見つけて周りの子たちに声を掛ける。

 

 「よく来てくださりましたわ、樹さん。もしかすれば逃げてしまわれるのかと思っておりましたが、その図々しさだけは褒めて差し上げましょう」

 

 ああ、この人は……。トップの子のお姉さまの言葉にゲンナリとするが、面倒なのでどうかコレ一回きりで片を付けたい所。残りの人たちも顔は知っているし、内三人はクラスメイトでトップの子とお友達である二人だ。にやにやと嫌な笑顔を浮かべ大仰な様を見せているけれど、親に迷惑を掛けたくないのでどうにか穏便に済ませたいのだけれど、目の前の彼女たちの出方次第で。

 

 「はあ、どうも」

 

 「低俗な貴女と長く時間を取るのも無駄でしょうし、手短に済ませてしまいますわ。――樹さん、これ以上薔薇の館に出入りするのは止めにして下さる?」

 

 トップの子のお姉さまを先頭にして、残りの人たちがうんうんと頷いている。がしがしと自分の頭を掻いて余計な思考を打ち消した。

 

 「それを止めたいのなら、薔薇さま方に直接言って下さい」

 

 止まるかどうかは別として、納得のいく答えくらいは出してくれるだろう、あの人たちなら。

 

 「そうね、貴女のような何も考えていない凡庸な人ならば直接あのお方たちに不躾なことを言えるでしょうが、私たちは分を弁えているの。この学園を統べるあのお方たちに私たちから先に言葉を交わすだなんて不躾な行為、許されるはずもなくってよ」

 

 いやいや、何時の時代のお貴族さまやねんと突っ込みを入れつつ、ついつい目の前の上級生にジト目を向けてしまった。いや心底ゲンナリしているから目のハイライトが消えているかもしれない。嗚呼、面倒だこんちくしょうと叫びたくなるのを我慢して、どうすれば回避できるのか考えてから口にする。

 

 「はあ……」

 

 考えるのだけれど時代錯誤の突拍子のない言葉に上手い返しが見つからず、ゲンナリしていたこともあり適当に返してしまった。火に油を注ぐだけだと理解はしているけれど、もう面倒だから火をくべてしまっても良いやと心の悪魔が囁き始めた、途端。

 

 ――ぱんっ!

 

 小気味よい乾いた音が校舎裏に響く。引っ叩かれた痛みを耐えつつ、キレるの早すぎないかなあと溜息を吐く。以前にも叩かれたけれど、これはお嬢さま的にアリな行動なのだろうか。今まで溜め込んでいたものが爆発したのかも知れないが、とにもかくにもありきたりな行動だなあと、少しズレた眼鏡を直しながら目の前の彼女を見据える私だった。

 




 8778字

 長くなったので一旦切りです。

 蓉子さま、苦労人属性を本人の意思とは関係なく絶賛発動中。何か仕出かすなら江利子さまが動いてくれるし、更に火を注ぐなら聖さま。ゼロからよくキャラを考えたものだなあと感服します。そして静かさま、山百合会の動向には目を向けている――主に聖さまでしょうが――筈なので、作者的には動かしやすい人です。

 オリ主、ちょいちょい腹黒さが浮き出ますね。


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第三十九話:緊急会議と難題

 ※少し、時系列が乱れます。視点も乱れてます。


 冬だというのに小春日和の良い天気なのだけれど、日が沈む時間が早くなっているから直ぐに冷え込んでくるだろうなあ、と教室の窓からカラッと晴れている空を見上げる。

 

 『聞いて欲しいことがあるから、申し訳ないのだけれど明日薔薇の館へ来て頂戴ね』

 

 昨日、山百合会の仕事が全て終わると紅薔薇さまがそう口にして、その横には黄薔薇さまと白薔薇さま。いつもの様に薔薇さま方は落ち着いた雰囲気で笑みを携えているのだけれど、どこか……何かいつもと違う気がするのは、私の気の所為だろうか。どこか感じた違和感を抱えたまま一晩が過ぎて、朝が来て、お昼が過ぎて、ようやく放課後。さて薔薇の館に向かおうと、奇麗な姿勢で自席に座っている志摩子さんの下へ行き声を掛けた。

 

 「志摩子さん」

 

 「祐巳さん?」

 

 「薔薇の館に一緒に行こうと思って声を掛けてみたんだけれど……どうかな?」

 

 「ええ、そうね。――行きましょうか、祐巳さん」

 

 私が声を掛けなければ志摩子さんは一人で行ってしまうつもりだったのだろうか。志摩子さんらしいといえば志摩子さんらしいのだけれど、出来ることならもっと距離を詰めたいし仲良くなりたい。別の教室に居るはずの由乃さんともせっかく知り合えたのだから、みんなでこれから三年間一緒の時間を沢山過ごしたい。

 

 そして、お手伝いとして薔薇の館に招かれている樹さんとも。

 

 彼女は学園祭が終ったある時期から山百合会から離れようとしていたのを、最近は薔薇さまたち自らが引き留めている。樹さんがお手伝いを断るようになって私たち一年生三人は落ち込んでいた。

 特に樹さんと仲の良かった由乃さんは、目に見えて寂しそうだったのだ。仕事をこなしながら楽しそうに本やテレビの話をしていたし、二人で話していたかと思えば樹さんは急に話題を私や志摩子さんに振って巻き込んで、笑う。そんな彼女の小さな気遣いが心地よく、いつのまにか薔薇の館に彼女が居ることが当たり前になっていた。本来なら居ないはずの人だから、頼りにしたりするのは駄目だと分かっていながら。

 

 「何の話なんだろうね?」

 

 「……樹さんのことではないかしら?」

 

 教室から廊下に出て志摩子さんと並んで歩く。祥子さまの妹となってからあまり仲良くない一年生や顔も知らない上級生たちから『ごきげんよう』と声を掛けられるようになった。最初こそ驚いたものの、数日経ってしまえば案外慣れてしまうもので。志摩子さんと言葉を交わしながら、掛けられた声に『ごきげんよう』と笑顔で返すのも、慣れつつあった。

 

 「えっ、どうして樹さんの話に……」

 

 「樹さんも言っていたけれど妹候補としての席がなくなったのだから、彼女が薔薇の館に訪れる理由が消えてしまったでしょう」

 

 「でも薔薇さまたちがここの所毎日樹さんを引っ張ってきてるけれど……」

 

 「おそらくその辺りも関係あるのかもしれないわね。理由もなくお姉さま方がそんな行動を取るだなんて思えないもの」

 

 「……」

 

 「そんな顔をしないで祐巳さん。大丈夫、きっと悪いことにはならないだろうから」

 

 一体私がどんな顔をしていたのかは自覚がないので分からないけれど、私の横に並ぶ志摩子さんはふんわりと笑う。そんな志摩子さんの顔を見て少し荒立っていた心がようやく落ち着きを取り戻した。

 

 「祐巳さん、志摩子さん」

 

 「あ、由乃さん、ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう」

 

 クラスが違う為にこうして会う事は余りないのだけれど、今日は偶然だったのか薔薇の館に向かう途中で由乃さんに声を掛けられて足を一度止める。目的の場所は同じなので、何も言わないまま三人一緒に歩きだすと由乃さんがふと声を出した。

 

 「ねえ、最近の薔薇さま達の行動、変じゃないかしら?」

 

 「変って?」

 

 何か薔薇さま達にあっただろうか。お三方ともいつも通り過ごしているように見えるし、特段変わったことはないと思うのだけれど。山百合会だと私は一番の新参者だし、由乃さんには何か違うものが見えているのだろうか。

 

 「あの人たちが樹さんを直接迎えに行っているのって周りを焚きつけているようなものじゃない。あれじゃあ樹さんがいつか誰かに責められてもおかしくない状況だわ」

 

 「……このまま続けばいつかはそうなってしまうでしょうね」

 

 「そ、そんなあ……」

 

 「――でも、あの人たちが何も考えていない筈はないのよね」

 

 「お姉さまたちのことだから何か意図があって、だと思うのだけれど」

 

 「だ、大丈夫だよね? 黄薔薇さまは『手放す気はない』って言っていたんだし……」

 

 「今から分かるんじゃないかしら?」

 

 雑談も早々にして切り上げて、薔薇の館へとスカートのプリーツを乱さないように足早に歩く私たち。ぎしぎしと鳴る階段を上ってビスケットの扉を開けば、そこには既に薔薇さまたち三人が揃っていたのだった。

 

 「ごきげんよう、さあ座って」

 

 にっこりと笑って私たちに声を掛けた紅薔薇さま。先に薔薇さまたちが揃っているのは滅多にないことなので驚いていると、白薔薇さまが『また百面相してる』と笑う。取り合えずお茶でも淹れないとと思い、紅薔薇さまの言葉を断り一年生組が流し台へ向かおうとすると、黄薔薇さまに仕事を奪われてしまった。

 由乃さんがそのことに目を丸くして驚いているのだから、よほど珍しいことなのだろう。祥子さまと令さまが居ないことを不思議に思いきょろきょろと周りを見回していると、そのことについても纏めて話すからと言われてしまい。お茶が入るまでの暫くの間、取り留めのないお喋りが交わされて本題へと蓉子さまが薔薇さまを代表して喋り始めたのだった。

 

 「祥子や令が今ここに居ない理由は先に話しておいたことと、立場が上である上級生が居ると意見を言い出し辛いでしょうから」

 

 「い、いえっ! そんなことは、決してっ」

 

 「でも、私たちや祥子や令の意見で決めてしまう事も多いでしょう。まあ、短期間では難しいことなのかもしれないけれど、少しづつでも改善していきたいと最近思い始めてね」

 

 このことを考え始めたのは本当に最近らしい。山百合会に手伝いとして招いた樹さんの言動を見てだそうだ。確かに樹さんは薔薇さまや祥子さま令さまに緊張も何もしていない自然体で接していると思える。

 敬語をきちんと使っているけれど、仕事終わりのタイミングに疲れたと言って背伸びをしたり、肩を揉んでみたりと、上級生がいてもお構いなしで。私だと上級生の方々が目の前に居ると、そういうことは出来ないし、伝統に倣ってリリアンの生徒としてお淑やかに礼儀よくと教えられてきたのだから。

 

 薔薇さま曰く、きちんと節度があれば、もう少し肩の力を抜いてしまっても良いのではないか、と。そうしてもう一つ。多分これが今日の本題だったのだろう。

 

 ――学園生による山百合会神聖視。

 

 薔薇さまに憧れを抱いて山百合会を神聖視して薔薇の館に近づけない……近寄らないのは、生徒会として本末転倒ではないのか。

 周囲に影響されなかった樹さんは、山百合会の手伝いとして短期間で自然と馴染んでいたこと。樹さんが出来たのならば、純粋培養組であるずっとリリアンに通っている生徒たちにも可能だろうと。いつからか連綿と紡がれてしまった山百合会という生徒たちの憧れを、多少なりとも壊すには好い機会なのではないのか、と。

 

 「え、えええっ!!」

 

 「良い反応ね、祐巳ちゃん」

 

 私の驚いた声に、紅薔薇さまがにっこりと笑ってそんな声を上げて。白薔薇さまも黄薔薇さまも横で笑っているし、由乃さんと志摩子さんまで笑ってる。うう、単純に驚いてしまっただけなのだけれど……恥ずかしい。

 

 「す、すみません……」

 

 リリアンの生徒らしくない失態をやらかしてしまい、膝に両手を揃えておいてしゅんとなる私に、そういうところもいずれはどうにかしたいとも薔薇さまは仰った。謝らなくても良い場面だったし謝る必要もないことなのだから、何か疑問があるのなら質問をしていいし聞けばいいそうだ。確かに今の話を樹さんが聞いていれば『どうして』とか『目的は』とか、納得がいくまで薔薇さまたちに突っ込んで話し合いをしていたに違いない。

 

 「完全に取り払うことは無理でしょうし時間もかかるでしょうね。けれどなにもしなければ今の状況のまま何も変わらない。――その手始めに樹ちゃんを正式に山百合会のお手伝いに引き込みたいと考えているのよ」

 

 「そういう理由で連日、樹さんの下に薔薇さま方が直接お迎えに行ってるんですね」

 

 「ええ。それもあるのだけれど、先に言った壊したいという事にも繋がってくるわね……ああ、あと暫く正式なお手伝いのことは樹ちゃんには内緒でお願い」

 

 薔薇さま方が入れ代わり立ち代わりで樹さんの下へと訪れていたのは、きちんと目的があったようだ。ただその目的はリリアンの生徒たちからの山百合会に向けた憧れを、緩和させることに繋がるとは一体どういうことなのだろうか。薔薇さまたちの考えがイマイチ掴めない私は、紅薔薇さまが語る話に耳を傾けていることしか出来ず、やはり三年生であり薔薇さまたちは一筋縄ではいかない人たちだ。私の姉である祥子さまを簡単にあしらえるのだもの。以前から思ってはいたものの、二年分の年齢差は大きいものだと思い知る。

 

 「私たちが樹ちゃんの下へ何度も足を向けているのは、山百合会に過剰な憧れを持っている人たちへ向けてなのよ。大多数の子たちは樹ちゃんがココに訪れることを疑問に思っていても、見ているだけでしょう」

 

 「え、ええ。私もそうでしたから……」

 

 高等部からの編入してきた樹さんが薔薇の館へお手伝いに招かれたことには驚いたし、正直羨ましかった。どういった経緯で誘われるようになったのか周りの人たちは知らないし、同じお手伝いとして山百合会に出入りしていた志摩子さんに直接聞く勇気もなかった。ただ漠然と白薔薇さまと紅薔薇のつぼみ、どちらかの妹候補だと周囲は騒いでいて、私も同じようにみんなと噂をしていたのだ。

 

 「本当はこんなことをするべきじゃないし、下手をすれば先生たちから非難されるかもしれないわ。でも私たちは樹ちゃんと出会ってしまったから、欲が出ちゃって」

 

 困ったような顔で笑う紅薔薇さまの肩に手を置いて黄薔薇さまが代わって言葉を継いで。

 

 「最初はあんな面白い子を手放すつもりはない、それだけだったのだけれど、ね。――どうすれば学園のみんなにただの生徒として私たちを見てもらえるかって、色々と考えたのだけれど、直接喋る機会を設けるしかないってなったのよ。特に過激派の子たちにはね」

 

 『過激派』……おそらく薔薇さまたちをかなり崇拝している人たちが極一部に居るから、その人たちのことを指しているのだろう。黄薔薇さまがそんな言い方をするのは珍しいけれど、もしかすれば今回の件でなにか思うことがあったのかも。

 

 「名案なんて中々浮かばなくて樹ちゃんの考えが一番現実的だったんだよね。まあ、学園を騒がせることになるだろうから色々と腹を括るしかないんだけれど。ま、悪くはないはずだよ」

 

 黄薔薇さまの言葉に補足する白薔薇さま。いったい腹を括らなければならないようなことになってしまうのか心配になってきたのだけれど。でも薔薇さまや樹さんが考えたのならきっと悪いことにはならない筈だ。

 みなさまはこの学園の為にとこれまで薔薇さまを担ってきたのだし、樹さんだって確りした人で薔薇さまたちと対等に渡り合える人なのだから、並大抵のことで挫けたりはしないだろう。ただ心配なのは白薔薇さまの『腹を括る』という言葉が一体何に対してのものなのだろう。

 

 「お姉さま方は一体何をなさるおつもりなのですか?」

 

 問いかけた志摩子さんの言葉に紅薔薇さまが口を開こうとした瞬間。

 

 ――ドン。

 

 一階の扉が乱暴に開かれた音がここまで届いて、複数人の階段を上る足音が響いてくる。

 

 「失礼します。――紅薔薇さま、黄薔薇さま、白薔薇さまはいらっしゃいますか?」

 

 「い、樹さん?」

 

 「なっ」

 

 「……っ」

 

 いったい何事かと目を向ける私たち一年生三人の目には、扉の入口に立つ樹さんと、その樹さんに手を引かれて強張った顔をしている知らない生徒。そしてその更に後ろには祥子さまの姿とそしてまた見知らぬ生徒が数人。あまり見ない少し息を上げている祥子さまの姿を今日も綺麗だあと見惚れそうになりながら、急に訪れた非日常に目を白黒させる私が居たのだった。

 

 ◇

 

 ――ちょっと避け損ねた。

 

 平手打ちの威力を削ぐために流そうとしたものの、どうにも考えごとをしていたので奇麗に打ち消すことは出来なかったようで少しだけ頬が痛い。

 

 さてこの状況をどうしたものかと思案顔で考える。とはいえ主導権を目の前の彼女たちが握っている手前何もできないから、これはもうしばらく押し問答を続けるしかないのだろうと、諦めて溜息を吐く。彼女たちの腹の虫が治まるのならいくらでも引っ叩いてくれればいいのだけれど、やりすぎると露見してしまうのでこれも難しい所。ある意味八方塞がりで、取れる手段が少ない。

 

 「気は済みましたか?」

 

 一発なら偶然とか腹立ち紛れでついつい手を出してしまったで済ませられるハズなのでこれ以上は勘弁して欲しいし、誰かに見つかってしまえば一対多で私を取り囲んでいる彼女たちの立場も危ない。

 前に一度平手打ちを貰った時に状況次第でまたこういう事が起こるだろうと、家族には報告と相談は済んでいるのだけれど、父からはお前は絶対に手を出すなと厳命されている。フルコンタクトの空手の経験者が素人相手に先に手を出せば大問題だし、先に手を出されて後から手を出したとしても過剰防衛になる。そんな状況であれば私を守りたくても守れないし、言い訳もできない、と。

 

 「気は済んだか、ですって!? 済む訳がないじゃないっ。貴女今まで何度薔薇さま方にご迷惑を掛けていると思っているのかしら? 二学期から突然現れて山百合会の役員でもないのに薔薇の館に出入りしてっ!!」

 

 「それは手伝いとして招かれていたからであって、勝手に薔薇の館に出入りしたつもりはありませんよ」

 

 あそこに出入りする理由は学園の生徒目線で見ると薔薇さまやつぼみの妹候補としてだから、だろう。それ以外は忙しい時に簡易的に招かれるヘルプ要員だし、彼女の主張も分からなくもないが。

 

 「一番忙しいはずの学園祭が終わっても出入りする理由は何っ?」

 

 「それも手伝いとして呼ばれていただけです。個人的な理由であの場に行った覚えもないですし」

 

 「っ、……薔薇さま方がお手伝いの子の下に直接訪ねるのは異例でしてよ。それがどういうことなのか貴女は理解していないようだから教えて差し上げましょう。――はっきりいって目障りなの、薔薇さま方の周りをチョロチョロするのはお止めなさい」

 

 うわ、ぶっちゃけちゃったよこの人と驚きを隠せない私。もう少し交渉してみるとか粘ってみるとかの攻防があってもよかったものの、口喧嘩もあまりしないだろうしこんなものなのだろうか。薔薇さまの周りをチョロチョロとしているつもりもないし、むしろ振り回されているのは私なのだけれど。彼女たちにはどうも私が薔薇さまたちに付きまとっているように見えるらしい。今まで妹でもないのに下級生が、しかも役職持ちでもない奴がそういうことをした前例がないのだろう。遠くから憧れの存在を見て夢に浸っていたというのに、突然羽虫が現れればそりゃ五月蠅くて夢も冷める。

 恐らく彼女たちは薔薇さま方に直接訴えるという選択は出来ないので、こうして半ば脅しのような行為をしなければならないのだろう。ただ申し訳ないのだが、そんな彼女の願いは叶えられないのである。

 

 「だからその手の話は薔薇さま方にお願いします、とさっきから言っているじゃないですか。不平や不満があるのなら本人たちに直訴した方が手っ取り早いですよ。私が必要ないと判断されたなら、もうあそこには呼ばれないでしょうしね」

 

 「貴女、本当に口が回るわね」

 

 「このくらいなら誰だって論じられます」

 

 こめかみの血管が浮き出そうな顔をしながらトップの子のお姉さまが悪態をつくが、私も同レベルで口をきいているので構いやしないだろう。周りの人たちは黙っているけれど、私に対する不平はないのだろうか。普通なら寄って集って罵詈雑言の嵐になりそうなものだけれど、悪いことをしているという自覚でもあるのか黙ったままである。

 溜め込んで爆発するなら今のうちに全てを吐き出しておいて欲しい。個別に呼び出しをくらいその都度同じようなことを何度も言われるのは面倒極まりないのだし。この状況を生み出したあの三人には言いたいことは山ほどあるが。

 

 ――とはいえ、少し前に彼女から聞いたある話を叶えてみたい、という気持が私にはある訳で。

 

 となれば、今のこの展開を利用するしかないじゃないか。目の前の人たちには悪いし、都合のいい道具として利用するのだから申し訳ないのだけれど、私に手を出した手前我慢して欲しい。目の前の彼女たちを煽り倒してどうにか薔薇さまたちの下へ向かわせるように仕向けるかと、息を肺に溜め込んだ瞬間。

 

 「貴女たち何をしているのっ!!」

 

 意外な人物の背中が私の視界を覆ったのだった。顔は見えないけれど、髪の長さと声からして祥子さまであることは間違いない。この展開は不味いなあと、私の心が焦り始める。

 

 「紅薔薇のつぼみっ……」

 

 どうしてこの場にというような顔をしているけれど、今私たちが居る場所は時折人が通る場所である。もちろん目立ちはしないけれども、長居をすれば必ず誰かの眼に留まるから、きっとみせしめも兼ねていたのだろう。薔薇さまや教諭陣にバレた時、どうするつもりだったのだろうかと不思議であるが、考えなしの行動か露見しても大丈夫な自信があったのか。おそらく前者の気もするが、時すでに遅しであろう。

 

 「大勢が一人を取り囲むだなんて……そんな情けない真似をして一体どうするおつもりだったのかしら?」

 

 この状況をどうやらきっちりと把握しているようだった。真面目な祥子さまならば、教諭たちにこの状況を報告するだろうし、どうにか薔薇さまたちの前に彼女たちを連れていくという事は無理になる。

 

 「え、え、あのっ、それは」

 

 祥子さまの言葉に私に平手打ちをくれた人はしどろもどろになりながら答えようとするが、言葉にならない。あ、これは不味い。祥子さまがマジ切れする可能性が高くなった。正当性のない行動の上に、答えられないことに苛立ちを覚え始めているようで、手を握りしめている。流石にこれだと望んでいる展開には持ち込めないし、祥子さまには悪いけれど割り込ませてもらおう。

 

 「祥子さま、すみません。他の人たちをお願いします」

 

 平手打ちをくれた人の片手と一番身近に居た誰かの片手を手に取って、足早に歩き始める。まあ祥子さまに私の意図が通じているかどうかは分からないけれど、どうにでもなるし、こうも騒げば明日には噂として広まってしまうだろう。こうなってしまえば腹を括るしかないし、あの人たちも腹を括るつもりだと言ったのだから。

 あとは上手く立ち回れるかどうかが問題だなと苦笑いを浮かべながら、後ろから声を上げている祥子さまの声を一切無視し、抵抗している二人分の力を感じつつ薔薇の館を目指し辿り着き、一旦右手を離すと古い扉を思いっきり開く。どうやら逃げる意思はもうなさそうで、再度右手で片手を取る。祥子さまはどうやらあの人数を引き連れて後ろに着いてきてくれているようだ。そのうち追いつくだろうと床が抜けそうな階段を上りきり、いつもの部屋の前。

 さて、取り囲まれた時の対処法として薔薇さまと話し合うことは相談済みだったのだが、この行動は苦し紛れの行き当たりばったり。それでも頭の回転の早いあの三人ならば上手く咀嚼してくれるだろう。あとは誰かひとりでもこの先の部屋に薔薇さまが居れば良いのだが。ふう、と呼気を吐き扉を開き、声を上げる。

 

 「失礼します。――紅薔薇さま、黄薔薇さま、白薔薇さまはいらっしゃいますか?」

 

 「い、樹さん?」

 

 「なっ」

 

 「……っ」

 

 私の言葉に目を真ん丸にひん剥いている祐巳さん、由乃さん、志摩子さんが椅子から振り返り、その奥にいつものように薔薇さまたちが三人座していたのだった。

 

 




 8118字

 うーん。上手く丸め込めるか自信がなくなりこの先を展開することにためらいを感じてきたのですが、話を進めないことには始まらないし取り合えず投げます。


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第四十話:殴り込みと介入

 恐らく気ままにお喋りでもしていたのだろう。山百合会のメンバーは薔薇の館の二階の一室でそれぞれの指定席に座っており、その前にはティーカップが鎮座している。素っ頓狂な顔をしている一年生組には申し訳ないが、仕事をしていないのなら好都合だし薔薇さま三人はすでに揃っているのだから。

 

 「彼女たちが薔薇さま方に話があるそうなので、聞いて頂けると有難いのですが、構いませんか?」

 

 楽しく話していただろう一年生組には悪いけれど、割り込ませてもらう。

 

「あら、そうなの。今みんなで一息ついていたところだから、一緒にお茶でも飲みながら話しましょうか。少し手狭になるけれど、それは我慢して頂戴」

 

 蓉子さまががみんなを代表して私の言葉に答えてくれたのだけれど、あまり悠長にしている暇はない。祥子さまが現場を見てしまったが為に、ある一つの懸念事項が生まれている。せめてそれが可能性として咲く前に、ある程度薔薇さまたちと所謂過激派の彼女たちとの話し合いを始めて欲しい。

 

 「いえ、お姉さま、そのような必要はございませんわ。この方々は樹さんを取り囲み責め立てていらしたの。そのような方々に客人としての扱いなんて必要などありませんでしょう」

 

 「それが事実だとすれば問題があるけれど、今の彼女たちの様子だと落ち着いてもらわなきゃ話もできなさそうだもの。あとは樹ちゃん次第かしらね」

 

 「ですがっ!!」

 

 「祥子、申し訳ないのだけれど今は樹ちゃんに聞いているの。状況を詳しく理解している訳ではないし、後から話を聞きたいからその時まで待っていてもらえないかしら」

 

 「……――分かりましたわ、お姉さま」

 

 無理矢理薔薇の館に連れてこられ、薔薇さまと直接対談という過激派の子たちが考えてもいなかったであろうことが起きてしまった為に、彼女たちは顔面蒼白で狼狽えしている。苦笑を浮かべながら言った蓉子さまに、連れてきた子たちが抗う事は無理そうなので、視線を向けられているし急いていることを伝えてもかまいやしないだろう。

 

 「心遣いは感謝しますが、少し急いでいるのでこのまま始めてもらっても良いですか?」

 

 祥子さまがバラしてしまったので、彼女たちの愚行は即座にバレてしまった訳だけれど。喋る手間が省けたので正直有難い。蓉子さまと数日前にこの展開は予測済みであるからして、ざっくりとした対策も立てていたのだけれど上手く回るのだろうか。穏便に済ませたい、と伝えてはいるが目の前の三年生たちが何を考えたかまでは知らないし。苦笑いをしながら私がそう伝えると、薔薇さまたち三人はひとつ頷いてそれならばと、座っていた全員が立ち上がるのだった。

 

 「さて。いきなり大勢が訪れたものだから驚いてしまったけれど、話とは一体何かしら?」

 

 にっこりと笑う蓉子さまに続いて、江利子さまと聖さまも微笑みを浮かべる。彼女たち三人からすれば話しやすくするための状況演出なのだろうけれど、薔薇さまに憧れている人たちから見れば今回は悪手だろう。なまじ破壊力のある笑顔でそんなことを問われれば、度胸がある人にしか答えられなくなる。

 

 「あ……っ、あのっ……そのっ」

 

 ああ、こりゃ駄目かなあ。既に連れてきた彼女たちはいっぱいいっぱいのようで、目に涙を貯めこみしどろもどろで言葉を発せる状態ではないようだ。祥子さま一人だけでも手いっぱいだった彼女たちに、薔薇さま三人と令さま以外の薔薇の館の住人を相手取ることは無理のようで。どちらが悪者なのか分からない状況に、助け船を出すしかなく。ボリボリと片手で頭を掻いて、小さく手を上げたのだった。

 

 「はい」

 

 「どうしたの、樹ちゃん」

 

 彼女たちは『アイドルはう〇こしない』と夢を見ている人たちと同じなのだ。そんなものは五歳……は早すぎるか、せめて十歳くらいで捨て去って欲しいものだけれど。エスカレーター式の学園で人間関係が拗れることもなく、ここまで生きてきたのだから仕方ない。この経験値の低さは社会に出た時に苦労するだろうから、今回のことを糧にして欲しいものだ。

 

 「話が進みそうもないので代弁しますが、彼女たちは私が薔薇の館に出入りして山百合会の人たちと接することが目障りなんだそうです」

 

 「あら」

 

 「まあ」

 

 「へえ」

 

 困ったような顔を三人とも浮かべたけれど、私を直接三人が一年藤組の教室へ訪れることによって起こる弊害は予測済みだろうに。どういう意味合いで短く言葉を発したのかイマイチ意図を掴めないまま押し進む。

 

 「なっ、何を言っているのですか、貴女という人はっ!!!」

 

 薔薇さまには言葉を発することが出来なかったというのに、途端に私が相手となれば声は出るようだ。その言葉は保身の為なのか、それとも事実とは違うことを私が発言して間違った情報を薔薇さまに渡したからなのか。どちらにせよ、彼女たちと蓉子さまたちが会話を交わさないことには始まらない。目くばせをして蓉子さまたちに視線を向けると、気が付いてくれたのか一つ頷き。

 

 「今のことが事実かどうかは別として、薔薇の館はいつでも開かれているのだから、貴女たちも来たければ遠慮なくいらっしゃいな」

 

 「そうね。リリアンの高等部の生徒なら、ここに来る資格はあるでしょうし」

 

 「そもそも今までが異常だったんじゃないかな。山百合会のメンバーだけが入れる――みたいな風潮もあったしね」

 

 少し無理矢理な展開かもしれないが、事実を話してしまえば事態がややこしくなりかねないから、こうでもするしかない。今の言葉で少しでも溜飲が下がればいいし、ここを訪ねる生徒が増えれば手伝いの人が増えるだろうから、お役御免の可能性も出てくる。こりゃビンタを貰ったことは内緒にしておくしかないか。そもそも過激派の子たちを不用意に追い込んだのは薔薇さまたちで、私も巻き込まれた立場ではあるが理解しながらここに来ることを止めなかったのだし。

 

 「え、え? あ、あのっ」

 

 「山百合会は生徒会なのだから、役職を持っていない人が訪れても構わないでしょう。それに今まで近寄り難い雰囲気があったというのなら――」

 

 蓉子さまの言葉は最後まで発せられず、階下から響いた扉の開く音に中断されて。ドタドタと軋む階段を上り、ここまでの短い廊下を複数人が歩いてくることだけは、一瞬で理解でき。

 

 「祥子っ、先生連れてきたよっ! どこに消えたのかと思えばこんな所に居るだなんて」

 

 突然の令さまの登場とその後ろには教諭たちが複数人。

 

 「令、遅いじゃないのっ!」

 

 蓉子さまはこめかみを抑え、江利子さまは掴みどころのない表情のまま、聖さまは苦笑である。一年生三人は事態についていけないのか、祐巳さんは面白おかしい顔をしているし、由乃さんは渋い顔、志摩子さんはこの状況を観察しているようにもみえる。過激派の子たちは教諭陣に露見したことで涙目に拍車が掛って、今にも落涙しそうなのだけれど。大丈夫かなあと心配になりながらも、大人たちの介入で事態はちとややこしいことになるのは目に見えていた。

 

 「これでも急いだんだよ。あそこには既に居なかったし、周りに居た子たちに声を掛けてようやく追いついたんだから」

 

 なるほど。祥子さま自身が職員室まで走るよりも令さまが走り抜けた方が早いし、取り囲まれた現場を無理矢理止めるなら令さまよりも祥子さまの方が適任だろう。令さまは優しいところがあるし、相手の話を聞いて止められない可能性も出てきそうだもの。祥子さまはドライな所があるので、駄目なものは駄目と切り捨てられるので、ああいう現場がどちらが適任かと問われれば祥子さま一択だ。

 

 「一体どうしたのですか、この状況は」

 

 「説明をしてもらおうか」

 

 状況が状況だっただけに男性教諭も腰を上げたようだ。この学園でキャットファイトに興じる猛者がいるとは思えないが、念のためだったのだろう。話が纏まりかけていただけに残念な結果になってしまった。生徒の自主性を重んじる風潮なので、問題がある程度解決したのちに事後報告という形を望んでいたのだが。

 今にも泣きだしそうな生徒数人と泰然としている生徒数人であれば、事情を知らない人たちから見れば後者が悪者に見えるだろうから、教諭陣の視線が痛い。個別に話を聞くということになり、それぞれ別の場所へと連れていかれ、聞き取り調査という名目で一対一の話し合いが始まったのだった。

 

 ◇

 

 「――貴女も大変ねえ」

 

 まるで他人事のように言い放ったのは、誰であろうこの学園の長である人。シスター服に身を包んだ皺の深い女性はしみじみと目を細めて私を見ている。ちなみに聞き取りを行った教諭数人も同室しているが、話に割り込む気はないらしい。

 

 「否定が出来ませんね」

 

 取り合えず教諭陣からの聞き取りも終了し、おそらく聞き取りをした話の整合性を確認したのちに学園長へと報告がいったのだろう。その話を聞いた学園長がこうして私と対峙している訳なのだが。何を考えているのか読めない表情に苦笑いが零れてしまう。

 

 「さて今回の一件なのだけれど、鵜久森さんを取り囲んだ生徒が悪いとはいえ煽るようなことをした水野さんをはじめとした鳥居さん、佐藤さんとそれを容認した貴女にも責任の一端はあるでしょう。一応、何かが起こると生徒会顧問の先生から聞いてはいましたが、まさかこんなことを起こすだなんて」

 

 蓉子さまたちは生徒会顧問に先に話を通していたようだ。どうやら暈してはいたようだが、生徒の自主性を重んじる学園側は何か起こってからではないと手が出せなかったのだろう。

 

 「あー、確かに。ですが今回の薔薇さまたちの行動は、過去から現在までに築き上げてきた伝統――ある意味、悪習のようなものが原因ではありませんか?」

 

 「あら、それはどうして?」

 

 「山百合会が生徒間で神聖視されているのは学園長をはじめとした教諭の方々にも周知の事実、ですよね?」

 

 「ええ、そうね」

 

 「ならば、ただの生徒会を持ち上げるようなことを何年もそのまま放置して、薔薇さまたちがアイドル視されていることを黙認していた学園側にも責任がありませんか?」

 

 山百合会が生徒たちの憧れで薔薇の館には近寄り難かった、ということは母や姉の言葉で何十年も以前からそうであったのは知っている。

 

 「――あら」

 

 「なっ!」

 

 「おいっ、何を言っているっ!」

 

 笑みを始終浮かべていた学園長は更に皺を深め。そのほかの教諭たちはまさか自分たちも巻き込まれるとは思ってもいなかったのか、私を責めるような声が。それを黙ったまま片手で遮ったのは学園長で、話を続けなさいという強い意志を受け取る。

 

 「薔薇さまのような特別な存在が学園の価値を高めるのは理解していますが、あまりにも持ち上げられすぎています。例えば、新聞部でその行動が逐一取り上げられている辺り、一般的な学校ではまずありえないことですから」

 

 新聞部の人には完全なとばっちりだけれど、許して欲しい。時折薔薇さまの後を付けて、なにかネタを漁っていたことは知っていたし、自分もその被害にはあっているのだ。娯楽の少ない学園内で、新聞部がゴシップ記者紛いのことをしているのも理解は出来なくもないし、山百合会という絶好のネタが転がっているのだから好奇心が湧くのは仕方ないともいえるけれど。

 

 「良家の子女が通う学園ですから、なにか問題が起こっても先生たちに露見しなかったということもあるのでしょうし」

 

 「結局、貴女は何が言いたいのかしら?」

 

 ほとんど脅しのような言葉である。そして学園長は私が言いたいことを正しく受け取ってくれたようで。

 

 「今回の騒動を起こした薔薇さまたちとそれに巻き込まれた哀れな子羊たちに温情を。大事な時期になる三年生に不祥事なんて痛いですし進学にも関わってくるでしょうから。そして煽られて乗ってしまっただけの彼女たちにも同様に、なるべく穏便に済ませて欲しいんです」

 

 「鵜久森さん自身のことがごっそりと抜け落ちているけれど、貴女の処遇になにか望みは?」

 

 「薔薇さまたちの思惑に乗ってしまって見事にそれに釣られた人たちに巻き込まれただけなので、私はそう酷いものにはならないだろうと」

 

 手を出された事を学園側が知っている――私はこの件についてどうせ露見するだろうと学園側に話していない――のかどうかはしらないけれど、出来ても口頭注意くらいじゃないかなあ。というかこの後の学園生たちの盛り上がり方にもよるが。多分、新聞部あたりが放火しようと企むだろうけれど、遠回しに釘をさしておいたから薔薇さまが止めるか学園側が止めるか、どちらかだろう。

 

 「貴女、全てを見越して行動していたの?」

 

 「まさか。そんなことは神様くらいにしかできないでしょう。私は矮小な人間の一人にしか過ぎませんよ」

 

 私がしたことやったことといえば、家族や蓉子さまに相談をしたくらいだ。

 

 「高等部の生徒にあるまじき言葉ね。――全く、こんな生徒が学園にいるだなんて」

 

 「編入させなければ良かったですか?」

 

 「いいえ、むしろ期待しているのかしらね。鵜久森さんに毒された人たちが動いているんだもの」

 

 せめて影響された、くらいにしておいてください。毒された、だと私が悪いみたいじゃないですか、という抗議の言葉は飲み込んで。

 

 「なんにせよ、加害者である彼女たちの御両親と被害者である貴女の御両親を交えて話し合いをしなければならないでしょうね。なにせ実害があったのですから」

 

 あ、やはりバレてたか。おそらく真面目な祥子さまがいったのだろう。タイミング的に見ていてもおかしくはないし、令さまを職員室まで走らせた事実が物語っている。子羊ちゃんたちが話したかどうかは分からない。保身に走っているかもしれないし、反省しているのかもしれないし。ああ、これから一番面倒なことが始まるなあと遠い目をするのだった。




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 明日11/15は日曜日で最低保証ラインの投稿日と作者の心の中で勝手に位置付けているのですが、十四時からyoutubeで夏〇先生の句会ライブ配信があるので、微妙な所。それまでに書き上げられるように頑張りますが、投稿がない可能性が高いです。申し訳なく。

 ※この話は悩みました。納得できなければ消して修正する可能性もあります。


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第四十一話:召喚と事後処理

 

 問題が起きた当日に保護者召喚である。学園側も手が早いが、仕事で忙しいはずの父が即学園に訪れたことも驚きであるが。とはいえ、もしかすれば呼び出しがあるかもしれないと事前に伝えてはいたから、ある程度融通が利くように動いてくれていてくれたのだろう。

 

 「父さん」

 

 「ああ、樹。――まさか本当にこうなるなんてね」

 

 オーダーメイドのスーツに身を包んだ長身の父が用意された部屋へと入って来る。困ったような顔を浮かべている父に申し訳なさが沸き上がる。

 

 「仕事の邪魔してゴメンなさい。でも、ありがとう」

 

 父は社長であるが現場を捨てていないので客先との都合もあっただろうに。

 

 「確かに仕事も大事だけれど可愛い娘の為だよ。それにお兄ちゃんとお姉ちゃんに仕事は押し付けてきたから平気さ」

 

 忙しい父の代わりを務めるのは大変だろうし、家に帰ったら兄と姉にも感謝しなければならないなあ。家族経営なのでこういう所には融通が利くけれど母も心配しているだろうし、この後の事よりも家に帰ってからの方がひと騒ぎ在りそうな気がする。なにせ私に甘い家族なのだから、もしかすれば今か今かと帰りを待っている可能性まであるし、リリアンという特殊な環境について母と姉から教えて貰って、色々と考えていたし。

 そしてその隣で蚊帳の外状態だった父と兄は不思議そうな顔をしていた。花寺出身の彼らには、リリアン特有……というよりも女が蔓延る状態での同性同士の微妙な駆け引きやグループ毎のヒエラルキー、のようなものが理解し辛かったようで。

 

 「それで、どうなったんだい?」

 

 保護者である父には真実を全て語るべきなのだろうし、学園側の動きも知ってもらう必要があるかと考えて今日起こったことをありのままに話す。思案顔で私の言葉を聞いている父の表情は険しい。弁護士なんて硬い職業を生業としている為なのか、頭の中で色々と思い描くことがあるのだろうし、これから子羊ちゃん側の保護者の対応次第で出方を変えなきゃならないので、正直どうなるのか分からない。

 良家の子女が通う学園なので保護者がモンペ……モンスターペアレンツでなければいいと願うばかりなのだが、こればかりは賭けだろうなあ。薔薇さまたちに乗せられたことに怒るか、はたまた簡単に乗ってしまったことに怒るのか。

 

 父は学校行事だといつも外している弁護士バッチをここぞとばかりに付けたままなので、今回はその威光を存分に使うようだ。目敏い人なら気付いて敵に回すと厄介だと考えるだろう。これで親同士の場外乱闘が起こる可能性が低くなるのならいいけれど。

 

 「お待たせしました、どうぞこちらへ」

 

 さらにまた別室へと案内されて部屋へと入ると、そこには子羊ちゃんたちの保護者がそろい踏みしていた。なんだか空気がどんよりしているのだけれど、大丈夫だろうか……。

 父と私が席につくと、子羊ちゃんたちの親が一斉に立ち上がる。

 

 「この度は申し訳ありませんでした」

 

 そう言って奇麗に揃って頭を下げられたのだった。これには父と私も驚いて、顔を見合わせる。その回復が早かったのは父の方で、相手方に向き直りどうか頭を上げて欲しいと願い出ると、父の落ち着いた声色に安堵したのか少し表情に柔らかさが戻って。

 学園側が音頭を取りながら、今回の話し合いが始まった訳である。――同じ話をまたする羽目になるけれど、それぞれの考え方やら意見があるし、学園側も処分の納め処を探っているだろうから、面倒だと言って話さない方が不味くなる。それぞれの思惑が交錯する中、一通り話を終えて。とにもかくにも最初から最後まで平和の一言だった。親同士だからなのか、始終落ち着いた様子で理論的に話し合えていたし、口を出すなと言い含められていたのか子羊ちゃんたちは大人しく口を挟むことはなかったし。

 

 ――ふう。

 

 一番の難関であろう保護者を交えた話し合いは、無事終了して。あとは学園側が下す処分と子羊ちゃんたちが今後生徒たちからどういった目で見られるか、が残るだけ。部屋を出て帰路につく父と並んで廊下を歩く。外はもう真っ暗で夕飯の時刻はとうに過ぎていて。

 

 「さて、帰ろうか」

 

 「うん。――ありがとう、父さん」

 

 「なに、偶には父親としての威厳を見せないとね。けど珍しいなあ。こんな問題、今まで起こさなかったのに」

 

 思春期みたいなものは既に枯れていて湧きだすものがない状態の私だから、問題なんて起こる訳はない。仮になにか問題を吹っ掛けられたとしても、避けるか流すかすればいいだけ。

 

 「ああ、まあ、うん。――色々と思う所がありまして……何だろう、上手くは言えないけれど、夢とか理想とか願いとか聞くと老婆心が湧くというか……」

 

 自分の心が枯れているだけに、そういう眩しいものを見たり聞いたりするとどうにかならないものか、と考えてしまうのだ。今回の一件の切っ掛けもある人のある言葉が切っ掛けだったし。

 聞いていなければ、あの三人が日替わりで迎えに来ていたのを『迷惑だ』と伝えて断ってただろうし、こんなことにもなっていなかっただろう。近寄らなければ噂は鎮静化して、自然消滅するものだった。別に山百合会へと出向かなくても、友人付き合いは出来るので何も問題はなかったのだけれど、この学園だと彼女たちと距離が近しいと難癖を付けられそうな気もするが。

 

 「誰かの為に動くことは悪いことじゃないさ。でも今回は少し騒動を大きくし過ぎたかもしれないなあ」

 

 「山百合会に関わることだから、必然的にそうなったんだよね。というかただの自治組織だっていうのに、いちいち動向を注視されすぎてるんだよね、生徒会の人たちって。息が詰まりそうだよ」

 

 肩をすくめておどけて言う私に、父も苦笑いを浮かべる。

 歴代の薔薇さまたちが容姿端麗、文武両道だなんていうトンデモ設定が神格化に拍車を掛けていた訳だけれど。あと姉妹制度も助長させているような。姉の思いを妹が連綿と継いでいく、みたいな美談が語られるのだから。それが山百合会となると更に盛り上がる。噂好きな女子の間なら尚更。

 

 「女性社会は独特だよねえ――おや、あの子は確か、水野さんだったかな……その横の二人は誰だろう」

 

 長い廊下の少し先で、三人が揃ってこちらを見ている。薔薇の館に教諭たちが乱入してからかなり時間が経っているというのに、どうやらこんな時間まで残っていたようだ。

 

 「あ、うん。水野センパイで合ってるよ。紅薔薇さまだって知ってるよね?」

 

 「体育祭の時に挨拶をしてくれたから覚えているよ」

 

 「横に居る二人は残りの薔薇さまで、黄薔薇さまと白薔薇さま。鳥居センパイと佐藤センパイだね」

 

 「ふむ」

 

 リリアン以外の人に流石に様付けを使うのは恥ずかしいので、名字付けで『センパイ』と呼ばせて貰ったのだけれど、違和感が走ることに驚きを感じて慣れは怖いと思い知る。父が履いている来客用のスリッパの音と私の足音が廊下に鳴り響いて、三人に近づいていく。

 

 「この度はご迷惑を掛け、本当に申し訳ありませんでした」

 

 ばっと三人とも頭を下げる。父はその姿を見てぎょっとし鼻柱を片手で押さえながら、もう片方の手を出して軽く振る。流石に生徒から頭を下げられるなんて考えていなかったのか、頭を抱えているようで。

 

 「ああ、もう頭を上げてくれないかい。それに君たちが謝罪をする必要もないだろうに」

 

 父の言葉に頭を上げる三人の顔色は余りよろしくない。

 

 「いえ、ですがお嬢さまを巻き込んでしまいましたから、その責任は果たすべきかと」

 

 「娘から話は聞いたよ。君たちの考えに乗ったのはウチのお嬢さまだから、あまり重く捉えないでくれる方が有難いんだけれどね。それに学園内で起きたことなのだから、親があまり出しゃばり過ぎるのもね」

 

 父が場の空気を和ませたいのか、私の頭をわしわしと大きな手で乱暴に撫でる。ああ、乱れる、乱れるからという抗議は心の中だけに留めて、状況を父に任せるしかなく。

 

 「しかし……」

 

 「それに問題はまだ残っているのだろう? これから苦労しなければならないのは君たちだよ。――右往左往して迷って悩んで馬鹿をやるのも今のうちだ。若者らしく頑張りなさい」

 

 「はい、ありがとうございます」

 

 「さあ、もう遅いんだ。君たちも帰らないと親御さんが心配するだろうから、行こう」

 

 その言葉にこの場に居る全員が頷いて歩き始める。前を歩くのは父と私でその後ろに薔薇さま三人が歩いている。そうして校門と裏門へと分かれ道に差し掛かり、江利子さまが『家族が迎えに来てくれているから』といって別れたのだった。そうして校門に辿り着き車で来ていた父に、深くはない時間帯ではないけれどリリアンの制服を着こんだ未成年が夜道を歩くのは危ないので、最寄り駅まで二人を乗せて送ることを頼み込むと蓉子さまと聖さまは辞退しようとしたが、私がほぼ無理矢理に乗せ。

 

 「済みません、ありがとうござました。――樹ちゃん、また明日」

 

 「はい。それじゃあ、失礼します」

 

 そんな短いやり取りを終え、人ごみの中へと消えていく二人の背中を見守りながら考える。明日は今日の出来事で学園中持ち切りだろうな、と遠い目になり。黄昏ていた私を置いて、父が深い溜息を一つ零す。

 

 「娘と同世代の子に頭を下げられるだなんて、もう願い下げだよ。肝が冷えた……僕が悪者みたいじゃないか」

 

 「あはは。ごめんね、父さん」

 

 最後はほぼ愚痴のような自然に零れてしまった言葉のようで。あの場面を事情を知らない人が見ればそう見える可能性があるし、立場のある人があんなところを見られれば、上げ足を取られる可能性もあるので『肝が冷えた』という言葉は何らおかしくないのだけれど。あの時の学園内は事情を知っている教諭陣と部活動で遅くなる生徒くらいのもので、人目なんてほぼ無いに等しかったので、助かった部分もある。

 

 「さ、今度こそ帰ろう。僕は先生や保護者との話し合いよりも、これから母さんと姉さんを諫める方が難題だよ」

 

 「私も頑張るよ」

 

 そうして車で走ることいくらか。家へと辿り着いて車を降りてドアを閉めると玄関から母と姉が車へと駆け寄る。ああ、こりゃ相当心配させていたのだなあと申し訳なくなりながら、取り合えず遅いからご飯となり、そのあと家族会議という話し合いが始まるのだった。

 

 ◇

 

 少し気だるさが残る朝。今日も元気に登校しなければならないのだけれど、学園に辿り着いた後が正直面倒である。

 一年藤組の教室に入ればウキウキの顔をしながら取り囲まれるのは確定事項だろうし、教室に辿りつくまでにも視線の痛みでゲンナリしそうだ。

 

 「いってきます」

 

 まだ家に居る家族に声を掛けて、重い門扉を開いて外へと進む。少し肌寒い朝、はっきりと目を覚ますには丁度良かった。そうして毎日の繰り返しのような道のりを歩きバス停へと辿り着く。早朝の為にまだ人は少なく、バスに乗り込むと適当な席へと腰を下ろして。学園が近くなるにつれリリアンの制服を身に纏った生徒が多くなってくると、少しづつ騒がしくなるバスの中。『リリアン女学園前』のアナウンスが響くと生徒たちはおもむろに立ち上がって、バスを降りていく。その最後尾に並びバスを降りると、まばらながら校門の内へと生徒たちが歩いていく。

 銀杏臭漂う銀杏並木を歩き視線を感じつつ一年藤組の教室へと辿り着くと、不思議な空気が流れていた。取り囲まれるだろうからいろいろと言い訳を考えていたというのに、その気配はなく。遠くから眺めるだけに止まり、昨日私を取り囲んでいたトップの子とあと二人はまだ教室には来ていない。面倒が起こらないのなら、それはそれで楽だからいいかと頭を切り替えて席へ着いて、通学鞄から教科書や勉強道具を出して授業の用意を始めたのだった。

 

 「いいんちょ」

 

 リリアンにおける私の参謀役のいいんちょに現状確認の為に頼るのは言わずもがなで。そうして声を掛けてきた私に苦笑を見せるのも、いつものいいんちょで。

 

 「また大変なことに巻き込まれていますね」

 

 すでに情報が出回っているのか、いいんちょは何が起こったのか把握しているようだ。まあ私が取り囲まれたことと、その取り囲んだ人たちを薔薇の館へと連れて行ったことは誰かしらの目に留まっていただろうから、そのことについて噂が広まっているのは覚悟の上の行動だった。ただ爆速で噂が広まっているのは、この学園らしいというか。

 

 「今回は巻き込まれたというよりも、あの三人に乗っかった方だから愚痴るわけにはいかないかな」

 

 「おや、珍しいですね」

 

 「いろいろと面倒だから、いっそのこと変わってしまえば良いんじゃないって思っちゃって」

 

 「変化、ですか」

 

 「うん。今回のことで動いた人って山百合会に向ける憧れが強い人でしょう。それが少しでも緩和できればいいなーって」

 

 「そのことが緩和にどう繋がるんです?」

 

 「それは薔薇さまに丸投げになるかな。私が出来る範疇は超えているんだし、薔薇の館の住人のみなさまに頑張ってもらうしかないよ」

 

 まだ学園側からの処分の言い渡しはされていないし、今後あの人たちがどう行動するのかも知らないのだから手の出しようがないのだし。その辺りは頭のキレる人たちだし、学園側も問題を大きくしたくはないだろうから、上手いこと取りなしてくれるだろう。

 私が出来ることはこのクラス内で良い視線を向けられないであろうトップの子たちのフォローくらいだ。今回の件は薔薇さまが煽ったとしても、周りの生徒からあまり良いようには見られないだろうし、居心地も悪いだろうから。その辺りも薔薇さまたちには加味して欲しいので、後から相談するとしても、さてどうなるのやら。

 人の心は難しいねえと、いいんちょに言い話すと呆れた顔をしながら『貴女からそんな台詞が聞けるだなんて』と驚いた顔を見せるのだった。

 




 5525字


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第四十二話:これからと処分

 過激派、まあようするにウチのクラスのトップの子とその友人である二人は始業開始直前に教室へとようやくやって来たのだった。みせしめのつもりである程度人目につく場所で取り囲んだことが裏目に出てしまった結果、取り囲む側であった彼女たちが取り囲まれる側へと回ったのは皮肉なのかも。

 気まずそうに視線を浴びながら無言で教室へと入り、席について授業の準備を始めると予鈴が鳴り、我がクラス担当教諭の有難いお言葉から一日が始まる。そうこうしているうちに一限目の休み時間が訪れると、我慢が出来なくなったのか私の下を訪れて昨日起こったことを聞き出すクラスメイトが現れ始めて。

 しばらく経てば学園側は処分を下さなければならなくだろうからと、知らない学園生に囲まれたこと、祥子さまに発見され、そうして学園側に発覚したことだけは伝えると満足したのか私の下を去っていく。何度も同じ話をしなくても、彼女たちから私の話は広まっていくだろう。そうしてまた二限目、三限目と過ぎていきお昼休みが訪れると、最大の衝撃が学園内を駆け抜ける。

 

 「ど、どうして薔薇さま方が生徒指導室にっ!?」

 

 「薔薇さま方がどうしてっ?」

 

 我が一年藤組の教室内は堂々巡りの『どうして』がそこかしこから聞こえてくる。先程、校内放送から流れた教諭の声にみんなが驚き慌てふためいているのだ。

 この学園はお嬢様学校と呼ばれ、お淑やかで気品ある人が大半だし、生徒会ならばさらにそこから篩を掛けたメンツである。成績優秀、品行方正、眉目秀麗なのだから。三薔薇さまが一斉に呼び出されることなどないし、そもそも一人だけでも呼ばれたことはない。過去を遡ればあるのかもしれないが、そんなことは稀だろう。だからこそ今のクラスの状況は理解できるけれど、流石に気になって生徒指導室まで野次馬しにいくのはどうなのだろうと、首を傾げてしまうが。

