剣の世界で私は叫ぶ (苺ノ恵)
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剣の世界〜ビーター
001


 

 古今東西。ありとあらゆる事象は、常に歴史を積み重ねては、時の流れを冷酷に突きつけてきた。人としての生を受けた自分に、何か為すべきことがあるのだとすれば、俺にとってそれは恐らく他人のため。省エネを尊ぶ己の惰弱さを認識しているからこそ、俺は誰かのためにしか動けないのかもしれない。

 

 傲慢な少女がいた。

 

 知的好奇心の塊と称しても差し障りないのかもしれんが、俺にはその呼び方のほうがしっくりくる。

 

 何でもかんでも、己の琴線に触れる事柄に関しては自身が納得するまで、何処までもその応えを追求し続ける。その力は否が応にも周りの『力』を巻き込んでいく。

 

 そう。それが俺。

 

 『千反田える』という傲慢な少女に巻き込まれた力である『折木奉太郎』なのだ。

 

 ここに記されているのは単なる古典。過去の人間が未来に残そうとした。その時確かに存在した事象を書き記した、人の想いの残滓。

 

 前置きが長くなったが、ここからが本文だ。書き出しにセンスがないのは当然なので期待しないで欲しい。この文集のタイトルに則って、俺もこの言葉をプロローグのシメに使ってみる。

 

 

 

 私は、叫ぶ____

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 空が紅い。無数の六角形が敷き詰められた天井は、息苦しい雑音とともに、血のような根源を吐き出す。根源はマントの姿を形作り、この世界の管理者として俺たちに言った。

 

 【プレイヤー諸君。私の世界へようこそ】

 

 一つ。ログアウトボタンが消失しているのはシステムの不具合ではなく、『SAO』本来の仕様である。

 

 一つ。ゲーム内での死は現実での死を意味する。

 

 一つ。浮遊城アインクラット第百層のボスを攻略した時、その時生き残っている全てのプレイヤーはこのゲームから解放される。

 

 一つ。これは、【デスゲーム】である。

 

 困惑、嘆き、怒り、悲しみ。

 

 混沌と化す【始まりの街】中央広場に集められたプレイヤー達。

 

 【以上で、チュートリアルを終了する。諸君らの健闘を期待する】 

 

 剣の世界の管理者【茅場昭彦】はその言葉を最後に姿を消す。

 

 そこからは、もはや見るに絶えない光景が広がっていた。

 

 地面に蹲り、死への恐怖に震えることしかできない者。GMの警告を無視して浮遊城から身を投げた者。嬉々として、この状況を受け入れる者。プレイヤーキルを望む者。魔女狩りを始めようとする者。

 

 その様子を俺は、ただ見ていた。

 

 自分もデスゲームの渦中にいる者だというのに、その思考は不思議と冷めている、変な感覚だ。

 

 掌を見た。

 

 俺の手だ。だが、俺の本当の手ではない。

 

 ポリゴンで構成されたこの身体を自分と認識するのは、何故か抵抗があった。

 

「折木さん…」

 

 袖が引かれる。プレイヤーの心情は、そのままアバターに反映される。なら、俺の袖を掴み、震え、涙を流しながら、罪人のような顔で俺の名前を呼ぶ彼女の心情を、俺はもう理解しているのだろう。

 

「ごめんなさい…ごめんなさい…!」

 

 期せずして、千反田はデスゲームへの片道切符を渡す道化として、茅場に利用された。

 

 俺は別にいい。

 

 俺は結局、灰色の人間だ。

 

 薔薇色のお前たちとは違う。

 

 どれだけ焦がれようと、俺はお前たちのようにはなれない。

 

 誰かが犠牲にならなければならないのであれば、俺のような人間が適任だ。

 

 だが、だからこそ。

 

「千反田」

 

 お前は生きなくてはいけない。

 

 人生を謳歌する、その力があるお前は、誰よりも幸せになって、生きるべきなんだ。

 

「行くぞ」 

 

 俺の言葉が予想と違ったのか、少し困惑しながら千反田は俺に聞き返す。

 

「…行くって…何処に…」

 

 再度確認するが、俺は折木奉太郎。省エネがもっとうの男子高校生だ。やらなくていいことはやらない。やらなければならないことは手短に。この信条に則り俺は、言葉通り、手短にやることにした。

 

「百層のボスを倒しに」

 

 

 

 _SAO攻略 1日目 脱落者 76名 生存者 9924名_

 

 




調べたらWeb版のプレイヤー数は5万人、ライトノベルでは1万人らしいですね。



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002

 

 

 

 

ー17:23 【始まりの街】宿屋の一室ー

 

「落ち着けとは言わない。流石の俺だって、この状況下で冷静ではいられんからな」

 

 俺は千反田の手を引き、宿屋の一室を訪れた。室内にあったのは簡素なテーブルと椅子、それに古びたベッドだった。俺は千反田を椅子に座らせると、テーブルにマップを広げる。

 

「今日はここで休む。行動を起こすにしても、籠城し続けるにしても、今では圧倒的に情報が足りない」

 

「………」

 

 椅子に座りマップの一点を見たまま反応のない千反田。見かねた俺は独白を宣言しつつ、千反田に語りかける。

 

「千反田。これは俺の独り言だが、俺はお前を下手に綾したり慰めたりはしないぞ。まず、そうする理由がないし、俺はそんな柄じゃない。関谷純と違って、ずっと愛想は悪いからな」

 

 関谷純。千反田の叔父で文集、氷菓の初刊の元となった。俺たちの物語の原点となった人物。彼の名前を挙げ、以前千反田に言われた言葉を引用したところ、弱々しくも千反田らしい反応が返ってきた。

 

「………ふふ。折木さんは、ずるい人ですね。そんな言い方されたら、私、何も言えないじゃないですか」

 

 間髪入れず。畳み掛けるように俺は言葉を紡ぐ。今の千反田に必要なのは気持ちの整理だ。言葉を絶やしたらまたこいつは考え込んでしまう。

 

「省エネには小賢しさが必要不可欠なんだ。偉業を成すことよりも、目の前の問題を如何に低コストで楽に片付けられるのかに全力を注ぐ。そういう生き方しか、俺は知らん」

 

 俺の物言いにクスリと微笑んだ千反田はマップから視線を持ち上げると、窓の外の夕陽を見つめながら独りごちる。

 

「では、これは私の独り言です。私、今、すごく怖いんです。この瞬間、現実世界の私の頭には、私の命を奪う凶器が取り付けられていて。それを取り外すことも、自分の意思で指一本動かすことさえもできない。自由を奪われて、自由を取り戻すには命を秤に乗せなければならない。この状況を受け入れることを強要されている。私、やっとわかりました。私が人の亡くなるお話を好まない理由。私、死にたくないんですね…」

 

 本郷の脚本を代筆したあの時、千反田は本郷の嗜好に共感を示していた。その本質をこのような機会に理解することになるなど、なんと言う皮肉だろうか。

 

「俺には、お前を守るなんて大層なことは言えん。例えお前の不安を取り除くために必要なことだとしても、俺は…」

 

 俺は、そこまで強くない。強く在れない。

 

 俺に視線を向けた千反田は眉を下げて謝罪してきた。

 

「ごめんなさい。困らせてしまいましたね」

 

 この時の千反田の期待に応える勇気が俺にはなかった。だから、俺は茶化すことでしか千反田に答えられなかった。

 

「いや…、お前の独白は尤もだよ。死を恐れない人間なんていない。俺だって死にたくなんてない。だが、逆にこれではっきりしたな」

 

「何がですか?」

 

「千反田。お前は【生きたい】んだな?こんな理不尽な所に突然放り込まれて、不安でどうしようもない。気が狂いそうな無機質なこの世界で。お前は【生きること】をやめないんだな?」

 

「…折木さんは、違うんですか?」

 

「…よく分からん。だから、まあ…」

 

「?」

 

「わ、笑うなよ?お前の言葉を借りるなら、そう。俺が生きたいって思う理由が【私、気になります!】ってことだ」

 

「ぶふっ…!!」

 

「笑うなと言ったろうが!」

 

「ご、ごめんなさい。そ、その、お、可笑しくて、お、お腹が、」

 

「…金輪際、お前の前で物真似なんてしないからな」

 

「それは困ります!折木さんが他にどのような物真似をするのか、私、気になります!」

 

 いつもは面倒でしかないその言葉に、これほどの安堵を覚えるなんてな。人生、本当に一寸先は闇だな。だからこそ、日常という光は思っているよりも、尊いものなのだろう。

 

「…ああ、それでこそ千反田だな」

 

「あ、震えが止まって…」

 

 俺の稚拙な物真似が功を奏したのか。いつもの調子を取り戻しつつある千反田。その姿に安心したからなのか。柄にもないことを俺の口は溢しかけるのだった。

 

「恐怖を飲み込めとは言わない。受け入れろとも言わない。ただ、俺はお前の…」

 

「私の?」

 

 間違えた、そう思った。千反田の目の色が変わる。大きな、綺麗な瞳が、俺を射抜く。動揺を押し殺し必死の便宜を図る。

 

「お、お前の部活仲間だからな。勝手に落ち込まれたりしても目醒めが悪くなる」

 

「…」

 

 まただ。

 

 何かを期待しているような顔。

 

 お前は俺に何を求めているんだ?

 

「なんだ?その顔は?」

 

「いえ。別に何でもありません」

 

 どこか落胆したような声音に苛立ちを覚えた俺は、先ほど施したばかりの封印をすぐさま解放した。

 

「…【私、気になります!】」

 

 必殺・裏声・千反田ボイス

 

 効果‥俺の黒歴史が累積される痛みと代償に千反田は笑う。

 

 よし、封印しよう。

 

 俺の多大な代償の先には千反田の可愛らしい説教が待っていた。

 

「ぶふふっ…!!お、折木さん!卑怯です!姑息です!実に不愉快です!私、怒りますよ!?」

 

「うるさい。お前が意味深な顔をするのが悪い。怒りたければ好きに怒れ」

 

「わかりました!私怒ったので、今後の方針を早急に決めたいと思います。折木さんはそれに強制的に参加です!異論は認めません!いいですね!」

 

「(…もう少し落込ませておくべきだったか?)」

 

「なんですかその目は?」

 

 不味い。目に考えが出ていたか。俺は再び揶揄うようにして千反田に答える。

 

「なんでもない。千反田が怒るなんて珍しいと思っただけだ」

 

 俺の言葉に便乗して千反田はらしくない物言いをする。

 

「そうです。私、滅多に怒ったことがないんです!だから覚悟しておいてください!取り敢えずは喉が乾いたので、折木さんは飲み物の用意をお願いします!私はお茶請けを用意してします!」

 

「パシリにお願いとはこれまた斬新だな。…了解した」

 

 扉を開け、通路に出る俺に千反田が、蚊の鳴くような声で呟いた。

 

「折木さん…ありがとうございます」

 

 千反田が何を言ったのか、俺は知らないフリをした。扉を閉める寸前に見た、千反田の涙を、俺は見なかったことにした。知って、見たとして、どうすれば良いのか。

 

 

 

 

 

 

 

 俺には、分からないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

ー18:14 【始まりの街】宿屋の一室ー

 

「__戻ったぞ」

 

 時間を空けて宿に戻ると、メニュー欄を覗き込んで操作していた千反田が顔を上げ、ゼリーらしき甘味を渡してくる。モンスターのドロップ品?ああ、中央広場に転送される前に倒したあのスライム擬きか。納得した。

 

「はい、どうぞ。随分と時間がかかりましたね?何かありましたか?」

 

 俺は用意していた嘘の理由を、さも当然のように答える。

 

「露店にあるのは武器屋、防具屋、道具屋ばかりで、飲み物が買える店が中々見つからなかったんだよ」

 

「?ここは宿屋なんですから、宿屋の方に伺えばお水を用意していただけたのでは?」 

 

「……俺はもうパシリなどしない」

 

「ダメです。折木さんには今後もお使いをお願いする予定なんですから」

 

「謎の母性を出すな。時給1500円なら考えてやる」

 

「お金にがめついと、人から好意的に見られませんよ?」

 

「好意的に見られたいと思う相手もいないから大丈夫だ」

 

 何故か、俺の言葉に千反田は笑みを深めた。

 

「そうですか。なら私も安心ですね」

 

「どういう意味だ?」

 

 俺が人に嫌われるのが嬉しいと?泣くぞ?

 

「こちらの話なので、気にしないで下さい」

 

「よりにもよって、お前にそれを言われる日が来るとは…」

 

 世も末だな。色々な意味で笑えない…。

 

「それで、今後の方針についてなんですが」

 

「ああ」

 

「どうしましょうか!」

 

「……は?」

 

「どうしていくのが良いのでしょうか?」

 

 大丈夫だ千反田。俺は難聴ではない。

 

「言い方を変えても何も事態は進展せんぞ?無計画なのは理解したから。まずは現状確認からだな」

 

「なるほど!私、これからのことしか考えてなかったのですが、現状を把握する事でやるべきことを見つけて、今後の方針を決めるんですね!流石は折木さんです。発想の転換ですね!」

 

 文集を200部捌くことになった時もそうだが、このお嬢様は頻繁にポンコツになる呪いにかけられているようだ。今からでも省エネに転職する気はないだろうか?ん?そもそも省エネは職業なのか?

 

 明後日の方向に飛びかけた思考を、泥水のような色をした飲料を煽って引き戻す。 

 

「お前は頭が良いのか、天然なのかハッキリしろ」

 

「むー…失礼ですね。私はいつだって大真面目です」

 

「なるほど分かった(お前は天然だ)」

 

 俺に倣うように飲料に口を付けた千反田は、眉を潜めてオブラートに包んだ表現をする。主観だが10枚程度はオブラートに包んだ味だと思う。

 

「…この飲み物、不思議な味がします。抹茶と黒い炭酸の飲み物を混ぜたような味が…」

 

「ログインする前に掲示板で確認した情報だが、第一階層の料理はどれも質素かゲテモノの類の味しかないとのことだ。まあ、喉の乾きと空腹を満たせるだけ感謝だな。はっきり言ってこの飲料は不味いが」

 

 俺はオブラートになど包まん。理由?省エネだからだ(暴論)。

 

「飲食物の味については、階層を追うごとに改善されるということでしょうか?」

 

「そういう認識でいて問題ないだろうな。今後も仮想現実では、このレベルの味しか出せないのであれば、そもそも食事が必要なシステムにはしないはずだ」

 

 俺の【仮想現実】という言葉が引っ掛かったのか。少し考え込む千反田。

 

「仮想現実…この事件の首謀者である茅場さんという方は、どうしてこのようなことをしたのでしょうか?」

 

 予想していた疑問だ。端的に言う方が省エネだろうが、相手は千反田だ。順を追って説明してした方が回り回って省エネに繋がる。

 

 あれ?省エネってなんだろうか?(迷走)

 

「さあな。それを知ったところで、俺たちにはどうしようもないし何かが変わる訳でもないだろう。だが、確かに疑問だな。大量殺戮が目的なら、俺たちはログインした時点で既に事切れているはずだ。わざわざ、現実世界で情報機関を通じてまで大々的に情報発信する必要はない」

 

「【私の世界へようこそ】【目的は既に達せられている】【諸君達の検討を祈る】…私は茅場さんの言われた【目的は既に達せられている】という言葉が気になります。このソードアート・オンラインというゲームを開発することが、仮想空間の実現が茅場さんの本懐なのだとすれば、それはもう私たちがゲームに参加するまでに叶えられていたはずです。それなのにどうしてあの時に目的という言葉を使ったのでしょうか?」

 

「これは推論だが…茅場は、この世界にもう一つの現実を作りたかったんじゃないか?」

 

「もう一つの現実?」

 

「俺たちは常に首にロープを巻かれている状態だ。1万人のプレイヤー全員等しく、等価の死を与える環境を茅場は生み出した。被害者の俺たちには、茅場のことが、俺たちの加害者である奴のことが大量殺戮犯に見えるんじゃないか?」

 

「はい。私もそう思います」 

 

「見方を変えてみよう。どうして茅場は俺たちに、【ゲーム内での死は現実での死を意味する】とわざわざ伝達した?人を殺すことを目的にした人間が、わざわざ死亡率を下げるような情報を俺たちにプレイヤーに渡すと思うか?」

 

「確かに…、言われてみれば」

 

「まあ、愉快犯的なサイコパスのような思考を持った人物であれば、死に直面した人間の表情を見て愉悦を感じるなんてこともあるかもしれんがな。それでも、俺がはじめに立てた推測を成立させる一番の理由。それが、この【アバター】だ」

 

「私はもともと、自分の容姿に似せてキャラクターを作成していましたが、折木さんは相当容姿を変えていましたよね?」

 

 俺の作ったアバターは愛想笑いの天才みたいな表情をした白髪の男性キャラだ。決して、千反田に無愛想と言われたことを気にしているわけではない。断じてだ。…ほ、本当だからな?

 

「ネットゲームではその性質上、不特定多数の人間にあうことになる。このご時世だ。少しでも個人情報の特定に繋がるような情報は削ぎ落としておく方が賢明だ。なら、何故茅場は、俺たちに現実と同じ容姿と性別を与えたのか?…ここまできたら簡単だ」

 

「現実世界と仮想世界。その境界を取り払おうとした?」

 

「半分正解だ。2つを二分する境界を取り払って、仮想世界を現実世界の延長線状にあるものにした。そういうことだと俺は思う」

 

 境界がなくなっても、分かたれていた事実は消えない。そこには埋めようのない溝が生まれる。だからこそ、茅場は世界を繋ぐ発想に至った。

 

「…そうなんですね。だから茅場さんは…」

 

「自らが作った仮想現実は、俺たちプレイヤーの存在によって、現実と等価の命を持つ俺たちのリアルを賭ける環境として、世界は繋がった。よって___」

 

「【私の目的は既に達せられている】私たちプレイヤーがログインしたその時から」

 

「茅場の作りたかった夢が実現したんだろうな」

 

 千反田の表情がさらに曇る。

 

「ですが…これはあまりにも」

 

「ああ、例えその夢がどれだけ純粋な願いだったとしても、茅場は社会的にみれば犯罪者だ。仮に俺の推論が正しかったとして、俺は茅場を擁護できないし、したくない。茅場は、俺たちの現実を奪ったんだから」

 

「……」

 

 俺が茅場に対する怒りの感情を見せたからか、千反田の意識が俺に向く。それを見計らって俺はこの話題に終止符を打つ。

 

「茅場の目的についての推論は以上だ。これ以上、奴のことは考えたくない」

 

 千反田は思慮深い人間だ。こう言えば、下手に話を放り返すことはしない。

 

「…はい…、では本題に戻りますが。今後どうしていきましょうか?」

 

「取り敢えず、現状選択できる方針は4つだ。1つはモンスターと闘いレベルを上げて各階層にいるBOSSを倒す。ソードアート・オンラインというゲームを攻略する道。2つ目は生産職として、ゲーム攻略を目指すプレイヤーをバックアップする道。3つ目はこの始まりの街から一歩も出ずに、ゲーム終了まで待つ道。そして4つ目は…」

 

「4つ目は?」

 

「他のプレイヤーを助けて、ゲームクリア時の生存数と生存率を上げる道だ」

 

「私たちが、助ける?」

 

「現在、2万台出荷されているナーヴギアの内、SAO正式サービス開始ログインを許可されているアカウント数は1万。ここから優先的にログインできるβテスター1000人、接続不適合者、ログインを断念したプレイヤーを除く現ログイン数を推計すると約9000人の初心者プレイヤーがSAOにダイブしていることになる。問題は、この初心者9000人の中から、βテスターと同格のプレイスキルを持ち、且つ攻略に参加できるだけのプレイヤーをどれだけ排出できるかということだ」

 

「βテスターの方々はゲームの上手な方々なんですよね?それなら、戦闘はその方々にお任せして私たちは後方支援に徹するべきでは?それなら、不要な戦闘は抑えられますし死亡率も下がるはずです」

 

「βテスターが、誰も死ななければな」

 

「え?」

 

「ここはゲームだが、ただのゲームじゃない。デスゲームだ。事前情報にあった、βテスターたちが登った最高到達階層は13回層。総階層数の半分にも満たないんだ。必然的に未知の階層では慎重にならざるを得なくなる。普通のゲームではできる、死に戻りという手段は使えないんだから当然だな。人柱を立てると言うのなら話は別だが、人道的な観点からも却下だな。…だからと言って時間は無制限じゃない。俺たちの現実の身体は病院に移送されていると聞いた。その身体の世話は誰がする。そのことで掛かる費用は?誰が負担する?いつまでその体制を維持できる?数人規模ならそこまで問題にはならない。だが、対象は約10000人だ。悪戯に生存だけを望んでも、そのことによる時間の浪費は、確実に現実世界の俺たちの身体と命を蝕んでいく。…ジレンマだな。そうならないように早くこのゲームを攻略しないといけないのに、攻略を焦れば焦るほど、ゲーム内で死ぬ可能性はそれだけ高くなるんだから」

 

 千反田は覚悟を決めたかのような声音で、選択した。

 

「なら、やるべきことは決まりですね」

 

 細く柔らしい、白魚のような肌をした両手の指が表したのは1と4。

 

 その指に結構な力が入っている姿に、千反田の可愛らしさを感じずにはいられなかった。俺は表情を和らげ頷く。  

 

「まずはレベルを上げて、攻略に参加できるだけの力をつけよう。そして、後続の育成にも可能な限り尽力する。何をするにしても、自分たちが生き残らないと話にならないからな」

 

 言うや否や。椅子を倒す勢いで立ち上がった千反田は両手を胸の前に挙げ、握り拳を作りながら言った。

 

「分かりました!では、武器屋で武器を買ってレベルを上げにいきまs」

 

 その心意気は買いつつ静止を促す。

 

「いや、それは少し早い。その前にやるべきことがある」

 

「??」

 

「情報取集だ。闇雲に動いてもリスクばかりで何より効率が悪い。こういう時は省エネ精神が重要なんだ」

 

「…折木さん?もしかして私情で面倒だから明日からとか言い出しませんよね?」

 

「何を言う。効率は大事だぞ?論理的思考でロジカルシンキングでいこう」

 

「ちょっとはぐらかされた気がしますが、今はそうは言っていられません。それでは私はどんな情報を集めれば良いでしょうか?」

 

「千反田にはヘルプ欄にある基本情報・操作方法と第一階層の地形を暗記して欲しい」

 

「暗記ですか?」

 

「戦闘中に地形を利用することもあるかもしれないし、システムの穴を見つけられるかもしれん。頼んだぞ」

 

「お任せ下さい。記憶力には自信があります。それでは、折木さんは?」

 

「俺は___」

 

 

 

 

 

 

 

 

 βテスターに遭ってくる。

 

 

 

 

 




7000字とか未知の領域…。さてさて、折木くんと遭遇するβテスターは誰にしようかな?


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003

 

 

 〜【始まりの街】中央通り〜

 

 現段階で必要な情報は三つ。

 

 一つはレベル上げの効率的な方法と安全マージンの基準の把握。死んだら終わりのSAOでは如何に安全にアバターを強化するかで、生存率が大きく変わるだろう。

 

 二つ目はボスの情報と戦闘様式。まさか、一対一で戦うわけではないだろう。それに、ボス一体だけが相手とは限らない。小型、中型のモンスターもいるはず。そうなった場合は組織だった戦闘がいやが応にも要求される。その指揮は誰が行うのか?何人単位でチーム運用を行うのか?戦後処理は?足並みを揃えるための対価は?…疑問は尽きない。

 

 三つ目は情報基盤の作成について。先にも述べた通り、βテスターが頑張って100層のボスを倒し、俺たちをこのゲームから解放してくれるなら願ったり叶ったりだ。だが現実はそうはいかない。どうしても初心者プレイヤーの何割かが攻略に参加しなければならなくなる。それには強制的に徴兵する方法ではなく、義勇軍的な扱いの方がプレイヤー達の心象は幾分かマシになる。βテスター達に「俺たちの言う通りにして、レベルを上げて強くなれ。そして攻略に参加しろ」と言われるよりも「こういうやり方がある。こうしたらレベルも上げやすい。俺たちも攻略を目指して全力を尽くす。だが、自分たちだけではいずれ限界が来る。だから、みんなの力を貸して欲しい。必ずゲームをクリアして現実世界に帰ろう」とでも言われた方が、人は自らの意思で闘うよう仕向けられる。見方を変えるだけで、考えも大きく異なってくる。ゲーム攻略のプロパガンダとしては十分すぎる常套句だ。何れにしても、現状、どのプレイヤーも自分の身の安全を確保することに躍起になっている。もしも、俺がβテスターだったら、間違いなく次の村を目指して、より環境の良い場所でレベル上げをしながらドロップアイテムを回収して、装備を整えていくはずだ。だからこそ、【始まりの街】に残っているβテスターは、目先の利益よりも、未来への投資を行なっている類の人種だと俺は踏んだ。プレイヤー達の足並みを揃えるならβテスター達の知識を全体で共有することが、何よりも情報の有益性を発揮できることだろう。その足がかりとして、情報基盤の作成は必要不可欠な事案だ。

 

(問題はそのβテスターをどう見つけるのかってことだが…)

 

 俺は中央通りの路地から、CPUに混ざって、時折通り過ぎるプレイヤーを観察しながら頭を悩ませる。

 

 βテスターは事前の情報を握っている時点で、初心者に比べ大きなアドバンテージを持つ。その情報の価値に気づいているからこそ、容易には情報を開示しないだろう。もし開示するとしたら、情報が不要になった時、情報の鮮度が落ちた時。それが何週間、何ヶ月後になるかは知らんが、それだけ最前線で戦えるプレイヤーの母数は少なくなる。

 

(………いや、情報の価値を正しく理解してて、それを使える奴なら或いは…)

 

 俺は路地から出ると、酒場近くにあった掲示板の前に移動した。

 

 掲示板には初心者用のクエストが張り出されており、中には仲間への伝言板として使用しているプレイヤーもいるようだ。その中に俺の探し求めていた一文が存在した。

 

(…あった。これだな)

 

 【情報屋】

 

 この文字を確認し、掲示板から依頼書を消去する。そして俺は指定された酒場の席に座り、右側の席にゴールドを置く。CPUのウエイトレスから出された水を飲んでいると、隣に置いたゴールドを摘みながら、とあるプレイヤーが席に腰掛けてくる。視界の端に映ったプレイヤーの挙動や装備を観察しつつ俺は意外だと思った。

 

 (予想と大分違うな…。全体的に小さい。女か?子供か?)

 

 俺の疑問は口火を切った隣のプレイヤーの声によって解決された。

 

「まいどアリ♪オイラに目をつけるナンて、中々いい目をシテるな?」

 

「情報屋…でいいんだよな?」

 

 フードを目深に被った女性プレイヤーは、隠れた顔の一部、3本線のペイントされた頬を見せながら答えた。

 

「オイラは【情報屋 鼠のアルゴ】金さえ払えばドンナ情報だって渡すゼ?さて、オイラは君のことをナンテ呼べばイイ?」

 

 名乗らないのも手だ。しかし、やっと掴んだ情報源だ。下手に機嫌を損ねて情報を取り零すのも美味くない。俺は正直に答えた。

 

「俺は【ノースカーレット】…長いからノートで構わない」

 

「ノースカーレット?ナンか似合わないナ?」

 

「キャラ名にこだわりはないからな。ランダム生成したらこうなった。…この情報は幾らになる?」

 

「鐚一文ナシ。と、言いたいとこだけど。開業して初のお客様だしナ。今後ともwin-winな関係でいようゼ。改めて、オイラはアルゴよろしくナ、ノー坊!」

 

「よろしく、アルゴ。…今のは名誉毀損で許してやる」

 

 俺はアルゴと握手をしながら変な呼び名を付けられたことに対して咎める。しかし、アルゴには俺が立場的な有利を取ろうと必死なことが気づかれているようで、簡単にあしらわれてしまう。

 

「そんなに度量の狭いコトいうなっテ。細かい男は嫌われるゼ?」

 

「雑な女よりはマシだろ?」

 

「はっはー!こりゃ一本取られたナ?気が変わったよ。足下見るつもりだったけど、オイラノー坊のコト気に入ったゾ。特別に初回利用サービスってことで、1個目の質問はタダにシといてやるよ。で?何を聞きタイ?」

 

 俺は少し迷ってから口を開く。

 

「βテスター達が得た情報を、プレイヤーに開示して共有する方法を教えてくれ」

 

「ん?ノー坊?君ってもしかしてニュービーか?」

 

「すまん。その単語は聞き覚えがない。どういう意味だ?」

 

「初心者かって意味ダヨ。しっかし、驚いたゾ。同じβテスターにしては装備もそのまんまだし、かと言って初心者っていうには雰囲気アリすぎテ。…ノー坊が初心者っていうなら話は別ダ。何でも聞きなヨ」

 

「え?いいのか?」

 

 アルゴはおもむろにフードを取ると、俺の目を真っ直ぐに見つめながら言った。

 

「もちろん、お代は払ってもらうカラナ?ノー坊は有望株っぽいし、出世払いにしといた方が稼げそうダ!___じゃあ、今日は一杯奢ってよ。飲んでる間、私はただのアルゴだから」

 

「っ!?」

 

 急に口調が終わったことに驚いたのもあったが、それ以上に__

 

「ノー坊?」 

 

 いや、考えないようにしよう。

 

 俺はかぶりを振るとウエイトレスに飲み物を頼む。届いた飲み物をちびちびと飲みながらアルゴは俺の知りたいことやこの世界に対する疑問、茅場についての推論に耳を傾けていた。一通り聴き終わった後、アルゴはメニューを開き、一冊の本を取り出した。そして、その本を無言で俺に渡してくる。

 

「えっと…これは?」

 

「興味深い話を聞かせてもらったから、それは私からのお礼。10層くらいまでの情報なら簡単にそこにまとめてあるから良かったら使って。あくまでβテストの時の情報だけど」

 

「そ、そんな貴重なもの受け取れない」

 

「いいの。私が君に渡したいって思ったんだから。でも、その情報を悪戯に拡散するのだけはやめて欲しい。今、みんながこの情報を目にすると、絶対に混乱が起きる」

 

「だが、それだと…」

 

「君が誰よりも正しく、より確実な方法でこのゲームを攻略しようとしてるってことは分かるよ?でも、みんながみんな、君みたいに聡明で強い訳じゃないの。分かるよね?」

 

「……」

 

「これはお守り。私は君に死んで欲しくないって思った。だからこれを渡そうって、そう思ったの」

 

「……」

 

「___つーことデ、話は終りナ!」

 

「…え?」

 

 グラスは、空になっていた。

 

「情報は渡したケド、約束は守れよナ?破ったらノー坊を社会的に抹殺スルから。今後もオイラの命令には絶対服従ナ?」

 

「な!?待て!そんな話はしてな__…出世払いって、そういうことか…!」

 

「ダメだぜ?ノー坊?幾らオイラがキレーなお姉さんだからって、情報屋の前でペラペラ喋ったラ。言ったダロ?オイラは【情報屋 鼠のアルゴ】金さえ払えバ、ドンナ情報だって渡ス、テナ?」

 

「っ…このっクソ鼠!!」

 

「プップー!じゃあなノー坊!楽しい夜だったゼ!最高に気分がイイナ!!」

 

「俺は最悪だ!」

 

「そんじゃ、また会おうゼ。ノー坊」

 

「二度とごめんだ!さっさと行け!!」

 

 俺が追い払う前にアルゴ…情報屋は消えていた。

 

 未来の自分を担保に、目先の利益である情報を得た。この先、俺は鼠に顎で使われ続けるのだろうか…。相変わらずの大局観の無さ。嘆いてもどうしようもない。

 

 これが、省エネの宿命か…(多分違う)。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 メニューを操作して装備を解除し、インナー姿になった女性はベットに身体を横たえ、先ほど会った少年について考えていた。

 

「んー…。まさか、私と同じことしようって考えてる人が他にもいるなんてね。それも初心者の男の子…可愛かったなあ…また、会えるといいなあ」

 

 何かをしていないと気が狂いそうになる。そう思って気まぐれで掲示板に依頼を貼ってみたけど、まさかこんなに早く、面白い出会いがあるなんて。

 

「これだからやめられないのよねえ、情報屋って___」

 

 彼女は瞼を閉じる。まだ見ぬ新たな情報との出逢いに心を踊らせて。

 

 今日、出会った彼と、また逢える日を楽しみにして。

 

 鼠は巣穴で朝を待つ。眠れはしないが、少しだけ恐怖は和らいでいた。彼女のデスゲーム初日はこうして過ぎ去っていった。   

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 〜SAO攻略 2日目 06:30 【始まりの街】宿屋前〜

 

 あの後、人気のない店の席を探し、情報屋から得た本を読み込んだ俺は、1人【始まりの街】を出て、モンスターと闘った。チュートリアルが始まる前にもある程度戦闘は体験していたが、HPバーの全損が現実の死に直結する事実を突きつけられると、どうしても動きが固くなってしまった。しかし、練習の甲斐あってか、ソードスキルは難なく発動できるようになっていた。何体かのモンスターと戦う中で、本の中にあったモンスターのアルゴリズムについてより深く理解することになった。モンスターはシステムによって決まった数種類のパターンの行動しかしない。初めは回避のみに専念し、行動パターンを把握。その後、ヒットアンドアウェイで回避後の攻撃に必要な距離感、タイミングを測っていく。そして、最後にソードスキルを打ち込んで、モンスターのHPバーを全損させる。最初はアルゴリズムを把握するのに戸惑ったが、どのくらいの距離でモンスターがプレイヤーを認識し、戦闘態勢を取るのか。多対一の状況ではアルゴリズムに変化があるのか。ソードスキルは打ち込んだ剣先の長さで与えられるダメージが異なるのか。など、一つ一つの疑問点を塗りつぶしていくことで、徐々に戦闘に慣れていった。

 

 などなどしている内に、空には太陽が登ろうとしていた。千反田に連絡することを忘れていた俺は、そろそろ千反田も起きる頃かと、踵を返し宿屋を目指した。

 

 そして、宿屋の前に着いた時、店の前には千反田がいた。忙しなく辺りを見回し、なにかを探しているような様子だった。怪訝に思っていると千反田が俺に気がついた。千反田は俺を見ると一瞬、安堵したような顔をして、すぐさま眦を上げて俺に詰め寄ってきた。あまりの剣幕に俺はただ狼狽えることしかできなかった。

 

「どうしたんだ?千…【エル】」

 

 ここは屋外だ。誰に聞かれているのか分からない。俺は彼女のキャラネームで千反田に呼びかける。

 

「っっ!?」

 

「お、おい!?」

 

 千反田は何も言わずに俺の手を掴むとそのまま宿屋の中に引き込んでいく。現実世界ではあり得なかった彼女の力に、ここは改めてゲームの世界なんだと場違いな感想を抱いているといつの間にか部屋についていた。

 

 後ろ手に扉の鍵をかけた千反田は、一直線に俺に近づく。俺は咄嗟に距離を取るため後ろに下がろうとしたがそれが失敗だった。ベッドの淵に足が取られバランスを崩す。なんとか倒れるのだけは避けようとしていると千反田がそのまま歩みを止めず俺にぶつかってきた。いや、抱きつき、押し倒したというべきか。背中に手を回され彼女の身体の感触がはっきりと伝わる。このままじゃ不味いと、急いで引き剥がそうにもどこに触れれば良いのかわからない。混乱しされるがままにされていると、不意に千反田の身体が震えていることに気づく。

 

 

 

 

 

「千反田…お前…どうして泣いてるんだ?」

 

 

 

 




No scarlet…薔薇色ではない   ちょっと安直ですかね?

