《書き直し中》天才少女と元プロのおじさん (碧河 蒼空)
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序章
プロローグ


 春も暮れ。時折、心地よい風が流れる河川敷のグラウンドでは青年からおじさんまで、幅広い年代の者達が白球を追いかけていた。

 

 彼等が行っているのは草野球。身に付けられるユニフォームは二種類。ただいま練習試合中である。

 

 グラウンドに散らばっていたチームが入れ替わり、守る側の練習時間が終わると、攻撃側の選手がバッターボックスに入った。

 

 ピッチャーはテンポ良く投げ込み2ストライクに追い込む。キャッチャーは一球外そうとボール球を要求するが、ピッチャーは制球を乱し、白球はストライクゾーンに吸い込まれていった。

 

 バッターはその球を捉え、打球は三遊間を抜けると思われた。しかし、足から滑り込んできた小柄な身体が打球の行方を阻む。しっかりとグラブにボールを納めた遊撃手は素早く立ち上がると1塁へと送球し、バッターランナーを刺殺した。

 

「サンキュー。ナイスプレー!」

「いえいえー」

 

 ピッチャーの称賛の言葉に返ってきたのはソプラノボイスだった。たった今、好守を見せた遊撃手、三輪(みわ) 正美(まさみ)は高校生になったばかりの少女である。

 

 その後も試合は順調に進み、正美のチームは勝利を収めたのだった。

 

 

 

 

「それじゃあ、お疲れー!」

 

 試合後、チームのメンバーで打ち上げが行われた。大人達で運転する人以外のほとんどがビールを飲むなか、未成年の正美はタピオカミルクティを飲んでいた。

 

「正美ちゃんもお疲れ」

 

 正美に声を掛けてきたのはチームの最年長者でレフトを守っている青木である。

 

「正美ちゃんがショートにいると俺の出番が少なくなっちゃうよ」

「青木さんの膝、腰、肩を守ってあげてるんだから感謝してくださいよー」

「そんな気遣いまだいらねぇよ」

 

 笑顔で毒を吐く正美に青木は渋い表情を浮かべる。

 

「ところで、正美ちゃんは本当に高校でも野球部に入らないの?」

 

 正美は中学校でも野球部には入らず、父親の所属する草野球チームに所属していた。

 

「入りませんよ。ここで気楽に野球をするのが一番です」

 

 気楽にといっても、このチームは草野球レベルでいうと3程度なので、決して低レベルのチームではない。

 

「勿体無いなぁ。俊足巧打のユーティリティプレイヤーなんて強豪校も喉から手が出るほど欲しいだろうに······」

「そんな誉めても何も出ませんよー」

 

 正美はそういいながらも青木の肩を揉み始める。彼女は今日もご機嫌だ。

 

――それに、私は反則みたいなものだからねー。

 

 正美は心の中でそう付け加えるのだった。

 

 

 

 

 三輪 正美は若くして亡くなった元プロ野球選手の記憶を受け継いでいる。

 

 それは彼女の人格に影響を及ぼすものではなかった為、前世の記憶であるのか、はたまたプロ野球選手の無念がそうさせたものかは正美には判断が付かない。しかし、元プロ野球選手の記憶を有する自分が同年代の女子達に混じって野球をすることに後ろめたさを感じ、正美は今までに部活動で野球をすることは無かった。




(注)転生、憑依のタグが付くような物語ではありません。




 ユーティリティプレイヤーの三輪や、レフトの青木でお分かりかもしれませんが、筆者は東京ヤクルトスワローズのファンです。今後もオリキャラが出て来る時はスワローズの関係者の名前が多くなるかと思います。




 作中に出てきた草野球レベルですが、御存じない方もいるかとは思うので、ここに書いておきますね。

5と4は、ほぼ1部や2部レベル。
3は、2部・3部というチーム。
2.5は、ほぼ経験者。
2は、経験者8割。
1.5は、経験者半数以下。
1は、ほぼ初心者。

(引用元:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1244217052)


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入部編
【2021.12.25改稿】1話 せっかくのゴールデンウィークなのになー······


 2021年12月25日に書き直しました。


 太陽は一番高い辺りに上っている。正美はゴールデンウィークであるにも関わらず、彼女の通う学校、新越谷高校に来ていた。宿題を片付けようと鞄を開いた時に宿題のテキストをロッカーに忘れていたことに気付いたからだ。

 

――せっかくのゴールデンウィークなのになー······。

 

 校門を潜った正美は心の中で呟きながら溜め息を吐く。物憂いさに浸りながら校舎へ向けて歩を進めていると一定の間隔を刻みながら甲高い金属音が聞こえてきた。それは正美もよく知るバットが打球を捉える音である。

 

――そっか。野球部はゴールデンウィークも練習してるんだー。

 

 正美の通う新越谷高校の野球部は、以前は強豪として知られていた。しかし、近年は低迷しており去年、部内で不祥事があって活動を休止していたのだ。

 

 少し興味が湧き、正美は野球場に立ち寄ることにした。

 元強豪校だけあり、野球部の設備はかなり良い。専用のグラウンドがあることからもその事は窺えた。

 

 大した時間を要さずに正美は野球場に着いた。ライトのフェンスを隔てて外から様子を伺うと、中では野球部がバッティング練習を行っている。

 

――あ、大村さんだ。

 

 二人ずつバットを振っており、そのうちの一人は正美のクラスメイトである大村 白菊だった。白菊は度々ホームラン級の鋭い打球を飛ばしていたが、それ以上に当たりそこねる事が多く確実性に欠ける印象を受けた。

 

 暫く練習を眺めていたら各々出入口へと向かっていく。どうやら練習が終わったようだ。

 折角なので正美は白菊に声を掛けようと自らもグラウンドの出入り口に向かう。

 

「大村さん!」

 

 白菊に追いついた正美は彼女に声を掛ける。白菊は自分を呼ぶ声に気付き、振り返った。

 

「三輪さん!?どうされたのですか?」

 

 ゴールデンウィーク中にも関わらず正美が学校に居る事に白菊は驚いた様子を見せる。

 

「教科書を持って帰るの忘れちゃってさー。にしても、凄いバッティングだったねー」

「ありがとうございます。でも、まだまだ下手で······」

 

 そう言って白菊は肩を落とす。

 

「白菊ちゃん、先に行ってるね」

「あ、はい。分かりました」

 

 白菊のを除く野球部の面々がこの場を後にし、ここに残ったのは正美と白菊だけとなった。

 

「大村さんは今日は練習終わり?」

「ううん、まだ午後も練習があるんです」

「あらら。休みなのにガッツリ練習してるんだね」

「はい。今は学校に泊まり込みで合宿しているんですよ」

 

 思っていた以上のハードスケジュールに正美は驚く。

 

「はえー、そうなんだ。なら、あまり邪魔しちゃ悪いからもう行くね。…………あ、そうそう」

 

 正美は思い出したように言う。

 

「バット振る時はもっと後ろを広く使った方が良いよー」

「え?」

 

 白菊は正美の予想外のアドバイスに疑問符を浮かべた。そんな白菊に正美は動作も交えバッティングのアドバイスをし始めた。

 正美は知らない事だが、白菊は剣道経験者である。剣道においてバッティングに近い動作で逆胴というものがある。胴を打つ際は竹刀を鋭角に振り下ろすのだが、白菊は野球でも逆洞の名残からかトップからミートポイントまで真っ直ぐ振り下ろすスイングになっていた。これではバットとボールの軌道が重なるエリアが狭くなってしまう。

 正美の助言は今よりも後方からバットを出すことでこのエリアを広くするというものだった。

 

「三輪さんは野球をされていたのですか?」

「そうだよー。とは言っても草野球だけどね。今もパパと同じチームでやってるんだー」

「そうなんですね。ありがとうございます。午後の練習で試してみます」

「うん。シュバッとかっ飛ばしてよ。それじゃあねー」

 

 白菊に別れを告げた正美はグラウンドを後にする。教室で無事にテキストを回収した正美は学校を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 午後の練習も終わり、野球部一同は部室でユニフォームからジャージに着替えていた。

 

「それにしても白菊のバッティング急に変わったな。午前中とは別人みたいだったぞ」

 

 部長の岡田 怜は午後の練習を振り返り、白菊を誉める。白菊はシートバッティングで早速正美から終わった打撃を実践した。元々運動神経の良い白菊はすぐに感覚を掴み、柵越えを連発。チームメイトを驚かせた。

 

「実はお昼にクラスメイトからアドバイスを頂きまして」

「グラウンド出た時、話しとった娘?」

 

 博多弁を話すのは福岡っ娘の中村 希。午前練習後にグラウンドから出た時に白菊と一緒に居た一人である彼女は会話に混ざった。

 

「あれ?誰か来てたの?」

 

 白菊と同じクラスの川崎 稜がクラスメイトというワードに反応を示す。

 

「はい。三輪さんがいらしてました。午前中の練習を見ていたそうですよ」

「あー、あのちっちゃい娘か」

 

 稜は直接の交流は無かったものの正美の顔と名前は一致するようだ。

 

「なになに~、うちにまだ野球経験者がいたの?」

 

 目を輝かせて尋ねるのは生粋の野球オタクであるマネージャーの川口 芳乃。

「お父様と一緒に草野球をしているそうですよ」

「そっか~。だから経験者リストにいなかったんだ。うちは人数ギリギリだし、入ってくれないかな~?」

「そうだな。確かに控えが居てくれた方が安心だもんな」

 

 芳野の言葉に怜が同意する。現在、新越谷高校野球部はマネージャーの芳野を入れて10人しかいない。誰かが怪我したり体調不良になったりしたら芳乃が試合に出なければいけなかった。

 

「よーし。休みが明けたら三輪さんに会いに行こー!」

 

 すぐ横で話を聞いていた新越谷高校野球部のエース、武田 詠深は元気良くそう提案するのだった。




 前回、4日連続で更新すると書きましたが、文字数の関係で3日連続となりました。あらかじめ、ご了承ください。


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【2021.12.26改稿】2話 ビックリしたよー······

2021.12.26改稿。


 ゴールデンウィークが終わり、正美の学校生活は通常運転を再開した。およそ1週間弱振りの授業は中々に堪えるが、ようやく迎えたお昼休みに表情を緩め、鞄からお弁当を取り出す。

 

「三輪さん。ちょっとよろしいですか?」

「んー?」

 

 正美が振り向くと、そこには金髪の娘が2人に茶髪の娘が1人、黒髪ショートの娘が1人と、クラスメイトの大村さんと川崎さんが居た。

 

「ふっふっふー」

 

 茶髪の女の子が怪しげな手の動きをしながら正美に近付く。他の()達は白菊の後ろで控えるように立っている。

 私に詰め寄る娘にお嬢の傍らに控えるその他の取り巻き(正美視点)。正美は、ある一つの可能性に辿り着き、その顔を青ざめた。

 

「······もしかして大村さんの実家って······。私なにか粗相を!?」

「え?あの、三輪さん」

 

 あらぬ誤解をしている様子の正美を見かねて、白菊は誤解を解こうとするが、その前に正美は頭を低くし、手掌を上に向けた。

 

「お、お控えなすってっ······お控えなすってっ······」

「私の親は堅気の人間ですっ」

 

 暴走気味の正美に対し白菊は声を上げると、正美は上目遣いで白菊を見つめる。

 

「······本当に?風俗送りにしない?」

「しませんっ」

 

 白菊がキッパリ言うとようやく誤解が解け、正美は椅子に座ると脱力して机に突っ伏した。

 

「ビックリしたよー······」

 

 この流れに正美と白菊以外の面子は全員苦笑いをする。正美は恨めし気に顔だけ動かして一同を見上げる。

 

「で、皆さんお揃いでどうしイィッ!?」

 

 お揃いでどうしたと聞こうと思った正美だったが、急にふくらはぎを誰かに触られた為、変な声を出してしまった。足元に目をやると、金髪の娘の一人がしゃがみこんで、正美のふくらはぎを触ってた。

 

「凄~い。こんなしなやかな筋肉初めてだよ~。あ~······」

 

 目をキラキラさせながらふくらはぎを触っている少女を、もう一人の金髪が羽交い締めにして引き上げる。良く見ると、2人は同じ顔をしていた。

 

「何なのよー!もーっ!」

 

 正美は全身で怒ってますアピールをする。

 セクハラ少女を引き上げた娘が気まずそうに口を開いた。

 

「ごめんごめん。私は川口 息吹。で、こっちが妹の······」

「川口 芳乃。野球部のマネージャーだよ」

 

 伊吹に続いてセクハラ少女の芳乃も自己紹介をする。全く悪びれる様子のない芳乃に正美は頬を膨らませた。

 

「私は武田 詠深、ピッチャーをやってるんだ。で、こっちがタマちゃん」

「山崎 珠姫です」

 

 茶髪少女の詠深と黒髪の珠姫を最後に、正美と面識のないメンバーが自己紹介をしたところで、芳乃が正美に詰め寄る。

 

「三輪さんも野球部に入ろうよ」

「いきなり人の足を触る人と野球をするつもりはないっ」

 

 正美はプイッとそっぽを向き、芳乃の誘いを断った。

 

「そんな~」

「今のは芳乃が悪い」

 

 項垂れる芳野を珠姫が嗜める。

 

「三輪さん、ごめんね······」

 

 芳乃は正美の手をとり、捨てられた仔犬の様な表情で見つめ謝った。

 

ーーうわぁ、あざといなー······。

 

 実は正美もそこそこあざとい性格をしているのだが、彼女は自分の事を棚に上げそんな事を思った。

 

「はぁ。分かった。でも、本当に野球部に入るつもりはないの」

「えー、どうして?」

 

 正美が再度断りの言葉を口にすると、詠深は不満そうに言う。

 

「そこまで本気で野球をしたい訳じゃないんだ。私がしたいのはエンジョイベースボール」

 

 これは正美がいつも使っている断り文句。自分はスポ根って(たち)ではないのだと。

 

「こんなにしっかり体のケアしてるのに?」

 

 実際に正美の下腿を触った芳乃は疑問を口にする。柔らかくて弾力のあるとても良い筋肉だった。彼女には、正美の肉体がそう簡単に作れるものでは無いこと考え、指摘する。

 

「怪我はしたくないからねー。体には気を使ってるし、うち鍼灸院だからはりとかも打ってもらってるし」

 

 正美にキッパリと断られ目に見えて気落ちする二人を見かねて、珠姫は一つ提案をする事にした。

 

「三輪さん、白菊ちゃんにバッティング教えてくれたんだって?」

「え?そうだけど……」

 

 珠姫が話の内容をいきなり変えた事に正美は訝しむ。

 

「まずはお礼を言わせて、ありがとう。お陰で白菊ちゃん凄く打つようになったんだよ」

 

 しかし、珠姫の口から出た言葉を聞いて、正美は悪い話じゃないと判断し、普通に対応する事にした。

 

「別に大したことはしてないよ。もしあれで良くなったんならそれは白菊ちゃん自身の成果だよ」

 

 飽くまで謙遜する正美。実際に正美が白菊の指導にかけた時間は数分にも満たない。

 

「それでも、それが切っ掛けになったのは確かだから。でね、白菊ちゃんの成長を三輪さんも見てあげて欲しいんだ」

「……え?」

 

 つまり珠姫は白菊を出しに正美を見学という形で野球部の練習に連れていこうとしているのだ。

 

「ほら、白菊ちゃんも」

「はいっ。私も三輪さんに見て欲しいです!」

 

 珠姫が促すと白菊も正美を練習に誘う。ただ、こちらは珠姫とは違い純粋に成果を見せたくて言っていたのだが。その事を正美も感じ取り少しばかりたじろぐ。

 

「うぅ……この策士め……」

 

 正美から向けられた視線と恨み言に珠姫は苦笑いを浮かべた。

 

「はぁ……それじゃあ見るだけね」

 

 ついに正美は折れて 

 

「やったー。タマちゃんナイス!」

 

 詠深は喜びのあまり、珠姫に抱き着く。芳乃も両手を上げて喜んでいた。

 

「見るだけっ。見るだけだからね!」

 

 はしゃぐ詠深に正美は念を押す。

 

「分かってますって。それじゃあ、また放課後ねー」

 

 白菊と稜を残し、野球部の面々は教室を後にした。

 

「何か凄く疲れた……」

 

 溜息を吐き、正美は再びぐったりと突っ伏す。

 

「いや~、私も色々と予想外だったよ」

 

 正美と同じクラスという事で傍で成り行きを見ていた稜が正美に同情をしていた。

 

 ふとあることが再び脳裏を過った正美はジーッと白菊のことを見つめる。

 

「あの······どうしました?」

 

 正美の視線に気付いた白菊が疑問符を浮かべた。

 

「大村さん、本当にヤクザの娘じゃないよね?」

「違いますっ!!」




 次回はちゃんと野球をします。

※当方の野球経験は学童野球2年間のみで、野球に関する知識は乏しいです。
 あまり期待せずに読んでいただけると幸いです。


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【2022.1.16改稿】3話 いやー凄いねー、さっきの球

 2022年1月16日に書き直しました。

 今回、野球に励む青少年を指す言葉を『球児』ではなく球女の対になるものとして『球男』という言葉を使用いたします。


 放課後を知らせる鐘が校内に響いてから幾何か経った頃。正美は白菊と稜に連行(正美視点)されて部室へとやってきた。

 

「おーっす!連れてきたぞー」

 

 稜が扉を開けて中へ入っていく。

 

 見るだけ、入部はちゃんと断る。そう胸に刻んでここまで来た正美だが、それでもまだ懸念していることがある。

 不祥事でついこの間まで活動停止処分を受けていた部活だ。部室に入ったが最後。入部届けに名前を書くまで外に出してもらえないなんて事はないか?目の前の部屋は相手のテリトリー。相手が何人いるか分からないが正美側は一人。数の利がこちらにある事はまず無いだろう。

 

「大村さん、信じてるからね」

 

 正美は稜に続いて部室に入ろうとしている白菊にそう言う。

 

「······?はい」                                                                                                                                                                          

 

 白菊は意味が分からず疑問符を浮かべながらも、ただ返事をした。

 

 

 

 

 

 

 結論から言うと正美の心配は杞憂に終わる。部室では詠深と芳乃に熱烈な歓迎を受けた後に野球部を代表した怜と挨拶を交わす。

 今度こそ自然にですよ、と周りから釘を刺されるも、初対面でも分かる怜のぎこちない笑顔に正美は毒気を抜かれるのを感じた。

 予想に反してとても和やかな雰囲気が漂っている。部活とはもっと上下関係が厳しいもので、特に悪名高きうちの野球部は先輩が幅を利かせていると勝手に想像していた。ただ、活動停止が解禁されたばかりで、問題を起こした人達はもう居ないので当然と言えば当然かと正美は思う。

 

 みんなが着替えている間に、既に準備を終えていた芳乃が正美を案内する。部室に飾られた強豪時代の写真の紹介から始まり、練習機器や屋内練習場を見て回ってからグラウンドに入った。

 その頃には部員一同もグラウンドに集まっており、各々が体を暖めていた。

 

「それじゃあ少しベンチでお話しよ」

 

 そう言った芳乃に手を引かれ正美はベンチにはいる。

 

「三輪さんはどこ守ってるの?」

「決まったポジションは無いかな。その日空いてる所に入ってるよ」

「決まってない?」

「あえて言うなら九ヶ所全部だよ」

 

 正美の言葉を聞いた芳乃は目を輝かせてツインテールを羽ばたかせた。

 それからは芳乃の質問攻め。いつ野球を始めたやら普段どんな練習をしてるかやら。正美がそれに一つ一つ答えている間に部員達はキャッチボールを始めていた。

 

 正美はグラウンドに目を向ける。何だかんだ言っても正美とて球女。近くで野球をしていれば興味を引かれるのだ。

 

「こんにちは、三輪さん」

 

 正美が呼ばれた方に目を向けると、仕事を片付けてやって来た家庭科教師の藤井杏夏がいた。その身にはユニフォームを纏っている。

 

「こんにちは。野球部の顧問って藤井先生だったんですね」

「そうよ。意外だった?」

「はい。どちらかといえば休みの日にお菓子やちょっぴり凝った夕食を作ってる方が似合ってると思います」

 

 家庭科教師という肩書きに加え、普段の藤井教諭は優しそうな雰囲気を醸し出しており、正美のイメージでは体育会系とはこれっぽっちも結び付かなかった。

 しかし、その様な幻想は次の芳乃の一言で打ち砕かれることとなる。

 

 正美と藤井先生が話をしていると、芳乃もそれに混ざる。

 

「こう見えて先生は埼玉4強時代の選手だったんだよ」

 

 その言葉を聞いた正美は大層驚く。藤井先生に体を向けると姿勢を正し綺麗なお辞儀をした。

 

「失礼いたしましたー」

 

 ただ、姿勢とは裏腹に、声からは全く誠意は感じられない。そんな正美に苦笑いを浮かべると、藤井教諭は正美に問いかける。

 

「どう?うちの野球部は」

「そうですねー。元埼玉4強だけあって設備は良いですね」

 

 正美は無難に答えておいた。

 

「そうですね。それに今年はひたむきで良い子達が集まりました。人数はギリギリですが、彼女達ならかつての栄光を取り戻してくれるでしょうね」

 

 藤井教諭はキャッチボールをする部員を慈しむように見つめる。

 

――やっぱり私には相応しくないかな。

 

 藤井教諭の話を聞いて正美は改めてそう思った。

 

 

 

 

 

 

 見学を始めてから一時間ほど過ぎた。藤井教諭のノックはなかなかハードなもので、埼玉四強世代の肩書きに偽りは無い鋭い打球がナインに襲い掛かる。明日から藤井先生を見る目が変わるかもしれないと、正美は苦笑いを浮かべた。

 

 ノックが終わると一旦休憩となり、部員達はベンチに集まる。水分を取りながら次の練習について芳乃が話していると詠深が正美に近寄ってきた。

 

「三輪さん、私の球打ってみない?ね、良いでしょ?芳乃ちゃん」

「良いね!私も三輪さんのバッティング見たいな~」

 

 詠深の提案に芳乃はご機嫌にツインテールを羽ばたかせる。 

 

「いやー、私今日ジャージ持ってきてないからー」

 

 詠深の提案にやんわりお断りする正美。

 本当は正美も野球をしたくてウズウズしていた。正美とて球女の端くれ。目の前で野球をしていれば自分だってやりたくなる。しかし、ここで参加したのを切っ掛けに勧誘が激しくなるのは避けたかった。

 正美は自分が公の舞台に上がればそこそこやれると思っている。それは自惚れではなく、元バリバリの球男達にもまれて育った自負と、元プロ野球選手の記憶を持つ事を根拠としたものだった。

 

「だったら、部室に練習着が余ってるから、それ使ってよ」

 

 しかし、そんな正美の思惑とは裏腹に、正美のプレーを見たくて仕方のない芳乃は正美の返事を聞かずに手を引いて歩きだす。

 

「ちょっとちょっとー、私やるなんて一言も言ってないよ!?」

 

 そんな正美の叫びも虚しく、目を輝かせる芳乃に押しきられる形で正美は部室に連れていかれた。

 

「正美ちゃんユニフォームのサイズは?」

「······SSだよ」

 

 正美のサイズを確認した芳乃は予備の練習着の入った段ボールを探る。

 

「ゴメン。Sまでしか無いみたい」

「そうじゃないかなーって私も思ったよ」

 

 笑って誤魔化す芳乃に正美はじとーっとした視線を向けた。

 仕方なく大きめの練習着に着替える正美は、彼女の体をじぃーっと見つめる芳乃の視線に気付く。

 

「そんなに見られると着替えにくいんだけど······」

「正美ちゃん、体触って良い?」

 

 お昼の反省を経て芳乃は了承を得てから触ろうとした。

 

「あほはー······やめて欲しいかなー」

「はうぅ······」

 

――川口さんあざといなー······。

 

 そう思いながら正美は着替えを進める。

 

「ねぇ、お昼に言った野球部に入らない理由って本当なの?」

 

 芳乃がブカブカな裾を折り畳むのを手伝いながら正美に問いかける。

 

「どうしてそう思うの?」

「だって三輪さんと話をしてて分かったもん。この人は野球で手を抜いたりなんかしてないって。お手手見せて」

「え?うん」

 

 正美は疑問に思いながらも両手を差し出した。彼女の両手を下から掬うように芳乃は手を添える。

 

「三輪さんスイッチヒッターなんだね。どっちもすごくバットを振り込んだ手······。そう簡単にこうはならないよね?ピッチャーもやってるんだよね。決め球はシンカー。他にもスライダー、シュート、カーブ、これはチェンジアップかな?」

 

 芳乃は手を見ながら次々と正美のプレースタイルを暴いていった。

 

「······すごい······凄すぎるんだけど凄過ぎてちょっと引く······」

 

 正美のリアクションにショックを受ける芳乃。そんな芳乃の背後に光る落雷を正美は幻視した。

 

「お昼に言ったことは本当だよ」

 

 体を解すようにストレッチをしながら正美が話し始める。

 

「エラーしたりしてもヘラヘラしてる人がチームに居たらさ、真剣に野球をしてる人達がどう思うか芳乃ちゃんも分かるでしょ?私はそっち側なの。エラーしようがチャンスで凡退しようが笑って野球がしたい」

 

 正美はんーっと背伸びをする。

 

「よしっ、それじゃあ行こうか」

 

 芳乃の返事を聞かずに扉を開いて外に出た。

 

 

 

 

 

 

 グラウンドに戻ると部員達はバッティングをしていた。バッターが二人いてピッチングマシンにそれぞれ一人ずつ、残りの4人が守備についている。

 

「今打ってる人が終わったら始めるよー」

 

 芳乃ちゃんが全員に声を掛けた。バッターが予め決められた球数を打ち終えた所からピッチングマシンとネットを端っこによけると、それぞれが自らのポジションへと移動する。

 

 全員が守備位置に着いたところで芳乃がルールの説明を始めた。

 

「三輪さんを打ち取ったら詠深ちゃんの勝ち、内野に転がっても出塁したら三輪さんの勝ち。ただしフォアボールはノーカンでどう?」

 

 二人から異論は出なかった。正美は芳乃からバットとヘルメットを受け取り左打席に入った。足場を確認し、外角低めのストライクゾーンにバットを一度通過させてから構えた。

 

「プレイ!」

 

 審判の位置に立った芳乃がプレイを告げる。

 

 詠深は頷くと、ワインドアップのモーションから投球動作に入った。スリークォーターで投げられたボールは真っ直ぐキャッチャーミットに吸い込まれていく。

 

「ストラーイク!」

 

 芳乃のストライクコールがグラウンドに行き渡った。

 

 正美のバットはピクリとも動かない。そんな様子をキャッチャースボックスから観察していた珠姫は次に投げる球を思案する。

 

――バットが出ていないだけでタイミングはあってる······ならっ。

 

 詠深の2投目が風を切る。正美はバットを出しかけたもののヘッドは返らない。

 

――今のはツーシームかな。二球とも良いところにコントロールされてる。

 

 バッテリーはストレートを動かしてきたが、正美は冷静にボールを見極めていた。ノーボール2ストライク。完全に投手有利のカウントだが正美には微塵の焦りもない。元々、彼女はは早打ちする事がほとんど無い為、この様な状況は慣れっこなのだ。

 

 3球目。詠深が投じたボールはすっぽ抜けた様に外角高めへのボールゾーンへと逸れていく。

 

「······っ!?」

 

 正美はそれを見送ろうとするが、自分のものではない記憶(・・・・・・・・・・・)が頭の中で警笛を鳴らした。

 急に軌道を変え迫る白球に対しバットは反射的に回す。ストライクゾーンでバットに触れたボールは左後方に飛ぶ。

 

「ファ、ファールボール!」

 

 堪らずにバッターボックスを外した正美。審判の芳乃や守るナインからも一様に驚きを隠せないでいる。

 今の球種はナックルスライダー。右打者の顔面に迫る起動から対角のストライクゾーンに大きく変化する詠深のウィニングショットだ。

 過去にこの球を捉えたのは主将の怜ただ一人。初見で詠深のナックルスライダーにバットを当てたのは正美が初めてだった。詠深のナックルスライダーのキレに驚く正美に対し、そんなナックルスライダーをファールとはいえ捕まえた正美のバットコントロールにナインは息を飲む。

 

 正美は堪らずにバッターボックスを外した。視線を詠深に向けると双方の視線が交わる。しばらくして詠深の顔は驚きから精悍なものへと変わった。早く次の球を投げたくて堪らないと言わんばかりだ。

 

「······あはっ」

 

 思わず笑みを漏らした正美のスイッチが切り替わる。一つ息を吐くと集中のギアを上げてバッターボックスに入る。

 正美が構えると詠深は額の少し上まで振りかぶった。

 

――正直、嘗めてた。女子にもこんな球投げる娘がいるんだ。

 

 足を上げて体を回す詠深に合わせて正美も軸足に体重を乗せる。

 

――無難に終わらせようと思ったけど、やっぱり止めた。

 

 左足で踏み込んだ詠深によって投じられた白球は再びスッぽ抜けた様に放たれる。

 

――顎は絶対に上げない。基本に忠実に。外から入ってくるボールに対して、コンパクトにセンター方向へ意識してバットを振れば……。

 

 急激に角度を変えた白球は内閣低めのストライクゾーンを抉った。そんな詠深のウィニングショットに対し正美は真っ向からバットを振り抜く。

 

――打球は右中間へ飛ぶ!

 

 甲高い音を響かせて真っ芯で白球を捉えた正美は一塁へ向け走った。

 

 セカンドの頭の上空を駆け抜けた打球はセンターの怜が捕球する。白球は右中間を破ることはなくシングルヒットとなったと思われた。そんな時、珠姫の叫びが飛ぶ。

 

「キャプテンッ、セカンド!!」

 

 正美は既に一塁を蹴っていた。

 

「嘘だろっ!?」

 

 スピードを落とすことなく二塁へ向かう彼女に気付いた怜は透かさず二塁へ送球する。部でトップクラスの強肩から放たれた送球をショートの稜がグラブに収めると素早くタッチに移るが、正美の足は二塁へと滑り込んでいた。

 

「マジかよ······」

 

 稜は思わず呟く。怜のプレーに無駄と言う無駄は無く最適のルートで打球を追った。油断こそあったものの正美の走塁に逸早く気付いた珠姫からの指示も、それに応えた怜と稜も完璧と言って良いだろう。それでも尚、正美の足はそれを上回ったのだ。

 

「ふぅ······いやー凄いねー、今の球」

 

 正美は大きく息を吐いてユニフォームに付いた土を払うと、ニコニコ顔で詠深に話し掛ける。

 

「あははー。でも、初打席で打たれちゃったし、やっぱり私の球って大したこと無いのかなぁ······」

 

 三塁のカバーリングに回っていた詠深は肩を落としながら答えた。

 

「いやいや、そんな事ないって。あんな球、初めて見たよー」

 

 詠深の元へと歩きながら彼女の言葉を否定する正美。実際、元プロ選手の記憶が無ければ三球目で三振していただろう。やっぱこの記憶はずっこいと、正美は思った。 

 

「三輪さんっ」

 

 そんな正美に駆け寄っていた芳乃が正美に飛び込んだ。

 

「凄いよ~。いきなり詠深ちゃんからヒット打つなんて!」

 

 芳乃は正美の横から抱きつき、ピョンピョン跳ねる。

 

「ちょっ、川口さん!?制服が汚れちゃうよ?」

 

 衝撃を受け止めた正美は興奮する芳乃を宥めているとナイン全員が二人の元へと集まってきた。みんな口々に正美を称賛する。

 

 芳乃は正美から一度離れると手をとった。

 

「ねぇ三輪さん。さっき言ってたこと考えてみたんだけど、三輪さんはどんな時も笑ってて良いと思う。きっと一緒にいたら三輪さんが半端な気持ちでやってるなんて思わないはずだよ。だから改めて、一緒に野球しようよ」

 

 続いて詠深が正美の後ろからしなだれかかる。

 

「勝ち逃げは許さないよ~」

 

 逃がす気は無いと前へと手を回した。

 

「······しょうがないなー」

 

 今だ熱が冷めやらない正美は後ろの詠深を優しく剥がしてナイン全員と向き合う。

 

「1年9組の三輪 正美です。全ポジション一通り守れます。しっかりベンチを温めておきますので、代打・代走・守備固めなどなど便利に使っちゃってください」

 

 いきなり補欠宣言した正美。そんな彼女に芳乃は不満を漏らす。

 

「えー。三輪さんは文句なしのスタメンだよ~」

「そうだよ。詠深の魔球を打てんだからベンチに居たら勿体ないよ」

 

 稜もそう言うが、正美はにへら顔になる。

 

「良いのかなー。ショートのポジション奪っちゃうよー?」

 

 低身長の正美が下から除き込むように言うと、稜の顔が段々と青ざめていった。

 

「お、おうっ······やってやろうじゃないか」

「言葉と表情が合ってないわよ」

 

 強がる稜に菫がジットリとした視線を向けてツッコむ。このやり取りで二人の関係性を何となく掴んだ正美であった。

 

「なーんてね、うそうそ。駄目だよーみんな、人を頼っちゃ。自分の力で目標に立ち向かわないと。私は控え。ね?」

 

 かくして正美は野球部への入部を決めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見ている。目の前には私のものではない記憶の持ち主が立っている。

 

「初めまして、正美ちゃん」

 

「はいー。おじさんも初めまして。いつも記憶を使わせてもらってます」

 

 叔父さんは私の言葉に辛そうな笑いを浮かべた。 

 

「その事についてはお詫びするよ。本当であれば、君はもっと大きな舞台で野球をしていたはずなんだから」

 

「いえいえー。今日もおじさんのお陰でヒットを打てましたから」

 

「そう言ってくれると、少しだけ心の閊えがとれるよ」

 

 ここから暫く私とおじさんは雑談をする。私のプレーについておじさんが意見を述べたり、逆に私がおじさんの生前の奥さんとの関係について弄ったり、本当に色々な話をした。

 

 

 

「もうすぐ目覚めだね。最後に一つ。知識や記憶だけじゃ野球は出来ない。君の野球の実力は君だけのものだよ。だから、君は何も負い目を感じる必要はないんだ」

 

「……分かりました。考えておきます」

 

 私がの答えに、おじさんはまた苦笑いを浮かべる。

 

「それじゃあ、また野球教えてくださいねー」

 

「もちろん。いつでもおいで」

 

 

 

 目の前からおじさんが消えていく。目を覚ますと、いつもの見慣れた天井だけを私の瞳は写した。




 夢の中は主人公視点の一人称にしました。


 次回は7/25の20:00に更新されるよう予約投稿しています。


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目指せ全国編
【書き直し中】4話 ずっとそんな野球をしてきたからさ……


 誇示報告頂きありがとうございます。
 修正いたしましたので、この場にて報告させていただきます。




 コミックの球詠選手名鑑を参考に主人公のプロフィールを作ってみました。


~三輪 正美(みわ まさみ)~

ポジション ーー ベンチ 日替り

右投げ両打

バッティングフォーム ーー スクエアスタンス

ピッチングフォーム ーー スリークォーター

学年 ―― 1

背番号 ―― 10

誕生日 ―― 7月23日

身長 ―― 143cm

出身チーム ―― ウィングス(現在も在籍中)

好きな動物 ―― ハリネズミ

趣味 ―― 映画鑑賞

進学理由 ―― 通いやすさと学力


 笑顔をよく見せる少女。たまにあざとい側面を見せることもある。

 高校生にしては低身長だが、本人は全く気にしておらず、初見で実年怜より下に見られるのを楽しむ事もしばしば。

 低身長ゆえに下から笑顔を向けられ、ノックアウトした男子も居るとか、居ないとか。

 キャラのベースになっているのはハチナイ椎名ゆかり。まあ、まったく原型は残っていませんが。なので、あえてイメージCVを入れるとしたら『船戸 ゆり絵』さんですね。


 正美が入部した翌日の放課後。ゴールデンウィーク前ならば友人と出掛けるか真っ直ぐ帰宅するかのどちらかだった正美が校内の野球場に居た。昨日、詠深と勝負していた時に着ていた練習用のユニフォームを身に纏い白菊とキャッチボールをしている。

 左手に着けているオールラウンド用グラブは部の備品である。入部したばかりの正美は硬式用のグローブを持っていない為、次の休みにマイグローブを用意するまではこのグローブを借りる事となっていた。

 硬式球の感覚を一球一球確かめながら正美によって投じられるボールは、最初こそ白菊の胸から逸れることもあったが、今や全てのボールは高校から野球を始めた白菊でも捕りやすい位置に集まっている。硬式球はの対応は問題無さそうだ。

 

 続く守備練習は芳乃のノックをファールグラウンドで受ける。硬式球に慣れる為に正美のみ別メニューで行っていた。芳乃の打った白球を捕ったら横に置かれた籠に入れていく。

 

「どう?硬式(こっち)でもやっていけそう?」

 

 芳乃の篭が空になり正美の方の篭と交換するタイミングで、芳乃は正美に聞いてみた。

 

「ピョーンと高く弾みにくいのは硬式の良いとこだよね。私の身長でも届く球が増えそうだよ」

 

 正美の身長は部で一番の低かった珠姫よりも更に小さい。軟式球は硬式よりも大きく弾む為、高いバウンドがバントシフト中の正美の頭上を越えていった事があったほどだ。

 正美のずれた発言に芳乃は苦笑しつつフェアグラウンドに目を向けると、二人を除く部員が藤井教諭のシートノックを受けており、終わり間際の様で打球を捕った者からホームベース付近に抜けていっていた。

 

「そろそろ向こうは終わりそうだね。どう?正美ちゃんも先生のノック受けてみる?」

「そうだね。せっかくだから受けてみようかな」

 

 芳乃は藤井教諭の元へ、正美はショートへ向かう。

 芳乃から報告を受けた藤井教諭の指示により珠姫と希が内野に残った。

 

「お願いしまーす!」

 

 正美の緩い声出し。チームがチームなら咎められる事もあるだろうが、藤井教諭は何も言わずトスした白球を正美に向けて打つ。藤井教諭が打ったそれは芳乃のものよりも速くグラウンドを駆けるが、正美は少しも慌てる事なく打球をグラブへ収めるとホームの珠姫へと投げた。

 藤井教諭が続々と放つ打球は次第に球威を増していくも正美は危なげな様子を一切見せない。稜ならばギリギリ捕れるか捕れないかといったコースであろうとも送球まで意識された体勢で捕球できているのでスローイングも安定している。

 

「先生のノックをいとも簡単に······。稜、あんたレギュラー陥落の危機ね」

「はは······正美は控えで良いって言ってたじゃんか••••••。そ、それに全ポジション守れるんだから菫だって同じだろ!」

「うっ······」

 

 菫は稜に憐憫を掛けるが、同じ穴の狢であることを指摘され言葉を詰まらせた。

 

「ほっ••••••それっ••••••シュババッ」

 

 正美が難しい打球を軽快に処理する度に菫と稜は顔をひきつらせていく。

 

「次はセンターに移動しますねー!」

 

 各塁への送球も何度かこなした所で正美はセンターへと移動した。

 一般的な定位置よりも前で守る正美を見て藤井教諭はセンターオーバーの大飛球を放つ。こちらでも怜ならば定位置から何とかギリギリ追い付くであろう打球に正美は追い付いてみせた。

 詠深との対決で見せた脚力は守備でも健在で、内・外野の間へ落とす打球も正美には通用しない。前を守っているので、普通ならシングルヒットになるはずが、彼女は白球が地に触れる前に捕球してしまう。まさかダイレクトに捕られるとは思ってもみなかったノッカーの藤井教諭は思わず目を見張った。

 その後も正美はセンターを小さな体躯で疾風の如く駆ける。その姿はまるで······。

 

「なんつーかネズミみたいだな」

「こらっ、失礼でしょ」

 

 フェアグラウンドの外では稜が菫に嗜められていた。

 

 

 

 

 

 

「凄いよ!予想以上だよ~!」

 

 芳乃はツインテールをピョコピョコするほど興奮していた。

 

