俺と天狐の異世界四方山見聞録 (黒い翠鳥)
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prologue 嚆矢濫觴
File No.00  『青天の霹靂』


俺の名前は陽宮(ひのみや) (たける)。狐憑きである。

 

狐憑きと言えば狐の様な顔になり、精神錯乱をおこしたり奇怪な行動をとるようになるというイメージが強いのではないだろうか。

 

民間伝承においてのそれは悪い狐に憑りつかれ、体を乗っ取られている状態を指すことが多い。

 

現代医学的に見れば精神障害やなんだか難しい名前の脳炎によって引き起こされる症状が、まるで狐に取りつかれたかのように見えることから生まれた迷信という解釈が一般的だろう。

 

確かにそれも狐憑きである。

しかし、憑りつく狐は悪い狐だけとは限らない。

 

憑いた狐が善なる狐だった場合、宿主に知恵や神通力を授けてくれる事もある。

そして、俺に憑いている狐は後者。

 

(あざな)を『コン』。善なる狐の最高位、天狐である。

 

コンは稲荷神の神使たる稲荷狐(いなりのきつね)であり、早々人間に憑いてくれるような存在ではないのだが、昔俺が二度ほど『やらかした』せいで俺に憑くことに……いや、『憑かさせて』しまった。

 

 

最初にやらかしたのは俺が初めてコンと出会った日の事だ。

 

その日、一人で学校の裏山の探検をしていた俺は子供の強い好奇心で山頂への道から外れ、寂れた小さな神社にたどり着いた。

あとでコンに教えてもらったのだが、この神社はマヨイガという異界に存在する神社であり、普通の方法ではたどり着けない場所にあったらしい。

なんでそんな所にたどり着いたのかはさっぱり分からないが、そんな場所に入ってきた俺にコンが興味をもって声をかけてきたのが俺とコンの出会いだった。

 

出会いと言っても天狐は霊的な存在なので目には見えない。

なので最初俺はお化けかと大いに震えたものだ。

広い意味では間違っていないのかもしれないが、流石に無礼だったなと今は思っている。

 

 

それはさておき、しばらく俺は二人で話をしていたが、そのうち日が傾き俺も帰らないといけない時間になった。

俺は別れの挨拶をしようとして、今更ながらに天狐の名前を知らない事に気がついた。

天狐に聞いてみても、名前は無いという。

 

だから俺はその天狐に名前を付けた。

 

 

名前を──(いみな)をつけた。

 

 

コンというのは後日俺がつけた(あざな)であり、要するに綽名(あだな)であって本名ではない。

天狐が狐だという事は先ほど聞いた。

だから以前ばあちゃんに聞いた話に出てきた狐の名前をもじって名付けた。

 

 

────名付けてしまった。

 

 

名を付ければ(えにし)ができる。

俺とコンに繋がりができる。

故に、天狐(コン)に魅入られる。

 

その後、それが原因でいろいろあったのだが、長くなるので割愛する。

べつに名付けた事を後悔はしていないし、魅入られたのも嫌ではない。

しかし、確実に「やらかした」案件だった。

 

 

二度目はその一年後の事。

 

この時はまだ、魅入られはしてもコンは俺に憑いてはいなかった。

そして当時俺は親の仕事の都合で引っ越さなくてはならなくなっていた。

そうなれば当然コンとは会えなくなる。

 

そう思った俺は引っ越したくないと駄々をこね、神社から帰ろうとしなかった。

これには流石のコンも困ったようで、俺に一つ約束をするから今日は帰るようにと諭した。

 

その約束は「ずっと一緒にいられるようにする」事。

これが二度目の「やらかした」案件だ。

 

 

妖は約束を破れない。

 

流石にどちらかが死ぬまでという期限はあるものの、神獣であり妖でもあるコンは約束を必ず守る。

 

なんとコンは稲荷神と掛け合って稲荷狐の役目を辞し、俺の守護霊として憑りつくことで一緒にいられるようにしようとしてくれたのだ。

 

最終的には稲荷神の意向もあり、稲荷狐のままで「稲荷下げ」を行って俺にコンを憑りつかせ、俺を災いから守るという役目を与えるという形に落ち着いたそうだ。

当時の俺はずっとコンと一緒にいられると無邪気に喜んだのだが、今になって考えると好意が重い。

 

無論、この時我儘いったことも後悔はしていないし、コンの好意も嫌ではないどころか非常に嬉しく思っている。

しかしながら、やっぱり「やらかした」案件だと思う。

これが無ければコンを俺に憑かさせてしまう事も無かっただろう。

 

なぜなら……

 

この神社、引っ越し先からでもいく事が出来たのだから。

 

実は俺が我儘を言ったあの日、コンはちゃんと説明してくれていたのだ。

この神社はマヨイガであり、現世とは異なる特殊な場所にあるので縁が深ければ遠くからでも来ることが出来ると。

 

そして俺とコンの縁があれば、隣りの県くらいなら余裕で来られるという事を。

当時の俺にはさっぱり理解出来ずに、精々将来きっとまた会えるくらいの意味だと思っていたのだ。

 

正直すまんかった。

 

 

そんな感じで俺は狐憑きとなった。

 

さて、そんな昔の話を思い出しながら俺がやってきたのはコンと出会った神社である「稲荷神社」だ。

全国各地にある稲荷神社の一つと思ってもらえれば間違いないだろうし、こじんまりとした社が一つと鳥居があるだけの小さな神社だ。

むしろ隣にある日本家屋の方がデカい。

 

ちなみにこの日本家屋がマヨイガであり、神社はそこに付随する形で建っているらしい。

 

主祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

ただし、コン曰く分霊すら滅多に居ないとのこと。

まぁ、マヨイガに建ってるだけあって人来ないしね。

俺も何度も足を運んでいるが、未だに他の人見た事ないもん。

 

加えてコン以外の稲荷狐も見た事ない。

コンが俺に憑いてから何年もたつが、未だに後任の稲荷狐が来ていないのだ。

あちらの世界も人材不足らしい。

なので俺たちがちょくちょく様子を見に来ている。

 

特に何か変わったことがあった試しは無いけどな。

 

 

一応、コンの能力の中には離れた場所を見る『千里眼』や、未来を見る『未来視』などもあるのだが、マヨイガの中から外を見る場合はともかく、外からマヨイガの中を見るのは非常に難しいらしい。

その為、実際に足を運んでみなければならないのだ。

まぁ、俺としては散歩ついでに行けたりするので別にいいが。

 

 

『ふむ、いつも通り特に異常は無いのぉ』

 

 

隣りからコンの声が聞こえる。

そちらの方を見ると尻尾が四本ある半透明な狐の姿が目に入った。

初めて会った時はコンの姿を見ることは出来なかったが、コンに名前を付けたあたりからぼんやりと見えるようになった。

 

最初は輪郭のはっきりしない靄のような姿だったが、コンとの縁が深まるにつれて形がはっきりしていき、今では半透明ではあるものの完全に狐の姿に見えている。

コン曰く縁が深まったことで霊視が開眼し、霊体である天狐が見えるようになったとのこと。

 

ちなみにコンの声は俺以外には聞こえないのでコンと話すときは注意しないと延々と独り言を繰り返す怪しいやつになってしまう。

一応、お祈りするような感覚でコンに頭の中で話しかければ、コンはその意思を拾ってくれるので脳内会話が出来るからあまり問題では無い。

とは言え、脳内会話は精神的に疲れるので他に人が居ないときは普通に会話しているが。

 

 

「じゃぁ、俺はお参りしてくるよ」

 

『うむ。儂はその間に”先”を見ておくとしよう』

 

お稲荷様はおられないが祈りは届くらしいので、ここに来たときは最初に神社に詣でるようにしている。

その間にコンが未来視を使って今後このマヨイガに何か起きないかを見ておく。

それが俺が狐憑きになってからここに来た時の暗黙の了解となっていた。

 

常駐の稲荷狐が居ないので、何かあったときに出来るだけ対処する為のものらしい。

もっともコンの未来視で見えるのは主観かつ”未来を見なかった場合の未来”なので、あくまで参考程度にしかならないものらしいが。

 

 

さて、とりあえずはお参りである。

 

お社の前に立って軽くお辞儀をする。

 

鈴を鳴らして神様にやって来ましたよと合図を送る。

 

人が管理していないからか賽銭箱が無いのでお賽銭の代わりに稲荷寿司を神饌(しんせん)として捧げる。

 

お稲荷様に三つとコンに二つ。

 

なお、コンや神様は霊的というか概念的な食事をするようなので、物質としての稲荷寿司はその場に残ることになる。

 

なのでこれは後で撤下(てっか)して俺が食べる事になる。

 

神様が召し上がったものを頂くことで結びつきを強くする神人共食の儀式だ。

 

そして二礼二拍手一礼。

 

最後に軽くお辞儀してお参り終了だ。

 

 

俺はコンと一緒に稲荷寿司を食べようとコンのいるであろう方向へ振り返り──

 

 

『まずい! 伏せよ!』

 

 

コンの叫びとともに体を押し倒された。

そして、まるで覆いかぶさるようにコンの霊気が俺を包んだのが分かる。

 

その直後、巨大な揺れが俺たちを襲った。

 

震度にすればどれだけだろう。

地面が波のようにのたうち、空気すらも震えるように揺れる。

時間にすれば10秒ほどだったらしいが、体感的には何十秒と揺れていたような気がする。

 

正直生きた心地がしなかった。

俺も生まれてこのかた何度も地震は体験してきたが、これほど大規模なものは初めてだ。

 

 

『タケル! 無事か?』

 

「うん、なんとか。凄い地震だったな」

 

正直まだ頭の中が揺れているような感じがする。

 

『いや、今のは地震ではない』

 

え? 地震じゃない?

 

『そもそもここはマヨイガじゃ。地震が起きることは無い。現世の大地と直接は繋がっておらぬし、鯰も悪霊もおらんからのぉ』

 

そういえばそうだった。

マヨイガは現世とは異なる場所に存在する一つの完結した世界。

歩いていく事は出来ても地続きではない。

 

「ん? じゃぁ、今のは何だったんだ?」

 

『恐らくは……”神隠し”じゃ』

 

神隠し──人がある日忽然と消え失せる現象。

 

科学的に説明しようとすれば幾らでも説明がつけられるし、妖怪関連であれば鬼や天狗の仕業というのが有名だろう。

それこそ、本当に神の仕業という場合もある。

しかし、今のはどれにも当てはまらない気がするのだが。

 

別に俺は失踪した訳ではないし、コンが憑いている以上生半可な妖怪では手を出すことが出来ない。

 

神に関してはもっと無い。

此処は稲荷神の神社の建つ領域なのだから手を出す余地がない。お稲荷様は神隠ししないし。

 

『どちらかと言えば自然現象に近いかの。人が消え失せるという結果は同じじゃから神隠しと一纏めにされておるが』

 

よく分からないのでコンに説明してもらったところ、前提として世界は俺たち人間の住む”現世”や神々のいる”常世”、マヨイガのような”異界”の他にも多くの世界が存在する。

一般的に異世界と呼ばれるものと思っておけば間違いない。

ここまでは俺も知っている事だ。

 

そして、”もの凄く大雑把に言えば”と前置きされたが、違う世界が傍を通る際に世界の一部を引っかけて持って行ってしまう事があるのだそうだ。

つまり先ほどの揺れは現世からマヨイガが引き剥がされた衝撃で、マヨイガそのものが揺れたために起こった現象だという。

 

なるほど何となく分かった。

それと同時に凄い嫌な事に気づいたんだが……

 

「マヨイガが現世から引き剥がされたって事は、もしかして俺、現世に帰れなくなった?」

 

『まぁ、そうなるのぉ』

 

コンはあっけらかんとして答えるが、ちょっ、流石に俺は困るんだが。

 

俺は別に天涯孤独とかではない。

現世には両親もいるし友達……はあんまり居ないが親しい人もいる。

一応、一人暮らしなうえに学校も夏季休業に入ったばかりなのですぐに帰らなければどうこうという事は無いが、あんまり長く音信不通というのも不味い。

 

「コンの力で何とかならない?」

 

『流石の儂でも世界そのものが相手では無理じゃな』

 

だよねー、マジどうしよう。

 

『まぁ、そう深刻に考えずとも良かろう。儂にはどうにもできんが、一生戻れんという訳では無いからの』

 

「本当か!?」

 

『うむ。直ぐにとはいかぬが、もともとこのマヨイガは現世とも常世とも縁が強い故な』

 

コンが言うには引き剥がされた世界の一部には元の世界側から引き戻そうとする力が働き、しばらくすれば元の場所に戻るのだそうだ。

今回はマヨイガという異界そのものが引き剥がされたが、現世、そして稲荷神社のある関係から常世にも繋がりが強く、同じ現象が起こるとのこと。

 

しかも、引き戻される現象は時間軸にも及び、引き剥がされた時間付近まで戻ってこれるらしい。

流石にこちらは最大で十日くらいまでの差異が起こるらしいが。

 

十日か。

 

まぁ、十日なら何とかなるだろう。

 

「で、大体どのくらいで戻るか分かる?」

 

『そうじゃのぉ。この感じじゃと早くて一年、遅くても百年くらいかの』

 

「ちょっ!? 百年!? 流石にそれは俺が死んじゃうんだけど!?」

 

『なら早めに帰れるように儂が骨を折るとしようかの。まぁ、焦っても事は進まぬ。休暇が増えたと思って気楽に考えておくことじゃな』

 

コンはカラカラと笑うと、『その前に腹ごしらえじゃ』といってお社の方へ向かっていった。

お供えした稲荷寿司を食べるのだろう。

 

「確かに、焦っても仕方ないか」

 

幸いにしてコンが一緒だ。

一人ではどうなっていたか分からないが、コンと一緒ならそう悪い事にはならないだろう。

 

さて、俺も腹ごしらえしてくるか。

稲荷寿司、神隠しの時の揺れで地面に落ちてないといいななどと考えながら、俺はコンの後を追うのだった。

 

 

 

これが俺と天狐(コン)の異世界四方山見聞録の、始まりの始まり──

 

 




本小説に登場する妖怪や能力等はなるべくメジャーな伝承をベースにしていますが、作者の好みや話の展開によってはマイナーな伝承や作者の創作の場合があります。


『青天の霹靂』
突然起こった、予想もしなかった出来事という意味。
霹靂とは激しい雷鳴の事。

異世界転移にくらべれば雷鳴なんて目じゃないぜ。


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Folder-1 波瀾万丈
File No.01-1 『袖振り合うも多生の縁』


ファイルNo.1の倍以上の文字量があります。読書時間にご注意ください。


異世界に来た初日。

 

マヨイガの外がどうなっているかも気がかりだが、まず必要なのは生活基盤の確保である。

すなわち 衣・食・住 だ。

 

これが漫画とか小説ならまず異世界の人と出会って──とか村や町を見つけて──となるのだろうが、俺の場合は幸運にも場所が良かった。

 

なんせマヨイガである。

目の前にでっかい日本家屋が建っているのだ。

 

庭には色鮮やかな花が咲き並び、裏の畑には様々な野菜が植えられている。

家を囲む木々には木の実や果物がこれでもかと実っているし、立派な鶏が何羽も放し飼いにされている。

 

中に入れば少々古めかしくはあるが塵一つおちていないし、生活するために必要な家具や道具は大体揃っている。

道具の型は古く、江戸時代辺りに使われていそうなイメージのものばかりだが、それ自体はまるで新品のようなものばかりだ。

 

倉には米俵が山と積まれ、仕込み桶には出来たばかりの味噌や醤油が詰まっている。

さらに囲炉裏には赤々と炭が燃えており、吊るされた鉄瓶の中では湯が沸いている。

 

 

それでも人の気配は全くしないがな。

 

 

それもそのはず、ここは人が住むような場所じゃないのだ。

 

マヨイガとは一つの完結した世界であり、マヨイガという一つの(あやかし)であり、無数の妖の集合体でもある。

即ちここ、妖怪屋敷なのである。

 

周囲の木々から食器から家そのものまでそこらじゅう妖怪だらけ。

さすがに付喪神のように自ら動き出すようなのは────割といるが、積極的に人に危害を加えるようなのはいない。

敬意と礼さえ持っていれば、中で寛いだり台所や風呂を借りるくらいは問題ない。

 

ただ、住むとなるとまた話が違ってくる。

妖の領域に人間が居座るわけだからな。

その為、何とかマヨイガに住まわせてもらえるようコンにマヨイガの意思(マヨイガを構成している無数の妖の集合意識……らしい)と交渉してもらっている。

現世に帰るためにはマヨイガが引き戻される時にその場に居ないといけないからここを拠点にする他無いんだよな。

 

そして交渉自体は割とすんなり決まり、俺は条件付きでマヨイガに住むことを許された。

その条件も『現世と繋がったら逢魔時(おうまがとき)までには退居する』『マヨイガから道具(妖怪)を持ち出した場合、必ずマヨイガに持ち帰ること』の二つだけだ。

正直破格と言ってもいい。

 

さすがコン、頼りになる。そしてマヨイガ、懐が広い。

 

ちなみにだが、持ち帰り必須は妖怪だけなので、それに付随するものは持ち帰る必要はないとのこと。

例えば仕込み桶を持ち出した場合、桶は妖怪なので持ち帰る必要があるが、中の味噌などは妖怪ではないので外で振舞ってきても大丈夫なのだそうだ。

 

とりあえず居住許可をゲット!

食事についても、食材はマヨイガにあるものを使って良いそうなので一安心だ。

ここの鶏は妖なので駄目だが卵は問題ないし、木々に生っている木の実や果物は取っても良い。

畑の野菜も妖怪では無いので食べられる。

倉の中の米や調味料についても、桶などの入れ物は妖怪だが中身は本物なので食べても大丈夫。

しかも妖怪のおかげで、取っても取っても中身が減らないのだそうだ。

 

妖怪って凄いな。物理法則超越してるぜ。

そうコンに言ってみたら、『何を今更』と言われた。

確かに今更だったわ。

 

ついでに居住中はマヨイガの中の道具を自由に借りてよいことになったので、衣・食・住が一発で揃う事となった。

 

本当にコンが居てくれて助かったよ。

今日の夕食はコンの好物を……と思ったが、肉類は無かった。

油揚げもまず豆腐から作らないといけないうえに、大豆はあるようだがにがりが無い。

なので残念ながら無理そうだ。

 

とりあえずコンが生活基盤を確保してくれたので、さっそくだが着替える事にする。

現世に戻る時はこの服で戻る必要があるからなるべく痛めたくないのだ。

 

下着は……あ、(ふんどし)しか無いんだ。

 

袴と……着物……え? 小袖?

 

着付けが分かんないんだが、どうすればいいの? これ。

 

へぇ、こうやって着るんだ。

 

うお!? 袖口から何か俺のじゃない手が伸びて来たんだが!

 

え? 小袖の手? 小袖の手って怨霊系じゃなかったっけ?

 

この小袖の手は良い妖怪?

 

そうなんだ。まぁ、マヨイガの妖怪だもんな。

 

これからよろしく。

 

────などとハプニングもあったが、コンの協力を得て何とか見れるのではないかという感じにはなったと思う。

 

「どうだ? 似合うか?」

 

鏡の前でポーズを決めてみる。

鏡の中の俺が違うポーズを取っているが、そういう鏡の妖怪らしいので気にしない。

むしろ着付けの仕方を鏡に映して教えてくれるあたり親切な妖怪である。

 

『可もなく不可もなくじゃな』

 

あっそう……。

 

「そういえばコン、今マヨイガから出たら異世界に出るのか?」

 

『そうじゃな。『境界(きょうかい)』を通っていく必要はあるが、この辺は現世に戻る時と同じじゃ』

 

『境界』というのは異なる世界を分ける場所であり、異なる世界が交わる場所の事だ。

 

そう聞くとなんだか凄い場所のように聞こえるが、実際は意外と身近に存在する。

代表的なのが道と道の交わる交差点『(つじ)』、山道の登りと下りを分ける『(とうげ)』、川の手前と奥を繋ぐ『橋』あたりだろうか。

家の外と中を分ける『門』、部屋を分ける『障子(しょうじ)』、井戸やトイレなんかも実は『境界』だったりする。

 

ちなみに俺がマヨイガへ来るために使っていた境界は家から五分ほどのところにある川にかかっている古い石橋だった。

家の門とか使えれば楽なんだが、ある程度の『(かく)』を持つ境界で無いとマヨイガには至れない。

出る時はかなり『格』の低い境界でもなんとかなるんだけどな。

 

基本的に時を重ねるほどに『格』が増すらしく、その石橋は築150年ほどだとコンが言っていた。

 

『まぁ、外がどのような場所かは分らん以上、先に儂の千里眼で見ておいた方が良いじゃろう』

 

そりゃそうだ。

 

どの境界を通るか選ぶことは出来るが、知らない場所だとランダムになっちゃうからな。

下手すると瘴気の溜まっている危険地帯に出ることもある。

 

特にここは異世界だ。

どんな危険があるか分かったもんじゃない。

 

そもそも好奇心で聞いてみただけで外に出る気は無いのだ。

とは言え、興味はある訳で……

 

「俺も見たいから憑いてくれ」

 

『承知じゃ』

 

するとコンは俺の中に入り込むように消える。

俺の肉体にコンと言う霊体が入り込んだ形だ。

『稲荷下げ』と言うやつだな。

 

この状態だと俺の思考がコンに駄々洩れになる上に、コンがその気になれば肉体のコントロールを乗っ取る事も出来る。

もっとも、コンはそんな事しないと信頼しているし(緊急避難的にすることはあるし、貸してくれと頼まれる事もあるが)、思考についてもコンは読心出来るので今更だ。

 

そんな事よりもこの状態だとコンの神通力や妖術を俺も使えるようになるというすごい恩恵があるのだ。

 

あんまり強い力を使うと体や俺の魂に負担がかかるので、使える力の大きさは制限されているが、念力や狐火くらいは問題なく使える。

千里眼や未来視は負担が大きいので不可。

ただし『稲荷下げ』状態でもコンだけが見る場合は問題ないので、コンが見たものを幻覚で俺にも見せることで疑似的な千里眼や未来視をする事は出来る。

 

ちなみにだが、実はこれ思考が駄々洩れになる事を利用して俺が使いたい時に使いたい場所にコンが神通力や妖術を発動しているのだ。

なので正確には『神通力や妖術が使えるようになった気分になれる』だけなのだが。

 

 

話を戻そう。

 

千里眼を(コンが)発動してその景色を目の前にモニターのように映し出す。

俺用の疑似千里眼だ。

 

そこに映った光景は……

見渡す限り木・木・木・木・木・木・木・木・木・木・木・木・木・木・木。

 

 

「木、ばっかだな」

 

一体どこの境界に出たのやら。

 

『洞穴じゃな。こっちにあるぞ』

 

コンがそういうと千里眼モニターの映像がぐるりと回り、少し下を向く。

なるほど、地下に続いている穴がぽっかり開いている。

地下と地上を繋ぐ境界だった訳だ。

 

ちなみにこの先はどうなってんだ?

 

『少し進むと地下水が涌いておる。多少広い地底湖のようになってはいるが、それだけじゃな。そこで行き止まりじゃ』

 

あっそう。

 

しかし森に出たか。

見た感じ結構深い森の雰囲気がする。

地面の傾斜があまり無いから山ではなさそうだ。

 

「まぁ、上から見れば早いか」

 

森の中を闇雲に進んでも意味がなさそうなので、視点を上空へもって来て航空写真のようにする。

何かの集落でも見えれば御の字なんだが……

 

しばらく高度を上げていくと、かなり大きめの川が流れているのが見える。

軽く水源を辿ってみると、画面上の方が大規模な山脈になっていて、そこから流れる複数の川が一つに集まってこの大きな川を形作っているようだ。

川があるなら近くに村や集落がある可能性がぐっと高まる。

この世界に人間がいるかは分からないが、もしいるのなら水の確保が容易な川の近くに生活拠点を置いている可能性が高いからだ。

 

俺は疑似千里眼の高度を上げるのを止め、視点を川の流れに沿って動かす。

あまり高度を上げすぎると地表が見えづらくなるからな。

 

暫くすると木々がまばらになり、森を抜けた。

それからすぐに、家屋と思われる人工物を発見する。

それも複数。

どうやら何者かの居住地(この規模からいって村だろうか)を発見出来たらしい。

 

遠目には木造建築の小屋のような家らしきものがそれなりの距離をおいていくつも並び、それをぐるっと柵らしきもので囲っている。

畑の様なものも見えることだし、うっすらと道のようなものも見える。

これはほぼ間違いなく村と断定していいだろう。

 

流石に遠目からでは様子がよく分からないので疑似千里眼を近づけ……

 

『待て、タケルよ』

 

……ようとしてコンに止められた。

どうした? コン、何かまずかったか?

 

『かの村に神気が見える。おそらく『神』に連なる者が祀られた社があるのじゃろう。気づかれては印象が悪い』

 

おっと、そりゃまずいな。

 

望遠鏡で覗いているようなもんだもんな、これ。

視線を感じてそちらを見たら望遠鏡で誰かがこちらを覗いていました──みたいな状況になると。

どんな相手かは分からないが、まず良い印象は抱けないわな。

 

俺たちが生活基盤のない流れ者ならば多少のリスクを覚悟してでも情報を得るべきなんだろうが、幸いにして俺たちにはマヨイガがある。

最悪現世に戻るまで引きこもっていることも可能なのだ。

 

外から何か来る可能性が無きにしもあらずなので外を無視する訳にはいかないが、最初はなるべくリスクの少ない方が望ましい。

 

「了解。村には近づけないようにするよ」

 

とりあえず千里眼を森の方へ戻す。

今後接触する事があったとしても慎重に行くべきだな。

 

『少し森の中も見ておいた方が良かろう。なんぞ居るかもしれんからの』

 

なんぞってなんぞ?

 

そういえばマヨイガには肉類が無いのだった。

大豆や鶏卵はあるのでたんぱく質は何とかなるが、さすがに寂しいものがある。

鹿や猪でも生息していればありがたい。

 

狩猟に解体?

コンが出来るから大丈夫。

 

しばらく視線をうろうろさせてみるが、小動物しか見当たらない。

小動物は地球の動物にそっくりなものもから、図鑑ですら見た事が無いようなものまで多種多様にいるんだが。

 

そしてそれなりに時間が経過し、そろそろ一旦切り上げようかと思っていた時……

 

『タケルよ。人間が居ったぞ』

 

なに! 何処だ!?

 

どうやら別の千里眼(最大四つまで同時に使えるらしい)で違う所を見ていたコンが人を発見したらしい。

疑似千里眼の視界が高速で移動する。

結構森の奥に入り込んでるな。

 

視界が止まると、そこには生茂った草木の影に身を縮めて隠れている人間がいた。

見た目で判断するなら成人しているか否かといった年頃の女性だった。

顔付きは日本人とそんなに変わらない。

髪の色が青だったが。

しかし、何かを恐れているように震え、服はボロボロであり、体中に無数の擦り傷や切り傷が見える。

特に左腕の傷は大きく、流れる血が止まっていない。

 

何かあったのが一目瞭然だ。

一体何があったんだ!?

 

『これのせいの様じゃの』

 

コンがそう言うと別の疑似千里眼が開く。

そこに映っていたのは……

 

「熊……か?」

 

『熊じゃな』

 

目算3メートルサイズの熊だった。

額に角があって体毛が濃い緑色なのはこの際気にしないでおく。

その熊は顔をきょろきょろと動かし、鼻をひくつかせている。

何かを探しているのだろう。

もしかして、探しているのはさっきの女性か?

 

『その様じゃな。(未来)を見てみたのじゃが、あの人間、あと四半刻(30分)もせんうちに見つかり、食い殺されるぞ』

 

ちょぉっ!

 

いきなり恐ろしいこと言わんでくれ。

え? マジなの!?

 

『マジじゃ。して、どうする?』

 

コンが尋ねてくる。

何を? とは聞かない。

あの人間を助けに行くか、無視するかと言う事だ。

 

正直あの女性と俺たちの接点など何もなく、ここで千里眼を解いてしまえば、ニュースでどこぞの誰々が事故死したと聞いたくらいの感じで済むだろう。

外と関わる必要の無い世界にいるのだ。

外から干渉が無い限り、こちらからは関わらない方がベターだろう。

 

 

しかし……正直、無視するには気分が悪い。

本来なら無関係なこの女性と俺たちは、コンが見つけた事で縁を得た。

 

『袖振り合うも多生の縁』

 

縁があるなら、前世で関わりのある相手かもしれない。

そう思うと多少の情も湧く。

外と関わる必要が無くても、外と関わってはいけない理由は無い。

 

決めた。

あの人を助けるぞ…………コンがな!

 

ここで俺が助けるとか言えたら格好いいんだろうが、コンが助けるかどうか聞いてきたという事はそういう事だ。

コンは基本的に俺が出来る事には手を貸さない。

俺ではどうにもならない部分だけ助けてくれたり天の時を引き寄せてくれたりするのだ。

 

要するに今回は「あの人間を助けたいならタケルだけでは厳しいから儂が手を貸すぞ」と言ってくれているのだ。

コンには(俺の意向以外で)助ける理由が無いのでその気がなければそもそも聞かないからな。

 

『承知じゃ。任せよ』

 

俺の思考を読み取ったコンがそういうと「こ~~~ん」と甲高く鳴いた。

すると家の方から何か飛んでくる。

コンが憑依する事で強化された視力で見てみると、どうやら狐のお面の様だ。

具体的には「白狐」ではなく「天狐」の方な。

 

大して勢いがあった訳でもないので難なくキャッチする。

 

『念のためそれを憑けておれ』

 

ほーい。

ん? なんか「つける」のニュアンスが違わなかったか? まぁいいか。

 

とりあえず面をつけてみる。

凄いなこれ。

紐とか無いのにまるで吸い付くようにぴったりとくっついて落ちない。

そして付けているのを忘れそうなくらい軽くて、口元まで覆っているのに全く息苦しくない。

 

「それでは行くかの。そうそう念のため本名は名乗らんようにな」

 

ん? それは何でまた……あぁ、呪詛対策か。

異世界で何があるか分からないからな。

もっとも『尊(たける)』は忌み名じゃないから大丈夫だとは思うが用心に越したことは無いという事だろう。

 

じゃあ、なんて名乗ればいいかな。

 

「そうじゃのう。『禰宜(ねぎ)』とでも名乗っておけばよかろう」

 

禰宜とは神社において宮司を補佐する人の事だ。

俺自身は神職の資格持ってないんだが、神使であるコンの推薦を持ってこの役目に就いているので禰宜を名乗っても嘘にはならない。

 

なお、これはマヨイガ稲荷神社が立地及び立場的に特殊な神社である故の特例処置であることを一応記しておく。

ちなみに宮司はコンが兼任。

 

「さて、では行くかのぅ。今から行けば状況的に丁度良かろう。タケルよ、準備は良いな」

 

応。と言っても面をつけただけだが。

なお、俺が行っても何の役にも立てないのだが、コンは俺に憑いている関係上、あんまり俺から離れられない。

なので俺が行かないという選択肢はそもそも無い。

 

「せいっ!」

 

気合の入った掛け声と共にマヨイガの外へ飛び出す。

瞬時にトップスピードまで加速し、周りの景色が凄いスピードでぶっ飛んでいく。

 

そのまま一気に地面を蹴り、五百メートルくらいの高さまで大ジャンプ。

その落下の浮遊感を感じている間に空中で体勢を整えて猫のようにしなやかに着地。

着地の衝撃も体さばきと神通力で殺し、極自然体で立ち上がり前を見据える。

 

ほとんどコンがやってくれているとはいえ外から見たら武術の達人のごとき所業である。

これぞ神通力が一つ『神足通』。

まぁ、本来の『神足通』だと俺の魂にかかる負担が半端ないので大幅劣化バージョンだ。

コンだけが使うなら瞬間移動や高速飛行すらできる神通力なんだけどな。

 

それでも普段まずやる事のない体験に俺カッコイィ! 的な興奮を覚えているんだが、着地地点が熊もどきの目の前なので抑える事にする。

三メートル近い身長を持つ熊のような生物は非常に迫力があり、俺がまともに対峙すれば足が竦んで成すすべなく殺されてしまうだろう。

とはいえ『稲荷下げ』状態だと別段怖くも何ともないのだが。

 

そんな感じで割と余裕があるので隠れている女性の気配を探ってみる。

 

千里眼で見ていたからというのもあるが、野生生物以上に鋭敏なコンの感覚が女性の隠れている場所を容易に発見する。

 

少し離れた藪の中。

小さく蹲って息を殺しているのが分かる。

俺達にはまだ気づいてないようだ。

 

『タケルよ、この熊を喰いたいか?』

 

コンがそんな事を聞いてくる。

 

熊は全身食用に出来る上に旨味が強い。

半面、狩猟後に適切な処理をしないと臭みが強くなり、肉質まで変わってしまうそうだ。

ちなみに俺は喰った事が無い。

無論これは現世の熊の話であってこの熊もどきに当てはまるとは限らない訳だが。

 

これはあれか。

この熊もどきを狩るのと追い払うのとどっちがいい? と聞いてるわけか。

喰うなら狩る。 喰わないのなら狩らない。

危険排除などを理由に喰わずとも狩る事はあるが、今のコンの選択肢としてはこの二つだろう。

 

うーん……別に喰いたくはないかな。

 

『承知した。ならば、こうするかの』

 

そういうとコンは自身の『霊威』を解放する。

 

「ギャウン!!」

 

すると変な声を上げて目の前の熊もどきが気絶した。

コンの霊威を真っ向から受けて恐怖が許容量をオーバーしたのだろう。

 

正直俺も結構霊威に当てられているのだが、俺がコンに感じるのは恐怖では無く畏怖。

コンが味方である以上、むしろ精神が高揚するほどだ。

あと多少は慣れもある。

 

『さて、これで熊もしばらくは目を覚まさんじゃろう。今の内にそこの人間を助けるとするかの』

 

そういってコンは霊威を解放するのを止めた。

 

とりあえず女性が隠れている藪に近づくが、どうするべきだろうか。

ぶっちゃけ初対面な上に客観的に見ると俺の姿は動物の仮面をかぶった怪しげな男である。

服装も女性の来ている物とは様式が違う。

こんなのに来られても感じるのは安堵では無く恐怖じゃない?

天狐の面って割と怖いしさ。

 

「そこのお嬢さん。大丈夫ですか?」

 

声をかけてみたが返事は無い。

というか、そもそも普通に考えれば言葉が通じないんじゃないか?

 

とは言えほっとく訳にもいかない。

千里眼で見た時点で大きな怪我をしていたのだ。

下手をしなくても失血死しかねない。

 

反応も無いんじゃ止むを得ん。

無理やりにでも最低限止血くらいはしておかないと。

そう思って藪をかき分けたのだが……

 

「……おい、コン」

 

そこには千里眼で見た女性が気絶して倒れていた。

 

先ほどのコンの霊威に当てられたっぽい。

距離がそれなりに離れていたとはいえ弱った状態で霊威の余波を受けたのだ。

そりゃこうもなるだろ。

 

『タケルよ、この人間をマヨイガに運ぶぞ。ここでは十分な治療はできんし、気絶しておるから抵抗されることもないしの』

 

女性を気絶させてお持ち帰りとか……いや、流石にこの場合は緊急避難か。

なるべく女性に負担がかからないように抱えあげる。

もろに血が服に付くが仕方なし。

 

俺はあまり力の強い方ではないが、『稲荷下げ』状態なら素の筋力だけで片手で人ひとり持ち上げられる。

神通力を併用すれば大岩だって持ち上げれれるので意識が無いとはいえ女性一人抱えるくらい全く問題ない。

 

てか、この女性マヨイガに入れられるの?

マヨイガってマヨイガに認められた人しか入れなかった気がするんだが。

 

『稲荷神社の客人扱いでなら大丈夫じゃ』

 

大丈夫ならいいか。

 

そこからは早かった。

一応神通力で止血はしたが、あまり時間をかけては女性の体力が持たない可能性がある。

ちまちま森の中を走っては時間がかかるので来た時以上の速度で飛び上がり、ピンポイントで境界に着地。

そして一気にマヨイガに突入し、家の前で急停止。

普通ならもの凄い風圧や慣性が俺たちを襲うのだろうが、コンの神通力に守られているおかげで何ともない。

 

コンだけはその勢いのまま俺から飛び出し、人の姿へと変化して家の中へ入っていった。

コンはいろんな姿の人間に変化できるが、今回は小柄な童女形態だ。

体のサイズ的な意味で化けやすく、消費する陽の気も少ないそうなので普段化ける時はこの形態が多い。

 

ちなみに変化している時は肉体があり、物理的に触れることが出来る。

おそらく狐形態よりも人間形態の方がマヨイガの妖怪道具を使いやすいが故の変化だろう。

 

すぐにコンが敷物と壺とでっかい刷毛(はけ)を持ってきたので、敷物を縁側に敷いてもらい女性をその上にやさしく寝かせる。

コンが俺の中から出ていったにも関わらず『稲荷下げ』状態が解除されないのだが、もしやこの『天狐の面』の効果だろうか。

 

するとコンは壺の中身(多分薬だろう)を刷毛にこれでもかとつけ、女性の全身に塗りたく……ろうとして衣服が邪魔なことに気づき剥ぎ取り始めたので俺は後ろを向いておく。

『稲荷下げ』状態の鋭敏な感覚が、背後で裸にひん剥かれた女性にコンが薬を塗りたくっている様を捉えているが無視だ。

 

「これで応急処置は完了じゃな。すまぬが何か適当に食事を作ってはくれぬか? 血を増やさねばならんからの」

 

分かった、何か用意しよう。

 

マヨイガで手に入る食材で増血となると、ほうれん草と卵かな。

なら一品は卵スープにするか。

あとは御飯に……マヨイガにある物だけで俺が作れる料理ってあんまり無いぞ。

俺の料理スキルは基本的に一人暮らしの学生の域を出ていない。

まぁ、コンの好物である油揚げやら天ぷらやらは散々作らされたので相応の腕はあると思うが。

……野菜の天ぷらと焼きおにぎりにするか。

 

「天ぷらにするならみょうがも頼むぞ。マヨイガの畑に生えておるであろう」

 

みょうがの天ぷらか。美味いよな。

それは構わないが、コンってみょうが好きだっけ?

 

「好きか嫌いかで言えば好きじゃが、今回は別の理由じゃよ」

 

別の……ねぇ。まぁ、了解した。

 

とりあえず庭に出て妖怪鶏の巣から卵を拝借。

この妖怪鶏は『毎日卵を産む』という妖怪であり、普通の鶏の卵の他にも金銀宝石でできた卵や、何かしらが入った卵を産むことが出来る。

もっとも、今回欲しいのは普通の鶏の卵(無精卵)なので妖怪鶏に頼んで産んでもらった。

 

次に野菜を手に入れる為に畑を訪れる。

ここは畑自体が妖怪であり、種を蒔いておけばどんな作物も一晩で育つ。

流石に今からでは間に合わないので既に育っている作物の中から天ぷらに適したものを頂戴する。

 

畑の側にある原木から椎茸も確保。

卵スープ用にほうれん草とコンご希望のみょうがも忘れずに。

小袖の手が手伝ってくれたので早く終わって助かった。

 

そのまま蔵に寄って米と調味料と食用油の妖怪油壷を確保。

持ちきれなくなった分は妖怪竹籠に入れてやれば、竹籠からにゅっと足が生えてついてくる。

妖怪油壷の方は足は生えないが、ぴょんぴょんと跳ねながらついてくるので中の油がこぼれないか心配である。

 

台所につくと妖怪釜が既にスタンバっていた。

実は何度かマヨイガの台所を借りた事があるので使い方は分かっている。

妖怪釜に米を入れ、妖怪水瓶から妖怪柄杓を使ってすくった水で米を研ぐ。

本来であればその後に三十分ほど水を吸わせる工程があるのだが、妖怪釜の能力で一瞬である。

 

一度蓋をして開けてみればあら不思議。

あっという間にお米が炊くのに適した状態になっている。

 

蓋を戻して妖怪釜を妖怪(かまど)に乗せると、こんこんと妖怪火打石が自己アピールしてきたので火打石で火をつける。

流石は妖怪火打石。一発で薪が赤々と燃えあがり始めた。

ちなみに薪は妖怪ではないが、薪小屋が妖怪なのでマヨイガの薪が尽きることは無い。

 

「はじめちょろちょろ中ぱっぱ、じゅうじゅう吹いたら火を引いて、ひと握りのわら燃やし、赤子泣いてもふた取るな」

 

妖怪竈に(まじな)いを唱えると妖怪釜から蒸気が吹き上がり、あっという間に炊き上がる。

竈から火が消えると蒸らしまでもが終わっているという超簡単仕様。

流石はマヨイガの台所である。

 

さて、まずは醤油とゴマの焼きおにぎりから作りますか。

 

 

 

と、まぁ。

そんな感じで30分程度で食事は完成した。

途中で服に血の跡がべったりついている事を思い出したのだが、妖怪手拭いでさっと拭くとしみ込んで固まっていた血が嘘のように拭えたので良しとする。

 

今日のメニューはほうれん草入りの卵スープと各種野菜の天ぷら盛り合わせに焼きおにぎりだ。

ちなみにおにぎりは焼きのりと大小三つの三角形を組み合わせて狐の顔の形にしている。

 

それらを膳に乗せて広間の方へ持っていく。

実はつい先ほどコンから精神感応(所謂テレパシーの事)で女性が目を覚ましたとの報告があったのだ。

お腹を空かせているらしいので早く持って行ってあげねば。

 

とりあえず襖の前までは着いたのだが、客人がいるんだよな。

普段なら俺とコンしかいないのでそのまま入るところだが……ちゃんと作法に則って入るか。

 

とりあえず膳を下ろし、襖の少し前で正座する。

 

「失礼します」

 

そう一声かけてこちらの存在を中の者たちに伝える。

コンから「どうぞ」と返事があったので、引き手(襖の手をかけるところ)に手を掛け、少しだけ襖を開ける。

掛けた手を引き手から親骨(襖の枠のところ)にそって下ろし、自然に手が届く位置で中央まで開ける。

 

この時点ではまだ室内にいる者と視線を合わせてはいけない。

一呼吸置いた後に手を変えて残りを開けるが、完全に開けることはせずに少しだけ閉める時用の手がかりを残す。

 

会釈をし、膳を持って敷居を踏まないように中に入る。

 

……で、合ってるよな?

以前調べた限りでは問題ないと思うが、場所によって作法が異なったりする場合があるからなぁ。

コンも"人の作法"についてはあんまり詳しくないし。

 

まぁ、異世界で気にするような事でもないか。

それっぽく見えれば大丈夫だろう。

 

件の女性は入ってきた俺の方を見ると恐怖の表情を見せて小さく悲鳴を上げた。

何故に!? と思ったが俺は今、天狐の面をつけっぱなしである。

うん、この面普通に怖いよね。

 

「安心せよ。この者も儂同様宇迦之御魂(うかのみたま)様に仕えし者。誓ってお主に危害を加えるような事はない」

 

これは不味いと思ったのかコンのフォローが入る。

 

俺も面を取ろうとしたが、コンから待ったの声がかかった。

面は外すなとのこと。

コンのいうことだから何かあるのだろう。

 

とりあえず女性の前に膳を置いて会釈をする。

 

(しもうた。この者は箸で食事をとる文化が無いから戸惑っておるようじゃ。匙と突き匙、あと肉刀を持ってきてくれ)

 

精神感応でそんな事を言われた。

しまったな。どう見ても日本人ではないし想定すべきことだった。

 

すぐに取りに行こうと部屋を出ると、厨房の方からテトテトと歩いてきた小さな竹籠を発見する。

それはぴょんと跳ねて俺の手の中に納まると足が煙のように消えた。

中には赤い布が敷かれ、その上に(スプーン)突き匙(フォーク)肉刀(ナイフ)などが乗せられている。

どうやら気を利かせて持ってきてくれたらしい。

 

「ありがとう」と一言告げて軽く一撫でする。

「どういたしまして」と言われた気がした。

 

部屋に入り、膳の隣に食器の入った竹籠を置く。

その中を見た女性が少し驚いた顔をした。なんで?

 

(ああ、銀食器は高価じゃから驚いておるだけじゃよ)

 

あ、これ銀なんだ。

ステンレスかと思ってた。

 

「腹も空いておるじゃろう。遠慮せずに食べなされ」

 

コンがそう言うと女性は少し躊躇った様子を見せたが、すぐにフォークを手に取り食事を食べ始めた。

ってか、日本語通じるの?

 

(いや、全く別の言語じゃった。じゃから言葉に意味を伝える(まじな)いを乗せておる。所謂自動翻訳能力というやつじゃな)

 

なにその便利な能力!?

 

(さて、この者が食べ終わるまでに分かったことを伝えておこう)

 

もう何か分かったのか?

ついさっき目を覚ましたって精神観応があったばかりの筈だが。

 

(まずこの者は先ほど千里眼で見た村に住んでおるそうじゃ。森に来とった理由は身内の者が病に倒れた故、その病に効くと言われておる薬草を取りに来たようじゃ。最初は森の浅い部分を探しておったが見つからず、探す内に森の奥に迷い込んだ、と言ったところじゃよ)

 

へぇ、病気の家族のためにね。

それにしてもこんな短期間で良く聞き出せたな。

信用を得るどころか状況説明すら時間がかかっただろうに。

 

(聞き出しとらんよ。『宿命通』を使って覗いただけじゃ)

 

……まぁ、確かに合理的ではある。

宿命通とは神通力の一つであり、簡単に言えば過去を見る能力の事だ。

見える範囲には個人差があるが、コンの場合は過去世すら見通すことができる。

なお天狐にプライバシーという言葉は存在しない。

 

ちなみに俺たちの事はどこまで伝えた?

 

(ここが異界であり、儂らは宇迦之御魂(うかのみたま)様の使いというところまでじゃな。他の事については何も言っておらぬ。どうやらここを死者の国の入り口と勘違いしておるようじゃが)

 

え? じゃぁ、この人からすれば目覚めたら死者の国で、そこで誰とも知らない相手から差し出された料理を食べているってこと?

俺が言うのも何だが、ちょっと不用心じゃない?

死者の国の食べ物を食べたら現世に帰れなくなる話とかいろんな神話で聞くんだが。

 

(少なくとも覗いた限りではこの娘は聞いたことが無いようじゃの)

 

無いんだ……異世界ではそんなこと無いのかな。

 

(さて、単に聞いたことのないだけという事もありそうじゃがの。まぁ、ただの勘違いじゃ。問題なかろうて。食事も口に合ったようじゃしの)

 

それは朗報。

マヨイガの食材は非常に美味しいのだが、体質や食生活によって体が受け付けない味というものもある。

自分たちにとっては美味なご馳走でも、地域や国が変わればとても食べられたものではないという事は珍しくないのだ。

 

(む、式神が戻ってきたようじゃの)

 

女性がそろそろ食べ終えるかなといった頃、コンがそんな事を言った。

はて、コンに式神などいただろうか?

 

(こちらに来て人手が足りなくなる事もあると思っての。マヨイガに頼んで式となれる付喪神を紹介してもらっておったのじゃよ。具体的にはお主がその格好に着替えている間にの)

 

式神って紙で人型を作ってそれを変化させるもんだと思ってたんだが。

 

(そういうのもある。一口に式神といっても色々種類があるんじゃよ)

 

へぇ、ちなみに何の付喪神?

 

(狐の面じゃ。八匹ほど雇用した。お主が憑けている面もその一匹じゃ。儂と繋がりがあるから儂が離れても憑依状態のままになっておるじゃろ)

 

あぁ、それで狐憑き状態のままなのね。

 

コンの言葉に納得していると、一匹の狐が縁側から入ってきた。

その狐は顔に白狐の面をしており、二足歩行でてくてくと歩いてきた事からコンの式神で間違いないだろ。

手には何かの植物がいっぱいに入った籠を持っている。

 

「ご苦労じゃ」

 

そう言ってコンが籠を受け取ると、式神は床に手をついて四足歩行に戻る。

そのタイミングで女性がコンの方を向いたので狐が二足歩行していた事は見ていなかっただろうが、見ていたらどんな反応をしていただろうか。

案外異世界では珍しくなかったりしてな。

 

「ほれ、これが必要なのじゃろ」

 

コンは受け取った籠をそのまま女性の前へ置くと言葉を続ける。

 

「帰りはこやつに案内させよう。それを持って早く帰りなされ」

 

女性は驚いたような顔をすると両手を胸に当てて頭を下げる。

そして聞いたことのない言葉でコンに何かを言っていた。

何してんだ?

 

(礼を言っておるのじゃよ。この者にとって最も礼を尽くす作法での)

 

あぁ、って事はその籠の中身は女性が探していた薬草か。

頭を下げるのは異世界でも同じなんだな。

 

(少なくともこの者の国では両手を胸に当てるのが感謝を表す仕草で、頭を下げる角度でその度合いを表すそうじゃよ。ちなみに頭の後ろで両手を組むのが謝罪で、片手を胸に当てるのが挨拶じゃ)

 

へぇ……ってそんな所まで覗いたのかよ。

 

(よく使うものくらいは異世界の作法を知っておかねば面倒ごとになりかねんからの)

 

確かに同じ動作でも国によって意味が違うなんて話はいくらでもあるもんな。

異世界ならなおのことか。

 

それから俺たちはマヨイガの境界で女性を見送った。

境界の先は森の出口──森の内と外を分ける境界──に繋いでいるので迷うことはないだろう。

コンの式神が先導しているしな。

 

ところでコン、あの時の『みょうが』は何だったんだ?

天ぷらにして女性が食べたのは確認したが。

 

「あぁ、あれか。なに、あの者にはマヨイガでの事を忘れてもらおうと思っての」

 

え? みょうがで?

 

「みょうがでじゃ。お主、『みょうがを食べると物忘れする』という迷信は知っておるか?」

 

そう言えば小さい頃に聞いたことがある気がする。

 

「実際にみょうがにそんな効果は無いが、そのような言い伝えが存在するという事が重要じゃ。みょうがを食べるという行為を儀式に見立てることで忘却の(まじな)いを掛けやすくしたのじゃよ。儂らの間ではこれを『伝承効果』と呼んでおる」

 

忘却の呪いなんていつの間に……

 

「ここを出る前にマヨイガを介して掛けておいたのじゃよ。変にマヨイガの話が出回ると面倒なことが起きかねんからの。儂らにとってもあの者にとってもな」

 

……なんとなく分かる気がする。

まぁ、これで一件落着って事でいいのかな。

 

「良かろうて。そろそろ日も暮れてこよう。何かあるとしても早くて明日以降じゃな」

 

微妙に不安の残る言い回しなんだが……

 

「もしかするともしかするやもと思うことが無いでは無いが、そうであったとして何ら問題はない。その辺は夕餉を食べながら話すとしよう」

 

そういえば腹減ってきたな。

しっかりと食べて英気を養うとするか。

 

「人助けした後の食事は格別じゃよ」

 

俺は何にもしてない気がするがな。

 

そんなこんなで異世界一日目は過ぎていくのだった。

 

 

 

 

 

それからしばらくして────マヨイガに新たな訪問者が現れる事になる。

 

 




補足・コンのセリフのうち、
「」は化けていて肉体がある為、全員に聞こえるセリフです。
『』は霊体で話している為、ある程度霊感がある者にしか聞こえません。
()は精神感応で言ったセリフなので尊にしか聞こえていません。


『袖振り合うも多生の縁』
道で袖が触れ合うようなささいな事でも、前世からの因縁によるものだという意味。
この場合の前世とは一つ前の生だけでなく、過去に輪廻転生した全ての生の事。

さて、前世で二人の間に何があったんでしょうかね。
前世を覗いたコンだけは知っているようですが、特に話す気は無さそうです。


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File No.01-2 異世界の女性 ルアの記憶

本日三話目の投稿です。
前話を見ていない方はご注意ください。

ストックは此処までなので次話以降は亀更新になると思いますが、拙作を頭の片隅にでも残しておいていただけたら幸いです。


気が付くと私は知らない場所にいました。

 

どこかの建物の中のようでしたが、私には見たこともないものばかり。

何かの植物で編んだと思われる床、何の素材で作られているのかも分からない白い壁、紙のように見える何かが張られた扉らしきもの。

もしやどこかの貴族様のお屋敷だったりするのでしょうか。

 

そもそも私はなんでここにいるのでしょう。

 

確か私は家族の病を治す為に薬草を取りに来て……そうです、オオツノクマに襲われたんです。

薬草がなかなか見つからず、知らないうちにオオツノクマの縄張りに入り込んでいたのでした。

それから怪我をしながらも必死に逃げて、それでも逃げ切れなくて、茂みに身を潜めてオオツノクマに見つからないことを祈っていたら──

 

思い出せたのはそこまででした。

 

もしや私はオオツノクマに殺されてしまい、ここは死後の世界なのでしょうか。

よく見れば服には破れたところが無数にあるのに肌には傷一つありません。

逃げているときについた傷さえも無いのです。

 

死後の世界では魂が生前の姿かたちをとり、死に際に持っていたものを持っていくと言われています。

そう考えるとしっくりくるものがあります。

 

そうですか、私は死んで──

 

「お、目が覚めたようじゃの」

 

っ!!

 

突然後ろから掛けられた声に私の心臓が跳ね上がります。

慌ててそちらの方を向くと、見たこともない服を着た10歳くらいの童女が膝を揃えて畳むという不思議な座り方で床に敷いた敷物の上に座っていました。

 

「あ、貴方は……」

 

「儂か? 儂は宇迦之御魂(うかのみたま)様に仕える、まぁ、神官じゃな」

 

神官様なのですか? このような幼き娘が。

 

うかのみたま様というのがお仕えする神様の名前のようですが、とんと聞いたことがありません。

もっとも学のない私が数多おられる神々をすべて知っている訳がありません。

きっと私の知らない神様の一柱なのでしょう。

 

「そうそう、其方腹は空いてはおらぬか?」

 

その一言に、私のお腹がぐ~と鳴りました。

 

「今、禰宜(ねぎ)が食事の用意をしておる。しばし待っておれ」

 

そういえば昼食も取らずに長い間森を彷徨っていたのでした。

なので意識を向けたとたんそれを自覚するのは仕方のないことですが、ちょっと恥ずかしいです。

 

「あの……ここは何処なのでしょうか」

 

恥ずかしさを紛らわせるように神官様にそう聞きます。

 

「ここはマヨイガ。現世(うつしよ)に寄り添う隠れ里。ヒトならざる者の住む世界じゃ」

 

よくわかりませんでした。

 

それでも何とか理解できたのはここが人ではない者が住む場所というところ。

私の目の前にいる童女も人ではなかったりするのでしょうか。

 

そう言えば死んで神様のもとへ行く前に生前の功罪を量る場所があると聞きます。

そこには天の国の使いや地獄の悪魔がいて、死んだ者の功罪に相応しい場所に連れて行くのだとか。

もしやここがそうなのでは?

 

やっぱり私は死んで──

 

私は神の御許へ行けるのでしょうか。

積極的に善行を積んだとは言えないまでも、人に恥じることは無い生き方をしてきたつもりです。

少なくともこの神官様は地獄の悪魔には見えませんし、神様に仕えていると言っていました。

大丈夫……な筈です。

 

あ、でも、神様の御使いに無礼を働いて天の国へ連れて行ってもらえなかった御伽噺を聞いたことがあります。

知らず知らずのうちに無礼を働いてしまうことが無いようにしないと。

 

「……こちらの用意が出来次第、其方を人の世に戻そう。それまで寛いでおくがよい」

 

そ、それは私は生き返れるって事ですか?

半分諦めかけていましたが、まだ死にたくは無いのです。

 

その時、紙張りの扉らしき方から聞いたことのない言葉が聞こえてきました。

神官様が「どうぞ」と声をかけると、その扉が横に動きます。

あ、あの扉、横に(そうやって)開くのですか!?

 

そしてその中から現れた人物に私は怖気を抱いてしまいました。

だってその人物は恐ろしい獣の顔をしていたのですから。

悲鳴までは漏れていないと信じたいです。

 

「安心せよ。この者も儂同様宇迦之御魂(うかのみたま)様に仕えし者。誓ってお主に危害を加えるような事はない」

 

それに気づいたのか神官様が安心させるようにそう言いました。

この方も神様の御使いだったのですね。

うぅ、無礼だと思われていなければいいのですが。

 

すると獣の顔の方は私の前に何かの乗った台を置き、小さく頭を下げました。

あ、この方、獣の顔なのではなくお面を着けているのですね。

 

置かれた台の方からは何やら良いにおいが漂ってきており、私のお腹が再びぐ~と鳴りました。

見たこともないものばかりですが、食べ物……ですよね。

神官様が先ほど食事の用意をしているとおっしゃっていましたし、食べても良いのですよね。

 

しかしそこに食器は無く、何に使うのか分からない木製の棒が二本あるだけです。

これで突き刺して食べるのでしょうか? 

もしくは直接手掴みで食べるのでしょうか?

できたてて熱そうではありますが、(さわ)れなくはないと思います。

ですがこの二本の棒が何かの食器で、それを無視して手掴みで食べると無作法と思われたりしないでしょうか。

 

私が迷っていると、獣面の方がスプーンやフォークの入った籠を持ってきてくださいました。

ありがとうございます。助かります。

 

とりあえずフォークを手に取ろうとしてよく見ると、籠の中の食器すべてが光沢のある銀色をしていました。

もしやこの食器全部銀で出来ているのですか?

こんなもの私なんかが使っていいんでしょうか。

 

「腹も空いておるじゃろう。遠慮せずに食べなされ」

 

神官様の御許しが出たので恐るおそるフォークを手に取り、目の前の丸い物体に突き刺しました。

正直見たこともない料理に躊躇いもありましたが意を決して口に運びます。

 

まず感じたのはサクッとした食感と香ばしい油の風味。

その中から現れたのは程よい弾力を持った凝縮された旨味。

多分キノコだろうとは思うのですが、これほど美味しいキノコは食べたことがありません。

噛めば噛むほど味が広がり、舌を喜ばせます。

 

次は穀物を三角形に固めて焼いたとものと思われる料理に手を付けます。

すいぶんと茶色っぽいですが焦げているわけではないんですよね?

それを一口サイズに切り分けて口に運びます。

 

その瞬間塩気と旨味、そしてほんの少しの甘みをもった表面と、柔らかくふわっとした淡白な味の中身が混じり合うことで一つのご馳走が生まれました。

味の濃い表面と味の薄い中身。

口の中で一つになることを前提として味付けられたそれらは、見事な調和で口の中を幸で満たしてくれます。

 

底の深いコップのような形をした皿に入れられたスープも絶品でした。

高価な卵がふんだんに使われたそれは、甘みの強い透き通った野菜と小さめに切られた葉野菜がたっぷりと入っていて、それぞれが自分の味を主張しながらも他の味を邪魔しないという奇跡のような一品となっています。

 

このマヨイガなる場所で目覚め、私が死んだことを自覚した時には絶望したものです。

ですがこんな天上のごとき食事をすることができて、しかも生き返ることができるみたいです。

人生何があるかわかりませんね。

 

そして私は目の前の料理が無くなるまで、手を止めることなく食べ続けたのでした。

 

「ご苦労じゃ」

 

私がちょうど食事を終えた時、神官様がそう言われました。

 

何事かと思ってそちらを向くと、お面をした動物──ミシロキツネでしょうか──から籠を受け取っていたところでした。

 

あれは見覚えがあります。

私が森に入る時に持ってきた籠です。

オオツノクマに襲われた時に手放し、失くしてしまったものです。

 

「ほれ、これが必要なのじゃろ」

 

神官様はそういうと私の前に籠を置きます。

その中には籠一杯に薬草がはいっていました。

 

私はそれが何か知っています。

流行り病に効く、私が探していた薬草です。

私が見つけることが出来なかった薬草です。

 

「帰りはこやつに案内させよう。それを持って早く帰りなされ」

 

気が付くと私は最上の礼をもって答えていました。

これだけあれば家族だけでなく村のみんなが助かるかもしれません。

 

「ありがとうございます……ありがとうございます……」

 

お礼の言葉を繰り返す私に、神官様は優しく微笑んでいました。

 

 

 

マヨイガなる場所にお(いとま)させていただき、私は無事に森の入り口まで帰ってくることが出来ました。

振り返るとつい先ほどまで歩いてきた道はありません。

森の奥に続く道だけが伸びています。

まるで全てが夢の中だったかのように。

 

神官様に聞くことはできませんでしたが、やはり一度命を失ってたどり着いた神の国との境だったのでしょう。

夢では無い証拠に、私の手には薬草の詰まった籠が握られています。

私は神官様の顔を思い出し、何度目になるか分からない感謝の言葉を────

 

 

 

こ~~~ん!!

 

 

 

────何かの動物の鳴き声に、私は意識を覚醒させました。

 

えっと、私は何をしていたんでしたっけ。

 

そうです、流行り病に効く薬草を取りに行くんでした。

ちゃんと籠も持って……

 

「え?」

 

籠の中を見たとき、私は間抜けな声を上げました。

だってそこには探そうとしていた薬草がいっぱいに入っていたのですから。

 

空を見上げると日は既に傾き、もうすぐ沈み始める事でしょう。

私が家を出た時はまだ朝だった筈です。

 

それに衣服にも枝などを引っ掛けたであろう破れがいくつも見られます。

特に左袖は大きく破れ、もはや袖ですらありません。

幸いにして肌には傷一つ無いようでしたが。

 

それに村の猟師さんの話ではこの薬草はあまり数が取れないと聞いていました。

今の状況を鑑みると多分自分で取ってきた……のですよね?

もしや群生地でも見つけたのでしょうか。

全く覚えていないのですが……

 

まるで妖精につままれた気分ですが、私の手元に薬草があるのは確かです。

今するべきことは早く村に帰って薬を作ることです。

私は籠の中身をこぼさないように気を付けながら、村までの道を走っていきました。

 

 

 

 

 

こ~~~ん!!

 

 




彼女の口にした食事はマヨイガの道具や食材により尊の調理技術を大きく上回る美食になっています。
マヨイガブースト無しだと「あ、おいしい」くらいの感想でした。


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File No.02-1 『触らぬ神に祟りなし』

異世界に来てからそれなりの日数が経過した日の昼。

昼食を終えた俺たちは、妖札(あやふだ)というカードゲームで遊んでいた。

 

これは1~9までの数字と五行の属性が書かれた45枚のカードに「(ぎょく)」のカードを加えた46枚を一組として裏面の異なる二組の束を使った遊びで、一時期コンたちの間で流行っていたらしい。

言ってしまえば要は変則トランプだ。

 

今回のルールはシンプルに神経衰弱。

ただし属性と数の両方を揃えるルールでやっているので覚えるのが大変なのだが。

 

「これと……火の5は確かこれじゃったな──ん?」

 

コンが12セット目のカードを当てたところで、何かに気付いたように外を向いた。

 

「どうした?」

 

「来客のようじゃ。念のため面を付けておれ」

 

そういうと近くに座っていた式神が煙とともに天狐の面に姿を変える。

それを付けると俺はコンの式神の繋がりを通して狐憑き状態になった。

 

「以前言ったと思うが再度言っておく。この()()の相手は儂に任せておれ。必要に応じて指示は出す」

 

そう言われて先日の会話を思い出す。

 

 

 

 

 

「あの村で祀られている神様が来るかもしれない?」

 

「うむ、かの村の者に関わった故な。(まじな)いによって忘れさせたとはいえ、記憶を消した訳ではない。神に連なるものならそこからマヨイガの存在に気付くことも出来よう」

 

「神様ってそんな一人ひとりに気にかけているようなものなのか?」

 

「神によるとしか言えぬが、土地神くらいじゃとそれなりにおるよ」

 

土地神というのは簡単にいうと村等の守護神の事だ。

土地によっては大国主様のような超大物だったりもするが、コン曰くあの村の土地神様はそうではないらしい。

神格はともかく霊威で言えばコンの方が上とのこと。

 

「もしかするとそういう事もあるかもというだけの話じゃ。よほど人を好いておる神でもなければ態々出張っては来んじゃろ」

 

「そんなもんなのか?」

 

「異世界故絶対とは言えぬが、『触らぬ神に祟りなし』は何も人間だけに当てはまるものでは無いのじゃよ。まぁ、もし来た場合は儂が対応する故安心せよ」

 

 

 

 

 

そんなことを言っていたな。

よほど人が好きな神様なのだろうか。

 

応接間に移動したコンの側へ控え、件の神様を待つ。

程なくして式神に案内された女性が入ってきた。

 

人で言えば十五・六くらいの見た目であろうか。

輝くような銀髪と透き通るように白い肌。

血のように赤い両の瞳。

儚ない見た目と裏腹に力強い神威を纏っており、黒を基調とした装いと相まってその美しさを引き立てている。

 

(蛇──それも白蛇の神格化した神じゃな)

 

その正体を看破したコンが精神観応で伝えてくる。

白蛇なのか。

 

女性はコンと座卓を挟んで反対側の座布団へ座った。

あ、正座してる。

 

「はじめまして。私はフェルドナ。ラクル村の神よ」

 

先に口を開いたのは相手の方だった。

 

フェルドナ神というのか。

流暢な日本語で話しているが、そう聞こえているだけで実際に日本語を話している訳ではない。

 

「紹介痛み入る。儂は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が使いの天狐。主の不在にて儂がお相手させていただくことをお許しくだされ」

 

そう言ってコンはこちらの方を向く。

 

「この者は同じく宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)に仕える禰宜(ねぎ)

 

禰宜(ねぎ)にございます」

 

そう言って頭を下げる。

 

「さて、本日はどのようなご用件で御座いますかな?」

 

「二つほどあるわ。一つ目は先日ここ(マヨイガ)で世話になった人間の娘がいたでしょ」

 

「ええ。死に至りかねない怪我を負っていました故、傷を癒すために招かせていただきました。余計な騒動を避けるためにこの事は忘れていただきましたが」

 

(さて、どう出るかの? 他の神に連なる者が庇護下の者に勝手に干渉したことを咎めるか。それとも……他心通を防がれておるのが面倒じゃ)

 

『他心通』とは他人の心を読む神通力だ。

思考を読むのとは違い、言葉に出来ない気持ちや本人も気付いていない心の動きも読むことが出来る。

 

神通力は文字通り神の力なので同じ神の力を持つ者なら防げなくも無いのだ。

てかコン、神様相手でも『他心通』使うのね。

 

(神同士の会話じゃとお互いに他心通を使うことは珍しくないぞ。その方が誤解無く伝わるしの)

 

そうなんだ。

 

(フェルドナ神は他心通を使って来ぬな。使わぬのか使えぬのか、どちらじゃろうか)

 

「感謝するわ。我が子を助けてくれてありがとう」

 

そう言ってフェルドナ神は両手を胸に当てる。

異世界の感謝を表す仕草だ。

 

ちなみにここでいう『我が子』とは自分の庇護下にある人たちの事を指す言葉であって別にあの女性がフェルドナ神の娘という訳ではない。

コン曰く神様の間でよく使う言い回しだそうだ。

 

「それで二つ目なんだけど、貴方達が我が子に持たせた薬草、まだあるかしら?」

 

「常備している物ではありませぬ故に手元には御座いません。一刻(2時間)ほど頂ければ同じだけご用意できますがいかがなさいますか?」

 

「お願いするわ。それまで待たせてもらっても?」

 

「差し支えございません。しかしながらあれでは足りませんでしたか。十分な量をご用意できたと思っていたのですが」

 

「……今までだったら十分全員に行き渡る量だったわ。でも、今回は薬草が効きにくい人が出ちゃって足りなくなっちゃったの」

 

「左様でございますか」

 

 

 

そんなやり取りの後、俺たちは部屋を出て行った。

 

「何度聞いてもコンの口調の違和感が凄い」

 

別の部屋に入り、ようやく緊張を切らすことが出来た俺はそんな事を口にした。

お稲荷様の前でもあんな感じなので聞くのは初めてではないが、滅多にある訳でもないしな。

 

「神格としてはあちらが上じゃからの。それに宇迦之御魂神の使いを名乗った以上、その尊名を貶める態度は取れんよ」

 

式神にテキパキと指示を出しながらコンが答える。

 

神ではないコンの神格は無いに等しい。

そのコンから見ればほぼすべての神は目上になる。

 

実力の高さを表す霊威(神の場合は神威と呼ばれる)でいえばコンは神を含めても結構上の方なのだが。

なにげにコンって超がつくエリートなのだ。

 

「しかし、()()()()()()()()()()()()()か。耐性菌が生まれておる危険性があるのぅ」

 

コンが用意した薬草は先日の女性の過去から推測した必要量の5割増しだったそうだ。

薬草が足りずに十分な量を投与できなかったとは考え辛い。

ならば薬草の成分が効きにくい菌が生まれた可能性は高いだろう。

 

「であれば薬草単独ではもう効かぬ恐れがあるが、呪術と組み合わせれば有効な筈じゃ」

 

ちなみにコンは嗜好として伝統的な道具を好むが、現代の機械も普通に使う。

以前から俺が寝ている間の暇つぶしに俺のパソコンを使っていた事が結構あった。

耐性菌の知識もそれで仕入れてきたらしい。

 

「あとは式神が戻って来てからじゃな」

 

一通り指示が終わったようで、残っていた式神から白湯を受け取るコン。

俺の分も用意してくれたようなのでありがたくいただく。

うん、あったかい。

 

「してタケルよ。なんぞフェルドナ神より欲しいものはあるか?」

 

ん? なんの話?

 

「ほれ、此度フェルドナ神より頼まれて薬草を用意したじゃろ。その見返りに何を要求したものかと思っての」

 

「んーーーー、別に無いかな。タダであげるのは駄目なんだっけ?」

 

「駄目じゃな。お互いに良いことが無いからの」

 

以前助けた女性のように人にあげるなら問題は少ない(それでも念のためその事を忘れさせている)のだが、相手が神となるとそうもいかない。

 

理由は長くなるので省くが、フェルドナ神が稲荷神の眷属として取り込まれる恐れがあるのだ。

フェルドナ神が下手を打った場合、稲荷神ではなくコンの眷属として(くく)られる場合もある。

 

相手側もそれは不本意だろうし、こちらも余計な手間を増やしたくはない。

なので対価を取ることで、あくまで正当な取引によってフェルドナ神の頼みを聞いた形にする。

 

「白蛇じゃし、抜け殻でも要求するかの」

 

その際、頼みと対価のバランスを合わせる必要はない。

良くも悪くも物的価値の差はお互いの価値観の差という名目で無視できてしまうからだ。

 

「そういえばフェルドナ神は何の白蛇なんだ?」

 

白蛇というのは色素遺伝子が欠損している所謂「アルビノ」の蛇の事であり、白蛇という種類の蛇がいる訳ではない。

もっとも異世界だから種としての白蛇もいるかもしれないが。

 

「うーむ。現世の蛇と同じとは限らぬが、近いのはおそらく『ヒバカリ』かのぅ」

 

ヒバカリか。

 

水辺を好む蛇で泳ぎが上手い。

『噛まれたらその日ばかりの命』と恐れられたほどの猛毒を持つ蛇──と思われていたが、実際には無毒である。

まぁ、好奇心で聞いてみただけなんだが。

 

 

 

そして2時間後。

 

集まった薬草にコンが呪術を掛け終えたので、それを持ってフェルドナ神のいる応接間に戻ってきた。

 

外からコンが声をかけ、返事が返ってきたのを確認してから襖を開ける。

そこには部屋を出た時と同じ位置にフェルドナ神が座っていた。

あ、座り方が胡坐になってる。

 

そして式神がお茶うけに持って行った茶菓子が無くなっている。

確かヨモギ団子と饅頭と羊羹だったか。

結構な量あった筈なんだが、気に入ってもらえたようで何より。

 

「おまたせいたしました。ご所望の品、揃いましてございます」

 

コンの言葉と共に俺が籠に入った薬草を差し出す。

 

「勝手かとは存じますが、病に効く(まじな)いを込めさせていただきました」

 

フェルドナ神は薬草を一枚取り出すと、何かに納得したように頷いた。

 

「期待以上の物ね。ご褒美は何がいいかしら? 財産? 幸運? それとも……」

 

ここでようやく対価についての言及が来た。

 

なるほど、()()ときたか。

確かにコンは神格ではフェルドナ神に劣る。

しかしお稲荷様の使いの天狐のコン相手であれば、『褒美』では筋を違える。

コンにではなくお稲荷様に対しての無礼となるのだ。

(この場合はお稲荷様に対価を渡し、それをそのままお稲荷様がコンに褒美として渡すのが筋目)

 

だが、いち霊狐(肉体を持たない狐のこと)のコン相手であれば『褒美』でも無礼とは言えない。

 

つまりフェルドナ神は「この取引はあくまでフェルドナ神が霊狐コンに持ち掛けたもので、お稲荷様とは関係のない事柄ですよ」と言っている訳か。

フェルドナ神がお稲荷様を侮っているのでなければだが。

 

(流石に侮ってはおらんじゃろう。不在とはいえ、稲荷神社に溜まる神気に気付かぬほど愚鈍とは思えぬ)

 

それもそうか。

 

「では、お召し物を一枚頂きたく存じます」

 

動物から神様となった場合、着ている物は基本的に体の一部が変化したものだ。

体毛や鱗である場合が多いが、蛇の場合は脱げば抜け殻となるのだそうだ。

 

「これでいいのね?」

 

フェルドナ神が外套を一枚脱ぎ、綺麗に畳んでからコンに手渡す。

 

「ありがとうございます」

 

それをコンは(うやうや)しく受け取った。

 

 

 

 

そしてフェルドナ神が帰った後、ようやく緊張の解けた俺は畳の上に倒れ伏していた。

フェルドナ神は読心をしてこなかったようなので、心の中ではなるべく何時もの調子を保つことで精神的疲労を逸らしていたが流石に限度がある。

 

俺の役目は無いようなものだったが、コンが俺に憑いている関係上、俺が側にいないと無礼に取られる場合があるのだそうだ。

ほとんど何もしなかったのは、余計な事をして相手を不快にさせないか戦々恐々としていたが故の事。

コンが憑いているとは言え、俺自身は単なる小市民なのである。

 

「お疲れ様じゃ。じゃが良い経験になったじゃろ。今後も異世界の神と関わる事があろうて。その予行練習だと思っておけばよかろう」

 

できればもう無いことを祈りたい。

 

「いざという時は儂が助ける故安心せよ。伊達に天狐まで上り詰めてはおらんわい」

 

あくまで神格が低いだけで地位も実力もコンはものすごく高いのだ。

俺が多少失態をおかした程度ならどうにでも出来てしまう。

 

「その時は頼む」

 

「任せよ」

 

コンはそう力強く答えたのだった。

 

 

 

「さて、フェルドナ神も帰った事じゃし、妖札の続きをやるぞ」

 

そういえばやり掛けだったな。

……2時間以上前の札の配置なんか覚えてないぞ。

 

案の定コンに大差をつけられて負けたのだった。

 

 

 

後日、フェルドナ神は律儀にも籠を返しに来た。

病に倒れた村人は全員快方に向かっているそうだ。

 

めでたしめでたし。

 




妖札は創作です。


『触らぬ神に祟りなし』
関わり合いにならなければ、余計な厄介事を受けることは無いという意味。

タケルもフェルドナ神もお互いに触っちゃいましたが、『義を見てせざるは勇無きなり』という言葉もありますしね。


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File No.02-2 ラクル村の神 フェルドナの記憶

一部前話と異なるセリフがありますが、コンの(まじな)いでファルドナ神に理解しやすいよう変換されているためです。


その日私はようやく我が子が神隠しに遭った場所を突き止めた。

神隠しに遭ったといっても精々2時間もしない内に戻ってきているのだけど、一度我が子との繋がりが絶たれた時には悲嘆したわ。

 

あの森は深いところではベテランの猟師ですら危険な生物が生息している。

まして森に関しては素人同然の娘なら出会った時点で殺されても不思議じゃない。

 

そんな我が子が何故森に入ったのかと言えば、家族が流行り病に罹ったから。

本来であれば森に慣れたものが採りに行くべきなんでしょうけど流行り病に患った人数が多すぎた。

 

森の浅い部分に生えている薬草は採りつくされ、手に入れるにはどうしても危険な深い場所に足を踏み入れる必要がある。

そして危険を冒して薬草を持ち帰っている以上、その薬草が渡るのは採ってきた者の縁者か、希少な薬草を買い取れるような財を持つ者が優先される。

 

そもそもその薬草は量が採れる物じゃない。

量も足りず、譲ってもらえる宛てもなく、だったら自分で採りに行くしかない。

我が子はそう考えたし、我が子が持ち帰った大量の薬草が無ければ他の我が子達も同じように考えて森に入った筈だ。

 

その内何人が帰らぬことになっていただろうか。

でも我が子は帰ってきてくれた。

 

喜ばしい事ではあるんだけれど、いくつも奇妙な点がある。

第一に我が子がどうやって薬草を手に入れたのか覚えていないこと。

第二に一度私との繋がりが途切れ、別の場所から現れたこと。

第三に衣服がボロボロになっていながら、肌には傷一つなかった事こと。

 

そこから考えられるのは、他の神が関わっている可能性が高いということ。

一度繋がりが途切れたのは私の力の届かないところへ行ったから。

2時間で帰ってきている事を考えると、攫われたのではなく迷い込んだ可能性が高いわね。

 

服の損傷具合から考えると、それ相応に怪我もしていたはず。

それが傷一つ無い状態で帰って来たということはその神が癒したということ。

最低でも短時間で跡も残さず治癒できるほどの実力はある。

 

あれほどの薬草を我が子が一人で集めたというのは考えづらいから、これもその神が持たせたのでしょう。

備蓄があったにせよ集めてきたにせよ、あの森の深い部分を領域にしている可能性が高い。

 

我が子は代価となるような物を持っていなかったはずだから無償で譲られたと考える事もできるけど、それは流石に楽観がすぎる。

考えられる対価は知識、労働、そして我が子自身。

 

一介の村娘である我が子にそれほどの知識がある訳じゃない。

労働力にしてもあれだけの薬草を集められる神が、村娘が2時間で出来る程度の働きを欲しがるとは考えづらい。

ただ、人型ではない神が人の手を欲したという可能性もなくはない。

我が子自身については別に依り代や眷属にされたような跡もなく、体の一部を捧げさせられた訳でもなさそうだ。

可能性としては色事という線もありえるわね。

 

とにかくそのいずれかはその神にとって対価になる程度には価値があるということ。

そう考えるとその為に攫われたけど役目を終えたので解放されたというパターンもあり得るわ。

それを我が子が覚えていないということは、その神がなにかしらしたのでしょう。

 

何か後ろ暗いことがあった?

それにしては我が子が無事に戻ってきた事が気になる。

それならば態々森の入り口に近い場所に返す必要はないはずよね。

 

余計な話が広まるのを嫌がった?

そちらの方が可能性が高いわね。

この話が広がり、自身の周りが騒がしくなるのを嫌った。

 

そう考えるとその神のタイプも見えてくる。

信仰や名声を望むタイプではない。

性質は比較的温厚。

少なくとも領域に入った程度で罰したり理不尽な要求を突き付けるほど器量が狭いという事はない。

 

対価の有無は不明だけど、我が子が望む物を授けている。

人を無下にはしていないという事だ。

 

 

これ以上は情報が足りないわね。

 

出来れば放っておきたい懸案なんだけど、そうもいかなくなった。

薬草が足りなくなったのだ。

 

最初は問題なかった。

流行り病に罹った我が子達に薬草を煎じ、薬を調合して飲ませれば症状は改善されていた。

雲行きが怪しくなったのは比較的治りが遅かった我が子達の病が悪化し始めた時だ。

この流行り病には殊更効果があると言われていたこの希少な薬草でも症状が改善されない我が子達が出てきたのだ。

全く効果が無くなった訳ではないのか、薬の量を増やすことで症状の進行を遅らせることはできる。

後は何とか症状を抑えてる間に体が病に打ち勝つことを期待するしかなかった。

しかしそれをするには薬草が足りない。

 

病が悪化し始めた我が子の数は日に日に増えていった。

どう考えても、追加の薬草が必要だ。

出来ればあの日我が子が持ち帰ったくらいの量が欲しい。

 

私の加護では生命力を増やして病に抗う手助けをすることはできても病そのものを祓うことはできない。

私は病に苦しむ我が子達に加護を与える合間を縫ってあの日我が子に薬草を与えた神の居場所を探した。

森の奥は私の領域の外でおいそれと入ることはできないけれど、我が子が戻ってきたのは森の入り口だった。

そこなら何とか私の力が届く。

 

我が子の縁を頼りに探すこと三日。

今日になってようやくその神がいると思わしき異界を見つけることが出来た。

境界の先にあるそれは一つの生き物のような気配を漂わせていて、まるで入ってきた獲物を飲み込まんとする魔物のようだ。

 

正直帰りたくなったのだけど、我が子達を助けるためにはその神に薬草を分けてもらうのが一番確実だった。

勇気を振り絞り、意を決して境界を抜ける。

 

途中に侵入者を拒む結界のようなものがあったが、私が拒まれるような事はなくするりと抜けることが出来た。

まるで私を待っていたかのように。

一瞬、我が子に薬草を与えたのは私を釣りだす為だったのではないかなんて妄想に駆られたけど、どのみち既に帰るという選択肢はないのだ。

それに私のような木っ端な神を釣りだして何の得があるのだと、嫌な妄想を否定する。

 

そして私は異界に足を踏み入れた。

 

 

──即行で後悔したわ。

 

なによこの神気!

私のような零細の土地神はおろか神々の集まりに参加した時に見た主神クラスの神殿にも劣らない濃密な神の力。

 

幸いその神気は特に指向性はないらしく、私に害を及ぼすような事はなかったけど、正直力の大きさだけで心が折れそうになる。

でも私もラクル村の守護神として折れる訳にはいかない。

 

そうして自分自身を叱咤していると、仮面をつけた小さな動物がやってきた。

ミシロキツネかしら?

 

「ようこそおいでくださいました、お客様。本日はどのようなご用件でいらっしゃいますか?」

 

小動物を眷属にしているのかしら。

いえ、これは器物の類が化けた類の化生ね。

 

「ここの神に会いに来たの。悪いけど取り次いでもらえるかしら?」

 

(へりくだ)らず、かといって高圧的にならないように。

侮られないように、かといって不快にはさせないように気を付けて言葉を紡ぐ。

 

「申し訳ございません。現在、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)はおられず、いつ戻られるかも分かりません。御用でしたら眷属の天狐が対応いたしますがいかがいたしましょうか?」

 

え? 不在なの?

本神(ほんにん)がいないのにこれだけの神気って、いったいどれほどの力を持っているのやら。

不在って事は無駄足か。

いえ、留守の対応を任されているほどの眷属ならある程度取引ができるかしら。

 

「お願いするわ」

 

「畏まりました。ご案内いたします」

 

さて、何とか薬草を手に入れられればいいのだけど。

 

 

 

化生に案内されて家の中を歩く。

最初に家に上がる際に履物を脱ぐように求められたのは驚いたけど、それがここのルールなら仕方ない。

 

家は見たことのない建築様式で、ここが異界であることをひしひしと伝えてくる。

案内された部屋の横開きの扉が開かれると、中には既に眷属と思われる者が二人ほど座っていた。

 

片方は仮面をつけた男。

こちらは大した力を感じない。

案内してくれた化生の方が強いくらいだ。

付けている仮面の方には力を感じることから、もしかしたら仮面が本体の化生の可能性もあるわね。

 

もう片方は童女。

一目見て再び心が折れそうになった。

なにこの童女、あり得ないくらい力を感じるんですけど!?

力の差が大きすぎて私程度では測りきれない。

え? 眷属でこれなの?

だったら宇迦之御魂という神はどれほどの力を持っているの?

 

っ!!

 

うわ、容赦なく神の力を向けてきた!

こ、これは相手を知る為の力ね。

看破とか読心とかそういう類の。

 

辛うじて読心は防いだ。

ただでさえこちらが圧倒的に弱者なのに心まで読まれては交渉も何もない。

私は読心とかできないのに不利すぎる。

 

心を強く持ちながら、童女の対面へと座る。

座り方これで合っているかしら。

とりあえず童女や仮面の男性と同じ座り方をする。

 

「はじめまして。私はフェルドナ。ラクル村の神よ」

 

(へりくだ)らず、かといって横柄にならないように。

神として侮られてはいけない。

私の評価はラクル村の評価にもなるのだから。

 

けれども相手を不快にさせてはいけない。

相手は圧倒的強者だ。

私はともかく万に一つもその怒りがラクル村に向かうような事があってはいけない。

 

「紹介痛み入る。儂は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の眷属・天狐。主の不在にて儂がお相手させていただくことをお許しくだされ」

 

幸い相手も意をくんでくれたのか、こちらを立ててくれた。

神としての格という一点においてのみ辛うじて私が上回っている。

それもこの童女が()()()()()()()()()瞬く間に抜かされる程度のものでしかないけど。

それゆえ神の眷属として他の神を上に置いた対応をしてくれているのだろう。

 

「この者は同じく宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)に仕える禰宜(ねぎ)

 

禰宜(ねぎ)にございます」

 

そう言って男性が頭を下げる。

あくまで控えているだけという事らしく、それ以上のアクションは無かった。

 

「さて、本日はどのようなご用件で御座いますかな?」

 

「二つほどあるわ。一つ目は先日ここで世話になった人間の娘がいたでしょ」

 

迷い込んだのか攫われたのかは分からな方けど、とりあえずどちらでも対応できる言い方をする。

なんとか理由を知れればいいのだけど。

 

「ええ。死に至りかねない怪我を負っていました故、傷を癒すために招かせていただきました。余計な騒動を避けるためにこの事は忘れていただきましたが」

 

その理由はあっさりと明かされた。

もちろん相手の言葉を鵜呑みにする訳にはいかないのだけど、筋は通っている。

戻ってきたときの衣服の破れ具合を考えれば、左腕あたりに大きな怪我を負っていても不思議じゃない。

 

「感謝するわ。我が子を助けてくれてありがとう」

 

両手を胸に当て、感謝を示す。

これは私の本心だ。

されど頭は下げない。

神として下げるわけにはいかない。

本当に神という立場は面倒くさい。

 

「それで二つ目なんだけど、貴方達が我が子に持たせた薬草、まだあるかしら?」

 

「常備している物ではありませぬ故に手元には御座いません。2時間ほど頂ければ同じだけご用意できますがいかがなさいますか?」

 

仕える神が不在でもあの量の薬草を2時間で揃えるという。

いえ、先ほど童女が言った言葉──傷を癒すために招かせていただきました──神ではなく自分が招いたような言い方。

最初から我が子に薬草を与えたのはこの童女。

そしてこの童女はそれが──自身の判断で神の領域に他者を入れることが──許される立場にいる。

 

「お願いするわ。それまで待たせてもらっても?」

 

「差し支えございません。しかしながらあれでは足りませんでしたか。皆様に行き渡る量をご用意できたと思っていたのですが」

 

言外に『治療以外の事に使ったんじゃないよな?』と聞かれた気がした。

 

「……今までだったら十分全員に行き渡る量だったわ。でも、今回は薬草が効きにくい人が出ちゃって足りなくなっちゃったの」

 

それには嘘偽りなく答えられる。

けれど……

 

「左様でございますか」

 

それはラクル村が必要としていた量を知っていたという事。

我が子をここに招いていた時には既に、私に気付かせることすらなく領域内の状況を把握されていたという事実がとても恐ろしかった。

 

 

 

 

 

き、緊張したぁぁぁ!!

 

 

童女と男が部屋を出ていき、ようやく私は一息つく事ができた。

 

特にあの童女の方。

実力的にはあちらが圧倒的に上なのに神格はこちらの方がちょっとだけ上なせいで(へりくだ)られているからこちらも相応の態度が必要になる。

 

だからといって侮られても困る。

最低でも不義理を働けば面倒な事になると思われるくらいでなければ(ないがし)ろにされかねない。

結局のところ、私は虚勢を張り続けないといけないのだ。

 

そういえばあの童女、なんで童女姿なのかしら。

見た目通り幼いという訳ではないでしょうに。

 

そんな事を考えていると、扉の方から「失礼します」と声が聞こえた。

何事かと思ったけど、扉の向こうに先ほど案内をしてくれた化生の気配がある。

なるほどノックの代わりなのね。

 

「どうぞ」と入室を促すと、化生がなにやら木でできた平たい板に(うつわ)とコップのようなものを乗せて入ってきた。

 

「大したものではございませんが、緑茶と茶菓子になります。よろしければご賞味ください」

 

そう言って平たい板から器とコップのようなものを私の目の前にある背の低い机にのせる。

そして役目は終わったとばかりに一礼して部屋から出て行った。

 

私は器に乗せられたものに目を向ける。

丸い何かがいくつも串に刺されたものや、蒸しパンのようなもの、四角く切られた茶色っぽい色をした何か。

茶菓子といっていたから菓子の類なんでしょうけど、あんまり馴染みのないものばかりね。

客人に菓子を出せる懐具合が羨ましいわ。

 

相手の凄さにため息をつきながら菓子に手を伸ばそうとして──

 

 

 

足に電撃が走った。

 

 

 

足に力が入らずにうまく動かせない。

足全体が痺れて何とも言えない感覚が襲う。

動くたびに感覚の濁流があぁ!!

 

 

 

あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!

 

 

 

それからしばらくしてようやく足の痺れが収まった。

まったく、取り乱してしまったわ。

 

どうやら原因はあの座り方をしていた事のようなので足の組み方を変えてみる。

多分これで大丈夫。

人の姿はこの辺りが面倒だわ。

 

さて、せっかくだから菓子を頂こうかしら。

菓子なんて高級品、供えられることは祭りの時ですらなかなか無いのよね。

 

蒸しパンのような菓子を一つ手に取る。

ただの蒸しパンにしてはずっしりと重い。

これは中に何か入っているわね。

その重みを確かめながら口にする。

 

甘い──。

 

貴重な砂糖をふんだんに使っているのであろう黒い中身の甘さを、包み込む生地が優しく受け止めることで絶妙な味を作り出している。

一つ、瞬く間に食べてしまった。

 

一口、お茶を飲む。

適度な渋みが口の中を洗い流す。

茶葉が良いのか濃厚な味わいと心地よい香りが私の味覚と嗅覚を楽しませる。

私が知っているお茶とは色が全然違うから一瞬躊躇したけど、おいしいわね。

 

次に串に刺された丸い菓子に手を伸ばす。

ハーブか何かが練り込ませているのだろうか。

春を連想させるような品のある香りが鼻を満たし食欲を掻き立てる。

 

口に入れると感じるのは控えめな甘さ。

それをハーブの僅かな苦みによって強調することでしっかりとした甘味を感じられる。

弾力のある生地が十分な食べ応えを感じさせるのも好印象。

これ、うちの村でも作れないかしら。

 

再びお茶を一口飲み、茶色っぽい四角い菓子の方を見る。

他とは違い木製の小さなナイフのようなものが一緒に置いてある。

これを使って食べろということだろうか。

 

とりあえずそれで刺して口の中に運ぶ。

その瞬間感じたのは圧倒的な甘さの暴力。

これでもかと襲い来る甘さはもはや濃いというより重い。

けれども決して不快には感じないだけの繊細さを兼ね備えている。

こんなもの作るのにどれ程の技術と砂糖がいるのだろうか。

 

一通り味見を終え、私が感じていたのは言いようもない幸福感。

されどこれで終わりではない。

この三種の菓子はまだまだあるのだ。

私はその幸運を噛みしめながら次の菓子へ手を伸ばすのだった。

 

 

 

 

 

それから私はゆっくりと菓子を味わい、その余韻に浸ってはお茶を飲むという行為を繰り返した。

気付いた時にはあれだけあった菓子もなくなり、心に満足感と僅かばかりの寂しさが残るだけとなった。

 

あぁ、美味しかった。

 

同じ「甘い」という味であってもこれほど違う「甘さ」を表現できる菓子を作れるなんて。

私もいつかあんな菓子を好きなだけ食べれるようになりたいな。

 

 

 

……そういえば私なんでここに来たんだっけ?

 

 

 

そうだ、薬草分けてもらいに来たんだった。

気が付けば約束の2時間まであとわずかだ。

そう言えば私、対価の話をしていない。

まずい、緊張しすぎてすっかり忘れてた。

 

どうする? 何がいい?

私の用意できる対価は私の神徳に由来するものかラクル村でどうにかできるものだけだ。

 

私の神徳は「五穀豊穣」「運気上昇」「財運隆昌」あと「祈雨」。

「五穀豊穣」──案内されている途中に畑を見たけど、むしろ相手側の得意分野っぽい。

「運気上昇」──あれだけの霊威がある相手にどれだけ効果があるか……。

「財運隆昌」──私の神徳の強さだとさっきの菓子代の方が額が大きい。

「祈雨」──雨、必要?

ダメだ、ことごとく意味がない。

 

ラクル村で用意できるものだと農産物系は同様の理由で駄目。

辺境の一村落で用意できる財もそんなに多くは無い。

後は……生贄。ダメダメ、論外。

 

そもそもこれほど力を持った神の眷属というのが想定外。

元々考えていた対価がすべて意味のないものになっている。

何か相手が欲しがりそうで私が用意できるものは……

 

「失礼します」

 

再び扉の外から掛けられた声。

しかも化生の方じゃなくて童女の方。

まだ考えがまとまっていないのに。

しかし無視する訳にもいかないので「どうぞ」と答えた。

 

すると童女と籠を持った男が入ってくる。

 

「おまたせいたしました。ご所望の品、揃いましてございます」

 

童女の言葉に、男が籠を差し出す。

中には希望した量の薬草が入っていた。

 

「勝手かとは存じますが、病に効く術を込めさせていただきました」

 

はい?

 

籠から薬草を一枚取り出して、まじまじと見る。

うわぁ、ナニコレ。

病の元を直接呪い殺すレベルの術が込められている。

たしかにこれなら薬草が効かない病だろうと問答無用で効果を発揮するだろう。

 

この量の薬草全てに同様の術が施されていることに戦慄するけど、有効な術であることに代わりは無い。

これなら我が子達を全員救えるだろう。

問題は薬草の価値が爆上がりしている事だ。

これに見合う対価が用意できない。

 

「期待以上の物ね。ご褒美は何がいいかしら? 財産? 幸運? それとも……」

 

私は最終手段を切った。

相手に丸投げである。

欲しいものを言ってちょうだい。

そこから実行可能なところまで交渉するから。

私にできる事ならなんだって頑張るから。

 

「では、着ている服を一枚頂きたく思います」

 

服?

え? それでいいの?

私の服って体の一部が変化したものだから私から離れると抜け殻になっちゃうのよ?

 

いや、正体は分からないけどこの童女も多分同類。

その程度の事は分かっているハズ。

なら抜け殻が欲しいと見るべき。

……一体何に使うのかしら。

 

「これでいいのね?」

 

外套を一枚脱いで、一応畳んで渡す。

正直薬草の対価としては釣り合ってない気がするけど、相手がそれでいいというならありがたい。

もしかしたらこちらの懐具合を考えて妥協してくれたのかもしれない。

 

「ありがとうございます」

 

そしてそれを童女は(うやうや)しく受け取ったのだった。

 

あ、そういえば勢いでご褒美とか言っちゃったけど、宇迦之御魂(童女の上司の神)に無礼だって怒られたりしないかしら……

 

 

 

 

 

その日の夜、私はあの異界に招かれた我が子の夢枕に立った。

私は直接我が子達に干渉することが難しいので遠回りになるけどこれが一番確実だ。

手に入れた薬草を無償で配って回ったこの子なら独り占めしたりすることもないでしょう。

 

いまいち状況が飲み込めていない我が子に、特別よく効く魔法が込められている薬草だと言ってそれを授ける。

病に侵されている我が子達全員にぎりぎり行き渡る量だけ。

 

残りは念のため私の方で保管しておく。

はっきり言って万能薬に近いレベルのアイテムなのだ。

残れば争いの種になりかねないほどの。

 

 

 

それから数日後、病に侵された我が子達は全員が快方に向かっていた。

すでに病魔の影響はなく、あとは失った体力を取り戻すだけだ。

それならば私の加護で何とかなる。

 

あと、変わったことと言えば私の社が綺麗になった。

我が子が私が枕元に立ったことを広めてくれたらしい。

病が治った我が子の縁者達が代わるがわる来ては掃除やらお供え物をしてくれる。

後日もっと大きな社に建て替える話も出ているらしい。

楽しみだ。

 

その影響か私の神徳にも「病気平癒」──病を快復させるが新たに加わった。

まだ効果の小さい神徳だけど、もしまた同じような事が起きた時に私の力だけで何とかできるように育てていこう。

近々お礼を言いにまたあの異界へ行こうと思う。

そろそろ籠も返さないといけないしね。

 

 

 

 

 

なお、私の抜け殻は綺麗になって部屋に飾られていました。

恥ずかしい。

 



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File No.03  『旅は憂いもの辛いもの』

今回は説明回。


フェルドナ神が来た翌日、コンと妖札で遊んでいる時にふと思いついた事を聞いてみた。

 

「そういえばさ、この異世界ってどんな感じなの? 『5』」

 

今日の妖札のルールは星取り御前試合。『玉』なし、相生相克なし、呼掛けなし、番狂わせありだ。

 

「どう、とは? 『3』、七将はそちらの勝ちじゃな」

 

コンが自分の出した3の札を裏返す。

 

「中世っぽい世界とか近代っぽいとか、魔法があるとか獣人がいるとかさ。 『3』」

 

初期手札は1~9のカード各1枚ずつの合計9枚。

それをお互いに一枚ずつ裏向きで出しては同時に表にする。

 

「『2』、ぬ、六将も負けたか。あまり詳しいところまでは調べておらぬが、建物や衣服は西洋風じゃったな。文明の度合いでいえば現世でいうところの江戸時代前期の村くらいじゃろうか」

 

一度使ったカードは二度使えず、負けた方を再び裏向きにする。(これは勝敗を分かりやすくするためなので負けた札を()けるでもよい。引き分けだと両方負け扱い)

これを手札が無くなるまで繰り返し、最終的に勝ち星の多い方が勝者となる。

 

「魔法とやらは存在するようじゃの。こちらに来た初日に会った女の過去にそのような話があった。どのような物かは見てみんことには何とも言えんの。『1』」

 

「『9』、げ、番狂わせかよ」

 

番狂わせとは『1』は相手が『9』だった場合、勝利するという追加ルールだ。

数字の出し方が露骨だったから先鋒と次鋒で『8』と『2』を既に使った俺に対して『1』をにおわせて『9』を封じつつ『8』を出してくると予想したんだが、裏の裏をかかれたか。

 

「獣人……なのかは分からぬが、獣の特徴を持った人ならばおったな。『5』」

 

「『4』。おっ、獣人いるのか。どんな感じ?」

 

他の追加ルールとして同じカード以外のすべてに勝てる『玉』を手札に加える『玉あり』。(その場合必然的に『番狂わせあり』になるので代わりに『2』が抜ける)

優位な属性の場合は数字に関係なく勝てる『相生相克優』、勝てるのではなく数字が倍になる『相生相克倍』。(相生と相克で分ける場合もある)

山札をシャフルして引いた9枚を初期手札とする『呼掛けあり』(これをやると運要素が強くなりすぎるのであまり好まれない)などがある。

今回は『番狂わせ』以外はなしだ。

 

「『8』。お主、獣娘(けものむすめ)が好きじゃのぉ。大体こんな感じじゃ」

 

そういうとポンと音を立てて煙と共に狐耳と尻尾が現れる。

逆に言えばそれだけだ。

個人的にはもっとケモケモしいのが好きなのでちょっと残念。

コンは陰陽の気の消費が大きくなりすぎるとかであんまり化けてはくれないし。

 

「『6』。そっか。他にはどんな種族がいた?」

 

エルフとかいないだろうか。

 

「『9』。他はまだ見かけておらんの。どこかにドワーフというのはおるらしいがな」

 

「『1』。よっしゃ番狂わせ。ドワーフいるんだ。やっぱり髭なのかな」

 

「さてのぉ」

 

コンって古風な割にカタカナの発音とか流暢だよね。

 

獣人がいてドワーフがいるならエルフもいるかな。

もっとも異世界探索はコンの『千里眼』と『天耳通(てんにつう)』頼りなので捜索範囲はそんなに広くない。

まぁ、近くに危険なものが無いか確認する事が主な目的だからなんだが。

 

なお、『天耳通(てんにつう)』とは閻魔様が地上の出来事を聞くために使っているもので要するに『地獄耳』の事である。

天耳通(てんにつう)』持ち同士ならその気になれば北海道と沖縄に居ながら会話ができる。

 

「今のところ3つほど村を見つけただけじゃ。町と言えるほど規模の集まりがあればもう少し詳しい事がわかるやもしれぬが。『6』」

 

「『7』。大将戦は取った」

 

これで5勝4敗で辛うじて競り勝った。

副将戦の『9』を読み切ったのが大きかったな。

 

「久しぶりの星取り戦での黒星じゃな。そういえば獣人の村には神の気配が無かったの」

 

「それは無宗教って事?」

 

「どうじゃろう、むしろ祀り上げて形を持たせる必要が無いという事の方がありうる。今度もう少し詳しく()()()()()かの」

 

コンは言霊を聞き取れるので、知らない言語でも意味を理解することが出来る。

俺は出来ないのでフェルドナ神の時はコンが言霊を利用して日本語に聞こえる(まじな)いをかけてくれていた。

フェルドナ神は翻訳能力を使っていなかったようだ。

言葉が通じなければどうするつもりだったのだろうか。

 

ちなみに言霊を聞き取る(まじな)いと言葉の意味を伝える(まじな)いを合わせて『以心伝心の(まじな)い』と呼ばれている。

 

「家畜の数が見て取れるほどに多かったし、建築様式も他の二つとは異なっておった。遊牧民なのやもしれんの」

 

「へぇ、遊牧民か」

 

まぁ、会うことも無い気はするけどね。

基本的にマヨイガに引きこもっておく予定だし。

 

「あとは、見た限りでは機械や銃器の類は見当たらなかったのぅ。無論、調査対象が少なすぎる故、それだけで存在しないと結論付けるのは早計じゃが」

 

「そんなに規模の大きい村じゃなかったしな」

 

上空視点から見た限りだと第一次産業が主体っぽい。

トラブル防止の為にあんまり近づけないので詳しくは分からないが。

コン曰く月一くらいで商人の一団が来るので、その時余分な作物や森で取れた恵みを売ったり都会から持ってきた商品を買ったりするそうだ。

 

この商隊は乗合馬車の役目も担っているらしい。

他の村の移動も単独では命がけらしく、都会へ行きたい場合はこの商隊に同行させてもらうのが一般的とのこと。

これらは例の女性からの情報。

あの女性、名前何だったんだろうな。

 

そうそう、他の村への移動が命がけなのは物理的な距離に加えて凶暴な動物や魔獣なるものが出るからだそうだ。あと、稀に山賊。

魔獣というのは人(亜人系も含む)以外の魔法を使う動物を指す言葉らしい。

森の中にもそれらしき動物がいるので、あわよくば魔法を使うところが見れないかコンが観察中だそうだ。

 

「森の中であれば一角馬とか蛇鶏とかみたいなのがおったの。もっとも、それっぽいだけで現世の物語のそれと同じかは分からんが」

 

一角馬はユニコーンの事で、蛇鶏は……そうそう、バジリスクだ。

あの森、そんなのいるんだ……

 

ちょっと生で見てみたいとは思うが、そうもいかない事情が出来た。

正確に言うならば、俺たちがマヨイガの外で活動する事が難しくなった。

 

最初に異世界の女性を助けに外に出た時にコンが気付いたのだが、マヨイガの外に出続けるとコンが弱体化する事が判明したのだ。

これはコンが妖怪としての特性を持っている事が影響している。

 

妖怪というのは極端な言い方をしてしまえば人間のイメージから生まれた存在だ。

その妖怪を知る者が多いほど存在は強固になり、その畏怖が知れ渡るほど強くなる。

逆に言えば誰も知る者が居なくなった妖怪は、存在を保てなくなって消えていく。

妖怪の中にはただ現れてすぐいなくなるような何をしたいのかよく分からない行動をするものもいるが、それは人前にその姿を現すことで自分の存在を知る人間を増やし、存在を強固にしようとしているのだ。

 

そして残念ながら異世界には天狐の存在を知る者はいないらしい。

とはいえ天狐を知る人間が少なくともここに一人居るからコンが消える事は無いのだが、どうしても信仰による強化分は失われてしまう。

 

コンで言えば『天狐』という存在への信仰と『お稲荷様の使い』という加護が消失する。

 

前者は俺が居る事で一応は回復できるそうだが、後者が不味い。

なんせお稲荷様自身が居られないのだ。

回復するには稲荷神社に残された神気を使うより他になく、その神気は現世に戻るまで増える事は無い。

 

一応マヨイガの中でなら神気を外付けのオプションパーツのように使う事で、実質的に神気の消費無しで加護を使えるというのが救いか。

代わりに霊気の消耗が洒落にならないレベルになるらしいが。

 

千里眼のようにマヨイガの外に干渉する場合でもコンがマヨイガの中にいれば問題は無いらしい。

 

あと、式神はコンと霊的に繋がっているのでコンが外に出ない限りは問題なく活動できる。

流石に行動範囲はある程度制限されるようだが。(ちなみに境界を利用する事で延長が可能)

 

外に出ても数日で消えるほどコンが持っている信仰の力は浅くは無いが、何があるか分からない状態で弱体化するのは避けたい。

そんな訳で俺たちはマヨイガの外に出られなくなってしまったのだ。

まぁ、それほど不自由は無いし当初の予定通りと言えばそれまでなのだが。

 

「む? 観察していた蛇鶏に動きがあったぞ。狩りを始めるようじゃな」

 

「ちょっと俺にも見せて」

 

幻想生物の生態とかすごい気になるんだが。

コンが幻を操ってモニターのようにその風景を映し出す。

そこには3メートル近いと思われる鶏のような怪物がいた。

どうやら狙いは鹿のような動物のようだ。

 

音声が無いのでよく分からないが、おそらくバジリスクが鳴いた。

それに反応した鹿がそちらの方を向く。

 

その瞬間、バジリスクの目が光った。

何事かと思って鹿の方を見ると、その体が石のようになって倒れている。

え? 何今の、石化の魔眼?

 

初めての魔法と思われる現象に興奮していると、コンのテンションがいまいちなのに気付く。

どうしたの?

 

「拍子抜けじゃな。原理的には妖術と同じじゃ。目新しくもない。場所で呼び名が違っておるだけじゃな」

 

そういう事らしい。

 

妖術なら俺もコンに散々見せてもらっているのだ。

それと同じものと言われると興奮も薄くなる。

魔眼にしたって妖術的なものなら珍しい物では無い。

 

「観察対象を一角馬の方に変えるかの。全部が全部妖術と同じとは限らぬし」

 

人の使う魔法は別の原理であって欲しいんじゃがのう。と、コンは言う。

 

コンは新しい知識が好きだ。

コンほどの(よわい)になると周りで起こる事ほぼすべてが既に経験したことか既知の情報になってしまう。

知らない情報、新しい刺激はコンにとってのご馳走。

伝統を好み守りつつ、それはそれとして新しいものを貪欲に喰らう。

 

だからコンは人間が好きだ。

人の営み(文明)は驚くべき速度で変化していくからだ。

 

コンが幻を消すと、ちょうど式神が菓子の乗った皿を持ってきた。

どうやらそろそろ3時らしい。

 

菓子の出どころはマヨイガの妖怪の1体。

空の筈の箱の蓋を閉じて再び開けると中から菓子が現れる妖怪菓子箱だ。

急な来客の時とかに重宝する。

フェルドナ神に出した菓子もこの妖怪菓子箱で用意したものだ。

欠点は和菓子しか出せない事と、食いすぎるなという事なのか普段は一食分しか出してくれない事。

 

今日のおやつはみたらし団子か。

美味しそうだ。

 

「さて、もう一戦どうじゃ? 次は負けぬぞ」

 

コンが広げられた妖札を纏めながらそう言った。

上等。今回は勝てたが今までのトータルでは黒星の方が多いのだ。

このまま白星を増やして完全勝利してくれるわ!

 

 

 

そんな感じで俺とコンの今日という日は過ぎていくのだった。

 




夢は大きく作中遊具の商品化。


『旅は憂いもの辛いもの』
旅先では頼れる知人もおらず、土地の事情も分からないので、心配や辛い事が多いものだという意味。
昔の旅は今と違って不便で大変だったことから生まれた言葉。

マヨイガのあるタケル達は相当恵まれています。


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File No.04-1 『縁あれば千里』

フェルドナ神の再訪問から少し日が経ったある日の事。

俺たちはいつものように妖札で遊んでいた。

 

今日のルールは丁半合わせ。

まず一人が親になり、1~3までのいずれかの数字を選び、その数だけ山札の上から裏向きのまま場に出す。

他の参加者が子になり、それぞれ場の札の数字の合計が奇数か偶数かを宣言する。

 

場の札を裏返して奇数か偶数かを確認し、当たっていた子は札の数字の合計を持ち点に加える。外れていたら何もなし。

親は『場に出した札の枚数に3を掛けた値』の得点を持ち点に加えて場の札を捨て札置き場に置く。

 

得点計算が終わったら親から見て左隣の人が次の親になり、これを最初に決めた回数だけ繰り返す。

最終的に持ち点の一番多かった人が勝ちだ。

 

奇数偶数を同数にするため1か9を抜く場合もあるが、俺たちがやる時は『森遊(もりあそび)』というルールでやることが多い。

遊は妖札の事を指すらしいのだが、森は『木が多い』=『奇が多い』となり、転じて『玉』以外のすべての札が揃った状態の妖札でゲームをする事を指す。

 

『玉』も抜かれるのが一般的だそうだが、『玉』が出たらもらえる点数が10倍になる一発逆転のルールもある。今回は抜いているが。

 

(にしき)』はなし。これは裏面の違う二組の妖札(元々二組で1セットではあるが)を混ぜて一つの山にしたものを『錦山(にしきやま)』といい、今回は一組だけを使うので錦無しだ。

二色(にしき)』=『(にしき)』という事らしい。

 

一対一でもできるが、人数がいた方が楽しいので式神にも参加してもらっている。

 

「儂が親の番じゃな。3枚じゃ。さてどうする?」

 

二十代後半の姿に変化したコンが山札から3枚のカードを場に並べた。

コン、1位と7点差だから勝負をかけてきたな。

 

変化したコンの年齢は日替わりのレベルでころころ変わる。

本人曰く気分で変えているだけで特に意味はないとのこと。

 

「半」

 

人に変化した式神が自分の予想を告げる。

2メートル近い身長と引き締まった体が特徴の男だ。

本体である白狐の面もつけている。

式神の中で最も背が高いのでのっぽさんと呼んでいる。

 

「丁」

 

対して違う予想をした式神は俺よりも背が低い。

がっしりとした体は力の強さを連想させ、それに恥じない腕力を持つ男。

愛称はごうりきさん。

なお、あくまで愛称であって名前を付けたわけではない。

のっぽさんと同じく白狐の面をしている。

 

「丁かな」

 

俺が選んだのは偶数。

これは予想というより現在トップののっぽさんと同じ宣言をしていたのでは逆転できないからという理由での選択だ。

ちなみに予想の宣言は親から時計回りに行われる。

俺は現在天狐の面を付けているが、つけているだけだ。

『稲荷下げ』状態にはなっていない。

 

「では拙者は半で」

 

最後に宣言したのは壮年の人間の男。

そう、人間だ。

 

丁髷(ちょんまげ)を結い(月代(さかやき)は剃ってないのでちゃんと前髪もあるが)、着物のような服装と腰に帯びた刀らしき武器。

月代以外は絵に描いたようなお侍さんである。

 

なんで俺たちがお侍さんと妖札をしているのか、その理由は本日の昼前まで時間を巻き戻す必要がある。

 

 

 

『今日は一日雨のようじゃの』

 

千里眼で境界の外を見ていたコンがそう言った。

 

基本的にマヨイガの天候は常時晴れだ。

マヨイガの意思の気が向いたときに雨やら雪やら降ることもあるが、今日はいつも通りお天道様(ちょっと特殊だがこれもマヨイガの妖怪らしい)が顔を出している。

となると、雨なのはマヨイガの外だろう。

 

外が雨だと人も動物も活動が消極的になるのでコンも観察を切り上げて縁側で横になった。

霊狐形態なのでもふもふである。

 

俺の方も最近始めた妖術の勉強がひと段落したのでコンの横に座る。

マヨイガに籠っていると時間だけはたっぷりあるので以前から気になっていた妖術に手を出すことにしたのだ。

陰陽術と迷ったが、汎用性は劣るものの比較的習得が容易で稲荷下げ状態での使用経験もある事からこちらにした。

いずれは陰陽術にも手を出したいと思っている。

現在はマヨイガにあった本で勉強中だ。(この本、実は凄い妖怪らしくコンに絶対にマヨイガの外に持ち出さないように言われた)

 

しばらくコンの尻尾をモフモフしていると、ふと何かに気付いたようにコンが頭を上げた。

 

『誰ぞ来たな。マヨイガの方の客か』

 

そう言うとコンは人の姿へ変化する。

今日はお姉さんな姿だな。

 

俺も念のため天狐の面を装着する。

するとすぐに式神が男の人を連れてきた。

 

うおっ!

 

その男を見た瞬間、衝撃を受けた。

だってお侍さんなんだもん。月代剃ってないからイメージ的に浪人の方が近いかもしれないがお侍さんなんだもん。

え? 異世界にお侍さんいるの?

もしかして忍者とかもいたりする?

 

「よくぞマヨイガへ参られた。歓迎するぞ、お客人」

 

困惑しているお侍さんを他所にコンが挨拶する。

それからお互い簡単に自己紹介をする。

このお侍さんは山元(さんもと)五郎左衛門(ごろうざえもん)(まことの)康久(やすひさ)というらしい。

え? どれで呼べばいいの?

 

(山元が苗字、五郎左衛門が(あざな)、信が(うじ)、最後のが(いみな)じゃな。五郎左殿と呼んでおれば良いじゃろ。少なくともこの者の国では軽々しく苗字や氏を呼ぶのは失礼らしいからのぅ。諱は言わずもがなじゃ)

 

『宿命通』で大体察したらしいコンが教えてくれた。

初対面でも衛門を省略するのは非礼には当たらないらしい。無論彼の国ではだが。

 

ちなみに氏とはまぁ、血統みたいなものと思っておけばいい。

現世にもあったが名乗ったもん勝ちみたいな感じだったようだし。

 

五郎左殿は太陽(たいよう)の国の阿山(あさん)という所から来たそうだ。

というか本人はまだ太陽の国を出ていないと思っているらしいのでずいぶん遠くの境界に繋がったのだろう。

恰好といい国名といい、多分この世界の日本的な国だろうと思われる。(国名は以心伝心の(まじな)いで翻訳されているからだとは思うが)

 

「して、五郎左殿は如何なる要件でこちらへ参られたのじゃ?」

 

既にコンは『宿命通』によって知っているが、そんな事はお侍さんには分からないのであえて質問する。

 

「実は拙者、それなりに腕は立つと自負してはおるが、度々頭痛に悩まされ実力を発揮することが叶わず試合にて幾度となく破れてきたのでござる。医者に見せても何故痛むのか分からぬという。そこで高名な占術士(せんじゅつし)に占ってもらったところ、このような結果が出たのでござる」

 

──龍の月の初め払暁より、都の西門から(からす)の方角へ向かえ。決して振り返ってはならぬ。さすれば汝に害なすもの悉く去るであろう──

 

「それに従い歩き続け、気が付いたらここに迷い込んでおった。断りなく踏み入った事、お詫び申し上げる」

 

「詫びるには及ばぬ。其方(そなた)がこの隠れ里に来れたという事は招かれた証拠よ」

 

「隠れ里!? もしやここはかの鶯浄土(うぐいすじょうど)か!?」

 

え? 鶯浄土ってこっちにもあるの?

 

「残念ながら違うのぅ。ここはマヨイガ、人ならざる物の住む世界ではあるが(うぐいす)はおらぬ」

 

「これは失礼(つかまつ)った」

 

「気になさるな。せっかく来たのじゃ、中で(くつろ)いでいかれよ。其方の頭痛、心当たりがあるでな」

 

「!! かたじけのうござる」

 

(タケルよ、食事の用意を頼むぞ。みょうがも忘れずにな)

 

なんかよく分からんけど了解した。

しかしみょうが料理のレパートリーなんて俺にはほとんどないぞ。

 

(先ほど妖術の勉強をしておった本があるじゃろ。あれに書いておるぞ)

 

え? 妖術の本に料理のレシピが!?

部屋に戻って本をぱらぱらとめくってみると──

うわ、マジだ。

 

へぇ、結構いっぱいあるのな。

あ、炊き込みご飯に入れるという手もあるのか。

卵とじ。これも美味しそうだな。

じゃぁ、おかずは『もやしとみょうがの卵とじ』『胡瓜の漬物』『味噌汁』かな。

俺は早速本を持って台所に向かうのだった。

 

 

 

俺が料理を作っている間にコンが湯浴みを勧めていたらしい。

料理を持っていく途中にさっぱりとして小綺麗になったお侍さんに遭遇した。

何やら身を清めておいた方が良いと言われたようだ。

着ている服も汚れが落ちて洗濯後同様になっているのでマヨイガの妖怪が何かしたのだろう。

 

提供した料理はお侍さんに好評だったようで、うまいうまいと言いながら残さず食べてくれた。

これだけうまいと言われると作った方としても嬉しいものだ。

 

食事を終えてなお準備にしばらく時間がかかるとコンが言うのでお侍様を巻き込んで妖札大会と相成った。

コンに準備しなくてもいいのかと聞いたら式神待ちだそうだ。

そして何度か勝負を繰り返し冒頭に戻る訳である。

 

 

 

「この回はこれで最後じゃな。3枚よ」

 

冒頭部分よりもう一周してコンの親番。

この勝負もこれでラストだ。

 

「丁」

 

「半」

 

「丁」

 

「半じゃ」

 

俺とのっぽさんが偶数。

ごうりきさんとお侍さんが奇数。

これでお侍さんより得点の低いごうりきさんのトップは無くなった。

 

「点数は……(ここの(9))……(ここの)……(ここの)(奇数)の27点じゃな」

 

最大値じゃねぇか。そういや9が出てないなと思ったら。

って事は、ごうりきさんとお侍さんに27点入るから……

 

「一番は五郎左殿じゃな」

 

何気にお侍さん初トップだったりする。

ちなみに2位ごうりきさん。3位コン。4位俺。5位のっぽさんだ。

 

「なかなか面白うござるな。この妖札というものは」

 

お侍さんもご満悦だ。

 

「せっかくの初勝利じゃ。どれ、褒美をやろう」

 

コンがポンポンと手を叩くと、小柄な男の式神が両手で鞘に入った刀を持って入ってきた。

あれはいだてんさんだな。

コンの式神で一番足が速いらしい。

 

「持っていくがよい」

 

お侍さんは一瞬目を丸くすると、まるで主君からの褒美のように頭を下げて受け取った。

一言断ってほんの少しだけ鞘から出すと、美しい波紋が見るものを魅了する。

あれは妖刀の類だというのが一目で分かった。

 

「号を紅一文字。あらゆる物を断ち切る妖刀ぞ。其方なら使いこなせよう」

 

なんかお侍さんが涙を流して喜んでいるんだが、そんなにいい刀なの?

 

(ちと長くなるから説明は後でな)

 

了解。まぁ、喜んでいるのなら別に何でもいいんだが。

 

「さて、もう一戦と言いたい所じゃが、準備が出来たようじゃ。名残惜しいが本題に入るとしよう」

 

本題? あぁ、お侍さんの頭痛の件か。

 

「其方の頭痛、それはある妖怪に呪いをかけられておるのじゃ」

 

「なんと!」

 

「其方を一目見た時から気付いておった。故に我が式神に呪いの出どころを探らせておったのだ。今しがたその妖怪を見つけたとの報告があっての」

 

「それは、ではその妖怪を退治すれば拙者の頭痛は治るので?」

 

「うむ。しかしただ退治するだけでは駄目じゃ。その紅一文字で呪いの元、すなわち妖怪との縁を断ち切らねばならぬ」

 

何やらお侍さんは真剣な表情で覚悟を決めた目をしているが──

 

コン、それ本当?

 

(嘘ではないぞ。盛ってはおるが)

 

盛ってるんだ……

 

「さて、式神に案内させよう。その刀で呪いを断ち切るがよい」

 

「かたじけのうござる」

 

お侍さんは再び頭を下げると、式神について部屋を出て行った。

程なくしてお侍さんがマヨイガを出ったのを確認すると、コンが何やら妖術を発動する。

 

「念のためみょうがを食べさせたが、紅一文字の事もあるし忘却の呪いはやらぬ方が良いの。今後訪れることも無いじゃろうし、後はちょいと化かせば仕舞じゃ。うむ、これで良い。一件落着じゃ」

 

式神を通じて何やらやっていたらしいが、とりあえず一段落したらしい。

コンは霊狐形態に戻り、ふわぁと欠伸をする。

一体なんだったのか説明してほしいんだが。

 

『そうじゃのう。まず前提として理解しておかねばならぬのが占術士の予言とマヨイガに招かれた事は無関係という事かの』

 

え? 予言に従った結果、マヨイガにたどり着いたんじゃないのか?

 

『結果的にはそうなるのじゃが、元々予言の方は直接頭痛の原因の元へ案内しておったのじゃ』

 

そういうのって判るもんなのか?

 

『八卦占いじゃったからの。儂も多少嗜んでおるから『宿命通』でその場を見ればある程度は分かるのじゃ』

 

そう言えばコンも占いできたな。

俺も何度か占ってもらった事がある。

結果は当たるも八卦、当たらぬも八卦だったが。

 

『で、じゃ。予言に従って進んでいくうちに境界を通ったのであろう。その際にマヨイガ、正確に言うなら先に褒美として渡したあの刀、あれに招かれてここへ来たようじゃ』

 

あの刀が呼んだ?

 

マヨイガはある意味何処にでもあると言えるが、それでも起点となる場所が存在する。

そこから離れれば離れるほど、マヨイガに訪れるためには強力な(えにし)が必要になる。

 

今のマヨイガの起点はフェルドナ神の村の近くの森の中だ。

衣服などの様式が全く異なることを考えると相当離れている事は想像に難くない。

あの刀とお侍さんにそれほど強い縁があるとは思えないんだが。

 

『それは儂も驚いたぞ。なんせかの者が通った境界は起点より千里(4000㎞)離れておったのじゃから』

 

一瞬ぴんと来なかったが、日本の端から端までが3300㎞ほどだ。

それほどまでに遠くから来れるとは並大抵の事ではないだろう。

 

しかし、異世界のお侍さんとつい最近まで現世に有ったマヨイガの縁が想像できないんだが。

 

『今世では先のが初めての出会いじゃよ。かの者の縁は前世、正確にいうなれば七つ前の過去世じゃな。その時のものよ。おかげで『宿命通』で覗くのに時間がかかってしもうた』

 

昼餉の間だけでは間に合わず、思わず時間稼ぎの為に妖札に誘ったが、楽しかったゆえに結果良しじゃな。などとコンがのたまった。

あれ、そういう意味もあったのね。

 

『その時はかの者も現世の侍でのぅ。とはいえ貧乏な浪人であったかの者はマヨイガに訪れる事が出来たのはいいものの、着くと同時に空腹で倒れての。その際、先代の稲荷狐に手料理を振舞われたそうじゃ』

 

コンがこのマヨイガ稲荷神社の稲荷狐になったのは300年ほど前と言っていたのでそれ以上前の話か。

ちなみにコンも料理が上手いが、作る必要が無いせいか偶のご褒美の時くらいしか作ってはくれない。

 

『ところで、マヨイガに招かれた者はマヨイガの道具を一つ持ち帰れるというのは知っておるじゃろ? その際に選ばれたのがあの刀じゃった』

 

何を持ち帰れるか決めるのはマヨイガ側だ。

決められたもの以外を持ち帰ったり二つ以上持ち帰ったりするとひどい目に合う。

 

『じゃが、かの者は武士の意地か「自分はまだこの刀に見合うほどの人物ではない。いずれこの刀を手にするに相応しい人物になってまたここに来る。それまで待ってもらえないか」という感じの事を言って受け取り拒否したのじゃ。まぁ、先代の稲荷狐に一目ぼれしたらしく、また来る口実を作りたかっただけかもしれんがの』

 

でも、刀が残っているという事は結局その侍が来ることは無かったと。

 

『じゃな。本来ただの人間が生涯で二度行ける場所ではないからの』

 

俺の場合はちょっと特殊らしいので例外だそうだ。

 

『で、じゃ。そんな事を言ってしまったから、それが先の刀との約束になっての。かの者が死んでも刀は待ち続けておった』

 

それは刀が妖刀、すなわち妖怪だからで、妖怪は約束を破れないからだろ。

同様の理屈で、約束した人間が死んだら無効になるんじゃないのか?

 

『そうじゃの。直接それを知る事は無かったじゃろうが、妖怪には縁を通じて約束の相手が死んだことくらいは分かるのじゃから。じゃが、たまに居るんじゃよ。律儀というか、頑固というか、相手が死んでも約束を守り続ける妖怪がな』

 

それがあの刀だったと。

 

『そしてその侍の生まれ変わりが格の高い境界を訪れ、その縁に引き寄せられてマヨイガを訪れたのじゃ』

 

その話だと、あの刀はあのお侍さんを7世前の侍と同一視してるって事か?

ただ前世がマヨイガに縁あったというだけじゃ、千里先から来るには流石に縁が弱い気がするし。

 

『基本的に『生まれ変われば別人』という考えが主流じゃが、魂が同じ人物であれば同一人物とみなす者もそれなりにおるよ。特にあの刀は今どきの人間でいうところの『ヤンデレ』というやつじゃったし』

 

そのうち人間の女子(おなご)に化けてかの者に婚姻をせまるやもしれんの。とのたまうコン。

 

え、そんなレベルで想われてるの?

そう言えば刀に相応しい人になって戻ってくるという約束だったようだけど、その辺どうなの?

 

『それに関してはちょっとこじ付けさせてもらった。あの者、妖札で一番になったじゃろ?』

 

なったな。最後怒涛の大逆転だった。

 

『その褒美として妖刀が贈られた訳じゃ。宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の使いたる天狐からの』

 

確かにその通りだな。

 

『すなわち山元(さんもと)五郎左衛門(ごろうざえもん)なる侍は天狐との勝負に勝ち、褒美を与えられるほどの人物という事になる』

 

いやまぁ、確かにそうだけど。

お稲荷様の眷属の最高位に名を連ねる霊狐に打ち勝ち、その力を認められて刀を賜った侍と言えばマヨイガの妖刀を手にするに不足ない人物と言えるだろう。

 

その勝負がカードゲームでなければ。

そんなんでいいの?

 

『いいんじゃよ。こういうのはお互いがどう思うかじゃ。五郎左殿は『棚から牡丹餅』で褒美がもらえた。刀は五郎左殿の下へ行くことが出来た。双方良しじゃ』

 

なんか釈然としないが、良いならいいか。

マヨイガに呼ばれた理由は分かった。

 

じゃぁ、頭痛の原因の方は何なんだ?

妖怪の呪いがどうとか言ってたけど。

 

『そちらの方も前世の縁じゃな。こちらは二つ前の過去世じゃ。当時かの者は修行僧での、山に籠って修行しておったは良いものの、自分の課した厳しい修行に耐え切れず、土に還ったのじゃ』

 

要するに逝ってしまわれたと。

 

『普通ならばそれで終わりなのじゃが、何の因果かその髑髏(しゃれこうべ)が妖怪化しての。それも悪性の強い妖怪じゃったから輪廻の縁を通じて五郎左殿から生気を吸い上げておったのじゃ』

 

ここに来るのが後三年遅かったら命は無かったとコンは言う。

 

『直接五郎左殿が見聞きしたことでも無い故、縁を辿るのに少々時間がかかったが何とかなって良かったのぉ』

 

それを半日かけずに探し当てるコンの有能さよ。

 

なに? 安倍晴明なら半刻(1時間)かからなかった?

それは比較対象としてどうなの?

 

『そう言えば話を盛っているって言ってたけどどの辺が盛られてるんだ?』

 

普通にそのまんま妖怪に呪われている話だったが。

 

『妖怪化とは言っても明確に妖怪と言えるほど育っている訳では無く、呪いと言えるほど執着している物でも無かったからの。とはいえそれを一々(いちいち)説明していたのではかえって分かりづらい。それに『妖怪未満の怨霊もどきを倒した』より『相手を呪い殺す妖怪を倒した』の方が箔がつくじゃろ?』

 

あぁ、そういうこと。

 

『ちょいと幻影でそれっぽく演出しておいたし、自慢話くらいにはできる筈じゃ』

 

「そっか。それにしても前世の縁が二つも重なっているとは」

 

『一つなら割とあるが二つとなるとそこそこ珍しい話ではあるのう。とはいえおかげで妖刀の未練も果たせた訳じゃし、良きかな良きかな。普通は千里先よりマヨイガに訪れることはできんからの。まさに『縁あれば千里を隔てても会い易し、縁なければ面を対しても見え難し』じゃな』

 

へぇ、そんな言葉あるんだ。

 

「『袖振り合うも多生の縁』じゃないけれど、俺とコンにも前世での縁があったのかな」

 

『はて? 言っておらなんだったか?』

 

特にそんな話は聞いてないけど。

 

『そうじゃったか。タケルとの前世の縁じゃったな。まず、三つ前の過去世にてこのマヨイガに訪れたことがある。確かいくら掬っても水が減らない妖怪柄杓(ひしゃく)を持ち帰ったんじゃったか。当世はタケルも女性じゃったの』

 

男に生まれる確率は二分の一だからそういう事もあるだろう。

 

『八つ前の過去世では儂の勤めておった稲荷神社の神主じゃった。今際を見届けたのはこの時だけじゃったな』

 

結構付き合い長いんだな。

 

『十と三つ前、二十と一つ前、三十前、三十と五つ前とちょくちょく会うことがあったのじゃが、この辺はあまり関わる事はなかったの』

 

いったい何年前なのだろうか。

 

『四十と二つ前、四十と六つ前、四十と九つ前はまだ稲荷狐見習いの頃じゃったな。修行の際は世話になったものじゃ。主に陽の気の補充先として』

 

陽の気の補充って、あれか。男から精を搾り取るやつ。

今世でも無駄に消費するのは勿体ないからとか言って誘ってくる。

思春期の男子としては非常に嬉しい事ではあるのだが。

天狐となった今では仙人のように大気から陽の気を吸収できるので、わざわざ人から補充する必要はないはずなんだがな。

 

『こうしてみるとタケルが人として生まれた時は大体会っとるの』

 

人としての転生が50回中10回は多いのか少ないのか。

 

『後は五十と五つ前の過去世なんじゃが、当時は儂もただの狐じゃったな。その時は……』

 

ここでコンは一度言葉を切った。

過去を思い出し、懐かしむように。

 

『……お主は儂の(つがい)(おっと)じゃよ』

 

へぇ。そうなんだ。

まぁ、俺もコンも『生まれ変わったら別人』派だからそんな感想しか出てこな──

 

 

 

「嘘なのだ!!」

 

 

 

あれ? 俺でもコンでもない声が……

声の方を見ると、庭に涙目になった女の子が立っていた。

 

 

 

どなた様?

 

 




『縁あれば千里』
縁があれば千里離れた所の人と出会う事もあるし、結ばれることもあるという意味。
『縁あれば千里を隔てても会い易し、縁なければ面を対しても見え難し』を略した言葉。

『里』って時代や場所で単位当たりの距離が違うんですが、この言葉の千里はどのくらいの距離なんでしょうかね。
沢山を表す『八百万』とかと同じで『とても遠い距離』という意味だとは思いますが。


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File No.04-2 妖刀 紅一文字の記憶

私があのお方と出会ったのは四百年ほど前の夏の日でした。

 

当時の稲荷狐様が一人の男を助けたのです。

空腹で門のところに倒れていたと仰いましたが、その時の私には聞こえていませんでした。

彼の魂の輝きに魅入られていたのです。

 

まっすぐで力強く、それでいて暖かな魂。

 

私はすぐにマヨイガの意思に私が彼の下へ行くと宣言しました。

マヨイガに呼ばれた者はマヨイガの妖怪を一つ持ち帰れるのです。

本来彼の下へ行く予定だった米俵が苦笑しながら譲ってくれたのを覚えています。

 

持て成しを受けてすっかり元気になった彼に、稲荷狐様が私を手渡します。

あらゆる物を断ち切る事が出来る最も御神刀に近い妖刀『紅一文字』、これを高潔な魂を持つ貴方に授けましょう──と。

 

いや~稲荷狐様、褒めすぎですよも~。

 

彼は私を受け取ると一言断ってからわずかばかり鞘から抜きます。

私の刀身が日の光を反射し、虹のごとく輝きました。

 

ふっふっふ。

眼を見れば分かります。これは惚れましたね。

当然です。妖刀の中の妖刀、紅一文字。

天下人だって持ってない最高の刀なんですからね。

 

しかし、彼は私を稲荷狐様に返しました。

え!? 何でですか! 最高の妖刀なんですよ! 普通なら一生かかっても手に入らない刀なんですよ!

 

彼は言います。

自分はまだ修行中の身。それなのにこれほどの刀を手にすればその力に溺れて剣の道を外れるかもしれないと。

 

いいんですよ、溺れても。

私が貴方を最強の剣客にしてあげます。

私を振るうだけで、手柄も思いのままですよ。

 

そう訴えますが、霊感の無い彼には私の言葉は届きません。

彼は頑なに私を受け取ろうとはしませんでした。

 

しかし、と、彼は続けます。

自分はいずれこの刀を手にするに相応しい人物になって戻ってくる。どうかそれまで待ってはもらえないかと。

 

その言葉に私はきゅんと心が締め付けられる思いがしました。

そ、そういう事ならそれまで待ってあげます。

その代わり、必ず戻ってきてくださいよ。

ずっと待ってますからね。

 

 

 

彼がマヨイガから去り、私は定位置の床の間に戻りました。

見てましたか? 妖刀仲間の宵桜(よいざくら)ちゃん。

あんな情熱的な求婚をしてくるだなんて、彼ったら完全に私にほの字ですよね。

お互いに一目ぼれとくればこれは間違いなく運命です。

 

え? 彼が惚れたのは稲荷狐様じゃないかって?

またまたぁ。そんな訳ないじゃないですが。

だって人間の女に化けていたとはいえ、稲荷狐様は(オス)ですよ。

 

 

 

それから1年が経ちました。

まだ彼は戻ってきません。

ま、まぁ、私に相応しい人になるんです。一年やそこらでは難しいでしょう。

 

 

 

あれから10年が経ちました。

まだ彼は戻ってきません。

そ、そうですよね。私を振るう剣客なのですから剣の道くらい極めていないと。そりゃぁ、10年もかかりますよね。

 

 

 

 

あの出会いから30年が経ちました。

まだ彼は戻ってきません。

お、おかしいですね。そろそろ戻ってきてもいいはずですが。

もしかしたら明日にも戻ってくるかもしれません。

 

明日にはきっと……

 

明日にはきっと……

 

明日にはきっと……

 

 

 

あの日から────

 

 

 

その日私は彼の死を知りました。

 

私と彼の縁が、私と彼の約束が、途切れたのです。

妖刀仲間達の励ましも、稲荷狐様の声も、私には届きませんでした。

 

なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで────戻ってきてくださらなかったのですか。

 

貴方が戻ってきてさえ下されば、私が貴方を認めて差し上げたのに。

私を振るうにふさわしいと、言って差し上げたのに。

たとえ剣の道など極めていなくとも、老いてかつての熱を失ったのだとしても、戻ってきてくれたなら、ただそれだけで、約束を果たしたと、認める事が出来たのに。

 

 

 

それから時が流れ、稲荷狐様も代替わりし、刀など振るうものもいなくなりました。

それでも私はあきらめる事が出来ませんでした。

 

戻る事の無かった彼との約束は、彼の死によって破られました。

だったらもう私が待つ必要は無いのです。

私が探せばいいのです。

マヨイガの意思を通して、マヨイガの認めた者を招き入れる力を使って、私は探し続けました。

 

生まれ変わって私の事を覚えていなくてもいい。

あの時恋焦がれた魂の輝きは、生まれ変わってもきっと失われていない筈だから。

 

彼が人でなくなっていてもいい。

(あやかし)となって私を手に取る事ができるまで、私は貴方の側に居続けよう。

 

私を愛してくれなくてもいい。

貴方の側にいられるだけで、私は幸せだから。

 

例え拒絶されたって構わない。

貴方が私を受け止めてくれるまで、何度生まれ変わったって探し出してみせるから。

 

 

 

そして月日は流れ、マヨイガごと違う世界に隠されたある日、私は見つけました。

彼の生まれ変わりを、ついに見つけました。

 

彼の魂は変わってはいませんでした。

まっすぐで力強く、それでいて暖かな魂。

私が惚れこんだ、そのままの魂でした。

 

いささかマヨイガと距離がありましたが、私たちの繋がりを拒めるものではありません。

彼が格の高い橋を渡った時、彼に呼掛けました。

縁を辿ってマヨイガと繋がった境界から、彼を招きました。

マヨイガの『神隠し』の力を使い、彼を連れ去りました。

そしてすぐさま彼の下へ行こうとして──

 

 

 

──稲荷狐様に止められました。

 

 

 

何をするんですか!

私と彼の間を引き裂くなら、稲荷狐様とて容赦はしませんよ。

 

しかし稲荷狐様は言います。

 

「このままかの者に飛びついても其方は出どころの分からぬ怪しい刀。いくら何度でも待つ覚悟を決めたとて、此度の縁をふいにしたくはあるまい。儂が間を取り持つ故、しばし待ちなされ」

 

うぐぐ、確かに彼にとっては私は見知らぬ刀。

前世からの縁があるとはいえ、確かにそれだけでは心もとない。

功を焦って台無しにするのは愚の骨頂。

彼には確実に私に惚れ込んでもらわなくては。

 

四百年待ったのです。

あと一日ぐらい待ちましょう。

 

 

 

彼が湯浴みを終えて客間に戻ってきました。

その(たくま)しい体が清められ、新たな魅力を放っています。

もういいですか? もう行ってもいいですか?

 

(駄目じゃ、まだ待て)

 

残念です。

 

 

 

彼がマヨイガに間借りしている人間の料理を口にしていました。

美味しそうに料理を頬張る姿に、私の心が跳ね上がります。

私も人の姿に変じて料理を覚えるべきでしょうか。

それはそれとして、そろそろいいですか? そろそろ行っていいですか?

 

(いや、まだ駄目じゃ。まだ待て)

 

まだですかぁ。

 

 

 

彼が妖札で遊んでいました。

あまり遊びなれていないのか、四位、五位と低い順位が続いています。

彼が負ける姿を見たくはありません。

私が行って助太刀を──

 

(まてまて、札遊びに刀が乱入とか何する気じゃ。五郎左殿を信じてもうしばし待て)

 

もう限界ですよぉ!

 

 

 

彼が妖札で一位を取りました。

二位以下を大きく引き離しての完全勝利です。

 

(出番じゃ。式神を向かわせたから準備しておれ)

 

稲荷狐様の声に、私はマヨイガを通じて客間を覗いていた意識を刀に戻しました。

いよいよですね。

いざ感動の再会です!

 

 

 

稲荷狐様の式神に抱えられ、ついに私は彼の下に訪れました。

 

四百年前からお慕いしております。

貴方の頼れる愛刀、紅一文字ですよ。

 

彼は私を見ると目を丸くします。

天下一の妖刀ですからね。さもありなんです。

丁重に私を受け取り、礼の言葉を述べる彼。

 

やりました! 受け取ってもらえました!

やっぱり私たちは結ばれる運命なのですね。

 

彼の腰には既に刀が帯びられていますが、妖刀にすらなっていないただの刀など話になりません。

すぐにでもその場所は私のものです。

 

彼は稲荷狐様に一言断り、私を少しだけ鞘から出しました。

もぅ、そんなに私の刀身(からだ)が気になるのですか?

いいですよ。

私の刀身(からだ)、好きなだけ見てください。

ふふふ、綺麗でしょ。

 

「号を紅一文字。あらゆる物を断ち切る妖刀ぞ。其方なら使いこなせよう」

 

なんせ貴方専用の刀ですからね。

貴方の手に馴染むように柄巻(つかまき)を調整したのですよ。

 

な、何を泣いているのですか。

侍たるものそう簡単に涙を見せては……

え? 感極まって涙が出てきた?

そ、そういう事でしたら許してあげます。

 

「さて、もう一戦と言いたい所じゃが、準備が出来たようじゃ。名残惜しいが本題に入るとしよう。其方の頭痛、それはある妖怪に呪いをかけられておるのじゃ」

 

「なんと!」

 

彼にそんな事をするなんて許せません。

そんな呪い、私が断ち切ってやります

 

「其方を一目見た時から気付いておった。故に我が式神に呪いの出どころを探らせておったのだ。今しがたその妖怪を見つけたとの報告があっての」

 

「それは、ではその妖怪を退治すれば拙者の頭痛は治るので?」

 

「うむ。しかしただ退治するだけでは駄目じゃ。その紅一文字で呪いの元、すなわち妖怪との縁を断ち切らねばならぬ」

 

任せて下さい、得意分野です。

妖怪だろうが呪いだろうがスパッとやっちゃいます!

 

「さて、式神に案内させよう。その刀で呪いを断ち切るがよい」

 

「かたじけのうござる」

 

彼は再び頭を下げると、式神に連れられてマヨイガを後にします。

その途中に私は離れていくマヨイガをじっと見つめていました。

さらば仲間たち。さらば私の半生を過ごした家(マヨイガ)。私はこの方に嫁ぎます。

 

 

 

 

 

式神に連れられてやってきた山中(さんちゅう)

ここに例の妖怪がいるのですね。

 

だんだんと濃くなってくる霧が雰囲気を醸し出します。

って、霧濃すぎないですか!?

この霧、妖気を含んでいます。

まさか例の妖怪の仕業!

 

ならばこの霧、私が断ち切って見せましょう。

 

「いけますか? 紅一文字殿」

 

私に手を掛け、彼が問います。

殿なんて水臭いです。紅一文字と呼び捨て、いえ、(べに)と呼んでいいのですよ。

 

あらゆるものを断つのがこの妖刀紅一文字。

形なきものとて例外ではありません。

私を一閃してくだされば、霧はたちどころに晴れるでしょう。

さぁ、初の共同作業です。

 

 

 

彼は私を鞘から抜き放ち、横薙ぎに振るいます。

するとあれだけ濃かった霧が上下に分かれ、霧散していきます。

 

視界の晴れたその先に、それはいました。

禍々しい妖気を纏った髑髏(しゃれこうべ)が浮いていたのです。

あの髑髏(しゃれこうべ)から彼への縁を感じます。

あれが例の妖怪で間違いないでしょう。

 

「紅、準備は良いか?」

 

いつでも行けます!

彼を害する妖怪よ! この紅一文字が痛みを感じる間もなく断ち切ってあげましょう。

髑髏が陰の炎を飛ばしてきますが、そんなもの彼には当たりはしません。

 

「はぁ!!!」

 

裂帛の気合とともに振るわれた私は、彼に繋がる縁ごと妖怪を切り伏せました。

髑髏は真っ二つに割れ、妖気は既に残り香しかありません。

 

「おお、今まで鳴りやまなんだ頭痛がぴたりと()んだ」

 

おめでとうございます。

 

「お前のおかげだ、ありがとう。紅」

 

いえいえ、貴方様の刀として当然の事をしたまでです。

 

 

 

……ちょっといいですか?

もしかして私の声聞こえてます。

 

「うむ。紅一文字を手に取った時からどこぞより声が聞こえると思っておったが、お主だったのだな」

 

え? え? え?

本当ですか!?

ふふふ。これも私たちの愛のなせる(わざ)ですね。

以前会った時は何度叫ぼうと聞こえなかったというのに。

来た、これは来ましたよ。大当たりです。

 

「紅は昔、拙者とあった事があるような口ぶりをするが、生憎だが拙者にはとんと覚えがない。紅さえよければ何があったのか教えてくれないか?」

 

いいですよ、いいですよ。

何度でもいくらでも語りましょう。

私たちの始まりを。

待ち続けた四百年を。

これからの未来を共にあるために。

 

 

 

ところで、そろそろ人間の女子(おなご)(へん)じようと思うのですが、どんな娘が好みですか? ()()()




先代の稲荷狐様が女に化けていた理由は『楽だから』。
狐は陰に属する動物なので、オスでも人間に化ける時は女性の方が化けやすいのです。

ちなみにコンはメスですよ。


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File No.05-1 『焼き餅は狐色』

「嘘なのだ!!」

 

突然庭の方から聞こえた声。

そちらを見ると、黄金色の髪をした少女が涙目でこちらを見ていた。

 

若い、というよりむしろ幼い。

見た目の年齢を言えば辛うじて10は超えているかというところだ。

さらに言えば()()()()()()()()なのだ。

おそらくだが異世界人ではない。

 

「タケルの(つがい)はボクなのだ!! 取ったら許さないのだ!!」

 

え? え? え?

何の話!?

 

少女の怒気と共にピンと立った耳と()()()()()()()が現れる。

その姿は正に──

 

「九尾の狐」

 

「そうなのだ! ボクには尻尾が九本ある! 狐は尻尾の数が多いほど凄いのだ! だからそっちの尻尾が四本しかない狐よりボクの方がタケルに相応しいのだぁ!!」

 

なんか必死に訴えかけているが、顔は涙目である。

それは大事なものを奪われまいと勇気を振り絞る幼子のようだ。

 

実際、狐妖怪は尻尾の数が多いほど凄いというのは事実である。

そしてその最大数は九本。

そういう意味ではこの少女は狐妖怪の最高位にいると言ってもいいだろう。

ただ、まぁ──

 

「落ち着けぃ」

 

「へぶん!?」

 

コンのチョップが少女に炸裂した。

瞬時に人に変化して放たれたそれは綺麗に少女の額にクリーンヒット。

少女は頭を抱えて(うずくま)っている。

 

先の話はあくまで()()()()()()()の話だ。

コンのような霊狐はどちらかというと神獣に分類される。

一応霊狐も妖怪としての特徴を持っているのだが、一般的に狐妖怪と言えば野狐の事を指す。

野狐とは神性を持たない狐の総称であり、実は普通の狐も含まれていたりするがその辺は一先(ひとま)ず置いておくとしよう。

 

そして霊狐は九尾に至った野狐が修行や信仰等により、肉体を失い神性を得た存在だ。

ぶっちゃけ霊狐というだけで九尾より凄いのだが、霊狐は狐本来の(かたち)へ還る気狐や()()()()()()()()()()()空狐などのように、尻尾の数は割とまちまちだ。

そして霊狐の最上位である天狐は凄くなれば凄くなるほど尻尾の数が減っていく。

天狐の尾の最小数は四本であり、コンは四尾の天狐。

野狐の九尾など相手にならないほど高位の狐なのだ。

 

ちなみに、『白面金毛九尾の狐・玉藻御前』を前記の話に当てはめてはいけない。

彼女は九尾の狐の例外中の例外。規格外中の規格外なのだから。

 

「どこから聞いていたかは知らぬが、儂の(つがい)はタケルの過去世じゃったと言うだけの話。タケルに(つがい)はおらぬ」

 

まぁ、彼女いないからね。

 

「そもそも、其方(そなた)がタケルの(つがい)とはどういう事じゃ? 事と次第によっては応援するのもやぶさかではないぞ」

 

コン!? いや俺も気になってはいたが、心当たりがない。

 

「……したのだ」

 

「なんじゃ?」

 

()()()()()()!! タケルがボクをお嫁さんにするって!!」

 

 

 

はい!?

 

 

 

 

 

「第一回『タケルの嫁になりたいかぁ!!』」

 

「なのだぁ!!」

 

え? え?

いきなり話が飛んだんだけど!?

