summer pockets 【If Story】 〜もう一度だけ、あの眩しさを〜 (白羽凪)
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プロローグ
夏のまぶしさを、俺はもう覚えていない。
最後に夏休みを楽しいと思ったのは、いつの日だっただろう。
大人になって、住む世界はだんだんと黒くなる。
見たくないものまで見えた初めて。
苦しい現実に心をやられて。
そうして、大きくなった。
大きくなって...俺は、もう自分が何者なのかを忘れてしまった。
---
朝早く、家を出る。
家に今年小学生になった娘を残したまま、行きたくもない会社へ向かう。
思えば、俺は何のために働いているのだろうと、ときどき思う時がある。
「...はぁ」
今年に入って、数えきれないほどついたため息をつく。
「...生きるって、なんだろうな」
生きていることが楽しいと思っていたころは、もうとっくの昔。
少なくとも、最愛の妻を失ってからは、そんなことを思えなくなった。
ふと、俺は手元の指輪を見た。
「しろは...」
このリングをつけている相手は、もうこの世にはいない。
鳴瀬しろは。
俺が愛した、最愛の女性は、娘であるうみの出産と同時に死んだ。
そこからだ。
この、地獄のような生活は。
もちろん、うみを大切にしようと思って、行動してきた。
それでも、島で生きることは、この上なく辛かった。
うみのためを思うなら、島で生きていた方がよかったのかもしれない。
けれど、島で過ごすたびに、誰かの歪みない優しさや、たどるたびに湧いてくる思い出が、たちまち俺を苦しめた。
そうして、気が付けば俺はうみを連れて島を出ていた。
...逃げたのだ。
そうして、街に越してからは、今のような生活の繰り返し。
初めは頑張ってうみの世話をしていた気がするが、気が付けばもう完全にその手は離れていた。
うみのためにと思って仕事を頑張れば頑張るほど、自分の置かれる境遇は高くなって、かかる負担は大きくなって。
進むも地獄、戻るも地獄。
そんな生活を生きてるうちに、俺は人としての心を失いつつあった。
そうして、今日も会社に至る。
ただ、日中において、少し楽になった点があると言えば、うみが小学生になったことくらいだろうか。
つまり、うみからすれば今年の夏は小学一年生の初めての夏休みということになる。
...夏休み、か。
きっと、楽しいものだったと思う。
今はもう、夏休みの過ごし方なんてものはないが。
それでも、うみの夏休みが楽しいものであってほしいとは願っている。
願うだけで、どうせ何もできないだろうと、割り切りながら。
最近になり、セミの鳴き声がちらほらと響きだした。
そうして、告げられる。
夏の始まり。
というわけで、時間軸はいつもの、羽未がループに入る前の話です。
羽未がちょうど小学生になったばかりなので、本編より5年前といったくらいですかね。
というわけで、こちらを開始させていただきます。
何卒よろしくお願いいたします
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第一話 変わることのない景色
まあ、漏れる作品が結構ありますが...。
展開崩壊に注意しますので、目をそらさずに読んでいただけるとありがたいです。
~羽依里side~
今日も今日とて会社に出勤する。
朝が早いため、日によってはうみの顔を拝めないわけだが、今日はダメな方だった。
ため息一つついて、朝礼に参加する。
耳に入ってくる言葉は『企業努力』だの、『健全な職場』だの。
もう何度も聞いたその言葉にまたため息をつく。
...嘘つけ。
ここまでブラックな会社そうそうない。
けれど、辞めることは出来なかった。
もしここでやめてしまった後のことを考えると、転職できない未来が怖かった。
今小学生真っ盛りの娘を残して、路頭に迷うわけにはいかないのだ。
そうして、俺は負のループに入った。
時に死にたいと思ってしまうことも、最近ではもう少なくない。
甘える相手はいないし、かかる負荷しかないのだから。
朝礼が終わり、デスクにつく。
が、今日の業務内容は確かデスクワークではない。
その時、名前も憶えたくない上司が近くに現れた。
「鷹原、今日お前外回りだよな?」
「ええ、そうですね...」
俺のいる会社はやたらと地方では大きい会社だ。
その分、多方向の業務に手を出している。それがブラックの理由の一つでもあるが。
けれど、地域信頼が高い分、地元のあちこちの企業との提携が多いのも事実だ。
だから、こうして時折外回りが。
...よく、こんな会社に入れたな。
「確か、ガーデニングの先生のところでしたよね?」
「そうそう。ちょっとばかし遠いところにあるから、昼までに戻ってくれればokだから」
「はぁ、そうですか」
そういわれて、一応時計を確認してみる。
8:50。
往復一時間かかるにしろ、割と余裕をいただけたみたいだ。
さっさと終わらせて、ゆっくり戻るとしよう。
「で、何を確認すればいいんでしたっけ?」
「うちで取り扱ってる苗とかそこら辺をもう少し買ってくれるような交渉をしてくれればいいから。あそこの奥さん、物腰柔らかい人だからな。いいか、強行的な姿勢は控えろよ?」
「分かってます」
「お前の働きはしっかり上で評価されてるよ。...だから、頼むぞ」
そう告げるなり、上司はさっさとどこかに行ってしまった。自分の仕事に戻ったのだろう。
「...昇格とか、別に考えてるわけでもないんだけどな」
そう呟いた独り言は、おそらく誰の耳にも入ってない。
---
どうやら目的地への移動は、電車が必須みたいだった。
仕方なく俺は、街の駅へ行く。
「えーっと...ここから電車で30分か...。次の便までは長くないし、待つか...」
現時刻は9:00をちょうど回ったところ。
次の便は、どうやら15分後みたいだ。
そう考えてみると、今回の外回り、だいぶ休暇のようなものに感じる。
上司の粋な計らいだろうか。
...いや、たまたまだろう。
そうしていると、ホーム内で、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「たーかはら」
「げっ」
「げっ、ってなんだよ!? 僕同僚だよ!?」
「と言っても、年単位の派遣だけどな」
隣に現れたのは、東北の方から派遣された、同年代の社員だった。
名前は確か...
「...誰だっけ?」
「ひどくない!? 僕結構君と一緒に仕事してるよね!? 春原だよ! 春原陽平!」
「ああ、そうそう」
春原。
名前に陽の字が入るくらいには、明るい。
そしてうるさい。
乗り気でないときでさえこのテンションでいられるのだから、時々やってられないときがある。
...まあ、根はいいやつなのだろう。多分。
「...それで、春原は何をしに来たんだ。まさか、同じところか?」
「んー? いや、鷹原の業務内容聞かされてないから、おそらく今回は別だね。多分、たまたま乗る便が一緒なくらいかな」
「ふーん...。相手は商社か?」
「まあね。けど普通、そんな派遣人材に任せるような案件ですかね」
「人受けがいいんだろ」
それが、春原の良さでもある。
もとは人材育成のための派遣だったが、その人柄の良さから、たちまち営業部で頭角を現してきているのが春原だ。
ぼーっとしていれば、俺もあっという間に抜かされるかもしれない。
それでも、こいつは何も気にしないだろう。
いつも通りおちゃらけて、笑って、また次のステップへ進んで...。
...つくづく、その性格がうらやましい。
今の環境を、それで乗り越えられたらどれだけよかったことか。
けれど、そんなものは、願っても届かない。
「鷹原は? これからどこよ」
「結構遠くまで行ったところの、ガーデニングの先生の...」
「あー、天王寺さんのところか。なるほどね、そりゃ重大案件だ」
名前を聞くだけで春原は理解したみたいだった。
そういうところを、見えないところでちゃんと確認しているのだろうか。熱心なことだ。
「あそこ、数字だけで見たらうちの会社への貢献度、結構高いからね。落とせないよ、簡単には」
「分かってるよ。いらないプレッシャーかけんな」
少なくとも、仕事でへまするつもりは一切なかった。
失敗するなと言われたら、それはよけいなお世話だ。
駅に、電車の発着のアナウンスが響き、たちまち電車がホームに入る。
「...さて、それじゃ行きましょうかね」
「そうだな」
電車に乗り込むと、そこから二人は無言だった。
お互いの業務がこれから待っているのだ。ただ通学途中の学生とは違う。
自分の背負っているものの価値が分かっている以上、あまりうかうかはしていられなかった。
天王寺夫妻...どんな人だろうか。
というわけでクロスオーバー先コーナー。
・天王寺夫妻
この時点では名前を挙げていないので、とあるキャラのアフターとだけ今は覚えていただければ(次回名前は出します)
・春原陽平
CLANNADシリーズより。ただし、ここで言うのもなんですが、岡崎は出すつもりないですよ。今後の展開に期待。
といったところで今日はこの辺で。
感想、評価等あれば喜びます(返信ももちろんします)
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第二話 輝かない夏
~羽依里side~
一駅二駅進んだところで春原が電車を降りる。
ようやく一人になった俺はひたすらにイメージトレーニングを繰り返していた。
相手と同じ目線で話すためのコツ。
どうやったら相手を不機嫌にしないか。
こういうのは、決まって自分が低く出ればたいてい何とでもなる。
プライドというものが大幅に欠如している今の自分にとっては、きっと天職なのだろう。
そんなどうでもいいことをただ念じていると、目的地の駅へと電車が止まった。
その40分ほどの旅は、意外にも短く思えた。
駅を降りると、瞬く間に炎天下にさらされた。
街のはずれであるこの場所は、日陰になりそうなところもあまり見受けられない。
そこからかしこでセミがうるさいほどに鳴き、遠くの方のアスファルトは陽炎を生み出している。
夏である。
まだ夏休みではないのが幸いだろうか。賑やかな子供の声は聞こえなかった。
夏休み、少年時代、思い出...。
今となっては、なにも思い出せない。
昔、夏休みの過ごし方を忘れたと色々した高校の頃の自分は、きっとかわいかったのだろう。
あの頃の俺から見た今の俺は、どんなに無様なんだろうな...。
誰も得をしない自虐をして、しかしすぐさま気持ちを切り替え、マップに記入してあるしるしを頼りに目的地へと向かった。
ほどなくして俺は住宅街につく。
さすがにこれに俺は驚いた。
相手の年齢は俺よりさほど変わりないと聞く。
けれど、目の前に広がるのは高級とは言わないものの、立派な住宅街。
まだ20代のうちにここに住んでいるとなると、その生活の実体が伺える。
と同時に、むなしさを覚えるので、俺は深く考えないでおいた。
目標の家にたどり着く。
目の前の家はなかなかに立派だった。