「基本的には理沙先輩と伊吹ちゃんが登板する時にサードかレフトを守ることになるけど、それ以外でもここぞと言う時には代走で入ってもらうから、どこでも守れるように準備してね」

「あいあいさー」

「休憩が終わったらシート打撃するから、ピッチャーお願いね」

 

 ベンチに戻り、水分補給をしながらキャッチャーの珠姫に持ち球を伝えると、二人でサインを決める。

 正美の持ち球はフォーシーム、ツーシーム、スローカーブ、チェンジアップ、高速シンカー、カットボールシュート。

 

 正美と珠姫はみんなより早めに休憩を上がると、投球練習をしながら打ち合わせをした。

 

「タマちゃん、どんな感じ?」

 

 ホームの回りに張られたネット裏から、芳乃は珠姫にボールを受けた感想を聞く。

 

「うーん······。速さは普通だけどノビは良いよ。コントロール良いし、緩急を使えるから打たせてとる組み立てになるかな」

 

 走攻守三拍子揃った正美である。どんなピッチングを見せるのかと思っていた珠姫だが、意外にも普通だなといった印象を抱いた。

 

「そうなんだ。みんな~、そろそろ始めよっか。最初は希ちゃん!」

 

 芳乃の指示のもと休憩が終わり、希意外が守備につく。

 

「それじゃあみんなー、後ろは任せたよー」

 

 正美はそれぞれの守備位置に向かうメンバーの方を向き、右手を口に当てて声を上げた。

 

 希がバッターボックスに入って構えると、正美はセットポジションから余計な力の抜けたしなやかなフォームで投げ込む。内角の高速シンカーを希は見逃し、0ー1。

 

 珠姫からボールが返ってくると、サインに頷き、2投目を放つ。ストライクからボールへ落ちるチェンジアップにバットが止まり、1ー1。

 

 次も順調にサイン交換が済み、3球目を投げる。内角高めのストレートを希はセカンドへ打ち上げた。

 

 二打席交代で回す為、希は再び構えをとる。その鋭い眼光が正美を差した。

 

 次の打席は希がセンターに弾き返し、菫と交代する。菫はショートゴロとサードライナー、怜はキャッチャーフライと右中間の長打、稜はサードゴロと三振。ここで正美はマウンドを降りたため、成績は8打席投げて被安打2の長打1となった。

 

 

 

 

「一度も首を降らなかったけど大丈夫だった?」

 

 練習後、珠姫は正美に自身のリードについて確認した。

 

「全く問題なし!気持ちよく投げられたよー。それに私、首振らないから。私の被打率は山崎さんに掛かってるよー」

「人を頼っちゃ駄目なんじゃ無かったっけ?」

 

 珠姫は笑いながら、昨日、正美が言った言葉を言う。

 

「あはっ。これは一本とられましたなー」

 

 正美もおかしそうに笑った。

 

「あと、私の事は珠姫でいいよ。私も正美って呼ぶから」

「りょーかい!」

 

 二人でベンチに戻ろうとすると、希が正美の事を呼び止めた。

 

「ねえ、このあと自主練に付き合うてくれん?」

「いいよー。何するー?」

「ティーバッティングばお願い」

 

 

 

 

 希と正美はグラウンドの隅にネットを出して、ティーバッティングを始めた。

 

「そんなんだー。私は普段強く振って、実践になったら6,7割で振るかなー」

「なるほど······」

 

 二人はバッティングについて話をしながら練習をしている。

 

 ふと、希がバットを下げた。

 

「ねぇ······私、全国に行きたかっちゃん」

「おぉ、いいねー。目標は大きくなくちゃねー」

「やったらっ」

 

 希は声を少し荒げる。

 

「なんで、本気でやきゅうしぇんと?うちには三輪さんみたいな足はなかし、あげん守備は出来ん。正直、嫉妬しとーよ。それだけ実力があるとに、なして全力でレギュラーば取りに行かんと?······三輪さんは一緒に全国ば目指してくれんと?」

 

 太陽の光は既になく、照明の灯りだけが二人を照らしていた。

 

 僅かな沈黙の後、正美は困ったように笑うと、握っていたボールをいじりながら口を開く。

 

「……私さ、今までずっとパパと同じチームで草野球やってたんだ。練習も楽しく、みんなそれぞれの体力に合わせてやって。試合も実力関係なく全員が出れるように回して。勝ったら祝杯、負けても残念だったねーって、笑って宴会をするんだ。ずっとそんな野球をしてきたからさ……今更、勝負の世界なんて分からないよ……」

 

 夢に出てきたおじさんは負い目に感じる必要はないというが、今の正美には他にも理由があった。

 

「私がレギュラーになるには、誰かが控えに回らないといけないでしょ?さっきみたいな川崎さんをみちゃうと、ね」

 

 正美の告白が終わると、彼女はボールを籠に戻して立ち上がる。

 

「あはっ。今日はもう終わりにしよっか。ボールは私が片付けとくねー」

 

 正美はいつもの笑顔に戻るとボール籠を持って部室へ歩き出す。

 

「ばってん、うちは全国に行きたかよ······」

 

 希の言葉を受け、正美は一度、歩みを止めた。

 

「……そっかー」

 

 正美はそれだけ答えると、振り向きもせず、再び足を動かした。




 外野のポジショニングはSatozaki Channelにて里崎氏がお話しされていた『上手い内野手は後ろを守り、上手い外野手は前を守る』を参考にしました。
 我らが東京ヤクルトスワローズも2021年日本シリーズでは深く守っていた宗と紅林にかなり苦しめられました······。


 希ちゃんのセリフは方言変換を使っています。(https://www.8toch.net/translate/


 明日も20:00に更新されるよう、予約投稿しております。


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5話 それが、私の野球道だから

 何もない白い空間。昨日と同じ夢の中。目の前にはやっぱり、あのおじさんが立っていた。

 

「やあ。思いの外、早くまた会ったね」

「そうですね。おじさんストーカーですか?夢の中で付きまとわれてますって言って、警察は相手にしてくれますかね?」

「十中八九、無理だろうね。生前、僕がそんな相談をされてたら精神科医を紹介していたよ」

「ですよねー」

 

 私とおじさんは軽口を叩き会う。

 

「それで、大丈夫かい?」

「正直、参っちゃいますねー······」

 

 私達は記憶を共有している為、それだけで話が通じた。勿論、今日の希との事である。

 

「私は楽しく野球がしたいだけなのになー······」

「君はそれで良いんじゃない?」

 

 おじさんが私の肩をもってくれた事に驚いた。

 

「意外だった?」

「そうですねー。おじさんの青春時代はまだ昭和でしたし、『気合いいれろー』『やる気を出せー』とか言われるかもって思いました」

 

 おじさんは私の物真似に愉快そうに笑うと口を開く。

 

「好きこそものの上手になれ。正美ちゃんは正美ちゃんなりに本気で野球してるのを知ってるからね。だったら胸を張って良いんだよ。これが私の野球道だって」

 

 おじさんの言葉を聞いて、私の心は少しだけ軽くなった気がした。

 

「なんか、最後だけ昭和っぽいですね」

 

 そう言うと、おじさんは渋い顔になる。

 

「ありがとう、おじさん。明日、中村さんと話してみるよ」

 

 

 

 

「あ······」

 

 本日の授業が終わり、正美が部室へ行くとちょうど希が着替えていた。

 

「お疲れー」

「お疲れ様······」

 

 希は昨日の事に気まずさを覚えており、正美と目を合わせようとしない。

 

 正美は持っていた荷物を置く。

 

「ねぇ、中村さん」

「······どげんしたと?」

 

 着替えを中断して、希は正美に視線を向けた。正美の普段見せない真剣な表情に希は緊張する。

 

「やっぱり私はみんなで笑って野球をしたい。そんな野球が好きだから。でも、絶対に野球で手を抜いたりはしないよ。好きこそものに全力で当たれ······。それが、私の野球道だから」

 

 正美は一つ息を吐くと、その表情はいつもの緩いものに戻った。

 

「以上!私の意思表明でしたー」

 

 意思表明を終え、着替えを始めようと鞄を開く。

 

 すると、希は正美に向かって頭を下げた。

 

「私も勝手なこと言うてごめん」

 

 体を起こすと、今度は希が真面目な表情になる。

 

「私が······ううん、私等が三輪さんば全国へ引っ張っていく。やけん、三輪さんも全力で着いてきて欲しか。これがうちん決意表明」

 

ーーなんか、吉野ちゃんがみんなに抱き付く理由、ちょっと分かったかも。

 

「うん。私の野球道の先に全国があるなら行きたい。中村さん······いや、希ちゃん。私を全国に連れてってよ」

「うん」

 

 大きな音をたてて、出入口の扉が開く。扉の向こうには芳乃をはじめ、詠深、珠姫、息吹が居た。

 

「希ちゃん、正美ちゃん······みんなで全国に行こうね~!」

 

 扉の向こうには芳乃がおり、正美と希は芳乃に跳び付いた。二人は芳乃の腕に拘束される。

 

 かくして、正美の野球道は全国へ向けて伸びていったのだった。




 私にもっと文章力があれば、今回はもっと盛り上げられたのではないだようか……。


 おじさんのモデルは元読売ジャイアンツで一軍内野守備走塁コーチを務めていた木村拓也氏です。
 私はスワローズファンでしたが、木村氏は偉大なお方であったこともあり、訃報を聞いた時は結構ショックを受けた事を覚えています。



 次々話は書き終わっているのですが、次のお話が書けていないので、次の投稿は未定です。


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中村希の憂鬱
6話 可愛い奴めー


 先週行われた中間試験の結果が返ってきた。最終的に確定した平均点や順位などが、自身の点数の纏められたプリントに記載されていた為、一部の者は喜びやホッとした様子を見せている。

 正美はというと、赤点をとらなければ気にしない性質なので、受け取った結果はすぐ鞄に仕舞いスマートホンを弄っていた。

 

「正美さん、ヨミさん達のクラスへ行きませんか?」

 

 休み時間、白菊が正美を誘う。白菊の横には稜も立っていた。

 

「うん、良いよー。すぐに片付けるから、ちょっと待ってて―」

 

 正美は前の授業で使っていた教材をロッカーにしまうと、白菊と共に詠深達3人の教室へ向かった。

 

「正美さんは試験どうでした?」

「だいたい平均点前後だったよ。白菊ちゃんは?」

 

 白菊は正美に聞き返されると、目に見えて落ち込む。

 

「現国と古文以外は赤点ギリギリでした……」

「へー、以外。白菊ちゃんはそつなく点数とるイメージだったよ。ま、得意科目があるなら良かったじゃん!」

「それだけが救いです……」

「稜ちゃんは……イメージ的では全教科赤点ギリギリだけど、どうだった?」

 

 正美の言葉に稜は握り拳をワナワナさせた。

 

「……正美、私の事嫌いだろ?」

「そんなことないよー。弄りがいのある可愛い娘だよー」

 

 正美は稜の頭に手を伸ばし、よしよしと頭を撫でる

 

「嬉しくねぇ!」

 

 それを受け、稜は抗議の声を上げるも、その手は振り払わない。こんな風に弄られはするが、稜も正美の事が決して嫌いではないのだ。

 

 目的地は同じ1年の教室なので、すぐ到着する。詠深達3人の教室の前で希が浮かない顔をして立っていた。

 

「……ねぇ、白菊ちゃん」

 

 正美は野球部のみんなを下の名前で呼ぶようになっていた。白菊ちゃんと打ち合わせをした正美は希に気付かれぬよう、ゆっくりと希の背後に迫る。

 

 次の瞬間、希の視界は暗転する。第三者の手に目を覆われたのだ。

 

「だーれだー?」

「ひゃ、正美ちゃん?」

 

 目から手が離れ、希が振り返ると、そこには笑みを浮かべる白菊がいた。

 

「残念、白菊ちゃんでしたー!」

「……まったく、なにしよーと?」

 

 白菊の後からひょこりとにへら顔を覗かせた正美に、希は呆れるように二人に尋ねる。

 

「それはこっちの台詞だよー。アンニュイな雰囲気を漂わせてさー」

「何かお悩みですか?」

 

 白菊が心配そうに言うが。

 

「······何でんなかよ。それじゃあ、うちは戻るね」

 

 希は踵を返し、歩き出した。

 

「中へは入らないのか?」

「うん。次ん準備があるけん」

 

 稜が希に聞くが、希は行ってしまう。

 

 希を見送った3人は教室へ入ると、詠深、芳乃、息吹が固まって話をしていた。詠深と芳乃は机に突っ伏してとろけている。

 

「よーヨミ!中間どうだった?」

 

 凄くいい笑顔で稜が言う。詠深は自分と同じ仲間だと思っているのだ。

 

「ふっふっふ。来ると思ってたよ……じゃーん」

 

 詠深は中間テストの点数を広げて稜に見せつける。学年401人中29位。現国の68点が最低点で、ほとんどの科目が高水準。数Ⅰと世界史に至っては100点満点である。

 

「ウソだろ?……仲間だと思ってたのに……」

 

 稜は紙を受け取ると、涙目になった。

 

「文武両道……尊敬します」

 

 横から詠深の点数を覗いた白菊も溢れる涙を抑えきれない。裏切られた……。2人の表情がそう物語っていた。

 

「稜ちゃん……まさか赤点取ってないよね?」

「そ……それは大丈夫……」

 

 じーっと稜の目を見つめて問い詰める芳乃に、稜は思わず顔を逸らす。

 

「芳乃ちゃんやー……無表情怖いよー……」

 

 感情の無い芳乃の表情に、正美すらも若干引いていた。

 

 稜の言葉に芳乃は安心したように笑顔になる。

 

「な~んだ。稜ちゃんが大丈夫ならみんな大丈夫だね」

「おーいそれどういう意味ですか?正美と言い、芳乃と言い、私を何だと思ってんだよ……」

 

 自分の成績が決して良くない自覚のある稜は強く出れない。

 

「あはっ。可愛い奴めー」

 

 正美は再び稜の頭に手を伸ばし、よしよしと頭を撫でた。

 

「嬉しくねぇ!」

 

 稜もまた、抗議の声を上げるのだった。

 

「ところで、何を話してたの?」

「それが、全然勝てないなぁって。これ、練習試合の結果なんだけど……」

 

 正美の問いに、芳乃は詠深の机の上を指さす。詠深の机には複数のスコアが表示されたスマートホンが置かれていた。

 

「あー……」

 

 稜は納得いったような反応を見せる。

 

「しかしよく試合受けてくれるよな。ほとんど1年のチーム相手にさ」

「監督が頑張ってくれてるし。それと……負けてるとはいえ格上相手にいい試合してるからね」

 

 稜の疑問に芳乃が答える。

 

「でもまぁ、私は楽しいよ。1年からいっぱい試合に出れてさ!」

 

 な、白菊に同意を求める稜であった。

 

「同感だけど勝ちたいよ、やっぱ」

 

 詠深はまたとろけてそう言う。

 

「え?うちまだ1回も勝ってないの!?」

 

 合宿後に入部した為、新越谷でまだ試合をしていなかった正美は驚愕の事実を知る。

 

「実はそうなんだ~」

 

 芳乃は正美にスマートホンを渡した。

 

「ヨミちゃんやタマちゃんに希ちゃんがいるのにどうして······あー······」

 

 試合相手を見て、正美は納得する。スマートホンには、名門校やそこそこ名の知れた学校が並んでいた。

 

「てか、こんな所と練習試合を取り付ける先生って何者······」

「なんか、うちが埼玉4強時代の頃のOGらしいよ」

 

 正美の疑問に稜が答える。

 

「いやいや、埼玉4強どころじゃないでしょー、これ。他県の代表校とかあるじゃん!?」

 

 正美が突っ込むが、詠深はまあまあと宥めた。

 

「おかげでこんなに試合できるんだから。ありがたやありがたや~」




 本作品を書き始めてから稜ちゃんが凄く可愛いです。


 ……何か後書で書こうと思っていたのですが、何だったかしら?


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7話 渋団扇使う?

 理沙によって、山なりにふわりと投げられたボールを正美がバントした。打球は数回弾んでホームベース上で止まる。

 

 次に来たボールも、そのまた次も、正美は正確にホームベースにボールを落とした。

 

「さっきから何やってるんだ?」

 

 近くで素振りをしていた怜は正美に問う。

 

「バント練習の前の準備運動みたいなものですよー。全身を柔らかく使ってボールの勢いを完全に殺すんです」

 

 怜にこの練習の意味を伝えると、暫くこの練習を続けた。

 

「次からは普通に投げてください」

「分かったわ」

 

 正美はバントの構えをとると、理沙の投じたボールをバットで受ける。ファースト方向、サード方向、正美はどちらにも絶妙な加減でボールは転がした。時折、プッシュバントを交えたりもしている。

 

「正美はバントなんて必要ないんじゃないの?」

 

 マシン打撃を終えた稜が、バント練習をする正美を見付け、近付いてきた。

 

 稜の言葉に正美は苦笑しながら答える。

 

「そんなことないよー。私だって毎回打てる訳じゃないし、相手や状況によってはバントの方が良いこともあるよ」

 

 ピッチングマシンの操作をしていた芳乃もこちらにやってきた。

 

「正美ちゃんにも苦手なタイプってあるの?」

「そりゃそうさー。私だって完璧超人じゃないんだから」

「よかったら聞かせてもらっても良い?」

「良いよー。まずはねー······」

 

 正美は芳乃に自身のプレイスタイルに始まり、弱点について話す。

 

「なるほど~。分かった。参考にするよ」

 

 芳乃はピッチングマシンの元へ戻っていった。

 

 

 

 

「4分割にしてから迫力が増した気がするわね……まるで死神の鎌ね」

 

 詠深の投球練習でバッターボックスに立っていた息吹が、途中まで顔面に向かってくるナックルスライダーの軌道に、恐怖のあまりそう呟く。

 

「魔球デスサイズですか!かっこよすぎです!」

 

 その呟きが近くで素振りをしていた白菊の琴線に響いたようで、彼女は興奮した様子で息吹に詰め寄った。

 

「勝てなさ過ぎて遂に味方にまで死神と呼ばれるようになったか……」

 

 “死神”というワードに詠深はショックを受けた様子で、投球練習が終わったにも関わらずマウンドで立ち尽くしている。

 

「球の軌道の事だよ。鎌で首を狩るような」

「なるほど」

 

 珠姫のフォローに詠深は納得した様子を見せる。

 

「それに勝てないこと言うなら死神じゃなくて貧乏神だよね」

「……死神でいいです」

 

 無意識に追い打ちを掛ける珠姫に、詠深は肩を落としてそう返した。

 

「あはっ。ヨミちゃん攻撃中ベンチで渋団扇使う?ミネラルの補給に味噌も用意しよっか」

 

 詠深の球の軌道を観察していた正美は、ニコニコしながら揶揄う様に提案してみる。

 

「いくら何でも貧乏神は酷いよー!」

 

 詠深はそんな正美に抗議の声を上げるのだった。




 魔球デスサイズ。嫌いじゃないです。

 『厨二病のための東洋医学概論』とか、いつか書いてみようと思っているんですよね。需要あるかしら?

 陰陽論、五行論、天人合一思想、経絡、気など、厨二心をくすぐられる様な内容が結構あるんですよね。


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8話 スカッと三振して良いからね!

 今日も正美と希はティーバッティングを行っていた。

 ステップは小さいものの、正美が普段バッターボックスで見せるものとは違い、そのスイングは力強い。

 

「正美ちゃんってバット振るとき息吐いとーと?」

「うん。その方が余計な力抜けるんだー」

 

 篭の中のボールが空になったら交代。それを繰り返していた。

 

「希ちゃんのスイング、本当に綺麗だよねー」

「そげなと正美ちゃんだって」

 

 お互いバッティングについて特に指摘する所が無かったが、練習を続けているうちに希に疲れが見えてきた。

 

「希ちゃん、フォームが崩れてきたよ」

 

 篭に残った最後の一球を打ったところで、正美は終了の提案をする。

 

「今日はここまで。さっ、シュバッと片付けて帰ろっか」

「······うちまだ出来るよ?」

「だーめ。これ以上続けたらフォームがグチャッとしちゃうよ?」

「······分かった」

 

 2人は片付けを済ませ、部室へと戻って行く。しかし、希は部室の前に着いたところで足を止めた。

 

「うち先生に相談したかことがあるけん、先に帰っとって」

「りょーかーい」

 

 帰り支度を済ませ、学校を出る。

 

――まさか私が全国を目指すことになるなんてねー。

 

 自身は野球が出来なくなるまで草野球をやるのだろうと正美は思っていた。ところが、白菊のバッティングに口を出した事を切っ掛けに野球部へ入ることとなり、希と全国へ行く約束までしたのだ。

 

――あ、そうだ。遅くなっちゃったからママに電話しないと。

 

 家に電話しようと鞄を開けた正美だったが、鞄の中にスマートホンを見つける事は敵わない。部室にスマートホンを忘れたのだ。

 

 スマートホンを取りに学校へ戻って来た正美は部室に近付くと一定のリズムで金属音がグラウンドから響いているのに気付き、首を傾げる。

 

 様子を見にグラウンドへ行くと、先生の所へ行ったはずの希がトスマシンを使いネットへ打ち込んでいた。彼女は追い込まれたような表情をしており、先程とは打って変わりそのフォームは酷いものだった。

 

 正美が希の元へ向かおうとすると、その前に芳乃が現れ、バッティング練習中の希の後から抱き付く。

 

――危ないなぁ······。でも、そんな事より······。

 

 正美はグラウンドに入った。いつも通りニコニコしているが、その目は笑っていない。

 

「のーぞーみーちゃーん」

 

 希が芳乃に気を取られている間に、正美は希に近付き、彼女の両頬を引っ張った。

 

ひ、ひはひ(い、痛い)

「私に嘘ついて、何をしてたのかなー?」

はっへー(だってー)······」

「だってじゃないの!一人で怪我したらどうするのっ?」

ほ、ほへふ(ご、ごめん)

 

 普段の様子から想像もしていなかった正美の怒る姿に、希はたじろぐ。

 

 希の謝罪の言葉を聞いた正美はその手を話した。

 

「それじゃあ希ちゃん?言い訳を聞こうじゃないか」

 

 希があんな練習の仕方をするなんて、何か理由があるはずだ。そう、正美は考えている。

 

 3人でベンチに引き上げ腰を掛けると、希は語り出す。中学最後の試合で4回のチャンスをふいにした事。ここでもまだチャンスで打てておらず、打点も上げていない事。自分がもっと頑張らないと、自分だけ塁に出てもチャンスで打てなければ意味がない。このチームで全国に行きたいから、と。

 

 そんな希に芳乃は伝える。

 

「勝ちたいって気持ちは一緒だけど、誰も負けたのが希のせいだなんて思っていないんじゃない?打てなかったった人、守れなかった人。みんなが反省して、もっと頑張ろうって思ってる。希ちゃん一人が責任を感じる事じゃないよ」

 

 前のチームもきっとそうと、芳乃は続けた。全国で会おうと見送ってくれたのだから。

 

「私ね、希ちゃんがホームインしてハイタッチするのが一番の楽しみなんだ。だから、全部ひとりでやろうとしないで欲しいな」

 

 芳乃は立ち上がり、希の正面に回る。

 

「それに、希ちゃんから言い出したことだよ。一緒に全国行こ、みんなで」

 

 希の手を芳乃が取ると、希は何かに気付いた様子を見せた。それは芳乃の手にできた沢山の新しいマメ。毎日のノックでできたものである。

 

「うん!」

 

 嬉しそうに返事をした希は、入学してから一番の笑顔を見せた。

 

「いやー、青春だねー。二人ともいい雰囲気だしちゃってー。周りに百合の花が見えたよ?2人とも私の事忘れてない?」

 

 正美はジト目で希と芳乃を見ている。

 

「ちゃんと覚えてるよ」

 

 正美の言葉に芳乃は苦笑する。

 

「なら良いけどー……。さて、希ちゃん。私からも一つ」

 

 正美は人差し指を立てた。

 

「確かにチャンスでカキーンと打つのも大事だけど、自分が出塁してホームに返ってくるのって意味の無い事かな?」

 

 正美の言葉を聞いて、希はハッとする。正美は更に言葉を続ける。

 

「最近入部した私が言うのもあれだけど、希ちゃんだってちゃんと点数に貢献してるんじゃないかな?」

 

「そっか……正美ちゃん、ありがとう」

 

――これで少しでも肩の荷が降りると良いんだけどな。

 

「そういえば、今日遅くまで何しとったと?」

 

 希の質問に、監督と会議だと芳乃は答えた。彼女はカバンからノートを1冊取り出す。そこに書かれていたのは、次の練習試合の相手のデータだった。

 

「それで一つ考えたんだけど、次の試合、4番お願いできるかな?」

 

 予想外の提案に、希は唖然とする。彼女が打っていた一番よりも、格段に打点を求められるのが4番という打順である。

 

 芳乃の作戦としては、相手ピッチャーは立ち上がりが悪いので、そこを突いてランナーを溜め、希のバットで帰すというものだった。

 

 しかし、肝心の希の表情は優れない。

 

「大丈夫。チームで一番打ってるんだから!」

 

 芳乃はそう言うが、希は不安そうに視線を揺らす。

 

「まったくー、希ちゃんは仕方がないなー」

 

 希と芳乃の方を向いた。

 

「芳乃ちゃん。つきの試合、私を5番に置いてよ」

 

 正美の言葉に二人は驚く。特に、芳乃は嬉しそうにそのツインテールを揺らす。

 

「良いの!?」

 

 興奮して正美に詰め寄った。

 

「うん。希ちゃんが打てなくても、代わりに私がシュバッとランナーを帰すよ、だから希ちゃん」

 

 正美は満面のにへら顔を希に向ける。

 

「スカッと三振して良いからね!」

 

 最後の一言を聞いた希はムッとした顔になった。

 

「そげん事せんよっ」

 

 そんな希の顔を正美は両手で包む。

 

「そうそう。その顔その意気ー」

 

 正美は優しげな表情で更に続ける。

 

「ねえ、希ちゃん。どんな天才プロ打者でも10打席中4本もヒット打てないじゃない?フォアボールとか入れても半分にも満たない。野球って数字だけ見れば圧倒的にピッチャー有利なんだよ?だから、バントや進塁打、塁に出たならピッチャーを揺さぶったりして、みんなで1点を取りにいくんだ。だから希ちゃんも······」

 

 もう一度、希の頬を掴んた正美はそのまま広げるように引っ張った。

 

ひはひ(痛い)はさふぃしゃふ(正美ちゃん)ひはひよぉ(痛いよぉ)

 

 希は涙目で訴える。

 

「私が頑張らないとー、なんて生意気なこと言わないの」

 

 そう言うと、正美は手を放した。

 

「じゃ~、早速ダメダメなスイングを直さないと~」

 

 正美の話が終わると、芳乃は希の手を引く。

 

「そげんはっきり言わなくても……」

 

 控えめに抗議する希だったが。

 

「いやいやー、あの力任せのスイングを希ちゃんがしてたと思うと目を覆いたくなったよ。例えるなら、もがき苦しむゴリラかなー?」

 

 正美は希をバッサリ切り捨てたのだった。

 

「ちょっ······言い方ぁ!」

 

 そんな正美に、希も今度は激しく抗議をする。

 

「あと、希ちゃんは疲れてるんだから、練習は明日ね」

 

 さっきまで一緒に練習をしていた正美は、芳乃の提案に反対した。

 

「え~。ならせめてフォームチェックだけでも……」

「……まあ、それくらいなら……」

 

 芳乃の代替案に、正美もそれならばと同意する。

 

 芳乃と正美はもうちょっとだけグラウンドに残り、希の練習に付き合うのだった。




「言い方ぁ!」
 ハチナイネタでした。天ちゃんと千代ちゃんの漫才けっこう好きです。


 遂にストックが無くなりました······。


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死神ヨミちゃん
9話 溜まってたんだね


 守谷欅台との練習試合。

 

 本日のオーダーは1番.川口息吹(左)、2番.藤田菫(二)、三番.山崎珠姫(補)、4番.中村希(一)、5番.三輪正美(中)、6番.川崎稜(遊)、7番.藤原理沙(三)、8番.武田詠深(投)、9番.大村白菊(右)。芳乃の宣言通り希を4番に据え、正美が5番に入る。

 

 大会前最後の練習試合なので初心者や一年生には経験を積ませたいという理由で、正美の代わりに怜がベンチスタートとなった。

 

 先攻は新越谷。バッターボックスに息吹が入る。初のトップバッターということで緊張した面持ちだ。

 

 初球は外角高めに外れボール。芳乃によりもたらされた事前情報によると、相手投手は立ち上がりが悪く、少し粘れば四球で出塁できるとの事だ。

 

「ボールフォア」

 

 芳乃の要求通り、息吹はフォアボールで出塁する。菫も珠姫も粘って出塁し、無死満塁のチャンス。打席には希が入った。

 

 希は左打席に入る前にチラリと振り返る。正美がネクストバッターズサークルにスタンバイし、その奥では芳乃がエールを送っていた。二人とも笑顔で希を見つめている。

 

――大丈夫。芳乃がうちば信じてくれとー。正美もうちん背中ば押してくれた。なら、うちには恐るーもんなんて何も無かっ。

 

 相手投手が投じた初球。それを希はバットで振り抜いた。

 

 ジャストミート。しかし、打球は一塁手に吸い込まれていった。

 

――······っ!?また正面。

 

 希は顔をしかめたが、打球は一塁手のグラブを弾き、ライトへと飛んでいった。

 

 ボテボテに外野を転がる打球をライトが処理している間に希はファーストベースを回り、二塁へ到達する。

 

 珠姫はサードベースでストップ。新越谷は2点を先制。希は初打点を上げた。

 

 続いて正美が打席に入る。相手がサウスポーなので、今回は右打席に立った。

 

 ベンチからはノーサイン。正美は2球見逃し、B1ーS1で迎えた3球目をレフトライン際に弾き返す。

 

 珠姫、希がホームインし、正美は三塁に到達した。

 

 正美がベンチに目をやると、そこで希と芳乃が嬉しそうに笑いハイタッチをしている。

 

――うんうん。めでたしめでたしー。

 

 最終的に新越谷は初回、打者一巡の猛攻で6点を先制した。

 

 正美はセンターの守備に着くと、投球練習を始めた詠深を見つめる。

 

――さて、あとはうちの死神さんに初勝利を献上しないとねー。

 

 詠深は先頭打者をレフト前ヒットで出塁を許すと、エンドランを仕掛た走者にセカンドゴロの間に二塁へ進まれ、いきなりピンチを招いた。

 

 クリーンナップを迎えた守谷欅台に対し、新越谷の内野はファースト寄りにシフトを変えた。これはも、守谷欅台の3番4番はライト方向への強い打球が多いという芳乃の事前情報故だ。外野も僅かにバックする。

 

 しかし、相手の3番打者が弾き返した強烈な打球は詠深の左横を抜け、飛び付いた稜のグラブの先を通過してセンターへ転がった。サードコーチャーは右腕をぐるぐる回す。

 

 1点返されたと思ったが、センターを守る正美は前へと猛チャージをかけていた。

 

――させるかーっ!!

 

 守っていた位置より遥かに前でボールをグラブに収めた正美は素早くボールを握り替え、ホームへと送球する。肩は並み程度の正美でも、猛チャージしたした勢いを乗せて投げれば、矢の様なバックホームが可能。ボールは風を切り、ワンバウンドして珠姫のミットに吸い込まれた。

 

 珠姫も流れるような動作でランナーをタッチする。タイミングはギリギリ。審判の判定は······。

 

「アウトッ」

 

 正美は一瞬だけ小さくガッツポーズをとると、元の位置へ戻っていった。

 

 4番打者の打球はセカンドベース付近を守っていた稜の正面に転がり、3アウトとなる。

 

 新越谷ナインがベンチへ引き上げると、詠深が正美に抱き付いた。

 

「ありがと~正美ちゃん!」

「ヨミちゃんもナイピー」

 

 正美の差し出したグラブに詠深もグラブを合わせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからは相手投手も完全に立ち直り、2回以降は0点に抑えられている。

 

 詠深もコントロールが冴え、ゴロを量産し、ピンチを作っても最小失点で抑えていた。6回2失点でこのままいけば初勝利である。

 

 ちなみに、正美は5回の守備から怜と交代し、ベンチへ下がっていた。

 

 最終回の攻撃。珠姫は打席に向かう時、何やら気合いの入った表情をしていた。淡々と追い込まれてB1ーS2となり四球目。相手投手の決め球、シンカーを真っ芯で捉える。打球は右中間フェンスに直撃し、二塁打となった。

 

「当然。県代表の正捕手だった人だよ?」

 

「へー。どうりで頭一つ抜けて上手い訳だ」

 

 正美は珠姫が全国出場経験のあることに少し驚くが、それよりもどこか納得した様子を見せる。

 

「そうなんだよ~。タマちゃんは当時から守備が上手でね」

 

 芳乃は珠姫の事を語りだす。それはまるで自分の伝説を話すが如く、誇らしげだった。

 

 そうこう話しているうちに、希は左中間へと白球を弾き返す。今度こそ完璧なタイムリーツーベースだった。

 

「芳乃ちゃん、恥ずかしいからもうやめて······」

 

 ホームインして戻ってきた珠姫は困ったように言う。練習試合の為、グラウンドの外にギャラリーはいない。ベンチからの声援の合間に芳乃の声がホームベースまで届いていた。

 

「あはっ。人気者は辛いねー」

 

 正美はおかしそうに笑う。

 

『希ちゃーん、ないばっちー』

 

 二塁に立つ希に芳乃と詠深は声援を送った。希と芳乃は笑顔でエアハイタッチを交わす。

 

 新越谷は待望の追加点を上げたが、そのあとが続かず、7-2で最終回を迎えた。

 

 珠姫はマウンドへ行き、詠深と長めの打ち合わせをとっている。ようやくホームへ戻って行った珠姫はどこか気合に満ちていた。

 

「プレイ!」

 

 詠深は7回も打たせて取るピッチングで淡々と2アウトを奪う。次の打者を押さえれば新越谷の初勝利。

 

 迎えたこの回3人目のバッター。詠深と珠姫はツーシームにストレートを外角低め続け、2ストライクと追い込んだ。

 

「……リードが変わった」

「うん。次くるよ」

 

 ベンチにいる二人はバッテリーの変化に気付く。

 

「初見であの球は打てないよねー。特に右打者は」

 

 正美の言う通り、詠深の投じた3球目に打者はのけ反りながらのスイングとなり、3球三振となった。

 

「ストライクスリー!ゲームセット!」

 

 新越谷ナインはマウンドへ集まり、喜びを分かち合う。このチームが出来てから辛い練習に耐え……しかし、練習試合では一度も勝つことが出来ずに自信を失いかけた事もあっただろう。それが、今この場で報われたのだ。

 中学で一度も勝つことが出来ず、ようやく初勝利を手にした者。一度は辞める事を決意した野球に戻ってきた者。不祥事と休部を乗り越えてグラウンドに立つ者。負のジンクスを乗り越えた者。様々な思いがこの1勝に詰まっていた。新越谷にとってはただの練習試合の1勝ではない。これはとっても価値のあるモノである。

 

――あはっ、よっぽどフラストレーション溜まってたんだね。

 

 今回が初めての練習試合である正美は一歩引いたところで喜ぶみんなを暖かい目で見つめていた。




 原作8巻まで読み終わりました。

 大野さん凄く良い娘ね。私的球詠キャラ好感度ランキングてトップに上り詰めました(笑)
 それにしても、アニメでの描かれ方はあんまりではないでしょうか?