そしてノリがいいな、お前ら。

 

「やることは簡単。お題に沿って自らの魅力を主張し、タケルに嫁に来て欲しいと思わせれば勝ちじゃ」

 

「らくしょーなのだ!」

 

「頼もしいのぅ。では最初のお題は『夕餉(ゆうげ)(晩御飯)』じゃ。男の胃袋を掴むのは大事じゃぞ」

 

「任せるのだ。美味しいものの見分け方は知っているのだ」

 

「食材や道具はマヨイガのものを自由に使ってよい。では始め!」

 

「なのだー」

 

元気よく飛び出していく狐娘。

それを見送ったコンはふぅと息を吐き体を伸ばす。

 

「さて、分かったことを整理するとしようか」

 

おう。俺には何が何だかさっぱりなんだが。

 

「まず、あやつの言っておった約束についてじゃが、タケルの過去を見る限り多分これじゃなというものがあったぞ」

 

マジか。完全に覚えが無いのだが。

 

「無理もない。当時のタケルはまだ五歳じゃったしのぅ。あ、満年齢でじゃぞ」

 

五歳とか小学校入学前じゃん。

絶対結婚の意味も分かってないよ。

 

「相手が妖怪というのも理解してなかったじゃろうしな。じゃが、約束は約束じゃ。少なくとも()()()()()()()()()()()()()

 

何してんだ当時の俺! と言ったところでどうにもならんよな。

妖怪と約束するという意味はよく知っている。

なにせ具体例が目の前にいるのだから。

 

「約束が成立してしまった以上、タケルが取れる選択肢は少ない。勧められぬものを含めても四つじゃな」

 

一つ目は約束を守って結婚する事。

 

別に絶対に結婚したくないという訳ではない。

可愛い子だったし、そんな子から好意を向けられるのは素直に嬉しい。

容姿の幼さが気にはなったが、コン曰く妖怪としては成熟しているとのこと。

つまり見た目が幼いだけの大人の女性と言えるわけで、それなら別に構わない。

 

俺がすぐにこの選択肢を選べなかったのはあの子の事を何も知らないから。

ある種の恐怖心と言ってもいい。

まぁ、これは俺が歩み寄れば時間が解決してくれる問題ではある。

 

二つ目はあの子を殺すこと。

 

いや、選択肢に入れておいてなんだが、完全に論外だろ。

あんな言動しておいて実は超凶悪な妖怪でしたとかでもない限り取れる選択肢ではない。

あくまで『妖怪との約束は当人が死んだら無効』というルールを逆手に取る方法があるというだけの話だ。

 

三つめは俺が死ぬこと。

 

話としては二つ目と同じだ。

俺が死んだとしても約束は無効となる。

もちろん論外も論外である。

少なくとも結果と代償が釣り合っていない。

 

四つ目は約束が勘違いだったとあの子に認識させる事だ。

 

なお、(しら)を切ったり「そのつもりは無かった」とかは即アウト。

あくまで「こういう勘違いをしている」と説明して、相手が納得すれば約束自体が無かったことになる。

納得しなかったら? 選択肢が二つ目と三つ目しかなくなる。

妖怪との約束を否定する事は、それほどリスクがあるのだ。

 

そうなると選択肢は実質一つしか残っていないわけだが、実はここで取れる道が二つある。

すぐ結婚するか、後から結婚するかだ。

 

要するに約束は果たすけどもうちょっと待って、というのだ。

当然これには理由がいる。

相手を納得させて約束に追加事項を加えるのだ。

 

もちろん約束を果たす気が無いと思われては駄目。

無難なのは年齢を盾にすることだが、妖怪的には数え年で十五・六もあれば十分結婚出来る年齢らしいので相手が納得してくれるかは微妙なところ。

 

「別に良いのではないか? 聞いていなかった許嫁(いいなずけ)がおったと思えば」

 

嫌じゃないのよ、うん。

いきなりの事で心の整理が追い付いていないだけで。

あと、あの子の正体が分からないのも決めきれない原因だ。

 

狩谷(かりや)の九尾、だっけ?」

 

「そう名乗っておったの。ただ、そのような妖怪など聞いたことが無い」

 

狩谷というのが地名かはたまた人名か。

谷で狩りをして暮らしていたから狩谷という可能性もある。

はっきり言って候補が多くて絞り込めない。

 

「『宿命通』でも見通せぬからおそらく付喪神とか器物関係の妖怪とは思うんじゃが」

 

コンの言う通り、あの子には『宿命通』が通じなかった。

 

これは別にあの子が防いでいるとかではなく、器物に魂が宿ったタイプの妖怪の過去は非常に見づらいという『宿命通』の仕様上の問題だという。

前世という過去が無いため、過去を見る取っ掛かりが無いのだそうだ。

理屈は説明されても分からなかったが、見えないのでは仕方ない。

 

一応、時間を掛ければ不可能ではないそうだが、よほど運か能力が無ければ十日や二十日で出来るようなものでは無いらしい。

ちなみに前世を持つ()()()()()()()()()()相手なら問題なく通じるらしいが。

 

「今、縁を辿(たど)って確認しておるからもう少し待て」

 

それしかないか。

そんなやり取りをしていると、どたどたと足音が聞こえてきた。

 

あの子が帰ってきたようだが、妙に早い。

マヨイガの台所を使ってもここまで早くなるとは思えないのだが、何か分からない事でもあったんだろうか。

 

「ご飯の用意が出来たのだ!」

 

現れた狩谷の九尾が持ってきたのは籠一杯に入った生野菜。

一応洗ってはいるようだが、素材の良さを生かしすぎである。

 

「一番おいしいの持ってきたのだ。食べるのだ!」

 

そう言ってニンジンを一本差し出してくる。

純粋なキラキラした目でこちらを見ている事から、これが嫌がらせの類で無いことは分かる。

だが、流石に晩御飯がこれというのはちょっと……

 

「なぁ、料理って知ってる?」

 

「? 聞いた事はある気はするのだ。でも何かはしらないのだ」

 

……マジか。

 

「教えてあげるから台所に行こうな」

 

「? 分かったのだ」

 

別に女性は料理ができなくてはと思っている訳ではないが、流石にあれは無い。

 

 

 

 

 

夕食を作ってみんなで食べ、ゆったりとお風呂タイムである。

あ~、癒されるな。

 

「第二回『タケルの嫁になりたいかぁ!!』」

 

「なのだぁ!!」

 

何事!?

 

見れば湯着を着たコンとすっぽんぽんな狩谷の九尾がそこにいた。

いつの間に入ってきた!?

 

大事なところを全く隠さず堂々としている辺り、羞恥心というより恥ずかしい事という認識自体が無いのだろう。

体形が体形なので子供の裸とみれば、うん、欲情はしなくて済みそうだ。

 

「今回のお題は『背中流し』。一人では難しい事も二人なら簡単じゃ」

 

言っている事は間違っていないが、いまいち釈然(しゃくぜん)としないのは何でだ?

 

「タケル、背中を綺麗にするからこっちに座るのだ」

 

実は湯舟に入る前に一通り体は洗っているのだが……せっかくだしお願いしようか。

 

湯舟を出て指定された場所に座る。

元々一人で入っていたので隠すものは何も無かったが、狩谷の九尾の羞恥心が無さ過ぎて隠す気も起きん。

コンの方は今さらだ。

 

「それじゃ、始めるのだ」

 

狩谷の九尾が何かを手に取り──

 

「待て待て待て待て待て!」

 

コンに止められた。

一体どうした。

 

「それで何をする気じゃ!」

 

狩谷の九尾の方を見ると、その手には亀の子たわしが。

それで何をする気だ!

 

「うみゅ? 何か間違えたのだ?」

 

その後コンが丁重に教えることで無事背中を流してもらうことが出来た。

気持ちよかったけど、コン、尻尾洗いなんてマニアックな事教えないの。

それを疑いもせずに素直に実行する狩谷の九尾の純粋さにちょっと不安を覚えたのだった。

 

 

 

 

 

日も落ち、辺りもすっかり夜の(とばり)が下りたころ。

そろそろ寝るかと布団を敷いた。

 

ちなみに狩谷の九尾の寝床は別室にコンが用意している。

マヨイガに来て俺もすっかり早寝早起きが身についてきたな。

照明の関係で夜遅くまで起きている理由が無くなったともいえるが。

 

「第三回『タケルの嫁になりたいかぁ!!』」

 

「なのだぁ!!」

 

またかよ!

今度は何だ。

 

「お題は『夜の営み』じゃ。床上手は夫婦円満の秘訣じゃぞ」

 

おい、ちょっと待て。

 

「それなら何度も覗いたことがあるから分かるのだ」

 

そういう知識はあるのか……覗いた?

 

「でも、あれって夫婦(めおと)になった人がするものだって聞いたのだ。ボクとタケルはもう(つがい)になっているのだ?」

 

「いや、まだじゃな。じゃが、夫婦でなくとも出来ることはある。特に狐妖怪には吸精という名目もあるのじゃから」

 

そうだな、その名目で思いっきり搾り取ってくるもんな、コン。

 

狐妖怪は基本的に性別問わず陰に属するため、自身で持っている陽の気が少ない。

なので陽の気が強い男から精力と共に頂いてしまおうという訳である。

狐妖怪が男をたぶらかす理由はだいたいこれだ。

霊狐にまでなると大気中の陽気を取り込めるようになるので必要はなくなるが。

 

「それでは説明も終わった事じゃし、いざ吸精じゃ」

 

「なのだぁ!」

 

ちょっと待て!

げ、体が動かん。これはコンの金縛り!?

しかも喋れない!?

まだ心の準備が!

 

ちょっと待てぇ!!!

 

 

 

 

 

「おはようタケル。朝なのだ」

 

布団ごと体をゆすられて意識が浮上する。

もう朝か。

 

寝ぼけ眼で起こしてくれた相手を見る。

あれ? コンじゃ無い?

あぁ、九尾ちゃんか。

 

「おはよう、九尾ちゃん」

 

布団から出て挨拶をする。

 

狩谷の九尾という呼び方はいまいち呼びづらく、かといって名前を付ける訳にもいかない。

なのでいくつかの候補と共に本人に選んでもらったところ、可愛いという理由でこの呼び名になった。

 

「もう少ししたら朝ごはんが出来るのだ。だから着替えたら居間に来て欲しいのだ」

 

昨日は野菜をそのまま持ってきた娘ではあるが、これはガチで料理というか人間の食事に関する知識が何も無かったかららしい。

現在はコンに料理を習っているところだそうだ。

 

「わかった」

 

俺が答えると九尾ちゃんは嬉しそうに台所の方に歩いて行った。

 

結局、昨日の夜の営みとやらは添い寝で終わった。

コン曰くまずはお互いに慣れるところかららしいのだが、それならそうと先に言え。

確かに添い寝でも陽の気を取り込めなくもない。効率を度外視すればだが。

 

「タケルよ、ちょっと良いか?」

 

寝間着を着替えようとした直後、コンが部屋に入ってきた。

九尾ちゃんが部屋を出てすぐ、入れ替わりになるかたちで。

ちなみに今日のコンは30歳くらいの見た目に変化している。

 

「居間に行ってからじゃダメか?」

 

「狩谷の九尾の居らぬところが良い」

 

了解、と言いながら着替えようとするのを一旦やめる。

着替え終わったら居間に行くといったから、着替える前に聞かないといけないからな。

 

「あ奴の正体が判明したので伝えておこうと思ってな」

 

それは朗報。何だったの?

 

「狩野の九尾の正体は『屏風覗き』じゃよ」

 

『屏風覗き』? 確か夜中に屏風の裏から覗き込んでくる妖怪だったか。

覗いてくるだけで害はないそうだが。

 

「うむ。どこぞの家の寝室に飾られていた屏風じゃったらしい」

 

あぁ、それで夜の営みの知識はあったのか。

覗いてたって言ってたし。

 

ただ、それなら何で九尾の狐なのだろうか。

所説あるが屏風覗きは屏風の付喪神だそうだし、『宿命通』で見通せないらしい事からほぼ確定だろう。

それなら狐の姿である必要はなく、そもそも九尾を名乗る理由もないのだが。

 

「それなんじゃが、屏風覗きには外側から覗き込むものと屏風に描かれていた絵が抜け出すものがあっての」

 

なるほど、その屏風には九尾の狐が(えが)かれていたと。

 

「正解じゃ。狩谷という署名もあった故、狩谷という絵師の描いた九尾の狐じゃから『狩谷の九尾』で間違いないじゃろう」

 

絵師の名前だったのか。

 

「ただ、一つ気になる点があってのぅ」

 

気になる点?

どこかおかしいところがあったか?

 

「正体は特定したんじゃが、その屏風は現世にあるんじゃよ。今現在もな」

 

ん? それが何か……あ、そうか。

九尾ちゃんの正体が現世にある屏風の付喪神なのなら、九尾ちゃんがここにいるのはおかしい。

 

今、マヨイガは異世界にあるのだ。

本体から抜け出るタイプの付喪神は、その移動距離に限界がある。

普通であれば庭を含めた家の中程度。

妖力の強いタイプでもせいぜいが同じ町内くらいが限界だ。

とても異世界まで来ることはできない。

 

「一応、本体から離れている間に神隠しにあったのであれば異世界にいる事は説明できるのじゃが……」

 

はっきり言ってそれは人間が突然宇宙空間に飛ばされたに等しい。

移動距離に限界があるのは、本体から離れすぎると妖怪が存在する為に必要な要素が供給できなくなるからだ。

もし九尾ちゃんが神隠しに遭ったのなら、まともに生き(存在し)ている事すら難しい。

 

コンもそれは分かっているから言葉を濁したのだろう。

無稽だと。

 

「じゃから、儂はあ奴を信用しきれぬ。あぁ、勘違いせぬように言っておくが、天狐としての儂は狩谷の九尾を好意的に思っておるぞ」

 

コンは一旦ここで言葉を区切った。

コンが九尾ちゃんを好意的に思っているのは本当だろう。

でなければあんなに九尾ちゃんを俺に(けしか)けることはしないだろうから。

 

「じゃが、タケルの守護狐の儂としてはまだ信用できぬのだ。いくらあ奴が善性であろうとも、その不明瞭な点がタケルを害さぬ保証はない。こういうものは得てして本人の意思とは関係なく起きる物じゃからな」

 

だから、ずっと九尾ちゃんを見張っていたのだろう。

昨日から俺とコンが一部屋でも離れる時、コンは必ず九尾ちゃんの側にいた。

さっき九尾ちゃんが起こしに来た時も、入れ替わるようにコンが現れた。

何があっても動ける位置で、目を光らせていたのだろう。

 

これは九尾ちゃんが何者なのか真に判明するまで終わらない。

コンが俺に憑いた守護狐だから。

 

()()()()()()()()()()()()()から、コンの意思とは関係なく、俺を害する危険を見過ごせない。

危険があるのかどうかも分からないものを、放置する事はできない。

例え何らかの危険があったとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()、コンも安心して九尾ちゃんを信用することが出来るのだが。

 

それに……

 

「もしかしたらじゃが、何らかの方法で現世と繋がったままの可能性もある。現世に戻るための鍵になるやもしれんしのぅ」

 

そうなんだよね。

その可能性もあるからどっちにしろ理由を突き止めないといけないんだよね。

しかも本人には秘密のまま。

 

九尾ちゃんがその理由を自覚していれば別に問題は無いのだが、無自覚だった場合が不味い。

例え今存在している事実があろうとも、自分の存在を否定する事実を突き付けられたときにそれを否定できなければ、妖怪は存在を維持できずに消滅する。

それは流石に嫌だ。

念のため『我思う、故に我あり』とでも刷り込んでおこうか。

 

「探りを入れるのは儂に任せておれ。タケルは昨日と同じように狩谷の九尾と接すればよい。天狐の儂としては、タケルの嫁として悪くない相手じゃと思うておるからな」

 

あくまで九尾ちゃんの不明瞭なところが信用できないだけで、九尾ちゃん自体は気に入っていると告げるコン。

 

「さて、これで話は仕舞じゃ。時間を取らせて悪かったのう。早う着替えて朝餉にしようぞ」

 

そうだね。

中間報告は受けたが、ぶっちゃけそれに関して俺が出来る事は無いんだよな。

だからまぁ、その辺気にせず今まで通りでいるとしよう。

俺も結構、九尾ちゃんの事を気に入っているのだから。

 

 

 

 

 

その日は何度か「タケルの嫁になりたいかぁ!!」「なのだぁ!!」の声が響いたが、概ね平和に過ぎていくのだった。

 




『焼き餅は狐色』
女性の適度なやきもちは可愛いが、度が過ぎると嫌われやすい。餅を狐色に焼くように、程々に焼くのが良いという意味。

特にそんなシーンはありませんでしたが、ぷくーと膨れた九尾ちゃんは可愛いです。


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File No.05-2 『縁は異なもの、味なもの』

九尾ちゃんが来てからひと月近くがたったある日の事。

 

「タケルよ、良い話と悪い話があるのじゃが、どちらから聞きたい?」

 

童女姿のコンがそんな事を言ってきた。

 

ちなみに九尾ちゃんはお昼寝中。

慣れないマヨイガ生活で疲れが溜まって来たのか、最近よく昼寝をするようになった。

今日も昼食後にうとうととし始めたので、寝室に寝かせてきている。

 

「九尾ちゃんに関する事か?」

 

「じゃな」

 

そんな気はしていたが、ちょっと気が滅入る。

このタイミングでコンがそんな事を言い出したのだ。

九尾ちゃんに聞かれたくない事なんだろう。

 

「じゃぁ、良い話から」

 

その間に覚悟を決めておこう。

コンが態々そんな風に聞いたのだ。相当に悪い話なのだろう。

 

「狩谷の九尾が本体から離れて平気でいられた理由が分かったぞ」

 

おお、まじか。

 

「ようやく過去を見る取っ掛かりが見つかって『宿命通』が通じるようになったからのぅ。平気じゃった原因はある意味タケル、お主じゃよ」

 

俺が? 俺が特に何かしたつもりは無いのだが。

しいて言うならコンのいう夜の営みだが、添い寝よりは多少過激になってきたとはいえ、九尾ちゃんをまるごと維持できるような精は取られていない。

九尾ちゃんが来てすぐ、コンに頼んで当時の記憶を夢で見せてもらった事があったが、いまいちそれらしき理由も見当たらない。

 

「タケルが結婚の約束をしたからじゃよ。考えてもみよ。屏風覗きは屏風から離れられぬ。では、お主と結婚するためにはどうすればよい?」

 

えっと、屏風ごと嫁入りするか、俺が婿入りするか、か?

 

「じゃな。しかし器物から抜け出るような付喪神は本体を自分で動かすことが出来ぬ。自分で自分を持ち上げるようなものじゃからな。念力とか使えれば別じゃが。しかも、その後お主は引っ越ししたじゃろ」

 

俺は何度か親の都合で引っ越しを経験している。

その時期にも一度引っ越しているはずだ。

 

「自身は動けず、タケル本人がおらんので婿入りも絶望的。じゃが、約束した以上、諦めるという選択肢はない。じゃから狩谷の九尾はとんでもないことを仕出かしおった」

 

な、何したんだ?

 

「己を屏風覗きではなく『タケルの(つがい)という妖怪』と定義して、屏風から切り離したのじゃ。しかもおそらくは無自覚に」

 

え? それ大丈夫なの?

 

「大丈夫なわけが無い。生きながらに生まれ変わるような所業じゃぞ。信仰や伝承による変質ならともかく、それを己だけで行えば自己を見失って存在を崩壊させかねん」

 

九尾ちゃん、なんという無茶を。

 

「だけど、今九尾ちゃんが無事という事はそれが成功したって事だよな」

 

そうであってくれ。

 

「……半分はのう」

 

半分?

 

「半分は成功し、狩谷の九尾は屏風から離れる事が出来た。そうしてタケルを探し始めたのじゃ。何も告げずに居なくなってしまったお主をの。そうする内に神隠しに巻き込まれてここに来たという訳じゃ」

 

一つ言い訳させてもらうとするならば、引っ越しの事は当時ちゃんと言おうとしたのだ。

ただ、子供心になかなか言い出す勇気が持てなくて、直前になって勇気を振り絞って話に行ったら九尾ちゃんはおらず、大人たちはそんな子供は知らないという。

いやまさか良く遊んでくれた年上のお姉さん(当時俺は五歳)が妖怪だとは思わないじゃん。

 

結局タイムアップで伝える事が出来ず、そのまま引っ越しすることになってしまったのだ。

誰が悪いかと言えばぎりぎりまで話さなかった俺なのは間違いないが、五歳の子供にそこまで求めるのは酷だとご理解いただきたい。

 

「そんな訳で、既に狩谷の九尾はタケルに嫁ぐ準備は万端という事じゃ。後はタケルが受け入れさえすれば約束は成る────ここまでが良い話じゃ」

 

良い話かは即座に肯定できなかったが、九尾ちゃんが俺と結婚するためにそこまでしてくれていたことは分かった。

まったく、コンを知って妖怪と約束する意味を分かったつもりになっていたがまだ甘かったらしい。

妖怪は約束を守る為なら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことは聞いていた筈なのに。

そこまでされて応えない訳にはいかないじゃないか。

 

 

 

その前に──

 

「じゃぁ、悪い方の話は?」

 

 

 

 

 

 

 

「そっちはじゃな、────────狩谷の九尾は近いうちに死ぬ」

 

 

 

 

 

 

え?

 

 

 

 

 

「どういう事だ? コン」

 

「半分は成功した。じゃが、もう半分は失敗したのじゃ。今の狩谷の九尾は穴の開いた湯呑も同じ。まだ穴が小さい故に辛うじて無事じゃが、中身が漏れ出し続けておる事には変わりない。おそらくは、持ってあとひと月」

 

なっ!

 

「何とかならないのか?」

 

「在り方そのものが壊れかけておるのじゃ。儂がどうにか出来るようなものでは無い……………………」

 

そんな、コンですら無理ならどうしようも──

 

 

 

嘘だ

 

 

 

嘘だと言ってくれ!

 

 

 

 

 

その日、お昼寝をしていた筈の少女は、三日もの間、目を覚ますことは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三日後、九尾ちゃんは何事も無かったかのように目を覚ました。

 

夕方の空を見て「寝すぎたのだ~!」と言って夕食の支度を始めようとしたので、もう支度は済んでるからゆっくりしておくと良いと告げる。

申し訳なさそうな九尾ちゃんの頭を撫でながら、俺は意を決して言った。

 

「九尾ちゃん、大切な話があるんだけどいいかな」

 

「ふぇ? なんなのだ?」

 

「ずいぶんと待たせちゃったけど、約束を果たそうと思うんだ」

 

九尾ちゃんの顔に喜色が浮かぶ。

俺と九尾ちゃんの間に、果たされていない約束は一つしかない。

 

「俺と、結婚して(つがいになって)ください」

 

「!! 不束者ですが、よろしくお願いしますなのだ」

 

俺のプロポーズに、九尾ちゃんは目じりに涙を浮かべながら、満面の笑みで答えたのだった。

 

 

 

 

 

結婚式は神前式で行われることになった。

コンは婚姻の儀式を万全とすべく、人の姿で慌ただしく走り回っている。

あれもこれもと欲張りすぎたせいで結婚式自体が二日かかるという長期日程になってしまったが、九尾ちゃんが喜んでいたので良しとする。

 

それはいいのだが、その前に決めておかなければいけない事があるのだ。

 

「うみゅ? ボクの名前なのだ?」

 

そうなのだ。

結婚するにあたってお互いを呼ぶ名が必要とのことで、それを決めなくてはならない。

九尾ちゃんでは駄目らしい。

 

苗字は婚姻で陽宮(ひのみや)に変える予定なので『狩谷』でいいとして、問題は名前である。

儀式に使うから(いみな)(あざな)の両方がいるそうなのだ。

しかも妖怪である九尾ちゃんが自分で名前を決めるのは色々不味いらしく、俺が決めることになってしまった。

一生懸命考えたので、気に入ってくれたら良いのだが。

 

「苗字を狩谷。名を(みこと)。諱を■■■■■とかどうだろうか」

 

ヤマトタケルノミコトに(あやか)ってみた。

俺がタケルで彼女がミコト。

こじ付けで言うならば俺は実は大和(現在の奈良県)の生まれだ。

二歳の時に引っ越したので大和がどんな所かは覚えていないが、俺はヤマト(の生まれの)タケルなのだ。

そして九尾ちゃんは(ヤマトタケル)()(ミコト)だ。

駄洒落(ダジャレ)というなかれ。妖怪にとっては意外と重要だったりする。

 

ついでに(タケル)という字はミコトとも読める。

タケル=ミコトで一心同体とも言える訳だ。

 

コンにも良い名じゃと言われたから妖怪的にも問題は無いだろう。

後は九尾ちゃんが受け入れてくれるかだが──

 

「嬉しいのだ。タケルがボクに名前を付けてくれたのだ! ボクの名前は(みこと)なのだ!」

 

妖怪にとって名づけとは重要なものだ。

場合によっては自身の在り方にまで関わってくる。

 

諱の■■■■■の方も受け入れてくれたが、こちらは以前のお侍さんの(いみな)とは違い、より魂に近いものだ。

それこそ知っているのは名付けた親だけで、自分のそれを教える相手は生涯を共にする配偶者くらいだろう。

これを相手に教えるという事は、自分のすべてを差し出すに等しいともいえるほどのものなのだから。

 

初夜にお互いの(いみな)を交換しよう。

夫として俺の全てをあげよう。妻として君の全てが欲しい。

いつか死が訪れるその時まで。

 

 

 

五日後、婚姻の儀式の準備が整ったので晴れて結婚式と相成った。

着替えに少々時間がかかるからと言われ、俺は紋付の袴に着替えてミコトを待つ。

こんなのどこから調達したんだろうか。

 

しばらくすると大人形態のコンに連れられて白無垢を着たミコトが現れる。

普段の幼さが嘘のように美しく着飾ったミコトにドキリとした。

この美しい娘が俺の妻なのだ。

良く似合っていると褒めると、ミコトも顔を赤くしていた。

 

 

婚姻の儀はマヨイガの日本家屋の中で行われる。

最初は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の社の前で行われる予定だったが、あんまり広くないし座れるところもないし、そもそも宇迦之御魂神不在という事でマヨイガ日本屋敷の大広間に変更になった。

一応、神棚は用意している。

 

 

婚姻の儀式はまず『手水(ちょうず)()』から始まる。

右手で柄杓(ひしゃく)に水を汲み、それを三分の一ほど使って左手を清め、柄杓を持ち替えて同じように右手を清め、再度柄杓を持ち替えて左手で残りの水を受け、口を清める。

最後に懐紙(かいし)という和紙で口元と手の水をふき取って終わりだ。

 

 

次は『参進(さんしん)の儀』。

要するに出席者入場なのだが、神職・巫女・雅楽奏者(ががくそうしゃ)に導かれて新郎新婦(俺たち)と列席者が列になって会場へと入っていく。

神職・巫女・雅楽奏者(ががくそうしゃ)はコンの式神が担当。

列席者はマヨイガの妖怪たちだ。

 

 

式の進行を務める神職を斎主(さいしゅ)といい、今回はこんごうさんが担当する。

誰かと言えばいつも俺がつけている天狐の面の付喪神だ。

『斎主挨拶』にて彼が最初の挨拶をした後、神前に向かって一礼する。

そこにはコンが宇迦之御魂神の名代として座っていた。

正装をして神々しい気配を放っている所を見ると、改めてコンも神使なんだなと実感する。

 

 

それが終わると『修祓(しゅばつ)の儀』に入る。

斎主が祓詞(はらいことば)を述べ、身の(けが)れを祓い清める。

全員(おごそ)かにそれを受けるように。

 

 

祝詞奏上(のりとそうじょう)』では斎主がふたりの結婚を神(今回は名代のコン)に報告する。

お祝いの言葉を読み上げ、幸せと繁栄を願うのだ。

 

 

それが終わればいよいよ『三献(さんこん)の儀』である。

新郎新婦が小・中・大の三種の(さかずき)で交互にお神酒を飲み交わす。

今回は俺が未成年なのを考慮して、御神酒はノンアルコールなものを使用している。

ノンアルコールな御神酒なんてあったんだ……

 

まず「小杯」で俺、ミコト、俺の順んで飲み交わす。

最初の二口(ふたくち)は口を付ける程度にして三口(さんくち)目でいただくようにする。

次に「中杯」でミコト、俺、ミコトの順。

最後に「大杯」で俺、ミコト、俺の順だ。

 

三種の杯で三度ずつ、合わせて九度御神酒を口にする。

故に『三三九度』の儀式とも呼ばれ、こちらの方が知っている人は多いんじゃないだろうか。

これをもって夫婦の(ちぎ)りは成される。

 

 

契りは結ばれたがこれで終わりではない。

次にやるのは『誓詞奉読(せいしほうどく)』。

俺とミコトが揃って神前(コン)に一礼する。

 

それから新郎()が誓いの(ことば)を読み上げる。

昨日から何度も練習したから淀みなく言えているはずだ。

最後に自分の氏名を告げて、ミコトがそれに続く。

 

 

それが終われば指輪の交換を行う。

これは日本では明治以降に広まったものであり神前式では元々無かったものだが、近代では神前式でも行われることが多いので、せっかくだからやる事にしようと相成った。

 

三方(さんぽう)(儀式に使う台の一種)に乗せられた指輪を手に取る。

指輪はコンから結婚祝いに贈られたもので、宝石などの付属物のないシンプルな日緋色金(ヒヒイロカネ)合金製のものだ。

純粋な日緋色金(ヒヒイロカネ)は比較的柔らかい金属なのだそうだが、合金にする事で金剛石(ダイヤモンド)より硬くなり、決して錆びない性質を持つらしいので結婚指輪にはちょうど良いとはコンの言。

……さらっと伝説級の代物を用意している辺り、コンの凄さが(うかが)い知れる。

 

差し出されたミコトの左手をとり、薬指に指輪を通す。

頬を染めたミコトの顔がとても美しい。

同じようにミコトも指輪を手に取り、俺の左手薬指に嵌める。

柔らかなミコトの手の感触に包まれて、ああ、俺たちは夫婦になったんだなと実感したのだった。

 

 

指輪交換が終わり『玉串奉奠(たまぐしほうてん)』に入る。

玉串(榊の小枝に紙垂(しで)を付けたもの)を斎主から渡されるので、右手の親指を下に受け、左手の平で支えるように持つ。

夫婦そろって玉串案(たまぐしあん)(案とは物を置く台の事)の前まで進み、左手で葉を支えながら右手の平を返して玉串を半回転させて根元を神前に向け、お供えする。

最後に二礼二拍手一礼する。

 

 

続いて雅楽奏者(ががくそうしゃ)の演奏に合わせて巫女が『巫女舞』を踊る。

繁栄を願う舞である豊栄舞(とよさかのまい)が踊られる事が多いらしい。

 

 

その後は『親族盃(しんぞくはい)の儀』なのだが、列席者が全員マヨイガの妖怪でほとんどが付喪神である。

そもそも口が無くて御神酒を飲めない者も多いので、コンの式神が代表として盃を受け取る。

三三九度と同じく三口で飲み干すそうだ。

 

 

最後に『斎主祝辞(さいしゅしゅくじ)』。

斎主より言祝(ことほ)ぎ(言葉によって祝福する事)があり、これにて儀式は一通り終了となる。

『退場』の際も手順があるので気は抜けないが。

 

 

斎主、俺たち(新郎新婦)、仲人、列席者の順で退場する。

ちなみに仲人はマヨイガの意思にお願いしました。

 

 

 

これにて神前式での結婚式はつつがなく終わりを迎えた。

人によっては他にもいくつか儀式を追加する場合もあるが、一般的なのはこんな感じだろう。

それに俺たちの結婚式はまだ終わっていないので、追加の儀式をする余裕が無い。

 

まだ()()()()()()が終わっただけなのだ。

これから夜通しかけて()()()()()()に移る。

そして夜が明けたら()()()()()だ。

いや、普通はどれか一つやればいいらしいんだけどせっかくだからね。

 

ミコトは狐ではなく付喪神なのだから『狐の結婚式』は違うのではないかと思うかもしれないが、俺が幼少の頃にやらかした案件が新たに発覚してその件でな。

結果、二日掛けての大結婚式となった訳だ。

 

「ミコト、大丈夫か? 疲れてはいないか?」

 

「ボクは大丈夫なのだ」

 

ミコトは疲れた様子も見せずに花のような笑顔を見せて言った。

 

 

 

()()()、ボクはとっても幸せなのだ」

 

 

 

次の日、マヨイガに天気雨(狐の嫁入り)が降ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

コンにミコトの余命を聞かされてから一か月余りが過ぎた日。

俺とコンは二人だけになった部屋で向かい合っていた。

 

「コン、ミコトの事なんだけど……」

 

口から出るのは妻の事。

 

自分を作り変えてまで嫁いで来た妖怪の事。

 

そのせいで一か月も生きられないと言われたミコトは────

 

 

 

 

 

「うむ、存在も安定してきたようじゃし、()()()()()()()()

 

「よかったぁ~~」

 

────今日も元気に台所で昼食を作っていた。

 

 

 

宣告された時期を過ぎても悪いところが見られなかったから大丈夫だとは思っていたけど、直接コンの口からお墨付きがもらえたのはありがたい。

あの時、ミコトの余命を宣告したコンに、こう言われたのだ。

 

 

 

「儂がどうにか出来るようなものでは無い……………………じゃが、タケル、お主なら何とか出来るかもしれん」

 

え?

俺なら?

 

「うむ。狩谷の九尾の在り方が壊れかけておるのは、無理やり自分を作り変えたからじゃ。ならばそれを問題のない形に治せば死ぬ事は(まのが)れる筈じゃ」

 

そんな事が出来るのか?

 

「儂には出来ぬ。伝承や信仰による変質ならともかく、直接手を加えようとすれば存在が耐え切れずに余計に壊れるのは目に見えておる。じゃが、逆に言えば伝承や信仰による変質であれば、狩谷の九尾の形を変えることが可能ということじゃ」

 

それはそうかもしれないが……

 

「普通の妖怪にはまず使えぬ手じゃろう。伝承も信仰も、一人でどうにか出来るものでは無い。しかし『狩谷の九尾』に関してだけは別じゃ。あ奴は屏風覗きという形から己を切り離した。故にその伝承からは切り離されておる。そして新たに生まれた『タケルの番』という妖怪を認識しておる人間はお主だけじゃ」

 

そうか────九尾ちゃんは他の何でもない妖怪になったことで、俺の伝承(認識)信仰(願い)を直接受け取る場所にいるのか。

 

「お主が『狩谷の九尾』に繋がり、形を与えてやれば或いは──」

 

どうすればいい?

 

どうすれば九尾ちゃんを救える?

 

俺が何をすれば九尾ちゃんは助かるんだ?

 

「やる事自体は簡単じゃよ。まずはあ奴の存在を肯定してやる事」

 

九尾ちゃんは今『俺の番』という妖怪だ。

それを肯定するという事はすなわち……

 

「『狩谷の狐』と婚姻を結ぶ、という事じゃな」

 

何の問題もないな。

容姿良し、性格良しであれだけ俺を慕ってくれる娘だぞ。

この一か月間でとっくに(ほだ)されてるわ。

 

「では次に個としての固定じゃな。妖怪としての名は……まぁ、「嫁妖怪」でも「なのだ妖怪」でもなんでもよかろう。この件にはあまり関係ないしの。問題は個としての名前よ」

 

名前か。

 

「妖怪に名前を付けるという事はどういう事か、知っておるじゃろ」

 

まぁ、目の前に実例がいるので。

 

「それを一段階進めて名前で縛る。タケルと縁のある名前を与えて繋ぎ留めよ」

 

妖怪に自分の一字や縁のある名前を付けることで、その妖怪を自分の影響下に置きやすくすることが出来る。

半面、その妖怪に何かあったり縛りを破られた場合にはその影響分だけダイレクトに跳ね返ってくる諸刃の剣だ。

 

さてどんな名前がいいだろうか。

 

「まぁ、すぐにとは言わぬが早めに決めるが良い。それが済めば婚姻の儀式を行う」

 

つまりは結婚式だな。

 

「この儀式をもってタケルとの結びつきを強くし、『狩谷の九尾』の在り方を明確にする。なるべく強固にすることが望ましいので人の婚姻と妖怪の婚姻、両方行うとよい。あとは狐の婚姻じゃな」

 

狐の婚姻? やるべきと言うなら無論やるが、何で?

九尾ちゃんを狐として定義づけるのか?

 

「いや、単純にお主のせいじゃよ。夢に見せたとは思うが、お主、何で狩谷の九尾を娶ると言ったか覚えておるか」

 

うっ、それは……覚えてはいるけれども。

 

「『狐の嫁入り? 見てみたい』『ならボクと結婚したら見れるのだ』『じゃぁ、お姉ちゃんと結婚する』じゃぞ。狩谷の九尾に誘導された感はあるが、結婚の約束を軽々しくしすぎじゃろ」

 

当時五歳の子供だという事を考慮願いたい。

そもそも結婚の意味も嫁入りの意味も知らなかったのだから。

子供にそれを考えろというのは酷すぎるだろ。

 

「じゃから狩谷の九尾と結婚した結果、狐の嫁入りを見ることにならねば約束が果たされていない事になる恐れがあるんじゃよ」

 

一応、恐れがあるだけで問題のない可能性もあるが、念のため万全を期したいとのこと。

嫁が狐、連なる狐火、天気雨。

とりあえず全部やれば大丈夫じゃろというコン。

 

俺が当時見たいと言ったのは天気雨なのだが。

 

 

 

 

 

それからミコトの名前を付け、結婚式を挙げた後、フェルドナ神に結婚した旨の手紙を書いた。

俺とミコトが結婚したことを周知させることで存在の確定を促すのだとかなんとか。

神であるが故、人より妖怪に近いフェルドナ神ではあまり効果は期待できないそうだが、やらないよりは良いとのこと。

無論、山元(さんもと)五郎左衛門(ごろうざえもん)殿にも書いたが、マヨイガから距離があり所在が掴めなかったそうだ。

 

すると律儀にもフェルドナ神は結婚祝いの品を持って祝いに来てくれた。

お稲荷様の神使であるコンからの手紙ならともかく、他の神を祀っているただの禰宜からの結婚報告の手紙など読んだだけで終わりでも問題なかった筈なのに有難い事だ。

 

立場上、直接俺たちを祝福することが出来ないらしいので、フェルドナ神がコンにお祝いの言葉を述べ、それをコンが俺たちに伝える形をとる。

俺たちも横に控えていたので直接言っているようなものだが、こういう手順や様式は神や妖怪には重要な物らしい。

 

今回はコンが宇迦之御魂神の名代と名乗ったことで、フェルドナ神は会談中ずっとコンを上に置いた対応をしていた。

実際出会ってはいなくてもお稲荷様の方が格上と判断されているようだ。

 

フェルドナ神は甘いものが好きらしいので引出物として和菓子の詰め合わせと甘味の強い野菜をいくつか(コンが)送る。

宇迦之御魂神は食べ物の神様だからね。

 

 

 

 

 

フェルドナ神も帰り、夜が訪れると夫婦の営みの時間である。

 

これも重要な俺の役目だ。

なにせミコトは現在、狐という形を残したことで陰の気は自力で集められるが、陽の気と精気が著しく不足した状態なのだ。

故に俺が陽の気と精気を送り込んであげなければならない。

 

やり方? 房中術による男女和合だ。

他にもやり方はいくつかあるが、これが一番効率がいい。

なんせ房中術は元々養生術の一つなのだから。

 

 

 

 

 

他にも細々(こまごま)とした儀式などがあったりしたが、何とかミコトを生き永らえさせることに成功した。

もちろんミコトはこの事を知らない。

言える事でも、言うべきことでもないからな。

 

俺はミコトが好きだから結婚したのだし、俺とコンだけが知っていれば──いや、忘れてしまってもいい話だ。

台所の方からパタパタと元気な足音が聞こえてくる。

部屋の扉が開かれ、最愛の妻が顔を出した。

 

「あなた、ご飯ができたのだ」

 

満面の笑みでそう言ってくるミコトに、俺も笑顔で答えるのだった。

 




とっぴんぱらりのぷう。


『縁は異なもの、味なもの』
男女の縁はどこでどう結ばれるか予想がつかす、不思議で面白いものだという意味。

ミコトちゃんからすれば『一念天に通ず』でしょうが。


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File No.05-3 嫁妖怪 狩谷の九尾の記憶

ボクがタケルと会ったのは、まだタケルが小さかった頃なのだ。

 

部屋の窓から外を覗いていると、裏の空き地で一人で寂しそうにしている男の子を見つけたのだ。

ボクはそこそこ妖力も強い方だったから、その空き地くらいまでなら屏風から離れることが出来る。

気がついたら家を抜け出して人間に化け、男の子に話しかけていたのだ。

多分、男の子の放っていた陰の気に惹かれたんだと思う。

 

「どうしてそんなに寂しそうにしているのだ?」

 

すると男の子は引っ越して来たばかりで友達がいないという。

 

「なら、ボクが友達になるのだ!」

 

「おねえちゃん、いいの!?」

 

正直、ボクも友達なんていなかったから憧れていたのだ。

 

屏風覗きとして、屏風の付喪神として、屏風からあまり離れられないボクは時折この空き地に遊びに来る子供たちにいつの間にか混ざることぐらいしかできなかった。

いつの間にか増えている遊び仲間でしかなく、明確にボクと認めて友達になった子はいなかったのだ。

 

タケルとはいっぱい遊んだのだ。

 

次の日も、その次の日も。

 

「おねえちゃん、おなまえはなんていうの?」

 

「ボク? ボクは狩谷の九尾なのだ」

 

「きゅーびちゃんっていうんだ。きゅーびちゃん」

 

その次の日も、さらに次の日も。

 

「きょうはなにしてあそぶ?」

 

「今日はかけっこをするのだ」

 

「よーし、まけないぞ」

 

だけど、次第にタケルが来ることは減っていった。

原因は分かっているのだ。

ボク以外にも友達が出来たのだ。

この空き地でしか遊べないボクと、いろんな所で遊びまわれる友達。

その友達の方に惹かれていくのは分かっていたのだ。

 

どうしたらタケルと一緒にいられるだろうか。

どうしたらタケルは一緒にいてくれるだろうか。

 

悩んで、悩んで、悩んで、ついに見つけたのだ。

友達じゃなくて家族なら、タケルと一緒に居られるのだ。

ボクが、タケルの(つがい)になればいいのだ。

そしたら、タケルの家族になれるのだ。

 

……なんだろう、タケルと(つがい)になる事を考えると、心がどきどきするのだ。

 

 

 

ある日、ボクはタケルに言ったのだ。

 

「タケル、ボクと番になって欲しいのだ」

 

言った、言ったのだ。

断られたらどうしようという言葉が心の中でぐるぐる回っているのだ。

早く、早く返事をして欲しいのだ。

でないとどうにかなってしまいそうなのだ。

 

「つがいってなあに?」

 

あーーーーーー

しまったなのだ。

タケルは(つがい)って言葉をしらなかったのだ。

えっと、人間はなんて言うんだっけ。

そうそう──

 

「結婚なのだ。ボクと結婚してほしいって事なのだ」

 

いまいち分かっていなさそうな顔をするタケル。

これじゃ望みは薄いのだ。

何とかタケルの興味を引かないと。

 

「ボクと結婚すると天気雨(狐の嫁入り)が見れるのだ。お天道様が出ているのに雨が降るのだ」

 

いや、自分で言っておいてこれは無いのだ。

ボクと番になった時の利点が天気雨って……

 

「なにそれ、すごい! みてみたい!」

 

食いついたなのだ!?

 

「ボクと結婚したら見れるのだ」

 

「じゃぁ、おねえちゃんとけっこんする!」

 

え!? いいの!?

結婚してくれるの?

 

「や、約束なのだ。指切りげんまんするのだ!」

 

「うん、やくそくする」

 

タケルがボクを番にしてくれるって()()してくれた。

嬉しくって嬉しくって嬉しくって。

だからボクは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

だからきっと(ばち)が当たったのだ。

それから数日後に、タケルはいなくなってしまったのだ。

 

空き地に来た子供たちに聞いても、返ってくるのはタケルが遠くへ行ってしまったという事だけ。

どこへ行っちゃったのだ?

ボクを嫌いになってしまったのだ?

 

考えても考えても、答えの出ない事ばかり。

だったら、タケルに直接聞くしかないのだ。

ボクはタケルの(つがい)なのだ。

タケルがどんなに遠くにいても、絶対に会いに行くのだ。

そのうえで嫌われたのなら……結婚の意味を分かっていないことに気付いたのに約束()()()()()と怒るなら……ボクはいなくなる(約束を破る為に消える)のだ。

 

だから……もう一度会いたいのだ。

 

 

 

それから十年以上の時間が過ぎたのだ。

ちょっとずつ、ちょっとずつ、屏風から離れられるようになっていき、今では隣の町にもその隣の町にもその隣の町にだって行けるようになったのだ。

 

でも、タケルはいなかったのだ。

だからって諦めないのだ。

次の町にはいるかもしれないのだ。

それがだめでもその次の町には……

 

そうやって探していくうちに、ある稲荷神社にたどり着いた。

稲荷神社自体はいくつも見てきたけど、それとは比べ物にならないくらい大きな神社だったのだ。

もしかしたらタケルについて知っている神様がいるかもしれないのだ。

そう思ってその神社に足を踏み入れて────

 

 

 

その時の事はよく覚えていないのだ。

とてつもない何かを見たこと。

暖かい何かに包まれた事。

それが不思議と怖くなかったこと。

覚えていたのはそれだけなのだ。

 

 

 

気が付くと、ボクは見知らぬ家の庭にいたのだ。

家の中から声がするので覗いてみると、一匹の狐と人間の男がいたのだ。

十年以上たって成長していても分かる。

あれは、タケルなのだ!

やっと会えたのだ!

 

だけどそんなボクの幸運は──

 

『……お主は儂の(つがい)(おっと)じゃよ』

 

狐の言葉で底まで叩き落された。

 

そんな……

そんな…………

そんなのって…………

 

「嘘なのだ!!」

 

気付いたら叫んでいた。

 

「タケルの(つがい)はボクなのだ!! 取ったら許さないのだ!!」

 

タケルを取られまいと、吠えていた。

 

考えていた筈なのに。

もしかしたらタケルはボク以外の(つがい)を娶っているかもって。

その時は潔く諦めようって考えていた筈なのに。

タケルと会ったら、思いが止められなくなったのだ。

 

その思いに応えるように、狐としての耳と尻尾が現れる。

 

「九尾の狐」

 

「そうなのだ! ボクには尻尾が九本ある! 狐は尻尾の数が多いほど凄いのだ! だからそっちの尻尾が四本しかない狐よりボクの方がタケルに相応しいのだぁ!!」

 

どこかで聞いた話にこじつけて、タケルの(つがい)はボクだと吼える。

付喪神であるボクに尻尾の数は関係ないと分かっていても、それでもタケルが凄いと思ってくれるなら──

 

「落ち着けぃ」

 

「へぶん!?」

 

そんなボクの告白も、人に変化した狐の一撃で吹き飛んだ。

痛いのだ……

 

「どこから聞いていたかは知らぬが、儂の(つがい)はタケルの過去世じゃったと言うだけの話。タケルに(つがい)はおらぬ」

 

そうなのだ?

ボクの早とちりだったのだ?

 

「そもそも、其方(そなた)がタケルの(つがい)とはどういう事じゃ? 事と次第によっては応援するのもやぶさかではないぞ」

 

そんな狐の言葉に、何とか言葉を絞り出した。

『応援するのもやぶさかではない』という言葉に、ちょっとだけ期待を込めて。

 

「……したのだ」

 

「なんじゃ?」

 

「約束したのだ!! タケルがボクをお嫁さんにするって!!」

 

ボクの気持ち(願い)を叫んだ。

 

 

 

 

 

それからタケルとの生活がはじまったのだ。

何度も何度も失敗したけど、タケルのお嫁さんになる為に頑張ったのだ。

タケルと一緒にいた狐が天狐っていう高位の神使だったって事には驚いたけど、コンさんは「今はただのタケルの守護狐じゃ。気軽にコンと呼んでくれてもいいんじゃぞ」と言ってくれたのだ。

ただ、花嫁修業の時は厳しい(しゅうとめ)さんなのだ。

 

 

 

しばらくたってまた失敗して(寝過ごして)しまったある日。

 

「九尾ちゃん、大切な話があるんだけどいいかな」

 

「ふぇ? なんなのだ?」

 

まさか失敗が多すぎて愛想つかされたのだ?

 

「ずいぶんと待たせちゃったけど、約束を果たそうと思うんだ」

 

そ、それはもしかして。

ついになのだ?

ついにこの時が来たのだ?

 

「俺と、結婚して(つがいになって)ください」

 

「!! 不束者ですが、よろしくお願いしますなのだ」

 

今たぶん、ボクは泣いているのだ。

今日は今までで最高の日なのだ!

 

 

 

それからタケルがボクに名前を付けてくれたのだ。

狩谷(かりや) (みこと)。タケルと結婚式をしたら陽宮(ひのみや) (みこと)になるのだ。

なんだかタケルと繋がっている気がするのだ。

ふふ。嬉しいのだ。

 

 

 

さらに五日後には結婚式。

なんと人間の結婚式と妖怪の結婚式と狐の結婚式までやるのだ。

贅沢なのだ。

 

結婚式には付喪神たちがいっぱい集まってくれたのだ。

こんな数の付喪神を一度に見るのは初めてなのだ。

コンさんも神々しかったのだ。

 

そこでボクとタケルは(つがい)になって一緒に生きると()()()()のだ。

その証はボクの薬指で輝いている。

ボクは幸せものなのだ。

あと、天気雨(狐の嫁入り)も見たのだ。

 

 

 

そのあと神様がお祝いに来てくれたのだ。

近くの村の守護神だって言ってた。

神様がお祝いに来るなんて、タケルは凄いのだ。

 

 

 

夜も更けたら夫婦の時間。

(つがい)になったから夫婦のあれこれ解禁なのだ。

タケル、ボクはやってみたいことがいっぱいあるのだ。

ただ、コンさんに「今子供が出来るとタケルが大変だから必ず吸精をする事」と言われたのだ。

タケルのためなら我慢するけどやっぱり子供も欲しいのだ。

 

タケルと再会して、一緒に暮らして、(つがい)になって──

いつか子供を産んで、育てて、見送って──

歳をとって、おじいちゃんとおばあちゃんになって──

いつか死が訪れるその時まで──

きっとずっと、幸せなのだ。

 




『姑』は配偶者の母親を指す言葉なのでミコトちゃんがコンの事を指して言うのは間違いですが、そんなイメージという意味で捉えてください。


地味に各話のタイトルの『ことわざ』の意味をあとがきに追加しました。


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File No.06  『いつも月夜に米の飯』

「完成じゃ。ついに出来たぞ!」

 

台所でコンの声が響く。

よほど嬉しかったのか二十代くらいの姿で舞を踊り始め、式神達が一斉に拍手を送る。

俺とミコトも一応拍手しておいた。

 

まぁ、分からなくもない。

コン、頑張ったもんな。

食卓台を見ればずらりと並んだ稲荷寿司。

これがコンが狂喜乱舞している原因である。

 

 

 

マヨイガごと異世界へ来た翌日、俺たちは改めてマヨイガ内の食料を確認したが、やはりというか昔確認した通り豆腐や油揚げの類は無かった。

油揚げが大好物だったコンは(おおい)に落ち込んだものだ。

 

しかしコンは諦めなかった。

大豆はあるのだ。後は『にがり』があれば豆腐は作れる。

ではにがりはどうやって作るのか。

実は海水から塩を作る過程で取り出すことが出来るのだ。

 

塩を作るにはまず海水を煮詰め、硫酸カルシウムを結晶化させる。

硫酸カルシウムを取り除き、さらに煮詰めると今度は塩が結晶化する。

それを完全に水分を飛ばさないうちに『ろ過』すると、塩とにがりに分離するのだ。

 

多少手間と時間はかかるが、一般家庭でも作る事が出来る。

興味があれば自分で作ってみるのもいいだろう。

その場合は上記のやり方は説明を簡素にするために色々省略しているのでしっかり調べてからやってね。

ちなみににがりは豆腐の凝固剤としてのイメージが強いが、多くのミネラルを含んでいて色々な使いかたが出来たりする。

 

そしてマヨイガから行ける範囲に海があると知ったコンは早速式神を派遣して海水を採取。

人体及び霊的に害のある成分が無いことを確認したのち、にがり作りを開始した。

()し布妖怪などの協力を得、式神も可能な限り総動員してにがりを量産していく。

なんせ2丁ほどの豆腐を作る為に使用するにがりは約20ml(ミリリットル)

同量のにがりを作る為にはなんと5リットル(5000ml)もの海水が必要になるのだ。

 

にがりが用意出来たら今度は豆腐作り。

油揚げには木綿豆腐が適しているのでそちらを作る。

 

まず大豆を3倍の重さの水に漬け、水を吸わせる。

これは妖怪釜が協力してくれたので、ご飯と同じ要領で時間短縮できた。

 

一度水を切り、膨らんだ大豆の1.2倍程度の水を加えてすりつぶす。

ミキサーがあると楽なのだが、マヨイガには無いのでコンが妖術ですりつぶしていた。

これを滑らかになるまで行い、出来たものを生呉(なまご)という。

 

生呉を鍋に移して沸騰させる。

この時、焦げ付かないように注意してかき混ぜる事。

沸騰したら一度火を消し、泡が収まってきたら弱火でさらに煮る。

 

煮えたら生呉を濾し布に移して絞る。

熱いので火傷しないように注意な。

コンは念力を使って絞っていた。便利だなそれ。

絞った汁を豆乳といい、残った大豆の搾りかすが『おから』だ。

 

次に豆乳を75~80度になるようにゆっくり温める。

その間ににがりをぬるま湯に溶いておき、豆乳が温まったらゆっくりと入れる。

入れ終えたら数回ほどゆっくりとかき混ぜ、30分程度鍋に蓋をして蒸す。

15分ぐらいで豆乳全体が固まってくるが、温度が低いと固まりが悪くなり白く濁ったようになるので注意な。

 

豆腐箱(マヨイガになかったのでコンが作った)に(さら)し布を敷き、固まってきた豆腐を流し込む。

流し込んだら押し蓋をして重石をして水分を切る。

この時の重石の重量で豆腐の硬さが変わるので、お好みの硬さで作るといいだろう。

 

豆腐が固まったら箱からそっと抜き、水の中に移す。

その後、30分くらい水にさらしてにがりのアクを抜けば木綿豆腐の完成だ。

 

正直、豆腐が作れるようになったのは嬉しい。

俺の料理のレパートリーがぐんと広がるからな。

 

「タケル!」

 

油揚げは当然として他に何を作ろうかと考えていると、ミコトが呼んでいる。

どうしたのかとそちらを見ると──

 

「あ~んなのだ!」

 

箸で一口サイズの豆腐を摘まんで差し出して来た。

これはあれか、これが「あ~ん」という奴か。

何処でそんな事知ったのかと思ったが、マヨイガに来るまで人間の食事事情をほぼ知らなかった事を鑑みればコンの入れ知恵しかあるまい。

 

「あ~ん」と言いながら差し出された豆腐を食べる。

うん、濃厚な味わいで大変美味い。

 

そう言うとミコトは顔を赤くして「良かったのだぁ」と言いながら豆腐を作る作業に戻っていった。

どうやら今の豆腐はミコトが作った分らしい。

妻の可愛い姿が見れたので入れ知恵をしたコンには感謝しておこう。

 

木綿豆腐が出来たら次はいよいよ油揚げだ。

 

木綿豆腐を厚さ1cmほどに切り、さらしで包んで水抜きをする。

数時間から一晩ほど寝かせる必要があるが、マヨイガ妖怪ならあっという間に水抜き完了することが出来る。

水気が残っていたらアウトだから注意な。

 

それを(ぬる)めの油に入れて20分ほどじっくり揚げる。

表面がきつね色になったら一度鍋から取り出し、今度は180℃の油で二度揚げする。

全体的にきつね色になったら完成だ。

 

自家製油揚げ(流石ににがりは既製品を使っていたが)は現世でもコンの希望でよく作っていたから慣れたものだ。

妖怪鍋の力もあって流れるように油揚げを揚げていく。

 

お揚げコンコンきつね色~♪

狐にコンコン揚げ一つ~♪

酢飯をコンコン稲荷寿司~♪

ミコトにコンコン油揚げ~♪

 

作っている最中、適当に歌いながら出来立ての油揚げをミコトに「あ~ん」してみる。

意図を察したミコトが「あ~ん」と言いながらパクっと食べた。

 

「美味しいのだ~♪」

 

可愛いなぁ、この()

 

アツアツな上に油抜きもしていないので人によっては苦手な場合もあるだろうが、ミコトは特に気にした様子もない。

狐の嫁入りをしたからか、俺の認識のせいか、ミコトは『狐妖怪』としての性質が強い。

 

別に狐妖怪に限った話ではないのだが、動物系の妖怪は油っこいものを好む者が多いのだ。

行燈の油をなめる化け猫の逸話とか聞いたことは無いだろうか。

 

現代ならともかくかつての日本人は肉よりも魚が中心の食生活だった。

油気や脂気なんてほとんど無い。

当人たちがそんな食文化だったものだからその飼い猫にはそのおこぼれを与える訳だが、肉食動物である猫にそんな食事を与えていたらどうなるか。

当然、深刻な油不足に(おちい)る訳だ。

 

それを解決するために猫たちが目を付けたのが行燈の油。

行燈には蝋燭や菜種油を使ったものもあるが、それらはもっぱら高価で金がかかる。

とてもではないが庶民が気軽に使えるものじゃない。

じゃぁ、何の油を使っていたのかと言えば、実は(いわし)の油を使っていたのだ。

 

鰯油は安価ではあるのだが燃やすと独特の臭いがする。

それに引き付けられた猫が油気を摂ろうと行燈の油を舐めようとすれば、丁度行燈の高さ的に後ろ肢で立つような形になり──

後は行燈の光に照らされその影が障子に大きく映れば、二本足で立って行燈の油を舐める巨大な化け猫の出来上がりという訳だ。

 

そして油気不足は他の飼われている肉食動物にも起こる訳で、その結果人間に動物は油気を好むというイメージを植え付けることになる。

そうなれば人間のイメージに強く影響される妖怪達にも同様の性質が反映される。

結果として狐妖怪も油を好むようになったのだ。

 

それでも嗜好品以上の意味は無いそうだが、おやつ代わりに油を嘗めているミコトを見ることがある。

しかも行燈の油を舐める化け猫のごとく狐の姿のまま二足歩行する『経立(ふったち)形態(モード)』でだ。

可愛い。

(※人間はマネしないでください)

 

 

話が逸れた。

 

油揚げが出来たのなら次は稲荷寿司を作る。

コンは油揚げ料理の中でも稲荷寿司を特に好む。

お稲荷様の神使だからかと思ったが、その辺は特に関係ないそうだ。

 

稲荷寿司には長方形のものと三角形のものがあるが、今回は三角形の方を作る。

三角形の稲荷寿司は主に関西で作られ、狐の姿に似せていると言われているのだ。

(ちなみに長方形の方は主に関東で作られ、豊作を意味する米俵(こめだわら)を模しているらしい)

 

中に詰める酢飯もコンの好みに合わせて椎茸や人参、胡麻などの具材を入れた所謂「五目いなり」にする。

 

斜めに切った油揚げの中を開き、(ざる)に乗せて熱湯で熱湯を万遍なくかけて油抜きをする──のだが、これは俺が食べる分だけだ。

コン達はほら、さっき言ったように油気の強い方が好きだから。

 

水気を絞った油揚げを鍋の中に並べ、調味料を加えたら中火にかける。

沸いたら落し蓋をして弱火で10分ほど炊く。

もっとも、俺たちは妖怪鍋の力でその時間をスキップするが。

 

油揚げが煮汁を十分に吸ったら鍋ごと冷まして煮汁を軽く絞れば稲荷寿司用の揚げの完成だ。

 

中に入れる酢飯はコンが担当している。

干し椎茸や人参などを小さく刻み、調味料を入れた鍋を軽く煮立たせたのちに具材を入れ、十分に煮込んだら笊にあげて冷ます。

 

米は炊く際に昆布を入れておき、炊けたら昆布を取り出して別に作っておいたすし酢をかけて混ぜ合わせ、具材や胡麻などを追加してさらに混ぜる。

出来た五目酢飯を先に丁度いい大きさに丸めておくと詰める作業が簡単になるぞ。

 

後はみんなで油揚げに酢飯を詰めていく。

酢飯を奥まで行き渡るように詰めたら、最後に崩れないようギュッと握って出来上がりだ。

 

油揚げも五目酢飯もたっぷりあるからな。

さあさあさあ、どんどん作るぜ。

 

 

 

で、冒頭に戻る。

 

大量の稲荷寿司に喜ぶコンを落ち着かせ、いざ実食タイム。

以前、コンは霊的な食事をするから物質としてはそのまま残るという話をしたと思うが、実はマヨイガで作られた料理や食材は普通に食べることが出来る。

それというのも、マヨイガで作られたものは霊体と物体の境目が曖昧になりどちらにも属するようになるからだ。

これにより霊体のコンも普通に食事をすることが出来るのである。

 

これは現世の食材を使っていたとしても、マヨイガの食材を混ぜて作れば同様の状態になる。

逆に現世の食材のみで作ったり、外から持ち込んだ料理であれば物質側の存在だ。

 

ちなみにコンは化ければ肉体を持つので現世でも普通に物質的な食事をすることも出来る。

現世ではわざわざ物質的な食事まで摂る必要性が無かったし、食費の事もあって霊的な食事ばかりだったが。

 

ミコトも実は肉体を持っているので霊的・物質的両方の食事が可能だ。

流石に妖怪と言うべきか、人間と異なり栄養のバランス等を気にする必要もなく、最悪油を舐めていれば事足りるそうだが。

 

マヨイガの妖怪たちに至ってはそもそも基本的に食事をしない。

食事が可能なマヨイガ妖怪が極少数だからだ。

人の姿に化けたコンの式神は食事可能(仮面の付喪神としては食事は不可能だそうだが)なので一緒に食べる。

「天狐の式神になった付喪神の特権だな」とかのっぽさんが言ってた。

 

 

 

俺用に油抜きをした稲荷寿司を一つ食べる。

少々形が(いびつ)なそれは、ミコトが詰めた稲荷寿司だ。

 

まず感じるのは豊潤な油の舌触りと油揚げの甘味。

甘みの染みた油が広がり、口の中を喜ばせる。

これだけでも立派な馳走だが、稲荷寿司の真価はここからだ。

中の酢飯は適度な噛み応えとボリュームがあり、酸味と甘みのコラボレーションが味の変化を与えて飽きさせない。

中にちりばめられた五目がアクセントを加えることでさらに多様な味覚を演出する。

 

うーん、自分たちで作ったものだと思うと一層美味しいな。

コンもミコトも式神達も美味しそうに食べているし、俺も頑張った甲斐があったぜ。

 

「ふー満腹」

 

「美味しかったのだ」

 

「満足じゃよ」

 

三者三様に満ち足りた事を告げる俺たち。

式神達は既に食べ終え、各々の役目に戻っている。

 

これでもかと作られた稲荷寿司は大方俺たちのお腹に納まった。

より正確に言うなら、八割方はコンのお腹に納まった。

よくそれだけ入るものだと感心するほどである。

 

さて、後は片付けて稲荷寿司パーティは終わりなんだが、一つ問題が発生した。

今回油揚げを作るにあたって出来た塩、硫酸カルシウム、おからをどうするかである。

おからは簡単だ。おから料理のレパートリーは豊富だし、マヨイガの妖怪鶏にあげてもいい。

食べきれない分は堆肥にすることも出来る。

 

硫酸カルシウムはコンが加工して土壌改善に使う肥料を作るそうだ。

一部豆腐の凝固剤としても使うそうだが、みずみずしく滑らかな豆腐になる反面、大豆の風味や味を損ないやすいらしい。

 

で、問題なのは塩だ。

そうそう痛むものでは無いし生活必需品なのだから少しずつ使っていけばいいと思うかもしれない。

実際そうなのだが、ちょっと問題が発生した。

 

出来た塩を使おうとしたらマヨイガの妖怪塩壺からもの凄い量の塩が生成されたのだ。

自分の方がこんなに凄い塩をこんなにいっぱい作れるぞとアピールしたかったとの事。

俺たちが塩を作っていたことで自分が無用になるんじゃないかと恐れたようだ。

 

使われてこその道具、役に立ってこその道具という理念がマヨイガ妖怪にはあるっぽいんだよな。

やたらと『使ってアピール』してくるし。

 

妖怪塩壺に『にがり』を作った時に出来たから勿体ないので使っただけと納得させて、君の塩が一番おいしいのは知ってるからいつも使う塩を変える気は無いと安心させる。

そして何とか(なだ)める事は出来たのだが……

 

「タケル、これはどうするのだ?」

 

ミコトが聞いてくるほど妖怪塩壺が生成した大量の塩が残ったのだ。

とりあえずコンが陶器製の壺(非妖怪)に念力で詰めてくれたのだが……

何キロあるんだ? これ。

流石にこんな量の塩は使い切れないぞ。

 

「タケルよ、ここはフェルドナ神に贈るというのはどうかの」

 

フェルドナ神に?

 

「どうやらフェルドナ神の村は塩を外の商人から購入しているようじゃ。神本人はともかく守護下の人間にとって塩は生活に欠かせぬ物資。大量に手に入ったので御裾分けと言っておけば断られる理由も無いじゃろ」

 

そう言いながらコンは壺を運ぶための式神を呼び戻す。

 

「せっかくのお隣さんじゃし、仲良くできればその方が良い」

 

そうだな。

ご近所付き合いは大事だ。

 

「それに、頑張っておる新人はつい応援してしまいたくなるからのぅ」

 

ん? コン、なんか言った?

 

「独り言じゃよ。さて、これでお開きかのぉ」

 

「楽しかったのだ。またやりたいのだ」

 

そうだな、また今度やってみようか。

 

 

こうして俺たちの何気ない一日は過ぎていくのだった。

 

 

 

後日フェルドナ神からやたら感謝された。

何があったんだ?

 




『いつも月夜に米の飯』
飽きる事のない気楽な生活の例え。また、現実では中々そうはいかないということ。
灯りの少ない昔の人にとっては月の光は有難く、白米の飯も貴重で早々食べられなかったため、それが毎日続けば言う事は無いという意味。

こんな日がずっと続けばいいのに。


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File No.07-1 『日に就り、月に将む 』

マヨイガの庭で、俺は精神を集中させていた。

感じ取るのは俺自身の中を(めぐ)る霊的エネルギー。

それを両掌(りょうのてのひら)の内で回転させ、加速させる。

可能な限り加速させたら、両腕を突き出し、(てのひら)を発射口に見立てて撃ち出す!

 

「波ぁ!!!」

 

結果、俺の前にお座り状態でいたコンが、そよ風を浴びたようにポテリと倒れた。

 

『うむ、いい感じで霊波を習得してきておるの。良きかな良きかな』

 

倒れたコンがすぐさま起きて同じ姿勢に戻る。

俺がやったのは霊波と呼ばれる霊的な攻撃。

霊能力者がよく「波ぁ!!」ってやるあれだ。

 

なんでそんなものをコンに向けて撃っているかと言えば、俺の霊波の習得具合の確認の為だ。

妖術の勉強をしている俺だが、狐火や念力を習得するならまず霊力を放出する技術を覚える必要がある。

その為には霊波の修行が一番効率がいい。

 

霊波は色々応用が利くそうなので、覚えていて損は無いとのこと。

コン曰く基礎にして奥義なのだとか。

 

コンに向けて撃っているのは視覚的に分かりやすくするためだ。

実際に霊波を浴びてみて、威力の分だけ転がってみせる。

なんか霊波で吹っ飛ばしているように見えてやる気出るじゃろとの事。

 

言うまでもないが、俺の霊波ではコンはダメージどころか小動(こゆるぎ)もしない。

5回くらい転がせたらひとまず合格ラインだそうだが、倒れるだけでは先は長そうだ。

 

「波ぁなのだ!」

 

隣でミコトが霊波を放つ。

ポテッと倒れたコンがころころと3回ほど転がった。

最近勉強を始めたばかりのミコトにもう追い越されて一瞬やるせない気持ちになるが、これは仕方ない。

 

ミコトが霊力との親和性高い『妖怪』である事が一つ。

 

普段から妖術を使っているため、元々基礎はできていたのが一つ。

 

「タケル、見たのだ!? 三回も転がったのだ!」

 

「やるな、ミコト。凄いぞ」

 

そう言って頭を撫でてやると、ミコトは「にひひ」と嬉しそうに笑う。

俺が褒めるとミコトのやる気がぐーんと上がって一層頑張るのが一つだ。

 

まぁ、俺もミコトにいいところを見せたくて頑張っている面があるので何も言えないが。

一応、俺も人間にしては結構いいペースで習得出来ているらしいからな。

 

 

 

『ぬ? 客人か』

 

そう言ってコンが人に化ける。

今日は15歳くらいかな。

 

誰か来たようなので入り口を見てみるが、特に人の姿は見えない。

 

「だれもいないのだ」

 

「境界で戸惑っておるようじゃの。どれ、呼びに行くか」

 

あぁ、まだ境界付近なのか。

 

境界を抜けてからマヨイガまで少し距離がある。

一本道ではあるが、マヨイガの特性上ここからでは境界のすぐそばは目視できないし、逆もまたしかり。

とはいえ、コンが俺から離れて迎えに行ける程度の距離ではあるのだが。

 

(タケル、歓待の準備じゃ。ミコトは客間を整えておけ)

 

いきなりコンから精神感応が来た。

え? 何があったの?

 

(超大物の客神じゃよ。()()()()()()()じゃ)

 

 

 

なん……だと!?

 

 

 

 

 

マヨイガの台所で歓待の為の料理を作る。

とは言っても所詮は素人の料理。

あまり豪華なものは作れないので珍しさで勝負する。

すなわち和食だ。

 

今回マヨイガに訪れた太陽神はフェルドナ神側の神話体系らしいので、和食は珍しい分類になるだろう。

太陽の国(五郎左殿のところ)の太陽神ならまた別の対応になるだろうが。

 

ご飯は炊き込みご飯。

白米だと味が薄すぎて好まれない場合があるからな。

 

おかずに出し巻き卵と茸の天ぷら。

あと味噌汁を用意する。

 

具はとっておきの油揚げと豆腐を使う。

前に稲荷寿司を作った時にいくつか保存しておいたのだ。

中に入れたものが腐らず劣化しないという妖怪蠅帳(はえちょう)に入れておいたので保存状態は問題ない。

サイズ的に量が入らないのが難点だが超便利な妖怪である。

 

ちなみに蠅帳とは通気を良くしてかつ虫が入らないように金網等を張った戸棚の事。

折り畳みタイプの蠅帳もあるが、こちらは食卓カバーと言った方が分かりやすいか。

 

出来れば魚が欲しいが、無いものは仕方ない。

そのうち異世界の魚を釣ってきて妖怪生簀(いけす)で飼ってみようかな。

 

コンからの報告では客神は二柱。

一柱は幼児らしいのだが、大人と同じ食事が出来るので量だけ減らして同じものをとオーダーが入った。

通常の食器に加えて少し小さめの食器を用意して盛り付ける。

 

一通り料理が出来たら客間へ運ぶ。

異世界の太陽神か。

緊張するな。

 

 

 

作法に則って客間に入る。

そこにはコンの他に二柱の神が座っていた。

 

一柱は明るそうな青年。

もう一柱は幼児なんだが、オーラが幼児のそれじゃない。

青年の方はいるだけで周囲を温める正しく太陽なオーラを纏っているのに対し、幼児の方は夜の(とばり)

熱を冷まし、全てを受け止め、静寂をもたらす。

『夜』に関する神なのは間違いないだろう。

 

「紹介いたします。この者は同じく宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)に仕える禰宜(ねぎ)

 

禰宜(ねぎ)にございます」

 

コンの紹介で頭を下げる。

 

「君が異世界の人間か。見た感じ僕らの世界の人間と変わらないんだね」

 

「ぷいや~」

 

青年と幼児が興味深そうにこちらを見る。

二柱からすれば俺は違う世界の人間だ。

神としても物珍しいのだろう。

 

今の発言で分かった事は青年の方(おそらく太陽神)は異世界人を見たことがないという事。

少なくとも信仰される領域にはいない可能性が高い。

もしかしたら現世に帰る方法を知ってたりしないかなぁと期待したのだが。

 

「おっと、紹介がまだだったね。僕はプロミネディス。太陽神だ。こっちはルミナ。月の女神さ」

 

「ぷい(胸を張っている)」

 

「彼女は特殊な神でね。月の満ち欠けによって年齢が変わるんだ。だから見た目はこんなだけど大人の女性として扱ってくれるとうれしいな」

 

食事を運んで来ただけの一介の禰宜相手に態々自己紹介だと!?

なんか思ってたよりフレンドリーなんですけど!?

 

「ご紹介、痛み入ります」

 

「ははは、そんなに硬くならなくていいよ。僕達は単に旅の途中で立ち寄っただけの旅人だ。天狐くんのご厚意に甘えさせてはもらっているけど、人間の君にとっては関係のない異国の神なんだから」

 

プロミネディス神はそういうが、ではそうしましょうという訳にはいかない。

俺は宇迦之御魂神の禰宜。

そう名乗った以上、俺の印象はコンと宇迦之御魂神の評価にも関わるのだから。

 

「う~ん、ならこうしよう。天狐君、お願いがあるのだけど禰宜君には下がってもらって()()()()()()()に同席してもらってもいいかな?」

 

「差し支えございません」

 

なんともまあ、豪気な。

そうまで言われたら()()()()()()()

 

「それでは改めまして、陽宮(ひのみや) (たける)と言います。以後お見知りおきを」

 

「タケル君だね。よろしく」

 

「ぷ~い」

 

自己紹介を終えると、ルミナ神がパンパンと軽く座卓を叩く。

 

「どうしました?」

 

「さっきからいい匂いが漂ってきているからね。待ちきれなくなったんだよ。かく言う僕も興味をそそられっ放しだ」

 

これはしまった。

料理を置いたまま話し込んでしまった。

 

「これは失礼しました。是非ともご賞味ください」

 

料理を二柱の前に置く。

ルミナ神は目を輝かせ、プロミネディス神は感心したように頷いた。

すぐさまフォークを使って食べ始めたルミナ神に対し、プロミネディス神は箸を手に取ると使いかたを確かめるように数度動かしてから食べ始める。

 

箸を使えるのか。

しかし常用しているようには見えず、かといって箸使いのタブーを避けて食事しているのが分かる。

おそらく『宿命通』やそれに類する能力で俺かコンを覗いて覚えたのだろう。

それを前提で対応した方がいいな。

 

食事の方は割と気に入ってもらえたようで、出し巻き卵のお代わりを要求するルミナ神と苦笑しながら自分の分を分けてあげるプロミネディス神というやり取りを見ることになった。

出し巻き卵ぐらい追加で作りますよ。

 

食事を終え、デザートとして柏餅(かしわもち)を出しながら歓談する。

主に聞かれたのが、異世界に来てどう思ったかとかこれからどうするつもりなのかとかだ。

 

プロミネディス神は話を聞き出すのが上手く、直接聞かれた訳でもないのにいつの間にかその話題になって話してしまっている。

別に話して困る事ではないのだが、なんとなく悔しい。

 

こちらからは異世界の大きな都市や文化の話を聞いた。

60年に一度、(プロミネディス神の神話体系の)すべての神々が聖地に集い、盛大な祭りが催されるのだとか。

 

そこでは神々の代表による穢れ払い大会が行われ、優勝するとパワースポットである『金色(こんじき)の泉』を1年間独占できるのだとか。

プロミネディス神も何度か優勝経験があるそうだが──

 

「金色の泉って名前は凄そうだけど見た目が派手なだけの龍脈で、独占権と言っても記念品みたいなものだからね。参加するよりも見てる方が楽しいよ」──だそうだ。

あくまで名誉を賭けた戦いらしい。

 

他にもこの国の首都は西の方にあるとか、プロミネディス神を信仰している国は大小含めて7つあるとか、ここは大陸の端っこの方であるとか。

色々参考になる話を聞けた。

引きこもっておく予定なので役に立つ日がくるかは分からないが。

 

そうこうしている内に時間の方もいい感じに過ぎていく。

 

「おっと、思ったよりも長居してしまったね。そろそろお(いとま)させてもらうよ」

 

プロミネディス神がそう言いだし、この歓談もお開きになった。

ルミナ神にお土産の御団子詰め合わせを献上し、境界まで見送る。

境界まで歩く途中、プロミネディス神にお守りのようなものを渡された。

 

「もし、僕の力が必要になったらそれを握りしめて祈るといい。ご馳走になったお礼に力を貸すよ」

 

「ありがとうございます。もしもの時はお願いしますね」

 

使わないで済むに越したことは無いけど。

そして二柱は境界を越えて出て行った。

 

ふぅ、これで一段落か。

 

「お疲れ様じゃな。フェルドナ神の時より落ち着いて対応できていたではないか」

 

それはプロミネディス神が『お稲荷様の禰宜』ではなく『陽宮尊』を相手にしてくれたからだ。

正直、あの時まで何か粗相をしてしまわないかびくびくだったんだぞ。

ぶっちゃけお稲荷様の禰宜として神様の相手をするのは俺には荷が勝ちすぎるんだよ。

かといって居ないのも無礼になる可能性があるもんだから隠れている訳にもいかない。

 

それをプロミネディス神は個人の付き合いの場に変えてくれた。

そうなると俺自身の器量は試されるが、プレッシャーはぐっと減る。

 

「そう言えばコンは途中から全然話して無かった気がするんだが」

 

ほとんど俺とプロミネディス神が話してたぞ。

 

「タケルが来る前にお互いの要件は済ませたからじゃよ。お互いに胸襟(きょうきん)を開いて事に臨んだ故に存外早く終わってのぅ」

 

やはりお互いに『他心通』と『宿命通』が使えると話が早くて助かるとコン。

胸襟を開いたってそういう事かい。

まぁ、話は早いわな。

どういう結果になるかは別として。

 

「プロミネディス神の要件って何だったんだ?」

 

「異世界から来た儂らの調査じゃよ。目的とか脅威にならないかとか。一応名目は『旅の途中で隠れ里を見つけたから立ち寄ってみた』じゃったが、建前じゃと自分で言っておったしのぅ」

 

で、どうだったの?

 

「一言で言えば経過観察じゃ。『行動の制限はしないけどやりすぎたら警告するからその時はすぐにやめてね。あと大きな行動をする時は一言報告してくれると助かる』といった感じじゃな」

 

当たり前と言えば当たり前の話。

 

「そうじゃな。大分配慮してくれたんじゃろ。まぁ、マヨイガの起点がある場所の最高神にそう言ってもらえたのは大きい。余計なちょっかいを出される心配が減るという事じゃからな」

 

そういう意味では有難い。

というか、プロミネディス神はやっぱり最高神だったのね。

太陽神というからそんな気はしていたが、性格的にあんまりそんな感じがしなかったから確証が持てなかった。

 

「タケル、コンさん、もうお話は終わったのだ?」

 

日本屋敷からミコトが駆け寄ってくる。

 

「お待たせ。もう終わったよ」

 

「じゃぁ、ご飯にするのだ。準備できてるのだ」

 

そう言えばお腹空いてきたな。

時間的には遅い昼食だ。

 

「献立は何だい?」

 

「えーと、ご飯とお味噌汁と────」

 

そんな会話をしながら今日という一日は過ぎていくのだった。

 




『日に()り、月に(すす)む 』
物事が着実に進んでいる事の例え。
「就り」は成り、「将む」は進む。
事が日ごとに成り、月ごとに進んでいるという事。

少しずつ、でも確実に。


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File No.07-2 太陽神 プロミネディスの記憶

今回は短め。


マヨイガなる異界と異世界の神の眷属達の調査を終え、僕たちは帰路についていた。

 

ルミナは異世界の菓子をもらって満足気だ。

マヨイガで出された食事をよほど気に入ったのだろう。

時折菓子の入った箱を見てはよだれを我慢しているのが見える。

 

「ぷいや。ぷうおぷ?(なんですの? わたくしの顔に何かついてまして?)」

 

おっと、じっと見ていたのに気づかれたようだ。

 

「いやいや。あの柏餅というお菓子は美味しかったからお土産の方も期待しちゃうねと思っただけさ」

 

「ぷ、ぷいああう。ぷえぷおあぅ(こ、これはわたくしに献上された貢物ですのよ。どうしてもと言うのであれば分けて差し上げてもいいですけど)」

 

「ふふ、ありがとう。ところで、君は異世界の住人たちをどう思った?」

 

ルミナの抗議を軽く流し、今回の調査対象について聞く。

 

「ぷぅ。ぷおぷい、ぷいあぅぷおぁ。ぷいあ(そうですわね。眷属の力の大きさには驚かされましたが、真っ当な神の(しもべ)のようでしたし、異邦人である事も自覚して動いているようです。特に気にする必要もないのでは?)」

 

眷属の力の大きさもだけど、神の強さも相当だ。

残された神気や眷属からの情報を考えるに、下手をすると僕らをも上回る可能性がある。

それでいて最高神では無いというんだから、いやはや、異世界は魔境だね。

正直、宇迦之御魂なる神がこちらに来ていなくて良かったと思える。

 

「そうだね。眷属の方は放置でいいだろう。余計なちょっかいをかけて()()()()が出てこられても困る。善性の強い今のままでいてくれた方がいい。多少、善の在り方が僕達とは違っていてもね」

 

あの性格なら多少はこちらに干渉するだろうが、基本的にこちらの利になる干渉だ。

既にフェルドナという神と縁を持っているようだし、無理に止めさせるより我が子(守護下の人間)達に益になる付き合いをした方がいい。

 

フェルドナは気付いていないようだけど、使いかた次第では信仰の図版をひっくり返すほどの恩恵を既に受けている。

後はフェルドナがそれに気付くかどうかだ。

 

直接僕が言ってしまってはコン君の機嫌を損ねる恐れがある。

それはあくまでフェルドナに贈られたものだからだ。

ある意味、神の試練のようなものだ。

それを神の眷属が別の神に対して()()()というのが凄いのだけど。

 

とはいえ、さりげなくヒントを出すくらいならいいだろう。

その恩恵は我が子(守護下の人間)達にとっても太陽神たる僕にとっても有益だ。

他の神達にとっては知らないけどね。

 

「眷属の方はいいとして、異世界の人間についてはどう思った?」

 

「ぷいあぅ。ぷおぷお(別に普通の人間でしてよ。多少気使いは出来るようでしたけれども)」

 

普通の人間──神の眷属が憑いている事を除けば、肉体的・霊的には普通の人間と変わらない。

僕だって彼の過去を読み解かなければそう思っただろう。

 

「あの人間はある意味において『神の天敵』だ。なるべくなら関わりたくないな」

 

既に認識されてしまった以上、多少の影響は覚悟しないといけないだろうけど。

 

「ぷいあ(どういう事ですの?)」

 

「彼の在り方は神を変質させる。下手をすれば原型を保てないほどにね」

 

フェルドナという神と出会った時、彼はその存在を受け入れた。

違う神話体系の神と言う異物を、歓迎するでもなく、拒絶するでもなく、受け入れる。

それも自身の信仰に矛盾しないように溶け込ませる。

 

既にフェルドナは彼の信仰に取り込まれたと見ていいだろう。

無論、フェルドナがこちら側の神である事は変わらない。

ラルク村の守護神としては今までと変わらないだろう。

 

彼がただこの世界に迷い込んだだけの異邦人であれば問題は無かった。

フェルドナを信仰する人間の一人として大勢の中に埋もれ、大した影響はもたらさなかっただろう。

 

だが、彼はマヨイガという異界と共に来てしまった。

あの場所は独立した世界そのもの。

その世界で唯一の人間たる彼から信仰を受ける。

それは逆説的に世界の全ての人間から信仰を受けることを意味している。

 

結果、フェルドナは変質した信仰をもろに受けることになる。

僕やルミナのような広く信仰されている神であればある程度は問題ないが、小さな村の土地神でしかないフェルドナにとっては致命的だ。

 

とは言え、悪い事ばかりではない。

上手くいけばより強大な方向に変質する事もある。

どうやら彼のフェルドナに対する評価は高いみたいだし、悪い結果にはならないだろう。

 

そして問題はそれを本人(信仰された神)が認識できない点だ。

なんせ気づかぬ内に変質しているのだ。

外側から認識されてようやく理解できる。

 

そして気付いたところで(あらが)(すべ)はない。

何故ならその変質は悪意ではなく願いによるものだからだ。

不快感よりも心地よさが(まさ)ってしまう。

 

何故そんな事になるのか。

これは彼の信仰形態に原因がある。

彼の国ではあらゆる物に神が宿っているという。

彼にとって神様とはありふれた存在なのだ。

 

だからこそ、違う世界の神すらも()()()()()()()()()()()()()()()()

 

信仰もするだろう。畏怖も感じるだろう。敬意も持つだろう。

決して神を軽んじることは無い。

 

だが、そのうえで遠慮も容赦もしないのだ。

遠慮が無いから何だろうと祀り上げる。

容赦がないから思ったままに信仰する。

 

恐ろしい事にこれは彼が異常なのではなく、彼の国ではありふれた信仰形態だという事だ。

なんなのだそれは。

下手に信仰される(見つかる)と世界を滅ぼす邪神ですら変質させられそうだ。

気づいたら別物になって(美少女化して)そうな気さえする。

 

それをかみ砕いてルミナに伝える。

 

「ぷぅ(では……)」

 

少なくともマヨイガに訪れるのは控えておいた方がいいだろう。

こちらの世界で会う分には問題は無いが──

 

「ぷいあうぷあいあ、ぷお(彼にわたくしが本来は背が高くて胸が大きくていい感じの肉付きをしている美しい女神だと吹き込めば、そうなれるって事ですわよね)」

 

──彼は外出は……え゛!?

 

いや、まぁ、理論上は確かにそうだけども。

 

「ぷあいい。ぷおぷぅ。ぷい。ぷいう?(これは定期的に会いに行かないといけませんわね。少しでもいい印象を与えるためにお土産も用意して。名目はどうしましょう。定期監査だと印象悪いかしら?)」

 

あー、うん。

君がいいんならいいかな、うん。

僕は行かないから、行くなら一人で行ってね。

 

空を旅する二柱(太陽と月)の片割れだ。幼い姿でも旅する事に問題は無い。

 

「ぷい、ぷぅ。ぷいやぷお(待っていなさい、未来の私。目指せスーパーロイヤルわがままボディですわ)」

 

一人で輝かしい未来を夢見ている相方にため息をつきながら、マヨイガから続く道を歩く。

 

この出会いが良い未来に繋がるように。

そして我が相方に迷惑をかけられるだろう彼に届かない謝罪をしながら。

できればちょっとだけ容赦してあげて欲しいなと願望を込めて。

 

僕たちは旅をする。

 

「ぷぃ、ぷぃ、ぷあーう!(えい、えい、おーですわ!)」

 




実は既に変質が始まっているルミナ神。

初めてアンケートを取ってみました。
本編に反映できるかは確約できませんが、参考にさせていただきます。


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File No.08-1 『背に腹はかえられぬ』

ファイルNo.09には性関係の表現が比較的多くございます。
苦手な方はご注意ください。
(直接的な表現はございません)


ある日の事。

 

すっかり日も落ちそろそろ寝ようかと相成った時、コンの耳がピクリと動く。

 

『客じゃな。まっすぐ家屋の方(こちら)へ向かって来ておる』

 

こんな時間に珍しい。

マヨイガに客自体が珍しいというのは置いておいて。

 

『儂が対応するが、お主はどうする?』

 

そう言ってコンは30歳位の女性に変化する。

 

俺も行こう。

人間がいた方がいい場合もある。

大人数で行くのもアレなので、ミコトには待っててもらおう。

 

「はーいなのだ」

 

という訳で俺とコンで玄関へ。

 

 

 

()し、誰か居られませんか?」

 

外から聞こえてくるのは女の声だ。

これはコンが(あらかじ)め千里眼で確認したので分かっている。

 

「申し申し、このような夜中に一体どなたじゃろうか」

 

「旅の者でございます。道に迷い難儀しておりましたところ、山中にて立派な屋敷を見かけまして、一晩屋根を借りられないかとお願いに上がった次第でございます」

 

だ、そうだが……

 

(嘘は言っておらぬな。肝心な事は隠しておるが)

 

こういう時、コンの他心通は便利だ。

 

(まぁ、上げても良かろう。隠しておる部分も大体読めたし)

 

本当に便利極まりない。

 

玄関を開けると、そこには小奇麗な着物を身に(まと)った妙齢の美女が立っていた。

切れ長の目と細面の美しい女で、鼻筋が少し高くクールな印象を受ける。

着物は藍染の縞模様で、夜でも着物の柄がはっきり分かるほど鮮やかだ。

 

「それはそれは、暗い中大変じゃったろう。上がっていきなされ」

 

「ありがとうございます」

 

コンは式神を呼ぶと、女性を客間に案内させる。

女性も「それでは御厄介になります」と言って式神について行った。

 

 

 

……妖怪だよな。

 

「妖怪じゃよ」

 

俺の質問にコンが答える。

もうこれでもかと言うほど見事に妖怪要素てんこ盛りだった。

 

まず、彼女は最初に「申し」と言った。

これは「これから物を申し上げます」と言った意味で人に呼び掛ける時に使うのだが、基本的には「もしもし」と二回繰り返す。

何故なら「申し」一回だけだった場合、声をかけてきたのが妖怪の恐れがあるのだ。

 

妖怪にもよるのだが、それに返事をしてしまうと魂を抜き取られてしまう事がある。

だからコンは返事をせずに呼掛け返した。

まぁ、コンなら返事をしたところで返り討ちにできるが。

 

多くの妖怪は同じ言葉を繰り返して言うのが酷く苦手だ。

故に「もしもし」と二回続けて言う事で、私は妖怪ではありませんよと伝える習慣がある。

ちなみにミコトも「もしもし」が言えない。コンは普通に言う。

 

ここが異世界だからというのは無いだろう。

「申し」が普通なら以心伝心の呪いの効果で「もしもし」に変換されるからだ。

 

次に小奇麗な着物を着ていた事だ。

彼女は「山中にて立派な屋敷を見かけた」と言った。

境界が山の中にあったという事なんだろうが、普通はそんな着物で迷うほどの山には入らんだろ。

 

仮に入ったとして、夜になっても出られないほど迷って歩き回れば当然着物は汚れる。

しかし彼女の着物には汚れ一つ無かった。

直前で化けるか着替えでもしない限り無理だ。

山中で見かけたというのが嘘の可能性はコンが否定している。

 

三つ目に夜でも着物の柄がはっきり分かった事だ。

今は既に日も落ちており、現代日本と違って光源は外の妖怪灯篭(とうろう)と玄関内の妖怪行灯(あんどん)だけだ。

コンはともかく俺が着物の柄をはっきりと認識できる光量じゃない。

 

これも妖怪が化けた場合の特徴の一つだ。

ミコトの場合も暗がりでも柄がはっきり分かる。

コンは自然な感じに化けることが出来るが、そこまでやると面倒らしく、基本的に暗がりでも柄がはっきり分かる化け方をする。

今日はなぜか自然な感じに化けているが。

 

四つ目。

これは俺が霊視を使えるからで普通の人には見分けられないと思うんだが……

 

めっちゃ、妖気出てる。

 

正直隠す気あるのかというほど出ている。

妖怪に(まみ)えた事は相当数あるが、これだけ出ているのは妖怪であることを隠す気が更々(さらさら)ない上級妖怪くらいだった。

 

そして彼女はそんな上級妖怪に比べると妖気の密度が薄すぎる。

妖怪としての強さはミコトの方が上と断言できるくらい薄い。

もしかして、無理して化けてる?

 

「じゃな。致命的に陽の気が足りておらん。それを陰の気で無理やり補っておる感じじゃ」

 

そんなに無理してまで何をするつもりなのか。

 

「んー、そろそろ限界じゃから男なら誰でもよいという感じじゃったな」

 

ん? 何が?

 

「あ奴の目的じゃよ。陽の気が減りすぎたので補充したいそうじゃ」

 

どうやって?

 

「そりゃもう、一般的な狐妖怪の手段で」

 

一般的な狐妖怪の陽の気を獲得する手段と言えば、まずは自身の陽の気を高める事。

妖狐は陰に属するが、100%陰というのは存在しない。

あくまで割合的に陰の方が多い場合が多いというだけの話だ。

これを陽の割合を増やすか、器そのものを大きくして使える陽の気を増やす。

まぁ、前者はやりすぎると陰陽のバランスが崩れて体を壊す恐れがあるので基本的には後者だな。

ただし、人間が筋肉をつけたりするのと同じで一朝一夕で出来るものでは無い。

 

急いで補給する必要がある場合、大気などから陽の気を摂り込むという方法がある。

ただし、これは相当技術が必要らしく、長年修行を積んだ仙狐やそちら方面の才能に溢れた一部の天才狐でないと使えない手だ。

 

では一般的な妖狐が急いで陽の気を補給したい場合、どうするか。

吸収()()()()()陽の気を摂り込むのだ。

ではそんな性質を持つ陽の気を多分に含んだものって何だ?

 

──答えは男の『精』なんだよな。

 

人間のそれは他の動物のそれに比べて吸収されやすい性質が強いらしい。

 

「男が居るよう祈りながら声をかけ、お主を見たとたん安堵しておったな」

 

え? 俺、狙われてる?

 

「狙われとるのう。お主は陽の気が強いからの。後から来た式神には興味を示さんかったから、陽の気の強さを見る目位は持って居るようじゃし」

 

マジか……妻がいるからで断れるかな。

 

「穏便には無理じゃろうな。妖怪にとって交尾と吸精は別物じゃし、あ奴も結構切羽詰まっておったしのう」

 

切羽詰まってる?

 

「陰陽の均衡が崩れかけておった。ここで陽の気が補充出来なかった場合、死ぬことは無いじゃろうが妖狐としての力は失うじゃろうな」

 

……途中から彼女が妖狐という前提で話を進めているが、妖狐でいいんだよな。

 

「妖狐じゃよ。二尾(尻尾は二つ)じゃが」

 

狐顔だなとは思ったが、本当に狐だったか。

 

「で、どうする? 妖怪助けの為とあればミコトも怒りはせんじゃろう」

 

ミコトならちゃんと事情を話せば浮気認定はされないと思うが……やっぱり別の手段無い?

他に方法が無いのならともかく、他の手があるならそっちの方がいい。

 

「一途じゃなぁ。まぁ、狐は一夫一妻。その方が好ましいのは確かじゃ」

 

そう言うとコンは少しの間考え込んだ。

変化したコンは美人なので考える仕草も様になっている。

 

「これで行くかの。単独ではしない事を条件にすれば性格的に大丈夫じゃろうし」

 

おっ、他の手段あるみたいじゃん。

どうするんだ? 俺は何をすればいい?

 

「ん? 何がじゃ?」

 

え? だから妖狐を助ける方法。

 

「あーうむ。そうじゃのぅ。儂の持っておる陽の気を分けてやればよいじゃろ。あ奴としては陽の気さえ手に入ればいい訳じゃし」

 

なんか別の事を考えていたようだ。

何か嫌な予感がするんだが。

 

「気のせいじゃよ。さて、雄狐(おぎつね)を持て成しにいくとするかの」

 

不安が更に増したんだが……ん? 雄狐? 彼女、(おす)なの?

 

「雄じゃよ。人間の女に化けてはおるが」

 

妖狐は雄雌関係なく人間に化ける時は女に化けるというのは知っている。

これは女性が陰に属するからだ。

 

妖狐も陰に属しているので陽に属する男性よりも陰に属する女性に化ける方が簡単だ。

不足しがちな陽の気を男から搾り取る時に女の方が都合がいいからというのもある。

 

あと、誤解の無いように言っておくが、陰に属する、陽に属する、とはあくまでそちらの割合が高い傾向にあるといった意味でしかない。

陰陽揃って人を構成するが、女性は陰の気が強い場合が多く、男性は陽の気が強い場合が多いというだけの話だ。

陽の気が強い女性だっていくらでもいるし、陰の気が強い男性も然り。

 

成長していく中で陰陽の比率が逆転する事も珍しく無い。

かくいう俺も昔は陰の気の方が強かったらしいが、今は陽の気の方が強い。

 

「そう言えばお主は雄の妖狐と会ったのは初めてじゃったか」

 

うん。今まで出会った妖狐は稲荷狐とミコトを含めても五匹だが、全員(めす)だったんだよね。

しかし、化けてると分かんないもんだな。

 

「狐の変化は特化型じゃからな。化けられる範囲こそ狸や(てん)に劣るが、化ける精度で言えば負けはせぬよ」

 

狐七化け、狸八化け、貂の九化けやれ恐ろしや。

 

 

 

話している間にもコンは精神感応をミコトに飛ばしていたらしい。

軽い夜食を作ったミコトと合流して妖狐の元へ向かう。

 

客間にて(くだん)の妖狐と対面し、自己紹介をする。

妖狐は「小菊(こぎく)」と名乗った。

コン曰く、これは妖狐の名ではなく化けた女性としての名であり、人間で言えば演じる役の名と言った感じだとのこと。

その際に妻であるとミコトを紹介したのだが、諦めてくれる様子は無い。

切羽詰まっていると言っていたからなぁ。

 

すまないが、コン、後を頼む。

 

(任せておけ)

 

 

 

 

 

その後をコンに任せて就寝したのだが、特に夜分に襲撃を受けることは無かった。

コンが上手い事やってくれたらしい。

 

 

 

 

 

翌日。

 

小菊と名乗った妖狐は朝にはマヨイガを発った。

夜までに山を抜けたいので早めに出るそうだ。

 

狐って夜行性じゃなかったっけ? と一瞬思ったが、前に狐によっては昼行性の種もいるし、そもそも妖狐になったらあんまり関係ないとコンが言っていたのを思い出した。

 

ところで、小菊さんって太陽の国の方の妖怪だよね?

名前と言い服装と言い。

 

「そうじゃな」

 

太陽の国ってむっちゃ遠いんだよね。

小菊さんってそこからマヨイガに来れるほど強い縁なんてあったの?

また五郎左殿みたいにマヨイガ妖怪に呼ばれたんだろうか。

 

「マヨイガに呼ばれたのは間違いないし、実際マヨイガ妖怪も持ち帰ったんじゃが、今回は少々異なる」

 

と、言うと?

 

「前に五郎左殿が来た時に山中の古い橋を境界にしたようなのじゃが、そこにマヨイガとの縁が出来てのぅ。その橋からならそれほど強力な縁が無くても来れるようになってしまったようじゃ」

 

()()に縁を結んじゃったのか。

という事はこれからは太陽の国の人も来る可能性があると。

 

「数は少ないじゃろうがな」

 

これは太陽の国向けの料理も考えておかないといけないかな。

それぐらいしか持て成せるものないしね。

 

「有るに越したことはないじゃろうな。それはそうとミコトよ。ちょいと相談があるんじゃが」

 

「なんなのだ?」

 

そしてコンとミコトが秘密の相談を始めた。

非常に嫌な予感がするのだが、(おんな)同士の秘密と言われると俺も引き下がるしかない。

願わくばこの予感が外れますように。

多分駄目だろうなーと思いながら、女二人の密談が終わるのを待つのだった。

 

 

 

 

 

蛇足。

 

 

 

その日の夜。

日も暮れて、お客も無しとなれば夫婦の時間である。

 

「あなた……」

 

ミコトが布団の上で服をはだけさせながら誘ってくる。

結婚してからこっち、ミコトは少しずつ成長してきている。

背も少し伸びたし、胸も多少ながら確実に大きくなり始めた。

 

俺の(つがい)という妖怪として俺好みな、もしくは俺に相応しい年齢に近づこうとしているのだろう。

密かに色々努力しているのを知っている身としては、そんな小さな変化を嬉しく思う。

 

「ミコト……」

 

顔を近づけ、軽いキスをする。

それだけでミコトは蕩けるような顔に変わる。

 

その隣では童女姿のコンが自分にもと唇を突き出し────おい、ちょっと待て。

何で夫婦の秘め事の最中にコンがいるのだ。

何時もは別室に離れているのに。

 

「いや、最近吸精もご無沙汰じゃったから久しぶりにと思ってのう」

 

確かに結婚してから吸精は断っているけれども。

今まではともかく既に妻がいる身なんですよ?

それなのにミコト以外を抱くわけには……

 

「あなた」

 

「ミコトもコンに何か言って──」

 

「コンさんはあなたの守護狐なんだからちゃんと吸精させてあげないと駄目なのだ」

 

え? ミコト、まさかのコン側!?

 

「ほれほれ、妻公認じゃぞ。心配せずとも吸精では浮気にはならぬよ」

 

妖怪的にはそうかもしれないけど。

 

「あなた」

 

「タケル」

 

あ~~~もう。

 

二人の狐に迫られて、俺が何と答えたか。

それは想像にお任せするとしよう。

 




妖怪狐の変化事情。

『背に腹はかえられぬ』
大事な事の為には、他の事を犠牲にするのもやむを得ないという例え。
切羽詰まった状況だと他者を省みる暇などないという意味でも使われる。


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File No.08-2 名も無き二尾の妖狐の記憶

吾輩は妖狐である。

名前は無い。

 

名が付くほど有名でもなければ、同族より突出(とっしゅつ)して優れている訳でも無いからだ。

それどころか落ちこぼれとすら言ってもいい。

 

何とか妖に変じたまでは良かったが、妖狐の力を維持するのが精いっぱい。

いくら頑張れど尻尾は増えずに二尾のまま。

終いには陽の気が尽きかけ、後一回変化できるかどうか。

 

自然に溜まる陽の気だけでは出ていく方が多い。

どうにか人間の男を見つけて陽の気を奪わなければ。

最悪襲ってでもと考えていたら道に迷う大失態。

 

このまま陽の気にありつけず妖力を失いただの狐に戻れば、寿命を迎えて土に返るまで大した月日はかからないであろう。

せめて人を見つけさえすれば。

その一心で歩き続けて古い橋を渡った時、眼前に立派な屋敷が現れた。

 

不幸中の幸い。

 

これほどの屋敷であれば、住んでいる人間の中に男の一人くらいはいるであろう。

意を決し、陰の気となけなしの陽の気を使って人間の女に化けた。

 

しかし吾輩が妖狐だとばれたら打ち取られるやもしれぬ。

人一人程度であれば何とかなるが、二人以上だと逃げねばならぬほどに吾輩は弱っていた。

何とかして人間の男と二人っきりにならねば。

 

()し、誰か居られませんか?」

 

玄関まで行き、外から声をかける。

一人でもいいから男がいてくれ。

 

「申し申し、このような夜更けに一体どなたじゃろうか」

 

すると中から返事が返ってきた。

女の声だ。

 

「旅の者でございます。道に迷い難儀しておりましたところ、山中にて立派な屋敷を見かけまして、一晩屋根を借りられないかとお願いに上がった次第でございます」

 

嘘は言っていない。

下手に嘘をつくと感の鋭い人間には見抜かれ、不信感を持たれてしまう。

本当の事だけを言いつつ、本音は隠す。

 

玄関が開かれた。

そこに居たのは三十ほどの歳の女。

そして二十近い歳の男。

 

良かった、男がいた。

しかもこれは当りだ。

吾輩の目にも明らかなほど強い陽の気が見える。

 

「それはそれは、暗い中大変じゃったろう。上がっていきなされ」

 

「ありがとうございます」

 

女は屋敷の中から人を呼んだ。

現れたのは背の高い男であったが、陽の気があまり感じられない。

この男では駄目だ。

やはり狙い目は先ほどの男。

 

背の高い男に部屋に案内させるというので、「それでは御厄介になります」と言ってついて行った。

 

案内されたのは豪華な客間であった。

吾輩は人間の家屋について詳しくないのでこれがどれほどの物かは分からなかったが、並の住処以下ということはあるまい。

 

しばらく待っていると、先ほどの男女と十を少し超えたくらいの歳の女が入って来た。

紹介によると、若い方の女は男の妻らしい。

既婚者であったか。

 

これはいよいよもって襲うしかなくなったか。

人間は(つがい)になると途端に誘惑に(なび)かなくなる。

もちろん靡くものも居ないではないが、その可能性はぐっと減る。

この辺りは狐と同じであるな。

何とか二人きりになり誘惑してみて、駄目そうなら襲うしかないか。

 

吾輩は「小菊」と名乗った。

これは変化の参考にした人間の名をもじったものだ。

 

互いに紹介を終えた後は食事を勧められた。

(かゆ)であったが、長く迷い食事をとっていなかった吾輩にはありがたい。

味も良く、それなりに量もあった。

 

良く味わって食べ尽くすと、男と若い方の女は既に部屋から去っていた。

だが、臭いは覚えた。

寝静まったら臭いを辿って夜這いをかければよい。

 

唯一残っていた女に「馳走になりました」と告げると、女は先ほどの背の高い男を呼んで器を下げさせる。

 

「では、そろそろ本題に入ろうかの」

 

女が言った。

本題?

 

「お主、陽の気を欲っしてここまで来たのじゃろ」

 

ばれている!?

いつ気付かれた?

そんなそぶりは見せないようにしていたのに。

 

無意識の内に逃げ道を探そうとするが、あらゆる道筋が目の前の女に塞がれる想像しかできない。

この女、何者だ?

 

「落ち着け。なに、別に取って食おうという訳ではない。ただの忠告と提案じゃよ」

 

忠告だと?

 

「この屋敷で襲うような真似はよしておけ。そうなれば流石に見過ごせぬ」

 

女からの妖気が吹きががる。

こやつも妖怪か!

 

なんだこの妖気の密度は!

同族はおろかかつて一度だけ見た上位の妖怪ですらも上回る妖気。

吾輩ではまず勝てぬ。

 

話の流れからして襲うなとは、陽の気を貰うときに無理やり事に及ぶなという事だろう。

あの男が吾輩の誘いに乗ってくれれば良いのだが。

もしくは他に男がいないか聞いてみるべきか。

案内の背の高い男では陽の気が少なくて駄目だが、他に居ないとも限らぬ。

 

「それと提案の方なんじゃが、お主は陽の気が手に入りさえすれば良いという認識で相違ないか?」

 

「真っ当な方法で、陽の気が手に入るならばかまいませぬ」

 

妖怪の「真っ当」は人間のそれとは異なっているが、相手も妖怪だ。

種族が違っていてもある程度の共通認識はある。

例えば性的に襲って陽の気をいただくのも妖怪的には真っ当な入手手段だ。

 

「であれば、儂が相手でも構わぬな」

 

そう言うと相手の女は男に変じた。

先の女の特徴をそのまま男に変えたような伊達男だ。

 

特筆すべきは内包している陽の気の密度。

先の男よりも更に強い。

 

「男に抱かれて陽の気を奪うのもまた、妖狐の真っ当な入手手段じゃろ?」

 

ごくりと喉が鳴る。

 

「お願い申し上げまする」

 

 

 

 

 

翌朝、吾輩はかの屋敷を旅立った。

昨夜は男に化けた女妖に腹いっぱい陽の気を注がれたおかげで、しばらく陽の気には困らない。

 

それに仕来(しきた)りだと言って(かんざし)の付喪神を渡された。

聞けばこの簪は男寄せの簪だという。

付けているだけで『一夜限りの関係』を結べる男が寄ってくるのだそうだ。

 

吾輩のような妖狐にはありがたい。

後腐れのない関係であれば痴情のもつれに巻き込まれる恐れも減る。

そのような男が辺りに居なければ意味が無い物らしいので過信は禁物だが、この簪があるかぎり陽の気が尽きてただの狐に戻るという事は無いだろう。

 

これほどの物を貰いっぱなしと言うのも妖狐の沽券に関わる。

いずれ大成した暁には山のような金銀財宝の贈り物をしよう。

そこへ至る道も見えぬ矮小な二尾の妄言ではあるけれど、吾輩の妖怪生の目標をそれにするというのも悪くないのではなかろうか。

 

吾輩は一度だけ屋敷のあった方を振り返り、都に続く道を歩いていくのだった。

 




おかしい、最初のプロットでは女に化けた若い雄の狐がコンの実力と色香にやられて押しかけ弟子になる予定だったのに。
狐妖怪は雄でも化ける時は女に化けるよという話を書いてたらそのまま居なくなってしまった。


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File No.09-1 『俎上の魚』

今日はコン達と釣りをする予定だった。

道具も揃え、弁当(場所はマヨイガ内なので雰囲気作り用だが)も用意した。

 

しかし、いざ行こうかという時になって来客があったのだ。

何とも間の悪い事である。

 

お客はフェルドナ神。

何でもお稲荷様に用があるのだとか。

今は客間でコンが名代として対応している。

 

どうやら結構重要な話らしいが、俺は特に呼ばれてないので内容は分からない。

コンが格上の相手に対応する場合は宿主(憑き先)である俺が居ないと無礼になる場合があるが、今回のような場合は俺がいる必要はない。

 

ちなみに無礼になる理由は、俺が『憑いている狐(コン)』の主という扱いになるので『憑いている狐(コン)』だけに対応させると(ないがし)ろにされているととられるのだ。

もちろん蔑ろにしていると思われるのは俺である。

一応、居さえすればコンの方が格が高いのは一目瞭然なので全部コンに任せても問題ない。

 

あと、例外もあるが相手がコンより格下なら俺が居る必要はない。

 

そして今回はコンはお稲荷様の名代として対応しているので、俺に憑いている事は関係が無いから俺が居る必要はないのだ。

むしろ俺が居ては邪魔だ。

 

なので俺は『離れ座敷(はなれざしき)』でミコトと妖札で遊んでいる。

『離れ座敷』とは主たる建物である母屋(おもや)から離れた場所に存在する建物の事。

要は『(はな)れ』の事である。

 

いつ話が終わってコンが戻ってきてもいいように、やっているのは『陣立(じんだ)て』というルールだ。

簡単に言うと妖札版ポーカー。

 

札種や数字の数がトランプとは違うので役の種類や強さはポーカーと異なるが、それ以外は大体一緒だ。

札も一組しか使わず、『玉』も抜いている。

 

あ、今回は(ごく)(ポーカーで言う所のチップ)は無し。

二人だけだし、勝ち数で勝負を決める。

交換は任意の枚数を一回だ。

 

俺の手札は……

金の8・金の7・金の5・樹の6・土の5

交換前としては中々の手だ。

 

とりあえず連(ポーカーでいう所のワンペア)は出来ているが、駆槍(かけやり)(ストレート)と色染(いろぞめ)(フラッシュ)も狙えるんだよな。

無難に行くなら金の5と土の5を残して三連(スリーカード)以上を狙うのがいいのだろうが……

いや、せっかく朱染槍(しゅぞめのやり)(ストレートフラッシュ)が狙える手札なんだ。

負けてもペナルティがある訳でも無いのでせっかくだから狙ってみよう。

 

ちなみにロイヤルストレートフラッシュに該当する役は無い。

そもそも『(エース)』が無いしな(1は普通に1として扱う)。

 

「二枚変える」

 

「ボクは一枚なのだ」

 

(ごく)無しだし親も決めてないので交換は言った順だ。

 

さて、手札は……

 

金の8・金の7・金の5・金の3・火の1

あ、惜しい。

残念ながら烏合の衆(役無し)だ。

 

「烏合の衆」

 

ミコトももう手札交換を終えているのでオープンにする。

これでミコトは役さえ出来ていれば勝ちなわけだが──

 

「すごいのができたのだ!」

 

火の9・水の9・樹の9・金の9・土の9

 

(ここの)連環(れんかん)(9のファイブカード)だと!?

『陣立て』における最強の役だ。

初めて見たぞ。

 

「待たせたのぅ。こちらは終わったぞ」

 

そこに丁度童女姿のコンが入って来た。

見てくれコン。

ミコトが凄い手作った。

 

「ぬぅ? これは、いやはや」

 

「ボクの勝ちなのだ」

 

もう完敗だわ。

ちなみに勝ち数でもちょっと負けてる。

 

「ところで、フェルドナ神は何の用事だったんだ?」

 

「以前、婚儀の際の引出物に甘い野菜をいくつか送ったじゃろ。あれを一部、村の者に下賜しても良いかという話じゃったな」

 

そう言えば送ったのはコンだけど、お稲荷様の名代として送ったからこの件は「お稲荷様への用事」になるのか。

 

「こういう場合、勝手にあげちゃ駄目なんだっけ?」

 

あ、これは神同士の話ね。

人間同士なら別にそんなことは無い。

 

「駄目ではないが一言断わるのが礼儀じゃな。特に今回は物がモノじゃし」

 

「物がモノって、野菜だよな?」

 

「野菜は育てて増やせるじゃろ? 自分で消費する分には関係ないんじゃが、勝手に人間にあげた場合、農耕神の権能の一部を掠め取った扱いにされる場合があるんじゃよ」

 

農耕神の優位性が一部とはいえ失われるって訳か。

 

「フェルドナ神に贈ったのはマヨイガの野菜じゃから今回は関係ないがのぅ」

 

「それで、どうしたんだ?」

 

「マヨイガや儂らの名を出さぬ事を条件に許可を出した。面倒事がやってきても困るからの」

 

「恩を売りつつ厄介事は回避と」

 

「じゃな」

 

さて、話は終わってフェルドナ神も帰ったようなので、釣りを始めるとしよう。

妖札を片付け、用意しておいた釣り具を手に取る。

 

『離れ座敷』から裏庭に出ると、そこには大きな池があった。

端から端までの長さは長いところで40(メートル)ほどの楕円形の池。

池の中央には東屋(あずまや)(屋根と四方の柱だけの建物。公園の休憩所などに見られる)があり、そこまで木製の橋がかけられている。

 

コンによればあの東屋もマヨイガ妖怪であり、実は島の上に建っているのではなく船のように水上に浮いているのだとか。

水辺で竿を下ろしてもいいのだが、せっかくなので三人で東屋に行く。

固定されているが長椅子とテーブルもあるしな。

 

さて、この湖なのだが、実は水面が『水中と水上を分ける境界』に繋がる出入り口の役目を持っている。

つまりマヨイガに居ながら好きな水面に釣り糸を垂らす事ができるのだ。

 

とりあえず今日はにがりを作る時に水を汲んできた海に(コンが)境界を繋げる。

一度コンの使い魔が行ったことで縁を結んだからな。

 

目的は料理用の魚の確保。

まぁ、できたらなので別に丸坊主(一匹も釣れない事)でも気にしないが。

 

では早速釣り具の中から竿を取り出す。

竿はマヨイガの妖怪竿。

見た目は竹製の竿の先に糸をくっつけただけのシンプルなものだが、糸はいくらでも伸ばせるし、竿を引けば糸を短縮してくれる。

万一俺が魚の引きに負けて海に引き込まれそうになったら自動で糸を伸ばして防いでくれる安心設計。

ちなみに糸は切断したら消滅するので糸が切れても環境を汚さない。

 

針はなるべく魚を傷つけないタイプを使用。

生け簀でしばらく保管する予定なのでなるべく魚にダメージが無い方がいいからだ。

妖怪竿の力で作った針なのでバレる(一度針にかかった魚から針が外れる事)ことも基本的にないしな。

 

妖怪餌箱から練り餌を取り出して針につける。

準備ができたら水面に糸を垂らすだけでいい。

あとはひたすら待つだけだ。

 

ミコトも準備ができたようで、俺の横に糸を垂らした。

境界の場所を少しずらして繋いでいるそうなので、横に垂らしても外では10(メートル)くらい離れていて糸が絡まることは無い。

 

コンは俺たちとは反対側でゴツい竿を使っている。

マヨイガ稲荷神社に置いてあった私物だそうで、大物を狙うらしい。

 

すぐに釣れるとは思ってないので、ミコトと二人でのんびり景色を眺めながら糸をたらす。

池の向こうには森があり、その先には雄大な山々が(そびえ)えている。

山は季節によってその(いろどり)を変えるが、そちらに向かって歩いて行っても決してたどり着くことは無い。

あれらは実際あそこに存在する訳ではないのだ。

しいて近いものを上げるとするなら、マヨイガと言う世界の壁に映し出された幻影だろうか。

 

この湖は結構マヨイガの端にあるのだ。

多分、湖から外に向かって100mも歩いたら境界を越える。

まぁ、実際あろうとなかろうと、見ている分には関係が無い。

 

しばらく「ぼー」と眺めていると──

 

「きたのだー!」

 

ミコトの竿にアタリがあった。

 

「えい!」

 

妖怪竿を引くと糸が縮み、魚を水中から引きずり出す。

それに合わせて俺は妖怪網を伸ばして魚を掬った。

 

これはアジか?

サイズは30cm(センチメートル)近い、なかなかのサイズだ。

 

とりあえず妖怪生け簀に移す。

針は妖怪竿が一度消したのでそのまま「ボチャン」だ。

 

「美味しそうなのだー」

 

ミコトがそんな感想を漏らしているが、実際に食べられるかはまだ分からない。

地球の魚と同じような姿だからと言って毒持って無いとも言い切れないし。

とりあえず妖怪生け簀に入れて、後でコンに調べてもらう。

 

「来た来た来た来たぁー! 大物じゃぞ!」

 

コンが声を張り上げた。

竿が大きくしなっている。

穂先が水面に引き込まれるような大アタリだ。

 

コンの姿は童女だが、そこは天狐。

重さの調節などもお手の物だし、コンが力負けして引きずり込まれるような事はないだろう。

 

コンが勢いよくリールを巻き上げる。(コンの竿はリール付き)

 

「せいっ!」

 

勢いよく竿を引くと、それは海面から勢いよく飛び出してくる。

 

でかい!

体高((ひれ)を除いた一番幅のある高さ)50cm、全長(口から尾びれの先までの長さ)は3m近くあるように見える。

 

それはそのまま慣性に従って中を舞い、妖怪生け簀の中に落ちた。

妖怪生け簀は入れた魚の大きさに合わせて中が広がる妖怪だ。

横2m×縦1mの長方形の口に入るならと言う条件はあるが、全長がどれだけあろうとも入れられる。

 

魚から釣り針が外れているところを見るに、コンは狙って入れたのだろう。

生け簀を覗こうとすると、その前にその魚が水面から顔を出した。

その魚と目が合う。

 

「これは食べられるのだ?」

 

「ひぃ! 食べないでくださいぃぃ!」

 

ミコトの一言に、()()()()()()()()()()が後ずさる。

 

人魚じゃねぇか!

日本式人魚である。

魚の体に人間の女の顔。

人面魚と言った方がイメージが掴みやすいかもしれない。

 

人魚にも色々あるが、この個体は魚の部分がシーラカンスを引き延ばしたような形をしている。

ヒレも多く、まるで腕のように見える肉ビレだ。

人間の顔部分には二本の角のようなものが生えている。

 

「私は美味しくないですよぅ! 痩せこけていて食べるところもあんまりないし、えっと、えっと」

 

なお、シーラカンスは非常に不味いそうだ。

それ以前に翻訳されているとはいえ人語を話す相手を食うのは俺には無理。

 

「食わないから安心してくれ」

 

食料に困っている訳でも無いし、俺がそう言えばコンもミコトも食べないだろう。

 

「ほ、本当ですか?」

 

人魚が泣きながら聞いてくる。

その涙が真珠に変化した。

そういえばそんな伝承もあったなぁ。

 

あと有名なのは人魚の肉を食べれば不老不死になれるという話だろうか。

コン曰く、正確には老いなくなって寿命が1000年くらいまで伸びるだけらしい。

多少治りは早くなるが怪我もするし、普通に外傷で死ぬ。

病には強くなるらしいが不死には程遠い。

 

あと、もう一つ何かあったと思うんだが、何だったか。

 

「別に取って食うたりはせんよ」

 

「これは食べられない魚なのだ」

 

コンとミコトも食べるのを否定する事で、人魚はようやく泣き止んだ。

 

で、どうするのこれ。

そのまま海に返すか?

 

(別にそれでもいいんじゃが……)

 

どうした、歯切れが悪い。

 

(『天眼通』で見てみたんじゃが、そのまま海に返した場合、半月(はんつき)せん内に餓死するんじゃよ)

 

お、おう。マジか。

 

『天眼通』とは簡単に言うと未来視の事だ。

コンの場合はそれほど精度が高い訳では無いのだが、対象が半年以内に『死ぬ』場合はかなりの精度でそれを予知できるらしい。

輪廻の縁が一度途切れるので分かりやすいそうだ。

もちろん、割と簡単に未来は変えられるので死因を避ければ助かるそうだが。

 

(自然の(ことわり)じゃし、それに関しては別に思うところはないんじゃが、それなら式神にするのもありかなと思ってのぅ)

 

式神に?

 

(ほれ、儂の式神には水中に適したやつが居らぬじゃろ。今後必要になるかは分からぬが、損にはなるまい。人魚の持つ能力は有用なものが多いしのう)

 

最低限涙を真珠に変える能力を持っているのは分かっている。

宝石としての価値があるかはともかく、人魚の真珠は妖術等の触媒として有用らしい。

妖術の教科書に使っている本にも書いてあった。

 

(あと、災いの先触れとしての能力があれば有難い。儂の苦手な分野じゃし)

 

災いの先触れというと、あれか。

神社姫のやつ。

 

そうそう、一つ思い出せなかった能力これだ。

かつて肥前国(ひぜんのくに)(現在の長崎県)に現れた人魚で、人の顔に海蛇とも魚ともつかない胴体を持ち、頭に二本の角がある姿で描かれる。

 

彼女は竜宮よりの使いを名乗り、コレラの流行を予言したという。(一緒に豊作も予言しているので災いに限った能力ではないようだが)

そして、自分の写し絵を持っていれば病を避けられると語ったそうだ。

同様の伝承のある妖怪に『(くだん)』や『アマビエ』がいるが、実は神社姫の方が古い妖怪だったりする。

 

さて、この人魚はそんな能力を持っているだろうか。

シーラカンス(っぽい魚)の人魚である。

なんとなく神秘的と言うか特別感のある姿をしている。

もちろんシーラカンスとは全く関係ない魚の可能性もあるし、そもそも異世界では珍しくないかもしれない。

 

だが、そんな特別感が俺のロマンを刺激するのだ。

それだけでなんか災いの先触れくらい出来そうな個体の気がする。なんの根拠も無いのに。

俺も将来的にはこんな特別感のある『式神』が欲しいものだ。

 

(ならばお主が式神にするか?)

 

え? そんな事できるの?

まだ霊波も合格ラインに無いのに。

 

(流石に降伏 (ごうぶく)によって式にすることはできぬが、利害の一致による契約であれば可能じゃよ。例えば力を借りる代わりに『食』を保証するとか)

 

魅力的な提案だが、辞めとく。

流石に今の俺では()()()()()()()

 

(そうか。ならば儂の式になるよう持ち掛けるか)

 

「これこれ人魚よ。一つ話があるのじゃが、良いかの?」

 

「な、なんですか?」

 

「お主、儂の式にならんか?」

 

コンは人魚に対して式になった場合のメリット・デメリットを上げ、報酬や待遇についても話していく。

横で聞いていて思ったのは、式神としては結構いい待遇だという事だ。

能力次第だがいずれ一妖怪(いちようかい)として独立も可能だし、希望すれば他の妖怪や人間の下へ移籍する事もできる。

どちらの場合でも『天狐の下で働いていた』というのは箔になる。

 

人魚は少しの間迷っていたが、最終的には頷いた。

()(はぐ)れがなくなるというのが魅力的だったらしい。

 

話は(まと)まったようなので俺たちは釣りに戻る。

そろそろいい時間なので弁当を開けるか。

ミコトが早起きして作ってくれた愛妻弁当だ。

 

コンは早速人魚に練り餌を与えている。

そういや人魚って本来は何喰うんだ?

 

「おいしーのだぁ」

 

ミコトも弁当箱からおむすびを取り出し、頬張っている。

ちなみにミコトの弁当は俺が作った。

 

ピクニック気分でのんびりしながら釣り糸を垂らしアタリを待つ。

あぁ、素晴らしきかな。

それは何でもない日常で、マヨイガの住人が一匹増えた日のお話。

 

 

 

本日の釣果。

 

俺 アジらしき魚5匹。

ミコト アジらしき魚4匹 サンマっぽい魚2匹。

コン 人魚1匹 マグロのような魚3匹。

 

しばらく魚料理が続きました まる

 




ちなみに、一応日本にも上半身人間の人魚はいます。

俎上(そじょう)(うお)
自分の力ではどうにもできず、相手の思うままになるしかない状態の事。
俎上とはまな板の上という意味。

要するにまな板の上の鯉。


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File No.09-2 新米妖怪 人魚の記憶

最初は別視点の予定はなかったけど筆が乗ったので投稿。
それに伴い前話のタイトル「ファイルNo.10『俎上の魚』」に「-1」を追加いたしました。


私の魚生に転機が訪れたのは、間違いなくこの身が妖怪となってしまった時でしょう。

何の因果か、私は突然妖怪となってしまいました。

 

何が悪かったのでしょうか。

何で私だったのでしょうか。

 

妖怪になった事で知性と不思議な力を手に入れ、同時に私は()()()()()()()()()

 

人間と呼ばれる生き物の顔が出来た私を、仲間たちは私だと理解してくれませんでした。

妖怪となった事で覚えた言葉も、言葉を使わない仲間たちには届きません。

仲間たちと一緒に泳いでも、私を群れには入れてくれませんでした。

 

もう、私の居場所はここには無かったのです。

 

気付くと私は、群れを飛び出していました。

流した涙が、真珠となって海底に落ちます。

 

何が悪かったのでしょうか。

何がいけなかったのでしょうか。

 

 

 

妖怪になって十数日、私は知らない海で一匹彷徨っていました。

群れる生態を持つ私に孤独は厳しく、徐々に心を蝕んでいきます。

しかしそれ以上に、今は深刻な問題が発生していました。

 

お腹が、空いているのです。

 

私たちの主食は小魚やイカです。

普段は群れで襲うのですが、一匹になったからと言って生きていく程度には獲物が取れる筈でした。

 

いえ、実際に取れているのです。

少なくともお腹を満たすのに十分な量は食べました。

なのに、お腹が全く膨れないのです。

 

何が悪いのでしょうか。

何でこうなってしまったのでしょうか。

 

考えても考えても、空腹感が増すばかり。

私にできる事は、少しでもお腹が膨れる事を祈って食べ続けるだけでした。

 

 

 

ああ、お腹空いたなぁ。

 

 

 

そう考えながら泳いでいた私に、何やらいい匂いが漂ってきます。

見れば美味しそうな茶色い塊が海中を漂っているではありませんか。

 

その時の私は、空腹に我を忘れていました。

すぐさまその塊に喰らいつき、飲み込んだのです。

その時、私が感じたのは今まで味わったことのない美味。

そして塊から延びていたほとんど見えないほど細くて長い物でした。

 

唇を動かしてその細くて長い物を触ります。

何ですか? これ。

 

そう疑問に思った瞬間、ソレが引っ張られました。

思わず塊を吐き出そうとしましたが、喉の奥に引っかかったように出てきません。

そして塊が出てこないという事は、ソレに引っ張られるのは私なわけで……

 

 

 

ちょっちょっちょっと待ってぇ!!!

 

痛い痛い痛い痛い!!

 

ああああああ!

 

 

 

気付けば私は空中に投げ出されていました。

どうやら海底から一気に引き抜かれたようです。

 

海底から急浮上すると死んじゃうこともあるのに、私の体、大丈夫かな。

一瞬そんな考えが頭をよぎりますが、とりあえず生きてはいるようなので目の前の対処が先です。

 

私が落ちた場所は水の溜まった何かの中でした。

あまり広いようには見えませんが、陸の上に打ち上げられるよりはマシの筈です。

水面から顔をのぞかせると、水面を覗き込んだ何かと目が合いました。

妖怪としての知識が教えてくれます。

これは『人間』という生き物であると。

 

「これは食べられるのだ?」

 

「ひぃ! 食べないでくださいぃぃ!」

 

目の前のではない、もう一人いた人間の声に反射的に答え、距離を取るべく後ずさりました。

海の中ならともかく、こんな小さな水の中では勝ち目はありません。

 

「私は美味しくないですよぅ! 痩せこけていて食べるところもあんまりないし、えっと、えっと」

 

私に出来るのは必死に命乞いをして、見逃してもらえることを期待するしかありませんでした。

気付いてしまったのです。

この場にはもう一人人間がいると。

それも本能的がガンガン警告してくるようなやばいのが。

この中の誰か一人でも私を食べる気だったら、もう私の魚生(ぎょせい)は終了してしまいます。

 

「食わないから安心してくれ」

 

「ほ、本当ですか?」

 

その言葉に安堵の涙が流れ、真珠へと変わりました。

 

「別に取って食うたりはせんよ」

 

「これは食べられない魚なのだ」

 

他の二人も食べないと言ってくれました。

良かった……私はまだ生きていていいんですね……

 

食べられないと分かったとたん、私は周囲を確認するだけの余裕が出てきました。

改めて周囲を見渡せば、辺り一面陸地です。

陸に繋がる洞穴にでも迷い込んでいたのでしょうか。

 

そして人間だと思っていた三人の内、よく見たら二人は人間ではありません。

妖怪(広いくくりで言えば同族)です。

しかも片方は私なんて比較する事すら烏滸がましいほど格上の妖怪。

もう片方も私からすれば()も届かないほど強力な妖怪です。

 

より強い方の妖怪の手には長い棒のようなものが握られています。

妖怪になった時に得た知識を探ると、あれは『釣り竿』という魚を釣るための道具のようです。

もしかして私、釣られちゃいました?

 

食べないとは言われましたが、もしや釣果として持ち帰られて狭い水の中で飼い殺しに……

うう、何とか逃がしてはもらえないものでしょうか。

 

しかし、生殺与奪の権利は相手が握っています。

ここで下手な事をして、やっぱり食べてしまおうとなったら……

 

「これこれ人魚よ。一つ話があるのじゃが、良いかの?」

 

「な、なんですか?」

 

より強い方の妖怪から話しかけられ、反射的に返事をします。

私に何の御用ですか!?

出来れば逃がしてもらえるという話だといいなぁって。

 

「お主、儂の式にならんか?」

 

式……ですか?

妖怪の知識を探ってもいまいち分からなかったのですが、その辺りは親切にも色々教えてくれました。

要するに主人の手足となって働く妖怪の事ですか。

(妖怪)(使役)するから式神なんですね。

 

労働の対価として能力に応じた妖気の供給(賃金)と、賄い付き(食事保証)!?

仕事内容とかはどんな……なるほど、それなら私の能力を生かせそうです。

ち、ちなみに妖気の供給量(お給料)はどのくらい……え? こんなに!?

でもその代わり繁殖適齢期(婚期)を逃す可能性大と……うっ……いえ、妖怪となってしまった以上、もう同族には相手にされません。

であれば、もうその方面は諦めて生涯独身前提でこの話に乗るというのも……

 

他にもいくつかの説明の後、私が出した答えは「式神になる」でした。

このまま戻っても孤独に生きていくしかありませんし、食事の心配をしないで済むのは大きいです。

あと、断った場合が怖いというのもあります。

話してみて優しそうな方ではありますが、その気になれば私なんか指先一つで黄泉に送れるような大妖怪なのですから。

 

 

 

私の就職が決まり、食事にしようという事になりました。

人間の方ともう一人の妖怪が仲睦まじく食事を取っています。

先ほどまで命の危険があったので意識から外れていましたが、私もとってもお腹が空いているのです。

 

私の雇い主であるコン様が箱の中から茶色い塊を取り出します。

そ、それはさっき水中で食べたすごく美味しいやつ!

 

「思ったより口に合ったようじゃし、とりあえず今回はこれで良いかのぅ」

 

そう言って茶色い塊を小分けにして渡してくれました。

私はそれを一つずつ口に入れていきます。

ああ、美味しいです。

これだけで式神になった価値があります。

 

「喜んでもらえたようで何よりじゃ。ではこちらの口にも──」

 

そう言ってコン様は私の後頭部に茶色い塊を持っていきます。

? いくら私が妖怪でもそんなところに口なんてないですよ?

 

「──ん? あ、これ、共生しておるのではなく寄生しておるのか」

 

はい!?

何かすごく不穏な単語が聞こえたんですけど!?

 

「せいっ!」

 

コン様が腕を振るうと私の後頭部から何かが剥がれたような感覚がしました。

 

「『人面瘡(じんめんそう)』か。まだ口だけで自我も無さそうじゃな」

 

その手には人の口の形をした不気味な肉塊が──

 

な、な、な、な、な、何ですかそれは!?

そんなグロテスクな物体が私の後頭部についていたのですか!?

聞けばその肉塊は『人面瘡』という妖怪で、本来は人の(ごう)(たた)りによって生まれるらしいのですが、偶に普通の怪我が妖怪化して生まれる事もあるのだとか。

 

私に憑いていた人面瘡は後者のタイプ。

正確には人面瘡の成りかけで、もう少ししたら顔が出来て憑いた相手にひどい痛みをもたらしていたのだとか。

私が食べても食べてもお腹が空いていた理由も、この人面瘡が養分を吸い取っていたからみたいです。

え? これ、もし私がコン様の式神にならなかったら完全な人面瘡が出来て死んじゃってましたか!?

 

あ、危なかった。

間一髪で私は命を拾いました。

これ程自分の判断を褒めてあげたいと思ったのは初めてです。

 

 

 

そんなこんなで私はマヨイガで生活する事になりました。

これから頑張って、いろんな仕事を覚えて、式神として、妖怪として高みを目指す。

私の妖怪生(ようかいせい)は、まだ始まったばかりなのです。




実はミコトちゃんもそこそこ強い妖怪。
新人さんから見たら遥か高みにいるように見えます。


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File No.10-1 『後悔は知恵の緒』

ある日の事。

マヨイガにルミナ神が遊びに来た。

とは言っても、実は今回が初めてじゃないんだけどな。

 

最初に来た時は幼児の姿だったルミナ神だが、今日は小学生低学年くらいの姿だ。

月齢によって姿を変える神だそうだが、幼児姿の時は新月だった。

満月の時はどんな姿なんだろうか。

 

お土産として異世界のお菓子も持ってきてくれたので後日頂こうと思う。

 

「これはまた、悩みどころですわね。……決めましたわ」

 

そう言ってルミナ神は一枚のカードを裏向きで出す。

 

「儂はこれで」

 

「なのだ」

 

コンとミコトも同じように裏向きで出す。

俺も最後に手札から一枚選んで裏向きで出す。

 

「「「「開」」」」

 

皆の声を合図にカードを表にする。

ルミナ神が『金の9』、コンが『木の1』、ミコトが『木の4』、俺が『火の2』だ。

 

「では、この『火の3』は私のですわ」

 

ルミナ神は中央に置かれた『火の3』のカードを自分の場に移動させる。

俺たち3人と1柱は何故か妖札に興じていた。

 

異世界の遊戯に興味があるという話だったのだが、それならとコンが妖札を持ってきた。

人ではなく妖怪側の遊び道具であるが、ルミナ神的にはどちらでも良かったらしい。

 

今回のルールは『式比べ』。

コンの持っている妖札には古今東西の妖怪が描かれている。

これは、そんなイラスト付きの妖札でよく行われるルールだ。

別にイラストが無くても出来るゲームではあるのだが、無いとちょっと味気ない。

 

プレーヤーは陰陽師という設定で、式となる妖怪を集めて誰よりも強い式神軍団を作る事を目的としたゲームだ。

まず妖札を一組(一般的に裏面が黒いので黒札と呼ばれる)シャッフルし、各プレーヤーに手札として特定の枚数配る。

手札の枚数は参加人数によって変わるが、大体3~5枚くらいが多いか。

今回は手札4枚でやっている。

 

次に適当な方法で親を決め、もう一組の妖札(一般的に裏面が赤いので赤札と呼ばれる)をシャッフルし、一番上のカードを親がめくって場の真中へ置く。

その後、各プレーヤーは手札から一枚選んで裏向きで出す。

出す順番は親から時計回り。

全員が出し終えたら「(かい)」の掛け声とともに一斉にオープンし、その中で数字が一番大きい人がめくられた赤札を自分の場に移動させる。

この自分の場にある赤札が自分の式神軍団になるわけだ。

数字が同じなら『木』が一番強く、『土』、『水』、『火』、『金』の順で強い。

出した手札(黒札)は捨て札となり、赤札を獲った人から時計回りで黒札の山から一枚ずつ新たに引く。

 

赤札を獲った人が次の親になり、赤札の山から一枚めくって場の真中へ。

これを赤札の山が無くなるまで繰り返す。

黒札の山は無くなったら捨て札をシャッフルして新たな山とする。

 

最終的に自分の場のカードの数字の合計が一番高い人が勝者となるが、同じ属性で数字が連続していた場合、連続しているカードはその一番高い数字と同じ数字として扱える。

具体的に言うと同じ属性の『4』『3』『2』『1』を持っていた場合『4』『4』『4』『4』として扱い、合計が16となるのだ。

このルールを『式比べ』では『連道(れんどう)』という。

 

ルミナ神は『火の3』を手に入れる為に『金の9』を使った。

彼女の場には火属性は『8』『7』『5』『4』に『3』を加えた5枚。

このルールでは最弱の『金』といえど、数字は『9』。

ならば『火の6』がめくれた時の為に残しておくのが普通だろう。

にもかかわらず『火の3』を獲る為に使ったという事は、他の属性の『9』を持っているな。

 

状況はコンがやや優勢だが、ルミナ神が『火の6』を獲れば一気に逆転する。

俺やミコトも逆転できないほど差が開いている訳でも無い。

 

ルミナ神が遊びに来るにあたり、プライベートの時は無礼講でお願いしたいという申し出があった。

無礼講とは地位や身分の上下を抜きにして皆で楽しむ宴の事だ。

 

ただし、神様が言った場合は少し意味が異なる。

というのも、元々神様に奉納したお酒などを神事の参加者が授かる儀式を『礼講』と言い、礼講では神さまと人間が一緒に同じものを頂く。

以前さらっと言った神人共食の儀式の一種だ。

もう少し詳しく言うならば、まず神様にお酒を捧げて飲んでいただき、次に身分の高い人間から順にそのお酒を頂く。

言葉にすればそれだけだが、礼儀を重んじる儀式故に「礼講」と呼ばれるのだ。

 

そして、礼講の後に神様抜きでくだけた雰囲気の宴が行われる。

この宴では地位の差関係なくお酒を酌み交わしたそうなのだ。

これを『無礼講(ぶれいこう)』と呼び、現在の無礼講の語源はこれだ。

 

稀に無礼講を「無礼を働いても許される宴会」と間違って認識している人がいるが、あくまで身分の上下を抜きにした宴会であり、無礼などもってのほかである。

『堅苦しい礼儀』は不要というだけで最低限の礼儀やマナーは忘れてはいけない。

「無礼-講」ではなく「無-礼講」だからな。

 

少し話が逸れたが、神様が言ったなら「無礼講は神様抜きで行われるものであるから、神である自分も同族と同じように扱ってくれ」という意味になる。

コンはルミナ神を神使仲間と同じように扱うし、ミコトは付喪神、俺は人間と同じように対応する。

 

だからと言って気安くとはいかないがな。

ここ何度かで多少の(ひと)となりは分かってきたが、別に身内という訳でも無い。

まぁ、普通に見知ったお客さんくらいの対応だ。

 

「そう言えばルミナ神、今日は夕食は食べて帰られますか?」

 

ちなみにこの場合の「神」は敬称な。

 

「お邪魔でなければお願いしてもいいかしら」

 

「ええ、ではご用意させていただきますね」

 

さて、何作ろうかな。

今までは和食で物珍しさを押し出したから、今日は洋風で馴染みのありそうなものにするか?

いや、物珍しさを期待している可能性もあるな。

……日本生まれの洋食、オムライスにするか。

決して小学生のようなルミナ神を見てお子様ランチが思い浮かんだからではない。

 

 

 

しばらくして『式比べ』の決着がついた。

ルミナ神はコンに『火の6』の獲得を阻まれ、しかしコンも獲得を阻むために強い手札を握り続けた事で今一つ点が伸びず、その陰に隠れて着実に点を伸ばしたミコトが漁夫の利を掻っ攫った。

俺? 普通に負けたよ。そんな日もあるさ。

 

「なかなか面白かったですわ。勝てなかったのは残念ですけど」

 

実際、ルミナ神とコン、ミコトの点数はほとんど同じだ。

ルミナ神とコンで首位争いをしてると思ったらミコトが温存していた手札で一気に連道(れんどう)を作って追い上げてきた。

気付いた時にはすでに遅く、ルミナ神もコンもミコトの快進撃を止められる手札ではなかったのだ。

 

「そろそろおやつ時ですね。何か用意しましょう」

 

「手伝うのだ♪」

 

「待っていましたわ」

 

期待されているようなので台所へ急ぐ。

妖怪菓子箱さん、今日のおやつをお願いします。

 

蓋を開けると出てきたのは醤油煎餅(しょうゆせんべい)

中身を取り出し、一度蓋をして再度開ける。

菓子箱のサイズ的に量が多いと一度では取り出せないのだ。

 

次に出てきたのは外郎(ういろう)

土地によって色々種類があるが、多分山口県の外郎かな?

 

その次は茶饅頭(ちゃまんじゅう)

温泉地のお土産とかで売られているやつな。

量的にこれで最後かな?

 

次に出てきたのはカステラ。

……え? カステラって和菓子なの?

 

最後に袋に入った飴玉が出てきた。

これはルミナ神へのお土産かな。

それ以降は蓋を開けても何もなかった。

三人と一柱分のおやつとしては十分な量だろう。ありがとう、妖怪菓子箱。

 

さっそくミコトと一緒に皿に乗せて持っていく。

 

「お待たせしました。本日の菓子になります」

 

座卓に並べて皆で摘まみながら笑談する。

ルミナ神はどうやらカステラを気に入ったようで持ってきたカステラの半分くらいはルミナ神のお腹に納まった。

 

「このカステラ……でしたかしら? 美味しいですわね。タケルさん、この菓子の作り方をご存じかしら?」

 

え? 俺?

えっと、確か材料が──

 

以前作った記憶を思い出しながら、どうにか答えていく。

 

「なるほど。こちらで作るとなると大分高くつきそうですけど、作れなくはなさそうですわね。今度私に仕える神官に作らせて献上させようかしら」

 

卵とか砂糖とか貴重なんだったか。

しかし、何とか説明できたが大変だった。

ルミナ神、『他心通』と『宿命通』が使えるってコンが言ってたよな。

いっその事、カステラを作っていた過去を見てもらった方が早かったんじゃないか?

 

(それでは意味が無いんじゃよ。お主の口から聞いたというのが重要じゃからの)

 

コン?

それどういう事?

 

(神には神の規則がある。その辺は長くなるから後でな。おそらく今後も幾度となく質問されると思うが、好きなように答えると良い。話して不味い事は儂が止めるから安心せよ)

 

答えるのは構わないが、何で俺なのだろうか。

知識量はコンの方が遥かに上なんだが。

……コンでは駄目と仮定するならば、相手が人間であることが重要なのか?

俺の方が口を滑らせやすそうだと思われているとか……ないよな。

 

それから夕食を挟んで他愛もない話をした後、ルミナ神は帰っていった。

今回はいつもより滞在時間が長く、日も落ちる時間になっていたので泊っていくか尋ねたら「気使いは不要ですわ」と断られてしまった。

 

夜はルミナ神の領域だ。

彼女は夜を照らす(しるべ)の神。

夜の世界を旅し、暗闇の中を導く神。

世界を覆う闇の中でこそ、彼女の真価は発揮される。

 

ざっくり言うと、ルミナ神的には日が暮れてからの方が安全だから心配するなという事である。

実は夜行性で、昼はむしろ寝ている事の方が多いらしい。

ちなみに彼女はあくまで月の神であり標の神。

夜を司る神という訳ではない。

 

 

 

ルミナ神も帰ったので交代で風呂に入る。

今はミコトが入っているので順番待ちだ。

 

「今日はやけにルミナ神に構われた気がするんだが、あれ、何だったんだ?」

 

今までも何かと元の世界について聞かれたが、今日は特に多かった気がする。

プロミネディス神もそうだったが、そんなに面白く感じるのかね。

 

『異世界人の知識は宝の山じゃからな。それを少しでも手に入れたいのじゃよ』

 

そろそろ踏み込んで聞いても無下にはされない程度には仲良くなれたと判断したんじゃろうな──と霊狐形態に戻ったコンがいう。

確かに楽しく話せる相手ではあるが。

多少雑学には自信があるが、俺の知識なんて大したものじゃないだろう。

俺に聞くよりコンに聞いた方がいいと思うんだが。

 

『異世界の文明は己の文明とは異なった道を進んだものが多い。それは即ち己の文明が思いつきもしなかった知識を持っている可能性が高いという事じゃ』

 

まぁ、確かに。

例え文明が遅れているように思える相手だったとしても、自分たちが持ちえない技術を持っている事はよくある。

過去に生み出されて現在では再現できない技術など山ほどあるのだ。

逆に相手の方が進んでいると思えるのなら知りたい情報は数限りない。

 

『文明とは人間の()()()の集大成。一般人程度の教養でも得られる気付きは多い。それに気付く事さえ出来れば生活を豊かにすることが出来る「気付き」はいくらでもある』

 

それは分かったが、それなら猶更(なおさら)コンに聞いた方がよくないか?

 

『その辺はお主が人間で、儂が神使じゃからじゃな。知るだけなら『宿命通』があれば不可能では無い。じゃが、神や神使には『宿命通』で得た知識を使うには色々と規則があるんじゃよ。これは異世界も現世も同じような感じじゃったな』

 

その割にはコンは好き放題使ってたような気がするんだが。

 

『ちゃんと規則は守っておるよ。で、じゃ。お主が口に出して伝えた知識であれば、ルミナ神は気兼ねなく使う事ができるが、神使の儂が口にした知識では神同士の権利関係とか色々面倒な事があるんじゃよ』

 

前にフォルドナ神への贈り物の件であった権能がどうとかみたいな感じ?

 

『そんな感じじゃ。まぁ、そんな訳で色々知りたいんじゃよ。うまく使えば自分への信仰を更に集める事も可能じゃしのう。まぁ、ルミナ神はそちらよりも「おいしい物食べたい」とか「楽しい事をしたい」といった感じじゃったが』

 

高位の神の余裕ってことかね。

 

『じゃな』

 

聞かれた事の多くが食べ物関係か娯楽関係だったもんな。

月の神という直接人間に恩恵を与える神でないからかもしれないが。

 

『そろそろミコトが風呂から上がるな。タケルよ、今夜はミコトをいつもより多めに構ってやるのじゃぞ』

 

ん? 何かあったのか?