今後は一話の文字数を5000字前後で調整して書いていく予定です。

あと、ひと言だけ…アルゴ…かわええんじゃ(頓死)


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004

途中からちーちゃん視点で書いてるので◆で区切ってます。


 

 

 

 

 震える身体はどうしようもなく華奢で。重力によって形を変える豊かな双丘は、俺の理性をガリガリと削りつつ。残された理性を総動員して、現状を切り抜けるための知恵を絞る。

 

 千反田が泣いている。

 

 現実世界では、一度としてお目にかかれなかった光景だ。里志と伊原が聞いたら喰いついてくること請負いだな。面倒でしかない。

 

 無駄な思考だと分かってはいるが、少しでも腹部から気を逸さなければ、一瞬で理性を持っていかれる。そんな予感があった。

 

 感情は理屈じゃない。

 

 千反田が泣いている理由をどれだけ論理的に並べても。状況証拠からその結果しか類推できないとしても。彼女自身からその答えを聞くこと以外、彼女の心情を理解する術はない。いや、してはいけない。俺の千反田に対する認識を押し付けるのは傲慢なことでしかないのだ。

 

 結論。

 

 俺はただ、現状を耐えるしかない。

 

 数秒、数分、もしくは小一時間か。

 

 甘い猛毒は、ゆっくりと、だが確実に俺の思考を蝕んでいく。一種の拷問のようにも感じられた。唇を噛み、痛みも血も滲まない辛さを味わいつつ、必死に色欲の誘惑を振り払う。

 

「…千反田?」

 

 不意の、呼吸の変化。

 

 鼻を啜り、涙声で嗚咽を抑えていた彼女の呼吸が、いつの間にか一定の深いリズムを刻んでいることに気がつく。

 

「…心配、かけたな…」

 

 恐らく彼女は、俺の帰りを待っていくれていたのではないか?一人で宿屋に残され不安で押しつぶされそうな中、俺の指示を健気に守って。一睡もせずに、いや、できなかったのかもしれない。俺な身勝手な行動のせいで、彼女に多大な負担を掛けてしまった。

 

 だからこそ、先ほど見せた彼女の安堵の表情が、どうしようもなく魅力的に感じられた。

 

「ごめんな。千反田」

 

 返事はない。

 

 穏やかな寝息のリズムに呼応して、俺の手は彼女の頭に添えられていた。くすぐったいのか、少し身動ぎした後、安心したのか幸せそうな表情を浮かべる。

 

 彼女の髪を撫でていると、俺も急激に眠くなってきた。現実世界の自分は常に眠っている状態なのだから、ここ仮想世界で睡眠という行為は必要ない。そういう仮説を立証するための行動だったが。結果は多大な精神的疲労感と千反田の心労を引き換えに、雀の涙程度のレベルアップとプレイスキルの向上を果たしただけだった。

 

 もう、意識を保っていられない。

 

 眠い。

 

 寒い。

 

 寂しい。

 

 俺は近くにあるものを無意識に引き寄せて眠った。

 

 これほど安らげるものがこの世にあるのかと思うほど、俺は驚くくらい簡単に意識を手放した。

 

 

 

 

 

  

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

  

 私がソードアート・オンラインという仮想世界の中で、唯一よかったと思えることは。

 

 …今は、やめておきましょう。

 

 物語は最後まで、自分で読み込んでこそ感動でき、そのお話はきちんと完結できるんですから。

 

 では、私の当時の心情を思い出してみましょうか。…なんだか、私の過去を私が存じ上げない不特定多数の方々にお話するというのは、少しばかり、恥ずかしさを感じてしまいますが、それをお話しようと思えている辺り、私も少しは大人になれたということでしょうか?

 

 今でも鮮明に覚えています。真っ赤に染まった空から溢れ堕ちた血のような物体がマントの姿に変わって、突然、命を掛けた遊戯の開始を宣言されたのですから。

 

 私はただ、折木さんに謝ることしかできませんでした。もう、私たちは仮想世界から逃れることは許されず、ただ、死を待つことしかできない。そんな悲観した未来しか、私には想像することができませんでした。

 

 ですが、折木さんは違いました。

 

 限られた情報の中で最善策を模索して、すぐさま行動に移す。あの時、場違いにも繋がれた手の力強さに惹かれそうになったのは内緒です。

 

 折木さんは言いました。

 

 自分は私を慰めたり綾したりしないと。その理由がないと。折木さんは間違いなく、私が今回の事件に巻き込みました。その事実は変わらない、変えようがありません。ですが、折木さんは私を諭すように叔父の名前を出しました。

 

 私は気付きました。折木さんは、叔父の境遇と自分の境遇に近しいものがあると揶揄しているのだと。

 

 文化祭縮小に対する反対運動の名目上のリーダーにされ、問題行動の一切を背負い学校を去ることになった。スケープゴートの役割を押し付けられた叔父。幼い頃、氷菓の意味を聞いて泣き出した私を叔父は綾してくれなかった。なぜなら、生きたまま、死ぬことが、どれほど恐ろしいことなのか理解してしまったから。

 

 なら、折木さんは?

 

 突然、デスゲームの世界に囚われた彼は?

 

 叔父と同じように。文集、氷菓に込めた想いと同等以上の思いを、私に感じているのではないのか?

 

 それこそ、償い切れない。

 

 私が、私の全てを彼に差し出したとしても償い切れない。

 

 私は、彼を、生きたまま、殺してしまった。なら、私は、何を、彼に、代償として、支払えばいいの?

 

 折木さんは怒らない。怒ってくれない。

 

 剰え、現実世界では絶対にしなかった。私の物真似までして私を元気付けようとしてくれた。私は、必死で笑いました。頬が引きつって、上手く笑えている自信はなかったけど、折木さんの思いに、私は答えないといけないと思った。そんなことで償えるとは思わなかったけど、その時の私にはそうすることしかできませんでした。

 

 空元気とは、あのような状態のことを指すのですね。振り返ってみればどこまでも痛々しい私の言葉は、どれだけ折木さんの負担を増やしていたのでしょうか?

 

 やっぱり、折木さんは優しいです。

 

 私が泣いていたことを見ないフリをしてくれました。泣き止むまでの時間を演出してくださいました。私がこれ以上、気に病むことを止めようとしてくれました。

 

 だからこそ、その時の折木さんの優しさが、私にはどうしよもなく痛かったんです。

 

 お互いにいつも通りを演じようとしていました。でも、可笑しいですよね。非日常の中で日常を完璧に演じていても、それはもう異常なんですから。 

 

 再び部屋に一人になった時、私は安堵しました。もう無理をしなくてもいい。あのちぐはぐな日常を演じなくてもいい。いい子のフリをしなくてもいい。

 

 私は指示された通り、基本情報の確認と第一階層の地図を読み込みました。他のことに思考を割けば、この胸中に募るドロドロとした気持ちの悪い衝動に、飲み込まれることはなかったから。

 

 折木さんは帰ってきませんでした。

 

 4時を超えた辺りで、私は一人でいることに耐えられなくなっていました。

 

 先程はあれほど嫌悪していた、非日常の中で演じたチグハクノ日常を、渇望するほどに。

 

 ベッドに潜り込んで、眠ろうとしました。でも、怖くて眠れませんでした。目を閉じた瞬間、私はしんでいるんじゃないかって。でも、私ももう生きたまま、死んでるじゃないですかって。嫌な感覚だけがジトジトと全身を這いずり回っていました。

 

 折木さんが帰って来てくれました。

 

 そこからは、もう、感情に任せた行動でした。彼の手を強引に引いて、部屋に押し込んで。手を掴んだ時に感じた彼の温かさだけじゃ満足出来なくて。もっと近くにいさせて欲しいと。抱きつきました。恥ずかしさなんて欠片も感じませんでした。ただその時は、安らぎしか感じていませんでした。

 

 私は眠りました。このまま、死ぬのなら、もうそれでいいと。彼の温かさを感じられる。今は、それだけでも、許して欲しいと。

 

 そして、もし、もしも、赦してもらえるのなら。私はもっと、貴方と、一緒に、生きていたい。そう思いました。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 警報が鳴り響く。

 

 けたたましいサイレンのような音は、少しずつ、暗闇に沈んでいた俺の意識を引き上げていく。

 

 うるさい。もう少し寝かせてくれ。

 

 煩わしさを振り払うように、抱き枕?に巻いた手足に力を込める。

 

「…んっ…///」

 

 その中に混じる、甘い、弱々しくも、柔らかい声。感触。香り。

 

 ………ちょっと待て。

 

 落ち着け。落ち着くんだ。折木奉太郎。状況を整理しろ。これは恐らくアレだが、まだアレと確定するには早い。アレをアレしてアレした方が確実だ。(絶望的混乱)

 

 居残りで作文を書いた時にもやっただろ起承転結だ。起…デスゲームに巻き込まれた。承…ゲーム攻略のため話し合い方針に沿って動き出す。転…千反田の精神状態が不安定になって大変なことに。結…朝チュン。

 

 なんなんだこの状況は!?現状を整理してさらに思考が散らかるってどういうことだ?

 

 まだ俺は目を閉じている。相手には気づかれてはいないはずだ。狸寝入りで時間を稼いでいる間に対応策を練るんだ。

 

「お、折木さん?起きてますよね?」

 

 な、なぜだ?何故、気付いたのでせうか千反田さん。思考言語にエラーが生じた俺は最後の抵抗兼言い訳で、薄目を開けてさも今起床したかのように大きく息を吸い込んだ。

 

「あの…先ほどから、メニューに【ハラスメント警告】がでていまして…」

 

 千反田の爆弾級の発言に一気に意識が覚醒。即座に彼女を抱きしめていた己の手足を振り解き、ベッドの下に降りて土下座する。

 

「すみませんでした!」

 

「あ、謝らないで下さい。私が先に変なことをしてしまったのが悪いんですから。でも、これはどうしたらいいんでしょうか?YESを押したら鳴り止みますかね?」

 

 千反田は至って普通の表情で、YESを押そうとする。

 

 ちょっと待った千反田!それはマジで洒落になっていない!!

 

「待ってくれ!千反田!それを押されると俺が牢屋送りになる!!」

 

「え?……どうやって牢屋に送られるんでしょうか?私、気にn」

 

「や、やめろ!好奇心に負けるな!自分を強く持つんだ!欲望に抗え!!」

 

「先ほど、お付き合いしているわけでもない女の子を抱きしめていた男性が目の前にいると思うんですが。しかも、寝たフリで誤魔化そうとしていた人がいたとも思うんですけど、私の気のせいでしょうか?」

 

「誠に申し訳ありませんでした」

 

 ガチ謝罪である。

 

 このままだと俺は、SAO最速で女性プレイヤーに不埒なマネをした輩と認定されて、一生痴漢野郎の称号を背負って生きることになる。そんなことになったら釈放と同時に、浮遊城の外に走り幅跳びを敢行する自信がある。

 

「…ふふふ。冗談です。折木さんも男の子ですからね。仕方ありません。ですが、私以外の女性だったら問答無用で牢屋行きですから注意してくださいね?」

 

 その言い方だと俺だったら良いと言っているように聞こえるから気をつけろ。そう言おうと思ったが、千反田の表情が昨晩よりも柔らかく落ち着いていたので下手に刺激するような発言は避けた。

 

「そもそも、こんな展開のきっかけになるような交友関係なんて俺にはない」

 

「わかりませんよ?折木さんが知らないだけで、折木さんに惹かれている方は身近にいるかも知れません」

 

「入須とかか?頼まれてもゴメンなんだが」

 

「…向こうに戻ったら、入須さんにはしっかりとご報告させて頂きます」

 

「ちょっと待て!さっきからお前おかしいぞ!一晩の間に何があった!?」

 

「折木さんに抱かれました」

 

「誤解を招く言い方をするな!抱き枕と間違えただけだ!」

 

「だ、抱き心地はいかがでしたか?」

 

「話を掘り下げるな!それと、無理して話に付き合わなくてもいい。顔が真っ赤だぞ?」

 

「無理じゃないです。ただ、死んじゃいそうなくらい恥ずかしいだけです!」

 

「それを無理してるというんだ馬鹿」

 

「馬鹿と言いましたね!?それなら折木さんはす、す、スケベです!」

 

「スケベじゃない男なんて男じゃない…と、里志が言っていた」

 

「床に正座されながら格言らしきことを言われても何も響きません。というよりこの場面で福部さんに発言の責任をなすりつけるのは男性としてどうなのでしょうか?」

 

「じゃあ言い換える。人は皆スケベだ」

 

「ち、違います!私はいやらしくなんてないです!」

 

「じゃあ、そういう話も気にならないんだな?」

 

「うっ…」

 

「…違ったな。お前はスケベじゃなくてムッツリだ」

 

「言うに事欠いてなんて事言うんですか折木さん!違います!違うんです!折木さんの発言には虚偽があります!真実と違うことが含まれています!」

 

「では、何が真実で何が虚偽なんだ?スケベの俺には理解できないから懇切丁寧に教えてくれないか?」

 

「さ、最低です!女の子になんてこと言わせようとしてるんですか!」

 

「俺はただ情報を整理しようとしていただけだぞ?…まさか千反田?お前、俺が寝ている間に…?」

 

 わざとらしく口元を隠す俺。その俺の動作に千反田が過剰に反応する。

 

「キ、キスなんてしてません!!抱きしめられてちょっと嬉しかっただけで…………!?!?!?」

 

「は?」

 

「___って下さい…!」

 

「えっと?」

 

「出て行って下さい!!」

 

 追い出されました。

 

 千反田が元気になってよかったが…、俺は一体、寝ている間に何をされたのか。真実は千反田のみが知る。

 

 …この後、どうするかな。

 

 ゲーム2日目にして、顔を合わせるのが非常に気不味い俺たちであった。

 

 

 

 

 

 




ちーちゃんの心情表現難しいけど描いてて一番楽しい。

そろそろ、SAOキャラもう一人出したい。

キリト君は次の村に行ってるから…やっぱりあの人かな?


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005

 

 

 

 

 

 

 

「__さて、取り敢えず情報共有からだな」

 

 なんとも言えない気不味さから逃れる方法は、お互いその原因から目を逸らすことで対処する形で落ち着いた。関谷祭の時に千反田のコスプレ写真を見てしまい、それを彼女に気付かれてしまった時と同様の空気だ。俺たちは冷静じゃなかった。そう自分に言い聞かせることで、気恥ずかしさを胸の奥に押し込んだ。

 

「はい。ですが、私は基本の情報を読み込んだだけなので、お話できることはあまりありませんけど」

 

「情報は持っているだけでも武器になる。だが、情報の真価を発揮するには理解と使い方が肝になる。話を進めていく中で少しでも違和感があれば教えてくれ」

 

「わかりました。微力を尽くします」

 

 本来、このような情報統括は自称データベースの里志が担う役割だ。アイツがこの場にいないことを残念に思うか、喧しい奴がいなくてよかったと思うか…なんとも言えんな。

 

「俺はとある情報屋とコンタクトを取って、効率的なレベリングの方法や狩場の選定。10階層までの大まかな情報を貰ってきた。一応、このガイドブックの内容は、一通り確認しておいてくれ。情報の信憑性については目を瞑る。現状、そこを疑い出したら何もできんからな」

 

「…情報屋というのは例のβテスターさんですよね?どのような方だったんですか?」

 

「…名前はアルゴ。飄々とした態度に、ふざけた口調が特徴的な女性プレイヤーだった。だが、メニュー操作を慣れた様子で使いこなして、コンタクトを取る際に指定してきた手口も、システムを深く理解していなければできない芸当だったと思う。そういう意味では情報の信憑性は高い」

 

 千反田は俺の話を聞きつつ渡したガイドブックに、速読の要領で目を通していく。特に安全マージンなど、リスク管理については深く読み込んでいる様子だった。

 

「___そのアルゴさんが、どういう意図でこのガイドブックを折木さんに譲渡されたのか気になりますが…。何はともあれ、この情報があれば沢山の人の力になるかと思います。早速、この情報を他の皆さんにも」

 

「すまんがそれは却下だ。アルゴとの取引でこのガイドブックに書かれている内容を悪戯に広めないようにしろと言われている」

 

「理由があるんですよね?」

 

「一つは切実な理由だ。単に俺個人の弱みを握られている。今後はアルゴから情報取集の依頼が定期的にくる可能性がある。…まあ、うまく利用して情報を掠め取る算段だが」

 

「切実でない方の理由は?」

 

「ゲーム序盤は椅子取りゲームの様相を呈する。限られたリソースを他のプレイヤーよりも早く得ることが、強くなるために最効率の方法だ。…どの分野でもトップにいる人種は我の強い連中が多い。効率的な狩場を占拠したり、特別なアイテムを巡っていざこざが起こるのは目に見えている。展示会とかで時間ごとに入場者数を制限する理由と同じだ。無秩序な人の群ほど手に負えないものはないからな。要は順番を待って強くなれってことだ」

 

「そのことで、情報を得られなくて犠牲になるかもしれない方々を見捨ててですか?」

 

「俺たちは聖人じゃない。他人を守れるほど強くもない。それに、昨日お前も言っていただろ?βテスターはゲームに慣れた、ゲームプレイの上手い奴らだって。その通りだ。だから、アルゴは言ったんだ。『自分たちを解放し得る可能性の高い奴らの邪魔をするな』ってな」

 

「なら尚更、この情報を折木さんに渡された意図が分かりません。折木さんと私は初心者です。なのになぜ………あ」

 

「そういうことだ。里志の言葉を借りるとすれば『期待している』と言うべきか。どうやらあの情報屋は、俺たちに闘うことを強要したいらしい。そして、そのための指標は既に示されたわけだ。これで死んでも、情報を使いこなせなかったお前が悪いと。全く、また面倒な奴に絡まれたもんだ…」

 

「そこでどうして私を見るのか気になりますが今は良しとします。では、このガイドブックを基本として行動していくという形でいいのでしょうか?」

 

「そうだな。装備を整え次第、次の村を目指す。道中に戦闘は避けられんから、必然的に拠点移動を終えた頃にはプレイスキルも向上しているはずだ」

 

「【スイッチ】…ソードスキル発動後の硬直時間を考えると、円滑な連携が戦闘の鍵になりそうですね」

 

 早くも情報の整理を終えかけている彼女の異常さに舌を巻きつつ、いつものことだと納得する。

 

「そういった専門用語やその本質も、今後攻略を進めていく中で自然と身につくだろう。…じゃあ、行くか」

 

「はい!」

 

 俺たちは選択した。生きるための選択をした。その結末は、未来に聞いてみるとしよう。まずは目先のことを、効率的に、そして省エネにだな。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 〜恋合病院 SAO正式サービス開始 26日後〜

 

 三週間というのは思いの外、人が環境に順応するのに適した期間なのかなと思ったりする。最新の医療設備に繋がれた友人の姿を見るのもこれで4回目。窓際の棚の上に置かれた花の萎れ具合が、あの日からの時間の経過を物語っていた。

 

「やあ、ホータロー。今日も生きているようで何よりだよ」

 

 誰かがいれば、こんな不謹慎なことは言えない。こんな物言いができるのも僕を除けばホータローしかこの病室にいないからだ。

 

「…随分と痩せたね…。省エネのし過ぎじゃないのかな?」

 

 憎まれ口を叩こうにも、意識のない病人じゃあ張り合いがない。元々運動不足でもやし気味だった友人の体付きは着々とミイラへの変質を進めているようだった。

 

「福ちゃん…今大丈夫?」

 

「ああ、大丈夫だよ摩耶花。ホータローは今日も今日とて省エネを継続中。…千反田さんはどうだった?」

 

 病室に入ってきた摩耶花は、丸椅子を取り出して僕の隣に腰を落ち着けると、体を寄せて僕の肩にもたれてくる。流石の僕も、このような雰囲気で人は茶化せない。冗談は即興に限る。禍根を残すのは僕の信条に反するのだ。

 

「ちーちゃん…あんなに綺麗な髪だったのに…」

 

「そっか…」

 

 当然だけど、二人とも約3週間何も口にしてないんだよな…。点滴で栄養は補給できるとはいっても、それにも限界はある。

 

「私ね、最近おんなじことばっかり考えてる。もし、ちーちゃんや折木がこんなことに巻き込まれてなくて、いつもみたいにあの部室で四人で集まって、わいわい言いながら文集を作って。ちーちゃんの好奇心に振り回されてる折木を見て笑って。そんな、日常をあの部室で待ってる自分がいるの」

 

「…それで進学先が看護学校ってこと?」

 

「だって…今の私じゃ、ちーちゃんに何もしてあげられないから…」

 

「それは当たり前だよ。僕たちはただの高校生でしかない。力を持たない人間が何の対価もなしに何かを成そうなんて、傲慢もいいところだ」

 

「福ちゃんは反対ってわけ?」

 

「いいや。だけど肯定もしないかな。未来のことなんて誰にも分からないし、その時の決断に後悔するか満足するのか、その時になってみないとこればかりは判断しようがない。でも、これだけは言えるかな。自分のために動けない人間は、いつか未来の自分に殺される」

 

「どこかの本で読んだような内容ね」 

 

「そこは見逃してくれると嬉しいかな。摩耶花が心底その学問に興味があって、その道に進みたいというなら僕は止めないよ。でもその想いの核にはきっと、今回の件が関与してるよね?それは考えのきっかけであって、摩耶花自身の理想じゃない」

 

「じゃあ、私の理想って何よ?」

 

「知らない」

 

「福ちゃん。自分がすごく無責任なこと言ってる自覚ある?」

 

「勿論さ。それを赦してくれるって分かったから、僕は摩耶花に惹かれたんだ」

 

「…そういうことは私の部屋で言ってよ」

 

「それはまだ遠慮したいかな。草食獣は肉食獣を見ると逃げ出すって相場が決まってるんだ」

 

「誰が肉食女子よ。好きな人とそういうことしたいって思うのは当然なの」

 

「そういうことを噯気もなく言えることが何よりの証明さ」

 

「__つまり福ちゃんはちーちゃんや折木のことを考えた上で、その上で自分の夢や理想を選べってこと?」

 

「未来の自分は過去の自分が作る作品。言ってしまえば現在を累積して行った自分だ。自分に嘘を吐いて生きた先の人生は、多分嘘になるんじゃないのかな?」

 

「なんとなく言いたいことは分かった。じゃあ、福ちゃんはどうなの?」

 

「僕の進路については、僕の信条を重んじた結果であって、摩耶花とは別口だよ。そろそろデータベースを活用できるようにならないとね」

 

「私、何ができるのかな?」

 

「何ができるかじゃなくて、何をするかで考えたらいいと思うよ。背伸びなんかしないで、その時やろうって思ったことをすればいいと思う」

 

「そのやろうって思っていたことを今しがた否定されたんだけど?」

 

「それはできることであって、やりたいことじゃない。だから僕は待ったを掛けずにはいられないんだ。そういうことはホータローに任せればいいんだよ。ピッタリじゃないか」

 

「やらなくていいことはやらない。やらなければならないことは手短に…。福ちゃんって意外と腹黒?」

 

「さあ?自分じゃよくわからないかな。でも、自分がされて嫌だと思うことはきっと相手にして楽しいんだなと思う程度には、性格が歪んでる自覚がある。だからこそ、自分の信条には従うって決めてるんだ。自分の吐いた言葉には責任を持たないとね」

 

「沈黙は金だけど、意思を示さないのは怠惰・無価値か…。折木の苦労が偲ばれるわね」

 

「案外、ホータローはゲームの中ではいつも以上にホータローしてるのかもね」

 

「どういう意味?」

 

「例えば___手短にゲームをクリアしよう__とか?」

 

「ええ…鳥肌が立ったわ。ちーちゃんかわいそう…」

 

「吊り橋効果が望めるかもしれない。これはホータローに取ってチャンスだね」

 

「ちーちゃんお願い。空気に中てられて騙されないで…。それは折木よ…!」

 

「ホータローに対する評価は相変わらずだね…。まあ、僕たちは僕たちで頑張るとしようよ。二人もきっと頑張ってるはずだから」

 

 他愛のない掛け合いは不思議と気持ちを落ち着かせてくれる。願わくば渦中の二人も、安らげる時間があらんことを。

 

 花瓶の花は変えておいた。

 

 枯れた花をこの部屋に置くのは、どうしてか赦せなかったから。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

  〜SAO攻略27日目 19:52 第一階層 昔日の遺跡〜

 

 

「エル!」

 

「はい!」

 

 敵の一撃が眼前に迫る。俺は肩の上にブレードを置き、敵の武器がブレードに接触した瞬間、手首の力を抜いて敵の攻撃をいなす。武器を振り抜いた敵は慣性に従って、前方にバランスを崩す。その隙を千反田の一閃が貫く。身体と分かたれた甲は数回地面をバウンドした後、コロコロと転がりポリゴンの破片を撒き散らして爆散する。

 

 俺が敵の攻撃をパリィして、千反田がラストアタックを決める。それがこのデスゲームが始まり、戦闘経験を積む中で得ることのできた俺たちの連携だ。

 

 ソードスキルを使用した千反田に数瞬の硬直時間が訪れる。その隙を見逃すかと、先ほど倒された仲間の仇討ちと言わんばかりに棍棒を振りかぶって襲いかかってくる。

 

 甲を目深に携え、棍棒を振り回してくる小鬼のようなモンスターの名前は『コボルド』。今回、俺と千反田は他数名のプレイヤーと同伴し、ボス部屋の偵察に来ていた。安全マージンを十分に取っていた俺たちは難なくボス部屋の前まで辿り着けたが、ボス部屋に近づくにつれて、敵のアルゴリズムに変化が出てきたことを確認した。

 

 複数体のコボルドによる同時攻撃。モンスターの統率された動きを観察しつつ。波状に襲いかかってくる敵に対して、俺はソードスキル『スラント』を選択する。一体目の敵の攻撃をパリィする際に行った構え同様、肩の上にブレードを置く。手首の反しに呼応し刀身が紅く輝く。

 

「ふっ!!」

 

 小さく、鋭く息を吐き出す感覚に合わせて、コボルドとの距離を詰める。ソードスキルが発動し、袈裟斬りが宙に紅い弧を描き出す。その線上に存在した複数体のコボルドは、ダメージの大小はあれど被弾した際のアルゴリズムに則り、一瞬硬直した後、攻撃を与えた俺の方に目を向ける。

 

 敵の攻撃対象を自分に集中させる。タゲを取る…というこの行為にも随分と慣れたものだ。ソードスキルを発動させた俺には例の如く、硬直時間が訪れる。攻撃を再開するコボルド達。しかし、その間に千反田の硬直時間は解けており、すでにレッドゲージとなっていた敵の一体を通常攻撃で屠る。その後もソードスキルは使用せず、プレイヤースキルのみでコボルドのHPを削りきる。

 

 

 大きな損失なく俺たちはボス部屋にたどり着く。そして、パンドラの箱に手を掛けた___

 

 

 _攻略開始27日目 脱落者数1024名 生存者数8976名_

 




空白の三週間はいつか投稿できたらいいなあ…。

次回、ボス戦前夜です。

そろそろ主人公にも登場してもらわないと


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006

 

 

 

 

 

 

「___俺の名前はディアベル。気持ち的に、【騎士】やってます!」

 

 壇上に立ち、攻略会議の舵取りを買って出たのは、青髪と人の良さそうな物腰が特徴的な青年だった。その明るい振る舞いを見て、どうにも辟易した俺の舌は、こぼす筈のなかった心情を吐露する。

 

「あいつとはどうにも仲良くできそうにないな…」

 

 俺の独り言を隣に座っていた千反田が耳聡く捉える。視線は壇上に向けたまま、俺にだけ聞こえる声音で話しかけてくる。

 

「どうしてですか?」

 

「エネルギー消費の激しい生き方だから」

 

「悪い人ではなさそうですよ?」

 

「性格の良し悪しは兎も角、ああいう人を上手く引き込んで使う人間っていうのは、どうにも信用しきれない」

 

「いいことではないですか?会社にだって社長や部長といった職務はありますし、役割を持つことは大切です」

 

「一理ある。だが、信用と信頼は別だからな」

 

「どういう意味ですか?」

 

「ただの目立ちたがりの馬鹿な偽善者か。何かの目的を隠すための隠蔽工作をする道化か。権力で集団を統治しようとしている人間が先陣を切ろうとしている。俺にはあいつが上杉謙信のような活躍ができるとは到底思えないな」

 

「正確には上杉謙信は毘沙門天の化身、神仏の代行者として戦場に立ち、家臣を鼓舞していたと言われるので権力を振りかざすような行いはあまり印象深くないのですが。確かに矢除けの加護とまで呼ばれた逸話は今回のディアベルさんに共通する点はあるのかもしれません」

 

 文字通りデスゲームという戦場の矢面に立つディアベルというプレイヤー。先陣を馬で掛けた謙信に目掛けて射られた矢が、謙信を避けるように軌道を変えた。そんな逸話を彼は再現しようとしているのか。

 

「やり方はどうであれ、人に支持される。それだけで権力は得られる。使い方を誤らなければ、マンパワーほど得難いものはないからな」

 

「そういう意味では折木さんの言う省エネに繋がるのでは?自分は動かない選択肢もあるんですよ?」

 

「あいつの場合にはそれが適用されるだろうが、俺には無理だ」

 

「?何故ですか?」

 

「俺の何処に人を惹きつけられるだけの魅力がある?」

 

「………ごめんなさい」

 

「こういう時だけ物分かりが良くて大変よろしい。___ともあれ、自己の利益無くして人は動かない。現状、リスクしかない攻略組のリーダーになる利益って、一体なんなんだろうな?」

 

 昨日、俺たちがボス部屋の探索で得た情報をディアベルが会議に集まったプレイヤー達に伝達し共通認識を生み出す。途中、βテスターのSAO開始時の対応に関して疑問の声も上がったが、黒人プレイヤーの一言もあり事態は熱を帯びる前に鎮火された。

 

 あいつは場の空気を掴むのが得意らしい。締めは常套句である【ゲームクリアの証明】だ。これほど分かりやすく、人を乗せるやり方なのに、使える人間は選ぶなんて神様とは随分と理不尽な存在なんだな。そんな能力欲しいとも思わないが。

 

 盛り上がるプレイヤー達との温度差を感じつつ、会議の進行を見守っていると、珍しく千反田が結論を出した。

 

「それも、明日には分かることです」

 

「…そうだな」

 

 攻略会議は筒がなく進行していく。

 

 __と、ここでディアベルがパーティについての提言をした。

 

 4人1組の編成。

 

 コミュニケーション能力の最奥が見られる瞬間だな。これほど残酷なふるいは未だ嘗てないだろう。

 

「千反田、アテはあるか?」

 

「そうですね…」

 

 千反田は辺りを見渡し、会議場上段の席で話している男女のプレイヤーを見つけ出す。

 

「あの方たちはどうでしょうか?丁度男女半々になりますし、向こうにとっても悪くない話では?」

 

「だな。じゃあ任せる」

 

「え?折木さんが交渉するのでは?」

 

「こういうのは苦手なんだ」

 

「…分かりました。クリーム2瓶で手を打ちます!」

 

「最近、お前のことがアルゴに見えてきたよ…」

 

「え?3瓶にして下さるんですか?」

 

「悪かった。もう情報屋のことは言わないから、さっさと交渉してきてくれ」

 

「一緒にいきましょう。そうしたら先ほどの手打ちは解消です。大丈夫です。私の後ろに居てくれるだけいいので」

 

「…わかった」

 

 アルゴの名前を出すと千反田は機嫌が悪くなる。注意しておこう。

 

 俺たちは溢れ組の二人の元に移動した。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

「___さて、これで一応パーティは組めたが…四人は無理そうか…」

 

 無茶なレベリングをしていた細剣使いの女性プレイヤーをパーティに誘えたものの、他はもうパーティを組み終えており、溢れ組の俺たちは二人のパーティで攻略に参加することになるなと妥協し掛けていた。

 

 そんな俺たちの元に二人のプレイヤーが近寄ってくる。二人ともフードの付いた装備を目深にかぶっており、如何にも怪しげな様子だったが、女性プレイヤーのフードから覗く綺麗な銀髪と穏やかな声音で、そのプレイヤーが有名人だと気付いた。

 

「突然すみません。私は【エル】といいます。こちらは私のパーティメンバーの【ノート】さん。もし良かったら私たちをお二人のパーティに加えて頂けないでしょうか?」

 

 情報はアルゴから聞いていた。最前線で闘う女性プレイヤーがいると。そして、その隣で彼女を守る盾となる手練れのプレイヤーがいると。

 

 悲しいかな。寡黙で根暗っぽい細剣使いならいざ知らず、妙齢の女性相手では俺の言語機能も上手く維持できない。人と話す時、吃るのは廃人ゲーマーの性か…。舌が縺れそうになりながらも、俺は失礼のない様に先方の依頼を受諾する。

 

「あ、勿論です。こちらこそよろしくお願いします。俺は【キリト】です。こっちの細剣使いが【アスナ】。ちょっとおかしな奴ですけど剣の腕は確かなので気にしないでください」

 

「……」

 

 俺がアスナの紹介をした時、当の本人が訝しげな視線を俺に向けていた。だが、すぐに視線を外すと先方の二人に会釈をした。俺にはぞんざいな態度だった癖に…。

 

「キリトさんにアスナさんですね。分かりました。これからよろしくお願いしますね!」

 

「こ、こちらこそ」

 

 ディアベルがパーティにナンバリングして明日の集合時刻と場所を伝えた後、会議は終了となった。

 

 即席のパーティとはいえ連携は大切だ。すぐにお互いのスタイルについて話し合おうと思っていたのだが、細剣使いは話は終わったとでも言わんばかりに足早に会場を去ろうとしていた。

 

(あいつ…。まあいいか。元々、話を聞くような感じじゃなかったし)

 

 俺が視線を戻すと隣にいたはずのエルさんの姿も消えていた。

 

「あれ?エルさんはどちらへ?」

 

「お前の相方を追いかけて行ったぞ?」

 

 俺の疑問にノートさんが答えてくれた。 体格は俺と然程変わらないのに、言葉に芯があると言うか、気怠さの中に強さが見え隠れしているような不思議な声だった。

 

「気づかなかった…」

 

「アイツは好奇心の化け物だからな。突飛な行動はするし頭の中は天然だが、超の付くお人好しだ。あの子のことは任せて大丈夫だろう」

 

 意外だった。アルゴから聞いた話だともっと完璧超人の近寄り難いみたいな印象だったから。

 

「あいつはこの間、迷宮区で偶々エンカウントして、偶々会議場の近くの席に座っていただけで相方ではないんですが…。ノートさんはエルさんとパーティを組んで長いんですか?」

 

「元々俺たちは同じ学校の部活仲間でな。知り合いだからパーティを組もうってなるのにそんなに時間は掛からなかったな」

 

「知り合いだから?」

 

「ん?何か変か?」

 

「い、いえ。全然」

 

 ノートさんはノートさんでちょっと不思議な人だな。考え方が独特というかなんというか。

 

「言い辛ければタメ口で構わない。変に気を使われるとこっちも気疲れする」

 

「…ああ。分かった。これからはノートって呼ぶよ」

 

「そうしてくれ。___ともあれ、妙なことになったな」

 

「妙?」

 

 ノートはディアベルを見ながら、それでいて他のモノを見てるような目で独りごちた。

 

「今回のボス戦の布陣だ。俺たちの役割は取り巻きの処理。だが、前線が疲弊し、陣形が崩れた際のケアがこの距離だと間に合わない可能性がある。俺は兎も角、ディアベルがエルの実力を知っていない筈がない。ここに俺たちを配置する意図があるようでどうにも気に入らない」

 

「単に、パーティの編成順じゃないのか?ノートの考えもなくはないけど、あくまで推論だろ?」

 

「…そうだな。まあ、ただのぼやきだと思って聞き流してくれ」

 

「…ノートって枯れてるって言われないか?」

 

「言われるが否定する。俺は省エネなだけで枯れてはいない」

 

「分かった。折れてるんだな」

 

「何をしたり顔でほざいてるんだコミュ障」

 

「な!?ノートだって同じだろ!」

 

「違うって言うならエルと話をする時は目を見て話せ。胸ばかり見るな。変態認定されるぞ?」

 

「むっ…!?し、仕方ないだろ!お前らフードを被ってて此方から目なんて見えないんだから!」

 

「それでも初対面の女に向かって胸ガン見はダメだろ。思春期なのは分かるが」

 

「大きなお世話だ!」

 

 なんなんだこいつは。妙に図星をついてくるのが上手い。どこまでも理詰めで用意周到に人を弄ってくる。

 

 俺が取り乱しているのを横目に見て鼻で笑ったノートは、席を立って闘技場の方を指差した。

 

「取り敢えず決闘でもするか。お互いの力量を確認するにはそれが最も効率的だ」

 

「上等だ。ボコボコにしてやる!」 

 

「お手柔らかにな」

 

 これ以上、何か言われる前に俺は先に闘技場目掛けて駆け出した。

 

 ムカつくし腹が立った。でも、不思議と悪い気はしなくて。俺はノートとの会話に、どこか心地よさを感じていた。そんな自分がいることを自覚して、余計に腹が立つのであった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

「待ってください!アスナさん!」

 

「…なんですか?」

 

 まだ何か用ですか?