 さて、物語のターニングポイントの構想はほぼ出来ているのですが、いつになったらそこへ辿り着くのか、先が見えません。

 本作のヒロインは原作2巻の時期に入部したにも関わらず、未だ3巻に入っていないのですから······。

 原作に合流したので、サクサクと進みたいものです。スキップするシーンとかも考えないと(汗)


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10話 やっぱ良いチームだよなぁ······

 作中の年は球詠連載開始の2016と考えております。


「おーい、ヨミ。いつまで泣いてるんだ?」

 

 稜はメソメソしながら珠姫に肩を借りて歩く詠深に呆れながら言った。

 

「だってぇ……嬉しかったんだもん……初勝利~~」

 

 号泣する詠深の横で、彼女の今までの苦労を聞いていた息吹もまた思わず貰い泣きをしていた。

 

「新越谷に入って良かった……」

 

 そんな詠深の言葉に一同はやれやれと優し気な笑みを浮かべる。

 

「この後お祝いしたいな~」

 

 芳乃のこの言葉にみな賛同した。理沙の提案でカラオケでパーティをする事となった。

 

「あ、そのパーティにお祝い一つ追加で」

 

 そう言うのは珠姫。曰く、もうすぐ詠深の誕生日との事。

 

 それを聞いた一同は姦しく詠深にお祝いの言葉を送る。

 

「でも意外だなー。ヨミちゃんは誕生日が近付くと自分からアピールするタイプかと思ったよー」

 

 正美は詠深の近くで見上げるように言った。

 

「そ、そんな事は~……」

 

 詠深は否定しながら目を逸らすが。

 

「そうなのよ。小学生の頃なんて1か月前からプレゼントを要求してきてさ」

 

 珠姫が呆れながら話す。

 

「タマちゃん!?その話はもういいじゃん!!」

 

 慌てて誤魔化そうとする詠深であったが、そんな詠深をみんな可笑しそうに笑た。

 

 

 

 

 

 

 

 場所をカラオケに変わる。テーブルには注文したパーティメニューが所狭しと並んでいた。

 

「それでは、新越の初勝利と、詠深の誕生日を祝して」

「かんぱーい」

『かんぱーい』

 

 一同が改めて詠深にお祝いの言葉を送ると、詠深は感極まり再び涙をこぼす。そんな詠深に珠姫は呆れる様な、しかし優し気な視線を向けていた。

 

 それからみんな曲を入れ始める。川口姉妹がデュエットで歌うと、2年生組2人も一緒に歌った。恥ずかしそうに歌う怜に正美が“キャプテン可愛ー”と茶化すと、怜は恨めしそうに正美を睨む。

 

 食事にもどんどん手をつけられていった。幸せそうにケーキを食べる詠深に、ナイフとフォークでピザを食べるイタリアンスタイルの白菊。

 

 怜と理沙がマイクを置くと、今度は正美が立ち上がる。

 

「それでは三輪正美、歌わせていただきます!」

 

 その宣言の後に、10年ほど前に流行ったメロディが流れ始めた。

 

『笑顔咲くー············愛し合うー·············さくらんぼー』

 

 正美は要所要所でスマイルを決め、ノリノリで歌い上げる。

 

『······あーたしさくらんぼー······ありがとー』

 

 左腕を高く掲げ、小さく手を振って締めた。

 

「正美ちゃん凄く可愛いよー」

 

 詠深が拍手をして正美を称える。

 

「ほんと、可愛かったよ~」

「はい。素敵です」

 

 芳乃と白菊も称賛の言葉を送った。一方······。

 

「······何というか、あざといな」

「あざといわね」

「あざといな」

「うん、あざとい」

「あははー······」

 

 稜、菫、伊吹、珠姫はバッサリ切り捨て、理沙はただ苦笑いをする。

 

「ちょっとー、みんな酷いよー!」

 

 そんな5人に正美は不平を言った。

 

「ところで、何でさくらん○なんだ?これ私等がまだ小さい時の曲だろ?」

 

 稜がふと感じた疑問を正美にぶつける。

 

「これ、うちのチームのお兄さん達にウケが良いんだよねー」

「男ウケ狙いかよ!?」

 

 正美の答えに思わず突っ込む稜。

 

「······だって、うちのチーム女子いないんだもん」

 

 正美は小さい頃からチームのおじさん達に凄く可愛がられて育った。おのずと甘え上手に育ち、20代のチームメイトからも可愛い妹的な立ち位置にいる。そして、正美にとってカラオケはそんな草野球のみんなと一緒に打ち上げで行く所だったのだ。

 

「それじゃあ今度は私と歌お~」

 

 芳乃はマイクを握ると、拗ねる正美の手を引いた。

 

 流れるメロディは今年大流行しているドラマの主題歌。それを二人は歌う。

 

『············ひーとりを越えてゆけー』

 

 歌い終わると、芳乃が正美に両手のひらを向ける。

 

「正美ちゃん、イェーイ」

 

 芳乃に釣られ、正美は芳乃とハイタッチをした。

 

「うぅ······芳乃ちゃん、大好きっ」

 

 芳乃の気遣いに気付いた正美は芳乃に抱きつく。最初は芳乃や詠深の距離感の近さに戸惑っていた正美であるが、そんな彼女もそんな2人に染まっていた。

 

 その後もパーティーは続いたのだが、いつの間にか試合の反省会や夏大会に向けた話に変わっていた。

 

 現在、話題は詠深の投球に関する事になっているのだが、詠深は最期の1球を思い出し、感極まってまた泣いてしまう。

 

 そして、話は地区大会の話に代わりに、名門校のラインナップを見た菫が弱気な発言をすると、希はやってみないと分からない、と強気に言い返した。

 

「てかヨミー、まだ泣いてるのかよ」

「だってー、誕生日お祝いしてもらって、しかもこうやって夏の大会の事話せるなんて······嬉しすぎるよ」

 

 詠深の言葉に理沙は自分も同じと応える。他のメンバーも言葉にはしないものの、表情が心情を物語っていた。

 

「新越谷に入って良かった。このメンバーで夏、一つでも多く勝っていきたいな!」

 

 その詠深の言葉に一同、賛同する。

 

――やっぱ良いチームだよなぁ······。

 

 正美はどこか他人事のように、そう思った。




 俺ガイル完にて、八幡のひねくれ成分がだいぶ薄くて不満な筆者です。まあ、コロナ自粛の時に1期2期まとめて見たくちなので、そこまで思い入れのある作品と言う訳ではありませんが。

 八幡が出てくる二次創作はもっと前から拝見しており、八幡が他の作品に出張して引っ掻き回す系の二次創作は結構好きだったりします。

 練習試合の相手で比企谷八幡助監督(平塚先生は形だけの監督)率いる総武高校女子野球部が頭をよぎりましたが、私に八幡がする様な高度(笑)な野球が描けるとは思えない(そもそも八幡自体書けない可能性大)ので、すぐにボツネタ行きとなりました。

 『比企谷八幡×球詠』の構想をお持ちの方は是非とも躊躇うことなくハーメルンに投稿していただけると、私は飛び跳ねて喜びます。お願いしますね(笑)




 今月に学校の試験があるので、その内しばらく行方を眩ませます。


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夏大会直前
11話 なら、自信がつくまで練習しないとねー


「申し訳ない!」

 

 新越谷高校野球場の一角。みんなの前で頭を下げる少女が一人。夏大会の抽選に行っていた主将の怜が沈痛な面持ちで佇んでいた。

 

「キャプテン、まさか……」

「引いたんですか?強いところ」

 

 稜と詠深は怜の態度に不安を覚え、杞憂であってくれと願いつつ確認をとる。

 

「これ……トーナメント表だよ。Cブロックね」

 

 それに答えたのは怜ではなく芳乃。彼女は本日行われた抽選によって組まれたトーナメント表を差し出した。

 

 トーナメント表を受け取った詠深の横から覗いていた菫が一回戦の相手を読み上げる。

 

「初戦は……影森高校!そこに勝ったら……」

 

 二回戦に勝ち進んだ際に対戦するであろう、2校のうち、一方は芳乃査定でSランク校の1つ……。

 

「梁幽館かよ!」

 

 菫とは反対側からトーナメント表を覗いていた稜は頭を抱えて叫ぶ。菫も思わず“終わった”と呟いた。福岡出身の希だけは、その名を聞いてピンとこない様子を見せる。

 

「四強常連……一昨年の優勝校だよ」

 

 詠深の説明を受けて希は驚くと共に、強豪校と戦える事実という事実に歓喜した。

 

「ナイスキャップ!」

 

 自身の手をとり興奮する希に、怜は苦笑する。

 

「あはっ。確かに全国目指すなら早めに梁幽館と当たって良かったんじゃない?うちが情報を晒す前に戦えるし、ベスト8からSランク校との三連戦とか目も当てられないよ?」

 

 正美の言う通り、控え選手が彼女しかいない新越谷が強豪校との総力戦を三連続で行うのは難しい。梁幽館と他のSランク校の間にクッションが入る事により、選手のコンディションを整えながら戦う事も可能だ。

 

 メリットはそれだけではない。梁幽館と早めに当たっておく事で、一回戦の戦い方次第では相手ににこちらの戦力を隠すことが出来る。しかも、梁幽館は強豪校故にデータを集めるのに苦労しない。情報戦という面ではこちらが優位に戦えるのだ。

 

「そうは言ってもね……」

 

 それでも菫の表情は優れない。当然だが、そもそも梁幽館を倒す事が出来なければ正美の言った事も捕らぬ狸の皮算用である。

 

「なら、自信がつくまで練習しないとねー。私も付き合うから」

「う、うん」

 

 その後、対梁幽館の対策ミーティングが始まった。そこで、相手の二番手投手がガールズ時代に珠姫とバッテリーを組んでいたという事実が判明したのだ。しかも、芳乃の読みだとその人が二回戦で先発する可能性が高いとの事。

 

 持ち味の速球とスライダーを駆使して高い奪三振率を誇る。しかも、コントロールが良くなっているとの事で、彼女も進化を遂げていた。

 

 映像で確認すると、彼女のスライダーと詠深のナックルスライダーの軌道が似ている。スライダー対策は詠深の投球練習を兼ねた実戦形式のフリーバッティングを行うこととなった。

 

「菫ちゃんは逃げながらバットを振っちゃうねー」

「解っててもすごい迫力なのよね······」

 

 詠深がナックルスライダーを投げる際、打者の顔面を狙って投げている。菫はその様なボールを打席で見たのは詠深が初めてだった。

 

 人間は本能で危険から逃れようとする。例え頭で分かっていても、顔面に向かってくるボールを我慢して打つためには、菫には経験はまだ足りなかった。

 

「まずは私のスローカーブで慣れる?」

「そうね。お願いするわ」

 

 正美と菫は場所を室内練習場に移して、バッティング練習を再開する。

 

 正美のスローカーブは詠深のナックルスライダーより変化は小さいし球速も出ないが、顔からストライクゾーンに変化する軌道に慣れるには十分である。むしろ球が遅い分、恐怖心が軽減され、練習にはもってこいだった。

 

「そうそう。良い感じだよー」

「ええ。だいぶ慣れてきたわ」

「それじゃあストレートも混ぜてくねー」

 

 菫と正美は暫く練習を続ける。ストレートとスローカーブを合わせて20球投げた後、野球場へ戻って行った。

 

「明日もヨミちゃんの球の前に私と練習しよっか」

「うん。ありがとう」

 

 翌日のフリーバッティングで菫はヨミのナックルスライダーに対ししっかりとバットを振り切った。ヒットにはならなかったものの、確かな手応えを得るのだった。



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12話 息吹ちゃんお持ち帰りしちゃ駄目?

 感想でご指摘を受けました“息吹”が“伊吹”になっていた件について、修正しましたので報告いたします。

 伊吹だと某ヒトデガールになってしまいますね(^_^;)


 対梁幽館の練習ばかりをしてはいられない。梁幽館と戦うには一回戦の相手、影森高校を倒さなければならないのだ。

 

 影森高校に偵察へ出掛けていた川口姉妹が持ち帰った情報を元に1回戦へ備える練習が始まった。

 

 現在、マウンドでは息吹がアンダースローで投げている。影森高校の投手を再現しているらしい。

 

 息吹は昔から芳乃の要望に答え、プロ野球選手のモノマネをしていたとの事。その甲斐あって、一見して初心者と思えないほど野球をする姿は様になっており、今も影森のピッチャーのモノマネは完璧らしい。

 

「なにそれ凄い。データとられても次の試合には全く別人になってる訳じゃん。試合中攻略されてもフォルムチェンジ出来るんでしょ?息吹ちゃんを倒しても第二第三の息吹ちゃんが現れるの?」

 

 ここまで一息で突っ込む正美であった。

 

「まぁ、身体能力まではコピー出来ないからご覧の通りなんだよなー」

 

 稜の言う通り、息吹の投げるボールを怜は次々とジャストミートしていく。いくら見た目は様になっていても、彼女は初心者なのだ。

 

「うー······勿体ないなー」

 

 正美と記憶を共有しているおじさんは死亡当時、プロチームのコーチをしていた。人格は全く別物とはいえ、多少なりとも彼の記憶に引っ張られる所はあるのだ。

 

「芳乃ちゃん、息吹ちゃんお持ち帰りしちゃ駄目?立派な選手にしてみせるよ」

 

 正美は芳乃の元で、身長差から自然と上目遣いになり懇願する。

 

「駄目だよ」

 

 しかし、草野球のおじさん達にはクリーンヒットするあざとさも、芳乃には全く効果がない。

 

「だよねー······」

 

 芳乃の返事を聞き、肩を落とす正美だったが、そんな正美の手を芳乃は握った。

 

「でも~、息吹ちゃんの練習メニューを一緒に考えてくれるのは大歓迎だよ~」

「芳乃ちゃん!」

 

 正美は握られた手を胸元に上げる。感激しながら笑顔の芳乃と見つめ合う。

 

「よーし。パーフェクト息吹ちゃん育成計画“エースナンバーは君だ!”始動だー!」

「お~!」

 

 正美がプロジェクト始動の宣言をすると、芳乃も鬨の声を上げた。

 

「それは困るー」

 

 現エースの詠深は慌てて叫ぶ。

 

「あはっ。ヨミちゃんも息吹ちゃんに抜かれないように頑張ってね」

 

「うっ······タマちゃーん」

 

 詠深は珠姫に泣き付くのだった。

 

「でもそれは夏大会が終わってからだよ」

 

 大会中は選手のコンディションも考え、激しい練習は出来ないし、練習時間も短くなる。必然的に強化練習は大会が終わってからになるのだ。

 

「そうだねー。楽しみだなー」

 

 正美の視線の先にいる息吹は一瞬、寒気の様なものを感じるのだった。




~没ネタ~(読まなくても大丈夫なやつ)


 休憩時間となりベンチに戻ると、正美は伊吹に声を掛ける。

「息吹ちゃん。私の投球フォーム真似できる?」

 正美は息吹に自分のモノマネが出来るか尋ねた。

「え?······うん。多分できると思うよ」

「じゃあさー······」




「希ちゃん。1打席だけ勝負しよー」

 いつもの居残り練習で正美は希に勝負を申し込んだ。

「······良かばってん、いきなりどげんしたと?」

 希は疑惑の試験を正美に向ける。

「良いから良いからー」

 そんな希に構わず、正美は希の背中を押してバッターボックスに立たせた。

 正美はマウンドへ駆けるが、そこには既に息吹が立っている。

 二人でコソコソと話し込む様子に希は疑問符を浮かべた。

「ねえ、本当にやるのか?」

 息吹は再度、正美に確認を取る。

「勿論!希ちゃんをビシッと抑えるよー」

 そんな息吹に正美はにへら顔を浮かべ、悪戯を仕掛ける子供のように話す。

「てな訳で、最初は息吹ちゃんに任せた!」

 相談が終わったのか二人は希の立つバッターボックスに向き直った。

「お待たせー。それじゃあ行くよー」

 希が構えたことを確認すると、正美と息吹が同時にセットポジションをとる。

 希の疑問を余所に、二人は同時に投球動作に入ると、また二人同時に腕を振り抜いた。息吹の投げたボールが放たれストライクゾーンへ吸い込まれていったが、正美の手からは何も放たれない。

 再び希に背を向け、すくに打ち合わせを済ますと、また二人でセットポジションに入った。

「次行くよー」

 困惑する希を尻目に再び二人で投球動作に移る。今度は正美からボールが放たれ、息吹の腕は空を切る。二球目も見逃し、B0ーS2。

「······ねぇ、これ何と?」

 ジト目で正美を睨み、希は正美に問う。

「ふっふっふー。球が分身せずピッチャーが分身する魔球。その名も逆分身魔球!」

 胸を張って宣言する正美に希は呆れた視線を向けた。

「さあ、希ちゃん。この魔球に沈めーっ!」

 二人同時に振られた手のうち、正美からボールが放たれる。

 そのボールを希は完璧にコンタクトするとライトへ弾き返した。

「そんな······私達の魔球が······」

 正美はマウンドで崩れ落ちる。

「ほら、下らん事やっとらんで練習するよ」

 そんな正美を気にもとめず、希は居残り練習の準備を始めた。


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13話 私は愛人ポジションになる訳か

 埼玉県営大宮公園野球場。現在ここに埼玉中(さいたまじゅう)の高校女子硬式野球部が集まっている。

 

 新越谷高校野球部も部員揃ってやって来たのだが、正美は飲み物を買いに一時別行動をとっていた。

 

「ここーの売店にはーチェーリオーがあるー♪っと」

 

 正美が手にしているのは、彼女が好んで飲んでいる炭酸飲料。夏期の晴天の元、彼女は冷たく炭酸の弾ける喉越しを味わいながら歩いていた。これこそ最高の贅沢の一つと、正美は信じて疑わない。

 

「およ?」

 

 新越谷高校野球部の元に戻ると、珠姫が見慣れぬユニフォームを着た少女と話していた。見慣れぬユニフォームと表したが、正美は彼女の事を知っている。2回戦で当たる可能性のある梁幽館の二本手ピッチャー、ガールズで珠姫とバッテリーを組んでいた吉川和美である。

 

――おっ、ヨミちゃん達も戻ってきた。

 

 詠深、希、息吹は正美が飲み物を会いに行くのと同時にお花摘みへと出掛けていた。

 

 詠深が吉川に対してジェラシーを燃やしていた。珠姫が吉川のデータを集めて学校に持ってきた時は拗ねてしまった程に。故に、この場面を目撃した詠深は······。

 

――あー······ヨミちゃんの表情が抜け落ちてく。

 

 当然、嫉妬心を露にした。

 

 詠深と吉川は珠姫自慢の勝負を始める。

 

「試合後はいつも反省会とか言って引っ付いてくるのがかわいかったなぁ」

 

 と吉川が言えば。

 

「私は試合後に限らずいつもなんですよ」

 

 と詠深も負けじと言い返した。珠姫いわく、どちらも捏造らしいが。

 

「まぁ、珠姫がいなかったら今の私はなかったから感謝してるよ」

「私もです。タマちゃんがいなかったら私ここにいなかったし」

 

 二人の言葉に顔を赤くして照れる珠姫の後ろから正美が近付く。

 

「あはっ。キャッチャー冥利に尽きるねー」

「······別に。そんなんじゃないよ」

「またまたー」

 

 政美は素直じゃない珠姫を面白そうに頬を突っついた。

 

「それにしても、今カノ対元カノって感じだね」

 

 そう言うと、正美は腕を組んで考える仕草をし、言葉を続ける。

 

「······控えピッチャーでもある私は愛人ポジションになる訳か」

「······本当にもう良いから」

 

 正美の呟きに珠姫はげんなりして答えた。

 

 詠深と吉川の珠姫自慢は更に続き、その珠姫は呆れ果てて溜め息を吐く。

 

 その後、梁幽館のキャッチャーが現れた事で珠姫自慢合戦は幕を閉じた。梁幽館のキャッチャーは吉川を連れて戻っていく。

 

 珠姫はさっきのお返しと言って詠深の腕をつねるのだった。

 

 

 

 

 開会式はテレビ中継されており、後日、録画した映像を部室にてみんなで見ていた。

 

 新越谷高校の入場行進は皆足を高く上げ、手を大きく振り胸を張って歩いている。そんな姿に芳乃は御満悦だ。

 

「やっぱ十人だと目立つなぁ。手足が同時に出てる奴!」

 

 稜の指摘に白菊は顔を両手で被い、息吹は涙した。

 

「まあまあ。これはこれで初々しくて良いじゃん」

 

 正美は二人をフォローする。

 

「二人の結婚式にこれ流すね」

 

 勿論、弄るのも忘れない。

 

『やめてくれ(ください)!』

 

 息吹と白菊の抗議の声が部室に響いた。




 チェリオ、恐らくハチナイに出てくるチュリオの元になったであろう炭酸飲料。
 大宮公園に売ってるかどうかは分かりません。私ゃ行ったこと無いですから。


 さて、次はようやく公式戦に入れます。
 ヒロインが控え選手なので、どう書けば良いのか、いまだに悩んでおります······。


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夏大会2回戦 影森高校
14話 野球やってれば


 おかしいな。試験終わってから続きを書くつもりだったのに······。


 新越谷高校VS影森高校との試合は暑さの厳しくなった14時にプレイボールとなる。

 

 しかし、新越谷高校の守備練習は暑さを感じさせない軽快な動きを見せていた。

 

 そんな新越谷高校のオーダーは1番.中村希(一)、2番.藤田菫(二)、3番.山崎珠姫(捕)、4番.岡田怜(中)、5番.川崎稜(遊)、6番.藤原理沙(投)、7番.大村白菊(右)、8番.川口息吹、9番.武田詠深(三)。

 詠深がラストバッターとなり、その分息吹と白菊が一つずつ打順を上げた。先発投手は詠深を温存する為に理沙が努める。

 

 詠深は打順が下がったことに不満気な様子を見せたが、芳乃に練習試合の打率を問われ、意気消沈した。詠深の打率.050······。

 

 影森高校の守備練習も、選手達は錬度の高さを露にする。ただ、新越谷と対照的なのは選手達が一切声を出さない事だ。

 球場にはバットの甲高い音と、グラブの乾いた捕球音が通常より耳に残り、それが見ている者の違和感を煽る。

 

 外野のファールグラウンドでは影森バッテリーが投球練習を行っていた。事前情報通り、先発はアンダースロー。球速以外はフォームからタイミングまで息吹のバッティングピッチャーと変わらない。しかし、アンダースローという事以外は全く情報はなく、新越谷高校は序盤は自分達の戦い方をするしかないと顧問の藤井杏夏は言った。

 

 

 

 

 試合開始(プレイボール)

 

 マウンドに上がった理沙は緊張のためか表情が硬い。

 

 彼女が投じた初球を影森の1番打者はライトへ弾き返した。打ち取った当たりだが、ボールの落下点はセカンドとライトの間。面白いところに飛んでいる。

 

 菫が捕球を白菊に任せた為、白菊が全力で前へ走る。白菊は打球に追い付いたのだが、グラブでポールを弾いてしまった。ノーアウト・ランナー1塁。

 

 次の打者がバスター・エンドランを仕掛け1アウト・ランナー2塁。クリーンナップを迎え、3番打者がセンター前へ弾き返し影森高校は1点を先制した。

 

 ちなみに、三人とも初球打ち。理沙は僅か三球で得点を許してしまったのだ。

 

「理沙センパーイ、まだヒット一本です。切り替えて行きましょー!」

 

 正美はベンチから声を掛ける。そして、ライトに視線を向けると。

 

――あーあ。やっぱりシュンとしてる。

 

 白菊は目に見えて落ち込んでいた。

 

 4番を打ち取った後、5番にレフトのライン際長打コースへ運ばれる。ファーストランナーはサードベースを蹴り本塁への突入を試みるが、息吹→詠深→珠姫の中継プレーでホームを刺しチェンジとなった。

 

「ヨミちゃんナイスプレー」

 

 ベンチへ戻ってきた詠深に正美はハイタッチする。

 

「流石はうちのエース。あの難しい中継でドンピシャの送球だったね」

 

 正美の言う通り、先程の詠深の中継は何気無いプレーに見えて難易度の高いものだった。

 

 ファールグラウンドでボールを受け取った詠深とホームベースの間にはホームに突っ込むランナーが居た。ホームベースに投げればランナーにボールが当たるし、かといって大きくボールを逸らせば珠姫のタッチが間に合わなくなる。詠深は珠姫の構えたランナーギリギリのラインを正確に送球したのだ。

 

「それと白菊ちゃん」

 

 正美は次に白菊に声を掛ける。

 

「野球やってればエラーなんていっぱいするんだから、あんまり落ち込んじゃ駄目だよ」

「······はい」

 

 彼女はいつもの笑顔で白菊を励ました。

 

「ところでさ······」

 

 正美はスタンドにいる道着を着た一団に視線を向ける。彼女達は先程、白菊に“お嬢様ー”と声を掛けていた。

 

「あの人達、堅気の人だよね?」

 

 表情が抜け落ち、遠い目をした正美は白菊に問う。

 

「······正美さん。あまりそういう事言ってると············透明にしますよ?」

「ひぃっ!?」

 

 白菊は気を放ちながら、◯たい熱帯魚の様な台詞を口にした。そんな白菊の迫力に正美は割と本気でビビる。

 

「······正美さんがろくな映画を観ていないのが良く分かりました」

 

 そう言う白菊はつい先程まで落ち込んでいた事をすっかり忘れていた。

 

 

 

 

 1回の裏、新越谷高校の攻撃。リードオフウーマンは希。彼女が構えた瞬間、影森のピッチャーである中山は投球動作に入った。待球指示の出ていた希は初球を見逃す。B0ーS1。

 

 キャッチャーも審判のストライクコールを待たず、ピッチャーにボールを返した。ボールを受け取った中山はすぐさまセットポジションをとると、ボークギリギリのタイミングで二級目を投じる。早いテンポに対応できず、希は再び白球を見送った。B0ーS2。

 

 またもやキャッチャーはすぐにボールを返すが、希は堪らずバッターボックスを外し間をとる。

 

 3球目は希もバットに当てたが、当たり損ないのサードゴロに倒れた。

 

 中山は三球ともクイックで投げていたが、最後は更にモーションが速かった。複数のクイックでタイミングを外してくる中山の投球術に、希はまんまと嵌まった形だ。

 

 その後は淡々と試合が運ぶ。影森は早打ち故の淡白な攻撃となり、新越谷も影森の積極打撃により外に広がったストライクゾーンに翻弄され、完全にペースを崩された。

 

 投手戦になると思われたが、三回の裏、新越谷の攻撃で試合が動く。

 

 この回先頭の白菊は打席に入るとすぐに間合いを計った。

 

 彼女は剣道で全国大会を制している。

 

 剣道は間合いの攻防である。打つ頃には勝負が決しており、それに至るまでの過程が大変重要となるのだ。

 

 ここで言う間合いとは何も剣の間合いだけではない。気の間合い、時の間合いなど、一言に間合いと言っても様々なのだ。

 

 そんな達人達の領域に片足を踏み入れつつある白菊は、希に中山の体感球速確認して、その間合を八間、14.5mと定めた。こうなれば、間合いの外で中山がどんな小細工を仕掛けようと白菊にはもはや意味をなさない。

 

 中山が放ったボールは間も無く白菊の間合いに侵入する。それを白菊は見逃さず、タイミングを合わせてバットを振り抜く。

 

 バットの芯で捉えられた白球は高々と舞い上がり、程なくして左中間スタンドに落ちた。

 

 まだまだ野球は未熟な白菊だが、彼女が野球でも練習に励み、より高みへと至るのならば、白菊は最強のスラッガーへと成長を遂げるであろう。

 

 ダイヤモンドを一周してベンチへ帰った白菊はみんなに囲まれて体を何度も叩かれるという、手荒い祝福を受けた。

 

 それに混じり、以前より白菊のパワーに嫉妬していた希は割と本気で白菊を叩くのだった。




 あれ?これほとんど原作なぞってるだけじゃね?


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15話 これも1つの布石だから

 白菊のホームランに息吹がヒットで続きノーアウトのランナーが出たのだが、詠深がバントをミスし、ダブルプレーをとられてしまった。

 

 続く希も粘りを見せ、9球目をセンター前へ弾き返したのだが、一塁で中山の牽制に逆を付かれてアウトになってしまう。

 

 白菊のホームランから勢いに乗りたかった新越谷だが、影森の守備と中山の冷静なプレイに流れを作れなかった。

 

 守備に向かう新越谷ナインと入れ替わるように、ファーストベースコーチに入っていた芳乃とサードベースコーチに入っていた正美がベンチに戻る。

 

「正美ちゃん、スタンドに梁幽館の生徒がいたよ。多分、偵察だと思う」

「やっぱり来てたかー。うちらみたいな無名校なんてほっといてくれれば良いのにね」

 

 正美の物言いに芳乃は苦笑いを浮かべた。

 

「ヨミちゃんはやっぱり出せないね」

「そうだねー。······ねぇ、どこかで私を代走で出してくれないかな?」

 

 芳乃はそんな正美の提案に首を傾げる。

 

「良いけど、正美ちゃんの足見せちゃって良いの?」

「良いの良いのー。これも1つの布石だから」

 

 そう言って、正美は息吹とキャッチボールする為にレフトへと走っていった。

 

 

 

 

 試合は再び膠着状態に入る。新越谷はヒットを許すものの後続を抑え、影森も良い打球を飛ばされても硬い守りがヒットを許さない。

 

 再び試合が動き出したのは5回の表。理沙が疲れを見せ始めた。球威が落ち、影森の打球の質が上がる。

 

 ノーアウト・ランナー二塁となった所で新越谷ベンチが動いた。

 

 球場にウグイス嬢の声が響く。

 

【新越谷高校、シートの変更をお知らせ致します。レフトの川口さんがピッチャー。サードの武田さんがファースト。ピッチャーの藤原さんがサード。ファーストの中村さんがレフト。以上に代わります】

 

 息吹の初球。これに影森再度はざわついた。中山のフォームを完全にコピーしている息吹のピッチングフォーム。打者も動揺し、黒森はこの試合で初めてストライクを見送る。

 

 珠姫も影森のキャッチャーの様にすぐボールを返球。息吹は早いテンポで二級目を投じた。打者は立ち直ることができず、これも見逃した。

 

 影森バッテリーを再現した息吹と珠姫に対応できずにバッターは三球目を空振り。三振に倒れる。

 

 影森サイドの動揺は収まらず、カーブを引っ掛けセカンドゴロ。息吹は投手デビュー戦をパーフェクトリリーフで飾った。

 

「伊吹ちゃんナイピー。流石は未来のエース!」

 

 正美は息吹をそう言って迎えるが。

 

「いやいや、持ち上げすぎだって」

 

 パーフェクト息吹ちゃん育成計画“エースナンバーは君だ!”を知らない息吹はそれを冗談として受け取った。

 

 しかし、これを面白く思わないのは影森のピッチャー、中山。

 

――川口息吹······あの子、何のつもり······。

 

 中山は不快感を表情に滲ませる。

 

 中山のピッチングスタイルは早く試合を終わらせて、外との試合より自分達で野球をやっている方が楽しいと言ってくれた仲間と野球をする為に苦労して作り上げたものだった。それをこうも簡単にコピーされたとあっては中山も腹の虫がおさまらない。

 

 新越谷はまたも動き出す。クサい所は積極的にスイングし、明らかなボールは自信満々に見逃す。この作戦に審判も釣られ、先程までストライクをとっていたコースもボールとなる。広がっていたストライクゾーンが元に戻ったのだ。

 

 フォアボールでの出塁も生まれ、中山の球数はどんどん増えていく。イライラも更に募り、今まで息吹に向いていた敵意は新越谷高校全体へと広がっていった。

 すると、試合を早く終わらせる事に全力を注いでいた中山の中に“勝ちたい”という思いが芽生える。

 

 影森がスリーアウトをとった時、中山はこの試合始めてのガッツポーズを見せた。



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16話 そんなの中山さんに失礼だよね

 影森は息吹からヒットを打てずにいた。投球フォームは中山と寸分狂わないのだが、例の如く息吹はパワー不足によって球速までコピーできないのだ。幸か不幸か、その誤差が影森のバッタを狂わせていた。先頭打者さえ許したものの彼女は後続を全て打ち取る。

 

 6回の裏。新越谷の攻撃は息吹から始まった。中山は息吹を睨むと、セットポジションから白球を投じる。

 対する息吹は中山の視線にビビりながらもボールを次々とカットしていく。パワー不足で前に飛ばしたくても飛ばせないのだが、そんなことは露とも知らず中山は頭に地が上っていく。

 

「ナイスカット!ピッチャーキテるぞ!」

 

 怜の息吹を鼓舞する言葉だったが、これにより中山の中で何かがキレた。

 

 中山はセットポジションを解くと、しっかりと力を溜めて白球を投じる。白球は大きく曲がり、スライダーの軌道を描いて息吹に迫った。息吹は避ける事が出来ず、ボールは彼女の足の付け根を捉える。

 

 息吹がその場でしゃがみ込んだ為、ネクストバッターズサークルにいた詠深とベンチからコールドスプレーを手にした芳乃が息吹に駆け寄った。

 

「先生、ここで代走入って良いですか?」

 

 梁幽館の偵察と代走の件は先生にも伝えている。

 

「そうですね。勝ち越しのランナーですし、行ってください」

 

 藤井教諭の返事を聞き、正美はファーストへ走っていった。藤井教諭も選手の交代を審判へ告げに行く。

 

【ファーストランナー川口さんに代わりまして三輪さん】

 

 ウグイス嬢のアナウンスが流れると、中山はデッドボールで怪我をしたのではと動揺した。

 

「怪我で交代した訳じゃないから大丈夫って言ってあげて」

 

 代走に入った正美が影森のファーストに告げる。ファーストは頭を軽く下げるとマウンドへ走っていった。

 

――私も甘いなー。

 

 勘違いによる動揺に漬け込む手もあるのだが、正美にはその様な手段が取れなかった。

 

――この分は私が取り返さないと。

 

 プレイが再開され、正美はリードをとる。

 

――モーションは中山さんのも伊吹ちゃんのも散々見た。失敗するイメージは全く浮かばない。

 

 中山が投球動作に入った瞬間、政美はスタートを切った。キャッチャーが二塁へ送球するが、セカンドがボールを手にする前に政美はセカンドベース上に立ち上がっていた。

 

 その後、詠深がしっかりとバントを決め、ワンナウト・ランナー3塁となる。

 

 バッターはトップに帰り希がバッターボックスに入った。彼女はレフト前の上手い所にボールを運び、正美がホームインする。

 

 新越谷はまだ攻撃の手を緩めない。菫がエンドランを仕掛けワンナウト一・三塁。珠姫はスクイズと見せて中山を揺さぶりフォアボール。塁が全て埋まった。

 

 その後も新越谷の勢いは止まらず、気付けばこの回、打者一巡。打席には正美を迎えた。ワンナウト・ランナー3塁。

 

――まさかバッティングまで見せることになるなんてねー。

 

 正美は梁幽館の偵察をみて思う。

 

――適当にやり過ごしても良いけど······。

 

 目の前の中山の目は死んでいない。ここを切り抜ければ逆転できると、まだ勝負を諦めていなかった。

 

――そんなの中山さんに失礼だよね。

 

 正美はバットの先端を中山に向けた。中山と正美の視線が交差する。

 

 左打席で外角低めにバットを一回通してから正美は構えをとった。

 

 初球、クイックモーションから投じられた外角のストレートを見逃す。B0ーS1。

 

 二球目は一球目よりも速いクイック。同じくストレートに対しピクリとも動かない。B0ーS2。

 

 キャッチャーから返球を受けた中山は正美の左手の人差し指と中指が立っていることに気付いた。その指はスライダーを投げる時のような切る動作をしている。

 

 再び二人の視線が交わると、正美が不敵な笑みを浮かべているのに中山は不快感を現した。

 

 彼女は息吹以外にスライダーを投げていなかった。デッドボールがまだ頭に残っているし、キャッチャーも中山に気を使ってスライダーのサインを出していない。

 

――良いわ。その誘い乗ってやろうじゃない。

 

 中山はキャッチャーのサインに首を振る。何度かサインのやりとりを経てセットポジションをとった。

 

 中山は息を飲む。頭の中では先程のデッドボールが再生されている。だが······。

 

――ビビるなっ!

 

 自信に渇を入れ、投球モーションに入った。

 

 三球目、今までで一番遅いクイック。甘いコースに白球が向かっていくが、途中で起動を変え内角低めへ吸い込まれていく。コーナーギリギリをつく最高のスライダー。それを正美は淀みないスイングでバットを振り抜いた。

 

 白球はバットの甲高い音を鳴らし、ライナーを描き一塁手のグラブの遥か先を通過してライト前ライン寄りに落ちる。

 

 サードランナーの理沙はホームに帰り、正美が一塁ベースを踏んだ所でコールドゲームが成立した。




 正美VS中山はこれで良かったのか悩みましたね······。


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3回戦前
17話 フォーム変えちゃおうか


 設定の変更

 正美の背番号:11→10

 それに伴い、本作では芳乃の背番号は11、光の背番号は12となります。


 影森高校との試合後、学校に戻った新越谷高校野球部の面々はビデオ室にて梁幽館高校 対 埼玉宗陣高校の中継を見ていた。

 

 ゲームセットと共に、次の対戦相手は梁幽館高校と決まった。白球は一同気合いを入れ直し、室内練習場に移動する。

 

 室内練習場は広さなどの都合上、大した練習が出来ない為、白菊を除いたメンバーは素振りを行っていた。そんな白菊はというと、ピッチングマシンを運んで仕切りのネットを張り、打撃練習のエリアを作っている。

 

「菫さん。マシンバントの自主練、付き合ってくださいませんか?」

 

 白菊はバントの練習相手に菫を指名する。2番打者である菫は、試合でのバント数がチーム内で一番多い。

 

「良いわよ。珍しいわね」

 

 菫の言う通り、白菊は体験入部の時から長打力を見せていた為、チームからは大きな当たりを求められており、今までバント練習をしてこなかった。故に白菊がバントする姿は初心者そのもの。手でボールを追うので、顔とバットの距離が開いてしまう。

 

「硬いわよ。もっと膝を使って!」

 

 当然、菫から注意が飛ぶ。しかしながら、どうも動きがぎこちない。

 

「正美。ちょっと見本見せてあげて!」

 

 どうにも上手くいかない白菊を見て、菫は仕切りネットの向こうで素振りをしていた正美を呼んだ。試合で正美がバントする機会は未だ訪れていないが、彼女のバントの腕も菫に劣らない。

 

「りょうかーい。1球白菊ちゃんのバント見せてよ」

 

 正美は白菊のフォームをチェックする。スタンスはオープン、体の正面をピッチャー側に向けていた。どうも、体が上手くホームベース側に出ていかない様子である。

 

「オープンスタンスは難しいから、いっそフォーム変えちゃおうか」

 

 正美はネットを抜け、白菊と交代した。正美はバントの構えをとる際、右足を背側に引く。マシンから放たれてきたボールはその勢いをバットに奪われ、ゆっくりと転がっていった。

 

「足は後ろに引くと体を前に出しやすいし、アウトコースも顔とバットが離れにくくなるよ。……重心は軸足に乗せる。……バットはボールと両方見える位置をキープして。······慣れてきたら右手だけで練習すると球威を殺す感覚が掴みやすいよ」

 

 バントする様子を実際に見せながら、一つ一つポイントを白菊に教えていく。

 

「それじゃあ白菊ちゃんもやってみよっか」

「はい。······お願いします!」

 

 正美は打席を白菊に譲り実践を促すと、白菊はバントの構えを取り、彼女の合図を受けた菫がマシンにボールを投入した。

 

 迫り来るボールをバットで迎え入れる白菊は、決してバットから顔を離さない。剣道をやってただけあり度胸は満点である。

 

「うんうん、その調子。それじゃあ菫ちゃん、あとはお願いねー」

 

 正美は白菊のフォームが改善された事を確認すると、素振りに戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 梁幽館高校野球部。部員数は100を超え、毎年、県内外から有力選手を多数スポーツ推薦で獲っている。激戦区の埼玉県において夏5回、春2回の全国出場を果たした、誰もが認める強豪校である。

 

 ここ梁幽館でも2回戦に向けたミーティングが行われていた。

 

「最初の難関、宗陣は本来ベスト16以上で当たる相手だ」

 

 キャプテンの中田 奈緒はメンバーの前に立ち話している。強豪梁幽館でキャプテンのみならずエース4番の席に座る彼女は高校通算50本塁打を記録している埼玉高校野球切ってのスタープレイヤーの一人である。

 

「それを突破できた事でしばらく楽な相手が続くと気が緩んでいる事だろう」

 

 中田のこの言葉にメンバーの何人かが気まずそうに視線を逸らした。

 

「それは必ずしも悪い事では無い。格下と思えるのは激しい練習に耐え、強者の自覚を持っているからだ。ただ野球をナメるな!何があるか分からん。自信をもっていつも通り勝つぞ!」

『おおっ!』

 

 中田の発破を掛ける言葉に一同が応える。

 

 この場は解散となるが、何人かは新越谷対影森の映像を見る為、この場に残った。

 

 白菊のホームランのシーンになると、ノートパソコンに映る映像を見ていた者達は彼女のパワーに感心を覚える。

 

「岡田と大村……打線ではこの二人は要注意だな」

 

 中田はそう呟くと、レフトのレギュラー、太田は怜とガールズ時代に一緒にプレイしていた加藤 千代を呼んだ。彼女は懐かしそうに画面の向こうにいる怜を見つめていた。怜の活躍を心から喜んでいる様子。

 

 場面は伊吹の登板シーンに変わる。初心者のアンダースローが投げていると聞いた吉川が疑問符を浮かべた。

 

「初心者?エースは投げてないんですか?」

「5番と7番の継投だよ」

 

 映像を最初から見ていた二塁手のレギュラー、白井が吉川の疑問に答える。

 

「初戦、絶対勝ちたいだろうに温存しやがったな」

「……隠したというのが正しいかもね。どんなピッチャーか全く分からないし」

 

 吉川の言葉に、キャッチャーの小林が訂正を入れた。彼女の読み通り、これは芳乃の作戦である。この作戦により、梁幽館は試合開始まで詠深の対策を練ることが出来ない。

 

「ま、こっちも私を温存していたし、五分だろ」

「あんたはただの二番手よ」

 

 調子付く吉川を小林は容赦なく切り捨てる。吉川のこういう所が珠姫や小林を容赦のない口先にしたのかもしれない。

 

「この代走速いぞ。2人も確認しておけ」

 

 中田に呼ばれた吉川と小林はノートパソコンの前に戻った。巻き戻された映像が再び再生される。

 

「……速いですね」

 

 小林は正美の盗塁を見て難しい顔をする。

 

「ああ。咲桜の小関にも引けをとらないだろう。小林、刺せそうか?」

 

 中田は県内塁間最速と言われるの小関を引き合いに出した。彼女は小林に確認する。正美の盗塁を阻止できるか、と。

 

「いえ。ストレートからの送球でもどうか……」

 

 盗塁阻止は極めて困難、という見解を小林は示した。

 

 そして、場面は試合の最終打席。正美がサヨナラを決めたシーンだ。

 

「ストレート2球見逃して、あえて難しいコースのスライダーを打ちにいった……スライダーを狙ってた?」

「いや、どちらのストレートも体はしっかりタイミングを合わせている。少なくとも2球目は打てたはずだ。しかも、影森のピッチャーは当ててからスライダーを投げていない」

 

 メンバーの一人の言葉を中田は否定した。

 

「これは私の予想なんだが……」

 

 中田の仮説を聞いた一同は同様に疑問符を浮かべる。

 

「わざわざその為に?」

「あくまで私の仮説だ。合っている保証もない。だが、彼女は試合でその様な事が出来るだけの技術や余裕があったという事は確かだ」

 

 この中田の言葉に一同は驚く。

 

「背番号10って事は控え選手ですよね?レギュラーは全員手を抜いてたとか?」

「いやいや。流石にないでしょ」

「なら何でこの子が控えにいるのよ?」

「······心臓が弱いとか?」

「そうなら代走では出ないって」

 

 一同の間に憶測が飛び交う。

 

「友理、彼女のデータは無いのか?」

 

 マネージャーの高橋 友理は中田の問いかけに首を横に振った。

 

「名前が三輪 正美という事以外は何も……過去の経歴は一切不明です」

 

「······これ厄介な相手になるかもしれないな」

 

 そう言う中田を始め、正美の映像を見ていた者達は不気味さすら覚えるのだった。




 バントのフォームについて。

 原作キャラで例えると、6巻第32球の稜がオープンスタンス、6巻第32球の菫がスクエアスタンス、4巻第19球の理沙がクローズドスタンスです。

 ちなみに、原作では同じ選手でも、場面が違えばスタンスも変わります。




 白菊のバント、原作4巻69ページの1コマ目では下手っぴなオープンスタンスだったのですが、最後の同ページの最後のコマでは綺麗なクローズドスタンスに変わってるんですよね。菫は一体どんなマジックを使ったのでしょう(笑)


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18話 キャッチャーとバッターじゃ見え方が違う

 私は配球に全く明るくないので、今回の話は温かく見守ってください。


 新越谷高校野球部は梁幽館対策として、藤井先生が春大会の梁幽館の攻撃を再現した梁幽館ノックと、引き続き先発が予想される吉川を視野に入れた対詠深のバッティング練習が行われている。

 

 昨日の梁幽館ノックは県大会編が終わった所で先生がダウンした為、関東大会編は今日に持ち越されていた。明日は試合前日となる為、本格的な練習は今日が最後となる。

 

 マウンドに立つのは例の如く詠深だが、いつも彼女の球を受ける珠姫は右打席でバットを握っていた。

 

「遠慮なくシュバッと投げちゃって良いからねー!」

 

 珠姫に代わりキャッチャーマスクを被るのは全てのポジションをこなせる新越谷のユースリティプレイヤー、正美である。

 

《タマちゃん一度もヨミちゃんでバッティング練習してないでしょ?》

 

 正美のこの一言から現在の状況が生まれた。最初、珠姫は、自分はいつも受けているから大丈夫、と言っていたが、正美にキャッチャーとバッターじゃ見え方が違う、と押しきられたのだ。

 

 正美がキャッチャースボックスにしゃがむと、珠姫もバットを構える。

 

 他の部員もバッテリー対決を見守っていた。何せ、詠深と珠姫の勝負はこれが初めてだったりする。

 

 第1球。外角低めに構えた正美のミットにコントロールされたストレートが吸い込まれた。

 

「ストラーイク!」

 

 正美はストライクジャッジをして、詠深にボールを返す。B0ーS1サイン交換を行うと、正美は再び外角にグラブを構えた。ただし、先程より少し高め。

 

 第2球。詠深から放たれたボールを目掛け、珠姫はスイングするが、バットはボールを捕らえる事なく空を切る。投じられたのはナックルスライダー。ボールは正美の前でバウンドし、彼女の体に止められて前へ転がった。B0ーS2

 

 捕手が変わればリードが変わる。詠深のナックルスライダーを、珠姫は顔面四分割でストライクを取りにいくのに対し、正美はストライクゾーンからボールに逃げていく球として使用した。強気に責める珠姫に対し、緩りと躱す正美。二人ともリードが性格を反映している。

 

 ちなみに、珠姫であればナックルスライダーを完全捕球し、スムーズに返球するが、バッテリーを組み慣れていない正美はこの様に体で止めるがやっとだ。勿論、慣れれば捕球出来るようになるであろうが、正美のキャッチング技術は珠姫に及ばない。この様なテンポの変化を始めとしたズレにより、ピッチャーが調子を崩すことも多々あるのだが、そこは良い意味で鈍感な詠深である。この位で調子を崩したりはしない。

 

 3球目。1球目と同じ所にナックルスライダーを投じるが、珠姫はバットを途中で止めた。B1ーS2

 

 4球目。内角低めのボールゾーンに白球が迫る。

 

――ボール······いやっ、違う!

