スピリチュアル軍師・希 (フリート)
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音ノ木で眠る龍
その①


 自分の命は間もなく尽きてしまう。不思議と自分の身体の事は自分がよく分かるし、何よりも星が教えてくれるのだ。死が刻々と近付いてきた時、孔明は先帝劉備の事を思い浮かべた。彼に出会わなければ、自分は何をやっていたのだろうか。

 

 性は諸葛、名は亮、字は孔明。劉玄徳こと劉備に出会ったのは、建安十三(ニ0八)年、自身がただの農夫の若造だった時の事だ。劉備は何の実績もないどこぞの馬の骨である孔明を幕下に迎え入れようと、三度足を運んでくれた。一度目、二度目は会うことが出来ず、三度目にようやく顔を合わせるのである。

 

 三度目劉備が家を訪れた時、孔明は昼寝をしていた。すると劉備、孔明を起こさずに姿勢を正して孔明が起きるのを待っていたのである。これだけでも驚愕ものだったがそれだけでなく、いざ対面してみれば、親子ほど歳の離れた孔明を先生と敬い礼を尽くし、教えを乞うてきた。没落する漢王室復興の志を胸に、誠意を孔明に見せ続ける劉備。

 

 この日の衝撃を孔明は終ぞ忘れなかった。士は己を知る者のために死す。孔明は劉備の家臣となる事を決意した。

 

(それからは苦難の道のりでした)

 

 孔明が劉備の家臣となった時、劉備を取り巻く現状は決して良いものではなかった。未だ確固たる基盤を持たず、既に天下統一目前の曹操から要注意人物として狙われ、さらに劉備自身の善人気質から取れる手段も限定される。それでも孔明は自身の終生の主の為東奔西走、奮闘した。そして、劉備に蜀という一国の皇帝の座をもたらしたのである。

 

 そうして劉備の信頼を得て、その信頼に応えた孔明は、劉備亡き後、その子供である劉禅を支えて蜀の宰相という地位を以って、劉備の夢である漢王室復興の戦いを続けた。

 

 敵である魏国は強大で、同盟国の呉国は全幅の信頼に値せず、劉備と共に戦い続けていた有能な人材も次々と亡くなり、それでも孔明は戦い続けた。

 

 そして今、長きにおけるその戦いも、自身の生と共に終焉を迎えようとしていた。

 

(先帝陛下、申し訳ありません)

 

 孔明は亡き劉備への謝罪の言葉を思った。寝台と天井の間に、劉備の顔が浮かび上がる。お前はよくやってくれた、私であればとっくに諦めていた、とおどけながら言ってくれてるようだった。劉備にはこういうひょうきんな所もあり、そんな劉備も孔明は好きだった。

 

 思わず笑みがこぼれる。そうですね、私はよくやった方ですよね、孔明はそんな気持ちになった。

 

(それにしても、陛下と、劉備殿とお会いしなければ、私は何をしていたのでしょうか)

 

 ふと、そんなことを思った。

 ただの農夫として一生を終えていたのだろうか、戦乱で命を落としていたのだろうか、もしかしたら兄を頼って呉国に仕えていたかもしれないし、まかり間違って魏国の臣下となっていたかもしれない。自身で国を興そうなどとは考えなかっただろう。そんなことを出来る環境でもなかったし、そもそも自分にそんな器はない。

 

(ならば、戦乱のない平和な世であれば)

 

 どうなっていただろう。考えても想像がつかない。

 

 気になる。

 

 孔明は戦乱のない世に思いを馳せた。気になる事があれば、とことん気にして追及したくなるのが孔明の癖の一つだった。こういうところは、意外と大雑把な所もある劉備と合わない面である。劉備なら、別に知らなくても良い、関係ないから、で終わらせそうだ。

 

 何をしていたのだろうか……。

 考えてみようとした時、孔明の思考は覚束ないものとなった。意識が朦朧としてきており、どうにも上手く頭が働かない。とうとう終わりの時のようだ。

 

(申し訳ありません)

 

 もう一度、劉備に謝罪。

 

(何をしていたのでしょうか)

 

 もう一度、そう思った時、身体がふわりと浮き上がる様な感覚に見舞われた。

 

(私は、何を――)

 

 孔明は完全に意識を飛ばした。

 

 

     ◆

 

 

 絢瀬絵里が初めて希を知ったのは、高校一年生の登校初日、クラスで行われた自己紹介の時間である。この自己紹介、一人か二人は時たま妙な事を口走る人がいるが、希はその妙な人間の一人であったのだ。

 

「性は東條、名は希、字は孔明と申します。一年間と言う長い様で短い時間でありますが、皆様、是非によろしくお願い致します」

 

 優美さとたおやかさを兼ね備えた様な容姿、動きであったが、クラスの関心はそこにはなかった。いや、あったのかもしれないが、それ以上の事があったのである。勿論、絵里も例外なくその一員だった。

 

 字って何? 孔明って何? どっかで聞いたことがあるような、ないような。ああ、三国志の諸葛亮孔明! 何で? 

 

 自己紹介の日は疑問に思うだけであったのだが、後日、絵里は希と話す機会があったので、そのことについて訊ねてみた。返って来た答えはこうだった。

 

「私が私であることの証です。スピリチュアルというやつですよ」

 

「ハラショー」

 

 望んでいた答えが返って来なかったというか、結局何が何やらさっぱりだったので、絵里は取りあえずそう呟いた。多分、聞いても答えてくれないと言うか、考えても分からないやつだ。考えるのは止めたチカ。絵里はそれ以上聞かなかった。

 

 これ以来、絵里は希と度々話をして、友好関係を結ぶようになった。話してみれば、割と常識的なのだ。それに頭も良い。入試の試験で、希が一位だという事を絵里は知った。

 

 さらに頼りになる。ある日、絵里はこんなことを希に相談した。

 

「私、生徒会に誘われたのだけれど、入った方が良いのかしら?」

 

「止めた方が良いでしょう」

 

 即答だった。

 

「これまでの付き合いで、私は貴女の性格を多少なりとも理解しているつもりです。貴女は頼られれば嫌とは言い難い性格です。しかし、貴女自身は生徒会にそこまで興味があるように思えない。ですので、入るべきか否か迷っているのでしょう。だからこそ言います、止めておいた方が良いと。それに責任感も強い。貴女の事ですから、義務感で生徒会に縛られて己を押し殺すのは目に見えています。仕事ではないのですから、やりたくない、やる気がないのなら無理にやる必要はありません。生徒会の方も貴女をそこまで強くは求めてはないでしょう」

 

 希に言われて、絵里は生徒会に入らないことを決意した。そのことを誘ってくれた生徒会役員に話すと、分かったの一言だけで話は終了した。確かに、絵里が絶対に生徒会に必要というわけでもないらしい。希の言う通りにして良かったと思った。

 

 余談だが、希も生徒会役員候補だったらしいのだが、声を掛けづらいという事で流れたらしいかった。確かに面識がなければ、希は絡みづらいかもしれない。というか、仲良くなったから言えるが、ちょっとばかし胡散臭い。

 

 何はともあれこの一件があると、絵里は困った事、相談事は親や妹よりも真っ先に希に相談することになった。ただし、自分でもしっかり考えた後に。端から希の考えに頼るのは違うと思うし、大体希はそういう事が嫌いなのだ。希が絵里の事を把握するように、また逆も然りだ。

 

 絵里が希と友達になってから、暫くの時が経った。既に新一年生たちも高校生活に慣れ始めて、友達を作って遊んだり、勉学に励んだり、やりたいことをやり出したりと新生活を満喫し始めている。そんな時だった。

 

「アイドルをやりませんか?」

 

 放課後の教室。生徒会ではなく、今度はアイドルに誘われた。正しくはスクールアイドルに。どうやら、学生がアイドルのような活動をするものらしい。誘って来たのはアイドル研究部という、今度新しく創設された部活で、そこの部長であり絵里と同じ一年生の矢澤にこだ。今度は絵里だけでなく、希も一緒に誘われた。にこは熱意をぶつけて二人を勧誘する。

 

 曰く、二人はキャラ立ちしている。容姿も端麗だし実にアイドル向き、というものだ。

 

「やってみようかしら」

 

 絵里は生徒会の時とは違って興味を持った。元々、バレエをやっていたのだ。訳あってやめてしまったのだが、踊るという事に関してはまだまだ熱が冷めてない。アイドルならば、踊りは決して外せない要素。まだまだやりたいというほどではなかったが、やってみたいとは思った。だから今度は、やることにした。

 

「そうですか、頑張って下さい。私はやりません。動くことはあまり好きではありませんし」

 

 絵里は仕方がないと思った。無理強いはしたくない。

 にこも無理に勧誘を続けようとはしなかった。絵里がやってくれるだけでも儲けものだ。

 

 ただ、希はやらない代わりに、とにこに助言のような事をした。

 

「矢澤殿、貴女のアイドルに対する思いは、この希、感服致しました。ですが、そこの絵里を見ていればお分かりかと思いますが、彼女はそこまでアイドルを好きなわけでありません。この時点で、両者には明確にアイドル研究部に対する考えの違いがあります。貴女は部を率いる者で導いていく者ですが、一人で早急に事を運んで行くのは止めた方が良いでしょう。よくよく、皆で相談をし合いながら、やって行くことをお勧め致します」

 

 にこの強い熱意と志が悪い方向に作用するのを防ぐ、希の言であった。

 

「分かったわ」

 

 にこは素直に頷いた。希が自分の思いを受け取ってくれた上で、揶揄うわけでもなく真面目に助言してくれたからだ。傍で聞いていた絵里も、希の言葉を頭に留めた。

 こうしてアイドル研究部に絵里は入部した。この一連の出来事があって、絵里、希、にこは個人的な友情をはぐくむことになる。

 

 それから二年が経過、希の下にある少女たちがやって来ることで物語は進む事になる。

 



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その②

 東條希が蜀の丞相諸葛孔明であった記憶を取り戻したのは、丁度八歳の誕生日であった。記憶を取り戻した直後は、柄にもなく右往左往慌てふためくばかりであったが、そこは天下にその名を轟かせる英傑の一人、直ぐに事態を把握すると、先ずは現代社会に馴染むべく行動を開始するのであった。

 

 今までの希としての記憶もきちんとあったのだが、孔明としての人格が蘇ってしまい、記憶というか記録のようなものに成り果ててしまい、暫くはこの記録を記憶に変換することに苦心する。

 

 また数年程は、希としての人格を再現して生活をしていた。いきなり、前触れもなく言動が変わってしまえば、親を含めた周囲に無用な心配をかけることになる。抜かりはなかった。

 

 孔明という人格、立ち居振る舞いを表に出したのは、小学校を卒業し、中学校に入学する前の時期である。頃合いを見計らい、両親にこう話を切り出した。

 

「私も、もう直ぐ中学生かぁ」

 

 感慨深げに言うと、父と母は揃って、

 

「そうしたら高校生になって、大学生、そして社会人。大人になるのは直ぐだよ」

 

 と、言った。これが狙いだった。

 希は大人になる、お姉さんになるという建前の下に、孔明としての人格を出し始めたのだ。最初は少し困惑気味の両親だったが、中学生としての自覚が芽生えたものと判断して、寧ろ変化を喜ぶ有様だった。

 

 そうして現代社会、孔明であった希にとって未来社会の生活を続けること九年程の月日が経過、希は無事に高校三年生となる。

 

「廃校かぁ……」

 

 希の通う学校、音ノ木坂学院が新一年生を迎えてから二日目の昼休み。教室には両手で数える程の人影しかなく、希はその人影の一つとなって昼食を取っていた。高校に入って出来た二名の友達と一緒の昼食である。絢瀬絵里と矢澤にこの二人だ。

 

 本来彼女たちは黙々と食事を済ませてからお喋りを始めるのだが、今日は珍しく食事をしながらの会話があった。最初に言葉を吐き出したのは絵里だ。

 

「私たちには影響が無いと言っても、何だか寂しくなるわね」

 

 はあ、とアンニュイなため息を一つ。その絵里の姿を見て、同調するように視線を落とすにこと、表立って反応を見せず食事を続ける希。だが、絵里とにこの食事をする手が完全に止まったのを確認すると、箸を置いて二人に、

 

「これもまた時代の流れというもの。栄えるものは必ず没落します。遅いか早いかの違いはあれど、何事もそういうものなのです。あまり深く思い悩まずに、事態を冷静に迎え入れ、己を失うことなく泰然としていることですね」

 

 と、何てことのないような口調で言った。

 にこは希の言葉に納得して、自分で手作りした弁当に箸をつけることを再開したが、絵里は気が晴れない様子で、手と口の動きは鈍かった。希はそれ以上語らず、絵里の零した『廃校』について思考を巡らせ始める。

 

 音ノ木坂学院の廃校が告げられたのは、希たちが三年生となって初日の事だった。理事長より告げられた時は、誰しもが同じ思いを抱いていただろう。とうとうその話が出たか、然もあろうことで別段驚くには値しない。多少頭が働く者ならば、近いうちに廃校話が出ることは予測出来て当然の話なのだった。無論のこと、希も予測していた。

 

 このことに関しては、先ほど絵里とにこにも言ったが時代の流れでしょうがない話だ。元々音ノ木坂学院は歴史の古さ以外に強調する所はなく、若者の心を捉える様なものが何もないのだった。勉学にしろ、スポーツにしろ、芸術にしろ、どれも平均的なものだ。

 

 希にしても、この学校に来たのは、勉学はやろうと思えばどこでも出来るので、家から近くなるべく人が少ない所をと探して選んだだけの事だ。故に特に思い入れも何もない。

 

 にことて別段そこまで学校に愛は持っていないし、今すぐに廃校となるから別の学校に編入しなくてはならないという話でもない。新一年生たちが卒業するまでは存続するようなので、少し悲しいけど割り切れる話なのであった。

 

 ただ、絵里はそうでもなかったのだ。

 彼女の敬愛する祖母が元々この学校の出身で思い入れが強い上に、妹はこの学校に通いたいと望みを口にしているらしかった。生真面目な彼女の心情として、何とか祖母の為、妹の為、学校を存続させたいと考えても不思議ではない。

 

(まるで元直君を見ているようですね)

 

 希は絵里を通して孔明時代の友達を思い浮かべた。

 

 徐庶元直。孔明の学問の師である水鏡の下で共に机を並べた友達である。生真面目で母親思いの好漢だった。希が見るに身内を愛する心は、絵里も徐庶も同じほど。希は自分がそうであるように、一時期絵里が徐庶の生まれ変わりなのではあるまいかと疑っていたものだ。

 

 余計な話だが、徐庶も絵里も妙に虐めたくなるというか、ちょっと揶揄いたくなるところまで似ている。後世、誠実が服を着て歩いているかのような評価を受けている希(孔明)だが、意外にも茶目っ気があり、誠実、真面目一辺倒の男ではなかった。

 

 にこにしても、

 

「いつか、宇宙ナンバーワンアイドルになるわ!」

 

 と、声高々に宣言しているのを見て、やはり孔明時代の友達だった崔州平、孟建などを彷彿させた。彼らもにこと同じように、太守になる、刺史になると大きな志を語っていた。

 

 昔の友達と言うのは心地よかったもので、その友達を思い出させるような絵里やにこも、無論のこと心地よいものだった。二人と友達になったのは、案外とそういう所があったからなのかもしれない。

 

 それはさておき、絵里である。

 彼女は短くない時間、肩を落としたり、ため息をついたりといった事を繰り返し、見かねたにこが注意をするも意味をなさず、また繰り返すこと数度、何かを決心したのか、急に弁当をかき込んでから澄んだ眼差しで希とにこを見つめた。

 

「やっぱり、このまま座して滅びを待つような事は出来ないわ。私の力で何が出来るのかは分からないけれど、この学校の為に力を尽くしたい。廃校は私が阻止するわ」

 

 すると、にこが呆れながら止めた。

 

「止めときなさいよ。一般生徒のエリーに出来ることはないって。そんな馬鹿な事を考えていないで、残りの高校生活を有意義に過ごす方法を考えなさいよ」

 

 絵里が力強く首を横に振った。

 

「そんなことはない。何かある筈よ。それに、きっと同じ思いを抱いている人は他にもいる筈だわ。先ずはその人たちを集結させて、皆で廃校阻止よ」

 

 そんな人が絵里以外に居るのだろうか。にこはチラリと横目で希に視線を向けると、その視線に気付いた希が応える。

 

「まあ、居ないことはないでしょう」

 

 希は右手を扇子代わりにして口元を覆う。

 

「よし、にこ! アイドル研究部の力を見せる時が来たわ! 二年間の雌伏の時を経て、蓄えてきた私たちの力を発揮するわよ!」

 

「ちょっと待ちなさいよ! 何をわたしまで巻き込もうとしてるの!! そもそもアイドル研究部は廃校を阻止する部活じゃない! わたしは本来のアイドル研究部の活動が忙しいから、やるなら一人でやって頂戴」

 

「アイドル研究部の活動って、貴女パソコン弄ってるだけじゃない」

 

「うっ……あれは世のスクールアイドルの情報を集めているのよ。情報を制する者が世界を制するの。わたしは何も間違ったことはしてないわ」

 

 説明を加えるなら、この時、アイドル研究部は目立った活動をしていなかった。と、言うのも、にこと部員の間で見解の相違があり、アイドル研究部は本格的な活動を始める前に瓦解したのである。絵里が入部して大して時は経っていなかった。

 

 何が起きたのかと言うと、希の助言通りに、にこは独断で推し進めることなく、部員を集めて、スクールアイドルとして活動を始めたいと相談したのだ。元々、そうするためにこが創設した部活である。しかし、他の部員は、絵里を除けばアイドルなどやる気は端からなかった。研究部の名の通りの事がしたかったのであって、自分がアイドルになるなど夢にも思っていない。

 

 こうして互いの進むべき道が違うことが判明したので絵里以外の部員は部を離脱し、まともな活動が出来ないまま二年の時間が経過したのであった。

 

「とにかく、わたしには関係ない。にっこにっこにー、ごめんねぇ、にこ、力になってあげられないニコ」

 

「くっ……むむむ……希!」

 

 にこが頼りにならないと分かると、絵里は縋るように希を見た。

 希は一考する素振りを見せながら、変わらず口元を隠し、涼やかな声で言うのだった。

 

「直接的な助力は出来ませんが、それでよろしいならば」

 

 食い気味に絵里は頷いた。

 

「それで良いわ! 流石、希! 私の親友! どっかの小学生とは大違いね、器の違いをまざまざと見せつけられたわ」

 

「ぬあんですって! 誰が小学生よ! 誰が!」

 

「さあ、誰の事だったかしら? どこかのアイドルになるのが夢のくせに、アイドルらしい活動を一切していない髪を二つに結んだYさんの事だったかしら」

 

「言わせておけば、金髪碧眼の老け顔!」

 

 何やら取っ組み合いの喧嘩でも始まりそうな中、希は静かに席を立ってこの場を後にしようと二人に背を向け、教室のドアの方へと歩く。

 

「ふふ」

 

 教室のドアを開ける前、希はふと昔を思い出し笑いを零した。絵里やにこを見ていると、やはり思い出してしまう。徐庶や崔州平達も、議論が熱くなると今の絵里やにこのように喧嘩みたいな事をしていたものである。希は巻き添えを食わないように、茶を入れに行くだの理由をつけて抜け出していた。昔と変わらない今に、つい笑ってしまったのだ。

 

「さて、昼休みが終わるまでまだ時間がありますね。図書室にでも行って時間を潰すことにしましょう」

 

 希は罵詈雑言の応酬を背中に聞きながら、常と変わらぬ足取りで教室を出て行った。

 

 

 

 



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その③

 昼休み終了の五分前、何食わぬ顔で教室に戻って来た希を待っていたのは、今にも踊り出しそうなほど気分の良さそうな絵里である。その様子は、まるで欲しかった玩具を買ってもらった子供の姿そのもので、一体何事かと思ってしまう。

 

 廃校阻止の妙案でも考え付いたのであろうか。希は絵里の傍らで、反対に不機嫌な様子のにこに話を伺った。にこは希を見ると、よくものこのこと帰って来たな、と言いたげに目を細めてから、渋々、

 

「早くもお仲間が見つかったのよ」

 

 と、吐き捨てるように言った。

 

 お仲間と聞いて希は直ぐに理解した。絵里と同じように廃校なんて受け入れないと、気炎を発する人物が他にも居たようだ。それは良かったですね、と希は絵里に一声かける。

 

 絵里は幼子のような眩い笑顔を浮かべながら、

 

「三人よ、三人! 一気に三人! 幸先の良いスタートを切ったわ。天は私に味方をしているようね」

 

 と、己が幸運を噛み締めているようだった。

 続けて、絵里は忘れていたとばかりに言葉を付け加える。

 

「そう言えばその娘たち、希に用があるみたいだったわよ」

 

「私にですか?」

 

「ええ、廃校を阻止したいと思い立ったのは良いものの、一体どうすれば良いのか分からなくて、この音ノ木坂一の才女と名高い希の力を借りに来たらしいわ」

 

 にこが絵里の言葉を引き継いだ。

 

「そこで同じ目標を持つ者同士、エリーと意気投合して協力関係を結んだってわけ」

 

 なるほど、それならば絵里の上機嫌も別段おかしな話ではない。いるかいないか定かでもない同志が、一時間もしない内に三人も見つかったとあれば、喜びも当然のことだ。だが、気に掛かることが一つある。それは、元々希に用があったというところだ。

 

 何やら面倒事の予感がする。希は二人に詳しい話を求めた。

 

 そうして二人に聞くところ、絵里と同志になった三人の娘たちは、それぞれ、高坂穂乃果、園田海未、南ことりというらしい。名前は聞き覚えがある。希の一個下の二年生で、老舗の和菓子屋の娘、日本舞踊の家元の娘、音ノ木坂の理事長の娘であった筈だ。三人常に行動を共にしており、ふとした折に話の話題になる程度には目立っている。

 

「次の休み時間にまた会いに来るって。希、あんたも面倒な奴らに目をつけられたわね。三人のリーダー格の高坂穂乃果って奴、相当しつこそうよ、あれは。まっ、頑張んなさい」

 

 にこがこう話を締めくくった。

 この時、希の頭の中では、どう逃げ切ろうか考えが張り巡らされていた。希にしてみれば、廃校などしようがしまいが自分の大勢に大した影響はない。どうなろうが構わないので、そこに労力をつぎ込もうとは思わないのだ。絵里に関しては友達なので相談に乗るぐらいの事はする。しかし、全面的に協力する気はなかった。絵里がやりたいと言ってやろうとしている事なので、極論するなら、やりたければお好きにどうぞ、と言ったところ。

 

 何としてでも逃げ切らなくてはならない。

 

 希は絵里達に頼んだ。

 

「休み時間に用事が入りましたので、留守にしているとお伝え下さい。それから、お誘いは嬉しいですが、非才故何かの役にはとても立てない、と希が申していたともお伝えを」

 

 希らしからぬあまりにも露骨すぎる拒絶だった。絵里とにこは希の考えが透けて見えるようですらあった。顔を合わせようとすらしないのは、避けられていると相手に認識させ、一切の希望を持たせず諦めさせようとするものであろう。

 

 絵里は、せめて顔ぐらいは合わせたら、と思った。希は親友で、穂乃果達は同志で、両者共に大切な存在なので、それなのに仲がよろしくないというのは考え物である。出来れば気軽に雑談ぐらいはする仲であってほしい。まあ、間に挟まれた自分が面倒くさい事になるという気持ちも勿論あった。

 

 だから、説得をしてみようとしたが、やっぱり止めた。人の説得で考えを改めるような人ではないし、逆に相手の考えを改めさせるような話術の持ち主だ。希との付き合いの中で、口で勝ったことは一度もないし、希が負けた所を見たこともない。

 

「分かったわ」

 

 絵里とにこが揃って返事をすると、同時に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 そして昼の最初の授業が終わり休み時間になると、宣言通り、希は行き先も告げずにどこかへと行ってしまった。

 

 果たして、希が居なくなって一足遅くに、穂乃果、海未、ことりの三人が訪ねて来る。対応は、既に長年の交友を持った幼馴染のような仲になった絵里が行った。希に頼まれた通り、留守である事と、力にはなれないという事を伝えると、肩を落として帰った。帰り際、また休み時間に来るという事を絵里は告げられた。

 

「暫くご迷惑をお掛けします」

 

 休み時間が終わる頃に戻って来た希は、絵里とにこに謝罪した。どうやら、徹底抗戦をする腹積もりであるらしい。

 こうして希は休み時間になる度に席を外し、穂乃果達は休み時間になる度に訪れた。このいたちごっこは翌日まで続けられる。

 

 回数を重ねれば穂乃果達も避けられている事に気付き、片指の数を超えた辺りには申し訳なさそうに絵里に取次を頼む姿が見られた。それでも会えなかったので、せめてこれだけでもと絵里に手渡されたのは手紙であった。

 

「今度は放課後に来るらしいわよ」

 

 言いながら、絵里は希に手紙を渡した。

 早速、希は手紙に目を通す。

 当初はこれを飛ばし飛ばしに読んでいくつもりであった。何が書いてあるのかは大方の想像はつく。この学校の事を如何に愛してるかをつらつらと書き連ねて、現状を打破出来るのは希しかいないという自尊心を刺激する様な言葉を書いて、締めに協力を要請するというものであろう。だが、この想像は大きく外れた。

 

『ごめんなさい』

 

 書き出しが謝罪からであった。二日間であるが、嫌がらせのように通い詰めた事を謝っていたのだ。それから、学校の存続を望む人たちがいる、一年生にはこれから後輩も出来ず、寂しい高校生活を送らせるのは忍びない、と続き、最後には一度でいいから会って話がしたい、そこで断られるなら諦める、として書き終えられていた。

 

 字を見れば分かる。決して上手な字ではないが、心の内をさらけ出した本当の言葉が、この手紙には書き綴られていたのだ。

 

「あんた、どうするの?」

 

 横から手紙を覗き見ていたにこの声は、静かだった。絵里も言葉が無いとばかりに、大きく息を吐く。両者とも希の答えを待った。

 希はもう一度最初から読み直し、瞼を閉じる。カッと胸が熱くなり、高鳴るのを感じた。この感覚は初めての事ではない。前にも一度だけあった。同じだった。何年経とうが決して忘れることの出来ない、運命の瞬間、その時の感覚と同じだったのだ。

 

(会わねばなりませんね)

 

 顔を合わせることすらしないと決めていた希だったが、ここに至って顔を合わせなくてはならないと改めた。会って話をしないといけない。まるでそれが天命であるかのようだった。

 希は瞼をゆっくりと開き、変わらない何時もの声音で言った。

 

「会いましょう」

 

 決意を固めてから、一日の授業を終えると放課後は直ぐにもやって来る。教室で、希は来客の到着を待った。

 

 希は一人で会うつもりだったので、絵里とにこはこの場にいない。他の生徒たちも、希が頼んで出て行ってもらった。そうやって場を作ってから、時計を確認し待つこと十分ほど、人影が三つほど希の視界に入って来る。教室のドアが開いたのを見計らうと、希は立ち上がって深々と頭を下げた。

 

「ようこそお運び下さいました。感激の念が堪えないと同時に、度重なる非礼を犯しましたことは、真に申し訳ありませんでした」

 



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その④

 不意を突かれたと表現すべきか、出鼻をくじかれたと表現すべきか、とにもかくにも予定外の希の行動で固まってしまった三人を、希は丁重に教室の中へと案内した。

 そして希は、姿勢を正して穂乃果、海未、ことりの三人と向き合い、

 

「改めまして、これまでの非礼をどうかお許しください。私こそが、性は東條、名は希、字を孔明と号する者。本日はよろしくお願い致します」

 

 と、丁重な物言いで名乗りをあげた。三人からしてみれば、またも度肝を抜かれる行為。上級生であり年上の希にこれほど丁寧な挨拶をされると思っていなかったので、しどろもどろにそれぞれ名乗り、

 

「わたし達の方こそ何回もごめんなさい。東條先輩が凄い人だって聞いて、それで力になって欲しくて、あの、今日はよろしくお願いします」

 

 穂乃果が代表で締めた。

 挨拶もほどほどに、主客は机を挟んで座った。机には四人分の茶が用意されており、穂乃果達はまだ話も始まっていないのに驚いてばかりいる。

 

「どうやら過分なご期待を抱かれているご様子ですが、私などはとても才がある者とは言えず、皆様の力になる事は出来ないでしょう」

 

 これに海未が反論する。

 

「そんなことはありません。東條先輩の御高名は何度も伺っておりますし、それに絵里先輩も凄い人だと褒めておられました。まだ絵里先輩と付き合いの浅い間柄ですけど、でも、あの方が人の評価を見誤るとは思えないです」

 

 続けてことり。

 

「わたしたち、この学校がこのまま無くなって欲しくないです。東條先輩、お願いします、力を貸して下さい」

 

 必死で胸に響く、偽りのない気持ちのある言葉であったが、希は端然と動揺なく受け止めた。次いで、穂乃果に視線を移す。今回の目的は、彼女に直接会う事であった。手紙に込められた気持ちを、直接彼女の口から聞きたいと思ったのだ。

 視線に気付いた穂乃果が海未とことりの二人を交互に見る。二人は穂乃果に向けて首を縦に振って見せると、穂乃果は希の瞳を真っ直ぐに見て言った。

 

「東條先輩は、今回の廃校の事をどう思いますか? わたしは、最初何とも思っていなかったんです。だって、廃校するのはわたしが卒業した後で、関係のない事だって、仕方のない事だって……でも、色んな人の声を聞きました。お母さんは廃校になるって知って、寂しそうにアルバムをめくってて、雪穂は、妹は割り切っているようだったけど、でもやっぱりこの学校に通いたがってて、それに一年生。やっぱり、後輩ができないって知って、悲しそうでした。先輩の身近にもそういう人達がたくさんいる筈です。先輩だって色んな人の声を聞いてる筈です」

 

 絵里を筆頭に、確かにそういう人達の声を希は聞いた。ただ、希は戦乱の世で生きた人間である。だからだろうか、国家の大事でもあるまいにそこまで悲嘆する様な話なのかと思ってしまったのだ。現代社会に慣れ親しんだとしても、根本は戦乱期の人間だった。

 

 そんな希に鋭く穂乃果は言葉を突きつける。

 

「確かに、わたし達には関係のない事かもしれない。でも、わたし達以外の人達の中には、悲しいって、嫌だって思っている人がたくさんいるんです! 先輩はそんな人達の声を聞いても何とも思わないんですか! 仕方のないって言うんですか! そんな事でって言うんですか! そんな事なんかじゃない、悲しいって気持ちに、嫌だって気持ちに、大きさなんかない! あっ、ごめんなさい、大声あげちゃって。とにかく、わたしはほっとけなかったんです。無関係を装う事なんて、出来なかったんです。お願いします、力を貸してください。わたしの為なんかじゃなくて、皆の為に、どうかお願いします」

 

 これ以上は言葉もない、と穂乃果は口を閉ざした。これだけ言葉を尽くしても駄目なら、もう諦めると覚悟を決めているのであった。

 対して希は、荒くなりそうな息を必死に整えている。穂乃果の熱情こもる真摯的な言葉、飾らず思いの内をひたすらにぶつけてくる態度に、平静ではいられない。何よりも穂乃果の言葉、態度、熱意、それらは過去の記憶と重なり合う。

 

『孔明、義には大義も小義もない。そなたのように、小義を捨てて大義のみに走るとすれば、天下はこの劉備を何と言うだろうか。義を大小で以って語り、区別をする行為そのものが、既に義と遠く掛け離れた行いである。劉玄徳、義に生きる一人の男としてそのような事は断じて出来ない』

 

 希が敬愛していた主、劉備が語った言葉である。孔明が劉備に家臣として迎え入れられた後、漢王室復興の大義の為に、同族の劉表他その一族から、領土である荊州を乗っ取る策を薦めた時に言われたのだ。劉表は同族であり、放浪の身であった自分を受け入れてくれた恩義がある、と。この言葉と、今の穂乃果の言葉が重なった。

 

「……陛下」

 

 穂乃果を見ながら、知らず知らずに言葉が希の口から漏れた。劉備と穂乃果、希の瞳には二人の姿が映っていた。手紙を読んだ時からの心の揺さぶりが、どんどん大きくなっていく。希は軽く吐息をついた。

 

「高坂殿、貴女のお言葉には胸を打たれずにはいられません。これまでの非礼を詫びる意味でも、この私の愚論でよろしければ、語らせて頂きます」

 

 一言一句も聞き逃してなるものかとばかりに、穂乃果は背筋を伸ばした。海未とことりもこれに倣って、緊張する。

 

「音ノ木坂学院に廃校の問題が出て来たのは、昨日今日の話ではなりません。数年前から、その予兆は出ておりました。また、廃校を阻止しようにも、もう時間が残されておりません」

 

「それじゃあ、駄目なのかなぁ……」

 

「いえ、南殿、可能性はまだあります。元々、この学校は長い歴史と伝統を誇り、未だ根強く人心を集めておりますが、何故廃校になってしまうのでしょうか。平凡で目立った所はないと言え、一応は国立という名前もあります、なのになぜ? 実は内の問題と同時に、外敵が控えており、その外敵がこの学校を飲み込もうとしているのです」

 

「穏やかではありませんね、外敵ですか?」

 

「はい。秋葉原にある、UTX学園。我が校と違って近年に出来たばかりの高校ですが、若い学校らしい活気に満ち溢れ、現代の若者の心を捉えて離さないのです。我が校は、卒業生を含めた地域に愛される高校で、UTXは、当代の若者に好かれる高校。本来ならば、音ノ木坂に来る学生までも、吸収されているのです」

 

「そう言えば、雪穂もそのUTX学園のパンフレット持ってたような」

 

「つまり、UTX学園に奪われる学生をこちらに取り戻す。貴女方はそれを目標にして、廃校阻止に臨むべきです」

 

 ここで希は語るのを止め、茶を一服する。

 穂乃果達は感嘆して、おお、と拍手をしていた。廃校を阻止しようにも一から十まで何も分からない状態だったのだが、大まかとは言え目指すべき道が見えて来たのだ。

 それから、噂話や絵里が言っていた事も嘘ではない事が分かった。目の前の霧が無くなり、からりと晴れた様な心持になったが、一つの不安が現れる。

 

 もしかしたら、これで希の助力が終わってしまうのではないだろうか、と言うもの。希も言っていたが、二日間、顔を合わせるのを避けた非礼を詫びる意味で述べられた言葉。非礼も詫びたことだし、これでおしまいと言われたら、本当におしまいなのだ。手紙にも、直接顔を合わせて断られたら諦めるときっぱり書いてしまっている。

 

 穂乃果は額を机上にぶつける勢いで下げ、希を仰ぎ見た。

 

「東條先輩、わたしは……穂乃果は馬鹿だから、先輩が言っていた事をどうやれば良いのか分からないです。是非、これからも穂乃果達の傍で、力を貸してください」

 

 不安そうな海未とことりの視線を受ける中、希は答えを出した。

 

(平和な世であれば、私は何をしていたのか。どうやら、何も変わらないようですね。陛下、亮は貴方の臣でありますが、希としては、別の主君を選び、力を捧げたいと思います)

 

 こんなつもりではなかった。非礼を詫びる意味で一言、二言だけ意見を述べればそれで済ませようと思っていた。しかし、そうはならなかった。穂乃果という人間に、思い出させられ、惹きつけられ、魅せられてしまったのだ。心は決まった。

 希は穂乃果に顔を上げるよう促してから、逆に仰ぎ見る体勢を取った。

 

「高坂殿、貴女の心の内を宿した数々のお言葉は、私の心に響き渡るものでした。人が抱く気持ちはその人のものであり大小はない。これほどまでに貴女のお言葉を受けながら、我関せずを貫くのは、まさに義に反する行いと言えるでしょう。微力ではありますが、犬馬の労をとって、貴女方に力を尽くしましょう。これからもどうぞよろしくお願い致します、園田殿、南殿、そして――我が君」

 

 二瞬遅れて、希の言葉の意味を理解した穂乃果達は歓喜のままに万歳するのであった。

 

 

 



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音ノ木坂のスクールアイドル
その①


 希が穂乃果に臣下の礼をとって以降、二人の距離は見る見るうちに近付いた。元来、人との距離が近い質の穂乃果であるが、心を許した相手にはまるで子犬が飼い主にじゃれつくばかりの様相を呈する。希に対しては殊更深く、これではどちらが主か分からないほど。

 

 穂乃果にとってみれば、希は特別な相手であった。自分に対して隠すことのない敬意を見せてくれる人は初めてで、好意を持つのは当然のことであった。

 

 また希も、かつての主君劉備と似通う面を持ちながらも、別の魅力を兼ね備えた穂乃果に魅了されていた。この人の為ならばと思わせるなんとも堪らない魅力に、希は抗う術など知らない、知る必要もないとのめり込んでいる。

 

「我が君」

 

「希ちゃん」

 

 君臣の間柄となった以上、年功序列なぞ知った事かと独自の関係を築いている二人。二人は、特に穂乃果は寝ても覚めても希の事でいっぱいであり、僅かな空き時間を見つけては希の下へと駆け寄っていく。学校の昼休みは勿論、授業の合間の休み時間も常に行動を共にし、休日には二人で丸一日を過ごした日もあった。学内でも噂になるほどの仲睦まじさである。

 

 そうなってくると、面白くないのは絵里、海未、ことりの三人だ。絵里は希と、海未とことりは穂乃果と、今までそれぞれの時間を過ごして来たと言うのに、希と穂乃果の距離が縮まってから、どこか寂しさを覚える日が少なくなかった。一緒に居るのに、親友の目はこちらを向いていない。希と穂乃果の創った二人の世界に、なんだか入りにくい三人である。

 

「新参者が調子に乗ると、痛い目に遭うぞ」

 

 と、思ってはいなかったが、内心で嫉妬の炎がメラメラと燃え滾る。

 それでも、海未とことりはある程度の納得を以って自分を抑えていた。幼い頃からの付き合いだから、穂乃果の性格は嫌というほど熟知している。希に対して行き過ぎなまでになつくのも、予測は出来ていたことだった。それに、希が仲間になった事が嬉しくあるので、嬉しさと嫉妬とで感情が複雑になるのにとどめた。

 

 しかし、絵里はそうもいかない。そもそもにして気にくわないのは、自分が廃校を阻止すると言った時には陰ながら手伝いぐらいはするというような事を言っていたくせに、穂乃果には全面協力をする事を誓ったのだ。言われた時は喜んでいたが、こうなると話は変わって来る。私は親友なのに軽んじられてる、と嫉妬とは別に怒りの感情を抱いた。遂には自制が効かなくなったので文句を言った。

 

「希、貴女ちょっと自重をした方が良いんじゃないかしら」

 

 無論、この言葉は建前である。本音は、もっと私に構え、と言ったところ。

 希は変わらない微笑を浮かべた。普段の絵里の様子を見て、そろそろ我慢が出来ずに言って来るだろうと思っていたし、何よりも隠しきれていない本音が可愛らしい。

 

 むくむくと悪戯心が沸いて来たが、あまり追い詰めると爆発すると思い、

 

「生涯の主を得て、感激のあまり夢うつつのまま帰らぬ身となっていたようです。お陰で目を覚ましました。絵里にはご迷惑をお掛けしました」

 

 と、それらしい言葉を吐いて絵里を宥めた。

 これで絵里が完全に納得したのかと言うと、無論そんなことはないわけだが、殊更問題を大きくしたくはないので、

 

「次の休みはお泊り会よ」

 

 と、希の休日の予定を勝手に決めることで問題は不問に付す事にした。そんな絵里を希はニヤニヤと眺めていたが、照れ隠しなのかそっぽを向いていた絵里は気付いていなかった。

 

 同じ頃、絵里が希に文句を言うことを聞かされた海未とことりは、三年生の教室から帰って来た穂乃果を捕まえて、絵里と同じような事を言った。

 すると穂乃果は、

 

「海未ちゃんとことりちゃんも、のぞみちゃんとお話ししたかったんだね」

 

 そう、何やら間違った受け取り方をした。

 海未とことりは、訂正するのも面倒だし、あながち間違ってもいないのでそういうことにした。したのだが、胸の内に妙なしこりが残っている。

 何やら不穏な空気が辺りに漂い出したわけだが、初っ端からこの有様で大丈夫なのだろうか。天下の鬼才、東條希の今後にご期待である。

 

 

 そんな麗しくない人間関係がすっかりと日常の一ページとなっているある日の事、希達は音ノ木坂廃校阻止の為の会議を開いていた。と言うのも、音ノ木坂廃校の原因の一つがUTX学園にあるという事は周知の事実だが、この学園の勢いを抑える妙案を希が考え付いたと言うのである。穂乃果が飛びついて、早速会議が開かれたのだ。