 

 そう言わなかったのはまだ私に少しだけ余裕が残されていたからなのか。CPU以外の女性から話しかけられたのは実に一ヶ月ぶりのことだから無意識に気を遣ったのかもしれない。

 

「私とデートしましょう!」

 

「………は?」

 

「私とデートにいきましょう!」

 

「聴こえてます。…なんで私なんですか?ノートさんを誘えばいいじゃないですか?」

 

 お付き合いしてる男性の名前を出せば少しは狼狽えるだろう。そこで間髪入れず、エルさんの申し入れを拒絶すればいい。そう考えていた私の発想は大きく裏切られることになる。

 

 エルさんはフードに手を掛けると、綺麗な銀髪を露わにしながら、大きな瞳で私の心を揺さぶった。

 

「貴女のことが気になります。これでは、理由になりませんか?」

 

 不思議な人だった。この人の言葉には本当に裏表がなくて、見てられないほどに純粋な人なんだと、なんの脈絡もなく思ってしまった。

 

 私はエルさんの視線から逃げるように、フードの縁を持って彼女の頭に被せる。身長は私の方が高いのに、彼女と比べると自分の方がよっぽど子供っぽく感じられる。変な感じ。

 

「……デートはしません。…でも、私の行くところとエルさんが行くところが偶然重なってしまうのは仕方ありません」

 

 だから、こんな風に妥協してしまった。

 

 エルさんは嬉しそうに口元を綻ばせながら私の手を握ってくる。

 

「はい。仕方ありませんね!」 

 

 フードを被せておいてよかった。彼女の無邪気さは同性の私から見ても目の毒だ。

 

「アスナさんはこれからどちらに?」

 

「食事を済ませてからレベル上げに行こうかと…」

 

「奇遇ですね!私も全く同じ予定です!じゃあ、いきましょうか!」

 

「ちょ、ちょっと!?エルさん?一人で歩けますから、離して下さい!」

 

「アスナさんの手はすべすべで柔らかくて気持ちいいので嫌です」

 

「きっ…!?恥ずかしいから実況しないで!」

 

 手を引かれて歩いて行く。一ヶ月ぶりに感じた人肌の温度に、荒み切っていた心のささくれが癒されて行くようだった。

 

 お姉ちゃん…。

 

 兄しか兄妹のいない自分にとって、ありもしない感覚。そんな不思議な気持ちを彼女に抱き始めていた。

 

 でも、この時の私はただ彼女に振り回されるだけで精一杯だった。気がつけば私は笑っていた。

 

 SAOという世界に来て。始めて楽しいと、そう思えた日だった。

 

 

 

 

 

 

 




前夜どころか昼間までしか書けなかった…。

キリアスの登場です。

細かい設定や時系列の矛盾は無視して勢いだけで書き上げてます!

遅くなりましたが感想をくださった皆様ありがとうございます。

更新頑張ります。


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007

 

 

 

 

 

 〜トールバーナ 18:51〜

 

 夜のトールバーナは温かな賑わいを見せる。西洋・ヨーロッパ風の建築物が歴史の外観を形作り、街頭から溢れる橙の光は一層街の雰囲気を神秘的なものにする。

 

 黒パンにクリーム。

 

 固く味気ない、ただ空腹を満たすためだけに購入していた主食は、今や懐かしさを覚えるほど美味しさを感じる食事となっていた。

 

「どうしてわざわざこのメニューを?食べやすいパンなら他にありますよ?」

 

 千反田は米派である。

 

 実家が農家なのだから当然なのかもしれない。始めて千反田が黒パンを口にした時の絶望した顔が今にも目に浮かぶ。全国のパン屋の名誉のためにもパンの旨さについて弁護し、必死こいてクリームを得られるクエストを周回しに行ったのも、今となってはいい思い出だ。

 

「初心に帰ろうと思ってな。あの頃はただ我武者羅に強くなって、生き残ってやるって、必死だったから」

 

「それ。今もあまり変わってない気がしますよ?」

 

 千反田が小さな口でクリームの乗った黒パンを咥える。初めは上品に細かく千切って食べようとしていたが、この一ヶ月で非効率な食べ方だと漸く理解してくれたようだ。ただ、そんな俺がすると雑な食べ方でも、こいつがするとなんだか下品に見えないばかりか、一つの魅力ある行為に見えるのが不思議だ。

 

…これが薔薇色補正というやつか?(違う)

 

「無理して付き合わなくていいぞ?お前、コレ苦手だろ?」

 

 小さな歯形の付いたパン。咀嚼している様子を俺から隠すように、口の前に置かれた左手。白く細い首が嚥下の動きを見せた後、千反田は俺に持っているパンを見せつけるようにしてはにかんだ。

 

「確かに、このパンは硬くて味もほとんどしなくて、クリームをつけて漸く頂けるといったものです。私の好みではありません。…でも」

 

「……」

 

「折木さんが初めて私に作ってくれた料理なんですから。私は美味しいと感じるんです。いけませんか?」

 

 …その顔は卑怯だ。俺じゃなくても絆される。目の毒だ。省エネに害だ。…ただ、悪い気はしない。

 

 俺は極力、素っ気ない態度を心がけながら、俺なりの礼を示す。

 

「…こんな、パンにクリーム乗っけただけでいい料理なら、これからいくらでも作ってやるよ」

 

 それからは、なんとなく舌が回らなくなったので強引に黒パンに噛みつく。そんな俺の様子を見た千反田は、より穏やかな笑みを深めて俺に言った。

 

「ええ、楽しみにしてますね!」

 

 これは、明日も死ねないな。

 

 そんな、ボス攻略前夜の一幕だった。

 

 

 

 

  ◆◆◆

  

 

 

 

「___それ、うまいよな」

 

 数時間前にエルさんと別れ、路地裏にある花壇の淵に腰掛けた私は、今日も美味しくないパンを食んでは黄昏ていた。エルさんは不思議な人だった。ちょっと強引だけど、私の本当に嫌がるようなことはしなくて。ただ、当たり前のように隣にいて、私を安心感で満たしてくれるような人だった。

 

 でも、そんな風によくしてもらう理由なんて思い当たらなくて、素っ気ない態度をとってしまった。エルさんは既にパーティを組んでいる。私なんかよりもずっと強そうな人と一緒に。今のパーティは仮のモノだ。明日のボス攻略が終わったらきっと解消になる。

 

(…もうちょっとだけ…お話したかったな…)

 

 気がつけば私はボス戦に勝った後のことを考えていた。始まりの街の部屋で、何もせずに、ただ腐っていくだけなら。戦って死んだ方がマシ。そんな風に思っていたのに。

 

 私の意思は、そんなに軽いものだったのか…?ここに来て、初めて自分の考えや生き方に疑問を感じつつあった。

 

 私は余計なことは考えるなと、更に黒パンを食んでモソモソと顎を動かす。

 

 そんな私に声を掛けてきた人物がいた。私にパーティを組もうと言ってきた人だった。

 

 彼はこのパンを美味しいものだと表現した。正気かと思った。

 

「本気?」

 

「もちろん。まあ、ちょっと工夫はするけど…」

 

 彼がビンのアイテムを使用すると、パンにクリームのようなものが付与される。差し出されたアイテムを彼に倣って使用する。そして、鼻腔をくすぐる甘味の快楽に誘われるまま、目の前の食事に齧り付いた。

 

 美味しかった。

 

 気がつけばパンは消えていた。久方ぶりに空腹以上のものを満たされた私は、感嘆の息を吐く。そんな私の様子を見てか、彼はこのクリームの入手方法を教えようとしてくれた。この時、私はあることを不思議に思った。

 

(そういえばエルさん…お昼の時に、どうしてこのクリームを使わなかったの?)

 

 彼女と食事した時、『やっぱり、このままだとあまり美味しくないですね』と苦笑いしていた。てっきり、現実世界でなら調味料で好きに味付けできるのに。そんな意味だと思っていた。

 

 エルさんは私よりも強いし、このゲームについてより多くのことを知っていた。今思えば、そんな彼女がクリームを手に入れられるクエストの存在を知らない筈がなかった。…単に持ち合わせがなかっただけなのか。それとも、私にわざと教えなかったのか。

 

 不思議と寂しいような、裏切られたような、そんな切ない気持ちになった私は、隣に座る彼に刺々しい言葉を返してしまう。

 

「…いい。美味しいものを食べるために、私はここにいるわけじゃないから」

 

「じゃあ、なんで?」

 

 私は独白した。別に笑われたって構わなかった。無視してくれたってよかった。それでも私は、私の意思を口に出して再確認する必要があった。

 

 そうしないと、私は闘えなくなるから。

 

 私の意思を彼がどう解釈したのかわからないが、こんな返答が返ってきた。

 

「…パーティメンバーには死んでほしくないな」

 

 彼はそう答えた。

 

 そんな、彼の横顔にも何処か憂いのような感情が覗いていた。

 

 そのあとは、特に話が弾むこともなく自然と解散になった。

 

 明日はボス戦だ。

 

 命のやり取りだ。

 

 …なんだ、いつものことじゃない。

 

 私は、眠った。

 

 最期の瞬間まで闘い続けるために。

 

 

 

 

 

 生きるために。

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 〜森のフィールド 10:25〜

 

 

「じゃあ、改めて陣形の確認を。俺たちの役割はボスの取り巻きの露払いだ。入り口付近の敵を狩ることになるから、もし撤退するようなことがあれば、俺たちが他の奴らを援護する必要がある。……なあノート?やっぱり変わらないか?俺がパーティリーダーってどう考えてもおかしいだろ?」

 

「全く。なあ、エル?」

 

「はい。とてもわかりやすくて頼もしいです!」

 

「………」

 

 面倒ごとを押し付けるノート。純粋に俺を支持してくれるエルさん。無反応なアスナ。

 

 パーティなのに味方が皆無なのはおかしいんじゃないのか?

 

「こういうのは年長者の役目だろ?やっぱりノートが適任だ」

 

「その提案は却下な」

 

「何故?」

 

「そういうの面倒だから」

 

「無気力か!もう少し緊張感持てよ!これからボス戦だぞ?」

 

「生憎、俺は毎日省エネに生きることで必死なんだ。そういう意味では、何気ない日々こそが俺にとってのボス戦ということになる。お、いいこと言ったな俺」

 

「ただ怠惰なだけだろ…」

 

 俺の言葉に共感を示したのか、エルさんが援護射撃をしてくれる。

 

「そうですよノートさん。キリトさんの言う通りです。緊張感は大切ですよ?」

 

「ほら、エルさんだってこう言ってるし」

 

「…ならエル。お前がリーダーをやれ」

 

「え?私ですか?」

 

「こういうことは部長の役目だ。いつもみたく適当にうまいことまとめてくれ。よし、これでリーダーは決まったな。さて、作戦参謀のキリト。さっさと続きを話せ」

 

「お前最低だな…」

 

「何を言う。俺は自分に正直なだけだ」

 

「それが最低だって言ってんだよ!?」

 

「分かりました。微力ながら私がパーティリーダーを務めさせていただきます。では、キリトさん。今回の作戦内容の説明をお願いします」

 

「エルさん…貴女まで…」

 

「………コント?」

 

 これまで無言を貫いていたアスナが口を挟む。今ではお前の介入ですら嬉しく思う。重症だな、俺。

 

「コントじゃない!…というか、アスナはこれまでパーティを組んだ経験は?」

 

「…昨日、エルさんに教えてもらったから大丈夫。それより…なんで私の名前を知ってるの?」

 

「は?パーティ登録したろ?視界の上段左端に小さく自分以外のHPバーとキャラネームがある筈だ。あ、顔は動かすな。目だけ移動させて。どうだ?見えたか?」

 

「……なるほどね。それで?私はオフェンスでいいの?…というかそれしかできない」

 

 初めて作戦会議っぽいことができることに謎の感動を覚えつつ俺は考えていた作戦方針を説明する。

 

「おお…了解。ディフェンスは俺とノートがやる。二人はスイッチの合図で、すかさず敵にダメージを与えてくれ。敵のHPがグリーンの時はソードスキルを。レッドの時はなるべく通常攻撃で硬直時間を回避する。イエローの時は俺たちが可能な限りレッドゾーンに近づけてからスイッチの指示を出すから、フレンドリーファイアにならないよう気をつけよう」

 

「ふれ…何ですか?」

 

「間違って味方を攻撃するなって意味だよ。…キリト、一つ意見具申だ」

 

「何だよ」

 

「お前は遊撃に回れ。ディフェンスは俺がやる」

 

「はあ?いくらお前がパリィが上手いからって、敵が複数体だと一人で捌ききれないだろ?」 

 

「もちろん限度はある。だが、この中で最も攻撃力の高いお前をデフェンスで固定するのは却って非効率だし、戦闘が長引けばそれだけリスクになる。だからこその遊撃だよ。デフェンスはするなって意味じゃない。要は両方やってくれると助かるって意味だ。頼めるか?」

 

「…分かった。だが、お前が捌き切れないと俺が判断したらディフェンスに専念させてもらう。もし余裕があればオフェンスに参加する。これでいいか?」

 

「ああ、問題ない」

 

「エルさんも大丈夫ですか?こんな作戦しか提案できませんけど…」

 

「いえ。これ以上ない。素晴らしい作戦です。私は三人を信じます」

 

「…私も、エルさんを信じます」

 

 方針は決まった。

 

 後は、闘って生き残るだけだ。

 

 この時、俺はこうやって、俺たち四人でこれから先もやっていけるって。

 

 そう、思っていたんだ…。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 〜第一階層 ボス部屋 IllFang The Kobold Lord【イルファング・ザ・コボルドロード】戦 開幕〜

 

 

 

 

 

 

「A・B隊は一定の距離を保ってボスを包囲!C・D隊は援護用意!E・F隊、センチネルを近づけるな!」

 

「了解!」

 

 ディアベルの指揮がボス部屋に響き渡る。ボスに対して左舷後方に位置する俺たちF隊は、ボスの取り巻きである3体の【ルイン・コボルド・センチネル】を相手取る。当初の予定では盾装備の多いE隊がセンチネルを二体担当する予定だったが、その分攻撃力に乏しく、一体を倒すのに苦戦している戦況だった。そのため、俺たちは急遽、ツーマンセルの小隊を編成し、俺とアスナ、ノートとエルさんのコンビでセンチネルを一体ずつ迎え打った。

 

「スイッチ!」

 

「っ!!」

 

 俺の合図でアスナがソードスキルを発動し、一撃でセンチネルのHPを刈り取る。

 

 速い。

 

 主武装がレイピアということもあるが、合図からの初動と状況判断からくるポジショニングの変更が初心者とは思えない動きだ。

 

 ソードアート・オンラインの戦闘はリアルタイムアクションだ。ターン制で攻撃の手番が周る訳ではない。そのため、いつでも攻撃ができるし、逆に、いつだって攻撃される。

 

 そのため、状況判断と行動力がプレイヤースキルとして戦闘に大きく関わって来る。

 

 ついこの間まで、初心者特有のオーバーキルをしていた本人とは思えない。闇雲に敵を倒していた時にはなかった大局観のような、戦場全体を把握するような余裕が見受けられる。

 

(…エルさんの仕業か?どんな魔法を使ったんだか)

 

「来るよ!」

 

 アスナの一声で、考え事をしていた意識が戦場に集中する。

 

 取り巻きであるセンチネルは、ボスが倒されない限り何度でもリポップする。βテストの時と同じだ。俺たちはここでセンチネルの足止めをする。その間に本隊がボスを倒す。それが今回の勝利条件だ。

 

 既にボス部屋に入って取り巻きを5体は屠った。既に作業感の否めなくなってきた戦闘に、余裕ができた俺達はセンチネルがリポップする間にノートたちの様子を窺った。

 

 そこには予想外の光景が広がっていた。

 

 ノートは武器を手にしていないのだ。

 

 敵の攻撃を足の運びだけで躱し、大振りの攻撃を見切って、敵の腕が伸びきったところを狙う。手首を掴み、足払いを掛けてセンチネルは地面にひれ伏す。掴んだ腕を拘束術の要領で反対の肩まで押し込むと、センチネルはもがくだけで、一切の行動を封じられていた。

 

 確かに、センチネルを倒せば新たなセンチネルがリポップする。連戦による消耗を避けるためには、生かしたまま捕らえるのが最善だ。だが、それを武器も持たずに。攻撃をくらって死ぬ可能性があるこの状況で平然とやってのけるその胆力に、俺は震えずにはいられなかった。

 

(あの時と同じかよ…!)

 

 昨日、ノートとの決闘の際。初めは互角に剣を撃ち合っていた。しかし、俺の持つアニールブレードと、武器屋で購入した汎用的な剣を装備していたノートでは武器の耐久値が違いすぎた。武器を破壊することになる前に負けを認めるようノートに促したところ、ノートは剣を仕舞い、素手で戦闘を続行した。それが何と、剣を使っていた時よりも強かったとなると、驚かない訳にはいかない。

 

 通常攻撃を難なく躱され、バランスを崩されて地面に転がされた。

 

 熱くなった俺は容赦なくソードスキルを発動した。初撃決着モードであれば、初めに有効打を与えた方が勝者となる。何より競技場は圏内であり、それ以上ダメージが入ることもない。勝利の確信を持って振るった二連撃は、カウンターで腹部に叩き込まれたノートの蹴りによって、あっさりと打ち砕かれた。

 

 戦闘後、ノートに話を聴くと、分かりきっている攻撃ほど避けやすいものはない、そう言われた。

 

 モンスターはアルゴリズムによって制御されている。それを把握できれば怖くない。怖いのは何をするのか分からない相手だ。剣を持っていれば、剣で攻撃してくるのは誰でもわかる。しかし、人はそうではない。無数にある攻撃手段の中で最高効率以外の方法をとることがある。それが今回のノートの戦い方に該当する。

 

 剣の間合いには決して入らず、隙をみて挑発する。相手の思考と選択肢を削ぎ落とし、攻撃を誘導する。そして、既知の行動に入った相手が、一番油断する瞬間。勝利を確信した瞬間を狙い撃つ。意識の外からの攻撃が最も相手にダメージを与えられるからだ。

 

 

 回想終了。

 

 

 エルさんは気がつけばE隊の救援に行っていた。明確な攻撃手段を手に入れたE隊は、エルさんが動きやすいように立ち回り、センチネルを安全に退けられるようになっていた。

 

(よし。この調子なら___)

 

「退がれ!俺が出る!!」

 

 ボスのHPが残り2割りとなった時、ディアベルが前線の仲間を下げさせる。

 

 何故下げる?何故陣形を解く?

 

 ボスが戦斧と盾を投げ捨てる。

 

 腰に下げられた武器を見て、俺は冷や汗が吹き出した。

 

(あれは…タルワールじゃない、野太刀!?βテストと違う!?)

 

「ダメだ!!距離をとって防御を!!」

 

 考えるよりも先に口が動いた。

 

 しかし、ディアベルはもう既に走り出していた。

 

 終焉を報せる鯉口の音。

 

 巨体が高速で移動する。3次元的な動作に反応できないディアベル。ボスは最後にミスを犯した愚者に容赦なく襲い掛かる。

 

 一撃目、地面に着地した際の衝撃でプレイヤーの足が地面から離れる。

 

 二撃目、鋭い斬撃がディアベルの胴体を襲い、宙に身体が投げ出される。

 

 三撃目、身動きが出来ない空中で、無防備のまま、ボスの全体重が乗った一撃が振り下ろされる。

 

 轟音。

 

「ディアベルはん!!?っっっ!!!」

 

 助けに向かおうとした彼のパーティメンバーは、目の前に現れたボスの圧倒的な威圧感の前に身動きが取れない。

 

「ディアベル!」

 

 入り口近くまで弾き飛ばされた彼の一番近くに居た俺は、HPを回復させるためアイテムを取り出す。

 

 しかし、回復結晶を使用する前にディアベルに止められる。

 

 ディアベルはβテスターだった。

 

 だから、ラストアタック(LA)ボーナスとしてユニークアイテムが入手できることを知っていた。

 

 だから、彼は最後危険を冒してまでLAをとりに行った。

 

 第一階層のボスを倒した英雄として。

 

 SAOをクリアするための希望として。

 

 彼は戦おうとしたのだ。

 

 

 

 

 

 

「…ボスを倒してくれ。__みんなのために」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 この日、第一階層のボスを攻略したことにより、第二階層は解放されました。

 

 犠牲者 一名 名前はディアベルさん。

 

 彼はきっとこの先も、SAO攻略の第一人者として私たちの記憶に残り続けるのだと思います。

 

 

 ですが___

 

 

 

 

 

 

「もう一度言ってみろ!!」

 

 第二階層への転移門前で、キリトさんの怒声が響く。

 

 胸ぐらを掴まれた折木さんは怖いほど冷めた目で先程の言葉を繰り返す。

 

 

 

 

「良かったな。死んだのがディアベルで」

 

  




5000字以内に収まりませんでした。

ごめんなさい。

次回は回想がメインですね。

また次回もよろしくお願いします。


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008

 

 

 

 〜森のフェールド 移動中のガールズ(?)トーク〜

 

 

 

 

「__エルさん。少しだけ、お話いいですか?」

 

「?はい。何でしょうか?」

 

「その…エルさんは私に興味があるって言われてましたよね?それってどういう意味なんですか?」

 

 エルさんは特に考え込む様子もなく、さも当然のように返答する。

 

「気になったからです。同じ女性として。攻略に参加するのは何でなのか。どうして顔を隠しているのか。私が、貴女に対してどのような感情を抱くのか…。挙げると切りがありません」

 

 詰まるところ、エルさんの行動原理は好奇心にあるということ。決して、哀れみや同情で私に声をかけたわけじゃない。でも、それを少し寂しいと感じるのは、傲慢なのかな?

 

 …というか、エルさんだって攻略に参加してる女性プレイヤーだし、いつもフードを被ってる。自分のことは棚に上げてるとしか言えないけど、この人はただ純粋なだけなんだと思う。私はこの人の純粋さに、救われてるのかな?

 

 ふと、前日抱いた疑問をぶつけてみる。

 

「…昨日、夕食に例のパンを食べてたら、あの人…キリト君にクリームを貰いました」

 

「クリーム…ああ。【逆襲の雌牛】の報酬ですね。アレ、甘くて美味しいですよね」

 

「知ってたんですか?」

 

「ええ。ですが、私はそのアイテムを持ち合わせていないので」

 

 アイテムの存在は知っていた。しかし、そのアイテムを持ってはいなかった。知ってて隠した?

 

「それは…どうしてですか?」

 

 私にはその情報を渡したくなかったから?

 

 先ほどと異なり歯切れの悪い返答。私の不信感が現実味を帯びる。

 

「…えっと…その…こちらへ」

 

 エルさんは私の手を引くと、ノートさんやキリト君から少し距離を置いて、耳打ちしてくる。

 

「あの、一度しか言いませんよ?」

 

「は、はい」

 

 エルさんの小声が私の耳をくすぐる。

 

 

 

 

 

 

「___ということです」

 

「………なるほど」

 

 それは怒ろうにも怒れない。特別な理由だった。他人からは取るに足らない理由だろうけど、私は不思議と共感した。

 

 それはそうだ。それは譲れない。譲っちゃいけない。エルさんは俯き、フードから覗く赤くなった頬を隠しながら両手の指を彷徨わせる。

 

「えっと、アスナさん?このことは他の方には内緒ですよ?」

 

 この人でも照れることがあるんだ。彼女の新しい一面を知ることができて、意味もなく少し得した気分になる。

 

「ええ。もちろんです。でも、良かったんですか?私にこんなこと話して。私、口は固い方ですけど」

 

 壁に耳あり。障子に目あり。

 

 一度、露呈してしまった情報が偶発的に第三者に渡ることはそう珍しいことではない。胸の内にしまっておけるかは、情報を持った人物の裁量次第なのだから。

 

 そんな私の言葉に、エルさんは確信に近い声音で言った。

 

「これは私の持論ですが…女の子同士が仲良くなるには秘密の共有が一番だと思うんです。だって、それってきっと特別なことでしょう?」

 

 秘密を共有して、仲良くなるのか。

 

 仲良くなったから、秘密にすべきことが増えたのか。

 

 私はそれを信頼の証と呼びたいのかもしれない。

 

  __ガールズ(?)トーク 終__

  

  

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

  

 

 

 

 

 死というのは未知の概念だ。

 

 そもそも、死とは何なのか。生とは何なのか。科学的、宗教的、伝統的…その全てに共通解としてあるべき応えは歴史の端を伺っても、見事な紆余曲折。まさに迷走状態である。むしろ、そんなあやふやな状態こそが生死の概念の根幹にあるのかもしれないと厨二病染みたことを思ったりもする。

 

 ディアベルが死んだ。

 

 モンスターを倒した時と同じように。無数のポリゴンの欠片を霧散させて。遺体は残らず。遺影もない。彼の存在を物質的に証明するのは、この世界では始まりの街にある石碑に刻まれた彼の名前のみ。その名前すらも、無慈悲な横線に消されるのだ。

 

「う、うわああああ!!!」

 

 戦線はあっけなく崩壊。

 

 統率を失った人の群れは理性を貧し、原始的な欲求に基づき、生存と保身に奔走する。それまで、自分の頭で考えなかったツケが回ってくる。

 

 ボスによる未知の攻撃を警戒し、誰もボスに近づけない。連携して、レベルの不足分を補っていたプレイヤーは特に、ディアベルの最期を目の当たりにして、より死の気配に思考を囚われ、身動きが取れなくなる。

 

 連撃のソードスキルを叩きつけられ、盾装備のプレイヤー達が弾け飛ぶ。死への恐怖が攻撃という手段に移る勇気を削ぎ落としてくる。

 

 敗着の空気が蔓延し始める。

 

 敗走の準備をするかと、俺は冷めた思考で押さえつけていたセンチネルの首を落とす。そして、扉を開けようと、ボスに対して背を向けた時__

 

「ノートさん!」

 

 千反田が俺を呼ぶ。振り向いた俺の目を見て彼女は大きく頷く。

 

「私、行きます!」

 

 千反田が駆け出す。止める暇もない。俺は彼女の後を追う。頭では闘うことを否定しているのに、身体が自然と彼女のいる方へ引かれていく。

 

「ついてきて下さい!」

 

 千反田が戦おうとする。俺についてこいと吠える。震える手を、剣の柄を握ることで押さえ込みながら。

 

 意思を示す。

 

 俺は諦めと共に思考する。

 

 この場で最善の方法を。リスクとリターンを計算して、最も省エネになる手段を。そして、生き残るための行動を。

 

 俺は恐怖を振り払うように腹に力を入れて声を張り上げる。

 

「生き残るぞ!!」

 

「はい!」

 

 俺は役に立たなくなった前線を下げさせるため指示を出す。

 

「BC隊は下がって体制を整えろ!D隊はセンチネルの処理を頼む!ボスは俺たちが抑える!」

 

 俺の言葉に、大柄の黒人プレイヤーが反応し、即座に全体に細かな指示を出す。

 

「!…了解!死ぬなよ!!」

 

「そっちもな!」 

 

 ボスと接敵まで残り距離10メートル。

 

「エル!初撃離脱だ!そのまま走れ!」

 

「はい!…ハアッ!!」

 

 ボスが野太刀を上段から振り下ろす。斜傾の円を描いた刀身がエルを捉えることは無かった。緩急を使ったステップにより、千反田はボスの懐に飛び込む。勢いそのまま、ボスの足関節を地面を這うかのようにして剣が通過し、肉と骨を深々と裂く。

 

「Grrrッ!?」

 

 体重を支えられなくなり、地面に膝を着くボス。ダメージを与えた相手である千反田を捕捉するため、後方に駆け抜けた彼女を追う血走った眼球。俺はボスの恰幅の良い腹を足蹴にして跳び、ボスの顔面目掛けてソードスキルを叩き込む。

 

「らぁぁ!!」

 

 運良く左眼を叩き切ることに成功する。俺は落下した際の受け身を取ることでボスとの距離を稼ぎつつ、ソードスキル発動後の硬直時間をカバーする。

 

「Grrrrrrrr!!!」

 

 ターゲットを俺に変えたボスが、武器を振りかぶって襲いかかってくる。俺はバックステップしながら剣を体の前に構える。避けられないことを覚悟しての行動だったが、どうやらそれは杞憂だったようだ。

 

「はあぁぁっ!」 

 

 俺とボスの間にひとりのプレイヤーが割り込む。そいつはソードスキルによってボスの腕を武器ごとカチ上げる。

 

「スイッチ!!」

 

「ふっっ!」

 

 間髪入れずに側方から、細剣特有の鋭い刺突技がボスのデカっ腹に叩き込まれる。ボスは間を嫌ってか距離を取り、攻撃のタイミングを探るように俺たちと睨み合いになる。

 

 俺は助けてくれたプレイヤーの顔を見ると、素直に礼を言う気は失せたので憎まれ口を叩くことにした。

 

「…お前は遊撃だって言っただろ?俺が弾き飛ばされてからボスにソードスキルを撃っても良かったんだぞ?」

 

「お前に余裕が無いと判断したら俺も防御に回るって言ったぞ?悔しかったら余裕見せてみろよ。ノート」

 

 キリトも俺に倣って軽口を叩く。…コイツと一緒に闘うと、不思議と気分が高揚してくる。本の中の物語を読んでいるような感覚だ。

 

「…ボスのHPは残り15%ってとこか…。焦らず、確実に仕留める。死ぬなよキリト」

 

「ああ。もう、誰も死なせない!」

 

「Grrrrrrrrrrrrrrrrrr!!!!」

 

 ボスが雄叫びと共に突貫する。通常攻撃を俺が。ソードスキルをキリトが対応することで、ボスの攻撃を封じ込める。

 

「俺とキリトが捌く!二人はバックアタックでダメージを与えてくれ!一撃離脱を徹底しろ!」

 

「はい!」

 

「…了解!」

 

 エルとアスナが確実にダメージを積み重ねていく。このまま行けばボスを倒せる。勝機が見え、剣を握る手により力が籠る。突如、状況が変わったのはボスのHPが5%に差し掛かった時だった。

 

「すまん!待たせた!ワイらも加勢するで!」

 

 回復を終えたB隊が前線に上がってきたのだ。彼らはボスを囲むように陣形を取る。

 

 それが間違いだった。

 

 ボスが突如モーションを変える。

 

「っ!?エル!!!」

 

「え?…きゃああ!?」

 

 範囲攻撃。戦闘に参加したプレイヤーが増えたことでアルゴリズムに変化が生じたのだ。

 

 ボスは、まるで群がる羽虫を叩き落とすかのように、刀を高速で振り回す。それが、運悪く後方から攻撃のため近づいていた千反田に直撃したのだ。

 

 好機と見たのか、止めを刺すかのように、千反田に向かってソードスキルを放とうとするボス。

 

「あああああ!!!」

 

 俺は強引に千反田と迫りくる刀の間に体を割り込ませると、ボスのソードスキルを剣の腹で防御する。

 

 結果は、砕けちる刀身と腹部を深く裂かれる感触が教えてくれた。

 

 弾き飛ばされた俺を千反田が抱きとめようとして、共に地面を転がる。

 

 ボスの攻撃は終わっていなかった。

 

 ディアベルを死に追い遣った、あのソードスキルだ。空中から襲い掛かる全体重が乗った一撃に、俺たちのHPは跡形もなく全損させられるのだろう。俺は最後の抵抗で刀身の折れた剣を構える。

 

 そして___

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




5000字で切るとキリが悪いのでちょっと短めで更新しています。

回想後編は遅くても明日中には更新できると思います。

ガールズトーク(?)みたいな話もちょくちょく挟んでいきたい。


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009

執筆・編集完了。

投下します。


 

 

 

 

 

 

 

 

 ソードアートオンライン…剣が彩る世界において、私が為すべきことは何なのか。いまだによく分からない。

 

 始まりの街で、膝を抱えて震えてることしかできなかった私に、何ができるのか。

 

 今、目の前で命を落とそうとしている。私にとって、もう大切な人となりつつある彼女を、私は助けたいと感じた。

 

 でも、死にたくない。それでも、死なせたくない。

 

 私は葛藤する。

 

 近づけば、私はきっと死ぬ。

 

 でも、私が行かないと、エルさん達が死んでしまう。そんなの嫌だ。まだ、私はエルさんに話してないことが沢山ある。私の秘密だって話せてない。今度は私が彼女を笑顔にさせるんだ。私が彼女を助けるんだ。

 

 私は、動けない。いや、動かない。足が前に出ない。前に出そうとしない。なんで、どうしてと、情けない両脚を睨みつける。

 

(…動いて!)