 

『ほれ、今日はお主はルミナ神ばかり相手しておったじゃろ。客人なのじゃから当然と(わきま)えてはおるが、それでも嫉妬してしまっておるんじゃよ。少し甘えさせてやれば立ち所に消えてしまう程度のものじゃがな』

 

あー、分かった。

そう言うのはなかなか分からないから教えてくれるのは助かる。

 

『儂はお主の守護狐じゃからな。夫婦生活も守って見せようぞ』

 

守るどころか引っ掻き回している気がするんだが。

まぁ、感謝はしてるんだけどな。

 

 

 

さて、今日はどんなふうにミコトを可愛がろうか。

そんな事を考えながら夜は更けていくのだった。




後悔(こうかい)知恵(ちえ)(いとぐち)
後悔する事で次から備えることが出来る。
後悔は気づきの切欠であるという意味。

いったい誰がどんな後悔をしたんでしょうかね。


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File No.10-2 月神 ルミナの記憶

再就職が決まりましたので今後は更新速度が更に低下すると思われます。
楽しみにしていただいてる方には誠に申し訳ありません。

2024/1/28追記:
スケジュール的に無理が生じた為、この時点でルミナ神が複数回マヨイガに来ていた事に修正。


ある日の昼。

(わたくし)は早起きして再びマヨイガという異界へ訪れました。

 

今の姿は子供。

あまり成長した姿で行くと(わたくし)の目的に支障が出でる。

(わたくし)の目的はタケルさん(異世界の人間)に理想の姿を吹き込んで、理想の体型になる事。

その為には成長した姿を見せてはいけない。

 

知らないからこそ想像する。

それにちょっと方向性を与えてあげれば、伝承(認識)は出来上がる。

 

訪れるにあたって、お土産も用意しましたわ。

彼がこちらに好意的であればあるほど、想像は好意的な方向に向かうでしょう。

好意的であればあるほど、吹き込むのは簡単になる。

 

もちろん、彼以外も(ないがし)ろにしてはいけませんわね。

彼の周囲の者が私に好意的であれば、彼もまた引っ張られる。

訪問目的はプライベートで「遊びに来た」。

それくらい気安い方がいいのですわ。

 

 

 

境界をくぐり、屋敷に向かう。

するとすぐに仮面をつけたミシロキツネがやってきた。

 

「ようこそおいでくださいました、お客様。本日はどのようなご用件でいらっしゃいますか?」

 

「遊びに来たのですわ。約束があった訳ではありませんから、忙しければ日を改めますけれども」

 

日時までは約束していませんから、何らかの用事が入っている事もあるでしょう。

 

「──いえ、問題ございません。ご案内いたします」

 

少し間がありましたけれど、特に拒まれる事なく屋敷に案内された。

おそらく念話か何かで確認を取っていたのでしょう。

 

部屋に通されたあと、しばらくタケルさん達を待つ。

 

最初は部屋のデザインにおどろきましたけど、改めて見ると話に聞く『太陽の国』のものに近いですわね。

あそこは遠いうえに神話体系が異なるので交流はほとんどありませんが。

 

屋敷に上がるのに履物を脱ぐというのは少しなれませんが、椅子以外でも座ることが出来るというのはいいですわね。

座り方には少し気を付ける必要があるようですけど。

 

そう言えば初めて遊びに来た時もこの部屋でしたわね。

その時は確か────

 

 

 

「ようこそおいでくださいました、ルミナ神。本日は──」

 

当時のコンさん──立場上敬称に悩みましたがプライベートならこれでいいでしょう──は大分堅苦しかったですわ。

神使が主以外の神に接する態度としては当然かもしれませんが。

 

「気が向いたので遊びに来た、というだけですわ。気を遣う必要はありませんもの。(わたくし)はプライベートで来ているのですから、その間は『無礼講』という事で構いませんわ」

 

「では、そのようにさせていただきます」

 

コンさんはそう言って頭を下げた。

まだ距離を置かれている、というよりは警戒されていますわね。

 

(わたくし)としてはもっと皆さんとお近づきになりたいと思っていますの。他の神のいる場ではともかく、プライベートではもっと気兼ねなく接してくださって構いませんわよ」

 

こちらもその方が都合がいい。

その意味を込めて言葉を発する。

 

彼女らにとってそれはメリットが多くデメリットは少ない。

(わたくし)という神話体系の上位の神と「気兼ねなく接することが出来るほど懇意である」というのは、他の神に対して大きな武器になる。

 

そしてコンさんは(わたくし)の真意を探る事でしょう。

現に今も心を読むくらいはしているのが分かります。

故にあえてそれを妨げない。

それどころか積極的に思考で目的と、その見返りに彼女等に対して便宜を図る用意がある旨を伝える。

 

コンさんならこれが偽りで無い事くらいは理解できるはず。

なればこそ、この提案を受ける。

 

そしてあえて最初から伝えておくことでコンさんが(わたくし)の目的を見抜いてタケルさんに話す可能性の芽を摘む。

()()()()()()である異界の知識を欲しているというのは伝えるでしょう。

これはせっかくならと欲張っただけですし、知られても問題は無い。

けれど、本命の方はタケルさんに知られたら意味がない。

その事はコンさんも理解しているでしょう。

 

あくまで言葉通りの意味で受け取り、了承したという形をとる。

お近づきになりたいというのは本当ですから。

そうなれば、タケルさんとの距離が縮まり、吹き込みやすくなる。

 

まぁ、これはうまく仲良くなれなかった場合の保険ですわ。

お互いに仲良くなれればそれが一番いいですもの。

 

打算なく、そうしてもらえるならそれでよし。

打算があってそうしたのでもお互い様。

よしんば仲良くなれなくても、お互いに影響力は残せる。

 

「ではお言葉に甘えてそうさせていただきましょう」

 

「タケルさんも、()()()()()()()()()()()()

 

「あ、はい。そうさせてもらいます」

 

どうぞ遠慮なく、信仰(想像)してくださいな。

 

 

 

────という感じでしたわね。

 

そのあとすぐにタケルさんの妻だという化生(けしょう)を紹介されたので、完全プライベートである事は理解してもらえたようです。

神としての役割を果たしている時だと、一介の化生では神の前に出るには格が足りませんもの。

 

あれから良い関係が築けていると思いますし、今日あたりタケルさんに大人の(わたくし)はスーパーロイヤルわがままボディだと伝えても良さそうですわね。

 

少しだけ待っていると、コンさんとタケルさんとミコトさんが部屋に入ってきました。

さて、今日は何をして遊びましょうか。

異世界の遊びは話に聞いただけでも面白そうなのが多いですから楽しみですわ。

 

 

 

コンさんが持ち出してきたのは妖札というカードゲーム。

なるほど、プレイングカード(トランプ)のような物ですわね。

プレイングカードと同じく様々なルールがあるそうですが、今回は『しきくらべ』というものをやってみます。

皆で魔獣を取り合い、配下にした魔獣の数と質で優劣を競う。

いかに多くの我が子(守護下の人間)を集めたかで(かく)が決まる神々には相応しい遊び方ではないかしら。

 

具体的な説明を受けながらゲームを進めていく。

 

「これはまた、悩みどころですわね」

 

(わたくし)の手札は『土の9』『金の9』『水の3』『火の1』の4枚。

取り合うカードは『火の3』。

(わたくし)の場に『火』のカードは『8』『7』『5』『4』。

 

『土の9』は確実に欲しい『火の6』に使うとして、ここで『金の9』を切るべきか否か。

捨て札に『9』のカードは無いことから残りの手札用(黒札)の『9』は山札か参加者(プレイヤー)の手札か。

場用(赤札)の『火の9』が出るまで温存するべきでしょうか。

妨害に使うのもありですわね。

 

しかし『火の3』を獲られるのを妨害するために『9』を切ることは無いでしょうから、ここで『金の9』を切れば確実に『連道(れんどう)』を伸ばせるのも事実。

 

「決めましたわ」

 

ここは確実に点を伸ばしていきましょう。

 

「「「「開」」」」

 

皆の声を合図にカードを表にする。

結果は(わたくし)の勝ち。

 

「では、この『火の3』は私のですわ」

 

これで『火の6』を獲れれば火属性だけで48点になる。

当然妨害が入るでしょうから、手札に(黒札の)『木の9』を引けるか他の方が引く前に『火の6』が出る事を祈りますわ。

 

 

 

結果として(わたくし)は敗北しました。

コンさんには勝ったんですけども、ミコトさんがあそこから追い上げてくるとは思いませんでしたわ。

わたくし(月の神)に勝ったご褒美として、後で何か差し上げようかしら。

 

「なかなか面白かったですわ。勝てなかったのは残念ですけど」

 

これ、他の神々も誘ってやってみるのもいいかもしれませんわね。

分かりやすくするために手札用のカードを専用に作って、場用のカードの絵柄もこちら風にして──

 

「そろそろおやつ時ですね。何か用意しましょう」

 

「手伝うのだ♪」

 

そんな事を考えていると、タケルさんがそう言いました。

この時間帯に来て正解でしたわね。

異世界の菓子、楽しみだったんですの。

 

「待っていましたわ」

 

あ、(わたくし)ったら、はしたない。

 

 

 

残ったコンさんと軽い世間話をしていると、タケルさんとミコトさんが戻ってきました。

 

「お待たせしました。本日の菓子になります」

 

背の低い机に並べられたのは穀物を砕いて焼いたと思われる丸い菓子とよく分からない細長い焦げ茶色の菓子。

それと小さな蒸しパンのような菓子に卵を用いたと思われる四角い菓子。

半分は前に来た時に出てきた菓子ですが、もう半分は知らない菓子ですわね。

笑談しながらそれぞれ口にしてみます。

 

丸い菓子は『しゅーゆせんべい』と言うそうで、パリッという食感と塩気の強い味が良い。

「菓子とは甘ければ甘いほど良い」という風習に真っ向から異を唱える、硬派な菓子ですわ。

……いえ、どちらかと言うと甘い物と交互に食べたくなる菓子ですわね。

 

細長い菓子は『ういろう』。

これは初めて食べますが、とろりとした食感が新しいですわね。

味の方も良い感じの甘さで(わたくし)はいいと思いますが、食べる者によっては好みが分かれるタイプかしら。

 

蒸しパンのような菓子は『茶まんじゅう』。

お茶を飲むときに一緒に食べる『まんじゅう』という菓子だそうです。

まんじゅうは種類も豊富で異界(ここ)に来た時に出てくる定番の菓子となっています。

そう言えば異界(ここ)で振舞われるお茶もこちらのものとは違いますわね。

麦茶や緑茶という名前のお茶を頂きましたが、これが中々美味しい。

お茶であればこちらも負けてはいませんが、『茶まんじゅう』を一緒に食すのであれば|個神『こじん』的に緑茶をあわせたいところです。

(わたくし)が普段飲んでいるような茶は異世界では『紅茶』と呼ばれているそうですわ。

 

四角い菓子は『カステラ』。

初めての菓子でしたが、一口食べてこれはと思いましたわ。

しっとりとした上品な味わいに、底に溜まった大粒の砂糖によるシャリっとした食感。

ふんわりとしていながらもしっかり弾力のある生地は十分な食べ応えがあり、絶妙な甘さが食べる者を飽きさせない。

鮮やかな黄色が明るく、高級感を醸し出しているのも好印象。

 

これは(わたくし)に献上されるに相応しい菓子ですわ。

どのような菓子なのか、過去を見る力で覗いてみましょう。

 

……ミコトさんは『カステラ』を知ったのはごく最近で作り方も知らない、と。

 

タケルさんは……『カステラ』に関しての情報は多いですわね。

もうちょっと絞り込んで過去を見ないと時間がかかりますわ。

では、カステラの作り方で検索して(縁を辿って)──ありましたわ。

 

ふむふむ、材料がこれで作り方が──。

なるほど、大体分かりました。

 

ですが、それだけでは駄目です。

過去を見る力は強力な力であるがゆえに神々の協定で制限がかけられている。

例えば過去を見る力で知った技術を他者に教えてはならない。

これは他の神々の権利を侵さないためのルールですが、そのため(わたくし)は『カステラを作る技術』を他者に教えることが出来ない。

消費まで含めて自分のみで完結する場合は抵触しませんが、(わたくし)は料理できませんし。

 

ですから、直接教えていただきましょう。

幸い、タケルさんがカステラの作り方を知っているのは確認できた事ですし。

 

「このカステラ……でしたかしら? 美味しいですわね。タケルさん、この菓子の作り方をご存じかしら?」

 

白々しいのは分かっていますが、いつでもカステラを食べられるようにするには直接聞き出さないといけません。

 

コンさんは(わたくし)がしている事に気付いたようですが、黙認してくれるようです。

広く普及している菓子ゆえに教えても問題ないと取ったのでしょう。

これくらいで好感度が上がるなら構わんよ。と言った顔ですわね。

 

それからタケルさんはカステラの材料と作り方を丁寧に教えてくれました。

記憶とも齟齬はありませんわね。

 

「なるほど。こちらで作るとなると大分高くつきそうですけど、作れなくはなさそうですわね。今度私に仕える神官に作らせて献上させようかしら」

 

理解できたことを伝え、今後それで何をするつもりなのかを口にする。

こうしておくことで今後それが彼の耳に入ったとして、あの時言っていた件だなと思ってもらえる。

そうすれば万一何かあったとしても好感度が下がりにくい。

 

 

 

それから他愛の無い雑談をして、気になったことをタケルさんに聞いたりしながら時間が過ぎていく。

途中で食事も頂きました。

溶いた卵を薄く焼いて、穀物を炊いたものを半円状に包む料理。

オムライスというそうですが、半月のようで好感が持てましたわ。

ソースで模様やメッセージを描くというのも目で楽しめて面白いですわね。

もちろん味の方も中々のものでした。

 

 

 

話が弾んだせいか気が付けばそれなりの時間が過ぎており、そろそろお暇する事を伝えます。

泊っていかないかと誘われましたが、流石に月の神としての役目もあるのでお断りいたしました。

(わたくし)を気遣っていただいたのは有難いですが、そもそもこれからが(わたくし)の時間。

それに(わたくし)、基本的に夜行性ですし。

 

帰り際にミコトさんに贈り物をする。

妖札で優勝したご褒美と、タケルさんに(わたくし)の相手ばかりさせてしまったお詫びですわ。

 

私の権能で作った『月の雫』というアイテム。

飲み物に混ぜて飲ませれば、たちまち元気が出る代物。

特に夫婦の間では重宝されていますの。

そんな説明を(タケルさんに聞こえないように)しながら渡すとお礼を言われましたが、多分どういう意味での元気になるかは理解していなさそうでしたわね。

 

お土産として袋に入った沢山の甘い珠を貰い、マヨイガを後にする。

今日はなかなか収穫が多かったですわね。

 

(わたくし)の自惚れでなければ、彼らとは大分仲良くなれた筈です。

その内にまた来ると約束もしました。

打算あっての関係ではありましたが、だからと言って仲良くなれない事はありません。

すぐにとは申しませんが、いずれ気兼ねなく付き合えるようになりそうですわ。

 

さて次に遊びに行ける日が楽しみですわね。

貰った甘い珠を一つ口に入れ、(わたくし)は夜の道を歩いていくのでした。

 

 

 

 

 

 

 

あ、成長した(わたくし)はスーパーロイヤルわがままボディだと伝えるのを忘れていましたわ!!!

 




作中の「菓子とは甘ければ甘いほど良い」というのは、砂糖が貴重なため甘くするためには金がかかる=財力を誇示できるという一種の見栄(みえ)ですね。


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File No.11  『美人というも皮一重』

本編が難産なので説明回を投入。
お待たせして申し訳ありません。


庭に置かれた(おけ)の中で、人魚が頭に葉っぱを乗せて唸っていた。

式神として幅広く活動する為に人に変化する術を練習しているのだ。

変化系の術は覚えておいて損は無いからか、気合の入り方が違う。

 

とは言え、難易度的には比較的高い術なので人魚は補助具としてコンが妖力を込めた葉っぱを使っている。

狐や狸が変化するとき頭に乗せるやつな。

一応、自転車の補助輪のような物だそうで、使わずに変化出来て一人前らしいが。

 

ちなみにミコトも狐の姿から人の姿に変わることが出来るが、これはミコトの妖怪としての特性なので変化の術とはまた違うらしい。

 

 

 

そうそう、話は変わるが人魚さんの呼び方が決まりました。

 

神社姫(じんじゃひめ)から名前をいただきまして、耶識路姫(やしろひめ)

(やしろ)の音に字を当てはめたのだが、『耶』とはあるのかないのか分からないものを表す字だ。

それを『()』って『(みち)』を示す。

すなわち不確定な未来を告げる先触れとしての妖怪(に、なって欲しい)という意味を持たせている。

 

実際、コンの調査で先触れとしての能力というか性質を持っている事が判明しているのだ。

今はまだ妖怪としての(かく)が低くて虫の知らせ程度の力しかないが、いずれは未来予知も出来るようになるだろう。

 

あと、耶識路姫(やしろひめ)はあくまで妖怪としての呼び名だ。

具体的に言うと「唐傘お化け」とか「一つ目小僧」とかと同じで、個体名ではなく種族名としての名付けである。

直接名前を付けて魅入られる訳にはいかないが、呼び名が無いと不便という事で実質的に一体しかいない故に誰の事を指しているのかわかる新たな妖怪名を付けたのだ。

俺はとりあえずヤシロさんと呼んでいる。

 

 

 

俺の妖術修行の方も割と順調だ。

霊波の方はコンから合格を貰えたので、霊力を五行の属性に変換する修行を行っている。

 

俺が一番適性があるのが『木』の属性。

次いで『土』『火』の順で『金』と『水』に関してはほとんど適性は無い。

 

『木』属性といっても樹木を操る訳ではない。

この場合の『木』とは概念的なものであり、その性質は「曲直して成長する」。

『木』に属するもので有名なものだと『風』とか『雷』だろうか。

もちろん草木を芽吹かせたりというのも『木』属性に含まれるが。

 

そんな訳で霊力を「膨張する性質」に変化させて風を吹かせる練習をしている。

極めれば地震や嵐を起こす事すら可能な属性らしいが、俺にはまだそよ風くらいしか吹かせられない。

早く扇風機くらいの風は起こせるようになりたいものだ。

 

ちなみに霊力と妖力は基本的には同じものだが、使い方によって呼び名が変わるのだそうだ。

 

 

 

ミコトの方も順調に妖力の使い道が広がっていて、狐火は既に習得済みで七変化(しちへんげ)の術に手を出している。

 

これは変化の術の亜種で、自身ではなく身につけている物を変化させる術だ。

例えばネックレスなどの装飾品のデザインを別のものに変えたり、サイズを変えて隠したりできる。

熟練者になれば(かんざし)大太刀(おおたち)に変えるなど、全く異なるものに変化させる事も可能だ。

 

ミコトは狐形態から人間形態になるとちゃんと服を着ているのだが、これは七変化の術と同じ原理で自分の毛皮を変化させているらしい。

これもミコトの妖怪としての特性だそうだが、人間への変化(へんか)と異なり無意識に術を行使しているとの事。

なのでやっている事を自覚さえできれば比較的すぐに覚えられるのではないかとコンが言っていた。

 

覚えたらファッションショーをしてくれるそうだ。

楽しみにしておこう。

 

 

 

「やった、出来ました!」

 

嬉しそうな声に顔を向けると、桶の上に立つ一人の女性が目に入った。

声と顔は変わっていないが、ヤシロさんが変化の術を成功させたようだ。

童女の姿になっているコンも、「よくやった、その調子じゃぞ」と褒めている。

ミコトも「負けないのだ」と対抗心を燃やしているようだ。

 

ヤシロさんは鏡妖怪こと『雲外鏡』にその姿を映して変化の状態を確認していたが、やがて「はぁ」とため息をついた。

 

「どうしました? 順調そうなのに溜息なんてついて」

 

「あ、タケル様。いえ、こうして変化した姿を見て改めて思ったのですが、私ってつくづく醜女(しこめ)なのだなと」

 

心配して声をかけてみると、そんな事を言われた。

醜女?

 

醜女とは容貌が醜悪な女性を指す言葉なんだが、改めてヤシロさんを見てみる。

くりっとした大きな目。

ウェーブのかかった長い髪。

健康的な肌にスラっとした体つき。

 

「? 普通に可愛いと思いますが?」

 

うん、普通に可愛い。

強いて言うならばちょっと痩せすぎかなとは思うが、これはマヨイガに来る前の栄養状態のせいだから、その内いい感じになると思うし。

 

(これは異世界の美醜の基準が影響しておるのう。耶識路姫は異世界の妖怪じゃから美しさの基準もそちらよりなんじゃよ)

 

コン? なるほど、所変われば好まれる条件も変わるか。

 

(とはいえ卑屈になられても困るし、ちょいと容姿を褒めてやってくれ。お主(現代日本人)基準なら十分美少女じゃろ?)

 

まぁね。

 

「そのつぶらな(ぱっちりした丸い)瞳は愛らしく思いますし、ウェーブのかかったロングヘアもお洒落です。優しげで柔らかい雰囲気も俺は好きですよ」

 

「ふふ。ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです」

 

世辞じゃないんだけどなぁ。

 

「変化後の容姿が気になるのであれば変化をもっと上手く扱えるようになるとよい。そもそも今の状態は人でない者を無理やり人の姿に当てはめておるのじゃ。どうしたところで歪みは出る」

 

コンが術の仕様上の問題だからヤシロさんの容姿が悪い訳じゃないよという。

確か人型妖怪におどろおどろしい姿の者が多い原因の一つだっけか?

 

「変化が上手くなれば己の理想とする姿にも成れよう」

 

「はい、頑張ります」

 

なんか話をすり替えられているような気がするが、ヤシロさんがやる気になったのならいいか。

俺も自分の修行に戻ろう。

 

 

 

一通り修行を終えて休憩中。

ちょっと気になった事をコンに聞いてみる。

 

ねぇ、コン。今いいか?

 

口には出さず、祈るように呼び掛ける。

 

ちょっと内緒で教えて欲しいんだけど。

 

(なんじゃ? 改まって)

 

さっきヤシロさんが自分の容姿を気にしてたじゃん。

それで、異世界の美醜の条件って何なのかなって。

ほら、褒めたつもりでも相手にとっては……って事もあるし。

 

(ああ、そうじゃな。覚えておいた方がいいじゃろ)

 

頼む。

 

(まずは顔立ちから行こうか。男女ともに切れ長で吊り上がった目が好まれる。俗にいう『狐目』じゃな)

 

ああ、コンみたいな目だな。

ヤシロさんはぱっちりとした垂れ目だから正反対なのか。

 

(顎の線は鋭い方が良い。顔の輪郭が逆三角形になるような感じじゃな)

 

ヤシロさん、丸顔である。

 

(艶やかで癖のない髪だと人受けが良い)

 

ヤシロさんの髪はウェーブがかかっている。

 

(色白だと色気があると見られるそうじゃ)

 

ヤシロさんはどちらかと言うと色黒。

 

(鼻が高く、口が大きいのも美人の条件じゃよ)

 

ヤシロさんは──以下略。

ああ、ことごとく好まれる顔立ちとは真逆の顔なのか……

 

(そうじゃのぅ。人魚として妖怪形態でも変わらぬ部分じゃからな。特に気にしておるようじゃった)

 

褒め方間違えたか?

自分の気にしているところばかり言われたんじゃ、嫌味に聞こえたかも……

 

(いや、嫌味とは思っておらぬよ。むしろ満更でもない感じじゃったのう)

 

なら良かった。

 

 

 

(次は体格の話をしようか。これも男女共通じゃが、背が高くて体格が良い者が好まれる。これはがたいが良い方が体が丈夫という印象があるからじゃな)

 

要するに強そうな方がモテるって事?

 

(そうじゃのう。現代日本と違って自然の驚異がすぐ隣にあるからの。子供の死亡率も比較にならぬし)

 

なるほど、より強い子供を残そうとする生物の本能から来たものなのか。

となると、ある程度筋肉のある引き締まった体がいいのか?

 

(うむ。まぁ、筋肉が一定以上になると美しいとは別の方向へ行くんじゃがな。それはそれで好まれはするが、美人とはまた違うのう)

 

ほどほどが美人と。

 

(それと、女性は胸が大きい方が好まれる)

 

胸か。

俺は比較的小さめが好みだが。

 

(これは「胸が大きい方が母乳が多い」という迷信から来たものじゃな。その方が子を育てやすいという印象があるんじゃよ)

 

迷信か。

 

(迷信じゃ)

 

実際、胸の大きさと母乳の分泌量に関係は無い。

まぁ、事実であろうとなかろうと印象(イメージ)が積み重なったもので認識は出来ている。

好ましい認識から、美醜の評価は生まれるのだろう。

 

(こちらも大きすぎると体の均衡が崩れて美しいとは異なる方面に行くから、何事もほどほどが一番じゃな)

 

 

 

(ついでじゃから性格美人についても話しておこうか)

 

性格美人──人から好かれる性格の事だったか。

 

(そうじゃな。この世界(異世界)の性格美人は、「質実剛健(しつじつごうけん)」「即決即断(そっけつそくだん)」「温良恭倹(おんりょうきゅけん)」じゃ)

 

質実剛健は中身が充実していて飾り気がなく、心身ともに強くたくましい事を表す四文字熟語だ。

逞しさが美人の条件と言うのなら、至極当然という気もしなくもない。

 

即決即断は迷う事無く即決める事。

性格的に見ればさっぱりとした性格がモテるという事か。

 

そのような人は前向きで人生を楽しんでいる人が多いそうだ。

判断が速いから手を付けるのも早く、結果経験する物事が多くなる。

経験豊富な人は頼りになるという印象も含んでの評価だろう。

 

温良恭倹は……なんだ?

 

(「温良」は穏やかで素直、「恭倹」は礼儀正しく謙虚なさまじゃな。合わせて温和で優しく人を敬って慎ましく接する事をいう)

 

ああ、なるほど。

そう接されたら確かに好感が持てるな。

 

(ちなみに男性の場合じゃと「温良恭倹」が「勇猛精進(ゆうもうしょうじん)」になる)

 

えっと、積極的に物事に取り組み、励むこと……だったかな?

要するに努力家って事でいいのかな。

 

(そうじゃな)

 

 

 

(美人とは違うが見た目で好かれる要素も上げておこうか。異世界では「ぽっちゃり」しておる者が好まれるようじゃ)

 

美人という要素ではないんだよね?

それでなおかつ好まれる要素──

 

あ、分かった。

権力、もしくは財力の象徴って事だろ。

 

(正解じゃよ)

 

現代日本と違って太るというのは容易ではない。

まず便利な家電など無いのだから、炊事洗濯も重労働だ。

カロリー消費量が全然違う。

 

そのうえで食べ物も現代ほど豊富では無い。

即ち()()()()()()()()()()()()為には、それ相応の何かを持っていなくてはならない。

ある程度以上の権力や財力があるという訳だ。

 

よって「ぽっちゃりしている」=「経済的に豊か」という図式が成り立つ。

これは地球にもあった。

ちなみに、わざわざ「ぽっちゃり」と言ったって事は太りすぎてると違うのか?

 

(そこまで行くと「欲が強い」印象の方が強くなるそうじゃ)

 

へぇ、やっぱり程々が一番という事か。

 

 

 

(まぁ、こんな所じゃな)

 

なるほど、よく分かた。

しかし改めて考えてみるとヤシロさん、異世界の美人の要素ほとんど無いんだな。

可愛いのに。

 

(ところ変われば好まれる要素もがらりと変わるからのぅ。こればっかりは仕方がない)

 

日本でならモテそうなんだが。

 

(まぁ、容姿は変化で何とかできなくもない。耶識路姫の頑張り次第じゃな。さて、そろそろ夕餉の用意をせねばならぬ時間か。耶識路姫が変化を成功させた祝いに今日は儂が作ろう)

 

お、マジか。

コンのご飯は美味いから楽しみだ。

 

(ついでにたらふく食わせてぽっちゃりにしてやろうか。好かれる要素は一つでも多い方が良い。それが自信にも繋がるからのぅ)

 

そうだな。

幸いマヨイガでは食料に困ることは無い。

 

(もっとも、変化できるようになったという事は食べられる食材の種類が増えたという事でもある。そのせいで美食に嵌る妖怪も多いから、儂が何もせんでも耶識路姫が美食に嵌って太るやもしれん)

 

それはそれで運動量を増やせばいいさ。

少なくとも好きなことが増えるのはいい事だ。

マヨイガに来たときは相当痩せていたそうだし。

 

『さて、今日の夕食担当はミコトじゃったな。今日は儂が作ると伝えて来ねば』

 

「じゃ、俺はそろそろ修行に戻るか」

 

そんな会話を終え、俺はコンの作る夕食を楽しみにしながら術の修行に戻るのだった。

 




七変化の術の名前は創作です。
歌舞伎舞踊の七変化から頂きました。

美人(びじん)というも皮一重(かわひとえ)
美人かどうかは表面的な事でしかなく、本質ではない。
人を外見だけで判断してはいけませんよという事。

とは言え見目良いに越したことはない訳ですし、それを保つためにそれだけ努力しているって事でもあるのですが。


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Folder-2 白日昇天
File No.12-1 『能ある鷹は爪を隠す』


コンと尊がマヨイガから出ない理由について書き損ねておりました。
今回・次回とその話を入れるのが難しかったため、「ファイルNo.04『旅は憂いもの辛いもの』」にその話を追記いたしました。
「この森には一角馬や蛇鶏がいる」~「蛇鶏が狩りを始める」の間の二十数行になります。
お手数ですが目を通していただければ幸いです。

また、面倒という方のためにあとがきにて一言にで説明いたします。

失礼いたしました。

追記:今話の話数の表記が誤っておりました。現在は修正済みです。
重ね重ね失礼しました。


俺とコンがマヨイガと共に異世界に来て結構たったある日。

 

再び遊びに来たルミナ神とみんなでゲームに興じる。

メンバーは俺、コン、ミコト、ルミナ神の四名。

化けれるようになったのでヤシロさんにも参加してもらおうかと思ったが、がちがちに緊張していたのでやめておいた。

 

今回のゲームは絵双六。

まぁ、一般的な『すごろく』の事なんだが盤双六と言うのもあるから一応区別して絵双六と表記する。

 

「サイコロの目は……4ですわね。1、2、3、4。【軍師を登用して2マス進む】。1、2。更に引き離しましてよ」

 

今日は絶好調だなルミナ神。

2位の俺に17マスの差をつけて一位を独走中である。

 

ちなみにやっている絵双六は「天下統一絵双六」な。

コマを進めて天下人を目指すっていうストーリーの絵双六だ。

 

「ボクの番なのだ。ころころ……あぅ、1なのだ」

 

「儂の番じゃな。6じゃ。……【兵糧が足りない。1回休み】。出目は良いんじゃがのう」

 

基本的に運のゲームだものな。

 

そんな感じで遊んでいると、コンがふと入り口の方に顔を向けた。

 

「どうやら客神のようじゃな」

 

「この気配はフェルドナですわね」

 

ルミナ神も気付いていたらしく、来客者の名を告げる。

同神話体系の神なのでおかしくは無いが、ルミナ神、フェルドナ神の事を知ってるんだな。

 

まぁ、うちのご近所の土地神なので見かけるぐらいしたのだろう。

 

「どうやら宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)に、つまりは名代の儂に用事のようじゃの」

 

「では、絵双六は一旦中断ですわね。終わるまで別の遊びでもしていますわ」

 

(かたじけな)い。では失礼する」

 

そしてコンが対応に出ようとすると、ルミナ神は何かを思い出したかのように呼び止める。

 

「そうそう、(わたくし)は今日明日と空いてましてよ」

 

「……抜け目ない事じゃな」

 

「誉め言葉として受け取っておきますわ」

 

そんなやりとりをした後、コンは改めて部屋を出て行った。

 

「今のは何だったのだ?」

 

ミコトは今のやり取りがよく分からなかったらしく、小声で俺に聞いてきた。

すまん、俺にもよく分からん。

 

(わたくし)にはフェルドナの用事について心当たりがあるという事ですわ」

 

小声でも聞こえてしまっていたようで、ルミナ神が解説してくれた。

すみません、お手間かけます。

 

「そしてもし(わたくし)の予想が当たっているのならば、それは()()()()()()()()()()()()()()とお伝えしましたの」

 

「丸投げって、いいんですか?」

 

お稲荷様、つまりは名代のコンへの用事の筈では──

 

「いいんですのよ。むしろ美味しい所だけ頂いてしまうようなもの。(わたくし)は労少なく美味しい思いが出来る。コンさんは面倒事を押し付けられる。フェルドナは穏便に目的を果たせる。三方良しですわ」

 

つまりはコンにとって面倒な事柄であり、ルミナ神にとっては手間少なく利が大きい、フェルドナ神もコンよりはルミナ神を頼った方がいい用事……

駄目だ、分からん。

 

「ふふ、分からないという顔ですわね。まぁ、それは後でコンさんにでも聞いてみなさい。それよりも次は何で遊びます?」

 

「じゃぁ、妖札で『五条橋(ごじょうばし)』がやりたいのだ!」

 

「知らないルールですわね。やり方を教えてくださいな」

 

「分かったのだ。妖札を持ってくるから待ってて欲しいのだ」

 

なんかミコトとルミナ神、打ち解けて来たよなぁ。

まぁ、ルミナ神的にはミコトの子供っぽいところに微笑ましさを感じているって感じだが。

ちなみに『五条橋』は妖札版セブンブリッジな。

 

 

 

しばらく二人と一柱で妖札をしていたが、ルミナ神がコンに呼ばれて席を外した。

戻ってくるまで二人で遊んでいてもいいのだが、何となくミコトを抱き寄せる。

 

「? どうしたのだ?」

 

「んー、なんとなく」

 

足を組んでその上にミコトを座らせる。

ミコトの小さな体は、俺の腕の中にすっぽりと納まった。

それから目の前にあるミコトの後頭部を撫でてやる。

 

「うみぃ~」

 

気持ちよさそうに鳴くミコト。

するとポンっという音と煙と共にミコトの姿が狐に戻る。

完全な獣ではなく、人のように二本足で歩ける経立(ふったち)形態(モード)だ。

 

とりあえずお腹をわしゃわしゃしてみる。

はー、柔らかい。

 

「ひゃうっ、くすぐったいのだ」

 

手を取って肉球を押してみる。

おー、ぷにぷに。

気持ちい。

 

「うにゅ、そんなことして楽しいのだ?」

 

「うん、楽しい」

 

「だったらもっとしてもいいのだ」

 

お言葉に甘えてぷにぷにぷに。

ついでとばかりに目の前の尻尾に頬ずりする。

ふっくらモフモフな尻尾がなんと九本もあるのだ。

 

あー、モフモフ。

 

幸せ。

 

 

 

しばらくミコトをぷにぷにしたりモフモフしたりしていたが、話が終わったらしくコンが戻って来た。

 

あれ? ルミナ神は?

 

「今日はもう帰るそうじゃ。フェルドナ神の持ってきた問題を解決せねばならなくなったからのう」

 

そっか。今晩はコロッケにしようと思ってたんだが。

それと絵双六の決着はまた今度かな。

 

「じゃな。今の状態を覚えて箱に戻れ」

 

コンが絵双六に向かってそういうと、絵双六がパタパタと折りたたまれて箱に納まった。

さっきまで遊んでいたのは双六の内容を自由に変えられる妖怪絵双六なのだ。

駒とか勝手に跳ねて移動してくれるぞ。

 

「ねぇ、ねぇ、コンさん。フェルドナさんのご用事は何だったのだ?」

 

ミコトがコンに尋ねる。

そう言えばルミナ神がコンに聞くように言ってたか。

 

「前に引出物に贈ったマヨイガの野菜を村の者に下賜してもいいかという話があったじゃろ」

 

そう言えばあったね。そんなこと。

確かマヨイガの名前を出さない事を条件にOK出したんだったか。

 

「引出物の野菜は何種類かあったんじゃが、実際に下賜したのは『サツマイモ』だけだったそうじゃ。ただ、それが美味いと大そう評判を取ってのう」

 

なんせマヨイガの作物はマヨイガ妖怪の特性により現世の上物と同等の品質を持つ。

食に関して変態的な情熱を燃やす日本人が散々品種改良しまくった作物と同等なのだ。

どうやらこちらの人たちの舌は日本人に近いようなので、味の好みはあれど基本的には美味しく感じるだろう。

 

「いい事なのだ」

 

「それはいい事なんじゃがな。問題はそれをフェルドナ神が『育てやすく、痩せた土地でも育ち、収穫量も多い』とべた褒めして下賜した事なんじゃ」

 

何が不味かったんだ?

 

色々と注意点はあるが、他の野菜に比べれば手間も少なく育てやすい。

サツマイモの特性上、むしろ痩せた土地の方が育つ。

収穫量も飛び抜けてとは言わないが、比較的多い方の筈だ。

 

まぁ、俺は農家では無いので間違ってないとは言い切れないが、俺の知る限りでは問題ないように聞こえるが……

 

「おかげでサツマイモが神の国の奇跡の食べ物扱いに……」

 

あっ。

 

「まだ季節の関係で村の者が育てるまではしていないようじゃが、うまく育てれば相当飢餓が減らせる代物。それが広まれば信仰の図版を書き換えるに十分な効力を持つ。そんなものを一介の新神(しんじん)が人間に授けたとなれば、この世界の農耕神はどう思うかのう」

 

「自分の所に取り込もうとするか、信仰を取られないように同等以上の物を繰り出してくるか────はたまた()()()()()()()()()()

 

「そうじゃ。正確には農耕神の眷属神にサツマイモを広めるのを止めるよう(おど)しをかけられたそうじゃ。それが農耕神の意思によるものなのか、眷属神の独断なのかは不明じゃが」

 

「つまりフェルドナ神の相談というのは」

 

「早い話が『助けてくれ』という事じゃな」

 

なるほど。

フェルドナ神は新神と聞くし、影響力を正しく認識できなかったのか。

まぁ、そりゃそうだよな。

お隣さんからもらったものを御裾分けしたら、自分が逆立ちしても勝てない相手から目を付けられたなんて早々予測できんわ。

少なくとも俺には無理だ。

 

「ひどいのだ! フェルドナさんは何にも悪い事はしてないのだ!」

 

「気持ちは分かるが、異世界には異世界の神の在り方と言うものがあるからのう。そもそも異世界に根付くつもりがない以上、こちらが軽々しく口を出せるものでは無い。と言うより出しても碌な結果にはならん」

 

あくまで俺たちは異邦人。

あぁ、ルミナ神が言っていた面倒事とはこれの事か。

確かに面倒極まりない。

 

「という事は、ルミナ神が帰ったのって……」

 

「うむ。全部ひっくるめて丸投げした。そもそも予測はしておったらしいからの。解決するための用意は既にしておったようじゃ。まったく、全部あ奴等の掌の上じゃったわ。こちらに実害は無いので乗りはしたが」

 

「ん? どういう事?」

 

「まず、ルミナ神も異世界の農耕神──名をグラヌド神と言うそうじゃが──も上位の神じゃが、貴高神であるルミナ神の方が立場は上じゃ。あぁ、貴高神というのはこちらで言う三貴子のようなものじゃな」

 

三貴子と言うと天照大神・月読命・須佐之男命の三神の事で、日本神話の諸神の中で最も貴いとされる神様だ。

 

「そのルミナ神がフェルドナ神側に着いたとなれば、グラヌド神がフェルドナ神を排除しようとすれば必然的に自身より上位の神と争う事になる。よほど好戦的な神でもなければ避けたい選択肢じゃろう」

 

他の貴高神と手を組んでルミナ神を潰しにかかる可能性も無くは無いが、既にルミナ神は貴高神の一柱である太陽(プロミネディス)神に争いが起こった場合は味方する約束を取り付けているのだそうだ。

 

少なくともルミナ神の神話体系において太陽と月の両方を敵に回して無事で済む神はいないらしい。

ちなみに、今更だがルミナ神やフェルドナ神の所属する神話体系をミルラト神話体系という。

 

「となれば、グラヌド神の選択肢は取り込むか対抗するか。あえて干渉しないという選択肢もあるが、普通に考えればまずないじゃろう」

 

グラヌド神にとって脅威になりかねない代物を放っておくとは考えにくいからな。

 

「取り込むというのであればそれはそれでよい。そもそもフェルドナ神は、こう言ってはなんじゃが一村(ひとむら)の守護神でしかない。上位の神であるグラヌド神の庇護に入るのは悪い話ではない。ルミナ神の仲介があれば無体な事にはならんじゃろう」

 

無体を働けばルミナ神の顔に泥を塗る事になりかねない──と。

代わりにルミナ神の紹介で取り込めるなら他の神からの干渉を抑えられるし、フェルドナ神も仲介してくれたルミナ神に恥をかかせる訳にはいかないからある程度の信は得られるということか。

 

「そうなればルミナ神はフェルドナ神を通じて奇跡の食べ物(サツマイモ)に関して影響力を残せるし、グラヌド神に対して事を穏便に収めたという恩を押し付ける事も出来る。まぁ、それを補完する意味でもサツマイモに関しては多少脚色された話が出回るじゃろうがな。婚姻祝いの引出物に貰ったとか言えんじゃろうし」

 

こちらとしては面倒事がやってこなければ構わないというスタンスだしな。

適当にそれらしく好きに演出してくれればいい。

 

「対抗を選ばれた場合でも、ルミナ神はミルラト神話を信仰する人々全体に影響力を持つ神。その人々に良い影響があるというならばその出どころがフェルドナ神であってもグラヌド神であっても構うまい。その場合はルミナ神はフェルドナ神の後ろ盾となるじゃろう。サツマイモが飢えを救う事が出来れば大幅な信仰心の獲得が見込める。サツマイモの影響力が大したことが無かったとしても、新たな美味を(もたら)したとして損にはならぬ」

 

ローリスク、ハイリターンという訳か。

少なくともルミナ神にとっては駄目でも大したダメージにはならないと。

 

「最悪グラヌド神の作物にサツマイモが駆逐されたとして、標の神であり導く神であるルミナ神は人々の未来がより良いものになるようにグラヌド神がその作物を人々に下賜する呼び水としてフェルドナ神を遣わせたという事に出来る」

 

その場合、フェルドナ神はルミナ神の従属神、しかも直接命を受けるほど信頼された立場と見られるだろう。

一介の守護神から考えれば大出世なのは間違いない。

 

問題はフェルドナ神の立ち位置に本人の希望が反映されないという点だが、頼ってきたのはフェルドナ神だし、どれも悪い結果にはならないのだから我慢してほしいって事になるんだろうなぁ。

まぁ、その辺は俺たちが考える事ではないか。

 

「他にもいくつか考えられる選択肢はあるが、その辺もルミナ神は抜かりない。どう転んでも利があるように準備しておる。儂らを巻き込まぬのであれば儂らに非難される事もないと見越したうえでの。まぁ、少なくとも儂らやフェルドナ神にとっては悪い結果にはならんじゃろ」

 

凄い有能じゃん、ルミナ神。

正直子供っぽい印象が強かったんだが、これは考えを改める必要がありそうだ。

 

「実際、能力的にも凄いからのう。「五通」に通じ、特に「宿命通」と「天眼通」はかなりのものじゃよ」

 

五通というのは神通力のうち「神足通」「天耳通」「他心通」「宿命通」「天眼通」の五つを指す。

まず五通が使えるという時点でその凄さが(うかが)い知れる。

 

(なんせミコトの過去を一瞬で読み解いたほどじゃからのう)

 

なん……だと……!?

 

元屏風覗きであるミコトの過去を見るのは非常に難しい。

起点となる一点、ミコトの生まれた点を取っ掛かり出来れば普通に見る事が出来るようになるが、その一点を見つけるのが困難なのだ。

現にコンでさえその点を見つけるのにひと月かかった。

それを一瞬だと!?

 

「ほえー、ルミナさん凄いのだ」

 

ミコトが分かっているんだか分かっていないんだか分からないような声で言う。

過去云々は精神感応で俺だけに伝えられたので純粋に五通が使える事に対しての称賛だろう。

 

「まぁ、じゃから後はルミナ神に任せておけば良い感じに収まる筈じゃ。少なくともこちらに害は無いようには対処すると言っておったからの」

 

「なんか聞いた感じ、ヘイトを全部引き受ける代わりに功績は頂いていくよって事か?」

 

どの場合でもルミナ神がすることはフェルドナ神の後ろ盾になる事だけなのだ。

その結果、グラヌド神の対応によっては手間をかける必要があるかもしれないが、確実にそれ以上の利が手に入る。

 

そしてどの方向に進んだとしても──例えグラヌド神がフェルドナ神を取り込むよう動いた場合であっても──ルミナ神の存在がそれを選ばせる以上、多かれ少なかれ確実に憎悪(ヘイト)は向く。

そしてそれすらも「面倒事を引き受けた」と言うかたちで、自分が得た利を周囲に納得させる理由になる。

 

ルミナ神が言っていた「むしろ美味しい所だけ頂いてしまうようなもの」とはこの事か。

 

「そうじゃな。その憎悪を全て引き受けたところで問題ないほどの地位と実力を持つルミナ神じゃから出来る手じゃが」

 

改めて、ルミナ神って凄かったんだな。

 

「伊達に一つの神話体系の頂点に近い場所にいる訳ではないということじゃな。さて、こんな話をいつまでも続けていても仕方あるまい。ここらで気分を変えて妖札でもしようではないか」

 

コンの居ない間にルミナ神とやってたんだけどね。

 

「『五条橋(ごじょうばし)』やるのだ!」

 

「おお、良いぞ良いぞ」

 

……んー。

 

(タケルよ、どうした?)

 

もしかしてなんだけどさ、こうなるように仕向けたのはプロミネディス神か?

 

(お、よく分かったのう)

 

あー、やっぱりか。

いや、確証があった訳じゃないんだけどね。

 

さっきコンが「()()()()()()()()()」って言ったからさ。

対象は複数人。

一柱はルミナ神とすれば、もう一柱はプロミネディス神かなって。

 

そう考えると納得できることがいくつかあったからな。

 

(まぁ、これで()()()()()()()。これでもう少し便利になるぞ)

 

……やっぱ何か取引してたのね。

コンは俺の守護狐ではあるが、やっている事を一々報告するような事はしない。

聞けば教えてはくれるが、毎度毎度聞いたりしないからな。

 

(少々長くなるから後でゆっくり教えよう。ほれ、ミコトの準備ができたようじゃぞ)

 

いつの間にやら配られていた7枚のカード。

そしてニコニコ顔のミコト。

確かに長くなりそうだし後でいいか。

 

とりあえず俺は配られたカードを見やり、どの作戦で行くか考えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。

 

 

「遊びに来ましたわ!」

 

昨日より少しだけ成長したルミナ神がやって来た。

フェルドナ神の件を解決しに行ったのでは?

 

「そんなもの、もう終わらせましてよ」

 

な……なんだと!?

あれから一日経ってないぞ。

あと、さらっと読心されたな。

 

「さあ、昨日の続きをやりましょう。今日は勝ちますわよ」

 

いやはや何とも。

 

流石は神話体系のトップクラスの神だけはある。

俺はちょっとだけルミナ神の評価を修正し、屋敷の客間へと案内するのだった。

 




コン達がマヨイガから出ない理由=異世界には稲荷神社がなくて弱体化するから出たくない。



(のう)ある(たか)(つめ)(かく)す』
有能な鷹は獲物に悟られないように普段は爪を隠しておき、いざという時に力を発揮するという意味。

ちなみにルミナ神の実力はこんな感じ。
「神足通」
ミルラト神話圏であればどれほど遠くても半日で走破できる。また、同圏内で月が見えている場所であれば一瞬で移動可能。
「天耳通」
夜に発した言葉は基本的に聞かれていると思ったほうがいい。マヨイガまでは無理。
「他心通」
そんなに強くないが、読心と嘘をついているかどうかくらいはわかる。
「宿命通」
過去や前世を読み解く力はミルラト神話随一。
「天眼通」
百年単位での未来予知が可能だが、具体的な未来が見えている訳ではなく「こうすれば最終的にこうなる」というのがわかる感じ。


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File No.12-2 『魚は殿様に焼かせよ』

あけましておめでとうございます。
今年も俺と天狐の異世界四方山見聞録をよろしくお願いします。

いつの間にか評価バーに色がついていました。
評価していただいた皆さん、いつも読んで下さっている皆さん、この場を借りてお礼申し上げます。
まことにありがとうございました。


作中で尊の一人称が一部「(わたし)」になっています。
目上としているルミナ神に「俺」というのはよろしくないかなと思い「わたし」と言っていますが、一人称が変わるとわかりにくいのでこのような表記になっています。


「そうそう。昨日の顛末の話、皆さんに伝えておきますわ」

 

ルミナ神の圧勝で絵双六を終え、おやつタイムを兼ねて休憩していた俺たちにルミナ神はそう言った。

昨日の顛末というと、フェルドナ神の話だな。

グラヌド神の眷属神が脅迫してきたそうだが。

 

「グラヌドと話はつきましてよ。とりあえずフェルドナは(わたくし)の預かりとなりましたわ」

 

「それはフェルドナ神はお主の眷属神……という扱いになると思ってよいのか?」

 

コンの質問に、ルミナ神は顔を横に振る。

 

「いえ、あくまでフェルドナは独立した神。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という形になっただけですわ」

 

異界にて奇跡の作物を手に入れたフェルドナ神は、標の神たるルミナ神の導きにより民たちを飢えから救うべくそれを育て上げ、己の巫女に下賜したという流れで話を広める事になったそうだ。

 

一見、フェルドナ神の手柄をルミナ神が掻っ攫ったようにも聞こえるが、嘘は言っていないのだ。

昨日コンから聞いた話の内容でもあるのだが、最初フェルドナ神は引出物で貰った作物を普通に自分で食べていたそうだ。

まぁ、その辺は当然というか配るほど量が無かったしそうなるだろう。

 

その後ルミナ神とプロミネディス神がフェルドナ神を訪ね、フェルドナ神は持て成しとしてサツマイモを(焼き芋にして)振舞ったそうだ。

そこでルミナ神はフェルドナ神がそれを栽培するように誘導したそうなのだ。

もちろん直接そう言った訳ではないそうだが、ルミナ神の言葉をヒントにフェルドナ神はサツマイモの栽培に挑戦。

その結果、フェルドナ神の神徳とルミナ神の加護、そしてマヨイガ特性によるブーストが掛け合わされたサツマイモは凄い事になったらしい。

 

下賜されたサツマイモの量は実は飢餓が起きかけていたらしい村が来年の収穫まで食い繋ぐのに十分な量だったらしいが、それでもまだフェルドナ神の手元に有り余るほど増えたとかなんとか……

そのサツマイモは食べて大丈夫なやつなのかと若干不安になるが、あくまで神徳と加護とブーストがコンボになってしまった結果だそうなのでもう普通のサツマイモでしかなくなっているとのこと。

 

それでも十分な味と量と繁殖力があるサツマイモはグラヌド神の眷属に目を付けられてしまった訳だが。

 

ちなみにこの誘導する役目は最初プロミネディス神がやる予定だったそうだが、ルミナ神がマヨイガに遊びに来るつもりである事を告げると、全部任せてしまったらしい。

以前プロミネディス神に渡されたお守りは、本来なら仲裁の役目をプロミネディス神に丸投げしてもらうための布石だったそうだ。

もう必要なくなったので好きなように使っていいとはルミナ神の言。

 

「フェルドナ神の現状は分かった。ではグラヌド神はどう出たのじゃ?」

 

「何も。特に取り込みも排除もしないし、対抗するつもりも無いそうですわ。精々次に同じことをするなら配下に余計な事をしないように言っておかなければならないから事前に伝えてくれと言伝を頼まれた程度です」

 

なっ!? まさかのグラヌド神、スルーだと!?

 

「むしろ褒めていましたわね。『異界と言う己の力の及ばぬ場所へ赴き、そこから奇跡の食物(サツマイモ)を持ち帰った働きは見事の一言。そしてそれを惜しみなく人々に授ける慈愛まで兼ね備えているとは、かの神を守護神に持つ者たちは幸せ者だ。かの神の偉業によって数多の人々が救われるだろう』と」

 

そして思いのほか高評価。

 

「ほえぇ。グラヌドさんも器が大きいのだ」

 

ミコトもなんか感心しているようだ。

実際、自分の領分を侵してくる相手に、人々が救われるのであれば構わないと言ってのけるのは相当器が大きくないとできないぞ。

 

(まぁ、半分パフォーマンスのようなものですわ)

 

何かいきなりルミナ神から精神感応が来た。

 

(そもそもグラヌドは農耕の神。サツマイモが農作物である以上、それが広まればグラヌドにも信仰があつまる。ですから(わたくし)と争ってでも大きな利を狙うより、確実な小さい利を取りに来たといったところですわね)

 

なるほど。

 

(さらに言えば『異界(マヨイガ)に関わりたくない。だから異界に出入りする者(フェルドナ)に直接干渉したくない』というのがグラヌドの本音ですわ。ここ(マヨイガ)の人間は(わたくし)達にとっては異質すぎですから)

 

ここ(マヨイガ)の人間……って俺しかいないじゃないですか。

え? 俺ってそんなにおかしいんですか!?

 

(今まで歩んできた道の常識が貴方と(わたくし)達とでは違います。それ自体は当たり前の事ではあるのですけど、異界の神を神のまま取り込み改変する人間など此方(こちら)から見れば恐ろしすぎますわよ)

 

…………?

 

(ああ、そういう事じゃったか)

 

コン?

 

(あれじゃよ。神話やらなんやらを色々取り込みまくって神を神としながらも物語や遊戯で魔改造しまくる日本人の節操のなさの事じゃよ。自国の神にすら容赦せんのじゃから外の神から見れば恐ろしかろう)

 

あーー、うん、そういう事ね。

 

(恐ろしいなんてものじゃありませんわ! 粘体生物にゆっくり全身を溶かされて同化吸収されているような感覚ですわよ! しかも本人がそれに気づかないというおまけつきです。(わたくし)ですらプロミネディスに指摘されるまで認識できなかった程ですわ)

 

お、おう。そんなに恐ろしいものだったのか。

 

(日本の神々はもう慣れてしまって動じんがのう。儂ら(神の使いや妖怪)もそうじゃ。設定を盛ったり性転換したりは日常茶飯事じゃし、むしろ変化を楽しんでいるほどじゃよ)

 

(それはそれで恐ろしい話ですわね。ともかく、それを(わたくし)を通じて知ったからこそグラヌドは不干渉を選んだのですわ。サツマイモの出所がマヨイガでなければ取り込むなり対抗するなりしていたでしょう)

 

グラヌド神が全スルーした理由は分かりましたが、(わたし)に関わると変質するならルミナ神も拙いのでは?

 

(わたくし)は大丈夫ですわよ。(わたくし)月の神(変化し続ける神)。変質した後に利のある部分だけ残して元に戻るくらい余裕ですわ)

 

それは良かった。

 

(ちなみにフェルドナはもう引き返せないレベルまで変質してますわよ)

 

え?

 

(ふふ、安心なさい。少なくとも悪い変化は起きていませんわ。そもそも貴方達は100年もしない内に元の世界へ戻るのでしょう? 貴方達との縁が切れればゆっくりと此方側に戻ってきますわ。むしろ(わたくし)としては良い意味での変化が起きる事を期待していますの)

 

良い意味での変化……ですか。

 

(ええ。とはいっても特別な何かをして欲しい訳ではありませんわ。此方の世界にいる間だけでもフェルドナを応援してあげて欲しいんですの)

 

応援ですか。そんな事で良ければ構いませんが。

 

(お願いしますわね。ふふ、これでサツマイモの食べ放題は約束されたも同然ですわ)

 

あ、(わたし)が応援する事でフェルドナ神の調子が良くなってサツマイモをいっぱい作れるようになれば手に入る量も増えていくらでも食べられるようになるという構図なんですね。

 

ところで、何で先ほどから精神感応なんですか?

コンにも届いていたようですし、普通に話せば良いのでは。

 

(それは……ミコトさんが予想以上に純真だったのであまりこういった話はよろしくないかなと思ったまでですわ)

 

ああ、なるほど。

気を使っていただいてありがとうございます。

 

ちなみに今までの精神感応でのやりとりの間、ルミナ神はずっとグラヌド神に関する蘊蓄(うんちく)をしゃべり続け、ミコトがそれをふんふんと頷きながら聞いていたりする。

 

「そうそう、フェルドナにサツマイモの下賜を止めるよう脅したグラヌドの眷属の事ですが、あれは彼の独断だったようですわね。グラヌドは(わたくし)が行くまでサツマイモの事を知らなかったようですし。どうやらサツマイモのあまりのスペックに忠誠心が空回りしてしまったようで、近々グラヌドと共に謝罪するそうですわ」

 

眷属神の独断だったか。

それにしてもグラヌド神も一緒に謝罪か。

眷属の不始末は自分の教育不足が原因と考えているのかもしれない。

 

ルミナ神はグラヌド神がフェルドナ神を褒めたことを半分パフォーマンスと言ったが、それって要するに半分は本音という事なのだからそういう性格であっても不思議ではない。

というか、そうでもないと一介の守護神に頭など下げられないだろう。神の在り方的な意味で。

 

「グラヌド曰く真面目で忠義心も高い眷属なのだそうですが、真面目過ぎて杓子定規に物事を考えてしまい、忠義心が高すぎて行動の判断基準がグラヌドにどう影響するかなのだそうですわ。幸い、グラヌドが言えばちゃんと聞くそうなので今後はフェルドナにちょっかいをかける事は無いと思って大丈夫ですわよ」

 

ああ、空回りパターンなのね。

とりあえず解決したようなので良かった良かった。

 

「この件は大体こんなところですわね。各神の思惑はあれど、落としどころが決まった以上、大きな動きは無いでしょう」

 

一件落着……という事でいいのかな?

 

一時は厄介事の気配がぷんぷんしていたが、ルミナ神があっという間に解決してくれたおかげで枕を高くして眠れる。

いや、本当にありがとうございます。

 

「話は変わりますが、タケルさんとミコトさんは最近結婚されたばかりだとか」

 

「ええ、まぁ」

 

あれから結構な時間がたっているが、神の感覚で言えば年単位でも最近の範疇らしいので頷いておく。

 

「まずは友神として祝わせて頂きますわ。タケルさん、ミコトさん、御結婚おめでとうございます」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「ありがとうございますなのだ」

 

友神という凄い言葉が出てきたことに一瞬戸惑ったが、ミコト共々お礼を述べる。

言葉自体はそれほどおかしなものでは無い。

日本語的には造語だが人ではなく神なのだから友人ではなく友神という事なのだろうし、以心伝心の呪いの効果でそう認識しているだけで異世界では普通にある言葉なのだろう。

 

問題はルミナ神が俺たちをそう呼んだという事なのである。

すなわちプライベートとは言えルミナ神が俺たちを対等な相手と見てくれているという事なのだ。

一つの神話体系の最高クラスの神がだぞ。

社交辞令では無いのが以心伝心の呪いで分かってしまうだけに戦慄を隠せない。

 

「本来なら月の神として作法に則って祝福する方が良いのでしょうが、プライベートならともかくミルラト神話の貴高神としてはあまり表立って祝福できませんの。ごめんなさいね」

 

一応、日本神話側の人間になりますからね、(わたし)

 

ちなみに作法に則って別の神話側の人間を祝福するとフェルドナ神の時のような感じになる。

実はあれでも略式だったらしいが。

 

「代わりと言っては何ですが、そちらの世界には新婚旅行なる文化があるとか」

 

ええ、近代になってからのものですけどね。

(わたし)としてはコンやミコトの妖怪としての性質もあって現世に戻ってからと考えていましたが。

 

「お祝いとして(わたくし)が聖地サクトリア五泊六日の旅をプレゼントして差し上げますわ」

 

おお!?

え? いいの? それ。

先も言いましたが(わたし)、日本神話側の人間ですよ。

加えてコン(異世界の神の眷属)がついてくる訳で、(わたし)が自分で行く分にはともかく、ルミナ神が招いた場合問題ありませんか?

あと、こちら側でもちょっと問題が……

 

コン達の方を見るとミコトは目を輝かせて嬉しそうにしている。

ミコトは立場的には問題ないんだが──

 

コンは特に驚いた風もなく、さも当然のように話を聞いている。

あ、これ予定調和(既に根回しが済んでいる話)だわ。

 

そう言えば聞き忘れていたが、何か取引してたんだよな、コン。

もしかして外出問題、何とかなったのか?

 

(うむ。ルミナ神のおかげでようやく目途がついたぞ)

 

おお、まじか。

ならせっかくだしご厚意に甘えさせてもらおうか。

 

「重ね重ね、ありがとうございます」

 

「お気になさらず。そちらに御用が無ければ出発は次の三日月の日を予定していますが、いかがかしら?」

 

「特に用事はないですね」

 

マヨイガに引きこもっている関係上、予定は数日分か季節単位でしか決めていない。

異世界の月もおおよそ30日周期で公転軌道を巡るらしく、前回の三日月は五日前だったから次は25日後という事になる。

準備時間は十分にあるな。

 

「でしたらもう少し詳しい話をいたしましょう。これはコンさんとした方がいいかしら?」

 

「そうじゃのう。お互いの禁忌関連の調整もいるじゃろうし、儂の方が良いじゃろう」

 

「ミコトさんも行ってみたい場所などありましたら遠慮なく言いなさいね」

 

「ルミナさん、ありがとうなのだ!」

 

そしてこの日は皆でわいわい言いながら旅行の計画を立てることになった。

マヨイガに籠っての生活も悪くは無いんだが、偶には遠出したくなったりする事もあったのでありがたい。

しっかり準備して楽しみにしていよう。

 

 

 

 

 

あ、そう言えばこれ、結婚祝いの品になるのかな。

ルミナ神に引出物の用意をしておこうか。

 




『魚は殿様に焼かせよ』
正確には『魚は殿様に焼かせよ餅は乞食に焼かせよ』。
全文入れると目次の見栄えが悪くなるので前半部分だけタイトルに。

魚はゆっくり火を通したほうがいいので殿様のように鷹揚な人物が適しており、餅は何度もひっくり返して焼くので乞食のようにがつがつとした人物が適しているという意。
要するに『適材適所』。

『瓜の皮は大名に剝かせよ、柿の皮は乞食に剝かせよ』とも。



追伸:怪猫蜜佳様、誤字報告ありがとうございます。


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File No.12-3 サツマイモの神 フェルドナの記憶

某月某日

 

マヨイガという異界より、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)に仕える禰宜(ネギ)から手紙が来た。

確か宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)の眷属の童女と一緒にいた仮面をつけた男だったかしら。

 

内容は結婚の報告のようだ。

幼馴染(幼い頃の友)の化生と(つがい)になったらしい。

 

少しだけ嫉妬する。

こっちは(つがい)を作る間もなく神として祀られたせいで(いま)だ独り身なのだ。

今更積極的に(つがい)を作ろうとは思っていないけど、結婚の話を聞く度にそんな事を考えてしまう。

 

……いけない、いけない。

このセリフ、我が子(守護下の人間)達から夫婦になる者が出る度に言ってるわね。

気持ちを切り替えていきましょう。

 

このまま「はいそうですか」で終わらせても問題は無いはずだけど、せっかくだからお祝いに行こうかな。

直接的な関りはないけれど、縁が無い訳でもないし。

何か手土産(てみやげ)になりそうなものはあったかしら。

 

 

宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)名代(みょうだい)から引出物なるものを貰った。

結婚を祝ってくれた相手への贈り物だそうだ。

こちらにはそんな文化は無いので少し得をした気分。

 

中には野菜とマヨイガで食べた菓子がたくさん入っていた。

痛まないように神の力で保存しておこう。

 

 

某月某日

 

まずい、ラクル村始まって以来の大ピンチ。

 

具体的にいうと塩が足りない!

備蓄が無い訳ではないのですぐに最悪の事態が訪れることはないが、どう考えても遠からず尽きるのが目に見えている。

 

ラクル村は近くに岩塩の取れる場所はなく、海に出るには山を越えるか大きく迂回しなければならない。

普段は定期的に来る商人達から我が子(守護下の人間)が買っているのだけど、ラクル村を襲った疫病は思いのほか猛威を振るっていたらしい。

ラクル村以外でも商人達が交易していた村々に流行り病として広がっているそうだ。

そのせいか商人達が恐れて来なくなってしまったのだ。

 

商魂逞しい人たちの事だからそのうちまた来るようにはなると思うけど、その時になって足元を見られても困る。

決して裕福ではないラクル村にとって、生きていくために必要な塩の値段の高騰は死活問題だ。

 

更に今は回復したとはいえ一時期多くの我が子(守護下の人間)達が病に倒れたせいで農業にも支障が出ているのだ。

正直、人手不足で世話ができずに枯れてしまった農作物は山ほどある。

 

例年と比べて天候も悪く、元々凶作の条件がそろっていた事もそれに拍車をかけた。

私の神徳を全開にして加護を与え、残りすべての農作物を収穫できたとしても足りないのだ。

国に税として徴収される分も考えたら口減らしをしなければならなくなる。

 

森の恵みに期待できなくはないけれど、楽観視はできない。

となれば商人達から買うしかない訳だけど、先も言った通り裕福ではない村だ。

貯えなんてほとんどなく、当然他の村でも同じような事が起きている筈だから食料の値段は高騰する。

塩の事も考えれば貯えをすべて吐き出したとしても到底足りないのだ。

 

せめて塩だけでもなんとかできれば希望が見えてくる。

未開拓の森に塩鉱が無いか、私も探してみる事にしよう。

 

 

某月某日

 

可能な限り捜索範囲を広げて探しているけど、塩鉱は見つからない。

そう簡単に見つかる物じゃ無いことは分かっている。

それでも僅かな可能性に賭けて探しまわる。

 

途中で神気が尽きそうになったけど、マヨイガで貰った菓子を食べると回復した。

霊力でも込められているのだろうか。

これでまた頑張れる。

 

マヨイガといえば宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)の眷属の童女なら塩鉱があるか知っているかもしれない。

それを思い至ったのは散々探し回った後だったので今から行く気力はもう無い。

明日行ってみる事にする。

 

 

某月某日

 

その日、マヨイガに行くまでもなく向こうの方から使いが来た。

なんでも、大量に塩が手に入ったので分けてもらえるようだ。

 

いくつもの大きな壺一杯に入った塩が、これでもかと私の前に並べられていく。

これだけあれば塩の値段が高騰しても落ち着くまで持つだろう。

更に欲しければ追加で用意してくれるそうだ。

 

使いのミシロキツネに、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)に礼を伝えてもらうように言う。

追加の申し出は断った。

 

正直に言えば受けたい気持ちで一杯だし、私が直接行ってお礼を言いたくはある。

だけどラクル村の守護神という立場が、それを許さない。

神格としては宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)が上であっても、直接的な上下関係がある訳ではないのだ。

主神でもない相手に弱みは見せられない。

 

相手の厚意(こうい)は受け取れても、恩義を受けるわけにはいかない。

差し出されたものは受け取っても、私から求めてはいけない。

求めるならば対価を用意し、対等な取引の形にする必要がある。

今は私にもラクル村にもそれだけの対価を用意する余裕はない。

 

すでに言付けはしているけど、後日改めて礼を言いに行こう。

何かの用事のついでに感謝の意を伝えるくらいなら、立場的にも大丈夫だろう。

 

とりあえずは我が子──最近正式に私の巫女になったルアという名前の人間──の枕元に立ち、この塩を授けよう。

あの子は誠実だし、人徳もあるからきっと村のために使ってくれるだろう。

 

 

某月某日

 

大事件発生だ。

ラクル村の──ではない。

私、フェルドナにとっての大事件だ。

 

太陽神(プロミネディス)様と月神(ルミナ)様が御光来され(いらっしゃい)ました。

貴高神のお歴々(れきれき)の中でも特に神格の高いお二方が何故このような片田舎に!?

 

それはともかく御光来されたからにはきっちり御持て成ししないと私の──ひいてはラクル村の──評判に関わる。

万一不興を買って睨まれでもしたらどうなるか分からない。

 

一介の守護神に過度な期待はされておられないとは思うけど、あまり貧相な歓待をする訳にはいかない。

かといって身の丈を越えて贅を凝らせばよいというものでもない。

 

さてどうしようかと考えていると、ふとマヨイガで貰った引出物を思い出した。

生憎とお菓子の類は食べつくしてしまったけれど、甘い作物はまだ結構残っている。

特に宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)の眷属がサツマイモと呼んでいた作物は石焼きにすると驚くほど甘い上に他の作物に比べて調理が簡単だ。

異界から持ち帰った作物だけに珍しさは十分。

しかしあくまで貰い物なので奢侈(しゃし)と取られることもないでしょう。

 

早速サツマイモの石焼きを供応する(ふるまう)と、大層美味であるとお褒めの言葉を頂きました。

そして月神(ルミナ)様はマヨイガなる異界の事をご存じだったようで、太陽神(プロミネディス)様にサツマイモの事を語っておられました。

痩せた土地でも逞しく育ち、手間もかからず、多くの収穫が見込めて味も良いという非の打ちどころのない異界の作物なのだとか。

 

月神(ルミナ)様も話にはお聞きになられていたものの今まで召し上がられた事はなかったそうで、その味をとても気に入られてサツマイモを祝福されるほど。

これ(サツマイモ)ってそんなに凄い作物だったのか。

 

もし上手く育てることが出来たなら、ラクル村を飢餓から救うことが出来るかもしれない。

サツマイモを食べきる前に知ることが出来て良かった。

他の作物もそうなのだろうか。

明日、畑を作って育ててみようと思う。

 

なお、太陽神(プロミネディス)様と月神(ルミナ)様は大変満足なされ、その日の夕刻には帰られました。

一体何だったのだろうか……

 

 

某月某日

 

神域に作った畑を前に、私は愕然としていた。

サツマイモの蔓が増えまくっているのだ。

 

サツマイモはそれをそのまま植えても新たなサツマイモはできないそうなので、芽出しをして成長した茎を切って定植した。

本来は二度月が満ちる(二ヶ月)ほど時間がかかるようだけど、マヨイガの高い霊力が込められていたみたいで、翌日には苗が出来た。

 

その苗を切り取っても翌日には同じだけの苗が出来ている。

芽出しの際に少しでも多く収穫できるようにと私の神徳を使ったし、月神(ルミナ)様の祝福があったことも無関係ではないだろう。

しかしそれを加味しても予想外。

 

なんと種芋が半ば化生(妖怪)になっていたのだ。

 

いくら苗を切り取っても翌日には元に戻っている妖怪種芋を前に、私は調子に乗った。

毎日毎日苗を切り取り、畑を広げては植えていった。

気づいた時には視界一杯のサツマイモ畑。

しかも恐ろしい速度で蔓を伸ばしている。

 

伸びた蔓から不定根ができるとサツマイモが十分に大きくならないらしいので適度に「つる返し」をしないといけないのだけど、成長速度が速すぎて大変だ。

やりすぎた……と思ったけど、今更破棄するのも躊躇われる。

 

かなり大変だけど、これも可愛い我が子たちのため。

頑張るぞー!

 

 

某月某日

 

数日もすると最初に植えたサツマイモの葉が枯れ始めた。

そろそろ収穫の時期らしい。

 

マヨイガの霊力や私の神徳で成長が加速していた分も加味して考えると、本来なら四~五度月が満ちる(四~五ヶ月)ほどで成長するのだろう。

掘ってみると丸々と肥えたサツマイモがごろごろ出てくる。

一つ石焼きにしてみた。

流石に霊力は使い果たしたようで普通の作物だったけど、味は変わらず甘くておいしかった。

 

よーし、明日からもいっぱい掘るぞ!

 

 

某月某日

 

まずい、調子に乗って畑を広げすぎた。

掘っても掘っても収穫が終わらない。

 

しかも掘るのも結構重労働で腰が痛い。

成長を終えた段階で成長速度が元に戻るので、すぐに傷むことはないようだけど時間をかけすぎると土の中でダメになってしまう。

 

……掘り出したサツマイモを我が子たちにプレゼントするつもりだったけど、予定変更!

我が子たちに掘りに来てもらいましょう。

早速今晩巫女の枕元に──と考えて、ふと思った。

これ(サツマイモ)ってあげちゃって大丈夫なのかと。

 

宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)(の名代)から貰ったものだ。

太陽神(プロミネディス)様と月神(ルミナ)様にお出しした分は調理済みのものだったから大丈夫だと思うけど、種芋にもなるものを勝手に我が子に下賜したらまずいかもしれない。

 

念のため確認を取った方がいいわね。

今から行くには少し遅い時間だから、明日ある程度日が昇ってから行くことにしましょう。

 

 

某月某日

 

マヨイガに赴き、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)(の名代)から下賜の許可を貰った。

ただしマヨイガや宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)やその眷属達の名を出してはならないという条件付きでだけど。

 

それくらいなら大丈夫。

 

一応、名を出さなければ「異界で貰った」くらいなら言ってもいいらしい。

名を出さない事に意味があるのだそうだ。

 

さっそく、その日の夜に巫女の夢枕に立つ。

収穫したサツマイモを手に「凄い作物を手に入れた。畑を作ったから取りにおいで」と伝える。

畑への行き方の他に掘り方や保存の方法、調理の仕方なんかも詳しく教える。

 

畑は私の管理する神域にあるから、普通にその場所に来たとしても畑なんて存在しない。

神域に入るための特別な方法をこなす事でようやくそこにたどり着ける。

ある程度の神威を持つ神なら無理やり入ることもできるけど、我が子たちにはまず無理だ。

条件はこちらでつけられるので、今回は特定の道順を辿って来たときのみたどり着けるというよくある条件にした。

 

さあ、たくさん掘って帰りなさい。

 

 

某月某日

 

我が子たちによるサツマイモ掘りは成功し、今年もなんとか冬を乗り越えられそうだ。

 

神域の入り口は塞いでおく。

あんまり簡単に来られても困るからね。

本来は選ばれた我が子しか入ってはいけない場所なのだ。

 

あとは苗の作り方を伝えれば来年からは我が子たちがサツマイモを育てていけるはず。

おかげで信仰も強くなったし、私の神格も上がりそうだ。

 

 

某月某日

 

隣村の守護神で同期の友神のシャルテがやってきた。

なにやら言いづらそうにしていたので促してみると、どうやら頼みがあって来たようだ。

 

ラクル村を襲った疫病はシャルテの守護している村でも猛威を振るっていた。

友神の(よし)みで薬草(マヨイガで手に入れた病に効く術が込められたもの)を融通したこともあり、比較的被害は抑えられたもののそれでも皆無とはいかなかった。

 

そもそも村の規模や環境はラクル村と大して変わらないのだ。

そうなれば当然、ウチと同じような状況に陥るのは簡単に予測がつく。

つまり、凶作による飢餓が起こっているのだ。

 

シャルテも村の規模的にそう変わりのない私の所でも飢餓が起きているだろう事は考えていた。

しかし、私が以前融通した薬草が恐ろしく効果が高かったことで、私が格の高い神との伝手もしくはコネがあるんじゃないかと思ったそうだ。

 

まぁ、私じゃまず作れないような高位の術が込められた薬草をいっぱい持っていればそうも考えるよね。

それで、その神に助けてもらえないか駄目元で聞いてみようと思い、やってきたそうだ。

 

さて、どうしよう。

少なくともいきなりマヨイガにシャルテを連れて行くのはよろしくない。

 

私自身がマヨイガに入る許可を得ているからと言って、勝手に他の者を連れ込むことはできないのだ。

シャルテに自力で行ってもらうか、事前に話を通しておかなければいけない。

 

というか、そもそも今の私には飢餓を救う手段(大量のサツマイモ)があるのだ。

それで事が解決するならそちらの方がいいだろう。

シャルテが望むなら紹介することは(やぶさ)かではないけど、助けてもらえるとは限らないわけだし。

 

そんな訳で大量のサツマイモをシャルテに譲る。

実は我が子たちによるサツマイモ掘りのあとも掘りきれなかったサツマイモをちょくちょく収穫していたので、凶作の不足分を補える程度には在庫があるのだ。

 

対価は「貸し一つ」で。

友神でも、いや、友神だからこそこの辺ははっきりしておかなくてはいけない。

 

「貸し」という曖昧でどうとでも取れるものを対価にしている時点ではっきりも何もあったものじゃないけど。

今度豊作の(余裕のある)時にでも何か奢ってもらってチャラにしよう。

 

シャルテはサツマイモの詳細なスペックを聞いて驚愕しきりだった。

どこで手に入れたのかと聞かれたので異界で貰ったと答えると、なんて危ないことをと叱られた。

マヨイガはそうではなかったけど、実際にどことも知れない異界に行くのは危険なのだ。

 

とはいえ私がマヨイガに行かなければ薬草やサツマイモが手に入らなかったことも事実なので、それも二言三言程度のもの。

そもそも私を心配してつい口から出てしまった事が分かるだけに素直に謝った。

本気で私を思ってくれている友神にへそを曲げるようなことはしないのだ。

 

 

某月某日

 

農耕神(グラヌド)様の眷属神がやってきた。

どうやら私がシャルテにサツマイモを分けたことでうわさが広がり、それを聞きつけて来たらしい。

 

しかも上から目線で「君はグラヌド様の領分を侵している」だの「即刻サツマイモなる作物を回収しろ」だの言ってくる。

 

相手の方が神としての格は高かったけど、ラクル村の守護神として引くわけにはいかない。

第一、今更我が子たちからサツマイモを取り上げる事なんて出来ない。

そもそもサツマイモは私が貰ったもので、農耕神(グラヌド)様にもどうこう言われる筋合いはないのだ。

 

私も「自分の持っているものを我が子や友神にあげて何がいけないのか!」と反論する。

そこからはもう怒鳴り合いだ。

お互いに完全に平行線。

そんな状態で決着がつくわけもなく、最後は時間切れで物別れだ。

 

流石に私だけにかまけているほど農耕神の眷属というのは暇ではなく、あくまで高圧的な態度のまま帰っていった。

あの様子では近いうちにまた来るだろう。

 

私は絶対に引くつもりはないし、神の規則においても反する事はしていない。

というか、あれ絶対眷属神の独断で言ってるでしょ!

 

農耕神(グラヌド)様に命じられての事だったらそう言っている筈だ。

この横暴を農耕神(グラヌド)様に訴えれば勝てるかもしれないが、農耕神(グラヌド)様がご自身の眷属神を御贔屓(ごひいき)になされる恐れもある。

もし農耕神(グラヌド)様にまで出て来られたら力負けするのは私の方だ。

 

うぅ、やむを得ないわ。

宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)の眷属の童女に相談してみよう。

農耕神(グラヌド)様なら私が言わなくてもサツマイモの出所がマヨイガであると突き止めるでしょうから、彼女たちも関係ないとは言えないでしょうし。

 

最悪、私自身を差し出してでも我が子たちとシャルテに害が及ばないように取り計らってもらえるようにお願いしよう。

あれ程の力の持ち主が後ろ盾となってくれれば、私の身一つを元凶として農耕神(グラヌド)様に差し出すことで事を収めることも出来るのだから。

 

もっとも、あのいけ好かない眷属神相手には絶対に譲る気はないのだ。

 

 

某月某日

 

何がどうなっているのやら。

私の理解の及ばないうちに事態が進んでいく。

それも明後日の方向へ。

 

翌日マヨイガを訪ねた私だったけど、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)の眷属から色よい返事は貰えなかった。

宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)は私たちとは異なる神話体系に属する神であり、個神(こじん)的な付き合いならともかく、他所の神同士の話に首を突っ込むわけにはいかないそうだ。

 

分かってはいた事だ。

こちらにも同じような神の規則がある。

それを考えればこの対応は当然のものだろう。

相談には乗るけれども、直接宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)や眷属が手を出すことはできないと。

 

なので最悪の場合のお願いだけしておこう。

あれならば宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)農耕神(グラヌド)様の個神(こじん)的な話に収められる。

そう思って口を開こうとしたとき、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)名代(みょうだい)は「少々待っておれ」と言って席を外した。

 

何なのだろうかと待っていると────

 

 

「呼ばれて来ましたわ」

 

 

────月神(ルミナ)様がお見えになられました。

え? え? え? なんで月神(ルミナ)様がマヨイガに!?

 

「という訳で仲裁を頼みたいのじゃが」

 

「ええ、構いません事よ」

 

しかも宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)名代(みょうだい)と仲がよさげな感じだ。

これは一体どうなっているんですか!?

 

「では、すぐに取り掛かりますわ。今日はこのままお(いとま)しますわね」

 

「タケルたちには儂から言っておく。今日の続きはまた後日としようぞ」

 

そして明らかにそれなりに付き合いのあられる会話ですよね!?

 

「安心なさい、フェルドナ。(わたくし)が万事丸く収めて差し上げますわ」

 

「は、はい」

 

私にはそれしか言えませんでした。

 

 

某月某日

 

そしてあれよあれよという間に話が進んだのはよかったんだけど、なんか私の経歴が凄い事になってない?

世間では私は「我が子の為に未知の異界に赴き、そこで奇跡の作物であるサツマイモを手に入れ、月の神の導きによりそれを育て上げ、己の子のみならずすべての民たちを飢えから救うべく惜しみなく分け与えた勇気と慈愛を兼ね備えた高潔な神」という事になっているらしい。

 

いや、やった事は間違ってないのよ。

薬草が欲しくて未知の異界(マヨイガ)にも行ったし、そこでサツマイモも手に入れたよ?

でもサツマイモを手に入れる為に行った訳じゃないし、なんならこれ結婚祝いのお返しだからね。

 

そんな物をポンと渡してきた宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)名代(みょうだい)の凄さに今更ながら手が震えてるんだけど。

まさか一緒に入っていたカボチャとかトウモロコシとかもそんなレベルの作物じゃないわよね……

 

月神(ルミナ)様の導きとは言うけれど、導いて頂いたというより完全に御教示(ごきょうじ)(たまわ)ってますからね。

内容はほぼ解答でしたよ。

 

確かにそれを聞いて私がサツマイモを育てた事は間違いないけど、これ月神(ルミナ)様の功績じゃないですか?

そう月神(ルミナ)様に言ったら「あら、そんな事言いましたかしら?」とはぐらかされました。

そして「何にせよ貴方が貴方の子(守護下の人間)達の為にサツマイモを育て上げた事は事実です。誇ってよいのですわ」とまで言われては否定する方が無礼になってしまいます。

 

惜しみなく分け与えたと言われてもそれは相手が友神のシャルテだったからだからね!

他の神でも恩を売るために渡したかもしれないけど、慈愛とかじゃぜんぜんないからね!

 

「……より信仰を得る為に独占すればいいものを他神(たにん)の願いで譲っている時点で(神の感覚で)十分慈悲深いですわよ」

 

月神(ルミナ)様!?

 

 

いまいち釈然としないんだけど、それで私の神格は他に類を見ないほど急激に上昇した。

それに伴い、私に権能が発現している。

私は一介の守護神からサツマイモの神にランクアップを果たしたのだ。

 

いや、権能の発現は私の──というか大抵の神格が低い神の──夢だったんだけど、まさかこんな方向で叶うとは思いもしなかった。

精々が何々山の神とか何々川の神とかその辺りだと思っていたのだけど。

今はまだ数村ほどの範囲だけど、最終的には大陸全土に信仰が広がる可能性を持つ権能だ。正直スケールが違いすぎる。

 

ついでに生類上がりの神で100年もたたずにこのクラスの権能持ちってそうはいないらしい。

これは喜んでいい所だろう。

 

これでことサツマイモに関して私は様々な権利を行使できる。

なんなら毎年豊作にすることも可能だし、一瞬で成長させる事も不可能ではない。

もっとも出来るというだけで消費する神気の関係であまりやりたくはないんだけど。

特に天候や大地の事情を無視して毎回豊作なんてしていれば消費する神気が倍々どころではなく増えていくからだ。

 

ついでに言えばサツマイモは作物だから農耕神(グラヌド)様の権能の範疇に含まれるのだけど、同時に異なる権利を行使した場合は私の方が優先度が高い。

 

もちろん、この権能を行使できるのは私が信仰されている範囲に限っての事だ。

異国の神々が信仰されている地域やマヨイガのような異界では意味がない。

 

……手にすることになった力の大きさに(おのの)いているんだけど。

 

先日も以前の私より神格の高い神(今は私の方が格上だ)がサツマイモを分けてほしいと頭を下げてきたのだ。

断る理由も無いので出世払いで譲ってあげた。

どこも凶作らしくてあんまり対価も用意できなさそうだったし、足元を見てその神の子達に皺寄せが行ったら本末転倒だしね。

 

だけどそれはかつての私から見たら手も届かなかっただろう神すら頭を下げるような権能を得たという事なのだ。

 

これに驕ってはいけない。

別に謙虚に生きるべきだとか、この力は他者のために使うべきだとか言うつもりはない。

単純に調子に乗ったら月神(ルミナ)様と宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)名代(みょうだい)(制裁)されかねないからだ。

 

強力な権能が発現し神格が上がってもなお、いや、上がったからこそ詳細に感じ取れる。

お二方の力は私のそれよりも遥かに上で、実力行使をされれば私なんて一溜(ひとたま)りもない。

そしてお二方には()()調()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 

そしてもう一つ(お腹)が痛いことがある。

なんと眷属神の件で農耕神(グラヌド)様が謝罪のためにお越しになるそうです。

 

眷属神に対しては腹は立ったけど、自分の間違いを認めて謝るのならいいわ、許してあげる。なんだけど……

農耕神(グラヌド)様まで御出(おい)でになられると逆に困るのですが。

 

どうにか相手を立てつつ角が立たないように謝罪を受け入れないといけない。

うう、今から(お腹)が痛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はこれが私の神生(かみせい)で一番の出来事だろうと思っていた。

こんな事は二度三度も起こるものじゃないと思っていたからだ。

だから未来においてまさかあんなことになるなんて思いもしなかったのだ。

いやほんと、何でよ。

 




グラヌド神の謝罪は本神が自分の影響力を弁えているので、グラヌド神の誘導によりフェルドナ神に利がある(サツマイモに関してはフェルドナ神の領分であると周りに認めさせる)形で特に角もたたず終わりました。
グラヌド神が出てくるとフェルドナ神は体裁上眷属神を許さないわけにはいかなくなるのでその詫びという意味もあります。
フェルドナ神は始終緊張しっぱなしでしたが。


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File No.13  『運用の妙は一心に存す』

御先稲荷という呼び方が適切ではない恐れが出てきたので過去話含めて呼び方を稲荷狐(いなりのきつね)に変更いたしました。
話の内容は変わりませんので、呼び方が変わったのかくらいに思っていただければ幸いです。

追記:気づいたら評価バーが赤くなっていました。評価してくださった皆様、今作を読んでくださった皆様、誠にありがとうございます。

追記:新規に入手した情報を精査した結果、霊狐及び天狐と空狐の関係を独自解釈を交えて修正いたしました。
現状、拙作においてはこのような設定となります。


「タケル様、主様はどれくらい凄い方なのでしょうか」

 

特に何もないある日、ヤシロさんがそんな事を聞いてきた。

 

今現在、俺の傍にコンはいない。

俺に憑いているとはいっても四六時中一緒にいるという訳でもないのだ。

それほど離れられる訳でもないので祈れば届く(頭の中で呼べば答える)距離にはいるけどな。

 

いや、しかし突然どうしたのだろう。

 

「何か気になる事でもありましたか?」

 

「いえ、こうして主様にお仕えさせていただいておりますが、主様がどのような妖怪なのかよく知らないという事に思い至りまして」

 

なるほど。

コンは自分をヤシロさんに紹介するとき「稲荷狐(お稲荷様の使い)の天狐」と言っていた。

そういえば稲荷狐(いなりのきつね)がどういうものかは説明していたが、天狐の事については触れてなかった気がする。

 

これはヤシロさんの立ち位置が稲荷狐のコンが出向先で現地雇用した式神(妖怪)になるからだ。

伏見に本社を置く会社・稲荷のマヨイガ支社の支社長(コン)に雇われたアルバイト(ヤシロさん)と言い換えてもいい。

 

なので基本的にコンも雇い主(稲荷狐)として接する事になるからだ。

実情はどうあれ、建前上は稲荷狐としてのお仕事なんだよね。コンが俺に憑いているのって。

 

「とても凄い方というのは分かるのですが、何分凄すぎてどのくらい凄いのかいまいちピンと来ず……」

 

ああ、わかる。

霊力も霊威も霊気も濃すぎて底が見えないんだよな。

 

それでも天狐がどんな神獣(妖怪)かくらいは説明できる。

 

「教えるのは構いませんが、コンに直接聞けば良いのは?」

 

とはいえ、それでもコン本狐(ほんにん)程ではない。

俺に憑いている影響で、人間視点での天狐(自分)がどういうものかも知っているからな。

 

「コン様に直接お聞きするのは……なんと言いますか……気後れすると言いますか……」

 

そりゃそうか。

 

「これは失礼しました。では、そこの部屋ででもお話ししましょう」

 

飲み物を取りに行った帰りに声をかけられたから、ここ廊下なんだよね。

 

「はい、お願いします」

 

 

 

 

「コンは見ての通り狐の妖怪なんですが、狐妖怪には下から順に野狐(やこ)気狐(きこ)空狐(くうこ)天狐(てんこ)という階級があって、コンは一番上の天狐なんです」

 

「うーん、凄そうなのは分かるのですがよくわかりません」

 

だろうね。残念ながらヤシロさんが知っている比較対象があんまりいないからなぁ。

 

「野狐の中にも区分がありまして、大まかに阿紫霊狐(あしれいこ)地狐(ちこ)に分かれます」

 

厳密にいえば野狐は神性を持たない狐の総称なので普通の狐も野狐に含まれるが、今回は狐妖怪の話だから除外する。

 

阿紫霊狐(あしれいこ)は妖力を得た狐の事なので正確には妖怪とは言い難い面もあって、妖怪の括りに入れない場合もありますけどね。地狐(ちこ)は一般的な狐妖怪の事なのでヤシロさんを狐妖怪に例えると地狐(ちこ)になります」

 

阿紫霊狐(あしれいこ)地狐(ちこ)の境界はけっこう曖昧だが、目安として尻尾が二本以上あるか(よわい)が100歳を超えていれば地狐(ちこ)と考えていいだろう。

尻尾が増えないタイプの狐妖怪もいるのであくまで目安だが。

 

「私が地狐クラス……ではミコト様は気狐や空狐だったりするのでしょうか」

 

「いえ、ミコトも地狐クラスです。例外もいますが基本的に地狐は尻尾の数によって二尾から九尾に分けられていて、(かく)が上がるごとに尻尾の数が増えていくんですよ」

 

例外はさっき言った尻尾が増えないタイプの妖狐ね。

 

「ヤシロさんは二尾クラス。ミコトは尻尾が九本あるけど正確には狐じゃなくて付喪神だから尻尾の数は関係がなく、能力的には七尾クラスだってコンが言ってたかな」

 

もっとも、呑み込みが早いのでこの調子で修行を続ければ近いうちに八尾クラスに至れるそうだ。

 

「ミコト様でも七尾……」

 

「まぁ、気狐(きこ)より上は霊狐(れいこ)とも呼ばれ、妖怪よりもむしろ神獣に近いですからね。その気狐ですが、主に金狐・銀狐・白狐・黒狐などの種類がいます。気狐は基本的に霊的な存在で、狐としての(かたち)をとる影響で尻尾は一本に戻る事も多いらしいですよ」

 

個狐(こじん)によっては最初から複数本あったり、格を上げる過程で増える者も存在する。

逆に天狐になるまで一本しか持たないものも結構いるそうなので、尻尾の数で強さが計れないのがこの階級だ。

 

ちなみに霊狐(れいこ)についてもうちょっと補足すると、霊狐(れいこ)は神性を持つ狐の総称で、気狐(きこ)空狐(くうこ)天狐(てんこ)が該当する。

基本的に肉体を持たないが、一部信仰対象になって神性を得たことで霊狐(れいこ)に分類されている肉体持ちの妖狐もいないではない。

 

もちろん稲荷狐であるコンも霊狐(れいこ)に分類される。

コンの神性は天狐としては並程度だそうだ。

 

なお、字面が似ているので間違えやすいが、神性を持つ狐であって神格を持つ狐ではないので注意。

 

他にも仙狐というのもいるが、これは階級というよりは仙術を修めた狐という資格を表すものだ。

とはいえ、仙狐というだけで最低でも気狐クラスの力の持ち主と考えてもらって問題ない。

コンも仙術を修めているから仙狐でもあるしな。

 

「ウチだと……確かこんごうさん達が気狐クラスだったはず」

 

「え!? そうなのですか!?」

 

そうなんだよねぇ。

ただ、彼らは仮面の付喪神であるせいか()()()()が強くて外から見ると大した妖怪に見えないんだよな。

 

こんごうさん達の真の力を見抜くには最低でも上級妖怪クラスの力がいるらしい。

伊達に異界そのもの(マヨイガの意思)天狐(コン)に紹介していないという事だ。

 

「とはいえこんごうさん達は隠蔽(いんぺい)特化みたいなものだし、コンの比較対象にはできませんね。そもそも俺にも実力が分からない」

 

「私、先輩方の事を何も分かっていませんでした……」

 

「それは仕方ない事ですよ。むしろ理解されていたらこんごうさん達の立場がない」

 

色々と隠す事が存在意義な妖怪ですから。

 

 

 

閑話休題。

 

「さて、その気狐の上。狐妖怪の最高位にしてコンが属する階級こそが天狐。一応天狐も尻尾の数でランク分けされますが、地狐とは逆で尻尾の数が少なくなるほどランクが高くなります。ちなみに初期数が九本で最小数は四本です」

 

「確か主様の尻尾の数は──」

 

「四本ですね」

 

「主様は天狐の中でも更に最高位なのですね」

 

「ここまで来ると下手な神よりよっぽど霊威も霊気も高いですからね」

 

「え? 神様よりも凄いんですか!?」

 

「神様と言っても千差万別ですから一概にはいえませんが」

 

お稲荷様の眷属だったりするとその加護もあるしなぁ。

少なくともフェルドナ神よりは確実に強い。

ルミナ神はどうだろ。

 

「私、凄い方に仕えることになったんですね」

 

実際コンは凄いからなぁ。

本来俺に憑いてくれるような相手じゃないんだよな、うん。

 

「あれ? そういえば気狐と天狐の間にもう一つ何かありませんでしたか?」

 

「あぁ、空狐ですね。空狐はちょっと立場が特殊でして」

 

狐妖怪の最高位は天狐ではなく空狐とする場合がある。

これは狐妖怪が最後に至る境地が空狐だからであり、三千年以上の時を経た天狐は空狐になるのである。

 

では何故天狐が狐妖怪の最高位とされているのか。

これは天狐と空狐の神性の違いに理由がある。

 

天狐の神性は狐としての性質が強い。

その姿も基本的に狐と呼べるものである。

 

対して空狐の神性は純粋に超自然的な性質が強い。

狐という枠に収まりきらなくなる為にその姿を神々に近づける者も多く、尻尾も亡くなってしまう。

 

「狐というよりは精霊に近くなってしまうので、狐妖怪としての階級は下がってしまうんですよね」

 

どっちが強いかと言ったら、基本的に長く生きている方が強い。

稲荷神の加護とかを抜きにすればのはなしだが。

 

ちなみに神性の性質が元々超自然的寄りな気狐は、千年で天狐をすっ飛ばして直接空狐になったりするのもいる。

空狐が全員三千歳以上という訳では無いのである。

 

そんな訳で狐の妖怪という視点から見れば最高位は天狐だが、単純に妖怪という視点から見れば空狐が最高位というややっこしい事態が発生するのだ。

 

加えて狐妖怪は地狐までであり、気狐以降は神獣という括りになるので狐妖怪の最高位は九尾の狐とする考え方もある。

 

余談だが、コン曰く稲荷神に仕えている天狐が三千歳を超えて空狐になった場合は稲荷空狐と呼ばれるそうな。

ここまで来ると多くの稲荷空狐は引退して後進に席を譲るらしい。

コンも本来ならそろそろ引退を考える歳らしいのだが、稲荷狐業界の人手不足もとい狐手不足によりもう数百年は引退できそうにないとか言っていた。

 

「へぇ、ただ上がっていくだけでは無いのですね」

 

「妖怪の強さ(実力)凄さ(階級)はまた別の基準ですからね」

 

基本的には凄い(階級が高い)方が強い(実力も高い)のだが。

 

ただ狐妖怪には白面金毛九尾の狐のような階級は地狐なのに実力は空狐クラスという無茶苦茶な奴も存在する。

というか個体名持ちの九尾は大体やばいと思って間違いない。

 

しかもそういうのに限って悪狐(わるいきつね)なのだ。

これは地狐が気狐に至る条件が単なる実力や年齢だけではなく、精神的なものも含まれるのが理由である。

 

実力がある善狐(よいきつね)は気狐になれるが、実力があっても悪狐(わるいきつね)は気狐になれない。

そうなると個体名持ちになれるほど実力がある地狐は善狐であれば気狐になるので地狐にはいなくなり、悪狐であれば地狐として残り続ける。

結果、強い地狐は悪狐ばかりという状況になってしまう。

 

日本で九尾の狐が悪の妖怪の代表の一つになっている原因の半分はこれなんじゃないだろうかと思う。

もう半分は玉藻御前の知名度が大きすぎて九尾の狐=玉藻御前のイメージがついてしまったこと。

九尾の狐って本来はおめでたい妖怪だし、絶対数で言えば善狐(よいきつね)が大半なんだけどなぁ。

 

 

 

さて、これでコンが凄く偉い狐であることは分かってもらえたと思うが、狐の中では凄くても妖怪全体から見ればどうなの? と思う事もあるだろう。

なので次は妖怪の強さの指標で比べてみよう。

 

この妖怪の強さというのは存在の強さという意味で戦闘能力が高いという意味ではない。

 

「妖怪の強さを表す指標として一般的なのは『霊威(れいい)』『霊気(れいき)』『霊力(れいりょく)』『霊躯(れいく)』の四つですが、特に重要なのは『霊威』ですね」

 

『霊威』は妖怪の持つ力の器の強さを表したものだ。

個体名はなく種族名も持たない妖怪──妖怪変化(ようかいへんげ)と一括りで呼ばれる妖怪たち──が大体数値にして『100』くらいだそうだ。

 

「基本的にはこれが高いほど凄くて強い妖怪になる訳ですが、ヤシロさんは大体120くらいですね」

 

俺も妖怪が見えるようになって長いから、ある程度なら霊威の強さを読むことが出来る。

流石に1,000を超えるとどれも同じように見えてしまって無理だが。

 

「私が霊威百二十ですか」

 

今一実感が湧かないと言った感じでヤシロさんが答える。

まぁ、例えばあなたの握力は50㎏ですって言われても、他の人の記録を知らないとそれってすごいの? ってなるよね。

 

「妖怪に成り立てとしては結構いい数字ですね。普通は100未満だそうですし。もちろんこれはコンの加護なしの数値です」

 

コンの加護込みだと300を超える。

 

ついでに言うなれば霊威は人間のコンディションのように常に変動しているので、あくまでおおよそこのくらいという目安でしかない。

 

「ミコトの霊威が880くらいでこんごうさんの霊威がコンが言うには1,200くらいだそうです」

 

コンの式神(仮面の付喪神)達の平均霊威はコン曰く1,100ほどだそうだが隠蔽能力のせいで俺には100くらいにしか見えない。

 

そしてミコトの数値が意外に高い。

基本的に妖怪の強さは歳を得るごとに増していくが、ミコトの年齢だと400くらいが普通なのだそうだ。

ミコトが何歳かは秘密な。

 

「私もいつかそれくらい強くなれるでしょうか」

 

「なれますよ。諦めずに目指していけば必ず」

 

ぶっちゃけヤシロさんは人魚という恵まれた種族(有名な妖怪)天狐(コン)に師事していて才能もあるとわかっているのだ。

頑張れば一流の上級妖怪として名をはせることも夢ではない。

もちろん立場や才能に溺れて努力を怠るような事が無ければの話だが。

 

「肝心のコンの霊威ですが、おおよそ3,000だそうです」

 

これはコンの自己申告ではなく、お稲荷様から聞いた話なので間違いないだろう。

もちろんお稲荷様の加護抜きでの数値だ。

 

ミコト3.5人分と考えるとあんまり高くないように思えるが、実際は霊威が100違うだけで強さが全然違う。

 

分かりやすく言うなれば、ゲームのステータスで言えば霊威はレベルに相当する。

レベル880のミコトが一万人いたところで、レベル3,000のコンには敵わない。

まぁ、これはあくまで例えて言うならそんな感じという意味だが。

 

ちなみに、先ほど霊威は一定ではなく変動すると言ったが、霊威の高い妖怪ほどその振れ幅は大きい。

なので霊威を数値化する場合は(かみ)二桁までで三桁目以降は四捨五入するというのが通例になっている。

 

調子によっては2~3割くらい変わることもざらにあるらしいからな。

 

「一般的に霊威が300未満が低級妖怪。300以上から下級妖怪。800以上で中級妖怪。1,500以上なら上級妖怪。2,400以上まで行くと大妖怪と言われています。あくまでそう呼ばれるおおよその目安であって正式にそういった基準がある訳ではありませんが」

 

「では霊威が三千ある主様は大妖怪ということですか?」

 

「ええ、有名な大妖怪と比べても遜色ない霊威の持ち主ですよ」

 

実際、コンと面識がある大妖怪の霊威を上げると姫路城の城化け物『長壁姫(おさかべひめ)』が2,800。鞍馬山の大天狗『鞍馬山僧正坊(くらまやまそうじょうぼう)』が3,300。台風の化身たる一目の龍『一目連(いちもくれん)』が3,400だそうだ。

いずれも押しも押されぬ大妖怪である。

 

このお三方の数値はコンが面識を得た当時の霊威であり、信仰による強化を含まない数値だそうだ。

当然ながら俺は何方(どなた)にも会った事はない。

 

余談だが、妖怪同士が何らかの方法で競い合った場合、その優劣は霊威の強弱よりも相性に強く影響される。

もちろん相性の有利不利が無ければ霊威が高い方が有利ではあるが。

 

この相性というのは単純なお互いの属性に限らず、勝負内容、場所、時間、伝承、立場など多岐にわたる。

 

例を上げるならば、先の長壁姫とコンが化け比べをしたとしよう。

長壁姫の化け術は変化範囲で狸には劣るもののそれなりにあり、精度に関しては相当なものだそうだ。

一方コンの化け術は人間の女性に化けるのは上手いが、他はあまり得意ではない。

 

勝負内容との相性は長壁姫に軍配が上がるということだ。

得意であるというのは相性がいいという事でもあるからな。

 

コンがこれを覆すには他の相性で補うか、長壁姫が相性不利となるように仕掛ける──すなわち弱点を突く──必要がある。

 

例えば会場を稲荷神社境内にするとか。

稲荷狐であるコンは稲荷神社との相性がよく、実力以上の力を発揮することが出来る。

 

一方長壁姫と稲荷神社の相性は悪い。

というか、長壁姫が姫路城の城化け物という妖怪である以上、姫路城以外すべての土地での相性が悪いと言うべきか。

 

そうなると長壁姫は実力を十分に発揮できず、化け比べはコンの勝ちとなるだろう。

 

長壁姫は典型的な領域型妖怪なのだ。

逆を言えば会場が姫路城だった場合、長壁姫は無類の力を発揮してコンの勝ち目がなくなるという意味でもある。

 

これが戦闘となると特に顕著になる。

 

有名なのは九千匹の河童を束ねる西の河童の大親分、『九千坊(くせんぼう)』だろうか。

当時負けなしを誇っていた九千坊だったが、加藤清正によって大量の猿を(けしか)けられ、一族もろとも敗北を期している。

神の使いや妖怪の猿神ではない、普通の猿によってである。

 

詳細は長くなるので割愛するが、河童は猿との相性が致命的に悪い。

大妖怪と言って差し支えない九千坊ですら成すすべなく敗走するほど、妖怪にとって相性というのは大きいのだ。

 

他にも刀も槍も通さぬほどに硬い表皮を持つ大百足(おおむかで)(つば)によってその防御を無効化されたり、どんな鋭い刀でも切れない(ふすま)という一反木綿の一種も一度でもお歯黒に染めたことのある歯なら噛み切れたりする。

 

見越し入道のように特定の言葉を言えば退散する妖怪も、その言葉の持つ言霊との相性が悪いため退散するのだ。

 

いかに強力な妖怪であっても、こちらが相性有利に持ち込めば(弱点を突くことができれば)勝利することができる。

まぁ、そう簡単に相性有利を取れない(弱点を突けない)から大妖怪な訳だが。

 

 

 

 

いい加減話が長くなったので『霊気』『霊力』『霊躯』については簡単に解説しよう。

 

『霊気』はその妖怪のもつエネルギーの大きさ。

 

『霊力』は一度にどれだけ大きい力を扱えるか。

 

『霊躯』は外部からの干渉にどれだけ存在を保てるかという存在強度を表す。

 

これらは基本的に得手不得手はあれど霊威が高いほど高くなる傾向にある。

なので霊威さえ把握できればある程度は推測できるのだ。

もちろん霊威は低いのに霊力は極端に高いという例も無くはないが、その辺りは霊威の質を見れば大体分かってしまう。

 

 

 

 

さて、長々と妖怪の強さについて説明したが、ここまでほぼ独白(モノローグ)なのに気づいていただろうか。

ぶっちゃけヤシロさんにはここまで詳しく説明していない。

 

ちょうどいい機会だと思って説明したが、ヤシロさんが聞きたいのはそういう事ではないのだから。

ヤシロさんが聞きたいのはコンがどんな妖怪なのか。

 

「コンは宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、すなわちお稲荷様に仕える稲荷狐(神の使い)です。主にマヨイガ稲荷神社の狛狐をしていましたが、とある切っ掛けで俺に憑いて守ってくれています」

 

「主様とタケル様の出会い……一体どのような事があったのでしょうか」

 

「あーー、悪いですが秘密で」

 

「残念です……」

 

あの時は本当にやらかしたから恥ずかしいのだ。

 

あっ、それと『稲荷狐=天狐』という訳じゃないので注意な。

あくまで稲荷狐の中に天狐がいるという話だ。

それに、比率としては少ないが稲荷狐以外の天狐もいる。

 

ついでに狛狐という言葉も正確には誤りだ。

狛犬の狐版という意味で言ったが、そもそも狛犬は『狛な犬』ではなく『狛犬』で一つの言葉なので本来は分けられないのだ。

分かりやすくするための造語だと思ってくれ。

 

「マヨイガ稲荷神社は霊的に重要な土地らしくて、そこを任されているコンは稲荷狐の中でも精鋭(エリート)中の精鋭(エリート)なんですよ」

 

「それは凄いです」

 

流石に総本宮である伏見稲荷大社や日本二大稲荷と呼ばれることもある豊川稲荷の天狐に比べれば一段下がるそうだが流石にそれは仕方ない。

 

人の来ない神社を任されている辺り左遷させられているようにも見えるが、そんな事は無いのだ。

後任の稲荷狐が来ないのもマヨイガ稲荷神社を任せることが出来る稲荷狐が他にいないからなのだし。

 

「そのお稲荷様は食べ物や農業の神様でして、他にも産業全般にご利益を持っている凄い神様なんです。なんでもお(やしろ)が3万社以上あるのだとか」

 

「さんっ!」

 

ヤシロさんが絶句した。

そこまで凄い神様だとは思っていなかったのだろう。

 

実際日本屈指の神社数を持つ神様ですからね。

多くの稲荷神社は無人だったりしますけど。

 

「まぁ、なんか色々凄そうな事を言いましたが、コンは俺の守護狐です」

 

長々と語ってしまったがコンとは何者かと聞かれれば、俺の回答はこれしかない。

 

「一緒に暮らして、一緒に遊んで、一緒に馬鹿をやった相棒です。俺を守って、導いてくれて、一緒に悩んでくれた俺の家族です。稲荷寿司が大好きな、一匹の狐です」

 

「タケル様の相棒で……家族で……」

 

「なんで神々しさとか威厳とか貫禄とか特にそんなに無いんでとりあえず稲荷狐だという事だけ覚えておけば大丈夫かと」

 

「……え? あ、あの、今なにか感動的な話をされていたんじゃ」

 

「いえ、特に凄い妖怪だと思わなくてもいいという話の前振りですが?」

 

相棒で、家族で、大切な半身で。

そう思っているのは事実だが、ヤシロさんの聞きたかったことはそっちでは無いからな。

わざわざここで語る事でもない。

 

これでコンが侮られても困るが、ヤシロさんの性格的にそれはないだろう。

 

「あんまり細かいこと言うのもなんですし、こんな所ですかね。参考になりましたでしょうか」

 

「は、はい。ありがとうございます」

 

「それじゃ、まぁ、今回はこれでお開きという事で」

 

「はい、お手数をおかけしました」

 

そう言ってヤシロさんは一礼すると、部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

「ふぅっ……これでヤシロさんももう少し気兼ねなくコンと(せっ)する事が出来ればいいんだけどな」

 

とりあえず飲み物に口をつける。

とっくに冷めてしまったがそれでも美味い。

 

「タケル。こんな所で何しておるのじゃ?」

 

(ふすま)が開いてコンが入ってきた。

 

「ちょっとヤシロさんとお話してた」

 

「おお、耶識路姫とか。どうも儂相手には及び腰でのう。もう少し気楽に話しかけてもらえればいいんじゃが」

 

「性格的にもなかなか難しいんだろうな」

 

なんだかんだ言っても新米妖怪と大妖怪、部下と上司だからな。

願わくば今回のお話でもう少しだけコンとヤシロさんの距離が縮まればいいなぁと思う今日この頃なのだった。

 




天狐及び空狐の尻尾の数ですが、この話は一次出典が明確ではないんですよね。
とはいえ面白そうなので第一話のあとがきの通り、作者の好みでこの説を採用。
本作の天狐は格が上がるごとに尻尾一本に貯えられている霊的エネルギーの容量が増えるので、それを再配分した結果尻尾の数が減る(代わりに一本一本が前より太くなる)と独自解釈しています。

また、その関係性などに一部独自解釈が含まれますのでご注意ください。



運用(うんよう)(みょう)一心(いっしん)(そん)す』

どんな能力もうまく活用するためには、それを使う人の心一つにかかっているという意味。


力は使い方次第で善にも悪にも優にも劣にもなる。
タケルもコンの力を正しく理解して、理解した上でああ言っています。


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File No.14-1 『濡れぬ先の傘』

タイトルのバランスを考えてファイルの文字を地味にスペルに変更。


お気に入りの件数が倍近くに増えてる!?
評価数も倍に!?
閲覧数で言えばすでに何時もの月の三倍以上!?
もしやと思ってランキングを覗いたらオリジナル日刊で20位くらいまでは確認した。

いったい何が起こったのだ!?

嬉しい叫びが立て続けに出てありがたい限りです。
本作を閲覧してくださった皆様、評価してくださった皆様、お気に入り登録してくださった皆様、誠にありがとうございます。

今後も『俺と天狐の異世界四方山見聞録』をよろしくお願いいたします。



ルミナ神による新婚旅行の日付も近くなってきたある日、俺はせっせと紙を切り抜いていた。

 

これは何かと問われれば、形代を作っているのだ。

形代とは禊祓(みそぎはらえ)や呪術に使用するための、何らかの形を模して造られた道具の事である。

 

異世界を旅行するにあたって、病魔や呪いなどから身を守るための手段が必要になったので作る事にしたのだ。

まぁ、ルミナ神もコンもいるのに万が一も無いとは思うが、それならそれで別の事に使えばいい。

 

今回は奉書紙(和紙の一種)から手作りしたからちょっと疲れたが、形代を作るのは初めてではない。

幼少の頃から妖怪に関わることが多かったこともあり、お守りとして作っていた。

 

他にも陰陽師の形代を式神に変えたり、自分に変化させて分身するとか憧れていたのだ。

残念ながら結構高度な術らしく、いまだに成功したことはないが。

今は妖術を利用してそれの再現を試みている。

 

 

 

隣ではミコトが筆で文字の勉強をしていた。

 

ミコトは実は結構な達筆なのだが、知っている文字がかなり古いものらしい上に達筆すぎて読めないのだ。

俺が読めないだけなら以心伝心の呪いでどうにでも出来るのだが、現世に戻ったら自分で文字を書くことなど山のようにある。

なので今のうちから勉強しているのだ。

 

出来れば鉛筆かボールペンがあればいいのだが、マヨイガには無かったので止むを得ず筆を使っている。

ミコト的には手に馴染むらしいけどな。

 

「あ、間違えたのだ」

 

どうやら書き損じたらしい。

 

ミコトは一旦筆を置くと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

その紙の文字が結構な量になっているのは、ミコトが頑張っている証拠だろう。

 

ミコトは元々屏風覗きの一種である描かれた絵が抜け出てくる妖怪だ。

その為、ミコトはなんと絵の中に入れるのだ。

 

ミコト曰く、絵の中は部屋のような感じになっていて、書かれているものが家具のように置いてあるのだそうだ。

そしてミコトは絵の中を模様替えしたり、外に持ち出したり出来る。

 

とはいえ、持ち出すと言っても所詮絵は絵だ。

書いた餅を持ち出したからと言って本物の餅が出てくる訳じゃない。

精々が別の紙に絵を移す程度のもの。

まぁ、それでも使い方次第で凶悪な事が出来るわけだが。

 

「できたのだ!」

 

「どれどれ」

 

ミコトの書いた文字は俺が採点する。

 

渡された紙には平仮名で『いろは歌』が書かれていた。

『いろはにほへとちりぬるを』ってあれね。

 

いろは歌は七五調で仮名四十七文字を重複させることなく一つの歌にしているため、手習いの手本として使われる事もあった。

その為、ミコトには五十音表より馴染みがあるそうだ。

現世で暮らす上で必要なので五十音表も勉強中だが。

 

ちなみにいろは歌には『ん』が無いので最後に「こんこん」と書いてもらっている。

 

「ん~~~、『ぬ』と『む』と『を』が違うな。ここがこうで、ここの部分は一回離してこう」

 

「あう~、憶えなおすのだ」

 

間違えた文字のお手本を書いて見せると、ミコトは覚えなおすために同じ字を何度も書き始めた。

 

ぶっちゃけミコトの字は達筆だっただけあって凄くきれいなのだ。

ミコトの文字が読めないのは単純に現代の文字を知らないから古い字で書いてしまうせいだからな。

 

屏風覗き時代に現代の文字に触れることはあったらしいが、わざわざ覚える理由も無かったから気にしていなかったようだ。

 

ちなみにミコトの字が古くて達筆なのはミコトの作者である狩谷(かりや)栄玄(えいげん)の影響である。

 

彼女(女性絵師だったらしい)は非常に字が奇麗だったそうで、自分の描いた屏風などにも度々有名な和歌などを書き込んでいたそうだ。

そのせいで彼女が魂を込めて描いた作品は彼女自身を表すものとしてその技術を受け継ぎ、妖怪となったミコトも非常に字が奇麗なのだ。

字が古いのは単純に彼女が生きた時代の字だからだな。

 

ついでに言うとミコトは大和絵も上手いぞ。

 

あ、ミコトの作者はコンが調べてくれました。

狩谷栄玄はペンネームらしいけどな。

 

 

 

人型に切った奉書紙に名前を書くなどして身代わりの贖物(あがもの)を一通り作る。

俺の分はこれで作り終えたので、あとはミコトに書いてもらってミコト用の贖物(あがもの)を作れば作業終了だ。

 

一応念のためコン用のも数枚用意しておいた。

俺が作る贖物(あがもの)で防げる程度の厄や呪いがコンに効くわけがないのだが、念のためな。

 

 

 

さて、そろそろおやつにするにはいい時間である。

 

「台所へ行ってくるか。ミコト、これの仕上げお願いね」

 

「分かったのだ!」

 

ミコト用の贖物(あがもの)の仕上げを頼み、俺は台所へおやつを取りに行く。

贖物(あがもの)の文字はミコトの知っている古い文字でも問題ないから任せて大丈夫だろう。

 

 

 

廊下を抜け、台所へ到達。

戸棚から妖怪菓子箱を取り出し、今日のお菓子をお願いする。

 

中から出てきたのは大福餅だった。

俺、これ好きなんだよね。

 

二度目を開けると今度は草大福。

よもぎ大福と言った方が分かりやすいか?

 

三度目は豆大福。

豆の食感がいいんだよな。

 

四度目は塩大福。

今日は大福祭りなのか?

 

五度目で饅頭の詰め合わせが出てきた。

きっちり梱包されているところを見ると、お土産用だろう。

 

それ以降は何も出なかったのでこれで打ち止めだ。

妖怪菓子箱にお礼を言い、大皿に取った大福餅を分けていく。

 

各種大福餅が()()()()

仮面の式神たちは基本的に食べないので、俺とミコトとコンとヤシロさんと……一人四種を一個づつか。

 

一人分ずつ皿に載せ替え、二皿ずつ盆にのせる。

妖怪急須から湯呑に茶を注ぎ、これも同じように。

 

残った一皿と湯呑を一個小さな盆にのせ、それを持って台所の隣の納戸(なんど)の戸を開ける。

中ではヤシロさんが妖怪生簀の中を掃除していた。

お仕事中だったらしい。

 

「ヤシロさん! ヤシロさんの分のおやつ、ここに置いておきますね」

 

生簀に向かって声をかけると、中から「は~い。ありがとうございます!」との声が帰ってきたのでちゃんと聞こえたようだ。

 

ヤシロさんの分のおやつを近くの台に置き、台所に戻る。

 

残った二つの盆を持って元来た道を戻るのだが、片手で持つと乗っている湯呑が危なっかしいので両手でしっかりと一つの盆を持つ。

もう一つの盆は着ている小袖から伸びた手が持ってくれた。

小袖の手、久しぶりの登場である。

 

 

 

おやつを持ってとことこ進む。

ミコトのいる居間に戻る前に、コンの所に寄らなくてはならない。

場所は座敷(客間)だな。

 

台所からそれほど離れていないので大して時間はかからない。

とりあえず俺とミコトの分のおやつを(つぎ)()(従者用の控室)に置いて、座敷の襖の少し前で正座する。

 

「失礼します」

 

人数とおやつの数が合っていない時点で気づいていた人も多いとは思うが、座敷には今お客様が来ているのである。

なのでしっかりと作法にのっとって入室する。

 

返事があったので引手に手を掛け────とかやってから部屋に入ると、中にはコンと口から魂を吐き出しながら座卓に突っ伏しているフェルドナ神がいた。

もちろんお客様とはフェルドナ神の事である。

 

フェルドナ神はサツマイモの神として信仰されたことで神格が上がったそうだが、神格が上がれば上がるほどしなければいけない役目(仕事)が出てくるのだそうだ。

 

大地の魔力(マナ)の取り分の調整だったり、利害がぶつからないようにするための話し合いだったり、眷属神との御恩と奉公の契約とそれに伴う権利の行使だったり。

今までのいち土地神の頃のように自由にとはいかない。

 

神格が上がれば上がるほど影響力は強くなり、それはつまり他の神々と衝突することが増えるという事。

これらの仕事はその衝突を可能な限り避けるための規則(ルール)なのだ。

 

普通なら段階的に神格が上がっていくため、その過程で諸々のやり方を覚えるのだが、フェルドナ神は一足飛びで神格が上がってしまった。

なので最低限でも役目が果たせるようにコンに教えを乞うて勉強中だそうだ。

 

現世の神々にも近いことがあるそうで、眷属のコンもある程度なら対応できるから。

 

本来ならルミナ神が教えられればいいのだろうが、ルミナ神もあれで結構忙しいらしいのと、あんまり関わりすぎると要らぬ嫉妬を買いかねないという事で却下となった。

あくまでフェルドナ神は独立した神であって、ルミナ神の眷属神では無いからだ。

ルミナ神は貴高神だけあって意外と心酔している神も多いらしいのよ。

 

「お疲れ様です。お茶と茶請けを用意いたしました。ご賞味ください」

 

「ありがとう……禰宜くん……」

 

フェルドナ神が弱々しく顔を上げた。

相当大変だったんだろう。

 

「では暫し休憩に致しましょう」

 

コンの改まった言葉遣いを聞きながら、コンとフェルドナ神の前に菓子と茶を置く。

 

これで俺の役目は終了だ。

長居する理由も無いのでさっさと座敷を後にする。

お土産の饅頭の詰め合わせは帰られる時に渡せばいいだろう。

 

 

 

俺とミコトの分の菓子を回収して、再びとことこ廊下を進む。

特に意味はないが到着までに一つ豆知識でも語ろうか。

 

 

『おやつ』はなんでおやつと言うのか。

 

 

おやつという言葉は昔の時刻の呼び方の一つである『昼八(ひるやっ)つ』に由来する。

 

昼八つは『十二時辰』という時間の単位から来ているのだが、十二時辰とは一日を12に分けて、それぞれに十二支の呼び名をつけたもの。

 

午後11時から午前1時までの二時間を『()(こく)』、午前1時から午前3時までを『(うし)の刻』という風に2時間ごとに名前がついているのだ。

ちなみに『丑の刻参り』の丑の刻はここからきている。

 

昔は食事が一日二食が基本だったんだけど、それだけだとどうしてもお腹がすく。

なので昔の人は『(ひつじ)の刻』くらいの時間に間食を取っていた。

 

(ひつじ)の刻』は午後1時から午後3時までなのだが、これを更に初刻(しょこく)正刻(せいこく)に分けることが出来る。

 

初刻は刻の始まりになる時間を指すので、未の刻であれば午後1時。

正刻は刻の中間の時間を指すので、未の刻であれば午後2時。

 

ちなみに『(うま)の刻』の正刻が12:00で『()()』だ。

 

そして昔は時計など寺や裕福層しか持っていない高級品。

その為、寺では正刻に鐘をついて時間を知らせていた。

 

まず正刻の鐘を鳴らす合図として3回鳴らす。

そして何の刻かによって決められた回数だけ鐘を鳴らすのだ。

 

子の刻で九回、丑の刻で八回……と一つづつ減っていき巳の刻で四回鳴らした後、午の刻でまた九回に戻る。

なんで九から始まって四で終わるのかはよく分からないが、三以下になると最初の鐘と同じ回数になってどちらか分からなくなるからとか、単純に数が少ないと分かりづらいからとか言われている。

コンに聞いても「その辺はあまり気にしておらんかったからのぅ。詳しくは知らぬ」と言われた。

 

それはさておき、未の刻の正刻は最初の合図を除いて鐘を八回鳴らす。

なので『昼の鐘が八つ鳴る時刻』という意味で『昼八(ひるやっ)つ』となり、昼八つに取る間食という意味で『おやつ』となったのだ。

 

なお、当時の時間の分け方は不定時法と言って日の出と日の入りを基準に分けられているので昼と夜では一刻の長さが違っていたりする。

丑三つ時のようなさらに細かい分け方もあるので、興味がある人は調べてみるのもいいんじゃないかな。

 

現代ではおやつは基本的には3時ごろの間食を指す言葉だが、時間を問わず間食の事をおやつと呼ぶことも多い。

また、その際に菓子などを食べることが多いので『おやつ=菓子』のイメージがあるが、別におやつはお菓子の事ではない。

 

と、まぁ、こんな所か。

 

なんとなしに独白していれば、すぐに居間に到着だ。

 

「ミコト、おやつ持ってきたぞ」

 

「ここ、あけるのだ」

 

小袖の手に襖を開けてもらってミコトに声をかけると、ミコトは座卓におやつを置くためのスペースを空け始める。

 

ふと見ると俺用の贖物(あがもの)の束の横に、ミコト用の贖物(あがもの)の束が並べられているのが分かった。

後は文字を書くだけだったとはいえ、この短い時間で作り終えてしまったらしい。

ミコトは優秀だから夫である俺の鼻も高いよ。うん。

 

盆を置き、おやつの乗った皿と湯呑をそれぞれの前に置く。

 

「んじゃ、いただきますか」

 

「いただきますなのだ」

 

これを食べ終えたら、そろそろ旅行用の荷造りを進めておくか。

ミコトと旅先に思いを巡らせて、一緒に何をしたいかなんて語り(イチャイチャし)ながら。

 

大福餅をおいしそうに頬張るミコトの横顔を見ながら、そう思ったのだった。

 




()れぬ(さき)(かさ)

雨が降る前に傘を用意しておくように、失敗しない為にに前もって準備しておくという意味。
類例に『転ばぬ先の杖』がある。

旅行前の準備中な主人公。
この時期が一番楽しいとも言いますが、さてはて。


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File No.14-2 新米式神 耶識路姫の記憶

耶識路姫はなんか書きやすいです。


過去話も言い回し等を中心にちょくちょく修正しております。
ある程度大きな修正は最新話の前書き等で報告いたしますが、言い回し等の話の内容にあまり影響のない部分はサイレント修正を行っております。ご了承下さい。


「ふーふふふん、ふふふん」

 

鼻歌とともに、マヨイガの門前を箒で掃いていきます。

 

いつも箒の付喪神(箒神さん)が掃除してくれているおかげかほとんど汚れらしい汚れはありませんので私が掃除する意味はあまりないのですが、今やっているのは掃除ではありません。

箒で『掃く』事で幸運を『かき入れ』、邪気を『払う』儀式です。

 

(コン)様の式神として、私に期待されているのは『先触れ』となること。

すなわちいずれ訪れる事柄を予知し、それを伝え、道を示すこと。

ひいては私自身が幸運を呼び災いを退ける(あやかし)となること。

その為の修行を兼ねた儀式です。

 

鼻歌を歌っているのもそのためなんですよ。

 

『笑う門には福来(ふくきた)る』。

 

こうやって気分を高めて楽しく行うことで幸運を引き寄せ、悪いものを寄せ付けないようにするのです。

もっとも、他の方に儀式を行う際は軽く見られたりして逆効果にしかならないので自分用か練習時の補助にするときだけですが。

 

うん、マヨイガの妖気の流れがいい感じになってきた気がします。

結構掃きましたし、今日はこのくらいでいいですかね。

 

正直、自分ではどれくらい邪気を払えているのか分からないのですが、主様曰く毎日続ける事自体が重要な修行らしいです。

どれだけ掃くかは自分で「もういいかな」と思うまでという、すごく曖昧な基準なんですが、そうである事に意味があるらしいので素直に自分の気分に任せます。

 

「あら、精が出るわね」

 

ふぁい?

どうしようかと考えていると、そう声をかけられました。

そちらの方を向くとそこにいたのは──

 

「悪いんだけど、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の眷属の天狐に取り次いでもらってもいいかしら?」

 

白蛇の女神(フェルドナ)様!?

え、あ、その……

 

「しょ、しょ、しょ、少々お待ちください!」

 

反射的に私はお屋敷に走りだそうとしました。

しかし、いくら人に変化しているとはいえ、本来は陸で活動することのない人魚()が急に走り出せばどうなるか……

 

「ふわっ!」

 

上半身は急いでのめるのに足は付いてこず、体はバランスを崩して頭から地面に吸い込まれ──

 

「おっと、危ないわ」

 

──激突する寸前に白蛇の女神様に抱えられて事なきを得ました。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「気にしなくていいわ。急いでいる訳じゃないし、ゆっくりで大丈夫よ」

 

そう言ってもらえるのは嬉しいですが、神気が強すぎて冷静な対応なんて無理ですよぅ。

声を掛けられるまで気づく事ができなかった辺りずいぶん抑えられているのだとは思いますが、問答無用に力の差を理解させられるような神気を感じてしまいます。

 

木っ端妖怪の私では近くにいるだけで息が詰まるのです。

とは言ってもそれを口にする訳にはいきませんし、何とか穏便に対応しなければ。

 

「そんなに緊張しなくても、と言いたいところだけど無理よね。私もルミナ様がいらっしゃられた時はこんな感じだったし。ねぇ、走っていかなくても精神感応で連絡を取れたりしないかしら?」

 

はっ、そうでした。精神感応がありました。

私自身は精神感応なんて高度な術は使えませんが、主様の式神としての縁を使う事で主様とのみ精神感応で連絡することが出来るのです。

 

()しです、主様! 白蛇の女神(フェルドナ)様がお見えになられました!

 

(わかった、玄関まで案内いたせ)

 

承知しました!

 

「フェルドナ様、どうぞこちらに」

 

「ええ、お邪魔するわ」

 

門を抜け、そこそこ距離がある玄関までの道を案内します。

白蛇の女神さまはマヨイガに来られるのは初めてではないので案内は不要かもしれませんが、これも私に与えられた仕事です。

きっちりと(こな)さなくては。

 

 

 

ぎこちない歩みではありましたが無事玄関まで到着し、主様に取り次ぎます。

 

「主様。フェルドナ様をお連れ致しました」

 

「うむ。下がってよいぞ」

 

「はいっ」

 

これから先は主様と白蛇の女神様の会談となります。

私のような木っ端妖怪が立ち入れるものでは無いので言われた通り下がります。

 

「あ、そうだ。耶識路姫くん」

 

「ふぁい!?」

 

「お役目御苦労様。取り次ぎ、助かったわ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

それだけ言って、白蛇の女神様は屋敷の中に入られました。

返事が裏返っていた事については御目溢(おめこぼ)し願いたいです。

なんせ白蛇の女神様が私の呼び名を呼ばれたのです。

 

正しくは耶識路姫という名は私の名前ではなく、私に名前はありません。

しかし、耶識路姫という妖怪が私しかいない以上、それは私を指す言葉です。

 

私が白蛇の女神様にお会いしたのは一度だけ。

前回お見えになられた際にお茶をお持ちした時だけです。

その時に一応紹介されていたと思うのですが、正直緊張しすぎて何を言ったのか覚えていません。

 

一緒にお茶菓子を持っていかれたタケル様は平然とされていました。

タケル様は白蛇の女神(フェルドナ)様はもとより月の女神(ルミナ)様とも普通に話されるとか。

立場上は主様の主様になるそうで、タケル様も凄い方なんですよね。

 

なんか私、凄い所に奉公に来ちゃったような……

 

それに比べて私は大した力もない低級妖怪。

白蛇の女神様にとっては覚える必要もなく、格が違いすぎて「式神」で一括りにしても問題ないのです。

それなのにわざわざ私を式神ではなく耶識路姫と呼んだということは……もしかして私、白蛇の女神さまに目をつけられてますか!?

 

いえ、さすがに自意識過剰ですよ、私。

 

そうです。

主様は異世界の神獣であり、月の女神様とも仲が良いと聞いています。

そんな主様の式神だから礼儀として妖怪名くらいは覚えていたと考えるのが自然です。

……ええ、きっとそうです。

 

いきなり重要なお客様を前にしてあがってしまったようです。

いけません、せめて落ち着いて対応できるようにならないと。

 

とは言ってもあの神気の前で落ち着いてなど……慣れるしかないんでしょうかね。

それにせっかく呼び名を覚えていただいていた上に労いの言葉までかけていただいたのです。

これを(ほまれ)と思って精進するほかないでしょう。

 

まだ妖怪としては若輩の身。

主様に見限られても困りますし。

 

 

 

……お仕事に戻りましょうか。

 

私の普段のお仕事は『マヨイガの掃き掃除(幸運のかき入れと邪気払い)』『生簀妖怪(生簀さん)の中の保守(ほしゅ)』『涙の真珠作り』『先触れ』の四つ。

それと時折臨時で主様からの指示をこなすといった感じです。

 

まず『マヨイガの掃き掃除(幸運のかき入れと邪気払い)』は先ほど説明した通り。

 

生簀妖怪(生簀さん)の中の保守(ほしゅ)』も文字道理の内容です。

生簀さんの中をお掃除したり、中にいる魚にご飯をあげたり、海から取ってきた石や海藻で飾り付けをしたりします。

私の寝床もここなので、快適な感じに仕上げるのに労力は押しみません。

 

『涙の真珠作り』は妖術の触媒になる真珠を作ること。

私の妖怪としての能力に流した涙が真珠になるというものがあります。

実は私は結構涙もろいといいますか、涙を流すだけでいいなら何もなしに泣くことができるのです。

 

しかしそれでは涙の真珠はできません。

涙の真珠は私の感情が形になったもの。

その感情の強さで品質が変わり、感情の種類で触媒としての適性が変わります。

 

例えば喜びの涙であれば招福や祝福に類する妖術に高い効果を発揮しますし、苦痛の涙であれば呪詛や傷害系の妖術に適性があります。

 

基本的には主様の方針と需要の関係もあり、喜や楽などの前向きな感情で涙の真珠を作りますね。

前に人間に化けた状態で箪笥の角に小指をぶつけてしまった時に出来たものなどもあるので、苦痛系の涙も多少は在庫があります。

 

いつもはマヨイガさんから書物妖怪(読み物さん)を借りてきて、それを読みながら真珠を作る事が多いです。

こころ踊るような冒険活劇から甘く切ない異類婚姻譚、代々母から子に受け継がれる童話(わらべものがたり)に身の毛もよだつ怪談噺(かいだんばなし)

開く度にお話の内容が変わるので飽きないんですよね。

 

毎日作る必要はないので三日か四日に一度くらいの頻度でやって、他の日はこの時間を妖術の修行に充てています。

 

『先触れ』はいずれ起こるだろう吉事凶事を予言し、凶事があればそれを防ぐ方法を探り、タケル様ご夫婦の安全を守るお仕事です。

 

主様曰く、私には天眼通の能力があるそうで、それを使って未来を見通すのです。

しかし、そんな凄い力を簡単に使えるはずもなく、精々が虫の知らせ程度で具体的な事はほとんど分かりません。

主様もそれは分かっておられるので、お仕事とはされていますが実質修行の一環です。

 

むっ、そうこう言っているうちに何かの予感がしました。

呼吸を落ち着け、印を組み、心を無にして先を読み解きます。

 

見えました!

今日のお昼は月見うどんです!

 

…………いえ、まだ私の力では見通す未来が選べないだけです。

決して私が食いしん坊だからというわけではないのです。

 

 

 

とりあえず今日の『マヨイガの掃き掃除(幸運のかき入れと邪気払い)』を終わらせましょう。

玄関と違って中は軽く掃くだけでいいとはいえ、マヨイガは結構広いので時間がかかってしまいますからね。

 

それが終わったらお昼まで『先触れ』の修行。

お昼を食べたら少し休憩して、その後で『生簀妖怪(生簀さん)の中の保守(ほしゅ)』です。

 

今日は生簀妖怪(生簀さん)の中を掃除してくれる貝などを取ってこようと思います。

一緒に体をお掃除してくれる海老(クリーナーシュリンプ)も欲しい所ですね。

 

おやつを食べたら『涙の真珠作り』──は昨日やったので今日は妖術の修行をします。

早く私も七変化の術が使えるようになりたいのです。

ミコト様が使っているのを見ると、凄く便利そうなんですもん。

 

 

 

今日のお昼は予言通り月見うどんでした。

タケル様の手打ちうどんですよ。

 

食事を作るのは基本的にタケル様かミコト様のお役目です。

たまに主様も作られますが、どなたもお料理が上手なんですよね。

 

マヨイガの食材はどれもおいしいのですが、料理する事によって更においしくなります。

おかげで最近食べる量が増えてふっくらしてきました。

憧れの脂の乗った体までもうすぐです。

 

ですがそのせいで舌が肥えてきたのも事実なんですよね。

そういえばもうすぐタケル様とミコト様は新婚旅行というものに行かれるのだとか。

詳しくは存じませんが、ミコト様の嬉しそうな顔を見るに、きっと楽しいことなのでしょう。

 

主様も憑いて──もとい付いて行かれるそうですが私はお留守番です。

新婚旅行というものは夫婦二人で行くものと聞いています。

主様が行かれるのはタケル様からあまり離れられない故ですし、従者が必要だったとしても呼ばれるのは力の強いごうりきさんや何でも器用にこなせるこんごうさんでしょう。

 

……料理が出来る方が全員マヨイガから離れられるんですよね。

 

食事、どうしましょう。

生簀さんの中から適当な小魚を食べてしまってもいいとは言われていますし、変化すれば野菜や果物なども食べることができます。

妖怪餌箱(魚のご飯箱)さんから練り餌を分けてもらうのもいいでしょう。

もしくは久々に海にイカを食べに行く(外で食事をしてくる)のもいいかもしれません。

 

選択肢はいくらでもあるのですが……主様やタケル様、ミコト様の作る料理に慣れてしまうと練り餌はともかく生で食べる小魚や野菜は少々味気なく感じてしまうのです。

 

もちろんマヨイガの食べ物は素材のままでも十分おいしいのですが、料理されたものと比べるとどうしても。

いずれ独立する日の事を考えると、私も料理を覚えた方がいいですよね。

 

 

 

それからマヨイガの池から故郷の海へと飛び込み、貝や海老を取ってきました。

本来の姿は貝や海老を生きたまま捕獲するには向いていないので、人の姿に化けて捕まえます。

結構いっぱい取れましたけど、夢中になってしまったせいで結構時間がかかってしまいました。

 

生簀さんの中に貝や海老を放ち、いつもの場所まで戻します。

毎回生簀さんに入れるために往復するのが大変だったので、池の傍まで来てもらっていたのです。

凄い量の海水や魚たちが入っている筈なのに、私でも持ちあげられるんですよね。

 

生簀さんを定位置の納戸(なんど)の中に置き、人魚(元の姿)に戻って中に入ります。

 

さーて、お掃除の時間です。

毎日掃除しているのでほとんど汚れてはいませんが、サボったりはできません。

お手製の掃除道具を鰭につけてっと。

 

 

 

んしょ、んしょ。

 

 

 

こんなものですかね。

 

「ヤシロさん! ヤシロさんの分のおやつ、ここに置いておきますね」

 

すると、外からタケル様の声が聞こえてきます。

もうそんな時間なのですね。

 

「は~い。ありがとうございます!」

 

私が返事をすると、タケル様はおやつを置いて出ていかれました。

さ~て、お掃除も終わりましたし、今日のお楽しみの時間ですよ!

 

生簀さんから出て変化し、人の姿になります。

今日のおやつはっと、おー、大福餅ですか。

早速いただきまーす。

 

 

はむ。

 

もっちりとして柔らかいお餅を噛み切れば、中からあま~い餡子が顔を出します。

その甘さが口いっぱいに広がって、幸せが溢れてきます。

海の中では甘いものなんて食べる機会がありませんでしたからね。

もちもちとした食感を味わいながら、一つ食べ終わりました。

お茶で一度、口の中を洗い流します。

次は草大福にしましょうか。

 

あむ。

 

まず感じるのは練り込まれた植物の持つほんの少しの苦み。

そこに餡の甘さが加わる事で、味の方向が一気に反転します。

その落差がより一層、餡の甘みを引き立てるのです。

他の大福に比べて風味が豊かなのもいいですね。

とても美味しかったです。

もう一度お茶を一口。

次は塩大福行きましょう。

 

もぐもぐ。

 

こちらは苦みではなく塩味(えんみ)で甘さを引き立てる大福。

まろやかな塩味と、より濃厚になった甘さが一つになって、絶妙な味を演出しています。

何個でも食べれてしましそうですが、残念ながらおやつには限りがあります。

味わって食べている筈なのに、あっという間に一つお腹へと消えていきました。

お茶を飲んだら次が最後、豆大福です。

 

もきゅもきゅ。

 

柔らかい大福に豆の歯ごたえが加わって、食べ応えありますね。

きめ細かいこし餡のなめらかな甘さが、口の中で溶けていきます。

甘さだけでなく豆由来の自然な旨味が加わることで味を変え、舌を飽きさせません。

あぁ、口の中が幸せです。

最後の一個も食べ終わり、お茶を飲み干します。

 

あ~、美味しかった。

御馳走さまでした。

 

少しお腹を休めたら、妖術の修行を始めましょうか。

立派な妖怪目指して、がんばるぞ!

 

 

 

しばらく庭で七変化の術の練習をしていましたが、全然成功しません。

一朝一夕で出来るのもじゃないですし、当然と言えば当然なんですが。

 

通常の変化と同じように、物を別の物の形に当てはめて姿を変えるらしいですが、これがなかなか。

 

私の変化は人の形に自分を当てはめて姿を変えるというもの。

この人の形というのは衣服も含まれているため、私のうろこは衣服へと変化します。

ただ、その形は固定なんですよね。

そのため変化した私は常にこの服です。

 

違う服に変える為には変化する人の形自体を変えなければいけない。

はっきり言って効率が悪すぎます。

 

そこで衣服のみを変化できる七変化の術が有用なのです。

 

もっとも、変化の術にも種類があって、上位の変化の術は衣服どころか姿も自由自在とのこと。

それを覚えられればいいのですが、難易度的には七変化の術の方がはるかに低く、更に上位の変化の術を覚えるための練習にもなるそうなのです。

 

何事も一歩ずつ確実にです。

 

 

 

ふと見れば、白蛇の女神様がいだてんさんに御供されてマヨイガの門を抜けていくのが見えました。

ご用事は終わったみたいです。

 

「耶識路姫よ。ちょっと良いかの」

 

「はい、何でしょうか?」

 

そしてそれを見送っていた主様に声を掛けられます。

お仕事ですか?

 

「儂について(まい)れ」

 

(かしこ)まりました。

 

 

 

主様についていくと、向かわれたのは稲荷神社でした。

鳥居をくぐり、社のもとまでたどり着きます。

 

「後日、タケルとミコトが新婚旅行に行くことは聞いておるじゃろう。儂も供する故留守にする訳じゃが、その間頼みたいことがあるのじゃ」

 

はい、私に出来ることであれば何なりと。

 

そう言うと主様は社の扉を開くと、中から黒い箱を取り出します。

 

「万が一、儂らが留守の間にマヨイガに危険が迫った場合、この箱を持って海に逃げるようにせよ」

 

「この箱を、ですか?」

 

「うむ。決して失わぬようにな。まぁ、万が一の話じゃ。大妖怪であるマヨイガの意思に狼藉を働けるような相手もそうはおらぬし、そうそう何かあるようなことはない。それに、何かあってもすぐ戻れるしのう」

 

「はい、わかりました。」

 

ところで、その箱には何が入っているのでしょうか?

 

新米式神の私に頼むくらいですし、さほど重要なものではないのでしょうけど。

思い切って聞いてみましょうか。

 

「ん? この箱の中身じゃと? タケルの分魂じゃよ」

 

へぇ、タケル様の分魂……ええ!?

 

「分魂って、あれですよね。神様の御霊を分けて他の神社とかに来ていただいたく……」

 

「それは分け御霊なんじゃが、まぁ、やっておる事は同じじゃよ。流石に神々のように元と同じ力を持った分霊とはいかぬがのう」

 

「なぜそのようなことを?」

 

主様の事ですからきっと意味があるのでしょうが、私にはさっぱりです。

タケル様は普通に活動しておられますから封印とは違うのでしょうし。

 

「儂とタケルがおぬしの住んでいた世界とは違う世界から来たことは話したじゃろ。そして儂らの目的が現世(元の世界)に帰ることであることも」

 

はい、ちゃんと覚えてます。

それまでには私も主様についていくか見送るかを決めないといけないですし。

 

「そしてその為にはマヨイガが現世に戻るときについていくのが一番確実なんじゃが、それが何年後、何十年後になるかはいまいち分からぬ。場合によってはタケルの寿命が尽きる方が早いかもしれん」

 

人間の寿命は平均すると100年もないと聞いています。

妖怪となった私にとってはずいぶんと短く感じます。

 

妖怪化する前は同じくらいの寿命の生き物だった筈なんですけど、これが妖怪の感覚なんですね。

 

「そこでこの箱──魂出匣(タマデバコ)というのじゃが──に分魂を封じる事で、外魂信仰を伝承効果にて再現しておるんじゃよ」

 

「外魂信仰……ですか?」

 

「あ、そこは教えておらんかったのう。外魂信仰とは、要約すれば魂を体の外に出して保管しておけば不死身になれるという話じゃ。体に魂がないからいくら傷つこうが死なないと言うわけじゃな」

 

「なんだか動く死体(ゾンビ)のようなお話ですね」

 

「似てはおるが、あれはあれで別物じゃよ。それに、これもあくまで外魂信仰を再現しておるだけで外魂信仰そのものではない。封じた分魂もタケル本人に影響が出ず、自我も持てない程度のものじゃし」

 

へぇー。

 

「話が逸れたのう。要はそれを利用してタケルの老化を遅らせておるんじゃよ。儂の見立てじゃとあと二百年は生きられるじゃろう」

 

100年以内には帰る時が来ると言っておられましたし、200年もあれば大丈夫そうですね。

 

「それに現世に戻った時にこの分魂をタケルの魂と統合させることで、肉体をこの世界に来た時点まで若返らせることができるんじゃよ」

 

そんな事が!?

若返りまでできてしまうのですか!?

 

「まぁ、これはマヨイガが現世に引き戻される現象が時間軸にも及ぶことを利用した裏技のようなもの。要は玉手箱を開けて一気に年を取った浦島太郎の反対みたいなもので、普通ならば無理な話じゃ」

 

「浦島太郎ってどなたなのでしょうか」

 

「あ、浦島太郎の話はしたことなかったのう。次の座学の時にでも語るとしよう」

 

楽しみにしておきます。

 

「あとは万が一の保険という意味合いもあるが、これは本当に念のためじゃな。さて、だいたいこんな所かのう。そんな訳で大切な物じゃから頼むぞ」

 

「は、はい。でも、そんな大切な役目、私なんかでいいんですか? いだてんさんやこんごうさんの方が適任なんじゃ……」

 

とても私のような新米式神に任せるような話じゃないと思うんですけど。

 

「そう卑下することもあるまい。おぬしの性格や責任感は十分信頼しておるし、災いの先触れとしての能力も開花してきておる。何より水中で活動できる能力は儂の他の式神には無いものじゃ」

 

あ、ありがとうございます。

 

「おぬしなら問題なく熟せる。安心して役目を全うするがよい」

 

「はい!」

 

主様にそう言っていただけると、不思議と自信が湧いてきます。

これは信頼に応えなければ妖怪が廃るというもの。

 

不詳、耶識路姫。頑張ります!

 

 

 

 

 

その日の夜、体をお掃除してくれる海老(クリーナーシュリンプ)さんに老廃物などを食べてもらいながら、生簀さんの中の寝床に横たわっていました。

 

あ~、そこそこ。

 

まるで溜まった疲れが溶け出していくかのようです。

 

今日は白蛇の女神様に声をかけられたり、主様に重要なお仕事を任されたりと緊張することが多かった気がします。

しっかりと体を休めて、明日も一日頑張りましょう。

 

お掃除を終えて私の体から離れていくクリーナーシュリンプさんを見ながら、ゆっくりと目を閉じました。

 

 

 

おやすみなさい。

 




フェルドナ神は急激に神格が上昇したせいで神気をコントロールしきれていません。
そのせいでより強い霊気を持つコンとは普通に話せている耶識路姫が、フェルドナ神には「問答無用に力の差を理解させられるような神気」を感じてしまっています。
ころびかけた耶識路姫を助けようとして一瞬神威を解放してしまったせいもありますが。
(耶識路姫もコンの霊気が凄く大きい事は理解していますが、コンが完全にコントロールしているため、威圧感を感じないのです)



ちなみに耶識路姫の変化は粘土(自分)を金型に押し込んで形を変えるイメージ。
上位の変化の術は粘土をこねて造形するイメージ。
コンの変化はブロックを組み換えて作品を作るイメージ。
ミコトの変化はロボットが変形するイメージです。


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File.No.15-1 『旅は道連れ世は情け』

割と難産だった上に某ゲームの記念小説を書いていた事もあって遅くなってしまいました。
お待たせして申し訳ない。


ある日の昼下がり。

 

この度、マヨイガに(ほこら)を増設する運びとなった。

期間限定の末社(まっしゃ)ではあるが、マヨイガ妖怪の協力を得て作った自信作だ。

 

御神体として神鏡も安置した。

これはマヨイガの妖怪ではなく、ルミナ神に頼んで用意してもらったものだ。

 

神饌(しんせん)としてカステラも供えている。

設置場所は稲荷神社のさして広くない境内の隅の方にひっそりと。

 

ちなみに主祭神(その神社に祀られている神)に縁が深かったり特別な由緒がある神を祀っているものを摂社(せっしゃ)と呼び、それ以外のものを末社(まっしゃ)と呼ぶ。

 

祀るは三貴子が一柱たる月読命(ツクヨミノミコト)である。

 

末社の前に立ち、ミコトとともに二礼二拍手一礼。

顔を上げると、そこには一柱の女神がいた。

 

「ようこそおいでくださいました、()()()()様」

 

「出迎え、大儀(御苦労さま)ですわ」

 

……いや、まぁ、ルミナ神なんだけどね。

なんでこんな事をしているかと言われれば、もちろん理由がある。

 

ルミナ神は月の神である。

月読命は月の神である。

よってルミナ神は月読命である。

証明終了。

 

いや、普通に考えれば暴論なのは理解している。

しかし、習合という考え方を用いれば、この理論が成立するのだ。

 

習合とは様々な宗教の神や教義などの一部が混ざったり同一視されたりすることを言う。

例えばマヨイガ稲荷神社の主祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)であるが、これは稲を象徴する農耕神である稲荷神と五穀をつかさどる宇迦之御魂神が同一視され、習合したことが理由だ。

すなわち宇迦之御魂神は稲荷神の一つの側面であり、化身(姿を変えて現れたもの)であるとされるのである。

 

稲荷神は他にも豊宇気毘売命(とようけびめのみこと)などの穀物神や、仏教における荼枳尼天(だきにてん)とも習合している。

そしてそれは逆も然り。

稲荷神は宇迦之御魂神の一つの側面であり、化身であるとも言えるのである。

 

つまりルミナ神を月読命と同一視することにより、ルミナ神に月読命の一側面という性質を付与する。

月読命は言わずもがな日本神話の神であり、意外と知られていないのだが農耕神としての神格も持っているのだ。

農耕神の眷属であるコンとの相性は比較的良く、これに縁を繋ぐことでルミナ神の信仰を直接コンの存在維持に回せる。

結果的にルミナ神の信仰がある場所であればコンは異世界でも弱体化を避けられるという訳だ。

 

以前コンが言っていた「外出問題の解決方法」とはこの事である。

 

実際は結構な荒業であり、コンはともかく稲荷神は月読命と相性があまり良くない事もあって少々心配していたのだが、何とかなったようで良かった。

 

本来の習合は信仰している人たちの一定の共通認識によって生まれるものだ。

たとえ俺一人がそれを叫んだところで、普通なら大多数の人間の信仰心に飲まれて消えていくだけ。

しかしマヨイガという独立した世界がそれを可能にした。

 

マヨイガにいる人間は俺一人。

すなわち俺の信仰がそのまま世界中の信仰とイコールで結ばれてしまうのだ。

結果、変質への抵抗がほとんどゼロになってしまう。

以前のミコトと同じ事が可能という訳だ。

 

もっとも、この方法はあくまでルミナ神の持っている力の方向性を捻じ曲げ、誤魔化し、騙くらかしているに過ぎない。

本来の習合とは違い、おそらく俺の近くから離れただけで効力を失うだろう。

 

分かりやすく言うなれば、ルミナ神に月読命のコスプレをさせているようなものである。

そのコスプレを理解できる人間がいない事にはただの着替えでしかない。

そもそも習合したところで本質がルミナ神である事は変わらないのだ。

 

長々と話したがぶっちゃけルミナ神と一緒なら外に出てもコンが弱体化しないようになったとだけ覚えていてもらえれば問題は無い。

 

「二人とも、準備はよろしいかしら?」

 

「はい。いつでも」

 

「大丈夫なのだ!」

 

これからルミナ神プレゼンツ、異世界新婚旅行五泊六日の旅に出発するのだ。

ガイドは恐れ多くもルミナ神。

目的地はルミナ神の座す聖地であるサクトリア。

 

コンは一応部外者という事で俺が腰に下げている竹筒の中で休んでいる。

 

竹の(ふし)(ふし)の間の事を()といい、これが()に通じるという事で竹の中は一種の隠れ里のような状態になっている。

霊体を入れるには適しており、竹筒の中に入れておく妖怪として有名な管狐なんかは聞いたことがある人も多いだろう。

また、ある地方では貧乏神を火吹き竹に封じて辻に捨てるという話もある。

他に竹取物語のかぐや姫も中に空間を持つ竹の神秘性を語る上で避けて通れないだろう。

 

何か危険があればすぐに飛び出してくるそうだが、ルミナ神が同行して彼女の縄張り(テリトリー)で早々問題が起きるはずもない。

話しかければ答えるものの、基本的には大人しくしているそうだ。

 

「では、行きましょうか」

 

マヨイガの妖怪たちやヤシロさんに見送られながらルミナ神に連れられてマヨイガを出る。

コン、調子はどう?

