やや薄暗く、木々のざわめきと動物たちの声だけが場を賑やかしている深き森。
人里から遠く離れ、人の手が入らない古き森。
かつて聖地の一つとして文献に載りながら忘れられた歴史の末端。
精霊種と呼ばれる、人ならざるものが住まう密やかな土地。
しかし今は森自身の怨嗟がその中で渦巻いている。
世界から滅びよとの命令を受けている。
存在をなかったことにしろと圧力をかけられている。
――何故か。
それは世界の臣下たる精霊種が、安定の阻害要因たる人間の手に掛かろうとしているからだ。
例え末端であろうと世界の名を汚すことは許さない。
その様なことになるくらいならば潔く死を選べ。
森からの排斥処理、世界からの存在抹消命令。
そんな実に傲慢で残酷な世界の意志に晒されながら、一人の少女が逃げている。
追っ手から、狩猟者から、木々の隙間を飛び跳ね駆け回り、逃げている。
彼女の体が跳ねるたび、薄い茶毛の髪からのぞく犬耳が堅く閉ざされていく。
お世辞にも清潔とは言えそうにない布のようなものを身にまとい、涙を浮かべながら、閉じた森の中を駆け抜ける。
――自身の存在すべてを否定する
「いやっ! いやっ! いやーーーー!」
「いたぞっ、そっちだ!」
「高い金払って作らせてるんだ、捕縛錠を使えっ」
雉も鳴かずば撃たれまい。
だが少女は自らを否定する意思に恐怖し堪らず絶叫してしまう。
隠さねばならぬ自分の居場所を己が恐怖から明らかにしてしまった。
狩猟者からすれば好機この上ない、ならば捕まえようとするのは道理だ。
そもそもその為にこの場所で禁忌とされる行為をしているのだから、当然である。
「そらよっ」
投げられたのは円状に組まれた縄、それに少女は囚われてしまう。
動けば動くほど、逃げようとすればするほど、余計に絡まって抜け出せなくなる。さながら、蜘蛛の巣のように。
少女は目じりに涙をためながら、それでも必死に抜け出そうと挑戦するが、縄を投げた男にあっさりと首をつかまれて捕らえられてしまう。
少女の細腕では振りほどくことなどできない。
そも、精霊種が人間に抗うことこそ不可能なのだ。
決められた法則、定められた常識。きっとそれは、当たり前。
「やめろっ、離せ!」
「じたばた暴れるな、諦めろ」
必死の抵抗も虚しく、男の太い腕で押さえつけられる。
力の弱い精霊種は人間でいう子供と同じ程度の腕力でしかない。
少女はもちろんのこと、例え成長して大人になったとしても変わらず人の子供並の力なのだ。
万が一、億が一、どんな奇跡が起きようとも、男達のような狩猟者を生業としている人間を正面から相手にして、力ずくで敵うはずが無い。
「おーし、一匹確保。これなら七千万ソルにはなるだろ」
屈強な男たちは暴虐の限りを尽くす。
資源保護などといった言葉などは知らないのだろう。
そもそも自分達の利益さえ上がれば十分なのだ。
精霊種など、勝手に増えていくのだから定期的に刈り取って数を調整してやっている。
男たちのような人種にとって、精霊種はその程度の認識なのだ。
時を同じくして、あちらこちらで獲物を得たとの声があがる。
これはまさしく天地の恵みと男たちは狂喜する。
だが、天も地も、男たちのような存在はけっして祝福などしていない。
あまりにも、思い上がりが過ぎる。
しかし、それだけ自信を得るに至った実績が男たちにはあるのだ。
「こっちもだ。猫だぜ、珍しい」
離れた場所から聞こえてくる野蛮な声に、先ほど囚われた少女は体を硬直させた。
最悪な状況が思い浮かぶ。
それは、姉妹のように育ってきた精霊種の少女が同じように捕まった可能性があるからだ。
しかし現実は非情。起きて欲しくない事柄が起きてしまうことは、この森においてはある種の必然。
そういう運命なのだ、残念ながら。
「楓お姉ちゃんっ」
「なっ、カナメっ! この馬鹿!」
やはり少女の懸念は当たってしまった。
少女と同じように薄汚れた布のようなものを身にまとった猫に似た耳を生やした少女は、魔術師が己の力を用いて編んだ縄で縛られていた。
罪人を拘束する縛り方であり、物として扱うことを暗に示している。
所詮換金されるだけの哀れな生物という認識でしかないのだから、当然の行為だ。
楓と呼ばれた少女にとって、ネコミミの少女は妹も同然の存在。
自身を囮にしてでも逃したかった、愛すべき家族なのだ。
「どうして隠れてなかったの!」
「だって、お姉ちゃんがいなかったらあたし…」
彼らの聖域から出てこなければ、祝福を受けたもの以外に見つかるはずは無かった。
よしんば見つかったとして、猫啼族なら逃げられた。
それでも少女が捕まったのは、姉と呼び慕う犬伏族の少女を犠牲にしてまでのうのうと生きたくはなかったからだ。
頼れる者も無しに、まだ幼い少女が心を壊さずに成長できるだろうか。
しかしそんなことは狩猟者が知る由もないし、どの道売ってしまうのだから知っていたところで何をしようとする気にもならない。
物に対する慈悲など腹の足しになりはしないのだ。
「煩えガキ共だな、少しは静かにしてろ」
男が殴ろうとするが、別の男に肩を叩かれる。
軽い静止の合図。精霊種が可哀そうという気持ちを小指の先ほども持ち合わせていない彼らからすれば、利益が損なわれるという意識で止めているだけだ。
コストが利益を上回るようであれば精霊種を殺すこと自体に一切の抵抗はない。
それに今回は一生に一度あるかないかというほどの大漁だ、多少のロスは発生しても構わなかった。
それでもより稼げるのなら、自重するべきだ。
「おい、傷つけるなよ。商品価値が下がる」
「わーってるよ。おいお前、次騒いだら一番酷え場所に売り飛ばすからな」
――精霊種は高値で取引される。