 

 珠姫はこのボールを何とかカットした。球種はカットボール。正美はフロントドアを仕掛けていた。B1ーS2

 

 今のは普段、詠深をリードしており、彼女の球を誰よりも分かっている珠姫だからこそカットできたが、対外試合であれば見逃し三振に斬っていてもおかしくなない。

 

 詠深の強みの一つは同じリリースでストレート、ナックルスライダー、ツーシーム、カットボールの四球種を同じ球速で投げ分けることである。

 

――チェンジアップとか緩急を使う球があれば、もっと配球が楽になるんだけどなー······。

 

 躱すタイプのキャッチャーである正美はチェンジアップからのツーシームで打ち取りたいと考えていたが、無い物ねだりをしても仕方がない。1球、外にストレートを外した。B2ーS2。

 

 珠姫はこの後、更に2球粘る。

 

――ま、最後はこの球だよね。

 

 サイン交換が終わると、詠深はゆったりとしたフォームから7球目を投じた。白球は珠姫の顔面へと迫る。これは珠姫の良く知る軌道だった。

 

 珠姫は渾身のスイングを放つが、白球は正美のミットに吸い込まれ、乾いた音を球場に響かせた。

 

「ストライク、バッターアウト!」

 

 最後の球は顔面四分割のナックルスライダー。詠深の代名詞である。

 

 驚きの表情を浮かべていた珠姫だったが、すぐに腑に落ちたものへと変わっていった。

 

「キャッチャーとバッターじゃ見え方が違う······確かにその通りだね」

「吉川さん相手にも油断しないようにね」

「肝に命じとくわ」

 

 正美の釘を指す言葉に珠姫は清閑な顔で答える。

 

「さて、それじゃあキャッチャー交代しますか」

 

 そう言って防具を外そうとする正美に待ったが掛かった。

 

「うちも二人と勝負させて!」

 

 常に強者との勝負を欲する新越谷一の熱血野球少女、希である。

 

「と言ってますが、タマちゃんどうする?」

 

 正美の視線の先にはムスっとした珠姫がいた。詠深が吉川に嫉妬する様子に呆れていた珠姫だったが、どうやら彼女も詠深をとられるのが嫌らしい。

 

「別に私に聞く必要ないわよ」

 

 珠姫は誤魔化すように視線を逸らした。

 

「またまたー」

 

 正美は詠深の頬を人差し指でつつく。

 

「ちょっ、正美っ!」

「わーっ、ごめんごめん」

 

 慌てて声を上げる珠姫に距離をとりつつ、笑いながら謝る正美。

 

 そんな様子を見た藤井先生は咳払いをする。それに気付いた一同はすぐ練習に戻るのだった。




 キャッチャーとしての実力は正美より珠姫の方が格段に上です。



 この前、球詠関係のクラウドファンディングを見つけたので、興味のあるかたはご覧になってみると良いかもしれません。
https://camp-fire.jp/projects/view/314380


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夏大会3回戦 梁幽館高校
19話 それがとっても尊いの!!


 最近、おじさんの出番ないなぁ······。



 梁幽館戦を書き終える気配を見えないので、とりあえず出来上がっている5話分を上げていきます。




 17話にて一部変稿のお知らせ。

「背番号10って事は控え選手ですよね?レギュラーは全員手を抜いてたとか?」
「いやいや。流石にないでしょ」
「なら何でこの子が控えにいるのよ?」
「······心臓が弱いとか?」

この後に「そうなら代走では出ないって」を追加しました。


 新越谷高校 対 梁幽館高校の試合は、開会式が行われた埼玉県営大宮公園野球場で行われる。集合時間より早めに到着していた正美は一足先にウォーミングアップを始めていた。

 公園のジョギングコースを、池を左手に見ながらゆっくりと周る。緊張はない。正美はいつも通り余計な力が入る事なく、一周約1,100mを走った。

 

 準備体操などは集合場所の辺りで行おうと、正美は野球場へ向かって歩く。アカマツの林を歩いていると、途中に建つ時計塔に目をやった。集合時間にはまだ時間がある。

 

 このまま直進すれば野球場に着くのだが、正美は時計塔の広場を左に曲がった。子供用の遊園地を抜けてたどり着いたのは小さな動物園。

 

 正美は動物達に軽く目をやりながら歩いていると、一つの檻の前で足を止める。

 

 正美は中の動物を見つめると、うっとりとした目に変わり、幸せそうな表情を浮かべていた。

 

 檻にいるのはハリネズミ。正美は以前、ここで行われた動物とのふれあいイベントでハリネズミを触って以来、心を鷲掴みにされているのだ。

 

 このまま暫く見ていたいと正美は思うが、適当な所で切り上げてウォーミングアップの続きをしなくてはならない。後ろ髪を引かれる思いでハリネズミの檻を後にした正美は再び野球場へと向け歩きだした。

 

 野球場と動物園は隣接しており、程なくして正美は試合会場に到着する。集合場所には川口姉妹、菫、稜の四人が居た。

 

 一同、挨拶を交わすと、稜は正美が何やら機嫌が良いことに気付く。

 

「正美なにか良いことあった?いつも以上に顔だらしないじゃん」

「むむっ······いつも以上にって、まるで私がいつもだらしない顔してるみたいじゃん」

 

 稜の物言いに正美が抗議する。

 

「いつも顔が締まってないのは事実だろ?」

「なにをっ······」

 

 正美が目を逆三角に吊り上げた。

 

「まあまあ。それで、何があったの?」

 

 仲裁に入った息吹が正美に尋ねる。正美は時間に余裕があったから動物園でハリネズミを見ていた事を話した。

 

「へ~。ハリネズミってそんな可愛いの?」

 

 その息吹の発言で正美の中でスイッチが入る。息吹に詰め寄る正美の顔はキラキラと輝いていた。

 

「そりゃーもう!!丸い体に愛嬌のある顔!ハリネズミってとっても警戒心が強くて、なかなか人に慣れないんだけど、抱っこしても針を立たせなかった時、受け入れられたって感じがして、それがとっても尊いの!!」

「そ、そうなんだ······」

 

 まくし立てる正美に息吹は体を引き気味にしながら相槌を打つ。 

 

「おはよう······何?どういう状況?」

 

 怜が集合場所に姿を見せた。正美と息吹を見て首を傾げる。

 

「おはようございます!今、息吹ちゃんとハリネズミについて語り合ってます!」

 

 正美が一方的に話しているだけだと、正美と怜を除く一同は思った。

 

「キャプテンもハリネズミ興味あります?」

 

 ターゲットが怜に切り替わり、正美は再びまくし立てる様につぶらな瞳や小さな足など、ハリネズミの魅力について熱弁している。そんな正美に怜は苦笑した。

 

「ほらほら。キャプテンは試合前の挨拶とかあるんだなからその辺にしよ~。アップ手伝うからさ」

 

 芳乃が正美を止めに入る事でようやくマシンガントークが終わる。

 

 仰向けになった正美の股関節を芳乃が大きく回す。

 

「芳乃ちゃんもハリネズミについ······」

「そろそろ試合に切り替えよ」

 

 正美がまたハリネズミにの話を使用とするが、芳乃がそれを遮った。

 

「芳乃ちゃんが冷たい······」

 

 正美はシュンとしてしまう。そんな彼女に芳乃も苦笑する。

 

「試合終わったら一緒にハリネズミ見に行こ」

「もーっ。だから芳乃ちゃん大好きっ!」

 

 芳乃の提案に元気を取り戻した正美であった。




 あれ?こんなはずでは······。

 キャラ暴走第二段です。(第一段は没ネタ)ヒロインのキャラにハリネズミ狂いが追加されました。

 大宮公園のジョギングコースがどんな感じなのかと地図を見てみたら、なんと大宮公園には小動物園があるではないですか。調べてみるとハリネズミを飼育していることが判明。
 そういや主人公の好きな動物がハリネズミだったなぁと、作者も忘れかけていた接待を思いだし、気付いたらこの様ですよ(苦笑)

 ちなみに、私ゃ可愛い動物全般好きですが、基本的には猫派です。
 ハリネズミの魅力はこんなもんじゃない、と主張する方がいらっしゃいましたら、感想やメッセージを頂けれ本文に反映させます。


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20話 私だって緊張してるよ

 1回戦とは打って変わり、大宮公園野球場の客席は大勢のギャラリーで満たされていた。

 

 このギャラリーの声援が新越谷の後押しとなるかというと、そうでは無い。ベンチ入りを果たせなかった梁幽館高校野球部員は勿論、来場者のほとんどが強豪、梁幽館高校の試合を見に来ていた。

 

 客席から歓声が上がる。三塁側から梁幽館のメンバーが姿を見せたのだ。送られる声援で特に目立つのがキャプテンの中田とリードオフウーマンの陽に向けられたものである。

 

 梁幽館のシートノックが始まると声援が更に増した。100人規模の野球部員の絶え間ない声がグラウンドに集まっている。

 

 この声の重圧に菫、稜、息吹の三人は萎縮してしまうのだが、対して詠深はアウェーの空気など意にも介さず、ベンチ裏の客席にクラスメイトを見つけ、嬉しそうに手を振っていた。

 

「流石、詠深ちゃん。心強いねー。これぞエースの風格って感じ」

 

 正美は詠深を見て、感心するように話す。

 

「そう言う正美も平気そうだな」

 

 そんな稜の指摘に正美は苦笑いを浮かべた。

 

「私だって緊張してるよ。こんなたくさんの人の前で試合するの初めてだもん」 

 

 緊張も解れぬまま、新越谷のシートノックの時間となる。各々自分のポジションに、正美はセンターの守備に着いた。

 

 1.山崎珠姫(捕)、2.藤田菫(二)、3.川崎稜(遊)、4.中村希(一)、5.岡田怜(中)、6.藤原理沙(三)、7.大村白菊(右)、8.川口息吹(左)、9.武田詠深(投)。

 

 吉川の球を一番知っている珠姫が1番に入った為、上位打線が大きく動いている。新越谷の最強打者である希が4番に入っており、彼女が勝負を避けられぬよう、怜は5番に下がっていた。

 

 グラウンドに立ってもノックを受ける稜と菫の動きが悪い。二人共いつもなら何事もなく捕れる打球もグラブから弾いてしまっている。

 

 

 

 

 

 

 梁幽館ベンチでは稜と菫のエラーを前にし、選手達の纏う空気が弛緩していく。キャプテンの中田はそんな彼女達に危機感を覚えていた。

 

――弛緩している。無理もないが······。武田がどんなピッチャーか未だに分からないというのに······。

 

 中田は過去の試合を振り替える。格下相手に苦戦することは何度もあったが、決まって調子の良いお山の大将エースに抑え込まれる展開だった。

 詠深は小柄な選手の多い新越谷において目立つ体躯。一年生にしては鍛えられているし、メンタルも強そうというのが中田の評。

 

――杞憂であれば良いがな。

 

「あっ、次あの子ですよ」

 

 友利の声に反応し、中田はセンターに視線を向ける。その先にいるのは1回戦で見事な盗塁を決め、サヨナラヒットを放った背番号10の少女、正美である。

 

 監督の藤井がライナー性の打球を飛ばすと、正美は迷うこと無く全力で前へ走る。普通の選手であればワンバウンドで捕る打球を、正美は地面に触れる前に手を伸ばして捕球した。

 

 正美の守備範囲を目にした三塁側ベンチの緩んでいた空気が一気に緊張する。

 

 次に正美へ飛んできた打球は平凡なフライだったが、素早く落下点に入る無駄のない動きから、正美の守備のレベルの高さが見てとれた。

 

 中田は顎に手を添え、彼女がセンターに入ったらヒットゾーンが大分狭くなると考えている。すると、正美はセンターの定位置に戻ること無く、ショートへ移動した。

 

 突然のポジション移動に中田は怪訝な表情を見せるがそれも最初のうち。

 

「なんであの娘レギュラーじゃないのかしら?」

 

 一人から漏れたその言葉は中田の思いも代弁していた。正美の柔らかなグラブ捌きに、相手の次の動作を意識した送球。守備範囲も広そう。彼女はショートも一級品だった。

 

 新越谷のシートノックが終了し、選手達が一塁側ベンチに引き上げる。

 

 試合開始まであと僅か。三塁側ベンチでは円陣が組まれた。

 

「相手は1年中心だが、一回戦を突破したチームだ。データも少なく、何が起こるか分からない。油断して足元を掬われぬよう全力で挑もう!」

 

 中田の掛け声に一同が応えると円陣が解散される。

 

――何を考えているかは分からないが、戦力を温存して勝てるほど梁幽館(うち)は甘くないぞ。

 

 中田は一類側ベンチにその視線を向けるのだった。




 ふと、クロスファイアの意味を間違っている方が多いかもしれないので、この場で解説したいと思います。

 一般的に左投手が右打者へ投じる内角のストレートを言うことが多いですが、正確には『投手の利き手と対角に投げるストレート』を野球ではクロスファイアと呼びます。対角なのでクロスなのです。

 つまり、大野さんが希に対してクロスファイアを投げる場合は、左対左なので外角のストレートとなります。

 ちなみに、大野さんが「埼玉一右から放たれるクロスファイアを」と言っておりますが、浅井さんは内角低めに構えています。マウンテンプクイチ氏も間違って認識しているのでしょう。

 ちなみに、ハーメルンでも同様の描き方をされている方が多々おりますが、原作通りなので過去にもこれからも指摘するつもりはありません。


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21話 サイコーに格好良かったよ

 梁幽館ナインが守備に着く。間も無く試合が始まろうとしていた。

 

 正美は1塁のコーチャーズボックスへ入る。コーチャーズボックスから吉川の投球を観察していると、横から彼女に声を欠ける者が居た。

 

「君は今日も控えなんだね」

 

 ファーストを守る梁幽館のキャプテン、中田である。他の内野にボールを転がしながら流し目で正美をチラリと目をを向けた。

 話し掛けられるなんて思ってもみなかった正美は少し驚きながら、その視線を中田のものと交差させる。

 

「初戦は見事だったよ。君の事をうちのスカウトが見落としていたのが不思議な位だ」

「ありがとうございます。中田さんにそう言って頂けて光栄です」

 

 悪い話では無さそうだと一安心した正美は、笑みを浮かべて礼を言った。

 

「打席で相手にスライダーを要求してたのは相手投手のためか?」

 

 中田の言葉に正美は驚く。小さくジェスチャーしていたので、新越谷ナインも気付いていなかったのだ。

 

「まさか気付かれるとは思いませんでした」

 

 中田はあの場面について、自身の見解を話し始める。

 

「相手はデッドボールを与えて、見るからに動揺していた。その後はスライダーを一度も投げていない。投げようとすればどうしても当てたことを思い出すからね。キャッチャーも気を使ってサインを出さなかったんだろう。

 あのまま試合が終わってたら、彼女もしばらく尾を引いたかもしれない。だから君は余計なことを考えさせないよう、挑発するような真似をしてスライダーを投げさせた。彼女のためにね」

 

 中田の予想が当たっていたとして、その行為は見方によっては誉められた事ではないのだろう。しかし、中田の声音から批難を感じることは無かった。

 

「いやですよー。そんなに買い被られたら流石に照れますってー。ただ単に野球バカで、一番良い球を打ちたかっただけかもしれませんよ?」

 

 正美は茶化すように言う。

 

「ふっ。そういう事にしておくよ。まあ、本当にそうなら今バックスクリーンに君の名前があると思うがね」

 

 中田は一呼吸置く。

 

「先程の守備も素晴らしかった。もし君が梁幽館(うち)に来てくれてたら、この3ヶ月はもっと楽しかっただろうと思うよ」

 

 中田の惜しみ無い賛辞に正美は少しだけ赤面した。

 

 

 

 

 

 

 1番の珠姫が右打席で構えると、主審からプレイボールのコールが掛かる。

 

 春大会にて梁幽館は格下相手に外中心で積極的にストライクを取りにいっていた。そのデータが頭に入っていた珠姫は狙い玉を定める。決め球のスライダーが来る前のストレートに。

 

 珠姫はデータ通りにストライクを取りにきた外角のストレートをセンターへ弾き返す。いきなりノーアウトのランナーが出塁した。

 

「お見事ー!」

 

 正美はプロテクターを受け取りながら珠姫を讃える。

 

 続く菫も初球を、送りバントを決めた。ワンナウト2塁。新越谷は僅か2球でチャンスを作り上げた。

 

 クリーンナップを迎え、稜が右打席に入る。

 

 バッターボックスの彼女に客席の会話が聞こえてきた。

 

「一年相手にいきなりピンチかい」

「今年は投手がなぁ······」

「まあまあまあ、1点くらい。終わってみればコールドよ」

 

――ちっ、やりにくいなぁ。一般客は梁幽館寄りかよ······。

 

 観客のほとんどが名門、梁幽館の勝利を信じて疑っていない。1年生中心の無名校が勝ち進むビジョンなど誰も思い描いていないのだ。

 

 初球。ストレートに対しフルスイングするも、バットは空を切った。B0ーS1。

 

「へーい、どこ振ってるの?緊張してるのかい」

 

 観客からのヤジに稜が気付く。

 

「さっきのバントの娘もガチガチだったしね」

「ありゃマグレだね」

 

 稜は悔しさに歯を噛み締める。

 

「稜ちゃーんっ、ナイススイングー!!いけるよー!!」

 

 正美を皮切りに、一類側ベンチからも声援が飛んだ。

 

――そうだ。マグレでも何でも、珠姫も菫も一発で決めたんだ。私だって冷静になれば捉えられない球じゃない!

 

 2球目はしっかりとバットがボールを捉えたものの、打球はサードの側、ファールゾーンを走り抜ける。B0ーS2。稜の球足を見たサードが守る位置を後に下げた。

 

 3球目。追い込んだ吉川は決め球のスライダーを投じる。稜は鋭く変化するスライダーに必死に食らい付いた。打球はサード前方へ転がる。稜は全力で1塁へ走り、三塁手は猛チャージをかけた。

 

 稜は頭から1塁ベースへ飛び込む。サードは············どこにも投げることが出来ない。

 

 三塁手が先程のファールを見て後退していた分、捕球するのが遅れたのだ。

 

「ナイバッチー」

 

 正美が稜に声を掛けた。

 

「ひ~、かっちょ悪いヒット」

 

 稜はユニフォームに付いた土を落としながらそう言うが。

 

「ううん。サイコーに格好良かったよ」

 

 正美はそれを否定する。

 

「いいよー、6番!」

「ナイスファイト」

「私あの6番応援しよっと」

「よく見るとかわいい」

 

 スタンドからも稜を讃える言葉と共に拍手が送られた。

 

――都合の良い奴らめ······。

 

 内心そう悪態着くも、頬を赤く染めてベースに直立する姿から、照れているのがバレバレである。

 

「よく見るとかわいー」

 

 正美が稜に聞こえるくらいの小声で観客の言葉を繰り返した。稜は頬を染めたまま正美を睨む。

 

「······後で覚えてろよ」

 

 忌々しげにそう言う稜の横で、中田がおかしそうに吹き出していた。




 ちょっと無理があるかな~と思いながらも投下!


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22話 私は信じるよ

 ワンナウト走者1・3塁。打席には4番の希が向かう。犠牲フライでも1点。新越谷は先制のチャンスである。

 

 初球のスライダーを見逃し、次の球をカット。梁幽館バッテリーはテンポ良く希を追い込んだ。

 

 3球目は様子見で一つ外しB1ーS2。これがプレイボールから8球目で投じられた初めてのボール球である。

 

 4球目。梁幽館バッテリーはストライクゾーンからボールに落ちるスライダーで三振を取りにいくが、希はそのスライダーを狙っていた。希は掬い上げる様に右中間センター寄り方向へ弾き返す。新越谷一同は先制を確信した······一人を除いて。

 

「······っ!?稜ちゃんストップっ!」

 

 正美だけがセカンド、白井の動きに気付いた。白井は打球をその双眼で捉え、センター方向へ下がりながら打球を追う。彼女がボールに向かって跳び上がり、左腕を伸ばすと、白球は彼女のグラブの中に収まった。

 

 稜は慌てて1塁へ引き返すも、稜の帰塁より早く白井の投げたボールが中田のミットに収まる。

 

「アウトっ」

 

 スリーアウト、チェンジ。梁幽館はダブルプレーでピンチを切り抜けた。新越谷にとっては最悪の形で攻撃を終える。

 

「ドンマイドンマイ。今のはしょうがないって」

 

 正美は俯きながらベンチに戻る稜に寄り添い、その背中を軽く二度叩いた。

 

「ごめん。正美はちゃんと気付いたのに······」

 

 ベンチでも希が目に涙を浮かべて落ち込んでおり、その横では芳乃も苦虫を噛み潰したような顔をしている。そんな中、詠深一人が不満げな表情を見せた。

 

「こら!まだ初回の攻撃が終わっただけだよ。私1球も投げてないのにお通夜は困るなぁ。私がKOされてからにしてくれない?」

 

 そう言って、詠深はマウンドへ向かった。

 

「ほらほら。詠深ちゃんの言う通り、まだ試合は始まったばかりだよ!がっちり守って、ちゃんと私の見せ場作ってよー」

 

 正美は稜と希の二人にグラブを渡すと、ベンチから出るように促す。

 

「芳乃ちゃんもしっかり前を見て。相手の新レギュラーの情報が更新されたんだから、ビシッと作戦を立てないと」

「······そうだね。みんなの夏が掛かってるんだから」

 

 芳乃は額に汗を浮かべながらも、精悍な面構えでグラウンドを見据えた。

 

 守備練習の時間が終わり、正美はベンチの前に出て、練習に使っていたボールを回収する。

 

 梁幽館の1番打者がバッターボックスに入った。梁幽館高校の攻撃が始まる。

 

 

 

 

 

 

 主審よりプレイが掛かる。

 

 左打席に立つのは陽。昨年夏から6割以上の打率をキープする梁幽館不動の1番打者。

 

 詠深は額の上まで振りかぶり、ゆっくりとしたフォームからストレートを外角に投げ込んだ。

 

 取り立てて苦手コースの無い陽は初球打ちが多いのだが、外角球は比較的打率が低い。そのアウトローを見送り、B0ーS1。

 

 2球目も同じコースにツーシームを投げるが、陽はそれを上手くコンタクトし、逆方向に飛ばした。大きい当たりを息吹が懸命に追うが、打球はスタンドを越えるであろう。

 鋭い当たりではあったが、白球はポールの外側を通過した。コースが良かった為、陽はフェアゾーンに入れ損ねる。B0ーS2。

 

 2球で追い込んだ後の3球目。詠深はナックルスライダーを投じる。ストレートか変化球か、判断しあぐねた陽は反応が遅れ、カットしようと手を出すも、大きな変化に対応できず、バットは空を切った。梁幽館きっての好打者を詠深は三球三振に打ち取った。

 

 次の打者は先程ファインプレーを見せた白井。またもやストレートとツーシームで淡々と追い込むが、相手は早々にナックルスライダーを捨てたようで、バットが止まる。B1ーS2からの4球目、バッテリーはツーシームを選択した。白井の詰まらせた二遊間への打球を菫がグラブに収めるが、白井は俊足を生かして内野安打とする。

 

 1out走者1塁でクリンナップを迎えるが、梁幽館は無難に送りバントを選択。2out走者2塁で主砲の中田が右バッターボックスに入った。

 

 新越谷の内野陣がマウンドに集まる。珠姫が詠深に耳打ちすると詠深は微妙な表情を見せたが、それでもすぐに納得した様子を見せた。内野陣は自らの守備位置に散っていっくと、プレイが再開される。

 

 打席に中田が入ると、珠姫はキャッチャースボックスに座らずに右腕を横に広げた。新越谷サイドが選択したのは敬遠である。

 

 その瞬間、スタンドからはブーイングの嵐が吹き荒れた。

 

 卑怯者、せこい等から不祥事など明らかな中傷まで。スタンドから揶揄する言葉に希はカチンッときてスタンドに言い返す。

 

「そっちも県外から強い選手集めとーくせに、せこいとか言われたくないっちゃけどっ!」

 

 しかし、スタンドから反撃が降り掛かる。

 

「そう言うあんたもどう見ても県外じゃん。博多じゃんっ!」

 

 その言葉に希は反論の言葉を見つけることは叶わなかった。

 

「私は間違って入学しただけやもん······。それに博多区やないし。東区やし······」

 

 どんな事情があろうと、希が県外出身なのは変わらない。希は目に涙を浮かべ震えながら、誰にも届かない声でそう呟くしかなかった。

 

「すまんな」

 

 敬遠を受け、1塁へやって来た中田が希に詫びを入れる。

 

「ここは私だって歩かせる。冷静な良い指揮官を持ったな······だが、うちは5番以降も手強いぞ」

 

 中田だって勝負したかっただろうに、新越谷の作戦に理解を示した。

 

――めっちゃいい人。

 

 希が中田に感激している時、ベンチでは芳乃がギャラリーからの反感が思いの外強いことに不安を覚えていた。

 

――以外とお客の反応が大きい······球場を敵に回してまでやることだった?

 

「大丈夫。芳乃ちゃんは自分を信じて」

 

 芳乃が声の発生元の正美に視線を向ける。正美はマウンドの詠深を見つめていた。

 

 野手に声を掛け、観客からのヤジにもあっけらかんとして、その手に握る白球に視線をやる。

 

 野手一同も詠深の声掛けにしっかりと応えていた。

 

「みんな芳乃ちゃんの采配を信じてるし、私だってこの試合に勝つには芳乃ちゃんの指揮が必要だと思ってるよ」

 

 詠深は堂々としたピッチングで5番打者を迎え撃つ。

 

「そりゃ結果がどうなるかなんて分からないさ。今回みたいにオーディエンスを敵に回しちゃうかもしれないし、良い結果に繋がらないかもしれない」

 

 5番打者は詠深のストレートをセンターへ弾き返した。二塁ランナー白井は三塁を蹴ってホームへ、一類ランナーの中田はサードへ向かう。

 

「でもね、それでもあの時芳乃ちゃんが下した決断は最良のものだって、私は信じるよ」

 

 白井は生還するが、怜がサードへのストライク送球を見せ、中田を刺殺した。これでスリーアウト、チェンジとなる。

 

 初回、梁幽館に先制を許すも、その後の怜のファインプレーで流れを相手に渡さない。

 

「さて、戻ってくる部長を労いますか!」

「うん!正美ちゃん、ありがとう」

 

 正美と芳乃は笑顔で戻ってくるナインを出迎えた。



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23話 駄目だよ

 二回はお互いに無得点で終わり、迎えた三回の表。菫が死球で出塁するも、続く稜が送りバントを失敗し、ランナーが入れ替わる結果に終わった。希がレフトへヒットを放ちチャンスを作るものの、怜がセカンドゴロ・ゲッツーに仕留められ、新越谷はこの回も得点を奪うことは叶わず終了する。

 

 再び試合が動いたのは三回の裏、梁幽館の攻撃。この回は9番から始まる為、打順は二順目に突入する。その為、ラストバッターは切りたい所であったが、詠深のナックルスライダーを狙い撃ちされ、打球はライトへ転がっていった。

 

 続く陽にはナックルスライダーをバックネットへファールにされた後、ツーシームをコンタクトされ、三遊間を抜かれる。

 

 走者1・2塁で、先程内野安打で出塁した二番の白井が送りバントを決め、1out走者2・3塁となった。

 

 クリーンナップを迎え撃つ新越谷バッテリーはスクイズを警戒し、初球を大きく外した後、もう一度同じ球を選択する。

 

 カウントを悪くするのを嫌い、キャッチャーは立たないだろうと踏んだ梁幽館はスクイズを決行した為、サードランナーはスタートを切っていた。バッターは必死に飛び付き、何とか食らい付いたが、打球はホームベース付近上空に上がる。キャッチャーフライ、選手達も観客も、誰もがそう思った。だが残酷にも、ここで野球の神様は梁幽館に味方する。

 

「······っ!?」

 

 珠姫は突然、目をしかめた。白球はフェアゾーンに落下。珠姫はすぐに拾い上げるも、どこにも投げることが出来ず、オールセーフ。満塁となった。

 

 落球の原因はボールと太陽の位置が重なったことによる視野不良。時は正午過ぎ。太陽は高い位置に鎮座していた。

 

 ここで打席に入るのは主砲の中田。新越谷は本日、最大のピンチを迎える。

 

 新越谷はタイムをとり、内野陣が集まった。芳乃もドリンクを持ってマウンドへ向かう。

 

 芳乃が作戦を伝えると一同驚きを見せるも、誰も反対する様子を見せなかった。

 

「芳乃らしい作戦だけど、素でエグい······」

「まあ、毒を食らわば皿までってな」

 

 菫と稜の、作戦に対するリアクションである。

 

 芳乃への信頼故か、想定しうる最悪の展開にも関わらず、悲観するものは誰もいない。

 

 マウンドから解散し、珠姫が主審に準備完了を告げた。

 

 審判のコールによりプレイが再開されるが、珠姫はキャッチャースボックスに座らない。中田の1打席目と同様に右腕を外側に広げた。

 

 満塁敬遠。芳乃は大量失点のリスクを避ける為に1点を捨てる事を選んだ。

 

 場内は先程の敬遠の時とは比べ物になら無いほどのブーイングで満たされる。

 

 飛び交う罵詈雑言の嵐に、芳乃は思わず下を向いてしまった。

 

「駄目だよ」

 

 芳乃が視線を向けた先にいる正美は精悍な顔付きでグラウンドを見つめる。

 

「詠深ちゃんは芳乃ちゃんの指示で敬遠してるんだよ。なら、芳乃ちゃんだけは絶対に目を逸らしちゃ駄目」

 

 正美の言葉を受け、芳乃もグラウンドに顔を向けた。ただ、その表情は今にも泣き出してしまいそうである。

 

「芳乃ちゃん!」

 

 そんな芳乃に、マウンドの詠深が安心させるように笑みを送った。

 

 ピンチは続き、迎えるは初回にタイムリーを放った5番。

 

 ブーイングが止まぬ中、詠深は一打席目と同じくナックルスライダー2球で追い込む。

 

 珠姫は頭の中で配球を廻らす。

 

――第一打席はこの後の内角直球を打たれたけど、ここはあえて同じ攻めていく。ただし、強ストレート(・・・・・・)。ここで使おう。

 

 

 

 

 

 

 一回戦翌日の事。

 

「出番~先発~やっと投げられる~♪」

 

 詠深は影森戦でマウンドに立つことが出来ず、鬱憤が溜まっていたのだろう。二日後の梁幽館戦の先発を前にし、ご機嫌に即興曲を歌っていた。

 

「······変な曲。早くマウンド行ったら?」

 

 詠深の側でプロテクターを着けていた珠姫は、そんな詠深を冷たくあしらう。

 

「最近タマちゃんと疎遠だったし、もう手放したくない」

「は?」

「18.44mも離れたくないよ~」

 

 そう言って、詠深は珠姫に抱き付いた。

 

「くっつかないで!暑い!······ほら、行くよ!」

「待ってよ~」

 

 珠姫と詠深はそれぞれホームとマウンドへ向かう。

 

「来い!直球!」

 

 珠姫はしゃがんでストレートを要求した。

 

「あ?」

 

 そんな珠姫に詠深は疑問符を浮かべる。何故なら、珠姫は詠深から18.44mどころか、更にその奥にしゃがんでいたからだ。

 

「と、遠くない?もしかして引いた?」

 

 先程抱き付いたことで珠姫に避けられているのではないかと、詠深は不安になる。

 

「いつもと変わらないパワーで、でもちゃんと届くように投げてみて」

 

 そんな詠深を余所に、珠姫はいつもと変わらず詠深に指示を出した。

 

 詠深は珠姫の要求通りに直球を投げる。

 

「オッケー!誰か打席に!次は何時もの18.44m。今投げたのと同じ様に投げてみて」

 

 打席には正美が立ち、詠深は奥へ投げたのと同じ様に直球を放った。

 

「速くはないけど、ボールの伸びが段違いだね。凄く良いストレートだよ!」

 

 正美は今の直球をそう評する。

 

――本人は普段手を抜いてる自覚はないだろうけど、あれだけの変化球を投げながら直球がショボいわけないんだよ。自由に引き出せれば武器になるけど、一気にやろうとすれば崩しかねないからね。自然に少しずつ引き出して上げる。

 

 

 

 

 

 

 B0ーS2。内角高めのストレートを投じる。

 

――タマちゃんが遠くにいるとイメージして······いつもと同じパワーでちゃんと届くように投げる!

 

 自分の前の打者を敬遠され、しかも安打を放った1打席目と同じ配球。面白いはずがない。梁幽館の5番打者は1打席目と同じイメージでバットを出すが、そのイメージよりも早くボールがやって来た。

 

 伸びが良いという事は、初速は同じでも空気抵抗による減速が少なくなる事を意味する。ホームへの到達時間が短くなる為、バッターからすれば速く感じるのだ。

 

 差し込まれながら打った白球は詠深の前に転がった。詠深はボールを掴むとホームへ送球。珠姫がボールを受け取り、すぐにファーストへ投げた。結果は1ー2ー3のダブルプレー。最高の結果でピンチを切り抜けた。

 

「詠深ちゃんありがとう!」

 

 芳乃は涙を浮かべながら詠深を出迎える。

 

「大袈裟だなぁ」

 

 そんな芳乃に、詠深は笑いながら答えた。




 ダイジェストっぽくもっとサクサク進むつもりだったのに、気付いたら何時も通りに······。

 私ゃ三人称メインで書くのは初めてなのですが、ほぼ原作通りに進めながらオリ主を割り込ませるの難しいですね。
 一人称だと心理描写も入れやすくなるのですが······。


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24話 お前もハリネズミにしてやろうかー!

 試合終了まで書けたので投稿します。流石に最後の方は飽きました(笑)


 4回はお互いに無得点。

 

 新越谷は奇策、白菊のセーフティバントと送りバントでチャンスメイクしたものの、9番の詠深が三振に倒れる。打順が調整され、次の回に1番から始められるので、悪いことばかりと言う訳では無かったが······。

 

 梁幽館はツーアウトの後、ラッキーな安打もあり1・3塁とするも、後続の陽がファーストゴロに打ち取られ、チェンジとなった。

 

 5回に入る前にグラウンド整備が入る。

 

「ヨミちゃんは一日で最高何球投げたことある?」

 

 珠姫はリードの参考までにと何気なく詠深に尋ねたのだが、詠深の解答に驚愕する事となる。

 

「うーん······ダブルヘッダーとかもあったしなぁ······250球くらいかな!」

 

 詠深も何てこと無さ気にそう答えた。

 

「は?ちょっ、勘弁してよ。よく壊れなかったね?今まで!」

「250球と言っても全力で投げた事無かったし。でも今日はタマちゃんが一生懸命考えてリートしてくれて全力が出せているから、120球くらいでバテるかも」

 

 詠深は嬉しそうに語る。

 

「でも調子良いし、決め球でゴリ押ししても耐えられると思うから、遠慮無く!」

「しないよ!すぐ調子に乗る!」

 

 珠姫が詠深を嗜めると、後ろから正美が現れた。

 

「あはっ。でも体のケアはちゃんとしないとね。折角だし今日解散したらうちにおいでよ」

「正美ちゃんちに?」

「ふっふっふー。お前もハリネズミにしてやろうかー!」

「ハリネズミ!?」

 

 正美は1㎜も似ていない閣下の物真似をするが、残念ながら詠深は蝋人形○館を知らない。

 

「ま、損はさせないから楽しみにしててよー」

 

 正美はニコニコしながら詠深と約束を取り付けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 5回も新越谷は得点圏にランナーを置くも、白井のファインプレーによって無得点に終わった。

 この試合、再三チャンスを作るものの、1点が遠い。

 

 梁幽館も上位打線から始まるが、詠深のギアが更に上がり、二者連続三振に切って取られた。

 

 2out走者無しで迎えるのは本日2敬遠の中田。再び敬遠かと、少なくない者がそう考えたが、珠姫は野手陣に後ろへ下がるよう指示を出す。

 

 珠姫が中田に対して初めてキャッチャースボックスに座った。3打席目にして新越谷のエース、詠深と梁幽館の主砲、中田は実質的な初対決を迎える。

 

 右打席に立つ中田がバットを構えると、一瞬にして周囲の空気が変わった。中田から放つプレッシャーを感じ取ったのは珠姫、希、芳乃、そして彼女と対峙する詠深である。

 

 しかし、全国レベルの威圧感を感じても尚、詠深は笑った。

 

 初球、強ストレートをインハイに投げ込む。それに対し、中田もフルスイングで応えた。結果は空振り。

 

 2球目も同じく強ストレート。外角の球を中田もまたフルスイングすると、今度は真後ろに飛んでいった。

 

 1球仰け反らせるインハイで外して迎える4球目。ナックルスライダーを中田はライト側へカット。その打球はグングン伸びていき、ポールの外を通りスタンドへ飛び込む。カウントに動きは無かったが、中田のスケールの大きさを改めて見せ付ける形となった。

 

 それから両者の一歩も引かない攻防が始まる。新越谷バッテリーは微妙なボール球と明らかなボール球を交えて投げているが、中田はその全てをカットしている。

 

 高校通算50本塁打、OPS2前後の数字を誇る中田はカウントが悪くなると勝負を避けられる可能性が高い。だが2out走者なしの状況において、チームが中田に求めているのはホームラン。それを分かっているからこそ、中田はボールと分かっていてもバットを振る。いつか来るストライクを仕留める為に。それが出来る事こそが、名門梁幽館高校野球部において中田が4番に座る所以である。

 

 外に変化球を散りばめ、布石を整えた10球目。ここで決めようと珠姫はインハイの強ストレートのサインを出す。詠深は未だ慣れないこの球を珠姫の構えた所へしかと制球して投げた。

 

 珠姫の期待以上の、本日最高の直球。そして············中田の待ち望んだ好球(ストライクゾーン)

 

 中田は哂った。

 

 そして、詠深と珠姫の胸郭内に悪寒が走る。

 

 中田がフルスイングすると、バットは直球をジャストミートした。

 

 打球はレフトへ、高々と(そら)を駆ける。中田の打球を初めて直に見た者は始めフライに打ち取ったと思う者もいるだろう。

 

 しかし、長打シフトの息吹は一歩も動かない。打球は彼女の遥か向こう側へ伸びる。

 

 ようやく白球が落ちた場所はレフトスタンド後方。中田は歓声が降り注ぐ中、ゆっくりとダイヤモンドを一周した。

 

 バックスクリーンに1の文字が掲げられる。0ー3。新越谷は重い重い追加点を奪われた。

 

 続く5番打者にも良い当たりを打たれるが、センターライナーとなり、五回を終える。



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25話 キャプテン、シビれるー!!

