傷だらけの守護者 〜全てをキミに〜 (きつね雨)
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序章
レヴリ


  

 

 

 

 少し長めの黒髪を後頭部で結び、凛とした瞳が遠くを見つめていた。

 

『狙撃しないのですか?』

 

 空間に響いた問い掛けに、その黒髪の持ち主が答える。

 

「まだ」

 

 その返答も矢張り凛としていたが、同時に幼くて綺麗だ。身体の丸いラインも、細い腰や白い首元も、全てが少女の存在を、そして美しさを顕している。

 

『何故?』

 

 反面、姿の見えない声、その問い掛けは機械染みていて、人によっては癇に触るかもしれない。まるで合成された音や変声機を通したかの様だ。

 

「まだ戦う意志を捨ててない。周囲の仲間も守っているし、何か作戦があると思う」

 

 少女は、両手で不似合いな物体を胸に抱えていた。真っ黒なソレは、カタチから銃と分かる。ただハンドガンとしては妙にゴテゴテと部品が付いているし、狙撃銃としては部品が足りない。スコープも長い銃身も無いからだ。

 

『しかし戦力差は明らかです。武装も能力不足ですし、全く効いていません。確かによく訓練された部隊と判断しますが、勝算は5%以下と推測。最悪全滅するでしょう。ターゲットの守護に影響が……』

 

「移動する」

 

『どちらへ?』

 

「作戦が大体分かった。恐らく後退していると見せ掛けて、特定の場所へ誘導してる。多分、アソコ」

 

『確認しました。成る程、視界の確保が難しいかもしれません。新たな狙撃場所へ移動すると?』

 

「そう。あの建物に」

 

 立ち上がった事で身長も低い事が分かる。幼さを残す相貌からも見た目通りの若さだろう。10代半ばと思われる少女は、無表情を崩す事なく歩みを進める。

 

 冷たい、張り詰めた印象を残して階段を降りて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 水色ではなく青く澄んだ空は何処までも高く感じる。

 

 高層ビルが景色に混じっていなければ、現実であるかも分からなくなるかもしれない。一昔前は大気が汚染され煙っていたが、人々の活動が弱まると変化は劇的だった。排気ガスを撒き散らす車輌も大幅に減少したし、稼働していた各種工場も大半が停止している。一部のエリアでは動いているが、絶対数が違うのは明らかだ。

 

 都市部では見る事もなかった野生動物の姿も散見され、人によっては楽園だと評するかもしれない。

 

 だが、よく目を凝らせば……人間にとっての楽園などではないと思い知るだろう。

 

 アスファルトはヒビ割れ、隙間から雑草が我先にと背を伸ばしている。それは見渡す限りに広がっていて、道路は長らく使用されていないと分かった。高らかに天を突く高層ビル郡に人影はない。ガラスは割れ、鉄骨は曲がり、壁面もあちこちで崩落している。放置された車は草花の住処と化し、錆が浮き出て茶色の雨垂れの跡があった。

 

 背の高いビルやマンション、美味しい料理と飲み物を供する店舗、家族の笑顔があった筈の家々。日本の何処にでもある当たり前の風景がこの街から消え去って久しい。全てが過去の夢で、まるでハリボテか映画のセットを思わせる。

 

 かつて大都市の一つに数えられた此処は今や人が簡単には立ち入る事が出来ない場所に変貌した。

 

 それは地面に散らばる数々の人形(ひとがた)が物語っている。雑草と似た色の服、迷彩服を纏う者達がその地面に倒れ伏していた。

 

 誰もが血を流し、中には四肢の失われた者。男女を問わずほぼ全てが意識はない。いや、もう命の火は消えて、立ち上がる事も瞳に光を宿す事もないだろう。

 

 横たわる者達を見れば傍らに銃やナイフ、アサルトライフルらしき金属と樹脂の塊りと空薬莢が散らばっている。"国家警備軍"と称される国と民を守る隊は、自らを救う事も憎き敵を打ち倒す事も出来なかった。

 

 カテゴリ(ファイブ)。脅威度では5段階中最下位の異界汚染地は、精鋭たる彼らが全滅するなど有り得ない筈だったのに。現れる奴等は熊や狼より少しだけ強く、時に放たれる特殊な能力にさえ気を付ければ良かった。

 

 だが現実は何処までも非情で、時は淡々と流れ溢れていく。

 

「何で……こんな奴が此処に……どうして……」

 

 たった一人生き残っていた女性は絶望の色を言葉に乗せた。片膝をついて仲間を殺した憎き敵を睨む位しか出来ない。

 

 年の頃は二十歳くらいか。ショートボブは軽めのオリーブベージュに染まり、丸顔を明るく見せている。少し垂れ下がった目尻や柔らかな視線から見る人には優しい印象を与えるだろう。美人と言えるが、どちらかと言えば可愛らしさが先に立つ。身長も決して高くなく、年齢より下に見られる事が多いかもしれない。

 

 彼女は若いながらも幾らかの戦闘経験を積み、発現した"異能"によって将来を嘱望された軍属の人間だ。だが目の前にいるのはそんな異能者が複数必要とされる化け物で、もう勝てる可能性はないと諦観が襲う。

 

 化け物、通称 "レヴリ" は()()()も前からこの日本をはじめとする世界に現れた。

 

 大半が物語に描かれる様な幻獣や怪物と同じ異形で、常識を覆す馬鹿げた膂力や生命力を持つ。中には竜としか思えない恐竜染みた奴等もいるのだ。最新鋭の装備を揃えた軍を一瞬で焼き尽くす火炎を吐き、どんな重火器を用いようとも硬い皮膚を抜く事が出来ない。

 

 彼女から少し離れた場所で仲間だった者達を引き千切り口に運ぶレヴリはたったの一体。骨すらもガリガリと噛み砕いて次々と腹に収めていく。

 

 体長は優に三メートルはあるだろう。日本人なら誰もが思い浮かべる姿は"鬼"だ。ファンタジーに詳しい人ならオーガだと呟くかもしれない。そのレヴリは赤い肌とギザギザの牙、人を超える身長と鋼より強靭な筋肉を太陽に晒していた。

 

(あかなし)……逃げ、る、んだ……」

 

 絶望に支配されていた彼女……(あかなし)陽咲(ひさ)の耳に切れ切れの声が届いた。直ぐ後ろに倒れていた男は、幾ばくも保たないだろう命を燃やして言葉を発したのだ。

 

「白石隊長……生きて……」

 

「杠……逃げ、ろ……」

 

 だが白石の瞳からは意志の光が消えて、最後の力を振り絞ったのだと分かった。

 

 その時、陽咲の心は逃走を決断したのか……いや、彼女の中に燃え盛る炎が宿る。消えかかっていた火は大炎へと変貌していった。

 

 絶望的な戦力差がなんだと言うのだ。私は生きて()()()()()ーー

 

「お姉ちゃんなら、お姉ちゃんなら絶対に逃げたりしない。最後まで抗って、必ず勝利を捥ぎ取るんだ……私だって、お姉ちゃんの、千春(ちはる)お姉ちゃんの妹なんだから!!」

 

 自らに宿る異能に再び力を注ぐ。カタカタと揺れ始めた周囲に散らばる瓦礫は一つ、また一つフワフワと宙を浮き、尖った先がレヴリに向いた。

 

 陽咲は立ち上がる。

 

 特有の異能、念動(サイコキネシス)を使い瓦礫を射出するのだ。散らばっている銃に意味はない。数少ない高位の異能者ならば違うだろうが、弾丸や瓦礫をただ撃ち込んでも無意味なのは先程の戦闘で理解している。見た目に反して素早いレヴリは急所を晒したりしない。何度か当てたが致命傷には程遠かった。

 

「隙を作る。絶対に逃げたりしない」

 

 恐怖を押し殺した強い決意は異能へと注がれ、レヴリが立つ地面に変化を齎していく。

 

「彼処なら地下があったはず。叩き落として動けなくしてやる」

 

 僅かに震える地面とミシミシと鳴くアスファルトに奴は漸く気付いたのか、手に持っていた隊員の身体を放り投げてキョロキョロと見回し始めた。

 

 もう遅い!

 

 内心叫び声を上げながら陽咲は限界まで強めた念動で地面を下に押し込んだ。瞬間破裂する様な爆発音が鳴り響き、赤いレヴリの身体が地面に吸い込まれていく。意味不明な叫び声を上げながら尻餅をつく姿の滑稽なことーー

 

「やった!」

 

 仲間達と此処まで追い込んだのだ。瓦礫に埋まるレヴリに対して一斉射撃を行う作戦だった。陽咲は皆の想いを抱き、ポッカリと空いた穴へと駆け寄る。墓穴を掘らぬように慎重に下を見れば、レヴリがアスファルトと土砂に埋まっているのが見えた。この程度で死ぬ様な奴ではないと、陽咲は更なる念動を使い瓦礫の弾丸を集めていく。

 

 ガラ……

 

 予想通りにレヴリは身動ぎして埋もれた体を引っ張り出そうとしている。分かってはいたが凄まじい生命力だ。

 

 まだ撃たない。

 

 頭部が露出したら一気に叩き付けんるんだ。みんな、千春お姉ちゃん、力を貸して…… 陽咲はたった一人レヴリに立ち向かう勇気を振り絞るため、仲間と愛する姉に祈った。信号弾は随分前に打ち上げたが、応援の到着など期待出来ない。この異界汚染地には陽咲達しか侵入していないのだから。

 

 グルルル……

 

 怒りを覚えているのだろう、低い唸り声が響く。

 

 遂には顔面に乗っていた岩の様なコンクリの塊を片手で押し出し、醜悪な奴の顔が見えた。埃に塗れて赤色は真っ白になっている。首を振って原因である陽咲を見つけるとギリギリと牙を鳴らし始めた。威嚇なのか怒りの発露なのか……結膜、つまり白目の部分がない真っ黒な眼球と陽咲の視線が交差した。

 

「私だって! 私だって許さない!!」

 

 恐怖をはじき飛ばす様に陽咲は声を荒げた。

 

 赤いレヴリは上半身を起こし、脚にのしかかっている最後の瓦礫を取り除こうと踠く。あの重量なら簡単には抜け出せない……陽咲は最初の瓦礫を射出すべく、念動に意識を向けた。

 

「みんなの仇よ! 喰らえ!!」

 

 真上に浮いていた瓦礫……約1メートルはあるだろうアスファルトの弾丸は一瞬でレヴリに到達。両腕で顔を庇ったのが見えたが、着弾を確認する前に次を撃ち出す。

 

 人気のない街中でドカンドカンと何度も破砕音が木霊した。

 

 土煙りがもうもうと立ち込め、陽咲は思わず口鼻を手で塞ぐ。しかし視線は外さない。あのレヴリは"カテゴリIII"に居てもおかしく無い化け物だ。異能者が何人も集まり戦略を練って戦うべき相手。油断など出来ない……そう考えながらも、逃げる事も出来なかった奴だって無事では済まない筈だと確信すらあった。

 

 少しだけ土煙りが晴れると空いた穴に瓦礫の山が出来ていた。殆どがバラバラに砕けて威力を物語っている。隙間に右手だろう赤い掌が確認出来たが、ピクリとも動いてない。暫く観察しても先程の様な動きはなかった。

 

「やった……倒した……」

 

 力が抜けて思わず尻餅をつく。二つ程残していた瓦礫も念動から解放されて地面にドカリと落ちた。陽咲の念動は更に鍛えればカテゴリIIIでも通用すると言われていたが、実際は殆ど初めての経験だったのだ。異界汚染地に入ったのは数度しかなく、今までは人の生活圏に侵入してくる雑魚退治ばかり。カテゴリVでレヴリとの実戦経験を積んでいく予定だった。

 

「もう一度信号弾を……このままになんて出来ないよ」

 

 戦死した仲間達を捨て置く訳にはいかないと、重い身体を動かして放り投げたバックパックを取りに行く。着込んだ服と同じ色合いをした背嚢にはまだ信号弾があった筈だと陽咲はボンヤリと思った。

 

「汚染地では無線も衛星通信も、光学機器も使えないって……ホントに厄介……気付いてくれればいいけど。無理なら場所を覚えてもう一度来ないと」

 

 皆優しかった。

 

 男女混成の部隊は実戦経験者も多く、為になる話も緊張を解きほぐす笑い話だってしてくれたのだ。陽咲は自分が将来を期待される異能者だと自覚している。念動は非常に珍しく、物理的な攻撃力を底上げ出来る有能な能力だ。瓦礫の射出だけでなく、弾丸を強化したり強固な防壁すら構築出来る。鍛えれば凡ゆる物質を使って更なるダメージをレヴリに与える事が可能となるはず。今日の日を忘れずに訓練をしてーー

 

 取り出した信号弾を腹立たしい程の青空に打ち上げると、疲れた体を再び地面に下ろして座り込んだ。喉が乾いてるけど今は動けない。少しだけ休憩しようと目蓋を閉じかけた陽咲の耳に、聞きたくない、考えたくもない、信じたくない音が届いた。

 

「嘘よ」

 

 気の所為なんかじゃない……今も音は響き、その回数も増えていく。

 

「ああ……」

 

 空いた穴から次々と瓦礫が崩れ、そして倒れ込む轟音が響いてくる。分かっているのに動けない陽咲の眼に、穴の縁をドカリと掴んだ赤い手が見えた。ついさっき終わったと思った右手。続いて血だらけの左手。レヴリも血は赤いんだと現実逃避するしかない。

 

 ヌッと現れたレヴリの顔面も無事では無かったのだろう。額は割れ、右眼は潰れている。左腕や現れた腹部もヌラヌラと血で濡れていた。間違いなく効いてはいたのだ。

 

 しかし遂に立ち上がった両脚は無事で、異常な生命力と回復力を持つレヴリなら戦うのに支障など無いと分かった。

 

 目を離す事も出来ず、陽咲は地面に落ちていたアサルトライフルを拾った。震えを抑える事も忘れて構えるしかない。あれ程に頼もしかった念動の異能も、今は遠くに感じて力を注げなかった。

 

 最も重要とされる精神力が大きく減じているんだ……陽咲は恐怖に震えているのは身体ではなく心なのだと理解する。そして直ぐに、死ぬのだと。

 

 ズシンーー

 

 レヴリはゆっくりと陽咲に近づいて来る。表情の機微など分からない筈なのに、怒りと嘲りを感じた。

 

「千春お姉ちゃん……」

 

 陽咲にとって憧れであり、優しく、強く、誰よりも大好きだった姉、千春は側にいない。もう何年も前に行方不明になった。もし此処に居れば目の前のレヴリなんて簡単に倒す筈だ。戦闘など知らない筈の千春だが、陽咲は確信している。弱虫の自分なんかよりずっとずっと強いのだから。

 

 掌を向けながらレヴリは右手を近づけてくる。

 

 生きたままあの鋭い牙で身体を砕き喰らうつもりなんだ……外れる事など有り得ない距離となり、陽咲は引き金を引き絞った。

 

 タタタと軽い音が響き、振動が腕に伝わる。

 

 赤い肌に張り付いていた土埃がフワリと立ち昇るが、レヴリは何も無かったかの様に歩みを進める。いや、煩わしそうに目と口を歪めているのだから、少しは痛いのかもしれない。

 

 見上げなければレヴリの全身を収めきれなくなった。

 

「お姉ちゃん……ごめんね……」

 

 このまま喰われるなんて御免だし、憎いレヴリに悲鳴なんて聞かせたくない。それでも睨み付ける事だけは止めず、最後の瞬間まで目に焼き付けてやると決意した。もし千春に会ったら最後まで泣いたりしなかったと伝えるのだ。

 

 だから……陽咲は銃口を自らに向けた。

 

 

 



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現れた少女

 

 

 

 

 視界がレヴリの掌の赤色に染まり掛けた時、ズドと低い音が陽咲(ひさ)の上方辺りから聞こえた。瞬間レヴリはブルリと震えて動きが止まる。すると更にズド、ズドと鳴り響くたびに震え、遂にはグラリとふらついた。

 

 何かが起きたと陽咲がライフルを下ろした時、レヴリは鈍い音を立てながら後ろ向きに倒れ込む。一体の生物が立てる音とは思えない轟音が陽咲を現実へと引き戻し、幼く見える瞳がパチパチと瞬いてピントが合った。

 

「えっ?」

 

 またも土煙りは上がったが、視界を遮る程ではない。だから何が起きたかは見れば分かった。

 

 レヴリの額のど真ん中に小さな穴が開き、赤い血が溢れ出している。その赤色は地面についた後頭部からも大量に広がっていった。そして心臓辺りには弾痕らしき痕があり、定規で計ったかの様に縦に並んでいる。予想通りの穴ならば内部の臓器は破損し、原型を留めていないだろう。つまり、間違いなく即死だ。レヴリと言えども頭部と心臓部を破壊されたら生きてはおれないのだから。

 

「狙撃? でも他の部隊なんて……」

 

 背後を振り返り見回すが、誰一人として見えないし合図らしき物もない。そもそもカテゴリIIIに該当するであろうレヴリの硬い皮膚や骨を遠距離から抜くなど常識では考えられない。高威力の銃で近距離から一点に連発すれば可能性もあるが……念動で高速射出した瓦礫すら致命傷にならないのだから。

 

「死んだ、の? あのレヴリが簡単に」

 

 仲間の仇はあっさりと絶命し、陽咲の目の前に仰向けに倒れている。何度見ても変化などない。

 

 陽咲は中々立ち上がる事が出来なかったが、暫くすると背後からザッザッと小さく規則的な音がしてきて我に返る。

 

 ゆるゆるともう一度振り返った時、人影が近づいて来るのが見えた。規則的な其れは人の歩み来る足音で、まだ少し遠いが小柄な女性だと陽咲は判断する。

 

「違う……子供、女の子?」

 

 ポニーテールの黒髪、僅かな胸の起伏、小さいながらも丸い腰回り、衣服は迷彩柄のパーカーと深緑色のパンツ。靴は不似合いなゴツい革靴だ。距離も縮まって少女ながらも可愛らしい顔すら判別出来た。目鼻立ちも整っているし、少しキツめの視線すら大人びさせて綺麗だ。化粧はしてないが、肌は真っ白な新雪の様に日焼けもしていない。

 

 余りいないレベルの美人さんだなと陽咲はつい独言た(ひとりごちた)。かなり小柄で14,5歳だろうか、相当に若いのは間違いない。

 

 それだけならセンスの外れた綺麗な女の子で済むのだろうが、此処は"カテゴリV"とは言え異界汚染地。荒廃した街中には不釣合いで、小さな両手に銃らしき物体を抱えていれば違和感は高まっていく。日本では18歳以上で試験を突破しなければ銃を所持出来ないのに……呆然と座り込んだままの陽咲を軽く一瞥し、そのまま横を通り過ぎてレヴリの側に立った。

 

 綺麗な横顔だが、纏う空気は何処までも怜悧。無表情を極めたと言わんばかりに感情を悟らせない。何故か透明の氷をイメージさせられた。その日本人だろう漆黒の瞳もやはり冷たく、凍える様な視線がレヴリに向けられている。

 

「キミ……」

 

 陽咲は何とかカラカラの喉を震わせて声を掛けた。だが女の子の次の行動に二言目は紡げなくなる。

 

 何処か玩具染みた見た事もない黒い銃を片手で構え、レヴリに向けたのだ。

 

 緑色した光の線が血管のように這っている。形状は出来損ないの狙撃銃、或いは色々とパーツを組み合わせたハンドガンだろうか。其れ等がより子供向けのオモチャを想起させた。

 

 そして間をおかずに躊躇なくレヴリの顔面に何発も連射し始めたのだ。間違いなく即死だっただろうに次々と撃ち込み、そのうちに脳漿が溢れ出して頭部の原型は失われていく。不思議なことにサイレンサーらしき物は見えないのだが、空気銃の様なくぐもった音しかしない。

 

 その凄惨なレヴリを見ても、やはり表情に変化は無かった。

 

歪め(ディストー)

 

 女の子は何かを呟くと、特徴的な銃を背中に回して収めた様だ。此方に歩いて来ていたからもう見えなくなった。

 

陽咲(ひさ)(あかなし)陽咲(ひさ)?」

 