  

 「樹さんは気にならないのですか?」

 

 「ぅん……っ、なにが?」

 

 最近はめっきり寒くなってきたので教室でお弁当を食べることが多くなってきて、今日も寒いので自席で包みを開いて食していたのだけれど、いいんちょが珍しく声を掛けてきたので、咀嚼途中で飲み込んだおかずが微妙に喉に残る違和感が。

 

 「薔薇さまたちが何故生徒指導室に呼ばれたのか、です」

 

 「ああ。あの人たちが退学になるようなことをする訳がないでしょう。だから大丈夫だよ。――多分」

 

 違和感を打ち消そうと持参していたお茶を手に取り、ずずずと啜る。温かいお茶にしておいてよかったと、迷っていた朝の自分に感謝しながら、流し込むと違和感がどうにか消えて。

 

 「多分、は余計かと……」

 

 「いやいや、絶対なんてことはないから一応は保険掛けておかないとね」

 

 「薔薇さまのことを信頼しているのだな、と感心した私の感動を返してください」

 

 何故彼女たちが生活指導室へと呼ばれたのかは、本当に謎である。昨日の出来事の聞き取り調査の延長かもしれないし、はたまたお叱りを受けているのか。とはいえ酷いことにはならないだろうと踏んでいるので、クラスで慌てふためいている子たちよりも、私は悠長に持参したお弁当を食べていたのだけれど。

 

 「はは、無理。というか、いいんちょも心配なの、あの人たちのこと」

 

 「それは、もちろんです。学園の為にとずっと働いてくれた人たちなのですし、やはり憧れていますから」

 

 いいんちょの心配は分かるけれど、それ主に蓉子さまのような気がするのだけれども、言わぬが花なのだろうか。江利子さまと聖さまは、最低限の仕事しかしていないような気もするし、むしろ蓉子さまに『仕事しなさい』と怒られているのが常のような。もし私を捕まえてからサボり癖が付いたのならば抗議しなければならないし、むしろそれなら私は必要ないのだしそろそろ解放を要求しようと決める。

 

 一応二人の名誉の為に言っておくが決めるときは決める人なので、二人にしか出来ないとなればきっちりと仕事はこなしてる。ただ普段の雑用をサボる癖があるのだ、あの二人。そして最近はよく私に押し付けるのだから、解せぬ。

 

 「そっか」

 

 照れ笑いのような顔をしたいいんちょにそう言葉を返すと、聞きたいことは聞いたのか自席へと戻り五限目の授業の準備を始めた彼女の後ろ姿を見ていると、視線を感じてそちらを向くとトップの子ともうふたりが青ざめた顔をしながらこちらを見ている。ああ、これは『私たちの所為で薔薇さまがっ!?』とかなんとか考えて不安にでもなっているのだろう。流石にこのまま放置するのは寝覚めが悪いので、彼女たちの下へと行くと驚いた顔をされる。

 昨日の今日だから驚きは仕方ないとはいえ、そこまで構えなくてもいいじゃないのだろうか。別に取って喰う訳でもないのだし。ぼりぼりと後ろ手で頭を掻きながら、薔薇さまたちが召喚された理由の予測を彼女たちに話すと少し落ち着いた様子を見せ、昨日の事の謝罪を受ける。以前に生きていた過去に上級生に囲まれてボコられたという経験がある所為か、あの位可愛いものである。それを伝えるわけにもいかないので誤魔化しながら、今後も良い関係を築きたいと伝えると涙目になっていた。これ以上迂闊なことを言って彼女たちに泣かれると、きついものがあるので言いたい事だけ言ってその場を離れると、クラスメイトに呼び止められ廊下を指差しているのでそっちに向くと。

 

 これまた心配そうにしている三人組が廊下から私を見ていたのだった。

 

 「ごきげんよう」

 

 「い、樹さん、薔薇さまがっ! 薔薇さまたちがっ!」

 

 「とりあえず落ち着こう、祐巳さん」

 

 ずいっと顔を近づけて目を丸くしながら訴える祐巳さんの肩を軽く撫でて、少し離れてもらう。その後ろに控えていた由乃さんと志摩子さんも心配そうな表情をありありと見せてくれているのだから、この三人があの人たちへと向ける思いは大きいのだろう。昨日、彼女たちも教諭たちから聞き取りを受けただろうが、得られる情報は少ないと判断されて早々に開放されていたから、この行動も理解できなくはない。

 

 「ど、どうすれば……」

 

 「この様子だと学園中騒がしそうだし、放課後にあの三人から説明あるんじゃないかな?」

 

 もうすぐ昼休みも終わってしまう時間だから、今から薔薇の館へと赴いても無駄であろう。それならきっちりと時間のある放課後の方が適切だし、この騒ぎの説明もしないまま仕事を始める薔薇さまたちでもないだろうし。

 

 「生徒指導室に行こうってみんなを誘ったのだけれど、樹さんはどうする?」

 

 「私が行くと余計に騒ぎになりそうだから、止めておくよ」

 

 祐巳さんに変わって由乃さんがこの場に来た理由を教えてくれたのだった。お誘いは有難いけれど、私はある意味で渦中の人間だから、行けば余計に騒ぎになりそうなので止めておいた方がいいのでゆっくりと首を左右に振った。

 

 「なら、放課後薔薇の館に?」

 

 「そのつもりだよ。一応昨日薔薇さまたちと少し話したけれど、まだ全部聞けたわけじゃないからね。その辺りはキチンと聞いておかないと」

 

 昨日、車の中で事のあらましだけは聞いておいたけれど、まだ聞けていない事もあるし詰めておかないといけないこともあるから、元々そのつもりではあったので、志摩子さんの言葉にそう答える。

 

 「時間そろそろ無くなるから、行くなら急いだほうがいいよ」

 

 「ごめんね、樹さんっ! それじゃあ行ってくるからっ!」

 

 「うん、お願い」

 

 急ぎ足で生徒指導室へと向かう三人の背を見送る。若さ故にまだ見えないものもあるのだろう。でも人を思う気持ちは本物で。

 少し羨ましいと眺めつつ、この時の三人について行かなかったことを後悔する私が誕生するのは、もうすこし先の話。

 

 ◇

 

 ――放課後。

 

 昼の騒がしさは少しマシになったとはいえ、周囲はあの三人が生徒指導室へと呼ばれたことの話題でまだ持ちきりだった。勘のいい人たちは、薔薇さまたちが連日私を迎えに来てそのまま薔薇の館へと連行されていることと、それに耐えきれなくなった人が行動を起こしたことを繋げることが出来たようで。単純ではあるけれど、少しずつ噂の質の変化が見られていたのだった。とはいえ、朝から私に刺さる視線が痛いことに変わりがないのだけれども。

 

 「ごきげんよう」

 

 勝手知ったる薔薇の館の扉を開けて階段を上り、短い廊下を進んでいつもの部屋の扉に手を掛けて開け、いつもの様に挨拶をすれば。

 

 「ごきげんよう」

 

 そう声が部屋の中から返ってくれば、いつものメンツは既に集まっていたようで。アポイントなんてものは取っていないけれど、一年生組から薔薇さまたちに私が来ることは伝わっていたのだろう。特段、何の変りもなく迎え入れてくれてお茶がいつの間にか用意されると、蓉子さまが一度全員を見渡して軽く目を瞑る。

 

 「今回は私たちの我が儘で、学園中を騒がせてごめんなさいね」

 

 事の顛末をとつとつと語り始めたのだった。以前から変えたいと思っていた、生徒たちからの山百合会特別視は私という存在が居たことでその気持ちが大きくなったこと。そしてその為の布石に必要な過程として私の精神面が強く、いわゆる『過激派』と呼ばれる人たちからの圧力があっても耐えられるという確信が、三人が行動に至った最大の理由だそうだ。

 

 「ま、生徒指導室でたっぷり絞られたけれどね」

 

 茶目っ気たっぷりの明るい声色で答えたのは聖さまで。聖さまの二つ隣りに座る江利子さまがその言葉にうんうんと頷いていた。

 

 「生徒指導室になんて初めて入ったから、どんなことがあるのかと思えばお説教、だものね。ふふ、良い体験ができたわ。これも樹ちゃんのお陰よ」

 

 楽しそうに笑う江利子さまを横目で呆れ顔をしているのは蓉子さま。二人の軽さに頭を抱えているようだ。実質代表者として動かなければならないのは紅薔薇さまである彼女なのだし、仕方ないのだけれども。というか、江利子さまは生徒指導室に召喚されたことすら楽しんでいたのか。私よりも肝が太いと思うのだけれど、どうなのだろう。

 

 「はあ。――でも、貴女のお陰でいろいろと事態はいい方向に動きそうなのよ」

 

 「私、何かしましたっけ?」

 

 前に話したのは薔薇さまたちの行動の先に起こることだけであって、それに対しての対処法しか考えていなかったのだけれども。しかも出した答えは『耐える』という至極単純なもので。そこから何か得られるようなこともないし、特段変わったようなこともない。事件が起きて学園内はその噂で持ち切りだし、昼の一件で更に騒がしい状態になっているのだから、むしろ悪い方向へと進んでいる気もする。

 

 「貴女、学園長に啖呵を切ったでしょう?」

 

 「……そんな覚えは全くありませんよ」

 

 はて、何か学園長に胸のすくような鋭く歯切れのよい口調で話したことなんてないのだけれど。あるとすれば、嫌味を零して遠回しに保険を掛けておいただけなのだが。

 

 「"山百合会神聖視を長らく放置した学園にも責任がある"って学園長に言ったのでしょう? まさか、そんなことを考えていたなんて」

 

 苦笑いをしながら語る蓉子さまに、薔薇さま以外の人たちがぎょっとした顔をする。祐巳さんは『ええっ!!』と声が漏れてしまい、慌てて両手で口を塞いで。その姿を見た祥子さまが呆れた視線を祐巳さんへと向けると、張本人は縮こまっていて、最近よく見る光景だったりする。

 

 「樹ちゃんがどういう意図をもって言ったのかまでは分からないけれど、言った事だけは先生方に事実として突き刺さっているものね」

 

 「ただの保身の為ですよ。深い意味はありませんから」

 

 江利子さまが片肘を付いて面白そうに語り、それにすぐさま反論しておいた。アレの狙いは今回の件は学園側に責任の一端があると大人側に認識させて、処罰の軽減を狙っただけで深い意味はあまりなかったのだけれど。

 

 「でも、外から来た君の言葉は結構重かったみたいだよ。学園長をはじめとした先生たちに現状をどう思うのかって、お説教と一緒に聞かれたしね」

 

 どうやら薔薇さまたちの処分はお昼休みの『お説教』で終わりのようだ。そしてなにか動き出している様子なのだけれど、目の前の三人が語る様子は見られない。蓉子さまの言葉を信じるのならば事態の改善、なのだから山百合会神聖視問題が緩和することになるのだろう。どういう手段をもって良い方向へと進むのかは謎であるが。 

 

 この後の彼女たちの話は今騒ぎになっている噂の鎮静化の為に、次週にある全校集会の時に今回のいきさつを説明すること。全生徒に問いかけというかたちで山百合会神聖視問題も、単純な方法だけれど普通の生徒会として見て欲しいこと、薔薇の館へ気楽に赴いて欲しいと訴えるそうだ。

 

 「時間が掛かるでしょうし、もしかすれば何も変わらないかもしれないけれど……」

 

 「今回、焚きつけた責任もあるのだし、説明くらいはしておかないとね」

 

 「だね。これで簡単に変わるなんて思えないけど、やれることはやっておかないと」

 

 そんな三人の言葉に、私以外のみんなが少ししんみりとした様子を見せると、それを打ち消すように蓉子さまが話題を変える。どうやら来週の全校集会で話す内容をみんなで打ち合わせをするようで。

 滞りなく進む会議の様子をぼうっと眺める。今日ここに訪れたのは一つ聞きたいことがあったからなのだけれど、タイミングを逃したようで割り込む勇気もなく、時間だけが過ぎていき。打ち合わせがようやく終わり、今日はもう解散という雰囲気が流れ始めようやく本題が聞けるのだった。

 

 「蓉子さま」

 

 「何かしら?」

 

 「私を取り囲んだ人たちの処分ってどうなるのか、知りませんか?」

 

 決まらないのか、私が知らないだけなのか、私に知らせる気がないのか、どれかは分からないが。トップの子たちが登校していたが、上級生のこととなると情報を入手し辛く、今日学園に来ているのかどうか分からないし、渦中の最中見に行く訳にもいかないのだし。おそらく私が願い出た通り恩情があったはずなのだけれど、どうなっているのやら。

 

 「ごめんなさいね、私たちも知らないのよ。重いものにはならないだろう、くらいのことしか分からないわね」

 

 「そうですか、ありがとうございます」

 

 知らないものは仕方ないし、学園側も生徒には言わないだろう。とはいえ重い処分にはならないようで良かった。父にも、相手には未来があるのだからなるべく穏便に済ませて欲しいと伝えていたし、学園側にも言っておいたのだからそうなって貰わないと寝覚めが悪い。

 

 「樹さん、少し構わないかしら?」

 

 「はい、大丈夫ですよ」

 

 私を呼び止めたのは珍しく祥子さまだった。そしてその横には令さまが居るのだけれど、何事だろうか。こうして呼び止められることなんて滅多にないから身構えてしまうけれど、何という事はなく。

 

 「貴女を叩いた子なのだけれど、今日は学園に登校していないのよ」

 

 「私とクラスが同じだから、ね。たぶん、そういうことなんじゃないかな」

 

 ボリュームを抑えたその声は、おそらく周りに聞こえないようにとの配慮なのだろう。トップの子たちが登校しているのならば、おそらく『訓戒』とか『口頭注意』あたり。ただ実害があったので上級生であるその人には『謹慎』として処分したのだろう。『停学』ならば学園内に告知される為に、これも噂として流れて耳に入るだろうから、謹慎処分で確定ぽい。内申に記される『停学』を私は一番恐れていたのだけれど、どうやら回避したようだ。これならば欠席扱いだろうし、進学にも影響はないはず。急いているような気もするが、その辺りは学園側が下したことなので文句はないのだし。

 

 「祥子さま、令さま、教えて頂きありがとうございます」

 

 ふう、と胸を撫でおろす。

 

 「そういえば樹ちゃん。祥子から聞いたのだけれど、昨日お姉さまたちのこときちんと役職で呼んだそうじゃない」

 

 「え、ああ。あまり意味はなかったのですが、場の雰囲気で」

 

 耳聡く私たち三人の会話が聞こえていたのか、まだ薔薇の館に残っていたメンツが興味深そうにこちらを見始めた。

 

 「場の雰囲気、ではなく普段からきちんと呼ぶようにしなければならないのではなくて?」

 

 至極尤もなことだし、なんだかこれは呼んでみろという挑戦状を叩きつけられているような気がしたので、祥子さまの役職、紅薔薇のつぼみだよなと頭の片隅から情報を引っ張り出して、脳から口へと変換し。

 

 「え、ああ、あー……ロサ・キネンシス・アン・ぶーとん」

 

 「…………」

 

 しどろもどろの末の最後の発音は微妙になり、祥子さまがこめかみに青筋を立てているのが見えると、片手を額に当てて深々と溜息を吐き。

 

 「ぶっ!」

 

 周りにいた人が何人か吹き出して。他の人も声には出していないけれど、苦笑いか笑っているのだった。いや、長ったらしいし舌噛むよ、フランス語なんて。

 




 6733字


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第四十三話:全校集会と不言影行

 ――週明け。

 

 社会人だろうと学生であろうと、週明けの月曜日というものは憂鬱である。休日の時間からぽんと背を押されて一歩踏み出せば、そこは社会という名の戦場で。

 制服やスーツの戦闘服を身に纏った人たちがバスや電車という名の兵員輸送車に乗り込み、各々の戦場へと旅立つ。なーんて大袈裟に考えてみたものの、結局はいつもの日常だ。鞄を手に取り『いってきます』と家族に伝えて家を出て、バスに乗り学園前まで外の景色を眺めて辿り着くと、大きな背の門を潜り銀杏並木を通り抜けて校舎へと入って自分の教室へと歩いていく。

 

 「ごきげんよう」

 

 もう慣れてしまった挨拶を適当に済ませて、席へと座りクラスメイトと雑談を交わしながら、今日は全校集会の為に体育館へとぼちぼちと移動をして。学年とクラスごとに整列して始まるまでの時間の独特な喧騒に埋もれ、早く始まって早く終わらないかなあとぼんやりと壇上を眺めていると、教師がマイク調整をする音が響いて、学園長の有難いお言葉から始まり山百合会へと変わる。

 先週末に起きた『薔薇さま全員生徒指導室へ召喚』という前代未聞の事件が起きているからか、壇上下にいる生徒たちが小さく呟きあっていて結構騒がしい。いつもはみんな静かに薔薇さま方の話を聞いているというのに、何かあればこうである。分かりやすいなあと苦笑いを零しながら、壇上へと上がる三人を見ながらさて彼女たちは一体何を語るのか。軽く内容は知ってはいるものの、伝え方次第で受け取り方は変わるものだし、受け手側の心情も考えて言わないと難しいだろうから。

 

 『みなさん、ごきげんよう。――本日は山百合会からいくつかのお願いがあります』

 

 そんな挨拶から始まりざわついていた平場の生徒たちの視線が一斉に壇上へと向けられたのだった。拡声器から広がる蓉子さまの良く通る声は聞く人たちの心へと入っていく。今回の騒動の謝罪と顛末に、ずっと山百合会が抱えていた生徒たちからの崇拝による弊害を訴え、そして薔薇の館へと赴いて欲しいと願ったのだった。

 はて、周りの反応はどんなものかと見渡してみると、蓉子さまの言葉に感動している人たちが大多数で。ぼーっと話を聞いていた私の方が異端者である。山百合会をただの生徒会としてしか見ていない私と、長年憧れの対象として見てきた人たちとでは温度差があるのは仕方ないとは思えるけれど、それにしたって彼女たちの人気ぶりが凄いというか。まあ、これで山百合会神聖視が軟化されるのならば、協力した甲斐はあったのだろう。話を切った蓉子さまに答えるように、割れんばかりの拍手が湧きおこると一礼して三人の薔薇さまたちは壇上から降りるのだった。

 

 『――次に、委員会と各部活からのお知らせになります』

 

 薔薇さま感動の演説の後に普通に喋らなくてはならない委員会や部活動の人たちはさぞやり辛いだろうなと、苦笑が零れ。淡々と進む委員会からの報告とお知らせはつつがなく終わり、次に部活動からの報告となる。今日は珍しく多くの部活の代表者が壇上へと上がり、薙刀部部長と放送部部長が二人そろって演台へと進む。

 

 『みなさん、ごきげんよう。今日は部活動とは関係のない話となりますが、さきほどの薔薇さま方と関連のあるものとなりますので聞いて頂けると幸いです』

 

 真面目な生徒が多いこの学園で、題目と違うことをやるというのは珍しい。とはいえ『山百合会と関係がある』と宣言したことから、いつもは聞き流している多くの生徒が耳を傾けているのだった。

 

 エスカレーター式の学園で長い時間を共に過ごし、彼女たち薔薇さまをずっと見ていた。同じ薔薇さまだというのに、自分たちが一年生の時に憧れていた薔薇さまたちに向けていた感情とは別のもので、同じ時間を過ごしていたことで特段、彼女たちに特別な思いを向けることはなかったこと。

 そして進級する度に彼女たちに向けられる期待や憧れの視線が強くなっていることを感じながら、級友としてただ見ているだけだったこと。少し風向きが変わったのはある人物が薔薇の館へと赴くようになってから、だということ。そしてその人物は下級生だというのに、自分たちにも影響を与えたこと。他、その下級生がやらかしたこと色々。

 

 ――聞いていると顔から火が吹きそう……。

 

 特別なことをした覚えは全くないのに褒め称えられている状況は既に聞いてはいられない領域に達したので、現実逃避を決め込んで耳を塞いだ私だった。『ある人物』って私じゃないかと盛大に心の中で叫びながら、だんだんと周囲の生徒たちから向けれる視線を感じつつ、壇上に立つ人たちの目的は一体何だろうか。ただ褒めたたえる為ならば、こんな場を使ってすることでもないしただの羞恥プレイにしかならない。

 

 『私たち各部活動の長である全員は、山百合会に鵜久森樹さんを新たな仲間として加わることを希望します』

 

 薙刀部部長は放送部部長へと視線を移し。

 

 『そして薔薇さま方や先生方、なによりも生徒のみなさんに認めてもらいたいのです』

 

 私の意思は、と問いたくなるけれどどうやらそんなものは塵芥レベルで存在していないようだ。上級生からのお願いを下級生が断れるはずもないし、空気を読まず中指なんて立てようものなら品がないと怒られるだろうし。山百合会の手伝いでさえ注目されていたというのに、山百合会メンバーに加わろうものならば更に注目されそうなのだけれど。いままでの行動でまさかこんなことが起こるだなんて考えてもいなかったし、特別なことをした覚えなんてないのだけれども。

 言いたいことは言い終えたのか良い笑顔をしている部活動の部長たちにはあとで文句を言いに行くとして、周囲の生徒は唖然としているのでこりゃ芽は息吹くことはないと楽観視しておこう。そもそも保守的な学園だし、こういうことには厳しい目を向けられる筈であるし、教諭や山百合会のメンバーも許す訳がないだろうし。

 

 『――割り込み失礼いたします。山百合会としても彼女を迎え入れることに何の問題はありません。あとはみなさんと先生方の許可さえ頂ければと存じます』

 

 司会進行用のマイクをぶんどって江利子さまの声が体育館に響く。その横には良い笑顔で聖さまがこっちを見ているし、蓉子さまは困ったような呆れたような苦笑いである。教諭陣は江利子さまの突然の行動に驚いているけれど、止める気は無いらしい。先生方、と言われてしまった手前結論を出さなければならないようで、こそこそと何かやり取りをしているようだった。

 突如、キイと響いたハウリングの音に目を細めると、今度はこの学園を纏める学園長の咳払いが聞こえて。

 

 『生徒の自主性を重んじる学園としては、今回のみなさんの行動を尊重いたしましょう。しかし、貴女たちの勝手だけで決められるものではありません』

 

 ようするに薔薇さまと部長陣だけの声だけでは足りないので、署名活動なりで私を新たな生徒会役員として迎え入れることを学園側に証明しろという訳だ。そして、その条件は生徒の過半数を超えること。役職名やらなんやらは後で決めればいいだろうということに落ち着き。

 

 『とはいえ鵜久森さん自身の答えをまず聞かねばならないでしょうね。――こちらへいらっしゃい、鵜久森さん』

 

 笑みを深めてこちらに視線を向ける学園長。まさか私が『山百合会神聖視を長年放置した学園にも責任がある』と言ったことを根に持っているのだろうか。いい大人だしそんなことはないと願いたいが、なにか思う事はあったのかもしれない。この状況でそれを聞く学園長には、不服申し立てたいところであるけれど、この流れで断ることなどできやしない。

 というか署名活動は部活動の長と山百合会が中心になるだろう。そうなってしまえば、署名活動が失敗することはまずありえない。なら、なるべく重要なポジションに就かないようにするしかないのかと、後ろ手で頭を掻いて呼ばれた学園長の下へと歩むと、マイクを向けられる。どうやら挨拶をしろという事らしい。

 

 『私を存じない方が多いでしょうし念の為名乗ります。――一年の鵜久森樹です。二学期初めから山百合会のお手伝いとして薔薇の館に出入りをし始め、その過程で生徒会のみなさんや部活や委員会の方とも接する機会を頂きました』

 

 外から来た人間でリリアン独特のルールやしきたりに驚かされること多数。そして外から来た人間としてこの学園で感じた違和感をはっきりと伝えて、長年純粋培養で育ってきたであろう人たちの精神を煽る。こうして選ばれることは名誉で光栄なことであるけれども、特段何かに優れていたりするわけでもなく、何処にでもいるような普遍的な人間で山百合会で役職を担うような柄でもないこと。

 

 『正直私がこの学園の生徒会役員を務まるのかは甚だ疑問です。結果がどうなるのかはこの後にしか分かりませんが、もし選ばれたのならば微力ながらこの学園の一員として努力していく所存です』

 

 ぶっちゃけこの場で断れば、私のこれからの学園生活が暗いものになってしまう。上級生や薔薇さまの善意を断ったと後ろ指を指されるだろうし、薔薇の館にも出入りが出来なくなるだろうし。いつの間に私が逃げられないように囲い込まれていたのだろうか。そういえば少し前に静さまと話した時に『最近、少し周りが騒がしいけれど貴女は気付いているのかしら?』と問われたあの時には既に動き出していたのかもしれない。知っていたのなら教えて欲しかったと静さまを恨みそうになるけれど、あの人のことだから面白がって何も言わなかったのだろう。

 

 「貴女もなかなかに忙しいわね」

 

 まばらに響く拍手を聞きながら拡声器から離れると、私の横に居た学園長が苦笑いを浮かべながら声を掛けてきた。そもそも学園長が一蹴して認めなければこんな面倒な話にはならなかったのだから、憎まれ口くらいきいても構わないだろう。

 

 「いや、そう思うなら助けてください学園長」

 

 「あら、山百合会の一員になることはやぶさかではないのでしょう。なら必要ないのではなくて?」

 

 「逃げられないように仕組まれてますよね、今回の事って……」

 

 最低、薔薇さまと薙刀部部長と放送部部長はこの件に噛んでいるに違いない。どこまで共謀していたのかまでは知らないが、流れが自然すぎる気もするし。

 

 「さあ、どうなのかしら。けれど新しい風が吹こうとしているのだから、この学園を見守る者としては生徒を応援したいのだけれどね」

 

 にこにこと微笑みを絶やさぬ学園長の下を去り、元居た列へと戻るとクラスメイトやら周りから凄い視線を感じて、溜息が勝手に出る。各部活の部長陣には善意百パーセントで外道を実行されたなあ、と遠い目になる私だった。そして、自分の預かり知らぬところで動いていたことを後から知るのだった。

 

 ◇

 

 ――彼女の驚いている顔は見物だった。

 

 とはいえ直ぐに面倒そうなしかめっ面をしていたけれども。確かに彼女からすれば面倒以外のなにものでもないのだろう。山百合会に固執している様子は見られなかったし、そんなものがなくとも彼女は用事があれば薔薇の館に訪れるだろうし、学園内ならばいつでも私たちに声を掛けるだろう。ただ無役のままそういうことをすれば、また彼女が周囲から良く思われないことは分かり切っていたのだから。

 

 今、壇上で良い顔をしている薙刀部の部長と放送部の部長には感謝しなくては。

 

 樹ちゃんを部活動へ引き込むと宣言したのは、どうやら私たちに発破を掛ける為の言葉だったようで、陰では樹ちゃんが山百合会の役員となれるように動いてくれていたのだから。二人は取り合えず各部活動と委員会の皆にその旨を伝え協力を募り、山百合会経由で職員会議の議題に上げてもらうようにと奔走していた。

 それが露見すると『あら残念、バレてしまったのね』と苦笑いをしながら、私たちがこれまで学園の為にと働いてきたのだから、偶には私たちにも恩を返させて欲しいと言われ、共謀することにした。もちろん、樹ちゃん本人には秘密にしておくことを約束して。

 

 薔薇さまという役職上あまり無茶なことは出来なかったし、なにかやろうとしても蓉子に止められていただろう。今回の一件で樹ちゃんを毎度教室へ迎えに行くことも蓉子は余り良い顔をしなかったのだから。薔薇の館に生徒が訪れるようにしたいと蓉子は願いながらも、これまでに築き上げた伝統やルールで動けずいたのだ。真面目な蓉子らしいとはいえ、上手くいけばその願いが叶うかもしれないのに。おそらく樹ちゃんを犠牲にするような行動には反対だったのだろうが、もう遅いのだ。彼女の存在を知ってしまったのだから。

 

 「逃さないわよ、樹ちゃん」

 

 学園長が生徒からの許可を取り付けよ、とのことだったので署名活動をすることになるだろう。

 

 「江利子、悪い顔してる……」

 

 「あら失礼ね、聖。貴女も樹ちゃんの姿を見て笑っていたじゃない」

 

 おそらくそれは成功して、現在頭を抱えているであろう彼女が山百合会の一員になることはほぼ決定事項で。

 

 「だって、樹ちゃん面白い反応してくれるんだもの。祐巳ちゃんといい、樹ちゃんといい、今年の二学期は楽しかったしね」

 

 一年生たちが並んでいる方を向き、目を細めながら随分と柔らかく笑う聖。本当、この一年でよくぞここまで変わったものだ。

 

 「――気楽なものね、二人とも」

 

 「蓉子」

 

 「ん?」

 

 「江利子と聖があの二人とこそこそ何かしてると思えば……狙っていたの今回のこと?」

 

 「この流れは偶然に過ぎないわね。けれど、各部長陣と委員会の人たちが動けば山百合会も動かざるを得ないでしょう。それから生徒みんなに許可を取ればほぼ確定事項になるわ」

 

 蓉子にこの話はあまりしていなかったのだ。真面目な蓉子ならば止めに入る可能性があったし、必要とあらば何が何でも阻止する力が彼女にはある。紅薔薇さまとしての発言なら部活や委員会の人たちも尻込みするだろうからと、聖と話してなるべく概要を知られないようにしていた。まあ、こそこそと動いていたことはバレていたようだが、確信が持てずそのまま時が過ぎ仕掛けが発動したのだけれど。

 

 「なにせ最上級生が動いちゃったから下級生は無碍にできないし、樹ちゃんも断らないだろうしね」

 

 「断れない、の間違いでしょう。聖」

 

 「そうだね。――そうなるけれど、このままよりはずっと良いはずでしょう?」

 

 「はあ。やらなければならないことが山積みね」

 

 深い溜息を吐いて遠い目をする蓉子。確かに樹ちゃんに用意すべき役職なんて真っ白の状態だし、こういうことを決めるのは蓉子が適任だろう。そもそもこういうことは丸投げする気でいたから、蓉子も私たちの行動を理解していて溜息なんてものを吐いたのだ。

 

 「ま、出来るだけ協力するから」

 

 「ええ、そうね。四人の薔薇さまというのも面白そうだし、樹ちゃんがその話を聞いてどんな顔をするのかも見物ね」

 

 「絶対嫌がるよね、ソレ」

 

 「ええ、だからそうするんじゃない」

 

 「――……貴女たち、いい加減にしなさいよ」

 

 「硬いわね、蓉子。楽しまなきゃ損よ」

 

 少し低くなった蓉子の声に笑いながら言葉を返すと、呆れた顔をして手を額に当てる。蓉子に迷惑を掛けてきたのはこれまでにも何度もあったし、これからも何度もあるのだろう。あははーと軽く笑う聖と呆れて何も言わない蓉子。性格も全く違うし考え方も同じではないけれど、この学園で過ごす時間だけは同じだから。

 鵜久森樹という一年生を山百合会へと迎えたことを後悔をしないように、これからもう少しだけ踏ん張らなければと、教室へと戻っていく生徒を見ながらこれからのことを考えるのだった。

 




 6262字

 オリ主には無役のまま薔薇の館に出入りをして欲しかったのですが、背後霊ちゃんの一件があるし、こうでもしないと収集がつきそうもないので役職を与えます。フランス語難しすぎてわからない……orz 何にしようかな……。最大の敵はフランス語だったっていう。あーようやく面倒な話が終わりそう。
 オリ主が気ままに薔薇の館に出入りすることを望んでいた方には申し訳なく。┏○))ペコ

 追記:作者ここまでノープラン。四薔薇化にするか薔薇さまよりも下位の役職を設けるかで悩んでます。どっちがいいですかね? アンケートを閉じるのは今回は早いと思います。次の話で決めないといけないのですし、黄薔薇革命の時間も迫ってるので。活動報告にも書いたので、言いたいことがあったのにぃ! という方はそちらにでも。

※2020/11/23 am9:42 〆ました。投票有難うございます。┏○))ペコ


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第四十四話:先輩と後輩と託されたもの

 ――真っ白、絶句、言葉にならない。

 

 朝の全校集会が終わってからというもの、私の周囲は騒がしい。そりゃそうだ、私が山百合会の一員となるように仕向けられていたのだから。

 いつの間に、とも思うが恐らくどこかの段階で仕込んでいたのだろう。最上級生が動くのだから、署名活動も成功するだろうし逃げ場もないうえに全校生徒の前で優等生を演じた手前もある。無難に取り繕い過ぎたかもしれないが、あの場で山百合会の一員になんぞなりたくない、と言ってしまえばあの場に居た人たちの顰蹙を買い、この先の学園生活がお先真っ暗となってしまうし。

 

 「樹さん、大丈夫?」

 

 「アア、ウン、ダイジョウブダヨ」

 

 教室の自席で某特務機関のグラサン親父の様に机に両肘を立てて寄りかかり、両手を口元に持って口元を隠したままずっと座っているといいんちょに声を掛けられて。

 特に理由もない理不尽が私を襲ったが故に、ぞんざいな答えで返していたらいつの間にか午前の授業は全て終わり、昼休みに突入していたのだった。さて健康極まりない身体なので、こういうことがあってもお腹だけは減る訳である。

 外で食べるには今日は騒がしすぎるし、寒いので教室で食べるかと一度上げたお尻を椅子へと落として持参していた弁当を開いて二口三口と食べ進めていると、少し騒がしくなってくる教室内。何事かと咀嚼しながら顔を上げれば、そこには薙刀部部長と放送部部長の姿があり、手にはノートを携えていた。どうやら署名活動はもう始まっているようで、各教室を回っているようだった。

 

 「ごきげんよう、樹ちゃん」

 

 「ごきげんよう、先輩方。行動、早すぎやしませんか?」

 

 藤組内を粗方周り終わったようで、最後に私の下へとやって来た先輩二人はにっこりと笑顔を携えて。そして昼休みに教室に残っていたクラスメイトたちは殆どが先輩が持っていたノートに署名をしていたのだった。

 

 「あら、鉄は熱いうちに打て――だなんて言うでしょう。それにあまり時間を置くと貴女が逃げ出しそうだから、囲い込めるうちに囲い込んでおかないと」

 

 「例えば、どう逃げるんです?」

 

 逃げ道はあるといえばあるのだ。学園内での自身の評判を地に落とすのが一番手っ取り早い方法なのだけれど、それと共にいろいろと失うものが大きすぎるから出来ずにいるけれど。

 

 「それに答えると貴女はその方法を取るでしょうに。――だから教えてあげない」

 

 「なんだ、引っ掛かってくれませんでしたか。残念」

 

 何かいい方法でも口が滑ってくれればよかったのだが、流石に気付いたのか教えて貰えず。にっこりと笑っている二人に、私は苦笑を返すのだった。

 

 「そうね、残念。ああ、そうそう、少し貴女とお話ししたいことがあるのだけれど、放課後お時間あるかしら?」

 

 「あまり遅くならないのなら大丈夫ですよ」

 

 「ええ、そう時間は取らせないから放課後に部室棟まで来ていただいてもよろしくて?」

 

 「了解です」

 

 はて、何か先輩たちと話すようなことはあったかと記憶を探ってみるけれど、見つかる訳もなく。山百合会のお手伝いとして書類関係でお使いに出て親しくなったのだけれど、改まって話すようなことはないのだが。放課後になれば分かるかと、記憶を探ることも考えることも止めて去っていく先輩たちの背を見送りながら、途中で止まっていた箸をまた動かすのだった。

 

 ――なんだかんだで放課後。

 

 署名したよとか、薔薇さまになるのかしらとか、これでようやく山百合会の一員になるのね、なんて声を掛けられるようになり。騒がしさの質が少し変わりつつあるような気がする夕方。視線を受けながら部室棟へと赴くと、どうやら薙刀部の部長は外で待っていたらしく、私の姿を見つけると手を振っておいでおいでと手招きしていたので、足早に彼女の下へと向かう。

 

 「すみません、お待たせして」

 

 「いいのよ、気にしないで。貴女をここへと呼んだのは私たちなのだし」

 

 私たち、という言葉に何か引っかかるものを覚えて首を傾げると、その姿を見た部長さんが笑う。

 

 「というか、そうそうたるメンバーですねえ。一体なんなんですか、この状況」

 

 各部活動の長、ようするに三年生のお姉さま方が揃っており、にっこりと笑って私を取り囲んでいるのだ。とはいえ全員知っているし、それなりに仲は良いつもりなので過激派の子たちのようにはならないと確信しているので落ち着いていられるのだけれど。

 

 「その辺りは後で理由は理解できるわ。――それで、本題なのだけれど……今回はいろいろと樹ちゃんに背負わせてしまって、ごめんなさい」

 

 その言葉と同時、この場にいた全員が一斉に頭を下げる。とはいえ人目もあるから軽く、ではあったけれども。

 

 「へ」

 

 今日の一件はてっきり劇場型の愉快犯だと思い込んでいたし、まさか頭を下げられるとは思ってもいなかったので間抜けな声が口から漏れた。

 

 「樹ちゃん、紅薔薇さま……蓉子さんから山百合会の現状をどうにかしたいって聞いたことはないかしら?」

 

 「ああ確か、みんなから向けられている憧れの視線を軽くして薔薇の館に赴いて欲しい、でしたっけ」

 

 「そう、それね。でも蓉子さんって凄く真面目でしょう? 大きく動くことや何か変えることはできなかったみたいなのよ。そんな彼女の姿を見ていたし、知っていたけれど何もできなかったから」

 

 一瞬だけ目を細めて遠い何かを見ているような、困ったような……何かを後悔しているような雰囲気を醸し出していて。薙刀部の部長は蓉子さまとどうやら仲が良いらしい。かねてからの願いを知っていることもさることながら、こうして実際に動いて行動を起こしているのだから。

 

 「祐巳さん然り、樹ちゃん然り、今年の一年生には期待をせざるを得ないわね。だからこうして江利子さんと聖さんと私たちは共謀して貴女を山百合会の一員にと願うことが出来たんだもの」

 

 やはり手を組んでいたのかと納得しながら彼女の言葉を聞いていると、江利子さまと聖さまも目の前の先輩たちも蓉子さまの願いの為にと動いたようだ。江利子さまは私を手に入れる為に動いた理由の方が大きいかも知れないと、苦笑している薙刀部部長には笑うしかなかったし、江利子さまなら動いた理由はそうなのかもしれないと納得できる部分もあるのだから笑える。

 この学園で過ごしてきた長い時間の中、神聖視されている山百合会を普通の生徒会として見て欲しいと願ったのは蓉子さまだけではなく、彼女たち各部活動の部長陣も願っていたそう。薔薇さまとしての義務や責任もあるから、そうそうに培ってきた長年のイメージなんてものは崩せない。だから私のような変わり者を入れれば、変わるのではないかと考えたそうだ。薔薇の館で暗い雰囲気を醸し出して私以外の全員が集まっていた時は、何事なのかと思ったそうだが。元々考えていたこともあり、それをきっかけにして薔薇さま二人と部長陣と各委員会の長と結託し、今回の一件となったそうで。

 

 「薔薇さまなんて、いろいろと窮屈そうで大変でしょう。だから樹ちゃんみたいな子は貴重なのよ。それに紅薔薇のつぼみの妹にも期待しているの」

 

 祐巳さん独特の取っ付きやすそうな雰囲気は山百合会にとって貴重な存在になるだろうと。部長の代を次へと譲った先輩数名がそんなことを零していた。

 私がお手伝いとして去ったあとに、各部活を歩いて回るのはすごく大変だから手抜き方法を伝授しながら祐巳さんと挨拶回りに行っていたのが功を奏したのかは分からないけれど。ひとつひとつの部室を訪ねるのは手間だし、それならある程度時間を合わせて一斉に集合してもらう方が手っ取り早かっただけで、大したことは何一つしていないのだけれども。あんな手抜き方法を考えるのは私くらいなものだと言われ、微妙な心境になる。

 

 「本当は自分たちでやるべきなのでしょうけれど、それは無理だったから。何か変わろうとしているあの場所に起爆剤として貴女に居て欲しいのよ」

 

 起爆剤、とはまた物騒な。私はお手伝いをしていただけで、それ以外のことは何もしていないし、するつもりもない。山百合会の一員となってもそれはブレることはないだろうし、無茶を言う目の前の人たちに苦笑が漏れる。それを鋭く汲み取ったのか私の目の前の人たちは、貴女は居るだけでいいのよと奇麗に笑い。

 

 「私たち三年生には時間があまり残されていないから、少し早い『遺言』のようなものね。それに江利子さんと聖さんは蓉子さんに関わることだから、絶対に言わないでしょうしね」

 

 「?」

 

 「あの二人、蓉子さん本人に知られるのは嫌うでしょうから必然、樹ちゃんにもこの話はいかないでしょう。だからきちんと話しておきたかったのよ」

 

 とまあ、今回裏側で動いていた経緯を知り、自分の図太さがまさかこんなことになって回り回ってくるとは思わなかったけれども。蓉子さまの願いを以前に聞いていた手前、目の前の先輩たちの気持ちを無碍にすることなど出来る訳もなく。ふうと深く長い息を吐いて、肺に新たに空気を取り込みなおし。

 

 「私がどこまで先輩たちの気持ちを汲み取れたのかは分かりませんが、取り合えず努力はしてみます。というか厄介ごとを持ち込んだのは先輩たちなんですから、協力はお願いしますね」

 

 「そこまで重くとらえなくてもいいわ。ずっと抱えてきた問題だから直ぐに変わるだなんて思っていないし、貴女なら居てくれるだけで雰囲気を変えてくれそうだものね」

 

 だから適度によろしくね、と私の頭をぐしゃぐしゃにしてくれやがった目の前の先輩の無茶振りには苦笑いしか出ないまま。言いたいことは言い終えたのか、それぞれの部室へと向かって人数が少なくなっていく。

 

 「貴女がこの学園に来てくれて本当によかったわ。――それじゃあ、ごきげんよう」

 

 「ええ、ごきげんよう」

 

 いつもの挨拶を交わして、別れたのだった。

 

 ◇

 

 突然の出来事に驚かされた全校集会から数日。署名は当日に過半数が集まり、生徒会としての承認を経て職員会議へと持ち込まれたらしい。その結果は言わずもがな。生徒会の一員として名乗ることを許されるのだった。そこから起こる問題は称号をどうするか、である。

 

 「どうなるのかしらね、樹さんの称号は」

 

 「そうね。お姉さまたちもここ何日か考えているようだけれど……周りの方たちは薔薇さまにという声が多いそうだから、その辺りも考慮しないとって悩んでいるみたいなのだけれど」

 

 薔薇の館、いつもの部屋。由乃さんと志摩子さんに呼ばれ、ここまで来た私は楽しそうに語っている二人の声を聞いていたのだった。どうやら新しく入るメンバーには新しい役職名を与えられるようで。大仰なものは勘弁して欲しいと願うけれど、派手な役職名が現存しているが為に今更『書記』や『会計』『庶務』なんて役職名は使えないのがアダとなり、こういう問題が発生するのだった。

 

 「樹さんは何か希望はないの?」

 

 「ん、名前に関しては特に」

 

 ぶっちゃけ本心を言えば恥ずかしいので止めて欲しいのだけれど、無理なことは承知。なら他の部分で妥協案を出すしかない。その為に、取り合えず名称に関しては口を出さないつもりである。

 

 「…………名前に関して」

 

 志摩子さんが小さく私の言葉をオウム返ししていたので意図に気付いたのかもしれないと苦笑していると、扉が開いてトレードマークであるツインテールを揺らしながら祐巳さんがやって来た。

 

 「図鑑借りてきたよっ!」

 

 「祐巳さん、ありがとう」

 

 静かに微笑む由乃さんとえへへと笑う祐巳さんにそんな二人を眺めながら微笑んでいる志摩子さん。これ図鑑を借りようと言い出したのは由乃さんのような気がするのだけれど、気の所為だろうか。祐巳さんが由乃さんを気遣って、一っ走りしてきたと言われれば納得が出来るし。まあ今口にすることでもないかと、あーだこーだと言いながら楽しそうに薔薇の図鑑を眺めている三人を目を細めながら眺める私だったのだ。

 

 「さあ、会議を始めましょうか」

 

 部屋で待つこと少し、ようやく来た三年生たちの一声で会議が始まるのだけれど、今日の内容を全く知らない私。江利子さまがこちらに視線を向けているので、私に関係があることなのかもしれないと理由付けが出来るくらいには、彼女たちのことを知っているつもりである。

 

 「まだ発表はされていないけれど、樹ちゃんが正式に山百合会の一員となるわ。それで先生方から新しい称号について考えて欲しいとお願いされたの」

 

 やはり決まったかと蓉子さまの言葉を聞きながら頭の片隅で考える。何気に短い時間でよくここまで詰められたものだと感心するし、生徒の署名で動く教諭陣も教諭陣である。

 

 「私たちは薔薇さまの称号が良いと思うのだけれど、みんなはどう思うかしら?」

 

 江利子さまが言い終えた後、周囲を見渡すと私に薔薇さまの称号を与えることに不満を覚える人は居ないらしく、反対意見はなかった。

 

 「それじゃあ、何か良い呼称がある人~」

 

 聖さまの軽い声に一番最初に反応したのは、由乃さんで。手を軽く上げてあてられるのを待っており、それを見た聖さまが『はい、由乃ちゃん』とこれまた軽い声で指名する。

 

 「青薔薇さまはどうでしょう? まだ呼び方は決められませんがブルーローズの花言葉は不可能、存在しないものですが、最近ようやく開発が進んできているようですし、つけられる予定の名前の意味が素敵なんです」

 

 由乃さん曰く、世界ではじめての青い薔薇の最有力はSU〇TORY blue rose Applause (サ〇トリー ブルー ローズ アプローズ)と名付けられる予定だそうで、アプローズの意味は、『拍手喝采』『称賛』。

 花言葉は『夢叶う』だそうだ。他にも開発中の青い薔薇の花はいくつかあるようで、幻の花を生み出そうと日々研鑽していると。言い終えると静かに由乃さんがこちらを向く。その笑顔の質は江利子さまの笑顔に似ている気がするのだけれど、きっと気のせいだと頭を振ると『はいっ!』と元気な声が聞こえてくる。

 

 「はい、祐巳ちゃん」

 

 「あ、えっと。本当にあるものではありませんし造語になってしまいますが『四番目の薔薇さま(ロサ・キャトル)』はどうでしょうか。三人の薔薇さまを支える、という意味合いで」

 

 へえ、と祐巳さんの言葉に感心したような声がいくつか漏れ、えへへと照れている祐巳さん。照れくさそうにこちらに向いて笑いかけてくれるのだけれど、果たして私に似合うのかどうかは謎である。そんなこんなで、いくつかの意見や声を拾い雑用を捌いて今日は解散となる。

 暫くはこの話題で持ち切りになりそうだなあと苦笑いをしながら、署名活動の成功の秘訣は三人の薔薇さまたちが生徒みんなに私の良さを、ここ最近吹聴して回っていたと聞き。更には生徒指導室へと呼び出しを喰らい、集まった生徒たちにあらかたのいきさつを話しこの先に起こる展開も伝え私には黙っているようにと緘口令を敷いており、事実を把握するのに時間が掛かった原因はコレかとゲンナリしたりと忙しい日々を送るのだった。

 




 6013字
 
 頂いた感想と意見から文章化しましたが問題があればご一報を。ロサ・カニーナの件だけはこの先の展開もあるので許して下さいまし。あと企業名は不味いと考え念の為に伏字にしておきました。ご了承をば。

 アンケートは接戦でした。ちょっと両方を両立させて採用することに……。次の話で上手く書ききれるといいのだけれども。


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第四十五話:新役職と決意

 ――『青薔薇さま(ロサ・ノヴァーリス)誕生!』

 

 そう銘打たれたリリアンかわら版の号外に踊る文字は、朝一番の学園ではこの話題で持ちきりだった。昨日の昼に新聞部のアンケートに答えた後にインタビューを受けたのだけれど、放課後に部室内は修羅場状態で新聞部員は頑張ったのだろう。翌朝の登校時間には最新版の新聞が生徒に配られて、こうして校内は浮足立ってざわついているのだから。

 

 「ごきげんよう、青薔薇さま」

 

 「ゴキゲンヨウ」

 

 自分に向けられていることに違和感を感じ見知らぬ生徒からの挨拶をおざなりに返しながら、これで山百合会のみんなを『人気者ですね』と他人事で済ませられなくなってしまった。

 生徒会役員になることには特段問題を感じていない。内申には高評価となるだろうし、進学に関してもプラス方向に動くだろうから。ただ役員となったことでこうした周囲の過剰な反応が面倒なだけだったので、今まで逃げてきた訳だけれど。――その辺りも見越されていて三年生たちは動いたような気もするし、本当に敵わない。

 

 しかしまあ、自分が青薔薇さまと呼ばれるようになるとは。

 

 もともと周りも青薔薇かしら、黒薔薇かしら、紫薔薇……いやいや四番目なのだから四薔薇さまでも……山に入れば自然繁殖している薔薇、ようするに野薔薇さま(ロサ・ムルティフローラ)も樹さんには似合うのじゃないかしら、などと色々と意見が割れていた。それらの意見を一蹴してしまったのが誰であろう、現薔薇さまたちである。祐巳さんが図書館から借りてきた薔薇図鑑を丁寧に端々まで三人で目を通したようで、巻末に添えられていた『青薔薇の可能性』という後書きに目を引かれたようだった。

 まだ市場に青薔薇は流通していないけれど、近々それも可能になり切り花もしくは苗木で楽しむことが出来るだろう、と。いくつかの研究機関では既に成功例も出ていて、あとの問題は一般家庭で生育が出来るのかどうかである。既に数種類の青薔薇が存在し、その中でも『丈夫で病気に強い』が売りであるノヴァーリスが上がり、最後まで残っていたアプローズとの頂上決戦の末に決まった訳である。受け入れられるのか心配ではあったけれど、こうして好意的に挨拶をくれているのだから杞憂に終わった。

 

 「青薔薇さま、ごきげんよー」

 

 振り返るまでもなく、軽い調子で声を掛けてきたのは聖さまである。顔だけを後ろに向けると楽しそうに笑っているその人が居るのだから。朝の登校時間の割と早い時間帯だというのに、何故か昇降口で出会ったのだけれど、聖さまは私とエンカウントすることを狙っていたのだろうか。

 

 「ごきげんよう、白薔薇さま」

 

 「あれ、珍しいね、そっちで呼ぶだなんて。もしかしてゴキゲンナナメ?」

 

 小さく首を傾げて語尾を可笑し気に発音した聖さま。

 

 「ゴキゲンは普通ですよ。ただ周囲の盛り上がり方についていけないってだけです。なんで生徒会役員が一人増えただけでこんなに話が盛り上がっているんだか」

 

 「ま、その辺りは仕方ないよ。今まで薔薇の館の住人は紅、黄、白だけだったんだからね。そこに新しい子が入るだなんて思ってもいなかっただろうし。というか、私たちも樹ちゃんが来るまではそんなこと考えていなかったんだから」

 

 笑っている顔から苦笑へと変化して、そんな仕方なく笑わなくてもいいんじゃないのだろうかとも考えるけれど、前例のないことをするにはエネルギーが必要だし、聖さまも動いた一人の内だから何か思う所はあるのかも知れない。

 

 「人手が足りないなら足せば良いだけじゃないですか。仕事なら賃金が発生して予算の関係上、既存の人員で踏ん張らなきゃならないこともあるでしょうけれど、生徒会なんてある意味無償奉仕ですし」

 

 まあ、一応の利はあるし、人が足りていないという理由で今回は新たな役職を設けることが出来たのだけれども。

 

 「…………」

 

 「なんて顔してるんですか」

 

 微妙に聖さまは目を細めて呆れたような顔でこっちをみているので、思わず声に出してしまった。

 

 「いや、それはそうなんだけれど、樹ちゃんは時折身も蓋もないことを言うなと思いまして」

 

 「何故、敬語」

 

 「なんとなく、怖いから?」

 

 「失礼な」

 

 「ふふーん。――ああ、そうだコレ見た?」

 

 そう鼻で笑い、私の頭に手を置いて髪をくしゃくしゃにしてくれる聖さま。楽しそうで何よりと思いつつ、手に握っていた紙を私へと向ける。それを受け取って見てみると『リリアンかわら版』のタイトル。何故これを渡したのか意図を掴めず、聖さまを見るとくつくつとこみ上げる笑いを我慢している。

 

 「いえ、昨日インタビューとアンケートに答えて記事までは見てませんでしたが……」

 

 記事の内容やらは薔薇さまたちも私も把握しているので、いまさらこの質問は何の意図があるのだか。

 

 「その写真、カメラちゃんが撮ったんでしょう?」

 

 「ええ。昨日新聞部の人と一緒に許可を取りに来てましたから」

 

 「良い顔してるよね、その写真。流石カメラちゃんだ」

 

 これを取った日は何時なのかと蔦子さんに聞くと、割りと以前に撮られたものだった。微笑まし気に聖さまはかわら版に掲載されている写真を見ているけれど、実の所間抜けなシーンである。

 

 「……これ、昼ご飯食べて大あくびをした後の間抜け面なんですが」

 

 まだ寒くなく昼下がりの良い天気の日に外で昼ご飯を食べた後、ベンチから立ち上がり背伸びをしながら欠伸をした後の瞬間を蔦子さんは写真で切り取ったのである。

 

 「ぅん?」

 

 一人で居たし、一人で笑っているのである。事実を知れば意味もなく一人笑っている私は恥ずかしい人間であろうし、笑っていた理由があるとすれば空腹が満たされたので幸せだったというだけだ。ジャストタイミングで居合わせた蔦子さんも相当に運があるし、撮られた私は運があるのかないんだか。

 

 「もしかして、お腹いっぱいになって機嫌が良かった……とか?」

 

 「全く反論ができませんね」

 

 聖さまの言葉に溜息を吐く。

 

 「……くっ、あははは! プロフィールの所に嫌いなモノに『空腹』って書いていたのってっ……!」

 

 正直、空腹感とか飢餓感とかが凄く苦手で、私の嫌いなものにあがるのだ。確かに今回あまり考えず嫌いなモノと書かれたアンケート用紙には『空腹』と書いておいたけれども。良いところの家の子女が通う学園でこれはないかもと、聖さまに笑われてようやく気付いた私。そして放課後に山百合会のメンバーに揶揄われるのも既定路線であった。