所有者として印をつけられた人間には逆らえないという種としての基本的特性と、見目麗しい容姿、なおかつ大量の魔力を保持している点が彼らの価値を高騰させる。
生息地こそ世界各地に存在しているが、特殊な技能や道具がなければ生息地を見つけることすらかなわないという希少性。
そして捕獲時に下手を打てば精霊種に自害され、捜索にかかる費用が無駄になるギャンブル性。
精霊種の価格を高騰させているのは、需要の多さに対して供給が安定させることが不可能だからである。
もちろん、常に精霊種が大量に見つかるというわけではない。
しかし、種族を超えて群生する習性をもつ精霊種の住処を一度見つけることができたならば、大人数で動いても向こう3年は遊んで暮らすことが出来る。
「怖いよ、お姉ちゃん…」
「っ、お前ら!いい加減にしろ!」
怯えるカナメを見て、楓は怒鳴る。
武力でもって森を制圧した男たちのことは怖い。
しかしそれ以上にカナメと呼ばれた少女を失うほうが、怖い。
セミロングの髪をわなわなと震わせて吠えた。
抑えられぬ感情が暴走する。今すぐこいつらを殺せと心が叫ぶ。
「カナメを怖がらせるな!この能無し軍団!」
「へっ、そのちっこい体で何が出来る。処女が嫌いな依頼主だっているんだぜ?」
「――っ、死ね!」
下卑た言葉を吐く男に少女は激怒し、攻撃を入れようとする。
振り上げた足は金的を狙うが、戦闘に慣れた男には通じない。
一般例としての話ではあるが、精霊種は、特に少女タイプの精霊種は、人間の男に対して攻撃を仕掛けるとすれば、ほぼ必ず急所と言っていい。
非力であるからこそ奇襲での一撃で脅威を排除しようとする。
しかしそのことを知っていれば、止める事は容易だ。
「甘いなお嬢ちゃん。その程度、見切れないほど弱くはない」
「くっ!人間風情が、私たちに手を出すなんて愚かな!」
「その人間風情から逃げてたのはどこの精霊種だったかな」
勝ち誇った笑みで、男はニヤニヤ笑う。
他にも続々と精霊種が集まってきていた。
これだけの狩場、どうして今まで誰にも気づかれなかったのか不思議なくらいだ。
騒ぐ少女たちを檻の中に押し込み、馬車へ詰め込む。大部分は逃げられたが、またここを襲えばいいだけだ。
「これくらいでいいか」
「二十匹か、今回は大量だな」
一匹頭の最低価格が三千万ソル、上手く売れれば全額で一生を楽して暮らしていくのも可能だ。
酔狂な金持ちがオークションで高額落札することも珍しいことではない。
「かー、これだからやめられないぜ」
「今から皮算用か、気が早いな」
嬉々としてソロバンを弾く男に、別の男は率直な感想を述べる。
まだ捕まえて一箇所に集めただけだというのに。
しかし、そう考えるのもある意味当然だ。何故なら。
「ったりめえだろ、誰も俺たちを邪魔できねえんだから」
そう、彼らは精霊種狩りを行う者たちの中でも一目置かれている存在なのだ。
捕える精霊種の質は常に最高級、必然的に取引額も高額になる。
捕獲した数に至っては他の追随を許さない。
組織力もさることながら、個人的な戦闘力も各都市の守護騎士団がうかつに手を出せないほどだ。
彼らの邪魔をするものも、また横取りを狙うものもいない。
だからこそ、気が緩む。
「…ん、一人多くねえか?」
「下っ端どもが増減してるだけだろ。どの道、たいした事じゃない」
たった一人で何が出来るだろうか。
これだけの大人数に一人で挑むことなど無謀、せいぜいおこぼれに預かろうとした馬鹿な奴が紛れ込んだだけの話。
気にすることではない。しかし、それは本当に正しい選択だろうか?
「おい、こいつを荷台に載せとふがっ!」
つづきますん
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天の螺子を巻く・2
始めの段階では姿を見せていなかった黒いコートを羽織った男が、指示を出していた男を殴り飛ばした。
たった一発の打撃で気絶させるほどの重い衝撃。
そして、殴った腕と反対側の手で持っていたナイフで精霊種を縛っていた縄を瞬き一つ分の時間ですべて切り離す。
三々五々に逃げる精霊種を見送ってから男は狩猟者たちと向き合った。
精霊種を開放することが男の任務であり、これで依頼は完了した。
故に、この後行われることは単なるついででしかない。何故か逃げさずにいた二匹の精霊種の存在に気づかないほど間抜けではなかったが、これから行われることに問題が生じるわけでもない。
自らの意志で離れない者たちに強いるほど、男は暇ではないのだ。
「いい加減にしろ、お前ら」
「おいお前っ、何をしている!」
「見て分からないのか」
それに、敵対者をたった一人と侮ることは誤りだ。
りんごは一つでも腐っていれば、連鎖するように他のりんごも腐りだす。
危険分子は単独でも足元をすくう可能性がある。油断は、出来ない。
特に、人ならざる力を持つ生物は、一騎当千どころでは済まないのだ。
「今どき精霊種狩りか、暇な奴もいるものだな」
「ちっ、構わねえ、殺っちまえ」
「おおっ!」
身構える狩猟者たちに、男はなんら構えようとする様子を見せない。
しかしそれは、男が近接戦闘ではない戦い方で争うからこその態度である。
そもそも、人間以上の速度程度の動きは出来るのだ。
たかだか普通の人間の動き、あわせる必要も無い。
「魔術師はいないようだな。これは好都合」
「何ごちゃごちゃ言ってやがる! 俺達に手を出したこと、後悔しろ!」
そんな悪党の呪いの言葉を聞いても、男は表情を崩さない。
弱者の恫喝など、恐れる理由にはならないのだ。
味のほとんどしない食品を口に含むより、感情の起伏に影響しない。
冷めた目つきで、猛る男達を見て肩を竦めた。
