名もなき愚者の鎮魂歌 (ばんどう)
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1話

「……大変なことが起こったわ、トランクス」

 

 時の界王神は少女らしい小さな手を顎にそえると桃色の眉をハの字にひそめた。刻蔵庫の広々とした室内。普段は上機嫌にトランクスを見上げてくる黒瞳が、不安と動揺に揺れている。

 トランクスがいま見下ろすのは、室内中央に据えられた八角形の大テーブルだ。そこに一巻の巻物が広がっている。黒い靄がかった禍々しい巻物だった。

 

「時の界王神様、緊急事態とおっしゃってましたが、今度は一体なにが起きたんです?」

 

「歴史改変の起きた時代を修正しに行ったタイムパトローラーが殺されたのよ。コントン都に帰ってくることも出来ずに改変された歴史のなかでね」

 

「えっ!?」

 

 トランクスは思わず後ずさった。

 時間という特殊な尺度を司る時の界王神は、他の万物が『いま』の連続でしか捉えられない現実を、早めたり巻き戻したりすることができる。ある場所・ある時代を巻物としてまとめ管理し、『歴史』として保存するのだ。

 ところが、この時の次元にさえも関与する術を覚えた暗黒魔界の一部の住人たちは、定まった歴史を改変したり、改変したことで生じる負のエネルギーを利用せんとうごめいている。

 

 これに対抗して時の界王神が立ち上げたのが『タイムパトローラー』という自警団だ。腕に覚えのある銀河のつわものたちを募り、時の界王神の要請どおりに改変された歴史を修正する任を負う。彼らはたとえ任務先でトラブルに巻き込まれ、歴史修正に失敗したとしてもすべての時空に繋がるこのコントン都には必ず帰還できる。

 タイムパトローラー・ライセンスという時の界王神直々の祝福が安全装置として働くのである。

 

 それが一転、巻物のなかで絶命したということは敵がタイムパトローラー・ライセンスの壊し方まで熟知していることになる。暗黒魔界の住人たちでにそんな芸当は不可能だ。

 

「では、まさか……タイムパトローラーを殺害したのは、暗黒魔界の住人の仕業ではないということですか」

 

「ええ。それでね。刻蔵庫を隅から隅まで調べてみたら、巻物がひとつ消えていたわ。……エイジ796。あなたがいた時代のものよ」

 

 時の界王神の溌溂と明るい声はなりをひそめ、深刻な面持ちで顎にやった手を下ろす。

 トランクスの頬に、震えが走った。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

*月@日

今日から日記をつけることにした。

きっかけは単純だ。変な力に目覚めた。

昼間、母親が五歳の誕生日プレゼントを買ってあげる、と言って俺を連れて街に出かけた。

ジンジャータウンでも一番デカいデパートに向かう道すがら、俺たちは黒い靄がかった化け物に襲われた。

俺は初めて見るはずのその生き物を「プテラノドンだ」と理解できた。翼のある丸々と肥えた恐竜はまたたく間に道路や建物の窓を突き破り、往来を阿鼻叫喚の渦に叩き落した。プテラノドンが俺の母まで食おうと襲い掛かってきたからとっさに両手で突き飛ばした。手が光った、と思ったらプテラノドンの胸に大穴が開いて、悲鳴を上げるや黒い靄になって消えていった。

街のみんなはハッとして、まるでなにごともなかったように日常にかえっていった。プテラノドンが壊した街も、いつの間にか元に戻っていた。

俺は夢でも見たのかもしれない。

ただこの時を境に、俺は五歳児らしい思考力を失い、こうして日記が書けるようになった。

 

、月。日

黒靄の化け物が、また現れた。今度はデカいウサギ。これがめちゃくちゃ強くて、俺は命からがら生き延びた。敵の動きは見えているのに自分の体の小ささに戸惑う。化け物の返り血はみんなには見えない。動いているモノを殺す感覚には、なかなか慣れない。

どうやら俺は蹴りが得意らしい。

 

~月%日

オニキス。オニキス、オニキス、オニキス……。

自分の名前を何度も練習して、早く慣れないと。

 

|月=日

ラピスが新作ゲームを持ってきた。

黒靄の化け物と戦うようになってから俺は家に引きこもりがちだ。それを見かねたのか、幼馴染は発売初日の人気ゲームをひっさげてウチにやってきた。今日は寝るのも惜しんで遊んだ。楽しかった。

ありがとう、親友。

 

;月#日

黒靄の化け物と戦っていたら、タイムパトローラーと名乗る男が加勢してくれた。

彼が言うには、化け物は歴史の「歪み」によって生まれるらしい。化け物を放置したら、本来の歴史に悪影響を与えるとのこと。俺は強い「気」を扱える地球人なので、その力の使い方を覚えてタイムパトローラーにならないか? と誘われた。

俺は男に連れられてタイムパトローラーの拠点、コントン都に向かうことにした。

ずっと不安だったんだ。もし、この靄の化け物を倒せなかったら、街は壊れたままなんじゃないかと。

 

 

○月!日

まだ年少者なので、実戦よりコントン都で座学とトレーニングに励めと言われた。五歳児らしからぬ思考と知識量は周囲を驚かせたようだ。正直、プライマリースクールの学習内容には飽きていたからいい気晴らしになった。

 

 

 

○月▽日

まさか十年以上もこの日記を続けるとは思わなかった。

 

俺は相変わらずコントン都とジンジャーダウンを行き来している。ハイスクールに通い始めて二年、ジンジャータウン(こっちの時代)で数えたら十七歳か。

ここ十数年、コントン都であらゆるトレーニングを積んできた。得意な戦闘スタイルは気功と格闘術の合わせ技。カウンター主体の拳法だ。これはだれかに教わらなくても自然と身についた。気の容量がやはり異常に大きいらしく、うまく制御しないと山やら谷やらを壊してしまう。感情は平らに。つねに冷静さを失わないようにしないと。

タイムパトローラーとして実戦に出るようになってからは、片っ端から与えられた巻物の「歪み」を倒していった。

やっと自分の力の使い道――居場所がわかったんだ。

 

 

×月△日

日付は、あらゆる時代と繋がるこのコントン都では意味をなさない。

だけど俺の決意を鈍らせないためだ。

 

まだ手が震えて、字がうまく書けない。

少し冷静になるために事件の発端を振り返る。

 

三日前、コントン都からジンジャータウンに帰ってきたら、ラピスの両親が青い顔して玄関に立っていた。

ラピスと双子の姉ラズリが何者かに誘拐された。

すぐ警察にも届けたが手掛かりは一切なく。その日の昼まで一緒に授業を受けていた俺にみんなは詳しい情報を求めた。

俺は起きている事態が信じられなくてラピスに「いまどこだ?」とメールするのがせいぜいだった。けど既読すらつかない。もう二日も経ってしまった。また、日が昇ろうとしている。

 

大丈夫、どうせすぐにラピスがとぼけたメールを返してくる。

ラズリなんて学園(スクール)の人気者だから、だれか見かけたにきまってる。

あの二人は無事なんだ。

だけど、もし――

もしいくら待っても、あいつらも、メールさえも返ってこなかったら――

 

いいや。

俺が、必ず見つけてやる。必要とあらば巻物を使ってでも。

 

 

 

 

5月12日

ジンジャータウンが壊滅した。人造人間セルによって。

これは定められた歴史なので修正してはならない、と時の界王神が言った。黒い靄の化け物がいなくても、俺の街は死ぬんだ。

見慣れた街に散らばった、服だけ残ったひとの残骸が、自宅のリビングに並んでいた両親の服が、頭から離れなくなった。

俺は――この悲惨な光景を、残酷な人間の営みを()()()()()気がする。

あれはなんだったか。あれは、なんだったのか……。

 

 

△月〇日

目が覚めたら、コントン都にいた。

俺は歴史修正のために巻物のなかに入ったはずなのに。

先輩パトローラーが「あんなことはもうやめろ」ときつく言ってきた。

意味がわからない。俺の服には血がついていた。洗っても洗っても、なかなか落ちない。変だな。化け物の血なら倒せば消えるはずなのに。

 

知らないうちに、俺は歴史修正を行ったらしい。

 

 

。月!日

また、眠っているあいだに歴史修正を行っていた。

コントン都であてがわれている部屋に、知らない水槽がある。熱帯魚が気持ちよさそうに泳いでいた。

ジンジャータウンに戻れなくなってから、日記の日付に自信がない。

時を飛ばしてるみたいに、最近、現実が細切れに感じる。

変だな、日記を読み返しても原因がわからない。

 

 

 月 日

俺はコントン都の住人から危険人物とみなされた。

お目付け役に抜擢されたのはトランクスという青年だ。

トランクスは俺と同い年くらいの、人当たりのいい好青年だった。

俺が初めてこの都にきたとき、「天才」ともてはやしたやつらはみんな離れていったが、トランクスは友好的だった。

ただ、ときどき俺を心配そうに見てくる。

「きみはいまオニキスなのか?」と聞かれた。

俺にもわからない。なにが起きているのか、わからないんだ。

 

 

 月 日

トランクスが俺の様子を撮影した映像を見せてきた。

俺は、自分のなかに棲む複数の人間たちのことをはじめて知った。

気味が悪い。単純にそう思った。なのに映像から目が離せない。

俺は、どうなってしまうんだろうか。

 

 

 

 月 日

歴史修正任務の途中、トランクスが暴走した。

定められた歴史では、次の戦いで孫悟飯は死ななきゃならない、らしい。それを助けようとして時の界王神に止められた。

俺のほうは――やっと親友を見つけた。

 

思ったより長くかかったけど、ようやく見つけたんだ。

だけど二人の呼び名は人造人間17号、18号に変わっていた。

 

俺のことも覚えていなかった。

あの悪名高いレッドリボン軍に捕まって、殺戮人形に変えられてしまった。

これは『定められた歴史』なんだと。靄は、関係なかった。

 

あいつらは笑 で無力な の人を、孫 飯を殺  て  た。

俺 、助け べ 人間な て なか 

 

 

 月 日

 

(文字が滲んで判読不能)

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「きみ、面白いね!」

 

 廃墟と化した街に、男の陽気な声が響き渡る。

 俺は崩れた高層ビルの向こう側に広がる、灰色の濁った空を見上げていた。変わり果てた西の都。だれもが憧れる最新鋭の街だったのに、煙っぽい街の空気も、すすけた瓦礫の山も、先ほど壊したばかりの人造人間18号(ガラクタ)の椅子も、どれも居心地が悪くて仕方ない。

 

「まさか歴史改変だけじゃなく、きみのお仲間のタイムパトローラーまで()っちゃうなんてさ! こんなことが時の界王神に知れたら、大変なことになるよー!」

 

 男が弾んだ声ではやし立ててくる。

 うるさいな。俺はいま、休んでるんだ。

 

「きみは『歪み』じゃないな。暗黒魔界の者か」

 

「ご名答ー♪ ぼくの名前はフュー。歴史改変の際に起きるエネルギーについて研究しているんだ!」

 

「それは素晴らしいね。俺もこんな歯ごたえのない歴史には飽きていたんだ。せっかくの力も、試せる相手がいなければつまらないだろう?」

 

 『ミノル』が大袈裟に両手をひろげて、男に訴えかけている。俺の疲労を見抜いて、『スポット』を入れ替わったようだ。ミノルは理屈屋でなんでも分析しないと気が済まない。

 俺の頭のなかには俺を含めて八人の人間が棲んでいる。俺たちは暗い部屋のなかで『スポット』の周りを囲んでいて、スポットに立った者だけが意識の手綱を握る。スポットから外れると、外の会話は聞こえるが周囲の様子がわからなくなる。

 トランクスから俺自身の一日を記録した映像を見せられて、俺はやっとこの部屋の存在を知ることができた。それでも時々、記憶は断片的になる。眠っている間に行動されると、なにもわからなくなるのだ。

 

「いいねー! きみ、ほんとにいいねー! ぼくもね。歴史なんてどう変わろうがエネルギーさえ手に入ればどうでもいいんだよ。でもこういう希望のない歴史って悲しくない? キミだってたくさん見てきたんでしょ? そんなのはもっといい歴史に変えちゃえばいいんだよ。どうせならみんなハッピーのほうがいいじゃない。もし歴史改変で宇宙全体が大変なことになるなら、そうならないように集めたエネルギーを使う、とかさ。なんなりと方法がありそうな気がするんだよね。……きみ、ぼくといっしょに来ない? 歴史改変エネルギーを集めてくれるなら、ちょっと研究してみるからさ!」

 

「とても魅力的なお誘いだが」

 

 ミノルが俺たちをふり返ってくる。

 興味ない。俺はどうでもいいんだ。この世界で起きたことがすべてなんだよ。それにまだ、人造人間17号(ガラクタの片割れ)が残ってる。

 

『俺もミノルに賛成だ! その男についていきゃまだまだ人間を殺せるんだろォ? こんな他人が遊び尽くしたしみったれた場所じゃ、墓の掘りがいもねえ! あくびが出ちまうぜ! とっとと抜け出して人間をぶち殺そうぜ!』

 

 スポット外でも『カズヤ』はひときわうるさい。こいつはひとを殺せればなんでもいい変態だ。ミノルと違って相手が弱ければ弱いほど、頑丈であればあるほどいたぶって殺すのを好む。

 俺はこいつが嫌いだ。さっき18号(ガラクタ)を壊すとどめも横取ろうとしやがった。雑食は黙ってろ。

 

『忍がまだ起きてない。僕には決められない』

 

 ぶつぶつ話す『マコト』は意見を持たない。こいつはミノルの指示通り炊事洗濯掃除を延々とこなす働き者だ。積極的にスポットの取り合いには関わらない無害な少年。

 『ヒトシ』はさきほどから隅で爪をいらってばかりで話を聞いていない。

 英国人の『ジョージ』は腕を組んで鼻歌を歌っていた。多言語を操る商人だが、俺たちの生きる世界では無用の長物。神経の図太さはカズヤと並んでる。

 

『私もどちらでもかまわないが。ただ殺すことだけが目的で、場所をコロコロと変えられるのはごめんだよ。ルートを開拓するのが難しくなるからさ』

 

 無効票が三、か。

 となれば、意思決定権は唯一の女性人格『ナル』にゆだねられる。

 

『私はオニキスと同じよ。行かない。ほかの場所に行ったって、どうせ同じだもの』

 

 ミノルが長いため息を吐いた。肩をすくめる仕草でさえどこか芝居がかって見える。

 

「二対二か、交渉決裂だ」

 

「ざぁ~んねん! まあいいさ。気が変わったらいつでも言ってよ。すぐに迎えにくるから!」

 

 フューが去っていったようだ。

 ああ、まずい。だんだん瞼が下りてくる。集中しないとスポットが見れないのに。

 眠ったら、またやつらの好き勝手にされる。

 いやだな、いやだ、眠りたくない……。

 

 

 

 そう思い残して、俺の意識は深く沈んでいった。



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2話

△月〇日
目が覚めたら、コントン都にいた。
俺は歴史修正のために巻物のなかに入ったはずなのに。
先輩パトローラーが「あんなことはもうやめろ」ときつく言ってきた。
意味がわからない。俺の服には血がついていた。洗っても洗っても、なかなか落ちない。変だな。化け物の血なら倒せば消えるはずなのに。
 
知らないうちに、俺は歴史修正を行ったらしい。


「きみがオニキスだね?」

 

 懲罰房に入れられた俺のまえに、男が現れた。紫がかった青い髪をツーブロックにした青年だ。寒くもないのにタートルネックセーターと分厚いロングコートを羽織っている。

 

「あんたは」

 

「俺はトランクス。時の界王神様からきみの様子を見てほしいと頼まれた者だ」

 

 トランクスと言えば、時の界王神が最初に助力を求めた歴史修正の第一人者だ。俺にとってはあの大財閥、カプセルコーポレーションの御曹司という噂が印象強い。要するに現実でも、この都でも雲の上の存在だ。

 任務中に仲間を撃って罰せられている俺のもとに、彼がくる理由と言えば、ろくなものではない。気づいたら自嘲のため息が洩れていた。

 

「大変ですね。人間に害を与える俺みたいなやつは、即処分するかと思ってました」

 

 事件の詳細を聞かれても、俺にはわけがわからない。それが他人からは()()()()()()()()と思わせるらしく、房に入れられてからは怒鳴られてばかりだった。

 トランクスが端正な眉尻をハの字に下げる。

 

「オニキス、自棄(やけ)になるのはよせ。きみの活躍はコントン都始まって以来の輝かしいものだってだれもが認めてる事実なんだ」

 

 いまはどうか知らないがな。あいまいに笑ったはずが心情が出てしまったらしく、トランクスの表情がくもった。

 

「それで今後はどうなるんですか。しばらくここに籠もっていればいいですか?」

 

「いや。まずは界王神さまに会ってもらう。また歴史修正任務に出られるかどうかはきみ次第だ」

 

 意味あんのかな、歴史修正することに。俺の故郷も、ラピスとラズリもまだ戻ってこないのに。

 

「そいつは嬉しいな。俺、幼馴染を捜してるんです。ラピスとラズリっていう双子の姉弟なんですけど、俺はもう故郷(自分の時代)に戻れないから歴史修正のときにもし出会えたらって」

 

「いいね。個人的な目標をもつことはいいことだよ」

 

 トランクスがやわらかく笑いかけてくる。このひと、いいひとだな。ほかの人間なら開口一番『なんてことをしてくれたんだ!』と怒鳴りこんでくるのに。

 あんたの目の前にいるのは当人でさえなにをするかわからない爆弾だ、と叫びだしたい衝動にかられた。

 脳裏に浮かぶ、血のついたシャツ。なんの血かもわからない。俺以外の血で汚れたシャツ。

 トランクスほど強い男なら、俺が暴走しても止められるんだろうか?