 

 弱い私が囁き続ける。

 

 行ってはダメ。行ってはダメ。ここにいれば私は大丈夫。まだ、生きていられる。簡単なことだ。目を逸らしてしまえば良い。知らなかったんだから。わからないことはできなくて当然なんだから。見なかったことにすれば良い。全部忘れてしまえば良い。そうすれば、私は助かる。私、まだ死にたくないし…

 

(黙って!動け!!)

 

 地に固定されて動かなくなった脚に拳を振り下ろす。膝が折れる。腰が落ちる。

 

 私は地面に手をつく前に無理やり地面を蹴り、ただひたすらに駆ける。

 

 二人を助ける方法なんて分からない。私が生き残れるかなんて知らない。今は二人を助けたい。その思いだけで私は走る。

 

 ノートさんが倒れたまま折れた剣を構える。

 

 私は走る。

 

 エルさんがノートさんを庇うように、彼を守るように身体を引き寄せる。

 

 私は走る。

 

「Grrrrrrrrrrr!!」

 

 ボスが吠える。刀身が紅く光る。落ちてくる。死神の鎌が振り下ろされる。

 

 私は走った。

 

(…ダメ…ダメ…!)

 

 間に合わない。

 

 躊躇した時間。それは、私の歩数にして後4歩と言う距離を代償として要求した。

 

(嫌だ!嫌だ!)

 

 躊躇いを後悔する時間すら惜しかった。私は手を伸ばす。届かないと知って。届いてもどうすることもできなくて。それでも、せめて最期は彼女の隣に…。

 

 私は、死を受け入れようとした。

 

 そして___

 

 

 

 

 

 

 

「___届けええええぇぇぇ!!」

 

 英雄の産声を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 自分でも驚くほど、あっけらかんとした声が出たものだと今でも思う。

 

「筋力値お化けかよ…あいつは…」

 

 キリトが宙を舞う。ソードスキルの光が線を描き、オーロラのような残像を残す。

 

 俺たちに照準を合わせていたボスは空中では防御のしようもなく、キリトの一撃をガラ空きの脇腹で受け止めるしかなかった。

 

 体勢を大きく崩したボスは、そのまま俺たちの頭上を通り過ぎ、大きく後方に落下する。転倒状態に陥ったボスに、キリトとアスナがラストダンスを仕掛ける。

 

「アスナ!最後の一撃!一緒に頼む!」

 

「了解!」

 

 アスナがフードを取った。甘栗色の長髪がふわりと舞い、妖精のような雰囲気を纏う。しなやかな肢体を十二分に動かし彼女は駆ける。

 

「アスナさん!キリトさん!」

 

 千反田が俺に抱きついたまま声を上げる。

 

 うるさい。耳元で大きな声を出すな千反田。

 

 少し腹の立った俺は、右手に持っていた折れた武器を見ると、一つ妙案を思いついた。柄を逆手に持ち、右手を掲げて、弓のように腕を後方に引き絞る。

 

「さっきのお返しだ。利子付きで返す」

 

 投擲。

 

 砕けた刃は、蒼い直線を残し、ボスの右目に深々と突き刺さる。

 

「…後は、お前が決めろ。キリト」

 

 視界を奪われたボスが最後の力を振り絞って立ち上がり刀を振る。腰の入っていない、ソードスキルでもない一閃をキリトがカチ上げる。

 

 大きく晒された腹部に、容赦のない妖精の刺突が叩き込まれる。

 

 ノックバックしたボスにキリトがラストアタックである二連撃のソードスキルを放つ。袈裟斬りからの斬り上げにボスの巨体が宙に舞う。そして、断末魔の叫びと共に、ボスの身体が発光し始め、眩い光を残して爆散する。

 

 キラキラとボスだったポリゴンの破片が舞う中、視界にCongratulations!の文字が映し出される。

 

「勝った…勝ったぞ!」

 

 プレイヤーが歓喜の声を上げる。肩を組み合い、中には涙を流しながら両手を突き上げている奴もいた。

 

「折木さん…勝ちました。私たち、勝ちましたよ」

 

 千反田は緊張の糸が切れたのが、力が抜けたように俺に体重を預けてくる。いつもなら、彼女の身体の柔らかさにドギマギするところだが、今だけは勝利の高揚感が勝る。………いや、そうでもないかもしれん。

 

 アバターの身体になってから、どうにも理性のタガが外れ易くなっているなと、今一度気を引き締めて、千反田の肩を両手で支える。

 

「そうだな…ようやく一階層クリア…先は長いな」

 

「はい…。でも、大きな一歩です。これで、犠牲となったディアベルさんの意思も報われますね」

 

「…ああ」

 

 そうだと良いな。

 

 俺はその言葉を飲み込んだ。

 

 歓喜の空気が満たす中、一人のプレイヤーが声を上げる。 

 

「__何でや!!!何で、何でディアベルはんを見殺しにしたんや!?」

 

 B隊パーティリーダーのキバオウ。この中では妙にディアベルのカリスマ性に心酔していた内の一人だ。印象は兎に角、思い立ったら吉日と言わんばかりに己の考えを周囲に撒き散らす。声の大きさで注目を集め情報の信頼性に関わらず大衆の思考を誘導する。簡単に言うと話の通じないクレイマーみたいなものだろう。自分が考えたことを正しいと信じて疑わない。そういう類の人間だ。

 

「…見殺し?」

 

 律儀なのか、超の付くお人好しなのか。キリトはキバオウの主張を聞き入れてしまう。

 

「そうやろが!ジブンはボスの使う技を知っとったやろうが!!予めその情報を伝え取ったら、ディアベルはんは死なずに済んだんや!」

 

「違う…俺は」

 

「所詮、βテスター様は自分らが生き残れればそれでええんやろ?ワシら初心者プレイヤーが何人死んでも、どうでもええんやろが!!」

 

「…そうだよぉ…他にもいるんだろ?βテスター共よぉ…出てこいよぉ!!」

 

 キバオウのパーティメンバーが彼の主張に賛同し、βテスターを弾劾裁判に掛けようとする。

 

 ハッキリ言って茶番でしかない。

 

 要は行き場のない感情を、悪者を作り上げて糾弾して、発散させようってことだ。これだから理論に感情を混ぜる輩は手に負えん。

 

 俺は、確信に近い推論を持っていた。ディアベルがどうしてあの時、一人で前に出ようとしたのか。何故、名目状の攻略のリーダーとして、彼は立ち回ったのか。

 

 俺は、真実を伝えるだけだ。後はそれぞれの好きにすれば良い。そう思い立ち上がろうとしたら、千反田がそれを阻止する。

 

「千反田?」

 

 千反田は何も喋らない。ただ、何かに怯えるように首を左右に振る。俺は眉を潜め彼女の静止を振り切ろうとする。

 

 その時だった。

 

「___ハハハハハ…ハハハハハハハッッ!βテスターだって?そんな奴らと一緒にしないで欲しいな?」

 

 キリトの乾いた笑い声が、ボス部屋に響き渡る。キリトは気色の悪い笑顔を貼り付けながら、煽るような口調で話始める。

 

 …そういうことかよ、キリト。お前は本当にそれで良いのか?

 

 指揮官の喪失。仲間への不信。瓦解する攻略への道筋。

 

 その全てを補う一手がキリトにはあった。

 

 自分を悪役とすることで、ヒールを演じて、相対的にディアベルを正当化することで、アイツがβテスターだったという事実を隠し、βテスターへの不信感を一手に引き受けて攻略組の結束力を高めるなんていう離れ業が。

 

 俺は誰も到達し得なかった階層まで登った?無理があるだろ。どうして俺たちがこんな大人数でボス戦に挑んでると思ってるんだ。ボス戦はレイド戦。単独ではシステム的に無理だからだ。その証拠に、冷静なプレイヤーはもちろん、騒動の発端であるキバオウですらキリトの虚言に気づき始めてる。それでもキリトは止まらない。いや、もう止められないのか。

 

 キリトはラストアタックボーナスであるコートを装備すると、見せつけるかのような含みのある笑みを残して転移門のアクティベートに向かった。

 

 ビーターのキリト。

 

 初心者は身勝手なビーターに侮蔑の視線を投げかけ、βテスター達は己に降りかかる火の粉を払うため彼の存在を煙たがる。

 

 自分たちはあんなやつとは違う。力を合わせて攻略するんだ。ディアベルの意思は俺たちが受け継ぐんだ。

 

 道化に踊らされているだけの奴らが、さも自分たちは正義だみたいな正当性を身勝手に振りかざす。

 

 吐き気がした。

 

『みんながみんな、貴方みたいに強くて聡明なわけじゃないの』

 

 いつの日か、アルゴに言われた一言が漸く俺の中でストンと、あるべき場所に落ち着いた感覚だった。

 

 千反田が俺の手を握る。恐る恐る、叱られることを分かっている子犬のような顔で。

 

「折木さん…ごめんなさい。私、それでも」

 

 千反田の行動もわかる。確かに俺はそれで助けられたのかもしれない。…だけど俺は、こんな結末を望んだわけじゃない。どうにも千反田への上手い返しの言葉が浮かばなかった俺は別の話題を提示した。

 

「…キリトを追うぞ」

 

「はい…」

 

「私も行きます」

 

 アスナがエルに寄り添うように立つ。フードでこの世界との繋がりを遮っていた数時間前の彼女はもう存在せず。そこには自分の意思を貫き通す何とも魅力的な女性がいた。

 

 俺はアスナから視線を外すと歩き出す。

 

「…好きにしろ」

 

「好きにします」

 

 俺は考えた。キリトに追いついて俺はどうする?何が正解だ?何が最善なんだ?

 

 俺は一つの結論を出した。

 

 それは、俺たち四人パーティの決定的な崩壊を示すものだった。

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 転移門は螺旋状の階段となっている。こうしてひとりのプレイヤーが次の階層に足を踏み入れた瞬間、転移門が開通する。

 

 俺は重くなった足取りで階段を上る。何となく、少し休憩しようかと壁に背中を預けていると、知った顔が登ってきた。

 

「___ようキリト。悪役を大舞台で演じた気分はどうだった?」

 

「最悪だな。もう二度とごめんだよ。廃ゲーマーはスコアを見てもらいたいくせに、プレイヤーそのものは見て欲しくないんだ」

 

「面倒くさいな、お前」

 

「その言葉、そっくりそのまま返すぜ」

 

「理由を聞いても良いか?」

 

「何の?」

 

「さっきのペテン。ブラフ。いや、虚言癖について」

 

「誤解を招く言い方をするな。良心的な詐欺師と言え」

 

「だろうな。虚言癖にしては嘘をつくのが下手すぎる」

 

「…どういう意味だよ?」

 

「お前、死際のディアベルに何を吹き込まれた?」

 

 心臓を鷲掴みにされた気分だった。いつもの眠たげで無気力なはずのノートの目が、嫌な刺のような色を放つ。

 

「な、何って、何でも良いだろ、そんなの」

 

 俺は目を逸らす。ノートの俺を見ているようで別の場所を見ているかのような目に、俺は恐怖を感じた。

 

「…ふーん…。なら、言い方を変える。LAを無理やり獲りに行って自爆したのはディアベルの自業自得なんだ。お前が気に病むことじゃない」 

 

「____は?」

 

 こいつ。今、何て言った?

 

「アイツ、βテスターだろ?そうだよな。だって、初心者プレイヤーがあんなに上手く立ち回れるはずがない」

 

「お前、知ってたのか?」

 

「疑問が確信に変わっただけだ。まあ、それを知っていたと表現するかどうかはお前の自由だがな。話を戻すぞ?結論から言うと、ディアベルは英雄を目指した。情報力で勝る自分の立ち位置を生かして攻略組を率いた。仲間達とボスを倒しLAボーナスを手に入れて。アイツの計画は上手くいくはずだった。だが、イレギュラーがあった。そうだろ?」

 

「……βテストの時は、武器変換が刀じゃなくてタルワールだった。俺も、刀専用のソードスキルなんて見たことなかった…」

 

「だから後ろに退がれ、か。ディアベルがそれに気づいていたかどうか、今となっては確認の仕様がないが、まあ良かったよ」

 

「良かった?おい、言葉に気を付けろよ?」

 

「うん?気に障ったか?」

 

「本気で言ってんのか?」

 

「だってそうだろ?俺はβテスターだ。ボスの動きは知り尽くしている。ここでLAとって英雄街道真っしぐらだって行って、あっさり死んだやつのことをどう擁護しろと?」

 

 視界が紅く染まった。

 

「もう一度言ってみろっ!!」

 

 俺はせめてもの情けで殴るのではなく、締め上げることにした。

 

 しかし、そんな拘束は振り払うまでもないと言った表情で、ノートは嗤った。

 

「良かったな。死んだのがディアベルで」

 

『ボスを倒してくれ…。みんなのために』

 

 ディアベルは俺とは違う。仲間を見捨てなかった。仲間を鼓舞した。仲間と戦った。…自分じゃなく、他人のために最後まで理想を貫いて戦ったんだ。それを、お前は___

 

「っっっ!!!」

 

「やめてください!」

 

「キリトくん!落ち着いて!」

 

 俺はノートを階段から突き落とそうとした。しかし、エルさんがノートを支えて俺とノートの間に入り、アスナは俺の手首を掴む。

 

「…お前らもノートに…こいつなんかの意見に賛成するのか?仲間が死んで良かったなんて言う奴に!」

 

 アスナは肯定も否定もしない。だが、エルさんははっきりと頷いた。それを見て俺も怒るのがバカらしい気持ちになる。

 

 言葉が通じない相手に話しかけるなんて時間の無駄だと。

 

 俺はアスナに掴まれていた手を振り解くと再び階段を登る。そんな俺にまだ声を掛けてくる。

 

「キリト」

 

「黙れ!金輪際、俺に関わるな!」

 

 お前とはここまでだ。その意思をはっきりと示す。ノートは少し間を開けて口を開いた。

 

「…お前がいいならそれでいい。だが、これだけは言っておく。___キリト、お前はお前だ。英雄なんかじゃない。英雄になんか、なる必要はないんだ」

 

「………チッ!」

 

 俺はソロプレイヤーだ。仲間の死を喜ぶ奴なんて要らない。俺は一人で強くなる。そして、いつかお前より強くなって、石碑の前で土下座させてやる。それが、俺にできる、俺の代わりに死んでいったディアベルへの贖罪だ。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

「どうしてあんなことを言ったんですか?あれじゃあ誤解されて当然ですよ?」

 

 アスナさんが折木さんを窘める。折木さんはいつも通り面倒くさそうに話す。

 

「された、じゃなくて誤解させたんだ。あいつにばかり悪役を持っていかれてたまるか」

 

「普通は主人公に憧れるものじゃないんですか?」

 

「主人公って登場回数や修行編とかが多いだろ?悪役の方が強キャラ感出しつつダラダラして最後にちょいちょいっと主人公に始末される。実に省エネだ、俺は尊敬する」

 

「エルさん。この人もうダメ何じゃないですか?」

 

「大丈夫です。始めて会った時からそうですから」

 

 それ大丈夫じゃないです。主に俺の心が。

 

「まあ、プレイヤー達にとっての悪役をキリトは引き受けたんだ。それなら、あいつにとっての悪役がいないと不公平だろ?」

 

 俺の戯言にアスナがため息をつく。

 

「はあ…男の子って、どうしてこう言葉が足りなくて意地っ張りなんですかね?」

 

「そうですね。お二人は兄弟みたいで、見ていて微笑ましいです」

 

「お前は謎の母性を出すな」

 

「でも折木さん。人の死を間違っても嬉しいなんていってはいけませんよ?」

 

「お前は俺を殺人鬼か何かと勘違いしてないか?俺はただキリトに伝えただけだ」

 

 

 

 __お前が生きててくれてよかった、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アニメで言うと一期の2話までのお話がこれで終了です。

ここから先も原作を追うか、オリジナルの展開にするか、ちょっと検討中です。

アルゴもっと出したい…でもシリカちゃん…リズベット…(強欲)

次回は新章です。

今後も古典部の二人の葛藤や選択を暖かく見守っていただけると幸いです。


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赤鼻のトナカイ〜黒の剣士
010


 

 

 

 

 

 〜第26層  宿屋〜

 

 

 

 

 

 俺と千反田は、先日行われた、第25層のボス戦の総評と今後のボス戦に関する考察、及び方針について議論していた。

 

「___アインクラッド解放隊・壊滅…。まあ、25層のボス相手にあれだけの死者を出したんだから当然か」

 

「事実上、攻略組からの脱落…ですか?」

 

「いくら二大派閥の一柱とはいえ、主力を失ってはどうにもならんだろう。徹底した社会主義は、巡り巡って個の能力を抑制する結果になったわけだ」

 

「【リソースを最大限広く分配すべし】ですね。なんと言いますか…キバオウさんも悪い方ではないと思うのですが…」

 

「リーダーの資質があることと、リーダーの役割を果たせることはイコールじゃない。ドラゴンナイツ・ブリケードのリンドの方が結果を残している分、まだリーダーらしいことをしている」

 

「【トッププレイヤー達が希望の象徴として最前線に雄々しく立つ】…こちらはどちらかというと資本主義ですかね?」

 

「どちらも部分的な独裁制を容認している感は否めないがな。リンドのディアベルへの入れ込み様ははっきり言って異常だ」

 

「髪まで蒼く染めて、会議の際の立ち振る舞いまでそっくりでしたからね。キリトさんの話が絡むと感情的になるのが戴けませんが」

 

「それでも、今後はDNBがボス攻略の主力になる。より個々の能力が要求される戦い方を強いられるだろうな」

 

 最近、アスナが加入した血盟騎士団なるギルドも徐々に台頭してきてはいるようだが、頭数ではDNBに遠く及ばない。レイド戦に於いて数は明確な武器になるからだ。

 

「…キバオウさん…早まったことをされなければ良いのですけど…」

 

 デスゲームからの開放という目的を果たすのか。はたまた、現在の地位を守るために保身へと走るのか。いづれにしろ、目的と地位を天秤にかけて、地位を選ぶ奴にろくな奴はいない。

 

 考え得る最悪のシナリオは、シンカーの派閥がキバオウ率いるアインクラッド開放隊に吸収され、社会主義を上回る最悪の体制を強いることだ。

 

「このままいけば、間違いなく盲目的な共産主義者共の爆誕だな。政府(ルール)の機能が停止した国(ギルド)にそれ以上の繁栄は訪れない。先に待つのは衰退と崩壊の未来だけだ」

 

「シンカーさんが持ち堪えて下さればあるいは?」

 

「それだけの気概があれば、アインクラッド解放隊のリーダーはキバオウではなくシンカーになっていたはずだ。それが応えでもある」

 

「人の世はままなりませんね」

 

「…せめて俺の周囲の世の中だけは平穏であってくれることを願う」

 

「どうしてそこで私を見るんですか?」

 

 鏡を見てくれ。そこには千反田えるがいる。な?分かるだろ?

 

 この後、千反田に小一時間、視線の意味を教えろと付き纏われたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 〜第26層 町外れの酒場〜

 

 

 月に一度の定期報告。

 

 もとい、情報提供はアルゴと俺の交わした契約のようなものであり、俺に拒否権はない。それでも、ただ情報を搾り取られるだけではない。時には有益な情報を渡してくる。

 

 …飼い慣らされている。時折渡される、甘い甘い飴玉に、俺はわかっていつつも踊らされ続けてる。

 

 人間は環境に順応する生き物だ。特に、自分にとって利益になることや、幸福を感じることであれば、それまでの信念すら捨てて、郷に従ってしまう。

 

 かつて、とある国では捕虜に対して洗脳を行なっていた。その国の思想に理解を示す演説をすると、高待遇な扱いを受けるというシステムだ。拷問による痛みから逃れるためではない。祖国を否定し、中傷するしか生き残ることができなかったわけでもない。ただ、捕虜達は祖国よりも素晴らしい国があると。自らの口上で唱えてしまうのだ。そこにはもはや、かつての祖国に対する忠誠など欠片もなく。郷に入った敬虔な信徒が誕生していくのである。

 

 詰まるところ、俺は郷に足を踏み入れて、絡めとられている最中というわけだ。しかも厄介なことに、これがなかなかどうして心地良い。無知だった頃の不安感が、情報を得ることで薄れるのだから当然かもしれないが。

 

 俺は既に情報の奴隷なのだろう。だからこそ、情報の統治者である彼女に俺は逆らえない。

 

 …もし、このデスゲームから解放されたとしても、俺は誰かのシステムに組み込まれた歯車として、顔も名前すらも知らない第三者の利益のため、身を粉にして働くことを強いられるのだろう。

 

 自分には社畜の才能があるのかと絶望に打ち拉がれたのも束の間。アルゴが興味深い内容を切り出してきた。

 

「__テイム?調教ってことか?」

 

「ナンでも、脳波パターンの近いモンスターとは共感値(シンパシー)が高い状態になって、仲間と認識サレルみたいダナ。最近だト、ドラゴン系のモンスターをテイムシた女ノ子がチョットした話題にナッテたナ」

 

 ドラゴンを手懐ける少女。ちょっとカッコいいな。

 

「テイムしたモンスターは戦闘に参加できるのか?」

 

「あくまで、ブレスとか回復なんかの補助的な役割ラシイゼ。モンスターを戦わせて主人は後ろに隠れてル、なんてクズプレイはムリってワケだ」

 

 俺の考えは分かっているとでも言うように、鼻で笑いながら答えるアルゴ。もはやこの程度で怒りを覚える俺ではない。

 

「モンスターをテイムしまくって、そいつらをボスに嗾けてクリアできたら。死者も出ず、GMの間抜け顔も拝めて実に悦ばしい限りだったのにな…」 

 

「茅場を擁護するツモリはサラサラないんだケド、ノー坊。お前はRPGの醍醐味を全否定してるよナ。絶対ゲームを愉しめないタイプだ」

 

「放置したまま強くなって、いつのまにかクリアできてるようなゲームシステムが理想なんだが」

 

「人はそれをクソゲーと呼ブらしいゾ」

 

「それって人生ってことじゃないのか?」

 

「お前はモウ一回、エルたんにしばかれて来い」

 

「勘弁してくれ。あの薔薇色お嬢様の隣にいるだけでもギリギリなんだ。もしMPがこの世界にあるのなら、俺のMPは常にレッドゲージを免れないだろうな」

 

「単にノー坊のメンタルが貧弱なだけジャないノカ?」

 

 何を返しても罵倒される未来しかない。俺は精神的安寧を守るため、強引な話題転換を図る。

 

「…もういい。話を戻すぞ。そのモンスターテイムって意図的に可能なものなのか?」

 

 アルゴはつまらないと言うような表情を見せて、ストローを加えながら答えた。

 

「オイラの知ってる限りでは不可能ダナ。テイムに成功したプレイヤー達も狙ってやってたわけじゃない。…ただまあ、テイムできるモンスターには共通点がある」

 

「共通点?」

 

 アルゴはニッと口の端を引いて笑みを浮かべる。口から離したストローには彼女の歯形がついていた。

 

「ソレはナ___」

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 〜第27層 迷宮区〜

 

 

 あの日、アルゴと話していた内容が脳裏に過ぎる。コイツとの出会いはそれだけ突然だった。

 

「__真っ白なハリネズミさん、ですね」

 

 千反田が、攻撃してこないモンスターの存在に気づき、俺に声を掛ける。千反田がしゃがんで、小さなハリネズミとの目線を合わせようとする。すると、ハリネズミは鼻をひくひくと動かした後、千反田の両膝の上に飛び乗った。

 

「ひゃあ!?」

 

 千反田から嬌声に近い叫び声が上がる。俺はフードから覗く彼女の頬に朱がさしていることに気づかないフリをしつつ、先ほどの彼女の問いかけに首肯する。

 

「だな…。これが色違いのモンスターか」

 

 一ヶ月前にアルゴが言っていたテイム可能なモンスターの共通点。それは通常種と異なるカラーリングであることだった。

 

【Hypnotism hedgehog 〜ヒプノティズム ・ヘッジホッグ〜】

 

 直訳すると、【催眠術ハリネズミ】

 

 通称、【殺人ハリネズミ】

 

 背中に携えた、針を飛ばしてくるモンスターで攻撃力は低いのだが、刺されたプレイヤーは何かしらの状態異常が付与されることになる。毒や転倒状態ならマシだが、睡眠や麻痺となるとその危険性は跳ね上がる。最近はレッドプレイヤーと呼ばれる人殺しをするプレイヤーの手口として。睡眠PKや麻痺状態のままモンスターの密集地に置き去りにして殺すなどの悲惨な事件が横行している。

 

 経験の浅い、人数の少ないパーティだと、全員がこのハリネズミの針の餌食となり、命の危機に繋がりかねない。

 

 ただし、そのような危険なモンスターは出現数が極端に少ない。

 

 だからこそ、俺たちは今回遭遇した、色違い殺人ハリネズミの登場に大いに驚いた。

 

「前に見た奴は紫だったよな?目も血走った黄色で。いかにも自分は危ない敵だっていう感じの」

 

「ええ。でも、この子はまるで私たちみたいですね?針を含めて全身が白くて目は紅い。か、可愛すぎですっ…!!」

 

 千反田がハリネズミの可愛らしい見た目に保護欲を唆られたのか悶え始めて、若干息が乱れる。

 

 そのように話していると、俺のメニューウィンドウに【hypnotism hedgehogをテイムしますか?】という文面が現れる。

 

 俺は恐る恐るYESボタンを押す。

 

 すると、ハリネズミは千反田の腕を伝い、彼女の肩まで駆け上がると、俺の肩に飛び移り、そのままフードの中に滑り込んできた。

 

「うお!ちょ、やめろ!首元でウロウロするな!」

 

 俺の言うことを聞いたのか。ハリネズミは俺の胸ポケットに収まり、顔だけヒョコッと覗かせる形で落ち着いた。

 

 その様子を見ていた千反田はワナワナと震えながら俺に迫る。というより、ハリネズミに詰め寄る。やめろ。怯えてるだろ。

 

「折木さんっ!!」

 

「どうした千反田?あまり大きな声を出すな。こいつが怖がる」

 

「この子はシロちゃんです!こいつなんて呼ばないで下さい!」

 

「お前シロちゃんなのか?」

 

 フルフルと首を振る。かわいい。

 

「違うらしいぞ?」

 

 シロちゃん(千反田命名)の愛嬌に千反田の心臓は大きなダメージを追う。これが状態異常か…恐ろしいな(違う)。

 

 千反田は胸を押さえて、それでもと食い下がる。

 

「はうっ!…だ、だめです!シロちゃんは、その子は私の子なんです!」 

 

 全力でフルフルと首を振る。かわいい。

 

「もう諦めろ千反田…。たまに触らせてやるからそれで我慢しろ」

 

 ブンブンと首を振るシロちゃん(千反田命名)。…そんなに嫌なの?

 

 俺とこいつの仲良さげな雰囲気が気に入らなかったのか、遂には千反田は駄々を捏ね始めた。

 

「折木さんズルイです!不公平です!鬼畜です!」

 

「待て。俺は最低かもしれんが鬼畜ではない」

 

「女の子から可愛いものを取り上げて、どの口が言いますか!」

 

「言い辛いんだが…こいつどうもお前のこと苦手っぽいぞ?」

 

「がーん!!何故!?」

 

 自分で言うのか。それを言うのか?