それは、道化師のつもりなのだろうか。
「世界の理に抗うか、滑稽な事だ」
精霊種狩りとは、違法どころか、神の怒りをも買ってしまう最悪の行為。
だが人間は利益のためならどんな闇にも手を染める一面を持っている。
そして、神は自らこの世界に手を下すことはない。
なればこそ、そんなお気持ちだけの障害など無視してしまえばいい。
誰にも否定できないその一面。だがその逆、つまりそれを止めようとする者もまた、人間の中にいる。
そういう人たちの依頼を受けて、男は動いているのだ。力を抑制するために、強固な制限をかけて。
「高々ヒト風情が、この領域に手を出すな。『炎舞灼熱世界』」
一瞬にして世界が塗りつぶされていく。
壊れていくのか、飲み込まれていくのか、喰われていくのか、分からない。
分からないが、確かに炎が支配する世界に変わり果てていくことだけは、理解するしかない。
狩猟者の一人が、舌打ちして叫ぶ。昔一度だけ見た、ある戦闘光景と重なる部分がある。
「魔術師かよ! おいっ、誰か
「わーってるよ! 食らえ化け物!」
赤黒い球体のものが、魔術師と呼ばれた男に向けて投げつけられる。
一般人でも、魔術師に対抗できるように作られた特別製の魔術道具。
対魔術師封滅具、つまり魔力を基準とした位階での下位存在が上位存在に反抗する際に必須となる宝具の一種。
「化け物、か。どうだろうな」
それははるか昔、いわゆる悪い魔女がある村の民を獣の姿に変えては嘲っていた事があった。
それを憂いた魔術師は、魔力の効果を全くの無に返す秘術を球に封じて、民に配り歩いた。
はじめは誰もそれを受け取ろうとはしなかったが、ある一人の少女が貰い受け、
そしてやってきた魔女の呪いをその球で受け止めたことで、村民の大多数がその球を貰おうと魔術師の住む祠へと押しかけた。
全員に魔術抹消秘具を渡したものの、その魔術師は人間に落胆し、二度と姿を現すことはなかった。
魔女も同じくして、自ら抗うことのなかった人に愛想を尽かし、どこか遠い地へと旅立っていった。
そういう、昔話。
それが、今ではこのように狩猟者たちが王国の魔術師対策に今世に残っている魔術抹消秘具を大多数所持し、より精霊種狩りを止めることを困難としている。
製作者がどのような意図で道具を作ろうと、扱う者しだいで本来の使用目的とはかけ離れた使い方をされることも少なくはない。
力のある道具の使われ方が、良き方向へ流れるか悪しき方向に流れるかは別問題なのだ。
だからこそ彼は魔術抹消秘具を集め、正しき使い方を出来る人物に渡すために、昔話の魔術師と魔女のために、戦っている。
精霊種を助けたのが他者からの依頼なら、こちらは男が勝手にやっていること。
しかしどちらも男にとって十分戦う理由になる。
「これで三十七個目。全て集めるにはほど遠いな。いっそ襲撃をかけるのも手だが、まだ早い」
それは魔術の仕組みと男が使う術式の成り立ちが違うからに他ならない。
魔術師の魔力は、基本的に外部供給となっている。
その流れを絶つものが
はたして究極の万能物があるとすれば、少なくとも魔術師には生み出すことが出来ない。
それは絶対の法則であり、何人たりとも侵す事の出来ない聖域。
「燃えろ、悪しき者ども。始まりの火種に焼かれて悔やむがいい」
そしてぽつりと、現在では使われていない過去の言の葉を繋ぎ合わせた。
母音と子音の関係がぐちゃぐちゃで、文法も何もあったものではなく、単語なのか熟語なのか、
果たしてそれに意味があるのかすら分からない代物ではあったが、世界を動かすには十分なものだった。
閉じた世界の中で小さな火が生まれ、生まれ、生まれ、生まれて炎となる。
それは魔術師と見做された男を中心にして円を描くように集団を囲っていく。
炎はやがて天を焦がすほどの勢いとなって、ドーム状に男たちを包み込んだ。
本来延焼までに相応の時間がかかるはずなのに、術者の力によって瞬き一つするだけの時間で行われてしまう。
今までの常識ではありえないその現象に理解が追いつかない狩猟者たちは動揺した。動揺、してしまった。
「くそっ、奴は一体!」
「まさか魔導師か?」
「魔導師だぁ? あの破壊兵器が狩猟者狩りなんかやってるわけないだろ!」
だが、彼らの目の前にいる人間は魔導師にしか行使できない秘術を使っている。
世界を塗り替えることなど、魔術師レベルでは不可能。
現実は何時だって予想通りになどはいかないのだ。
はぐれ者はどこの世界にでもいる。
常識では測れない持論でもって行動する人間もいる。
それが人ならざるものならば尚更だ。
「飲み込め」
男の言葉と連鎖するように、世界が縮小していく。
辺り一面に包まれていた炎の壁はだんだんと狩猟者たちに迫って、それは領域に進入した敵を喰らおうとする龍に見えた。
うねる炎が確かな意思を持って動いている。
蠢く大地は意識を持って蠢動している。
紅に染まった空は識を得てざわめいている。
全てが、男の意の向くままに。
冷静さを欠いた者たちに、いや、例えこの場にいるすべての人間が人生においての万全の状態であろうとも、
この崩壊する世界から逃げ延びることは決してできない。
「ちきしょうっ、誰か奴を殺せぇ!」
「くぅっ、くたばれ!」
現実を受け入れられずに錯乱したか、狩猟者たちは一斉に魔導師へと襲い掛かっていく。
だが、この場所は魔導師が支配しているのだ。
たとえ彼らがどれほどの強者だとしても、この場所に限って言えば、絶対に敵うことは無い。
何しろ彼らは普通の人間だから。
「薙げ」
ただの一言発しただけだったが、やはり世界は反応する。
突如、横っ腹から突風が吹き抜ける。