さすがガーデニング講師の家といったところだろうか。邪魔にならない、見栄えが良くなる程度に家に植物を走らせ、育ててあるハーブの香りだろうか、鼻腔をついた匂いはたちまち俺の気分を良くさせた。
とりあえず、大事な資料を手元に持って、インターホンを鳴らす。
たちまち、奥からどたどたと音が聞こえたかと思うと、内電話も通さずドアが開かれた。
「はい、天王寺ですけど...」
「すいません、天王寺さんのお宅の、ガーデニング用の植物の苗を取り扱っているところの鷹原と言いますけど...」
「あぁ、確かそんな話が...」
すると、二階の奥の方からだろうか、声が聞こえてきた。
「瑚太朗くん、お客様リビングに上がってもらっててー、そろそろ降りるからー」
「...だそうで。講師は俺じゃないので、ちょっと待ってもらえますか? 客間、用意するんで少し待ってください」
「は、はぁ...」
そうして、男の方は客間の準備をはじめに家に戻った。
...仲のよさそうな夫婦だ。
今の一言二言で、それを知るには十分だった。
おそらく新婚なのだろう。
...うらやむ以外の、何もできそうになかった。
少しばかり外の暑さにさらされていると、もう一度玄関のドアが開いた。
「お待たせしました。さ、こちらへどうぞ」
「お邪魔します」
どうにか愛想笑いを浮かべて、案内された客間へ向かう。
そこには一仕事終えてきたのか、奥さんの方も椅子に座っていた。
「おはようございます」
「おはようございます」
相手の奥さんがこちらを見るなり一礼。社交辞令として返さないわけにもいかず、俺も礼を返した。
おはようございますを、家族にろくに言えない俺は、こうして成り上がってきた。
自分も椅子に座り、相手の旦那のほうも椅子に座ったところで、改めて仕事についての話を始める。
「えっと...天王寺、瑚太朗さんと、小鳥さん」
「はい、そうですね」
「私、鷹原羽依里といいます。お願いします」
「はい、お願いします」
ガーデニングについては小鳥さんの方がメインで担当しているためか、基本瑚太朗さんのほうは何も口出しをしなかった。
「鷹原さんが、うちの担当をするのは初めてですよね?」
「確か、前の担当が変わっちゃって...、はい、そうですね」
「要件の方はいつもと同じですか?」
「いつもの...ちょっと待ってくださいね」
初めて対面する相手に、自分から空気を作り出すことはなかなかに難しかった。
仕方なく俺は向こうの作る雰囲気に乗り、仕事を進めることにした。
上司から渡された紙一覧を見てみる。
中には、律儀に前者からの引継ぎの紙が用意されていた。
それにちらりと目を通す。
...業務内容は、前回までの取り扱い商品の継続、並びに新種の紹介、買ってもらうことか...。
さすがに俺は植物に関しての専門知識は持ち合わせてないため、リストを相手に提示するほかなかった。
「今まで弊社から買っていただいている苗や種の購入の継続の有無と、弊社の新種に需要があれば、といったところです」
「ああ、それなら買わせていただきます。結構、元気に育ってくれる植物たちなので。...え、新種!?」
素で驚かれた。
さらによく見ると、子供のように目を輝かせていた。
「こちらのリストなんですけど...」
俺は手元にあったリストをそのまま小鳥さんへ手渡した。
それを元気よく受け取るや否や、すぐに声を上げた。
「瑚太朗君! 瑚太朗君! すごいよ! まだ私が育てたことのない植物、いっぱいある!! え、買っちゃってもいいかな!?」
「...まあ、俺分かんないし。小鳥の判断に任せる。増えるならそういう風に付けておくから」
「いやぁ~、瑚太朗君は太っ腹だぁねぇ」
愉悦に浸りながら、一人声を上げる小鳥さんにさすがに目を当ててられず、旦那である瑚太朗さんのほうへと視線をそらし、小声で確認した。
「...いつもこんな感じですか?」
「こんな感じです。...」
そうこうしていると、小鳥さんの方も落ち着いたのか、少し冷めた声音で切り出した。
「というわけで、買わせて、いただき、ます!」
あ、冷めてなかった。
「あ、ありがとうございます...。来月からでいいですよね?」
「そうしてください」
興奮冷めやらぬ妻の代わりに、夫がそう答えた。
商談成立。これでお仕事も終わりですかね。
そう思って立ち上がる。
仕事が終わると、一気に気持ちが冷めてしまった。
当然だった。
目の前の二人は、まさに仲睦まじい新婚ほやほやと言えるような二人で。
それは、いつか自分がずっとこうあってほしいと望んでいた光景なのだから。
その光景からは、目をそらしたかった。
二度と手に入ることのない景色。愛する人と、ともに歩いて行ける、そんな景色。
望んでしまうだけそれはむなしいから、一刻も早く立ち去りたかった。
そんな感じでブルーになっていると、ふいに旦那である瑚太朗さんの方が俺を呼び止めた。
「あ、ちょっと待ってください」
「なんですか?」
「...なんで、泣いてるんですか?」
はい、というわけでクロスオーバーなコーナー。
・天王寺夫妻
こたこと√のアフターです。まあ、ガーデニングの時点でお察しですよねw
Rewriteネタを持ってくるにあたって、この√、もしくはちはや√からの派生が一番使えるんですよね。ただ、ちはや√は戦闘シーンが絡んでくるので、一番人間らしいこっちを使わせていただいております。
作者の好みです(ボソッ)
といったところで、今回はこの辺で。
感想や評価等ありましたら嬉しいです。
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第三話 弱さ打ち明ける誰か
いかんいかん、軌道修正しっかりしよう。
~羽依里side~
「え...?」
そう思って目元を触れてみると、少しばかり濡れていたことに俺は気づいた。
「...何か、辛いことがあったら、俺、聞きますよ」
「...いや、そんなこと」
他人に弱みをさらけ出すのは嫌だった。
ましてや、さらに惨めさが募るだけで、何の得もない気がしていた。
言い方は悪いが、敗北感で満たされるのだ。
けれど、この人の声音は、優しさそのものだった。
一見幸せそうな人なのに。
きっと、その裏にはもっと重たい、闇のようなものを感じた。
どんな人生を生きてきたのだろうか。俺には計り知れなかった。
「...瑚太朗君、あまり止めちゃ悪いよ?」
「分かってるけど...なんか、こういうの、見過ごせなくてさ」
「...だろうね。瑚太朗君らしいや」
小鳥さんはあきらめたようにため息をついて、ふっと微笑んだ。
そのやさしさを、俺は知らない。
だから、少しでも、と触れたくなった。
話してみるだけというのも、ありなのかも知れない。
「...お話、聞いてもらえますか?」
「時間が許す限りは、いくらでも」
そう答えられて、少し肩の力が抜けた。
見ず知らずの誰かのはずなのに、どこからか安心感が湧いてきた。
この人になら、言ってみてもいいかもしれない。
俺は、もう一度椅子に座った。
そして、淡々と弱音を口にする。
「...なんか最近、どうしようもなくダメなんです」
「うん...色々あるんだろうな」
何が、とは聞かなかった。
「...妻が亡くなって、一人で娘を育ててきたのに...何もうまくいかなくて、距離も離れるままで...。正直、二人がうらやましいんです。こうして今二人並んで座ってることが、嫌なくらいに妬ましくて...!」
言えば言うほど、自分が黒く染まっていく気がしていた。
けれど、これが本心と言えば本心である。
だからこそ、安易に引けなかった。
黙って聞いていた二人だったが、先に口を開いたのは小鳥さんの方だった。
「...私たちも、簡単に幸せになったわけじゃないですよ」
「...何があったんですか?」
「えーっと...ちょっとにわかに信じられない話かもしれないですけど...けど、私たちがたどってきた道、お話します」
先ほどとは打って変わって小鳥さんは、冷静に、動じることなく自分の過去を告げた。
それは、本当に信じられない話だった。
この世に、そんな戦いがあったなんて、さすがに信じられる話ではなかった。
けれど、その過去を話す表情があまりにも真剣で。嘘偽りないような内容で。
それを信じずにはいられなかった。
その上で、瑚太朗さんは、命を賭して小鳥さんを愛していた。
何度も、死にかけながら、過去の自分に気づきながら。
それでも、一途な愛を、瑚太朗さんは小鳥さんに送っていたのだ。
俺は、しろはにそこまでしてやれていたのだろうか?
芯の強さが、違うのではないかと。
また、心のどこかで後悔が生まれる。
「...今じゃ俺、すごい小鳥の迷惑になってるかもしれないですけど...、でも、命を賭けて生きてるというのは、変わりません」
「...そうですか」
「なんて、すいません。一方的な話ばっかり」
「いえ、こっちが聞こうとしてたので」
実際、俺の方から二人の過去を聞こうとしていたのだから、何も文句は言えない。
「...ただ、俺が言うのもなんですけど...」
少しためらいながら、瑚太朗さんは口にした。
「まだ...娘さんがいるんですよね? ...守るものがあるなら、まだ死ねませんよ」
「...分かってます」
「分かってても言います。俺って、おせっかい焼きなんで。...人の人生に干渉できるほど俺は強くないですけど...、それでも、鷹原さんが苦しんでいるなら、その後ろ盾になれる人間になりたいと思ってるんです」
その目は、相も変わらず信念が座っていた。
この人は、きっと本気で俺のことを思っている。
本気で、俺を救いたいと思っているんだ。
大切だと思っていた場所を失いかけた過去があるから。
「...電話番号、教えておくんで、苦しくなったら言ってください。...どこまで力になれるかは分かりませんが、力になりたいんで」
そういうなり、瑚太朗さんは自ずから電話番号を差し出してきた。
断ることもできないまま、俺はその番号を交換する。
ふと、一周回って、頭がすっきりした気がした。
何も解決してないのに、心が楽になった。
嫉妬の感情が特別薄れたわけじゃないのに...。
それはきっと、苦しさを共有する誰かができたから、だろうか。
悪い気はしなかった。
「...それじゃ、そろそろ仕事戻らないといけないので、帰ります。今後とも弊社のこと、よろしくお願いします」
俺は、立ち上がって、今度こそ踵を返した。
さすがにもう呼び止める声はない。
代わりに、励ましの言葉がまた響いた。
「いつでも連絡ください。俺、割と暇してるんで」
「瑚太朗君、まだアシスタントもままならないしね」
「...です」
「...ははっ。...また、いつか、絶対に連絡します」
最後の言葉はちゃんと言えただろうか。
その真偽は誰も知らないが、きっと大丈夫だろうと俺は今度こそ天王寺家を出た。
今日くらいは、ちゃんとうみと話してみよう。
まずは、それから始めないと。
しかし、現実は残酷で。
会社に戻る数分前、見知らぬ番号が、俺の携帯を鳴らした。
何かと思って電話を取ってみると、若い男性の声が、緊迫性を孕ませながら口早に避けんだ。
「あっ、うみちゃんの親御さんですか!?」
「はい、そうですけど...」
「なら言います!! うみちゃんが...