 

 いやだな。ひとは傷つけたくない……。

 

 トランクスに連れられて独房を出るとき、いやな予感に顔をしかめた。

 

 

 

 

 オニキスは不思議な少年だった。見た目、十六、七歳の陰のある少年だ。中性的な顔立ちに、黒いショートヘア。身長もさして高くない。はじめて懲罰房の柵越しに彼を見たとき、こんな子が? と思わず首をひねってしまった。

 

 歴史修正任務中、同行者のパトローラーを囮にして彼女ごと歴史の「歪み」を撃った。

 

 報告であがった映像では、オニキスは残虐の極みだった。繊細ささえ感じさせる面持ちは凶相にゆがみ、左手一本で身の丈の半分ほどあるショットガンを苦もなく操る。声すらさきほど会った彼より低く、ドスの効いたがなり声で話し方も粗野だった。とても同一人物のようには思えない。

 同行者だったパトローラーの子とは初対面で、怨恨どころかそれまで接点すらない。

 

「トランクス!」

 

 背中から声をかけられ、ふり返ると時の界王神様が笑顔で手を振っていた。

 

「どうだった? 例の子は」

 

 小走りに近くまで寄ると、時の界王神様が問いかけてくる。緑豊かなコントン都の、美しく整備された煉瓦道を並んで歩きながら俺は首を横に振った。

 

「実際に会ってみましたが信じられません。まるで報告の映像とは別人だ」

 

「彼はどうやら、本来ひとつであるべき人格が分離してしまっているようなの。事情を聴いてくれたほかの子にも任務中の行動については『わからない』と答えているわ」

 

「二重人格…………」

 

「たぶんそれよりもっと多いわね。オニキスの人格自体は問題ないと思うんだけれど、ほかの人格については難しいところね。心が黒く染まってしまっていて、すごく暗くて重たいものを感じるわ」

 

 ひとであれば精神分析してようやく把握できることが、界王神様は感覚的につかめるようだ。

 

「今後はどうします? 俺が傍について、人格の入れ替わりがあったときに止めましょうか」

 

「あなたには一時的にナビゲーターをやってもらおうと思ってるの。オニキスの行動は最悪、こちらの神通力でどうにか止めてみせるわ。このままあの子を放置しておいたら、きっと心が壊れてしまうもの」

 

 時の界王神様が顎に手をやって考え込まれる。

 オニキスから感じる、抜身の刃物のような鋭くも危うい不安定さは人格形成からきているのかもしれない。

 

「とにかく。目を離さないようにお願いね? オニキスの精神面の治療は老界王神(おじいちゃん)に頼んでみるから」

 

「わかりました」

 

 俺はこのとき、オニキスの心の闇を甘く見ていたのかもしれない。

 その後、オニキスを連れて老界王神様のもとへ向かった。コントン都は世界の縮図のような都でさまざまなエリアがある。市街地のアパートに居を構えるオニキスのもとに向かい

 

「きみに会ってもらいたい方がいる」

 

 と伝えると、オニキスは不思議そうな顔をしながらも「わかりました」と素直に答えた。彼を連れて、老界王神様のもとに向かう。いつもは刻蔵庫にいらっしゃるのに、なぜかこのときだけ老界王神様は急峻な山の上にいらっしゃった。どうしてこんな辺鄙な場所に? とは疑問に思ったが、気さくな老界王神様が「それらしい顔」をつくってオニキスを出迎えているのを見て聞かないことにした。

 

「おぉ、よく来たの。そこに座れ」

 

 老界王神様が手許の草むらを指さされる。オニキスはここでも素直に従った。

 

「お前さんが時の界王神の言っていた問題児か。まあ、そう心配せんでもええ。このわしの神通力があれば分かたれた人格なんぞちょちょいのちょいじゃ」

 

「分かたれた人格、ですか……?」

 

 オニキスが不安そうに聞いている。老界王神様がこちらに視線を送ってきた。俺は首を横に振る。多重人格の可能性については、まだオニキスに話していなかった。

 老界王神様が曲がった腰に手を当てて「まあええわい」とつぶやかれた。

 

「ともかくお前さん、そこでじっとしておれ。これからこのわしが聖なる舞を踊るでの。動くんじゃないぞ」

 

「はい」

 

 正座して、オニキスがこくりとうなずく。老界王神様がカッと目を見開かれ、両こぶしを握ってブンブン上下に振りだした。歌なのかなんなのかわからない「ほっ、いぇいっ」という掛け声とともにオニキスの周りを回り始める。

 …………言葉にして言えないけど、とても不思議な舞だった。

 

 ――そして、待てども待てども終わらない。

 

 正座しているオニキスの顔が若干ゆがんでくる。老界王神様は「シャキッとせえ!」とそのたびに喝を入れておられた。老界王神様自体も汗だくで、さきほどから一秒も止まっていないのにお元気だった。

 ただ心情としてはオニキスに同情してしまう自分がいた。

 

 まさか日付が変わっても終わらないとは。

 

 俺は傍にある大木の幹で休んでいたんだけど、二人は相変わらず顔を歪めてそれぞれの姿勢をキープしたままだった。老界王神様にここまで体力があったのは驚きだ。いや、失礼だけど。

 しかもこれは、三日三晩続いた。

 

「ほああああああっ!」

 

 聖なる舞の最後の瞬間、老界王神様がオニキスに向けて手を突き出し、渾身の神通力をお与えになる。「これで、終わりじゃ」という言葉とともにオニキスは「あり、がとうございました…………」とつぶやいてぱたりと倒れた。

 

「老界王神様、これで彼は大丈夫なのでしょうか?」

 

「あったりまえじゃ。だれにものを言うておるか!」

 

 草むらに倒れこむようにして座り込んでいる老界王神様に言われ、これはイケる、と俺は確信した。老界王神様に礼を言って、オニキスを抱えて刻蔵庫に戻る。医務室に寝かせたあとで、時の界王神様に「行けそうです」と報告した。

 時の界王神様が無邪気に喜ばれる。

 オニキスが捜している幼馴染、早く見つかるといいな。

 俺はそう思って、彼が目を覚ましてから三日後、歴史修正任務に出てみないか? と誘った。彼はどこか大人びた表情で「ちょうど退屈していたところです」と答えてきた。

 少しは打ち解けたのだろうか? 彼からは押し殺したような雰囲気が消えていた。

 

 

 

 

 くく、どいつもこいつも。

 神というのは無駄なことがお好きだ……。

 

 俺は久しぶりに感じる新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。素晴らしい。これが光ある世界か。

 

[オニキス、準備はいいかい?]

 

 イヤホン型通信機からトランクスとかいうやつの声が聞こえてくる。

 ――()()()()だって? 洩れそうになる笑いをどうにかこらえながら、俺はそれまでこの体を動かしていたやつの物まねをして答えた。

 

「ええ。もちろんです」

 

 それきりトランクスは、()()()()()()()と信じたようだ。

 抹殺する予定の人間たちに従うのは、少し奇妙な感じだ。だがカズヤのように好き勝手動いて、また拘束されてはかなわない。俺が生きた場所より、ここには強力な人間が多くいるようだ。少し、様子を見るとしよう。

 『元の歴史』というのが俺たちには理解できないが、今回は本来の歴史ではこの場にいるはずのない、ターレスという褐色肌のサイヤ人を倒せ、という命令のようだ。神たちはありもしない歴史がくり広げられていることに驚き、孫悟空を助けろとせっついてくる。それを右から左に聞き流し、俺はその孫悟空というサイヤ人と、ターレスを見比べた。顔も背丈もそっくりな二人だった。戦闘力はなるほど、ターレスの方が数段上のようだ。力を押さえている状態で、それでも殴り合える孫悟空が気に入っているらしく、口許には笑みを浮かべている。

 タイムパトローラーとやらなら、ここで歴史の「歪み」であるターレスの前に、姿を見せねばならないらしい。だが俺はそんな面倒なことはせず、はるか空から彼らの戦いを見物していた。

 この世界には『霊力』という概念は弱く、俺たちの力は一律『気』として扱われる。

 まったくもって心外な話だ。俺の霊光の格が落ちる。

 

『そんなもん、気にしたねえだろうが! ミノル! ギャハハハハハハッ!』

 

 『カズヤ』の笑い声が頭に響いてくる。失礼。少々誇張した表現だったのは認めよう。

 ターレスとやらはこの歴史の始まりとなる者、孫悟空を仲間にしようと誘っていた。

 

「なあお前、俺と一緒に来る気はないか? 宇宙を気ままにさすらって、好きな星をぶっ壊し、うまい飯を食いうまい酒に酔う。こんな楽しい生活はないぜ!」

 

「フッ」

 

 ――おっと、いけないいけない。

 まだ自分を抑えていなければいけないんだった。

 

『ミノルは笑いのツボが浅いね。あんな高笑いをしていたんじゃ、一発でバレてしまうよ』

 

 だからいまがんばって抑えているだろう、ジョージ。

 

『口許が笑っているよ?』

 

 それは容赦してくれ。ただ――

 

「俺は気に入ったよ、この世界を」

 

 手のひらを上にかざして、霊光を集める。この体は忍以上に『気』と相性がいい。それがこの世界のせいか、それとも、時を自在に操る都でのトレーニングのせいかは知らない。

 

「久しぶりの運動だ、少し付き合ってくれたまえ」

 

 ボール状にした霊光を思いきり蹴り上げる。はじけて飛び出た気弾がニ十個ほどに分裂してターレスに迫った。孫悟空を一方的に打ち負かそうとしていたターレスは、突如上空から降って湧いた気弾の雨に驚き、とっさに腕を交差させて防御態勢に入った。だが、気弾は岩山を崩落させ、そこで起こった土煙とともにターレスは気弾の渦のなかに沈んでいった。

 

「なんだ、もう終わりか。張り合いのない」

 

『だから、人間をぶち殺すのが最高だって言ってんだろォ? ミノルよぉ!』

 

 フフッ、まあそう言うな。お楽しみは最後に取っておくものだ。カズヤ。俺は任務終了を通信機に告げると、トランクスに労われながら都に戻っていった。

 退屈な闘いだった。せめて浦飯とまでは言わないが、もう少し張り合いのある相手を連れてきてはくれないものか。

 

「あ、さかなっ!」

 

 ぼくは部屋にかえるとちゅう、泉のなかにめずらしい小魚を見つけた。ぱっと見は『ぶるーぐらすぐっぴー』ににてるけど、色がとてもカラフルで、からだについたひれの数がおおい。

 

『やれやれ。ヒトシに体を取られてしまったか』

 

 ミノルのこまった声がする。だけどぼくは目のまえの泉の(せい)ぶつにむちゅうだった。

 まわりを見わたす。お店ですいそうが売ってあった。

 ――かってもいい?

 

『あまり必要のないものではあるが、仕方がないな。この際は』

 

『ヒトシは言い出したら聞かないからね。困った子だ』

 

『くっっだらねえ!』

 

 ミノルとジョージがきょかをくれる。やったー!

 なにかをきめるとき、みんなにそうだんするのがぼくらのルールだ。

 小さめのすいそうをかって、ぐっぴーをへやに連れてかえった。ぼくはあきるまで、ずーっとあらたなお友だちを見つめていた。とちゅうでマコトがへやのそうじをしないと、って言ってきたけど、まだだめー! ってことわった。うふふ。なんていう子だろう? ぐっぴー、かわいい♪

 

 

 

 

「気分はどうだい? オニキス」

 

 歴史修正任務が無事に終わった翌日、俺はオニキスの部屋を訪れた。コントン都でも西の都に似ている街の一角のアパート、それがオニキスの自宅だ。

 ドアホン越しに挨拶したときは「中へどうぞ」と言っていた彼なのに、なぜか少しも出迎えてこない。他人に自室をうろつかれるのも不快じゃないだろうか? そう思いながら慎重に奥のドアを開けると、ベッドの上で小さくなって座っているオニキスが、こちらを向いてきた。

 

「…………トランクスさん、あの、今日は何日ですか?」

 

 オニキスはひどく動揺していた。自分の部屋にいるのに、ここは俺の部屋じゃない、と言ってくる。

 オニキスの精神分離はまだ治まっていなかった。

 

 

 

 

 夜。俺は物音に目が覚めた。

 

『カズヤ、気を付けろ。部屋の外に六人いる』

 

 ミノルが忠告してくる。なるほど。さすがにそういう勘は頼るになるぜ、相棒。

 俺は口端を吊り上げながら、ジョージが用意したハンドガンをナイトテーブルから引きずり出した。今回の体のやつは『気』に長けている。本当は、こんな銃を用意しなくても『気』から本物を作れるほどに優秀だ。能力はな。

 俺はそっとドア隣の壁に身をひそめた。

 ガシャンと鍵を壊す物音がやむとともに、男たちが部屋に押し入ってきた。同じ建物に住む『お仲間』たちだ。

 

「オニキス! この野郎!」

 

 やつらは寝室の照明の点け方も心得ていた。押し入ると同時に明かりをつけて、ベッド目掛けてかかと落としを決め込んでくれる。だが、そこは空だ。

 ハンドガンを一発、かかと落としをくれたやつの脚にプレゼントしてやった。銃声とともに男が倒れ、驚いてうろたえるやつらを寝かしつけるように、俺はそっと寝室のライトを消した。

 

「あアァアああアアあ! 脚が! 俺の、脚がぁあアアアああ!」

 

「パタタ!? おい、しっかりしろ!」

 

「い、いったいどこから……!?」

 

「この卑怯野郎! 姿を現せ!」

 

「獲物がひとぉーつ、ふたぁーつ、みぃーっつ……」

 

 俺は夜目が効く。恐怖で震えるやつらのうち、一番のっぽの背中に一発、銃弾をくれてやる。マズルフラッシュが一瞬部屋を照らす。一人の悲鳴を除いて一斉にこっちをふり返ったやつらは、俺の顔を見て凍り付いていた。

 

「さあ、パーティーを始めようぜ? 楽しい楽しい、殺戮パーティーをなア! せいぜい泣きわめけや! ギャハハハハハハ!」

 

 タイムパトローラーとして鍛え上げられたやつらは、普通の人間よりも強靭な肉体を持つ。だから、本当はこんなチャチな銃じゃ傷もつかない。だが今の俺には弾丸に殺傷に必要な『気』を込めることができる。刃霧のようなコントロール力はねえがな。

 無敵と思っていた自分たちが、弾丸一発でお釈迦にされる現実で震えはじめていた。いいぜ、その顔! もっと可愛がってやらなきゃなあ!?

 

「す、すまん! すまん悪かった! オニキス! お、おれは、ニャキがベリィのかたきを討つって言うから、仕方なくついてきただけで……!」

 

「俺も!」

 

「俺も!!」

 

「てめえら! 裏切んのか!?」

 

 心配すんなよ、全員殺してやる。だからそう慌てんな……。

 

「ふむ。命乞いをする程度の能はあるのか……。タイムパトローラーというのは、時間を操作するから成長速度に反してどうも内面が幼い」

 

 おい! テメエ! ミノル!!

 

「カズヤ。少しさがってくれ。ちょうどいい手足になりそうなやつらじゃないか」

 

 俺は怯えさせてしまった彼らに微笑みかけた。

 

「手荒な真似をしてすまなかったね。だが、俺としても急に部屋に押し入られるのはとても困るのだよ」

 

「くっ! テメエ、オニキス! なにをえらそうに……!」

 

 ひとり、食ってかかってくる活きの良いのがいた。さっきニャキとか呼ばれていた男だ。カズヤに女を撃たれたのが相当気に食わないらしい。

 

「黙れ。だれが口を利いていいと言った?」

 

 睨みつけると、ニャキとやらは息を呑んで蒼白な顔で尻もちをついた。本物の殺気も知らない幼い子どもたち。『黒の章』が手許にないのが悔やまれる。あの聖書(テープ)こそ、この世の真理をついた素晴らしい教典だ。人間の残酷さ、非道さが言葉にしなくてもだれにでもよくわかる。

 

「俺も、こう自分のテリトリーを荒らされては苛立ちもする。無事にこの部屋を出たいなら、俺の仲間にならないか? 強制はしない。従属か、死か。ご自由に選びたまえ」

 

 促してやると、戦意を失ったのが五人。

 一番後ろでふんぞり返っていたニャキとかいうのは諦めなかった。

 

「ふっざけ――」

 

「残念だよ。実力差がわからないというのは、じつに残念だ」

 

 俺はデコピンでもするように人差し指を親指で弾く。その衝撃で指先から一本の光弾が飛んだ。轟音とともにニャキが呻いて膝から崩れ落ちる。腹を抱えてうずくまった彼。

 

「その風穴はプレゼントだよ。大事にするといい」

 

 こらえていた高笑いが盛大に洩れる。よく気でも触れたのか? と言われるこの笑いだが、ほかの人格には言われたくない、と敢えて俺はここで言っておこう。

 少ししてからトランクスが部屋に駆け込んできた。腹に風穴の空いたニャキは外に放りだし、ほかの五人に片付けさせていたところだった。

 

「やあ、こんばんは。騒ぎはもう納まりましたよ」

 

 笑顔で告げてあげたのに、トランクスは凍り付いたままだった。

 

 俺たちに神通力は通じない。

 

 ようやくこの世界の神にも、理解できたようだ。

 その日を境に、トランクスは正式に俺たちの監視役(ナビゲーター)に就くことになった。

 

 

 ◇

 

 

 

「きみはいま、オニキスだね?」

 

 任務に出るまえ、トランクスに確認された。俺は「はい」と答えたが、トランクスにはまだ俺を注意深く観察する気配があった。自分が多重人格だということは、少しまえに映像で見せられたので認めざるを得ない。

 俺のなかにいる人格は凶悪な奴らで、トランクスが監視をしないとなにをするか分からない連中だった。

 今回入った巻物はエイジ780。トランクスがまだ少年だった時代だ。ところどころ壊れた街並み。左目に大きな切り傷がある隻腕の青年、孫悟飯が俺をかばうように前に出て、大柄な筋肉質のモヒカン男を睨みつけている。

 

「人造人間!? 17号と18号以外にもいたのか……!」

 

 ――ジンゾウニンゲン?