それは森に生えた木々をことごとく吹き飛ばしかねないほどの風圧で、男たちを渦の中に巻き込んでいく。
現実と隔離されているからこその暴挙であり、意志を持った風の流れは空中へと向きを変え宙に巻き上げていく。
もはや声も上げる事すらできないほど容赦なく撹拌される。
竜巻すら、この風の前では稚拙なものにしか見えない。
魔導師のもとに辿り着ける者など、いない。
「『武具たる者は収束し武器たる獣は沈静し』」
術式が完成すると共に、舞い上げられた男たちは炎に飲み込まれた。
そして挿げ替えられていた世界は、再び正しい姿へと戻る。
それが、世界の掟。唯一にして絶対の、普遍であるべき事実。
狩猟者たちは声も出せずに消えていく。
はたして炎の渦に飲み込まれた男たちは、どこに行ったのだろうか。
それを知るものは誰ひとりとしていない。術者ですら、分からない。
「…依頼完了、と」
男は軽い虚脱感に襲われながらも目を閉じる。
せめて、この世界に哀悼を捧げる為に。
だが聞こえてきた声に再び目を開けることになる。
幼い子供のような声。可愛らしい、女の子の声。
男は、不思議と寂寥感を覚えた。
「あ…あの、魔導師…さん?星の守り手、ですか?」
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天の螺子を巻く・3
憮然としているイヌミミの少女の影から、ネコミミの少女が少しだけ顔を覗かせながら問いかける。
だが、それに対する返答はあまり好意的とは言えないものだった。
所詮は、本来関わるべきではない者達だからなのか、魔導師の性分がそうさせるのか。
「違う、思い込みで適当なことを言うな」
「それでもあんたが魔導師と同程度の存在には変わりないでしょ」
「それはそうだが」
イヌミミ少女の発言に、どうしても、苦々しげな顔になることは抑えられない。
譲れないものがあるとすればその一線だろうか。
小さなことではあったが、しかし大事なことだ。
何しろ世界に対する影響力が変わってきてしまうのだから。
「とにかく、私は魔導師ではない。だからそう呼ぶな」
「あ、えと、はい」
「カナメ! こんなやつの言うこと聞くこと無い!」
とんでもない言われように、しかし男は全く気にも留める様子は無く森全体を見渡すように身体を回した。
何かを確認するように、何かを解析するように、一回転する。
だが、楓は男を睨みつけたままカナメを後ろに追いやる。
戦闘力で言えば、男ははるか届かない高みにいる。
それでも、楓はカナメを守らなければならない。それが、誓いだから。
「魔導師…そもそも何のためにこの場所に来た!」
「女の子がそんな言葉使いするな」
「質問に答えろ!」
魔導師は精霊種からすれば、特にこの森に住んでいる精霊種にとっては忌むべき存在。
この森に結界を張り外部からの侵入者を排した魔導師は、だがしかし己の致命的なミスに気づかず、どこぞへと消えていった。
外部からだけではなく、内部からも侵入者を排する構造となっていることに、気づかないまま。
精霊種を一箇所に閉じ込めるなど、愚の骨頂。
今ではその結界も劣化し、先のような愚か者が出入りできるほどに弱まっている。
精霊種以外にとって結界など存在しないと言っても過言ではない。
それでも、精霊種はこの場所から離れることは出来ない。
それが魔導師の残した呪いだから。
「少なくとも精霊種に危害を加えにきたわけではない」
「そう言って、魔導師は何時だってろくなことを起こさない!」
「…後ろを見てみろ」
叫ぶ少女に男はそう促す。振り向けば、体を震わせてぎゅっと服の袖を掴んでいるカナメがいる。
楓は灼熱していた感情を一瞬で冷却し、カナメを抱きしめて強張っていた表情を崩す。
「お姉ちゃん、怖い顔してる…。嫌だよ、そんな顔しないでよ」
「ごめん。ごめんね、カナメ」
大切な人だから、守りたい人だから、泣かせたり、怯えさせてはいけない。
ずっと笑顔でいて欲しい。本当に、本当に愛しい存在なのだ。
ならばどうして酷いことが出来ようか。本当のヒーローは、愛する人を危険な目に合わせないのだ。
何故、ピンチに駆けつけなければならないのだろうか。
成長という名目のもと、誰かを危険に晒す、言うなれば運命とやらは、よほど残酷な性質なのだろう。
「…あまり単純に思考を走らせると失敗するぞ」
「魔導師は黙ってろ」
カナメを抱きしめたまま振り返って、男を睨む。
だが所詮、少女が睨んだところで、魔導師が動じるはずも無い。
むしろ、微笑ましいぐらいだ。何とは無しに、二匹の精霊種の頭を撫でる。
一匹は嫌そうに振り払い、一匹は嬉しそうに頬を緩ませる。
正反対の反応だが、しかし。
「これは、
少女たちを撫でていた手を空にかざし、大気に込められていた魔力に触れ、その連続性を断絶する。
崩壊しかかっていたとはいえ、精霊種にとって魔導師が込めた魔力の意味は絶対。
さほどの強度が無くても、破ることは不可能。だからこそ、長い間閉じ込められていたのだ。
しかし、この森を封じた魔導師以上の力を持ったなにかが、連鎖の因果を侵していく。
さながら、蛇が世界を食らうように。
「『
そして、もう一度相応しい結界をこの地に立ち上げる。
彼のしたことを端的に表すならば、時の流れを加速させ世界の劣化を促し、再度構築する。
それは世界を書き換えること。
「ここの術式を書き換えた。以前の魔導とは違って、今度は対象を限定しているからな。人間に直接干渉しようとしなければ、精霊種の存在がばれることは無い」
「やっぱり、星の守り手さんでしょ?」
ほにゃ、と笑うカナメに、楓は厳しい顔つきになる。
カナメより知識を得ているから。カナメより、疑うことを知っているから。