 残るイニングは二つ。打席には怜が向かった。

 

「キャプテン打ってー!!ホームランッ。私の仇を取ってー!!」

 

 詠深が声を張り上げて怜にエールを送る。

 

 気丈に振る舞ってはいる詠深だが、先程はベンチで悔しさに震えていたのを怜は見ていた。

 

――後輩が頑張っているのに無得点とは不甲斐ない。中田の様にホームランは無理だが、理沙と二人で1点取るぞ。その為にはまずチャンスメイクだ。

 

 怜が振るうバットはマウンドから放たれた白球を右中間へと運んだ。打球は外野を抜き、フェンスへ向かって転がっていく。

 

 怜は一塁を蹴って二塁へ。

 

 センターの陽がボールを拾うと中継の白井へボールを返した。

 

――まだだっ。正美ならこんな所で止まったりはしない!

 

 怜は一人の後輩を意識しながら二塁を周り、三塁へ駆ける。しかし、白井の中継プレイも上手い。ボールを受けてから投げるまでのタイムラグを最小限に留め、サードへ送球した。

 

 タイミングはギリギリ。怜は三塁へ滑り込む。

 

「セーフ!」

 

 ボールよりも早く怜が三塁へ到達した。0 out走者3塁。新越谷のキャプテンの好走塁がここに来てチャンスを生んだ。

 

 一塁側ベンチは怜のプレーに色めき立つ。

 

「キャプテン、シビれるー!!」

 

 正美も立ち上がって歓声を上げた。

 

 梁幽館の内野陣がこの試合初めてマウンドに集まる。

 

「正美ちゃん。この後、9・1・4番以外でチャンスになったら代打いくから」

「りょうかーい。ドーンと任せて」

 

 芳乃が正美に起用プランを伝えると、正美は笑って了承した。

 

 梁幽館の内野陣が解散すると、打席にはここまでノーヒットの理沙が入る。

 

 梁幽館ナインはほぼ定位置に立つ。1点を捨てるシフトだ。

 

――怜は流石ね。他のみんなも格上相手にここまでやれるなんて······ここで繋ぐ力くらい私にもあるはずっ。

 

 理沙により振るわれたバットは白球を地面へと叩きつける。打球はピッチャーの頭上を破るが、ショートが処理し、ファーストへ送った。打者走者はアウトになったものの、新越谷はようやく1点を上げることに成功した。

 

 打点を上げた理沙はベンチに温かく迎え入れられたものの、長椅子に座ると悔しそうな表情を浮かべる。

 

 点数は入ったものの、ランナーは無くなり、仕切り直しとなってしまった。吉川も楽に投げられる様になり、続く白菊を三振に打ち取る。

 

 8番の息吹はストライクゾーンにきたボールをカットして粘り、フォアボールを勝ち取った。

 

「ナイス選!」

「流石はチーム最高出塁率ー!!」

 

 ベンチが再び沸き立つ。

 

 次はラストバッターの詠深。吉川は同じく珠姫とバッテリーを組んでいた者として詠深を意識していた。彼女を前にして、吉川は気合いを入れ直す。

 

 1球目は空振りを奪うが、甘くなった2球目を詠深が捉えた。打球は良い角度で上がっていったが、センター陽はほぼ定位置でグラブに納める。

 

 これでスリーアウト。この回、新越谷は1点を返したが、未だ2点の差か開いていた。

 

 

 

 

 

 

 先程、ホームランを打たれた詠深だったが、イニングを跨ぐとギアを更に上げた。下位打線とはいえ、6・7番を連続で三振に切って取る。

 

 8番の小林に対しても3ストライクを取ったのだが、珠姫が最後のナックルスライダーを後ろにそらしてしまった。打者は振り逃げで出塁する。

 

 最後の球を一塁側ベンチから見ていた正美は目を見開いて驚いた。次の瞬間には目を鋭くさせ、詠深のピッチングを見逃さないようマウンドを見つめる。

 

 中高合わせて無失策だった珠姫に付いた初めての失策。それほどまでに、この試合の中で詠深は成長を遂げていた。

 

 同世代の投手では捕れない球はない無いと思っていた珠姫は自らの横を通り過ぎていったナックルスライダーに興奮を隠しきれない。続くラストバッターに対する決め球もナックルスライダーを要求。今度もミットに納めることは叶わなかったものの、珠姫はボールを体で止め、一塁へ送球。3アウト目を奪った。

 

――流石に私も打つ自信ないかも······。

 

 マウンドから笑顔で帰ってくる詠深からは先程の魔球とも思えるナックルスライダーを投げるようなオーラを感じない。そんな詠深を見つめ、正美は汗を浮かべながら、詠深が敵じゃなくて良かったと思うと共に、逆に味方である事を心強く思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 そして、試合は運命の最終回を迎える·····。




 正美の存在感薄し······。


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26話 越えろーーっ!!

 最終回、新越谷に課せられたノルマは最低2点。ただ、ベンチにまだ選手を豊富に残している梁幽館に対し、新越谷は正美のみ。延長戦になると新越谷不利は必至である為、この回にしっかりと逆転したい所である。

 

 打者は1番から。珠姫が右打席に入った。

 

「こいっ!」

 

 珠姫は吉川に哮ける。詠深の気迫のピッチングに感化され、気合が入っていた。

 

 その気合が上手いこと働き、集中を増した珠姫は吉川のスライダーをセンターへ返す。0 out走者1塁。打った珠姫も見事だが、前の回から吉川の制球が乱れ始めていた。

 

 次に打席に立つのは菫。バントの多い彼女だが、点差が開いている為、バントのサインは出ない。

 

 菫はバントの構えを見せるなど吉川を揺さぶり、フォアボールで出塁した。

 

 0 out走者1・2塁。同点のランナーが出塁する。

 

「正美ちゃん、いくよ」

「あいあいさー」

 

 芳乃が正美に声を掛けると、正美は返事をしてヘルメットを被った。

 

 芳乃はネクストバッターズサークルの稜を呼び戻す。藤井が主審に代打を告げにベンチを出ようとすると、同時に梁幽館の監督もベンチから出てきた。

 

 正美がバッターボックスに向かう途中で悔しそうに顔を歪めた稜とすれ違う。お互いに掛ける言葉は無かった。

 

【梁幽館高校、シートの変更をお知らせ致します。ファーストの中田さんがピッチャー。吉川さんに変わりましてファースト谷口さん。以上に代わります】

 

 場内アナウンスが流れると、エースの登板に場内が沸き立つ。

 

 マウンドに上がった中田は、左打席の外に立つ正美に目が合うと不敵な笑みを浮かべた。

 

 セットポジションから中田が投じたストレートは小林のミットにけたたましい音を立てて納まる。

 

――あははー······。これはちょっとマズいかも。

 

 間近で中多のストレートを見た正美は予想以上の球威に眉尻を下げた。

 

【3番、川崎さんに変わりまして三輪さん。バッターは三輪さん】

 

 中田の練習が終わり、左打席に正美が入る。サインは無し。外角低めにバットを一度通してからバットを構えた。

 

 初球、投じられたのは内角のストレートを正美は見送る。B0ーS1。

 

 2球目。足を小さく上げてバットを振る。外角にきたストレートをミートした。緩い打球が三塁側ファールゾーンを飛んでいく。

 

 今のファールにキャッチャーの小林は疑問を感じた。

 

――今のバッティング······彼女は芯を外していなかったはず。スイングも悪くなかった。

 

 実は小林の疑問は的を得ているのだ。

 

 正美は草野球をしていた時から重い球を苦手としていた。それは彼女の小柄な体格故の非力さからくるものである。

 

 軟式野球では正美のミート極振りのスイングでも、フォロースルーをしっかり振りきる事を強く意識し、また常にバットの芯で捉える練習を重ねることで対応できていた。

 

 しかし、硬式野球は当然ながら硬式球を使う。軟式球から硬式球に変わって飛距離が伸びる境界線は、打球の初速が100㎞/h以上とされている。しかし、非力な正美にそんなスピードを出すことは出来ない。

 

 勿論、正美も硬式球に変わって打球が弱くなったと感じていた。それでも、今までは威力の高いストレートを投げる投手と対戦することが無かったので、硬式でも高いアベレージをキープしている。だが、目の前のマウンドに立つのは正美が硬式野球で初めて相手にする速球派の投手。正美は転向後、初めての壁と退治していた。

 

 3球目。中田は変化球で1球外し、カウントをB1ーS2とする。

 

 4、5球目は外角のストレートをカット。6球目は変化球だったがストライクゾーンには投げない。

 

――変化球を入れてこない······。ストレートを飛ばせない事がバレた?どうする······セーフティ?いや、いくらなんでもギャンブルが過ぎる······。

 

 正美は弱気になり始めていた。焦燥感が正美の意識を飲み込んでいったそんな時、彼女を引き上げたのはベンチからの声援だった。

 

「正美ぃ。ファイトー!!」

 

 声を上げているのはベンチに下がった稜。

 

「かっとばせー!!」

「打てー!!」

 

 稜に釣られる様に、他のメンバーからも声援が送られる。

 

 正美はバッターボックスを外すと、目を閉じて大きく一呼吸いれた。

 

――稜ちゃんに悔しい思いをさせてるんだ。弱気になってる場合じゃない。

 

 再び目を開いた時には、弱気な正美はもう居なかった。バッターボックスに立ち、精悍な顔つきで中田と対峙する。

 

 中田がセットポジションから足を上げた時、正美も右足を大きく上げた。

 

 内角高めへ威力抜群のストレートが迫る。正美は力強く踏み込んでバットを振り抜くと打球はふわりと上がり、ライト線へと飛んでいった。ファースト、ライトが打球を追い掛ける。

 

「越えろーーっ!!」

 

 正美が一塁へ走りながら叫ぶ。

 

 白球はファーストのグラブの先を通過し、ライトを転がっていった。

 

 ボールが落ちたのを確認した珠姫と菫はそれぞれ三塁と二塁を蹴り、次の塁を目指す。ライトが捕球してセカンドにボールを返すが、セカンドは何処にも投げる事が出来ない。0 out走者1・3塁。珠姫が生還し、2点目が入った。

 

 一塁では正美が呼吸を整える。

 

「正美ー、ナイバッチー!!」

 

 正美がベンチに視線を向けると、稜が右手を掲げて正美を称えていた。

 

 正美は心が熱くなるのを感じる。正美も右手を握り、掲げて応えた。

 

 あと1点で試合を振り出しに戻せる。

 

――悔しいけど、私には中田さんみたいに試合を動かすような一打は打てない。だから······。

 

 正美はホームの方を見つめる。

 

――あとは任せたよ、希ちゃん。




 飛距離についてはこちらのサイトを参考にしました。

 https://yakyu-jotatsu.com/2017/03/18/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0-%E9%A3%9B%E8%B7%9D%E9%9B%A2-%E7%A1%AC%E5%BC%8F/


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27話 すっごく心強かったよ!

 新越谷 2-3 梁幽館。0 out走者1・3塁のチャンスで迎えるのは本日4番に座る希である。

 

 中田がセットポジションに入ると、正美は大きくリードをとった。一般的にリードの距離の目安として身長の1.5倍や、手を上げた高さ+1歩と言われているが、現在、正美は自分の身長の二倍近くリードを取っている。

 

 中田は一塁に牽制した。正美は頭から一塁へ帰塁する。

 

 正美のリードに気付いた一部の観客がざわついた。

 

「ちょっとあの娘リードしすぎじゃない?」

「流石に嘗め過ぎだろ」

 

 今度は一塁への偽投を見せる。正美は再び頭から帰塁した。

 

 正美のリードにはトリックがある。通常、走者は次の塁へ進む意識と牽制の際に帰塁する意識を両立させているのだが、今の正美は進塁の意識を全て捨て去り、帰塁する事にのみ意識を働かせていた。それにより通常よりも早く牽制に反応できるようになり、大きなリードを可能としている。

 

 一塁走者の正美は逆転のランナーである。梁幽館にからすると得点圏には絶対に進ませたくない。梁幽館サイドは正美の足の速さや、初戦では1球目から説極的に盗塁しているのもビデオで確認済みである。その上で大きくリードを取られるとどうしても警戒せざるを得ない。

 

 初級ストレートを外角高めに大きく外した。S0―B1

 

 このピンチの状況でカウントを悪くしたくない。しかも、次の打者は3打数2安打と好調の怜である。そして、1塁ランナーには走力のある正美。梁幽館バッテリーにとれる選択肢は多くない。

 

 ランナー二人を牽制しつつ、中田は2球目を投じる。内角への力強い直球。これを希はフルスイングした。バットは白球を真っ芯でとらえると、打球はライトへと上がっていき飛距離をどんどん伸ばしていく。やがて白球はライトの頭を裕に越し、ポールを巻いてスタンドに飛び込んだ。

 

 グラウンド、ベンチ、スタンドを問わず梁幽館の野球部員が凍り付く中、希はゆっくりとダイヤモンドを一周する。

 

 ホームベースを踏み、ベンチに戻ってきた正美はみんなとハイタッチを交わした。そして、稜の前にやってくる。

 

「ナイバッチ!」

 

 稜は正美とハイタッチして、今度は希を迎える準備をしようとすると下から軽い衝撃に襲われた。衝撃を感じた所を見下ろすと、そこには正美が抱きついている。

 

「応援ありがとっ。すっごく心強かったよ!」

 

 そんな正美に、稜は照れ臭そうに笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 最終回の守り。正美はショートの守備に着く。

 

 マウンドで詠深と珠姫が和やかに話をしている様子が確認できた。公式戦初勝利を前にしても、詠深からは緊張している様子は見られない。

 

――このメンタルの強さはヨミちゃんの強みだね。

 

 エースの風格を醸しつつマウンドに立つ詠深は本来の姿よりも大きく見え、フェアグラウンドに立って尚、そんな詠深が心強く感じる正美であった。

 

 先頭の陽は詠深の初球を完璧にコンタクトするが、打球はセカンド菫の正面のライナー。これでワンナウト。

 

 続く白井は3球勝負の直球を打ち上げる。正美が難なく落下点に入り捕球した。ツーアウト。

 

 あと一人。3番、高代を迎える。

 

 彼女も白井同様、今大会からショートのレギュラーを勝ち取った選手である。涙が出るほど辛い練習を乗り越え、寝る間さえ惜しんでバットを振り、そうしてようやくこの土を踏むことが出来た。こんな所で負けて堪るか。そんな思いがバットに乗り移ったのだろうか。高代は白球をレフト線へと弾き返した。高代は一塁を回り二塁へ到達。首の皮一つで中田へと繋いだ。

 

 新越谷バッテリーは再びマウンドに集まる。中田への対処を話し合っているのだろう。お世辞にも良いとは言えない展開であるが、二人からはこれっぽっちの悲壮感も感じとれなかった。

 

 珠姫はキャッチャースボックスに戻るとしゃがんでサインを出す。敬遠は無い。こんな状況でも詠深は笑っていた。

 

――ほんと凄いなー……。

 

 対して、先程の打席で弱気になってしまった自分を情けないと正美は思う。

 

 詠深は額の上まで振りかぶり、ゆったりとしたフォームから初球を投じた。中田のフルスイングは白球を三塁側のファールゾーンへ鋭いライナーを放つ。B0ーS1。

 

 2球目はストライク勝負のナックルスライダー。先程の打席よりも切れ味の増した変化球に対応しきれず、打球はバックネットへ飛んでいった。

 

 サイン交換を済ませた詠深がロージンを手にする。

 

「ヨミ!楽にね!」

 

 菫が右手でツーアウトを作り、詠深に声を掛けた。それを皮切りに新越谷ナインは次々と声を上げる。

 

「ピッチャー勝っとーよ!」

 

 希がいつもの博多弁で言う。

 

「サード打たせて良いわよ!」

 

 理沙も詠深が楽に投げられるよう励ます。

 

 外野からも、詠深は何を言っているかまでは聞き取れないが、みんな詠深を激励しているのが分かる。

 

 そして正美も。

 

「どんな打球もババーンと任せてよ。みんなで勝ちにいくよー!」

 

 いつものニコニコ顔で詠深に声を送った。

 

 詠深はまた笑って“大好き”と書かれた帽子のつばに指を掛ける。

 

 良い具合に力の抜けた詠深は3球目を投げ込んだ。珠姫をより遠くに感じた強ストレート。強気に三球勝負を仕掛けた珠姫に、それに応えた詠深。本日一番のストレートが18.44mを駈ける。

 

 詠深の調子が急上昇しているのを承知の上で、中田はフルスイングを止めない。この一振りで再び試合を振り出しに戻すと、4番としての矜持とプライドや、皆と共に先へ進むのだという仲間への思いをバットに込めた。

 

 キーンッ、と甲高い音が球場の外まで響く。ふわりと舞い上がった中田の当たりは··············内野の頭を越すことさえ叶わなかった。思いは届かず、白球はファーストを守る希の元へと落ちてくる。

 

 希がしっかりとボールを掴むと、審判のアウトコールと共にゲームセットが宣言された。

 

 本大会最初の番狂わせに球場が沸き立つ。

 

 新越谷ナインは一斉にマウンドへ駆け付けた。珠姫が詠深に飛び付き、理沙が詠深の後ろから肩に腕を回す。菫はベンチから出てきた稜と喜びを分かち合い、そして正美も今回はこの輪の中に入っていた。詠深と珠姫の背中をバシバシ叩き、満面の笑みを浮かべている。皆まるで優勝したかの様なお祭り騒ぎだ。

 

 負けた梁幽館は現実を受け止めきれず、ただ立ち尽くす。だが一人、それに釣られる様にまた一人とホームベースに集まった。

 

 整列して互いの健闘を称え合うと、双方ベンチへ引き上げていく。

 

 グラウンドでは気丈に振る舞っていた梁幽館のメンバーも、ベンチに降りると次々に泣き崩れていった。

 

 それに対し、強豪梁幽館を突破した新越谷サイドは終始笑顔である。たった一人、ずっと不思議そうにしていた詠深を除いて。




 『のぞ×よし』かと思った?残念!正美回でしたー!

 え?ネタが古い?

 それはさて置き、『のぞ×よし』は全カットしましたが、描かれていない所でしっかりと行われていたので安心してください。

 代わりに『まさ×りょう』をやろうと思ったのですが、あまり盛り上がりませんでしたね(汗)






 正美のリードについて。

 ベースから大きく離れている様子の描写が上手いこと思い浮かばず、この様な表現となりました。

 身長の2倍くらいなら極端に大きくないのではと思いつつ、2.5倍だといくらなんでも広すぎるかも、など色々と悩みました。正美の身長が低いのも悩みの種······。

 何か良い表現があれば教えてください。






 明日、正美のキャラ設定を公開したら、次は遅くなるかと思います。


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設定資料
設定資料 三輪正美


 主人公の能力、盛りすぎた気がします。


~三輪 正美(みわ まさみ)~

 

ポジション:全て

 

右投げ両打

 

バッティングフォーム:スクエアスタンス

 

打球傾向:センター~引っ張り。内外野間へ落とすライナー。ケースバッティング可

 

スイング:アッパー気味のレベル

 

ピッチングフォーム:スリークォーター

 

学年:1

 

背番号:10

 

誕生日:7月23日

 

身長:143cm

 

出身チーム:ウィングス(現在も在籍中)

 

好きな動物:ハリネズミ

 

趣味:映画鑑賞

 

進学理由:通学と学力

 

使用グラブ:オールラウンド

 

モデル選手:三輪 正義(元東京ヤクルトスワローズ)

 

イメージCV:船戸 ゆり絵

 

 

 

 

 

 

・笑顔をよく見せる少女。たまにあざとい側面を見せることもある。

 

・高校生にしては低身長だが、本人は全く気にしておらず、初見で実年齢より下に見られた後のネタ晴らしを楽しむ事もしばしば。

 

・低身長ゆえに、下から笑顔を向けられ、ノックアウトした男子も居るとか、居ないとか。

 

 

 

 

 

 

~持ち球~

フォーシーム、ツーシーム、スローカーブ、チェンジアップ、高速シンカー、カットボール、スライダー。

 

 

 

 

 

 

 能力(1~5、+-)

 

・ミート力:5

・長打力:1-

・走力:5+

・グラブ捌き:4+

・守備範囲:5-

・肩力:3-

・選球眼:5

・バント:5

・送球(制球):5

・盗塁技術:5

・走塁技術:5

・捕手配球:3

 

・最高球速:98㎞/h

・制球:5

・スタミナ:4+

・フォーシーム:4

・ツーシーム:3

・スローカーブ:3

・チェンジアップ:3+

・高速シンカー:3+

・カットボール3

・スライダー:3

・牽制:4

・クイック:4

 

・反射神経:5

 

 

 

 

 

 

~弱点~

 

[闘争心の無さ]

 ずっと草野球でエンジョイベースボールをしてきた為、誰かのし上がってレギュラーを勝ち取るという概念が無い。

 加えて、甘さとも言える優しさがあり、レギュラーを奪うことで誰かを傷付けることを躊躇ってしまう。

 

[長打力]

 非力な為、外野に前進守備をとられるだけで正美のヒッティングゾーンは大幅に減ってしまう。

 もっとも、前進した外野を抜けばランニングホームランにできる程の走力をもっている為、守る側からすれば諸刃の刃である。

 

[重い球]

 26話参照。

 ※ミート極振りのスイング:6割程度の力でコンパクトにスイングする。

 

 

 

 

 

 

※最高球速について

 

 まず、筆者は女子野球に全く詳しくないことを留意してください。

 

 女子プロの球速は120㎞/hで速いと言われる世界だそうです(ヤフー知恵袋情報ですが)。これを男子の150㎞/h相当と考えます。

 

 また、NPBの最速が165㎞/hに対し、日本の女子プロの最高球速が128㎞/hです。

 

 現実世界に対し、球詠の世界は女子野球の競技人口が遥かに多いことから、現実世界よりもレベルが上がっていると想定し、それぞれ女子の球速を+5㎞/hの補正を入れます。

 

 では、簡単な式を作ります(私の数学の最終成績が2なもので······)。女子の球速÷男子の球速で計算します。

 

 123÷150=0.82

 133÷165=0.8060606060······

 

 小数点第二位以下を切り捨て、0.8を男子野球→女子野球の変換値とします。

 

 正美の球速を男子で言う123㎞/h相当として計算すると。

 

 X÷123=0.8

    X=98.4

 

 これを四捨五入して、正美の球速を98㎞/hとしました。



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激戦を終えて
28話 ハリネズミになってもらいます!


 試合の後は学校へ戻って練習となった。藤井教諭より、試合の反省点を重点的に行うとの事だ。正美は芳乃とのハリネズミを見に行く予定を潰され、唖然としていた。

 

 球場から帰る前に中田と高橋が新越谷ナインの元へ挨拶に訪れた。中田からはたくさんの折り鶴を託され、高橋からはこれから当たるであろう相手校の情報を譲り受ける。正美はちゃっかり中田と連絡先を交換していた。

 

 閑話休題、その練習が終わり、バットを杖にしてようやく立っていた藤井教諭がグラウンドからはけると、稜、菫、白菊がその場に座り込む。息吹に至っては胴まで地に着けていた。死屍累々······、

 

「それにしても梁幽館······よく勝てたわね」

 

 菫がしみじみと呟く。

 

 本日の勝因について、希のホームランと詠深の好投や、梁幽館が格下相手にも関わらずデータ通りの堅実な試合運びをしてくれたお陰など、様々上がるが。

 

「やっぱり大きなミスもなく想定内の3失点で踏ん張れたのが勝因だよ。みんなの勝利だよ!」

 

 芳乃はそう総括した。反れに対して異論を唱えるものは一人もいない。

 

「そのみんなの中に途中出場の私も入って良いのかな?」

 

 正美は上目遣いで窺うように尋ねる。

 

「勿論!ナイスバッティングだったよ」

 

 芳乃が微笑みながら答えた。

 

「よく私に変わって打ってくれたぜ!」

「なに偉そうに言ってるのよ。あんたじゃ中田さんから打てたかどうか······」

 

 サムズアップして言う稜に菫がツッコむ。

 

「正美ちゃんのおかげで狙い玉絞りやすかったよ」

 

 ホームランを打った希も正美の功績を称えた。

 

「正美も誇って良いんだ」

「ええ。自信をもって」

 

 怜と理沙も正美の活躍を認める。

 

「そっか······」

 

 そんなみんなに正美は表情をふにゃりと崩した。

 

「そういえば、ヨミは結局出てきてないのか?」

 

 怜はそう言って部室棟へ視線を向ける。詠深は今日の試合で完投したため、練習を免除されていた。

 

「一人で録画見てましたけど、もしかしたら寝てるかも」

 

 詠深の女房役である珠姫が怜に答える。

 

「ずっと、ぽわっとしてたからヨミちゃん今頃ようやく実感が湧いて一人で泣いてるかもね」

『あー』

 

 正美の言葉に一同、あり得る、と思った。

 

 みんなで部室へ行くと案の定、涙で頬を濡らした詠深が珠姫へ飛び付く。

 

「武田投手、公式戦初勝利だね。おめでと」

 

 そんな珠姫の優しげな言葉に詠深はより一層泣き出すのだった。

 

 そして、珠姫の練習着が詠深の鼻水の犠牲となる。

 

 

 

 

 

 

 そして部活が終わり······。

 

「さぁさぁ我が家へようこそー」

 

 そう言って正美が示した一軒家は1階がお店になっていた。看板には“三輪はりきゅう治療院”と書かれている。

 

 正美と一緒にいるのは詠深、珠姫、芳乃、息吹の四人。

 

 本日の受付は終了している旨が書かれたプレートのぶら下がった入口を、正美が開いた。

 

「ただいまー」

 

 彼女が中に声を掛けて中に入ると、奥から白衣を身に付けた年増の女性が顔を覗かせる。

 

「おかえり······いらっしゃい。話は聞いてるわ。入って」

 

 そう言うと、女性は中へ戻っていった。

 

 中は五畳ほどのスペースで、ソファーとテーブルが置かれている。どうやらここは待合室のようだ。

 

「そっちに荷物を置いて入ってきて!」

 

 中から発せられた女性の指示に従い、鞄を待合室に置くと、四人はカーテンで区切られた奥へと入っていく。

 

 中にはベットが四つ置いてあり、それぞれがカーテンで区切られていた。他にも台車や機械なども並んでいる。

 

 正美は既に奥へ進んでおり、四人を待ち構えていた。

 

「それでは、ヨミちゃんにはこれからハリネズミになってもらいます!」

「ハリネズミって鍼の事?」

 

 正美の宣言に詠深は疑問符を浮かべる。

 

「······あんたまさか何も説明しないで連れてきたの?」

 

 女性は詠深の言葉を聞き、正美を問いただした。

 

「あははー。ちゃんとハリネズミにしてやるって言ったよ?」

 

 正美は女性から目を反らしながら答える。そんな正美の両頬を女性は摘まんで引き伸ばした。

 

ひはいっ(痛いっ)ひはひほははっ(痛いよママッ)

 

 正美は目に涙を浮かべながら女性に必死に訴え掛ける。

 

「全く、あんたって子は······」

 

 女性は正美の頬を摘まんだまま、詠深に顔を向けた。

 

「ごめんなさいね。私は正美の母で、ここで鍼灸師をしてるの。この子からあなたを治療してって言われてるのだけど、鍼は怖くないかしら?」

「いえっ、是非受けてみたいです!」

 

 詠深の返事を聞くと、正美ママは正美を解放する。

 

 正美は涙目で自らの頬を擦った。

 

「そう。ならこのベッドでその服に着替えてちょうだい」

 

 詠深が指定されたベッドに行くとカーテンが閉められる。

 

「他の子達はどうする?」

 

 正美ママは三人も治療を受けるか聞く。

 

「それじゃあ、私もお願いします」

 

 珠姫も鍼治療を受けることにした。 

 

「私はやめときます」

「私は見学してます」

 

 川口姉妹は見ていることを選ぶ。ただ二人の理由は異なり、芳乃は体のケアに関する好奇心から、息吹は鍼を刺されるのが怖いからである。

 

「そ。ならあなたはそっちのベッドで着替えて待ってて」

 

 珠姫も正美ママが持ってきた着替えを受けとると、カーテンで隔てられたベッドで着替え始めた。

 

「着替えましたー」

 

 詠深が正美ママを呼ぶと、正美ママはカルテを手にし、問診をしていく。

 

 正美ママは詠深をベッドに腹這いで寝かせると、鍼灸用の治療着についたマジックテープを外し、背部を露出させると次々に鍼を打っていった。

 

 それほどの時間を要さず、詠深の全身は鍼だらけになっていく。

 

「うわぁ······ヨミ、痛くないの?」

 

 息吹は若干引きながら詠深に尋ねる。

 

「ううん、全然痛くないよー」

 

 半円状の枕に顔を埋めた詠深は声をくぐもらせながら答えた。

 

「今、辛い鍼はあるかしら?」

「平気です~」

「それじゃあ、しばらくこのまま置いておくから、途中で痛くなったら教えてね」

 

 そう言うと、正美ママは珠姫の元に向かい、同じように治療を進めていく。

 

「ヨミちゃん、写真撮っとく?」

「あ、お願い」

 

 正美は詠深の了承を得ると、スマートホンを構えてハリネズミとなった詠深を撮影した。

 

「LIONEで送っとくね」

「ありがとー」

 

 暫くすると正美ママが戻ってきて鍼を抜いていく。今度は仰向けになった詠深の前側にも鍼を打っていった。

 

 治療が終わり、詠深は体を動かして具合を確かめる。

 

「おぉ!体が軽い!」

 

 詠深は軽快に肩をぐるぐる回した。

 

「これからまた投げたくなっちゃうよ」

「調子に乗らない。完投してるんだから今日は絶対休むんだよ?」

 

 本当にオーバーワークしかねない詠深に、治療を終えた珠姫が釘を刺す。

 

「送った写真はうっかり人前で開かないようにねー。ヨミちゃんの柔肌がしっかり写ってるから」

「そうだ、写真!」

 

 正美から写真を開く時は気を付けるよう注意を受けると、詠深はこの場で写真を開く。

 

「わー!いっぱい刺さってるー」

 

 詠深は写真に写る鍼だらけの自分を見て楽しそうにしていた。




 鍼のシーンは特に意味は無いです。鍼灸専門学校の学生としては、鍼灸の力で夏大会後半も調子を落とさず乗りきりましたと書きたいところですが(笑)


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29話 ドゥーチェ!ドゥーチェ!ドゥーチェ!ドゥーチェ!

 梁幽館との激戦の翌日。

 

「ひ、控え?」

 

 詠深は信じられない、といった顔で芳乃を見た。

 

「次の試合は伊吹ちゃん、正美ちゃんの継投でいくよ」

「えー」

 

 大会終盤になると、どうしても詠深に頼らなければならない試合が続く事が予想される。故に、詠深を温存するために次の試合、詠深は控えとなった。

 

「どうしてもピンチの時はヨミちゃんに抑えをお願いするから」

 

 不満げな詠深に苦笑しながら芳乃はそう説明する。

 

「クローザーか」

「かっこいいわね、響きが」

 

 そんな詠深を乗せようと、怜と菫が詠深をおだてる。

 

「ヨミちゃんが控えてくれてると思うと私も心強いなー」

 

 正美も怜と菫に乗っかると、詠深が正美と息吹の後ろから二人の肩に腕を回した。

 

「後ろには私がいるので安心して投げなさい!」

 

 そんな単純な所も詠深の良いところかもしれない。

 

「次の試合は馬宮高校!特筆すべき点はないけど2連勝しただけあってノリと勢いはあるよ。調子に乗ると手強いよ!」

 

 参謀の芳乃は次の対戦相手をそう分析した。

 

 

 

 

 

 

 ~以下、作者の悪ノリ~

 

 

 

 

 

 

 ここは新越谷の次の対戦相手である馬宮高校のグラウンド。野球部キャプテンの西田 絵瑠奈は部員を集めて、彼女等に向き合って立っていた。

 

「きっと奴らは言っている。ノリと勢いだけはある。調子に乗ると手強いと!」

 

 西田はバットをタクトのように振るい、熱弁する。

 

「おぉー」

「強いってー」

「照れるなー」

 

 それを聞いた部員達は一様に照れた。馬宮高校のエース、村井を除いて。

 

「でも部長。だけってのはどういうことですか?」

 

 しかし、一人が“だけ”の部分に引っ掛かりを覚えた。

 

「つまりこういうことだ。ノリと勢い以外はなにもない、調子がでなけりゃ総崩れ」

 

 西田の答えに一同が怒り出す。勿論、村井を除いて。

 

「なんだとー!?」

「舐めやがってー!」

「言わせといていいんすか?」

「バットでカチコミ行きましょう!」

 

 皆のボルテージがどんどん高まていった。

 

「みんな落ち着いて、実際言われたわけじゃないから」

 

 村井がそう言って皆を落ち着かせようとする。

 

「そう。私の想像だ。良いかお前達、根も葉も無い噂にいちいち惑わされるな。良いか、私達はあの朝霞武蔵野に勝ったんだぞ」

『おぉーー!!』

「苦戦したけどね」

「勝ちは勝ちだ!」

 

 村井がツッコむが、西田はあくまでも前向きだった。

 

「勢いはなにも悪いことだけじゃない、この勢いを二回戦に持っていくぞ!次はあの武田率いる新越谷高校だだ!」

「······でも武田ってやばくないですか?」

「梁幽館相手に3失点······」

「打てる気しないっす······」

 

 一同、急に弱気になる。

 

「心配するな!······いや、ちょっとしろー。いい?次の新越谷の攻略法はただ一つ。エース武田のエグい高速カーブの攻略よ!」

 

 西田はピッチングマシンの前に立つと、マシンから投じられる高速カーブにバットを辛うじて当てた。しかし、打球はボテボテのピッチャーゴロである。

 

「ほら、慣れれば打てる!打てるわ!武田のカーブ敗れたり!!」

「あまり打ててない気が······」

 

 村井はまたツッコむが、西田はそれを無視する。

 

「これで新越谷など一捻りだ!」

 

 一見、頼もしそうに見える西田に部員達は沸き上がった。

 

部長(ドゥーチェ)部長(ドゥーチェ)部長(ドゥーチェ)部長(ドゥーチェ)!······』

部長(ドゥーチェ)部長(ドゥーチェ)部長(ドゥーチェ)部長(ドゥーチェ)!······」

 

 グラウンドに部長(ドゥーチェ)コールが響き渡る。西田本人もみんなに合わせ、拳を掲げて部長(ドゥーチェ)コールに参加するのだった。



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夏大会4回戦 アンツ······馬宮高校
30話 1番センター三輪正美


 馬宮高校VS新越谷高校は午前11時30分プレイボールとなる。

 

 本日のオーダーは、1.三輪正美(中)、2.藤田菫(二)、3.中村希(一)、4.岡田怜(左)、5.山崎珠姫(捕)、6.川崎稜(遊)、7.藤原理沙(三)、8.大村白菊(右)、9.川口息吹(投)。

 

「······武田さん控えだね」

 

 マウンドに上がる息吹を見て唖然とする西田だったが、村井の指摘が耳にはいるとすぐに気持ちを切り替える。

 

「武田だろうが川口だろうが私達は負けない······じゃなかった勝つ!」

 

 しかし1回の表、馬宮高校の攻撃は出塁こそあったものの、究極複製投法で詠深を模した息吹の前に後続を絶たれて無得点に終わった。

 

 1回の裏、新越谷の攻撃。先頭打者は本大会初スタメンの正美。左打席に立つと2、3度外角低めギリギリのストライクゾーンにバットを通過させてからバットを構える。

 

 2球見送ってB1ーS1となった3球目、快音と共に放たれた打球はセカンドの頭を越え、ライト前に落ちた。正美は一塁で止まる事なく二塁へと走る。それを見たライトは慌てて二塁へ送球するが、白球よりも早く正美の足が二塁へと滑り込んだ。

 

「セーフ!」

 

 正美の好走塁に新越谷の三塁側ベンチが沸き上がる。

 

「出た!正美のライト前二塁打!」

「正美ちゃんナイバッチー!」

 

 稜、芳乃を始めとしたベンチからの声援に正美は両腕をブンブン振って応えた。

 

 この後、菫の進塁打と希の安打で新越谷は1点を先制する。

 

――正美ちゃんが1番に入ってくれると希ちゃんを3番に置けて、キャプテン・タマちゃんとの強力クリンナップを組めるから得点力が更に上がる。もしくは正美ちゃんが2番で、菫ちゃんを下位打線に据える事で後ろに厚みを持たせても面白い。やっぱり正美ちゃん控えはもったいないよ~。

 

 芳乃は正美が頭から出場する場合の戦略や、どうしたら正美の要望を叶えつつより多く出場してもらえるか思案していた。

 

 正美の要望とは勿論、誰からもレギュラーの座を取り上げたくないというものである。今回、正美のスタメン出場は絶対的エースである詠深の休養という大義名分があって叶ったものなのだ。

 

――いけない。試合に集中しないと。

 

 芳乃は意識を試合に戻す。

 

 正美の第二打席は3回に回ってきた。ノーアウトで一塁には息吹がいる。ベンチからはノーサイン。正美はバントの構えを取った。

 

 初回に正美が見せた足を警戒し、加えてあわよくばセカンドでランナーを刺そうと、ピッチャーが投球モーションに入った瞬間にファーストとサードが猛チャージを掛ける。

 

 元々バントするつもりの無かった正美だが、ファーストとサードの動きを察し、バットを引かずに芯で白球を迎え入れた。打球は転がる事なくふわりと浮き上がる。

 

 ファーストは白球にグラブを伸ばすが、打球はその先を通過し内野グラウンドへ落ちた。セカンドが白球を拾うが何処にも投げることができずオールセーフ。正美は先程の走塁に続いて技ありのプッシュバントを披露した。

 

 打線は再び繋がりを見せ、この回4点を加える。

 

 先発の息吹は4回、ピンチを迎えながらも無失点。4イニング0失点の好投でマウンドを正美に譲った。

 

 

 

 

 

 

 バックネット裏のスタンドに梁幽館高校の制服に身を包んだ乙女二人が座っていた。野球部主将の中田 奈緒にマネージャーの高橋 友理である。

 

「コントロール良いですね。ストレートも速くはありませんが、伸びは良さそう。緩急を使って打たせて取るピッチング。武田さんと比べると見劣りしますが、山崎さんのリードも相まって簡単には打ち崩せないでしょうね」

 

 友理は正美のピッチングをそう評価する。

 

「ああ。それにしても、三輪さんから今日の試合で投げると聞いたときは驚いたよ」

 

 今日の試合を見に来ることは中田があらかじめ正美に伝えており、その時に正美自身から二番手で投げることを知らされた。

 

「センター、ショートに続いてピッチャーですもんね」

 

 先の試合前での守備練習にて、正美は最初センターでノックを受けていたが、途中からショートに移動している。最終回に守備についたのもショートだった。

 

「本人曰く一通り守れるから決まったポジションは無いらしいぞ」

 

 中田はLIONEで正美の本来のポジションについて聞いたのだが、デフォルメされたハリネズミのアイコンから飛び出した吹き出しに“決まったポジションは無いですねー。一通り守れるので欠員が出たり、代打や代走で出たらそのままそこに入ります!”と表示されていた。

 

「全ポジションですか!?······三輪さんがうちのベンチに居てくれれば、もっと思いきった起用ができましたね」

 

 梁幽館の控えにはバッティングが買われてメンバーに選出された者がいる。そういった選手は多少お粗末な守備にも目を瞑られているが、その守備力故に出場機会も限られていた。だが、もしも梁幽館に正美のようなユーティリティプレイヤーが一人居たのなら、そういった選手達をもっと積極的に起用できる。守備で立たせる事なく交代してしまえば良いのだから。

 

「でも、いくらスーパーサブの適正が揃ってるからといって、三輪さんを差し置いて初心者二人をレギュラーにする理由が分かりません」

 

 高橋は正美を知れば知るほど、彼女が控えにいる理由が分からなくなる。

 

「······そうだな」

 

 実は中田は新越谷との試合の後、指揮官の芳乃にその理由を聞いていた。

 

――自分がレギュラーになる事で誰かを悲しませたくない······三輪さん、それは仲間に対する侮辱だよ。

 

 だが、中田はその想いを表に出すことは無かった。

 

 

 

 

 

 

 正美は途中、三塁に打球が直撃する不運な安打を浴び、そこから失点してしまったが、3回1失点(自責点0)と中々の成績を納めた。

 

 試合結果、馬宮高校1ー9新越谷。新越谷、五回戦進出。




 正美のプッシュバントのイメージは動画の1:21からのプレーに近いです。
https://youtu.be/Ta7ydONSLwk




 この話を書いている時に思ったのですが、“U-18女子野球ワールドカップ”とか書いたら中田さんと正美を共闘させることができるなー、と。(書くとは言っていない)


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最速を前に
31話 刺し違えても止めろー!!