 

(問題は無い。どうやら上手くいったようじゃ)

 

一応、理論上は問題ないとの事だったが、いざやってみたら突然の不具合などよくある事。

念のため聞いてみたが弱体化回避策は上手くいっているようだ。

 

「サクトリアまではこれに乗って行きましてよ」

 

「凄いのだ。おっきな蟹さんなのだ」

 

境界を抜けて待っていたのは全長10メートルを超える蟹だった。

ミコトは大はしゃぎである。

 

ルミナ神は蟹を眷属にしているそうで、これは異世界の月の模様が蟹に見えることからの信仰によるものだそうだ。

月の模様が蟹に見えるというのは現世でもあったが、流石に現世の月とは模様が違っていた。

 

眷属蟹の甲羅には椅子が二つ括りつけられており、どうやらそこに乗れという事らしい。

甲羅をよじ登って席に着くと、眷属蟹が体を持ち上げる。

眷属蟹が大きいので結構な高さになり、割と見晴らしがよい。

ルミナ神は一足で眷属蟹に飛び乗り、甲羅の上に立つ。

 

「さぁ、出発進行ですわ!」

 

「なのだぁ~!」

 

ルミナ神の掛け声とともに眷属蟹が横歩きで走り出した。

ちなみに椅子は進行方向を向いているし、ルミナ神もそちらを向いて腕を組んでいる。

結構な速度が出始めたが、振動はほとんどないし風もそよ風程度しか当たらない。

おそらく加護的な何かが働いているのだろう。

 

……だんだん蟹が空を走り始めたんだが。

まぁ、空を旅する神の眷属(月に住まう蟹)なら空くらい飛べるか。

おお、いい眺め。

 

 

 

多分、一時間くらい乗っていただろうか。

眼下に広がる村や町をいくつも飛び越えて、今までとは別格の発展具合を遂げている都市が見えてきた。

 

「あれが(わたくし)の神座。(わたくし)の神殿。(わたくし)を祀る都市。聖地サクトリアですわ」

「凄いなこれは」

 

その広さもさる事ながら大通りは綺麗に舗装されており、そこから伸びる道が都市全体を毛細血管のように隅々まで張り巡らされている。

おそらく、どの道を辿ってもより太い道を選んでいけば大通りにたどり着く構造なのだろう。

 

多くの石造りの建物が並んでいるが、中央に行くほど高く豪華になっているように見える。

特に中央の神殿と思わしき建物は他の建物の数倍の高さがある。

目測ではあるが、おそらく150m近いサイズなのではなかろうか。

なかなか壮観だな。

 

神殿の頂上付近、扉のついていない大きな入り口から眷属蟹に乗ったまま入る。

それと同時に境界を越えた感覚がした。

多分、ルミナ神の神域に入ったな。

 

神域とは常世(とこよ)という神の国の事を指し、同時に常世(とこよ)と現世の境界である神が宿る場所(神の依り代)の事でもある。

おそらくここが現世(神殿)常世(神の国)を結ぶ神域(ルミナ神の座す場所)なのだろう。

まぁ、異世界の言葉ではまた違った表現になるのかもしれないが。

 

とりあえず細かいことを抜きにすれば隠れ里(異界)の一種という感じに考えていれば間違ってはないだろう。

おそらく普通の人は入れないようになっているのではなかろうか。

 

それはそれとして神域の中に二メートルくらいの石像が建っているんだが。

 

顔の造形からおそらくルミナ神だと思うのだが、現在の姿とはかなり印象が違う。

髪は地面につきそうなほど長いストレートで、顔つきも普段より凛とした表情のせいか鋭い印象を受ける。

おそらく等身大だとは思うのだが背丈は二メートル近いし胸もそれなりに大きい。

あと、結構肉付きが良くてむっちりとしているが、決して太っているという感じではない。

……この辺は異世界の美人の条件だったか。

 

「これはルミナさんなのだ?」

 

「ええ、(わたくし)をモデルにした像ですわ。(わたくし)は月の満ち欠けとともに姿を変える神。月そのものがこの世界での(わたくし)なれば、神の国での(わたくし)の姿は今の姿とはまた異なっているのですわ」

 

ミコトが直球で聞いてくれたので正しくルミナ神である事が判明する。

 

()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()

 

なるほど。

今の姿は現世用で、この石像の姿が本来の姿なのね。

 

化身の話を持ち出すまでもなく、見方や場所で姿を変える神なんていくらでもいる。

ルミナ神もそういう事なのだろう。

 

……いや、なんか違和感がある。

間違ってはいないが何かがずれているような。

 

(それは気にせずとも良いやつじゃな。気づかぬとも害はなく、気づいたところで意味はない。むしろ気づかぬ方がルミナ神の印象が良い)

 

コン? よく分からないがコンがそう言うなら気にしなくていいか。

たぶん、多少理想が入ってるとかそんな事だろう。

 

「ここが今回の宿の代わりになりますわ。(わたくし)の名に懸けて万全のセキュリティを保証しますので安心して使ってくださいな」

 

「すごいのだ! 広いのだ!」

 

「おお、これは」

 

通されたのは神殿の一室。正確には神殿を模した神域の一室か。

 

二人で使うには広すぎる部屋にキングサイズ以上のベッド。

見事な細工が施されたテーブルを囲む高級感溢れる椅子。

棚に飾られた美しい調度品の数々。

正直高そうなものばかりで怖いんだが。

 

「心配せずともここにあるものは全て我が子より(わたくし)に献上された品。その霊的(うつわ)に我が子達の信仰を満たして形を成したもの。物としては神殿に保管されていますから、壊れてもすぐに直せますし、そもそも簡単には壊れませんわ」

 

俺の考えている事に気づいたのか、それとも心を読んだのか、ルミナ神が安心させるように言った。

 

ああ、なるほど。

神に捧げられた物は物質としては現世に残り続ける。

神饌とかは実際に食べるのは人間だろう。

 

では神様はそれを口にされないのかというと、そんな事はない。

供物と言う行為により霊的な譲渡が発生し、神様側にも同じものが存在するようになる。

それは神饌(たべもの)だけに限らない。

 

ただし、そうして物質から離れた霊的側面は存在が安定しないそうなのだ。

自分も詳しく理解している訳ではないので上手く説明できないのだが、それでもあえて説明するならば、それは魂のない幽霊のようなもの。

物質と言う存在を支える物が無くなり、形こそ残しているものの中味は何もない。

 

普通の幽霊であれば魂がその存在を支えているのだが、このように中身が空っぽではすぐに霧散してしまう。

それをこの世ならざる世界にとどめておくものが捧げた者の『(おも)い』だ。

これは捧げる相手へのものと捧げた供物そのものに対するものがあり、ぶっちゃけて言うと捧げるという行為にどれだけ気持ちを込められたかが重要になる。

 

捧げられた霊的側面に(おも)いが満たされることで霊的存在として定着する。

そして込められた(おも)いが強ければ強いほど存在は強固になり、その存在の格も上がる。

満たされた(おも)いの質によっては本来の物よりも品質が上がったり、特殊な力が宿ったりすることもある。

神様にとっては捧げられた物質側の供物以上に価値のあるものなのだ。

 

ちなみに、逆に(おも)いが少なかった場合は本来の物より質も悪くなり、すぐ壊れてしまう。

その場合は神様にとっても価値のないものになってしまうのだ。

極端な話、神様にとってはどれほど見事な金細工であっても(おも)いが伴わなければ価値の無いものとなり、そこら辺で拾った石であっても気持ちを込めて捧げられたものであるなら価値あるものになる。

捧げた物の良し悪しは実はあんまり関係ないのだ。

もちろん自分にとって高価なものであればあるほど気持ちの入りようは違うだろうから意味はあるのだが。

 

余談だが、この元々物質側にあったものが供物として捧げられ、(おも)いによって霊的側面が形を成したものを神様の間では念物(ここのぎ)と呼ぶらしい。

 

人の世ではなんと呼ぶかのは知らない。

そもそも該当する言葉自体が無いかもしれないしな。

あと、『念物(ここのぎ)』の読みは熟字訓(熟語に当てられた特別な読み方)なので普通はこうは読まないから注意してくれ。

 

また、現世側の供物が残っていれば、念物(ここのぎ)が壊れたとしてもある種の共鳴により修復することが可能なのだそうだ。

なのでルミナ神の言葉を要約すると、「ここにあるのは全部念物(ここのぎ)だから簡単には壊れないし、万一壊れてもすぐ直せるから安心しなさい」という事になる。

 

……壊れないかという心配は無くなったが、逆にそんなものを俺が使っていいのかという問題が出てきたのだが。

まぁ、ルミナ神(持ち主)が許可しているのだからいいか。

 

「ありがたく使わせていただきます」

 

「ええ、存分に堪能してもらえると(わたくし)としても用意した甲斐があったというものですわ」

 

「ルミナさん、ありがとうなのだ」

 

「お気になさらずに。何か足りないものや希望があればそこのベルを鳴らしなさい。彼女たちが対応いたしますわ」

 

ルミナ神がそう言うと、五人ほどの女性が入ってきてこの世界の挨拶をする(片手を胸に当てる)

俺とミコトも同じようにしようとしたらコンに精神感応で止められた。

彼女たちはルミナ神の従者であり、俺たちはルミナ神の客人なのでこの世界の作法としては頷くだけにしておかなければいけないのだとか。

 

郷に入れば郷に従え。

それが礼節ならそうしよう。

なので軽く頷くと、彼女たちは入って来た時と同じように出て行った。

 

見た目はこの世界の従者服を着た人間だったが、わかりやすく化けたルミナ神の眷属蟹だったな。

おそらくあえてそうしているのだろう。

見た目をこちらへ合わせることで客人の違和感を減らし、しかし分かりやすく化けることでルミナ神の眷属である事をアピールして安心感を与える。

 

……んーー、妖怪と関わる事が多かったせいか、やたら相手の意図を分析する癖がついてるな。

妖怪は案外素直なもので、その行動には自身の性質に基づいた明確な意図がある。

なのでそれを読み取ることが妖怪と関わる際に重要になってくるのだ。

慣れれば相手の霊威からでも推測できるようになるぞ。

 

話が逸れたな。

 

部屋に荷物を置き、早速観光に出かけようか。

予定ではルミナ神の案内で神殿の中を見て回り、お勧めの食堂で夕食。

その後は部屋に戻って夫婦水入らずでって感じか。

初日だし、時間も時間なので内容も軽めだ。

 

ルミナ神からミコトとともに『群衆の外套』という念物(ここのぎ)を借り受ける。

これは着ていると個人ではなく大勢の内の一人として認識されるようになり、居ることは理解されても誰かは分からない状態になるアイテムだ。

マヨイガにも同じ効果を持つ道具がある(妖怪がいる)が、厚意で貸してもらえるとの事だったので甘えさせてもらった。

 

子供が遊んでいるといつのまにか一人増えているのに誰が増えたのか分からない。

座敷童とかが遊んでいる子供たちに混じるとこんな現象が起きるのだが、これと同様の状態になれるのである。

 

これは単純にトラブル防止の為だな。

俺自身がわりと妖怪側に浸っているので忘れがちなのだが、普通の人には神様(ルミナ神)は見えないし声も聞こえないのだ。

神官などの比較的神様(ルミナ神)の近くで仕えている者たちが辛うじてお告げなどで声を聴ける程度。

一応、今代の大神官長(高位の神官達の長)はルミナ神の姿も見えるし声も聞こえるそうだが、この旅行はルミナ神のプライベートの範疇なので関わることはないだろう。

 

なのでトラブルが起きた場合にルミナ神が対応することが難しい。

その対策としてそもそも興味を持たれないようにすればいいとなった訳だ。

居ることは分かるので買い物とかは出来るが、それ以上は気にも留められなくなる。

目の前から居なくなれば顔も思い出せないだろう。

 

ついでに副次効果でルミナ神の客人という括りで認識される為、ルミナ神の力が及ぶ範囲であればどこにいても咎められることはない。

 

「準備が出来たら行きますわよ」

 

「はい、大丈夫です」

 

「楽しみなのだ」

 

さぁ、目一杯楽しもう。

こうして、俺たちの新婚旅行は幕を開けたのだった。

 

 

 

追記。

 

初日の夕飯はオムライスだった。

ルミナ神がお告げを通して広めたらしい。

気に入ったんですか。




念物(ここのぎ)』は読みも含めて創作です。
何と呼ぶのか分からなかったので。


『旅は道連れ世は情け』
昔は情報も少なく今よりもずっと旅に対する不安が大きかったため、同行者がいることはとても心強かった。
同様に人生と言う名の旅も人の情けや思いやりがとても心強く感じられるものであり、助け合いの心が大切だという意味。


新婚旅行編(File.No.15)は他者視点を入れても3~4話くらいの予定です。


追記:あんころ(餅)様、誤字報告ありがとうございます。


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File.No.15-2 『旅の恥は搔き捨て』

風景の描写って難しい。
美しさであれ何であれ、強い感情を呼び起こすという設定のものは特に。


新婚旅行二日目。

 

今日は朝から街に繰り出し、異国情緒にふれながら散策をする。

大都市だけあって多くの人が歩いているが、割と身なりの良い人たちが多い。

見た目も多彩でぱっと見回しただけでも、普通の人間の他にドワーフや猫人(ワーキャット)が目に入る。

 

ドワーフはその言葉で思いつくイメージそのままと言っていいだろう。

ただし個人差は大きく、背が高い者いればスマートな体つきをしている者もいる。

ちなみに女性にも髭があるらしい。

 

猫人(ワーキャット)は以前コンが言っていた通り、人間に獣の耳と尻尾がついた程度。

ただ、稀に猫ひげがあったり猫のような体毛を持つ猫人(ワーキャット)もいなくはないらしい。

流石にミコトの経立(ふったち)形態(モード)ほど獣に近いのはいないそうだが。

 

人口の比率はパッと見た感じ普通の人間が5、ドワーフが1、猫人(ワーキャット)が3、他が合わせて1だ。

他の中に含まれるのは様々なタイプの獣人や羽があったり鱗があったりする人たち。

エルフっぽい人も見かけたな。

 

なお、色々な種族がいるように見えるが(少なくともこの国、というかミルラト神話圏では)全員まとめて人間という種族なのだそうだ。

あくまで人間と言う種族を更に細かく分けるとドワーフや猫人(ワーキャット)になる感じ。

 

この分類をミルラト神話圏では(タイプ)と呼ぶ。

ドワーフ族(ドワーフ:タイプ)とか猫人族(ワーキャット:タイプ)みたいな感じで。

普通の人間は並人族(ニュートラル:タイプ)と呼ばれる。

これはどの人間種とも子供を作りやすいので、ちょうど真ん中くらいにいる(タイプ)なんだろうと考えられているからだ。

 

あと、同じ(タイプ)同士で固まって村や町などを作る事が多いらしい。

個人差はあるが生活サイクルや嗜好の方向性が似通っていることが多く、暮らしやすいんだとか。

 

とはいえ、以心伝心の呪いで翻訳される為、以後は普通にドワーフとか猫人(ワーキャット)と呼ぶし、(現世(元の世界)においての)普通の人間の事はそのまま普通の人間と呼称する。

人、もしくは人間といった場合は(タイプ)を問わず人間という種族の事を指す。

 

 

まぁ、この辺は単なる旅行先の現地情報だ。

あくまでミルラト神話圏ではこう言われているんだよと言うだけで生物学的な分類の話でも無いし。

 

人間が多いのは単純に絶対数が多いからだそうだし、猫人(ワーキャット)が次いで多いのは近く(それでも十キロ単位で離れているが)に猫人(ワーキャット)の街があるから。

ラクル村の場合とは違い大都市周辺は人類の生活圏が広がっているため、魔獣等も少ないので比較的安全に行き来が出来るのだそうだ。

次いで多いドワーフの殆どはサクトリアに仕事に来ている大工だそうです。

 

ルミナ神情報だから信憑性はあるだろう。

 

 

屋台の猫人(ワーキャット)からサミサミなる動物の肉を串焼きにしたものを購入してミコトと二人で食べる。

なんかウサギっぽい動物らしい。

 

ルミナ神にも渡そうとしたら気遣いは不要と断られた。

あくまで自分はガイド。

そんな暇があったら嫁に気を遣うようにとの事。

 

お気遣い有難く、甘えさせていただきます。

 

ちなみに購入資金はミコトと二人で手作りしたお菓子をルミナ神に捧げ、そのご褒美として財を与えるという形で貰ったものだ。

突然「明日、(わたくし)の為に菓子を作って献上なさい」と言われた時にはいきなりどうしたのかと思ったのだが。

あ、これは前回ルミナ神がマヨイガに来た時の話ね。

 

その翌日に作って捧げたお菓子は眷属蟹が回収していき、昨日迎えに来てもらった時にご褒美を貰ったという流れだ。

マヨイガ妖怪の手助けがあったとしても、俺たち二人がルミナ神の為に心を込めて作った事で捧げものとしての価値が出た。

それを捧げた褒美という事ならお小遣いをあげる程度は問題ないという事なのだろう。

 

要するに便宜を図る為の名目である。

ありがたい事にな。

 

なので今回ばかりは役に立てなかった妖怪菓子箱がしょぼんとしていたりする。

贅沢出来るほどの額ではないが、旅行を楽しむには十分だろう。

ルミナ神の事だからこの旅行でちょうど使い切る額に調整しているような気もする。

 

 

ぶっちゃけ二日目は町中をぶらつきながら適当に買い食いしてただけだな。

この国の雰囲気を肌で感じてもらうのが目的だったらしい。

それもまぁ、旅の楽しみ方の一つ。

普通に楽しかったし。

 

ちょくちょく入るルミナ神の解説も面白く、街並みを眺めているだけでも全く飽きなかった。

流石は導く神と言ったところか。

 

 

 

三日目は歴史ある建物や人気スポットなどのいわゆる観光名所を巡る。

 

 

まず向かったのはレワート門と呼ばれる巨大な建物だ。

門と名は付いているが、扉などの侵入を拒む要素は見当たらず、そもそも町の中に存在している。

 

これは元々は都市を囲う外壁の門だったそうだが、人口増加による都市の拡大に伴い新たな外壁が作られた。

その後、交通の便の関係で古い外壁は取り壊されたそうなのだが、記念碑的な扱いで門だけ残されたそうだ。

扉はメンテナンスの手間などを理由に古い外壁とともに解体されている。

 

祭りの時などはこの門から神殿に続く大通りでパレードが行われるそうだ。

なお、レワートは単に地区名である。

 

 

次に向かったのはカワデロの泉。

都市内にある50メートルほどの半円の人口泉なのだが、その直線部分に壁のようにそびえ立つ城のような建造物と、両者に挟まれた石床の岸辺に建てられた数々の彫像によって荘厳な雰囲気を醸し出している。

 

この彫像はミルラト神話の神々を模しているらしい。

ルミナ神の神座の都市らしく、二十歳前くらいの姿のルミナ神と思われる彫像が中心の一番目立つところに置かれている。

その少し左手前にある彫像が多分プロミネディス神。

 

城のような建物は現世でいう公民館のようなもので、泉や彫像の管理も行っているらしい。

名称にあるカワデロとはこの人口泉及び建物の設計を行った建築家の人の名前だそうだ。

 

 

御次の目的地はミロム大時計台。

 

ミロム地区にある巨大な時計台で、毎日正午に鐘を鳴らして時刻を伝える役目を持つ。

これは巨大な機械式時計なのだが、動力として魔力(マナ)が使われているそうだ。

 

聖地サクトリア自体が一種のパワースポットである龍穴の上に作られた都市であり、そのエネルギーを汲み取っているとの事。

ただし、その為にはかなり大掛かりな装置を必要とするらしく、聖地サクトリアでも利用されている場所は片手の指で足りる数しかない。

イメージ的には地熱発電が近いか。

 

個人の魔力(オド)を利用するものであれば比較的普及しているとの事だが、それは聖地サクトリアのような都会の話であり、国全体でみれば普及率はかなり低い。

ラルク村くらいの規模の村だと村長が一つ持っているかどうか。

それなりに裕福でも一般市民にとっては購入をためらう程度には高価であり、修理やメンテナンスの手間がかかるものなのだそうだ。

 

ちなみに魔力(マナ)魔力(オド)の違いだが、人体の外にある外気と呼ばれるものが魔力(マナ)で人体の中にある内気と呼ばれるものが魔力(オド)である。

正確に言えば固有波長とかの違いもあるのだが、ここから先はかなり専門的な話になるので省略させてもらう。

 

ついでに言うと、以前霊力と妖力は基本的には同じものという事を言ったが、それは魔力も同じだった。

コン曰く使い道によって名前が変わり、妖術に使えば妖気、霊術に使えば霊力、魔法に使えば魔力、仙術に使えば気と呼ばれる。

魔力(マナ)にしたってコンに言わせれば大気中や大地を流れる気の事だ。

 

もちろんそれぞれに適した状態に変化させて使用する為、完全に同一のものとは言えないが、それでもものとしては同じだ。

この辺は説明が難しいのだが、例えて言うなら凝固させて物を冷やすのに使ったり(氷)、蒸発させてタービンを回したり(蒸気)、物を洗い流したり(流水)、噴霧して虹を作ったり(霧)、呼び方は変わるけど物質的には全部『水(H₂O)』である、みたいなイメージが近いだろうか。

 

 

おっと、関係ない方向に話が行ってしまったな。

ミコトと二人でその巨大な時計を眺める。

今日はあと一か所で終わりだ。

楽しい時間と言うのはあっという間に過ぎていくものである。

 

 

最後は大神殿前公園。

 

一昨日は神殿内部だけだったし昨日は街に繰り出していたからじっくり見た事はなかったが、神殿前には庭園のような光景が広がっているのだ。

 

奇麗に切りそろえられた生垣と、紋章のごとく張り巡らされた水路。

いくつも植えられた色鮮やかな花々が幻想的な風景を演出し、ガーデンアーチが訪れた者を出迎える。

青々とした芝生が気持ちよさそうだ。

 

ここを抜けると広場があり、その奥が神殿となっている。

広さは……ぱっと見で横500メートルの縦400メートル弱か?

見渡せば人々が思い思いに過ごしているのが見える。

 

夕食の時間までミコトと二人で公園の散策。

生垣がちょっとした迷路のようになっていたり、水路に見慣れない魚が泳いでいたりと飽きなかった。

 

 

ルミナ神のおかげで一般人では入れないようなところまで見れたのはありがたかったな。

 

 

 

四日目は都市を離れて付近の山の天然温泉を堪能。

 

『群衆の外套』を脱がないといけない関係上、人目のある所は避けたいという事でルミナ神の聖域にある温泉に入らせてもらえることとなった。

聖域は神域とは違い基本的に現世側にあるので見られる可能性はゼロではないが、周囲はルミナ神の眷属蟹ががっちりガードしているから大丈夫だろう。

 

「あぅ~極楽なのだ~」

 

「温度もちょうどいいし眺めも最高だ。ルミナ神には感謝しかないな」

 

ミコトと二人並んでお湯につかりながら雄大な大自然を堪能する。

夫婦だし家族風呂で問題ないだろうという事で一緒に入る事となった。

 

ふと、ミコトの尻尾がふれる。

ミコトは普段、狐耳も尻尾もない人間形態でいることが多いが、リラックスしている時は狐耳と尻尾が出てくる。

これは気が抜けたら変化が甘くなるとかではなく、そちらの方が(くつろ)ぎやすいからなんだそうだ。

 

ミコトが半歩分こちらに近づき、体を預けてくる。

尻尾が俺の背中に回され、抱きしめるように包んでいく。

思わずミコトの体を抱き寄せると、上目遣いなミコトと目が合った。

その澄んだ瞳に引き込まれたまま俺は…………

 

(おぬし、儂はともかくルミナ神がおる事は忘れんようにの)

 

コンの言葉にハッとなる。

 

いかんいかん、つい流れでディープな接吻をするところだった。

とはいえ、この状態で何もしないというのも収まりがつかないのでミコトのおでこにライトキス。

ミコトが「ふにゃぁ」と蕩けたので良しとしよう。

 

(あら、別にそのまま事に及んでしまっても良かったのですわよ)

 

ルミナ神!?

もしや見ておられました?

 

(直接目にしてはおりませんわ。しかし、このくらい離れている程度なら分かります。(わたくし)はそちらの(いとな)みに関する権能も持っていますもの。蟹は満月の夜に産卵するという話はご存じ?)

 

現世での話なら知っているが、異世界でもそうなのか。

 

もちろん確定で満月の夜にという訳ではないらしいが、少なくともそんな話が広まる程には満月の産卵が多いそうだ。

他にもサンゴとかクサフグ辺りが有名かな。

 

……ああ、そうか。

 

満月と言う特別な夜に揃ったように卵を産む生き物たち。

その神秘性が月の神の導きによるものと考えられた事でルミナ神は()()()()()()()に対する権能を得たのだろう。

 

それが拡大解釈されて人間にも適応されるようになったと。

いや、あながち拡大解釈でもないのか。

人間だって満月の夜には性欲が高まるという話はあるのだから。

 

(それでこの湯の効能が『子孫繁栄』『子宝成就』なんじゃな。それと『安産成就』に……のう、ルミナ神。この湯、発情を促す効果とかあるのではないか?)

 

(わたくし)の聖域にある温泉ですから(わたくし)の権能を強く受けますし、多少はありましてよ。まぁ、少し興奮を覚える程度ですが)

 

(いや、ミコトが思いっきり影響を受けておるんじゃが)

 

気づけばミコトが俺に体をこすりつけてきていた。

 

しかもいつの間にか経立(ふったち)形態(モード)になってる。

この形態はミコトの妖怪としての性質が強く出てくるのだ。

そしてミコトは『俺の(つがい)』という妖怪なわけで……

 

「あなたぁ~」

 

「いや、ちょっと待てミコト。ここでは流石に」

 

(ああ、これは温泉の魔力(ルミナ神の権能)に酔っておるの。これミコトよ、ルミナ神の領域(このような場所)で事に及んでは……)

 

(いえ、先ほども言いましたが、(わたくし)としては別に構いませんわよ。あ、コンさん。終わるまでの間、こちらでおしゃべりでもいかがかしら?)

 

(ぬぅ? ルミナ神が良いというのであればまぁ、よいか。ではそちらにお邪魔させてもらうとするかのう。あ、ミコト、後でもよいから吸精を忘れんようにの)

 

(お二人とも、ごゆっくり)

 

いやいやいやいやいや、ミコトを止めてよ!

 

そうだ、そうだった。

あの一柱と一匹、普通に人間と感性が違うんだった。

人間の感性自体は理解してるけど、ここ(ルミナ神の領域)でそれを優先する理由は無いものな。

 

「あなたぁ! からだがあついのだぁ~!」

 

「ちょっと待てミコト! 場所、場所を考えて!」

 

ここ、温泉だからな!

押し倒されたら沈むからな!

ちょっ! 溺れる!

 

あああああぁぁぁぁぁ!

 

 

 

その後、30分ぐらい抱きしめて何とかミコトを落ち着かせることに成功した。

何で温泉に入ってこんなに気疲れしないといけないだろう。

 




温泉でのルミナ神の行動やセリフは全て「良かれと思って」です。
ミコトに温泉の効能が効きすぎたのは予定外だったようですが。

ちなみに、テンパっていたタケルは気づいていませんでしたがコンが(まじな)いをかけてかけてくれていたので押し倒されても溺れることはありませんでした。


『旅の恥は搔き捨て』
旅先だと知り合いもおらず長居する訳でもないので、普段はやらないような恥ずかしいこともついやってしまいがちという意味。
とはいえ、人の迷惑にはならないようにしましょうね。



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File.No.15-3 『渡る世間に鬼はなし』

ミコトの人獣形態の呼称を過去話も含めて『経立(ふったち)形態(モード)』に
変更いたしました。
経立(ふったち)とは年を経た獣が知恵を身につけ、人のような振る舞いをするようになった妖怪の事。
その多くが二本足で立ちあがるようになる事からこの名がついたそうです。
鬼熊や猫又なども経立の一種と言われる事もあるそうな。

人獣って「人と獣」という意味なんですね……


実際のところ、ミコトは発情していたのではなく酔っぱらっていたようだ。

 

『俺の(つがい)』という妖怪であるミコトは、ルミナ神の温泉の効能と親和性が強い。

その為、無意識のうちにその力を取り込んでいたようで、それに含まれた神性に当てられてああなってしまったらしい。

 

ミコトって酔うとあんな感じになるんだな。

ちなみにだがミコトはお酒に関してはむっちゃ強い。

なので酔っているところを見た事が無かったんだが、あれはあれで色っぽかった。

とりあえず落ち着いた後だから言えることだが。

 

しばらくして落ち着いたのは効能に体が馴染んできたから。

そのお陰か妖怪としての格が上がったようなのだが、これもルミナ神の意図したことだったんだろうか。

本神に聞いてもはぐらかされてるばかりであった。

 

 

 

新婚旅行五日目。

 

明日はもう帰るだけの予定だから、今日が実質的な最終日である。

 

本日は有名な劇団が聖地サクトリアに来ているという事で、観劇(かんげき)することになった。

内容はなんと、フェルドナ神が異界へ赴いてサツマイモを手に入れるという話らしい。

サツマイモを広めるバックストーリーとしてそれっぽい話を広めるという事は聞いていたが、内容までは知らなかったから楽しみだ。

 

ルミナ神の聖地での開催だけあり、ルミナ神用の席が良い位置に用意されているので俺たちもお邪魔させてもらった。

なお、見物料はルミナ神持ちである。

 

しかし、この話を広め始めたのは早くてもひと月前の筈だが、もう劇にすらなっているのか。

間違いなくルミナ神が関わっていると思うのは邪推だろうか。

まぁ、どちらでもいい話だな。

しっかり楽しむとしよう。

 

……

 

…………

 

………………

 

駄目だ、全然楽しめない。

 

別に劇が面白くないとかいう話ではない。

その証拠にミコトは凄く楽しそうにみている。

 

では何故かと言えば、この劇に込められたルミナ神の意図が露骨すぎてそちらが気になって劇どころではなくなってしまうからだ。

多分隠す気もないのだろう。

むしろそれを俺やコンに伝えるのがこの観劇の目的だとすら言える。

 

 

 

話の内容としてはまず、謎の病が蔓延(はびこ)った村をフェルドナ神が救う事から始まる。

実際にはコンの呪い付き薬草を使ったわけだが、この話ではフェルドナ神が自力で癒したことになっていた。

それは別に問題は無い。

面子(メンツ)的な理由もあるだろうし、ここでわざわざそれを言う意味も無いだろう。

 

ある時、フェルドナ神は村の畑の作物が枯れている事に気づく。

弱り目に祟り目。

フェルドナ神の目にまだ這う事しかできない幼子が、家族の為に疲れをおして働く青年が、老いてなお杖をついて村の為に奮闘する長老が映る。

このままでは村の者たちが冬を越せないと思ったフェルドナ神は、森の恵みでそれを補おうとした。

人の入らぬ深き森でそれを探していると、不思議な一軒家にたどり着く。

 

もしかしなくてもマヨイガの事だろう。

とはいえ、マヨイガの名は出ていない。

約束はしっかり守られているようである。

 

なぜこんな人里離れた森の奥に家があるのだろう。

そう思ったフェルドナ神はその家を訪ねることにした。

するとそこには一組の男女が住んでおり、突然訪れたフェルドナ神を歓迎してくれた。

男の方は人間であり、女の方は狐の獣人であった。

 

これは俺とミコトの事だろう。

初めは女の方はコンの事かと思ったが、次の場面でミコトだと判明した。

 

ちなみに役者さんは(異世界の美意識的に)かなりの美男美女である。

つまり二人ともかなり大柄なわけで、正直俺とミコトにはあんまり似てない。

まぁ、それは置いておくとして……

 

フェルドナ神が話を聞くと二人は近々祝言を挙げるという。

それはめでたいと思ったフェルドナ神は、自分のつけていた髪飾りを二人にプレゼントした。

 

これだけでフェルドナ神が初対面の二人の幸せを心から祝福できる善神であると観客に伝えられた訳だ。

守護下の人間に対してならともかく、神が関係のない人間相手に一言祝うだけでも結構な事である。

現実でもわざわざ祝福する必要性はなかったしな。

 

なお、この髪飾りは実際に貰っている。

『フェルドナ神がつけていた』というのは流石に演出だが。

 

その後、森に住んでいるのなら森の事に詳しいのではないかと思ったフェルドナ神は、二人に食料がたくさん採れるところを知らないかと聞いた。

すると二人は顔を見合わせ、ここから更に森の奥深くに進んだところに実り豊かなる地があると告げる。

しかし、それを持ち帰りたいのであれば(ぬし)の許しを得なければならないと。

 

すると男はどこからともなく黒い箱を持ち出して言う。

ここから道なりに進むと良い。

(ぬし)は朱天の門より入った場所にいる。

この箱を持って行くと良い。

ただし、この箱は決して開けてはならないと。

 

確かにこの家から森の奥に続く道が見える。

フェルドナ神は二人に礼を言うと、教えられた道を辿って再び森の奥に歩き出した。

 

朱天の門ってのはおそらく鳥居の事だろう。

多分だが異世界の言葉で鳥居を表す単語が無かったので、近しい言葉に置き換えられたあと再翻訳されたものだと思われる。

 

あと、男の持ってきた黒い箱に見覚えがあるんだが、あれフェルドナ神への引出物の菓子を入れてた重箱じゃね?

もちろんそのものではないだろうが。

 

フェルドナ神は言われた通り森の奥に向かって進むが、行けども行けども朱天の門は見つからない。

神であっても疲労が無視できなくなるほどの距離。

それほどまでに進んでも、それらしきものは見えてこない。

 

本当にそんな物があるのだろうか。

もしや自分は騙されて、ありもしないものを延々と求め続けているだけなのではないか。

そんな考えが頭をよぎるも、すぐにそれを振り払おうとする。

 

そんな筈はない。あの人間は嘘をついていない。

我が子(村の人間)達の為に、恵みを持ち帰ると決めたのだ。

そう自分に言い聞かせ、足が棒になるような疲労にもめげずに歩き続ける。

 

すると、それは現れた。

二本の柱と、二重の屋根によって作られた、扉のない紅い門。

 

ちょっと形は違うが鳥居を伝聞で作ったらこうなったのだろう。

 

フェルドナ神が一歩中へ踏み入れると、そこには見たこともない光景が広がっていた。

そこにはいくつもの畑があり、不思議な作物が植えられている。

そして何より、その畑の世話をしているのが人間ではなかった。

人間のように二本足で立つ熊や兎、狐に狼、猪と他もろもろ。

 

多分これはコンの式神の話がねじ曲がったな。

 

三日前にも言ったが、ミコトの経立(ふったち)形態ほど獣に近い姿の人間はミルラト神話圏にはいない。

猫人(ワーキャット)のような獣人も、あくまで獣の(パーツ)を持つ人間であって、人の如き振る舞いをする(妖怪)である経立(ふったち)は奇妙に映るだろう。

 

ちなみに劇中の経立(ふったち)は着ぐるみを着た役者さん達である。

 

フェルドナ神が驚いていると、ひときわ大きな気配がする。

そちらに視線を向ければ、一匹の白い狐の経立(ふったち)がいた。

狐は言う。「キツネツキの地にいかなる用か」と。

 

これはコンだろ。

で、キツネツキは以前フェルドナ神にサツマイモを配る許可を出した時のこちらの名前を出してはならないという条件を避ける為だと思われる。

 

狐憑きの話は以前ルミナ神とした雑談の中にあったので、適当な名前代わりとして持ってきたのだろう。

 

しかも、これは発音をそのまま固有名詞として使ってるな。

少なくとも異世界の人たちには意味不明な言葉の羅列にしか思えないはずだ。

ルミナ神が異界感を表現するためにあえて翻訳せずに伝えたのかもしれない。

 

フェルドナ神が「我が子(守護下の人間)を飢えから救うため、森の恵みを探しに来た。もし許されるのであれば、この地の恵みを分けてもらえないか」と告げる。

 

箱の方に目を向け、何かに納得するように頷く狐。

狐は続ける。「それには(ぬし)たるキツネツキの許しがいる。その箱を持っているという事は……ふむ、それを持ってキツネツキに会いに行くといいだろう」と。

 

それに対してキツネツキとはいかなる御方か。

私をその御方のもとへ連れて行ってもらえないか。

そう答えるフェルドナ神だったが、狐の反応は芳しくない。

 

「それは出来ぬ。この地の物を持ち帰りたいというのであれば、三つの試練を超える必要がある。その一つは自身の力でキツネツキを見つける事だ。もっともそれを諦め、ただキツネツキに会いたいというのであれば、連れていくこともやぶさかではないが」

そう告げられた言葉に、フェルドナ神は力強く宣言する。

 

その試練、受けて立とう。

必ずや乗り越えて、我が子のもとに恵みを持ち帰ろう。と。

 

実際にそんな試練はないが、これはフェルドナ神がサツマイモの所有者である正当性を補強する為の話だろう。

試練を乗り越えて得たものとなれば、奇跡の作物と呼ばれるほどの物を手にしたとしても納得感が出る。

 

それに対して狐は満足そうに頷いて言った。

「なれば探されよ。キツネツキはこの地にいる。そしてキツネツキは『朝は四本足、昼に二本足、夕には三本足になる生き物』の姿をしている」

 

スフィンクスの謎かけじゃねーか!

これも以前、ルミナ神との雑談で話した事がある。

その際にミルラト神話圏では聞いた事が無いと言っていたので、そこから持ってきたのだろう。

 

実際にこの謎かけは答えを知らない状態だとかなり難しい。

知恵を試す試練として丁度よいと思われたのかもしれない。

ちなみにルミナ神は10分ほどで正解した。

 

フェルドナ神は悩む。

はて、それは一体どういう生き物だと。

 

生涯で足の数が変わる生物は居ないではないが、一度減ったのに最後にまた増えて三本とは。

仕方がないのでこの地の者たちを見て回り、答えになりそうな動物を探すことにした。

 

熊ではない。

兎でもない。

狼でもない。

 

人のように二本足で立っている事から四本足が二本足になったと言えなくもないが、最後の三本足が分からない。

 

あれも違う、これも違うと探し続け、ついには全ての動物たちを探し終えてしまった。

それでも謎かけの答えは分からない。

 

このままでは我が子を救う事が出来ない。

そう焦るフェルドナ神の脳裏に、村を出るときに見た光景が思い出される。

 

それはまだ這う事しかできない幼子(四本足の生き物)家族の為に疲れをおして働く青年(二本足の生き物)老いてなお杖をついて村の為に奮闘する長老(三本足生き物)の姿。

 

そうか、そういう事だったんだ。

それに気が付くと、フェルドナ神はもう一つのヒントに気づく。

 

(キツネツキ)は朱天の門より入った場所にいる』

その言葉を思い出し、フェルドナ神は()()()()()()()()()()

 

するとあれだけ長い間歩いてきたはずの道はなく、目の前には最初に見つけた不思議な一軒家があった。

そしてそこには人間の男と()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()がいる。

 

「貴方が、『キツネツキ』ですね」

 

黒い箱を持ったまま、フェルドナ神は人間の男に言った。

 

そう、赤子の頃は這い這いしかできず(朝は四本足)成長すると立ち上がれるようになり(昼は二本足)老いてくれば杖を使うようになる(夕は三本足)

その答えは人間だったのだ。

 

そしてもう一つ。

朱天の門より入った場所。

 

最初フェルドナ神は朱天の門から入った事で経立(ふったち)達の世話する畑に出たと思っていた。

しかしそこにはキツネツキは居なかった。

 

逆だったのだ。

フェルドナ神は朱天の門から入ったのではない。出て行っていたのだ。

だから改めて門をくぐる事で、キツネツキのいる場所に()()()()()

 

「お見事。流石だね、白蛇の神」

 

男の称賛を受けて、フェルドナ神は言う。

この地の恵みを持ち帰りたい。

その為なら残り二つの試練も乗り越えてみせる。

だからその暁にはそれを許してもらえないかと。

 

すると男は困ったように言った。

「うん、それは構わないよ。だけどね、()()()()()()()()()()()()()()()()()んだよ」

 

告げられた言葉に、フェルドナ神は意味を理解できなかった。

自分はまだキツネツキの所にたどり着いただけの筈だと。

 

しかし男は言う。

 

()()()()()はキツネツキを見つける事。

しかし最初の試練は『他者の為に訪れる』事だったのだ。

もし、フェルドナ神が純粋に我が子の為にでなく一片でも自分の為に訪れていたのなら、キツネツキと出会うどころかここへ来ることすら出来なかった。

 

これはこの劇が広まる事で(よこしま)な考えを持ってマヨイガへ訪れようとする者達への牽制だろう。

 

実際に欲まみれでマヨイガに来ようとすると結界により逸らされる。

もしくは酷い目に合わせる為にあえて中に迎え入れる罠かのどちらかだ。

 

そして二つ目の試練は『迷いの道を越える事』。

 

フェルドナ神が朱天の門を探して歩き続けた道。

それは通れば必ず迷う道だった。

 

『道に迷う』のではない。

『心が迷う』のだ。

 

その結果、その道を通るものは足を止め、引き返してしまう。

引き返せば、キツネツキのもとにはたどり着けない。

 

この道を越える為に必要なものは、迷いながらも歩いて行ける勇気。

あの道で迷いを振り切る事は出来ない。

迷いを抱えたままでも歩き続ける意思が必要だったのだ。

 

一応、ここでも言っておくが、マヨイガにそんな試練はない。

箔付の為の演出だが、一つ目の試練と同様に興味本位で訪れようとする相手へ牽制も兼ねているようだ。

ちなみにマヨイガとコンが協力すれば、この試練を再現できるとの事。

 

第一の試練で慈愛を、第二の試練で勇気を、そして第三の試練で知恵を試す。

その全てを、フェルドナ神は乗り越えたのだと。

 

「さて、望みは『この地の恵みを持ち帰る事』だったね。ではその箱をあげよう。蓋を開けてみるといい。君の欲しいものをたっぷりと入れておいた」

 

フェルドナ神が黒い箱を開けると、中からたくさんのサツマイモが出てきた。

明らかに箱に入る量ではない事から、この箱が特別な魔法の道具であることは疑いようもないだろう。

 

補足しておくが実際の引出物を入れていた箱は何の変哲もない普通の重箱である。

 

これだけあれば我が子(村の人間)達が飢えなくて済む。

そう思ったフェルドナ神はキツネツキにお礼を言い、サツマイモを魔法の箱に詰めなおしていく。

それを見ていたキツネツキは、何かに気付いたように視線を変えた。

「今日は賑やかな日だ。君までやって来るとは」

 

月の神ルミナ────と。

 

そこには赤いドレスを纏った、美女が立っていた。

 

ルミナ神役の役者さんである。

流石に貴高神の役ともなれば演技力も美貌も兼ね備えた者がなるようだ。

もちろん美意識は異世界基準なので俺的にはどちらかと言うと女子格闘技の漫画に出てきそうな人と言う印象。

そういえばルミナ神の神域にあった石像に似てるな。

 

「わざわざ紅き月の衣を纏って、神としての真の姿で来るなんて何事だい?」

フェルドナが(神が一柱)世界から消えたのです。もしや貴方にかどわかされたのではと思い、確かめに来たのですわ。もしそうであれば、貴方を止める為に(わたくし)も全力を振るう必要があるでしょ?」

 

──無用な心配でしたけど。

 

そう続けたルミナ神に、「一体何をするつもりだったんだい?」と引きつった笑みを浮かべながら答えるキツネツキ。

 

これがルミナ神の真の姿なのか。

紅き月の衣というのはブラッドムーンの事かな。

 

試しにルミナ神を石像の姿まで成長させて役者さんの着ている服を纏った姿を想像してみる。

おっ、かっこいい。

俺の感性では美人よりもそっちの印象が強いが、イメージは掴めてきたぞ。

 

ところでちょっと確認したいんだが、キツネツキって俺の事なんだよね?

ルミナ神とため口で話しているんだけど。

しかも今のセリフってキツネツキはルミナ神が全力で相手をしなければならないほどの実力者って風にも読めるんだが。

 

ちなみにミコト役の役者さん(途中からは狐の着ぐるみになった)はいつの間にかいなくなっていたので舞台にはキツネツキ・ルミナ神・フェルドナ神の役の三名だけである。

 

事情が分からず混乱するフェルドナ神にルミナ神が説明する。

ここは元の世界とは異なる世界で、異界と呼ばれる独自の法則を持つ世界である。

ここでは神であっても容易には力を振るえない。

キツネツキに認められた者だけが、来ることを許される場所なのだと。

 

それを聞いたフェルドナ神は慌ててキツネツキに謝罪する。

勝手に入ってごめんなさい──と。

 

それを聞いたキツネツキは苦笑しながら答える。

 

「謝る事はない。君の事はすでに認めている。それに、私の婚姻を心から祝ってくれた君を無下にはできないよ」

 

その言葉に、感謝の言葉を伝えるフェルドナ神。

それを見届けたあと、ルミナ神もキツネツキに向かって口を開く。

 

「さて、せっかくですから(わたくし)がフェルドナに異界の中を案内して差し上げようと思うのですけど、いいかしら?」

「構わないよ。ゆっくりしていくといい」

「では遠慮なく。フェルドナ、行きますわよ」

 

は、はいっ! と返事をしたフェルドナ神を連れて、ルミナ神は歩きだした。

 

 

 

ここで一度舞台は暗転する。

 

 

 

再び舞台が光に照らされたとき、ルミナ神の姿は今までと違いかなり小柄になっていた。

 

「キツネツキと争う必要がないのであれば真なる月の姿(トゥルース・フィギュア)でいる必要はありませんわね。夜を照らす三日月の姿(クレセント・アバター・フィギュア)で十分ですわ」

 

演劇的にはルミナ神役の役者さんが暗転している間に別の役者さんと入れ替わった形である。

それよりもなんか今、日本語で書いて英語で読ませるような翻訳がされた気がするんだが。

 

ルミナ神は月齢によって姿が変わるが、自分の意思で変化できるという事は神話的にはルミナ神の姿が変わる事で月齢が変化するという事なのだろう。

で、神の国の姿と思われる真なる月の姿(トゥルース・フィギュア)は天体としての月そのものを表しているのではないだろうか。

 

フェルドナ神を連れてルミナ神がやってきたのは冬の大地。

雪が大地に残るその場所には、煙突から湯気が立ち上る小屋が立っている。

ルミナ神が躊躇なくその小屋に入ると、そこでは南の地方でしか採れない果実などが育てられていた。

ルミナ神曰くここには温泉があり、その熱を利用して部屋の中の温度を常に高くすることでいつでも貴重な果実を育てられるのだとか。

 

そして何故かそこに紛れてサツマイモの芽出しをしている経立(ふったち)

 

次にやってきたのは春の大地。

多分桜なんじゃないかなと思われる木々が花を咲かせ、花吹雪が舞っている。

ルミナ神曰くここで花を愛でながら食事をすると何倍もおいしく感じられるのだとか。

 

そして何故か隣の畑でサツマイモを植えている経立(ふったち)

 

更に場面が進むと今度は夏の大地。

照りつける太陽と澄んだ湖が出迎える。

ルミナ神曰くここで冬の大地で作った氷を削って蜜をかけて食べるのが堪らないのだとか。

 

そしてここでも何故かサツマイモ畑で「つる返し」をしている経立(ふったち)

 

最後に訪れたのは秋の大地。

経立(ふったち)がサツマイモを収穫して焼き芋を作っていた。

ルミナ神が「ひとつくださいな」と言うと、経立(ふったち)は大きな焼き芋を分けてくれる。

ルミナ神とフェルドナ神は二柱で一緒に焼き芋を頬張るのだった。

 

場面は変わって再びキツネツキの家。

二柱は食事に招かれ、異界の料理を堪能する。

キツネツキの妻が次々と運んでくる料理に舌鼓をうつのだった。

 

ミコト役の獣人の役者さんは着ぐるみから戻っていた。

ここの場面の料理は作りものだが、元になった料理を知っていればそれが何か答えられる程度の再現度はあった。

ちなみにオムライスもあったぞ。

 

そして再度場面転換。

持て成してくれた礼を言い、帰路につこうとする二柱とキツネツキの会話シーン。

 

「次は遊びにでも来るといい。妻とともに歓迎しよう」

そう言うキツネツキに対し、いずれ必ずと答えるフェルドナ神。

 

一通りのやり取りを終えて、最後にルミナ神が言葉をかける。

「ではまた、近いうちに参りますわ。それまで御機嫌よう、(わたくし)の友神。異界神キツネツキ」

 

おい、ちょっと待て。

ルミナ神とため口の時点で嫌な予感はしていたが、いつの間にか神にされてる!?

 

(よかったのう。これでお主も現人神(あらひとがみ)じゃぞ)

 

コン!? いや、良くないだろ。

そもそもマヨイガには宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀っている稲荷神社があるのだ。

それを差し置いて異界神なんて。

 

(大して気にする事でもないぞ。そもそもここは儂らから見て異世界。信仰を得たとしてもマヨイガ内での影響はほとんどない。精々ここ限定で使える肩書が増える程度じゃよ)

 

あ、うん。考えてみればそれもそうか。

ちょっとびっくりして取り乱したが、そもそもマヨイガの外に出ることがほとんどないのだ。

それに、わざわざキツネツキを信仰する者もいないだろう。

 

元の世界に戻って来たフェルドナ神。

早速我が子(村の人間)達にサツマイモを送ろうとしてふと考える。

ルミナ様は何故私を連れて異界をまわったのだろうと。

 

単なる思い付きだろうか。

いや、(しるべ)の神に導かれたのだ。必ず何か意味がある。

 

思い返せばどこの大地でも経立(ふったち)が何かをしていた。

そして最後に味わったサツマイモ。

これはもしやサツマイモの育て方と料理法なのではないかと。

 

そう考えたフェルドナ神は、経立(ふったち)がやっていた事を思い出しながらサツマイモを育てようとする。

するとそれはみるみる増えていき、最初は我が子(村の人間)達が飢えを凌げる程度でしかなかったサツマイモが何十倍もの量になったのだった。

 

それに喜んだフェルドナ神は、我が子(村の人間)達と飢えに苦しむかもしれない子供(守護下の人間)達のいる神々にサツマイモを配り、育て方とおいしい食べ方を伝えていった。

このおかげで多くの人たちが飢えから救われたのである。

そしてこの奇跡の作物は白蛇の女神(フェルドナ神)の知恵と勇気と慈愛を忘れないために蛇芋と呼ばれるようになったのだという。

 

ちなみに蛇芋は通称で正式名称は一応サツマ(いも)らしい。

薩摩芋(サツマイモ)薩摩(サツマ)の部分が固有名詞から取られているので、翻訳されずに音で伝わった結果、異世界人にとってはちょっと発音しづらい名前の芋になってしまったそうだ。

 

 

 

劇も終わり、劇場となっていた建物を後にする。

 

2メートル程の眷属蟹の背に揺られながら、俺は劇の内容を反芻(はんすう)していた。

これが現在、フェルドナ神が成した事になっている偉業の内容である。

 

別に一つ一つの内容はそれほど実際と異なっている訳ではないんだよね。

ただし時系列が滅茶苦茶になっていて、それを無理やり繋げるために試練という形でこじつけられているだけで。

 

やっぱり間違いなくルミナ神が関わっている。

そしてこれは勘だが、多分フェルドナ神は関わっていない。

 

この話が広められた理由はサツマイモの出所に対する説明の為だ。

その為、劇中でフェルドナ神が贔屓されているのはある意味当然だが、キツネツキもかなり持ち上げられていた気がする。

 

単純に試練を乗り越えてサツマイモを手に入れたという話にしたいだけなら、何らかの勝負で勝つとかにした方がフェルドナ神の凄さを強調しやすい。

それをしなかったという事は、キツネツキもまた凄い存在であった方が都合が良かったからか。

 

ではルミナ神にとってキツネツキは何なのか。

ルミナ神のキツネツキと別れる際の言葉。

それが意味するところは……

 

(タケルよ、その辺は帰ったら詳しく教える故、此度はこの旅行を楽しむがよい。別にこちらに都合の悪いことではないからのう)

 

コン……そうだな。そうだよな。

つい癖で考えすぎてしまったが、新婚旅行に来てまで考える事じゃないな。

 

今日はもう宿代わりの神域に戻ってから教会の頂上近くの部屋でまったりすごす予定だ。

もともと、何らかのトラブルでスケジュールがズレたり観光地に行けなかったりした時の為に開けておいた時間だからな。

特にトラブルもなく見たいものは見終わったので、人に化けたルミナ神の眷属蟹に傅かれながらミコトと一緒にサクトリアを一望する部屋で残り時間を楽しむことになるだろう。

 

 

 

そしてその予想通り五日目の午後を過ごした俺たちは、翌日に来た時と同じく巨大な眷属蟹に乗ってマヨイガに帰ったのだった。

 

ルミナ神、素晴らしい新婚旅行をありがとうございました。




『渡る世間に鬼はなし』
世の中には薄情な人だけではなく、困ったときに助けてくれる親切な人もいるという意味。



追記:SK23号様、誤字報告ありがとうございます。

追記2:ルミナ神の三日月の姿の名称を微変更しました。


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File.No.15-4 出番のなかった太陽神の記憶

2024/1/30追記:
ルミナ神の描写を少し修正。


「ふふふ、うふふふ、ぬふふふ、ぐふふふ」

 

とある日、ルミナが変な声で笑っていた。

 

「一体どうしたんだい、ルミナ。何か嬉しい事でもあったのかい」

 

いや、本当に。

 

「あら、プロミネディス。これを見てくださいな。神性変化(フィギュア・チェンジ)

 

そういうとルミナの姿が変わる。

小柄だった体は僕に迫る程に大きく。

控えめだった胸は一見して大きいと分かるほどに。

元々美しかった髪は夜空を映したような艶やかさを持ち。

引き締まった筋肉には、ほど良い程度に肉が付き。

神としての威厳に溢れた目元はより鋭く。

それが絶妙なバランスで整っている。

 

いくらルミナが月の神(姿を変える神)だと言っても、無条件に姿を変えることはできない。

月の模様が変わらないようにルミナにも信仰される姿が存在し、その見え方を変える事で姿を変えているのだ。

 

だけど、この姿を僕は知らない。

魔法による変身でもない。

これは間違いなく信仰によって形づくられた姿だ。

 

真なる月の姿(トゥルース・フィギュア)。スーパーロイヤルわがままボディな(わたくし)ですわ」

 

「あ、うん。すごく美しいと思うよ。でも、どうやって」

 

考えられるのは例の異界(マヨイガ)

確かにルミナは理想の姿になるために何度かマヨイガに行っていた。

だけど、その為には最低でも30年ほどかかると言っていなかったかい?

 

「あの異界(マヨイガ)の人間。タケルさんのおかげですわ」

 

やっぱり、マヨイガの彼が関わっていたか。

だけど、いくら彼でもルミナの変質が早すぎる。

フェルドナのような一つの村からの信仰しかもっていなかった神ならともかく、ルミナはミルラト神話圏全体に信仰を持つ神なのだ。

 

「彼からは沢山異世界の話を聞きましたの。その中に興味深いものがあったので試してみたのですわ」

 

曰く、彼の世界では溢れんばかりの物語が存在するそうだが、主に特撮と呼ばれるジャンルでよく使用される設定の一つなのだとか。

 

キャラクターの活動の幅を広げる為に状況に合わせて能力を変化させ、それに合わせて見た目を変えることで物語を見る者にどのような状態なのか視覚的に分かりやすく示す。

その中には全ての能力が上昇する強化形態なるものも存在するのだとか。

 

そして重要なのはこれらが可逆である事。

 

つまりは今まで信仰されてきた姿とルミナが理想とした新しい姿の二つは矛盾しないのだ。

この形態変化をルミナは神性変化(フィギュア・チェンジ)と、通常の姿を夜を照らす月の姿(アバター・フィギュア)、理想の姿を真なる月の姿(トゥルース・フィギュア)と定義した。

 

それをフェルドナを称える物語の内容に混ぜ込み、神託を下して劇を作らせた。

 

真なる月の姿(トゥルース・フィギュア)は神としての本来の姿。

その力は通常の姿を遥かに上回る。

より完全に近い力を持つがゆえにその姿も理想(完全)に限りなく近い。

しかし、完全に近い力を持つがゆえにこの世に降り立つには消費も大きく、そのため今まで知られていた姿は消費を抑えた夜を照らす月の姿(アバター・フィギュア)であった。

 

そんな設定を紛れ込ませた。

 

そしてそれは驚くほど月の子供(ルミナを信仰する人間)達に浸透した。

神託によって作られた劇であることが伝わったのも大きいだろう。

フェルドナが実際にサツマイモを持ち帰り、それが飢餓に怯える人々に届けられたという噂が旅人を通して広まっている事も劇の信憑性を高めていた。

だけど一番の理由は上演された場所が月の子供(ルミナを信仰する人間)の多く集まるサクトリアだった事だろう。

 

数多の神々を祀る大地にあって自身の信仰する神が他の神より優れていれば、口には出さずとも嬉しく思う人間は多いはずだ。

そしてその根拠が他ならぬ神託によって示された。

 

元々ルミナは姿を変える神であった事も幸いした。

月の神(ルミナ)は今まで想像されていたよりも遥かに強い力を持っている。

今までその力を使わなかったのは強大すぎるが故に地上で使うには弊害も多かったから。

これらが今までの信仰と矛盾しなかったことで、月の子供(ルミナを信仰する人間)の間で信じられるようになったのだ。

 

それに過去に例のない目新しさもこれほどまでに話が広まった理由の一つだろう。

聖地サクトリアという月神信仰の中心地で広まったそれは、ルミナに新しい能力を与えることになった。

信仰が形を成し、ルミナが神性変化(フィギュア・チェンジ)を使えるようになったのだ。

 

いやはや、まさかそんな手があったなんて。

 

「やはり異世界の知識は宝の山ですわ。今度はどれを試してみようかしら」

 

ルミナは異界(マヨイガ)の人間を友と呼び、実際にほとんど対等にみている。

異界(マヨイガ)に行く前と帰って来た後のルミナは本当に楽しそうだった。

 

しかしそれはそれ、これはこれ。

神として利益(りえき)になるなら異界(マヨイガ)の害にならない範囲で利用する。

その見返りとしてこちらの世界での便宜を図る。

この世界の神(ルミナ)異世界の神の名代(天狐君)との間での取引。

 

個神としてもミルラト神話圏の神(ミルラト神族)としてもいい付き合いしてるね、ほんと。

 

「ところでちょっと聞きたいんだけど、何でタケル君を異界神(キツネツキ)としたんだい?」

 

彼は人間であって神ではない。

神である必要があったとしても、異界(マヨイガ)で祀られていた神は宇迦之御魂だった筈だ。

 

「それは100年後を見越しての事ですわ。タケルさん達は100年もしないうちに異世界に帰るでしょ。ですが、すでにこの劇によって異界の存在は異界神の名とともに広まり始めている。そうなるとタケルさん達が帰った後、どうなると思います?」

 

それが十分に広まっているのなら、信仰によって新たな異界神が誕生する。

そして新たな異界神は劇中の通りルミナの友として顕現することになるだろう。

 

……なるほど。

そうなると貴高神級のルミナの味方が一柱増える訳だ。

それも神々のパワーバランスの外にいる存在が。

 

ルミナ(とフェルドナ)のみが異界神(キツネツキ)という切り札を得たと考えればその影響力は想像に難くない。

 

「彼らが帰る時に(わたくし)の分霊というものを月読命(異世界の月神)の化身として送り込めれば、その後も縁を通じて異世界の知識を得られるので理想的ですが難しいでしょうね」

 

分霊というのは神の神霊を分割して他の神殿に移すことで元の神霊と同等の力を持つ神を増やす異世界の神の能力の一つだったか。

分霊しても元の神霊に影響はなく、信仰さえあれば無限に増やせるのだとか。

改めて考えても脅威の能力だ。

 

「更に言えば、これは他の神話圏(ミルラト神族以外)の神と接触した時の受け皿になると思いますの。今までは拒絶するか堕天させるかの二択しか無かったでしょう」

 

「そうだね。それによって血が流れた事も少なくない」

 

なるほど、異界神(キツネツキ)の名が広まれば他の神話圏(ミルラト神族以外)の神を異界神(キツネツキ)に連なる神として外に置いたまま共存が可能になるかもしれない。

上手くいけば先日ルミナが言っていた習合とやらで取り込むことも出来るようになる可能性もある。

最悪、それらに失敗したとしても異界神(キツネツキ)が調停神となれる場合もあるのだ。

そう考えればミルラト神話圏の神(ミルラト神族)にとっても悪いことではない。

 

「それとキツネツキとしたのはフェルドナと彼らの約束で宇迦之御魂やマヨイガの名前が出せなかったからですわ。それに、(わたくし)の友神なのですから会った事もない神よりもタケルさんを元にした方が好ましいですから」

 

「そういう事か。それにしてもずいぶんとタケル君を買っているようだね」

 

今までにもルミナに気に入られた人間はいたが、友とまで言われたのはタケル君が初めてだ。

 

「一緒にいて楽しいというのはありますわ。作る料理もおいしいものばかりですし。それに、(わたくし)に敬意を持ちつつも遠慮せずに付き合ってくださるから心地がいいというのもありますわね」

 

これは何とも。

 

『神の天敵』ともなりうる彼だけど、逆にそれが心地よく感じるほどに神の心にふれる在り方をしているとも言えるのだ。

それこそ、分霊を傍に置いても良いと思わせるほどに。

 

「それと洞察力も凄いですわ。なにせ(わたくし)があの劇に込めた思惑を本命以外の全てで過不足なく読み解けたほどですから。まぁ、実際にはこっそりコンさんに頼んで思考を中断させてもらったのでそこまでたどり着いてはいませんが」

 

「導く神としての権能で、そのまま思考していれば読み解いていたと知った訳か」

 

「ええ。コンさんには全ての思惑を伝えていましたから二度手間でしたし。なにより余計なことを考えずに新婚旅行を楽しんで欲しかったのですもの」

 

そして読み解けなかった本命の目的が理想の体型になれるようにする事だったと。

彼もまさか他の事よりも体型を変えることが本命だとは思わなかったんだろうなぁ。

 

「次に異界(マヨイガ)に行く日が楽しみですわ。もう幼い容姿の日にしか行けない理由は無くなりましたし、早く月の女神としての役目(今のお仕事)を済ませてしまいませんと。それでタケルさん達にも真なる月の姿(トゥルース・フィギュア)を見てもらって……」

 

よほど嬉しかったんだね。

 

それからしばらく楽しそうにマヨイガについて語り続けたルミナ。

理想の姿(トゥルース・フィギュア)のまま延々とマヨイガに想い焦がれているその顔は、屈託のない満月のような笑顔だった。

 




ルミナ神のマヨイガの面々に対する評価はこんな感じ。

タケル……お気に入りの人間。友人としても神としても好意的に見ているが、踏み込み過ぎると危険。おそらくこのくらいの距離感がお互いにとってベスト。
ミコト……良い子。ちょっと贔屓してあげたくなる程度には可愛く思っている(ただし小動物的な意味で)。
コン……油断ならない実力者。お互いに適度に利用し合うくらいの関係が丁度いい立ち位置。
こんごうさん達……優秀で働き者なコンの眷属。
耶識路姫……知ってはいるが接点が無い。そんなに怖がらなくてもと思っている。


この後、ルミナ神は真なる月の姿(トゥルース・フィギュア)でマヨイガに行きましたが、美的感覚の違いでいまいち思っていた反応が得られなかったので、次から夜を照らす月の姿(アバター・フィギュア)で来るようになったとか。

ちなみに漢字で書いてカタカナ語読みするセリフはミルラト神話圏の古い言語をルミナ神が格好つけで使ったものを翻訳した結果になります。


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File.No.16  『女房に惚れてお家繁盛』

説明回……というか補足回。

一つ矛盾に気が付いたので、「File No.06『いつも月夜に米の飯』」の稲荷寿司の実食風景を一部修正いたしました。
改めて目を通していただければ幸いですが、面倒と言う方の為に今回もあとがきにて一行で説明いたします。


新婚旅行を終えてしばらくたったある日の事。

 

今日は家事も済んだのでミコトを膝の上にのせてまったりタイムを満喫中だ。

 

基本的に家事は俺とミコトで分担してやっているが、役割が決まっている訳では無くその日その日で役割が変わる。

庭掃除に関しては箒の付喪神(箒神)がやってくれるのだが、家の中の掃除は俺たちの役目だし、炊事洗濯はもとより俺たちが生活する上で必要となる仕事はいくらでもあるのだ。

 

特に手間のかかるのが炊事、すなわち料理だな。

俺一人(+コン)だった頃は適当にその日の気分で用意していたが、今はミコトもいるし将来的に家族が増えることも考えるとそのままという訳にはいかない。

 

一応、妖怪であるミコトは栄養を気にする必要がないので文字通り食べられればいいらしいのだが、どうせなら美味しいものを食べて欲しいと思う。

それに最近ミコトの料理の腕がぐんぐん上達しているので俺も負けてられないという意地もあるのだ。

 

マヨイガ妖怪の協力も得られるので一般家庭よりは遥かに手間がかからない筈なのだが、メニューを考え、食材を用意し、料理を作り、後片付けまでやるのはけっこう大変だ。

しかもこれが一回作るだけならどうとでもなるのだが実際には毎回毎日続くわけで。

栄養バランスは無論、同じような料理で飽きさせる事が無いようにも考えないといけない。

 

マヨイガならともかく普通は食事にかけられる予算にも限界があるのだ。

出来るだけ安くと考えると使える食材にも制限が出てくる。

その制限の中で毎日おいしく、栄養も取れて、飽きの来ない料理を作るのは並大抵の苦労ではない。

 

世の中の日々家事をこなしている方々には尊敬の念が堪えないな。

 

ちなみにコンは基本的に家事をしない……というか俺の出来ることに手を出さない。

俺が家事より優先するべき事をする場合や何らかのご褒美で代わりにやってくれることはあるので出来ない訳では無いのだが。

 

話が飛んでしまったな。

 

今のミコトは狐耳と九つの尻尾が出ている獣人形態(じゅうじんモード)だ。

 

俺の膝の上に乗っているのだから当然尻尾は俺に当たる訳で、ふっくらとした尻尾の肌触りが気持ちよくてついつい堪能してしまう。

ミコトもどうやら分かっていてわざと当ててきているようだし。

ならば存分に味わわせてもらおう。

 

この形態のミコトは妖怪としての力が解放された状態である。

以前、ミコトはリラックスする時に狐耳と尻尾を出すと言ったが、これは獣人形態(じゅうじんモード)が最も自然体でいられる姿だかららしい。

 

逆に人間形態(にんげんモード)ではどうしてもある程度緊張した状態が抜けないそうだ。

代わりになのか、だからなのか、人間形態(にんげんモード)では獣人形態(じゅうじんモード)に比べて集中力が高くなり、器用さが上がる。

 

妖術の精度も人間形態(にんげんモード)で使った方が高く、精密な動作が出来るのだ。

反面、威力や効果量に関しては獣人形態(じゅうじんモード)で使った方が高くなる。

最大でおおよそ二割くらいの差が出るかな。

どちらも一長一短あるので状況によって使い分けるのが理想だろう。

 

現世(うつしよ)に戻ったら人付き合いも多くなるし人間形態(にんげんモード)でいる時間が長くなるだろうが、コン曰く今修行している妖術を習得できれば獣人形態(じゅうじんモード)の状態で狐耳と尻尾を隠せるようになるらしいので上手く息抜きをしてほしい。

 

ちなみにミコトは髪型のせいで人間の耳が見えにくいのだが、獣人形態(じゅうじんモード)だと狐耳と人間の耳の両方が存在する所謂四つ耳である。

 

ミコトにはもう一つ経立形態(ふったちモード)という姿になることが出来る。

経立とは齢を重ねた獣が人間のような振る舞いをするようになった妖怪で、イメージしにくい人は鳥獣人物戯画辺りを見るといいだろう。

もしくは江戸時代末期の浮世絵師・歌川(うたがわ)国芳(くによし)の浮世絵にもそういった動物たちが多数出てくる。

 

この姿の時は元々服を着ていない(というか着る理由がない)のだが、七変化の術を覚えたことで毛皮を変化させて御粧(おめか)しするようになった。

 

人間形態(にんげんモード)獣人形態(じゅうじんモード)に比べると妖怪としての特性が強くでやすいという特徴がある。

より正確に言うなれば、自分の在り方に対して素直に行動するようになると言うべきか。

 

まず愛情欲求が倍増する。

その状態で俺との繋がりを求めてくるのだ。

具体的には何かにつけて甘えてくる事が多くなる。

 

もちろん理性による自制が効かないわけでは無いので時と場合は弁えてくれるが、隙あらば迫ってくるようになるのだ。

 

ミコトの姿は妖術での一時的な変化を除くとこの人間形態(にんげんモード)獣人形態(じゅうじんモード)経立形態(ふったちモード)の三種である。

意外なことに完全な四足歩行の狐そのものの姿にはなれないのだ。

一応、経立形態(ふったちモード)で四つん這いになってもらえばそれっぽくは見えるが、人間がハイハイで歩こうとするくらいには動きづらいとのこと。

 

 

 

ミコトは元【屏風覗き】で現【俺の番】という妖怪だ。

俺と結婚したことで屏風との縁は切れており、今はその性質がミコトの能力として残っているのみとなっている。

 

なのでもし屏風に何かあってもミコトに影響が出ることはない。

これは結婚式後にミコトにも伝えているので、以前懸念した思い込みで自己消滅なんてことにはならない筈だ。

 

一応、妖怪名としては【廻比目(めぐりひもく)】というものをつけている。

廻は繰り返すことであり、比目は仲むつまじい夫婦のたとえ。

比目の魚と言う目が一つしかない空想上の魚は二匹並ばなければ泳げず、いつも一緒に泳ぐ事からそう例えられた。

似たようなのに比翼の鳥というのもいる。

こちらは比翼連理という言葉が有名だろう。

 

まぁ、この名で呼ぶことはほとんど無いのだが。

 

ちなみに以前コンが口にした【嫁妖怪】という呼称だが、嫁という言葉は家長から見て息子に(とつ)いできた女性を指す。

俺は一人暮らしをしている身ではあるが、陽宮家の家長は親父なので親父の息子(つまり俺)の妻という意味だ。

 

他にも嫁いで来たばかりの女性すなわち新妻の事を指す場合もあり、そういった意味での【嫁妖怪】でもある。

しかし、現代でそんな厳密な意味で嫁という言葉を使っている人も稀だと思うので、語源の解説みたいなものだと思ってくれればありがたい。

 

ついでに勘違いしてはいけない要素として、ミコトは俺の【妻】ではなく【(つがい)】の妖怪である事があげられる。

 

ミコトにとっての(つがい)の定義はまさしく野生生物のそれであり、妖怪としての特性は「俺と最も相性が良くなる」というもの。

相性が良いという事は必ずしも俺の好みに合うと言う訳ではなく、出会えば必然的に()かれ合う在り方をしているという事らしい。

 

俺が再会後にひと月で結婚を決める事ができたのも──ミコトの命を救うためという事ももちろんあるが──ミコトに魅かれていたからだ。

ミコトに何事もなかったとしても結婚がもうひと月伸びていただけだっただろう。

 

なので俺の好みに近づいたり嫁力が高かったりするのは妖怪としての特性ではなく、ミコトの努力の結果である。

 

そして、【俺の番】という妖怪であるという事は俺が性別の概念を持つ生物に生まれれば必ず出会うという事だ。

 

【俺の番】という俺の存在が前提の妖怪になった事で、俺が寿命を迎えればミコトも遠からず消滅するようになった。

しかし、俺が新たに生まれ変われば、必ずミコトは俺の前に現れる。

もちろん陽宮ミコトとしてではなく、生まれ変わった俺と魅かれ合う相手として。

 

要するにミコトも普通に生まれ変わってくるのだ。

それが妖怪か、俺と同種か、それとも亜種かは分からないが。

 

実は自覚はないけど前世が妖怪って人はそれなりにいるのだ。

完全に人に生まれ変わっているので妖怪としての力は持っていないのが普通だが、ミコトは生まれ変わり前提の妖怪らしく、妖怪以外に生まれ変わっても特性は引き継ぐらしい。

もっとも、普通の生まれ変わりと同様に記憶は持ち越せないし、自分がそんな特性を持っていると自覚することもないそうだが。

 

ついでに言うと、当然ではあるが生まれ変わった俺の性別に合わせてミコトの性別も変わる。

ここまでで何が言いたいかと言うと、俺は生まれ変わっても毎回恋人が出来ることが確定しているのだ!

やったぜ!

 

まぁ、人間以外に生まれ変わった時、特に(つがい)の概念がない生物だった場合はどういう関係になるか分からないが。

 

これらの特性はコンが調べてくれた。

こういう解析とか分析の類はコンの得意分野である。あと呪の類。

 

この話はミコトにも伝えてある。

一応、今ならまだミコトの特性を変更する(捻じ曲げる)事が可能だからだ。

ただ、ミコトは「生まれ変わってもずーとタケルと一緒なのだ」と喜んでいたのでこのままで問題無いだろう。

 

あとはミコトの生まれ変わりが俺の生まれ変わりに愛想を尽かしてしまった場合もこの特性は消滅する。

自身の存在理由の否定による自己消滅というのが起きるらしい。

もっとも、ミコトの生まれ変わりは特性を受け継いでいるだけなので、受け継いだ特性がなくなるだけで済むが。

ミコト本人の場合は下手すると消滅しかねないが、そんな事態になる前にコンに矯正されるのは間違いないので心配してはいない。

そもそも愛想を尽かされるような事をするつもりは無いが。

 

そんなミコトはこの間の新婚旅行で妖怪としての格を上げている。

ただし『霊威』は変わらず880くらい。

上がったのは『霊気』と『霊躯』である。

 

霊気はその妖怪の持つエネルギーの大きさ。

霊躯は存在強度、すなわち各種耐性みたいなものだと思ってもらえればいい。

例の温泉で霊気は二割増し、霊躯は倍近く上がるに至った。

 

ではミコトにもう一度あの温泉に入ってもらったら更にパワーアップするのかと問われれば、答えは否である。

霊威を器に例えると霊気は中に満たされた水であり、今まで水が入っていなかった部分にも注がれるようになったという例えが近いか。

これ以上水を注いでも、器から溢れ出すだけである。

そういった意味では潜在能力が解放されたという表現が一番わかりやすいかもしれない。

 

霊躯の方は上がったというよりも元に戻ったという方が正しい。

ミコトは屏風覗きから俺の(つがい)になるために己を作り替え、結果として己の在り方を壊しかけた。

俺と(つが)って廻比目(めぐりひもく)となった事で一応の安定は見せたものの、体の中はまだ壊れたままだったのだ。

 

もちろんそれに対して俺たちが何もしない筈もなく、あの手この手で修復を試みたのだが結局は自然治癒を待つのが最善という結論に落ち着いた。

日常生活に支障はなかったのと、五年もすれば完全に治癒するというのがコンの見立てだったからだ。

 

それがあの温泉ですっかり完治したのである。

よほどあの温泉との相性が良かったのだろう。

 

なお、『霊力』の方は据え置きである。

そもそも一度にどれだけの力を扱えるかという、技術に関するステータスなので当然と言えば当然か。

 

もふもふな尻尾を心行くまで堪能し終え、そのままぎゅっとミコトを抱きしめる。

ああ、いい匂いがする。

 

ミコトは一瞬びっくりしたような反応をするも、力を抜いて体を預けてくる。

暖かな日差しに包まれて、ずっとこうして居たいと願うが、残念ながらもうすぐ夕飯の準備を始めなくてはいけない時間だ。

 

今日の夕飯当番は俺である。

さて、何を作ろうか。

 

昨日は海鮮丼と茶碗蒸しにお吸い物というメニューだった。

 

今日はリゾット辺りにするかな。

野菜とキノコ多めで。

 

肉類が無いのが本当に悔やまれるんだが、ルミナ神かフェルドナ神との取引で手に入らないだろうか。

 

 

 

そんな事を考えていると、腕の中のミコトが甘えるようにキューンと鳴いた。

 

「あなた、ずーと一緒なのだ」

 

その声に、やっぱりもうちょっとだけこのままでいようと思うのだった。




マヨイガで作った料理や食べ物は霊体と物体の境界が曖昧になるので霊体のコンでも食べられるようになるぞ。



結局何もしていない話なのである。

『女房に惚れてお家繁盛』

夫が女房に惚れ込んでいると、浮気や道楽に憂き身をやつす事無く一家は安泰であるということ。
また、女房が幸せである事が夫婦円満の秘訣だという意味。


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File.No.17-1 『知恵と力は重荷にならぬ』

良くも悪くも何もないいつもの昼下がり。

 

俺達は庭で妖術のトレーニング中だ。

霊力の五行変換もそれなりに上手くなったのではないかと思う。

 

霊力を掌に集め、その性質を変化させる。

 

「三は木となす」

 

あえて口に出して言霊をのせる。

もちろん何も言わずに発動できればベストだが、正直まだその域は遠いのだ。

時間をかけていいなら何とかなるのだけど。

 

「木は曲直となす」

 

変換するのは風。

風は五行において木に属し、陰陽においては陽に属する。

 

「曲直は風をなす」

 

そして仕上げに術名を唱え、術を完成させる。

 

術名は自分でしっくりくるのをつけるように言われたので、分かりやすさ重視でつけてみた。

しっくりくるなら既存の技名とかでもいいそうだが。

 

「妖術・旋風弾」

 

俺の霊気が風となり、霊波の要領で放たれる。

お、これは結構いけたんじゃないかな。

 

「五行相生・木生火、重ねて狐火なのだ!」

 

そこにミコトの声が響く。

すると俺の放った旋風弾が燃え上がり、業火球とでも呼べそうな火の玉を作り出した。

 

相生とは五行思想において何かを生み出す変化のサイクルである。

木が燃えて炎を生むように、俺の旋風弾にミコトの狐火を重ねることで威力を文字通り爆発的に増加させることができるのだ。

 

これは二人の息が合ってないとできない高等技術なのだが、俺とミコトの相性はばっちりだからな。

名付けて……いや、術名は今度二人で考えよう。

 

『ふむ。なかなか上達したではないか。陰陽反転・陰火、狐火』

 

そんな俺たちの合体妖術もコンがあっさり打ち消してしまう。

まぁ、基礎スペックから違うしね。

飛び火しても困るし。

 

ちなみにコンがやった陰陽反転は陰と陽のバランスを変える事で性質を反転させる技術だ。

火は本来陽に属するのだが、その陰陽比を逆転させる事で陰に属する火を生み出す。

 

陰の火は陽の火とは逆に周囲から熱を奪い、水をかけると燃え盛るという。

幽霊が出たとき急に肌寒くなる事があるが、これは幽霊の周りに浮いている火の玉が陰火でまわりの気温を下げているからなのだ。

 

それを俺たちの合体妖術と全く同じ威力に調整したうえでぶつけて打ち消したのである。

さらっとやっているが、全く同じ威力に揃えるのって結構な神業の部類だからな。

 

なお、コンまで術名を言っているのは単なるノリである。

 

うん、俺の妖術もなかなか上達してきたな。

既にいくつもの妖術を習得しているミコトには及ばないとはいえ、人間としてはかなり上達が早い部類だそうだ。

 

やっぱりコーチがいいからかな。

あと、妖術の勉強に使っている本の妖怪がすっごい詳しくて分かりやすいからだろうか。

あの本の妖怪、一体何者なんだか。

 

さて、もう一回と手に霊力を集中させようとしたとき、白狐姿のいだてんさんがやって来た。

どうしました?

 

「ふぇるどな神がお見えになられております」

 

お久しぶりにフェルドナ神の来訪である。

 

「わかった。それでは、座敷(客間)に案内してください。コン、すまないけど対応を頼む」

 

まぁ、すでに何度も来ている御客神である。

最近はちょっと忙しくなっているとかで暫く来ていなかったが、神様の御役目(お仕事)の勉強もまだ終わっていないそうだし、多分それ関係の────

 

「いえ、此度はきつねつき殿に用との事でして」

 

 

 

────え? 俺?

 

 

 

 

何故か神様相手に座敷の上座に座ることになった俺。

横には霊狐形態のコンが控えている。

 

そして俺の対面、下座側に座っているのがフェルドナ神だ。

位置間違えてない?

 

「本日は急な訪問にも関わらず快くご対応下さり、ありがとうございます。キツネツキ神」

 

そんな俺に対して(へりくだ)った挨拶をするフェルドナ神。

いや、フェルドナ神は(キツネツキ)がただの人間だという事は知ってますよね。

なにこのお稲荷様を前にしたような対応は。

 

(そうじゃのぅ。考えられるとすれば異界神キツネツキはルミナ神と同格というような話でも広まったのかも知れんの)

 

あー、あの劇だとそんな感じだったもんね。

 

「あの、フェルドナ神。今まで通りの話し方でいいんですよ。そんなに畏まってどうしたのですか」

 

「いえ、この度キツネツキ神が神格を得られたそうで、高位の格と実力を兼ね備え神柄(ひとがら)も良いとなれば私も相応の態度で接するべきかと」

 

え? 俺、神格を得たの?

 

(ミルラト神話圏でのみ効果のある限定的なやつじゃが得ておるよ)

 

マジか!

じゃぁ、高位の格と実力ってのは?

 

(格の方は先も言ったルミナ神と同格みたいな話じゃろ。あくまで例えじゃから実際どれほど格があるのかは分からぬが。実力の方は儂の主じゃからでは?)

 

ああ、そうか。

実情はどうあれ、俺は対外的にはコンの主なのだ。

実力のあるものを従えさせられるのもまた、本人の実力ということか。

 

しかしこう(へりくだ)られるのも何というか……

性に合わないし何とか元の話し方に戻してもらえないだろうか。

 

「フェルドナ神。(わたし)は存外の幸運も重なり、かの地で神格を得るに至りました。しかし、(わたし)はあくまで異界の者。ミルラト神族との格の上下を定めるべきではないかと」

 

俺の神格はあくまで異界神の筈だ。

ならばこれは、とりあえず筋は通っている。

 

「え、えっと、そうなのかしら」

 

『それで問題は無いかと。立場上、宇迦之御魂神とも異なりますし』

 

コンのフォローが入る。

 

今までの俺たちの考察が正しければ、俺の立ち位置って結構繊細なのだ。

陽宮タケルとしては宇迦之御魂神の禰宜でも、異界神キツネツキとしては宇迦之御魂神とは関係のない独立した神である必要がある。

 

「だったら、そうさせてもらおうかしら。えっと、キツネツキくんと呼んでも?」

 

「ええ、構いません」

 

流石に今までのように禰宜という呼称は使えないか。

キツネツキではなく宇迦之御魂神に会いに来たのであれば禰宜呼びでいいのだけど。

 

「でもキツネツキくんの方は相変わらず話し方が硬いのだけど」

 

「これは単に性分だからなので」

 

身内以外には大体こんな感じですよ。

 

「まぁ、この話はこれで終わりとして、何か私に用との事ですが」

 

「あ、そうだった。ちょっと私の手に余る事態になってしまって。それで何か知恵を借りられないかと思ったの」

 

知恵を……か。

 

という事は可能であればフェルドナ神はこの件を自力で解決したいと思っているが、解決方法が分からないって事かな。

 

この手の話であればルミナ神が適任だが、フェルドナ神の立場上あまり頼る訳にはいかないだろう。

その点、【試練を乗り越えてキツネツキの地へ来ることを許されている】フェルドナ神は(キツネツキ)の元を訪れるのに何の問題もない。

 

そこでキツネツキの助力を得たとて、それはフェルドナ神の力量(りきりょう)のうちとされる。

さっきの俺の実力の話と理屈は一緒だ。

 

神脈(人脈)や伝手も、それを使いこなせるのなら本人の力である事に変わりはない。

とはいえ面子の問題もあるのでそれに頼り切りは不味いのだが。

 

さて、いざとなればコンに振る事も出来るとはいえ、俺が答えられる内容ならいいのだがな。

 

「【ケガレ】ってわかるかしら?」

 

「ええ、わかりますが」

 

ケガレか。

 

漢字では【気枯れ】と書くのだが、これを説明するのにはまず[ハレ]と[ケ]について説明する必要がある。

 

[ハレ]とは、非日常の状態の事であり、生命力が高まる状況を指す。

この生命力は気や霊的なエネルギーすなわち霊力と読み替えてもいい。

 

対して[ケ]とは日常の状態の事であり、生命力が過不足なく満ちている状況である。

日常生活においては基本的にケの状態なのだが、生命力はたえず消費され続けていくものであり、食事や休息などである程度は回復できるものの、総合的には消費の方が多い。

 

そしてその減った生命力を補充している状態がハレなのだ。

 

儀式などの特別なことを行い、生命力を回復する。

何も格式ばった事をする必要はない。

いつも頑張っている自分へのご褒美にちょっと豪華な食事をするとかでもいいのだ。

 

ハレとは特別な日や行事の事と考えてもらえればいいだろう。

 

逆に生命力が減ったままにしておくと、その分外から邪気を取り込んでしまう。

 

邪気とは、まぁ、良くないものの総称と思ってもらえればいい。

罪業のような強力で明確なものならともかく、普通は色々と良くないものが混ざっていて単純にこれと言えないのだ。

 

その生命力が減っていて邪気を取り込みやすい状態をケが枯れている状態、すなわち[ケガレ]という。

 

ケガレとはその状態の事であり、意外にも悪いものそのものの事ではないのだ。

そう考えるとケガレるものとしてあげられる死や病に出産と月経などは何となく納得がいくのではないだろうか。

どれも生命力を消費してそうな事柄である。

 

ちなみに【穢れ】と書く場合もあるが、同音にして同字の言葉に不潔なものという意味の『穢れ』がある。

後者は精神的・内面的な要素が強く、忌まわしきものとして避けられる傾向があるのだ。

なので相手がどちらの意味で言っているのか、はたまた混同して言っているのかには注意しなければならない。

 

まぁ、それ以前にハレ・ケ・ケガレの時点で明確な定義がある訳じゃないんだけどな。

時代によって考え方もそれぞれだしね。

 

それはともかく、フェルドナ神の言っているケガレは気枯れの方だろう。

この辺は以心伝心の呪いの翻訳で何となくわかる。

 

「前にラクル村で病が流行ったのは知ってるわよね」

 

俺たちがやって来たときくらいの話ですね。

フェルドナ神と知り合ったのもその時だ。

 

そういえば最初に来られた時に俺は天狐の面(こんごうさん)を憑けていたが結婚式の時からつけなくなったな。

最近はルミナ神かフェルドナ神くらいしか来客が無いのでここしばらく天狐の面(こんごうさん)を憑けた記憶がない。

 

「そのせいでケガレが村中に広がってしまって」

 

ああ、なるほど。

 

「邪気溜まりでも出来ましたか。しかしそのくらいであればフェルドナ神の力なら浄化も容易だと思いますが」

 

出会ったばかりのころのフェルドナ神であれば厳しかったかもしれないが、今のフェルドナ神であればそれほど手間でもない筈だ。

あとは祭りでもしてハレにすればいい。

 

「ラクル村()問題なかったわ。もう浄化も済ませたし、我が子達もケガレから戻っているから」

 

それはそうか。

あれから相応の時間が経っているのだ。

対処出来るのだからとっくにやっているだろう。

 

となると、他の土地の話かな。

 

「これで終わりならよかったのだけど、他の村でもそんな状況になっていたから私も天手古舞(てんてこまい)で……」

 

ん?

 

何で他の村の話なのにフェルドナ神が忙しくなるんですか。

 

「えっと、もしや他の村の浄化までされていたので?」

 

「だって、私がこの辺で一番力も余裕もあるのよ。困ってる(ひと)にお願いされたら断れないじゃないの」

 

フェルドナ神、御神好(おひとよ)しが過ぎませんかね。

 

もちろん、この状況でフェルドナ神が他の神に力を貸すことは利がある。

単純に貸しや対価を得られるだろうし、その村への影響力も確保できる。

場合によってはこの状況を利用して近辺の神々の上に立つ事も可能だろう。

 

ただ、聞いてる限りそういう意図はなく、力あるものの役目みたいな意識でやってると思われるんだよな。

まぁ、他の神々がフェルドナ神にお願いしている時点で状況が相当やばい事になっていたのは想像がつくのだが。

 

ミルラト神族の在り方的に、主神でもないフェルドナ神に助力を願うのは(おのれ)がフェルドナ神より下と認めるようなものだ。

そもそも日本の神々と同じように、ミルラト神族は人間に味方するだけの存在ではない。

守護する地が滅びかねないようなレベルの出来事でもない限り、それは避けたいだろう。

 

当然の事ながら対価を支払ってフェルドナ神の助力を得たのであれば、対等な取引の結果なので表向きには問題は無い。

ただ、それをするメリットが先のような状態でもない限りは薄いのだ。

 

「フェルドナ神が慈悲深いのはすでに知れ渡っていますし、(わたし)が口を出すような事でもありませんが」

 

「もう、貴方までそんなことを」

 

あと、人が好きすぎるってのもあると思う。

ぶっちゃけ、今までのフェルドナ神の行動は神としてはすっごく過保護だからな。

 

「話を戻すわ。村の方は大方浄化が終わったんだけど、私が行った時にはかなりケガレが進行していて、森の方にもうつって(伝染して)いたのよ」

 

ふむ。

 

ケガレの厄介なところは伝染する事にある。

原理的なものは詳しくないので省くが、ケガレは放っておくと周囲に広がってしまうのだ。

これは石や金属などの無生物も例外ではない。

 

おおよそこの世全てのものには霊的なエネルギーが宿っている。

それが減少することでそこに邪気が溜まり、それが次のケガレを引き起こす。

これが連鎖することで邪気の溜まっている場所が爆発的に広がっていくのだ。

 

なのでケガレた際には邪気が入らないように努めたり、早めにハレによって生命力を補充する必要がある。

 

 

 

ん? 待てよ。

 

先ほども言ったが、俺たちがフェルドナ神と出会ったから結構な時間が経っている。

村の病はその当時の話しで、他の村もだいたい同じ時期に病が流行っている。

 

で、他の村の邪気を浄化したのがここ最近の事。

 

無論、森にも邪気に対する抵抗力やケガレを治す力が備わっているので村よりも邪気は溜まりにくい。

だがもし、そこに邪気の通り道になるようなものがあったとして、その先が邪気溜まりに適した場所であったなら。

そしてそこに村や森で集まった邪気が流れ込み続けていたとするならば。

 

「それで森の方に大きな邪気溜まりが出来てしまっていて、それを喰らって私の手に負えない化生(妖怪)が産まれそうなの」

 

 

 

マジですか!!

 




知恵(ちえ)(ちから)重荷(おもに)にならぬ』

知恵と力はいくらあっても困る事は無いので、沢山あった方がいいという意味。


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File No.17-2 『仇も情けも我が身より出る』

思ったより長くなってしまいましたが、上手く分割できなかったのでそのまま投稿。
お待たせしてしまって申し訳ない。


コンに頼んで千里眼モニターを出してもらい、邪気溜りを観察する。

 

うわぁ……これは凄い事になってるな。

見るからに物凄く濃い邪気の塊が蠢いているのがわかる。

これはもう邪気を越えて瘴気の(たぐい)だよ。

中心付近の木なんか完全に枯れ果ててるよ。

 

とはいえ、今日明日で妖怪化するような感じではないと思われるのが救いか。

 

ちなみに瘴気とは簡単に言うと生物(場合によっては無生物にも)に直接害をもたらす邪気の事。

科学的には火山性のガスとかが瘴気の正体と言われているし、感染症を引き起こす菌やウイルスの事を指す場合もある。

しかし今回は完全に霊的なものだ。

 

それで……コン、この瘴気が妖怪化した場合、どれほどの強さになる?

 

(そうじゃのう。推定霊威 1,600といったところかの)

 

意外と低い……と思ってはいけない。

1,600と言えば上級妖怪に分類されるほどの霊威だ。

並の陰陽師であれば即座に逃走を選択するレベルである。

 

神であっても土地神クラスなら普通に呑まれかねない。

今のフェルドナ神であれば神威は(まさ)っているが、実際に討伐を考えるなら命を賭ける必要があるだろう。

 

なお、俺は1,000以上の霊威を正確に読むことはできないのでフェルドナ神の神威はコンに聞いた。

 

「これ、ここの森を管轄する神はどうしたんですか」

 

栄枯盛衰、諸行無常の理の内とか言われたら手の出しようがない。

この状態になるまで放っていた以上、そう考えている可能性は高そうなんだが。

 

「それが、それぞれの村や特別な場所を守護してる神はいるのだけど、この辺り一帯を(つかさど)っている神は居ないの」

 

いないのかよ!

 

いや、よく考えれば予想できたことか。

そんな神がいればフェルドナ神も先にそちらへ行っているだろうし、既に断られていたのならそう言っている筈だ。

 

もうフェルドナ神がその座に就いてしまってもいいのではと思ってしまう。

神威的にも神格的にも資格は十分の筈だ。

流石に(そそのか)す訳にはいかないから口にはしないが。

 

しかし、こっち方面は新婚旅行の際にルミナ神の眷属蟹に乗って通っている。

あくまで方面なので現場までの距離はあるし周囲の木々が目隠しになっている事を考えれば俺が気づかなかったのは分かるが、ルミナ神は気づかなかったのだろうか。

 

いや、気づいていたとしても何も言わないか。

 

ルミナ神は導く神ではあるが、それはあくまで標としての在り方だ。

何かを成そうとする人が先にあって、それに答えて道を示す。

それが無いのであれば、それこそ栄枯盛衰、諸行無常を眺めているだけだ。

フェルドナ神のサツマイモの件は完全にルミナ神側の都合だったからだし。

 

多少、人寄りな所はあっても、ルミナ神は自然側の神なのだ。

逆に人側に全振りしているような神がフェルドナ神である。

 

 

 

話が逸れたので戻すが、このまま瘴気が妖怪化してしまっては大変な事になる。

ぶっちゃけマヨイガにはほぼ影響は無いので、これはフェルドナ神視点でという意味だが。

 

そもそもマヨイガ自体が霊威 1,600程度ものともしない大妖怪なうえに邪気や瘴気といった類のものに圧倒的な耐性がある。

コンもこのあたりを扱う技術に優れているため、何なら正面からねじ伏せる事も可能だ。

いざとなればプロミネディス神のお守り(太陽神の力を借りられる)というミルラト神話圏最高クラスの強力なアイテムもあるのだ。

 

とはいえ、流石に妖怪化してしまったら周辺の村々は無事では済まないだろうし、フェルドナ神的にも俺の心情的にも妖怪化する前に祓いたいところだ。

 

さて問題はどうやって祓うかだが、わざわざ相談に来ているあたりフェルドナ神側には祓う手立てが無いという事になる。

正確に言えば「代償が大きいから出来れば使いたくない手段」ならあるかもしれないが。

 

浄化と考えて最初に思い浮かぶのはやはり『塩』だろうか。

お相撲さんが土俵の邪気を祓う為に撒いたり、お葬式帰りにケガレを持ち込まないように振りかける清めの塩なんかが有名だろう。

 

ただ、よく勘違いされるのだが塩は邪気を吸収し土地や体から祓う事は出来る。

しかし邪気を生み出したり呼び込んだりするものそのものを浄化する力は無い。

邪気を纏った悪霊に塩をかけたとして、纏った邪気は祓えるが悪霊自体には何の効果も及ぼさないのだ。

 

原因まで含めて浄化する為には別の手段が必要になる。

例えばお相撲さんであれば、四股を踏むことで地中の悪いものを踏みつけ、土地を浄化している。

悪霊であれば専用のお札とか祀って鎮めるとかだろうか。

 

あ、そうそう。

塩の件で注意して欲しいのがもう一つ。

 

実は塩が吸収できる邪気の量には限界があるという事だ。

 

何らかの手段で吸収した邪気を浄化したのなら話は変わるが、周囲の邪気を吸収しきれず許容量の限界を超えた場合、せっかく吸収した邪気が吹き出してしまい、邪気溜りができるのだ。

 

普通であればそんな状況になるのは吸収しきれないほどの邪気溜りに振りかけたときくらいなので、吸収した邪気が吹き出したところで「効果が薄い」で済む。

しかし、盛り塩をしていた場合は気をつけなければいけない。

 

盛り塩には邪気を吸収する効果と、良い気・悪い気問わず引き寄せる効果がある。

引き寄せた悪い気を盛り塩が吸収し、良い気の恩恵だけを受けるというのが盛り塩の原理なのだ。

 

ところが、盛り塩を置きっぱなしにしているとだんだん悪い気を吸収しきれなくなり、最後には吸収した悪い気が吹き出して邪気溜りを作ってしまう。

そうなると悪い気が集まる速度が加速し、厄除けの為の盛り塩でかえって厄を呼び込んでしまうのだ。

 

塩が湿ってきたらそろそろ吸収の限界近くにきているという事なので、新しい盛り塩と交換しよう。

古い塩は火で燃やす・大地に埋める・水に流すなどの方法で吸収した邪気を浄化できるのだが、今は個人で勝手にゴミを燃やせないところも多いし川に流したり庭に埋めたりすると水質や土壌の汚染になるのでやらないように。

生ゴミなどに混ぜて燃えるゴミに出すか、水道水で排水口に流すのが無難かなぁ。

 

そんな訳で今回『塩』は使えない。

あれだけの邪気を吸収しきれるほどの塩の量となればトン単位で必要だし、用意したらしたで確実に土壌汚染になる。

 

マヨイガ妖怪には邪気や瘴気を食べたり浄化したりできるものもいるが、あれを全部浄化するには時間が足りない。

 

「手段を選ばないのであればコンに焼き払ってもらうという手もありますが、まぁ、心情的にあまりよろしくは無いですよね」

 

天狐という大妖怪の火力をもって邪気を焼き払い、陰火を使って森が燃えるのを防ぐという力技である。

一応、出来るというのはコンに確認を取った。

 

ただ、ルミナ神がいないのでマヨイガの外に出ると弱体化の危険もあり、回復出来るとはいえあまり消耗して欲しくないというのはある。

 

あとフェルドナ神の面子の問題。

コンが、つまりはキツネツキが出張るという事はフェルドナ神では解決出来なかったという事だ。

同じく解決が出来なかったであろう他の村々の守護神なら問題ないと思うが、直接関わりのない神々から侮られ、見下される恐れがある。

せっかく神格が上がったというのに本来自分の役目ではないところでけちをつけられたくないだろう。

 

「いえ、他に手が無かったらそれをお願いするわ。もちろん対価も出来る限り用意するから。私のプライドや評価なんかより我が子達の方が大事よ」

 

その我が子(守護下の人間)達の為にも評価を落とさないで欲しいんですけどね。

とはいえ、そんなフェルドナ神だからこそ手を貸したくなるのですが。

 

他の手段となると、火で焼くか水で流すか。

 

水は水源が無いのでまず無理だな。

あれだけの邪気を洗い流すとなれば相当の水量が必要になる。

 

火は別に普通の火でもいいので、近くの木にでも火をつけて燃え広がれば火力は事足りる。

まぁ、森で火事を起こすという事がどういう事かは少し想像すれば明白なので燃え広がらせない手段は確実にとらねばならないが。

 

「そういえばフェルドナ神は雨を呼べると言っておられたと思いますが、細かく場所を指定したり場所によって降る時間を変えたりは出来ますか?」

 

確かそんな神徳を持っていると神様のお仕事の勉強で来た時に言ってた気がする。

 

「ごめんなさい。雨を降らせる場所は大まかにしか決められないの。それに一部だけ雨を止ませる事もできないわ」

 

駄目か。

 

周りだけ雨を降らせて延焼を防ぎつつ邪気を焼くというのは無理と。

邪気を焼き終えるまでにどこまで延焼が広がるか分からないから、焼き終えたら一気に消火する作戦も不可。

コンの未来視による延焼予測も、あの規模の邪気相手にはちょっと心もとない。

火を使った方法は無理かな。

 

雨による浄化も考えたが、あの規模を相手にするとなれば土石流が起きかねないほどの大雨が必要になる。

 

後は大量の形代を作って邪気を吸収させ、個別に浄化していくとかか?

どうやってそんな大量の形代を用意すればいいのやら。

 

もしくは大量の邪気を取り込める大型の形代を作るとか。

いや、それはむしろ形を与えることで妖怪化の時間が早まりかねない。

 

 

 

……いや、待てよ。

 

形代……形を与える……大量の……燃やす……妖怪化……

 

 

 

これは行けるか?

 

「フェルドナ神。この件に関してラクル村の協力を得ることは可能と思っていいんですよね」

 

「ええ、無茶なことでなければやってくれる筈よ」

 

ミルラト神話圏は神が直接恩恵を与えてくれる事もある影響か、信仰心が深い人たちが多い。

だからこそ、神託が大きな影響力を持つのだ。

フェルドナ神が神託を下せば、このくらいなら喜んでやってくれるだろう。

 

コン、この方法ならいけると思う?

 

邪気の浄化に必要な手段を頭に思い描いていく。

心を読めるコン相手には言葉にするよりこっちの方が手っ取り早い。

 

(ふむ、悪くない手じゃ。じゃが、一つ懸念がある)

 

それは()()についてか?

 

(そうじゃ。まぁ、これについては儂らが手を貸しても良いとは思うがのぅ)

 

対応を間違えなければ完全に裏方で終わるからな。

何ならフェルドナ神にも気づかれないようにやる事も出来ると思う。

 

そもそも懸念があるだけで何も起きない可能性の方が高い。

念のため俺たちがラクル村で待機してれば大丈夫だろう。

 

後は、()()()()()()()()に関してかな。

 

()()()()()()()()()()()()()、どちらにせよフェルドナ神に帰属する訳じゃし、その扱いはフェルドナ神に任せるのが妥当じゃろう)

 

コンはどっちだと思う?

 

七分(ななぶ)で『物』かのう。もっとも、何も残らぬという可能性もあるが)

 

()』とは十分の一を表す単位だ。

なので七分というのは70%という意味になる。

 

ちなみに、何割何分という言い方をする場合は一割(十分の一)の十分の一という意味になるので、この場合の一分(いちぶ)は1%だ。

偶に()そのものを百分の一の意味だと間違えて覚えている人もいるが、そうなるのは(わり)と一緒に使った場合だけである。

 

「でしたら、一つ案がございます。お召し物を一枚使っていただく必要がございますが」

 

正確には白蛇神(フェルドナ神)の抜け殻が必要なのだ。

何なら以前貰った(マヨイガに飾ってある)ものを使ってもいいのだが。

 

「服の一枚や二枚で何とかなるなら構わないわ」

 

では、詳細を煮詰めていきましょうか。

 

 

 

 

 

 

 

五日後、俺はミコトを連れてラクル村に来ていた。

朝から多くの村人が集まっている。

 

コンは念のため俺に憑依中。

更に天狐の面(こんごうさん)を憑けて正体を隠し、以前ルミナ神に借りた『群衆の外套』と同様の効果を持つマヨイガ妖怪『稀人の深編笠(マレビトノフカアミガサ)』を被っている。

 

深編笠とは顔を隠すように深く作られた編み笠の事。

その力で群衆に溶け込んでいるが、それ抜きにすると見た目の違和感が凄い。

 

ミコトも同じように『稀人の深編笠(マレビトノフカアミガサ)』を被っているが、付けている面は白狐の面(なでしこさん)である。

 

なでしこさんはコンの式神である仮面の付喪神達の中で唯一の女性型付喪神だ。

得意分野は感知。

向けられた感情、特に悪意や害意を感じ取る事に優れている。

 

ちなみにコンの式神である仮面の付喪神達は性別がない。

ミコトの前身である屏風覗きのように明確に性別のある付喪神ももちろんいるのだが、元になった器物の雰囲気に合わせて男だったり女だったりするように見えるだけで実は性別のない付喪神って結構多いのだ。

 

なでしこさんも仮面のモデルが(メス)の狐だっただけであり、本仮面(ほんにん)に性別は無いのであくまで()()()の付喪神である。

 

それと、一つ嬉しいことがあった。

なんと、俺が異界神キツネツキという神格を得たことで、コンの存在維持と御稲荷様の加護を使った分の神気をキツネツキへの信仰から補給できるようになった事が判明したのだ。

 

流石に変換効率はよろしくないので元の量に戻すにはある程度時間がかかるが、今までのように神気の回復手段が無い状態から考えれば上等すぎる。

これでルミナ神の同伴がなくても外に行ける手段が出来たわけだ。

 

 

 

以上が俺が異界神キツネツキとなった事で得られた恩恵である。

 

 

 

……うん、他に何もないのよ。

何か権能や神通力が得られた訳でもないし、肉体的に強くなった訳でもない。

一応、それなりに神格は高いようなのだが、実権のない名誉職みたいなものだからなぁ。

 

フェルドナ神の対応も、落ち着いて考えてみればあれはやり過ぎである。

驚いて頭が回っていなかったが、主神相手ならともかく神格が高いだけの異界神相手の対応ではない。

多分、フェルドナ神もテンパってたんだろうな。

 

 

 

話が逸れてしまったが、ここに来た理由は森に出来た邪気溜りを浄化するための祭りを見届ける為だ。

 

邪気溜りを直接浄化しようとすると、どうしても大規模になってしまって周囲に影響が出てしまう。

なので村人達の協力を得て、祭りを行う事で遠隔浄化を試みようという訳だ。

 

準備として大型の木材を井桁(いげた)に組み、着火材となる小枝や藁などをセットしている。

キャンプファイヤー的なヤツを想像してもらえれば分かりやすいだろう。

 

この祭りは『ラクル村の生活圏全体の厄を祓う』ものである。

フェルドナ神に神託でそんな祭りをしてもらえるように告げてもらったのだが、流石に昨日の今日で行える筈もなく五日ほどかかってしまったがこれでも早い方だろう。

 

祭りが始まると、フェルドナ神の巫女である女性が木彫りのフェルドナ神像を組み木の中に入れる。

フェルドナ神の木像は人の姿ではなく白蛇の姿の方である。

 

巫女さん、前にマヨイガに来た人じゃん。

 

その後、村人たちが枯れ枝などの細長いもので体を撫で、それを次々に組み木の中に入れていく。

これは細長いものをフェルドナ神の抜け殻に見立て、それで撫でることで体の中に溜まった邪気や厄を持って行ってもらうのである。

 

要は一種の贖物(あがもの)であり、流し雛の炎版という訳だ。

 

流石に村人全員分となると結構あるな。

次々に増えていく贖物(あがもの)を眺めている事数十分。

人数にして300人くらいか?

 

最後の一人が木の枝を入れ終わると、巫女さんが笹のような葉の沢山ついた長めの枝を持ち、ゆっくり横8の字に振り回す。

こうやって土地の邪気を葉の中に封じ込めているらしい。

現世では見た覚えが無いので多分異世界側の儀式手順だろう。

 

その間、巫女さんはなにやら言っていたが、よく聞き取れなかった。

コンによると、「祓い給え、清め給え」みたいな事を言っていたようだが。

 

1分ちょっとほどで振るのを止めると、今度はそれを組み木に被せるように置く。

 

「我らが守り神、穢れなき純白なる聖蛇の神。フェルドナ様、その赫き舌にて災いを打ち払い給え」

 

ああ、炎を蛇神の舌に見立ててるのね。

アルビノである白蛇の体に、炎のように赫い舌はよく映えるだろう。

 

そして村長さんらしき人物から火がついた松明を受け取り、組み木に火を入れる。

着火剤に火が付き、燃え上がる炎が組み木を炙り、やがて炎が広がっていく。

中の贖物(あがもの)が燃え始め、組み木全体が燃え上がり始めた。

 

そろそろいいな。

 

(フェルドナ神、頃合いです。儀式を開始してください)

 

こんごうさん─のっぽさん経由でのっぽさんと供に待機していたフェルドナ神に精神感応を送る。

そんな携帯電話みたいな能力がコンの式神達にはあるのだ。

 

(わかったわ…………第一ステップ完了よ)

 

まぁ、儀式と言っても抜け殻を邪気溜りの中に投げ込むだけなんだけどね。

 

投げ込んだ抜け殻には呪術でこの祭りとの縁を深める(まじな)いが刻まれている。

祭りに使われる贖物(あがもの)をフェルドナ神の抜け殻と見立てることで、実際の抜け殻と同調させるのだ。

 

そして贖物(あがもの)が燃える事で、結果的に抜け殻の方も炎による浄化を受け続ける事になる。

それを邪気溜りに放り込む事で、邪気の吸収→浄化のサイクルが発生する。

 

"神様の一部" "中が空洞な器" "再生の象徴とされる事もある蛇" と多くの邪気を吸収し、なおかつそれに耐えられる耐久度を実現する霊的要素には事欠かない。

これによって大量の邪気を遠隔で浄化してしまおうという訳だ。

 

懸念としては炎による浄化が間に合わなかったり抜け殻の邪気を貯め込める量が少なかった場合に縁を通じて祭りの方に邪気が逆流してくる事だが、今のところそのような様子は見られない。

 

ちなみに呪術で縁の深さを調整しているのでマヨイガにある抜け殻にはほぼ影響はない。

 

 

 

このまま順調に推移していけば、組み木が燃え尽きる頃には大方の浄化も終わり、後はフェルドナ神が雨を降らせて残った邪気を浄化すれば完了だ。

多少細かい邪気溜りは残るだろうが、その程度なら日常的に発生しては消えていくものであり、森の浄化能力に任せてしまえばいい。

 

何事も無ければ後はミコトとのお祭りデートだ。

現世の夜店が並ぶようなお祭りではないが、これはこれでキャンプファイヤー的な楽しさがある。

太陽がさんさんと輝いている時間帯ではあるけどな。

 

それに、今回の相談の対価としてフェルドナ神から鹿肉が貰えることになっているのだ。

村一番の猟師から今年初の獲物として捧げられた供物なので、当然ながら念物(ここのぎ)であり、そのままでは俺は食べられない。

 

正確には食べられなくはないが、味が全くしないのだ。

これは俺の味覚が霊的な食べ物に対応していないかららしい。

 

なのでマヨイガの食材と一緒に調理することで霊体と物体の境界を曖昧する。

こうする事で俺の味覚でも念物(ここのぎ)の味を楽しめるようになる。

野菜を多めに入れて野菜ハンバーグにするかな。

 

今年初めての獲物って何時(いつ)ぐらいの頃のやつなんだろうかと思わないではないが、そもそも念物(ここのぎ)は腐らないので別に気にする必要はないのか。

 

今回、コンの弱体化無しで外に出られるようになった事が判明したので、肉が食べたければ自分で狩猟するという選択肢が増えた。

そういう意味ではフェルドナ神から肉を分けてもらう必要は無かったとも言えるが、正直念物(ここのぎ)の味には興味がある。

 

念物(ここのぎ)は捧げられた(おもい)によって品質が上がる。

フェルドナ神は村の人たちに慕われているようだし、その信仰心がたっぷり詰まった念物(ここのぎ)はさぞかし美味しいだろう。

 

 

 

そのまま何事もなく時間は経過し、組み木も燃え尽きたので後は巫女さんが祝詞を唱えて解散となる。

特に何事もなく祭りは終了したが、フェルドナ神の方はどうなったかな。

 

(キツネツキくん!)

 

お、噂をすれば。

 

(ちょっと訳の分からない事態になってて。邪気溜りから私が出てきて、私が私をお母さんって)

 

(落ち着いてください、フェルドナ神。すぐ行きますので)

 

これは三分(さんぶ)の方になったかな。

 

「ミコト、フェルドナ神の所へ行くぞ」

 

「わかったのだ!」

 

ミコトをお姫様抱っこで抱きかかえ、『神足通』を使ってラクル村から一気に森を飛び越えてフェルドナ神の元へ向かう。

念のため言っておくけど神足通を使っているのは憑依しているコンである。

 

 

 

はい、到着。

 

「あ、キツネツキくん!」

 

ミコトを下ろすと、フェルドナ神が駆け寄ってきた。

その腕に黒髪で白い服を纏った一回り小さいフェルドナ神(2Pカラーのそっくりさん)をぶら下げて。

 

「ああ、無事産まれたんですね。おめでとうございます」

 

まぁ、誰かは予想がついている。

フェルドナ神の抜け殻が念物(ここのぎ)になって、更に妖怪化した(付喪神になった)存在だ。

祭りによって村の信仰が一気に注がれたことで、その受け皿である抜け殻が意思を得たのだろう。

 

一応、可能性としては考えていたが、おそらく念物(ここのぎ)止まりだろうと思っていただけにちょっと驚いたが。

それだけラクル村の信仰心が高かったという事で。

敬愛されてますねぇ、フェルドナ神。

 

「え? どういう事? 一人で理解してないで教えてよ」

 

「あれ? 打ち合わせの時に説明したと思いますが。浄化に使ったフェルドナ神の抜け殻が力を得る場合があると」

 

「こういう方向に力を得るなんて思わないわよ!」

 

ああ、これは俺が影響してる可能性もあるのか。

フェルドナ神の様子を見るに、おそらくミルラト神話にはあまり無い事なのだろう。

しかし(キツネツキ)に知恵を借りた事で異界(日本神話)成分が少し混ざったのかもしれない。

 

黄泉の国へ行った伊弉諾尊(いざなぎのみこと)禊祓(みそぎはらい)をする際、脱いだ衣服から十二もの神々が産まれたのだ。

邪気をたっぷりと吸いケガレ、炎によって(はら)われたフェルドナ神の抜け殻(衣服)が妖怪化するのもさもありなん。

 

付喪神の名に神の字が入るように、神と妖怪は近しいものでもあるのだ。

 

「初めまして、異界の神様。私は今日、お母さまより産まれたのです。以後、お見知りおきを」

 

フェルドナ神の腕から手を放し、片手を胸に当てて挨拶をする。

妖怪化すると、ある程度の知識は初めから知っている状態になるのだとコンが言っていた。

これは妖怪が産まれる過程で、それを信仰する(妖怪を信じる)人々の集合意識から知識が刷り込まれるかららしい。

 

加えて彼女はフェルドナ神の抜け殻から生まれた為、フェルドナ神の記憶の一部を受け継いでいる可能性が高い。

そしてフェルドナ神の体の一部から生まれた故に、フェルドナ神を母と呼ぶのだろう。

 

「よろしく。(わたし)はキツネツキ。そう呼んでくれると嬉しいかな」

 

フェルドナ神が俺の事をキツネツキ神と呼んでいる以上、彼女にタケルと呼ばせる訳にもいかないからな。

 

「はいなのです! キツネツキ神」

 

あと、ミコトとコンの事も紹介しておく。

元気に挨拶をするミコトと、憑依を解いて威厳たっぷりに名乗るコン。

 

コンがわざわざ霊威を威圧的にならない程度に開放しているのは印象操作の類だろう。

俺は異界神キツネツキとして神格はそれなりにあるようだが、神威の方はからっきしなのでその方面をコンが担当してくれているのである。

 

「それで、フェルドナ神。彼女の名前は何というのですか?」

 

「な、名前!? ……そ、そうね。えっと……」

 

神様もですが、妖怪にとって名前は重要なものですからね。

しっかり考えてください。

そして名前を考える事に夢中で気づいてないようですが、名前を付けた時点で貴方は彼女の存在を己に連なるものとして認める事になるのです。

 

まぁ、既に認めてはいるのかもしれませんがね。

娘としてか、眷属としてかはともかく。

 

ふと見ると、ミコトが羨ましそうにフェルドナ神とその娘さんを見ていた。

ミコトの事だから、多分だけど自分も子供が欲しいと考えているのだろう。

俺もいずれ子供が欲しいとは思っているが、最低でも現世に戻るまでは無理なんだ。

 

もしも現世に帰れるのが百年後と決まっているのなら、異世界(こちら)で子どもを育てる選択肢もあったかもしれない。

だけど、もしかしたら数年で帰還できる可能性もある以上、それは選べない。

 

場合によっては百年近く待たせてしまう事になるかもしれない。

ごめんな、ミコト。

せめて今日はいつも以上に目一杯可愛がるからな。

 

未だにうんうんと唸っているフェルドナ神を尻目に、俺はそんな事を考えるのだった。

 




『仇も情けも我が身より出る』

人から憎まれるのも、人に愛されるのも、日頃の自分の行いの結果だという事。
なので普段の態度や心がけには気を付けるようにしましょうという意味。



File.No.17は次話で終わり、その次に繋ぎ回を入れようかと考えていますが、その後の話が決まっていません。
なのでどれが見たいかアンケートを取ってみる事にしました。
どの話もいずれは書く予定ですが、どれが一番見たいか教えていただければ幸いです。
なお、頭の中のキャラたちが勝手に動き出した場合はそちらを優先するつもりなのであらかじめご了承ください。

※アンケートは終了致しました。ご協力ありがとうございました。


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File.No.17-3 白蛇の女神 フェルドナの記憶

遅くなってしまいましたが何とか今年中に投稿することが出来ました。
お待たせしてしまって申し訳ない。

それでは皆様、良いお年をお迎えください。


※「File.No.17-1」にて穢れという字の説明を修正しました。大まかな内容は変わっていません。
※「File No.05-1」にて後の設定と矛盾が生じた為、狩谷の九尾(ミコト)が野菜を洗って持ってくるように修正しました。

追記:タイトルを入力し忘れていました。失礼しました。


「ふぅ、これで一区切りついたわね」

 

村を覆っていた邪気溜りを祓った帰り道に一息つく。

 

流行り病によってもたらされたケガレは私の予想以上に多く、いくつもの村で守護神達の手に負えないほど邪気溜りが広がっていた。

かつての私ではどうにもならないような規模の邪気溜りだったけど、サツマイモの神として神格を上げた今の私なら、多少手間はかかるけど対処できる。

 

なので他の守護神達の頼みで浄化して回り、ようやく最後の村の邪気溜りを祓い終えたところだ。

後は各々の守護神達がハレにするだけ。

 

あーーー、疲れた。

 

帰ったらマヨイガで貰ったとっておきのお菓子を食べよっと。

疲れた体を伸ばしながら自分へのご褒美を考えていると、ふと、不穏な気配を感じ取った。

 

これは、邪気の気配。

 

普通であれば邪気の溜まりにくい筈の森の中で何故。

何にしても放っておく訳にもいかない。

邪気の気配を探り、その源泉を突き止める。

 

こっちね。

どうやら邪気は水路を流れる水のように、とある場所へと向かっているようだ。

 

正確には水路に残る流れ切らなかったものを感知しただけで、邪気の流れ自体は既に収まっている。

これくらいなら森の浄化能力で数日で霧散するだろう。

 

逆に考えれば、邪気の源泉は流れと反対の方向にあり、それは既に祓われたという事。

この方向だと……先日私が邪気祓いをした村がある方角だ。

 

これは念のため流れの先も見ておかないといけないわね。

 

慎重に邪気の流れを辿る。

 

そして見つけた。

 

見つけてしまった。

 

 

見たこともないほどの規模で集まった邪気の澱みを。

 

 

その澱みをよく観察してみると、どうやらここは霊的な窪地になっているようで、本来であれば森中のエネルギーが正気邪気問わずに流れ込むような場所だ。

それらはお互いに混ざり合い打ち消し合う事で、最終的には純粋な生命エネルギーへと還元して森へ戻っていく一種のパワースポットと言える。

 

だけど、流行り病によって発生した邪気が森に流れ、それがあまりにも大量だったために森が浄化しきれずにこの場所に溜まった結果、正邪のバランスが崩れて巨大な邪気溜りへと変貌してしまったといったところかしら。

 

……これ、浄化できるのかしら。

 

少しづつ気長に削っていけば……いえ、駄目ね。

邪気はケガレを生み、ケガレは邪気を呼ぶ。

そしてケガレは伝染する。

 

悠長に削っている間に、何かのきっかけで爆発的に伝染していく危険がある。

そして私は一番聞きたくない音を聞いた。

 

ドゥクン……ドゥクン……と。

 

胎動しているのだ、この邪気の中心で何かが。

この邪気溜りを繭として、化生(妖怪)が産まれようとしている。

 

気付いた瞬間、私は全力で距離を取っていた。

 

何だあれは。

見ているだけで体が震えてくる。

 

幸いにして状態は安定しているようで、周囲の邪気をゆっくり吸収しているだけのようだ。

このままであればあれが生まれるまでに二十日はかかるだろう。

逆に言えば、それだけしか猶予が無いとも言える。

 

どう考えても邪気を取り込んで生まれたあれが厄災となるのは目に見えていた。

まだ生まれていない化生ゆえに、邪気によって生まれる事でその在り方が方向付けられてしまうからだ。

 

更に、それはこちらから何もしなかった場合の話だ。

もし外から刺激を与えた場合、防衛本能によって歪な形で急成長を起こす危険もある。

そうなれば存在が不安定になって暴走し、被害が拡大するかもしれない。

そうなった場合、私はあれを倒せるだろうか。

 

……今の私であれば、全てを賭けて挑めば倒せるかもしれない。

 

だけど、その場合は私は無事では済まないだろう。

場合によっては神格の消滅もありうるかもしれない。

だけど、私以外であれを倒せる神がこの地方にいるのだろうか。

 

周囲の村々の守護神達には無理だ。

下手をすれば取り込まれかねない。

 

では、山や川などの自然を司る神であればどうか。

駄目、やっぱり力が足りない。

 

神々の力は畏怖という器に信仰という水を満たすことで強くなる。

残念ながらこの地方にそれほどの畏怖を持つ霊山などは無い。

したがってその力も村の守護神よりは強い程度に収まってしまう。

 

自然を司る神の中でも別格である月神(ルミナ)様であれば簡単に倒してしまわれるでしょうけど、強すぎるがゆえに動かれない。

強すぎるがゆえに他の神々とは視点が異なり、あれを倒す理由がないのだ。

 

この地方の自然神であれば生まれる厄災の脅威を訴え、協力をつりつけることは出来ると思う。

しかしミルラト神話圏全体を見下ろす視点を持つ月神(ルミナ)様にとってはそれすらも些事でしかなく、動いて頂こうにも説得や交渉が通じる気がしない。

現にこれだけの流行り病が広がったにも関わらず、動かれていないのだ。

強ければ強いほどその傾向は大きくなり、比例して協力を得るのが難しくなる。

 

唯一、農耕神(グラヌド)様であれば私のサツマイモの権能を代価に力を借りることが出来るかもしれないけど…………流石に最後の手段ね。

 

そうなると、マヨイガに協力を求めるのが最善手となる。

できればこれ以上迷惑をかけたくないのだけど、だからといって自分の力だけで何とかできそうもない。

 

そういえば禰宜くんが最近キツネツキ神という名前で信仰され始めたのよね。

詳しくはしらないのだけど、何でも私が主人公の演劇で異界の神として登場した事が切っ掛けだとか。

 

宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)名代(みょうだい)──すなわちコンくんは禰宜くんの憑き霊でもあった筈だ。

という事は、禰宜くん……いえ、キツネツキ神と交渉すれば間接的にコンくんの協力を得られるはず。

 

正直な話、名代(みょうだい)とはいえ格上の宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)との交渉は胃が痛くなる。

コンくん自体も私より強い霊威を持っているから尚更だ。

そう考えるとある程度気心が知れている禰宜くんの方が相談しやすい。

 

幾度もマヨイガにお邪魔している間に、それなりに仲良くなれている────と思う。

少なくとも、悪い感情は持たれていない筈だ。

 

それに人でもある禰宜くんなら、対価も比較的用意しやすい。

彼にも普通に欲はあるのだから。

 

ふと、神鏡で自分の姿を見てみる。

あまり美しいとは言い難いわが身なれど、異界の嗜好を持つ禰宜くんにとっては別嬪に見えるらしい。

禰宜くんになら、対価に色事の相手くらいはしてあげても────と一瞬考え、首を振る。

彼にはもう(つがい)が居るのだ。

とはいえ、禰宜くんも男の子。

コンくんやミコトくんに睨まれない程度なら、私自身が対価になりうるのは大きい。

 

…………ちょっと思ったのだけど、なんだか私って妙に禰宜くんに()かれてない?

そんなにチョロいつもりは無かったのだけど。

まぁ、別に恋愛感情という訳でもないし、苦手意識を持つよりはいいかな。

 

それじゃ、マヨイガに行きましょうか。

 

 

 

マヨイガに着き、出迎えてくれた化生に禰宜くん……いえ、異界神キツネツキに会いに来たことを告げる。

 

先にいつもの客間に通されたので、いつもの場所に腰を下ろす。

そういえばこっちって下座なんだっけ。

 

上座には格上である宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)(の名代)が座る。

名代ではないただのコンくんに神の役目の勉強を教えてもらう時は私があちらに座る事もあるけど、基本的にプライベートでの訪問なので席次は気にしない場合が多い。

今回はラクル村の神(お役目)として相談に来ているので、その辺りはしっかりしないといけない。

 

少しだけ思考を巡らせ、そのまま下座に留まる。

 

あくまでここは異界の地。

禰宜くんの神格がどれくらいかは分からないけどコンくんの主でもあるのだし、最低限の神格しか持っていなくても相手の顔を立てたとすれば問題ない。

逆に禰宜くんの神格が高ければ、私が下座に座っていても不自然は無い。

 

それからちょっとだけ時間が過ぎて……

 

「失礼します」

 

案内の化生の声がしたのでどうぞと声を返す。

すると化生が襖を開け、その後ろにはコンくんを連れた禰宜くんが──

 

 

ほわ!?

 

 

禰宜くんを見た瞬間、私は眩暈を覚えることになった。

何!? あの神格は!

 

私よりも遥かに上、ルミナ様にも届きうるほどの神格。

どうやったらこんな短期間でそこまでの神格を得ることが出来るのよ。

むしろ今までは実力を隠していたと言われた方が納得できるほどだ。

 

だけど、神格に反して本神(本人)の神威が小さすぎることが、逆にそうではないという証明になっている。

本来であれば神格がどれほど高くても神威が伴わなければ見掛け倒しにしかならず、大した力を持てない。

しかし禰宜くんの場合は足りない神威をコンくんの存在が補っていて、それが間接的に本神(本人)の神威となり、他の神に対する力になっている。

 

良かった、下座に座ってて正解だった。

 

禰宜くんが上座に座る。

さて、どう切り出そう。

 

いつものように宇迦之御魂神(相手方の神)に仕える神官として話しかける訳にはいかない。

ならば宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)(の名代)を相手にするように口を開けばいいかと言われると……それも違う。

それだときっと、禰宜くんはフェルドナではなくサツマイモの神として私を見る。

私がその立場でここにいると考え、それに合わせようとしてくれるだろう。

禰宜くんではなく、異界の神としての立場で私と向き合おうとするだろう。

 

それは……なんか嫌だな。

 

だからと言って友神として語るには神格が違いすぎる。

私の存在が、彼を貶めかねない。

 

なら────

 

「本日は急な訪問にも関わらず快くご対応下さり、ありがとうございます。キツネツキ神」

 

()()()()()()()()()()

 

「あの、フェルドナ神。今まで通りの話し方でいいんですよ。そんなに畏まってどうしたのですか」

 

「いえ、この度キツネツキ神が神格を得られたそうで、高位の格と実力を兼ね備え神柄(ひとがら)も良いとなれば私も相応の態度で接するべきかと」

 

それを聞いて彼は少しの間考えた後、自分の考えを口にする。

彼の性格ならきっと──

 

「フェルドナ神。(わたし)は存外の幸運も重なり、かの地で神格を得るに至りました。しかし、(わたし)はあくまで異界の者。ミルラト神族との格の上下を定めるべきではないかと」

 

──そう言ってくれると思った。

 

「え、えっと、そうなのかしら」

 

ここで言葉を崩す。

加えてそれで良いのかと念を押す。

 

『それで問題は無いかと。立場上、宇迦之御魂神とも異なりますし』

 

コンくんからも肯定の言葉が出た。

一見神同士の話に従者が口を挟んだようにも見えるけど、ここで宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)の名代でもあるコンくんが発言する事に意味がある。

間接的に、宇迦之御魂神側の意思表示となるのだ。

 

重要なのは後半部分。

宇迦之御魂神とは立場が違う。

これはあくまで異界神キツネツキ側のスタンスの話だけど、彼を異界神(キツネツキ)として扱っている限りは宇迦之御魂神側はそれを黙認すると言っているのだ。

 

「だったら、そうさせてもらおうかしら。えっと、キツネツキくんと呼んでも?」

 

「ええ、構いません」

 

これでようやく話し方を戻せる。

神格が違いすぎて私から切り出せる話題では無かったから。

キツネツキ(神格の高い神)から提案された事で、ようやく私は彼を貶めることなく親しく話せるようになったのだ。

 

ふと見るとコンくんが微笑ましいものを見るような目でこちらを見ていた。

読心は防いでいた筈だけど、これは(さと)られちゃったかなぁ。

まぁ、いっか。

 

「でもキツネツキくんの方は相変わらず話し方が硬いのだけど」

 

一線を引いている……とはまた違うのよね。

 

「これは単に性分だからなので」

 

そう言われると何も言えないなぁ。

礼を失するのでも無ければ、どのような話し方であれ咎められる理由にはならない。

でも知ってるんだぞ。

コンくんやミコトくんと話すときはもっと砕けた話し方をしてるって。

 

「まぁ、この話はこれで終わりとして、何か私に用との事ですが」

 

「あ、そうだった。ちょっと私の手に余る事態になってしまって。それで何か知恵を借りられないかと思ったの」

 

いけない、本題を忘れる所だった。

 

「【ケガレ】ってわかるかしら?」

 

「ええ、わかりますが」

 

知っているのなら話は早いわ。

 

「前にラクル村で病が流行ったのは知ってるわよね。そのせいでケガレが村中に広がってしまって」

 

「邪気溜まりでも出来ましたか。しかしそのくらいであればフェルドナ神の力なら浄化も容易だと思いますが」

 

打てば響くように言葉が返ってくる。

的確に状況を分析してくる様は、相談相手として頼もしい。

 

「ラクル村は問題なかったわ。もう浄化も済ませたし、我が子達もケガレから戻っているから」

 

薬草のおかげで他の村よりもケガレ自体が少なかったからね。

 

「これで終わりならよかったのだけど、他の村でもそんな状況になっていたから私も天手古舞(てんてこまい)で……」

 

距離が遠いうえに邪気が濃いものだから浄化にも移動にも時間がかかって大変だった。

するとなぜかキツネツキくんは腑に落ちなかったような顔をする。

 

「えっと、もしや他の村の浄化までされていたので?」

 

うん、そうだよ。

 

「だって、私がこの辺で一番力も余裕もあるのよ。困ってる(ひと)にお願いされたら断れないじゃないの」

 

苦労はしたけど無理はしていないし、他の村の守護神達にも貸しを作れた。

それに、ここで断って一番被害を受けるのはその村に住む人間たちなのだ。

これくらいの手間を嫌って無視するには、すこし寝覚めが悪い。

 

「フェルドナ神が慈悲深いのはすでに知れ渡っていますし、(わたし)が口を出すような事でもありませんが」

 

「もう、貴方までそんなことを」

 

前に月神(ルミナ)様にも言われたんだけど、そんな事無いってば。

結構打算的だと思うんだけどなあ。

 

「話を戻すわ。村の方は大方浄化が終わったんだけど、私が行った時にはかなりケガレが進行していて、森の方にもうつって(伝染して)いたのよ」

 

あそこで気がつけて良かった思っている。

まだ時間的余裕のあるあの時に。

 

「それで森の方に大きな邪気溜まりが出来てしまっていて、それを喰らって私の手に負えない化生(妖怪)が産まれそうなの」

 

「それは……場所はどこですか?」

 

「えっと、ラクル村から見て────」

 

私がその場所を伝えると、キツネツキくんはコンくんの名を呼ぶ。

すると、目の前の背の低い机(座卓もしくは座敷机と言うらしい)にその場所の光景が広がる。

 

え、なにこれ。

コンくんの術の一つなんでしょうけど、すっごく有用な術じゃない。

頼んだらやり方を教えてもらえないだろうか。

 

「これ、ここの森を管轄する神はどうしたんですか」

 

「それが、それぞれの村や特別な場所を守護してる神はいるのだけど、この辺り一帯を(つかさど)っている神は居ないの」

 

首都から見れば辺境の田舎で人も少ないし、それほど畏怖を集める土地でもないからこの辺り一帯を司れるほどの力を持つ神が生まれにくいのだ。

そんな神が信仰され力を得るほど個々の村々の繋がりは強くなく、それぞれの村で別個に信仰されるだけでは村の守護神程度に収まってしまう。

 

例えば私もサツマイモの神となる前はこの地を司る神としてラクル村で信仰されていた。

だけど、それはラクル村でのみの話だったから、信仰が満たされずに村の守護神でしかなかったのだ。

土地神に分類されるような集落の守護神は、こういった経緯で生まれることが多い。

 

ん? という事は他の集落でも信仰され始めた今、私がこの森の土地神として名乗りを上げても問題は無いという事では?

 

「ふむ……手段を選ばないのであればコンに焼き払ってもらうという手もありますが、まぁ、心情的にあまりよろしくは無いですよね」

 

キツネツキくんから恐ろしい提案をされた。

それはもうすがすがしいくらいの力技だ。

 

コンくんって強いとは思ってたけど、これを焼き払えるくらいの火力があるの!?

そんな事したら森が……と思ったけど、私が雨を降らせて延焼を防げば何とかなるのか。

もしかしたら瘴気に侵されている場所だけを焼き払える技術を持っているのかもしれない。

それに、どうやら私の立場を気にして、選択肢の一つとしてあげてくれただけのようだ。

 

「いえ、他に手が無かったらそれをお願いするわ。もちろん対価も出来る限り用意するから。私のプライドや評価なんかより我が子達の方が大事よ」

 

それでも、確実に対処できる方法があるというのは大きい。

既に現在の評価でも過分なのだ。

実際に私ではどうにもできなかったのだし、見栄を張る意味も理由も無い。

 

「そういえばフェルドナ神は雨を呼べると言っておられたと思いますが、細かく場所を指定したり場所によって降る時間を変えたりは出来ますか?」

 

「ごめんなさい。雨を降らせる場所は大まかにしか決められないの。それに一部だけ雨を止ませる事もできないわ」

 

残念ながら厳密に言えば私に出来るのは自然の魔力(マナ)に影響を与え、雨を降らせるきっかけを作る事なのだ。

それによって自然の魔力(マナ)の力で雨が降るといった具合である。

 

いつ止むかはそれこそ天次第。

しかも、それが出来るのは私が信仰されている地域だけなのだ。

そうでなければ天候を変えるなんて大技を、一介の守護神でしかなかった私が使えるはずもない。

 

今回の場合はサツマイモの神としてこの地域でも信仰されているから、降らせるだけなら出来るけど。

 

「フェルドナ神。この件に関してラクル村の協力を得ることは可能と思っていいんですよね」

 

「ええ、無茶なことでなければやってくれる筈よ」

 

出来ればこんな危険な事を手伝わせたくはないんだけど、あの化生が産まれればラクル村にも害が及ぶのは明白だ。

でも、矢面にだったら私が立つから、危ないことはさせないでちょうだい。

お願い、キツネツキくん。

 

「でしたら、一つ案がございます。着ている服を一枚使っていただく必要がございますが」

 

着ている服を……という事は私の抜け殻が必要なのね。

何に使うのかは分からないけど。

 

服の一枚や二枚(抜け殻の一つや二つ)で何とかなるなら構わないわ」

 

「では内容なのですが、ラクル村の方々には祭りをおこなっていただきます」

 

祭りを?

 

「邪気を祓い、災いを祓い、厄を祓う祭りです。ミルラト神話圏でも比較的よくある類の祭りと聞いていますよ」

 

確かによくある祭りね。

ラクル村でも新年を迎える前に厄落としとして行われるし、規模の大きいものなら聖地で神々が集うほどの祭りもある。

名目として大きな病が流行ったから病の気が再び力を取り戻さないように浄化する儀式を行うとすれば、追加で厄落としの祭りをする事に不自然はない。

 

「そうね。それくらいなら大丈夫よ。でも、ラクル村で祭りをやってもあの邪気は浄化できないと思うのだけど」

 

祭りの影響力も、流石に距離のある邪気溜りまでは届かない。

逆に影響がある距離まで近づくと、今度は我が子達が邪気に当てられて体を壊す。

キツネツキくんなら、そこまでしてやれとは言わないだろう。

 

「祭りそのものの効果はあんまり関係がないんですよ。重要なのは内容の方です」

 

内容?

 

「祭りでは木の棒でも紐でも何でも良いので、細長いものをフェルドナ神の()()に見立てて体に擦り付けさせてください。そうする事で体の邪気をそれに移し、最終的には炎で焚くことで浄火します」

 

ミルラト神族が信仰される土地では体の邪気は祝福等で直接浄化するのが主流だけど、物に移してそれを浄化する方法もない訳じゃない。

それはいいのだけど、結局どうやって邪気溜りを浄化するのだろうか。

 

「その際に、フェルドナ神の表衣(うわぎ)を祭りと縁を繋いて邪気溜りの中に放り込んでいただきます。そうすれば表衣は見立てた(なぞらえた)もの同様に燃え上がり、邪気溜りも浄火できるでしょう」

 

それくらいであの邪気溜りを浄化できるのかしら。

いえ、わざわざ私に嘘をつく理由も無い。

少なくともキツネツキくんは出来ると考えているようだし、やってみる価値はある。

 

「分かったわ。ただ、神託をしても今日の明日では無理よ。早くても5日から10日はかかるわ」

 

「化生の産まれれる三日前までにできれば十分ですよ。そうそう、場合によっては浄化に使うフェルドナ神の表衣が力を得る事になるかもしれませんので、その辺はあらかじめご了承ください」

 

確かに私の(抜け殻)に見たてた物が祭りに使われることで神器化する可能性はあるわね。

もしくは可能性は薄いけど私のサツマイモの種芋の化生(根源芋蛇のスァート)みたいに化生になるかもしれない。

あの子に名前を付けたら蛇みたいに動き出してびっくりしたけど、服の場合はどうなるんだろう。

 

「それと、差し支えなければ(わたし)達も祭りを見に行きたいのですがいいですか? こちらに来てからなかなかこういうものに参加する機会もないもので」

 

え!? キツネツキくん、ウチ(ラクル村)に来るの!?

 

 

 

しばらく時間は流れて祭り当日。

投げ込みやすいようにコンくんが一時的に投擲槍に変化させてくれた表衣(抜け殻)を持ち、邪気溜りの近くまでやって来た。

 

隣にはコンくんの眷属ののっぽくん。

彼を介す事で同じコンくんの眷属の側にいる相手に精神感応が出来るのだそうだ。

私の精神感応は10歩くらい先までしか届かないからキツネツキくんと連絡が取れるようになるのはありがたい。

 

(フェルドナ神、頃合いです。儀式を開始してください)

 

(わかったわ)

 

キツネツキくんから連絡が来た。

手元の投擲槍(変化させた抜け殻)を思いっきり邪気溜りの中心へ投げ入れる。

かなりの距離があるけど、コンくんが込めてくれた術と私の神の力があれば。

 

うん、いい感じに中心部へ入ったはず。

 

(第一ステップ完了よ)

 

これで暫くは様子見だ。

心なしか邪気が少し薄くなった気がする。

 

 

 

それなりに時間が経過して、私は何があっても対応できるように集中していた。

邪気溜りはかなり規模を縮小し、なんとか人間が一人覆える程度のサイズにまでなっている。

 

私が警戒しているのは邪気を吸収して産まれかけていた化生の事。

自分の吸っていた邪気がほとんど浄化されているというのに、恐ろしいほどに何のリアクションも無いのだ。

邪気と一緒に焼かれてしまった可能性も無くは無いけど、油断はできない。

 

やがて邪気溜りの中に何かの姿が浮かび上がってくる。

膝を抱えてうずくまる、小柄な人型。

 

そして、その時は来た。

 

最後まで残っていた邪気が、卵の殻がひび割れ砕けるように霧散していく。

その中から────

 

 

 

「お母ぁさぁまぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 

────小さな私が飛び出してきた。

 

一瞬、邪気の中にいた化生が私に擬態したのかとも考えたが、直感で理解してしまった。

あの子は私の血を引く者で、今まさに生まれ落ちた新たな神だと。

 

理解してしまったがゆえに、反応が遅れた。

気付いた時にはその子は私の胸の中に飛び込んできていたのだ。

 

「お母さま。私に形をくれたお母さま。私に暖かな熱をくれたお母さま。私の生まれる意味を与えてくれたお母さま。私はやっと、生まれてきたのです」

 

嬉しそうにお母さまと繰り返すこの子を胸に、私は無意識に優しく抱きしめていた。

 

(なに!? なんなの!? 一体どういう事!?)

 

意識の方は絶賛混乱中だったが。

そうだ、キツネツキくん。

彼なら何か分かるかもしれない。

 

(キツネツキくん! ちょっと訳の分からない事態になってて。邪気溜りから私が出てきて、私が私をお母さんって)

 

はっきり言って文脈のおかしい精神感応を送ってしまったけど、キツネツキくんからはすぐに行くとの返事が来た。

そのままキツネツキくんが来るまで、私は頭の中がこんがらがったまま、無意識に胸の中の彼女の頭を撫でていたのだった。

 

 

 

「あ、キツネツキくん!」

 

五十を数える程度の時間で、キツネツキくんはミコトくんやコンくんと一緒にやって来た。

それを察したのか胸の中の彼女もそこから離れて腕の方を抱きしめたので、私は彼女を腕にぶら下げたままキツネツキくんの近くまで駆け寄っていく。

 

後から考えればそれはどうなのかと思う所業だったが、この時はそれほどまでに混乱していたのだ。

せめてのっぽくんが特に驚きもしていなかったことに気付いていれば、もう少し冷静でいられたのだろうけど。

 

「ああ、無事産まれたんですね。おめでとうございます」

 

そんなキツネツキくんの第一声が、私を更なる混乱の渦に巻き込む。

キツネツキくんはこうなる事を知ってたの!?

 

「え? どういう事? 一人で理解してないで教えてよ」

 

「あれ? 打ち合わせの時に説明したと思いますが。浄化に使ったフェルドナ神の抜け殻が力を得る場合があると」

 

「こういう方向に力を得るなんて思わないわよ!」

 

確かにそんな事言ってたけど、普通に考えて神器や化生になるくらいで神になるなんて…………()()()()()()()()()()

 

ああ、そうか。

一つ、腑に落ちた。

 

この子を見たとき、本能的に私の血を引く者だと感じ取ったのは、この子が私の一部から生まれた(抜け殻だった)からだ。

それに気づいたとき、連鎖的に理解が及んでいく。

前提条件が違ったのだ。

 

私は邪気溜りを祓った後に、中の化生に対処するつもりでいた。

生まれ落ちる前に邪気を祓ってしまえば、不完全な状態の化生は弱体化する公算が高かったからだ。

しかしキツネツキくんは中の化生を使って邪気を祓う方法を提案していたのだ。

 

化生は、生まれる過程でその影響を受けやすい。

邪気によって生まれれば邪気の悪いものを引き寄せる性質を受け継ぎ、積極的にそれを成そうとするようになる。

私がこの化生を倒そうとしたのはその為だ。

 

私が見つけたときには既にこの化生は大量の邪気を吸収していた。

もしすぐに邪気を祓えていたとしても、生まれる過程で邪気を吸収しすぎた化生は災いしかもたらさない。

そういう化生になってしまうのだ。

 

そして、キツネツキくんの案はその性質を利用したものだった。

 

産まれてくる化生に、意味を与えた。

 

私の抜け殻を使って、蛇神という形を与えた。

 

炎に包む事で、浄火の力を与えた。

 

ラクル村の祭りで、信仰を与えた。

 

既に大量の邪気を取り込んでいた事にすら、邪気を喰らって浄化するという役目を与えた。

 

それによって力を蓄えるという、理由を与えた。

 

与えられたすべてを取り込み、化生は生まれ落ちた。

私の血を引いた、私の娘として。

 

いったいどんな発想があれば、こんな事が思いつくのだろう。

本来は悪しきものになるはずの邪気から生まれた化生を、祭りと信仰によってそれを祓う神に祀り上げてしまうなんて。

それとも異界ではごく当たり前の考え方なのだろうか。

 

ミルラト神族にも眷属を生み出した神は居る。

神々の夫婦から新たな神が産まれた事もある。

信仰によって生類から神に変じた私のような者もいる。

だけど、()()()()()()()()()()()()

 

明らかに異質すぎる。

キツネツキくんがミルラト神族(私たち)に向ける信仰は、畏怖は、敬意は、我が子達が向けるそれとは観点が異なっているような気さえしてくる。

そもそも彼の言う神とは、私たちのいう神と同じ存在なのだろうか?

 

「それで、フェルドナ神。彼女の名前は何というのですか?」

 

「な、名前!?」

 

そんな私の思考は、キツネツキくんの一言で引き戻される。

見れば小さな私が期待を込めた目でこちらを見ていた。

 

そ、そうね。

産まれてきた娘に親として名前を付けてあげないと。

 

えっと……私の名前(フェルドナ)に関連した名前の方がいいのだろうか。

でも私の名前って白い蛇っていう意味の古い言葉が訛ったものだからなぁ。

もうちょっと可愛い名前を付けてあげたい。

 

邪気を浄火する力があるのだから、それを意味する言葉からもってくるのもいいかも。

それと響きも考えると候補になるのは──

 

うん、決めた。

 

「貴方の名前はフォレア。フェルドナの娘、フォレアよ」

 

「はい、私はフォレアなのです。素敵な名前をありがとう、お母さま!」

 

満面の笑みを見せるフォレアに、自然と私の顔も綻んでいた。

 

 

 

これは、突然私に娘が出来た日のお話。

 




森羅万象、これ一切神である。

ルミナ「ずいぶんとタケルさんの影響が出ていますわね。もしくは順調に変質が進んでいるというべきかしら?」


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File.No.18  『牡丹に唐獅子、竹に虎』

あけましておめでとうございます。

今年も『俺と天狐の異世界四方山見聞録』をよろしくお願いします。


それにしてもアンケートが偏ったなぁ。


ラクル村の祭りからそこそこの月日が過ぎた、ある晴れた日の事。

 

庭に無地の屏風を持ち出し、人間形態(にんげんモード)のミコトがその前で精神を集中させていた。

そしてそれを見守る俺とコンにヤシロさん。

 

やがてミコトは筆を持ち上げ、おもむろに(ゆっくりと)屏風へと墨を走らせる。

それは見る間に見事な鶴の姿を描いていく。

素人目にも完成かとなったところで、ミコトが叫んだ。

 

「妖術、画()点睛なのだぁ!」

 

最後に瞳を入れると、墨画(ぼくが)の鶴が屏風を抜け出して空へと飛び立った。

 

……が、10mも行かない内に形を崩し、空気に溶けてしまう。

 

それでも──

 

「で、出来たのだ」

 

「凄いぞミコト!」

 

「大したものじゃな」

 

「おめでとうございます」

 

──ミコトがこれを成功させた事は称賛されるべきものだ。

 

妖術・画妖点睛(がようてんせい)

それは妖術による歴代名画記に記された点睛即飛去、すなわち画竜点睛(がりょうてんせい)の再現である。

 

画竜とは絵に描かれた竜の事であり、点睛とは瞳を描き加える事。

 

梁の国の張という画家がお寺の壁に(ひとみ)のない竜を描いた。

他の人が何故(ひとみ)を描かないのかと尋ねると、張は「睛を入れるとたちまち竜が飛び去ってしまう」と答えた。

しかしそれを妄言だと信じなかった人々に催促されて張が竜の睛を描き入れると、竜はたちまち壁から抜け出して天へと昇っていったという。

 

この故事により、竜の睛を描き入れる事が『物事を完成させるための最後の仕上げ』の象徴とされ、「画竜点睛」という言葉が産まれたのだそうだ。

ちなみに「がりゅう」ではなく「がりょう」という特殊な読み方をする言葉なので注意な。

 

画妖点睛(がようてんせい)は妖術によるこれの再現。

簡単に言うと描いた絵を実体化させる妖術である。

 

これは高い霊気と霊力、そして高度な絵の技量が要求される高等妖術で、使えれば霊威が多少低くても上級妖怪を名乗れるくらいには難易度が高い。

ミコトはまだ使えるレベルまでには達していないが、それでもこの術を成功させたというのは大きい。

 

更に、ミコトの霊威がついに1,000の大台に乗ったのだ。

エリート妖怪のコンをして恐ろしいほどの成長速度と称しており、(妖怪の時間感覚で)そう遠くないうちに上級妖怪へ至る事も出来そうだとのこと。

 

以前のルミナ神の温泉で霊気と霊躯が上がった事も一助となっている。

 

「ミコト、よく頑張ったな」

 

術が成功した事で緊張が解けたのか、座り込んでしまったミコトの頭をなでる。

すると狐耳がぴょこっと生え、ミコトの顔が緩んだ。

 

「うむ。難しい術を初めて成功させた祝いじゃ。今日は儂がなんぞ旨いものでも作ってやろうぞ。タケル、以前貰った鹿肉の残り、使い切ってしまっても構わぬな」

 

あれか、問題ない。

 

「いいのだ!? だったら揚げ物がいいのだ!」

 

「よいぞよいぞ。ついでに油飴も作ってやろう」

 

邪気溜りの一件の相談報酬として貰った鹿肉の念物(ここのぎ)だが、これが凄い美味かったのだ。

最初はある程度マヨイガの食材を混ぜて調理する事で俺も食べられるようにするつもりだったが、なんか油で揚げただけで大丈夫だったらしくカツにすることとなった。

 

衣のサクッとした食感と蕩けるような肉の柔らかさが調和して、嚙みしめるたびに肉汁が口内に広がっていき、絶品だった。

塩だけのシンプルな味付けだったにも関わらず、肉の持つ旨味がこれでもかと引き出され、ご飯が進む進む。

 

ちなみに鹿肉の量があまり多くなかったので、仮面の付喪神達は遠慮して食べるのを断っている。

 

なんでも、本来食事をしない彼らは人間とは味覚が異なり、味を感覚ではなく方向性で認識するのだそうだ。

旨味を理解する事は出来ても、美味いという感情に繋がらない。

代わりにその味覚は五味に留まらず、例えば毒が入っていればそれが無味無臭であったとしても生物を害する味として認識できる。

それは念物(ここのぎ)でも変わらず、美味しいことは分かっても美味しいと感じる事は無いので貴重な食材を自分たちに出す必要はないとの事だった。

 

前に「食事は天狐の式神になった付喪神の特権」とか言ってなかったっけと聞いたら、あれは共に食事をする行為自体を指しているのであって、食事の味は関係ないらしい。

本来出来ない筈の行為(食事)を主と共に出来ることが喜びなのだとか。

 

なお、お酒は普通に美味しいと感じられるとの事。

なんで?

 

それと、鹿肉の量が少ないのは単純に念物(ここのぎ)として捧げられた量が少なかったから。

捧げられた鹿肉の半分を貰ったのだが、フェルドナ神の祭壇はあまり大きくなく(現在拡張工事中らしいが)、物理的にこれだけしか捧げられなかったとの事。

その分、信仰が凝縮していて味を引き上げているらしいが。

 

ついでに雑学なのだが、鹿一頭から取れる肉の量は解体の仕方にもよるが、おおむね体重の30%ほどだそうだ。

 

ところでコン、油飴って何?

 

(油に砂糖を溶かして妖力で固めた飴じゃよ。人の世にも同じ名のものがあるやも知れんが、儂の作る油飴は妖怪用じゃからお主は食べぬようにのぅ)

 

へぇ、それはまたミコトが好きそうな飴だな。

今度作り方を教えてもらおう。

 

「タケル殿、るみな神がお見えになられました」

 

そんな話をしていると、いだてんさんがお客さんが来たことを伝えに来た。

 

「遊びに来られたのかな? それなら広間にでも──」

 

「いえ、用事で近くに来られていたので挨拶に寄ったとの事です。今、なでしこがこちらに案内しております」

 

あら、そう。

 

 

 

そして数十秒ほどでルミナ神がやって来た。

なお、ヤシロさんは恐れ多いとかで屋敷へ下がってしまっている。

 

「御機嫌よう。お邪魔しますわ」

 

「ようこそ、ルミナ神」

 

ルミナ様とも大分打ち解けたというか、踏み込んでいい距離が分かって来たな。

もともと距離が近かったので分かりづらいが、ルミナ神には俺に対して決して踏み込ませず、そして踏み込まない領域がある。

近づいたところで気を悪くすることはないが、その分だけ自ら離れていくのだ。

そして離れようとするとなぜかルミナ神の方から近づいてくる。

 

もちろん物理的な距離じゃなくて精神的な距離感の話な。

 

ミコトが入っていくときは気にせず受け入れているようなので、男性であることか人間である事が理由なのだと思うが、そう考えるとある意味当たり前の話か。

 

「今日はどのようなご用件で?」

 

概略は聞いてますけど。

 

「フェルドナの所のフォレア(新しい神)の様子を見に行きましたの。あ、これ、お土産ですわ」

 

ルミナ神がおそらく菓子箱と思われる箱をミコトに渡し、三人で礼を言う。

人間である俺に配慮して、いつも念物(ここのぎ)ではなく物質側のお菓子を持ってきてくれるのでありがたい。

 

そいえばフォレアちゃん、妖怪だと思ってたらばっちり神格もってたんだよな。

可能性として考えなかった訳ではないが、確率としてはかなり低いと見ていただけに驚いた。

流石に神格化するには信仰が足りないと思っていたんだが。

 

「神が神を作り出すなど前代未聞。なので定期的に様子を見に行くことにしているのですわ。まぁ、突き詰めれば信仰によって新たな神が産まれたというだけなのですけど」

 

そうなんですよね。

フェルドナ神にも驚愕されたが、神に至った原理はフェルドナ神が神になったものと変わらないのだ。

単純に神体がフェルドナ神の抜け殻だったというだけで。

 

「とはいえ、詳しい事情を知らない神からすれば本来あり得ない事ですし、不埒な事を考える輩もいるでしょう。ですが、(わたくし)が目をかけているとなればちょっかいをかけてくる者もいませんわ」

 

「あぁ、それは確かにあり得ますね。お手数をおかけしました」

 

(わたくし)としては手間以上に利がありますし、構いませんわ」

 

この場合のルミナ神の利って何なんだろうか。

フェルドナ神(サツマイモ)への影響力かな。

 

「それはそうと、ちょっとタケルさん達に私の子供(月神を信仰する人間)達から問い合わせがありましたの。前に見た劇団は覚えてまして?」

 

「ええ、まぁ」

 

個々の団員までは分かりませんが。

 

「彼らは今度新しい英雄譚の劇を作りたいそうなそのですが、主役の英雄に試練を課して最終的に神器の剣を与える役としてキツネツキ神を出す事を認め(許可し)てほしいそうです。その剣を手に英雄が活躍していくというのが話の内容ですわ」

 

「つまり英雄が凄い武器を持っている理由付けとして使いたいと」

 

「ええ。案内役の神使(コンさん)が英雄と接触。試練を終えた後にキツネツキ神(タケルさん)と面会し、剣を授けられるという流れです。残念ながら話の都合でキツネツキの妻(ミコトさん)の出番は無いようですわね」

 

「残念なのだぁ」

 

おそらくメインは英雄の活躍の方だろうし、それほどセリフも無さそうである。

 

(わたし)は構いませんが」

 

「敬意を持って(えが)くなら構わぬ」

 

「では、そのように。許可してくれて助かりますわ」

 

しかし、何で(キツネツキ)なんだろうか。

普通にミルラト神話圏の神、それこそルミナ神でもいいと思うんだが。

 

その辺を聞いてみると、「(わたくし)は別の役目で出ることになっていますし、他の神だと色々としがらみがあるのですわ。その点、キツネツキ神であれば逆に他と絡ませづらいというのはありますが、他の神から文句も出づらい。あと、異界神ですので何を持っていても不思議ではないというのもありますわね」との事。

 

要するに立場的に使いやすいのね。

 

「それでは用事も終わりましたし、(わたくし)はお(いとま)させてもらいますわ」

 

「せっかくですし、上がって菓子でも食べていかれませんか?」

 

「それはとても魅力的ですが、月神の役目(仕事)がまだ残っているので」

 

「大変ですね」

 

高位の神ともなるとやらなければいけない事も多いらしい。

 

丁度そこへ、いだてんさんがお土産用に菓子袋を持ってきてくれたので、ルミナ神はそれを持って上機嫌で帰っていった。

 

それにしても異世界で演劇の役にまでなったかぁ。

既に一回なってはいるが、多分あれはルミナ神が勝手に許可だしたんだろうなぁ。

なんかフェルドナ神も後から知ったみたいだし、多分こっちも。

 

まぁ、いいんだけどね。

 

さて、ルミナ神も帰られたので妖術の練習に戻るとしよう。

ミコトが大技を成功させたからな。

俺もそろそろ切り札的な術が欲しいところだ。

今は使いどころの多そうな強化や回復系の術を学んでいるので当分は無理そうだが。

 

再びミコトが画妖点睛(がようてんせい)に挑戦しようとしているのを見ながら、俺はそんな事を考えるのだった。

 

 

 

それはよくある何でもない日の話。

 




『牡丹に唐獅子、竹に虎』

取り合わせが良く、絵になるものの例え。
ちなみに唐獅子はライオンがモチーフとされる神獣の一種。


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Folder-3 面目一新
File No.19-1 『鷹は飢えても穂を摘まず』


新章突入。


「主様、タケル様、先触れです!」

 

部屋でコンと共に寛いでいた時、ヤシロさんがやってきてそう言った。

日々の修行の成果か、ヤシロさんもだんだんと自分の能力を発露させ始めている。

 

『人魚の先触れ』

 

かつて肥前国(ひぜんのくに)に現れ、(さいわ)いと(わざわ)いを告げた竜宮よりの使者、神社姫の持つ能力。

端的に言ってしまえば未来予知である。

 

「して、どのような?」

 

「今日の夜更けにお客様が来るみたいです」

 

二十歳くらいの女性に変化しているコンが先を促すと、ヤシロさんがそう答える。

 

お客さん、しかも夜更けにか。

 

フェルドナ神やフォレアちゃんは違うだろう。

彼女達は基本的にラクル村の住人と同じ生活サイクルを送っているそうで、夜は寝ている。

 

ルミナ神も多分違う。

本神(ほんにん)曰く夜行性だとの事だが、こちらの生活サイクルを理解しているので夜に来るのは避けてくれている。

ついでに言えば夜は月神の役目(お仕事)が忙しいらしいし。

 

「ただ、どなたが来られるかまでは分かりませんでした」

 

「ふむ」

 

神社姫の先触れは具体的なうえに回避方法までセットになっていたが、流石にヤシロさんにはまだ難しいようだ。

 

()()()()()()()()。で、あるなら、マヨイガの客じゃろうな」

 

コンも比較的苦手分野ではあるものの、未来視を使うことが出来る。

ただそれはコンに匹敵するような大妖怪が関わる出来事の場合、非常に見えづらくなるのだそうだ。

逆に言えばよく見えないなら大妖怪が関わる事象の可能性が高い

そして相手がお客さんであるのなら、関わってくる大妖怪は『マヨイガの意思』の可能性が高いだろう。

 

「今日は俺も起きてた方がいいか? 特に出来る事も無いかもしれないけど」

 

なんせ夜更けだ。

具体的に何時を指すかと言う明確な答えがない言葉だが、おおむね午前0時ごろを指して使われることが多い。

普段なら寝入っている時間帯である。

 

「そうじゃな、その辺も含めてマヨイガの意思に確認を取っておこうか」

 

よろしく頼む。

 

 

 

それでコンがマヨイガに確認を取った訳だが。

その返答はなんと、「(タケル)に応接をお願いしたい」というものだった。

もう少し正確に言うなら、異界神キツネツキとして対応して欲しいそうだ。

 

マヨイガがミルラト神話圏から人を呼ぼうとしたのは間違いないらしい。

お稲荷様の(やしろ)があるので今までのようにコンが対応するなら分かるが、居候の俺が対応するのは不味くない?