 鮮やかなオレンジ色のモヒカン男を見て首を傾げた。セルのような化け物じゃない。初めて見るタイプの『歪み』だな。ここまで地球人に似た人型がサイヤ人以外にもいるのか。

 

「孫悟空の息子、殺す」

 

[16号!? なぜこの歴史に……! と、とにかく悟飯さんを! なんとしても守り抜いてください! 俺の分まで、お願いします]

 

 通信機からトランクスの慌てた声が響いてくる。

 ……やはりそうか。俺以外の人間には『靄』が明確に見えてないんだ。歴史の『歪み』として召喚される靄がかった物体は、その歴史の前後に影響を受ける。例えばガキのころ、俺を襲ってきたウサギの化け物は俺がペットショップに餌を買いにいく途中で出てきた。

 『歴史』の起点がだれにあるかが重要なんだ。いまだとトランクスが言うように孫悟飯、この男がこの巻物の起点だ。靄――いや、歴史の『歪み』は出てくるきっかけとなった起点をつぶそうとするからわかりやすい。

 

「小さいころ、俺がタイムパトローラーより先に『歪み』を倒せたのは、そういうことか」

 

 思わず洩れたつぶやきは誰の耳にも届かない。

 モヒカン男――人造人間16号が強烈なタックルを孫悟飯に仕掛けていた。すさまじい炸裂音。右腕で防御(ガード)した孫悟飯が苦もなく弾かれ、次ぐ追い打ちが弾丸のごとく迫る。16号の動きは速くない。だが重量感のあるラッシュが孫悟飯を追い詰める。自分より二回り以上デカい筋骨隆々の16号の攻撃を孫悟飯が冷や汗混じりにさばきながら叫んできた。

 

「こ、この強さはあの二人以上……! きみ! 俺が食い止めるから早く逃げるんだ!」

 

 防戦一方でも孫悟飯は押されている。(パワー)だけでなく、隻腕で手数が足りてない。

 

「任務の邪魔をする者も、殺す」

 

「くっ!」

 

 孫悟飯が舌打ち混じりに呻きをもらす。16号の戦闘スタイルはどこか野性的だ。一瞬の瞬発力なら孫悟飯をも上回った。その証拠に孫悟飯の上段蹴りを16号がかわしつつ踏み込み、背後に回っていることに孫悟飯は気づかない。両手を組んで振りあがった凶器(スレッジハンマー)が容赦なく孫悟飯の背中に振り落ちた。

 

「ぐあああっ!」

 

 たまらず倒れこんだ孫悟飯の頭上に、16号の巨木じみた踏み付けが迫る。左に寝転がってかわす孫悟飯。アスファルト道路が発泡スチロールでできてるみたいに粉々に砕けた。孫悟飯がバック転で態勢を立て直しながら距離を取る。五メートルほど空いたか、孫悟飯は肩で息を切らしていた。

 

[悟飯さん!]

 

 通信機越しにトランクスが叫ぶ。孫悟飯を心配する声であり、観戦している俺を非難する声だった。

 

[オニキス! 悟飯さんを!]

 

「ええ。わかってます」

 

 慌てた指示をなかば聞き流し、戦う両者のまえにゆっくりと歩いていく。

 孫悟飯が驚いたように顔を跳ね上げた。

 

「きみ! まだ居たのか、ここは危ない! 早く逃げろ!」

 

 俺はあいまいに微笑んだ。

 

「邪魔をする者は、殺す」

 

 こちらを向いた16号が突進してくる。実際に対峙するとその巨体は一回りデカく感じる。体を屈めて踏み込んだ。なびいた俺の髪を空寒いラリアットが刈り取っていく。16号の懐で拳を握ったそのとき、16号の中段蹴りが襲ってきた。人体ではありえない筋肉の動き。迫りくる16号の右脚を左手で軽くはたき、さらに右に流す。左脚に気を込めた。16号が息を呑んだのがわかった。

 

「シャァッ!」

 

 左ハイキックに金の大蛇がまとわりつく。大砲を撃ったような轟音とともに、16号の側頭部を蹴り抜いた。

 

「ガッ!」

 

 ロボットでも悲鳴を上げるのか。追撃の掌底をくり出す最中、俺は場違いなことを考えていた。

 蹴りでよろめいた16号のみぞおちに掌底を叩き込む。金色の気が衝撃波を可視化するように爆発し、16号の体が吹き飛んでいく。

 孫悟飯はぽかんとしていた。

 

「強いな、きみ……! ありがたいよ……。まだこんなに強い戦士が残っていたなんて」

 

 心底嬉しそうにつぶやいたあと、孫悟飯が、はた、とまばたきを落とした。その表情に鋭いものが混じる。

 

「いや、そんなはずがない。そんな戦士がいたならもっと早く気づいていたはずだ。きみはいったい、何者だ」

 

 ただの多重人格だよ。と吐き気とともに答えかけたがどうにかこらえ、俺は視線で16号を示した。あれくらいの攻撃で、倒れるほどやわな設計ではないらしい。鋼鉄の感触がまだ手に残っている。

 

「そんなことより、いまは奴を倒しましょう。話はそれからだ」

 

 孫悟飯が鋭い目のままうなずいてくる。臨機応変さ、冷静さはその辺のタイムパトローラーよりよほど上のようだった。

 



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3話

 16号が勢いよく踏み込んでくる。

 

「邪魔をする者は、殺す」

 

 狙いを俺一本に絞ったようだ。お決まりのタックル。巨体を生かした強烈な突進も、三度見せられては恐ろしくもない。迫りくる鉄塊を今度は避けず、真っ向から受け流す。両足を前後に広く開き、左手は胸の高さに突き出し、右手は腰元へ、深呼吸で気を(はら)に込める。

 16号が間合いに飛び込んできた。突き出したやつの肩と襟首をつかむ。目の合った16号が覚悟したような顔だった。望み通り、かかってきた勢いそのままに16号を当身投げる。巨体が中空で勢いよく(ひるがえ)る。地面に叩き落す寸前、俺は両手足に気を込めた。

 

「覇ぁッ!」

 

 地面から噴き出た炎の気柱が、頭から真っ逆さまに落ちる16号に追い打つ。そのとき、ふと違和感がして俺はとっさに首を左に倒した。なにかが俺の頬をかすめて過ぎ去っていく。

 

「まだだ、気を抜くな!」

 

 孫悟飯の焦った声が遠く聞こえた。

 かわしたはずのそれ――16号から切り離された肘から先の右腕が、背後から襲い掛かってくる。切断面から火を噴いていた。まるで小型のロケットランチャーだ。

 

「へえ……」

 

 ふり向きざま、手刀で切り払う。俺の気は具現化しやすい特性がある。手刀の軌道に沿って金色の斬線が弧を描いて走り、16号のミサイルじみた右腕を中空で真っ二つに割く。右腕は一瞬風船のように膨らんで、派手な爆発音とともに燃え落ちていった。

 

「逃しはしないぞ」

 

 低く冷たい声が背中で聞こえたとき、俺は宙吊りにされていた。手足を動かそうにも背後から黄緑色のバトルスーツを着た両腕に羽交い絞められている。

 

「ダァ――ッ!」

 

 背中でなにかが爆散した。強烈な炎と熱風があたり一面に広がっていく。壊れかけた町のビルが、道路が、半球状に広がる爆破の勢いで燃え、崩れていくのが見えた。

 

「……お前」

 

 脳裏によみがえる、故郷(ジンジャータウン)の成れの果て。

 頭のなかが急速に冷えていく。右拳を握りこむ。爆発に溶け消えていくアンドロイドの腕。俺が手を下さずともガラクタが燃え尽きるのはわかっていた。

 ――だが

 

「傍迷惑なんだよ、くそ野郎」

 

 拳を開いたさきに、バスケットボール大の光球が浮かび上がる。ふり返った俺は、まさに消えかからんとしている16号の顔面に光球を叩き込んだ。爆発と爆発がぶつかり合って巨大な轟音を立て、16号が立っていた位置だけに集約された炎が、天に向かって噴きあがっていく。

 俺は多少焦げてしまった服の袖を叩くと、ため息を吐いて踵を返した。

 任務完了だ。

 

「なんて、強さだ……」

 

 コントン都に戻る直前、孫悟飯がぽつりと言った。

 そのとき、新たな気配に俺と孫悟飯は町の一角に目を向けた。なにもなかった空間から、赤い服を着た青い肌の男が現れてくる。

 

「孫悟飯、か。なるほど。かなりの潜在能力を秘めている……。俺のさらなる進化のために、いただくぞそのキリを!」

 

 青年のような面構えの青い肌の男は腕を組んだ態勢で一方的につぶやくと、孫悟飯目掛けて一直線に踏み込んでいった。

 ――こいつ、『歪み』じゃない。

 魔族か。

 迎え撃とうと構えた瞬間、俺のまえを蝶が通り過ぎていった。

 

「ちょうちょだ! ちょうちょ!」

 

 ぼくはうれしくなって、りょう手でちょうちょをはさみこんだ。あおいハネのキラキラのちょうちょだ。

 んっ! て力をこめると、ゆびのさきから金ぴかのあみができあがる。でも気をつけないと、あみはすぐきえちゃうんだ。きょろきょろ、まわりを見わたした。たてものがこわれてて、なんだかうすぐらい。こわいな。やだな。

 虫かごになりそうなものも見つからない。

 

「ぐああっ!」

 

 おっきなひめいが聞こえて、ぼくはびっくりした。

 

[オニキス!? 頼む、早く悟飯さんをっ!]

 

 耳のきかいから男のひとの声がする。

 

[ダ、ダメじゃ! トランクス! あやつ、人格が入れ替わっておる! いまのやつではミラを倒すのは無理じゃぞ! 悟飯ひとりでは、ミラには勝てん!]

 

[このままじゃ二人が!]

 

[悟飯さん! くそぉおーーーー!]

 

[お、おい!]

 

[なにをしてるのトランクス! やめなさい!]

 

 おこったひとの声がいっぱいきこえてくる。なんだかここ、こわい。ミノル、代わって。

 

「っくっ……。もちろんかまわないよ、ヒトシ」

 

 俺はこみあげてくる笑いを必死に抑える。『オニキス』という新たな人格は、我が強くてこいつが眠ったときでなければ俺たちはなかなか主導権を握れない。ヒトシは貴重な例外だったようだ。

 

『なぁに、代わっちまえば、あんなお邪魔野郎なんざ関係ねえよ』

 

『子どもの好奇心の強さに驚かされるばかりだね』

 

 まったくだ。カズヤとジョージの言葉に俺は賛同した。

 

『待って、ミノル! これ以上、あなたが表に出てしまったらまた界王神たちの不信を買うわ!』

 

 慎重派のきみらしい意見だ、ナル。

 それならカズヤと代わろうか?

 

『おぉっ、いい考えだな! ミノル!』

 

 ナルが息を呑んで押し黙ってしまう。

 さて、話は済んだかな。

 

『ふふ、ひとが悪いよふたりとも。ナルはそこの小僧(kiddy)に主導権を与えてあげたいのではないかな?』

 

 ジョージが指さした先はスポットの部屋の隅――暗闇のなかで、ぎらついた目を向けてくる新入りだった。

 やあ、()()()()()()。オニキス。きみもようやくここにたどり着いたのか。歓迎するよ。

 笑顔で話しかけてあげても、オニキスの殺気立った目は変わらない。

 

『いままでさんざん(ひと)の体で好き勝手してくれたのは、あんたたちか……』

 

『お? なんだあ? たかが映像で俺たちの姿を観てチビッてた野郎が、ずいぶんとイキがってんじゃねえか。ああん?』

 

 オニキスとカズヤが衝突しかける。目の前に火花が散った。俺は顔をしかめ、こめかみに手をやって首を横に振った。

 オニキス、カズヤ。仲間割れはよせ。脳に響く。

 

『仲間だと? 俺にとって、お前らは疫病神以外の何者でもない。いますぐ消え失せろ!』

 

 ふん。新入りが、わかった風な口を利く。

 

『おいおいミノル、きみまで安い挑発に乗るのはよしてくれ。影響は私やナルにも及ぶんだ。なあ、ヒトシ? マコト?』

 

 部屋の隅で、マコトが首を縦に振っている。ヒトシは怯えて奥に引っ込んだようだった。

 

『どのみち忍が起きるまで、我々はバラバラなまま、主導権を取り合ってしまうんだが。新入りの――オニキス、といったかな? 私の名はジョージ。武器商人をしている。あまりカッカせずにひとまずは我々を受け入れてくれることを望んでいるよ』

 

 ジョージが握手を求めても、オニキスは応えない。ずいぶんと失礼なやつだ。

 

『彼らが気に入らないのはわかるわ。だけど、あなたに必要なことはまず現状を認識することのはず。私はナル。みんなの苦痛を引き受ける役よ。よろしくね』

 

『…………俺は、あんたらを必要としない』

 

 それはこちらの台詞でもあるんだよ、オニキス。

 強情な新入りをいっそ意識の奥深くに沈めてしまおうか――そんな算段をしているときだった。

 

「悟飯さんは、殺させないぞ!」

 

 監視役(ナビゲーター)のトランクスがコントン都を離れ、現場に現れていた。

 俺たちが脳内で話し合っている間、現実(こちら)もそれなりに時間が進んだらしい。ボロボロになった孫悟飯とトランクス、そしてミラとかいう魔族が肩で息を切らして互いを睨みあっていた。

 

「馬鹿な。なぜ倒せない? いくら二人がかりとはいえ、俺のほうが力は上のはず。なのに」

 

 ミラが歯を食いしばったまま、こちらを見る。悔しげにその顔が歪んだかと思うと、腕を組んで彼は時の狭間に消えていった。

 ――おや。残念だ。

 ここからが楽しい時間の始まりだというのに。

 

「トランクス、きみは未来からきたんだよな?」

 

 孫がトランクスに話しかけていた。闘いが終わって一段落、ということだろう。トランクスはうつむいたまま、孫と目を合わせようともしない。

 礼儀正しい彼が、じつに珍しいことだ。

 言葉がなくとも心得たように、孫がひとつうなずいた。

 

「ブルマさんのタイムマシンが完成したんだな。立派になったなあ、トランクス」

 

 孫にしみじみと言われ、トランクスは肩を叩かれると、嬉しそうに顔を跳ねあげた。「はい!」と溌溂と答えるトランクスは普段よりも幼く見える。

 なるほど。孫は憧れの男、というわけか。

 

「そうだ、こうしちゃいられない。17号と18号が街を襲ってるんだ」

 

 孫が煙たなびくはるか遠くの空を見つめて、表情を引き締める。

 トランクスが凍り付いた。うつむいた横顔に葛藤が見える。監視役(ナビゲーター)としてコントン都にいるはずのトランクスが、ここにいる理由が俺にもなんとなく見えてきた。

 そうかそうか。それは気の毒なことだ。『正史』では、死なねばらないのか。この孫が。

 口許に笑みがこぼれてしまう。それを隠すように顎に手をやって、俺は二人を見ていた。案の定、トランクスが勢い込んでいる。

 

「悟飯さん! 俺も一緒に戦います! いまなら、いまの俺ならもう足手まといにはなりません!」

 

[なに言ってるのよ! 絶対そんなことしちゃだめよ、トランクス! ここで悟飯くんを助けてしまったら、あなたが歴史を変えてしまうことになるのよ!]

 

「そ、それでもおれは……」

 

 時の界王神というのも、案外無粋だな。コエンマなら絆されただろうが、それだけ自分の役目には忠実ということか。

 オニキスも、あの女の前で故郷が滅びる瞬間に立ち会わなくてよかったな。くくく……っ。

 

「トランクス?」

 

 孫が気遣わしげにトランクスを見る。

 

[お願い! トランクスを止めて!]

 

 時の界王神が俺に頼んでくる。よりにもよってこの俺に。くくっ。

 

「トランクス、なにか俺に隠していないかい?」

 

「それは……」

 

「大人になったきみが無事だってことは、未来は大丈夫なんだな。ならこの闘いにも意味はある。それで十分だ。会えてうれしかったよ、トランクス」

 

「悟飯さん!」

 

 トランクスが追いすがるより先に、孫は煙のもとへ飛び立ってしまった。おそらく話の流れから、自分の未来の予測はできたのだろう。それでもなお、孫が挑むほどの強敵か。

 戦闘力としては大したことのない孫だが、その行動の先に俺は少し興味が湧いた。

 

「きみは本当にそれでいいのかい? トランクス」

 

 トランクスは拳を握ってうなだれている。声をかけてやると一瞬反応したが、顔を上げてはこなかった。

 大事な人間だろうに、可哀想なことだ。

 俺は彼の葛藤をほぐしてやるため、もう少しだけ語りかけた。

 

「いくら神に言われたとはいえ、君自身の意思はどうなる? きみはもうずっと神の手足になってきただろう? 一度くらい自分のために闘ってもいいんじゃないかな」

 

「……オニキス……!」

 

「行ってきたまえ。大切なひとなんだろう?」

 

 微笑みながら言うと、トランクスが力強くうなずいて孫のあとを追っていった。

 

[なにを言ってるのよ、オニキス! トランクス! その話を聞いちゃダメ! 私たちが守ってきたものをあなたたち自身が壊すというの!?]

 

「おっと、邪魔立てはよくないな。積み重ねた積木細工は間違っていると分かったとき、一度ゼロに戻さないと組み立てられない。俺はそのようにしてきたよ、()()()()

 

 時の界王神が息を呑む。俺がオニキスではないと、ようやく気付いたようだった。

 

[いかん、こやつ――オニキスではないぞ!]

 

[あなた、オニキスに成り代わってなにをするつもりなの?!]

