001
千石撫子に遊びの約束を申し込まれたとある夏の日。僕はズボンのポケットに手を突っ込みながらコンクリートの上を歩いていた。
夏の日差しほど嫌なものはない。吸血鬼の力が幾分か入っているから、その影響もあるのではと考えたくなるような毎日だ。まぁ、そんなことはないのだが。
しかし、なんだ。受験勉強から逃げるための口実が生まれたのは、案外いいことなのかもしれない。そう考えて僕は鼻歌交じりに歩く速度を上げていく。
002
千石の家に着いた僕は真っ先にインターホンを押した。するとすぐに応じて、千石は扉を開けて姿を見せてきた。
きたのだが、なんというか、妙に艶やかだ。色気があると言ってもいい。短パンに桃色のノースリーブを着ているだけなのに。
なんだこの感覚。
「暦お兄ちゃん!」
ギュッと腕を掴んでくる千石。胸を押し寄せてくるのは気のせいでありたい。汗まみれの腕に千石のひんやりとしたお肌が接触してくる。
頰もくっつけて、外であるというのに僕の身体は鳥肌まみれになっていた。
これ大丈夫か僕。
ご近所の人に見られたらロリコンのそれじゃないのか? いや、千石に限ってそれはないだろ……。
というか僕も千石に対して情欲を抱いたことは断じて、一度もない。
「中に這入って?」
「お、おう……」
言われるがままに僕は千石の家に這入って行く。冷房が効いた部屋だ。
もともと持っていた鳥肌と相まってさらにひんやりさせてくる。
「なぁ千石。なんか冷房が効きすぎてないか?」
「えぇ? 気のせいだよ?」
「……そうだよな」
そうだというのに僕はまだ夏に似合わない寒さを持ち合わせながら室内を進んでいく。
案内されるがままに千石の部屋に入ると、右から赤、青、黄、緑色の丸が描かれているシートが目に移った。縦に六つ、横に四つ。そして近くにはルーレットのようなもの。
ツイスターだ。ツイスターゲームに用いられているシートとそのルーレットが目の前に置いてある。
「暦お兄ちゃん、これであそぼ?」
そう言いながらツイスターゲームで遊ぶことをここぞとばかり主張してくる千石の姿は可愛らしい。
……さて阿良ヶ木暦よ。お前はこれで遊ぶ気か? 十四歳の少女と? ツイスター?
僕のツイスターの認識はどうやったって女の子の太ももとか胸とかを男の子がタッチしてしまう展開に持ち込める装置としか思っていないのだが、千石とそういう展開をしろというのか?
いやまぁ、僕はロリコンじゃないし? 千石に欲情なんかすることもない。だからこれで遊んでも問題ないはずだ。
彼女持ちの僕が他の女の子になびくはずがないだろ。
それに千石はニッコリとこちらを見て微笑んでいるが、僕が今から断ってその表情を崩すことは流石にできない。誘ってもらって来た手前、これを断るわけにはいかない。
まだこれがツイスターゲームじゃないこともあるかもしれないんだ。遊び方が違う可能性があるからな。
そうだよ。千石がこんなゲーム持ち込むわけないだろ。
「よしわかった。早速遊ぼうじゃないか、それでどう遊ぶんだ、それは?」
「これを回して指示された場所に手か足を置くんだよ」
「へぇ」
ツイスターだったわ。
……なんでそんなもの持ってるんだ。
「そんなのもわからなかったの? 暦お兄ちゃん?」
「うん」
言い方。
どこか挑発めいた言い方だった。しかし僕は高校生。こんな言葉で怒るほどヤワな精神をしていない。
千石はまだ中学生だ。こう言う言い方をしてしまう日もあるだろう。
003
「あれ、暦お兄ちゃんそんなところに手を置けないんだ? ……右足曲げれてないよ? 暦お兄ちゃんのざーこ♡」
「…………」
耳元でそう囁かれること早三十分。僕の身体は正直限界を迎え始めていた。
きつい体制はマジできつい。吸血鬼の身体であるとはいえど、痛いものは痛いのだ。
それに千石だ。ツイスターが始まって何分か過ぎた後、千石が耳元で僕を挑発し始めた。
「ざーこ♡ 暦お兄ちゃんの、ざーこ♡」
「おいおい千石。お兄ちゃんを舐めるなよ? これくらい余裕だ」
嘘だ。正直くっっっっそつらい。
加えて言うが、千石の発言一つ一つが僕の身体の……下半身のあそこに強く響いてくる。
興奮を仰いでいるのだ。さながら、バイノーラルマイクを通して言葉を発しているような言葉が耳元に流れ込んでくる。めちゃくちゃいい声だ。ご結婚おめでとうございます。
……じゃなくて。
千石がルーレットを回して自身の左足を僕の股の間に置いてくる。顔は相変わらず僕の隣だ。なんか体制緩くない? 僕足開いて両手開いてるブリッジ状態なんだけど。
正直限界が近かった。
「あれぇ? 暦お兄ちゃん身体が震えてるよ? 中学二年生に負けちゃうんだぁ? よっわーい♡」