 いつの間にか目の前に来ていた少女は陽咲に声を掛けた。声音もやっぱり雪解け水の様に澄み、陽咲の耳に届く。氷の国のお姫様……そんなイメージが頭に浮かぶ。何故自分を知っているのかと言う疑問も忘れ、あたふたと乾いた喉を震わせた。

 

「え、ええ。そうだけど……キミが助けてくれたの?」

 

 答えは明白だったがつい聞いてしまう。お礼を言わないと、それが当たり前なのに……銃を仕舞った姿は一人の女の子でしかないのだから……

 

「飲んで」

 

 男子学生が持つ様な飾り気の無い水筒をポイと放り投げてくる。乾いた喉を潤せ、そういう事だろう。冷たいのか優しいのかよく分からない態度に陽咲は少し混乱する。

 

 何より質問に答えていない。

 

「あ、ありがとう」

 

 良く冷えた麦茶だった。一口だけと思ったが気付けばゴクゴクと何度も嚥下してしまう。

 

「怪我は?」

 

 その冷めた声音に反する優しい心遣い。視線は身体の各所を調べている。言葉だけでなく実際に確認しているのだろう。

 

「私は大丈夫だけど……仲間は皆やられちゃった……」

 

「貴女は生きてる」

 

「そんな事」

 

「戦闘で」

 

「ん?」

 

「逃げて良かった……いえ、逃げるべきだった。勝てもしない戦力なのは明らか。それは勇敢じゃなく蛮勇。そう判断出来なかった貴女に戦士は不向きと思う」

 

 初対面の相手、ましてや自分より若い小さな女の子にズケズケと言われ、陽咲はムッとしてしまう。これでもかなり厳しい訓練を受けてきたのだ。彼女なりに心配してくれているのかもしれないが、誰にだって戦う理由がある。ましてや陽咲の持つ特異な力、念動(サイコキネシス)は希少で強力な異能なのだ。力を持つ者には応じた責任があるはずだと。

 

「……確かに私は未熟かもしれない。キミが助けてくれなければ死んでいた。でも、退けない理由が、戦う意味が私にはあるの」

 

「理由? 殺し合いに意味?」

 

 まるで分からないと、くだらない理想論だと、視線で陽咲を射抜く。その厳しさに心臓がドキリと鳴った。

 

「そ、そうよ。それはいけない事? キミだって武器を持って此処にいるでしょう?」

 

「教えて」

 

 笑われると陽咲は思ったが、女の子は意外にも質問を返して来る。

 

「理由の事?」

 

 答える義務も無いし、歳下の女の子に話すことでもない。しかし、何故か陽咲の口は話し始める。それは不思議な、何処か懐かしい感覚だった。頭には忘れる事が出来ない、忘れたくない綺麗な女性の笑顔が浮かぶ。

 

「私には一人お姉ちゃんがいるの。綺麗で、優しくて、凄く強い人。どんな困難だって絶対に負けたりしない。遠くて、でも憧れで……大好きだった。もしお姉ちゃんならレヴリなんて簡単に倒しちゃう、きっと世界だって救ってしまうくらい」

 

 冷たい印象なのに、戦争には釣り合わない甘えた話の筈なのに、陽咲の目の前で話にジッと耳を傾けている。

 

「5年前に行方不明になったの。でもお姉ちゃんの事だから何処かで誰かを救ったり、笑わせたり……絶対に生きているわ。私は弱虫じゃない、貴女の妹なんだと胸を張りたい。でも、もしかしたら苦しんでるかもしれないお姉ちゃんを助ける為に私は戦う。そう決めたから」

 

少女は視線を伏せて、振り絞る様に言葉を紡ぐ。

 

「……陽咲の、お姉ちゃんの名前は?」

 

「名前、名前は……千春(ちはる)、千春お姉ちゃん」

 

「千春、(あかなし)千春(ちはる)

 

 すると我慢出来ないとばかりに、今まで無表情を貫いていた女の子は……陽咲に隠すでもなくホロリと涙を零したのだ。それは初めて見せた感情であり、同時に強い悲哀を感じさせた。

 

 最初も今も苗字を言い当てられ、陽咲はさっきから浮かんでいた疑問をぶつけるしかない。そして、その涙の意味を。

 

「なんで……どうして知っているの⁉︎ お姉ちゃんを知っているなら教えてよ‼︎ キミは誰⁉︎ お姉ちゃんは生きてる、生きているんだよね!」

 

 数歩の距離を詰め寄り小さな肩を掴もうとする。だがスルリと躱されると、距離を取りながら零れた涙を拭って元の無表情に戻ってしまう。それは明確な拒絶だった。

 

「……3キロ先、部隊が此処を目指している。人数は三十一。装備から見て陽咲、貴女の仲間で間違いない。怪我がないならこのまま待機を。周辺の脅威は取り除いたから安心していい」

 

「急に何を言って……3キロ……」

 

 少女が見つめる先に身体ごと視線を向けてみる。想像した通り全く見えなかった。建物の陰に隠れているのかと暫く見ていたが、変化などなく空も青いままだ。

 

 陽咲は一応軍属だが国家警備軍は警察機構も同時に担う場合があるのだ。そうで無くても未成年の女の子を汚染地に置いてなどいけないし、聞きたい事が沢山だ。例え銃器を違法に所持していても、命の恩人でもあるのだから。それに仲間が来ているならば女の子をどうするか決めなければ……そうだ、名前を……陽咲は外した視線を戻す。

 

「ねぇ、キミ……あれ?」

 

 振り返ると、冷たい氷の様な美しい少女の姿が消えている。音もなく忽然と見えなくなった。

 

「何処?」

 

 身体ごとグルリと回転して周囲を探したが、小さな命の恩人は消えてしまった。

 

「何処なの⁉︎ お礼を……お姉ちゃんは……」

 

 ビル群に木霊して声は反響したが、それに応える少女はいない。

 

 結局、陽咲は絶命した赤いレヴリを茫然と眺める事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「間に合った……陽咲、やっと見つけたよ」

 

 周囲を見渡し、自分を探す陽咲を上方から眺める。

 

 千春とは……大人びた千春とは違う幼い陽咲。彼女は最高に可愛いと表現していた。部分的には姉妹らしく似ているが、ある意味で対極に位置する女性だ。

 

 千春は凛とした強い人。もし此処にいるのが自分ではなく彼女ならば、この世界は簡単に救われただろう。いつの間にか変わってしまった日本や世界だけど、千春には関係ない。あの圧倒的な力の前では"レヴリ"など仔ウサギと一緒だ。

 

 陽咲の言う通り、千春は()()()()とは違う本物の英雄。

 

 陽咲は今の自分よりは歳上だ。だけど、印象は子供で戦闘も甘い。さっきだって()()()()のレヴリにさえ遅れを取っていた。千春が大狼ならば、陽咲はクンクンと鳴く仔犬。

 

「今の私に仔犬呼ばわりされたら、怒るかな」

 

 どう見ても中高生くらいの女の子、それが私だ。

 

 千春とは比べ物にならない弱兵だけど……たった一人くらいなら。

 

「誓うよ。貴女の大切な妹、陽咲は私が代わりに守る。例え何があっても、この穢れた身体と魂くらいしかないけれど……私の命くらい、安いものだから」

 

 哀しそうに笑う千春の顔が浮かぶ。

 

 長くて真っ直ぐで綺麗な黒髪、大人びた美貌、力強い意志を宿す瞳、全てを思い出す事が出来る。忘れる事などあり得ない。

 

 千春は間違いなく陽咲を守る誓いなんて望んでいない。馬鹿な子ねってポカリと頭を叩くだろう、あの日の様に。

 

 それでも……それが私に出来るせめてもの……

 

「だからもう一度だけ、名前を呼んで……たった一度でいい。抱き締めてくれなくても、笑顔じゃなくてもいいよ……私を……(なぎさ)って……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 無事部隊と合流した陽咲を見守ると、黒い銃を手に少女…… (なぎさ)は涙の滴を残して荒廃した街へ消えて行った。

 

 

 

 

 



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第一章
異界汚染地


 

 

 

 自衛隊、警察、一部消防などから人員を集め、ある意味で急造に組織されたのが国家警備軍だ。アメリカなどからも協力者を求め、軍事的な知見を集めたりして訓練を行った。国内治安に対する経験など日本の組織にとって無に等しかったのだ。

 

 その存在理由はただ一つ。

 

 異界汚染地(ポリューションランド)、通称PL(ピーエル)への対応だ。

 

 第一にPLの拡大防止。第二にPLから溢れ出たレヴリの駆除。第三に周辺の治安維持。第四……いや、何より最大の目的はPLの奪還。

 

 異界汚染地には必ずレヴリと呼ばれる化け物が現れる。形態は様々だが、大半が空想上の生き物に酷似していた。

 

 恐竜擬き、怪鳥、大蛇、大鬼、餓鬼。

 

 熊や狼などの獣もいるが、体格や獰猛性に大きな差がある。また、人型をした怪異も一部目撃されており、悪魔や天狗などと呼称されたりしている。

 

 彼等は例外なく人間に敵意を持ち、放っておけば人の領域に足を延ばして来るのだ。被害も多く毎年の様にニュースにもなっていた。

 

 そのPLは便宜的にランク分けされている。

 

 危険度が最低とされる"カテゴリV"から最高の"カテゴリI"の5段階になっており、日々増減を繰り返している。比較的安全な方から"Ⅴ→Ⅳ→Ⅲ→Ⅱ→Ⅰ"と表す。警備軍の活躍により開放されたエリアもあるし、未だ手を出せない危険な地域も。特に"カテゴリⅢ"以上の汚染地は危険度が非常に高くなり、装備を整えた軍であろうと油断すれば全滅する。

 

 そのレベルになると重火器の殆どに効果は無くなって、街を焼き尽くすつもりで何発もミサイルを撃ち込むしかないだろう。しかし、その効果も限定的と判明しており、結局は人海戦術に立ち戻ったのがここ数年の事だ。

 

 ならば人に希望はないのか?

 

 いや、絶望と希望は紙一枚程度の薄い壁しかないのだろう。人々には間違いなく未来はある。

 

 "異能者"

 

 後にそう呼ばれる戦士達の出現だ。

 

 現代日本人に分かり易く説明するなら超能力者となる。酷く胡散臭いが、それが最も端的に表すのだから仕方が無い。

 

 精神感応(テレパス)

 

 予知(プレコグニション)

 

 透視、千里眼(クレヤボヤンス)

 

 発火能力(パイロキネシス)

 

 そして、現在最もレヴリに有効と考えられているのが、

 

 念動(サイコキネシス)となる。

 

 有名な瞬間移動(テレポート)は出現していない。

 

 最初期に出現したのは精神感応者だった。

 

 やはり後に救済の人(メシア)と呼ばれた彼女は、世界中に異能者が存在している事を証明した。しかし、当時の各国政府機関は保有している軍事力で対応出来ると彼女の言葉を無視してしまう。その結果、世界の30%に及ぶ土地が汚染地に変貌。多くの犠牲者を出す事になる。そして、最初の"カテゴリⅠ"が発見された時は全てが遅かった。

 

 その後になって漸く彼女の言葉を信じ、異能者の発見へと舵を切ったのだ。

 

 能力の種類はそこまで多くは無いが、その影響力には差があり、例えば発火能力でもマッチの先程度の火や火炎放射器を超える炎を発する者まで様々だ。しかし時が流れるにつれ、その力も成長させる事が出来ると判明している。

 

 日本政府もアメリカなどと同調し、国内の異能者を拾い出して徴用し始めた。現在の日本は半徴兵制を採用しているが、その訓練時に異能者を探し出すのが一般的だ。いや、寧ろそれが目的の半徴兵制と言っていい。今も個人主義は幅をきかせているので何処までも強制は出来ない。しかし、異能は一般社会に危険すぎる為に監視が付く。その事から大半は英雄となる為に警備軍に志願する事になるのだ。

 

 その様な異能者と武装した兵士の混成軍が国家警備軍の基本となり、各PLに派兵されて治安維持を行なっている。現在では対PLに特化した師団で構成されており、西部、中央、東部で分割。それぞれに司令がいて監督している。総数は約40,000人だが、戦闘従事者はずっと少ない。異能者に至っては言わずもがなだ。

 

 各隊は溢れたレヴリの駆除、汚染地に侵入しての調査、奪還可能なら人員を選抜して侵攻する。其れが主な任務だ。

 

 因みに、異能者は政府より国民に宣伝される事が多い。全員ではないが強力な異能持ちは戦意高揚やパニックの防止などに利用されていたりする。テレビ番組、ラジオ、ネットを通じて一種のタレント扱いをされ……中には英雄に等しい偶像化が行われた過去すらあるくらいだ。

 

 有り体に言えば"プロパガンダ"だが、政府も国民も知りながら納得しているのが現状だ。

 

 また、そもそもの元凶である異界汚染地(ポリューションランド)には幾つかの特徴がある。レヴリは正に象徴だが、それ以外にも存在するのだ。

 

 最新鋭の光学機器、衛星による観測、無線も使用出来ないか或いは制限されるのだ。進化した軍備の大半は電子的制御がされていて、例外を除き無効化してしまう。原理も方法も判明していない。その結果原始的な武器、つまりナイフや斧、炎や銃弾、そう言った物理的接近戦を挑むのが最も効果的となり、更には念動が有効と判断する理由ともなった。

 

 (あかなし)陽咲(ひさ)が将来有望な戦士なのは其れが理由だ。念動は鍛えれば、凡ゆる武器を強化出来るし弾丸すらレヴリに効く。レヴリ自体も物理的攻撃が大多数を占める為、念動の防壁を構築すれば有効な盾ともなる。

 

 陽咲は汎用性が高い上に上限も見えない程の成長を見せていた。だから警備軍は陽咲を育成する為に慎重に配属先を決めているのだ。

 

 

 そして……PLが出現して既に30年を重ね、現在では人類とレヴリは拮抗している。

 

 

 

 だが、是等の今は大きな矛盾を内包していた。今の世界に生きる誰一人として気付かない。余りに不自然で、少し考えれば分かる事実に触れることも無かった。

 

 数十年前からPLがあったなら、なぜ光学機器や人工衛星が発達したのか。それだけの時間が有れば、対レヴリの兵器こそ進化する筈なのに。対人に有効な重火器はあってもレヴリに対し決定的な武器は少ない。

 

 異能者が現れた理由も、そのタイミングにも疑問は挟むことはなく、異世界の化け物としか思えないレヴリはどうしてPLでしか発生しないのか。

 

 実際には歴史や記憶に断絶があるのに誰も気付かない。

 

 そんな狂った世界で人類は足掻き、戦う。

 

 いつの日か、世界はより良い方向に改変されるのか……それが陽咲達が生きる今だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 陽咲はPLで起きた事を報告する為に所属する警備軍の司令本部に来ていた。通常なら面倒臭い書類を何枚も書くところだが、エリアの最高責任者から呼び出された以上は馳せ参じるしかない。

 

 陽咲が向かうのは国家警備軍第三方面統括司令本部……と、長ったらしい名称を冠しているが単に第三師団、本部、或いは悪魔城と皆は呼ぶ。

 

「うぅ……嫌だ」

 

 司令はともかくとして、同席するだろう軍の偉いさんが苦手な陽咲は一人だけのエレベーターの中で呟いた。

 

 脂ぎったおっさん達は重箱の隅を突く様に質問してくるし、セクハラこそないが、視線が気持ち悪い。司令は女性だから少しは救われるが、あの人は別の意味で油断出来ないのだ。

 

 つまり、何一つ楽しくない。

 

 それに、あの雪の精みたいな少女の事は内緒のままだ。そもそも信じて貰えるか分からないし、銃器の不法所持で訴えたくもない。言葉少なだったが彼女は目立つのもコミュニケーションを取るのも嫌だろう事は明らかで……

 

「でも軍紀に反するし、どうしたら……」

 

 このまま永遠に到着してくれるなと願ったが、エレベーターは無情にも司令が居る階に着いたと知らせて来た。真っ直ぐ進んだ先にある会議室に来る様に言われている。

 

 扉の前に立ち、服装を確認。

 

 白を基調にした制服の皺を伸ばし、ベレー帽を整える。普段履かないスカートはバッチリとアイロンしてきて何故かホッとした。陽咲達異能者は軍属だが、扱い上は外部団体所属だ。この扉の中にいるだろう司令と司令本部に雇われた傭兵に近い。まああくまで手続き上の話で、今日の立場に変化はない。

 

 深呼吸してノックする。

 

「杠です」

 

「入れ」

 

 中から渋い男性の声がして、1秒おいて扉を開ける。後ろ手では閉めず、一度背中を見せて静かに行う。その後真っ直ぐに背筋を伸ばして、指定の場所まで歩を進めた。向かい側の机では司令が真ん中、左右に合計四人の男性達が座っている。

 

 面接みたい……陽咲の心は益々沈んだ。

 

 頑張って敬礼し、司令の額を見ながら声を荒げる。

 

「第三特殊作戦群、第二……」

 

「陽咲、そういうのいいから座って?」

 

 頑張って覚えて来た自己紹介?をあっさりと止められた陽咲は、暫く何を言われたか分からずに固まった。それに下の名前を呼び捨てだし……司令は確かに自分の血縁だが、こういった場所では公私混同は駄目なのでは……思わず司令、つまり叔母に当たる女性を眺めた。

 

「えっと……」

 

 周囲のオジサマ方も特に反応はない。なら良いのだろうか?