 

「ハッハハハハ! ()()?」

 

[オニキスなら、そんなことは言わないわ!]

 

 通信機の向こうで神々が慌てだす。まあ、この場に非力な神がいたところで、できることなど知れている。それに向こうの神々は、オニキスのうちにある燃え盛る殺気にはまだ気づいていないようだった。

 

「どうかな? あの新入りも世界の在り方を知れば、我々七人に協力すると思うけれどね」

 

[世界の在り方?]

 

「きみたちが守ろうとしているもの――その醜さだよ。自分たちが守ろうとしたものが、いかに汚く、腐っているかを理解したとき、オニキスは、そしてトランクスは、あなたたちの味方をするだろうかね?」

 

[あなた……いったいなにを]

 

「俺はそれを見るのが楽しみなんだ。だからいまは、お前たちの茶番に付き合ってやるさ。いまは、な」

 

 伝えるべきことを伝えたあと、俺は耳に付けた通信機を外し、地面に投げ捨てた。

 俺は盛大に笑っていた。忍でなければ飛べなかった空を、いま俺たちはどの人格でも飛ぶことができる。

 さあ、この世界の末路を観に行こう。

 きっと楽しい未来が待っている。



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4話

 雨が降りしきっていた。

 上空から見下ろす街並みは、すでにあらかたの機能を失っているように見えた。ひび割れたビル群と、砕けたアスファルト道路。ビルの合間を突き抜けていく一台のワゴン車が俺の目に留まる。

 あれは…………なんだ?

 

『人造人間が街を襲っている』

 

 たしか孫悟飯はそんなことを言っていた。先に街に向かったはずの孫悟飯とトランクスは、まだここに着いていない。舞空術の速度には練度が関係すると言われているが、単純に気の量の差だろう。

 あの爆走するワゴン車は、街から逃げているのだろうか。そのはずだ。

 

「ぐああ、来るな、来るなああああ!」

 

「た、たすけ、たすけっ……て……!」

 

「ぎゃあああっ!」

 

 だが俺の目に飛び込んでくるのはワゴン車がただひたすらに逃げ惑うひとを追い詰め、端から轢き殺していく惨状だった。あの車は人間を殺すためだけに、街をぐるぐると周っている。

 

『ほぉー……、これは素晴らしい』

 

 ミノルが拍手している音が、遠く聞こえる。

 俺はたまらず手のひらに光球をつくりだすと、車に向かって投げつけた。放射状に走った光弾が、また一人、轢き殺そうとした車の左側面にぶつかって真っ赤な火を噴く。車は押し倒されたように悲鳴をあげながら傾き、走行しつつも傍らのビルの壁に吸い込まれて、爆発していった。

 炎をあげる瓦礫のなかから、ふたつ、人影がゆっくりと迫り出してくる。男と女だった。どちらも背丈は同じくらい。鏡合わせのように髪型まで同じだ。歩いてくる二人の顔貌があらわになったとき、俺は息を呑んだ。

 

「ラピス……、ラズリ……!」

 

 喉からしぼりだした声が震える。俺はたまらず二人のまえに降りていった。生きてた……! こいつら、生きてたんだ!

 

「なんだ? お前」

 

 ラピスが不思議そうに首をかしげる。ラズリは乱れた髪を整えるために、頬に落ちた髪をかき上げていた。

 

「ラピス、おまえ……! よかった、無事で……」

 

 二人ともビルのなかに隠れてたんだ。ごめん、俺、そうとも知らずに車を当ててしまって――

 

「17号? こいつ、知り合い?」

 

「いいや。それよりせっかくの車が台無しだよ。人間を轢き殺して遊んでたのにさ」

 

 …………え?

 言葉を理解できずに首を傾げた。

 

「人造人間! お前たちの好きにはさせないぞ!」

 

 空から、孫悟飯とトランクスが降りてくる。生き残ったひとびとは、蜘蛛の子を散らすようにこの場から逃げ去っていた。残ったのは燃える車と、ラピスとラズリと、殺されたひとたち、そして俺と孫悟飯、トランクスだけ。

 ……いったい、なにが起きている?

 頭が割れるように痛い。吐き気もする。俺はこめかみを押さえてうずくまった。

 

『そう。そうだよ、オニキス。これこそが人間だ……』

 

『いくら転生し、忘れようが、黒の章の記録は俺たちの魂奥深くに刻み込まれてんだ』

 

『弱者は強者の糧に過ぎないのさ。立派な働き蟻たちは時にもてあそばれ、無残に死んでいく。彼らのようにね』

 

『私たちは七人で墓を掘る。この世の人間、すべてのために』

 

『きみも、いっしょにほる?』

 

『掘らなきゃダメだよ。忍が言ってる』

 

 ぐっ……! くそっ、黙れ! 黙ってろ! いまは――

 顔に押し当てた手が濡れていく。泣いている自覚はなかった。ただ――こんなことは、あり得るはずがない。あの二人が、こんな残酷なこと……するわけがないんだ。

 

『オニキス。人間に期待するのはよせ』

 

『見てみろよ、おい! お前の幼馴染たちの殺しを愉しむ姿をよぉ! 最っ高じゃねえか!』

 

『そして孫悟飯は死ぬ。神が定めた歴史は、そういうことなのね』

 

『まったくもってなんたる喜劇か! 素晴らしい出来じゃないか! まるでシェイクスピアの世界だ!』

 

『だいじょうぶ? ぼくらとくる?』

 

『忍は歓迎すると思う。おいでよ』

 

 くそったれ! 触るな、悪魔ども!

 

『悪魔? 悪魔はきみの幼馴染だろう? ほら、よくご覧』

 

 ミノルが俺の顔を()()()()()

 人造人間17号、18号。そう呼ばれている怪物どもが、ビルを壊し、街を巻き込んで暴れていた。

 

『あれがきみが守りたかったもの。助けたかった二人だよ』

 

 違う。ラピスとラズリは、素直じゃないとこもあるけど根は気のいいやつらなんだ……

 

『ひひっ! そうだなぁ! 気前よく人間をかっ飛ばしてたもんなぁ! そりゃいいやつに違いねえぜ! ひゃはははっ!』

 

 違う! あんなもの、あんなものがあの二人のはずが――

 俺の脳裏に『人造人間』という言葉がよぎる。さきほど戦った16号、あのアンドロイドの姿が。あれを殴ったときの鋼鉄の感触がよみがえってくる。

 そうか……。

 そうだ、そうだったんだ……。

 

「ふふっ、ははははははっ!」

 

 ふいに乾いた笑みがあふれて、俺は肩を揺らして盛大に笑った。灰色の空が見える。壊れた街並み。小さいころは、これが怖くてずっと戦っていたんだ。ひとりで。

 人造人間二体は、孫悟飯どころかトランクスひとりに追い詰められていた。ビルを使ってうまく隠れているが、力の差は歴然だ。

 

「トランクスさん、もう終わりにしましょう」

 

 声をかけると、上空から索敵していたトランクスが驚いたようにこちらをふり返った。

 

「オニキス! もう大丈夫なのか」

 

「ええ。さっさと片付けなくちゃ、あんなガラクタ」

 

「オニキス…………?」

 

 俺はゆっくりと歩き出す。一歩踏みしめるたび、アスファルトの道路がめくれあがってしまう。近くのビルの壁までも、俺の歩みに合わせてへこみ、崩れ、壊れていく。

 ああ、困った……。力の制御が間に合わない……。

 微笑みながら、俺は首をかしげていた。

 

『素晴らしい! まるで忍のようじゃないか! オニキス!』

 

 ミノルの高笑いが遠く聞こえる。どうでもいい。お前たちの話は、どうでもいいんだ。ただ二人の形をしたあのガラクタどもを、俺は一刻も早く壊さないと。

 

「ちっ!」

 

 ビルに隠れていたガラクタが、俺の気に触れるまえに上空に逃れた。そこか。

 

「18号!」

 

 追う俺のまえに、もう一体もあぶり出てくる。殊勝なことだ。俺は左手を突き出し、光弾の雨を二体のガラクタに容赦なく浴びせた。防御態勢を取るガラクタども。光弾(こんなもの)は、足止めに過ぎない。

 ガラクタが呻きながらも防いでいる。その手近な方に、一気に踏み込んだ。

 

「なっ!」

 

 すぐ傍に現れた俺を見て、ガラクタは驚いたようだった。金色の髪がそれの目にかかる。瞬間、俺の手刀はそれの腹を刺し貫いていた。

 

「カッ……!」

 

「18号! このっ――!」

 

 片割れが背中から気弾を放ってくる。その脆弱さ、鈍重さにあくびが出そうだ。まともに浴びて、ガラクタを刺し貫いたままふり返ると、片割れは凍り付いたような顔で息を呑んでいた。

 俺は震えている金髪の頬にそっと触れる。本当に、ラズリそっくりだ……。

 

「可哀想に。怯えているのか?」

 

 思わず語りかけてしまうと、震えながらも顔を上げたガラクタが、右手に気弾を練り上げていた。

 

「く、ァッ……! こ、の……調子にっ」

 

「ああ。しゃべらなくていい。不快なだけだ」

 

 顔面に気弾を浴びたが、なにも感じない。貫いた刃を抜き、ガラクタを切り刻んで終わりにしようとしたそのときだった。

 

「もうやめろ! 勝負はついてる!」

 

 俺の目の前に、孫悟飯が飛び込んできた。振り抜きかけた手を、どうにか寸前で止める。孫悟飯はガラクタを庇うように両腕を広げて、一切怖れを感じさせないまっすぐな目で俺を見つめてきた。

 

「あんた……」

 

 危ないな、もう少しで斬ってしまうところだった。

 

「きみは……オニキス、って言ったか。あの人造人間たちは、もとをただせば人間だったんだね。きみを見ていたら、よくわかったよ。きみは強い。だけどその力を破壊のために使っちゃだめだ。恐怖におびえて、無抵抗になった者をいたぶるようなこと、しちゃいけない。きみがあいつらの――彼らの、友達だったのなら。それだけは、しちゃいけないんだ!」

 

 孫悟飯は、どこか切羽詰まった顔で言い放ってきた。

 ――ともだち?

 こいつらが?

 

『こいつ、一番弱ぇくせにオニキスの剣のまえに飛び込んできただと?』

 

『しかもあの二人を(かば)った? おおよそ理解できないな。彼は刺し違えてでも、人造人間とやらを倒したかったのではないのかい?』

 

『オニキスに任せておけばそれはすぐに済んだことだ……。この男、いったいなにが狙いだ?』

 

『ともだち? オニキスのともだち、いたぶっちゃだめ?』

 

『わからない。僕にはわからない……』

 

 頭がガンガン響いて痛い。それでも視界がにじんで、頬に温かい液体が流れていく感触がする。俺は、泣いているのか?

 ……どうして?

 

「孫、悟飯……さん……」

 

 自分でも、わけがわからなかった。ただ胸のどこかがすとんと落ちる感覚がして、俺は馬鹿みたいにぼーっと突っ立ったまま、孫悟飯さんを見つめていた。

 

『彼はあなたの心の痛みに気づいたのよ。それだけじゃない。彼は、自分を殺そうとした者にまで情けをかけているんだわ。戦いに身を置いているのに、これほどまでに深い慈悲の心を持っているだなんて』

 

 慈悲の、心……?

 あれは、あんなものはラピスとラズリじゃない……。

 

『だったらどうして、あなたの心はそうまで乱されているの?』

 

『おいナル! お前までなに寝ぼけたこと――』

 

『ミノル? どうしてカズヤをとめるの?』

 

『俺にもわからない……。だが、わからないのならば結論を出すために少し、観察する必要があるだろう』

 

『あのミノルが珍しいことを。槍でも降るのかな?』

 

『ミノル。僕も、わからない』

 

 頭のなかのやつらは、相変わらずごちゃごちゃとうるさい。

 俺は孫悟飯さんから、あらためて視線を――幼馴染だったはずの二人に向けた。俺と、悟飯さんごと消し去ろうと気弾を高めている二人を。

 

「ちょうどいいよ! くたばりな!」

 

「死ねっ!」

 

「悟飯さんっ!」

 

 トランクスが素早く悟飯さんのまえに割り込んでくる。俺は、気がついたらラズリだったもののまえにいた。腰元に置いた両手をラズリだったものに向けて突き出す。巨大な気功波がラズリだったものを呑み込んで、後ろのビルまでもを貫き、壊していった。

 ……そうか。

 ラピスは、ラズリは、死んだんだ。

 

「くそっ! 18号!」

 

 俺はラピスだったものを見つめた。目が合ったラピスだったものは顔を引きつらせて、一目散に逃げていった。その哀れな背を、いまはなぜか追う気になれない。

 俺にはもう、守りたいひとなんか、いなかったんだ……。

 喪失感を慰めるように、雨粒がしきりに頬を叩いていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 月 日

 

歴史修正任務の途中、トランクスが暴走した。

定められた歴史では、次の戦いで孫悟飯は死ななきゃならない、らしい。それを助けようとして時の界王神に止められた。

俺のほうは――やっと親友を見つけた。

 

思ったより長くかかったけど、ようやく見つけたんだ。

だけど二人の呼び名は人造人間17号、18号に変わっていた。

 

俺のことも覚えていなかった。

あの悪名高いレッドリボン軍に捕まって、殺戮人形に変えられてしまった。

これは『定められた歴史』なんだと。靄は、関係なかった。

 

あいつらは笑で無力なの人を、孫飯を殺そうとした。

、助け人間な、もういなかったんだ――。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その後、トランクスはコントン都に帰っていった。

「とんでもないことをしてしまった……」と彼が蒼白な顔で言うので、「人造人間は、僕が壊しました。トランクスさんじゃなくて、この僕が」と返したのだが、トランクスの表情は晴れないままだった。

 俺もコントン都に戻るよう勧められたが、その話には乗らなかった。もうタイムパトローラーには戻りたくない。

 この歴史も、どうせほかのパトローラーが修正しにくるに決まっている。

 

「本当に、トランクスと行かなくてよかったのかい?」

 

 悟飯さんに聞かれて、俺は小さくうなずいた。「それならパオズ山に一緒に帰ろう」と言われたけどそれも断って、壊れた街並みをひとり、歩いていく。

 だれもいなくなった街。

 右も左もわからないまま、靄と戦っていたころを思い出す。

 

「馬鹿な話だ…………」

 

 さっき吹き飛ばしてしまった人造人間のところに向かっていく。外は作り替えられても、もとはラズリなんだ。ちゃんと、弔ってやらないと。

 そんな気持ちが湧いてきたのは、悟飯さんがかけてくれた言葉のおかげだった。俺にもまだ、温かいひとの心が残ってるんだ。

 雨で冷えた手で瓦礫をどける。そうしているうちに、タイムパトローラーがやってきた。全員で八人。予想よりも多いのは、俺がそれなりに戦績を積んだからかもしれない。

 

「オニキス! お前はいま、オニキスか!?」

 

「戻ってくるのならいいわ! だけど、そうでないなら修正させてもらいます!」

 

 タイムパトローラーたちが話しかけてくる。ああ、億劫だ。

 

「…………帰ってくれないか? いまは、戦う気分じゃないんだ」

 

 俺が答えると、タイムパトローラーたちは反抗と受け取ったらしく、それぞれ構えた。予想はしていたが、面倒だな。

 

『よければ代わろうか? オニキス』

 

 ミノルが聞いてくる。馬鹿は休み休みに言えよ。

 俺は迫りくる八人を迎え撃つ。それなりに修練し、力をつけているが――それだけだ。こいつらの攻め方には、怖さがない。

 フォーメーションは訓練されていて、飛び込んできた四人の拳蹴打を俺は両手で受け流していく。残る四人は気弾で援護だ。統率が取れていて、それだけに読みやすい、まっすぐな攻めだった。

 特に気弾は無意味だ。少なくとも俺と同じくらいの気を持った攻撃でなければ、このオーラを突き抜けられない。

 背中から襲いくる拳蹴打まで俺が受け流せるのは、まとうオーラが俺のテリトリー内だからに過ぎない。俺には今、自分の攻撃範囲と敵の攻撃範囲すべてが瞬時に把握できる。

 俺を袋叩きにするはずが、タイムパトローラーたちは間合いに一歩たりとも踏み込めず、攻撃をすべてはじかれることに驚愕していた。気弾も打撃も通じない。鉄壁の防御はコントン都で鍛えたものだ。

 あんたたちと同じ、コントン都で。

 

「そんな……っ! 馬鹿な……」

 

「実力差はわかっただろ。もう帰れよ。でないと……俺の手許が狂っちまうかもしれない……」

 

 脅しでなく、本音だった。

 俺のなかにいるミノルやカズヤ――、こいつらの気が立っているのが、いまの俺には手に取るようにわかる。

 

『それはそうだ。オニキス。だってそうだろう? せっかく興味深い観察対象ができたというのに、彼らはそれを潰せというんだ』

 

『ナルのやつは慈悲だとか言ってたけどよォ。俺はあいつの偽善を暴いてやらなきゃ気が済まねえ。こんな雑魚どもに横取りされんのは、はなはだ不愉快だぜ』

 

 まあ、落ち着けよ。

 あいつらは帰るよ。どうせ安全第一のぬるま湯で生きてるんだ。ちゃんと勝てる戦力になって帰ってくる。

 

『余裕だね、オニキス』

 

 どうでもいい。どうでもいいんだ。コントン都のことは。

 だけど、あの孫悟飯さんを殺せ、というなら容赦しない。こいつは時の界王神への宣戦布告だ。

 

『ホォ! 神への反抗か! オニキス、てめえ言うじゃねえか!』

 

『くくっ、なかなか面白そうな話だ……』

 

『ようこそ、オニキス。我々のもとへ』

 

 ざわつく脳内の連中を、俺はいったん意識の脇に置いた。

 タイムパトローラーの一人が――おそらく隊長格が――劣勢をくみ取って退却を決断する、そのときだった。

 

「……の、クソヤロ……ッ!」

 

 仕留めたはずのラズリだったものが死力を尽くし、気弾をパトローラーに撃ち込んだのだ。弱い気弾だった。だが敵意を向けられたパトローラーは強烈な殺気を身にまとうと

 

「人造人間が! 死ね!」

 

 なんの躊躇もなく、ラズリに気弾でとどめを刺そうとする。俺はその気弾を片手で弾き、とどめを刺そうとしたやつの懐に入り込んでいた。

 

「なっ!?」

 

 驚いているパトローラーの横っ面を思いきり殴りつける。そのときだ。

 

「こいつは追加のプレゼントだ」

 

 カズヤが気銃を、パトローラーの心臓に撃ち込んでいた。

 

「リヒトっ!?」

 

 パトローラーたちの間に、一斉に動揺が広がる。一瞬、カズヤに意識を乗っ取られた俺は、右手に出来上がっていたショットガンをほかのやつらに向けると、押し込めていた殺意を剥き出しにして連中を睨み据えた。

 

「さあ、とっとと帰れよ。でないと、皆殺しにするぞ」

 

「ひっ!」

 

 リヒトとかいうやつを尻目に、パトローラーたちがすごすごと去っていく。不思議だな。その背中が、なぜか17号と呼ばれていたラピスだったものと被って見えた。

 

「カ、ァ……!」

 

 取り残されたリヒトが即死できずに震えている。俺が彼の傍まで寄ると、まだしぶとく生きているラズリもどきの笑い声が耳に障った。

 

「ハ、ハハ……! ざまあないんだよ、バーカ……」

 

 それがラズリもどきの、最期の言葉だった。

 俺は、泣きながら俺を見上げてくるリヒトを見下ろす。救いを求めていたのかもしれない。だが、カズヤの銃に撃たれた人間に、もはや助かるすべはない。

 

「悪かったな……リヒト」

 

 初めて知るやつの名前をつぶやきながら、俺は引き金をしぼり、細々とした彼の生に終止符を打った。

 ついに、ひとを殺してしまったのだ。

 雨がまた、降り始めていた。

 俺はひどく疲れて、ふらつく足取りで腰を下ろした。ラズリだったものの上に乗ってしまったが、もう動く余力もない。

 

「ごめん、…………ごめんな、ラピス、ラズリ……。助けてやれなくて……ごめん」

 

 俺のひとりごとは、雨のなかに溶けていった。



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5話

「熱っ……!」

 

 ひりつく指先の痛みに驚いて、思わず右手をひっこめた。手許にあったのは本格的な中華料理鍋。匂いからすると麻婆豆腐だろうか?