 

 「あー、おかしっ。――今更かもしれないけれど、青薔薇さまとしての立ち位置って樹ちゃんはコレで良かったの?」

 

 今回、新聞部の取材に応じる代わりに明記して欲しいことを書いて渡しておいたのだけれど、約束通りきっちりと文章化してくれたようだ。名称には一切口を出さず決まった瞬間に、立ち位置と役割を矢継ぎ早に話して押し通したので、自分でも無茶をしたものだと思うが、仕方ない。三年生の部長陣から聞いてしまった願いもあるし、出来ることはやろうと決めたのだから。聖さまの疑問は尤もであるけれど間口を広げたいというのならば、と以前から考えていたことを伝えると……。

 

 ・青薔薇は紅・黄・白の薔薇さま補佐役であり、山百合会で欠員や人員が足りない時に任命される。

 ・青薔薇のつぼみやつぼみの妹は存在せず、つぼみやつぼみの妹の立ち位置的補佐役を望むならば生徒からの立候補より選出し、任命。

 ・任期は一年間のみ。継続の場合は紅・黄・白の薔薇さまの承認を得て、三学期の生徒会役員選にて信任を問うべし。

 

 とまあ、こんな感じになった訳である。薔薇さまたちが必要不必要の判断が出来るし、生徒にも選挙によって信任不信任の選択が出来るのだし、妥当じゃないかな。青は幻の薔薇なんて呼ばれているあたり、消えたり現れたりするのだから丁度良いし。入れ代わり立ち代わりしても良いようにしたのだ。

 そうすれば必然的に交友関係も広がるし、青薔薇の下に就く補佐役も入れ代わりが有るのだから、山百合会の人と接する機会も増えるだろうし。運用してみなければ分からないが、上手く回らなければ存在理由を考え直せば良いいだけ。選挙管理委員会の人たちには仕事を増やしてしまい申し訳ないのだけれど、頑張ってもらうしかない。

 

 「せっかく任命されたのに、三学期にまた選挙に出なきゃいけないだなんて」

 

 「必要がないって薔薇さまたちが判断すれば青薔薇枠の選挙は無くなりますし、仮に既存の青薔薇が気に喰わなければ引きずり下ろすって選択肢があっても良いじゃないですか」

 

 面白おかしいことになりそうだし。薔薇さまの役員選挙は聞くところによると立候補する人も少ないし、ほぼ覆されることはないそうでつぼみから薔薇さまに昇格というのが通例なのだそうだ。

 

 「江利子が喜びそうなことを……」

 

 「……それは言わないで下さいよ。ワザと思考の外に置いていたのに」

 

 名前が上がったその人ならば、ほくそ笑みながら新しい試みだし、何か一計を案じながら楽しんでいそうな気がする。そうなればそうなった時だし、今深く考えても仕方ない。

 

 「ごめん、ごめん。でもまあ――これからよろしくね、青薔薇さま」

 

 「ええ白薔薇さま、よろしくお願いします」

 

 役職名で呼び合う可笑しさに、お互いに自然と笑いが零れ。受け取っていた新聞を返してまた放課後にと聖さまと別れた後、それを狙っていたかのように口々に通りかかる生徒たちが『ごきげんよう』と声を掛けてくれる。それを返しながら、薔薇さまの威光の凄さに遠い目になりつつ、それもまた一興なのかね、と後ろ手で頭を掻きながら藤組の教室に辿り着き。これまたクラスメイトから祝福やらからかいやらを受けながら、授業へと入っていくのだった。

 

 ◇

 

 私が青薔薇さまに任命されたと発表されてから数日。蓉子さまをはじめ、江利子さまも冗談で私のことを何度か『青薔薇さま』と呼び、ようやく納得したのかいつもの様に名前呼びとなり。祥子さまと令さまにまで『青薔薇さま』と呼ばれて。祐巳さんと由乃さん、そして志摩子さんからも『青薔薇さま』と揶揄いを受けること数度。冬にしては温かく天気の良い日の放課後の出来事だった。

 

 「聞いて欲しいことがあるの」

 

 そう突然切り出したのは由乃さんで。薔薇の館のいつもの部屋で、一年生四人以外に誰も来ていない状況でこんなことを言うだなんて珍しい。とはいえ話を聞かないことには始まらないし他のメンツもまだ揃う気配もないから大丈夫だろうと、適当にお茶を淹れていつもの席へとそれぞれに腰を下ろすと、ゆっくりと由乃さんが語り始めたのだった。

 

 「あのね、私……手術を受ける決意をしたの」

 

 「うええっ!!」

 

 「……」

 

 「……」

 

 祐巳さんが由乃さんの突然の告白に驚き声を上げるけれど、数舜のちに口元を抑えて小さくなっているのは、恒例行事であった。その姿を微笑ましく三人で見つめていると『ごめんなさい。話を進めて……』と小さく声を出す祐巳さん。

 

 「それと令ちゃんと姉妹(スール)を解消するわ」

 

 「ええええええっ!!」

 

 「……え」

 

 「あれま」

 

 先程よりも大きい驚きの声を上げる祐巳さんと、流石にこれは予想が出来なかったのか志摩子さんが少し声に出して驚いていた。一方で私は間抜けな声が出たのだけれど、祐巳さんがかなり驚いていることにいまいちピンとこないのだけれど。誰かリリアンのルールに疎い私に説明プリーズと心の中で願いつつ、こういう時に説明役のいいんちょは居ないし、さてはて話の流れを止めてまで聞くべきなのだろうか。

 私が青薔薇となる前のリリアンかわら版で『ベストスール』に選ばれて特集記事が組まれていたのだけれど、調子の悪かった由乃さんが新聞部の取材を受けることが出来ず、令さまと由乃さんが答えたアンケートが入れ代わっていたのは笑い話だったのだけれど。その辺りも祐巳さんの驚きは、関係しているのかもしれない。

 

 「ど、ど、ど、どうしてっ!」

 

 「今のままじゃあお互いの為にならないもの。令ちゃんとは一緒に横に並んで歩きたいし、みんなとも足並みを揃えて歩きたいって思っちゃったから」

 

 その言葉を補足するように、続きを語る由乃さん。令さまは由乃さんに激甘で、由乃さんのことを一番に優先する気配がある。剣道部のエースとして部を引っ張っていかなければならないのに、由乃さんの体調が悪いと部活動を休んで一緒に付き添いで帰ったりと何かと休むことが多くなる。

 山百合会の仕事も部活動と同じで、迷惑を掛けることが何度もあったし、実際に私という人物がお手伝いとしてやって来た。まさかお手伝いの人と仲が良くなるだなんて考えてもいなかったし、嬉しい誤算だったそうだ。そして手術を受ける決断をしたことも。令さまとの関係も見直したいし、せっかく仲が良くなったのだから一緒に街に繰り出して遊んでみたい。家の中でも遊ぶこともできるけれど、一度味わってしまうとそれよりももっとと求めてしまった自分が居たこと。

 

 苦虫を噛み潰したように語る由乃さんの表情には一体どんな感情が含まれているのか。

 

 きっと他人では計り知れない複雑なものがあるのだろう。由乃さんが言うには難しくない手術らしいが、彼女は心臓が悪いのだから大掛かりなものになるのは違いない。簡単に『頑張れ』などとは言えないし、命というベットを差し出さなければならないのは由乃さん自身だ。他人にしか過ぎない私にはどうか成功しますようにと願うことしか出来ないのだから。

 既に入院日は決まっているそうで、手術の日もほぼ決定しているそうだ。その日は十一月の第三週目の土曜日で、令さまは剣道部での交流試合がある。それにぶつけてくるあたり、由乃さんの本気振りが伺える。

 周囲の目も二人の見た目から、王子様とか弱いお姫様の構図になっているのが気になるようだ。令さま本人は料理好きで編み物をしたり、少女小説や漫画が好きだったり。由乃さんは由乃さんで、池波〇太郎作品が愛読書でスポーツ観戦やらが好きだったり。外見と内面が合致していなのに、周囲の評価は外見だけを捉えていて。リリアンかわら版でアンケートが入れ代わっていたのが証左であるし、その辺りも解消したいそうで。

 

 「令さまにこのことは?」

 

 話しているの、とは言葉にならなかったようで祐巳さんが由乃さんに質問する。

 

 「いえ、令ちゃんは知らないし、言わないで欲しいの」

 

 ゆるく首を振り否定し、かつ令さまには黙っていて欲しい、か。確かに令さまが知れば絶対に試合には出ず、由乃さんの手術の方へと向かうだろう。

 

 「なるほど、了解」

 

 「ありがとう、樹さん」

 

 由乃さんと私がお互いに笑いあっていると、がたんと椅子を引く音が鳴り祐巳さんがいつの間にか机に両手をついて立ち上がっていた。

 

 「ま、待ってっ! 由乃さん本当に令さまには伝えないつもりなのっ!?」

 

 「ええ。お互いに弱いからこれを機に強くならなきゃいけないでしょう」

 

 「……っ。――そっか、わかった。由乃さんが決めたのなら、私が反対出来る理由はないよね……」

 

 祐巳さんは色々と考えていることがあるのか不承不承という感じで。おそらく手術というよりも姉妹関係を解消することの方が気になるようで。後から理由を聞いてみるかと、一旦話を置いて別の方向へと持っていく。

 

 「ねえ、由乃さん、お見舞いって行ってもいいのかな?」

 

 「ええ勿論。でもあまり大袈裟にはしたくないから、ここだけの話にしておいて欲しいの」

 

 「ならお姉さま方にも言わない方が良いのかしら?」

 

 薔薇さまたちにはと確認を取った志摩子さんの方を向き、由乃さんが答える。

 

 「出来れば、お願い」

 

 由乃さんの言葉に全員が頷く。由乃さんが入院すれば話は知れ渡るだろうし、遅いか早いかの違いだけだろう。まあ、令さまと姉妹関係を解消するのは、祐巳さんの驚き方を推測するに青天の霹靂となるかもしれないが。

 いや、令さまの姉である江利子さまなら火に油を投入して楽しみそうだし、令さまをからかいそう。そして一番いい所で、一番美味しい役をかっさらっていきそうだ。面白おかしいことが楽しみな人であるが、きっちりと感情を読み取れる鋭い人でもあるから、その辺りはあまり心配はしていない。なるだけ暗くならないようにと明るく努めてお見舞いの件やらを話していると、他のメンバーが集まり始め、いつもの様に仕事が始まり、いつの間にか解散となる。そうして幾日かが過ぎて、由乃さんが入院した翌日の朝。

 

 ――黄薔薇革命。

 

 そう書かれたリリアンかわら版の号外に、踊らされる人たちが居ることを私はまだ知らないのだった。

 

 




 6616字

 1990年代に青薔薇はまだ市場に流通していないので、適当に誤魔化しましたorz あとから感想と活動報告に書きこんでくれたかたもありがとうございます。色々と考え抜いた結果こうなりました。
 一年生組はアニメよりも仲が良いイメージなので、話の流れを変えました。由乃さん一年生組には決意を話しておきます。江利子さまの親知らずが疼いたのは、火に油を注ぐので退場させたのかなあと、こうして二次創作をしていると考えてしまいますが、江利子さまなら令さまの為に慰めるくらいはするかなあ。手術から回復した由乃さんに嫌味をさしそうだけれども。

 原神、ちまちま進めてます。冒険者ランク35で止まってるし、精霊系が倒せなくて色々とやることが多いのが辛いですがwww


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第四十六話:黄薔薇革命とヒロインたち

 もう少し早い時間に顔を上げれば、明けの明星がたったひとつだけ薄暗い空に浮かんでいるのだけれど、太陽の光が差し掛かり始める手前の時間だと、もう消えてしまっている。吐く息が白い、そんな朝。

 今日から由乃さんが手術の為の検査入院で学園に来ない。由乃さんのことだから『令ちゃんと姉妹(スール)を解消する』と言った手前、必ずやり遂げていることだろう。弱い自分を克服したいと願い、お互いにもたれ掛っていた状況を解消しなげればと決意した由乃さんの意思は尊重したい。令さまも彼女の意図を知ればきっと納得することだろうし。

 バスの窓から覗く流れる街を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えて小さく溜息を吐く。学園を休みがちな由乃さんが居ないことはよくあるけれど、事前に休んでいることを知っているとどうにも落ち着かない。手術が成功するかどうかも心配だし、気掛かりである。リリアン女学園前と銘打たれた停留所を降りて、正門を抜け銀杏並木を歩いて抜けるとマリア像が見えてくる。

 

 ――どうか無事に手術が成功しますように。

 

 柄にもなく信じていないマリア像に手を合わせもせずそんな願いを込めながら教室を目指すと、今日はいつもよりざわついており落ち着きがない。何かあったのだろうかと考えてはみたものの思いつかないし、取り合えず授業の準備を始めなければと己の席へと座ると、クラスメイトが忙しない声で最新のリリアンかわら版を手渡してくれた。

 

 『黄薔薇革命』

 

 見出しに大きく踊る文字が目に付く。もちろん印刷の色も黄色に使われていた写真は由乃さんと令さまのツーショット写真で。目線を移せば見出しに踊る文字の意味をようやく理解できたのだった。

 

 「樹さんは知っていらして?」

 

 「ううん、今初めて知ったけど」

 

 事前に知っていたので嘘を吐くことになるけれど、私の周りに居る人たちがソレを知れば騒ぎ立ててしまうだろう。由乃さんが大袈裟にしたくないと言っていたのだし、ここは黙っておくしかない。少しの罪悪感が湧きつつも、首を何度かふって否定する。

 

 「由乃さんって優しい方よね。黄薔薇のつぼみを慮って姉妹関係を解消するだなんて……素敵」

 

 祐巳さんの言葉を借りると由乃さんの初期イメージは、家ではフリルのついたエプロンを付けてクッキーを焼いたり編み物をしていたりと、女の子そのままという感じだったらしい。実際、付き合いが深くなればその印象はガラリと変わる。体が弱い所為で無理は出来ないものの随分とこざっぱりとした性格をしているし、無茶を言ったり鋭い突っ込みが入ったりと話していると楽しい子である。

 表面上しか知らないと今回の由乃さんの行動は、今私の目の前に立つクラスメイトのような感想を持ってしまうのだろう。かわら版を流し読みしながらクラスメイトの言葉を聞きつつ、由乃さんの気持ちや決意を知っている身としては、『素敵』だなんて感想を抱いている周囲の反応には歯がゆい思いが湧いてしまう。リリアンかわら版と由乃さんと令さまに対する勘違いが、時間が経つにつれて影響を与えてしまうのは必然……だったのだろうか。

 

 翌朝。

 

 「なに、この状況」

 

 一年藤組の教室へと足を踏み入れると辛気臭い空気が流れていて、思わずぼそりと声が漏れてしまった。とはいえこれは私個人の感想で、周りは悲しみに暮れているように見える。

 集まっている一部のクラスメイトたちの中心には机に座り両手で顔を覆い、泣いている子。その子を取り囲む人たちも何やら泣いている子に励ましの声を必死に掛けている模様。それ以外のクラスメイトはその光景を遠目から眺めている。その中の一人であったいいんちょに私は近寄り小声で声を掛けた。

 

 「いいんちょ、なに、この状況?」

 

 さきほど一人ぼやいた言葉を窓際に居たいいんちょにそのまま言い放つと、困ったような顔をして私を見る彼女の口が開く。

 

 「ごきげんよう、樹さん。――おそらくですが、由乃さんの真似事ですね」

 

 「真似事って……どうしてまた……」

 

 「かわら版に触発されて自分たちの姉妹関係に疑問を持った一年生が、彼女のような行動を起こした方が数人居るそうです」

 

 いいんちょの視線を追うと友人たちに囲まれて泣いている子へと向けられていて。ふうと長い息を吐きながら、後ろ手で頭をがりがりと掻きながら壁にもたれ掛る私。

 

 「なるほど。……そうする意味が理解できないけれどね。――ま、独り身の私には一生理解は出来るはずがないか」

 

 ぼそりと零した言葉がどうやらいいんちょには聞こえたようで、苦笑いをしている。由乃さんが今回の行動に至った理由を知っているし、幼い頃からずっと過ごしてきたお互いの信頼があるからこその行動だというのに。上辺だけを見て判断して、悲しみに浸っている姿はどうにも滑稽に見えて仕方がない。影響されるのは自由だし勝手だけれど、姉妹を解消された上級生たちの気持ちを考えると軽率過ぎる。

 

 「どうするんですか、青薔薇さま(ロサ・ノヴァーリス)

 

 慣れないからその呼称を使わないで欲しいと伝えていたのだけれど、普段私が『いいんちょ』と呼んでいる所為もあるのだろう、少し皮肉が入ったような声色でいいんちょが生徒会の役職で呼ぶ。

 

 「どうもこうも、何もしない……いや、むしろ出来ないかな。人の気持ちに行動制限なんてするもんじゃないしね」

 

 影響された人を説得するのは難しいだろうし、そもそも止める理由もないのだし。とはいえ姉妹を解消する生徒が増えると、その責任が由乃さんと令さまに行きかねない。一番の原因は美談として書き上げた新聞部だろうけれども。

 ただの一生徒ならば許される行動が生徒会員として役職を持っているが故に、生徒の模範となるような行動をとらなければならないのがアダとなってしまっている。由乃さんの決意も知らない学園側からすれば、騒ぎの元凶となってしまった二人に『お咎めなし』とはならないだろう。

 

 「え?」

 

 「ありがと、いいんちょ」

 

 固まっているいいんちょの下を片手を上げて去り自席へと戻る。さて、どうしたものかと考えるがどうしようもないし、影響されて動いたのならばその責任は自身で取るべきである。なら私は動く必要もない、というよりもいいんちょに言ったように人の気持ちや考えに行動制限なんてかけるものではない。しかし悲劇のヒロインを演じられる一年生は悦に浸れるだろうけれど、姉妹を破棄されてしまった上級生は一体どうなっているのだろう。

 令さまは由乃さんのことで頭も心もいっぱいいっぱいだろうし、祥子さまがこの状況を認めるはずもない。話を聞くならばあの人が適任だろうと、ある人物を思い浮かべる。彼女に会うには昼休みが一番都合が良いだろうと、ある場所へと足を向けた。

 

 「ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう、青薔薇さま」

 

 私の声に返事を返しながら奇麗な微笑みを浮かべカウンターに座す図書委員である彼女、静さまの下へと向かったのは、ご飯もきっちりと食べ終えた昼休み。少しザワついている図書室は、雑談を交わすには丁度良い。

 

 「その呼び方は止してください。私には不相応ですよ」

 

 「あら、どうして。とても似合っているし、素敵じゃない」

 

 「私的には庶務とか雑用係で良かったんですけれどね。学園側やみんなの意思で便宜上付けられたものですし」

 

 「そうだったのね。――でも、貴女が行動を起こして得たものだもの。誇っても良いのではなくて?」

 

 「私が動いたというよりも、周りの人たちが動いてくれたという方が正解でしょうね。――というか静さま、三年生の部長陣やらが動いてたの知ってましたよね?」

 

 以前にその素振りを見せた時があったから、三年生たちが陰で動いていたことを知っていたハズである。口止めされていて言えなかったのかもしれないが、今なら突っ込んでも許されるだろう。

 

 「ええ、もちろん。仮にあの状況に貴女が耐えられないとしたら、ウチの部長には苦言くらいは呈していたかもしれないわ」

 

 ストレートに図太いと言われているような気もしなくもないけれど、今更のことだし状況は変えられない。兎にも角にも今は二年生の状況である。

 

 「いやいや、止めましょうよ、ソコは。――ところで話は変わりますが、かわら版は読みました?」

 

 「ええ。クラスメイトに姉妹を解消された人が居たからそれで知ったのだけれど、どうかして?」

 

 静さまは私の言葉を聞いて目を伏せ表情に陰りがでるけれど、一瞬だった。直ぐに元に戻り声色も変わらず、何もないように装ったような気もする。

 

 「いや、今回の黄薔薇革命に影響された一年生と姉妹を結んでいた上級生たちってどうなっているのか気になりまして」

 

 令さまと祥子さまには聞くに聞けないし丁度いい人が静さまだったことを伝えると、目を丸くして驚き直ぐに小さく笑みを零すと、今回のことについて語ってくれたのだった。どうやら令さまはショックの余り昨日は欠席したようで、学園には登校していなかったと。そして今日は幽鬼のように学園内を徘徊して、そこらに居た生徒を捕まえて事細かに姉妹を解消した状況を語っているそうだ。あれ、新聞部も悪いけれど令さまも事態に拍車を掛けているようで、頭を抱えてしまう私。

 

 「大丈夫かなあ……」

 

 「あまり平気とは言えないでしょうね」

 

 姉妹を一方的に解消された上級生は『何故』と頭を悩ませているし、周囲の人たちもどう対処していいのか悩ましい状況だそうだ。それに加えてまだ姉妹を解消した人たちは少ないけれど、時間が経つにつれ増える可能性もあること。姉妹解消をした人たちが増える程、由乃さんの行動が問題視されることに、眩暈を覚える。不味い状況だし、これ以上増えるのも困りものである。

 

 「静さま、ありがとうございました」

 

 「いえ、構わないのだけれど、貴女どうするつもりなの、この状況」

 

 「どうもしませんよ。今回は傍観者に徹します」

 

 根回しは済ませておくつもりではあるが。上級生の状況を説明してもらったことには感謝を述べて、静さまの下を去り廊下を歩いていると、きょろきょろと周囲を見渡しながら歩く祐巳さんの姿が見えた。

 

 「祐巳さん」

 

 「あ、樹さん」

 

 「どうしたの、随分と周りを気にしてるけれど」

 

 「えっと、令さまを探してて」

 

 「令さま? また何で?」

 

 どうやら令さまは未だにふらふらとしながら適当な人を捕まえて陥った事態の状況を拡散しているようだった。こりゃ重症だなと苦笑が漏れるが、幼い頃からずっと一緒だった由乃さんが自立しようと望んでいるのだから、令さまにも踏ん張って欲しいのだが。祐巳さんは令さまが心配で探しているのだけれど、未だ見つからず。取り合えず、周りには気を付けてと伝えると祐巳さんと別れる。

 

 「い、樹さんっ! どこに?」

 

 「んー、良い所?」

 

 といっても職員室だけれど。由乃さんが入院していることを松組の担任は知っているだろうけれど、その真意までは知らないだろうから遠回しにでも伝えておかないと。

 

 「一緒に令さま探してよー!」

 

 「ごめん、昼休みに捕まらなきゃ、放課後は手伝うよ。そんじゃあ、ごきげんよう」

 

 『樹さん、酷いよぅー!』と廊下で零す祐巳さんの声を無視して職員室を目指して出入り口までたどり着く。こういうことがある時は顔が知られているのは便利だし、勝手知ったる職員室となっているので『失礼します』と声を上げて入ると注目もされないのである。やれやれ、この数か月で出入りをし過ぎたかと苦笑を零しながら、一年生の担任が集まっている机のエリアまで進むと松組の担任が何か作業をしながら、こちらへと顔を向けにっこりと笑ってくれた。

 

 「先生、ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう、鵜久森さん。ああ、それとも青薔薇さまと呼んだ方が良いのかしら?」

 

 「勘弁してくださいよ。普通で構いません」

 

 「あら、そう。一年生で薔薇さまだなんて快挙なのに」

 

 「私の力じゃありませんよ。――ところで松組の由乃さんが休んでますよね」

 

 「ええ、そうね」

 

 私の言葉に笑っていた顔が真顔になる。察しが良いのか、これから話すことに大体の見当がついているのだろう。それなら話が早いと、今回学園内で起こっている事態と由乃さんが今回手術に踏み切った理由を伝える。大袈裟にしたくないと言っていた由乃さんには申し訳ないけれど、騒動が収まった際に大人側が理由を知っているか知っていないかで処分が変わる可能性がある。

 こんなことになるだなんて由乃さんも想像していなかっただろうし、担任には『手術を受けるので休みます』程度にしか伝えていないハズ。知っていたならば骨折り損のくたびれ儲けとなってしまうけれど、何もしないよりはいいだろう。

 

 「そんな事情もあったのね……。鵜久森さんの言いたいことは分かったけれど、大したことは出来ないかもしれないわよ」

 

 「構いません。先生方に由乃さんの行動の理由を知っていて欲しかっただけですし、収拾がつかなくなった時の為の保険ですしね」

 

 「あら、鵜久森さんったら、私を利用したの?」

 

 「ええ」

 

 「全く、大したものね」

 

 「褒められてはいませんよね、ソレ」

 

 憎まれ口をお互いに叩いているけれど、流石に由乃さんの真意を知れば自分が受け持つクラスの生徒は守ってくれるだろう。あまり長居をするのは仕事の邪魔になるだろうと、言いたい事だけ伝えて松組の担任に別れを告げて職員室を出る。さてあとは令さまの姉である江利子さまがどうにかするだろうと、アタリを付けながら昼からの授業を受ける為に教室へと戻るのだった。

 

 

 




 5392字

 モチベが下がっているのもさることながら、原神が面白くてこっちがおざなりになってます。真に申し訳ありません┏○))ペコ 週一更新は死守したい所です(汗



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第四十七話:しおれた黄薔薇とお見舞い

 一部の人たちの空気が沈んだまま迎えた放課後。祐巳さんに令さま探しを手伝うと言った手前と仕事はあまりないが、山百合会に一応顔を出しておくかと一路薔薇の館を目指す。私に青薔薇の役職を付与されたことで、痛い視線は刺さらなくはなったけれども、何か意味合いの違う視線が刺さるようになっている。この視線どうにかならないかと考えながら、結局どうにもならないし時間が解決してくれるだろうと現実逃避しておく。

 

 「ごきげんよう。――あれ、今日は蓉子さまと聖さまだけなんですか?」

 

 「いえ、そのうち誰か来るでしょうけれど、どうかして?」

 

 いつもの二階の部屋へと足を踏み入れると蓉子さまと聖さまの二人だけ。

 

 「ああ――いえ、大した理由はないんですが、江利子さまは?」

 

 「江利子ならアンニュイに磨きがかかってて、ここ何日かぼーっとしてるんだよね」

 

 「んーマジですか」

 

 令さまを取っ捕まえて、江利子さまがケツを引っ叩くかなと予想をしていたのだけれど、意外にもこの状況を放置するようで。一番楽しんでいそうな江利子さまが機能していないとなると、令さまちょっと不味いような気がする。前述したとおりケツを引っ叩く人が居ないという意味合いで。

 

 「どうしたのかは分からないけれど、江利子は時々そうなることがあるから放っておけば元に戻るから心配はいらないわ」

 

 割と酷い言い方ではあるけれど、信頼の上で蓉子さまが口にしているのは理解できる。本気で駄目ならお節介スキルがパッシブで発動する蓉子さまが放っておかないし、その辺りは心配していない。

 

 「そういう事なら放っておくとして」

 

 「また樹ちゃんは江利子が聞けば喜びそうなことを不用意に……」

 

 片手に顎を乗せてにししと笑う聖さまが、あまり嬉しくないことを言い放つ。江利子さまに知られなければノーカウントだし、聞かれたところで玩具にされている状況は変わらないのだから今更である。――いろいろと諦めてしまったという側面もあるが。

 

 「令さまは?」

 

 「どうやら令も江利子と同じように駄目みたいで学園内をウロウロしているようね。もう噂になっていて私たちの耳にも届いているんだもの」

 

 三年生にまで噂は広まっているようで、当然薔薇さまである二人には真っ先に話が伝わったのだろう。苦労が絶えないなと苦笑をしつつ。

 

 「この状況、どうするつもりで?」

 

 「そうね、江利子が助けを求めてくれば手を貸すけれど、基本的に他家の薔薇への干渉はしないわ」

 

 「なるほど、了解です」

 

 「――私を無視しないで欲しいなあっ!」

 

 気配を消していた聖さまが唐突に後ろから私の後ろで言い、片手をおもいっきり私の肩へと乗せて体重を掛ける。倒れたりしないくらいではあるが、身長差もあるので逃れられないしなにより。

 

 「……重い」

 

 あと胸が当たってる。寧ろ最近はこの人当てているのではと勘ぐっているのだけれども。

 

 「失礼だなあ……いいじゃない少しくらい。それで、樹ちゃんはどうするの?」

 

 肩に乗せた手を私の耳に開いているピアスホールへと伸ばして親指と人差し指でぐりぐりと感触を味わっているようだけれど、楽しいのだろうか。

 

 「なにもしませんよ、やることは済ませてますし」

 

 取り合えず最低限の根回しは済ませておいたのだから、あとはどこまで影響が広がるかが問題だ。止めてくれれば一番良いのだけれど、二人も私と同じように干渉はしないようだから、私も手を出す必要など全くない。

 

 「おや、意外。樹ちゃんなら手出しするだろうなーって思ってたんだけれど」

 

 「いろんな人に聞かれましたが、今回はパスですね。――由乃さんに影響がない限りは静観します」

 

 私の言葉を聞いて頷く二人。肩に乗せたままの聖さまの腕が重いのだけれども、突き放すのはやり過ぎだろうか。

 

 「しかしまあ新聞部も『黄薔薇革命』だなんてタイトル、よく思いついたわね」

 

 ペシンと軽く手に掲げて読んでいるリリアンかわら版の上の部分を反対の手で軽くはじく蓉子さまがぼやいた。どうやら何か思うことがあるらしく、いつも澄ましている顔色がよろしくない。たしかに話題性としては上手く名付けたものだと言えるが、被害を被った側からすると迷惑でしかない。

 

 「新聞部だし仕方ないんじゃない?」

 

 私の耳元で軽口を叩きながら離れる気配がまったくない聖さまに、仕方ないかと諦めて腕を掴んで持ち上げて離れると『ケチー』となんだかよく分からない声が聞こえてきたけれど、一切を無視しておく。

 

 「革命というよりクーデターじゃありませんか、この場合」

 

 ある意味、学園内に限っていえば権力者である山百合会。普通の生徒が引き起こしたならば『革命』で合っているが、今回は山百合会員が引き起こしたのだから『クーデター』のような気がするのだけれども。

 ちなみに革命は『一般の大衆が原動力となり、現行の支配階級を征服しようとするもの』であり、クーデターは『同じ支配階級の中のある勢力が、政権の奪取を狙って非合法的な行動を起こすこと』である。どちらも一度起これば被害が大きいだろうし、大変な労力と犠牲が必要となりそこからの立て直しも一筋縄ではいかないだろう。――今回の場合は狭い学園内に限られているので、平和といえば平和であるが。

 

 「意味合い的にはそっちがあっているかもしれないけど、『黄薔薇クーデター』じゃあ黄薔薇ファミリーが崩壊しそうだね……」

 

 「ああ、言われてみると確かに」

 

 令さまはやらないだろうけれど由乃さんならば江利子さまを引きずり下ろすくらいはしそうだけれども。体が弱いので無理が出来ないけれど、時折に令さまの取り合いを静かに繰り広げているのだし。崩壊することはないだろうけれど、手術が上手くいけば我慢する必要がなくなる由乃さんと、そんな彼女に不敵な笑顔を向けながら遊んでいる江利子さまによる令さまの取り合い光景が浮かぶ。

 

 「ごきげんよう」

 

 三人で雑談を繰り広げていると、令さまを引っ張っている祥子さまを先頭にぞろぞろと山百合会メンバーが揃う。この場に居ないのは江利子さまと入院した由乃さんのみ。

 

 「ごきげんよう」

 

 それぞれに挨拶を返すけれど、覇気が随分とない令さまに苦笑する。いつもの優しさを抱えたオーラが全くないし、滅茶苦茶に落ち込んでいるのが目に見えて分かる。由乃さんと姉妹を解消したことにショックを受けるのは理解できるけれど、その先にある交流試合は大丈夫なのだろうかと心配になってくる程度には落ち込んでいた。

 こりゃ活を入れるには江利子さまが必要になるのだろうなと窓から外を見てみるけれど、薔薇の館に来る気配が全くない。新聞部が発行した今回の記事にあの人ならば真っ先に飛びつきそうなものだけれど、一体どうしたのだろうか。ぼーっと外を眺めていると、いつの間にか祥子さまと蓉子さまとの言い合いという名のじゃれ合いに発展していたようで、内容は今回の件をどうにかしないのかということで。手を出さないと言い放つ蓉子さまに、酷いのではないかと言い返す祥子さま。心配そうに二人のやり取りをころころと表情を変えながら見ている祐巳さんに、我関せずの他メンツ。令さまは椅子に座っているけれど、なにかを考えこんでいる。

 

 「――けど、もし貴女と祐巳ちゃんの問題だったら私は根掘り葉掘り聞くけれどね」

 

 「どうしてですの?」

 

 「私は貴女のお姉さまだから」

 

 「……そういうことですの」

 

 結局、いつものように蓉子さまに丸め込まれる祥子さまと、その光景を見ていた祐巳さんがまた顔色を変える。どうやら二人のやり取りに感動するところがあったらしい。

 

 「そ。お家騒動に他藩は口出ししないのが礼儀。……もちろん令が助けを求めるのなら相談にのるけれど――どうする?」

 

 祥子さまから視線を外して令さまの方へと視線を向ける蓉子さま。その視線に気が付いたのか、俯いていた令さまが顔を上げて硬い表情で答える。

 

 「ありがとうございます。――けれど、もう少し自分で考えてみます」

 

 まだ何かを考えているような重い雰囲気を纏った令さまの言葉を最後にこの話題は終了して、雑事を終わらせれば解散となった。学園祭も終わったので随分と仕事が減り、楽ができるのは有難い。

 一度教室に戻ったものの暇な時間が増えたので図書室にでも行くかと、帰り支度を済ませて荷物を持って方向転換。気分転換も兼ねていつもは使わないルートで図書室を目指すと、今日は顔を見せなかった江利子さまがふらふらと裏門へと続く道へと歩いている。いつも澄ました顔で学園内を闊歩しているというのに今日はどうにも覇気がないようすで、遠巻きにその様子を眺めている生徒が幾人か。気になるならば声を掛ければいいのにと思うが、相手は黄薔薇さまである。無理なのか、と苦笑いをしながら江利子さまに近づいて声を掛けたのだった。

 

 「大丈夫ですか?」

 

 「……あら……樹ちゃん。――大丈夫、なのかしらね?」

 

 私の声に振り向いた江利子さまは、先程の令さまのごとく覇気がない……というよりも何かを耐えているような仏頂面である。

 

 「質問を質問で返されても、言葉の返しようがないんですけれども……」

 

 「ああ、そうね」

 

 なんだか要領を得ない答えに困りながら江利子さまの顔をマジマジと見つめると、頬が腫れているような気が。誰かに引っ叩かれるようなことをする人でもないのだし、こりゃ単純に虫歯にでも掛かってしまったのだろうか。時折、ぼーっとしていることがあるとあの二人から聞いたけれど、その原因がまさかの歯痛だったら笑える。とはいえマジで辛そうなので、突っ込んだりからかったりはしない方が良いだろう。

 

 「歯、痛いんですか?」

 

 「…………よく、わかったわね……」

 

 「そりゃ、頬が腫れてて時々手を充てる素振りなんてしてれば分かりますよ」

 

 「そう」

 

 「我慢しないでとっとと歯医者に行けばいいじゃないですか」

 

 虫歯ならば何度か通わなければならないだろうけれど、親知らずが疼いて痛いとかならば引っこ抜いて終わりだし。麻酔があるから最初にちくっと痛いだけで治療中は無痛で終わって、麻酔の切れ際や切れた後に違和感を我慢しなければならないが、直ぐに治るのだし。

 

 「――……嫌いなのよ、歯医者」

 

 「へ?」

 

 珍しく小声で囁くので思わず聞き返してしまう。はあと溜息を吐いた江利子さまは、もう一度口にしてくれるようだ。

 

 「嫌いなの。あの音が苦手なのよ」

 

 「あれま」

 

 あの音が苦手だという人は沢山いるけれど、やはり思ってしまうのは子供じゃあるまいしという言葉である。少し恥ずかしそうな江利子さまを見ながら持っていた鞄を漁る私を、首を少し傾げながらじっと見つめている彼女。周りの野次馬さんたちは私たちのやり取りをどうみているのやら、と頭の片隅で考えながら目的のものを取り出して、江利子さまの目の前へと差し出す。

 

 「痛み止めです。歯痛にも効きますからキツイなら飲んで楽になった方がいいですよ」

 

 生理痛が我慢できなくなった時の為に持っていた痛み止めを江利子さまに渡す。手を充てているということは痛いのだろうし、我慢もしているのだろう。以前に痛み止めを忘れて蓉子さまに保健室へと連行された手前、鞄の中に常備するようになっていたから丁度いい。効能には歯痛にも効くと書いてあるので、大丈夫。

 

 「……ありがとう」

 

 裏門へと足を向けていたので、おそらく江利子さまは帰路につくのだろう。いつもお迎えが来ているようだから、あまり引き留めてしまうのも悪い。

 

 「早く歯医者、行きましょうね。――それじゃあ、ごきげんよう」

 

 渡すものを渡し軽く一礼して江利子さまと別れて、一路図書室を目指す私だった。

 

 ◇

 

 ――翌日、放課後。

 

私立リリアン女学園、そこは良家の子女が通い長き伝統と文化が根付いている。日本も明治時代から近代化して随分と垢抜けた社会となったのに、今でも後生大事に『寄り道禁止』のルールなんてものを抱えているのだから、随分と面倒である。

 とはいえ、リリアンの制服のまま街をウロつくと周囲から好奇の視線を頂くので、ある意味適切な処置なのかもしれないが。放課後にどこか用事があって学園からそのまま行くという手段が使えないのは、悪手だ。それでもまあ一応ルールは守らなければならないので、一度家に戻り着替えを済ませ直ぐに外に出たのだが。住宅街から商業地区へと向かうと大きな病院が一つある。由乃さんから聞いていた為に事前に調べて場所は把握していた。

 コンクリートで作られた巨大な病棟がいくつかあり、駐車場もきちんと確保しているあたり病院側の本気度が伺える。いくつかのロータリーを経て入院病棟はどこだろうとしばし地図を眺めて、左目に違和感を感じてぐしぐしと指でこすった後に歩き出すと、ようやくたどり着く。由乃さんの名前が書かれたネームプレートを見つけ、軽くノックしてしばらくすると『どうぞ』と声が返ってきたので、遠慮なくスライド式のドアを開けた。

 

 「こんにちは。――調子はどう?」

 

 「ごきげんよう、じゃないのね」

 

 ベッドに腰かけている由乃さんは扉の前に立つ私の言葉にくすくすと笑っている。どうやら挨拶がいつもの『ごきげんよう』ではないことが面白かったようで、調子も可もなく不可もなくといった様子。

 

 「流石に外で『ごきげんよう』は使い辛いよ」

 

 制服を着ていればお嬢さま校に通っている証明となって、恥ずかしさも幾分か紛れるけれど私服姿であの言葉を使うには恥ずかしい。つかつかとベッドの側へと歩んで、備え付けられてある椅子へと勝手に腰を下ろす。

 

 「そうかしら?」

 

 「由乃さんは染まり過ぎてるんだよ、リリアンに」

 

 リリアン以外の友人に『ごきげんよう』なんて言い放てば、指を指されながら大笑いされるのがオチである。

 

 「ずっと通い続けた人と編入した人の違いなのね」

 

 「かもね。――あ、これ大したものじゃないんだけれど暇つぶしにと思って持ってきた」

 

 「ありがとう、助かるわ。退屈で仕方ないんだもの」

 

 手術までにまだ日数があり、それまで検査検査検査の状態らしい。それでも空いた時間は沢山あるし、看護師さんが始終相手してくれるはずもなく。家族だって面会時間もあるし仕事やら家のこともあるしで、一緒に居られる訳はない。付き添いが必要ならば病院側から告げられるだろうし、居ないということはそういうことだろう。手渡した紙袋を開けてしげしげと本を眺める由乃さん。適当に見繕ってきたのだけれど、彼女の趣味に合うのかは謎である。

 

 「令ちゃん、どんな様子だった?」

 

 「ああ、うん。この世の終わりみたいな顔してた」

 

 ずーんと落ち込んで学園内を夢遊病のようにフラフラしていたのだから。由乃さん離れをするには大変だろうけれど、あの様子をみるにいい切っ掛けではないのだろうか。

 私の言葉を聞いた由乃さんは『情けないなあ』と小さく零している。

 

 「いつも一緒に居たなら仕方ないんじゃない? 突然由乃さんから姉妹破棄されたんだし」

 

 「あら、樹さんは令ちゃんの肩を持つのかしら?」

 

 「いや、そういう訳じゃなくてさ。――ただ単に学園であからさまに落ち込んでいたから重症だなあって。あの姿を見てると由乃さん離れすべきなんだろうなーって」

 

 「やっぱりそう思うわよね」

 

 「あの姿みると、ね」

 

 互いに苦笑を零しながら令さまについて語る。令さまは由乃さん第一主義者だから仕方ないとはいえ、アレを見るとどうしても大人になった時にどうするのだろうと考えてしまうのだ。先に由乃さんに彼氏が出来て結婚話まで出てくると、令さまはこの世の終わりを通り越して絶望の淵に叩き落されるんじゃないかと。まあ逆に令さまに彼氏が出来て、顔見世でもしようものなら由乃さんは絶大な駄目だしを始めそうだけれど。そのくらい一緒に過ごした時間が長いのだ、この二人は。

 

 「まあ、令さまだけじゃなくて江利子さまの様子もなんだか変だしね」

 

 「変? あの人が?」

 

 「うん。歯が痛いみたいでぼーっとしてる。子供じゃないんだし歯医者に行けばいいのに、嫌だからって痛いのを我慢してるみたいだよ」

 

 子供じゃないとはいえ、まだ成人していないのだから子供かと突っ込みを一人で入れつつ、由乃さんを見ると良い笑顔を浮かべている。

 

 「ふふ、良いことを聞いたかも」

 

 「ま、悪巧みは学園に戻ってからしようね」

 

 そんな会話を交わしながら、今日来れなかったメンツの話やら祐巳さんが昨日お見舞いに来たという話に学園内が騒がしいこと。リリアンかわら版で『黄薔薇革命』と銘打たれ騒ぎになっていることと、それに影響された人たちが居ること。竹を割ったような性格をしている由乃さんは、その人たちを一蹴していたが。

 令さまがしっかりと自立できている所を見れば、由乃さんは復縁するだろう。それにまた影響されて元の鞘に戻る人たちもいるだろうし。少し心配なのは姉妹関係に本気で疑問を持っていた人たちであるが、まあそういうグループは戻らないのだろうなあ。取り合えず由乃さんの責任にならなければ良いのだし、静観するしかない。

 残りの心配ごと、というか一番の問題は由乃さんの手術が成功するかどうか、なのだし。こればかりは祈るしかないし、由乃さんの手術を施す医師の人たちを信じるしかない。やきもきした時間を過ごすことになるだろうけれど、一番大変なのは由乃さんなのだ。これくらいは我慢しなければ。休みの日にでも神頼みでもしますかと、由乃さんと他愛のないお喋りに興じて日が沈む前に病室を後にしたのだった。

 

 ――手術まで、あと少し。

 




 6993字

 やばい、原神に時間を取られ過ぎている。でも楽しい。でもこっちも進ませたいジレンマ。


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第四十八話:それぞれの心配とあれやこれ

 

 黄薔薇革命と銘打たれたリリアンかわら版が発行されてから数日が経ち。記事の内容に感化された子たちの思い切った行動に、驚いたのも束の間。学園内は少し落ち着きを取り戻しつつあるけれど、仕出かした事の大きさに気付いていない人たちの大半は一年生だった。事件の切っ掛けとなった張本人である由乃さんは手術を受ける為に入院中なのだけれど、その事実を知らない周囲の人たちは単純に体調を崩して休んでいるとしか考えていない。

 このことが今回の真相に辿り着く為に邪魔をしてしまっている。由乃さんの思いを知れば、姉妹解消をした理由に納得が出来るのだけれど、学校新聞の影響もあり事実が明らかになるのは、由乃さんが学園に復学してからだろう。そして彼女が学園に来ていないが為に『令さまおいたわしや……』と同情の視線を向けられている張本人は、気落ちしたままである。

 

 このままだと試合でモロに影響がでそうなのだけれど、順当に勝ち上がれるのかどうか。

 

 気が強い由乃さんのことだから自分から言い出してしまった手前、再び姉妹になることを拒みそうだけれども……。姉妹の関係にあまりこだわりを持っていなさそうな由乃さん自体は大丈夫だろうが、そうなった時の令さまが心配である。本気で落ち込みかねないし、下手をすればリリアンかわら版に書かれていた慎ましやかな由乃さん像のごとく『私もお姉さまとはふさわしくない』などと言い出しかねない勢いなのである。

 とはいえ令さまは剣士であり勝ち負けの世界で生きる人なのだから、そのあたりの切り替えは上手くやるだろうけれど、大好きな由乃さんの心臓手術、心が乱れてしまうのは仕方ないものだが。

 

 「大丈夫かなあ……」

 

 「ん、何が?」

 

 「どうしたの、祐巳さん」

 

 いつもの薔薇の館。由乃さんが欠けた状態の一年生組が仕事始め前の掃除をしながら、どこか上の空で手を動かしていた祐巳さんがぼやくと、一緒の部屋に居る志摩子さんと私がほぼ同時に彼女に声を返した。

 

 「うえっ! もしかして声に出てたっ!?」

 

 「思いっきりね」

 

 苦笑しながら答えて志摩子さんの方を見ると、彼女も一つうなづき口元に手を充てて微笑む。自分の行動に百面相をしながら慌てふためいている祐巳さんの心配する気持ちは仕方ないが、こればかりはどうしようもない。難しい手術ではないと由乃さんは言っていたが、体を切って中身を捌いて繋げて戻すのだし、万が一という可能性も捨てられない。

 

 「由乃さんのこと?」

 

 どうやら祐巳さんは足しげく由乃さんが入院している病院へと通っているようだ。時折私も一緒に行くこともあるけれど、訪れる回数は祐巳さんの方が上。祐巳さんと由乃さんの仲が随分と良くなっているし良いことであるのだけれど、余り通い過ぎると迷惑になるだろうから、その辺りは弁えているし気を使っている。

 志摩子さんも三人一緒に由乃さんのお見舞いに行ったことが一度あるのだけれど、山百合会に委員会、そして家の手伝いもしなければならないらしく『私には祈ることしか出来ないけれど』と言って毎朝礼拝堂で祈りを捧げているようだ。ちなみにそのことは私が由乃さんに漏らしてる。とても志摩子さんらしいけれど、知らなければ気持ちは伝わり辛いのだし、こんなことで仲が拗れてしまうのは勿体ないのだし。

 

 「由乃さんのことももちろんあるんだけれど……でも令さまの方が心配で……」

 

 「重症だよねえ」

 

 あの様子を見るに蓉子さまとの会話ではまだ自力でどうにかする様子だったけれど、あまり改善された雰囲気はないから祐巳さんの心配はもっともである。

 

 「なにか出来ることがあるといいんだけれど……なにも出来ないから」

 

 最後の方はしりすぼみとなりかろうじて拾えるほどの声だった祐巳さんのトレードマークのツインテールは主人と一緒にしぼんでる。

 

 「令さまには、自力でどうにかしてもらうしかないんじゃない?」

 

 今のままだと確実に試合で負けそうだけれど、由乃さんの言葉から感じたことは勝ち負けよりも試合内容のような気もするし。だからこそ自分で立ち上がって貰わないと困るのだ。

 

 「うー。樹さんは薄情だ」

 

 「あはは。今回は令さまよりも由乃さんの方が私は心配だからね」

 

 正直な話、やはり試合のことよりも手術の方が気になる。死にはしなくても失敗して、健康な体を手に入れられない可能性もあるしのだし。色々な不安がよぎるのだ。手術が成功すれば、由乃さんの世界は今よりも広がるのだから、笑って元気に街に繰り出している姿を見たいという、私の勝手な願いもある。

 

 「由乃さんの手術は絶対に成功するよっ!!」

 

 ぐっと胸元で作られた両の手の握りこぶし。小柄な祐巳さんだから、私を見る真剣な視線は少しだけ上目遣いになっている。

 

 ――眩しいなあ。

 

 私ならば口にはしない言葉だ。成功確率の方が高いとはいえ、何が起きるか分からないのだし。真っ直ぐに友人を思う心が羨ましく、それを誤魔化すように目を細めて笑い。

 

 「うん、そうだね」

 

 少しおざなりに答えながら部屋の隅にある荷物の山へと目を向ける。そろそろ蓉子さまから告げられていた時間が来ようとしている。学園祭が終わり大分落ち着いたとはいえ、仕事という名の雑用が山百合会には存在したりする。シスター陣からとある場所へと運ぶようにと頼まれていたものだが、いかんせん荷物が多い。

 いつものメンバーが揃えば一往復で済むのだけれど、今日は――というよりも手術を受ける為に学園を休んでいる由乃さんと、由乃さんから告げられた事実を受け入れられない令さまに、数日前から欠席している江利子さま。

 今日は家の用事で来られないと事前に祥子さまが仰っていたし、蓉子さまと聖さま三年生二人は来るのが遅くなるかもしれないから時間が来れば仕事を先に始めていて欲しいと告げられていたのだ。あからさまなマンパワー不足の今日日、寒空の下何度も行き来するのは面倒だなあと遠い目で窓の外を覗く。

 

 「あ。――ごめん、ちょっと窓開けるね」

 

 「ほえ?」

 

 「ええ、かまわないけれど……」

 

 見知った姿が見え今日はツイているのかもしれないと、現金なことを考え始めた私。流石に勝手に窓を開けるのは気が引けて一応二人に声を掛けると、祐巳さんと志摩子さんは私の行動が読めず少々困惑している様子に苦笑を漏らしながら、遠慮なく窓を開いて階下を見下ろすと幾人かのクラスメイトの姿。

 

 「いいんちょ、みんな、ごきげんよう」

 

 朝に同じ挨拶は済ませているものの、この学園だと声を掛けるとどうしてもこうなってしまう。階下の中庭を歩いていたいいんちょたちを引き留めると、二階の窓から顔を出した私を不思議そうに見上げる彼女たち。私の意図が掴めない様子で、いいんちょが首を傾げながらこちらには聞こえない小さな声で『樹さん?』と口を動かしたが、一度首を振ると余所行き用の顔を張り付ける。

 

 「ごきげんよう。どうかなされましたか、青薔薇さま(ロサ・ノヴァーリス)?」

 

 「悪いんだけれど、三十分くらい時間取れないかな?」

 

 私の言葉を聞いたいいんちょが、周りに居るみんなへと顔を向けて何やら話し込んでいる。おそらく都合がつくのか聞いてくれているのだろう。少しばかりその様子を眺めながら待っていると、直ぐに返事がきたのだった。結果はOKとの事で、流石に窓を開けたまま説明するのも寒いだろうと、一旦下へ降りるから待っていて欲しいと伝え、二階の部屋を出る為に窓を閉じて回れ右をする。

 

 「生贄GET」

 

 いえーいと言わんばかりに親指を立てて祐巳さんと志摩子さんに向けると、目をひん剥いている二人。説明がなくとも、状況を考えれば答えは直ぐに分かるからすたすたと扉を目指す。

 

 「い、樹さんっ! 言い方っ!!」

 

 「あははっ。まあちょっと行ってくる。事情を話したらみんなにこの部屋に来てもらうから」

 

 祐巳さんの突っ込みに笑いながら、手を振って部屋を出て軋む階段を降りる。リリアン女学園高等部の生徒ならば、ある意味で山百合会の一員でもあるのだし、一応私は山百合会の役職持ちだから彼女たちを扱き使おうと問題はない訳である。

 一番の理由は、三年生二人がいつ来るかわからない現状、大変な目に合うのは私たち下級生組である。寒い中何往復もしなければならないのならば、適当に誰か引っかけて楽が出来るならば良いことではないか。

 

 「人手が足りないから山百合会の仕事手伝って欲しくて、みんなの手を借りたいんだけれどいいかな?」

 

 入り口で待っていたのはいいんちょと体育祭でアンカーを務めた運動部の子とトップの子に取り巻きの二人である。扉を開けて直ぐ、みんなの姿の確認をするといきなり本題に入った私に驚いた顔を見せる我がクラスメイト。いいんちょと運動部の子は苦笑いをしながら頷いてくれたのだけれど、残りの三人は渋い顔をしている。

 

 「い、樹さん、私たち三人は申し訳ないのだけれど……」

 

 まあ、あんなことがあった手前薔薇の館には入りにくいだろうし、薔薇さまたちとも顔を合わせ辛いのだろう。トップの子が苦悶の表情を浮かべながら、お断りの言葉を告げたのだった。

 その件については私も薔薇さまも何も思っていないが、問題を起因させた側である彼女たちは重く捉えているようで。仕方ないよなあと思いつつも何かきっかけは無いだろうかと考えていたのだ。仕事ついでに薔薇さまと話す機会があっても良いかもしれない。彼女たちには胃が重くなるだけかもしれないが。

 

 「入り辛い?」

 

 「え、ええ。あんなことをしたのだし、この場に入る権利なんて私たちにはないでしょう?」

 

 「権利、ねえ」

 

 トップの子の言葉につい反応してしまい、つい言葉をだしてしまう私にびくりと肩を揺らす三人。そんなに難しく考えてしまうことだろうかと一瞬考えるが、当事者にとっては一大事だったのだろう。このまま三年間、その感情を抱えて学園生活を送るのは楽しくないだろうに。ひとつ長い溜息を吐く。

 

 「ま、あの事を引きずってるなら仕事手伝ってよ。――贖罪ってね」

 

 『贖罪』と言い放った私の言葉に少しばかりトップの子の手を取る私は、いいんちょと運動部の子に視線を向けると小さく頷いてくれる。

 あとの二人はいいんちょたちが連れてきてくれるだろうと、腕に少しばかりの抵抗を感じつつ薔薇の館の入口の扉を開け、階段を上る最中『落ちそう』とかすかに聞こえると、つい『だよねえ』と反射的に答えてしまった。初めて訪れると絶対考えるよねと、どこか懐かしく思う心に馴染んだものだなあと二階の部屋の扉を開けて。

 

 「お待たせ」

 

 「ごきげんよう。紅薔薇のつぼみの妹、白薔薇のつぼみ」

 

 部屋へと入ると私に手を引かれたトップの子から一歩遅れていいんちょの声が上がったのだった。同じ一年生だというのに、祐巳さんと志摩子さんのことを役職名で呼んだいいんちょは生真面目だ。