 

 濃い藍色の制服をピチリと着こなした司令、三葉(みつば)花奏(かなで)は何時もの胡散臭い微笑を貼り付けて動かない。美人なのだが、独特の圧迫感を感じる。髪は短いベリーショート、背は低い。子供みたいと馬鹿にした人間は死ぬ程後悔する事になる。花奏と言う名もキラキラネームだと思っていて、下の名前は言わない方がいい。何で花が付いているんだ、カカナデじゃないかと。

 

 陽咲は可愛い名前だと思うのだが、本人がそう言うなら仕方がないのだろう。

 

「……失礼します」

 

 パイプ椅子がギシリと鳴り、机に隠れていても両手は膝の上に綺麗に並べた。油断は出来ない。

 

「この周りに並んでいるオジサマ達は気にしないでいいわ。まあ質問があったら答えてくれたらいいの。狸の信楽焼が並んでると思ってね?」

 

 いやいや、無理だからね? やっぱり三葉叔母さんは油断ならない、反応に困るのだ……陽咲はヒクツク唇を必死に抑える。しかし確かにオジサマ達は動かず、怒ってもない様だった。

 

「逆に怖いし……」

 

「陽咲?」

 

「い、いえ‼︎ 何でもありません!」

 

「そう? じゃあ色々と聞きたい事があるからじゃんじゃん答えてね? 遠慮なくズケズケと話してくれていいから」

 

 だから無理だって……油断して甘く対応したら酷い目に遭うのは経験済みだ。こんなだが伊達に司令におさまっていない。有能で凄まじく強い女性なのだ。陽咲が頭の上がらない人は何人かいるが、三葉はその筆頭で間違いない。

 

「は、はい!」

 

 帰りたい……始まってもないのに、陽咲は思った。

 

 

 

 

 

 

 




第一章は水曜日と土曜日に投稿予定です。


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三葉と花畑

 

 

 

 前方のスクリーンに画像が映る。

 

 陽咲(ひさ)からは正面に見えているが、三葉(みつば)をはじめとする者達は手元のモニターで確認しているのだろう。

 

 あの赤いレヴリの情報をイラスト等で補った資料だ。数枚は写真があるが、其れ等はフィルムによるものだろう。電子的機器で映せないレヴリは、こういった表し方になり易い。破壊された頭部、穴の開いた胸、それを開胸して調べた詳細を文字に起こしている。

 

 銃弾すら弾く肌や強固な骨をどうやって……そんな方法があるなら教えて欲しかったが、多分戦闘には使えないのだろう。隠す理由もないし……陽咲はそんな事をつい色々と考えてしまう。

 

「言うまでもないけど、回収したレヴリよ。まるで地獄に歩いてそうな赤鬼だけど、現実に現れたら困るわ」

 

 イラストとは言え、かなりグロテスクな絵と情報ではある。しかし、この程度で気持ち悪くなる者ならこの場所には居ないだろう。陽咲ですら特に思うことはない。

 

「似た様なレヴリなら過去に現れたけど、このサイズは最高記録になる。まだ正式ではないけど"カテゴリⅢ"に該当するかもしれない。今から陽咲の話を聞いて参考にさせて貰う事になるわ。唯一の生き残りだから」

 

「……はい」

 

 あの日、隊は全滅し一緒に死んでいた筈だった。もっと力があれば、もっと上手く戦えたら……陽咲は優しかった皆を思い出して俯く。何らかの責任を問われても反論は出来ない。希少な念動を持ちながらも戦力になれなかったのだ。

 

「日報は読んだけど、幾つか確認したいから……大丈夫?」

 

「すいません」

 

「じゃあ、順番に」

 

 彼女しか話さず、他の者は身動ぎすら殆どしない。三葉は手元と陽咲を交互に見ながら、ゆっくりと唇を動かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね。次の質問だけど遭遇したのは中心部じゃないのね? 此処で間違いない?」

 

「はい。ショッピングモール跡が右手に見えたので間違いありません」

 

「他のレヴリはいなかった?」

 

「直ぐに戦闘になりましたので、はっきりと確認出来た訳では……しかし他の個体は見当たりませんでした」

 

「此処から約200m東に誘導したとあるけど、後退したのではないの?」

 

「そんな……後退なんて! 白石部隊長が瞬時の判断で作戦を提示しました。拙いですが私の念動を使い地下に落とすと。身動きが出来なくなったレヴリに集中攻撃を行う筈だったんです。でも、身体に似合わず奴は素早くて……作戦立案に間違いはありませんでした!」

 

「それを判断するのは陽咲じゃないわね」

 

「すっ、すいません」

 

「とりあえず誘導としましょう。実際に地下に落としたのは此処……念動で崩落させたと」

 

「はい。レヴリは油断していて時間がありました」

 

 そう、油断……あの赤いレヴリは仲間を一人一人喰らっていた。陽咲が生き残っているのを知っていただろうに、相手にもならないと食事を始めた。舐められていたのだ。事実、陽咲は皆に守られていただけだった。

 

「その時、残存兵力は0とあるけど」

 

「皆が私を守ってくれて……」

 

「そんな事は聞いてないの。事実として陽咲一人だったのね?」

 

「……その通りです」

 

 三葉の淡々とした言葉に陽咲の心は震えてしまう。司令として責任者としての振る舞いであろうと、普段なら個性的で優しい叔母なのだ。小さな身体と短い髪の所為で侮り易い人だが、やはり長年レヴリと戦って来た戦士だった。

 

「何故逃走を選択しなかったの? 勝てないと判断出来たでしょう」

 

「まだ念動に余力があったからです。元々その予定で温存していました」

 

「勝てると思った?」

 

 反発心、あるいは千春お姉ちゃんへの憧れ、嫌われたくない、そんな気持ちが無い混ぜになった子供と変わらない感情の発露だ。勝てるとか勝てないとか、考えただろうか……陽咲はそんな風に思い出していた。あの少女に言われたのだ、戦いには不向きだと。

 

「……はい」

 

「そう。まあ実際にレヴリは倒せたし、()()()で話を進めましょうか。念動で地下に落とし瓦礫を射出。露出した頭部を集中的に攻撃した。それで間違いない?」

 

「はい。ただ、それだけでは殺し切れずにもう一度戦う事になりました」

 

「崩落させた穴から出てきた訳ね?」

 

「そうです」

 

「うーん……此処からが曖昧ね。慌てた陽咲は念動で攻撃。気付いたらレヴリは倒れていた、と」

 

 陽咲の提出した報告を見ているのだろう。

 

「凄いわね。このレヴリの頭部がバラバラ、上手に当てたものだわ。かなりの大きさの瓦礫を?」

 

「申し訳無いことに、私は冷静ではありませんでした。無我夢中でしたし、隊の皆との戦いも蓄積していた筈です。それに最初の念動の攻撃でもダメージが入っていました」

 

「ところで陽咲」

 

「はい」

 

 今年40歳になった筈だが、まったくそう見えない童顔の顎を重ねた両手に乗せた三葉は真顔になる。あの胡散臭い笑みも消えた。

 

「虚偽の報告は度合いによっては重罪よ。異能者は少し特殊な立場だけど、だからこそ特別扱いはしないわ。この私が預かる師団では尚更、ね」

 

 背中がじっとりと汗で濡れたのを陽咲は自覚した。当然と言っていいのだろう、嘘など簡単に見抜かれている。しかし何故かその存在を隠してしまった。

 

 いや、理由なら理解している。

 

 不法に所持していた変わった銃、あの拒絶感、氷のような冷たさ、なのにどこか優しい。そして一筋流れた涙……哀しくて綺麗だった。

 

 何より姉を、千春を知っている。気付いたら日報に彼女の存在を記す事が出来なかった。

 

「そ、それは……」

 

 言葉が出なくなる。三葉は黙ったままだ。

 

「三葉司令、それぐらいで良いのでは?」

 

 今まで唯の一言も喋らなかった者達の一人、三葉の右隣に座っていた男が閉じていた目を開いた。

 

「あん? お花畑(おはなばたけ)、頭の中までお花畑になったのか?」

 

 この三葉を見れば、先程迄の陽咲に対する態度が如何に優しかったか分かる。言葉遣いは勿論だが、何より視線が違う。刺す様にとはこの事だろう。

 

 しかし、三葉の鋭い反応にも全く動揺していない。薄く染めたソフトモヒカン、黒縁眼鏡、中々整った容姿をしている。歳の頃は三十前半か、少なくとも兵士ではない。助かった? そう考えて陽咲は男を眺めた。

 

「僕の名前は花畑(はなばたけ)です、三葉司令。本題に入った様なので、口出ししました。自己紹介させて貰っても?」

 

「けっ……どうせ断っても煩いだけだ。好きにしろ」

 

「三葉司令から許可を頂きましたので……(あかなし)さん、僕は兵装科特務技術情報官の花畑(はなばたけ)多九郎(たくろう)と言います。残りの彼らも同じ兵装科の者ですが……少し特殊な人達なので紹介は割愛させて貰います。どうしても知りたい場合には三葉司令へ正式に申請して下さい」

 

「は、はい」

 

「兵装科をご存知ですか? まあ名前の通り警備軍の兵装を調査開発、そして管理している部門と思って結構です。大きく分けて3つに分かれていますが、お上のように縦割りにはなっておらず、風通しの良い組織です。例えば……」

 

 立て板に水とはこの事かと陽咲は呆れてしまう。長くなりそうと椅子に座り直して姿勢を変えたが、その心配はあっさりと霧散した。

 

「お花畑、黙れ。貴様の長話に用はない。帰って壁にでも話してろ」

 

 やっぱり花畑も三葉が怖いのか、直ぐに口を噤む。それでも酷い言い草には慣れているのか、溜息一つで済ました様だ。そうして陽咲に向いた三葉に笑みは浮かんでないのに、何故か視線が柔らかくなったと感じる。

 

「陽咲、貴女も大体は知っているでしょう。異能者の育成、レヴリの調査、そして兵器開発ね。この男は部門を跨って動く情報士官……まあ、能力は認めていいわ、能力だけなら」

 

 ついさっき預かる師団では特別扱いしないと三葉は言ったが、明らかに陽咲と花畑に差があるのは笑うところだろうか。

 

「はあ……」

 

 何の話をしてたんだっけ? 陽咲の頭に疑問が浮かぶ。

 

「三葉司令、気のせいか僕に辛辣……」

 

「気のせいな訳ないだろう。このペド野郎が」

 

「ぺッ⁉︎ それは違うと言ったでしょう!」

 

「三年前を忘れたのか? やっぱり頭はお花畑だな、蝶じゃなくて蝿が大量に飛んでる」

 

「アレはちょっとした勘違いですから! 誤解を生むような話はやめて下さい!」

 

「はあ? 街中で私に声を掛けて来たよな? どうしましたお嬢さんって、キモい顔で。事案だからな?」

 

「あああ、あれ、あれは」

 

「けっ」

 

 なんなのこれ……そもそも小さいとか言われるのが嫌な筈の三葉だが、この論理なら自らが幼く見えると認めている事になるし。そう思わず注意したくなった陽咲だったが、藪蛇になりそうと自重した。

 

「それにお前が必死に追っている奴だって見た目だけは少女だろ? 何だよコードネームが天使(エンジェル)って。キモい、吐きそう、ほんと」

 

「……くっ」

 

 否定しないんだ……もう帰っていいかな?

 

 内心呟いた陽咲は思わず腰を上げ掛けたが、三葉の言葉を反芻して我慢する。今日の意味が分かったからだ。見た目だけは少女、そう言った。

 

 三葉は冷めたコーヒーをズズズと飲み、勝手にしろと黙った。ミルクたっぷりで砂糖はスプーン山盛り三杯がお決まりのお子様コーヒーだ。ブラックは苦くて飲めないらしい。

 

「と、とにかく。杠さん、今度は僕から話をさせて貰います。よろしくお願いします」

 

「はい」

 

 陽咲は花畑を真っ直ぐに見て、背筋を伸ばした……一応だけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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天の御使い

 

 

 

 

 

 コーヒーカップをコトンと置いた三葉(みつば)はそのまま耳を傾けるようだ。それが合図のように、特務技術情報官花畑(はなばたけ)多九郎(たくろう)陽咲(ひさ)に言葉を投げかけ始めた。

 

「この赤いレヴリをどの様に倒したのか、(あかなし)さんが言葉に窮するのはよく分かります。似た様な経験をした者もかなりの数に上りますし、何が起きたかすら理解していない兵もいますからね」

 

「それは……最初から分かっていたのですか?」

 

「いえ、正確には僅かな疑いがあった、そんな感じです。貴女の念動なら可能性は充分にありますし、同行した白石隊長は歴戦の兵士ですから。打倒せしめても驚きません。しかし、三葉司令からお呼びが掛かりました。多分間違いない、と」

 

「司令……」

 

「私が悪いとでも? 最初からあった事実を報告しない陽咲に責められる謂れは無いわ」

 

「う……すいません」

 

 確かにその通りだった。やはり叔母である三葉に何処か甘えていると自覚した陽咲だった。

 

「頭部の破壊は念動、心臓部へのダメージはその後に近距離から撃ち込んだ。そう無理矢理考える事が出来なくはない……ですが、三葉司令は違うと仰いました。杠さんが頭部の破壊後に態々行う可能性は低い事、そして」

 

「全部よ。銃創もおかしいし、何より弾も破片も身体に残っていなかった。他の箇所には見つかるのに、一番ダメージがある心臓部付近には存在しない。ウチの検査で直ぐに分かったの。陽咲、普通は銃による痕跡を隠すなんて不可能なの。だから、見る人が見たら簡単に事実は割れる。報告は正確にして頂戴、いいわね?」

 

「は、はい! 申し訳ありません!」

 

 三葉はそれが言いたかったのだろう、再び花畑に視線を振った。

 

「杠さん、これを見て下さい」

 

 今迄同じ画像が映っていたが、別の絵……いや動画に切り替わる。

 

 酷くぼやけている上に短い動画で、恐らく遠方から撮影した物を拡大しているのだろう。リピート再生されているのが分かった。

 

 ストレートポニーテール、色は分からないがフード付きのパーカー、細めのパンツとスニーカー。ビルの屋上らしき床に身体をベタリと投げ出している。両脚は軽く開き、両手には不思議な形の銃らしきモノ。誰が見ても明らかな狙撃手がする体勢だ。

 

 対象物が少なく分かり難いが、身体のサイズと柔らかなラインから女性と思われる。或いは少女か。

 

 顔は影になっていてよく分からない。

 

「右上に時間が表示されています。覚えておいて下さい」

 

 画面が更に切り替わる。

 

「半年前、カテゴリⅢに侵入した部隊がありました。異能者を中心として、ある作戦に従事。内容などは割愛しますが、作戦は失敗に終わり皆は窮地に陥ったのです。証言では迫る三匹のレヴリの頭が順次破裂していったそうです。音もなく、一方的だった。彼らは一流の兵士達ですから狙撃だと分かったのですが、肝心の姿もなく、そもそもそんな仲間はいなかったのです」

 

 花畑も自身が段々と興奮している自覚があるだろうが、止める気はない様だ。

 

「もうお判りだと思いますが、彼女がその狙撃手です。時間も一致し、この場所も後の調査で方角も確定しました。驚くべきはその距離、ざっと2000メートル! 命中させた世界記録は3540mですが、それはレヴリに対してではなく、しかも観測手の助けを借りて。レヴリになら間違いなくダントツで世界一位です。と言うかレヴリをこれ程の遠距離から狙撃するのは非常に困難ですから」

 

 此処で三葉が口を挟んだ。

 

「これ程の距離になると、地球の自転や風も考慮しないとダメなの。風と言っても2キロ近い先、中間1キロ辺り、銃口付近の風すべてよ? しかも短時間に三匹連続……どう考えても異常だわ。全く未知の異能、或いは銃の性能か。まあ少なくとも銃の性能は普通じゃない」

 

「銃の……」

 

「それに異界汚染地はご存知の通り、衛星や光学機器の助けは期待出来ません。先程の映像では彼女の持つ銃がよく見えないのが本当に残念です。画像が粗いのはPLの直ぐ外だからですね……あと十メートル離れていてくれたらとつい考えてしまいます」

 

 陽咲は事の大きさが何となく分かって来てブルリと震えてしまう。只者ではないのは当たり前だが、見た目は綺麗な女の子でしかなかったのだ。普通に会話したし、態度とは裏腹に優しかった。

 

 次の画像に変わる。簡単な表だ。

 

「彼女の存在を掴んでから半年の間に、関わった可能性のある全てを網羅しています」

 

 場所、時間、状況、体験した者、そして確度(かくど)。低いのは30%、高いもので95%だ。因みに先程の狙撃が95%で唯一にして最高値だった。

 

 陽咲の様に命を救われた者。報せる為だろう近くに着弾……慌ててそちらを見ると気付かなかったレヴリの姿を発見した。それ以上進むなと警告らしき銃撃で実際にレヴリの待ち伏せが判明。確度が低いのは()()()だ。偶然と片付けてもおかしく無いものが多い。

 

「とにかく神出鬼没。未だに人相も不明で、恐らく女性だろう位しか判明していません。用心深く、頭もいい。カメラに映ったのは最初の一度だけです。ですので今日の様に証言を集めています。彼女、ではアレなので……便宜的に名前を付けました。天使(エンジェル)、コードネーム天使(エンジェル)です」

 

 不穏なコードネームに三葉の視線はまた厳しくなる。確かに少女らしき彼女に大の男が天使呼び……普通に気持ち悪い。陽咲は三葉の視線を理解した。

 

「あの……人相も不明って」

 

「そうなんですよ。全く姿を見せてくれませんし、声も聞いた者がいませんからね」

 

「天使、いえ、彼女に何を求めているんですか? まさか逮捕、いや補導とか?」

 

「逮捕⁉︎ まさか‼︎ 私の任務は新たな対レヴリの武器の開発です。あの威力!精度!恐らく軽量!どれを取っても、世界を見回しても見た事がありません! あの銃の開発者を知りたい、じっくりと調査したいだけです! それに天使(エンジェル)は間違いなく一流の狙撃手ですから、此方も是非ご一緒に!」

 

 三葉がギリリと拳を握ったのが陽咲に見えたが、興奮した花畑は気付かない。一体どんな調査をするつもりだ、と。

 

 女性二人は目線を合わせて頷く。例え見付けても銃はともかく、女の子だけはコイツに渡さない……

 

 そして三葉が引き継いだ。

 

「私は正直半信半疑よ。他国のフェイクの可能性だってあるし、日本の情報精度は残念ながら低い。未だにアメリカの力を借りなければまともな情報は降りて来ないくらいだからね。そもそも隠れる理由が分からないわ。私達を助けるつもりなら逃げ回る必要を感じないし、何らかのメッセージくらい残してもいい筈でしょ? まるでヒーローごっこじゃない、見た目も子供みたいだし」

 

 直接会った事のある陽咲は理由が何となく分かった。あの子は人を拒絶している。間違いなく若いが、まるで老人の様に全てを諦めている様な瞳。まともな会話すら殆どしていない。そもそも名前も言わないし、礼を受ける気持ちも存在しない。三葉の言うようなヒーローごっことは到底思えなかった。

 

 ……どうしたら

 

 陽咲はこの期に及んで悩んでいた。花畑の言う事が事実なら、自分は初めて天使を見て、しかも会話までしたのだ。あの冷たくも美しい容貌も、小さな身体も銃の形状と特徴すら記憶にある。人相書きも可能と思える程だ。

 

 何で私に姿を見せたんだろう? 

 

 陽咲の頭に疑問が擡げる。別に秘密にしろとも言われてないし、あんな近くで顔も隠さなかった。

 

 そもそも名前だって知ってたみたいだし、あの子は陽咲にとって何より大切な愛する姉すら知っている様子だった。だが陽咲の記憶にあんなに綺麗な女の子の知り合いはいない。もし居たら直ぐに気付くだろう。

 

「陽咲?」

 

 思考を深めていた陽咲に気付いたのか、三葉が怪訝な顔をしている。

 

 拙い……慌てて陽咲は表情を引き締めたが、当然に三葉には通じない。

 

「貴女、まだ何か隠してる。小さな頃から見てきた私を侮らないで欲しいわ。その誤魔化し方も変わらないし。陽咲、キリキリ吐かないと酷いわよ?」

 

「ひっ」

 

 もう駄目だ……目の前の上司である司令をよく知る陽咲は諦めるしかない。こうなった三葉は本当に怖いのだ。

 

「まだ何か知っているんですか⁉︎ マイエンジェルについて!」

 

 もっと気持ち悪くなった花畑だが、三葉も陽咲も完全に無視している。陽咲は恐怖で、三葉は陽咲しか見ていない。

 

「あの、実は……彼女を見た」

 

「み、見た……今、見たと言いましたか⁉︎ 凄い!遂に二度めの目撃例です。距離は、顔は判別出来ましたか?」

 

 花畑の興奮は最高潮に近づく。だが、彼の想像を軽く飛び越える現実があの日起きたのだ。

 

「距離は……2、いや3」

 

「キロメートルじゃないですよね。ま、まさか300mとか……」

 

 プルプルと震え出す花畑。三葉は何かを悟ったのか厳しい表情に変わるのが分かった。

 

「その……一瞬だけなら、この位……」

 

 陽咲は右手を空中に伸ばした。肩を掴もうと近寄ったから間違いない。触れる事は叶わなかったが。

 

「陽咲」

 

 首を傾げる花畑を無視して、三葉が声を出した。其処には怒りが篭っていて陽咲は身体が固まる。

 

「あ」

 

「三葉司令。どう言う事ですか?」

 

 三葉は陽咲を睨みつけながら、つらつらと話した。

 

「この娘は直ぐ間近で見た、違うわね、会ったと言ってるのよ。私に報告もせずに」

 

「は?」

 

「まさかと思うけれど……天使と会話した?」

 

「……しました」

 

 今まで動きの無かった残り三人の兵装科の男達も思わず立ち上がり、陽咲を見開いた目で見つめている。そして絶句し石になった花畑。だが、三葉は驚く事もなく般若の如く怒りを露わにする。もう陽咲は動く事も出来ない。

 

「貴女、私を舐めてるの? いや、同行した白石達を馬鹿にしてるのかしら? 大勢の命を使って手に入れた貴重な情報をこの四日間無駄に温めて、もう天使は遠くに行っているでしょう。陽咲、レヴリを引き上げる時に調査だって出来たわ。あの能力や武器が解明されれば、どれ程の犠牲者が減るか想像も出来ないなんて。念動なんて幾ら強かろうとも、共に戦う者として私は陽咲を認められないわね」

 

 陽咲の顔面から血の気が引いて涙が滲む。(なぎさ)も思った通り、陽咲はまだ未熟だ。

 

「泣くな! 陽咲、此処は学校でも家でもないぞ!」

 

 ビクリと震えて益々涙が溢れていく陽咲を見て、漸く正気に戻った花畑が陽咲と三葉の間に立った。

 