病院へ...運ばれました」
今回は特別クロスオーバー先を書くことはないです。
...が、まあ、このうみの通う小学校の担任は他作keyのキャラクターです。
といったところで今回はこの辺で。
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第四話 絶望の淵
~羽依里side~
電話を受け取るや否や、俺は会社に一報入れて、すぐに病院へと向かった。
車で出勤していないのが災いし、その道中はなかなか時間のかかるものとなった。
それでも、そんなことを考える暇なかった。
~過去~
「病院って...怪我ですか!?」
「はい...休憩時間の間に」
「箇所は!? 命に別状は!?」
「落ち着いてください! ...焦っても、どうにもならないんですから」
電話越しの言葉はもっともで、だからこそ苛立ちが募った。
たかが赤の他人であるお前に、俺のうみに対する想いなんてわかるものか。
そうした言葉を噛み殺し、改めて状況を確認する。
「...今、病院に運ばれてるんですか?」
「はい。市内の国立病院です」
「怪我したのはどこですか?」
「頭...です」
その一言で、さらに背筋に冷や汗が走った。
手足であれば、まだ後に残る問題が少なかったかもしれないが、頭はまさに最悪と言える箇所であった。
脳に影響が出ることも安易に想像できる。
「分かりました。すぐに向かいます」
「すいません、連絡が遅れてしまって...」
建設的な態度をとる先生に、なおも腹が立った。
俺はただ、心から叫び声を発する。
「そんなことはどうでもいい!」
そのまま勢いに任せて電話を切り、即座に走り出した。
~現在~
そうして病院にたどり着く。
俺が病室に入った時には、うみはしっかり寝息を立てて眠っていた。
頭に包帯が巻かれており、そこが怪我の箇所であるというのはすぐに分かった。
その痛々しい姿に、俺は目をそらしたくなった。
そんな中で、病室に担当医が入ってきた。
「鷹原さんのお父さんですか?」
「はい。...先生、うみは、大丈夫なんでしょうか?」
分かってていても、聞かずにはいられなかった。
手は震え、汗は止まらない。
俺は、確証が欲しかった。
また明日、ちゃんと会えるという可能性が続くことの。
先生はいたって落ち着いた様子で答えた。
「命に別状はないです。処置も完了していますし、後遺症もおそらく残りません。外傷もさほど深くなく、傷跡が残ることもないだろうと思われます。どちらかというと、意識を失った方が大きかったのでしょう」
「そうですか...」
その一言を聞いただけで、俺は安堵した。
よかった...。
もし、うみにも先立たれたら、俺はきっと...。
...もう、生きていけない。
しかし、全てがいいように動いたわけではないことも、先生は伝えた。
「ただ、いつ眠りが覚めるかは...分かりません。明日になるか、もう少し長くなるか...。こればかりは、医者にも手の施しようがありません」
「...そう、ですか...」
俺は、心の底でうごめいていた喜びの感情をすぐさま沈めた。
こんな状態で、喜ぶことは出来なかった。
「どのようにして怪我をしたのかは、本人の口、もしくは本人の動向を知る人から聞かない限りは検討のつきようがありません。医者にできるのは、目の前の命を救うことだけですから」
「...それでも、うみを救ってくれたこと、ありがとうございました」
俺は、沈んだ表情のまま、うわべだけでそう言った。
医者の尽力がなかったら、今こうして寝ているだけの状況すら危ういのも事実であって、だからこそ感謝をしないわけにはいかなかった。
「いえいえ、医者ですから」
先生はそうとだけ言って、病室から出ていった。
部屋には、俺と寝たままのうみだけが残っている。
ふと、窓から外を見た。
夕焼けに街が染まりだす午後5時。
こんな時間にうみと一緒にいれるのは、数少ない休日くらいのものだろうか。
それすら、俺は拒もうとしていることが増えている。
「...ははっ...。なんか、馬鹿みたいだな」
俺は誰もいない空間に向かって呟く。
「こうして働くだけ働いて、実の娘の危機に何もできないでさ、結局会社からもとんでもないくらい怒られるだろうし...。...なんだよ、何もうまくいかないって。...もう、嫌だ...!!」
悲しいくらいに自暴自棄になっていく自分がいた。
今なら、何をやってもうまくいかない気がする。
もう、何をやってもダメになる気がする。
進めば進むほど、その先は地獄。
生きる希望は...一体どこにあるんだろうか。
「...なぁ、うみ。俺さ、もう父親、やめたほうがいいのかな?」
「...」
「もう、しんどいんだよ...。多分、俺がお父さんじゃ、お前を幸せにできないんだよ。...俺は、お前を幸せにするために、生きてきたつもりなのにさ...」
あふれる言葉は止まらない。受け止める声はない。
いつからか、俺が生きているのは義務でしかなかった。
けれど、それはうまくいかなかった。
当然だろう。
もう、本心で誰かを幸せにしようとすることは、出来ていなかったのだから。
「情けねえよ...しろは...!!」
すがりたい相手は、とうにいない。
そうして悲観していると、病室の扉が開いた。
そこには、見慣れない若い男性が経っている。
けれど、俺はそれが誰かを理解するのに時間はかからなかった。
「あなたは...」
「うみちゃんのクラスの担任の、直枝です」
今回のクロスオーバー先紹介のコーナー。
・直枝 理樹
リトルバスターズの主人公ですね。小学校の先生というポジションを考えてみたら意外といけそうだったので採用しました。
といったあたりでしょうか。
特に追記事項はないです。
今回はこの辺で。
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第五話 零れていく欠片
SSになると極端にサブタイトルが浮かばない。
~羽依里side~
直枝と名乗るその男性は、先ほどの電話の相手と同じ、うみの小学校の担任だった。
「重ね重ね、本日はすいませんでした」
目を合わせるなり、ぺこりと頭を下げる。
それじゃどうにもならないと分かってるはずなのに。
社会において、それが一番有効打であれば、そうするだろう。
つくづく、そんな世界に腹が立つ。
しかし、怒り散らすだけが俺にできることではないと雑念を振り払った。
この人であれば、うみに何があったかを教えてくれるかもしれないのだから。
「いえ......。それより、うみに何があったか、教えてくれますか?」
「え? あぁ、そうですね。...といっても、僕は当事者ではないので、目撃情報を頼りにしてるだけですけど...」
「それでもかまいません」
少し食い気味に俺は答える。
今必要なのは言い訳なんかではなく、理由なのだから。
そうして直枝先生は、一度深呼吸をすると、スイッチが入ったようにはきはきと話し出した。
「...うちの学校には裏山があるんです。といっても、小さなものですけど。それで、ある子が、うみちゃんがそこから落ちる瞬間を見ていたんです」
「...誰かがやったわけとかではないですよね?」
俺は人知れず直枝先生を睨んだ。
しかし、先生はうろたえることなくまっすぐな瞳で答えた。
「当然です。...少なくとも、そういった雰囲気作りはしてない自信はあります。そこまで僕は、信頼されていないんですか?」
さすがに癪に障ったようで、先生は少しばかり怒っていたように見える。
こればかりは軽率だったと反省した。
「すいません。...ちょっと、今何も見えない状態で...」
「...分かってます。...けれど、僕も教師です。うみちゃんの親である、あなたに対して思うところはいくらでもありますよ」
直枝先生は、俺の想像する以上に、怒っているように見えた。
それは、おそらくこの一瞬のものではなく。
もっと、根本から。
「そもそも、うちの学校の裏山は低学年は立ち入り禁止になってます。子供たちにも守るように言いつけてますし、そんな低学年なら、普通は破ったりしません。...ましてや、うみちゃんはクラスの中でも一際おとなしい子です。どうしてそんな子がルールを破って裏山に入ったのか、考えない僕じゃないですよ」
「...」
まくし立てられて答えることが出来ないのもあるが、それ以上に俺は、うみがどうしてそういった行動に走ったのか改めて考えてみた。
が、何も思い浮かばない。
何も思い浮かばないことが、また腹が立って仕方がなかった。
うみと、俺にとってほとんど赤の他人である目の前の担任教師がそれを分かっていながら、俺は実の娘の何一つ分かっていないのだ。
7年...。
7年も一緒にいるのに、意思疎通の一つもできない親であるのだ。俺は。
それが、たまらなく悔しい。
惨めになる。
悲惨で、無残で、残酷な現実で、逃げようのない現実で。
だから、また苦しくなる。
もう何度目かは、数えるのを止めた感情に、また苛まれるのだ。
「...分からないんですね。そうですか」
少しの間俺を待っていた様子だった直枝先生は、冷めた声音、冷めた瞳で呟いた。それはどこか残念そうに。
そのまま憐れんだ瞳で俺を見る。
「これで、合点がいかなかった全てが繋がりました。...鷹原さん。あなた、ネグレクトしてませんか?」
「...え?」
それは、あまりにも唐突に告げられた、残酷な一言だった。
ネグレクト。
それは、育児放棄だの、ある種虐待だの、そうした部類に入るもの。
少なくとも、俺自身、そんな自覚はなかった。
だからこそ、こうして今、驚いているというのに。
しかし、目の前の直枝先生は、そんなこともお構いなしだった。
「入学当時から、あまり顔色や表情が冴えない子でした。最初は引っ込み思案なのかもしれないって、そんなことも思ってみましたが、数か月たった今でも変化がない。...ここまでくると、親であるあなたを疑うほかないんですよ。鷹原さん」
「...違う。俺は、だって...」
「今日もそうでした。朝のHRから、どこか遠くを見て、心がここにない、といった感じです。だからきっと、今日の事故が起きた。...裏山に簡単に入れるようにしてしまっている僕たちにも当然責任はあります。それはすいません。...けど、ふらふらと裏山に立ち寄ってしまうような、そんな心理状況を作ったのは、鷹原さん、あなたじゃないんですか?」
「...なんだよ、結局、俺のせいかよ...!」
心からそう吐き捨てた。
もう、いっそすべてを投げ出して、時の、時勢の流れるままに任せるのもありなんじゃないかと思う。
...だって、そうだろ?
俺、父親失格なんだぜ?
忙しいなりに時間を縫っては、うみとちゃんと接したつもりでいて。
それで、この言われようだ。
もちろん、目の前の直枝先生が言ってることは、どこまでも正しい。
子供の命を預かる教師として、適切な言葉を言っている。
...だからって。
だからって、俺はこうまで否定されるのかよ。
ずっと、頑張ってきた。
ずっと...一人で、頑張ってきた。
ずっと...
一人で...。
「ああそうかよ! 俺のせいかよ!! そうだよな!? 俺が不甲斐ないから、うみにこんな思いをさせたって、そういうことだろ!?」
「え、僕は...」
「ああ! そうだよ! お前の言ってることは正しいよ! 俺は最低な父親で! 娘の世話一つもできずに! それで頑張ってきたって、結局は評価されないんだろ! 教師だからな! 正しいからな! その正しさで、全てが諭せるんだよ!!」
「あっ...」
目の前の男は取り返しのつかないようなことをしてしまったと、怯えた顔を見せていたが、俺にとってはもうそんなことどうでもよかった。
今はただ、大声で叫び散らして、自分を責めて、責めて、責めて...
楽になりたかった。
もう、何もできない。
神経質になった本能が、ただひたすらにそう叫んだ。
いっそ、本当にネグレクトするのもありかもしれない。
俺なんかより、児童相談所にいったほうが、うみは幸せになれるかもしれないのだから。
ああ、そうか。
やっと、楽になる方法を思い出した。
逃げ出そう。ここから。
もう、誰もいらない。
俺一人で生きれば、それ以上に楽なものはない。
俺は、冷めた笑みを浮かべた。
何に笑ったのかは、もう覚えてないけど。
「...俺なりに、けじめをつけますよ。大丈夫です。教師に迷惑はかけませんよ。誰にも、ね」
「それは...ダメです」
俺の笑みがよからぬものだと察したのか、目の前の男は震えた声で立ち向かった。
本当に勇気があると思う。
けど、そんな勇気は、なんの意味もない。
「いいや、やる。それとも...なんですか? 教師という正義のもとに、親としての行動権利さえ失わせるんですか?」
「それは...」
「...もう帰ってください」
最後の一言が決め手となったのか、瞬く間にその男性はドアから無言のまま身を引いた。
病室には、嵐の後の静寂の身が走る。
俺は、もう一度うみの頬を触れた。
流す涙は、もうなかった。
「...ごめんなうみ。お父さん。もう限界みたいだ」
それだけ言い残して、俺も病室から退散した。
うみの頬を伝う涙のその存在さえも知らないで。
違う!こんなに憎たらしいキャラにするつもりはなかったんや!
これは完全に力足らず。無念。
といったところで、今回はこの辺で。
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第六話 籠の中の逃避
さて、頑張っていきましょう。
~羽依里side~
翌日会社に出勤すると、案の定上司が苦い顔をして詰め寄ってきた。
けれど、それにもう何も覚えない。なんの感情もわかなかった。
ただ俺は無表情のまま、機械のように答える。
そうしていると、上司は先ほどまでとは打って変わって、少し青ざめ、怯えた声で俺の名前を呼んだ。
「鷹原...なんで、笑ってるんだ?」
「え?」
気づかないうちに、頬の方のこわばりが緩んでいたらしい。
けど、不思議なものだ。
普通、笑ってるっていうなら、怒るところだろ?
なんで、そんなに怯えてるんだ?
俺は、自分がおかしくなっている感覚を完全に失っていた。
だから、自分の表情の変貌に気づかない。
いよいよ上司は困り果て、背中を向けて言葉だけを残していった。
「...とにかく、仕事に支障がないようにしてくれれば、それでいいから。...辛いなら、連絡くらいくれよ」
最後の方になるにつれ声のトーンが下がったためか、俺はそれを聞き取ることは出来なかった。
が、事の本質は理解できた。
さあ、今日も仕事だ。
---
さて、いよいよおかしかった。
昼に休みが来るまで俺はデスクで働きっぱなしだったわけだが、誰からのコンタクトもなかった。
普通、こんな日でも最低午前中に1、2回は誰かからの相談や、打ち合わせが来る。
に対して、今日は0。入社以来初めてな気までする。
それ以上に、周りの人の俺に対する目がどこか不気味に思えた。
嫌って、遠ざけているわけでもない。
謙遜して、グイグイ出られないわけでもない。
なら、俺はどうして遠ざけられているんだろうか?
しかし、それに怒りを覚えたり、不思議に思って誰かに声を掛けようかと思ったりするほど、俺はそれを大したことだとは思わなかった。
そうして一人昼食に向かう。
うちのビルには屋上がある。
意外と風が気持ちよくて、それなのに来る人はほとんどいない。特等席状態になっているわけだ。
そこを俺は目指す。
屋上について道中買ったコンビニ弁当を広げて、さあ頂こうというところで、屋上のドアが開いた。
そこには、春原が立っていた。
「...どうした?」
「昼飯。一緒に。いいだろ?」
「別にいいけどさぁ...」
特別春原を拒む理由がない俺は、たちまち設けられた椅子の半分に寄った。
春原は、俺の隣に座るなり、空を仰ぎながら話しだした。
「鷹原さぁ...なんで働いてるの?」
「この会社で、ってことか?」
「そうじゃない。...なんで、働いてるのって。何のために、働いてるの?」
「...はぁ?」
春原の質問が唐突で、また、その意味が理解できなくて俺は思わず声を上げた。
春原が空に向けていた視線を俺の目線の高さまで落とす。
そこで初めて、俺は春原が笑っていないことに気づいた。
「...なんでってなぁ。そりゃあ、それが当たり前みたいなもんだし...」
「うみちゃん、は?」
春原のその一言で、俺は忘れようとしていた全てを思い出した。
昨日の会話、これまでの行動。
考えれば考えるほど嫌で嫌で仕方がなくて、忘れたくて仕方がなかった全ての事。
忘れかけていたのに、全て思い出した。
思い出したくないのに、全て思い出した。
頭痛がする。昨日言われたネグレクトという言葉が脳内をこだましているせいだろうか?