 その妙案というのがこういうものだった。

 

「昨今はスクールアイドルの活動が隆盛を極めておりますが、UTX学園でも盛んに行われているようです。そればかりか、このスクールアイドルこそが、UTX学園の原動力であり求心力となっているようです。特にA-RISEというグループが鍵となっている模様。故に、私は一計を講じて、そのスクールアイドルを失脚せしめ、UTX学園の勢いを止めたいと思っております」

 

 A-RISEはその人気の裏で、学園内に多くの敵を抱えている。この敵を取り込む、あるいは操ることで、A-RISEを一線から退かせようという策だった。こういう策こそ希の得手とするところ。穂乃果の許可が出れば、直ぐに行動を開始する気だった。

 

 だがそういう事にはならなかった。穂乃果が許可を出さなかったのだ。

 

「駄目だよ、希ちゃん。なんか、そういうのは違うと思う。人を傷つけて廃校を阻止したって、誰も喜ばないよ。わたしも嬉しくないし」

 

「しかし我が君、彼女達を取り除かなければUTX学園の力はさらに強大となり、我らの道は苦難を極める事となります。敢えて茨の道を進もうと仰るのですか?」

 

「うん、元からそのつもり。わたし達は堂々と頑張って、胸を張って、そうやりたい。ううん、やる。やるったら、やる!」

 

 希はしみじみと言った。

 

「ああ、我が君はまさに仁義を知る者。この希、益々忠勤を以って励みます」

 

 気恥ずかしそうに、穂乃果は頭をかいた。

 希の策が退けられると、だったらと手を挙げたのは絵里である。彼女も彼女で、何やら妙案が浮かんだらしかった。

 

「希は、A-RISEを邪魔に思っていて、穂乃果は正々堂々とやりたい。だったら、これしかないじゃない。私達もスクールアイドルをやって、正面からA-RISEを倒してやろうじゃないの。私、ダンスには自信があるの。彼女達の事は、にこに嫌と言うほど教えられたから知ってるけど、そうそう私が劣ってるとは思わないわ。どう? 良い案だと思わない?」

 

 絵里はアイドル研究部の部員である。部長のにこに、古今東西のアイドル、スクールアイドルの事を教えられたから、勿論、A-RISEの事も知っていた。言葉にした通り、表情にも自信がうかがえる。

 即座に反対意見を出したのは海未だった。

 

「今から私達がやったところで何が出来ると言うのですか? 口で言うのは簡単ですが、そうそう上手くいくとは思えません。私は反対です」

 

 慎重派の海未はバッサリと斬り捨てる。考えるに、A-RISEに人気があるのなら、即ち実力があるということに他ならない。プロのアイドルと比べてどのレベルかは知らないが、少なくとも、今日明日始めるような素人と比べるのはおこがましいというレベルだろう。

 一か八かの賭けにすらなりそうにない。無謀と言うしかないだろう。絵里一人が上手かったところで、という話だ。

 

「園田殿の言に一理がありそうですが」

 

 希は海未の側に回った。

 

「ことりはやってみても良いか、なぁ~なんて」

 

 ことりが賛成派になると、判断は穂乃果に委ねられる事になった。穂乃果は、うんうん、唸りながら考え、やがて答えを出した。

 

「やる前からあれこれ考えたって何も分かんないよ。取り合えず、やってみよう。なんだか皆となら、出来る気がする」

 

 こうなってしまうと、穂乃果は止まらない事を知っている海未だ。やむを得ない、と絵里の案を受け入れる事になった。

 

「やるからには本気でやりますので、甘い考えは捨てて下さいね、穂乃果」

 

 海未はため息交じりにそう言うのであった。

 



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その②

 穂乃果が決断を下したことによって、スクールアイドルをやることになった。とは言うものの、希は歌ったり、踊ったりなんてことはやらない。彼女は、裏方の仕事を担当することになり、マネージャーと言うのが正しいであろうか。敢えて言うなら軍師である。そうなると、歌って踊るアイドルをやる彼女達は、将軍ということになるのであろうか。この場合、兵卒は応援してくれるファンということになる。

 

 まあなんにしても、やることになった以上はスクールアイドルの事を詳しく知らなくてはならない。希はそう思った時、にこの顔が脳裏をよぎった。アイドルのこととなれば、にこを置いて他に並ぶ人間はいない。話を聞くべく、希はアイドル研究部の部室を訪れた。

 

「その辺に適当に座ってて」

 

 部室に入ると、にこは懸命にパソコンの画面を目で追っていた。言われた通り、適当な椅子に腰を下ろす希。出入り口から一番近い椅子である。

 

「にこ、少々お訊ねしたい事があるのですが」

 

「今良いところだから」

 

 ちょっと待って、と言って、にこは画面から目を離さない。

 事前の連絡もなく急に訪れたのはこちらなので、当然、終わるまで待つ。にこは画面を見ながら、時折、ノートにメモを取ったり、そのノートと画面を読み比べたりしていた。十五分ほど待てば、にこの用事は終わった。

 

「悪かったわね。これでも一応部長としてやる事は沢山あるのよ」

 

 にこは、ホクホクといい笑顔を浮かべて、希の方に振り返る。

 何をしていたのか、など特に聞くこともなく、希が話を切り出した。

 

「にこにスクールアイドルの事でお訊ねしたく――その様子ではご存知のようですね」

 

「当たり前じゃない。嬉しそうなエリーから聞かされたわよ」

 

 絵里はアイドル研究部の部員である。ここのところ、希と話をする機会がなかったにこだが――希はずっと穂乃果と一緒に居たので――絵里とは変わらず話をしていた。この前、スクールアイドルを穂乃果達とやることになったと報告されたのだ。

 

 にこも一緒にやろうと言われたが、丁重にお断りしておいた。今でもスクールアイドルをやりたいかと聞かれればやりたいと即答するが、穂乃果達とやりたいかと言うと、う~ん。

 

 穂乃果達はあくまで廃校を阻止するのが目的であって、目的が達成されようがされまいが、その時点でスクールアイドルを止めてしまうかもしれないのだ。絵里は続けてくれるだろうが、海未はそもそも反対派だし、穂乃果とことりはやってみようかなぁぐらいでしかない。嫌な未来への展開がありありと脳裏に浮かぶのである。

 

「でしたら是非お話を」

 

「話だったらいくらでもしてあげるわよ。で、A-RISEを倒すんだって?」

 

 絵里がそんな事を言って来た時には、

 

「甘いッ!」

 

 と、一喝してやった。A-RISEはスクールアイドルの代名詞ともなるほどの、超人気スクールアイドルグループである。倒すという事は意訳すれば、A-RISEよりも人気者になるという意味に相違ない。身の程知らず、片腹痛しとはこの事である。蟻が象に噛みつくが如き蛮勇、血迷って乱心してるとしか思えない、このポンコツハラショー女、これでもかと心の中で罵倒した。無論、声にも顔にも出してない。

 

 それでなくとも、にこはA-RISEの熱烈なファンなのだ。ファン心理からしても、絵里の戯言は万死に値する重罪なのである。

 

 希もA-RISEの勢いを正面から受け止めるのは難しいと考えていたから、謀略の方で策を練っていたのだろう。今でも、別の方法が可能なら、と模索中らしい。

 ただ、希の謀略が成功してしまっていたあかつきには、にこは希に絶縁状を叩きつけていただろう。それから天誅を下したに違いない。

 

 それはそれとして、A-RISEを倒す云々はその辺りに置いておくとしても、期限付きでの廃校阻止の為、短い時間で注目を集めるにはやるべき事が沢山ある。

 

「見た目に関しては及第点よね。エリーにしても、あの三人にしても、容姿は人より優れてるもの。スクールアイドルは誰でもやれるって言っても、やっぱり見た目は肝心よね。キャラは、素でウケれば良いんだけど、難しいなら作るしかないわ」

 

 にことしては、キャラ作りはきちんとしておけと言いたい。アイドルは人々を楽しませ、笑顔にする事が仕事なのである。人が求めるキャラクターを演じることは、人を笑顔にすることに繋がるのだ。ただ、やり過ぎると批判を受けるので、そこの見極めは重要だ。

 

「それから、衣装よ。衣装だけでガラリと印象が変わるんだから、制服でやると言うのは論外。それとそれと、他のスクールアイドルと区別をつけたいなら、オリジナルの楽曲は外せないわ。そうよ、貴女、歌詞とか書けれそうじゃない。書けば?」

 

「いえ、私は漢詩にはいささかの自信がありますが、アイドルの歌のような歌詞はやった事がなく、自信がありません」

 

 そして、希はアイドルの歌うような曲を作ることも出来ない。衣装づくりにしても厳しいものがある。絵里たちの中に、これらが出来るような人はいるのだろうか。

 一先ず、やらなくてはならないものが見えて来た。早急に、人材を集める必要がある。

 

「ああ、ダンスの振り付けはエリーに任せておいて良いんじゃない?」

 

 にこ曰く、絵里の踊りの腕前は天下一品らしい。アライズにも劣らないと言っていた彼女の踊りに対する自信は、大言壮語ではなかったようだ。

 希は最後の助言を含めて、有用な情報を教えてくれたにこに礼を述べると、その足で穂乃果の下へと向かった。二年生の穂乃果達の教室で丁度よく四人集まっていたので、早速、スクールアイドルで廃校阻止をするにあたって、必要な技能を持っていないか訊ねた。

 

「衣装なら任せて下さい。ことり、前から興味あったんだ」

 

 両手で握りこぶし、勇ましい言葉を吐いたのはことりだった。普段は穂乃果と海未の影に隠れて、二人を補佐するような事が多いことりだが、確固たる意志を持ち合わせているようだ。特に異論も出ず、衣装係はことりに決まった。

 続いて、歌詞。

 

「海未ちゃんで良いんじゃない。海未ちゃん書けるでしょ? だって、中学生の頃……」

 

 途中で言葉を途切れさせた穂乃果。何かに気付いてしまったらしく、ぶるぶると身を震わせている。

 

「はあ、はあ、はあ、穂乃果? 中学生の頃、何ですか?」

 

 見ればあからさまに海未の様子がおかしい。ただならぬと言うか、何かに憑かれたような不穏な気を発し、穂乃果を睨みつけている。この時の海未の胸中は、

 

(うふふ、余計な事を喋ってみなさい、穂乃果。その瞬間には、貴女の心の臓はこの私に撃ち抜かれる事となりますよ)

 

 実の親友に対して禍々しいまでの殺意である。

 今まさに敵将の首を挙げて手柄を示さんとする、緊迫感ある武士のような海未の殺意は、当然の事ながら周りにも伝播しており、ことりはニコニコ(意外と神経が図太い)、絵里はハラショー(意外と神経が繊細)と恐れ慄いている。

 

 希も目を見開き、

 

(う~む。雲長殿、翼徳殿にも劣らぬ闘気)

 

 と、自身の知る豪傑達と比較し驚嘆していた。

 穂乃果は未だ震える身体で、海未を見据える。恐い。恐いけど、この高坂穂乃果の辞書に自重という二文字と、後退という二文字はない。常に前進、障害物は避けずに破壊する、女一匹、高坂穂乃果の覚悟を見よ、と腹をくくった。開き直ったとも言う。

 

「ちゅ、中学生の頃、ポ、ポ、ポエムやってたよね? そんな海未ちゃんなら、歌詞も書けたりするんじゃないかな、なんて、えへへ」

 

 海未の瞳が怪しく光った。

 ひえっと情けなく悲鳴を上げて腰を抜かす穂乃果。

 ハラショーとやはり悲鳴を上げる絵里。

 このままでは主君が危ないと、穂乃果を守ろうとする希。

 そして、

 

「海未ちゃん」

 

 ことりは、アイスクリームのようなねっとり甘い声音で、海未の名を呼んだ。

 そこではっとして、海未は正気を取り戻した。すかさずことりは、自分の胸元を掴んで、畳みかける。

 

「おねがぁい(歌詞書いて)」

 

 すると海未、まるで洗脳でもされたように先ほどとはまるで打って変わって、

 

「承知しました。この私にお任せください」

 

 と、歌詞を書くことを承諾した。これで歌詞の係も円満に決まったのである。ついでに、穂乃果に海未からのお咎めはなかった。

 

「振り付けは勿論私ね」

 

 恐慌状態から冷静を取り戻した絵里が胸を張った。これに関しても、特に意見などある筈もなく、とんとん拍子に振り付けは絵里の担当になった。

 そうして残るは作曲の担当だが、これは誰一人として素養がない。仕方がないと言うか、寧ろ衣装と歌詞をやれる人が揃っていたのは幸いである。

 

「人を探しましょう」

 

 今日はこれで解散という事になり、以後、穂乃果達が体力づくりや基礎練習、またことりが衣装を考えたり、海未が歌詞を考えたりしている間、希が作曲出来そうな人を探す事になった。

 

 



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その③

 西木野真姫は、クラスメイトから奇妙な言葉を聞いた。真姫は、音ノ木坂学院の高校一年生。生来の気質からか素直に感情を表現出来ず、ついついきつめな態度を取ってしまう多感な少女。しかし、その心は、髪色と同じように鮮やかながらも赤く燃え滾っている。

 

 何が言いたいのかと言うと、素直になれない真姫は入学してから友達作りに失敗したので、クラスメイトから聞いたのではなく、正確には盗み聞きしたのである。

 

 髪を指に巻き付けてくるくると遊んでいると、隣の席でクラスメイトが、

 

「孔明先生」

 

 という、不思議な単語を何回も使用していたのを聞いたのだ。

 最初は、三国志の話でもしてるのかしらん、とか何となしに思っていたのだが、詳しく話を盗み聞きしている内に、どうもそうじゃない。現実に、ここ音ノ木坂学院に、孔明先生なる人物が居るらしいではないか。真姫の記憶上、中国人の先生はいない。

 

 さらに込み入った話を盗み聞くに、孔明先生は、どうやら三年生のとある先輩の呼び名らしかった。真姫の頭の中には、仙人みたいな恰好をして、羽の付いた扇子をひらひらしている女子生徒が描かれている。

 

 真姫は、三国志の孔明好きな歴女が、孔明に憧れるあまり彼になりきっているだけの変質者程度の認識を抱くのであった。よもや、真実三国志の時代から現代に転生を果たした、諸葛孔明その人だとは欠片も思はなかった。真姫はライトノベルやネット小説を読んだりしないので、一部の界隈で持ち合わせて当然の常識を持ってなかったのである。

 

「ふんっ」

 

 話を盗むだけ盗んだ真姫は、澄ました表情で鼻を鳴らす。孔明何ほどのことがある。この天下一の天才美少女西木野真姫の前に、諸葛孔明なぞは前時代の遺物。井の中の蛙。我が前に跪かせて、靴でも舐めさせてやるわ、とイケない妄想に耽っていた。

 

「西木野さん、一人で笑ってて不気味だにゃ」

 

 クラスメイトからのそこはかとない軽蔑の視線は、妄想に夢中になって気付かなかった。真姫は己が知らない間に、友達作りから一歩退いたのである(そろそろ下がる場所がない)。

 

 妄想世界で、これは孔明の罠よ、と真姫が叫んだところで区切りをつけると、お手洗いに行きたくなったので席を立った。なんだかクラスメイトから妙な視線を感じていると思いながら、教室を出て、手洗い場へと早足に向かう。

 

 その途中、見覚えのない女生徒と遭遇した。よくよく見れば見覚えのないのは無理からぬことで、上級生、しかも三年生である。何で三年生が一年生の廊下をうろついているのかは知らないが、真姫はこの三年生が気になった。

 

 落ち着いている。三年生と言うか、社会人でも見ないぐらいに落ち着いた女生徒で、ただ者ではない超然としたものを感じる。不覚にも真姫はうっとりと痺れるのであった。真姫は落ち着いた大人の女性に弱いのだ。一体何者、と思って天下一(自称)の頭脳をフル回転させると、パパっと答えが出て来た。

 

「孔明先生」

 

 真姫の想像上では、道士服を着た仙人高校生であったが、実際にそんな恰好を学校で出来る筈はないのである。孔明先生と真姫に呼ばれた上級生は、ニコリと笑った。

 

「その呼ばれ方は久しいですね。貴女は私の事を知っているようだ。何か縁を感じますし、少し話をしてもよろしいでしょうか。性は東條、名は希、字は孔明。以後よしなに」

 

 上級生の正体は希だった。いやまあ、孔明先生だなんて呼ばれそうな女生徒は後にも先にも希ぐらいで、そう呼ばれるに相応しいのも希であろう。本人以外は誰も知らないが、希は孔明その人なのである。

 

 自己紹介をされた真姫は、礼儀正しい態度を受け、結構まともな人なのかもと思いながらも、

 

(字は孔明? やっぱり孔明マニアね)

 

 と、変質者という印象も同時に強くなった。

 あまり関わり合いになりたくないと思いながらも、この機を逃せば近しい年代の人と喋る機会が何時になるか分からないと、天秤にかけて後者を選んだ。

 

「私は西木野真姫です。ちょっと待っててください」

 

 普段は使い慣れない敬語で話す真姫。良いところのお嬢様なので、逆に敬語を使われる立場なのだ。と言っても、良家のお嬢様と雖も敬語を使わないといけない時は多々あるので、単純に敬語を使うのが嫌いなだけである。

 真姫はサッと用を済ませてから希の下に戻って来る。

 

「お待たせしました」

 

「いえ、こちらこそ付き合って頂いて申し訳ありません」

 

 中央の道を避けて窓際により、二人は話し始める。

 

「西木野殿、学校にはもう慣れましたか?」

 

 まるで母親みたいな事を希は訊いてきた。この質問、実の母親にもされたばかりであるが、素直に慣れない真姫は、当然ながら素直に答える筈もなく、

 

「はい、友達も沢山出来て、毎日が楽しいです」

 

 と、引き攣った笑顔を浮かべるのであった。友達なんて一人もいないし、学校なんて楽しくもない、と言うのが本音。日本人らしく、本心を隠す真姫である。

 真姫の心情を何となく読み取った希だが、出会ったばかりで、しかも相手は上級生、そうそう心を開いた会話は難しいと判断して深く追求せず、

 

「そうですか。それは何よりですが、何か困った事がありましたら、是非私を頼って下さい」

 

 そう、上級生らしいことを言う。

 それからも何気ない会話を続けていくのだったが、話をするうちに真姫は段々と楽しくなっていくのであった。何気ない会話でも実りのある会話になってると言うべきか、希の話には知性が感じられて、真姫は深く感心した。

 

(この人と話をしていると気持ち良いわ。私ほどではないにしても、相当な頭脳の持ち主のようね。伊達に孔明を名乗ってるわけじゃないわね)

 

 変質者から、頭の良く常識もあって礼儀正しい変質者に格上げした。真姫はどうあっても変質者という認識を取らないらしい。希が本当に変質者かどうかは評価が分かれるにしても、その変質者と意気投合して気に入ってる時点で、自分も仲間入りしている事に真姫はきっと気付いていない。彼女はほんの少し前まで中学生だった純粋な新一年生なのだ。

 

 希もまた、真姫への評価は良いものであった。

 

(先が楽しみな少女ですね。西木野真姫。西木野総合病院の跡取りでしょうか。良き後継者に恵まれているようです)

 

 良家のお嬢様の真姫は、病院の院長の一人娘である。将来的には彼女がその病院を継いで院長になるのだ。希も間違いなくお世話になるので、と言うか既にお世話になっているので、跡取りがこんな聡明な娘なら安泰である。子供は彼女だけなので、後継者争いもなさそうだ。変な婿さえ取らなければの話だが。

 

 存分に話し込んだ後、希の別れ際、

 

「私の事は真姫って呼んで」

 

 すっかり打ち解けて、名前呼びを自分から許すぐらいには素直になった真姫がそこに居た。ちゃっかり、敬語で話すことも止めている。真姫の中で、変質者という単語の意味も変質したらしく、ちょっと風変わりな人ぐらいの意味に落ち着いていた。あくまで、真姫の中ではだが。

 そして真姫が打ち解けたように、希もただの先輩後輩の関係になるのは惜しいと思ったらしく、

 

「いずれまた、お目にかかりたいと思います。その時は、是非、盟友や我が君を貴女に紹介したいと考えております」

 

 と、再会の約束をした。

 真姫は、希の我が君という発言に、やっぱりどこか人と違うわね、とうんうん首を頷きつつ、

 

(孔明先生ほどの方が忠誠を誓うなんて、きっとその人もとんでもない人なのね。理想を胸に初志貫徹、己が命を懸けて、何が起こっても立ち止まらず、前へと進んで行く現代の英雄)

 

 と、これから何時の日か会うことになるだろう希の主君(穂乃果)に対して、期待をこれでもかと膨らませた。これが過剰なまでの期待になるか、至極当然の期待となるかは穂乃果次第であるので、ここでは置いておく。少なくとも失望はさせないだろう、多分。

 

 真姫はルンルン気分で、スキップでもする勢いで教室へと戻ると、心魂の疼き、高鳴りを抑えられないと、放課後、音楽室のピアノを勝手に使って発散することに決めた。

 

「うわっ、西木野さん、まだ笑ってるにゃ」

 

 クラスメイトからの視線が、変質者(本来の意味)でも見るようなものになっていることには、やっぱり気付いていないのであった。

 

 



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その④

 さてさて、真姫がクラスメイトから変質者の称号を本人の知らないところで送られた日の放課後である。彼女は宣言通り、音楽室を不法に占拠してピアノを私物化していることだろう。因みに初めてではなく、度々犯行を積み重ねる常習犯である。

 

 が、理事長並び諸先生方は傍観、生徒会は面倒くさいので黙認と、彼女に逮捕状が上がることはない。生徒会なりに申請書でも出していればこんな風にはなっていないのだが、単に出し忘れしているだけなのか、これぐらいならいいだろうという人の心理なのか、あるいは人に頼み事や許可をもらうのが嫌いな反骨心からなのか、それは定かではない。

 

 そんな、真姫が観客なしの違法コンサートを開催している一方で、ため息の歌唱コンクールを、やはり無観客で行う少女が一人いた。高坂穂乃果である。

 

「はあ、太腿、お肉がいっぱいだ」

 

 しみじみとした表情で、髀肉の嘆をかこっていた。ただ、腿に贅肉が集まっているのは、単純に穂乃果が食っちゃね寝してただけのことであって、特に聞かせる話はない。これからアイドルをやるのだし、ダイエットでもしろというだけの話だ。

 

 しかし、髀肉の嘆をかこつの通り、穂乃果は一人、焦燥の念にとらわれていた。絵里や、海未、ことりは言わずもがな、それぞれの与えられた仕事を全うせんと腕を振るっているし、希は希で練習場所の確保や日程の調整など裏方の仕事をしっかりと行っている。その中で穂乃果だけは、何もやっていなかったのだ。

 

「希ちゃんと海未ちゃんは、万事私達に任せて、なんて言ってたけど、このままじゃ駄目だよね。わたしも何か皆の役に立たなくちゃ」

 

 希と海未では言っていることが微妙に違う。希の場合、瑣事は臣下たる自分がやっておくので、穂乃果はどっしりと構えていてほしい。海未の場合は、穂乃果は余計なことをしなくていいので、大人しくしていてほしい。結論としては、両者ともに穂乃果は何もしなくていいという答えに落ち着いているのだが。

 

 でも穂乃果は何かしたかった。勘違いしないでほしいのは、穂乃果にはしっかりと打算があるのである。と言うと俗物的になってしまうので、打算と言うほどのものでもないが、何か手柄を立てて誉められたいのだ。まさに、飼い犬が飼い主に対して、わたし上手くやったわん、頭を撫でてほしいわん、と言った感じである。

 

「希ちゃん、褒めてくれるかな」

 

 穂乃果はえへえへと笑っていたが、希に褒められるのではなく、褒める立場にあることをすっかり忘れているらしかった。普段はいっぱしの殿様面をする割に、肝心なところはあまあまである。それにするならするで誰かに一言告げるべきである。それこそ希に話を通せば、

 

「ならば、我が君のお言葉に甘えて、伏してお頼み申したき儀がございます」

 

 と、穂乃果でも出来そうな仕事を用意してくれるだろう。

 だがそれでは駄目なのだった。サプライズの要素を持たせることで、驚かせてやりたいという、穂乃果の粋な心があるのだった。これでは抜け駆けなのだが、主君が家臣に対して抜け駆けというのもおかしな話だ。

 

「よ~し、やるぞ~!」

 

 そんなことは知らないと、考えたこともないとばかりに(普通一般の女子高生はそんなことを考えないから当然なのだが)気合を入れる穂乃果。この気合を入れた時の穂乃果が、またなんとも言えない魅力を醸し出しているのである。

 この魔性の魅力こそ、海未とことりを惹きつけ幼馴染たらしめると共に、希をして永久の忠誠を誓わせたのである。カリスマと人は言う。

 

「それにしても、何をすればいいのかな?」

 

 やろうと決めたはいいもの、具体的なことは何も決めていない。穂乃果にはよくある話だった。取る物も取り敢えず、見切り発車で全速前進。細かな進路調整は他人任せである。

 

 前までは、進路調整をさせられるのは海未だった。ことりはニコニコ笑いながら、穂乃果に背後霊の如くぴったりくっつくだけで何もしない。海未とてしなくていいのならしないのだが、誰かがやらないと自身の進退にも関わって来るので、やるしかなかったのだ。

 

 だったら穂乃果号から途中下車すれば、となるのだが、穂乃果の魔性の魅力が、離れ難くするのである。まるで芳醇な酒か麻薬のようですらあった。

 今となっては、そんなことを海未が悩む必要はない。何故ならば、物好きにも自分から暴走機関車の進路調整をやってくれる人間が現れたからである。それも超有能な。これで、肉体的にも精神的にも余裕が出来て、車窓から風景をのんびりと眺めていられるのであった。

 

 海未の話はこれぐらいにして穂乃果である。穂乃果はうんうん唸りながら、考えていたが答えは一向に出て来なかった。彼女はいつも直感で答えを出すタイプであり、考えるのは別の人物(ほとんど海未、たまにことり)がやってくれるのだ。

 

「う~ん、全然思いつかないや。絵里先輩にでも相談してみようかな」

 

 あんまりにも答えが出ないので、前提条件を覆すようなことをしようとする穂乃果。それとも、絵里にだったら別に知られても構わないという、無自覚の仲間外れ宣言なのか。こんなことが絵里の耳に入れば、彼女は一晩中、希かにこの胸元を涙で濡らすことになるだろう。柔らかい枕(希)と固い枕(にこ)、絵里はどちらが好みなのだろうか。

 

「そうだっ!」

 

 突然、穂乃果は閃いた。考えるのを止めた瞬間にこれである。これこそが、穂乃果の直感であり、この直感を以って今までの人生を乗り越えて来たのだ。今回も、この直感の赴くままに突き進むのである。当たり前だが、秘密の発進の為、進路調整をやってくれる人はいない。

 

「この前、希ちゃんが作曲を出来る人が欲しいって言ってから、その人を探してこよう。そうすれば、希ちゃんも誉めてくれるし、海未ちゃんもわたしを見直すだろうし、ことりちゃんも喜んでくれるだろうし、良いことだらけだね」

 

 さらっと絵里の名前が出て来てないのには、深い意味なんてないだろう。ないったらない。

 

「どこを探せばいいのかな? あっ」

 

 二度目の直感。

 

「音楽室だよ! 音楽室だったら、きっと出来る人がいるかも」

 

 直感から生み出された崇高な答えに、ツッコみを入れる人間はこの場に居なかった。

 普通に考えれば最早鼻で笑うことすら出来ないのであるが、ただ、今回にだけ限って言えば、恐ろしい直感だと戦慄してしまう。だって、居るのだから。放課後、使われる筈のない音楽室を、我が物顔で使用している人物が居るのである。

 

 その人物、恐らく、あくまで恐らくだがピアノは人並みかそれ以上に弾けるものと思われる。もしこれで、オリジナルの曲を弾きながらオリジナルの歌を歌っていようものなら、穂乃果の直感はいよいよ予知能力染みてると言えるだろう。もしかしたら歴史上の予知能力者達も、このように異常なほど直感が優れていたのかもしれない。

 

「そうと決まれば、善は急げだ!」

 

 うおおおお、と遂に暴走機関車が暴走を開始した。目標は音楽室。今頃、希は絵里の家で個人向けの練習メニューの考案、海未は自宅で鼻歌交じりに歌詞づくり、ついでにことりも自宅に帰って衣装のデッサン。暴走する機関車はもう止まらない。

 

 こうして、希の予期せぬところで行われようとしている穂乃果と真姫の二人の邂逅。果たして、この出会いが後々何か影響を及ぼすのか、それとも出会うだけで終わるのか、そもそも真姫は作曲が出来るのか、いや、ピアノをちゃんと弾けるのか。

 

 二人の運命や如何に。

 



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その⑤

 誰も邪魔をする人間が居ないので、早々に音楽室に辿り着いた穂乃果。別に学校はダンジョンでもないので、待ちな、とばかりに道を遮る人間やモンスターなどいないから当然なのだが。

 

 穂乃果は期待で胸を弾ませている。と言うのも、音楽室に来る途中から、ピアノの音色が耳に入って来たのである。しかも、聞いたことのない曲だった。さらに近付くと、聞いたことのない歌を美声で奏でているではないか。もしかしなくても大当たりでは?

 

 単純に穂乃果の知らない曲を演奏しているだけかもしれないという、極当たり前の思考は一切なかった。この期に及んではもう無粋な考えである。

 

 穂乃果はこそこそと進み寄り、ドアからコソ泥よろしく音楽室の中を覗き込んだ。人がいる。これで、学校の七不思議のように幽霊が弾いているかもしれないという懸念は無意味なものとなった。それにしても、中でピアノを演奏している少女は、テレビでも中々お目にかかれないレベルの美少女だった。

 

「おお~」

 

 穂乃果の口から漏らされた吐息は、感嘆の色に染まっている。音楽室の美少女は、鮮やかな赤髪を靡かせ、意志の強さを感じるような瞳をたたえ、大人びた美貌の中に少女性をもった、とんでもない美少女なのであった。まさに音楽の妖精さんである。

 

 穂乃果は気付いたら、ドアを勢いよく開け放っていた。

 

「すごい! すごい、すごい、すごい!」

 

 語彙力なく四歳児みたいに同じ言葉を繰り返す。

 この時、一人っきりの空間に突如の乱入者出現状態の、音楽の妖精さんもとい真姫は、

 

「ヴェ!」

 

 音楽性の欠片も感じられない悲鳴を上げた。一体どこから湧いて出て来たの、とゴキブリに対する反応そのもので、折角の美少女ぶりが台無しになっている。

 ゴキブリと同格扱いされたことなど露知らず、穂乃果は真姫との距離をあっという間にささっと縮めて、がっと両肩に手を乗せた。

 

「ピアノ凄いねぇ! 歌も上手だし、それにとっても可愛い!」

 

 これでもかとべた褒めする穂乃果の瞳は、星空の輝きを呈していた。これぞ彼女の得意技の一つ、無垢なる褒め殺しである。まったく意識せずにやるので邪な気持ちが感じられず、やられた側はよっぽど性格が捻じ曲がってない限り満更でもなくなってしまうのだった。真姫は素直になれないだけで、性格は純粋無垢な女の子だったのでぽっと頬を赤く染めて、

 

「な、なによいきなり」

 

 と、照れ照れしてしまうのであった。

 いつもだったらこんなこと言われ慣れ過ぎて、

 

「そんな当たり前すぎること言わないでもらえるかしら」

 

 と、冷徹冷酷、絶対零度の視線と一緒に返している筈である。だが穂乃果に褒められたとあっては、そんなことが出来よう筈もないのであった。

 やはり、穂乃果は子犬がじゃれついて来る感覚に近しいので、犬嫌いでもない限り冷たくは出来ないのだ。真姫も犬は嫌いじゃないし、子犬とかは大好きである。何なら、小さくて可愛いものは何でも好きな、守備範囲の広さなのであった。

 

「とっても可愛いから、わたしと一緒にアイドルをやろう」

 

 と、続いて勧誘された時も、しょうがないなあ、と勢いで承諾しそうになったのをぎりぎりのところで踏みとどまった。

 

「イミワカンナイ」

 

 辛うじてそう返すのが精一杯である。この一言に、真姫の全てが詰まっていた。孔明先生との出会いがあったかと思えば、日が変わらぬうちにこれだ。運命が動き出している、天は私に何を望んでいるのか、と歴史の登場人物のようなことを考えてしまうのも無理からぬことであった。

 

「失礼します」

 

 もう少しピアノを弾こうと思っていたが、もうそんな気分じゃない。真姫は逃げるように立ち上がろうとしたが、身体が動かなかった。穂乃果がその容姿から想像できない力で、真姫を押さえつけていたからだ。真姫が人より非力なのも関わっている。

 

(絶対に逃がさないもん)

 

 穂乃果は純粋な子犬の瞳の裏で、そんなことを考えていた。狙った獲物は逃さない。子犬であると同時に、凄腕の狩人なのである。

 音楽に造詣が深そうで、しかも超絶の美少女。真姫をここで逃がすわけにはいかないと、肩を掴む両手にも力が入る。

 

「ごめん、ちょっとだけ、話を聞いて」

 

 聞かないと行かせない、という副音声までばっちり真姫には届いている。

 

「分かった、分かったから、手を放しなさいよ、痛い痛いっ」

 

 何とか脱出を試みようとした真姫だが、無理だと悟ったのか潔く観念したようだ。子犬は時としてしつこく、容赦がないのである。

 言質は取ったぞ、と穂乃果は両手を放してから、

 

「わたし、高坂穂乃果」

 

 元気よく名乗り上げた。

 すると、如何な子犬好きの真姫でも流石に嫌々した様子で、

 

「西木野真姫」

 

 と、素っ気なく言った。

 

「西木野、真姫ちゃんか。可愛い名前だね、真姫ちゃんって呼んでも良い?」

 

 一度褒め出すと、相手のありとあらゆるものを褒めるのは、穂乃果の癖である。これも純粋に褒めているのであって、ちゃらちゃらしたナンパ男の口説き文句とは一線を画しているのだ。そしてやっぱり、ちょっと嬉しくなる真姫なので、

 

「べ、別に良いわよ」

 

 と、名前呼びを許容するのであった。ちょろい。

 穂乃果は、じゃあ真姫ちゃんとわざわざ名前を呼んでから、

 

「すっごくピアノも歌も上手だったよね。しかも、わたしが全然知らない曲だったから、あれ、真姫ちゃんが創ったんだよね。お願い、わたし達に力を貸して」

 

 再度、勧誘を開始した。

 

「わたし達ね、この学校が廃校になっちゃうのが嫌で、何とかしようと思って、それで、これからスクールアイドルをやろうって決めたの。アイドルになって、人気を集めて、この学校に入学してくれる子をいっぱい増やすんだ。それでね、人気を集めるにはオリジナルの曲があった方が良いんだって。だから、真姫ちゃん、お願い」

 

 話している内に感情が高ぶったのか、うるうると目に涙が溜まっている。穂乃果の第二の得意技、雨の日に捨てられている子犬の目である。これをやられてしまっては、もう常人ではどうしようもない。長い時を共に過ごし免疫と耐性を得ている海未でさえ、やられてしまっては、もう降参する他はないのだった。況や、性根は優しすぎる真姫では、

 

「あ、あうう」

 

 断りたいのに断れない状況。いや、断ってはいけない状況に陥っていた。ここで断れば、まるで心底人でなしになったかのような、罪悪感に胸を打たれる。子犬を甚振って悦に浸るような特殊性癖を持ち合わせていない真っ当な真姫なので、葛藤甚だしい。

 

 断らなくては、と思う真姫と、別に良いけど、と思う真姫。断りたい真姫の言い分としては、将来父の後を継ぐためにも、勉学に励まなくてはならないので、手伝いなんてやってる暇は無いというもの。手伝っても良い派の真姫は、天才で知的な美貌の真姫ちゃんは、勉学と音楽の両立なんて朝飯前なので、手伝ってあげても良いよ、というものだった。

 

(どうする、考えなさい、真姫)

 

 この先輩の(さっきから先輩に対する態度ではないが気にしない)声涙と一緒に迸る熱い志に胸を打たれるのは簡単な話だが、そうすると取り返しのつかないことになりそうである。選択次第では、自分のこれからの人生がガラリと変わってしまう予感がひしひしとするのだった。そうして悩んだ末に真姫が出した結論は、

 

「ちょっと考えさせて」

 

 問題の先送りだった。これは正しい選択と見て間違いないだろう。断れないし、かと言って軽々しくやりますとも言えないので、少し時間を置いて決めるのが良策だ。

 

(私一人で決めると選択を誤るかもしれないわ。パパかママに相談を……いや、先生! 孔明先生に相談してみようかしら。あの人なら、きっと望む答えを教えてくれる筈よ)

 

 ちょっと話をしただけなのに、希への信頼感が尋常ではない真姫だった。

 胸が少し晴れやかになる真姫だったが、彼女は知らない。希と穂乃果の関係性、歪に絡み合っている糸が、解けて正常に繋がろうとしている事実を真姫は知らなかった。

 

 問題を先送りにするのは良策だったが、その後の希に相談するという策は、良策なのか、愚策なのか、その答えは未来の真姫が知っていることである。

 

「そうだよね、直ぐに決められないよね」

 

 一方で穂乃果は、まずまずの返答を得られたことに喜びつつ、意図せずして真姫に楔を打ち込むのであった。

 

「そうだ、真姫ちゃん。明日の朝、わたし達の練習を見て欲しいんだ。決して、遊びでやってるんじゃないってことを知って欲しいの」

 

 今の穂乃果の表情で、真面目にやってることは百も理解出来ることだったが、確かに一度見ておいて損はない。これには真姫も逡巡なく承知するのであった。

 

「私も暇じゃないんだから、退屈させたりすると承知しないわよ……です」

 

 最後の最後で、遅まきながら穂乃果先輩に対する敬語を付け足し、表情を決める真姫だった。

 

 



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その⑥

 真姫は翌朝、眠たい目を擦りながら家を後にして学校へと向かっていた。ふらふらと覚束ない足取りでのんびりと歩いているため、穂乃果に言われた時間には遅刻する予定だ。

 

 途中、気付け代わりにトマトジュースを飲み、朝ご飯も少ししか食べてなかったので、間食用のトマトを齧り、気分が乗って来たので自作のトマトの歌を、近所迷惑にならないぐらいの声量で熱唱する。トマト最高、万能野菜、ああトマトよ永遠に栄えあれ。ばんざーい!