「三葉司令、落ち着いて下さい」

 

「花畑……これは私の師団の問題だ! 黙ってろ‼︎」

 

「同時に私の任務に関わる問題です。杠さんの持つ情報はこの花畑の管轄。違いますか?」

 

「……ちっ、好きにしろ。陽咲、後で性根を叩き直してやる。懲罰も覚悟しておけ」

 

「はい……ご、ごめんなさい……」

 

 グジグジと泣きながら、涙を拭う。

 

 暫く陽咲の涙は止まらなかった。

 

 

 

 

 



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小さな守護者

 

 

 

 

「身長は多分150cmくらいだと思います。髪は黒、ポニーテールにしてました。痩せ気味で服装は迷彩柄のパーカーに深緑色のパンツ。警備軍が履くようなゴツい革靴と……こんな事言うのも変ですが凄く綺麗な女の子でした。年齢は恐らく14,5歳かと」

 

「14,5歳……予想よりずっと若い、いやある意味予想通りか」

 

 花畑は聞き役で、残りの男達が記録している。録音もしているが同時に書き込みも行っていた。

 

「レヴリの額を撃ち抜き、すぐに胸部に二発。発砲音は全くありませんでした。暫くすると背後から歩いて近づいて来て、私の横を通り……レヴリの頭部に何発も。やっぱり発砲音は小さくてパシュって感じの空気が抜けるような、聞いた事のない音です」

 

「消音器みたいな?」

 

「いえ、其れらしい物は何も」

 

「……銃の形状は?」

 

「印象は子供の玩具です。色は黒で全体に緑色した線が這っていました。サイズはこれくらい、ただ形は……出来損ないの狙撃銃みたいな、それかパーツを継ぎ足したハンドガン、でしょうか。昔テレビでやっていた男の子が好きな、何でしたっけ?」

 

「うーん、男の子……何とか戦隊、とか?」

 

「あっ、それです。キャラクターが持っている様な武器が一番イメージに合うと思います」

 

「そんなのであの威力? ちょっと信じられないわね」

 

「でも、本当なんです……」

 

「見た目の材質は? まさかプラスチックとか言わないわよね?」

 

「流石にそれは……かなりマットな印象で、強化カーボン、みたいな」

 

「ふむ、重さは? 天使は小さな女の子でしょ? 持て余している感じとか」

 

「それは全く。かなり手慣れた感じです。それこそ白石隊長みたいに」

 

「いまいちイメージが湧かないわね……結果とのギャップがあり過ぎでしょ。天使は綺麗な女の子なんだよね?」

 

 余り元気がなくなっていた陽咲だが、此処で俄然張り切り始める。

 

「そうなんです! 可愛いと綺麗の丁度良い感じで、イメージは……氷とか雪、雪の精霊みたいな、冷たい」

 

「それ褒めてるの?」

 

「勿論です! 司令だって会えば成る程と思うに決まってます! 視線は鋭くて冷たい感じなのに優しい……とにかく凄く素敵な女の子ですから! 睫毛だって長いし、肌なんて雪みたいに真っ白で、服装はアレなのに、霞むことなんてなくて」

 

「わ、分かったわ。いや良く分からないけど」

 

「でも」

 

「でも?」

 

「一番感じたのは"拒絶"です。私が近寄ると距離を取りました。会話も何処がチグハグだったのを覚えてます」

 

「杠さん! 会話ですね! ど、どんな話を」

 

 今度は花畑が張り切る。鼻息が荒くて二人の女性は半歩引いた、気持ちごと。

 

「えっと、最初は怪我がないか心配してくれて。その後に水筒を投げて、飲んでって」

 

「優しいじゃない。言語は日本語?」

 

「はい。と言うか間違いなく日本人です。顔立ちや発音からもそう思いました」

 

「それから、どうなりました?」

 

「それが……怒られた、のかな? 何故逃げなかったのか、判断出来ないなら戦士に不向きだって」

 

「へぇ、興味深いわね。でも幾ら聞いても益々分からないわ。陽咲が報告を誤魔化すような状況とは思えない。それどころかレヴリを倒した結果を自分のモノにするなんて貴女らしくもないしね」

 

「その、それは……私にも戦う理由があると返したら、教えてって言われました」

 

「理由を?」

 

「はい」

 

「希少な念動を持つ杠さんの戦う理由ですか。僕も聞きたいですね!」

 

「陽咲、答えたの? 正直に?」

 

 三葉は陽咲の姉である千春を当然に知っているし、行方不明になった事も分かっている。戦う理由も、心の拠り所も千春なのだ。叔母である三葉からみても千春は強くて賢い素晴らしい女性だった。異能はまだ調べていなかったが、陽咲を超える力を得たとしても何の不思議もない……それ程の傑物だったのだ。つまり、かなり個人的な話になってしまう。

 

「答えました」

 

「あの……理由」

 

 花畑が何か呟いているが、二人は当然に無視だ。

 

「そう」

 

 陽咲と三葉はあの美しく大人びた千春を思い出していた。時間は止まったままで、今も大学に通う学生。成長などしない。

 

「天使が姿を隠す理由はよく分からないけど……陽咲が報告を怠ったのがその理由? やっぱりしっくりこない」

 

 当然だ。まだ理由が隠れている。

 

「わ、わたし、私の……」

 

 三葉の眉がピクリと上がり、直ぐに元に戻る。まだ陽咲は伝えたい事があり、そして言いづらいのだろう。それは誰の目にも明らかだった。

 

「……少し休憩しませんか? 僕コーヒーが飲みたいです」

 

 花畑の居たテーブルには冷めたとは言えコーヒーは残っている。彼なりの気遣いだった。

 

「いいの? 花畑にしては珍しい」

 

「後で必要な情報は聞かせてくれるのでしょう? 三葉司令の事は信頼していますから」

 

 そう言い残し、残り三人も引き連れて花畑は去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新たなコーヒーを二つ入れて、少しだけ息をつく。三葉は徐にでっかいスプーンでコーヒーミルクをドバッドバッと入れ、更に角砂糖を一つ、二つ、三つと次々に入れていく。もし四つ目を入れるつもりなら、念動で弾き飛ばしたかもしれない陽咲だったが、どうやら我慢した様だ。

 

 クルクルと混ぜると最早コーヒーとは思えない香りと色だが、三葉はウンウンと満足気だった。ふと動かない陽咲に気付いたのか、顔を上げる。

 

「飲まないの?」

 

「頂きます」

 

 飲む前から胸焼けした陽咲だったが、手元のカップには褐色の液体が入っていて何故かホッとした。

 

「ふぅ……美味し。さてと陽咲、何なの?」

 

 一口だけ濃い目のブラックを喉に通し、陽咲もカップを置く。そしてジッと揺れる液面を眺めて暫く沈黙した。三葉も特に急かしたりしてない。

 

「本当に不思議な話なんですが」

 

「うん」

 

「あの子、天使は私の名前を知ってました」

 

「名前を?」

 

「はい。苗字も名前も両方とも。(あかなし)は珍しい苗字ですから知っていた筈です」

 

「詳しく話しなさい」

 

「いきなり尋ねてきたんです。杠陽咲か、と」

 

「……それで?」

 

「その後は怪我の有無、お茶をくれて、怒られて……私は理由を答えました。私の支え、憧れで大切なお姉ちゃんを探していると。そうしたら今度はお姉ちゃんの名前を教えてって」

 

「千春の名前を? 何故」

 

「私は答えました。するとあの子は」

 

「あの子は?」

 

 陽咲は何かを思い出したのか、悲しみを湛え一瞬口を閉じた。そうして視線を上げて三葉を見る。

 

「涙を、一筋の涙を流して……噛み締めるようにお姉ちゃんの名前を呟いたんです」

 

 三葉は両腕を組み、無言で天井を見上げる。暫くは沈黙が支配した。そしてコーヒー擬きをゴクゴクと飲み干し、漸く視線を陽咲に合わせた。

 

「天使の目的はソレ? 陽咲が陽咲である事を確認していた……千春が鍵……ならば今までの天使の行動の動機は貴女になる。その後はどうしたの?」

 

「お姉ちゃんを知ってるなら教えて欲しくて肩を掴もうとしたら、逃げられて……凄く分かり易い拒絶でした。後は、近づく部隊の存在を教えてくれたと思ったら姿は消えて」

 

「陽咲の安全を確認した訳か」

 

「周囲の脅威は取り除いたって言ってました」

 

「まるで守護者(ガーディアン)ね。小さな、女の子の」

 

「でも……あんな子は知らないし、お姉ちゃんの友達にしても年齢が違いすぎて。お姉ちゃんの知り合いなら私も殆ど分かるから」

 

 陽咲の酷いシスコン具合に三葉は少し引いたが、努めて考えない事にした。そして思考を深めていく。

 

「……過去半年間の天使の動向をもう一度洗いましょう。共通点が見つかったかもしれないわ。それに半年前なら……陽咲、貴女が()()()()した頃ね」

 

 異能者、特に力の強い異能者は世間に宣伝する事がある。異界汚染地(ポリューションランド)の脅威を薄める為に、そして戦意高揚の為に。陽咲は将来有望な異能者として名簿に掲載されたのだ。しかし、()()()()()()()()()()()()()()

 

「……それに何か意味があるんですか?」

 

「直ぐに分かるわ。お花畑‼︎ 入って来なさい!」

 

 待機していているのが分かるのか、三葉は躊躇なく声を上げた。そしてドアは直ぐに開いた。

 

 

 

 

 

 



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決意する者

 

 

 

 

三葉(みつば)司令。間違いないのでは?」

 

「駄目よ。決めつけるのは早計すぎる。けれど、可能性は考慮すべきね」

 

 三葉と花畑(はなばたけ)、残り三人も座っている陽咲(ひさ)に注目する。今まで何一つ答えのなかった天使の秘密が、少しずつ見えて来たのだ。もし三葉が言う可能性の通りなら、天使(エンジェル)の行動の謎が解けたかもしれない。仮定であるが一定の説得力を持つ。

 

 注目された陽咲は緊張したが、唯一本人だけが納得出来ていなかった。あれから頑張って記憶を探ったが、あの綺麗な女の子など知らない。姉の千春(ちはる)の知り合いにもいない筈だと。

 

 だから、分からない。

 

「コードネーム天使(エンジェル)。彼女はこの半年の間に(あかなし)さんを探していたと仮定しましょう。名前は分かっていたけれど、顔が分からない。だから似通った異能者を追い、陰ながら見守っていた……筋は通ります。このデータからも」

 

 半年間の動向の記録を再度洗った。今度はフィルターを掛けて。

 

 フィルターの条件①に部隊に異能者がいるか。条件②に異能者は女性。条件③は陽咲と近い年齢……以上だ。しかし、この条件をフィルターに設定すれば通常なら八割から九割は弾かれるだろう。

 

 しかし多くあった案件の大半が残った。落ちたのは僅か5件。総数からの確率としたらたったの12%だ。

 

 つまり天使は酷く少数である異能者の更に少ない女性がいる部隊だけを守護していた、そういう事だ。確率的に偶然はあり得ないし、その点は誰も否定出来ないだろう。

 

「恐らく、半年前に出された異能者の名簿に杠さんの名前を見つけたのでは? まだ能力も不安定で立場も確立していない若い異能者は、写真などの詳細情報が伏せてあります。でも念動みたいな貴重な異能はニュース性が高いから例外的に目立つ様にしてあった。まあ明るいニュースってやつですね」

 

「花畑、態々言わなくても分かっている。まあ、そう仮定するなら……天使は僅かな情報を頼りに各隊を追った。無理筋じゃないわね。PLに入る部隊は宣伝対象になるから情報は仕入れ易いし」

 

 それも一種のコマーシャルであり、プロパガンダだ。

 

「でもそうなると、天使は国家警備軍を守護しているのではない。彼女が守るのは陽咲、杠陽咲ただ一人となるわ。都合が良過ぎると感じるし、正体と動機だって不明のまま。仲間の振りをして懐に入る手は古典的な方法よ」

 

 ずっと黙っていた陽咲だったが、再び注目されては静かには出来なかった。

 

「でも……わかりません。何故お姉ちゃんの名前を?」

 

「それは私達にも分からないわね。でもかなりしっかりとした動機があるのは間違いない。半年間、しかも危険なPLに分け入るなんて。カテゴリⅢにすら関係なく来たみたいだしね。おまけに馬鹿みたいに強力な武器を携え、レヴリすら苦にせず……姿を唯一見せたのは陽咲だけ。でも、陽咲の疑問も遠からず解けるかもしれないわね」

 

「そうなんですか?」

 

「はぁ……当たり前じゃない。天使が何らかの動機の元で陽咲を守るなら、貴女が異能者として戦う限り天使は現れるでしょう? 顔も隠さず話もしたなら徹底的な秘密主義でもないし。但し、油断しては駄目よ」

 

「また、会える」

 

 口角が上がり、分かりやすい歓喜を見せる陽咲。その能天気振りに三葉は懸念を覚えた。

 

「陽咲、良く考えなさい。天使が貴女の守護者と規定するなら陽咲が危険になれば現れる。でも其れはあの子も危険と言うことよ? 撮影された姿からも、証言から想定される為人からも、たった一人でPLに侵入している。援護もなく、非力な身体の少女。仲間が沢山いる陽咲とは違うの。人知れずに死んでもおかしくない」

 

「そ、そんな!」

 

「それが現実。天使がどれほどの力を持っていても、どれだけ強力な銃を装備していようと死ぬときは死ぬ。白石隊長がそうだった様に」

 

「それは、どうしたら……」

 

 たった一度、僅かな時間しか会っていないのに、陽咲は彼女が苦しむ姿など見たくはなかった。

 

「簡単よ」

 

「ええ、簡単ですね」

 

 三葉と花畑の二人は仲が悪いのか良いのか、偶に息がピッタリになる。

 

「教えて下さい!」

 

「陽咲を守る必要がない程に強くなればいい。念動(サイコキネシス)にはそれだけの力があるの。貴女には銃も、防護服も必要ない。防壁を構築出来る様になれば陽咲だけじゃなく、皆も天使も守る事が出来るでしょう。仮に天使が悪意を持っていたとしても、ね」

 

「僕はこう思います。杠さんが立派な戦士となった時、きっと天使は褒めてくれるのでは、と。貴女を叱ったのは、取りようによれば励ましにも思えませんか? 彼女はきっと杠さんを大切に想っている、僕はそう信じますね。三葉司令は考え過ぎなんです、見た目に反して老生して……ひ、ひっ!」

 

 三葉の死を運ぶ様な視線に射抜かれて、花畑の脳内にあの世のお花畑が浮かんだ。

 

 しかし、陽咲はそれに構わずに拳を握る。

 

「強くて立派な戦士……」

 

 陽咲は行方不明の姉を捜す為に戦っている、或いは何時かまた会える千春に褒めて貰いたい……そう思うほどに固執していた。確かにレヴリ退治は世の為になっているが、それは副次的なものに過ぎなかったのだ。

 

 だが、陽咲に護りたい存在が出来た。三葉が何と言おうとも、それは確信だった。

 

 僅かな時間しか会っていないのに、その存在は大きくなっていく。端的に言えば"一目惚れ"なのだろう。

 

 千春が陽咲を愛し守っていた様に、今度は陽咲が天使を守護する。つまり陽咲が姉となるのだ。今は弱くとも……近い未来には必ず天使を抱き締めて優しく包み込む。

 

 ブルリ……そう考えた時、陽咲は震えた。

 

 それは、武者震い。

 

 強力な念動と幼くて弱かった精神。相反する両者を陽咲は今更に自覚する。

 

 伏せていた瞳が再び前を向いた時、其処には確固たる覚悟と燃え盛る決意の色が見えた。三葉は其れが分かったし花畑すらも変化したと理解出来たのだ。

 

 全ての異能は精神力に依存している事が知られている。身体が健康であっても、心が弱っていては発現する効果に明確な差が生まれるのだ。所謂根性論が幅を利かせるのが異能者にとっての常識だから。

 

 

 

 この日から、陽咲は加速度的に成長していく事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

 

 

 崩れたコンクリートから鉄筋が数本飛び出ていた。赤茶けた其れ等は長く風雨に晒されていたのだろう、本来の強度など無いと分かる。それでもタオルや下着位なら掛けてあっても折れたりはしない。

 

 白いタオルには何処かの企業名が小さく刺繍されている。その横には飾り気のないノンワイヤーのブラ、そしてショーツ。垂れ下がる下着類の色はタオルに反して黒だ。シンプルなデザインから恐らくティーンズ向けだろう。

 

 少し離れたところには迷彩柄のパーカーが風に揺れている。

 

 此処は"カテゴリⅤ"と呼ばれる異界汚染地(ポリューションランド)。その片隅にある半壊したマンションの側だ。人影も無い崩壊した街の住民は鹿や猿などの野生動物へと成り変わった。時に現れるレヴリに捕食はされるだろうが野生は逞しい。頭数は増加傾向だ。

 

 だが流石の彼らも衣服の洗濯などしない。それは街の風景としては自然で、PLには不自然な景色だった。

 

 辛うじて屋根が残る場所には、コンクリート色に溶ける灰色の小さなテントが張ってある。中には寝袋とバックパック。ガソリンランタンが一つ。

 

 すぐ側に一人の少女らしき姿があった。木箱に腰を下ろし、片膝を立てて顎を乗せている。感情を悟らせない瞳で片手にペン、もう片方には銀色のパックだ。水浴びでもした様に黒髪は湿っていた。

 

 その濡れた髪は無造作に背中に流している。櫛も通さず、乱れるに任せたままだった。

 

 陽咲達に"天使"などと呼ばれているとは想像もしていない(なぎさ)は髪など気にもしない。髪紐かゴムで纏めて括ってしまえば良いだけ、そう考えている。今はデニムのパンツとグレー色のパーカーを着ていた。無地のパーカーも助けて、服装だけならお洒落に気を使わない中高生の男子と言うところか。

 

 銀色のパックに入ったゼリー飲料をチューチューと吸い出し、空になるとしっかりとキャップを閉め直して横の樹脂製のコンテナに放り投げた。続いて冷えてもないペットボトルに入ったミネラルウォーターをコクコクと細くて白い喉に通し、やはりコンテナにポイと捨てる。上から蓋をしたのは野生動物を呼び寄せたくないからだろう。

 

 コンテナの中はゴミだらけだが、文句を言う人間は誰一人いない。環境問題など過去の話だ。

 

 渚はノートにメモを残していき、陽咲に出会えた数日前を思い返していた。思った以上に時間が掛かったが漸く見つけたのだ。何故かこの周囲はタブレットやパソコンが使えず、従来通りに紙に残していく。そのメモを誰かが見れば、見た目の年齢層に合わない達筆だと感じるだろう。その文字も男らしく見える力強い筆致だ。

 

 其処には「杠 陽咲」の情報と、分かっている範囲の今後の行動が記された。

 

 パタリとノートを閉じると、手に持ったままテントに向かう。夕方が近くなりランプに火を灯すのだろう。

 

 そしてランプに色が入り、影になっていた箇所にも光が届いた。其処には在るのは真っ黒な銃。陽咲が見た形とは明らかに違い、如何にもハンドガンと分かるシンプルなラインだった。緑色した光の線は這っていない。無造作に木箱の上に放り投げられている。

 

 一瞥し興味など無いとばかりに渚は視線を外した。

 

 そんな孤独な空間に、何処か電子的な合成音の声が木霊する。

 

『マスター』

 

 印象は成人の女性だ。あくまでも例えるならだが。機械染みた声音に感情は感じない。

 

『もう()()()()で28時間も睡眠を取っていません。そろそろ眠って下さい』

 

 渚は再び振り返る。

 

「カエリー、お前には関係ない」

 

『関係はあります。このカエリースタトスの存在理由は敵対者の殺傷、そしてマスターの補助と延命です。()()には休息が必須と分かっていますので。絶えず1時間程度で悪夢にうなされて目を覚ますとしても、休息は休息です』

 

「……煩い」

 

 漸く見せた感情は憎悪か諦観か。渚は……全てを諦めたかの様な渚はカエリーを睨み付けた。

 

 その視線の先。先程までは無かった緑色した光の線が血管の如く這う、真っ黒だった筈のハンドガン。

 