吐き気がする。自分自身の責任に耐えれなくなった反動だろうか?
苦しい。
腹の底のほうからあらゆる負の感情が込みあがってくる。それは心臓から次第に俺の体をむしばんでいくように。
息が上がる。うみのことを思い出す。また苦しくなって、頭痛が、吐き気が...
「鷹原!!?」
春原が俺の異変に気付いたのか、すぐさま俺の背中をさすって安静を取り戻させた。どうやら俺は過呼吸になっていたみたいだった。
「はぁっ! ...はぁ...はぁ...」
「ごめん。急に変なこと言い出して」
「...」
別にいいさ、とは言えなかった。
一番掘り出されたくなかった過去を掘り出されて、冗談だったといわれた時に許せないのと同じ感情だ。
気が付けば俺は、目の前の春原を睨んでいた。
その視線になにか思うところがあったのか、春原は動揺の一切を顔から隠した。
「...けど、僕も何も考えずに言ったわけじゃあ、ないからね」
「...なんだと?」
つまり、苦しめるだけ苦しめて、謝る気はないということだろうか?
...腹が立つ。
殴り飛ばしてやりたい。
怨嗟の声がこだまする。
それに支配され、体が動き出しそうになった時、春原は俺の肩を両腕で持った。
意表を突かれた俺は、動けないまま固まる。
「...前に、この場所で、僕は鷹原に娘のことを聞いた。...その時さ、お前、すっごく楽しそうに笑ってたの。聞いてるところ、あまり幸せそうな状況じゃなかったのにさ。心の底から、鷹原は笑ってた」
「...だったら、なんだよ」
「でもさ、今日の鷹原はおかしい。...一応、昨日うみちゃんが倒れたのは聞いた。のに、ヘラヘラ笑ってさ。おかしさに...誰も気づかないはずなんてない。...ねえ、お前さ、なにか言われたの?」
「...お前には、関係ない」
そうだ。こいつは赤の他人だ。
俺のことを話す道理なんて...
「あるね。今ここにいる時点で当事者だ」
「屁理屈」
「それでもいいさ。僕はさ、鷹原の力になりたいんだよ。だから今こうしてるわけ。...いい加減気づきなよ。...いつから、鷹原は一人になったの?」
「...やめろ」
「そんなに僕は頼りない? 僕のことが嫌い?」
「...やめろ!!」
「...ほんとは、分かってるんだろ。一人になんてなれないって。...一人で生きるのが、苦しいって」
「やめろおおお!!!」
俺は、暴走する身体を止めることなく、春原に殴りかかった。
ここら辺がだれてるの1番悔しいです。
ここからどう修正するか。期待しておいて下さい。
といったところで今回はこの辺で。
感想、評価等いただければ僥倖です。
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第七話 正しさの価値
しかし、冷静を失った拳はまともに当たることなく春原はひょいと避け、正当防衛と言わんばかりに俺の後頭部を軽く殴った。
「っ!」
「喧嘩慣れしてないのがバレバレだね。冷静になってないって言ってもさ、そんな見え見えの行動、躱せないわけないよね」
「このっ! 馬鹿にしてんのか!」
次のこぶしも春原は軽々しく避ける。ここまでくれば何も当たることはなかった。
次第に春原も面倒くさくなったのか、静止の意を込めて一度強く俺の腹部を殴った。
「ぐはっ!」
「...はぁ。目を覚ましたらどうだい? 僕ももう卒業してるから、こんなことしたくないんだけど」
「くそっ...!」
心の底から何かを悔しがる。けれどそれは喧嘩に勝てないことにではなく、うみのことで何もできないで、こうしてくるってしまった自分についてだった。
分かっていた。こうすることで何か変わるわけでもない。
けれど、向き合うだけ辛いことばかり。もう嫌になっていた。
それが分かった瞬間、俺の身体の神経は急にこと切れたように力を失い、血に膝をついた。
そのままぼろぼろと涙が零れ落ちる。始まれば止まることはなかった。
「うみ...うみ...っ!」
俺はなんてことをしてしまったのだろうと、今更になって後悔する。
泣くことしか今となっては出来なかった。
そんな俺を、春原は慰めることなく、少々厳しめな言葉で攻め立てた。
「...自分がやってきたことの重さ、分かったかい?」
「...なんでお前は...俺に構うんだよ...。いいじゃねえか、ほっといてくれても...! ...もう遅いだろ」
「いいや、遅くないさ。...生きてればこそ、何でもできる。そんなもんじゃないの?」
「じゃあ何ができるってんだよ!」
「だから言ったよね。なんで仕事してるのって」
「...あ」
言われて初めて、俺は先の春原の言葉を思い出した。
『なんで働いてるの?』
理由は一つ、それがうみのためになると思っていたから。
しろはがいなくなって、支えるのは俺一人になってしまった。苦しいけど、しっかり稼いで、それで育てるしかない。
それが理由だった。
その頑張りを、昨日と今日ですべてを否定されたような気がして、俺は悔しかった。正しくないと言われても、ここまでの自分を無駄だと思いたくなかった。
馬鹿だよな...。そんなプライドのせいで、何度も逃げてきたっていうのに。
体が空っぽになっていく感覚が、次第に俺の身体に浸透していった。
もう、正しさも悪さも何も分からない。
そんな抜け殻のような状態で膝をついている俺に、春原は手を差し伸べた。
俺がその手を力なく取った時、春原は表情を崩して俺に告げた。
「...とりあえずさ、お前のとこの上司には僕から言うからさ、少し休んでみたらどうだい?」
「休んで...何をするんだよ」
「さあね。それは僕が決めることじゃない。...ただまあ、誰かに話を聞いてもらう、なんてのもいいと思うけどね」
「...否定されるかもしれないのに?」
「それでもやるの。...世の中にはカウンセラーってのがいてさ、親身に話聞いてくれんの。そこでちゃんと向き合ってみるのはどうかな?」
「カウンセラー...」
「知人にそういう人がいてさ。紹介しとくから、今度行ってみなよ」
今は何も考えたくなかったが、抱え込むのも嫌になっているのは確かだった。
見知らぬ誰かに打ち明けるのは怖いが、苦しいままで終わりたくなかった。
逃げることは出来ない。
傷つきながら進むことを忘れた俺だけど、何もしないという選択肢はないのなら、もう一度進むしかなかった。
「...そうしてみる」
「よし。決まりだね。んじゃ、僕が言っておくから、今日はもう帰りな」
「有給...使えるか?」
「脅してでもやっとくよ。いずれにせよ、鷹原がこのままってのが僕は一番いやだからさ」
春原はいつも通りの顔で笑った。その強さが、まぶしさが、果てしなくうらやましかった。
けれどそれ以上に、今は春原への感謝の気持ちが一番にあった。思わず、口から零れる。
「なあ...なんで、お前はそうまでして俺に...」
「さあね。分からない。...けど、助けなきゃって思ったやつを放っておくこと、僕嫌いなんだよね。...昔、お前みたいにやんちゃで危なっかしいやつがいてさ。それの面倒見てたのも理由かな」
「そうか...。...優しいんだな」
「そうかな? 僕はこういうの、当たり前だと思うけどね」
春原は明後日の方向を向いてぶっきらぼうに返事をするが、明らかに照れているのが分かった。
優しい人間だ。本当に。
そんな優しさを、俺も持っていれたら、少しは変わったんだろか。
...いや、止めよう。
いずれにせよ、仕事と言う存在に囚われていた自分を解放することが、多分、今の俺にできることなのだろう。
先はまだ見えないけど、見ようとすることをやめたくないから。
俺は一旦、この場所を離れよう。
これからのことはまたこれから。...全てを許せる日が来たら、その時はちゃんと答えを出そう。
「...それじゃ、俺は行くよ」
「分かった。体調不良とでも伝えておくから、ゆっくり休むんだね」
「...ありがとな」
「別に」
俺は屋上から下へと抜ける階段へと向かう。
その時、春原は思い出したように俺に声を掛けた。
「っておい! 名前!」
「あ」
「伝えとくよ! 場所と名前。その人の名前はね...」
---
と言ったところで、今回はカウンセラーの名前を伏せます。
...クロスオーバーは?と思われた方、安心してください。次回出ます。
といったところで今回はこの辺で。
感想や評価等いただければ幸いです。
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第八話 今はまだ、もう少しだけ...