 

 まあ、俺の脳波パターンと似てるってことは、性格も似てるってことだ。…つまりはそういうことだ。

 

「取り敢えず名前を決めないとな」

 

「話はまだ終わってませんよ!」

 

 俺は千反田を無視して、ハリネズミの頭を撫でる。 

 

「___【キュビズム】…キュビー。俺はお前をそう呼ぶ。嫌か?」

 

 ハリネズミ…キュビーは、小さな目を細めると、キュイと鳴き、ポケットの淵に顎を乗せてスヤスヤと寝始めた。省エネなところもそっくりらしい。

 

 【キュビズム】とは美術用語の一つである。

 

 1907年〜1914年にかけてパリで起こった現代美術の大きな動向。キュビズムではルネサンス期以降用いられてきた、一点透視図法(固定した一つの視点から描く方法)ではなく、立体派と言われる様々な角度から見たイメージを画面に収める図法が用いられていた。それまでの二次元での表現から三次元への表現へと変わり、「形態の革命」と呼ばれた。

 

 そして1907年にジョルズ・ブラックの描いた「エスタック風景」をマチスが『小さな立方体(キューブ)の塊』と言ったのがキュビズムの語源の由来と言われている。

 

 フルダイブ技術によって、まさに形態の革命を起こした、SAOというゲーム。

 

 ポリゴンで構成されたアバターである、小さな立方体の塊である、俺たちやNPC、それにモンスター。

 

 そして、多角的な視野で物事を捉え、生き残ろうと努めてきた俺の意思。

 

 そのことを忘れないため、俺はこの名前に決めた。

 

「キュビー…これからよろしくな」

 

 新しい仲間の加入に、俺は第一階層で袂を分つこととなった少年の顔を思い浮かべた。

 

 あれは必要なことだった。そう自分に言い聞かせて、俺は前を向く。いつかお互いに納得し、理解し合える日が来ることを信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「絶対にシロちゃんの方がいいです!シロちゃんの方が可愛いです!私は認めません!」

 

 …今回の件について千反田が納得するかはまた別の問題なわけだが、今はこれでいいのだろう。

 

 いいよな?良しとしてくれ。

 

 27層 迷宮区でのキュビーとの出会いであった。

 

 

 

 

 

 〜ノートはビーストテイマーになる 終〜




サチを助けるべきか…原作に沿うべきか…悩みすぎて胃に穴空きそう…。

キュビーちゃん…私に針を刺して、執筆高速化の状態異常を付与してはくれまいか?(末期)

今後もどんどん作中時間を進めてエタることの無いよう勢いだけで書き上げるので、温かい目で見守っていただけると幸いです。



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011

 

 

 

 

 

 

〜始まりの街 転移門前〜

 

 俺はケイタ。月夜の黒猫団のリーダーだ。今日、ここ始まりの街に来たのは他でもない。俺たちパーティー念願のホームを購入するためだ。懐に手を置き、みんなで集めた購入資金の存在を確かめる。これは俺たちの努力の証。積み重ねてきた時間が生み出した結果そのものだ。そこに新しい仲間が加わった。

 

 全体的に黒い装備と中性的な顔立ちが特徴的な少年。だけど、俺たちよりもずっと強くて頼りになる存在。名前はキリト。彼が来てから、パーティが今まで以上に強くなったと実感してる。…最近、妙にサチと仲が良いことが気になるが、もしお互いに同意の上なら俺たちは祝福せざるを得ない。俺たちは仲間なんだから。俺は自分に言い聞かせるよう今一度、懐越しにコルの詰まった袋を握りしめる。

 

「___すまん。待たせたか?」

 

 転移門が青いライトエフェクトを発する。時空のうねりのような光の揺らぎが収まると、1人のプレイヤーが姿を現した。そのプレイヤーは俺を見ると、眠たげな目はそのまま、謝罪の言葉を口にした。

 

「いえ、俺も今来たところです。ノートさん」

 

 彼はノートさん。月夜の黒猫団を立ち上げた時、色々と相談に乗ってくれた人だ。ノートさんは攻略組の一員で、俺たちなんか足元にも及ばないくらいずっと強い。それでも、強さを笠にきた物言いや態度は全くなく、誰に対してもありのままで接する彼の在り方は、それだけで好感が持てた。

 

 今回ホームを購入するにあたって、ノートさんに相談したところ、良い物件を提案できるかもしれないと、快く案内役を引き受けてくれた。ここで俺は疑問に思っていたことを聞く。

 

「…今日は、エルさんは一緒じゃないんですね?」

 

 俺は、俺たちは彼女の素顔を知っている。サチも可愛い女の子だと思っていたが、彼女とは別系統の魅力を持った、なんとも神秘的な女性だった。男なら誰だって、彼女とお近づきになりたい筈だ。そんな俺の煩悩に塗れた浅はかな思考なんてお見通しなのか。ノートさんは揶揄うような口調で俺の疑問に答えた。

 

「あいつは一足先に孤児院に行ってる。期待に添えなくて悪かったな」

 

「いえ、そんな…」

 

 本音をいえば少し残念だ。女性の意見も聞きたかったのだが、経験豊富なノートさんであればそのあたりのことも配慮してくることだろう。

 

「…あまり期待するなよ?」

 

「あれ?俺、言葉に出してました?」

 

「顔に出てる。お前の悪い癖だぞ?パーティのリーダーなんだから、もう少しポーカーフェイスを覚えろ」

 

 ここで俺は彼の発言に矛盾が生じていると感じた。

 

「では、エルさんはどうなんですか?喜怒哀楽に満ち溢れていますけど?」

 

 ノートさんは瞳から光を消し、死んだ魚のような目で俺を見つめた。

 

「…ケイタがどうしてもあいつのようになりたいと言うのなら俺は止めないが?良いな?俺は止めないぞ?」

 

 そこにあったのは闇だった。太陽が無いと生き物は生き絶えるが、太陽に近ければ近いほど、その身を激しく焼かれることになる。共存できるのは、太陽の光によって生み出される影のみ。俺はそのような役目を、パーティメンバーに強いることなんてできるはずもなかった。俺は謝罪を通り越し、畏怖の念を込めて最大級の謝礼を返す。

 

「…ご忠告に感謝します」

 

「分かってくれたようで大変よろしい。それじゃ行くか」

 

「はい。よろしくお願いします」

 

「__そういえば、何か希望はあるのか?こんな場所がいいとか。でかい風呂のある物件が良いとか」

 

「魅力的な提案ですが、何分資金にも限りがあるので、あまり贅沢は言いません。セキュリティーがしっかりしていて、パーティメンバー分の個室があれば十分です」

 

「じゃあ、防音設備完備の最低限5部屋はある物件か」

 

「いえ。6部屋です」

 

「ん?お前たちのパーティは5人だったよな?」

 

 俺たちのような弱小パーティのことを覚えていてくれる。それだけでもこの人の人徳は計り知れない。俺は彼に自慢するように新加入したパーティメンバーを紹介する__筈だったのだが。

 

「___随分と重役出勤やなあ?ノートはん?仮にも社会人なら5分前行動せいや」

 

 とあるプレイヤーがノートさんに声をかけた。語調の強い関西弁は心理的圧力と共に俺の警戒心を引き上げていく。そんな俺を余所に、ノートさんは気の抜けたような返答をした。

 

「すみませんキバオウさん。お待たせしました」

 

 全く感情の篭っていない。形だけの謝罪だ。…え?今ノートさん、キバオウさんって言わなかった?俺が混乱してるとキバオウさんと呼ばれた方が俺に話を振ってきた。

 

「ふん、まあええ。そっちの兄ちゃんがワイの客やな?」

 

 客という単語に疑問を覚えたが、攻略組のトップに唾をつけておいて損はない。俺はキバオウさんのことをあまり知らないが、極力彼のことを神聖視するような口調を心掛けて口を開く。

 

「キバオウさんって…あのアインクラッド解放隊リーダーの?あの、俺、月夜の黒猫団リーダーのケイタって言います!攻略組のトップにお会いできるなんて光栄です!」

 

 俺の打算に塗れた嘘が功を奏したのか。はたまた、キバオウさんはそれすら見越して流してくれたのか。再びノートさんに視線を戻した。

 

「なんや、ワイのこと知っとるんかいな。礼儀のなっとる奴や。そこのボンクラとは大違いやなぁ?」

 

「どうもボンクラです」

 

「お前もシャキッとせいや!たまには言い返してみい!」

 

「俺がそういうの苦手だってキバオウさんだってご存知でしょうに…」

 

「知ってしまったからこそ、見て見ぬふりはできへん。ワイは見ての通り大味な性格や。お前の気持ちなんぞ知らん。ワイはワイが良いと思ったことをやる。それがワイや」

 

「さてケイタ。今日はこのちょっと面倒くさい不動産のオヤジが良い物件を紹介してくれるらしいから大船に乗ったつもりでついていけ」

 

「オイコラ三下。誰が不動産のオヤジや?」

 

 ノートさんの発言にキバオウさんが不機嫌になり始める。俺はこの空気を変えるため、キバオウさんをヨイショする方向で、物件探しの件を改めてお願いする。

 

「よろしくお願いします!あのキバオウさんに紹介してもらえるなんて!俺感無量です!」

 

 キバオウさんはデレ始めたツンデレヒロインのような口調で話し始める。吐き気がしたのは秘密だ。ひょっとしてキバオウさんって頭が弱い…チョロい人なのか?

 

「ま、まあワイに掛かれば?掘り出しもんの物件の1つや2つ?ちょちょいと見繕ってやるわ。期待しときや」

 

 その後、様々な場所を訪れた。その中に俺たちパーティにぴったりの場所が見つかった。俺は2人に再度お礼を言い、手続きを終え夕日の照らす転移門で27階層に待つ仲間たちの元へと戻った。

 

 そういえば、ノートさんにキリトのことを紹介し忘れてた。でもまたいつか会える。だからまた今度だ。

 

 また、今度_________

 

 

 

 

 

 

 

 その今度なんて、もう二度と訪れはしないのに___

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 俺とキバオウさんは転移門で去っていくケイタの姿を見送る。彼の姿が完全に消えると、キバオウさんは俺に向き直り、先ほどまで浮かべていた笑みを消して俺に言った。

 

「それで?ジブンはワイになんの用や?まさか世間話をしに来たわけや無いんやろ?」

 

「お互い攻略組で多忙の身です。化かしあいはなしにしましょう。キバオウさん。貴方は一度、前線を退くべきだ」

 

「何をほざくかと思えば…ジブン、ワイに殺されに来たんか?」

 

「仲間のいない貴方なんて大した脅威じゃありません。数に頼る戦い方の強さは貴方が一番よく分かっている筈だ。誰よりも仲間を、ギルドの在り方を大切にする貴方なら」

 

「何が言いたい?」

 

「貴方の方針は間違っていない。限られたリソースを平等に分配する。みんなで強くなって、みんなでこのデスゲームをクリアする。実現すればこれほど素晴らしいマニュフェストは無いでしょう」

 

「つまり、ワイじゃ役不足言いたいんか?」

 

「違います。貴方は解放隊リーダーとしての役割を十二分に演じ切っている。大規模ギルド特有の軋轢や舵取りの難しさ。組織運営を成り立たせるための代償を、貴方は最小限に食い止めている。問題はその成果をいつ披露するのかという…言ってしまえばタイミングの問題です」

 

「いつ?」

 

「はい。ハッキリ言って25層のボス戦。解放隊主力の安全マージンは、貴方と他数名以外明らかに足りていなかった」

 

「………」

 

「貴方はそれを理解していた。理解していて尚実行した。…ギルドの実績のために、ギルド存続のために、パーティを、仲間を__貴方は生贄に差し出した。貴方の傲慢さが招いた代償を仲間に払わせたんだ。当然ですよね?全ての実を拾うことなんて不可能なんですから」

 

「何度も計画は練り直した。ワイらの計画は完璧だった。多少のレベル不足なんぞ、ワイらの計画と連携次第でどうにでもなった。全てが崩れたのは転移結晶無効化エリアの存在や。脱出不可能のボス戦になるっちゅうことを誰も知り得なかったせいや。知らないもんをどう計画に組み込めいうんや?それこそ後の祭りやろ?」

 

「完璧な計画っていうのは、事前に書いたシナリオ通りに事が進むことじゃないんです」

 

「何?」

 

「最低限のシナリオを元にキャストたちがアドリブをしまくって、予測もできない未来に柔軟に対応していく。そんなツギハギだらけの不完全さを内包したまま、天衣無縫の筋書きを成立させる作品こそ、いつだって名作たりえるポテンシャルを発揮する。完璧な計画なんて存在しない。先に完璧を目指した時点で、その計画は心理的安定を図るためだけの、ただのメンタルケアの手段に成り果てる。完璧とは、璧が完成したとき初めて完璧足り得るんです」

 

 完璧な計画とは、無数にある不確定な道筋をたまたまなぞっただけに過ぎない。未来にしか証明の手段がない。不可逆性の概念を模した、失敗に対する保険、言い訳の言葉なのだ。

 

「あくまでギルメンを殺したのはワイやって言い張るんやな?」

 

「俺は事実を伝えるだけですよ。計画のせいにして罰から、罪の意識から逃れようとするには、少し歳をとりすぎたんじゃ無いですか?」

 

「大人は、ジブンが思っとるほど大人になんてなれてへん。ただ、嘘の吐き方が器用になっただけのガキと変わらん」

 

「知ってます。同じ人間なんですから。他人は自分と違って特別だ、なんて。誰もがお互いに抱いて当然の感情でしょう。ドッペルゲンガーなんて存在しないんですから」

 

「なら、分かるんや無いのか?ワイが今、どんな思いでギルドにおんのか」

 

「知りませんよ。俺はキバオウさんじゃないし。それに、あまり興味も無い。見栄を張って生きるのか。胸を張って生きるのか。トドのつまりはその選択をするだけなんですから。貴方に対する俺の興味はそこにしかない」

 

「そんならワイからも言ったるわ___お前は狂っとる。おおよそ人間の考え方やない。いいや。もっと気色の悪い、こんクソゲームのシステムそのもんやないか?」

 

「誰しも他者は自己にとって理解できない狂人です。しかし、社会というシステムの中で、システムの恩恵を受けるのであれば、義務は果たすべきです。ルールは人を守ってはくれませんよ?ルールとは人が守るものなんですから」

 

「ワイはジブンのその、自分だけは知っとるいうような口ぶりが、殺してやりたいくらい気色悪いわ。___ここではワイがルールなんや。誰にも文句は言わせへん。無論、ジブンもな」

 

 結局、キバオウはこの先も前線にプレイヤーを送り続け、多くの犠牲者を出すこととなった。今回の俺の行動は完全に徒労に終わったわけだ。だからこそ、やはり俺は思うわけである。

 

 こうして全ての事象は、歴史的遠近法の彼方で古典となっていくのだなと。

 

 しかし、歴史にも、経験にも学ばない。

 

 そんな愚か者にすらなれない猿に、時効なんていう人の法が果たして適用されるのかと。

 

 俺は考えずにはいられなかった。

 

 そして、既にそんなことはもうどうでもいいと結論を出してしまっている己の薄情さに、俺は不思議な安堵と虚しさを綯交ぜにした吐息を溢すのだった。

 

 

 

 

 

 〜歴史に学ぶ賢者 経験に学ぶ愚者 そのどちらでもないナニカ 終〜

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 27層の迷宮区にはトラップがある。

 

 攻略組なら誰もが知っている情報だ。

 

 なら、ここで俺がみんなにトラップの存在を伝えるのはおかしい。

 

 何かあっても、俺ならみんなを、サチを守れる。

 

 俺は強い。

 

 俺は攻略組だ。

 

 俺はその中でも、ずっとソロで戦ってきた。

 

 俺はビーターだ。

 

 特別なんだ。

 

 だから、今回も大丈夫だって。

 

 そんな、浅はかな優越感に浸っていた。

 

 サチと一緒に眠るのは心地よかった。

 

 互いに傷を舐め合うだけの共依存。

 

 おおよそ、男女の関係なんて綺麗な感情は介在しない。

 

 酷いほど都合の良い、互いを利用し合うだけの関係。

 

 でも、どうしてだ?

 

 どうして、俺はそうだって分かっていたのに。

 

 そんな最低の行為を許容していたのに。

 

 今になって、失うことになって初めて。

 

「サチっ!!?」

 

 俺は彼女に、こんなにも強く惹かれるんだ?

 

      

 




今回、最低な野郎共しか出てこない…(テンション下がる…)

ごめん…ごめんなさい、サチ…。

一度は奉太郎が君を助ける物語を描いてみた。

だけど、書き終わった後に奉太郎には君を助ける理由がないって気付いた。

その物語は奉太郎の物語じゃなくて、私のエゴに動かされた奉太郎の酷い演劇になるって分かった。

ご都合主義は大好きです。ハッピーエンド万歳です。それでも、私の都合で彼らの意思を蔑ろにはできないと思いました。

それが私なりの原作に対する敬意なのかもしれません。

沢山のお気に入り登録、評価、感想をありがとうございます。

また次回もよろしくお願いします。


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012

 

 

 

 

 〜始まりの街 教会〜

 

 教会というものは、何だか不思議な雰囲気に包まれた場所だと漠然に思ってしまう空間です。神社や御宮と同じ、神様を祀る場所なのに、その中身が大きく異なるように感じるのは私だけなのでしょうか。いえ、そもそも、神様を祀るという考え方からして、既に私の宗教的感覚は日本古来の伝統に影響を受け切っているのでしょう。

 

 神様と共存する。

 

 大切にしているものには魂が宿ると言ったお話は誰もが一度は耳に挟んでいることでしょう。私はこの考え方の方がしっくりときます。お米の一粒には7人の神様が宿っているのです。粗末にしてはいけません。そのように思うと、私たち日本人というのは、複数存在する神様をより日常の中に落とし込んで、より人々に近い目線で、神様という存在を捉えているように思います。

 

 神様を崇める。路を尋ねる。

 

 神様を絶対的なものとして。精神的な導として。手を組み、頭を垂れる。迷える仔羊とは、自らの意思で行動する、その権利・選択を神様に移譲するということなのでしょうか?それで本当に神様は路を示して下さるのでしょうか?神様とは、私たちの人の意思を見守る存在であって、意思を決定する存在では無いのではないでしょうか。そんな、西洋の宗教的様式を勝手な想像で塗り固めてしまうと、どうしても違和感が拭いきれません。

 

 きっと信仰という行いについては、共感こそして良いものの、否定したり、強制してはダメなことなのだと思います。それはきっと隣人の存在を許さないのと同義の主張だと思うからです。正しくて、間違ってて。信じて、信じられなくて。そんなあやふやで、答えの無い問いすらも、この場所に来れば、何ということはない。ただ生きていく上で当然の悩みだと根拠のない安心感を得られる。人の想いが結ばれる場所と、人の罪が懺悔される場所。清濁合わせ持ったこの場所は、やはり教会と呼ぶに相応わしい場所なのでしょう。

 

 女神を模した像は、高い位置に置かれ、壇上には神官のNPCが存在する。木製の長椅子が連なる石畳とのコントラストは見事という他ありません。

 

 その中で、一箇所だけ。おおよそ本来の教会の風景には無い光景が広がっている。

 

「___では、この問題は…ヒロくんに答えてもらいましょうか?」

 

「えー!何で俺?ミカでいいじゃん!エル先生、俺が算数苦手なの知ってるでしょ?」

 

「苦手だからといっていつまでもそのままにしておくと後で困りますよ?分からないことは恥ずかしいことじゃありません。分からないままにしておくことが恥ずかしいことなんです」

 

「じゃあ、いつエル先生はノート先生に告白すんの?いつまでもノート先生の気持が分からないのは恥ずかしいことじゃ無いの?」

 

「では、この問題はミカさんに解いて頂きましょうか」

 

「あ、逃げた」

 

 ここには、幼い子供たちが住んでいます。SAOという監獄に囚われてしまった彼らが、現状を正しく認識して正しい行動を自分で判断しろと強いることは、あまりにも酷なことです。アズリカという女性プレイヤーが彼らを導かなければ、一体どうなっていたことか。彼女の尽力もあり、有志を募りながらこの教会で孤児院を運営することができている。私たちもその有志の中の1人で、定期的にここを訪れては、アズリカさんに教師役を頼まれ、こうして舌足らずな拙い教鞭を振るっているわけです。

 

 しかしながら…最近の子供たちは油断なりません。邪な考えがない分、ストレートに疑問をぶつけてきます。先ほどのヒロくんの疑問も全く以て正論です。ですが、それに答えられないのが高校生なのだと。大人になり切れない。子供とも呼べない。そんな私が、男女の恋慕について我がもの顔で語ることなどできる訳もなく。ヒロくんの疑問に応えられるほどの経験もない、自身の奥手さを呪いつつ、先程の私の発言を有耶無耶にするため。強引に算数の得意なミカさんを解答者に指名する。後からアズリカさんにこの時の話を聞くと、生徒の皆さんが口を揃えて、ボス戦に挑む人の表情ってやっぱり凄いと話題になっていたようです。…どれだけ私は必死だったのでしょうか?

 

「…こうして…こうだから…答えは51」

 

「はい、正解です。次の問題ですが___」

 

「…でも、エル先生とノート先生はお付き合いしてないから…51(恋)じゃない?」

 

「先生は怒ったので今日のケーキはなしです」

 

「えーー!!大人げねえ!」

 

「…抗議…断固として抗議する…!…大人の横暴を許すな…!」

 

 皆さん、折木さんがいる時は真面目に授業を受けて下さるのに、どうしてか私1人だと頻繁にこの話題で苛められてしまいます。苛めはダメです。ダメなんです!

 

 非難轟々、顰蹙猛襲。

 

 もはや学級崩壊の様相を呈してきたところで、教会の大きな扉が蝶番の音を響かせて開かれる。

 

「__騒がしいな?…エル。お前どんな授業してるんだ?」

 

「ノ、ノートさん…」

 

 一番来て欲しくないタイミングで、一番来てはならない人が顔を覗かせました。

 

 まずい…まずいです!!

 

 私の予想をそのままに、ヒロくんがいの一番に口を開く。きゃー!やめてー!?

 

「ノート先生!エル先生酷いんだよ?今日はケーキなしだって!」

 

「お前はいつものことだろ?何を今さら慌ててるんだ?」

 

 ヒロくんはよくヤンチャをする子なので、悪いことをするとご褒美のおやつ抜きになる常習犯です。折木さんはいつものことだろと言わんばかりの顔で言いました。…子供にも容赦がなさすぎなのでは?…もしかして、それが子供たちが折木さんの言うことを良く聞く理由なのでは?私が教育という分野の奥深さを痛感しているうちに今度は優等生のミカさんが口を開く。

 

「…今日は、みんなが食べちゃダメだって…」

 

「何?………」

 

 やめてください。そんな目で私を見ないで下さい。被害者は私です。精一杯の、囁かな抵抗だったんです。というかミカさん?何ですかその本気で落ち込んでますみたいな雰囲気は?さっきまでノリノリで私に断固抗議するとか言ってましたよね?そうですよね?

 

 いくら恨み言を並べようと事態は好転しない。かと言って弁明もできない。それ即ち自爆と同義だから。

 

 なので私は必死に目で訴える。私は悪くないです。悪いのは私たちの関係を揶揄って苛めてくるみんな…いや。いつまでも自分の気持ちをはっきりさせない私………。あれ?そもそも私がこんなに困ってるのは折木さんが原因なのでは?そうですよね?そうですよ。そうに違いないです。私をこんな気持ちにさせた折木さんのせいです!折木さんが悪いんです!!

 

 滅茶苦茶になった思考と暴走する私の顔色に折木さんは何を感じたのか分かりませんが、不意にメニューを操作しだすと、バスケットを取り出しました。その中にはフルーツサンドが色鮮やかに敷き詰められ、生徒の皆さんの視線を鷲掴みにしました。折木さんはそのうちの一切れを摘むと、皆さんの目の前で食べ始めました。「お、美味いな」と小さく呟いた折木さんは、再度バスケットを掲げると言いました。

 

「今日は俺が買って来たやつを食えばいい。ただし、真面目に授業を受けたやつだけだ。ふざけたやつの分は俺が食べておいてやるから」

 

 折木さんの言葉を合図に、皆さんが一斉に机へ向かいます。先ほどまで無法地帯と化していた空気が、戦場に近い緊張感を漂わせています。そのあまりの変貌具合に私は若干たじろぎながらこれを好機と参考書を持つ手に力を込めた。

 

「そ、それでは、授業を再開しますね?」

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 キバオウと別れたのち教会を訪れた俺は、扉を開いて中から聴こえてくる子供たちの声に眉を顰める。俺ははっきり言って子供が苦手だ。思考回路が滅茶苦茶だし、感情を理性で制御仕切れない。省エネをモットウとする俺にとって、子供の溢れんばかりのエネルギーと行動力は、天敵と言ってもいい。しかし、ここの子供たちは案外聞き分けがいい奴らだ。若干名、言うことを聞かない奴もいるが、精神的苦痛を与えればすぐに大人しくなった(注‘おやつ抜き)。

 

 しかしながら、今日の授業の荒れ方は異常だ。また千反田の地雷をヒロのやつが踏み抜いたか?

 

 俺が騒動の只中にいる千反田に目を向けると、千反田はその大きな目を輝かせた後に青ざめて急に焦り出した。…忙しないな、お前。

 

 俺が千反田の奇行を観察していると、生徒たちが各々騒動の理由を口走り始める。ちょっと待て、俺は聖徳太子じゃないんだ。1人ずつ話せ…あ、もういいやめんどくさい。全員興奮していてよく聞き取れなかったが、要約すると千反田が全員おやつ抜き(現在17時)にしたとのこと。…まあ、怒るわな。理由を聞こうにも、千反田が凄い顔で俺を見てるし。何だ?呪いか?呪い殺す気かお前は?

 

 最も省エネに事態を収束させるため、俺はフルーツサンドを生贄とする。さらばだ…俺のシャインマスカット…。効果は的面。その後は大きな騒動も起こることなく、授業を終え、俺たちは褒美を子供たちに渡し教会を後にする。その際、何やらヒロが俺に話しかけてきたが、ミカにラリアット食らってプロレス技掛けられてた。…最近の子供は恐ろしいな…。そして千反田。何を焦ってる。は?何を聞いたって?何も聞こえなかったぞ?…は?ちゃんと聞け?何でお前が怒る?

 

 などなどあり。

 

 今現在俺たちは、亡くなったプレイヤー達の供養のため、始まりの街地下にある石碑へ向かっている。何故かむくれたままの千反田を元の状態に戻すため、俺の貴重なエネルギーをわざわざ浪費し、雑談をしながら街中を練り歩いた。しばらく経つと千反田の機嫌も元に戻り、話題は月夜の黒猫団に移った。

 

「じゃあ、良いホームが見つかったのですね?よかったです」

 

「ケイタって案外、即決できる肝の据わったタイプなんだな。キバオウ相手にも腹芸かましてたしな」

 

「え?街中で宴会芸をしたんですか?」

 

「そういう意味じゃない…。含むところがあって、キバオウのご機嫌とりをしてたってことだ。社畜必須スキルだ。ご愁傷様だな」

 

「折木さん?そういうことは言ってはダメです」

 

「へいへい…。そういえば千反田。あいつら新しいパーティメンバーを見つけたらしいぞ」

 

「はい。そうですね」

 

「そうですねって…お前、知ってたのか?」

 

「サチさんとメッセージをしていた時に伺いました。折木さんには暇を取らせないようにこの後ある、祝ホーム購入記念会で紹介したいって」

 

「ほう…。まあ、人数が増えることは別に悪いことじゃないしな。どんな奴なんだ?」

 

「………さあ?私も存じ上げていないので、私にとってもサプライズですね」

 

「あいつらなりの粋な演出ってことか。…というか千反田?それを俺に言ってしまったらサプライズにならんだろ?」

 

「ケイタさんが6人と言ってしまったんですからもう良いのでは?」

 

「確かに…。あいつらの根回しが杜撰すぎて若干心配なんだが?」

 

「それもまたパーティの色でしょう?隠し事ができないのは皆さんが素直で善人の証拠です。美徳じゃないですか」

 

 階段を下りると石碑はすぐそこにある。俺たちはメニューを操作し、花束を取り出すと石碑前中央の献花台に花を置く。小さく黙祷した後、俺たちはこの半年間で散っていったプレイヤーたちの名前を目で追っていく。俺は先ほど千反田が言っていたことに関して、返答するように口を開く。

 

「なら、生き残ってる俺たちは、あいつらがこれからも善行を重ねられるように。いろいろやっていくだけだな」

 

「…そうですね」

 

「ただし、省エネに、だ」

 

「折木さん台無しです…」

 

 そうしてお互い目を合わせ、どちらかともなく笑い出す。いつか、自分たちが命を落とすことになっても、後続の奴らがきっと、俺たちの意思を継いでくれる。死に急ぐ気はサラサラないが、それだけでも、命を賭ける理由には十分だった。

 

「…では、そろそろ行きましょうか?祝賀会へ!」

 

 千反田が楽しげな笑みを浮かべる。それもそうか。今日は月夜の黒猫団門出の日。あいつらの成長を見守ってきたものとしては嬉しくないはずがなかった。俺は再度、ディアベルたち、死んでいった仲間たちに別れを告げるため石碑に目を向ける。そのことを千反田には悟られたくなくて、祝賀会用の花を買い忘れたかもしれないと戯けて見せる。

 

「花は今置いた奴以外にも買ってたよな?無かったらもう一回買いに行ってから…ん?_______________」

 

 その時俺は、全身の血の気が引いた。俺の異変に気づいたのか。千反田が声を掛ける。

 

「?折木さん?」

 

 俺は迷った。自分の目がおかしくなったのかと。何かの間違いだと。そう言ってしまおうかと、本気で悩んだ。その果てに出た答えは、驚くほど淡泊な言葉だった。

 

「千反田…祝賀会は中止だ」

 

「え?どうしてですか?何かメッセージが届いたんですか?」

 

 俺は千反田の質問には答えず、代わりに花束を出した。祝賀会用に豪勢な彩りで飾り付けられた花束を。

 

 

 

 俺は迷わず献花台に置いた。

 

 

「え?___そんな………っ!!?」

 

 千反田が俺の行動を怪訝に思い、そしてその意味に気づいた。

 

 俺は石碑に近づき、右の拳を固め、全力で打ち付ける。破壊不能オブジェクトのポップが浮き上がり、消える。俺はこの拳の先にある名前を見たくなどない。その意味を理解したくない。そんな俺が口に出した言葉は__

 

「どうしてだよ______ケイタ」

 

 ホームの鍵を大事そうに握りしめて嬉しそうな顔でこちらに向かって手を振る。そんな痛々しいほど希望に満ち溢れた姿が閉じた瞼に映り込む。そんな月夜の黒猫団リーダーへの問いだった。

 

 

 月夜の黒猫団 リーダー ケイタ 以下4名死亡

 

 

 彼らの名には、無慈悲な線が刻印されていた。

 

 もう二度と、彼らに会うことはない。

 

 もう、会えない。

 

 

 

 

 

〜献花台に、祝いの花束を 終〜

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 〜ある日のガールズトーク メッセージ〜

 

 

 

 Sachi:『ご無沙汰してます。エルさん。今、連絡よろしいでしょうか?』

 

 L:『お久しぶりです。サチさん。その後、黒猫団の皆さまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか?』

 

 Sachi:『お陰様で、ゲーム攻略にもなれてギルド運営も徐々に軌道に乗ってきました』

 

 L:『それは何よりです。今度、近いうちにお会いできますでしょうか?』

 

 Sachi:『本当ですか?嬉しいです!実は今度ケイタがギルドホームを購入する予定なので、その時の記念パーティに、是非エルさんも出席してください』

 

 L:『そうなんですか?おめでとうございます!!分かりました。お祝いの品をご用意させていただきますね』

 

 Sach:『そんな。気にされないで下さい。エルさんに対する私たちの感謝の意味も込めた催しなんですから。主賓のつもりでお越し下さい。それに、エルさんにご紹介したい人もいるので』

 

 L:『サチさん…もしかして大人の階段を登られましたか?』 

 

 Sachi:『え?t、違います。わたしそんなk』

 

 L:『冗談です。なら、その方とはその時にしっかりとご挨拶させていただきますね』

 

 Sachi:『あ、ありがとうございます』

 

 L:『サチさんは、もう大丈夫でしょうか?』

 

 Sachi:『?』

 

 L:『ちゃんと眠れていますか?もう、怖くないですか?』

 

 Sachi:『…正直、戦うことは怖いです。私は弱いし、みんなの足を引っ張ってばかりです。いつ死ぬかも分からなくて、毎日が怖いです。それでも、私は死なないって言ってくれた人がいるんです。私を、守ってくれるってキリトが、そう言ってくれたんです』

 

 L:『キリトさん?もしかして黒い装備の中性的な顔立ちの方ですか?』

 

 Sachi『はい。まさかエルさんのお知り合いの方ですか?』

 

 L:『はい、私もノートさんも彼のことは存じています。そうですか、キリトさんが』

 

 Sachi:『あの…エルさん。キリトって攻略組ですよね?』

 

 L:『?はい。今までずっとボス戦をともにしてきた戦友です。パーティを組んでいた時期もありました。ですが…以前ノートさんと言い合いになってからはずっとソロで攻略に挑み続けて。ノートさんとは話すら拒まれて、私との会話も事務的なやり取りだけでして…。せめて、お二人には和解していただいて、もっと親睦を深めて欲しいと思っているところです』

 

 Sachi:『…でしたら、サプライズに2人を仲直りさせるのはどうでしょうか?ノートさんの性格では事前に伝えるといらっしゃらないのでは?キリトと喧嘩してるなら尚更です』

 

 L:『サプライズ!?それはいい考えですね!お二人がどんなお顔をされるのか私、気になります!』

 

 Sachi:『では、ノートさんには祝賀会への参加の旨だけお伝えしてください。キリトのことはくれぐれもご内密に』

 

 L:『分かりました。全力を尽くします!』

 

 Sachi:『私も今から当日が楽しみです。では、今後ともよろしくお願いします』

 

 L:『はい。よろしくお願いします。おやすみなさい。またお会いできる日を楽しみにしています!』

 

 

 

〜メッセージログから抜粋〜

 

 

 

 




次回はキリトくんに奉太郎が尋問する回ですかね(果して面白いのか…?)

シリアス:ラブコメの比率は6:4くらいが目標です。

また次回もよろしくお願いします。


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013

 

 

 

 〜2023年12月24日 第35層 《迷いの森》〜

 

 

 

 

 2023年6月12日。

 

 

 あの日、俺は仲間を殺した。

 

 月夜の黒猫団。

 

 それが、俺の殺したパーティの名前だ。

 

 当時の俺は何もかもが浅はかだった。

 

 10以上もレベルの低いパーティに加入し、素性を偽りながら強さをひけらかし、優越感に浸った。

 

 死の恐怖に怯える少女に何の根拠もない甘言を唆し、その肌の温度に、頼られることに最低な悦びを覚えた。

 

 嘘で塗り固めた。パーティ内での自身の立場を守るため、さらなる嘘を吐き続けた。

 

 結果、トラップが存在することを提言できず。また、クリスタル無効化エリアの伝達を躊躇い。自分が生き残るためだけに、高レベルのプレイヤーしか使用できないソードスキルを狂ったように発動し続けた。俺は生き残った。他は死んだ。リーダーのケイタに、全てを嘘偽りなく伝えた。ケイタは浮遊城の外に身を投げた。…俺が殺したんだ。

 

『ビーターのお前が…俺たちのパーティに関わる資格なんてなかったんだ…!』

 

 ケイタの叫びが、今も尚、俺の鼓膜を焦がし続ける。構わない。俺は取り返しのつかないことをしてしまったのだから。これは俺の罪に対する罰。俺が果たすべき贖罪だ。

 

 死の直前、サチは俺に何かを伝えようとしていた。それは俺にとって呪いに等しかった。お前が死ねばいいのに…そうでも言って欲しかった。死ぬことで、彼女たちに償おうと考えたが、それでは生温いと感じた。俺はある情報を手にした。クリスマスイブの夜。とあるイベントの報酬として、蘇生アイテムを入手することができると。俺はそのアイテムを必ず手に入れる。そして俺はサチを生き返らせる。死の瞬間、彼女が俺に伝えようとしたことを聞く。

 

 そして、死ぬ。

 

 彼女が望むなら、俺は喜んで彼女にこの命を差し出そう。

 

 頭蓋の砕けるような痛みが襲う。前に休んだのはいつだったか。もう覚えてないし、これから俺は死ぬのだから、どうでもいいことだ。

 

 歩く。

 

 世界はモノトーンで構成されていて、時折ぐにゃぐにゃと輪郭を変える。

 

 歩く。

 

 奇しくもキリストが処刑された命日だ。俺も歴史に倣い、断頭台に登るとしよう。

 

 足が、止まる。

 

 誰かがいる。道を塞いでいる。

 

「___キリト」

 

「……ノート…」

 

 イベントクエスト専用転移門前。そこにいたのは、嘗て袂をわかったプレイヤーだった。灰色のフードから覗く白い髪と紅い瞳が、俺の激情を強く揺さぶる。

 

「…そこをどけ」

 

 お前に用はない。俺はいつまでも反応のないノートに痺れを切らし、剣の柄に手をかけた。そこまでして、漸くノートは口を開く。

 

「一つだけ教えろ。お前、死ぬ気か?」

 

 当たり前だろ?人殺しが生きていていい理由なんてあるのかよ。

 

「お前には関係ない…!そこをどけ!!」

 

 時間がない。俺は絶対にサチを生き返らせる。吠える俺に、ノートは懐かしむような表情で問いかけた。

 

「…サチって臆病な奴だったよな?いつも死ぬのが怖いって言って、ろくに戦えた試しがなかった。…だが、誰よりも人の痛みを分かってやれる、優しくて凄い奴だ」

 

「!?」

 

「ケイタはパーティのリーダーなのに弱っちくて頼りなくて。そのくせ、仲間のために体を張れる。漢を張れる。勇気のあるカッコいい奴だった…」

 

「…お前…」

 

「…あいつらの仲間がお前だけだと思うなよ?あいつらを殺したのが、死に追いやったのがお前だけのせいだと?お前だけが背負うべきことだと?関係ない?__思い上がるなよ?」

 

「っ…思い上がってなんかない!これは俺の、俺が、俺だけが果たさなきゃならない責任なんだ!!死ぬのは俺だけでいい!!」

 

「何で俺まで巻き込んで殺そうとしてんだ?死ぬなら勝手に死ねよ」

 

 気に喰わない!気に喰わない!気に喰わない!その声も、その表情も、その態度も!吐き気がするほど煩わしい!