 …………ここ、どこだ? あらためて周りを見渡す。ドーム状の石壁でできた室内。厨房の造りは本格的で、一般家庭よりもはるかに大きく、隣のかまどからはもくもくと白い煙が上がっている。大小さまざまな鍋があちこちでぐつぐつと揺れ、いま調理の只中のようだった。

 

「マコちゃん、お鍋の様子はどうだい?」

 

 アーチ形の木戸から女の人が両手に野菜を抱えて入ってきた。

 だれ? 首を傾げる俺を置いて、手許の中華鍋を見るや「ホントにマコちゃんがいて助かるだ。悟飯もおなか空かせて待ってるからな! 腕が鳴るってもんだよ!」なんて嬉しそうに話しかけてくる。

 え、待って。マコちゃん、って……もしかして『マコト』のことか? たしか、俺のなかにそんな人格がいたはずだ……。

 混乱して、きょろきょろ首を巡らせている俺を女の人は不思議に思ったのか、目を丸くして何度かまばたきしたあと、にっこり笑った。

 

「んだ? もしかして入れ替わっちまったのか? いまいるアンタは誰なんだ?」

 

 なんで俺の事情まで知ってるんだ!?

 わけがわからなくて、頭の上に?マークが死ぬほど飛んだ。女の人は冷静で、俺の手許の鍋を見るなり「危ねえから貸してけろ」と代わりに持って、鼻歌混じりに料理を仕上げていく。

 あれ? やっぱりここ、料亭かなにかかな? 女の人は腰掛けエプロンをしてるのみで、白衣もコック帽も身につけていない。ただ所作は手慣れてて、動きに全然無駄がなかった。

 

「ぁ……、えっと……僕は、オニキスと言います。いま目が覚めたばかりで……ここは、どこですか?」

 

 我ながら馬鹿みたいな自己紹介をしてしまう。くそ。こんな話、信じてもらえるわけないのに。

 

「オニキスって言うのか! オラはチチ。悟飯の母親だよ。ここはパオズ山にある家で、悟飯がアンタを連れてきたんだ。オラも最初はビックリしたけど、マコちゃんはよく手伝ってくれるいい子だし、ヒトちゃんは畑の世話をしてくれる優しい子だ。さすがオラの悟飯が連れてきた子たちだよ」

 

 ……なにそれ。

 状況がよく呑み込めない……。俺はあのフューとかいうやつを追い払って、意識を失って――悟飯さんに連れられてこの家にきた?

 絶対違う。肝心な間が抜けてるんだ。違いない。

 集中したら、『やつら』のいる部屋が見えるだろうか? あまり見たい顔ぶれじゃないが仕方なく感覚を研ぎ澄ませてみる。だが、いくらやってもミノルたちは俺に応えなかった。

 普通に戻れたのかな?

 あるわけないのに、考えてしまう。

 チチさんがバカでかい寸胴を持とうとするから、代わりに持ち上げて、指示された通りに料理を皿に盛りつけていった。その度に「あんがとな!」と満面の笑顔で言われて、俺はなんだかむずがゆいこの感覚をどうしたらいいのか、困った。

 チチさんはなんでもないことをよく褒めてくれる。懐かしい感覚だった――母さんが生きてたら、こんな風に迎えてくれたのかな?

 バカなことを考えたせいで、カズヤの気硬銃を握った感触がよみがえった。リヒトに引導を渡し、ラズリが事切れた瞬間が鮮明に浮かんでくる。

 

 俺はもう、殺人者なんだ。

 

 タイムパトローラーでもない。

 

「オニキス! できた料理を部屋に運んでけろ」

 

 チチさんに言われてハッと顔を上げる。指示されたが、俺には家の構造がわからなかった。

 

「はい。…………あの、このドアを抜けて、そこからどう行けばいいですか?」

 

 チチさんがまた不思議そうに目を丸くしてから、「あー」と納得したようにうなずいた。

 

「そうか。オニキスはまだ起きたばっかりだったな。おらが案内してやるからついてこい」

 

 てことは、ミノルたちはもう家の全貌を知っているのか? 悟飯さんのことも?

 チチさんは『マコト』と『ヒトシ』の話をしたけど、ほかの人格には触れなかった。ミノルたちはこのひとたちに危害を加えてないってことか? ()()

 いつも目覚めるときは、わけのわからないことでだれかに責められた。心配してくれたのはトランクスくらいで、チチさんたちもあいつらみたいにいつか俺を、わからないことで責めてくるんだろう。

 ……まあ、責められるだけならまだましだ。少なくともそのひとは無事なんだから。

 考え事をしている間に、食卓と思われる丸テーブルのある部屋に導かれた。厨房は広かったけど、家全体はちょうどいいサイズらしく、木戸を出て廊下を一直線にいけばリビングダイニングに着いた。

 満漢全席よろしく、丸テーブルに所狭しと料理を並べていく。一体、何人前あるんだろうか? ファミリーレストランのメニューを二人前全部制覇してそうなくらいの量だ。そんなに家族多いのかな?

 そのとき、窓枠のない四角い窓いっぱいに、サメか小型クジラほどもある巨大な魚の頭がぬっと現れた。横たわった魚は、ずしん、と重々しい音を立てて地面に降ろされた、と思う。

 え? あれ……ほんとに魚だよな? あんなのジンジャータウンで見たことないけど!?

 思わず窓を凝視してしまう俺を置いて、チチさんが嬉しそうな声を上げた。

 

「ただいま戻りましたー!」

 

 リビングダイニングの奥にあるアーチ型の両開きのドアが開いて、悟飯さんが入ってきた。さわやかな笑顔だった。チチさんがすぐさま駆け寄っていく。

 

「悟飯、これはまた大きいのを捕まえてきたな! 夕飯を作るのが楽しみだ! さ、料理はできてるから座ってけろ」

 

 …………これ、毎食作ってるのか…………。

 色とりどりの食卓は、少なく見積もっても三十品目以上が所狭しと並んでいる。チチさんは手早いだけでなく、レシピも豊富なようだ。これを毎日三食なんて大変すぎる……。母さんはだいたい一品か、レトルトで済ませてたんだけど、ジンジャータウンで浮いたことはなかった。それが一般的じゃないのか?

 悟飯さんは俺と目が合うとにっこり笑った。

 

「きみ、やっと目が覚めたんだな。無事でよかったよ」

 

「…………え?」

 

 俺がヒトシやマコトじゃないって、このひと、もしかしてわかるのか? まだ一言もしゃべってないのに?

 理解が追い付かないでいると、悟飯さんが右手で後頭部を掻きながら言った。

 

「っと、自己紹介がまだだったね。俺は孫悟飯。ここはパオズ山にある俺と母さんの家だよ。母さんのことは、もう聞いた?」

 

「ああ。さっき厨房で話したよ」

 

 チチさんが代わりに答えて、悟飯さんがうなずいた。…………あれ? 悟飯さん、たしか隻腕だったはず?

 やばい。

 俺、どれくらい意識を失ってたんだろう? 全然わからない。

 

「それじゃあ俺にもきみのこと、教えてくれないかな? あ。食べながらでいいよ。座って」

 

 促されて、俺たちは三人で丸テーブルを囲んだ。座ったはいいけど、テーブルにある椅子はほかにひとつあるだけで、その後、だれかが入ってくる様子もなく、この豪勢な料理たちはたった三人で平らげることがわかった。…………まじ?

 

「母さんの料理は世界一おいしいからね! たんと食べてよ!」

 

「もう、悟飯たら!」

 

「あははっ」

 

 褒め上手なのは親子揃ってのようだ。仲良く笑っている二人をみて、俺は小さくうなずいた。よくわからないけど、二人にとってこれは普通な量ってことだ。俺は気にするのをやめた。

 

「えっと、僕は……オニキスと言います。すみません。西の都にいたときから、どうも記憶があいまいで……」

 

「そうみたいだね。ただ俺たちが人造人間と戦ったあの都は、じつは西の都じゃなくてペッパータウンなんだ」

 

「あの田舎町がですか?」

 

 思わず声が出た。

 西の都にほど近いペッパータウンは、俺の知るかぎりでは都会近郊の田舎町だ。麦畑と果樹園が延々と広がり、ビルはあるものの十階建て以上はほぼ見ない。スーパーだけが充実したいわゆるベッドタウン。空を狭く感じさせるあんな立派な建物、いったいいつできたのか想像もつかなかった。

 ――考えてから、ここはエイジ780の巻物のなかだったことを思い出した。

 ちょうど俺が本来生まれた年から数えれば、三十年後の世界だ。俺にはジンジャータウンが壊滅した、エイジ767までの街の記憶しかない。

 知らない間に栄えて、知らない間に壊されてたってことか……。

 

 コントン都にいると、よくあることだ。街は同じでも、巻物によっては大きく様変わりすることもある。

 タイムパトローラーは基本的に、自分の世界線で数えた年齢以上の歴史は知らされない。未来を知ることは禁忌だからだ。俺が今回、エイジ780の巻物に入れたのは、俺の居場所がもうコントン都にしか残っていないのと、エイジ780以降の世界からやってきたタイムパトローラーは軒並み戦闘値で俺を下回っていたからだった。

 

「すみません。俺、どうも時間の感覚がほかの人とズレてて」

 

 悟飯さんが不思議そうな顔をしていたので、そう言って頭を下げた。

 

「悟飯、オニキス。ともかく先に食え。せっかくの料理が冷めちまうだ。難しい話は腹いっぱいになったあとでもいいだろ?」

 

「そうですね。オニキス、食べよう!」

 

「……はい」

 

 悟飯さんが元気よく「いっただっきまーす!」と言う隣で、俺も手を合わせる。「世界一うまい」と悟飯さんが言ったのはお世辞でもなんでもなく、チチさんの料理は本当にうまかった。ただ、隣で食べる悟飯さんの胃袋が四次元過ぎて、テーブルいっぱいの料理は気がつくと悟飯さんのなかに吸い込まれていった。圧巻だ。……ハハッ、テーブルに並んでる量だけじゃなく、おかわりまでするんだ。このひと。

 俺は延々と家事をするマコトが重宝される理由を、このとき知った。

 

 

 

 

 食事を終えたあと「組み手の相手をしてくれないか?」と悟飯さんに言われ、家の外に出た。山々に囲まれた、自然豊かな場所だった。人家は悟飯さんたちの家だけで、壮大な自然のなかにぽつんと一軒、建っていた。チチさんはなんとあの巨大魚をあっという間にさばいて厨房に持って行ってしまい、また夕食になったら供すと言ってくる。孫家はいろいろとパワフルだ。

 

「悟飯さん、その右手……」

 

「ああ。これはきみのなかにいる『ジョージ』ってやつが宿代代わりにくれたんだ。意外に律儀だよな。おかげさまで、母さんに心配をかけずに済んだよ」

 

 ありがとう、と言われても俺にはぴんとこない。

 

「ミノルやカズヤは、あなたの前に現れなかったんですか?」

 

 問うと、悟飯さんの表情が引き締まった。

 

「ミノルは一度だけ、顔を見せたよ。きみのフリをしていたけどね。俺が下手な演技はやめろ、と言ったら驚いていた」

 

 ……そりゃそうだ。

 俺は自分自身を撮影した映像を思い出して、息を呑んだ。カズヤは人相まで変わるから比較的わかりやすいが、ほかの人格と俺の区別がそう簡単につくわけがない。つくなら俺が、わからないことで責められることも少しは減ったはずなのだ。

 

「ミノルは、あなたになにを言ったんですか?」

 

「しばらく世話になる、と言ってたよ。じつは俺、一度は引き下がったけどやっぱりきみのことが気になっちゃってさ。あのあと、ペッパータウンに戻ったんだ。そしたら『マコト』がいて、街で亡くなったひとたちのお墓を建ててたんだ。彼は『すべてのひとの墓を掘るのは自分の役目だ』と言っていたよ」

 

 悟飯さんは感心したように言うが、俺の背筋には悪寒が走った。すべてのひと、というのは、文字通り『すべてのひと』だ。悟飯さんはきっと思ってもみなかったんだろう。

 その後の悟飯さんの話では、ミノルは「世話になる」と言ったきり姿を現さず、マコトが主体になって動いていたようだ。タイムパトローラーの襲撃はなかったようで、知らない生き物と出会ったときだけ、ヒトシがでてきて生き物の話をよくしたらしい。俺の心配するようなことは起きていなかった。――()()

 ミノルはなにを考えてる? やつが絶対、おとなしくしているわけがない。カズヤと違って直情的じゃない分、その行動の結果はあとになって現れてくることもある。俺は、なにを警戒したらいい?

 

「オニキス! そろそろ始めないか?」

 

 考え込んでいる俺に、悟飯さんが話しかけてくる。俺は思考をいったん脇に置いて「わかりました」と返した。組み手の時に気を使うのはやめた。悟飯さんの体術は思った以上に洗練されていて、それ以上に意外だったのはその格闘センスだ。

 戦いの勘が、ずば抜けて鋭い。

 このひと、俺と同じタイプだ、とすぐにわかった。自分のうちにある気が強過ぎて、無意識にセーブしてしまっている。これをもっとうまく使ったら、相当強くなるんじゃないのか?