 

 五番ぐらいまで歌い終わり、さあ六番に入るぞという時に、思わぬ人物と遭遇した。音ノ木坂学院の制服に身を包み、さらりさらりと長い黒髪を朝風に撫でられながら、姿勢よくゆったりと歩くその人物は、希だった。希は、真姫の存在を認知すると、もはや癖となっている右手を扇子の代わりに口元へと当てる動作をして、爽やかな挨拶をしてきた。

 

「おはようございます、真姫。お早いですね」

 

「孔明先生、おはよう」

 

 真姫の目が完全に覚醒した。早起きもたまにはしてみるものだ。朝から孔明先生に会えるなんて今日はツイてる、高坂先輩だっけ、ちょっとだけ感謝ね、と早起きする要因となった穂乃果の評価を少しだけ上方修正した。

 真姫は素早く希の隣に陣取り、二人並んで歩く。

 

「真姫はいつもこんな時間に学校へ行くのですか?」

 

「別に、今日はちょっと用事があるから早いだけよ」

 

 そうですか、と微笑む希の横顔に、真姫の口角も緩くなる。美人な女性が柔らかく笑うと、本当に一枚の名画を見ている気分になる。ことに希は、少し垂れ目気味で元から柔らかい表情をしているので、際立って優し気になるのだ。

 それに付随して知的な雰囲気が全身から醸し出されており、これがまたいいアクセントになるので、真姫でなくても見惚れること道理なのである。

 

(やっぱり、孔明先生はそんじょそこらの女とは違うわ。私も将来はこんな人になりたい)

 

 と、将来の自分像の理想だと決めるのであった。

 

「そうよ! 孔明先生、ちょっと話があるんだけど」

 

 ここで会ったのも何かの縁であろう。真姫は昨日起きた出来事並びに、どうして自分がこんな時間に学校へ向かっているのか、そして今後自分はどうすべきなのか、何一つ包み隠さず話した。真姫の予想では、百発百中の的確な助言をされるものだとしっかり耳を立てていたのであったが、希の口から出たのは、明日地球が滅ぶ並みの信じられない言葉だった。

 

「ほう、真姫は既に我が君と知己の間柄でしたか」

 

 最初、真姫は己の耳を疑った。もしかしてこの歳で難聴になったのではないかと、あらゆる方法で確かめて正常なのを確認し、続いて頬を強く捻った。実は早起き出来ずに今も夢の中ではと思ったのだが、じんじんと頬に響く痛みが、現実を教えてくれる。どうやら、聞き間違いでも、夢でもないらしい。

 この間、希は母が子を見るような温かい眼差しを真姫に送っていた。

 

「わが、きみ? 我が君? 高坂先輩が?」

 

 口に出してみると、ますます虚言甚だしく聞こえて来る。だが、希が真姫に嘘をつく理由はないので(理由があれば息を吐くように嘘をつく)、真実のようだった。

 とは言っても、脳がこれを正しいと認識することを拒絶している。あの東條希が、頭が良くて、綺麗で、落ち着いていて、男が妄想して作り出したような理想の女性が忠誠を誓ったのは、あの子犬が擬人化したみたいな先輩。あり得ない。

 

 真姫は、あの大河ドラマのワンシーン(穂乃果、志を語り、希、遂に出蘆す)のような展開を見聞きしているわけでもないので、二人が君臣の間柄で結ばれているなど、与太ごとにしか思えないのであった。

 

 飼い主とペットの関係の方が現実味があるというものだ。それにしても、ペットと呼ばれてもいかがわしさを感じない穂乃果は、よっぽど人よりも子犬に近いのだろう。前世では本当に子犬だったのかもしれない。

 

「そう、なのね。はは、ははは」

 

 衝撃が強すぎて笑い方が歪になる。何がどうなって、そして希は穂乃果に何を見出したと言うのだろうか。昨日話をした限りでは、結構間抜けそうな善人という感じで、忠誠を誓おうとかそういう系列の感情は一切発生しそうにない人物である。

 

 まさか、穂乃果に騙されているのでは。いや、どうも人を騙すという言葉が辞書に載っていなさそうなレベルの善人だった。多分、騙すという言葉はダマスカスの略称としか思っていないかもしれない。ここまで来ると、結構どころか相当な間抜けだが。

 

 と言うか、騙す、即ち虚言の策を得意とするのは希の方であるから、もし騙されるとしたらそれは穂乃果の方になるのは自明の理、火を見るよりも明らかなのだが、希に全幅の信頼を寄せる真姫は、

 

「孔明先生は、人を騙したりなんかしないわ」

 

 と、そんなことを考えるだけでも怒りを露わにするだろう。昨日話をした限りという条件は希も一緒なのに、真姫こそ希に何を見出したのであろうか。まあ、そこは単純に一目惚れして、惚れ込んでしまっていると考えた方が簡単かもしれない。真姫のピュアピュアな恋心が、惚れた相手への無償の信頼に繋がっているの、かも。本人は無自覚。

 

 それはともかくとして、

 

「結局、私はどうしたら良いのかしら?」

 

 と相談の答えを求める真姫。

 事ここに至れば、希に相談すれば帰って来る答えなど一つしかないだろう。現状、必要な技能を有した人物が目前におり、主君が勧誘中並びに自分とも仲良く話すぐらいには良好な関係がある。飛んで火にいるなんとやら、と希が思わないにしても、好機到来、天の時が我が君の下へ、ここでさらに人の和も得ん、となっても仕方のない話だ。

 希は考える素振りを見せながら、

 

「真姫が望むようにするべきかと思います」

 

 と前置きをしておいて、

 

「ですが、こうして相談をされたのですから、私の愚見で宜しければ」

 

 本題に入る。

 

「廃校を阻止せんとする人材の中には、我が君を含め、二年の園田海未殿と南ことり殿、三年の絢瀬絵里、そして私がおります。園田殿と南殿はそれぞれ良家の人間であり、絵里は人より秀でた能力の持ち主、我が君はこれらの人材の他に数多の在野の士との関係があります。真姫が協力を決意するなら、これらの人材との関係を結ぶことが出来、生涯においての財産となることでしょう」

 

 先ずは、協力することによる利益を提示する。普通人間というのは、何らかの利益が生じでもしない限り、行動しないものなのだ。穂乃果とて廃校を阻止するのは、極論すれば自分が満足出来るという利益があるからである。

 

「また、皆が真姫よりも年上なのですが、その年上と何かをやるというのは社会では当たり前の話で、ここでそれを学ぶことが出来ます」

 

 ここで真姫の反応は少し鈍くなる。人との繋がりが出来るのは確かに美味しい話だが、年上云々に関しては、幼い頃から僅かながら経験があるので、別に今更学ぶようなことでもない。希も当然それは知っているので、次は利益ではなく感情に訴えるように話を続ける。

 

「それとですが、昨日お話した通り、私は真姫と一先輩後輩の関係に終わるのは惜しいと思っています。私の我儘ですが、是非真姫には私と一緒に我が君を支えて頂きたく」

 

 話を希が結ぶ。

 真姫の反応がみるみる内に変わった。脳内では、私と一緒に、のところのみが延々とループしている。

 

(孔明先生と一緒に!)

 

 ここで記しておくと、希は恋心とかそっち方面の感情を察知する能力は人並みなので、真姫が自分に対して恋心なり信仰心なりの似たような感情を抱いていることは知らない。後輩が先輩に対して敬意を抱いているぐらいにしか思っていないので、真姫の純真な乙女心を玩ぶかのように話術を用いているわけではないのであしからず。真姫が自分の感情を理解していれば、希も流石に気付いて言葉を選ぶだろう。

 

「一緒に、ね」

 

 いつしか、真姫の面が赤々と染まりゆく。先ほどまで飲み食いしていたトマトが、急に自己主張でも始めたのか、赤くなるにとどまることを知らない。遂には湯気のようなものまで出て来る始末で、風呂上がりの妙な色気を発する女となっていた。

 

「やるわ。別にやって損があるわけでもないし、暇つぶしよ、暇つぶし」

 

 照れ隠しか髪をくるくると指に巻き付けながら真姫が言った。肝心なところで素直になれない真姫であったが、内心では子供のように踊り狂っているのは言うまでもない。

 希は真姫を見ながら、

 

「よし、よし」

 

 と、孔明時代の先生水鏡の真似をしながら、まるで北伐の際に姜維を迎え入れた時のように喜びをあらわにするのであった。

 



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その⑦

 園田海未。三国志で好きな武将は関羽雲長。海未は女子にありながら義の何たるかを理解してしまっている女傑系女子であり、自身の信ずる正義の赴くままに、天下の悪党どもに対する怒りの炎を常に胸の内で燃やし続けている。

 

 また、弓の腕が人並みを大きく外れており、腕前は黄忠や夏侯淵と言った三国志でも屈指の達人に比肩する勢いであった。これだけに収まらず、詩を作り、舞踊を身につけ、勉学も怠らないという完璧超人ぶりを発揮し、産まれる時代と性別を完全に誤ったような人物なのである。

 

 彼女が鎌倉や戦国の世に男として生れ落ちていれば、歴史書に残るほどの暴れっぷりを見せつけてくれただろう。英雄豪傑達と手に汗握る激闘を繰り広げた後、(時代に逆行するような)信念を貫き通し、敵将に追い詰められ、感動的で泣かせる辞世の句を謳い、切腹。ありありと思い浮かばれる。後世には義将とか呼ばれて、上杉謙信辺りと人気の双璧を成し、熱狂的なファンを集めるに違いない。

 

 嫌いな武将は曹操。人妻や未亡人目的で戦争を始めるような(歴史的根拠なし)破廉恥な男は海未の義に大きく反するのであり、

 

「曹孟徳が天下に並ぶ者なき英傑と雖も、女性を食い物にするような悪逆非道ぶりは断じて見過ごせません。今、私の目の前に現れれば、一矢を以って瞬殺してくれます」

 

 とか思ったり思わなかったり。

 そんな海未だが、彼女のこれまでの半生はそれこそ関羽と似通っており、時には劉備(穂乃果)を厳しく律し(本人は善意からだが、やられた方がどう思うかは別)、時には甘やかし(あくまで本人的には甘やかしたつもり)、支え続けて来た。

 そうして今は、新しく穂乃果軍団に加入を果たした孔明(希)に世話役を譲り、解放感と一抹の寂しさを覚えつつ、穂乃果を愛でる日々である。

 

 しかし、穂乃果が劉備で海未が関羽となると、必然的にことりが張飛ということになるのだが、ことりから張飛の部分は何一つ感じられない。もしかしたら、飲めば張飛になるのかもしれないが(酒乱という意味で)。さらに張飛の字は益徳あるいは翼徳であり、名前の飛と字の翼はことりという名前に掛かっていなくもない。

 

 三人はまさに義兄弟ならぬ義姉妹の関係と言ってもよかった。

 さて現在は学校の屋上、その義姉妹の長姉穂乃果はこれでもかと不貞腐れていた。ぷっくり頬を膨らませて、うーうーと呻いている。

 

「ほら、穂乃果、これでも食べて機嫌を直して下さい」

 

 海未は穂乃果の頭をわしゃわしゃと撫でながら、口元に穂乃果の好物であるパンを近付ける。穂乃果はカプリと食らいついて、ハムハムと咀嚼し始めた。誰がどう見ても餌付けにしか見えず、ことりは、

 

「穂乃果ちゃん、可愛い」

 

 と、ほんわりして、絵里は、

 

「海未、私にもやらせて」

 

 と、うずうずとしている。それから穂乃果が不貞腐れる原因となった希と真姫が、別に悪いことをしたわけでもないのに、ちょっと居た堪れない気持ちになっていた。

 何のことはない。穂乃果がサプライズ(抜け駆け)に失敗して拗ねているだけなのだ。けれども、このままでは穂乃果はいつまでも拗ねて不貞腐れるままなので、

 

「真姫は我が君の言葉に動かされて、加入することを決意いたしました。全ては、我が君の人徳の賜物です」

 

「そ、そうよ。私は貴方の言葉に感動したから、こうして協力しようと思ったの」

 

 と、二人して苦し紛れのフォローに走らざるを得なかった。

 この二人の様子を、と言うか希の様子を海未はニマニマしながら眺めつつ、

 

(東條先輩、いや、孔明軍師! この程度で狼狽えているようでは、到底穂乃果を御することは出来ませんよ。ふふふ、これはほんの序の口、穂乃果の神髄はこんなものではありません。私はゆっくり見学させてもらいますので、是非、貴女の力を見せて下さい)

 

 と、先達者ぶってみるのであった。

 それから十分ほど経過してようやく穂乃果が立ち直り、そう言えばお宅はどちら様ですか、穂乃果と希の知り合いっぽいけど、とばかりに真姫の紹介が始まる。名前を言って、そうなんだよろしくね、となるだけだったので、その時の様子は特に記しはしない。強いて言えば、真姫が作曲を出来ると聞いて、絵里が芸もなくハラショーと言っただけである。ハラショーは別に万能用語でもないのだが、絵里の中では千差万別、常に意味を変えるのである。

 

 そんなこんなの何だかんだで作曲者が仲間に加わったわけだが、穂乃果は機嫌を直したかと思えばヒートアップ、さっきまでどんより曇天模様だったのに瞬間的に雲一つない快晴状態という異常気象の如き変転ぶりを見せながら、

 

「く~、もう廃校は阻止したも同然だよ! 世界はわたし達を中心に回っている! 希ちゃん、次は何をすればいいのか教えてよ!」

 

 調子のいいことを言いつつ、希に意見を求めた。

 希はこの勢いのある(調子に乗っている)少女に、先帝劉備の姿を幻視しつつ、扇子代わりの右手を口元に寄せて、

 

「しかれば我が君、天と人は既に手中に収めました。続いて地を得ることで盤石な大勢を形成することが可能。次なる目標は、我々の基盤を求めることになります」

 

 と、言った。穂乃果は難しい言い方は理解できないので、一先ず分かったふりをして話の先を促す。希は即ち、と続けて、

 

「スクールアイドル活動を学校の活動の一つとしてしまいましょう。学校の後ろ盾を得て、学校側の協力を可能とさせるのです。つまり、スクールアイドル部を結成します」

 

 学校の規則では、部活動を結成する際には五人以上の部員となる人が必要となる。真姫が居ない時点で五人いたので可能ではあったのだが、しかし新しい部活動を作るには一つだけ問題があったのだった。絵里がそれを指摘する。

 

「でも、希。私が既に入っているアイドル研究部は、広義的にはスクールアイドル部と同じようなものだから、同じ部活を二つも作るのは認められないと思うわよ」

 

 そんなことは百も承知の希なので、

 

「ですので、アイドル研究部をスクールアイドル部にしてしまうのです」

 

 そう、何だか誤解されそうなことを言った。これは孔明時代からの悪癖であり、敵味方問わず翻弄されたものである。三国志で名高い英傑達ですら誤解するので、勿論のこと、この場に居る少女達も誤解して、特に正義感の極端に強い海未が激怒した。

 

「なっ! アイドル研究部と言えば、東條先輩と絵里先輩の御友人の矢澤にこ先輩の部活ではないですか! それを乗っ取ろうなどと、仁義に反する行いです! 東條先輩がそんな悪知恵を働かせるとは思いもしませんでした! 最低です! 貴女は最低です!」

 

 この腐れ外道め、この場で即刻手討ちにしてくれます、と海未は息巻く。これはあまりにも三国志的な誤解であり、当たり前だが希にそんな意図は毛頭ない。事実としてそういうことを普通に口にする希だが(荊州乗っ取り並びに巴蜀乗っ取り)、今回はそうじゃないのだ。もしかしたらにこの態度如何によってはそうなるかもしれないが、少なくとも端からそんなことを狙ってなどいない。希は怒髪天を衝く海未を宥めながら、

 

「園田殿、落ち着いて下さい。仰る通り、にこと私は断金の友であり、その友誼を破滅させるが如き下策は、私のみならず、我が君の名声をも汚す行いであり、臣たるもの、人たるものがとる道ではございません。単に、我々がアイドル研究部に入部し、名前を貸してもらおうというだけのことです。園田殿が懸念する様なこと(にこ追放)は一切ございません」

 

 涼し気な様子で弁解した。

 すると海未は誤解して(ある意味誤解でもないのだが)恥ずかしかったのか、肩をすぼめながら、

 

「またやってしまいました。う~、私はいつも何でこうなんでしょう」

 

 と、希に謝罪の気をたっぷりと見せつける。

 またやったということは前回もあるということで、海未の正義の怒りに過去何度となく巻き込まれた人物の穂乃果は、

 

「海未ちゃん、カルシウムが足りてないんだよ、牛乳でも飲めば?」

 

 言いながら、その視線を海未のささやかな丘陵地帯へと向けた。この視線が何を意味しているのかは、穂乃果だけが知ることである。

 

 少々ハプニングがあったものの、無事に次なる目標を定めた穂乃果軍団。標的とされたのはアイドル研究部と部長の矢澤にこ。果たしてにこは素直に希の思惑に乗ってくれるのか、それとも天邪鬼を発揮して破滅への道を歩くのか、そして絵里はどちらの味方をするのか、全ては次回。

 

 



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集結! 穂乃果軍団
その①


 さてこのまま、穂乃果軍団アイドル研究部を強襲す、という話を始める前に、一人の少女へと視点を変えようと思う。この少女の名前は星空凛と言う。

 こことは別の並行宇宙の話をご存知の読者諸賢は、星空凛が後々穂乃果軍団に加入することは口にするまでもない周知の事実であることと思うが、この世界においても、後々、近い未来か遠い未来かはさておいて加入することが決定しているのだ。だからこうして視点の主役になっているわけだが。

 

 それにこの少女は、今回から初登場するというわけでもない。かつて真姫に不審者の称号を与えたクラスメイトこそ、何を隠そう星空凛なんだにゃ。まあ、語尾が特徴的過ぎて隠すどころか堂々と答えを言っていたようなものだったが。

 

 凛がどういう人物なのかと言うと、元気いっぱいのにゃーにゃ―娘である。別に猫の惑星から電波を受け取っているとかそんなことはなくて、猫が好きなのに猫アレルギーというあまりにも不運過ぎる生い立ちにありながらめげずに、自身が猫と化すことで常と身近に猫を感じられるのではなんて天才的な発想を持つ少女である。

 

 希もまた客観的に言えば天才の一人であるが、たぶんに小賢しさが潜む秀才肌の疑似天才とでも言うべきものであり、天才ぶりとしては凛には到底及ばないのだった。

 因みに凛は魚が嫌いなのであるが、人間に好き嫌いがあるように猫にも好き嫌いがあり、猫と魚を等式で結ぶのは人間の勝手な考えの為、猫には一切関係ない。つまり、魚嫌いの猫が居てもおかしくないのであり、イコール凛が魚嫌いでも正常のことである。

 

 さらには運動神経も飛びぬけており、その運動神経たるや猫と言うより最早虎なのであった。後の真・穂乃果軍団の中でナンバーワンの身体能力を誇るのは伊達ではない。穂乃果軍団の美髯公こと一人で一万人のスクールアイドルに匹敵する(かもしれない)園田海未をして、戦えば無傷では済まないと言わしめるほどの驚異的身体能力なのである。

 

 そんな凛は昨日から気になってしょうがないことがあった。

 

「西木野さんは今日も一人でニタニタしてるにゃ」

 

 クラスメイトの不審者(西木野真姫)の言動である。いつも仏頂面で話し掛けて来るなオーラを醸し出しながら髪をくるくると弄るボッチであり、凛も好んで関わり合いたいと思わなかった人種だ。それがどうしてか、昨日から一人でニヤニヤと笑っているのであり、控えめに言って不審者にしか見えないのだった。そう、不審者というあだ名には、凛の控えめな優しがあったのである。

 

 それにしても思い出し笑いでもしているのであろうか。余談だが、思い出し笑いをする人はむっつりが多いらしい。真姫ちゃんむっつり、まみむめも。

 

「何か良いことでもあったのかな」

 

 言いながら小首を傾げる少女は小泉花陽である。

 凛の生涯無二の親友であり、その絆の固さは孫策と周瑜など(三国志では仲良しこよしの代表格)比べものにならないのであった。引っ込み思案で気弱で声が小さく、しかし大好きなアイドルとお米の話になると大声早口で話す特徴がある。現代日本では別段珍しくもない、クラスに五人から十人ぐらいは居るような少女なのであった。

 

 心の優しい花陽は、真姫の一人笑いをなるべく良い方向に受け入れて話を進める。だが庇いきれないほどに真姫の様子が不気味だったため、自分では知らずにちょっと引いていた。

 親友の様子に敏感な凛は、花陽がほんのちょっぴりだけ嫌がっているのを察知し、義憤を抱いて怒りを言葉にした。

 

「前々からいけ好かない人だとは思っていたけど、本当に気持ちの悪い人だにゃ」

 

 こんなことを言っている凛は冷たい人のように思われるが、事実大して仲が良くない人には冷めたところがある。猫は警戒心が強い生き物であり、仲良くなればこれでもかと甘えて来るが、その過程において甚大な苦労を要するのだった。

 

「凛ちゃん、そんなこと言っちゃ駄目だよ」

 

 思うのは勝手だけどね、とは言わない。

 

「まあ、良いや。気になってしょうがないけど、気にしてもしょうがないのも確かにゃ。西木野さんのことは置いといて、かよちんはアイドル研究部って知ってる?」

 

「へっ? そんなのがあるの!?」

 

 ついつい大きな声で反応してしまった花陽に、周囲からの視線が集まる。アイドルという単語を聞いてしまっただけでこれなのであり、条件反射のようなものなのでどうしようもない。恥ずかしさから頬を真っ赤に染めて、身を縮める。

 

「アイドル研究部なんてあったんだね」

 

「うん。凛も人から聞いただけだから詳しくは知らないんだけど、部員は部長を含めると二人しかいなくて、活動内容はいまいち分からなくて、放課後にアイドル研究部の近くを通ると奇声が聞こえて来るらしいよ」

 

「そ、そうなんだ」

 

 花陽は一体何のこっちゃというような表情をした。おかしい、アイドル研究部なる部活の説明だと思っていたのに、内容は学校の七不思議みたいな話である。音ノ木坂学院七不思議の一つ、アイドル研究部の地縛霊。アイドルになりたかったけど夢が叶わず無念の内に亡くなった女生徒が的な七不思議だ。今後の話次第では本当にそうなるかもしれない。

 

「とにかく興味があるなら一度見てみたら良いよ」

 

「う、うん。でも良かったら、凛ちゃんも一緒に来てほしいな」

 

 最早気分は心霊スポットで肝試し。まかり間違っても一人で行きたくはないので、凛に同行を願う。しかも放課後は逢魔が時に近い時間帯だから、出るもんが出そうなのである。心霊スポット、皆で行けば恐くない。

 

「え~、別に凛はアイドルに興味ないしいいよ。かよちん一人で行って来なよ」

 

「そんなこと言わないで、ねっ、凛ちゃん」

 

 行こうよ、行かない、と繰り返していると、

 

「だったら私が一緒に行ってあげるわよ」

 

 ある人が会話に入り込んでいた。白皙に鮮やかな赤髪の真姫である。

 いつものように会話を盗み聞きしていたらしく、アイドル研究部に行く行かないの話になったので、こうして声を掛けてみたらしい。孔明先生他穂乃果軍団と関わりをもって、心情的にも変化があったのか、自分から声を掛けてみようという意識改革が無意識にあったようだった。因みに話題が真姫だった時は、都合よく聞いていなかった。

 

「ちょうど今日の放課後に、アイドル研究部を訪ねる予定があるのよ。どう?」

 

 その予定こそ穂乃果軍団によるアイドル研究部強襲である。

 この時の真姫の脳裏では、花陽を穂乃果軍団に加入させようとする計画が構築されていた。思えば穂乃果軍団は、真姫を除けば皆上級生である。どうせなら同い年の子が欲しかったのだ。花陽の容姿は野に咲く可憐な花のようで、穂乃果やことりが気に入りそうである。強襲に付き合わせてなし崩し的に加入させてしまおうと、画策していた。流石に希と波長が合うだけはあって、中々の卑劣ぶりである。

 

「良いの?」

 

 そんな陰謀など露知らず、渡りに船とはまさにこのことだとばかりに、花陽が嬉しそうに訊き返す。

 しかしこれに黙ってはいない凛がいる。

 

「何で西木野さんが凛とかよちんの話に入って来るの?」

 

 敵意剥き出しの凛の姿は腹を空かした虎と同等なので、普通の人間であれば、ごめんなさい食べないで下さい、となるのだが、希への態度を見ていれば分かるように真姫は普通の人間ではなかったので、

 

「何? 話に入って何か文句でもあるの?」

 

 と、ツンツン言い返した。

 常識的に考えれば、話をしたことのない人がいきなり会話に入り込んで来たら戸惑うのは当然である。それが不審者の如き人物となれば警戒するのはおかしな話ではない。

 一色触発、このまま真姫と凛のバトルが始まるかと思いきや、

 

「だったら凛も一緒に行くにゃ」

 

 大切な花陽を真姫と一緒にはさせておけないと、凛が同行を口にした。

 好きにすれば、と真姫は髪をくるくるとさせているが、それを決めるのは真姫ではない。ならば肝心の花陽はどうかと言えば、

 

「凛ちゃん……西木野さんもありがとう」

 

 と、満開の花を咲かせていた。

 



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その②

 時は流れて放課後である。

 ついに穂乃果軍団がアイドル研究部に突入する時がやって来た。真姫はホームルームが終わるや花陽とついでに凛を引き連れて二年生の教室を訪れる。三人が来る頃には穂乃果軍団は全員集合しているようで、気後れしている花陽と凛を尻目に教室の中へと真姫は入って行った。遅れて、周囲を警戒しながらおずおずと残りの二人も入る。

 

「真姫ちゃんが最後だよ。あれっ? その二人は誰?」

 

 穂乃果の不躾な問いに、怯えた花陽が一歩後ずさると、凛が守るように花陽の前へと足を進める。そして吊り上がった視線を真姫へとぶつけた。この女め謀ったな、とでも言いたげな厳しめの視線だった。

 

 真姫は穂乃果と凛の二人に一切の反応を見せず、何食わぬ顔で希の隣を陣取り、二人を一瞥してから髪を弄り始める。見れば分かるでしょ、クラスメイトよ、と、この面子でアイドル研究部に行くんだから嘘はついていないわ、とさっきの一瞥で伝えたらしかった。

 当然だが、二人には何一つ通じていなかった。

 

「真姫、是非お二方の紹介をして頂きたいのですが」

 

「後ろのおとなしめな子が小泉花陽、そっちの半獣人が星空凛。私のクラスメイトよ。小泉さんの方がアイドル研究部に興味があるらしくて、だから誘ってみたの」

 

 希が訊くと素直に答える。

 凛の時だけ悪意が見え隠れしたが、希は爽やかにスルーしてゆったりと歩き出した。

 

 しかし何だ、文面だけ見ると希が喋っているのか、海未が喋っているのかいまいち分かりにくい。並行宇宙の希はなんちゃって関西弁の使い手なので文面にする際苦労することはなさそうだが、こちらは敬語キャラでもろ被りだ。

 

 見極める方法は、海未の方がちょっとだけ凶暴性を隠しきれていない敬語なので(あくまでこちらの世界の海未)、そこから判別してもらうしかなさそうである。

 

 話を戻して、希が凛の前で足を止めると、いつものように右手を扇子に見立てて口元に当てた。癖なので別に意味があるわけではない。

 その動作に凛は過剰な反応を見せて、びくりと肩を跳ね上がらせた。

 

「こ、孔明先生」

 

 恐る恐る、花陽が呟いた。

 真姫同様に姿を見ただけで正体を看破する。希から溢れ出る孔明オーラの為せるわざであり、希の動作を観察していたら、あの人孔明っぽいとなってしまうのだった。

 

 凛も希がしょっちゅう話のネタにしていた孔明先生であることに気付いたが、彼女の場合は野生の直感的なものなので色々と別の話である。

 

「ふむ」

 

 と、希は凛と花陽の二人を見ながら頷く。

 

「お手柄ですね、真姫」

 

 と、真姫を褒めた。真姫のくるくるする速度が跳ね上がった。

 凛の目がギラリと光る。

 

(何が何だか分からないけどとんでもない事になっている気がするにゃ。そもそも孔明先生と西木野さんの関係は何? この集まりは一体何なの? この面子でアイドル研究部に何をしに行くつもりにゃ。西木野さんめ、何を企んでいるの?)

 

「あの~、詳しい話を聞かせて欲しいんですけど」

 

 と、愛想笑いをしつつ周りの先輩方を見回した。

 先輩方の視線は穂乃果に集まる。この場での適任は満場一致しているようだ。

 穂乃果は任せてと胸をドンと叩いて、勢い強すぎて咳き込んでから、凛と花陽に語り始める。のは良かったのだが、いまいち要領が掴めない。

 

 穂乃果は元来頭の回転が速い方じゃない。言葉をストレートにすると馬鹿なのであり、話を上手く整理せずに口にするので、言っている本人も何を言っているのか分からない時がある。海未やことりのように慣れていれば大丈夫なのだが、素人には通訳がいるぐらい。

 

 ただそれは、素面の時の場合だ。感情が一定値を超えるほどに高まると、途端弁舌は清らかな川のように流れ、一言一句のことごとくが名言名文句と化し、聞く人の心を揺り動かさずにはいられない。実際に希は動かされている。これを期待されて穂乃果に説明役が回ったのである。

 

 だが残念なことに、今回は話していてもそこまで感情の変化がなかったようで、凛と花陽の頭上でクエスチョンマークがヒップホップを踊り出したところで、海未に選手交代した。

 

「聞き苦しい戯言をすみません。変わって私が」

 

「ぶ~、戯言だなんて、酷いよ海未ちゃん」

 

「貴女の出番は終わりました、下がりなさい」

 

 海未の場合は淡々と要点だけを話して面白味は一切存在しない。説明書を読みあげているような印象を受け、心に何一つ響いては来ないが分かりやすくはある。

 

 そうして感情が一定値を振り切ると、気合一閃、一言一句に己の魂を込めた激烈にして猛烈な調子となるのであった。気迫に満ちた言葉は、それ自体が刃のように鋭く人の心に突き刺さるばかりか、物理的に身体へと響き渡るような(単に手も一緒に出ているだけ)感覚に陥るのであった。

 

「どうかしら? 貴女達もスクールアイドルをやってみない?」

 

 海未のつまらない話が終わった後で、絵里が妙に様になっているウインクをしながら、凛と花陽に手を差し伸べた。金髪の美人なお姉さんにちょっとドキドキする二人だったが、差し伸べられた手を握ろうとはしなかった。

 

「わ、わたしはアイドルが好きです。で、でも……」

 

 アイドルは好きだが自分でなりたいかどうかは問題が別である。どんくさくて、おっちょこちょいで、声が小さくて、人前に立つのが苦手で、無駄飯ぐらいで、と花陽は卑屈過ぎる自虐に走った。わたくし如きがアイドルなどと畏れ多い事です、はい。

 

 花陽も幼い頃はアイドルになる事を夢見ていた口である。おもちゃのマイクを片手にフリフリの衣装を着て、鏡の前で踊り狂い、遂には母親に止められるほどアイドルに熱狂していた。

 

 それが何時の頃だったか、夢は寝て見るものだという事を分かってしまったのか、アイドルになりたいと口にする事はなくなり、仕舞いには一ファンに成り下がってしまったのである。今となっては、アイドルをやりたいとは思わない。

 

「でしたら、私と一緒にマネージャーをやってみるのは如何ですか?」

 

 花陽が拒否するや間髪入れずに希が言った。

 

「そ、それだったら」

 

 花陽は満更でもないといった様子で了承する。良いのだろうか、そんなに簡単に決めてしまって。もう少し考えてからでも遅くはない気がするが、本人が良いのなら外野がとやかく言う事ではないのだろう。嫌だったら辞めれば良いのだし。

 

 アイドルをやりたいわけではないが、関われるのなら関わりたい。そんな気持ちがないわけではなかっただろう、と言うか絶対ある。ここにアイドルを夢見る黒髪ツインテールの高校三年生がいれば、マネージャーはそんな軽い気持ちでやれる事じゃない、という厳しいお言葉を吐くのであろうが、あいにく彼女は不在(と言うかこれから会いに行く)なので、歓迎の拍手で以って花陽は迎え入れられた。真姫の拍手が一番大きかった。

 

 当初の予定とは別だったが、最終的な結果(花陽の穂乃果軍団加入)は一緒なので、真姫は珍しく多数の前で素直に喜んでいる。

 

 そんな中で、一人困惑気味の猫少女。

 

(にゃにゃにゃ……展開が早すぎてとても凛にはついて行けないにゃ。とにかくかよちんがこの人達と一緒に何かやるって事だよね)

 

「ねえ、貴女はどうするの?」

 

「にゃ~」

 

 凛の耳元で声が蕩けた。甘々と心地よく気持ちよくなってしまう、まるで麻薬のような芳醇なお酒のような声は無論のことことりの声である。凛はくらくら酔眼朦朧に一瞬なりかけたが、気合で我を取り戻した。

 

「凛は――」

 

 何もしませんさようなら、ときっぱり断ろうとした時、不意に視界の隅っこに真姫の姿が映った。凛の心の中で突如として炎が燃え上がった。

 

(かよちんを一人にしておけない)

 

 こんなところに親友を一人残しては置けない。

 

「凛もかよちんと一緒によろしくお願いします」

 

 ぺこりと頭を下げた。

 

「あれ? でも凛ちゃんは陸上部に入るって」

 

「気が変わったにゃ」

 

 凛はその野性的な身体能力を活かして陸上部に入る予定であったが、そんな事よりも親友の身の安全の方が大切なのである。かつて戦国の世にあって、大谷吉継という武将は親友である石田三成との友情に殉じて関ケ原の戦いに西軍として参戦した(これには色々と諸説があるのだが、友情に殉じたとした方が美談であり吉継の男の株も上がるので、私はそう思うことにする。だって吉継好きだし)。

 

 友よ、私はお前の為なら死ねる、と凛が壮絶な決意をしたかどうかは皆様の想像にお任せするが、少なくとも、

 

(かよちん、凛が守ってあげるからね)

 

 と、気持ちを厚く固めたのは確かなのであった。

 

 さて、ただいま穂乃果軍団は合計八人。数多の並行宇宙に置いて穂乃果軍団は九人の超少数精鋭部隊なのであるが、その数まで残すところ後一人。最後の一人は言うまでもなく矢澤にこその人である。こう書いてしまうと、彼女が加入する事が決定事項というネタバレになってしまうが、別に隠すまでもなく皆様ご存知だろうから問題ないだろう。

 

 次回、英雄九人、乞うご期待!

 



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その③

 希ら八人の乙女がぞろぞろと列を成してアイドル研究部の部室を目指す。誰が言ったかは知らないが、女は三人揃えば姦しいらしい。別に男でも姦しいものは姦しいし、三人以上でも静かな時は静かなものである。まあ、ことわざ的なものにツッコみを入れてもキリがないのでこれ以上は何も言わない。そうらしいという、一先ず肯定的な立場にいようと思う。

 

 とにかく、ことわざには三人集まればとあって、況や八人いるとなれば、それはさぞ大層な声量になるものと考えられる。一部のもの静かなメンバーを除いたにしても、それでも有り余るほどの声量であるから、ドアを完全に閉めていたところでガヤガヤと喧しいわけだ。

 

 とどのつまり、部室で内職に勤しんでいるにこの耳にもぎゃんぎゃん響いてくるわけで、

 

「喧しい! もう少し静かにしなさい!」

 

 甲高い声を張り上げながら、にこが部室のドアを乱暴に開けて顔を出した。怒りをこれでもかと表現するかのような赤ら顔で、吊り上がった瞳は喧しい八人組を睥睨する。

 

「うわっ、何か増えてる」

 

 怒り顔が一瞬で嫌そうな顔になった。

 この前、希と絵里、そして穂乃果達の五人だったと思えば、見覚えのないのが三人。急に怒鳴って来たにこを睨みつける赤髪と、吃驚して怯える眼鏡と、ぺこぺこ申し訳なさそうにしている茶色混じったオレンジ髪。上から順に、真姫、花陽、凛である。

 

 この八人が揃って研究部に何の用なのか、もう答えを聞くまでもなく分かり切っているにこは、ため息を一回吐いてから、スッとドアを閉めようとした。

 が、その動きは賢い金髪の部員に読まれていた。

 

「にこ、話があるのだけど良いかしら」

 

 ドアノブをがっちり掴んで、念の為に足を部室内に入れて、ドアを締めれないようにした絵里は笑顔で言った。笑顔とは威嚇行為である、というのも誰が言ったのかは知らないけどそうらしい。可憐な笑顔の後ろから、にこを見つめる十四の瞳。

 対話を拒否するほどの度胸を、にこは持ち合わせていなかった。

 

「……入りなさい」

 

 渋々、にこは希達を部室内に招き入れた。

 そもそも絵里は部員だし、希も少なくない回数足を運んでいる部室は、部長の趣味がよく分かる一室となっていた。壁面にはでかでかとA-LISEのポスターが貼り付けてあり、棚にはところ狭しとアイドルグッズが並べられている。

 

 アイドル研究部の部室と言えばらしくは見えるが、どちらかと言うとドルオタの部屋だ。別に悪いとは言っていない。良いとも言ってないが。ただ、人によってはお城の宝物庫も同然なので、

 

「こ、こりは……ッ!」

 

 こんな風に戦慄して言葉を失ってしまうのである。

 アイドルが三度の飯のおかずになる花陽は、大口を開けてふらふらとグッズが並ぶ棚へと歩みを進めた。一同はそんな花陽を視界の外に置いて、席に座る。

 席順は決めていないので各々勝手に座ったのだが、穂乃果の隣はことりと海未が、希の隣は絵里と真姫がさっさと確保して、凛は真姫の隣に嫌そうに腰を下ろす。その隣の空いている席は花陽の分だ。

 

 何だか八人の人間関係がおぼろげに見えて来るにこであった。

 

 それから代表して、絵里が今回の訪問のわけを話した。

 先ほども言った通り、にこは話を聞かずとも内容は把握している。キラキラ眩い笑顔を浮かべる穂乃果を見て、嫋やかで胡散臭い笑みを浮かべる希を見て、ついでにその他四人と、未だ棚を物色している花陽を見た。返事は決まっている。

 

「良いわよ」

 

 了承だ……ってあれ? 前はあーだこーだ理由をつけて拒否していたのに、今回はあっさりと了承した。一体全体どういう風の吹き回しなのだろうか。

 

(どういうわけなのかは知らないけど、こいつらは今波に乗っている。ここでこいつらの意に反することをすれば、一体どうなることやら。と言うか、希が大人しくしているとは思えない。気付いた時には私は破滅、いや、気付かない内に破滅しているわ。ここは一先ず、こいつらの波に乗って様子見よ)

 

 身の安全を考えた末の決断だったようだ。

 と言うか、元々研究部の名前を貸してほしいという話だった筈なのに、いつの間にやらにこも活動に参加する事になっているが、なし崩し的にそういう事になったのだろうから、深い事は気にしない。そっちの方が穂乃果達にとってもありがたい事だし。

 

「ハラショー! 話が早くて助かるわ、にこ」

 

「やったー! これからよろしくお願いします、にこ先輩!!」

 

 絵里と穂乃果が無邪気に喜んでいる。にこの保身と打算にまみれた決断であるとは、露とも思っていない様子だった。にこはちょっとだけ胸が痛くなった。

 

「これで我らも基盤を得る事が出来ました。有能な人材も手に入り、我々に追い風が吹いているのを感じ取れます。しかし、手放しで喜んでいる場合ではありません。これでやっとのこと、人並みに戦える準備を済ませたというところ。これからが本番です」

 

 希が真面目くさってそんな事を言った。

 瞬時に穂乃果と絵里が怒られたようにシュンと顔を俯かせる。

 これを見て、というか穂乃果の様子を見て海未は、しらけるような事を言うな、と思いはしたものの、正論でしかなかったし、希に出会わなければ自分が別の場面で穂乃果に言っていたのは容易く想像出来るので、したり顔で首を縦に振った。

 

「それで、これからどうするんですか?」

 

 そう言ったのは凛である。そもそも凛にしてみればこれからどうするのか、という話の前に、今の今まで何がどうなっているのかという話だ。

 真姫が教室で話し掛けて来てからこれまでの一連の流れは、アニメだと二、三話ぐらいになりそうなのを、十分ぐらいで終わらせたような展開の早さである。足の速さには自信がある凛だが、どうにもついて来れない。

 

 だけど誰も待ってくれないので、必死に後を追っている現状であった。ただ、理解力に足の速さは一切関係なかったりするのだが、まあ良い。時間が全てを解決するだろう。

 それはさておきというところで、凛のやけくそ気味の質問に、希が律義に答える。

 

「ふふふ、近々、新入生歓迎会があります。その日の部活動紹介が、初陣となるでしょう」

 

「はあ? 希、あんたまさかライブでもしよっての? オリジナルの曲じゃないにしても、練習時間なんて全然ないじゃない。まさか、ぶっつけ本番でするつもりじゃないわよね?」

 

「何を仰っているのですか、にこ。やるわけないじゃないですか」

 

 すまし顔で言われて、引っ込んでいた怒りがまたむくむくと湧きおこって来たにこだったが、呼吸を整えなんとか堪える。

 

「だったら先生、一体何を?」

 

 真姫がしれっと身体を希の方に寄せる。

 それに気づいているのかいないのか、希は特に反応せず、

 

「自己紹介です」

 

 と、返した。

 

「自己紹介?」

 

 こてりと小首を傾げることり。

 

「ええ、南殿。我々がどういう人物でどういう存在なのか、そして何をやりたいのか。これをはっきりと宣言し世に知らしめるのです」

 

「どういう存在なのかと言うと、少し哲学的ですね。単純明快に考えるのであれば、スクールアイドルですかね。それで何をしたいのかと言えば、スクールアイドルなのですから、アイドル活動では?」

 

「園田殿、半分正解です。どういう存在なのかと言う問いに、スクールアイドルと答えるのは間違いではありませんし、紹介の時も無論そう言います。しかし、何をしたいのか、言い換えれば、何のためにスクールアイドルをするのか、という点に関しては、園田殿は重要な事を忘れています」

 

 すると、穂乃果が元気よく手を挙げた。

 

「はいはいはい! 希ちゃん、分かったよ! 廃校を阻止する事、でしょ?」

 

「我が君は流石の御慧眼。この希、感服する他はありません」

 

 希は拱手稽首をして大仰な動作で穂乃果を褒め称えた。

 何とも大袈裟な希であったが、何だか不思議と名場面の様相を呈している。現代人がやると芝居がかった臭すぎる話になってしまうのだが、これが古代人や中世人がやると絵になるのである。誰がやるのかが重要という事を思い知らされた気分だ。