「魔導師の癖に精霊種のことをしっかり考えてて、それでいて人間にも配慮してる。なんなの、一体…。あんた、おかしいよ。どこか壊れてる」
「壊れてる…ね。惜しいな、少し違う」
そもそも、魔導師はそういう存在ではない。本来の意義から離れているのは、今の魔導師なのだ。
始まりの魔導師は決して『星の守り手』などではなかった。
それを成し遂げるだけの力はあったが、しかしその役割を負っていたわけではない。
力を持ちすぎた故に輪廻から外れたのだから、現実に大きく関わるべきではない。
それが今の魔導師は世界に深く根ざしている。
壊れて動かないならまだいい、世界の根幹にありながら暴走しているのだ。
だからと言ってどうしようもないことではあるのだが、つまり男が魔導師ではないと主張する理由はそこにある。
魔導師であると自分で思ってしまえば、まして口に出そうものならば、ズレた世界の理屈に組み込まれてしまうのだから。
だが、そんなことを少女が知る由も無い。
「何が違うのよ。壊れてる奴が壊れてないって言ったって信憑性はゼロよ」
「誰が壊れているかなんて分からないだろうに」
「魔導師は何時だって精霊種のことを考えずに事を起こす。それで十分よ、敵として認識する理由としては。簡単なことじゃない。少なくとも、私に限っては、ね」
親の敵を見るような目で、イヌミミの少女は男を見る。
人という種は信用できないが、その中でも魔導師という存在は全く信用できない。
どれだけ言葉を尽くされようと、どれだけ願いをかなえてくれようと、根本的な部分で信用できない。
彼女にとって、人間と魔導師はそのような存在だ。
しかし少女は気づかない。男はそのどちらとも違う存在だと。
「だから、私は魔導師ではないと言っているだろ」
「だったら、一体何なのよ!もしかして、カナメが目当ての変態?」
少女の発言に、男は頭が痛くなるのを感じた。
彼女が抱きしめている少女しか信じられず、近づくものを全て敵と見なして、生きている。
少女がどれだけ厳しく悲痛な思いを抱いているのか、想像もつかない。
それすら勝手な思い込みなのかもしれなかったが、男はそうではないと思い直し、少女達の障害を取り除く程度の協力はしようと考える。
「…いいさ、それで。君達の評価を気にしても仕方が無い」
だから、男は一度突き放す。どうしたいかは少女達が決めることだ。
逃げ場になることは、それだけ背負うものが出来るという事。
むやみに荷物を増やしたくはないし、常に危険の伴う人生を過ごしているのだから、巻き込むだけでは駄目だ。
「しかし精霊種、あんなことがあった後で今まで通りに生活できるのか?」
「それはっ…。なんで知ってるのか知らないけどあんたが気にすることじゃないでしょ!」
「精霊種と関わる機会が多いのでな。それに、私も森の意思まで書き換えることは出来ない。長々と私と話している以上、それは覚悟しているのだろう?」
世界の支配下にある精霊種は、人の手にかかった場合所属する世界--今回の場合は彼女たちの住処である森に存在自体を拒絶されている。
この場所で生活どころか、極端な場合立つ事や呼吸する事すら拒絶される。
せめて男が精霊種を解放した時に一緒に逃げていれば、今まで通りに生活できた。
自らの子飼いを失う事は世界にとっても痛みを伴う。だからこそ、一定のルールが課せられている。
此度のトリガーは、イレギュラーな存在の行為による捕獲作戦の失敗。
しかし、彼女たちは残ってしまったのだ、自らの意思で。
どういう意図だったのかは彼の知る所ではないし、興味もなかった。
それでも、見殺しにはできなかった。いったん森から拒絶されてしまえば、精霊種に生きる道などなくなる。
生きていて欲しかった。こんな悪意に満ちた世界の渦中にいようと、生きていて欲しかった。
あまりに、酷すぎやしないだろうか。頼れる者も無く、生きる意味も無く、ただ死んでいくなど、あまりにも。
「それでもここで生きたいのならそれでいい。だがもしも―」
一息吸って男は誓った。彼女達を、守るために。
自分自身を、約束という束縛で、縛る。
この先どんな疑問が生じようと、果たさなければいけない誓い。
「この森を出たいなら、私は君達の騎士役程度には働くと世界に宣言しよう」
少女達はお互いの顔を見合わせる。どの道、この場所で生きていけるはずは無い。
疾く去ねと大地から急かされているはずだということくらい楓も理解していた。
それでも今々直接言葉を投げられないのは、おそらく様子見なのだろうということもいうことも。
なら、答えなどとっくに決まっている。姉は不本意に、妹は特に細かいことに気づかず面白半分に、それを確認しあう。
どのみち、『魔導師』にとって世界に宣言することは自身の
なにものにも代えがたい、しかし出会ったばかりの相手に対してすることではない。
それほどの覚悟なのだと、少女たちは受け取った。
「お姉ちゃん、この人は信用していいと思うよ」
「…うん、カナメがそれでいいなら」
男は、小さく笑った。
あまりにも精神的に幼すぎる少女達を見て、かつて共に育った魔導師のことを思い出したからだ。
今でも、魔術師相手に暴れまわっているのだろうか。
「で、魔導師。あんたの名前は?」
「だから、魔導師ではないからな」
男の、数少ない拘り。どうしようもなくお人好しで、そのくせ他者の好意をすぐに受け流してしまう、中途半端な男の、拘り。
もっとも少女には全く関係のないことで一笑に付されてしまう。
「どうでもいいわ、そんなこと。とっとと名乗りなさい」
「…ユーキ。そう呼んでくれ」
「やっぱりしょぼくれた名前ね。お似合いだわ」
苦笑を返すしかできない男―ユーキに、少女達は手を握り合って横に並ぶ。