 

「なら、早くそこをどけ!!」

 

「…はいはい、分かった分かった。…じゃあ、先行ってるわ」

 

「___は?」

 

 俺は焦った。ノートが転移門に飛び込んだのだ。ノートの目的がさっぱり分からない。俺を足止めするわけでもなく。恨み言を言うでもなく。ただ、俺が来るのを待っていた?いや、今はそんなことどうでもいい。蘇生アイテムは絶対に渡さない。

 

「待て!!」

 

 俺も急いで転移門に飛び込む。そんな俺の背中によく知った声が浴びせられる。 

 

「キリト!死ぬなよ!」

 

「キリトさん!ノートさんをお願いしますね!」

 

 俺はノートを追う。

 

 2人に礼を言わずに死ぬのは少し気遅れするが、俺は振り返らず進む。

 

 だから、すまない。

 

 クライン、エルさん、風林火山のみんな。

 

 俺は約束を果しに行く。

 

 目の前が光に包まれる。

 

 転移が始まる____

  

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

〜【背教者ニコラス】戦 開幕〜

 

 ライトアップされた巨大な樅木が、雪原の中央に鎮座する。深々と降り積もる雪の中、鈴の音が雪面を撫でる。ふと、視界の端に映った浮遊する影を注視すると、そこから巨体が落下してくる。

 

 背教者ニコラス。壊れたマリオネットのような関節の動きに、ボロボロのサンタクロース衣装が良く映える。血濡れた手斧はプレゼントを盗みに来たプレイヤーを屠るためのものか。獲物を探すような動きで、眼球を独立回転させる。

 

『Brooooooooooaaaaaaa!!』

 

「うるせえよ…」

 

 頭痛が強まる。手足の感覚が希薄になっていく。身体が重い。俺は蓄積された疲労を振り払うように剣を引き抜き、背教者に突貫する。

 

「はああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

「お前もうるさい」

 

 虚空からノートが姿を現す。遮蔽物がほとんどないこのフィールドのどこに潜んでいるのかと思ったが、隠蔽スキルを使っていたのか。アジリティに勝るノートが並走していた俺を追い抜き、ニコラスに肉薄していく。

 

「ちっ!ノート!手を出すな!あいつは俺が倒す!」

 

「当然。お前が攻撃しないと効率よく倒せないだろうが」

 

 ノートがニコラスの前でピタリと動きを止める。ニコラスは手斧を振り上げ、ノートを一刀両断にしようと斧を振り下ろす。その攻撃をノートは右側方に躱し、ニコラスの眼を狙ってナイフを投擲する。右目を穿たれたニコラスのタゲがノートに集中する。ノートは5層のボスを攻略した頃から、主武装をナイフにしていた。アジリティ・タクティクスよりのステータスは、元々パリィと回避の技術に卓越した能力を誇っていたノートの戦闘を更なる次元に昇華させた。

 

 現実では不可能な三次元的な動きで敵を撹乱し、タゲを取り続け相手の戦闘情報・アルゴリズムを丸裸にする。こと、レイド戦に於いてノートの存在はもはや必要不可欠なものとなっている。

 

 あえて、ニコラスが追いかけられる速度で背中を晒しながら駆けるノート。ニコラスは俺に対して横っ腹を晒す形になっている。気に喰わないが、ノートの思惑に乗り、ニコラスの意識外から5連撃のソードスキルを叩き込む。

 

「らあああ!!」

 

「Brrrroooaa!?」

 

 五本あるうちのHPバーの最上段。その三割が減少する。無理もない。俺たちは2ヶ月前に第40層を攻略しているトッププレイヤーだ。正直レベル差がありすぎる。

 

「…SS一発で三割削るかよ…ちょっと脳筋が過ぎるだろ…」

 

「無駄口叩くな!さっさとタゲとれよ!」

 

「はいはい。仰せのままに」

 

 反撃してきたニコラスの攻撃を、ノートが俺の前に出て捌く。高速で振り回される戦斧の側面に、大ぶりのナイフを当てて軌道を逸らし続ける。

 

「っ…!こいつも脳筋かよ」

 

 ノートが悪態を吐く。どうやらニコラスは防御が低い分、攻撃力の高い設定のようだ。

 

「スイッチ!」

 

「それ俺のセリフな?…ふっ!」

 

 ノートがソードスキルを使用し、大きく敵の攻撃を弾く。攻撃が相殺された空白を、再び俺のソードスキルが貫く。

 

 結論から言えば、背教者ニコラスは弱かった。当たらない強攻撃に紙装甲なのだから当然と言えば当然か。最高の回避盾と最強の剣が織りなす戦闘は、もはや一方的なものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘開始から15分後、HPバーが最下段に到達する。俺はLAを取るためノートに後退するよう指示を出す。

 

「退がれ!俺がやる!」

 

「……それはちょっと不愉快だな。いつぞやを思い出す___キュビー、やれ」

 

「!!!?」

 

 急に身体が動かなくなる。俺は雪原に倒れ込む。

 

「なん…だ…?」

 

 状態異常:麻痺。俺のネーム横に麻痺のアイコンが浮かんでいた。ノートは俺の前にいた。他には誰もいない。ニコラスの攻撃でもない。なら、これは一体?

 

 俺が混乱していると、コートの襟部分から、白いハリネズミが顔を出し、一目散にノートの元に駆け寄って行った。色は異なるが、俺はそのモンスターの名前を知っていた。

 

「ヒプノ…ティズム・ヘッジ…ホッグ…?」  

 

「何だ。睡眠状態じゃないのか。今回は外れだな」  

 

 まさか、テイムモンスター?ノートがモンスターテイマーだった事実に俺は驚きを隠せないでいると、ニコラスが行動パターンを変えて、より巨大な斧を装備してノートに攻撃を始めた。

 

「ノート!!」

 

「Brrrrrrrrraaaaa!」

 

 ノートは細かくステップを刻んで、ニコラスの攻撃を捌き続ける。地面に倒れ伏している俺にノートは言った。

 

「おっと。なあキリト。交換条件だ。今回の、イベント報酬、は、お前に渡す。だから、お前は俺の話にちょっと、付き合え。要求を飲むのなら。麻痺を、解除してやる。さあ。どう、する?」

 

「……分かった。それでいい」 

 

「その言葉、忘れんなよ?キュビー!」

 

 キュイ!

 

 キュビーが俺に針を飛ばしてくる。肩口に刺さったそれは、緑のエフェクトを迸らせると虚空に消える。

 

 自由になった手を再び握り直し、俺はノートごと切り殺すつもりでニコラスにソードスキルを打ち込む。

 

「はあああ!!」

 

「あぶなっ!」

 

「Brrrraaaa!?」

 

 ノートが避け、ニコラスに俺の攻撃が直撃する。…ちっ。

 

 ノートが珍しく目を白黒させながら抗議してくる。

 

「人に刃物を向けるなって習わなかったのかお前は!?」

 

「うるさい。俺の前に立つな」

 

「どこの殺し屋だお前は!」

 

「俺はただのゲーマーだ!」

 

「どうでもいいわそんなこと!今はお前の感性どうなってんのって話で__」

 

「Brrrrrraaaaaaaaboooooo!」

 

「「うるせえぇぇぇ!!」」

 

 俺たちの左右からの波状攻撃にニコラスは爆散した。そして___蘇生アイテムがドロップする。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 月夜の黒猫団が壊滅した時、俺が真っ先に考えたのは6人目のメンバーについてだ。

 

 そいつが加入して二ヶ月で、パーティは壊滅したのだからそいつを怪しまない方が無理がある。

 

 しかし、答えは案外近くに転がっていた。

 

 千反田が新加入したメンバーはキリトだと知っていたのだ。彼女が言うには、今回のことを機に、俺とキリトの仲違いを解消させようと目論んでいたとのこと。計画の片棒を担いでいたサチもグルだったと考えると、なるほど。互いに情報が伝わらないわけだ。

 

 大方、キリトは自分の経歴を詐称してパーティに加わってたら、居心地が良くなって言いづらくなっていたのだろう。実にあいつらしい。自分の嘘がバレないよう矛盾の生じる行動は避けたはず。例えば、上級のソードスキルの使用や、罠の情報だったりな。

 

 しかし、それがホームを購入して浮かれているパーティメンバーを諫めることが出来ず、クリスタル無効化エリアの罠に嵌まる事実上の決定打になったわけだ。

 

 俺だって、人の死は悲しく思う。残念だし、悔いは当然ある。

 

 しかし、その全てが、遺された者の負うべきの責任ではないと思う。攻略中に油断したあいつらも悪いし、キリトにおんぶ抱っこの戦闘で、自分達が強くなったと錯覚しているのもいただけない。サチもサチだ。キリトの嘘に気付いていたのなら、それを指摘しておくべきだった。何故、嘘をついているのかと、問い詰めるべきだった。信じるために、疑うべきだった。

 

 いや、違うな。俺の言っているのはたらればの話だ。こうしていたら、ああしていたらと、現実を見ようとしない、完全に後の祭りだ。

 

 俺は納得したいだけなのだろう。あいつらは死ぬべくして死んだと。ただ、この胸にドロドロとこびりつく黒い感情を消し去って、落ち着きたいのだろう。

 

 そして、俺は考える。

 

 もし、俺がキリトの立場ならどうするか?どのような感情を抱き、どのような結論を出し、どんな選択をするのか?

 

 答えがシンプルで分かり易過ぎるのが、あいつの良いところでもあり、悪癖でもある。

 

 だから俺は、アルゴにとっておきの情報を渡し、キリトに会おうと思った。

 

 キリトは目的を果たすまでは死なないし死ねない。クラインやエギルたちにも協力を仰いだ。まあ、聖龍連合とは交渉決裂し、イベント内容を巡ってちょっとしたいざこざが起こったのだが、誰も死んでないのだから良しとする。

 

 そして、クリスマスイブ。キリトはやってきた。予想通り、死霊に取り憑かれたような顔をしていた。しかし、残酷かな。仮に蘇生アイテムが存在したとしても、それはナーヴギアが脳を焼き切るまでのシークエンスを整える僅かな時間でしか使用できないはず。合理的に考えればそうなる。だが、それはキリトを死から遠ざけるためには、どうしても必要な希望だった。俺、ろくな死に方しないな。

 

 2人で背教者ニコラスを倒した。やっぱり、コイツとは戦闘面においては相性がいい。正直、千反田よりもやりやすい。

 

 ドロップアイテムは予想通り、死亡したプレイヤーに10秒以内に使用した場合に限り、蘇生が可能となるアイテムだった。

 

 絶望したキリトは、俺に蘇生アイテムを投げ渡すと、無言で去ろうとする。ちょっと待てキリト。お前忘れてるだろ?

 

 

 

「話がある。少し付き合え」

 

 

 

 

 

 




か、風が…窓がガタガタいってて怖すぎる。

一応、養生テープ貼ったけど、窓が割れたら執筆どころじゃないので、その場合次回の投稿は休みます。

無事なら次週も投稿します。

皆様も台風にはくれぐれもご注意を。どうかご無事で。


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014

 

 

 

 

 

 

 〜クリスマスイベント 転移門前〜

 

 折木さんを追ってキリトさんが転移門に向かう。私たちの声が彼に届いたのか分からない。それでも、彼の心を繋ぎ止めるための何かを、早まらないための確証を、私たちは手繰り寄せたかったのだと思う。

 

「すみません。クラインさん。私事に巻き込んでしまって…」

 

 私たち同様、キリトさんのことを案じていたクラインさん。そんな彼の優しさに漬け込む形でこうして、プレイヤー間のいざこざに巻き込んでしまったことに罪悪感を募らせる。クラインさんはニッと笑うと、水臭いこと言うなと私を窘めた。

 

「寧ろ礼を言うのはこっちだ。あのバカのこと、気にかけてやってくれて感謝してる。…悔しいが、俺じゃあアイツの目を覚ましてやれねぇ。今、あのバカに必要なのは、やっぱりお嬢とノートだよ」

 

 クラインさんは、何故か私のことをお嬢と呼ぶ。理由は終ぞ教えてくれなかったが、私の装いが和風なことに由来しているのか。風林火山の皆さんの装備と相まって、まるで大名の娘を護衛する武士たちを思わせる。クラインさんは刀を抜くと、対峙している聖龍連合の方に意思を示す。

 

「あんたらには悪いが、ここは通せねえ。今俺のダチが漢を見せてるとこなんだ。邪魔はさせねえ」

 

「お願いします。ここはどうかお引き取り下さい」

 

 私もクラインさんに倣い、平和的解決を提案する。しかし、流石はキバオウさんの懐刀というべきでしょうか。蘇生アイテムを入手するため、闘争を辞さない覚悟ということです。ここで、先頭に立つ一番体格の良い、フルメイル装備の方が案を提示する。

 

「我々も我々の目的のため引くことはできない。その点、【白夜叉姫】とその従者も同様のご意向のようだ」

 

「皆さんは、志を共にして下さった大切な仲間です。私たちの関係を軽視するような発言は謹んで下さい」

 

 白夜叉姫とは私の二つ名らしい。誰かが、SAOの白雪姫は白夜叉のように剣を振ると言い始め、この名前が定着してしまった。正直恥ずかしいのでやめていただきたいのですが、過剰に反論するのもまた恥ずかしいので静観を貫いている今日この頃です。

 

 私の地雷を意図せずに踏み抜いたフルメイルさんは、私の睨みを意に介さず話を続ける。

 

「お互い無駄な損耗は避けたところ。どうだろうか?ここは代表者同士の決闘で互いの意を示すということで一つ」

 

 私は少し逡巡した後、返答する。

 

「…わかりました。それでは私がお相手します」

 

「待て、お嬢!危険だ。俺がやる」

 

 私の判断にクラインさんが待ったをかける。私はクラインさんにだけ聞こえる声量で彼に考えを伝える。

 

「お相手が約束を守るとは限りません。もしも、クラインさんが決闘を行なっている間に、別働隊を動かされては、私と風林火山の皆さんでは連携が取れません。転移門を守るためにもクラインさんは皆さんと辺りの警戒を。ここでの最善策はあくまで時間稼ぎ。損耗の抑制こそ省エネだと…あの人なら言う筈です」

 

 私の考えに賛同して下さったのか。渋々納得したというような声音でクラインさんは私の後ろに下がる。

 

「……分かった。だが、もし奴らがPK紛いのことを仕出かすような素振りが少しでも見えたら、こっちも加減は無しだ。いいな?」 

 

「その時は私をお気になさらず転移結晶ですぐさま離脱を」

 

「そん時はお嬢を引きずっていく。安心しろ」

 

「不安です。どさくさ紛れに変なところを触らないで下さいね?」

 

「お嬢も言うようになったな?…気を付けろよ?」

 

「はい。クラインさんも。御武運を」

 

「___それで?代表者は決まったかね?」

 

「私がお相手させていただきます。こちらの要求は一つです。お二人が戻られるまではあなた方にも静観を保っていただきます。その後は、こちらも看過致しません」

 

「では、こちらの要求は、貴殿らのこの場からの即刻退去だ」

 

「はい、構いません」

 

 その後、決闘設定を行いカウントが始まりました。今回は先に相手のHPを半分削った方が勝者になる方式です。お相手はフルメイル装備。対して私は速度を重視した軽増備。恐らくHP自動回復スキルを持っている重装備相手に勝てるよう立ち回るのは骨が折れることでしょう。

 

 1分間のカウントの間、私は瞑想する。集中力を極限まで高め、ただ目の前の敵を斬り伏せることにのみ、思考を特化させる。

 

 決闘が始まる____

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「___すげえ…」

 

 仲間が感嘆の声を漏らす。無理もねえ。俺たちは今、1人の剣客の超絶技巧を見てるんだから。

 

 エルのお嬢は、白夜叉姫という異名から苛烈な戦い方を想像されがちだが、実際はその真逆。敵が動くまでは微動だにせず。己の間合いに入った瞬間繰り出される抜刀術は、まさに静寂が支配する雪原に落ちる一縷の雷の如き一撃を思わせる。どこまでも静かで、どこまでも冷酷。おうよそ戦いを楽しむという感覚はお嬢には存在しないように思えちまう。

 

「ぜいぜい…!この!!」

 

「___ふっ!!」

 

「ぐあっ!!」

 

 フルメイル野郎が苦悶の表情と共に、歯軋りに似た焦燥感を声に滲ませる。

 

 野郎の防御は確かに硬い。分厚い鎧に、巧みな盾捌きは、早々貫けるもんじゃねえ。しかし、お嬢の剣は正確に盾と鎧を避け、プレイヤーの身体のみを穿つ。近づけば肩口を。離れれば盾を持つ肘の内側を。両方を警戒すれば、膝裏にまで刃が強襲する。

 

 お嬢の刀は長い。普通、あそこまで長いと抜刀と納刀がスムーズにいかず、攻撃の後の隙が大きくなる。しかし、お嬢にはそういった無駄が一切ない。彼女が両手を広げて漸く抜刀できるものを、いとも簡単そうに扱う。殆ど懐刀の扱いと変わらない動きを錯覚しちまうほどだ。

 

 そして何より驚きなのが、お嬢は一度もソードスキルを使っていない。特にお嬢とノートはソードスキルを多用しないことで有名だ。詳しい理由は知らんが、通常攻撃でここまでの動きをされると、相手にしてみたらたまったもんじゃない。ソードスキルを使わないから硬直時間が訪れず隙が見当たらない。被弾覚悟で突貫しようにも、自分よりも先にお嬢の剣が先に届くのだ。鞘によって爆発的な加速を付与された刃の速度と威力は、はっきり言って脅威だ。これで、首を狙わないのはお嬢の優しさ故だろうか。

 

 じわじわとHPを削り、最後はお嬢のソードスキルで決着だ。なんだあの剣速?剣が光ったら(鯉口から覗く刀身が光ったら)次の瞬間に野郎の武器が砕け散っていたぞ。刀スキルの二連撃は容赦なく野郎の武器と右腕を叩き斬ったわけだ。

 

 winner表示が浮かぶ。

 

 意外にも、野郎どもはあっさりと引いた。どうも、お嬢の殺気にあてられたらしい。本人は戦闘が嫌であの顔をしているのだから笑えない。野郎どもが去ると、お嬢の纏う空気がふんわりとしたものに変わる。マジで同一人物か?若干、お嬢の異常性に引いている俺たちに、お嬢は心底安心したような笑顔でため息を吐いた。

 

「勝ちましたぁ…」

 

「お、お疲れさん」

 

 お嬢には逆らわないでおこう。また一つ、風林火山武士道の心得に、新たな一行が誕生した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 〜背信者討伐後 キリト×ノート〜

 

 

「__キリト。一つゲームをしよう」

 

「…ゲーム?」

 

「ただ俺が話すだけじゃ芸がないし、俺だけ話すのは省エネじゃない。…約束したろうが。嫌そうな顔はしていいが言うことは聞け」

 

「顔はいいのかよ…」

 

「コイントスして裏表決めて、あった方が相手に一つ質問できるってことで。…よっと…ほら、どっちだ?」

 

「……表」

 

「じゃあ俺が裏な。__表だな。じゃあキリト、なんでも聞けよ」

 

「…なんで俺に構う。この茶番になんの意味があるんだ?」

 

「ただの嫌がらせだ」

 

「殺すぞお前」

 

「じゃあ次。ふん」

 

「表」

 

「あ、また表か。ちっ…運だけはいい奴だな」

 

「…お前は俺のことをなんだと思っている?」

 

「ヘタレ主人公。それと女顔。いまいち興味の湧かない理不尽な輩。略してイキリトだ」

 

「よし分かった。話が終わったら叩き切ってやる」

 

「落ち着け。体はHOTに。頭はcoolにだ」

 

「HOTにしていいのか?斬るぞ?」

 

「やだ怖い、この真っ黒黒すけ。__はい、次」

 

「お前が選べよ」

 

「ん?じゃあ、お言葉に甘えて…表で。__裏だったわ」

 

「お前なんでそんなに運がないんだ?」

 

「日頃の行いだろうな」

 

「胸を張るな」

 

「何を言う。俺ほど省エネを体現している人間はいない」

 

「世間ではそれを怠惰というらしいぞ?」

 

「怠惰…いい響きだ」

 

「もうダメだコイツ…」

 

「じゃあ次、___」

 

「ちょっと待て」

 

「ん?」

 

「いつまで続けるつもりだ?」

 

「俺がお前に聞きたいこと全部聞くまでだが?」

 

「……なら、こんな回りくどいことすんなよ。お前、言ってることとやってる事が矛盾してんだよ」

 

「何がだ?省エネそのものだぞ?」

 

「人殺しを気に掛ける事が省エネってか?御大層な事だな」

 

「省エネは何もしないわけじゃない。やらなくていいことはやらない。やらなければならないことは手短に、だ」

 

「なら、別にやらなくていい事だろ。お前が俺に絡んでなんの得がある?」

 

「……本音と建前どっちが聞きたい」 

 

「…両方で」

 

「建前は、嫌がらせして日頃のストレス発散するのに丁度よかったから」

 

「それ本音だろうが」

 

「失礼な俺の発言の9割は冗談だ」

 

「お前、自分の発言が失礼な事だって気付いてるか?」

 

「それで本音なんだが」

 

「おい」

 

 

 

 

 

「俺にとって、意外と悪くないんだよ。お前とこうして一緒に馬鹿してるのは」

 

 

 

 

「………は?」

 

「断っておくが、俺にそういう趣味はない。期待に添えなくて悪いが…」

 

「なんで俺がBL展開に期待してる側になってる?気持ち悪いからやめた方がいいぞ。人生」

 

「大丈夫だ。俺たちが百合展開を尊び、それを女がみて蛆虫を見る目になることと同じだ。そう、大丈夫な筈だ」

 

「おい、異常性癖。こっち見て話せや」

 

「結論言えば、俺はお前と仲直りしたい訳だ」

 

「…お前は聞かないのかよ?その…黒猫団のみんなのこととか…」

 

「言ったろ?お前だけが背負うことじゃないいって」

 

「…お前も背負ってるって言いたいのか?」

 

「それもあるが、今回に限って言えば当の本人たちにも問題はあったんだ。たとえそれが相手を尊重した結果の行動だったとしても。あいつらはこの結末を知らず知らずのうちに選択したんだ。その全てに俺らが責任を取ろうとするのは、あまりに傲慢がすぎる。いや、欺瞞とすら言えるだろ」

 

「前から思ってたんだが、お前に感情はあるのか?」

 

「ある…とは言えるが、実のところはよく分からん。ただ、自分が他に比べて色褪せてるなっていう感覚だけは、しっかりと理解できる。隣の芝生は青く見えるだけじゃなくて、実際に青過ぎるくらい青いんだよ、俺からしてみれば」

 

「ノートは…普通になりたかったのか?英雄なんて目指すなっていうあの言葉。普通の奴が使う言葉じゃない。ならノートは__」

 

「少なくとも、俺は英雄なんかじゃない。女帝や愚者にいいように使われる、力の一つに過ぎない。ただ、最近はその力というものに、特別なものを感じずにはいられないんだ」

 

「特別?」

 

「不思議なもんで、そいつの生き方は賛同できない癖に、そいつに振り回されることには楽しさを感じてしまってる自分がいる。…キリトにとってはアスナみたいなもんか?」

 

「どうしてここであいつの名前が出る?」 

 

「…だからお前はヘタレ主人公なんだよ」

 

「茶化すな。…なら、俺はどうしたらいい。俺はどうしたらサチに…黒猫団のみんなに償える。どうしたらこの息苦しさから解放されるんだ?」

 

「きつい事言うと、これからお前が如何なる善行を重ねようと、その息苦しさが消えることはないだろうな。時間が流れるから歴史は生まれる。歴史は消えない。歴史は改竄できない。時系が確定してるから歴史になれるんだ。だから、変えるなら未来しかない。ありきたりな言葉だが事実だ。お前はお前なりの生き方で、これからを示すしかないんだ」

 

「…そんな浅い考え方でいいのかよ?」

 

「過去に生きる人間に未来は笑ってくれない。それとも月夜の黒猫団は仲間を怨恨で雁字搦めにするような最低な奴らだって言うのか?」

 

「違う。あいつらいつだって…俺のことを…仲間だって…必要だって…言ってくれて…」

 

「なら、次にできた仲間を守り通せばいい。男なら誰かのために強くなれ。ただそれだけできれば『英雄』だ」

 

「…英雄になんて、ならなくていいんじゃなかったか?」

 

「ああ、別になろうがならまいが構わない。ただ、俺は____」

 

  

 お前が生きててくれて良かった。

 

 そう伝えたかっただけだから。

 

 

 〜一年越しの告白 終〜 




赤鼻のトナカイこれにて閉幕。

次回から黒の剣士に入ります。

深夜テンションで書き上げてすぐさま出社準備です。

今日を乗り切れば一週間の後半に突入!

今日も一日(社会的に)死なないように頑張ります。

それではまた週末に。


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015

週末、待てなかったから投下。


 

 

 

 

 〜2024年2月26日 47層主街区 フローリア〜

 

 第50層が開放されて一月が経ったある日。

 

 俺は47層主街区フローリアを訪れた。そこに、目的のプレイヤーがいるからだ。

 

「不躾にすまない。ここにビーストテイマーのプレイヤーがいると聞いたんだが、今どこにいるか知らないか?」

 

 俺はすれ違った2人組の男性プレイヤーに声を掛けた。が、素気無くあしらわれてしまう。その反応を見た俺は、この2人が件のプレイヤーについてなんらかの情報を持っていると踏んだ。俺は路地裏に隠れ、隠蔽スキルを使用する。そして、2人組の後をつけると、彼らはとある宿屋前の噴水で腰を落ちつけた。

 

 頻りに視線を宿屋に向けている様子から、俺の勘も捨てたもんじゃないなと苦笑する。俺は隠蔽を解き、宿屋の扉を開く。

 

 俺は依頼主から聞いた情報を元に、件のプレイヤーを探す。そこには丁度、聞いた通りの容姿を持つ少女がいた。

 

 紅を基調とした装備に、髪をツインテールにした、愛らしい雰囲気を纏う少女。彼女が今回、俺が目的としているプレイヤーだ。

 

「食事中にすまない。君がビーストテイマーのシリカさんで間違いないか?」

 

 シリカさんは顔を上げると、警戒した表情に若干の怯えを滲ませながら口を開く。

 

「はい…。そうですが、貴方は?」

 

 俺は彼女の心象を少しでも軽くしようとフード取り、膝をついて目線を合わせる。そして、恐らく今現在、彼女が一番信用できる奴の名前を出した。

 

「俺はノート。黒の剣士キリトから、お前の護衛を依頼された。まあ、3日限りの契約だがよろしく頼む」

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「キリトさんから信頼できる奴を送ると聞いてはいましたが…まさか攻略組の【ホームズ】さんが来てくださるとは思いませんでした」

 

「…こんな所にまで俺の黒歴史は浸透してるのか…」

 

 ノートさんが酷くゲンナリとした表情で頭を抱える。そのせいで、スクランブルエッグを刺していたフォークが揺れ、卵がお皿の上に落ちてコロコロと転がる。

 

 昨日、死んでしまったピナを生き返らせるため、47層の思い出の丘へキリトさんと赴き、テイムモンスター蘇生アイテム【プネウマの花】を入手した。その帰り道中、タイタンズハンド、オレンジギルドと言われる犯罪ギルドの襲撃を受けた。ですが、攻略組のトッププレイヤーであるキリトさんは大勢のプレイヤーに囲まれていたのにも関わらず。一度も剣を振ることなく、全員を黒鉄宮送りにした。キリトさんは依頼とは言え、私を犯人をおびき寄せるための餌にしたことに対して酷く罪悪感を感じている様子だった。また、私の知名度が危ない方向に広まっていることも教えてくれた。ビーストテイマーは数が少ない。龍種のモンスターを従えてるともなればその注目度は他の比ではない。もし、他の犯罪者ギルドに目をつけられると、私の命が危うくなる。キリトさんはそう言っていました。

 

 だから、キリトさんは今回のお詫びも兼ねて、そういった犯罪性の高い手段や方法に対する対応策に長けたプレイヤーを紹介すると言ってくれた。…私としては、キリトさんがずっと隣にいて守ってくれたら、それが一番安心できると思った。でも、キリトさんは私たちにできないことをしてる。デスゲームをクリアするために、命を危険に晒してまで攻略に挑戦し続けてる。それを私が独り占めしようというのは、いくら何でも嫌な女が過ぎるから。私はキリトさんに嫌われたくない。嫌な女だと思われたくない。だから、私はキリトさんとの繋がりがこれきりになりたくなくて、彼の申し入れを了承した。

 

 そうして今、攻略組の探偵。ノートさん、通称【ホームズ】さんが私の目の前にいる。キリトさんの話では、怠惰で覇気がなく、人の気持ちを逆撫でする人だと聞いていたけど、根はいい人のようで、今まで私を訪ねてきた人たちとは違った雰囲気を纏う人だった。何というか、下心が見えない?私に興味が全くなさそうなのに、適切な距離感を保ってくれているような。そして、時折合わせられる眠たげな瞳は、言葉に出していない胸の内まで把握してしまうような。そんな、特別な力を感じる人だった。

 

 私は項垂れるノートさんを励ますためにフォローの言葉を探す。

 

「か、かっこいいじゃないですか?それって、すごく頭の良い人って皆さんが認めているってことですよね?すごいです!」

 

 私の必死のフォローに、より腐っていく目。何故?