 

 現に真姫や絵里、凛などは希の所作に目を奪われている。

 一人、穂乃果の事で希に思うところがある海未はちょっと視線が冷たい。

 同じく思うところありのことりは、にこにこほんわかとしていて何を考えているやら。

 

「我が君の御推察通り、我々の最終目標は廃校阻止。そしてそのことを先ずは新入生達に知らしめるのです。新入生たちが知れば、その親に話をするかもしれません。そして話を聞いた親がまた別の人に。そうして話を聞いた者達の中から、我々の協力者が現れるかもしれません。とにかく知られなければなりません。音ノ木坂の現状、我々の活動目的を。極論すれば、我々はスクールアイドルをやらなくても良いのです。スクールアイドルは廃校阻止の為の手段の一つである事をお忘れなきよう」

 

 と、高校生の少女達に対してちょっときつい事を希は言った。

 どうも、まだスクールアイドル以外のやり方を模索しているらしい希。スクールアイドルは廃校阻止の為の道具の一つと言い切ったわけである。間違ってはないにしても、もう少し言い方があったように思われるが、どうだろうか。

 

 大多数は希の言う事に素直に耳を傾けていた。穂乃果、ことり、海未、絵里はそれこそ廃校阻止が絶対なので、希の言う通り、スクールアイドル以外で確実性があるならそちらを選ぶだろう派。真姫や凛は廃校阻止にもアイドル活動にも興味なく、別の理由でここにいる派である。

 

 だが、これに反発を覚えた人物もいる。言うまでもないがにこと、希の発言でようやく物色作業を止めた花陽だ。スクールアイドルをこよなく愛する二人にとって、希の発言はとても許容出来るものではない。モヤモヤしたものが二人の心に漂う。

 

「天に唾するが如き発言。断じて許すまいぞ」

 

 とか思ったりはしていないけど、近しいニュアンスのような事はそれぞれの胸中に、希への不信感と一緒に言葉として浮かんでいる。

 

(孔明先生ってこんな人なんだ)

 

(あんたがそういう奴だって事は、今までの付き合いで良く分かっているわ。希、この私の目が黒いうちは、あんたの好き勝手にはさせない。このアイドル研究部は私が守る)

 

 希に対する花陽の信頼感と、にこの友情に亀裂が入った瞬間であった。

 

「今はスクールアイドルで廃校を阻止するという事ですが、私の申しました事は、是非念頭に置いて頂きますよう、よろしくお願い致します。さて我が君、臣希、一つ提案致したい事がございます」

 

「何?」

 

「歓迎会までに、グループとしての名前を決めておきたいと思いますが、如何でしょうか?」

 

「そっか、名前か~。音ノ木坂学院のスクールアイドルです、じゃ、ちょっと格好がつかないもんね。うん、それじゃ、名前を皆で考えよう! どんな名前が良いかな~?」

 

 盛り上がる穂乃果。それにつられてちょっとわいわいし出した絵里達。そんな彼女たちと対照的に暗いにこと花陽。

 

 海未とことりとの関係がちょっと微妙なのに、にこと花陽の二人とも対立しそうな状態の希だが、果たしてこれから大丈夫なのであろうか。九人揃ったは良いものの、不穏な空気がこれでもかと辺りを包み込んでいる。

 

 こんな空気の中で、

 

「これからが大変ですね」

 

 と、希はいつもの微笑といつもの癖を披露するのであった。

 



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その④

 さてさて、ついに九人が揃ったわけである。が、前述した通りとても円満な様子とは見受けられない。人間関係がどうもよろしくないのである。所々でそれとなくにらみ合いと言うか、醜い感情の押し付けと言うかそんなものが発生していた。

 

 ここで誰がどうとかは、もう記述しない。昼ドラのように無駄に複雑な関係になっているし、今後とも当たり前のように微妙な仲を見せつけてくれるので、敢えてまとめる必要もないだろう。一つ言えるのは、全部希が原因だという事だ。

 

「それでは、皆様の意見をお伺いしましょう」

 

 己が周囲の空気を乱している事など気にも留めず(多分この程度は孔明時代だと日常茶飯事か、それよりも生温いので問題じゃない)、話の進行役を粛々と行っていた。

 何の話なのかと言うと、グループの名前決めである。にこが加入した日には意見が出て来ず、後日腰を据えて決めようじゃないかという事で、今日がその後日なのであった。

 

 部室にて、定位置の席に着いた穂乃果達は、希に促されると各々が良しとする名前を次々と挙げていく。その挙げられた名前を花陽が筆記していくわけだった。

 

 例えば、

 

「ラブリーにこちゃんとその仲間達」

 

 と、誰が考えたのか考えるまでもないこの名前。名前の意味を捉えると間違ってはいないのだが、如何せん特定人物以外に対する配慮が足りない。

 

「馬鹿じゃないの?」

 

「ぬあんですって!?」

 

「真姫ちゃん、先輩だよ」

 

 こんなやり取りがあった後、無事、没になった。

 また、

 

「賢い可愛い音ノ木ガールズ」

 

 という名前も出た。

 これもまた分かりやすい名前である。変に凝っていなくて、今時の御年輩のおじい様、おばあ様にも分かりやすいハラショーな名前だ。これは候補に挙げても良いのではないか、となりたいところだったが、残念なお知らせがある。

 

 この名前には詐称疑惑が浮上して来るので使えないのだ。どこがそれに値するのか。

 ガールズの所は論ずる事もなく問題無い。精神的な話になると希は引っ掛かるのだが、一応見た目はガールである。ボーイには見えない。

 

 可愛いの所も人の好みがあるだろうけど、客観的に判断して九人とも可愛い(希と花陽は基本裏方なので、二人に関してはどうでも良いけど、可愛いに越したことはない)のでクリア。一部は可愛いより綺麗に属するのだけれども、こういう場合の可愛いと綺麗は異音同義語なので、気にする事はないのだった。

 

 そう、問題は賢いの所なのである。

 

「いや~、今日もパンが美味い!」

 

「私がポンコツなんて、認められないわ!」

 

「にゃんにゃんにゃ~ん」

 

「にっこにっこに~、あ(以下略)」

 

 この中には、学力だと全国的に見てもトップクラスが一人混じっているが、お勉強が出来るのと賢いのは近い様で遠い様な、そんな奇妙な違いがあるのである。よって、彼女もまた賢くない部類に入ってしまうのだった(稀に賢いけど)。

 

 よって、これも、没。

 

 以降、様々な意見が次から次へと出たわけだが、どれもこれも取る必要は特に感じないけど揚げ足を取られるようなものばかりで、中々、これというものが出て来ない。

 そうして、次第に最初の意気揚々さが無くなって来た時の事、満を持して彼女が口を開いた。

 

「とうとう私の出番がやって来たようですね。今か今かと待ちわびて、ついに真打登場ですよ。拍手喝采で迎えて下さい」

 

 グループの歌詞担当(まだ一曲も書いてない)、園田海未氏だ。

 中学時代にポエムを嗜んでいた彼女は(実は高校に入ってからも思い出したかのように時たまやってる)、この手の作業は得意中の得意。弓より得意、と言うのは言い過ぎか。ともかく、他の者達と次元の違いを見せてくれるだろう。

 

(あ~、こういう時の海未ちゃんは碌でもないんだよなぁ。ことりも、あの穂乃果ちゃんでさえもどれだけ苦労させられたか。まともだった試しが一回もないよ。今日はどんな頓珍漢な事を言い出すのかなぁ~)

 

 笑顔の裏でそんな事を思っている幼馴染を置いておき、海未は出来るだけ低い声を作って言った。

 

「音ノ木坂九勇士、と言うのは如何でしょう」

 

 どこかで聞いたような響きである。

 

(そう言えば海未ちゃん、最近真田〇にハマってたんだっけ? もう、直ぐに影響されちゃうんだから。しかもあれは、九じゃなくて十だし。ほんと海未ちゃんたら、かーわい)

 

 ことりの海未を見る目が怪しく光った。

 そんなことりの反応とは別にして、海未渾身の一発にぶー垂れたのは穂乃果である。

 

「えーっ! 海未ちゃん、何それ? 全然可愛くないよ~。アイドルなんだからさ、もっとあるでしょ、可愛いやつ。これなら矢澤先輩の方がマシだよ」

 

 と、そこまで言わなくても良さそうなぐらいに否定の言葉を浴びせる。言われてしまった海未は滂沱の涙を流して嘆き悲しんでも問題無いレベル。もう、悲しむのも通り越して殺意すら抱いた所で誰が文句を付けようか。それ程だった。

 

 しかし、海未は動じない。分かってますよ、と行き過ぎなぐらいに爽やかな、爽やか過ぎて逆に濁ってるようなそんな笑みを浮かべる。どうやら穂乃果の反応は予想通りだったらしい。流石に希が現れるまで手綱を握っていただけはあると言うもの。

 

 代わりに、

 

「ちょっと、高坂どういう意味? 私の方がマシって何よ!? マシって!」

 

 矢澤先輩ことにこがお怒りだった。最近怒ってばかりだけど、お肌に悪いから控えといた方が良いと思うが(まあ、面子が面子だから仕方ないけど)。

 穂乃果はすっとぼけたように「ふぇっ?」と、声を出して、そのままスルー。極めて可愛らしい反応で、これは選ばれた人間にしか許されないものである。穂乃果はその一人として、後の面子で言えばことりと花陽だろうか。

 

 この穂乃果の態度にグッとにこは喉を鳴らす。不発に終わった怒りは今後、にこのストレスとして身体に溜まっていくだろう。不発弾が爆発するのは一体何時になる事やら。

 

「まあまあ、さっきのはほんのお遊びですよ。ここからが本番です」

 

 初めから本番でやれ、というツッコミは誰からもなかった。

 

「音ノ木坂九歌仙、どうです? ビビッと痺れて来ませんか?」

 

 シーンと場の空気が白けた感じになる。自信満々な所大変申し訳ないのだが、不評と評する事すらおこがましい程であった。穂乃果、絵里、真姫、にこ、さらにあのことりに至っても、雀の涙ぐらいの期待を裏切られたとでも言いたいのか半目で海未を見つめる。

 

 凛は会話に入っているのかいないか、大口開けての欠伸をしながら頬を掻いている。

 花陽も書き記す価値すら感じていないのか腕が全く動いてない。

 確かに、アイドルは歌を歌うのだから強ち間違ってもいないだろう。「歌」も「詩」も同じ「うた」なのだから。

 

 だがこの場にあってただ一人、希だけはほんのりと感銘を受けていた。

 

「日頃から詩に親しんでいるとあって、なるほどの一答。私は一票を投じたいところですが……」

 

 その後の言葉は続かない。だって、希以外は票を投じる可能性が零なので迂闊な事は言えないのである。いくら希でも、ここから採用に導くような悪魔的発想は持ち合わせていないのであった。

 

 だいたいにして、希の感銘を受けた時点で没になるのは決定事項である。羽扇を一回振るうだけで兵士を数万単位で虐殺する様な鬼畜軍師が賛同するものに、一般の女子高生が嬉々として飛びつく事はあり得ないのであった。

 

「だったら、エネアドはどうですか!?」

 

 散々に否定された海未がキレ気味に言った。

 因みにエネアドとはエジプト神話における主要な神々を指して言う言葉だ。アトゥムとかイシスとかまあ、そんな感じの神々の事である。

 

 急に方針転換したのか、今度は神話系で攻めるようだ。詩をやってるだけあって、無駄な知識も豊富に持ち合わせているのだった。

 

「もう一声、欲しいです」

 

 ボソボソと言葉を零したのは花陽だった。言葉から漂って来る、そろそろ疲れたし、それなりのやつで良いや。でも、もうちょっと良いの無いかなあ、という心の声。多分、他の皆も同じ事を思っているだろう。図らずしも、花陽は一同を代弁したわけである。

 

 これで多少なりとも手ごたえを感じたのであろうか、再び得意気になった海未が言うのだった。

 

「ならばこれです! μ's(ミューズと読むらしい)!!」

 

 今までの中で最高の気迫があった。

 

 これは、同じく神話の神々を指した言葉だ。エネアドはエジプトだったが、こちらはギリシャの女神達を指している。文芸を司る神々らしいけど詳しい事は知らない。ただ言うなら、今までで一番マシ、どころか、今までがどうしたんだと言いたくなるぐらいに評価が一転する様な名前だった。

 

「へ~、良いんじゃないですか? 私は結構好きよ」

 

 最初に賛同したのは真姫である。さっさと話を終わらせたいという気持ちを抜きにして、純粋に一票を投じれそうな名前なのだ。相変わらずの下手くそな敬語と髪の毛弄りをしながら、真姫はそれで良い、それが良い、と強く推した。すると我も我もと、貴女を信じていたよとばかりに拍手が巻き起こる。

 

 決して、彼女達の掌がドリルで出来ていて、ぐるんぐるんと掌返しが行われたわけではない。μ'sという名前にはそれだけ彼女達の中に来るものがあったのである。

 

 とある並行宇宙においても、彼女達はμ'sを名乗っており、仕舞いには伝説を打ちたててしまっていた。本家の神々を差し置いて、彼女達こそがμ'sと言わんばかりの伝説、最早神話なのであり、彼女達とμ'sという名前は切っても切れない縁があるのだった。

 

 そういう事もあってか、いや、それが影響しているのかはさておき、この世界においても彼女達はμ'sを名乗る事と相成った。

 

「よ~し、これから穂乃果達はμ'sだ!」

 

 全員賛同(正直希は九歌仙の方が好きだった)を得られたので、穂乃果がスタンディング、何とも良い笑顔を浮かべながら拳を天に突き上げる。これから、彼女達の長い戦いが始まるのであった。

 

 何だかこのまま話が終わりそうな展開だが、まだ物語的には序盤も序盤、否さ始まってすらいないと言っても過言ではないので、無論の事、これからも続いていくのであしからず。

 



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その⑤

 翌日、穂乃果軍団の初お披露目が、音ノ木坂学院の講堂で行われようとしていた。この新入生歓迎会が翌日に控えていたから、前日の名前決めで妥協しようという空気が生まれていたのである。奇跡的に素晴らしい名前が海未の口から飛び出して来たから良いものの、下手をすれば、とんでもない名前になっていたのかもしれなかった。

 

 もしかすれば、そんなとんでもない名前を名乗っている穂乃果達がこことは別の世界に居るのかもしれないが、その世界の彼女達は廃校と言う名の巨大な敵の前で木端微塵となってそよ風に流され、欠片も痕跡を残すことなく消し飛んでいる事は、想像するに容易い。

 

 名前一つとっても危うい所に居るから、油断も出来ないし隙も見せれないのである。

 

「それではアイドル研究部の皆さん、壇上へお願いします」

 

 現生徒会長の声に導かれて、裏手の方で準備をしていた九人は壇上に姿を現した。新入生歓迎会なのに、歓迎する側に歓迎される側が三人も居るのはおかしな光景で、真姫、凛、花陽が壇上に姿を現した時は、同級生たちが目を見開いていた。途中で居なくなったと思ったらこんな所に。連れションではない事が判明した。

 

 九人は壇上に横一列で並ぶ。さっきまでソフトボール部がこの場に立っていた、という情報は特に必要ない情報である。

 

 壇上の中央に立った穂乃果が、横並びの中から一歩前へ出て、檀下でフレッシュに瞳を輝かせる新一年生達を見回す。

 その行為を幾度も繰り返していると、期待に胸を膨らませて少しざわついていた若き一年生達は徐に口を閉ざし、沈黙を作って穂乃果に注視した。

 

 話をする場に置いて、沈黙が武器になる事を知っている。わけじゃないのは当然の話で、仮に知っていたとしても希の入れ知恵を疑わざるを得ない。

 ただ、希も希で文を書くのは上手でも話はそこまで上手くないから、もしかしたら海未とか絵里の教えかもしれないが、仮の話なので今、この場においては関係ない話である。

 

 シーンと言う音が聞こえて来るぐらいに静かな空間で、穂乃果の息を吸って吐く音が響き渡る。生徒会長に手渡されていたマイクのスイッチが入りっぱなしだった。

 そしてもう一回大きく息を吸って、

 

「私は、私達は」

 

 せーの!

 

『音ノ木坂学院のスクールアイドル、μ'sです!!』

 

 ピタリと、決まった。

 思えば九人揃って初めてやった練習が、この名乗りを合わせる事(名前決めてからずっとこれだけやってた)であった。最初に躓いてしまえば、後はそこから転び続ける可能性もあったわけで、一先ずの成功を見て感慨もひとしお。数人のメンバーは安堵を息に変えて吐き出す。

 

 瞬間、穂乃果の目からドバドバっと熱い液体が飛び出した。

 

「ええっ!?」

 

 壇下の一年生の誰かが、思わずと言った調子で声を上げた。

 然もあらん事で、名前を言っただけでいきなり泣き出すなど誰が想像出来ようか。だけども誰一人として不快な感情は抱いておらず、理事長を含めた諸先生方も、この穂乃果の情熱が迸った美しい涙に目と心を奪われていた。

 

 一年生達はもう既に穂乃果に取り込まれたと言っても過言ではない。熱いものが胸の内から溢れ出ようとしているのを、誰しもが感じていた。

 

 穂乃果以外のメンバー達も、穂乃果の涙には込み上げて来るものがあり、目頭をグッと抑えるのであった(希はこういう時三国志の人間らしく一々オーバーなので、涙が滔々と頬を伝っていた)。

 

 穂乃果の嗚咽がマイクを通る度に、一同ジーンと心を揺さぶり見入る。

 

「……陛下」

 

 希の視界では、穂乃果の姿が劉備の残像と重なっている。この催眠術か洗脳のように人の心に感激を与える様は、まさに劉備を彷彿とさせていた。彼の志の高さ、仁義に則った姿に何度も魅せられた日々を思い出す。

 

 やはり、穂乃果を今世の主君に選んだ自分の見る目に偽りはない。希は確信を抱くのであった(なお、希(孔明)の人を見る目は、時々曇り曇って取り返しのつかない過ちを起こしたりもしているので、あまり信用は出来ない)。

 

「ここまで来るのに苦労しました」

 

 場の雰囲気に酔った海未の一言。客観的にこれまでを判断すると、さほど大した苦労はしていない気がするのだが、多分気のせいだろう。彼女達は血のにじむような努力を重ねてこの場に立っているのである。

 

 隣で聞いていたことりが大きく頷いた。

 

「海未ちゃん……、うん、これまで大変だったよね」

 

 ことりの脳裏では、これまでの苦労が鮮明に映像化していた。

 極寒の地で行われたロシア人の血を引く鋼鉄な女との壮絶な戦い、天候を操作し、言葉一つで相手を死に追いやる悪魔の軍師との血で血を洗う激闘、その他の強敵達とのバトル、それらを制して迎えた今日の何と清々しい事だろうか。

 

 強敵達も今や同じ旗印を仰ぐ戦友であり、これからは一致団結し、さらなる敵との戦いに臨まなくてはならない。ことりは、夢で見たお話を然も現実にあった出来事かのように振り返り握った拳に力を込めた。ことりもどうやら酔っているらしかった。もしくは寝ぼけているのか、ただただボケているのかもしれない。

 

「ハラショー」

 

 絵里は穂乃果の嗚咽の度にハラショーと言う機械と化していた。最近絵里はハラショーとしか言っていないので、元々そういう機械なのかもしれない。

 

「イミワカンナイ」

 

 真姫は感激に打ち震える自身の胸に疑問を覚えながらも、その謎の心地の良さにうっとりと浸っており、

 

「高坂先輩っ」

 

「何なのよ、もうっ」

 

「感動ですっ」

 

 昨日、今日、穂乃果軍団に加入を果たした上に、穂乃果とさして接点のない凛、にこ、花陽もゆっさゆっさと心の揺さぶりが止まらない。

 

 感動の渦が収まらない講堂で、その渦の発生源である穂乃果は泣くだけ泣いたのだろう、俯いた顔を上げて、キリリと表情を引き締めると、

 

「皆、音ノ木坂は好きか!?」

 

 空間が震えるような声量で言った。

 穂乃果に魅せられている一年生達は無意識の内に、

 

「好き!」

 

「大好き!」

 

「愛してる!」

 

 と、思い思いの言葉を発した。

 穂乃果は全身をぶるぶる振るわせて溜を作ると、一気に両手をガバッと横に広げた。

 

「音ノ木坂は私達が守る!!」

 

 一瞬何の事かと思ったが、理事長により既に音ノ木坂学院が廃校となる事は知らされている。理解した一年生達は、

 

「うおおおおお!!」

 

 と、女子とはとても思われないような声を張り上げた。獰猛な獣達の唸り声にも似た勇ましい叫びは、腹の底から喉を通って口を飛び出して来る。今は男だとか女だとか関係ない、抑え切れない衝動を爆発させろ、と声を轟かせる。

 

 そうして自然的に、μ'sコールが発生するのであった。

 

「μ's! μ's! おおおおおお!!」

 

 このμ'sコールで穂乃果は燃え上がった。元から高いテンションがさらに振り切れ、野原の如く壇上を走り回る。どたどたどたどた、走って、回って、暴れ尽くす。そしてそれを止めもせずにやんややんやと囃し立てるメンバーと先生達。集団意識の暴走と恐怖、ここに極まれり。講堂は無法地帯と化している。

 

「我が君、天下が見えて来ましたな!」

 

 天下の英傑と雖も希だって一人の人間、場の空気に毒され血迷った事を真面目に言い出した(普段から言ってる?)。普段だったら何を言ってるんだ、となってしまうが、今だったらどんな事を言っても良いのである。

 

 希の声を聞き取った穂乃果は、

 

「天下を獲るぞ!!」

 

 と、勢い任せに宣言。そんな宣言に対し、

 

「おおおおおおおお!!」

 

 返って来たのはこの喊声である。

 一体ここはどこで、今は何時代なのであろうか。女子校にあるまじき目を疑いたくなるような光景がそこにはあった。武士が跳梁跋扈している時代であれば、日本の歴史は大きく変わったかもしれない。史上初の女性征夷大将軍にして高坂幕府の爆誕か?

 

 鳴り止まない喊声は何時までも何時までも講堂を埋め尽くし、老いも若きも関係なく人々の心を一つにしていく。これがμ's伝説の幕開けとなるのであった。

 

 



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嵐の前の小雨
その①


 新入生歓迎会でμ'sが(と言うか穂乃果が)盛大に暴れ回って数日が経った。今やアイドル研究部の面々は音ノ木坂の英雄達として、まだ何かやったわけでもないのに(ある意味でやらかしはしたが)、妙な敬意を先生と一年生等に抱かれている。廊下で出会って挨拶をすれば、

 

「きゃあ、今お声をお掛けして頂きましたわ」

 

「ああ、何時見ても麗しい限りですわ。わたくし、先ほどから胸が高鳴って止まりませんの」

 

「わたくしは夜な夜な考えるだけで、もう眠れませんのよ」

 

 とか、本人達が聞こえるような黄色い声が飛び交う。ついこの間、講堂で鬨の声を挙げていた者達と同じとは思えないが、これが女の二面性である。違うか?

 穂乃果達はちょっと気持ち良くなってお鼻がぐんぐん伸びそうにはなっていたが、勝って兜の緒を締めよの言葉通り驕る事なく、一層邁進、切磋琢磨し初ライブ(何時になるか分からない)に向けての力を養っていた。

 

 そんなある日、希は学校も練習も休みとあって、海未の下を訪れていた。単純に遊びに来た、と言うわけでなく、彼女なりの考えがあっての事である。つまり、三国志的な陰謀とか謀略とか調略とかそっち方面の匂いをぷんぷんと発しての訪問であった。

 

(少々面倒な事になりました。まさか、にこがあんな悪知恵を働かせるとは。放っておいても良さそうですが、念を入れて盤石の態勢を整えておくべきでしょう。そういうわけで何時までも園田殿と距離を作っておくわけにはいきません。ここは一つ、腹を割ってお互いの本心を語り合い、親密な関係を作っておかなくてはなりませんね)

 

 これだけでは何があったのかがいまいち理解出来ない。説明させてもらうと、昨日か一昨日だったか、μ'sのリーダー決めが行われた。リーダー自体は特に話し合いをするでもなく穂乃果に決定し、反対意見も出ずに円満に終えたのである。

 

 だがしかし、その決まり方が問題だったのだ。

 

「アイドル研究部部長の名において、μ'sのリーダーは高坂穂乃果を任命するわ。謹んで拝領しなさい」

 

 と、にこが無駄に威厳たっぷりな様子で言ったのだが、わざわざアイドル研究部部長の名前を出して任命という単語を出した事が希にとって問題なのである。

 これは明確な希への牽制だった。

 

 にこは、グループ内での序列を生み出したのである。アイドル研究部部長がμ'sのリーダーを任命する、任命権を持つ事を周囲に認識させ、部長はリーダーよりも上の存在なのだと言っているのだった。即ち、穂乃果よりにこの方が上の立場なのだと宣言したのだ。

 

 そして希は穂乃果の臣下なので、当然、希よりもにこの方が上。にこにとって希は、臣下の臣下であり、陪臣なのである。例えるならば、織田信長(にこ)から見た、羽柴秀吉(穂乃果)に仕える竹中半兵衛(希)なのだ。厳密には違うけど、似たようなもん。

 

「何かするのだったら、高坂だけじゃなくて私の許可も取りなさい」

 

 と、にこは希に言っているのだ。

 待て待て考え過ぎじゃないか、とか、普通の女子高生がこんな事を考えるのか、なんて疑問が浮かぶが、まあ実際にそういう事になっているのである。にこは希を完全に警戒しているので、こういう手段に出ても不思議ではない。

 

 グループ内では確実にお馬鹿枠に入るにこらしくはない、しかし一周回ってにこらしさがある陰湿な策なのであった。

 

 これが希以外の人間だったらにこの意図を読み取れず不発に終わっていたのだろうが、なまじっか謀略方面に特化している希だから考えなければ良かったのに考えたりして気付いてしまったのであった。親友だろうと疑ってかかる最悪の人種だとか思ってはいけない。

 

「にこにしては考えましたね」

 

 と、希はナチュラルに上から目線で強がっていたわけだが、よくよく考えてみればこれは大変な事かもしれないのだった。

 何故なら、希とにこがやり合う事になった際、確実に希の味方をしてくれそうなのが一人しか居ないのだ。

 

 それは希大好き人間の真姫である。彼女なら無条件にどんな状況であろうともピュアな幼女の如く希の味方をするだろう。けれども、他はそうもいかない。

 主君である穂乃果と親友の絵里は、

 

「希ちゃん、矢澤先輩、喧嘩は駄目!」

 

「貴女達どうしちゃったのよ。少し落ち着きなさい」

 

 と、仲介、あるいは中立の立場を表明するに違いない。

 花陽は反希でにこと急接近、花陽がにこ側な事から凛も付き従うであろうし、ここでにこりんぱなという強力な派閥が誕生している。

 

 この時点で二対三と希が不利、しかも立場は向こうが上(アイドル研究部部長にそこまでの事実上の権力があるかどうかは不明)、必然的に海未とことりを取り込み、自身の勢力を拡大する必要があった。故に、今日の訪問なのである。

 

 海未を選んだのは、単純に穂乃果の事を抜かせば気が合いそうなのと、ことりよりは誑かしやすそうからだ。凡人から見たら、上杉謙信級の義の精神と、ねちねちとした女の嫉妬心、独占欲を内心に兼ね備えた超面倒くさい人だが、能力的にも精神心的にも異常を数倍した様な希にしてみれば、操りやすい事この上ないのであった。

 

 寧ろ穂乃果みたいな純粋な人間や、ことりみたいに専守防衛して表に積極的に出ない人の方が操りがたかった。現実に、孔明時代では劉備を御しきれたかと言えばそうでもなかったし、逆に御されていた感がある。晩年のライバルであった司馬懿にも太刀打ち出来ず辛酸を舐めさせられた上に、結局勝てなかった。

 

 上杉謙信も劉備も同じ義の人間であるから、片っぽが操りやすくて片っぽが操りにくいとはどういう意味というツッコミがありそうだから、ちょっと語らせてもらおう。

 持論だが、劉備の義は世界全体、社会全体に対する義である。それは自分に付き従う領民、家臣だけではなく、他国の領民、他国の将、全く知らない他人を含めた義なのであり、だからこそ義の母体が大きすぎて、非常にやりづらいのである。

 

 謙信の義は、思うに権威と神様に対する義なので、極論すると他国の民や武士がどうなった所で知った事じゃないし(一応パフォーマンスとして怒るけど)、当たり前だが自分に付き従ってくれてる武士にも恩恵はない。自分に盾突くのは、将軍と天皇に対する背信行為であり、正義の名の下に征伐しなくてはいけないという、狂信者じみた義なのだ。帝国陸軍の狂信者と精神性を同じとしているのかもしれない。日本と将軍家に永遠の栄あれ、天皇陛下、将軍殿下、万歳!

 

 ある意味では小学生を相手にしてるみたいで非常に分かりやすいので、だからこそ信玄や氏康をしてやり方次第では操りやすいと言わしめたのだ(いざとなったら謙信を頼れとはそういう意味だと思われる)。後年、氏政や勝頼は言いつけ通りに操れなかったけど、かの織田信長はちびっこギャングを相手にするかの如く上手く操っていた。最後は自ら地雷を踏み抜いてマジギレさせたけど、恐らく用済みになったのだろう。それで痛い目に遭わされているのだから、信長も中々詰めが甘いうっかりな男である。

 

 実態はこういうものであり、同時代人にしてみれば小さい子供みたいな人だけど、これが我々のように実像を知らない人間からすると、日夜正義の為に東奔西走する軍神として見えてしまうのが、歴史のというか、人の不思議な所なのかもしれない。

 

 話を海未に戻す。

 そういう理由(操りやすい)があって海未に接近しようとする希だが、それだけではないだろう。何だかんだで希と海未は気が合うのであり、今までも互いの意見にはそれとなく賛成する事が多かった。だからことりより海未なのだろうし、海未を取り込めば、ことりとて最悪中立寄りの希派になるという判断だ。そうなれば十分にこと戦えるのである(戦う必要があるのか?)。

 

「お待ちしておりました、こちらへどうぞ」

 

 希の訪問を待っていたと思われる海未が、自室へと案内する。事前にアポイントメントは済ませてあったからなのだが、希はこういう所抜け目がない。

 

「園田殿と二人きりで顔を合わせた事はありませんでしたね。今日は存分に語り合いたいと思っていますので、どうか存分にお付き合いして頂きたい」

 

 海未自ら淹れてくれたお茶で喉を潤しながら、希は言った。美味しかったから、取りあえず一杯目は飲み干した。

 

「なるほど、私も東條先輩とは水入らずの話をしたいと考えていた所でした。そちらこそ、半端な所で済むなどとは思わない事です」

 

 と、希の椀にお茶を足しながら、戦場にでも居るかのような気迫の表情を海未は作る。それこそ途中で帰ると言い出したら、足を斬り落としてでも帰さないという強く野蛮な意思が見え隠れしていた。

 

「園田殿は、我が君と幼馴染という話ですが」

 

 話を切り出したのは希からだった。

 

「よくぞ訊いてくれました。そうです、私と穂乃果は幼い頃から一心同体、何人たりともその領域を犯すことはままなりませんよ」

 

 と、海未が希に対してマウントを取りながら話し始めた。自分と穂乃果はそれはもう友情と愛情とその他諸々の関係でがっちりと結ばれているので、貴女の入る余地はありませんよ、と言っているのだろう。

 

 その割には穂乃果の制御を希に任せているが、何とも好感を持てる性格をしている。大変な役目は他人に任せて、自分は美味しい蜜だけを吸っていようというのだ。人類の大多数はこういう人間で占められているのであり、これこそが人間らしいというもの。もう共感が持てて自己投影しちゃう事間違いなしである。

 

「それは羨ましい事です。我が君は私に対して無垢な信頼を寄せてくれていますが、園田殿や南殿には遠く及びません。私が否と言っても、園田殿や南殿が応と言えば、我が君は迷う事無く応と答えるでしょう。私もこれから精進して、お二方に少しでも追いつけるように努力していく所存です」

 

 希はわざとらしさ全開で海未とついでにこの場に居ないことりを上げる。この前もこういう事がありましてな、と穂乃果が如何に海未やことりの事を自分より信頼しているのかを事細かにじっくりねっとりと伝えて、

 

「園田殿、至らぬ非才の私ですが、是非にご指導ご鞭撻のほどお願いします」

 

 もう貴女だけが頼りなのです、と縋るように(勿論演技)腰を低くし見上げながら言った。

 

 低姿勢でおだてられ、頼りにしてます、助けて下さいと言われれば誰だって悪い気にはならない。況や謙信みたいな海未だから、殊更気分が良くなって、仕舞いには必要もない見栄を張って、

 

「お顔をお上げ下さい、東條先輩。私が教えられる事があるのであれば」

 

「おお、聞き届けて頂けますか。感謝の極み。これからはどうか、私の事は希と呼び捨ててくれるように願います」

 

「そんな……では間を取って、希先輩と呼ばせて頂きます」

 

 と、海未は上機嫌、デレデレとしながら自分で淹れたお茶を飲む。さらに気分が高まって来たのか、

 

「希先輩は、私の事を海未と呼んで下さい」

 

 と、こちらも名前呼びを許可した。自分と親密な関係であるのを認めた事に相違ない。海未の希を見る目が、穂乃果の妹やことりの母親を見るような目に変わっている。絵里もこの位置に居て、他のメンバーが少し下ぐらいなので大出世であった。

 

「ああ、海未殿。これからもどうかどうかよろしくお願い致します」

 

 低姿勢なのを崩さずにすかさず希は頭を下げた。下げた頭の中は、

 

(ふふふ、これで園田殿、基、海未殿は我が手中に。時期に南殿も取り込めるでしょう。雲長殿や翼徳殿もこれぐらい単純であれば苦労はしなかったのですが。まあ、昔の話はいいでしょう。にこ、こちらこそ貴女の好きにはさせませんよ、覚悟を決めておくといいでしょう)

 

 と、希の人としての人格を疑いたくなるような言葉が並んでいた。

 これを一切表に出さずに、

 

「海未殿、早速ですが、お訊ねしたいことが」

 

 と、海未に言われる前に頭を上げて世間話を始めた。

 それから一時間ばっかり、上機嫌な海未の得意気な自慢話に適当な相槌を打ってから、昼ご飯もご馳走になって(海未の母親の手作り)、希は家へと帰るのであった。

 



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その②

 ここ数日、アイドル研究部の空気は最悪である。汚染物質が我が物顔で空気中に蔓延して、呼吸をするのも一苦労な有様、と比喩しても当事者にとっては言い過ぎではなく妥当な表現なぐらいには最悪であった。原因は調べる前に解明している。

 

 事あるごとに、希とにこが対立しているのであった。希の提案に対しにこが難癖をつけて、毎度毎度の話し合いでそんな事をするものだから、もうたまったもんじゃない(某ゲームの帝国陸軍と帝国海軍の関係に酷似)。いや、それだけならにこが体よくあしらわれて終わるのだが、にこは強力な味方を付けていた。

 

 話し合いは元よりスクールアイドルに関しての話だが、希の意見に対し、にこの参謀役となっている花陽が猛然と反論、伝説の軍師を相手に一歩も引かぬ戦いぶりを示していたのだ。

 

 これに勢いを得るにこで、凛も加えて一気に希を押し込めようとするのだが、ここで希の援軍として現れるのが海未と真姫だった。態勢を立て直した希は、戦況を五分にまで押し戻し、両者一進一退の激闘を毎度のように繰り広げるのである。話し合いが全部討論会であり、如何にして相手を打ち負かすかに苦心しており、本来の目的を完全に見失っている。一進一退と言いつつも敢えて白黒つけるなら、やはりと言うべきか今の所は希が優勢であり、臥竜の面目躍如という所だ。

 

 そんな醜い争いに巻き込まれたくないと、いつも遠巻きに眺めている絵里は、

 

「もう、希もにこも皆も子供なんだから」

 

 仕方ない子達ね、お姉さん困っちゃうわ、と大人の女性ぶってチョコレートを舐め舐めしているのであった。

 

 が、そんな風に強がってはいても限界が来るのは早いもので、部活での対立を昼食の時間とか別の時間に持ち込んで来るから、絵里はもう辛抱堪らん、と急遽緊急会議を開催。

 メンバーには絵里と立ち位置を同じくする穂乃果とことりを呼んだ。

 

「これは大問題よ」

 

 絵里が深刻そうに言うと、穂乃果は、

 

「そうですよね。希ちゃんと矢澤先輩、わたし達の事を忘れてあんな楽しそうにやっちゃってさ。海未ちゃんに真姫ちゃん、花陽ちゃんに凛ちゃんも、酷いよ、皆してわたし達を仲間外れにして」

 

 と、頬をぷっくり膨らましてぷんすかぷんと唸っている。彼女の幼童の如く純粋に輝く瞳から見れば、希とにこがじゃれついて遊んでいる様にしか見えないようだった。それに海未達も混ぜてもらっており、何で自分達だけ混ぜてもらえないのか、とお怒りなのであった。

 

「はは、穂乃果ったら」

 

 絵里が温かい眼差しで穂乃果を見つめた。

 どうやら場を和ますための冗談か何かだと受け取ったようだが、これが本心であることをことりには分かっている。ことりは穂乃果の頭を撫でり撫でりしてから、その思考を希と海未の関係へと飛ばした。

 

(二人とも急に仲良くなってて驚いたよ。互いに名前で呼び合ってるし。それに東條先輩は穂乃果ちゃんとも仲が良いから、ことりだけ疎外感を覚えちゃうな~)

 

 そこでふと、こんな事を思った。

 

(待てよ、海未ちゃんと東條先輩にはこれからも二人で良きにはからってもらって、ことりは穂乃果ちゃんとチュンチュンするっていうのはどうかな? これぞ国家百年の大計にも劣らない神懸った作戦だね。名付けて『にこ共食の計(誤字に非ず)』! 海未ちゃんと東條先輩が矢澤先輩(餌)を仲良く食べている間に、ことりは……うふふ、穂乃果ちゃんを独り占め)

 

 ここまで考えてから、

 

(でも、そうなると東條先輩は黙っていないだろうなぁ。海未ちゃんだって何か言って来そうだし、ここは下手な博打をしない方が吉かな。身の振り方を失敗しちゃうと痛い事になるもんね。ことり、痛いのは嫌いだもん。素直に海未ちゃん達の方に行こうかな)

 

 考えが纏まったらしい。

 ことりの頭の中には、にこ側に付くという選択肢は、そもそも存在すらしていないらしい。そんな事をすれば親友の海未を敵に回す羽目になるし、大体、にこが希に勝つなど天地がひっくり返ってもあり得ない。現在は花陽が奮闘しているが何時まで続く事やら。負けると分かってる側に付くのは勇気ある行いだが、長い物には素直に巻かれるのもまた勇気ある行いなのである。

 

 ことりは常にそうやって生きてきた。穂乃果や海未と一緒に居るのだって、最初は打算的な所がそれなりに含まれているのだ。今はそういう次元を超越した関係となっているものの、ことりは元来そういう人間である。

 

 一歩を引いた所に立って全体を俯瞰しより良い選択肢を取る。そう言えば聞こえは良くなるのだが、もっと別の言い方をすると弱きを挫き、強きに従うという事になる。周りを観察し誰が強いのかを見極め、それに従う事で自分の身を守るのだ。

 

 海未とは別ベクトルで、人類に多くいるタイプの人種だ。

 

 この行いを卑怯と言うのは、大きな間違いである。あの織田信長だって、一時期は武田信玄や上杉謙信に卑屈過ぎるほど頭を下げていたし、皆が大好きな真田幸村(信繁)の父親である真田昌幸に至っては、上杉景勝、豊臣秀吉、徳川家康と色んな長い物にぐるぐる巻かれ続けていたのであり、にもかかわらず戦国の名将ベスト十位にランクインする様な評価のされっぷりで、戦国知将ランキングをするなら、毛利元就辺りとワンツーを競うほど。

 

 この毛利元就もやはり長い物に巻かれる事幾年の経験者だ。

 

 日本を代表する英雄達でさえこれなのだった。

 そもそもからして、武士という存在自体がその傾向にある。彼らは強きに従い力を蓄えて、その強きが弱きとなるや、別の強きに巻かれに行ったり、あるいは研いでいた牙を向けたりする事など珍しくもなく、日常茶飯事なのであった。

 

 この事から、ことりは卑怯者とか小悪党なのではなく、非常に聡明で先を見る事に長けている、真に武士の適性を持った高校二年生と評しても問題無いのである。彼女なら突然戦国時代へと転生を果たしても上手くやるだろうし、何なら、蛮族と名高い鎌倉武士とさえそれなりにやれる事と思う。

 

 ことりは早速、自身の身の安全の為に動き出した。

 

「穂乃果ちゃん、だったら、東條先輩達に言いに行こう。ことり達も混ぜてって」

 

 こんな所で不貞腐れても何も変わらないよ、と遠回しに絵里にも発破をかけているようだった。穂乃果はそうだよね、と飛び跳ねて希の下に行こうとし、絵里も本人と話をした方が早そうだとことりの意見に従う意思を見せる。

 

 ここでことりが、にこではなく希の名前を出したのがミソだ。希に対して混ぜて(貴女の陣営に)と言う事で、自分達の立場を表明する事になる。

 

 ことりは考えたのだった。どうせ最終的には希が勝つのだろうし、ここは後の勝者である希に自分を売り込んでおこう。そうやってから自分の地位を確立するのと一緒に、さっさと両者の争いに終止符を打って、いい加減スクールアイドル活動に専念しなくては、と。

 

 何よりも、衣装係として(有名無実化しているように見えるが、きちんとやってる)、皆に自分の作った可愛い衣装を着せたい。地位云々よりもこっちが本音かもしれない。

 

 花陽やにこがアイドルに関してうるさい様に、ことりも衣服に関しては一過言を持つ。

 

「わたしも……穂乃果も皆と仲良くしたい! 仲間外れなんて嫌だよ! よ~し、希ちゃんに直談判だ!」

 

「あの子達ったら世話がやけるんだから。喧嘩するほど仲が良いってよく耳にすることわざだけれども、でも喧嘩するより普通に仲良くやってた方が良いものね。お昼ご飯の時ぐらい楽しくやればいいのに、ほんと、希とにこ二人揃って意地張っちゃって」

 

 ほのかと絵里はことりの意図に全く気付かず、しかしながら意図通りの反応だった。そして恐るべきなのは、この展開が希の意図している事態であった事だろうか。希の推測通り、ことりは早々と希派になってしまったのである。

 

 数十分後、穂乃果達は思いの内を希に話していた。ことりの姿を見た時から策に外れなしと思い、ついでに穂乃果と絵里の姿を見て止まらない笑いを内心に抑えながら、

 

「我が君、どうか我が不忠をお許し下さい。決して、我が君を蔑ろにしようなどとは夢にも思わず、絵里や南殿にもご迷惑をお掛けするつもりはなかったのです」

 

 と、涙ながらに如何にもな悲痛の声で言ったかと思うと次の瞬間には、

 

「では、我が君に一つお願いつかまつる事がございまして、聞き届けて頂けると幸い、スクールアイドルとしても一歩二歩前進出来るものと考えております」

 

 いつも通りの爽やかな声音に戻っていた。

 ことりはその希の切り替えの早さに感心しながら、文字通りにことの役者が違う事を実感するのであった。何はともあれ、これで問題も一旦は収拾するだろう。

 ことりはふむふむと特に意味もなく頷くのであった。

 

 かくてことりが希派に加わり、穂乃果と絵里もどちらかと言えば希派になった。こうなってしまえばにこ達は絶体絶命の危機、このまま廃滅するか、服従するか。何だかついこの間も似たような選択肢を迫られていたが、にこは前世で何かやらかしたのだろうか。

 

 兎にも角にも、やっとスクールアイドルらしい話になって来るだろうと安堵したいものだった。ところがどっこい、にこ達は存外にしぶといのである事をここに渋々と明記せざるを得ない。どうもまだまだ彼女達の抵抗は続くようである。

 



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その③

 三国志において、公私立場問わずに孔明と戦う羽目になった人物は数多くいる。有名どころを挙げても、徐庶元直、龐統士元、法正孝直、周瑜公瑾、司馬懿仲達など錚々たる面子だ。彼らは、些細な口喧嘩、権力闘争、戦争、と人それぞれであるものの、様々な理由で孔明と戦った。そんな彼らは、孔明と戦う中である共通の認識を抱いていた。

 

「孔明を相手にするなら、孔明を相手にするな」

 

 言葉遊びのように思うかもしれないが、これは対孔明戦術において絶対に守らなくてはならない法の様なものである。一体どういう意味なのか?