 

 「みなさん、ごきげんよう」

 

 「ご、ごきげんよう!」

 

 あの時のメンツを私が連れてきたことに驚きつつも挨拶を交わし、部屋の一角にある荷物に目を向け事情を話しながら仕事を割り振りる。

 この場合だと一番の先任である志摩子さんが指示を出すべきだろうけれど、ウチのクラスメイトを無理矢理に引き込んだ手前私が勝手に仕切る。流石に重いものを持ってもらうのは気が引けるし、軽いものから渡して場所を告げると、私以外は純粋培養組ということで学園内を熟知しているので、嗚呼と頷いていた。

 事のついでに誰かに何かを言われたならば『青薔薇』の所為にしておけばいいと伝えると苦笑していたが、役職なんてものはこういう時の為に使うものである。そして馬鹿正直に『二往復は面倒だったから』といいんちょたちを呼んだ理由を話すと、みんなに呆れた顔をされるのだった。

 

 「さて、行こっか」

 

 私の言葉に短く返事をくれる人、小さく頷く人、それぞれに反応を返してくれて部屋をぞろぞろと出ていく。先頭を切るのは祐巳さんと志摩子さん、間を挟んでいいんちょやみんな、少しみんなと遅れて最後に私である。

 

 「ごきげんよう、紅薔薇さま、白薔薇さま」

 

 「ごきげんよう」

 

 山百合会の重鎮である蓉子さまと聖さまがようやく出勤したようだ。まだ余り慣れていないのか祐巳さんの少し緊張した声が耳に届くと、次に志摩子さんや手伝ってくれているみんなの声が届き、遅れて三年生二人の声。二階の短い廊下を抜けて階段を降りようと下を見ると、こちらへと二人が階段を昇る姿が見えたのだった。

 

 「彼女たちは?」

 

 「クラスメイトです。目の前を通りかかったのが見えたので、手伝って貰おうと声を掛けました」

 

 見慣れない生徒がいた為、きょとんと首を傾げながら声を掛けてきた聖さまは、私の言葉に納得したのか一つ頷いた後、蓉子さまが少し呆れたような顔でこちらを見る。

 

 「樹ちゃん、運び終わって時間があるようなら彼女たちをここに呼んで貰えるかしら?」

 

 何故そんなことを、と不思議に感じて少し首を傾げる様子をした私を見て蓉子さまは、目を細めて笑う。

 

 「お礼がてらにお茶でもしましょうって伝えて」

 

 そのくらいのことでお茶をするのかとつい苦笑しながら、そういえば私も一番初めの時に江利子さまにその誘い文句を言われたなあと、不意に思い出し。荷物運びさえ終えてしまえば今日は解散だったのだけれど、こんな日があっても良いだろう。

 

 「了解です」

 

 言葉と共に階段を降り早足で先を行くみんなの下へと追いつくと、適当に話題を選び目的の場所を目指す。そうして荷物を運び終え先程蓉子さまからの言葉をそのままみんなに伝える。

 いいんちょと運動部の子は即答で返事をくれ、トップの子たち三人は行きたいけれど前回の事もあり迷っている様子。あの蓉子さまのことだから、その辺りのこともきっちりと考えてくれているだろうと少々強引に三人を説得して、薔薇の館へと戻るのだった。

 

 「みんなお疲れさま。青薔薇さまが無茶を言ったみたいでごめんなさいね」

 

 片眉を少し上げながら笑い、最後尾にいた五人に声を掛ける蓉子さま。どうやら戻るタイミングを見計らっていたようで、お茶の準備はほぼ終えており聖さまは窓の桟に腰かけて先にコーヒーを飲んでいた。この状況で音頭を取るのは蓉子さまなので、最後の仕上げは一年組である祐巳さんと志摩子さんと私だ。五人はお客様になるので、蓉子さまに導かれて席について雑談を始めている。

 何を話しているのか興味が湧き耳を傾けていると、学園生活についてだった。純粋培養組であるいいんちょたちにそんな質問をして得るものはあるのかどうかは分からないけれど、おそらく彼女たちの緊張を解きほぐそうとのことだろう。いいんちょと運動部の子は照れながらも受け答えがしっかりとしているから心配はいらないが、問題は残りの三人である。流石に上級生に喰ってかかることはないだろうし、前回のことは反省しているのだし何も心配はしていないが。

 

 お茶を淹れて各人に配り終えて自分の席につくと同時、祐巳さんが忙しない表情をしている。おそらくあの事を気にしているのだろうけれど、私は彼女に気にしていないと告げてある。ただ今回の短い荷物運びの時間で、トップの子たちからぶっちゃけた会話を繰り広げていた。曰く山百合会に唐突に現れた祐巳さんを嫉妬していたし、長期間山百合会のお手伝いとして出入りしていた志摩子さんにも同じ気持ちを抱いていたこと。

 前回の一件で彼女たちはいろいろと思うことがあったようで。短い時間ではあったけれど祐巳さんや志摩子さん、そしてトップの子たち三人は少々ぎこちないが打ち解けていた。ついでにいいんちょと運動部の子も。嗚呼、青春だねえと一番後ろでその微笑ましい光景を見つめていた私を『樹さんも他人事じゃないよっ!?』と祐巳さんに怒られてしまったが。

 

 「あ、あのっ! 紅薔薇さま、白薔薇さまっ」

 

 カップの中の紅茶があと一口となる頃に、不意に祐巳さんが声を上げる。

 

 「ぅん?」

 

 「どうしたの、祐巳ちゃん」

 

 カップに口を付けようとした直前に声を掛けられたために祐巳さんの言葉に短く答えた聖さまと、微笑みを携えて返事をする蓉子さま。この状況で祐巳さんが声を上げるのは珍しいなあと、私は沈黙したまま様子を伺う。

 

 「あのっ! 以前に彼女たちが行ったことをどう――」

 

 「お、お待ちください、紅薔薇の(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン) つ ぼ み の 妹 (・プティスール)

 

 祐巳さんの言葉を遮ったのはトップの子だった。彼女はおもむろに椅子から立ち上がると、続いて友人である二人も立ち上がる。心なしか手が震えているように見えるのだけれど、大丈夫なのだろうか。少しの沈黙のあと、トップの子が薔薇さまたちに伝えたことは前回の件、ようするに私に迫ったことについて。そうして迷惑を掛けたことに頭を下げるのだけれど、薔薇さまと私にも思惑があったからある意味で痛み分けなのだ。

 そのことを知らない彼女たちに蓉子さまが事の経緯を話すと、目をひん剥いた。ま、憧れの薔薇さまがある意味で腹黒い部分を持っていたことに驚いたのだろう。事の真相はこういう場でもなければ、知る機会はなかっただろうし良い機会だったのだろう。あの計画の首謀者である黄薔薇さまが不在だから、どういう意図で組まれたのかは謎のままであるが。

 

 「その件に関しては私たちも悪かった部分があるのだから、決して貴女たちだけの責任ではないわ」

 

 「だね。――紅薔薇さま」

 

 「そうね、白薔薇さま」

 

 蓉子さまと聖さまが視線を合わすと、おもむろに立ち上がりゆっくりと頭を下げるのだった。それを見たトップの子たち三人は恐縮しまくり、残りのメンツは驚愕してる。

 三年生が一年生に頭を下げることなんてまずありえないから、驚くのは当たり前なのだろう。残り少なくなった紅茶をずずずと飲みながら、他人事のように見つめる私の場違い感が半端ない。

 

 「申し訳ないのだけれど、貴女たちのお姉さまにも伝えて貰っていいかしら? 本当は直接言った方が良いのでしょうけれど、機会がなかなか取れなくて……」

 

 学年が違うし、噂として流れている手前会い辛いのだろう。妙な憶測を立てられて困るのは、薔薇さまたちよりも事件を引き起こした首謀者になっているトップの子のお姉さまにはマイナスにしかならないだろうし。

 

 「は、はいっ! きちんとこのことを伝えますっ!」

 

 あの件を掘り返すことはトップの子たちにとってかなりの重圧だったはずだし、少し前の彼女たちならばこんなことはしなかったはずだ。見ていることしかしてこなかった人たちが、こうして一歩踏み出せたことは彼女たち自身が何か変えようとした証拠なのだろう。緊張の解けた様子に安堵しながら、蓉子さまと聖さまに小さく会釈すると、少し困った顔で笑っていた。

 何にしろ、これで彼女たちの学園生活が明るいものになるのなら、無理矢理に薔薇の館へと引き込んだ甲斐があるものだと、嬉しそうに薔薇の館を去っていくトップの子たちと、いいんちょと運動部の子の背を見送るのだった。

 




 7602字

 トップの子たちの話を入れるつもりはなかったのですが、この話をするならば黄薔薇さま不在でも早い方が良いかなということで急遽入れました。
 久方ぶりの投稿なので、雰囲気が変わっていたら申し訳なく。┏○))ペコ ちなみにストックは全然溜まっていませんので、皆さまの反応次第で作者のモチベが上がり下がりしますのでお手柔らかに。


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第四十九話:試合と手術本番

 私が青薔薇としていいんちょたちを無理矢理に薔薇の館へと引き込んで手伝って貰ったことが、いろいろと波及して私の下に『お手伝い』アピールをする一年生が増えたことに困惑すること数日。そんな子たちを適当に『機会があれば、いずれ』と躱しながら、何処でお弁当を食べようかと学園内をウロウロと彷徨っていた時だった。たまたま通りかかった剣道場。そこには制服姿で竹刀を素振りしている令さまの姿が。

 

 ――うわっ……大丈夫かなあ。

 

 必死の形相で竹刀を振っているものの、そこから伝わる雰囲気はがむしゃらに振り下ろしているだけのように見える。剣道について詳しくはないが、身が入っていないという表現が一番手っ取り早いだろうか。

 どうしたものか、と考えながら暫く覗き見を続けていると視界の端に祐巳さんの姿が見え、何かを考えている雰囲気を醸しながら一つ頷いて令さまに声を掛けていた。あまり出刃亀をするのはよろしくないだろうと、視線を外して剣道場を去る。祐巳さんの性格を考えるに、見かねて令さまに声を掛けたに違いない。由乃さんの気持ちを十分理解している祐巳さんだし、令さまと由乃さんの関係を一番心配しているのも彼女だから任せてしまっても大丈夫だ。

 

 黄薔薇革命の余韻も収まらぬ学園内と、江利子さまが熱で休んでいる真っ最中に、由乃さんの手術と令さまの試合当日の土曜日がやってきたのだった。

 

 由乃さんが来られない代わりに令さまの試合をみんなで観戦しようと、黄薔薇ファミリー以外の山百合会メンバーが薔薇の館に集まっている。江利子さまは熱を出し学園をしばらく休んでいるので来られない。ある意味、お家騒動中だというのに間が悪いというか、なんというか。

 あの人ならば由乃さんと令さまの関係を理解した上で、プラスにもマイナスにもなりそうなことを仕出かしそうだけれど。ま、居ない人に期待しても仕方がないし、体調不良というのならばきっちり治して、早く学園に復帰して欲しいのだ。いつも居るはずの人が居ないというのは、少し物寂しさを感じるのだし。

 

 紅と白の姉妹同士で雑談に興じている中、私はひとり窓際で外を眺めながら、期末試験が近いなあと憂鬱な気分に陥るのだった。

 

 「さて、そろそろ時間だし行きましょうか」

 

 腕時計を覗き見た蓉子さまが第一声を放つと、雑談に興じていたメンバーがこくりと頷いて席を立つ。

 

 「あ、すみません。野暮用で一度家に戻りたいので途中で別れますね」

 

 ひとり先に家に帰ってそれから試合会場へと足を向けることも出来たのだけれど、家族に事情を話した折に車で会場まで運んで貰える約束を交わしていた。それならば、そうそうみんなに遅れることはないし、下手をすればバスよりも早く会場に着くことも可能になるだろうと、薔薇の館でのんびりとしていたのだった。

 

 「あら、大丈夫なの?」

 

 「大したことではないので平気です。荷物を取りに行きたいだけですし、後からみんなに合流するので」

 

 「わかったわ」

 

 少し首を傾げつつも理由は問われず、ぞろぞろと揃って歩き出し私は最後尾を行く。

 

 「あ、そうだ樹ちゃん。お昼ご飯はどうする?」

 

 階段を降りる途中、振り返る聖さまに声を掛けられた。おそらくみんなはお弁当を持参しているか、どこかで購入するのだろう。会場が大きいと、移動販売で出店していることもある。寄り道禁止の校則があるけれど、こういう事情がある場合学園側は目を瞑ってくれる。

 

 「家で済ませてから行きます」

 

 「そっか、了解」

 

 にっと笑って聖さまは前を向く。一同階段を降り薔薇の館を出て、校門を目指す。学園内で憧れの山百合会メンバーが校門を目指して歩く、という光景はそうそうないらしく周囲からの視線を感じる。時折『ごきげんよう、みなさま』と声を掛けられて、こちらも返事を返すのだけれど、蓉子さまと聖さま、祥子さま辺りの反応が面白い。三年生と思われる人たちは落ち着いているし、おそらく二年生であろう人たちも落ち着いている。そして一年生は通り過ぎたあとに、一緒に歩いていた学友ときゃっきゃと騒いでいるのだ。

 もし私が最上級生となったとき青薔薇の称号を維持していれば、こうなってしまうのだろうか。こういう注目を浴びるのは面倒だなあと遠い目になりながらバスへと乗り込み、家近くのバス停で下車して足早に家を目指す。

 

 「ただいま」

 

 「おかえりなさい、樹ちゃん。用意は出来てるから手を洗ってからお昼ご飯にしましょうね」

 

 玄関へと足を踏み入れ、いつものように声を上げると母がリビングの扉を開けてひょっこりと顔を出し、笑顔で迎え入れてくれる。玄関の隅には父にお願いして用意してもらった四角く黒い鞄が。

 無条件で貸してくれたことに感謝をしながら、昨晩いろいろとレクチャーを受けたのだけれども、ちゃんと出来るかどうか少々心配である。その黒い鞄を横目に洗面所で手を洗いリビングへと入ると、母の言葉通りすでに昼ご飯の用意は済んでおり。手伝うことはないかと、椅子に座り手を合わせて母が作ってくれた料理を口へと運ぶ。やはり自分で作ったモノよりも、誰かが作ってくれたものの方が美味しい。母と軽く雑談をしていると玄関から『ただいま』と声がして暫く。

 

 「おかえり、兄さん」

 

 「おかえりなさい」

 

 「ただいま。――樹は制服のまま行くのか?」

 

 「うん。一緒に観戦する人が制服だから、私服だと逆に目立つだろうし」

 

 仕事を抜け出してきた兄が苦笑いしスーツのネクタイを緩めながら椅子へと座り、手を合わせてご飯をかき込み始める。有難いことに、一度家に戻ることを伝えると『会場まで車で送る』と兄が申し出てくれたのだった。仕事を中断させて悪いないと思いつつも、リリアンの制服だと目立つし注目を浴びるからこれ幸いにとばかりにお願いしたのだ。

 早々に食事を終えた兄と一緒に荷物を抱えて家を出て車に乗り込み、流れる街並みを眺めていれば、会場へと辿り着く。礼を兄に伝えると、あまり遅くなるようなら迎えに行くから連絡をと伝えられ別れたのだった。

 

 ◇

 

 試合会場となる武道館では、応援に来ている学生たちや保護者の姿が行き交っている。私も主道場を目指しエントランスホールへと入り歩を進めながら、別れたみんながどこかにいないかときょろきょろと視線を動かしていた。

 

 「あれ?」

 

 ふと見知った姿が視界に映り、声を上げると相手も私に気付いた様で。

 

 「ん? 鵜久森じゃん。夏休み以来だな」

 

 「うん、久しぶり。あれ、また背伸びてる?」

 

 にぃと笑い、おそらく部活仲間であろう人たちの輪の中から抜けずけずけと近づく道着を着込んだ少年は、中学時代の友人の一人だった。

 どうやら成長期のようで、以前に会った夏休みの時よりも視線の位置が高くなっているし、幾分か声が低くなっている気も。短い髪に濃い顔立ちに目つきが悪いので、初対面だと尻込みするかもしれないが、気のいい奴である。

 

 「ああ、まだ伸びてるな。感が狂うから、そろそろ止まって欲しい。つか、鵜久森は変わんねーな。髪が少し伸びたくらいか」

 

 私の成長はもう止まっているので、変わった所は彼が言った通り髪が伸びたくらいである。少し羨ましいと苦笑しながら目の前の友人と対面したのだった。

 

 「だね。――話は変わるんだけれど、リリアンって剣道強いんだっけ?」

 

 道着を着込んでいることから分かるが、彼も今日の試合に出場するのだ。剣道の特待生としてとスポーツに力を入れている私立校へと進んだのだから、都内の剣道事情には詳しい。

 

 「お前……自分が通ってる学校だろうに。しかも応援に来たんだろーが。なんで知らねえんだよ……」

 

 大袈裟に溜息を吐き呆れながらも彼は都内の女子剣道部事情をつらつらと語ってくれる。状況が状況だったので山百合会のメンツに聞くのも憚られたし、興味がさっぱりと向かなかったという事もある。

 

 「へえ。そんなカンジなんだねえ」

 

 「興味ないことにはとことん関心がないつーのに、その荷物……相変わらず誰かの面倒をみるのに駆け回ってるのか」

 

 呆れ顔で私が下げる荷物を見る目の前の少年は、また大袈裟に溜息を吐くのだった。おそらく荷物の中身に当たりをつけたのだろう。中学生の頃、クラスメイトや同級生たちのいろいろな思春期特有の悩み相談を受けたり、男女の仲を取り持ったりと、なんやかんやで世話をして回っていた。

 

 「そんなつもりはないんだけれどね」

 

 「鵜久森はそう思っても、周りはお前に頼るからなあ。――損、すんなよ?」

 

 損をするなと言われても、損をしているつもりなんてないのだけれど。前世なんてものがある所為なのか、面倒事に巻き込まれたりしているけれど。ただ見ていられないというのもあるのだ。小さなことや言葉足らずですれ違って、それで終わりだなんて時もあるのだ。どうにかできる状況ならば、どうにかしたいと思ってしまうのだから。

 

 肩をすくめてその言葉を誤魔化した私を見て後ろ手で頭をガリガリと掻きながら彼は正面を捉えると、私との視線を躱して目を見開く。

 

 「うお」

 

 「ん?」

 

 微かに聞こえた『すっげー美人』と漏れた声に反応して後ろを振り向くと、見知った二人の姿が。こちらを興味深げに眺めていた友人の部活仲間が、ざわつき始めたのだった。

 

 「こんな所に居たのね」

 

 「探したよー」

 

 私が振り向いたことによって、蓉子さまが微笑み聖さまが無邪気な笑顔を浮かべてひらひらと手を振りながら歩いてくる。

 そういえば会場で合流すると伝えただけで、待ち合わせ時間や場所を決めていなかったと記憶を掘り返す。どうやらそのことで二人はわざわざ私を探していたようだ。申し訳ないことをしたなと思い小さく頭を下げると、いつもの様に聖さまが私の肩に腕を廻し体重を掛けてくるのかと思いきや、くいっと自分の体の方へ私を引き寄せ、何故か蓉子さまが一歩前に出る。

 

 「こちらの方は?」

 

 視線だけを寄こして私に問う蓉子さま。何かを警戒しているような、いつもよりも固い声色だった。

 

 「中学の時の友人です」

 

 「ども」

 

 私が敬語で喋っていることに何かを感じたのか、友人が頭を軽く下げた。お嬢さま独特の雰囲気に気圧されたのかどうかはわからないけれど、友人はいつもの鳴りを潜めさせて。

 

 「そうだったの。もしかしてお邪魔だったかしら?」

 

 私の言葉を聞いた二人は警戒を解いた。目の前の友人は、二人のあまりの美人具合に耳まで真っ赤にしている。思春期真っただ中の男の子だから、この反応は仕方ない。あからさまに鼻の下を伸ばさないだけマシだろう。ギャラリーに徹している彼の部活仲間はあから様に鼻の下を伸ばしているのだから。

 

 「いえ、平気です。そろそろ試合が始まるでしょうし、あまりゆっくりしていられないですしね」

 

 「ああ、そうだな。――俺も試合があるので、これで」

 

 「ごめんなさいね、せっかくの再会だったのに。試合、頑張ってね」

 

 「有難うございます」

 

 それでは失礼します、と深く頭を下げた友人は部活仲間と共に控室の方へと歩いていく。

 

 「後で応援に行くから、ちゃんと残っててよ」

 

 女子よりも男子の方が競技人口は多いから、おそらく良い所まで進むであろう彼の試合を眺めようと、背を向けた友人に聞こえるようにと声を掛ければ『おう』とこちらを振り返りもせず握りこぶしを肩の上あたりまで上げ、返事をくれたのだった。

 本当は冬休みのことも伝えたかったが、学園祭に呼んだ子から十中八九の確率で電話で連絡がくるだろう。肩に回された聖さまの腕は外れることはないまま、三人でメインホールへと歩を進め始める。

 

 「仲いいんだね、樹ちゃんと」

 

 「どうなんでしょう、仲いいんですかねえ?」

 

 先程の彼との仲は普通の筈だ。他にも時折一緒に遊ぶ男子は居るのだし、その人たちも彼と同様に接してるのだけれども、女子だけの学園に長く通う彼女たちはそう見えてしまうらしい。私を不思議そうに見ている聖さまと、苦笑を浮かべている蓉子さまの間に挟まれ歩いていると、リリアンの制服が物珍しいのか会場に訪れている人たちの視線が刺さる。

 

 「ほら、リリアンって女の子だけでしょ。だから男子と喋る機会なんて滅多にないから、距離感とか測りかねるって言えばいいのかな」

 

 「そうね。花寺との交流で生徒会の人たちと話をすることはあるけれど、ああして会話を交わすことなんて滅多にないもの」

 

 聖さまは幼稚舎からリリアンに在学しているそうだから、男子と喋る機会は余りないのだろう。蓉子さまは中等部からの編入なのだから、小学生の時にでも仲の良い男子とかいそうだけれど、どうなのだろうか。彼女の性格上、今と同様に小学生の時もクラスのまとめ役になって、いろいろとクラスメイトに掛け合っていそうなものだけれど、仲の良い男子は居なかったのかも知れない。

 

 「リリアンは女子生徒だけですからねえ。共学にでもなれば変わるでしょうけど……人気校だからまだ先のことでしょうし」

 

 「……リリアンが共学ねえ」

 

 「あまり想像が出来ないわねえ……」

 

 確かに女の園のイメージが強いから想像はし辛い。私の言葉に反応した二人は、微妙な顔をしていた。けれどこの先は少子高齢化社会と呼ばれ子供の数は確実に減るのだから、共学化も視野に入れていそうだけれど、リリアンの場合は花寺学院の存在があるから難しいかも。

 それでも外の大学や社会人になれば、関わることになるから早いか遅いかだけの違いなのだし、顔面凶器みたいなイケメンの柏木さんと対等に会話を交わすことの出来る二人だから心配は必要ない気もするが。

 

 「ところで樹ちゃん、目腫れてない?」

 

 「ああ、よく分かりましたね」

 

 ぐっと顔を寄せて聖さまが見つめる。彼女が言った通り、私の左目はものもらいによって少し腫れていて赤くなっている。目を細めたりすると少し違和感が走るくらいなのだけれど、痛いものは痛い。

 その言葉を聞いた蓉子さままで私の顔をまじまじと見つめ覗き込むものだから、周囲の視線が刺さる。今日の試合は交流試合とはいえリリアンの生徒も多いから、目立つ二人にこんなことをされると注目を浴びてしまうのだ。

 

 「あら本当。よく分かったわね、聖」

 

 「ふふーん。よく見てるでしょ」

 

 ドヤ顔を披露しながら蓉子さまに言葉を返す聖さま。その姿に呆れた顔をしながらも私に『酷くならないうちに病院に行きなさいね』と言い残す蓉子さま。そうこうしながら歩いていれば、直ぐにメインホールへと辿り着く。聖さまの疑問を煙に巻くと、一瞬だけきょとんとした顔をして直ぐに会場の客席をきょろきょろと見まわしていた。蓉子さまも同様にしているので、きっと山百合会のみんなを探しているのだろう。応援に来ている人たちが沢山いるから、今ここに居ないメンバーは席を確保してもらっていたのかも知れないと、二人に倣い私も客席を見回すと会場の片隅に蔦子さんと、新聞部部長の築山三奈子さまとその妹である山口真美さんの姿もあった。リリアンかわら版に載せるネタ探しも大変だなあと感心しながら、なるべく他の人に邪魔にならないようにしなければと、抱えた荷物を撫でながら見つけたみんなの下へと急ぐと、席に座っていた祐巳さんに『その鞄は?』と不思議そうに問われるのだった。

 

 「ビデオカメラだよ」

 

 そう答えていそいそと中身を取り出し、撮影の準備を始める。父から借りたこのビデオカメラの性能は最高級なので、素人でもそれなりのものが撮れる……はず。

 

 「もしかして、由乃さんの為に?」

 

 本当は由乃さんの手術の方にも顔をだそうと、祐巳さんと志摩子さんと私で相談していたのだけれど、由乃さんに『令ちゃんの試合を見届けて欲しい』と願われたので、最後まで観戦することになったのだ。

 今頃、由乃さんは手術室へと入り麻酔をかけている頃だろうか。

 

 「うん、そんなトコ」

 

 手術で試合を見られない由乃さんが元気になり、今日の試合を見たいと言えば一緒に鑑賞しようと考えてのことだ。令さまの御両親が応援に来ていれば、もしかすれば無駄に終わるかもしれないが、その時はその時なのだしと割り切れば良いだけ。とはいえ今日の試合の結果次第なのだから、令さまには奮起してもらわねば。

 

 「そっか」

 

 にっこりと笑った祐巳さんと私のやり取りを見ていたみんなの視線を感じながら、ビデオカメラをセットしていれば交流戦の一回戦が始まった。アリーナに八面設置された剣道場には各校の選手たちが所狭しと、自分たちの出番を緊張した面持ちで待っている。

 まだ一回戦だからか、手に汗握る展開なんてものはなく、実力のある部とない部の差が顕著に表れていて。剣道を習った訳ではないので詳しくはないが、空手なんてものを齧っていた為なのか試合の流れを目はそれなりに追えていたから、勝敗が決まる場面がなんとなく分かってしまう。

 

 回が進むにつれて客席もアリーナで観戦している部活の人たちも熱を増し。

 

 負けてしまったチームの子たちは、泣いている人の肩を支えて更衣室へと戻り、勝った子たちは喜びに包まれ次の試合の為の準備をしている……なんて姿をチラホラ見るようになる。先程会った友人の言葉通り『リリアン剣道部は都内で強い方』と聞いた通り危なげなく勝ち進み決勝へと近づくにつれ黒星がつくようになってきたが、準決勝もきっちりと勝ったのだから実際に強いのだろう。

 

 「それより祐巳。お姉さまとお呼びなさいと何度言えばわかるの?」

 

 大将戦で勝敗が決まった直後だった。祐巳さんがいつものように『祥子さま』と呼ぶと、名を呼ばれた本人が若干拗ねたような雰囲気を見せながら祐巳さんを咎め、その横にいた蓉子さまが微笑ましい顔で二人を眺めてる。祐巳さんが祥子さまの妹の座に納まってからの祥子さまはいろんな表情を見せてくれるようになったと感じてる。少しの変化なのかもしれないが、祐巳さんを切っ掛けに大きな変化が祥子さまに起こるような気がするのだ。勿論、良い意味で。

 

 「す、すみません。――これで決勝戦ですよねっ!?」

 

 決勝の対戦相手である太仲女子も強いと聞いているので、実力差がどこまであるのか。

 

 「強いわよ。決勝戦の相手――敵の太仲女子の大将は三段の実力者」

 

 「令さまは?」

 

 「二段よ」

 

 「それってどっちが強いんですか?」

 

 祐巳さんの言葉に微笑ましい笑みを浮かべたり、苦笑いをしたりと反応は人それぞれで。

 

 「……貴女本当にモノを知らないのね」

 

 祥子さまが深々と溜息を吐くが、興味がなければ段位なんて知らないだろう。自衛隊の階級だって『三佐』が少佐で『一佐』が大佐だもの。数が多い方が階級が高いのだろうと勘違いしていた昔が恥ずかしいが、知ろうとしなければ知らないままである。

 今回の騒動で図書館へと赴き『剣道 初級編』という本を借りて読んでみたのだけれど、剣道の場合段位は型が重視され実践での試験ももちろんあるけれどそれも強い弱いで判断される訳ではないため、段位で強さがわかるかというとあくまで指標に過ぎないと。とはいえ二段の合格率は高いが、三段から難度が上がり地域によっては合格率が非常に低い所もあるそうだ。本を頼るのならば絶望的な差はないと信じたいが、祥子さまが言った通りに相手が実力者ならば令さまは苦戦するのかもしれない。

 けれどその分、強敵を打ち破った時の何とも言えない感情は、次の高みへと繋がるのだから。そうして始まった決勝戦は白星二つに黒星二つ。最後の大将戦に全てを委ねられた令さまのプレッシャーは如何にと、アリーナを見つめる。

 

 「勝てる、かな」

 

 ぼそりと呟いた私の言葉に、こくりと頷く山百合会の面々。そしてアリーナで引き締めた表情で面を付ける令さまは、勝負師そのものだった。

 嗚呼、これは諦めてなどいない顔だ。これまで一緒に戦ってきた部員の人たちの思いや、リリアンと対戦して負けた相手の思いも、そして何より由乃さんの気持ちを背負っている。

 

 ――だから、きっと。

 

 静まり返ったアリーナで快音が響いたのは、それから暫くしてのことだった。

 




 7935字

 次話更新は来週の日曜日(2021/04/11)の予定です。

 この話で由乃さんの手術が終わっていたハズなのに、どうしても話が助長になってしまう(苦笑


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第五十話:余韻と復活した人

 女子の試合が終わり、由乃さんの手術はどうなったのかと気になる所ではあるが、大勢で押しかけても病院やご家族に迷惑が掛かるだけだし、週明けに令さまに結果を聞いてそれからお見舞いの日を決めようと祐巳さんと志摩子さんと私で相談していた。その為に試合が終わってしまえば特段することもなく、いそいそと持ってきていた荷物やらゴミを片している時だった。

 

 「樹ちゃん」

 

 声を掛けられて顔を上げるとそこには聖さまが。女子の試合が終わった為に、席を立ち移動している他の人たちがいる為に、周囲は少しばかり騒がしい。

 

 「せ……――どうかしましたか?」

 

 彼女の名前を呼びそうになったが流石に学園外だし、リリアン以外の同年代の子がまだたくさん残っている会場の中で『さま』付けで呼ぶのは恥ずかしいが為に言葉を飲み込んだ。そんな私に彼女は気付かなかったようで。

 

 「男子の試合、見に行くんでしょう。私も着いて行っていい?」

 

 「構いませんが、冷やかしで見に行くようなものですし時間を無駄にするだけかもしれませんよ」

 

 もう既に負けている可能性だってある。私の言葉を聞いて一瞬きょとんとしたあと破顔した聖さまが口を開く。

 

 「興味本位だから無駄になっても大丈夫。さっきも言ったけれどリリアンって女の子だけだから、共学の子たちがどんな感じなのか気になってね」

 

 「はあ」

 

 返事をおざなりに済ませると、それを聞いた聖さまが苦笑する。私はどちらでも良かったし、そもそも客席への立ち入りは自由なのだから断る理由などない。ならば、キチンと返事をした方が良いかともう一度口を開こうとした時だった。

 

 「聖、樹ちゃん」

 

 声がした方へと顔を向けると、そこには蓉子さまが。

 

 「どうしたの?」

 

 「男子の方の試合を見に行くのでしょう。私も一緒にいいかしら?」

 

 隣で帰り支度をしていた祥子さまと祐巳さんがその言葉を聞き、どうして男子の試合を見に行くのか理由が分からない為に首を傾げていたのだった。

 

 「ん、蓉子も?」

 

 「ええ」

 

 私も私で、蓉子さまが男子の試合にどうして興味を示しているのか分からず、つい聖さまの方へと顔を向けると彼女も私の顔を見る。そんな私たちを見た蓉子さまが苦笑しながら理由を答えてくれた。

 

 「まだ時間はあるし、樹ちゃんを一人で帰らせるわけにもいかないでしょう?」

 

 まさかこんな所で蓉子さまの生真面目が発動するとは。遅くなれば家族が迎えに来てくれることを伝えるのを失念していたことを後悔しながらも、今更伝えるのも気が引ける。本当に遅くなってしまえば、家族に頼んでみんなを送ってもらえばいいかと考えていると、聖さまが先に口を開く。

 

 「リョーカイ。それじゃあ、蓉子も一緒に行こうか」

 

 「貴女たちはどうする?」

 

 横に居た祥子さまと祐巳さんに声を掛けた蓉子さま。その横でこのやり取りを見ていた志摩子さんに聖さまが近づいていく。

 

 「……――お姉さまが行くのでしたら」

 

 少し言いよどんで祥子さまが了承の返事をくれた。男子が苦手だと聞いているからあまり気乗りしないが、姉である蓉子さまが居るのならばという所だろうか。蓉子さまもその辺りのことを含めて声を掛けていそうではあるが。

 

 「わ、私も行きます!」

 

 祥子さまLOVEの祐巳さんは、少しの時間でも一緒に居たいが為に否とは言わず。

 

 「志摩子も行こうよ」

 

 そう言いながら聖さまは志摩子さんの両肩に両手を置いて。

 

 「はい、お姉さま」

 

 聖さまの言葉を志摩子さんが逆らうはずもなく。結局、女子の試合を観戦していた山百合会メンバー全員が男子の試合を観ようと移動を開始した途中、自販機に寄りスポーツ飲料の350mL缶を二本購入して鞄の中へと仕舞い込み一階席へと戻る。女子の試合が終わって直ぐの所為か、そこから異動している人も多く少しざわついた中。どうやら男子の試合は休憩を挟んでいるようで、設置された道場の中で試合が行われていない。

 張り出されているトーナメント表を目を凝らしてみてみれば、準々決勝は終わっているようで次は準決勝のようだ。きょろきょろと周りを見渡すと、アリーナに一番近い最前列が運よく空いていた為にそこへと座ると、目敏く先程再会した友人がアリーナからこちらへとやって来たので、私も席を立ち彼の側へと寄る。

 

 「順調?」

 

 「おう。次は準決勝だ」

 

 「そっかそれは良かった」

 

 「鵜久森……悪いんだが、鵜久森の連れの人たち紹介してくんね?」

 

 「へ」

 

 剣道一筋の彼が珍しいことを言うものだと抜けた声を出しながら不思議に思っていると、こちらを見ている視線に気が付き顔を向ける。

 

 「あー、なんだ……」

 

 その先には同じ部活の人たちがたむろしており、こちらを興味深そうに見ている。そして言いよどむ友人を見て嗚呼そういう事かと納得して、さてどうしたものかと考える。彼女たちを紹介するのは構わないけれど、同年代の男子に余り慣れていない彼女たちはあまり快くは思わないはずだ。

 

 「……そうだねえ。優勝でもしたら()()()よ」

 

 恐らく試合前に話していた所を見た先輩にでも言われたのだろう。運動部なんて上下関係が厳しい所があるし、無茶を言われて反論も出来なかったのだろう。友人の学校の剣道部がどこまで強いのかは知らないけれど『考える』と逃げ道を用意しておいたから、これで彼の苦労も少しは和らぐだろうか。

 

 「すまんな。そうしてもらえると助かる」

 

 ガリガリと短い髪を掻く友人は困った顔をしていた。

 

 「ん。ここまで来たなら優勝したいよねえ」

 

 「だな」

 

 「気張ってね」

 

 久しぶりに会ったとは思えない短いやり取りをして戻っていく彼。仲間たちと合流して暫くすると、その一団がわっと盛り上がる。恐らく、友人が『優勝したら紹介してもらえるかも』とでも伝えたのだろう。現金な理由になるけれど、それが優勝の原動力になるのならばなんでもいいのかもしれない。

 

 「何話してたの?」

 

 開いていた聖さまの席の隣に座ると、私たちのやり取りと彼が所属する剣道部の盛り上がりぶりを見ていたのだろう。不思議そうにしている面々を代表して聖さまが質問してきた。

 

 「あー……みんなを紹介してくれって頼まれました」

 

 肩をすくめて笑う私に一瞬言葉を理解できなかった面々。少し時間を置くと理解が出来たのか、驚いた顔に呆れた顔、嫌悪をありありと見せた顔にもしそうなった時にどうすればいいのか分からないという顔。それぞれに反応が違うので面白い。

 

 「なんでまたそんなことを樹ちゃんに?」

 

 「普段お近づきになれないお嬢様校の生徒で、私以外はみんな顔が良いんですよ。そりゃどうにかして知り合いになってあわよくば……って考えるでしょうね。ああ、時折M駅とかに無駄にたむろしてる男子高生と一緒なのかな」

 

 高嶺の花であるリリアン生であり、私以外は綺麗とか美人に可愛いと分類されるような人たちが揃っていれば、どうにかして縁を持ちたいと思うのは当然で。リリアン女学園の最寄り駅では、どこだかの男子高生がたむろしている時がある。リリアン女学園側もそれを認知しており、生徒に注意を促しているので問題になったことはない、らしい。

 

 「ふーん。で、樹ちゃんはどうするの?」

 

 言葉にはしなかったが紹介をするのか気になるのだろう。相手は全く知らない男子だし、もし自分が逆の立場になったのならば面倒だとか嫌だなとか、確実に思うはずだから。

 

 「断りますよ。優勝したら考えるって伝えましたし、紹介しなくても問題はないでしょう」

 

 「純情な男心を弄ぶ悪い子だなあ、樹ちゃんは」

 

 にぃと笑うと、私の意図に気付いたのか聖さまはにぃと同じような顔をして言葉を返してくれ。そんなこんなのやり取りをしているうちに準決勝が始まる。どうやら友人のチームは滅法気合が入っているようで、順調に勝ち進み決勝戦を迎え。流石に対戦相手は強い所なのか、先鋒で出場した友人は勝ったもののその後が続かず結局準優勝となる。

 試合で負けたことの落ち込み具合よりも、何故かこちらを見つめて悔しそうな顔をしている面々が多数いし、優勝した方の人たちもこちらを見ているのだけれど理由が分からない。がっくりと項垂れる男子たちの中、友人が背を押されてこちらへとまたやって来る。

 

 「ごめん、センパイ……」

 

 なんだか振り回されている友人が不憫になってきた私は代替案を思いつく。

 

 「ん、え、私?」

 

 「まあ、誰でもいいんですが……これ、アイツに投げて貰ってもいいですか」

 

 いつもの呼び方ではなかった為に少し戸惑いながら返事をした聖さまに、カバンから取り出したスポーツ飲料缶を二本を渡して、こちらへとやって来た友人を親指で指す。

 

 「いいけれど……。蓉子」

 

 間延びした声で蓉子さまを呼び、持っていた缶のうち一本を渡した聖さま。

 

 「私も?」

 

 「あー……すみません。お願いします」

 

 疑問の声に、私が言葉と共に頭を下げると『仕方ないわね』と苦笑して席を立った蓉子さまと同時、一緒に聖さまと私も席を立ちあがり友人の側まで行く。

 

 「努力賞ってことでっ!」

 

 私の言葉を聞いたと同時、聖さまが缶を投げたあと、少し遅れて蓉子さまも投げる。

 

 「すまん、助かる。――みなさんも騒がせて申し訳ありませんでしたっ!」

 

 軽く私に目くばせをした後に深々と二人に向かって友人は頭を下げて仲間の下へと戻っていくと、弱肉強食のスポーツ飲料缶の奪い合いが勃発していた。その光景を驚いた様子で見る蓉子さまにやれやれといった感じの聖さま。座っていた場所へと戻ると、みんなも呆れた顔をしており。

 

 「……男って馬鹿ねえ」

 

 ぼそり、と呟いた祥子さまの声が聞こえてきたのだった。

 

 ◇

 

 由乃さんの手術と令さまの試合が終わった週明けの月曜の朝。祐巳さんと志摩子さんと私で朝一番で令さまに手術の結果を聞きに行こうと、待ち合わせをしていたのだった。

 もしかすれば由乃さんに付きっ切りで看病しているかもと危惧したが、流石に由乃さんのご家族が居るのだし学生は学業が本分なのだから来るだろうと結論を出していた。由乃さんや令さまが登校する時間の少し前、校門で待ち伏せをして令さまを取っ捕まえたのだった。

 

 「令さまっ! 由乃さんの手術はっ!?」

 

 開口一番、祐巳さんが令さまへと本題を投げると、すわ何事かと構えていた令さまが納得した様子をみせ力を抜く。

 

 「無事に終わって何も問題はないそうだよ。由乃も目が覚めて今は普通に会話が出来るって」

 

 「そうですか……。よかったぁ」

 

 安堵の溜息を吐く祐巳さんと志摩子さん。いまだ顔の晴れない令さまは、まだ由乃さんのお見舞いには赴いていないようだ。今日は手術の結果だけ聞ければ十分なので、令さまと別れそれぞれの教室へと向かい、時間が流れ。

 

 ――翌日。

 

 薔薇の館。仕事前に由乃さんのお見舞いに行きたいと一年生三人で令さまに相談をすると穏やかに笑う令さま。あ、これは仲直りが出来たか復縁出来たかどちらかだろうなと安心し、ふと思い出す。

 

 「そういえば江利子さまは、大丈夫なんですか?」

 

 未だ姿を見せない彼女を思い出し、本題からそれてしまうが令さまならば何か知っているのではないかと聞いてみる。

 

 「え、お姉さまがどうかしたの?」

 

 嗚呼、由乃さんとの問題で姉である江利子さまがここ最近休んでいたことを令さまは知らなかったようだ。その事実を知った令さまが急に落ち着きをなくしていき。知らなかったのは仕方ない。ずっと一緒に過ごしてきた由乃さんの一大事と剣道の試合も重なったのだから。

 

 「ここしばらく熱を出して学園を休んでますよ」

 

 私をからかう人が居ないので、静かではあるが何故か落ち着かないのは、私が山百合会に馴染んでしまった証拠なのだろうか。

 

 「だ、大丈夫なの?」

 

 がくがくと目の前にいた祐巳さんの肩を令さまが揺らして取り乱しているけれど、今一番大丈夫じゃないのは目を廻している祐巳さんだ。南無、と念仏を祐巳さんに向けて唱えながら『そのうち登校するでしょう』とおざなりに答える。ただの熱なら回復すれば学園へと足を向けるようになるだろう。受験生だし、出席日数が足りないと困るのは江利子さまなのだ。それに今回の出来事を知れば悔しがるだろうし、と遠い目になる。

 

 「樹ちゃん、酷いよ。もう少しお姉さまのことも心配しても良いんじゃないかな!?」

 

 「江利子さまなら熱も楽しんでいそうなので……」

 

 うん、あの人ならば熱にうなされながらも楽しんでいそうである。本当に不味い状況ならば学園に連絡が入っているだろうしと考え、それはそれとして由乃さんのお見舞いである。脱線させたのは私だけれど、この話題を続ける訳にもいかないので元に戻してみると、退院時期も決まっているようでタイミングを見計らってお見舞いに行こうと決めたのであった。

 

 ◇

 

 どうやら江利子さまが学園へと登校したらしい。そうして放課後に薔薇の館へと呼び出しを喰らう我が一年三人組。ちなみに由乃さんはまだ入院中ではあるが、もうすぐ退院日を迎える。

 

 「全部話しましたってば、黄薔薇さま……もういいですか」

 

 再三の質問攻めにお人よしの祐巳さんも流石に匙を投げたようだ。まあ説明を祐巳さんに任せた私がいう台詞でもないけれど、今はどうにも頭が回らない。

 

 「――祐巳ちゃん。それに志摩子と樹ちゃんも……」

 

 真剣な眼差しでこちらへと視線を向け、ごくりと祐巳さんが息をのむ。

 

 「私はねこの二週間話題に置いて行かれ、あろうことか可愛い妹たちの危機だって気付かずに過ごしてきたの。その分を早く取り返したいと願うのは当然のこと――だと思わない?」

 

 にっこりと微笑んでいるけれど、この人の場合の優先度は『面白さ』である。今回の騒動も火に油を注ぎ込めなかったことから、一部始終を聞き出して何か興味を引くことがあれば、きっと由乃さんや令さまに突っ込んでいくのだろう。

 ちなみに蓉子さまと聖さまと祥子さまは逃げた。今日の放課後は雑用があると告げていたけれど、急に『明日にしましょうか』とにっこり笑いながら言い放ち逃げたのだ。私も一緒に逃げたかったのだけれど、祐巳さんと志摩子さんに腕を掴まれ。流石にこの二人の手は振りほどけないと観念し、今の状況に至る。

 

 「あの……黄薔薇さま」

 

 「なあに?」

 

 大体のことは聞き出せたのか、機嫌が良さげな江利子さま。

 

 「あの、ですね……そのぅ……」

 

 祐巳さんが何かを江利子さまに何かを問おうとしているけれど、言い辛そうにしている。祐巳さんのこういう所は珍しい。最初は緊張して言い出せないこともあったけれど、学園祭から時間が経ち随分とその状況は改善されていたのだから。

 

 「――もしかして、祐巳ちゃんも私が妊娠したと思った?」

 

 「黄薔薇さま妊娠してらっしゃったんですかっ!!?」

 

 ぶっ、と口に含んでいた紅茶を吹き出すところを寸でで阻止すると、少しむせた。そんな私を気遣って、志摩子さんが『大丈夫?』と声を掛けてくれて大丈夫と返すのだけれど、反応の薄い志摩子さんは今の言葉をどう思ったのだろうか。てっきり虫歯を直した後に体調を崩していただけだと軽く考えていたのだけれど、いつのまにそんなことになっていたのか。

 

 「しているわけないじゃない。相手もいないのに」

 

 とばっさりと疑惑は否定され。

 

 「歯医者の診断書。見せて回らなきゃいけないのかしらね」

 

 どうやら歯医者が苦手で、誰にも言えないまま痛みをずっと我慢していたそうだ。そうして痛みを耐えている娘を見かね救急車を呼び病院へと運びこまれたと。入院するほど酷いものではないけれど、ご近所の手前熱が下がるまで入院させられた、と。

 

 「いいお父さんじゃないですか」

 

 「どこがよ」

 

 「――愛している人の為ならみっともなくなってしまえるところ、かな」

 

 「ものはいいようねえ」

 

 「手厳しいですねぇ」

 

 ほのぼのと会話を交わしている二人。江利子さまは祐巳さんの言葉を否定しているけれど、良い言葉だ。年頃の娘さんが父親に対してそんな言葉を言えるのは、真っ直ぐに育った証拠なのだろう。まさにリリアンの理念にふさわしい。そういえば祐巳さんは幼稚舎から通っていたと聞いたなあと遠い目になる。

 

 「で、樹ちゃんのソレはどうしたの?」

 

 「ものもらいで切りました」

 

 私の左目には眼帯が付いている。

 

 ここ最近気になってはいたのだけれど由乃さんの手術と令さまの試合頃から酷くなり腫れてしまった。休んでいた江利子さまは知らないだろうけれど、昨日はみんなに『大丈夫!?』と声を掛けられていた。そのくらい分かるほどに腫れていたのだ。

 そうして今日の午前中は学園を休んで母と眼科へと赴き『切りましょうね』と告げられて、そのまま寝台へと直行である。何をされるのかまったく覚悟のないまま、点眼薬の麻酔を刺され『痛いけれど我慢してくださいね』と言われながら、肩を看護師さんに抑えられてメスで切られたのだ。

 

 「いつから?」

 

 「一週間と少し前ですね」

 

 「貴女、人のことは言えないんじゃないかしら?」

 

 早く歯医者に行けと告げたことを根に持っているのだろう。我慢したことをここぞとばかりにくすくすと笑いながら突っ込んでくれた。江利子さまと私の会話についていけない二人が首を傾げるけれど、お互いにあまり知られたくはないのでスルーする。

 

 「そうですね。でも、もう一生切りません」

 

 「あら、どうして?」

 

 「ものもらいを切られた痛みを耐えるなら、腫れた痛みを耐えた方がマシです。マジで痛いですから」

 

 いや、本当に痛かった。声にならない声は出るし、押さえつけられているので身動きは出来ないし、点眼薬の麻酔は気休め程度だったのだから。

 

 「そう。――令の試合も観れなかったし、貴女のそんな姿も見えなかっただなんてタイミングが悪かったのね」

 

 そういって苦笑いをする江利子さま。

 

 「あ、令さまの試合なら樹さんがビデオを撮っていましたよ」

 

 祐巳さんのその言葉に江利子さまの目の色が変わるのは一瞬だった。あれよあれよという間に言いくるめられて、何故か我が家に江利子さまが遊びに来ることになるのは、祐巳さんが言葉を発した時点で確定事項だったのかもしれない。

 

 




 7150字

 聖さまは興味本位で男子の試合を観るためにオリ主に着いて行き、そしてそんな聖さまが気になるが為に聞き耳を立て、適当に理由をでっち上げた蓉子さまがエモいなあと考えつつ書いてたら、なんだか方向性が……。まあ祥子さまの最後の言葉で満足です。

 余談:ものもらいを切ったのは痛かったです。


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第五十一話:唯一の楽しみと試験間近

 一日の学園生活の中で一番の楽しみと言えば、やはり昼食である。食い意地が張っている身としては特に。

 

 朝、お弁当を作ろうと台所へと入り、視線の先にあった炊飯器。いつもと何かが違う違和感に襲われ凝視していれば、スイッチが入っていないことに気が付き、ふたを開けると光り輝く銀シャリではなく、水を張ったままの硬く冷たい米が鎮座していた。早炊き機能もついていないものなので流石に間に合わないと後悔の念に苛まれるがこればかりは仕方ないと諦め、起きてきた家族みんなに平謝りをして家を出たのだった。

 そうして訪れた昼休み。いつもは寄り付かない売店前。リリアン女学園という良家の子女が通うこの学校で、おおよそ見ることはない目の前の光景に溜息を吐く。急げと言わんばかりに人だかりが出来た一群にめまいを覚え。我先にと行く子たちを横目で見ながら、この様子ではいいものは残っていないだろうと落胆する。まさか食べることが好きで空腹嫌いの私が、うっかりミスを犯してしまうなど。

 とはいえ数日間まともに食事をとっていないなんて事態には陥っていないのだからマシな方だし、予定外に外に出て昼食をとらなければいけないことになった父と兄と姉の方が大変だろう。

 

 「はあ」

 

 眺めていても仕方ないと、最後尾に並ぶべく足を一歩踏み出そうとしたその時だった。

 

 「あれ、珍しいね。樹ちゃんがこんなところに居るだなんて」

 

 声を掛けられて振り返ると、そこには小銭入れを掲げて軽く笑っている聖さまの姿があった。

 

 「ごきげんよう、聖さま」

 

 「はい、ごきげんよー。眼帯、とれたんだねえ」

 

 からからと笑っていた顔から眼を細めて穏やかな顔に彼女はなる。そこまで酷い状態ではなく、切っただけに留まっていたので眼帯は一日で取ってよいと眼科医から言われていたので、念の為に寝ている間は付けたままで、朝外したのだ。

 

 「その節はご心配をお掛けしました」

 

 令さまの交流戦の日に私のものもらいに気が付いた彼女には、その日以降何かと気にかけて貰っていた。私が目薬をさすことが好きではなく苦手としていることを知った彼女。昼休みに持っていた市販の目薬をどこからともなく取り出して『上を向いて』と言い放ち、嫌だと逃げる私を強制的に椅子に座らせてから注し『目、ぱちぱちさせちゃ駄目だよー』と何気に正しい点眼の仕方を教えてくれたりと。

 しかめっ面で目薬からどうにか逃れようとしていた私を見た蓉子さまが『楽しそうね』と笑みを浮かべ、放課後に同じことをされ。周囲はうらやましそうに見ているか、呆れているかのどちらかだったが。

 

 私の言葉を聞き『良かった』と零し頭を軽く撫でられ。

 

 「――それで、どうしたの?」

 

 確かに私はこの時間、この場所には寄り付かない。この場所のこの時間は生徒が沢山いることを知っているし、用事はないのだから。少しばかり説明するのにどうしたものかと考えたが、彼女であるならば包み隠さず喋っても笑って済ませてくれるかと事の顛末を話し、そしてここに居る生徒たちの気迫に押されていたと述べると意外だと言わんばかりの顔になる。

 だが考えて欲しい。昼休みに飢えた少女たちが美味しいものにありつこうと、闘志を燃やしているのだ。そこに慣れない人間が唐突に挑んでも負けてしまうのは明白だし、横入りでもしようものなら恨みを買いかねない。

 

 「あはは、空腹嫌いの樹ちゃんが。でもお弁当を自分で作ってたのは意外だなあ」

 

 炊飯器のスイッチを入れ忘れた理由は色々とある。ものもらいを切ったことに、休むべき時に試験が近いからと無茶をしたこと。人様よりも食い意地が張っているのは自覚しているし、空腹にも耐えられる自信はないので気を使っているのだが、本当に偶然が重なったのだ。

 

 「当番制にしてるので毎日作ってませんし、片手間レベルで済ませてますから」

 

 母と交代でお昼に食べるお弁当を作っていることは、トップの子たちにしか伝えてなかったかもしれないと今更ながらに思い出す。

 

 「でも自分で作ってる子なんて少ないんじゃない? 一応、こんな学園だから一通りはできるけれど。――って、悠長に話している場合じゃなかった。進もうか、樹ちゃん」

 

 学生の本分は勉学であるし、親の庇護下にあるなら母親が大抵の場合作るだろう。私は、母が朝に弱いことと毎日作ってもらう事には気が引けるから、妥協案であるが。話しながら列に並ぶと彼女の存在に気が付いた子たちが『ごきげんよう、白薔薇さま』と挨拶をし律義に答える。少し違うことは時折『青薔薇さま、ごきげんよう』と私にも声を掛けられるようになったことだろうか。こういうことに慣れてはいないのでお弁当を忘れてしまうことを回避したかったのだが。

 

 「センパイ」

 

 「んー?」

 

 「役職名で呼ばれることに慣れるのって、どのくらいの時間が掛かりました?」

 