精々小菊さん(二尾の狐)の時くらいの手伝いが限度だと思ってたんだが。

 

「此度はお主も神格を得たからのう。ミルラト神話圏の客であればそちらの方が都合が良いと判断したんじゃろう」

 

それをコンに聞いてみたらこんな答えが返って来た。

いいのならいいけど。

 

それで、どこまで言っていいんだ?

フェルドナ神にはマヨイガの名前を出さないように言った筈だけど。

 

「あれは状況的にもう意味のないものじゃからな。マヨイガの名は普通に口にして構わぬ、と言うかむしろ積極的に言って欲しいそうじゃ」

 

ふむ、ミルラト神話圏にも名を売りたいのかな。

そういえば異世界に来てからマヨイガが呼んだお客って五郎左殿だけなんだよな。

しかもほぼ紅一文字の独断だったらしい。

 

小菊さん(二尾の狐)は呼んだというよりは迷い込みかけていたので客として迎え入れたというのが正確なところらしいし。

 

マヨイガも異世界に来て自重していたのかもしれない。

そう考えると割としっくりくるものがある。

 

俺が異界の神としてではあるもののミルラト神話圏に神として認識されたことで、その神座という名目が出来る。

であればミルラト神話圏への干渉も、ある程度であれば咎められにくい。

マヨイガの名が広まれば、より多くの畏怖を集める事もできるだろう。

名分を得て自重する理由が薄くなったといったところか。

 

「大体そんなところじゃのぅ」

 

そういえばプロミネディス神が前に『大きな行動をする時は一言報告してくれると助かる』って言ってたんじゃなかったっけ?

 

「それに関しては既にルミナ神を通じて伝えてあるそうじゃ。ほれ、この間来た時に。それで異界神キツネツキの行いとしてであれば報告するほどの事でもないと言質をとったそうじゃ」

 

抜け目ないなぁ。

まぁ、宿賃代わりにでも引き受けるのは構わない。

とはいえ既に人を呼ぶのは決まっていたようだが、これ俺が拒否したらどうするつもりだったんだ?

あくまでキツネツキがやった事とするならOKって話のようだが。

 

「いや、言質に関しては念の為先に取っておいただけで人を呼ぶと決めたのはつい先ほどだったそうじゃ。お主が断れば取りやめるつもりだったそうじゃが、それを頼む前に耶識路姫が先触れを告げたというのが正確なところじゃのう」

 

ああ、そういうこと。

これはヤシロさんの成長を喜ぶべきだろう。

 

「それと今更念を押す事でも無いとは思うが、儂らの事は妖怪名で呼ぶようにの」

 

これは呪詛対策と、あまり相手と縁を繋ぎ過ぎないようにする為だ。

呪詛対策の方はそもそも(いみな)ではないので念には念をレベルの話だが、縁の方は割と重要だったりする。

 

俺のような例外を除けば、マヨイガに来れるのは生涯で一度のみ。

それがマヨイガの在り方であるが故に、縁が濃くなりすぎるのを嫌うのだ。

逆に薄すぎても駄目らしいから難しいところである。

 

もちろん俺という例外が既にいるように、理由や状況によっては許される場合もあるが。

あと、あくまで人間相手の話であってフェルドナ神やルミナ神のような神や、妖狐のような妖怪なら別に構わないそうだ。

 

という訳でコンの事は天狐、ミコトは廻比目(めぐりひもく)、ヤシロさんは耶識路姫(やしろひめ)、こんごうさん達は面霊気(めんれいき)と呼ぶことになる。

ヤシロさんとこんごうさん達は正確には(いみな)どころか(あざな)ですらないので別にそのままでもいいのだが、念のため皆と合わせておく。

 

何気にこんごうさん達の妖怪名って初めて言った気がする。

面霊気(めんれいき)とは精良(せいりょう)(仮面)に魂が宿って産まれた付喪神の事だ。

夜になると動き出し、持ち主に大切に扱ってくれるよう頼んだ逸話とかあった筈。

ちなみにこんごうさん達の隠す性質は、種族(面霊気)ではなく個体(彼らの在り方)由来の能力だそうだ。

 

「了解した。それで、どんなお客さんが来るのか分かるか?」

 

ある程度情報があるのなら事前準備も出来るしな。

 

「ふむ、どうやら吸血鬼のようじゃのう。しかも、ずいぶんと腹を空かせておるようじゃ」

 

空腹の吸血鬼か。

とりあえず空腹ならば食事でもてなせば印象は良いと思うが。

 

吸血鬼と言うからには血を吸うのだろうが、マヨイガで生き血なんて用意できるのか?

流石に自傷は避けたいし、妖怪鶏を傷つける訳にもいかないだろう。

 

「マヨイガ妖怪に鞘から抜くと刃から生き血が滴り落ち続ける短刀がおるから、別に用意するのは難しくないぞ」

 

おう、そんな妖怪までいるんだ。

しかも生き血の量は調節可能であり、血の種類まで自在に変えられるとの事。

じゃぁ、生き血は用意できるとして、普通の食事も用意しておくか。

血が飲めるだけで食事は普通にするタイプかもしれないし。

 

「じゃな。あとは女という事ぐらいしか情報は無い。直接会えば他心通なり宿命通なりで何とでもなるんじゃが、マヨイガが招く前にすると『(えん)』がのう」

 

此方から会いに行くと縁が濃くなりすぎてマヨイガ的に駄目な訳ね。

 

「とはいえ、マヨイガの意思が選んだ客じゃからな。お主に危害が及ぶようなことはあるまい。たとえ襲われたとしても、その前にマヨイガ妖怪が取り押さえるじゃろう」

 

守護狐であるコンがそういうのなら、安心しても大丈夫なんだろう。

 

「そもそも、それが出来ない程の相手をマヨイガは招くことが出来ぬからな。ルミナ神のように向こうから来たのであれば別じゃが」

 

というか、マヨイガの意思が呼ぶのならマヨイガの意思が知っているんじゃないのだろうか。

誰彼構わず適当に決めて呼ぶわけじゃないだろうし。

 

「確かにマヨイガに招かれるに相応しい人物を選んで呼び寄せている訳じゃが、その選び方は勘のようなものでのう。正確に言えば妖怪としての能力じゃから見誤る事はないんじゃが、マヨイガの意思にもなぜその人物が相応しいのかよく分かっておらぬそうじゃ」

 

なんじゃそりゃと思わないでもないが、それが妖怪としての能力と言うのなら仕方ないだろう。

何故それが分かるのかと問えば、それが分かる妖怪だからと返ってくるのが妖怪だ。

妖怪に理由を求めるのは重要な事だが、妖怪に理屈を求めるほど無意味なことは無い。

 

結局、どんな相手か分からないなら行き当たりばったりで対応するしかないか。

逆に言えば、それでも問題ないからマヨイガの意思は俺に頼んだとも言える。

というか、どう対応するかは俺の胸三寸(むねさんずん)次第で構わないそうだ。

よく言えば委任、悪く言えば丸投げである。

 

一応、仕来(しきた)りとして招いた相手にマヨイガ妖怪を一体授けて欲しいとは言われたが、俺が相応しくないと判断すれば渡さなくてもいいそうだ。

授けるマヨイガ妖怪はマヨイガの意思によって決められるが、俺はそれを却下する事が出来るという認識でいいだろう。

どのマヨイガ妖怪を授けるかは状況を見てコン経由で伝えるとの事。

 

「ミコトはどうするかな」

 

キツネツキの妻として、一応同席してもらった方がいいのだろうか。

いや、わざわざ起きてもらっているのも悪いか。

 

「その辺はミコトの希望次第で良いじゃろ。まぁ、おそらく同席を希望するじゃろうが」

 

ちなみにミコトは夜は普通に寝る。

もっとも、消耗した(つかれている)時でも無ければコンと同様に眠らなくても問題は無いらしいが。

 

 

 

なんてやり取りをしたのが今日の昼過ぎ。

夜も更け、準備を終えた俺たちは縁側でマヨイガのお客さんを待っていた。

 

ミコトは一緒にいたいとの事で、獣人形態(じゅうじんモード)で俺の横に座っている。

 

そしてコンは服装こそいつものやつだが、珍しい事に経立(ふったち)姿に化けているのだ。

非常に俺好みな姿なのだが、実は人の姿に化けるよりも気の消耗が大きい(疲れる)のであまり化けてはくれない。

 

それなのに何故化けているのかと言うと、サクトリアで見た劇に合わせようとしているのだ。

相手がそれを見ているかは分からないが、せっかく信仰の土台があるのだからそれに乗っかった方が信仰を集めやすい。

集めた信仰は(キツネツキ)を通してコンに還元できる。

最初は持ち出しの方が多くなるだろうが、中・長期的に見れば十分にコストを回収できる見込みがあるのだ。

 

ちなみにコンの経立(ふったち)姿はミコトと違い、体格は完全に大人の人間のそれだ。

ミコトの経立(ふったち)姿が二足歩行になった狐なら、狐を人間のカタチに当てはめたのがコンの経立(ふったち)姿といえる。

 

あと経立(ふったち)姿の消耗が大きいというのはコンの場合であって、妖怪によっては経立(ふったち)姿の方が消耗が少ないというものも多い。

この辺は得手不得手の問題だそうだ。

 

俺も異界神(キツネツキ)としてそれらしい話し方をするつもりだ。

神であるフェルドナ神の時とは状況が違うからな。

 

今日は妖怪灯篭(とうろう)も普段より明るく照らしているし、いつもは庭で五、六個見かける程度の鬼火の数があきらかに多い。

稲荷下げ状態なので夜目はきくのだが、たぶん裸眼でも足元の心配をしなくていい程度には光量があるだろう。

 

そして稲荷下げをしているのにコンが外にいる事から分かると思うが、今俺は天狐の面(こんごうさん)をつけている。

ただし、側頭部に斜めにつけているので素顔は見えている状態だ。

妖術を使う時に面を前に移動する演出(ギミック)とか格好いいかも知れない。

見栄えって妖怪には割と重要だからな。

 

ミコトもフェルドナ神から貰った髪飾りをつけている。

 

さて、そろそろ来る筈なんだが。

 

「丁度境界を越えたようじゃが……なんじゃ? 妙に気配が弱々しいのう」

 

「怪我でもしているのかもしれないな。迎えに行くか」

 

最近覚えた治癒の妖術(ヒーリング)の出番かもしれない。

 

「ミコトは念のため薬籠妖怪を連れて来てくれ」

 

「わかったのだ」

 

覚えたてだけあって効果の方はいまいちだが。

屋敷の中に駆け込んでいくミコトを背に、門の所までコンの『神足通』で跳ぶ。

門まで結構距離があるからな。

スッと突然現れて地に降り立つ様は強キャラ感が出ている筈だ。

 

異界神(キツネツキ)としてマヨイガの代わりをする以上、いかに畏怖(いふ)を集められる振る舞いをするかも重要になってくる。

簡単にいうと、いかに『凄そう』と思わせるかが大切なのだ。

 

畏怖とは(おそ)れおののくこと。

(おそ)れとは人知を超えた存在に対する敬服の気持ち。

 

敬い、恐れる。

 

妖怪を、そして神をそうたらしめる感情(信仰)

それを俺が失わせる訳にはいかないからな。

マヨイガの凄さをきっちりアピールするぜ。

 

で、肝心のお客さんだが……門の前でうつ伏せに倒れていた。

身長や骨格から察するに、人間であれば十七・八くらいの女性だろう。

 

(どうやら空腹で倒れているようじゃな)

 

コンから精神感応で詳細が送られてくる。

 

(ずいぶんと血を飲むのを我慢しておったようじゃの。いや、血を飲むことを(うと)んでおったというのが正しいか)

 

吸血鬼が血を吸わないってそれ大丈夫なのか?

妖怪としての在り方を自己否定しているようなものだぞ。

 

あ、いや、別に妖怪じゃなくて吸血能力を持つ生物としての吸血鬼という可能性もあるのか。

 

(残念ながらばっちり妖怪じゃよ。ただし、()()()のな)

 

ああ……()()()()

 

だとしても、下手をすれば気が狂うんじゃないだろうか。

あくまで知識として知っているだけなので、それがどれほどのものなのかは俺には分からないが。

 

(既に狂いかけておるよ。はよう血を飲ませてやらねば、本能を暴走させて人を襲い始めるじゃろう)

 

それはまずいな。

持ってきた妖怪巾着袋から、妖怪猪口(ちょこ)を取り出す。

妖怪巾着袋は見た目は小さな巾着袋なのだが、中にたくさん物を入れることが出来るという妖怪だ。

掌に収まるサイズの袋に、おそらくだが四畳半くらいの収納スペースがある。

 

妖怪猪口(ちょこ)一升(いっしょう)(おおよそ1.8リットル)もの液体が入り、しかも中の液体がこぼれないという妖怪だ。

猪口(ちょこ)とは小さな器の事で、一般的にはお酒を飲むための小さな(さかずき)を指すことが多いだろう。

共にいっぱい入る系の妖怪である。

 

妖怪猪口(ちょこ)には生き血を流す短刀の妖怪──号を『()紅葉(くれは)』というそうだ──に流してもらった生き血が注がれている。

 

さて、とりあえずこれを飲ませればいい訳だが、一つ確認しておかないといけない事がある。

コン、この吸血鬼は血を飲むことを(うと)んでいるとか言っていたけど、どういう事だ?

場合によっては血を飲ませたら更に厄介な事になりかねない。

 

(ああ、それか。それはこやつが一度吸血すれば、相手が死に至るまで吸い尽くしてしまうと本能的に理解しておるからじゃな。血を飲むことそのものではなく、飲んだ結果起こる事に対して疎んでおるんじゃよ)

 

なるほど。

ならこれは飲ませても大丈夫そうだな。

 

(うむ。おや、血の匂いに気付いたようじゃの)

 

いきなり吸血鬼の女性ががばっと顔を上げ、四つん這いになったかと思うと、俺の方に向かって跳びかかって来た。

 

うわ、びっくりした。

目の焦点が合ってないのが何ともまぁ──などと考えていられる余裕はあるんだけどな。

すごい速さで跳びかかって来ているのだが、稲荷下げ状態の俺なら容易く対処できる程度でしかない。

 

まぁ、それ以前に────

 

俺の腰に巻かれた帯が勢いよく伸び、蛇のようになって跳びかかる相手を空中でおしとどめる。

更に俺の懐から飛び出した(たすき)が蛇のように相手に絡みつき、両腕を拘束する。

 

蛇帯(じゃたい)』と『機尋(はたひろ)』。

二匹の蛇っぽい付喪神によって瞬く間に吸血鬼は捕縛された。

 

────マヨイガ妖怪が黙っていないからな。

 

それでも藻掻き続ける吸血鬼の口元に妖怪猪口(ちょこ)を持ってきて、中の生き血を流し込む。

お、飲んでる飲んでる。

飲む勢いが衰えたら妖怪猪口(ちょこ)を離そうと思ってたんだが、これは全部飲み干してしまいそうだな。

 

しばらく飲ませていると、徐々に瞳に理性の色が戻って来た。

……おっと、中身が空になったか。

凄い飲んだな、このヒト。

 

「え? え? 私、どうなってるの? 貴方はだれ?」

 

理性は取り戻したようだが、流石に状況は把握できずに混乱しているようだ。

気付いたら帯と襷で空中に縛られているとか、まぁ、理解できないよな。

とりあえず弁明しておこうか。

 

「門前にて倒れている貴方を見かけてね。何事かと思って近づいたらいきなり跳びかかってくるものだから拘束させてもらったよ。その分だと、もう大丈夫みたいだね」

 

劇で見た異界神の役を意識しながら口調を変える。

 

蛇帯(じゃたい)機尋(はたひろ)にもう大丈夫だから降ろしてあげてと伝えて拘束を解いてもらった。

 

「ご、ごめんなさい」

 

正気ではなかったとは思うが、自分が襲い掛かった事を認識できていたのか、彼女は両手を頭の後ろで組んで(異世界の作法で)あやまる。

心なしか顔が青ざめてるんだが。

 

(血を飲むことを拒絶したことで半狂乱となりお主を襲った。お主が血を飲ませたことで正気に戻り、無事なお主を見てそれは夢であったかと安心したが、夢ではないと返されて罪悪感を感じておるといったところじゃの。今のこやつの状態は)

 

そうなんだ。

やっぱり便利だな、コンの『他心通』。

 

「気にせずとも構わないよ。私にとって、あれはじゃれ合い程度でしかないからね」

 

とりあえずそれっぽい事を言って大物感と免罪の名分を出しておこう。

 

「そうそう、私が何者かだったね。私はこの異界たるマヨイガに住むもの、キツネツキ。そちらの世界では異界神と呼ばれているよ」

 

ちゃんと神格を持っているから嘘偽りはない。

こんな自己紹介する日が来るとはねぇ。

 

するとそれを聞いた彼女は突然地面に座り込んで足を広げ、手は後頭部で組んだまま顎を上げて目を瞑った。

顔は心なしどころか明らかに真っ青である。

一体何事!?

 

(これはこやつらにとって最大級の謝罪の姿勢じゃな。足を広げて座るのは容易に動けぬ、即ち逃げはせぬという事。顎を上げるのは(くび)を差し出す、即ち命を取られても文句は言わぬという事。頭の後ろで手を組むのはいかなる裁きにも抵抗せぬという事じゃ)

 

え? そこまでするような事なの?

 

(神罰と言うものは恐ろしいものじゃからのう。気にするなと言われても気になろう。どうやら例の劇を見たことがあるようじゃから、キツネツキがルミナ神と同格の神であると思っておるようじゃな)

 

「キツネツキ様、先ほどの無礼をお許しください」

 

だから気にするなって……いや、これは対応を間違えたな。

いくら気にするなと言ったところで、罪悪感と恐怖がある限り、それは彼女の心に打ち込まれた(悔い)となる。

悔いは恐れを呼び、恐れは疑心を招き、疑心は心を蝕み続ける。

だから必要なのは彼女の罪を否定する事じゃない。

 

「その謝罪を受け入れましょう。貴方の行いを許します」

 

明確に、罪を許すというその言葉だ。

 

「ありがとう、ございます」

 

それを聞いた彼女は両手を胸に当て、頭を限界まで下げて(異世界の作法で)感謝の言葉を述べた。

ああ、ようやくこれでまともに話せそうだ。

 

 

 

その後、薬籠妖怪を連れてきたミコトと合流し、彼女を屋敷の客間に招き入れる。

当初の予定とは違ったが、ついでに妙に小傷が多かった彼女の治療をミコトが行ったので薬籠妖怪の出番もあったと言っておこう。

 

そこで彼女はエルラ=ドグラムア=ガ=カロミラナルと名乗った。

エルラが名前でドグラムアが家名。

カロミラナルはドグラムア家が治めている地名で、ガは地名につけられる修飾語の一つだそうだ。

なんと彼女、貴族令嬢だったのだ。

 

で、そんなエルラさんが何故マヨイガの門の前で倒れていたのかという事だが、彼女は家出をしてきたらしい。

と言うのも、彼女が元人間であったというところに理由がある。

 

彼女の話を要約すると、人間だった頃の彼女は当然の事ながらドグラムア家に住んでいた。

だがいつの頃からか、家中の人間が美味しそうに見えるようになったのだという。

 

それは日に日に強くなっていき、やがて人間が食料にしか見えなくなってしまった。

しかし、辛うじて人間の意識を残していた彼女は、それに耐え続けた。

 

一度でもそれを喰らおうとすれば、己の牙をそれに突き立てれば、ぎりぎりで繋ぎとめている理性は砕け散り、その生き血を吸い尽くして殺してしまうと理解していたから。

 

己が人ならざる者、妖怪変化となってしまった事を理解してしまったから。

 

故に彼女は家を飛び出した。

 

彼女にとって家中の誰もが大切な人間で、誰も気づ付けたくはなかったから。

 

もう己の理性が限界であると、覚ってしまったから。

 

逃げるのは簡単だった。

妖怪変化、それも吸血鬼となった事で翼を出し、空を飛ぶことが出来るようになっていたから。

日の光で力は弱まるも、それが自分を傷つける事は無かったのも幸いだった。

 

そうして人のいそうな場所から逃げ続け、マヨイガに呼ばれたところで飢えにより力尽きたといった感じだ。

とりあえず生き血は飲ませたので、今は普通の食事でもてなしている。

 

しかし、人間が妖怪になる例はいくつか知っているが、どれだ?

 

(縁を辿ってみたところ、どうやら先祖の罪業じゃな。どうも若い人間の生き血を飲み続ければ、その生命力を取り込んで不老不死になれるという迷信に駆られたやつがおったようでのう。最終的にそれに気づいた実弟に討たれるまで、相当な数の人間が犠牲になったようじゃな)

 

うわぁ。

 

それでその罪業が巡り巡ってエルラさんに降りかかったと。

『親の因果が子に報う』ではないが、本人からしたらたまったものではない。

しかし、親の罪が子に及ばないってのは結構近代になってからの考え方なんだよな。

 

で、その因果を断てば彼女は人間にもどれるのか?

 

(もどれるじゃろうな。一人でも血を吸い殺しておれば吸血鬼として存在が確立しておったが、幸いこやつは誰も手にかけておらぬ。盃から血を飲んだ程度であれば問題はない)

 

なるほど。

なら『()()()()()()()使()()()()()()()な。

 

(じゃな。ではこやつを人に戻してやるのか?)

 

本人が希望するならね。

吸血問題が解決するなら吸血鬼の方がいいって思うかもしれないし。

 

(ふむ。ではマヨイガの意思からの伝言じゃ。もしこやつが人に戻る事を望むなら、不幸を切り分ける短刀『石割(いしわ)風月(ふづき)』を。望まぬのであれば生き血を流す短刀『()紅葉(くれは)』を渡してじゃほしいそうじゃ)

 

了解。別に拒否する理由も無い。

ところで、不幸を切り分けるってなんだ?

 

(重い不幸一つをいくつかの軽い不幸に分ける事が出来るんじゃよ。取り返しがつかぬものを取り返しがつくものに変えるというのが主な使い方じゃな)

 

へぇ。

 

(知っておるとは思うがマヨイガ妖怪に認められれば手に取るだけで何となく使い方は理解できる。故に詳しく説明せずともよい。もちろん解説したければしてもかまわぬが)

 

便利な力だよね、あれ。

今では使われていない形状の道具も多いから、持つだけで使い方が分かるのは助かる。

 

説明は会話の流れ次第かな。

 

(二本とも既に客間の外で待機しておる。儂に声をかければ運び込もう)

 

そのタイミングは俺に任せるって事ね。

それじゃぁ、彼女が食べ終わった時にするか。

 

 

 

「さて、食事は楽しんでもらえたかな?」

 

彼女の食事が終わったのを見計らって声をかける。

 

「はい、とても美味しかったです」

 

それは良かった。

 

「それじゃぁ、今後の話をしよう」

 

俺がそう言うと、エルラさんの表情が真剣なものに変わる。

 

「私は君に二つの道を示す事が出来る。一つは吸血鬼として生きる道。吸血鬼は人間より力が強く、様々な術を使え、遥かに長い寿命を持ち、老いる事が無い。血を欲するあまり人間を傷つけ殺める事を嫌っているようだから、誰も傷つけることなく血を生み出すことが出来る道具をあげよう」

 

(食料)が安定的に手に入る前提ならば、吸血鬼はメリットが大きい。

日光などの弱点もできるが、彼女の場合は精々普通の人間レベルまでスペックが下がる程度だ。

 

「もう一つは人間として生きる道。望むのなら、君を人間に戻してあげよう。再び吸血鬼になる事が無いように、不幸を乗り越える為の道具をあげよう」

 

そう告げたとき、明らかに彼女は動揺した。

おそらく、もう人間には戻れないと覚悟していたのだろう。

そこにこんなことを言われたら動揺するのも然もありなん。

 

「どちらを選んでも、望めば家まで送ってあげよう。知り合いのいない、遠き地へ向かうのもいい。人間に戻って家族の元に帰るか、吸血鬼として新たな土地で生きていくか、もちろん吸血鬼のまま家族の元に戻るという選択肢もある」

 

全ては君の選択次第。

 

ついでに考えている間に短刀(マヨイガ妖怪)を持ってきてもらおうと、コンに指示を出しておく。

既に部屋の外にあるようだが、演出的な意味でもいい感じに時間を置いて戻ってくるだろう。

 

「一つ、聞いてもよろしいでしょうか」

 

「何かな?」

 

「キツネツキ様は試練を乗り越えた者に神器を授けてくださる神と聞き及んでいます。しかし、私には何の試練も与えられていません。それなのに何故、そうまでしてくださるのですか」

 

それはただの劇の演出で、マヨイガが貴方を呼んだからです。とは言えんよな。

さて、どう言いくるめよう。

 

「確かに私からは試練を課していない。だけど私が試練を課すのは異界(マヨイガ)のものを持ち帰るに相応しい人物であるかを見極める為。であれば試練の内容は相手によって違うし、私が課した試練である必要はない」

 

判断基準自体は好ましいか好ましくないかだしな。

 

「君は吸血鬼となり、激しい吸血衝動に(さいな)まれながらも誰一人傷つけずに私の元へたどり着いた。それをもって、君が試練を乗り越えたと認めるよ」

 

ちょうどここでコンが戻って来た。

二本の短刀が乗せられた盆を、エルラさんの前に置く。

 

白木拵(しらきこしらえ)の方が『石割(いしわ)風月(ふづき)』、漆拵(うるしこしらえ)の方が『()紅葉(くれは)』じゃよ)

 

(こしらえ)というのは日本刀の外装のことである。

 

「吸血鬼として生きるのなら黒い鞘の短刀を手に取るといい。人間として生きるのなら白い鞘の短刀を取るといい」

 

その言葉で短刀に手を伸ばした彼女は────

 

 

 

 

 

「ふぅ、疲れた」

 

なんかこう、精神的に。

 

「あなた、格好良かったのだ」

 

畳に倒れ込んで大の字になる俺と、同じく畳に寝そべりながら俺の顔を眺めているミコト。

 

あの後の事は詳しく語る程でもない。

エルラさんは迷いなく『石割(いしわ)風月(ふづき)』を手に取った。

 

人として生きるのならばと少しだけ目を瞑ってもらっている間に縁切り刀である『宵桜』で罪業との縁を切る。

この際刃がエルラさんに触れる必要はないため、何をされたかも分からない筈だ。

 

その後怪異の正体を暴く照魔鏡で、吸血鬼の正体がエルラ=ドグラムア=ガ=カロミラナルという人間である事を暴く。

 

こうする事で妖怪化をサクッと戻せるのだ。

ちなみにこの方法は外的要因で妖怪化した場合にしか使えない。

 

後は家に帰りたいというので、マヨイガの境界を彼女の家の近くにコンが繋いであげた。

マヨイガに境界を少しいじってもらったので、多分外に出たら朝になっている事だろう。

 

しかし、神様らしくというのも疲れるな。

 

「お疲れさんじゃ。なかなか様になっておったぞ」

 

だといいんだけどね。

体をゆっくりと起こし、立ち上がる。

 

「それじゃぁ、俺はもっかい(もう一回)風呂に入ってくる。片づけはその後するわ」

 

「ボクも一緒に入るのだ。背中を流してあげるのだ」

 

「おう、一緒に入るか」

 

「後始末と午前の家事は儂がやっておこう。風呂から上がったらそのまま寝てしまって構わぬぞ」

 

気を使ってくれたコンに礼を言い、ミコトと一緒に風呂に向かう。

 

正確な時刻は分からないが、多分そろそろ丑三つ時だろう。

さて、風呂でゆっくり疲れを癒してから、柔らかい布団でぐっすり眠ろうか。

そんな事を考えながら、その日の夜は更けていくのだった。

 




『鷹は飢えても穂を摘まず』

鷹はどんなに飢えていても穀物をついばまない事から、高潔な人はどんなに困っていても決して不正には手を染めない事の例え。
『渇しても盗泉の水を飲まず』とも。


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File No.19-2 貴族令嬢 エルラの記憶

お待たせしました。

今回はお昼頃にももう一本、別キャラの話(千二百字程度の短いやつ)を投稿予定です。
よろしければそちらの方もご覧いただければと思います。

また、前回とセリフが違うのは例によってコンの(まじない)で彼女が理解しやすい言葉に変換されているためです。


私の一族、ドグラムア家はそれなりに格のある貴族であり、悪魔に呪われた家系だ。

ドグラムア家には数十年に一度くらいの周期で悪魔の呪いが降りかかる。

 

最初に呪われたのはドグラムア家の五代目当主であったヌレド=ドグラムア。

彼は昼間は善良な領主を演じながら、夜な夜な領民を攫っては血を吸い殺していたという。

そう、悪魔に呪われた人間は人の血を吸い殺す化け物になってしまうのだ。

 

その凶行に気付いた弟のカワド=ドグラムアによって討たれるまで、何十人とも言われる領民が犠牲になったとか。

 

それからだ。

ドグラムア家に悪魔の呪いが降りかかるようになったのは。

 

呪われる人間に法則性は見つかっていない。

男であった事も女であった事もあった。

当主の直系である事も、傍系である事もあった。

十代で呪われた者もいれば、六十を過ぎてから呪われる者もいた。

 

ただ一つ、全員がドグラムア姓を名乗っていた事のみが唯一の共通点だった。

 

そして一度呪われてしまえばその価値観は一変する。

共に過ごしてきた家族も、最愛の伴侶も、自分の子供達ですらただの餌(食料)になってしまう。

 

過去にはその悪魔の呪いに(あらが)おうとした者もいた。

その人は十日で気が狂い、理性を失った目で血を求めるようになった。

 

多くの人から少しずつ血を貰う事で、相手を殺してしまわないようにしようとした者もいた。

しかし、少しでも口をつければ血の魅力に取りつかれ、相手が死ぬまで口を離すことが出来なかった。

 

自分が呪われたという事実に恐怖し、行方を(くら)ました者もいた。

その人はしばらくして領民を襲うようになった事で発見され、ドグラムア家の私兵団によって討伐された。

 

人を手に掛ける事を嫌い、自ら命を絶った者もいた。

全てに共通しているのは、誰も人間に戻る事が出来なかったという事だ。

 

これが私の一族に残された記録。

悪魔に呪われた人間は悪魔憑きと呼ばれ、表向きには事故や病気で亡くなった事にされるのだとか。

 

幸いと言っていいのか、一度誰かが呪われれば次に呪われるまで数十年という猶予があった事で、ドグラムア家は現在に至るまで存続する事ができている。

 

「ルミナ様への信仰を疎かにすると、悪魔に呪われてしまうよ」

 

私が小さなころから聞かされてきた躾文句(しつけもんく)だ。

ドグラムア家は古くから標の神であられるルミナ様を信仰している。

それ自体は何も不思議ではなく、この躾文句(しつけもんく)だって神様の名前や結果に差異はあれどよくある言葉だ。

 

だけどドグラムア家の場合は他と少し事情が異なる。

戒めの言葉でもなんでもなく、実際に呪われているのだ。

 

もちろんドグラムア家はこの呪いをどうにかしようと過去に様々な手段で対抗してきた。

高名な神官に悪魔祓いを請うた事もあれば、呪いを解明しようと悪魔憑きの亡骸を腑分けした事もあった。

しかしそれを嘲笑うかのように悪魔の呪いは降りかかる。

 

そもそも呪われる周期が長すぎて効果があったかどうかわからない。

これならきっと大丈夫だろうと、何かをする度に安心して、代替わりして恐怖の記憶が風化した頃にまた呪われる。

悪魔の呪いは人の手に余るものだと、ルミナ様に深く信仰を奉じて救っていただく他ないという、ある種の諦めの言葉だったのだ。

 

そして現在に至るまで、悪魔の呪いは続いている。

 

信仰が足りないのか、あるいは救っていただいているからこそ数十年に一度で済んでいるのか。

きっと前者なのだろう。

実際に身内が呪われたのを体験すれば、その呪いが降りかからないように真剣に祈り、願うだろう。

しかしそれを知らない、伝え聞いただけの世代は、彼らほど真剣に祈るだろうか。

 

記憶は記録となり、恐怖は想像の中のものとなる。

早い話が、実感が持てなかったのだ。

 

ルミナ様への信仰を疎かにしたつもりは無いけれど、全霊を持って信仰を奉じたかと言われると頷けなかった。

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

最初は何かの間違いだと思った。

単なる錯覚、気の迷いだと。

私が幼いころから仕えてくれているメイドを、美味しそうだと思ってしまったのは。

それは日毎(ひごと)に強くなっていき、気が付けば口の中には小さな牙が生えている。

 

自分が人間ではない何かに変わっていく事に恐怖し、私は誰にも知られないように家の書庫を漁った。

あの躾文句(しつけもんく)が真実だったのなら、かつてそれが起こった記録があるはずだと。

ただの脅かしの為の嘘であれば、実際に呪われる筈なんて無いのだからと。

もしかしたらそこに呪いを解く方法が書かれているんじゃないかと。

 

そしてみつかったのは最初に話した記録。

それはただ、私を絶望に落とすだけの結果に終わった。

悪魔憑きとなった者で助かった者は誰一人いないという事実。

私はこの時初めて、心の底からルミナ様に祈ったのだった。

 

我ながら馬鹿げた話だ。

普段からルミナ様を信仰していると言いながら、神に縋るしか無くなってようやくこれとは。

 

そんな自分を嘲笑いながら部屋に戻り、夜を待って窓から飛び出した。

本能的に理解していた。

今の私には、夜の大空を飛ぶ翼を広げられると。

 

遠のく我が家を振り返ることもせずに翼を羽ばたかせる。

もう戻る事は無いと思いながら、ひたすら遠くを目指した。

 

このまま居てはきっと私は誰かを殺してしまう。

私は、怖くなって逃げだしたのだ。

自ら命を絶つことは、怖くてできなかった。

 

幾日も夜を飛んだ(オナカスイタヨオ)

 

飛ぶことの出来ない昼は影に隠れて眠った(チガノミタイヨ)

 

できるだけ人が住まない方角を目指した(ダレデモイイカラ)

 

更に幾日も過ぎて、私は力尽きた(チヲチョウダイ)

 

 

 

そして(アアアアアア)

 

 

 

美味しそうな匂いがする(チノニオイダ)

 

人が……いる?(ミツケタ)

 

だめ! 逃げて!(チヲヨコセ!)

 

 

 

それからどれだけ経ったのだろう。

一瞬だったのかもしれないし、長い間だったかもしれない。

口の中に広がる極上の美味で、私は理性を取り戻した。

 

駄目だと思いつつも口はそれを取り込むのを止めず、喉はそれを飲み続ける。

今まで口にした事のない味だったけど、これが人間の血であると確信があった。

同時に理解した。

私は人を殺してしまったんだって。

 

 

それを理解したとたん、霞がかっていた思考が澄み渡り、目の前の光景を理解する。

そこには小さな酒杯を持った男性と、人間サイズのミシロキツネが立っていた。

 

え?

 

周囲に私が血を吸い殺したであろう亡骸は無く、もしかして今のは空腹のあまりに見た夢だったのか。

良かった。私は人を殺してはいなかったんだ。

そう安心したところで私は自分の状態に意識が向いた。

私は今、長い布のようなもので全身を縛られ吊るされていると。

 

「え? え? 私、どうなってるの? 貴方はだれ?」

 

状況がさっぱり分からない。

何で私、縛られているの?

 

「門前にて倒れている貴方を見かけてね。何事かと思って近づいたらいきなり跳びかかってくるものだから拘束させてもらったよ。その分だと、もう大丈夫みたいだね」

 

彼の言っている意味を理解するのに少し時間を要した。

わ……私、人を襲ってたぁ!!

 

なんて事は無い。

ただ相手が強者だったから殺せなかっただけで、さっきのは夢でも何でもなかったのだ。

 

「ご、ごめんなさい」

 

結果的に何もなかったとはいえ、襲ったのはきっと事実なのだ。

拘束を解かれた私は、彼に謝罪する。

 

「気にせずとも構わないよ。私にとって、あれはじゃれ合い程度でしかないからね」

 

そんな私に、彼は何でもない風に言った。

 

「そうそう、私が誰かだったね。私はこの異界たるマヨイガに住むもの、キツネツキ。そちらの世界では異界神と呼ばれているよ」

 

その言葉を理解する事を、私の頭は一瞬だけ拒んだ。

彼は今、何といった?

 

()()()()()と、彼はそう名乗った。

それはルミナ様にも劣らない力を持つという、ルミナ様の神託によって広まった神様の名前。

 

キツネツキ神には人のように二本足で歩く動物の眷属がいるそうだ。

そして側にはまさしく神託そのままの眷属(二本足で歩くミシロキツネ)の姿が。

……という事は、この方は本当に異界神キツネツキ様!?

 

 

 

わ……私、神様を襲ってたぁ!!!

 

心の中で絶叫しながら、私が知る中で一番の謝罪の姿勢を取る。

生殺与奪の権利さえ相手に差し出し、その覚悟をもって許しを請う。

そしてそれは()()()()()()()()という意味でもある。

 

当然、この姿勢で許しを請うという事はそれだけの事をしているという事。

死構えと呼ばれるこの姿勢で謝罪した人は、ほとんどが殺されてしまうらしい。

その代わり、その覚悟に免じて()()()()()()()()()()()()()のだそうだ。

 

神を害するという罪。

 

普通であれば人間が神を害す事など出来ないのだけど、伝承に謳われるそれは本人のみならず一族郎党にも及ぶ神罰が下されている。

雷に打たれるといった直接的なものもあれば、近しい者たちが次々と不運や病によって命を落とすような間接的なものもある。

規模の大きいものでは、幾年にも及ぶ不作をもたらすといった国中を巻き込むほどの神罰もあったらしい。

 

きっと今、私の顔は恐ろしく青くなっているだろう。

 

「キツネツキ様、先ほどの無礼をお許しください」

 

死ぬのは怖い。

でもそれ以上に私のせいで家族やドグラムア家に仕えている人たちを神罰に巻き込むのが怖かった。

 

死構えにて謝罪の言葉を口にする。

せめてその罪は私一人に(あがな)わせて下さい。

 

「その謝罪を受け入れましょう。貴方の行いを許します」

 

……え?

 

ゆる……されたの?

 

目を開けるとそこにはほほ笑むキツネツキ様の姿。

 

それは最初から何でもない事だったというように。

その不敬は大した罪ではないというように。

実際にキツネツキ様にとっては子供がじゃれてくる程度のものであったとしても、血に飢えていた私には害意も殺意もあった筈なのに。

 

気付くと私は(こうべ)を垂れていた。

胸に両手を当て、感謝の気持ちを表す。

 

「ありがとう、ございます」

 

ああ、その御慈悲に感謝いたします。

 

 

 

 

 

「あなた、薬籠をお持ちしました*1

 

しばらくすると、籠のような物を持った小柄な狐人族の女性がやって来た。

ずいぶんと幼く見えるけど、キツネツキ神の呼び方からしてこの方が奥方様なのだろうか。

 

「ありがとう、メグリヒモク」

 

おそらくメグリヒモクというのが奥方様の名前なのだろう。

キツネツキ様もそうだけど、あまり聞きなれない響きの名前だ。

 

「ふむ、大きな怪我は無いようだけど、擦り傷なんかが多いね」

 

言われて自分の体を見てみれば、擦り傷や引っ搔いたような跡が多々見られる。

そういえばここまでの逃避行で人目を避けていた事もあって、狭い場所に身を潜めたり枝に体を打ち付けたりした事もあった。

きっとその時についた傷だろう。

 

ついでに言えば昨日ぐらいから空腹でふらつき、何度か倒れたのでその時かもしれない。

 

「まず先に怪我を治してしまおう。メグリヒモクよ」

 

その呼びかけにメグリヒモク様が薬籠の中から小瓶のようなものを取り出すと、中から霧が立ち込めてくる。

その霧は意志を持っているかのように私の体に纏わりつくと、みるみる内に傷が治っていった。

 

そういえばキツネツキ神は試練を乗り越えた者に神器を授けてくださる神でもあるのだとか。

きっとあの小瓶も、そんな神器の一つなのだろう。

 

傷を癒していただいた事に私が感謝の言葉を捧げると、キツネツキ様はとんでもない事を口にされた。

 

「せっかくここにたどり着いたんだ。屋敷に来るといい。歓迎しよう」

 

良く見ればここは門の前で、中には見たこともない様式ながら立派な屋敷が見える。

キツネツキ様が招いてくださっているという事は、そこはキツネツキ様のお屋敷な訳で。

 

え? …………えええええええええ!?

 

 

 

何故かキツネツキ様のお屋敷にお邪魔させていただく事になった。

キツネツキ様のお屋敷という事は、ここはキツネツキ神の神域であり神座という事で……

そして以前見た神託によって作られた劇によれば、白蛇の女神様(フェルドナ神)異界神様(キツネツキ神)から奇跡の作物(サツマイモ)を授けられた場所でもある。

 

そんな場所を──神域という選ばれた一握りの者達だけが入る事が許される神聖な場所を──キツネツキ神を信仰していた訳でもない私が歩いている。

 

一度は恐れ多いと辞退したものの、結局は押し切られてしまった。

履物を脱がなければならないなどの慣れない規則に戸惑いながらも、テンコ様というキツネツキ様の眷属に案内されてとある一室にたどり着く。

そこで低い机を挟んでキツネツキ様と座って対面する事になった。

 

最初から座る事を想定してある為か、床が何かの草を編んで作られていて普通の床よりも座り心地がいい。

自己紹介から初め、何故私があの場所で倒れていたのかを簡単に説明していく。

もっとも、私自身どうやってここまでたどり着いたのかは覚えていなかったので、何を思い何をしていたかが説明の中心となった。

 

一通り話し終えると、メグリヒモク様が木製のトレーに何かを乗せてやってくる。

 

「食事の用意をさせておいた。せっかくだし、食べていくといい」

 

私の前に置かれた大きめのお皿の上には、焼いた卵で包まれた何かの料理が載っている。

これは、もしやキツネツキ神からルミナ様に伝えられたという異界の料理『オムライス』では?

 

同様にキツネツキ神から伝えられたという菓子『カステラ』・我が国の伝統料理『キャオシリブ』と並んでルミナ様が神託で好物と明言され、我が国に広められたという経緯がある。

 

とはいえ卵はともかくソースに使う果実や米という穀物が一部の地方でしか作られていない事もあって、多くの場合は豆などを使った代替料理だそうだ。

それなりに贅沢を知っている私でも本物のオムライスを食べたことは無い。

 

途端に、私のお腹がぐーと鳴った。

 

そういえば逃避行では果実などで飢えを凌いではいたけれど、なるべく人のいる所から離れるのに必死になって満足に食事が出来たことなんてなかった事を思い出す。

恐れ多くとも既にここまで来ておいて食事に手を付けないのもいかがなものかと、自分に言い訳をしながら共に置かれていたナイフとスプーンを手に取った。

 

鮮やかな卵の黄色と、それにかけられた紅いソースの対比が食欲を刺激する。

卵の匂いを楽しみながらフォークで切れ目を入れれば、中から顔を出すのはもう一つの赤。

小さめに刻まれたキノコや野菜が混ぜ込まれた穀物が、未知の味への想像を掻き立てる。

 

まずは卵の部分から。

 

ソースのかかっていないところをフォークで切り分け、口に運ぶ。

しっかりと火を通しながらふわっとしていてトロトロな食感を残した卵は、しっかりとしたコクがあって今まで私が食べていた卵とは別物に感じる味だ。

 

次にソースをつけて食べてみる。

 

果実のもつ独特な風味を濃縮して造られたソースは、その濃い味で自らを主張しながらも卵の味わいを邪魔しない絶妙な加減で味の変化をもたらしている。

 

スプーンを穀物の方に移してすくい上げれば、中から小さな野菜たちが顔を出す。

 

一口味わうと先ほどのソースで味付けされた淡白な穀物の中にある野菜の甘味とキノコの旨味が調和し、シャキっとした野菜の食感やキノコの持つ弾力がふんわりとした穀物にアクセントを加え、見事なコントラストを描いている。

 

卵と穀物、そのどちらもが単体で十分な御馳走だ。

それを今度は同時にいただく。

 

特に濃い味付けをされた穀物を卵が優しく包み込み、それを更にソースが引き立てる。

何度も味が入れ替わり、まるでいくつもの料理を続けて食べているかのようだ。

それでいて、最後にはすべてが混じり合い一つの味にたどり着く。

 

貴族の令嬢として相応に良い食事をしてきた筈の自分の記憶にも、これほどの料理は食べた事が無い。

これが異界の料理『オムライス』。

ルミナ様ですら(とりこ)にしたという美食。

 

神々の為の食事と言われても納得できるこれを口に出来た幸運を噛みしめる。

時折付け合わせの野菜にフォークを伸ばしながら、私は最後の一片までオムライスを味わい尽くすのだった。

 

 

 

「さて、食事は楽しんでもらえたかな?」

 

オムライスの余韻に浸っていた私を、キツネツキ様の声が引き戻す。

 

「はい、とても美味しかったです」

 

幾つもの賛辞が浮かんでくるも、結局はこの言葉に尽きる。

如何なる賛美の句も、この美味を表現するには足りないと思わせるような食事だった。

 

「それじゃぁ、今後の話をしよう」

 

その一言で、気を引き締める。

既に帰る場所もない私にとって、これからの身の振り方は考えなければならない。

 

「私は君に二つの道を示す事が出来る。一つは悪魔憑きとして生きる道。悪魔憑きは人間より力が強く、様々な術を使え、遥かに長い寿命を持ち、老いる事が無い」

 

確かに悪魔憑きとなった私は人間の時とは比べられないほどに力が強くなり、空を飛ぶ翼を出したりなどの不思議な力が使えるようになっていた。

そうでなければ私のような一人で屋敷の外に出た事もない小娘が、ここにたどり着くまで生き延びるなんて事は出来なかったはずだ。

 

でもそれは……

 

「血を欲するあまり人間を傷つけ殺める事を嫌っているようだから、誰も傷つけることなく血を生み出すことが出来る神器をあげよう」

 

そんな事、当然分かっていると言わんばかりに告げられる言葉。

そこにあった衝撃の一言。

神器を……授けて下さるのですか?

 

だけど、そんな衝撃も、次の言葉の前にはさざ波でしかなかった。

 

「もう一つは人間として生きる道。望むのなら、君を人間に戻してあげよう。再び悪魔憑きになる事が無いように、不幸を乗り越える為の神器をあげよう」

 

え?

 

今、キツネツキ様は何といわれた?

 

私を……人間に戻す?

 

私は……人間に戻れるの?

 

「どちらを選んでも、望めば家まで送ってあげよう。知り合いのいない、遠き地へ向かうのもいい」

 

続く言葉が、上手く耳に入って来ない。

 

「人間に戻って家族の元に帰るか、悪魔憑きとして新たな土地で生きていくか、もちろん悪魔憑きのまま家族の元に戻るという選択肢もある」

 

逸る心を抑えながら、キツネツキ様の言葉を聞き漏らすまいと思考を回す。

 

「君は、どうしたい?」

 

その返答は決まっている筈だった。

 

だけど、言葉が出ない。

心が落ち着かない。

思考が纏まらない。

 

「一つ、聞いてもよろしいでしょうか」

 

「何かな?」

 

ようやく出た言葉は、最後に心に引っかかっていた(とい)だった。

 

「キツネツキ様は試練を乗り越えた者に神器を授けてくださる神と聞き及んでいます。しかし、私には何の試練も与えられていません。それなのに何故、そうまでしてくださるのですか」

 

私が信仰していた神はルミナ様だ。

キツネツキ神はルミナ様とは親しい間柄だと言われてはいるものの、私はキツネツキ神に信仰を捧げた事は無い。

まして許されたとはいえ私はキツネツキ様を襲っているのだ。

それなのに何故。

 

聞く必要のない(とい)だった。

 

何か企みがあるのなら答えてくれる筈もない。

 

疑ってはならない好意だったのかもしれない。

 

理由なんてない、ただの気まぐれかもしれない。

 

それでも、私は()うた。

 

これは、私が受け取っても良い物なのかと。

差し出されたものの強大さに、人の身で成しえぬ奇跡をさらりとやってのける神の力に、私は怖気づいたのだ。

 

「確かに私からは試練を課していない。だけど私が試練を課すのは異界(マヨイガ)のものを持ち帰るに相応しい人物であるかを見極める為。であれば試練の内容は相手によって違うし、私が課した試練である必要はない」

 

フェルドナ神は慈愛・勇気・知恵の三つの試練を乗り越えられたそうだ。

では、私はどうだっただろうか。

私はただ、逃げてきただけだ。

 

「君は悪魔憑きとなり、激しい吸血衝動に苛さいなまれながらも誰一人傷つけずに私の元へたどり着いた。それをもって、君が試練を乗り越えたと認めるよ」

 

見事だ、よく頑張ったなと言われた気がした。

 

悪魔憑きになったその日から、私は私が怖かった。

いつか私が私でなくなって、誰かを傷つけてしまうのが。

だから家を飛び出した。

私は、逃げ出したのだ。

 

だけど、キツネツキ様はそうは取られなかった。

悪魔の呪い(試練)に、屈しなかったと。

私の選択(逃げ出した私)を、肯定して下さった。

 

それは誰も傷つけない選択をした、勇気とやさしさなのだと。

甘美な誘惑を振り切り、自分の元に辿り着いたのだと。

その意志は、神の試練を越えるに値するものだったと。

そう言われた気がした。

 

「悪魔憑きとして生きるのなら黒い鞘の短剣を手に取るといい。人間として生きるのなら白い鞘の短剣を取るといい」

 

テンコ様が二本の短剣を私の前に置く。

 

気のせいだったのかもしれない。

 

弱い心が生み出した、都合のよい妄想だったのかもしれない。

 

それでも私は、キツネツキ様の言葉に救われていた。

 

 

迷いなく白い鞘の短剣を手に取る。

羽のように軽く、手に馴染む。

まるで短刀から持ち主と認められたように。

 

「人として生きることを選んだんだね。では、少しの間だけ目を閉じて」

 

言われるままに、目を閉じる。

すると、少しだけ風が舞った気がした。

 

「うん、もう目を開けていいよ」

 

時間にして二十も数え終わらない程度。

それだけで、私の体には変化が生じていた。

 

舌で触れてみても牙は無い。

掌を思いっきり握り込んでも大した力は出ない。

その背から翼を広げることも出来ない。

私は、人間に戻っていた。

 

「悪魔との繋がりを断った。これでもう、悪魔の呪いが降りかかる事は無い」

 

「ありがとうございます」

 

両手を胸に当て、可能な限り頭を下げて最大限の感謝を示す。

 

「では、これからどうする?」

 

キツネツキ様の(とい)

答えは決まっていた。

 

「私は、家に帰ります」

 

認めてもらえたからこそ応えたかった。

肯定して下さったからこそ胸を張りたかった。

例えそれが、そうあって欲しいという願望だったのかも知れなくても。

 

私は誰一人傷付けることなく悪魔の呪いを乗り越えたのだと。

自分の選んだ道を誇っていいのだと。

他ならぬ私自身に言いたかった。

 

その選択に、キツネツキ様は満足そうに頷かれたのだった。

 

 

 

 

 

テンコ様とは別の、メンレイキと呼ばれたミシロキツネに連れられて、屋敷の門を抜ける。

メンレイキ様の持つ見慣れない形の明かりが、夜道を明るく照らす。

 

少しの間歩き続けると、だんだんと辺りの様子が変わって来た。

それに加えて、道の先が明るくなっているのが見える。

 

気が付けば、朝日が昇っていた。

目を離したつもりは無いのに、メンレイキ様の姿もない。

そして目の前には見覚えのある門があった。

あれは、見間違う筈もない我が家の門。

もう二度と戻れないと思っていた我が家に、私は帰って来たんだ。

 

ゆっくりと門が開いていく。

その先にいたのは現ドグラムア家の当主、お父様だった。

何人もの使用人を引き連れ、お母さまや私の兄弟の姿も見える。

 

「お父様、私はっ」

 

「エルラ、よくぞ帰ってきてくれた」

 

突然姿を消しておいて何を言えばいいのかと口ごもった私に、お父様は駆け寄ってきて私を抱きしめる。

 

「お前が居なくなったあの夜、ルミナ様から神託が下された。お前はドグラムアの一族から悪魔の呪いを解くためにキツネツキ神の元へ向かったのだと」

 

ルミナ様がそのような事を。

 

信仰が足りないのだと思っていた。

だから悪魔に呪われたのだと思っていた。

でも、違った。

ルミナ様はきちんと見ていてくださった。

 

私がキツネツキ神の元に辿り着いたのは偶然じゃなかった。

ルミナ様が導いてくださっていたのだ。

 

「キツネツキ神に認められ、悪魔の呪いを解くことが出来ればお前は帰ってくると告げられた。だがそれは、認められなければお前は永遠に帰ってくることは無いという事ではないか。私はお前を信じて待つ事しかできなかった」

 

その時はきっと、知らないどこかで飢え死んでいたことだろう。

もしくは理性を失い、生き血を求める化け物として討伐されていたか。

二度とこの家に戻る事は無かったのは間違いない。

 

「そして今日の夜明け前、新たな神託が下された。日の出とともに、お前が帰ってくると。悪魔の呪いは解かれ、二度と呪われる者は現れないと、そうおっしゃられた」

 

私の呪いを解いてくださったあの時、断ち切られた悪魔との繋がりは、私のものだけではなかった。

今後悪魔に呪われる者が出ないよう、ドグラムアの一族との繋がりを断ち切ってくださっていたのだ。

そしてお父様たちは日の出とともに戻るという私を迎えに来てくれた。

 

「よくぞ無事帰ってきてくれた。愛しい、自慢の我が子よ」

 

気が付けば、私の目から一筋の涙が流れていた。

 

 

 

「おかえり、エルラ」

 

「ただいま、お父様」

 

*1
夫がお仕事中なので、それらしく振舞っているミコト




マヨイガ食事ブースト全開!
ちなみに敬称として様と神が混在していますが、今話では「神様の名前」を言っている場合は「神」、それ以外の場合は「様」となっているので表記ゆれではありません。
例外的にルミナ神の場合は常時「様」となっていて、これはエルラ嬢がルミナ神を信仰しているため、常に向き合っている状態にあると解釈して使い分けているためです。

初期プロットと随分構成が変わってしまった話でした。
最初はもうちょっと軽い話だったんですが。
キャラが動き出している証拠と、前向きに捉えるべきですかね。


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File No.19-3 マヨイガの意思の断片(壱)

本日二回目の投稿になります。

こちらから見ても問題ない構成にはなっていますが、前話をお見逃し無いようご注意ください。
また、(壱)とありますが、『File No.19』は今話で最後です。


(ふむ、こんなところで良かったかの)

 

十分だよ。

 

天狐からの声に返事をする。

タケル君なら大丈夫だと思っていたけど、もともと予定していた以上の結果が出ている。

 

(せめてもう少し情報が欲しかったんじゃが。あれは吸血鬼ではなく憑き物の(たぐい)じゃろ。それくらいは言ってくれても良かったんじゃないかのぅ)

 

広義的に言えば吸血鬼でもあるさ。

彼女自身は悪魔憑きと呼んでいたようだけど。

 

(まぁ、理由も分かる故、これ以上は言わんがの。タケルが血を飲ませたときに()()()()()()()()()()()()()し)

 

ああ、あれには驚いたよ。

 

変質した理由は分かる。

タケル君が彼女を吸血鬼だと認識したからだ。

 

ただ、フェルドナ神の時も思ったけど()()()()()()()()()()()

いかに変質への抵抗がほとんど無くなっているとはいえ、あれは早すぎる。

 

(そりゃぁ、まぁ。タケルじゃからのう)

 

タケル君だから?

 

(そうじゃよ。タケルは人間でありながら半歩、妖怪の世界を歩いておる。故に妖怪、そして神の本質に触れることが出来る。これはあやつが幼少の頃に(あやかし)に取り憑かれたせいじゃな。それだけにその影響力はすさまじい。呼ばれずともマヨイガに来ることが出来るのも、そのせいじゃしな)

 

タケル君が妖怪の側に踏み込んでいるのは知っていたし、本質に触れる事が出来るのも知ってはいた。

だけど、それだけであれ程まで変質させられるほど、妖怪というのは脆くない。

 

あと、幼少時に妖怪に取り憑かれたって話は初耳。

 

(変質させられるのではない、変容しようとしてしまうんじゃよ。あやつの信仰は、在り方は、意志は妖怪にとって心地よく、()()()()()()()()()()()

 

魅せられるが故に近づこうとしてしまう……か。

なるほど、ならあの変質……いや、変容速度も道理か。

 

(そういう訳じゃよ。ところで、一応確認しておくが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思ってよいな)

 

此方達(こなたら)には他心通も宿命通も通じないのに、どうしてそう直ぐに真相に辿り着くかな。

 

そうさ。

先日この事を伝えた時に推薦されたよ。

確かに此方達(こなたら)が呼ぶに相応しい人間だったから、そのまま呼ぶことにしたって訳さ。

 

(じゃろうな。結果的に呼ばれた人間にも、マヨイガにも、タケルにも益があった。三方良し……いや、間接的にルミナ神にも利がある事を考えると四方良しか)

 

そうだね。

しかもある程度の影響力を持ちつつ、大勢には影響しない。

今の状況であれば正に丁度良い人選だ。

 

(初手としては理想的じゃな。で、あと何度、茶番を演じるつもりじゃ?)

 

あのさぁ、何でわかるんだよ。

 

(謀り事には向いとらんな。隠すつもりがあるならせめて惚けてみせよ)

 

うぐっ。

はぁ、まあいいや。

 

最低でもあと二回。

此方達(こなたら)にも矜持がある。

無条件でとはいかないからね。

 

(もはや、早いか遅いかの違いでしかないと思うがのう)

 

そんな事はいい。

この事、タケル君には言ってないだろうね。

 

(言っておらぬよ。これはお主等(ぬしら)の口から伝えねば意味のない事じゃからな)

 

ならいい。

次も頼むよ。

 

(任せておくがよい)

 

 

 

『本妖に魅せられた自覚がないというのが、タケルの凄まじい所なんじゃよな』

 

ん? 何か言ったかい?

 

(ただの独り言じゃよ)

 




最初はタイトルを『誰かの記憶』にしようかと思ったけど、誰か謎のまま書くことが出来なかったので変更。


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File No.20  『富は一生の宝、知は万代の宝』

前話以前の時間経過の表記を少し修正しました。
改めて確認したら予定よりも累積時間が長かったので。

当初予定していた話が時間軸的におかしい事に気付き、修正も上手くいかなかったので話を前倒ししたけれどしっくりこず、結局説明回になってしまいました。
この回も今後の話を書く上で必要な話ではあるのですが。
お待たせして申し訳ありません。


「で、妖怪を構成する要素を大まかに分解すると、その正体たる『霊礎(いしずえ)』、性質を表す『霊柱(はしら)』、生態を決める『霊梁(はり)』、性格を指す『霊意(まとい)』の四つとなる。これらは人間側の認識に強く影響を受ける訳じゃ」

 

部屋にコンの話が響く。

 

一体何をしているのかというと、ミコトの妖怪の(くらい)を上げる為の修行の一環としてコンが講義をしてくれているのだ。

 

「例えば『霊礎(いしずえ)』であれば、それを人間がどのようなものと認識しておるか。器物なのか動物なのか、はたまた現象であるのか。正体を知っておるかどうかは関係なく、その正体をどのように思っておるかが妖怪の根底となる」

 

しかも、これは霊狐が修行の際に学ぶ妖怪の学問だ。

霊狐は妖怪の中では珍しく修行によって(くらい)を高めていくという特徴があり、その為の知識が学問として体系化されている。

 

ちなみに妖怪と関わるうえで知っておいた方がいいという事で、俺も昔コンに習った。

なので俺は内容は理解しているが、復習も兼ねて一緒に聞いている。

 

「では、他の『霊柱(はしら)』『霊梁(はり)』『霊意(まとい)』は人間のどのようなものに影響を受けるのか。タケル、答えてみよ」

 

「『霊柱(はしら)』は未知。『霊梁(はり)』は経験。『霊意(まとい)』は意思、どう思いどう接するかだな」

 

偶にこうやってコンの問いかけが飛んでくるので気は抜けないが。

 

「そうじゃ。未知の現象や行動を理解しようとする好奇心。現象や行動そのものが先にあり、それを起こす性質を持つものとして妖怪を想像する事で『霊柱(はしら)』は成る。どのような能力を持つかというのもここに由来するのぅ」

 

例えば『家鳴』という妖怪がいる。

 

家鳴りとは何もないのに家がギシギシなどと音を立てる現象で、科学的に言えば気温や湿度により木材や金属が膨張または収縮することによる軋みによって音が鳴るのである。

しかし、そんな事は知らない昔の人は、これが小鬼が家を揺らしているからだと想像した。

こうして『家鳴』は家を揺らす小鬼という霊柱(性質)を得たのだ。

 

「未知に由来する恐怖に(あらが)う、あるいは安心を得る為にその妖怪について自身の経験から想像する。これが妖怪の生態である『霊梁(はり)』を作る。弱点なんかもここじゃな」

 

『家鳴』の例で言えば、ただ木材などの軋みが原因で音を立てているのであり、家鳴りがしたからといって家が崩れるようなことは無い。

ならば何のために『家鳴』は家を揺らすのかと考えれば、中にいる人を驚かせて楽しんでいるからと想像するのはそうおかしな事ではないだろう。

 

よって『家鳴』は人を驚かすために家を揺らすが、驚かすことが目的なのでそれ以上の害は無いと()()()()()

これにより『家鳴』は悪戯好きで無害な妖怪という霊梁(生態)を持つ。

 

ちなみに、この未知と経験によって形作られたものが時を経て広まったのが伝承、すなわち妖怪への共通認識である。

 

「そしてその未知と恐怖に対してどのように向き合うのか。遠ざけるのか、立ち向かうのか、(なだ)めるのか。どう対応するかで妖怪の性格である『霊意(まとい)』は変わるのじゃよ」

 

正体にもよるが、敬意を以って接すれば他の悪い妖怪から守ってくれたり、知恵や力を貸してくれる妖怪は結構いるのだ。

悪くてもちょっと驚かされる程度で済む場合が多い。

逆に悪意を以って接すれば善良な妖怪でも危害を加えてくる事がある。

 

送り犬という妖怪がいるが、これは夜の山道を歩いていると後ろからついてくる犬の妖怪で、何かの拍子に転んでしまうとたちまち食い殺されてしまうという恐ろしい性質を持つ。

しかし、転んでも「どっこいしょ」と言って座ったふりをしたり、「しんどいわ」とため息交じりに休憩するふりをすれば襲ってこないのだ。

 

そして送り犬を恐れず、害さず、歯向かわずにいれば山道で他の妖怪から守ってくれるありがたい妖怪になる。

その場合は山道を抜けたら「お見送りありがとう」と感謝を述べたり、何か一品送り犬に捧げてあげれば帰っていく。

 

同じ妖怪でも恐怖に駆られて転んでしまえば恐ろしい妖怪となり、落ち着いて冷静に対応すれば害のない妖怪となり、暗い夜の山道の連れとして感謝すれば他の脅威から守ってくれる頼もしい妖怪となる。

妖怪への接し方、つまりどの方向から見るかで妖怪は在り方を変え、その性格を変えるのだ。

 

もちろん妖怪によってそのやり方は異なるので、ある程度相手の性質を見極められるようになる必要がある。

 

それが難しい初心者の場合、一番簡単な対処法は意外にも「一服(一休み)する」事だったりするのだ。

特に飲み物や菓子などを持っていたら口にするといい。

そうして心を落ち着けて妖怪を意識から外す。

 

妖怪はこちらの意思によって在り方を変える──という事は、そもそもこちらの認識から外せば妖怪にとってもこちらはいないも同然になるのだ。

そうなれば妖怪はそこにいる意味を失い、去っていく。

 

何をされてもそれを貫き通せる自信があるのなら、妖怪が見えていないふりをするのもいい。

ただ、既に目をつけられていたり執着されていた場合はその限りではないが。

 

「コンさん、質問なのだ」

 

「なんじゃ?」

 

「これって幽霊にも当てはまるのだ?」

 

「いや、幽霊には当てはまらぬのぅ」

 

幽霊も妖怪と近しいものではあるのだが、正確に言えばこの二つは別物だ。

多少の差異がある場合もあるが、死者の霊が生前の姿を取っているものを幽霊と呼ぶ。

 

人間側の影響を強く受ける妖怪と違い、幽霊の性質はその霊魂に由来する。

性格は生前のものと変わらないが、死に際の感情に思考が染まりやすいというのが注意しなければならないところだ。

 

例えば誰かを恨んで死ねば恨み思考のまま行動するので、その相手に危害を加えようとするだろう。

反対に誰かの身を案じていれば、守護霊となって守る事もある。

何かに執着してしまえば、地縛霊となってそれから離れようとしなくなる。

 

幽霊にとって死に際の記憶とは何十年と経とうと薄れ難いものなのだ。

 

「じゃぁ、人の魂が妖怪の正体だったらどうなるのだ?」

 

「ああ、その場合はじゃな────」

 

同じ死者の霊でも生前とは異なる姿を取っている場合は妖怪に分類される。

 

有名どころでいえば『小袖の手』だろうか。

遊女の未練が形見の小袖に宿り、何かを求めるように手を伸ばす。

何を未練に思っていたかは諸説あるようだが、それにより霊魂が人としての在り方(かたち)を保つことが出来なくなってしまうと他の人間の認識の影響を受けるようになる。

こうなると最早幽霊とは呼べず、その在り方も妖怪に準ずるのだ。

 

なのでミコトの質問に答えるならば、『元人間の妖怪も霊礎(いしずえ)が人の魂というだけで他の妖怪と同じように霊柱(はしら)霊梁(はり)霊意(まとい)から構成され、人の認識によって影響を受ける』となる。

 

ちなみに俺が着ている小袖の手の霊礎(いしずえ)は小袖そのもの。

要するに小袖の付喪神である。

 

「────という感じじゃな」

 

「わかったのだ」

 

なお、冒頭から俺が独白(モノローグ)をしている間はコンがそれぞれの項目について詳しく解説していたのであしからず。

妖怪向けの説明なので人間の感覚ではちょっと分かりづらいものだったから解説をいれさせてもらった。

 

「では続きじゃが、この『霊礎(いしずえ)』『霊柱(はしら)』『霊梁(はり)』『霊意(まとい)』の四つを併せた妖怪の在り方を構成する要素を『魄様(はくよう)』と呼び、それと対となる人間側の認識・未知・経験・意思を併せて『魂様(こんよう)』と呼ぶのじゃよ」

 

魄様(はくよう)魂様(こんよう)はお互いに影響を与え合う関係であり、その関係が魂魄(こんぱく)に似ている事からこのような名前で呼ばれている。

なので魄様(はくよう)魂様(こんよう)自体は魂魄と直接的な関係は無い。

 

この知識はあくまで妖怪側の学問の話なので、人間側だとこれを何と呼んでいるのかは知らないが。

 

「ふむ、良い時間じゃし、今日はここまでとしようかの」

 

「ありがとうございましたなのだ」

 

どうやらこれで今日のお勉強タイムは終わりらしい。

 

「分からぬところがあれば遠慮なく聞きに来て良いからのう」

 

「はぁい!」

 

コン曰く、ミコトは学問においても優秀で、物覚えが良く理解力も高いそうだ。

思えば料理についての知識が皆無の状態から、教えられればすぐにこなせるようになっていた。

これは俺もうかうかしていられないな。

 

ちなみにヤシロさんも学問を習い始めているが、こちらはまだ初歩の初歩なので同席してはいない。

 

「ぬ、耶識路姫から精神感応じゃな」

 

どうした?

 

「フェルドナ神が来たようじゃな。フォレア神も一緒じゃ」

 

ああ、そういえばそのうち連れてくるって言ってたな。

邪気溜りの一件の後もフェルドナ神は何度か来ていたが、フォレアちゃんが来るのは初めてだ。

それじゃ、迎えに行きますか。

 

 

 

 

 

「ふう、やっぱりマヨイガの中は気候がいいわね。あ、キツネツキくん。こんにちは」

 

「こんにちはなのです」

 

玄関まで迎えに行くと、玄関先で服についた雪を払っているフェルドナ神とフォレアちゃん、そして二柱を案内してきたらしいヤシロさんがいた。

 

「いらっしゃい。外は雪ですか」

 

「ええ、寒いったらないわね」

 

マヨイガ内はマヨイガの意思の気分で季節が変わるが、春先くらいの過ごしやすい気候にしてある事が多い。

周囲の山々(背景)は外の季節に合わせて変えてくれているので、過ごしやすいながらも季節感は忘れずに済んでいる。

 

今は冬という事で周囲の山々(背景に)は雪化粧が施されているが、流石に外の天気までは反映されていない。

 

「では何か暖かいものでも用意いたしましょう」

 

コンがヤシロさんに指示を出すと、相変わらず緊張しているヤシロさんは台所の方へ向かっていく。

結構場数を踏んできているとは思うのだが、神様のお相手はまだ慣れないようだ。

 

「さ、上がってください」

 

「お邪魔するわ」

 

「おじゃまします」

 

事前に説明されていたのか、フォレアちゃんもしっかりと履物を脱いで玄関に上がる。

そのまま皆でいつもの座敷へ向かったのだが、フォレアちゃんは日本屋敷が初めての為か物珍しそうにあたりを見回していた。

 

 

 

今日はプライベートという事で、特に席次を気にせずに座卓の周りに座る。

 

それからすぐにヤシロさんが甘酒を持ってきた。

ブドウ糖をはじめとする豊富な栄養を含み、体を芯から温めてくれる熱々の甘酒は、冷えた体を存分に癒してくれるだろう。

 

余談だが、甘酒は名前に「酒」とついているがお酒ではない。

 

甘酒には米麹(こめこうじ)を使ったものと、酒粕(さけかす)を使ったものがある。

このうち、米麹を使って作った甘酒にはアルコールが一切入っていない。

なので米麹の甘酒は、いくら飲んでも酔っぱらったりすることは無いのだ。

 

更に「飲む点滴」と呼ばれるほど栄養価が高く、美容に良い成分も豊富に含まれている。

もちろん飲み過ぎは体に良くないので、飲むのなら1日にコップ1杯くらいの量を目安にするといいだろう。

 

対して酒粕を原料にして作った甘酒は、酒粕自体にアルコールが含まれる事もあり、1%未満の微量なアルコールを有している。

しかし、日本の法律ではアルコール含有率が1%未満の場合はお酒ではなく清涼飲料水として扱われるのだ。

 

当然の事だが1%未満であってもお酒に弱い人は酔う場合があるし、多量に飲めばお酒を飲んだ場合と変わらない量のアルコールを摂取する事になる。

だからお酒じゃないからいくら飲んでも大丈夫って訳じゃないからな。

その状態で車とか運転したら、飲んだ量にもよるが普通に飲酒運転になるし。

 

ちなみにラクル村(正確にはラクル村の所属している国)では法によって飲酒できる年齢が制限されていないので、子供でもお酒を飲むこと自体はできるらしい。

 

今回ヤシロさんが持ってきたのは米麹の甘酒の方。

俺達の分も持ってきてくれたので口をつける。

うん、甘酒の優しい甘さが堪らないな。

 

 

 

「ところで、相談があると聞きましたが」

 

二柱が甘酒を飲み終えたのを見計らってそう切り出す。

 

座敷に来るまでに、簡単にだが要件は聞いている。

それによると俺に頼みがあって来たらしい。

 

「ええ、今この子(フォレア)にも神の役目(仕事)を少しずつ教えているのだけど、それを少し手伝って欲しいの」

 

フォレアちゃんはフェルドナ神の娘であり、神としての立場はフェルドナ神の眷属神という事になる。

 

生まれ方にもよるが、ミルラト神族は誕生の瞬間からある程度の知識と知性を備えている。

これは以前説明した、妖怪化の際にある程度の知識が刷り込まれる現象と理屈は一緒だ。

生まれたばかりでも子供ではなく、神としての役目を果たす義務がある。

 

とはいえ、知識はあっても経験が無い新神(しんじん)である事に変わりはない。

なので今は色々な経験をさせて出来る事を増やしている段階だという。

今回、マヨイガに連れてきたのもその一環だとか。

 

俺個神(わたしこじん)としては吝かではありませんが、あまり力にはなれないと思いますよ」

 

なんせ一応俺も神格を持つに至った身ではあるが、神の役目なんてやっていないのである。

 

これは俺が異世界で信仰されているにも関わらず、信仰されている世界に領域を持たない異界神だからだ。

閉じた世界の神であるが故に、成すべき役目そのものが存在しないのである。

 

……というのが表向き。

 

実際には異界神なのに異界では神ではないからやる事も無いだけだが。

 

「手ずからフォレアに何か教えて欲しい訳じゃないわ。今後、この子を使者として遣わす事も出てきそうだから、キツネツキ君にその練習相手をして欲しいの」

 

それでも、異界では神でなかろうとフェルドナ神にとって俺は異界神である。

キツネツキ呼びをしているという事は、彼女は俺を神として見ているという事。

ならば俺も異界神として応じるのが筋だろう。

 

ちなみに、禰宜呼びした場合は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)に仕える者として、タケル呼びした場合は普通に人間として応じる。

後者は滅多にないけどな。

 

俺的には構わないが、マヨイガ的にはどうなの?

 

(歓迎する。との事じゃ)

 

コンに確認を取ってもらおうとしたら、すぐに答えが返って来た。

マヨイガも乗り気らしい。

 

「それぐらいでしたら構いませんが」

 

「ありがとう。うちの近くだとフォレアより神格の高い神がいないから、格上の神への礼節を実践する機会が中々なくてね」

 

フォレアちゃん、新神ではあるが神格は結構高い。

というのも、フェルドナ神の神格がラクル村周辺の神々の中では桁外れに高くなったのが主な要因だ。

 

サツマイモの神として大出世を果たした彼女だが、実はミルラト神族全体で見ればその神格は中の下といったところでしかない。

神格の高さと神々の数の関係はピラミッド型になる為、平均値や中央値よりは上だそうだが。

 

これは単純にサツマイモが広まった地域がまだ少ないからだ。

ルミナ神の情報戦略(フェルドナ神を題材にした劇)などで名は広まっているものの、その恩恵を実感しているのはミルラト神話圏の総人口からすればごく僅かでしかない。

 

もっともこれはあくまで時間の問題でしかなく、そう遠く無いうちにサツマイモはミルラト神話圏全体に広まるだろうというのがルミナ神の見立てだ。

その頃にはフェルドナ神も上位の神の仲間入りだろう。

 

むしろ元々辛うじて下の中くらいだった畏怖(神格)信仰(神威)を僅か半年で、それもほとんど自力でここまで高めたのは偉業と言ってもいい。

 

話が逸れたが、ラクル村周辺で見れば桁外れの神格を持つフェルドナ神の眷属神ともなれば、それ自体が高い神格を与えられる理由となる。

ちなみに俺の神格が高いのもこれと同じ原理で、ルミナ神の友神という肩書が神格を引き上げているのだ。

 

しかもフォレアちゃんは神威 1,600という自身の神格に相応しい実力を兼ね備えている。

ぶっちゃけラクル村周辺に限ればフォレアちゃんを止められるのは実力的にも権威的にもフェルドナ神だけなのだ。

 

補足しておくと、この場合のラクル村周辺という言葉は守護神であるフェルドナ神の活動圏内という意味。

 

村などの守護神であれば両手で数えられる程度。

あくまでその範囲にいるだけの自然神も合わせれば、優に百を超える神がいる。

もちろん、異界であるマヨイガは含まれない。

 

「失礼します、甘味をお持ちしました」

 

丁度ここでおやつを取りに戻ったヤシロさんが帰ってきた。

人数が多いからかお盆ではなく岡持ち(食べ物を運ぶための桶)を使ってる。

確かあの岡持ちもいっぱい入る系の妖怪だった筈だ。

 

ヤシロさんは岡持ちの上蓋を取り外し、中から団子や饅頭、煎餅に落雁など多種多様な菓子を取り出す。

 

あ、金平糖がある。

そういえばあの妖怪菓子箱は和菓子しか出せないものの、元々は海外から入って来た菓子であっても日本で独自の発展を遂げたものであれば和菓子扱いになる為、出すことが出来るそうだ。

 

しかし、やけに種類が多いな。

取り皿やフォークなどの食器も一緒に配っている辺り、好きなのを取ってくれという事か。

 

「お好きなものをお召し上がりください」

 

俺がそう促すと二柱は一言二言返し、それぞれ思い思いに手を伸ばす。

特にフォレアちゃんは並べられたお菓子を前に目を輝かせている。

フェルドナ神へのお土産に持たせた事は何度もあるが、これだけの量のお菓子を見るのは初めてだろう。

 

フェルドナ神の抜け殻から生まれたフォレアちゃんは、フェルドナ神の嗜好を受け継いでいる可能性が高い。

甘い物好きなフェルドナ神と同じように、フォレアちゃんも甘いお菓子が好みなのだろう。

 

話しているのは神の役目(仕事)の事でも、今日のフェルドナ神はプライベート。

存分に甘味を楽しみながらでも問題はあるまい。

 

まぁ、そんな訳で。

美味しそうにお菓子を頬張るフォレアちゃんを眺めながら、俺たちは今後の予定を話し合うのだった。

 




前半の妖怪の学問は創作……正確には私の妖怪観になります。
霊柱(はしら)』や『魄様(はくよう)』などの単語は(同名の単語があるかもしれませんが)基本的に私の造語です。


『富は一生の宝、知は万代の宝』

財産は一代限りの宝だが、優れた知識は当人のみならず後世の人々にとってもかけがえのない永世の宝となるという意味。

そんな宝物を私たちも代々受け継いでいるのです。


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File No.21-1 『情けは人の為ならず』

今日は試験的に今話も含めて三回更新を予定しています。
お昼過ぎに別キャラというか別語り口のお話。
晩頃に千五百字程度の短い話を投稿予定です。
よろしければそちらの方もご覧いただければ幸いです。

File No.13のあとがきに天狐の尻尾の数について追記。
これ二十年程度の比較的新しい伝承の可能性があるみたいです。

過去話で異世界の動物の名前を異世界感を出すためにカタカナ語で名付けていましたが、いまいち表現しきれていなかった為、今話の内容を理由として変更いたしいました。
具体的には、
「ホーンベア」→「オオツノクマ」
「ホワイトフォックス」→「ミシロキツネ」
となります。

タグに「伝承の独自解釈」を追加しました。


『タケルよ。今日の夕刻前にマヨイガが客を呼ぶそうじゃ』

 

屋敷の掃除を終え、一息ついた俺にコンがそう言った。

またキツネツキとして対応すればいいのかな。

 

『そうじゃな。ただ、此度は持て成す必要はないそうじゃ。屋敷に上げる必要もない』

 

ふむ。

ならそんなに難しくはないか。

玄関か庭辺りで話を聞き、それっぽい事を言って指定されたマヨイガ妖怪を渡せば終わりだ。

 

一応聞くけど、『必要ない』ってだけで『してはならない』訳じゃないよな。

相手の希望によっては検討する必要もあるから確認はしておきたい。

十中八九前者だろうけど。

 

『前者じゃよ。これに関しては相手が望まぬじゃろうという話じゃ』

 

了解。

 

『どうやら人を探して居る所を招くらしい。探し人の居所も見当はついておる。後は会いさえすれば縁を辿って詳細も知れよう』

 

ああ、なるほど。

人探し中に呼ばれたなら持て成されるよりも早く探しに戻りたいと思うわな。

 

だったら渡す予定のマヨイガ妖怪は、相手の居場所を知れるか相手の元へ辿り着く能力を持った妖怪かな。

正直、マヨイガ妖怪の四半分も把握していないからどんな妖怪かは分からないが。

 

『いや、探し人の元への案内は面霊気(儂の式神)がする。本来はそこまでする必要は無いんじゃが、そこはまあキツネツキ神の懇情(親切心)という事で』

 

コン達にとっては大した手間でも無いから、ついでに感謝(信仰)の一つでも得られれば儲けものって事ね。

だったらどんな妖怪が行くんだろうか。

 

『ある程度候補は決まっておるそうじゃが、最終的には直接会ってからじゃな。なんせ相手が相手じゃし』

 

相手が相手って、なんかすごい人でも来るのか?

 

『あ、いや。単純に珍しいというだけじゃよ。此度の客は──(ふくろう)だそうじゃ』

 

…………え? (ふくろう)

 

 

 

 

 

フクロウと言えば何を思い浮かべるだろうか。

 

夜の森でホーホーと鳴く姿か、首をぐるりと反対まで回す姿か、音もなく獲物に襲い掛かるハンターの姿か。

異世界のフクロウも、現世のフクロウとそう変わらない姿や生態を持っているらしい。

正確には、そう変わらない姿や生態を持っているから俺たちはフクロウと呼んでいると言うべきか。

 

件のフクロウは異世界では『セマダラフクロウ』と呼ばれているそうだ。

もちろん、実際の発音は異なる。

 

ここで一つ『以心伝心の呪い』の仕様について説明しておこう。

 

『以心伝心の呪い』は言葉にのせられた意味、つまりは認識を媒介にして言葉を翻訳する。

例えば俺が『鳥』という言葉を発した場合、その言葉に俺の『鳥とはこういうもの』というイメージが乗る。

そしてそれを聞いた相手には『こういうものを鳥という』というイメージが伝わり、相手側のそれと一致する言葉が聞こえるのだ。

分かりづらければ一緒に鳥の写真や絵が伝わると思ってもらえれば近いだろうか。

 

ただこの(まじな)いにも欠点があり、そもそもお互いに共通の認識を持っていなければ翻訳に失敗する。

 

具体的な例を上げれば、俺が『蝶』と言ったとする。

すると蝶のイメージも一緒に伝わるのだが、相手が蝶を知らずこれは蛾だと認識した場合、相手には『蛾』と翻訳されてしまうのだ。

蝶と蛾の区別はそもそも曖昧ではあるのだが、こういう事が起こりうると理解してもらえればありがたい。

 

そもそも相手にその概念すらない場合はそのまま音で伝わる。

俺が『電気自動車』と言った場合、そのイメージに該当する認識が無ければ相手には『でんきじどうしゃ』と音で伝わり、相手はそれが何なのか理解できない。

 

逆に共通する認識さえあればどんな言葉でも翻訳できる。

例えば相手が『薄く切った二枚のパンに肉や野菜などの具材を挟んだ料理』の事を言えば、それがオリジナルの名詞だろうがサンドイッチ伯爵がいなかろうが俺にはサンドイッチと聞こえる。

もちろん相手の認識や言い回しによっては卵サンドイッチやBLTサンドイッチと聞こえる場合もあるだろう。

 

先の『背斑梟(セマダラフクロウ)』も、異世界人が『背中に(まだら)模様のある梟』という意味の名前で呼んでいるからそう翻訳されているだけなのだ。

異世界の言語で発音した場合は『ロウシキマパナパナ』だってさ。

 

ついでに言うとそのフクロウを俺がセマダラフクロウという名前だと認識したことで、以後他の名前で呼ばれたとしても俺にはセマダラフクロウと聞こえるだろう。

 

そして固有名詞になるとちょっと複雑になる。

 

例としてフェルドナ神の名前は白い蛇という意味だそうだが、その発音自体を名前として認識しているのでフェルドナという音が伝わる。

逆に自分の名前を『白蛇(フェルドナ)』だと認識していた場合、俺には白蛇(しろへび)とか白蛇(はくじゃ)とか聞こえるだろう。

表現の仕方によってはホワイトスネークと聞こえる場合もある。

 

蛇足だが、フェルドナ神の神体って『ミズキリ』って名前の蛇のアルビノらしいね。

水面(ミズ)切る(キリ)ように泳ぐことからこの名が付けられたそうで、『ヒバカリ』に近い生態の異世界独自の種のようだ。

異世界の言語での発音だと『リピチュアー』となるらしい。

 

話を戻して、山元五郎左衛門殿の場合はどうなのか。

俺は漢字表記で認識しているが、別に五郎左殿が漢字で名前を言っている訳ではない。

 

五郎左殿の国の言語は日本語と構成が近く、意味を表す文字(日本語でいう漢字)音を表す言葉(同じくひらがな)の組み合わせで物事を表現する。

その為、固有名詞が普通名詞と同じように日本語に変換出来てしまうのだ。

なので『以心伝心の呪い』を使わずに名前を聞けば、全く別の発音をしている事だろう。

 

例外はあれど、漢字のような表語文字(文字自体が単語を表す文字)を使っている場合は漢字で、アルファベットのように表音文字(音を表し組み合わせて単語となる文字)を使っている場合はひらがなやカタカナで認識できる。

 

あとは、単位とかも翻訳可能だ。

特に長さや重さなどは数値も合わせて[(メートル)]や[g(グラム)]等に変換してくれる。

 

ただ、概念的には同じでも実際のサイズは異なっている場合があるので注意は必要だ。

分かりやすいのは[年]かな。

[年]は簡単に言えば地球が太陽の周りを一周する時間の単位な訳だが、異世界の人たちが住む星が異世界の太陽の周りを一周する時間は地球のそれより少し短い。

なので一年と言えば俺にとっては365日だが、異世界においては361日のことだったりする。

 

 

 

さて、大して面白くもない解説はここまでにしておこう。

 

時刻は飛んで、もうしばらくすれば日も沈み始める時間帯である。

今日は必要な家事は済ませたから、多少遅くなっても問題は無い。

 

ミコトとコンを連れて門の後ろで適当にぶらつく。

普段は開いている日本屋敷の門だが、今日は閉ざされたままだ。

 

まぁ、これは単なる演出である。

お客さんを屋敷に上げる訳でも無し。

門が開いたらキツネツキがお出迎えという訳だ。

異界という事もあり、出口に近いところで対応した方が相手の心理的ハードルも下がるだろうとの考えもある。

 

門の外(正確には境界の近く)ではなでしこさんが件の梟が来るのを待っており、見つけ次第こちらへ案内する手筈となっている。

マヨイガの中に入ればマヨイガの意思が居場所を把握できるので、予定外の場所から来ても見逃すことは無い。

 

ただ待ってるのも暇なので、手慰(てなぐさ)みにお手玉でもしてみるか。

 

(ふところ)から取り出した妖怪御手玉を放り投げれば、一個から二個、二個から三個と増えていく。

俺だと三つが限度だな。

 

するとミコトが自分もやると言うので、増えた分をミコトに放る。

お手玉の数を四つに増やし、数え歌に合わせて二人で玉をやり取りする。

 

この数え歌はミコトに教えてもらったものだ。

ミコトの作者である狩谷(かりや)栄玄(えいげん)がよく歌っていたそうだ。

彼女以外が歌っているのを聞いた事は無いそうなので、彼女の創作かも知れない。

 

一つ語りて 日も落ちて

心躍るや 大祭(おおまつり)

(わらべ)を誘う お囃子(はやし)

一緒に遊ぼと 誰かさん

 

二つ語りて 笛太鼓

猫も杓子も 踊り出す

揃いの面を 身に着けりゃ

いつしか()じる 白狐(しろぎつね)

 

三つ語りて──「楽しんでおるところを悪いが、来たようじゃぞ」──おっと、すまん。

 

妖怪御手玉を一つに戻し、懐へしまう。

身嗜みを整え、門の後ろで待機。

 

式神(なでしこ)からの精神感応によると、人を探している事は既に聞き出したようじゃ。キツネツキなら力になれると言って連れてくるようじゃぞ)

 

了解した。

 

少しだけ時間が経過すると、屋敷の門がゆっくりと開き始めた。

誰かが開けている訳ではなく、もちろんこの門も妖怪だからである。

外からくる悪いものを防ぐという役目を持ち、マヨイガ妖怪の中でも結構上位の力を持つ妖怪なのだ。

 

ちなみにこの門はあくまで屋敷の門なので、マヨイガ自体はもっと先まで続いている。

 

そして門の外にはなでしこさんと一匹のフクロウ。

……このフクロウ、全身金属光沢のある銀色(シルバーメタリック)なんだが。

 

(ほぉ、奇麗な色の(ふくろう)じゃのう。この輝き、おそらく構造色というやつじゃな)

 

構造色といえば色素ではなく層や微細な凹凸(おうとつ)が光に干渉する事で生み出される色の事である。

顔料による着色と異なり、紫外線などで脱色しない等の利点がある。

 

よく知られている例だと、モルフォチョウの鮮やかな青が構造色だ。

他にもタマムシやカワセミなど多くの生物がこれを使っている。

身近なところだとシャボン玉の虹色もそうだな。

 

銀色だと……秋刀魚(サンマ)が代表例か?

 

「ようこそ、マヨイガへ。私はキツネツキ。こちらは妻のメグリヒモクと使いのテンコだ」

 

言葉を持たない動物相手には、流石の以心伝心の呪いをもってしても会話する事は出来ない。

意思疎通自体はできなくはないものの、簡単な単語のやり取りが精々だ。

 

しかし、こちらがどんな意思を持って話しているかを一方的に伝えるだけなら何とかなる。

相手が理解できるかは別として。

 

「は、はい。私はしがない(ふくろう)にございます。名は持ちませぬ故、名乗らぬことをご容赦ください」

 

……普通にしゃべってる。

 

良く見ればこのフクロウ、妖怪じゃん。

多分霊威は100もない。

本当に妖怪になっただけのフクロウって感じだ。

 

まぁ、そっちの方がやりやすいからありがたいのだが。

 

随分と不安そうにしているが、状況が状況だし仕方ないだろう。

俺がどう見えているかは分からないが、コンやミコトが遥かに格上の妖怪だという事くらいは分かるだろうし。

 

「さて、ヒトを探していると聞いているのだけど、どんなヒトだい?」

 

「はい。先日、私を助けて下さった男の人です。多分、猟師で年の頃は二十程かと」

 

フクロウが人間の年齢を数字で答えることに違和感を感じるが、多分妖怪になった時に得た知識なのだろう。

それでコン、探し人の場所は分かりそう?

 

(うむ、縁を辿って住処は見つけられたぞ。というか、これはあれじゃな。フェルドナ神に鹿肉を捧げた猟師じゃな)

 

俺たちが半分貰った念物(ここのぎ)のやつ?

 

(じゃな。村の外れに住んでおるようじゃ)

 

ふむ。

 

「その者はこのような顔の男じゃろうか?」

 

コンが幻影で男の姿をうつすと、フクロウは驚いたように目を見開いた(ような気がする)。

 

「そうです、その人です」

 

「ああ、フェルドナ神の所の。ラクル村の猟師だね」

 

いかにも知っている顔ですよという風に話す。

これも一つの演出だ。

 

「ところで、何でこの人間を探していたんだい?」

 

俺の問に、フクロウが語り出す。

曰く、ある日運悪く獣用の罠にかかってしまった自分(フクロウ)を助けてくれた恩人で、恩返しがしたいのだという。

鶴の恩返しならぬ、梟の恩返しってことかな。

 

(タケルよ、この者の元へ行く妖怪が決まったそうじゃ。じゃからこうこうこういう風に儂に振れ)

 

了解。

 

「ふむ。()()()()……ようだね。テンコよ、あれを持ってきてくれ」

 

「はっ」

 

コンから精神感応で具体的なイメージが飛んできたので、それにそって話を振る。

するとコンの姿が溶ける様に消えた。

多分、神足通による瞬間移動だろう。

 

俺はとりあえずフクロウの方に向き直す。

 

「さて、せっかくマヨイガまで来たんだ。上がって寛いでいきなさい……と本来なら言うところだけど、君からしたら一刻も早くその者の所に行きたいだろう。メンレイキよ、この者を彼の元に案内して差し上げなさい」

 

「はい、畏まりました」

 

「え!? あっ! ありがとうございます」

 

その言葉に驚いたような声を出すフクロウ。

場所を教えてくれるだけならともかく、案内までしてもらえるとは思っていなかったか。

 

それとも……まぁ、何にせよこの状況だとこうしか言えないとは思うが。

今の状況をフクロウ視点で考えると、相手のホームグラウンドに連れ込まれて自分より遥かに格上な妖怪たちの間で話が勝手に進んでいるって感じだからな。

 

「お待たせ致しました」

 

そこにコンが羽織を一枚持って来た。

羽織ってのは和服の一種で、丈の短い外衣の事。

 

「恩を返すにもその姿では不便だろう。この羽織を使うといい」

 

コンが羽織をフクロウに掛けてやるとポンと煙が立ち上り、その姿が変化する。

二十歳くらいの大柄な女性。

ミルラト神話圏基準でいえば結構な美人さんである。

 

なんか所々フクロウっぽい部位(パーツ)が見受けられるが、梟の獣人ですと言われたら納得してしまえる程度だ。

羽織の下はラルク村でもよく見かける意匠の服だな。

 

「一度羽織を脱いで再び着れば元の姿に戻る事が出来る。ただし、その姿のままで羽織を失くしてしまうと、元の姿に戻る事が出来なくなるから注意しなさい」

 

コンから精神感応で伝えられた羽織の説明を語る。

妖怪が人の姿に化ける為の道具(マヨイガ妖怪)だそうだ。

ただ、あんまり精度は良く無くて、耳とか尻尾とか残ってしまうらしい。

 

「その羽織は差し上げよう。恩返しが上手く行くことを祈っているよ」

 

「い、いえ、これほどのものを頂くわけには……」

 

まぁ、そうなるよね。

案内くらいならともかく、初対面の相手からいきなり羽織を送られても反応に困るだろう。

なので適当な理由をつけておく。

 

「なに、気にする事はないよ。以前、君の探していた人間がフェルドナ神に捧げた物。その裾分(すそわ)けを私も頂いていてね」

 

丁度いい縁があったので出汁(だし)にさせてもらおう。

 

「その善報(ぜんぽう)という訳ではないけど、君の恩返しが彼の幸せに繋がるのであれば、私はそれに少しだけ上乗せしてあげようというだけさ」

 

「ですがその……」

 

こういう時は妖怪は分かりやすい。

感情を揺さぶってあげれば、その心理状態が霊威に出る。

 

困惑、遠慮、後ろめたさ。

それが……ん? 後ろめたさ?

 

(あぁ。それなんじゃが、こういう風に対応して欲しいんじゃよ。おそらく、それで上手く行く筈じゃ)

 

了解。

 

「それに、だ」

 

精神感応で送られた通りに言葉を紡ぐ。

 

「これは君の望みを叶えるためにも役立つだろう」

 

「あっ……」

 

霊威に見える感情は、動揺。

隠し事がばれたときの反応だ。

 

化けて脅かしてくる系の妖怪が正体を看破された時とか、よくこんな反応をする。

指示通りにやっているだけだから俺自身は何も見抜けていないのだが、ハッタリも妖怪を相手にする場合は結構重要な技能だったりするのだ。

 

「私もその手の話は嫌いではないからね。なに、ほんの気まぐれ。運が良かったと思っておきなさい」

 

「っ……ありがとうございます」

 

観念したように承諾するフクロウ。

 

ちなみにここで受け取り拒否した場合、どこまで行ってもいつの間にか傍にある恐怖をあじわう事になる。

紅一文字が例外なだけで基本的に所有者と認めたマヨイガ妖怪は、持ち帰らなかったらどこまでも追いかけてくるのだ。

 

正直無理矢理押し付けた感はあるが、これもマヨイガ妖怪の魄様(在り方)なので諦めてくれ。

 

では後は探し人の所へ送っていくだけかなと考えていると、羽織を触っていたフクロウが突然驚きの表情を見せた。

 

何事かと思ったが、多分受け取りを承諾した事で羽織の所有者として認められて、使い方を理解したのだろう。

先ほどとは打って変わって、興味深そうに羽織に触れている。

何かいい能力でも持っていたのだろうか。

 

(この者の望みを叶えるのに最も必要じゃったものを持っておった、というだけじゃよ)

 

あぁ、そうなんだ。

それが何なのか気にはなるが、まずは役目を熟さなければな。

 

「さて、引き留めて悪かったね。さぁ、彼の元に向かうといい。メンレイキ、後を頼むよ」

 

「はい、お任せください」

 

なでしこさんが先導し、フクロウが人間の姿のままそれに続く。

その表情に最初の不安の色はなく、霊威には期待の色が見える。

 

フクロウは一度だけ振り返ると、両手を胸に当てて頭を下げた(異世界の作法で感謝を伝えてきた)

 

俺が鷹揚に頷くと、屋敷の門が閉まっていく。

これもまた演出の一つである。

 

暫くして、フクロウが境界を越えたとコン経由でマヨイガの意思から連絡があった。

けっこう強引だったが、とりあえず役目は果たせたかな。

今回は割とコンに頼っていた気はするが、それ込みでも十分及第点だったとのこと。

 

ぶっちゃけ、マヨイガの意思は俺に何をさせたいのかよく分からん。

 

最初はキツネツキの名を利用して異世界からも畏怖を集めたいのかと思ったが、どうも違うっぽい。

これだとどう考えても畏怖が集まるのは(キツネツキ)にであって、マヨイガには恩恵が少ないからだ。

 

いくつか思いつく仮説もあるにはあるが、正直無滑稽なんだよなぁ。

コンに聞いても教えてくれないし。

ただまぁ、知らないのではなく教えてくれないということは、俺にとって悪い事じゃないんだろうけども。

 

「あなた、お疲れ様なのだ」

 

ミコトが労いの言葉をかけてくれる。

今回は出番は無かったが、いてくれるだけでも意味があるのだ。

精神的にもキツネツキ的にも。

 

「ありがとう、ミコト。それでコン、あのフクロウは何を隠してたんだ?」

 

先ほど霊威に見えた後ろめたさ。

ヒトの姿になる事ではない、フクロウの望みを叶える能力。

恩返しというのは嘘ではないが、その裏に何かあるという感じだった。

 

「別に大した話でも無いんじゃがな。あやつが(くだん)の猟師に惚れとっただけじゃよ」

 

「そうなのだ?」

 

ミコトが興味を示しているが、そういう事か。

実際に人間と恋仲になる妖怪は少数ながらいると聞いている。

マヨイガ妖怪にも五郎左殿に惚れていた紅一文字がいたしな。

 

「元々妖怪は人間に魅かれやすい。恩義を感じた場合は特にのう。もっとも、魅かれた結果どのような行動を起こすかはその妖怪の魄様(はくよう)によるんじゃがな」

 

魅かれた事でその相手を食べてしまう妖怪とかもいるらしいからな。

 

妖怪に憑かれるというのも、その妖怪に魅入られた事が原因の場合が多い。

その理由も様々で、波長が合ったなどの精神的な要因の場合もあれば、何かの行動に興味を持たれる事もある。

時にはただそこに居たからという人間には理解しがたい理由で魅かれたりもする。

 

そして一般的に悪行とされる事柄にも、魅かれる妖怪がいる。

例えば物を壊したり人を傷つけたり騙したりとかな。

 

妖怪は人間の意思に大きく影響を受ける。

そのような人間に魅かれ取り憑くのは当然同じような霊意(性格)の妖怪であり、その霊柱(性質)の矛先は憑いた人間に向けられることになる。

 

それが直接その妖怪に向けられたものでなくても、魅かれたが故に悪意が向く。

悪人には悪い妖怪が憑くことが多いのだ。

 

逆に善人にはいい妖怪が憑くことが多いぞ。

おっと話が逸れたな。

 

「でも惚れたというのなら別に隠すような事でも無いと思うんだが」

 

単純に言う理由がないと思ったのなら、後ろめたさを感じる理由はない。

 

「その辺はもう、背斑梟(セマダラフクロウ)……じゃったか? の生態としか言えんのぅ」

 

……生態?

 

「あぁ、そうか。求愛は雄から……みたいな?」

 

孔雀(クジャク)の求愛とか有名だよね。

 

「じゃな。恩返しというのも本当ではあるが、そこから求婚させる方向に誘導できればとか考えておったようじゃよ」

 

「それで隠してたのか。なんというか、抜け目ないというか」

 

「もっとも、生態に基づく価値観というものは妖怪になると次第に薄れていく事が多いからの。人間に惚れたのも価値観が変化した故かもしれぬし、そのうちあやつの方から求婚するかもしれん」

 

その辺は霊礎(いしずえ)次第か。

そもそも自分は妖怪だと告げるつもりがあるのかどうか知らないが。

 

「妖怪になると自分でも価値観の変化に戸惑う事がある。儂も妖狐となってから娘たちとの価値観の違いに悩んだ時期があったからのう」

 

結局、夫も子供達も誰も妖狐には成らなかったんじゃよな。と続けるコン。

そういやコンって後家(ごけ)さんだっけ。

夫がいたのは野生の狐時代の話なので、霊狐になった今だとどういう扱いになるのか分からないが。

 

ちなみにコンは元は『本土狐(ホンドギツネ)』という種類の狐である。

 

「フクロウさん、上手くいくといいのだ」

 

「そうだな」

 

まぁ、一匹の妖怪の恋の行方を祝福してみるのも現人神的にはアリなんじゃなかろうか。

マヨイガ妖怪もついているし、そう悪い事にはならないだろう。

そんな感じで俺たちはしばらく閉じた門の方を眺めているのだった。

 

 

 

「ところで、フクロウの望みを叶えるのに最も必要なものって何だったんだ?」

 

「あぁ、人間の子供を産めるようになるんじゃよ。件の猟師との子供を欲しがっておったようじゃ」

 

「子供……か」

 

「ある程度妖怪として成熟すれば普通に出来るようになるんじゃが、成りたてじゃと難しいからのぅ」

 




『無題、数え歌』
作詞作曲 狩谷栄玄

ちなみに別キャラ視点はそのキャラの内情を作者が以心伝心の呪いで翻訳したという形で書いてます。


『情けは人の為ならず』
他人に親切にしたことは巡り巡って自分に返ってくるので、人には親切にしましょうという意味。
情けをかけるのは人の為だけでなく、自分の為にもなるんだよということ。
もうちょっと詳しく言うと、この場合の『情け』は同情ではなく『思いやり』の事です。

一説によれば『曽我物語』の「情けは人のためならず 巡り巡って己がため」が語源だとか。


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File No.21-2 童話『梟の恩返し』

本日二回目の投稿です。
まだ前話を見られていない方はそちらからご覧ください。


あるところに心優しい猟師がおりました。

 

雪の積もったある日の事。

猟師が山で猟をしていると、雪の中に何か動くものを見つけました。

 

もしや獲物かと目を凝らしてみると、そこには罠にかかった一羽の梟がいます。

銀色の羽を持つ、それはそれは美しい梟でした。

 

猟師は生業として獲物を狩りますが、無益な殺生はいたしません。

かわいそうに思った猟師は、梟を助けてあげる事にしました。

 

梟が驚いて暴れないように慎重に近づいて、丁寧に罠を外します。

 

「さぁ、外れたよ。もう罠にかからないように気を付けなさい」

 

猟師がそう言うと、梟は森の奥へと飛び去って行きました。

 

「ちゃんと飛べたか。怪我をしていなくてよかった」

 

そう言って猟師は猟を再開します。

その日は多くの獲物が取れました。

 

 

 

幾日か経った雪の降る夜。

 

猟師の家の扉を叩く音がします。

 

「こんな時間にだれだろう」

 

猟師が扉を開けると、そこには美しい娘が立っていました。

見たことのない意匠の服を羽織った、不思議な鳥人の娘でした。

 

「雪に降られて道に迷ってしまいました。どうか一晩泊めてもらえないでしょうか」

 

寒さに震えながらそう言う娘に、猟師も断る事は出来ませんでした。

 

「いいですよ。さぁ、中で体を温めなさい」

 

その言葉に喜んだ娘は、お礼を言ってそこに泊まらせてもらいました。

 

 

 

次の日から、娘は泊めてもらったお礼に猟師の家で働く事にしました。

 

猟師が「どこかへ行く途中だったんじゃないのかい?」と聞くと、娘は「これほど雪が積もっていては、辿り着くことはできません。雪が解ける季節まで、ここにおいてもらえませんか」と答えます。

そう言われては猟師も追い出すことはいたしません。

 

その日から娘はこの家で暮らすようになりました。

娘は良く働き、猟師の生活は少しずつ楽になっていきます。

 

ある日、娘は猟師に言います。

 

「私に服を作らせてください。素晴らしい服を作って見せます」

 

それを聞いた猟師は快く(だく)しましたが、恥ずかしそうに娘に告げます。

 

「服を作るための布が無い。すぐに村の者から買ってこよう」

 

しかし娘は首を横に振ります。

 

「私の持っている布を使いましょう。その代り、服を作っている姿は決して覗いてはいけませんよ」

 

そう言って娘は部屋に籠ってしまいました。

 

夜になっても、朝になっても、また夜になっても娘は出てきません。

心配になった猟師ですが、覗いてはいけないと言われた手前、扉を開ける事も出来ません。

 

その次の日のお昼に、ようやく娘は部屋から出てきました。

少し痩せたように見える娘の手には、素晴らしい服があります。

銀色の糸が編み込まれた、見たこともない意匠の服でした。

 

娘はさっそく猟師にその服を着てみるように言います。

猟師が袖を通すとそれはとても着心地が良く、体が軽くなったような気さえしてきました。

猟師はとても喜び、次の日から猟に出るときはいつもその服を猟装の下に着ていくようになりました。

 

 

 

それから幾日かたったある日の夜、猟師が娘に明日行商人が村にやってくると告げました。

 

「今年はいつもより多くの獣を狩る事ができた。牙で作った装飾や(なめ)した毛皮などを売れば懐にも余裕ができそうだ」

 

猟師はいつも仕事を頑張ってくれている娘に少し贅沢をさせてあげたくてそんな事をいいましたが、娘には残念ながら伝わりません。

 

「でしたら私の持っている布も売りましょう。きっとお金になるはずです」

 

ならばと見当違いな事を言い始めた娘は、「布を用意いたします。その間、決して覗いてはなりませんよ」と猟師の返事も聞かずに部屋に籠ってしまいました。

 

売りに行く布を用意するだけならすぐに戻ってくるだろう。

そう考えていた猟師でしたが、夜が更けても娘は部屋に籠ったままです。

 

覗いてはならないと言われたので、扉を開けることも出来ません。

猟師が声をかけても、返事は帰って来ません。

ようやく娘が部屋から出てきたのは、朝日が昇ってからの事でした。

 

「これを売ってきてください。高く売れると良いのですが」

 

そう言った娘が差し出したのは、とても美しい布でした。

銀色の糸が編み込まれた、それはそれは不思議な輝きを持つ織物でした。

以前の猟師が娘に仕立ててもらい、いつも猟装の下に着ている服と同じ布でした。

 

娘に言われた通り、猟師はやって来た行商人の所に織物を売りに行きます。

行商人はその織物のすばらしさに感嘆し、とても高く買い取ってくれました。

 

猟師は娘へのお礼にと、髪飾りを買って帰る事にしました。

鮮やかな花の装飾があしらわれた、奇麗な髪飾りです。

それは娘の美しい髪にとてもよく似合うことでしょう。

 

髪飾りを付けた娘の姿を想像し、猟師はふと思いました。

今日部屋から出てきた娘は、昨日より明らかに痩せていなかったか、と。

 

思えば最初に部屋に籠った時もそうでした。

あの時は三日も籠っていたのです。

その間ずっと服を作っていれば、痩せて見えることもあるかもしれません。

 

しかし今度は違います。

籠っていたのはたった一晩。

それなのに前に籠っていた時より明らかに痩せているのです。

もう一度同じだけ籠っていれば、今度はやつれてしまうのではないかと思うほどに。

 

籠っていた時間は最初の方が長いのに、後の方が痩せている。

仕事だって布を探すより服を作る方が大変だろう。

他に違いがあるとすれば……()()()

 

猟師に嫌な汗が流れますが、首を振ってその考えを追い出します。

何を馬鹿なことを。

きっと自分が見間違えただけだ。

万が一そうだったとしても、もう二度と売る必要が無いように自分が稼げばいいのだと。

 

 

 

家に帰って来た猟師は、早速娘に髪飾りを送ります。

娘はとても驚き、それから嬉しそうに自分の髪につけて見せました。

その姿は猟師が想像した通り、とても似合っていました。

 

そしてそういえばと前置きし、娘が「布は高く売れましたか」と聞いてきます。

猟師は「とても高く売れたよ、ありがとう」と言って織物の代金を娘に見せました。

予想以上に高く売れたのか、娘はまたも驚きます。

 

これで当分二人で暮らせるだけの貯えが出来たと安堵する猟師。

しかし、娘の考えは違っていました。

 

「これほど高く売れるなら、残りの布も売ってしまいましょう。準備してきますから覗かないでくださいね」

 

なんと突然の事に唖然とする猟師を残し、再び部屋に籠ってしまったではありませんか。

しばらくしてようやく頭が働きだした猟師が慌てて呼びかけますが、返事はありません。

 

猟師の頭に、やつれた娘の姿がよぎります。

そう考えた瞬間、猟師は覗かないでと言った娘の言葉を無視し、僅かに扉を開けて隙間から中を覗きました。

 

しかし部屋の中に娘の姿はありません。

そこにいたのは()()()()()()()()()()()()()()()()()だけでした。

 

そして猟師は見てしまいました。

梟が自らの羽根を抜き出し、美しい織物に変えているところを。

娘が痩せてしまっていたのも当然です。

なんせ自分の体を削って(羽根を抜いて)布を作っていたのですから。

 

気付けば猟師は扉を大きく開け放っていました。

そんな事をすれば当然、梟だって気が付きます。

突然の事にしばし言葉の出なかった梟ですが、何とか絞り出すように猟師に向かって言いました。

 

「覗かないで下さいと言ったのに、何で覗いてしまったのですか」

 

悲しそうな声で言う梟に、猟師は答えます。

 

「今朝君が部屋から出てきたとき、君は随分と痩せていた。次に君が部屋から出てきたとき、もし君がやつれてしまっていたらと思うといてもたってもいられなかった」

 

猟師の頬に、一筋の涙が流れます。

 

「君は自分の身を削ってまであの布を作ってくれていたんだね。気が付かなくてごめんよ」

 

それを聞いた梟は鳥人の娘の姿に変わると、猟師をやさしく抱きしめました。

しばらくして猟師が落ち着いてくると、娘は自分の身の上を話し始めます。

 

自分は以前、猟師に助けられた梟であること。

その恩を返すために人になりたくて、異界へ赴いたこと。

その一心で異界神キツネツキ様の試練を受け、人になれる神器を授かったこと。

道に迷ったと偽り、この家にやって来たこと。

 

全てを語り終えた娘は、最後に猟師を欺いていたことを謝りました。

しかし、猟師は謝られるような事をされたとは思っていません。

むしろそこまでして恩返しに来てくれた梟に感謝していました。

 

「ありがとう。もう十分、恩は返してもらったよ」

 

その言葉に、娘は悲しそうな顔をします。

それは娘がこの家にいる理由を失う言葉だったからです。

娘はこの家で過ごすうちに、猟師に惚れてしまっていたのですから。

でも……と、猟師は言います。

 

「恩返しの為ではなく、一緒に暮らしても良いと思ってくれるのなら、これからもこの家にいてくれないだろうか」

 

猟師もまた、同じように娘に魅かれていたのです。

 

「私は梟の魔獣です。いくら人に変わっても、私は人と同じではありません。そんな私でも、ここにおいてもらえますか?」

 

「もちろんだとも」

 

 

 

それからしばらくして、二人は夫婦の契りを結びました。

心優しき猟師と、誠実な魔獣の娘。

種族すら違う二人は、いつまでも仲睦まじく暮らしましたとさ。

 

めでたしめでたし。

 

────────────────────────────────

 

「……という詞曲(しきょく)が吟遊詩人の間で流行ってるのだけど、キツネツキ君は何か知らない?」

 

「恩返しをしたがっていた梟にマヨイガ妖怪を授けはしましたが、それ以外は何もしていませんよ」

 

「あ奴らが誰ぞに喋って広まったという線はないか?」

 

「ないわね。そもそも村の者(我が子)達も彼女が魔獣だとは知らないわよ」

 

「話の内容は実際にあった事とは違う。しかし偶然というには同じ部分が多すぎる……と」

 

「まぁ、偶然ではないじゃろうな」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「ルミナ神かな」

 

「ルミナ神じゃな」

 

「ルミナ様かぁ」

 

という会話が未来のマヨイガで交わされたとかなんとか。

 

 




蛇足

Q.前話の内容と矛盾してる所がない?
A.ミルラト神話圏の人好みになるように改変され、尾ひれとかついてます。

Q.そんなに羽根を抜いちゃって大丈夫なの?
A.ちょうど彼女の換羽期で、抜ける羽根を使っただけなので問題はありません。詩曲ではちょっと大げさに表現されています。

Q.覗くなという約束を破っちゃったけど……
A.猟師が返事をする前に籠ってしまったので、そもそも約束自体が不成立です。


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File No.21-3 マヨイガの意思の断片(弐)

本日三回目の投稿になります。

前話及び前々話をお見逃し無いようご注意ください。


(此度は相手が人ではなかったが、数に含めても良いのか?)

 

マヨイガに招いた梟の妖怪を送り出した後、天狐が聞いてきた。

そうだね、これが二度目と思ってもらっていい。

 

(ふむ。ではその時は近いと思っておいた方がよさそうじゃな)

 

外の雪が解ける頃には三度目をと考えている。

もしそれもタケル君が問題なくこなす事が出来たなら、資格は十分と判断するよ。

 

(そんな建前を用意せんでも、とっくに認めておるじゃろうに)

 

うるさいな、もう。

此方達(こなたら)とて大妖怪としての面子がある。

そう簡単に認める訳にはいかないさ。

 

(ま、儂としてはどちらでもよいがのぅ。そういう事であれば儂もそろそろあれをやっておいたほうが良さそうじゃな)

 

ん? 何かあるのかい?

 

(事が成れば今後異世界と関わる事も増えるじゃろ。故に儂も神格を取り戻しておこうかと思ってのう)

 

ああ、神格を…………え?

()()()()()()()って、君は神格を持っていたのかい。

 

(昔、マヨイガに来る(赴任する)前の話じゃがな。マヨイガの稲荷神社を任されるにあたって儂は自身の神格を稲荷神社に還したんじゃ。異界であるマヨイガに()()()()()()()()()()()()()()()()()じゃろ)

 

まぁ確かに。

いくら稲荷神社があるとは言え、神が常駐するとなれば拒否していただろう。

これは此方達(マヨイガ)の立場的な理由に由来する。

 

(それに、その仕事(マヨイガへの赴任)が終わったら儂は稲荷狐(いなりのきつね)を引退するつもりじゃったからの)

 

え、そうだったのかい?

 

幹部職(神のまま)じゃと定年退職(引退)出来そうになかったからのう。結局、神を辞しても人手(狐手)不足で定年延長になった(引退できそうにない)んじゃが)

 

もしかして前に稲荷狐(いなりのきつね)の役目を辞してタケル君の守護霊として憑いていくって言っていたのは。

 

(あれはタケルとの約束を守る為じゃよ。じゃが、それに(かこつ)けてと思わんかったとは言わぬな)

 

この事をタケル君は?

 

(んー。話した事は無い故、多分知らんじゃろうな。宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)様や他の稲荷狐(いなりのきつね)から聞いとるかもしれぬが)

 

四六時中側にいる訳でも無いからのとのたまう天狐。

 

しかし意外だね。

神格があっても無くても稲荷狐(いなりのきつね)である事には変わりないんだろ。

だったら、タケル君に憑いた後にでも神格を取り戻そうとしなかったのかい?

タケル君に憑いた後なら、此方達(マヨイガ)に配慮する必要も無いだろうに。

 

(別に、わざわざそうする理由も無かっただけじゃよ)

 

この天狐にとって、神であったというのは過去の話という事か。

わざわざ宿主に語るほどでもない程度の。

ただ必要無くなったから還し、また必要になったから再び至ろうというだけで。

 

(じゃが、状況は変わった。タケルは現人神(異界神キツネツキ)となり、異世界でも名が広まり始めた。であれば、対外的にその配下が神使か眷属神かというのは大きな違いとなる)

 

もしかして、あくまで神格が必要なのであって神としての力が必要な訳ではないって事かい?

過去の栄光もタケル君の為になら利用すると。

 

(そうじゃよ。せっかく資格はあるんじゃから使わんともったいないじゃろ)

 

神格を勿体ないから使うなんて言う神使、初めて聞いたよ。

 

(そうかの)

 

そうだよ。

 

(ま、お主等(ぬしら)にとっても悪い事ではなかろう)

 

まぁ、ね。

少なくとも、タケル君の立場が今以上に高くなるのは、此方達(こなたら)にとってもありがたい。

()()()()()()()()()とはいえ、ね。

 

(ふむ……では次が決まったら早めに連絡を頼むぞ)

 

ああ、次も頼むよ。

 

 

 

『別に心配する必要はないと思うんじゃがな。そのくらい、タケルは無下にはせぬよ』

 




今後の投稿方法についてアンケートを作ってみました。
どのような投稿が好まれるのか参考にさせていただきたいので、ご協力いただければ幸いです。

ただ作業環境の事もあり、必ずしも多い方法を採用できるとは限らないのであらかじめご了承ください。


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File No.22-1 『所の神様ありがたからず』

おまたせしました。
思いのほか時間がかかってしまった。



修正履歴。
タケルがミコトと会った年齢を五歳に変更。流石に三歳であの行動力は無理があった。
霊礎の読みを『いしずえ』に変更。他と比べて浮いていたため。
神号(敬称)のかぶりを修正。一部二重敬称になってました。


「久しぶりに袖を通してみたんじゃが、どうかの」

 

ある日、見慣れない衣装を着たコンがそんな事を言った。

 

俺の結婚式で着ていた神使としての正装に似た意匠だが、何というかこっちの方が豪華に見える。

さりとて派手という訳ではなく、落ち着いた色調にも関わらず壮麗さを感じさせるような秀逸なデザインだ。

 

「似合ってるぞ。なんかいつもより神々しく見えるな」

 

「コンさん、奇麗なのだ」

 

「何と言いますか、言葉にできないです」

 

中身は姿どころか雰囲気までいつものコンなのにこうも変わるのか。

 

ありがとのう(ありがとう)。まだまだ儂も捨てたものではないな」

 

コンはいつもの人の姿に化けているが、これはコンの姿を人に当てはめた(かたち)だ。

つまりコンが人であったなら、このような姿だったという事である。

 

見かけの年齢はおおよそ三十歳くらいだが、コンにとって年齢はさして重要なものではない。

サイズ的な意味での化けやすさや使う霊気の量の関係で、年齢が上がる程化ける頻度は少ないってのはあるけどな。

 

あと、コンは女性であれば普通に他人にも化ける事が出来る。

この間なんか「偶にはこういった趣向もよかろう」とか言いながらミコトに化けて二人で迫って来た。

相手の心を相手以上に読める『他心通』を使えるせいか、性格まで瓜二つに演じる事が出来るのだ。

 

まぁ、俺は()()()()()()が。

 

なお女性限定なのは単純に得手不得手の問題。

男に化けるだけなら問題ないが、特定の誰か(例えば俺とか)そっくりに化けるのは苦手らしい。

 

「で、どうしたんだ? 急に」

 

そもそも普段着ている着物は変化で作っているものだ。

霊狐であるコンは物質的な衣服を持つ意味が……あ、いや、物質的な衣服じゃないな、あれ。

霊体……それも念物(ここのぎ)に近い。

とはいえちゃんと物理的にも触れられるが、これは霊体のコンが化けたら肉体を持つのと似たようなものだ。

 

「なに、以前眷属神としての神格を持っておった頃の正装でのう。せっかくタケルも現人神となった事じゃし、儂も神格を取り戻しておこうかと思って引っ張り出したんじゃよ」

 

「そんなちょっと衣替えしようみたいな……ってコン、神格持ってたの?」

 

「三百年と少し前までじゃがな。五百年ほど前に仕事(神使の役目)で必要になった故、資格を取った(宇迦之御魂様より位を授かった)んじゃ」

 

何か国家資格持ってるよみたいな言い方してる気がするんだが。

神格って取ろうと思って取れるものなのか?

限定的とはいえ神格を持っている俺が言う事じゃないかもしれないが。

 

(お主のように信仰されて神格を得るのとはそもそも経緯が違うんじゃがな。儂が言うのもなんじゃが、(くらい)の高い神に長年仕えて認められた一握りだけが得られる狭き門じゃよ)

 

やっぱコンってエリート中のエリートなんだよな。

 

いや、ちょっと待て。

前に自分は神格を持ってないって言ってなかったか?

 

正確には稲荷狐で一纏めにされている分の信仰があるので零ではないらしいが。

 

(はて、そうじゃったか?)

 

ほら、前に伏見稲荷大社に行った時に。

 

(ああ、あの時のか。あれは単に()()神格を持っていないという意味じゃよ。当時は神に戻る予定も無かったしのぅ)

 

そういう意味かよ。

 

(そもそもただの神使が主である宇迦之御魂(うかのみたま)様の(めい)もなく名代(みょうだい)を名乗れる訳が無かろう)

 

そりゃそうか。

コンって結構いろいろな権限持ってたりするし、そう考えると確かに腑に落ちるな。

 

「え? あ、え? 主様って神様だったんですか?」

 

なんかいまいち理解が及んでなさそうなヤシロさんが声を上げた。

 

「正しくは『かつて眷属神じゃった』じゃな。現時点ではただの神使じゃが、この後神格を戻す儀を行う予定じゃ。それが終わればまぁ、神という部類に入るのう」

 

「で、では、私も神使という事になるんでしょうか」

 

残念ながらヤシロさんの場合は神使とはならない。

言葉にするなら配下というのが正しいだろう。

これは仮面の付喪神(面霊気)達も同じ(こっちは配下ではなく部下)だ。

 

それをコンが伝えると、ヤシロさんはあからさまにホッとした表情を見せた。

あれかな、まだ神使としてやっていけるほどの実力はないのにとか思ってたか。

ヤシロさん、自己評価が低いからなぁ。

 

「儂が神となっても仕事(役目)が変わる訳ではないから安心せよ。もちろん儂が任せられると判断すれば新たな仕事(役目)も増えていくじゃろうが、これは神でなくても変わらんからの」

 

そろそろ次の段階に進んでもいいかもとか言ってたしね。

 

「とはいえお主も神の陪臣(ばいしん)(家来の家来の事)の()()()()()じゃし、心構えくらいは持っておくのじゃぞ」

 

「は、はい。ですが私は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)にお会いしたこともありませんし、なんと言いますか実感が持てなくて」

 

前にヤシロさんの事を支社長(コン)が雇ったアルバイトと評したことがあるが、そう考えるとアルバイト(ヤシロさん)にとって本社長(宇迦之御魂神)はそもそも接点すら無い相手だろう。

 

「いや、宇迦之御魂様ではなくタケルの事じゃよ。異界神の神格を得て現人神となった訳じゃし、お主のところ(ミルラト神話圏)で信仰されて……って知らんかったようじゃな」

 

「え? え? タケル様が? 故郷で異界で神様で? え?」

 

さっきも一応話に出てたんだけどね。

コンが元神様だったって事を理解するのに時間がかかって聞き逃したか。

 

ちなみに俺とコンの立場の関係って結構複雑だったりする。

宇迦之御魂神に仕える者としてはコンの方が格上だが、異界神としては俺の方が格上となる。

そして陽宮尊とコンであれば俺が主でコンが従だが、コンが従であるのは稲荷神の意向によるものであり直接的な主従関係ではない。

もっとも対外的な立ち位置の話なんでプライベートでは関係ない訳だがな。

 

それからヤシロさんに事の次第を説明するのに一時間くらいかかってしまった。

ルミナ神に近いレベルの神格があると説明したあたりで許容量をオーバーしたのか、固まって動かなくなってしまったせいもあるが。

 

 

 

それからコンは神に戻る為にマヨイガにある稲荷神社の方へ行った。

神格を還すという感覚がいまいちよく分からないのだが、稲荷神社に還した神格を再び取り込むことで神に戻れるらしい。

現世では稲荷神の加護もあるので必要なかったが、俺が異世界(ミルラト神話圏)と関わる事が多くなってきたので対応に幅を持たせるために肩書を得ておきたいそうだ。

 

力ではなく肩書が必要というのもあれだが、マヨイガに籠っているだけならともかく異世界の神(ミルラト神族)と関わるなら神格の有無で出来ることが全然違う。

ルミナ神みたいに完全にプライベートなら別だが、公式的な話(神としての御役目中)だと特にね。

 

一応、異世界に来た時点でもやろうと思えばできたらしいが、神に戻る為に大量の神気を消費するのと存在を維持するために必要なコスト(人間で言えば基礎代謝に必要なエネルギー)が高く割に合わなかったそうだ。

異界神キツネツキへ信仰が増えてきたことで、それを神気の補充に回せば赤字を避けられる目途が立ったからこその今回の話である。

 

ヤシロさんは頭を冷やして話を整理したいと言って寝床(妖怪生簀)に戻ってしまった。

別に今まで通りでいいのだし、そうも言ったんだけどな。

 

逆にコンが神に戻ると聞いてもいつもと変わらないのがミコトだ。

「ほえ~、凄いのだ」くらいは言ってたけどね。

 

言動のせいでいまいち内容を理解していないように見えるが、完全に理解したうえで()()()()()()()()()()()()()()()()()()が故の行動である。

ルミナ神が相手の時もそうだが、神に対する敬意を持っていないわけでは無い。

敬意を持ったうえで遠慮する必要が無いと理解しているのだ。

この辺は俺に近いとルミナ神に言われたので俺の影響かも知れないが。

 

ちなみにコンもそうだが、礼節が必要なときのミコトの変わりようは凄いぞ。

フェルドナ神が仕事(御役目)で来た時とかに見れるが、その時の振る舞いは仕事のできる熟練の御殿女中(宮中などに仕えている女性の事)の如きである。

普段のなのだ口調も意識して喋れば出ないようにできるそうだし。

見た目が幼いというのもギャップがあって逆に魅力的だ。(惚気)

プライベートで来た場合はいつものミコトなので最初はフェルドナ神も戸惑う事があったが。

 

 

 

さて、夕飯の準備を始めるにはまだ早いし妖術の自主練でもしようかなと考えていると、いだてんさんがやって来た。

なんでもルミナ神が遊びに来たらしい。

 

仕事(御役目)ならともかくプライベートなら俺とミコトでも大丈夫だな。

一応、ルミナ神が来たことだけはお祈り(脳内会話)で届けておこう。

 

 

 

という訳でルミナ神を玄関でお迎えし、俺・ミコト・ルミナ神の二人と一柱は座敷へやって来た。

 

「今日は何をしましょうか。コンが居ないので三人用か二人用のになりますが」

 

妖札か、絵双六か、三人用のゲームって案外ぱっと思いつかないもんだな。

式神達の誰かでも入れて数を揃えればいいと思うかもしれないが、彼らってコンの式神だからコンが居ないと俺に命令権はないんだよね。

頼んだら一個(ひとり)くらいは参加してくれるかな?

 

「双六がいいですわ」

 

(わたし)は異論ないですね」

 

「それじゃぁ、双六さんを持ってくるのだ」

 

ルミナ神の希望で絵双六に決まったのでミコトが元気よく妖怪双六を取りに行った。

妖怪双六にNPC(ノンプレイヤーキャラクター)をやってもらうのもアリかも知れない。

頼んでやってくれるかは分からないが。

 

「それにしても、コンさんがいないというのも珍しいですわね」

 

「そうですね。お客さんが来るときは基本的にいますし」

 

それだけルミナ神はコンに信用されているという事でもある。

これがプロミネディス神とかなら多分儀式を中断して同席しただろう。

 

一応、コンがいない理由はルミナ神に伝えてある。

その際にルミナ神は「あら、思ったよりも早かったですわね」と言っていたので、コンが元神である事は知っていたようだ。

ルミナ神は相手の過去を見通す『宿命通』を得意としているようなので、知っていても特段おかしな事ではない。

 

「それほど時間はかからないと言っていましたから、夕食前には戻ってくると思いますよ。あ、ルミナ神は夕食は食べていかれますか?」

 

今日は鍋物の予定。

 

「ええ、ご同伴に預かりますわ」

 

それならマヨイガの畑から追加で野菜を取ってこないとな。

白菜、大根、ネギに水菜。

椎茸や舞茸にしめじも有ったはず。

季節関係なくいつでも美味しい野菜があるのが妖怪畑の良い所だ。

 

「タケルさん、少し聞きたい事があるのですがいいかしら」

 

「あ、はい。何でしょう」

 

()()()ってご存知?」

 

「ええ、存じてますが」

 

祟り神(たたりがみ)──神々の荒々しい側面である荒魂(あらみたま)の更に一側面。

 

荒魂は文字通り荒ぶる魂であり、その荒れ狂うほどのエネルギーは時として人に様々な厄災を(もたら)してきた。

例として河川の氾濫や火山の噴火などがあげられるが、これらは基本的に神々の持つ性質の発露であり敵意から来るものではない。

それが結果的に人間の害になっているだけなのだ。

 

むしろそれらは新しい変化を生み出す力を秘めており、神の顕現そのものでもある。

もっとも、人間からしたらたまったものではないのだが。

 

しかし祟り神は違う。

 

そこには明確な害意があり、怨恨がある。

人が神の意に反し、罪を犯し、祭祀を(ないがし)ろにしたとき、その懲罰あるいは報復として為される厄災──祟り──。

それを成す(もの)を祟り神と呼ぶ。

 

「では、()()()()()()()は知っているかしら?」

 

「知っているといえば知ってますが、相手が何を怒っているのかによりますので具体的には何とも……」

 

「具体的でなくとも構いませんわ。()()()さえ答えていただければ」

 

それでしたら、まぁ。

 

「では。まずは、何で怒っているのかを知らない事には話にならないので、卜占(ぼくせん)で祟りの理由を調べますね」

 

卜占というのは(うらな)いの事である。

占いは運命や相性を判断するだけでなく、神の言葉を読み解く為のものとしての側面もあるのだ。

 

神子(みこ)などに仲介してもらって直接お伺いを立てるのもいいだろう。

先ほど言った河川の氾濫や火山の噴火なども実は祟りだったという場合もあるし、何かあったらとりあえず聞いてみるというのは有効な手段だ。

 

祟りは神意の表れでもあるのだから、その辺は作法に(のっと)って聞けば祟り神でもちゃんと答えてくれる。

 

「原因が分かったら、それを(あやま)って埋め合わせをします」

 

この辺は人間と同じだ。

神意に反していたのであればそれを改め、罪を犯していたのであれば贖罪(しょくざい)をする。

そして祭祀を行い、許しを請う事で祟りを鎮めるのだ。

 

どのような贖罪や祭祀を行うかは祟りの規模や祟り神の性格によるので何とも言えないが、御供え物くらいで許してもらえる事もあれば、罪を犯した者の命をもって償う必要がある事すらある。

祟り自体が懲罰でもあるので、祟り神の気が済むまで祟りを受けるという方法もあるにはあるがお勧めはしないな。

 

なお神意に反していた方であれば実は交渉の余地がある。

代わりに祭りをしたり供物をささげたりするからこうさせてくれとお願いすれば、後付けでも案外神意を曲げてくれる事もあるのだ。

そうなれば代わりに提示した条件を満たしている限り、それで祟られる事はない。

 

あとは強力な怨霊による祟りを、神として祀り上げる事で鎮めるパターンもある。

というか、祟り神と言えばこちらを思い浮かべる人の方が多いんじゃなかろうか。

 

粗末に扱えば恐ろしい祟りをなすが、手厚く祀ればむしろその強力な力で守護してくれる。

全国に祟り神を祀る神社が結構あるのはそういった理由からだ。

 

怨霊であれ神であれ、祟るのにはそれなりの訳がある。

あくまでこちらの対応次第であり、祟り神そのものは悪い神ではないのだ。

 

その辺の話をルミナ神に伝える。

 

「こんな感じですかね。日本(こちら)の神々の話なのでミルラト神族(そちら)でも同じかは分かりませんが」

 

「考え方自体はおおむね同じですわね。実際の内容としての違いは、ミルラト神話圏(こちら)では祭りによって鎮めるというのはあまりなく捧げものが基本というのと、理由を聞かずとも神託などで自らアピールする事が多いという位でしょうか」

 

割と自己主張が激しい神が多いのですわよねとルミナ神。

 

あと、怨霊を祟り神として祀って鎮めるとかはミルラト神話圏には無いらしい。

怨霊は討滅か浄化が基本なんだとか。

そういえばこのタイプの祟り神は日本特有のものだと聞いたような気がする。

この話をしていた時のルミナ神、「まじかー」って顔してたし。

 

「ところでいきなり祟り神とか、何かあったんですか?」

 

機嫌が悪い神でもいたのだろうか。

 

「そのうち祟り神のお相手をする事になるかもしれませんの。その時に異世界の祟り神の鎮め方を聞いておけば穏便にいくかもしれないと思ったのですわ」

 

「なるほど。ではあまり参考にはならなかったですね」

 

何をされたら嬉しいかの違いで、やっている事は同じようだし。

 

「いいえ、ちゃんと参考になりましたわ」

 

「そう言ってもらえるとありがたいですね。そう言えば祟り神の対応ってルミナ神がするのですか?」

 

ルミナ神は月の女神にして(しるべ)の神。

あんまりそういう仕事をするイメージが無いんだが。

 

「普通はしませんわね。祟り神となった神が己の領分を越えて被害を出した場合には介入する事がありますが、それは太陽神(プロミネディス)の役目ですし。ですが、そこまででもない場合は守護下の人間(我が子)達から神助を求められる(頼られる)事も多いのですわ。何せ、(わたくし)標の神(導く神)ですから」

 

文字通り神頼みされたら応える事もあるって事か。

とはいえ言い方からして直接手を出すのではなく、助言がメインなのだろう。

その際の手札を増やせればって事だったのかな。

 

「おまたせなのだ! 双六さんを持って来たのだ」

 

そこへ元気な声と共にミコトが戻って来た。

話もひと段落したようだし、それじゃぁ双六を始めますか。

 

 

 

「ここで5以上なら……よし、6。あがり!」

 

「あら、あと手番が一つ足りませんでしたわ」

 

「あなた、おめでとうなのだ」

 

双六の結果は僅差で俺が一位を取った。

ルミナ神がゴールまであと2マスでミコトが8マス。

次がルミナ神の手番だから二位がルミナ神、三位がミコトで確定か。

 

キリもいいし、そろそろ俺は夕飯の準備に入ろうかな。

そんな事を考えていると、コンの気配がして襖が開いた。

 

「お、二人ともおるの。ルミナ神、いらっしゃいじゃよ」

 

「お邪魔してますわ」

 

そこにいたのは宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の眷属神の正装をしたコン……なのだが。

 

 

 

尻尾(しっぽ)でかっ! そして(ふと)っ!

 

 

 

え、なにあれ。

体に対してバランスが悪く見えるほどでは無いのだが、コンの尻尾がすごくデカくなってる。

 

元々コンの尻尾は普通の妖狐より大きかった。

例えばミコトの尻尾はモフモフとはしているものの、太さに関しては野生の狐とあまり変わらない。

個体差はあるが標準的な九尾の狐の尻尾の太さはそのくらいだそうだ。

長さに関しては獣人形態(じゅうじんモード)で立った時にぎりぎり尻尾が地面につくかつかないかくらい。

 

対して元のコンの尻尾は身長比で考えてもミコトの倍ほどの直径があった。

この時点でも十分太いと思うが、現在のコンの尻尾の最大直径は肩幅より大きい。

形もなんか卵型になっているし、なにより()()()()()()()()()()

 

天狐は強くなればなるほど尻尾の数が減ると言われているが、それでも最小数は四本だ。

つまり今のコンは天狐の限界を超えているという事になる。

いやまぁ、神に成っているんだからそりゃそうなんだが。

 

(ほら、タケルさん。何か言って差し上げなさい)

 

ルミナ神!? そ、そうですね。

 

「凄い尻尾になったな。毛並みもモコモコしてて柔らかそう」

 

って、何言ってんだ俺は。

尻尾のインパクトが強すぎて見当違いな事を言ってしまったぞ。

 

「かかかっ、ありがとのぅ」

 

あれ? 意外に好感触?

 

ああ、そうだった。

基本的に狐妖怪相手には尻尾を褒めておくのが無難だって言ってたっけ。

それだけ重要な部位なんだってさ。

 

「すっごいのだぁ」

 

「それが()()。素晴らしい神気ですわね」

 

ルミナ神、()()って何ですか、()()って。

え? 何かあるの?

 

「賛辞、かたじけない。せっかくじゃからこのまま名乗らせていただく。我が神名は『命婦専女(みょうぶとうめ)』。正一位稲荷大明神(しょういちいいなりだいみょうじん)神使(しんし)である」

 

なんか「ばんっ!」っと背景に出てそうなポーズで胸を張るコン。

 

命婦専女(みょうぶとうめ)

それがコンの神としての名……って、これ確か──

 

「まぁ、この名は個神名(こじんめい)ではなく称号(しょうごう)なんじゃがな」

 

あ、やっぱりか。

 

命婦(みょうぶ)』というのは、宮中(宮殿の中)に上がる事の出来る資格をもつ女性の称号。

例外はあれど基本的に従五位下(じゅごいのげ)以上の位階(いかい)の女官を言う。

また、この称号が稲荷狐(いなりのきつね)に送られたことで、稲荷狐(稲荷大神の神使の狐)の異称ともなっている。

 

専女(とうめ)』というのが老いるほどの歳を重ねた女性の事。

転じて命婦専女(みょうぶとうめ)とは長年稲荷神に仕えた(メス)稲荷狐(いなりのきつね)に送られる名であり、神号(敬称)である(のかみ)を付けて命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)と呼ばれている。

 

「では今後はミョウブトウメさんと呼んだ方がいいかしら?」

 

「コンのままで構わぬよ。命婦専女(みょうぶとうめ)のコン、じゃからな」

 

コンはそもそも(綽名)だしね。

 

「さて、お披露目も済んだ事じゃし、もうよいかの」

 

そう言ってコンが一息つくと、コンの尻尾が割けるように四本に分かれた。

服装も一瞬光輝いた後にいつもの和服に戻る。

今までと違うところと言えば髪に(かんざし)を挿しているくらいか。

 

……ってか、普通に戻れるのね。

 

「あら、もう戻してしまいますの?」

 

「あの姿は疲れるからのう。別にこちらでも神性は変わらぬしな」

 

あれはお主の真なる月の姿(トゥルース・フィギュア)みたいなものじゃよとコン。

 

つまりは尻尾を一本にまとめたさっきの姿が全力形態(本気モード)で、尻尾を四本に戻した今の姿が省エネ形態(通常モード)みたいな感じか。

今の状態でも神である事には変わりないようだが。

 

コンの一部ではない筈の命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)の正装も消えているが、多分あの(かんざし)がそれなんだろうな。

七変化の術みたいなものを使っているのか、元々そういう力があるのかは分からないが。

 

ちなみに簪の形は赤く輝くような金属球をあしらった玉簪(ぎょくしん)である。

あの金属球、多分だけどヒヒイロカネだと思う。

 

「そもそもお主(ルミナ神)が来ておると聞いた故、丁度良いと思ってそのまま来ただけじゃ。お披露目が済めば、もうあの状態でいる理由はないからの」

 

「それはそうですわね。ところでコンさん、この後時間はありまして?」

 

「なんじゃ? まぁ、急ぎの用は無いのぅ」

 

「少し、お話をいいかしら? ()()()()()()()()()()()()、コンさんに確認しておかないといけない事がありますの」

 

コンに?

 

「構わぬよ。(タケル)も同席した方がよいか?」

 

「いえ、()()()()()()()()。必要があればタケルさんも交えて」

 

という事はコン個神(こじん)に関する話かつ、ミルラト神話圏側に影響のある話と。

それでいて()()()()()()()()()

んーー、まぁ、状況から考えて脅威度の調査かな。

 

(じゃな。あとはお互いの領分の再確認と調整あたりじゃろうが、こちらは根回し的な意味合いが強いかのぅ)

 

じゃぁ、俺のできる事は今のところなさそうだな。

 

(うむ。お主の出番は(のち)にじゃな)

 

ミルラト神話圏での立場的にも、最終的には俺とルミナ神の間で交わされた約束という形にしないといけないからな。

ルミナ神にとっても、俺たちにとっても。

 

「では丁度区切りもいいですし、()は夕飯の準備に入りますね」

 

「期待していますわ」

 

「これを片づけたらボクも手伝うのだ」

 

 

 

その後、コンとの話し合いを終えたルミナ神は、夕飯を食べるとすぐに帰っていった。

 

夜は仕事(お役目)もあるし、今回の情報を基にミルラト神族側でもプロミネディス神をはじめとした貴高神による協議の必要があるそうだ。

俺たちの立場が以前とは大きく変わった(主にルミナ神が原因だが)ため、二柱(ふたはしら)の間でのやり取りでは済まなくなってしまったらしい。

 

もっとも、十中八九現状維持だろうというのがルミナ神の見立てだ。

以前ルミナ神が言っていた変質の事もあり、あんまり他の貴高神は関わりたくないんだとか。

 

俺達(マヨイガ)のミルラト神話圏の人間への干渉も、影響範囲という意味ではミルラト神話圏全体から見ると極僅(ごくわず)かだ。

異界神(キツネツキ)は神話圏外の神であり、直接的な信仰を向けられる神ではないというのも大きい。

 

実際に(キツネツキ)に向けられる信仰ってルミナ神に縁のある神であるとか、フェルドナ神にサツマイモを授けた神であるとか、ミルラト神族に付属した形での信仰が(おも)なのだ。

あとは演劇とかで英雄に神器を授ける役柄で登場した事で、英雄崇拝の派生で信仰されたりしているくらいか。

 

母数が大きい(ルミナ神を信仰している人数が多い)から結構な信仰が集まっているが、ミルラト神族の立場を脅かすような影響力はない。

個人で信仰する人はまぁいるかも知れないが、都市単位で信仰されるような神ではないからな。

 

それに、意外と(キツネツキ)の存在はミルラト神話圏の益になっているらしい。

そんな相手だから「わざわざ干渉する必要もないし、好きにさせておこう。やり過ぎるようならルミナ神を通して警告なりなんなりすればいい」となるだろうってさ。

 

それでコン、ルミナ神の話は何だったんだ?

 

『昔の仕事について聞かれただけじゃよ。神罰(しんばち)に関する仕事をしておったからな』

 

霊狐形態のコンが言う。

(ばち)って事は荒魂寄りな?

 

『あくまでそれ()しておったという話じゃが、まぁ、荒魂寄りじゃな。どちらかと言うと調伏(ちょうふく)の方が主な仕事じゃったな。界隈ではそれなりに顔が知られておったんじゃよ』

 

へぇー…………なぁコン、()()()()()()()調()()だ?

いやまぁ、怨霊や神敵を下す方の意味だと思うけど。

 

『さて、どうじゃろな』

 

怖っ!?

顔が怖いぞコン。

 

『かか、冗談じゃよ。その意味で合っておる』

 

お、おう、びっくりさせないでくれ。

 

『かかかっ。それで、ルミナ神の話じゃったな。纏めるとミルラト神話圏で勝手に神罰を下さぬようにとの事じゃ。納得いく理由があればルミナ神の方で行うので、その時は言ってくれと。まぁ、道理じゃな。面子の問題もあるしのう』

 

それはそうだろうな。

 

『あとはお互いの都合のすり合わせじゃな。(稲荷狐)が譲れぬ事もあるからの』

 

その辺は頼む。

稲荷神(おいなりさま)に仕える者としては、俺はただの禰宜でしかないからなぁ。

相手が神ともなるとあんまり口を挟めないのだ。

 

その調整が済んだうえで(キツネツキ)との話し合いという流れになるだろう。

 

『まぁ、こんな所じゃな。さて、儂は耶識路姫に全力形態(本気モード)のお披露目をしてくるとしよう』

 

結局ヤシロさんは夕食の時も寝床(妖怪生簀)から出てこなかったから、あれ以降にコンの姿を見ていない。

一応、夕食前に声をかけたらいつも通りに戻っていたから心配はないと思うが。

寝床(妖怪生簀)に籠るのも、ルミナ神が来てるときはいつもの事だし。

 

というかあの姿、全力形態(本気モード)でいいのか?