とくとご覧あれ。
結局、そのカウンセラーの元へは翌日行くこととなった。となれば、今日の俺はまるっきり暇人だ。
鞄を片手に大通りの隅を歩く。街灯に取ってつけられたような時計は呑気に昼の2時を指している。
この時間に帰るなんていつ以来だろうか。その時、俺は何をしていただろうか。
もう何も思い出せない。言えば、ここ数年の俺はずっとそうだったのだろう。
本当に、空虚な時間を過ごしていたんだ。何年も、何年も。
うみとの、他人との、そして自分との向き合い方を知らないまま。
「...はぁ」
思えば思うほどため息は止まらない。かといって、考えることから逃れると、またいつもと一緒の自分になる。それじゃダメなのだ。...もう、ダメなのだ。
とりあえず、今の自分にできることを探すことにした。
とはいえ、空虚な俺は特別何も持ち合わせていない。普通の人間の感覚が、どこまで通用するかも知らないでいた。
そんなどうにもならないことを考えながら道を歩くと、気づけば足は大通りを離れ、小さな住宅街へ入っていた。その中にぽつんと位置する診療所が、ふと俺の目に入ってきた。
そうして、病院で眠ったままでいる自分の娘のことを思い出す。
「...逃げられない、んだよな。...そうだよな」
激しい頭痛と恐ろしいくらいの吐き気。禁断症状に近いそれに襲われながらも、俺は目をそらすことをしなかった。
「...行く、か。うみのところへ」
行くだけ辛くなるのは分かっている。それでも俺はうみの父親である。
ネグレクトと言われようと、その運命は変わらない。逃げないと誓うのならば、足を進めなければならない。
昨日あんなことを告げた手前、どんな顔をして会いに行けばいいか分からない。けれど、会うことがきっと今は何より大事な気がした。
「...近くにスーパー、あったよな。...見舞いの品でも、買っていくか」
---
近場のスーパーで適当に果物をいくつか買って、袋を片手に提げて自動ドアを抜けると、どこかで見慣れたバイクが近くに止まっていた。
持ち主を探してキョロキョロとすると、間もなくそのバイク主は見つかった。
少し赤がかった長い髪をなびかせて、少し変わった紙パックのジュースを飲んでいるその姿は、いつ見ても変わらない。
この人は俺に、...うみに、関係のある人間だ。
声を掛けようと動き出した足が躊躇う。それでも俺は勇気を振り絞って一歩を踏み出した。
「あの!」
「ん? おー、あんたは」
「お久しぶりです。神尾先生」
神尾晴子。うみの通っていた保育所で先生をやっていて、実際にうみの面倒も見てくれていた先生である。
「確か、うみちゃんとこの...」
「はい。鷹原 羽依里です」
「おー! ひっさしぶりやなぁ! 元気しとるか!」
どこまでも無邪気な声。しかし、俺はしかめっ面を作ることしかできなかった。それを察してか、神尾先生はわずかに眉をひそめた。
「...どないしたんや。やっぱ、うまくいってへんのか?」
「...簡単に言えば、そうですね」
この人には、俺自身も何度か悩みを打ち明けたことがある。言えば、本当に身近なカウンセラーと呼ぶにふさわしい人間だった。
もっとも、当時はまだうみとここまで距離が離れていたわけではなかった。だからこそ、あの頃はまだ軽い愚痴、悩みで済んでいたのだ。
今となっては、それより遥かに重たい現状に取り巻かれている。
「...うし、分かった。あたしが話聞いたる。時間あるか?」
「...はい。ちょっと長い話になりますけど」
少しためらって、イエスを告げた俺に神尾先生は朗らかに笑って俺の背中を軽くたたいた。
「そんなん構わへん! あたしも今日は暇なんや。何かあるなら、全てぶつけて楽になってみ?」
「...そうですね」
それが出来れば、どれだけ楽だろう。
---
スーパーを出てすぐのところにあるベンチに腰かけて、俺は本題に入った。
ここまでの全てを神尾先生に打ち明ける。子育てがうまくいってないこと、俺自身が空回りしてどうにもならないこと、うみが怪我をしたこと、担任にネグレクトと言われたこと。
何度も嗚咽しかけて、言葉に詰まりながら話す俺に、神尾先生は何もしなかった。代わりにただうんうんと頷くばかり。
そして全てを話し終わって初めて、神尾先生は口を開いた。
「それが、あんたがあん時からここまで歩いた道なんやな?」
「はい。...あれだけよくしてもらったのに、こんなことになって...すいません」
「...んー、そうやなぁ...」
気にしていない、と言われなかったことに俺は少し負い目を感じる。しかしそんな俺を放っておいて、神尾先生は自分の話を始めた。
「なあ。あんたは、まだやり直したいと思っとるんか?」
「え?」
「娘との関係や。それ以外あらへんやろ」
「それは...」
言葉に詰まり、うまく返事が出来ない。
けれど、複雑極まる心の中は答えを一貫していた。
『やり直したい』
全てをやり直したい。これまで狂った全てを取り壊して、やり直したい。...できれば、しろはがいたあのころまで戻って、三人で。
「もちろん、そう思ってます」
気が付けば、思いは言葉となっていた。それを受け取ったことに満足してか、神尾先生は一度うんと頷いて明後日の方向を向きながらポツリと語りだした。
「...してへんかったな、あたしの話」
「先生の...ですか」
「そや。私にもな、娘がいたんや」
「いたって...」
意を含んでいるその言葉の意味を理解するのは容易だった。そして、推測通りの答えが返ってくる。
「そや。あたしの娘は...、観鈴はもうおらんのや」
平静を装いながら、その奥には微かな悲しみを感じた。その悲しさを俺は知っている。俺だって同じ、無くしたくない人を失った人間なのだから。
「そうですか...」
「けどな。それも今となってはええ思い出なんや」
「...え?」
初め、その言葉の意味が俺は分からないでいた。...訂正、今も分からない。
悲しみの記憶が、なぜいい思い出と言えるのだろうか。その心理が俺はどうもわからなかった。
それの答え合わせをするように、神尾先生は続ける。
「もちろん、死んでしもたことは今も辛いままや? けどな、あたしはあの頃をもう一度やり直したいなんて思うてへん。あの子の母親やったことは、今は誇りでしかあらへんのや」
「...強いですね。そうやって割り切れるのは」
「そんな理屈めいた話やあらへん。簡単なことや。あんたも、本気であの子の事思うてんなら、仕事の一つやめる度胸持ちや?」
「仕事をやめる...? そんなこと、許されるんですか?」
「...あんまキツイこと言いたかあらへんねんけどなぁ...。やり直す、ってんは、今あるもん全部ぶっ壊すことや。環境を変える、仕事を変える、そんなことばっかして、悩んで、見つければええんや。なーんて、あたしはそれに気づくのが遅かってんけどな」
少し自虐気味に神尾先生は笑うが、俺は笑えずにいた。
けれど、言おうとしていることが水を飲むようにスッと体に入ってくる。
「...俺って、仕事って存在に縛られてたんですね」
「若いうちはそんなもんや。あたしもそうやったんやからな。...けど、まだあんたはやり直せる。めげずに頑張ってこな?」
「...はい。やれるだけ、やってみます」
「よし! その意気や! 応援しとるで!」
背中をバシンと一度叩かれて、体がほんの少しやる気で満たされたのを俺はほのかに感じた。
そのやる気のまま、うみのいる病院へ歩き出す。その足は先ほどよりも何十倍も軽く思えた。
---
病室のうみは、相変わらず微動だにせず眠っていた。
先ほど全てを打ち明けたおかげか、あるはずと思っていた頭痛や吐き気はどこかに吹き飛んでいた。
そっとその頭を撫でて、俺はぶれない声音で語り掛ける。
「...なぁ、うみ。こんなお父さんだけど...。俺、頑張るから。もうちょっとだけ、頑張ってみるから...。だから、もう少しだけ...待ってくれ」
返事はない。代わりに、その小さな手がピクリと動いた。
〇クロスオーバーコーナー
今回はAIRより神尾晴子。本編終了後、保育士になったという設定を流用させて頂きました。が、がお...。
全てを割り切ることが出来たら、どれだけ楽でしょうかね。そんなことをよく思います。
コテコテの関西弁、書くの楽しかったです!
と言ったところで、今回はこの辺で。
感想や評価等いただければ幸いです。
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第九話 それぞれの目覚め
『カウンセラーの名前は坂上智代! きっと、鷹原の力になってくれるさ』
---
昨日の春原の言葉を頼りに、俺は朝から会社とは全く違う方向へ足を進めていた。何もない普通の平日。こうしていることに罪悪感を覚えているのは会社というものに縛られすぎた後遺症だろうか。
その部屋があるというビルを一目散に目指す。建物に入るころ、時計の針は9時を示していた。
カウンセラーの人がいる事務所の前にたどりつく。そのドアには、『もりのくまさん』と可愛い字体で文字が書かれた看板が下げてあった。
震える手でコンコンとドアを二度ノックする。すると、中から優しい声でどうぞと声がかけられた。
思い切ってそのドアノブに手をかけ、ぐるりと回す。室内に入ると、灰がかった長い髪をなびかせ、黒い淵の目が目を掛けた女性が奥の椅子に座っていた。
「おはようございます。今日は、どんなご用件で?」
「あの...、鷹原 羽依里と言います」
「鷹原...、ああ、春原から依頼を受けた」
「はい。その鷹原です」
「話は聞いてます。...そちらへ、どうぞ。腰かけてください」
落ち着いた声音に乗せられ、俺の緊張も次第にほぐれていった。会社の面接のような空間だったが、その時の何十倍も和やかな空間だった。
しかし、そうとは言っても何から話せばいいか分からない。何せ初対面の相手だ。全てを信じれるというわけではない。
そんなことで俺が戸惑っていると、向こうから声を掛けてきた。
「いきなり悩みを教えろ、なんて言わないので安心してください。私はただ話を聞いて、そこから離すだけですから、鷹原さんの話したいことだけを教えてください」
「そう...ですね」
ここが強制の場ではないことは分かっている。それでも、なかなか言葉にできない。
...けど、勇気を出すべき時は、今だった。
今の俺は一人じゃない。こんな俺を助けようとしてくれる人がいる。そう思えた時、俺は一歩を踏み出せた。
昨日、神尾先生に言ったようなことを同じようにつらつら話す。昨日のそれが予行練習のようになっていたのか、思いは意外と簡単に口にすることが出来た。一人で抱えていた時よりも、はるかに今は楽な気持ちで入れた。
だからこそ、これまでの自分のふがいなさを歯がゆく思う。
もっと誰かを信じていたら。頼りにしていたら。
それこそ...島の...。
...島、か。
「どうされましたか?」
「いえ、なにも」
考え込んですっかり黙り込んでいたようで、気を使われて声を掛けられた。それに応答し、自分の悩みをすべてさらけ出したその意志を伝える。
それが伝わったようで、カウンセラーの坂上さんは一度咳ばらいをして答えを始めた。
「...奥さんを亡くされたんですね」
「はい。...もう、七年も前の話ですが」
「同情のつもりではないですが...その気持ちはよく分かります。...私も、夫を亡くしているので」
「そうなんですか?」
「はい。ずっと前の話ですが。けど、後悔もないですよ」
坂上さんは落ちかけたメガネのフレームをクイと直してつづけた。
「すべてをやり切る...。その先に死があるなら、私はそれで構わないと思うんです。人生の宝物、それを探して夫と生きた日々は、まさにそれでしたから。...だから、あなたにもきっとこの話は言えると思うんです」
「人生の宝物、ですか...」
いまいちピンと来なかった。
それはあまりにも漠然としたもので、膨大なもので、到底イメージができない。
けれど、目の前の坂上さんが言おうとしていることは、その意味を介さずともそれなりに理解できた。
きっと、これまではきれいごとだと吐き捨ててきた。
背負った荷物を誰かに預けることを忘れて背負いすぎてきた人生なら、きっとこの考えを受け入れることは出来なかった。
しかし、それは今崩されつつあるように俺は思っていた。
取引先で出会った天王寺夫妻に一人じゃないと言われ、同僚の春原に殴られて自分が付いていると背中を押され、神尾先生に背中を叩かれて、前に踏み出す勇気を得れた。
...ここまできて、もう逃げたくはないから。
「よくわからないですけど...言いたいことは、分かります。...どっちにしても、俺はまだ、うみとここで終わりたくないんです。やり直したい。変わりたい。...今離れてしまったら、もう二度と戻れなくなるっ気がするんです」
「なら、やることは簡単ですね」
「...はい」
言葉に出さずとも、答えは得ていた。
これからは、ずっとうみの傍にいる。そうでなくても、真の意味でうみのために生きる。これが今の、俺のやるべきことだ。
当然、簡単ではないだろう。失ったものを復元する必要があれば、新しく失うものもある。そうした中で、俺はうみのために全てを尽くさなければならない。
これまでも俺はうみのためを思って生きてきた。けれど、それはほんの一部に過ぎなかった。経済というカテゴリーに縛られて、不自由なく過ごせるようにと思って、俺は懸命に働いた。
けれど、言えばそれは不正解の答え。何せ、誰にも頼っていないのだから。
だから俺は、誰かに甘えることにする。迷惑かけずに生きようとすることが誰かを心配させる行為と分かった今、その逆をやればいい。
...いや、誰かを頼ることを迷惑と思い込むことが、間違いなんだろうな。
体から、どす黒い何かが抜けていくような感覚を俺は体全体で感じた。これまでずっと重くまとわりついていたものが軽くなって、俺は初めて澄んだ空気を吸った。
そして、光をわずかに取り戻した目で、目の前の坂上さんに告げる。
「ありがとうございました。...これから自分がやること、見えたんで」
「それならよかったです。...大丈夫、あなたはまだ変われますよ。何度でも何度でも。だからこそ、周りであなたを見ている人を信じてみてください」
「はい。ありがとうございました」
そうして俺は、いつぶりかのすがすがしい気持ちで外の街へと繰り出した。
行先は一つ。そこへ行くことにもう躊躇うことはなかった。
---
昨日と同じようにうみの病室へ向かう。
今日はいままでのいつよりも穏やかな気持ちで、うみの頭を撫でることが出来た。
その穏やかさのないまま、返事のないうみに語り掛けた。
「...お父さん、決めたよ。これからのこと。...だからさ、伝えたいからさ...目を覚ましてくれよ...」
何かに耐えかねたのかすっと涙がこぼれる。
その涙が地につき、弾けたとき、うみはうっすらと目を開けた。
〇クロスオーバーコーナー
智代アフターより坂上智代。朋也が死んでいるので春原もあんな感じだったというわけですね。
というか、私の作品ではしょっちゅう智代はカウンセラーで出てきますね...。どうしてだ。
と言ったところで、今回はこの辺で。
もっと時間と猶予が欲しい!安寧を!