 銘を、魔工銃(まこうじゅう)カエリースタトス。

 

 形こそ陽咲が見た時と違うが、あのレヴリを撃ち倒した。声の発信源は其処からだ。

 

 それはーー

 

 コードネーム"天使(エンジェル)"が持つ、渚の愛銃だった。

 

 

 

 

 

 

 



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一目惚れ

 

 

 

 

陽咲(ひさ)ちゃん、頑張るね」

 

 頬を赤く染め、額や身体中からポタポタと汗が滴っている。実戦と同じ戦闘服を纏った陽咲は異能訓練施設にいた。今まで気にもして無かった下着は肌に張り付き、服すら湿っているのを意識してしまう。

 

 学校の体育館どころか、コンサートホール同様の広さを誇る訓練施設は天井も高く、単純にだだっ広い。半分は街中を模した仮想のPL。もう半分は床に複雑なマス目が引かれた空間だ。全体をぐるっと囲む様に、高床の通路が走る。俯瞰で確認するためだろう。

 

 陽咲はマス目が寄り集まった中央に立ち、自身の念動の効果範囲を広げるべく集中していた。今日は監督者がいない為、攻撃的な異能は使っていない。単純な訓練を黙々と行なっていただけだ。

 

 目につくマス目は距離の計測の他、隊の戦略を練ったり、模擬戦にも使われる。また、技術情報部が異能の精査に使用する事もあるのだ。

 

 集中を解いた陽咲は背後から聞こえてきた声に反応する。その声には覚えがあり、誰なのかは見なくても分かった。

 

土谷(つちや)さん、こんにちわ」

 

 一目見た印象は所謂色男。女性の多くは好むだろうし、男性の大半が表に出さない嫉妬を覚えてしまう、そんな男だった。髪を薄っすらと赤く染め、光が当たると其れが分かる。かなりの長身で170cm後半というところか。

 

 160cmにも満たない陽咲からは相当に大きな身体に見えた。少し染めたショートボブと丸顔。姉とは違い幼く見えるのを自覚していているので、見上げる様に話すのが少しだけ苦手だった。この辺りのコンプレックスは叔母である三葉(みつば)花奏(かなで)と似ているかもしれない。

 

天馬(てんま)って呼んでくれって言ってるのにな。はい、どうぞ」

 

 水滴だらけのスポーツドリンクは、まだよく冷えていて買ったばかりだろう。土谷天馬は爽やかな笑顔を浮かべていた。

 

「ありがとうございます。それと、先輩に向かって馴れ馴れしく出来ませんよ」

 

 陽咲には珍しい少しだけ冷ややかな視線が土谷を捉えた。ペットボトル受け取ると距離まで取ったのは、汗で濡れた身体で異性の側には居たくないのだろう。陽咲自身が土谷を苦手なのも理由の一つだった。

 

 土谷は女好きを隠しもせず、特定の誰かと付き合う事もしない。年齢も23歳と若いが、其れが理由ではないだろう。最近は注目株である陽咲によく構ってくるのだ。食事に誘って来たり、今の様に馴れ馴れしく振る舞う事もある。陽咲の真面目な性格は土谷を嫌悪しているが、当人は気にもしていない。本人曰く、口説くのは障害があった方が楽しい、だそうだ。

 

 因みに、陽咲は土谷に名前を呼ばれる事も許可した覚えはない。

 

「相変わらず堅いなぁ。今後は共同で作戦に従事する事もあるし、もっと仲良くしないとさ」

 

「そんな事は……私はまだまだ未熟ですし。土谷さん程の異能者には足手纏いです」

 

「そんな事ないよ。発火能力(パイロキネシス)念動力(サイコキネシス)ほど珍しい異能じゃないからね。その内に陽咲ちゃんがNo. 1になれるさ」

 

「はあ、ありがとうございます」

 

「ん? 陽咲ちゃん、何か雰囲気が変わった?」

 

「そうでしょうか? 土谷さん、飲み物をありがとうございました。それでは」

 

 陽咲にしては頑張った拒絶だったが、そんな事で怯む土谷ではなかった。

 

「いや、変わったね。可愛い女の子が、綺麗で強い女性になった。俺は何方も素敵だと思うけど」

 

 何やら気持ち悪い事を言ってるなと陽咲は思う。だが、もし変わったのだとしたら理由ははっきりとしている。

 

 千春(ちはる)を探す事とは別に戦う理由が出来たからだ。コードネーム"天使(エンジェル)"、あの女の子を危険から遠去ける為には自身が強くなる必要があった。あの娘が陽咲を守る理由も、そもそも事実なのかも不明だ。しかし、陽咲は何となく確信していて、気持ちに揺るぎは無かった。今は彼女の方がずっと強いだろうし、其れを望んでいるとも思わない。それでも守りたいのだ。

 

 もしかしたらお姉ちゃんも私に対してこんな気持ちだったのかも……陽咲はそんな風に考えていた。

 

 だから、土谷などに構っている暇などない。

 

「そうですか。失礼します」

 

 少し大人気ないのは分かっていたが、隠せない嫌悪感が湧き上がって来るのだ。土谷は女性を娯楽の一つと考えているし、その範囲も広いのが陽咲に嫌悪感を湧き上がらせる。随分歳下の女の子から、歳上のお姉様まで対象らしい。

 

「そっか、じゃあ頑張ってね。訓練の付き合いが必要だったら何時でも声を掛けてくれたらいいから。防壁の構築は対象者があった方が上手く進むし」

 

 もう返事もする気が無かったが、今の言葉に陽咲は反応してしまう。何より今日は防壁構築の訓練などしていないのだ。防壁は難易度が高く、陽咲にはまだ上手く出来ない。

 

「……何故防壁だと?」

 

「ふふ、やっと俺を見てくれたね。陽咲ちゃんはとても綺麗だから天使(エンジェル)みたいだ」

 

 明らかな誘い文句で、土谷も天使を知っていると陽咲を揺さぶっている。まあ花畑はあちこちに情報収集に走っているから当然なのかもしれないが。

 

「土谷さん、答えて下さい」

 

 土谷は端正な顔に笑顔を浮かべた。

 

「やっぱり知らないんだね。花畑さんが会いに来た事も司令に呼び出されたのも噂になってるよ。勿論話題が天使で、と言うか花畑さんなら間違いないけど。あの人、天使天使って煩いから」

 

「其れと防壁に何の関係があるんですか?」

 

「ん? 天使は凄く可愛い女の子で、陽咲ちゃんが一目惚れしたって。守ってあげたいんだねぇ」

 

「なっ! だ、誰がそんな事を⁉︎」

 

 頑張って冷静を装っていた陽咲はあっさりと仮面を外してしまう。土谷の思う壺だが、本人は気付けなかった。異能を除けば、素直で擦れてない若い女性なのだ。

 

「ありゃ、本当なんだね。へぇ……そんなに可愛いんだ。興味が湧いてくるな」

 

 真顔になった土谷を見て、鎌を掛けられたと思った時はもう遅い。

 

 やはり土谷も花畑と同じ変態だ。天使を守るのはレヴリだけじゃなく変態達からも。半分情け無い誓いを胸に秘めた。叔母さんにも相談しよう……陽咲は予定を組む。訓練は中止だ。

 

「もう結構です。それでは」

 

「陽咲ちゃん、訓練には何時でも付き合うからねー!」

 

 歩き去る陽咲の背中に嬉しそうな声が届いたが、もう振り返らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大将、皮とつくねを二本ずつね。それとアスパラベーコンも」

 

「はいよ!」

 

「あっ、あとカルピスサワーと……」

 

「んー、ビールで」

 

「陽咲、またビール?」

 

「叔母さんこそ、カルピスサワーと葡萄サワーばっかりじゃない」

 

 おかわり頂きました! そう叫ぶ大将を尻目に、陽咲と三葉はお刺身を摘まんでいる。陽咲の小皿には山葵で色が変色した醤油があり、一方の三葉は辛い物が苦手でそのままだった。山葵は醤油に溶かず直接刺身に乗せる方が良いらしいが、陽咲はいつも大量に醤油に落とす。

 

「夏ならパインサワーも欲しいところよ。しかし、陽咲もお酒が飲める歳になったかぁ。しかもビールって……あの泣き虫がねぇ」

 

「もう二十歳なんだから当たり前でしょ。それと泣き虫はやめてくれない?」

 

「何言ってるんだか。つい何日か前も泣いてたくせに」

 

 引きつる陽咲は泣かせた張本人を睨んだが、その三葉は知らん顔だ。

 

 良く来る居酒屋だが、大将が三葉に年齢確認しなかったのが気に入ったらしい。味も良く、接客もバッチリなので陽咲にも文句は無い。壁には筆で書いた品書、黒板には本日のお勧めメニュー。まあ、よくあるタイプの店だ。

 

 今日は公務から離れ、叔母と姪として昔ながらの会話を楽しんでいた。入店して一時間は経過しており、近況と千春との思い出話でほろ酔い気分だ。

 

「そう言えば叔母さん。私怒ってる事があるんだけど」

 

「ん? アンタ怒ってる顔も全然怖くないわね」

 

「……土谷さんに何か吹き込んだでしょ?」

 

「土谷くんか。どれの事?」

 

「どれって、あの()の事に決まってるじゃない」

 

 流石に天使(エンジェル)とは言葉にしない陽咲だった。まあ単純に恥ずかしいだけかもしれない。

 

「私が言わなくても噂になってたわ。寧ろアンタが知らない方が驚きだわよ」

 

「そうじゃなくて! ひ、一目惚れ、とか」

 

「ああ、その事」

 

「変なこと言わないでよ……同性だし、相手は中学生か高校生くらいの子よ? もし聞かれて変に思われたらどうするの」

 

「アンタ……一目惚れって言ったって、仲間とか友人とか色々あるでしょう。何も恋愛対象だとは言ってないし、寧ろ当たり前だと思うけど? しかし、元々その()はあったけど、まさか歳下まで範囲とは驚くわ。犯罪はやめなさいよ?」

 

「ば、馬鹿な事言わないで‼︎」

 

 つい大声で叫んでしまい、周囲から注目を浴びてしまう。すいませんすいませんと前後左右に頭を下げて、真っ赤な顔を三葉に向け直した。赤いのは酒の所為ではないだろう。

 

 三葉は飄々としたまま、カルピスサワーを片手につくねを食べている。

 

「……叔母さん、怒るよ?」

 

「てっきりシスコンを拗らせた歳上好きと思ってたけど、ロリまで対象なら私にも考えがある」

 

 陽咲の怒りなど全く怖くない三葉は、更に追い討ちをかけた。本気なのか冗談なのか分かりづらい。

 

「いい加減にして」

 

「変なことしたり、手を出さないなら自由よ。成長するのを待ちなさいね? 自制出来るなら私は責めたりしないし。それどころか場合によっては賛成かな」

 

「賛成? いいの?」

 

 語るに落ちた陽咲だが、本人は気付いていない。

 

「異能は精神力に依存する。誰でも知ってるけど、他人を好きになったら良い影響を与えるわ。特に女性は顕著と言われるから。他にも母性愛や対抗心、お勧めしないけど復讐心ね。ここ数日の訓練、結果はどう?」

 

「凄く良くなってると思う。防壁も時間の問題って感じ」

 

「ふむ、今度見せてみなさい。攻防一体の異能は発火能力(パイロキネシス)にも無い特徴だわ。それと、土谷くんはアレだけど相当なセンスの持ち主よ。個人的好き嫌いは抜きにして学びなさい。それだけの価値がある」

 

「だから土谷さんに?」

 

「当たり前でしょ。彼はあの歳で"カテゴリⅢ"の戦闘経験者。あの赤いレヴリすら駆除出来るでしょう。アンタに講釈を垂れる事が出来る数少ない異能者よ。陽咲、目的を忘れては駄目。達成する為には全てを利用するくらいじゃないと」

 

「利用……そっか、あの()を守る為だもんね」

 

「そっちなんだ……」

 

 三葉は完全にひいていたが、陽咲は幸い気付いてない。勿論千春の事を忘れた訳じゃないのは理解してるが、一目惚れってマジなんだと三葉は思った。

 

「でもさ」

 

「何よ?」

 

「土谷さん、あの娘が可愛いと知ったら目の色変わったんだけど」

 

 当初の目的を忘れない陽咲だった。

 

「は?」

 

「だから、私の勘が正しければ土谷さんも花畑さんと同類」

 

 完璧だ。

 

「あの"超ど変態"と同類……」

 

「ど変態かは知らないけど」

 

「そう……土谷、油断ならないわね」

 

 何かを決意した三葉を見て、陽咲も一安心だ。三葉の異能に見つかったなら逃げる事など出来ない。そうでなくても恐ろしいのが陽咲の叔母なのだ。

 

 彼女の異能"千里眼(クレヤボヤンス)"は伊達ではない。

 

「店長さん、ビールおかわりお願いします!」

 

「あいよ!」

 

 明日も頑張るぞと陽咲は気合いを入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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出動

 

 

 

 

 

陽咲(ひさ)、来たか」

 

三葉(みつば)司令、遅くなりました」

 

「座れ」

 

「失礼します」

 

 何かの書類にサインしていた三葉は顔を上げ、入室を許可した陽咲をチラリと眺めた。

 

「少し待て」

 

 最後だったのかサラサラと何かを書き入れ、次いで大きな印鑑をポンと押す。身体が小さい所為か子供が玩具のスタンプで遊んでいる様に見えた。当然に言葉にせず、陽咲は真面目な顔のままだ。

 

 軽く周囲を見渡しても司令室には三葉しかいない。つまり二人だけの様だ。手持ち無沙汰になった陽咲はショートの髪を触り前髪を整える。最近伸びて来て少し鬱陶しいのだ。

 

 千春お姉ちゃんみたいに綺麗な髪ならいいのに……いつも思う事を陽咲は頭に浮かべたりしている。

 

「ふう……何か飲むか?」

 

「はい。コーヒーを入れますね」

 

 ドアの側の棚の上にコーヒーメーカーがある。以前三葉の誕生日にプレゼントしたものだ。贈った当人だから操作もお手の物、と言うか同じのが自分の家にもある。

 

 暫くすると香ばしいコーヒーの香りが部屋に充満していく。この瞬間が陽咲は好きだった。

 

「何時ものでいいですか?」

 

「ああ」

 

 キリリと軍を束ねる指揮官の顔をしたが、ミルクたっぷり砂糖山盛りのお子様コーヒーを御所望だ。三杯目の砂糖を落とす時、陽咲は何時もコーヒーへの冒涜をしている気になってしまう。

 

 クルクルと掻き混ぜれば、甘ったるい匂いが鼻につく。折角の香ばしい香りが台無しだった。

 

「どうぞ」

 

「何だその顔は?」

 

「何でもありません」

 

 危ない、顔に出ていた様だ。そう思い、表情を頑張って戻した陽咲は自分のブラックコーヒーを片手に再び腰を下ろす。

 

 可愛い熊さんのコーヒーカップにフーフーと息を吹きかける三葉は可愛い。小さな両手でカップを抱えているのだ。態とじゃないかと陽咲は疑っていたりする。

 

「む、砂糖はいつもの量か?」

 

「はい」

 

 微妙に減らしたのに気付いた様だ。

 

「陽咲」

 

「……二杯半」

 

「命令に逆らったな?」

 

「叔母さんも少しは健康に気を付けてね。身体を壊したら私泣くよ」

 

 三葉の雰囲気が変わったのを分かった陽咲も口調を戻す。

 

「疲れたら甘い物が欲しくなるでしょう?」

 

「それでも充分に甘いからね?」

 

「陽咲はまたブラック? よくそんな苦い物飲めるわね」

 

「美味しいからね」

 

「千春がブラックだから真似したくせに」

 

「うっ、煩い」

 

 可愛らしい姪の顔をひとしきり眺めて、三葉は話題を変える。

 

「確認だけど、天使(エンジェル)と会ってから何回出動したかしら?」

 

「えっと、五回かな。PLには行ってないから」

 

念動(サイコキネシス)に変化は?」

 

「効果範囲は30%は伸びたと思う。ただ行使までの時間が短縮出来なくて……防壁も未だだし」

 

「充分に早い成長だと思うけどね」

 

「早く防壁を張りたいんだけど、掴めないの」

 

 目的がより明確化した陽咲の成長は目を見張るほどだ。だが本人は足りないと焦っている。それを知る三葉が陽咲を呼び出して話を聞くのだ。司令として、同じ異能者として、何より血縁者として心配は尽きない。

 

「念動の異能持ちでも防壁の構築が出来るのは一握りよ。焦っては駄目ね」

 

「分かってる」

 

「ほんとに?」

 

「……叔母さんはどうやって異能を鍛えたの?」

 

「うーん、私のは変わり種だから参考にはならないよ。でも陽咲の力なら心当たりならあるわね」

 

 驚いた顔を隠さない陽咲は、早く教えてと瞳をキラキラさせている。

 

「異能は行使する者の精神に大きく依存する。まあ心の在り様と言えばいい。陽咲が防壁を求める理由を言葉にしてみなさい。物理的攻撃力を高めるのではなく守る力を求める理由を」

 

「そんなの決まってるよ! 皆んなの役に立ちたいし、以前みたいに生き残るのが私一人なんて許せない。沢山の人を守る事が出来る力が念動にはあるんだから!」

 

「そうね。じゃあ守りたい人を頭に浮かべて?」

 

「それは……」

 

「一番は()()()なんでしょう?」

 

「……うん。名前も知らないけど」

 

「大丈夫、恥じる事じゃないの。つまり伸び悩むのは其れが理由って訳よ」

 

「どういうこと?」

 

「天使は貴女よりずっと強い、何より遠い存在ね。会ったのも一度だけ」

 

 三葉の言いたい事が分かる陽咲だが、解決策は無いのだ。

 

「今迄の出動で天使の気配は感じた?」

 

「全然。少しくらい顔を見せてくれてもいいのに」

 

「ふふ、つまりそういう事。今度会ったら沢山の話をして、出来れば手でも繋いで身近に天使を感じなさい。守るべき相手を強く認識するのよ。防壁であの子を包むイメージを強固に出来れば……何か変化があるかもね」

 

「手を繋ぐ……」

 

 ニマニマする姪を見て不安になる三葉は思わず言った。

 

「犯罪は駄目よ」

 

「わ、分かってる!」

 

 本当かしら……最近シスコン具合が変な方向に曲がったのを知ってしまった内心の言葉だった。

 

 

 

 

 真っ赤な顔した姪っ子を見送ると、三葉は優しい叔母の表情を変えた。

 

「天使とは何処かでコンタクトを取らなくてはならないか。陽咲の為にもなるが放置は出来ない。まだ子供で、異常な武器を装備して……何より一人だ」

 

 孤独であるかの確証などない。

 

 天使が何処かの組織に属する可能性は否定出来ないし、全てが何かのフェイクかもしれない。しかし三葉は何となく感じる……天使はたった一人だと。

 

 そして、"孤独"は気付かない内に人を蝕むのだ。

 

 ジリジリと心を焼いて行き、正常な精神を保つ力を灰にしてしまう。

 

「久しぶりに頑張るしかないか」

 

 お子様コーヒーはやけに甘く感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「土谷」

 

 階下の駐車場に向かっていた土谷に、頭上から声が掛かった。

 

 既に装備は済ませ、と言っても耐火性、耐摩耗性に優れた灰色の迷彩服へ着替えただけであるが、急ぎ出動する為に脚を動かしていた。土谷はその声が誰かすぐに分かった為に踊場で立ち止まったのだ。時を待たずに三葉が降りて来て、直ぐ後ろには陽咲が居る。

 

「三葉司令。どうしました?」

 

 土谷は察していたが、一応確認する。LEDライトの下に立った為に赤く染めた髪が良く分かる。整った容姿は引き締まり、一人の戦士の瞳だった。その瞳を僅かに下げ、身長の低い上官に視線を合わせた。

 

「今日はお前が当直だな。ならば、(あかなし)を連れて行け」

 

「それは構いませんが、理由を聞いても?」

 

 直ぐに言葉を返した土谷だが、予想通りとは言え少しだけ疑問にも思う。駆除に新人を連れ歩くのは珍しく無いが、大抵は事前に当直に組み込まれているものだ。

 