 

『元々、特に名称は無かったからのぅ。せっかくお主が名付けてくれたんじゃし、それでいこうかと』

 

あれは表現に困ったから適当にそれっぽい名前で呼んだだけなんだが。

 

『であれば良い呼び名を考えておいてくれ』

 

そう言ってコンは妖怪生簀のある納戸(なんど)の方へ行ってしまった。

ヤシロさん、神気に()てられてまたフリーズしなければいいんだけどな。

そんな事を考えながら、その日の夜は更けていくのだった。

 




コンの全力状態の名称、何にしましょうかね。



『所の神様ありがたからず』
身近で良く知っているものはありがたみがうすい事の例え。
それがどれほどありがたいものだったかは、失ってから初めて気づくものです。


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File No.22-2 貴高神 ルミナの記憶

昨日も更新していますので、見逃しにご注意ください。


プロミネディスの神域。

そこに集ったのは五柱の貴高神。

 

太陽神 ─ プロミネディス。

 

地母神 ─ ネティア。

 

海神 ─ セルクル。

 

冥府神 ─ ゴーグス。

 

 

そして(わたくし)、月神 ─ ルミナ。

 

 

全ての貴高神が集まり、異界であるマヨイガについての評議が行われていた。

 

地母神(ネティア)は比較的マヨイガに好意的な態度を見せ、海神(セルクル)はやや懐疑的ながらも現状の関係は継続するべきと意見を述べる。

対して将来的な脅威に対して懸念を見せるのが冥府神(ゴーグス)

 

マヨイガからもたらされたサツマ芋によって、病や不作で落ち込んでいたミルラトの民の活力が戻り始めている。

それを一番肌で感じているだろう地母神(ネティア)はマヨイガに好意的。

 

元々マヨイガは海にはあまり手を出してなく、精々が眷属による食料や資源の補給程度の干渉。

故に海神(セルクル)は警戒は必要としながらも利があるうちは傍観を是としている。

 

冥府に関しては異界(マヨイガ)側が死者の復活でもやらかさない限りは関わる事はないだろう。

だからこそ、冥府神(ゴーグス)はあえて否定の立場を取っている。

 

なんせ(わたくし)地母神(ネティア)がマヨイガに好意的、太陽神(プロミネディス)海神(セルクル)は干渉には消極的ながらも現状は良しとしている。

一柱くらいは対立する神が居なければ議論は偏り、致命的な見落としをする危険がある。

 

あらゆる可能性を考慮するべし。

 

その為に冥府神(ゴーグス)は、あえて馬鹿馬鹿しいと思えるような内容──例えば異界(マヨイガ)側の行動は全て我々を油断させるためでミルラト神話圏の乗っ取りを考えているのではないか、とか──も口にする。

そんな愚にもつかないような内容のやり取りから、ふとしたきっかけで最良のアイデアが生まれる事も少なくない。

 

関わりが無いからこそ自分がその役目をするべきと、冥府神(ゴーグス)は考えている。

議論を尽くす為に否定するが、結論が決まればそれに異を唱える事はない。

 

そんな議論の中で他の貴高神の問いに答えながら、(わたくし)はコンさんとの話し合いを思い出していた。

 

 

 

 

 

「それで、話とはなんじゃ?」

 

念のため部屋を変え、コンさんと向かい合う。

あまり深層心理を読み解くのは得意ではないですけれど、懐襟(かいきん)を開いてくれているのはありがたいですわね。

少なくとも隠し立てをするつもりはないという事は分かる。

 

「貴方の通り名についてですわ。……過去のね」

 

「あー、あれじゃな。狂神狐(くるいみけつ)

 

意味は『狂気を呼ぶ神狐』。

かつて神であったコンさんは、そう呼ばれ恐れられていた。

 

これは(わたくし)の過去視をもって知りえた事。

タケルさんやコンさんを理解するために、(わたくし)は何度も過去視を行った。

その中でコンさんが元神である事を知った。

そして彼女が『狂神狐(くるいみけつ)』と呼ばれていた事を知った。

 

しかし、逆に言えば(わたくし)ですら過去視ではそこまでしか分からなかったという事。

彼女がそう呼ばれていた理由は分からなかった。

 

ミルラト神族において最も過去視に長けているという自負はありますが、流石にコンさんほどの力を持つ相手ではこれが限界。

化生としての力が強ければ強いほど干渉に対する抵抗力も高くなる。

 

(わたくし)であれば今現在のフェルドナくらいなら容易に読み解けますが、上位の神に引けを取らないレベルのコンさんですとどうしても。

もっとも、それはコンさん側からしても同じことですが。

 

分からないのであれば聞くしかない。

流石に再び神へと至った以上、あのような通り名を持つ理由を知らないままにしておく訳にはいきませんわ。

 

幸い本人に聞くのであれば、そしてそれで本人の口から出た言葉を他者に伝えるのであれば、過去視を制限する神々の協定には違反しない。

 

「まぁ、あれは正直やりすぎたとは思うとる。そのせいでこんな物騒な通り名がついてしもうたし」

 

「何をしたんですの?」

 

それを聞くとコンさんは視線を逸らした。

同時に少しだけ力の揺らぎを感じる。

どうやら過去視への抵抗を意図的に弱めたようですわね。

あくまで一部分、その件に関するところだけでしょうが。

覗いてみなさいという事ですか。

 

 

 

…………うわっ、えぐっ。

 

 

 

「コンさん?」

 

ミルラト神族も割と容赦のない神罰を下す者もいますが、ここまでではありませんよ。

正直、(わたくし)もちょっと引いてますわよ。

 

「いや、宇迦之御魂(うかのみたま)様より(めい)を賜り張り切っておったというのもあるが、正直儂としてもあの咎人はとても許せぬ行いをしたと(いきどお)っておった。そんな折に神罰(しんばち)を与えよとの命があれば、少々やりすぎてしまう事もあるじゃろ」

 

そこは否定しませんが。

 

話としては単純明快。

大罪を犯した咎人に裁きを与えよとの命令を受けたコンさんが、忠実に仕事をこなしたというだけ。

 

裁きの内容もコンさんに一任されていて、それを咎められるものではない。

そして咎人にも情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)の余地はない。

(わたくし)とて同じことをされれば、そいつを小魚に変えて蟹に食わせるくらいはするでしょう。

 

ただ単純に、そんな(わたくし)から見ても()()()()()()()()()()()()()というだけ。

主神にそろそろ冥府(あの世)へ送ってあげなさいと言われるとか、どれだけですの。

 

何をやったかは、口を閉じさせていただきますわ。

 

「神となってからの初仕事でそんな事をやったせいか、儂はそういうの担当という印象がついてしまっての。その後も同僚から(のろ)いとかの依頼が来たり、他の神の眷属から噂されて恐れられたりと色々あってそんな通り名がついたんじゃよ」

 

「弁解とかはされなかったんですの?」

 

「特にはせんかったの。これはこれで役立つ事もあった故な」

 

なるほど、以前プロミネディスが懸念したのも分かりましたわ。

これは確かにコンさんに怒れる神としての側面を出させてはいけませんわね。

 

もしコンさんの怒りを買ったとしても、タケルさんであればそのストッパーとなれる。

例えどれだけ(いきどお)っていても、タケルさんが宥めれば矛を収めるでしょう。

 

では万一それが失われたら?

 

温厚な神程その怒りは恐ろしいとはよくいいますが、それは温厚な神ですら怒る行いをしたからに他ならない。

タケルさんが止めない、もしくは止められない状況になった時、コンさんは決して容赦しない。

 

タケルさんから異世界の祟り神の鎮め方は聞きました。

行為そのものはそれほど大きな違いはありませんが、重要なのは何に重きを置くか。

 

贖罪の供物を重視するこちら側(ミルラト神族)と違い、あちらが重視するのは誠意。

お互いの文化の違いが、致命的なすれ違いを起こしかねない。

 

特にそれが神々であった場合、誠意を見せるという精神的に重きを置く行為ができる者がどれだけいるやら。

火に薪をくべるだけになる気しかしませんわよ。

 

そして更に頭が痛くなるのが、コンさんが何をしでかすか分からない事。

異世界の神であるが故に、こちらの常識が通用しない。

どうしても対応は後手に回ってしまう。

 

異界の中ならともかく、ミルラト神話圏で事を起こせば(わたくし)達が力を振るう名分が出来る。

例え異界の中からおこなったとしても、それを辿って逆侵攻をかけることが出来る。

 

いくらコンさんでも、神としての力は(わたくし)の方が上です。

異界(マヨイガ)という優位な領域を計算に入れても、貴高神全員を相手取れるほどの力はない。

タケルさんを考慮に入れなければという前置きはつきますが、コンさんを討滅する事は不可能ではない。

 

ですが、その過程でどれほどの犠牲が出るか。

正直怒りを買った輩を異界(マヨイガ)に放り込んで、お好きにしてくださいと言った方がよっぽど犠牲が少なくて済む。

コンさんが怒ってタケルさんが止めないとか、よっぽどの事をしでかしているでしょうから「責任を取れ」と言ってそうしても他からは納得が得られるでしょうし。

 

更に言えばもし今回過去視で見た行いをするのなら、コンさんを討滅したところで止まらないんですわよね。

 

むしろ憎悪や怨恨によってより強くなる事も考えられる。

それは古き神々を滅ぼした怪物の猛毒のように、私達(ミルラト神族)に対する()()()()()()になりかねない。

 

以前プロミネディスが言っていた『善性の強い今のままでいてくれた方がいい。多少、善の在り方が僕達とは違っていてもね』という言葉は正にその通りだと実感しましたわよ。

 

ついでに言えば怨霊を祀って守護神にしてしまうような人間たちに信仰される神と正面から事を構えたくないというのもある。

それはつまりその神もそちら側の存在という事ですもの。

 

厄神だろうが悪神だろうが、果ては邪神まで信仰して味方につけてしまうとか、タケルさんの所の人間はいったいどんな信仰してるんですのと言いたくなる。

 

いえ、一応タケルさんに聞いていますから理解はしています。

()()()()()()()()()()()()だけで。

そんな相手と正面から敵対とか、何をされるか分かったものではないですわよ。

 

こちら(ミルラト神話圏)ではそんな事しないでくださいね。目に余る者がいたら(わたくし)に言っていただければ、少し時間をいただくかもしれませんが対応いたしますわ」

 

「承知した。が、マヨイガで狼藉を働いたり、タケルに害を成すとなれば話は別じゃぞ」

 

「構いませんわ。タケルさんの身を優先するのは当然の事ですし、異界(マヨイガ)内の出来事はそもそも(わたくし)に口を挟む権利はありませんもの。それと今後の事ですけど────────────」

 

 

 

 

 

五柱の貴高神の話し合いは佳境に入り、大方の意見は出尽くした。

 

最終的には要警戒ではあるものの積極的な干渉は必要ない。

むしろ他の神々が余計な事をしないように注意しておく必要がある。

それに伴い、異界(マヨイガ)への連絡要員を置くことで迅速な対応ができるようにすべしという意見が採用された。

 

後はそれを誰にするか決めるだけだ。

 

(わたくし)では駄目。

流石に貴高神を使者にするのは対外的によろしくない。

 

(わたくし)異界(マヨイガ)に行っているのはあくまでプライベート。

プライベートで遊びに行った時に、ついでに少し仕事の話をしているだけ。

そういう事になっている。

 

だからと言って神格の低い神では駄目。

それだと相手を(ないがし)ろにしていると取られかねない。

タケルさん達は気にしないでしょうが、これも対外的に見てよろしくない。

 

では伝令神であるクラトンならどうか。

神格的にも悪くなく、能力的にも問題は無い。

 

しかしこれも駄目。

理由はマヨイガ────というよりタケルさん。

神すらも変容させる彼の前に、神々にとって重要な役目を持つクラトンを出すのははばかられる。

下手に影響を受けても困るし、取り込まれでもしたら目も当てられない。

 

ある程度の神格があって、タケルさんの影響を受けにくい、もしくは既に影響を受けた後で変質の予測が容易な神。

出来れば異界(マヨイガ)に近い位置に拠点を持つと尚いい。

 

 

 

となると、一柱しかいませんわよね。

 

 

 

「それでは、サツマ芋の神 フェルドナに渡界神(わたりがみ)の号を与え、異界への使者に任ずる事とする」

 

こうしてフェルドナは知らないところで新たな称号を得る事になったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ、計画通りなのですけどね」




だいたいルミナ神のせい。

でも恩恵もそれ以上に大きいので文句も言いづらい。


追記:cyan675様、名無しの通りすがり様、誤字報告ありがとうございます。


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File No.23-1 『親しき仲に垣をせよ』

前話投稿後、日間オリジナル9位 総合21位 を獲得させていただきました。
また、お気に入り登録者数も倍以上になり、嬉しい限りです。

これも本作をご覧になって下さった皆様、評価して下さった皆様、お気に入り登録して下さった皆様のおかげです。
この場を借りて御礼申し上げます。

今後とも『俺と天狐の異世界四方山見聞録』をよろしくお願いいたします。


※一部辻褄合わせの為に微加筆済。内容的には変更はありません。


解放形態(本気モード)じゃ」

 

その言葉と共に、コンの尻尾が一つに纏まる。

コンの神としての力をフルに発揮できる解放形態(本気モード)だ。

 

この間良い呼び方を考えておいてくれと言われたのだが、意外と本気モードという呼び方がしっくり来たのでニュアンスだけ変えてみた。

いつもの状態は制限形態(通常モード)と呼ぶようにしている。

 

解放形態(本気モード)制限形態(通常モード)で何が違うのかと言うと、基本的に神気の出力が違うだけらしい。

もちろん出力が高いからこそできるようになる事もある訳だが、別に特殊な能力が使えるようになるわけではないようだ。

むしろコンの場合は出力の大きささえ関係ないのなら解放形態(本気モード)でできる事は制限形態(通常モード)でもできると言った方が正しいか。

 

そんな解放形態(本気モード)になったコンはお尻をこちらに向け、大きな尻尾を揺らしている。

 

「え、マジでいいの?」

 

「よいぞよいぞ。今日は気分が良いから特別じゃぞ」

 

今から俺がしようとしているのは狐妖怪へ対しての禁忌に近い。

 

正直コンの解放形態(本気モード)を見たときから気にはなっていたのだが、流石にそれはやっちゃダメだろと自戒していた。

だがそれを察したコンが、一回だけならやってもよいぞと言ってくれたのである。

いやマジでありがとう。

 

「それじゃぁ、let's モフモフ!」

 

そう言って俺は()()()()()()()()()()()

 

「はぅ……だ、大胆じゃな」

 

はー、もふもふだぁ。

 

抱きしめれば沈み込むように柔らかな弾力。

撫でればすべすべとした極上の肌触り。

すりすりすれば暖かな質感が頬に触れる。

正に至高の尻尾。

 

狐妖怪の尻尾は妖力を使う為に重要な器官だ。

その為とても敏感であり、基本的に他者に触れられるのを嫌う。

相応に仲良くなれば触れることを許してくれる事もあるが、その場合でも触れるには細心の注意を払う必要があるのだ。

 

俺もコンから状況を(わきま)えさえすれば尻尾を触ってもいいという許しを得ているが、モフモフする際は力加減を間違えないようにしなければならない。

ミコトは割と強めにぎゅっとさせてくれるが、それは俺が(つがい)だから許してくれているのだ。

 

そんな訳で、本来であれば抱き枕のごとくしがみつくなど言語道断。

ぶっちゃけ許可を得ずにやったら殺されても文句は言えないほどの暴挙である。

 

「ボクもやるのだ」

 

じゃぁ、コンがいいって言ったら交代しようか。

そう思ってミコトの方を振り向くと、経立形態(ふったちモード)のミコトが後ろ向きで迫って来ていた。

 

えっ? っと思ったのもつかの間、ぽふっっと擬音がしそうな衝撃が背中を襲う。

 

こ、これはもふもふ尻尾サンド!

自分もやるって、そっちの方!?

 

前方のコンのもふもふ尻尾、後方のミコトのもふもふ尻尾。

小柄な経立形態(ふったちモード)で立っている状態の俺にどうやってと思ったら、なんと器用にも尻尾だけで俺の背中にしがみついているではないか。

いつの間にそんな事が出来るようになったんだ。

 

「ぎゅーってしてあげるのだ」

 

おお、これはもふもふパラダイス。

全身をもふもふな尻尾に包まれて、俺はこの夢のような時間を堪能したのだった。

 

 

 

 

 

もふもふ尻尾サンドを堪能後、その余韻も冷めたころにいだてんさんからフェルドナ神来訪の知らせが来た。

どうも神の役目(お仕事)で来たそうだが──あぁ、先日ルミナ神が言っていたあれの件か。

 

ミコトにお茶とお菓子の用意を頼み、コンと共に玄関へ向かう。

するとそこには何だか疲れた顔のフェルドナ神がいた。

 

「いらっしゃい。どうやらお疲れのようですけど、いかがしました?」

 

とりあえず、キツネツキとして話しかける。

 

「キツネツキくん、こんにちは。ちょっとね。体の方は問題ないのだけど、精神的に重圧(プレッシャー)が凄くて」

 

「それは……穏やかでは無いですね」

 

コン、わかる?

 

(いや、相変わらず読心拒否されておるから何とも……。じゃが、おそらくあれじゃろうな)

 

あー、そうか。

フェルドナ神の立場で考えたらそりゃ重圧も凄いか。

 

「大丈夫。そのうち慣れると思うし、とりあえずこれが済んだらひと段落つくから」

 

(やはりな。ではさっさと終わらせて楽にしてやろうて)

 

そうだな。

こちらは()()()()()()()()()()()対応するだけだ。

 

「では立ち話もなんですし、座敷の方に行きましょうか」

 

 

 

座敷に着いて俺は上座に座り、フェルドナ神と向かい合う。

フェルドナ神もお仕事モードに切り替えたようなのでこちらも相応の態度で応じないとな。

 

「して、この度は如何様で?」

 

まぁ、内容は分かっているんだけど形式的にね。

諸事情で来訪予定日は決められてなかったからピンと来なかったが、思ったより早かったな。

 

「はい。私はこの度、貴高神五柱の連名により渡界神(わたりがみ)の号を賜り、キツネツキ神との間で言伝(ことづて)の任を務める事となりました」

 

そうらしいね。

 

「つきましてはキツネツキ神におかれましてもお認めいただきたく」

 

要するにフェルドナ神を貴高神側とマヨイガ側との間を取り持つメッセンジャーにしたいから、その役目の為にマヨイガに来ることを認めてくれという事だ。

ぶっちゃけこれ、ルミナ神から既に連絡があってお互いに合意している話だったりする。

 

その際、連絡役にフェルドナ神が選ばれた事も聞いている。

双方に縁がある神となれば妥当な神選(人選)だろう。

なのでそのうち就任の挨拶に訪れるので、その際にそれを認めて欲しいという要望があった。

 

フェルドナ神がマヨイガに来ることが出来るのは、試練を乗り越えキツネツキに認められた為という風に表向きはなっている。

それを良い事にフェルドナ神をメッセンジャーとして使ったと思われては、外聞的にもマヨイガ側の印象的にも良くない。

だからこうした根回しと手続きを経て、正式に双方から認められたお仕事ですよとする必要があった。

 

それに、本番(実際の言伝)の前に予行練習を(手順を確認)しておくという意味もある。

 

ついでに言えばフェルドナ神はあくまで連絡役であり、交渉などの権限は持っていない。

 

マヨイガ側と交渉したいならルミナ神が間に入るのが一番早いし確実だ。

実際、交渉自体は貴高神を代表してルミナ神が行う事になっている。

しかし、使者の役目までルミナ神がすると貴高神の立場上、対外的によろしくない。

 

なのでフェルドナ神に求められているのは、貴高神各々の意志を素早く伝える事。

それを基にマヨイガ側(俺たち)貴高神側(ルミナ神)で話し合いを行う。

そしてその結果を改めてフェルドナ神が異界神(キツネツキ)側(場合によっては貴高神側)の提案として相手に伝え、双方で合意したという形をとる事になる。

 

なんでこんな回りくどい事をするかというと、まぁ、面子的な話だ。

妖怪もそうだが、神にとって印象って凄い大事なのよ。

 

「わかりました。渡界神(わたりがみ)フェルドナ、貴方の精励(せいれい)に期待しますよ」

 

「はい、ありがとうございます」

 

フェルドナ神の役目は俺たちが万一ミルラト神話圏に悪影響が大きい事をやらかした場合、それを俺たちに伝えて自覚させること。

その判定は各担当分野の貴高神が行い、悪影響が大きいと判断されれば伝令神がフェルドナ神にそれを伝え、フェルドナ神が俺たちに言伝するという流れだ。

 

あと、もしかしたらプライベートでの連絡もあるかもしれないとの事だったが、それをやりそうな貴高神筆頭であるルミナ神は別の連絡手段があるので多分無いだろう。

 

「では、これにて仕舞(しま)いと致しましょう。お疲れ様です」

 

「お疲れ様。あー、緊張した」

 

他に言伝が無い事を確認し、仕事からプライベートに切り替える。

 

一応まだフェルドナ神には帰って伝令神に返事を伝えるという役目があるが、それはまた翌日にする予定となっている。

今回は最初から内容が決まっていたが本来はルミナ神との協議が必要だし、プライベートの言伝だったとしても俺たちが返答を考える時間がいるからだ。

 

その間フェルドナ神はどうするのかというと、いつでも返事を受け取れるように近くに待機しておく必要がある。

もちろんすぐに返事が決まったのであれば、すぐに戻ってそれを伝えなければならない。

ただ今回は協議に一日ほど時間がかかった場合を想定し、対応手順の確認を行う事になっている。

 

つまり何が言いたいかというと、本日フェルドナ神はマヨイガにお泊りすることになるのだ。

もちろん渡界神(わたりがみ)のお仕事はいつあるか分からないので、何時来てもいいように準備はしている。

 

「うん、やっぱり相手がキツネツキくんで良かった。他の神が相手だったら重圧でつぶれてたかも」

 

「やっぱり貴高神から任命(にんめい)されると緊張しますか」

 

「そうね。やる事自体はそんなに難しくない筈なのに、落ち着かなくて失敗しないか不安になってしまうわね。正直、一番の山場が過ぎてすごくホッとしてる」

 

何となくだが理解できる。

貴高神って他のミルラト神族からすれば隔絶した神格をもっているそうだし。

 

元々フェルドナ神にとって貴高神は別に主従関係がある訳ではない。

今回の役目も理屈の上ではフェルドナ神が受けなければならない理由は無いのだ。

 

しかし、それを拒否できないほどの力と影響力を持つ神が貴高神なのである。

そんな相手から(しかも五柱の連名で)指名されたら緊張もしよう。

 

「まぁ、長くとも百年ほどの話ですし、あまり気負い過ぎないようにするしかないでしょう」

 

百年以内には俺も現世(元の世界)に帰るからね。

別にそうなっても渡界神(わたりがみ)の称号をはく奪される訳では無いが、役目としては無いも同じになる訳だし。

 

人間にとって百年は長いが、ミルラト神族にとっては短いとは言わないが長くもないといった感じらしい。

 

「でもいいのかな。いくらやる事がないといってもこんなに気を抜いちゃって」

 

「他の神の所なら不味いかもしれませんが、場所がここ(マヨイガ)で相手が(わたし)ですからね。お互いに知らない仲でも無いのですし、気を張る意味もありませんよ」

 

知らない仲でもないと言えば、フェルドナ神の口調も出会った当初に比べるとかなり砕けてきたよな。

当時はどことなく威厳のある喋り方をしていたのに、今では近所のお姉さんのような感じだ。

以心伝心(いしんでんしん)(まじな)い』の翻訳のせいかも知れないけど。

 

「使者殿をもてなすのも主の役目。存分に寛いでいって下され」

 

経立(ふったち)姿の解放形態(本気モード)で側に控えていたコンが言う。

コンはコンでフェルドナ神相手には一線を引いた喋り方をしているというか。

ルミナ神相手には無遠慮に話しているのに。

 

あ、いや逆か。

コンはルミナ神に遠慮がないだけだ。

 

「そうそう、最近マヨイガの温泉が使えるようになったんですよ。せっかくですから入って行かれませんか?」

 

「え? 温泉なんてあったの?」

 

実は露天風呂があったりするのだ。

例に漏れず妖怪温泉な訳だが、気分屋と言うか機嫌によって湯量や泉質が変わる。

 

どうも最近まで寝てた(活動停止してた)そうでお湯が枯れていたが、先日からまたお湯が吹き出すようになった。

またいつ寝て(泉源が止まって)しまうかは分からないが、少なくとも数ヶ月は起きている(温泉を楽しめる)だろうとの事。

 

俺たちも堪能させてもらっている。

入り浸りすぎると今度は妖怪風呂が拗ねるので気を付けないといけないが。

 

それを簡潔にフェルドナ神に伝える。

 

「へぇ、じゃあお言葉に甘えさせてもらうわ」

 

ミルラト神話圏にも温泉の文化はある。

元々湯量が豊富らしく入浴が娯楽の一つとして発達してきたそうで、結構な数の湯屋や温泉があるそうだ。

ルミナ神の聖域にも温泉があったしね。

 

「そういえばちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかしら」

 

「はい、何ですか?」

 

「私が言伝した事の話し合いはルミナ様とされるそうだけど、キツネツキくんってどうやってルミナ様と連絡をとってるの?」

 

ああ、それですか。

 

「実は直通通信回線(ホットライン)があるんですよ」

 

何かと問われれば新婚旅行の時にルミナ神と月読命(ツクヨミノミコト)を習合する際に使った(ほこら)だ。

あそこでお祈りすれば直接ルミナ神に届くのである。

 

もちろんマヨイガが異世界にある間限定だけどね。

現世(元の世界)に戻ったら流石に届かなくなってしまう。

 

「しかしこうなってくるとフェルドナ神用の祠も作った方がいいですかね」

 

渡界神(わたりがみ)としての仕事の場合は直接来る必要があるが、ちょっとした連絡なんかはそれで済ませられるのは使い勝手がいい。

もっとも、一応日本神話側に属してるマヨイガにミルラト神族の祠を立てるのも(はばか)られる(ルミナ神は月読命扱い)ので、日本の神様と習合する形になるだろうが。

 

「んー、ここまで来るのも別に大した距離じゃないし、私は別にいいかな」

 

さいですか。

 

「それでは宿泊していただく部屋に案内いたしましょう」

 

ちなみにフェルドナ神がお泊りする予定の部屋は離れ座敷(はなれざしき)である。

また、案内兼給仕としてなでしこさんが付くことになっている。

 

ミルラト神話圏のものとは様式も道具も全く違うわけだからな。

ある程度はわかっているとはいっても、流石に泊りともなれば勝手が違うだろう。

なのでなにかあればすぐに対応できるよう、世話役をつけようという事になったのだ。

 

なでしこさんなのはコンの式神であり一定の格をもっている事、感知能力に長けていて相手の要望を察しやすい事、普段は白狐の面として室内装飾(インテリア)に紛れて待機しておける事などを鑑みての結果である。

 

もちろんそこら中にいる妖怪の誰かにでも言ってくれればマヨイガの意思経由で俺たちに届くのだが、即応性という観点ではどうしても劣るからな。

 

「ところで食事は部屋の方に用意させていただく予定となっていますが、何かリクエストはありますか?」

 

「そうね……だったらオムライスがいいな。あと、できればゆで卵も」

 

「了解です。ついでに温泉卵も作りましょうか」

 

なら妖怪鶏に多めに卵を産んでもらうよう頼まないとな。

 

フェルドナ神は甘味を除けば卵料理を好む。

やっぱり神体(もと)が蛇だからかなとちょっと思ったが、フェルドナ神の神体である『ミズキリ』は鳥の卵は食べないらしいから単に個神(こじん)の好みなのだろう。

 

そもそも一般的にイメージされるほど、日本の蛇って卵を食べないらしいね。

基本的に鳥が卵を産むのは繁殖期だけなので、食べる機会が無いらしい。

現代で鶏が毎日と言っていいほど卵を産むのは、飼育環境と品種改良の賜物だそうだし。

 

もちろん鳥卵は食べなくても爬虫類の卵とかを好む蛇もいるし、逆に鳥の卵しか食べない(なんと卵が無い季節は絶食するらしい)なんて蛇も海外にはいるそうだが。

 

もしくは巳神(蛇神)様は卵を好むという話もあるので、神様になると好物になったりするのかもしれない。

まぁ、これは現世の方の話だが。

 

あとはサラダと汁物かな。

食後のデザートはいつも通り妖怪菓子箱に頼むか。

 

そんな事を考えながら、俺はフェルドナ神を連れて離れ座敷(はなれざしき)までの廊下を歩いて行った。




『親しき(なか)(かき)をせよ』

親しい間柄でも無遠慮に接しすぎると不仲のもとになるので、節度を持って接するようにという戒めの言葉。

『親しき仲にも礼儀あり』とも。


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File No.23-2 渡界神 フェルドナの記憶

今回はちょっと短め。
もともとは別視点の予定はなかったけど、ふと思いついたので書いてみた温泉回。

昨日も更新してるのでお見逃しなく。


異界(マヨイガ)の温泉につかりながら、私は今回の事を思い返す。

 

突然の貴高神のお歴々(れきれき)からの要請。

立場的にも状況的にも断れない実質的な命令だったけど、その内容は破格だった。

 

(にん)じられたのはお歴々(れきれき)言伝(ことづて)をキツネツキくんに届ける役目。

もちろん私が直接言伝(ことづて)を預かる訳ではなく、間に伝令神クラトン様が入るのだけど、それはむしろ私にとってはありがたかった。

 

歴々(れきれき)相手に直接なんて、重圧で気絶してしまう自信がある。

とはいえクラトン様も十分高位の神なので緊張するのだけど。

 

その役目の対価は渡界神(わたりがみ)の称号。

言い換えれば新たな神格だ。

 

この神格自体は異界へ赴いた私自身に宿っていたものだけど、重要なのはそれを()()()()()()()()()()()という事。

 

これによりその神格が大幅に引き上げられている。

 

この話が広まれば新たな信仰(より強い神威)を得られるかもしれない。

もしかしたら新たな権能を得る事も可能かもしれない。

サツマ芋の神としての神格に渡界神(わたりがみ)の神格を上乗せすれば、上位の神格に届くかもしれない。

 

そうなればフォレアが産まれたときのような災厄が再び訪れたとき、キツネツキくんと出会った時のような病がまた蔓延ったとき、私自身の力で祓う事が出来るかもしれない。

その時にまだキツネツキくん達が居るとは限らないのだから。

 

 

 

ふと空を見上げる。

既に日も落ちた空には、無数の星が輝いていた。

 

これが本物ではなく異界(マヨイガ)に映し出された幻像(げんぞう)だというのだから見事なものだ。

知らずに訪れればきっと違和感すら覚えないだろう。

 

 

 

「百年か……短いなぁ……」

 

無意識にそんな言葉が漏れた。

 

キツネツキくん達は事故で異なる世界からやって来てしまった異邦神(いほうじん)だ。

彼らと交流を深めていった折に、それを知る機会があった。

 

いつになるかは本人たちにも定かではないらしいけど、帰還の目途が立てば彼らは異世界に帰ってしまう。

その予測は長くても百年。

 

彼らが帰った後、その穴を埋めるように信仰によって新たな異界神が顕現するだろう。

 

それはタケルくんを模した異界神になるだろう。

 

側には狐獣人の伴侶の姿もあるだろう。

 

人のように立つミシロキツネの神使もいるだろう。

 

故に、彼らが帰っても渡界神(わたりがみ)の役目がなくなる訳ではない。

 

私が新たな異界を訪れれば、新たな異界神は彼らと同じように私を迎え入れてくれるだろう。

 

それはきっと限りなく彼らに似ていて、全くの別神(べつじん)だ。

 

 

 

奇跡のような出会いがあった。

 

 

一会(いちえ)で終わらぬ縁を繋いだ。

 

 

(えにし)を重ねて言葉を交わした。

 

 

知らずのうちに魅入っていた。

 

 

 

キツネツキくんが(たらい)と呼んでいた木製の器から、小さなコップを取り出す。

口をつけると柑橘系の爽やかな味付けをされた水物(飲み物)の爽快感が喉を潤した。

見た目より多く入っているようだけど、これも異界(マヨイガ)妖怪(神器)だったか。

 

コップを(たらい)に戻し、月明りに照らされた屋敷を見る。

 

キツネツキくんがこの異界に私の祠を作ろうかと言った時、私はそれを拒否した。

 

少なくともその提案は、私に損の無いものだった筈だ。

何かあった時、すぐに連絡の取れる手段があるというのはとても有益だった筈だ。

 

だけど私は拒否した。

 

理由は自分で分かっている。

私がここ(マヨイガ)に来る理由を、少しでも減らしたくなかったからだ。

 

 

なんで?

 

 

なんでだろう。

 

 

何故かは分からないけど、そう思ったのだ。

キツネツキくんに会える機会を減らしたくないと、そう思ったのだ。

 

彼との仲は良い方だとは思うけど、何故そう思ったのだろう。

キツネツキくんの事は好きだけど、それは愛ではなく、ましてや恋でもない。

 

さりとて友情という訳でもないだろう。

彼の事は友神(ゆうじん)だとは思っているけど、それに端を発した感情という訳ではないと思う。

 

ならば異界神(神格の高い神)に対する敬慕の念か。

ううん、色々と尊敬しているところもあるけれど、これもなんか違う気がする。

 

しばらく考えてはみたけれど、結局どういう感情なのか自分でもわからなかった。

 

もし彼が居なくなったらと──いずれ確実に訪れるその時を──思うと、心のもやもやが大きくなる。

その時に成ったら、私は彼を引き留めようとするだろう。

それでも彼が帰る事を選んだのなら、私は少しの寂しさを胸に笑顔で送り出す。

 

今までありがとう。

 

きっとそう言って送り出せる。

だから魅入ってはいても執着はしていないのだ。

 

 

 

軽く頬を叩く。

考えていても仕方のない事だと、気持ちを切り替える。

 

これがどんな感情か分からないけど、私にできるのは共に過ごせる今を存分に謳歌する事だ。

いずれ彼らが帰る日が来るまで。

いつか再び巡り合えるように、深く深く縁を紡ぐのだ。

 

 

 

うん、なんか私らしくなかった。

 

異界(マヨイガ)に来るとキツネツキくんやミコトちゃんが美味しい手料理を振舞ってくれる。

あと、間食やお土産にお菓子をくれるし。

 

これの感情はきっと美味しいもの目当て────という事にしておこう。

 

 

 

お湯の中で腕を伸ばす。

 

解放感のある露天の温泉は、泳げそうなほどの広さがある。

温度も丁度よくて、心が洗われるようだ。

ここしばらく忙しかったゆえに溜まった疲れが溶け出していく。

 

いいなぁ。

ウチの村(ラクル村)には温泉なんて無いからなぁ。

 

お湯を沸かすにもお金がかかるから浴場もないし。

ウチも近くに温泉が湧いたりしないかなぁ。

 

神格が上がって信仰される地域が増えたから、実入りも増えて(たくわ)えにも余裕が出てきた。

この調子でいけばそのうち温泉神に頼んで温泉の泉源を引っ張ってきてもらえるだけの財が貯まるかも。

ラクル村にも恩恵はあるし、偶にはそんな贅沢をしてもいいよね。

 

あ、そういえば蒸し風呂もあるって言ってたっけ。

あとで入ってみよう。

 

 

 

あぁ~~~~~、生き返るわ。

今度はフォレアも連れてきて……いえ、作法の勉強で来る予定があるのだから日程を調整すれば……

 

あ、でも一度(とお)しでやった方がいいかしら。

頑張ったご褒美という形で入れてもらえるように頼めば……それだと普段が頼みづらくなる。

うん、普通に使わせてもらえるように頼んで普通に一緒に来よう。

 

サツマ芋の化生(スァート)はどうしようか。

あの子は水捌けが悪い所を嫌うからなぁ。

 

というか、そもそも娯楽に興味を示さない。

日がな一日大地の栄養と太陽の恵みを取り込むことに勤しんでいる。

 

増えろ増えろ、サツマ芋増えろ。

増えて大地に満ち溢れよ──みたいな本能で生きてのよね。

 

それだとサツマ芋を食べる私たちの事はどう思っているのかと聞いたことがある。

やっぱり疎ましく思っているのだろうかと思ったら、返答はまさかの「もっと食べろ。できればサツマ芋を主食に!」だった。

 

いや、スァートは喋れる訳じゃないし明確な理性がある訳でもないんだけど、何となく何が言いたいのかは理解することが出来る。

 

どうやらスァートの中では「人間がサツマ芋を食べる。するとサツマ芋を育てるようになる。結果サツマ芋が増える」という理論があるようだ。

ある意味これも一つの共生という事なんだろうか。

 

とりあえずスァートにはいつも通り神域の畑で日向ぼっこしていてもらおう。

 

 

 

あと、コンくんがなんか凄い事になってたなぁ。

 

神格を得た……というか元々持っていた神格を取り戻したとは聞いていたけど。

神威とかなんかこう、うん、凄かった。

そんな風に語彙がなくなる程に圧倒された。

 

でも、あの場面(渡界神承認の話し合い)でわざわざ神威を解放したままにしないで欲しい。

いや、あちら(キツネツキくん)側も本気であるというアピールなのは分かるけど……分かるんだけど。

 

正直あそこまでとは思ってなかった。

ルミナ様と対等に接しているのも分かるわ。

 

そんな相手を以前からの惰性とはいえ『くん付け』で呼んでいる事実は考えない事にした。

 

 

 

何と無しに(たらい)を見てふと思いついたことがある。

これやってもいいのかな。

 

念のため周囲の妖怪(温泉や盥やコップの神器)達に聞いてみると、「まぁ、いいよ」と許しを貰えたので(たらい)に顔を乗せる。

そのまま神体(蛇の姿)になると、(たらい)にぶら下がるような恰好になった。

 

そのままチロチロと舌を伸ばしてコップの中の水物(飲み物)を舐める。

あぁー美味しぃ。

 

ゆったりと浮かぶ(たらい)に身を任せながら、目を細める。

暖かな湯が全身にぬくもりを与えてくれる。

体が自然にくねくねと動く。

 

まだ私の入浴は終わらない。

 

 

 

はぁ、気持ちいい。





それはお気に入りの動物カフェに行きたいと思う心情に近しい


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File No.24  『御神酒上がらぬ神はない』

前話にてサツマイモの化生(スァート)の後にコンの評価を追加しました。
十行程度ですが覗いてみていただければ幸いです。


「そういえばもうすぐ正月ですけど、タケルさんは元日(がんじつ)はどのように過ごされるつもりですの?」

 

ある日、遊びに来ていたルミナ神がそんな事を言った。

 

「そうですね。()()()()()()()()()()()()()()()、いつも通りといったところでしょうか」

 

翻訳(以心伝心の呪い)の関係で微妙に話が噛み合っていないようにも聞こえるが、これはミルラト神話圏で使われている暦が関係している。

 

あちらでは一年の始まりが地球で言うところの「春分の日」だからだ。

 

春分とは太陽の通り道である「黄道」が赤道を上方向に延長した「天の赤道」が交わる日のうち、春頃にあるものをいう。

簡単に言えば春頃の一日の昼と夜の長さが同じになる日だな(実際には様々な要因により体感的な時間は異なるそうだが)。

 

ミルラト神話圏では暦に年・月・廻・日という単位を使っている。

 

一年が361日。

30日で1ヶ月となり、一年は12ヶ月。

5日で1(めぐ)りとなり、1ヶ月は6(めぐり)

6月と7月の間にどの月にも属さない1日があり、十年に一度この日が無い年を作る事で閏日(うるうび)のような役割を果たしているそうだ。

 

(めぐ)りに関しては最初は翻訳されず「ノレ」という単位で聞こえていたのだが、単語の意味としては「一廻(ひとまわ)りするというような感じ」という説明を聞いたらなんかこんな翻訳がされだした。

週という単位はそもそも無い。

 

「あら、そうだったんですか。ちなみに元旦はいつ頃?」

 

「ミルラト神話圏の暦で言えば10月の10日頃ですね。まぁ、そもそもマヨイガは季節を起点とする世界と場所に依存しているので、現世(元の世界)だとそろそろかなくらいの感覚でやっただけですが」

 

そもそもマヨイガ自体に明確な季節というものが無く、繋がっている世界が冬だから冬にしようかぐらいの感覚で季節が変わる。

何なら今この瞬間から真夏に変える事も可能だ。

 

現世から異世界に来たことで現世との時間の同期も既に切れており、時間の流れ自体も変わってしまっているので日数で計算しても意味が無い。

なので(異世界)の季節的にこの辺かなというタイミングで大晦日と元日の行事をいくつかやった程度である。

 

ちなみにミルラト神話圏では各月の事を数字ではなく十二柱の神様の名前を冠して何々の月と呼ぶそうだが、以心伝心の呪いで翻訳されるので詳しくは省略する。

 

「異世界の元日の風習などには少し興味がありましたが、これは来年の楽しみに取っておいた方が良さそうですわね」

 

来年もやるかどうかは定かではないが、その時はルミナ神にも声をかけるようにしようか。

 

其方(そちら)だと正月、というか元日には何かあるんですか?」

 

「基本的に元日は神も含めて太陽神(プロミネディス)以外はみんな寝てますわね。大晦日には夜通し宴を催して新たな年の太陽が昇るのを迎えるというのがありますから」

 

そういえば日本でも理由こそ違えど、江戸の町の町人全員寝正月とかあったらしいね。

店も全て休業日で当時世界最大を誇った江戸百万都市が静まり返ったとかなんとか。

逆に武士は挨拶回りとかで忙しかったらしいけど。

 

「もっとも、(わたくし)は夜行性なので普段通りなのですが」

 

マヨイガに来る時も早起きしてだから基本的に昼も半ばを過ぎた頃に来る。

一応、徹夜ならぬ徹昼もやろうと思えば可能だそうなので午前中に来た事もあるが。

 

「へぇ。ちょっと見てみたいですが、流石に異界側の神(俺たち)がお邪魔する訳にもいかなさそうですね」

 

マヨイガでやる行事にルミナ神やフェルドナ神を友神枠で呼ぶようにはいかないだろう。

 

「そうですわね。四月の初め頃にはトロウル祭がありますし、よろしければそちらの方に参加されます?」

 

「トロウル祭ですか。どんな祭りなんですか?」

 

少し分かりづらい所だが、俺は普段グレゴリオ暦(現代日本で一般的に使われている暦の名前)で生活しているため、翻訳(以心伝心の呪い)によりそちら基準に変換される。

先ほども言ったように異界でグレゴリオ暦を当てはめる意味は無いが、おおよそ今は何月ごろ、あとどのくらいで何月のような目安として使っているからだ。

その為、俺には四月の初め頃と聞こえているが、ルミナ神は「ミルラト神話圏(自分たち)の暦で一月中旬」という意味で言っている。

 

じゃあ何で正月とか元日とかは変換されないかといえば、こちらは特定の日を表す単語だからだな。

わざわざ解説するまでもないかもしれないが、正月は一年の最初の月(1月)の別名であり、新年を祝う諸行事が行われる期間を言う場合もある。

元日は一年の最初の日、つまり一月一日。

ちなみに元旦だと「元日の朝」という意味になる。

 

まぁ、基本的に年月はグレゴリオ暦で表記されるので、ミルラト神話圏では三月下旬に元日があると思っておけばいい。

例外として「ミルラト神話圏の暦で」とか「プラム暦の」とかの修飾語が付いた場合はミルラト神話圏側の日付だ。

とはいえほぼ使われることは無いと思うが。

 

あ、プラム暦はミルラト神話圏で使われている暦の名前ね。

現在はプラム暦1663年で、もうすぐ1664年になる。

紀元(始まりの年)は太陽の化身(プロミネディス神)が初めて天から地上へ降り立った年らしい。

 

「────という趣旨の祭りですわね。規模としては小さいですけど」

 

「それは興味深いですね。観光には丁度良さそう」

 

「とはいえ自分で言っておいてなんですが、遠方(サクトリア)まで見に来るほどの祭りという訳ではないのですよね。フェルドナの所でもやるでしょうし、少し顔を出すくらいならそちらの方がいいかもしれませんわね」

 

フェルドナなら歓迎するでしょうしと続けるルミナ神。

 

となるとラクル村か。

今度フェルドナ神に聞いてみるかな。

 

「異世界だとどのような行事をしていますの?」

 

「そうですね……祭りは各地で行われていますが」

 

イースターとかもあるけど、俺はあんまり詳しくない。

 

エイプリルフールはここで紹介するにはなんか違うし。

 

バレンタインにはちょっと遅い。

 

「よく行われるのは花見ですかね。桜などの花を観賞して春の訪れを祝うのです。もっとも、それを口実に宴会をする事の方が多いですが」

 

「サクラね。以前言っていた薄いピンク色の花ですわよね」

 

「ええ。マヨイガにもありますし、多分来月には咲いていると思いますよ」

 

ルミナ神も知らなかった植物のようなので、ミルラト神話圏には無いっぽいね。

全く同じでなくとも同様のものがあれば翻訳されて理解できる筈だし。

以前の劇でそれっぽいのがあったが、あれは異界の春の風景を演出する為にルミナ神が俺から聞いた話を伝えたからだとか。

 

『ルミナ神よ。せっかくじゃから来月にでも桜を愛でながら酒宴などどうじゃ?』

 

俺の側で寝そべりながら話を聞いていた霊狐形態のコンが口を挟む。

なんかコン、以前より更にルミナ神に対して気安く接するようになったな。

それだけ打ち解けてきたという事だろうか。

 

「いいですわね。そう言えば先日の供物の中に良いお酒がありましたわね。あれを持ってきましょう」

 

そういえばルミナ神もお酒好きらしいね。

【御神酒上がらぬ神はない】ではないが、何かにつけて飲む機会は多いそうだ。

 

ミルラト神話圏で飲まれているお酒は大麦から作った麦酒(ビール)葡萄酒(ワイン)が多い。

他にもリンゴ酒や梨酒などの果実酒も多くあるが、全体的な割合としてはそれほどでもないとのこと。

蒸留酒もあるにはあるが、それほどメジャーでもないらしい。

 

マヨイガに来た時は偶にコンとミコトと一緒に日本酒をたしなんでいるが、結構な量を飲むのに酔いが回ったような様子は見た事が無い。

まぁ、それはコンとミコトも同じなんだが。

 

コン曰く、人間で言えばほろ酔い程度には酔えるのだそうだが、あっという間に酒が抜けてしまうのだとか。

呑むのを止めて百数える頃には完全に素面に戻ってしまうらしい。

水でも飲もうものなら一瞬で酔いがさめるとのこと。

 

これはいくらアルコール度が高くても変わらない。

コン達をそれ以上酔わせようと思ったら神酒や妖怪酒のような概念的に酔わせる性質を持つ酒が必要になる。

 

過去に八塩折之酒(やしおりのさけ)を口にする機会があり、その時は流石に泥酔(でいすい)したそうだ。

 

八塩折之酒(やしおりのさけ)とは『古事記』や『日本書紀』にも記された日本最古のお酒である。

八岐大蛇(やまたのおろち)を酔わせたお酒と言った方が通りはいいか。

 

ちなみに俺は下戸だ(お酒が飲めない)

日本の法律的に飲酒が出来る年齢ではないというのもあるが、コンに調べてもらったところによると、体質的に飲まない方がいいとの事。

 

なので儀式等で飲酒を伴う場合は、妖怪酒器を使うなどして()()()を行う事で代替している。

結婚式で使ったノンアルコールな御神酒はコンの私物らしく、マヨイガでは補充がきかないそうだからな。

 

「ではその時は花見弁当でも作りましょうか」

 

ヤシロさんのおかげで魚介類がそれなりに充実しているので、わりと豪華なものが作れるだろう。

 

「……そういえばタケルさん。肉料理の方は作れまして?」

 

「ええ、まぁ。簡単な物でしたら」

 

あまり凝った物は作れないから、揚げ物かハンバーグか、鶏肉なら焼き鳥もアリか。

 

そちら(タケルさんの世界)だとどのような肉を使いますの? こちらだと豚が主な食肉用の畜産なのですが」

 

「地域によって差異はありますが、牛・豚・鶏が多いですかね」

 

異世界にもこれらの動物が(全く同じではないにしてもそれと呼べる程度には近しいものが)いることは分かっている。

 

「牛……牛ですか」

 

「何か懸念でも?」

 

「いえ、大した事ではないのですけど、こちらだと牛のお肉って人気が無いのですわ」

 

どういう事かと思って聞いてみればさもありなん。

 

牛は基本的に労働力として使われている。

つまり肉を食べるとすれば労働力として使えなくなった牛であり、当然肉質は悪い。

硬く独特の臭みがあるのだ。

それでも普段肉など食べられない人たちにとっては御馳走になるのだが、最初から食肉目的で育てる豚に比べればどうしても劣ってしまう。

 

そして現代日本と違い牛を食肉目的で育てられるほど余裕のある所は、それこそ数えるほどしかないのだ。

 

その内の一つである神殿勢力により供物として捧げられる事もある為、ルミナ神は食べる為に育てられた牛の味を知っているが、当然一般に流通する筈もなく牛肉の人気は低い。

 

「美味しいのですけどね、牛のお肉」

 

これは流石にどうしようもない。

多分ルミナ神はマヨイガで食べた料理を広めてミルラト神話圏でも食べられるようにしたいと考えているのだろう。

そんな傾向が見て取れる。

 

とはいえ元が好まれない食材かつ美味しく食べるにはお金がかかりすぎるとなれば、神饌や王室料理としてならともかく大衆には広がらない。

自分で食べるだけならそれでいいかもしれないが、信仰も絡んでくるとそれではあまりよろしくないのだ。

 

「まぁ、畜産が養豚メインとなると豚肉料理は発達してそうですし、物珍しさなら鶏肉の方ですかね。鶏肉の方の流通はどうです?」

 

「多少は出回ってはいますが、それなりに高級食材ですわね。一般市民が気軽にとはいきませんわ」

 

どうも鶏の肉は供給が少ないらしい。

卵を取る為に鶏を育てる農家はそれなりにいるが、専門で養鶏を行っているところは少ないのだそうだ。

 

そして農家の場合は卵が取れなくなった鶏は自分たちで食べてしまう事が多い。

なので流通量も豚に比べると少なく、値段も高くなってしまう。

とはいえ、気軽に買えないだけで特別な日に奮発して──ということなら選択肢に入れられるくらいの値段だそうだ。

 

ちなみに野鳥肉とかになると更に高い。

 

「あ、ですがコモコモでしたらそれなりに安価で流通も多いですわね。あれを鶏肉の代わりに使えないかしら」

 

なんか翻訳できない単語が出てきた。

詳しく聞いてみると、コモコモというのはでかいカエルみたいな生物で、ミルラト神話圏の畜産では主要とまでは言えないもののそれなりの数が食用として飼われているそうだ。

 

味は比較的鶏肉に似ているそうだが、ルミナ神曰くなにか物足りない味らしい。

それでも飼育のしやすさと取れる肉の多さから、安価に手に入る肉として庶民に親しまれているとのこと。

 

あと、補足しておくとここら辺は基本的に都市部(サクトリア)の話で、農村部(ラクル村)とかだとまた事情が違ってくる。

 

「それなら焼き鳥のたれを使えばそれなりに形になりますかね。実際に試してみないと分かりませんが。あとは下味をつけてからハンバーグにするとか」

 

マヨイガのサポートでそれなりのものは作れているが、俺の料理スキルはそれほど高くない。

妖怪教本のおかげでレパートリーは増えつつあるが、それでも家庭料理の域に何とか届いたかといったところだ。

 

味の方は実際に作ってみない事には分からないが、物は試しで切っ掛けにでもなればと思ってとりあえず言ってみている。

 

「ハンバーグ……というのは何ですの?」

 

あ、翻訳されなかったか。

翻訳されないという事はルミナ神はハンバーグを知らないという事で、夜のミルラト神話圏全てを見通せるルミナ神が知らないという事はあちらには無いのだろう。

過去視で既に知りえているが惚けているという事も考えられるが、それなら俺の口から言わせようとしている時点でミルラト神話圏には無い。

 

「端的に言えば肉をすり潰して固めて焼いた料理ですね」

 

ハンバーグの歴史は意外と浅く、18世紀のドイツからと言われている。

あくまで諸説あるが、故郷のタルタルステーキが食べたいというお客の要望から作られた料理がハンバーグの原形なのだとか。

 

「筋張って硬い肉を柔らかくして食べやすいようにするための料理で──「それですわ!!」──うわ、びっくりした」

 

ハンバーグの起源をタルタルステーキとするならば、この料理の原形は13世紀ごろまでさかのぼる。

 

馬を移動手段としていた人々にとって、その乗り潰した馬も貴重な食料だった。

しかしそうした馬の肉は筋張っていて非常に硬く食べづらい。

そこで硬い肉を柔らかい挽肉にするという発想が産まれ、この料理が発明されたそうだ。

玉ねぎなどを混ぜ込んで肉の臭みを消す工夫がされていたという記述のある文献も残っているらしい。

 

「タケルさんはハンバーグを作れまして?」

 

「ええ、まぁ。ただ、マヨイガには基本的に肉類が無いので……」

 

「それなら問題ありませんわ。材料は(わたくし)が用意します」

 

なんか食い気味に迫ってくるルミナ神。

ちょっと怖いんですが。

 

ふとコンの方を見ると、コンは我関せずといったように目を細めながら尻尾を揺らしていた。

 

お、おう。

自分で対応しろって事ね。

 

それから材料や作り方について色々と聞かれることになる。

何がルミナ神をそうさせるのやら。

 

この遣り取りはミコトが夕食を持ってくるまで続いたのだった。

 




異世界知識を活用して子供達の生活水準を上げようと画策するルミナ神。
そしたら信仰も娯楽も増えるからね。


御神酒(おみき)上がらぬ神はない』

【御神酒】は神前に供えたお酒の事。
神様でさえお酒を召し上がるのだから、そりゃあ人間がお酒を飲むのだって当たり前の事だよねという意味。

要するにお酒を飲む為の言い訳。


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File No.25-1 『落ちれば同じ谷川の水』

思いのほか時間がかかってしまった。
本当はもっとサクッと終わる話のはずだったのに。


表現の負担が大きくなるため、File.No.15-2にて人間と呼ぶ場合の範囲を修正。
現実世界の人類と近しいものをタケルにとって一般的な人間という意味で「普通の人間」、獣人とかドワーフとかエルフとか全部含めて「人間」と呼称。


とある日、マヨイガの意思からコン経由で要請があった。

 

「タケルよ、マヨイガから新たに客を呼ぶのでキツネツキとして対応して欲しいとのことじゃ」

 

「ああ、了解した。とりあえず屋敷に上げて持て成せばいいか?」

 

「それがのぅ、内容はお主に一任するとの事なんじゃよ」

 

うん?

 

「前の吸血鬼の時みたいな感じでいいのか?」

 

「いや、あの時は応接を頼まれただけじゃったが、此度はやり方自体を任せるとの事じゃ。屋敷に上げて持て成すのも良いし、庭先で事を収めても良い。気に入らねばそのまま追い返しても構わぬ。とな」

 

委任ではなく一任。

 

『一任する』とは全て任せるという意味だ。

つまり決定権を譲渡するということ。

 

とはいえ何の意味もなく呼ぶわけでも無いのに追い返しても構わない?

マヨイガの意思は何がしたいのだろうか。

 

呼ぶ必要はあっても相手に興味はないとか?

いや、それなら適当(いい感じ)に対応してくれで済む話だ。

 

マヨイガも対応を決めかねているとか?

無いな。

それなら先にコンに見定めてもらうように頼むだろう。

 

であるなら、()()()()()()()()()()()()()のが目的か?

ありそうだな。

それに何の意味があるのかまでは分からないが。

 

その辺どうなんだ、コン。

 

(秘密じゃ)

 

秘密かぁ…………うん、コンも一枚噛んでいる事が確定した。

まぁ、それならそれで俺に害は無いのだろう。

いくらマヨイガの意思が相手だからとてコンがそれを見過ごす筈はない。

とはいえそれは苦労が無いという意味ではないわけだが。

 

試練とかの類には、それそのものが俺にとっての(わざわ)いでもない限りコンも黙っている。

それが危険なものであったとしても、ギリギリまでは手を出さない。

逆に言えばそれでもいざとなれば助けてくれるが。

 

ただしそれを当てにして自ら危険に向かって行った場合は話が(こと)なる。

コンは俺の守護狐だが、その役目(約束)()()()()()()()()こと。

避けようと努力しても降りかかってくるなら災いだが、そうなると分かっているのに手を出すのはただの自業自得だからだ。

 

それでもなんだかんだで助けてくれそうな気はするのだが、少なくともそれは俺が痛い目を見た後だろう。

もちろんそんな事をするつもりは無いけどな。

 

「まぁ、それは構わないけど。肝心のお客さんはどんな相手?」

 

「どうやら水牛の獣人のようじゃな。見た目的には角と尾を持つ人間といった感じかの。年の頃はおそらく十五もいっておらぬ女子(おなご)じゃな」

 

なんかお客さんの女性率高くない?

だから何だと言われればそれだけなんだけど。

 

あ、いや。

五郎左殿(男性)二尾の狐(オス)吸血鬼(女性)妖怪梟(メス)水牛人(女性)だからそうでも無いのか。

 

ルミナ神とフェルドナ神(二柱の女神)がよく来ているからそんな気がするだけで。

 

「それと、かの者に贈る妖怪じゃが、お主からの要望があれば候補の妖怪から近しいものを。なければマヨイガの意思が選んだ妖怪をという感じじゃな」

 

「こっちから指名していいのか」

 

「候補の妖怪におればの話じゃがな。おらんならその中でなるべく近い力を持つ妖怪が。近いものすら無いのであればマヨイガの意思に任せるか、そもそも贈らぬという選択もある」

 

承知した。

もっともわざわざ俺が指名する理由はない訳だが。

 

それでそのお客さんはいつ頃──

 

「主様! タケル様! 大変です!!」

 

突然ドタドタという足音と共にヤシロさんがやって来た。

その声色からも相当焦っている事が窺える。

 

「どうしたんじゃ?」

 

「はい、それが……池で人が溺れているのを見つけたんです!」

 

マヨイガの池でか。

あそこは『水中と水上を分ける境界』に繋がる場所だから、池で溺れていたというよりはどこかの水域で溺れていたところに水面がマヨイガと繋がったというのが正確なところだろう。

 

ヤシロさん曰く東屋(あずまや)から池の中を覗いていると、水の中で苦しんでいる女性が流されていく様子が見えたという。

慌てて飛び込んだヤシロさんが救助したが、その時点で女性は意識を失っていたそうだ。

 

幸いにも水は飲んでいなかったのか水面に上げると呼吸を再開し始め、心音も弱ってはいなかった。

なので近くにいた面霊気(コンの式神)達に介抱を任せ、ヤシロさんはコンに知らせる為に走って来たとの事。

焦りで精神感応で伝えられる事は忘れていたようである。

 

「わかった、すぐに準備をして向かう。おぬしは体を温める為の湯を用意せよ」

 

「わかりました!」

 

コンの指示を受けたヤシロさんはそれを実行する為に部屋を出ていく。

 

「タケルよ」

 

ああ、俺たちも早く────

 

()()()()()()()マヨイガの客が来たようじゃな」

 

──はい?

 

 

 

溺れていたという()()()の元に向かうと、彼女は離れ座敷に敷いた布団に寝かされていた。

濡れていたであろう体は既に乾かされ、掛布団から覗く肩元を見るに厚手の服が着せられているようだ。

 

意識の方はまだ戻っていない。

濡れた服は洗濯中との事。

 

ここまで来る間にコンに聞いたのだが、彼女が今回のお客さんらしい。

彼女は本来の予定では危篤状態でマヨイガの池のほとりに流れ着く筈だった。

というのも、彼女は縁やらなんやらの関係でマヨイガにそのまま呼ぶことは出来なかったそうなのだ。

 

なのでマヨイガの池のほとりを三途の川のほとりに見立てる事で、()()()()彼女を無理やり引き込むしかなかったらしい。

ヤシロさんが池から上がった際に近くに面霊気達がいたのは、彼女が流れ着いた時にすぐさま救命行為を行う為だったのだ。

 

ただ、いい意味で誤算だったのはたまたま東屋にヤシロさんが居た事。

ヤシロさんはミルラト神話圏に繋がる海出身の妖怪で、現在はマヨイガに住まう妖怪でもある。

そんなヤシロさんが彼女を発見し救助したことで彼女とマヨイガの縁の橋渡しとなり、意識こそ無いものの命に別状はない状態で迎え入れることが出来た。

 

これにはマヨイガの意思も「その手があったか!」と声を上げたそうな。

マヨイガに呼び寄せなければまず間違いなく死んでいただろう事を考えれば、ヤシロさんのお手柄である。

 

「コン、宿命通(過去視)を頼む」

 

「承知した」

 

とりあえず彼女の生い立ちと入水した理由を知りたい。

 

「ふむ、こやつはミルラト神話圏の北の方の村の(出身)じゃな。なるほど……人身御供(ひとみごくう)か」

 

「つまり、生贄って事か」

 

生贄とは神に生きた動物を供物として捧げる事、もしくはその供物自体を言う。

多くの場合は捧げる直前に殺すか、捧げた後に殺される。

まさしく命を含めた全てを神に捧げる行為なのだ。

 

特にそれが人間である場合は人身御供(ひとみごくう)と呼ばれる。

それで入水したという事は相手は川の神か、その川が流れる山の神か。

 

これは正直、厄介な事になった。

 

まず彼女を助けたことで生贄が成立しない。

人間にとって最も重要である人体、そして命そのものを捧げる行為。

それを行うという事は、そうしてでも神に祈願する必要があったという事。

 

個人的にその身を捧げてでも(かな)えたい願いがあったという事なら話は早いのだが、これはレアケースだ。

 

多くの場合は安寧、この場合は村の平穏を願ってのものである可能性が高い。

逆に考えれば生贄を捧げる必要がある程に危機が訪れている、もしくは訪れるという確証があるという事。

 

方法が入水だった事を考えると、洪水か。

 

単純な自然現象か神の顕現かは分からないが、実際に力を振るうミルラト神話の神がいる以上、人身御供(ひとみごくう)によってそれを抑えてもらえるよう頼むことは可能だろう。

それが成立しないとなれば、高い確率で村を洪水が襲う事になる。

 

現世(現代)でも洪水で死者が出るのだ。

一部突出しているところもあるとはいえ、異世界(ミルラト神話圏)の技術レベルでは犠牲は(まぬか)れない。

つまり彼女を助けるならば、村人を犠牲にするか川の神──すなわち水神──を説得する必要がある。

洪水を止めるという選択肢は、出来る出来ないを別にしても水神の領域で力を振るう以上、結局説得が必須だ。

 

水神が生贄を欲しているという可能性もあるが、結果だけを考えれば状況的には同じことになる。

一応、人身御供(ひとみごくう)は口実で実際の所は口減らしだったという可能性もそれなりにあるっちゃあるが。

 

……レアケースの方だといいなぁ。

 

「それで、理由は?」

 

「荒ぶる水神を(なだ)める為じゃな。どうも例年以上に川の水位が増しておるようじゃ。これは水神が荒ぶっているからであり、近いうちに大洪水が起こると言い伝えられておるそうじゃよ」

 

ああ、やっぱりか。

 

「あくまでこやつの過去から読み取った話じゃから、実際に洪水が起こるかは見てみぬと分からぬがな。千里眼と未来視を飛ばす故、少し待っておれ」

 

頼む。

これで洪水が杞憂だったら話は楽なんだけどなぁ。

とりあえずその間に今後の方針を決めておこうか。

 

一番楽なのは何も見なかった事にして彼女を川に還す事。

当然彼女は死ぬが、そもそもそれ自体は異世界の営みの一部でしかない。

此方の倫理観や道徳観を押し付ける訳にはいかないというのもある。

 

マヨイガの客ではあるが今回は俺に決定権が譲渡されているため、呼ぶに値しなかったとする事も出来るのだ。

とはいえ心情的にはなぁ……。

 

ヤシロさんの行為を無駄にしたくないというのもあるし、死ぬと分かっていて還すのも目覚めが悪い。

別に俺は自己犠牲が(他人を優先)できるほどの善人ではないが、目の前の相手を余力で助けられるというのであればわざわざ見捨てる理由も無いのだ。

 

問題は彼女を生かすために必要な代償がどれだけになるか。

場合によっては見捨てる選択肢を取る事も考えておく必要がある。

 

「ふむ……なるほどのう」

 

丁度目的の地が見つかったらしく、コンが幻術を利用した千里眼モニターを出してくれる。

そろそろ雪解けの季節らしいが、山の方はまだまだ真っ白だ。

その山の麓付近にあるのが例の村か。

横にある結構大きそうな川が彼女が入水した川かな。

 

「それで、洪水は起きそう?」

 

「未来視で確認した限り、まず間違いなく起きるじゃろうの。()()()()()()()()故にな」

 

そんな凄い雨が降るのか。

……いや、コンの言い方的にそうじゃない。

雨が切っ掛けなのは間違いなさそうだが、原因は別の……そうか、雪解け水!!

 

「正解じゃ。雨により積もり積もった雪が一度に解け、溢れかえった濁流が村を襲うじゃろう。普段であれば増水程度で済むが、()()()()()()()()()()らしい」

 

「という事は、水神はこれに関わっていないという事か?」

 

「じゃな」

 

神由来の洪水ではないのなら、介入の難易度は下がったな。

逆に対処の難易度は上がったが。

 

「むしろ逆に影響を受けておるな。増した川の勢いにあてられて神気が荒ぶっておるのが遠目から見てもわかるぞ」

 

自然神はその環境の影響をもろに受ける。

川の勢いが増せば川の神の力も増すだろう。

 

「というかこれ、力を制御できておるようには見えんのじゃが」

 

は?

 

「神気が増し過ぎて己の神威を越えておるようじゃな。おそらく本神(ほんにん)も溢れた神気に振り回されておるのじゃろう」

 

なんか凄い嫌な予感がするんだが。

 

「この洪水、おそらくは水神(川の神)にも止められぬのではないかのぅ」

 

やっぱりかぁ!!

それじゃあ彼女を川に還しても意味ないぞ。

はっきり言ってこの案件は荷が勝ちすぎる。

コンなら力づくで村を救う事も不可能ではないだろうが、それをしてもらうにはいろんな意味で割りが悪い。

 

ミルラト神話圏の話だし、ルミナ神に相談してみるか?

立場的に放っておきなさいって言われるだけな気がするな。

 

元々俺がこの村を救う義理は無いのだ。

あくまでマヨイガの客である彼女を助ける事で割を食う相手がいるなら埋め合わせ位はしておこうかという程度でしかない。

 

助けても助けなくても変わらないのであれば、それをする意味は無い。

適当なタイミングで彼女を起こして、流れ着いたとでも言ってマヨイガの選んだ妖怪を渡して終わりだ。

それ以上の責務は無く、彼女が村を救おうと再び生贄として入水しようが、死ぬのが怖くなってどことも知れぬ土地に逃げ出そうが関係はないのだ。

 

 

 

……あ、でもあれを使えば何とかできなくもないのか。

 

あー。

 

えーと。

 

うん。

 

思いついちゃったな。

思いついちゃったなら仕方ない。

 

「なあ、コン。こうしたら洪水を何とか出来ると思うか?」

 

「ふむ。これは流石にやってみんと分からぬが、勝算は高そうじゃな」

 

元々有る筈のないものだ。

ここで使う分には印象も悪くないだろう。

 

それじゃ、やってみますか。

 




『落ちれば同じ谷川の水』
始まりは違っても最後に行きつくところは同じであるという事。
人間、死ねばみな同じという意味も。

File No.25は本編3話、他者視点1話、マヨイガの記憶1話の予定となっております。
とりあえずは予約投稿済み。


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File No.25-2 『挨拶は時の氏神』

川の流れの水源。

山の中腹にある湧き水。

そこにこの川の神たる水神の神座はある。

 

久々の異世界。

稲荷下げを行い天狐の面をかぶる。

 

コンが命婦専女(みょうぶとうめ)となったからか、キツネツキとしての信仰が広まったせいか、はたまた俺とコンの親和性でも上がったか。

かつて以上に思考は澄み、霊気──いや神気は張り、振るえる力の大きさが感じ取れる。

 

以前とは違う、神であるという認識を持っての憑依。

異界神という自覚がもたらす神性の発露。

なるほどこれほどの力がもたらす万能感は、人を傲慢に変えるに不足ない。

 

故に、この行為に名をつける。

 

憑狐転神(ひょうこてんしん)異津神(ことつかみ)

 

俺が俺であるために。

 

いや、カッコつけている訳じゃないんだ。

そうでもしないと荒ぶる神気に押しつぶされそうなんだよ。

 

名をつけ、意味を持たせ、型にはめる。

そうする事でようやくコンの神気を制御できる。

 

もっとも、コンはコンで俺の自我が塗りつぶされないようにコントロールはしてくれているんだけどね。

荒れ狂うほど強大な神気とは裏腹に、俺の魂には台風の目のように穏やかなのがその証拠だ。

流石に魂がこの神気の暴風に晒されたら、あっという間に削り取られてしまうだろう。

それほどの力なのだ。

 

なんでこんな神気を纏っているかというと、相手の神に侮られては困るというのがある。

今から会いに行く水神とは面識が無いので、そうなると話を聞いてもらえない恐れが出てくるのだ。

 

コン曰く格の高い神であれば抑えていても察してくれるが、それほど格が高くない相手だと分かりやすく力を見せておいた方が良いとの事。

最初に格付けを済ませてしまった方が結果的にスムーズにいくらしい。

 

神々が面子に拘ったりするのもこの辺が理由の一つだ。

特に今回は人命が掛かっているからね。

 

とはいえいざという時の助っ人もいるし、流石に大丈夫だろう。

 

 

 

境界を越えて相手の神域に足を踏み入れる。

そこに居たのは荒々しさを纏った……えっと、でっかい山椒魚?

 

するとこちらを認識した水神の神気が乱れた。

 

(こちらを(おそ)れたな。これなら聞く耳も持つじゃろう)

 

ならよかった。

 

「ナニモノダ。ココハ我ガ神域。無断デ立チ入ッテ良イ場所デハナイ」

 

荒魂と化しているせいで以心伝心の呪いを使っても少々聞き取りづらいが、会話自体は可能そうだ。

最悪の場合は溢れた神気に自我を呑まれている恐れも考慮していたが、これなら大丈夫だろう。

 

「これは失礼した。しかし此方も悠長に正規の手順を踏んでいる時間は無くてね。名乗りが遅くなったが私はキツネツキ。異界の神だ」

 

そうは言うもののまるで悪びれていないように振舞う。

これも交渉を確実に成功させるための演出の一つだ。

どうやら最初の一手で決まっていたようなので、この辺は駄目押しに近いが。

 

「ソノ異界ノ神ガ何ノ用ダ」

 

「その前に、もうすぐこの川が氾濫するというのは理解しているかい?」

 

「……当タリ前ダ。ソウデナケレバコノ身ガコレホド荒ブル事ハナイ」

 

理解しているなら結構。

 

「それも自然の摂理。とはいえ、麓の村の人間達からすれば黙って受け入れられるようなものではない。故に彼らは水神に生贄を差し出して乞うた。川を氾濫させないで欲しいとね」

 

「ソノ様ナ供物、届イテイナイガ?」

 

「それが不幸なことに生贄となった人間と私が試練を与える為に呼び寄せた人間が被ってしまってね。私としては試練を乗り越えた人間がすぐに死んでしまっては面白くない。かといって君も供物を横取りされてはいい気はしないだろう」

 

「当然ダ」

 

ここで別に生贄はいらないとか言ってくれれば話は簡単だったんだが、流石に無理か。

 

「だから交渉に来た。生贄の捧げ方を変えてもらえないかと思ってね」

 

「ドウイウ事ダ?」

 

「生贄は捧げる。しかし、身命は他の物で(まかな)うというのはどうだろう」

 

命を捧げる印象のある生贄だが、そもそも殺さない生贄というのもあるのだ。

動物の場合は現世側の神域(神社とか)で飼育される事もある。

神域にとどめる事で生きたまま神に全てを捧げるという形を取るのだ。

 

人間であれば生涯を捧げるという形で神に仕えたり、そもそも名目は生贄だが実際に捧げるのは身代わり(別の物)というパターンもある。

本人を模した人形だったり人の頭に見立てた饅頭だったりな。

 

今回は蜀の宰相、諸葛亮孔明にあやかって饅頭(まんじゅう)を代わりにしようと思う。

 

彼は『川の氾濫を鎮めるため、人の首を切り落として捧げる』という風習を改めさせるために、小麦粉を練った皮で動物の肉を包んでそれを人間の頭の代わりにするという方法を取った。

すると川の氾濫はおさまり、孔明の狙い通りに人身御供(ひとみごくう)の風習を改めさせることが出来たそうな。

この時捧げられたものが饅頭(まんじゅう)の元となった饅頭(まんとう)の起源と言われている。

 

「人間の代わりとなる供物を捧げよう。獣の肉を小麦粉で作った皮で包んで蒸した物を()()()()()()というのはいかがかな?」

 

「フム……」

 

「頼みを聞き届けてくれるなら、代わりに此度の洪水は此方で鎮めよう。そちらは労せず供物と信仰と、人間の願いを聞き届けて洪水を静めたという功を得る。如何かな」

 

「良カロウ。元ヨリ人間ガ生贄ヲ差シ出シテキタノハ他ニ供物ガ無カッタカラニ他ナラヌ。供物ガアルトイウノデアレバソレデ良イ」

 

あ、そうなんだ。

 

(おそらくじゃが、飢餓と重なった時代があったんじゃろうな。口減らしを兼ねた生贄をせねば誰も助からなかった時代が)

 

それで時代が下がると理由の方が失伝して、やり方だけが現代まで続いてしまったという事か。

 

(多分じゃがの)

 

「では、交渉成立という事でよろしいかい?」

 

「アア、構ワヌ」

 

 

 

神域を抜け、異世界(元の空間)に戻ってくる。

 

「どうだい、交渉は上手く行ったかい?」

 

そこに居たのは一柱の神。

 

「ええ、何とか。これで水神(この川の神)についてはひと段落つきました」

 

喋り方をプライベート向けのものに戻す。

仕事モード(異界神キツネツキ)の喋り方は結構気を遣うからね。

楽な喋りができるならそちらの方がいい。

 

「とはいえまだまだやる事は多いんですけどね」

 

とりあえず水神に関してはこれでいいが、まだまだやる事はいっぱいある。

まずマヨイガの客である水牛人の少女を起こしてマヨイガ妖怪を渡す。

 

そして彼女を村に帰す際にそれっぽい演出をして、人身御供(ひとみごくう)が必要無くなった事を村の人たちに信じさせる。

でないと命惜しさに生贄の役目を放棄して逃げてきたと思われたら彼女がどんな目にあわされるか分かったもんじゃない。

 

それから生贄代用饅頭の作り方を教えて作ってもらい、生贄の代わりに水神に捧げてもらう。

でもって川の氾濫を何とかすると。

 

ここまでやってようやく今回のキツネツキの御役目は完了である。

 

「時間制限もありますし、できれば今日中、遅くとも明日には終わらせますよ」

 

なんせ数日後(正確には五日後らしい)には雨が降るからな。

それまでに終わらせられなかったらアウトだ。

 

「だったら僕はそれまでに川の氾濫の原因を取り除く準備をしておけばいいんだね」

 

「はい。お手数ですが────」

 

俺とコンで川の氾濫を何とかするのは、出来なくはないが割りが悪いので避けたいところ。

ならばそれが問題なくできる相手()に頼めばいい。

そして俺たちには一回限りではあるものの、それが頼める相手()がいるのだ。

 

正直これは俺も持て余し気味だったので、いい機会だからこの権利(約束)を使ってしまおうという事になった。

本来であればとっくに使っている筈なのにイレギュラーで使わずに終わってしまったものでもある訳だしな。

 

そういえば俺のキツネツキとしての話し方ってこの神が由来なんだよな。

正確には俺の話し方は劇の方のキツネツキをもとにしているが、その劇の方のキツネツキの話し方のもとになったのはこの神なのだそうだ。

 

ルミナ神が仮台本を作る際に手っ取り早く身近な神の話し方を使ったと言っていた。

実際に合うのは今回で二度目だが、そういった方面でも縁はあったんだな。

 

「────よろしくお願いします。太陽神(プロミネディス神)

 

「ああ、任せておきなさい」

 

異世界の太陽神(ミルラト神話の最高神)はそう頼もしく答えたのだった。

 

 

 

時間が惜しいのでここからは一気にいくぞ。

とりあえず水牛人の少女を起こして状況を説明するとしよう。

 

まずは川の水上と水中を分ける境界を利用してマヨイガまでワープ。

すぐさまコンが式神に精神感応を飛ばして準備をさせる。

現状彼女は少し刺激を与えるだけで目を覚ます段階まで回復しており、俺たちの留守中に起きないよう妖術で眠らせているのだとか。

 

離れ座敷に着くと座卓の前に眠ったままの少女をコンが念力で座らせ、俺も対面に座る。

目覚めたらいつの間にかどこかの屋敷で誰かと向き合って座っているという非現実的な演出をしたいのだ。

夢だと思ってくれればなおいい。

 

 

妖術を解除すると、すぐに彼女は目を覚ました。

状況が理解出来てない内に畳み掛けるとしよう。

 

「お目覚めかな、人の子よ」

 

俺の言葉に少女が反応する。

 

「えっ、ぁ、誰……ですか」

 

「私はこの異界たるマヨイガに住むもの、異界神キツネツキ。人の子よ、異界へようこそ」

 

とりあえず名乗っては見るが、反応は芳しくない。

ああ、これはあれか。

 

(どうやらこやつはキツネツキの名を耳にした事は無いようじゃのぅ)

 

まぁ、ミルラト神話圏の情報伝達速度を考えればキツネツキの名前を聞いた事のない人の方が多いよな。

 

出典が劇二本だもの。

サツマイモの普及に伴う逸話の広がりを加味しても、まだまだマイナーに毛が生えた程度の知名度だ。

 

むしろエルラさんは良く知ってたなってレベルだよ。

 

「その様子だと私の事は知らないようだね」

 

「ご、ごめんなさい」

 

「構わないよ。知らずとも、特に問題がある訳じゃないしね」

 

それでコン、彼女はどう思ってる?

 

(いぶか)しんでおるが否定もできずといった感じじゃな)

 

普通に怪しいもんな。

まぁ、とりあえず信じてくれなくとも表面上は神として扱ってくれるようなら問題ない。

 

「さて、本題に入ろうか。君は水神(川の神)への生贄として川に身を投げた。これについては相違ないかい?」

 

「はい、荒ぶっておられた川の神様に鎮まっていただく為に……そうだ、村は、村は無事なのですか?」

 

生贄になった筈の自分が何故か異界にいるからね。

そりゃ、心配にもなろう。

 

「無事だよ。()()()()()()()

 

ここであえて含みを持たせる。

 

「生贄の筈の君がこの異界に流れ着いて、奇しくも私が掠め取ったような形になってしまった。だから少し彼の神と話をしてきたよ。」

 

実際は偶然ではなく、マヨイガは生贄だと知っていて呼び込んだようだけどな。

 

「最初に言っておく。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「えっ!」

 

これは事実だ。

 

そもそもあれは自然の魔力(マナ)が川の神の許容量を超えて流れ込んだ事で神気が抑えきれずに暴走しているようなものだ。

これを静めるには、本来であれば一度神気を発散させなければならない。

そして発散させようとすると雨を待つまでもなく洪水が起こる。

 

「単純な話さ。足りないのだよ、一人ではね。彼の神に鎮まって欲しいならば十人は必要だ。ああ、信じられないというのなら構わない。君一人しか捧げずに彼の神が鎮まらずとも、私にとっては関係のない事だ」

 

ちなみに生贄が十人必要というのは、それだけの畏怖を持って神格を一時的にでも高めれば何とか制御できるかも、という意味だ。

流石に十人も生贄を用意など出来るはずもなく、彼女も青ざめているのが分かる。

 

「とはいえ、せっかく異界にまで流れ着いた人間をそのまま放り出すというのも私の沽券にかかわる。もし、私の出す試練を乗り越えることが出来たのなら、彼の神を鎮めるための方法を教えようじゃないか」

 

彼女の心が揺れた。

おそらく俺の言葉が本当かという懸念と、藁にも縋りたい気持ちの間で揺れ動いているのだろう。

ここでもう一押し。

 

「まぁ、君からすれば私は聞いた事もない神だ。信用できないのも理解できる。だから太陽神(プロミネディス神)に誓いを立てよう。それならば少しは信用できるかな?」

 

「太陽神様に……」

 

「太陽神と直接言葉を交わせる程度には伝手があってね。太陽に私の言葉を問うといい。それが誤りであるのなら、太陽は雲を纏って身を隠すだろう。そうなれば逆説的に、君が生贄となる事で村が救えると証明される」

 

ちなみに三日間くらいは快晴の予定である。

 

「太陽が隠れぬなら一度私の言う方法を試してみるといい。それで水神(川の神)が鎮まったなら、合図として太陽神(プロミネディス神)には神の盾を掲げるよう頼んでおこう」

 

この辺は太陽神(プロミネディス神)と打ち合わせ済である。

神の盾が何なのかはまた後で。

 

「では、試練に挑むか否か、決めるといい」




実は結構虚勢を張っている水神。
水神としての格はそんなに高くなかったので、コンの神気は刺激が強かったようです。


『挨拶は時の氏神』
争いごとを仲裁してくれる人は氏神のようにありがたい存在である。
だからその仲裁にはちゃんと従いなさいよという意味。

氏神とは先祖代々一族で祀って来た神の事。
最近は土地神と区別されなくなっている事も多いとか。
ちなみにこの場合の「挨拶」は「仲裁」の意味。


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File No.25-3 『千日の旱魃に一日の洪水』

 

結果を言えば彼女は試練に挑み、乗り越えた。

まぁ、試練自体が建前である以上、攻略成功が前提のものではあるんだが。

 

正直キツネツキとしてマヨイガ妖怪を渡すのに毎回試練を乗り越えた扱いにする理由を考えるのは無理よと言ったところ、コンの幻術による疑似試練を乗り越えてもらおうという話になった。

内容はコンとマヨイガの意思が悪乗りして考えたらしくかなりぶっ飛んでいるが、全力で頑張ればなんとか、或いはなぜか運よく攻略できるようになっている。

 

ちなみに途中で(コン)に化かされていると気づいたらその時点で攻略達成だ。

あくまで名目が欲しいだけだからな。

 

幻術から戻って来た少女に生贄代用饅頭の作り方を教える。

流石に言葉だけでは難しかった為、作っているところを見せるはめになった。

彼女は文字を読めなかったし、レシピを書いて渡すという訳にもいかなかったのだ。

もっとも、実際に作ったのではなくコンが幻術にて調理風景の幻を見せただけだが。

 

あと、このレシピは生贄用なので人間が食べる事は想定していない。

なるべく簡単に作れることと、川に流すので自然界で分解しやすいようにすることを重視した。

ついでに蒸すという一手間を加える事で念物(ここのぎ)として成立しやすいようにしている。

 

これを饅頭と言っていいのかは自分でも疑問符が付くところだが、便宜上饅頭という事にしておこう。

 

そしてマヨイガ妖怪を授ける。

 

彼女に送られたマヨイガ妖怪は、妖怪和蒸籠(わせいろ)だった。

蒸し料理を作る時に使うやつね。

中華蒸籠に比べて高さがあり、底がすのこになっていて取り外せるのが特徴だ。

 

この妖怪に認められたのなら、人用の蒸し料理のレシピは妖怪和蒸籠(わせいろ)が教えてくれるだろう。

そのうち蒸し料理文化が広まるかもしれないな。

 

とりあえずマヨイガ妖怪を渡すところまでは済んだので、彼女にはもう一度眠ってもらう。

次は村人たちに人身御供(ひとみごくう)を止めさせるフェイズだ。

その際に彼女が倒れていた方が都合がいいのである。

 

コンが妖術にて眠らせ、畳に倒れるのを念力で受け止める。

 

そしてここでヤシロさんを呼ぶ。

コン曰く別に面霊気(めんれいき)達でもいいのだが、ここいらでヤシロさんにも華やかな仕事をしてもらおうという事らしい。

真面目に頑張って霊威も少し上がってきたしね。

 

「という訳で、ちょっとおめかししましょうか」

 

「はい?」

 

到着したばかりで状況を把握できていないヤシロさんに、小さな髪留めを渡す。

促されるままにヤシロさんが髪留めを付けると、その服装が変化した。

 

コンがヤシロさんの為に仕事着として自作した巫女装束(みこしょうぞく)だ。

 

コンの加護がマシマシで編みこまれており、そこいらの妖怪では汚れ一つ付けられないほどの霊的防御が施されている。

ヤシロさんが人魚である事も考慮し、水中でも動きを阻害しないどころか魚の体でも着用できるようになる機能まで付いているのだ。

 

ただ異世界での活動を考えてか、デザインに多少のアレンジが加えられている。

一番わかりやすいのが千早(ちはや)白衣(はくえ)の上に着る上衣(じょうい))の模様がミルラト神話圏で多く使われている意匠になっている事かな。

 

それと、足袋や草履は付属していない。

これはヤシロさんは自身の変化で作った靴以外を履いていると、まともに歩けなくなってしまうからだ。

人魚である事が影響しているのか、体のバランスが取りづらくなるんだってさ。

ちなみにヤシロさんが普段履いている靴は、ミルラト神話圏では一般的な革靴である。

 

他にも頭飾りなどはないが、代わりに狐を(かたど)った目元まで覆うことが出来る被り物がある。

一応分類は兜らしいが、顔を隠す事で神秘性を高めたりするのにも使用できたりする。

あと多少の正体隠蔽効果もあるらしい。

 

そんな感じで普段使いは白衣(はくえ)緋袴(ひばかま)を基本として、役目に応じて千早(ちはや)水干(すいかん)を追加といった形で使う事になるだろう。

 

余談だがこれらはヤシロさんの衣服を(変化で作ったものも含めて)上書きする形で呼び出せるため、服が二重になったりはしないそうだ。

 

「おぉ、綺麗ですね。よく似合ってますよ」

 

「ありがとうございます。えっと、それでこれは一体……」

 

『仕事着じゃよ。今から一仕事してもらう故な』

 

コンが俺に憑依したまま言う。

今更だが、現在は異津神(ことつかみ)状態(モード)は解除して通常の稲荷下げ状態だ。

 

「お仕事ですね。頑張ります」

 

『では今から言う村で異界神(キツネツキ)の使いとして託宣(たくせん)を告げてくるのじゃ』

 

「はい! …………はいぃ!?」

 

 

 

その後、怖気づくヤシロさんを説得して半ば強引に連れ出す。

自己評価の低さから尻込みしてしまいそうになっているヤシロさんだが、能力的には十分なものがあるのだ。

 

要領も悪くないし積極性も責任感もある。

知識についてはまだまだ勉強中だし、対人関係に関する能力は今後に期待といったところだが、今回の仕事ではあまり必要ない。

それこそ一方的に告げればいいだけだ。

 

内容に関しては以心伝心の呪いで伝えられる。

何らかの神的存在が関わっているというのを匂わせられればよく、そういった意味では必要なのは演技力の方か。

 

ヤシロさんが怖気づいてしまっているのは託宣(たくせん)という役目の重要性を過大評価しているせいだ。

無論、相手や状況によっては重大な役目となる場合もあるが、その場合はそれ相応の立場の神使が行う事になる。

 

逆にそれほど重要ではないものについては、神使ですらない使いの者が告げに来る事もある。

ヤシロさんに頼むという事は、ヤシロさんの立場でも問題なく出来るお仕事という事を分かってもらえればいいのだが。

 

こういった仕事を多めに振って、成功体験を積ませて自信をつけさせた方がいいのかも知れない。

俺とコンもサポートするから頑張ってくれ。

 

例の村にほど近い例の川から、村の様子を確認する。

どうもこの村は村に守護神がいないタイプらしく、千里眼モニターでの確認が容易だ。

おそらくあの水神が実質的な土地神(守護神)なんだろう。

 

様子が分かったら妖術で煙を発生させる。

それほど濃くは無いが川の中が覗けなくなる程度がベストだ。

 

そしてヤシロさんに水牛人の少女(と妖怪和蒸籠)を抱えてもらって、水にぬらさないように上半身だけ川から出した状態で待機してもらう。

コンの加護で強化されている状態のヤシロさんであれば人ひとり抱える程度は容易だ。

上半身だけ川から出た状態を維持できるのはヤシロさんの人魚としての力の応用なのだとか。

 

準備が出来たらマヨイガから持って来た妖怪篠笛(しのぶえ)を吹き、人を集める。

この妖怪は奏でる音楽によってさまざまな効果を発揮する事が出来るのだ。

 

人が集まってきてヤシロさんを見つけてもらったら、ヤシロさんはそちらの方に泳いで行って川から上がり、少女を村人に渡す。

その際に託宣(たくせん)を告げるのだが、必要なのは「自分はキツネツキの使いである」「彼女を生贄にしても水神は鎮まらない」「彼女が試練を乗り越えたから水神の鎮め方を教えた」の三点だ。

 

これで少女が目を覚ますまでは彼女に余計なことはできないだろう。

ちなみに俺たちは状況把握兼ヤシロさんのサポートの為に、川のほとりで隠蓑(かくれみの)という道具(マヨイガ妖怪)を使って隠れている。

 

役目が済んだらヤシロさんには川に戻って境界を通り、一足先にマヨイガに帰ってもらう。

村人たちの目には川の中へ消えていったように見えるだろう。

 

ヤシロさんが帰ったら煙を消し、川は元の姿を取り戻す。

少しの間、狐に化かされたように呆けていた村人たちだが、やがて事態を理解し始めると急いで少女を起こそうとしたので妖術を解除する。

すると少女はすぐに目を覚まし、事情を聴こうと詰め寄る村人にびくつくも、マヨイガでの出来事を話していく。

 

天におわす太陽の神にもキツネツキの言葉の真偽を問うが、当然ながら既に打ち合わせの済んでいる太陽神(プロミネディス神)は身を隠したりしない。

それを聞いた村人たちは、これは一大事と村の方へ戻っていった。

今からすぐに捧げものの生贄饅頭を作るのだそうだ。

俺たちは状況を知っているけど、村人たちからすればいつ川が荒れるかわからないから当然か。

 

それじゃぁ、太陽神(プロミネディス神)の所へ行きますか。

 

(じゃな)

 

再度憑狐転神(ひょうこてんしん)をして『神足通』を使い、太陽神(プロミネディス神)の元へと訪れる。

異津神(ことつかみ)転神した(なった)おかげで、通常の稲荷下げ状態では使えなかった『神足通』による瞬間移動が解禁されたのは大きい。

俺の体と魂への負担の関係でまだそれほど遠くまでは移動できないんだけどね。

 

「お帰り。どうだった?」

 

「こちらは順調に進んでます。あとは村人たちが生贄饅頭を作るのを待つだけですね」

 

「それは良かった。こっちも準備は出来てるよ」

 

合流したプロミネディス神とそんな会話をしながら、千里眼モニターにて村の様子を眺める。

 

この辺りまではラクル村を襲った疫病の影響は無かったらしく、食料の備蓄は天候の影響で例年と比べればいささか少ないながらも十人分の頭サイズの生贄饅頭を用意できるだけの余裕があるのは確認している。

これで食料が足りなくなって口減らしでも起きたら本末転倒なので助かった。

その場合は別の手を考えなければならなくなるところだった。

 

マヨイガから持って来た菓子を三柱で駄弁りながら食べ、いつの間にか話がフェルドナ神がサツマイモを持ち帰った話がどこどこまで伝わったという内容になった辺りで動きがあった。

どうやら生贄饅頭が完成して今から水神に捧げ(川に流し)に行くようだ。

 

「それではプロミネディス神。お願いします」

 

「わかった。じゃぁ、始めるよ」

 

プロミネディス神がそう言うと、周囲に強烈な太陽光が降り注ぐ。

それは見る間に辺りに積もった雪を溶かしていった。

 

無論、ただ溶かすだけなら雪解け水が川に流れ込み、洪水が起きてしまう。

だからプロミネディス神はもう一つの権能を行使していた。

 

その権能とは『日照り』。

日照りとは晴れた日が続き、雨が降らず、川などが枯れる事を言う。

干魃(かんばつ)を引き起こすこの権能は、本来であれば神罰に用いられることが多い。

それを小規模に限定して行う事で、雪解けで増水した分だけ川の水を干上がらせて水量を調整しているのだ。

 

この方法は俺がプロミネディス神に提案した。

そしたら「なるほど、面白い使い方だ」と言われたので、普通はこんなことしないのだろう。

まぁ、自然側かつ大局的な視点を持つプロミネディス神にとって、そんな事考える必要も無かったというのが正しそうだが。

 

なお、権能の行使によって自然の魔力(マナ)に少し影響が出るそうだが、他の差し響きと合わせて後々に影響が出ないようにするところまでやってくれるそうだ。

その辺までは考えが及んでなかったのでありがとうございます。

副次効果として増水によって荒ぶっていた水神(川の神)も落ち着くだろう。

 

この作業は先にやってしまっておいても良かったのだが、強い太陽光が降り注ぐ関係上結構派手で目撃されても面倒だったので、あえて生贄饅頭を捧げる直前に行う事で太陽神(プロミネディス神)がここで見ているぞと思わせるようにしている。

その為に水牛人の少女に対して太陽神(プロミネディス神)に誓いを立てるという話をしたのだ。

 

「生贄饅頭を捧げたことを確認。プロミネディス神、神の盾をお願いします」

 

村人たちが川に十個の生贄饅頭を流した事を確認し、プロミネディス神に報告する。

誓いを立てた際に話したように、神の盾を掲げてもらわないと。

 

「はいっと。これでいいかな」

 

「ありがとうございます」

 

プロミネディス神が軽く手をかざすと、()()()()()()()()()

 

ミルラト神話における神の盾とは、虹の事である。

邪悪を遠ざけ、正しき者を神の国へ迎える門の役割も持つのだとか。

 

プロミネディス神の権能によって生み出されたそれは、明らかに自然現象ではありえない位置に存在していた。

あの村の人たちがそんな科学知識を知っているかはわからないが、それはまさしく神の御業によって引き起こされた証である。

 

 

 

そんなこんなで氾濫しかけていた川は納まり、生贄の少女は生き残った。

生贄饅頭に供物としての価値がある事が証明された(実際、水神も満足してた)事で、今後あの村で人身御供(ひとみごくう)がなされる事は無いだろう。

マヨイガの意思から頼まれた役目も済んだ。

これにて一件落着でいいんじゃないかな。

 

()()()()()()()()。その証にこれは回収させてもらうからね」

 

そう言ったプロミネディス神の手の中には、一つのお守りが握られていた。

プロミネディス神がマヨイガを訪れた際、食事の礼として力を貸すと約束した証。

本来であればフェルドナ神に渡されたサツマイモが一波乱起こすと見通した故の布石であり、フェルドナ神と俺たちの間にある程度影響力を挟む為のものだった。

 

しかしその役目はマヨイガに訪れるようになったルミナ神がやってしまい、約束だけが宙に浮いてしまっている状態だったのだ。

そうなると食事の礼に対してあまり欲深い事を頼む訳にもいかず、かといってあまり大した事のないお願いをするというのもプロミネディス神の沽券にかかわる。

今回のような俺たちには難しいがプロミネディス神にとっては簡単な案件は、まさに丁度良い内容だった。

 

「ありがとうございました。これ、よろしければお持ちください」

 

そう言って俺は妖怪巾着袋から折箱を一つ取り出す。

まぁ、妖怪菓子箱に用意してもらったただの菓子折りだ。

 

「お、ありがたい。マヨイガの菓子は美味しかったからね。楽しみにさせてもらうよ。それじゃ、僕は帰るとしよう。またね、()()()()。コン君」

 

「お疲れさまでした」

 

『また、のう』

 

 

 

境界を越えてマヨイガに戻りし、屋敷の玄関まで帰ってくる。

コンは野暮用があると言って庭の方に行ってしまった。

 

「ただいま」

 

「あなた、おかえりなのだ」

 

玄関の扉を開けると、そこには割烹着を着たミコトがいた。

それはいいのだが、姿が獣人形態(じゅうじんモード)ではなく経立形態(ふったちモード)である。

 

人のように振舞う狐の姿は非常に愛らしいが、服装が割烹着な理由がいまいち分からない。

割烹着という事は料理をしていたのだろうが、経立形態(ふったちモード)は料理をするには向いていないのだ。

 

「あなた、ご飯にする? お風呂にする? それとも……」

 

えっ、これはまさか。

よく見たらミコトは()()()()()()()()()()()

いや、まぁ、経立形態(ふったちモード)のミコトにはモフモフの毛皮があるから服を着る理由はないのだが。

 

しかしこれは。

 

「 ボ ・ ク ・ な ・ の ・ だ ?」

 

そんなミコトがあまりに可愛かったものだから。

 

「ミコト~!」

 

「ひゃうんっ!」

 

小柄なミコトの体を抱きしめ、存分に癒された(モフモフを堪能した)のだった。




『千日の旱魃(かんばつ)に一日の洪水』
一日で全てを押し流してしまう洪水は、千日続く日照りと同じぐらいの被害をもたらすという意味。
水害の恐ろしさを表して言った言葉。


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File No.25-4 託宣のお仕事 耶識路姫の記憶

ある晴れた日の事。

私は何をするでもなくマヨイガの池を東屋から眺めていました。

 

水面(みなも)を通して見える風景は、水の流れ方から言ってどこかの川でしょうか。

水深も結構深いようなので、きっと大きな川なのでしょう。

 

住んでいる生き物も豊富で、先ほどから美味しそうなお魚が行ったり来たりしています。

このまま飛び込んで、何匹か食べてみましょうか。

私は海の魚ですが、妖怪となった事で川の水でも問題なく活動できます。

 

あの虹柄のお魚とか美味しそうですね。

こっちのおっきいのも食べ応えありそうです。

あ、もっと大きな影が……残念、魚じゃなくて角がある女の(ヒト)でした。

 

これは食べられませんね……って、(ヒト)!?

しかも溺れています!

 

私は急いで水の中に飛び込むと、急にぐったりとした(ヒト)を抱えて水面に飛び出しました。

呼吸は……良かった、しています。

心音もしっかりと聞こえますし、気を失っているだけのようです。

 

しかし、(ヒト)は水に浸かり続けると弱っていくと聞いています。

すぐに陸に上げないと。

あ、でも勝手にマヨイガさんに連れ込んじゃっていいのでしょうか。

やっぱり一回外に出た方が……と考えていると、岸からなでしこさん達の呼ぶ声がしました。

 

どうやらマヨイガさんに入っていいという許可が出たようなので、いつの間にか集まって来ていた皆さんの元へ泳いでいきます。

すると皆さんが女の(ヒト)の介抱をしてくれるとの事。

皆さんに女の(ヒト)を預け、私は主様とタケル様に報告するように言われました。

 

主様がいるのは……こっちの方ですからおそらくタケル様の部屋ですね。

転ばないように気を付けながら急いで向かいます。

 

「主様! タケル様! 大変です!!」

 

はたして主様とタケル様は部屋におられました。

 

「どうしたんじゃ?」

 

「はい、それが……池で人が溺れているのを見つけたんです!」

 

「ふむ、詳細を述べよ」

 

はい。

 

そう言われて私は詳しい内容を主様とタケル様に報告していきます。

少なくとも助けた事自体は誤りでは無かったはずです。

 

私自身人の姿をとってはいますが、これはマヨイガで生活する上で便利だから。

どうせなら可愛い方がいいので美醜くらいは気にしますが、人の姿自体にこだわりはありません。

なので私は特別人間が好きという訳ではないのです。

 

あ、タケル様の事は好ましく思っていますよ。

しかしそれはタケル様だからであって、人間かどうかは関係がありません。

 

妖怪として大なり小なり興味はありますが、好嫌(すききらい)とはまた別の話。

ですが主様の主であるタケル様の同種族と思えば、式神として目の前で死にかけているのを助けるくらいはします。

 

それに主様は人間が好きですから。

もちろん悪意や敵意を向けてくるような輩は別ですよ。

主様も悪人と呼ばれるような人間に対しては容赦いたしませんし。

 

詳細を伝え終えると、主様はすぐにそちらへ向かうと言われました。

 

「おぬしは体を温める為の湯を用意せよ」

 

「わかりました!」

 

主様の命を受け、お湯を用意しに向かいます。

お湯となると薬缶吊る(やかん)さんにお願いしましょうか。

 

薬缶吊(やかんづ)る』は夜に木の上からぶら下がってくる薬缶(やかん)の妖怪だそうです。

個体によっては見ると病気になるようなものもいるそうですが、マヨイガの薬缶吊る(やかん)さんはそんな事しません。

お仕事が終わった時とかに木の上から降りてきてお水をくれたりします。

 

たしか普段は茶の間で囲炉裏に吊るされていた筈です。

茶の間に着くと、自在鉤(じざいかぎ)に吊るされた薬缶吊る(やかん)さんが赤々と燃える炎で湯を沸かしているのが見えました。

 

薬缶吊る(やかん)さん、お湯が必要なので一緒に来てください」

 

私がそういうと、薬缶吊る(やかん)さんから「い~よぉ」といった感じの気配がしたので自在鉤から取り外します。

それから妖怪囲炉裏(いろり)さんが火を消したのを確認し、薬缶吊る(やかん)さんを持って池の方へ向かいました。

 

その途中で湯たんぽという道具の妖怪を抱えたミコトさんと合流し、先ほどの(ヒト)は離れ座敷に運ばれたという話を聞きました。

主様達もそこへ向かったそうです。

 

わかりました。

私もすぐにそちらに向かいます。

 

 

 

主様達にお湯を届けた後は面霊気(先輩方)が介抱するという事になったので、私は妖怪生簀(寝床)に戻りました。

今日のお仕事はもう済ませているので、何かあったらすぐに手伝えるように休んでおきましょう。

 

 

 

……っと、うたた寝をしてしまっていたみたいです。

 

あれからどれくらいたったでしょうか。

軽く体を動かし、妖怪生簀(いけす)さんを出て人に変化します。

主様から精神感応(連絡)があれば眠っていても目は覚めますし、万一起きれなくても干渉の残滓を残してくださいますので、それが無いという事は何も連絡が無かったのでしょう。

 

結構時間が経っているみたいですが、あれからどうなったんでしょうか。

ちょっと様子を見に行っても大丈夫でしょうかと考えてると、主様から精神感応が来ました。

離れ座敷に来て欲しいそうです。

 

承知しました。

耶識路姫、すぐに参ります。

 

 

「という訳で、ちょっとおめかししましょうか」

 

「はい?」

 

何が『という訳』なんでしょうか。

到着してすぐ主様が憑依しているタケル様からそんな事を言われ、綺麗な髪留めを渡されました。

あ、はい。つければいいんですね。

 

促されるままにつけてみると、変化(へんげ)で作っている筈の服が別の物に変わりました。

なんだか鱗が剝がれた後に布に包まれたような感覚です。

無くなった感じはしないので、多分この服に置き換えられているという事なのでしょう。

 

改めて見てみると、真っ赤な下履きに真っ白な服。

そして模様の入った白い上着です。

以前、主様が偶に着ておられた服に似ていますね。

もしかして神に仕える従者の服とかだったりするのでしょうか。

 

手触りから上質な布を使っているのが分かります。

そして霊的に見れば主様の力が私でも分かる程に込められているのです。

なんだか汚してしまわないか心配になってきました。

 

「おぉ、綺麗ですね。よく似合ってますよ」

 

「ありがとうございます。えっと、それでこれは一体……」

 

『仕事着じゃよ。今から一仕事してもらう故な』

 

お仕事の為の服ですか。

 

「わかりました。頑張ります」

 

なんのお仕事でしょうか。

こんなに立派な服を着る必要があるという事は、どこかの神様が来るのでしょうか。

 

『では今から言う村で異界神(キツネツキ)の使いとして託宣(たくせん)を告げてくるのじゃ』

 

「はい!」

 

お使いの仕事ですね。

タケル様の言われた事をその村に────あれ?

キツネツキってタケル様の神様としての名前のはず。

 

え?

 

託宣(たくせん)

 

私がですか!?

 

はいぃ!?

 

「わ、私にそんな重大な役目、無理ですよぉ」

 

託宣ってあれですよね。

神様の代理としてその意志を代弁するやつ。

私のような木っ端妖怪が代理だなんて、タケル様の威光に傷が付いてしまいます。

 

「落ち着いてください、ヤシロさん。託宣にもいろいろありまして、ちょっとした伝言なんかの場合もあるんです。これはそういうやつですから。気楽にやって大丈夫なやつですから、ね」

 

そうなのですか?

 

私でいいんですか?

 

『お主なら問題ない。そう思っておるからこそ任せるんじゃ。気負う必要は無い。それに儂らも助力する故、失敗を恐れずやるがよい』

 

主様……

 

『それに、その装束を着ておれば多少失敗したところで気圧されて有耶無耶に出来るからのぅ』

 

それってそんな凄い服を着ていく必要があるような案件って事じゃないんですか!?

 

 

 

……そんなやりとりがありましたが、これだけ期待されているんです。

頑張ってこのお仕事をやり遂げて見せます。

 

託宣の内容は何とか覚えてきました。

別に一字一句合っている必要はありません。

重要な部分が伝わればいいのです。

それに、多少の言い間違えは主様の(まじな)いでちゃんと伝わるそうです。

 

ついでにタケル(キツネツキ)様の使いである事が分かりやすいように狐兜という被り物を被っています。

目元まで隠れて顔が分かりづらくなるので、あまり容姿に自信のない私にはありがたいです。

 

主様達が煙を起こし、それに紛れます。

 

腕の中に件の女の(ヒト)を抱え、彼女の元へ行くことになった妖怪和蒸籠(わせいろ)さんを持ちます。

主様の加護が込められたこの服のおかげか、まるで羽根を抱えるかのように持ち上げることが出来ました。

 

その状態で上半身を濡らさないように川から浮き上がります。

ちょっとバランスが取りづらいですが、走るよりは簡単ですね。

 

そういえばこの服、水に濡れないんですよね。

水を弾く訳じゃないんですけど、水が掛かっても肌に張り付かないというか。

そこにあるのに水を邪魔しないというか。

 

川の水に浸かっても、水から上がったら乾いているのです。

それでいて水に含まれる汚れや害になるものは弾いてくれるのだとか。

いったいどれほど凄いものなのでしょうか。

 

タケル様が笛を吹くと、何人かの人達がやってきます。

それを見て私は体を少し傾け、水面を滑るように岸まで向かいました。

そのまま歩いて岸に上がります。

 

それを見た人達が驚いていました。

このようにこの人たちにとって不思議な現象を見せる事で、神の使いであるという印象を強くさせるのだそうです。

 

さぁ、ここからが本番ですよ。

 

「人の子よ、私は異界の神であられるキツネツキが使いである」

 

そう言うと、この人たちは少し狼狽しました。

主様の言った通りです。

 

「この者は畏れ多くも異界の神の神座に流れ着き、その尊顔を拝する事と相成った。聞けばこの者は村の為に水神の供物となるべく身を投げたというではないか」

 

えっと、次は。

 

「その覚悟天晴れなれど、悲しきかなその程度では水神には届かぬ。ただ一人の贄ではその意は変わらぬ。それではまさしく不憫である」

 

気圧されている人たちにそのまま畳み掛けます。

 

「故に異界の神はこの者に問うた。水神を鎮める(ほう)を教えよう。ただし千辛万苦(せんしんばんく)をその身に受けてなお挫けぬ覚悟があるのならと。この者はあると答えた。しかしてこの者は千辛万苦(せんしんばんく)を乗り越えた」

 

これで最後。

 

「水神を鎮める為の供物はすでにこの者に伝えられた。あとはそれを成すがよい。これほどの覚悟、その献身、見事であると異界の神も賛嘆(さんたん)しておられた」

 

そこまで言い終えると、何かを言おうとしている人たちを黙殺し、境界を通ってマヨイガへ帰還する。

質疑応答は私の担当外なのです。

 

 

ああ、緊張した。

 

 

 

その日の夜。

私は妖怪生簀(寝床)の中で頭より少し小さいくらいの大きさの箱を撫でていました。

 

これは貯気箱(ちょきばこ)と言って、純気と呼ばれる純一(じゅんいつ)な気を貯めておける道具です。

マヨイガの妖怪ではなく、主様が私の為に作って下さいました。

 

純気は混じりっ気のない気なので、私が取り込めば固有波長に染まるとかなんとかで私の妖気へと変わります。

一時的にではありますが、私の妖気を増やすことが出来るのです。

 

私のお給料もこれで支払われています。

今日は臨時のお仕事がありましたから追加収入があったんですよね。

 

うん、だいぶ溜まってきました。

妖気が沢山あればいろんな事ができますからね。

 

なんだったら他の妖怪さんに純気を分ける代わりに妖術を使ってもらう事だって、交渉次第ではできるのです。

妖怪菓子箱(おかしばこ)さんにお菓子をいっぱい出してもらうとか、妖怪餌箱(魚のご飯箱)さんの練り餌食べ放題とかもやってもらえるかもしれません。

 

夢が広がります。

 

半分は妖怪としての(くらい)を上げる為に使うとして、残りは何に使いましょうか。

そんな事を考えながら、私は眠りにつくのでした。

 

 

おやすみなさい。




純気を妖怪の位を上げる為に使うというのは、人間で言えば鍛えるのにお給料でダンベルや指南本を買おうかくらいの意味になります。
補助くらいにはなりますが直接純気で妖怪の位を上げられたりはしません。


狐兜は仮面のついた着ぐるみ帽子みたいなイメージ。


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File No.25-5 マヨイガの意思の断片(参)

(まったく、えらく手のかかる話になったものじゃな)

 

本来なら()()()()()()()()()妖怪を渡して終わるだけの筈だったんだけどね。

 

(生贄の代わりというと、あ奴か。これで何度目じゃ)

 

さぁ? 十より先は覚えていないよ。

 

(最近は減ったと思っておったが、まだまだ需要があるんじゃな。役目を終えるまでの期間が短い故、すぐ戻ってくるからというのもあるんじゃろうが)

 

本当にね。

 

それにしてもまさか生贄が意味のない状態になっているとは思わなかった。

まぁ、此方達(こなたら)としてはタケル君が実績を積めたからよかったけど。

 

(これで三度目。もう良いじゃろ)

 

ああ、これで条件は揃った。

 

このくらいを目途に、そうだね、この日にしよう。

この日に、タケル君に直接会おう。

 

(ま、タケルがお主等(ぬしら)に認められたというのは儂にとっても誇らしいものであるがな。正直これだけ魅入っておいてようやく認めたかといった心境じゃが)

 

何を言うのさ。

 

此方達(こなたら)はマヨイガに在る妖怪三千の集合意識だよ。

誰か一人の人間に魅入るなんてことはあり得ない。

 

よしんば何体かの妖怪が魅入ったとして、全体の意思が変わる事はない。

 

(あぁ、そうじゃったな。自覚が無いんじゃった)

 

何がだい?

 

(それぞれの妖怪に個別に聞いてみるがよかろう。タケルの事をどう思っておるかとな)

 

……?

 

まぁ、いいけどさ。

 

……。

 

……。

 

……!?

 

(ようやく気付いたか)

 

こ、これって。

まさかこんな事が。

 

(全体の意思が変わる事はない。確かにその通りじゃ。ならばその逆もあり得よう。タケルに魅入った妖怪の方が多ければ、それがお主等の意思となる)

 

え? こんなにもタケル君に魅入っている妖怪が此方達(こなたら)にはいたのかい?

 

(魅入った事でどう思うかは個々の妖怪によるからのう。様々な感情が混ざり合った結果、逆にそうだとは思わんかったんじゃろ)

 

そういう事かぁ。

でもいくらタケル君が妖怪の本質に触れることが出来る逢魔人(オウマガビト)だからってこんな事が……

 

(そりゃぁ、逢魔人(オウマガビト)というだけでこんな事にはならんからのぅ。それに加えて神ですら魅入るような魂様(こんよう)をしておるんじゃ。己の側に住まわせ、長く(かたわら)におれば、そりゃぁ魅入りもするじゃろ)

 

うぅ。

 

(まぁ、この辺は今更の話しじゃな。今までもそうじゃったのだから変に意識せねば良いだけじゃ)

 

君が意識させといて何を言うかぁ!

 

(かかかっ。それは良いとして、お主等(ぬしら)がその日にタケルと会うというのなら、当然そのまま■■■■■■■■つもりじゃろう。ならばその前に、儂は命婦専女(みょうぶとうめ)としてタケルに■■■■■■が、構わぬな)

 

いきなり話題を変えないで。

 

そうだね、そのつもりだ。

そっちも構わないよ。

 

元々そいうい条件で協力してもらっていたんだし、既にマヨイガに稲荷神社があるんだから今更さ。

 

それに、此方達(こなたら)がタケル君に魅入っているというのなら、それはむしろ悪い話じゃない。

 

(それはお互い様じゃな。では、そういう事でな)

 

ああ、その日を楽しみにしているよ。

 

 

 

 

 

(あ、そうじゃ。ミコトは(めかけ)なら良いと言っておったぞ)

 

何が!?




最後のはコンがからかっているだけです。でも言っている事は本当

気分屋の里様、誤字報告ありがとうございます。


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File No.26-1 『持ち物は主に似る』

非常に難産で時間がかかってしまった。
話が二転三転して何度も書き直したら捻りが入って当初の想定に戻ってくるとかもう。
お待たせして申し訳ない。


修正履歴
File No.13 にて気狐の尻尾の数についての言及を追加。
File No.19-1 にてコンの経立姿について言及を追加。
File No.24 にてルミナ神が桜の事をタケルから聞いていた事に修正。
いずれも2・3行ほどの追加なので、今回も後書きにて一行で説明します。

追記。
File No.05-1 にて霊狐の尻尾の数についての説明をFile No.13 に合わせて修正。


キツネツキとして水牛人の女性にマヨイガ妖怪を贈ってからしばらくたったある日の事。

何やらコンに呼ばれたので稲荷神社の方に向かう。

 

普通の用事であれば離れていても精神感応で伝えればいいため、何らかの重要な話の可能性が高い。

それも場所が場所だけに御稲荷様関連か。

 

時間の指定もあったので、それまでに(みそぎ)をおこなってきた。

 

(みそぎ)というのは神社に参拝する前に川や海の水で身を清める事。

現在ではかなり簡略化されていて、手水舎(てみずや)で手や口を清めるのがそれにあたる。

 

今回はただならぬ状況な気がして、マヨイガを流れる川にて(みそぎ)をした。

マヨイガ自体の気候は良いとはいえ、流石に川の水は冷たかった。

 

あと、服装の指定があったので常装に着替える。

 

常装は小祭や恒例式などで着用される服で、神社を参拝する際に目にする神職が着ているのがこれだ。

狩衣(かりぎぬ)奴袴(ぬばかま)を合わせ、烏帽子(えぼし)を被り(しゃく)を持ち浅沓(あさぐつ)を履く。

 

奴袴(ぬばかま)の色は浅葱色。

これは三級及び四級の身分の神職が身に着ける色だ。

 

前にも言ったが、俺が禰宜職についているのはマヨイガ稲荷神社が特殊過ぎる神社であるための特例処置であって、俺自身は神職の資格を持っていない。

いずれ資格を取りたいと思って勉強中ではあるが。

 

稲荷神社までやってくると、(やしろ)の前に解放形態(本気モード)のコンが居た。

 

鳥居の前で一礼し、コンの前まで歩みを進める。

いったいどんな用事なのやら。

 

服装が服装なだけに宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)に仕える者としての在り方を求められていると思うので、神使である命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)にお辞儀をする。

 

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)名代(みょうだい)として告げる」

 

神社に透き通るような声が広がる。

まるでお稲荷様を前にしたような緊張感があった。

 

「マヨイガに在りて(宇迦之御魂)に仕えし禰宜(ねぎ)よ。別世界(べっせかい)における其方(そなた)貢献(こうけん)、誠に嬉しく思います」

 

目の前にいるのはコンだというのに、まるで宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が降臨されたかのようだ。

 

「その貢献(こうけん)に報い、其方(そなた)神名(しんめい)を授けましょう」

 

は? 今、何と。

 

その衝撃的な言葉に困惑している俺をよそに、命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)は懐から一枚の短冊を取り出す。

 

異束九十九狐(ことつかのつくも)()の名において、この神名(しんめい)を名乗る事を許します」

 

その短冊に書かれた名を読み上げ、俺の方に差し出す。

 

「ありがたく、拝名(はいめい)いたします」

 

いや、これは断れないって。

最初にコンは宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)名代(みょうだい)を名乗っている。

つまり辞退すると宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の顔を潰すことになりかねないのだ。

 

もちろん明確にそれを受け入れられない理由があるのなら別だが、俺にはそんなものないんだよ。

未熟ゆえに荷が重いというのは、打診された場合ならともかくこの状況だとねぇ。

 

短冊を受け取る。

そこには今しがた拝した神名(しんめい)が達筆な字で記されていた。

 

「今後の働きにも期待しています。では下がってもよいですよ」

 

「はっ」

 

この場を離れる許可を得たので、一礼して鳥居まで戻る。

そして鳥居をくぐってから社の方に向き直って再び一礼。

すると顔を上げたときには、そこにコンの姿は無かった。

 

『お疲れ様じゃ。急に呼び出して悪かったのぅ』

 

いや、普通に霊狐形態で横にいた。

何だったんだいったい。

 

『なに、少々驚かせようと思ったというのもあるが、確実にお主に受けてもらう為じゃな。先に話したら遠慮するじゃろ』

 

それは、まぁ。

 

異世界ではキツネツキという神名で一応信仰されているらしい俺だが、それ自体は御稲荷様とは関係が無い。

というのも、異世界側では独立した一個の神として認識されているからだ。

 

縁自体はあれど信仰として考えると完全に切り離されている。

つまり俺が宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)から神名を拝する理由も功績も無いのだ。

 

そもそも俺、現世では神じゃないぞ。

貢献(こうけん)に報いとか言われたが、何かしたっけ?

 

『それは()()()()()。約束じゃからな』

 

約束……このタイミングという事は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)とではないだろう。

となると消去法で稲荷神社を有するマヨイガ、その意思としかない。

ならばどういう意図がある?

 

『別に気にせんでも良いぞ。おそらく夜には答えられるじゃろうからな』

 

つまり夜までに何かあると。

 

『まぁのう。じゃが、これだけは言っておこう。儂はお主の守護狐じゃ。その役目をもって、お主の守護を最優先とする』

 

それはコンが宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)より与えられた役目であり、俺との約束でもある。

 

『しかし()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

コンの霊柱(行動原理)としてはそうだろう。

俺の守護という部分の解釈がけっこういい加減だったりするが。

 

つまり、だ。

理由を答えられないのは約束の為だが、神名を授けた事自体は稲荷狐(いなりのきつね)としてその必要があったからした事だと。

 

普通であれば稲荷狐(いなりのきつね)が勝手に神名を授けるなど出来ようはずもないが、命婦専女(みょうぶとうめ)であり宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の名代を名乗る事を許されているコンなら可能だろう。

 

大変名誉な事ではあるんだが、別に神名を拝しても現状特に意味は無いのよね。

現世では位階も信仰も無いからその神名に力はなく、異世界ではキツネツキという神名が既にあるからだ。

 

一応、これで異界神(キツネツキ)稲荷神の仕神(異束九十九狐)の一側面であるという図式が成り立ち、キツネツキの信仰でコンの神気を補充する効率が少し上がるが……理由としては薄いか?

 

 

 

あと、一つ聞いていい?

 

『なんじゃ?』

 

異束九十九狐(ことつかのつくも)……狐の読みどこ行った?

 

『黙字じゃから読まんぞ』

 

黙字というのは簡単に言えば発音されない文字の事。

和泉(いずみ)の和とか百舌鳥(もず)の鳥とか。

異界神(狐憑き)としての側面を表しているんだってさ。

 

 

 

屋敷に戻ると、今度は客間に行くように言われた。

次は普段着……というか現世(元の世界)の服でという事だったので着替える。

 

この服に袖を通すのも久しぶりだな。

奇麗に洗濯して保管したので傷んではいない。

 

何故この服でないといけないのかは……何となく予想できる。

おそらく現世(うつしよ)の人間であるという証が欲しいのだろう。

お客さんが来ている訳でもなく、俺が現世の人間である事を証明する必要がある相手はいないので儀式的な理由だとは思うが。

そしてコンの態度も併せて考えると、呼び出したのはマヨイガの意思だろう。

 

しかし、()()()を呼び出すとはどんな用事だろうか。

キツネツキ関係ならコン経由で十分だと思うが。

 

 

 

客間に着き、作法に則って入ろうとして一声かけると、中から聞き覚えの無い声が帰って来た。

この声の主がマヨイガの意思だろうか。

 

もしかしてマヨイガの意思には特定の実体(からだ)もしくは霊体があるのか?

マヨイガ妖怪の集合意識と聞いていたからてっきりマヨイガ全体で一つの形を成す妖怪だと思っていたが。

とはいえマヨイガ妖怪の中には喋れるものもいなくはないし、代わりに喋ってもらっている可能性もあるか。

 

入室の許可は出たので作法通りに襖を開けると、そこには見知らぬ誰かがいた。

見た目には(ひと)だが、よく分からない相手だ。

 

男のようにも見え、女のようにも見える。

年若いようにも見えて、歳を重ねているようにも見える。

そこにいるようにも見えて、そこにはいないようにも見える。

 

そんな存在がそこにはいた。

 

そして俺はそんな相手に促されるまま、座卓の前に座る。

 

「やぁ、初めまして。とはいってもお互いよく知っている相手なんだけどね。もう理解していると思うけど、此方達(こなたら)がマヨイガの意思さ」

 

あ、やっぱりかと思いながら挨拶を返す。

状況的に考えるなら間違いなとは思っていたが。

 

「わざわざ来てもらってすまない。だけど此方達(こなたら)としてもある程度形式は必要でね」

 

「いえ、お気になされず」

 

この程度なら手間でも何でもない。

 

「そう言ってもらえると助かるよ。さて早速本題と行きたい所だけど、その前に一つ勘違いを訂正しておこうか。君には此方達(こなたら)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

え? それはどういう意味だろうか。

 

「普通の人間のような姿に見えます。中性的な容姿で年上っぽいような年下っぽいようないまいち確証が持てない感じですね」

 

後は何をしているかって──

 

「そして今は座卓を挟んで普通に正座しているように──あっ!」

 

──そうか、そういう事か!

 

「どうやら気づいたようだね。理解が早くて助かるよ」

 

どうりでよく分からない相手だと思ったはずだ。

 

俺はマヨイガの意思の事を、マヨイガを統率する妖怪だと思っていた。

マヨイガ妖怪たちの集合意識という霊礎(認識)から生まれた人格(妖怪)だと。

そう思っていたからこそ見誤った。

 

「マヨイガの意思……いや、マヨイガとは妖怪ではなく──怪異(かいい)か」

 

「ご名答」

 

怪異(かいい)──

広義で言えば妖怪変化や化け物などを含む場合もあるが、その本来の意味はあり得ないような不思議な事柄。

怪奇現象そのものを指す。

 

性質自体は妖怪に近しいが、怪異と妖怪の決定的な違いは意思の有無。

現象である怪異そのものに意思はない。

例え意思があるように見えても、それはあくまでそう見えるだけだ。

 

ではこの目の前にいる相手は意思を持たないのかと問われれば、答えは否だ。

この相手はマヨイガの代弁者。

マヨイガ妖怪の代表として現れた誰かだ。

 

その姿は俺の無意識が生み出したマヨイガという現象の擬人化という言い方が近いだろう。

マヨイガとは現象でありマヨイガの意思という妖怪は存在しないが、マヨイガを構成する幾多の妖怪の集合意識が一体の妖怪を代弁者として、そこにマヨイガの意思を表す。

 

簡単に例えて言うならマヨイガとは国のようなものだ。

国という現象そのものに意思はない。

しかし、そこに住まう国民の意思によって生まれる総体としての意思。

それが国の意思であり、マヨイガにとってのマヨイガの意思である。

 

そしてその時々において相応(ふさわ)しいものが、(マヨイガ)に成り代わって語るのだ。

 

まぁ、分かりにくければマヨイガの意思とはマヨイガ妖怪の代表がなる役職であり、判別しやすいように見た目は統一されるけど中身は毎回違うからそういう妖怪がいる訳じゃないよって思っておけばいい。

怪異(マヨイガ)があって妖怪(付喪神)が産まれたのか、妖怪(付喪神)が集まったから怪異(マヨイガ)が成ったのかは分からないが。

 

なお、無数の妖怪の集合意識が形を得て一つの妖怪となるパターンも普通にある。

というか、そっちの方が怪異パターンよりもメジャーだし、今の今までマヨイガもそうだと思ってたぞ。

 

有名どころだと『がしゃどくろ』だろうか。

無数の埋葬されなかった死者たちの(むくろ)や魂が寄り集まって一つの妖怪となる。

それぞれの骸や魂にも固有の念自体はあるが、それをがしゃどくろという大きな意思が統率するという形だ。

 

ちなみにがしゃどくろ自体は魄様(はくよう)を得たのが1960年代という結構新しい妖怪である。

 

分類としては意図的に作られた妖怪──創作妖怪──にあたり、魄様(はくよう)が近かい怨霊の集合体などがその形を得て成る事が多いか。

創作活動によって魄様(はくよう)が作られ、それが妖怪として成立する。

そんな妖怪もそれなりに多いのだ。

 

現象が先に在って魂様(こんよう)によって魄様(はくよう)が作られる通常の妖怪とは真逆の位置にいるが、どちらも人々の伝承(世代を超えて引き継がれていく御話)により成立する事は変わらない。

元々は創作妖怪だったけど、伝えられていくうちにそれが忘れ去られて普通の妖怪になった奴だって結構いるので、区別する意味はあんまりないんだけどな。

 

さて、話を戻すがマヨイガの意思が俺に自身の容姿を聞いたのはそれに気づかせるため──というのもあるが、現象であるが故に妖怪としての個の形を持たないからだろう。

ここにいるマヨイガの意思の姿は俺の無意識によって産まれたイメージをいずれかのマヨイガ妖怪が着こんでいるようなものに過ぎない。

簡潔に言えば俺がマヨイガの意思の姿をそうだと思い込んでいるからそう見えているという表現が近いか。

 

俺以外が見れば別の姿をしているだろうし、たとえ霊視を持っていたとしても見えない場合すらあるだろう。

人によって見え方が違い、似る事はあっても一つとして同じ姿は無い。

俺にしたってマヨイガに対するイメージが変われば、違う姿に見えるようになるだろう。

 

そしてこれはマヨイガの意思……いや、マヨイガ妖怪自身にも言えることなのだ。

相手に自分がどう見えているのか具体的には分からない。

 

もっとも、コンくらいになると読心で間接的にどう見えているかを認識することが出来るが。

……という事はマヨイガの意思は読心は出来ないのか?

 

「直接は読めないよ」

 

読めてるじゃないですか。

 

「何となく言いたい事や思っている事が分かるだけさ。勘が鋭いと言った方が近いかな」

 

さいですか。

まぁそもそも妖怪はその生態上、感情の機微を読み取る事に優れている場合が多いし、これくらいなら分かっても不思議じゃないか。

 

「さて、認識合わせも済んだところで本題に入ろうか。タケル君、君にとってマヨイガはどう見える? ああ、現象や妖怪としてどう見えるかじゃない。もっと単純に、見た目の話しさ」

 

マヨイガの見た目?

 

「そうですね……歴史ある古い時代の名家って感じですかね」

 

荘厳な日本屋敷に歴史を感じさせる道具の数々。

野山に囲まれ、自然と調和した(たたず)まい。

四季によって移ろう素晴らしい庭園。

どれも見事だと思うが。

 

「そう、そうなんだ。()()()()()此方達(こなたら)はね」

 

まぁ否定はできない。

 

「人の世では次々便利なものが出てきているじゃないか。それなのに此方達(こなたら)は古いまま。そりゃぁ、古いものには古いものの良さがある事はわかるよ。だけどそれとこれとは別なのさ」

 

「マヨイガ妖怪も現代の道具以上の便利さだとおもいますけど」

 

物理法則無視が強すぎる。

 

「それでもより便利にってのは思ってしまうんだよ。()()()()()()()()()()()()

 

「昔は……ああ、そういう意味ですか」

 

「そう。伝承が人から人へ、親から子へ口伝(くちづた)えで行われていた時代。伝えられた方はあくまで自分の知識にある道具で想像する。それを繰り返すうちに此方達(こなたら)は時代に合わせて姿を変えてきた」

 

その辺は他の妖怪も同じだ。

途中で話が増えたり変わったりして人々の認識が変化していった妖怪もたくさんいる。

 

「だけどそれももう難しい。色々と要因はあるけれど、重要なのは今まで口伝(くちづた)えや直筆の書物でしか記録されていなかったところに同様の書物を大量に作る技術が現れたことだ。それはつまり同様の情報が伝わる範囲が圧倒的に広がったということ」

 

有名なものだと民俗学者 柳田(やなぎだ)國男(くにお)氏の著書『遠野物語』だろうか。

元は一地方の説話(伝承)でしかなかった妖怪たちが、彼の作品によって全国に知られるようになった。

 

ちなみにこの著書にも『マヨヒガ』と呼ばれる『隠れ里』の話があるが、コン曰くここの『迷い家(マヨイガ)』も同種の『隠れ里』ではあるものの直接的な関係性は無いそうだ。

隠れ里(迷い家)』の伝承自体は他にもあるし、『隠れ里』自体はいくつも存在するからな。

 

「それによってこの妖怪はこういうものだと、隠れ里(マヨイガ)とはこういうものだと広く知られる事になった。そして大量の同じ書物という()()により、とても変化しづらく──変われなくなってしまった」

 

ここのマヨイガと他の隠れ里に直接な関係性は無いが、同じ『隠れ里(迷い家)』である以上影響はどうしても受けてしまうのだ。

伝承の伝わる範囲が限られていた時代なら別だが、全国的に広まるとどうしても()()()()()()()

特に今の時代はインターネットの発達により遥か遠くの情報も容易に手に入るようになった上、電子データとして残り続けてしまう。

 

「もちろん、これによっていずれは忘れられ消えていくだけだった妖怪たちが人々の記憶に残り、今もなおその存在を繋いでいるという功績は否定できるものじゃない。此方達(こなたら)だってそうなっていなかったとはとても言えないからね」

 

その場合は俺もコンと出会えなかった訳だしな。

 

「生き残るという意味では、その恩恵に乗っかって、そうあるのがいいんだろう。だけど、そこから外れる事でいずれ消えてしまうかもしれなくても、此方達(こなたら)は変わりたい。だって憧れてしまうんだ。人々に作られ、今も使われている道具たちに」

 

言いたいことは分かるがそれが俺に何の関係が──

 

「そこでだよ。タケル君、()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

──まじかぁ!

 

「いや、流石に無理ですよ。協力する分には構いませんが、いくら何でも()()()()()()()()()

 

「別に主従関係を結ぼうって訳じゃないさ。そうだね、言ってみれば同盟を組もうという話さ」

 

それよりまず話が繋がっていないと思うのだが。

なぜ怪異としての変化の話から俺との同盟の話になるのやら。

 

「本音を言えば君がこの隠れ里(マヨイガ)()()()()()()だけでも此方達(こなたら)には恩恵が有ってね。なるべく居ついて欲しいと思っているのさ」

 

「恩恵というと、キツネツキの信仰関係で?」

 

「それもある。けど、一番の恩恵は此方達(こなたら)が君の影響を受ける事だよ」

 

俺の影響を?

 

「さっきも言ったろ。此方達(こなたら)は変わりたいってね。現世の人間である君が此方達(こなたら)に住むだけで、その人間の生活空間であるという認識が適応される」

 

「そうか。そうすれば、マヨイガ妖怪は()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()と」

 

「そういうこと。なるべく居ついて欲しいとは言ったけど、そういう意味では現世から離れる(外に出なくなる)のも困る。できれば名目だけでもいいから現世に別宅があるといいな」

 

それで現世の服で来るように言われたのね。

 

「もちろん現世の人間なら誰でもいい訳じゃない。少なくとも此方達(マヨイガ妖怪)が好ましいと思う相手でないとね。だから何度か此方達(こなたら)の呼んだ客の相手をしてもらって見極めさせてもらったよ」

 

あれはそういう意図だったのか。

こうして呼ばれたという事は合格だったんだろうけど。

 

「これからも時折誰かを呼ぶことになる。それが此方達(こなたら)だからね。だから今後もその待遇を君にお願いしたいんだ。もちろんその分はきっちり奉公して返すよ」

 

「異世界に来てから居座らせてもらってる訳ですし、そのくらいはしますよ」

 

「ありがとう。だけど今のままじゃ駄目なんだ。それだとあくまで君は()()()()でしかなくなる。すこし滞在時間が長いだけの、此方達(こなたら)に呼ばれ、此方達(マヨイガ妖怪)を持ち帰った人間たちと変わらなくなる」

 

変わらないというか、実際違わないんよな。

ちょっと特殊なせいで何度も足を運べているってだけで。

 

「それじゃあ変われないんだ。人の住まぬ異界という姿は変わらない。たとえ異世界で異界神(キツネツキ)の神座としての信仰があったとしても」

 

住まうのが神であるが故に、その在り方は人の世と同じたりえないと。

 

「それだと、俺が『隠れ里の主』になったところでマヨイガは変わらないって事になりませんか?」

 

結局対外的には人間は住んでいないのだし。

 

「そうでもないのさ。人の世とは異なるが故にその形を明確には描けない。そうなると異界神(キツネツキ)の神座という信仰は、必ず(隠れ里の主)を通す事になる」

 

そうするとマヨイガは現世の現代人である俺の影響を受けられるという訳か。

その為には俺がマヨイガに泊まらせてもらっているのではなく、最低でも対等な関係で居住する必要があると。

 

「だからさ、君が此方達(こなたら)を背負う必要は無い。此方達(こなたら)と共にあって欲しい。その為に『隠れ里の主』となって欲しいんだ。それが此方達(こなたら)にとっての人と共にある方法。人と共にある道具の妖怪(マヨイガ妖怪)の在り方だから」

 

……ああ、そうか。

そういう事か。

 

マヨイガにとっての主とは統率者でも、ましてや支配者でもない。

自身の在り方を体現させてくれる人間の事なのか。

 

「事情は分かりました。では一つだけ……()()()()()()()

 

()()()()()()

 

君がいい。

 

俺でいいのではなく俺がいい。

 

どうやら俺はまた妖怪に魅入られていたようだ。

 

夜を往く(妖怪の世界で生きる)つもりはないぞ」

 

「むしろ昼を忘れたら(人の世界に生きてくれないと)困るよ」

 

正直俺でなくても構わないのであれば、条件に合うのが俺だったという事なら断るつもりだった。

協力すると言ったことに嘘は無いが、()()()()()()()()()()()()()()()()

だが、マヨイガが俺を選んだというのなら、俺だから憑いてくるというのなら。

 

「…………わかった。あくまで相棒として。それで良ければマヨイガの主の役目、引き受ける」

 

「!! よかった。いやぁ、実は断られたらどうしようかと思ってたんだ」

 

「場合によっては降りる事もあるからな。それは忘れないでくれよ」

 

流石に死ぬまで主としているとは約束できない。

今のところ道を違える理由は無いが、将来どうなっているかなんてわからないものだから。

 

「それにしても()()()()()()()()()()()()()()()ね。やっと君たちの仲間に入れたような気がするよ」

 

「なんか、相棒としてマヨイガの意思と話すなこっちかなと思ってな」

 

個々のマヨイガ妖怪と話すときはたぶん今まで通りだと思うけど。

心情的に。

 

「そうそう。さっそくだけど……っと、その前に(ぬし)相手にタケル君呼びも良くないよね。……家君(いえぎみ)って呼んでいい?」

 

「呼びやすいなら別にいいぞ」

 

ちなみに家君(いえぎみ)とは一家の主人の事。

家主(やぬし)とほぼ同じ意味で、家君(かくん)と読む場合は少し違う意味を含む。

 

「じゃぁさっそく。家君(いえぎみ)に一つお願いがあるんだ」

 

「何だ?」

 

此方達(こなたら)に、マヨイガという怪異に名前を付けて欲しい」

 

おうっ!?

いや、考えてみれば確かに必要か。

 

「マヨイガって他にもあるからね。此方達(こなたら)が唯一無二の怪異である証が無いと、結局また混ざって元に戻ってしまうよ」

 

その影響から逃れたいって話だったしね。

同じようなものの中から一つを特別にするには、名前を付けるというのが一番手っ取り早くて確実な方法だ。

 

名を付けるという行為による俺への影響ももちろんあるが、流石に怪異(マヨイガ)の主にまでなってしまえば異界神(キツネツキ)とその神座という関係もあって誤差程度の影響しかない。

名という形を与える事で、おかしな方向へ変化する事も抑制できるしな。

 

「名づけるのは構わないけど、少し時間を貰っていい?」

 

縁起とかもあるからコンと相談したい。

妖怪や怪異にとって名前の影響力って凄く大きいし。

 

「駄目」

 

「駄目かぁ」

 

此方達(こなたら)の名前は考えてつけるんじゃ駄目なんだ。そこにあって自然と思い浮かぶ。そんな名前じゃないといけない。だから思ったままに決めて欲しい」

 

思ったままにか。

とは言っても俺にとってマヨイガはここだけだからマヨイガである事は否定できないし。

となると、これかな。

 

「だったら──

 

         迷い家(マヨイガ) 百重(ももえ)御殿(ごてん)

 

                    ──とかどうだろうか」

 

百重とは数多くのものが重なり合っている事を言い、九十九神(つくもがみ)即ち付喪神に足りぬ一が足りたかたちを表した。

御殿は広義に立派な屋敷を意味し、転じて見事な異界である事を表す。

 

「なるほど、気に入ったよ。此方達(こなたら)マヨイガ妖怪三千。百重御殿(ももえごてん)の名に恥じない働きを約束しよう」

 

では今後ともよろしく、百重御殿(ももえごてん)

 

 

 

せっかく名前が決まったからという事で、マヨイガの意思の事は今後百重(ももえ)と呼ぶ事になった。

あくまで名前を呼ぶ場合の話しなので、怪異としてのマヨイガの意思を指す場合は今まで通りマヨイガの意思と表現するだろうが。

名前を呼ぶことでそのうちマヨイガ妖怪の集合体という怪異から一個の妖怪になるかも知れない。

 

それからいくつか意見を交わし合い、今後の方針を確認したところでお開きとなった。

以後俺は陽宮(ひのみや)(たける)として、そしてキツネツキ及び異束九十九狐(ことつかのつくも)として隠れ里(百重御殿)の主を名乗る事になる。

まぁ、それ以外は今までとほとんど変わらないのだが。

 

ちなみに今回の百重(ももえ)はなでしこさんだった。

さっきも言ったように、マヨイガの意思は個別の妖怪ではなくマヨイガ妖怪の誰かがその役割を担っているだけだ。

今回はコンの式神という事でわりと俺に近しく、感情を察する事に長けているなでしこさんが選ばれたらしい。

 

もちろん、俺が今の今まで話していた百重(ももえ)がマヨイガ妖怪の集合意識というのは間違いないのだが。

これすごい説明し辛いぞ。

 

百重(ももえ)はマヨイガ妖怪を一時的に上書きする形で出現する妖怪であると言った方が分かりやすいか。

正確な表現じゃないけど。

 

それから。

俺が神名を得たのと隠れ里の主となった事をミコトやヤシロさんに報告し、ちょっとしたお祝いなんかをしてもらった。

百重(ももえ)も紹介する事になったので、その辺にいたマヨイガ妖怪に百重(ももえ)になってもらったのだが……

 

迷い家(マヨイガ)の集合意識。名を百重御殿(ももえごてん)という。気軽に百重(ももえ)と呼んでほしいな」

 

なんかさっきよりも女性っぽくなってない?

 

どうやら俺が最初の会った百重(ももえ)が女性型のなでしこさんだったことで、そっちに引っ張られてしまったらしい。

しかも隠れ里の主である俺が百重御殿(ももえごてん)(かたち)をそう認識したことで、他の者にも同じ容姿で見えるようになっているとか。

 

いや、変化早すぎだろ!

俺のマヨイガの意思の説明は何だったんだよ。

似る事はあっても一つとして同じ姿は無いとか言っちゃったぞおい。

 

ちなみに百重(ももえ)は俺の認識次第で男にも女にも、何なら両性や無性にだってなれるらしい。

マヨイガ妖怪の集合意識なので、俺の認識(見ている面)によって無数のマヨイガ妖怪の中から表に出てくる(性質)が変わるのだとか。

 

 

 

更に時間が過ぎてその日の夜。

ヤシロさんは寝床に戻り、ミコトはお風呂中で時間が空いたのでコンに昼の事を聞いてみる。

 

「結局のところ、神名を貰えるほどの俺の貢献(こうけん)って何だったの?」

 

『ああ、その話じゃな。ここ(マヨイガ)の稲荷神社の特殊性は知っておるじゃろ』

 

それは知ってる。

 

簡単に言うとここ百重御殿の稲荷神社は、稲荷神の領域の一番外側にある稲荷神社の一つなのだそうだ。

つまりこの稲荷神社のある場所までが稲荷神の影響がある範囲という事になる。

 

でも別に俺は稲荷神社に何かした覚えはないぞ。

禰宜としての役目をこなしているくらいだ。

 

『それが何の因果か異世界まで来てしもうた。本来であれば神使もおらず人も訪れぬ稲荷神社は無きも同然になっておったじゃろう』

 

俺たちがいなければそうなってただろうな。

そうなった場合、普通は人々の信仰が戻るまで神使が繋ぎとめておくらしいが、残念ながらコンの後任の稲荷狐(いなりのきつね)はまだいなかった。

 

『この最果(さいは)ての(やしろ)がそうなると、神座が不安定になるんじゃよ。椅子の足が一本失われるようなものじゃからな。それを防いだとあれば功を成したというに十分じゃろう』

 

禰宜としての役目をこなす事で信仰を絶やさなかったと。

でもそれはコンが居る事でも達成できる訳だし、神名を授かるほどの貢献とは思えないが。

 

『ここまでが建前じゃ』

 

あ、はい。

 

『重要なのはお主が異世界で信仰される異界神(キツネツキ)で、マヨイガ……いや百重御殿の主となった事じゃ』

 

それがどういう……

 

『片方だけなら問題なかったんじゃがな。百重御殿が名実ともに異界神の神座になる事で、異界神への信仰によって百重御殿そのものが稲荷神の領域から切り離される恐れがあるんじゃよ。そうなると結局最果(さいは)ての(やしろ)は失われる』

 

マジか。

異世界には稲荷神の信仰が無いから、異界神(キツネツキ)の領域という形で完結してしまうって事か。

 

『今までであればマヨイガと異界神(キツネツキ)の神座を別物として分ける事でそれを回避できておったが……』

 

「俺が百重御殿の主になると、それも出来なくなると」

 

『そうじゃな。どうやら異界神(キツネツキ)を信仰する者も増えておるようじゃからな。おぬし一人の宇迦之御魂(うかのみたま)様への信仰だけでは流石に留めておけぬじゃろう』

 

なんか結構増えてるらしいね。

別にそんなに恩恵を与えた覚えもないんだが。

 

『じゃが、お主が宇迦之御魂(うかのみたま)様に連なる神であれば話は変わる』

 

なるほど。

異界神(キツネツキ)と稲荷神に連なる異束九十九狐(ことつかのつくも)(イコール)で結ばれることで百重御殿が異界神(キツネツキ)の神座となっても稲荷神の領域とする事ができるのか。

 

事情は分かったが、これ現世に戻ったら返上した方がいいのかな。

現世に戻れば流石にお稲荷様の信仰の方が()()

そしたらもう神名を持つ必要はなくなる訳だし。

 

『別にそのまま持っておればよい。異世界ではちゃんと信仰されておる訳じゃし、現世での信仰はなくとも詐称にはならんよ』

 

「そんなもんか」

 

『そんなものじゃよ』

 

「ついでに聞くけど、俺の神名の異束九十九狐(ことつかのつくも)ってどういう意味だ?」

 

狐は異界神(キツネツキ)としての側面を表していると聞いた。

おそらく狐憑き、御稲荷様の神使である稲荷狐(コン)が憑いているという意味もある。

稲荷神に連なるものとして神使である狐の字を賜ったのだろう。

 

九十九(つくも)付喪(つくも)神、すなわちマヨイガ妖怪の事じゃな。それを()ねる主という意味じゃよ』

 

いや、もしかしたらとは思ったけどさ。

俺が百重御殿の主になる事前提の名前かよ。

 

『おぬしなら断らんじゃろうと思ったからのぅ。実際引き受けたじゃろ』

 

そうだけども。

 

『それで最後に()の字じゃな。これはもちろん異界に在る神という意味じゃが、異という字は「鬼を追い払う為の面をつけて両手を上げている姿」から作られた字じゃ。面を被る事で異なる者に変わる故の異じゃな』

 

異界神(キツネツキ)になる時は俺も(こんごうさん)を被るし、そういった辺りも表しているのか。

結構考えてくれたんだな。

 

だったら俺も、その神名に恥じないように頑張るとしようか。

 

そんな事を考えた夜であった。




『持ち物は主に似る』

持ち物には持ち主の好みや性格が出るので、持ち物を知れば持ち主の人柄を知ることが出来るという意味。


前書きにて記載の修正点、一行意訳。

・気狐は個体差はあるものの尻尾が一本に戻る事が多く、天狐になるまで増えたり増えなかったりするので強さと尻尾の数が一致しない。
・ミコトの経立姿は二足歩行になった狐だが、狐を人間のカタチに当てはめたのがコンの経立姿。
・劇で桜の演出してたの忘れてた。

明日に1300字程度の短いおまけとして『マヨイガの意思の断片(肆)』を投稿したら一区切り。


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File No.26-2 マヨイガの意思の断片(肆)

(おつかれさん。上手く行ったようじゃの)

 

天狐か。

おかげさまで、というべきかな。

 

(どうじゃった? その()()で直接話してみた感想は)

 

此方達(こなたら)の多くが魅入った理由がわかったよ。

 

なるほど、あれは魅入ってしまう。

あの子は、家君(いえぎみ)()()()()()()()()()()()

物理的な話じゃなく、精神的な話だ。

 

人間の魂様(こんよう)によって在り方を変える妖怪は、当然の事ながらその認識によって性質が変わる。

未知への恐怖は妖怪を肥大化させる。

経験による知識から妖怪(わからないもの)を避けようとする。

程度の差はあれどそれは人間が生きていくうえで必要で、誰もが持つ性質だ。

 

故に、妖怪から目を逸らす。

名をつけ、想像し、理解した気になる。

それは生き残る為に必要な行為だ。

 

家君(いえぎみ)だって恐怖がない訳じゃない。

避けるべきものを知らない訳じゃない。

恐怖も知識も持ったうえで妖怪と同じ目線で妖怪を見る。

 

妖怪の本質に触れることが出来る逢魔人(オウマガビト)にそんな事をされれば、興味を向けない(魅入らない)妖怪なんていない。

 

(別に全ての妖怪に対してそうする訳では無いがのう。必要とあれば意図的に目を逸らす事くらいはするぞ)

 

それは当然だろう。

どうしても人間と相容れない妖怪というのは存在するのだから。

 

それでも、わからないものを避けようとする(妖怪から目を背ける)のと、理解したうえで避ける(あえて目を逸らす)のは違うのだ。

 

とはいえ、よくもまぁ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と感心するよ。

朱に交われば赤くなる。

ここまで妖怪に深く触れ続けていれば、知らず知らずのうちに妖怪変化となり果てていてもおかしく無いのに。

 

もしかして、君が防いでいたりするのかい?

 

うんにゃ(いいや)、あ奴が自分で混ざらぬようにしとるだけじゃよ。どうやら無意識にやっておるようじゃが)

 

無意識に?

 

()()()()()()()()()()()()()()()()を懐に入れる事で自身の再定義をしておる。具体的には儂とミコトと……今日より百重(おぬし)もじゃな)

 

人間としての家君(いえぎみ)……

 

(そうじゃ。大抵の妖怪は魅入る前は人間の一人としてしか見んし、魅入ったら魅入ったで陽宮尊としか見んからな。自分で言うのもあれじゃが、両方の在り方を見れる妖怪は実は希少なんじゃよ。お主が人間としての『マヨイガの主』をタケルに求めたことで、()()()()()()使()()()()()()じゃろ)

 

あれ、そういう事だったの?