感想や評価等いただければ幸いです。
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第十話 踏み出す一歩の大きさは
白羽イズムが光る作品を、ぜひご堪能ください。
「うみ!!」
俺が声を掛けると、うみはゆっくりと、目をしっかりと開いた。
「...あ、おとーさん...」
「うみ! ...うみ!!」
それ以上に何かを言うことも出来ず、俺はうみに抱き着いた。少し苦しそうにしながらも、うみは微笑んだ。
「...だいじょうぶだよ。おとーさん」
「うん...! うん...!!」
どっちが子供か分からないくらいに、俺はうみに甘えた。
もっと早く、こうすればよかった。
---
それからしばらくして、俺はうみから体を放した。取り乱したように抱き着いたことに少し頬を赤らめつつ、俺は気持ちを切り替え、改めて面と向かってうみと話すことにした。
「...なあ、うみ。お父さん、決めたんだ。色々と」
「うん」
「その前に...うみに謝らないといけないなって思うんだ。...これまでの俺の事。ずっと一人にしてて...ごめんな...!」
「...うん。さみしかった」
まだ幼さが抜けきっていないうみはその気持ちを率直に口にする。だからこそ、逃げることのできない罪に胸が痛んだ。
それでも、俺は続ける。
「だからさ...お父さん、さっきも言ったけど、決めたんだ。...もう一人にしないって。ずっとうみの傍にいるって」
「...でも、どーやって?」
どうやって。
具体的な案はなかった。けれど、今一番やるべきことは決まっている。
「お父さんな、会社、辞めようと思うんだ」
「会社、やめるの?」
「ああ。今いるところから動いて、新しく始めてみようと思う。...今度は、いつでもうみのところへ駆けつけれるように。それって...どうかな?」
「...ん、いいと思う。...わたしも、そうしてほしい」
「そっか」
うみは小さく頷いた。ありがたかった。
「それでさ...提案があるんだけど」
そう言いかけたとき、病室の扉が開いた。
先生かと思ったが...違う。
「直枝先生...」
「ご無沙汰しております。鷹原さん」
うみのクラスの担任である直枝先生が、ゆっくりとした足取り、気まずそうな顔つきで病室へと入ってきた。
これまでやんわりとしていた部屋の雰囲気が、急速に冷えだす。
俺自身、ああも言われていい印象はなかった。けれど、それを今、起きたうみがいるこの場所で口にしてはいけない。
俺は機転を利かせて、先制した。
「先生。...ここでは何ですし、外で話しませんか?」
「え? あ、はい。...じゃ、うみちゃん、また後で」
俺は直枝先生を連れて病室の外へ出た。そうしてそのまま話を進める。
「...ネグレクト、でしたっけ?」
「...そのことについて、本当に申し訳ないと思ってます」
直枝先生は自分に非があると思ったのか、意外にも素直に頭を下げた。けれど、俺が欲しいのはそういう言葉ではないことを伝えるために手を横へ振った。
「違います。俺は責めたかったんじゃなくてただ...。...ただ、これからどうするか、伝えたかったんです」
「これから...ですか?」
「あの時の事、謝らないといけないのは俺の方なんです。ネグレクトをしたつもりこそなかったですけど、実際はそんな状態だったこと、今ならはっきりと言えるんです。...それほどまでに、俺は空回りしてました」
「でも、そんなこと知らないで口走ったのは僕です」
「だからこそ思うんですよ。...もっと早くから、先生に頼ることが出来ていれば...俺は変われたのかもしれません」
「鷹原さん...」
神尾先生に悩みを打ち明けていた時のように。
目の前の直枝先生に頼ることが出来たはず。
たらればの結果論ではあるが、そう思わずにはいられなかった。
その言葉を受けて、直枝先生はこれまでより一層強い輝きを持った瞳で答えた。
「...そうですか。ならもう、謝らないことにします。...それで、いいですよね?」
「はい。...その上でさっき言った話、これからどうするかを聞いてほしいんです。...というより、絶対に聞いてもらわないといけないと思うんで」
「絶対に...ですか?」
「はい。...俺は」
---
俺の言葉を受けて、直枝先生は数秒絶句して、やがて少し低い声音で、残念そうに呟いた。
「決意は...変わりませんか?」
「はい。...こうすることが、俺にとって、うみにとって一番の選択だと思うんです」
「それは、うみちゃんに言いましたか?」
「これから、です。...ちゃんと穏やかな状態で話を聞いてもらって、それで拒否するようなら...また考えます」
「...分かりました。こっちも、それを念頭に動きます。...確認ですけど、本当にいいんですね?」
「はい」
決意は堅かった。
「分かりました。...ああ、そうだ。それ抜きにして、うみちゃんと一対一で話をさせてもらっていいですか?」
「お願いします。うみも話したいことがあると思うので」
この人はこの人なりにうみのことを思っている人間だと今ならわかる。だからこそ、俺はこの人のその行動を受け入れよう。
直枝先生が病室に入り、俺だけが廊下に残る。
むしろ、こうあることが今はありがたかった。
この後うみに話さなければならないことは、勢い任せで言っていいものではない。
それこそさっきの俺は感情に任せて全てを話していたようなものだから、この間が今はありがたく思えた。
「...どうやって伝えるかな」
素直に提案を言うだけでもいいかもしれない。けれど、うみのためを思うのなら、うみの意見を尊重するのが一番である。
そうして一人悩んでいる俺をよそに、直枝先生は小10分程度で病室より出てきた。その表情は先ほどまでの何かを憂う顔とは程遠いものだった。
「もう、いいんですか?」
「はい。怪我をする前より元気そうだったので、僕が言うことは何もなかったです」」
「そうですか」
「鷹原さん」
直枝先生はその少し小さい手で俺の両手を取った。
「うみちゃんのこと、大切にしてあげてください。...ちょっとしか関わることが出来なかったですけど、それでも担任をしていた身分ですから、せめてこれだけは...」
「...分かってますよ。頑張ります」
「...なら、僕の出番はもうないですね。また何かあったら連絡ください」
少しばかり張った表情を崩して、直枝先生は踵を返す。俺はその背中をただ見送った。
まだ若く、頼りない先生なのだろう。...それでも、その真摯さだけは誰も勝てないだろうと、ふとそんなことを思いながら。
「...さてと」
今度は俺の番。迷うことなくその病室の扉を開けた。
「おとーさん」
「悪いな、席外してて。...それで、先生はなんて言ったんだ?」
「はやく、元気になってねって」
「そうか」
それ以上、言葉は出てこない。それどころか伝えたい言葉が混同をはじめ、思考がぐちゃぐちゃになり始めた。
頭が真っ白になるとはよく言ったもので、俺は伝えようとしていた言葉を忘れていた。
けれど、伝えたい思いだけははっきりと覚えている。
カッコ悪くてもいい。でも今だけは、勇気を振り絞って...!
震える口先で、俺は確かな思いを告げた。
「...なあ、うみ。島へ、戻らないか?」
といったところで、今回はここらへんで。
島、です。
本当の世界でこの選択が羽依里に出来ていたら、きっとsummer pocketsという物語は生まれなかったと思います。
この作品は、一種の否定ですね。
ですが、それなりの幸せというものが、この先に待ってるのではないでしょうか。
そう言った顛末も含めて、どうか最後までお付き合いください。
では、今回はここらへんで。
感想、評価等頂ければ幸いです。
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第十一話 島へ...
「島...?」
「そう。...鳥白島だよ。うみが生まれた島。...それで...お父さんとお母さんが...過ごしてた...島で......っ!」
言った傍から涙がこぼれだす。気が付けば顔がぐちゃぐちゃになるまで泣いていた。
前に島にいたころを思い出す度、懐かしさと辛さが胸を締め付ける。
それでも、これまではそれから逃げるために思い出さないでいた。そう考えれば俺は少し前に進めたのかもしれない。
それでも、寂しいものは寂しい。
(しろは...!!)
声にならない声で叫ぶ。そんな俺を、うみはきょとんとした目で見ていた。
うみは、次の言葉を待っていた。ならば、いつまでも泣いているわけには行けない。
俺は無理やりに涙をぬぐって、提案をつづけた。
「あの場所なら...俺はもううみを見失わないから。...ずっと傍にいれる気がするんだ。だから...そういうの、どうかな。...もちろん、今の小学校が気に入ってるなら、無理に、とは言わないけど」
「...学校は、だいじょうぶ。...まだ、友だちいないから」
「...」
何とも言えない。
そこらへんはしろはに似たんだろうか。でも、人間関係が出来上がってないなら、それならそれでチャンスに思える。
「でも」
うみはつぶらな瞳で俺を除いた。
「おとーさんは、いいの?」
「...え?」
「さっき、泣いてた」
「...ああ」
言われて、数分前の自分の行動を思い出した。
思い切り、泣いていた。今だって泣きそうだ。
けど、結局はこういうことなんだと、同時に理解も出来た。
泣きたくなるくらい悲しい思いをして、やっと向き合えるのだろう。だから、俺自身が悲しいのはもうどうでもいいことだった。
それを、どうにかうみに伝える。
「悲しい...けどさ、決めたんだ。おとーさんは、もううみから離れないって。...だから、こんくらいへっちゃらだ」
「...うん、へっちゃら」
うみは答えに満足したのか、ぐっと親指を立てて返事を返した。
「じゃ、うみが元気になったら引っ越しちゃうか」
「うん。...おとーさん」
「なんだ?」
「今日は...ここにいてくれる?」
今の俺だからこそ言えたのであろう、うみのわがまま。
俺は、ためらうことなく秒で頷いた。
「...もちろん。...ずっと一緒にいてやれなくて、ごめんな」
「...これから一緒なら、いいよ」
「ああ、約束する」
言うなり、うみは疲れたのかまた目を閉じて間もなく眠ってしまった。
今度は、穏やかな寝息。
気が付けば、俺も安心して眠ってしまっていた...。
---
それから、俺は次の日に会社退職届を出しに行った。
けじめをつけなければいけないことからは逃れられない。何を言われるか怖くもなったが、うみのため、逃げるわけにはいかなかった。
上司は、怒鳴りこそしなかったものの、さすがに苦い顔をした。
「...気持ちは堅い、か」
「はい。...こんな結果になってしまって、申し訳ございません」
「会社としては君がいなくなるのは痛手だが...。でも、これ以上君の人生を縛ってはいけないだろう。...娘さんはどうだ?」
「今は目を覚まして、検査もして異常はなかったので、退院は明後日くらいになりそうです。元気ですよ」
「そうか...。まあ、なんだ。少なくとも、君が元気になってよかったと思ってるよ。...これは受理する。...元気でな」
「...はい」
一人知れず、俺は泣きそうになった。
ただ仕事をしていただけのこの会社だったが、案外悪いものではなかったのかもしれない。
それこそ、俺が意地張ってだれにも頼らなかったせいで周りが見えていなかっただけで、この会社はもっと良いものだったのかもしれない。
...けれど今はもう、それはどうでもいいか。
「これからどうするんだ?」
「妻の実家があった島へ戻ろうと思います。...あとは、そこから」
「そうか。...風邪ひくなよ」
「はい」
俺は最後にすっきりとした笑みを上司に向けて、会社を後にしようとする。
しかし、図ってか図らずか、会社の前にそいつはいた。
「やあ」
「春原...お前、仕事は?」
「お前の姿が見えたから、ちょっと抜け出してきただけさ。...それより、決めたんだね。決意」
「ああ。...俺は、ここをやめて、島に帰るよ」
「そっか、それが鷹原の答えなんだね」
春原は表情筋を少しほぐして、うんと一度だけ頷いた。