 これには二つのやり方がある。一つは、司馬懿が実践した殻に完全に引きこもってまともに相手をせずに無視をするというもの。挑発にも決して乗らず、ただただ時が過ぎるのを待つのである。この結果、司馬懿は粘り勝ちをして魏国を侵略者孔明の魔の手から守り抜いた。

 

 もう一つは孔明以外の人物へ干渉するというもの。大多数はこのやり方を好んで行っている。龐統や法正の様に権力闘争をするならば、孔明より上の立場にあって孔明に言う事を聞かせられる人物、即ち劉備を説得し(この場合関羽や張飛、趙雲は物の役に立たないから、消去法で劉備しかいない)味方に引き込むというものだ。劉備がイエスと言えばイエス、ノーと言えばノー、孔明と雖も劉備には逆らえないのであった。

 

 しかしこれらのやり方には落とし穴があって、孔明を相手にせずとも孔明を意識下から完全に逸らしてしまうと駄目なのだ。このタブーを犯してしまったのは、三国志女性人気度ナンバーワンの貴公子将軍周瑜である。詳しい内容は三国志(演義の方)を読んで頂いて、ここでは簡単に言うが、周瑜も例外なく孔明を地上から抹殺するために劉備を標的にし、二人の距離を物理的に引き離す作戦に出た。これは途中まで良いところだったのだが、美周郎ともあろうものが痛恨のミスをやってしまったがために失敗に終わってしまう。

 

 そのミスが孔明を意識下から外す事。彼は劉備へちょっかいをかけるのに夢中になり過ぎて、裏で暗躍する孔明の動きをスルーしてしまっていたのだ。そうして、作戦を逆に利用され、主君の妹を敵にプレゼントする時期外れのサンタクロース役に成り下がってしまったのである。この後何やかんやあって、彼は孔明の得意技の手紙によって殺害されてしまった。その死ぬ間際の捨て台詞は有名で、

 

「天はこの周瑜を産んでおきながら、何故孔明までも世に生み出したのか」

 

 こう絶叫して血を吐き出し死んだという。最後の最後で天に責任転嫁をして見苦しい奴めと言いたいところだけど、周瑜は私の旦那と口にする歴女のお姉さま方に殺されかねないので黙っておこう。

 

 余談だが、中には孔明とまともに戦った勇者も存在する。例えば南蛮王の孟獲は蛮族の王らしくすこぶる純粋だったが為に、孔明と正面向き合って付き合ってしまい散々に虐められた。七回も地獄の様な苦しみを味合わされ精神は摩耗。早く帰ってほしかったので最後は友達のように振る舞って孔明の機嫌を損ねないよう細心の注意を払う。そうしてやっと、孔明が本国に帰る事になった時、(嬉しすぎて)声を上げて大号泣しながらその後姿を見送っていたという。

 

 他には姜維伯約という人物がいて、彼は孔明と正面切って戦い勝利した男であった。でもちょっとその経歴は怪しい。何故なら姜維が孔明と戦った時、孔明は天文を見て、姜維が後々自分の後継者となって蜀を引っ張っていく未来を読んでいたのだ。

 つまり後継者となる姜維に花を持たせてやっただけなのかもしれない。孔明だからあり得ない事があり得る可能性があるのだった。少なくとも、姜維の勝利話を信じて孔明をまともに相手出来るという安易な考えは抱かない方が身のためである。

 

 さて三国志の前置き話が長くなったが、本題に入ろう。

 対孔明戦術における絶対法があるならば、必然的にそれは対希戦術絶対法となるのである。矢澤にこ十七歳、希との(無駄な)戦いが続く中で、遂にその真理を悟った。

 

「希を相手にするなら、希を相手にしてはいけないわ」

 

 時間は昼休み、ところはアイドル研究部の部室。

 にこは己が悟った内容を自信満々に、年の差の垣根を取り払い親友となった花陽と凛の二人に語っていた。

 

「はあ……」

 

 突然何を言い出すかと思えば、本当に何を言い出しているんだ。花陽は反応に困る内容だったので気の抜ける返事で精一杯だった。思わず隣の凛を見た。

 

「ナニソレ、イミワカンナイ」

 

 凛は真姫の物まね(髪の毛くるくる付き)をしていたが、ちょっと似ていたので花陽はクスリと笑ってしまった。凛のささやかな得意技だ。

 にこも笑いそうになっていたが、わたしは真面目な話をしているんだ、と気を入れ直して、内容の詳しい説明を行った。

 

「二人ともよく考えてほしいんだけど、わたしたちは何のために希とこうしてやり合っているのだったかしら?」

 

 わたし達の原点は何だったろうか、とにこは二人に問うた。

 

「それは孔明先生に謝ってもらうためだよ」

 

 スクールアイドルを道具扱いするなんて絶対に許さない。全スクールアイドルとそのファン(と言うよりわたしに)誠実な謝罪を要求する。胸の内を燃え滾らせる女花陽、断固とした強い決意を瞳に宿している(オタクは時に面倒臭い)。

 

「凛は……何でだったかにゃ?」

 

 すっとぼけているわけではない。凛にはそもそも希に噛みつく理由なんて存在せず、ノリと勢いでやっていただけである。強いて言えば、花陽がやっているから、といじめ理論的なものになってしまうのだが、どちらにせよあんまりな話である。でも凛のやる事だし相手が希だから皆許してくれるだろう(希はしつこく根に持つだろうけど)。

 

「なるほど」

 

 二人の答えを聞いて(凛は答えてない)、にこは納得したように首を上下に振る。

 ついでに改めて言うと、にこが希とやり合っているのは、アイドル研究部を存続させるためだ。あわよくば、スクールアイドルμ'sを卒業まで続けたい(まだ本格的に始まってもないけど)。

 

 そろそろ廃校が本決まりするか否かの時期に差し掛かって来ているので、今更方向転換しようなどと凡人は考えないのだが、常に腹の中に一物も二物も隠し持っている異常な希だから、いきなりスクールアイドルよりも確実な策があるとか言い出す危険性がある。

 

 そしてそれに乗っかかりそうな穂乃果と海未に絵里、確実に乗っかる真姫、ちょっと心配なことりと、希を好きにさせていては(既に好き勝手やってる)アイドル研究部消滅の危機と隣り合わせ、ハラハラドキドキ、何時急降下するか分からないジョットコースター状態である(しかも降下先は垂直)。心臓に悪い事この上ない。

 

「わたしね気付いたのよ。わたし達の目標を達成する上で、希を相手にする必要なくない? って事にね」

 

 何を今更言っているのか、と不審になる花陽と凛だったが、まあまあ詳しい話を聞け、とにこは話すのを止めない。

 

「わたし達が本当に相手をするべきなのは高坂の方なのよ」

 

 凛はともかくとして、にこと花陽の目標はそれこそ穂乃果を相手にやっていた方が堅実で確実なのである。花陽の目標は、穂乃果に「孔明先生に謝罪させて下さい」と頼み込めば良いわけだし、にこの目標も穂乃果をその気にさせて「わたし、アイドル続けます」と言わせてしまえばこっちのものなのである。それだけで良いのである。

 

 大体希を相手にするのは、ゲームで言う上級者縛りプレイをやる様なもの。時間が掛かる上に失敗する確率が高く、しかもリセットが出来ないのだ。何でわざわざそんな面倒臭い事をしなくてはいけないんだ、という事にやっとこさ気付いたにこなのであった。

 

「それも、そうだね」

 

 言われてみればその通りだと花陽は思った。それから、何でそんな簡単な事に今の今まで気付けなかったのだろう、とも。

 

 理由は定かではないが、もしかしたら希の意識誘導があったのかもしれない。希は孔明時代から人と討論や弁舌をするのが好きだったので(有名な赤壁の戦い直前、呉国に一人乗り込んだ時も呉の文官達とやっていた)、敢えてこうなるように仕向けたのやもしれないのであった。と言うのは穿った見方であろうか。でも、希だから可能性は零じゃない。

 

「ともかく、これからは方針を転換するわ。何とかして高坂を篭絡して、わたし達の明るい未来を掴み取るのよ。希め、わたし達がこのまま泣き寝入りすると思ったら大間違いよ、今に見てなさいよね。最後に笑うのはわたし達よ」

 

 おーほっほっほ、とにこは中々様になっている高笑いをしてみせた。

 

(あれ? こうなって来ると、孔明先生と喧嘩する必要はもうないんじゃ)

 

 凛は高笑いをするにこを見ながら思った。

 

 筆者である私もそう思うんだが、何せ相手は希。ここで油断して希のマークを外せば周瑜の二の舞になるかもしれず、目標達成までは現状態を維持する他はない。まったく、敵に回すと本当にややこしい人物である(味方にしてもややこしいけど)。

 それに、にこ達がしぶとい云々と前述しちゃってるので、もう少しだけ彼女達には希と争ってもらう事にしよう。という事で、次話に移る。

 

 



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その④

 何のかんのと言いつつ、季節はすっかり夏となっている。この季節ともなれば、学生たちは身体中から青春のダイヤモンドを垂れ流し、若さをスパーキングさせるのであるが、希はどうもそれが嫌だったらしい。自宅から羽扇を持参して、ひらひらと涼しい風を自身に送り込んでいる。そして暑いのが嫌いな割には夏服に着替えようとしない、という不思議。

 

 言いたい事は山ほどあるのだが(羽扇を持っているならどうして今まで持って来なかったの? とか)、どうせ言ったところでまともに何か分かる事でもないので言わない。ただ現時点で一つだけ分かっているのは、これらの行為は先生方から許可をもらっているという事である。許可どころか先生方が推奨している節が見受けられ、特に羽扇に関しては、これがないと孔明じゃないとか何とか。まあ、分からなくもない。

 

「やはり、これ(羽扇)があると落ち着きますね」

 

 と言うのは、希の談。

 それにこの羽扇に関連して、最近は希の知名度がうなぎ上りとなっている(元々、音ノ木坂の奇怪な女生徒として一定数の知名度はあった)。道を歩けば羽扇がトレードマークとなって見知らぬ女子中学生から、

 

「本物の孔明先生だ! 写真を一緒に取って下さい」

 

 と声を掛けられるのだった。すると希は、

 

「良いでしょう、特別ですよ」

 

 満更でもなさそうな笑みを浮かべて、サービスのつもりなのか羽扇を大振りする動作を披露するのである。そしたら不思議、女子中学生はきゃーきゃーと喜びの悲鳴を上げるのだった。

 

 時代が変わったと言わざるを得ない。これが女子中学生ではなく魏国の兵士であれば、その動作一つで目に見えない炎を敏感に感じ取り、身体がぼうぼうと燃え上がる様な気がして、恐怖の中でのたうち回る事になるだろう。それが今となってはパフォーマンスの一つに過ぎないというのだから、時間の流れは恐ろしい。

 

 これほどまでに希が人気者になったのは、あの新入生歓迎会が原因である。実は希、協力者を募って様子を撮影させ、先生方や生徒会と一緒に編集、インターネットにアップしていたのだ。それに付随して、新一年生が方々に語りまくった結果、音ノ木坂の孔明先生こと東條希は一躍人気者になったのだ。今では音ノ木坂周辺で希を知らない人間はモグリである(何の?)

 

 無論、他のメンバーも負けてはいない。誰も彼も一定数の人気は確保してあり、その中でも穂乃果の人気は別格であった。彼女は特に年老いた老男女に人気で、

 

「む~、あれほどに威勢の良い若者がおるとは、まだまだこの国も捨てたもんじゃないわい。儂も若い頃は相当やらかしてきたが、あの娘もきっと並ではない事をやらかすに違いない。儂もまだまだ負けておられんぞ」

 

 と、年老いた元兵隊さんの目に留まるほど。しかし素直に喜んで良いのだろうか、彼らにとって威勢の良い奴とは、つまりとんでもない奴とかやばい奴という意味が多分に含まれているので、うん、大変名誉な事としておいてやろう。

 こう言った感じで、スクールアイドルグループμ'sは、何かをやらかしてくれそうな集団として表舞台に燦然と躍り出たのだ。言わずもがな、彼女達がアイドルグループなのを知っている人は、ほとんど皆無である。

 

 希としては、それはそれで構わないのだが、

 

「ライブをしましょう」

 

 と、認められない絵里が言った。音ノ木坂廃校阻止という崇高な大義名分を掲げて立ち上がったμ'sが、面白珍妙集団と取られるのは甚だ遺憾なのである。

 それもこれも結成してから今の今までアイドルらしいことを何一つやっていないのが問題なのだ。だったらやろうじゃないか、と気炎万丈なのだった。希以外は、もう全身を使って賛同の意を示している。

 

「既に曲も歌詞も衣装も出来ているわ。場所も具体的な場所は決めてないけど、大まかには考えてるの。秋葉原よ」

 

「え、秋葉原?」

 

 そうなって来ると話は変わるわよ、と言いたげな表情になったのはにこである。秋葉原と言えばA-RISEの根拠地であり、そこでライブをするのは彼女達に対する宣戦布告に等しい。もっと別の場所をと視線を動かした時、にこの視界に穂乃果の笑顔が入った。

 

 良い笑顔である。この太陽の如き笑顔の前で何が言えると言うのだろうか。もとより、にこの方針は穂乃果にアイドルって楽しいと思わせる事であり、ここで何かケチを付けようものなら穂乃果の士気は駄々下がり、おまけに海未の反感を買うという高すぎる出費だ。

 

 にこの家計は貧乏なのであり、無駄なものは買えないのである。

 

「どうかしたのかしら、にこ?」

 

「いや、何でもないわよ。良いんじゃない、やりましょうよ、ライブ」

 

 こう答える他はないのだった。

 続けて海未が、

 

「遂に人の前で歌うのですね。ひらひらした衣装で、恥ずかしいですが腕はなります。私の言の矢で観客の皆様のハートを撃ち抜いてみせます」

 

 決意のほどを語るのであった。海未はこれでもあがり症なのであり、人前だと直ぐに顔を真っ赤にしていやんいやんとしてしまうタイプなのだが、緊張のし過ぎで言の矢ではなく、弓の矢を観客に放たない事を祈るばかりである。

 

 海未は頑張るぞ、と両手を胸の前で握りこむと、希に向けて、

 

「希先輩、いいえ、軍師! 孔明の名に相応しい後方支援ぶりを期待していますよ」

 

 ウインクをするのであった。

 希はひらひらと羽扇を振って、海未への返答とした。

 ここで希大好きな真姫が、純粋故のたちが悪い性格を露呈し花陽に絡む。

 

「小泉さんも精々先生の下で頑張りなさいよ」

 

 花陽を完全に希の下と見ている発言。彼女は純粋なために深読みする必要がなく、そのために言葉の本質が丸分かりなのである。真姫はバチバチと花陽に敵愾心を持っており、彼女の加入を喜んだのは最初だけ。希に盾突くようになってからはご覧の通りなのである。

 

 真姫は嘲笑いながら(本人的には嘲笑っているけど、慣れてないから頬がぴくぴくしてる)、

 

「先生の足を引っ張るんじゃないわよ」

 

 と言った。

 すると花陽は、

 

「うん。わたしなんかに出来るか分からないけど、頑張る」

 

 と、自虐趣味を炸裂させて頷くのであった。白米とアイドルと凛を馬鹿にさえしなければ、どんな酷い言葉も笑って受け入れる女なのだ。寧ろその酷い言葉より聞き苦しい自虐用語を駆使するまであるのだった。闇が深いのかもしれない。

 あまりにも素直な花陽に、根っこは良い子の真姫だから罪悪感を抱いてしまったのか、誤魔化すように髪を弄り出すのであった。いつも通りの事である。

 

 そしてこれまたいつもの様に、

 

「んじゃさんじゃさ、明日やろうよ、明日! ねえ、良いでしょ? 本当は今日やりたいんだけど色々と準備が必要みたいだしさ。希ちゃん、後よろしくね」

 

 穂乃果が希に無茶ぶりをするのであった。どうも穂乃果、希の事を頼めばどんな事でもやってくれる、魔法使いか青狸と同類に見ているらしく、度々こんな風に凡人なら匙を投げるようなお願いを平然と行うのだった。

 

 これを海未とかことりに言えば、

 

「穂乃果、寝言は寝ている時に言って下さい」

 

「え~、明日はちょっと難しいかな。ことりもやる事いっぱいあるし」

 

 と、遠回しに断られるのがオチなのだが、ここは流石の希で、

 

「畏まりました。我が君、万事はこの孔明にお任せ下さい」

 

 頼もしい答が返って来るばかりである。もうこれだけで既に、海未の期待以上の後方支援ぶりを発揮していると見て問題は無い。

 

 希にしてみれば、穂乃果のお願い事は無茶ぶりの範疇には入らないのであった。かつての主君の劉備と比較すればもう何をか語らん。劉備はその志の高さと正義感こそ人一倍であったが、ついでに人の意見を聞かない事に関しても人一倍であった。しかも無茶というか実質不可能な要求はして来るし、頭をフル回転させて策を授ければ授けたで、

 

「それは義に反する」

 

 の一言で却下。堪ったもんじゃない。そう見ると穂乃果は基本希の言う事を聞いてくれるので、劉備時代より軍師している感じがある。

 それぐらい軍師要らずの劉備なので、孔明(希)でなければ、彼の軍師は務まらない職業だった。何なら、三国志でも劉備じゃなく穂乃果だったら、また歴史は大きく変わったのかもしれない。荊州の件も劉備は頑なに拒絶したが穂乃果なら、

 

「えっ? 劉表さん、荊州くれるの? わ~い、やったー!」

 

 と、久々に会った叔父さんのお小遣い感覚で貰う事だろう。そうなったら、色々とお話は変わって来るのである。

 はっきり言って変人の希でも、自分の言う事をまったく聞いてくれないよりは聞いてくれる方がやりやすいし嬉しいだろう。

 

 こう書いてしまうと劉備に対して不満があるというか、そこまで忠誠心なかったの、という話になって来るがそんな事は無論ないわけで、ここが劉備の神域に至っている魅力なのである。話は聞いてくれないけど、最高の主君ではあるのだった。

 

 話を戻して、穂乃果は快く引き受けてくれる希に、

 

「流石希ちゃん! もう大好き!」

 

 と、ハグするのであった。瞬間、海未の瞳孔が開ききり嫉妬に燃える眼差しが希を突き刺すが、一切気にする事もなくハグを返すのであった。別に煽っているわけではない。この主君の笑顔、プライスレス!

 

 最後はにこが、

 

「よし、決まりね。それじゃ、急な話になっちゃったけど、いよいよ明日が初ライブ。皆、気を引き締めていきましょ」

 

 部長らしく真面目に締めるのであった。

 



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その⑤

 自分のお膝元どころか喉元でライブをやるというμ'sの挑戦的、乃至は挑発的行為に対し、A-RISEの反応は鈍かった。というか反応すらしなかったと言った方が正しい。

 後々、そういった出来事があった、と又聞きした時、

 

「ふ~ん」

 

 と、気のない返事をしただけである。

 然もあらん話で、彼女達は多忙なのだ。東奔西走、目まぐるしく華麗なスクールアイドルぶりを世に知らしめる彼女達にとって、μ'sなどはそこら辺の小石にも劣る存在。

 ただ、周りは妙に盛り上がっていた。それが少しに気になったA-RISEのリーダーの綺羅ツバサは、偶然空いた時間を使ってμ'sの事を調べてみた。

 

 取りあえず、ネットに上がっている新入生歓迎会と初ライブの映像を見てみる。この時映像を見たツバサが、

 

「随分と面白い人達が出て来たようね。相手にとって不足はないわ」

 

 と、感服しライバル認定をするという話になるのが一般的だが、当然そんな事はなかった。

 

「何なの、この人達は?」

 

 首を頻りに傾げて、そのまんま理解不能な生物を見る困惑に満ち溢れた眼差しを、画面向こうのμ'sに向けた。新入生歓迎会、いきなり泣き出す穂乃果。その穂乃果を見て怪しい宗教のようにジーンとなっている周りのメンバーと他の生徒達。いきなり壇上で暴れ出す穂乃果。その穂乃果に声援を送るメンバーと先生方。そして講堂を震わせる鬨の声。少なくともこれを見て何か理解を示す反応を出来ていれば、ツバサも晴れて異常人認定されるのだが(この宇宙では常人)、彼女は括り的にはごく普通の人間なので(この宇宙では異常人)、何が起きているのか全く分からなかった。

 

「スクール……アイドル?」

 

 これを見て誰がμ'sをアイドルなどと呼ぶ者はいようか、いや、いない。この映像で分かるのは、μ'sというか音ノ木坂学院の異常性だけである。なんか廃校するとかしないとかいう話だけど、映像を見たら納得する他はない。

 

 既に画面を真っ暗にしたくなったツバサだが、一応スクールアイドルらしくライブの映像があるらしいので、それも拝見してみる。そして時間の無駄を悟った。

 良い笑顔の穂乃果が観客に話をするその脇の方で、肘をぶつけ合う真姫と凛。その様子を横目で見てため息をつく絵里とにこ。穂乃果との立ち位置が零距離な海未とことり。パフォーマンス中、お互いに向き合う振り付けで明らかに睨み合っている真姫と凛。振り付けも曲も歌詞もツバサから見て素直に称賛出来るレベルなのに、人が全部台無しにしてる。

 

 人間だもの、仲の良い悪いはあるだろうけど、せめて人前では隠せよ、と言いたい。よくこれでライブをやろうと思ったな、と逆に感心したくなるところ。

 

 ここでツバサが信じられないのは、世間ではこの二つの映像を以ってμ'sの人気が止まらない事である。スクールアイドル界に革新をもたらす期待の新星。μ'sをそう評価している人物達は、μ'sの何を見てその答えに至ったのか。彼女達に感銘している周りが異常なのか、それとも自分の方が異端なのか、人間て分からない、人間て何だろう、とツバサが哲学的疑問を覚えてしまうのも無理からぬ事であった。

 

 翌日、一日完全休暇という事で、気晴らしにショッピングへとツバサは出た。流石にナンバーワンスクールアイドルグループのリーダーらしく、変装をしていても人とは違う輝きを放っている。帽子とサングラスの下に見える鼻筋は高くスマートで、色気漂う口元には、男の視線が集う。身長は小柄な方だが、秋葉原の人混みの中でも際立って目立つのは、彼女の一流スクールアイドルとしての隠し切れない気品があるからだろうか。

 

「さてと、どこに行こうかしら」

 

 一人きりのショッピング。別に彼女が休日に誘う友達がいないわけではなく、好んで一人になっているだけである。グループのメンバーである優木あんじゅと統堂英玲奈を誘ってみたけれど、彼女達は彼女達でそれぞれやりたい事があるらしいので、だったら今日は一人で良いと思ったのだ。

 

 サングラスの位置を優雅に整えながら、ツバサは行き先を考えながらぶらぶらしている。

 

「ふふ、ここは女の子らしく服でも見に行こうかしら? それとも最近になってオープンしたっていうスクールアイドル専門店でも、良い時間つぶしにはなりそうね。それよりも先に昼食を済ませた方が良いかしら」

 

 微笑み一つでも絵になる女、それが綺羅ツバサである。鼻から下しか見えていないのに、偶然ツバサの微笑みを目撃した者は、男女問わず顔を赤くして見とれていた。

 三十分ほど歩いただろうか、前方に人だかりがあるのを確認した。様子を窺うに、どうも誰かを取り囲んでいるらしい。有名人でも居るのだろうか。

 

 ツバサは溢れ出るオーラを一切隠さずに、堂々と人混みへ近づく。するとツバサに気付いた人混みが、気品匂い立つオーラに当てられ、自然と道を作る。

 出来た道を悠々と歩いた先には、一人の女性が立っていた。同性のツバサから見ても、抜群に美しい女性である。女性はツバサの存在を認めると、柔らかく口角を上げる。これだけの動作でその美貌が一つも二つも上がるようだった。続いて、口が開いた。

 

「ああ、待っていましたよ。もうかれこれ二十分ほどは経つかと。申し訳ありません、皆様。心苦しいですが、待ち人が来てしまいましたのでこれで失礼します。では参りましょう」

 

 女性はゆったりと歩いてツバサとの距離を詰めると、耳元で、

 

「綺羅ツバサ殿」

 

 と、囁いた。

 ねっとりと纏わり付くような声音で名前を呼ばれた。それだけで己の全てを見透かされたような感覚に陥り、ブルりと身体が震える。

 

 女性はツバサの名前を呟いてから、そのままツバサに背を向けて歩き出した。ついてこなければ分かっているな、と言われているような気がしてツバサもその艶やかな黒髪が揺れている背中を追う。

 後を追いながら、ツバサはちらちらと目に入って来る、女性が右手に持つ扇子に注目していた。白い羽で出来た扇子で、白羽扇。その羽扇をひらひらと無造作に女性は揺らしている。この瞬間、女性の正体を悟った。

 

 と、同時に女性はどこかの建物の中へと入っていく。お洒落な看板が立てられた店で、どうもレストランのようである。小さくお腹を鳴らしたツバサは、誰かに聞かれてないか左右を見回し聞かれてない事を確認すると、女性に続いてレストランの中へと入って行く。

 

 中に入れば、店員に案内されて向かう席に女性が座り羽扇をあおいでいる。ツバサは女性の対面の椅子に腰を下ろした。暫く二人の間に会話はなかった。

 

 差し向かい、互いに注文した飲み物を口に運ぶ。ツバサも女性も互いに紅茶を頼んだ。二人揃って紅茶を飲む様が優美だったので、隣の席のカップルは視線を外せない。

 やがて決心をつけたのか、ツバサは思い切って口火を切った。

 

「それで何の御用なのかしら、東條希さん」

 

 女性の正体は希だった(バレバレ)。名前を言い当てられた希は、

 

「ああ、あの天下に隠れなきA-RISEの綺羅ツバサ殿が、私のような野人の事を知っていようとは。この希、感激に胸を打つ震えさせるばかりです」

 

 嬉しそうに(当たり前だが演技)言った。

 この反応にツバサは、

 

「ああ、そう」

 

 と、ドン引きする(普通の反応)のであった。

 ツバサは誤魔化すように紅茶に口をつけてから、

 

「あ、貴女達のライブは、その、拝見させてもらったわ」

 

 たどたどしい言葉遣いで、何とか会話を繋げようとする。

 希は常と変わらないまま、羽扇で口元を隠しつつ、

 

「それはそれは、何とも御見苦しいものをお見せしてしまったようで」

 

 と、はにかんだ。

 

(本当よね)

 

 危うく口に出そうな本音をグッと堪えて、ツバサは鍛えに鍛えた愛想笑いを見せる。それがまた花開くように美しい笑み。数多の人間を魅了するツバサの愛想笑いに、希も負けじと表情を柔らかくした。二人の笑みは、料理を運ぶため二人の席にやって来た男性スタッフの時間を止めた。

 

「それにしても、こうしてあの綺羅ツバサ殿と席をご一緒出来るとは思いませんでした」

 

 白々しい物言いに、

 

「……白々しい」

 

 流石にお口のチャックがフルオープンである。声の音量を最小に落としたお陰で、相手には気付かれないで済んだが。

 希はさらに図々しく、踏み込んだことを爽やかに言ってきた。

 

「こうして直にお会い出来たのも何かの縁。綺羅殿は我々のライブをどうご覧になりましたか? 宜しければ、是非忌憚なき意見をお賜り下さい」

 

 何で私がそんな事をしなくてはならないのか、とツバサはサングラス下の眉を顰めたが、ここは先達として度量の広い様を見せつけてやらねばなるまいと考え直す。

 

「そうねえ、正直そんなに言う事はないわよ。曲や歌詞、振り付け、演出はこちらからアドバイスをする事はほとんどない。ただ、ちょっと(どころではないぐらいに)チームワークに問題があるようね。プライベートはともかく、人前ではしっかりしないと駄目よ」

 

「ああ、耳の痛い事を申される。その点に関しては、私も頭を悩ませ解決に向けて奮闘しているのですが(嘘)、如何せん力及ばず、何か良き策はありましょうや?」

 

 そこは自分達で何とかしろ、と言いたいのを我慢して、

 

「う~ん、だったら合宿でもしたらどうかしら? 寝食を共にすれば、いつもとは違う相手の人の面が見えてくるだろうし、仲が深まるんじゃない」

 

 知らないけど。

 

「なるほど。綺羅殿のお言葉、この希、深く胸に刻み込んでおきます」

 

 希は慇懃に礼を述べる。

 今度は自分が踏み込む番だとツバサは訊ねた。

 

「一つ気になるのだけど、貴女は踊らないの? マネージャーという話だけど、貴女の容姿(だけ)は良いんだから、やってみたらどう? 同じく小泉花陽さんだったかしら? その人も良いと思うのだけど」

 

「小泉殿に関しては私も同意致しますが、本人がやらないと仰っていますのでこちらから無理強いは出来ません。私に関しては、とても。裏方をやっている方が性に合っています」

 

「そう」

 

 聞いてはみたものの、まあどうなろうが知った事ではないツバサの返事は素っ気ない。この素っ気ない返事が会話を完全に断ち切ったところで、お開きとなった。というか、希が用は終わったとばかりにお開きにしたのである。

 

「本日はありがとうございました。また何かありましたら、その時はよろしくお願い致します。それでは、これにて御免」

 

 ツバサが唖然と見つめる中、頭を下げて礼を示し、流れるように退出して行く希。後に残ったのは、一切手をつけられていない食事と一万円札である。お礼と迷惑料のつもりだろうか、だったら桁が一つ足りない。ツバサは万札を睨みつける。

 

「とんでもない奴だったわね。何か胡散臭いし。ああもう、折角の休日が台無しだわ」

 

 ツバサは昨日からの思い出し怒りが沸いてきた。μ's並びに東條希の名が頭と心の中へとインプットされた瞬間である。美しい顔を気色ばみさせるツバサは、視線を眼前にずらりと並ぶ二人分の食事に遣った。粗雑に備え付けのフォークとナイフを手に持つ。

 その後、ぺろりと完食したツバサは万札で支払いを済ませ、足をクレープ屋へと向けて進める。後日、体重計の上でμ'sと希の名を叫ぶのであった。

 



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その⑥

 面白い様に絶好調である。初ライブに続き、その後はやれPV作成だ、やれ営業だと大車輪の如く駆け回る日々だった。今やμ'sも一廉のグループであり、他のスクールアイドル達(A-RISE以外)から、一目も二目も置かれる存在となっていた。

 今日も汗水を垂れ流し、家に着くと真っ先にベッドへ転がり込んだことり。ものの数秒で夢の世界へと旅に出る。それから身体が空腹で目を覚まし、寝ぼけ眼でリビングへと向かえば、音ノ木坂学院理事長こと母が一人寂しく晩酌していた。哀愁漂う中年女性の背中に、いずれ自分もこうなるんだろうかと、未来への絶望を感じていると、当の母に手招きをされた。

 

 酔っぱらいに絡まれた、と嫌々ながら母の下に行けば、まだまだ素面の様子だった。ほっとことりは胸をなでおろす。母の酒癖の悪さは娘の知るところである。父は、理不尽にも面白半分にプロレス技という暴行を受ける被害者だった。と言いたいのだが、父は父でそのバイオレンスコミュニケーションがお好みのようで、ことりには理解出来ない話である。

 

 それにしても、もし母の酒癖の悪さが娘のことりに遺伝していたら、まことに勝手な話だが、張飛の称号を贈らなければならない。残念ながら、劉備枠(穂乃果)と関羽枠(海未)は先客がいるのだ。でも、何だかんだ言っても張飛。子供達が強く憧れを持つ、暴虐と殺戮と破壊のヒーローである。きっと、(嫌過ぎて)泣き狂うほど名誉な話だろう。

 

 ことりはそそそと近づき、母のコップになみなみと麦のジュース(大人の味)を注いでから腰を下ろす。麦のジュースから発せられる大人の香りと、眠気と、空腹で頭がくらくらしながらも、姿勢よく母の言葉を待った。

 

 母は注いでもらったジュースをぐいと飲み干してから言った。

 

「ことり、ここだけの話なのだけど」

 

 ここだけの話と言いつつ、既に学院の大人と生徒会他多数は知っているところがミソである。

 ことりは虚ろな瞳を母に向けた。

 

「来週の日曜日に行われるオープンキャンパスで行われるアンケート調査の結果次第で、廃校か存続か決まるわ」

 

「へ~……えっ? えぇぇええええええ!! ぴぃっ! 頭打っちゃったよ」

 

 仰け反り過ぎてことりは後頭部を地面に強打した。目は完全に覚醒したものの、痛みで地面を転げまわり、今度は足の小指をテーブルに痛打。一分間、痛打した小指を握りながらうずくまって痛みを抑えてから、座り直す。

 

「そんなの聞いてないよ」

 

「聞いたでしょ。今さっき」

 

「いや、そういうのじゃなくて」

 

「じゃあ、何?」

 

「えっと……」

 

 ことりは言葉を紡ぐのを止めた。と言うのも、母の目がとろりと据わりだしてきたのだ。酔眼朦朧の状態で、今にも虎が野獣の本能を剥き出しに襲い掛かってきそうな状態である。

 すくっと立ち上がったことりは早足に冷蔵庫の下へ向かい、好物のチーズケーキを取り出すと、理性と本能がせめぎ合っている母に向かってクッションを与えて、自室に逃げ帰る。ドン、という鈍い音がリビングから聞こえだしたが、ことりは聞かない事にした。

 

 次の日の部活、ことりは母から聞かされた内容を、ここだけの話しという前置きをしてから伝えた。ここだけの話なのに、話している人が別の人から聞いているのがミソである。

 一同話を聞いて、それぞれなりに驚きを見せたが、ただ一人希だけは反応が違った。

 

「ふふふ、私は既に存じ上げています」

 

 羽扇を仰ぎながらしれっと言った。

 流石は希である。どこから情報を仕入れているのかは定かではないが(大方生徒会だろう)、何故か知っている。三国志好きなら当然の知識なのだが、希(孔明)はプロのストーカーも舌を巻くほどの情報通であり、どういうわけか人が知らない筈の情報に詳しいのである。勿論、他人の個人情報もどういうわけか全部把握している。

 

「その事に関してはもう気にする必要はありません。私が独自に調査をしたのですが、我が音ノ木坂学院を志望したいと思う中学生達が規定の数を上回っております。油断は禁物ではありますが、十中八九は大丈夫でしょう。皆様のこれまでの苦労が身を結んだのです」

 

 ところで話は変わるのですが、と希が話題変更をしようとした時、にこが大声を上げた。

 

「ちょっと待ちなさいよ。南の話だけでも驚きを隠せないってなもんだけど、それよりも希! 独自の調査って何よ、独自の調査って! 胡散臭いわね。どういう調査なのか、詳しく聞かせてみなさい」

 

 我々の疑問を代弁してるかのような鋭いツッコミである。そうだぞ希、詳しい話を聞かせろ。

 しかし、こういう事に関して素直に答えてくれるような殊勝な性格を希はしていないわけで、キッと羽扇をにこへ突き出すと、

 

「何でもかんでも教えて教えてで、教えてもらえると思ったら大間違いですよ。貴女は学生であり勉学に励むのが第一の筈。その勉学において大事なのは、自分で考えてみることです。端から答えを人に求めようという姿勢はとても褒められたものではありませんね。にこ、貴女は最上級生であり受験生ですよ。下級生のお手本にならなくてはならない立場の貴女が、このような様では困ります。ノー答え写し、イエス答え合わせ」

 

 謎の叱責である。話が学生の勉学に対する姿勢論にすり替わっており、にこの疑問に対してはまともに答えていないのだが、内容はそれらしく最もなため、にこは口を閉ざした。ひょひょいのひょいといなされた感じである。

 

(しまった、くそっ! つい何時ものノリでやってしまったけど、これは高坂に言わせるべきだったわ。これじゃあもう、何も言えないじゃない)

 

 にこは歯噛みをしたが後の祭りである。

 だが私は、答えは自分で見つけるから、答えの出し方を教えてくれと言ってしまえば良かったんじゃないかと思う。数学でも方程式は事前に教えてくれるんだし、ヒントぐらいは求めても良い筈だ。

 

 でも、希のことだから、別の論理にスライドさせて煙に巻かれるのがオチな気がするけど。希はああ言えばこう言うの天才である。矮小な私の頭では到底太刀打ち出来そうにない。

 

 希のこの論理はにこ以外にも適用されるので、他の面子も口を開くことは出来なかった。

 にこを久しぶりに打ち負かして気分上々、愉快爽快なのだろう。羽扇の下は溢れ出る笑みでいっぱいだ。ここのところ、にこ一派が大人しいので張り合いがなく退屈だったのだ。

 希はつらつらと言葉を紡いだ。

 

「では改めまして、先日のことなのですが、私は天の助けあってA-RISEの綺羅ツバサ殿と面識を得ることに成功しました」

 

 ここでさらに重大な話をぶっこむ希である。希お得意の情報の上書きであり、これで皆は、既に独自の調査云々はどこか記憶の彼方である。

 A-RISE信者の花陽が一番に反応した。

 

「それは本当なんですか!?」

 

「ええ、偶然にも」

 

 こうは言っているが怪しいものだ。希のことだからあらかじめ、それこそ独自の調査でツバサがあの道を通るのを知っており待ち伏せしていたに違いない。

 この情報社会、三国の時代とは違って至るところに情報が眠っているのである。プライバシーもへったくれもなく、希みたいな人間には天国なのであった。

 

「綺羅殿は我々のライブにも目を通して頂いているらしく、貴重なお言葉を賜りました」

 

 要約して、ライブに関しては(どうでも)良いんだけど、人間関係に問題がある(あり過ぎる)みたいなので、合宿でもして絆を深めちゃいなyou! 