単純に仲の良さの問題かと。

 

(それも間違ってはおらんがな。懐に入れてもいいと思う程仲が深まったという事じゃし。そもそも意識して言葉使いを変える基準を決めている訳ではないからのぅ。本人的には何となくこちらの言葉使いの方がいいかなと思った程度じゃろ)

 

そっか。

家君(いえぎみ)此方達(こなたら)を必要としてくれたのか。

 

ただでさえ異世界と現世の両方で神名を持つ人間という得難い相手なのに、()()()とは正に運命的だ。

 

(……タケルの(つがい)はミコトじゃぞ。(めかけ)なら別に構わぬが)

 

いや、別にそういうのじゃないから。

 

(ならよいがな)

 

 

(話の本筋からは外れるんじゃが念のため誤解ないように言っておくと、儂もミコトもタケルが妖怪変化となるならそれはそれでと思っとるからの。人間であると見る事と、人間であって欲しいと望むことはまた別の話しという事じゃ)

 

あ、そうなんだ。



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File No.27  『忘年の交わり』

あけましておめでとうございます。
今年も『俺と天狐の異世界四方山見聞録』をご愛読いただければ幸いです。

今回は箸休め回。


修正履歴
・大まかに章分けしてみました。
・時系列の関係で少し時期を修正。


「それでは新たな年の始まりを祝いまして、乾杯!」

 

「「「「「乾杯!!」」」」」

 

俺の音頭に、いくつもの声が続く。

 

本日はルミナ神とフェルドナ神、そしてフォレア(ちゃん)を迎えての新年会だ。

といってもミルラト神話圏の暦での新年会なので、現世(元の世界)的に言えばとっくに四月に入っている時期なのだが。

 

最初は以前ルミナ神と話していた、ただの花見の予定だったんだがな。

計画を立てている最中に偶々フェルドナ神がフォレアちゃんを連れて温泉に入りに来たので、ルミナ神が巻き込んだ形だ。

 

百重御殿の庭に茣蓙(ござ)を敷いた、ミルラト神話圏ではまず見ないスタイルでの宴会なので親子女神(フェルドナ神とフォレアちゃん)が若干戸惑っていたが、異文化交流という事で一つ。

 

視線を上げれば満開の桜が並び、心地よい風に桜吹雪が舞っている。

茣蓙の上にはルミナ神の提供によって得られた大量の肉を使った料理をはじめ多種多様な食事に加え、花見に(いろどり)を添える三色団子などのデザートが並ぶ。

外でも食べやすい形式という事で、自家製の(マヨイガで作った)パンを使ったサンドイッチ形式で用意した料理が多い。

 

前に百重御殿の付喪神にはパンを生成できるのがいなかったので自分で作ろうとしたのだが、酵母をどうしようかという問題が立ちふさがった。

そこで試しに味噌とか醤油とかを作っている仕込み桶に駄目元で頼んでみたところ、なんと発酵できてしまったのである。

パン酵母と味噌酵母は別物だが、酵母うんぬん以前に製造過程で()()()()()能力を持つ妖怪仕込み桶には関係が無かったようだ。

 

最近では俺が百重御殿の主になった影響でパン生地の仕込み桶なる付喪神が新たに現れている。

いつでもあとは焼くだけの状態になったパン生地が手に入るのはありがたい。

 

焼く作業は妖怪陶芸窯がやってくれた。

パン窯と陶芸窯では構造が違うし大丈夫だろうかと思ったが、妖怪窯にとってはそのくらい調整可能な範囲なのだそうだ。

こっちはこっちで最近いつの間にかパン焼き用の出し入れ口が増設されてたりする。

 

なお今回はあくまでミルラト神話圏の新年という事で、おせちやお餅は用意していない。

代わりに料理の種類はかなり用意した。

 

乾杯を終えて各々が思い思いの料理に手を伸ばす。

今日も無礼講なのでよろしく。

 

 

 

フェルドナ神が真っ先に手を出したのは煮卵のサンドイッチ。

醤油たれに漬け込んで作った煮卵を潰して具材にしたサンドイッチで、醬油の旨味が効いている一品だ。

 

パンは食パンではなく小さめのコッペパンの背を切って挟んでいる。

今日用意したサンドイッチはだいたいこの形式だと思ってくれ。

 

他にも普通の茹で卵で作った卵サンドやツナ(正確にはマグロっぽい魚の油漬け)マヨネーズを挟んだツナマヨサンドに焼きそばパン(ソースが無かったのでそれっぽい味付けをしただけだが)なんかもある。

 

 

 

フォレアちゃんが食べているのは鶏のから揚げ。

一つ食べてみて気に入ったのか、自分用の小皿いっぱいに確保しては口に運んでいる。

 

ミルラト神話圏では鶏もさることながら油が結構高いらしく、油を大量に使った揚げ物は相当な贅沢品だ。

というか、揚げるという調理法自体ないらしい。

 

それを作り方を聞いてきたフォレアちゃんに説明したら、「えっ」という表情になって食べる速度が遅くなった。

たぶん良く味わって食べようとしているのだろう。

あとから食べたくなっても流石にラクル村で用意するのは難しいだろうから。

 

なので一緒に揚げ焼きの作り方を教えておいた。

ちょっとコツがいるが揚げ物よりも少ない油で作れるので、ラクル村の経済状況でも年に一度くらいならお供えしてもらえるんじゃないだろうか。

鶏は飼ってるみたいだし。

 

もしくは鶏肉持ってきてくれたらこっちで揚げてあげてもいいんだけど。

 

 

 

ルミナ神が手を伸ばしているのはリクエストしていたハンバーグサンドか。

先日言っていた肉質の悪い牛肉を美味しく食べる料理法という事で、作ってみたハンバーグをレタスなどの野菜と一緒にパンに挟んでいる。

 

そういえばミルラト神話圏にもハンバーグと同じく肉をミンチにして成形する料理自体はあったようだ。

ぶっちゃけるとソーセージの事なんだが、こちらは豚肉を長期保存する為の加工品という性質が強かった。

そのため硬い肉を美味しく食べる為にその技術を応用するという発想が無かったようなのだ。

 

ルミナ神が俺のハンバーグの説明を聞いたときに声を上げたのも、「その手がありましたわ!」って思ったかららしいし。

挽肉を固めて焼くという調理法自体はあってもそれを牛肉で作るというアイデアが無かったところに、俺がこうすればいいんじゃねって言っちゃった訳だ。

言われてみればその手段は既にあったのに、何で思いつかなかったのかという叫びだったみたいだな。

 

もちろん繋ぎを使うなどハンバーグとソーセージの作り方は同じではないが、思いついてさえいればすぐに発展していった事だろう。

こういうのが以前コンが言っていた、そしてルミナ神が欲しがっていたらしい異世界人の知識(異なる文明の『気付き』)なんだそうだ。

 

 

 

ミコトが手に取ったのはコモコモの照り焼きのサンドイッチ。

コモコモはあちらの世界で食用として飼われている大きなカエルのような姿をした生き物で、ルミナ神にはなにか物足りない味と評されていた。

今回融通してもらった肉類の中にコモコモもあったので、物足りないならタレで味付けすればいいじゃないという安易な発想で試してみたら意外といけたのだ。

 

醤油をベースにした甘辛いタレを使用しているので、醤油のないミルラト神話圏では今のところ再現できないのが難点だが。

ただ、『太陽の国』からの貿易品の中にたまり醤油っぽいのがあるらしく、今度それで試してみるとはルミナ神の言。

 

というか、太陽の国(五郎左殿の所)と貿易してたんだ……。

 

まぁ、海に隔てられているとはいえ距離的に4,000㎞くらいしか離れていないらしいから行っていけない事はないのだろう。

ルミナ神曰くミルラト神話圏の国々との国交はほぼないらしいけどね。

 

なお太陽の国という名前は以心伝心の呪いで翻訳されているだけで実際の発音とはもちろん異なっている。

国名が『太陽の国』という意味の言葉──日本(にっぽん)の意味が日本(ひのもと)みたいな感じ──なのだ。

 

 

 

コンは大量の稲荷寿司にご満悦だ。

というのも、俺が百重御殿の主になった事で新たに生まれ変わった妖怪の中に豆腐を作れる水桶がいたのだ。

これによりいつでも好きなだけ油揚げが作れるようになり、それはもう狂喜乱舞したコンが山のように作ったのである。

 

俺としても料理のレパートリーを広げられるのはありがたい。

今までは気軽に使えなかったからな。

 

湯豆腐、田楽、冷奴。

厚揚げやがんもどきなんかもいいな。

 

何より味噌汁に好きなだけ入れられるのが嬉しい。

個人的には味噌汁には豆腐だったから。

 

 

 

そして俺が食べてるのはカツサンド。

豚カツのもあるが、コモコモの肉に下味と衣をつけて揚げてみたコモカツとでも言うべき料理を挟んだカツサンドだ。

 

んー、やっぱり濃い味付けにして正解だったな。

 

コモコモの肉は食感は悪くないんだが、どうにも味が淡白すぎる。

しいて言うならフグに近い感じだろうか。

なので照り焼きのときもそうだったが、濃い目の味付けをすることでいい感じに味の調和が整ったのだ。

 

やっぱり醤油って万能調味料だな。

 

ちなみにコモコモはカエルに似ているというだけで別にカエルではないらしい。

 

 

ヤシロさんは他の式神達と同様に給仕などを担当している。

一緒にどうかと誘ったのだが、畏れ多すぎると辞退してしまったのだ。

料理自体は十分にあるから休憩時にでも食べてくれると嬉しい。

 

なお、フェルドナ神はルミナ神と同席する事についてもう開き直っていた。

ルミナ神に色々引っ張り回されているせいだろうか。

ラクル村にもちょくちょく行っているらしいからね、ルミナ神。

 

お互いの様子をみるに案外もう打ち解けているのかもしれない。

 

 

 

 

「あら、これはサツマイモですの?」

 

しばらく皆で談笑していると、ルミナ神が小皿に取り分けた大学芋をフォークでつんつんとしながらそう言った。

 

「ええ。大学芋といいまして、揚げたサツマイモに糖蜜を絡めた菓子ですね。甘く食べ応えがあって栄養価も高いと、こっち(現世)でも人気のおやつですよ」

 

「甘くておいしいのです」

 

「サツマイモって菓子にもなるのね」

 

フォレアちゃんとフェルドナ神も大学芋を口に運ぶ。

その表情を窺うに評価はなかなか悪くないようだ。

 

「ねぇ、タケルくん。これどうやって作るの?」

 

「えーと、そうですね──」

 

今回作ったのは低温の油で揚げたサツマイモに水あめと砂糖・醤油を使った蜜を絡めてゴマでアクセントをつけたものだ。

なのでラクル村で作るには厳しいかもしれないが、油で揚げない調理法だったり蜂蜜を使ったものがあったりと、色々な作り方ができるので試してみてはどうだろうか。

 

「今年中にはサクトリアでもサツマイモが安定して手に入るようになるでしょうし、こちらでも作らせてみようかしら」

 

うまく出来たらおすそ分けしますわとフェルドナ神に言うルミナ神。

 

そういえば劇を見たので既に広まっているイメージがあったが、まだルミナ神の聖地サクトリアではサツマイモは珍しいんだよな。

フェルドナ神が飢餓が起こりそうだった地域に優先して配っていたので、豊かな都市であるサクトリアまでは商人が持ち込んだ分くらいしか出回っていないのだそうだ。

 

それでも噂自体はかなり広まっており、フェルドナ神の美談も相まってサツマイモの存在を知らない人の方が少ないらしいが。

 

「サツマイモの菓子ならこっちもですね。これも美味しいですよ」

 

紹介したのはスイートポテト。

日本発祥の洋菓子で、明治時代に広まったとされているがどこで生まれたのかとか誰が発明したのかという詳しい情報がほとんどない謎のお菓子だ。

 

裏ごししたサツマイモに砂糖・牛乳・バターなどを混ぜ、表面に卵黄を塗ってオーブンで焼き上げる事で出来る……のだが、これは妖怪菓子箱に出してもらったやつだ。

 

分類的には洋菓子だが、妖怪菓子箱も少しパワーアップしたのか日本生まれの菓子という事でスイートポテトも出せるようになったようだ。

まぁ分類は和菓子とはいえ元々はポルトガルから伝えられた金平糖やカステラも出せていたから、案外やろうと思えば前からできていたのかもしれないが。

 

今では日本のお菓子といえるものなら和洋問わず出せるようになったとのこと。

 

ただ大学芋は出せないらしい。

料理判定なのか菓子判定なのかいまいち認識が一定しないからだそうだ。

 

「これもいいですわね」

 

「サツマイモと砂糖にミルクとバター……これなら作れるかも」

 

砂糖が高価なのが難だが手に入らないわけでは無いし、なんなら蜂蜜とかで代用可能だ。

ミルラト神話圏では養蜂の技術が進んでおり、可動式巣枠を備えた巣箱がすでに発明されているなど、遠心分離器こそ無いものの近代養蜂に近しい手法がすでに確立されているらしい。

 

そのため一般的な甘味といえば蜂蜜、というくらいには浸透しているのだとか。

まぁ、それでも安い訳ではないらしいが。

 

 

 

「では、そろそろ()()いきますわよ」

 

そういうとルミナ神は人に化けた眷属蟹に持って来させたガラス瓶をドンと置く。

 

ミルラト神話圏にもガラス自体は普通にある。

吹きガラスも発明されており、一般庶民にも手が届く値段で普及しているそうだ。

ちなみに現世(元の世界)での吹きガラスの発明は紀元前一世紀頃とかなり古い。

 

「それが例のやつじゃな」

 

「これが……」

 

「なのです……」

 

「楽しみなのだ」

 

上からコン、フェルドナ神、フォレアちゃん、ミコトである。

 

眷属蟹が瓶の(コルク)を抜き、式神達が用意した酒器に中身を注いでいく。

その正体は葡萄の蒸留酒の念物(ここのぎ)

しかも莫大な(おも)いと神気によって神器クラスにまで昇華された神酒(しんしゅ)である。

 

神道でいう御神酒(おみき)念物(ここのぎ)神酒(しんしゅ)というイメージでいいだろう。

 

そもそも御神酒(おみき)とは神様にお供えしたお酒を撤下(お下げした)ものであり、人間がお下がりとしていただくお酒の呼び名なのだ。

神饌として奉納したお酒の事は、そのものずばり()神酒(しんしゅ)と呼ぶ。

 

まぁ、神道だと基本的に日本酒を供えるので、これはミルラト神話の神酒という呼び方が正確なのかもしれないが。

 

俺はお酒が飲めないし、そもそも霊的側面である念物(ここのぎ)は味わえない。

なのでルミナ神の眷属蟹が物質側の葡萄ジュースを用意してくれた。

 

もう少し現人神として神性が高まれば念物も味わえるようになるそうなんだが。

(キツネツキ)は神格は結構高いらしいんだけど、憑狐転神(ひょうこてんしん)しないと神性はいまいちなんだよね。

 

「今日は飲みますわよ!」

 

「「「「おー!」」」」

 

「お代わりはたっぷり用意してますから遠慮なさらないでくださいな」

 

それから各々楽しそうに神酒をたしなむ四柱と一人を見ながら、今年も退屈はしないだろうなと、未来に想いを馳せるのだった。

 

 

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

なお、翌日は四柱と一人仲良く揃って二日酔いに悩まされていた。

とりあえず酔い覚ましにお味噌汁を用意するとしよう。

 




結局、食って飲んだだけの話。

忘年(ぼうねん)(まじ)わり』

年の差に関係なく、親しく交際すること。
類句に『忘形の交わり』があるが、こちらは容姿や地位にとらわれず親しくすること。

みんな結構年齢差があるんですが、仲良くやれているようです。


追伸:proxyon様、緋色心様、hameid様、誤字報告ありがとうございます。


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Folder-4 新進気鋭
File No.28-1 『朱に交われば赤くなる』


長らくお待たせいたしました。
File No.28 は本編3話 他者視点2話の合計5話でお送りする予定となっております。
楽しんでいただけたら幸いです。

また、1月3日にオリジナル日間ランキング6位、総合日間ランキング17位を頂きました。
いつも読んでいただき、誠にありがとうございます。

修正履歴
File No.19-2 にてミコトの口調を一部変更。
File No.08-1及び2 にてお菊さんの名前を「小菊(こぎく)」に変更。
この場合の最初の「お」は親愛の表現なので名前ではなく、ここで使用するのは適切ではなかったため。
File No.04-1他 紅一文字と泣き紅葉の銘の部分を号に修正。
銘は刀の茎に刻まれた名前(主に刀鍛冶の名前や年紀などが刻まれた。なので同銘の刀も存在する)、号はその刀に後から付けられた名前(あだ名みたいなもの)だそうなので。


マヨイガの庭で、妖刀たる宵桜を構える。

正面から振り上げての唐竹割り。

 

「はあっ!」

 

気合と共に振り下ろされた刃は眼前の丸太を一刀の元に切断し、刃が触れていない筈の場所までバラバラになって崩れ落ちた。

 

「おお、これ気持ちいいな」

 

刀から『でしょぉ』という意思が伝わってくる。

 

何をしているのかというと、刀を振っているだけで特に意味はない。

床の間に飾ってある宵桜を見て「刀ってかっこいいよな。一回くらい振ってみたいなぁ」とか考えてたら、どうやら口に出てたらしく『だったら振ってみる?』と言われたのだ。

 

なのでせっかくだからそれに甘えることにした。

 

標的用の丸太は妖怪薪小屋に薪にする前のものを出してもらった。

普通に考えれば素人の俺がまともに切れるとは思えない、というかそもそも刀で丸太を切ろうとすること自体がおかしい。

 

しかしそこは妖刀たる宵桜。

その能力である『(えん)の切断』は物質同士の繋がりすら断ち切ることが出来る。

しかも対象の(えん)に触れさえすれば切断個所に刃を当てる必要すらない。

断ち切る縁を認識しさえすれば、ただ相手に触れるだけでバラバラにできるのだ。

 

俺としても別に刀を扱えるようになりたい訳じゃなく、気分を味わいたいだけなので問題ない。

ちなみに縁を認識、つまりどのような縁を切りたいかを意識して切らないと『(えん)の切断』は出来ないので余計な縁を切ってしまう心配はない。

普通に縁切りをする場合であれば相手に繋がる縁(必ずしも相手が居る方に延びるわけでは無い)が見えるようになるので、それを切れば良かったりする。

 

一回振って満足したので、宵桜を鞘に納める。

 

切った薪は今度炊事の時にでも使う事にしよう。

それにしても宵桜で薪を割るとか、すごい贅沢なことをしたな。

 

宵桜は以前五郎左殿に送られた【あらゆる物を断ち切る】妖刀たる紅一文字と同じく『最も御神刀に近い妖刀』の一つと言われているそうだ。

縁を断つ道具や場所は数あれど、宵桜は【あらゆる縁を断ち切る】という最上級の能力を持った縁切り刀なのだ。

 

まぁ、【あらゆる】とはいうものの、相手が【決して切れない縁】だとか【いかなる刀も受け付けない】能力だったりすると霊柱(能力)の強さや相性勝負になるので切れない事もあるのだが。

 

「なんじゃ、もうよいのか?」

 

少し離れた位置で見ていたコンが近づいてくる。

宵桜は能力抜きにしても普通に切れ味の良い名刀なので、誤って怪我をしてしまわないように見ていてくれたのだ。

 

実際刀は結構重量がある。

素人が振り回すともなれば、もしやという事もある話だ。

 

「ああ、十分だ」

 

ちょっと一振りしてみたかっただけだしな。

 

満足したので宵桜を軽く拭いてから床の間に戻そうかと考えていたら、屋敷の方から百重がやって来た。

 

「お楽しみ中に申し訳ないんだけど、ちょっといいかい」

 

「かまわないけど、どうしたんだ?」

 

「どうやらここ(百重御殿)に訪れようとしている人間が居てね。応接をお願いしたいんだ」

 

「了解した……けど、訪れようとしている?」

 

お客として呼んだわけじゃなく?

 

「だね。まさか()()()()()()()()()()()()あの人間が再びここ(百重御殿)に来ることができるとは。()もまた逢魔人(オウマガビト)だった……いや、逢魔人(オウマガビト)に成ったというのが正しいかな」

 

百重御殿が異世界に来ている以上、現世から来ることは非常に困難だ。

となると、再びと言うからには相手は異世界でマヨイガ妖怪を持ち帰った者だろう。

 

そのうち人間は『妖怪和蒸籠(わせいろ)』を持ち帰った水牛人の少女。

石割(いしわ)風月(ふづき)』を持ち帰ったエルラ嬢。

 

そして、人間の中で唯一『彼』と表現できる人物。

 

「『紅一文字』を託した人間さ。山元(さんもと)五郎左衛門(ごろうざえもん)(まことの)康久(やすひさ)という名だったかな」

 

 

 

逢魔人(オウマガビト)

 

逢魔時(おうまがとき)に在る人という意味のこの言葉は、非常に妖怪に関わりやすい性質の人間の事を指す。

 

読んで字のごとく逢魔時(おうまがとき)は妖怪や怪異のような怪しいものに出会いそうな時間帯の事。

人間の時間である昼から妖怪の時間である夜へ、その二つが移り変わり交わる時刻。

 

具体的には『暮れ六つ』。

 

昔は季節によって長さの変わる不定時法という時刻を使っていたので、『暮れ六つ』は常に基準となる()(いり)の時であり、『黄昏時(たそがれどき)』とも称されている。

 

そして黄昏(たそがれ)とは『()(かれ)』、即ち夕暮れによって人の顔の識別が難しくなり「誰そ彼(あなたは誰ですか)」と尋ねる頃合いの事。

 

そこにいるのは誰ですか?

 

そこにいるあなたは、本当に人間ですか?

 

それは相手も同じこと。

夕暮れという時間帯が、相手の認識から自分を曖昧にする。

一人の人間という認識から、よく分からない何かに()()()

 

故に、逢魔時(おうまがとき)では()()()()()()()

 

まぁ、個人差はあるけど逢魔人(オウマガビト)とは昼も夜もこの状態の人の事だ。

基本的に後天的に成るもので、妖怪と深くかかわりすぎるとこうなる。

多少関わった程度なら問題ないが、俺くらいどっぷり関わると流石にね。

なもんで俺ももちろん逢魔人(オウマガビト)だ。

 

あくまで個々の妖怪ではなく()()()()()()()に深く関わる事が条件なので、妖怪の友人や恋人がいる程度なら他の妖怪を避けたり形式的な付き合いにとどめておけば問題ない。

一度逢魔人(オウマガビト)になってしまっても、しばらくそうしておけば普通の人間に戻ることが出来る。

俺には今更無理だな。

 

逢魔人(オウマガビト)は妖怪に近しいが故に妖怪の本質に触れられる。

簡単に言えば魄様(はくよう)に影響を与えやすいのだ。

 

《善悪は友による》

 

人間は付き合う相手によって良くも悪くもなりうるという意味の(ことわざ)だが、より人間の影響を受けやすい妖怪は人間以上に染まりやすい。

しかも人間の本性を見てくるものだから、表面上は友好的にしておけば良いという訳にもいかない。

まぁ、その辺りを気にするような奴はそもそも逢魔人(オウマガビト)には成りにくいのだが。

 

それと妖怪の感情を読み取るのが上手くなるらしい。

普通の人間と逢魔人(オウマガビト)では妖怪の見え方・感じ方が異なるからだそうだが、俺は物心ついた時には既に逢魔人(オウマガビト)だったようなのでどう違うのかよく分からん。

 

他の影響としては望む望まないに関わらず妖怪が寄ってきやすくなる事と、自分が人間である事を忘れたら妖怪の仲間入りしかねないので注意が必要というくらいか。

 

そんな訳で妖怪側に片足突っ込んでる逢魔人(オウマガビト)は、普通の人間ではこれない妖怪の領域にも来ることが出来る。

マヨイガのような隠れ里など、本来は妖怪側が招かなければ入る事の出来ない異界もそれに該当する。

もちろん妖怪側が拒否すれば放り出されるのだが。

 

というか、入れるからって無遠慮に踏み込むと妖怪や神の怒りを買うので、先に許しを得るか縁のある妖怪に案内(手引き)してもらおう。

 

知らずに迷い込んだ場合は、素直に謝ればだいたい許してくれる。

その後すぐ追い出されるか、招いてくれるかは相手次第だが。

 

今回五郎左殿はマヨイガ妖怪である紅一文字の紹介(手引き)という形で来ている。

それに関しては特に問題ない。

 

マヨイガという異界は普通の人間が生涯に二度来れる場所ではないが、これは単純に百重御殿がそういう怪異だからだ。

 

善良な人間に報いる、ただ一度だけの奇跡(邂逅)

 

なので百重御殿はその人間と縁を深めすぎるのを嫌うし、マヨイガ妖怪を渡した後はかかわりを持とうとはしない。

 

……のだが、割と例外というか抜け道はあったりするのだ。

 

俺のような半分同類(妖怪)判定される逢魔人(オウマガビト)はその筆頭だし、百重御殿ではなく稲荷神社に訪れるという名目なら異界(マヨイガ)に入る事ができたりする。

この世界(異世界)に来た日に介抱の為とは言え関係ない人間(この世界の女性)をマヨイガに入れることが出来たのはこの為だ。

無論それで入っても百重御殿が相手にするかは別の話だし、普通に追い出される場合もある訳だが。

 

ちなみに人間以外にもマヨイガ妖怪を渡したりしてるが、実はこっちは妖怪同士の付き合いというか利があってしているだけで百重御殿の在り方とはまた別の話だったりする。

 

そんな訳で逢魔人(オウマガビト)になっているっぽい五郎左殿が紅一文字の縁で訪れることは可能だ。

だが、一体何の用でわざわざマヨイガまで来たのだろうか。

 

身支度を整え、五郎左殿が門の近くまで来たという報を受ける。

迎え(と言っても門までだが)にはごうりきさんを出した。

 

五郎左殿は覚えているかはわからないが、以前マヨイガに招いた際に一緒に妖札をした式神の片方だ。

そういえばあれからもう十ヶ月くらい経つのか。

早いもので、いろいろあったな。

 

今回はこちらから呼んだ訳じゃないので、俺たちは縁側で(くつろ)いでいたという(てい)で待つことになった。

まぁ、演出の一つだと思ってくれたらいい。

 

コンは当時と同じ二十代後半くらいの姿。

 

ミコトは人間形態(にんげんモード)で俺の横にいる。

 

俺も服装は当時と同じものだが、前回はずっとこんごうさんの面もつけていたから顔を見せていないんだよな。

とはいえ別に覚えてなくても問題は無いのだが。

 

 

 

少しして、ごうりきさんに連れられた五郎左殿と見覚えのない女性──多分人間に変化した紅一文字──がやって来た。

 

「おお、久しぶりじゃな五郎左殿。壮健であったか」

 

コンが先陣を切る。

以前来た時は基本的にコンが相手をしていたので、その方が五郎左殿も切り出しやすいだろう。

 

「ご無沙汰しております、天狐殿。おかげさまで頭痛もすっかり良くなり申した」

 

そういえば妖怪に呪われてたんだったか。

治ったようで何より。

 

「紅一文字も元気……とは言い難いようじゃのぅ」

 

紅一文字と確定した隣の女性を見れば、確かに霊威がおかしい。

表面上は取り繕っているようだが、霊威に見える感情は焦燥(しょうそう)と……極度の不安か。

 

こっちへ来てからの修行の成果か、現世にいた頃と比べて妖怪の霊威から感情を読むのが上手くなっているし、多分間違ってないはず。

 

「お久しぶりです、稲荷狐(いなりのきつね)様。やはり稲荷狐様の目は誤魔化せませんか。本日はその件でお願いがあってまいりました」

 

「ふむ」

 

それだけ言ってコンは俺の方を見た。

無言のお伺いを立てている、という体で俺が百重御殿(ここ)の主である事をアピールしているのだ。

紅一文字は俺の客人(まろうど)時代を知っていて、かつ俺が百重御殿の主になった事を知らないからな。

 

「なにやら事情があるようですね。こんな所で立ち話もなんです。面霊気よ、お二人を座敷まで案内して差し上げなさい」

 

 

 

場所を客間(座敷)に移し、改めてお互いに自己紹介をする。

 

俺は隠れ里(マヨイガ)百重御殿の主、キツネツキを名乗った。

呪詛対策の意味もあるが、親しい相手以外にいちいち名乗りを変えるのも面倒なのでお客さんには一律キツネツキとして対応することにしている。

 

一応最近では呪詛対策もあまり気にしなくてよくなったんだがな。

元々念には念を入れて(いみな)ですらないタケルという名(普通の名前)も隠していた訳だが、ぶっちゃけ杞憂っぽい。

 

名前を使った呪詛を警戒しての事だったが、現世では普通に名乗っている事からも分かる通り(いみな)でも使われない限りは普通に防げるのだ。

何があるか分からない異世界相手故の対策だったが、異世界の事が分かってくるとそこまで警戒する必要は無いなとなった。

 

実際信用できると判断したフェルドナ神には早い段階でタケルの名を教えている。

ルミナ神とプロミネディス神には縁を繋ぐという意味もあって()()()()()()()()()名乗ったが。

 

ちなみに人間よりも妖怪の方が名前を使った呪詛の影響を受けやすいが、コンとミコトは俺が(いみな)も名前も付けた──つまり見方を変えれば俺が名前で縛っていると言える──影響で、その辺の干渉を非常に受けにくくなっている。

そうでなくともコンは呪詛耐性がむっちゃ高いのだ。

 

それでも妖怪名で呼んでいるのは百重御殿の在り方の関係でお客さんと必要以上に縁を繋ぎ過ぎないようにする為だし、(ごう)みたいなものだと思えば別におかしなものでもないなと思ってるからだ。

 

あと既に名乗ってしまったから今更訂正するのも面倒だというのもある。

 

異界神の現人神であるという事は伏せた。

太陽の国(五郎左殿の所)では別に信仰されてはいないからね。

必要があれば言うけど。

 

話が逸れた。

 

コンは前と同じく天狐を名乗った。

命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)となっても、別に天狐でなくなるわけでは無い。

 

ミコトはキツネツキの妻の廻比目(めぐりひもく)を名乗った。

なのだ口調も抑え、端然(たんぜん)と振舞っている。

キツネツキのお仕事と判断したのだろう。

 

それから五郎左殿が名乗り、続いて紅一文字が名乗る。

 

そして本題。

 

「ところで、何か頼み事があるとの事ですが」

 

「はい、大猪(おおいのしし)退治にてお知恵をお借りしたく」

 

紅一文字ではなく五郎左殿が答える。

大猪か……多分普通のでかい猪という訳じゃなさそうだが。

 

「具体的にはどのような?」

 

どの段階に対してアドバイスが欲しいのかによる。

見つからないから悩んでるのに倒し方を説明されても……とかなるかもしれないからな。

 

「拙者達はとある者に乞われて大猪を退治する事と相成ったのでござる」

 

どうもその大猪による獣害が酷いらしく、田畑を食い荒らされるどころか人的被害もすでに出ているそうだ。

そんな折に腕が立ち肝も据わっている五郎左殿が訪れたという事で、これは僥倖と頼まれたらしい。

 

「そしていざ大猪を討伐せんと相まみえたのでござるが、奴の体には傷一つ付けることが出来なかったのでござる」

 

何か嫌な予感がするんだが。

 

これが単にすぐ逃げるので追い付けなかったとかであれば、いくらでもやりようはある。

だが紅一文字の様子を見るに、そうじゃなさそうなんだよなぁ。

 

「なんでも奴の毛皮はどのような(やいば)(やじり)も通さぬそうで、紅ですら刃を通す事が叶わなかったのでござる」

 

 

 

やっぱりかぁ。




逢魔時(おうまがとき)の説明は実際の伝承や風習を基にして書いていますが、逢魔人(オウマガビト)に関する設定は作者の創作ですので悪しからず。

『朱に交われば赤くなる』

人は周囲の影響を受けやすく、環境や交友によって染まりやすいという意味。
良い意味にも悪い意味にも使える。
類句に本編でも語った『善悪は友による』などがある。


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File No.28-2 『彼を知り己を知れば百戦殆からず』

修正履歴
File.No.15-2 にて魔力と霊力と妖力の関係についてのイメージを追記。
さすがに前のは説明が雑で乱暴過ぎました。今回も後書きにて簡単に説明します。


(いのしし)

 

鯨偶蹄目イノシシ科に属する動物で、日本では十二支の一つとしても有名だろう。

日本でも古くから狩猟の対象とされており、その肉は牡丹肉(ぼたんにく)山鯨(やまくじら)などとも呼ばれ親しまれている。

 

そして農耕民族にとっては田畑を荒らす害獣でもある。

実際に現代日本でも野生生物による農作物被害の三割ほどは猪によるものらしい。

 

しかも厄介なことに猪は非常に頭がいい。

本来であれば昼行性であるにも関わらず、人間と生息域が被ると警戒して夜間に活動するようになったり、見慣れないものがあれば警戒して近寄って来ない。

とある実験では餌の入った箱を複数隠し、特定の法則にのっとった場所の箱だけ開くようにしておくと、短時間で開く箱がある所だけ探しあてるようになったという話もある。

 

さらに猪には生理的に苦手とする音やにおいが無い。

唐辛子などの匂いを嫌いはするが、あくまで一時的に避けるだけで長期間使用すれば慣れてしまう。

 

光や音なんかも自分の生活圏に突然見知らぬ何かが現れた事に警戒して逃げるだけで、しばらく使っていれば効果がなくなってしまう。

あれらは自分を害さないと見破ってしまうのだ。

 

もちろん身体能力も優れており、時速40㎞以上で走ったり助走無しで1m以上跳躍する事も出来る。

そこから繰り出される牙の一撃は、まともに受ければ人間であっても致命傷になりかねない。

 

そんな猪が妖怪となったらどうなるか。

 

猪笹王(いのささおう)』という妖怪がいる。

 

元々は熊笹の生えた大猪だったが、猟師に撃ち倒された事でその怨念が妖怪化したものだ。

一本足の鬼の姿で現れ、伯母峰峠を通る人々を襲ったという。

 

最終的に丹誠上人が日限地蔵に祈祷する事で封印されたが、ひるがえって言えば封印するのに地蔵菩薩の助力を要するほど強力な妖怪ともいえるわけだ。

 

俺の知ってる猪の妖怪がこれ(猪笹王)だけなので、これを基準にしていいのかは迷うところではあるが、猪はこのような強力な妖怪になりうるという事なのである。

 

 

 

で、五郎左殿のいう大猪なのだが。

 

コンに式神を派遣してもらって確認したところ、結構やばいのがいた。

幻覚による視覚共有をしてもらったのだが、推定霊威 2,000 近い妖怪猪が確認できたのである。

なんと以前の邪気溜り、そしてそれを浄火して産まれたフォレアちゃんより強いのだ。

毛皮が刃を通さないと言っていたからおそらくとは思っていたが、やっぱり妖怪猪だったか。

 

あ、俺の霊威を読み取る力は憑狐転神(ひょうこてんしん)によって強大な神威を魂で感じた事で一定の物差しが出来たのもあり、上級妖怪くらいならいけるようになっている。

俺も以前よりパワーアップしているのだ。

大妖怪クラスの霊威相手だとまだ精度がいまいちなので精進は必要だが。

 

そして件の妖怪猪は霊威に比べて霊気と霊躯が相応に高く、霊力はかなり低い。

これは力押しを得意とする妖怪に見られる特徴だ。

 

霊力はどれほど大きな力を扱えるかを表す指標だが、これは妖術や霊波のような能力を対象にしている。

もう少し正確に言うならば霊的エネルギーをどの程度までなら精密にコントロールできるかという意味であり、霊的エネルギーそのものを指す霊力が指標の名前としても使われているのだ。

 

腕っぷしの強さや能力などの単純な出力は主に霊威に依存する。

 

つまりこの妖怪猪は搦手をしてくる可能性は非常に低いが、でかい・強靭・パワフルと三拍子そろった身体(からだ)で敵を捻りつぶす戦法を得意としていると思われるのだ。

純粋な肉弾戦に限れば大妖怪相手でも善戦できるくらいの強さがあるんじゃないだろうか。

 

が、倒せないかと言われればそうでもない。

強さという点ではフォレアちゃん以上であるが、脅威度という点で見ればそれほどでもないのだ。

 

「動物は火を怖がる」というイメージはないだろうか。

実際の所は案外そうでもなかったり、自ら火をおこす事はできなくても自然に発生した火を利用する動物はいたりする。

 

しかし火を焚いている人間を野生の動物視点で見れば、不審な火と妙に背丈の高い(二足歩行の)変な生き物だ。

臆病でなければ生き残れない野生動物は、当然警戒して避けようとする。

 

それに山火事が起きれば動物たちは逃げる。

人間だって逃げるんだから当たり前である。

火の近くは暖かいが、火に触れれば火傷するのは人間も動物も変わらないのだから。

 

とはいえそれを人間視点で見れば動物が火を恐れているように見える。

そのようなイメージがつく。

 

これは太陽の国(五郎左殿の故郷)でも同じようだ。

 

そうなると人間の認識に影響される妖怪は、そのような霊梁(生態)を持つようになる。

そんな訳で動物系妖怪は火を苦手としている場合が多いのだ。

 

妖狐(コン達)のように(狐火)を操ったり、剋火の関係にある水の性質を持っていたりすれば話は変わるが、あの妖怪猪はそうではない。

少なくとも火は弱点になりうる。

 

そして相性不利な相手に(弱点を突かれると)とことん弱いのが妖怪だ。

 

極端な話、火の海に突っ込ませれば倒せるし、生き残ったとしても大幅に弱体化する。

 

コンの狐火は当然として、ミコトでも戦って勝てるかは別として狐火を直撃させればおそらく倒せるだろう。

炎の中から生まれその身に浄火の力を宿すフォレアちゃんであれば、妖怪猪の突進が直撃したとしてもむしろ妖怪猪の方が火だるまになるだろう。

妖怪との戦いでは相性有利をとれれば物理攻撃を含む相手からの干渉を打ち消せたりもできるので、この場合はフォレアちゃんは無傷である。

 

補足として多少の火なら泥浴を行う生態から転がって消してしまうと思われるので、火矢で倒すのは絶え間なく撃ち続けなければ難しいか。

 

他にも手っ取り早い方法として食べ物に酒や毒を仕込むというものがある。

 

コンやミコトがお酒にめっちゃ強いので俺も偶に忘れるが、普通の妖怪はお酒を飲めば酔っぱらうのだ。

大きい妖怪相手であれば相応に量は必要だし、大妖怪クラスともなれば神酒や妖怪酒でもないかぎり簡単に酔いを醒ますことが出来る。

 

しかし妖怪というのは基本的に酒を好み、理性よりも本能で行動するタイプの妖怪であれば酒の匂いのする食べ物は毒でもない限り普通に食べる。

そして酔っぱらって寝てしまうのだ。

 

寝込みというのは非常に無防備な状態であり、その間に周りを藁か何かで囲んで火をつければ倒せるだろう。

体が燃え始めればのたうち回って消そうとするだろうからそれによる被害も無いとは言わないが、妖怪猪を野放しにするよりは軽微に抑えられるはずだ。

地理的に山火事になるような事も無いだろう。

 

毒はまぁ、言うまでもないだろうな。

 

動物が飲めば死ぬのだから、動物から変じた妖怪が飲んでも当然死ぬ。

猪は非常に鼻が良いのでただ毒を仕込んだだけなら臭いで気づかれてしまうだろうが、それならそれでやりようはあるのだ。

使う毒は選ばなければ事後の処理が大変ではあるけれども。

 

それに絡め手を使わずとも憑狐転神(ひょうこてんしん)すれば──要するにコンなら──倒せる。

 

見た感じ呪術にはそれなりに耐性がありそうだが、コンの呪術から逃れられるほどではない。

 

火系統の妖術はもとより、念力で(つぶて)を飛ばして打撃を与えるという方法もある。

刃は防げても物質による攻撃が無効という訳ではないのだ。

 

俺一人で勝てと言われたら先のような絡め手を(もち)いなければ無理だが、逆に言えばそのような方法で倒せると知っていれば一般人でも倒す事は可能なのだ。

 

ちなみに手段を選ばないのであればフォレアちゃんにお願いして来てもらうのが一番早い。

 

逃走阻止に炎の壁で周りを囲い(本来は悪いものを中に入れないようにする為のものだそうだ)、浄化の炎をまき散らしていればそのうち逃げ場がなくなる。

物理攻撃は相性差で打ち消し(しかも投石等の道具を使った攻撃も打ち消せる)ができるので、フィジカル全振りな相手はフォレアちゃんに対して有効な攻撃がほとんどない。

一応地面を掘って土を炎にかけたり泥浴び(ヌタウチ)されると相性の関係で有効打になりうるが、前者は大量の土が必要なのでダメージになる前に相手が倒れるだろうし、後者は戦う場所を選べば問題ない。

しかもフォレアちゃんの炎は普通の炎ではなく浄火の力の具現としての炎なので余計なものを燃やさない為、完封勝利が出来てしまうのだ。

 

 

さて、倒し方自体はいくつもあるという事は分かってもらえたと思うが、ここで問題なのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事だ。

 

これ自体はわかる。

件の妖怪猪も【どのような刃も通さない】毛皮を持っているからだ。

 

矛盾の話しではないが、このような相反する特性同士がぶつかった場合、相性有利な方が勝つ。

そして相性の有利不利が無いなら()()()()()()()()()

 

これは信仰とかと同じで人間の恐怖あるいは畏怖(いふ)によって特性が強化されるからだと思ってもらえればいい。

 

更に言えばより近くで名が通っている方が影響力は大きい。

五郎左殿が「通さぬそうで」と伝聞として話していたように、妖怪猪の特性は現地ではある程度知られていると思われる。

 

しかし紅一文字は五郎左殿が声高に宣伝でもしているか、帯びている刀の話が話題に出るほどに五郎左殿自身が有名でもない限り知られてはいないだろう。

元々は現世(元の世界)の異界に在った刀なので、異世界においての知名度は期待できない。

 

ならば毛皮に覆われていない部分を狙えばといった話になるのだが、毛皮が斬れないのに牙や蹄が斬れるかと言われれば、普通にイメージすれば多くの人は斬れないんじゃないかなと思うだろう。

そう思われる以上、毛皮を斬れない刀では牙も蹄も斬れない。

 

他に斬れそうな部分となると鼻と眼球になる訳だが、この妖怪猪すっごくデカいのよ。

俺も驚いたんだが、平屋の家くらいのサイズがあるんだよ。

 

つまり目の位置が非常に高くて狙うのが難しいのだ。

 

ならば鼻はどうかと言えば、こっちも駄目。

何故ならあの妖怪猪の鼻は下手すると牙よりも硬いからなのだ。

 

これは妖怪猪の霊柱(はしら)が関係してくるのだが、猪で一番突き出ているのは鼻先である。

という事は突進の際に真っ先にぶつかるのは鼻という事になる。

 

あれ程の速度で何かにぶつかっても平気な鼻だ。

ならばあの鼻は恐ろしく硬いに違いない。

そう考えた人がいて、それが広まったのだろう。

結果としてあの妖怪猪の鼻は凄まじい硬さを得たのだろう……というのが、実際に斬ってみたけど切れなかったという五郎左殿の証言からコンが推測した内容である。

 

ようするに何処も斬れないのだ。

 

ならば他の絡め手でもなんでも使って倒せばいいと思うかもしれない。

だがここでさっきの問題が出てくる。

実は問題なのは妖怪猪の倒し方じゃなくて紅一文字のメンタルの方なんだ。

 

どういう事かと聞かれれば、以前コンが紅一文字の事をヤンデレと評したのを覚えているだろうか。

一口にヤンデレと言ってもいろんなタイプがいるわけだが、紅一文字の場合は「私は貴方のもの」といった感じだ。

 

それ自体は百重御殿の付喪神なら多かれ少なかれ所有者として認めた相手に向ける感情なのだが、紅一文字の場合は長年待ち続けた五郎左殿の過去世が約束を果たさずに逝った事で(タガ)が外れてしまったらしい。

 

故に、紅一文字は五郎左殿の刀であろうとする。

 

コンが以前、紅一文字が異性に変じて婚姻を結ぼうとするかもしれないと言ったのはその為だ。

 

とはいえ、それは持ち主の影響を受けやすいという事でもある。

幸運な事に生まれ変わりである五郎左殿は刀の存在する国に生まれ、刀を必要とする職であった。

紅一文字ほどの刀をそうそう手放すとは思えない。

 

数年もすれば紅一文字も五郎左殿を理解し、必要とされるかたちに落ち着いていただろう。

それこそ五郎左殿が命尽きるその時まで傍にあれば、原因が何であれ本懐を遂げたと満足してただの刀となった(五郎左殿と共に逝った)かもしれない。

実際にコンも特に危惧する事無く紅一文字を五郎左殿に授けている。

 

だが状況は悪い方へと転がった。

 

件の妖怪猪を、紅一文字は斬れなかった。

刀としての役目を全うできなかった。

 

これが数年後であれば紅一文字も悔しがる事はあっても落ち着いていられただろう。

だが再会して十ヶ月程度では約束を破られた(戻ってこなかった)傷心を乗り越えるには足りなかったのだ。

 

所有者の役に立てなかった。

故に()()()()()()()()()()()()()()()()

 

元来思い込みの激しい性格だったこともあり、たとえ他心通を使える(心が読める)コンが五郎左殿にそんなつもりは無いと保証したとしても、その想像を止めることが出来ない。

 

結果、()()()殿()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『他心通』で紅一文字の心を読んだコン曰く、無茶して霊威を上げようとするならまだかわいい方で、捨てられる前に心中すれば私は永遠に彼のもの──なんて事になりかねない……らしい。

 

いや、流石にすぐにそうなるほど追い詰められている訳ではない。

ただ紅一文字が焦りと不安を感じているのは間違いないし、これを燻ぶらせたままにしておいたらそうなる危険性は否定できない。

なのでできれば紅一文字の活躍によってこの件を解決し、わだかまりを解消しておきたいのだ。

 

本来なら紅一文字と五郎左殿の問題で、俺たちが手を出すような事ではないのかもしれないが、放っておくのもなんかなぁと思ってな。

とっくに百重御殿を離れたとはいえ、マヨイガ妖怪だ。

百重御殿の主として少し世話を焼くくらいはいいだろう。

 

ちなみに五郎左殿と紅一文字には現在別の部屋で休んでもらっている。

式神が妖怪猪を確認しに行く時間とかも必要だったからな。

なので今この部屋にいるのはそこら中にいるマヨイガ妖怪を除けば俺とコンとミコトだけだ。

 

「一番確実なのは火を纏わせて焼き切る事じゃろうな」

 

とりあえずと言った感じで、コンが意見を述べる。

 

まぁ、そうなるよね。

先の動物が火を恐れるうんぬんの話もあるが、そもそも毛皮は五行において『金』に属する。

『金』は五行相克において『火』に弱いのだ。

 

問題は紅一文字も『金』に属する事だ。

もちろんだからと言ってそれが出来ない訳ではない。

出来なくはないが、難易度が高い。

 

「狐火をくっつけるのだ?」

 

ミコトが言うが、難しいだろう。

纏わせること自体は可能だが、決定打になるほど火力が出せるかと言われると厳しい。

 

というのも妖怪猪の毛皮が『金』として強力なため、弱い『火』では相侮(そうぶ)における金侮火、すなわち火の克制を受け付けずに(あなど)ってしまう。

要するにいくら弱点とはいえある程度の火力は必要になる。

 

しかし、纏わせた炎は紅一文字にも影響を与え、よほど相性が良くなければ紅一文字の方が先に参ってしまうのだ。

性質の反転する陰火なら紅一文字は平気だろうが、今度は妖怪猪にも効かなくなる。

 

更に紅一文字が役に立てたと思ってもらえるかというと疑問が残るのもある。

 

所有者である五郎左殿が狐火などを使えれば合体技という形式(かたち)になるので紅一文字も納得するだろうし、お互いの相性が良い事で紅一文字を傷つけずに馴染むから高い火力を出せるだろう。

だがそれを覚える為の時間は無い。

 

「だったら辛い料理をいっぱい食べてもらうのだ」

 

食べ物か。

確かに食事によって五行を強化する方法はある。

 

ただ一つ訂正をば──

 

「ミコトよ。『火』に属するのは苦い食べ物じゃ。辛いのは『金』じゃな」

 

「あぅ」

 

コンに先に言われてしまった。

イメージ的に辛さが火の印象はあるが、五味(酸・苦・甘・辛・鹹)において火に属するのは苦みだ。

ちなみに左から 木・火・土・金・水 ね。

 

「とはいえ食事という発想は悪くない。苦みも付喪神である紅一文字であれば平気じゃろうしな」

 

前にも言ったが、本来食事を必要としないタイプの付喪神は人の姿に化けても味覚が人とは異なる。

感覚ではなく方向性で認識する為、苦いとは分かっても苦いとは感じない。

 

ちなみにだが「人の姿に化けた」付喪神は味を方向性で認識するが、「人間に化けた」付喪神は味を感じることができる──とコンが教えてくれた。

 

後から後から例外というか新事実が出てきて面倒くさいんじゃぁ! という話はひとまず置いておいて。

言葉にすれば似ているようだが、前者は人の(かたち)を取っていても性質は付喪神であり、後者は性質も人間に近くなっているという違いがある。

 

うちで言えばこんごうさん達が前者でミコトが後者。

 

ミコトの場合は廻比目(めぐりひもく)となってから(もうちょっと正確に言うと自分を作り替えたときから)なので、屏風覗き(屏風の付喪神)時代は前者だったそうだが。

 

紅一文字も今は人間になって(化けて)いるが、食事の時だけ『人の姿』に化けてもらえばいい。

 

「よくよく考えてみれば、火に属しておって紅一文字が取り込むのに相性の良いものがあったのう」

 

「そうなのだ?」

 

なんだ?

 

火に属していて……紅一文字が取り込む……紅一文字が……妖刀が…………あっ!

 

そうか!

そう言えばアレ、火に属しているんだったわ。




(かれ)()(おのれ)()れば百戦(ひゃくせん)(あやう)からず』

敵の情報を正しく分析して理解し、味方の事をよく把握していれば、100回戦ったとしても危険が及ぶような事にはならないという意味。
実は必ず勝てるという意味ではないんですよね。

勝てないなら戦いを避ける事も大事。
でも相手の事も自分の事も正しく知っていないと勝てないという判断さえできないのです。

戦う時は周到に準備してからにしなさいという意味もあります。


前書きにて記載の修正点、意訳。
・魔力も霊力も妖力も気も使い道が違うだけで物としては一緒。
 氷にして物を冷やしたり蒸気にしてタービンを回したり水道水で手を洗ったり霧吹きで虹を作ったりできるけど、物質的には全部『水(H₂O)』だよってイメージ。


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File No.28-3 『躓く石も縁の端』

とりあえず方向性自体は決まった。

 

やり方に関しては五郎左殿に協力してもらう方法とマヨイガ妖怪を使う方法があるが、紅一文字の今後の精神面を考慮すれば前者にするのが無難だろう。

まぁ、その場合でも安全性を考えたら結局マヨイガ妖怪を使う事になるんだけどね。

 

 

さっそく使いをやって二人を呼ぶ。

 

客間で暫く待ってると、二人がやって来た。

 

「お呼びでござるか」

 

「ええ、おおよそ準備が整ったので」

 

座卓を挟んで口を開く。

 

キツネツキのを名乗る以前からの知り合いなので、最初は百重御殿の主としてどの口調で話すか迷ったが、まぁ、いつもの口調でいいかって事で普通に喋っている。

 

「件の猪を式神に調べさせましたが、なるほど、紅一文字が斬れなかったというだけはありますね」

 

紅一文字がピクリと反応する。

その霊威に浮かぶのは悔しさか。

 

……って、あれ?

別室に行く前にはあった焦燥(しょうそう)と不安の色が無い。

あっちで何かあったんだろうか。

 

「しかし、それは紅一文字が劣っているというわけじゃない。むしろ(あやかし)の格で言えば紅一文字の足元にも及ばないでしょう。ただ今回は流石に場所が悪かった」

 

嘘ではない。

足元にも及ばない──はちょっとリップサービス入ってるが。

 

「場所……でござるか?」

 

「あの場所は件の猪の縄張りでしてね。そこにいる限り奴は強者であり、他の者は弱体化してしまう」

 

便宜上縄張りと言っているが、これは件の妖怪猪の恐怖や畏怖が色濃く広まっている地域を指す。

 

妖怪は人の認識の影響を強く受ける。

つまりその妖怪を強いと思っている人々が住む地域では、その妖怪は無類の力を発揮できるのだ。

逆に名の知られていない妖怪は力を十全に発揮できずに弱体化する。

弱体化に関しては異世界に来たばかりの頃にコンをマヨイガの外に出せなくなった理由として説明したか。

 

ちなみに実際の猪は決まった縄張りを持たない。

これはあくまで妖怪としての縄張りのようなものという意味だ。

 

「ではなんとかしてあの猪を縄張りの外に追い出してしまえば……」

 

「打ち取れる、とは思いますがそれは難しいでしょう」

 

まずどこからどこまでが縄張りなのか正確には分からないし、特定の場所でのみ力を発揮する領域型妖怪とは違ってあくまで名の知られた地域というだけなので明確な境界がない。

どれだけ引きはがせば倒せるのかが断言できないのだ。

 

あとどうやってそこまで追い出すかというのもある。

餌で釣ったとしても縄張りを出る前に満足して帰るだろう。

 

「そんな事をするよりも、紅一文字の力を十全に引き出せるようにした方がいいでしょう」

 

「私の力ですか?」

 

「そもそもの原因は件の猪の縄張りのせいで弱体化してしまっていること。弱体化さえしていなければ紅一文字の方がはるかに強い訳ですからね」

 

『最も御神刀に近い妖刀』の一つと言われているのは伊達ではないのだ。

 

「それはどのようにすればよろしいので?」

 

五郎左殿が問う。

 

「正攻法でいくのなら紅一文字の力を天下に知らしめること。五郎左殿が行く先々で自分の愛刀である紅一文字はいかなるものも断ち切ると流布(るふ)し、実際にそれを成して見せればおのずとそれが出来るようになるでしょう」

 

ただ、それをするには時間が足りない。

これはあくまで今後そうしておいた方がいざという時に有利ですよというアドバイスだ。

 

「とはいえ今はそんな悠長な事をしている時間は無いため、急場凌ぎですが別の手を使いましょう。少々、五郎左殿にやっていただく事がありますが」

 

「紅の為であれば何なりと。むしろ拙者の刀の事なのに蚊帳の外にされなくて安心しましたぞ」

 

「貴方様……」

 

素直に協力していただけるのは助かります。

 

「では少し血を提供していただきましょう。それを紅一文字に飲んでもらいます」

 

 

 

コンが『()紅葉(くれは)』を使って五郎左殿の指先を傷つける。

そこから流れ出す血液を、紅一文字が指ごと咥える事で取り込んでいく。

 

人間を構成する臓器とその機能である『五臓』。

そのうちの一つである『心』は、五行において火に属している。

 

五臓は現代医学における臓器とはそもそも異なっているのだが、『心』をそれに当てはめるとするならば、脳機能の一部と心臓が近いか。

 

そして五臓にはそれぞれ支配しているものがあり、『心』の場合は『血』。

ここでいう『血』とは血液の他にも血管そのものや脈なんかも含むのだが、今回はそこまで突っ込むつもりは無いので血という表現は血液の事だと思ってくれていい。

 

そして血も五行においては火に属している。

妖刀である紅一文字が取り込むのに相性が良い、火に属するものとは血液の事である。

 

ほら、妖刀ってなんか血を求めるイメージあるじゃん。

紅一文字の(呼び名)は切れ味が良すぎて鎧ごとすっぱり斬れてしまうから、ひとたび振るえば相手の血によって(あか)い一の字が現れる事から付けられたそうだし。

 

なお指先を傷つけるのに泣き紅葉を使っているのは、泣き紅葉が自ら血を流すだけでなく相手に血を流させる力があるからだ。

短刀なんだからそりゃそうだろと思うかもしれないが、泣き紅葉の凄いところは流させる血の量を指定できること。

 

僅かな切り傷から失血死するほどの血を流させることも出来れば、大きく切りつけてもほとんど血を流させないことも出来る。

これにより小さな傷で必要な量の血を流してもらおうという訳だ。

 

しばらくして血が止まったらしく、紅一文字が口を離す。

 

五郎左殿の指についた唾液を清潔な手ぬぐいでふき取り、治癒の妖術(ヒーリング)をかける。

 

まだまだ修行中の身なので大した効果ではないが、切り傷一つ治すくらいなら問題ない。

うん、綺麗に完治したな。

 

「これを飲んでおきなされ。失った分の血を増やす薬じゃ」

 

コンが五郎左殿に小さな丸薬を渡す。

 

マヨイガの妖怪薬籠に出してもらった増血剤だ。

失血が多い場合には血を増やすとされる食材を併用する事で効果を高める必要があるが、これくらいであれば単体でも十分だろう。

 

「紅一文字の方はどうかな」

 

「なんだか体が、熱いです」

 

血を取り込んだ事で火の属性を帯びているからね。

 

「なら結構、効いている証拠だ。これなら刃を通さぬ毛皮だろうと断ち切れるだろう。ただしこの状態は長くは続かない。もって精々半日。五郎左殿、急がせるようですが準備が整い次第討伐に向かわれるのが良いでしょう」

 

弱体化するならその分火力を盛ればいい。

弱点を突き、敵の防御を無効化する。

 

あくまで一時的な効果であったとしても、紅一文字なら刃を通さぬ毛皮すら切り裂けると証明できる。

その話が広まれば、紅一文字もその力を十全に振るえるようになるだろう。

 

ちなみに、マヨイガ妖怪を使う方法とは泣き紅葉に大量の生き血を出してもらって紅一文字に飲んでもらうという力技だ。

五郎左殿の血ほどは馴染まないから、同じ効果を得ようとするとどうしても量がいる。

 

まぁ、これは紅一文字の全力を引き出すというよりは火の性質を付与するのが目的だが、それとは別に生命エネルギーを多量に含む血を取り込むことで一時的ながらパワーアップも出来る。

イメージ的には回復アイテムを追加で用意する事で消費の大きい大技を連続で使えるようになるといった感じの方向性だが。

 

というわけで別に嘘は言ってない。

意図的に言わなかった事はあるけど。

 

「かたじけない。この御恩、忘れませぬ」

 

いや、忘れてくれて構わないから。

あ、でも百重御殿的には覚えてくれていた方がありがたいのか。

 

「必ずやあの猪を討ち取り、人々の(うれ)いを払う事を()()()()()()()にお(ちか)いいたしましょう」

 

っ!!

 

何で五郎左殿の口から宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の神名が。

 

前回も今回も五郎左殿の前で俺たちがそれを口にした事はない。

『稲荷神』となら、もしかしたら言ったかもしれないが。

 

「五郎左殿、その神名をどこで……」

 

「紅に聞きましてな。狐憑殿も天狐殿もウカノミタマ様にお仕えされていると」

 

あ、そういうこと。

 

普通に考えればそりゃそうだよな。

マヨイガ妖怪としてここにあった紅一文字は、マヨイガ稲荷神社──今は百重稲荷神社と呼ぶべきか──との付き合いも長かったわけだし、主祭神の神名くらいは当然知っているだろう。

 

「まさか()()()()()()()()()()()()()()()とは、不思議な縁を感じましたぞ」

 

は!?

 

いやまて、どういう事だ。

 

偶然……ではないだろう。

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の神名は固有名詞だ。

以心伝心の呪いで翻訳されたとしても、同じ意味の名である事は変わらない。

それがたまたま被るなど、そうは無いはずだ。

 

(タケルよ。今から名詞を音でも聞こえるよう、以心伝心の呪いを調整する。五郎左殿が何というかよく聞いておれ)

 

コン……了解した。

 

「そういえば以前教えていただいた国の名をど忘れしてしもうたんじゃった。すまぬがもう一度教えてもらってもいいじゃろうか。できれば五郎左殿の故郷の名も教えてもらえれば嬉しいのじゃが」

 

「構いませぬ。拙者は日乃國(ヒノクニ)飛前(フトデ)豊葉根村(タクアワトコ)の生まれでござるよ」

 

 

 

その後、五郎左殿と紅一文字はのっぽさんに案内されて百重御殿を去った。

そのまますぐに妖怪猪と再戦を果たすとの事だったので、のっぽさん経由の千里眼で観戦する事にする。

 

再び相まみえた両者の内、先に動いたのは妖怪猪だった。

前回の戦闘で紅一文字では自分を傷つけられないと学習したからか、それともよほどの自信家なのか、警戒する事無く突っ込んでくる。

態々襲い掛かったのは前回の戦闘で鬱陶しく思ったか、はたまた五郎左殿を喰らおうとしたか。

 

正に猪突猛進。

その巨体と速度は並の人間であれば来ると分かっていても避けられないだろう。

 

しかし五郎左殿は横に跳躍する事で突進の軌道から外れ、しかもあえて紙一重で避ける。

 

猪は一度走り出すとひたすらまっすぐに突き進み、簡単に曲がる事ができない……と思われてきた。

実際には急停止だろうがUターンだろうが出来るし、後ずさり(バック)だってできる。

単にその突進力と頑丈さで曲がる必要がないから曲がらないだけなのだ。

 

しかしこれは妖怪にとっては大きな意味を持つ。

人間にそう認識される事で、そのような霊梁(生態)を得る事になる。

例えそれが欠点でしかないものだったとしてもだ。

 

故に、妖怪猪は突進中に曲がらない。

あちらでも同じように思われているらしく、回避した五郎左殿に対して軌道を変えられない。

 

っていうか、五郎左殿の身体能力凄いな。

三メートルくらい跳んだぞ。

 

さらに紙一重で避けたという事は、相手は至近距離にいるという事だ。

避けると同時に振るわれた紅一文字が、相手の突進の速度をも得て妖怪猪に迫る。

 

そしてその刃が妖怪猪に触れた瞬間、相手は紅一文字(『一』を引く血の化粧)に染まった。

 

【あらゆる物を断ち切る】妖刀である紅一文字にとって、相手の大きさは意味をなさない。

ニ尺六寸五分(おおよそ80cm)刃長(はちょう)から繰り出される斬撃に触れれば、山のような巨体すら真っ二つになる。

 

ただの一撃で、妖怪猪の巨体は地に沈んだ。

完全に絶命したのを確認し、千里眼を解除する。

 

「上手く行ったようで一安心だな」

 

これでも斬れないとかなったら紅一文字がやばい事になってただろうし。

 

「お疲れ様なのだ。おやつ持って来たのだ」

 

「お、ありがとう」

 

ミコトから饅頭を受け取りながら考える。

 

五郎左殿は自分の国の名を日乃國(ヒノクニ)と言った。

コンが以心伝心の呪いを調整してくれたおかげで音と字で認識できたのだ。

 

日乃國の字は分かる。

要するに(太陽)()()という事で、向こうの字を漢字に翻訳すればそうなるのだろう。

 

問題は読みがそのまま『ヒノクニ』だったという事だ。

こちらは音をそのまま受け取っていて翻訳を通していない。

それなのに、日本語の読みで読めてしまう。

 

飛前(フトデ)豊葉根村(タクアワトコ)の読みを聴くに日本語を使っている訳ではないのは分かる。

どちらもこうは読まないからだ。

 

ただの偶然……とするには五郎左殿の故郷の神様がウカノミタマと呼ばれている事を考えると難しい。

はてさてこれはどういう事なのやら。

 

 

 

 

 

『一番ありそうなのは、かなり昔に現世からこちらに神隠しされた人間がいたという事じゃろうな。その者が残した言葉や名が今に伝わっておると考えるのが自然かのう』

 

あーそっか。

 

そうかも。




今回はコンが以心伝心の呪いを調整しましたが、もう必要ないので次回以降は元に戻ります。
なので飛前(フトデ)豊葉根村(タクアワトコ)飛前(とびまえ)豊葉根村(とよはねむら)と日本語読み表記になります。
ついでにタケルが国名を正確に認識したことで太陽の国は日乃國(ひのくに)に。


(つまず)(いし)(えん)(はし)

ふと躓いた石も、何かの縁があって多くの石の中からその石に躓いた。
自分にかかわるもの全てには、何らかの因縁があるという意味。


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File No.28-4 浪人 五郎左衛門の記憶(壱)

「ござる」は丁寧語なので普段はあまり使ってない五郎左殿。


隠れ里に訪れるという不思議な出来事を体験してからこちら、何とも奇妙な出来事に巻き込まれる事が増えたものだ。

 

かの地で刀を賜り拙者の頭を痛めていた原因の妖怪を切り伏せたことで、晴れて妨げなく剣を振れるようになった。

となれば拙者とて腕に覚えのある者。

かつて剣一本で身を立てたと言われる英雄、黒金山(くろがねやま)銀志郎(ぎんしろう)のように名を轟かせたいと憧れていた。

 

すでに戦国の世も遥か昔となり、戦働(いくさばたら)きにて手柄を上げる事は難しくなったが、刀を振るう侍が不要になったかと言われるとそうではない。

ならず者や賊などは言うに及ばず、妖怪や悪鬼のような魑魅魍魎を相手取る為にも武に優れた者は必要なのだ。

 

とは言え、名も聞かぬような浪人がいきなり仕官を求めても召し抱えられる事は稀だ。

召し抱える以上、その者が不埒(ふらち)な振る舞いをすれば召し抱えている家中(かちゅう)*1の評判に傷がつく。

故に信用のおける、あるいは事を起こした時に責任を負える紹介者が必要なのだ。

 

拙者にはそのような紹介者への伝手などなく、そのやり方で仕官を目指すには時がかかりすぎる。

なので別のやり方で仕官を目指す。

 

その方法とは武芸者として名を広める事だ。

道場破りをしたり名のある悪鬼を打ち取ったりして実力を知らしめる。

そうすると、これほど強いならば多少の事には目を瞑ってでも召し抱えた方が利になると考える者がでてくる。

 

強者を召し抱えているという評判は、案外馬鹿にならない利をもたらすのだ。

名が広まれば本人の評判もそれなりに聞こえてくるので、多少なりとも信用がおけるか判断する材料になるというのもある。

 

実際にそんなことが出来るのはほんの一握りであり、数え切れぬほどの武芸者がそれを目指しては道半ばで自分の実力の程を思い知らされる。

しかし武芸の道に進んだからには己の実力が世に通じるのか試してみたいと思う気持ちがあるのだ。

 

その為には各地を巡って強者と相まみえねばならぬ。

しばらくは放浪生活となるだろうが、隠れ里にて賜った紅と共にであれば必ずや成し遂げられるという自信もあった。

 

 

 

それから様々な場所を巡り、幾度となく強者と打ち合う事になる。

詳しくは語り始めれば終わらなくなる故にまたの機会とするが、妙に人ならざる者と出会うような気がするのは拙者の気のせいであろうか。

 

東に行けば人を喰らう大鬼に出会い、北へ向かえば拙者の膝程の大きさしかない小人の(あやかし)から熊退治を頼まれる。

山道を通れば元は畜生の類であったであろう(あやかし)が幾度となく現れ、船に乗れば巨大な蛸の(あやかし)が出迎える。

挙句の果てには神社で神の使いと問答する事になる始末。

 

もっとも、一番驚いたのは紅が女子(おなご)に変じたときであったのだが。

良き(あやかし)も多かったのだが、当然ながら人や他の(あやかし)(あだ)なす者もいた。

悪戯が過ぎる(あやかし)を懲らしめ、人を喰らう悪鬼を討つ。

 

そのような旅を続けていくうち、旅立つ前よりもはるかに強くなっている自分に気付く。

以前であれば途中で休息を入れていたであろう道のりも一足飛びに駆け抜け、一抱えもある岩を持ち上げる事もできるようになっていた。

 

刀の冴えも一年前と比べ物にならぬ。

何より紅の鋭さよ。

鉄の塊ですら水を斬ったが如く刃が入る。

 

それでいて女子に変じれば何かと世話を焼いてくれる。

紅がおらねば拙者も飯に着物にと無頓着であっただろう。

本当に拙者にはもったいない良き刀で良き女子だ。

 

っと、今はそのような話では無かったな。

 

とにかく拙者は強くなった。

それゆえ、少し驕っていたのやも知れぬ。

 

 

 

始まりはとある村へ向かっていた時の事。

その村へと続く道に見上げるような大蛇がとぐろを巻いていた。

 

これほどの大蛇であればさぞかし強大な力を持つ(あやかし)であろうと思うものだが、どうにも大した気配は感じられぬ。

精々がそこらの畜生上がりの(あやかし)よりは少し強い程度。

さては大蛇に化けて人を脅かそうとしておる別の(あやかし)だなと当たりをつけ、その大蛇に話しかける。

 

この程度であれば何をされたところで対処できる。

それよりもこのまま居座られてはこの道を使っている者が恐れて通れなくなってしまう。

そうなれば大蛇を退治せんと侍などの腕の立つ者が呼ばれるだろう。

とてもではないがそのような者達に対抗できるような(あやかし)には見えぬ。

 

この(あやかし)とて悪戯で命を落としたくはあるまい。

話が通じ、それで事が済むならその方が良い。

 

「これこれ、そこな大蛇よ。このような道の真ん中に居座られては通る事が出来ぬ。今日は良き日和にて日向ぼっこをしたい気持ちも分かるが、少し場所を移してはくれぬか」

 

言外に大蛇に化けたとて欠片も恐ろしくはないぞと含みを持たせる。

このような悪戯は無意味であったと思わせれば、もう同じようなことはせぬだろう。

(おど)かすくらいであれば妖怪の(さが)のようなもの。

度が過ぎなければ拙者とてわざわざ討伐するような事はせぬが、悪戯を繰り返して討たれるような事になればそれはそれで自業自得だ。

 

この場から去るならその後の事まで口を出すつもりは無し。

どかずに人々に迷惑をかけるようであれば少し痛い目を見せてやろう。

そのつもりで声をかけたのだったが、結果はそのどちらでも無かった。

 

大蛇が女子(おなご)に姿を変えたのだ。

いや、大蛇に化けていた(あやかし)が今度は人に化けたと言った方が正しかろう。

 

小菊(こぎく)』を名乗ったその(あやかし)は、拙者に助けを求めてきた。

 

何でも小菊殿はこの道の先にある村で世話になっていたのだが、少し前から村の近くに大猪の(あやかし)が住み着いてしまったそうな。

その大猪によって田畑は荒らされ、村の者が何人も襲われたらしい。

そのため村人は畑仕事に出る事すらできなくなってしまったそうだ。

 

このままでは作付けも田植えも出来ぬ。

そうなれば最後には村を捨てるしかなくなってしまう。

小菊殿はそんな村人を助けたいと思い大猪を倒せるほどの武芸者──小菊殿が化けた大蛇を見ても恐れぬほどの強者──を探しに来たという。

 

そういう事であれば拙者が力になれるであろう。

 

しかし、小菊殿の顔色はあまりよろしくない。

どうやら拙者の得物が刀であった事が理由のようだ。

なんでも件の大猪はかつて御高峠(みたかとうげ)に現れて暴れまわったとされる猪貪怒(いのどんど)なる妖怪ではないかと言われているらしい。

 

猪貪怒(いのどんど)は家よりも大きな背丈を持ち、その毛皮はいかなる刀も矢も通さなかったという。

件の大猪はその特徴に一致しており、腕に覚えのある村人やたまたま村に来ていた武芸者が討ち取らんと刀を取ったが誰も傷一つ付けることが出来なかったそうだ。

 

刀では倒せぬ。

 

故に欲しいのは力士(ちからひと)*2のような打撃を主とする武芸者。

強者は強者を知ると聞くので、そのような者を知らないかと問われた。

 

聞くところに寄れば猪貪怒(いのどんど)はかつて暴れた際にタケミカヅチ様の加護を得た力士(ちからひと)の張り手によって御高山(みたかやま)に叩き込まれ、その後に起きた山崩れによって山の中に封じ込められたそうな。

 

なるほど力士(ちからひと)を求める理由は分かった。

しかし生憎と拙者には腕の立つ力士(ちからひと)の知り合いはおらぬ。

 

なに、安心せよ。

拙者の得物は確かに刀だが、これは隠れ里にて神の使いより賜った至極の名刀。

刀を通さぬ程度の妖なんぞ既に斬った事がある。

 

そう伝えると、小菊殿はそれならばと喜びの表情を見せた。

大猪を退治した暁には、精一杯の持て成しをさせてもらうという。

ただ、あまり裕福とは言えぬ村であるから金品に関しては期待するほどの用意はできないだろうとも。

それでも助けてくださいますかと聞く小菊殿に、力強く頷く。

 

拙者の目的は天下に名を轟かせ、剣の腕にて身を立てる事。

その様な(あやかし)を退治したとあれば、拙者の噂も千里を駆けよう。

それに災難を(こうむ)った村人たちを哀れに思うのもある。

なに、一宿一飯の宿と路銀の足しになれば御の字よ。

 

 

 

小菊殿にその大猪の居場所を聞き、その場所へ向かうと確かにいた。

家よりも大きいとは聞いていたが、実際に見ると迫力が違う。

 

「紅、行けるか?」

 

『はい、いつでも』

 

愛刀を構え、大猪に近づく。

そやつはこちらを気にすることなく、一心不乱に何かを貪り食っていた。

これほどまでに近づいても何の反応も無いのは強者の余裕か、はたまた拙者達に気付いておらぬのか。

 

しかし拙者達にとっては好都合。

ここは既に必殺の間合い。

振り下ろされた刃が大猪を襲う。

 

『!?』

 

だが必殺を確信した一撃は、大猪に通らなかった。

紅の刃が、毛皮を滑るように弾かれる。

それと同時に、大猪が吠えた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

幸いなのは拙者達が背後から仕掛けていた事か。

身を捻り拙者達に向き直るという動作が挟まったおかげで、大きな隙を晒さずに構え直す事が出来た。

 

拙者達を正面に捉えた大猪は、間髪入れずに突進を仕掛けてくる。

普通の人間であれば反応すらできないであろうが、拙者達を嘗めないで貰おうか。

 

とっさに突進の射線上から飛びのき、すれ違いざまに紅を振るう。

しかし斬る事は敵わず。

毛皮が駄目なら毛に覆われていない鼻ならどうかと思ったが、同じように刃が通らぬらしい。

 

凄まじい突撃に弾かれ、その衝撃が腕にまで伝わる。

まさかこれほどとは。

 

拙者の横を通り過ぎた大猪は大きく旋回して再び拙者達を葬らんと猛進してくる。

その姿は雄々しく力強い筈であるのに、拙者にはなぜか強迫観念に突き動かされているように見えた。

まるで()()()()()()()()()()()と焦っているように。

 

奴の突進の威力は脅威だが、動きが直線的故に避けるのはそう難しくはない。

とはいえ状況は悪い。

こちらには奴に通じる攻撃が無い。

ならば状況は堂々巡りし、いずれ疲労で攻撃を避けられなくなる。

 

並の武芸者よりも体力はあると自負しているが、それでも妖怪相手では分が悪い。

ならばいったん引いて策を練るべきだとは思うが、移動速度という点では奴の方が上だ。

逃げても追いつかれるうえに下手をすれば村や町に奴を呼び込む羽目になる。

 

ならば。

 

「紅、界渡(はてわたり)を使うぞ」

 

『っ! 仕方ありません』

 

再び奴の突進を躱して紅を振るう。

しかし今度の狙いは奴ではない。

 

斬るのは目の前の空間。

 

そこに紅の刃を走らせる事で()()()()()()

 

斬り分けた世界の端は(空間の果て)と成る。

 

するとそこには境界が生じ、異界(異なる空間の果て)と交わる。

 

そこに入り込むことで()()()()()

 

故にその秘儀の名は『界渡(はてわたり)』。

 

分かたれた世界はすぐに直ってしまうので奴が追ってくる心配もない。

どこの異界に通じたかは分からないが、周囲に危険は見当たらぬ。

切り札の一つとして紅に教えてもらったが、場合によっては危険な異界に出る事もある故に戦闘中にはあまり使いたくはない技だ。

 

「まさか紅でも斬れぬような輩がいたとは」

 

さてどうするかと考えていると、紅が女子に化けた。

 

「申し訳ありません、貴方様。私の力が足りずにこのような……」

 

「何を言っておるのだ紅は」

 

()に非はない。

力足らずというならば、使い手である拙者の方。

紅の力に驕り、ろくに情報も集めずに相手の実力を見誤ったうつけ者よ。

 

紅であれば如何なる相手でも斬れると疑わなかった。

信じたのではなく、慢心していた。

界渡(はてわたり)を覚えたこともそれに拍車をかけていたやも知れぬ。

いざとなればすぐ撤退できるという楽観もあったのは間違いない。

 

「拙者が人事を尽くす事を怠ったせいよ。これはまた一から鍛え直さねばならんな。だが今はそれより奴を退治する方法を考えねば」

 

悠長にしていればまた被害が出る。

すでに大見得を切った手前、このまま逃げ出すなど出来るはずも無し。

さてどうするか。

 

強靭な表皮を持つ相手の倒し方として有名なものといえば、口内などの柔らかい内側を狙うというものだが……。

 

流石に口の中は難しい。

少なくとも口を開けたまま突進してくるような真似はするまい。

 

ならば腹であればどうか。

あの速度での突進を避けたうえで懐に潜り込む。

まずこれが難しい。

避けるだけなら何とかなるが、狙いが腹の下ともなれば下手をうつと踏み殺されかねん。

 

それに運よく潜り込めたところで、そこから紅を振るうのは難しい。

奴がいくら大きいとはいえ、腹の下ともなれば屈み込まねば……いや、地面に体を擦らせるように滑り込むしかない。

例え腹に毛がなくともその姿勢から繰り出す斬撃で傷つけられるとは思えぬ。

 

更にそもそも本当に肌が出ている部分があるのか分からない。

一か八かで狙うには分が悪いか。

 

他にもあれはどうか、これはどうかと検討したが、なかなか良案は出なかった。

紅と共に頭を突き合わせて考えていると、不意に紅が声を上げた。

 

稲荷狐(いなりのきつね)様に知恵をお借りするのはどうでしょう」

 

なるほど、隠れ里にて紅を授けて下さったあの女性か。

確か名を天狐と言ったはず。

 

以前紅から聞いたのだが、かの女性は拙者の故郷の神と神名を同じくする神に仕えているそうな。

それもかなり高い(くらい)()いているらしい。

初めてお会いした時には神々(こうごう)しさすら感じたものだ。

それほどの者ならよき知恵を授けて下さるやもしれぬ。

 

しかし隠れ里に行くにはちと遠くはないか。

あそこまで戻るとなると往復するだけでもかなりの日数がかかる。

流石にそれほど時をかける事は出来ぬ。

 

そう思ったのだが、紅によれば隠れ里は特定の場所にあるのではなく、隠れ里に認められた者のみが辿り着くことが出来る、この世ならざる地にあるそうなのだ。

本来であれば望んで行く事は出来ぬが、特別な条件を満たした者が紅のような隠れ里にまつわる者を先導とする事で行く事ができるらしい。

 

特別な条件とやらはいくつかあるようだが、拙者はそのうちの一つである『(あやかし)(そば)にある者』という条件を満たしているとの事。

確かに拙者は刀の(あやかし)である紅が傍におるし、最近は(あやかし)と関わる事も多いと思っていたが、そのような事で良いのだろうか。

そう思わなくもないが、紅が行けるというのであればそうなのだろう。

 

先導(案内)を紅に頼み、再び界渡(はてわたり)を使う。

流石に直接は届かぬという事で一度別の異界を経由し、辿り着いた先は一本道の続く森の中。

紅が「懐かしい空気を感じます」と言ったので無事目的の隠れ里へ渡れたのであろう。

 

そのまま紅に連れられて道を進めば、やがて見覚えのある門に辿り着いた。

そしてそこにはやはり見覚えのある男が立っている。

以前ここに訪れた際に、共に妖札という遊戯で遊んだ男だ。

 

「お久しくございますな、五郎左衛門様。紅一文字。本日はいかがされましたか?」

 

どうやら相手も拙者の事を覚えていたようだ。

紅が案内役として稲荷狐(天狐)様に会いに来たことを告げる。

すると相手の男もすんなりと門の中へ通してくれた。

 

そのまま男の後ろをついて行くと、屋敷の縁側にて天狐様と見覚えのない男女の姿があった。

 

「おお、久しぶりじゃな五郎左殿。壮健であったか」

 

「ご無沙汰しております、天狐殿。おかげさまで頭痛もすっかり良くなり申した」

 

天狐様と久方ぶりになる挨拶を交わす。

よもや再びお会いする事になるとは当時は思いもしなかった。

 

「紅一文字も元気……とは言い難いようじゃのぅ」

 

……やはり天狐様も気づかれたか。

 

紅は大猪を斬れなかったのは己の力不足と悔やんでいた。

力不足というのであれば拙者の方に他ならぬ。

ただでさえ紅にはいつも助けられ、頼り切りになってしまっておるのに。

 

「お久しぶりです、稲荷狐様。やはり稲荷狐様の目は誤魔化せませんか。本日はその件でお願いがあってまいりました」

 

「ふむ」

 

天狐様は相槌を打つと隣の男を見る。

その様子はもしや隣の男の方が上役という事か?

 

「なにやら事情があるようですね。こんな所で立ち話もなんです。こんごうさん、お二人を座敷まで案内して差し上げなさい」

 

 

 

言われるままに場所を移し、かつて妖札をした見覚えのある部屋に通された。

 

「さて、知った顔も多いですが改めて名乗りましょう。私はこの隠れ里、百重御殿の(あるじ)。名を狐憑(きつねつき)。以前お会いした時は禰宜(ねぎ)を名乗っていましたがね」

 

そういえば共に妖札を遊んだ男がそう名乗っていた。

禰宜とは名ではなく職称ではないのかと思った記憶があるゆえ間違いない。

見覚えが無いと思っていたが、あの時は素顔を晒してはいなかったな。

かつてと同じ面をしていれば気づけただろうか。

 

狐憑(きつねつき)の懐刀*3、天狐じゃ」

 

天狐殿が改めて名乗る。

先ほどのやり取りから薄々感じておったが、やはり天狐殿は狐憑殿に仕えておるのか。

かつて訪れた時は天狐殿が主であるかのように見えたが、狐憑殿は名を隠し従者のように振舞う事で傍から拙者を見定めようとしていたのだろうか。

 

いや、以前紅に聞いた事と禰宜を名乗っていた事を考えれば館の主人は狐憑殿であるが、神に仕える神職としては天狐殿の方が階級が高いという可能性もあるか?

以前は神を祀るこの地に招かれた故に天狐殿が迎えたが、此度は拙者の方から来た故に館の主人である狐憑殿が相手を致すと。

 

どのみち確証はないが、とりあえずこのように言われたのであれば狐憑殿を上と見ておればよかろう。

 

狐憑(きつねつき)の妻、廻比目(めぐりひもく)と申します」

 

なんと。

 

随分と幼げに見える故に奉公の子供かと思えば、狐憑殿の奥方であったか。

確かにこの気品と立ち振る舞いを思えば見かけが幼いだけなのやも知れぬ。

ここは人の世の(ことわり)が通じぬとされる隠れ里。

幼き見目(みめ)にありながら年を重ねている事もありうるだろう。

 

もちろん見た目通りの歳という事も否定できぬ。

政略結婚の類ではあるが、成人してもおらぬ殿(との)に産まれたばかりの姫が嫁いだという話もないではないのだ。

 

それから拙者が改めて名乗り、紅が続いた。

 

「ところで、何か頼み事があるとの事ですが」

 

「はい、大猪(おおいのしし)退治にてお知恵をお借りしたく」

 

挨拶も終えたところで、ようやく本題に入る。

良き知恵を得られると良いのだが。

 

「具体的にはどのような?」

 

そう聞かれて、拙者は大蛇に聞いた話とその後の顛末を述べる。

紅ですら斬れなかった事。

誠に悔しいが拙者達には打つ手が思いつかなかった事も包み隠さずにだ。

 

「ふむ。いくつか思いつく手はありますが、実物を見てみない事にはなんとも言えませんね」

 

おお、これは期待できるのではないだろうか。

紅の提案を採用して正解であったな。

 

物見(ものみ)を出して詳しく調べさせましょう。それまでの間、五郎左殿と紅一文字には部屋を用意しますのでゆるりとお(くつろ)ぎください」

 

それは(かたじけな)い。

できればなるべく急ぎたい所ではあるが、焦っても良いことはない。

拙者のするべきは物見が戻るまでに英気を養い、準備を万全にしておく事だ。

 

「はやる気持ちは分かりますがご安心を。ここは人の世の(ことわり)の通じぬ隠れ里。中で半日過ごしても外では大した時間は経ってはいない、などという芸当も出来るのですよ」

 

なんと、そのような事が。

*1
ここでは領地を治めている組織の事を指す

*2
古事記に書かれた力士の文字を訓したもの。本作では武芸としての相撲を修めた者と解釈している

*3
護身の為に懐に忍ばせた小さな守り刀。転じて身近で頼りになる家来の事




tkm9918様、誤字報告ありがとうございます。


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File No.28-4 浪人 五郎左衛門の記憶(弐)

通された部屋の中で紅と共に体を休める。

 

かつて共に妖札を遊んだ長身の男が饅頭を持ってきてくれたのでありがたく頂くことにする。

 

一口食べて目を見開く。

甘い。

饅頭の餡といえば塩味で小豆の甘味を引き立てる塩餡が一般的であるが、もしやこの餡は砂糖を使っておるのか。

そのような餡を使った菓子が菓子屋で売られているのは知っているが、とても拙者のような浪人が手を出せるような値段ではない。

これだけでも隠れ里の凄さが垣間見えるというものだ。

 

そういえば前に訪れたときの料理も素晴らしく美味であった。

もしや食材からして人の世のものとは違うのやも知れぬ。

次の饅頭を取ろうとして、ふと紅が自分の分の饅頭に手を出していない事に気付く。

 

紅は刀ではあるが、人の姿であれば食事もする。

普段は食費を抑える為にハレの日くらいしか食事をしておらぬが、せっかく用意していただいたものに口をつけない理由もないと思うが。

そう思って紅を見やれば、何やら考え込んでいるようだ。

 

「紅よ」

 

「っ! は、はい貴方様。なんですか?」

 

「あ、いや。何やら考え込んでいるようだった故、なにかあったのかと思ってな」

 

軽く話しかけると、気づいた紅が早口に答える。

急に話かけられて驚いた……ようには見えぬな。

その表情はいつもの紅であるが、どこか焦っておるようにも見える。

それに天狐殿も紅が元気とは言えぬと言っておられたではないか。

 

「いえ、大したことは。そ、そう。ここの(あるじ)様、私が居た頃はまだ主じゃなくて。前からいずれはここの主にどうかなんて皆が話してた事もあったので、懐かしいなって」

 

確かに随分若くは見えた。

ではなく、どうにもはぐらかそうとしているようにしか聞こえぬのだが……

 

「違う!! そうじゃないでしょ紅ちゃんっ!」

 

突然(ふすま)が開け放たれ、そこには妙齢の女性が開け放った勢いそのままに立ちはだかっていた。

 

宵桜(よいざくら)ちゃん!?」

 

どうやら紅の知り合いらしい。

やり取りから察するにかなり親しい間柄と思われるが。

 

「初めましてぇ、五郎左衛門さん。私は銘を夜帳(やとばり)、号を宵桜(よいざくら)と言いますぅ。紅ちゃんと同じ、妖刀ですぅ」

 

「これはご丁寧に。ご存知のようですが拙者は──」

 

語尾を間延びさせたような話し方をする女性は、そう挨拶する。

なるほど、刀の(あやかし)が化けておるのか。

紅もそうだが、一見しただけでは人と区別がつかぬな。

 

宵桜を名乗った(女性)はそのままずかずかとこちらに近づくと、唖然としていた紅の後ろに回り込んでそのまま紅を羽交い絞めにした。

 

「え!? ちょっと、宵桜ちゃん!」

 

「お黙るぅ! さっき何を考えてたか五郎左衛門さんにきりきり説明しなさい!」

 

突然の事に呆然としてしまったが、何なのだこれは。

状況がさっぱり分からない。

 

「いや、宵桜殿。拙者も無理に聞き出す気は──」

 

「五郎左衛門さん、その御気持ちは素晴らしいのですがぁ、()()()()()()()()()()()()()ぅ。でないと取り返しがつかなくなるのぉ」

 

取り返しがつかぬとは、どういう事か。

 

宵桜(よいざくら)ちゃん、そんな大げさな」

 

「大げさなものですかぁ。親友の私が気づかないとでもぉ?」

 

「…………」

 

暫くの沈黙が流れる。

ここは拙者が聞くべきかと考えていたら、その前に紅が口を開いた。

 

「ちょっとだけ、ちょっとだけですよ。私に貴方様の刀である資格があるのかと……そう考えてしまったんです」

 

「もしやあの大猪を斬れなかった事を気にしておるのか? それならば他の刀であっても同じこと。むしろ紅であったからこそ拙者は五体満足で……」

 

「違うのです! いえ、きっかけはそれなのですが。貴方様、()()()()()()()()()()()()()()()()を覚えていますか?」

 

拙者の言を遮って、紅がそう主張する。

初めて出会った時か。

この隠れ里で天狐殿より……いや、そちらではないな。

あの日、紅が語ってくれた事の方か。

 

「拙者が前世にてここを訪れ、お互いに一目ぼれしたのであったな」

 

「はい、その日より私はずっとお慕いしておりました。しかし、それは私にとっての事。今の(せい)を生き、前の(せい)の記憶無き貴方様にとっては私はただの押しかけ(かたな)

 

確かに前世の記憶は無いが。

 

「それでも、貴方様と共に在れると思っていました。あの時のようには愛されなくとも、他の刀よりも優れた刀であればお傍にいられると。ですが私は刀としての役目を果たせなかった。このままでは愛想を尽かされて捨てられてしまうのではないか……そう考えてしまったんです」

 

「拙者がそんなことをする訳ないではないか」

 

「本当に……そうですか? 貴方様でない貴方様を好いて、故に貴方様を好いた私を、私を好いた貴方様ではない貴方様は、私の愛を受け入れてくださいますか?」

 

「記憶に無くとも拙者を好いてくれて、今も好いてくれているのだろう。その時と同じように愛せるとは、すまぬが断言できぬ。しかし、今の拙者は間違いなく紅を好いておるよ」

 

人前(他の妖の前)でこのような事を言うのは、少々気恥ずかしくもあるがな。

 

「あのぉー、ここで私が口を挟むのは無粋だとは思うのですけどぉ、多分話が噛み合ってない、いいえ、噛み合ったからこそずれちゃってるので言っちゃいますねぇ」

 

でないとまた同じことが起きちゃいますのでぇ、と続ける宵桜殿。

はて、拙者は何か思い違いをしておるのだろうか。

 

それと、そろそろ紅を離してやってはもらえないだろうか。

 

「紅ちゃんはねぇ、五郎左衛門さんの前世のぉ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ぉ。でもぉ、五郎左衛門さんはその生まれ変わりだからぁ、五郎左衛門さんが好きなのぉ」

 

うむ、それは分かる。

 

「しかし拙者の前世という事はつまり拙者なのであろう? その時と同じように愛せと言われても困るが、拙者を好いてくれている事には変わりない。それが何か問題にござるか?」

 

「問題に思う人間は多いのぉ。だってそれは自分じゃない誰かを通して自分を見てるって事ぉ。自分じゃない誰かを愛しているという言い方もできるんだからぁ」

 

「しかし紅の場合はそれも拙者で……もしや普通はこうは考えぬと」

 

「これが普通というつもりは無いしぃ、その考えが間違っている訳でもないのぉ。でもそうは思わない人も多いってだけぇ。だって記憶が繋がってないんだものぉ。それを自分と思えるかっていうとねぇ」

 

想像してみたが、その言い分も分からないではない。

例えば前世の拙者が悪人であったとして、その時の罪を償えと言われたとしても今の拙者がそうせねばならないとは思わぬだろう。

しかし前世が悪人だった故に警戒するという話であれば理解できる。

 

「とはいえ紅は今の拙者も好いてくれておるのだから、それとはまた違う話だと思うにござるが」

 

「もうこの辺は感性の話しだからねぇ。五郎左衛門さんと紅ちゃんの考え方だってぇ、似ているようで違てるぅ。だからぁ、紅ちゃんも不安になるのぉ。五郎左衛門さんはそうは思ってくれないんじゃないかってぇ。そして一度考えたらそう思い込んじゃう」

 

紅の顔を見る。

心当たりがあるのか、何とも言えぬ表情をしていた。

 

「だからねぇ、ちゃんと口にしないと駄目よぉ。貴方は昔からぁ、妖怪(ひと)一倍思い込みが激しいんだからぁ」

 

そう言ってようやく宵桜殿は紅を放した。

 

「五郎左衛門さん、紅ちゃんは好きぃ?」

 

「無論、好いてござる」

 

「それは紅ちゃんがすっごい刀だからぁ? それとも自分を好いてくれるからぁ?」

 

「……きっかけがそうであった事は否定せぬ。しかしそれだけではござらぬ。拙者は紅と共に旅をして、紅の様々な姿を見てきた。刀としての凛とした貌も、人の姿の綻ぶような笑顔も、苦労を掛けておるのに健気にも拙者を支えてくれた姿も。いつの間にやら紅が隣におるのが当たり前になっていたほどに」

 

あの時からまだ一年にも満たぬはずなのに、随分と長く共にあった気さえする。

 

「絆されたわけでは無い。恩義を感じたわけでも無い。されど拙者は紅の気持ちに応えたいと思った。紅がそうしてくれるからではない。拙者自身が紅に惚れているからだ。拙者はいつのまにか、紅に惚れておったのだ」

 

「貴方様……」

 

「これが前世にて紅に抱いた感情と同じものなのかは分からぬ。むしろ前世においての記憶などなく、同じように愛してやれぬ自分が紅の想いを受け取ってよいのかと思った事もあった。だが拙者は拙者として、紅、お主を好いている。だから他の者がどう考えていようと、生まれ変わっても思い続けてくれている事を嬉しく思う」

 

「はい! 紅は前世からずっと。いいえ、()()()()()()()()()()()()()お慕いしております」

 

迷いが晴れたように、ほほ笑む紅。

 

噛み合ったからこそ、ずれている。か。

確かにあの時に宵桜殿が口を出してくれなければ、拙者は真に紅の不安を理解できなかっただろう。

そのような心配をする必要は無いと、それで終わっていた。

紅が何を不安に思っているのか気づかぬままに話を進め、話が進むからこそ思い違えている事に気付かなかった。

 

「うん。とりあえずはこれで大丈夫っぽいねぇ。紅ちゃん、不安になったらちゃんと口にするんだよぉ」

 

「もぉ、わかりましたよ」

 

「お嫁さんにしてくださいっていうのもぉ、ちゃんと言わないと伝わらないぞぉ」

「なぁ、そ、それは」

「嫁ぎに行きますって出てったのにぃ、里帰りしても五郎左衛門さんの事を夫ですって言わないどころかあんな感じなんだものぉ。絶対告白もしてないと思ったぁ」

「だ、だって、あの時はようやく会えて気持ちが高ぶってたけど、冷静になったら断られるかもって怖くなっちゃって……」

「うんうん。わかってるわかってるぅ。紅ちゃん、無意識にマヨイガの意思に接続してたでしょぉ。思考駄々洩れだったよぉ」

「え゛っ!?」

 

何やら紅たちがひそひそと話しているが、どうしたのであろうか。

気にはなるが拙者が首を突っ込むのは無粋であろうな。

 

暫く二人で話したあと、宵桜殿が立ち上がる。

 

「それじゃぁ、用事も済んだしぃ、私はもう戻るねぇ」

 

「うん、久しぶりに宵桜ちゃんと話せて嬉しかった」

 

「私もだよぉ。でもぉ、もしかしたらまた話をする機会もあるかもよぉ」

 

宵桜殿はそう言って拙者の方を見て、ほほ笑んだ。

いったいこれはどういう意味であろうか。

 

「最後にぃ、五郎左衛門さん」

 

何かな、宵桜殿。

 

「紅ちゃんはぁ、刀の付喪神。物から変じた妖怪。それを忘れないでぇ。これから先ぃ、きっと紅ちゃんは今まで以上に人の姿でいることが多くなると思うのぉ。遠く無いうちにぃ、人のように振舞う必要がでてくるからぁ。でもねぇ、その時に()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

……それはどういう。

 

「勘違いしないで欲しいんだけどぉ、人のごとく想ったりぃ、人のように扱うのはいいんだよぉ。むしろそう思ってくれるなら私も親友として嬉しいからねぇ。でもねぇ、妖怪を人間と認識する(人として扱う)のだけは駄目。紅ちゃんはぁ……いいえ、私たちは人と見間違うほどに人に似せられるけどぉ、決して人ではないのぉ」

 

「つまり本質を見誤るな……と」

 

「そう。同じように振舞えるからって同じように考えられるわけじゃない。人と妖怪は違う。それを忘れられたらぁ、いずれ必ず()()()()()()()()。そうしたらもう、戻れない。それが私達(妖怪)という存在だから」

 

「戻れぬ、とは?」

 

「その先が破滅しかないと分かっていてもぉ、止まれなくなっちゃうのぉ。親しい人を全員巻き込んで全てを壊しちゃうかぁ、全部を拒絶して独りで終わらせるかぁ。間違っているのは分かっているのにぃ、そうするしかできなくなっちゃう。紅ちゃんにぃ、そんな事をさせないでねぇ」

 

「肝に銘じよう」

 

拙者がそう答えると、宵桜殿は頷いて部屋を出ていこうとする。

しかし、体が廊下へ出たところでこちらを振り返り──

 

「あ、でもぉ、紅ちゃんが人として扱って欲しいって言ったならぁ、そうしてあげてぇ。()()()()()()()()()()()()ぁ、寂しいけど私は応援するから」

 

──そう言って(ふすま)を閉めた。

 

「もう、宵桜ちゃんったら。おせっかいなんですから」

 

「紅、最後のあれはどういう……」

 

破滅するから人として扱うなと言いながら、紅が望めばそうしろという。

紅の望みであれば叶えてやりたいとは思うが、その果てがそれでは本末転倒ではないか。

 

「あれはもし私が()()()()()()()()()()()()()()()人間になりたいなら、自分たちに気兼ねするなと言ったのです」

 

「つまり妖怪は人間になれるという事か? 人に化けるのではなく人そのものに成れると」

 

「普通は無理です。でも私や宵桜ちゃんの力を使えば不可能ではない。もちろん簡単ではありませんけどね。それに、強い力を持っている神様ならそれを叶えることもできるでしょう」

 

なんと、紅はそのようなことまでできるのか。

 

「それに、宵桜ちゃんがあそこまで言ったのは私が付喪神で、貴方様が妖怪の本質に踏み込める逢魔人(オウマガビト)だからです。普通の人間であれば間違えるほどに踏み込めない。そうなる前に妖怪の方がいなくなってしまいます」

 

「話に聞く、伴侶に(あやかし)であると知られて去ってしまうというやつか?」

 

「ええ、もちろん個体差(こじんさ)はありますから正体を知られても平然としている妖怪もいますが。話を戻しまして、私が人間になれば考え方もそれに則したものになりますから、最悪でも人間同士のいざこざに収まります」

 

それはそれで勘弁願いたいが、止まれるかもしれぬだけまだましという事か。

 

「紅は、人になりたいのか?」

 

「いえ、まったく。わざわざ人に成らなくても私ほどになれば人に化けるだけで人と同じことができますから。人間の子供だって産めちゃいます。だから貴方様の愛刀がなくなる事はありませんよ」

 

いや、得物がなくなる事を気にしたわけでは無いのだが。

刀の(あやかし)としてはそちらの方が重要なのだろうか。

これも人と妖の考え方の違いという事なのやもしれぬ。

拙者もまだまだ学ぶことが多そうだ。

 

それからしばらく拙者と紅は話を続けるのだった。

 

 

 

その後、狐憑殿に呼ばれて大猪の秘密を知った。

なるほど、あの場所を縄張りとする事で強くなっておったのか。

では縄張りの外に追い出せばとは思ったが、狐憑殿が言うにはそれも難しいらしい。

 

ならばと教えられた次の方法は、紅の名を広める事。

おそらくだがより強い妖怪であると天下に広める事で、大猪の縄張りを塗りつぶしてしまうという方法なのであろう。

今までは自ら語るのは粋ではないと思っておったが、今後同じような事があり得るのであればやっておくべきか。

拙者とて紅の事を他の侍に自慢したいと思った事は、一度や二度ではないしな。

 

しかしこれも時間がかかりすぎる。

よって次の策、拙者の血を紅に与えるという方法を取る。

妖刀と言えば血を啜って強くなるというのは定番だ。

自らの血を与えて妖刀の力を引き出す。

なぜ思いつかなかったかという程に、妖刀使いがでてくる話にはよくあるではないか。

 

短刀で傷を作り、紅に飲ませる。

少々こそばゆかったが、問題なく行うことが出来た。

傷も狐憑殿の不思議な力で最初から無かったかのように消し去られた。

このようなことが出来るとは、流石は隠れ里の主と言ったところか。

 

そして減った分の血をこれまた不思議な丸薬で補う。

血が足りぬ状態では戦えぬからな。

紅の方も体に熱を持っておるようで、その瞳にはこれならという確信が見える。

 

しかし、狐憑殿が言うにはこの状態は精々半日しか持たぬという。

忠告感謝いたす。

必ずやあの大猪を討ち取りまする。

 

その後少しだけ言葉を交わし、拙者達は隠れ里を後にした。

 

 

 

かつて共に妖札を遊んだ男の最後の一人に連れられて大猪の元に戻る。

残念ながら隠れ里から直接大猪の元へ行くことは出来ぬそうで、男が持って来た錠前のような道具で拙者が一度界渡(はてわたり)にてこじ開けた境界を再び開くという方法で別の異界を経由して戻る事となった。

 

その異界より出てみれば、なるほど太陽の位置を見るに多く見積もってもあれから半刻(一時間)はたっておらぬか。

大猪もこの場を離れてはいなかったようで、すぐさまお互いの存在に気が付いた。

 

行くぞ、紅!

 

『はい! 貴方様』

 

大猪はその巨体に似合わぬほどの速度でこちらへ向かってくる。

しかしそのような分かり切った突撃では拙者達は捉えられぬ。

 

突進を紙一重で躱す。

回避が遅れたわけでは無い。

確実に紅を当てる為に限界まで避けなかったのだ。

 

そして大猪の速度をも利用して斬りつける。

毛皮を断ち、肉を切る感触。

 

通った!

 

本来であればこの程度の傷、大猪の大きさから考えれば致命傷には程遠い。

しかし拙者の手にあるのは天下一の妖刀ぞ。

その斬撃は肉を裂き、骨を断ち、その体を突き抜ける。

 

妖刀の秘儀、『山徹(やまどおし)

 

例え山と見間違うほどの巨体であっても、紅の(やいば)は必ず断ち切る。

振りぬいて、後方で巨体が倒れる音がした。

 

確実にその体を断ったという実感はあったが、油断は出来ぬ。

斬った程度では死なぬ(あやかし)なんぞいくつも見てきた。

いかなる反撃にも対応できるように、倒れた大猪の体を見据える。

 

『貴方様、既に()()()()()()()()

 

紅のお墨付きをもらい、残心を解く。

命を絶つ妖刀であるからか、紅にはそれが分かるのだ。

それを見届けた案内役の男も、一礼して去っていく。

 

猪貪怒(いのどんど)、強敵であったな」

 

結果として紅との関係を見直すきっかけになったのは良かったが。

 

「いえ、貴方様。これは猪貪怒(いのどんど)という妖怪ではありません」

 

拙者の手を離れ、人に化けた紅がそう告げる。

 

「縁も斬った事で分かりました。おそらくこの大猪の妖怪は猪貪怒(いのどんど)なる妖怪と似ていたため、()()()()()()()のでしょう」

 

「名を纏った……というのはどういう事なのだ?」

 

「妖怪は人間の認識によってその在り方を変えます。それを利用して自身をより強大な妖怪と誤認させることで、その皮を被ることが出来る。要するにただの偽物という事です」

 

偽物だったか。

いやしかし、強かった事に変わりはないが。

 

「偽物とはいえ名を纏っていた以上、その力は本物に比べられる程度までにはなりますから。代わりにその性質も纏ってしまうのですが。この大猪でしたら、おそらく『人を襲う』性質といったところですか。例え相手が自分を討ち滅ぼせる強者であっても、人であるなら()()()()()()()()

 

明らかに用意をしてきた拙者らを前に、無策で襲い掛かって来たのはそういう事であったか。

 

おそらく猪貪怒(いのどんど)とは退くことを知らぬ勇猛な妖怪だったのであろう。

タケミカヅチ様の加護を得た力士(ちからひと)に出会うまでは、負け知らずだったのであろうな。

 

「ですが、そんな事はどうでもいいですね。その正体がなんであろうと、この大猪の妖怪が田畑を荒らし人々を襲った張本妖(ちょうほんにん)には違いありません。貴方様はその退治を依頼され、見事に成し遂げた。必要なのはそれだけです」

 

「そうか……そうだな」

 

さて依頼も完遂したことであるし、早く戻って村の者を安心させてやらねばな。

その席で愛刀(紅一文字)がいかに素晴らしい刀であるかを語ろうではないか。

 

我が愛刀に斬れぬものなしと。

その武勇伝、いずれ天下に轟かせて見せよう。

 

差し当たっては討ち取った証拠としてどこを持って行けばよいだろうか。

流石に首は大きすぎて持って行けぬからな。

 

 

 

そう考えて見上げた空は、雲一つない快晴であった。




紅一文字の思い込み(前世でお互い一目ぼれ)に関しては、五郎左衛門も悪く思ってなさそうなので訂正しないでおいてあげる宵桜。


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File No.29-1 『思い内にあれば色外に現る』

ながらくお待たせいたしました。

ようやく話が纏まりました。
キャラたちが自由に動き回るから毎回プロットがぶっ壊れて困る。
でも無理矢理プロットにはめ込もうとするとそのキャラがそのキャラじゃなくなっちゃうからなぁ。


「主様、タケル様、先触れがあります」

 

ある日、ヤシロさんが人魚の先触れを告げに来た。

まだまだ修行中の身という事で有用な情報である事は少ないが、偶にルミナ神やフェルドナ神が来るのを予言してたりする。

 

「昼頃にお客さんが来られるようです」

 

「時間的に考えたらフェルドナ神かフォレアちゃんかな」

 

ルミナ神が来るにはちょっと早い。

その時間帯に来た事もあるから絶対とは言わないが。

 

「いえ、それがどうも知らない方のようでして」

 

知らない人?

 

「マヨイガの客か?」

 

「いや、そんな予定はないよ」

 

コンの言葉を、いつの間にか現れた百重が否定する。

百重が呼んだ訳でもないと。

 

「どこかの妖怪が迷い込んでくるとかかな」

 

小菊さん(二尾の狐)みたいな例もあるし。

 

「儂にもよく見えぬな。これは案外大物かもしれんのぅ」

 

コンも未来視を使ってみたようだが、残念ながら上手く行かなかったようだ。

 

前にも言ったが、コンの未来視は強い力を持つ相手が関わっていると非常に見えづらくなる。

しかもこれは間接的にであっても影響が出てしまうのだ。

極端な話、相手が何の変哲もない人間であっても『たまたまルミナ神の姿を目撃した結果としてここに来るのがほんの少し遅れた』というだけでも精度はガクッと下がる。

 

これは力が大きいほど可能性の揺らぎも大きく、その揺らぎに巻き込まれる形で未来が朧気になってしまうから……らしい。

正直俺もどういう事かいまいち理解しきれてはいない。

ある程度時間が経過していればまた見えるようになるそうだが。

 

ちなみにコンの未来視の対象は百重御殿の境界の外側である。

というのも、俺やミコトが対象だと術者であるコンはともかくどうしても百重御殿の揺らぎが影響を与えてしまう。

この世との縁が一度途切れるほどの分かりやすい状態なら別だが、そうでなければまず見えないとの事。

 

余談だが百重御殿の内部は揺らぎどころか可能性がまぜくり返された状態になっているらしく、ルミナ神でも未来視が難しい状態らしい。

そう考えるとまだ任意に使う事が出来ないとはいえ、その中で人魚の先触れが出来るヤシロさんって凄いのではなかろうか。

 

話を戻すが、コンに見えなかったという事はやってくるのはそれだけの力がある者かその影響を何らかの形で受けた者という事になる。

逆に言えば誰も来ずにヤシロさんの先触れが外れる可能性は非常に低いという事だ。

 

「ヤシロさん、そのお客さんの容姿は分かりますか?」

 

「あ、はい。ぼんやりとしていてはっきりとは分からないのですが、白くて立派なおひげがあるみたいです」

 

白い立派な髭という事は、年配の男性か?

此方の世界だと女性にも髭が生えている種族がいるので確定とは言い難いが。

それでいてマヨイガまで来れるという事は仙人の類かもしれない。

 

「じゃぁ、とりあえず誰が来てもいいように準備だけはしておきましょうかね」

 

 

 

そしてその日の昼。

 

どんな相手が来ても対応できるように俺たちは客間で待機していた。

現状ここにいるのは(いつもの如くそこら中にいるマヨイガ妖怪を除けば)俺とコンとミコトだ。

ヤシロさんは別室待機。

出迎え役のいだてんさんを始めとした面霊気たちは各々の準備を終えて配置についている。

 

暫くして百重から件の相手が境界を越えてマヨイガに入って来たとの報告があった。

 

「ほう、これはこれは。ルミナ神程とは言わぬが相当に位の高い神じゃな」

 

その相手を式神越しに認識したコンが言う。

 

神かぁ。

なら百重御殿の主であり宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の仕神でもある異束九十九狐(異界神キツネツキ)が対応するのが筋だろうな。

位の低い神であれば最初に挨拶だけして命婦専女(コン)に丸投げという選択肢もあったのだが。

 

流石に緊張してきたな。

まぁ『案ずるより産むが易し』ともいうし、頑張るとしよう。

 

いざとなればコンや百重もサポートしてくれる。

使うつもりは無いし軽々しく使っていいものでもないが、いざとなれば宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の威光という伝家の宝刀もある。

例え異世界の神であろうとも、ここ(迷い家・百重御殿)宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の領域でもある以上それを無視する事はできないからだ。

 

「ほれ、これがその姿じゃな」

 

コンが幻影でお客さんの姿を映す。

 

「これは……」

 

「凄いおひげなのだ」

 

第一印象としては、天狗。

鼻が高く、白髪白髭ではあるが老いているという感じではない。

体つきはがっしりとしていてかなりの大柄だ。

見る限りでは翼のようなものは無い。

 

現世(元の世界)であれば神であるという事も考慮して山神かと当たりを付けるのだが。

ただ、こっちは異世界だからなぁ。

 

「どうやら日乃國(ヒノクニ)の方の神のようじゃの。百重(マヨイガの意思)が言うにはそちら側の境界から来たそうじゃ」

 

日乃國(ヒノクニ)の、ねぇ。

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と同じ名の神の事を考えると、日本の神に通じる神という可能性も無きにしも非ずか。

 

いや、これはまだ単なる憶測でしかないんだが。

たまたま異世界に来た人が信仰していた神の名が残っただけで、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)以外の神は日本の神とは縁もゆかりもないという可能性もある訳だし。

 

五郎左殿にもう少し詳しく聞いておけばよかったかな。

 

「ぬっ、これは」

 

「コンさん、どうしたのだ?」

 

何かあったか?

 

「相手が迎えにやった式神に名乗ったんじゃが、その神名には覚えがある」

 

「俺も知っている神か?」

 

「うむ。とはいえお主は会った事は無い筈じゃがのう」

 

そりゃまぁ、俺がお会いした事のある神なんて異世界に来てからようやく両手の指の数を超えた程度だし。

見たことのある、まで含めるともっと増えるけど。

 

「神名は()()()()()。そう名乗ったようじゃ」

 

なっ、それはそれは。

何ともまぁ、大物が来られたものだ。

 

 

 

──猿田毘古神(さるたびこのかみ)

 

日本神話の天孫降臨において瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)高千穂峰(たかちほのみね)へと向かう際、天の八衢(やちまた)(道が幾つにも分かれている辻)にて高天原(たかまがはら)から葦原中国(あしはらのなかつくに)までの道を照らし、道案内をしたとされている。

 

鼻の長い巨漢の神であり、それが天狗のイメージを想起させることから祭礼で猿田彦に扮する際は、天狗の面を被るのが通例となっている。

また、上記の伝説から道の神や旅人の神とされており、道祖神(どうそじん)とも同一視される場合がある。

 

更に天照大御神が天の岩戸に引きこもった際、岩戸の前でエロティックに踊った事で有名な天宇受賣命(アメノウズメ)を妻に持つ。

二柱が出会ったのは天孫降臨の折だそうだが、中々に凄いやり取りをしているんだよな。

ここで語るには少々(はばか)られる話なので割愛させてもらうが。

 

ここまで語ったのが現世における猿田毘古神(さるたびこのかみ)である。

そして俺の目の前にいるのが同じ読みの名を持つ神だ。

 

あれから式神に案内されたサルタビコ神は、俺たちの待つ客間へとやって来た。

コンは現在、制限形態(通常モード)で俺の隣に座っている。

解放形態(本気モード)になっていない辺り、そのままでもちゃんと実力を察してくれる相手だと判断したのだろう。

 

ミコトは獣人形態(じゅうじんモード)でコンとは反対側の隣にいるが、基本的に求められたとき以外で発言する事はない。

というのも、流石にまだちょっと妖怪としての(くらい)が足りないので(神格)の高い神同士の会話(はなし)に口を挟めないのだ。

異界神(キツネツキ)という神格だけは高い俺の妻という事でそこらの妖怪とは一線を画するだけの格は持っているのだが、逆に言えばそれ以上の畏怖や信仰がないのである。

 

それでもこの場にいるのは、(キツネツキ)が他の神と会う折に傍に控えさせるほどの者という箔をつける事で、ミコトの()を高めようとしているからだ。

ミコトにもそれ相応の振る舞いが求められるが、そちらの方は霊威が何とか上級妖怪の基準を満たしたくらいであるという所以外は十分に出来ているとコンが太鼓判を押していたので問題ない。

 

それに、ミコトが横にいてくれると俺もやる気が出るのだ。

 

「この度は屋敷に招き入れていただき、感謝しますぞ。ワシの名はサルタビコ。見ての通りしがない神じゃて」

 

そんなわけない。

これほどの神気を持つ神がしがないものか。

 

まぁ、実際は謙遜、あるいはあえて己を卑下することでこちらの出方を窺っているのだろう。

初手から高圧的に接してくるような神でなくてよかった。

 

「ご謙遜を。挨拶が遅れましたが私はキツネツキ。この異界の主である現人神ですよ」

 

俺に続いて次はコンが名乗り、立場上の理由で俺がミコトの紹介をする。

一通り自己紹介を済ませた後、俺は口を開いた。

 

「それで、わざわざこのような異界にまでおいでなさるとは一体どのような用向きで?」

 

「いやはや。実は日乃國(うち)の侍が永幡山(ながはたやま)に隠れ里があるという話をしているのを聞きましてな。好奇心には敵いませんで足を運んでみれば、何とも見事な隠れ里があったものじゃからついついふらっと」

 

おそらく五郎左殿の事だろう。

紅一文字の話を積極的に広めるように勧めはしたが、もう日乃國(ヒノクニ)の神が動いたか。

これは話が順調に広まっていると喜ぶべきか、サルタビコ神のフットワークの軽さに驚くべきか。

 

永幡山(ながはたやま)ってのはたぶん境界が繋がった先にある山の事かな。

 

言葉の内容に不審な点はない。

事前に百重に聞いた境界付近での様子を踏まえても、嘘はいっていないだろう。

ただ、隠している事が無い訳ではなさそうだ。

 

異世界(こちら)に来てから神と接する機会が多くなったせいか、それとも百重御殿の主となった事で妖怪側に近づいたせいか、最近は神威からある程度ではあるが感情を読み取れるようになってきた。

妖怪ほどではないが、神も結構感情が神威に出る。

 

それをコンに言ったら、「珍しい技能を会得したものじゃのぅ」と言われた。

なんか普通は出来ないらしい。

観察眼に長けた者であればできなくはないそうだが、その数はそれほど多くはないとのこと。

 

読心術と比べて汎用性で大きく後れを取るが、偽装や妨害が難しい点で優れるのだそうな。

まぁ、これは能力とかではなく表情から感情を察するようなコミュニケーション技能の一種らしいけどね。

 

あくまで俺くらいの精度で読み取れるのが難しいだけで、神威から雰囲気を察するくらいであれば大抵の神は無意識にやっている。

もっとも神威を見るより表情を見た方がよっぽど分かりやすいし、表情を取り繕える程に感情を制御できているのであればそももそ神威にはほとんど出ないので普通は読み取れないらしいが。

 

そんな俺の感覚を信用すれば、サルタビコ神は好奇心よりも警戒の色が強い。

当然と言えば当然か。

経緯自体は本当だと思うが、目的はプロミネディス神の時と同じっぽいな。

 

「それはそれは。どのような話を聞かれたかは存じませんが、実際に見てみていかがでしたかな」

 

「ワシも役目柄日乃國をまたにかける事が多いんじゃが、これほどの隠れ里はなかなかお目にかかれませんわい。なるほどあの侍の話しに偽りなしと」

 

役目柄、という事は旅に関係する神なのだろうか。

猿田毘古神(さるたびこのかみ)も道や旅人の神だし。

 

いや、同じ読みの名を持っているからといって同じだと断定するのは良くないか。

各地を移動する役目など、考えればいくらでもある。

 

「そういえば屋敷に入った折に二柱とも違う強い神気を感じたのだが、他にも誰か神がおるなら紹介してはもらえんかな」

 

当然、それは聞いてくるよね。

とはいえ、別に隠す必要があるものではない訳だが。

 

「それはおそらく命婦専女(みょうぶとうめ)の、そして私の別称である異束九十九狐(ことつかのつくも)の主神である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)()()()でしょう。この隠れ里でもお祀りしていますからね」

 

宇迦之御魂(うかのみたま)とな」

 

サルタビコ神がその神名に反応した。

その様子から、どうやら五郎左殿の話しには出てきていなかったようである。

 

「ええ。そういえば日乃國(其方の国)の侍から聞きましたが、日乃國(ヒノクニ)にも同じ読みの名の神がいるとか」

 

「確かにおりますな。ワシも顔を知っている程度で言葉を交わした事は無いが」

 

この様子だと、日乃國(ヒノクニ)のウカノミタマ神はあまり有名な神ではないのかもしれない。

五郎左殿の口ぶりもそんな感じがしていたし。

 

「この地にも分社はありますが長らく宇迦之御魂(うかのみたま)様はおいでになられておりませぬし、今は儂が社を預かっている状態ですからな。紹介するのは難しいですぞ」

 

「なら仕方ない。なに、少し気になっただけじゃわい」

 

コンの言葉にあっさりと引き下がるサルタビコ神。

他にも神気を残してそうな神はいるが、牽制も兼ねて言っておくべきか。

 

「あとはミルラト神話の神々が何柱か来られる事がありますから、そちらの方かもしれませんね」

 

具体的にはルミナ神の。

 

「ほう、あの。という事はここはミルラトの神々とも交流があるのですな」

 

「ええ、その隣を借りている縁で少し」

 

あの、という事は日乃國(ヒノクニ)の神々もミルラト神族の存在は知られているのか。

ルミナ神曰く国交はほとんどないそうだが、貿易はしているらしいから話を耳にする機会もあるのだろう。

それにルミナ神も日乃國(ヒノクニ)の神々の事を知っていたし、これほど神格の高い神なら知っていても不思議ではない。

 

「ということは随分と遠いところから縁が繋がったのですな。館や内装が日乃國(こちら)のものに近かったので、ワシはてっきりそれほど遠く無いところにある異界かと思っておりましたが」

 

普通に考えればその通りなんだけど。

 

「そうですね。こちらとしてもまさか日乃國(ヒノクニ)と繋がる事になるとは思いもしませんでしたよ」

 

いやまさかね。

恐るべしは紅一文字の執念なり。

 

この際だから違う世界から来たことも言っておこうか。

コンからは言うかどうかは俺に任せるとの事だったし、読心や過去視も考慮すれば黙っていてもそのうち知られるかもしれないし。

 

実は俺も最近になってではあるが心を読まれないようにする隠心術(いんしんじゅつ)と過去視をごまかす隠歴術(いんれきじゅつ)が神にも通用するレベルになってきてはいる。

 

一応現世にいたころから心得くらいはあったのだが、ルミナ神やプロミネディス神はそれをしれっとぶち抜いてきていたのだ。

それが異界神(キツネツキ)となった事で出力が上がり、今では何のとか防げるようになった。

 

元々コンの他心通を実力で大きく劣る出会った当時のフェルドナ神が防げていたように、読む側と防ぐ側では防ぐ側に分がある。

 

もっとも、ルミナ神相手だと防ぐ理由がないというか、防がない方が結果的に俺たちに返ってくるので使わないようにしているが。

 

ついでに心を読まれないようにしていると言っても、表面的な感情くらいは読み取られているだろう。

相当な実力差があれば話は変わるが、深層は隠せても表層を隠す事は心を殺しでもしないかぎり難しい。

 

フェルドナ神の時も他心通は防がれたが表層の感情を読心する(読み取る)事はしていたのだ。

コンにとっては当たり前すぎてわざわざ言わなかっただけで。

 

ちなみにコンは俺と深く結び()いている関係上、俺の隠心術(いんしんじゅつ)をすり抜けて心を読むことが出来る。

隠歴術(いんれきじゅつ)についても同様である。

 

そんな訳で防げるようになったのだからサルタビコ神相手に防がない理由も無い。

ルミナ神とは違い、まだよく知らない相手に無防備な状態を晒すのは勘弁願いたいのだ。

それはサルタビコ神にとっても同じだろう。

初めて会った時点でノーガードで心を晒し、コンの信用を勝ち取ったプロミネディス神が型破りなのだ。

 

そんな訳で俺への読心や過去視は防げていると思うが、違う世界から来た事くらいなら他のマヨイガ妖怪から知る事もあるだろうし。

 

「元々この異界は別の世界にあったのですが、とある災害に巻き込まれてこちらへ来てしまっていましてね。幸いにして帰る目星はついているのですが、それがいつになるかは何とも」

 

「なんと……それは災難でしたな」

 

「まぁ、苦労する事もありますが百年はかからなさそうですし、時折こうしてお客さんも来られるので退屈せずに済んでいますよ」

 

そのうち現世(元の世界)へ帰る事と、その時期は百年よりは短い事も伝えておく。

近いうちに居なくなるのであれば、積極的に排除する必要は無いと考えてくれれば儲けものだ。

日乃國(ヒノクニ)の神にとっては百年が近いうちに入るのかは分からないが。

神威を見るに安堵してるっぽいので、思惑通りになったのだろうか。

 

 

 

それから少しの間、コンも交えて会話を続ける。

しかし、これからどうするかね。

 

とりあえず伝えたい事は伝え終わった。

サルタビコ神の方も目的は達した事だろう。

さてこの後はどうするか。

 

うん、とりあえず昼食に誘うとしようか。

時刻は丁度昼時を少し過ぎたあたりだ。

状況的に不自然ではない。

 

「そういえばサルタビコ神は昼食はお済みですかな? まだのようでしたら一緒にいかがでしょう。大したものではありませんが、異界(マヨイガ)の食事を用意しますよ」

 

「おお、実はまだでしてな。よろしければご相伴(しょうばん)にあずからせていただきたい」

 

なんか思ったより嬉しそうに言われた。

神威にも期待の色が見て取れる。

 

「ええ、是非に」

 

とはいえ、いたって普通の献立なんだけどね。

 

 

 

そんな訳でサルタビコ神と食卓を囲む。

タイミング的に俺たちも昼食はまだだし。

 

本日のお昼は天ぷらの盛り合わせ。

それとみそ汁にほうれん草の胡麻和えと(たけのこ)の炊き込みご飯だ。

 

人魚の先触れのおかげで昼時に時間が取れない可能性がある事が分かっていたので早めに用意しておいた。

作り置きだが妖怪蠅帳に入れておいたので出来立てのままだ。

 

内容的にはいたって普通な和食だと思う。

五郎左殿の話しでは日乃國(ヒノクニ)の料理も和食に近いらしいので、サルタビコ神にとっても目新しさはないだろう。

 

一応、マヨイガの食材は俺が(ぬし)に就任した影響で更においしくなっているらしい。

というのも、元々マヨイガの食材はその特性により現世の上物と同等の品質を持っていた。

日々品種改良を繰り返し、育成技術も進歩している現世の食材と、()()()()()()()()()()()()()()()()同等だったのだ。

 

つまりマヨイガの食材は本来現世のものより美味しいのである。

そこに現代人である俺が(ぬし)になった事で、現代の水準がアップデートされた。

その結果、百重御殿で採れる作物やマヨイガ妖怪の作る食品の味は更に向上した…………らしい。

 

いやね、俺にはある程度以上になると違いがよく分からないのよ。

どれも美味しいのはわかるんだけど。

あと味が良い事と好みに合うかは別問題ってのもある。

 

とはいえ百重が言うのだからそうなのだろう。

 

それとマヨイガ妖怪のおかげで調理技術が大幅に底上げ出来ているのはありがたい。

意識せずとも自然と最適な調理を実践できるのだ。

流石に頼りっきりはどうかと思うので、少しでもモノにしようと勉強してはいるが。

 

なお、調理方法のレパートリーに関しては自分で増やさないといけないらしい。

 

肝心のサルタビコ神はどうかと見てみれば、なんとも美味しそうに食べている。

これは期待に応えられたと思ってよさそうかな。

 

途中で天ぷらの食べ方について聞かれた。

もしかして、日乃國(ヒノクニ)には天ぷらは無いのか?

ちなみに今日は天つゆである。

 

 

 

食事を終えた後、サルタビコ神はあっさりと「あまり長居をしてもご迷惑でしょうからな」と言って帰っていった。

お土産にスイートポテトを菓子折りに詰めて渡してある。

気に入ってもらえると嬉しいのだが。

 

「お疲れ様なのだ」

 

そう言ってミコトが残りのスイートポテトを持ってくる。

ミコトもほとんどしゃべる事は無かったとはいえ、ずっと異界神の妻に相応しい振る舞いを続けるのは大変だろうに。

それでもこうして気遣ってくれる、俺にはもったいないような良妻だ。

 

「ミコトも、お疲れ様」

 

ミコトを引き寄せ、頭を撫でる。

「うみゅ~」と気持ちよさそうに鳴くミコト。

これにてひと段落といきたいところだが、そういう訳にはいかない。

 

「コン、どうだった? サルタビコ神は」

 

『少なくとも猿田毘古神(さるたびこのかみ)とは別神(べつじん)じゃな。分霊(わけみたま)異世界(異なる地)で信仰されたことで変質した、という訳でもなさそうじゃ』

 

別神(べつじん)か。

 

『とはいえ全くの無関係という訳ではない。繋がる縁自体は確かにあった。あったんじゃが、これを追っていくのは多分無理じゃぞ』

 

強い神威(ちから)を持つ神であればあるほど、その縁を辿っていくのは困難を極める。

何故ならその影響を与える範囲が大きすぎて膨大な量の縁が複雑に絡み合ってしまうからだ。

どんな縁かという事は分かってもどう繋がっているかが分からない。

 

縁を辿れない俺にはいまいち想像しにくいのだが、コン曰く百本の紐をぐちゃぐちゃに絡み合わせ、その中の一本の紐の端から端までを目視だけで追っていく感覚に近いとの事。

しかも紐は途中で枝分かれしまくっているのである。

そのせいで力ある存在が絡むと過去視や未来視が非常に難しくなるのだ。

特に太い縁であれば比較的容易に追えはするらしいが。

 

ちなみに以前話したミコトのような器物に魂が宿ったタイプの妖怪の過去は非常に見づらいというのも、繋がる(過去)がない為に「端はどこだ!」ってなるからしい。

 

いまいちその感覚を理解しきれていないが、コンが無理だというならそれはもう無理だ。

時間をかければ不可能ではないかもしれないそうだが、そうまでする意義は薄い。

 

「やっぱり過去に神話だけが持ち込まれてこっちで新たに神が顕現したってのが正解なのかねぇ。それなら一応、矛盾は無いし」

 

『じゃな』

 

まぁ、名前は同じでも別神であるという事が分かっただけ良しだ。

 

『それでサルタビコ神の目的じゃが、他心通は防がれたが読み取れた感情と振る舞いから察するにこちら(マヨイガ)の偵察じゃったようじゃな』

 

やっぱりか。

コンも同意見ならほぼ確定だろう。

神威から感情を読み取れるとは言っても、細かな機微を読む力で言えばコンの読心の方が上だ。

 

『じゃが何と言うか、途中から完全に食に興味が移っておったぞ』

 

あぁ、やっぱりか。

そんな気はしていた。

これは百重御殿の面目躍如といったところかな。

 

『土産を貰った時なんぞ、飛び上がらんばかりに喜んでおったしのう。少なくとも悪印象は持たれなかったじゃろう』

 

確かに分かりやすいほどに喜びの感情が霊威にでてるなぁとは思ったが。

それなら妖怪菓子箱に頼んでもう少し奮発しても良かっただろうか。

 

『まだお互いに手探りな状態じゃからな。その内また誰ぞ来るやもしれん。じゃが、おぬしは百重御殿の主として、そして異束九十九狐(ことつかのつくも)としてどんと構えておればよい。なんせ儂が憑いておるのじゃからな』

 

「ああ、頼りにしている」

 

本当に、コンには世話になりっぱなしだ。

今までも、これからもきっと。

 

「なぁ、コン」

 

『なんじゃ?』

 

「お疲れ様」

 

『お主もな』

 

そのままミコトを撫でているのと反対の手で霊狐形態のコンを撫でる。

するとコンも気持ちよさそうに「こ~ん」と鳴いたのだった。




『思い内にあれば色外に現る』

心の中で思っている事は、自然と表情や仕草に出るという事。


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File No.29-2 旅の神 サルタビコの記憶

サルタビコ神の口調が安定しないなぁ。
気を抜くとついのじゃのじゃ言ってしまう。


事の始まりは大猪の(あやかし)を退治したという侍の自慢話であった。

 

なんでも、永幡山(ながはたやま)には百重御殿(ももえごてん)なる隠れ里があるそうな。

そこは大層立派な屋敷があり、その(あるじ)である狐憑(きつねつき)に招かれた者のみがその地に足を踏み入れる事を許されるのだとか。

 

もしその幸運に恵まれたのならば、決して礼節を欠いてはならぬ。

屋敷に住まうものを(ないがし)ろにしてはならぬ。

隠れ里の()()に手を出してはならぬ。

 

さすればこの世の物とは思えぬ美味を口にする事が叶うこともあるだろう。

天を冠する狐にその知恵を授る幸運に恵まれたならば、七難八苦もたちまちに消え失せる。

(あるじ)たる狐憑(きつねつき)に認められたなら、天下に二つとない宝物(ほうもつ)を賜る事ができるやもしれぬ。

 

ただし覚悟せよ。

もしも礼を弁えず、侮り軽んじ、身に余る欲を出したなら、悪鬼羅刹すらも逃げ出すほどの恐ろしい目に遭うだろう……と。

 

その侍が言うには自分の差している刀はその隠れ里で賜った妖刀であり、いかなるものであろうと一刀両断できるのだそうな。

 

見栄っ張りの法螺話と切って捨てる事は出来ぬ。

その腰に差した刀はそれほどまでに立派であり、見る者が見れば一目でわかる程に強大な力を秘めた妖刀であった。

 

たまたまその場で人間(ひと)に紛れて酒を楽しんでおったワシは、興味を惹かれてその(えにし)を覗いてみる事にした。

なるほど確かに永幡山(ながはたやま)に続く(えにし)はある。

朧気(おぼろげ)ながら見えるこの風景は隠れ里のものか。

 

じゃが、その先が追えぬ。

余程力ある者が関わっているのか、縁の先を見通すことが出来ぬ。

ならばこの侍の言う事は事実なのであろう。

試しに心を読んでみたが、少なくともこの侍は自分が嘘を言っているとは思っておらぬ。

 

ただ、のう。

永幡山(ながはたやま)にそのような隠れ里があったじゃろうか。

 

言っては何じゃが、永幡山(ながはたやま)はさして険しい山という訳でも無ければ、畏怖を抱かせるような霊山という訳でもない。

異界に通じやすい格の高い境界があるにはあるが、古くからあるというだけの天然橋(てんねんきょう)であって、信仰の対象になるほど立派なものでもない。

そのようなところに強大な隠れ里が出来るとは考えづらい。

 

ワシは役目故に(仕事柄)全国津々浦々を飛び回っておるが、永幡山(ながはたやま)でそのような隠れ里を見た覚えはない。

それほど強大な隠れ里であれば、道の神でもあるワシが見逃すなどあり得ぬ。

であるならば、どこかの隠れ里と境界を通じて繋がったと見るのが無難じゃろう。

 

となれば、直接様子を見に行ってみねばいかんのう。

あまり考えたくはないが、場合によっては周囲の勢力図に影響を及ぼす場合もある。

狐憑(きつねつき)とは何者か、日乃國(ヒノクニ)の神として見定める必要があるじゃろう。

 

幸いにしてこの侍が無事という事は、それほど危険性は高くないと考えられる。

招かれた者しか入れぬというのが気がかりではあるが、なに、駄目ならその時はその時よ。

 

 

 

「なるほど、ここの(はし)が例の隠れ里へ通じておるのじゃな」

 

それからワシは永幡山(ながはたやま)に足を運び、そこの山神に話を聞いた。

突然のワシの訪問に驚いた山神であったが、とりあえず隠れ里についての心当たりを問う。

 

曰く去年の夏頃に突然現れた隠れ里があるらしい。

 

最初にそれが現れたときは近くにいた侍が取り込まれ、しばらくして何とも奇妙な狐が出てきたそうじゃ。

その狐は真っ白な体毛をしており、狐を象った面を付けていたらしい。

しかもその狐にはほとんど霊威を感じなかったにも関わらず動きは普通の狐のそれではなく、目にも止まらぬ速さで駆けて行ったという。

 

白い体毛というだけであれば、北の方にミシロキツネというのが生息しているというのは知っておる。

ただ、面を付けていたというのと狐離れした動きを考えれば何らかの(あやかし)であると考えるのが自然じゃろう。

 

じゃがそれにしては大した霊威を持っていないというのが気になる。

本当に見た目通りの霊威しか持っていないのであれば、目にも止まらぬ速さで駆けたという証言の説明がつかぬ。

それが出来るというのであれば、並の(あやかし)以上の霊威は持っておるじゃろう。

であるならば、その(あやかし)は己の力を隠す能力を持っておると考えるのが無難か。

 

その後に戻って来た狐と入れ替わるように件の侍が出てきたという話を考慮すれば、面を付けた狐は隠れ里の(あるじ)であるという狐憑(きつねつき)の手の者じゃろうな。

狐憑(きつねつき)という名に狐の字が含まれる事を考えれば、狐を使役するというのも違和感はない。

案外狐に取り憑いて自在に操る能力を持っていたりするのかも知れんのう。

 

それからしばらくして、今度は妖狐が取り込まれた。

その時は隠れ里から出てきた者はおらず、妖狐も次の日の朝には戻って来たそうな。

しかも取り込まれる前は明らかに弱っていた妖狐が、戻って来た時にはすっかり元気になっていたというではないか。

 

そしてこれは件の侍もだが、戻って来た時には取り込まれる前には身に着けていなかった物を身に着けていたそうだ。

件の侍は妖刀、妖狐は妖簪(かんざし)である。

 

なるほど、よくあると言えばよくある隠れ里じゃな。

隠れ里に招かれて持て成しを受けた、土産を貰ったという話はそれなりにある。

その土産が妖刀のような道具の妖怪という事も、ままある。

妖狐が招かれた(招かれた方も妖怪であった)というのは珍しくはあるが。

 

侍の少し後に何匹か面を付けた狐が出てきたことがあったが全員隠れ里へ戻っており、その際に何も持ち帰った様子はないとのこと。

おそらくは辺りを踏査(とうさ)でもしていたのじゃろう。

 

妖狐以降は特に動きもなく、取り込まれた者もいないそうじゃ。

それゆえにここの山神もそれをよくある隠れ里と見て放っておいた。

 

山神からすれば、まぁ妥当な対応じゃろうな。

隠れ里へ通じる事自体はただの現象であり、隠れ里そのものは異界に存在する故に神々にもそちらへ何かしらの命令を下す権限はない。

この世の側から道を閉じる分には権限の内であるが、ここの山神には難しいじゃろう。

 

残念ながら永幡山(ながはたやま)はそれほど格の高い山ではない。

それはそのままここの山神の神格があまり高く無い事を意味しておる。

山神によっては複数の山を領域としている者もおるが、ここの山神はそうではないしのぅ。

 

要するに道を閉じるほどの力は持っておらぬのだ。

藪をつついて蛇を出すよりは、害が無いのなら放っておいた方がいいじゃろう。

それに隠れ里が出来た事で山の格が上がる可能性がある事を考えれば、損害が出ないうちは閉じてしまうのも惜しいじゃろうからな。

 

しかし、場合によってはワシが強権を使ってでも閉じる必要があるやもしれん。

そうならない事を願っておくとしよう。

 

 

 

隠れ里へと続く道に足を踏み入れる。

 

ふむ、招かれた者だけが行けるというだけはあって結界のようなものがあるのぅ。

正確に言えば結界ではないが、まぁ似たようなものじゃ。

試しにそれに触れてみるが、拒まれるような感じはない。

これは招かれたとみて良いのか。

 

道なりに少し歩くと何やら気配を感じる。

これは()()()()()()()

当然と言えば当然か。

先触れ*1もない知らぬ客じゃ。

追い出しはしなかったとて警戒はするじゃろう。

 

しばらくして立派な門が姿を現し、開かれた扉の先には立派な屋敷が見える。

そしてその門の前に一匹の面を付けた白狐がいた。

 

「ようこそおいでくださいました、お客様。お名前を伺ってもよろしいですか?」

 

名を聞いてきた白狐に、特に隠す理由も無いので普通に名乗る。

こやつ、仮面の方が本体か。

それも隠してはいるようだが中々の霊威を持っている。

 

これほどの(あやかし)を使いとしておるなら、狐憑(きつねつき)とやらも生半可な者ではあるまい。

この隠れ里に入った時から感じている神気。

これが狐憑(きつねつき)のものだとしたら、ワシとて油断は出来ぬ。

 

更に感じる神気はこれだけではない。

ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、……残り香程度のものも含めれば実に六柱分もの神気がある。

一つの隠れ里に何柱もの神が住んでいるとは考えづらいので、それほど頻繁に神々が出入りしているという事なのだろう。

 

しかし山神の話しには神が取り込まれたというものは無かった。

であれば、この隠れ里に繋がる道は一つではない。

 

それに加えてワシにはこれらの神気の持ち主に覚えがない。

無論全ての神を知っている訳ではないが、これほどの神気の持ち主が日乃國(ヒノクニ)にいればワシが知らぬはずはない。

であるならば、外の神という可能性が高いか。

これは、少し厄介な事になるかもしれん。

 

それから白狐にここに来た目的を聞かれた。

なのでここに来た事があるという侍の話を聞き、興味を惹かれて足を運んでみればなんとも見事な隠れ里があったので、ついついここまで足が向いてしまった。

そのように伝えた。

 

正直にこの隠れ里が日乃國(ヒノクニ)の脅威にならぬか調べに来たと言うのははばかられる。

しかしいきなり嘘をついては後々に響く。

嘘は言わぬが理由をぼかし、ただの興味本位のように語る。

頭の回る輩であれば気づくだろうが、それならそれで構わぬ。

 

「でしたら、屋敷の方で少し寛いでいかれませんか? この隠れ里の(あるじ)も是非お客様にお会いしたいと言っておられます」

 

ぬっ、これは。

これは僥倖と言うべきか否か。

 

ここの主にワシが来たことを既に知られているのは良い。

隠れ里に入った時から感じていた視線はここの主か、あるいは見張りの者で先回りして伝えたのだろう。

 

しかし相手方からすればワシはいきなり現れた不審な輩ではないのか?

ワシもそれなりに名の知れた神であるから、日乃國(ヒノクニ)の者であれば知っていたとしても不思議ではないが、ワシの推測が正しければここにいるのは日乃國(ヒノクニ)所縁の者ではない。

ただの迷い込んだ人間ではないのは分からない筈がないじゃろうに。

 

それをいきなり内側に招くとか、ワシが悪神(あくにん)じゃったらどうする気じゃ。

大胆なのか考え無しなのか、それとも()()()()()()()()()()()()のか。

いや、ここに満ちる神気を考えれば後者じゃろうな。

 

せっかく自然に屋敷の中を探れる機会をふいにする訳にはいかぬ。

ここの(あるじ)が善き者という保証はないが、それを知る事こそがここに来た理由である。

これを断るという選択肢はない。

 

もし何らかの罠であったとしても、旅の神としての権能をもってすれば逃げる事くらいはできる。

そういった意味では日乃國(ヒノクニ)で最初にここに来た神がワシであったのは幸いじゃったな。

 

「おお、それは願ってもない事。是非おじゃまさせていただきたい」

 

さて、鬼が出るか蛇が出るか。

 

 

 

玄関から廊下を通り、一室へと案内される。

見た限り建物の様式は日乃國(ヒノクニ)とあまり変わらぬのだな。

 

案内された部屋に入ると、三人の……いや、二柱と一人の姿があった。

そのうちの一柱に促されて、座卓の反対側へと座る。

 

相手方の中央に座る神からはただ者ではない雰囲気があるが、なんというかそれほど力を持っていそうには感じぬな。

力を隠している可能性も無くは無いが、それならば雰囲気の方も変えねば意味がない。

おそらくは権威によって信仰を得る、力そのものは持たない神なのじゃろう。

 

というか、その身は人間じゃな。

信仰を得て神となったか、はたまた人に生まれ変わった神か。

 

向かって左側にいるのは、こちらもなかなかの神じゃな。

抑えてはいるようじゃが日乃國(ヒノクニ)の神と比べてもかなり上の方に入るじゃろう。

あまり考えたくはないが、争いになればワシであっても分が悪い

 

ましてやここは隠れ里。

地の利は相手方にあるのは間違いない。

(いくさ)は得意ではないとはいえ、ワシはこれでも日乃國(ヒノクニ)の神としては上の方にいるだけの力は持っておるんじゃがな。

 

しかも隠れ里に満ちる神気はこの二柱のものではない。

まさかこれ以上の(もの)がおるのか。

 

向かって右側の者は……それなりに力のある普通の(あやかし)じゃな。

座っている位置的に中央の神の神使かなにかか。

 

「この度は屋敷に招き入れていただき、感謝しますぞ。ワシの名はサルタビコ。見ての通りしがない神じゃて」

 

礼を述べつつ、比較的気安い口調で話す。

木端の神では無い事くらいは理解しているだろうが、さてどう反応する?

 

軽く、中央にいる神の心の内を覗く。

流石に謙遜である事は理解しているようじゃが、感じている感情は安堵。

これは気安い口調で話したのは正解だったか。

 

覗いたのは軽くであるから考えている内容までは分からなかったが、これ以上は無理そうじゃな。

深いところは隠心術(いんしんじゅつ)で隠されておる。

 

元より神の心を覗くのは人の其れよりも難しい。

ふむ、過去視も駄目か。

 

まぁ、普通に警戒されておるよな。

この分であれば他の一柱と一人も表層を攫う程度にしておいた方がよさそうじゃ。

機微を察せられるだけでも十分じゃし、無理に覗き込んで逆鱗にでも触れてはかなわん。

 

「ご謙遜を。挨拶が遅れましたが私は狐憑(キツネツキ)。この異界の主である現人神ですよ」

 

返答したのはその神。

なんと、この者が狐憑(キツネツキ)か。

狐憑(キツネツキ)は隠れ里の主と聞いておったから、てっきり隠れ里に神気を満たしている神の方かと思ったのだが。

 

続いてもう一柱の神が命婦専女(みょうぶとうめ)を名乗る。

やはり聞いた事のない名だな。

 

そして最後に狐憑(キツネツキ)が隣の(あやかし)を紹介した。

神使ではなく妻であったか。

まぁ、日乃國(ヒノクニ)にも人間や(あやかし)と夫婦の契りを結んだ神はおるし、そう珍しい事でもないか。

 

「それで、わざわざこのような異界にまでおいでなさるとは一体どのような用向きで?」

 

「いやはや。実は日乃國(うち)の侍が永幡山(ながはたやま)に隠れ里があるという話をしているのを聞きましてな。好奇心には敵いませんで足を運んでみれば、何とも見事な隠れ里があったものじゃからついついふらっと」

 

少し入り込み過ぎた感はあるがな。

本来であれば一度屋敷の門を確認した辺りで引き返す予定であった。

じゃが中の様子を見る機会が降って湧いたのであれば、それを無駄にするのは惜しい。

 

神使かどうかは別として、あの白狐はその(げん)から狐憑(キツネツキ)の使いなのは間違いない。

分かっていて招いたのであれば、誘い込まれたと考える事もできる。

であれば狐憑(キツネツキ)の目的は何か。

単純に己が領域を自慢したいといったものであればむしろありがたいんじゃがな。

 

普通に考えれば自分に有利な状況で招かれざる客であるワシを見極めたいといったところか。

狐憑(キツネツキ)からは何もないが、命婦専女(みょうぶとうめ)と名乗った神からは心のうちを覗かれている事じゃしな。

 

もちろんそれは防いでいるしなんなら偽装の思考を被せてはいるが、偽装の方は見破られているようだ。

先に心を読もうとしたのは失敗じゃったかもしれん。

相手を警戒させた上に、予想より心を読むのが上手い。

 

この分であれば表層は読み取られておる事じゃろう。

読心による情報戦はお互いに牽制にしかならなかったといったところじゃが、選択肢を自ら狭めた感はある。

 

とはいえそれが通せれば圧倒的な優位性を得られていただけに、仕掛けぬという選択を取るのもまた難しい。

結果だけ見ればお互いに損害無しの引き分け。

相手方も防げない方が悪いと考えているのか、反感のようなものは無かったので悪手ではなかったようだが。

 

「それはそれは。どのような話を聞かれたかは存じませんが、実際に見てみていかがでしたかな」

 

「ワシも役目柄日乃國(ヒノクニ)をまたにかける事が多いんじゃが、これほどの隠れ里はなかなかお目にかかれませんわい。なるほどあの侍の話しに偽りなしと」

 

これほどの神がいるのもそうだが、隠れ里自体がこれほど強い力を持っているというのが珍しい。

ワシが知る限り、鶯浄土(うぐいすじょうど)を始めとして片手の指に足りぬ程度しかない。

 

「そういえば里に入った折に二柱とも違う強い神気を感じたのじゃが、他にも誰か神がおるなら紹介してはもらえんかな」

 

それほどの隠れ里であるから、これは調べておかねばならない。

幸いにしてそれなりの神であればここに満ちる神気には気づかぬ方が考えづらい。

故にその神にも挨拶せねばと紹介を頼む……という行為に不自然さはない筈じゃ。

 

「それはおそらく命婦専女(みょうぶとうめ)の、そして私の別称である異束九十九狐(ことつかのつくも)の主神である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)()()()でしょう。この隠れ里でもお祀りしていますからね」

 

しかし、その告げられた名は予想外のものであった。

 

宇迦之御魂(うかのみたま)とな」

 

ウカノミタマと言えば飛前(とびまえ)の……その中のいくつかの村や町で信仰されていた神であったはず。

ワシも何度か見かけた事はあるが、とてもこれほどの神気を持てる神には見えなかった。

いや、名の音は同じであるが意味が異なるように感じる。

どうやら違う言葉をお互いに聞き取れるようにする(まじな)いを使っているようだから、おそらく音は同じでも字が違うのだろう。

 

ここにきてワシはようやく狐憑(キツネツキ)日乃國(ヒノクニ)のそれとは違う言葉を使っている事に気付く。

それほどにまで、おそらく白狐の時から自然に行使されていた(まじな)いであった。

(なま)りという訳でもなさそうな辺り、外の神であろうというのは正解か。

 

「ええ。そういえば日乃國(其方の国)の侍から聞きましたが、日乃國(ヒノクニ)にも同じ読みの名の神がいるとか」

 

「確かにおりますな。ワシも顔を知っている程度で言葉を交わした事は無いが」

 

狐憑(キツネツキ)もこちらのウカノミタマの事を知っていたか。

あくまで話に聞いた程度のものであるようだが。

 

「この地にも分社はありますが長らく宇迦之御魂(うかのみたま)様はおいでになられておりませぬし、今は儂が社を預かっている状態ですからな。紹介するのは難しいですぞ」

 

命婦専女(みょうぶとうめ)が補足を入れる。

本神(ほんにん)がいないのに残り気だけであれほどの神気が満ちているとは、いったいどれほどの神なのか。

 

それと、ここで命婦専女(みょうぶとうめ)狐憑(キツネツキ)に振られていないにも関わらず口を挟んだという事は、狐憑(キツネツキ)命婦専女(みょうぶとうめ)は一方的な主従関係にある訳ではない事が窺える。

もし命婦専女(みょうぶとうめ)狐憑(キツネツキ)の配下であるのなら、隠れ里の主とその客との会話に断りもなく口を挟めば狐憑(キツネツキ)の面子を潰しかねないからだ。

 

考えられる関係性はいくつかあるが、一番あり得そうなのはお互いに同格ではあるが狐憑(キツネツキ)を代表として上に立てているといった感じかの。

もちろん社を預かっているという言葉から宇迦之御魂(うかのみたま)に関する事であれば命婦専女(みょうぶとうめ)の方が発言権を持っているという可能性もあるので決めつけるのは拙いが。

 

「なら仕方ない。なに、少し気になっただけじゃわい」

 

ここは今踏み込んでも仕方がない。

長期的に不在でいつ戻ってくるかも不明であるという事が分かっただけでも十分だ。

隠れ里の主はあくまで狐憑(キツネツキ)であるのなら、狐憑の(その)主神の社がある理由はおのずと想像がつく。

 

あとはもう三柱分の神気の持ち主か。

痕跡程度しか残っておらなんだが、そこから推測できる神気の内の一つがかなり強力な神のものである事が察せられる。

ともすればワシより上かも知れぬ。

 

しかもかなり新しいものである事から、最近ここを訪れた神である可能性が高い。

これは確認しておきたいが、さてどう切り出したものか。

 

「あとはミルラト神話の神々が何柱か来られる事がありますから、そちらの方かもしれませんね」

 

その答えは聞かずとも狐憑(キツネツキ)の方から示された。

ミルラト神話と言えば、海を隔てた西の大陸にある国々の神話であったはず。

少数ながら日乃國(ヒノクニ)とも貿易をしている故に話には聞いたことがあるが、海流の関係もあって容易には辿り着けぬ遠き地という事もあり、それらの国々との国交はほとんどない。

当然の事ながら、ミルラトの神々を直接目にした事もない。

 

「ほう、あの。という事はここはミルラトの神々とも交流があるのですな」

 

「ええ、その隣を借りている縁で少し」

 

隣……隣か。

そう表現するという事は、この隠れ里はミルラト神話圏に近い位置にあるのだろう。

やはり永幡山(ながはたやま)とは境界を通じて繋がっただけであったか。

 

それに借りているという言葉を使ったという事は、正式にそちらの所属ではない。

この隠れ里自体が移動する、いわゆる「彷徨(さまよ)う異界」なのかもしれん。

様式や文化は日乃國(こちら)に近かった故に、案外生まれは日乃國(ヒノクニ)に由来するどこかなのかもしれぬのう。

 

しかし、そうなると境界を閉じるのは逆に危険か。

出入り口があそこだけならばよいが、これまでの話をまとめるとこの隠れ里は遥か海の向こうから永幡山(ながはたやま)の境界に出入り口を繋げたことになる。

二度はそれが出来ないと考えるのは楽観が過ぎるじゃろう。

ならば確実にこの隠れ里に辿り着ける境界はあえて残し、こちらからもある程度干渉できる手段を確保しておいた方がよい。

 

幸いにして隠れ里の方から積極的に日乃國(ヒノクニ)に干渉してくるような傾向は今のところ見られない。

ふむ、少し探りを入れてみるか。

 

「ということは随分と遠いところから縁が繋がったのですな。館や内装が日乃國(こちら)のものに近かったので、ワシはてっきりそれほど遠く無いところにある異界かと思っておりましたが」

 

「そうですね。こちらとしてもまさか日乃國(ヒノクニ)と繋がる事になるとは思いもしませんでしたよ」

 

おや、という事は永幡山(ながはたやま)の境界と通じたのは狐憑(きつねつき)の意図したところではないと。

少なくとも嘘をついているような感情は見られない。

 

「元々この異界は別の世界にあったのですが、とある災害に巻き込まれてこちらへ来てしまっていましてね。幸いにして帰る目星はついているのですが、それがいつになるかは何とも」

 

「なんと……」

 

非常に珍しい事ではあるが確かにそういった事例が無くはない。

例えばワシらの神話を纏めた書物を時の天子(てんし)*2に献上した人物は平城(へいぜい)(みやこ)から来たという。

しかし当時の日乃國(ヒノクニ)平城(へいぜい)(みやこ)という地は無く、それを知る神もいなかった。

 

さらにその人物は当時としては革新的な技術や思想を数多くもたらし、日乃國(ヒノクニ)繁栄の礎を作ったそうな。

当時は地上への干渉が少なかったせいか神々ですらよく覚えている者がいない話なのだが、それらの事からその人物は違う世界からこの世にやってきたのではないかと(ささや)かれていた。

 

それに地上の人間はともかく、神々の間では違う世界がいくつも存在している事は知られている。

このような隠れ里も、言ってしまえば地上とは異なる別の世界だ。

あとはその境界の壁が厚いか薄いかの違いでしかない。

 

「それは災難でしたな」

 

「まぁ、苦労する事もありますが百年はかからなさそうですし、時折こうしてお客さんも来られるので退屈せずに済んでいますよ」

 

そういう事であればむしろ放置しておいた方が無難じゃな。

あと百年もいないというのであれば、下手に手を出して火傷をするよりはその方が良い。

もし狐憑(きつねつき)命婦専女(みょうぶとうめ)、あるいはミルラトの神々がここを通ってやって来たとしても、日乃國(ヒノクニ)においてであればワシらに利がある分対処は十分可能。

永幡山(ながはたやま)の神に境界を監視させて何かあった時に報告する役目を与えておけばよいじゃろう。

 

 

 

それからしばし会話を続け、そろそろ正午は過ぎたかといった頃。

 

「そういえばサルタビコ神は昼食はお済みですかな? まだのようでしたら一緒にいかがでしょう。大したものではありませんが、異界(マヨイガ)の食事を用意しますよ」

 

狐憑(きつねつき)からそのような提案をされた。

 

異界の食事ともなれば気を付けねばならない事もいくつかあるが、だからといって断るには惜しい。

なにせ件の侍がこの世の物とは思えぬ美味と評したのだ。

何とも興味をそそられるではないか。

 

「おお、実はまだでしてな。よろしければご相伴(しょうばん)にあずからせていただきたい」

 

「ええ、是非に」

 

 

 

そして出てきたのは(たけこの)の炊き込み(めし)と汁物、何かの植物を胡麻で和えたものにおそらく野菜や魚介類を使った見慣れぬ料理か。

食器は日乃國(ヒノクニ)と同じく箸を用いるようだ。

ワシの所にだけあるのであればわざわざ用意したとも考えられるが、狐憑(きつねつき)側にも同じようにある事からその線は薄い。

 

それにどうやら黄泉戸喫(よもつへぐい)のような事はなさそうじゃな。

手を合わせ、箸を手に取って炊き込み飯を頂く。

 

!?