正式な、この森で生きる精霊種の一族の正式な名乗り方。
そして、誓いの儀式。自然と、場が静かになる。
「法月楓。父方を青竜種よりの血、母方を銀狼種よりの血。現種、賢狼種。一族の名は犬伏」
「雪花カナメ。父方を白虎種よりの血、母方を黒鳥種よりの血。現種、黒猫種。一族の名は猫啼」
深々と頭を下げ、空いているほうの手で布の端をつまみ上げ、それぞれの両足を交差させて、対称になるようにぴたりと動きを止める。
そして、二人同時にずれることも無く祝詞を読み上げる。
「穏やかに、激しく。緩やかに、厳しく。弛まざる事、ありもせず。法月家が娘、楓。雪花家が娘、カナメ。いずれも違わぬ精霊王が御許に仕えしこの身体、汝が意思の元に馳せ参ず。大いなる大地よ、偉大なる大空よ、ユーキと共に進むことを認め許したまえ」
つづきますん
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天の螺子を巻く・4
あんまり見直し出来てないので余裕が出来たら修正するかもしれません
「穏やかに、激しく。緩やかに、厳しく。弛まざる事、ありもせず。法月家が娘、楓。雪花家が娘、カナメ。いずれも違わぬ精霊王が御許に仕えしこの身体、汝が意思の元に馳せ参ず。大いなる大地よ、偉大なる大空よ、ユーキと共に進むことを認め許したまえ」
その後きっかり三秒、少女達は頭を下げていた。
対するユーキは、どうしたものかと思案顔になっていた。
なにしろこういう事をされたのは初めてだ。
が、そんなことは露知らず、少女達が勢いよく頭を上げてお互いを見合った。
そして手を取り合って喜び合う。
二人一緒だからこそ出来る事。
どちらが欠けても成り立たない。
「お姉ちゃん、初めてキチンと言えたよ!」
「やったねカナメ!これでもう一人前だね!」
正式に名乗ることが出来れば、一人前として認められる。
当然楓は既に合格し、カナメは今を以ってそうだと認定された。
だが、それを知っているのは楓とユーキのみ。
彼女たちの一族の長に見てもらわねば、正式に一人前になれたわけではない。
しかし、楓たちは森を出ると決心した。
それは、精霊種にとって巣立ちと新たな血筋の創造を意味する。
ならば、姉である楓が当主となってカナメを認めれば、正式なものとなる。
だけれども、ユーキにとって、精霊種内の問題は取るに足らないもの。
まさか人間がそれに干渉していいはずも無く、単なる好奇心でせっかく少しでも和んだ空気を壊すわけにはいかない。
「私は、君たちの事はなんと呼べばいいのだ?」
「そうね、私のことは楓でいいわ」
「あたしはカナメって呼んでね」
精霊種は一族の名前で呼ばれるのを嫌う。
数が多いのもそうだが、それぞれについた名前は精霊種にとって重要な意味を持つからだ。
個としての認識と、集団としての認識。
母たる世界から分かたれた精霊種が一匹として、名前という言霊を無意識のうちに理解しようとしているのかもしれない。
存在が存在なだけに、それはとても自然な流れ。
「楓、カナメ。良い名だ」
「当然でしょう?こんな可愛い子と、その姉よ」
ふ、とユーキは笑った。
自身の価値はさて置いて、妹を強く前面に押し出す。
間違っているが、しかし彼女の在り方は正しい。
自身の価値など、他人が決めるものだ。
自分が決めたところで、他者が認めねばただの自己陶酔者である。
だがしかし、彼女は、楓は、彼女の持つ輝きに気づかない。
だからこそ、眩しい。
「確かに、可愛いな」
「何だか引っかかる言い方ね」
少しだけ眉をひそめる楓を無視し、ユーキはしゃがむ事によって二人と目線を合わせる。
「さあ、もうこの場所に未練はありませんか、お嬢さん方」
「なんだかお姫様になったみたいだね、お姉ちゃん」
小さな手を楽しげに振り、ユーキの周りをちょこまかと動き回るカナメ。
まだ幼い彼女にとって、ユーキは助けてくれた強くて優しい人。
警戒心など抱くはずも無い。
逆を言えば、若干成長している楓にとっては、あまり信用できない男である。
正反対でいて、その実似たような評価。
どちらも、ユーキのことを深く知らない故に出てくる結論だ。
「そうね、カナメも名乗れるようになったしもうここに用事は無いかな」
「おとーさん達に、ご挨拶に行かなくてもいいの?」
純粋さは、時に気まずい空気を生み出すことがある。
払拭することは容易いが、カナメを一瞬たりとも嫌な気分にさせることなど、楓には出来ない。
すぐさま笑顔を作り、言い訳を考える。
それらしいことを言えば、カナメは信じる。
経験上、楓はそう確信していた。
「お父さん達はね、今私達に会えないんだ」
「なんで?」
「ほら、緊急の儀式があるから準備で忙しいんだって言ってたでしょ? だから朝からいなかったし、さっきのあれにも巻き込まれてなかったしね。あたしたちが今いったら大騒ぎになっちゃうよ」
もちろん、嘘である。
そも緊急を要する儀式があるはずも無く、そこまで大きな事件があったわけでもない。
何故父母たちがいなかったかも知らない。
だがしかし、綻びのある嘘であってはいけない。
あくまで、それらしいことを言わなければいけないのだ。
「なんでも、この地に封印されてる魔族が目覚めるとか何とか。ほら、あったでしょ? 『赤き紅葉に降る星の』っていうお話。あれ、本当だったらしいよ。舞台はこの森だって話だし、まさかとは思ってたけど、現実になるとは思いもよらなかったわ」
「本当だったの?」
真に受けているカナメを見て、ユーキはさらに話の方向性をずらそうと試み。
嘘は嫌いだが、それ以上に姉妹をいじるのは楽しい。