 人間関係悪化の原因が大体希に集約している実情を知らないからこその、普通のアドバイスなわけだが、あの綺羅ツバサが言うと、賢者の万言にも匹敵するのだ。

 

「合宿、楽しそうだにゃ」

 

 気分はお泊り会の凛である。

 場の雰囲気が合宿ムード一色に染まり出した。海にしようか、山にしようか、ご飯は何を食べようか、丁度夏だし肝試しがしたい、など気早く計画を立て始める。

 やいのやいのと騒ぐ中で、真姫が徐に手をあげた。

 

「寝床の確保は任せて。パパとママが別荘を沢山持ってるから、その中から一か所借りましょ」

 

(泊部屋を先生と一緒にして、仲を一気に深めるわよ。あわよくば、えへへ)

 

 というピュアピュア桃色お花畑を脳内展開中である。μ's一の、いや、スクールアイドル界一の純粋さは伊達ではない。彼女の恋物語は、純愛物として微笑ましく見守りたいものであるが、相手が希だからどうなるか予想もつかない。真っ当な恋愛物になるとは思われないが、頑張れ真姫。負けるな真姫。少なくとも、私は君の味方だよ。

 

「はーい、皆ちょっと落ち着いて」

 

 ぱんぱんと両手を合わせて、絵里が場を鎮めにかかった。μ'sの中では一応良識ある人間の枠に入っているので(あくまでもμ'sの中では)、こういう風に場のまとめ役を担うことは少なくない。一同の視線を絵里が独り占めする。

 

「そろそろ練習を始めるわよ。合宿はまた後日にゆっくり考えましょう」

 

 はーい、と揃って声が帰って来る。彼女達の頭の中には、既にオープンキャンパスや廃校やの話はなく合宿の事でいっぱいなのだが、それこそ彼女達らしいというところで今回の話を終了する。

 

 さて、物語も次のステップに移行しようとしている。廃校阻止も決定し、次なるμ'sの目標は如何なものになるのだろうか、穂乃果達はμ'sを続けるのだろうか、気になるところである。えっ? まだ廃校阻止が決まったわけじゃない? しかし、とあるゲーム会社曰く、孔明は絶対に間違えないそうなので、その孔明(希)が廃校は大丈夫と言った以上は大丈夫だろう。多分。

 

 詳しくは次回で。

 

 



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その⑦

 オープンキャンパスなる行事は、並行宇宙(原典と呼ぶと語弊があるのでアニメ世界)のμ'sにとっては天下分け目の関ケ原と呼んでも差支えのないほど重要なものである。まさにこのオープンキャンパスで音ノ木坂の命運が決まるのであり、彼女達は新たに仲間に加わった絵里と希(これより前までは、絵里と穂乃果達は対立している)を加えて初めて九人でのライブを行った。この結果、若者達の心を掴み、音ノ木坂は見事廃校を阻止したのである。

 

 翻ってこちらの宇宙であるが、関ケ原どころか小競り合いすら起きていないというのが実情だった。一応、ライブは行っている。しかし、並行宇宙のように万が一失敗すれば九人全員生きてはいまい、というような緊迫感あるものではなく、なんか時間を割り振られたから取りあえず踊ろうか、程度の軽いものであった。それで同じ結果を出したのだから、並行宇宙のμ'sは墳飯ものである。ぶん殴られても文句は一つも言えない。

 

 こういう次第があって、オープンキャンパスの様子を記すことはしない。記したところで書くことがないのであり、書くにしても九十パーセント捏造しなくてはならなくなる。それはそれで面白いものが書けそうだが、まあ、止めとく。

 

 何はともあれ、悲願の廃校阻止である。こちらのμ'sは、お祝いムードのお祭り騒ぎ。今日は無礼講だとばかりに(何時も無礼講のようなものだが)、部室で宴が始まっていた。宴仕様に部室を片付けるのも忘れない。オープンキャンパスから一週間経った日曜日のことである。

 

 酒は飲んでいないのだが、場の雰囲気に酔っぱらって踊り狂う穂乃果と凛。二人の拙いダンスを肴に、桃やら葡萄のジュースに舌鼓をうつことりと花陽。一歩引いた場所で静かにコップを傾ける、希、海未、にこ、絵里、真姫。突然、絵里が小首を傾げて、それを見た希が訊ねた。

 

「どうかなさいましたか、絵里。気になることでも?」

 

「いやね。なにか、物足りないというかなんと言うか。廃校するかもしれないってなった時は、こう胸の内が疼いて、そんなこと私が絶対にさせないわって燃え上がっていたのよ。でも、蓋を開けてみれば、言っちゃなんだけどこんな簡単に廃校を無くせたわけで、夢みたいな話よ」

 

「簡単ではありませんでしたよ。苦難に次ぐ苦難の道のりでしたでしょう」

 

「そうだったかしら」

 

 言われてみればそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。目標を達成したから燃え尽き症候群にでもなっていたりするのか。どうであれめでたい事には変わりないのだし、あまり無粋な事を考えるものでもないと、絵里はこれ以上追及しなかった。

 

 ここでもう一人、絵里と同じように釈然としていない人物がいる。にこだ。

 穂乃果を見て、希を見て、心ここに非ずといった印象で、ちびちびとコップを空けていくにこ。彼女も彼女で、あっさりと目標を達成した事に納得がいってない。

 記憶を遡る事、一時間前。宴の序盤も序盤、穂乃果がリーダーとして一言語っている時である。これまでの苦労が云云かんぬんと長話を続け(海未監修の台本を読んでる)、やっと終わったと思ったら最後、

 

「これからは、一スクールアイドルグループとして、A-RISEに追いつけ追い越せの気持ちで頑張っていこう」

 

 と、アイドル続けます宣言があったのだ。それからμ's万歳、音ノ木坂万歳、よし乾杯、となって今に至る。これがどうも面白くなかった。

 

(あれだけ希と言い争いをして、あれだけ(普段使わない)頭を使って……まあ、これからもμ'sとして続けていけるのは嬉しいんだけど、こうじゃないのよね。もっと、わたしの今までが報われたって感じが欲しいのよ)

 

 達成感がない。正直、希とこれまでやり合って来た意味はあるのだろうか、別にそんな無駄な事をせずとも結果は同じだったんじゃないか、と疑問甚だしいにこである。

 

 答えを言うとその通りであり、第三者視点からすると無駄無駄とばっさり切り捨てだ。私も二人の対立をそこそこピックアップしていたが、正直な話、にこと希はよく意見を違いにし反目していた、と花陽や凛の存在を省略して一文で済ませても物語上は問題なかった。

 茶番も良いところで、渦中の希にしてみても争いというほどでもなかったろう(その割には海未やことりに胡麻をすったりとそれなりの事はしていたが)。

 

 にこの売ってきた喧嘩は、放っておけば面倒臭い事になるかもしれない。とは言え買ったら買ったで真面目に取り合うような事でもない。日常の退屈凌ぎにはちょうど良かった、ぐらいのものである。敢えて、希が三国志流に大真面目な捉え方をして話を大袈裟にしていた、と言うとしっくりくるかもしれない。遊びだったのか、本気だったのか、希の真意はとかく人に伝わりにくいのが難点だ。全力で遊んでいたとするのが、無難な想像だろうか。

 

 にこは涼やかな希の横顔に視線を遣った。

 

(何と言うか、このすまし顔を崩してやりたい。むむむっと唸らせてやりたい。このままじゃ、宇宙ナンバーワンアイドル、矢澤にこの沽券に関わるわ)

 

 と、にこは決意を新たにした。止めておけば良いものを、わざわざ自ら心労を背負い込むとは奇特な人物である。適当にいなされ、へこまされる未来しか想像できないが、希が悔しがる姿はそれはそれで見てみたいので、にこには引き続き頑張ってもらいたい。期待はしない。

 

 そうこうしている内に、宴は四時間目に突入した。

 

 この時間帯となれば、さらにヒートアップして手が付けられない状態となるか、燃え上がった炎が消沈して打って変わって通夜の様になるのだが、μ'sは前者らしかった。

 休日の日曜日。学校の許可は当然貰っているとはいえのバカ騒ぎ。穂乃果と凛は野生の獣になってしまったようにごろごろとじゃれ合い、ことりと花陽は二人で菓子を爆食い。海未とにこは決着なしの一発芸対決をしていた。

 

 希だけは素面だったが、やはり真姫と絵里がへべれけである。真姫は甘い声を出しながら希の右腕に縋りつき、頬を擦り付けている。絵里は負けじと希の膝を枕代わりにして顔をこすりつけている。そんな八人のメンバーの乱れっぷりを何食わぬ顔で、希は眺めていた。

 

 酒は飲んでいない筈である。なのにこの爆発っぷりは、彼女達の尋常ならざる証か。それとも日頃のストレスが一気に解き放たれたのか。止めようにも誰にも止められない狂宴であった。

 

 真姫が頬を桃色に染め上げたかと思えば、

 

「先生。先生は、マッキーとエリーのどっちが大切なの?」

 

 と、上目遣いに瞳を潤ませる。仕事と私どっちが大切なのよ、と夫に迫る妻のような感じではなく、幼女がパパに対して、自分とお姉ちゃんを比べるかの如き純真さと僅かばかりの女の感情を匂わせる物言い。並みのパパであればふにゃふにゃしつつ、

 

「パパはどっちも大事だよ」

 

 ぎゅーと強く抱きしめて萌えを感じていたろう。希が反応しようとした時、

 

「希は私の親友よ。高校一年生の頃からずっとずっと一緒だったの。ぽっと出の真姫とじゃ話にならないわ。そうでしょ、希。希は私の方が大切よね」

 

 絵里が女の独占欲と嫉妬心を剥き出しに言った。女と言うのは、友情関係にも独占欲と嫉妬心を抱き、果たして本当に友情なのか、それとも別の感情(百合的な)なのか区別がつきにくい時がある。この時の絵里もどっちの気持ちだったのか、多分本人も分かっていない。

 

 ぷくりと頬を膨らませて絵里を睨みつける真姫。素直を通り越して精神退行状態である。この時の真姫を映像に残して、後日、本人に見せたら、部屋に引きこもって布団から出て来れなくなるだろう。それほどの愛らしさである。人は雰囲気だけでここまで酔えるのだ。

 

「あーっ! 二人ともずるい! 希ちゃんは穂乃果の家来なんだよ! とっちゃダメー!」

 

 目敏く真姫と絵里の行動に気付いた穂乃果が、希の下へ一直線に突っ込んでいく。これを辛うじて受け止めた希。それを見た海未が、

 

「穂乃果っ! うぬっ、穂乃果は私のものです!」

 

 渡しません、と向かって行き、さらに触発されたのか、凛、ことり、にこ、花陽の四人も後に続く。場は混沌とし、もみくちゃ、ぐちゃぐちゃにされる希。かと思いきや、希の姿はそこになく、いつの間にか部屋のドアの前にあるのだった。

 

「ふふ、皆さん、若いですね」

 

 どういう絡繰りなのか、既に脱出している。

 希は横目で人の山を見遣ると、年寄り臭い事を呟き(精神年齢はもう老いぼれ)、音も立てずに姿を消したのであった。

 

 

 



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A-RISEという名の嵐
その①


 今更の話となってしまうが、この物語は名目上『ラブライブ!』の話である。罷り間違っても『三国志』ではないわけで、とどのつまり、この物語にもきちんと存在はする。並行宇宙ではラブライブと称されるスクールアイドル達の大会が。この世界でも同じ名称で確かに存在するのだった。今の今までらの字すら出て来なかったわけだが、それには訳がある。

 

 先ず、ラブライブの話を真っ先にしそうなにこと花陽が知らなかった。馬鹿な、にこぱなともあろう二人がラブライブを知らない筈がない、と有識者は思っていようが、彼女達は希を相手にしていたのであり、情報の収集がおざなりになっていた面がある。

 これに関しては二人を責める事など出来る筈がない。相手が相手なのだから、全神経をそちらに集中させていたのであり、それ以外の事をする暇はなかったのである。精神的にも肉体的にも疲労甚だしく、余程疲れていたに相違はなかった。

 

 あれっ? 花陽ってマネージャーだよね? それで良いのかな? と思いはするものの、理由が理由だけに彼女が怠慢していたとは言い辛い。寧ろ庇いたてしたくもなる。

 

 だったら知ってそうな希はどうなのか。無論、知っていた。今度、ラブライブという大会が初めて開催される事を、かなり早い段階で把握していた。にもかかわらず誰にも話していなかったのは、どうしてなのだろうか。何かしらの理由があるのだろうが(例えば、話をしてラブライブに思考を向けられてしまうと、廃校阻止の面で不都合があったとか)、憶測ぐらいしか立てられない。希だから、特に理由はないかもしれなかった。

 

 しかし廃校阻止を達成し、次なる目標を打倒A-RISEに設定した以上、そろそろ耳に入れておかなくてはならない情報である(とは言うが、当初の目標それ自体が、A-RISEより凄くなって廃校を阻止するというものだったのだが、本人達は恐らく忘れている)。

 

 そして遂にラブライブの情報が明かされるのは、にこと花陽の二人が久方ぶりにネットサーフィンをしてその存在にようやく気付き、部室に駆け込んでくるところから始まる。

 

「たたたた、大変です!」

 

 顔面を蒼白にした花陽が部室のドアを開けた時、目に入ったのは、携帯ゲーム機で遊んでいる穂乃果と凛、トランプで遊んでいる絵里と真姫とことり、囲碁で遊んでいる希と海未だった。打倒-RISEを掲げたにも関わらずの体たらくぶりは、未だ廃校阻止達成の余韻を残しているものと思われる。この光景に、花陽の脇から顔をのぞかせるにこが怒鳴った。

 

「あんた達、遊んでいる場合じゃないわよ!」

 

「何ですか、騒々しいですね」

 

 白石を碁盤に向けて置きながら、怪訝そうな表情を浮かべる海未。碁盤を見ていなかったので、全く見当違いの所に置いていた。希はそれを指摘してやることもなく、普通に打ってからにこの方へ視線を向けた。

 

「分かっての! ラブライブよ、ラブライブ!」

 

 分かってんのと言われても、にこと花陽を除いて分かっているのは希だけである。聞き耳を立ててゲームとトランプをしている面々、並びに海未は頭上にクエスチョンマーク。

 

「ラブライブですか? 愛のあるライブという事でしょうか。なるほど、ファンの人達に今までのお礼も兼ねて、愛を届ける様なライブをしようと言うのですね。名案です」

 

 と間違った解釈をして、そのまま碁盤に向き直した。

 花陽の目がきらりんと光った。

 

「違います。ラブライブ! とはスクールアイドルの祭典、全国から上位二十組を集めてライブをし投票によってナンバーワンを決めようというもの。まさに戦国武将総選挙ならぬスクールアイドル総選挙。スクールアイドルの甲子園と言っても差し支えなく、この大会で優勝を果たせれば名実共に揺るがぬ立場を得る事が出来ます」

 

 こんな所でだらだらとやっている暇はありません、と花陽は鬼気迫る顔で言った。

 

「あら、そんなものがあるんだったら、確かにこんな事をしている暇はないわね」

 

 と、絵里が、たまに見せる賢い表情を決める。暇があったところで部活動時間帯にトランプをして遊ぶのは如何なものかと思うが。意味なくウインクをぱちりと一回、立ち上がろうとするが、絵里以外に動こうとする者は皆無だった。

 

「皆、どうしたの? 練習しましょう」

 

 絵里が言うと、皆を代弁して穂乃果が寝そべったまま、

 

「今日はもういいですよ、そんな気分じゃないし。明日からやりましょう」

 

 と、明日から本気出す、なんてお気楽、自堕落、体たらくの三拍子。忘れてはならないのだが、穂乃果には元々こういう面がある。一旦燃料を注げばどんどん勝手に突き進んでいくが、その反動か時折ピタリと動かなくなってしまう。穂乃果は性質上、駄目人間の要素がそれなりに多い。ある種の清々しさには、温厚な花陽をしてため息をつかせるほどで、あきれ果てて何も言えない。ここで希を見たのは、何かを期待してのことだろうか。

 

 目敏く花陽の目線を察知した希は、

 

「我が君、ラブライブの事はおいおい考えるに致しましても、早急に決めておきたい事が一つございます」

 

 何を言ってるんだ、と花陽とにこの視線が刺々しくなった。

 

「な~に、希ちゃん」

 

「合宿の件でございます。そろそろ詳しい内容を決めておきましょう」

 

 今はそんな事を話している場合じゃない、と花陽とにこの視線がどんどん鋭さを増していく。このまま視線で希を射抜きそうな勢い。希はその飛んで来た視線を払い除けるように羽扇を一振りした。

 

「そうだったね。それを決めておかなくちゃいけないんだった」

 

 ゲームの電源を切った穂乃果は、大きく伸びをした。どうやら少しばかりやる気になってきたらしい。穂乃果が動いたのをきっかけに、他の面々も体勢を作る。一分以内には、μ's、会議の図が出来上がっていた。

 

「それじゃあ、希ちゃん。後は宜しくね」

 

 穂乃果、完全に丸投げである。これが穂乃果の長所の一つであり、基本は人を信頼して任せてくれるのだ。時々、ここぞという際に口を出して場を混乱させてくるのは玉に瑕、どころか玉にひび割れなのだが、差し引いて五分五分ぐらいにしておこうか。

 

 采配を受け取った希が話し出す。

 

「遠足を目一杯楽しむには、計画をきっちりと立てておくことが重要でございます。合宿もまたしかり。事前の準備を疎かにしていては、楽しめるものも楽しめません」

 

 前置きを加えてから、

 

「此度の合宿は厳正な審査の結果(独断)で、海に行く事と相成りました」

 

 と、言った。

 すると、

 

「海未は私ですが?」

 

 海未が珍しくボケるのであった。これは海未の鉄板ネタであり、面白い面白くないに関わらず、必ず言わなくてはならない義務のようなものである。海未が海未である以上は、ここを外すことは出来ないのであった。これに希は、

 

「ああ、海未殿の海未と、シーの海をかけておられるのですね。ふふ、面白いです」

 

 表情も変えず爽やかな物言いであった。

 スベるよりもなお恥ずかしい反応。希の善意から出て来る(嘘の)誉め言葉は、海未の豆腐の様にぷるぷるとしたメンタルを賽の目に切り裂くのであった。これ以降、この会議内で海未は一切の発言を放棄せざるを得ない状態に追い込まれる。

 

「宿泊場所は、真姫の御両親より別荘を借りる事に成功しました。ですので、そこを使わせてもらいます」

 

 これに関しては、真姫パパと真姫ママに許可を貰いに行った希である。こういうところは律義であり、真姫を伴って二人と面会した。

 当初、真姫の両親は希に良い感情を持っていなかった。もともと、町でも異風な少女として有名だったのである。大切な一人娘を誑かしたマーラ(仏教の悪魔)、飛んで火にいる夏の虫、捕縛して新薬の実験台にでもしてやる、と至極当然の親心があったのだった。

 

 真姫が外堀を埋めようと、必死に希の良いところを語っていたのが裏目に出たのだ。

 

 いざ対面の時、敵意というか殺意を剥き出しにする真姫の両親に、希は賢者に接するかの如く腰を低くし誠意を見せる対応を取った。これが真姫の両親の琴線にジャストフィット。それなりのお金持ちの家にありがちな、どことなく古臭い考えを持つ二人は、礼節知る真面目な若者に今までの印象を大きく上昇変更する。

 

 今までが底辺の印象だったから、後は上がっていくだけなのだ。

 

 こうなってくると、希がどんどん只者じゃないように見えてくる。実際に話を重ねていく内に、泰然として十七歳の小娘とは到底思えない話しぶりをする希を信頼にするに至って、しまいには、

 

「君になら娘を任せられる」

 

「どうか真姫の事をよろしくお願いします」

 

 と、言い出す始末であった。これに不用心にも肯定的な返事をした結果、別荘の使用許可は勿論、真姫の使用許可までもぎ取った希である。希としては、合宿中の娘をお願いします程度の認識だろうが、よもや娘の一生をお願いされているとは読めなかったようだ。真姫の純愛物語が一歩先へ進んだ瞬間である。

 詭計、詐術、陰謀、詐欺、ありとあらゆるネガティブな策には通じている希だが、こういう事にはやはり疎い様だった。

 

 何はともあれ、寝床は確保したのである。

 

「一日目は存分に海を満喫しましょう。二日目からは臓腑を吐き散らし、自ら死を懇願したくなるような、地獄の修練を用意しておりますので、覚悟を決めておくとよいでしょう」

 

 希は脅すように言った。

 

「望むところだよ、希ちゃん」

 

 ちょっとテンションが上がり始めてきた穂乃果が返事をする隣で、

 

「ことり大丈夫かな。あんまりきついのは嫌だよ。ことりは海未ちゃんみたいに体力がカンストしているわけじゃないし」

 

 ことりが自慢のトサカを恐怖にうち震わせていた。名前の挙がった海未も別の意味でぷるぷるしている。

 希は何が面白いのか、そんなことりを見て笑っていた。嫌な奴である。

 

「うー、何だか身体が熱くなって来たよ。私は今、猛烈に動きたい!」

 

 言うや否や立ち上がった穂乃果が、わき目もふらずに部室を飛び出していった。暴走機関車穂乃果号の真骨頂が炸裂したのである。今回の目的地は屋上だろう。いつもそこで練習しているのである。

 

「穂乃果に負けていられないわね。行くわよ、皆」

 

 絵里が穂乃果の後に続くと、今度はぞろぞろと動きがあった。絵里が駆け足で出て行って、凛が後ろに続き、真姫がのんびり歩きながら。海未とことりはとろとろどんより、いつもより半歩歩幅を狭めて出ていく。残ったのは、希、にこ、花陽である。

 

 急な展開に口が半開きなにこと花陽。

 

 徐に、希は花陽に流し目を送った。

 

「これでよろしいですか?」

 

 問い掛けられて、希の意図を察知した花陽だが、言葉が出て来ない。合宿の話をしたのは、穂乃果のやる気を引き出すためであったらしい。これには素直に感じ入った花陽は、

 

「流石です、孔明先生」

 

 と、ほんの僅かばかり、希への敬意を回復させた。

 



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その②

 μ'sがラブライブ! に向けて(一応)活動をし始めた頃、A-RISE(と言うかツバサ)は自身のスキルアップを図ると同時に、ライバル達の調査に余念がなかった。客観的に評価を下すならば、自分達を脅かすようなスクールアイドルはいない。このまま行けば、下馬評通りに大会はA-RISEが優勝旗を母校に飾るという結果に終わるだろう。

 

 しかし、ツバサには万が一の不確定要素があるのも事実だった。勿体ぶるまでもなく、μ'sである。μ'sは遠くから見るだけであったら、リアル美少女大図鑑である。あれほどの美少女達が、廃校寸前の学校に集結しているのは奇跡としか表現は出来ない。また、個人個人の能力も桁違いに高いのであった。

 

 だが、問題点が極まり過ぎて、手放しに誉めさせてくれないのである。仲があまりよろしくないのだろう、ライブ中にガンつけ合ったり、気分が乗ってきたのか明らかにアドリブのダンスをやったり(周りがそのダンスにうまく合わせて、さもこれが正しい振り付けだと錯覚させるのが、また憎たらしい)、スクールアイドルを馬鹿にしているんじゃないかという言動の数々なのだった(本人達は至って真剣)。

 

 ここで『頭の悪い顔だけのグループ』と一刀両断して、その存在を無いかの如く扱いたいのはやまやまだが、彼女達の人気ぶりだけはそれこそA-RISEの最後尾に食らいつかんばかりであり、無視しようとしても、否が応でも目に付いてしまうのである。

 それにμ'sと言えば忘れてならないのは、東條希だ。巷では孔明先生の異名で知られており、その智謀は千年に一人、その美貌は飛ぶ鳥が落ちて、花も恥じらうという。

 

 μ'sのライブが一見事故ってそうに見えて、何だかんだ成功に終わっているのは希の手腕が大きい(後花陽も)。あの垂れ下がった柔和な瞳からは想像もつかない、キレッキレの智謀ぶりは、感嘆以外の反応を拒絶せんばかりなのである。

 というような事をここ最近頻りに口にして繰り返すツバサだった。今日もツバサはメンバーの二人に語っていた。一体何度目になるのだろうか、たまらずメンバーの一人英玲奈は、

 

「分かった分かった。何だ、そのみゅ、みゅ、ミュウツーが凄いのは分かったから」

 

 と、明らかに分かっていない様子で言った。英玲奈は、その同性をも恋に落とす罪深い顔を困惑の色に染める。それがまた、乙女の純情を絶妙にくすぐるのだった。ツバサの首を傾げるしかない過大評価、と言うよりは虚報に、いい加減どう対応してやったものか。

 どうかツバサの心を傷つけずに、と光り輝く英玲奈の優しさ。もう地球上の女という女を虜にせんばかりのフェロモンが溢れ出る。

 

「ミュウツーじゃなくて、μ'sよ。それにしてもツバサったら、ここのところずっとμ'sや、孔明さん? の話ばっかりね。何だか寂しいわ」

 

 もう一人のメンバーあんじゅは英玲奈と対をなす、男を誘惑するエロティックお姉さん。彼女の魅惑の瞳は、男の欲望をこれでもかと刺激する魔眼なのである。しっかりと調べたわけではないが、秋葉原の六十パーセント以上の男の嫁はあんじゅに違いない。

 

「ふむ、ツバサにも春が来たというわけか。感慨深いな、歳を取ることを実感させられるよ。どれ、今度その孔明とやらに会ってみようじゃないか」

 

「ツバサが恋をしちゃうぐらいだもの。きっと素敵な方に違いないわ」

 

 ツバサそっちのけで恋の談義に花を咲かせ始める英玲奈とあんじゅ。いくら大人びて見えようが、彼女達もまだまだ未成年の子供。恋という名の蜜が蕩けるような甘さを感じる舌を持っているのだ。大人になると苦みが強くなって、食べれなく人が多くなる。これは、子供の頃はピーマンが食べれなかったけど、大人になって食べると美味しく感じる現象と似ている。

 

「何を勝手な話をしてるのかしら?」

 

 ペッと唾を吐き捨てる様な動作。本当に吐き捨てたい気分であったが、彼女のスクールアイドルとしての誇りが、ぎりぎりのところで踏みとどまらせた。そして唾の代わりに吐き出されるのは、世間が美貌の天才と称する孔明先生の実態であった。

 

「いいこと? あの東條希って女はとんでもない陰湿変質者よ。私はあの女の魔の手にかかって、とんだ目にあったんだから」

 

 と語り出すのは、ツバサ体重増加事件。希とツバサが初めて顔を合わせた日の話だが、希が注文した食事を一切食べずに帰ったので、ツバサが代わりに食べて、しかもその後クレープまで胃に収めたというあれである。典型的なツバサの逆恨みなのだが、希にも非がないこともない。注文しておきながら一切手をつけないのは、店側への嫌がらせに近く、ただお金は払っている以上店側の損失にはならないので、ツバサがそこのところを気にする必要はなかったのだが、怒りを食欲に変えたツバサがぺろりといったのである。

 

 思い出すのはぶらぶらと揺れる白羽扇と、うふっていう感じの唇を歪めてねっとりと笑い、人の全身を舐めるような変態の目線だった(ツバサの記憶と主観が大いに入り混じっている希像)。今でも、胸がドキドキ身体がそわそわして、落ち着かなくなる。

 

 あんな奴に恋心を抱く奴なんて、それこそ同族かはたまた精神異常者でしかない、とツバサは厳しい査定を下した。まだ会ったことのない真姫を異常者扱いにした大胆な査定だが、これは真姫に言わせてみれば、希に惚れない人間こそが精神異常者なのであり、したがってツバサの方が頭の狂ったクレイジーガールなのである。どちらがおかしいのかはどうでもいい話なのだが、これは未来でツバサと真姫が希をめぐって、熾烈な争いをする事になる暗示たることになるのか。それはお楽しみということで。

 

「もう、ツバサったら、そんな必死になって否定しなくてもいいじゃない」

 

「照れ隠しか? 好きだからこそ否定したい気持ちは、実に女の子らしい。ツバサも女の子なんだな」

 

 英玲奈とあんじゅが、恥ずかしがることはないよ、私達は貴女の味方だから、応援しているよ、と優しい言葉を掛けると(揶揄うと)、

 

「だ、誰が、あんな奴のことなんか」

 

 ツバサは顔を真っ赤にしながら激怒した。べ、別に希のことなんて好きでもなんでもないんだから、とツンツン、でも、実はほんのちょっぴり意識して、大好きなスクールアイドル活動にも熱が入らず、ボーとすることが増えて、ふとした瞬間に希の笑顔が頭に浮かんで懊悩するような、少女漫画じみた展開になるようなことは多分ない。

 見た目の良さと頭の良さは素直に評価してやるが、あの人間性がツバサの美意識的に到底許し難いのである。いずれ地上から抹殺せねばならない、とまではまだ思っていない。

 

「とにかく、貴女達も気を付けて。何時何処で東條希と遭遇して、あの陰湿な罠にはめられて地獄の底(ダイエット)に叩き込まれるか分からないんだから」

 

 ツバサの身体がぶるりと震えた。

 気を付けたぐらいでどうにかなるのだったら、周瑜や曹操、あるいはにこや花陽がどうにかしていると思うが、どうにもならないのだから困ったものである。標的にされてしまったが最後、酷い目に遭うしかないのが希(孔明)の罠なのだった。ツバサも経験を積んでいけばそれが分かってくるだろう。誰も積んでまで分かりたくもないだろうけど。

 ツバサの忠告があまりにも必死過ぎて、返って単なる照れ隠しにしか見えない英玲奈とあんじゅは顔を見合わせて笑い合った。まるで小学生男子が好きな子にちょっかいをかけるみたいなことと、同じように感じたのであろう。

 

(やれやれ仕方がない。ツバサがこうも恋愛ごとに関して面倒臭い奴だとは思わなかった。いや、普段から面倒臭いと言えば面倒臭いが。ここは一つ、私が一肌脱いで、ツバサを女にしてやろうじゃないか)

 

 と、ツバサにしてみれば要らないどころの騒ぎでないお節介を企てるのだった。

 ツバサは良からぬ雰囲気をびんびんに感じ取ったのだろう、

 

「英玲奈、あんじゅ、余計なことは絶対にしないでよ。絶対に」

 

 と念を押すのだったが、するなするなと言われたらしたくなるのが人間の性である。

 

「あんじゅ、ツバサはああ言っているが、私達が多少の手助けはしてやらないといけないと思う」

 

「そうね。あのままじゃ一向に進展しないのが目に見えているわ」

 

「やるか?」

 

「やらないと思う?」

 

「「ふふ」」

 

 よっしゃ、ここは親友として仲間として、愛のキューピッド役を引き受けてやろうじゃないか、ということになった英玲奈とあんじゅ。

 

 どうやら人知れず、真姫の純愛物語に強力なライバルが現れたようである。

 



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その③

 さて、英玲奈とあんじゅが余計なお世話という名の悪だくみをする一方で、穂乃果と希も君臣水入らずの話をしていた。場所は穂乃果の実家、今日は二人でお泊り会なのである。穂乃果が売り物の饅頭を手慣れた様子で部屋へと持っていき、希がトイレに行くと見せかけて代金をレジに置き、というような阿吽の呼吸を見せて、もぐもぐしながら本題に入る。

 

「やはりA-RISEの勢いは強大であり、このままでは我らが勝者となることは難しいと言わざるを得ません。今からでも遅くはありません。多少なりでもよろしいので、A-RISEに対して裏工作を行い、その勢いを止める許可を頂きたく存じます」

 

 本題開口一番、希の外道っぷりが炸裂する。やはり、事ここに至っても端から正々堂々と戦うつもりなどなかったらしく、悪辣な策を日々模索していたようだった。このとんだ外道ぶりが希イズムであり、また孔明イズムなのはもう誰もが知るところ。

 

 余談だが、先日のツバサの件に関しては濡れ衣である。あれは、用が済んでさっさと帰りたくなっただけであり、後はツバサが勝手に自爆しただけなのが真相だ。

 

 希、極めて爽やかに口から汚水を垂れ流す。

 

「もう、だからダメだって言ってるでしょ。わたしはちゃんと真正面から向き合って、A-RISEの人達に勝ちたいの。何度も言ってるじゃん」

 

 だが、そんな希イズムは穂乃果の好みではない。つれない態度をとって、希を悶々とさせるのであった。が、ダメもとで言ったと言えばダメもとである。これで穂乃果が、よしやってみてよ、なんて言い出そうものなら、それはそれで正気を疑って、希イズムの矛先が穂乃果に向かう事だろう。

 

「希ちゃん、何か良いアイデアはないかな」

 

 穂乃果の魔性の一言。その何か良さそうなアイデアをつい数秒前に却下しておきながらのこの台詞は、世界広しといえども穂乃果にしか許されない。希のことだから、まだまだ凄いアイデアを隠し持っているに違いない、と穂乃果の瞳は期待で煌めくのであった。

 これが普通の人であれば、

 

「ふざけるな、あほのか。冗談は大概にしろ」

 

 と笑顔で、しかし目だけは笑わずに言い捨てるだろう。当たり前である。けれども、希は普通じゃないから普通の反応はしない。

 

「まあ、ない事もありませんが」

 

 希は莞爾として笑った。

 

「ほんと!? じゃあ、早速聞かせてよ!」

 

 絵本の読み聞かせを催促する幼児の様に詰め寄る穂乃果。

 だが、希はいつまでも黙っている。軍師たるもの、如何に主君であろうとも己の心の内を易々と見せないものです、なんて理由じゃないのは言うまでもない。あるにはあるけど、多分、いや、絶対、言っても却下されるのがオチだから言えないのだった。

 

 希の腹の中には星の数ほどの策が備わっているが、ほとんどが卑劣な策であり、たいていは誰かがかわいそうな目に遭うことになる。

 じゃあ策なんて持ってないのと一緒じゃないか、見栄を張らず素直にないと言えばいいだろう、と思うのだがそれはそれ。軍師としてのちんけなプライドがそれを許さないのだ。それに策はあるのだから(使えないだけで)、決して嘘は言っていないと軍師特有の屁理屈をこね回すのだった。

 

(肝心なところは話さずに、我が君の好きそうな言葉だけを並べてそれらしく言っておきましょうか)

 

 完全に思考が詐欺師のそれである。

 希が人の道を外れようとしたその時(とっくの昔に外れてる)、天がそんな事は許さないとばかりに人を寄越して来た。

 

「お姉ちゃん、ちょっといい?」

 

 礼儀正しくノックをしてから部屋へと入って来たのは、穂乃果の妹雪穂である。不治の病に罹患することもなく、すくすくと真面目に(面白味もなく)成長を続ける中学三年生だ。

 彼女は出番が少なく、だからあらかじめ言っておくが、別段これといった特殊な個性はない。姉の穂乃果に対して姉妹関係を超えた禁断の愛を抱いているとか、幼馴染のお姉さんである海未に激しく悪影響を受けて義の信者になってたりとか、同じく幼馴染のお姉さんのことりに社会の賢い生き抜き方を学んでいたりとか、そんなことは一切ない。普通に普通の中学三年生である。穂乃果の妹と言うよりは、ツバサの妹みたいな妹なのである。

 

「あっ、希さん、来てたんですね」

 

 希に対しても、度が超えて狂信的になってたりとか、過度な愛情を持っていたりとかはなく、お姉ちゃんの先輩で、頭の良く、時々勉強を見てくれる人、という普通の印象だ。

 雪穂は、希に対して軽く一礼する。

 

「こんにちは。今日は一日お世話になります」

 

「あっ、今日は泊まっていくんですね。でしたら、ちょっと勉強を見てほしいんですけど」

 

「よろしいですよ。こちらが落ち着き次第、お部屋に参上させて頂きます」

 

「お願いします」

 

 なんという普通の会話。ここは面白おかしく脚色に脚色を加え、さらに思うが儘創作を加えて、新たにそれらしいストーリーを書き上げたくなる程度には、普通の会話である。どうも出て来る登場人物、皆が皆特徴的なので、感覚が麻痺しているようだ。

 雪穂はつかつかと本棚に近寄ると、

 

「お姉ちゃん、この漫画借りていくね」

 

 三冊ほど本を抜き取って、早々と部屋を後にした。普通に礼儀正しいので、部屋を出る前に希に向かって頭を下げるのを忘れない。希もそれに返答して、雪穂を見送ると、

 

「我が君、良き妹君をお持ちですな。あれほどの器量良しの妹君がおられると、我が君もさぞ鼻高々とお見受け致します。将来が待ち遠しいです。私に息子がいるならば、是非とも、と言ったところ。ああ、臣の分際で弁えぬことを申しました。平にご容赦を」

 

 穂乃果は妹が褒められて嬉しいのと、希が自分以外に関心を向けるのが面白くないのと混ぜこぜになった、複雑そうな表情を見せる。

 

「うん、雪穂はすっごい良い子で、お母さんにもいつも褒められてるの」

 

 言外に自分は褒められてないと、泣きそうな顔の穂乃果に、

 

「下の者は、上の者を見習って真似をして成長していきます。雪穂殿を見れば、我が君がどれほどの人物なのかは推してはかることは容易です。私は、我が君を主君と仰ぎ奉ることが出来ている今の現状に、最大級の幸運を感じているところです。本当ですよ」

 

 希はフォローすることを忘れない。

 言っていることがちょっと小難しいけど、自分を慰めてくれているのだけは直感で理解した穂乃果は、希に向かって飛びつくのだった。

 この時、穂乃果はすっかり希に何か良いアイデアの話を聞くのを忘れている。詳しく話をするまでもなく、希の意識誘導が働いた結果であった。

 

 それから暫く部屋でじゃれついていると、外はすっかり暗くなっている。時計を見れば、高坂家の夕飯の時間帯だ。雪穂が呼びに来てくれたので、二人はじゃれつくのを止めて、食卓へと足を運ぶ。

 

「わーい、今日もご馳走だぁ!」

 

 食卓には、何かお祝い事でもあったのかと聞きたくなるような、豪勢な料理の数々。高坂母が腕を振るって作った自信作の数々である。希が高坂家に寝泊まりする時は、決まって、この入魂の夕食だ。一皿一皿に高坂母の魂が垣間見れるようであった。穂乃果は勿論、希も嬉しそうだ。

 

「今日は希ちゃんが来るから、私がんばっちゃったわ」

 

 実年齢より十五は若く見えそうな笑みで、高坂母はグッと拳を握った。

 

「遠慮なんてしないで、いっぱい食べてね」

 

「ありがとうございます。何を隠しましょう、本日はこれが楽しみでありまして、我が君と二人、今か今かとこの時間が来るのを待ちわびていたところです」

 

 高坂父も食卓に現れたことで、いよいよ食事タイムである。

 普段、食が細い希だが、今日はこの夕食の為に存分に腹を空かせていたのだ(先ほどの饅頭は別腹である)。半分に割れば、肉汁が溢れ出してくるハンバーグ、魚介類をたっぷりと使用したパスタ、お手製のドレッシングで美味しさ倍増のサラダ、満遍なく手をつけていく。

 

 希は食事をしていると、高坂母の視線を感じたので、目を合わせた。

 

「如何なされました?」

 

「いえね、希ちゃんとうちの穂乃果は一歳しか変わらないわけだけど、食事一つとっても全然違うと思ってね。それが面白くて、ついつい」

 

「ふぉえ?」

 

 希と高坂母の二人が穂乃果を見つめた。穂乃果はハンバーグをいっぱいに詰め込んで、ぷっくりと膨らんだ頬を二人に見せた。そうして大きく音を立てて飲み込んでから、再び、一口大とは言い難い、適当に大きく切られたハンバーグを口に入れて、また頬をぱんぱんに膨らませる。