 

「呼び名もだが注目度が問題だ。有名になっていいことなんて一つもない…。ああ…しばらく引き籠っていたい…。全世界が俺の名前を忘れてくれるまで隠居したい…」

 

 どうやらキリトさんが言ってたことは正しかったようです。

 

「えっと…それで。私はこれからどうしたらいいですか?やっぱり、外には出ずに部屋に籠ったままの方が良いですか?」

 

 強引に話を転換すると、ノートさんはのそりと顔を上げるとモソモソと食事を再開しながら話し始める。

 

「いや、敢えて外に出る」

 

「?それだと危ないんじゃ…」

 

「お前ほどの有名人が雲隠れしたら、確実に話題になる。アイドルが活動休止を突然言い出した時のファンの反応と同じだ。ファンは必ずその理由を知りたくなる。知るためには多少汚いことでも平気でやる。隠し事があると人はそれを掘り出して知ろうとする生き物だ。PKプレイヤー共は特にその傾向が強い。人の感情が理解できない分、あの手この手でその真意を欲する。自分は持ってないから、他人から奪ってしまおうってことだ。ある意味、人間性の亡者とも言える。シリカが人間味に溢れてるなら尚のことだ」

 

「人間味…。人らしいってことですか?」

 

 ノートさんは、付け合わせのプチトマトをフォークの先で転がした後、一思いに突き刺した。

 

「例えばそうだな…。シリカ、本当は俺なんかじゃなくてキリトに守って欲しいんだろ?」

 心臓を掴まれたかと思った。咄嗟のことに言葉が出ずにいるとトマトを飲み込んだノートさんが言葉を継いだ。

 

「もっと言えば、それをキリトに伝えてしまうことで、自分のキリトに与える心象が悪くなることを恐れてる。そのため、キリトの提案に快く乗りながら、あいつと知り合いの俺とのコネを持って置くことで、あいつとの繋がりを守ろうとしている。…まあ、こんなところか?今言ったのは全部状況証拠からくる俺の推測・妄想だ。誰にも言う気はないし、気分を害したなら謝る」

 

 嫌な汗が額に滲む。この人がホームズと呼ばれる所以の一端を垣間見た気がした。私は心の内を当てられたというのに、意外と落ち着いていられる自分に驚いた。ここ数日の経験で少しでも人として成長できたということだろうか。私は自分を嘲笑するように眉を下げる。

 

「……いえ。私が面倒で嫌な女なのはホントのことですから…この数日で、よく思い知りました」

 

「…この世にめんどくさくない女なんていないだろ?」

 

「?」

 

「もっと言えば、面倒じゃない人間なんていない。そんな人間がいるとすれば、それは誰に対しても、自分じゃない誰かにとって都合のいい人間でしかない」

 

「都合のいい…人間」

 

「そんな生き方、虚しいだけだろ?」

 

 食後の紅茶が配膳される。私たちはしばらく無言でカップを傾けた後、話を再開した。

 

「ノートさんは、どうして攻略組に?」 

 

 単純に、私が聞きたいと思ったことだった。私はこれからの三日間のことよりも、ノートさんのことを聞いてみたいと思い始めていた。キリトさんが信頼している人を私も知りたくなったのだ。ノートさんは猫舌なのか。両手でカップを覆い、息を吹きかけて冷ましながら紅茶に口をつけては舌を赤くしていた。言葉のチョイスと行動の幼稚さにギャップを感じ、つい微笑ましくなってしまう。

 

 ノートさんは冷めるまで紅茶は一端諦め、私の質問に答えることに専念する。

 

「好奇心の化け物がいたから。そいつを見捨てる理由も覚悟も、俺にはなかったから、かな」

 

「【白夜叉姫】…ノートさんにとって、大切な人なんですね」

 

「…自分じゃよく分からん。あいつも俺なんて少し頭の回る同級生くらいの認識しかないだろ。期待するだけ損だ」

 

「期待はしたんですね?」

 

 私の返答に虚を突かれたのか。ノートさんは目を逸らしながら紅茶に口をつけてまた火傷してた。動揺してる姿を見ると何だか不思議な満足感が得られる。ニヤニヤと口角が緩むのを自覚して咄嗟に手で口元を隠すとノートさんが私にジト目を向けていることに気がつく。

 

「…なんか妙に生き生きとしてるな?さっきの意趣返しか?」

 

 その通りなのだが、先程のような心臓を掴まれるような衝撃はない。精神的優位は私にある。私は勝ち誇るように余裕たっぷりの表情で、紅茶を煽ってから口を開く。

 

「いえいえ。聡明なノートさんほどじゃありません。でも、女の子はそういう話にはずっと敏感なんですよ?」

 

「…いたよ。ここにも面倒な奴が…」

 

「何か言いましたか?」

 

「いえ、何も」

 

 気がつけば私はすっかり、ノートさんのことを気に入っていた。キリトさんとはまた違う。前に立って守るんじゃなくて、斜め後ろから文句を言いつつ私の話をしっかりと聞いてくれるような安心感を覚えてしまう。

 

「__それじゃ、お互い腹を割って話したところで本題だ。俺は君を護衛する他に2つ目的があってここに来た」

 

「一つはキリトさんから伺ってます。ノートさんもビーストテイマーなんですよね?だから、【プネウマの花】を入手したいって」

 

「ああ。シリカには思い出の丘の道案内を頼みたい。道中にレベル上げを兼ねてPKへの対処法やナイフの扱いを教えるつもりだ」

 

「そういえば、ノートさんの武器って短剣の中でもリーチの短いナイフですよね?どうしてなんですか?」

 

「単に俺のプレイスタイルに合う形を模索した結果だ。個人的な考えだが、俺はソードスキルがあまり好きじゃない。できれば使わずに攻略したいとすら思ってる。俺はせいぜいボスの鼻先をウロチョロして、タゲを取っては逃げ回るだけの下っ端の仕事だからな。攻撃力はあまり必要ないんだ。それこそ、重装備や重い剣なんて邪魔にしかならない」

 

「あはは。ちょっと分かる気がします。ノートさんって剣士さんって感じじゃないですもんね?」

 

「ちなみに、何に見える?」

 

「んー…シーフとかどうでしょう?」

 

「こんな目立つ髪色の盗賊がいてたまるか」

 

「___それで、もう一つの目的って何でしょうか?」

 

「それは…まあ、追々話す。時間も限られていることだし、そろそろ移動するか」

 

「はい。分かりました。あれ?ノートさん?扉はこっちですよ?」

 

「ん?ああ、そこからは出入りしない。二階に行くぞ」

 

「何でですか?」

 

「芸能人の真似事をするため、かな」

 

「どういうことです?」

 

「こっちの話だから気にするな。行くぞ」

 

「でも、二階からどうやって外に出るんですか?」

 

「窓からに決まってるだろ?」

 

「そんな当たり前みたいに言われても…」

 

 斯くして、私とノートさんの3日限りの冒険が始まったのでした。

 

  

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

  

 

 

 弦を弾くことで空気が震える。

 

 白魚の手が心地よい音程とリズムを奏でる。

 

 穏やかな歌声が音楽を紡ぎ出す。

 

 弱さを受け入れて。

 

 不安を勇気で乗り越えて。

 

 その先にある明日を、君と一緒に見たい。

 

 人々の心が調律される。

 

 僕にはそんな彼女の姿が、すごく眩しく見えた。

 

 戦えない僕に、剣士としての価値はない。

 

 立ち上がれない僕に、挑戦する資格はない。

 

 俯いた先には、不均一に並んだ煉瓦の隙間が作る幾何学模様。

 

 涙はでない。

 

 後悔できるだけのことを、僕はしてないし、この先もできはしないのだから。

 

 歌が止まる。

 

 何だ、折角気を紛らわせていたのに、もう終わりか…。

 

 コツコツとブーツが地面を叩く音が聞こえる。

 

 その音は段々と僕に近付いてくる。

 

 木漏れ日を遮る深い影が僕を覆う。

 

 顔を上げると、大きな帽子を被り、ギターのような楽器を背にした少女がいた。

 

 彼女はにこりと微笑むと、僕に手を差し出した。

 

「そんなとこで聴いてないで。もっと近くで聴いてよ」

 

 無意識に彼女の手を取ってしまった。

 

 僕は手を引かれるまま彼女に導かれた。

 

 そこは特等席だった。

 

 再び、歌が始まる。

 

 僕は奪われた。

 

 目を、耳を、そして心を。

 

 黒くドロドロと胸にこびり付いて消えなかったナニかが消えていく。

 

 涙が溢れては消えていく。

 

 音楽が終わる。

 

 アンコールを背に彼女は去っていく。

 

 拍手すら忘れて。

 

 外聞すら放り出して。

 

 僕は彼女の名前を聞いた。

 

「君!な、名前は?」

 

 振り向いた彼女は先ほどと同じようにニコリと微笑んだ。

 

「私は_____」

 

 

 

 

 

 

 

  




評価と感想ありがとうございます。

すごく励みになります。

今回もご一読いただきありがとうございました。

また次回もよろしくお願いします。


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016

 〜思い出の丘 一面の花畑にて〜

 

 

 

 

 

 

「か…可愛いい!」

 

「キュー!」

 

 シリカとキュビーが戯れている。どうやらキュビーは女性の感性に刺さる見た目をしているらしく、シリカも洩れずにその愛らしさの餌食となっていた。

 

「そういえば、シリカのテイムしたモンスター…ピナだったか?後どのくらいで復活するんだ?」

 

 キュビーの興が乗り始めたのか。シリカの装備の凹凸を足場に、クライミングをするかのように身体を登り始める。シリカは背中に回ったキュビーを捕らえるため身体を捩るが、そう簡単に見つけられるキュビーではない。どこに行ったのかと首を捻りながら、キュビーを捜索するシリカは、器用に俺の質問に返答する。

 

「ピナの心ってアイテムにプネウマの花を使ったら、ピナが卵の状態になったんです。5日で孵るということなので、今日を含めて後三日の予定ですね」

 

 シリカは必死に全身を見渡すが、残念。キュビーはシリカの頭の天辺で仁王立ちしている。その様子を観ていると思わず笑ってしまいそうだったので、俺は巫山戯た話題で誤魔化す。

 

「竜種は卵生ってことか。なら、哺乳類に近いキュビーに同様のことをしたら…一体どうなるんだろうな?」

 

 俺の言葉にびっくりしたのか。はたまた、首元から服の中に潜ったキュビーに対して驚いたのか。シリカは目を丸くしながら、必死に俺の蛮行を止めようとしてくる。

 

「だ、ダメです!キュビーちゃんはやらせませんよ!…あ、ちょっと、そこは!」

 

 キュビーよ…。必ず、初対面の女性プレイヤーの身体は弄らんと気が済まんのかお前は…。シリカの声音に若干の湿りが混ざる。擦り合わせた大腿と身をよじりながら腹部で身体を抱く両手。おおよそ、情操教育に非常に宜しくない光景が俺の前に展開されかけていた。俺に幼女趣味はない。即刻、待ったを掛けた。

 

「キュビー、そのくらいにしといてやれ」

 

「キュイ」

 

「どこから出てきてんだお前は…」

 

「ううぅぅぅ…」

 

 スカートの中から顔を出したキュビーは、再びシリカの身体をよじ登ると、案外居心地が良かったのか。彼女の頭頂部に腰を落ち着けた。寛ぎ始めたキュビーに対し、先程の痴態に羞恥心を抑えられずにいるシリカ。身体を抱いたまま蹲っている。

 

 俺はそんな彼女にかける言葉が見当たらず、目下の作業に集中することにした。

 

 シャッター音がなる。

 

 メニュー画面についている、スクリーンショット機能で、眼前に広がる壮大な花畑の風景を先ほどからこうして写真データに収めているのだ。

 

「……そんなにたくさん撮ってどうするんですか?」

 

 シリカは沈黙がかえって居た堪れなくことに気付いたのか。自分から静寂を打破するための一手を仕掛ける。ジト目で俺の行動に対する疑問を投げかける。その目はやめてくれ。俺が不審者みたいじゃないか。

 

 ただでさえ、この場のカップル率の高さに。薔薇色濃度の濃さに辟易していたんだ。これ以上、俺の誇り高い省エネ精神を汚すわけにはいかない。俺はそんな考えから、生徒を引率する教師役気分で撮影に臨んでいた。だが、側から見れば、幼気な少女を連れ回している目の腐った男だ。笑えないぞこの状況。

 

 せめて、彼女と明朗会活な会話に勤しんで、ちっぽけな世間体を死守することにする。…小さいな、俺。自虐心が悪化する前に、シリカの質問に答える。

 

「一層にいる子供たちにと思ってな。以前、ここの話をしたら観たい、行きたい、連れて行けって聞かなくて…。流石に危険だから、写真を撮って来るってことで子供たちの溜飲は下げさせた」

 

「ふーん…ちょっと意外です」

 

「何がだ?」

 

 話をして羞恥心が薄れたのか。シリカは俺のメニュー画面を覗き込んでどんな写真を撮っているのか確認して来る。そして、どういう風に撮れば綺麗に撮れるかなどを教えてくれる。この辺りは流石女子というべきか。可愛さや美しさへの追求に余念がない。…千反田にこういうのは皆無だからな。これが普通の女子像なのだろう。

 

 勝手に俺があるべき平凡な女子像とやらに納得していると、シリカは俺の取り直した写真を確認し、頷きながら答えた。

 

「ノートさんとはまだ会って数時間の付き合いですけど、子供が苦手な人なのかなって思っていたので」

 

「理由を聞いてもいいか?」

 

「気を悪くしないでくださいね?ノートさんは良くも悪くも理屈すぎるんですよ」

 

「理屈すぎ…か」

 

「感情は理屈じゃありません。ですが、ノートさんはそれを理屈で制御できてしまってる。言葉の端々からも伝わるんですよ。ああ、やっぱりこの人普通じゃないなって」

 

「俺からしたら、どうしてお前らがそんなに衝動的に動けるかの方が疑問だがな」

 

「それこそ理屈じゃないからですよ。損得勘定なんか抜きにして。だた、自分がそうしたいと思ったから。だから、人は動けるんだと思います」

 

「…そこだけはよく分からん。合理的じゃない。リスクに対するリターンが見合っていない。枠に嵌まらない、理解できないものに従うなんて俺にはできん」

 

「人の心を理に当て嵌めようなんて、神様でも傲慢が過ぎます。それに、ノートさんは分からないんじゃなくて、見ようとしてないだけでは?」

 

「…痛いところを突くな?」

 

「その写真だって、その子たちのことを思って撮ってるものですよね?そんな人が、どんな打算があって動くのかなって思ったら、想像に難くないので」

 

「子供は正直だからな。飴を用意しとけば大人しくなる」

 

「そうやってはぐらかすのが癖なんですね?…私、認識を誤ってました」

 

「何が?」

 

「ノートさん、本当は子供が大好き何ですね?とっても不器用なだけで」

 

「………その理屈なら、俺はお前のことが大好きということになるが?」

 

「誰が幼児体型ですか?」

 

「いや、そんなこと言ってな___」

 

 風が吹く。

 

 広鮮やかな花弁が宙を彩る。

 

 咄嗟にシャッターを押す。

 

 一瞬の花畑を切り取る。

 

 撮った写真を確認して小さくガッツポーズをとる。

 

 そして、俺は固まる。

 

 今し方、撮った写真を目の前の彼女に観られ、更なる怒りを買う。

 

 一体、何が撮れていたのか。

 

 それは、彼女の名誉のためご想像に任せることにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 _______水色だったな。

 

 

 

 

 

 

 〜一瞬の花を永遠に 終〜

 

 

 

 ◆◆◆

 

 〜同時刻 51層 草原フィールド〜

 

 1人の女性プレイヤーが草原に立つ。

 

 白と真紅の和装は、どこか巫女を思わせる装いだ。

 

 期せずして、同系統のカラーリングになったことを少し恥ずかしく、それ以上に嬉しく思いつつ。彼女は転移のエフェクトとともに現れた友人の姿を観て微笑む。

 

「こんにちは、アスナさん。その後、お加減は如何ですか?」

 

「こんにちは、エルさん。お陰様でkobでもなんとかやっていけてます。今日はすいません。お忙しい中、わざわざ御足労いただいて」

 

「いえ、私も時間を持て余していて。丁度、レベル上げに行こうと思っていたので」

 

 甘栗色の長髪に、レイピアを携えた女性の名はアスナ。血盟騎士団の副団長でもあり、彼女の鋭い刺突から付けられた異名は【閃光のアスナ】。普段、攻略会議で見せる鋭い眼光は影を潜め、まるで姉と再会した時のような、そんな柔らかな表情を浮かべる。

 

「そういえば、ノートさんはどうされたんですか?」

 

 アスナからすれば、共にレベル上げにいくのだから、人数の多い方が効率的。また、ノートはアスナにとって、気のおけない数少ないプレイヤーの1人だ。てっきりエルと共に来るものかと思っても不思議はない。

 

 そんな純粋なアスナの疑問に対し、少し表情に影を落としたエルは今回不在にしているノートのことを話始める。

 

「昨日、キリトさんから連絡が来たんです。同じビーストテイマーのプレイヤーがテイムしたモンスターを失って困っていると。キリトさんがそのビーストテイマーの方と蘇生アイテムを入手しに行ったらしいのですが。キリトさんにはその後、他のご予定があったらしく、そのテイムモンスターが蘇生されるまで、ノートさんについていてもらえないかと」

 

「…うちのキリト君がすいません」

 

「いえ、アスナさんが謝ることでは」

 

「でも、どうしてキリト君はわざわざノートさんにそのことを?彼、あまり自分のことは話したがらないので」

 

「私もノートさんから全て伺ったわけではないんですが…どうやらそのビーストテイマーさんは下層では有名な方らしくて。せめてテイムしたモンスターが蘇生するまでは護衛が必要とのことでして」

 

「ああ…確かに…追っかけとか、出待ちとか、パパラッチとか…。知名度が上がる毎に余計な厄介ごとには巻き込まれやすくなりますよね…。エルさんも大変じゃないですか?」

 

「いえ、私は特にそういったことは?」

 

「え?でも、エルさんのこと…【白夜叉姫】のことを知らない人なんて、ほとんどいない筈ですよ?」 

 

「私たちにギルドホームはありませんし、それに私だと気づく方はほとんど攻略組の方です。これまで、徹底してきた甲斐がありました。継続は力なり、ですね?」

 

 エルは頭に両手を当てながらコロコロと笑う。その意味に気付いたアスナは感嘆の声を漏らす

 

「___あ、そっか、フード。私も被っておくべきでしたかね?」

 

 【白夜叉姫】というプレイヤーの存在は知っていても。その容姿を。エルというプレイヤーに関する情報は非常に少ない。これまで、異常なまでに顔を晒さなかったのは、こういった弊害を回避するためでもあったのだ。同性のアスナから見ても、エルは美少女だ。戦闘の姿を観ていなければ白雪姫という愛称で呼ばれていても何も違和感はないほどに。エルはアスナの独白に食いつくように拒否の意向を見せる。

 

「いえ、それはアスナさんの愛らしいお顔が見えなくなるので嫌です。やめてください」

 

「…私だって、エルさんのお顔、もっとちゃんと見たいです」

 

「ごめんなさい。室内ならまだしも屋外では…。ノートさんからの言いつけなので」

 

「…どうしてそこまで素性を隠そうとするんですか?エルさんなら、フードをとれば殆どのプレイヤーは好意的に接して来る筈です。そうすれば…貴女を死神呼ばわりする一部の人たちもきっと考えを改めて__」

 

 

 

「アスナさん」

 

 エルの柔らかく。しかし、どこか感情の抜け落ちたような声音がアスナの耳管を震わせる。アスナは熱から覚めたように、己の失言を恥じ、すぐさまエルに謝罪する。

 

「っ!?…ごめんなさい、私…」

 

「いえ。貴女が私のことを大切に想って下さっていることは私が一番よく分かっています。でも…だからこそ私は極力、素顔を晒すわけにはいかないんです」

 

「それって、どういうことですか?」

 

「アスナさんは現実世界で人が亡くなる理由で一番最初に何が思い浮かびますか?」

 

 エルからの突然の問いかけに、躊躇いながらも返答するアスナ。

 

「…病気や災害、でしょうか?どちらも多くの人の命を奪うものです」

 

 正解です。と、どこか教師の空気を思わせて戯けて見せるエル。しかし、ですがと続いたその後のエルの言葉にアスナは全身の血が凍りつくような恐怖を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人です。人が人を殺める」

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 〜黒鉄宮送還後 キリトのログより抜粋〜 

 

『ノート。ちょっといいか?』

 

『お前の方から連絡とは珍しいな。どうした?例の件に動きがあったか?』

 

『35層で例のオレンジギルド・タイタンズハンドの構成員を捕らえた』

 

『上々の成果だな。それで?』

 

『姿を観たわけじゃないが。黒鉄宮に奴らを送還してる途中、こちらを伺うような視線を感じた』

 

『奴らのゆすりや殺しの手口は4ヶ月前に歌姫を殺害したものと同種のものだ。しかし、奴らのレベルではその手口で使用する必要なアイテムの自力入手は、当時の情勢を考えても事実上不可能。現場の痕跡と状況証拠からも、第三者の介入があったと見るべきだ』

 

『俺もそう思う。今回も、奴らはプネウマの花と言われるレアアイテムを狙って動いていた。前回の【鎮魂の奏具】強奪事件。あれも実行犯は今回のギルドだが、持ち主のプレイヤーを殺害したのは別の人物だ』

 

『ラフィン・コフィン。嗤う棺桶とは、よく言ったもんだな。全くもってクソったれな連中だ』

 

『殺害されたプレイヤーの恋人が、なぜその情報を今まで言わなかったのかが謎だが、これで奴らの尻尾が掴めるかもしれない』

 

『キリト。今回は俺が現地に行く。適当な理由をつけて、今回渦中にいるテイマーの子に顔をつないでおいてくれ』

 

『危険じゃないか?このまま俺が同行した方が』

 

『お前は顔が割れすぎている。それじゃあ、敵さんも出せる尻尾も出しはしない。少し装備の質を下げて、フードをとれば、誰も俺だと気付かん』

 

『分かった。じゃあ、俺は今回の件で攻略組の方で何か情報が出回ってないか、アルゴと連携して情報を集める。何かあったらすぐに俺を呼べ。いいな?』

 

『了解した。神様の汚点。人間の失敗作共相手だ。精々俺もスクラップの一員にならないよう気を付ける。頼んだぞキリト』

 

 

 

〜とあるキリトのメッセージログ 終〜 

 




来週にはヴァイオレットエヴァーガーデンが劇場公開ですね。

自分はコロナが怖くてFateの三章すら観に行けていませんが、円盤購入予定なので我慢します(涙)

今回もありがとうございました。

次回もよろしくお願いします。


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017

 

 

 

 ユナと僕は幼馴染みだった。

 

 家が近所で同い年ということもあり、幼稚園から中学まで一緒の時間を過ごすことが多かった。でも、そこに恋愛感情はなくて、あるのは友達以上家族未満の気の置けない幼馴染みとしての関係性だけだ。

 

 初めはその関係に満足していた。

 

 朝は一緒に登校し、昼の休憩時間に忘れてしまった教科書を借りようとお互いの教室を訪ねたり。

 

 昼食を取る際、弁当の中身が一緒であることを友達や同級生に揶揄われたり。

 

 夕方は本屋のCDコーナーに齧り付く彼女を引っ張って家まで送ったり。

 

 幼い頃、母親を亡くしている彼女。大学の先生をしているおじさんが家に帰れない日は、僕の家で一緒に食事をしたり。

 

 服を取りに帰るのが面倒だと僕の服を勝手に使ったり。

 

 夜遅くまで2人でリズムゲームをして、早く寝なさいと一緒に母さんに怒られたり。

 

 客室で寝ていたはずの彼女が、朝起きると隣で寝てたりして。

 

 ふとした瞬間に早まる鼓動に蓋をして。床で寝ていたふりをして彼女が起きるのを待ったり。

 

 寝ぼけ気味に起きた彼女が、ベッドから落としてしまったと勘違いして毎度毎度謝ってきたり。頭を下げる度に服の隙間から覗く彼女の肌にまた心臓を殴りつけられたり。

 

 思春期特有の衝動を抑えられたのは、一重に僕はこの、彼女との距離感が気に入ってたんだと思う。何より、彼女が嫌がるようなことはしたく無かったから。…今の関係が壊れてしまうのが怖かったから。

 

 そうしてまた、幼馴染みとしての日常を送り続けた。

 

 僕は…俺はずっと、そんな彼女との心地よい時間がずっと続くと思っていた。

 

 関係が変わったのは高校生の頃だった。

 

 彼女は女子校に進学した。

 

 私立であるその学校は勉学は勿論、芸能の分野にも力を入れており、歌手を目指して日々努力している彼女がその門を叩く理由としては、十分すぎる校風だった。

 

 朝は別々に登校した。俺の学校とは家を挟んで反対方向にあったから。

 

 昼は学食で食べるようになった。高校ではみんなそうしていたから。

 

 夕方になるとすぐに家に帰った。もう、本屋に寄る理由も無かったから。

 

 夜は家族でテーブルを囲む。彼女はいない。もう、高校生なんだ。当然だ。

 

 一人で眠る。…眠れない。暇を潰すように端末のアプリゲームを起動して、義務でもない周回作業に勤しむ。

 

 2人用のゲーム機のハードは少し埃を被ってて。彼女がよく着ていた俺の服は、もうタンスの奥に仕舞い込まれてる。

 

 喪失感があった。

 

 理由は分かってる。だが、それを言うのはあまりにも情けなくて身勝手で。行き場を無くした制御できない熱だけが胸中に留まり続ける。

 

 今になって思えばその熱が、俺を間違わせた。

 

 2022年7月。俺は彼女に新しいゲーム、SAOと言うVRMMORPGを薦めた。勿論、一学生の手の出せる代物ではなかったため、重村先生…彼女のお父さんの伝で入手させてもらった。元々、ユナはリズムゲーム専門だ。誘っても断られる可能性の方が高かった。それでも、彼女は意外なほどあっさりと俺の提案に乗った。理由を聞くと「また、えいくんと一緒にゲームできるなら嬉しい」という言葉が、最上級の笑顔と共に返ってきた。

 

 その日から、俺は身体を鍛えた。今回のフルダイブ型のゲームシステムでは、アバターを動かすプレイヤー本人の技能が要求されると考えたからだ。俺は同級生と比べると身長が低い。ならば、その小柄さを生かしたアクロバット系のプレイスタイルが良いと思った。パルクールの動画を漁りに漁った。挑戦と失敗を繰り返した。失敗して生傷が増えた時期もあった。それでも、俺はユナとまた一緒にゲームをして、一緒の時間を過ごせることを何より楽しみにしていた。

 

 2022年11月6日。SAO公式サービス初日。

 

 遂にその日がやってきた。

 

 ノーチラスとしてSAOの世界にやってきた俺は合流したユナと一緒にNPCのやってる店を散策したり。レベル上げで戦闘してみたり。夕陽の差し込む草原を見たユナの即興の唄に耳を傾けたり。

 

 俺が欲して止まなかった、彼女との時間が、確かにその場にはあった。

 

 そして____突然、終わりはやってきた。

 

 ログアウト不可能。

 

 ゲーム内での死は、現実での死に直結する。

 

 正真正銘のデスゲーム。

 

 俺は恐怖で動けなかった。

 

 死ぬことに。

 

 何より、彼女をこんな世界に連れて来てしまった。彼女を危険な目に遭わせてしまった罪深さに。

 

 彼女に責められることに。見限られることに。失望されることに。耐え難いほどの恐怖を感じた。

 

 動けずにいる俺の手を取って彼女は歩き始めた。

 

 俺は彼女の気に障るようなことを極力しないように努め、ただただ導かれるまま彼女の後をついて行く。

 

 訪れたのは教会だった。

 

 彼女は俺を椅子に座らせると、壇上に駆け上がる。そして、控えめな双丘の中央に手を置いて大きく息を吸い込むと、彼女は唄った。

 

 誰もが知っているその曲は、彼女の歌声を通して、俺の胸を大きく揺さぶった。

 

 

 

 

 

 

 歌い終わり、肩を震わせながら、それでも気丈に笑う彼女は僕に言った。

 

「みんな怖い。みんな不安。私だってそう。今も、あんまり実感ない。でも、めちゃくちゃ泣きそう。でも、えいくんがいてくれるなら、私、頑張れるから。私、頑張るから。お願い…一緒にいて?」

 

 限界だった。

 

 涙を堪えることも。

 

 動けない自分に、弱さを肯定する言い訳を探すことも。

 

 彼女への想いに、嘘をつくことも。

 

 見ないフリをすることも。

 

 もう、俺には出来なかった。

 

「___歌手ならステージを降りるまで泣くな」

 

「え…?」

 

「俺がお前をステージに上げてやる。何百回だって、何万回だって」

 

「えいくん…」

 

「俺がお前を守るよ。だからお前は、みんなの心を守ってくれ。お前の歌声で。お前の音楽で。お前の優しさで。___そして、向こうに戻ったらみんなが口を揃えて言うんだ。『ユナの歌に勇気をもらった』ってな?」

 

「えいくん…。ちょっと、台詞がクサイよ?」

 

「ちょっ…!この雰囲気でそれを言うのか?いきなり歌い出したお前も大概だぞ?」

 

「私はいいもん。だって歌手だから。歌手は歌うのが仕事なんですー」

 

 お互い、泣きながら。でも、不思議と嫌な涙ではなく。あの頃のよう何気ない日常を想起させ、敢えて仰々しい物言いで彼女のノリに合わせる。

 

 ああ、俺、カッコ悪い。それでもって、やっぱり、ユナは泣いてても綺麗だ。

 

「はいはい…。じゃあ、歌手のユナさん。続いての曲をお聞かせ願えますか?」

 

 涙を拭ったユナは、溌剌とした表情で俺に問いかけた。

 

「勿論です!何かリクエストはありますか?」

 

 俺は迷わず、この曲を選んだ。

 

  

   

    

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 〜2024年2月23日 36層 とあるカフェ〜

  

 

 

 店内の無機質なBGMが鼓膜を揺する。アイスコーヒーに入れられた氷が溶けて、グラスに当たる。カランと涼しげな音を出す机上とは裏腹に。この場の空気は重々しい。

 

 俺、ノーチラスは、目の前にいる女性プレイヤーにユナのことを話していた。

 

 つい、彼女の歌を聞いてユナのことを思い出してしまい、衝動的に名前を聞いてしまった。なんとなく、彼女にユナの面影を見てしまい、彼女に提案されるままこのカフェに腰を落ち着けているわけだ。

 

 彼女は俺の話をただ聞いてくれた。同情するでもなく、共感する訳でもなく。ただ、耳を傾けることに尽力してくれた。

 

 そんな彼女に話さなくていいことまで話してしまったと若干後悔しつつ。話すことで胸の内が軽くなったことに無自覚に安堵を覚え俺は舌を回した。

 

 一通りの話を聞いた彼女は、目を瞑り、何かを思い出すかのように呟いた。

 

「___そうなんだ…。やっぱり、ユナさんは素敵な人だな…」

 

「君は…ミウさんは、ユナのファンってことでいいんだよな?歌を歌ってるのも、それが理由?」

 

 俺の質問に、彼女…ミウは姿勢を正してから答えた。

 

「ユナさんは私の憧れでした。ユナさんは私が欲しかったものを全部持ってたから。だから私もユナさんみたいになりたいと思ったんです。この格好を見て気分を害されたのなら謝罪します。ごめんなさい」

 

「いや、そんな…」

 

 頭を下げる彼女に、俺は狼狽する。何か言わなければと考えも纏まらないまま口を開いた。

 

「こっちこそ、ごめん。もうユナが亡くなって四ヶ月経つのに、俺、いつまでもこんな感じで…。初対面の君にも迷惑掛けてて。ほんと、情けないよな…」

 

「…私、実はノーチラスさんとは、以前お会いしてるんです」

 

「以前?ああ、ユナのステージでかな?」

 

「それもありますが…お話したのは、その………40層が攻略された頃に…」

 

「___もしかして?」

 

「はい…。あの時の、ノーチラスさんを引っ張って圏内まで連れて行ったのが、私です」

 

 あの時。

 

 オレンジギルドにユナの琴が奪われた直後。集団発生したモンスターに襲われ、ユナは死んだ。俺もそのまま後を追おうと思っていたが、誰かに助けられた。当時は廃人のようになっており、記憶も朧げだが、副団長から言われた話の中に彼女の名前もあったように思う。俺は最低限の礼も返せずにいたことに罪悪感を感じ、頭を下げる。

 

「そっか…。あの時はロクにお礼も言えずに…改めて、助けてくれてありがとう」

 

「いえ、私はそんな…。何も力になれなくて…」

 

 俺は彼女に要らない心労を掛けたくないと、矢継ぎ早に話した。

 

「お礼がしたいんだけど、何がいい?俺に用意できるものや、できることであればなんでも」

 

 ミウが要求したのは意外なものだった。

 

「では___ユナさんのお話、もっと聞かせていただけませんか?」

 

「…どうして?」

 

 言葉に詰まる。見ないようにしていたものを眼前に突きつけられたような気分だった。俺の狼狽している様子を知ってか知らずか。彼女は言った。

 

「さっき、ノーチラスさん。もう四ヶ月って言われてましたけど。それ、違います。まだ、四ヶ月です。私、ユナさんのファンなんです。ユナさんのことをずっと想っていたんです。だから、だからこそ辛かった。ユナさんが亡くなったって。目の前で見て、知って、理解して。宿屋に戻ってからようやく実感湧いてきて。涙が止まりませんでした。…だから分かるんです。ノーチラスさん、泣いてないでしょ?」

 

「っ……」

 

「誰にも話せなくて。辛くて、辛くて。それでも、ユナさんのことを忘れずに想い続けて…。ノーチラスさん。私、ここでのことは誰にも言いませんから。お願いですから。…ユナさんが居なくなって、悲しいって気持ちに、嘘、吐かないで」

 

「___」

 

 彼女の瞳から溢れた水滴は、頬を伝って彼女の手に落ちる。

 

 そんな、彼女の様子を見ていると、不思議と笑みを浮かべている自分に気付いた。ミウは俺の表情を見ると咎めるような口調で、涙を袖で拭いながら口を尖らせる。

 

「な、何、笑って、るん、ですか?女の子の、泣いてる姿、見て、笑うなんて、最低、です」

 

「いや、嬉しくて。こんなにもユナのことを思ってくれてる人がいて。ユナがやってきたことは、間違いなんかじゃなかったんだって気づいて。ちょっと、救われた。だから、ありがとう」

 

 ミウは俺が意地でも泣かないと理解したらしく、ジト目をしながら突っかかってきた。

 

「……それで?始まりの街でユナさんに何の曲をリクエストしたんですか?」

 

「え?話続いてた?」

 

「できることはなんでもするって言ったでしょ?私、聞くまで離れませんからね?」

 

「……はは」

 

「もう!なんで笑うの!?」

 

「いや、やっぱり、ありがとう」

 

「ヤダ!そのお礼のされかた!私嫌いです!」

 

「俺は好きだから」

 

「…ノーチラスさんってもしかして性格悪いです?」

 

「男を泣かせようとした君ほどじゃない」

 

「あれ?ひょっとして泣けそうでした?その調子です!我慢しないで!はい!」

 

「うん、ありがとう。それで__」

 

「流されましたっ!?もう、ノーチラスさ〜ん!」

 

 ユナの面影を残した少女は、俺の言葉に表情をコロコロ変える。その様子が可笑しくて、つい揶揄ってしまう。それでも、俺は彼女のそんな素直な面に救われたと思う。

 

 ミウが歌っていたのは、悲哀の唄。

 

 

 もう貴方から、愛されることも、必要とされることもない___

 

 そして私は、一人ぼっちで___

 

 抱きしめてよ、思いっきり___

 

 貴方と行く___

 

 どんな罪も背負ってあげる___

 

 道なき道を歩いてくの____

 

 あなたと二人で___

 

 

 そんな、別れを告げて尚、忘れることのできない物語を模した唄。

 

 俺はその歌声に、曲に、ユナとの思い出を重ねた。

 

 そして、こんな罪深い自分に手を差し伸べてくれた彼女に、少しだけ、惹かれてしまった。

 

 今、この感情に答えは出さなくてもいい。

 

 ただ、今この時は、ユナのことだけを____

 

 

 

 

 

 〜誰かにとっての新たな歌姫 終〜   

 

 

 

 

 




オリキャラ登場。

悩みに悩んでミウというオリキャラが誕生です。

今回はノーチラスことエイジ君に話のフォーカスを当ててます。

ノートとエルを楽しみにしてた方はすみません。

次回もよろしくお願いします。




追記:HFもヴァイオレットも両方最高でした!(←結局、観に行ったオタクの戯言)


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018

 

 

 

 

 

 

「恋って…何だろうな?」

 

「は?気持ち悪いんで、とりあえず病院にでも行ってきたらどうですか?」

 

「通院してキモさが治るなら喜んで行く」

 

「気持ち悪いこと言ってる自覚はあるのがホントにタチ悪いんですよね…」

 

「お前も三日で随分と俺に慣れたな。猫を被るのも大変だったろ?」

 