 本当に世間話程度、のものである。少し前までならばこんなことを聞いても答えてくれそうにないが、今ならば大丈夫という確信がある。私が彼女のことを知らない時期に触れてしまう可能性もあるが、頭の回転の早い人なのだから触れられたくないことは言わないだろうし。

 

 「面白い質問だねえ」

 

 「面白い、ですか?」

 

 「うん、だって誰もそんなこと聞いてこないんだもの」

 

 薔薇さまにそんなことを聞くのは確かに私くらいのものかと、聖さまの言葉に納得する。そもそも薔薇さまである彼女たちにくだらない質問を飛ばす生徒なんて皆無なのだから、こんなことを聞いてしまう私が無遠慮なのかもしれない。

 

 「――まあ君は突然薔薇さまになったから、慣れないのも仕方ない。私、というか私たちの場合だね。長く学園に通っていたこともあるからその言葉自体には慣れていたし、薔薇さまである姉を持った時点である程度の覚悟みたいなものは出来ていたから」

 

 薔薇さまになるには選挙があるとはいえ、ほぼ確定で薔薇さまの妹がなるそうだ。それに姉を持った時点で『つぼみ』もしくは『つぼみの妹』として未来の薔薇さまという目で見られていただろうし。

 なるほどと聖さまの言葉に納得するが、こうも安易に青薔薇の座についてしまったことを周囲はどう思うのか。署名活動で過半数を得たのだから、在校生の中の六割以上からは認められているのだろう。残りの四割弱が新設された『青薔薇』をどう思っているのかは謎のままだ。好ましく感じるのか疎ましく思うのかは、これから取るであろう私の行動にも影響されるわけで。面倒だと遠い目になりつつ、なるようになると安易に考える自分もいる。

 

 「満足できたかな?」

 

 「どうでしょう。そもそも周囲を固めて山百合会へと招き入れたのは、聖さまをはじめとした三年生ですし……」

 

 恨みがましい目で彼女を見るが『いやーあれは傑作だった』とどこ吹く風で笑う聖さまは気楽なものである。私も一枚噛んでいたのだから仕方ない部分もあるが、薔薇さまになるとは聞いていなかったので青天の霹靂であった。

 電撃の事態に驚きもあったが薔薇の館で過ごすことにも慣れ始めた今は、まあいいかと思えるようになってきた。灰汁の強い人たちではあるが、私を仲間と認めてくれこうして会話も出来るのだから。元気になった由乃さんが戻ってくれば、騒がしくなることだろうと目を細める。

 

 「ま、そんなわけだから今回は私がお昼をおごってあげよう」

 

 「マジですかっ!?」

 

 首を勢いよく聖さまの方へと回し、彼女を見つめる。都合が悪くなってきた話を流されたような気もしないが、それよりも売店は何が残っているのかが問題である。

 

 「分かりやすいね、樹ちゃん」

 

 聖さまがくくっと笑うが仕方ない。貧乏時代を経験した為に、おごりと聞けば無条件で喜ぶ癖がついているのだから、私の口元が緩むのは聖さまがその言葉を発した時点で決定しているのだ。

 わーいわーいと喜ぶ私を横目に、残念な子を見るような顔をしたままの彼女から『嫌いなものはある?』という質問を投げられ『食べられるものならなんでも食べます』と答えると『それは重畳』だなどと随分と女子高生らしくない言葉を発し。ふむ、と聖さまが一つ頷いてようやく私たちの番が回ってくるとお店の人にいくつかの商品名を伝え、会計を済ませ。そうして売店を少し離れた所で立ち止まり袋からサンドイッチを一つ取り出し、残りを全て私の方へと差し出した。

 

 「いや、流石にそれは……」

 

 「食べることが好きな樹ちゃんならこれくらい平気でしょ」

 

 「確かに大丈夫ですが……――聖さま、少なすぎやしませんか?」

 

 袋の中には聖さまが選んだサンドイッチとパンとおにぎりが入ったままだ。彼女の線の細さにサンドイッチ一袋でも足りるのかと納得しそうになるが、夕食まで持つのだろうかと心配にもなる。

 

 「私はこれだけあれば十分だから。さ、行こうか」

 

 腰に手を廻され無理矢理に方向転換されて歩き出す。どうやら行先は薔薇の館。冷え込みがきつくなり始めている今、外で食事をとるのは少々耐えがたいし、周囲の視線も気にしてのことだろう。そうして歩いている間あーだこーだと押し問答が続くので『いつか何かで返します』と結論を述べると、聖さまは何かに思い至ったようで『それならひとつお願いがあるんだけれど』と少し真剣みを帯びた瞳で言葉を告げる。

 

 「樹ちゃんの作ったお弁当が食べてみたい」

 

 「そんなことでいいんですか?」

 

 「そんなことじゃあないでしょう。手間だってかかるし、荷物も増えるんだし」

 

 と言いながら『誰かが作ったものって興味あるし』と付け加え。作るお弁当が一つ増えた所で、手間はほとんど変わりない。同じものを詰めていくだけだから、時間が掛かる訳でもない。聖さまのいう通り荷物は増えてしまうが、たかだかお弁当一個分である。それならば約束は早く履行した方が得策だろうと、聖さまの分のお弁当を明日に持ってきても大丈夫なのか確認すると了承の意を告げられ。

 本来は母が作るべき日の明日。当番を代わってもらうことを告げれば理由を聞かれるのは当然だ。白薔薇さまに自分が作ったお弁当を食べてもらうことになったと母が知れば、テンションが爆上がりしそうだなあと遠い目になる。それでもまあ、目の前にいる三年の先輩が年相応の顔をして笑って喜んでいるのだから、そのくらいのことは苦でもないと彼女と一緒に笑うのだった。

 

 そうして聖さまと一緒に訪れた薔薇の館。お茶くらいは私が淹れるべきであろうと、そそくさと流し台に立って準備をしていると『コーヒーでお願い』と後ろから声が聞こえ。

 その声に答えて鼻歌交じりで聖さまと自分の分のお茶を淹れて席へと座る。どうやら食べるのを待っていたようで、一緒に手を合わせることになった。袋から取り出した『マスタードタラモサラダサンド』とこの上なく微妙なネーミングのサンドイッチが机の上に鎮座する。大丈夫なのだろうかと心配になるが、食わず嫌いは良くないし食さないまま決めつけるのも愚行だろう。包みを開けながら鼻腔をくすぐる匂いにこれはいけそうかなと安堵するが、味がアレならば口直しが必要だろうとパンとおにぎりは後回しである。

 

 「味、どうだった?」

 

 「可もなく不可もなく、ですかねえ。好みがはっきりと別れそうな味というか、なんというか」

 

 「そっかあ。なかなか同じ味覚の人がいないんだよねえ、美味しいのに」

 

 サンドイッチを平らげた私にその味を聞く聖さまは愚痴を吐きつつ、一口自分の分のサンドイッチを頬張る。

 なかなか見ないサンドイッチの具だ。商品名の字面だけみるとゲテモノの味を想像してしまうが、それなりに味はマトモではある。ただ人を選ぶ気もするが。

 

 「ごちそうさまでした」

 

 手を合わせると、既に終えた聖さまが『どういたしまして』と言いコーヒーを飲み干した。腕時計で時間を確認すると、もうすぐ予鈴が鳴るタイミングだった。やはりお弁当を持参しておいた方が昼休みの時間を有意義に使える。食事を手早く済ませて、読書やら次の授業の予習やらに励むことが出来るのだから。

 

 「そろそろ戻ろうか」

 

 「はい」

 

 そうして席を立ち薔薇の館を後にし昇降口に辿り着くと、明日楽しみにしてるよと聖さまは言い残して別れたのだった。

 

 ◇

 

 ――翌日。

 

 昨日の約束を果たす為、薔薇の館へと昼休みに赴くと既に先客がいたので、いつものように入室時には『ごきげんよう』とお決まりの挨拶をかわす。どうやら最近の冷え込みに耐えきれず、外で食事をとることを諦めたようだ。自分が在籍している教室で食べるのも、注目を集めてしまうのだし。

 志摩子さんと祐巳さん、そして蓉子さまと江利子さまが自席に座って各々のお弁当を広げ食べている。祥子さまと令さまは何処で食べているのやら。四限目の授業が少しばかり遅くなったので、急いできたのだけれど今日ここで食べることになった原因を作った聖さまの姿はなく。待っていればそのうちに来るだろうと、お茶を淹れて自分の席へと座ってお弁当を二個置けば、当然視線は集まる訳である。

 

 「どうしたの、お弁当を二個もだなんて」

 

 「まさか一つじゃ足りないから、二つ作って持ってきたのかしら?」

 

 こういうことにいの一番に反応するのは最上級生である蓉子さまと江利子さまだ。お弁当を二つ持ち込んだことに対して、蓉子さまは少し呆れながら江利子さまは私が二つ分のお弁当を食べきれるのか興味深々といった顔で問いかけてくる。彼女たちがいなければ、祐巳さんが驚いた顔をしながら同じような質問を投げたことだろう。

 

 「一つは私の分じゃありませんよ」

 

 食い意地は張っているが食べる量は人並みだと自負しているので片眉を上げて笑うと、不思議そうな顔をする面々。答えを出さなくても、そのうちに件の人が来るだろうと教えるつもりはないまま、お弁当の包みを開ける。

 

 「それって」

 

 「どういうことかしら?」

 

 二人の言葉に答えないまま箸を進める私に慌てる祐巳さん。志摩子さんはその横で苦笑している。祐巳さんが慌てふためいている姿に、少し可哀そうになってきたので仕方がないと口を開こうとした瞬間だった。

 

 「ごきげんよー」

 

 誰かが階段を上がってくる音が聞こえて暫く、茶色の扉が蝶番の音を勢いよく鳴らしたと同時、聖さまの声も聞こえ。

 

 「ごきげんよう、聖」

 

 蓉子さまの声を筆頭に遅れて各々が挨拶をし、何も言わなかった江利子さまが聖さまを凝視している。

 

 「お昼を食べに来たのでしょうに、なんで貴女は手ぶら……ああ、そういうことだったのね」

 

 昼休み前半の時間帯に薔薇の館を訪れるときは、大抵聖さまは売店のナイロン袋を掲げている。それを持っていない事と私がお弁当を二つ持ってきたことに納得がいったようだ。江利子さまに遅れて蓉子さまが『ああ、なるほど』と一つ頷き、祐巳さんがきょろきょろと周囲を見渡し、彼女の様子に気付いた志摩子さんが小さく微笑んでいた。

 

 「どうぞ」

 

 「ありがとう。――いやあ、忘れられてたらどうしようかと思ったよ」

 

 食べていた箸をおき、聖さまの分のお弁当を手渡すと、確りと受け取りへらりと笑う。ようやく祐巳さんが理解したようで『あ』と小さく声を漏らす。

 

 「流石にそんな畜生じみたことしませんよ。それにその時は購買に行くだけでしょう」

 

 「まあ、そりゃそうだけれど。結構楽しみにしてたのに、樹ちゃんならやりかねないかなーって」

 

 「お昼の楽しみを奪うことなんて出来ませんよ」

 

 聖さまと冗談を言い合いながら、包みを開けて箸を持つ聖さま。昨日、帰宅し事の発端を母に説明すると『まあ!』と嬉しそうに笑い、そのあと夕食まで時間があるからと買い物に付き合わされた。

 どうやら薔薇さまにお弁当を作るということが、母の琴線に触れたらしい。私も何か一品作って良いかしら、などとのたまい今朝は上機嫌で本当に一品作り上げ、嬉しそうにお弁当に詰めていた。なので普段のものより豪華だし、適当に詰めるつもりが母が細かく彩りやら配置に拘ったので、私が作ったもののわりにいつもより見た目が良い。

 

 「前に見た時より、随分と気合が入ってない?」

 

 「私が作ったお弁当を三年生の先輩に渡すことになったって母に伝えたら『ようやく貴女にもお姉さまが!!』って言って喜び勇んでたので」

 

 事情をきちんと話し薔薇さまに渡すことを知ると、更に喜んでいたが。母の学生時代、薔薇さまというものにとんでもない憧れを寄せていたらしい。自分自身ではなく娘ではあるが、我がことのように喜んでいた母の気持ちを無碍にはできなかったので、気合の入ったものになっただけである。

 

 「樹ちゃんにお姉さま……」

 

 「あまり想像がつかないわね」

 

 「そうね。――でも、どうして聖にお弁当を作ることになったの?」

 

 割と酷いことを言われているような気もするが、姉なんて持つ気はないので聖さまと江利子さまの言葉に反論することはしなかったが、蓉子さまの疑問には答えるべきかと考えていると先を越されて答えた人がいた。誰であろう聖さまなのだけれど、随分とその答えは大袈裟に表現されているような。事実なので構いやしないが、私がドジっ子属性を持っていたと思われるように語るのは止めて欲しい。

 

 「なるほど。ねえ、樹ちゃん私も貴女が作ったお弁当を食べてみたいのだけれど、いいかしら?」

 

 食事を終えた江利子さまが片肘を付いた手に顎を乗せて、にんまりと笑う。お弁当を一つ余分にこさえることくらい構わないけれど、彼女にはそんなに魅力的に映ったのだろうか。

 

 「はあ? 江利子は何言ってるの。今回は私の正当報酬だから諦めなよ」

 

 正当報酬とは随分と大袈裟な。会話のやり取りの中の流れでたまたまそうなっただけなのだけれど。今の言葉は牽制というよりも聖さまが江利子さまにじゃれついているだけなのだろう。

 

 「あら、何故聖が口出ししてくるのかしら。私が答えを求めているのは樹ちゃんによ」

 

 「む」

 

 正論を言われて押し黙る聖さま。そんな二人を見てやれやれと溜息を吐いた蓉子さまが、こちらへと視線を向ける。どうやら、どちらでもかまわないから答えをだせということだろう。江利子さまの性格を考えるに、断ればしつこくまた同じことを言われ続けるだろう。なら、こんな簡単なことをややこしくするくらいならばOKを出してしまう方が面倒がない。

 が、タダで渡すのもなんだかなあと思った瞬間、そういえば以前に交わした約束を果たしていないと、にんまりと微笑む。

 

 「条件付き賛成ですかね」

 

 彼女の興味を引くようにと少し回りくどい言い方で答えると、江利子さまは目を細め、蓉子さまと聖さまは自ら喰いつかれに行ったとばかりの呆れ顔を私に向ける。

 

 「ふふ、なにを言われるのかしら?」

 

 「前に勉強を教えて貰うのを約束しましたよね。試験も近いですし教えて頂けると、お弁当の中身に多少色が付くかもしれません」

 

 人助けをし、リリアンかわら版に載せる為にと新聞部に追いかけられていた頃、同じくネタにされることが山百合会にあったが為に私が犠牲になったともいえるあの件である。黄薔薇である江利子さまは関係ない気もするが。ちなみに『試験』という言葉で祐巳さんがびくりと肩を揺らして、顔をしかめている。由乃さんの事でいろいろと駆け回っていたから、勉強の方がおざなりになっていたのかとアタリを付けた。

 

 「貴女、まだそんなことを覚えていたのね。それにあの時の私は蓉子の横で邪魔をするって言っただけで、教えるだなんて一言も言っていないのだけれど」

 

 「確かに。でも気が向く可能性だってあるじゃないですか」

 

 「……――まあ、いいでしょう。どんなお弁当になるのか楽しみね」

 

 深い溜息を吐きながらこちらに面倒そうな顔を向けつつも、興味の方が勝った江利子さま。これは気合をいれなければと腹を括る。――とはいえ。

 

 「あまり期待しないでくださいよ。今日のとそうそう変わらないのが関の山です」

 

 学生が作るものなのだからあまり期待しないでもらいたいと、釘をさしておくことも忘れない。

 

 「私も樹ちゃんの作るお弁当に興味があるのだけれど」

 

 聖さまと江利子さま、そして私のやり取りを黙ってみていた蓉子さまが会話に加わる。

 

 「蓉子まで……」

 

 「珍しいわね」

 

 おや、という顔を浮かべて蓉子さまを見る。この流れからすると勉強を一緒に見て貰えるかもという打算が浮かぶ。

 

 「構いませんよ。もしかすればお弁当を交換という形になるかもしれませんが」

 

 あまり余分に作っていると親に不思議に思われるだろうし、妥協案でもある。興味を引いている顔をしている人が、この場には他にも居るのだし。

 

 「なるほど。その方が良いかもしれないわね」

 

 「あと勉強の方の面倒も見て頂けると助かるのですが」

 

 「貴女、本当にちゃっかりしてるわね」

 

 「そうでもなきゃ、ここで生きていけません」

 

 蓉子さまの苦笑交じりの声に、本音で答える。遠慮なんてしていれば、三人に流されるだけである。

 

 「ふう。分かったわ、聖、貴女もどう?」

 

 「ん、私? まあ暇つぶし程度でいいなら」

 

 まあいっかと言わんばかりに蓉子さまの声に軽い調子で答える聖さま。なんだかどんどん豪華になってきているし、教えてくれる人が増えるのならば教えて貰う人が増えても問題はない訳で。

 

 「あと祐巳さんや志摩子さんも一緒にどう?」

 

 その言葉に薔薇さま三人それぞれの反応を見せながら、祐巳さんと志摩子さんの方へと視線を向けた。

 

 「うえっ! 私もっ!?」

 

 トレードマークのツインテールを揺らした祐巳さんは、ありありと動揺している。まあ三年生に勉強を教わることを強いるなんて、滅多にないのだし。リリアン生らしからぬ私の言葉に、未だ答えを出せない彼女を見ながら言葉を考える。

 

 「うん。さっき試験って言葉に反応してたし、自信がないならいい機会なんじゃないかな?」

 

 「そうね。祐巳ちゃんも私たちでいいのなら教えるわ」

 

 山百合会のまとめ役である蓉子さまがそう言ったのならば、そうなるのだろう。未だ落ち着きを見せない祐巳さんを見て、更に爆弾を投下する。

 

 「あ、蓉子さま。祐巳さんがくるなら姉である祥子さまも誘いませんか?」

 

 「祥子をどうして?」

 

 「祐巳さんにもっと気合が入ります」

 

 私の言葉にぽんと一つ手を叩く蓉子さまは『そうね、祥子も誘いましょう』と述べた。その言葉に祐巳さんは目を白黒させているが、薔薇さまたちに教わるよりも祥子さまに教わる方が良いだろう。祐巳さんに対して呆れる祥子さまの姿が目に浮かぶが、何気にこの姉妹はそういう感じで成り立っているのだから心配はない。

 志摩子さんは成績優秀と聞いているし、真面目な気質だから必要ないかも知れないが、少々強引に誘わなければ余り輪の中に加わることはしないのだから、ほぼ無理矢理にである。

 

 「志摩子さんも一緒に試験対策しよう」

 

 そう言って、志摩子さんの右袖を掴んで聞いてみる。

 

 「ふふ、そうね」

 

 「みんなが居るなら私もかな。人に教えたことなんてないから役に立つかどうか分かんないけど」

 

 白薔薇ファミリーも参加することになり。

 

 「江利子さま、令さまも誘ってくださいよ。今回の事の迷惑料ってことで」

 

 「そうね。令も巻き込んでしまいましょうか」

 

 とまあ、手術から復帰を果たしていない由乃さん以外が勉強会に参加することになった訳である。山百合会の仕事もあれば家の都合もあるので、昼休みを利用しようということになり次の日から試験の日まで各々気が向いたときに参加という適当極まりない『お勉強会』が開かれるのだった。

 

 ――得をするのは祐巳さんと私くらいしかいないかもしれないが。

 

 そんな苦笑を浮かべながら、戻ってきた試験結果ににんまりしてお礼をそれぞれに伝えるのは少し後の話である。




 9441字

 話が進まない……由乃さんの快気祝いの話までは進めるつもりだったのに。
 あとどうしても聖さまの登場が多くなる。動かしやすいんですよね、聖さま。


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第五十二話:戻った彼女と騒動の顛末と見合い話

 山百合会メンバーで『勉強会』を開くこと数度。分からないところを上級生組に教わろうという目的が主題だったのだが、実はもう一つやりたいことがあった。遅れて試験を受けることになるであろう由乃さんに、快気祝いとして要点をまとめたノートを渡したかったのだ。快気祝いの内容がそれってどうよとも考えたが、学生の身分だしそれも悪くはないかと一人納得し。

 一年生である祐巳さんや志摩子さんを巻き込み、ついでに二年生と三年生にも協力してもらい昼休みの合間を縫ってようやく完成したのだ。クラスは違えど、受けるテストは一緒である。役に立てば良いのだけれど、どうなることやら。張ったヤマが外れることもあるだろうし、当たることもあるだろう。

 

 そうして令さまから『明日、由乃が学園へ復帰するよ』と柔らかな笑顔で告げられ。

 

 翌日の朝、始業前に一年松組へと赴くと窓際の席には、由乃さんの姿。入院中は何度か顔を見にお見舞いに行ったが、学園で会うのは本当久しぶりだった。久しぶりなのだからクラスメイトとの挨拶もあるだろうし、忙しい朝を過ごしているかもしれないと考えたが、やはり気になるので藤組から松組へといそいそと歩いてきた訳だ。

 

 「由乃さん」

 

 相も変わらず松組の人が分からないので、ずかずかと教室へと私は入っていく。教室に居た生徒が私に向かってごきげんよう青薔薇さまと挨拶をくれるので、返していると少しばかり由乃さんの下へと辿り着くのが遅くなる。

 

 「樹さん、ごきげんよう。学園で会うのは久しぶりね」

 

 「ごきげんよう。そうだねえ、病院で会ってはいたけれど時間とか気にしちゃうから、話もゆっくりできなかったしね」

 

 「そうね。でも、きっとこれから沢山できるもの」

 

 「だね。……あっ、そうだ」

 

 由乃さんの言葉通りだろう。時間は有限ではあるが、どう有効に使うかは己次第である。小さく首を傾げた由乃さんを見て口を開く。兎にも角にも。

 

 「おかえりなさい」

 

 「……――ただいま」

 

 照れくさそうにして笑う由乃さんに自然と口角が上がるのを感じ。いろいろと心配を掛けてごめんなさいと小さく頭を下げる由乃さんに、大丈夫だし平気だよと右手を左右に揺らしながら言葉を返し。

 雑談を交わしつつ頭の隅で考える。少しばかりの気掛かりは、黄薔薇革命がどう終結するかである。試合に勝ったとはいえ令さまと由乃さんは姉妹には戻っていないし、二人に影響されて別れを告げた人たちも何ら変わることはなく。

 

 「由乃さんっ!!」

 

 声に振り返ると、満面の笑顔と揺れるツインテールを引っ提げてこちらへと駆け寄る祐巳さんといつもと変わらぬ雰囲気で柔らかく微笑んでゆっくりと進む志摩子さん。『よかったあ』と安堵の溜息の後にはちきれんばかりの笑顔を浮かべる祐巳さん。病院でも会っていたとはいえ、それは『非日常』であろう。戻ってきた『日常』をようやく味わえるのだから、喜びもひとしおなのだろう。喜びを体全てを使って表現する祐巳さんを、由乃さんと志摩子さんが目を細めながら見つめ。ああ、ようやくこれで山百合会メンバーがようやく全員揃い、騒がしい日々が戻ってくるだろうと、私もその輪の中へと加わるのだった。

 

 昼休み、薔薇の館。

 

 一年生三人で持参したお弁当を食べ終えると、遅れて由乃さんと令さまがやって来た。二人並んでいるのを見るのは久しぶりだなと感慨深く眺めながら、一年生しか居なかったために令さまを差し置いてそそくさと席へと着きお弁当を広げ始める由乃さん。

 そんな由乃さんをやれやれといった様子で見守りながら令さまも席へと着いて、お弁当に手を付け始めたのだった。テスト対策にと由乃さんに渡したノートをぱらぱらとめくりながらテスト範囲を確認しながら雑談を交わすこと暫く。

 

 「それで私が休んでいた間、何があったのかしら?」

 

 にっこりと笑い私たち一年組に問うてくる由乃さんを見ながら、なんだか似たような台詞を誰かに言われたなとしばし考え山百合会頂点の一角を担う人の顔が即浮かび。本当の姉妹という訳ではないのに、どうしてこうも似てくるのかと不思議に思うが、紅三人を一言で表すなら真面目だし、白二人は独特の雰囲気を持つ人たちだ。どこだかに接点はあるのだなと感心しつつ由乃さんの疑問に答えないままだったので、祐巳さんへと矛先が向き圧に負けてしまった彼女はしどろもどろで答え、横で微笑んでいる志摩子さんと苦笑いを浮かべ黙って見ているだけの令さま。

 

 「令ちゃんの試合が見れなかったのは残念だけれど、仕方ないわよね」

 

 「あ、令さまの試合なら樹さんがビデオを撮ってるよ。由乃さん」

 

 祐巳さんの方に視線を向けて言葉を交わしていたというのに、その文言を聞くなり首をぐりんと回してこちらを向く由乃さん。首が取れそうな勢いだったのだけれど、大丈夫かなと心配になりつつこれまた既視感に襲われる。もともと由乃さんが見られないであろう試合を念のためにと撮っておいたのだが、どうやら令さまの家族はあの試合を撮影していなかったか、そもそも観に来ていなかったのだろう。

 

 そうして江利子さまの時と同様にするすると私の家で鑑賞会をしようという話で盛り上がる中、薔薇の館に蓉子さまが姿を現す。

 試験まで昼休みの時間を利用して勉強会をしようと決め、実行された日から毎日こうして短い時間でも顔を出しているのだから本当に律義な人だ。ごきげんようと挨拶を交わし由乃さんが退院したことをねぎらうと、始めましょうかとにこやかに笑い試験範囲で分からない部分を質問し。

 

 突然に始まった勉強会に目を白黒させながらも、素直に蓉子さまへと質問を出す由乃さんを横目で見ると何故だかぷいっと顔を反らされ。昼休みが終わる前に教室へと向かう中、どうして顔を反らしたのか直接由乃さんに聞いてみる。

 

 「そんなことをしていたなんて聞いてない」

 

 どうやら勉強会をしていたことを耳にしていなかったことに不満を覚えたようで。むくれ顔の由乃さんに、それならばまた開催すればいいとなだめすかしてそれぞれの教室へと向かったのだった。

 

 ◇

 

 ざわざわと騒がしい一年藤組の教室は、すでに放課後を迎えている。今日は山百合会の仕事もないし試験も近いから、そそくさと家に戻って勉強に励もうと帰り支度を始めた時だった。

 

 「樹さんっ! これを見てっ!!」

 

 リリアン生らしからぬ勢いで教室へと入ってきたクラスメイトが私の下へと駆け寄り、一枚の紙きれを差し出す。少し息を切らしながらこちらを見る彼女の言葉を無碍にする必要性は感じず、素直に手に取り覗き込んだ。

 そこには『黄薔薇のつぼみ姉妹復活』と大きく見出しを打たれたリリアンかわら版が。なるほど由乃さんが昼休みに遅れて薔薇の館に訪れた理由はこれかと納得し、昼休みから放課後までのこの短い時間で記事を書き上げた新聞部の執念にも驚かされ。ばっちりとマリア像の前で令さまに頭を下げるものとロザリオを授受する場面を撮られているあたり、由乃さんが新聞部と交渉でもしたのだろう。

 

 「やるねえ」

 

 と口笛を吹いて笑う私を懐疑そうに見つめるクラスメイト。何が、と問われたので『由乃さんの手のひらの上でみんなが転がされた所かな』と答えると首を傾げていたが。

 

 新聞部の『黄薔薇革命』と銘打たれた号外が発行されたことは予定外だっただろうけれど、それが起因したことを由乃さんは祐巳さんや私が話したことで知っていた。なるべくことを大きくしたくはないと彼女は言っていたが、由乃さんの行動で影響された人たちが真似して姉妹破棄という暴挙に出たのは流石に予想外だったことだろう。それを逆手にとって新聞部を焚きつけた由乃さんの行動は、彼女に影響されてことに及んだ子たちと新聞部が救われている。

 

 憧れで由乃さんを真似した子たちの最近の動向は、大多数は後悔している様子だったしこの記事を切っ掛けにして元の鞘に戻るだろう。もし仮に姉妹復活の記事がなければ、姉妹破棄した人たちは暗澹たる気持ちのまま学園生活を送ることを余儀なくされていた。新聞部は破棄した人たちが姉妹のよりを戻したことにより学園側からのお咎めは無くなっただろうし。随分と由乃さんは愉快なことをしてくれると笑いが込み上げてくると共に、教師に根回しをしたことは余計なお世話だったかと溜息が一つ零れるのだった。

 

 「樹さん?」

 

 由乃さんが手のひらの上で誰かをころころさせている所のイメージがまったくつかなかったのか、クラスメイトは困惑した声を上げながら私の名を呼んだ。

 

 「ああ、ごめん。――良い所だねこの学園(ここ)は」

 

 私の言葉にきょとんとしたが、数舜後には微笑みに変わり。由乃さんごっこをしてしまった子たちを流されやすいと受け取るか、素直な子だと思うのかは人それぞれなのだろう。己の取った行動が周囲にどう影響するのかが予測できなかったのは若さ故。きっとこの経験が糧になり、いつか何かに役立つ時が来れば彼女たちにとって今回のことは貴重な経験となる。

 

 「ええ、そうね。リリアンは良い所だわ」

 

 私が高等部からの編入組と知っている彼女は少し考える素振りを見せながら、そう答えた。確かに良い所の子女が通う学園だからか、いろいろと窮屈な所もあったり生徒会が山百合会と呼称され持て囃されている部分もあるが。一般的な学校と同じで、この場所に集う人たちは何処にでも居る高校生と同じく、青春というものを謳歌しているのだから。受け取ったリリアンかわら版を彼女へと返し他のクラスメイトの下へと歩み行く背を見ながら『でもやっぱり住む世界が違うよなあ』と心の中で考えてしまうのはどうしても仕方のないことで。

 

 住む世界が違うと言っていたのに、その日の夜にはその世界に住む住人だったなあと思い知らされる出来事が降って湧いてくることを、この時の私は予想だにしていなかったのである。

 

 ◇

 

 夜、部屋から呼び出されリビングのソファーの指定席である真ん中に座ると、正面に父その横に母、両隣に兄と姉。何故か珍しく不機嫌な父に困ったような顔の母。両隣の兄姉はあからさまな溜息を吐き。

 

 「樹、一日だけ僕たちに時間をくれないかい?」

 

 開口一番、苦虫をかみつぶしたような顔で父が頭を下げてそう告げたのだった。一家の大黒柱たる父が娘である私に頭を下げる状況に、一体何があったのかと少し不安になる。

 

 「えっと……一日くらい時間を取るのは良いけれど、いきなりどうしたの?」

 

 流石に理由を聞かないと返事も出来ないと、父に問う。

 

 「済まないが、お見合いを受けてくれないか」

 

 「えっ?」

 

 はて、お見合いとは? と一瞬考えたがお見合いはお見合いである。昔ながらの考えでいうなれば親が決めた相手と結婚することであるが、今の時代恋愛結婚が一般的。私の両親も恋愛婚を推奨しているし、兄と姉には彼女彼氏が居るのだし。鵜久森家はそれなりに上流階級で、リリアンや花寺に通う為の財力もあるのだからお金に余力があるのは知っている。けれどもまさか見合い話が来るだなんて。リリアン高等部を卒業してそのまま結婚する子も稀に居るそうだが、まさか自分にも降りかかるとは。

 

 「それって断ることはできるの?」

 

 問題はこの一点だけだった。断れない見合い話を持ち込まれても困るし、そもそも私は結婚をする気は今の時点でないのだし。

 

 「ああ勿論だ。強制的にというならそもそもこの話は最初から話さないよ」

 

 その言葉に胸をなでおろすと苦笑いをしながら相手側の写真と釣書をすっと机の上に乗せた父。見ていいよと言われて取り合えず写真が収められた台紙を手に取り開ける。そこには三十代中ごろの爽やかに笑っているスーツを着込んだ男性が佇んでいた。年齢的には私よりも姉に話が行きそうなのだが、本当に見合い相手は私で良いのだろうか。心配になり姉の方を見てみると、奇麗な顔に青筋を浮かべて静かにプッツンしていた。あ、これは何か事情があるのだなと姉に向けていた視線をこっそりと戻して、また写真を見る。

 

 「すまないな、樹。相手方がどうしてもとしつこく迫られて断り切れなかったんだ」

 

 「珍しいね、父さんがそうなるなんて」

 

 本当に。家では家庭的で模範的な父であるが、仕事のことになると一切の遠慮や情を見せない人だと聞いているから、そういうことに陥る場面があまり想像できないのだけれど。

 父の話を聞くと、相手は同業者で父が若かりし頃に世話になった人だそうで、そんな人に頭を下げられては流石の父も断り切れなかったらしい。可愛い息子の結婚相手を必死に探している最中らしく、なかなか相手が決まらないのは甘やかされて育ったが為いろいろと問題がある模様。この話も姉に行かず私に来たことでうかがい知れる。年も二十近く離れているのだから姉に話を持ち掛ける方が自然なのだけれど。――彼氏持ちだからお見合いを受ける必要はないとはいえ、姉の彼氏に断ることを前提として事情を話しお見合いを受けることは可能だ。

 

 何とも言えない雰囲気に包まれた我が家のリビング。断ることが可能であるならば、大丈夫だろう。相手がどんな人かは釣書でしか知らないが、父と母も同席するのだし。――それに。

 

 「お見合いって、美味しいもの食べられるんだっけ?」

 

 「都内の有名ホテルで行う予定だから、下手なものは出ないと思うが……どうだろう、樹の口に合うかどうかは食べてみないとなあ」

 

 「そっか。うん、受けるだけなら大丈夫だよ」

 

 美味しいものが食べられるのならば、少々の面倒事には目を瞑ろう。どうやら相手方は父が世話になった人みたいだし。その息子の出来が悪かろうが、断る前提なのだから一度の食事をすればそれで済む話である。しかしまあ、私なんかがお見合いを受ける羽目になろうとは。前世では仕事と生活で手一杯だったから、結婚なんて一ミリも考えたことはなかったけれど。

 

 「ありがとう、重ね重ねすまないなあ……。仕事に子供を巻き込むつもりはなかったんだが」

 

 「仕方ないよ。そんな時もあるだろうし」

 

 緊張から解かれた父が力を抜きながら溜息を吐くので、そんな姿を初めて見る為に苦笑が零れる。母や兄に姉まで安堵の息を吐き。

 時代が進めば出会い系サイトや婚活パーティーなどが盛んになって来るだろうけれど、まだその手のものは少ないのだから。割とスペックの高い相手男性を本気で想ってくれる人が現れるのが理想だよなあと他所事を考えていた時。

 

 「終わったら美味いもんでも食いに行こうか。樹が行きたい所あれば連れて行ってやるぞ」

 

 「そうね。気晴らしにパーッと行きましょう」

 

 横に座っている兄と姉は私が食べることに割と執念を燃やしていることを熟知しているからか、そんなことを言い始めたので全国チェーン店であるとある回転寿司屋と答えると、微妙な顔をされ。

 だって仕方ないじゃないか。カウンターで食べるお寿司っていまだに緊張するし、値段を考えながら食べていると余りの額に胃に物が入らなくなるのだし、と庶民感丸出しの気持ちを吐露する羽目になるのだった。




 6012字

 食い意地張っていると話が進めやすい(笑 
 お見合いのことを調べようとすると最近の話題しか出てこないので、ちょっと無理があったかもしれません。ご了承を。


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第五十三話:お見合いと高級ホテル

 無事、期末試験も終わりあとは結果を待つのみなのだが、由乃さんは試験を受けず別室で補習を受けてからテストに臨むそうだ。どうやら学園側が配慮してくれたようで、休学していた子に突然試験を受けさせるのは如何なものかと職員会議で討論された上の処置らしい。

 

 私に降って湧いてきた見合い話の日取りも決まりあとは相手方と会うだけとなったのだが、受けるんじゃあなかったなあと後悔している最中である。お見合いとはいえ学生だしリリアンの制服で行けばいいだろうと簡単に考えていたのだが、母にそれは駄目だとぴしゃりと言われてしまい、いろいろと準備に追われる日々である。

 

 「最近、放課後に顔を出さないわね貴女」

 

 ここ数日は忙しく山百合会の仕事を断ることもあったから質問は尤もであるし、聞きたいこともあるので理由を話すのはやぶさかではないけれど。この言葉を憂鬱そうな表情で発した本人は絶対に私が答えた内容に喰いつくはずである。少し遠い目になりながらどう答えるべきかとしばし悩み。

 

 「ああ、お見合いを受けることになったのでその準備に追われてます」

 

 仕事があるからと誘いを受けたものの、理由までは話さず断っていたから彼女たちにはコレが初耳である。

 

 「あら」

 

 「へえ」

 

 「ふーん」

 

 私の質問に似たり寄ったりな三者三様の言葉を返してくれた三人……もとい薔薇さまたち。蓉子さまと聖さまはさして興味はないらしくおやという顔を浮かべているだけだが、暇そうな顔をしていたというのに、明らかに目を細めた江利子さまの変わりようが若干怖い。

 

 「……」

 

 「えっ」

 

 こめかみをぴくりとさせ無言を貫く祥子さまに、驚いた顔と声を上げた令さま。

 

 「うえええっ!」

 

 「へえ」

 

 「……」

 

 大袈裟に驚く祐巳さんに、江利子さまと同じ台詞だというのに若干声のトーンが低い由乃さん。黙っているものの祥子さまとは違い口元に手を充てて驚いているであろう志摩子さん。放課後、山百合会はいつものように薔薇の館で仕事をこなしつつ、他愛のない話をこうして交わすのが最近の日課となっていた。

 

 「みなさんはお見合い受けたことありますか?」

 

 小さく首を振るみんなに珍しいこともあるものだなと苦笑する。祥子さまには柏木さんという親が決めた婚約者の存在があるので受けたことはないだろうし、ある意味柏木さんがその位置に居ることで防波堤としての役割を果たしている。防波堤が無ければ有象無象の大量の見合い写真が小笠原家へ舞い込んでいそうである。そしてそこから選別して的確な人を選ぶのも大変な作業だろう。ナマな話をすれば内定調査とか入れなきゃならないだろうし。

 

 「リリアンだと既に婚約者が居るって子は知っているけれど、お見合いをしたって聞くことはなかなかないのではないかしら?」

 

 「そうなんですか? イメージだと見合い写真とか家にたくさん届いていそうですが」

 

 「そんなもの一度も見たことはないわね。面白そうだから機会があるのなら受けてみたいのだけれど……」

 

 「まあ今のご時世、恋愛婚がほとんどなんだし珍しいっちゃ珍しいのかねえ」

 

 うんうんと薔薇さまたちの言葉に頷く一同。祥子さまだけ渋い顔をしているが、おそらく柏木さんの顔でも浮かんでいるのだろう。

 

 「で、樹さんはその話を受けるの?」

 

 隣に座っていた由乃さんが私に声を掛けると、周囲の視線が一斉に集まるのだけれども、みんな美人系か可愛い系の顔の造りの人たちである。割とその視線が痛くて仕方ないのだけれど、期待している展開のようにはなるはずもなく。

 

 「受けないよ。ただ先方が是非にってだけだし、そもそも断ることを前提で受けただけだから」

 

 「そうだったの。――でももし、樹さんの御両親がその人と結婚しなさい、なんて言われたらどうするつもりだったの?」

 

 何故かふうと由乃さんは安堵したのも束の間、表情を一瞬で変えさらに質問が飛んできた。

 

 「んー。相手が良い人ならそのまま結婚もあり得るだろうけれど、馬が合わなければ高校卒業を機に家出するかなあ……一人逃避行、なんてね」

 

 私の最後の方の言葉に蓉子さまが渋い顔をし、聖さまも珍しくこちらから視線を外して何かを考えているような。江利子さまも江利子さまでこれ以上この話題を続ける気はないようだし。他の人たちも何かに気が付いたのかだんまりを決め込み、一年組だけ目を白黒している状態なのだけれど一体なんなのか。その正体を知ることのないまま、沈黙を打ち破るべく口を開く。

 

 「でも面倒なだけだよね、お見合いなんて」

 

 「そうなの?」

 

 こてんと首を傾げた由乃さん。何故かいつも首を突っ込んでくる三年生たちがお通夜状況で私の言葉に反応してくれるのは有難い。

 

 「うん。都内の高級ホテルで会うみたいだし、そこにあったドレスコードじゃなきゃいけないみたいだしねえ」

 

 お見合いの服装は制服でも良いだろうと簡単に考えていたが、流石に母からNGが出され休みの日に家族みんなで高級ブランド街に向ったのだ。街を歩きながらいかにも高級店と言わんばかりの店構えの扉を開き、きっちりとした服装の店員さんに導かれて母と姉主導で着せ替え人形状態にさせられあれこれと試着の嵐だったし、更には学生の身分には似つかわしくない宝石類も買い込んでいたし。

 冠婚葬祭で使う事になるから大丈夫よとにっこりと微笑む母だったが、そのお金の出処は我が家の大黒柱である父で。その父へと視線を向けると『もっと質の良いものでもいいんじゃないか、母さん』なんて至極真面目な顔をして冗談なのか本気なのか分からないことを言い始め。兄も姉も足りないなら俺たちも資金を出すなんて言ってしまうものだから、今回のお見合いの為の出費はかなり高額なものとなってしまった。そうして一通り買い揃えて家に戻る頃には、かなりグロッキーな状態の私が居たのだった。母と姉は何故か楽しそうに話しているし、その様子を見ながらショッピングは女性にとって楽しいのかとしみじみ感じ。

 

 一番気の毒だったのは、荷物持ち状態で女の買い物に付き合わされる父と兄であったが。

 断る話だというのに随分と気合が入っているが、色々と体裁も必要なのだろう。

 

 そんなこんなで数日が経ちお見合いの日がやってきたのであるが、早朝から忙しいの一言に尽きた。予約していたヘアサロンへと赴き美容師さん数人に囲まれ髪をセットし、何処からともなく現れたメイクさんにも文字通り化粧を施され。

 

 「うわ、まさに化粧……化けてる」

 

 ある意味本職の人には失礼かもしれないが、私ではない私が鏡の中にいるのでこの言葉は仕方ない。それを聞き取ったメイクさんは小さく笑いながら『元の素材が良いから可能なんですよ』とフォローを入れられ。化粧をしなくても、腰が抜けそうなほどの人が当たり前のように居る環境となってしまったので、メイクさんのフォローがフォローになっているのかは疑問であるが、腕は一流だろう。完全に化けているし、顔面偏差値が随分と上がっているのだから。

 

 「随分と大人びたわねえ」

 

 「素敵じゃない」

 

 慣れないヒールに普段着ないワンピースなので違和感が凄いのだけれども。

 耳にもピアスでなくイヤリングであるし胸元にもネックレス、左腕にも嫌味にならない程度の装飾が施されているし、一体どこの誰なのかと問い詰めたいくらいである。

 

 待合室で待っていた母と姉にそんなことを言われ外で待っていた父と兄と合流し、ホテルまで送ってもらい兄と姉は家へと戻っていく。車窓からみたホテルは首を上げなければ屋上が見えないほどの高層、そしてロビーに入るなり履いているヒールが沈んでしまうほどのふかふかの絨毯が敷かれ。汚したことを怒られないかなあと小市民的な感情を抱きつつ、羽織っていたコートを脱ぎながら周囲を見回すと、何か催しがあるようでホテルの人たちや関係者らしき人たちが忙しなく行き来しているのだけれど、その動作一つは落ち着きのあるもので。

 少し忙しない雰囲気を見せつつも観光地のホテルのようなざわめきではないし、日本人以外にも西洋人も時折お客さんとして姿を見るあたり、本当に一流ホテルという感じで。ふうと息を吐きながら、予約していた日本料理店へと足を向け父が店員さんと少しばかりのやり取りを交わし、個室へと案内される。日本料理店ということから座敷席なのかなと構えていたのだが、テーブル席だった。眼前の窓には日本庭園を模した景色が広がっており、爽やかさを演出している。

 

 「――お初目にかかります」

 

 ロマンスグレーの髪色が特徴の年配の男性に穏やかな笑顔をして頭を下げる同年代の女性に、言葉を発した見合い相手は某有名海外ブランドのスーツに身を包みにっこりと笑みを浮かべ。客観的に見るのならばイケメンの類にカテゴライズされるであろう。職業は弁護士ではなく、その補佐を行うパラリーガルだそう。横文字で格好よく見えるが、ようするに法律事務員。まあ働かない無職よりも全然マシだし、職業差別はよくないだろう。

 そうしてもう一人知らない人がいるのだが、所謂仲人さんである。ちなみに仲人さんの役割は大きく三つに分かれているらしい。

 二人が知り合うきっかけを作り、お見合いのセッティングをする世話人。

 結婚の約束を公にし、儀式により結納品を取り交わす使者。

 挙式や披露宴において新郎新婦の紹介や進行、挙式の報告を行う媒酌人。

 恋愛結婚の割合が増えるに従って、世話人や使者をお願いする機会が減り、今だと挙式や披露宴の当日だけ媒酌人としての役割を行う頼まれ仲人が増えているらしいのだが。

 

 今回は古式ゆかしく二つの家を取り持つ為に仲人さんが居る、とかなんとか。断る話ではあるが、形式上必要だったのだろう。にこにこと笑う恰幅の良い中年女性は、まるで吉原や祇園にいる遣手婆のよう。失礼ではあるが、そういう雰囲気を醸し出しているのだから仕方ない。その女性が仕切り挨拶も早々に席につくと和装の制服を着こんだスタッフさんたちが料理を運び込んで、お見合いが始まるがなんてことは無い穏やかな会話が続くだけである。

 建前もあるのか、突っ込んだ質問なんて飛んでこないしいやらしい質問などもない。まあそんなものが飛んで来れば仲人の人がやんわりと止めるだろうが。食事を摂りながらの会話は色々と大変である。一応、母から割と厳しいマナーを仕込まれているものの、所詮は付け焼刃のハリボテである。しょっちゅうボロが出てやり直しを要求され、私に甘い父や兄と姉はそんなに厳しくしなくともと母を止めるが『恥をかくのは樹ちゃんなの』と言いながらきっちりとマナーを仕込もうとする。母の言葉通り有難いことだけれど、出来の悪い娘で申し訳ないと凹むこともある。それを思えば、このお見合いもある意味でマナーレッスンのようなものかと考えるようにした。

 

 「樹さんの御趣味は?」

 

 「そうですね、読書や音楽鑑賞でしょうか」

 

 当たり障りのないことを答えながらこの揚げたての海老の天ぷらすごく美味しいと笑みを浮かべると、相手男性もにこりと目を細めながら笑う。

 

 「ほう、どんなものを好んでいるのでしょうか?」

 

 「良いと感じればクラシックでもロックでもJ-POPでも何でも聞きますし、本に関しても割と乱読なのかもしれません。取り合えず手に取って、つまらないと判断すればそこで止めてしまいますので。――さんは、どのような御趣味を?」

 

 嘘は言っていない。耳障りがよければデスメタルでも聞くし、八十年代に流行った曲も聞く。本に関しても取り合えず読んでみてから判断するのだし。

 

 「趣味と言えるかどうかは分かりませんが、友人たちと海や山に繰り出してキャンプでバーベキューをしたり、海外旅行へ出かけることが楽しいですね」

 

 同年代の友人たちは結婚をして所帯をもってしまい、付き合いが悪くなってきて寂しいですがと補足しながら、海外のどこそこは素晴らしかったまた行きたいと雄弁に語る彼の言葉に、うんうんと頷きながら愛想笑いをし。話の流れが脱線しそうになれば仲人の人が、こっそりと軌道修正を計らい。上手いなあこの人と感心しながら所謂定番の『あとは若いお二人だけで』という事になり。ホテルの庭へと彼と二人で散歩に繰り出すことになったのだけれども。二十歳弱年の離れた男性と何を話せばいいのか全く見当が付かないまま、二人並んで廊下を歩み庭へと進む。

 

 「僕は度々利用しているのですが、いいホテルでしょう?」

 

 「ええ、素敵な場所です」

 

 ドヤ顔を晒しながらそう言い切る彼。値段が値段なのだから、対価に似合う質やサービスがないと成り立たないだろうと突っ込みをいれつつ、肯定して話題話題と頭をフル回転させるが何も思いつかない。ここまで悩まなくてもよさそうなものだが父や母の顔に泥を塗るわけにはいかないので、断る話とはいえ出来れば穏便に事を済ませたい。このホテルの良い所を話しながら、どこそこのテナントは美味いので次の機会に是非などと誘われるので、YESともNOともとれる言葉で返したりと。

 ゆっくり庭を散策すること一時間、良く間が持ったなと感心しながらホテルへと戻って人気の少ない廊下を進んでいると、横に並んでいた彼の手が急に私の腰へと延びてくる。不意打ちすぎて手が出そうになるのをどうにか堪えると、何を勘違いしたのか壁際へと押しやられる。一瞬のことで前後不覚に陥り『あ、人生初の壁ドンだ』などと悠長なことを考え始める私。

 

 「キス、していいかな?」

 

 いや初対面でその台詞はないし私はまだ未成年であるし、いい歳をした大人が言うべき台詞ではない。しかも自分の両親や仲人さんに迷惑が掛かるだなんて一ミリも思っちゃいないのか、随分と余裕そうな不敵な笑みを携え。

 

 「……」

 

 目の前に立ちふさがる男の余りの急な阿呆な発言に答えないままでいると、沈黙は肯定と受け取ったのか私の顎を口付けしやすいようにと右手で軽く持ち上げた。

 

 「いいかい?」

 

 「それは流石に困ります」

 

 「今のご時世、キスの一つや二つで慌てることもないだろうに」

 

 いままでさんざんお見合いを断られていたのはこのプレイボーイ気取りの悪癖かと納得しながら、距離を詰めてくる眼前の野郎。ああ、もうこれって殴って良いレベルだよねと判断し家族に心の中で謝りながら、キスされたらマジで潰すと決意して右手を開いて力を籠める。

 

 「失礼」

 

 「誰だっ!」

 

 「誰だといわれても困るけれど、こんな場所でそんなことをするのはどうだろう。それに相手の方は嫌がっているようだし」

 

 聞いたことのある低い声の方へと振り向くと、何故かスーツを着込んでいる柏木さんが。同じブランドものでも使用している生地や体格に合ってデザインされているであろうそれは、自称王子さまの柏木さんに似合っている。あんな場所であんなことに及ぼうとした柏木さんに特大のブーメランが刺さっている気もするが、一応は婚約者だしセーフになるのだろうか。取り合えず去った危機に肩をなでおろし、ここは柏木さんに任せてしまおうと黙っておく。

 

 「は? アンタが勝手に勘違いをしただけだろう。彼女は逃げようともなにもしようとしていない」

 

 「おや、流石に困ると彼女の声が聞こえたのだけれど、僕の勘違いだったかな?」

 

 こちらに視線を向けてくる柏木さんに小さく頷くと、確認が取れたのかにっこりと携えていた笑みを更に深め。

 

 「ならば貴方が及ぼうとした行為は、このホテルでは似つかわしくない」

 

 スラックスのポケットに両手を突っ込んで奇麗な立ち姿でそんなことを言い放つ柏木さん。そうしてホテルマンの人が数人やってきて『失礼します』と口々に言いながら、お見合い相手の男性の両腕を持つ。

 

 「な、おいっ! どういうつもりだっ!!」

 

 「そのままの意味だよ。この場に貴方は相応しくないのだから追い出されるのは当然だろう」

 

 騒ぎながら相手の男性は裏口へと連行され。勝手に良いのかなあと思うけれどこういうことを出来るのならば、おそらくこのホテルは小笠原関係が経営しているのだろうと察しがつく。とはいえ大事な顧客を無碍にするのはどうかと疑問が浮かんでくるのだが。

 

 「助かりました、柏木さん」

 

 見られたくないところを見られてしまったが、助けてくれたのにお礼の一つもいえないのは流石に問題があるので自分から声を掛けた。

 

 「もしかして樹くんかい? すまない、余計なことだったかな?」

 

 「いえ、本当に助かりましたありがとうございます」

 

 暴力沙汰になれば確実に迷惑が掛かるし、出来れば避けたかったからあのタイミングで助け舟を出してくれたことは本当に感謝だ。どうやら柏木さんは私だと気付いていなかったようでマジマジと私の顔を見つめたあと、くつくつと笑い始める。まあ馬子にも衣裳だし、化粧とウィッグとコンタクトで大分雰囲気が違うから分からなくても仕方ない。私の名前の呼び方については学園祭の時に役職もなくどう呼べばいいものか迷っていた柏木さんに、私が好きに呼んで貰えばいいと伝えるとこうなったのである。

 

 「声を聴くまでわからなかったよ。もしかしてお見合いだったのかい?」

 

 「ええ。断ることを前提で受けたのですが、まあ散々でした」

 

 よくお見合いだと分かったなあと感心したが、数秒後には納得してしまう。どうやら彼は少し前もやらかしていたようで、このホテルでは注意すべき客として従業員にお触れが回っていたらしい。

 

 「でもどうして柏木さんがここに?」

 

 私のようにお見合いがあるわけでもないだろうし、小笠原が経営するホテルだとしてもこの場に居るのは謎である。

 

 「夜に開かれるパーティに出席するんだよ」

 

 「はへー。パーティですか」

 

 ホテルで催されるパーティーなんて、本当に上流階級の人だと感心するし大変だなあという気持ちも沸いてくる。いろいろと柵があるだろうし、招待客の顔とか覚えないといけないだろうし。そういうことはさっぱりなのでさらりと言い切った柏木さんはもう慣れてしまっているのだろう。

 

 「そう。興味あるかい?」

 

 「興味というか覗いてみたい気持ちはありますが、堅苦しいのは苦手ですね」

 

 「ふむ」

 

 少し考える素振りをみせながらポケットに手を突っ込んだまま私の視線に合わせ、にたりと笑う。

 

 「今日のパーティは小笠原主催でね。僕もある程度口利きできるんだ。招待状を送るから来てくれないかい?」

 

 「……あの私を誘うなら祥子さまの妹である祐巳さんが適役じゃないですか?」

 

 柏木さんの言葉に少し揺れつつも、一応の反論をしてみる。私よりも祥子さまの妹として祐巳さんをお披露目する方が良いだろうし。

 

 「それもそれで面白そうだけれど、今なら君の方がきっと面白いことになる気がするんだ」

 