 俺は嵐のように迫りくる悟飯さんのラッシュを受け流しながら、両腕のしびれる感覚に冷や汗が流れるのを感じていた。



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6話

 エイジ780の巻物からコントン都に戻るなり、時の界王神様に出迎えられた。

 

「トランクスの馬鹿! 気持ちはわかるけど、あんなことしちゃダメでしょ!」

 

「す、すみません……。時の界王神様」

 

 言い訳できる立場でもなく、ただただ頭を下げる。時の界王神様は深いため息を吐かれると、腰に両手を添えられた。

 

「まあ、戻ってきてくれただけでもよしとするしかないわね」

 

 そして周りを見渡され、至極当然の疑問を口にされる。

 

「それで、オニキスはどうしたの?」

 

「それが……因果関係はわかりませんが、オニキスは人造人間と知り合いだったらしく、彼女を弔いたいから一人にしてほしい、と言ってまだ巻物のなかに残っているんです」

 

「なんですって!?」

 

 時の界王神様の細い眉がきりりとつりあがる。

 

「そんなことは許されないわ! ただでさえまだ生きているはずの18号を倒してしまって、歴史が変わっているのよ。なのに、まだタイムパトローラーが歴史に干渉するなんて!」

 

「ですが、オニキスも自分の立場はわかっているはずです。彼女を弔ったら、コントン都に戻ってくると思いますが」

 

「そうなってくれるのが一番いいんだけれどね。オニキスはほら、()()()()()()でしょう? ほかの人格たちに惑わされないことを祈るしかないわ」

 

「すみません……。俺が指示を守らなかったばかりに」

 

 うなだれると、時の界王神様が小さく微笑まれた。

 

「過ぎたことはこれ以上言っても仕方がないわ。それだけ、あなたにとって悟飯くんの存在は大きかったということでしょう。オニキスは念のため、タイムパトローラーの子たちに連れ戻してもらうよう頼んでみる。あの巻物のなかは彼が本来いるべき歴史ではないから」

 

「わかりました」

 

 俺は応えながらも、あの雨のなか、精根尽き果てたような顔で立ち尽くしていたオニキスを思い出した。彼を一人にしてはいけない。そう思う一方で、いまはそっとしておかなければ、とも思わされる雰囲気だった。あのとき、もし俺が無理にでも連れ帰っていれば、彼のなかの大事なものが砕けてしまいそうな――

 だけど、界王神様が仰ることもよくわかる。

 

「トランクス。いまはともかく、少し休みなさい」

 

「はい」

 

 今後、俺がどうなるかはわからない。だがそれよりも、いまは置いてきたオニキスのことが気がかりだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「人造人間! お前たちの好きにはさせないぞ!」

 

 俺は悟飯さんに追い付くと、二人で襲われている街に向かった。上空から幹線道路上に立っている人造人間17号と18号を見つける。彼らの前には、呆然と立ち尽くしているオニキスがいた。

 

「オニキス!」

 

 あの人造人間たちをまえにオニキスは無防備だった。彼を庇うように幹線道路に降り立つ。悟飯さんもすぐ傍に降りてきた。オニキスはうつろな目でうつむき、ぶつぶつとその口許だけを動かしていた。はっきりとは聞き取れない。だが「あるわけない」と断片的な言葉が飛び出してくる。独り言にしては口が動きすぎていた。まるで一人で、何人分もの会話を受け持っているような――。

 

 界王神様たちが言っていた、脳内の人格たちと話している最中なのか。

 

 こんなときに、と思わず眉をひそめたが、オニキスの人格入れ替えは時と場所を選ばない。オニキス自身が一番痛感していることだろう。

 

「トランクス。彼はどうしたんだ……?」

 

「いまは戦えないようです。それより悟飯さん」

 

 俺が人造人間たちに注意を向けるよう促すと、悟飯さんも鋭い表情でうなずいてきた。

 

「ふん、また性懲りもなく戦いにきたのか」

 

 17号があきれたように俺たちを見る。隣で髪をかき上げている18号。それと対峙する悟飯さん。

 …………懐かしい……。あのころと違うのは、目の前の人造人間たちをまったく恐れていないことだ。俺が、人生でもっとも希求したこの瞬間、夢で何度もうなされたこの瞬間に立ち会っている。このときにこいつらを倒せる。その興奮が、自然と気をみなぎらせる。

 

「今日、ここで決着をつけてやる。お前たちの残虐な行為も、この場で終わりだ!」

 

 超サイヤ人になった俺を、17号と18号、そして悟飯さんが驚いた顔でふり返ってきた。子どもだったころとは違う。こいつらを倒すのはこれで()()()だ。

 いまの俺の隣には、失いたくなかった――共に生きたかった悟飯さんがいる。高揚しないほうが嘘というものだった。

 力を込め、踏み込むその瞬間――俺はペッパータウンの景色がぼやけて、移り変わっていくのを感じた。

 …………そうか、夢だ。エイジ780での出来事が印象強くて、俺は夢を見ているんだ。

 ぼんやり自覚しながら次に現れてきたのは――クミンタウン。人造人間たちと戦う悟飯さんに初めて同行した、あの日だ。17号、18号――やつらは悪魔だった。小さいながらも栄えていた街がまたたく間に破壊されるのを目の当たりにした日だった。

 

「トランクス! きみは向こうを探るんだ! おれはこっちを!」

 

「わかりました!」

 

「絶対にひとりで闘うんじゃないぞ」

 

「わかってます。俺は生存者を探します!」

 

「うん」

 

 生存者って言っても、こんななかでいるのか……?

 無残にも轢き殺されたひとたち、背中から銃で撃ち抜かれたひとたち。だれもが怯え、恐怖し、絶望して、涙を流しながら亡くなっていった。一度見たら焼き付いて離れない彼らの表情。俺は自分の無力さとやつらへの怒りでどうにかなりそうだった。

 歯を食いしばる俺の耳に、しゃくりあげるような声が聞こえてくる。まだ幼い女の子の声だ。――あっちか!

 通りをひとつ越えた道路上に、俺よりも小さな女の子がいた。必死でお母さんを呼んでいる。その女の子の傍らに片膝をついて、やつはいた。じつに楽しそうに、おもちゃを見つけたような顔でやつは女の子に語り掛けていた。

 

「どうしたんだ、お嬢ちゃん? ママって言うのは、()()かなあ。おい18号、捜してやれよ」

 

「そうだねえ。さっきあんたが轢き殺したおばさんじゃないの?」

 

「あらら、もう殺しちゃってたか。せっかく目の前でいたぶり殺してやろうと思ったのになぁ」

 

「なぁに、それ? そんなことよりさっさと次の街に行こうよ。こんなしみったれた街じゃろくな服も手に入らないわ」

 

「やれやれ」

 

 やつらは女の子に興味を失くし、立ち上がった。いま下手に動けば、やつらにバレる。息を殺して様子を見る俺は祈っていた。正面からやつらと戦っても勝ち目はない。どうかそのまま、なにもせずに引き上げてくれ。

 女の子を置いて、人造人間は自分の乗っていた車に戻っていく。

 

「ああ、そうだ。忘れてた」

 

 俺がホッと胸をなでおろした瞬間だった。乾いた音とともに、女の子は仰向けに倒れていった。俺が驚き、車を見ると、人造人間17号が歪んだ笑みを浮かべて少女を見下ろしていた。

 

「ママのところへ行くんだよ」

 

 その右手に持った銃からは白い煙が上がっている――。

 その後もやつらは笑みを浮かべて、次の街、またその次の街とめちゃくちゃに破壊していった。あのころの無力な俺。ひとり、またひとりともてあそばれながら殺されていくのを、隠れて見ているしかできなかった。俺にできたことは、やつらの目を盗んでひとりでも多くのひとを襲われている街から逃がすことだけ。その魔の手がついに西の都にまで及んだとき、俺の我慢は限界を迎えた。

 

「トランクス! アンタはまだ戦っちゃダメ! ここに隠れてなさい!」

 

「いやだ! おれも悟飯さんと一緒に――!」

 

 そんな問答の連続だった。いま思えば、母さんの判断は正しい。タイムマシンが完成するまで、過去に戻るまで、そんな一縷の希望に託すほか、俺たちの世界に光はなかったんだ。

 たとえ神様たちにどれほど責められることになったとしても…………。

 

 ――きみの意思は、どうなる?

 

 オニキスの言葉がよみがえる。まずい、子どものころを思い返すと、彼の言葉はまるでしこりのように、俺の心の奥底に沈んでいく。

 俺は時を捻じ曲げた罪を償うために、コントン都にいるのに。

 低い自分のうめき声に驚いて、ゆっくりと目覚めていくのがわかった。だれかが走り寄ってくる。部屋のチャイムが鳴らされたのは、それから間もなくのことだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「トランクスさん! 大変です!」

 

 自室で休んでいた俺のところに、タイムパトローラーが駆け込んできた。「急いで界王神様のところに向かってください!」と言われ、彼に続いて刻蔵庫を目指していく。

 時の界王神様と老界王神様が難しい顔をしていらっしゃった。

 

「……大変なことが起こったわ、トランクス」

 

 重苦しい空気のなか、時の界王神様が口火を切る。

 

 タイムパトローラーが殺害され、刻蔵庫からエイジ796の巻物が盗まれた――。

 

 重大な事実を告げられた俺は、おうむ返しに言葉を並べるだけでろくな反応を返せなかった。しかもパトローラーを殺したのは魔族ではなく、同じパトローラー……エイジ780の巻物のなかからいまだ戻ってこない、オニキスだったのだ。

 また別の人格に乗っ取られたのか?

 そんな考えが脳裏をよぎる。彼の微笑んだ顔、なにかを察したような吸い込まれるような黒瞳。

 

 ――トランクス! 話を聞いちゃダメ!

 

 時の界王神様の忠告は、たぶん正しい。オニキスにはひとを引き込む、強烈な力があった。

 エイジ780。悟飯さんが亡くなった年……。

 俺は、なぜあの巻物から出てきてしまったのだろう、と後悔している自分に気づいた。パトローラーとして、戻ってきたのは正しい判断だ。そのはずだ。

 そう。――俺は、タイムパトローラーを殺したオニキスを止められなかったことを、悔やんでいる。

 

 

 

 

 恐怖を感じるのは、いつぶりか。

 人造人間17号は山の奥深い小屋のなかに身を潜め、荒い呼吸を整えていた。

 

「くそっ! なんだったんだ。あのバケモノは!」

 

 金色の炎をまとった黒髪の少年。初めて見る人間は、周りのものすべてを燃やし尽くす、冷淡な男だった。

 

 ――可哀想に。怯えているのか?

 

 18号の腹を刺し貫いたまま、やつがかけた言葉。気遣わしげな声がかえって不気味だった。

 

(やつには俺の攻撃がまったく通じてなかった。いままであんなやつ、どこにもいなかったのに……どこに隠れてやがったんだ!)

 

 自分たちの出現情報が、人間たちの間では死活問題となるため、大々的に放送されることは知っていた。孫悟飯のように正義感で戦いにくる人間ではないのかもしれない。

 

(くそっ、これからどうする……)

 

 標的の孫悟空はすでに死に。暇つぶしの人間殺しにも危険が潜んでいる。18号ももういない。

 ふと、顔を上げた。規則的な妙な音が近づいてくる。機械音のようでいて生き物の足音のような、形容しがたい音だ。

 

「……ようやく見つけたぞ、17号」

 

 男の低い声とともに、山小屋の木戸が間延びした軋み音を立ててゆっくりと開いていく。17号は眉をひそめた。ドアが半ば開いているのに、ノブを握る人間の姿がまだ見えない。蝶番がさらに最大限まで広がっていき、あらわになったのは人型の虫のような生物だった。全身緑色の表皮に黒い斑点が浮かび、顔周りと腹、股間、そして尻尾にオレンジ色の蛇腹模様の肌がある。鎖骨から大きく伸びる鞘翅は黒く、殻のような硬い光沢を放っていた。

 

「なんだ、このバケモノは?」

 

「私の名はセル。喜べ兄弟、私とひとつになることでお前は究極の戦士の一部となるのだ」

 

「ふざけるな! 究極の戦士なら、もうここにいるだろうが!」

 

「貴様の意思は聞いていない。大人しく私に吸収されろ、17号。それがドクター・ゲロがお前を造り出した目的だ」

 

「ドクター・ゲロ? ……フンッ、醜い妖怪野郎! お前、あのジジイに生み出されたのか! それを聴いたらなお、お前をこの手で殺してやりたくなったぜ」

 

「……フッ、身の程知らずが」

 

 もしも17号に「靄」を見る力があったならば、セルから放たれる禍々しい瘴気を感じることが出来ただろう。並行世界の過去の歴史では『第二形態』と呼ばれる姿は少しだけ様変わりし、セルの顔面は女性的な鼻筋と大きな目、白い肌に覆われている。

 ほどなくして、両者のぶつかり合いによって山小屋は木っ端微塵に爆発した。

 

「どうした? 強気な言葉の割には、大したことないではないか」

 

「舐めるなよ、バケモノ野郎!」

 

 セルの挑発に17号が犬歯を剥き出しにし、殴りかかる。しかし拳と蹴りの差し合いにおいて、17号が力負けしていく。強烈な一撃をもらって後方に吹っ飛び、地面に沈んだ17号をセルがしたたかに踏みつけると、山の地面がミシミシと音を立てて割れていった。

 

「んー! やっぱりいいね! 戦いはこうでなくっちゃ!」

 

 勝敗が完全にセルに傾きだした二人を上空から見下して、魔族の男、フューが陽気な声でつぶやいた。

 

「歪みから生み出した18号を先に取り込んだセル。17号は勝てない……。そして完全体となり、歪みの力で強化されたセルは、『彼』と戦うんだ! どんな結末が待ってるかなぁ?」

 

 まるで宝箱を前にした子どものような無邪気さで、フューは声を弾ませる。

 

「……そろそろ終わりかな?」

 

「ち、ちくしょう……! こんな奴にっ!」

 

「さあ、観念するがいい!」

 

 セルの尻尾は、弱り切った17号を簡単に捕らえると、蛇の丸呑みよろしく、膨張した尾の器官で17号の上半身にかぶりつき、ゆっくりと咀嚼しながら呑み込んでいく。

 真っ白い光が、セルからほとばしり、山の彼方まで照らしていった。

 究極の完全体と化したセルは、黒い瘴気をほとばしらせながらぎらつく紅瞳で彼方を見据え、高笑う。17号の残骸は、ただの一片も残らなかった。



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7話

「悟飯さん、こいつで俺を縛ってもらえませんか」

 

 巨大魚用の太い鎖を手に、俺は悟飯さんを見つめた。チチさんが用意してくれた客室内。寝台とチェストのみのシンプルな部屋に、夕食、組手、風呂と終えたあとで悟飯さんを招いた。

 悟飯さんは要を得ない顔をしていた。

 

「どうしたんだ、オニキス? なにかあるなら相談に乗るぞ」

 

「じつは……俺が眠っている間、ほかのやつが動けないように体を封じておきたいんです」

 

 手にした鎖はずっしりと重いが、正直、これでも強度に不安はある。

 悟飯さんが驚いたような顔で見てきた。

 

「きみの心配していることもわかるけど。なにかあったら、そのときは俺が止める。だからゆっくり休んでほしい」

 

 はっきりと断言してくれて、その気遣いに、申し訳ないなぁ、と乾いた笑みがこぼれた。忌々しいのは、こういった申し出をすり抜けるやつらの狡猾さ。ミノルは「しばらく世話になる」と言ったらしいが、それはいつまでを指すのか? その様子見が終わったあと、なにをしでかす気なのか? こういった類の疑問は俺の頭を離れない。

 

「オニキス?」

 

「すみません。安心したいというか……。ミノルやカズヤならこんな鎖、すぐ壊してしまうのはわかってます。ほかの人格なら動きを封じられるだろうけど、あまり周りに危害は加えない。……そういうのは、わかってはいるんです」

 

 悟飯さんが笑いかけてくる。

 

「オニキス。そんな心配しなくても、多分、俺は大丈夫だと思うよ。ホントにきみが思ってるようなことになるなら、すでに動いているだろうからね。表に出てきてないのは、彼らもいまは静観する気なんじゃないかな」

 

「……わかりました。変なこと言ってすみません」

 

「気にするな。困ってるなら、なんでも相談してくれ」

 

 悟飯さんは、本当に面倒見がいい……。

 トランクスもかなりいいひとだったけど、悟飯さんの場合はなんというか、あれ? 俺、ここに養子にきたんだっけ? と錯覚するほど世話を焼いてくれる。悟飯さんだけじゃなく、チチさんもだ。

 だから余計に、やつらが「様子見」している間に離れなければ、と考えていた。あてはないけど、ラピスもどきやタイムパトローラーの襲撃を考えるとあまり離れられないけど、ともかくなんとか策を練らなくては。

 笑顔を貼り付けた。

 

「ありがとうございます。おやすみなさい、悟飯さん」

 

「オニキス、おやすみ」

 

 去っていく悟飯さんを見送ったあと、俺は長いため息を吐いて鎖を見下ろした。

 仕方ない。自分でやるか。

 実際寝転がってぐるぐるしてると、……案外、ミノルは封じこめるかも? なんて楽天的な考えが湧いてきた。気弾なら俺のほうが得意だし、寝転がった態勢から蹴りは放てまい。カズヤの銃は厄介だ。ただ、カズヤの奇襲さえ防げば悟飯さんならどうにかなるはずだ。拘束をほどくのに、ミノルにせよカズヤにせよ、気を使うだろう。それが悟飯さんが気づくきっかけになれば、それでいい。

 ひとりぶつぶつ言いながら、一番効率のいい拘束法を考えていく。うまくいくといいな。いってくれ。

 祈るような気持ちで鎖で体を雁字搦めにして、俺はようやく眠った。

 

 

 

「おはよう。オニキス」

 

 目覚めたら、すぐ目の前に男の顔があった。二十半ばの黒ずくめの男が、いかにも面白そうに俺を見下ろしてくる。切れ長の目、細面、黒髪を後ろに撫でつけたオールバック……あれ? この顔、この男……どこかで。

 

「きみとこうして話すのは、()()()()()()かな。忍です。よろしく」

 

 返事もできず、またたいていた。忍と名乗ったやつが、鎖でほとんど見えない俺の手を取って、握手してくる。しのぶ……しのぶ?