 

口に入れた瞬間に感じるのはふっくらと炊き上がった米にしみ込んだ出汁と油揚げの濃厚な旨味。

噛めばしっかりとした歯ごたえを残しながらも柔らかな食感を返す筍。

米そのものが持つほのかな甘味。

それらが絶妙な味の調和を作り出している。

 

調理技術もさることながら、食材自体の味が半端ではない。

念物(ここのぎ)であれば分かる。

信仰心によってその質を大いに高めた食材であれば、これほどの味も納得できる。

しかし、これらは隠れ里にあるだけのただの食材から作られている。

 

無論、隠れ里の性質によって美味さが引き出されているというのはあるだろう。

日乃國(ヒノクニ)に持ち帰ってそれを育てても、全く同じ味に仕上がる事はない。

それでも、それを差し引いたとしても食材自体の持つ味が圧倒的なのだ。

 

日乃國(ヒノクニ)中を探し尽したとて、これに勝る物はないだろう。

それが分かる。

分かってしまう。

もしこれが日乃國(ヒノクニ)の民達に捧げられ念物(ここのぎ)となったならば、いったいどれほどの美味に昇華するだろうか。

 

汁物を口に含む。

おそらくは味噌汁。

出汁は鰹節(かつおぶし)だろう。

断言できないのは、これまた今まで口にした事のないほどの旨さであったからだ。

 

味噌とはこれほどのコクを産み出せるものなのか。

鰹節(かつおぶし)からはこれほどの旨味が引き出せるものなのか。

 

これはいかん。

ここを放置などとんでもない。

何としてもこの隠れ里と友好を結び、これらの食材を譲り受けられるだけの関係を作らねば。

それが日乃國(ヒノクニ)の大地に根付けば、日乃國(ヒノクニ)は更なる発展が約束されるだろう。

 

いつの世も美味(うま)いものとは人ならず神々をも引き付けるのだ。

時に外の国々や神々との交渉の手段にすら使えるほどに。

 

しかし焦ってはならぬ。

こちらはまだこの隠れ里の事をほとんど知らない。

無理に事を進めて反感を買ってしまえば、せっかくの機会が無に帰してしまう。

 

だが悠長にもしておられぬ。

狐憑(きつねつき)(げん)が正しければ、最大に見積もっても猶予は約百年。

それを過ぎればこの隠れ里は日乃國(ヒノクニ)から届かぬところへ行ってしまう。

時期が分からぬという事から、場合によっては十年もない事も考えられるのだ。

 

急いでその為の案を検討せねば。

そういえば狐憑(きつねつき)の主神と同じ読みの神がこちらにもいたんじゃったな。

ふむ、一考の余地はあるか。

戻ったら早急にスサノオ神に話を持っていく必要がある。

 

後は…………そうじゃな…………

 

最初は単なる興味本位であったが、いやはや面白いことになったものじゃ。

ワシも日乃國(ヒノクニ)の神の一員として、後の世の為に励むとしよう。

*1
事前の連絡のこと

*2
天命によって天下を治める人物。ここでは日乃國の君主を指す。



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File No.30  『箆増しは果報持ち』

「変身なのだぁ!」

 

元気な掛け声と共にミコトの体が光に包まれる。

するとみるみるうちにその体形が変化していき、俺より少しだけ背が低いくらいになったところで光が収まった。

 

「にひひ。それじゃあ、始めるのだ」

 

そこにいたのは立派な大人の姿になったミコト。

身長は20cm以上伸びているし、なにより頭身比率が完全に成人女性のそれである。

 

印象としては、細身ではあるが痩せているという感じではなく、非常にバランスの取れた肉付きをしているというべきか。

胸も普段より大きくなっているような気がするが、これは全体的にでかくなったからか?

 

何を始めるのかと言えば、ちょっとケーキを作ろうと思ってな。

 

なんかこう、久しぶりに苺のショートケーキが食べたくなったんだよ。

材料はあるし、じゃあ作るかと相成ったわけだ。

 

百重御殿は古風な作りをしているが、そのサイズに関しては実は現代基準だったりする。

これは単に日本人の平均身長が伸びているにも関わらず、それをイメージする際にはあまりその身長差を考慮しない事が影響している。

俺としては使いやすいサイズなので助かっているのだが、子供サイズのミコトには少々使いづらい。

 

……今思ったんだが、ミコトが小さいのって昔の日本人がそんなに大きくなかったせいだったりしないだろうか?

確かミコトが描かれた当時の日本人女性の平均身長は145cmもなかったと聞いたことがある。

 

妖怪としては成熟している訳だし……と思ったが座敷童のように成熟しても姿は子供のままというのもいるか。

ミコトも人体比率は子供のそれだし、幼形成熟(ネオテニー)みたいなものかね。

となるとやっぱりその辺は関係ないのかな。

 

おっと、話が関係ない方にいってしまった。

 

で、ミコトなんだが、最初は料理をする時は踏み台を使っていた。

踏み台も妖怪なので自分で動かさずとも移動してくれるが、それでも毎回上り下りするのは少し面倒ではある。

そこで変化の術を覚えて大人サイズに化ける事で、家事をしやすいようにしたのだ。

 

あくまで術で化けているだけなので形態名はつけていないし、ミコトの成長した姿という訳でもないそうだが。

本妖(ほんにん)の感覚的には人間でいうコスプレをしている状態に近いらしい。

せっかくなので今夜はこれでしてもらえないか頼んでみよう

 

ちなみにコンはミコトに気を使てか、どこかへ行ってしまった。

 

 

さて、それじゃぁ作るとしようか。

 

まずは妖怪鉢(ようかいばち)に卵白を入れて泡立てる。

卵白は普通の鶏の卵のものだ…………成分はだが。

 

実は卵白のみの卵を妖怪鶏に産んでもらったのだ。

このあと使うが、卵黄のみの卵も用意している。

 

それと、百重御殿には泡だて器が無い。

そのうち妖怪泡だて器とかが産まれてくるかもしれないが、流石にそれを待ってはいられない。

なのでミコトに妖怪菜箸(さいばし)を七変化の術を使って泡だて器に変えてもらった。

 

菜箸もかき混ぜるという使い方が出来るので変化させるのに相性がいいらしい。

ちなみに変化させても妖怪菜箸(さいばし)の意思はあるそうだ。

 

ある程度かき混ぜたら、グラニュー糖を複数回に分けて入れる。

グラニュー糖は砂糖の一種で、ショ糖の純度が高くさらさらとした結晶状のものを言う。

詳しくは省くが、砂糖にも製法によっていくつか種類があるのでその一つだと思っておいてもらえればいい。

 

日本では砂糖と言えば上白糖を指す事が多いが、海外においては砂糖と言えば基本的にグラニュー糖の事だ。

あっさりとした癖のない甘味が特徴で、ケーキなどの焼き菓子やコーヒーを始めとした飲み物に適している。

これは妖怪砂糖壺が出してくれた。

 

しばらく泡立てていると、泡立てた卵白(メレンゲ)にツノが立つようになった。

うん、このくらいで十分かな。

マヨイガ妖怪達がサポートしてくれるおかげで、自然と適した状態を見極められるので助かっている。

手に取っただけで使い方を理解させる能力の応用だそうな。

 

 

ついでに卵黄の方もふわふわになるようにほぐしておく。

湯煎しながらやるといいらしいのだが、今回は妖怪鉢が自身の温度を調節する事で代用としている。

食べ物の保温とか得意なんだそうな。

 

それからメレンゲに卵黄と事前にふるっておいた薄力粉を加え、妖怪木篦(きべら)で切るように混ぜる。

薄力粉は妖怪麦俵に出してもらった小麦を妖怪石臼に挽いてもらって用意した。

 

日本に小麦が伝わったのは弥生時代と言われているが、それを製粉した小麦粉を使った料理を庶民が気軽に口にできるようになるのは江戸時代以降を待たねばならない。

これは日本の製粉技術の発達が遅れていたため、小麦粉に限らず粉を使用した料理は贅沢品とされていたからだ。

 

小麦は粥などにすれば粉にせずとも食べられなくもないのだが、穀粒が硬く長時間加熱しなければならない事や、表皮のふすまを取り除くのに苦労する事などからいったん製粉してから加工されるようになった。

それでも製粉自体が非常に手間がかかるうえ、回転式の挽き臼が庶民に普及する江戸時代より前の時代は()き臼を使わなければならなかった。

 

要するにどう調理しようとも食べるのが大変な穀物だったので、弥生時代以降は粉食が衰退していたのだ。

 

…………もしかして、日乃國(ヒノクニ)に天麩羅がなさそうだったのってこれが原因か?

もちろん日本に似ているだけで日本じゃないのだから、単純に発明されていないだけという可能性の方が高いだろうけど。

 

ちなみに粉を使った料理は贅沢品だった、という事は逆に存在はしていたという事でもある。

室町時代には僧侶が間食として食していたという記録もあり、茶の湯の普及とともに再び一般にも広まったと言われている。

「ハレ」の日という特別な日には、現代のものとは異なるが小麦粉を使った料理のひとつである饂飩(うどん)が庶民にも食されていたそうな。

 

「あなた、味見してみるのだ!」

 

そろそろいいかなと思っていると、ミコトが生クリームを挟んだパンを持って来た。

あーんをされたので、そのまま齧り付く。

 

うん、いい感じに仕上がっているな。

 

ミコトには今、生クリームを作ってもらっている。

実は今回ショートケーキを作るにあたって一番調達に頭をひねったのが生クリームである。

生クリームがいつ頃から作られ始めたのかは俺も良く知らないのだが、少なくともマヨイガには生クリームを作れる妖怪はいなかった。

 

しかし、俺が食べたかったのは苺と生クリームのショートケーキだ。

多少の妥協は仕方ないにしても、クリーム無しというのはなんだかなーとね。

 

流石にコンも生クリームの作り方は知らないようだった。

コンに現世の縁を辿ってもらえば調べられなくもないかもしれないが、流石にそうまでしてもらうのは気が引ける。

俺自身は知らないしおそらく俺の前世も知らないだろうから、作り方を知っている人までいくつも縁を経由する必要がある。

しかも知っていそうな人の心当たりもない為、完全に霧の中を進むがごとしなのだ。

 

なのでどうするかなと考えていると、答えは意外なところからもたらされた。

なんと、いつも妖術の勉強に使っている妖怪本に生クリームの作り方が載っていたのである。

 

いや、みょうが料理の時といい君はいったいどういう妖怪なんだ。

本妖(ほんにん)に聞いてみても「色々載ってる書物の妖怪だよ」としか言われなかった。

事典か教科書の妖怪かなにかなんだろうか。

 

ともあれ作り方が分かったのは僥倖だ。

それによると、生クリームは牛乳を冷たい場所で放置しておけばできるらしい。

ただし一般的に市販されている牛乳では駄目だとのこと。

 

なんでも現代における一般的な牛乳は製造過程で脂肪球の均一化が行われるかららしい。

こうする事で乳脂肪分が分離せず、味わいや風味が安定するのだそうだ。

他にも超高温殺菌をするうえで必要だったりと、より多くより低価格でより高品質に牛乳を流通させるための技術なんだとか。

 

なかにはノンホモジナイズ牛乳と呼ばれる乳脂肪が均一化されていない牛乳もあり、こちらでなら作れるが鮮度と手間の関係で一般的な牛乳より高価な代物だとのこと。

それに生クリームの量自体はそれほど取れないそうだ。

 

なので妖怪の力を頼る事にする。

 

牛乳に限らず色々な動物の乳を出せる妖怪乳壺(ちちつぼ)に思いっきり乳脂肪が多い、牛乳と言っていいのかよく分からない牛乳を出してもらった。

それを妖怪氷室(ひむろ)に入れて、一日分ほど時を進めてもらう。

氷室ってのは冬場の雪や氷を貯蔵する事で食品を冷温保存、あるいは夏場に氷そのものを利用する為に保管しておくための施設。

いわば昔の冷蔵庫だ。

 

しばらくして時間の調整が終わったという事で取り出してみると、上部に脂肪の層が分厚くできていた。

あとはこれを丁寧に掬えばよい。

 

ちなみに下の牛乳は別の料理に使う予定である。

 

ミコトにはこれを掬ってもらった後、上白糖を混ぜて甘味を整えてもらった。

それからフワっとした生クリームになるよう泡立ててもらっていたのだ。

 

「ありがとう、美味しかったぞ」

 

俺がそう言うと、ミコトは「にしし」と笑って調理に戻っていった。

どうやら次は苺をカッティングするようだ。

俺も次の工程に進むとしよう。

 

 

生地に溶かしたバターを加える。

バターはマヨイガ妖怪に作れるのがいた。

というのも六世紀ごろの日本では()(らく)醍醐(だいご)といった乳製品が遣唐使によってもたらされていたのだ。

これらは現代で言う練乳やバター、あるいはチーズのようなものだったのではないかと言われている。

 

また()という乳製品も作られてり、七世紀の終わりには税として全国で作るように使いが出されたという記録もある。

基本的に贅沢品であり、薬や神饌(しんせん)としても使われたらしいね。

その為か、マヨイガにもこれらを作り出せる妖怪が産まれたのだ。

 

ただ、残念ながらこれらの乳製品は平安時代末期には次第に食べられなくなっていった。

その理由については長くなるので置いておくとして、そのせいで現代ではそれらが正確にはどんなものだったか分からなくなってしまったのだ。

今でも文献を基に様々な研究者が再現しようと試みてはいるが、そもそも出来上がったものが本当に当時と同じものなのか確認のしようがないのが現状らしい。

 

ならこれらを作れるマヨイガ妖怪に出してもらえば本物の()がどのようなものだったか分かるのかと言えば、実はそうでもないのである。

 

妖怪は人間の伝承や認識の影響をもろに受ける。

正確なレシピが失われ、このようなものだったのではないかという研究がされた事で、逆にマヨイガ妖怪の作れるものがそっちに寄っちゃったのである。

あるいは本物とは違う、幻の食品としての()ならいけるか。

 

いずれにせよ、もうマヨイガ妖怪には()()(らく)醍醐(だいご)も作れない。

逆に先ほども言ったように練乳やバター、あるいはチーズのようなものだったのではないかと考えられている事で、これらの乳製品は作れるようになったのである。

 

あと、牛乳を少し足してっと。

しっかりと混ぜ合わせて、うん、こんなものだろう。

 

残念ながらケーキ型は無いので平底の土鍋を使う。

世の中には土鍋でパンやプリンを作る人もいるので、やってやれなくはないのだ。

 

生地を流し込んで、トントンと余分な空気を抜く。

ちなみにこの土鍋も妖怪である。

よし、それじゃぁ焼きに行くか。

 

 

ミコトに一言告げて妖怪窯の所へ行く。

最近多機能になったとはいえ、元々陶芸窯だけあって流石に野外にあるからだ。

 

増設されたパン焼き用の出し入れ口に、ケーキ生地の入った土鍋を入れる。

だいたい170℃前後で25分~30分くらいがメジャーか。

 

お菓子作りは分量が命である。

これはお菓子を作る時は普通の料理以上に化学反応を利用しているからだ。

 

例えば砂糖なんかは卵白を泡立てて作るメレンゲの気泡をきめ細かく保つのを助ける働きがある。

なので砂糖を減らし過ぎるとうまく生地が膨らまなかったり、ぼそぼそとした食感になってしまう。

逆に多すぎると今度は焼き色が濃くなりすぎたり、生地の一部が十分に焼けていないという状態になったりする。

 

ある程度なら増減させても大丈夫だが、もちろん味や食感は変わってくる。

そしてこれは当然の事ながら焼き時間にも関わってくるのだ。

使う材料や手順、あるいは混ぜる時の温度を変えるだけでも焼き上がりの状態は変化する。

砂糖の種類を変えただけでもだ。

 

今回ショートケーキを作るにあたっては、コンに頼んで俺の記憶から呼び起こしてもらったレシピを参考にしている。

ただし使っている食材はマヨイガのものなのだ。

現世(元の世界)の一般的な材料とはどうしても差が出てしまう。

だからどのくらいの温度で何分間焼けば適切なのかが分からないのだが、この辺はもう妖怪窯に任せることにした。

 

なんせ『焼き上げる』能力を持つ妖怪だ。

焼くという事象(熱による化学反応)を、物理法則を無視して望んだ結果へと持っていける。

ものの数十秒でいい感じに焼き上げてくれるのだ。

 

 

しばし待っていると、出し入れ口の扉が開いて奇麗に焼き色のついたスポンジケーキが姿を現した。

流石は妖怪窯だと褒めつつ、熱くなっている妖怪鍋を鍋つかみ(非妖怪)で掴んで持って行く。

出来立てのいい匂いがするぜ。

 

台所に戻ると、ミコトの方の終わっていたようだ。

ふわふわに泡立てられた生クリームと、綺麗にカッティングされた苺が見える。

 

「スポンジケーキ、焼きあがったぞ」

 

「美味しそうな匂いなのだ」

 

トタトタとやって来てスンスンと匂いを嗅ぐミコト。

それじゃ、仕上げに入ろうか。

 

妖怪土鍋に倍くらいの大きさになってもらって、できた隙間から中のスポンジケーキを取り出す。

大皿に乗せたそれをミコトが妖怪包丁で一閃すれば、綺麗に半分にスライスされる。

その断面に砂糖水のシロップを塗り、その上にたっぷりと生クリームを塗る。

そこにカッティングした苺をこれでもかと乗せる。

 

苺とは言ったが、現代で一般的に食べられている苺ではない。

 

日本人と苺の付き合いは古く、石器時代には既に食べられていたと言われている。

ただし現在の苺とは違い野苺と呼ばれる種類のもので、比較的甘みも少なく小粒であった。

 

現在の苺が日本に持ち込まれたのは江戸時代末期とされており、オランダの船で持ち込まれたためオランダ苺と呼ばれていたそうだ。

ただしこの時点ではまだ観賞用であり、本格的に苺の栽培が始まったのは明治に入ってからであった。

 

なのでマヨイガには普通の苺はないのである。

 

俺が主となった影響で現世(元の世界)に戻ったらそのうちマヨイガにも普通の苺が生えてくるだろうと百重が言っていたが、今現在ないものは仕方ない。

代わりに野苺を、具体的には草苺(クサイチゴ)紅葉苺(モミジイチゴ)を使う。

 

草苺(クサイチゴ)は酸味が少なく野苺の中では比較的甘味が強いのが特徴だ。

ジャムにしても美味しいので、いくらか作って常備している。

花言葉の一つに『幸福な家庭』ってのがあるのも好印象。

 

紅葉苺(モミジイチゴ)は甘く上品な味わいで、黄色~オレンジ色の実をつけるのが特徴だ。

バラ科らしく枝には棘が生えており、名前の通り紅葉のような葉っぱをしているそうだが正直あんまり似てない気がする。

花言葉にはちょっと不穏なものも混じっているが、個人的には『いつも愉快』というのが好みだ。

 

いずれも現代の苺に比べてかなり小粒であり、味も品種改良を繰り返しまくったものと比べるにはどうしても分が悪いが、今回用意したのはマヨイガ食材なので粒も比較的大きく味も引けを取らない美味しさがある。

 

 

苺を乗せたらその上からクリームを塗りたくり、上側のスポンジを乗せる。

更にその上を薄くクリームでコーティングし、側面も同じように塗っていく。

 

次に九分立ての(角が立つくらいに立てた)生クリームを使ってケーキの(ふち)をデコレーション。

ミコトが匙で掬った生クリームをぽんぽんぽんと乗せて、妖怪菜箸(さいばし)を使ってちょいちょいと形を整えていった。

器用だな、ミコト。

 

それから上にも苺を乗せて、ついでにイチゴジャムも少しかけておく。

 

「よし、こんなものだろう」

 

「できたのだぁ!」

 

特製ショートケーキの完成である。

 

時間的にも丁度おやつ時だし、早速切ってみんなで食うか。

俺と、ミコトと、コンと、ヤシロさんと、百重で5ピース。

五等分するのは地味に面倒だし、大きめに作ったからサイズも大きくなりすぎるので八等分する。

 

残り3ピースはフェルドナ神達が来た時にでも出せばいい。

妖怪蠅帳(はえちょう)に入れておけば劣化も腐敗もしないからな。

 

百重に関しては食事ができるかどうかは成っている妖怪によって変わる。

 

「人間に化けられる」妖怪が百重に成っていれば、人間と同じように食事もできるし味も感じられる。

しかも百重であれば個々の妖怪で食事をとる場合と違い、集合意識を介してマヨイガ妖怪全体で味を共有できるのだそうだ。

もっとも、それで味を感じるか、認識するか、そもそも味が分からないかは受け手となる各々のマヨイガ妖怪によるそうだが。

 

味を方向性で認識する「人の姿に化けられる」妖怪が成っていても食事自体はできるが、味が直接感情に結び付かないからリアクションが薄かったりする。

なので皆で食事をする際は「人間に化けられる」妖刀の宵桜あたりが成っている事が多い。

 

「あなた、一緒に入刀するのだ」

 

ミコトがそう言って妖怪包丁をケーキナイフに変化させる。

しかもリボン付きで装花もされている豪華なの。

いや、それウエディングケーキ用のやつなんだが。

 

「夫婦はこれで一緒にケーキを切り分けるって聞いたのだ」

 

そう嬉しそうに話すミコト。

いったい誰から聞いたのやら。

まぁ、本命コン。対抗馬百重。大穴でミルラト神話圏に同様の風習があった場合のルミナ神か。

 

「ミコト、夫婦で一緒に切り分けるのは結婚式の時のケーキで、普通のケーキはそんな事しないんだぞ」

 

「え!? そう……なのだ」

 

そう言うと見るからに残念そうな表情になるミコト。

そんなに一緒にやりたかったのか。

そんなミコトを見ていると、何か罪悪感が湧いてくる。

俺たちの結婚式の披露宴は和風だったからウエディングケーキとか無かったし。

 

「でもまぁ、せっかくだし一緒にやるか」

 

「!! はい、あなた」

 

途端に顔をほころばせるミコト。

ぴったりとくっついたミコトの手に被せるようにしてケーキナイフを握る。

夫婦二人での共同作業に、俺は現世(元の世界)に戻ったら改めて家族や友人を呼んで披露宴を催すかなんて思うのだった。

 

その時は大きなウエディングケーキに一緒に入刀しような、ミコト。

 

 

 

「おやつの時間ですよ」

 

「なのだぁ!」

 

ケーキを持って座敷にやってくる。

ミコトは台所を出たあたりでいつもの姿に戻っていた。

持って行く先が居間じゃなくて座敷なのは丁度ルミナ神が遊びに来たという連絡があったからだ。

 

襖を開けると、そこには聞いていた通りコンとルミナ神の姿がある。

 

「ルミナ神、こんにちは」

 

「ルミナさん、こんにちはなのだ」

 

「お二人とも、ごきげんようですわ」

 

挨拶をして、持って来たケーキを置いていく。

 

ちなみにヤシロさんの分は先に持って行っている。

ヤシロさんはお客さんが来ていると、ごはんやおやつをいつも一人で食べる。

お客さんと自分の主であるコン、あるいはその主である俺が一緒に食事をする時に同席すると、恐れ多くて食事が喉を通らなくなるんだとか。

 

遊びに来ている時は別に気にする必要はないと思うが、ヤシロさん曰くそういう問題でも無いらしい。

今日は百重と一緒に食べるとの事。

 

「あら、今日はお二人の手作りですの?」

 

「あ、分かりますか」

 

いくらマヨイガ妖怪の補助があるとはいえ、苺の乗せ方とかは多少不格好にもなる。

普通のショートケーキ自体もそんなに作った事は無いのに、野苺のケーキとか挑戦すればそれも致し方ないだろう。

そこから推測するくらいならできるか。

もちろん過去視で知った可能性はあるが。

 

「ふふ。お二人の愛情がたっぷり込められているのが分かりますわよ」

 

そういうの、分かるんですか。

念物(ここのぎ)みたいなものと考えれば、納得ではあるが。

 

切っ掛けはただ食べたくなったからだが、ミコトやコン達にも美味しく食べて欲しいと思って作ったケーキだ。

料理に込められた想いは、神にとっても妖怪にとってもとびっきりの調味料になるらしい。

そのため現世(元の世界)では既製品の油揚げがあるのに、よく自家製の油揚げをコンにねだられたからな。

 

突き匙(フォーク)を配り終わり、各々がそれぞれ好きに食べ始める。

 

うん、我ながら良い出来だ。

 

柔らかなスポンジに絡む甘いクリーム。

酸味が少なく甘味の強い草苺(クサイチゴ)に、品の良い甘さが美味しい紅葉苺(モミジイチゴ)

それぞれ違う甘さがかわるがわる舌の上で踊る。

マヨイガの食材で作ったからか、昔食べた苺のショートケーキよりも美味しいんじゃないだろうか。

 

「あなた、はいあーん」

 

ミコトが自分のケーキを大きめにフォークに取って差し出してくる。

そう言えばウエディングケーキに入刀をした後はお互いにケーキを食べさせ合うファーストバイトというものをするんだったか。

 

「一生食べ物に困らせない」「一生美味しい食事を作ります」

 

そんな意味が込められているんだとか。

ミコトが知っていてやっているのか、はたまた偶然なのかは分からないが。

 

見ればルミナ神があらあらと言った感じでこちらを眺めていた。

そしてコンは『まさか拒んだりはせんじゃろうな』と目で訴えかけてきている。

その口元がかすかに吊り上がっているあたり、お前の入れ知恵かと疑いたくなるのだが。

 

ちょっと恥ずかしいが、観念して差し出されたケーキを頬張る。

自分で食べた時よりも少しだけ、甘いような気がする。

 

唇についたクリームを、不意に顔を近づけたミコトがペロッと舐めてそのまま軽いキスをした。

ルミナ神の目もあるのに大胆だな、ミコトは。

 

さて、これがファーストバイトであるのなら俺も返さないとな。

 

俺も同じようにミコトにあーんをする。

そんなある日のおやつ時。

 

 

 

 

 

後日の余談。

 

「まじか」

 

もしやとは思ったが、まさか本当にできるとは。

目の前の妖怪菓子箱からも「案外できるもんだね」という感情が伝わってくる。

 

俺が何に驚愕しているのかというと、妖怪菓子箱が出してくれたお菓子にである。

 

ふんわりとしたスポンジケーキに真っ白な生クリーム。

そしてその上には存在感を示す真っ赤な苺。

まごうことなき苺のショートケーキ。

 

そう、妖怪菓子箱が出せちゃったのである。

 

妖怪菓子箱は海外の菓子でも日本で独自の発展を遂げたものであれば出すことが出来る。

そう言えば日本人が一般的にイメージする苺のショートケーキは海外では日本式の苺のショートケーキ(Japanese Strawberry Shortcake)って呼ばれているんだっけか。

ふとそんな事が頭をよぎったものだから、試しに出せるかやってみてくれないかと頼んでみたところ出来ちゃったのである。

 

元々日本のショートケーキは洋菓子を日本人の好みに合うようにアレンジする事で産まれ、それが今に至るまでに何度も改良を加えられてきたことで現代では定番となった菓子だ。

海外にもショートケーキという名前の菓子はあるが、日本のそれとは別ものらしい。

 

元々出せていたのか俺が主になった影響で出せるようになったのかは分からないが、食べられる菓子の種類が増えるのは良い事だ。

これは他にも色々試してみる必要があるのではないだろう。

 

妖怪菓子箱からも「次は何を出してみる?」とやる気が見て取れる。

 

さて、まずは何から試してみようか。




ミコトの変化の演出がいつもと違うのはちょっとした格好つけ。
普通にポンと化けられるけど、タケルにはいい恰好をしたいのです。


箆増(へらま)しは果報持(かほうも)ち』

姉さん女房を娶ると幸せになれるという意味。
【箆増し】は年上の女房、【果報持ち】は幸せの事。

ミコトはこれでも姉さん女房なのだ。


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File No.31-1 『地位は人を作る』

「神殿、ですか?」

 

「ええ。異界の神とはいえ、いくつかこちら(ミルラト神話圏)に持っていてもいいのではなくて?」

 

ある日、いつものようにマヨイガにやって来たルミナ神がそんな事を言い出した。

 

曰く、ミルラト神話圏でキツネツキの名声が高まってきているとの事。

なんでもフェルドナ神に送ったサツマイモによって、あくまで現時点ではという但し書きがつくが去年から今年にかけての餓死者が例年の同時期と比べて半分を下回っているという結果になったそうな。

場所によっては一人の餓死者も出なかったところもあったらしい。

 

喜ばしい事なんだが、現世ほど人口が多くないとはいえ複数の国にまたがるミルラト神話圏でそれを達成するって、あれからどんだけ増やしたんだろうかフェルドナ神。

 

それほどの偉業を成し遂げたフェルドナ神への信仰は絶賛鰻上(うなぎのぼ)り中な訳だが、その一部はフェルドナ神にサツマイモを授けた異界神(キツネツキ)に向いているそうだ。

それだけなら俺たちの収入(神気を補充するための信仰)が増えるだけなんだが、問題は俺たちがミルラト神話圏で神として君臨するつもりは無いということである。

 

基本的に個人での信仰が主だった今までと違い、それほど規模は大きくないとはいえ集団での信仰にシフトし始めている。

人が集まれば全体に対する影響力は増していき、そうなるとそれを利用して良からぬ事を企む輩がでてくるのである。

 

もちろんミルラト神話圏においてもそのような輩から市民を守るべく働く警察のような組織がある訳だが、それが各神々の神殿の聖騎士隊だ。

基本的にそのような事が起こった場合、その地域を担当している聖騎士隊がそれを調査し犯人を逮捕するのだが、問題はその後なのだそうな。

 

ミルラト神話圏では法による一定の刑罰もあるが、それに加えて利用された神々によって追加の制裁があるとのこと。

もちろん神が直接出てくる訳ではなく、それぞれの神を祀る神殿に蓄積された記録から該当の神がどの程度の制裁を望んでいるかを神官が類推する。

過去に神託という形で神の意思が示されてきたからこその制度であり、今でも偶に神の意思から大きく外れた場合は新たな神託が下されることがあるらしい。

 

参考として一番振れ幅が大きいのは捧げられた供物を盗んだ場合だとか。

苛烈なものでは斬首という場合もあれば、法による刑罰以上は望まない神もいる。

餓死しかけていて心ならずも供物の食べ物に手を出してしまったなどの情状酌量の余地があった場合には、「供物はその者に下賜(かし)されていた」として罪自体がなかった事にされるケースすらあるらしい。

 

逆に一番振れ幅が少ないのはその資格もない人間が神の言葉を騙って悪事を働いた場合。

大抵の場合は極刑だそうな。

というか、その場合は刑罰以前に神罰が下るらしいが。

 

問題は異界神(キツネツキ)にはそのような意思の記録の蓄積が皆無な点である。

 

その方面の刑罰は神の意思を上乗せする事を前提とした最低ラインのものであり、単体で見れば比較的軽いものが多い。

つまりそれだけでは犯罪に対する抑止力として不十分なのだ。

 

そして神官たちも勝手に制裁を決める訳にはいかない以上、法による刑罰以上の罰は科せられない。

なのでどこかのタイミングで一度(キツネツキ)が降臨し、ある程度のスタンスを示す必要がある。

 

とはいえ適当に降臨して語ればいいという訳ではなく、その言葉を実行する神官に必要な権威を与えるという意味でも自身の神殿を構えてそこに降臨するのが望ましい。

以後はそこから必要な情報を発信していくという形になるだろう。

 

俺はコン(天狐)が憑いているとはいえ一介の学生だった筈なんだが、いつの間にこんな事まで考えなければならない立場になっちゃったんだか。

 

放っておいたらミルラト神話圏の人々に迷惑がかかるのが目に見えているだけに知らぬ存ぜぬという訳にもいかない。

俺たちが現世に帰った後の事は、受け皿を失った信仰によってその役目を持った新たな神が顕現するそうなので心配しなくていいのが救いか。

 

「意図は理解しました。こちらとしても異論はありません。とはいえ(わたし)達はミルラト神話圏に聖域を持っていませんし、神殿を建てる場所がありませんよ」

 

マヨイガに建てても意味は無いし。

ラクル村の近くの森で神のいない区域の一部を切り開き、マヨイガ妖怪の力を借りてそれっぽいものを作るのが現実的か。

もっとも、一番の問題は異界神(キツネツキ)の神官をやってくれそうな人物に心当たりが無い事だが。

 

まぁ、ルミナ神がそれに思い至らない訳がないので、解決案を持ってきているのだろうけども。

 

「それなら心配には及びませんわよ。カロミラナルに良い場所がありますの。そこなら(わたくし)の領域ですし、他の神の横やりも入りませんわ」

 

この場合の「領域」はルミナ神の影響力が大きい土地の事だ。

ルミナ神を信仰している人間の比率が多い土地、と言い換えてもいい。

それにしてもカロミラナルってどこかで聞いたような。

 

(あれじゃよ。前に来た吸血鬼の名前に入っておった地名じゃな)

 

隣に座っているコンがこっそり精神感応で教えてくれた。

そう言えばそうだったな。

確かエルラさんの実家が領主を務めている土地だったか。

 

「具体的に言うと、この辺りですわね」

 

ルミナ神が懐から地図のようなものを取り出して座卓の上に広げる。

かなり大雑把なうえに必要最低限の情報しか書き込まれていない手書きの地図だったが、おそらくあえてそうしているのだろう。

現世(元の世界)でも地図って昔は軍事機密だったからな。

元々は軽々しく他人に見せて良いようなものじゃないのよ。

 

ルミナ神はコンが千里眼を使えるのを知っているので、このくらいまでなら隠す意味がないと判断しての公開だと思われる。

ぶっちゃけ陸地の大まかな輪郭とラクル村周辺とサクトリア(ルミナ神の聖地)の位置などいくつかの情報しか書かれてないので、カロミラナルの場所を伝える為だけに用意したものだろう。

 

それによるとマヨイガの起点にほど近いラクル村が地図の右の方にあり、その更に右側は海になっている。

実際にはその間に山脈があるのだが、位置関係から見るに右が東で上が北か。

 

余談だがここから海を越えて更に右の方へ行くと日乃國(ヒノクニ)に辿り着く。

 

そしてラクル村から見て西北西に向かうとサクトリアがある。

そのサクトリアの南南西にある線で囲われた部分、どうやらそこがカロミラナルのようだ。

 

ルミナ神の指先は、カロミラナルの中に記された一つの記号を指していた。

記号の横にイナリアという文字が見える。

サクトリアと比較するに、この記号はおそらく『都市』を表すものだろう。

記号の線が一本少ないが、これは都市の大きさによって変わる可能性が濃厚か。

 

なお、文字はミルラト神話圏で使われているものだったが普通に読めた。

以心伝心の呪いの文字バージョンみたいな術をルミナ神が込めてくれていたようだ。

 

コンも同じような(まじな)いを使え、フェルドナ神宛の手紙に用いていたりする。

あくまで込められた意味を相手に伝えられるようにする為の(まじな)いなので、文字の解読には使えないなど以心伝心の呪いに比べて使い勝手は悪いそうだが。

 

あと文字の認識を差し替えるものなので、その単語をどれか別の言語の文字で読めないと効果を発揮しないとのこと。

表音文字(音を表す文字)なら意味はともかく、読み方は普通に理解できるから地名とかなら問題ないが。

 

「このイナリアという都市の南側に(わたくし)の神殿がありますの。そこに摂社(せっしゃ)という形でタケルさん(異界神キツネツキ)の神殿を併設するのはどうでしょう」

 

あくまで異界神という事もあり、流石に単独でドンと建てる訳にはいかないそうだ。

 

ミルラト神話圏では複数の神を信仰する事は基本的に認められている。

(しゅ)として信仰する神は一柱だけだそうだが、それはそれとして他の神も一緒に信仰する分には問題ないのだそうだ。

なので神殿の領域に縁ある他の神の神殿がある事自体は珍しい事ではないのだとか。

(しゅ)となる神殿の大きさを超えるものを建ててはならないとか、色々と制約はあるみたいだが。

 

ルミナ神はサクトリアの大神殿の他にも十二の神殿と、百を超える小神殿を持っているそうだ。

 

ミルラト神話圏における神殿とは神の座する場所であり、神を迎える場所でもある。

無理矢理人間の感覚に直すとするなら、ルミナ神にとってサクトリアの大神殿は本邸(ほんてい)であり十二の神殿が別邸(べってい)にあたる。

小神殿は別荘(べっそう)みたいなものか。

あくまでミルラト神族の視点で見れば、の話しだが。

 

神殿の領域にある他の神の神殿は、特定の神専用の離れ屋敷といった感覚が近いらしい。

建物の管理も(しゅ)となる神殿の神官等が、併設された神殿の神も一緒に信仰するという形でやっている事が多いのだそうだ。

 

扱いとしては小神殿に近いが、眷属神などはそこが実質的な本邸(ほんてい)になっている場合もある。

俺たち(キツネツキ)の神殿もおそらくそれに近い形になるんじゃないだろうか。

 

「なるほど、それなら場所は問題なさそうですね」

 

実質的にミルラト神話圏での異界神(キツネツキ)の拠点となる神殿である以上、摂社(せっしゃ)といえど機能的にも権威的にもある程度の大きさは必要とのこと。

正直(キツネツキ)にそんな大きな神殿というか神社は持て余すだけだと思うのだが、マヨイガ稲荷神社のように鳥居と(やしろ)一つという訳にはいかないようだ。

イメージとしては諸々の施設を含めて現世で言う少し大きめの公民館くらいの広さが欲しいところではある。

 

「さしあたって一万九千(つぼ)ほどの土地を抑えていますわ。そこから仮に神殿の図面を引いてみて必要な方向に────」

 

「いや、ちょっと待ってください」

 

なんか桁が違う広さを提示された。

単位が『坪』なのはミルラト神話圏の単位で似たようなのがあるらしいので、それが以心伝心の呪いで翻訳された結果だとして。

 

一坪はおおよそ3.3平方メートルなので、一万九千坪は6万平方メートルを超える大きさになる。

数字だけ聞いてもピンと来ないと思うが、上手い例えが思いつかないのだ。

 

「それは流石に大きすぎませんか? あくまで摂社(せっしゃ)ですし」

 

「そんな事はありませんわ。(わたくし)の友神であればそれくらい当然でしてよ」

 

ルミナ神曰く、むしろこれくらいでないとルミナ神の沽券に関わるらしい。

この辺は日本と比べて人の住んでいない土地が広く、確保が比較的容易だからという面もあるかもしれない。

 

それにあくまで領域の面積であって、施設等が全域にある必要は無い。

総面積の殆どが裏庭という名目の放置された空間である事も珍しくないそうだ。

場合によっては人の手が全く入っていない、魔獣の跋扈する危険地帯を含んでいるところもあるらしい。

流石に(キツネツキ)の神殿建設予定地にはそんな場所は無いとの事だが。

 

また、これほどの大きさになっているのは(しゅ)となるルミナ神の神殿の領域が広大であるからというのもあるようだ。

例えばサクトリアのルミナ神の神殿の敷地は、付属している公園などの関連施設を含めると50万平方メートルオーバー。

しかもサクトリアの神殿は都市機能との兼ね合いから比較的狭く、建物の規模はともかく敷地面積という点ではイナリアの神殿の方が広いらしい。

 

「神殿を作る為の資金・人員・物資は全て此方で用意いたしますわ。タケルさんにはお好きなように希望を言っていただいて、後はぜんぶこちらに任せて下さいな」

 

「いや、そこまでしてもらうのは流石に……」

 

「何を遠慮していますの。あなた方が我が子達(ミルラト神話圏の民)にもたらした恩恵に比べれば、このくらい安いものですわ。あ、この件は他の貴高神(きこうしん)にも話は通っていますから、そちらの方も心配する必要はありませんわ」

 

そっちの心配はしていませんよ。

 

それにルミナ神が厚意でそう言ってくれているのは分かる。

しかし神の厚意は人への恩恵と同時に苦労も招く事が多いからちょっと警戒してしまうのだ。

 

例えばフェルドナ神の劇の時だが、ルミナ神は俺たちがミルラト神話圏に干渉しても他の神に手出しされないように、態々劇中に異界神(キツネツキ)とルミナ神は友神であるというエピソードを入れてくれた。

そのお陰もあって今のところミルラト神族からちょっかいをかけられた事はない。

そうでなければ面倒事を引き連れてマヨイガに乗り込んでくる()とか絶対いただろう。

 

ただまぁ、せめて相談して欲しかったなぁという気持ちはあるのだ。

いきなり現人神にされた俺の気持ちも考えて欲しい。

 

……無理だろうな。

人と神、それも自然神では考え方が違いすぎる。

俺だってルミナ神の気持ちを本当の意味で理解できているわけじゃないのだ。

 

「そう構えないでくださいな。ぶっちゃけて言ってしまいますと、今後も影響力が増していく事が目に見えている異界神(キツネツキ)の神殿を他の神に取られないように抱き込んでおきたいのですわ。そういった意味ではフェルドナも(わたくし)にとってライバルですわよ」

 

そっちでもないのですが。

 

とはいえ、そんな気はしていた。

厚意で提案してくれているのは間違いないだろうけど、それはそれとしてしっかり自分の利益も確保するように動いているんだろうなという確信に似た何かが。

 

フェルドナ神の劇の時もそうだった。

友神だと広める事で厄介事から遠ざけてくれたが、その手段として友人だと広めるという方法を取ったのはそれがルミナ神にとって有益だったからだ。

友神であってもそれはそれ、これはこれなのである。

 

そう考えると遠慮する必要もないかと思えてしまう。

それに、ここまでお膳立てしてもらって断るのも無粋か。

コンが何も言わないという事は、少なくとも反対はしていないのだろうし。

 

(せっかくルミナ神もこう言っておることじゃし、どうせなら立派なのを作ってもらうと良い。なんせ現世に戻ったらこんな機会はまず無いじゃろうからな)

 

あ、コンは賛成側なのね。

確かに異世界に異束九十九狐(キツネツキ)の神殿が建つのは、宇迦之御魂神の眷属(コン)にとっても悪い話では無いか。

 

「そういう事でしたら、厚意に甘えさせていただきます」

 

「ええ、おまかせ下さいな」

 

「そういえば()殿()との事ですが、様式はこちら風でお願いしてもいいんですか?」

 

ミルラト神話圏式の神殿も素晴らしくはあるんだが、どうせなら日本式の神社がいい。

ルミナ神はどう考えているか分からないが、聞くだけならタダだ。

ダメと言われたらその時はその時である。

 

「もちろん。むしろ異界神なのですからこちら(ミルラト神族)のものと明らかに違う様式の方が好ましいですわよ。ただ、技術的な問題で完全に希望通りとはいかない点がでてくると思いますの。そこだけはご容赦くださいな」

 

それは仕方ないでだろう。

釘を使わず木と木を繋ぎ合わせる『木組み』とか、それこそ熟練の技を要求されるわけだし。

 

「では改めてタケルさんの希望を……、あ、そうでしたわ。こちらで使っていた紙、確か和紙と言っていたと思いますが、それに希望の完成予想図を書いて欲しいんですの」

 

「それは構いませんが、何で和紙を?」

 

「単純にこちら(ミルラト神話圏)では馴染みのない紙に書かれていた方が、異界神がこのような()()を希望しているという説明に説得力が出るからですわ。異界神(キツネツキ)を信仰しているのはなにも私の子供達(月神を信仰している人々)だけではありませんから」

 

なるほど。

 

和紙は上質紙などと比べてインクが滲みやすく細かい描写には不向きだが、別に製図をするという訳でもないし大丈夫だろう。

ひとくちに和紙といっても様々な種類があり、最近では写真の印刷なども問題なくできる和紙が開発されたりしているそうだが、残念ながらそういうのは百重御殿にはまだ無いのだ。

 

あと、ルミナ神の発言が神殿から神社に変わっているが、これはルミナ神が神殿を日本式で作ってくれるという事で俺の中の認識が神殿から神社に変わったからだ。

ただ以心伝心の呪いによる翻訳結果が変わっただけなので、ルミナ神が言い方を変えた訳ではない。

 

それでは折角だし、ちょっとは欲張っちゃいますかね。

これがルミナ神にも利があるというのなら、かえって遠慮なく注文を付けられるというものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「前々から上手いとは思ってたが」

 

「見事なものじゃのう」

 

「凄いですわね」

 

「にひひ、照れるのだ」

 

ミコトの筆捌きによって次々と描かれていく神社の完成予想図。

俺の頭の中にあるそれをコンが幻術によって投影し、ミコトが絵にしていく。

しかも数色とはいえ色付きで、である。

 

その染筆速度が尋常ではなく、ほとんど手が止まらないのだ。

あれよあれよという間にまた一枚、新たな絵が完成した。

 

 

 

「これは……ミリアレナに見せたら面白い事になりそうですわね」




『地位は人を作る』

地位に就いた人間は、その地位に相応しく成長していく事の例え。

そう言う意味ではタケルはどうでしょうかね。


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File No.31-2 導く神 ルミナの記憶

時系列的には昨日更新の前話より少し前、File No.30の頃。


「ねえ、コンさん。最近新しく異界(マヨイガ)に来た神がいまして?」

 

いつものように異界を訪れた(わたくし)は、今までは無かった神気の残り香がある事に気が付いた。

 

神気の濃さ的に貴高神(わたくし)ほどとはいいませんが、かなり格の高い神のようですわね。

それほど長く滞在したという訳ではなさそうですが。

 

問題なのはその神気に(わたくし)は覚えがないということ。

ミルラト神族であればこれほどの神気を持つ神を(わたくし)が知らないという事はあり得ない。

であれば、必然的に相手はミルラト神族以外の神という事になる。

 

地理的にそのような神がこの異界に来ることは考えづらいと思っていましたが。

 

「ああ、日乃國(ヒノクニ)の方から一柱ほどな。以前、日乃國(ヒノクニ)の人間に妖怪(神器)を贈った縁でのぅ」

 

座卓の向こう側に座ったコンさんがそう答える。

タケルさんはミコトさんと何やら料理中らしく、ここにいるのは二柱*1だけです。

 

日乃國(ヒノクニ)ですの? それは随分と遠くから来たのですわね」

 

日乃國(ヒノクニ)と言えば海を越えたはるか東にある国。

そんなところにまで手を伸ばす事ができるなんて、(わたくし)この異界(マヨイガ)を過小評価していたようですわね。

 

そうなると日乃國(ヒノクニ)以外からも神が訪れることがあり得ると考えた方がいい。

距離的に言えばナハトラ神族あたりが候補かしら。

これは念の為計画を急いだ方が良さそうですわ。

 

「どうも警戒されてしまったようでのう。まぁ、マヨイガが危険な異界ではない事は理解してもらえたようじゃし、わざわざまた来る事は無かろうて」

 

「それはフラグというものではありませんの?」

 

前にタケルさんが教えてくださいましてよ。

やっぱりミルラト神族以外の神が来ることを前提に考えておいた方が良さそうですわね。

 

「かもしれんのう。しかし、いきなりどうしたのじゃ?」

 

「いえ、馴染みのない神気を感じたので少し気になっただけですわ。それよりも今日はコンさんに少し相談がありますの。タケルさんの神殿について」

 

これはもう少し先の話だと思っていましたが。

どうやらサツマイモの潜在能力を見誤っていた、あるいはフェルドナの行動力を、か。

標の神の権能(導き)とはいえ、導かれた者の努力次第で辿り着く先は変わる。

まさか飢えによる死者を半減させるほどというのは想定外でしたわ。

 

「最近、各地で異界神(キツネツキ)を信仰する子共(人間)達が今まで以上に増えてきていますの。そうなるとそれに付け込む悪人(悪い子)が出てくるのが世の常。特に異界神(キツネツキ)はミルラト神族ではありませんでしょう?」

 

「なるほど、神罰による抑止の効果が薄いと。嘗められたものじゃな」

 

コンさんから怒気が漂う。

(わたくし)も同意見ですわ。

 

異界にいる神だから自分の事を見ている筈が無い。

だから悪事を働いても神罰などないだろう、と。

(わたくし)の友神という事を知らないんですの?

 

「その様子じゃと、既に……か」

 

「ええ。キツネツキの神官を名乗った輩が、金銭を奉じればキツネツキ神の加護を賜れるなどとほざいて詐欺行為を働いていましたわ。もっとも、そいつは詐欺がばれて逃げ出そうとした時に()()()()()()()()()()()()()()()()()()食い殺されてしまいましたが」

 

「ほう、導くのは何も人間だけとは限らぬようじゃな」

 

「さて、何のことでしょう」

 

その人間の詐欺を見破ったのは()()()()近くに来ていた(わたくし)の神殿所属で異界神(キツネツキ)への信仰も深い神官なのですけどね。

 

「そんな事があったのは事実ですが、だからと言って見せしめに神罰を下しておけば良いというものでもありません。それは理解できますでしょう。なにせ、タケルさんは人間でしてよ」

 

信仰され神格を得て神に名を連ねても、神となったとしても人間である事は変わらない。

何故なら、彼はまだ人間として生きているのだから。

 

神となっても、人としての感性や価値観は早々変わるものではありません。

ましてやタケルさんは今まで異世界の平和な国で生きてきている。

他者を思いやれる余力がある分、逆に割り切る事が難しくなる。

でなければ、こちらの世界に来てすぐにフェルドナの子供(ラクル村の人間)を助けたりなどしなかったはずですわ。

 

特に見せしめとして有効なほどの神罰ともなるとどうしても苛烈になってしまう。

そのせいで異界神(キツネツキ)は情け容赦のない神だと印象付けられては困りますから。

同じ人間から──正確には非常に近しくとも生物的に同種という訳ではないようですが、まぁ、同じ人間でいいでしょう──恐怖の感情を向けられるのは気分が良いものではないでしょう。

 

まぁ、深層心理まで覗いた事は無いので案外気にしない可能性もありますが。

 

「神が裁く訳にいかないのであれば、その罪は人が裁かねばなりません。そこで異界神(キツネツキ)の神殿の建設を提案しに来ましたわ」

 

「罪を裁くのに神殿を、という事はそちらでは司法を神殿関係者が担っておるのか」

 

異世界では違うんですの?

興味深いですが、今は話を進めましょう。

 

「ええ。とはいえ国によって違いはあれど、罪を裁く法自体はあるので普通の犯罪であればわざわざ新しい神殿を作る必要はありませんわ。問題はその中に神の意思を前提としたものがある点です」

 

神に関わる罪とその罰。

神の意思による制裁。

その為に蓄積された記録。

それを成すだけの権威。

その為の神殿の必要性。

それらの必要であろう概要をコンさんに伝えていく。

 

「なるほど、話は分かった。三つ、いや四つほど質問よいかの?」

 

「ええ、構いませんわ」

 

「なら、まず一つ目。神殿を作る為の資材や人材はどうする? こちらもある程度は用意できるが、あまり大きいものを建られるだけの余裕はないぞ」

 

その気になれば結構立派なものを作れそうではありますが、コンさんの立場ではそこまで外にリソースを使いたくはないでしょう。

 

ご安心なさいな。

資金も資材も人材も全部(わたくし)にお任せですわ。

貴高神(きこうしん)の肩書は伊達ではありませんわよ。

 

代わりと言っては何ですが、場所は此方に都合が良いところを指定させていただきますけど。

 

「ふむ。では二つ目、神殿が完成した後の運営や維持は? 儂らは百年もこちらにはおらぬよ」

 

しばらくは(わたくし)の神官の中で異界神(キツネツキ)への信仰もある人間を遣わして運営させます。

そのうち異界神(キツネツキ)への信仰を主とする人間が増えてくれば徐々に入れ替えていく形で戻しますわ。

 

聖騎士隊は、(わたくし)の神殿の敷地内を考えていますので兼任で問題ないでしょう。

雑務を行う人員を増やす必要はありますが、こちらはそれほど難しくはありません。

 

それらの人間たちの給与は(わたくし)の神殿から出るので気にしなくて構いませんわ。

名目上の扱いとしては摂社(せっしゃ)になりますから。

 

皆さんが元の世界に戻られた後は……何が起きるかは分かっていますでしょ。

 

「このような感じになりますわね。ただ、流石に大神官を派遣する訳にはいかないので神子(みこ)を立てる必要がありますが」

 

コンさん達の世界ではどうかは知りませんが、こちらにおいて神子とは各々の神が指名する神託を受ける人間の事を言います。

 

神によって選ばれる為、神官の資格を持っていなくともその座に就くことができ、大神官に匹敵する権威を持つことが出来る。

ただし権力は持たないので神の意思を遂行する場合を除き、他者への命令権は持っていない。

 

もちろん神子以外でも神託を下される場合はあり、神託を受けたからといって神子になれるとは限らないわけですが。

神官は神子にはなれませんが、神官でなければ神子になれるほど神に気に入られているのであれば、いずれ普通に大神官になれるでしょう。

 

また神子の人数は各々の神によって違い、特に何人までといった制限はない。

それに、神子のいない神も結構いますわね

フェルドナとか今の神子を選んだのはつい最近で、それまでは神子がいなかったらしいですし。

 

要は神子とはその神のお気に入りの人間(我が子)だと思ってもらえれば間違っていませんわ。

とはいえ今回は神殿の役割を考えると大神官も神子もいないというのはあまりよろしくない。

 

「神子にはエルラ=ドグラムア=ガ=カロミラナルをと考えていますが、どうでしょう。他に誰か候補がいましたらそちらでも構いませんが」

 

「エルラ、というとあの元悪魔憑きか。そう言えばあれもお主の推薦じゃったのう」

 

あの時は異界の意思の希望に合う人間(我が子)を紹介しただけだったのですが、思ったより異界神(キツネツキ)に入れ込んでいますし、立場や地位を考えても丁度いいと思いますわ。

 

「儂は構わぬよ。ただ、タケルに推薦する前に本人の承諾を得ておれ。本人が望んでいるならタケルも断らんじゃろう」

 

ええ、そうさせていただきますわ。

 

「三つ目、神殿を作ると言ってもそうそうすぐにできる物ではあるまい。その間はどうするのじゃ?」

 

しばらくは(わたくし)が仲介する形でその都度神託を下しましょう。

とりあえず神殿として最低限機能する程度であればひと月もあれば準備できる。

 

幸いエルラは我が子(月神の信仰者)としても優秀ですし、(わたくし)が仲介する相手としては申し分ない。

準備が出来次第、異界神(キツネツキ)の神子となる為の修行という名目で神子見習いとなってもらいましょう。

 

(わたくし)が仲介している間はあくまで修行の一環という事にすれば、余計な派閥争いに巻き込まれる危険も減るでしょう。

あくまでエルラは(わたくし)の神子ではなく異界神(キツネツキ)の神子であると明言しておかなければいけませんわね。

 

ある程度必要な施設が完成し、異界神(キツネツキ)が降臨する段になって正式にタケルさんから神子に指名してもらえばいい。

異界神(キツネツキ)を迎え入れる儀式を執り行えるくらいの完成度なら、そう時間はかからずに済むでしょうし。*2

 

一度迎え入れておけば常駐していなくとも権威的には問題ない。

むしろ常駐されると逆に面倒な事になりそうなので、偶に遊びにくる別荘くらいの感覚で使ってもらえた方がいいですわ。

 

未完成の状態で呼ぶ事にはなりますが、これは仕方がない。

採算度外視の人海戦術で工事を急ぐつもりではありますが、流石に全て出来上がるまで待ってからという訳にはまいりませんもの。

タケルさんの希望はおそらくこちらの一般的な神殿とは異なるでしょうから、相応に時間がかかる事は考慮しなければならない。

 

それなりに神殿(わたくし)の財を使う事になりますが、富神(とみがみ)から「経済を回したいのでもう少しお金を吐き出してください」と言われているので丁度いいでしょう。

 

「────と、このような感じを予定していますわ」

 

「なるほど。ではその間はそれほど罰当たりな輩は出ないと見ておるのじゃな」

 

「ええ、精々数件程度。個別に対応してもそれほど手間はかからないでしょう」

 

模倣犯でも出始めればもっと増えるかもしれませんが、現状を考えればそれより異界神(キツネツキ)の降臨の方が早い。

そうなればいちいちこちらで対応する必要はなくなる。

異界神(キツネツキ)の意思が共有されることで、聖騎士隊が適切な対応を取ることが出来るようになりますから。

 

それに、そのような事態にならないようにちゃんと(わたくし)が標の神として導きますわ。

いざとなれば(わたくし)()()()()()()()をもってしてでも……ね。

 

「わかった。では最後、あくまで念のためのの確認じゃが……まさかお主、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「それこそまさかですわ。状況だけ見ればそう思われるのは仕方ありませんが」

 

タケルさんが無所属ならそれもありだったのですが。

流石にコンさんや宇迦之御魂(うかのみたま)を敵に回す恐れも考慮すればリスクが大きすぎますわ。

 

「これはあくまで『異界神(キツネツキ)の立ち位置を明確にし、ミルラト神族(わたくしたち)と縁あれど違う()であると表明する』為のもの。ミルラト神族(わたくしたち)にとってそれが利になるから、これだけの便宜を図っているにすぎませんわ」

 

これで(わたくし)に対する好感度がもっと上がってくれたらなどと思っていますが、それくらいはよいでしょう。

それに、この表明は我が子達よりもむしろ他の神族を信仰する人間達へ向けてのもの。

 

異界神(キツネツキ)はあくまで異界の神であって異郷の神ではない。

唯一無二の個神(こじん)として扱う事で他の神族に異界神(キツネツキ)が取り込まれるのを防ぎ、かつ他の神が縁を繋ぐ余地を残す。

 

上手く行けば他の神族を取り込むことも可能でしょうが、それは高望みが過ぎますか。

相手だって同じことをすれば同じ立場を得ることが出来る。

とはいえそれは此方の望むところでもありますが。

 

もっとも、タケルさん達がいる間はあまり関係がないですわね。

コンさんの様子を見るに、他の神族に取り込まれる事もないでしょうし。

これは百年後、タケルさん達が帰った後を考えてのものです。

 

ですが理由は何であれタケルさんに他の神族が関わる可能性がある以上、異界神(タケルさん)ミルラト神族(わたくし)の蜜月を示すものとしての価値も出てくる。

実際にそうでなくても、そう見えるというのは重要ですわ。

 

「ならよい。現状、儂に異論はない。詳細はタケルを交えて詰めると良いじゃろう」

 

「理解してもらえたようで助かりますわ。とはいえ今日の所はやめておきます。先にエルラに神子の打診をした方がスムーズにいきそうですし」

 

「そうか。ではこの話はまた後日じゃな」

 

「ええ。そういえばタケルさんは今日は何を作ってますの?」

 

この時間ですと夕食にはまだ早いのでお菓子でしょうが、お菓子はいつも神器(妖怪)で出していると聞いていますし。

 

「ああ、何でも苺のケーキが食べたくなったとかでのう。念話(精神感応)を送っておいたからお主の分もある筈じゃ」

 

「それは楽しみですわね」

 

苺、美味しいですわよね。

此方の苺と異界の苺が同じものかは分かりませんが、これは期待できそうですわ。

 

それからしばらくコンさんと雑談していると────

 

「おやつの時間ですよ」

 

「なのだぁ!」

 

タケルさんとミコトさんが美味しそうなお菓子を持って部屋に入ってきました。

今日はもう仕事(神の役目)の話しも終わりましたし、美味しいものを食べて羽を伸ばしますわよ。

タケルさんとミコトさんに挨拶を返しながら、(わたくし)はそう考えるのでした。

*1
マヨイガ妖怪は人か動物の姿を取っていない限り神器(道具)であるというスタンス。マヨイガ妖怪的にも異論はない。

*2
神基準。




神子(みこ)とは神に仕え、神楽を舞ったり神託を伝えたりする人の事。神子(かみこ)とも。
巫女とほぼ同じ意味だが、(おかんなぎ)(巫女の男性版)を含む。

ルミナ神の言う神子は現世の神子とは少し異なりますが、完全に一致する語句が無かったのでほぼ同じ意味である『神子』という単語に翻訳されています。


追記:尾張のらねこ様、誤字報告ありがとうございます。


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File No.32  『教うるは学ぶの半ば』

私の妖怪観その2。


単語の意味としては正確ではなかったため、過去話における「実体」という表現を「肉体を持つ」等に修正しました。
過去話にでてきた設定を踏まえてFile No.21-2の梟の表現を化生(けしょう)から魔獣に変更。


「妖怪には実体(からだ)を持つものと持たないものがいる訳じゃが、人間の認識において────」

 

今日も今日とてミコトは妖怪の学問のお勉強。

講師はもちろんコンだ。

 

今回の講義内容は「見える人」と「見えない人」の認識の違いらしい。

所謂霊感というやつだが、これが人間と妖怪でその捉え方が異なっている。

というのも、妖怪側からすれば霊体を認識する能力が全くない人間というのはいないそうなのだ。

何故なら人間は肉体と霊魂が重なり合って出来ているため、物質的に感知できなくても霊魂部分で認識する事が可能だからである。

 

しかし実際には霊が全く見えない人というのはいるし、何なら現代社会においてはそっちの方が多いだろう。

それは何故か。

その秘密を解き明かすカギは脳の機能にあるのだ。

 

人間の脳には他雑な情報の中から必要なものを抽出する機能や足りない情報を補完する機能がある。

例えば前者は『カクテルパーティー効果』というのが有名だろうか。

多くの人がそれぞれ雑談しているような騒がしい中にあっても、自分の名前や興味のある会話については自然と聞き取れたりするアレである。

 

つまり実際に聞いた音を脳が認識しやすいように再構築しているのだ。

霊視に関してもこれと近しい現象がおこる。

 

人間が一度に認識できる量には限界がある。

そのため霊視も含めたすべての視覚情報の中から、脳が生きるためにより重要な情報として光学情報をメインに再構築してしまうのだ。

 

これだけならあくまで通常の視覚による光景が見えやすいというだけで霊体が見えなくなる理由にはならないと思う人もいるだろう。

しかしここで以前にも話した「妖怪はこちらの意思によって在り方を変える」という話が関わってくる。

人間が認識しなければ妖怪はそこに存在する意味を失う。

人は成長していくうえでその事を無意識のうちに学習してしまい、少しでも生存率を高めるために霊視情報を遮断するようになってしまうのだ。

 

実際に大人よりも子供の方が妖怪を認識しやすく、意図的に霊視を使わなければ子供にしか見ることが出来ない妖怪もいたりする。

あくまで大人に比べて多いというだけで視えない子供も少なくないし、視えていてもそれを霊や妖怪だと認識していなケースも結構あるが。

 

また子供の頃に妖怪や幽霊に怖い目にあわされたりすると、逆に危険を避けるために通常の視界よりも霊視を脳が重要視してしまい、大人になっても妖怪が視えるままという人もいる。

まぁ、この辺は個人差の範疇だ。

特に何もなくても見える人はいるし、小さい頃は妖怪と仲が良かったのに大人になったら見えなくなってしまったという人もいるからな。

何なら霊体を見る機能自体がなくなる訳ではないから、訓練によって再び見えるようにすることも出来るし。

 

これは霊視以外の霊感についても同じである。

心霊スポットへ行くと普段霊の見えない人でも何かいると感じたり、怖くなって寒気がしたという話を聞いたことがあるだろう。

あれは命の危険を感じ取った脳が霊感からもたらさせる情報を必死になって伝えようとしているからなのだ。

そこで霊が見えるようになったりしないのは、普段使っていないから認識の切り替えが上手くできないせいである。

 

ああいう所にいる霊や妖怪は既に何かに執着している場合がほとんどなので、こっちが認識していようがしていなかろうがお構いなしに影響を与えてくるから興味本位で行ったりしないように。

場合によっては普通に死ぬからな。

 

ちなみに俺の場合は幼いころに妖怪に取り憑かれた事で霊的情報の洪水が押し寄せてしまい、霊感がオーバーフローしてしまうという事があったらしい。

そのせいで防衛本能によって霊的情報を脳が遮断するようになり、コンに会うまで妖怪を認識する事が出来なくなってしまっていた。

前にコンとの縁が深まったことで霊視が開眼したと言ったが、厳密に言えばあれはリハビリに成功したというのが近いそうだ。

その妖怪にも悪気があった訳じゃないらしいけどな。

 

「という訳で、霊体の妖怪が人間と関わる場合、自身が人間からどう見えているかを把握する必要がある訳じゃ」

 

「ふんふん」

 

「この場合の人間の反応はその感覚の度合いによっておおむね三種類の認識に分かれる。ふむ、タケル、答えられるか?」

 

おっと、話がこっちに飛んできた。

 

「妖怪に反応する、結果に反応する、結果を補完するの三つだな」

 

思考を停止させて事象を認識しないようにするなどもあるが、おおまかに三種類に分けるならこの三つだ。

 

「正解じゃ」

 

「あなた、凄いのだ」

 

一度はこの教育課程を終えた身としては、これくらいはね。

 

妖怪に反応するってのは文字通りの意味だ。

反応の結果はともかく、妖怪に対して何らかのリアクションを取る。

 

あえて無視する事で妖怪からの干渉を回避しようとするのも、あくまで反応の結果なので分類としてはここだ。

基本的に霊や妖怪が視える場合の反応であるが、視えずとも声は聞くことができるといった場合でもこの反応になる。

 

結果に反応するというのは妖怪や霊自体は見えていないが、他の事象によってその存在を認識できる場合の反応だ。

ポルターガイストのように家具などがひとりでに動いたり、ラップ音のように音だけが響いたりといった現象があげられる。

 

あくまで物体の移動や音などの結果としてその存在を推測しているだけで、霊感自体はほとんどない場合が多い。

妖怪を認識できなかった頃の俺がこの状態だな。

コンの姿は認識できなかったけど、物質的な音声(空気の振動)は聞くことができた為にコンの存在に気付く事が出来たのだ。

ちなみに最初コンは霊声(霊的な声)で話しかけてきたが、反応が無かったので妖術を使って肉声で話しかけてきたという経緯があったりする。

 

最後の結果を補完するは、これも霊感が無い場合の反応である。

これは先ほど話した脳の足りない情報を補完する性質によるものだ。

 

例えば中心角270°の扇形を開いている面を向かい合わせにして上下左右に配置した時、ない筈の四角形が見えるようにならないだろうか。

あるいは水着の人物が写っている写真の水着部分を指で隠したら、まるでその人が裸でいるように見えたりしないだろうか。

これは脳が見えていない部分を周囲の状態から補完しようとする事で起きる現象なのだが、これと同じようなことが起こるのだ。

 

例として妖怪や幽霊がコップを移動させたとしよう。

するとコップが移動したという事象に対して、その原因を自分の都合がいいように補完してしまう。

近くの人が動かしたと知覚を誤魔化したり、最初からそこにあったと認識を改ざんしたり、自分で動かしたと記憶を捏造したりする。

 

これらは妖怪や霊を認識しない事で身を守ろうとする防衛本能からくるものであり、当然ながら本人に自覚は無い。

妖怪をいないと断言する人の反応はだいたいこれだそうな。

 

最近は霊柱(はしら)を構成するために必要な未知の多くが科学によって暴かれることで妖怪の絶対数が減ってきている。

妖怪が身近なものではなくなった事でかえって耐性がなくなり、いざ怪奇現象に遭遇した際にこの反応を起こす人も多いと聞く。

 

「────とまぁ、こんな感じじゃな。次に実体(からだ)を持つ妖怪の場合じゃが、これは物体を核として魄様(はくよう)を構成しておる場合と、妖術などにより実体(からだ)を得ておる場合がある」

 

実体(じったい)という言葉の本来の意味は正体や実質というものである。

しかし妖怪の学問において『実体(からだ)』と読む場合は、物質に直接干渉可能な体の事を指す。

分かりにくければ物に触れる事のできる体くらいのニュアンスで考えてもらえればいいだろう。

 

これは肉体に限らず金属や陶器などで構成される場合も含まれる。

よく霊体の対義語として語られる場合が多いか。

俺やコンが「実体」と表記して「からだ」と読んだ場合は基本的にそういう意味だと思って欲しい。

 

「まぁ、この辺はお主もよく知っておるじゃろうが」

 

ミコトは元は屏風覗きという付喪神であり、その本体は屏風そのものだった。

その屏風に書かれた絵に妖術で実体(からだ)を持たせる事で、人間のように活動していたのだ。

 

妖術により得たものであっても実体(からだ)があるなら、霊が視えない人でもその姿を見ることが出来る。

なんならカメラとかにも普通に映る。

 

現在は廻比目(めぐりひもく)となった事で常時実体(からだ)を持っているが、これも妖術によって得ているものと本質的には同じであり、その気になれば霊体になる事もできる。

ただ、元屏風覗きだからか霊体になると物の表面に入り込んでしまうらしい。

やろうと思えば服の表面に入り込んで一緒におでかけとかもできるそうだが、生物や妖怪の表面には流石に入り込めないようだ。

 

だが、霊が視えない人にも見えるとは言っても妖術によって得た実体(からだ)は霊体と同じような性質も併せ持っている。

その為、霊感のない人が見れば脳が違和感のないように修正してしまう。

 

例えばミコトの獣人形態(じゅうじんモード)には狐の耳と尻尾があるが、その状態でも霊感のない人が見れば普通の人間に見えるだろう。

経立形態(ふったちモード)なら二足歩行していても普通の狐と認識されるだろうし、そこから目の前で人間形態(にんげんモード)になったとしても最初からそうだったように思ってしまうのだ。

 

これは例えカメラ越しの映像でも同じである。

あくまで見る側の脳の性質の問題だからな。

もちろん霊感が強ければ普通に見ることが出来るが。

 

妖怪を認識できなかった時期の俺でもミコトと遊ぶことが出来たのは、ミコトが実体(からだ)を持っていたから普通の人間として見えていた(視覚で認識していた)からだ。

コンの時も人間にでも化けてくれれば普通に認識できていた筈なのだが、俺の反応を見る為にわざわざ声だけを肉声にして話しかけてきたようだ。

コンはあれで結構悪戯好きだったりするんだよな。

 

ちなみに声に関しては実体(からだ)があれば霊感のない人にも聞こえるが、経立形態(ふったちモード)で喋っても特に違和感を持たれなかったりする。

何故なら狐も鳴き声を発する(声を出す)ことが出来るからだ。

話の内容を認識できるか(言葉に聞こえるか鳴き声に聞こえるか)はまた別の話だが。

 

付喪神のように物体を核に実体(からだ)を持つ場合は、別の物に化けでもしない限りは核となる物体に見える。

百重御殿の妖怪はだいたいこれなので、マヨイガに来ることさえできれば霊感が無くとも日本屋敷を見ることは可能だ。

それにマヨイガ妖怪に所有者と認められれば、縁が深まる事で霊感が無くともその妖怪に関してだけは妖怪(不思議な道具)と認識できる場合もあるだろう。

 

まぁ、今までの話はあくまでも統計的な傾向であって例外も山のようにある。

妖怪は見えないけど幽霊は見える、とかな。

 

「────という事じゃ。ここまでで何か質問はあるか?」

 

「はいなのだ。幽霊とかが物に取り憑いてたりしても同じ反応になるのだ?」

 

「ああ、その場合も同様じゃな」

 

地縛霊とか何かに執着している霊の類だな。

あれも霊感が無いと認識すらできない。

 

今更であるが、俺たちの言う『霊感が無い』とは妖怪や幽霊の情報を脳が遮断してしまうという意味だ。

それ以外は結果のみを認識できる場合も含めて『霊感がある』というカテゴリーに含まれる。

後はその強弱の問題だ。

 

昔はともかく今の俺は霊感があるが、実は一定以下の強さの(もの)()や幽霊は意図的に認識を遮断して見えないようにしている。

というのも、数が多いので全部見えてると色々と面倒だったりするからだ。

例外的にマヨイガ妖怪は弱くても認識できるようにしていて、訓練次第ではこういった事も出来たりするのだ。

 

 

 

そう言えば異世界だとどうなるんだっけか。

 

確かルミナ神の話しではミルラト神話圏だと信仰の有無という絶対的な違いはあれど性質的には妖怪に近しい『神』を見る事ができる人間は希少なんだとか。

 

妖怪は動物あがりのものは魔獣と呼ばれ普通に動物の一種として広く認知されていると聞くが、植物や道具から変化したものは化生(けしょう)*1と呼ばれ、現世における妖怪と似たような立ち位置だった筈だ。

 

道具の場合は化けずに特殊な力を発揮するだけなら神器という分類になるんだっけか。

 

あくまで今までの話を総合するとその筈、というだけなので間違っているかも知れないが。

 

日乃國(ヒノクニ)では元が動物であっても道具であっても事象であっても(あやかし)*2と呼ばれているそうだ。

ただしミルラト神話圏では動物の妖怪も()()()使()()()()()()()()も纏めて魔獣と呼ばれるのに対し、日乃國(ヒノクニ)では前者が(あやかし)であって後者はただの動物と分けられる。

 

五郎左殿の過去を見たコン曰く、日乃國(ヒノクニ)において(あやかし)は有害無害を問わなければ普通に暮らしていてもそこそこ遭遇する結構一般的な存在らしい。

 

逆にサルタビコ神のような『神』と会えるような人間は限られているそうな。

視える人が少ないのか、単に人前に出てくることが少ないのかは不明。

 

総じてミルラト神話圏・日乃國(ヒノクニ)問わず動物あがりのように肉体を持つ妖怪は誰でも認識できるようだ。

逆に神のように物質的な肉体を持たない場合は視える人が非常に限られてくる。

幽霊とかも見える人はほとんどいないとの事。

 

現代日本に比べて霊感を持っている人自体は多いが、霊感が強い人となるとそうでもないといった感じか。

ちなみにフェルドナ神は動物あがりの神だが、既に肉体は失われている*3そうで完全霊体である。

 

「────という傾向になる訳じゃな」

 

「ふんふん」

 

コンの講義はまだまだ続きそうだ。

記憶にあるものと変わらない内容の講義を聴きながら、ふとそういえばトマトケチャップが少なくなってたなと思いだす。

 

マヨネーズもそうなんだがトマトケチャップなんてマヨイガには無かったので、異世界に来てわりとすぐに作っておいたのだ。

やっぱりこういうのがあると食事の味付けに幅が出るし、トマトはマヨイガにあったからな。

特にトマトケチャップはルミナ神が気に入ったらしく、ちょくちょく作り足してはいるものの結構減りが早いのだ。

 

そういえば結構前に気に入ったならとルミナ神に作り方を教えたところ、マヨネーズといっしょにミルラト神話圏で生産を始めたとか言ってたっけ。

ミルラト神話圏にもトマトはあるらしい。

 

現世の歴史においてかつてトマトには毒があると思われていた。

というのも、トマトを食べた貴族がよく中毒を起こしていたからだ。

もちろんトマトそのものに毒があった訳ではなく、当時貴族の間で使われていた食器に(なまり)が含まれており、それがトマトの酸で溶け出してしまっていたからだと言われている。

 

そしてこの誤解が解けた後も、しばらくは観賞用に育てられるのみで食べられてはいなかったらしい。

日本に最初にトマトが入って来た時も、観賞用だったそうだ。

トマトが広く食べられるようになったのは品種改良の結果という話もあるし、単純に当時はそれほど美味しくは無かったのかもしれない。

 

ミルラト神話圏でも似たようなことがあったらしいが、その後に食用として広まるのは早かったそうな。

神々の助言により原因の究明が早かった事と、異世界の野生種はそのままでも結構おいしかったのが理由と思われる。

ただ、トマトのソースはあったそうだが現代日本においてトマトケチャップと呼ばれるようなものは無かったとのこと。

 

現在はルミナ神の領域では結構な人気を博しているそうで、多くの店でトマトケチャップを使った料理が提供されているそうな。

逆にマヨネーズは貴族が訪れるような高級店でもないとなかなか取り扱ってはいない。

ほら、異世界だと卵の衛生管理と賞味期限がね。

 

それを考えると中に入れた物が腐らず劣化せず黴菌も増えない妖怪蠅帳(はえちょう)の有難さが身に染みる。

 

大量の食材などを保管するのであれば、内部が低温なうえに経過時間を調整できる妖怪氷室(ひむろ)が活躍する。

実際に新年会の料理を作る際にルミナ神から譲ってもらった肉類が、まだ結構な量貯蔵されているのだ。

 

ただ妖怪氷室(ひむろ)は台所から割と離れた場所にあるので、よく使う調味料などを置いていおくには少し不便だったりする。

逆に妖怪蠅帳(はえちょう)はその気になれば移動も出来るので調味料や作り置きの料理を入れておく分には優秀だが、中に入れられる量がそれほど多くは無い。

この辺は適材適所だ。

 

せっかくだし、トマトケチャップを作り足すついでに自家製豚カツソースにも挑戦してみようか。

作り方を見たのはもうかなり前の事で覚えていないが、コンに記憶を覗いてもらえば大丈夫だろう。

もしかしたらいつもの妖怪本に載っているかもしれない。

 

上手くできたら今日の夕食はコモカツだな。

元気よくコンの講義を受けるミコトの声を聞きながら、俺はそんな事を考えるのだった。

*1
日本語的には妖怪と同じような意味。以心伝心の呪いがニュアンスの異なるほぼ同一の言葉を無理やり翻訳した結果である。

*2
化生と同じく日本語的には妖怪とほぼ同じ意味。

*3
本神曰く何十年か前に寿命で死んだとのこと。実はラクル村の(やしろ)白蛇のミイラ(フェルドナ神の遺体)が安置されているらしい。




実体(からだ)という読み方は創作なのであしからず。


『教うるは学ぶの半ば』

人に教える為にはその知識を深く知っておかねばならず、半分は自分の勉強にもなるということ。
知識が曖昧では教えることはできませんし、思いもよらない質問が来るかもしれません。
そんな時はそれを自分から調べ、勉強する事でその内容をより深く理解できるようになるのです。


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File No.33-1 『商いは門門』

お久しぶりです。

小説の方向性に悩んだり、新規に判明した情報と過去話での描写の矛盾に頭を抱えたりで遅くなってしまいましたが、なんとか吹っ切れました。
新たに判明した情報が致命的であれば解釈を変えて過去話を大幅にであっても修正し、方向性は軸だけは曲げずにその時のテンションに任せる。これでやっていこうと思います。
要するに修正幅が広くなった以外は今までと変わらないんですが。

さしあたって『File No.13 運用の妙は一心に存す』の妖狐に関する記述を大幅に修正しています。特に天狐や空狐の立ち位置ですね。独自解釈も含んでいます。
修正量が多いので今回は一言での説明は省略させていただきます。

お待たせしました。それでは本編をご覧ください。


軽く手首をほぐしてから、手刀を構える。

狙うは二メートルほど前に置かれた丸太。

言霊はのせない。

今回は言霊ではなく動作を介した妖術の使用。

 

霊的エネルギーの性質を妖力へと変化させ、術を編み上げる。

 

手刀を振り下ろす。

その動作をトリガーにして、妖術が解き放つ。

 

手刀によりなぞった線と同じように、丸太に裂傷が走った。

見たところかなり浅くはあるが、それでも人間相手に使えば怪我を負わせる程度の威力はある。

これぞ妖術『構太刀(かまいたち)』。

 

『かまいたち』といえば、鎌のような爪を持った鼬の妖怪である『鎌鼬(かまいたち)』が有名だろうか。

 

三匹一組の妖怪であり、一匹目が人を転ばし、二匹目が切りつけ、三匹目が薬を塗るので切り傷はできるが痛みは無く血も出ないとされている────が、三匹一組の鎌鼬は案外少なかったりする。

普通に一匹で切り付けて終わりな鎌鼬の方が実は多いのだ。

その場合でも出血はしないが、場合によっては痛みを伴う事もある。

 

多分三匹一組で連携して不思議な傷をつける鎌鼬という話が大衆に受け、鎌鼬はそういうものとして広まってしまったんじゃないだろうか。

そのせいか最近は三匹でチームを組む鎌鼬が増えているらしいと知り合いの妖怪から聞いた事がある。

 

ちなみに科学の発達に伴って鎌鼬の正体は旋風(つむじかぜ)によってできる真空によって皮膚が裂かれたものであると言われていた時期もあったが、実際には旋風が起こす気圧差程度で皮膚が切り裂かれる事などまず無い。

現在ではかまいたちの伝承が北国に多い事からその正体は『あかぎれ』である、あるいは単純に風に巻き上げられた鋭利な小石などによって皮膚が切り裂かれたとされる説が有力である。

 

ただ、同様の傷をつけるのは(いたち)だけではない。

飯綱(いずな)の仕業だったり、野鎌(のがま)という草切り鎌の妖怪だったり、珍しいところだと恋人を奪われた女が怨みを込めて自分の髪を切ったらそれがかまいたちとなったという話もある。

まぁ、最後のは切り傷どころか恋敵の首を切り落としているので別物な気はするが。

 

その中に悪神、あるいは鬼神の刃に触れた為に切れたというものがある。

(かま)太刀(たち)が訛って『かまいたち』という訳だ。

それにあやかってこの妖術を『構太刀(かまいたち)』と名付けた。

 

ちなみにこの妖術だが、木の性質に変化させた妖力を圧縮して撃ち出している。

斬るというよりは叩きつけるというのが近く、丸太に出来た痕も切り傷ではなく裂傷だ。

 

なんでこんな事をしているかと言えば、単に妖術の練習である。

霊力の放出、性質の変化ときて、最近ようやく妖力の圧縮という技術が実用レベルに達したのだ。

なのでそれらの応用という事で放出・変化・圧縮を同時に行う妖術を練習しているのである。

 

コン曰く、それら全てが十分にできていればスパッと切れるらしい。

裂傷になったという事は圧縮が甘かったのだろう。

あと単純に出力不足。

 

実を言うとこの妖術は放出・変化・圧縮を同時に行う練習として特段優れているという訳ではない。

最も適性のある性質が『木』だったので、この辺りが練習に使えそうかとコンに提示された妖術の中から俺が選んだのだ。

 

術自体は既存のものだがその術にわざわざ新たな名前を付けているのは、「自分の術」として習得しやすくする為だ。

言霊みたいなものである。

 

使い道が狭そうな攻撃技を選んだのも、提示された妖術の詳細を聞いていた時にビビっと来たから。

だって飛ぶ斬撃とか男の子のロマンじゃん。

男子全員にとは言わないが、きっと少なくない同意が得られる筈だと信じている。

自分の感性に合うというのは妖術を使う上で重要なのである。

 

「手ごたえは悪くないんだが、なかなか上手くいかないもんだな」

 

『じゃが、術自体は十分に出来ておる。後はあせらず地力を上げていけばよい』

 

隣で見ていたコンが言う。

まぁ、その為に覚えた術だしな。

それじゃ、もう一回──

 

『ん? ああ。タケルよ、一旦切り上げじゃ』

 

──やろうとしたところでコンが止めた。

どうした?

 

『客が来たようじゃな。百重が言うにはどうやらサルタビコ神らしい。今、式神を向かわせておる』

 

サルタビコ神が?

前回の訪問理由と思われる百重御殿(異界)への懸念はある程度解消されたと思っていたが、まだ何かあったのだろうか。

何にせよとりあえず客間に向かう事にしよう。

 

 

 

そこらへんにいたマヨイガ妖怪経由で百重にミコトへの伝言を頼み、コンと共に客間へやって来た。

ちなみに伝言は「昼食を一人分追加で作ってくれ」という内容だ。

普通なら突然そんな事を言われても困るだろうが、今日はきつねそばにするつもりだと言っていたし材料はマヨイガ妖怪が用意できるのでそう難しくはないだろう。

 

前回の様子を考える限り食事による持て成しは有効なようだしな。

というか時間帯的に考えるとそれ目当てに来た可能性も無くはない、と思うのは考えすぎか。

食べずに帰ったら俺が二人分食べてもいいし。

 

そんな訳で客間にて迎えるのは俺とコンの二柱になる。

……自分を数える助数詞に柱を使うのはやっぱり違和感あるなぁ。

人間でもあるのだし一人と一柱でいいか。

 

「なぁ、コン。サルタビコ神が来た理由って何だと思う?」

 

「さて、前の時にマヨイガは危険な異界ではないと理解はしてもらえた筈じゃからな。単純な興味本位か、なんぞ日乃國(ヒノクニ)に有益な事でも見出したか。あるいは飯でも食いに来ただけかも知れんな」

 

幼女姿のコンが尻尾を揺らしながらそう答える。

あれ以降日乃國(ヒノクニ)に干渉するようなことはやってないし、ぱっと思いつくのはその辺りか。

式神からの報告には機嫌が悪そうだという話は無かったので、過去の所業を咎めに来たという事はないと思うが。

なんにせよ実際に会ってみてからか。

 

しばらくするとのっぽさんに案内されたサルタビコ神がやって来た。

 

「お久しぶりですね、サルタビコ神」

 

座卓を挟んで反対側に座ったサルタビコ神にキツネツキとして話しかける。

 

「ひと月ほどぶりですな。先触れもなしに突然の訪問ですまぬのう」

 

「いえいえ、構いませんよ」

 

ルミナ神然りフェルドナ神然りプライベートだと基本的に突発で来るし、別にそのくらい。

まぁ、フェルドナ神の場合は先触れに出せる配下がいないからというのもある。

神格的にそろそろ神使の一匹(ひとり)くらい作っても良さそうだとは思うが。

 

以前と比べてサルタビコ神に特に変わった様子は無いが、しいて言うなら()()荷物(にもつ)を持参しているところか。

()()荷物(にもつ)行李(こうり)という竹や柳などを編んで作られた葛籠(つづらかご)の一種を二つ手ぬぐいなどで結んで、それぞれを肩の前後に振り分けて運搬する江戸時代の旅行鞄である。

 

物は柳行李のようだが、どう見ても普通の行李では無いな。

妖怪か神器か、感覚的には多分後者だと思うが、マヨイガ妖怪にも引けを取らない力を持っているのが見て取れる。

 

「それで、本日はどのようなご用件で?」

 

「それなんじゃが、うむ。単刀直入に言わせていただこう。この隠れ里で取れる作物をいくつか譲ってほしい。できれば(もみ)があると有難いんじゃが」

 

おや、それは。

 

「もちろん只でとは言わぬ。金銀などの財に全国から取りそろえた名品、珍品の類を用意した。もし他に望むものがあればワシが日乃國(ヒノクニ)中を駆け回ってでも集めてこよう。一考してはもらえんじゃろうか」

 

そう言ってサルタビコ神は行李から金塊や銀塊を始めとした貴金属や中々に力を持っていそうな念物(ここのぎ)、あるいは美術品と思われる物質側の品を取り出しては並べていく。

 

とは言っても特に興味を惹かれるようなものは無いな。

 

もちろん俺個人としてなら気になるものはいくつもあるし、現世でお金に換えられそうな金塊とかを要らないと言い切れるほど俗世離れはしていない。

マヨイガに引きこもっているならともかく、現世に帰ったら生活する為にはお金が必要なのだ。

 

しかし隠れ里の主(キツネツキ)という立場で百重御殿のものと交換する為の品として見ると、取り立てて欲しいものは無いのである。

これは百重御殿が一つの世界として完結しているせいで、外から持ち込むものにあまり価値が見いだせないからだ。

 

ルミナ神が偶にいろいろ持ってきてくれたりするが、あれはあくまで住人である俺達の為に持ってきてくれているのであって、隠れ里の主(キツネツキ)や百重御殿へのものではない。

というかミルラト神話圏での立場の関係上、地理的には同世界の日乃國(ヒノクニ)の神に百重御殿の作物を物々交換する(売り払う)のはどうしても慎重にならざるを得ない。

 

サルタビコ神はできれば(もみ)が欲しいと言った。

米ではなく(もみ)である。

つまり少なくとも米に関しては食べる事よりも植えて増やす事を考えていると取れる訳だ。

 

フェルドナ神が試練を乗り越えて手にしたものを財力があれば購入できてしまうというのは異界神(キツネツキ)対外姿勢(スタンス)上よろしくない。

 

もちろんフェルドナ神が実際には試練など受けていないように、異世界(あちらの世界)の人たちに向けての建前(大義名分)があるならそれでいいのだが、同一世界内で異界神(キツネツキ)が異なる神話圏の神にそれぞれ違う態度を取ってしまうとミルラト神話圏での立場が揺らいでしまう。

 

プライベートでの個神(こじん)的な付き合いなら別に構わないのだが、各神話圏の人々への恩恵が絡むとそうも言っていられなくなる。

 

ついでに言うと無償での譲渡は面倒事にしかならないのでまず却下。

この辺はフェルドナ神に薬草を渡す代価として抜け殻を貰った時と同じである。

むしろ現在の俺の立場を考えると、あの時以上に相手側のデメリットが大きくなっている。

 

まぁ、あの時のは異なる神話圏の神同士の話しではなく個神(フェルドナ神)個妖狐(コン)のプライベートのやり取りという事になったし、そもそも公式(ミルラト神話)には語られない話な(そのような話はない)わけだが。

 

そういう意味ではルミナ神は上手くやっていると言えるだろう。

ルミナ神が持ち帰るのはあくまで『情報』だ。

それを形にし恵みを生み出すのはあくまでミルラト神話圏の人々なので、デメリットを避けて三方良しの関係に出来るのである。

ちなみに現世(現代地球)で特許やら著作権やらに引っかかりそうなものに関してはルミナ神も配慮してくれているようである。

 

話を戻すが、これに関してはサルタビコ神の交渉方法が悪い訳ではない。

普通に考えれば穏便というか順当なやり方である。

ただ俺たち(キツネツキ)のミルラト神話圏での立場をサルタビコ神は知るすべがなかったというだけの話だ。

ミルラト神話圏と日乃國(ヒノクニ)って交流がほとんど無いらしいからな。

 

そんな事を考えていると、サルタビコ神は最後にビー玉くらいの大きさの透明な(たま)の入った箱を取り出した。

あれは、晶精珠(しょうせいじゅ)か。

 

晶精珠(しょうせいじゅ)は純気を圧縮して作られる、いわば物質化した霊的エネルギーである。

物質化とは言っても霊感が無ければ見る事はできないが。

 

主な用途としては純気を少しずつ解放して取り込むことで一時的な神気や妖気の増強、あるいは神器などのエネルギー源として利用される。

場合によっては信仰を失った神や妖怪が消滅を免れる為に延命手段として使用する事もあると聞く。

人間で例えるなら『食料兼何の電源にも使える電池』といったところか。

 

その万能性故に神や妖怪の間では通貨のように使われる事も多いそうだが、それは異世界でも変わらないらしい。

日乃國(ヒノクニ)の神だけでなく、ミルラト神話の神も晶精珠(しょうせいじゅ)を通貨のように使っているとルミナ神が言っていた覚えがある。

 

まぁ、晶精珠(しょうせいじゅ)を作るのに必要な純気の量と技術を考えたら、取引に使えるのは上級以上の妖怪かそれ以上の力を持つ神がメインになるのだが。

そのくらいの価値のある代物なのである。

 

これなら百重御殿の益にもなる……のだが、サルタビコ神の持って来た晶精珠(しょうせいじゅ)は大粒のものばかりなのでレートの調整が難しそうだ。

 

「話は分かりました。此方としても作物を提供する事自体はかまいません」

 

そう言うとサルタビコ神に嬉色が浮かぶ。

実際、立場とか義理とかそういう事を除けば妖怪でもないマヨイガの生産物を譲る事に問題は無いのだ。

この辺は百重御殿の主である俺の一存で決められる範囲である。

 

「しかし(わたし)はこれでも一応立場ある身でしてね。食材であればともかく、種籾ともなれば神徳にも関わるので金品ではお受けできかねます」

 

米も精米済みのやつなら大丈夫なんだけどね。

なんなら果物とかも種なしのものを妖怪樹に作ってもらえば渡してもいい。

 

「なので籾を求めるのでしたら(わたし)()()()()()()()()()()()()者を紹介していただきたい」

 

これでも異界神(キツネツキ)百重御殿(マヨイガ)の主だからな。

無条件に異界の恩恵をばらまく訳にはいかないし、するつもりもない。

少なくとも百重御殿には相応の見返りを確保してあげなければならない。

具体的には畏怖とか信仰とかそっち系ね。

 

異界神(キツネツキ)の神座でもあるので、(キツネツキ)への信仰が増えるのも結果的に百重御殿に益になる。

俺が必要としていない分、増えた信仰の力を純気に変えて百重御殿の霊気の補充に回してもいいわけだし。

 

「それは人間に限りますかな?」

 

「いえ。人でも妖怪でも、なんなら神でも構いません」

 

ミルラト神話圏ではフェルドナ神にあげたのが広まっちゃってるから、もとよりそのつもりは無いとは言え日乃國(ヒノクニ)では神は駄目ですとは言えないのである。

とはいえまぁ、流石に神を連れてくることは無いだろう。

 

なにせ俺は『それを授けるのに相応しい者』と言った。

一応俺は異界神(現人神)であるからして、神から神へ授けるというのはお互いの上下を決定づける行為に他ならない。

下手をするとこちらに取り込まれかねない訳で、日乃國(ヒノクニ)の神としての立場を失う危険を冒してまで求めはしないだろうし、サルタビコ神としてもそうなってしまっては紹介する意味がないからやらないだろう。

フェルドナ神の時もコンが結構気を使っていたのだ。

 

逆にまずもって取り込まれないような格の高い神であった場合、今度はそれが日乃國(ヒノクニ)の神と異界神(キツネツキ)の格を測る物差しになってしまう。

最悪日乃國(ヒノクニ)の神全体に格下の烙印が押されかねない。

それほどのリスクを負ってまでやるような事ではないのである。

 

そういう方面で考えればルミナ神のあの劇は妙手だったんだなと改めて思う。

フェルドナ神はあくまでミルラト神話の神と印象付けることで取り込みを防ぎ、キツネツキをルミナ神の友神と呼ぶ事でマヨイガ側の面子を保ちつつサツマイモに箔をつける。

そして当時のフェルドナ神は神格的には木端であったために異界神(キツネツキ)より格下に見られてもミルラト神話の神全体への影響は低い。

 

ついでに友神という同格ながら順列的には曖昧な立場であるため、今後異界神(キツネツキ)より上の立場の神が出てきたとしても、それをもってその神が貴高神より上とはならない。

同格なのは友というお互いの立場故の事であって、その神格を比べ合ってのものではないからだ。

 

「承知した。後日──そうじゃな、五日後に連れて来てもよろしいか?」

 

五日後か。

贈る籾の選定には十分な時間だろう。

他に取り立てて用事も無いし、予想以上に時間がかかっても百重御殿に外との時間の流れをずらしてもらうという手も使える。

 

「ええ、構いません。ただ、お互いの価値観の違いもありますので、(わたし)()から見てその者が籾を授けるに相応しいかは()()()()()()()()()()

 

「当然ですな。なに、あの者であれば皆様のお眼鏡にも適うでしょう」

 

ふむ、既に候補は居ると。

すぐに出てきたあたり、サルタビコ神のお気に入りの氏子(うじこ)とかかね。

 

「ところで、籾以外でしたらこの場で譲っていただくことも可能で?」

 

「芽が育たぬものであれば。その場合は────」

 

対価としてはサルタビコ神が持って来た物の中だと晶精珠(しょうせいじゅ)を除けば翡翠(ひすい)瑪瑙(めのう)といった鉱石類が良さげか。

 

美術品はよく分からないし、念物(ここのぎ)も扱いに困る。

金や銀は生み出せるのがマヨイガ妖怪にいるから百重御殿的にはあまり魅力を感じない。

ヒヒイロカネのような神話金属でもあればと思ったが、それっぽいものは無かった。

 

マヨイガ食材といえど一度に大量に用意できるわけでもないので、そう大きな取引にはならない。

もちろん外との時間のズレを利用して長期間食材を貯めこんだり、神気を注ぎ込んで強化した状態で生産してもらえば話は変わるが、そこまでしてあげる理由はない。

 

その辺りをコンと精神感応(ないしょばなし)をしながら決める。

 

今回は相手の欲しいものをこちらが持っていて、かつそれがこちらにとって貴重でもなんでもないという取引だ。

百重御殿の銘柄(ブランド)というか体面(たいめん)を保つ意味でも安売りはできないが、精神的に楽なものである。

 

コンが以前五郎左殿相手にした過去視で日乃國(ヒノクニ)のおおよその物価は見当がついていたため、食材として見ればかなり高いが霊的価値を考慮するなら悪くないと思われる価値を提示する。

五郎左殿はあまり装飾品に縁がなかったため、紅一文字への贈り物を探しに訪れた店の商品と値段から鉱石類の価値を逆算したので、精度自体はあまり高くないが的外れという程でもないだろう。

鉱石の()に関しては正直コン頼みである。

 

コンにしても人間にとっての価値にはあまり詳しくない為、霊的な価値での査定になってしまうが問題は無い。

多分使い道は呪術道具の材料になるだろうし。

 

サルタビコ神も納得のいく取引だったのか即決し、できれば定期的にまたお願いしたいという旨の話を伝えてきた。

この様子だと多分倍の値段を示しても成立したとは思うが、安売りでなければまぁいいか。

定期購入については月一(つきいち)で今回と同程度の量かつ支払いは晶精珠(しょうせいじゅ)であればという条件で受ける。

今回サルタビコ神が持って来た晶精珠(しょうせいじゅ)は大粒なので芽の出ない食材の対価としては高価過ぎたが、次はもう少し小さいものを持ってきてもらえばいい。

生成の際に密度と大きさの調整が比較的容易なところが、晶精珠(しょうせいじゅ)が通貨代わりとして使われる理由の一つなのである。

 

取引する食材の量も仮にミルラト神話側からも同様の条件での取引を求めてきても、百重御殿的にはほとんど負担にならない程度だ。

 

なお、俺たちが現世(元の世界)に帰る時には如何なる状態であっても一方的にこの約束を破棄できる事と、状況の変化によっては通達のみで取引を終了する場合がある事も条件に含めている。

取引を望んでいるのはあくまでサルタビコ神側で、俺たちにとっては優先順の低い事柄だからである。

なのでこの約束が何らかの枷になる事は極力避けたいのだ。

だからこそサルタビコ神側も取引が不要になればそれを伝えるだけで約束はお互いに完遂したものとするという条件になっている。

 

その後、話し合いを終えたサルタビコ神はお昼の「きつねそば」をしっかり食べて帰っていった。

 

 

 

 

 

そして五日後。

 

俺たちは客間でサルタビコ神が来るのを待っていた。

今日のコンは二十歳前後の見た目で解放形態(本気モード)である。

ミコトは以前と同じく獣人形態(じゅうじんモード)で俺の隣に座っている。

 

今回はサルタビコ神も先触れを出してくれたので、準備は万端である。

 

部屋の外から式神の声がして俺が部屋に入るように促すと、扉があけられる。

そして式神に案内されたサルタビコ神が入って来た

その様子は前と特に変わりはない。

 

続いて入って来たのは二十四か五くらいに見える女性だった。

幾分か緊張した面持ちでサルタビコ神の後ろを歩いている。

 

この人がサルタビコ神の推薦する……ん?

 

人……人か?

 

なんか気配が人というより妖怪に近いような。

 

「遠いところまで、よくいらっしゃいました。ささ、お座りください」

 

「いや、短い間に何度もお邪魔して申し訳ない」

 

促されて連れと一緒に座るサルタビコ神。

ん~、でも妖怪にしては神聖な気配というか。

 

「いえ、お陰で退屈せずに助かっていますよ。それで、その者が?」

 

そう言えば神降ろしをした巫女さんの雰囲気がこんな感じだったか。

ただどちらかというと……あぁ、そうか。

 

「ええ。ほら、挨拶なさい」

 

「はい。お初にお目にかかります、狐憑き(キツネツキ)神。私は豊葉根村(とよはねむら)()()と申します」

 

この気配、()()か────え? マジで?

 




晶精珠(しょうせいじゅ)の設定は創作です。



(あきな)いは門門(かどかど)

商売のコツは、顧客をよく観察して本当に欲しているものを提供する事であるという意味。
あるいは商人にはそれぞれ専門としている分野があるので、それ専門の店で購入した方が良い買い物ができるという意味で使われる事も。


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File No.33-2 『三度の飯も強し柔らかし』

化身とは──

 

元々は仏教用語で、仏様が衆生(生きとし生けるもの)を救うために様々な姿で現れたものを言う。

現代日本では神や妖怪、あるいは悪魔などが人間や動物の姿を取って現れたものに使われるのが一般的だろうか。

 

(ふむ、魂魄が噛み合っておるから神懸(かみがか)りという訳でもなさそうじゃな。化身、正確に言えば人の肉体(からだ)を持った分霊で間違いあるまい)

 

分霊とは大雑把に言うと神霊を分けることを言い、他の神社にその神を勧請(かんじょう)する際などに行われる。

神祭などにおいて降神の際に現れるのも分霊の一種であり、コンの言い方からしてこの人はこっちだろう。

それで問題はこの人がどんな神の化身かという事だが……正直名乗りの時点で予想はついた。

 

(おぬしの予想通りじゃな。こやつは日乃國(ヒノクニ)のウカノミタマ神の化身じゃよ。流石に分霊ともなれば本霊との縁が太い故、辿るのは容易じゃったな)

 

豊葉根村(五郎左殿の故郷)で名前がウカならそうだろうな。

 

現世(元の世界)において宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と言えば言わずと知れたお稲荷様であり、俺やコンがお仕えする神様である。

穀物を司る女神であり、父に三貴子の一柱である須佐之男命(すさのおのみこと)、母に神大市比売(かむおおいちひめ)、同母の兄に大年神(おおとしのかみ)をもつ。

稲荷神としては穀物に限らず産業全体の神ともされ、その御神徳も五穀豊穣に始まり家内安全・商売繁盛・開運招福・諸芸上達などなど、おおよそ人が望むものが一通り揃っている。

 

神使は狐。

そのほとんどが白狐であると言われており、コンも天狐ではあるが体毛は白い。

ちなみに勘違いされがちなのだが、御稲荷様自身は別に狐ではない。

これは宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の側面から見ても同様である。

ただ化身先の姿として狐を選ぶ事はままあるようで、狐自体を稲荷神として祀っている所も結構あるそうだ。

 

それで、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)日乃國(ヒノクニ)のウカノミタマ神に関係はありそうか?

 

(縁自体は無くは無いが、その細さを考えればサルタビコ神と同じじゃな)

 

つまり名前が同じだけの別神(べつじん)と見て良さそうか。

これでもし宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の分霊とかだったらどう対応していいか分かんなくなる所だった。

 

「なるほど、私の試練に挑む資格はあるようですね」

 

あんまり何も言わないのも怪しいので適当にそれっぽい事を言う。

実際にどんな人物かを考察していた間であり、立場上よろしくない相手ではないと判断した故なので出鱈目を言っている訳ではないし。

 

そう言うとウカさん(俺のお仕えしている宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)ではないし、化身とはいえ人間なのでこの呼び方でいいだろう)はピクリと反応した。

どうやら緊張しているようである。

 

「ではワシは席を外した方がよいかのぅ」

 

「そうですね。一人で挑んでいただくことを想定したものですし、その間サルタビコ神には別室で寛いでいただきましょう」

 

サルタビコ神が気を使ってかそう聞いてきたので、そうしてもらう。

もともと何らかの理由をつけてこの場を離れてもらう予定だったので有難い。

化身と言うのは想定してなかったが、一期一会の俺達はともかく日乃國の神(サルタビコ神)が傍に居ては言えない事もあるだろうしな。

 

側頭部に付けているこんごうさん経由で他の面霊気達を呼び、サルタビコ神を離れ座敷に案内する。

ちなみにフェルドナ神がお役目時に寝泊まりするところとは別の離れ座敷である。

目的別に複数の離れ座敷があるのだ。

 

サルタビコ神が出ていくのを見届けたあと、ウカさんに向き直る。

 

「さて、ウカさんと言いましたね。サルタビコ神からどこまで聞いてます?」

 

「は、はい! 異界の()()に認められたら皆がすっごく美味しいご飯を食べられるようになるって聞いて、私が一番相性がいいからって、か……えっと、村の代表として来ました」

 

ふむ。

この様子だとウカさんはウカノミタマ神の化身としてではなく、あくまで豊葉根村(とよはねむら)の人間として来ていると。

リスクを考えたらそれもありか。

もしくは人間相手だと無茶な試練は課すまいと踏んで、人の身でありながら高い能力を持つ化身を送り込むことで少しでも事を有利に運ぼうとしたとも考えられるが。

 

相性がいいってのはアレかな。

仕えている神と同じ名前の神だから無意識にでも手心を加えられる可能性があると判断したか。

あるいは……

 

「あの、試練って何をすればいいんですか」

 

さて、どんな試練だろうね。

というのも、俺にも試練の内容は分からないのである。

 

以前コンと百重が悪乗りして作った疑似試練だが、あれから更に手が加えられている。

もともと疑似試練はコンの幻術を使用したものであったが、これだと幻術耐性の高い相手には使えないという弱点が当初より指摘されていた。

 

廻比目(めぐりひもく)、あれを」

 

「はい、こちらに」

 

それを解決したのがミコトが取り出したこれ。

(ばく)型の枕のマヨイガ妖怪である。

 

(ばく)とは夢を食べる妖怪であり、悪い夢を見た後は「この夢を獏にあげます」と唱えれば獏がその悪夢を食べてくれるので二度と同じ悪夢は見ないと言われている。

そして悪夢を食べられるという事は、夢に干渉できるという事でもある。

その伝承効果を使う事により、この妖怪獏枕に触れて目を閉じた者に試練を行う白昼夢を見せられるようにしたのだ。

 

しかも自らそれを使って試練に挑むという手順を挟むことにより、自分で発動した効果として幻術耐性や睡眠耐性をすり抜けることが出来るのである。

夢の中ではそれが夢と認識できないため、その試練を乗り越えなければならないと思いつつも、これが夢であるという安心感が無い。

これにより高い安全性と、命の危機すら感じられる緊張感を同時に持たせることに成功したのである。

 

更に無意識下に干渉する関係上、試練にはその相手の本質が反映される。

簡単に言うと、根が(百重御殿の基準で)善人である程試練が簡単に、逆であれば難しくなり一線を越えると攻略不可能になる。

基本的にはコンの過去視で十分ではあるが、今回のような百重御殿が呼んだ相手以外を試す場合に重宝する機能だ。

 

ちなみにこの獏枕、結構大きめなサイズな上に木製なので普通の枕としては使いづらい。

マヨイガ妖怪なので偶には使ってあげたいのだが、そのまま使うと首が痛くなるのでもっぱらインテリアとして寝ている傍に置いておき、俺がうなされたら悪夢を食べてもらうという使い方になっている。

……最近獏枕を触るとなんか手が沈み込むような気がするのだが、俺が百重御殿の主になった事で材質が変わり始めているのだろうか。

 

「試練に挑戦するという意をもってこれに触れ、目を閉じなさい」

 

「はい」

 

ウカさんが妖怪獏枕に触れて目を瞑ると、そのまま動かなくなった。

どうやら夢の世界に落ちたようだ。

 

妖怪獏枕にはどんな体勢でもそのまま寝続けられるという能力もあるので、ウカさんが倒れることもない。

加えて胡蝶の夢の如く、年単位を夢の中で過ごしても外では数時間もたっていないという事も可能なので時間のかかる試練にも対応可能だ。

 

「それじゃぁ、夢の内容を見てみるか」

 

懐から妖怪銅鏡を取り出す。

 

古来より鏡には異なる世界を映す力があるとされてきた。

鏡の中にはもう一つの世界がある、という概念は世界中にみられるという。

それを反映してか、この妖怪銅鏡は目には見えない世界、例えば夢の世界を覗く力があるのだ。

ちなみに名前は朧天鏡(ろうてんきょう)

全体が金色をしているが、これは金メッキだとのこと。

 

ウカさんの前に朧天鏡(ろうてんきょう)を置くと、その鏡面に夢の中の世界が映し出される。

見た感じ、どこかの部屋か?

そこで文机のようなものに向かって、ウカさんが一心不乱に何かを書いている。

いや、書くじゃなくて描くの方だな。

ちょっと遠目で分かりづらいが、何かの絵を描いているようだ。

 

「少し縁を辿って視てみたんじゃが、こやつは絵で生計を立てているようじゃな。あまり名は広まっておらぬようじゃが」

 

化身と言えど人として生きているなら食べていく必要があるからなぁ。

逆に言えば人の世に生活基盤を持っているという事は、人の世で生活しているという事でもある。

つまりウカさんは神託などで一時的に降臨する為の体ではなく、ましてや今回の為にわざわざ化身を用意してきた訳では無いという事だ。

 

もう少し詳しく見ようと視点を近づけてもらうと、()()を使って十字で四分割されたスペースにそれぞれ異なった絵を描いているのがわかる。

日乃國(ヒノクニ)の筆記用具って毛筆が主流と聞いていたけど鉛筆もあるんだな。

なお、ミルラト神話圏では文字を書く場合は羽根ペンが、絵を描く場合は毛筆が主流である。

 

というか、なんか消しゴムらしきものもあるんだけど。

もしかして日乃國(ヒノクニ)って天然ゴムが採れる木があるのか?

 

絵の方はどうやらデフォルメされた人間同士がなにやらしている図のようだ。

頭身としては三といったところか。

実際の人間に比べて目がかなり大きく書かれている事もあり、現代日本でちびキャラと呼ばれている画風に近い。

 

日本では日乃國(ヒノクニ)の文化レベルに近いと思われる江戸時代には浮世絵が発達したが、日乃國(ヒノクニ)だとそっち方面に発達したのか。

まぁ五郎左殿が絵には縁がなかった事もあり、日乃國(ヒノクニ)の一般的な絵がどのようなものかまでは調べがついていないので、単にウカさんが特殊な技法を使う少数派の絵師という可能性もあるが。

 

「あ、これ知っているのだ。四コマ漫画っていうやつなのだ」

 

俺の横で一緒に覗いていたミコトがそう言った。

サルタビコ神がいる間は無言で控えていたミコトだったが、現在はウカさんも試練にかかりきりなので素を出してきたようだ。

 

最近知ったのだが、ミコトは廻比目(めぐりひもく)となった際に俺の知識の一部を受け継いでいる。

これはフォレアちゃんが産まれた時から普通に喋っていたのと同じ現象だと思ってくれればいい。

以前のケーキ入刀やファーストバイトらしきものの知識の出所は、コンが教えた訳ではなく受け継いだ知識の中にそれがあったみたいなのだ。

 

ミコトが四コマ漫画という概念を知っているのも、おそらくそういう事だろう。

言われてウカさんの絵を見てみれば、四つの絵に描かれた人物が同じで何らかのやり取りを行っているようにも見える。

文字と思われるものもあるが、残念ながら読むことはできなかった。

 

「なんかそれっぽいが、日乃國(ヒノクニ)だと漫画文化が盛んだったりするのかな」

 

印刷技術がそれほど発達しているような感じではなかったから、精々が直筆本が出回るくらいだとは思うけど。

 

「そこまでは分からんのう。本霊の影響力もあってあやつからこれ以上縁を辿るのは難しい」

 

「そっか。というか、これ何の試練なんだ?」

 

「異界神への捧げものを作る試練じゃな。何を作るか、そして何をもって達成あるいは失敗とするかは、本人の無意識から得意分野かつ全力で挑めば何とかなる内容を汲み取って設定されるようになっておる」

 

いつの間にかそんな事までできるようにしてたのね。

つまりウカさんは俺に捧げる為の漫画を描いているのか。

異界神の課す試練の内容が漫画を描けだったら疑問に思うことだろうが、夢という形をとる事で違和感を覚えさせないようにしているらしい。

夢だと理由も無いのにこうしなきゃいけない、しないとこうなるって思うことあるよね。

 

しばらく様子を見ていると、朧天鏡(ろうてんきょう)から「ごーんごーん」という鐘の音が聞こえてくる。

制限はあるが映像といっしょに音も出力できるのだ。

 

その音を聞いた映像の中のウカさんが、絶望の表情をしながら机に突っ伏した。

よく聞けば『もう終わりだぁ……締め切り過ぎちゃったよぉ』と嘆いているようだ。

え? まさか失敗?

頑張ればぎりぎり、あるいはなんやかんやで突破できるように設定してある筈だけど。

 

「手を抜いているようには見えなかったが」

 

「ウカさん、頑張ってたのだ」

 

「これで突破できないほどの悪人ではないと思うんじゃが、何でかのう。とりあえず少し設定を甘めにして再挑戦してもらおうか。それなら行けるじゃろう」

 

そうだな。

妖怪獏枕から『もう起こしていい?』という意思が伝わってきたので、そうしてもらう。

目を覚ましたウカさんは映像の中で見たものと同じように絶望の表情をしている。

 

「ふむ。どうやら駄目だったようですね」

 

「あ、あの」

 

()()()()()()()()()()()

 

何かを言おうとしたウカさんに(さき)んじてそう告げる。

 

「えっ! いいんですか!?」

 

「ええ。そのつもりがあるのなら」

 

 

 

それからウカさんはもう一度試練に挑み、()()()()()()

条件を甘くした分だけ最初よりはゴールに近づけたようだが、それでも届かなかった。

コン達と協議した結果、更なる条件の緩和を行う事にする。

これなら次は行けるだろう。

 

「もう一度、挑戦するかい?」

 

 

 

三度目、今度はギリギリではなく余裕をもって攻略できる条件を設定した。

設定基準自体はウカさんの無意識由来なのだが、流石に自己評価を実際の倍くらい盛ってなければ大丈夫だろうと判断された。

そんな試練を、ウカさんは()()()()()()

 

「もう一度、挑戦するかい?」

 

 

 

四度目はもうやけくそで思いっきり設定を甘くした。

ぶっちゃけ、昼寝休憩を挟めるくらいの余裕があるレベルである。

あくまで参照するのはウカさんの無意識なので直接的にゴールを設定できる訳ではないが、流石にこれなら大丈夫だろう。

 

途中でルミナ神が遊びに来たと言う報告があったが、取り込み中なのでどこかの部屋で待ってもらえるように伝言とその間の相手をマヨイガ妖怪の誰かにしてもらうよう百重に頼む。

 

そこまでやっても、()()()()()()()()()

いや、どうなってんだこれ。

 

「もう一度、挑戦するかい?」

 

 

 

通算五度目の挑戦。

試練から戻る度にウカさんの顔色は悪くなり、素人目にも今回でダメだったら無理矢理中止にすべきかというところまで来ている。

 

一応肉体的疲労はほぼ無いはずだが、精神的にはきついのだろう。

外にいる俺達からしてみれば数分で終わる程度の試練だが、ウカさんの体感時間は毎回数時間に及んでいる筈だ。

朧天鏡(ろうてんきょう)が映しているのはダイジェスト映像なのである。

 

加えて失敗したという結果と、次があるか分からないという不安がその精神に重くのしかかる。

それでも挑戦を止めないあたり、成し遂げたい理由があるのだろう。

そんなウカさんの努力を見守っていると、コンが「あっ」と声を上げた。

 

「そうか、そういう事じゃったのか。元々化身が挑戦する事なんぞ想定しておらんかったから」

 

「どうした、コン」

 

「何故こやつが何度もこれを失敗するのか分かった。肉体性能と自身の能力の認識の齟齬が大きすぎたんじゃ。じゃからどうあがいても出来ぬ目標をできると判断して設定しておったようじゃ」

 

「ウカさんが自分を過大評価しまくってたって事か?」

 

でもさっきからそれを想定して難易度を下げまくっている筈だが。

 

「いや、おそらく自己評価はそれほど間違っておらんじゃろう。問題は評価の対象が化身ではなく本霊の方なんじゃ」

 

「あっ」

 

化身にもよるが人間の肉体という枷がある以上、神の身であれば簡単な事でも人の身では難しいを通り越して不可能という場合もある。

そのせいでウカさんが全力で頑張ってもウカノミタマ神を基準に考えれば大して努力していないレベルの事しかやっていないと判定されてしまっていたのだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……でもそんな試練に諦めずに五度も挑んだとなれば、諦めない意思を試す異界神の試練を突破したと言っても過言ではない……よな」

 

「……そうじゃな。百重御殿もそれをもって豊葉根村(とよはねむら)のウカをマヨイガ妖怪を持ち帰るに相応しい者と認めるそうじゃ。種籾を希望との事じゃったから妖怪米俵にするとのこと」

 

そういえば疑似試練ってコンと百重の合作だったか。

まさか化身が試練を受けに来るとか普通は想定外よな。

 

妖怪米俵は妖気さえあればいくらでも米を生み出せる妖怪で、白米だろうが玄米だろうが籾だろうが出す事ができる。

百重御殿で食べている米は全部この妖怪米俵が作っているが、ウカさんにあげても分霊して増えるのでこちらには特に影響がない。

というか、そもそも蔵にいっぱいいるしな。

 

とりあえずそういう事に──

 

「あなた、あなた」

 

そう考えていると、ミコトに呼ばれた。

どうしたのかとそちらを見ると……

 

「ウカさん、頑張ったからちゃんと見てあげて欲しいのだ」

 

『やったぁ! 間に合った!』

 

そこには完成した捧げものを掲げ、喜びをあらわにするウカさんの姿が朧天鏡(ろうてんきょう)に映っていた。

 

 

 

「おめでとう、君は私の試練を乗り越えた。これを授けるに相応しいと認めよう」

 

運んできてもらった妖怪米俵にポンと手を置く。

まさか散々緩くしたとはいえそもそも無理な設定だったと判明した直後に突破するとは。

その執念に敬意を表さざるを得ない。

 

「ありがとうございます。よかったぁ、これでお父様に仕送りを止められなくて済むよぅ

 

無意識に漏れたと思われる小さな声は聞かなかったことにした。

(よこしま)な理由でなければ何だっていいさ。

 

「よもや不屈の精神を試す為に失敗し続けることを前提とした試練を成功させて突破するとはね」

 

そういう事にしておく。

でないと失敗しても何度も受け直す事が可能だった理由が説明できないからね。

ウカさんが「えっ!?」と小さく驚きの声をあげるが、気づかないふりをした。

試練は終わったのでサルタビコ神を呼んでもらうよう面霊気達に言う。

 

(あの、それなのですが)

 

こんごうさんを通して聞こえてくる(精神感応している)この声はなでしこさんか。

 

(途中でお越しになられたるみな神がさるたびこ神と意気投合なされまして)

 

ルミナ神が来たと言うのは聞いていたけど。

そういえばサルタビコ神が寛いでいる離れ座敷って庭を一望できるところにあるやつだったよな。

ルミナ神が暇つぶしに庭を散策したいと言えば面霊気達は止める理由もないだろう。

そうなれば、出会う事もあるか。

 

(ずいぶんとお話が盛り上がっているようなのですが、お呼びしますか?)

 

別に呼んでも問題は無いが……

いや、やっぱり俺らが行こう。

 

そろそろお昼だ。

サルタビコ神も昼食は食べて帰るだろう。

ならルミナ神も巻き込んで皆で一緒に食おうじゃないか────という建前で直接様子を見ておいた方がよさそうだ。

 

百聞は一見に如かず。

伝え聞くのと直接見るのでは大違いなのである。

そう考えてなでしこさんも確認を取ってきたのだろう。

直接そう言わない辺り、百重御殿的にはどっちでも問題ない程度の内容であると思っていそうだが。

そういう訳で、全員分の昼食を離れ屋敷に持ってきてくれ。

 

(畏まりました)

 

さて、それではどうなっていますかねっと。

 

 

 

その後離れ屋敷では何故かルミナ神とサルタビコ神が持ってきていた神酒による酒盛りが始まり、お互いのお国自慢をつまみに夕方まで飲み続けたあと、夕食まできっちり食べて二柱と一人は帰っていった。

こっちとしては色々な話が聴けて悪くない時間だったが、ウカさんは始終うちの神がすみませんみたいな表情をしていたのが印象的だったな。

 




朧天鏡(ろうてんきょう)は拙作の創作妖怪です。



三度(さんど)(めし)(こわ)(やわ)らかし』

毎日炊いているご飯ですら固かったり柔らかすぎたりすることがある。
世の中思ったようにはいかないものだという例え。


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File No.33-3 道の神 サルタビコの記憶

今年もあと少しとなりました。
来年も変わらず『俺と天狐の異世界四方山見聞録』を読んでいただければ幸いです。



2024/1/1追記:
おかげさまで評価数が50となり、バーが完全に真っ赤になりました。
これもいつも読んで下さる皆さん、そして評価や感想をくださった皆さんのおかげです。
今後とも当作品をよろしくお願いします。

2024/1/21追記:
タイトルにてFile No.の重複があったため、プロローグを00として数字を修正いたしました。
2024/1/25追記:
日数の計算にて致命的なミスが発覚したので、一部の時間経過に関する表現を修正いたしました。


「以上が事の顛末ですぞ、()()()()()

 

「うむ、よくやってくれた」

 

ウカノミタマ神の化身と共に異界より帰還したその日のうちにワシはスサノオ神の屋敷(神域)を訪れた。

此度の件で協力を頼んだスサノオ神への報告の為だ。

 

話を持っていった際にスサノオ神は「面白い」の一言で協力を約束してくれた。

ウカノミタマ神の紹介のみならず、他の神々への根回しもしてくれるという。

ワシもそれなりに神格の高い神ではあるが、三貴子の一柱からであった方が話の通りは良い。

異界との交渉の為に用意した念物(ここのぎ)や美術品の多くはスサノオ神が提供してくれたものだ。

 

「しかし、妖気さえあればいくらでも米を生み出せる米俵の(あやかし)か。これほど凄まじいものをぽんと出してくるとは、侮れんな」

 

そうなのだ。

食物という、人が生きる為に欠かせぬもの。

米に限定されるとはいえ、それを自在に生み出せるとなれば得られる信仰はいかほどのものか。

 

五穀に関する権能を持つ神であれば同様のものを作る事自体は可能であろう。

しかし信仰の力を集中させたとしても作り出せるのは精々が一つ。

それが貴重であればあるほど、それを生み出す奇跡は重くなる。

それを狐憑(きつねつき)は事も無げに渡してきたのだ。

 

偉業を成した英雄への褒美にそれを授けるというのならばまだ分からないでもない。

例えば巨大な(あやかし)に襲われ奪われた聖域を取り戻すためにその(あやかし)を討ち取ってもらった、といったような大恩に報いる為であればそれもあり得よう。

 

だが、それを授けられたのは一介の絵描きであった。

それも自身とは何のゆかりもない村娘である。

 

無論、狐憑(きつねつき)も彼女が神の化身である事くらいは見抜いているだろうし、おそらくその本霊がウカノミタマ神である事までも突き止めていただろう。

ワシらに気前の良さを見せつける意図もあったかもしれない。

しかしそれを踏まえても普通に考えてはあり得ぬ事だ。

 

ワシらが求めていたのは種籾である。

この米俵を使ってほんの少し種籾を生み出してしまえば事足りたのだ。

 

ならば導かれる答えは一つ。

狐憑(きつねつき)にとってこれは大したものではないという事に他ならない。

同じようなものをいくつも持っているのか、あるいはいくつでも作り出す事ができるのか。

そんな事ができるのはワシなど及びもつかないほどに信仰を集めているか、あるいは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だろう。

手に入れるのが容易であれば、それを生み出す奇跡は軽くなる。

 

そしてそれが神器ではなく(あやかし)であるというのが更に問題となっている。

 

神器であればある程度その神の権能のうちに留まることになる。

その場合同じ分野であれば太刀打ちは難しいが、それ以外においてはどうとでもなるだろう。

しかし(あやかし)という一個の存在だと、そうとは言い切れなくなるのだ。

なんせあの異界は(あやかし)の巣と言えるほどに多種多様な(あやかし)で構成されていた。

その全てにあの米俵と同等の力があるとするならば、日乃國(ヒノクニ)の神が持つ権能の大半を代替する事が出来るだろう。

 

(ウカノミタマ)には今回の件をしばらく公表しないように言い含めておこう。おぬしも口を(つぐ)んでおれ。次の集会の時に姉上(アマテラス)らも交えて対応を考える」

 

「それがいいですな」

 

スサノオ神も同じように考えたのか、準備が終わらぬうちは黙っておくように言われた。

あの異界の話が広まれば、授かり物欲しさに無理やり乗り込もうとする輩も出てこよう。

なにせウカノミタマ神が得たと米俵だけでも、日乃國(ヒノクニ)の勢力図が書き換わる事になりかねない代物だからだ。

返り討ちに合うだけならいいが、狐憑(きつねつき)を怒らせて食材の取引がおじゃんになったら目も当てられぬ。

 

もともとあれは駄目元であった。

もちろん取引が成立すれば御の字(最高)だが、こちらの望んでいるものが伝わればよし、これが次への布石になればと思っての事であった。

それがいささか量は少ないとはいえ取引が成立して定期的に手に入るようになったのだ。

あの美味を味わったワシからすれば、手放しがたい取引である。

 

なにせあの取引はお互いのどちらからでも一方的に破棄できる代物。

こちらがまだ種を手に入れていない以上、こちらからやめる選択肢はない。

となれば、なるべく相手の心証を悪くする原因は取り除いてしまわなければならぬ。

 

とはいえ既に異界へ行った侍がそのことを広めているので完全に異界の事を隠すのは無理じゃろうな。

 

「集会では異界の食材を使った料理を振舞ってはいかがか」

 

「それは良いな。二柱で独占できなくなるのは残念だが」

 

そもそも日乃國(ヒノクニ)で育てる目途が立てば全国に広めていくつもりだったもの。

それが早まるなら今の取り分が減ったところで必要な代償よ。

なにせあれを食べればワシらの計画に賛同する神は確実にいる。

 

「それと、集会ではミルラトの神の件も議題にあげていただきたい」

 

「おまえが異界で会ったという月神か。この国が海の外を見据えるならば外せん話だな。よかろう」

 

異界で出会う事になったミルラトの神。

それはお互いの気まぐれが起こした偶然の出会いであった。

 

ウカノミタマ神の化身が狐憑(きつねつき)の試しを受けている間、異界の屋敷の庭を散策していたかの神と案内された部屋で庭を眺めていたワシの目が合った。

それだけなら会釈でもして目線を逸らすだけなのだが、何を思ったのかミルラトの神は部屋の傍まで寄ってきて話しかけてきたのだ。

 

どうやら狐憑(きつねつき)に待たされて暇をしていたらしい。

スサノオ神にも匹敵する神気に気圧されそうになるも、日乃國(ヒノクニ)の神としてそんな姿は見せられんと笑顔で応じる。

 

神気から察するに異界に残る神気の持ち主の一柱に間違いないじゃろう。

近くに控えている狐憑(きつねつき)の使いが何も言わない辺り、この異界で自由に動き回っても許されるほど狐憑(きつねつき)と仲が良いのかもしれぬ。

 

情報収集がてらワシはその暇つぶしに付き合う事にした。

そして語られる海の外(ミルラト)の素晴らしさの数々。

ともすれば自慢としか取られないような内容であったが、不思議と嫌悪感はなかった。

海の外にはそのような世界が広がっているのか。

ワシはついミルラトの神の話しに聞き入ってしまった。

 

しかし日乃國(ヒノクニ)とて負けてはおらぬ。

今度はワシが語る番であった。

四季折々の風景に各地の名物、文化風習を様々に。

一通り語ったところでミルラトの神が言った。

 

日乃國(ヒノクニ)には素晴らしいものが多いですわね。たまに来る貿易船にさっき言っていた焼きものとか追加できませんの?」

 

確かに我が国はミルラトの神のいる国々の一部と貿易している。

しかし海流の関係もあって簡単には辿り着けない為、細々と行われているのが現状であった。

 

無事に往復できれば一角千金は間違いない。

ただし造船の盛んな我が国でもそこまでたどり着くほどの遠洋航海に耐えうる船は限られている。

結果、確実に儲けられる品目が優先され、売れるか未知数なものを積み込む余裕はない。

もし異界を通じて必要なもの、必要な数を確認できたなら、それによって生じる利益は……

 

「もし今後定期的にここを訪れるつもりがあるのなら、お互いの益になるように話し合いをしません? その場を借りられるように異界神(キツネツキ)を説き伏せるのは(わたくし)がやりますわ」

 

なるほど、悪くない。

ただワシの一存では何とも言えんな。

ワシは旅の神ではあるが、外洋は権能の範囲外だ。

それは海にまつわる神々の領分だろう。

少なくともそちらに話を通しておく必要がある。

 

食材を買う為に定期的にこの異界に来る予定であるので、次のその時には返答を用意しておこう。

 

「色よい返事をお持ちしていますわ」

 

それからウカノミタマ神の化身が試しを終えて戻って来てもなおお互いの自慢話は続いた。

 

ミルラトにも狐憑(きつねつき)の試しを乗り越えて『サツマイモ』なるものを賜った神がいるそうだ。

そんな神の偉業を劇にして国中で演じているらしい。

この手法はわが国でも使えるな。

 

途中から酒が入ったのがまずかったのか、日が暮れるまでそれは続くこととなった。

 

「あと、ウカノミタマ神から言伝(ことづて)がある。貰ったものが言われたのと違うがどうすればよいかと。とりあえず持ち帰って保管しておくように言っておいたんじゃが」

 

本来ウカノミタマ神に課せられたのは狐憑(きつねつき)に認められて種籾を手に入れることだった。

それを氏子(うじこ)に育てさせて最終的には日乃國(ヒノクニ)中に広めていく。

その為に自分の領域の中で引きこもっていたウカノミタマ神をスサノオ神が仕送りの打ち切りを盾に引っ張り出してきたのだ。

 

しかし蓋をあければウカノミタマ神が賜ったのは完全上位互換にもほどがある米俵の(あやかし)であった。

もはや育てさせるどころか現物が幾らでも手に入るのである。

 

そしてその米俵は取り上げることも献上させることも出来ない。

神器と違って(あやかし)であるが故に意思があり、そんな事をすれば米を生み出さなくなってしまう。

下手をすればそれが狐憑(きつねつき)の耳に入り、逆鱗に触れることにすらなりかねない。

 

そのため、その担い手はあくまでウカノミタマ神でなくてはならない。

流石に化身と本霊であれば同じ神物(じんぶつ)とみなされるだろう。

 

「それに関しては我が直接出向こう。うまい米を日乃國(ヒノクニ)中に広める方針は変わらん。それに加えて毎月一定量の米を納めるように言い渡す。そちらで米が手に入れば異界から買う分を別の食材にすることができるからな。その代わり、仕送りは五倍にしてやろう」

 

ウカノミタマ神はこれを機に仕送りを増やすよう交渉すると言っていたが、この分だと仕事もしっかり増やされそうじゃな。

もっとも、この仕事だけで五倍は破格も破格である。

それがこの米俵を手に入れた手柄に対する褒美であることは言うまでもないが。

 

狐憑(きつねつき)ほどの神が仕える宇迦之御魂(うかのみたま)なる神。

ウカノミタマ神と同じ名を持つ神。

その名の持つ言霊によりより良い縁が紡げればと彼女を選んだが、それは正解であったようだ。

 

もとよりウカノミタマ神は引きこもってはいるものの能力は優秀である。

漫画とやらに傾倒しておって自らそれを作る為にわざわざ化身を降臨させていたのも今回は有利に働いた。

狐憑(きつねつき)ら異界に住む者達からの評価も悪くなかったように見える。

場合によっては引き続き異界へ連れていく事も考えなくてはな。

 

話もひと段落したところで、スサノオ神の神使が皿に乗せた握り飯を持ってくる。

異界からの帰りに試しに米俵から出してもらった米を使った握り飯だ。

 

「夜食にはなるが、せっかくの(ウカノミタマ)の成果だ。新米を炊き立てで味わおうではないか」

 

「ええ、是非とも」

 

その日スサノオ神と共に食べた握り飯は、日乃國(ヒノクニ)の明るい未来を暗示するような味であった。

 




新しい小説の掲載いたしました。
とは言っても新連載という程ではなく、昔書いていた小説を手直ししたものなのですが。
ジャンル的には王道現代ファンタジー……の筈。
なお、世界設定自体がまるっきり違うので神とか妖怪とかの設定も此方とは完全に異なります。
基本的にこちらが優先なので更新はなかなか無いと思いますが、よろしければそちらもご覧いただければ幸いです。

もし気に入っていただけたなら、評価や感想なども書いてもらえると嬉しいです。


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Folder-5 ■■■■
File No.34  『少年老い易く学成り難し』


言葉的に紛らわしかったため、過去話の『霊格』を『霊躯』に変更いたしました。


ある日の昼下がり。

上機嫌なミコトが空中に筆を走らせる。

するとまるで見えない壁があるかのようにそこに墨跡(ぼくせき)が残り、見る間に見事な鷲が描かれていく。

 

「妖術、画妖点睛(がようてんせい)なのだ」

 

最後に瞳を描き入れると、鷲はまるで生きているかのように動き出してこちらに飛んできた。

 

小袖を捲って腕を差し出す。

絵に描いた鷲は俺の前まで来ると一旦ホバリングし、その腕につかまった。

 

鷲ってホバリングできたっけ? と思うものの、その辺はあまり詳しくないので分からない。

出来るのかもしれないし、出来ないのかもしれない。

まぁ、本物の鷲がどうだろうとこの鷲は出来るのだから考えても意味はないか。

そもそも猛禽類の爪で素手を掴まれれば無事では済まないと思うが、こうして痛みもなく腕にとまらせられているだけでも普通の鷲と同じではないだろう。

 

掴まれている感触はあるので実体化は問題なく出来ているな。

 

顔を動かしながら目の前の鷲を観察してみる。

見た目は墨で描かれた鷲の絵なのだが、見る方向を変えるとそれを表現している墨の位置が変わる。

墨を引かれていない部分は何も書かれていないがごとく透明なのだが、その部分を通して反対側の羽を見ようとしても、そこには何もなくその先の景色が見えるだけなのだ。

多分見る位置によって姿が変わるタイプの妖怪みたいなものだろう。

 

試しに羽毛に触れてみるが、ふむ、感触は羽毛そのものだな。

少し撫でてやると、気持ちよさそうに「ぴょっ、ぴょっ」と鳴いた。

鷲の種類には詳しくないんだが、イヌワシかな。

 

「それではミコトはあちらの方を向いて目隠しをしておれ」

 

「はーいなのだ」

 

俺の側にいるコンの指示により、ミコトが向こうの方を向いて手ぬぐいで目を覆う。

するとコンは懐から何枚かの紙を取り出して、その一つを広げて見せる。

 

「それでは、これは何と書いてある?」

 

そこに書かれていた文字は『尊』。

普通に読むなら音読みで「そん」か訓読みで「とうと(い)」や「みこと」等になるだろうが……

 

「タケルなのだ!」

 

人名の場合は(たける)と読む場合もある。

まぁ、俺の名前な訳だが。

 

「次じゃ」

 

コンが二枚目の紙を広げる。

書かれている文字は『稲荷寿司』。

 

「いなりずしなのだ」

 

「ではこれは?」

 

三枚目の紙に書かれていた文字は『御御御付』

……何?

 

「おみおつけなのだ」

 

ああ、そういえばそんな字を書くんだったか。

ちなみに御御御付(おみおつけ)は吸物や味噌汁といった汁物の事だ。

 

そんな調子で書かれた文字を読んでいくミコトだが、今のミコトは目隠しをしているうえにこちらを向いていない。

ではどうやって文字を認識しているかと言えば、俺の腕にとまっている墨絵の鷹を通して見ているのである。

 

そもそも画妖点睛(がようてんせい)の絵が動き出す理由なのだが、これは原理的には妖怪の発生のプロセスに近い。

墨を正体(霊礎)とし、術によって未知(霊柱)を産み、描くことで経験(霊梁)を形にし、点睛をもって意思(霊意)を宿す。

個妖(こじん)による妖怪の創造である。

 

やってる事は『私の考えた妖怪を書く』なのだが、そうやって産まれた創作妖怪もわりといたりするのだ。

以前話した「がしゃどくろ」とか、江戸時代の浮世絵師『鳥山(とりやま) 石燕(せきえん)』による「塵塚怪王(ちりづかかいおう)」などが有名か。

 

それらの魄様(はくよう)が人々によって語り広められる事で妖怪として成立(誕生)する。

その「語り広める」の部分を個妖(こじん)で完結させてしまうのが画妖点睛(がようてんせい)なのである。

 

もっとも妖怪であるミコトが単独でそれを維持する事は非常に困難であり、実体化まではできても本来であれば知る者なき墨絵の鷹はその時点で存在を保てずに消えていく運命にある。

俺からの認識も、存在自体が不安定では多少の延命にしかならないのである。

 

それを防ぐ為に画妖点睛(がようてんせい)ではほんの少しだけ分魂する(魂を分け与える)ことで存在の基盤を術者本人が担っている。

分霊の亜種みたいなものだな。

 

簡単に言うと画妖点睛(がようてんせい)で実体化した絵は術者(ミコト)の一部ですよとすることで消えないようにしているのだ。

まぁ、妖力がなくなると結局消えてしまうから出しっぱなしにはできないのだが。

 

ちなみに分け与えた魂は(実体化した絵)が消滅すると元の(大きい方の)魂に引き寄せられて融合するそうな。

 

そしてこの術が術者の一部であるという事が重要なのだ。

 

『感染呪術』というものがある。

もともと一つであったもの、あるいは接触していたものは離れていてもお互いに影響を与えるという法則を利用した呪術である。

髪や爪などの体の一部や、着ていた服の一部、場合によっては足跡などを利用して遠隔で呪いをかける術と考えてもらえればイメージできるだろうか。

 

これを利用して、「墨絵の鷹が文字を見た」「墨絵の鷹はミコトである」「故にミコトは文字を見た」という理論を呪術的に成立させているのだ。

これらは術的なものであるので、墨絵の鷹かミコトのどちらかから能動的に繋がないといけないそうだが。

 

ついでに言うと分魂したことで実体化した絵はミコトの知識と思想も受け継いでいる。

流石に思考能力や判断力は本妖(ミコト)(くら)ぶべくもないが、ミコトが操作しなくても自己判断で活動することが出来るのである。

分身や式神なんかにもこの法則を応用したものが多かったりするそうな。

 

「全問正解じゃ。ちゃんと術はできておるな」

 

追加で何枚か見せた文字や絵柄もミコトは正解した。

その中には霊視でないと見えないもの、逆に光学的にしか映らないものなども含まれており、画妖点睛(がようてんせい)がミコトの目として十分に機能する事が確認できた。

というか、普通に読み自体が難しい文字もあったんだが。

 

「それじゃ、術を解くのだ」

 

ミコトがそう言うと、墨絵の鷹はもう一度「ぴょっ」っと鳴いて空気に溶けていった。

実体化した時点で物理的な墨では無くなっている為か、腕に墨の跡が残るような事もない。

 

「ふむ、これならミコトも上級妖怪といって差し支えないじゃろう」

 

「ホントなのだ? やったのだぁ!」

 

出会った当初はぎりぎり中級妖怪に入っているくらいだったミコトが上級妖怪とは感慨深いものがあるな。

 

もっともこれらには明確な基準がある訳ではなく、おおよそそう呼ばれる力量を持っているとコンが判断したに過ぎない。

まぁ、普通は自分で名乗るようなものでは無いしな。

 

そんなミコトの霊威は現在1600となっている。

以前フェルドナ神が手に負えないと称し、フォレアちゃんが産まれるきっかけとなった邪気とほぼ同レベルである。

 

続いて霊気が1600、霊力は2100、霊躯が1500といったところらしい。

この数値は同じ値の霊威を持つ一般的な妖怪と同等の能力を持っているという意味である。

ただ『一般的な妖怪』という基準が測定者の主観によるものであり、明確な基準は設定されていないのだ。

 

ミコトの場合は多くの妖怪を目にしてきたコンからの評価なので信用できそうだが、同じ妖怪でも測定者によって数値が変わる事もざらなんだとか。

知力とか運動神経を評価するようなものなので、どうしても経験則による感覚的な評価になってしまうのだそうな。

 

そもそも霊威の時点でふり幅が大きいのを無理矢理数値化してるから完全に信用できるものでも無いからな。

ミコトだってコンディションが良ければ霊威1800くらいまでは行ける。

あくまで大まかに能力を測る為の指標なのである。

 

 

 

さて、改めてミコトの評価を見てみよう。

 

霊気は保有している妖気(霊的エネルギー)の量である。

これが霊威と同じ数値という事は、ミコトの霊気は霊威1600にしては普通ということになる。

 

霊力は扱える霊的技術の緻密さを表す。

基本的に高ければ高いほど複雑な術を行使できるという事になり、ミコトは自身の霊威にそぐわない術も使うことが出来る。

高度で複雑な術程、精密な操作が必要になるからだ。

 

ちなみに威力というか出力に関しては霊威の領分になる。

極端な話、霊波で山を吹き飛ばせる威力を出せたとしてもそれは霊威が高いのであって霊力が高い事にはならないのである。

まぁ、高出力の霊波を自在に制御する事が出来るのならそれは霊力が高いという事になるが。

 

霊躯は自身の存在がどれだけ強固かを表している。

これが高いという事は外部からの霊的な干渉に強いという事だ。

妖術のような霊的な攻撃からのダメージを抑えたり、呪いのような状態異常を跳ね除けたりできる。

もっとも、総合的な防御性能の評価といった感じなので霊躯は高いのに呪いには滅法弱いという事も普通にあるのだが。

 

ミコトのそれは平均よりは少し低いが、コンの加護もあるので問題は無いだろう。

あくまで本人単体での評価であるし、極端に低いという訳でもないからな。

 

細かく評価すればその項目は膨大になるため割愛するとして、実は妖怪のステータスとして重要なものがあと二つある。

それが妖格(かく)妖伝(つたえ)である。

 

何故なら多くの妖怪はこの二つを重要視しているのだ。

というのも、この二つが先ほども言った霊威・霊気・霊力・霊躯に密接にかかわってくるのである。

 

妖格(かく)は妖怪としての畏れの強さを表している。

 

例えば酒呑童子という妖怪。

日本三大妖怪にも数えられるほどの大妖怪で、丹波国の大江山*1に住んでいたと伝わる鬼の頭領。

茨木童子(いばらきどうじ)を始めとした名のある鬼を多く従えており、その力はかの源頼光(みなもとのよりみつ)ですら正面からぶつかるのを避けたほどである。

それを聞けば酒呑童子とはなんと強大な妖怪なのだと思うことだろう。

これが妖格(かく)である。

 

要するにどれだけ凄い妖怪と思われているかという事だ。

何故妖怪がそれを重要視しているかと言えば、以前話した*2ように妖怪は人間の認識の影響を強く受けるからだ。

 

多くの人間から強い妖怪だと思われれば、妖怪は実際に強くなる。

妖怪が強くなる方法で一般的なのは、この妖格(かく)を高めることなのだ。

ミコトやヤシロさんのように修行で強くなるのは妖怪全体から見れば少数派なのである。

 

この辺は神にも同じ事が言えたりする。

フェルドナ神は出会った頃に比べてはるかに神威を高めているが、これはサツマイモと共にその経緯(例の劇)が広まったからだ。

異界神(キツネツキ)の試練を乗り越えて奇跡の作物(サツマイモ)を持ち帰るほどなのだからきっと凄い神に違いない、という信仰がフェルドナ神の力を高めているのだ。

 

これは切っ掛けさえあれば容易かつ短時間で強くなれる方法ではあるのだが、逆に弱いと思われたら一気に弱体化してしまうという欠点もある。

神々が面子を気にするのはこの辺の事情もあるのだ。

対して修行で強くなった妖怪は妖格(かく)による弱体化がほとんど起きないという利点がある。

 

妖伝(つたえ)とは簡単に言えばその妖怪の知名度である。

 

妖怪は妖格(かく)を高めることで強くなるが、その力を十分に発揮する為にはそれに応じた妖伝(つたえ)が必要になってくる。

どれだけ強力な妖怪と思われていようが、思っているのが数人程度では大した力は出せないのだ。

 

妖格(かく)が能力値なら妖伝(つたえ)は手に入る食料の量とでもイメージしてもらえばいい。

いくら強くても空腹ではその力を発揮できないし、妖気を回復することも出来ない。

 

また妖格(かく)の低い妖怪であったとしても妖伝(つたえ)が広ければ広いほどその存在は強固になる。

唐笠お化けのような有名どころだと、仮に討滅したとしてもそのうちまた復活(リスポーン)してくるレベルだ。

まぁ、それは同じ妖怪ではあっても同個体という訳ではないが。

 

逆に妖伝(つたえ)が失われればその妖怪は存在を保てなくなる(消えてしまう)ので、妖怪にとっては非常に重要なものなのだ。

弱い妖怪の中には近しい性質の者達が一纏めになる事で妖伝(つたえ)を広めて生き延びている者もいる。

霊威100くらいの妖格(かく)しか持たないのであれば、妖怪変化(よく分からない何か)という一纏めでの妖伝(つたえ)でも案外大丈夫だったりするのだ。

 

ミコトの妖格(かく)はそこそこ高い。

これは単純にミコトの妖怪としての力が高いからだ。

ミコトについて知らずとも、その実力を推し量ればおのずとその位の評価になる。

 

異世界での畏れは独立した世界であるマヨイガでは影響がほとんどない。

そもそもミコトは異世界では異界神の妻(メグリヒモク)というかたちで認識されている為、そのように振舞わなければ(その側面で見られなくては)その妖格(かく)の影響を受けなかったりする。

ただのミコトとしている(存在する)限りは異界神の妻(メグリヒモク)妖格(かく)による強化(プラス)弱体化(マイナス)もないのだ。

 

もっとも異界神の妻(メグリヒモク)としてはそれ以上の情報が異世界にはない為、妖格(かく)は高くなっても能力的な影響は低い。

なんか凄そうだとは思われてもどういう風に凄いのかという共通認識がない為である。

一応、異界神の妻(メグリヒモク)としてであれば影響が少ないだけで妖格(かく)自体は高まっているのだが。

 

一方妖伝(つたえ)の方はほぼ無い。

まぁ、俺しか知らない妖怪だからなぁ。

妖伝とは別の方法で補給している(俺の陽気とか与えている)ので餓えることはないんだが。

 

異界神の妻(メグリヒモク)としての妖伝(つたえ)なら少しはあるが、異界神(キツネツキ)と比べても知名度は高くない。

そして妖格(かく)と同じく異世界の妖伝(つたえ)異界(マヨイガ)には届かない為、それを回収しようとすれば異世界に赴くか異界神の神座(迷い家百重御殿)が代わりに行う必要があり、どちらの方法でも相当にロスが発生してしまう。

今のままでは異世界の妖伝(つたえ)には期待できないのだ。

 

とはいえ現状では別に困っていないので問題は無いが。

 

ちなみに百重御殿はただのマヨイガだった頃から隣り合う世界の妖格(かく)妖伝(つたえ)を得られる性質を持っていた。

これにより異界でありながら現世の妖格(かく)妖伝(つたえ)の影響を受けて、その存在を維持してきた。

それは異世界でも変わらず、異世界の神器(不思議な道具)神のいる座(違う世界)への信仰を得ていたのである。

 

コンですら弱体化が懸念されていた異世界において、実際にその世界に現れた訳ではないにしろ百重御殿(マヨイガ)が平気だったのにはこういった絡繰りがあったのだ。

あと単純に貯えが結構あるのであらゆる世界から切り離されたとしても100年くらいは消えずにいられるとのこと。

 

「では頑張ったミコトにはご褒美じゃよ」

 

そう言ってコンは懐から筥迫(はこせこ)を取り出してミコトに渡す。

筥迫(はこせこ)は江戸時代に流行した紙入れの一種であり、お金とか化粧道具とかを入れていたんだとか。

妖怪ではなさそうだが、視たところ何らかの力を感じるあたりただの筥迫(はこせこ)ではないだろう。

 

「それを開けば中にお主の姿絵が刺繍されておるから、それに触れて妖力を込めるんじゃ」

 

「えっと、あ、これなのだ」

 

ミコトが胴締め*3を外して中に触れる。

するとミコトが一瞬光に包まれたかと思えば、光が収まった時にはミコトの服装が変わっていた。

 

これは、色打掛(いろうちかけ)か。

紅白ぼかしの生地に金彩で何匹もの狐と蝶が描かれている。

素材はたぶん命婦専女(みょうぶとうめ)の正装と同じものだろう。

見た感じ中には白の小袖と袴を身に着けているようだ。

手には筥迫(はこせこ)を持っているので、コンの簪のようにそれ自体が変化する道具という訳では無いのだろう。

 

「あなた、みてみて。綺麗なのだ」

 

「ああ、似合ってるぞミコト」

 

ミコトが両手を広げて打掛を見せてくる。

こんな美しく可愛い妻を持てて俺は果報者だなぁ。

 

「ところでコン、一体どうしたんだ?」

 

よく観察してみたところ、ミコトの着ている打掛にはヤシロさんの仕事着以上に強力な霊的防御が施されている。

そこに秘められた力は御神衣(かんみそ)*4と言われても納得できてしまうほどのものだ。

ただのご褒美にしてはものが不釣り合いがすぎる。

 

「いやなに、お主の神社が完成すればミコトも表に出ることが増えるじゃろうから、今のうちに神事用の衣装を用意しておいた方が良いかとおもっての」

 

ああ、なるほど。

コンには命婦専女(みょうぶとうめ)の正装があるし、ヤシロさんは巫女装束がある。

基本的にミコトが異界神(キツネツキ)の妻として傍に控えている時の服装は七変化の術を用いて作ったものだった。

一つぐらいこういうのを持っていた方がいいだろう。

 

これほどのものを着れる財力や地位があるというのは、妖格(かく)を上げるのに大いに役立ってくれるのだ。

威信財みたいなものだな。

いくら異界(マヨイガ)ではミルラト神話圏での妖格(かく)の影響はほとんど無いとはいえ、高めておいて損はない。

 

俺?

 

俺は百重御殿の主なので全身マヨイガ妖怪コーデである。

妖怪小袖に妖怪袴をはき、その上に妖怪羽織。

これが俺が異界神(キツネツキ)としてお客を迎える際の服装だ。

 

普段着にしているのは妖怪小袖だけであるが。

 

ちなみに帯とか足袋とかも妖怪だ。

帯の方は以前ちらっと紹介*5したか。

 

それにしても贈り物か。

俺もミコトに何か用意したいのだが、何がいいだろうか。

なんせもうすぐ俺たちの結婚記念日なのだから。

 

美しい打掛(うちかけ)を着てはしゃぐミコトを見ながら、俺はそんな事を考えたのだった。

*1
近江国の伊吹山とする資料もある

*2
File No.20『富は一生の宝、知は万代の宝』

*3
筥迫が開かないように留めている帯

*4
神のお召しになる衣服

*5
File No.19-1『鷹は飢えても穂を摘まず』




妖格(かく)妖伝(つたえ)は創作になります。
ちなみに、妖格(かく)と妖怪の(くらい)はまた別物です。

少年(しょうねん)()(やす)(がく)()(がた)し』
学問を修めるのは時間がかかるのに、月日はあっという間に過ぎ去ってしまう。
だから寸暇を惜しんで勉強しましょうという意味。

学び始めることに年齢は関係ありませんが、だからと言ってそれを先延ばしにしていれば何も学べないまま終わってしまいますから。


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