 なんでか逃げられる気がしない追い詰められ方にドレスコードがと言い訳がましく抵抗してみるが、その格好で十分だよそこまで格式ばったものじゃないからねと言われ。両親も一緒に来ているので戻らなければと伝えると、ならご両親も一緒に来ればいいじゃないかと道を断たれる。

 

 「さっきの顛末と夜のことを、君の御両親にも理由を話さないとね」

 

 ある意味三薔薇さまたちよりもフリーダムな柏木さんに押されてしまい、お見合いからパーティへと出席する羽目になるのだった。

 

 「しかし、さっきの君の右手を見て驚いたよ。あのまま僕が止めなければあの人はどうなっていたのか……」

 

 「喧嘩にルールなんてないですし、目潰しか金的が決まれば勝ちですよ」

 

 格闘技はルールに縛られているが、ケンカなんて階級無制限のルール無用の無法地帯である。あとはどこまでずる賢く立ち回り勝ちを拾いに行くかだし、追い詰められて咄嗟に取った行動が最善だったということもあるだろう。

 

 「君は過激だねえ。まああの男に同情する気はないけれど……」

 

 遠い目になりながら、ロビーで待機していた両親の下へと柏木さんと並んでいくと、突然相手が入れ代わっていることに両親は目を白黒させながら先程のこと話すと頭を抱え。

 柏木さんがいる手前下手なことは言えず、私がパーティに参加することを快く受け入れてくれて。これも社会経験だから行ってきなさいと、父と母に見送られるのだった。




 8040字。

 ちょっと無理矢理だったかもと思いつつ、柏木さんと祥子さまネタを書きたかったので許してください。このオリ主の巻き込まれ体質をどうにかしたいのですが、自分から動くことってないからないですし、巻き込まれ体質で困ってる方が作者は好きです、ハイ。

 あと聖さまは『逃避行』という言葉に過剰反応してそうです。


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第五十四話:少し覗いた社交界とプライド

 相手方がこちらへと急いで頭を下げに来たり、パーティーの為に化粧直しを行ったりと時間は直ぐに過ぎていく。

 

 柏木さんから誘われてパーティー会場へと向かう私はきょろきょろとおのぼりさん丸出しで歩いている。会場に近づくにつれてかっちりとスーツを着込んでいる人にインフォーマルな服装の女性が目立つようになる。明らかにパーティーの為にめかし込んでいるようだった。取り合えず柏木さんがいった通り、今着ている服でも問題はなさそうだと安心しながら、受付を済ませて会場に一歩足を踏み入れる。

 

 ――別世界が広がっていた、という訳でもなく。

 

 天井からぶら下がるシャンデリアや凝っている壁紙に装飾品は明らかに値段が高そうであるが、会場の外で見たとおり略装で訪れていること。そして年配の人が思っていたよりも少なく、若い人の姿が多いこと。これでこの会場にいる人たちが燕尾服やイブニングドレス姿の人であれば本当に別世界で場違い感が半端なかっただろうけれど。今回私は柏木さんからイレギュラーとして誘われた招待客であることから、周囲を見回せる壁際へと移動し。そして一番大事な美味しいものに即座にありつける位置をぶんどったのだった。

 

 ぼーっと見ながら様子を窺っていると、男女ペアでいる組と仲の良い人たちでグループになっていたりとさまざまである。おそらく男女のペアは夫婦か婚約を交わしている人たちだろう。こんな場所で一夜のアバンチュールなど求める人も稀有だろうし、流石に目立ちすぎる。

 

 そんな上流階級の人ばかりの会場でどんな会話をしているのかは謎だけれども、経済のことを聞いても小難しいことは分からないし、その手のものは専門の人に任せるべきだと一人納得していると、会場が鎮まり数瞬後には来場者の視線が一点へ集まっていた。すわ何事かと私もみんなが向けた視線の先に変えると、祥子さまと柏木さんの姿があった。しっかりとエスコートをしているあたり、公式の場ではちゃんと婚約者として振舞っているようで、学園祭でのあの敬遠っぷりが不思議である。

 

 二人ともそれをおくびにも出さず隠し通し笑みを浮かべているのだからプロだよなあと感心しつつ、彼女たちの周囲から受ける視線は羨ましさや妬ましさに嫉妬。若い時分からこんなものに晒されなければならないなんてと同情するが、多大な資本や企業を支配している人々の一族、それも頂点に立つ家に生まれた者の宿命だろうし、そんな家に生まれたからには責任も生じてしまう。

 私には出来ない生き方だなと一人納得していると、コンパニオンの人たちが来場客に飲み物を配っていく。例外なく私の下にも訪れたので『ノンアルコールのものを』と申し出ると『少々お待ちください』と黙礼され近くにいた人を呼び寄せ『どうぞ』とシルバートレーをすっと差し出され。無難なものでいいかとオレンジジュースを手に取り、礼を伝えると静かに私の下を去った直ぐ、壇上に男性が立つと照明が少しだけ落とされ、設置されているスピーカーからハウリング音が鳴り。

 

 『みなさん、この度はお集まりいただき有難うございます』

 

 良く通る低い声は、耳へと心地よく入ってくる。目を細めて壇上に立つ男性をまじまじと観察していると、どことなく祥子さまに似ているような……。柏木さんが小笠原主催だと言っていたので、祥子さまの父君なのだろうなとアタリを付けながら、話に耳を傾ける。

 今回のパーティーは小笠原グループの関係者や取引先の、次代を担う人たちの集まりらしい。なるほど、若い人たちが多いのはその為だったのかと納得し、ところどころに年配の人たちがいるのは見守り役といったところか。どうやら交友を広げたり、フリーの人ならば結婚相手を見つけるための場としての意味合いが強そうだった。生活水準は同じレベルだろうからお金の価値観の違い等の問題が少ないだろうし、教養も高水準で身に付けられているだろうからそういう部分でも差というものが出にくい。

 

 『次代を担う君たちに乾杯!』

 

 長くもなく短くもないスピーチを済ませ、早々に乾杯の音が鳴り響き少しした後それぞれ自由に歓談タイムへと流れると、おもむろに顔見知りや取引先であろう人たちと挨拶を交わしている。私はやることもないし壁の花になるくらいならば美味しいものを物色しようと、グラス片手にケータリングサービスへと移動する。

 セルフ方式ではなく給仕する人が配置されているので、いろいろとめぼしいものを告げ取り分けて貰い誰も居ない近くのテーブルを一つ陣取って黙々と箸を進めること一時間弱。気になっているものは粗方食べ終えてしまったしすることもないので帰っていいかなあと、遠い目で会場内を見つめながらお皿に残ったものをゆっくりと咀嚼をしていたその時だった。

 

 「そこの貴女、先程から見ていれば健啖なのは良いことだけれど、少しは周りの方と会話をなされたほうがよろしいのではなくて?」

 

 降りかかるはずもない声に驚きつつも一体何事だとろうと考えが浮かぶと同時、どこかで聞き覚えのある声に視線を向けると壁際に立った祥子さまの姿。

 

 「小笠原センパイ、こんばんは」

 

 おそらくリリアン出身者もいるであろうこの会場内でも、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいので『さま』を付けずに呼ぶと、私を下から上までマジマジと見つめる祥子さま。

 

 「貴女……樹さん?」

 

 「はい」

 

 気付かれていなかったのかと微妙な心境になりながら、彼女の言葉に短く答えて苦笑いをし。確かに馬子にも衣裳という言葉がぴったりと合い、リリアンの制服姿とめかし込んでいる今の姿だと天と地ほどの差があるのだから、私だと認識できなくても仕方のないことではあるが。

 

 「どうして貴女がこの会場にいらっしゃるのかしら?」

 

 リリアン生としての矜持を説かれた後に祥子さまから疑問を投げかけられる。どうやら私がこの場に入ることが可能になった原因である張本人から聞いていないようだ。彼らしいともいえるが、パートナーである祥子さまに黙っているのはどうなのだろう。

 

 「柏木さんとこのホテルで偶然出会ったのですが、その流れでパーティーに誘って頂いたんです」

 

 「優さんが? ――……そう」

 

 視線を私から外し手を顎に当てて少し考える仕草を見せてしばらく後、祥子さまはこの場を離れる気はないらしく私の隣に居座り、何故かパーティー会場での振舞い方講座が始まっていた。良い所のお嬢さまとしての気概や振舞い方の中でみせる魅力や相手に対する心理的効果。聞いていると楽しいけれど、その世界に足を突っ込む気はないので無駄に終わりそうだったが、これを仕込まれ実行している祥子さまは存外化け物なのかも。

 いや、うん、まあ……日本どころか世界にまで名を響かせる財閥グループの一人娘なのだから、幼少期からその在り方を教育されるのは当然。けれど、小さな肩に乗る重圧はとんでもない重さで、よく押しつぶされないものだと感心する。私なら逃げ出しても可笑しくはない。そしてそんな彼女のパートナーである柏木さんは、ここから少し離れた場所で知らない男性たちと談笑している。

 

 「柏木さんと一緒にいなくても良いんですか?」

 

 「ええ、いいのよ。もう既に必要な挨拶回りは済ませてしまったし、あとはお互いに別れて楽しもうと仰ったのは優さんだもの」

 

 はあと短い溜息を吐き柏木さんが居る方へと視線を向ける祥子さまにつられて私もそちらへと顔を向ける。身振り手振りで会話を交わしている柏木さんの姿が見えるが、話している内容までは分からない。ただの一般人には想像が出来ないであろう、政財界ならではの駆け引きやら取引があるのだろうし、その辺りに首を突っ込む気はないので静観するだけ。

 

 この場で目立つような行動をすると目を付けられそうだし、と柏木さんの方に視線を向けたままそんなことを考えていると彼とばっちりと目が合うとパチンとウインクを飛ばしてきた。その行動は祥子さまの死角になっており、確実に柏木さんの茶目っ気というよりもなにか確信めいたものがあるような気がする。

 

 「どうかして、樹さん」

 

 「……なんでもありません」

 

 ふう、と彼女に気付かれないように溜息を吐いて周囲を見渡すと女性陣から刺さる視線に気づき、柏木さんの意図にも気付いてしまった。

 

 ――私、虫よけじゃね?

 

 そう、祥子さまに群がる女性陣を避ける為の盾……になれるのかどうかは謎であるが、おそらく柏木さんが私をこのパーティーに誘った意図はそれくらいしかない。祥子さまに嫌われているというのに、彼も難儀な性格をしている。彼女が彼の思惑に気付いているのかどうかは分からないが、美味しいものにありつけた分くらいは柏木さんに返すべきかと一人納得して、祥子さまへと視線を向ける。

 

 「あまり不躾に人を見るものではないと言いたいのだけれど、何かしら?」

 

 それは祥子さまとどうにか関係を持ちたいとギラギラとした視線を送ってくる女性陣へお願いしますと、言いたい気持ちをぐっとこらえて。

 

 「彼女たちのお相手をしなくてもよろしいので?」

 

 「……必要ないわ。あの方たちが見ているものはわたくしではなく『小笠原』だもの」

 

 肩にかかった髪を煩わしそうに後ろへと振り払い、祥子さまに熱視線を送る彼女たちの家柄を語ってくれた。曰く成り上がりといわれる家の次代を担う子たちだそうで、小笠原の威光に縋りたいだけなのだと。柏木さんに群がっている年若い男性たちも似たような存在だそうで、談笑しながら良い雰囲気を漂わせているが彼の弱みを握ろうと躍起になっているそうだ。

 

 「うへえ」

 

 どうにも馴染めない世界だとつい言葉に出てしまう。

 

 「情けない声を出さないで頂戴」

 

 呆れた顔をしつつもどこか笑っているような顔をする彼女は、今の状況をどう考えているのだろう。とはいえ小笠原主催のパーティーだし、妙なことを考える人は少なそうだけれど。小笠原に嫌われるイコール爪弾きにされるだろうから。今日はこのまま祥子さまの話相手をこなしていれば、ミッションは達成だろうなあとぼんやりと会場を眺めていた私は甘かった。

 

 「ごきげんよう、祥子さま」

 

 「――ごきげんよう」

 

 見知らぬ少女がこちらへとやって来て、祥子さまと対面する。ちなみに私は彼女の視界に一度も入っていない、というよりも入ってはいるがこちらを見ようとしていないというべきか。

 あからさまに見下されているよなあと呆れつつも、見知らぬ彼女からすれば私はどこの馬の骨とも知れない人間で、小笠原のご令嬢に取り入っていると判断されても仕方ない。というかリリアン以外でリアルに『さま』付けする人を初めて見たので、驚きである。

 

 「私たちともお話いたしませんか?」

 

 その言葉の後に私たちを窺っていた他の子数名がこちらへと来る。その姿をみた祥子さまのこめかみがぴくりと動いたのだが、相手は気付いているのだろうか。案外、沸点が低い彼女を刺激しているのだけれども、それに気付いていないほうが幸せだろうと手を合わせて対応は祥子さまに丸投げし、静観を決め込むことにして再度料理を盛られたお皿を手に取ると祥子さまにぎろりと睨まれた。

 

 「本日はお誘いいただき光栄ですわ。まさか小笠原家主催のパーティーに呼ばれるだなんて思っていませんでしたもの、ねえ皆さん」

 

 「当家がご招待した方たちは将来ご活躍が確約されている方々と聞いております。わたくしもみなさまに恥じぬよう精進しなければなりませんわね」

 

 などと笑顔を浮かべながら社交辞令を交わし、しばらくすると経済の話まで始まってしまった。こうなってしまえばど素人である私には、横で聞いていても訳が分からない話。聞いていても仕方ないなあと祥子さまに目で止められていた食べることを再開すると、すぐさま私に気が付いた目の前の子たちがここぞとばかりに私に視線を向けて口を開いた。

 

 「祥子さま、失礼ですが見慣れないお隣の方はどちらさまなのでしょう?」

 

 失礼とは言っているものの全然失礼だとは思っていない不躾な視線を向けながら、いろいろな感情を含めた視線を向けて祥子さまに問う彼女。

 

 「わたくしと彼女は学友ですの」

 

 「へ」

 

 まさか私のことを『学友』と呼んで貰えるとは思っておらず、間抜けな声が出ると黙っておきなさいとばかりに祥子さまにまた睨まれた。

 

 「では、リリアンの?」

 

 「ええ。下級生ではありますが、生徒会役員として日々を共にしております」

 

 「まさかお噂で聞いた新しく新設されたという薔薇さまが彼女なのでしょうか?」

 

 学園内の出来事が外の人にも漏れていることに驚いて、きょとんとなりながらコンパニオンの人から喉を潤すためにグラスを受け取る。

 

 「そうですわね。――樹さんご挨拶を」

 

 「このような格好で申し訳ございません。リリアン女学園高等部、山百合会にて青薔薇を拝命しました鵜久森樹と申します。――本日はご厚意でこの場に参加させて頂き光栄の極みです」

 

 貴族ではないのでカーテシーなんてことはしないが、深々と頭を下げる。このような格好でと断ったのはミネラルウォーターが入ったグラスを持ったままだからだ。

 しかしまあ、リリアンでの出来事が外の人にまで知れ渡っているとは驚きだ。流石良家の子女が通う学園、その動向は外の人間にも筒抜けのようで、名乗った後彼女たちは私を舐めるような視線で品定めし、名乗った家名に心当たりがなかったのか、勝ち誇った悪い顔をしているのだけれどこの先が不安である。

 

 「初めまして、樹さん。……――」

 

 祥子さまに一番真っ先に喋りかけた人がにっこりと笑い自己紹介をし、父親が担う家業を説明してくれるのだけれども、ヤバいくらいに興味は湧かず右から左である。手に持ったグラスはそのまま私の喉を潤すことはないまま、同じ位置に固定されたまま。話が長いなあと他所事を考えながら目を細めると、どんどん雲行きが怪しくなってくる。

 

 「鵜久森、という名を耳にしませんが貴女のお父さまはどのようなお仕事を?」

 

 私がどんな家の人間で、どのくらいの位置にいるのか測りかねているのだろう彼女たちは家族のことを聞いてきた。

 

 「父は弁護士を生業とさせて頂いております」

 

 「そうでしたの。――そのような家業を担っていらっしゃるのですね」

 

 父の職業が明らかになった途端、あからさまにマウントを取ったというような顔をする彼女。そして私の横で静かに機嫌が急降下している祥子さま。

 

 「今日のパーティーは未来の財界を担う方たちが集まり、将来をどのように切り開いていくのかお話をしているのに貴女のような者がいるだなんて」

 

 はっと鼻で笑われ。確かに彼女の言う通り財界になんてこれっぽっちも私の存在は知れ渡ってないのだから、それで合っているけれども一応は柏木さんから招待状は頂いているので正式な参加者である。祥子さま頼むからキレないでと祈りつつ、まだ続く彼女の口上にいかんせん私もイライラしてきた。どうやらこの騒ぎを周りの人たちは認識し始めたようで、どんどんと視線がこちらに集まってくるのが分かる。

 

 「貴女はこの場に相応しくないのではなくて?」

 

 ようやく言いたかったことを言えたであろう彼女は勝ち誇った笑みを浮かべ。

 

 「っ!」

 

 祥子さまがぐっと息をのみ言葉を吐き出そうとした瞬間に私はある行動に出る。

 

 「なっ!」

 

 「何をしているのっ!」

 

 一口も飲まなかったグラスを自分の頭の上に掲げて逆さまにすれば、当然中身は己に降りかかる訳で。その様子をみていた周りの人たちはぎょっとし、更に注目を集める。

 

 「どこの馬の骨とも分からない輩は、この場から失礼させて頂きます。――ご歓談中お騒がせし申し訳ございませんでした」

 

 彼女たちとの口喧嘩に乗る必要は全くないし、私の家族を遠回しに馬鹿にされる発言は許せるものではない。本当は殴りかかってキャットファイトに応じたい所だけれども、祥子さまがいるし誘ってくれた柏木さんの手前もある。騒ぎを起こしてしまった事を詫びて、しんと静まる会場から去る私はしてやったりという顔をしながら張り付く髪を片手で直し。取り合えずこの格好では帰れないからと化粧室に寄ると、祥子さまが呆れた顔をしてやってきた。

 

 「貴女、何をしているの……」

 

 「いやあ、流石にああ言われてしまうと。――まあ、あの勝ち誇った顔を驚きに変えられたので私の勝ちですね」

 

 あの場で暴言を吐けば、祥子さまや柏木さんに迷惑が掛かってしまうし、付き合っている友人の質も疑われてしまう。けれども、なにもしないままあの場を去れば彼女たちに負けてしまったことになるし、それは癪なのでああいう行動に出たのだ。

 

 「全く、無茶をして」

 

 肩を落として安堵する祥子さまに、笑みを浮かべて問題はないと伝えると、ハンカチを差し出され。

 

 「ワインやジュースを被った訳ではありませんし、大丈夫ですよ。それよりも柏木さんに謝らないと」

 

 誘ってもらったし、美味しいものも食べられた。まあ虫よけにと放り込まれたのだろうけれど、興味はあったし覗けたことは経験だろうから。

 

 「優さんならば問題はないわ。貴女が去ったあとであの場を上手く納めていたのだもの」

 

 「そうですか。――祥子さまは?」

 

 「あの子たちにはほとほと呆れていたの。だから少しだけスッキリしたかしら」

 

 「そりゃよかった」

 

 とはいえ心配事はある。祐巳さんだ。祥子さまの妹としてみられるだろうし、高校生活はまだ続く。こういう場にでてもおかしくはない上に確実にこういうことに晒される。このことが切っ掛けで、少しでも祥子さまが祐巳さんのことを気にかけてくれるのならば、今日、こんな目に合った甲斐があるものだと、ホテルを後にしたのだった。

 

 ちなみに後日、小笠原家と柏木家の両家から詫びの品が届いて、ウチの家族が右へ左への大騒ぎを起こすのだった。

 

 




 7110字

 ちょっと大袈裟だったかもしれないと思いつつ投げ。もう少しスマートに行きたかったのですが、おつむが足りない作者はコレが限界です。


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第五十五話:与太話と立ちはじめた煙

 自分で水をぶっかけて会場から去った私を、何故か祥子さまが追いかけてきて二人でお手洗いから出ると、そこには柏木さんが立っており。

 

 「全く君も無茶をするね。――けれどさっきのアレは見物だったよ」

 

 呆れ顔を見せたあと直ぐ破顔し柏木さんは随分と愉快そうに笑っている。

 

 「家族のことを悪く言われたので平手打ちでも見舞いたい所ですが、手を上げると問題ですしねえ」

 

 空手なんてものを習っていたのでどうしても素人よりも威力が上がってしまうし、受けた相手が耐えかねて床に倒れでもすれば、そこまでに至った経緯はどうであれ悪いのは私となってしまい、有段者が素人に手を出したので更に状況が悪化するのだ。その上にそんな人間を誘った柏木さんの非を責められる上に、ウチの家族の質も疑われる。

 

 「それで自ら飲み物を被るだなんて、貴女って本当に行動が突飛だわ」

 

 話を勝手に切り上げてその場を去っても、後々に悪く言われてしまうのは明白だったから、そうするくらいしか方法が浮かばなかっただけだ。本当はもう少しスマートに行くべきなのだろうけれど、社交場の礼儀作法なんてさっぱりだし。

 

 「でもさっちゃん、二人を取り囲んでいた彼女たちの顔を見たかい?」

 

 くくく、と笑いを堪えながら柏木さんが祥子さまに語り掛けると、私へと不敵な視線を向ける。

 

 「悪趣味ですわよ、優さん」

 

 「とはいえ、彼女たちに少々困っていたのは事実だろう?」

 

 二人は私を置いて、彼女たちのこれまでの行動を語る。どうやら私にいろいろと吹っ掛けてきたのは、プライドの高さ故。周囲から問題視されていたものの彼女たちがまだ未成年ということもあり、放置されていたそうだ。

 

 「ご両親はさぞ顔を青くしているだろうね」

 

 「今回のことで反省なさってくださるのかしら?」

 

 「もう後がないからね。――再教育されるんじゃないのかな」

 

 彼女たちの年齢的にもこれが最後通牒のようだ。大学に進学しないならば社会に出なければならないし、学生のうちに更生することを願っているのだろう。社交界も人間関係が大変だなあと痛感しつつ、遠くない未来にトップに立つであろう二人は随分と余裕そう。この辺りはきっちりと家から施された教育と本人の資質や矜持によるものだろう。

 

 「樹くんも巻き込んでしまって済まなかったね。まさかこんなことになるだなんて」

 

 その言葉とは裏腹ににっと笑って全然済まなさそうな表情の柏木さんに溜息をありありと吐く祥子さまと私。完全に面白がっているよなあと私をあの会場へと誘った張本人を見ながら、目の前の人は敵に回すべきではないとそっと心に誓う。

 

 「いえ。美味しいものをお腹に収められたのでそれで満足です」

 

 家族を悪く言われたことにはイラっとしたが、それ以外はなんら問題はなかったのだ。

 

 「君は安上がりだねえ……」

 

 更に笑みを深める柏木さんと、呆れた様子の祥子さまに見送られ都内の高級ホテルを後にしたのだった。そうして数日後に鵜久森家へと届いた荷物の差出人から上を下への大騒動となり、家族全員が見守る中で開封の義を執り行い柏木家からの詫びの品にダイエット器具が入っていたことに私以外が首を傾げてるのは当然で。

 

 「……柏木さんめ」

 

 絶対あの人楽しんでいると眉根を寄せながら目を細めると、父から頼むから妙なことはしないでくれと念を押されたので、どことなく悔しい気持ちは次に会った時に取っておくこととしたのだった。

 

 ――数日後。

 

 「そういえば、お見合いはどうなったの?」

 

 放課後の薔薇の館。下っ端の一年生が集まり雑談を交わしている最中、由乃さんが唐突に話題を変えてそう聞いてきた。

 

 「ん、どうにもならなかったよ。そもそも断る前提だったしね」

 

 「なんだつまらない。何かあれば面白かったのに」

 

 本当はいろいろとあったがわざわざ恥をさらす必要もないと黙っておくが、祐巳さんには祥子さまとホテルで会ったことを伝えておいた方が良いだろう。素直な彼女が妙な嫉妬や猜疑心を発露させることはないだろうが、大好きなお姉さまのことなのだし、その人に柵があることを知っておいた方がそういう場に立った時に己の身の振り方を先に考えることが出来るだろうから。

 

 「由乃さんが期待するようなことはなかったけれど、ホテルで偶然柏木さんに会ってパーティーに誘われたんだよね」

 

 「うえっ!? か、柏木さんにっ?」

 

 「あら」

 

 驚いた顔を見せる祐巳さんに、目を細めて喰いついた由乃さん。そしていつものように静かに話を聞いている志摩子さん。三者三様ぶりに苦笑しながら、ある程度ぼかしつつあの会場で起こったことを話す。

 

 「でもなんで柏木さんは樹さんをパーティーに誘ったのかな?」

 

 「祥子さまの虫よけ剤じゃないかな。ああいう場所って参加する人が限られているから、知らない人間が居たら目立つからねえ」

 

 まあ社交せずにずっとご飯を食べていたから祥子さまの目に付いたという裏話もあるのだけれど、わざわざそれを彼女たちに話すことはない。

 そのあと見慣れない女が小笠原家の一粒種と話していれば、当然目立つ訳で。柏木さんは男性たちと話していたし、女性だけで話している場に割り込むのは恐らくあまりよろしくはない行動だったのだろう。柏木さんの手のひらの上で踊らされた気もするが、詫びの品やら届いているのだし。

 

 「まあ、そういうことがあった訳だから祐巳さん、頑張ってね」

 

 「な、なんで私が頑張るの?」

 

 「祥子さまの妹イコール目立つし目を付けられるだろうからねえ。あと祥子さまは不器用だから、そういうことには正面から立ち向かおうとする人でしょ」

 

 私は適当に逃げるし、どうしようもなければ最終手段の暴力に出るんだけれども、彼女の性格上それは無理だろうし、祐巳さんを守るには少々不安が残る。逆に柏木さんのような人なら安心できるんだけれど、シンデレラの件であまり印象は良くなさそうだし。

 

 「うぐっ」

 

 否定できないのか言葉に詰まる祐巳さんが、微妙な顔をしている最中、部屋の外から階段が軋む音が響く。誰か上級生がやってきたから、そろそろこの話は終わりだろうと畳みかける。

 

 「今回は柏木さんの気まぐれで社交場に踏み入ったけれど、祐巳さんも祥子さまの妹を続けるならそういう機会が訪れるだろうからねえ。虫よけ剤として頑張らないと」

 

 「ええーっ!」

 

 「ちなみにその人たちには私が青薔薇だってことが知れ渡ってた。超怖い」

 

 うん。本当にホラー。学園外の人だというのに内情を知っていた事実に驚きを隠せない。もしかすればリリアンに入学したかったのに、入れなかったのだろうか。

 流石に私の人相風体は知られていなかったが、そういうことならば動向を知っていたことには納得できる。

 

 「祐巳に妙なことを教え込まないでくださる、樹さん」

 

 「お、お姉さまっ!」

 

 扉が開くと共に声が聞こえ、そこには祥子さまが呆れた顔で立っていた。その姿と声を見聞きしするとツインテールを揺らして、嬉しそうな顔をする祐巳さんはまるでご主人さまに再会したワンコのようで。

 

 「あれ」

 

 「あら」

 

 「お」

 

 祐巳さんの言葉に違和感を感じて首を傾げる由乃さんと志摩子さんに私。つい先日まで『祥子さま』と呼んでいた気がするのだが、いつの間に。とはいえ彼女たちは姉妹なのだから、なんら可笑しなことはなく。にやにやと笑い、由乃さんと志摩子さんへと視線を向けて肩を竦めると、彼女たちも小さく笑いながら祐巳さんと祥子さまのじゃれ合いを暫く見ているのだった。

 

 ◇

 

 期末試験も終わり、二学期も残すところあとわずかとなった今日この頃。寒さが身に染みるがあと少しすれば冬休みに入るのだから、もう少しの我慢だと言い聞かせて寒空の下を歩く。こういう時に車があれば、暖気してからエアコンを即入れてぬくぬくと通勤していたものだが、未だ学生の身ゆえ致し方ないと割り切り、取り合えずバスに乗り込めば寒さをしのげるのだからまだマシだろうと心を騙して学園前で降りて、校門を抜けて銀杏並木を進む。

 

 「ごきげんよう」

 

 そう交わされる言葉を聞きつつ、己に掛けられた言葉には律義に返しながらようやく教室へと辿り着いて、自席へ座る。外よりもマシではあるが寒いなあと深々と息を一つ吐き、喧騒の中一限目の授業の準備をしつつ周囲の声をなんとなく聴いていた。

 

 「――白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)、……」

 

 「でも、白薔薇さまが――――」

 

 やたらとクラスメイトが聖さまの名を口にする。リリアン生にとって彼女はアイドルのような存在だから注目を浴びているのは仕方ないと言えるが、こうも彼女だけの名が挙がるのは珍しい。ファンの子たちが騒ぐ分には自由にすればいいのだから、気にする必要はないかと意識を戻して再度机に向かうと、こちらへと誰かがやって来る。

 

 「樹さん、いえ青薔薇さま(ロサ・ノヴァーリス)

 

 「え、あ、うん。どうしたの?」

 

 割と切羽詰まっているクラスメイトの気迫に押されて、返事がしどろもどろになりながら顔を見上げる私。いつも落ち着いている子が珍しいこともあるものだと首を傾げれば、彼女は落ち着きのない様子のまま口を開いた。

 

 「これを白薔薇さまが書いたとの噂があるのだけれど、本当なの?」

 

 「なにこれ?」

 

 一冊の文庫本を机の上に置かれたのだった。見たことも聞いたこともないから、有名なものではないのだろう。『いばらの森』とタイトルが打たれて著作名には『須加星』とある。たしかに聖さまっぽい名前であるが、本当に彼女が書いたならば、バレないように捻りのあるペンネームにしそうなものだが。

 

 「じゃあ、樹さんも知らないのね」

 

 「うん、なにも」

 

 「そっか」

 

 机の上に置いた文庫本は彼女の手に戻り変なことを聞いてごめんなさいと言い残し、仲間内の下へ帰っていく。噂の真意はどうであれ、今の時点では噂に過ぎないし彼女が書いたという事実はない。仮に彼女が書いていたところで問題などない。ならばそのうち勝手に鎮静化するだろうと始まったホームルームに意識を向け、時間は放課後となる。

 

 「樹さん、白薔薇さまの噂話は聞いて?」

 

 「聖さまが本を書いたってヤツ?」

 

 「そう、それよ!」

 

 顔をぐいっと私に近づける由乃さんの気迫に押されて、背が自然に後ろへと反る。薔薇の館へと向かう道中、由乃さんに声を掛けられて捕まったのだけれど、どうやら既に噂の虜らしい。若いなあと笑いながら手で頭を掻くと『気にならないの?』と問われるが、そもそもなんでこんなに盛り上がってしまっているのかが分からないのだから、根本的な部分ですれ違いを起こしているのだ。

 

 「みんなみたいには気になってないよ」

 

 中身が面白いという評判でもたてば、興味は湧くかもしれないが。

 

 「どうしてよ」

 

 「んー。仮に聖さまが書いていても個人の自由だし、アルバイト禁止の学園に目を付けられないならそれでいいんじゃないかな」

 

 お金を稼ぐことを学則で禁止してはいるものの、逃げ道はある。

 お金の入る場所を彼女の親やきょうだい、ようするに第三者へと入るようにすればいいだけだし、実際副業禁止の会社で働いているというのに家で農業を営み、その収入は奥さんに入るようにしている人だっているのだし。少し面倒なのは個人で税務署に行かなければならない事くらいである。

 

 「……」

 

 「なんで黙るの由乃さん」

 

 「樹さんは心配じゃないの、白薔薇さまのこと」

 

 「何を心配するの?」

 

 二学期の体育祭の頃ならば少しは気にしたかもしれないが、今の聖さまならのらりくらりと問題が起きても乗り越えられる気がするし。

 

 「もういいわっ、樹さんの馬鹿っ!」

 

 突然走り去る由乃さんを止める間もないまま、その姿が小さくなっていく。病み上がりなんだから無茶しないで欲しいと、私的にはそちらの方が心配になるんだけれども。

 由乃さんはどうやら薔薇の館にそのまま向かったようなので、私は情報を仕入れに行きますかねえと、薔薇の館へと向けていた足を変えて。仕事も少なく暇な時期で良かったと呑気に考えながら、帰路につく生徒や部活へと向かう生徒たちとすれ違いながら目的の場所へと辿り着く。

 

 「ごきげんよう、青薔薇さま」

 

 もしかすれば件の『いばらの森』が置いてあるかもと、図書室に入るとそこには静さまの姿が。先に見つけられて、声を掛けられるのだけれど違和感を感じて苦笑いを零してしまう。

 

 「静さま、ごきげんよう。その呼び方は止してくださいよ」

 

 役職名を上級生から言われるのはどうにも慣れない。

 

 「いいじゃない。呼びたいのだからそう呼んでいるのだもの」

 

 くすくすと笑う静さまと言葉を交わしながら図書室の中を伺うと、いつもより人が多い気がする。どうやらいつもより多い生徒たちの目的は、私と同じらしい。

 

 「もしかして貴女も『いばらの森』をお探し?」

 

 「ありゃ、バレましたか」

 

 「そう。――……残念だけれど、置いてはいないの。だから個人で購入するか、持っている誰かから借りて読むしかないわね」

 

 普段の彼女とは違い珍しく目を細めて、何か含みを持った言い方をした。いつも余裕の表情を崩さない人だからきっと何かあるのだろう。

 

 「そうですか。なら本屋巡りでもしてみますね」

 

 ありがとうございます、と頭を下げて図書室を出る。寄り道禁止の校則があるので一度家に帰って出直すか、誰かに頭を下げて借りるしかないかと両手を空へと向けて背伸びをしながら、ひとつ息を吐いて帰路につく私だった。

 

 

 

 




 5207字

 五十話以上かけていばらの森にやっとたどり着きましたが、いろいろと記憶が飛んでいて齟齬が出てる……。いばらの森の話ってテスト期間中だったのかorz 終わってしまったのでどうにか誤魔化しながら書いてますorz


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第五十六話:姦しさと現状と悔恨

 注意:『いばらの森』という話自体が好きな人には、申し訳なく。もうひとつ、視点が途中で切り替わります。


 荷物を纏め席を立ち通学鞄を持って教室の出入り口を目指しながら、クラスメイトと挨拶を交わす。

 

 「ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう」

 

 スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻さないように、と一年藤組の教室を抜け、さらに一年生の教室が並ぶエリアも抜けてほどなく中庭へと進む。人が少ないことを確認した後、ぐんと大股開きになって歩けばスカートのプリーツを乱し、白いセーラーカラーが波打つ。そうしてたどり着いた先は薔薇の館である。今日の生徒会の仕事はないから誰も居ないので、軋む階段をいつもより軋ませて二階へと昇り、いつもの部屋の扉をおもいっきり開いて一歩部屋の中へと入って直ぐ。

 

 「はあああああああ」

 

 開けた扉を閉めながら大きな溜息を長く吐き出し、下を向く。溜まっていたものが少しだけではあるがマシにはなったなと、顔を上げ目を開けた。

 

 「随分と大きな溜息ね」

 

 「本当、どうしたのかしら?」

 

 何事かと言わんばかりの表情をすぐに潜めさせ、上級生としての余裕ある笑みを浮かべて凛とした声で私に問いかける蓉子さまと、その隣でくつくつと笑っている江利子さま。この部屋には誰も居ないと思い込んでいた為にバツの悪い顔になったことを自覚しつつ、目の前の人たちにならば見られても問題はないかと開き直る。

 

 「済みません、失礼しました。……ちょっと疲れることがありまして」

 

 「あら、珍しいわね。貴女がそんな事を言うだなんて」

 

 「そうね」

 

 ふふ、と小さく笑って手元の紙に視線を向けなにかを書き込んでいる二人。おそらく急に雑務が舞い込み、量もそんなに多くはないから手近にいた江利子さまを蓉子さまが取っ捕まえて、薔薇の館(この場)へ無理矢理引き込んだのだろう。既に二人の手元にはティーカップが置かれており、ある程度の時間が経っていたようだった。

 

 「お茶を淹れますが、お二人ともおかわりは?」

 

 ならば取り合えず仕事をしている彼女たちを横目に流し台へと立って声を掛ける。

 

 「まだ残っているから大丈夫よ、ありがとう」

 

 「私もまだいいわ。――それで、どうしたのかしら?」

 

 仕事を続ける蓉子さまと仕事の手を止める江利子さま。先ほどの答えでは納得が出来ず、興味が湧いたようでまじまじとこちらを見ている彼女の姿に、答えるまで解放されることはないとはぐらかすことを諦め、いつもより渋いお茶を淹れて指定席へと座る。

 

 「仕事は良いんですか?」

 

 「蓉子が捌くから平気よ」

 

 「江利子、貴女が良くても私が良くはないのだけれど?」

 

 いいから話しなさいと言わんばかりの江利子さまと、そんな彼女に振り回されている蓉子さま。いつものことだと呆れつつ蓉子さまに私に出来る仕事はあるのか確認すると、数枚の紙をこちらへと寄越されたので目を通す。山百合会の仕事を始めて数か月、何度もこなしたことがあるものだったので鞄から筆箱を出してペンを持つ。

 

 「ほら江利子。話なら終わったあとでゆっくり聞けばいいじゃない」

 

 「……仕方ないわね」

 

 なんだろう、勉強を後回しにしようとする子とそれを諫める母の会話のようなやり取りに『子供かっ!』という突っ込みを盛大に入れたくなるけれども、二人ともまだ未成年だった。それでも堪え切れずぷっと笑うと、それを目ざとく見つけた江利子さまが一瞬目を細め持っていたペンのおしりの先で私のおでこにぐりぐりと軽く突き立てる。

 

 「痛い」

 

 込められた力は軽く痛くはないけれど、私で遊んでほしくないので声に出して抗議すると、何が面白いのかにやりと笑う江利子さま。

 

 「えーりーこ。いい加減になさい」

 

 「わかったわよ」

 

 蓉子さまの言葉に遊ぶことを諦め、手を動かし始めた江利子さま。量はないし内容は簡単なので三人で取り掛かれば直ぐに終わってしまう。

 なるほど、江利子さまに仕事のやる気が見られないのは蓉子さま一人ででも余裕で捌けてしまえるからか、と一人納得しながらまだ冷めていないお茶を啜り。取り掛かり始めてからものの五分で、手元にあった仕事を終えてたので先程の続きを話すことになったので、昨日の放課後に本屋さんで手に入れた『いばらの森』とタイトルが書かれた文庫本を鞄から取り出し、二人の目の前にそっと置く。

 

 「……」

 

 「ああ」

 

 「お二人はこの本が噂になっていることはご存じですか?」

 

 一年生の間でにわかに騒ぎになっている本である。

 曰く、白薔薇さまである佐藤聖さまが執筆したと噂が噂を呼び、興味を持ち本を読んだ子たちが話の内容からどうしてあんな悲しいことが、と物語に胸を打ち感動する子が多数。噂が立ちはじめてからというもの一年藤組の教室はこの話題で持ちきりだった。上級生の間ではどうなっているのかは知らないが、リリアン女学園高等部のまとめ役である薔薇さまという任に就いている彼女たちならば、ある程度は知っているだろう。

 

 「ええ、そうね」

 

 「知ってはいるけれど、どうして樹ちゃんが疲れる羽目に合うのかしら?」

 

 こういう事、しかも聖さまが関わっているというのに話の主導権を握っているのは江利子さまだった。いつもならば蓉子さまが主導しそうなものなのにと二人の様子を窺いつつ、昨日の夕方から今朝にかけての私の身に降りかかった難儀を語るのだった。

 

 ◇

 

 本屋さんに立ち寄り、普段寄り付かないコーナーの一角へと行き目的のものを探し当て会計を済ませて帰路へ着く。そうして夕飯を終え授業の予習復習も終え、本屋で包んでもらった紙袋の封を切って中身を出し読み始め。活字の恋愛ジャンルはあまり読まないので、少し新鮮に感じながらも文庫本というライトなものの為、一晩で読み終えた。

 

 そのことが明日のくたびれてしまった原因となることは、この時は露程も思わず。

 

 そうして朝を迎え、学園へと赴き自身のクラスへと足を踏み入れると、噂を知り興味を持った子たちが本を手に入れて読んだのか、聖さまの名前が何度も聞こえる。教室の自席に座り、クラスメイトが私の下へと押し寄せ『この本は白薔薇さまが書いたのか?』『内容は真実なのか?』と問い詰められるのだが、彼女の過去を知らないし噂が立ちはじめてから聖さま本人には会っていないのだから答えようがない。だから。

 

 「噂になっているから読んだけれど、どうなんだろうね?」

 

 真実は当事者の証言が無くてもかまわない、表に出ている断片的情報をくっつけるだけでおおよその真実は透けて見れる。噂になった時点で、おそらく聖さまには『いばらの森』という本に書かれている内容に似たことが、彼女の身に降りかかったことは推測できる。

 ただ憶測にすぎないので問われた答えはぼかした発言となり、周囲の盛り上がりに拍車を掛けてしまったことは失敗だった。口々に自身の意見を述べ始め、憶測や推測が飛び交うけれど答えはでないまま。聖さまに聞いて欲しいという視線を感じ、苦笑いをしつつ口を開いた。

 

 「知りたいなら、聖さまに渡りを付けるけれどどうする?」

 

 噂の真相を知りたいのならば本人に吶喊するのが一番手っ取り早いのだが、先程まで随分と盛り上がっていたのに流石にそれは……と周囲のテンションが分かりやすいほどに下がる。

 いやいや無理無理とそんな空気から一転、どこからともなく『悲しい結末だけれど、燃えるような恋って素敵よね』と声が上がると、その声に呼応してみんなが同意の言葉を口にする。

 確かにいばらの森の登場人物である『セイ』の視点で見れば、閉ざされた真っ暗な世界に突然現れた『カホリ』という救いの光。どうしようもなく焦がれ、想いが繋がった。しかし、同性で。多様性とかLGBTなんて言葉が浸透していないこの時代、迎える結末など火を見るよりも明らかだった。

 

 「もっとうまく立ち回ることができたらねえ」

 

 自殺ENDなんて迎えなかっただろうに。若さ故なのか、ひとつのものしか見ずまわりを見ていないのだから仕方ないのかも知れないが。

 私の言葉に、じゃあどうすればよかったのと問われる。

 

 「恋愛禁止の女子高なら卒業するまでは隠し通すべきだったよね。自ら追い込まれてるようなものだし」

 

 登場人物がかなり限られているので周りの状況を知ることが出来ないが、二人に手を差し伸べる人が居なかったのも、なんだかなあと微妙な心境になってしまう。物語の結末の余韻を楽しんでいるクラスメイトのみんなと、過程や結末に納得がいかずどうにか二人が幸せになる方法を考えてしまう私とでは、どうしても齟齬が出てくる。

 

 「悲恋物の王道だよねえこの話って。――悪く言えば普通だし」

 

 もう少し話にパンチが欲しい所だけれど、編集部がGOサインを出して出版までこぎつけているのだから、ある程度売れる算段は取れているのだろうが、聖さまのことがなければリリアンでこんなに流行することはなかったのではないかと疑問が湧く。

 

 「ほら、ライバルが登場して寝取られるとか話を面白くする方法っていくらでもあるから。――でも登場人物の性別が逆転したら悲惨だよねえ……」

 

 男と女とでは精神構造が違うから、同じ話でも性別を変えるだけで受け付けられなくなるのが不思議である。私のこの言葉にクラスメイトが拒否感を見せ始め、嗚呼不味い言い過ぎたと気が付いたが後の祭りで。出版されているコスモス文庫の方向性ではないとか、物語の余韻に浸っていたのに読後感が変わってしまったとか非難轟々で。そうして朝からクラスメイトの機嫌を元に戻すことに必死こいていたのだ。

 

 まさか本の話ひとつで、ここまでドン引きされるとは考えていなかった。まあ聖さまが関わっているかもしれないという心理が大いに働いたような気もするが。本当に姦しく散々な一日だった。

 

 ◇

 

 私の話を聞いていた蓉子さまと江利子さま。大して面白くなかったのか、江利子さまは私が机の上に置いた本をぱらぱらと捲りながら、蓉子さまは珍しく黙り込んだままである。

 

 「――自業自得、ね」

 

 江利子さまに一言でバッサリと切り捨てられて何も言い返せないまま、二人を見ながら頭を後ろ手で掻きながら笑う。

 

 「いやあ、うっかりしてました」

 

 思春期の女の子の純粋さを舐めていた証拠である。

 

 「それで貴女はこの本を聖が書いたと踏んでいるのかしら?」

 

 にたり、と笑いそう問いかけてきた江利子さまにゆっくりと顔を左右に動かすと、理由はと問われる。なんとなく、とか答えても江利子さまは納得はしてくれないだろうし、理由はいくつかあるのだがどう答えたものか。

 

 「推測ですが、この本の内容に似たことが聖さまの身に起きたんだろうなとは思います。でも筆を執る理由が分からないので、聖さまが書いた可能性って限りなく低そうかな、と……」

 

 早くても中等部、遅くて高等部二年の時に起きたのだろう。流石に初等部の時のことではあるまい。私が聖さまの人となりを知るのは二学期の初めの頃だが『近寄るな、関わるな』という空気を醸し出していた。志摩子さんを妹に迎えて随分とその鳴りは潜めたが、昼休みや放課後に遠目で一人彼女が居る所を見つけ、どこか物思いにふける姿を偶に見ることがあった。立ち入るべきではないと判断してその場を去ったが、こういうことがあったのならば無理矢理にでも声を掛けるべきだったのかもしれない。

 

 おそらくその出来事をまだ消化しきれていないのだ。そんな人が文庫本一冊分を文字に起こすなんて苦行にしかならないし、いくら頭脳明晰とはいえ受験生の身で執筆活動にその比重をおけるのか謎である。

 

 「ねえ、樹ちゃん」

 

 「はい」

 

 「もしもその本の中の話に貴女が関われるとしたら、どう動いたかしら?」

 

 「どう動く、とは?」

 

 「そうね。二人が一緒に居られる方法かしら、ね」

 

 「無理じゃないですか。前しか見えていない人に周りを見ろって言っても、見ませんからね」

 

 作中の時間軸は短いので出来ることは限られてくる。破滅することが分かっていながら夢中になっている人を諭すのはかなり難しい。

 

 「それじゃあ見限るの?」

 

 「見限るというより、何を言っても無駄だろうから熱が冷めるまで待つしかないって感じ……――ああ、ひとつ方法があるかも」

 

 ふと気づいて少し頭の中で整理をしていると、江利子さまが早く言えと言わんばかりの顔をしている。未だにだんまりの蓉子さまが不思議でならないが、こういう日もあるのだろう。

 

 「相手の人を説得すれば、ワンチャン……でもその本の主人公の性格からすれば、状況がややこしくなって喧嘩別れでもして引き籠りコースとかもあり得るのか……んー、難しいなあ」

 

 誰も寄せ付けずただ二人で居ることだけを願う主人公だものなあ。相手の気持ちが自分から離れていっていると思えば、相手すら責めかねない人物像だった。恋愛部分にスポットを当てている小説からの情報だから、作者がどういうつもりでそのキャラを作ったのか分からないし。

 

 「まあ、創作物なので作者自身の事実なのか妄想なのか分からないですし、深く考えても仕方ないような気もしますが」

 

 「それもそうね」

 

 ふっと江利子さまが笑い話を切り上げる。私は渋いお茶を飲みたくなり薔薇の館へと赴いただけだし、仕事も終わったようなので退室を告げてその場を後にしたのだった。

 

 ◇

 

 薔薇の館の二階の窓から、この場を今しがた去り中庭を歩く彼女の背を見つめる。愚痴を吐いてすっきりしたのか、部屋に入った時よりも軽い足取りだった。

 

 「ねえ、蓉子」

 

 「……なに、江利子」

 

 『いばらの森』という本が聖が書いたのではという噂が流れたのはつい最近だ。先ほど彼女が見せてくれた本を中を覗いて軽く流し読みをしてみたが、確かに去年の状況と酷似していた。

 

 「貴女、分かりやすいくらいに顔に出ていたわよ」

 

 「――仕方ないでしょう。聖だって触れて欲しくはないでしょうに、彼女の預かり知らぬところで盛り上がっているんだもの」

 

 「蓉子の心配も理解できるけれど、樹ちゃんに見せる態度ではなかったのではないのかしら――紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)

 

 「江利子、今役職(それ)を持ち出さないで頂戴」

 

 深い溜息を吐き現状を憂う蓉子を横目に見ながら苦笑いを浮かべる。生真面目でお節介焼の彼女らしいが、もう終わったことなのだし当事者である聖も、ある程度心の区切りを付けているだろう。付いていないのならば、彼女は去年のような態度のままであるはずだ。その辺りのことに気付けない蓉子ではないだろうが、心配なものは心配らしい。過保護ともいうのだろうか。

 

 「でもまあ、蓉子の心配も分からなくはないけれどね。本当、狙いすましたようなタイミングよね」

 

 「そうね、一体誰が書いたというの……」

 

 「さあ? 聖やあの子ではないのは確かかしら」

 

 聖があんなものを書くようなタマには思えないし、去年クリスマスにリリアンから姿を消してしまったあの子でもないだろう。

 

 「分からないということが悩ましいわね。可能性としては周りで見ていた人たちも含まれるでしょうし……お姉さまたちが居れば抑止力になってくれていたでしょうけれど、卒業されてしまっているから頼る訳には……」

 

 蓉子が言った通り可能性の話ならば、今の二年生と三年生に卒業した去年の三年生に教諭陣やシスターたちも含まれる。珍しく弱気な姿を見せどうにかしようと悩んでいる彼女には申し訳ないが、噂を鎮める方法などありはしない。リリアンで注目されている薔薇さまの一角を担う人間の話なのだ。去年を知らない一年生が喰いつくのも仕方ないといえよう。

 

 「そう心配しなくても大丈夫なんじゃない、蓉子」

 

 「貴女は気楽でいいわね」

 

 「そういうつもりはないけれど、でもね一年という時間が経って状況は変化しているのよ。聖自身もなにか見つけて変わろうとしているんだし、放っておいても平気じゃないかしら」

 

 「言いたいことは分かるけれど……」

 

 「聖には甘いものね、貴女は」

 

 心配なのは理解できるが、あまり干渉しすぎると聖が怒ってしまうのは身を以て体験しているだろうに。それでも手を差し伸べる根性は褒めるべきだろうけれど、蓉子の場合無駄になる事が多い。それでも彼女は苦笑いをしつつ嫌われちゃったと言いながら、またお節介を焼いている。全く懲りないが彼女らしいと、私が持ちえないものを備えていることを羨ましく思えるくらいには、付き合いが長くなった。

 

 「まあ何かあったとしても、蓉子以外も動いてくれるわよ。だからそんな顔をしなくてもいいのではなくて?」

 

 真面目な蓉子は卒業した姉たちを頼る訳にはいかないと考えるだろうが、最終手段として相談するくらいなら構わないだろう。そして聖が構っている一年生、特に祐巳ちゃんならば黄薔薇革命の時のようにあわあわと狼狽えながらも真っ直ぐに突っ走ってくれそうだし、我が孫である手術から復帰したばかりの由乃ちゃんも興味と好奇心で周りを巻き込みながら突き進んでくれそうだ。志摩子はどうでるか分かり辛いが、聖が落ち込んでいれば真っ先に気付いて聖の側に居るだろう。

 

 そうして今しがたこの場から去っていた子も、きっと。

 

 去年の状況を知っている祥子や令が動く可能性は低いが、どうしようもなくなれば何かしらの行動には出てくれるはずである。だから蓉子のような心配を私はしないし、しても仕方がない。いつも損な役回りを演じる長年の友人に笑みを向けて『ごきげんよう』と言い残し、薔薇の館を去るのだった。

 

 ◇

 

 いつもの事ではあるが江利子は全く勝手なことを言ってくれるものだ。人の気持ちを他所に、言いたい事だけを言って薔薇の館を出ていったのだから。去年のあの出来事に、後悔することが沢山ある。もっとうまく動いていれば聖とあの子は離れ離れにならずに済んでいたのではないか、と思えて仕方ない。一年という時間は経ったが、まだ一年しか経っていないのだ。志摩子という存在を見つけたとはいえ、彼女のことを忘れたわけではあるまいに。

 

 その傷がどこまで塞がっているのかなんて聖本人にしか分からないのだから、心配になっても仕方ないではないか。頼れる姉は卒業してしまったのだから、相談をするのは憚られる。そして一番頼りになるであろう黄薔薇を担う江利子は、あの調子なのだから溜息しか出ない。

 

 「前しか見えてない、か」

 

 誰も居ない薔薇の館で一人呟く。本当に噂の本はどこまで核心をついているのやら。去年の聖は一つのものに拘りすぎて周りが見えていなかった。そんな聖を説得して話を穏便な方向へと持っていくことは難しいことだと理解しながら、それしか出来なかった。確かに聖だけではなくあの子とも話を付けて説得すれば、もしかすれば何かが変わり聖とあの子が姉妹となり、志摩子を祥子が妹として迎えた未来だってあり得たのだろうか。

 

 「深く考えても仕方ない……ね」

 

 過去を悔いてもしかたない。聖の妹は志摩子で、祥子の妹は祐巳ちゃんだ。大きく変わった事といえば青薔薇が存在することだろうか。一年生らしくない彼女が、今回の噂をどう立ち回るのか気になる所ではある。黄薔薇革命では教師たちに根回しだけして、結果的には無駄に終わったと笑っていたが。

 

 今回の噂は一年生の間で広まっている。学年の違う人間に出る幕はないなと、溜息を吐き、確りと施錠を確認して帰路へとつくのだった。

 

 




 7675字
 
 ちょっと助長だったかも、反省。


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第五十七話:噂の鎮圧と未来への約束

 人の口に戸は立てられぬ、と言われるように噂は簡単に広がっていく。

 

 山百合会のネタならばここぞとばかりに学園中に噂が広まるというのに、今回のことは上級生たちが口を噤んだこともあってか一年生の間で更にそのことが憶測を呼び、自伝的小説という売り言葉に聖さまが書いたということに真実味を帯びさせているのだから。