「いいんじゃないかな。...こんなすがすがしい鷹原の顔、初めて見たし」
「そうか?」
「ずっとしかめっ面でさ、面白みのない顔して、人生苦しそうに生きて...。そんなやつがこう笑ってるんだ。止めることなんてないでしょ?」
「...まあ、そう、だな」
俺が返信に困っていると、春原はぷっと笑い出した。
「なんだよ」
「別に? ちょっと、昔の友達に似てる気がしてさ」
「なんだそりゃ...。...っと、そろそろ行くわ。...本当にありがとうな」
春原に対する感謝の言葉は、尽くしても尽くしきれない。だからこそ、俺はいつも別れるような態度で春原と別れることにする。
そんな中、春原はただ俺の名前をもう一度呼んだ。
「鷹原!」
「なんだ」
「...うまくやれよな」
「ああ」
春原はいつも通り、朗らかな顔で笑う。
その笑顔に答えるように、俺は会社を後にした。
---
あとは、これまでお世話になった人間に動向を伝えることにした。
特別それをしたところで意味はないと分かっていたものの、なぜかそうしたい気持ちでいっぱいだったのだ。
最後に、取引先であった天王寺夫妻の元へ電話をかける。
家にいる二人なためか、すぐに電話はつながった。
「もしもし...、鷹原です」
「あぁ、先日の。...それで、今日はどうしたんです?」
「いえ、あれから色々と整理がついたんで、その報告を」
---
「会社、辞めたんですね」
「はい。...すいません、先日お邪魔したばっかりなのに」
「俺は問題ないですよ。力になれなかったのが少し悔しいですけど、結果オーライなら、オッケーっすよ」
「...いえ、力になりました。本当に、助かりました」
「そうですか。ならよかったです。...それじゃ、お元気で」
「はい。...本当に、ありがとうございました」
電話はそこで切れる。
一つ大きな息を吐いて、俺は天井を見上げた。
...これからどうなるか、なんて何も分からない。
でも、これからどうしたいかだけははっきりとわかる。
もう、間違えたくないから。
...さあ、島に戻ろう。
俺は、数年ぶりにその電話番号を打ち込んだ。
「...もしもし、鏡子さん」
全ては次回に。
ここまで読んでいただきありがとうございます。願わくばどうか、最終回まで。
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第十二話(最終回) いつかの眩しさを、君へ
一羽はまだ小さく、けれど決して良くはない翼。
それを庇うように、もう一羽が包み込みながら空を行く。
そして、たどり着く世界は。
いつも、果てしない青の先の眩しさでいた。
~数週間後~
いつか乗り慣れていた白い船に乗り、俺はうみと島へ向かう。
俺はうみの手を取ってデッキへと出ていた。
揺れる視界の先に、だんだんとその景色が広がってくる。うみの生まれ故郷であり、俺がしろはと過ごした、鳥白島が。
「さしずめ俺は...」
「さしずめ...?」
「いや、何でもない。忘れてくれ」
なんだろうと首をかしげるうみに、俺は手をぶんぶんと振った。
自分が何かに似ていようとどうでもいい。俺はうみの父親。ただその事実だけは変わらないのだから。
「なあ、うみ。島の事、覚えているか?」
「...んーん、あんまり、覚えてないかも」
「じゃ、ついたらお父さんと一緒に回ろうか」
「うん!」
これまで仕事に費やしていた時間をすべてうみとの時間に回したこともあってか、うみはこれまで以上に朗らかな顔で笑うようになった。
決していい状況とは言えない今この現在も、その笑顔だけで俺は頑張れるようになっていた。
アナウンスが鳴り渡り、そろそろ到着の合図を知らせる。
「...それじゃ、行こうか」
「うん」
俺はうみの手を取って、鳥白島へと渡った。
---
島は、変わっていなかった。
港の形も、ほんの少し爽やかな潮風も、そこらかしこで鳴きあうセミの声も、個々の夏は、この島は、何も変わってなかった。
だからこそ、はじめてここに渡った時の様にしろはいるのではないかと錯覚してしまう。
もちろん、いるはずなどない。いたとしても、この島に眠っているだけ。
だから、その現実をまずは受け入れることにする。
「...なあ、うみ。お父さん、家による前に行きたいところあるんだけど、ついてきてもらっていいかな?」
「うん」
無邪気なうみの手を引いて、俺は喜びとは間反対の方角へ歩き出す。
ほどなくして、俺は海の見える丘へとたどり着いた。
そこには『鳴瀬家墓』と刻まれた石碑が一つ、ポツリと立っていた。
そこは、しろはの墓。ここに、俺はしろはを待たせてしまっていた。
果てしない後悔が、俺を取り巻く。分かってはいたものの、せざるを得ない後悔。
この子は、うみは、俺としろはの子だ。だから、育てるのは俺としろはの使命。
でも俺は、そんなしろはを置いてこの島から出て行ってしまった。そのことが、今でも心残りになっている。帰ってきた、今でも。
返事のない墓へ、俺は一方的に語り掛ける。
「...ただいま、しろは。...こんなに遅くなったけど、帰ってきたよ。...なんて、こんなに待たせちゃ、どすこいって言われるんだろうな。...いや、下手したら口もきいてもらえないか」
はははと俺は自虐気味に乾いた笑いを飛ばす。笑わなければ、辛くてまた泣きそうだったから。
もうここで、うみに涙を見せられない。俺は歯を食いしばって言葉をつづけた。
「うみさ、もう小学生になっちまったよ。...俺、ちゃんと父親出来てなくてさ。...見てたよな。あの無様な姿。...本当に、ダメになりそうだった」
けれどたくさんの人に助けられて、ここにいる。
「けど、たくさんの人に出会った。助けてもらった。...ダメな俺だったけど、全部が無駄だったなんて思いたくはないかな。...けど、やっぱり俺はここじゃなきゃダメみたいなんだよ。...だから、戻ってきた。...俺にはやっぱり、お前が必要でさ。ずっと...見守ってほしくて...それも、近くで...」
涙をこらえながら、とぎれとぎれになりながら、俺は最後までその言葉を告げる。
言い終わった後に一粒涙が頬を流れるが、それだけ。
俺はそれをさっさと払い、後ろで待っているうみのほうを振り返った。
「...ごめん、待たせたな」
「...んーん」
「そうか。じゃあ、行こうか」
---
一時住んでいた家までたどり着く。
しっかりと手入れされていたのだろう。最後にここを離れたときと、まるで変っていなかった。表札につけられた、鷹原という名前も。
~過去~
「もしもし、鏡子さん」
『羽依里君...久しぶりだね。調子はどう?』
この人は全てを知っておきながら、あえて何も言わないでいることが分かった。俺はその厚意に感謝しつつ、単刀直入に欲望をぶつける。
「...お願いがあるんです」
『...うん、聞くよ?』
「...島に戻っても、またやり直しても、いいですかね?」
すぐに帰ってきた返事は、イエスだった。
~現在~
とはいえ、住み慣れたはずの家なのに、入るのをためらう。
すると、耐えかねたのか、そうでないのか、うみが声を上げた。
「...行かないの?」
「行こうか」
こうなれば、後ずさりは出来なかった。俺は、何度も開けてきたドアを開ける。
「ごめんくださーい!」
「はーい」
奥の方から聞こえてくるその声は、全く変わらなかった。
やがて、あの頃と同じ姿の鏡子さんが、奥から出てきた。
それを目の前にして、俺は固まる。しかし、向こうはというといつも通り、穏やかな声音で俺に声を掛けた。
「...羽依里君」
「...はい」
「...えっと、お帰りなさい」
「...はい...!」
俺は人知れず深くまで頭を下げた。口から感謝と懺悔の言葉がフルコースのようにあふれ出てくる。
「長い間...ご迷惑をおかけしました。...こんな俺ですが、もう一度チャンスをくれたこと、感謝してます...!」
「いいよいいよそんなの。それにほら、うみちゃんがいるんだし。...それに、大事なのは、これからでしょ? ...感謝してるなら、幸せになってほしいな。私はそれでいいから」
「絶対幸せになります。...うみと、一緒に」
「うん」
懐かしい笑み。懐かしい香り。俺はようやく、俺がいた場所、本来俺とうみがいるべき場所に戻ったことを理解した。
---
そうはいっても、俺にはまだやるべきことがあった。
それをすべて終えるために、俺はうみを鏡子さんに預けて、倉庫に向かった。
鏡子さん曰く
「かなり古くなっちゃったから、本当は捨てようかなって思ったんだけどね。天善君が言うにはまだ使えるそうだから、捨てるにももったいなくてねぇ...。だから、あるよ。カブ」
らしいので、俺はそれに甘えることとした。
キックスタートを試すと、元気よくエンジンが鳴った。
「...よし、頼むぞ」
俺はカブにまたがると、颯爽と夏の鳥白島を駆けた。そのまま、まずは役所へ向かった。
どんな顔をされても、帰ってきたことを伝えなければならないから。
扉を開くと、見覚えのある顔で、『三谷』と胸に名札を付けた人が作業をしていた。数年前とは違って、もう水鉄砲を背中にかけていないが。
一度深呼吸をして、俺は思い切り声を掛ける。
「のみき!」
「...鷹原か? 久しぶりだな」
のみきは邪険にふるまうことなく、少しだけ驚いた顔をして、俺を出迎えた。
「あの...何を驚かれてるか分からないんだけど。...島に帰る連絡は、のみきにだけと鏡子さんに連絡してたんだけど」
「ああ、聞いてるぞ。もっとも、聞いた瞬間みんなに言いふらしてやったがな」
のみきは得意げにエッヘンと鼻を鳴らす。
「えぇ...。まあいいけど、それはそうとなんで驚いたんだ?」
「いや...。思ったより、すがすがしい顔つきだったからな」
「あぁ...そういう」
「これまで何度か鷹原が島へ帰ってきているのは見かけたが、まるで死んだような顔しかしていなかったからな。それを考えると、今は昔の鷹原に戻ったというか...、うん。そんな感じだな」
「そうか。...悪いな。ずっとこんな感じで」
「分かったのならいい。...それに、帰ってきてくれたことは私も嬉しい。多分、みんなそうだ」
のみきの言うことは間違いではないと思えた。心の底から、この島の暖かさが伝わる。
...ああ、帰ってきてよかった。気づけて、よかった。
「この後はどうするんだ?」
「とりあえず、みんなの元へ顔を出そうと思う。...まあ、正直小言の二つや三つ言われる覚悟だけどな」
「そうか。みっちり叩かれて来い」
笑顔ののみきに見送られ、俺はまたバイクへまたがった。
---
駄菓子屋の近くにバイクを止めて、俺は近辺をうろつく。ここに居れば、会える気がした
そして、出会う。
「...羽依、里?」
「よっ、ただいま」
光の反射でトンボ玉が輝く蒼に、俺は不器用に笑って返事をした。
するとそれが気に食わなかったのか、それ以外か、蒼は顔を赤色に変えて声を上げた。
「...どの面下げて戻ってきた!!」
「...まあ、そうだよな。...なんせ、一度逃げた人間だもんな」
蒼の怒りは、納得のいくものだった。
それを鎮めようとは思わず、まず俺は素直に謝る。
「...本当に、すまないと思ってる」
「...それは私じゃなくて、しろはに言うことでしょ...! ...そういうからには、もう行ったのよね?」
「ああ。いの一番に会いに行った」
「...そ」
不機嫌な様子のまま、蒼は口先だけで返事をした。
「...なんで戻ってきたの?」
「...全部、やり直すため。...うみとここで暮らしたいと思ったから、って言えばいいのかな」
「...嘘じゃないでしょうね?」
「嘘だと思ったら、俺を殺してくれ」
俺は全てをうみにかける約束をした。覚悟とはそういうものだ。
俺の覚悟を聞いて蒼は少し目を丸くして、やがて一つため息をついて、顔を上げた。
「...信じるわよ。ただし、もう二度とみんなを裏切らないこと。...みんな、心配してたんだから。あんたのこと」
蒼は目じりに少し涙をためて、改めて俺に告げた。
「おかえり、羽依里」
「...ああ、ただいま」
「...かき氷、食べる?」
「ああ、そうする」
それはいつかの懐かしい光景。
そのいつかの日のように、俺はまたここでやり直せるだろうか?