 

 そんな穂乃果から目線を下の方にずらした希の視界には、規則正しく切り揃えられたハンバーグが皿に乗っかっている。高坂母、希は上品で穂乃果は下品とでも言いたいのだろうか。希は目元を緩ませて、

 

「我が君を見ていると、こちらまでどんどん食欲が湧き出てくるようです」

 

 と、すかさず言った。

 

「まあ、お上手」

 

 希の返しを聞いて、高坂母が声を上げて笑う。

 その後、食中食後の話題は、穂乃果の学校での様子が主であった。希があまりにも穂乃果を美化して言うものだから、高坂母、高坂父、雪穂、そして穂乃果ですら目を点にして話を聞いていた。特に穂乃果以外の三人は、一体何がどうなって穂乃果がここまで希に慕われているのか、不思議で仕方がない。今度じっくり聞いてみようと思っていた。

 

 この後、希は雪穂の勉強を見てやってから、穂乃果と二人で裸の付き合い。この二人なので、インモラルで桃色な展開は残念ながらなかった。精々が、希の胸の大きさに感動した穂乃果が、ツンツンしたぐらいである。風呂から上がれば、またじゃれつき合って、夜も更けてくると、同じ布団を被って寝るのであった。

 



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その④

 にこは口を開かねば、まだランドセルを背負っていても違和感はないほど、愛くるしくマスコットのようにキュートなのは、異論を挟む余地のない評価である。さらに口を開けば、大家族の長女としての責任感が所々垣間見える、ギャップ萌えも兼ね備えており、老いも若きも彼女に夢中な人間は少なくはない。どの宇宙でもそうである。

 しかし見方を一歩ずらしてしまえば、隠し切れない問題点もまた浮上するのだった。彼女の見下ろさんばかりの小柄な見た目とは裏腹に、見上げて余りある巨大な自尊心がそれであった。宇宙ナンバーワンアイドルを恥ずかしげもなく自称しているのが証拠だ。

 鼻で笑ってやっても良いのだが、宇宙ナンバーワンは行き過ぎにしても、日本ナンバーワンぐらいにはなれそうだから、存外に馬鹿に出来ず、愛ある弄りぐらいで留める他はない。

 

 いつ頃からそうなのかは定かではなく、希や絵里に聞いても、いつの間にかそうだった、としか答えは返って来ないだろう。少なくとも、高校一年生の頃から怪しい言動があったようなので、多分、それ以前からの性格だと思われる。もしかしたら、中学二年生ぐらいから、と推測すると、色々と話が面倒でなくて済みそうだ。

 

 にこのギネス級の自尊心が発揮される場面は、この宇宙ではいくつも存在するが、取り上げて話をするのなら、ストーリー展開も兼ねてこれを選択するとしよう。ところは日本の首都、東京に位置する東京駅、合宿の当日なのだが、そこでの絵里の発言が、彼女の自尊心スイッチを深く押し込んだのだった。

 

「私達がμ'sとして九人で活動を始めて、もう結構長いと思うの。絆も深まってきたことだし、そろそろ距離を縮めても良いんじゃないかしら。具体的に言うと、先輩後輩の上下関係の垣根を取っ払いましょう、という提案なのだけど」

 

 皆仲良しこよしチカ、と満面お花畑のエリーチカである。

 ここでにこの目が光った。

 

「それはちょっとねぇ。親しき中にも礼儀ありって言うし、一応上下関係はしっかりしていないと、社会に出て困るわよ」

 

 瞬時に拒否態勢へとにこが入った。そもそも彼女は、現状ですら不満なのである。赤髪の小娘(真姫)の傲慢さは天にも届かんばかりであり、自分に対する敬愛が一切感じられない。希への態度と比較すれば、最早何を舌で語ろうものか。そこに来て絵里の頭お花畑理論が取り入れられようものなら、小娘の増長ぶりはエスカレート、止められる者が誰も居なくなってしまうのである。だから言う、嫌だ。

 

 とは言え、現在は現在で真姫以外の後輩達もにこに敬意を表しているかと言えば、別にそんなことはないわけである。花陽と凛は戦友であり、隣に並ぶ者として対等な関係を築いているから二人は別にしても、海未は元から敬語キャラなわけだし、穂乃果もことりも一応先輩だから敬語なだけで、その言葉に敬意なんて大層なものは込められていないのであった。

 

 だから絵里の提案を受け入れたところで、名前の呼び方と口調が変わるだけなのだが、にこはそれが気に入らないのだ。実際に敬意があるかどうかは別の問題で、取りあえず自分には敬語を使ってほしいようである。

 

 だがしかし、これはこれでにこの器の小ささを言外に露呈しているみたいだった。そうなってくると、やっぱり自尊心的にひび割れを起こしかねず、引くに引けず、攻めるに攻めれず、にっちもさっちもいかなくなってしまう。よく分からない悩みどころである。

 

 自分に出来ないのだったら、他人にやってもらうしかない。

 

「園田はどう思う?」

 

 お家柄的に、礼儀に厳しそうな海未へと狙いをつけた。

 

 お家柄と言えば、真姫も上流階級の出身であり、だから躾けはしっかりとされていそうだが、どうも真姫パパ、真姫ママはそういうところに関心は行ってなかったらしい。勉強や進路に関しては口を出すこと甚だしかったが。もしかしたら、真姫をブラックジャック的な医師に育て上げようとしていたのかもしれない。だったら、目上の人への礼儀は必要なく、西木野家の教育方針にも納得がいく。真姫が厳格(そうな)父とおっとりセレブリティな母を持ちながら、あんなにツンデレ的なのも、教育の賜物なのかもしれなかった。本人達に聞いてみないと分からないが。

 

 話を振られた海未が、う~んと考える素振りを見せてから言った。

 

「私は構いませんが」

 

 期待を裏切られたにこである。まあ、勝手に期待をしたのは彼女の方だから、海未には何の非もありはしないのだが。

 

「むむむ……」

 

 触角のようなツインテールを震わせて、にこが唸った。

 海未はこう見えても融通が利く人間なのである。中国では関羽、日本では謙信に匹敵する義の信者である彼女だが、二人と違って意外にも話せばわかるのであった。幼馴染みが穂乃果であったことが幸いしたのか、上手い具合になあなあぶりの影響を受けたので、柔軟な考えを持ち合わせているのだった。それでも現代人にしてみれば、もうちょっとほどほどにと言いたくなるような、始末に困るレベルではあるが。

 

「はい決まりね」

 

 腰に手を当ててポーズを決める絵里。

 勝手に決めるなと言いたいにこである。今思い起こせば、絵里も中々大概な女であった。仕切りたがるというのか、話を自分で推し進めようとすることが何回もあり、今回もまさにそれ。部長であるにこやリーダーである穂乃果に許可を取らずに勝手に進めることもあり、独断専行ぶりをこれでもかと披露しているのである。しかも希には相談している節があるのが、またにこの癇に触ってくるのだった。どいつもこいつも、あいつもそいつも問題だらけのμ'sなのであった。

 

「それじゃあ、穂乃果。呼んでみなさい」

 

「うん。えっと、絵里ちゃん」

 

「ハラショー! 絵里ちゃん、なんて良い響きなのかしら」

 

 恍惚とした表情の絵里は、他の五名にも催促を加えた。皆、遠慮なく元からそうであったかのように思い思いに絵里の名前を呼んで、彼女を喜ばせるのである。

 絵里の後はにこを呼んで、続いて希となったのだが、希だけはこう呼び捨てにしにくいところがあって、

 

「希さん」

 

 と、二年生の海未とことり、

 

「先生」

 

 と、一年生の三人は呼んだ。

 にこがそれを聞いて苦虫を嚙み潰したような顔になって、だったらわたしのこともさん付けで呼べ、と思いはしたものの口には出さなかった。

 希は羽扇を扇ぎながら、満足そうな様子である。

 

(今回の合宿の目的は、μ'sの仲を深めることである。先ずは一歩前進したというところで、流石です、絵里)

 

 ついでに言えば、にこが生み出した組織的上下関係(にこが部長であり、その下に穂乃果がいて、さらに下に希がいる的なあれ)も、今回のこれで自然消滅したわけである。元からあってなきようなものであり、希も途中から気にする必要がないことに気付いた組織構造の消滅は(最初からそこまで気にしてない?)、おまけで付いてくる携帯のストラップ的な、ついでの産物である。重要なのは、μ'sの皆が仲良しになること。

 

(μ'sの結束が高まれば、その力は二倍にも三倍にも高まる。A-RISEと正面切って張り合おうという我が君の考えは、正直に言って無謀という他はないが、しかしそうと決まっている以上は、やれることをやっていくしかありません。ラブライブ! までの時間もそうあるわけでもないですし、今回の合宿で諸々の決着をつけなくては)

 

 にこや花陽との和解、真姫と凛の関係再構築、もう少し時間があれば、それこそなあなあの内に済ませられる問題であったが、それらもきっちりと今回の合宿で清算をつける。

 希が何気なく時間を確認すると、そろそろ電車が来る時刻となっていた。

 

「我が君、そろそろお時間です」

 

 希は穂乃果に耳打ちをすると、穂乃果がそれを皆に知らせる。ワイワイと高校生らしくはしゃいでいたメンバー達は、慌てて駅の改札を通った。

 

「まだ、そんなに慌てる時間ではありませんが」

 

 希は爽やかに言い放つと、のんびりと後を追うのであった。

 



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その⑤

 電車内では外の景色の移り変わりを楽しんで、電車を降りると別荘まで徒歩で進んだ。

 正直な話をすると、一同が目指している別荘がどこに存在するのか、わたしは知らない。色々と諸説があったりするらしいのだが、答えは未だ出ていないのだ。かと言って、言い訳になると言えばそうなのだが、別に別荘がどこに存在していようがそこまで気にする必要はない。海の見える別荘を拠点に合宿をする、ということだけ知っていれば、彼女達がどこの別荘に行こうが関係はないのである。取りあえず、日本のどこかということだけは言っておこうと思う。

 

 別荘に辿り着けば、事前に割り振られていた部屋にそれぞれ荷物を置きに行った。

 希は真姫と二人部屋である。この事から、部屋割りは真姫が考えたものと決めつけても問題なさそうだ。部屋は、真姫パパと真姫ママが宿泊する時に利用している部屋であり、二人が真姫に勧めたものである。やたらと生活感が漂っており、二人用ベッドの存在と備え付けられたティッシュが、妙に生々しいのであり、

 

「まるで新婚生活」

 

 と、真姫はお得意の妄想に勤しむのであった。

 

 各自荷物を置いた後は、別荘の玄関に集合する。

 一同は準備万端、新調した水着を身につけ、後は合図を待つばかり。合図があれば、檻から解き放たれた猛獣の如く一斉に海へと飛び込んでいくだろう。

 その中にあって一人、希だけは普段着のまま羽扇をひらひらさせていた。空気の読めない奴である。無論、

 

「私の貧相な身体を皆様にお見せして、お目汚しするような恥知らずな真似はとても」

 

 と、皮肉の効き過ぎな理由ではあるまい。仮にこれが理由であれば、希は直ぐにでも眼前の海に沈められ底の藻屑と消える事になるだろう。誰がやるとは言わない。

 大方の予想は付くと思うが、単純に日焼けしたくないだけである。女子かよッ! とツッコミを入れたくなるが、一応今は女子という事実を忘れてはいけないのだ。

 

 まあ、希の身体は異性は勿論、同性にも目の毒にしかならないので、この選択は正しかったのかもしれない。身体に毒を持つ女、東條希! と言うと、何だかかっこよく聞こえる。

 

 煮ても焼いても毒で食えない女、希が八人を見回しながら、

 

「本日は、通しで遊び倒していきたいと思っております。明日以降の鍛錬で身を引き締めるためにも、存分に楽しんで下さい」

 

 言葉が終わった瞬間、よし来た、と真っ先に穂乃果と凛が駆け出した。こういう場面となるとお約束の二人である。

 

「穂乃果ちゃん、競争だにゃ!」

 

「よーし、負けないぞ!」

 

 二人に続くように、他のメンバーも駆け足で海に向かう。たちまち、青春の甘酸っぱい光景が繰り広げられ始めた。希は羽扇をしまうと、どこからかカメラを持ち出して、

 

「ふむ、これは絵になりますね。我々のこういう一面も知って頂ければ、新たなるファンの獲得にも繋がるでしょう」

 

 と、マネージャーとしての仕事に励みだした。なお、己のこういう一面を見せる気は全くないらしい(マネージャーだから見せなくてもいいけど)。花陽のは見せる。

 ビーチバレー、スイカ割り、水の掛け合いっこ、キャッキャウフフな桃色空間。金を払ってでも見る価値のある桃源郷が、カメラに映しだされていた。

 すると、

 

「希、何してるのよ?」

 

 絵里がカメラの前に立った。異国の遺伝子恐るべし、と言わせようとしているかの如きダイナマイトボディが、カメラの画面いっぱいに映りこむ。希をして感嘆せしむるもので、μ'sの名に一番相応しいのは彼女かもしれない。

 

「素晴らしいですね」

 

 希が端的に、且つ爽やかに褒めた。

 本人は純粋に褒めただけのようだが、カメラを持ったままだったので、そこはかとなくいやらしさがあったのは仕方がない。絵里が身の危険を感じたのか、自身の両肩を抱きしめて一歩後ずさる。

 

「エッチ」

 

 これがまた絵里の魅力を底上げした。白い肌がほんのりと赤く色づき、アイスブルーの瞳に潤いを宿し、艶めいた気品が、こう匂い立ってくるようである。下品さが一切なく、高校生とはとても思えない色っぽさだ。生唾ものだが、希は趣味じゃなかったので、特別反応することはなかった。

 

 希の好みは、長身で茶髪、肌はどちらかと言えば色黒で、何よりも大事なのは自分とお話出来るレベルで頭の良い人である。簡単に言ってしまうと孔明時代の妻である黄氏みたいな人が好みなのだった。つまり絵里は守備範囲外どころか場外。頭が良いという一点のみなら、真姫は範囲内である。頑張れ、真姫ちゃん。可能性はあるぞ。

 

 希は恥ずかしがる絵里を、様々な角度から映し、最終的には、

 

「良いですよ、もう少し顎を引いて下さい。はい、そこです。それから目線を少し上向きに、ええ、そうです、そこです」

 

 と、グラビアアイドルの撮影をするカメラマンみたいに、絵里を映し続けた。絵里は身をよじらせたりして多少の抵抗を見せていたが、次第に気分が乗って来たのか、

 

「捕まえて、あ・げ・る(何を?)」

 

 と自ら女豹のポージングを決めていた。因みにこれはネットに上げるつもりでいるが、元より声は編集できちんと切り取るつもりなので、色々と心配する必要はない。

 

 

      ◆

 

 

 昼間は海でこれでもかと遊びたおした後、一先ず別荘のそれぞれの部屋に戻った一同。その時、希の部屋を訪れる人影があった。花陽である。

 

(今、先生は部屋に一人。これを機に今まで言えなかった事を言って、仲良くなりたい。だって、同じμ'sの仲間なんだもん。これからもずっと、喧嘩しているのなんて嫌だよ)

 

 と、いうことらしかった。言えなかった事とは、謝罪要求の事だ。穂乃果に話を通して、穂乃果の口から要求するのもよかったのだが、不誠実な気もするし、なにより心からの謝罪を求めているのであって、言われたからやった、という受け身の姿勢は望ましくない。

 現在、部屋は希一人。相部屋の真姫は、食事の買い出しに向かっている。本当だったら、希は真姫と一緒に買い出しに行く筈であったのだが、

 

「カードの導きによれば、私は部屋に残っていた方が良さそうです」

 

 と、涼し気に言って部屋に残っているのだ。代わりに、穂乃果と絵里の二人を同行させている。自分の主君と親友をお使いにするとはなんてふてぇ奴、と言いたくなるが、自分の主君を囮にして死地に追いやる悪魔の軍師なので、この程度は驚くに値しない。

 ともあれ、前世からの特技であった占いの結果であり、占いでそう出たからと言われれば、真姫もなんて返して良いのか分からず、分かったと一言だけ告げて買い出しに向かった。

 

 希は花陽の来訪を快く迎え入れた。部屋の中ではお茶とお菓子まで用意して準備万端、なんでか花陽が来ることを察知していたらしい。これも占いで出た結果だと言うのか。

 花陽は不気味さを感じて膝を震わせながら、

 

「お、お話があるのですけど、だ、大丈夫ですか?」

 

 頷く希は、

 

「私も、花陽(呼び捨てになった)とは話をしたいと常々考えておりました(多分、嘘)。真姫が帰って来るまで時間はありましょうし、お互いが納得いくまで語り合いましょう」

 

 と言いながら、腰を下ろした。

 顔面蒼白のゾンビ花陽は、希に促されるまま対面に座る。

 さて、座ったのはいいものの、花陽は口が開かない。こうして二人で話をするのは初めてであり、どういう風に話を切り出したら良いのかが分からないのだ。花陽は海未に劣らず、それどころか遙かに上を行く緊張しいであり、初対面の人とは先ずもって話せない。

 希とは初対面ではなく言い合いをしていた事もあったが、あれは周りに凛とかにこがいてくれたから大丈夫だったのであり、こうして一対一で話すのはハードルが高いのだ。

 

 実のところこうして話をしに来たのは、何時までもうじうじとしていた花陽の背中を凛が押したからである。だから覚悟を決めたかと言えば、まだもうちょっとの段階だったのであり、希が不気味にも来訪を察知していた事が駄目押しとなってこの有様である。

 何か言わなくては、と口をパクパクさせるも声は出ない。決して、餌を求める金魚の物まねではない。

 

 時間は刻一刻と過ぎていくも、事態は一向に進展しない。気付けば希は、羽扇で口元を隠しながら、目を瞑っていた。退屈が極まって眠くなってしまったのか。

 花陽の目にみるみると溜まっていく涙、やっぱりわたしは最低最悪の駄目な女なんだ、と自虐モードに突入しようとした時、

 

(え、えぇぇえええええ!)

 

 なんと、希の頬に流れる一筋の滴。紛れもなく涙である。

 花陽は驚きのあまり自分の涙を引っ込めると、反比例して流れが強くなる希の涙。まるで豪雨の如し。止まる気配がない。

 

(ダ、ダレカタスケテェ!)

 

 ちょっと待ってて、なんて偶然助けに来てくれる人はいない。そもそも希の部屋を訪れそうな人は買い出し中である。まさか、穂乃果と絵里を真姫と一緒に行かせたのはこれが理由なのか。これも占いで知ったとすれば、まことにスピリチュアル。希、悪魔か神か。

 

「申し訳ございません。よもや、私の不遜なる発言が花陽の心を傷つけていたとは露とも知らず(本当か?)、のうのうと日々を送って来たことは、万死に値する罪と言えましょう(大袈裟)。ああ、どうか我が罪をお許し下さい」

 

 どぼどぼと涙を零しながら、花陽に赦免を求める希。

 その迫力にたじたじとなって、どの道言葉が出ない花陽。

 下手に出てるように見えて、まるで脅迫である。見ろ、私のこの真心が込められた滝の如き涙を、これで許さないなどということがあって良かろうか、いや、良くない。そう言っているようにしか見えなかった(少なくとも花陽には)。

 

「先生、どうか泣き止んで下さい。そんなに泣かれたら、わたしはどうしたら良いか分かりません」

 

 こんな状況、花陽に限らず誰だって何したら良いのか分からないだろう。果たして正解は存在するのか。

 おろおろと慌てふためく花陽は、もう謝罪がどうとかどうでもよくなっていた。いや、これだけの誠心誠意(?)の謝罪は今まで見たことがなく、許す以外の選択肢はない。

 

「許します、許しますから泣き止んで下さい」

 

 花陽も抑えていた涙が目元を熱くしだした。

 ついには嗚咽が止まらなくなり、二人してえんえんわんわん泣き喚くことに。

 暫くして二人の涙が止まると、備え付けられたティッシュで目元を拭う。泣き過ぎたのか目がはれぼったくなっていた。

 希が花陽の両肩に手を置きながら、

 

「これからは二人、何事も協力し合いながらメンバーの皆様を支え合っていきましょう」

 

 と、最後は良い話風で終わらせようとした。

 花陽はその術中に嵌ったのかどうかは知らないが、

 

「こちらこそお願いします。何時か、アイドルの事について語り合いましょう」

 

 そう返した。

 希はいつもの爽やかな笑みで、

 

「ええ、何時か必ず(って一体何時だ?)。その時が来るまでには、私もアイドルのいろはをマスターしていたいと思っております(期日があやふやな怪しい発言)」

 

 と頷き、花陽と二人、今度は初めて笑い合うのだった。

 

 



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その⑥

 にこの姿が別荘の外にあったのは、草木も静まり返る夜更けの時間だった。寝付けないために星でも見て気分を転換しよう、というわけではない。

 

(こんな時間帯に呼び出しだなんて、希は何を考えているのよ。夜更かしは美容の大敵なのに、あいつは自分がマネージャーだってこと分かってんのかしら。もう、さっさと話だけ聞いて寝よ)

 

 こういう事らしかった。二人きりで秘密のお話がしたい、と何やら意味深に誘って来た希に従い、こうやって眠たいのも我慢して出て来てやったのだった。忘れていたことにしてバックレてやろうとは思わなかったらしく、友達甲斐のある良い奴である。

 

 にこが外に出ると、希は星を眺めていた。趣味の天体観測であろうか。

 

 希の場合はただの天体観測ではない。星の動きや輝き方を読み解いて、人や物事の未来、結果を予測するという怪しげなものである。にこが近寄ると、

 

「にこ、あの星をご覧ください」

 

 頭上を指さした。あの、と言われてもどの星かは分からないが、形だけ見上げる姿勢を取る。

 

「私は毎夜、星を眺めているのですが、A-RISEの星は日ごとに輝きをましております。我らμ'sの星もまた、その輝きを強めてはおりますが、口惜しいことにA-RISEには遠く及びません」

 

 どれがA-RISEの星で、どれがμ'sの星なのかは、にこの知るところではない。というかそんな星が存在するのか、希が適当なことを言っているだけなのではないか、などと常識的な疑問をぼんやり考えていた。こっちは眠たいのを我慢して付き合ってやってるんだから、さっさと本題に入れと、

 

「何が言いたいの?」

 

 にこの眦がぎろりと上がる。

 

「このままでは、ラブライブ! でA-RISEを打倒することは無理だと申したいのです」

 

 希の口調は世間話をするようであったが、どうも雑談ではないようだ。

 ふざけるな! 戦う前から負けを認めるとはこの敗北主義者めが、と怒鳴るようなことをせず、にこは素直に認める。

 

「そりゃ、そうでしょうね」

 

 言われるまでもない。宇宙ナンバーワンの自尊心を誇るにことて、不可能なことは不可能と言える程度の謙虚な心もある。現状、μ'sがA-RISEを打倒するのは夢物語に近い。叶えるには、A-RISE撃破と記した紙を枕の下に置いて眠る以外にはなかったが、この方法は一時的なものに過ぎず、直ぐに現実を知らなくてはならなくなる。

 

 にこは姿勢を整えた。希の話が思いのほか真面目だったことから、まともに話を聞く気になったのである。

 

「にこは、三本の矢、という故事をご存知でしょうか」

 

 聞いたことはある。

 

「あれでしょ。なんだったかしら、一本や二本の矢だったら簡単に折れてしまうけど、三本の矢を束ねれば全然折れないっていう」

 

「そうです」

 

 戦国の謀神、毛利元就が三人の息子に伝えたとされる話だ。

 元就が病床に伏していた時、三人の息子である隆元、元春、隆景を枕元に呼んだ。三人を呼んだ元就は、矢を取り出すと、先ず一本を隆元に折らせる。次いで二本束を元春に折らせ、三本束を隆景に折らせようとしたが、隆景は折ることが出来なかった。隆元、元春も三本束は折れず、悔しがる三人を見て元就は言った。

 

「一本、二本の矢は簡単に折ることが出来るが、三本に束ねると折ることが出来ない。お前達と一緒だ。これからは三人が常に協力し合っていけば、誰にも負けることはない。努々このことを忘れず、毛利家を守ってくれ」

 

 この話は現代の研究で嘘だったことが判明している。モデルとなる話はあったりするのだが、その辺りは重要なものではない。話が事実だろうが嘘だろうがどっちでもよく、重要なのは内容である。

 話を聞き終わると、にこは希が何を言いたいのか理解した。

 すると希は、

 

「覚えていますか? 私と貴女が初めて会った日のことを」

 

 急に優し気な目をしながら、思い出話を始める。

 

(ははーん、さては、昔話で感傷に浸らせてその勢いでわたしとの仲を戻そうという魂胆ね。良いじゃない、乗ってあげるわ)

 

 そのビッグウェーブに! ということでにこの胸に浮かび上がる友情のストーリー。物語は、にこが希と絵里をアイドル研究部に誘ったことから始まった。にこの熱意に応えて、真摯に助言をしてくれる希、アイドル研究部が空中分解した後も、希はそれとなく支えてくれた。

 昼休みのお弁当交換会では、希の料理が意外にも健康的で美味しかったし、放課後街に繰り出してのショッピングは楽しかった。にこが風邪を引いた時には看病に来てくれたし、妙に妹や弟達の世話も手慣れていたものである(だが、珍妙な話を吹き込むのは止めて欲しい。妹達が『孫子』だの『呉子』だの『孔明様』だの言い出した時は、希を始末すべきかどうか本気で悩んだ)。

 

 二人でカレーのルーをチョコレートと偽って絵里に食べさせた時なんかは、腹を抱えて笑ったものだ。その日から二日間、絵里に口を聞いてもらえなかった(二日後、寂しくなった絵里が話し掛けて来た)。

 

 思い起こせば、夜風がどうということはないほど、にこの胸が熱くなる。

 ひょんなボタンの掛け違いから、今や軽い冷戦状態に突入している二人だが(そんな風には見えないが)、少なくとも唯一無二の大親友なのだ。一緒にご飯を食べて、一緒に絵里を揶揄って、一緒にお買い物をして、一緒に絵里を騙して、一緒に夜を過ごしたマブダチ(悪友)である。

 

 不思議だ。あれほどわだかまりの感情があったというのに、分かってはいるが嵌らざるを得ない希の誑かし術。

 

 やはり、にこは希の事が好きなのである。どれだけ罵詈雑言を浴びせかけ合おうが、意見が合致しなかろうが、なんとなく無性に腹が立って来る時があろうが、にこは希が好きだ。一人の親友として大好きだ。恋人にしたいかと言えば、それは天地がひっくり返ってもあり得ない。

 

 そろそろ潮時なのではないだろうか。希がアイドル研究部に入ってからは、飽きもせずカミツキガメのように希をがぶがぶしていたにこ(その度に軽くあしらわれた)。今でも隙あらば噛みついてやろうと虎視眈々機会を狙っていたが、それも終わりを迎える時が来たのではないだろうか。

 

「三本の矢で折れないなら、九本の矢だったらもっと折れない」

 

「単純な計算ですよ。三より九の方が数字は大きいのです。A-RISEは三人、μ'sは九人、どちらが勝つのか、結果は火を見るよりも明らかとなるでしょう」

 

 単純に計算し過ぎである。でもそのツッコミは無粋なのかもしれない。

 

「にこ」

 

 希の視線の先には、月の輝き。

 

「月が綺麗ですね」

 

「ええ」

 

 本当に美しい。

 にこは黙って月を見ていた。

 言葉は不要だ。綺麗だなんてわざわざ声に出す必要もなく、月は綺麗だった。にこは夏目漱石を名前ぐらいしか知らない。吾輩はにこである、じゃなくて猫である、の作者ということは辛うじて。でも、月の美しさ、綺麗さは知っている。

 

「ふふっ」

 

 当てが外れちゃったよ、とでも言いたげな希の薄い笑い。

 これでもしにこが、

 

「死んでもいいわ」

 

 だなんて返してきた時はどう収拾をつけるつもりだったのかは定かでなく、その場合、希とにこの影が次第に重なり合い、月は二人を何時までも優しく見守っていた、なんて展開になっていたのかもしれない。

 そうならないところが、この二人なのだが。

 

「ごめんなさい」

 

 にこが謝った。唐突ではあったが、雰囲気的にはそんな感じだったのかもしれない。

 

「いえ、謝る必要はありませんよ」

 

 希は気にするなとかぶりを振った。

 だって悪いのは希だし。

 ここでにこ、長女として妹達の模範となるべく鍛えてきた人格者ぶりが顔を出す。

 

「どっちの方が正しいとか、どっちの方が悪いとかじゃないの。喧嘩してたんだから、仲直りをする時はごめんなさいなのよ。それが喧嘩の終わり方」

 

「なるほど。そういうことでしたら、にこの謝罪を受け取りましょう。そして、私の謝罪も受け取って下さい。申し訳ございませんでした」

 

「堅い奴ね。でも、それでこそ希だわ」

 

 これで仲直り、ということらしかった。

 このままめでたしめでたし、明日から心機一転頑張ろうとなるのが普通なのだが、そうは問屋が卸さず、ここから話が続いていくのが希とにこだ。

 

「今ほど、私とにこの心が通じ合っている時はないでしょう」

 

「何をこっぱずかしいことを言ってんのよ」

 

「現に、私はにこが望んでいる言葉が手に取るように分かります」

 

「言ってみなさい」

 

 希は直ぐに言わず、その場を離れて勿体ぶるように別荘の方に歩き出す。途中で半身だけ振り返ると、羽扇を口元に備えて言うのだった。

 

「ぎゃふん」

 

 にこは名前通りにっこりと笑った。

 

「にこ、今日はありがとうございました。また明日からお願いします。今日は良い夢を、お休みなさい」

 

「ええ、お休みなさい」

 

(永遠にね)

 

 この後、二人の間に何が起きたのか知る者は本人達を除いていない。ただ明日以降の合宿を無事に終えて音ノ木坂に帰って来た時、μ'sは変わらず九人だと言うのは、確かな情報である。

 



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その⑦

 ツバサはアイドルらしからぬ渋い顔をして、パソコンの画面を眺めていた。表記されている内容は本当に事実なのか、もしかしたら幻覚を見ているのかもしれない、思いながら何度も何度も同じ文字群も追っているが、その度に現実であることを認識させられる。

 想定していた内容だったが、信じたくはなかった。人々が自身に掛けられた呪いを解いて、真実の姿を世界に知らしめてくれると夢想していた。でも、現実の厳しい風が容赦なく吹き荒れて、ツバサの心を寒からしめるのである。

 

「μ's、ランキング十位」

 

 音にした言葉は、物理的な攻撃力をもってツバサを苦しめる。

 どうしてあんなおちゃらけ集団がベスト十に入っているのだ。他のスクールアイドルは何をやっているんだ、とライバル達の不甲斐なさに憤激しながら、一度たりとも信じた事のない神の采配の過ちを指摘した。こうなることは薄々予測はしていたけど、いざ現実になってみると認めたくないのである。

 

「男どもめ、誑かされやがって」

 

 誰も聞いていないのを良いことに、荒々しい言葉遣いで世の男を責める。このランキング結果は、先日μ'sが公開した露骨な人気取り動画が原因に違いない。男どもはμ'sの水着姿に目がくらみ、判断を誤ったものと思われる。

 

 それにしても汚いのは、μ'sとその裏で糸を引いている東條希だ。こんなことをして人気を得て恥ずかしくないのか、と怒りを抑え切れないツバサだったが、冷静に考えると普段のμ'sの暴走っぷりの方がよほど人様にお見せ出来ないほど恥ずかしいのであり、この浜辺で戯れる水着女子の姿は健全と言えば健全である。

 

 これがμ'sの強みなのかもしれない。もう恥ずかしい様が定着しており、何をやってもμ'sらしくて斬新で素敵、となってしまうのである。これも希が裏で情報操作、印象操作を図っていたからで疑いはない、と思うのは考え過ぎだろうか。少なくともツバサは、μ'sが原因の世の不条理は、全部希の所為だと考えている。

 

「今度のラブライブ! は荒れるわよ」

 

 大会の出場資格は、ランキング上位二十までに入っていること。μ'sには既に資格がある。ここから大どんでん返しが起こって一気に二十位以下に転げ落ちることはまずない。何か雰囲気というか流れがそうならないとツバサに対し明確に語り掛けて来る。

 希が今回の大会で何を仕掛けて来るのか、それは分からない。もしかしたら何も仕掛けて来ないという仕掛けをして来るかもしれないかどうかも分からない、とツバサ自身自分で何を言っているのか分からなくなってくる。考えたって答えは出ない。

 

「私達はただ、自分の力を信じて最後までやり遂げるだけよ」

 

 よし、あんじゅ、英玲奈、練習よ、と呼び掛けようとして、はたと思い出す。

 

「そう言えばあの二人、今日は用事があるって言って居ないんだっけ。二人していそいそと随分怪しげだったけど、何なのかしらね。あの二人もあの二人で最近変だし」

 

 私の周りには変な人しか居ない、とツバサは大きなため息を吐くのであった。

 

 

      ◆

 

 

 一方、あんじゅと英玲奈は音ノ木坂学院に足を運んでいた。

 本日、音ノ木坂は学園祭である。ここ数日、朝から空一面が青々としていた。その青さが終日表情を崩さず、今日を迎えたのだ。まるで天が学園祭を待ち望んていたよう。天気予報ではしっかり雨だったのに、雨雲は予報士の予想に反して怠け者だったらしい。

 一説によれば、どこかの誰かが怪しい儀式の様なことをしていたらしいが、関係性は一切不明である。ともあれ晴れて良かった。

 

「ほう、随分と盛況なものだな」

 

 物珍し気に周囲を見回す英玲奈は、時折感嘆の声を上げながら道を進む。少し前までは廃校だなんだと騒がれていたが、そんなことを微塵も思わせないような盛り上がりぶり。

 ふと隣に視線を向ければ、大きめのフランクフルトを頬張るあんじゅがいる。大きい大きいと言いながら口に突っ込んで舐るように食べる様は狙ってやっているようにしか見えず、齧って食えよ、と言ってやる気力すら奪われてしまう。

 

「美味いか?」

 

 当たり障りのない言葉を掛けてやると、あんじゅは、

 

「ええ。でもとっても大きくて、お口の中から溢れ出しそうよ」

 

 と、無意味に色気を振りまきながら答えるのである。

 本日、二人が音ノ木坂学院を訪れたのは、此度の学園祭を楽しむのが目的だ。決して、再び隆盛を取り戻さんとする音ノ木坂を偵察すべし、とか、リーダーのツバサが気にするほどのスクールアイドルμ's並びに東條希とはいかほどのものか、この目でしかと見て取ってやらん、とかそんな大層な気持ちはないのである。

 強いて言えば、もし運よく希に会えたらツバサのことをアピールしておいてやるか、という友達思いの(お節介な)心ぐらいだ。

 

「そう言えばパンプレットを貰っていたな」

 

 英玲奈が手提げバッグから取り出したパンフレットには、何か所かにμ'sの文字が存在する。校内放送を利用したトークラジオと屋上でのライブがμ'sの出番のようだ。音ノ木坂の学園祭に来た以上は外せない二つのイベントである。

 二人は建物の中に入ると、各フロアの出し物をこれでもかと満喫した。お化け屋敷やメイド喫茶、男装喫茶にコスプレ喫茶、今思えば喫茶ばっかりだったが、これはこれで良かったのである。当然、メイド喫茶であんじゅが、男装喫茶で英玲奈がその恰好をして、客でありながら店員をもてなすという事態に陥ったのはお約束だ。

 

 コスプレ喫茶は三年生のとある教室の出し物で、女子校で誰が得するのか三国志の登場人物に扮した生徒たちがもてなしてくれる。一体誰が発案したことやら。

 コスプレのクオリティは中々のもので、クラスで高身長の生徒達が付け髭をし青龍偃月刀や方天画戟を手に圧巻のおもてなしを見せてくれた。張飛に扮した生徒が、

 

「音ノ木坂じゅうの酒を全部持ってこい」

 

 酔ったふりをして暴れまわるのを、関羽や趙雲に扮した生徒達が取り押さえるという劇も用意してあり、客を笑いの渦に取り込んだ。学園祭のノリだからこそ出来る芸当だ(というか音ノ木坂だからこそであろうか)。

 ここでも案の定、英玲奈が周瑜の、あんじゅが貂蝉のコスプレで周囲を沸かせるのだった。

 こうやって楽しんでいる間にμ'sのトークが放送されて、これでまたお笑いを誘った後屋上ライブである。本日のメインイベント、客は屋上へと早足に向かい、英玲奈とあんじゅも後に続く。屋上へ向かい開演時間が来れば、遂にμ'sの登場である。

 

「皆の者、出陣だよ!」

 

 穂乃果が威勢の良い声で口火を切ると、μ'sが一斉に現れて観客は熱狂の雄叫びを上げる。周りにつられて英玲奈とあんじゅも声を上げた。

 今回のμ'sのコンセプトは皆まで言うな、三国志である。コスプレ喫茶の発案者と同一人物の仕業であるのは明白だが、肝心の本人はアイドルではないのでいない。

 それぞれ自分の扮する武将に成りきっているのか、いつもと様子が違うものの、ライブ自体はいつも通りのμ'sの舞台である。

 

「見て下さい、長姉。義の旗に集う勇者たちの数を」

 

 海未が成りきるのは関羽だ。長姉と呼ばれた穂乃果が成りきるのは劉備。またそれぞれ、ことりが張飛、絵里が馬超、にこが法正、真姫が馬謖、凛が趙雲という形になっている。コスプレ喫茶の方とは違って、武器は不所持、髭もなしと、一応スクールアイドルらしくはしている。観客達は、十五分ほどμ'sの演劇を観賞して場の空気を整えた。

 

「ほ、穂乃果姉、こ、ことりはもう我慢できないよ。早くお酒かライブを」

 

 虚ろな瞳、震える手、幽鬼を思わせる声、ことり迫真の演技は、普段の家での母から学んだもので、いつどこで発揮されるか不明だったがとうとう陽の目を見たのである。別に感慨深くはない。なんだったら永久に見る必要はなかったのだが、マネージャーたってのお願いだったので仕方がない。あまりの演技力、観客に交じる演劇部員がスカウトしようか迷うレベル。

 

「いけない、このままじゃことりちゃんが壊れちゃう。うぬぅ、もう少し準備が必要だったけど、直ぐに歌う用意を」

 

 演技力では穂乃果も負けていなかった。穂乃果の指示を受けて、メンバーが各々の配置につくと、曲が流れて来る。音ノ木坂の学園祭の為だけに作られた新曲であり、どう聞き取っても音ノ木坂賛美の歌であったが、観客はμ'sの歌ならなんだって良いのである。別に演歌でも軍歌でも文句はないのである。

 学園祭の楽しみ方を理解している英玲奈とあんじゅも、気持ちは観客と一緒だ。今はスクールアイドルA-RISEの一員としてではなく、ただの一お客として盛り上がるのみ。声を出して手を上げて、やんやとライブを楽しんでいると、ぽんと肩を叩かれた。

 

 振り向けばそこには、

 

「どうも楽しんで頂けているようで幸いです」

 

 諸葛孔明がいた。

 頭に綸巾を戴き、鶴氅を身に纏っている女性。分かりやすく言えば、頭巾を被って道服を身に纏った仙人みたいな女性がいるのである。口元に羽扇を持って、クスクスと笑う様は、イメージ上の孔明そのもの。二人が本物の孔明と間違えてしまうのも無理はない。

 事実、本物だと言っても間違いではないのだ。性は東條、名は希、字は孔明、三国志の諸葛孔明の生まれ変わりその人である。

 

「まさかお二方が、我らの学園祭に足を運んで下さっているとは思いもしませんでした」

 

「よく、私達が来ていると分かったわね」

 

 希は莞爾と笑い、

 

「随分と楽しんで頂けたようですから、私の耳にもお二方の情報が入って来たのですよ」

 

 ああ、と納得する二人。確かに、喫茶店ではしゃぎまくっていたから、そりゃあ情報として流れても仕方はない。特に正体は隠していないし。

 

「ライブが終わった後でよろしいので、是非、我がアイドル研究部に御足労を願いたく」

 

 にこや花陽も喜びます、と希が付け加えた。

 拒否権はどうもなさそうである。英玲奈とあんじゅは同じタイミングで苦笑しながら、首を縦に振るのであった。

 

 



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その⑧

 思っていたより数十倍はまともそうな人、というのが英玲奈とあんじゅの希評である。ツバサが語るところ、奇人変人エキセントリックの社会不適合者であり、悪鬼羅刹も裸足で泣き喚きながら逃げ出す邪神、ニャルラトホテプの化身などとけちょんけちょんに貶していたが(そこまで言ってない)、実際に顔を合わせてみれば、礼儀はしっかりしているし、話は教養の深さを匂わせるほどに面白いし、何より美人だしといいとこ尽くめ。