「…その話、訂正版だな。本当は『落葉散華』だ。主人公が最後、魔族に屠られる話だったのだが、何故か修正されてな。今の形に落ち着いたわけだ」
「そうなの?」
「うあ、あれって修正されてたの? それは知らなかった…」
何故か一緒になって騙される楓。
存外、素直な性質なのかもしれない。
ユーキのことを信用していないのに、彼の言葉を信じている。それは、何故か。
「今日はさっきみたいな事があったしね、どんな悪影響があるか分からないし」
「私も魔導を使ってしまった、危険性なら十分に高まっているな」
「あんたやっぱり余計なことを持ち込んでるんじゃない!」
図らずもな、とまったく悪びれるそぶりも見せない。
儀式云々自体が嘘だと言うのに、なぜか頭に来た楓はユーキの膝を蹴る。
「何をする」
「少しは反省しなさいよ!」
「儀式でどうにかなる魔物なのだろう?君達が手伝わなくても平気だと言うことじゃないか」
理由を重ねて重ねて説得力を増す、と言う手法。
楓はユーキの意図を汲み、そういう事かと頷いた。
魔導師のくせに変な奴。
「でもまあ、そういう訳でお父さん達には会えないんだ」
「んー、じゃあしょうがないね。また、戻ってくるんでしょ?」
「ええ、そうね…」
いつかはばれるだろう。嘘など一時の逃避でしかない。
それでも、もう少し時間が経てば理解するはずだ。そう信じて、今は。
勝手に心の中で決着をつける楓に、ユーキは小さく目線を向ける。
そのまま気づかれないうちに別の場所へと向けると、どこからかリュックサックを取り出した。
虚数空間を操ることは容易く、まさしく魔導師足りえる能力。
中には様々な物が無造作に詰め込まれている。
そもそも限界と言う概念が無い空間は、整理整頓などといった空間に扱われている者たちが理解できる範疇に無い。
まさか、ゼロ即ち無限と言われたとて、矛盾しているとしか認識できないだろう。
それこそが人とそうでない者を隔てる境界線。
「いずれまた会いにきましょう。次はきっと平和になってるわ」
「うん、ユーキさんが、えっと、魔導?を施行してくれたしね」
「さあ、それはどうかしら。微妙なところよ」
肩をすくめて、楓は答える。
彼がやったことといえば、森に結界を張り直しただけだ。
人の影響はおそらく排除されるだろうが、それもユーキの言が真実だとしたらという前提があって初めて成り立つ理屈。
「さすがにサイズは…。ないよりましか?」
一人呟くと、わいわいやっている少女達に向き合う。
大した事ではない。
人と話す時は目を見て、しかし時と場合によっては見ないでおこう。
それが、人情。
「ぼろ布の替えがこれしかなかったんだが…」
「なにこれ」
「いや、その…。昔貰った寝巻き、なんだが」
ぼろ布と寝巻きを比べて、どちらがいいのだろうか。
それ故にユーキは悩む。
「変態」
「うっ、いやその、私も代替案があれば…」
「変態変態変態」
「私としてもぼろ布でいられるのはいたたまれないんだ、察してくれ」
色々な意味で悩むユーキを半目で睨むイヌミミの少女。
多数の凶悪な男相手にあれだけの暴虐を働いた男はうろたえていた。
「お姉ちゃん、これ可愛くない?」
そんな状況を打破したのは、より小さいネコミミの少女の声。
寝巻きを振り回し、それぞれの位置に当てて「どうかな?」と首をかしげた。
楓の表情が崩れ、カナメの頭を撫で回す。
「ま、カナメが可愛いからいいか」
「そういう問題処理で良いのか…」
「いいじゃない、決めるのは私よ。あんなフリフリの服を持ってたのは不問にしてあげるわ」
笑っていない笑みを浮かべて、ユーキを見る。
苦笑いを浮かべて、ユーキはぼろ布の上から楓にパジャマを着せた。
相応、というかなんというか。
「ぴったりじゃないか、サイズが」
「馬鹿なこと言ってないで、カナメに服を着せなさい。そして素直にカナメが可愛いと褒め称えなさい。さあ今すぐよ、即時実行しなさい」
「あー、ちょっと待て。着せるのはいいとしても素直に褒めたらどうなる」
「ですとろーい」
親指を地面に向け突き出し、べーっと舌をだす。
理不尽な娘め、とユーキは呟いた。
「とにかく、服はありがとね」
「…礼は不要だ」
同じくカナメに服を着せ、頭をぐりぐりと撫でる。
楓に蹴られたが、無視して楓を摘み上げカナメの横に置く。
何時までもこの場所にとどまっている訳にはいかない。
「さあ君達、行けるか?」 「って言うか、どこに連れて行く気?」
もしや、と言う言葉は飲み込んだ。
カナメがへらへら笑っていたからだ。
純粋であるが故に世界の悪意に敏感なカナメが何も考えずに笑っている。
それは赤子と同じだ。胎児が生まれ出と同時に泣き喚くのは、何故だろうか。
誰もが知っていて、しかし目を逸らしている事実。
要するに、悪いようにはしないと思ってもいいのだろう。
「まずはどこかの街に寄る。その後はそれからだ」
「…なんで? 私達、かなり目立つと思うわよ」
「さすがにな。だがいつまでも避けて通るわけにもいかないだろ」
精霊種は人をよく知っている。
例えこの森から一歩たりとも出たことは無いとしても、そう言えるだけの知識はある。
何故なら精霊種は天地と共にある生物だから。
たかが一種族の社会情勢や文化など、望めばすぐ手に入るのだ。
しかし、全てを知ろうとすれば、その情報圧に耐え切れず消滅することにもなる。
何もせずに知識を得ることの代償も、もちろんながら存在するのだ。
「しかたない、のかなぁ」
「それに、私にも都合がある」
人に紛れ込み、人を操り、悪事をなす存在。
果たして法で裁けぬそれらを成敗する役目を誰がなすか。
「さすがにパジャマでは忍びない。服ぐらいは買わせてくれ」
「服?じゃー、あたしは『めーどふく』っていうのがいいかな」