---
それからも、俺はあちこち回った。鳴瀬翁、良一、天善、前いた時お世話になったみんなのもとへ。
鳴瀬翁は、ずいぶんとやつれていた。もはや俺に突っかかることもなく、ただ弱気に俺を見つめていた。その姿を見るだけで、俺は複雑な気持ちになってしまった。だからこそ、もう二度と間違えないと誓う。
良一には、一発殴られた。その後、等価交換だと言って、強制的に殴らされた。互いの頬に一発殴られた後を作った状態で、お互いに笑い合った。
天善には、卓球の試合に強制的に付き合わされた。ずっと運動をさぼってたせいか体は動かず、改めて喧嘩なんかより卓球が一番怖いことを思い知らされた。
そうして、日は沈み、夜に変わる。
俺は、うみを連れて、ある場所へ向かった。
---
「ここは?」
足を冷たい海水で濡らしながら、うみはきょろきょろとあたりを見回す。
俺は頭を撫でて、ただ「待ってろ」とだけ伝える。
そうして、数分後。
あたりの水面が一斉に光りだした。
「わぁ...!」
「綺麗だろ?」
足元には、光を放つウミホタルがたくさんいた。
ここは、しろはに教えてもらったポイントだった。
とはいえ、ウミホタルは毎日、毎年光るわけではない。ただ今日は、光る気がした。それだけのことだった。
それにこたえてくれたのか、ウミホタルは精一杯光る。俺たちを包み込むように。
俺は、うみの小さな手をしっかりと握った。
「なぁ、うみ?」
「なぁに?」
「これからさ、どうなるか分からないけどさ。お父さん、頑張るから。...だから、どうか、振り向かないでほしいんだ。...ずっと一緒にいてほしい」
「...うん」
うみはしっかりと頷いた。
光る海辺。これからの未来はどうなるか分からないけども。
俺はやり切る。うみのために生きて、そのために死ぬ。
迷いながら、間違えながら、それでも進む。だから。
だからどうか、この人生に幸せがありますように。
頭上を一筋の流れ星が通り過ぎた。
未来はまた、ここから...。
===
島に来てから10年くらいが過ぎた。
私が生まれたこの島。何も覚えていないところから始まった第二の人生。
けれど、私はこの島が好きになっていた。
高校に行くために島から離れるだけで恋しくなるほどに、この島が恋しい。
私には、お母さんがいない。お父さんが言うには、私が生まれたときには亡くなっていたみたい。
正直、私はずっとお母さんに会いたいと思っていた。お父さんは仕事でいなかったし、私はずっと一人だったから。
けれど、ある日を境に会いたいとは思わなくなった。
...いや、そうさせてくれたのは、お父さん。
たくさんの愛情をもらった。たくさん話をしてもらった。たくさんの時間を、私にくれた。最高に、まぶしい日々だった。
もうすっかり老いて、やつれたようになったお父さんは、きっと私にたくさんのものをくれた。だから私はもう振り返ろうと思わなくなった。
「どうしたの? うみ?」
「...んーん、何でもない」
「そっか。...じゃ、行こ?」
友達に手を引かれて船に乗り、今日もまた学校へ向かう。
今のこの時間は、きっと当たり前じゃないのかもしれない。
だからこそ、私は人知れず風に乗せて言葉を呟く。
「...ありがとう。お父さん」
セミが鳴き続ける中、私は今日も、ここに夏を刻もう。
どこまでもどこまでも、果てしない眩しさの中で。
完結です!
途中失踪ぎみ...誠に申し訳ございませんでした。
とはいえ、この作品を完成できたことは、私の誇りです。
summer pocketsの世界の完全否定。
しかし、これはこれで一つの幸福の形、私はそう思っています。
とはいえ、これは絶対に起こりえない世界。そう、IFです。
クロスオーバーも初挑戦でなかなかキャラ崩壊、グダッたりしましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
また、ハーメルンのどこかで会いましょう。
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【after story】色褪せない眩しさを、いつまでも
また、afterstoryとあるように、本作は『summer pockets【IF story】~もう一度だけ、あの眩しさを~』の続編となっています。
世界観が本編と少しだけずれることを、ご了承ください。
それでは、どうぞ。
~羽依里side~
旧加藤家の朝は早い。
朝六時に目が覚めるなり、俺は一度顔を洗って目を覚まして、ルーティンのようにキッチンへ向かい、料理を始める。
作るのはもちろん、チャーハンだ。
たくさんの人に助けられて、この島に戻ってきてそろそろ二年ほど経つ。精神的にギリギリまで追い詰められていたあの頃は、もうずいぶんと遠い昔の話だ。
うみも島での暮らしを心地よく思えているのか、前よりずいぶんと明るい顔を見せることが増えた。だから俺も、安心して生きていけている。
卵を割って素早く溶いてそのまま中華鍋へ。意識するスタイルはしろはの完全再現だ。
しろはと離れてしまってもう10年ほど経ってしまったが、このスタイルだけはどうにか体に染みついていた。どうしようもなくダメだった俺にしろはが残してくれたものの一つだ。
現にうみは満足してくれているようで、いつも穏やかな顔をしながら食べてくれている。本当に、今の状態になれたことをたくさんの人に感謝したい。
ちょうど出来上がるころに、うみが寝ている部屋から音が立った。どうやら起きたようで、たちまちちょうど朝食が出来た食卓へやってきた。
「おはよ、おとーさん」
「おう、おはよう、うみ」
まだ眠たそうな目をこすりながら、うみは自分の席へ着くなり、いただきますと口にするなり秒で目の前の朝食に手を付け始めた。全く、チャーハン好きという母娘の遺伝子は恐ろしい。
俺もエプロンを片付けるなり、うみの向かい側の椅子に座って朝食に手を付ける。うん、今日のもよくできている。
「おとーさんは、今日は何をするの?」
「田坂さんのところの畑の農作業手伝い。午前中で終わるよ」
「お野菜、貰えるかな?」
「頂戴なんて自分からは言わないよ。まあ、俺の頑張り次第かな」
「そっかー。頑張ってね、おとーさん」
頑張れ。
その一言をうみから貰うだけで、俺は誰よりも頑張れる気になる。頑張ろうと思える。
これが、本当にうみのために出来ることなんだって、信じれる。
すがすがしい笑顔を浮かべて、一言。
「ああ、頑張るよ」
俺が自信ありげに言い放ったことで、うみは表情をより一層明るくした。そのまま綺麗にした食器をキッチンへと運んで、自分の部屋に戻っていく。学校に行く準備をするんだろう。
「・・・そんじゃま、俺も」
うみのため、今日も頑張るとしますかね。
---
農作業は、思ったよりもスムーズに進んでいった。
自分のスペックを過信しているわけではないが、頑張れの一言をもらったことが影響しているのだろう。
「今日はありがとねぇ」
初老のおばちゃん、田坂さんが作業終わりに声を掛けてくる。その手には紙コップに入った麦茶が。
「あ、ありがとうございます」
俺はそれを受け取って、一気に飲み干す。乾いた喉にはこれが一番だ。
そして、田坂さんはそのまま土手に腰かけている俺の隣に「よいしょ」と小さく声を上げて座った。そのまま、俺の顔を覗きこんでくる。
「あんた、見ないうちにいい顔になったねぇ」
「そうっすか?」
「そうよ。ようやく親父っぽい顔になってきたっていうかねぇ。男前になったって感じさね」
「はぁ・・・なるほど」
自覚はないけど、そんな顔になってるのか。
けど、親父っぽくなったって言われたことは、素直に嬉しかった。だんだん、ちゃとしたうみの父親になれているってことだから。
「今日で30だっけ? 若いのはいいけど、無理するんじゃないよ」
「肝に銘じます。・・・ん、今日?」
「何言ってんだいあんた、今日が誕生日なんだろ?」
そうだ、確か今日は5月の21日。
忘れていた。俺の誕生日だ。最近は本当にそんなことを考える間もないくらいに忙しかった。もっとも、それはあのころとは違って幸せな忙しさだけど。
「そう言えば・・・そうでしたね」
「そういうわけだ。ほら、これ持っていきな」
田坂さんは近くにあった籠の中身をごっそりと袋に詰めて、俺に手渡してきた。中にはナスやキュウリ、トマトなどの夏野菜が。
「え、いいんですか?」
「何言ってんだい、こりゃあたしからの誕生日プレゼントさね。それでうみちゃんに旨いもの振舞ってやんな」
「あ、ありがとうございます!」
その温かさに触れて思う。やっぱり、この島に帰ってきてよかったって。
俺の居場所は、ここにあったんだって。
---
仕事を終えた足で、俺はいつもの場所に来た。
海が見渡せる丘、しろはの眠る場所へ。
汲んできた水をかけて、墓を洗う。それが終わると、俺はその墓の前でゆっくり腰を下ろした。
そして、返事のない墓石に語り掛ける。
「なあ、しろは。俺、もう30になったよ。本当に、やるべきことをやってたら歳をとることなんてあっという間なんだって、やっと気づいたよ」
ポリポリと頭を搔きながらつづける。
「でも、やっぱり後悔はないかな。こうやってこの場所でうみと生きていける。その幸せに気づけたときから、ずっと。・・・その隣にしろはがいてほしいって、今でも思うけど、そんなこと、無理だからさ」
だから、立派な父親になる。そう覚悟したのもこの場所だ。
隣にいることはもう叶わないから、だからせめて、見守っててほしい。
文句は、またいつかそっちに行ったときに聞かせてほしい。
「見守っててくれ。俺の事、・・・うみの事。俺、まだまだ頑張るからさ」
そして俺は立ち上がって踵を返す。
「じゃあ、また来るよ」
そう言い残して、俺はまた次の場所を目指す。
---
昼間。フラッと寄り立ったのはいつもの秘密基地だった。
けど、不思議なことに平日の日中に関わらず、しろはを除く元少年団のメンバーが皆集まっていた。
「あれ、どしたんだよみんな」
「ああ、羽依里か。ちょうどよかった。大事な話が合ってな」
少々深刻そうな顔で良一が俺の名を呼ぶ。俺は背筋を強張らせて言葉を待った。
「ここ、解体するんだとよ」
「・・・そうきたか」
確かに、あのころと比べてあちこちで劣化が進んでいた。今すぐ壊れそう、とは言わないが、終わりが近いのも確かだ。
理解はできる。けど、それはあまりにも急で、少しさびしかった。
そんな空気を紛らわそうと、良一はすぐに声音を変えた。
「んな訳で、今から遊ぼうってことでみんな集まったわけよ!」
「遊ぶったって・・・何すんだよ?」
俺の問いに、のみき、蒼、天善と続く。
「それは鷹原が決めるといい。今日の主役はお前だ」
「羽依里、今日誕生日なんでしょ? 私たちができるコトって言ったら、多分こんくらいだから」
「別に、卓球でも構わないんだぞ」
「いや、それはいい。・・・はぁ、なんだろう。落ち着くな、やっぱりここは」
こんな年になっても、誕生日の概念は消え去らない。それをこいつらに祝ってもらえるんだから、やっぱり幸せだ。
「んじゃ、缶蹴りでもするか。誰がダラズな生活してるか、分かるしな」
「はーん、体力じゃ負けねえぞ」
「いいだろう、望むところだ」
「言っておくが、私はまだまだ動けるぞ」
「えっ、もう始まるのこれ!?」
そうして、賑やかな時が始まる。
それは、いつまでも変わらない、あの頃の眩しさのままで・・・。
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結局遊びに夢中になって、汗だくになりながら家に帰ったのは五時頃だった。
さすがにうみはもう帰ってきてるだろう。本当に、我を忘れて遊び惚けてしまった。反省だ。
「ただいまー」
中から返事は返ってこない。でもあかりはついているから、誰かはいるのだろう。
俺はどんどん奥に進んでいく。そしてその足はキッチンで止まった。
「・・・あっ、おかえり、おとーさん」
「うみ・・・!? なんで料理なんて」
うみは不慣れな手つきでフライパンだの包丁だのを動かしていた。落ち着いてみていられないその光景に俺は思わず声を上げた。
けれど、うみは小さな声でちゃんと答えてくれた。
「これ、私からのプレゼント」
「あっ・・・」
だから、今日の朝に野菜を欲しがっていたのか。
・・・本当に、この子は・・・。
「誕生日、おめでとう。おとーさん」
うみの無邪気な一言で、俺の目尻に込み上げてくるものがあった。そのまま一筋だけ、温かい涙が伝う。
本土で死んだように生きていた時、おめでとうなんて何度言われただろう。その言葉は、どれだけ俺に届いていただろう。
だから、今ここにある幸福がまた嬉しくなって、泣けてくる。
「ああ・・・ありがとう、うみ」
「えへへ・・・」
俺はそのままうみの身体を後ろから抱きしめて、優しく頭を撫でる。うみは満足そうに微笑んでくれた。
でも、流石に料理は別件。火を使うにも包丁を使うにもまだ幼い。
だから、今はこうしよう。
「うみ、今日はおとーさんと一緒に作ろうか」
「うん。分かった」
うみはしっかりと頷いて、隣に俺のスペースを開けてくれた。そこにゆっくりと俺は入り込む。
こうやって、うみはだんだんと大きくなっていく。いつかは俺のことなんてあっさり追い越していくだろう。
だから、いつか追い抜かれるその日までは。
こうやって二人並んで歩いて行こう。
ついてきてくれるよな・・・うみ。
ということでどうだったでしょうか。
このIFは結構本筋がしっかりしている(当社比)と思うので、こういう後日談がめちゃめちゃ書きやすいんです(当社比)
今後もこうやってこの世界線でSSを書くかもですね。
といったところで、今回はこの辺で。
感想評価等お待ちしております。
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