 今回は後書きが長いですが、そちらは読まなくても問題ありません。

 そもそも本作で後書きに大事なことを書いた覚えがない(^_^;)


 大村 白菊。

 

 高校から野球を始めた初心者であるが、剣道で鍛えられたその強靭な肉体から放たれる打球は、ジャストミートすれば悠々と外野の柵を越えていく。まだまだ確実性には掛けるが、新越谷自慢のロマン砲である。

 

 彼女のポジションはライト。初心者はライトを始め外野に配置させることが多いのだが、だからと言って外野が簡単なポジションかと言えばそんな事は無い。内野より圧倒的に広い守備範囲や遠投、毎回伸び方が異なる飛球の判断など、外野手にも求められるものは多い。

 

 外野の後方にあるのはフェンスのみ。外野が抜かれれば長打は必至であり、ランナーが居れば一塁からでもホームに返って来ることが可能。外野とは守備における最終防衛ラインなのだ。

 

「ほらほら!また目を切るのが早いよ。ボールを掴むまで目を離さないのっ。白菊ちゃんの後ろには誰も居ないんだから打球は刺し違えても止めろー!!」

 

 “おに”と書かれた鉢巻を巻いている正美は打球を捕り損ねた白菊に檄を飛ばしている。

 

「いやいや、刺し違えちゃ駄目だろ」

 

 正美の檄に怜が冷静に突っ込んだ。

 

「それぐらいの気概でって事ですよー」

 

 正美と怜は白菊に守備の指導をしている。先の馬宮戦で白菊はエラーさえ無かったものの、僅かではあるが落下点を見誤る危なげなプレーが見られた。そこで白羽の矢が立ったのが新越谷の外野陣で唯一の経験者である怜と、ポジション問わず守備の上手い正美である。

 

 白菊の元に強めのゴロが転がってきた。白菊は全力でチャージを掛けて打球をグラブに納めるが、一連の流れが綺麗に行えたとはお世辞にも言えなかった。

 

「ビューンと突っ込み過ぎ。全力でチャージしたらバウンドを合わせる時に7割、捕ってから送球に移るまでを8割に抑えて!」

 

 正美の熱血指導の甲斐あってか、少しずつ白菊の守備が様になっていく。

 

 白菊の守備練習が終わりを迎えると、正美は息を切らせる白菊の元へ駆け寄った。正美は右手を掲げ、空を指差す。

 

「見ろ白菊ちゃん。夜空に一際大きく輝くあの星こそ、王者の星、巨人の星だ!いつか必ず、お前はあの星に駆け登るのだ!」

「······まだ星が出るような時間じゃないぞ」

 

 正美のノリに着いていけない怜が突っ込む一方、野球漫画が好きな白菊は割とノリノリだった。

 

 

 

 

 

 

「明日のオーダーを発表するよ~」

 

 練習後のミーティングにて、芳乃により次の熊谷実業戦のオーダーが発表された。

 

 1.川口息吹(左)、2.三輪正美(三)、3.山崎珠姫(捕)、4.中村希(一)、5.岡田怜(中)、6.藤田菫(二)、7.藤原理沙(投)、8.川崎稜(遊)、9.大村白菊(右)。

 

 継投:理沙→正美→詠深。

 

 詠深は次もベンチスタートと知るや否や、目に見えて落ち込んだ様子を見せた。

 

「ごめんね。流石にベスト8以降は詠深ちゃんを温存できないから、今のうちに休んでおいて欲しいんだ。一応、最後は調整の意味も込めて投げてもらうから」

 

 芳乃は拗ねる詠深の説得を試みる。

 

「伝家の宝刀はここぞという時に抜く物だもんねー」

 

 正美は前回と同じく詠深をヨイショする作戦に出た。詠深の体がピクリと動く。

 

「伝家の宝刀······なんか神々しいわね」

 

 そして菫が駄目押し。すると詠深が機嫌を直し、復活を果たした。

 

「やっぱヨミちゃん単純だねー」

「正美っ、シーッ······」

 

 正美の呟きを菫が咎める。幸いにも正美の声は詠深の耳には届いていなかった。

 

「それにしても、もう5回戦なのにヨミちゃん温存なんて、芳乃ちゃんも大胆だよね」

 

 そう言う正美は思う。熊谷実業はシード校である上、強打のチームだ。普通であれば投手を始めたばかりの理沙を先発に据えたりなどしない。

 

「熊谷実業は守りでは無名校にもにもそこそこ点取られているからね。まあ、ここまで詠深ちゃんを温存できるのも高橋さんから貰ったデータのお陰なんだけどね」

 

 当然、芳乃も勝機の薄くなるような采配はしない。今回のオーダーも確固たる根拠があって決定したのだ。

 

「ところで私が2番で良いの?久保田さんのストレート私の力で打てるか微妙だよ?」

 

 久保田 依子。埼玉県最速の名を欲しいがままにする速球派の投手であり、投球の約8割を威力抜群のストレートが占める彼女は、正美にとって天敵とも言える。

 

「大丈夫。確かに久保田さんのストレートは速いけどコントロールはあまり良くないから、粘れば塁に出れるよ。それに、野球はピッチャー有利だからみんなで1点を取りにいくって正美ちゃん言ってたよね?」

 

 正美は芳乃の言葉に不意を打たれ呆然とするが、それも一瞬の事。

 

「あはっ。ほんとその通りだ。よーし、県内最速だろうと負けないよっ。どかーんと勝ってこー!」

 

 次の試合に向け気合いを入れるのだった。




 外野ゴロの10割→7割→8割はエリア66でお馴染みの元千葉ロッテマリーンズ、岡田幸文氏の守備理論を引用させていただきました。


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夏大会5回戦 熊谷実業
32話 お相手さん初回から飛ばしてくるねー


~大雑把に前回のあらすじ~

・正美(おに)と怜(ツッコミ)による白菊への守備指導。
「見ろ白菊ちゃん。夜空に一際大きく輝くあの星こそ、王者の星、巨人の星だ!いつか必ず、お前はあの星に駆け登るのだ!」
「······まだ星が出るような時間じゃないぞ」

・ベンチスタートで落ち込む詠深を正美が煽てる。
「伝家の宝刀はここぞという時に抜く物だもんねー」

・予想される相手投手は正美の苦手なタイプであるが、2番での先発出場が決まる。
「よーし、県内最速だろうと負けないよっ。どかーんと勝ってこー!」

・後書きで新ネタ投下。
「小林さんがそんなに不満ですか?······私は小林さんに捕って欲しかった」


 正美は空を仰いだ。清み渡る蒼穹を背景に走る白の放物線はセンターを守る怜の頭上の遥か高くを通過してバックスクリーンに直撃する。

 

 熊谷実業は初回ツーランホームランで先制した。打ったのは四番でエースの久保田。彼女は県内最速と言われる速球を見せる前からその存在感を見せ付けた。

 

「いやー、お相手さん初回から飛ばしてくるねー」

 

 チェンジとなってベンチへ戻ってきた正美が呑気にそう言う。

 

「小技なしで自由に打ちまくるから、慎重だった梁幽館よりもある意味厄介かも」

 

 そう言いつつも、芳乃からも焦る様子は全く感じられない。

 

「大丈夫なの!?」

 

 そんな二人に対して菫が声を上げた。

 

「焦る必要はないよ」

 

 芳乃はそんな菫を宥め、言葉を続ける。

 

「まずは県内最速にビビらない事。当てる事くらいは出来るはずだよ」

 

 指揮官からの言葉を受け、息吹がバッターボックスに向かった。

 

「締まってていくぞぉぉおおおおお!!!!!」

『おおぉぉぉおおおおおおお!!!!!!!!!』

 

 キャッチャーの十二分に気合の入った声出しと、それに応える選手やスタンドの声が球場に響き渡る。

 

 それにビビる息吹だったが、打席に入ると冷静に久保田の球をカットし、フォアボールで出塁した。

 

 本日、二番に入る正美の打順で息吹は大きなリードで久保田に揺さぶりを掛ける。梁幽館戦で正美が見せた戦術であった。能力に差はあれど、息吹と正美は似たようなタイプの野手である。元々真似の得意な息吹であるが故に、正美のコピーは比較的容易い。

 

「リードでかっ」

「あいつキャッチャーフライでタッチアップしてた奴だぞ」

 

 スタンドからの声がマウンドの久保田にも届いていた。

 

 久保田は堪らず牽制を挟むが、一塁手のタッチよりも伊吹の手がベースに触れる方が早い。

 

 そんな息吹に苦笑いを浮かべる正美もフォアボールを選んで出塁。久保田はバッターに集中できていなかったのか、一球もストライクゾーンに来なかった。

 

 続く珠姫のセーフティ気味のバントをサードが握り損ね満塁に。希のタームリー、怜の犠牲フライ、理沙のゲッツー崩れにより、新越谷は初回3点を奪い、逆転に成功した。

 

 試合は点の取り合いとなり、2回はお互いに1点ずつ入れ、熊谷実業 3ー4 新越谷。まだスコアボードに0が刻まれていない。そんな試合の流れが変わったのは3回の表。2 out走者1,2塁で迎えるは6番の今関。初回にエラーをしたサードである。名誉挽回の絶好のチャンス、気合いは十分だ。

 

 理沙がセットポジションから投じた白球を今関は一二塁間へ引っ張った。打球は白菊の前へ転がる。

 

 白菊はランナーをホームで刺す為に全速前進した。

 

――チャージは全力で。

 

 捕球体勢に移る。

 

――バウンドを合わせる時は7割に抑える······。

 

 グラブに納めたボールを右手に握り替えた。

 

――8割で投げる動作に移り、腕を振り抜くっ。

 

 白菊から放たれた白球は一直線にホームへ向かっていく。ワンバウンドした送球は珠姫のグラブに入り、珠姫は空かさずランナーにタッチした。

 

「アウト!」

 

 このアウトでスリーアウト。新越谷ナインはベンチへと引き上げる。

 

「白菊ちゃん」

 

 正美は白菊に声を掛け、左手にはめたグラブを差し出す。

 

「ナイスプレー。練習の成果、ニョキニョキ表れちゃったね!」

「はいっ」

 

 白菊も嬉しそうに自身のグラブを正美のものと合わせた。

 

 

 

 

 

 

 久保田も3イニングス目に入るとギアが上がり、希と怜が打ち損じる程の球が投じられるようになった。それでも制球にはムラがあり、ツーアウトから三連続四球を与える。

 

 このチャンスで打席に入るのは先程好守でピンチを救った白菊。久保田が白菊に投じた白球はストライクゾーンに吸い込まれていく。白菊のバットはそれを捉え、ショートへと一直線に弾き返した。詰まってはいるが、白菊の持ち前のパワーにより球足は早い。

 

 守りのテンポが悪く、長時間に渡る守備により集中力を欠いたショートはライナーの打球判断が遅れてしまい打球をグラブから弾いてしまった。打球がショートとレフトの間を転がるうちにセカンドランナーがホームイン。二点を追加した。

 

「白菊ちゃーん、ナイスタイムリー!」

 

 正美の歓声に白菊は一塁で戸惑いながらもそれに応えた。

 

 続く息吹が三振に倒れ攻守交代となったものの、相手を0点に抑えた後にリードを広げる追加点を奪ったことで、新越谷は試合の流れをグッと引き寄せた。

 

 しかし、試合は再び停滞する。4回はお互いに無得点。正美も二打席連続で内野ゴロ。久保田の球威に押されていた。

 

 

 

 

 

 

 熊谷実業 3ー6 新越谷。




 何とか試験前に入るまでに書き終えました。今期は見たいアニメが多くなかなか書く時間をとれそうにありません。
 にしても、今回は難産でした。



 それと、ヤフーニュースでこんなの見つけました。
『アニメ・球詠と越谷市がコラボ 「聖地」など掲載したマップ作製、まち巡りとグルメを楽しんで』
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201031-00000009-saitama-l11


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33話 今日は打席でいいとこ無いから

【新越谷高校、シートの変更をお知らせ致します。サードの三輪さんがピッチャー。ピッチャーの藤原さんがサード。以上に代わります】

 

 5回からは正美がマウンドへ上がる。

 

 投球練習で投じたボールは全て珠姫の構えたミットに寸分狂わず吸い込まれた。直球、変化球問わずも鍼の穴を通すような制球を見せる。

 

――毎度の事ながら凄いコントロール······。確かに正美ちゃんを生かすも殺すも私のリード次第。この前と違って今日は強豪校が相手。配球ミスは許されない。

 

 珠姫は気合いを入れ直す。

 

「締まってこーっ!!」

 

 込めた気合いが乗った声は球場に響いた。

 

 珠姫がキャッチャースボックスにしゃがむと久保田が右打席に入る。

 

 正美はロージンバックを掌で2回跳ねさせると、余計な粉をフーッと一息で飛ばしセットポジションをとった。

 

 正美、珠姫バッテリーが初球に選んだのは高速シンカー。外のボールゾーンからストライクゾーンに切り込む球を久保田が見送りB0ーS1となる。

 

 二級目はインハイのツーシーム。久保田はバットを振り抜くが、打球は三塁側ファールスタンドへ飛び込んだ。B0ーS2。

 

 三球目はスライダーを外角のボールゾーンに投じる。バットが出かかるが、審判はハーフスイングを取らなかった。B1ーS2。

 

 四球目。珠姫が内角低めに構えたミットに高速シンカーが吸い寄せられるが、久保田のバットが正美の投じた白球を捉える。球足は決して速くなかったが、上手いこと三遊間を抜けてヒットとなった。

 

「今のはしょうがないよ。切り替えてこ」

 

 珠姫はマウンドの正美に声を掛ける。

 

「あいあいさー」

 

 正美は気にした様子もなく答えた。

 

 打たせてとる投手というのはどうしても不運なヒットというのが付きまとう。正美も例に漏れず、今みたいに打ち取った当たりがヒットになるというのを何度も経験していた。今更ノーアウトのランナー程度で動じたりはしない。

 

 正美は次の打者をB1ーS1からやや外角低めの高速シンカーでショートゴロゲッツーに仕留めた。

 

 この様に狙ってゲッツーを取れるのが打たせて取るピッチングの一つの利点である。先程の不運なヒットもこれで帳消しとした。

 

 6番打者はチェンジアップでフライアウトに打ち取ってスリーアウトとなった。

 

 ベンチに戻るまでにみんなから称賛の言葉を貰った正美は、

 

「今日は打席でいいとこ無いから、マウンドではシャキッといかないとねー」

 

 と答える。本日の打撃成績は2打数無安打四死球1。未だノーヒットだった。

 

 

 

 

 

 

 試合は5回裏の攻撃。ワンナウトで希を迎える。

 

 希は久保田の速球を打ち上げてしまったが、しっかりと振り切った事が効を奏しショート、センター、レフトの間に落ちるポテンヒットとなった。希は守備がもたつく間に二塁へ到達する。

 

「なんか希ちゃんらしくないね」

「うん。ストレートを連続で打ち損じるのは珍しいな。ホームラン狙いのツケ?ううん、フォームは崩れてないし······」

 

 正美と芳乃は希の異変を感じた。

 

 練習試合、今大会含め希は一つも三振していない。打ち取られた当たりでも打ち損じた打球は少なかったのだ。それがいくら県内最速の久保田が相手だからといって同じ球を連続で打ち損じるものか。

 

 勿論、そんな時もあるだろう。しかし、二塁にいる希自身も今のバッティングに違和感を感じていた。

 

 続く怜は初球打ちで甘い球をセンター前へ綺麗に返す。当たりが良すぎた為、希は三塁でストップ。1 out走者1・3塁で初回に打点を上げている理沙を迎える。

 

 ここで久保田はギアを更に上げた。唸るような直球を理沙に対して投じる。それは豪速球と呼ぶに相応しい本日一番の球。

 

 初球、理沙は手を出すことが出来ずファーストストライクを奪われた。

 

 続く2球目も久保田は全力で直球を放つ。理沙がバットを振るうも掠りすらしなかった。一塁ランナーの怜が盗塁を成功させチャンスを広げるが、久保田は全く意に介さない。理沙との一騎討ちを心に決めていた。

 

 三球目を何とかバックネットへファールにした後の四球目、遂に理沙のバットは久保田のストレートを捉えた。詰まらされたが持ち前のパワーでセカンドの頭を越し、打球は外野へと運ばれる。希、怜がホームへ帰り新越谷は更に2点を加えた。

 

 力と力のぶつかり合いは理沙に軍配が上がるも、久保田はそれを引きずる事なく、稜と白菊を仕留めこの回を終えた。

 

 

 

 

 

 

 このまま逃げきりを図りたい新越谷だったが、6回の表に甲高い金属音がグラウンドに響いた。

 

 マウンドの正美の視線はレフト上空に向けられる。視線の追う先でやがて白球はフェアゾーンの柵を越えていった。代打攻勢で追い上げを図る熊谷実業に2ランホームランが飛び出し、2点を返される。

 

 

 

 

 

 

 熊谷実業 5ー8 新越谷。




 Twitterで新越谷高校ベストオーダーを考えてみた人達がいたので、私もやってみました。


1.息吹(左)
2.菫(二)
3.希(一)
4.怜(中)
5.理沙(三)←
6.白菊(右)←
7.珠姫(捕)
8..050(投)←
9.稜(遊)←
『←』の所で3アウトになる事を想定した打順です。

 いかがでしょうか?

 1番は重視すべきは走力か出塁率か。
 2番は職人か最強打者か。
 いやいや、最強打者は3番4番ですか。
 8番ピッチャーの是非。

 色々な考え方がありますが、大切なのはどんな展開や流れで試合が進むかを想定して打順を組むことだと思っています。切れ目のない打線とは言いますが、いつかは切れるものですから。


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34話 応えない訳にはいかないでしょっ!

 新越谷の内野陣がマウンドに集まっていた。

 

「ごめんね······」

「ううん。私も不用意に入りすぎた」

 

 苦笑いを浮かべながらもどこかしょんぼりしながら謝る正美に、正美だけの所為じゃないと珠姫が励ます。

 

「まっ、ホームラン以外なら何とかすっから、あまり気負うなよな」

 

 稜はニカッと笑ながら言った。

 

「そうね。正美みたいなプレーはできないけど、手の届く限り捕ってみせるわ」

 

 菫も正美を勇気付けようとする。

 

「後にはヨミちゃんが控えとーし、私もまだまだ打つけん。正美ちゃんはどんどん打たれて良かよ」

「そうね。たまには私達が正美ちゃんを助けないとね」

 

 希がいつかの意趣返しの様に言い、理沙もみんなに賛同した。

 

「······それじゃあ希ちゃん。逆転されたら一緒に謝ってくれる?」

 

 正美が希の顔を低い位置から覗き込むように問う。

 

「ほんなこつ打たるぅ気でいる!?」

 

 希の反応に正美は思わず笑った。

 

「あははーっ。みんなありがとね」

 

 正美の調子が戻ったと思われる所で内野陣が解散した。

 

 ――打席ではノーヒット、リリーフは2失点。今日はぜんぜん良い所がない。正直へこむなぁ······。

 

 男達に囲まれた草野球チームとは違い、ここでは正美に対する期待が大きい。正美もその期待に応えたいと思っていたのだが、上位に食い込み相手のレベルが上がった途端にこの様である。そんな自分にもどかしさを覚える正美であった。

 

 ――いけないっ、切り替えないと。

 

 ロージンバックを拾うと掌で二回跳ねさせ、余計な粉をフーッと吹き飛ばす。

 

 2番打者の所に代打で入った相手にB1ーS1で迎えた三球目を打ち返された。正美は一瞬体を震わせる。ショートに速い打球が転がるが、稜は落ち着いて捌き一塁へ送球。スリーアウト目を取り、チェンジとなった。

 

「ふぅー······」

 

 正美はベンチに戻りグラブを置くと一息つく。この回は二者目に打順が回ってくるので、休む事なくヘルメットを被った。

 

「正美ちゃんお疲れ様~」

 

 芳乃がドリンクをもって正美を労いにやって来る。

 

「ありがとう。それと、ごめんね」

「大丈夫。5点なら全然想定内だよ」

「そっか······」

 

 正美はバッティンググローブを着ける途中で動きを止めた。

 

「正美ちゃん?」

 

 どこか正美の様子がおかしいことに芳乃は気付く。

 

「······さてっ、せめて野手としては貢献しないとね」

 

 正美はネクストバッターズサークルへと向かった。

 

 先頭の息吹は8球粘った末にフォアボールで出塁する。

 

 ――バントのサインが出なかったら粘って四球狙い。これがベストだよね。

 

 サインの確認の為、ベンチに視線をやると、芳乃は正美が思いもしなかったサインを出した。正美は驚きが表情に出そうになるのを何とか堪える。

 

 ――信じてるよ。

 

 芳乃は笑顔の奥で内心そう呟く。

 

 バッターボックスへ入る前に正美は大きく息を吐いた。

 

 ――普通こんな荒れ球ピッチャー相手にそのサインは出さないでしょ。

 

 久保田がセットポジションに入る。彼女が左足を上げると同時に一塁ランナーの息吹がスタートを切った。

 

 ――でも。まだ芳乃ちゃんが信じてくれるなら······。

 

 直球は唸りを上げて正美に襲い掛かる。高めのボールゾーンを白球は通過しようと迫った。

 

 ――応えない訳にはいかないでしょっ!

 

 そんな白球を正美のバットが阻む。打球はセカンドの定位置付近に向かって飛んだ。通常ならセカンドが難なく処理する打球だったが、そのセカンドは息吹がスタートを切ったのを確認して二塁のベースカバーに入っている。がら空きのセカンドを白球が駆け抜けていった。

 

 息吹は二塁を蹴って三塁へ向かう。ライトはすぐにセカンドへ白球を戻すが、セカンドは三塁へ投げることが出来なかった。0 out走者1.3塁。

 

「ナイバッチ~!」

 

 ベンチで歓声を上げる芳乃を目にし、正美も嬉しくなる。

 

 この後、正美は二盗を決め、ワンヒットでホームへ帰ってきた。

 

 

 

 

 

 

 試合は最終回を詠深が三人でしっかり締めてゲームセット。5ー10で新越谷が勝利を納めた。

 

 場所は変わり埼玉県営大宮公園野球場。大宮大附属VS柳大川越の試合が行われており、これに勝った方が新越谷の次の対戦相手となる。

 

 新越谷ナインは屋内通路を抜け、観客席に出た。一筋の風が髪を撫ぜる。

 

「フフ······この風、この肌触りこそ球場よ」

「確かにグラウンドとスタンドは空気が違うな。こっちは久し振りだから、何だか懐かしいな」

 

 正美のボケを怜がナチュラルに潰した。これに落ち込む正美を白菊が慰めている。そんな様子を見て、怜は頭にクエッションマークを浮かべた。

 

 そんな彼女達に構う事なくグラウンドでは試合が進んでいく。

 

 柳大川越の朝倉は打者に対し球威のある直球を投げ込

む。

 

「ひーっ。相変わらずの速球ね」

 

 直球の威力にビビった伊吹が怜にしがみついた。

 

「私もあんな直球打てないーっ」

 

 それを見た正美も怜に縋り付く。たど、最も本気でビビっている息吹に対し、正美はおふざけでじゃれついているだけだった。

 

「······ああ、速いな」

 

 怜は慣れない後輩達の絡みに頬を染めながらも二人の頭を撫でる。

 

 ちなみに、息吹は抱きつく対象を間違えていたのだが、それを知る者は本人のみであった。

 

 一同は空いている席に座ると、正美が口を開いた。

 

「みんなは柳大川越と練習試合したんだよね?」

「うん。あの時は大野さんと朝倉さんを打ち崩す事が出来なかったけど、みんなあの時よりも成長してるから良い勝負できるはずだよ」

「私も今度は朝倉さんから打つけん!」

 

 芳乃が正美の質問に答えると、希が朝倉へのリベンジを誓う。

 

 6回の表、朝倉がフォアボールでノーアウトのランナーを出したところでスイッチ。背番号1の大野がマウンドへ上がった。

 

「みんな!守備の動きを見ててね」

 

 大野の手からボールが離れる直前、ショートが三遊間を積める。痛烈な打球が三遊間を駆け抜けようとするが、先回りしたショートが打球を処理し、6ー4ー3のダブルプレーに仕留めた。

 

「······凄い」

 

 正美は思わず呟く。彼女も投手としては打たせてとる軟投派のプレイヤーである。その究極とも言える守りが目の前で繰り広げられていた。

 

 それからも柳大川越は打球に先回りするように一球一球シフトを変え、大宮大附属の打者を次々と打ち取っていく。そんな柳大川越の野球に正美は魅了されていた。

 

 やがて試合は終幕を迎える。大野は相手に追加点を許さず、柳大川越が勝利を納めた。新越谷の次の対戦相手が決まった瞬間である。

 

 

 

 

 

 

 6回戦、新越谷 ー 柳大川越。



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正美の特訓
35話 通用しない事が分かったから


「おじさん!初めて会ったときの約束覚えてる?」

「野球を教えるって約束だよね。ちゃんと覚えてるよ」

 

 眠りの中でおじさんに会いに来た正美はおじさんにバッティングの指導をお願いした。内容は勿論、投手の球威に負けないスイングを手にいれる事である。

 

「それじゃあ、硬式の打ち方からやろうか」

 

 まずは軟式と硬式の打ち方の違いをおさらいする事から始まった。

 硬式ボールは軟式よりも下側を叩く必要があり、またバックスピンをかけるようにスイングする事で飛距離を伸ばす事が出来るのだ。

 

 生まれつき小柄な正美は筋肉を大きくし過ぎると怪我のリスクが上がってしまう為、こういった技術面で改善を図る方針となった。

 

 鏡の前で素振りをして、自身のフォームを確認した記憶を共有し、寝ている間におじさんから助言を貰ったら、朝起きてすぐに教わった内容をメモする。そしてまた鏡の前で素振りをすのだ。

 

 こうして全国大会までには形になることを目標とし、正美のバッティング練習がスタートした。

 

 

 

 

 

 

 最近はみんなの疲労を考慮され、部活での練習は軽めに行われているが、控えで体力に余裕のある正美は練習後に一人トスマシンと共に居残り練習をしていた。

 

 普段のほとんど足を上げない摺り足打法とは違い、足をホームベース側に上げるレッグキック打法でボールの下を叩く。おじさんと取り組んでいるバッティングフォームである。

 

 トスマシンのボールが切れたところで正美に接近する影が一つ。

 

「正美ちゃん!」

 

 正美が振り向いた先に芳乃が居た。

 

「休まなくて大丈夫?」

 

 芳乃はバッティング練習を中断した正美に近付いて問う。

 

「うん。最初の二戦は少ししか出てないし、次は控えだからね。そういう芳乃ちゃんはまた監督と会議?」

 

 柳大川越戦は詠深が先発する為、正美はベンチスタートの予定となっていた。また、ここ2試合温存されていた詠深に次いで出場イニングが少ない正美はまだまだ余力があると主張する。

 

「そうだよ。ところで、今のバッティングは?」

「やっぱ気付かれましたかー」

 

 正美は今日の部活中は摺り足打法で打っていたのだ。芳乃も正美の新フォームを見るのは初めてである。

 

 正美は打ったボールを集め始めると口を開いた。

 

「今まではいつでも軟式に戻れるようにフォームを変えないでやってきたけど、先に進めば進むほど私のバッティングは通用しない事が分かったから、暫くは硬式に専念することにしたんだ。私が強い直球を打てないのバレちゃってるだろうしね」

 

 喋りながら集めたボールをトスマシンにセットする。

 

「あ、でも県予選中は間に合わないと思うから期待しないでね」

「うん、分かった。あ、私がトスするよ」

「良いの?遅くなっちゃうよ?」

「大丈夫!私家近いから」

「そっか。よーし。なら一丁気合い入れ直しますかーっ」

 

 二人は暫く居残り練習を続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 柳川大附属川越高校では対新越谷の為のミーティングが開かれていた。

 

 モニターには詠深が写し出される。詠深は強ストレートを投げる時、リリースと位置が遅くなり前へ、そして低くなる。故に狙うは強ストレート。映像を流しながら一年生捕手の浜田が解説していた。

 

 次に各野手の情報の共有が行われる。例えば、怜は高い打率を残しており長打も狙えるが、崩されるとセカンドゴロが最も多く、次いで空振り。ただ足も早く守備も硬い。

 

 次々と野手の解説が行われていくと、最後は正美の番となった。

 

「三輪選手は右投げ左打、ここまでセンター、ショート、サード、ピッチャーで出場しています。ここまで打率は.667、出塁率は.700。驚異的な数字に目が行きがちですが、足も相当早いので出塁してからも脅威です」

 

 モニターには影森戦の盗塁のシーンと、熊谷実業戦でホームに帰ったシーンが続けて映し出される。

 

「うわぁ、早いスね······」

 

 一年生にてセンターのレギュラーを勝ち取った大島 留々は思わず声を漏らした。

 

「打球は引っ張り傾向。外角もあまり流すことは無いようです。速い球が苦手なようで、梁幽館の中田選手と熊谷実業の久保田選手の二人を相手に4打数2安打もヒット性の当たりはありません」

 

 その四打席の映像が順番に流れる。

 

「見ての通り強い球で内野を越すほどのパワーが無いのでしょう。中田選手との対戦ではフルスイングしているので、全く飛ばせない訳では無いのでしょうが、慣れていないのでしょう。ヒットにはなりましたが打ち損じています」

「朝倉さんなら問題なく抑えられそうスね」

 

 そんな大島の言葉にエースナンバーを着ける大野は面白くなさそうな顔をした。

 

「マウンドに上がったのは二試合。両方ともリリーフ登板です。五回を投げて2失点、防御率3.60とまずまずの成績です。軟投派で頻度が高い順に高速シンカー、スライダー、ツーシーム、ストレート、カットボール、チェンジアップ、スローカーブと多彩な球種で緩急を武器にしているものの、これといった球が無いので、球をしっかりと引き付けて打つことを心掛けてください」

 

 こうして柳大川越野球部はミーティングを終えた。




 ナックルスライダーとナックルカーブの違いを解説した動画を見付けたので、興味のある方はご覧ください。
 https://youtu.be/-S51YX44-5w


 正美の新フォームは埼玉西武ライオンズの森友哉選手のものから、グリップを肩の高さまで下げた形をイメージしています。
 トップを下げと脇が閉まるので、自然とバットが内側から出てくると言うメリットが発生します。


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夏大会6回戦 柳大川越
36話 私がちっちゃ過ぎて気付かなかったとでも言いたいのかなー?


~大雑把に前回のあらすじ~

・おじさんに指導をお願いしてバッティングの改良を図る。
「おじさん!初めて会ったときの約束覚えてる?」

・居残り特訓が芳乃に見つかる。
「ところで、今のバッティングは?」

・柳大川越のミーティングで正美が話題に上がる。
「三輪選手は右投げ左打、ここまでセンター、ショート、サード、ピッチャーで出場しています。ここまで打率は.666、出塁率は.700。驚異的な数字に目が行きがちですが、足も相当早いので出塁してからも脅威です」
「打球は引っ張り傾向。外角もあまり流すことは無いようです。速い球が苦手なようで、梁幽館の中田選手と熊谷実業の久保田選手の二人を相手に4打数2安打もヒット性の当たりはありません」


「いやー、やっぱりいつもの席は落ち着くよねー。自分ちみたいな安心感があるよー」

「また正美ちゃんはそんな事言って······」

 

 スタメンから外れての正美の発言に珠姫は呆れた様子を見せる。

 

 本日のスターティングラインナップは、1.中村希(一)、2.藤田菫(二)、3.山崎珠姫(捕)、4.岡田怜(中)、5.藤原理沙(三)、6.川崎稜(遊)、7.大村白菊(右)、8.川口息吹(左)、9.武田詠深(投)。打撃不振の稜が打順を一つ下げてはいるが、ほぼ新越谷の基本オーダーである。温存していた詠深が先発することにより、正美は二試合振りのベンチスタートとなった。

 

「まあまあ。私みたいな器用貧乏はここがちょうど良いんだって」

「貧乏ってレベルじゃないでしょ」

「あはっ。そろそろランナーコーチに行くとしますかねー。背番号1の凄い奴が相手~♪」

 

 正美はこの試合から駆け付けてくれたブラスバンドの演奏に合わせて歌詞を口ずさみながら三塁コーチャーズボックスへと向かった。

 

 コーチャーボックスから朝倉の投球をじっくり観察する。朝倉が白球を投じると、それを受け止めるミットからはけたたましい音が鳴り響いた。熊谷実業の久保田の球も速かったが、朝倉の球は伸びも十分で、埼玉最速と比べても見劣りしない。今、球威を見る限りでは間違いなく全国クラスだった。

 

――これを打てる様にならないといけないんだ。

 

 正美が改めて目標を再確認したところで、セットポジションの朝倉と目が合う。彼女は柔らかく微笑むと、再び投球練習へと戻っていった。

 

――朝倉さん大物だなー······。

 

 そんな朝倉に正美は柳大川越次期エースの片鱗を感じるのだった。

 

 ボールバックされ、審判よりプレイのコールが掛かる。

 

 先頭の希は朝倉の初球、ストレートをバットで捉えた。打球は朝倉の頭上を駆け抜けセンター前に落ちる。希は一塁を回った所でストップ。そんな希を正美はコーチャーズボックスから見つめていた。

 

――やっぱ希ちゃんは凄いや。希ちゃんは最初、私に嫉妬するって言ってたけど、私なんかよりも希ちゃんの方がずっとチームに貢献してるよ。

――でもね、私もこのまま終わるつもりはないから。

 

 そう静かに正美は一人、楽しそうに誓う。

 

 新越谷は希以降、後続が続かずに怜のセカンドゴロでスリーアウトとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 柳大川越の一番はセンターの大島。

 

 初球、詠深の放った白球は左打席に立つ大島へ迫る。大島は腰を引いて避けるが、白球はストライクゾーンへ食い込んだ。フロントドアのツーシームでB0ーS1。

 

 二球目も詠深は内角を厳しく攻めるが、大島はこれをカットする。B0ーS2

 

 三球目はナックルスライダー。外角にすっぽ抜けた様な軌道から鋭く曲がる球を、これまた簡単にカットされた。

 

 早めに最初のアウトをとって良いリズムを作りたいと考えた珠姫は四球目に強ストレートを要求する。必殺の決め球であったが、大島が右足を踏み込んだタイミングはドンピシャ。

 

 しかし、バットは空を切り、白球は珠姫のミットに吸い込まれる。詠深の強ストレートは大島の予想よりも高めの軌道を描いた。

 

――最後のスイングだけ思いっきりが良かった。まさか強ストレート狙い?

 

 今の打席を正美は訝しむ。強ストレートは制球が良くないが、球質は代名詞のナックルスライダーにも劣らず非常に良い。敢えてこれを狙う理由とは······。

 

 

 

 

 

 

 二回裏、ワンナウトで迎えるは5番の石川。ここから1年生が二人続く。

 

 打席の結果はセンターフライだったものの、彼女もタイミングはバッチリ。そして、打ったのはこれまた強ストレート。

 

 正美は投球する詠深を見つめる。

 

 6番打者の平田をサードライナーに打ち取った球も強ストレートだった。彼女もタイミングが合っている

 

――······見えた。

 

 正美はベンチへ戻ってくるナインを出迎える芳乃の元に歩を進めた。芳乃は珠姫に詠深の調子を聞いている。珠姫は、調子は良いと答えるが、その先は声を潜めて話す。

 

「けど、強ストレート間違いなく狙われてる」

「やっぱり······」

 

 そのやり取りをこっそり聞いていた正美は二人の話に割り込む。

 

「二人は詠深ちゃんの癖のこと知ってたんだねー」

「わぁっ!?······正美ちゃんいつの間に!」

 

 誰かに聞かれているとは思っていなかった珠姫は急に話に入ってきた正美に驚いた。

 

「私がちっちゃ過ぎて気付かなかったとでも言いたいのかなー?」

 

 正美は笑顔のまま表情筋を動かさないで珠姫を見つめる。

 

「い、いや。そんな事ないって」

 

 慌てて誤解だと伝える珠姫を見て、正美は笑った。

 

「あはっ。冗談だよ。やっぱ二人はヨミちゃんの癖、気付いてたんだね」

「最初に気付いたのは息吹ちゃんだけどね。正美ちゃんも気付いてたんだ」

 

 芳乃は気付いたのは息吹だと、正美の言葉を一部訂正する。

 

 馬宮高校戦で息吹は詠深をコピーして投げていたのだが、練習で強ストレートを指定し、伸びの良いストレートを投げてみせたのだ。曰く、リリースのタイミングが違うとの事なのだ。

 

「伊吹ちゃん良く見てるなー。こんど細かすぎて伝わらないモノマネやってもらおうかな?」

 

 などと正美が話していると、珠姫は詠深にはまだ話さないよう、正美にお願いする。

 

「えっと······正美ちゃん、この事はヨミちゃんにはまだ言わないでね。気にしてフォーム崩すといけないから」

「うん。ヨミちゃんの事は二人に任せるよ。さて、私はまたランナーコーチに行くね。呼吸をー止めて一秒あなた真剣な目をしたから♪」

 

 正美は再び三塁コーチャーズボックスへ走っていった。




柳大川越戦は六話構成です。


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37話 またヨミちゃんに怒られるよ

 試合は四回の裏を迎えた。希の第一打席以降、両チームとも安打が生まれていない。

 

 未だ柳大川越に一塁を踏ませていない詠深を前に打席に立つのはリードオフガールの大島。

 

 現在、詠深は54球と球数が嵩んでいた。リードする珠姫は、狙われているなら敢えて打たせようと強ストレートを要求する。まだ一球しか見られていないので、そう簡単には打たれないだろうという信頼故の判断だった。

 

 珠姫のサインに頷いた詠深は珠姫のミット目掛け強ストレートを投げ込む。他の球種と比べた球もちの良さに反応した大島はそれをピッチャープレートやや左へ弾き返した。

 

 センターへ抜けようかという打球だったが、稜が回り込んでこれを止める。すぐに送球動作に移るが、大島も1番打者だけあって速い。タイミングは紙一重だった。

 

――最近打つ方では良いとこなしだ。バントも失敗するし、打順も下げられたし······。だが守備では!