「…………なに? 負けてないが?」
「えぇー? でも今にも負けそうだよぉ?」
「よしいいだろう千石。今から暦お兄ちゃん本気出すからな。今にもわからせてやるから今すぐにそれを回せ」
「わかった! ……はい、左足を青」
「楽勝ォ!」
そそくさと置いた。
千石は左手で回し、右足を少し動かしてまたも千石のターンを五秒もかからず終わらせていく。
「暦お兄ちゃんの番だよ? 大丈夫? やめとく?」
「やめたら何を言うつもりなんだ?」
千石の顔は笑顔に満ち溢れていた。初めて見る表情だ。悦に浸っている。僕の苦しんでいる表情を見て、すぐに耳元で囁いてまたも言う。
「ざーこ♡ って何回も言うよ?」
言葉が通り抜けずに心の中にとどまっていく、頭の中に反芻していく。千石の表情は、間違いなくこちらに対して優位性を持ち、明らかに僕を下に見ているような見方をしていた。
「ふふっ! 暦お兄ちゃんの、ざ〜〜〜〜〜〜こ♡ だらしなぁーい♡ 暦お兄ちゃんこんなのもできないんだ♡ よわぁー♡ 今日から暦お兄ちゃんのこと、ザコヨミお兄ちゃんって呼んであげるね♡ だってザコヨミお兄ちゃん弱いんだもん♡」
「…………」
誰だこいつはと僕は言いたくなった。
僕の知っている千石はドラえもんのアイテムをドヤ顔で説明してくるような人見知りの女の子のはずだぞ。
どこかおかしい。今日の千石は千石じゃない。怪異か?
いや、こんな怪異いないだろ。というかいてたまるかこんなやつ。高校生舐めてるのか。
忍野にいるって言われても、忍にいるって言われても僕は真っ先に否定するね。どんな伝説残してんだよと逆に訊くね。
となると変な奴から影響でも受けたか? いや受けたにしても千石はこんなことしないだろう。
「何か言ったらどう? 雑魚雑魚の暦お兄ちゃん♡」
なら僕はこのおかしくなった千石をどう対処するべきなのだろうか。
答えは明白だ。わからせればいい。高校生が強いということをその目でしっかりと焼き付けさせ、己の非力さを理解させる必要がある。
「ふっ……うるさいぞ千石。早く回せよ」
「ふぅん……?」
そう言いながらカラカラと回す千石。
出た場所は左手を赤に置くという指示。
ついに僕にも楽な姿勢にさせて来てくれた。
千石の表情は変わらず優位性を持ったままルーレットを回していく。
「あっ、届かない……よいしょ……、あっちょ、うわっ!?」
なんか普通に滑って転んだぞ。
僕の勝ちである。粘り勝ちだけど……釈然としなかった。なんだったんだこれ。
004
後日談というか、今回のオチ。
少しして、千石が飲み物を取りに行った時、一つの雑誌を見つけた。
漫画雑誌ではあるが、一つだけ付箋が刺されている漫画があった。
内容はいたって単純、幼い女の子と大人の男性が主役のラブコメなのだが、その幼い女の子が男性を挑発して、行為に誘っているのだ。
まるでさっきの僕と千石の会話のように。
「遅れてごめんね、暦お兄ちゃ……あ」
発見して読み進めたタイミングで千石が戻ってきた。
僕が読んでいる姿を捉えた瞬間、千石の表情はみるみる真っ青になっていく。僕は一息ついて、千石に話しかける。
「なぁ千石。挑発は流石にお兄ちゃん違うと思うんだけど」
「ち、違うんだよ暦お兄ちゃん!」
口調はいつも通りの千石に戻っていた。
雑魚とか弱いとか言われるとたしかにこちらも攻めなければならないという気持ちは掻き立てられるが、流石にフィクションの世界のことは現実で起きるはずがないのだ。
「何が違うんだ?」
「そ、その本は……そう! 河川敷に落ちてたのをたまたま拾って、たまたま目に入ったページを読んだだけ!」
「その割には綺麗だが」
「綺麗に置いてあったんだよ!」
そこはもうただの本屋だろ。
今にして思えば千石の格好もこちらに向けたセックスアピールだ。情欲をここぞとばかりに仰がせに行っていた。
「……千石。お兄ちゃんは強いからな。中学二年生の挑発に負けることはないんだよ」
「で、でも暦お兄ちゃん。さっき負けそうだったじゃん」
「負けてないからセーフだ。とりあえず千石。このやり方はオススメしない。下手したら僕完全にキレてたぞ。でも僕は強いからな。年下にキレることはないんだ」
「キレて襲いかかってくればよかったのに」
「なんて言った今?」
「何も?」
まぁこのやたら男を挑発させてくる口調、俗に言うメスガキのセリフだと思われるのだが……。
このセリフが似合うのは囮物語以降だと思うんだよなぁ…………。
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