「ふん、決まっているだろう。実戦経験を積ませる良い機会だ。手頃な相手でもある」

 

「司令。既に犠牲者が出ています。不謹慎な物言いは」

 

 すると三葉は階段を降り始める。出動前で立ち話の時間も惜しいからだろう。

 

「ふむ、そうだな。訂正しよう。奴等相手に土谷と念動(サイコキネシス)持ちとは過剰戦力だが、敵討ちに構いはしないな。徹底的に叩きのめせ」

 

 陽咲は一言も発せず、ただ付いてきている。

 

「それは命令ですか?」

 

「当たり前だ。ついでに杠を使い物になるよう鍛えろ。少しでも早い方がいい」

 

「分かりました。ですが先ずは駆除を優先します」

 

「ああ。陽咲、土谷の指示に従って学んで来るんだ。帰還したら直接私のところへ報告に。甘えは許さん」

 

「はい! 土谷さん、宜しくお願いします!」

 

 ニコリと笑った土谷は陽咲を見た。

 

「此方こそ。実戦で陽咲ちゃんと一緒なのは初めてだから、何かあったら聞いて欲しい」

 

「ありがとうございます」

 

「陽咲、先に行って準備しろ」

 

「はい! お先に失礼します!」

 

 タタタと軽やかに階段を降りて行く陽咲を見守り、三葉はほんの少しだけ歩く速度を落としていく。

 

「司令?」

 

 土谷は怪訝に思い、追い抜いた三葉に振り向く。

 

「土谷」

 

「はい」

 

「今回の任務では、()()()

 

「それは……」

 

 三葉は自らの異能"千里眼(クレヤボヤンス)"を使うと宣言したのだ。かなり珍しい事で、対してこの任務は珍しくない。土谷からすれば今回のレヴリ、つまり相手は雑魚だ。

 

「注意しろ」

 

予知(プレコグニション)ですか?」

 

「何度も言ってるが私に予知はない。勘だよ」

 

「分かりました。陽咲ちゃんは必ず守りますよ」

 

「誤解するな、陽咲を守るのは陽咲自身だ。一応其れなりに仕上げてあるから安心していい。目的は別にある」

 

「そうなると、天使(エンジェル)ですね」

 

「まあな」

 

「陽咲ちゃんには?」

 

「言う訳がないだろう」

 

「過保護ですねぇ」

 

「土谷」

 

「否定出来ないでしょう?」

 

「貴様に陽咲を"ちゃん呼び"させる許可を出した覚えは無い」

 

「……やっぱり過保護だなぁ」

 

 土谷のボヤキを三葉はばっちり無視した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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土谷という男

 

 

 

 

 

 

 

 街中ではあるが、人通りは無い。

 

 つい2時間前にレヴリが現れ、悲しい事に仕事帰りの50歳代男性が襲われたのだ。目撃者もあった事で素早い通報がなされて警備軍に出動要請が掛かった。

 

 怪鳥と言えば良いのか、姿はダチョウに近かったと証言が伝わっている。ダチョウと言っても成人男性の身体を噛み砕く牙を持ち、羽は無くて筋肉質の短い腕を備えていたそうだ。体高の半分以上を占める長くて太い脚とツルツルした皮膚を持つ。

 

 どちらかと言えば小型肉食恐竜に近い。ただ全体像はダチョウそのものだったらしい。実際に警備軍では"ダチョウ擬き"と呼ばれる、比較的知られた存在だ。PL(ポリューションランド)ではよく見掛ける化け物で、脚が速い為か街中まで現れる事もある。薄闇の中での目撃証言だが間違いないと判断出来た。

 

 PLから溢れたレヴリの被害は無くならず、毎年の様に起きている。しかし、実際に身に降りかかるまでは誰もが何処か他人事だった。被害に遭った男性もまさか自分にと思っただろう。

 

 警察が避難誘導し、半径2キロ圏内を封鎖している。迅速な対応が功を成したのか被害は拡がっていない。

 

 緑色した軍用輸送トラックからバラバラと武装した部隊が降り、続いて二人の若い男女が現れる。通報から二時間も掛からないたうちに、警備軍が到着する事となったのだ。

 

「陽咲ちゃん、行こうか」

 

「はい、土谷さん」

 

擬き(もどき)と戦った事はあるかい?」

 

「いえ、教本にある情報は頭に入れてありますが」

 

 先行した隊員達に続き、陽咲と土谷は少し早足で続いた。陽咲は緊張気味だが土谷は肩の力を抜き、同時に周囲に視線を配っている。普段は軟派で軽薄な雰囲気を隠さないが実戦ではやはり違う。土谷から学べと言われていた陽咲は、その意味を噛み締めていた。

 

「気を付けないといけないのは足の速さと奇襲だね。物陰から一気に襲い掛かるのが定番で、気配を感じさせない面倒な連中さ。発見は皆に任せた方がいいよ。今日は他の異能者がいないし、隊員達はその道のプロだからね。痕跡を辿り、必ず連れて行ってくれる」

 

 こと戦闘なら異能者に軍配が上がるだろう。しかし戦いとは単純ではなく、何より警備軍は組織だ。土谷には異能者特有の傲りは無く、仲間への信頼が見える。陽咲はこんな土谷を見るのが初めてで、自身の視野の狭さを反省していた。

 

「はい。あの、私の役回りは」

 

「中で話した通り、自分の守りに注意を払ってくれたらいいよ。それと見学と質問かな」

 

「何か手伝える事はありませんか?」

 

 可愛らしい声とまん丸な瞳を見ながら土谷は笑う。美人と言うよりは可愛さが勝る陽咲に思わず優しい声になった。三葉司令が過保護なのも仕方ないのかな……内心そう思いながらも冷静に回答する。

 

「いきなり連携に入るのは難しいよ。学ぶのも任務だし、陽咲ちゃんは将来が大事だ。いつか俺や皆を助けてくれたらいい。それにまだ防壁は張れないだろう?」

 

 分かり易くシュンとなった陽咲は矢張り幼く見える。自分の子供じみた言葉に情け無くなったのが分かった。だが直ぐに切り替えて、全てを学んで帰ると視線を上げるのだ。

 

「やっぱり変わったね。陽咲ちゃん、ん?」

 

 数メートル先の隊員がハンドサインを送って来ていた。何かを見つけたのだろう。此処はPLでない為に無線や機器類も使用出来る。しかし普段からあまり使わない様にしているのだ。とは言えドローンは飛んでいるし、本部との通信回線は開かれている。皆のバイタルもチェックして、何台かの小型カメラも追随しているのだ。

 

「見つけたんですか?」

 

「いや、痕跡の発見だね。ただ周りの変化には気を付けて。物陰や暗くなっているところは特に」

 

「分かりました」

 

 三人の隊員達が足元を指差し、更に方角も示している。空き地に残る土の上に一対の足跡があり、一定方向に進んでいる様だ。そして血に濡れた衣服の破片が捨てられている。グッショリと濡れているのは血だけでなく"擬き"の唾液だろう。

 

 ライフルの先に取り付けてあるライトに照らされ、夜の暗闇でもはっきりと分かった。

 

「近いね。警戒を」

 

「はい」

 

 だが50mも進まないうちに、ダチョウ擬きは簡単に見つかった。腹を満たしたのか、公園の草むらに蹲って休憩している様だ。流石に気付いたのか、折り畳まれた両脚を伸ばして、牙を鳴らしながら立ち上がる。全高は180cmある土谷より僅かに高いだろう。

 

 独特の威嚇方法であるガチガチと鳴る牙は外灯に照らされて白く光った。

 

「擬きはとにかく脚を潰すのが定石だ。陽咲ちゃんなら鍛えた念動で脚を折ってしまえばいいと思うけど、まだ距離があるかな?」

 

「はい、すいません」

 

「謝る事じゃないさ。見ていてね」

 

 すると直ぐに薄暗かった公園が紅く照らされる。関節部分に火が灯り、一瞬で焼き切られたのだ。現象を起こした土谷は普通に立っているだけだし、異能を行使した様子すら見せなかった。発火能力(パイロキネシス)は能力差が激しい異能だが、陽咲は驚くしかない。此れが高位の異能者かと思う。

 

 いきなり両脚をやられたレヴリからしたら堪ったものじゃないだろう。キーキーと泣き喚き、ゴロゴロと転がって暴れていた。同時に隊が包囲を始め、距離を縮める。勿論同士撃ちなど起きない様に位置取りもなされていた。

 

 暫く暴れていたが、合図の元一斉射が行われてレヴリの頭が吹き飛ぶ。近距離でなら銃でも充分に駆除出来る事が証明された。

 

「擬きはあまり硬くないんだ。動きさえ止めてしまえば駆除は簡単。逆に脚をやれないと、ベテランも危うい。見た目ほど楽じゃないから勘違いしては駄目だよ?」

 

「は、はい」

 

 余りにあっさりと終わり、陽咲は思わず土谷を見た。

 

「小さな行使を連続で起こせるよう訓練すると良いよ。念動は凄い結果を出せるけど、その分集中する時間がいる。その訓練も大事だけど戦い方は何通りもあって、継戦能力も求められるからね」

 

 理屈では理解していたつもりだったが、どちらかと言えば大きな力を求めていた。それを知る三葉、そして土谷が体現してくれたのだ。まだまだ未熟だと陽咲は痛感する。

 

「勉強になります。同行出来て良かった……」

 

「ははは。ついでに言うと念動の防壁も小さく強く行使するのも有りかなぁ。面防御より難しいけど一点の力は馬鹿に出来ないからね。まあ時と場合によるけど」

 

 隊員達がレヴリを運び出す為に動いているのを見ながら、二人は話を続けている。サボっている訳で無く役割が違うのだ。警備軍最高戦力である異能者は必要な場合以外に余計なエネルギーを使わないのが通例だった。

 

「土谷さん、本当にありがとうございます。明日からの訓練に生かしていきますね。特に小さく小刻みになんて、凄く大事だと分かりました」

 

 先程の遠距離からの"擬き(もどき)"への対処などは、そのまま念動に使える。そもそも其の為に選んでくれた方法なのだろう。丸焼きだって出来る土谷が態々選んだ戦法なのだ。

 

「この後もっと詳しく教えようか? 美味しい店を知ってるからどう?」

 

 スススと距離を縮め、肩まで組もうとする土谷に陽咲はドン引きする。折角尊敬仕掛けていたのに台無しだった。しっかりと距離を取り、冷ややかな視線が戻る。

 

「この後は司令に報告がありますので。直接来るよう命令されました」

 

「ああ……そう言えばそうだったね。やっぱり過保護だよなぁ」

 

「何か言いました?」

 

「いーや、何でも。またの機会を楽しみにしようってね」

 

「はあ」

 

 またの機会など無いけど。そう思う陽咲だが何も言わなかった。

 

「そうだ」

 

「はい?」

 

 まだ何かあるのかと陽咲は呆れかけた。しかし、土谷の真剣な瞳は先程の緩い空気を打ち消している。

 

「ダチョウ擬きの特徴だけど、もう一つあるんだ。忘れてないかい?」

 

「えっと……脚の速さと奇襲、それと」

 

番い(つがい)、だね。単独行動は少なくて、二匹以上で狩りをする。例外もあるけど大半は番いで動いているんだ。しかもレヴリの癖に仲が良い。怒り狂って襲ってくるのも珍しくないかな」

 

「……では」

 

「目の前に一匹しかいないね」

 

 その時、真後ろからパリンと鈍い音がした。

 

 慌てて振り向いた陽咲の目には新たなレヴリの姿があった。何故か同じく振り向いた土谷は慌てていない。

 

 公園の公衆トイレ。その直ぐ横の影に今にも飛び掛からんとする"ダチョウ擬き"がいる。倒したレヴリより僅かに小さいが、持つ怒りは比べ物にならないだろう。

 

「もう一匹! 土谷さん‼︎」

 

 だが土谷は視線を違う方向に向けていた。トイレの上部に設けられた曇りガラスがひび割れ、その真ん中に小さな穴が開いている。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 陽咲は気付いていない。

 

「土谷さん!」

 

「大丈夫だよ。この隊は優秀だから」

 

 その言葉通り、まるで全てを予知していた様に隊員達が動いた。跳ね上がったレヴリに暴徒鎮圧用を強化した網を発射し直ぐに動けなくなる。そして即座に全員がライフルを構えパパパパと連射した。寸分の狙い違わず銃弾は擬きを捉え、暫くすればパタリと動かなくなった。

 

 矢張りあっさりと終わり、陽咲はまたもや呆然するしかなかった。

 

 

 

 

 

 



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魔工銃

 

 

 

「司令。どうですか?」

 

 《ああ、少し待て》

 

 耳に入れていた超小型イヤホンから三葉(みつば)の声が聞こえて来た。土谷(つちや)の問いの意味は当然に伝わり、上手くいったのも分かる。同じく聞こえているだろう陽咲(ひさ)はイマイチ理解出来ていない。何かを言いたそうだが、流石に我慢していた。

 

 《見つけたぞ》

 

「位置情報を。直ぐに捕まえます」

 

 言いながらも土谷は小さく皆に指示を与える。移動の合図だ。遠くから見られている以上、悟られないよう動きは最小限にしている。ここに至って漸く陽咲も分かった様だ。そして自身が撒き餌にされていた事も。

 

 《いや、やめておこう。と言うか無理だ》

 

「何故です? 捕まえる口実なら充分でしょう」

 

 《距離があり過ぎる。此れはとんでもないな……下手な事をして敵対したくないし、()()()()()は出来た。それに》

 

「それに?」

 

 《いや、気にするな。お前達は撃ち漏らしが無いか周囲を調査しろ。今はレヴリだ》

 

「了解しました。ところで司令」

 

 《なんだ?》

 

「距離ってどれくらいですか?」

 

 《約1.5キロだな》

 

「はい?」

 

 《何度も言わせるな。其処から東南方向へ約1.5キロ、立体駐車場の屋上だ。おい陽咲、見るんじゃない。それとお前は喋るなよ。読唇される可能性もある》

 

「……無茶苦茶ですね」

 

 《ああ。どうやら距離だけでなく暗闇も関係ないらしい。恐らく私と似た様な異能だろうが、其れだけでは説明出来ないな》

 

「もう一つ質問良いですか?」

 

 《ああ、言ってみろ。今日の働きには満足しているからな。私は機嫌がいい》

 

 土谷はキリリと表情を引き締めた。頑張って東南方向を見ない様にしていた陽咲にもそれが分かり、聞き逃すまいと耳を済ませる。

 

「可愛いですか?」

 

 《なんだと?》

 

「ですから、天使(エンジェル)は文字通り可愛いのかなと。噂では……」

 

 《陽咲》

 

「はい」

 

 《念動(サイコキネシス)をソイツに使うのを許可する》

 

「命令承りました」

 

「じょ、冗談ですって! 陽、陽咲ちゃん、洒落にならないから‼︎」

 

 両手を掲げながらジリジリと交代する。イヤイヤと顔を振っているが、陽咲は止まらない。自らの異能を行使すべく集中を高めていった。最近頑張っている成果を見せる時だ、きっと。

 

 第三師団屈指の異能者であり、国内でも有名な土谷の……情け無い悲鳴が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブリーフィングルームに僅かな人数が集まっていた。

 

 本来なら師団からの参加者に合わせて異能者、警備軍、情報官、時には政府からも列席する事もあるのだが、(くだん)の特性上最小限にしていた。未だ確証も少ない上、対象の正体も能力も、更に言えば動機さえはっきりしていないのだ。ある意味で仕方がないのかも知れない。おまけに相手は未成年らしき少女ときている。

 

 第三師団司令官の三葉花奏、特務からは花畑多九郎と三人の情報官、異能者は発火能力(パイロキネシス)の土谷天馬、そして事の中心となった念動(サイコキネシス)(あかなし)陽咲(ひさ)の6名だ。

 

 

 

「証言、そして仮定の話も証明されたな。間違いなく天使(エンジェル)は陽咲を守護しているんだ。どうやって嗅ぎ付けているか不明だが、動きも悟られている。いや、絶えず監視をしている可能性もあるが」

 

「三葉司令。()()内容を教えて下さい。証言通りと言う事はやはり少女だったのですね?」

 

 お前は天使でなく銃に興味があったのだろうと、三葉は胡乱な表情を隠さない。しかし、花畑は気付いてないのか鼻息荒く頬まで赤くなっていた。ついでに言えば土谷も興味津々だ。

 

「……知っていると思うが私の異能はカメラのように見る訳ではない。例えるなら」

 

「記憶を見る様に、ですよね?」

 

「まあ実際には微妙に違うが、概ね陽咲の言う通りだ。メリットもあるが万能ではない。それを踏まえて聞いてくれ」

 

 全員が聞く態勢となった。

 

 三葉は何時ものように手を組み顎を乗せる。両肘は机について真剣な瞳がライトを反射した。

 

 うん、子供が大人の真似してるみたいで可愛い。陽咲は毎度の如く内心で呟くが、絶対に口にはしない。口にしたら最後、レヴリに出逢うより大変な事になるのは明らかだから。

 

「まず、年齢は確かに10代。陽咲の証言通り高めに見ても高校生だな。身長も低いからより幼く見える。陽咲より10cmは下だ。声は分からないが、見た目は間違いなく日本人。付近に仲間らしき姿は無かった。視線や動きからも単独行動と見ていいだろう」

 

 情報官の一人はサラサラと筆記し、残り2名はノートPCをカタカタと叩いている。声も発しない為、プレスルームの記事担当記者の様だ。

 

「まあ容姿は陽咲の言う通りだからもう」

 

「待って下さい!」

 

「……何だ、お花畑」

 

 組んだ手は既にギリギリと握りしめている。三葉の分かり易い感情表現だが、花畑は当然に構わない。

 

「しっかりと確認する必要があります! 杠さんだけの証言では残念ながら薄い」

 

「何が聞きたいんだ」

 

 ウンザリして声音も低くなったが、花畑は真逆だ。

 

「雪の精、ですよね? 精霊の様に美しい女の子だと。司令から見てどうでしたか? 勿論興味半分ではないです。特徴は多いほど良いですから、ええ」

 

「似顔絵を作っただろうが。あのままだ」

 

「司令もご存知の筈です。似顔絵の情報を補完するのは目撃者の印象やイメージがポイントとなる場合がある事を」

 

 真面目な顔して言ってるが、鼻の下が伸びている。怒りを溜める三葉に言葉を重ねる花畑。その花畑を尊敬の目で眺める土谷。そして呆れ顔の陽咲。もし(なぎさ)が知ったなら何を思うのだろう。

 

「ちっ、お花畑め」

 

「僕の名前は花畑です」

 

「……精霊はともかく、冷たい印象を受けるのは分からなくない。表情は乏しく、動きも最小限。狙撃手としては理解出来るが年齢にそぐわないと感じる。まあ直接会ってみないと何ともな」

 

「それで?」

 

「まあ確かに美しいな。あまり見掛けないレベルだよ」

 

 グッと拳を突き上げる花畑。何故か情報官の三人までも嬉しそうだ。

 

「花畑、お遊びは終わりだ」

 

「お遊びとは心外……あ、はい」

 

 全員にペーパーが配られる。僅か数枚程度だが、其処には花畑達が最も知りたい情報が記されれていた。

 

「現在想定出来る能力、そして」

 

 ペーパーには絵、いや最早図面と言っていいレベルの見事なイラスト。

 

 黒と緑の配色。

 

 警備軍は未だ名前すら知らない、しかし間違いなく……渚の愛銃だ。

 

 其処には、"魔工銃カエリースタトス"が描かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「信じられません。何ですかコレは」

 

 暫く無言だった花畑が漸く絞り出した。その声には期待を裏切られ、同時に新しい発見を見た喜悦が混じる。

 

「見たままだ。此れが天使が持つ狙撃銃だよ」

 

 ほぼ念写に近い三葉の描いた其れは、全ての常識を覆す形状をしている。

 

「私が見た銃そのものです。色も」

 

「直接見た陽咲もこう言ってるぞ」

 

 玩具の、出来損ないのスナイパーライフル。或いはゴテゴテと部品が付いたハンドガン。陽咲の表現は的を射ていたのだろう。

 