「いや、君はそれが何なのか知っているのか?」
どこと無く、背筋が寒くなるのを覚えるユーキ。
それもそのはず、いつの間にか背後に回った楓のとび膝蹴りが飛んできているのだ。
戦いに身を置く者として、ユーキが感じないはずが無い。
「この、ど変態めー!」
「私が望んぐあっ!」
だが、分かったところで避けられはしない。
避ければ怪我をするのは少女の方なのだから。
ユーキに一撃を入れた楓は地面に着地すると、本気でユーキを蔑んだ目で見据える。
もしや真性なのではないだろうか。
何かは、あえて言うまい。
「カナメに半径三メートル以上近づかないこと」
「こら、勘違いするな。どうして服を買うと言っただけで貶されなければいけないんだ」
「『みこふく』とか、『うぇいとれす』とか言うのも着てみたいなぁ…」
カナメはどうしてそのような事ばかりを知っているのだろうか。
楓には理解しがたかったが、恐らく彼女の母親の影響だと思い至った。
人間の奇特な趣味に関しては、抜きん出て無駄知識を溜め込んでいた。
嬉々として娘に語っていたとしても、不思議ではない。
「カナメ、と言ったか。私が言っている服というのは旅装束の事だぞ」
「え~?『たいそうぎ』とか『すくみず』とかは?」 「…この森の精霊種は、一体どういう教育がされているんだ」
沙紀さん…。あんたは一体何をカナメに教えたのですか。
心の中でおばさんと言われるとやたらと怒るカナメの母に罵声を浴びせると、カナメに向き合う。
妹が誤った道に踏み外そうとしているならば、正してまともな道を歩ませるべきではないだろうか。
少なくとも、魔導師に一歩引かれるような道に進んでは、決していけない!
「カナメ、いい?沙紀さんの言うことにいちいちまともに応対しちゃ駄目よ。あれは外道だから、いろんな意味で。決して、母親だからって無条件に信用しちゃいけないわ」
「絵に描いてもらったけど、可愛かったよ。『めーどふく』は。『すくみず』はちょっと寒そうだったけど、『たいそうぎ』は動きやすそうだったな。そうだ、『ちゃいなふく』てのもあったよ。カナメには似合わないって、お母さんに言われたけど」
余計なことばかりを教え込んだ彼女の母親を、楓は今すぐ完膚なきまでに叩きのめしたい衝動に駆られる。
思わず、叫んでしまう楓。
「だーっ!旅するのにそんなマニアックな格好で歩けないでしょ!」
「でも、戦うなら『せーらーふく』って言うのが良いんだって。多種多様な種類があるから、選択を間違えるとえらい大変なことになるとも言ってたよ。よく分かんないけど」
「分からなくて正解よ…。私もよく分かんないけど、直感でそう思えるわ。とにかく、服を選ぶのは私がやるから。選ぶほど種類があればいいけど、ね。魔導師にそんな甲斐性があるとも思えないけど」
なんだこの異空間は。魔導師の攻撃か?
目頭を押さえ、いろんな意味で間違った気がする選択肢を無かったことにできないかと、早くも思い始めたユーキだった。
どこの世界にも、おかしな者はいるということか。
何時の間にやら矛先が自分に向きだしたので、とりあえず咳払いを一つ。
「君らは、私が一時的な服を買ってくるまで街の外で待機だ」
「何、いきなり置いてきぼりにする気?外の世界は危険だって言ったのは、どこのどなたかしら?早速約束を破る気ね、この魔導師は。脳細胞を洗浄したほうがいいわね」
呆れた、とも、やっぱり、とも取れない表情を浮かべ、楓はユーキを見る。
人とは違う種ゆえに、理解に及ばない面もある。
言葉だけを取り上げるのは、いささか早計か。
しかし、人だけの感情を押し付けるには、幾分不条理すぎる。
ユーキは、彼女の発言に怒ることもなく、しかし無感情に自身の腰辺りまでしかない身長の彼女達を、見つめ返す。
「いや、私の仲間と一緒にいてもらう。無口か、よく喋る奴か、その中間か。どれがいい?」
「おしゃべりしたいから、よく喋る子がいい!」
「中間でいいわ。騒がしいのも静かなのも嫌だから」
同時に返事を返して、おや?という目線を互いに交わす。
このような場合、どうすればいいだろうか。
話し合いは一番後腐れが残る。
大した事でもないのにわざわざ時間を費やす必要は無い。
だが、ほぼ絶対といっていいほど勝敗が決まりやすい勝負が一つある。己の身体一つあれば十分こなせる戦い。
「じゃんけんぽん!あいこでしょ!」
二人であれば、大抵十回のうちに勝負が決まる。
ジャンケンと称されることが多いようだが、他にも様々な呼び名がある。
個々に癖があることもあり、見抜くことができれば必勝することができる。
運任せでもあり、また推理勝負でもある珍しい対決方法だ。
強弱の差が出来るのは、運が良いからなのだろうか。
「…ウィナー。今回は私の勝ちね」
「ちぇっ。お姉ちゃん、あそこでグー出すと思ったんだけどなぁ」
どうやら今回は楓の勝ちになったようだ。少しだけ拗ねるカナメを楓は頭を撫でる。それでお終い。後腐れは無し、興味は次の事柄に向く。
「しかし、わざわざここで決める事も無かったような気がするな」 「こういう事は早いに越したことは無いわ」
そうか、とユーキは返し、思考を走らせる。
服を着替えさせたところで彼女達が目立つことに変わりは無い。
精霊種自体が裕福の象徴として見られている今では、常に危険に晒されていると言ってもいい。
耳は帽子で隠せば良いが尻尾はなかなか難しい。
大き目のコートでも着せれば見えなくなるが、逆に違和感で目立つ。
難しい問題だ。それに、いつも一緒にいるわけにはいかないのだ。
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