 一つの救いはもうすぐ冬期休暇が二週間ほどあることだろうか。上手くいけばある程度の鎮静化につながるだろうと踏んでいるのだけれども。もっとも確実な方法は聖さまがきっぱりと否定すれば一番手っ取り早いが、噂に気付いていないのか沈黙を守るままだし、学園で噂に一番敏感であるはずの新聞部も動く様子がない。数々の山百合会ネタを取り上げてきたあの部が何故動かないのか疑問だが、聖さまが『いばらの森』の内容に沿うことを体験していたのならば、新聞部が動かないことも上級生たちが口を噤んでいることも合点がいく。

 

 この一件で私が恐れたことは、同性愛を嫌悪する人が出てこないかだったのだが、どうやら杞憂だったようでそこに話を持っていく人がいないことは幸いだった。

 

 そのことに安堵しつつ私には噂を抑えるような力はなく見守るしかないのだから、考えていても仕方ないと山百合会の仕事があるが為に荷物を纏める。

 冬期休暇前にクリスマスを迎えるのでミッション系の学園らしくどうやら礼拝があるようで、二学期も終わりに近いというのに、山百合会は少々忙しい。祐巳さんは『お姉さまと会える』と喜びつつも、流れている噂が事実なのか気になるようで由乃さんとよく話し込んでいた。

 

 『三年藤組佐藤聖さん、至急生活指導室に来てください。繰り返します――』

 

 ジっと電子音が一瞬聞こえて暫くすると、教壇の上に設置されているスピーカーから声が響く。その声の主は放送部ではなく、教諭だった。呼び出された人物が聖さまだと理解した瞬間に教室内がざわつき始めると、声を掛け合い何人かのクラスメイトが外へと歩いていく。どうやら気になるようで生徒指導室へと向かったのだろうとアタリを付ける。

 

 「樹さんは、行かないのですか?」

 

 「ん、いいんちょ。行って――」

 

 「樹さんっ!」

 

 行ってどうにかなるものでもないから、と言おうとした途中に一年藤組の教室へと響く声に遮られた。そうして向けた視線の先には、慌てている様子の祐巳さんの姿が。いいんちょに席を外すことを断り彼女の下へと行くと、なんとも言えない顔で彼女が口を開く。

 

 「ど、どうしようっ! 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)がっ!」

 

 「そんなに心配しなくても大丈夫じゃないかな」

 

 生活指導室へと呼ばれたことを気にしているようだけれど、そこまで心配は要らない筈である。召喚理由は『いばらの森』の作者かどうかの問いただす為なのだろうが、聖さまが書く理由が見当たらないので必要のないものだと思うのだけれど、騒ぎになっているから祐巳さんの慌てる気持ちは理解できなくもない。全校放送で呼ばれたのだから召喚理由を薔薇の館で、蓉子さまと江利子さまが聖さまに聞くだろうと、祐巳さんの背をそっと押す。

 

 「心配なら行ってきなよ。私はあとで薔薇の館に行くから」

 

 「樹さんは行かないの?」

 

 「人、沢山いるだろうしね」

 

 祐巳さんが行ってしまう手前、野次馬とストレートに言えず誤魔化す私は悪い奴で。そんな自分を誤魔化すように笑いながら、もう一度彼女の背を押して、小走りで走りる彼女を見ながら教室へと戻る。

 

 「大変ですね。――青薔薇さま(ロサ・ノヴァーリス)は」

 

 くすくすと眼鏡の奥にある目を細めていいんちょが他人事の様に言い放つ。

 

 「二学期からいろいろとあり過ぎる……とは思ってるけれど、私が原因じゃあないから」

 

 巻き込まれているような気もするけれど、みんな若いしいろいろと考えることもあるだろうから頼ってくれることは悪いことじゃない。

 お嬢さま校だからか喧嘩沙汰にならないだけマシだし、そうなったとしても一発ビンタを貰うくらいなのだから可愛らしいものである。肩を竦めて笑いながらいいんちょに薔薇の館に行ってくると告げ、鞄を持って教室を出る。ミサとクリスマス会の予定を立てるからと蓉子さまから昨日連絡があったので、山百合会の仕事の為に聖さまの件がなくとも薔薇の館には行かなければならないのだ。

 

 「ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう」

 

 いつものように中庭へと向かい木造建屋の薔薇の館の扉を開けて二階へと昇り、いつもの部屋へと入ると祐巳さんと聖さま以外の人たちが揃っていた。

 約束の時間前だったので遅いと怒られることはないし、祐巳さんが生活指導室へと赴いたことは志摩子さんから伝わっているようで遅れてきたとしても咎められることはないだろう。薔薇さま二人はあらあらという感じで済ませていたのに、人にも自分にも厳しい祥子さまは顔をしかめてはいたが。

 

 そうしてほどなく聖さまが祐巳さんの肩を抱きながら、扉を開いて軽く挨拶をして『喉が渇いたー』と言い放つ。いつもと変わらない調子に大したことではなかったのだろうと席を立ち流し台へ立つと、その横には志摩子さんがいつの間にか居て。

 

 「――それが呼び出しの理由なの?」

 

 彼女も慌てた様子もないので、心配は必要ないだろうとお茶を淹れている間にどうやら話が進んでいたようだ。目を白黒させながら祐巳さんと由乃さんが、薔薇さま三人の会話を聞き逃すまいと聞き耳を立てている微笑ましい様子に心の中で笑いながら、淹れたお茶を志摩子さんが聖さまに、私が祐巳さん下へと置いて席につく。

 

 「そういうこと」

 

 「生活指導室、ね。一度呼ばれたけれど、二度目ねえ……。個人的に呼ばれたことはないから、ちょっと羨ましいかも」

 

 私も呼ばれたことがあるので、彼女のことは笑えないが良いことで呼ばれることなんて皆無だし、笑いながらのたまった江利子さまはなにか問題でも起こすつもりなのだろうか。日常の中で面白いことを見つけると喰いつく彼女ではあるが、道理から外れるようなことはしないので、二度目は難しいような気もするけれど、取り合えず私が巻き込まれなければいいのだ。私が青薔薇を担うことになったのは彼女も一枚噛んでいたと聞くのだから、油断はしない方がいい。

 

 「それで?」

 

 「別に私じゃないって言ったら解放してくれた」

 

 どうやら聖さまはその本を読んではいないし、流れている噂も今日の呼び出しで知ったようだ。山百合会の噂に敏感なリリアン生が沢山いるというのに、今回の事が本人の耳に届いていないのは不思議であるが、聖さまの身に『いばらの森』と同様の事が起こり周囲が口を噤んでいたとすれば、知らなかったことには納得がいく。

 

 「本当にあなたが書いたんじゃあないのね?」

 

 「――マリア様に誓って」

 

 片手を上げて宣誓のように言う真面目な表情の聖さまの言葉に、蓉子さまが一つ頷いた。

 

 「……わかったわ。この話はもうおしまい。いかが黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)?」

 

 「異議なし、ですわ。紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)

 

 「じゃあクリスマス会のことだけれど――」

 

 おや、と不思議に思い周りを見渡すと祐巳さんが目をひん剥いて驚いているし、由乃さんはぎょっとした顔をしているのだけれど、他の人たちはいたって普通である。いつもならば聖さまに対して蓉子さまと江利子さまによる尋問が始まりそうなのだが、それがない。ならばやはり『いばらの森』と同様の事が起こり周囲が口を噤んでいるのだなと納得し、聞きたいことを聞けなくて百面相を披露している祐巳さんを見つつ、クリスマス会の予定を立てることに思考を割くのだった。

 

 「祥子ー。祐巳ちゃん貸して」

 

 クリスマス会の予定も無事立て終わり解散しようとなった時、不意に聖さまが祥子さまへと声を掛けながら祐巳さんの方へと歩く彼女。

 

 「別に構いませんけれど……」

 

 物じゃないんだからと一人で突っ込みを入れていると、がしっと祐巳さんの肩を抱く聖さま。仲いいなあと微笑ましく眺めているといつもの祐巳さん限定セクハラ発言が始まった。

 

 「大丈夫、制服脱がせて遊んだりしないから」

 

 からからと笑う聖さまに、ふざけたことを言うと断ると呆れながらそんなことを言う祥子さまを他所にくるりと軽く方向を変えて。

 

 「令ー! 由乃ちゃん貸して」

 

 「由乃さえよければ」

 

 由乃さんの方に令さまが視線を向けると、由乃さんが小さく頷く。

 

 「どうして令さまはうるさく言わないんだろ」

 

 「それは私が由乃ちゃんにはおいたしないから」

 

 「え!? なんで私だけっ」

 

 祐巳さんのその反応の良さじゃないかなあと、考えを浮かべたと同時。

 

 「リアクションが良いからかなぁ。あと祥子の反応も楽しい。一粒で二度美味しい姉妹、ありがとう。――合掌」

 

 どうやら正解だったらしい。蓉子さまをはじめとした上級生組は『あとはよろしく』といいながら去っていく。

 

 「後片付けは三人でやりますので皆さんどうぞお先にー」

 

 軽い調子で祐巳さんと由乃さんの肩を抱き、まさしく両手に華状態の聖さまを見ながら、さて帰る前に図書室にでも寄るかと通学鞄を持つ。

 

 「何かお手伝いすることございます?」

 

 「志摩子。これといってはないね、別に」

 

 「そうですか。祐巳さん由乃さん、お姉さまにつき合わせてごめんなさいね。――ごきげんよう」

 

 そんなやり取りを背に受けながら部屋を出て階段をゆっくりと降りたところで、遅れて階下へとやって来た志摩子さんと合流する。

 

 「よかったの、聖さまの話を一緒に聞かなくて」

 

 私のその言葉に何も言わずにゆるゆると左右に首を振る志摩子さんに苦笑しながら『そっか』と答えて中庭を進む。

 少し先には蓉子さまと祥子さまが並び、遅れて江利子さまと令さまが肩を並べ歩いている。

 

 「樹さんは、お姉さまの話を聞かなくてもよかったの?」

 

 苦笑いとでも言えばいいのだろうか、そんな表情をして顔を少し傾げながら質問を投げる志摩子さん。

 

 「んー、なんとなくだけれど踏み入れない方がいい気がして。それに気になるなら後から聞けばいいだけだし、今じゃなくてもいいかなあって」

 

 ぼりぼりと頭を掻きながら質問に答えると『そう』と短く返事がきた。長々とこの話題を続けるのもアレだなあと、話題を探してみる。

 

 「あ、そういえばクリスマスってキリストの誕生日ってのが認識だったんだけれど、まさか誕生というか降誕を祝う日だったんだね。目から鱗というかリリアンに来なきゃ、死ぬまで誤解したままだったよ」

 

 朝拝で話の流れでシスターが熱く語ってくれた。曰く、世間では勘違いしている人が多すぎるから、カトリック系の学生らしく貴女たちは正しい認識でいて欲しいと。何故だかシスターの視線が私に向いていたような気がしないでもないが、無知でサーセンと心の中で謝っているのかいないのかわからないことを思いつつ、その日の朝拝が終わったのだった。

 

 「そうだったの。――日本で初めてクリスマスのミサが行われたのは室町時代だと伝えられているわ」

 

 「そんな昔からなんだねえ」

 

 キリスト教自体が古い歴史があるだろうけれども、日本でまさか室町時代にクリスマスの概念があったとは。といっても今のような商業行事ではなく宗教行事としての意味合いだろうけれど。ほどなくして江戸幕府の禁教令によりキリスト教が禁止されたので、明治の初めまでの二百年以上の間、隠れキリシタン以外には全く受け入れられることはなかったそうだ。

 一部の例外として長崎出島のオランダ商館に出入りするオランダ人は、キリスト教を禁止する江戸幕府に配慮しつつ、自分たちがクリスマスを祝うため、オランダの冬至の祭りという方便で『オランダ正月』を開催していた。日本でクリスマスが受け入れられたのは、明治三十三年に明〇屋が銀座に進出し、その頃からクリスマス商戦が始まったことが大きな契機だそうで、そこを起点としていろいろと展開したようだ。

 

 そうして時代が流れに流れて現在に至る、と。

 

 日本は海外の風習や慣習に魔改造を施して独自のものに仕立て上げるのが得意だから、宗教行事としてではなく商業行事としての意味合いの方が強いのは致し方ないし、一神教ではなく八百万の考えの方が定着しているから仕方ないといえば仕方ない。真面目に信仰している人には申し訳ないが、クリスマスは子供の為のイベントだという認識が強いし、ラブホテルが一年で最も稼働率が高いとか言われている方が日本らしい。それでも志摩子さんの話は聞いていると面白いのだから不思議なものである。宣教師の苦労話とか聞くと、ああ日本人らしいなあと思えるし、この国に定着しなかった理由も頷ける。

 

 「あ、私、図書室に寄るからここで」

 

 「ええ、ごきげんよう」

 

 「うん。また明日、ごきげんよう」

 

 丁度良い所で話が途切れたし、行きたい所があったのでそう言い残してみんなと別れて図書室へと辿り着き本の山を物色していると、随分と時間が経っていた。適当に興味を引いたものを何冊か借りて帰るかと、カウンターを目指そうと振り返った時だった。

 

 「お、いたいたー」

 

 「あれ、何故ここに?」

 

 「うーん……ちょいと話したいことがあって探してた」

 

 迷惑にならないようにと小声で聖さまに話しかけられたのだけれど、祐巳さんと由乃さんとの用事は終えたのだろうか。終わってなければこの場に居ないかと納得して、私も声のトーンを普段とは随分と落として喋るとにっと笑う聖さま。

 

 「借りた後でも構いませんか?」

 

 「もちろん。行こうか」

 

 手に取っていた本を軽く振ると、私の肩を抱いて歩を進めようとする彼女に、距離感バグってるよなあと感心しつつカウンターを二人して目指す。若干歩き辛いのだが、以前に抗議しても放してくれないので諦めたという過去がある。カウンターへと近づくと、どうやら今日の当番は静さまだったようで、聖さまと私に気が付くと一瞬目を丸くしたけれど、直ぐに笑みへと変える。

 

 「ごきげんよう。手続きお願いします」

 

 「ごきげんよう。お預かりします」

 

 聖さまが横にいる為なのか、いつもの鳴りを潜めさせて黙々と貸出手続きを進めさせる静さま。彼女に喋る気がないのならば、このまま去るべきかと判断して手続きを終えて本を受け取り、図書室を抜ける。

 

 「凄く美人な子だったねえ」

 

 いや、聖さまも美人系に類する人だというのに、自分の顔の評価は勘定に入らないようだ。

 

 「ですねえ」

 

 静さまは聖さまのことを気にしているというのに、お相手である張本人はどうやら知らなかったらしい。静さまは行動派だから接触はあるだろうと考えていたのに意外である。以前に話したときに『自分で知らなければ意味がない』と言い切っていたので余計なことは言わない方がいいだろう。静さまが聖さまに対してどういう感情を抱いているのかは知る由もないが、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ、と言われているのだから頑張って下さいと願うしかないのだ。

 

 「ちょっと寒いけれど、直ぐ終わると思うから」

 

 静さませめて聖さまに認識されるように頑張ってと願いつつ歩いていると、人気の少ない校舎裏へと連れてこられた。

 

 「私、なにかやっちゃいました? お礼参りです?」

 

 あまりの真面目な雰囲気は苦手なので冗談で茶化してみるけれども、聖さまはいたって真面目な顔のままで。

 

 「いや、何もしてないよ。ただ少し聞きたいことがあるだけ」

 

 「?」

 

 何かあったかなあと考えてみるけれど思いつかない。それなら彼女の言葉を待った方がいいだろうと黙るのだった。

 

 「さっき祐巳ちゃんと由乃ちゃんだけを誘ったよね。志摩子は話を聞きたければ、残るなって言っても自分の意思で残るような子だって分かってるんだけれど……君が来なかったことが不思議でね」

 

 私ならば知りたければ志摩子さんと同じようにあの場に残るだろうと考えていたのに、その思惑が外れてしまった事が意外だったらしい。髪をかき上げながら目を細めてこちらを見る聖さまは、二学期初めの頃の雰囲気を携えていた。

 

 あの場に私が残らなかったのは、過去の出来事だし、今更話を聞いても何も変えられないからだ。噂の流れ方からあの本と似たようなことがあったのだろうと予測は可能だし、数日前の蓉子さまと江利子さまの様子から判断するにあながち外れてはいないと思う。ただそのことを馬鹿正直に告げるのはよろしくない気がするので、少し考える素振りを見せると目の前に立つ彼女は待ってくれている。

 

 「そう深く考えなくてもいいんだけれど」

 

 真面目な顔から一転、少し笑う聖さま。良い言葉回しが思い浮かばないので、彼女の言葉に甘えて思ったことをストレートに言ってしまおう。

 

 「まあ、私の勝手な考えですので、聞いてもあまり意味がないかもしれませんよ」

 

 「ん、わかった」

 

 「作者が誰でいつの事かわからなくても、噂がたった時点で似たようなことはあったんだろうなと推測はできます。でも終わってしまったことですし、私に出来ることもないですから。後は噂が消えてくれることを願うだけです」

 

 誰がとは言えず言葉を次々に捲し立てる。あと『いばらの森』を読んだことも伝えると『意外だね』と言葉が返ってきたので、何かあれば動けるかもしれないからと目を逸らしてそう言うと、頭をくしゃりと撫でられる。

 

 「前見えない……頭ぼさぼさ……」

 

 「ごめん、ごめん。――ねえ」

 

 乱れた髪を直しつつ逸らしていた視線を元へと戻して、聖さまと合わす。

 

 「樹ちゃんがもし同じことになれば……いや、なんでもない。帰ろうか」

 

 そうして踵を返す聖さまは私のいくらか先を歩いていくので、小走りで追いついて横に並び彼女の顔を見上げる。

 

 「――聖さま。与太話なら四年後以降に酒の席でしましょうよ」

 

 中学の頃、彼氏と別れたと大騒ぎをするクラスメイトを宥めるのに苦労したことを思い出す。失恋話を聞くなら素面ではやってられないし、酒の席ならば泣こうが喚こうがアルコールが入っていたからだと言い訳ができる。問題発言に驚いた聖さまはがしっと私の肩に腕をまわして、顔を近づけてくる。

 

 「樹ちゃん、飲んだことあるの?」

 

 「ありませんよ。ありませんが、どうせなら飲みながらの方が気が楽かなって」

 

 「四年後かあ、随分と先だねえ」

 

 「ま、覚えてて気が向いたらでいいので」

 

 「そうだね。そんな日が来ればいいねえ」

 

 私から顔を離して前を見る聖さまの顔は、先程よりも緊張感は解かれていて。四年後なんて直ぐに来る。もし彼女と杯を交わすことになれば、どうなってしまうのやら。酒癖、ウチの姉のように悪くなければいいなあと願いつつ、この頼りない約束が来る日を願うのだった。

 




 7287字

 いい感じで終わったなあと思いつつ、まだ終わっていないという……。あと聖さまとお酒飲みたいじゃん! 酔ったとことか絶対色気がぷんぷんだよっ! もしくは親父化が激しくなるかだろうけれどっ! 蓉子さまとかも凄そう!!

 「瞳を閉じて」って歌詞があるけれど、瞳孔を細めるの? ってツイートに『あ……』ってなった最近の私です。ニホンゴムズカシイネ!



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第五十八話:噂の真相とクリスマス・イブ

 土曜日、学園が半日で終了し家でのんびりしていた時間だった。階下と姉の部屋で鳴り響く電子音に気が付き、下に降りて取りに行こうとベッドから緩慢な動作で降りて、部屋を出ようとした途端に鳴り止んだ。母が受話器を取ったのだろうと踵を返して、勉強机の椅子へ座ると階段を昇る軽快な音が聞こえたのちに、ノックの音が二度私の部屋で鳴ったので『はい』と返事をする。

 

 「樹ちゃん、電話よ」

 

 「ありがとう、母さん」

 

 差し出された受話器を受け取りながら『由乃さんから』とにこりと笑いそう言い残して部屋から出ていく母。

 以前に由乃さんの家へと遊びに行った際に名前は知っているし、電話も何度か掛かってきたことがあるから、由乃さんは母の中では私の友人認識である。由乃さんの家へと赴いたことを随分と懐かしく思いながら、椅子ではなくベッドサイドに腰かけて保留になっていた通話ボタンを押し。

 

 「もしもし」

 

 『あ、樹さん』

 

 「由乃さん、こんにちは」

 

 『こんにちは。――相変わらず、ごきげんようじゃないのね』

 

 私が学園用語を使わなかった事にからかうような声に、電話の向こうでは由乃さんは笑みを浮かべていることだろう。

 

 「リリアンじゃあないからねえ。それで、どうしたの?」

 

 『もしよければウチに遊びに来ない? 祐巳さんも誘っているんだけれど』

 

 どうかしらと聞かれ、暇だから行くよと返すと待ち合わせ場所と時間を告げられる。あまり時間がないなあと時計を見つつ了解の意を告げて、そそくさと一階へと降りて母に遊びに出かけることの旨を伝えて。

 そうしてマウンテンバイクに乗り辿り着いた先はリリアン女学園の校門前。祐巳さんが由乃さんの家に赴くのは初めてらしく、みんなでここに集まろうという事になったのだった。時間より前に着いた私は自転車から降り、道行く車を眺めていると一台のバスがやって来る。前方のドアが開いてから暫く、小柄な女の子が降りてくる。誰かに似ているなあと目を凝らすと、その子は祐巳さんだった。こちらに気付くとぱっと笑みに変わって、軽快な調子で私の下へとやってくる。

 

 「ごきげんよう」

 

 小さくお辞儀をしながらいつものように『ごきげんよう』と言葉を紡ぐ彼女は流石純粋培養組である。長年慣れ親しんでいる為なのか、自然に口から出るようだ。養殖組には無理なことだなあと苦笑いしつつ、彼女に倣い私も頭を下げた。

 

 「ごきげんよう。――いつもと違うから一瞬祐巳さんだって分らなかったよ」

 

 「ちょっと気分転換で結び方変えてみたんだ」

 

 彼女のトレードマークのツインテールは消え去り、片方にお団子を作り残りは全て下ろして手の込んだものなので、お出かけ用に結び直したようだ。流石女の子だねえと感心しながら、着ている服も相まって祐巳さんの雰囲気に合っている。

 

 「そっか。可愛いよ、似合ってる」

 

 「えへへ。ありがとう」

 

 少し顔を赤らめながら笑う彼女を眺めながら、由乃さんの家の方向を見ると小柄な人影が歩いてくるのが目視できた。その姿はどんどんと近づいてきて、ようやくその人が由乃さんだと分かり。

 

 「祐巳さん、樹さん」

 

 「由乃さんっ!」

 

 手を振りながらこちらへとやってきた由乃さん。いつものおさげ姿は消え去り、直毛ストレートの黒髪になっていた。私の髪は少し癖があるので羨ましいなあと眺めつつ、手を振り返す。

 

 「ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう」

 

 三人顔を突き合わせて一緒に頭を下げる。リリアンの人以外が見たら異様な光景だろうが、ここは天下のリリアン女学園おひざ元であるのだから、ご近所さんならば理解してくれるだろう。

 そうして由乃さんの家へと歩き始める。静かな住宅街を、祐巳さんが履いているブーツの足音とからころと鳴る由乃さんのサンダルの音に私が押すマウンテンバイクの車輪の音が響き。

 

 「でもよかったの? お留守番してなくちゃいけないんでしょ?」

 

 「平気よ。そのまたお留守番を頼んでおいたから」

 

 イマイチ由乃さんの言葉を理解していない祐巳さんに、留守番役は令さまが担っているのだろうなと苦笑する。そうして『島津』『支倉』と力強い文字で掘られた表札が掲げられた門を祐巳さんがしげしげと眺める横で、押してきたマウンテンバイクを以前停めていた場所へと置かせてもらい。

 

 「さ、入って入って」

 

 由乃さんの声に促され玄関へと上がり靴を下駄箱の側に寄せる祐巳さんに倣い、私も自身が脱いだ靴を下駄箱の側に置くと、由乃さんがそんなに遠慮しないでいいのにと笑い。

 とはいえ人様の家へとお邪魔しているのだから礼儀は必要であるし、由乃さんの御両親が戻ってきたときにそういう目で見られてしまうのだから。それでも若いのに祐巳さんや由乃さんがこの行為の意味を知っているのだから、やはりリリアンは良い所のお嬢さんが通う学園だし、家庭での教育も確りと施されているのだろう。

 

 「ただいまー」

 

 「あ、おかえり」

 

 由乃さん部屋へとお邪魔すると、部屋の真ん中に鎮座しているこたつの中へと下半身を突っ込んで寝転がり本を読んでいた令さまが、こちらを見た瞬間に飛び起きた。

 

 「うわっ、何っ! 祐巳ちゃん、樹ちゃん!」

 

 「びっくりした?」

 

 えへへと笑う由乃さんにこたつから出て立ち上がって由乃さんの下へと行く令さま。

 

 「祐巳ちゃんたちが来るなら最初からそう言いな」

 

 由乃さんの頭に軽く手を置いて溜息を吐く令さまだけれど、怒ったというよりも呆れている感じだからいつもの事で慣れているのだろう。相変わらず仲が良いなあと眺めていると私の横で祐巳さんが驚いた顔を披露していた。私は一度島津家にお邪魔をしたことがあるし、こういう二人のやり取りは見ているのだけれど、祐巳さんは見たことがなかったのか。

 

 「令ちゃん、私日本茶がいいな」

 

 「はいはい」

 

 部屋の扉を開け出ていく令さまをだらしない顔で眺めている祐巳さんは、どうやら今のシーンを祥子さまとのやり取りに変換しているようだ。ここも祥子さまLOVEは変わらないねえと笑いながら、適当な場所へ座る私。

 

 「祥子さまにお茶淹れてもらうのは難しいと思うわよー?」

 

 こたつの布団をめくり祐巳さんを誘う由乃さんに、ぎょっとした姿の彼女は自分の百面相ぶりに自覚はないようで。

 

 「私ね、あれから本のこといろいろ考えたんだ」

 

 「『いばらの森』のこと……? でも、もうそのことは――……」

 

 以前に聖さまが話したことを由乃さんは気にしていたようで、祐巳さんもこくりと頷く。どうやら何か思うことがあったようで、今回の呼び出しの目的はその結論の末の招集のようだった。どうやら由乃さんはきちんと聖さまが『いばらの森』の作者ではないことを証明したいらしい。

 

 「――だって最悪だと退学させられるかもしれないじゃない」

 

 「退学!? どうしてっ!? 自分じゃあないって言ってたのに、先生方も納得してくれたって――」

 

 「……自分が書いたって言い出すかもしれない。須加聖が久保栞さんだから」

 

 つい先日聖さまと話をしたときは明確な答えなんて明かされないままだったので、相手の人の名前が『カホリ』ではなく『久保栞』という名が出てきたことに、祐巳さんと由乃さんには伝えたのかと一人納得しながら黙って話を聞く。神妙な顔をして自論を説く由乃さん曰く過去に同じようなエピソードが、しかもリリアンで起こった確率は低いだろう、と。自伝的小説ということを肯定して作者が聖さまではないとすれば、残りは当事者である彼女だけ。

 

 「すごいよ由乃さん! それ本当なのっ!?」

 

 「んーん。ただの憶測」

 

 「…………白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)も、栞さんが書いたって思っているのかなぁ……」

 

 「どうだろ。栞さんが書いてないって信じるにしても、もし小説が栞さんの目に触れたとしたら?」

 

 「栞さんは白薔薇さまが書いたって思うよね。――でも誤解を解くことは出来ないんだよね」

 

 相手の人が生きているのならば、シスターになりたい人がお金を稼ぐ真似をするかなあと疑問が残るのだ。慈善活動に寄付したいとかならばわからなくもないが、まだ若いなら見習いだろうしそういうことをしている暇もない気がするし。

 

 「で、さっきから黙り込んでいる樹さんはどう思うのかしら?」

 

 祐巳さんと由乃さんが真剣な眼差しで悩んでいたので邪魔しちゃ悪いからと黙っていたのだけれど、話を振られて我に返る。

 

 「ん? どうもこうもないかなあ。聖さまは自分は書いていないって否定したから解決した話だし、シオリさん……だっけ? その人が書く書かないは自由だしねえ」

 

 「もうっ! どうして樹さんは、平気でいられるのよ!!」

 

 「だってもう過去の話なんだしどうしようもないから、なるようにしかならないよ」

 

 「……っ!」

 

 「よ、由乃さんっ!?」

 

 由乃さんが手近にあったクッションを掴んで私に投げてくる。威力は軽いし、狙ったところはお腹だったので受け止めるのは簡単だった。

 驚いている祐巳さんに、大丈夫と顔を向けて笑うと苦笑いを返してくれた。

 

 「もういいわっ、樹さんには期待しない! だからね祐巳さん」

 

 「う、うん?」

 

 「私たちが須加聖の正体を突きとめたらいいんじゃない? 白薔薇さまはきっと関わるのが嫌だろうし」

 

 胸のあたりで握りこぶしを作り力説する由乃さん。

 

 「もしかして話したいのはそのこと?」

 

 「そうよ」

 

 「――お待たせ」

 

 令さまが戻ってきて話はいったん止まり。彼女から来客用の湯飲みに入ったお茶を受け取り礼を伝え、少し冷やしながら啜る。

 

 「あ、ごめん。樹ちゃんには熱かったかな?」

 

 「いえ、冷ませば平気なので。ありがとうございます」

 

 私が猫舌なのはみんなが知っているが、私に合わせてしまうと他の人には温いと感じるだろうから我が儘は言えない。

 

 「粗茶ですが」

 

 「ありがとうございます」

 

 話しながら祐巳さんの方へと回った令さまは、奇麗な所作でお茶を祐巳さんの方に差し出し、受け取ったお茶を飲む。よく冷まさないで飲めるなあと感心しながら見ていると祐巳さんが令さまの方へと向き。

 

 「結構なお手前で――でしたっけ」

 

 「どういたしまして」

 

 くすりと笑う令さまに、先程の雰囲気が少し和んだかなと思いきや、由乃さんが思い切った行動に出るのだった。

 

 「私、電話してみようと思うの」

 

 「電話ってどこに?」

 

 「コスモス編集部」

 

 ん、と一瞬考え随分と思い切ったことをするものだと感心するけれど、門前払いがオチじゃあないのだろうか。自伝的なら顔出しすることは躊躇いそうだけれど。まあアポなしで訪問するよりも良いのかと一人納得して、由乃さんのストッパー役である令さまが居るのだからと、他人事で見守ることにしたのだった、のだが。

 

 「こそこそ犯人捜しをするような真似はよくないよ」

 

 「心配しているだけじゃあなんにもならないじゃない。それにこそこそじゃないもの。白薔薇さまに断ってないだけだもの」

 

 随分と飛躍した言葉だなあと思いながら、由乃さんってこんなに行動派だったんだねえと遠い目をする。

 

 「それがこそこそだっていうのっ!」

 

 「白薔薇さまが関わりたくないからって、どうして私たちの行動まで制限されなきゃいけないのっ!」

 

 確かに正論ではあるけれども、傷の癒えていない状態ならばその場所に塩を塗り込む行為になりかねない。でも、由乃さんならばそうなる時には流石に自重は出来るだろう。

 

 「あ、あの……」

 

 ヒートアップし始めた由乃さんと令さまのやり取りに、おろおろと祐巳さんが止めに入ろうとするけれど、二人はそれを気にする様子もなく口喧嘩を続けている。

 

 「……どうしよう」

 

 「そのうちに収まるよ」

 

 ずずずと頂いたお茶を呑気に啜る私と、目を白黒させながら目の前の喧嘩をどう止めたものかと悩む祐巳さんを他所に由乃さんが限界を迎え。

 

 「令ちゃんのバカっ!!」

 

 ぶんと私に投げたクッションを令さまにも投げる由乃さん。慣れているのか令さまは綺麗に受け止めてる。

 

 「いい加減にしな。せっかく祐巳ちゃんと樹ちゃんが来てくれているのに」

 

 呆れた声を上げる令さまに、ゆらりとこたつから立ち上がる由乃さん。背負っているオーラが並々ならぬものなのだけれど、どうして彼女はこんなにも猛っているのか。

 

 「だったらなんだって言うのよ。――大体ねえ外面が良すぎるのよ令ちゃんは!」

 

 「由乃に言われたくないね」

 

 また始まった姉妹喧嘩を眺めながら、祐巳さんと一緒にお茶を啜る。

 いくばくかのやり取りを終えると、令さまが折れていつの間にか四人で一緒に行動する羽目になったのだった。そうしてコスモス文庫の電話番号が乗っている冊子を令さまがどこからか持ち出し、電話の子機を持ち出してさっそく連絡を取る由乃さん。行動が素早いなあと感心しながら、結局編集部からはその質問には答えられないと言われ。ぷんぷんと怒る由乃さんに、当然の対応だと令さま。

 

 「編集部、行きましょ」

 

 ぬらりと立ち上がった由乃さんがまた無茶を言い始めた。これ止められそうもないなあと苦笑する。

 仕事をしている人たちには迷惑かもしれないが、若気の至りだし良い経験にもなるのかなと納得する私の横で、祐巳さんと令さまが慌てた様子で、どうにか止めようと小声で相談している。寒いし、交通費を掛けてまでやることなのかと令さまに問いかけられた由乃さんは、祐巳さんへと話題を振り。

 

 「えっと宅配便は受け取らなくていいの?」

 

 そういえば留守番を担っていたのは宅配が来るからと言っていた。令さまがナイスとぱっと笑みを見せ、由乃さんがその言葉に詰まった時だった。

 

 ――ピンポーン。

 

 家の中に響く呼び鈴の音と共に『島津さーん、宅配便でーす』と野太い声が響くと、がくりと項垂れる祐巳さんと令さま。そしてその二人を他所に、そそくさと玄関へと向かう由乃さん。ある意味呼び鈴が天啓だったのだろう。由乃さんを止める術がなくなってしまった。

 

 「みんな、行きましょう」

 

 荷物を受け取り戻った由乃さんがドヤ顔でそう言い、そんな由乃さんを見た令さまが項垂れて。

 

 「祐巳ちゃん、樹ちゃん。こんなだけどよろしくね……」

 

 身長の高い令さまが体を縮めながら、力なくそう言い残したのだった。

 

 ◇

 

 バスを乗り継いで数々の出版社が入っている商業エリアへと辿り着く。駄目なら受付で門前払いになるだろうなあと、遠い目をしていたのだけれど由乃さんの熱意が通じたのか受付の美人なお姉さんが折れ、編集部へとアポを取ってくれたのだった。そうして案内された先のソファーに四人ちんまりと座って編集の人が来るのを待っていると、中肉中背の男性が頭を掻きながらこちらへとやって来た。

 

 「今日はバタバタしててゆっくりとお相手できないんだ。――申し訳ないんだけれど日を改めてまた来てもらえないかな?」

 

 「いえ、一つだけ教えて頂ければいいんです」

 

 そうして由乃さんは、自伝的小説である『いばらの森』の作者は久保栞さんではないのか、と問いかける。

 

 「そういう質問、この頃多いんだけれど……」

 

 気になったリリアン生が問い合わせでもしたのだろう。困った様子の男性にさらに喰いついて質問攻めをする由乃さんに感服しながら、これは無理そうだなあと諦め始めていた時だった。

 

 「――由乃さん」

 

 祐巳さんもここら辺が潮時なのだろうと判断したのか、彼女へと声を掛ける。

 

 「いいじゃない山岸さん。――話だけでも聞いてあげたら?」

 

 品のいい初老の女性が由乃さんと男性のやり取りに間に入ったのだった。

 

 「すっ――春日さん……来ていらしたんですか」

 

 後ろ手で頭を掻きながら困った様子の男性編集者。こちらを向いてにっこりと笑う女性に頭を下げる。

 

 「こんにちは」

 

 「ごきげんよう」

 

 春日さんと呼ばれた女性の声に返事を返したのは祐巳さんだった。

 

 「あら。ごきげんよう、だなんて随分と懐かしいわね」

 

 おや、と首を傾げつつ祐巳さんも不思議に思ったのか『懐かしいって?』と疑問を投げた。

 

 「一応、先輩ということになるのかしら」

 

 「あっ! ごめんなさい須加先生! お待たせしちゃって! ――……あれ?」

 

 唐突に別室から現れたまだ年若そうな女性編集者の声で、春日さん以外のみんが呆然としている。

 

 「馬鹿……」

 

 「いいのよ、山岸さん」

 

 身分を隠しているようだから知られるのは不味かったのだろうけれど、露見してしまったものは仕方ない。春日さんも都合が悪いのならば、逃げるなりなんなり出来るし私たちを追い出すことも造作もないことだから心配はもう必要ないなと安堵する。

 

 「私が須加せい子です。ご愛読どうもありがとう」

 

 にこりと笑い落ち着いた声音で春日さんは自身が『いばらの森』作者の須加聖であると名乗ってくれたのだった。

 

 ◇

 

 会議室のような別室へと通され、話し合いの場を設けてくれたのは春日さんのお陰だったのだろう。由乃さんの質問に嫌な顔せずに淡々と答えてくれている。自伝的小説と銘打たれていたように、実話をもとにしたようだ。多少の脚色はあれど、内容はほぼ同じ。どうやら春日さんにとってその出来事は大切な過去であり、今でも色褪せることはない、と。

 

 「――だけどね、ラストが間違えていたの」

 

 小説『いばらの森』のラストは二人で逃げた先で睡眠薬を飲んで自殺を図り、相手の人が亡くなったと最後を締めくくっていたが。

 

 「佐織はね……生きていたの」

 

 噂を聞いた本人から電話をもらい、彼女が生きていることを知ったそうだ。当時の新聞は一人死亡一人重体と報じられており名前は未成年であることから伏せられていた。

 だからお互いに死んだものだと勘違いしたそうだ。そうして今回の件で新聞を再度調べてみると、後日に誤報であったと詫びと訂正記事が載せられていたと。

 

 「今度ね、彼女に会いに行くのよ。離れ離れになった同じクリスマス・イブの日に……」

 

 そんな奇跡のようなことがあるんだね、と世の中の不思議に目を細めながら、目の前の女性へと視線を向けると穏やかな笑みを向け、何か遠くを見つめるような瞳に吸い込まされそうな感覚に陥り。もし叶うのならば、聖さまにもそんな日がいつか訪れればいいのにと願わずにはいられなかった。

 

 そうして私たち四人は編集部を後にする。

 

 「またお会いしましょう、だって」

 

 「本の中でかしらね」

 

 編集部へと訪れた時とは違い、私たちの空気は軽やかだった。由乃さんと令さまの言葉に笑いながら、歩を進め。

 

 「でもよかったですね。編集部でも白薔薇さまだと勘違いした人には『本人じゃない』と回答してくれるみたいですし」

 

 「ね? ね? 来てよかったでしょう!?」

 

 「調子に乗らないの」

 

 これで噂の鎮静化が早くなるなあと、祐巳さんが嬉しそうに笑いながらハッとした顔になる。

 

 「あああーー!」

 

 「な、なに祐巳ちゃん」

 

 「サイン貰えばよかった!」

 

 「祐巳さんって天然ボケよね……」

 

 くくっと笑ってそれぞれの家路へと着くのだった。

 

 ◇

 

 こうして流れていた噂は終業式の日には収まっていた。聖さまがきっぱりと生活指導室の前で野次馬ちゃんたちに否定したことが功を奏したのか、それとも編集部が否定してくれたことが良かったのか。

 理由は分からないが、一年生だけの間で盛り上がっていたことも理由の一つにあるのだろう。高校生活一年目で過去の事は知らないのだから、人気者の話題で熱を上げるのは仕方ないといえるが、やり玉になった人はたまったものではない。まあ、聖さま自身あまり気にしている様子はなかったし、直ぐ収まってしまったのだからこれでいいのだろう。

 

 クリスマス・イブに行われる礼拝に山百合会メンバーとして強制参加となった私は、お御堂へと行き有難い説法を右から左に垂れ流しながら、ようやく終わり薔薇の館へと赴く。

 

 「――これ、一体何なんですか?」

 

 「何ってクリスマスパーティーでしょう」

 

 呆れた様子で祐巳さんが蓉子さまへと問いかるのだけれど、祐巳さんの疑問は尤もである。何故かクリスマスツリーには短冊が飾られているし。何とも言えないごった煮状態で。

 

 「パーティーの相談の時ぼんやりとしていたもんねえ、祐巳ちゃんってば」

 

 令さまが笑いながら最後のケーキの仕上げをしている。慣れているからなのか喋りながらよく器用にできるものだ。私ならば失敗しそうだけれど、令さまならばそういう心配は必要ない。令さまが差し出したフォークで摘まみ食いをした祐巳さんは幸せそうな顔をしている。

 

 「祐巳ちゃん、君には大事な仕事があるのだよ」

 

 どこからともなく現れた聖さまに祐巳さんが捕まってドナドナされて行く。そんな二人を見送りながら、クリスマスパーティーの準備に追われ。

 少しした後、何故か蔦子さんがカメラを携えて現れる。どうやら写真部として今回の様子を収めるそうで。ほどなくリボンを片方外した祐巳さんに、何故か祐巳さんのリボンを髪に結わえている祥子さまが薔薇の館へと戻ってきて、聖さまも遅れて戻りようやく全員が揃ってパーティーが始まるのだった。

 

 「祐巳さん、随分と幸せそうだねえ」

 

 「ちょっといろいろとありまして」

 

 「そっか」

 

 これは後で祐巳さんが話してくれて知ったのだけれど。偶然春日さんが学園へとやって来たところを祐巳さんと聖さまが居合わせ、学園長室まで案内を頼まれ聖さまが送っていった、と。何故、春日さんが学園に来たのかと考えたが、思い返せばクリスマス・イブの日に佐織さんと会う約束を取り付けたと言っていた。

 

 そしてリリアン女学園の学園長であるシスター上村の名前を思い浮かべれば、祐巳さんのあのなんとも言えない輝いた瞳の理由に、ようやく納得が出来たのだった。

 




 8546字

 白き花びらはオリ主視点だと書けません。なんですっ飛ばしです。

 あ、あと疑問があるのでアンケ取ります。
 聖さまって裸の付き合いしてくれるかな、と疑問に思うのです。祐巳さんは普通に入ってくれると思うのですが、聖さまどっちか悩む。詳しくは活動報告にて。

 アンケの結果次第でお風呂話(かなり短い)に聖さまを絡ませて入るか入らないか決めます。祥子さまは一緒に入らないでしょう。お客様用の風呂なんで、家主じゃないですが接待側なので入らないかと。

 2021/05/04:14:42分、アンケート〆。ご協力ありがとうございました!┏○))ペコ



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第五十九話:冬休みとナンパ

 終業式が終わりクリスマスの二十五日から冬休みへと突入した。社会人の長期休暇とは違い、学生の身であるが故に課題が机の上に積まれている。残していても仕方ないので終業式の夜から取り掛かっているのだけれど、分からない所があれば家族に聞けば割とすんなりと解決してしまうので、有難い限りである。

 課題をこなしながら数日がたち約束の日がやって来た。街へと繰り出して待ち合わせ場所で立ち止まり周りをキョロキョロと見回して友人たちを探してみるが見当たらない。腕時計を見ると約束の時間まであと十分。誰も来ていないことに友人たちのルーズさを嘆きながら、時間には来るだろうと心を落ち着かせる。

 

「うぐちゃん!」

 

 手を振りながら笑みを浮かべてこちらへとやって来るのは、学園祭に来ていた友人ともう一人中学時代に仲の良かった女の子が。

 恐らく途中で合流して、ここまで来たのだろう。二人ともこの寒空の下だというのにミニスカートで厚底ブーツに生足である。若いなあと目を細めつつ『久しぶり』と言葉を交わし、未だ来ない友人たちを待ちながら雑談を続け。

 

 「悪い、遅れた」

 

 約束の時間から十分遅れて、以前剣道の試合で再会した顔の怖い男友達とその連れ二人がようやくやって来たのだった。学園祭と剣道の試合で会った二人以外は中学の卒業式以来なので、本当に久方ぶりである。

 少しばかり待ち合わせ場所で近況報告をお互いに交わした後、適当に街を歩きながらビルの谷間にポツリと佇む小さな公園でまたお喋りに興じ。時計の針が十二時を指す頃に誰かがポツリと『お腹空いた』と零して、全国チェーン店のファミリーレストランへと赴いて昼食を済ませて。さてカラオケにでも行きますかねと、コンクリートで出来ている森の中の雑踏を六人で進んでいた時だった。

 

 「おい、鵜久森」

 

 「ん?」

 

 最後尾を歩いていた私に振り向き顎であっちを見ろと言われて、指された方向へと視線を向けると、その先に居たのは良く見知った三人にあからさまに堅気ではなさそうな格好の男の人二人。男の人二人に詰め寄られて、若干引き気味に対応しながらも押しが強いのか。ナンパだろうけれど、関りを持ちたくはない感じの男の人に、強く出られないのか困っている様子である。

 

 「あ」

 

 私の口から漏れた声に気が付いて、短く刈り込んだ頭を掻きながら声を掛けてくれた男友達。そういえば彼女たちがリリアンの学園生で私とは顔見知りだと、剣道の試合でのことを覚えてくれていたのだろう。割と遠い距離だし通りから少し見え辛い場所だから、よく気付いたものだ。立ち止まる私を見て先を行く友人たちを呼び止めてみんなが立ち止まる。

 

 「……少し様子を見るか」

 

 私の腕に腕を絡ませていた学園祭に来た子は、ひょいと体を乗り出して遠くのその光景を見ると、少ししかめっ面になり。

 

 「あーなんだかヤバそうじゃん。大丈夫かな?」

 

 二人の声につられ、他の仲間たちも視線の先を凝視すると同じようなことを口に漏らす。誰が見ても不味そうな光景に、息を長く吐いて視線の先を見つめ。

 

 「ごめん、ちょっと行ってくる」

 

 流石に、このあと碌な展開になりそうもないあの光景を放っておくのは寝覚めが悪い。一声みんなに掛け組まれていた腕をやんわりと解いて歩き出す。

 

 「ま、鵜久森ならそうなるわな。俺も行く」

 

 「んじゃあ、俺も行くかな」

 

 「俺も、俺もっ!」

 

 歩き出す剣道部の友人に続いて、残りの男友達二人が続く。

 

 「どーぞ、どーぞ」

 

 「どーぞ、どーぞ」

 

 一旦立ち止まり、二人の声が重なって最後に歩き出した友人だけが取り残される形となって。

 

 「おいっ!! 俺一人であの中に突っ込むのは流石に無謀だろっ!?」

 

 男三人の中で一番のお調子者の彼が慌てた様子で、声を上げる。悪い、冗談だと笑いながら彼の肩を組んで歩き出す男衆たちの姿に苦笑しつつも横目でナンパの様子を探りながら、剣呑な雰囲気を見せているがまだ大事には至っていないことに安堵しつつ先を急ぐ。

 

 「鵜久森、プランCな」

 

 「了解」

 

 お調子者の彼を真ん中にそんな声を上げながら親指を立てる三人に苦笑で返して私の親指を立てると、その横で『男って馬鹿よねえ』と男衆に聞こえないように呟く女子二人。その後続いて『それに乗るうぐちゃんも馬鹿だよね』と失礼極まりないことを言っている。全く。

 

 「じゃあ、私たちはあとで合流するね」

 

 軽く手を振って私たち四人と離れる女子二人。私たち四人のやり取りを聞いていたから、やるべきことを悟ってくれたのだろう。中学の頃一緒に遊び倒した六人組だから、その辺りの呼吸の合わせ方は理解している。そうして私たち四人は、迷惑そうにナンパされている彼女たちへの下へと歩いて行くのだった。

 

 「ねーねーオレらと一緒にいいコトしようよー」

 

 「そんなに警戒しなくてもいいじゃーん」

 

 「予定があるので、申し訳ありませんが」

 

 冬休みだからなのか年若い人たちが多い中で、こんな連中に目を付けられたのは運が良いのか悪いのか。こういう手合いに出会いたくはないので、遊び場所は治安は良い所を選んだはずなのに。恐らく気分で自分たちのシマから流れてきたであろう、この辺りを根城にする人たちとは随分と毛色の違う男二人に呆れて溜息を吐く。

 やんわりと迷惑だと言っているにも関わらず、諦めずにアプローチを掛け続けるのは彼女たちを逃がすのが惜しい為なのか。空気を肺に取り込んで、足に力を入れて三人の前へと向かう。

 

 「ごめーんー! 遅れた。つか、このおにーさんたちはどちらさまで?」

 

 テンションは上げ目で言葉遣いはラフに。こういう場所ではなるべく個人情報は掴まれないように気を使う必要がある。

 三人とナンパ二人組の間に割り込み、一人の腕を握ろうとしていた男の手を素知らぬ顔で払いのけ、きょろきょろとわざとらしく全員の顔を見回した後にこてりと顔を傾げて、空気の読めない奴を演出。三人は驚いた様子を見せるが、知った顔が現れたためか少し緊張感から解かれた様子。私の後をついてきた男友達三人は、少し後ろで待機中である。

 

 「え、あ……」

 

 状況について行けないのか腕を取られそうになっていた蓉子さまが言い淀み目を白黒させているし、江利子さまと聖さまもナンパ男の対処に困り果てていたのか少し気を抜いている様子なので、慣れていない手合いのナンパ手法だったのだろう。とびぬけて美人の三人が街に出れば確実にそういう目に合いそうだから慣れているだろうに、どうやら諦めないしつこさに根負けしそうになっていたようだ。

 

 「え、なに? 君も彼女らの友達なん? じゃーさーオレらと一緒にイイトコ行こうぜ」

 

 私が割り込んで伸びていた手を払いのけたことに不機嫌全開の男の顔は一瞬で鳴りを潜めさせて、笑顔へと変わり猫なで声を上げる。

 

 「そそ。めっちゃ楽しいよー。全部オレらモチだし、なーんも気にすることねぇからさぁー」

 

 下卑た笑いは、下心を隠せていない。そんなナンパの仕方じゃあ誰も釣れないだろうにと、大きくため息を吐いた瞬間に私の肩に腕が回される。

 

 「えー、マジっすか!? おにーさんたち超優しいじゃーん。俺ら金欠で困ってたんっスよ。超助かるっスわ!」

 

 「いやー、ほんと神っているんっスね! 腹減って死にそうだったもんなっ!」

 

 「マジマジィっ!? しばらくマトモなもん食ってねえから助かるッス!!」

 

 と男衆三人で波状攻撃を掛けつつ、顔を覚えているかどうかは分からないが剣道部の男友達が後ろを向き、三人に小さく頭を下げた。

 

 「チっ! 男連れかよ」

 

 「なんだよ、行くぞ」

 

 あからさまに舌打ちをしながら去っていくガラの悪いナンパ師二人組に『おとといきやがれー』『悪は滅びた』なんて阿呆なことを言っているが、あまり言い過ぎるとさっきのナンパ師二人と同レベルになるよ、とは口にせず。去っていく男たちが雑踏の中に消える頃、離れていた残りの友人二人が手を上げながらこちらへとやって来た。

 

 「大事にならなくて良かった。でもさ、アレで成功するって思ってるなんて頭が幸せだよね」

 

 「ホント、何を勘違いしてるんだか」

 

 「ごめん、ありがと」

 

 ゆっくりとこちらへと合流した二人は割とナンパ師たちに向けて辛辣なことを言う。彼女たちはどうにもならなくなった時には、最終兵器お巡りさん招聘を担うはずだったのだが、その行動に移さなくてよかった。そうなってしまえば色々と面倒なことになりかねないから、野郎三人の登場であっさりと引き下がってくれたことには感謝している。だらだらと仲間内でそんなやり取りを終えて後ろを振り返る。

 

 「割り込んで申し訳ありませんでした」

 

 先程とは変わり対リリアン用の態度に変えて三人と対面し頭を下げるのだけれど、目の前の彼女たちが普段あまり見せない顔でだんまりを決め込まれているのは何故か。私の背の後ろで『鵜久森がキモイ』とか『うわっ猫百匹くらい被ってる』とか好き放題言われているのだけれど、取り合えず無視を決め込んでおく。

 

 「いえ、ありがとう。助かったわ」

 

 「本当、しつこくて困っていたの」

 

 「いやあ、どう撒くか思いつかなかったから、すごいタイミングだった」

 

 「なら良かったです」

 

 受験の追い込みを掛けているであろう冬休み、外に出るのは余裕のある証なのだろうか。リリアンでトップの成績なのだから、こうして息抜きをしても大丈夫だろうけれど、羨ましいとも思える。三人に初めて会った友人たちがうしろで声を潜めながら話し込んでいるけれど、内容が聞こえ漏れてくる。まあ前の三人に届かなければ問題はないので構わないけれども、男共は鼻の下を伸ばし過ぎではないだろうか。

 

 「樹ちゃん、後ろの方たちを紹介してもらっても良いかしら? お友達なのでしょう?」

 

 にっこりと笑っていつもの調子を取り戻した蓉子さまが、みんなに視線を向けてアルカイックスマイルを見せつけると、ついでに江利子さまと聖さまも余所行き用の笑みを浮かべれば、その破壊力に五人全員がやられている。三人の笑みが私を対象に向けられていたならば、面倒事が起きる予感しかないのだけれど、友人五人に向かっているのだから心配は無用である。

 あーあ。見事に五人とも三人の神々しさにやられて固まっているのだけれど、慣れてしまえばなんとも思わないのだから、時間というものは恐ろしいが、このまま彼女の言葉を無視するのは余計に怖いので素直に友人たちを紹介するのだった。

 

 「それじゃあ、中学の時の仲の良かったお友達なのね」

 

 江利子さまの言葉に何を思ったのか、学園祭に遊びに来ていた友人が私の腕に腕を絡ませて江利子さまを見つめる。背の低い友人なので江利子さまを見上げる形になっているが為に、何故かハブとマングースのような構図が思い浮かび、やれやれと首を振る。友人の何かに気が付いたのか、面白いものを見る目で見下ろす江利子さま。

 

 「ええ」

 

 中学で終わらず未だに交友が続いているのは幸運なのだろう。離れていてもこうして長期休暇や暇な時分には集まって、騒いでいるのだから。こちらの紹介が終わると、三人が名乗る。彼女たちが同級生ではなく上級生だということを知り驚く友人たちを見て、江利子さまと聖さまが爆弾投下を始めたのだった。

 

 「私たち生徒会役員なのだけれど、彼女にはいつもお世話になっているのよ」

 

 「だね。樹ちゃんが生徒会に入ってから仕事が楽になったし、顔が広いから助かってる」

 