 

 ――忍がまだ起きてない。僕には決められない

 

 マコトの言葉が、よみがえってくる。

 

 ――どのみち忍が起きるまで、我々はバラバラなまま主導権を取り合ってしまうんだが。

 

 ジョージも言っていたはずだ。ほかの人格たちも、どこか待っているような口ぶりだった八人目の男の名前……

 ま、さか……

 

「そう。きみにとって最後の人格、忍だよ」

 

 くくと声を立てて忍が笑う。俺は呆然と、忍を足許からてっぺんまで穴が開くほど観察していた。長い手足をひとのベッドに投げ出して、やつはリラックスした顔で座っている。一方の俺は、ほかの人格が目覚めても勝手に動かないように――あるいは拘束を解いて動き出せば、悟飯さんにわかるように――ベッドに自分自身を鎖で縛りつけていた。

 俺とは違う顔、違う体――そう、忍はあの部屋にいたときの姿で俺のまえに現れているのだ。これでは別人格というより

 

「具現化……」

 

「そうだよ、オニキス。俺はもともと自分の肉体に気をまとうのが得意だった。きみのおかげさ。こうして自由に外を歩けるのは」

 

 雰囲気はミノルに近いが、視線があったときの嫌な感じはカズヤを思わせる。ベッドに投げ出した脚は遠慮ないジョージ、そろえた手許はマコト、笑い方はナル、好奇心を隠さず観察してくる様子はヒトシ……あの部屋にいたすべての人格の片鱗が、忍からは感じられる。

 だんだん頭が冴えてくると、体を起こしかけて鎖に阻まれ、焦った。まずい。俺は、一番隙を見せてはならない相手に隙だらけだ。

 

「くっ!」

 

 鎖を引きちぎろうと力を込める。忍が笑った。

 

「そう焦るな。いまお前と争う気はない」

 

「……これまでミノルたちが静かだったのは、あんたが目覚めたからか」

 

「そうだ――と言いたいところだが、俺がやつらを連れまわしたのは、ほんの二、三日だけだ。じつに興味深いことだがミノルや、あのカズヤでさえきみが世話になっている孫一家には危害を加えることに積極的でないらしい」

 

 忍が笑みをたたえながら語る。それがつまり無害と結論づくわけではないと理解したうえで話しているそぶりがあった。俺を見て、さらに笑みを深くするのが癇に障る。こいつ、ひとの反応を愉しんでやがる。

 

「きみが疑うのも無理はないがね。考えてもみたまえ。フューとやらが並行世界に向かう提案をしたとき、ミノルとカズヤは強敵がいない世界、人間の全体数が少ない世界から離れたがった。見方を変えれば、人類皆殺しの対象に孫悟飯が含まれる世界から出ていきたがった、とも取れないか?」

 

「やつらが?」

 

 心の底から猜疑を込めたのが声に乗った。忍の機嫌のよさが気になる。態度は穏やかでも、ただならぬ雰囲気を感じるのだ。ふと視界の端に、山積みになっている『なにか』が目に入った。忍が気づいて、山積みになったひとつを手に取る。

 巻物だった。

 

「眠っている間、なにが起きたのか、俺も興味があってね。コントン都から拝借したものだよ。きみと、この時代にかかわるすべての巻物を手に入れてきた。ミノルが配下にした者たちを使えば簡単なことだ」

 

「まきものを……?」

 

「こいつが神の手に渡ったままだと、お前が関わった歴史さえすべて()()()()()()にされてしまうだろう? 歴史を改変するな、と言っておきながら、本来の歴史――自分たちの未来については教えない。そう言った矛盾は、神らしい思考とも言えるが。この世界には、なかなか興味深い結末(エンディング)が待っているようだ」

 

 読むか? と聞いてきたあとで、「ああ、その態勢では読めないな」なんてわかりやすい皮肉をつけてくる。こいつ、いい性格だな。鎖を壊せば悟飯さんが来てしまうかもしれない。

 その可能性が、俺に行動を躊躇させていた。

 

「ほどいてもかまわないよ、オニキス。ここは孫家の客室ではない」

 

「なに?」

 

「よーく首をめぐらせてごらん」

 

 子どもに言い聞かせるみたいな声音が気になったが、俺は現状を把握すべくできる範囲であたりを見渡した。――たしかに、ベッドは空間に浮いているものの、ここは……どこだ?

 上下左右、すべてを見渡しても漆黒の空間に、瓦礫のようなものが浮いている変な場所だった。忍はここを「俺たちのアジトだよ」なんて冗談めいて言ってくるが、さっぱり意味が分からない。

 

「俺たちは次元妖怪に愛されている。お前がほかの人間より「歪み」を正確に視ることができるのも、そいつの影響だ。孫は気を察する技術に長けても、次元を感知できない」

 

「妖怪……?」

 

 矢継ぎ早に知らない事情が飛び出してきて、俺の脳内はパンク寸前だった。もはや目を丸くしてまたたたくしかできない俺を、忍が楽しそうに見てくるのがやはりムカつく。

 

「要は、時の界王神や魔族どもを介さずとも、俺たちは自由だということだ。時を行ったり来たりはできないがね」

 

「……お前の目的は、なんだ?」

 

「ほかの連中も言っていただろう? すべての人間に墓を掘ることさ。だが、お前が賛同しなくてもかまわない。俺たちは俺たちのやり方でやるだけだ。……聖光闘衣を応用し体を練り上げたはいいが、戦闘力の向上を目指すならば、やはりお前の体を使うほうが効率はいいらしい。超サイヤ人というのは知っているか?」

 

「悟飯さんたち、サイヤ人の血を引く者が急激にパワーアップをするときになる金色の戦士だ」

 

 忍が満足そうにうなずいた。

 

「その超サイヤ人には段階があってね。お前の戦闘力は、だいたい2から3の間だ。ミノルで1、5。カズヤで1といったところかな」

 

「なにが言いたいんだ?」

 

「俺は、お前から分離したこの肉体だと2を少し超えた程度しか出ないんだ。だがその体を使えば、もしかしたら4に届く――かもしれない。それを試してみたくてね」

 

 話の成り行きが不穏になってきたのを察して、俺は鎖を解かんと力を開放する。

 忍が緩やかに笑った。

 

「しばらく眠っていたまえ。おやすみ、オニキス」



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8話

 山々に囲まれた秘境の地で、セルは乾いた拍手の音を聞いて空を見上げた。視線の先に浮かんでくるのは、青い肌をした白髪の魔族だ。なにもない空間から迫り出してきた魔族は軽快に微笑みながら地上に降り立つと、丸眼鏡を押し上げた。

 

「やあ、おめでとう。ついになったね、完全体に」

 

「ふん、フューか。貴様のおかげで17号、そして18号を吸収できた。礼を言っておこう」

 

 セルは両腕を組み、視線だけをフューに寄越して礼を述べる。「しかし、残念だ」と続けると、フューが不思議そうに首を傾げてきた。

 

「ん? なにがだい?」

 

「せっかく私が最強の戦士として誕生したというのに、この力を試す相手がいないとはな」

 

「一応、この世界には孫悟飯がいるよ。あとトランクス。もっとも、トランクスの方はもう少し成長するのを待たないとダメだろうけどね。孫悟飯も、その分鍛えてもらえれば、相当強くなるんじゃないかなぁ?」

 

「それまで私に待てというのか。退屈な話だ」

 

「しょうがないよ。いまのきみと遊べそうなのは、この世界にいる人間だとひとりしか思い当たらないからね」

 

 セルの目が細まった。

 

「ほう? 孫悟飯でもトランクスでもない。この私と遊べるやつ、か。お前のことかな? フュー」

 

「まさか。僕はこの世界の住人じゃないし、この世界にいるわけでもない」

 

 フューが両手を左右に振って否定してくる。慌てた様子はなく、ただ事実を述べている、といった雰囲気だった。

 

「とすると、だれだ」

 

「まだきみに会わせるのは早いかな。きみがもっともっと強くなったら、彼に会ってもいいと思うけどね」

 

「面白いことを言う。すべてに完璧(パーフェクト)なこの私が、どこの戦士とも知れぬ者に後れを取るというのか」

 

「そうだね……。いまのきみじゃ、たぶん勝てないな」

 

 つねに声を弾ませて話すフューが、ふいに語気を落とした。

 セルの眉間が動く。

 

「それを聞いてますます会いたくなったぞ」

 

「べつにかまわないんだけど、歴史改変のエネルギーを溜めるにはきみと彼にがんばってもらうしかないんだよねぇ。ぼくとしてはきみがもう少し強くなって、彼と互角ぐらいになってくれたらちょうどいいんだけどなぁ」

 

「フン、わがままを言うな。フュー。きさまは私の言うとおりに動けばいいのだ」

 

「……どうしたものかな」

 

「まあいい。貴様にその気がないのはわかった。ならば退屈しのぎだ。17号、18号がしていた人間狩りでも引き継いでやるか」

 

「うん、いいね! それが一番効率がいいと思うよ。もしかしたらぼくがまだ引き合わせるつもりじゃなかった彼も来るかもしれない。それをするとね」

 

「ならばせいぜい派手に殺し尽さねばなぁ」

 

 

 

 

 西の都にほど近いパセリシティ。17号、18号の手がまだ及んでいないこの街は、西エリア最後のオアシスにして幸運の街とひとびとに崇められていた。

 そんな幻の希望を、セルの気弾は容赦なく削り取っていく。並び立つビルから火の手が上がり、我先に逃げ出すひとびとの悲鳴と怒声とクラクションの音が、けたたましく混ざり合った。

 なかでも、セルはある人間たちに目を向ける。レポーターが取り憑かれたようにマイクを握り、カメラに向かって早口に話し続けている。その周りを囲むカメラやマイクを握る男たち。日常の行動を続ければ、この狂騒から逃れられると信じている敬虔な教徒たちに、セルは薄笑いを浮かべてゆっくりと近づいていくのである。

 

「ひぃっ!」

 

 やがて、セルの特徴的な足音に気付いた一人が、引きつった悲鳴をあげて尻もちをついた。

 

「おっと、お前たちはテレビ局か。カメラはこれかな?」

 

 カメラマンは口の端から悲鳴を発しながらも、体に染みついた技術をもってセルをレンズのなかにおさめてしまった。集音マイクを握る男もまた、その柄をセルへと向けていた。

 セルが満足げに微笑んで、低く語り始める。

 

「はじめまして、私の名はセル。17号、18号――きみたちの言葉でわかりやすく言うなら人造人間は、この私が吸収した。喜ぶがいい、人造人間の恐怖にきみたちが怯えることはなくなった。だが、きみたちは更なる危機と対峙しなければならない。それが私だ。

 私はこれから十日間ですべての地球人類を全滅させる。逃げたければ逃げてもかまわん。隠れたければ隠れてもかまわん。だが、ひとり残らず皆殺しにしよう。こんな風にな」

 

 レポータを振り返ったセルが、無造作にその頭を持ち上げる。カメラに映るよう彼を掲げると、まるで人間の頭蓋骨が粘土かなにかで出来ているかのように簡単に握りつぶしてしまった。

 悲鳴を上げながら、カメラマンが逃げようとしたとき、彼の断末魔が集音マイクに届いていく。

 一瞬で阿鼻叫喚の現場をつくり出した人造人間は、カメラのレンズを見つめて悠然と笑った。

 

「では楽しみにしている。私を倒せると思う者は、私に挑んでくるがいい。無駄な足掻きとは思うが退屈しのぎにはなる。せいぜい楽しませてくれ。ごきげんよう」

 

 語り終えたセルは、指先に気弾を生じさせるとカメラに向かって放ち、中継を終わらせた。

 幸運の街・パセリシティは、人造人間襲撃史上、もっともあっけなく破壊し尽くされていったのである。

 

 

 

 

 パオズ山に、幾度目かの陽が昇る。

 悟飯は首を傾げた。珍しく朝の稽古に姿を見せなかったオニキスを呼ぶため、部屋を訪れていた。

 

「オニキス、朝ご飯だよ。入っていいかな?」

 

「どうぞ、開いているよ」

 

 ノックのあと断ると、すぐに返事がくる。いつもと調子が違うな、と思いながら悟飯がドアを開けた先に――ベッドに腰掛ける背の高い男がいた。

 

「お前はっ!」

 

 悟飯がハッと息を呑む。どこか、見覚えのある男だった。切れ長の目、黒髪のオールバック、黒ずくめの服……。だが、悟飯がいくら記憶を探ろうと、実際に会った場面は思い出せない。

 

「だれだ。……この気はオニキス? いや、違う。似ているが違う気だ……。どういうことだ」

 

 軽く構えながら、部屋にいる男と対峙する。

 男はゆっくりと立ち上がると、澄んだ黒瞳をこちらに向けて微笑んだ。

 

「はじめまして、忍です。オニキスが世話になったようだね」

 

 穏やかに話しかけられて、悟飯は眉をひそめたままゆるく構えを解く。オニキスは異様に周りを警戒していたが、男からは敵意を感じられない。

 

「きみは……オニキスのなかにいた人間か?」

 

 問うと、あっさりとうなずいてくる。

 

「その通り、俺はオニキスのなかにいた忍という人格だ」

 

「その姿は……」

 

「これはオニキスの莫大な気を利用して、元の自分の体に作り変えてみたものだよ」

 

「オニキスはどうしたんだ?」

 

「眠っている。よく、ね」

 

 忍が笑みを深くする。冷静に話しながら、こちらを探っている気配があった。

 悟飯が問う。

 

「なぜ、きみが表に出てきたんだ」

 

「これから面白いことが起こるんだ。……つけてみたまえ」

 

 忍が視線で示した先は、客室の隅に置かれているテレビだった。オニキスが来てからは、人造人間の出現情報が途絶え、このごろは少し明るいニュースが見られるようになってきていた。

 忍の様子から、そこに暗い影が差すのはなんとなく予感できた。

 悟飯は慎重にテレビを点ける。ニュースの生中継の最中だった。壊れた街並み、倒れたひとびと……人造人間が襲った形跡を見て、悟飯の眼が鋭さを増す。

 

「これは……! パセリシティ? 17号の仕業か!?」

 

[私の名は、セル]

 

 悟飯の疑問に応えてきたのは、画面に映った緑色の表皮に覆われた人型の生物だ。表皮のまだら模様と、光沢のある黒い外殻が、人型であるのに虫を思わせる。

 

「なんだ、こいつはっ……!」

 

 息を呑んでいる悟飯と画面に映る惨状を、忍は微笑みながら眺めている。

 セルと名乗った新たな人造人間は、あの17号を吸収し、十日以内に人類を滅ぼす、と宣言した。それが嘘偽りでないことを示すために街を破壊し、最後には映像を撮っていたテレビ関係者たちまでもをその手にかけ――ニュースの生中継が尻切れるように終わってしまったのだ。

 悟飯の頬に冷汗が伝っていく。

 

「な、なんてやつだ。こうしちゃいられない!」

 

「どこへ行くのかね?」

 

 踵を返す悟飯の背に、忍が問いかけてくる。わずかに振り向き、悟飯が迷うことなく答えた。

 

「あのセルというやつを倒す!」

 

「きみには無理だ。少なくともいまのきみには、な」

 

「そんなことはわかっている! だが、おれが行かなければ多くの人がやつの犠牲になる!」

 

「それはきみが倒されたあとでも同じだよ、孫悟飯」

 

「その間に、トランクスが必ず未来へ希望をつないでくれる」

 

「それで? きみは自分の母親を泣かせるのか?」

 

「……っ!」

 

 はじめて言葉に詰まり、ふり返った悟飯を、忍が面白そうに眺めている。

 

「せっかく拾った命だ。もう少し大事にしてくれたまえ。きみを救うためにあいつは神にさえも逆らったのだからな。俺にはわかる。きみは強い。それもとてつもないほどに。惜しむらくは、きみ自身にその力を使いこなす才能がないことか」

 

 朝の稽古で、オニキスにも言われていたことだった。気を修練し、おのれの全てをあますことなく解放すれば新たな次元が見えてくる。その奔流を完璧にコントロールする術は、地道な気功の制御にある。だがそれさえ叶えば、悟飯は更なる高みに昇れると、オニキスは言っていた。

 それを裏付けるように、忍も言う。

 

「おそらくきみの潜在パワーをすべて出せば、あの程度の雑魚など相手にならないだろう」

 

「きみは、あれを雑魚と呼べるのか」

 

「呼べるとも。元の俺では無理だろうがオニキスの肉体を手に入れた今の俺ならば、片手で倒せる」

 

「だが、お前は戦ってはくれないんだろう?」

 

 問うと、忍はあっさりと答えてきた。

 

「もちろん戦うさ」

 

「え?」

 

 悟飯が肩透かしを食らって目を丸める。

 忍が反応を楽しむように、笑みを深くした。

 

「人間を、すべて皆殺しにする側でね」

 

「お前はっ!」

 

「だがセルは十日以内に殺し尽してしまう。それではきみが強くなる時間がない。それまでの時間は、俺が稼ごう。覚えておくといい。この世界には、あんなものが石コロに見えるほど、強大な絶望が待っている」

 

「それでも、それでも俺は乗り越えてみせる。俺たちは、死なない! 俺がたとえ死んだとしても、俺の意思を継ぐ者が必ず現れる」

 

「諦めない、というわけか。いい目だ。そんな目をした人間に、初めて会ったよ。……なるほど。ミノルやカズヤの心変わりが理解できずにいたが、少し分かったような気がする。なぜオニキスが、きみを守ろうとしたのかもね。ならば強くなりたまえ、孫悟飯。七年後、そして十六年後にその素晴らしい志が届くようにね」

 

 忍はそう言うと、悟飯の傍らをすり抜けて扉をくぐり、黄金の気をまとい空の彼方へと飛び立っていった。

 まるで弾丸のような舞空術の速度に、悟飯が息を呑む。朝の支度を終え食卓で待っていたチチが顔を出してきた。「オニキスは起きたか、悟飯?」と聞いてくる母親に、悟飯はしばらく言葉を失ったあと、彼がもうパオズ山には現れないような、そんな予感がしていた。

 

 

 

 

 だれもいなくなったパセリシティ。

 黒煙を上げる街並みをセルは無機質に見つめたあと、次の街に向かわんと翅を広げた、そのときだった。空から金色のなにかが近づいてくる。

 

「ん?」

 

 一瞬、鳥に見紛うほどそれは音もなく頭上に現れ、セルの目の前――五メートルほど離れた民家の前に着地した。

 背の高い男だった。ゆったりとした黒のシャツと黒ジーンズが逆三角形の見事な体型を浮き彫りにする。ズボンのポケットに手を入れて突っ立っているだけでも、どこかの雑誌モデルを思わせる雰囲気がある男だった。

 セルの様子を見守っていたフューすらも、要を得ず目を丸くしていた。

 

「あれ? きみは?」

 

 男がセルを見据える。眼力に、迫力のある男だった。

 

「はじめまして、セル。悪いが人間を皆殺しにする役割は、俺に譲ってもらおうか」

 

「貴様……、何者だ?」

 

「仙水。仙水忍、お前を地獄に送る者の名だ」

 

 男は冗談めいた声音で、悠然と語る。セルは腕を組んだまま、その目だけを細めた。

 

(強い……。なんだ、この底知れぬ強さは)

 

(ほぅ。思ったよりはずっと強いようだ)

 

 忍もまた、実際に相対してみた人造人間の底力を感じ取る。莫大な数の人間の命を吸い取って出来上がった究極の生体兵器。それは正しく、『黒の章』に登場する人間たちと同じ種類の存在だ。