 

(ツバサは何か勘違いでもしているんだろう。思えばあいつは思い込んだら話を聞かないところがあるからな)

 

 と、ツバサを被害妄想系女子に仕立て上げるのだった。人によって評価が極端に二分する女、東條希、十七歳。誠実なる忠臣か、はたまた稀代の大悪魔か。神算鬼謀の天才か、はたまた古今並ぶ者なき大ぼら吹きか。どちらも彼女だと言ってしまえばそれまでだが。

 μ'sの他のメンバーだって嫌いな人から見れば、それはそれは悪魔の大軍団なのである。一例として二年生組を挙げてみれば、穂乃果は純粋にして人の陰口を絶対に言わないスーパー聖人気質と褒め称えられる一方、理想主義の幼稚園児と厳しい声も。

 

 海未だって女にしておくには惜しい硬派な武人という声が上がれば、時代遅れで感情が高ぶれば直ぐに暴力を振るう危ない人と認識する人もいる。ことりは常に他者の動向を見守りながら気遣いが神懸っているという高評価に反し、腹黒と一刀両断の評価も。

 

 しかし考えてもみれば、これは彼女達が人気者な証なのだ。三国志だって、人気が高い劉備ら三兄弟、呂布、曹操などは高低両評価が世に蔓延っているし、言わずもがな孔明もそうだ。人気者だからこそ、良い所は勿論、悪い所も目に付きやすいのである。悪い評価があってこそ人気者だという証明になるのだ。

 

 悲しいのは人気がない、というより認知度がない人である。良い悪いを論ずる前に、そもそもその人はどんな人なの? ってなるのが一番悲しい。これまた三国志で例えるなら、呉の孫権であろうか。いや、彼に認知度皆無などと暴論を吐く気はないが、曹操や劉備と比べると少し見劣りしてしまう。何より、歴女の心の旦那様である周瑜の存在が悩ましいところ。

 

 まあ話を軌道修正して、人には人それぞれの好みがある。理想が好きな人もいれば現実が好きな人もいる。素直なのが良い人もいれば、ひねくれた考えが好きな人もいる。万人が万人に等しく好かれるなどそもそも不可能な話なのであった。だから、希が忠臣だろうが詐欺師だろうが、穂乃果が聖人だろうか幼稚園児であろうが、気にする必要はない。物は言いようで、全てをひっくるめて彼女達なのである。長々と申し訳ない。特にこの論のオチは用意していないので、このまま英玲奈達に話を戻す。

 

 ライブの完成度もあってμ'sの評価を上げていた英玲奈とあんじゅは、希の予想以上のまともな態度に安心、そして感心でもある。

 

 場所はアイドル研究部の部室。この場に居るのは英玲奈とあんじゅを含めて三人だ。希とにこと花陽である。二年生組と花陽以外の一年生組は学園祭を満喫しに、絵里はクラスの応援に向かったのでこの人数だ。にこと花陽は一ファンとして、是非お話を、というところ。

 

「別に気を使ってもらう必要はないが」

 

「そうよ。私達は特別な人じゃないんだから、あまり遠慮とかしないで」

 

 μ'sの三人が賓客扱いをし、あまりにも丁重にもてなして来るものだから、英玲奈とあんじゅも気後れしてしまう。特に、花陽とにこの態度が行き過ぎなぐらいに慇懃なことが拍車をかける。

 

「こ、こんな部屋に、あんじゅ様と英玲奈様のお二人を、も、申し訳ありましぇん」

 

 と、花陽が舌を縮まらせて、話すのも覚束ない様子を見せれば、

 

「こ、こらっ、希! 早くお二人にお茶の用意を!」

 

 にこもあたふたと希に指示を出す。

 二人にとって、A-RISEはまさにやんごとなき方々。農民の自分達の目前に、現職の関白だとか、征夷大将軍だとかが居る状況であり、愛想よく手もみを加え、これでもかと言うほど媚びへつらい、しまいには拝むように平伏しだすのだった。

 

「あっ、おい?」

 

「ちょ、ちょっと顔を上げてくれるかしら?」

 

 自分達のファンの中には狂信的なファンもいることは知っているが、実際に会ってみるとどう対応して良いか分からず、おろおろする他はない。

 ぺこぺこ、おろおろ、不思議な空間である。

 

「にこと花陽はお二方の、A-RISEの大ファンであります。己が人生を掛けていると言っても間違いはなく、こうして舞い上がってしまうのも致し方ないことでしょう。A-RISEと話が出来るのなら死んでも良いだなどとおっしゃっていましたが」

 

 希は重たい内容を爽やかに軽く話した。

 そんな話を聞かされればますますどうしたものか。

 

「それでは皆様、用意が出来ましたので、これを飲んで気を落ち着かせて下さい」

 

 粗茶ですが、と机に並べられた湯呑。思えばライブ終了後、一アイドルとして、一マネージャーとして、一観客として声を張り上げてから水分補給をしていないので喉が渇きまくっている。英玲奈とあんじゅはコクリと、にこと花陽はゴクリと飲み込んだ。

 

「わっ! 美味しいじゃない!」

 

 にこが勢いよく残りのお茶を飲み干した。他三人も、大なり小なりお茶の美味しさに目を瞠っている。今まで自分が飲んで来たものは一体何なんだと、分からなくなってくるぐらいには美味しい。希も一口飲んで、よし、よし、と呟いた。自分でも満足の出来なようだ。

 

「一体どんな茶葉使ってんの?」

 

 詰め寄るにこへ希が差し出したのは、そこら辺のスーパーでお手軽にお買い求め可能な安物の茶葉である。何なら矢澤家でも愛用していると言えば、どれほどリーズナブルな品物かよく伝わるだろう。これに信じられないという顔を晒したのは花陽だ。

 

「私の家でも使ってるけど、こんなに美味しくなんてならないよ」

 

「湯の温度、茶葉の蒸れる時間、湯呑への注ぎ方、一つ一つを丁寧に行えば、お茶というのはこれ程にも化けるのですよ」

 

 ちょろっと前に、海未を誑かしに家を訪問した日(μ'sを結成して間もない時期)、淹れてくれたお茶の味を忘れられなかったのか、希は後日教えを乞うたのである。海未は快く承諾してくれて、その極意を希に教えた。昔から細かい所は細かい希なので、茶の淹れ方の奥の奥まで深く潜り、海未だけでなく、海未の母や祖母にまで習ったのだ。

 

「なるほど。料理に一手間を加えれば出来栄えは段違いとなるが、茶の道でも同じことか」

 

「奥が深いわね」

 

 英玲奈とあんじゅがまたも感心する。ストイックな人なのね素敵、と希の評価を上方修正した。

 一先ず、お茶を飲んで喉を潤し、気も落ち着いたところで仕切り直し。

 

「あの、私達のライブはどうでした?」

 

 にこが話を切り出した。殊勝な態度がどうもおかしく感じるところだが、一ファンとしての姿はこんなものである。中国の変面の技(被っている仮面を一撫でするような動作で、別の仮面に切り替える高等技術)に近しい変人格の技(人格を変えるという意味にしても、変な人格という意味でも受け取り方はどちらでも可)は、ある意味感動ものだ。

 

「凄かったぞ」

 

「楽しませてもらったわ」

 

 小学校低学年レベルの感想だった。でもにこは大いに満足した様子。小賢し気な論評を貰うより、単純、シンプルな答えの方がかえって嬉しいものである。一アイドルとしても、一ファンとしても、二人を笑顔に出来たというならこれ以上はない。

 そう考えるとここにツバサが居ないのは正解だったかもしれなかった。彼女が居れば、それこそ偉そうに語り始めるだろうし。にこ的にはそれはそれで良いのかもしれないけど。

 

「今回のライブでもそうだけど、貴女達のライブってどれもエンターテインメント性(悪ふざけ)があるわよね。そういうのってやっぱり、マネージャーの孔明さんや小泉さんが考えてるの?」

 

「基本は先生が考えてますけど、私もお手伝いぐらいは」

 

「ふ~ん。A-RISEにもああいうのを取り入れるのは良いかもしれないわね」

 

(止めて下さい!)

 

 と花陽は内心で懇願する。μ'sはオールマイティなところがあるから、お笑いみたいな要素をふんだんに取り入れても成立はするが、A-RISEはカッコいい系のグループなので、μ'sのやり方を取り入れたら破滅への道を一直線だ。

 血迷うな馬鹿野郎! と一喝することなんて天下のA-RISE様に出来ないので、花陽はうるうるチワワの物まねで無言の訴えをするしかない。

 

「冗談よ」

 

 あんじゅは悪戯っぽく舌を出して笑った。

 

(でも、一回やってみたくはあるわね)

 

 と、思いながら。あんじゅはエンターテインメントを理解する女なのだ。

 

「ライブと言えば」

 

 英玲奈が口を開いた。

 

「今度ラブライブ! が開催されるじゃないか。上位のグループは既に大会に向けての準備を整えているだろうし、下位のグループも、上位の座を奪おうと最後の追い込みをしているようだ。お前達は何かやっているのか?」

 

 希はフッと微笑んで、

 

「この前、綺羅殿とお会いした時、チームワークの重要性を説かれました。流石はA-RISEのリーダー、まことに至言です。我らはその助言に従い合宿を行い、絆を深めることに成功しました。本日のライブで、その成長ぶり、絆の深さを実感したつもりです」

 

 羽扇を口元に運び怪しく瞳を輝かせると、

 

「本日は我らの学園祭に足を運んでいただき、まこと感謝の念が堪えません。ですが、少々暢気だと言わざるを得ませんね。大会終了後、後悔しても責任は取りませんぞ」

 

 強気に言い切った。

 これはA-RISEへの明確な挑戦状だが、英玲奈は破顔一笑した。

 

「はは、ツバサが妙に評価していた時は、あいつの目が節穴にでもなったのか心配になったが、どうやら見る目は正しかったようだな」

 

 英玲奈が立ち上がる。

 

「どうやら遊んでいる場合じゃなくなったようだ。東條希、お前こそ、私を本気にさせたことを後悔するなよ」

 

 いきなり熱血系バトルマンガのような展開。あんじゅはやれやれと呆れ、にこと花陽は燃え上がる英玲奈のカッコよさにメロメロだった。流石は女子が彼氏にしたいスクールアイドル堂々の一位、自然と決まっているポーズも堪らない。

 

「あんじゅ、行くぞ」

 

「あら、どこへかしら?」

 

 あんじゅが訊くと、

 

「無論、ツバサの所だ。東條希、お前の顔と名前、そしてμ's、私は完全に覚えたぞ。大会の日が楽しみだな。首を洗って待っているがいい」

 

 そこそこ物騒な発言をする。この場に海未が居れば時代が数百年遡ったような話に発展して面白くなるのだが、それは後の楽しみにしておこう。

 

「美味しい茶をご馳走になった。その礼もまた、大会で返すことにしよう。ではな」

 

「ばいばい」

 

 英玲奈とあんじゅは部屋を後にした。

 この燃え滾る思いを発散させるため、向かう先はUTX学園だ。

 

 その後、UTX学園へと着いた二人に待っていたのは、ツバサが特大パフェを頬張っている自撮り写真付きのメールだったのは、余談である。

 



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その⑨

 第一回ラブライブ! は各宇宙によって設定も展開も異なったりするのだが、アニメ宇宙ではμ's不参加ということになっている。その理由は学園祭のライブの時、己の体調管理を怠っていた穂乃果が倒れるという失態を犯し、理事長に叱責を受けたからだ。

 

 その時理事長はこんな事になるためスクールアイドルを云々かんぬんと説教していたが、誰もライブ中に倒れるためにスクールアイドルなどやっていない、と心の中で思っていたかどうかは分からないが、とにかく反省してますという意味を込めて大会へのエントリーを辞退したという流れである。この後、ことりの留学問題が発覚、色々と責任を感じた穂乃果が自棄になってμ'sを脱退したり、精神的支柱が折れたため内部分裂が起きμ'sが実質壊滅したり、とか壮絶な展開が待ち受けているのだが、ここでその話は省く。

 

 この時、一部のμ'sファンの中にはある疑問が浮かんだりしたと思う。どうして希が穂乃果の体調不良に気付けなかったのか、というところだ。カードの声を聞くことで未来を予知していた(風な言動をしていた)彼女が、何一つアクションを起こしていないのだ。既にイメージとして定着する彼女なら、カードの声を聞きμ'sの危機を察知、ついでにことりの留学問題や穂乃果の頑張り過ぎによる体調不良も把握し、

 

「穂乃果ちゃん、大会が近くて焦る気持ちは重々分かるんよ。でもな、そうやって無理して穂乃果ちゃんが倒れたら、皆が悲しい気持ちになると思うねんな。だからな、少し休もか。大丈夫やって、穂乃果ちゃんは一人やないん、海未ちゃんもことりちゃんも、皆もおる。勿論、うちだっておるし。なっ、ここはうちの顔を立てると思って」

 

 とやんわりと説得にかかり、言う事を聞きそうになければ強硬手段に出る(ワシワシMAX! なるセクシャルハラスメント)ぐらいはやっても不思議ではない。ことりにしても、

 

「何か言いにくいことでもあるん? んっ、何で知ってるのかって? それはな、カードがうちに告げるんや。皆に、いや、穂乃果ちゃんに何か言いたいことがあるんやろ。大切なことなんやろ? うちも付き添うから、今からちょっと話に行こか?」

 

 と父親に話があるけど中々切り出せない娘の為に、優しく寄り添ってくれる母親のようなことをしてくれる筈(願望)である。それがないのが少なくともわたしには不思議で仕様がなかったわけだ。まさか本当に気付いていないわけではあるまい。

 

 しかし、アニメ宇宙の希は一応普通の少女という括りに入る。もし全てを事前に察知して対処しだしたりすれば、もうそれは超能力者の分類になって普通の少女とは言えない。だから神の意思的な存在は、彼女が奇想天外な異能者になるのを防ぐため、活躍の場を与えなかったのではあるまいか。あくまで普通の少女であり、未来予知なんて出来ないと我々(わたし)に知らしめてくれたのではないか。

 

 もう一つ邪推するならば、知っておきながら敢えて放置していたというもの。獅子は我が子を千尋の谷に落とすと言う。μ'sの母として(立ち位置的に)、穂乃果達に試練を与え、成長させようと思っていたのではないだろうか。大会に出ることよりも、可愛い娘達が逞しく大きくなってくれることの方が大事で、だから傍観していた、と私の邪推である。

 

 さらにさらに邪推を極めれば、μ's伝説に傷を付けないようにするためとも考えられる。仮に何らかのIFルートが発生して大会に出場が叶った時、彼女達がA-RISEに勝てたかと言えば、恐らく難しかったのではあるまいか。μ'sが負けることは許さないという、黒い勢力の手が混入した結果、負けるのであれば端から出なければ問題ない、という結論に至ったのやもしれない。この黒い勢力に希を加えれば、希がμ'sの敗北を察してそれを無くすため動いていたと考えれば、穂乃果達に何の対処もしていないのには納得が行くのだった。

 

 別の宇宙を覗いて見れば、大会に出場した上勝ってしまっている宇宙も存在するが、それは別のスクールアイドルが主役の、しかも何年か後のお話の宇宙。μ'sを主役に考えた場合、序盤でA-RISEに勝ってしまえば、この後どうするんだという問題が浮上する。

 A-RISEの裏に、大魔王的隠しボスを用意する必要が出て来るかもしれず、際限なきインフレスパイラルに陥る危険性もあった。諸々少なくない事情を顧みて、アニメ宇宙のμ'sは、大会への出場叶わなかったわけである(勝手な妄想)。

 

 翻ってこちらの宇宙では、希(孔明)が色々と手を打った為に、大会に出場を果たした(果たしてしまった)。ここでは結果を先に、いや結果のみを書かせてもらうが、A-RISEのハリケーンレベルの猛威は他グループを寄せ付けなかった。

 

 これに関しては予想の範疇だから、大多数の人はさして驚きを示すこともない。μ's内でも、私達はよくやりましたと自分達の健闘を讃えている。希も負けたことなど一切気にせず、

 

「さもあろう」

 

 と深く頷くにとどまった。μ'sの仲を深めたりとかやりはしたし、合宿で確かな成長を実感したけども、それだけで勝てるようになったら苦労はしないわけで、まだまだこれからが勝負と言いたい。負けたら音ノ木坂滅亡というわけでもなし、気楽なものだ。

 にこや花陽のガチ勢も、A-RISEと一緒にイベントをやれたということで満足しており、勝敗はやっぱり棚置き。それで良いのか宇宙ナンバーワンアイドル。

 

 凛、ことりの最初から勝つことなどに興味のない二人は、

 

「楽しかった」

 

 の一言で済ませており、真姫、海未、絵里の負けず嫌い組は、

 

「次は負けない」

 

 と意欲益々盛んにして、リベンジを誓っている。

 穂乃果は穂乃果で、正々堂々と戦って負けたのだから、悔しいけど後悔はしていないと、晴れやか笑顔。

 

 少し拍子抜けしているのはA-RISEのツバサと英玲奈だ。ツバサは、希が何か仕掛けて来るかもと警戒していたが何事もなく、英玲奈もあれだけ啖呵を切ってさぞ熱い展開になると思っていたのが、この様だ(μ'sはベスト四入りすら果たしていない。八には辛うじて入った)。不完全燃焼気味で、もう少し暴れたい気分。μ'sがいつも通りハチャメチャに舞台で暴れ回ってくれれば、A-RISEとしても多少の羽目は外せたのだが、大会中のμ'sは空気を読んだか(ある意味読んでない)お利口さんのアイドルだったのがいけない。

 

 戦隊ものよろしく火薬を使ったり、突然希が剣舞をやり始めたり、穂乃果の大演説で会場を狂気の渦に叩き込んだり、というのをA-RISEや会場の観客、審査員達も期待していたのだが、普通に踊って歌うだけだったのだ。個性をきちんと出していれば、それこそ英玲奈が望む大激闘もやれただろうし、ベスト四に入れたかもしれない、たぶん、きっと、メイビー。

 

 さても本人達は順当な結果で次だ次、と割り切り始めていた頃、外野ではμ'sの信奉者達が大盛り上がりをしていた。いつだって盛り上がるのは、当事者よりも第三者の外野であることが多いのだが、今回も例に漏れずと言ったところ。

 

 μ'sファンの一部には、今回の結果に納得がいっていない者がいる。この宇宙にもμ'sが負けるなんてあってはならないと考えている者達がおり、だからこそ優勝どころかベスト四にすら入っていないのはおかしいと声高に叫んでいるのだった。

 そうしてこんなおかしな(彼彼女らの中では)結果になった理由を真面目に考察し始めるのである。

 その一、

 

「μ'sが手加減をしていたに違いない」

 

 と、言ったのは三十代のサラリーマン男性だ。だがこの説は、μ'sが神聖なる舞台で手を抜くような悪ガキどもだと認めるようなもので、即刻却下された。男性も言ってみただけだったようで、この説を直ぐに取り消した。

 その二、

 

「A-RISEの陰謀よ」

 

 と、陰謀論を持って来たのは女子大生。だがこれも無理があると言われて却下された。希がいながら陰謀をみすみす逃すわけはなく、逆に陰謀返しを図って己が有利に事を進めるに違いない、とファンの希に対する信頼感が説を認めなかったのだ。過激なファンであっても公平さや客観性を少しは保持しているようで、希は陰謀をする側という真っ当な見解は持っているようだった(因みに真姫は持っていない)。

 

 だったらとうしてと考え続けても一向に答えは出ない。当たり前だ、理由だなんてμ'sの現時点での実力がA-RISEより低かったというだけの話なのに、拗らせようとしても上手く行く筈はないのである。それでも信奉者としては、何とかこじつけてμ'sこそがナンバーワンなのだと証明したいのだ。そうして悩み抜き一つの論が飛び出て来た。

 

「μ'sは九人の女神を表す言葉なんだ」

 

 力説する男子高校生曰く、希と花陽が舞台に立っていない時点で、将棋で言うと飛車角落ちの状態を示し、その状態であそこまでやれたのはやはりμ'sの実力を証明しており、μ'sこそが最強のスクールアイドルだと認めるに足る理由となるらしい。

 この説、信奉者の中では大いに的を得ていると話題になった。ツッコむべきところは沢山あるのだが、そこは目を瞑ってでも魅力ある説なのである。

 

 なまじっか顔出し声出しをしてしまい、マネージャーでありながらファンを作ってしまったからこそ出た説だ。彼女達が舞台に立ったところを見たことはないけど、でも立ったらそれは凄いことになると根拠もなく信じているようだった。

 信奉者達はついにその妄想的願望を叫び始めた。

 

「孔明先生の踊りが見てみたい」

 

「かよちんの美声を広く天下に知らしめるべき」

 

 すると信奉者だけでなく一般的なファンも同調し始め、とうとう他のスクールアイドルやA-RISEにまで伝播、希と花陽のメンバー入りを望む声は日に日に大きくなっていく。特に英玲奈は、九人のμ'sを叩き潰してこそ真の勝利だと再び導火線に火をつけている。

 

 さて、とうとうこの時がやって来たか、裏方でひそひそと暗躍していた希が表舞台に躍り出るのか、私と花陽を入れて九人です、みたいな展開が実現するのだろうか。

 全ては次回で明らかに。

 



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スクールアイドル、諸葛孔明!
その①


 昼休み、希の最近の日課は図書室で本を読むことだ。一、二年生の頃も日課だったのだが、部活を始めてからめっきりご無沙汰しており、ここのところ一段落ついてか再開したのである。アイドル研究部、現在小休止中だった。

 

「先生、ちょっとここを教えて欲しいんだけど」

 

 真姫が問題集を差し出して希に訊ねた。これもまた希の日課の一つである。ご両親から大切な一人娘を託された以上、責任があるのだ。希は優し気な笑みを浮かべて読書を中断し、訊いていないことまで懇切丁寧に説明する。真姫はしっかり全部メモした。

 

「ありがとう」

 

「いえ、私如きでよろしければいくらでもお付き合い致します」

 

 希はふふっと笑った。

 見惚れること数秒、じゃあ付き合って下さい、と言う勇気を絞り出せずに再び問題集に向き合う真姫の頬は、真紅の髪よりも鮮やかに色づいている。

 図書室での密会にこぎ着けたは良いものの、その先には中々進めないでいた。と言うよりその先に進もうという意思が欠如しており、これで満足してしまっているところがある。今はまだ、プラトニックな恋心を着々と育み続ける真姫であった。

 

 しばらく、二人は口を閉じた。ぺらりと音を立てて捲られる本、かりかりと紙面を打つシャーペン、これぞ学校の図書室の一幕だ。

 

「そう言えば」

 

 希が真姫を横目に見る。

 

「真姫は凛と仲良くしていますか?」

 

 希とにこ、花陽の和解が完全に成立した後、希と花陽が仲介役となって真姫と凛も冷戦を終了した。それからお互い花陽の共通の友達として交流を深め、何だかんだと学園祭を二人で回る程度には仲を良好なものにしていた。

 

「心配しなくても大丈夫よ」

 

 責任感故か少々過保護な希に、真姫は心配するなと伝える。まだまだ無二の親友とは程遠い関係だが、普通の友達としては適切な距離感のように思う。これからはアイ活中に睨み合ったり、肘をどつきあいしたりすることはないだろう。大会でもやらなかったし。

 それよりも真姫が問題にしたいのは、希の交流の方だ。

 

「先生は、皆と随分仲が良いのね」

 

 幾分嫌味を込めたつもりで言った。

 希の交流は幅広い。普段の学校生活では絵里やにこといちゃつき、部活中には花陽や凛と戯れ、放課後や休みの日は穂乃果の家に入り浸り、何時連絡先を交換したのかA-RISEの英玲奈とも関係を持っているらしい(真姫主観による分析)。

 

 この昼休みの密会とて、少し手を打たねば拙いと思って始めたのである。

 真姫の幼気な焼餅感情が、赤々とした頬をぷっくり膨らませる。

 すると希、何が面白かったのかクスリと声を出し、

 

「ええ、皆様とは良き関係を築かせてもらっています」

 

 と、合っているけど、真姫的には納得いかない返答をした。

 希は都合が良いのか悪いのか、こういう乙女の純粋な恋愛感情になると途端愚鈍になる節がある。少しでも謀の匂いがあれば直ぐに嗅ぎ取るのだが、真姫のような純粋一筋になれば、その察知能力は凡人以下。頓珍漢な回答もしばしば。

 

(ふんっ! 先生の女ったらし)

 

 真姫は両頬を焼餅状態にしたまま、ムスッと眉間に皺を寄せた。

 

「急に何をそんなに怒っているのですか? 真姫に何かしましたか?」

 

「別に」

 

 女心と秋の空、女性の心は何時の時代も分からないものだ、と希は苦笑い。態とじゃないのか、と言いたくなるぐらい鈍い奴である。しかし、こんな女に惚れてしまったのが運の尽き、真姫もそこを理解してこれからも頑張って行ってほしいものだ。

 

「ふむ、真姫は何が望みなのですか?」

 

 一向に怒りを収めようとしない真姫を懐柔にかかる。別に希と望みをかけたわけではない。何がって、貴女が希でしょう、という海未の鉄板ネタと丸被りする様な一発ネタではないので悪しからず。真姫はもう鈍いんだから、と思いつつも折角だから、

 

「じゃあ、先生もアイドルやりましょう」

 

 と、望みを言うのだった。

 希はどこからともなく羽扇を取り出すと、

 

「その話はまたいずれ」

 

 ひらひら顔の前で揺らすのであった。

 

 

      ◆

 

 

 第一回ラブライブ! が終了して、音ノ木坂学院アイドル研究部はその活動規模を少し縮小していた。廃校も無くなり、大会も終わったとなれば、これからの目標が定まらず宙に浮いた状態となっている。こうなって来ると現実が急に勢力を拡大して来て、特に三年生組は将来に向けて各々動き出し始めた。

 

 そのためにこや絵里は受験勉強に忙しい。

 絵里はA-RISEリベンジの為の猛特訓を考えてはいたが、一体何時になったらその機会とめぐりあわせになるか分からず、そもそも機会があるのかどうかすら不透明なところもあったので断念。将来を見据えた活動にシフトした。

 

 希は二人のように受験勉強とは無縁である。勉強などしなくとも大学ぐらいになら軽く入れる、と世の受験生を舐めくさっているわけではなく、就職先が確定しているからだ。穂乃果の家に放課後、休日と入り浸るのはそれが理由であり、修行しているところである。

 臣下たるもの、死によって分かたれる時までは、主に何時までも付き従うものだ。忘れてはならないが、希の中の人である諸葛孔明という男は、誠実さと忠誠心が売りの男である。敵も味方も謀略に嵌める様な意地悪なところが目立ちはするが、本質は忠義。

 

 年中同じ格好をして羽扇を無駄にひらひらさせるような変人であり、言葉巧みに人を欺く詐欺師の異母弟みたいな男であっても、忠義一筋、泣かせるロマンティック軍師なのだ。

 

 ついでに他の面々の動きを見てみると、やはり一日ずっとスクールアイドルをやっているわけではない。真姫は前述の通り、希に師事を受けながら学に励み、花陽と凛は極一般的な女子高生生活を平和に送っている。

 

 穂乃果、海未、ことりの幼馴染三人衆は、生徒会室へ足を頻繁に運んでいるようだ。音ノ木坂総意として、次期生徒会長は穂乃果に決定したのだ。穂乃果の人間的魅力は音ノ木坂の生徒、先生を完全に取り込んでおり、心酔させるにまで至っている。μ'sが音ノ木坂で好き勝手に暴れ回れたのは、文句を言う人間がいなかったから出来たことだ。

 

 当初は私にとても務まる仕事ではありません、と断っていたのだが、やって下さい、貴女しかいないのです、と言われ続けるうちにその気になって、じゃあやる、と引き受けてしまったのである。穂乃果がやるのなら我々が補佐をすると海未、ことりが名乗り上げ、三人は現生徒会に生徒会の何たるかを教わっている最中だ。

 

 実の話、アイドル研究部の活動が縮小したのは、これが一番の原因である。リーダーの穂乃果が生徒会の方にかかりきりとなり、部活の方まで手が回らないのだった。

 

 が、九人とも別にやる気がないわけではなく、寧ろやる気はそれなりにあるので解散はせずに部活の時間は最低限しっかりと確保している。

 

 さて、アイドル研究部の現状は燃え滾る炎が一旦鎮火しているといった風情だが、スクールアイドル業界は初の大会を経て、今までにない盛り上がりを見せている。

 各地のイベントにスクールアイドルが起用されたり、本人達自らイベントごとを催したり、普通のアイドルと何が違うのか境界線がはっきりしないほどの熱気ぶり。

 

 そんなスクールアイドル業界が今一番注目しているのは、何を隠そうμ'sなのであり、特にマネージャーの希と花陽のメンバー入りを望む声はひっきりなしに続く。どこからともなくそんな声が寄せられてくるので、希はそろそろうんざりしているところである。

 ある日の事、英玲奈から電話が掛かって来て、

 

「希、お前、スクールアイドルをやる気はないか?」

 

 と言ってきた。珍しいことがあるもの、英玲奈からの電話は基本がツバサの個人的情報(食べ物はどんなものが好き、趣味はこういうもので、この間ツバサにこんなことがあって、などなど)の垂れ流しであり、

 

(綺羅殿を嫁にでも貰ってくれと言っているのだろうか)

 

 と、英玲奈の謀の匂いを瞬時に嗅ぎ取って、意図を把握していた。そんな気はさらさらないのだが(ツバサ、自分の知らないところで希に振られる)、情報自体は何時か使えるかもしれないと律義に全部聞いて、しかも書面におこしているのである。

 今回はいつもと違ったので一瞬戸惑ったが、直ぐ何事もないかのように気を落ち着け、冷たく言い放った。

 

「興味がありませんね」

 

 なおも英玲奈はしつこく食い下がり、

 

「だったら、うちに来てやってみないか? A-RISEもこのままマンネリ化してはいかんと考えていたところ。どうだろう、悪い話ではないと思うが」

 

 たぶん英玲奈は軽い気持ちで言っているのだろうが、希にしてみれば、裏切りを勧めるも同然の行いである。メンバー入りの話でも気が滅入るというのに、ほとんど八つ当たりの気持ちで、怒りを声音に込めると、

 

「忠臣は二君に仕えず」

 

 と斬り捨てた。

 

「はっ?」

 

 英玲奈が呆気に取られている内に、希は電話を切った。

 この後、悪い言い方をしたかな、とメールで重苦しく謝罪と丁重なお断り文を送っている。

 そんな日々をゆるゆると送る中、驚くべき報がスクールアイドル達をざわつかせた。

 

『第二回ラブライブ! 開催決定!!』

 

 勇み立つスクールアイドル達、その中にあってμ'sもまた、慌ただしく動き出すことになる。

 



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その②

 第二回ラブライブ! 開催の報が飛び交うや、真っ先にいきり立って勇躍したのはスクールアイドルオタクのにこや花陽ではなく絵里である。受験勉強など後回し、神が与えたもうたこの幸運を見逃す理由もなし、今こそA-RISE殲滅の兵を挙げるべし、というノリ。

 賢い可愛いエリーチカは燃えている。

 

 その溢れる熱意の赴くままに、昼休み、メンバー全員を部室に招集した。第一回目の大会が終わってから、初めて昼休みに部室に揃ったことになる。

 少し前まではそれが当たり前だったのに、どことなく新鮮さを感じるメンバーだった。

 

「まさか、早々にこんな機会が訪れるとは夢にも思わなかったわ。前回は口惜しくもA-RISEにしてやられてしまったけど、今回はそうはいかない。必ず屈辱を晴らし、栄光の旗を音ノ木坂に掲げるのよ。各自、何かA-RISEを打倒する良い案はないかしら?」

 

 部長とリーダーを差し置いて絵里は仕切る。穂乃果は元より、この頃はにこも何かと部長だからとマウント取ることはなくなったので、問題なく進行。

 絵里の期待に満ちた視線は真っ先に希へと向けられたが、直後、隣の穂乃果に移動した。

 

 希、まれに見て不機嫌そうである。四方八方誰それ問わず、メンバー入りだスクールアイドルをやってみないかと言われて辟易しているのだ。鬱屈とした感情は、希から爽やかな笑みを奪い取っていた。冷然とした眼差しは、シベリアの凍土を絵里の脳裏に想像させる。

 触らぬ龍に祟りなし。思えば今日一日中希はずっとこんな感じだった。

 

「ほ、穂乃果は何か良い考えある?」

 

 穂乃果はとぼけたように、

 

「えっ? 待ってよ。どうして出ることになってるの?」

 

 と根本的なところを問うた。スクールアイドル活動はやっていて楽しいし、これからもなるべくなら続けていきたいけれど、大会に出るようなことになれば拘束時間が増える。穂乃果にしろ絵里にしろ、ここのメンバーは現在部活以外でごたごたやっており、部活に割ける時間というのは前ほどではない。ましてや大会の為に割く時間は皆無。

 

 大会に出ることだけが全てじゃないよ。私達が一緒に輝いた日常の一ページ一ページ全てが、価値ある大切な宝物だよ、と言いたいのだろう、知らないけど。

 ともかく穂乃果としては大会に出るつもりはないようだ。

 

「えっ? 出ないの?」

 

 気勢をそがれた形の絵里が、賢くない表情を表に晒した。

 

「だって、皆忙しいでしょ。絵里ちゃんやにこちゃんは受験勉強があるし、わたしや海未ちゃんことりちゃんは生徒会があるし」

 

 他の面子がどうかは知らないが、生徒会と部活を両方全力でこなし、両立出来るほど自分が器用じゃないことぐらいは理解している穂乃果である。引き受けた以上生徒会をおざなりには出来ないし、そちらに重きを寄せるのは当然だ。

 そうでしょ、と同意を求める穂乃果に

 

「私は大丈夫よ」

 

 と、にこが答えた。受験勉強ばかりだと気が滅入るし、何よりまたA-RISEとイベントを一緒できると言うのなら、やらない理由はない。

 穂乃果がじっとりと嫌な目つきでにこを見る。穂乃果の記憶が確かならば、にこは遮二無二勉強に励んでいなくてはならない筈だ。大会などに出ている余裕はないと思うが。

 

「にこちゃんは大丈夫じゃないでしょ」

 

 間髪入れず、凛の舌が滑らかに回った。

 穂乃果の心を代弁した一言で、うんうんと首を縦に振る。

 

「うるさいわね。こんなまたとない機会をこのにこに―様が逃すわけにはいかないでしょ。とにかく私は出るわよ。全宇宙のにこにーファンが私の活躍を待っているのだから」

 

 ここから陣営が分かれる。大会に出場するか否か。絵里、にこ、花陽、海未、真姫が出場する派で、穂乃果、ことりが出場しない派である。どっちつかずが凛。希はそんな彼女達を冷めた目で見つめていた。

 

 多数決の原理から見て明らかに劣勢なのは出場しない派だった。しかし、一枚岩の大切さを嫌というほど理解しているμ'sは、少数派にも優しいグループなのである。

 その所為か議論は紛糾、小田原評定化することも珍しくない。そうして最終的に天下の大先生臥竜希の御意見を伺い決定するのである。今回もそうなったのだが、

 

「さあ、そんなことは私の知ったことではありませんね。私は一臣下であり、一部員として、我が君、部長の御裁断に従う所存です」

 

 と不機嫌丸出しにつれなく言った。

 その我が君と部長の意見が分かれているからどうするんだと訊いているのだが、希は羽扇で隠しながら欠伸を一つ、でも瞳に竜の涙が浮かんで隠しきれていない。

 あんまりな態度にとうとう絵里がぷりぷりしだした。

 

「何よ、私達が貴女に何をしたって言うの? もう、希は出るの? 出ないの?」

 

 と、訊ねると、

 

「私は舞台に出ることはないので貴女方が決めて頂きたいのですが、まあ、これ以上議論を続けても答えは一向に出ないものと存じます。でしたら如何でしょう、出たい者だけが出れば良いのでは? 別に部に所属するもの全員が出なくてはならない法でもあるまいし、これがお互い納得する道かと思います」

 

 と、投げやりにとんでもないことを言い出すのだった。蜀の大丞相の名が泣くぞ、希。しかし極めて日本人らしい答えではあり、希もすっかり日本の事なかれどっちつかずの思想に影響を受けているようである。日本もそれこそ昔は、何かあれば(別に何もなくとも気分で)直ぐに刀や弓を振り回していたのに、時代を経て変わるのは人だけではないということか。

 

 絵里はムッとして白い眼を向けたのだが、この中で花陽だけが希の気持ちを痛いほど理解している。

 なにせ来る日も来る日も、

 

「先生! どうかμ'sのメンバーとしてお立ちあがり下さい!」

 

「天下は先生が目覚めるのを待っているのです!」

 

「わたくしも、東條先輩が踊る姿を見てみたいですわ」

 

「ねえ、希、貴女も一緒に踊ろうチカ」

 

 洗脳せんばかりに言われ続ければうんざり、全てのことに嫌気がさしても仕方がない。

 絶賛同じ境遇に陥っている花陽だから分かる。花陽もストレスで白米摂取量が大幅に増加して、体重計への負担を増やしているところだった。

 流石と言うべきなのか、穂乃果と凛は一言もそんな話は出さない。抜けているようであっても、他者をよくよく理解している二人である。希にしろ花陽にしろ、二人が言ってこないことは砂漠で偶然見つけたオアシスのような拠り所である。

 

 わざわざ文にする必要はないと思うが、希も花陽もスクールアイドルをやりたくはない。やりたいのであれば最初からマネージャーなぞしてはいない。だが二人はのっぴきならない状況が刻一刻と迫っている事実を把握している。天下が二人の我儘を許さない。

 結局やらなくてはならないのだ。今は意固地に拒絶し続ける希と花陽だが、近い将来に掌を高速回転させスクールアイドル東條希、小泉花陽を爆誕させなければならない。

 

 つまるところ希が不機嫌なのは、

 

(まさか私としたことが不覚を取るとは。このような状況になるのをみすみす見逃したばかりか、何の対策一つも取れないなどと。返す返す生涯の不覚! 絵里や真姫も私の心の内を知っておきながら、簡単に物を言う)

 

 やらざるを得ない状況に追い込まれるまで何も手を打てなかった(と言うか打たなかった)己の不甲斐なさ、自分がやりたくないのを知っているくせに誘いをかけて来る周囲への憤りに他ならない。

 ここまでメンバー入りを望む声が大きくなれば、拒否した際の落胆はいかばかりか想像を絶するものとなろう。それがゆくゆくはμ'sへの非難へと繋がるのは自明の理であり、そうなってしまえば今までのμ'sの全てが木端微塵となり雲散霧消してしまう。

 

 音ノ木坂学院の存続は、μ'sの存在によって成立していると言っても過言ではなく、μ'sの名声はそのまま音ノ木坂の名声、スクールアイドルは学校の顔、という文句を体現しているのであり、両者は一蓮托生なのである。

 

(最早、時既に遅し。時期を遅らせる以外に道はない)

 

 まだ初期の初期段階であればどうにでも出来た。別にまた衝撃的な話を流して人々の関心を分散し、有耶無耶にしてしまおうという策だ。今となってはそんな策を実行に移したところで、ふ~ん、それより東條希と小泉花陽のメンバー入りだよ、となるのがオチ。

 自分が何の手も打てないのは癪に障る。それが表情となって今の希だ。

 だが、このまま終わらせはしない。

 

(今回は負けを認めましょう。勝敗は兵家の常、一度や二度の敗北など痛くも痒くもありません。ですが、私にも好き嫌いはあります。気に入る負け方と気に入らない負け方があるのですよ)

 

 流石は劉備に付き従い荊州中を逃げ惑い、蜀の丞相として五度の北伐を負け続けただけはある。連戦連敗、歴戦の敗北者は負け方にも美学というものを見出しているらしかった。確かに上手く勝つよりも上手く負ける事の方が遙かに難しく、腕の見せどころである。

 俄かに闘志を燃やし出す希、その胸中にはいかなる策(悪だくみ)があるのか、良い負け方と悪い負け方ってどんな負け方なのだろうか、今のところは分からない。

 

 ただ一つだけ言えるのは、希の様子の変化に目敏く気付いた花陽の夢に満ち満ちた瞳が、近いうちに舞台の上で現実の残酷さを宿すことになるということである。既に負ける気満々の希に期待するだけ無駄だから、自分で方策を立てた方が賢明だぞ、花陽、というところ。

 



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