 

 しかし、大島の足が稜の送球を勝る。更に、守備でチームに貢献するという気迫が今回は悪い方に働く。稜の送球は上方へ逸れていったのだ。希が精一杯ジャンプするが、彼女のグラブが白球に届く事は叶わない。

 

 白球がファールグランドを転がるのを確認した大島は二塁へと向かった。カバー向かった珠姫が白球を拾い送球動作に移るが、大島は既に二塁間近に居た為、珠姫は投げることが出来ない。

 

 バックスクリーンにHとEのランプが灯った。0out走者2塁。

 

「ついに出てしまったかぁ。内野陣の大会初エラー」

 

 ベンチで芳乃は頭を抱える。

 

「いつかは出るものですが、よりにもよってノーアウトですか······」

 

 監督の藤井教諭も芳乃ほど露骨に表には出していないが、後ろ向きな漏らした。

 

 そんな二人を余所に、正美はいつも通りニコニコしていた。

 

「まだ二塁踏まれただけだよー!切り替えてこー!」

 

 彼女はベンチから声を出してみんなを励ます。

 

「ほらほら、芳乃ちゃんもシャキッとしないと、またヨミちゃんに怒られるよ」

 

 “また”とは梁幽館戦で希の第一打席でセカンドのファインプレーに阻まれた後の事を指していた。得点圏にランナーを置かれたものの、詠深はまだ被安打四死球0である。肝の据わっている詠深の事だ。味方のエラーでピンチを迎えたからといって、ここから崩れるなんて正美は思っていない。

 

――ま、問題があるとすれば······。

 

 正美はショートでゲッツーシフトをとる稜を見つめた。

 

 

 

 

 

 

 詠深は次の打者をセカンドフライに打ち取る。1out走者2塁となり、陵が送球エラーしなかった場合にバントされてたと考えれば、稜のエラーは実質ノーカウントとなった。詠深も稜に「これでチャラね」と声を掛ける。

 

 続く3番打者は第一打席で強ストレートを狙わなかった。恐らく、全員が詠深の癖を見切れている訳ではないのだろう。

 

 この打席も強ストレートを待たずして打ちにいった結果、白球をしっかりと捉えることが出来ず、打ち損じた打球は稜の元へ転がっていった。

 

 そこまで弱い打球ではなかったが、セカンドランナーの大島はスタートを切っており、サードへ送球すれば刺殺を狙えるタイミングであった。

 

 しかし、稜は三塁へ投げる素振りは見せたものの、実際に送球したのは一塁だった。三塁のクロスプレーで刺殺できず一つもアウトを取れないことを嫌ったか、それとも先程のエラーがフラッシュバックしたか。

 

――サードへ投げてればアウトだった。いつもの稜ちゃんならチャレンジしたはず。引き摺ってるなー······。

 

 正美は後者だと確信していた。

 

「いいねー、落ち着いてるよー」

 

 しかし、あえてそこには触れないでおく。ここで稜を追い詰めたら更に状況は悪化すると判断した為だ。

 

――2out取ったし四番打者も恐らくはリリースの癖を見切れていない。ここを凌げれば大丈夫。

 

 2out走者3塁で打席に迎えるは柳大川越の主砲、浅井である。春に行った練習試合で詠深は全打席三振に仕留めており、今日の第一打席も捕邪飛(キャッチャーフライ)に打ち取っていた。

 

 詠深と珠姫は初球ツーシームから入る。浅井は見送りB0ーS1。

 

 二球目は強ストレート。かろうじて浅井のバットは白球に触れるが、打球は前に行かずバックネットに当たった。打ちにいったという感じではなく、カットしにいったスイングである。

 

 三球目、二人がウィニングショットに選んだのはナックルスライダー。練習試合で三度浅井を沈めてきた球の。······その球を浅井は狙っていた。

 

 浅井がバットを振るうと甲高い音と共に打球はレフトへ上がる。

 

――少し詰まってるっ。息吹ちゃんの足なら間に合う!

 

 レフトの息吹は落下点へ全力で走った。あと少しで打球にグローブが届く······そんな時、息吹の足が縺れる。

 

「······っ!?息吹ちゃん!!」

 

 正美は思わず叫んだ。遠目から見ても打球に飛び込んだ訳ではないと分かったからだ。

 

 息吹の倒れた先を通過した打球はカバーに入った怜が処理するが、大島は白球が落下したのを確認してから悠々とホームインし、浅井は二塁に到達した。

 

 未だに起き上がらない息吹を見て新越谷は空かさずタイムを取った。怜、稜の二人が息吹の元に集まる。

 

「三輪さん、大事をとって交代します。準備してください」

「分かりました」

 

 藤井教諭の指示を受け、正美は左手にグローブを嵌めるとレフトへと向かった。



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38話 哀れ稜ちゃん

【新越谷高校、選手の交代をお知らせ致します。レフト川口さんに変わりまして三輪さん。背番号10】

 

 正美がレフトに行くと、息吹は大島からドリンクを貰っていた。

 

「大島さん、ドリンクありがとうございます」

 

 正美はレフトに着くと大島にお礼を言う。

 

「気にしなくて良いスよ」

 

 大島の返事を聞くと、息吹の様子を伺った。

 

「息吹ちゃん大丈夫?どこか怪我してない?」

「平気平気。ちょっと転んじゃっただけ」

 

 息吹はドリンクを飲むと一人で立ち上がり、ベンチへ引き上げていった。

 

 ボトルを持って戻っていく大島の後ろ姿と、その向こう側にある柳大川越ベンチに向け、正美は改めて頭を下げる。

 

 息吹、大島がベンチに戻るとプレイが再開された。

 

 稜のエラーや息吹の転倒と、新越谷のミスで得点を上げ尚もチャンスが続く柳大川越に流れは傾きつつある。ここで追加点が入ろうものならその勢いは更に増すだろう。

 

 打席に立つのは五番の石川。強ストレート要員でスタメンに抜擢されたと思われる一年生である。

 

 詠深は二球で追い込んだが、石川がその後粘りを見せ、B3ーS2からの強ストレートを見送りフォアボールを選んだ。

 

 石川と同じく強ストレート要員であろう平田に打順が回った所で柳大川越がタイムを取る。ベンチからキャプテンの大野と大島が出てきて石川と平田を集めた。

 

 2out走者1·2塁、1点リードのこの場面で取る作戦が思い当たらず、ここでタイムを取る理由が分からなかった正美だが、暫く打順の回ってこない大島を含めた一年生を集めていることに気付いて腑に落ちる。

 

 負ければ終わりの公式戦。少し前まで中学生だった一年生にとって勝敗を左右するかもしれない打席に立つ重圧は重すぎたのだろう。

 

――作戦を伝えた訳じゃないんだろうな。

 

 実は石川のフォアボールも自信をもって見逃したのではなく、強ストレートと分かっていたにも関わらず手が出なかったのだ。彼女の心神に纏うプレッシャーが身体にまで影響を与えていたのだ。

 

 大野と大島がベンチへ戻り、タイムが終わる。平田が右打席でバットを構えた。

 

 一年生を集めた大野が言った言葉を纏めるとこうだ。ここで打ち砕けば二年間良いイメージで戦える。先輩の為とかチームのためではなく、自分達の為に野球をしろ。

 

 しかし、平田にも譲れない思いがあった。

 

――このメンバーでやれる夏は最初で最後。確かに今の一年生は朝倉さん目当てで集まった子が多かった。けれど、向上心や厳しさがありつつも楽しくて優しい雰囲気のこのチームがすぐ好きになったんだ。

 

 ファールでツーストライクを重ねた平田にも強ストレートが投じられる。

 

――自分達の為の野球とは今のチームに貢献することなんですよ。一日でも長く!

 

 平田の振り抜いたバットは白球を左中間へ鋭く跳ね返した。あわやホームランかという当たりはフェンスに当たってグラウンドに落ちる。クッションボールを怜が無駄なく処理してバックホームするが、ファーストランナーの石川もホームへ返り、柳大川越が二点を追加した。

 

 一塁側ベンチの柳大川越が沸き上がる中、今度は新越谷がタイムを掛ける。内野陣が集まったマウンドへ芳乃もドリンクを持って向かった。

 

 レフトを守る正美はセンターへ行くと怜に声を掛ける。

 

「キャプテン、ナイスローでした」

「ああ。でも、すまない。ホーム刺せなかった」

「いやいや、あれはしょうがないですって。てか、よくダイレクトで投げましたね。ここ中堅122mなんですけど」

 

 埼玉県営大宮公園野球場は男子プロ野球の公式戦でも使用される事がある球場である。そんな球場のフェンス近くからホームへ送球した事に対して若干引き気味の正美に、怜は苦笑した。

 

「マウンドの方は済んだみたいだ。そろそろ戻ろう」

 

 怜の視線を追うと、内野陣がそれぞれのポジションに戻っている。それを見た正美もレフトへと走っていった。

 

 

 

 

 

 

 タイム明けの後続をしっかりと切った新越谷のベンチでは正美と珠姫が話をしていた。

 

「そっか。ヨミちゃん知ってたんだ」

「私が考えてるから良いかな、て。まったく、ピッチャー始めたての二人はともかく、ヨミちゃんも正美も、私に任せっきりなんじゃないかな?」

「あはっ。頼りにしてるよ。これからもビシッと私達をリードしてね」

 

 暖簾に腕押しな正美に珠姫は溜め息を吐くのだった。

 

 そんなこんな話しているうちに理沙がレフト前へヒットを放つ。

 

「うわっ、凄い音······重そう······」

「正美、理沙先輩に怒られるよ?でも本当に凄い当たり。三遊間が打球を追えていない」

 

 思わず漏れた正美の言葉を珠姫が嗜めた。正美が入部する前の合宿でピッチャーの試験をした時に多数から“重そう”と言われた理沙が青筋をたてていたのを珠姫は思い出す。

 

「いや、打球の事だからね。タマちゃんも冗談言うんだね」

 

 しかし、そんなエピソードを知らない正美はジョークだと思い、苦笑しながら返した。

 

「とにかく、本人の前で言っちゃ駄目だよ」

「?······うん、分かった」

 

 念を押す珠姫に正美は首を傾げながらも頷くのだった。

 

 ノーアウトの走者が出たところでバッターボックスに向かうのは稜。右打席に立つ彼女の表情は硬かった。

 

――ここでヒットを打って調子を取り戻してくれれば良いんだけど······。

 

「打ちなさい!」

 

 稜に檄を飛ばすのはガールズから彼女と共にプレイしていた菫である。

 

「空気読めないのが長所なんだからこういう時こそ良い打撃しなさいよね!!」

 

 その菫の言葉に疑問符を浮かべるものが一人。

 

「空気が読めん?」

 

 菫のすぐ横に立っていた希だ。

 

 菫は希にガールズ時代のある出来事を話し始めた。それは相手チームの完全試合達成まであとアウト一つとなった場面。それまで2エラー2三振だった稜がヒットを放ったのだ。

 

「そういう感じの空気の読めなさよ」

「じゃあ打ちそうやね。空気読めればゲッツーやろうし、ここは!」

 

――なんて言われよう······哀れ稜ちゃん。

 

 普段はみんなをいじる側の正美も二人の言いように、稜に対して同情を覚えた。

 

 二人の予言とは裏腹に稜は直球だけで追い込まれる。朝倉は稜を仕留める為、人差し指と中指で白球を挟み、左足を上げようとしたその時······。

 

「ゴー!!」

 

 ランナーコーチの芳乃の合図と共にファーストランナーの理沙がスタートを切った。

 

――え!?走ってる!?完全に盗まれた!

 

 朝倉は背後でランナーが走っているのを感じたが、彼女の脚を駆けるシナプスはもう止めることができない。朝倉は動揺のまま腕を振り抜くしかなかった。

 

 そんな朝倉の心の揺らぎが失投を生む。スプリットが落ちない。そんな打ち頃の球を稜は見逃さなかった。

 

 稜のバットが白球をレフトへ運ぶ。サードが伸ばしたグラブの僅か上を通過した打球はレフト線を破る二塁打となった。

 

 スタートを切っていた理沙はホームベースを踏み、新越谷は一点を返す。決して足の早くない理沙だったが、苦しげな表情を浮かべながらも必死に駆け抜けた。

 

『ナイバッチー』

 

 ベンチから二塁の稜へお決まりの賛辞が送られる。

 

「ナイスランです」

 

 ネクストバッターズサークルへ向かう正美は入れ替わりに戻ってきた理沙とハイタッチを交わした。

 

 

 

 

 

 

 浅井はタイムをとるとマウンドへ向かった。

 

「······牽制入れてなかったからな。ギャンブルスタートかもしれん。鈍足だからと油断していた······すまん」

「はい」

 

 朝倉は浅井の言葉に対し意義を唱えなかったが、内心では疑念を抱いている。

 

――コーチャーの掛け声は完璧だった。本当にギャンブルだろうか?

 

 朝倉の疑念は当たっていた。一球毎に守備シフトが動く大野に対し、朝倉登板の際は変化球を投げる時のみシフトが動く。加えて、朝倉がモーションに入る前にショートが移動し始めている事に気付いた芳乃は、ショートの動きに合わせて盗塁を指示する作戦に出たのだ。

 

 しかし、そんなことは朝倉は元より柳大川越の誰もが気付いていなかった。

 

――癖があるのかも······。

 

 朝倉の疑念はプレイが再開しても晴れることはなく、そして、ど壷にはまっていく······。



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39話 そんなに軽いものじゃないと思うんだよねー

 新越谷のチャンスは続く。

 

「ボールフォア」

 

 0 out走者2塁で打席に立つ白菊に対して朝倉はストライクを取ることが出来ず、ストレートのフォアボールを与えた。

 

 途中出場の正美が初打席を迎える。キャッチャーの浅井は白球を投げて返さず朝倉の元へ持っていった。

 

「予定通りストレートで押してくぞ。自信をもって投げてこい」

 

 そう一言声を掛けるとすぐに戻っていく。言葉の裏に先程の理沙のスタートも含め変化球の事は一度忘れろという意味が込められている。

 

 左打席には既に正美が準備万端で朝倉の投球を待っていた。

 

 柳大川越バッテリーのサイン交換が済むと、朝倉はセットポジションから直球を投げ込む。正美はバットをピクリとも動かさず、審判からストライクがコールされた。B0ーS1。

 

 二球目も直球。今度は正美もスイングしたが、白球は三塁側ファールゾーンを転がった。B0ーS2

 

 バッテリーは次も直球を選択。1球外してB1ーS2。次も、そのまた次も朝倉は直球を投げ込んだ。正美はそれら全てをファールで粘る。それが八球続いた頃、浅井は焦りを覚えていた。

 

――おかしい。五回戦までの三輪さんならもう打ち取ってるはず······。

 

 実をいうと、これが本来の正美の速球派に対するバッティングスタイルなのだ。

 

 正美の草野球時代、軟式とはいえ相手は男子。正美がヒット性の当たりを打てない投手はしばしば立ちはだかった。それでも正美が一番に据わっていたのは類い稀なるバットコントロールを持っているからだ。打てないストレートは全てカットし、変化球を打ち返したり、フォアボールで出塁するとこで高出塁率をマークしてきた。

 

 女子硬式野球に転向してからは出塁以外も期待されている正美はどうにかならないか足掻いていたが、結果を出せなかった為に地区予選では草野球時代のバッティングスタイルに戻すことにしたのだ。

 

――このままだとジリ貧だ。仕方ない······ここは一度スプリットで外すか。

 

 しかし、ここでまた芳乃の作戦が炸裂する。

 

「ゴー!!」

 

 ダブルスチール。朝倉のスプリットに合わせて芳乃から指示が飛んだ。

 

 スプリットはベースよりもだいぶ手前でバウンドする。肩の良い浅井であるが、流石の彼女もこれはどこにも送球できない。

 

――やっぱり何か癖があるんだ······。

 

 朝倉の疑念は確信に変わった。もっとも、癖があるのは朝倉ではなくショートなのだが。

 

 こうなっては最早、朝倉に自分の投球を取り戻すことは出来ない······。

 

「ボールフォア」

 

 あの一球以降、ストライクゾーンを通過する事は無かった。正美はゆっくりと一塁へ向かう。

 

「タイム!」

 

 無死満塁となった所で一塁側ベンチから柳大川越の監督が出てきた。少し遅れて大野がマウンドへ走って向かう。

 

【柳川大学付属川越高校、選手の交代をお知らせします。ピッチャー朝倉さんに変わりまして、大野さん。ピッチャー朝倉さんに変わりまして大野さん。背番号1】

 

 

 

 

 

 

 正美は一塁から詠深に対する投球を観察していた。球威はそれほど無いが、足の踏み込む位置から考えるとかなり横の角度がある事が推察される。

 

 今大会14回を投げて僅か1失点。防御率0.50でWHIP0.86。ここまで圧倒的な成績を上げている。

 

 しかし、新越谷は練習試合で大野から初回に三点を上げていた。その為ナインは朝倉を早く降ろして苦手意識大野との勝負に持ち込みたいと考えていた。一人を除いて。

 

――みんなは大野さんの方が打ちやすいと思ってるみたいだけど······。

 

 詠深が三振に取られ、打順は希に回る。

 

――そんなに軽いものじゃないと思うんだよねー、1番(エースナンバー)って。

 

 正美は一人、改めて襟を正す思いで、登板前とは纏う空気の変わった大野を見詰めた。

 

 希に対する大野の初球は体へ向かう軌道からストライクゾーンへ変化するスライダー。

 

――(練習試合で)三塁打した球と同じ。ここから真ん中低めに曲がってくる!

 

 しかし、希の予測よりも大野のスライダーの変化は大きく、希のバットは空を切り、外角低めを通過した白球は浅井のミットに収まった。B0ーS1。

 

 二球目。内へ食い込む切れ味抜群のシュートに希のバットが中途半端に出る。B0ーS2。外に内にと完璧にコントロールされる大野の投球術に希は翻弄されていた。

 

 三球目······変化球二球で追い込まれた後の外角低めに投じられた直球に希は反応できず、見送ることしかできなかった。焦って球審を振り替えると、判定はボール。首の皮一枚繋がったが、ここまで大野のペースで勝負が進んでいる。

 

――まずいなー······希ちゃん完全に呑まれちゃってる。

 

 正美は希が萎縮しているのに気付く。一度ベースを踏んで声を掛けようとすると、実行に写す直前にすぐ横から声が上がった。

 

「希ちゃん!集中!!打てるよ!!」

 

 声を上げたのはコーチャーズボックスに立つ芳乃である。芳乃の声に気付いた希は一塁側に振り返った。

 

「らしくないよー。いつものメラメラの闘志はどこ行ったの?希ちゃんなら打てるはすだよ!」

 

 芳乃に続いて正美も声を掛ける。

 

 希はこちらに微笑みを見せると、大野に向き直りバットを構えた。

 

 四球目、内角へのシュートを三塁側ファールグラウンドへカットする。希のスイングにはもう固さは見られなかった。迷いは無くなっている。

 

 五球目、大野が投球モーションに入ると守備シフトにより左方向のヒットゾーンが狭められた。

 

――多分、初球みたいな外スラがくる。

 

 投じられた白球は希の思い描いた通りの軌道を描く。希のバットはその軌道上で白球を迎え撃った。

 

――おもいっきり引っ張る!

 

 バットと白球はしっかりとコンタクトされる。しかし希は右方向を狙って放った打球は正面へと飛んでいった。それでも、普通ならセンターへ抜ける当たりである。

 

「ランナーバック!!」

 

 しかし、芳乃はランナーに帰塁の指示を飛ばした。シフトが動く中でセカンドが二塁方向へ動いていたからだ。

 

 しかし、セカンドの動きが視界に入っていなかった二塁ランナーの白菊は反応が遅れる。

 

 ライナーを掴んだセカンドはそのまま二塁を踏んだ。白菊は帰塁が間に合わず、ダブルプレーが成立する。

 

 グラウンドにいた選手たちがベンチへ引き上げる中、希はその場で立ち尽くして動けずにいた。そんな希を芳乃が慰めているのを視界の端に捉えながら、正美はこれまた落ち込んだ様子でベンチに引き上げている白菊へ駆け寄る。

 

「ドンマイ」

 

 正美は白菊の背中をポンポンッと叩いた。

 

「すみません·······すみません······」

 

 白菊は目に涙を浮かべて謝罪の言葉を繰り返す。

 

「また打席回るからバットで取り返そ。それにしても凄いよね、柳大川越の球代わりシフト。今のを処理されちゃんなんてねー。たから自分を責めないで相手を誉めよ。ね?」

 

 そうやって、正美は白菊を慰めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 五回の表が終了。新越谷 1ー3 柳大川越。



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40話 外野を抜いてシュバッとホームまで駆け抜ける!

 新越谷がチャンスを摘み取られて以降、両チームに安打が生まれぬまま最終回に突入した。新越谷は最低でも2点を取らないとここて敗退となる。

 

 このプレッシャーの掛かる先頭打者は前の打席でヒットを放っている5番の理沙。

 

 さて、柳大川越の組織的守備(芳乃命名)を攻略する方法はいくつかある。守備の頭を越すヒットを打つのは勿論、シフトの逆を突き大きく空いたエリアに打球を跳ばす方法と、強烈な打球でシフトを抉じ開ける方法だ。

 

 理沙が選択したのは守備の頭を越す方法だった。外角のスライダーを逆らわずに右方向へ打ち返す。詰まった当たりであったが、理沙の持ち前のパワーでギリギリセカンドの奥に白球を落とすことに成功した。

 

 0 out走者1塁で打席にはこれまた先程安打の稜が入る。自身も理沙に続こうと気合いを入れて右打席に立つが、大野の強気な内角攻めを受け、ボテボテのサードゴロを打たされてしまった。稜は頭から一塁へ滑り込むが判定はアウト。ただ、この間にファーストランナーはセカントへ進み、1out走者2塁と状況が変わる。

 

 次の打者は白菊。

 

 希に打順を回すためには3人が出塁し生存する必要がある。なので理沙が出塁して稜が倒れた今、白菊、正美、詠深のうち二人が出塁しなければならない。バッティングが苦手な詠深が控えている為、白菊には何がなんでも出塁して欲しい場面ではあったのだが、大野の投球術の前に成す術もなく彼女はレフトフライに倒れてしまう。これにより詠深は安打もしくは四死球で出塁しなければならなくなった。

 

 だが、詠深の前に打席には正美が立つ。サウスポーの大野に対し、今大会初めて右打席に入った。

 

 春の練習試合の時、正美はまだ部員でなかった為、大会中の情報しか持たない柳大川越サイドは正美の事を左打者だと思い込んでいた。故にある程度の配球をあらかじめ組んでいた浅井は動揺する。

 

 柳大川越はほぼノーデータの相手に配球と投球術のみでシフトを動かさなければならない。

 

 一方、正美の方も第一打席の様にフォアボールでの出塁ではいけないと本人は考えていた。

 

――私がホームを踏めば同点。ヨミちゃんの確率を上げる為にも塁に出たらバッテリーにプレッシャーを掛けたい。それには理沙先輩には二塁を空けて(進塁して)もらわないと。それか······。

 

 正美は前進守備の外野陣に目を向ける。

 

――外野を抜いてシュバッとホームまで駆け抜ける!

 

 初球、大野はクイックモーションでスライダーを内角へ投じた。本人曰く埼玉一右から放たれるクロスファイヤーは体に迫り来るかのように感じさせるが、白球はストライクゾーンを通過する。正美は体を引いて避けるような動作を見せた。B0ーS1。

 

 二球目は再び内角。胸元を抉る直球をボール一つ外す。正美のバットは途中まで出たが、球審はノースイングと判断。B1ーS1、平行カウントとなった。

 

 三球目、大野が投球動作に移ると一二塁間が詰められる。

 

――きた!

 

 正美が初球に体を仰け反らせたり、二球目でバットを出し掛けたのは、バッテリーに内角に意識が向いていると思わせる為に正美が仕掛けたフェイクであった。

 

 外角低め、外に逃げるシュートを思いっきり引っ張って弾き返す。

 

――打球が弱いっ。ホームには帰ってこれないか······。

 

 それでも、がら空きの三遊間とレフトへヒットにするには十分······と思われたが、白球のゆく先へサードが諦めずに駈けていた。打球はまだグラウンドに落ちていない。

 

――これを捕って私達は先へ進む!まだこのチームで野球を続けるんだっ。

 

 サードは打球目掛けて飛び上がった。

 

――届けぇぇええええっ······!!

 

 白球が消え、サードが地面に転がる。掲げられたグラブの中には············白球が収まっていた。

 

「アウト!」

 

 新越谷 1ー3 柳大川越。新越谷の6回戦敗退が決まった。

 

 

 

 

 

 

 球場を出てから誰一人として言葉を発しない。川口姉妹と白菊は目に涙を浮かべ、希にいたっては膝を抱えて顔を伏せていた。

 

――く、空気が思い······。

 

 正美が参加していた草野球チームであればこの後打ち上げに移動する流れとなるが、とてもじゃないがそんな雰囲気ではない。

 

「あの······相手に挨拶に行ってきます」

 

 そんな沈黙を破ったのは詠深だった。

 

「私も行こう」

 

 怜も悔しさを堪え、主将として挨拶に着いていく。

 

「あ、私も行きます」

 

 正美はこの場から逃れるため、詠深と怜に同行する事にした。

 

 柳大川越の元へ向かう道中も会話がない。耳にはいるのは通行人の喧騒と蝉の声だけである。

 

 三人とも一言も発しないまま暫く歩くと、柳大川越の部員が集まっているのが見えてきた。

 

「あの······お疲れ様です」

 

 詠深が声を掛けると、柳大川越のメンバーは三人に気付く。

 

「わざわざどうも」

「おつかれ」

 

 大野と朝倉が挨拶を返した。

 

「二人ともナイスピッチングでした」

「私も大野さんの投球とても参考になりました」

 

 詠深と正美が両投手を讃える。

 

「アンタも相変わらず暴力的な投球だったわね。去年の朝倉と似た感じ······。末恐ろしいわ。ムカつく」

 

 大野は詠深に悪態を吐くと、朝倉はそんな大野に苦笑いを浮かべた。悪態を吐いた後、大野は正美を見る。

 

「アンタのピッチングも映像で見たわ。良いコントロールしてる。アンタがうちに来てたら私の後釜で朝倉の尻拭いを任せられたのに」

「私は大野さんみたいにキレの良い変化球は投げられませんよ?」

「あれだけ球種があればうちの守備を使って抑えられるわ」

「あはっ。そこまで評価して頂いて光栄てす。それじゃあ高評価ついでにスライダーのコツ教えてください」

 

 正美の言葉に大野は暫し考える素振りを見せた。

 

「······良いわよ。その代わりアンタも変化球教えなさい」

 

 正美は大野からスライダーを投げる際に意識している事や練習法などを教わり、逆に高速シンカーの握りと投げ方を教えた。

 

「にしても、アンタよく負けた直後に相手に教えを請えるわね」

 

 大野は腕を組んで呆れ半分に言う。

 

「うーん。今まで勝ち負けにこだわって野球したことがなかったので、そういう感覚分からないんですよね」

 

 勿論、正美だって試合に勝てば嬉しいし、負けると残念と感じる。しかし、試合に負けても野球は楽しいのだ。しかし、悔しさを堪えきれず涙が溢れるというのは、正美にとって未知の感覚であった。

 

「······そう」

 

 大野は目を閉じて相槌を打つと、一読この話を終わらせる。

 

 

 

 

 

 

「三輪さん」

 

 三人が自チームの所に戻ろうとすると、正美が大野に呼び止められる。

 

「アンタの純粋に野球を楽しむスタンスを否定するつもりはないわ。ただ、そのスタンスを貫くのなら次もウチはアンタに負けないわよ」




良いお年をお過ごしください。


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41話 それ以上のものが私にあるのかなぁ······

 明けましておめでとうございます。新年早々短いですが、今年もよろしくお願いします。


 帰宅してシャワーを浴びている正美は心ここにあらずといった具合でボーッとしていた。頭の中では大野と詠深の言葉が反響している。

 

[アンタの純粋に野球を楽しむスタンスを否定するつもりはないわ。ただ、そのスタンスを貫くのなら次もウチはアンタに負けないわよ]

 

[三年生ってさ、今日で終わりかも······絶対負けられない。そう思いながら過ごしてたんだよね。何か気持ちで負けた気がした。楽しいだけじゃ駄目なのかな?]

 

――タマちゃんは勝ってきたのも負けたのも実力だって言ってたけど······。

 

 実力はほぼ互角だった。こちらのミスに漬け込まれた部分はあるが、得点圏にランナーを置いて連打で繋いだ柳大川越に対して新越谷は満塁のチャンスであと一本が出なかった。

 確かに新越谷は他校と違い今年の夏で引退する先輩が居ない。故に負けたとしても同じメンバーで次もやれる事から危機意識が低かったのかもしれない。

 正美にしても、希みたいに負けん気を全面に出して野球に取り組んでいれば最後の打席も安打になっていただろう。

 そんな風に正美は考えを巡らせていた。

 

 風呂場を後にした正美は自室に戻るとベッドに横になる。暫くすると意識は自然と落ちていった。

 

 

 

 

 

 

「ねえ、おじさん。野球楽しいだけじゃ駄目なのかな」

 

 正美はおじさんの元へと来ると、詠深が珠姫に尋ねた問いと同じものをおじさんにぶつける。

 

「前にも言ったけど駄目じゃないよ。というより、やりたい事とそれに必要な事しか出来ないと僕は思うんだ」

「というと?」

 

 おじさんの答えに正美は更なる説明を求めた。

 

「例えば全国大会に出たいって目標があれば野球が上手くならないといけなよね?だから練習に対する意識も高くなる。試合でも一球に対する執念の強さは実力が拮抗した時、大きな差になるんだ。その執念は強い思いがないと芽生えない」

 

 正美はおじさんの言葉に納得する。

 

 そして、おじさんは正美に問い掛ける。

 

「正美ちゃんは何がしたい?どうしたい?」

 

 そんなおじさんの問いに正美は言葉を詰まらせた。

 

「正美ちゃんがステップアップしたいなら本気で叶えたい明確な目標を探すことだよ」

 

 おじさんのその言葉を聞いた所で正美の意識は浮上していく。

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、正美は母に夕食が出来たと声を掛けられていた。

 

 起き上がりベッドから足を降ろすと、おじさんの言葉を頭の中で繰り返す。

 

――本気で目指したい明確な目標······。

 

 今まで野球が好きで、だからこそ上手くなろうと練習を頑張ってきた。普通なら好きなこと、頑張ったことでは負けたくないと思うのだろう。しかし、正美にとって野球の相手とは常に大人の男達。自分よりも体が大きく力のある、自分が叶わなくて当然の者達だった。

 また、チームメイトは試合に負けた後も、残念だったと口にはするが楽しそうに飲み食いしながら試合を振り返る者ばかり。正美に技術が付き試合に出るようになる頃には正美の闘争心はもう身を隠していた。

 

――野球が大好き。それ以上のものが私にあるのかなぁ······。




~正美の夏大会成績~

打席数:12  四死球:2   安打:6
二塁打:2   三塁打:0   本塁打:0
打率:.600  出塁率:.667  三振:0
OPS :1.40  失策:0   盗塁:4

登板:2  投球回5  失点:2  自責点:2
防御率:3.60  奪三振:2   被安打:4
与四球:0   与死球:0   WHIP 0.8


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新たな谷越え戦士
42話 忘れちゃったかな


 埼玉県予選決勝を制したのは咲桜高校だった。バレー部の助っ人に駆り出されている詠深と息吹を除く部員が集まった新越谷高校野球部の部室では、今その話題で持ち切りである。

 

 ちなみに、新越谷を降した柳大川越は準決勝で咲桜に敗れていた。その試合の(ロング)ハイライトを芳乃が作ったとの事で、その映像をみんなで見ているところだ。

 

 柳大川越の先発は大野。最初こそ投手戦を予想させたが、中盤から咲桜打線が大野を捉え始め、終盤は一方的な展開に。新越谷が出来なかった大野率いる組織的守備の攻略を咲桜は簡単にやってみせたのだ。終わってみれば9ー2。咲桜が格の違いを見せ付ける形となった。

 

 試合結果が出た所で希が静かに部室を去る。それに正美と芳乃の二人だけが気付いた。正美は芳乃にアイコンタクトを送ると、正美も少し遅れて希を追うように部室から出ていった。

 

――さてさて、希ちゃんはどこ行ったかなー?グラウンドでバット振ってるかなっと。

 

 正美がグラウンドを覗くと、ちょうど希がバットを持って入口を潜っているところだった。

 

 正美もグラウンドの入口に回り希の元へと歩いていく。

 

――おろ?

 

 フェンスの外からバットを振る希を見つめる少女が居た。

 

「中村さん!……」

 

 フェンスの外に立つ少女が希に声を掛けると、希は外の少女に気付き一瞥する。

 

「······今急がしいっちゃけど」

 

 しかし、希は少女の呼び掛けを冷たくあしらった。

 

「こらこら。流石に感じ悪いと思うなー」

 

 希に追いついた正美が希を嗜めると、二人の視線が正美に集まる。正美は少女の方へと体を向けた。

 

「すみません。希ちゃんってば今センチメンタルなんですよ。野球部にご用ですか?」

「······はい」

「今日は練習オフなんですが、部室にキャプテン達が居ますよ。部室の場所分かります?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

 

 少女はペコリと頭を下げて部室棟へと歩いていった。

 

「咲桜、強かったねー」

「······」

 

 希は何も答えなかったが、正美は構う事なく話を続ける。

 

「私達に勝った柳大川越が咲桜に完敗。いやー、全国の壁は高いわー」

「うちがあん時怖じ気付いたけん。勝てん試合じゃ無かったとに、うちんふぇいて(せいで)······」

 

 希が言い終わる前に正美は彼女の頬を摘み伸ばした。以前とは違い、痛くないよう優しく摘まんでいるので希は目をぱちくりさせるだけ。

 

「ほーら、また希ちゃんの悪い癖がでてるよー。大野さんから一塁を奪えたのは藤原先輩だけなんだよ。打てなかったのはみんな一緒」

 

 正美は希の頬から指を話した。

 

「だからごめんね。希ちゃんに繋いであげられなくて」

「そげんっ、正美ちゃんが謝ることやな······

「はいっ、この話はおしまい!」

 

 希の言葉を遮って手を叩くと、正美はそう口にする。

 希は不満そうに正美を見るが、すぐに正美から距離を取ると素振りを再開した。

 

「もしかして怒った?」

「······別に」

 

 希の正面に回り、表情を覗き込むように尋ねる正美に希はぶっきらぼうに答える。

 

「希ちゃんはさ」

 

 正美はまた希に声を掛けるが、希は素振りを止めるそぶりを見せない。正美もそんな希を気にする事なく話を続けた。

 

「どうしてそんなに悔しがれるの?」

 

 そんな正美の問い掛けに希はバットを振りながら答える。

 

「正美ちゃんはっ、負けるとが楽しかとっ?、悔しゅうなかとっ?」

 

 負けても(・・)楽しいかではない。負けるの(・・)が楽しいかと、希は問い返した。

 

「負けるのが楽しいか、か······」

 

 正美の脳裏を過るのは、身体能力も経験も自分より高い異性の中で野球をしてきた日々。負けっぱなしの野球人生を送ってきた自分。

 

「負けてどうかなんて忘れちゃったかな」

 

 そう言って、正美は困ったように笑うのだった。




 正美のネガティブモードが続いておりますが、合宿を境に封印する予定です。


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43話 こういうデリケートな問題には気を付けて欲しいな

 正美の見立てだと、希はあの一打席をだいぶ引きずっている。

 

 大野は夏大会で引退なので、少なくとも高校ではリベンジの機会が失われていた。希自身、憤りの向く先を見失っているのだ。

 

 切っ掛け一つで立ち直れるだろうが、その切っ掛けをどうしたら作ってあげられるか、正美には分からないでいた。

 

 

 

 

 

 

 正美と希の二人が部室棟に戻ると、芳乃が部室の入口に貼られていた張り紙を剥がしていた。

 

――あっ、ついにあの脅迫文はがすんだ。

 

 紙に書かれているのは“野球部のへや!入室者は野球部員とみなします >▿<”。

 

 去年、暴力沙汰も含んだ不祥事で野球部が停部処分となった事は校内に留まらず有名な話である。例えジョークだとしてもイメージが悪いのではないかと、正美は以前から気になっていた。

 

「芳乃ちゃん何しよーと?」

 

 希が声を掛けると、正美と希の存在に気付いた芳乃ちゃんは振り向いて二人の手を取った。

 

「二人とも入って入って!」

 

――芳乃ちゃん嬉しそうだけど、何か良い事あったのかな?

 

 二人が部室の中に連れられると、そこにはグラウンドで話した女の子が居た。クリーム色の髪を白いリボンでポニーテールに纏め、左の前髪に赤と黄色の髪留めを着けたその女の子の前に出た芳乃は先程剥がした張り紙を目の前に出す。

 

「全員揃った所で自己紹介をお願いします!」

 

 さも当然かの様にそんな事を口にした。

 

「ちょっ、まさかの強要の現行犯!?」

 

 正美は思わず叫ぶ。

 

 刑法第223条:生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、3年以下の懲役に処する。

 

 過去の判例では周囲を取り囲んで義務の無い事を行わせた場合にも強要罪は成立した。

 

「は、はい。川原 光、二年生です。夏大会凄かったです……私も一緒にやりたいなって。よろしくお願いします!」

 

 自信なさげな目で前を向けながらたどたどしく、それでもでも一生懸命に光は言葉を紡ぐと、周りのみんなから拍手が起こった。

 

「タメ口すみませんでした!」

 

 バレー部の助っ人から戻っていた詠深が勢いよく頭を下げる。光を部室の中に案内したのは詠深で、その際にタメ口で光に話し掛けていた。

 

「本当に良いんですか?これならジョークですよ?」

 

 ここまで成り行きを見ていた珠姫が芳乃から張り紙を奪って光に問う。

 

「もー!本気だよ」

 

 珠姫の発言に芳乃は抗議した。

 

「来るもの拒まず去る者追いかけます!」

 

――怖っ!?堅気の人がいう事じゃないよ!!

 

 このままじゃマズいのではと感じた正美は光に近付いて尋ねる。

 

「川原先輩、一年の三輪です。あの……本当に入部希望なんですか?後から無理やり入れられたって訴え出たりとか……。うち停部明けたばっかなんで、それは困ると言うか何というか……」

 

 気まずそうに話す正美に光は可笑しそうに微笑んだ。

 

「大丈夫。さっき言ったのは本当だから」

 

 本人に入部の意志を確かめて、正美はようやく安心する。

 

「良かったー……」

 

 一安心した正美は椅子に倒れ込んだ。

 

「芳乃ちゃん、こういうデリケートな問題には気を付けて欲しいな」

 

 正美は恨めしそうな目を芳乃に向けるのだった。



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44話 我慢できないよね!