 忍が微笑んだまま、静かに言った。

 

「少し、運動に付き合ってくれ。セル」

 

「いいだろう。私も退屈していたところだ」

 

 セルが腕組みを解き、一気に踏み込む。鋭く伸びる右ストレートが忍の顔面に届く寸前、セルの拳が忍の左手につかみとめられた。その拳の威力を物語るように地面がえぐれ、衝撃が遅れて同心円状に広がり、街にクレーターを作っていく。

 

「ちょっと! いきなり!?」

 

 慌てて空に逃れたフューが抗議めいた声を上げる。どちらも互い以外を見ていない。フューは頭を掻きながら、唇を尖らせた。

 

「まったく。傍迷惑なひとたちだなぁ」

 

 クレーターの中心に悠然と立つ忍は、穏やかな表情に反して獣じみた目をしている。同じ目線の高さにいるセルの頬には、冷や汗が流れた。

 

「どうした、真面目にやれよ。セル」

 

「フン」

 

 二人、同時に踏み込んだ。高速で動く二人の姿は、もはや視認できる域を超えていた。激しくぶつかり合う衝突音と音速を越え生じる衝撃波があちこちで不気味に響き渡っていく。

 次に、両者が現れたのは空中、球状のポールのような建物のすぐ傍だった。互いに両手を掴みあい、真っ向からの力比べ。セルが力んだ表情で、忍は無表情で睨み合う。

 

「どうしたんだ? 完全体というからには少しは楽しませてくれると思ったが、それが精一杯かな」

 

「舐めるなっ!」

 

 咄嗟に両手を突き放し、セルが頭上で両手を組んで忍の頭に殴りつける。巨大な激突音とともに急落した忍が、地面にぶつかる寸前で身を翻し、優雅に着地する。

 

「ぐおあああ!」

 

 追い討つように、セルが拳を握り、気を高めた。金色の気柱がセルの全身からみなぎり、天に向かって走る。

 

「超サイヤ人と同じオーラか。美しい色だな」

 

「どうだ、これがこのセルのフルパワーだ!」

 

「悪くない力だ。だが、いまの俺には通用しない」

 

「ほざけ!」

 

 ダッシュで踏み込んだセルの右ストレートが、割り入ってきた左腕に外に流され標的を見失う。セルの顔が歪んだ。忍はセルの右腕を左腕で巻き込むようにして倒し、軽くいなしたのだ。その瞬間だった。強烈な衝撃がセルの顎を貫き、セルの巨体が宙を舞う。天高く跳ね飛び、中空で壁にぶち当たったかのごとく、セルが四肢を張って上空で体勢を立て直す。その通った鼻筋からは、紫色の血が一筋、流れた。

 忍は追撃することもなく、不敵に微笑んで地上からセルを見上げている。

 

「お、の、れぇ……!」

 

「貴様ほどの実力者ならばわかるだろう。俺と貴様じゃ勝負にならないと」

 

「フ、フッフッフッフッフ……!」

 

 セルが乱暴に鼻血をぬぐい、腰溜めに構える。

 

「かぁー……、めぇーっ!」

 

 セルが腰元に置いた両掌のなかに青白く、鋭く輝く気が集い、光球を成していく。

 

「はぁー! めぇー!」

 

 それは燃え落ち、ほとんどの建物が黒い炭と化した街中を青白く照らす太陽に見えた。青く強い光の束がセルの掌のなかに集約されていく。

 強烈な気の塊を手中におさめたセルは、忍を睨み下ろして凄惨に笑った。

 

「どうだ、全力のかめはめ波だ! 避ければ地球が吹っ飛ぶ! 受けざるをえんぞ!」

 

 殺意に満ちたセルのドス声が、廃墟の街に響き渡る。

 

「くたばれぇーーっ!」

 

 強大な光の砲撃が、空から忍目掛けて降り落ちてくる。忍は手のひらに金色の光をまとった小さな球をつくると、セルのかめはめ波目掛けて蹴りはなった。

 

「お、おされ!? ぬあああああ!」

 

 それはだれが見ても不可思議な光景だった。広大な力の奔流が、ほんの小さな光弾と接するとその矛先をめりめりと深く浸食され、降り落ちる速度が徐々に弱くなり――ついに、セル目掛けて跳ね返っていったのだ。青い光のなかに呑み込まれていったセルは、かめはめ波の態勢を取ったままなす術なく体の大部分が消し飛び

 

「ぎ、ぎぎぎぎ……!」

 

 地上に逃れたいくつかの肉片から再生し、倒れ伏した態勢で息も絶え絶えに呻くのだった。セルのもとに、忍がゆっくりと歩み寄っていく。

 

「すまないな。すぐに楽にさせてやるつもりだったが、予想以上にお前の戦闘力が高かったようだ。もう少し気を込めていればよかった」

 

「き……! き、さ、まぁ!」

 

 セルが拳を握ると同時に、風船のごとく膨らんだ人造人間の肉体が、新たな表皮を高速で構築し、もとの完璧な姿を取り戻していく。

 

「畜生、畜生っ、畜生おおおお……っ!」

 

 さらにほとばしるセルの怒声。それに合わせてセルの体が膨らみ、忍の身長をはるかに超える、三メートル近い筋骨隆々の姿へと進化を遂げる。

 

「ほぅ。体形を変えれるのか」

 

 忍がセルの顔を見上げて、どこか他人事のようにつぶやく。

 傷こそ再生させたものの、全身に体液と汗をにじませたセルが、怒りににじんだ目で睨み下ろした。

 

「ぐぅううううう! 貴様なんかに、負けるはずがないんだ! ぬあああっ!」

 

 さきほどまでの動きとは比べ物にならない拳、そのスピード、破壊力。それを忍は軽くいなし、地面を軽く蹴って跳躍し、セルの顎を蹴り砕く。同時、返す刀でセルの鳩尾につま先を叩きつけていた。

 

「うぐぉおおっ!」

 

 槍に刺されたような衝撃とともに前のめりになったセルの後頭部にかかと落としが叩き込まれる。地面に固定されるセルを見下ろし、忍が無表情のまま言った。

 

「あまり壊すなよ、自然を」

 

「ぐ、ぐぅ、何者なんだ、貴様ぁあっ! あり得ない、この、強さはっ、あり得ないっ……!」

 

「悪党にしてはずいぶんと安いセリフだな、セル。死ね」

 

 忍が手のひらを広げると同時、気弾が急速に膨らみセルを呑み込んで、大きな気柱を発生させた。

 悲鳴を上げる間もなく、完全体のセルが地上から消し飛んでいく。

 忍の口から、盛大な高笑いがあふれた。予想していたが、期待以上の力だ。

 

「素晴らしい……! あれほどの化け物をこんなにも簡単に叩き潰せるとは! やはりこの肉体はいいな、オニキス」

 

 廃墟の街で、忍が全身を揺らして笑う。みなぎる膂力が、やはり気を媒体にして作り上げた肉体とは全然違っている。満足げに高笑う忍の前に、白髪の魔族が唇を尖らせて降り立ってきた。フューだった。

 

「せぇーっかくこの時代に連れてきたのにあっさり殺すなんて、ひどいな。きみ」

 

 忍がゆっくりとフューをふり返り、鼻で笑う。さきほど見せた感情の激しさなど嘘だったかのように、忍の顔には冷静な笑みが浮かんでいた。

 

「まだ、この地球には魔人がいるだろう。そいつにあとの処理は任せるがいい。いまから七年後、だったかな?」

 

「そんなことまで()()()()()()なんて、きみタダモノじゃないね。さっきオニキスとか言ってたけど、もしかしてタイムパトローラーを殺した彼と、知り合いかな?」

 

「そのようなものだ。だが世界の終末を迎えるには、この力でもまだ足りないらしい」

 

 そう言って、忍がフューに背を向ける。

 

「また会おう、フュー。今世も人間に生まれ落ちてしまったこの身を嘆きつつ、最高の結末(フィナーレ)を迎えるためにもね」

 

 フューがまたたいたとき、忍はすでに消えていた。気配もなにも感じない。それは時の次元を自由に行き来する、自分たちだけの専売特許のはずだった。

 

「アハッ!」

 

 信じられない出来事に、フューは思わず満面の笑みを浮かべる。面白そうな人間だ、とは初めて見たときから感じていたが、もしかたらそのフューの予想をも軽く上回る相手なのかもしれなかった。

 

「この世界の終末、十六年後の全王のことか……! フフッ、いったい人間なんかがなにをするつもりなのか、楽しみだなぁー! 仙水忍、か。君の名前……! バッチリ覚えたよ!」



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9話

 瓦礫があちこちに散らばった、真っ暗な空間を漂っていた。

 

 ――おやすみ、オニキス。

 

 あのとき、鎖を引きちぎって忍に殴りかかろうとしたその瞬間に、無数の手が俺を羽交い絞めにしてきた。ミノル、カズヤ、ジョージ、ナル、ヒトシ、マコト……俺のうちに眠る全人格が忍の命令に従うように俺の体を押さえつけていた。

 視界が暗くなって、目が覚めたら忍だけ居なくなったこの空間にいた。

 俺は、どうなったんだろうか?

 

「ようやく目覚めたか」

 

 背中から声をかけられてふり返った。ひとがいた。白装束を着た、緑髪の優男だ。青白い肌に生気のない表情、珍しい金色の瞳がじっと見てくる。……だれだ?

 

「俺の名は樹。忍が話していた次元妖怪だ」

 

 こいつが。思うと同時に、樹からは気配がしないのが気になった。正確には、この空間そのものに樹が溶け込んでいる、そんな感覚だ。ほかは人間と大差なく、『妖怪』と言われてもあまりピンとこない。

 樹が少し笑った。その後ろから青黒い手が無数に生えてくる。人間の手に見えたが、皮膚に目が無数についた――それこそ妖怪、百目を思わせる手の群れだ。

 

「これは影の手という。闇撫での樹。それが俺だ」

 

 お前は、俺の思考が読めるのか? 問うと、樹が不気味に笑みを深くする。

 俺自身、声が出ないことには気づいていた。空間を漂っている、と知覚できる。ただ、本来なら視界の端に見えるはずの自分のパーツが一切見当たらない。百八十度、景色を見渡すことができた。

 

「やはりいくら莫大な気を持っていようと、忍のようにみずからの肉体をつくりだすことはできないようだな。お前はいま、霊光球のなかに意識を閉じ込められた状態だ。そのまま固定化する努力をしなければ消滅するぞ」

 

 へえ……なにっ!?

 天気の話でもするような調子で言われて、一瞬、聞き流してしまった。え? 消滅? ……俺が?

 

「ああ、そのまま呆けて消えてしまえばいい。俺にとってお前はおまけだからな。忍が説明してやれと言うから渋々なんだ、お前のまえに現れてやったのは」

 

 淡々とえぐいことを言ってきてる気がする。よくわからないが、その小綺麗な顔、張り倒したらいい?

 無意識に拳を握る動作をすると、視界のなかに手が生えてきた。……ん? これはもしや、と思って、その場でジャンプする。だめだ、もっと強く。ジャンプのイメージを強く持つ。胴と脚――俺自身の体がどんどん視界に入ってきて思わず目が輝いた。なんだ! 簡単じゃん!

 おい、お前いま舌打ちしただろ。無表情で舌打ちやめろ。聞き逃さねえぞ。

 ……あれ? 声は難しいのか? なんで出ないんだろ?

 

「肉体は形成できても、忍のように自在に動かすことはお前程度では不可能ということだ」

 

「いちいち喧嘩売るような言い方しなくていいだろ!」

 

 あ、出た。

 ちゃんとまばたきできることにも安心して、ほっと息を吐いた。あ、もしかしてこのためにわざと怒らせてくれ――なわけない。あ、そう。

 この妖怪、なんでそんなに鬱陶しげな顔してるんだ。会うの初めてだよな?

 

 ――俺たちは次元妖怪に愛されている。お前がほかの人間より「歪み」を正確に視ることができるのも、そいつの影響だ。

 

 忍の言葉を思い出して、いや、ねーよ。と手のひらを振った。

 歪み云々はそうかもしれないが、どちらかというと嫌われてる感がある。妖怪の愛し方って人間とは違うのか?

 樹が鼻で笑ってきた。

 

「俺は確かに忍を愛している。忍以外の六人についても、平等ではないがそれぞれ認めている。だがお前は違う。お前は忍の一部じゃない」

 

「それって、忍からあの6人の存在を感じたことと関係あるのか?」

 

 樹はつんとした様子で彼方を見て、俺の質問には答えなかった。……忍はムカつく野郎だったが、こいつは嫌な野郎だな。シンプルに。

 

「まあ、どうでもいいか。で、どうやったらここから出られるんだ? もう行かないと」

 

 忍がなにをしでかす気なのかわからない。ただ、ろくでもなさそうだ。ほんとに全人類の墓を掘る気なら止めないと。

 ――悟飯さんやチチさんに手を出そうものなら、殺してやる。

 

「……殺気をまとうと、ほんの少しだが似ているな。昔の忍に」

 

「お前が会話する気ないのは、よくわかったよ」

 

 なーんにも質問に答えてこねえ。

 まあいいや。だったら自力でどうにかするしかない。周りを見渡して、ふと忍がコントン都から盗んできたという巻物の山が目に入った。

 

 ――この世界には、なかなか興味深い結末(エンディング)が待っているようだ。

 

 忍が、そんなことを言ってたな。ろくでもないことが起こる、というのは予想できるけど。

 巻物をひとつとって開いてみる。時の界王神が『定められた歴史』と称するものについて、俺も前から興味があった。エイジ780。俺が介入しなかった場合の、本来あるべき歴史。ペッパータウンに向かった悟飯さんが人造人間たちに殺され、のちに現場に到着した幼いトランクスが哀しみと怒りのあまり、超サイヤ人に目覚める歴史……――。

 

 気付けば食い入るように、次から次へと巻物を繰っていた。企業としての体裁を保てなくなったカプセルコーポレーションが、それでも死力を尽くしてタイムマシンを開発したこと、それに乗って17歳になったトランクスが過去の時代に助けを求めに行ったこと。過去で修行し、強くなって帰ってきたトランクスが17号、18号、そしてセルを倒し、世界に平和が戻ったこと。

 戻ったかに思われた平和が、魔人ブウを復活させんとする魔族たちによって脅かされ、神さまと共にトランクスが戦ってこれを退けたこと。その戦いで神様が死んでしまったこと。

 神さまが死んでしまったせいで、人類を皆殺しにしようとする神がまた世界を脅かし始めたこと、そしてトランクスが過去にまた助けを呼びに行き、そして、そして――……

 

「…………消える? この世界が?」

 

 ザマスという神により、世界は破壊し尽くされる。それに講じて召喚された神の頂点『全王』が「この世界は不要」と判断してザマスごと世界そのものを消滅させる。

 巻物はそれで終わりだった。トランクスは別の、まだ無事だった時代の世界に行って暮らし始めたという。トランクスと恋人のマイ以外は、あらゆる物質が文字通り消滅する――それが、この世界に待ち受ける結末だというのだ……。

 巻物を握る手が震えてくる。こんな、こんなものが守るべき「定められた歴史」?

 俺は、こんなものを「守れ」って言われていたのか? いまの、いままで。

 

 巻物を放り投げていた。体中から火を噴いているのが見える。力の制御? 必要ない。ここは、次元妖怪と俺しかいない寂れた空間だ……。壊れる自然も、生物も存在しない。

 

「樹、ここから出せ」

 

「それはできない相談だ。忍の邪魔をされては困る」

 

「なら、お前から死ぬか」

 

 樹は口許だけで笑った。

 

「好きにすればいい。ただし、俺を殺せばお前は永遠にこの空間から出られない。お前がそれらの巻物を読めば逆上することくらいは計算済みだ。お前の親と幼馴染たちの仇……人造人間セルが忍によって始末されることも含めてな」

 

 セル……俺の故郷を滅ぼした、いますぐ殺してやりたい虫野郎。

 樹が手をかざすと俺との間に渦巻く鏡が出来上がり、それが山小屋に逃れた人造人間17号がセルに吸収されるさまを映し出していく。18号はすでに吸収した、そうセルがうそぶきながら。

 

「忍はこうして最強の姿になった人造人間といま戦っているんだ。俺たちがすべきことは、これをただ見守ること。忍がいかにしてセルに勝つのか――」

 

 長々としゃべる樹は驚いたように目を見開いていた。拳で腹を貫かれたのが、意外だったらしい。

 

「お前の口上は、聞くに値しない」

 

 拳に集めた炎が狼の姿をかたどって樹に頭から食らいつくと爆発し、跡形もなく消し飛ばす。パラパラと散る火の粉を見ながら、俺は意識を研ぎ澄ませた。

 背後の黒い空間から生えてくる、無数の手。それらに空間を開くよう命じる。無駄口をたたかないこいつらのほうが俺に合う。こっちが妖怪の本体だ。

 

 目の前に光の裂け目が生じてきて、迷わずまたいだ。視界が光いっぱいになったあとに、開けた荒野に出る。吹き抜ける風の感触が懐かしい。

 セルと忍の気は感じない。

 終わったのか、それとも別の場所に出たのか。

 妖怪の言葉を俺はまじめに聞かなかった。あいつは忍について語ることと、俺の反応を愉しむことしか頭にない。正確な情報――俺が知りたいことを言っているかは微妙だった。

 ただ、この肉体を得たことと、やつの次元能力は役に立ちそうだ。腕のサポーターを外して、自分の腕を見下す。『闇撫で』と称される妖怪の無数の目がまばたきしていた。いい子だ、それでいい。

 

「この気は……、悟飯さん?」

 

 ふと西側に強い気を感じて、ふり返った。もうひとつの、少し小さな気はトランクスのようだ。あとは知らないやつらがいくつか。

 戦ってるなら加勢に行くか。

 決めて、大地を蹴った。



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