「ノートさんと話してると、そういうの無駄だって心底思ったので」

 

「理解してくれたようで、俺は嬉しいよ」

 

「そういうのが気持ち悪いんですって」

 

「で?世間一般でいう恋って何だと思う?」

 

「それは…片想い、両想いに限らずドキドキすることじゃないですか?自分だけを見て欲しいとか。好きって言って欲しいとか。触れ合って、相手の一番近くの深いとこにいたいとか。たまに喧嘩して相手の知らない一面に触れられて、また仲良くなったりして」

 

「分かった。もう十分だ。…薔薇色成分過多で吐きそう…」

 

「じゃあ何で聞いたんですか?」

 

「今追ってる事件調査に、当たらずとも遠からず関係しててな。被害者男性の心情がどうにも掴み切れなくって」

 

「それって私が聞いてもいい話ですか?」

 

「この三日でお前のプレイヤースキルはある程度まで向上した。こと対人戦に於いては同レベルの一般プレイヤー相手なら簡単にあしらえる。レッドプレイヤーに狙われても時間稼ぎ程度はできるだろ?」

 

「何で私なら事件に巻き込んでも問題ないみたいな話の流れになってるんですか?嫌ですよ。要らない火種を撒かないで下さい」

 

「もしもの話だから大丈夫だ。この三日で例のギルドの構成員は全員キリトが捕獲したし。こちらを探ってくるような目もない。俺とキリトはある程度頭の螺子が飛んでる自覚があるから、本当に、純粋に一般的な意見が聞きたいだけなんだ」

 

「キリトさんを貴方と一緒にしないで下さい」

 

「…お前のそのキリト至上主義。早めに治さんと、いつか痛い目見るぞ?」

 

「だって、キリトさん。今はフリーじゃないですか?だから私が美味しくいただいても何も問題はない訳で」

 

「妹と同世代の子に手を出すのは、男として以前に。世間体的にどうかと思うが…」

 

「常識は打ち破るためにあるんです」

 

「倫理は守れよ?…それに…いや、何でもない」

 

「何ですか?また何か私を怒らせるようなこと思い付いたんですか?」

 

「どちらかというと落ち込むようなことかな?」

 

「じゃあいいです。聞かなかったことにします。___それで?被害者の男性についてでしたっけ?」

 

「ああ。男性をA氏。その恋人をB氏と置く。A氏とB氏はとあるギルドに目を付けられた。そのギルドはB氏のレアアイテムの奪取が目的だった。ギルドの罠に嵌められたB氏は、A氏の命と引き換えにそのレアアイテムをギルドに渡した。その後、B氏は大量発生したモンスターに襲われ命を落とした」

 

「ちょっと待って下さい。疑問が2つあります。まず、男性のAさんはそのギルドに拘束されていたのか、それとも、猶予も残されていない命の危険に晒されているような状態だったのか?それによっても、恋人であるBさんの行動も変わったかとと思います」

 

「俺も資料でしか情報を得ていないから細かいことは言えんが…やり方は何でも良いと思う。シリカがプネウマの花を獲得した帰り道で遭遇したタイタンズ・ハントみたいに、集団で囲って圧力を掛けるとかな。寧ろ、遭遇戦のような形の方が犯人からすれば都合が良い。人質を取るのは有効だがリスクもある。こちら側に対応策を考える時間を与えてしまうからな。ターゲットに隙を与えないためには、圏外で、偶然を装った犯行に及ぶのが確実だ」

 

「では、Bさんは殺されそうになったAさんを守るために、相手の要求に応じたと?」

 

「そう推測される。事実、生き残ったA氏は弱かった自分を相当悔やんだみたいだな。気持ちは分からんでもない」

 

「…では、二つ目なんですが。Bさんの死因はモンスターの攻撃によるものであって、PKではないんですか?」

 

「A氏によると、アイテムを渡したらあっさりと二人は解放されたらしい。その後にモンスターの大群に襲われた訳だが」

 

「それだと、AさんはBさんを置いて逃げたんですか?普通に考えると、二人とも逃げ切るか、逃げられないかですよね?」

 

「元々、B氏は戦闘向きのプレイスタイルじゃなかったらしい。今でこそ必須の携帯アイテムになっているが、当時は転移結晶も高価で、攻略組と違ってギリギリの勝負をしてきた訳じゃないB氏には、転移によって生き残る選択肢も初めからなかったということだ。A氏は最後までB氏を守って戦い、そしてB氏を守ることは終ぞ叶わなかった」

 

「Aさんは…攻略組だったんですか?」

 

「どうしてそう思った?」

 

「ノートさんの言い回しがそんな感じだったので。それに、転移結晶はあったんでしょ?一つだけ」

 

「正解だ。A氏は自分の持っている転移結晶をB氏に渡して、B氏が逃げるまでの時間を稼ごうとした」

 

「でも、恋人を置いて行けなかったBさんは転移結晶を使うことを躊躇した」

 

「結果はさっき言った通り。A氏はそのままモンスターにやられて命を落とす。B氏も彼女の後を追おうとしたが、偶然通りかかった他のプレイヤーに助けらて急死に一生を得た訳だな」

 

「もう一個、質問いいですか?」

 

「何だ?」

 

「どうしてこれが事件になるんですか?アイテムの強奪は兎も角。モンスターにやられたのなら不慮の事故では?」

 

「俺も最初はそう思った。だが、事件の報告書を読み込む内に、不可解なことが見えてきた」

 

「不可解なこと?」

 

「一つはタイミングの良さだ。レアアイテムをギルドに狙われたことも。アイテムを渡したら相手がすぐさま引いたことも。そして何より、その時間、その場所にモンスターが大量発生したことも。これだけのイレギュラーが同時刻に偶然起こったとは考え辛い。それに___本当にB氏はモンスターに殺されたのか?」

 

「え?でも、被害者の本人が言ってるんですから。そこを疑い始めたらどうしようもないのでは?」

 

「ああ。だから、最初の疑問に戻るんだ。恋っていうのは、もしかして、狂気的な呪いに近しいもの何じゃないのかってな。シリカ。お前はどう思う?キリトがお前の目の前で死んだとして。お前は一体何を思う?」

 

「私は……そうなってしまった原因を。何より、キリトさんを守れなかった自分の弱さを許せないと思います。………そっか。だからAさんは…」

 

「皮肉なもんだよな。一番守りたかったものを守れず。死にたいけど死に切れず。だが、約束だけは果たさなければならない。約束を果たすには、事実を捻じ曲げる他なかった。それが、亡くなった彼女への最大の裏切りと知りながら。それでも、アイツは強く在り続けなければならなかった…」

 

「ノートさんは、それを知ってどうするんですか?真実を突き止めて。何をするんですか?」

 

「やるべきことを手短にする。他に、何もない」

 

 

 

 

 

 

 

 〜恋の意味 終〜

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 〜2023年10月18日 36層 郊外の廃墟区域〜

 

 

 

 強固な石造りが特徴的な建物が乱立する内地(圏内)とは裏腹に、廃墟区域(圏外)では、崩れた石壁が路面を舐めており、足場の悪い道が続いていた。

 

 もとは、戦争時の兵力分散を目的とした舗装路で、四方の内三方を囲む迷路のような構造は侵入者である俺たちを、そう簡単には逃してくれない。

 

 俺は自分の命よりも大切なものを守るため、必死に駆ける。少し開けた場所には遮蔽物となる廃墟があり、俺は彼女の手を引いて石壁の陰に身を隠す。こういう時ばかりは、kobの目立つ白マントに入った赤の刺繍に恨み言をぶつけたくなってしまう。

 

 俺は辺りを警戒しつつ、転移結晶を取り出して隣で不安そうな顔をしている彼女に、結晶を手渡す。少し触れた彼女の手が震えていることに気付き、俺は極力優しい声で彼女を諭す。

 

「いいか?俺が奴らの気を引いてる隙に、どこでもいいから転移するんだ。それから、宿屋に立て籠もって、俺からメッセージが届くまで、圏内から一歩も出ないようにするんだ」

 

 俺の言葉に目を丸くした彼女。ユナは俺の手を転移結晶ごと握ったまま離そうとしない。

 

「え?待って、それじゃ、えいくんは?」

 

 ああ。それだと、俺が死んだらユナはずっと引き篭りになってしまうな。そんな、この場に似つかわしくない気の抜けた考え事までしてしまう始末。意外と俺は、彼女のために死ぬのは怖くないらしい。そのことを嬉しく思いつつ、俺は大した事じゃないと努めて明るく振る舞う。

 

「万が一の時はノートさんを頼るんだ。あの人なら、安全な場所まで連れて行ってくれるから」

 

「嘘でもそんなこと言わないで!!」

 

 ユナの良く通る声が、廃墟区域に反響する。視界の悪いこのコンディションで、相手に自分たちの位置情報を伝えるのは悪手以外の何物でもない。俺は最早、焦る気持ちを隠す余裕もなく、ユナに早く逃げるよう必死に伝える。

 

「っ!いいから!早く行け!」

 

 俺の必死の懇願も虚しく。ユナは俺の手を離さない。離してくれない。

 

「嫌!絶対に嫌!!逃げるなら二人で!えいくんが闘うなら私も闘う!!」

 

「っ!?くそっ!…こっち!」

 

 俺は索敵のスキルに反応があった方向とは反対の方角に駆け出す。俺はユナを引き寄せると、彼女の膝の下に手を通し、もう片方の手で彼女の背中を覆うように支える。

 

「!?え、えいくん!?」

 

「黙って!ユナは足が遅いんだから!こうするしかないだろ!」

 

 小声で叫ぶという、我ながら器用な芸当をこなしつつ俺は再び駆ける。幸いにも、つい数日前まで攻略組の一員として戦ってきた俺にとって。ユナの身体を持ち上げて走ることくらい造作もない。kobで二軍落ちしてしまったとは云え、これまで培ってきた経験値とステータスは裏切らない。俺は索敵スキルを使用し、常に周囲の警戒をしながら障害物を飛び越え。時にはスライディングで潜り抜け。リアルで練習してきたパルクールの技術をこれでもかと披露して、追っ手を振り切る。

 

 再び開けた場所に出て、ユナにマップの確認をしてもらっている間、索敵スキルで辺りをスキャンする。地面にプレイヤーやモンスターの足跡はない。少なくとも肉眼で確認できる範囲で周囲に敵影はなし。俺は心ばかり深く息を吐き出し、気を引き締めるように、ユナを抱き抱える力を強める。

 

「進路クリア。周囲に敵影見えず。ユナ?後、どのくらいで廃墟区域を抜けられる?」

 

 俺は周囲の警戒のため、地図を見る余裕がない。ユナに現在地と目的地との距離を聞くと、彼女にしては珍しくモゴモゴと、歯切れの悪い返事をしてきた。

 

「え、えと。も、もう少ししたら、噴水のあるとこが見えるはずだから。後、200メートルちょ、ちょっと…」

 

「了解。そこまで行けば圏内だ。もう少しだけ我慢してくれ」

 

「う、うん。ちょっと残念な気もするけど…」

 

「何言ってんだ。こんな時に______」

 

 それは突然だった。

 

 サクッと。

 

 首に右方向から飛来した何かが当たった。

 

 その瞬間、全身に電流が走るような感覚が駆け抜けた。

 

 俺は急激に動かなくなる身体を懸命に動かし、ユナの後頭部に手を移動させ、彼女が地面に頭を打たないようにする。

 

 逃げろと口を懸命に動かすも声が出てくれない。地面に転倒した彼女が俺の状態を理解すると必死で俺の身体を揺すってくる。

 

「きゃっ!?ちょっと、落とさないでよ、えいくん!…えいくん?えいくん!?」

 

 右側に倒れたのが失敗だった。彼女からは麻痺毒の塗られたナイフの存在が確認できない。彼女は突然の俺の転倒に動揺し、麻痺の解除にまで思考が追いついていない。

 

 ユナの背後の景色がブレる。

 

 俺は逃げろと叫んだ。

 

 しかし、喉から出たのは、掠れた空気の溢れる音だけだった。

 

 次の瞬間、ユナの身体が弾き飛ばされる。

 

 ユナは突然の衝撃に受け身も取れず、地面を転がって、瓦礫の山に身体を叩きつけられる。帽子がとれ、彼女の綺麗な髪が塵に塗れる。

 

 俺は力を振り絞って、腰に常備している麻痺の解除結晶に手を伸ばす。しかし、虚空から現れたプレイヤーによって、結晶を破壊されてしまう。

 

 鋭い刺突による攻撃。

 

 汚れ、古びたフードから覗く、紅い光。

 

 そして、右手の甲に刻まれた、嗤う棺桶の紋章。

 

 ラフィン・コフィン___

 

 そのプレイヤーは俺を一瞥すると、その口をニヤリと引き伸ばし、倒れているユナの方に歩き始める。

 

 やめろ!ユナに近づくな!!

 

「え?い、嫌、やめて!?こないで!?」

 

 両手を突いて起き上がったユナの髪を掴むと、彼女を宙にぶら下げる。そして、彼女の喉元に巨大なアイスピックのような武器を突きつける。

 

 ユナは顔を青ざめさせて。

 

 震えながら俺の名前を呼ぶ。

 

「えいくん…助けて…えいくん…!」

 

 やめろ…!やめてくれ!お願いだ!それだけは…!

 

 俺は痺れ、動かない身体を無理やり動かし、地面を這ってでも前に進む。

 

 そんな俺を見て、さらに笑みを深めたそのプレイヤーは、俺にとって史上最悪の言葉を口にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『It's showtime.』

 

 

 棺桶が、嗤った______

 

 

 




〜投稿前の作者〜
さてと。書き上がったし投稿しよっかな。
…ん?お気に入りに登録者数350?ああ、他の人の作品ね。間違えた間違えた。
………おかしいな?タイトル乗っ取られた?
え?これ?…え?(大混乱)

閑話休題

一時的に日間ランキング9位に乗った時は心臓が破裂するかと思いました。
こんなにも多くの方々に読んでいただけるなんて感謝の一言では言い表せません。
せめてものご恩返しとして、お目見汚しにならない程度には恥ずかしくない作品を綴っていけたらと思います。
アニメではアリシゼーション編が完結し、プログレッシブの制作が発表されました。
これからもsaoのいちファンとして、皆さんと一緒にsaoという名作を楽しんでいけたらと思います。
今後ともよろしくお願いします。

P.S.ザザ…貴様だけは許さん!(←作者の理不尽な怒り)


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018.5

過去のユナ視点
◇◇◇
現在のノーチラス視点という構成です。




 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「    !!?」

 

 鋭く伸びた細剣が喉元を貫き、叫び声すらあげられない。痛みはないのに、身体の内側に異物が混在する圧倒的な違和感が、私の脳に警告を与え続ける。

 

 私はもがく。

 

 髪を掴む手を両手で、必死に相手の腕を掴むがびくともしない。なら、今尚私のHPを削り続けてる喉元の違和感を緩和するため。私は相手の武器を握る。急激に減っていくHPバーが、私の心拍数を加速させる。ドクドクと流れる血液が。激しく鼓動する心臓が。私の残された時間を刻んでいくかのように。

 

 細剣が更に押し込まれる。

 

 後頭部に可笑しな感触があった。剣先が頭蓋にコツっと当たった瞬間。妙な解放感と共に、全ての力が抜けた。

 

 死を覚悟した。

 

 その時に、私が感じたのは死にたくない、という思いよりも。最愛の幼馴染みを案じる感情だった。私が死んだら、彼はどうなるのか?私と同じように殺されるのか?いやだ!絶対に駄目!

 

 この瞬間、私は死の恐怖を忘却する。ただ、大切な人を守りたいと思う一心で思考を加速させる。

 

 私は歯を食い縛って拳を固める。

 

『こうだったよね?えいくん?』

 

 相手の右手首を右手で掴み、左の拳を肘に叩き込む。反射的に肘が逆側に曲がるのを防ぐため、身体を半身廻した相手の状態を見計らい。相手の後頭部に左足を掛ける。左手を相手の肘に絡め、全力で関節を極める。人体の構造に則り、相手は体勢を崩して地面に膝を突く。それはつまり、私の足が地面に着くことと同義だ。

 

 私は、腰に装備していた短剣を引き抜くと、掴まれていた髪を切り落とす。同時に、相手の後頭部に掛けていた左脚で顔面に蹴りをたたき込む。その勢いで、後方に飛び退き、喉を貫通していた細剣を外す。

 

 相手と距離をとってHPバーを確認すると、約2割のHPが残っていた。

 

 私はまだ生きている安堵と同等の驚きを感じずにはいられなかった。

 

 先ほどのような、拘束から抜け出す力なんて私にはなかった。それができたのは、かつて私たちに戦い方を教えてくれた人がいたからだ。眠そうな目で、めんどくさそうにしながら、それでも丁寧に、私たちが理解できるまで、無償の善意で教えてくれた人が。

 

 私がえいくんに視線を向けると、彼はポカンとした表情で私を見ていた。

 

『大丈夫』

 

 無音の言葉を彼に送る。

 

 声が出てくれないのだ。

 

 無理もない。声帯を潰されてるのだろう。喉から空気の洩れる音が聞こえる。これじゃあ、助けを呼ぶのも難しい。

 

 自身の状態を確認したのも束の間。相手が再び私に接近する。私は考える。私ではコイツに勝てない。私は生き残れない。私は死ぬ。死ぬまでの時間で。私はどうしたらいいのか?私は何をすべきなのか?…答えは決まってる。

 

 右手を背に回す。そして____

 

 

 

 

 〜彼女の選択〜

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「______あああぁぁぁぁ!!!」

 

 悪夢が醒める。

 

 ベッドから身体を起こし、喉元に手を伸ばす。

 

 痛みを錯覚するほどに、脳が熱を発しているのにも関わらず、指先は驚くほどに冷たい。身体が震える。恐怖が蘇る。俺は身体を折り畳み、両耳を塞いで目を瞑る。

 

 何も見たくない。

 

 何も聞きたくない。

 

 何も感じたくない。

 

 もう、生きたくない。

 

 死ねよ。

 

 早く死ねよ俺!

 

 ユナがいない世界で。

 

 俺が生きていい理由なんて…ないんだよ…。

 

 その時、俺の手に柔らかな温もりが重なった。

 

「…ノーチラスさん?」

 

「………ミウ?」

 

 目を向けると、部屋着になった彼女がいた。風呂から上がったばかりらしい彼女の身体は少し高揚しており、女性と少女の狭間に揺れ動く背徳的な魅力を内包していた。

 

 彼女は俺の肩に両手を置くと、ゆっくりと俺の背中に身体を重ねる。そして、彼女の綺麗な声が、俺の耳を震わせる。

 

「はい。ミウです。私は、ここにいます」

 

 震えがおさまる。彼女の体温が。感触が。香りが。存在が。俺に安らぎを与えてくれる。

 

 ユナが亡くなって、久しく感じていなかった。人の温もり。

 

「…ごめん。少し取り乱した。もう大丈夫だから……ミウ?」

 

 少しばかりの冷静さを取り戻し、別の意味で冷静さを欠こうとしている自分がいることを自覚し、俺は彼女から身体を離そうとする。

 

 しかし、彼女は離れない。離れようとはしない。俺の胸の前で組んだ腕に、一層の力が籠る。

 

 耳に触れる吐息が熱い。いつしか彼女の呼吸が、どこか艶かしいものになっていると気付いた時。俺はもう既に溺れていたんだと思う。

 

「あの…こんな時に、こんなこと言うの、卑怯だって思うんですけど………。ノーチラスさん……私じゃ駄目ですか?」

 

「え……?」 

 

「私じゃ、ユナさんには、敵いませんか?」

 

「何を言って…?」

 

「優しくて、綺麗で、歌が上手で、いつも笑顔で…。ユナさんと比べて、こんな私なんかじゃ、逆立ちしたって敵いっこない。そんな私じゃ、貴方の隣には居られませんか?」

 

「やめろ、ミウ。俺は…」

 

 俺は彼女が言わんとしていることに気付き、形ばかりの抵抗を示す。その全てが間違いだった。俺は彼女を突き放すべきだったんだ。いや、そもそも、彼女との関係はあのカフェで終わらせるべきだったんだ。でも、もう何もかも遅い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 煙草の味がした。

 

 重なった唇に。絡まった舌先に。俺は彼女を受け入れてしまったことを自覚した。

 

「ノーチラスさん。私は貴方が好きです」

 

「…俺はユナが好きだ。俺は、君のことを好きにはなれない」

 

「はい、知ってます」

 

 再び、煙草の味。

 

「ユナさんを誰よりも愛してる貴方だから…私は、貴方を愛したいって思ったんですから」

 

「……俺は君に何を返せばいい。君の想いに応えられない俺に、何ができる?」

 

「貴方の心はユナさんのものです。なら、私には______」

 

 

  

 〜煙草の味 終〜

 

 




人間味を前面に出した話を書きたいと思ったら、こんなドロドロとした話になってしまいました。

編集前は明らかにR18だったので、R15レベルまで大幅に描写を削ったら文量短くなってしまった…。

短いのでサブタイトルは018.5ということにしました。

また次回もよろしくお願いします。


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019

一言だけ…

少佐ァ………煉獄さん………ぅぅぅ(号泣)


 

 

 

 

 

 どうしようもないことだった。

 

 地面に張った薄氷を踏んだら氷にヒビが入るような。

 

 嚥下した分量に応じてペットボトルの中身が減るような。

 

 夜眠ったら、次の日に朝が来るような。

 

 そんな、当たり前のことだった。

 

 俺は、死ぬのが怖い。

 

 厳密に言えば、死ぬような目に遭うことがどうしようもなく恐ろしい。

 

 異変に気付いたのは、kobに入団して初となる第30層ボス攻略に参加した時だった。

 

 俺は動けなかった。

 

 必死にレベル上げをして。モンスターの情報を頭に叩き込んで。ユナに勇気を貰って。必ずボスを倒して生きて帰ってくると彼女に約束して。

 

 それでも俺は動けなかった。

 

 いや、動かなかった。

 

 ボスの鋭い眼光。鼓膜を震わす重低音の咆哮。明確な、殺意。殺意。殺意。

 

 気付けば俺は恐怖の前に服従していた。

 

 意志も覚悟も、尊厳さえも粉々にされた。

 

 俺はただの臆病者だ。

 

 俺は剣士にはなれなかった。

 

 それでも、攻略組に居座り、剣を握り続けたのは、醜い自己肯定感を守るためだったのだろう。

 

 今までの努力を無駄にしたくなくて。

 

 戦いもせず、不満を漏らすだけの人間にはどうしてもなりたくなくて。

 

 好きな人に、失望されたくなくて…。

 

 継ぎ接ぎだらけの信念が汚泥に塗れる。

 

 かつての尊い約束が、心を縛りつける呪いのようになったのはいつからだったのか。もう、そんな悩みすら抱けなくなってしまった。

 

 世界とはシステムだという言葉をよく耳にする。

 

 その通りだと思った。

 

 人はそれぞれ、何かの役割を演じている。

 

 俺の役割は『役立たず』。

 

 俺は所詮、システムには、世界には抗えない人間。何かを変える力なんて、俺にありはしない。

 

 今、目の前で、最愛の人が死の淵に立たされている瞬間ですら、こうして、地べたに這い蹲ったままなのだから。

 

 俺は弱い。

 

 どうしようもなく弱い。

 

 弱い俺は、何も守れない。

 

 だから、ユナは殺される。

 

 ユナは死ぬ。

 

 

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。

 

 ______

 

 

 

 

 

 

 

 

 『大丈夫だよ』

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

「___ストップ。そこまでよ。赤目さん?」

 

 赤目。そう呼ばれた黒いコートを纏った殺人鬼は、ユナの首に伸ばした手を寸前で止めて、声の主に目を向ける。

 

 ノーチラスは動かない身体の代わりに眼球を動かす。すると、先ほどユナたちを追っていたオレンジギルドの首領が、仲間を引き連れて一堂に介していた。

 

 赤目は再び視線をユナに戻すと、彼女を見ているようで別の何かを見るような口調で吐き捨てる。

 

『コイツ…気に喰わん…アイツの…技は…目障りだ…』

 

 赤目の主張を却下した首領は、ノーチラスの首に槍を向ける。

 

「そのまま殺しちゃったら目的のアイテムごとパーなのよ。だから、そこまで。それに私、無駄な人殺しって良くないって思うのよ?だからね?話し合いで解決するのが一番じゃないかしら?」

 

 槍の先がノーチラスの首に刺さる。チリチリとポリゴンの欠片が血のように流れるのを見た赤目は辟易とした様子で踵を返した。

 

『…興が削がれた…。…依頼は果たした…後は…好きにしろ…』

 

「ええ、助かったわ。残り半分の報酬はまた後日」

 

 赤目の姿が消える。

 

 一難さってまた一難。

 

 ユナは首領と距離を保ったまま向き合う。

 

「ようやく貴女とお話できるわね。鬼ごっこなんてしばらくやってなかったから意外と楽しめたの。ありがとう。それで、どう?貴女の命を助けたお礼として、その背中にあるモノを渡して貰えると嬉しいのだけれど」

 

 ユナは首領が話をしている最中、必死にこの場を切り抜けるため思考を回す。そんな時、一つの案を思いつき、彼女は背中に右手を回して突破口となる一手を打つ準備をする。

 

 現状、喉を潰されているユナは声を出すことが出来ず、会話をすることは敵わない。

 

 しかし、それが逆に功を奏して、突破口準備のための時間稼ぎとなる。

 

「それが貴女にとって、すごく、すごーく大事なモノだってことは知ってるわ。でもね…?彼氏からのプレゼントと彼氏自身の命。どっちが大切かなんて、分かりきってるはずよね?」

 

 ノーチラスの首に、刃先がめり込む。これ以上は自動回復スキルを上回るダメージ量になる。

 

 ユナは唇を噛みながら【鎮魂の奏具】を地面に置くと、メニューウィンドウを開き、アイテム所持権限を相手に移譲する。

 

 首領は自分のストレージにアイテムが収納されたのを確認すると、じっとりとした笑みを浮かべてユナに言った。

 

「あら、案外素直なのね?ありがとう。聴き分けの良い子は私大好きよ?…それじゃあ、これは私からのプレゼント」

 

 首領は特殊な色をした結晶を宙に放り投げる。結晶は宙で砕けると紅い粉塵を辺りに撒き散らして消えた。

 

 すると、突如大量の羽が宙を舞う。

 

 見上げた空には、夜空よりも黒い、帯状に広がった飛行物体の影。

 

 空気を叩く無数の飛行音を発生させる正体は、鳥型のモンスター。

 

 【Sky burial】

 

 直訳で『鳥葬』。死体を鳥に喰わせて葬するチベットなどで見られる葬儀方法の一種。

 

 名前の通り、このモンスターは死体の肉を啄む。何よりも性格が悪いのは、HPが低いものを狙う習性、アルゴリズムがあるということ。このモンスター達が誰を狙うかなど、もう分かり切っていることだった。

 

 首領は満足そうに頷くと、槍を元の装備位置に戻す。そして、ユナ達に独白のように言った。

 

「演目は最期の晩餐。本来、奏者である貴女には、音を奏でる声も楽器もないけど…まあ、精精頑張ってね?オーディエンスは貴女たちの演奏を楽しみにしてるわよ。もしかしたらその喉でも、悲鳴ぐらいは出るかもね?ふふふふふふあははははは___」

 

 首領とその仲間たちは、内地へ向かって移動を始める。

 

 ユナとノーチラス。

 

 二人にとっての地獄が始まった。

 

  

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

(あーあ。これ…間に合わないよね?)

 

 私は空を滑空する、死を告げる鳥達を見上げながら、緊張感の欠片もない感想を胸中に呟く。

 

(結局、最期の頼みの綱は外れかぁ…まあ、エルさん忙しいもんね…)

 

 後ろ手にメッセージを操作して、エルに助けを呼んだのだが、未だ既読のマークはついていない。

 

(HPを回復してもあの数じゃあ、直ぐにHPを全損させられちゃう。えいくんを抱えながらじゃあ圏内まで間に合わない…)

 

 ヒュン、ヒュンと、鋭利な羽が空気を切り裂く。私たちの身体を啄み易いように、細かく切り刻むため。刃を研ぐように。鳥達は速度を上げていく。

 

(これが私の最期のステージ。観客は、私の大好きな人。一人だけ)

 

 終焉が襲いかかる。

 

 雪崩のように、鋭い刃がユナの身体を覆う。

 

 そして____

 

 

(うん。悪くないよね___)

 

  

   

 

 

 〜歌姫は___〜

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

(くそ!くそ!くそ!!!なんでだよ!なんで俺たちが、ユナがこんな目に遭わないといけないんだよ!) 

 

 オレンジギルドの襲撃。赤目のザザの乱入。鎮魂の奏具強奪。極め付けにモンスターの大量発生。世界が全力で自分たちを殺しに来ていると言われても納得してしまう。

 

(麻痺が解けない!頼むユナ!転移結晶を使ってくれ!早く、この場を離れてくれ!)

 

 今、この場で最もHPが低いのはユナだ。その彼女がこの場に居続けるのは自殺行為でしかない。俺の願いが通じたのか。彼女は落としていた転移結晶を手に取る。

 

(そうだ。それでいいんだ)

 

 しかし、ユナは何も喋ろうとしない。

 

(迷うなユナ!早く!)

 

 彼女は笑った。この場に似つかわしくない笑みで。彼女が女子校に合格し、いつも通りにまたねを言った時に浮かべていたような。困ったように眉を下げて。彼女は悲しく笑っていた。

 

 俺は失念していた。

 

(嘘だろ…嘘だよな…なあ!ユナ!?)

 

 彼女は声を失っていた。

 

 転移結晶は音声入力アイテムだ。転送先のコードである、主街区の名前を言わなければ起動しない。

 

 Sky burialの群れがユナの目の前を通過する。転移結晶がユナの腕ごと引き千切られていた。

 

(逃げろ!ユナ!逃げてくれ!!逃げろおおお!!)

 

 彼女は逃げない。俺がどれだけ危機迫った表情で彼女を見ようと。彼女は笑ったままだった。

 

 彼女はポーションを頭から被る。徐々に回復するHPバーの色を、右腹部を貫通したモンスターが再び暗転させる。

 

 彼女は唇を噛んで決死の表情で駆ける。モンスターの攻撃を躱し、時に避けきれず被弾しながら。それでも、回復し、転倒してもすぐさま立ち上がり。彼女は諦めず駆ける。

 

 そんなユナの姿を俺はもう、見ていられなかった。

 

(………ユナ…もういい…もう、やめてくれ…)

 

 ユナは歌っていた。

 

 声の出ない喉で。

 

 奏具のない場所で。

 

 ボロボロの衣装で、身体で。

 

 彼女は歌い、そして戦っていた。

 

 エクストラスキル《歌唱》【歌唱】には、バフをつける効果がある。

 

 その効果は様々で、単なるステータス向上やヒーリングスキル向上など用途に応じた使い分けが可能だ。

 

 ユナが使用しているのは、【誘引】と【回復】の二つ。【誘引】でモンスターのタゲを集中。【回復】でポーションによる回復量を向上させる。

 

 そう、ユナは自身の身体、アバターを盾として使い、モンスターの攻撃を一手に引き受けているのだ。

 

 何度も何度も死に直面しながら、HPを回復させ、再び死を己の身に呼び込む。

 

 動けない俺にモンスターが攻撃しないよう、決して誘引のスキルを解こうとしない。

 

 ユナの身体が欠損していく。

 

 左手、右耳、右脇腹、左大腿、右足部…遂に両の足では、立てなくなってしまっていた。

 

 それでも彼女は歌う。

 

 最期まで、歌い切る。

 

(ユナ………)

 

 彼女の姿が光の粒に変わる寸前。

 

 俺は確かに彼女の歌を、声を聞いた。

 

 

 

 _______

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 紫煙が肺を満たす。吐き出した空気はどこか乾いていて、湿りを帯びた今の身体には丁度良かった。隣に寄り添うミウは同じ空気を吐き出しながら俺の顔を覗いた。

 

「お口に合いませんでしたか?」

 

「いや…初めて吸ったからかな。良し悪しはわからないけど…たまにはいいかもな」

 

「私はあまりオススメしませんけどね」

 

「喫煙者の君が言うのはおかしい気がするぞ?」

 

「リアルじゃ私も吸いませんよ。ゲームの中だけです」

 

「……すまなかった」

 

「どうしたんですか?急に」

 

「いや、中途半端な気持ちで、こんな風に関係を持ってしまうのって、普通に考えて良くないだろ」

 

「普通って何ですか?」

 

「それは…」

 

「世間一般の常識よりも、私は私の気持ちと貴方の決断を優先します。それにこれは私が望んだことなんですから、お気になさらないで下さい」

 

「…君は俺のことをどう思ってるんだ?」

 

「最低だって思いました」

 

「辛辣だな…まあ、当然か」

 

「シながら他の女の子の話をするなんて最低です。私、すごく悲しいです」

 

「ごめん…」

 

「でも、それ以上に嬉しかったんです」

 

「何が?」

 

「貴方が私を受け入れてくれて。貴方の思いに触れられて。…ユナさんのことを知れて」

 

「君は本当にユナのことが好きだな?」

 

「違います。ユナさんを好きなノーチラスさんが好きなんです」

 

「結局それって同じじゃないか?」

 

「全然違いますよ。…そう、全然違う」

 

「………寒くなってきたし、もう寝よう」

 

「ふふ、また暖めてあげましょうか?」

 

「……………遠慮しとく」

 

「あ、ちょっと今悩みましたね?ノーチラスさんもやっぱり男の子なんですね?」

 

「五月蝿い、早く寝ろっ…っ!?」

 

「んっ………夜は長いって言葉。本当でしたね?」

 

 

 

 

 

 〜煙草の味・続 終〜




次回で黒の剣士までのお話は終了です。

いつの間にか主人公をエイジに乗っ取られている奉太郎。

作者がユナ推しとバレてしまう前に終わりにします。

それではまた次回もよろしくお願いします。


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