「俺でもおかしいのが分かりますね。ツッコミどころ満載じゃないですか」

 

 花畑と同じ性癖を疑われる土谷も我慢出来なかったのか、視線を落としながらも声を上げた。

 

「土谷さんの言う通りです。凡ゆる箇所が我等が装備するモノと違い過ぎる。スコープが無いのは何らかの異能が助けていると仮定するとしても……しかし、先ず銃身が短い。コレではライフリングを刻むスペースすらありません。更に全体的に細身だ。あれ程の威力を齎す弾丸を撃ち出す銃としては強度が足りないでしょう。衝撃も吸収出来ず、あの命中率を叩き出すなど不可能な筈」

 

「ああ、他には?」

 

「銃床も無いに等しいじゃないですか。天使が年齢通りのか弱い肉体なら、肩が砕けてライフルを支える事も不可能です。それに意味の分からない模様も。何の意味があるんだか」

 

「ヒーロー物のキャラクターが使う武器、か。確かに玩具メーカーが売り出しそうなデザインですね」

 

 土谷ですら眉間にシワを寄せている。散々な言われ様だ。

 

「しかし花畑。見た目はともかく、あの威力と精度をどう説明する? 約2キロ先から命中させ、カテゴリⅢに該当するレヴリすら撃ち抜く。それに銃声が殆どしないらしいじゃないか」

 

 花畑は頭を振り、肩まで竦めて見せた。三葉の疑問はそのまま花畑達を悩ませる原因そのものだ。

 

「分かりません。サイレンサーを使えば当然に威力も精度も低下しますし。もう魔法としか思えませんね。デザインからも空想上のヒーロー、いやヒロインでいいんじゃないですかね。ただ何よりも不可解なのは……」

 

「続けろ」

 

「どう見てもボルトアクションではありません。ならば弾倉は? 排莢は? 連射も可能な以上、当然備わっていなければいけないものです」

 

 あっと気付いた陽咲は今更に異常性を認識する。

 

「赤いレヴリに何発も撃ち込んでました。反動もある様には見えなかったですし、硝煙も薬莢も」

 

「はい。杠さんの証言を裏付け出来ましたが、寧ろ不明な点が増える一方です」

 

「深追いしたく無かったのも此れが理由だ。どう考えても普通じゃない。入手ルートの先を突けば何が出るやら」

 

 ブリーフィングルームに再び沈黙が舞い降りた。

 

 可愛らしい筈の天使、小さな女の子が何か別の生き物に感じられる。しかし沈黙を破ったのも其れを齎した三葉の言葉だ。

 

「しかもだ、常識を覆すのは銃だけではない。操る彼女、天使は何らかの異能を持つ高度な訓練を受けた戦士だ。軍属で無い以上、本来なら拘束して尋問が必要であるが……」

 

 ビクリと肩を揺らす陽咲も流石に反論は出来なかった。身分不詳の武装した異能者が街を闊歩しているのだから当たり前だ。しかも未成年ならば違法に銃を所持している事になる。

 

 そんな陽咲を見た花畑は、まるで話を逸らす様に会話を促した。それもまた聞きたい情報だったのだ。

 

「三葉司令から見て、天使の異能とはどんなものですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 



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少しでも近くに

 

 

 

 

 

「分からん」

 

 異能を問う声に、あっさりと回答がなされる。

 

 用意されていたペットボトルのお茶に軽く口を付け、三葉(みつば)は短い言葉を返した。花畑(はなばたけ)も驚く事なく冷静な態度を崩さない。

 

「予想で構いません。三葉司令の意見を伺いたいです」

 

 天使(エンジェル)は間違いなく異能者だと考えられる。そうでなければ説明出来ない事が多過ぎるのだ。

 

「誰でも思い付くのは"千里眼(クレヤボヤンス)"だ。強力な奴なら、空間、事象、時間すら飛び越えて対象を見る。天使は距離を埋め、暗視能力も備わっているのは間違いない。だが、()()ことがそのまま力とイコールになる訳じゃないからな。精神感応(テレパス)予知(プレコグニション)もそうだが、見るタイプは総じて戦闘能力が低い」

 

「集中する時間と場所が必要だったり、特定の条件が付帯する事も多いですね」

 

「そうだ。睡眠、水の中、何らかのアイテム、光、音など、とにかく戦闘に不向きな物ばかりだ。ところが天使は当たり前の様に活動して、あの不可解な武器を操る。複数の異能持ちだとしても、現在発現している中には存在しないな」

 

「あの……」

 

「陽咲、どうした?」

 

 多少知ってはいても他のメンバー程の知識がなかった陽咲が珍しく発言した。その為に全員の視線が集中する。落ち着かなくなった陽咲だったが、疑問を解消したくて話を続けた。

 

「異能が最初から強力なんて有り得ないですよね? だったらあの子は何処かで訓練を受けたか、過去の事例に何らかの痕跡があったりするのではないでしょうか? 異能発現のテストを受けた可能性も」

 

「花畑」

 

「はい。(あかなし)さんの視点は正しいです。ただ、過去二十年以上の記録を当たりましたが、残念ながら……因みに同盟国の情報にも存在しません。まあ、そっちは全部にアクセス出来ませんから絶対ではないですね」

 

 当たり前だが、陽咲が思いつく様な考えは既に調べられていた。恥ずかしくなった陽咲は俯いてしまう。

 

「す、すいません」

 

「いえいえ、気にせずにどんどん意見を言って下さいね。今は凡ゆる視点で考える事が重要ですから。ですよね、三葉司令」

 

「ああ。花畑の言う通り気にするな。そもそも陽咲は天使に関して最も重要な起点となっているんだ。間近で直に見て、話したのはお前だけなんだぞ?」

 

 分かりました……そう返して背筋を伸ばす。

 

「まあついこの前まで何にも分かっていなかったんです。そう考えれば随分な進歩ですよ。僕は感謝の気持ちで一杯です」

 

「花畑さん……ありがとうございます」

 

 笑顔を浮かべる花畑を見て、陽咲も肩の力が抜けるのを感じた。

 

「では、今後の方針を伝えるぞ」

 

 第三師団最高責任者、司令官である三葉花奏の声に全員が表情を引き締める。巫山戯た態度の多い花畑すら例外ではない。

 

「天使の情報はこの第三師団内だけで扱うものとする。政府サイドにも伝える必要はない。いいな、花畑」

 

「は!」

 

「今回の作戦では多くの成果があった。確証も取れたし、彼女の情報もかなり集まったからな。だが何よりもマーキングが出来た事が大きい。私が異能行使中に近くに来れば場所は掴める。おまけに行動範囲は想定し易いから近いうちに見つかるだろう」

 

 想定し易い。陽咲の周辺を地球に寄り添う月の様に活動しているのだから当たり前だ。本人もそこまで秘密主義でもない。その考えを視線に乗せて三葉は陽咲を見た。陽咲自身も理解して頷く。

 

「以上の事から、近々天使に接触する。陽咲が偶然を装って話し掛けるのが最善だ。タイミングは私が指示する。花畑は引き続き彼女の身元を洗え。分かったな?」

 

 はっ!

 

 全員が、終始無言だった情報官すら声を張り上げた。

 

 陽咲もまた、彼女に会えると興奮を隠せない。

 

 沢山話をして名前だって直接聞かなければ。きっと容姿の通りの可愛らしい名前に違いない。三葉は言ったのだ。手でも握って身近に感じなさいと。それが念動(サイコキネシス)を強化する近道だと。命を救われたお礼もまともに出来ていないのだから。

 

 絶対にお友達になろう!

 

 何処か緊張感に欠ける誓いを秘めて、あの氷の様な澄んだ美貌に笑顔が浮かぶのを想像する。そして何より……千春お姉ちゃんの事が聞きたい。間違いなく天使は姉を知っているのだから。

 

 つらつらと考える陽咲は、目蓋を閉じて……そして強く決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

 暫く寝泊りをしていた倒壊寸前のマンションを引き払うべく、渚は片付けをしていた。

 

 片付けと言っても、テントを畳みリュックに括り付けただけだ。ランプも既に引っ掛けてあるし、着替えと残り少なくなった金も先程突っ込んだ。以前なら痕跡を完全に消すべく工夫したものだが、此処ではその必要もない。ゴミもそのままだし、着古したシャツや下着すら放り投げたまま。渚にとって、全てがどうでもいい事だった。

 

『マスター。何故その様なものを?』

 

 手提げのスポーツバックを右手に持つと、カエリーが疑問をぶつけてきた。

 

 バックの中にはカエリーが不審に思うのも仕方が無い物質が収まっている。ビニール袋に小分けしたレヴリの一部だ。骨、爪、目玉、舌、耳、そういった部位を切り分けて固く縛った。見る人が見れば顔をしかめ、吐き気すら覚えるだろう。しかし渚は顔色一つ変えずにレヴリを解体したのだ。

 

「気にしないで」

 

『そうはいきません。マスターの乏しい筋力では重量物は邪魔にしかなりません。動きは阻害され、体力も奪われるでしょう。ただでさえ足りない睡眠も仇になります。私の存在理由はマスターの』

 

 ベラベラと頭の中に合成音が流れ出し、渚はウンザリする。寝不足は絶えず頭痛を届けているのに、輪をかけて来るのだ。何度も伝えてくるカエリーの存在理由が聞きたくなくて、仕方なく返事を返すしかない。その為に会話を重ねて来るのかと疑いたくなる。

 

「金にする」

 

『成る程、資金調達は確かに重要です。しかしその様なゴミを誰が買うのですか?』

 

 カエリーからしたら只の動物の死骸で、しかもその一部だ。実際に渚すら価値など気にもしていない。

 

「レヴリを欲する好事家がいるらしい。以前に街で調べた」

 

『その様な情報があるのですね。マスター、やはり"アト粒子接続"の時間を延長して下さい。貴女の思考と視覚をトレースし整理する時間が足りません。補佐を行う意味でも必須と判断します』

 

「考えておく」

 

 渚は絶対にやらないが、面倒くさくて適当に返事をする。カエリーに何時も繋がるなど考えるのも嫌な渚だった。

 

『お願いします。これからの作戦行動は?』

 

 ナイフ形態に変形したカエリーを背中側のベルトに押し込みながら、渚はマンションを後にする。

 

 時間は19時くらいで僅かに赤い空も闇に包まれていった。月明かりも無く、電力など通ってないPL(ポリューションランド)では正に真っ暗な夜となる。しかし渚の異能は暗闇など関係ないし、大っぴらに活動出来ない以上は好都合だ。変形させているから銃の不法所持には問われないが、不審に思われるのは避けたいだろう。

 

「街中に拠点を用意する。後は変わらない」

 

『では引き続き対象者の護衛ですね。性別は女、年齢は二十歳、身長は』

 

「煩い」

 

 所々崩れたり、横倒しになった車を避けながら、遠くに見える街明かりを目指す。死んだ街は独特の雰囲気を持って根源的な恐怖を煽ってくる。しかし渚の歩みに変化は無く、その顔は変わらずの無表情のままだ。

 

 凡ゆる感情が抜け落ちたと思わせて、一瞬人なのかと疑いを持たれるかもしれない。陽咲は雪や氷に例えたが、見方を変えれば虚無と表すだろう。

 

 陽咲達から精霊に例えられた美貌だって本人は誇る事もしない。女性らしくない無頓着さで、髪も肌も汚れた衣服すらどうでもよいのだ。水洗いしかしていない黒髪からは艶が薄れて枝毛も目立つ。ストレートポニーテールはお洒落でなく、邪魔だから括っているだけ。街の女性なら顔を顰める土埃や泥汚れ、錆や付近から臭う腐敗臭も全く意識しない。

 

 睡眠不足は恒常的で、少しキツめの瞳の下から隈が消える事はないだろう。化粧で誤魔化す気などないし、そんな方法も知らないのが渚だ。肌が綺麗な白だから余計に目立つ。

 

 着込んだブラも邪魔な胸部を抑え込むだけに利用しているし、デザインだって気にしてない。大量生産品のティーンズ向けを買い物カゴにバサバサと放り込んで買っただけだ。色は黒っぽい方が汚れが目立たないと適当に選んだ。

 

 ふと、こんな自分を千春が見たら叱るだろうかと思う。何時も気に掛けてくれた彼女なら呆れた後にポカリと頭を叩くかもしれない。仕方がないなと言いながら、それでも嬉しそうに買い物について来るだろう。

 

 千春は何処までも優しくて、誰よりも美しい。

 

 あの長い黒髪は何時も艶やかに風に踊っていた。自身の髪なんてどうでもいいが、千春の髪は大好きだ。

 

 四方に気を配りながらも、渚は記録した千春を()()()()。頭に浮かぶのは過ぎし日の記憶。渚の異能は見たものを忘れさせない。もし消去出来るなら記憶など無くなって構わないが、千春だけは失いたくない。

 

『マスター、アト粒子接続をお願いします。先程から何かを思考しているでしょう? 補助する為には』

 

「煩い」

 

 だから、渚はカエリーと繋がりたくないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




第一章終わりです。感想や評価など頂ければ幸いです。


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第二章
繋がり行く今


 

 

 

 遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)は白く染まった顎髭をサワサワと撫でていた。そして秘書が本漆塗の運び盆に乗せて持ってきた白い物体をマジマジと眺める。更にデジタルカメラを取り出すと撮影の構えを取った。

 

「ふむ、やはり写らんな。本物か」

 

 小さな画面には運び盆もテーブルも写るのに、目的の物体だけは暗い闇に沈んでいる。本漆塗よりも黒、いや暗黒だ。

 

 如何にも和風建築の屋敷の一室で、遠藤は嬉しそうに物体を手に取った。

 

「だ、旦那様! 危険では⁉︎」

 

 慌てた秘書、大恵(おおえ)は思わず大声で叫んだ。撫で付けた灰色の髪は整髪料で抑えてあって揺れる事もない。銀縁眼鏡も合間って学者を思わせる。主人である遠藤と年齢も近いだろう。

 

「大恵、レヴリと言えど生物なのだ。死体から剥ぎ取った牙が危険な訳がなかろう。見ろ、指が腐り落ちたりしているか?」

 

「し、しかし」

 

「第一、此処まで誰かが運んで来た筈だし、狩った者はどうなる? よく考えればわかるだろう」

 

「……それはそうですが。万が一と言うことも」

 

「洗浄済みだ。仮に未知の微生物がいても大丈夫だ」

 

 もう会話は終わりとばかりに遠藤はルーペを取り出して角度を変えながら観察を始めた。指で弾いてみたり、重さを測ったり、暫くは沈黙が支配する。

 

 

 遠藤家本邸は広大な敷地の中にあり、離れも含めれば数十人が寝泊り出来るほどだ。歴史もあった武家屋敷を移築し、純和風を趣味とする遠藤の拘りが随所に散りばめられている。池の側には鹿威しが当然に配置され、錦鯉は優雅に水中を泳いでいる訳だ。

 

 自身も和装を好み、休日は茶を立てる。

 

 しかしながら外車も乗り回すし、女も好き。海も酒も煙草も愛する趣味人だ。

 

 初老の男性にありそうな恰幅は感じない。細身の線は和装が貧相に見えるものだが、遠藤は背筋もピンと張り独特の威容を覚える。眼鏡はしていないので、鋭い眼もはっきりと見る者に伝わるだろう。顎髭は短く刈り揃え、髪と同じく白い。白髪染めなど不要とそのままにしている。身長も高いため、若く見えたり老いて見えたりと不思議な魅力を放っていた。

 

「しかしやはり面妖とはこの事だな。肉眼やルーペでははっきりと白い牙が見えるのに、デジタルカメラには映らない。PLでは凡ゆる光学機器が使えないとはこう言う事か」

 

 ニヤリと笑い、新しい玩具を手に入れたと喜んでいる。

 

「よし、買おう。今までと比べ物にならんくらい状態も良いし、他にもあるんだろう?」

 

「はい。此れが品書きだそうです」

 

 初めて開いた手書きの紙にはつらつらと品目が並んでいる。其の物を写真に撮れないため文字情報だけだ。

 

「全体的に小さな物が多いな。死体そのものがあれば良かったのだが」

 

「確かに……最初の取り引きですから、出し惜しみか交渉待ちか。小癪な奴かもしれませんな」

 

「いや、好ましいぞ。馬鹿は相手にしたく無い。今後も商品は提供出来ると書いている。つまり商売のイロハを多少は知っている人間だ。文字から察するに男、恐らくは警備軍上がりの元軍人だろう。腕にも自信があると見える」

 

 何かが面白かったのか、遠藤が紙を大恵に見せ直した。

 

「取り引き方法は……指定のロッカーに現金を入れる? 商品と引き換え……何ですかこれは? 急に頭が悪くなった様な」

 

「くくく、中々洒落っ気があるだろう? まあ一応は違法な取り引きだ。気に入ったぞ。値切りは要らん、全額そのまま払ってやれ。そうだな、次の連絡を待つと。暫くは遊んでやろう、監視は怠るな。但し手は出すなよ」

 

「よろしいので?」

 

「大した金じゃない、遊びだよ。さて、どんな奴かな」

 

 遠藤は久しぶりに楽しい日々が過ごせそうだとほくそ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 陽咲の住む街に着いた(なぎさ)が最初に向かったのは、如何にもな寂れた歓楽街だ。夜間なら拙いだろうが、日中なら低年齢の者が歩いていても咎められ難い。それでも警察官らしき姿を見れば、姿を隠したりしている。

 

 インターネットカフェ擬きに来ていた。

 

 身分証を忘れたと言えば入店出来る半分以上グレーの店だ。若い店員にじろじろと見られたが結局入室出来た。ついでにプリペイド式のスマホも購入する。

 

 街中は人も多く、出来れば来たくはない。しかし人が生きていくには食糧や生活品がどうしても必要になる。拠点も移す事もあり資金調達を行う事にしたのだ。

 

 だが渚は見た目が中学生、高めにみて高校生の女の子だ。親は勿論だし身元引き受け人も存在しない。当たり前の金稼ぎは難しく、抱える事情により人の近くで行う仕事も困難だった。

 

 それに最も重要な役割、陽咲の守護を行うにはフレキシブルなタイムマネージメントが必須となる。つまりバイト等は不可だ。

 

 そして思い付いたのが物売りだった。

 

 無論当たり前の商品ではない。扱うモノは今まで倒して来たレヴリの身体、その一部だ。どの世界にも物好きが居て、危険生物を欲するニーズがあった。簡単に調べが利き、違法ながらも公然と行われている。

 

 朝からネットカフェで調べていき、幾つかの候補にメールを送っていた。返答期限を今日の夕方にしてあるのは、いつ追い出されるか分かったものではないからだ。

 

 しかし想像に反して返答は素早かった。最もまともそうな大恵と言う男に決め、連絡方法を決めて退店する。やはりじろじろと見られて辟易したものだった。

 

 そうして巨大な狼らしきレヴリの牙を送ったのが三日前で、商談成立の連絡が一昨日だ。正直かなりのスピードと思ったがリスクは殆どない。渚にとってレヴリの身体の破片なぞゴミ同然だから、例え盗まれても労力が無駄になる程度。取り引き方法は敢えて原始的にした。異能を使えば監視も容易で、最悪の事態も避けれるのだから安心と判断したからだ。

 

 

 そして今、渚は指定したロッカーから遠く1キロは離れたビルの屋上にいる。昨日商品を入れ今朝に連絡。今はもう夕方だが取り引き時間は今から二十分後だ。

 

 銃であるカエリーの姿はない。有るのは背中側に貼り付ける様に腰に挿した真っ黒なナイフだけ。質感だけ見ればとても切れそうにない玩具の小剣、そんなところだった。

 

『マスター、不埒を働いた場合は狙撃しないのですか?』

 

 あの機械的な合成音は空間に響かない。聞こえているのは渚だけ。()()()()()()()()()()()念話が可能だった。

 

「しない」

 

『なぜ?』

 

「人を殺す程じゃないから」

 

『なぜ?』

 

「……騒ぎになる」

 

『直線距離で1,115mです。透明弾(クレール)を選択すれば発覚する可能性は限り無く低いと判断します』

 

「カエリー、静かにして」

 

『ではせめて、魔工銃形態にして下さい。周囲からの攻撃に対応が遅れる可能性があります』

 