 本日は新越谷、草加第二、小河台の三校による合同練習試合が行われている。

 

 新越谷の出番は二試合目と三試合目。只今は二試合目の新越谷VS草加第二で、三回裏を迎えていた。

 

 新越谷は息吹が先発し、2回を1失点で切り抜けると、三回から光にスイッチした。

 

 右手にグラブを嵌めてマウンドに上がった光のデビュー戦、第一球はストレート。球威は控えめだがノビのある直球で空振りを奪った。

 

 そんな光の勇姿にベンチから熱い視線を送る芳乃はご満悦。そのツーサイドアップはハチドリが羽ばたくかの如く激しい動きを見せる。

 一方で、芳乃の横に立つ詠深は強力なライバルの出現に冷や汗を流していた。

 

「光先輩のストレート球質いいね。球威を落としてコントロールを良くした強ストレートって所かな?これはヨミちゃんもうかうかしてられないねー」

「の、挑むところだよ。頼もしいピッチャーが入ってくれて心強いね!······ははは······」

 

 正美の指摘に強がる詠深だが、最後に出た笑いは乾いている。

 

 粛々と打者を追い込んだバッテリーが選択したウィニングショットはチェンジアップ。バッターは体勢を崩され空振り三振に倒れた。

 

 続く打者も外に逃げるスライダーで三振に仕留める。

 

 二者連続三振を奪った光だったが、次の打者には甘く入った球をセンター後方に弾き返されてしまった。しかし、センターを守っていた怜がその俊足を発揮してフェンス手前で打球に追い付いて、光を助けた。

 

「キャプテンナイスプレー!」

 

 正美がセンターへ向けて声を出すと、攻守交替で新越谷ナインが引き上げる。皆が光を囲み、初登板ながら堂々としたピッチングと幸先の良いスタートを称えた。

 

「しょ······な、何でもない。打撃も頑張り······」

 

 そんな中、希だけは何か良いかけた言葉を飲み込む。光は疑問符を浮かべるも、希は俯いてそれ以上なにも語らなかった。

 

 ――希ちゃん、こなままズルズル引きずらないと良いけど······。

 

 そんな希を正美は心配そうに見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 

 四回裏の守備からセカンドに入った正美は本日初打席 迎える。

 

 相手ピッチャーはこの回から球威抜群の速球派右腕に代わっていた。

 

 ――光先輩凄かったなー。小さい身体であんな大きなスイングするんだもん。

 

 光の第二打席はセンターフライに倒れたものの、小柄な彼女にそぐわない豪快なスイングを見せ付けていた。

 

 ――まだ未完成だけど、あんなの見せ付けられちゃうと我慢できないよね!

 

 正美はバッターボックスに立つと、いつもより腰を落として構える。

 

 ピッチャーが投球動作に入り右手を引くと、正美はホームベース側に右足を上げた。初球、相手の直球に対して正美はフルスイングで応える。

 

「ストライク!」

 

 バットが空を切り、主審のストライクコールが高らかに響いた。

 

 ――いけないいけない。力が入りすぎちゃった。

 

 正美は目を閉じて大きく息を吐く。再び目を開いた時には楽しそうに笑っていた。

 

 そんな時、三塁側新越谷のベンチが少しざわついた。

 

「正美が初球から打ちにいくなんて珍しいわね」

 

 菫はすぐに正美の異変に気付く。

 

「それより正美いつの間にバッティングフォーム変えたの?」

 

 モノマネの得意な息吹はフォームを指摘する。詠深の強ストレートの僅な誤差を見抜くほど選手のフォームを細部まで観察する彼女だ。正美が構えた段階で誰よりも早くその変化に気付いていた。

 

 そんな息吹の疑問に芳乃が答える。

 

「夏大会中から練習してたんだよ。まだ仕上がってなかったみたいだけど、光先輩に触発されたのかも」

「正美がか?まっさかー」

 

 芳乃の予想に稜は異を唱えるが、芳乃と同様に考える者がもう一人いた。

 

「芳乃ちゃんの言う通りかもしれん」

 

 希である。

 

「正美ちゃん前言うとったん。練習で全力で振って試合で実践やと6,7割だって。今の正美ちゃんのフルスイングやよ」

 

 希と正美はよく一緒に居残り練習をしていた。野球の事に関して言えば、チームで正美の事を一番理解しているのは希だろう。勿論、新フォーム挑戦の事も知っていた。

 

「ここんとこ正美ちゃんストレートに力負けしとん気にしとったけん、光先輩が大きくなか身体でフルスイングしとーとば見て、いてもたってもいられんのやと思う」

 

 希がここまで話すと、ホームから甲高い金属音が鳴り響く。正美の放った打球はピッチャーの頭上を鋭く駆け抜け、センターの前に落ちた。

 

「ナイバッチ~」

 

 希以外、全員が正美に声援を送る。

 

「なんや、ほとんど完成しとーやん。······そげん本気で野球やっとって、なして負けて笑うてらるん?」

 

 そんな希の問いは周りの声援にかき消された。




 希の博多弁はソフトで変換した後、原作の口調に合わせたり分かりにくい所や読みにくい箇所をいじったりしているので、エセ博多弁仕様となっております。違和感を持つ方もいらっしゃるかとは思いますが、何卒ご容赦を。


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45話 なーんて、冗談冗談

 新越谷高校の本日二つ目の練習試合が始まった。相手は都立の名門、小河台高校。先の大会では東東京地区で準優勝の成績を修めている。

 

 マウンドに登るのは詠深。正美はショートで先発出場していた。

 

 小河台の先頭打者が左打席に入ると珠姫は詠深にサインを送る。初球、カットボールのサインだったが、詠深は首を左右に振った。

 

 ――ヨミちゃんがタマちゃんのサインに首振るなんてどうしたのかな?············えっ、あのサインって。

 

 正美の記憶の中では詠深が珠姫のサインに首を振ったのは初めての事だった。そんな詠深の行為に疑問符を浮かべるが、次に出たサインに正美は驚く。

 

 今度こそサインに頷いた詠深は額の上まで振り被り投球動作に入った。右腕から投じられた白球は······珠姫の遥か右上空を通過、バックネットに突き刺さる。

 

 出ていたサインはチェンジアップ。正美は詠深がチェンジアップを練習しているという話は聞いたことないし、見たこともなかった。そんな中、いきなりチェンジアップのサインが出たと思ったら白球は明後日の方向に飛んでいく。正美の頭は情報処理が追い付かない。それても、ベンチに戻ったら二人に聞いてみようと、この場は切り替える。

 

 二球目。ナックルスライダーを小河台の一番打者は三遊間へ弾き返した。近くで見るのは初めてである詠深のナックルスライダーをクリンヒット。レフトへ抜けようかという鋭い当たりだった。バッターも手応えはあっただろう。

 しかし、ショートを守っていた正美は横っ飛びで打球を止めた。すぐさま起き上がり、一塁へワンバウンド送球する。

 

「アウト!」

 

 小河台の一番打者は天を仰いだ。

 

「正美ちゃんありがと~」

「ここは通さないから、その調子で投げてよ」

 

 詠深のマウンドからのお礼に正美は鼓舞を返す。

 

 詠深は次の打者も強烈なサードゴロに仕留め、最後はふつうのストレートで三振を奪った。強ストレートの癖を見極められていると読んだ珠姫の機転である。

 

 攻守交代で新越谷がベンチに引き上げると、正美は詠深と珠姫に声を掛けた。

 

「ヨミちゃんナイピー。タマちゃんもナイスリードだったよー」

「正美ちゃんもナイスプレー。助かったわ」

「うんうん。いきなり打たれたと思ったよ~」

 

 お互いを称えあった所で、正美は気になっていた事を二人に聞く。

 

「ところで最初のチェンジアップはとうしたの?」

「いや~、あれは······はは······」

 

 詠深ははぐらかしたが、代わりに珠姫がさっきのプレーを説明する。

 

「光先輩のピッチングを見て危機感を持ったみたいで、対抗してチェンジアップを投げたの。練習も試合が始まる前に少ししただけよ」

 

 呆れるように言う珠姫の言葉を聞いた正美は笑みを浮かべる。これはオモチャを見つけた時の笑みだと、珠姫は気付いた。

 

「ふーん·····。私もチェンジアップ投げたんだけどなー。そっかー、ヨミちゃんは私より光先輩の方が好きかー······」

「えっ、正美ちゃん?」

「そうだよねー。光先輩と違って私のは三振の取れないダメダメチェンジアップだもんねー。私なんてアウトオブ眼中で当然だよね······」

「ち、違うよから!?正美ちゃんには正美ちゃんの良いところが······!」

 

 目だけが笑っていない正美の様子に詠深は慌てて弁明する。この弁明、実はチェンジアップを投げた後に珠姫から言われた事と同じだったりする。

 

 そんな詠深様子に満足したのか、正美はネタばらしをした。

 

「なーんて、冗談冗談」

 

 始めは理解の追い付いていない様子の詠深だったが、すくにその表情は不満を露にする。

 

「もーっ、正美ちゃん!!」

「ごめんごめん。今度チェンジアップ教えてあげるから」

「えっ、本当っ?」

 

 瞬時に機嫌を直す。詠深はチョロかった。

 

 

 

 

 

 

 小河台との試合はこちらのミスが目立ったものの、終わってみれば3ー2で辛くも勝利を納めた。

 

「やはり課題としては体力でしょうか。真夏の炎天下······特に二試合目は集中力の低下が見られました。何とか勝てましたが、2戦目は三輪さんにフルで出てもらって良かったです」

 

 藤井教諭は今日の練習試合をこう総括する。小河台戦で正美は途中、ショートからライトに移りフル出場した。普通ならヒットや長打になる当たりを度々阻止する活躍を見せた。もしも正美がいなければ、あと1点小河台に入っていただろう。

 

「体力はいきなりつけるのは無理だけど、まずは明後日からの合宿で鍛えていこう!!」

 

 芳乃が合宿に向けてよ意気込みを語った。

 

 正美も大会など連戦の経験は乏しい為、体力は十分に備わっているとは言いがたい。自分も気合いを入れないとと、正美は思った。

 

「小河台は詠深の球に対応してきたし強かったな」

 

 新越谷内でも詠深の球に対応できる打者は限られている。そんな詠深の球にアジャストした小河台のレベルの高さを怜は感じていた。

 

「でも試合結果からも私達は負けてないと思うわ」

 

 それでも、そんな小河台だからこそ、自分達が勝利を納めることが出来たことに理沙は自信を抱いたようだ。

 

「そうですね。この前は強豪校を来年までに追い越せたら良いと言ったけど撤回します。突き放すくらいのつもりでいきましょう」

「秋の目標は春の全国に繋がる関東ベスト4で良い?」

 

 藤井教諭と芳乃の立てた目標に誰も反論するものは居なかった。

 

「キャプテン、合宿前の声出しを」

 

 芳乃が怜にパスに怜は頷いた。

 

「また親睦を兼ねてになるな」

 

 怜は光に視線をやり、そう切り出す。

 

「秋大会に向けて合宿行くぞ!!」

『オー!!』

 

 新越谷ナインの雄叫びはグラウンド中に響き渡るのだった。




 ハチナイのハルヒイベントで心が10年程タイムリープした作者です。

 そういえば劇場版けいおん!見てなかったな~、と思いだし、今更ながら視聴。その後も心は現代に返ってくることなく、きらら繋がりでS線上のテナという漫画を一気読み。

 S線上のテナ、知ってる方いますかね?けいおんや球詠など数々の名作に富むきららコミックの中で私が一番好きな作品だったりします。
 もしかすると、著者の岬下部せすなさんならば知っているという方もいらっしゃるかもしれませんね。

 全9巻なので、コロナ自粛がてら読んでみてください。
https://comicspace.jp/title/101964


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46話 馬鹿にするなっ!

彼女はこんなキャラじゃないと思って一度はボツにしたネタなのですが、原作で希のスランプが思いの外長引いており、このままプロットの通りに進めると原作との矛盾が生じかねないので、今回は時間稼ぎでボツネタを採用いたしました。


「それで話って何かな?」

 

 みんなが帰り支度をする中、正美と芳乃はユニフォームの姿のままグラウンドの外通路にいた。

 

「先生も課題は体力って言ってたけど、それだけじゃ駄目だと思うんだ」

 

 実際に夏大会ではずっと野球を続けてきた希も調子を落としたし、息吹はあわや怪我に繋がるところだったのだ。

 

「これからはみんな順番に休みを作りたいの。だから、正美ちゃんにも今日みたいにもっと試合に出て欲しい」

 

 全てのポジションを守れる正美が積極的に出場すれば、かなり選手を回しやすくなるのは想像に容易い。

 

「勿論、正美ちゃんが誰も悲しませたくないのは分かってる。ポジションを固定することはしないからっ······」

 

 芳乃は正美も納得した上で試合に出てほしかったので、正美の説得に力が入る。

 

「良いよー」

 

 芳乃も正美がそこまでごねるとは思っていなかったが、それでも正美は芳乃の予想以上にあっさりと了承した。

 

「誰かが怪我したらみんな笑ってられないもんねー」

 

 正美はあっけらかんと笑って話す。

 

 さて、ここでまた二人の予想外の出来事が起きていた。

 

「正美!」

 

 二人が振り向くと、そこにいたのは稜だった。

 

 

 

 

 

 

~Episode 稜~

 

 みんなが更衣室に向かった中、私は木に額を当て、一人で考え事をしていた。

 

 今日も守備でミスした。夏大会から進歩なしかよ······。

 

 そんな事をしていると試合を見ていたギャラリー2人が歩いてくる。

 

「10番は映像でも確認しましたが、実際にこの目で見ると思っていた以上に驚異ですね」

「事前情報では速球が苦手って聞いてたけど、今日はしっかり対応してたね」

 

 私の存在に気付いていないようで、二人は正美の事を話していた。てか、私達も研究されてるんだな。

 

「次の大会ではレギュラーになってるかな?」

「恐らくは。あんな三拍子揃った選手をベンチに置いておく理由がありませんし」

 

 普通ならそう思うだろうけど、不思議と本人にその気がないんだよな。

 

「両翼の二人は初心者だっけ?どっちかに入るのかな?」

「私ならショートに入れますね。あの守備力は魅力的ですし、今の6番は最初こそクリンナップにいたものの途中から打順を下げています。先の大会では好守に渡り繊細さに掛けていたので可能性は十分にあるでしょう」

「成る!確かにショート良いね!」

 

 ······私が正美より劣っていることなんて自分でも分かっている。私は夏大会は良いとこが少なかったし、むしろミスだってあった。

 そんなこと分かっているのに、二人の会話の内容にショックを受けている自分がいる。

 

 私は荷物を持つ手に力を入れて、二人に気付かれない様にこの場を後にした。

 

 逃げるように早足で歩く私の向かう先に芳乃と正美を見付けた。二人ともまだユニフォームから着替えていない。どうしたんだろう?

 

 二人の声が聞こえる所まで来ても二人は私に気付かなかった。

 

「これからは順番にみんな休みを作りたいの。だから、正美ちゃんにも今日みたいにもっと試合に出て欲しい」

 

 芳乃の言葉を聞いて、私はギャラリーの会話を思い出す。同時に悪い予想が頭を過るが、次に芳乃の口から出てきた言葉は私の想像以上に残酷なものだった。

 

「勿論、正美ちゃんが誰も悲しませたくないのは分かってる。ポジションを固定することはしないからっ······」

 

 誰も悲しませたくない?なんだよそれっ。そんなの私があまりに惨めじゃんかっ······。

 

「いいよー。誰かが怪我したらみんな笑ってられないもんねー」

 

 私は我慢できず、正美を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

「馬鹿にするなっ!」

 

 珍しく声を荒げる稜に正美と芳乃は目を丸くする。

 

 稜が正美に迫ると、芳乃が間に入って止めようとした。

 

「稜ちゃん!正美ちゃんは別に馬鹿にしてる訳じゃっ」

 

 別に稜だって殴り掛かろうとした訳ではない。

 

「正美っ、私とショートのレギュラーを掛けて勝負しろっ!!」

 

 稜は芳乃の肩越しに正美へ良い放った。

 

「えっと······少し考えさせて」

 

 正美が困ったように答えると稜の表情は泣きそうになる。踵を反すと何も言わずに走り去ってしまった。

 

 稜の姿が見えなくなった後も、正美は彼女が走っていった方を黙って見つめる。

 

「あの、正美ちゃん······」

 

 芳乃が声を掛けると、正美はいつもの表情を作った。

 

「あはっ。私達も着替えに行こっか」

「うん······」

 

 正美が芳乃の前を歩く。三人が居た場所には静けさだけが残るのだった。



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47話 宣戦布告しようと思います

「おじさんはどうすれば良いと思う?」

 

 おじさんに会いに来た正美は稜ちゃんとの件を相談する。

 

「そうだな。とりあえず君と川崎さんの感情を抜きにして考えてみよう」

 

 そんな前置きからおじさんの話は始まった。

 

「君が試合にたくさん出ることは新越にとってプラスなのは確かだね。ただ、仮に川崎さんとの勝負に買ったとして正美ちゃんがショートに固定されるとなると、それは勿体無いんじゃないかな?」

 

 正美をショートのレギュラーに据えるとなると、どこでも守れるユーティリティプレイヤーという正美のストロングポイントを捨てる事となる。皆の休みを回すピースになるという芳乃の構想とも矛盾するだろう。

 

「······やっぱり丸く納める方法は無いのかな······」

 

 正美は悲しそうに俯くが、おじさんの話はまだ終わっていなかった。

 

「あるじゃない。君ならではの方法が」

「······私ならではの方法?」

「ああ。逆転の発想をしようじゃないか」

 

 おじさんのアイデアを聞いた正美は最初こそ唖然としていたが、次第にその表情は明るさを取り戻していく。

 

「おじさん天才!」

 

 そんな正美の様子におじさんは一旦は頬を緩ますも、ただし!と付け加えた。

 

「そう簡単にいく話じゃないよ?」

 

 正美も顔を引き締めおじさんの目を見る。

 

「分かってる。でも私だけ我が儘を通すわけにもいかないから。稜ちゃんの為にもやってみせるよ」

 

 

 

 

 

 

 合宿当日。今回は学校がバスを用意してくれるとの事で校門前に集合となっている。

 

 しかし正美は校門ではなくグラウンドのベンチで白球を弄んでいた。

 

「正美ちゃんおはよー!」

 

 詠深と珠姫もグラウンドにやって来たのだが、集合までまだ一時間程ある。なぜ、こんなに早くからグラウンドに集まったかというと、詠深にチェンジアップを教えるという約束を果たすためだ。

 

「二人ともおはよー。タマちゃんも来たんだ」

 

 予定では正美と詠深の二人で練習するつもりだったが、珠姫も詠深と一緒にグラウンドに現れた。

 

「うん。折角だから私も見せてもらおうと思って」

「そっかー。じゃあ早速始めよっか」

 

 詠深と珠姫もベンチに荷物を置いて内野のファールグラウンドに出てくる。

 

「最初に詠深ちゃんのチェンジアップの握りを見せてよ」

 

 正美は弄んでいた白球を詠深に渡した。詠深が見せたのは人差し指、中指、薬指をボールの上に被せて親指と小指をボールの下に入れる握りだ。

 

「うんうん。確かに一般的なチェンジアップの握りだけど、詠深ちゃんは変化球ずっとナックルスライダーだけ投げて来たわけでしょ?だから中指を抜く事には不慣れだと思うんだ」

 

 詠深のチェンジアップが明後日の方向に飛んでいってしまう原因と思われるものを正美は解説したわけだが、詠深は思わぬところで躓いてしまう。

 

「······ナックルスライダー?」

「え?」

「······?」

 

 小首を傾げる詠深に唖然とする正美。チェンジアップを教えに来た正美だったが、まず最初にナックルスライダーについて解説する事となった。

 

「へ~、ナックルスライダーって言うんだ」

「詠深ちゃん自身が何投げてるか分かってなかったからみんな“あの球”って言ってたんだね······」

 

 出鼻を挫かれた正美であったが、気を取り直して話をチェンジアップに戻す。

 

「それはそうと、ヨミちゃんに教えるチェンジアップはこれだー!」

「わっ······!?」

 

 正美は詠深の目の前に白球を握った右手を突き出した。握りはサークルチェンジに近いが人差し指をより畳んでおり、親指から人差し指のカールがカタツムリのような形をしている。薬指と小指の感覚もサークルチェンジより広い。

 

「握りは詠深ちゃんのチェンジアップよりナックルスライダーに近いよ。中指が通過する空間と手首の角度はストレートと同じで。人差し指で抜くイメージかな」

 

 正美は再び詠深に白球を渡してチェンジアップの握りを作らせた。

 

「そうそう。そのままゆっくり腕を振ってみて」

 

 詠深がシャドーピッチングのようにボールを投げずに腕をゆっくり振る。

 

「手首の角度がナックルスライダーになってるからもっとストレートを投げるイメージをしっかりもって」

 

 詠深がもう一度腕を振ると、今度は満足そうに正美は頷いた。

 

「うんうん、そんな感じだね。それじゃあ実際に投げてみようか。着替えてないし軽くね」

 

 二人がグラブを取りに行こうとすると、珠姫が正美を止める。

 

「あ、私が受けるよ」

「じゃあお願いしようかな」

 

 珠姫が少し離れた所に、正美は詠深の斜め後ろに立った。詠深と珠姫は簡単に肩を温めた後、詠深はチェンジアップを投げ始める。

 

 ストレートと同じ振りから投げられた白球は指から離れた瞬間よりストレート程の力はなく、中腰で構える珠姫の手前でお辞儀をした。珠姫が一歩動くくらいにはボールが逸れるが、最初の一球にしては上出来だろう。

 

「いい感じだよ。細かいコントロールはゆくゆく出来るようになるから、今は慣れることを第一に考えようね」

 

 詠深もその内に慣れてきたらようでスムーズに投げられるようになっていく。

 

「慣れてきたらストレートと交互に投げよう。腕の振りや手首の角度がストレートと同じになるように意識するんだよ」

 

 しばらくフォームを確認しながら投げていた詠深だったが、時計の長身が6を指した頃に正美から止めがが掛かる。

 

「そろそろ校門に行こ。誰か待ってるかもだし」

 

 三人は片付けを済ませグラウンドを出た。

 

「タマちゃんから見てヨミちゃんのチェンジアップはどう?」

「まだコントロールはアバウトだけど暫く練習すれば十分使えると思う」

「そ、良かった」

 

 正美は歩きながら珠姫にチェンジアップの感想を聞くと、珠姫も好感触を得たようで安心する。

 

 その後は校門につくまで合宿について馳せる思いを三人で語り合うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 三人が校門前に戻ってくると川口姉妹と藤井教諭が集まっていた。

 

 何をしていたのか聞いた芳乃が詠深のチェンジアップ会得の話を聞いて“自分も見たかった”と正美に抗議するが、詠深が合宿中に見せると言うと渋々だが納得した。

 

 その後も続々と部員達が集まってくるが、稜と菫がなかなか姿を現さない。芳乃は心配そうにチラチラと心配そうに正美を窺っている。そんな芳乃に気付いた正美は苦笑いを浮かべた。

 

「菫ちゃんも一緒みたいだし大丈夫じゃないかな?······ほら」

 

 正美が道路の先に指を指す。集合時間まであと二分と迫った頃、菫と菫に手を引かれて歩く稜が姿を見せた。

 

「すみません、ギリギリになりました。······ほらっ、とっとと済ませなさい」

 

 菫は挨拶早々に稜を正美の前に押し出す。稜は気まずそうに目を泳がせるが、覚悟を決めたように正美と視線を合わせた。

 

「この前はごめん!あの時私とうかしてたんだっ······」

 

 稜が勢いよく頭を下げると、正美と芳乃、菫を除いた事情を知らない面々は面を食らう。

 

「稜ちゃん、頭上げて」

 

 正美は稜の両肩を押し上げた。

 

「稜ちゃんを馬鹿にしてるつもりは無いんだけどさ、私今までポジション争いとかしてこなかったから。でも、そんな私なりにあれから考えたんだ」

 

 そう言って、正美は全員が視界に収まる位置に移動する。

 

「みんなも、先輩方や先生にも聞いて頂きたいことがあります」

 

 そう前置きして正美は語り出した。

 

「この前の練習試合の後、稜ちゃんにショートのレギュラーを賭けた勝負を挑まれました」

 

 皆がざわつくが、正美は少し静かになるのを待って話を続ける。

 

「正直に言うと、私は稜ちゃんに負けるなんて思ってない。でも、それは稜ちゃんだけじゃなくて、ここにいる誰にだって私は劣るつもりなんかありません。だから、今ここでみんなに宣戦布告しようと思います」

 

 これは正美の覚悟。自分が我を張る為に必要なことだと。

 

「新人戦までに全てのポジションを奪い取。みんなには私の控えとして試合に出てもらいます」

 

 正美は静かに、だけど確固たる意思を持って!ここにいる全員に告げた。




 前回も書いた通り、レギュラー争いの下りはもともと没ネタなので、この先の展開は何も考えておりません。ああ、どうしよう(苦笑)


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夏合宿
48話 私なりのケジメだから


 お久し振りです。卒業試験の勉強を始める前に一つ更新。

 会話文がかなり多くなってしまった······。






~大雑把に前回あたりのあらすじ~

・正美、稜に怒られる。
「正美っ、私とショートのレギュラーを掛けて勝負しろっ!!」

・正美、おじさんに相談する。
「あるじゃない。君ならではの方法が」

・正美、詠深にチェンジアップを教える。
「ヨミちゃんに教えるチェンジアップはこれだー!」

・正美、全員から全てのポジションを奪うと宣言する。
「新人戦までにみんなから全てのポジションを奪い取ります。そしてみんなには私がその日守る場所以外の穴埋めをしてもらいます」


 バスでの移動中、正美の宣戦布告により車内の空気はギスギスと重苦しく……なる事は無かった。みんな外を眺めたり話をしながら和やかに過ごしている。

 

 

 

 

 

 

 正美の宣戦布告の後、最も早く反応を見せたのは詠深だった。

 

「うん、受けてたつよ。勿論、息吹ちゃんにも理沙先輩にだってエースは譲らないよ」

「そうこなくっちゃ」

 

 先程までの和気藹々とした二人とは打って変わり、不適に見つめ合う。

 

「私だって負けんもん!」

 

 希も遅れを取るまいと、正美の宣戦布告を買った。両拳を握って身を乗り出す様に言葉を放つ。

 

「私達も先輩の意地をみせないとね」

「ああ。そう簡単にセンターを明け渡すつもりは無いよ」

 

 先輩としてのプライドが理沙と怜にはある。二人でレギュラーの座を守ることを誓い合った。

 

「な、なあ……私たち大丈夫か?」

「あんたがケンカ売ったんでしょうが」

 

 既に弱気になっている稜に菫が呆れながらツッコむ。とは言え、菫も内心では穏やかではなかった。

 

――正美は私の上位互換みたいな所あるし、私が一番危ないかも······。

 

 堅実な守備とチームバッティングを売りにしている菫だが、正美には加えて埼玉屈指の足がありアベレージも高い。唯一優っているのはパワーだが、それを武器に戦える程かと問われれば答えは否だ。

 

「ところで、正美ちゃんがみんなに勝ったとして、背番号はどうするの?」

 

 ここで珠姫が一つの問題提起をした。ポジションに対応した背番号が与えられる高校野球において、複数のポジションを獲得した時の対応など珠姫は知らない。

 

「多分、今まで通り10番かな。芳乃ちゃんの話だと、順番にみんなを休ませる為に私は色んな守備位置を回るみたいだし」

 

 正美の答えに珠姫は疑問符を浮かべた。

 

「それって今までと変わらないんじゃ······」

 

 他の部員たちにも珠姫と同様に考える者がいる様子。確かに正美がレギュラーを勝ち取ったとしても今までと何も変わらないかもしれない。それでも、これは正美にとっては意味のある事だった。

 

「それで良いんだよ。これからも同じようにやっていく為の、私なりのケジメだから」

 

 正美は一つ息を吐くと、両の掌をパンッと合わせた。

 

「はいっ、シリアスタイムはこれでお終い!では先生にお返しします」

 

 そう言って、いつもの人懐っこい笑みを浮かべるのたった。

 

 

 

 

 

 

 合宿地に到着しバスを降りると宿に寄る間もなく、25分後にシートバッティングを始めると芳乃の口から告げられる。藤井教諭曰く、不測の事態で止むを得ず移動即試合という場合に備え、少しでも慣れておく為の強行スケジュールらしい。

 

 予定通りに練習が始まり、投手は全員に一打席ずつ直球系を投げ込んで、野手はローテーションで色々な守備位置を守る。これをピッチャー五人分2セットずつ、計10回繰り返した。1セット終える毎に小休憩を挟むが、勿論ベンチに戻るときはダッシュである。

 

 慣れないポジションに苦戦する者もいる中、正美はそのユーティリティっぷりを発揮していた。ピッチャーは直球系縛りという事もありヒット性の当たりが多かったが、正美はどのポジションでも際どい打球を難なく処理している。ポジション争いの事もあってか、その姿からはいつも以上の気迫が感じられた。

 

 シートバッティングを終えると午前中の練習は終了となった。

 正美がストレッチをしている菫の手伝いをしていると水分補給をしていた白菊が口を開く。

 

「初めてライト以外を守りましたが、ずいぶんと勝手が違うんですね。正美さんは何かコツとかあるんですか?」

「そうさねー。やっぱり守備位置ごとの特性を考えて守る事かなー。外野だと例えばセンターは特に広い守備範囲を求められるから、とにかく一歩目を早く出す為事を意識するんだ。キャッチャーのサインも覗けるから球種とコースをしっかり確認する。バットの軌道やインパクトの瞬間も良く見えるからボールが飛ぶ前に動き出すくらいのイメージを持っておくの。対してライトとレフトはセンター程インパクトの瞬間が見やすくないし、バッターの立つ打席次第ではズドーンと強い打球も飛んでくるから、素早く正確に打球の質を見極められないといけないんだよ」

 

 質問をした白菊のポジションがライトという事もあり、外野の説明から入った。真剣に聞いている横で他のメンバーも耳を傾けている。

 

「セカンド・ショートも守備範囲が広いから一歩目を早くしないといけない。けど、ファーストとサードは打者と距離が近くてビューンと早い打球が来るから、一歩目の早さよりもまず捕る事を意識して構えてるんだ。ま、私の場合は(・・・・・)だけどねー」

「私はセカンド守ってた時、いつもより投げる体制がキツかったわ」

 

 稜も普段守っていない所を守ってみて思う所があったようだ。

 

「セカンドは捕ってから投げるまでに体を反転させなきゃいけない事が多いからねー。他にも一塁にランナーがいればゲッツーシフトと進塁狙いの右打ち両方に対応しなくちゃいけなかったり、ベースカバーなんかも多いから結構忙しないよ」

 

 正美の補足情報に菫が体を伸ばされながらウンウンと頷いている。

 すると芳乃が全員分のお弁当を抱えてやって来た。練習中に近隣の食堂から届いたものだ。

 

「みんなが何を考えてどうプレーしてるかを知るいい機会になったんじゃないかな?

それじゃあ、お昼御飯にするよー!」

 

 一同は芳乃に続いて一度、球場を後にした。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

~三輪 正美の野手能力~

 

ポジション:全て

 

右投げ両打

 

バッティングフォーム:スクエアスタンス

           レッグキック【すり足】new

 

打球傾向:センター~引っ張り。内外野間へ落とすライナー。ケースバッティング可能。

 

ピッチングフォーム:スリークォーター

 

グラブ:オールラウンド(ファースト、キャッチャーを除く)

 

※2ストライクに追い込まれると【】に変化。

 

 

・ミート力:4-【5】new

・長打力:1+【1-】new

・走力:5+

・グラブ捌き:4+

・守備範囲:5-

・肩力:3-

・選球眼:5

・バント:5

・送球(制球):5

・盗塁技術:5

・走塁技術:5

・捕手配球:3

 

※2ストライクに追い込まれると元のバッティングフォームに戻す為、【】に変化。




 ストレッチしてる菫ちゃんカワユス。体固いんでしょうか?長座前屈で膝が曲がってるのに目が不等号になってましたね。

 今回は前回の続きと正美の守り分け方法の回でした。正美のポジション毎の守備理論は元東京ヤクルトスワローズの宮本慎也氏、元千葉ロッテマリーンズの岡田幸文氏の守備理論を参考にしております。私自身は守備めちゃくちゃ下手っぴなので、何か間違いがありましたらご指摘ください。


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49話 私スイッチだから

~大雑把に前回あたりのあらすじ~

・稜に勝負を挑まれた正美は全ポジションを掛けてチームメイト全員に宣戦布告。

・いざ合宿へ!

・正美のポジション論。


 グラウンドの外の芝生にてランチタイム。練習中とは打って変わって穏やかな時間が流れている。

 夏真っ只中ではあるが、山へ来ている為か新越谷の街よりも幾分か涼しく、一同は汗ばんだ肌に心地好い風を感じる事が出来た。

 

 今、話題に上がっているのは話題は光のバッティング。正美ほどではないが小柄な光はバッターボックスに立つと大振りのフルスインガーと化す。

 

「私はとりあえず転がせとか習ったな」

 

 対して怜は自信のガールズ時代に受けた指導を話した。同じような指導を受けた者は多いはずだが、光が小学生の頃の監督は小柄だからこそ力負けしないよう体全体でスイングするよう教育したそうだ。

 

 白菊もこの合宿からコンパクトなスイングに取り組んでおり、先ずはバットに当てないとと言う白菊を芳乃も応援すると前向きな様子を見せる。

 

「正美ちゃんもコンパクトに振る割にはアッパー気味よね。理由はあるの?」

 

 そう指摘したのは理沙だ。正美のバッティングフォームも俊足好打の選手には珍しいものである。トップを低い位置でキャッチャー側に大きく引いてからコンパクトにバットを出して振り上げる。理沙の言うようにアッパー気味になるのだ。

 パワーはあるが確率が課題の理沙はアベレージヒッターながらそんな正美のスイングに興味があるのだろう。

 

「私は内野手の届かない所に打てって教わったんですよ。内野手に捕られたらほぼアウトだぞーって」

「正美ちゃんの足でも?」

「あははー。周りは元バリバリの球児でしたからねー」

 

 正美は苦笑いを浮かべた。とは言っても、彼女は男子に混ざってもベースランニングはそこそこ速い方なのだが。

 勿論、パワー不足で低くて鋭い打球を打てなかったというのもある。

 

 光は体格の差を跳ね返す為に、正美は性別を越えた相手と渡り合う為に。二人以外のみんなにだって今のバッティングフォームになるまでにそれぞれの物語があったはすだ。

 勝ちたい相手がいたのかもしれないし、打ちたい球があったのかもしれない。憧れの選手がいたのかもしれないし、ただ単にコーチの指導方針に沿っただけだったかもしれない。

 様々な事情はあれど監督・コーチやチームメイトと共に作り上げたのか。はたまた一人で悩み抜き行錯誤を繰り返しながらたどり着いたフォームなのか。

 その者の野球感や歩んできた歴史、そういった様々なものがバッティングフォームには詰まっているのだろう。

 

 そして今、この中にそんな歴史の分岐点に立つものがいた。

 

 

 

 

 

 

 食事も終わりみな体を休めている頃、正美と希は宿場のすぐそばにある開けた場所で素振りをしていた。

 希は目を閉じ、マウンドに立つ柳大川越の大野 彩優美をイメージする。大きく右側から放たれる白球は更に鋭角に軌道を変え希の横を通過しようとするが、希はバットを振り抜いて白球を捕らえた。

 

「よっしゃー!レフト線」

 

 そう声を上げたのは稜。実はほんの少し前からここに居たのだが、希の真剣な雰囲気にあてられ声を掛けられずにいた。

 

「······サードにとられた。相手は柳大やけん」

 

 希は目を閉じたまま稜の言葉に答える。

 

「ムムッと拗らせてるねー」

 

 そんな希を茶化かの様に正美は口にした。そんな正美に希は不満を露にする。

 

「そう言う正美ちゃんはどうと?」

「何球か引っ掛けちゃってる。まだまだ安定しないかなー」

 

 そう言って正美は素振りを再開した。夏大会後の練習試合に披露された新フォーム。稜から見れば何が駄目なのか分からないのだが、正美にとってはまだ体が不完全ないようだ。

 

「稜ちゃん何?」

「お、おう。素振りは毎日どのくらいしてんの?」

 

 不意に希の意識が自分に向き、とっさに稜の口から出た言葉はこれだった。

 

「今日は200くらいかな。いつもは400くらいやけど······それだけ?」

「あ、いや······」

 

 稜は逡巡しながらも胸の内を明かす。

 

「実は私出塁率で悩んでて。二人にアドバイスいただきたいと思ってさ······」

 

 今まで絡みがほとんど無かった稜からのお願いに希は意外そうな表情を見せた。そして出した答えは······。

 

「左で打てば?」

 

 技術的なことや練習法、打席での意識。稜がもらえると思っていた助言はこういった類いのものだった。しかし、実際に返ってきた答えは予想だにしないものであり、稜は言葉の意味を飲み込むのに少し時間を要した。 

 

「マジ?」

「うん、マジ」

 

 希が本気で言っているのか計りかねた稜が問うが、希は即答する。

 

「私のバットで良ければやってみる?」

「あ、うん。ありがとう」

 

 稜は正美からバットを借りると左で素振りを始めた。

 

「ぎこちなくね?出塁率上がるかな?」

「マシにはなるかも。どうせ今だって三割もなかろ?一塁近くなるし内野安打は増えるよ」

 

 慣れない左打ちに不安を覚えた稜が疑問を呈するが、希はバッサリと切り捨てる。気にするほどの出塁率を残しているのかと。

 

「でも甘い球以外打てる気しないんだが」

「甘い球だけ振ればいいやん」

 

 厳しいコース、甘いボール、ストライクボール(手の届く球)には全て手を出すフリースインガーである稜にとって今の希の言葉は目から鱗だった。

 

「確かに稜ちゃんって難しい球でも脊髄反射で打ちにいって凡退するとこあるから、左で一からやり直すのも手かもね」

 

 正美も希の案に同意する。

 

「······二人ともさっきから私に厳しすぎないか?」

 

 確かに出塁率が低いから相談に来たわけだし、早打ちして打ち損じるのも事実だ。しかし、言い方というものがあるだろうと稜は二人に抗議する。そんな稜に正美は少しだけ真面目な顔を作った。

 

「稜ちゃんはさ、身体能力が高いんだからやり方次第でキャプテンみたいな走攻守そろった選手にだってなれるポテンシャルはあるんだよ」

「······へ?」

 

 普段は自分を弄ってくる正美の賛辞100%の言葉に稜は呆気にとられる。

 

「私に勝負を挑んだんだから なってみせてよ」

「······正美は本当になれると思う?」

 

 稜はいつもと違うバットを握る手を見つめ、自信なさげに正美へ聞いてみた。

 

「もちろん!それじゃあ明日5時に集合ね」

「······はいっ?」

 

 正美の急なアポイメントに脊髄反射で聞き返す。

 

「私スイッチだから右打ち慣れした稜ちゃんにも左打ち教えられるよ」




 作者個人的に初心者おすすめのバッティング練習はバスター打法です。



~以下、作者の近況(その内消します)~

 無事に国試に合格して鍼灸師デビューしました。
 新しい職場に少しずつ慣れながらもヒィヒィ言いながら日々を過ごしています。

 国試の追い込みやら、本作を書き直していたり、気分転換にラブライブの小説を書いてみたりとしていたら約10ヶ月たっておりました(笑)時が流れるのは早い······(遠い目)


 わたくしにとって執筆活動は頭で考えていることを文字に起こす(言葉にする)訓練なので今後も続けていこうとは思いますが、スローペースになることは間違いないです。

 読みにくい文章な上に更新もナメクジですが、今後ともお付き合い頂けると幸いです。

敬具。


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