 顔が広いのは薔薇さまであるあなたたち三人だと言いたいけれど、余計なことを言ってしまうといろいろとリリアンでの出来事を暴露されそうなので黙り込む。

 私の顔が広くなったのは山百合会で雑用をこなしていたことが原因だし、私が広げようと思って広げた訳ではないのだと抗議もしたいけれどこれもぐっと堪えて。私が生徒会役員だと知った瞬間に友人たちの視線が一気に集まる。恥ずかしいからあえて友人たちには生徒会に所属していることを伝えていなかったことが裏目に出てしまったと、手を顔に当てて溜息を吐くけれどもう遅い。そんな私の様子を見た江利子さまがほくそ笑んでいるし、蓉子さまと聖さまが苦笑いを浮かべてる。

 

 「……それじゃあ私たちは行くところがあるので、これで失礼――」

 

 「貴方たちはこれからどうするの?」

 

 します、という言葉は江利子さまの声に虚しくかき消されたのだった。

 

 「鵜久森の門限ギリギリまで、カラオケにでも行こうかと」

 

 今日は私に合わせてもらい、午前中から街へ出ていたのだった。遊びに行くならば六時までと門限が決まっている私に合わせて貰っていた。

 

 「そう。私もご一緒しても良いかしら?」

 

 江利子さまの言葉に少し驚く聖さまと蓉子さま。予定があったのではと思いつつ、彼女たちもただ単に街をぶらぶらとしていただけなのだろう。一番背の高く目つきの悪い剣道をやっている友人がこれからの予定とその返事を『かまいませんよ』と言ってしまったので、断れなくなってしまった。

 

 「あ、私も行っていい?」

 

 美人がそんなことを言えば男共はNOとは言えず。女友達二人も私の知り合いならば問題はないし、今の時間ならばフリータイムで人数頭で割ると安くなるので文句はないらしい。腕を組んでいる友人を他所に聖さまが私の肩へと腕を回すと、むっとした顔を友人が浮かべる。なんだこの状況と思いつつ、聖さまが後ろへと振り返るとそこには蓉子さまが。

 

 「蓉子はどうする?」

 

 「貴女たち二人だけを行かせるのは、申し訳ないから付いて行くわ」

 

 その言葉を聞き蓉子さまに向かって目くばせして小さく礼をすると、苦笑いを浮かべながら小さな声で『ごめんなさいね』と謝られた。私の本心は二人の保護者役GETと心の中でガッツポーズを取っているのだから、あまり気にしないで欲しいものである。結局、九人なんて大所帯になり適当な近場のカラオケ屋さんへと足を向けて、カウンターでの手続きを経て部屋へと入る。はてあの三人はどんな選曲をするのやらと受話器を取ってそれぞれの飲み物とつまめるものを頼み、歌詞本三冊を適当に回しながらリモコンを操作する。

 

 「うぐちゃん、一緒にうたおっ!」

 

 「え」

 

 女子二人に手を引かれてお立ち台の方へと導かれる。そこにあるテレビ画面に浮かんだ文字は『アジア〇純真』。随分と懐かしくあるけれど、当時凄く流行っていた二人組の女性ユニット。この後もヒット曲を出していたが、自然に消えていった記憶がある。それにしても懐かしいと目を細めつつトップバッターを切り、野郎陣はビジュアル系バンドをメインに時折ヒップホップなどの変化球を。友人女子は安室〇美恵やSP〇EDに九十年代を彩った女性アーティストがメインだった。

 

 「センパイたちも遠慮なく入れましょう! 時間が勿体ないですよ!」

 

 友人たちがこういう場で遠慮することはないので、上級生組は私たちが歌っている所を見ていただけだった。それを察知したのは私と腕を組んでいた彼女である。人懐っこい性格が出たのだろうし、お金を出しているのに歌わないのは勿体ないからと、私の腕を引っ張って歌詞本とリモコンを携えて三人の下へと寄っていく。道端で江利子さまと睨み合っていたのは忘れた様子に、笑いが零れる。男連中を放置して、女だけで輪になりあーでもないこーでもないなんてやり取りをしながら、それぞれ選曲し。

 J-POPの流行歌を奇麗に歌いこなす蓉子さまと江利子さまに、洋楽メインに流暢な発音で歌っている聖さまにあっけに取られたりと。声が良いうえに歌までうまいと来たもんだ。羨ましい限りである。

 

 そうして数時間、疲れたことと私の門限が近くなり解散しようかとなるのだった。

 

 「センパイ、ありがとうございましたっ! また時間があれば一緒に行きましょう!」

 

 いつの間に打ち解けたのか、三人に笑顔を向けながら挨拶をする女子二人。数時間で打ち解けるのは難しかったのか、野郎どもはこの光景を見ているだけである。

 

 「ええ、楽しかったわ。また機会があればご一緒しましょう」

 

 「うっす!」

 

 調子よく蓉子さまの言葉に笑いながら敬礼してその場を離れる旧友五人。

 

 「樹ちゃん、今日はありがとう」

 

 「いえ。こちらこそありがとうございました」

 

 まさか街中で蓉子さまたちに会うだなんて思ってもいなかったが、世間は狭いともいうしこういうこともあるのだろう。

 

 「良い気晴らしになったわ」

 

 「うんうん。――あ、そうだ、樹ちゃん。お正月の予定は?」

 

 「親戚回りで顔を出さなければならないので、元日は埋まってますけれど……」

 

 大晦日と元日は親戚回りで忙しい。といっても父方と母方の祖父母の家に赴いて、おせち料理を食べつつお年玉を貰うだけなので気楽なものだけれど。

 

 「そっか。だって、蓉子」

 

 聖さまが私の予定を聞き出して、蓉子さまへと話題を振る。一体なんだと思いつつ、蓉子さまの言葉を待つ私。

 

 「全く、聖は。――樹ちゃん、お正月明けに祥子の家に集まることになっているのだけれど、暇なら貴女も一緒にどうかしら?」

 

 行き成り振られた話題に溜息を吐きつつも、聖さまの意図を受け継いだ蓉子さま。江利子さまは黙って二人を見ているのだけれど、その沈黙は一体なんだろうか。

 

 「私が祥子さまの家に行っても大丈夫なんですか?」

 

 「もちろんよ。山百合会のみんな来る予定なのだし、問題なんてないわ」

 

 「んー、それなら行きます」

 

 課題も終わらせている頃だし、暇なので問題はない。それに天下の小笠原グループと呼ばれる家がどんなものなのか気になるし。みんなが揃っているのならば、そんなに緊張することはないだろう。

 

 「お、良い返事。詳しい日程とかまだ決めかねてるから、後で電話を入れるね」

 

 「分かりました。よろしくお願いします」

 

 「ん。――それじゃあ、帰ろうか」

 

 蓉子さまから聖さまへと代わり、詳しい予定やらは後日という事らしい。こうして土壇場で予定が決まるのは珍しいなと首を捻りつつ、暇な予定が埋まったので良いかとこの時は軽く考えていたのであった。

 

 「ええ、そうね。樹ちゃんごきげんよう」

 

 「ごきげんよう」

 

 そうして軽く手を振りながら三人と別れたのだけれど、このやり取りを少し下がって見ていた友人たちに『お嬢様だ』『本物、本物がいる』だなんてからかわれるのだけれど、もっと本物がいるのだからこのくらいのやり取りで驚かないで欲しいものである。




 7194字

 すみません、予定では小笠原邸にお邪魔している筈だったのに長くなったので一旦ここで切り。

 力技でナンパを撃退するオリ主を多々みますが、ウチのオリ主の場合女であることと暴力で解決すると面倒ごとにしかならないので、友人たちに頼りました。ぶっちゃけオリ主のかっこいい所を見せたいのですが、無理。


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第六十話:憧憬と正月と豪邸

 ――目に映る光景は憧れ……なのだろうか。

 

 偶然なんてそうそう起こるものではないけれど、まさかこんな所であの子に会うだなんて。それも、何故か助けられる形で。とはいえあの子らしいといえば、らしいのか。ガラの悪い男二人に囲まれて逃げるに逃げられなく困り果てていた私たち三人を、周囲の人たちは知らぬ存ぜぬを決め込んでいたというのに、渦中に飛び込んで助けてくれたのだから。

 

 学園での雰囲気とは違うあの子の姿に驚いたが、それでも直ぐに彼女であると気が付いた。息抜きに喫茶店でも行こうと外に出て一緒にいた蓉子と江利子も、驚いていたが。とはいえ困っていたのは本当だし、すごくいいタイミングで助けられたのは有難いこと。彼女も間に割り込んで難が去れば、連れの子たちとまた遊びに繰り出すつもりだったのだろうに。

 あの子の連れの子の一人――学園祭の劇の最中に見かけた小柄な子――が江利子に対して敵愾心を見せたのは、不味かった。江利子が興味を引かれるのは目に見えていたし、これからの予定を聞き出してあろうことか一緒について行くと言い出したのだから。

 全く、どういうつもりなのだろうと横に立つ友人を見ながら、私も一緒について行くのはやぶさかでもない、と思えてしまうのだから不思議なもので。私も悪友とついて行くことを告げると、どうしたものかというような顔で蓉子へと視線を向けて助けを求めると、蓉子もそれが分かってしまったのか首を縦に振らざるを得なくなっていた。

 

 カラオケに行くとは聞いていたものの、カラオケ店に足を踏み入れたのは人生において何度あったか。あの子たちは随分と手慣れた様子でカウンターで手続きを済ませ、部屋へと入り各々ソファーへと座っておもむろに過ごしていた。慣れない場所に戸惑う私たち三人に苦笑を浮かべながらあの子はさりげなくフォローを入れるあたり、目敏い。そうして受話器を取ってみんなの分の飲み物とつまめるものを注文しながら、トップバッターを切ったのは学園祭で見かけた子で。

 あの子を一緒に引っ張り込んで前に出て歌いながら、私たちへとまた視線を向けて牽制してくる小柄な子。どうやらあの子を私たちに取られたように感じて、牽制しているのだろう。江利子が不敵な笑みを浮かべて、何か良からぬことを考えているようだけれどどうなることやら。まるで令を奪い合っている由乃ちゃんと江利子の構図と同じなのだから、やれやれと笑うしかない。

 

 「ごめん、ちょっとトイレ」

 

 ほどなくして部屋から出ていくあの子。いつも『お手洗い』と言っている子なのに、リリアンではないことに気が抜けているのだろか。いてらーと軽く見送る彼女の友人たちは、素知らぬ顔で歌本を見ながら次は何を入れるのかと話し込んでいた。

 

 「ねえ、樹ちゃんは中学生の頃ってどんな感じの子だったの?」

 

 曲と曲の間、少し静かになった部屋に江利子の通る声が響くと、本を見ていたみんなが一斉に顔を上げた。それぞれ顔を見回し、考えがまとまったのか誰かが口を開く。

 

 「鵜久森、ですか。あえていうなら――オカン」

 

 その言葉に一同納得して頷く友人たちに、流石にうら若き女子高生にその言葉はないんじゃあないかなあと半笑いになってしまう。隣で小さく吹いた江利子となんとなく察していたのか蓉子が苦笑いを浮かべ。リリアンでは私たちに目を付けられたことで、彼女は苦労を背負い込んでいるような気がするのだけれども。

 友人たちがいうには彼女が中学一年生の頃あまり目立つ存在ではなく一人で過ごしていることが多かったが、馴染めないクラスメイトをこっそりとみんなの輪の中へと加わるように促し、それが終わればまた一人で過ごしていたようだ。それを見つけた学園祭で見た子がクラスの中心へと引っ張りこんだ、と。そういえば以前に彼女の口からその話は聞いたなと思い出す。

 

 「うぐちゃんってリリアンではどう過ごしているんです?」

 

 聞いてもあまり自分の事は喋ってくれないから、と口をへの字に曲げて小柄な子が質問を返してくると、江利子が面白おかしく今まで彼女の身に降りかかったことを話す。女子校が珍しいのか、リリアンが珍しいのか。江利子の話に喰いついてくる彼女の友人たちは、私たちを色眼鏡で見ることはない。ただの上級生として見てくれているし、あの子の知り合いということもあるのだろう。知り合ったばかりという緊張感はあるが、リリアンでのように憧れのものを見るような視線はないのだから、いくぶんか気は楽だ。

 

 「え、うぐちゃんって生徒会役員だったの……」

 

 「二学期の後半から、ね」

 

 「リリアンって珍しいんですね。生徒会役員って四月の時点で決まってるのに」

 

 そういわれるとそうなのか。とはいえ人手不足ならば途中加入もあり得るだろうし、そうおかしなものでもない気もするのだが。

 

 「それで鵜久森って生徒会では何の役職に?」

 

 彼の言葉ににたりと笑った江利子を見て、まだ戻ってこないあの子に被害が甚大になる前に早く帰ってこいと願わずにはいられない。

 

 「青薔薇さま(ロサ・ノヴァーリス)っていうのだけれど」

 

 「は?」

 

 「え?」

 

 「ん?」

 

 「なんだ、それ」

 

 「何語?」

 

 もっともな反応なのだろうか。生徒会と呼ばず山百合会と称していることは珍しいと理解はしているけれど。江利子が彼女彼らに説明すると、口々に『似合わない』と笑い始める友人たち。腹を抱えて突っ伏して堪えている子が居たり、涙目になりながら笑い続けていたその時、あの子が戻って来る。

 

 「よ、青薔薇さま」

 

 「青薔薇さま、おかえり」

 

 迎える友人たちの言葉に、私たち三人に視線を向けて珍しく険しい視線を送ると扉を閉めてその場にしゃがみ込み頭を抱えて暫く経ったのちゆらりと立ち上がり。

 顔を真っ赤に染めながら、意趣返しとばかりに『ただいま戻りました。紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)』と私たち三人にしっかりと視線を向けて、いつもより低く大きい声であの子が唸る。長ったらしくて役職名なんて舌を噛むと豪語しているのに、こういう時だけきっちりと言えてしまえるのだから、山百合会で仕事をある程度こなしていた頃には言えていたのかもしれない。

 

 そうしてカラオケが終わるまで青薔薇さまと中学の頃の友人たちに呼ばれ続けていた彼女に少しばかりの同情を覚えながら、時間が来た為に部屋を出て会計を済ませ解散の時間がやって来た。立ち止まり雑談を交わしながらこれからの予定を告げると『分かりました』と返事をくれ。

 

 「少し早いですが、良いお年を」

 

 そんな言葉と共に友人たちと一緒に雑踏へと消える背中を見つめて。腕を組まれて笑いあう彼女。二学期唐突に山百合会へと足を踏み入れて、あまりリリアン生らしくないあの子の姿に随分と救われたような気がする。もちろんあの子だけではなく、今横にいる二人や山百合会に居る子たちにもだ。

 つい最近、栞のことが噂で流れてしまったが祐巳ちゃんや由乃ちゃんが色々と動いてくれたことは知っている。あの子も一緒に居たそうだが、どうやら二人のお守り役に徹したようで。以前、お見合いを受けると聞いた時、無理矢理に婚姻させられたらどうするのか聞かれていたことがあったが、あの子の答えに困惑する私がいた。

 もし学園を卒業するまで待っていたら、なにか違った未来があったのかも知れないと考えるようにもなっていた。でもそれはもう終わったことで、ある程度自分の中で決着はついているのだから考えても詮無いことで。

 

 区切りを付ける為には、あの噂は私にとって良いタイミングだったのだろう。祐巳ちゃんと由乃ちゃんに去年の出来事を話したことで、心の整理が少しばかり出来たような気もするし。あの子が言ったようにまた、これから四年後以降に酒を酌み交わしながら、笑って語れることがくる日もあるのかもしれないと思えるのだから。

 

 いつか私も、あの子のように友人たちと何のしがらみもなく笑いあえる日が来るのだろうかと、どこか羨ましく思いながら帰路へとつくのだった。

 

 ◇

 

 偶然に街中で出会った蓉子さまたち一行と約束した小笠原家訪問。家族にその話をすると、少し前のお礼と絶対に粗相のないようにと念を押されてしまった。

 取り合えず詳しい予定は決まっていないし、今から考えても仕方ないし山百合会のメンツが来ると言うのならば、そう心配はないだろう。祥子さまの御両親に出会えたならば、お礼を伝えるぐらいである。そういえば詳しい予定は後で連絡をすると言っていたけれど、一体いつになるのやら。リビングのテレビを眺めながら、暇だなあとボヤいていると電話の音が鳴り響く。ソファーから立ち上がって固定電話が設置されている場所へと移動して、受話器を取る。

 

 「はい、もしもし」

 

 本当は家名を名乗るべきなのかもしれないが、防犯上我が家では名乗らないことになっている。携帯電話が普及しはじめたりナンバーディスプレイ機能なんてものが出来る頃には、受話器を取って名乗るのは廃れているだろう。平和な時代だよねえと思いつつ耳を澄ませると聴き慣れた声が。

 

 『やっほー樹ちゃん、元気にしてるかな?』

 

 「ええ、元気ですよ。センパイこそ、受験勉強大変なんじゃあないですか?」

 

 『うわ、そこは現実に引き戻さないで欲しかったよ』

 

 よよよ、とわざとらしく受話器の向こうで声を出しているけれど、聖さまの場合ほとんど冗談だろう。この時期本来ならば大変でゼミとか参加していそうなものだけれど、大丈夫なのだろうか。

 

 『ま、それは置いといて。――予定決まったから電話かけたんだけれど、今大丈夫?』

 

 軽い調子で小笠原邸訪問の日程を伝えられて、その日に向かって準備をゆっくりと進め。

 

 ――当日。

 

 家を出て約束の場所まで徒歩とバスを使って目指す。

 

 「祐巳さん」

 

 「あ、樹さん。ごきげんよう」

 

 「ごきげんよう。それと、明けましておめでとうございます」

 

 待ち合わせ場所のコンビニ前で見知った姿を見つけて名を呼び軽く手を振りながら頭を下げて、久しぶりに会った祐巳さんに挨拶をすると慌てた様子で彼女も挨拶を返してくれ。どうやら彼女も聖さまから連絡があったようで、祐巳さんの場合昨日知ったそうだ。前もってきっちりと行事ごとの予定は立てている山百合会だというのに、随分と急な話である。年明け前に知っていた私と違い大慌てで準備を進めたようで、昨夜は大変だったそうだ。久方ぶりにあったためかコンビニ前で盛り上がる二人。

 

 「うぎゃっ!」

 

 「それじゃまるで怪獣の子供だよ」

 

 ぬっと伸びた手が視界に入った瞬間に祐巳さんの声が響くと、その背の後ろには聖さまが。

 

 「白薔薇さまっ!」

 

 いつもの癖なのか聖さまの事を山百合会の役職で呼んでしまうのは、祐巳さんの癖なのだろうか。私の場合恥ずかしさが勝って呼べないのだけれど、慣れとか癖は怖いものだ。私の方にも顔を向けて気楽に『やっほー』と挨拶をくれたので、こちらも学園方式ではなく軽く『ども』と返しておいた。

 

 「じゃ、さっそく行きますか」

 

 「あ、でもだって、まだ誰も……」

 

 腕時計を見ながら祐巳さんが疑問を投げかけると、聖さまがしてやったりというような顔で笑う。

 

 「私、他に誰か来るなんて言った?」

 

 「は?」

 

 「ふふふ。騙されたわね、祐巳ちゃん。――さ、行こうか」

 

 聖さまの言葉をそのままを飲むよりは、この待ち合わせ場所に私たち以外は来ないと理解した方が良さそうだ。祐巳さんは聖さまの言葉にまんまと騙されて鵜呑みにしているようだけれど。こっちこっち、と気楽に歩きながら導かれたのは路上パーキング。初心者マークを張り付けたからし色のフォルク〇ワーゲン、ニュー〇ートルの鍵穴に鍵を差し込んで開錠して、乗ってと促される。

 祐巳さんが助手席に乗りシートベルトを締め、私は後部座席へと乗り込む。この時代はまだ後部座席でのシートベルト着用は義務化はされていないので、そのままである。聖さまがコンビニで買ってきたのか、たこ焼きの入ったビニール袋がちょこんと置かれてソースのいい匂いが香って来る。

 

 「い、一体だれが運転を? ――ま、まさかあ……」

 

 運転席に乗り込む聖さまをみつつも、現実逃避したいのか祐巳さんが声を掛けると黙ったまま鍵を差し込むとセルを廻す音が響く。一応免許は取ったようだし、そう心配することもないだろうと一人ごちた瞬間。

 

 「しゅぱーっつ!」

 

 威勢のいい声が狭い車内に響くと同時、この車種ってこんなにいい音してたっけ、それともどこか弄っているのだろうかと首を傾げると、ぐっと後部座席へと体が押される感覚と共に車が発進したのだった。

 

 「い、一体いつから乗ってるんですか!?」

 

 「ん、何時からって……あえていうなら今日から!」

 

 エアバックも着いているから大丈夫とかのたまう聖さまに、降ろしてくださいと叫ぶ祐巳さん。前は楽しそうだねえと、身に迫った危険に現実逃避しながら大通りを進み、住宅街へと踏み入れる。随分と長い塀に沿い走る事しばらく、大きな門が目の前に聳え立っていた。

 

 「白薔薇さま、ここは一体どこですか?」

 

 祐巳さんは知らされていないのか、この場所が一体どこなのか分らないようで。なら彼女の疑問には黙っていた方が賢明だろう。私がバラすと聖さまが拗ねそうだし。

 

 「どこって表札あるでしょ」

 

 前を向いたまま指を指す聖さまに倣って顔を横に向けると、どどんと構えて『小笠原』と書かれた表札に祐巳さんが驚きを見せていた。なるほど祐巳さんに伝えていなかったのはこの為かと納得しつつ、門を抜けて車を走らせるのだけれど家が見えない。というか家の敷地内に森があるのだ。

 ウチの家も大きいと思っていたのだけれど、さらに上の本物である金持ちの凄さを垣間見ながら、駐車場へ車を止めるのだけれどバック駐車に手間取る聖さまを微笑ましく眺める。車の運転も慣れが大きいので経験がモノを言うのだ。

 

 「そんなに笑わなくてもいいじゃない」

 

 「いや、苦手なものあるんだなあ、と」

 

 車を降りながらそりゃひとつやふたつくらいありますとも、と言いながら三人で小笠原邸の玄関を目指す。ほけーと見上げるのだけれど、一体いつの時代のものなのなのだろうか。とりあえず一般家庭では持て余すであろう造りであることだけは理解できる。メンテナンス費用とか大変そうだなあと考えている私と、自分の姉の凄さを身にしみて感じているのか屋敷を眺めている祐巳さんに、聖さまは慣れた様子で先を進む。

 

 「いらっしゃいませ。みなさまお待ちかねでいらっしゃいます」

 

 「お世話さまです」

 

 男性執事さんが玄関前で迎えてくれ聖さまが代表して挨拶をしてくれた後、中へと入る。

 

 「あ」

 

 「あ」

 

 「ん?」

 

 前を歩く二人が上げた声に何事だろうと声が漏れて、二人の視線の先にある階段上を見ると柏木さんと柏木さんの手を肩に置かれてきょとんとした顔を浮かべている男の子。どこかで見たことがあるようなと思いつつ、その謎は直ぐに氷解することとなる。

 

 「祐麒」

 

 「祐巳」

 

 「それに……」

 

 「柏木さん、やはり来てましたか」

 

 呆けた声を出す祐巳さんの後にすぐ、いつもよりも低めの声を出す聖さま。そんな聖さまをみて余裕の笑みを浮かべている柏木さんも大概である。

 

 「僕はさっちゃんといとこ同士だからね」

 

 「でも、なんで祐麒が?」

 

 「僕もよく分からないんだよ。ゲームセンターで成り行きで」

 

 どうやら柏木さんと彼は賭けをしたようで、その結果で小笠原邸へとやって来たようだ。突然の出来事に困惑しているようだけれど、それでも取り乱していない辺りは肝が太いと思うのだけれど。祐巳さんに知り合いなのかと聞くと『弟だよ』と返事が返ってくる。マジマジと見てみるとよく似ている。どうやら以前話していた同学年の弟さんのようだ。

 

 「いらっしゃい。白薔薇さま、祐巳、樹さん」

 

 和服姿で迎えてくれる祥子さまの横には、同じく和服姿のどことなく祥子さまに似ていて柔らかくした感じの女性が。

 

 「あ、あけましておめでとうございますっ」

 

 「おめでとう」

 

 「いらっしゃい。お客さまが増えて嬉しいわ」

 

 その言葉に聖さまが返事をし、私も失礼のないように初対面の挨拶と前回のお詫びの品についてなるべく横に居る人たちに気付かれないようにぼかしながら礼を伝え。

 私の名前を聞いて『ああ、この子だったのね』と小さく笑みを浮かべると、目敏く聖さまが『何かあった?』と小声で聞かれ『少しだけ』と答えると『あとで話を聞かせてね』と微笑まれた。その言葉にげんなりしつつ、祥子さまが小母さまに祐巳さんを紹介して祐巳さんも挨拶をする。

 

 「あら可愛い。さすが祥子さん見る目があるわね」

 

 体全体で喜んでいる祐巳さんを他所にハイソな人って自分の子供に『さん』付けするんだねえと驚きつつ、別室へと案内されると私たち以外の山百合会全員がその部屋に揃っていたのだった。制服ではなく私服姿のみんなに違和感を覚えつつ、この異様な華やかさはなんなのだろう。みんな顔良いからなあと遠い目をしながら各々新年のあいさつを交わしたあと、何故か全員でトランプゲームに興じることとなったのだった。

 

 「あがり」

 

 「あら柏木さんが止めていたのね」

 

 「祐巳ちゃん覚えておきな、七並べに強い男は性格悪いからね」

 

 「だったらダウトが得意な女は嘘つきを証明しているものじゃないかい?」

 

 今は七並べをやっていたのだけれど、柏木さんがあの手この手で勝っている。頭いい人はトランプも強いのかと感心していたのだけれど、二人の言い分はどっちもどっちである。

 

 「アンタはいちいち一言多いんだよ」

 

 「褒められたと思っておくよ」

 

 やはりお互いさまだよなあと思いつつ、江利子さまが呆れた声をあげそれにつられて蓉子さまが微笑んだ。

 

 「あ、そうだ樹ちゃん。さっきの小母さまの話だけれど、何かあったの?」

 

 「その話をこのタイミングで持ち出しますか……」

 

 ひとしきりトランプで遊んだあと、忘れていたと思っていたのに聖さまは話をほじくり返す気が満々のようだ。

 

 「だってその方が面白そうだし」

 

 「黙秘権を行使します」

 

 「えー! つまんなーい! いいじゃない、話聞かせてよ」

 

 喰いつく人が確実に居るから騒がないで欲しいなあという願いは虚しく届かない。

 

 「聖、どうしたの?」

 

 やはりいの一番に江利子さまが喰いついたかと、頭をがっくりと落とすと先程の事を説明する聖さま。そうして周りで聞いていた人たちも、話に惹かれたようで聞き耳を立てている。初対面だというのに祥子さまのお母さまが私の事を知っているのは、リリアンで青薔薇を担っているからか、それとも別の何かで知っていたかということしかない。

 面白そうだから早く話せと言わんばかりの顔をしている江利子さまと聖さまに、止めるつもりもないし祥子さまのお母さまが何故私という存在を知っていたのか姉として気になっているであろう蓉子さま。そして興味津々でこちらに視線を向けている由乃さんに、無理に聞くのは……でも止められないしと考えていそうな祐巳さんと志摩子さんと令さま。祥子さまと柏木さんは知っているから問題はない。一番目を白黒させているのは祐巳さんの弟さんである。

 女ばかりに囲まれて肩身が狭そうだけれど、大丈夫なのだろうか。

 

 「それで、樹ちゃん。どうして祥子のお母さまが貴女を知っていたのかしら?」

 

 「……リリアンで青薔薇を担っているからでは?」

 

 多分だけれど小母さまもリリアンに通っていそうである。良い所のお嬢さまだというのは立ち振る舞いから分かるし、(スール)の存在も知っていたのだから。

 

 「えー。それだけであんな事いうのかな?」

 

 「いいんじゃないかい、話しても」

 

 事情を知っている柏木さんはにやりと笑っているから嫌な予感しかしないけれど。自分で話してもこれは補足説明で柏木さんの合いの手が入りそうだなあと、遠い目になる。それならもういっそ柏木さんが話してくれればいいじゃないかと思うあたり、いろいろと何か大事なものを放棄しているような気もしてきたけれど、自分から喋るのはどうにも億劫である。

 一応、一年生ズにはお見合いとその後にパーティに誘われたのは軽く話しているものの、全てを喋った訳ではない。気が重いなあと悩んでいると、結局痺れを切らした柏木さんが語り始めたのである。

 

 「いやあ、迷惑な客を追い出せて良かったんだけれど、まさかリリアンに通う子があんなことをしようとするなんて」

 

 ぷぷっと笑っているけれど、その痛みを知っているであろう柏木さんは随分と余裕である。とりあえずお見合いの最中相手に壁際へと追いやられてキスを迫られたところまでは話してくれたのだけれど、周りは目が点状態である。まあ普通、断ることを前提で受けていてもこんな展開にはなるはずがないものねと、微妙な心境になってしまった。

 

 「もったいぶらずに話せよ、銀杏王子」

 

 柏木さん相手だと言葉が乱暴になる聖さまに『聞きたいかい?』と念を押す柏木さん。言わないで欲しいなあと願うものの、必ず聞き出すだろうなあと諦めモードである。

 

 「握りつぶそうとしていたからね、彼女」

 

 「あん?」

 

 「?」

 

 理解できなかったのか不思議な顔を見せる面々の中、一人祐巳さんの弟さんだけは青い顔をしていた。同性なのでその痛みが分かってしまったのか、申し訳なく思いつつ私の所為ではないと開き直る。

 

 「樹ちゃん、何をしようとしたの?」

 

 どこからともなく沸いた問いかけに、頭を悩ませる。

 

 「あー……えー……、まあ、その」

 

 ストレートに玉潰しを敢行しようとしたと伝えても良いものかと迷ってしまう私の視線が柏木さんの股間へと移ると気付いた人が約数名。

 

 「僕を見ないでくれるかな」

 

 「余計なことを言うからですよ」

 

 そうして報復を済ませたと思えば、柏木さんが報復返しとばかりにパーティーでの水かぶり事件もぶっちゃけられてしまい、一同から呆れた視線を向けられる。だって仕方ないじゃないか。穏便に済ます方法がアレしか思い浮かばなかったのだから。

 

 「というか柏木さん。思い出しましたが、あの詫びの品って柏木さんがチョイスしましたよね」

 

 「うん、僕が選んだよ。――どうだろう、気に入ってくれたかな?」

 

 「そうですね。日々ダイエットに勤しんでます」

 

 「それはよかった」

 

 にっこりと笑う柏木さんに嫌味で返しながら、お詫びの品が小笠原家と柏木家から届いたことを全員が知ると、小母さまが私の存在を知っていたことにようやく納得してくれた面々だった。




 8948字

 アニメのあの車っていい音させ過ぎじゃない?って疑問に思っています。あの車ってあんなにいい音がしたっけかと。ちなみにアニメ『逮捕しちゃうぞ』でのトゥディはスカイラインのエンジン音を使用していたようです。美幸が魔改造してたとはいえ、良い音すぎるw

 あとお風呂に辿り着かず。まあ冗長になって目標にしている所まで辿り着いていないのは恒例となっておりますので、ご容赦を。


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第六十一話:お風呂となかきよ

  大人数で集まっているというのに、全然狭さを感じない小笠原邸。お手洗いを借りると来客専用だし、個室も三つほど並んでいたりと格の違いを見せつけられている――訳ではないのだろうけれども、どうしても住む世界が違うなと思わずにはいられない。邸を訪れてから数時間、久しぶりに会うからなのか話が弾んでしまうのは女の子ならではということなのだろうか。

 

 「樹さんは冬休みは何をしていたの?」

 

 揃って遊ぶにも限界があり中だるみし始めると各々好きに過ごし始める。とはいえやることはお喋りくらいしかないので、他愛のない雑談がこうして繰り広げられている訳なのだけれども。

 

 「ん、取り合えず貰った課題を終わらせてあとは家でゴロゴロしながら、中学の時の友達と遊んだくらいかなあ。由乃さんは?」

 

 年末年始はお決まりの親戚付き合いで祖父母の家へと顔見世に行っていた。こてりと首を傾げて私へと質問を投げた由乃さんは何故か不満顔である。

 

 「私も似たようなものだけれど……――樹さんと遊ぶ約束なんて交わしていないものねっ!」

 

 ぷいと顔を背けた由乃さんを隣に居た志摩子さんがその姿を見て小さく笑う。私は私で参ったなあと頭をぽりぽり掻きながら、見事に不貞腐れている由乃さんを見ながら苦笑いをしつつ、年相応の反応に可愛いなあなんて考えて。

 

 「じゃあ、どこかで時間取って遊ぼうよ。志摩子さんはどう?」

 

 「へ」

 

 志摩子さんが抜けた声を出すなんて随分と珍しい。驚いて『きゃ』と可愛らしく悲鳴を上げている所は聞いたことがあるのだけれども。しかもその姿も声も似あっているのだから、やはり美人は徳であると凡庸な私は一人納得していた。自分に話が飛んでくると思っていなかったのか、目を真ん丸にしたまま固まっているのだけれど大丈夫なのだろうか。横に居る由乃さんが私の言葉を聞いて普段の調子を取り戻し、私の顔を見て志摩子さんの方へと視線を移した。

 

 「いいわね。山百合会の一年生勢揃いなんて、素敵じゃない」

 

 二学期からいろいろとあり忙しかったから、山百合会の一年生ズが学園外で遊ぶことなんてなかったのだから。祐巳さんは今この場には居ないが、戻って話をすれば彼女ならば快諾してくれそうである。志摩子さんの返事を聞かないまま話が盛り上がっているのだけれど、大丈夫だろうか。気になって視線を向けると目を細めて笑ってくれたので大丈夫だろう。無理ならば無理だと言える子だと思い出し、この辺りの心配は必要はないかと安堵した。

 

 「聖と祐巳ちゃん、遅いわね」

 

 祐巳さんが聖さまに耳打ちをしながらどこかへと消えてしばらく。友人の家で勝手にどこかに行くのならばトイレくらいであろうと、なにも気にしていなかったのだけれど戻ってくるのが遅い。

 

 「祥子がお茶を淹れにいったから、そっちへ寄り道でもしているんじゃないかしら」

 

 「そうかもしれないわね。もう少し待ってみましょうか」

 

 勝手に人様の家の中を徘徊するのは不味いから、探すという選択は取れず苦笑をしながら蓉子さまと江利子さまが結論付けた。そういえば柏木さんもこの部屋から居なくなっているのだけれど、何処に行ったのやら。彼の場合勝手知ったる小笠原邸だろうから、この広い屋敷を気ままにフラフラしているのは目に見えている。女所帯の中に一人ぽつんと居る祐巳さんの弟さんが少し気の毒だけれど、あと少しすれば戻ってくるだろう。

 

 由乃さんのヒートアップした会話もひと段落して落ち着きを見せていた。兎にも角にも祐巳さんが戻ってこないと話にならないわねと決断を彼女が出したので、一年生たちで遊びに行く約束は取り合えず中断したのである。

 嬉しそうに笑っている由乃さんの姿をみていると、これは本気で冬休み後半のどこかで出掛けることになりそうだ。お嬢さまってどういう所で遊ぶのか謎だけれど、以前三年生たちに会ったのはごく普通の街の雑踏の片隅。中学時代の友人たちとあまり変わりはないのだろうなと視線を部屋の中をさ迷わせ、周りを見渡す。何故か祐巳さんの弟さんと目が合い、お互い小さく頭を下げる。丁度話も切り上がったので彼と話すのも悪くはないと、手持無沙汰で暇そうにしている彼の下へと近づく。

 

 「えっと、祐巳さんの弟さん……でいいんですよね?」

 

 相変わらず初対面の相手だと話の進め方が下手で、もっと上手な方法はないものかと考えるものの、良い方法が浮かばないのだから仕方ない。

 同い年であることは理解しているけれど、祐巳さんがリリアン女学園に通っているのならその弟である彼は花寺に通っていても可笑しくはない。というか柏木さんと知り合いならば確実に花寺学院に通っているであろうと、敬語で喋りかけたのだ。

 

 「ああ、はい。姉がいつもお世話になっています。福沢祐麒です」

 

 男子高校生だというのに落ち着いた雰囲気で挨拶をしてくれた。玄関で顔合わせはしたもののキチンと名乗った訳ではないので、彼の方から名乗ってくれたことに感謝しながら私も名乗りながら、リリアンの生徒会で祐巳さんにお世話になっていると返すと微妙な顔になった彼。

 

 「そうだ。不躾で申し訳ないんですが、どう呼べばいいですか?」

 

 「好きに呼んで頂いて大丈夫ですよ。福沢でも祐麒でもどちらでも大丈夫ですので」

 

 柏木さんも紳士な所をよく見るけれど彼もまた良い所のお坊ちゃんの為なのか、随分と丁寧な口調と声色でしっかりと喋る人だった。中学時代の男友達とは違い随分と落ち着いているなと感心しつつ、口を開く。

 

 「じゃあ、福沢くん、でも良いですか? 私も鵜久森でも樹でも好きに呼んでくださると有難いです」

 

 こういう時はリリアン独自のルールって便利であろう。同級生には『さん』上級生相手には『さま』とつけて呼ぶことを強制されるから選択肢がないんだものね。

 そういえば花寺もこうしたルールは存在するのだろうか。とはいえ私は花寺の学院生という訳でもないのだし、いずれ聞ければいいくらいの話である。同級生であることを知っているので取り合えずこのまどろっこしい敬語を取っ払ってしまいたいのだけれど、ぐっと我慢をしてる状態なのだけれども、社交の基本は笑顔である。

 

 「それじゃあ、鵜久森さんで」

 

 「さん付けで呼んでくれる男友達がいないので、なんだか新鮮です」

 

 私から『福沢くん』と呼んでしまったために彼の選ぶ幅が少なくなってしまった事には申し訳なさを覚えてしまうが、みんな『鵜久森』だもんなあ。さん付けで呼んでくれる男子なんてほぼ皆無である。

 少し照れくささを覚えつつも話し相手である福沢くんには笑みを向けながら話をする。第一印象って大事だし、山百合会のみんなのような顔のアドバンテージは低いので凡顔の私には繕うことが大事なのである。美人に生まれたかったなあと、ひっそりと心の中で嘆きつつ彼と何度かやり取りを交わすと、ようやく祥子さまが戻って来たのだった。

 

 「お茶をお持ちいたしました」

 

 不機嫌を少し携えた彼女に遅れること少し、柏木さんが満面の笑みを浮かべながらやって来る。おそらく彼が祥子さまに何かしたのだろうと、想像がついてしまうくらいには彼の性格を把握しているつもりである。

 私の隣に居る福沢くんもなにかに気が付いた様で、小さくため息を吐いていた。そんな二人に遅れること数分、今度は祐巳さんと聖さまが一緒に戻ってきて、手にはどこかで購入していたたこ焼きが。電子レンジでも借りたのだろう、少し湯気がたつソレは良い匂いをこの部屋に充満させつつあった。

 

 「あら、珍しいわね」

 

 「出店があったから、ついね」

 

 どうやらコンビニで購入したものではなく、おそらく神社か寺で初もうで客相手に商をしていた店から購入したようだ。物珍しそうに数名がたこ焼きをみつめて目を輝かせているのだけれど、粉物の割には値段が高いしタコがまともに入っていなかったりとあまり良いイメージがない。

 ないのだけれども、どうしてだか買ってしまうのはお祭りゆえの高揚感からなのか。聖さまが『つい』と言っていたことも理解できてしまうのだから、不思議なものだ。わいわいと騒ぎつつ出されたものを食しながら、またお喋りに興じ。

 

 そんなことをしていれば、明日予定のある人たちは家へと帰路へ着く準備をいそいそと始めていた。それを見た私も荷物を取って、鞄の紐を肩へと掛ける。

 

 「樹ちゃん、君はこっち」

 

 「ん、みんな帰るんじゃないんですか?」

 

 聖さまに何故か首根っこを掴まれて、何故か帰ろうとしているみんなから離されてしまう。蓉子さまから伝えられた時は『祥子の家にみんなが集まる』だったけれど、聖さまから電話で予定を告げられた時は『一泊二日の泊りね』と事情が変わっていたから一応お泊りセットは持参していたものの。

 

 「泊りだって伝えていたでしょう」

 

 確かに聞いてはいたけれどみんなが帰るのならば、私も帰るべきだろうと判断したのだけれどソレは許されないらしい。泊まる予定で来ているのだから何ら問題はないのだけれど、今度からは聖さまの言葉を鵜呑みにしない方が良いなあと、遠い目になりながら心に誓う私であった。

 

 「そろそろお暇しましょうか。――柏木さん、祐麒くんと二人で女性のボディーガードよろしくね」

 

 この小笠原邸に侵入を試みる不届き者なんて居ないような気もするけれど、万が一の可能性も確かに捨てきれないのか。江利子さまのその言葉に柏木さんが答えようと口を開く。

 

 「はい、承りました」

 

 この上なく胡散臭そうと思ってしまうのは、彼のお茶目を直接体験しているからだろうか。学園祭で祥子さま相手にやらかしていたけれど、私は被害を被っていなかったので山百合会のメンバーよりも彼に対する感情はそう悪いものでもなかったのに。

 あのホテルでの一件以来、優しいんだか面白がって行動を起こしているのかどちらなのか判断が付かない。両方の可能性も捨てきれないので、判断に困る人だよなあと二人のやり取りを見ていると、祐巳さんが福沢くんの方へと顔を向けて驚いた顔をしている。彼が泊まることを知らなかったのだろう。ただ柏木さんに言いくるめられたことだけは安易に光景が浮かんでしまうので、彼もある意味被害者のような。苦労するねえと同情心を向けるけれど、私も似たようなものかもしれないとハッとして項垂れる。

 

 「祥子、今日はどうもありがとう」

 

 「また寄らせてね」

 

 社交辞令なのか本心なのかどうか分からない言葉を蓉子さまと江利子さまが告げて、エントランスホールを出る。この大きなお屋敷に安易にまた寄らせて欲しいだなんて口が裂けても言えないんだけれど、やはり住む世界が違うのかリリアンに通うお嬢様たちは違うらしい。慣れているという事もあるのだろうけれど、私が慣れることって訪れるのかどうかは謎。

 

 「お正月早々、お集まりいただきましてありがとうございました。また是非お寄りください」

 

 祥子さまの〆の挨拶で、帰宅組のみんながタクシーへと乗り込む。どうやら由乃さんと令さまは明日から箱根、江利子さまは家族と海外旅行、蓉子さまは受験対策で冬期講習、志摩子さんは何も言っていなかったがおそらく家の手伝いがあるのだろう。山百合会の仕事を家の手伝いがあるからと断っていたことが何度もあるのだから。山百合会全員で小笠原邸に泊まるとなるともてなす方は大変だろうし、ある意味適切な人数ではあるのだろうか。

 

 「祐巳さん良いわね。今日はお姉さまの家にお泊りでしょう」

 

 「う、うん」

 

 由乃さんが祐巳さんへと顔を向けて語り掛けると、自信がなさそうに返事をした祐巳さん。まあ聖さまやら柏木さんやら福沢くんに私と邪魔者がいるからしかたないよねえと、一人勝手に納得して頷くとタクシーが発進していった。

 

 「明日、何か用事があるの?」

 

 「へ、い、いいえ、ないです。何もありません」

 

 「だったら、そんなにソワソワしていないでゆっくりなさい」

 

 要するに泊まっていけという事だろうと二人のやり取りをみているとそういうことだったようだ。

 祐巳さんは祥子さまとの姉妹関係を不安視していることが時々あるけれど、祥子さまの方がべた惚れなのだから必要はないと伝えているのに、本人からすれば俯瞰してみることは難しいらしく悩みの種のようだ。先程まできょろきょろと周囲を見ていた祐巳さんは、安心した顔をしてにっこりと祥子さまの言葉に頷く。

 

 「もちろん樹さんもね」

 

 「すみません、お世話になります」

 

 祥子さまなりの気遣いなのだろう。祐巳さんとの話を終えると私の方にも遠慮はいらないと言わんばかりにそう伝えてくれたのだった。

 

 ◇

 

 そうして祥子さまの家に泊まることが決定的になったその日の夜。

 この大きな屋敷の住人の私室へと案内され、置かれている調度品やらベッドの高級さに気安に触れることが出来ないな、とかお手伝いさんが沢山いることを知ったりと小笠原の凄さを遠い目になりながら実感したりと、いろいろとあった。夜も更けてしばらく、あと少しで就寝という前にお風呂に入って身綺麗にしてしまおうと、この家の主から告げられて連れられた先で。

 

 「広い……」

 

 「うわ、すごい」

 

 お客様用だから気楽に使えばいいと言い残して祥子さまはさっさと去っていったのだけれども、残された凡人代表の二人が大きい風呂を覗いて感嘆の声を上げていた。

 

 「これ、一人で入るの寂しくない……?」

 

 この広い浴槽にぽつんと一人で入り、蛇口が数個設置されている洗い場で体と頭を洗うのか。家のお風呂ならば一人で入るくらいのスペースしかないので気にはならないけれど、複数人で入ることを想定して設計されているのは目に見えて分かる。

 

 「へ?」

 

 「ということで祐巳さん、一緒に入ろうよ」

 

 「う、うん。いいけれど」

 

 少し驚きつつも、直ぐに同じ結論に至ったのか笑みを浮かべながら返事をくれた祐巳さんに、んじゃあ用意しようかと振り返ると聖さまの姿が。

 

 「君たち、私を置いて入るだなんて酷いんじゃないかな?」

 

 腕を組んで意地の悪い笑みを浮かべながらそんなことを言い放つ聖さま。一応上級生だし気を使うこともあるだろうからと、何も言わなかったのだけれど、どうやら彼女はソレがお気に召さなかった様子で。そういうことなら何も問題はないだろうと、声を掛ける。

 

 「じゃあ、聖さまも一緒に入りましょう」

 

 「う、うぇええええ!」

 

 私の言葉にツインテールを揺らしながらすごい勢いで驚く祐巳さん。

 

 「なに、祐巳ちゃんは私と一緒に入るのが嫌なの?」

 

 「い、嫌というか、恥ずかしいというか……」

 

 「じゃあいいじゃない。さ、準備しよー」

 

 にっと口を広げて笑い祐巳さんと私の肩を抱き荷物を置いている場所まで進む。そうして寝間着やら下着やらを用意してもう一度戻り、脱衣所で服を脱ぐ。祐巳さんの場合は誰かと入るのが嫌というよりも、薔薇さまである聖さまと一緒に入ることが気恥ずかしいのであろう。そういうことならば止める必要はないのだし、直ぐに慣れると聖さまの行動を止めるようなことはしなかった。全裸になって風呂場へと進もうと足の方向を変える。

 

 「い、樹さん、大丈夫?」

 

 「あまり大丈夫じゃあないかも……」

 

 眼鏡を外して服を脱ぎ去ったのだけれども、近視ゆえにモザイクの世界となり果て感覚が掴めない。一向に進もうとしない私を不思議に思ったのか、服を脱いだ祐巳さんらしき姿が振り返って私を見ると手を差し伸べてくれたので、私も右手を出して掴む。

 

 「ありがとう、助かるよ」

 

 「そんなに視力悪いの?」

 

 「うん。ほぼ見えてない」

 

 「あー、そういえば学園祭の準備の時、君の眼鏡かけてみたけれど凄くキツかったもんねえ」

 

 聖さまもいつの間にか準備できていたようで私の隣に立って、左腕を取ってくれた。

 

 「両手に華ですねえ」

 

 リリアンの生徒が見ればかなり羨ましい状況なのだけれど、残念ながら視界不良の為になにを見てもモザイクが掛かっている状態である。

 

 「なにそれ。――あ、足元気を付けなよ」

 

 ガラガラと引き戸を開ける音が響くと同時に聖さまの声が聞こえ、一歩足を踏み出す。

 

 「うおっ」

 

 ずるっと踏み出した足が前へと滑るけれど、どうにか踏みとどまって事なきを得る。足をおっぴろげている私に驚いた二人を他所に体幹強くて良かったと安堵しつつ体勢を元へと戻すのだけれど、私が足を滑らすことを予想していたのか聖さまの体が随分と密着していた。

 

 「言わんこっちゃない」

 

 「だ、大丈夫、樹さん?」

 

 二人とも心配してくれているのだろうけれど、私の視界は相変わらずモザイク世界。慣れている場所ならば間取りを覚え感覚で動けるので問題はないのだけれど、こうして見知らぬ場所になるとこういうことが起こりやすい。

 

 「すみません、ありがとうございます」

 

 呆れてるんだろうなあと苦笑いをしつつ掛け湯をして浴槽へと浸かる。小さな温泉宿ほどの広さのこの場所、堪能しなければ勿体ないとゆっくりと肩まで沈めて目を閉じる。

 

 「ふいー。気持ちいい」

 

 「おじさんみたいだよ、樹さん……」

 

 私の格好は銭湯へとやってきた中年オヤジそのものである。頭にタオルを乗せているし、胡坐を組んで座っているのだから。二人がどんな顔をしているのか全く分からないし、気楽なモノである。

 

 「いいのいいの。せっかくの贅沢なんだから楽しまないと」

 

 「うーん。樹さんのその前向きな所、見習いたい」

 

 恐らく私の横で百面相をしていそうな祐巳さんと、彼女の言葉を聞きくつくつと笑っている聖さま。まあ時間が経てばいろんなことを経験して、ある程度の物事には動じずになるのだけれど、祐巳さんが私と同じようになるのは少々おすすめしかねるなあと苦笑い。

 

 「樹ちゃん、お腹周り凄くない? というかさっき腕持った時に思ったんだけれど、鍛えてるの?」

 

 「今は軽くですけれど、前は腹筋割れてましたからねえ」

 

 鍛えていない同年代の女子よりは、お腹の筋肉はそれなりに付いている。大分落ちてしまったし以前の様にシックスパックではないけれど、縦に筋が入るくらいには。

 

 「へえ」

 

 おもむろに体を洗おうと浴槽から立ち上がった時だった。聖さまが私に声を掛けると、それに答えながら蛇口へと進んでおぼろげな視界を頼りに、どうにかシャワーノズルを手に取ると背後に気配を感じ。

 

 「おお、硬い。――興味があるなら、祐巳ちゃんも触ってみる?」

 

 うにうにといつの間にか聖さまの手が私の腹へと伸びて、筋肉の感触を確かめている。遠慮のない言い方と触り方に彼女らしいなと苦笑いしつつ、横には祐巳さんの姿が。

 

 「へっ!?」

 

 「樹ちゃんなら、怒ったり嫌がったりしないから平気だよ」

 

 聖さまが言える台詞じゃあないような、と疑問符を頭に浮かべているとちょこんと祐巳さんの指先が伸びてきて私の腹の中心からそれた所を何度か軽く押し込んでいる。

 

 「おお」

 

 筋肉の感触が珍しいのか感嘆の声を上げながら、未だ私の腹を触り続ける二人に湯冷めするから体と頭洗いましょうよと促して、ようやくお風呂を済ませて三人一緒にあがる。タオルドライをしながら他愛のないことを話しながら、寝間着に着替えると祐巳さんが『私だけパジャマ……』と唸っていたのだけれど、Tシャツとスウェット姿の聖さまと私がラフすぎるだけだ。

 

 「祐巳ちゃん何をきょろきょろしてるの?」

 

 お風呂場から布団が敷かれた客室へと入り、だらだらと三人で祥子さまが来るのを待っていた。お風呂で借りた石鹸とシャンプーも良いもので、良い匂いが鼻腔をくすぐっている。

 

 「だって、ここにも小さなお部屋があって旅館みたいですよ」

 

 これだけの豪邸だから来客用に部屋がいくつあってもなんらおかしくはないけれど、一般家庭ではありえない規模。先ほど祥子さまの部屋を覗いていた時は普通にしていたけれど、どうやら凄すぎていろんなものがぶっ飛んでいたらしい。

 

 「祐麒たちはもう寝たかな?」

 

 「あー。無事だといいねえ、祐麒くん」

 

 なんだか不穏なセリフを吐く聖さまに、考えすぎじゃないかなあとあまり想像したくない光景を目に浮かべてしまう。

 

 「へっ、無事って?」

 

 聖さまの言葉が理解できなかったのかオウム返しをした祐巳さんと同時、襖が開く音が聞こえると何故か紙とペンを持った祥子さまがやって来た。

 

 「お姉さまっ!」

 

 はへーと感心していると、祐巳さんも気付いたのか喜んだのも束の間、手に持っているものに気が付いて不思議そうに見ている。そんな祐巳さんに笑みを向けながら祥子さまは聖さまの方へと向かい畳の上に正座した祥子さま。その所作は見惚れる程奇麗で、流石お嬢さまといえる。

 

 「白薔薇さま、お宅では『なかきよ』おやりになりますか?」

 

 その質問と共に紙を手渡し、その後に私と祐巳さんにも配る祥子さま。

 

 「なかきよ?」

 

 「おまじないなのよ――」

 

 『長き夜の』が書かれた七福神の宝船の絵を枕の下に置き、歌を三回読み上げて寝ると、よい初夢を見られるという室町時代から伝わる回文和歌だそうで。そんな風習があったんだねえと感心しながら、祥子さまの手本に倣い枕の下へと紙を入れる。

 

 「電気どうする?」

 

 「茶色にしましょう!」

 

 聖さまの言葉に元気よく答えた祐巳さん。以前のわたしは豆電球と呼んでいたけれど、それぞれの家庭で呼び方は独特のようだ。ぶっと吹いた聖さまとくすくすと笑う祥子さまに、顔を赤くさせている祐巳さん。ひとしきり笑い布団の中へと体を入れて『おやすみなさい』と声を掛け合いそそくさと目を閉じる。

 祥子さまが最後に部屋の明かりを落として布団へと入る音が聞こえてしばらく、祐巳さんと祥子さまが何かを喋っているけれど姉妹のやり取りを邪魔するのは無粋だよなあと、意識を手放すのだった。

 

 




 8647字

 お風呂回は桃色成分を強めに出したかったのですが、オリ主は視力が悪いのを忘れてた。テヘッ。あと手を繋ぎたかっただけっていうね。
 あと今思い出して、夏休みに蓉子さまをナンパから助けてたのをすっかり忘れてた。どこかしらで話として入れないと……。ああんでも次はもう三学期で三年生登校頻度下がるぅ!


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