 渚が知る日本では無くなっていたが、此処は異界汚染地でも無い。街中でいきなり致死的な攻撃を受ける可能性など0に等しい……それをカエリーに説明しても理解しないだろう。そもそもの存在に差異が過ぎるのだ。此処は()()()()とは違う。

 

 渚は全てが面倒くさくなり、小さく呟いた。

 

歪め(ディストー)

 

 腰から引き抜いた黒いナイフに緑の線が入り、ほんの数秒でハンドガンに変化する。光りもせず、一瞬で変形も可能だが、渚はそうしない。

 

『狙撃は?』

 

「しない、そう言った」

 

 再びビルの縁に身を隠した渚はもう口を開かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自らが操る異能を行使する。

 

 1キロ程度の距離など、渚には障害にはならない。ロッカーには動きがないが、何人か気になる者達がいた。街中に溶け込んでいるつもりでも其の眼には彼らの視線の動きや呼吸の速さすら見えるのだ。肌が触れ合う程の距離にいて、観察しているのと何ら変わらない。

 

 それが渚が持つ異能の()()()()だ。

 

 明らかにロッカーを意識している。全部で4人。

 

 多い……渚は警戒を強めた。

 

 高々レヴリの身体の転売だ。ネットを漁れば幾らでも出てくるし、非合法とはいえ一つの市場(しじょう)すら構築されていたのだ。最初の取り引きを警戒しているのかもしれないが、商品は間違いなくロッカーに入れてある。金を取りに行くのは後だから、リスクは圧倒的に渚が高い。

 

 つまり大袈裟に過ぎる、と。

 

 だが、これは渚の大きな勘違いだった。先ず、実際にレヴリの身体が一般に流れて来る事は殆どない。奴等の大半がPLにいて、命の危険と隣り合わせだ。国家警備軍が管理している上に普通の銃は効かない。異能者なら可能だろうが、それこそ違法に手を染めなくとも報酬は高額だ。反してレヴリを欲しがる者は確かに存在するが非常に少数となる。

 

 ネットに氾濫する情報の殆どがフェイクか詐欺紛い。或いはジョークのサイト。

 

 それは世間一般の常識だったが、()()()()()を詳しく知らない渚のミスだった。ましてやいきなり本物のレヴリの牙を送りつけて来るなど、砂漠に落ちた小石を捜す事に等しい。

 

 好事家の遠藤が興味を持つのは当然だった。寧ろ何か裏が有ると勘繰り、それを楽しんでいる程だ。

 

 後退するか判断を悩み始めた時、初老の男が真っ直ぐにロッカーに近づいた。躊躇う事なく指定したロッカーの前に立つと、暗証番号をポチポチと押す。あっさりと開き、中から黒のスポーツバッグを取り出すのが見える。軽く中身を確認すると肩に担いだ。

 

 灰色髪、銀縁眼鏡。事前に聞いていた大恵の特徴に合致する。

 

 そのまま逃走はせずに、黒いアタッシュケースを同じロッカーに入れた。硬貨を数枚落として暗証番号を更新したようだ。この後番号をメールしてくれば取り敢えずは完了となる。

 

 そして間をおかずして渚のスマホが震えた。件のネットカフェで購入したプリペイド式のスマホだ。事が済めば廃棄する。

 

 文章は簡潔で、金と商品は入れ替えた報せと番号。大恵が押した番号をはっきりと見た渚は、それと合っていることも分かった。

 

『どうやらまともな商売となりそうですね。おめでとうございます、マスター』

 

 カエリーが全く感情の篭っていない声を渚に伝えてくる。

 

「勝手に繋がないで」

 

『作戦行動中ならば許可は必要ありません。"アト粒子接続"を行わないとマスターと視覚をリンク出来ないのですから』

 

 渚をマスターと呼びながらも言う事を全く聞かないカエリー。慣れているのか諦めたのか、渚もそれ以上は言わないようだった。

 

 

 

 

 

 

 



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渚とカエリー

 

 

 

 

「この(むすめ)が回収に来たのか?」

 

「はい」

 

 車載カメラと、個人持ちの隠しカメラで撮影した動画を遠藤は見ている。其処には一人の少女が映っていた。

 

 高性能なカメラの為かなり鮮明な画像だ。

 

 相当な美貌が目につく。動画内ではすれ違う何人かの男が目で追うのが分かった。陽気な日中だったが肌の露出は無く、分かるのは顔立ちだけ。着ているのはサイズの合ってないオーバーオールに薄手の上着を重ねているようだ。帽子も深々と被り、視線は見え難い。ブカブカの服は身体の線も隠し、小柄でボーイッシュな美しい女の子……見た人の印象には残るだろう。

 

 ロッカーから黒のアタッシュケースを重そうに引っ張り出して、両手でよいしょと抱える。ビジネスマンが持つ様なケースが似合ってないが、本人は気にもしていない。

 

 そして歩いてきた方向へ戻るようだ。装備している隠しカメラの側を通ってゆっくりと離れて行った。見た目通りの筋力しかないのだろう、偶にふらつくのが可愛らしい。

 

 当然後を追う。あのケースを渡すであろう相手を撮影する為に。

 

 万が一を考えかなりの距離を取っているが、あの足取りなら逃げる事が出来ないのは明らかだ。しかし、予想を裏切り、いや遠藤の期待通りに曲がり角の先から少女の姿は消えた。追跡者も慌てたのか、バタバタと走り出すのが画面から伝わって来る。

 

「此処で見失いました。申し訳ありません」

 

「寧ろこうでなくてはな。商売相手としては頼もしい位だよ。常識で考えれば何らの方法で少女は合流し、ケースごと消えた……軽いバイト気分で引き受けたか、或いは……」

 

 大恵(おおえ)からすればそれ以外考えられないが、遠藤の言葉に含みを感じた。他の可能性を仄めかしているのだ。秘書としても気になった。

 

「旦那様、何か引っかかる事でも?」

 

「いや、今はいい。この少女の身元は判明したか?」

 

 あれだけ鮮明に顔が映っていたのだから遠藤家の伝手なら簡単に割れる筈だ。それが当たり前であり、それだけの力を持っている。

 

「それが……未だに不明のままです。どうやら基本データベースには存在しない様だと」

 

 しかし簡単にはいかなかった。

 

 日本で未成年の身元が割れないなど酷く珍しい。成人で他国からの密航者などなら時間も掛かるが、普通には考えにくい。まあそれでも捜す事は出来るが、少し時間が必要だろう。裏には裏のやり方があるものだ。しかし、こうなると軽いバイトの線は薄くなる。

 

 驚くはずの遠藤だったが、そうならずに顎髭を摩った。何処か嬉しそうだ。

 

「ふむ……次の取り引きの願いは入れたな?」

 

「勿論です。可能ならと前置きをした上で期限も入れました」

 

「ならいい。面白くなってきたな……連絡があったら何をさて置いても報せてくれ」

 

「分かりました」

 

(わし)は商品で遊んでくる。食事は後でよい」

 

「はい」

 

 遠藤は喜びを隠す事なく、自室の奥に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 アタッシュケースに入っていた現金を予め用意していたリュックサックに詰め替える。衣装も交換済みで、帽子を取っていつもの様に後頭部で髪を括った。そして入っていた紙切れを読み返している。

 

 其処には再度の取り引きの要望が書かれており、期限は一ヶ月以内だ。(なぎさ)は無視しようと最初に思ったが、今後の資金調達を考えれば金払いの良い客は大事にすべきと考え直した。

 

 姿はもうバレただろうが気にする程の事ではない。まさかケースを取りに来た少女が取引相手本人だとは思う訳がないし、仮に疑われても個人情報などないのだから……渚はボンヤリとそんな事を思いながら、次の行動を考える。

 

 陽咲(ひさ)は当分の間は訓練の予定であり、渚は比較的に自由と言っていい。ならばもう少しだけ資金を集めておこう……それが渚の決めた事だった。

 

 

 

 最近借りた七階建てのマンションの一室に戻ると、リュックサックを放り投げる。中には大金が入っているが、渚に興味はない。

 

 年齢に見合ったお洒落を楽しむつもりも、何か甘いモノを飲み食いする考えも、街に繰り出して遊ぶ気持ちも全く存在しないのだ。もし金の入ったリュックサックが盗まれたとしても、少しだけ面倒臭いと思うくらいだと分かっていた。

 

 誰かを守る為にはこの身体が動く様に保つ必要がある。服も最低限は必要だろうし、陽咲(ひさ)との物理的な距離を縮める為に拠点を動かしたのだ。

 

 目的を果たす事が出来たら、もう何も残らない。元々どうでもいいし生きて行く事に希望など存在しない。陽咲が独り立ちすればもう動く事も億劫になるだろう。金が余れば陽咲に渡せばいいと思っている。

 

 渚を生かしている原動力は千春だが、もうあの人はいない。

 

 渚は悔いている……そもそも()()()()()()()()のは千春で良かった筈なのだ。そうすればレヴリなど駆逐され、この歪になってしまった世界は簡単に救われる。陽咲が戦う理由すら消えて無くなるのだ。なのに、皮肉にも還って来たのは非力で千春の足元にも及ばない弱兵であった自分。ちまちまと一匹ずつ、遠くから狙撃する位しか出来ない。彼女なら一息つく時間さえ有れば周囲のレヴリを殲滅するだろうに……

 

 既に、ナイフ形態だったカエリーは狙撃銃らしき姿に変わっている。再びPL(ポリューションランド)に戻り、高い建物に入ったのだ。戦う力は千春に遠く及ばないが、偵察だけは異能が助けてくれる。

 

 小さな身体をゆっくりと屋上に運びながら、いつもの様に千春を想う。

 

 その立ち姿。戦場でも色褪せなかった長い黒髪、知的な瞳と凛とした空気。何時も泣いていた渚に寄り添い、その胸に抱かれて眠る。些細な仕草も、笑顔も、戦う時の引き締まった表情も、全てが鮮明に()()()

 

 失った人を、哀しみを薄れさせる記憶の力は間違いなく救いだったが、渚はその事を考えなかった。全ての記憶は思い出に変化していく……なのに渚の異能は思い出に変える事を許さない。いつ迄も()()として残るのだ。だけれど、事実を見ない。見ようともしない。

 

 あの悪夢は眠るか、()()()()()()()()()()()()()見ない振りが出来るから。

 

 現世と常世、覚醒と眠り、渚に区別はついているのだろうか。

 

『マスター、身体能力の低下は明らかです。やはり睡眠不足からの不調と判断します。狩りは中断して休息を』

 

 時にふらつくのがカエリーにも分かっていたが、その頻度が上がったのを見て警告した。

 

「煩い」

 

『私の存在理由は……』

 

 目の隈が目立ち、その美しさに翳りが見える。

 

「カエリー……私は黙れと言った」

 

 静かになったカエリーを片手に、ひび割れた階段を登って行った。金属の扉は半分外れかけて斜めになっており、渚は潜るように屋上へと出た。土などない筈なのに雑草が所々に生えていて、動物達と同様に野生とは逞しいものと感じる事が出来る。

 

 貯水槽だったであろうタンクの梯子を上がって360°を見渡せば、渚なら遙か彼方まで見通す事が可能だ。感情を見せない瞳を崩壊している街へと這わせた。

 

 渚自身で収集した情報によれば、此処は"カテゴリⅤ"と呼ばれる異界汚染地(ポリューションランド)、通称はPL(ピーエル)。比較的弱いレヴリが徘徊する人の手から溢れてしまった土地だ。

 

「いた」

 

 珍しく独り言を呟くと、カエリーに()()を送った。距離は約1,500m、風は()()()()。見た目は狼か犬だが、サイズは離れていても異常だと分かる。直ぐ隣に落ちている有名なコンビニの看板より大きいのだ。牙も巨大で口を閉じる事が出来ないだろうし、何より体色が青いのだから間違いなくレヴリだ。

 

 陽咲を助けた時の様に、狙撃場所を隠蔽する必要も感じない。通常弾で十分だろう。

 

 狙撃手とは思えない気軽さで、カエリーを構える。そして数秒も経たないうちにトリガーを引いた。まるで縁日の空気銃の様に軽く、緊張もない。

 

歪め(ディストー)

 

 カエリーはまるで溶けるように変形を開始する。シュルシュルと狙撃銃の形態は失われていった。

 

 ハンドガンの形状に戻すと、腰にさして移動を開始。命中の有無を確認したとは思えないが、渚は予め垂らしていたロープを伝い下に降りていった。

 

 多少ふらつく足元を無視し、周囲を警戒しながら進む。異能によって先程確認していて安全だとは分かっている。それでも鍛えられた戦士としての経験がそうさせるのだろう。

 

 この身体では歩幅は小さく、想定より時間が掛かってしまう。()()()()()()()()()のだから仕方がないと渚は嘆く事もない。

 

 暫く歩けば、青い体毛と赤い血に濡れた狼擬きが視界に入った。後頭部から僅か下方に弾は抜けて顎は砕けている。レヴリと言えど生物の一種でしかなく、脳を破壊すれば簡単に死ぬ。

 

歪め(ディストー)

 

 再びカエリーに命ずると黒いナイフへと変形した。今から剥ぎ取りをして商品を用意するのだ。顎は砕けたから、牙より爪や体毛などが良いだろう。内臓などは日持ちしないし面倒臭い……そんな事を思いながら巨体に黒いナイフを突き立てる。

 

 其処には、幾らかの部位が欠損した青色の狼だけが残された。

 

 

 

 

 

 



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点と線

 

 

 

 

 見事な屋敷の廊下を案内され、純和風の客間に通されていた。

 

 此処に着く前も池や庭が目に入り、縁側でお茶でも飲みながらのんびりしたいと国家警備軍兵装科特務技術情報官の花畑多九郎(はなばたけたくろう)は思ったものだ。

 

 床の間には季節に因んだ掛け軸と生け花。床柱、違い棚、欄間。さり気無い飾りのある障子と予定調和を外さない。典型的ながらも随所に遊び心があって、畳もい草の香りがして落ち着く。

 

 花畑はやっぱり自分は日本人なんだと確認出来た。だからなのか、今日はソフトモヒカンをやめて流しただけの髪型だ。

 

 きっかり10分待つと、襖がスイと開いて屋敷の主人が姿を見せた。花畑は腰を引き、座礼を行う。座礼には9種類あるらしいが相手は其処まで煩い人間ではない。

 

「遠藤さん、お時間を頂きありがとうございます」

 

 顔を上げ、朗らかに声を出す。遠藤は渋い顔を隠してないが、花畑は全く気にはしていないようだ。そもそも図太くなければ遠藤や三葉とやり合えない。今日も楽しいなぁと花畑は思った。

 

「花畑、貴様よく敷居を跨げたものだな。もう顔を見なくて済むと清々していたのだが」

 

「はっはっは。遠藤さんは冗談がお好きですね。僕は今日を楽しみにしてましたのに」

 

 座敷机を挟んで腰を下ろした遠藤は鋭い視線を突き刺したが、その相手は飄々と返すのだ。

 

「何が冗談なものか。約束したレヴリの情報はどうした? 期限はとっくに過ぎているぞ」

 

「はて? 期限は早ければ、でした。覚書を確認致しましょうか?」

 

「ふん、下らない言い訳はよせ。貴様が用意した覚書に何の意味がある。録音した(げん)を書き起こしても良いのだぞ」

 

「此れは手厳しい。遠藤さんに信用されていないとは……泣きそうです」

 

 態とらしくハンカチを取り出し、目頭に当てる。チラリと遠藤の様子を窺うのが腹立たしい。当然涙など溢れてはいない。

 

 慣れたもの、いや遠藤は慣れたくなどないだろうが溜息一つで済ませた。掴み所のない男だが、同時に技術者として情報官としても優秀なのは間違いない。遠藤は基本的に人間が好きで、特に愛するのは特出した能力を持つ者達だ。レヴリに拘るのも、逆説的に異能者を知る近道と知っているからだった。

 

「先ずはお礼を。先日も大変な予算を付けて頂きました。表立って感謝を表せないのが本当に残念です。大臣からも必ずお伝えする様にと」

 

「ふん、儂に礼など要らん。貴様は国を守る為に身命を尽くせ。金など泡沫(うたかた)の夢と同じ、其れに善悪など無いのだからな。要は使い途よ」

 

「はい、常々仰っているのは良く存じています。しかし礼を尽くすのもまた人の慣いでしょう。僕は遠藤さんに心から感謝していますから」

 

 花畑の本心なのだろう。先程までの巫山戯た印象は消え、真摯な態度が伝わる。漸く遠藤も聞く態勢になり、お茶を一口。

 

「で? 今日は何だ?」

 

「はい。お金の無心です。特務に、或いは僕個人でも構いません」

 

「……」

 

 台無しだった。

 

 約二分もの間、沈黙が客間を支配する。動かない遠藤、ニコニコ顔の花畑。その花畑の後ろに"お花畑"が見える。三葉が言った様に、蝶でなく蝿が大量に飛んでいた。

 

「つまり……半年前の約束も未だ果たされず、つい最近渡した金の礼を一言で済ませ、次に出るのが更なる金の無心。そういう事か?」

 

「更なるは語弊がありますね。今回は国ではなくほぼ個人宛ですので」

 

 完全な詭弁を遠藤に臆せず語れるのは、日本広しと言えども花畑だけではないだろうか。此処に三葉がいれば、右ストレートを股間に見舞うのは間違いない。

 

 だが、相手も只者では無かった。普通なら腹を立てて追い出し塩を撒くところだが、遠藤は逆に冷静になった。人柄はともかく花畑の()()()()は認めるところなのだ。

 

「ならば儂を説得してみせろ。面白くなければ冗談が吐けない様にしてやる」

 

「恐ろしいですね。それでは僕が余りに不利なので……面白かったら色をつけて下さい。来週のドームの試合が見たいです、最前列で」

 

 三葉が居たら蹴り飛ばしていただろう。

 

 再び、沈黙が支配した。

 

 

 

 

 

 

 

 鹿威しのカポンという軽やかな音が届き、花畑は動き出した。

 

 鞄からタブレットを取り出し、外の門をくぐる時にされた封を切って電源を入れた。通常身体検査と同時にスマホやカメラ、タブレット等は没収されるが、特例で持ち込みが許可される。その際は一度剥がすと二度と貼れない特殊なシールでカメラと電源ボタンを封印されるのだ。

 

「時間は取らせません。半年もの間お邪魔出来なかった理由も説明致します」

 

 アクセスコードを打ち込み、更に五本分の指紋と両眼の虹彩認証で起動する。

 

 予め用意していた動画を立ち上げた花畑は、画面を遠藤にも見えるようにした。

 

「……此れがなんだ?」

 

 つまらん動画だと遠藤は断じた。確かに全く面白くない上に、酷く荒い映像だ。僅か数秒をリピートしていて、動きも殆どないのだ。面白い訳がない。

 

 日付は花畑の言った通り、半年前を示している。

 

「では、ご説明致します」

 

 花畑は勝利を確信した様に笑う。

 

 其処には……コードネーム"天使(エンジェル)"が狙撃の姿勢を保つ映像。

 

 唯一陽咲(ひさ)だけが出会った、(なぎさ)の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「眉唾だが、貴様がこの手の話で嘘は吐かないか」

 

「無論です。説明した通り、彼女の力は何としても手に入れたい。正に革命を齎すでしょう、日本だけでなく世界が待ち望んだ新たな異能かもしれないのです」

 

「しかし、何故隠れている? 異能は昔と違い闇に埋もれた力などでは無い。差別も迫害も受けず、寧ろ英雄扱いだろう。最近の若いのはタレントよりも異能者に憧れている者も多いと聞く」

 

「不明です。証言は一つだけありますが……」

 

「なんだ?」

 

「抽象的……いえ、感傷的と言いましょうか……」

 

 花畑自身も未だに雲を掴むような、霞の中を彷徨うような、輪郭が朧げなのだ。

 

「言ってみろ」

 

「唯一会話した者がおりまして、名を(あかなし)陽咲(ひさ)。念動の異能者です」

 

「今年にデビューした期待の星か。念動、しかも相当な才能を秘めていると聞く」

 

「はい。彼女は天使をこう説明しました。氷、雪、そして拒絶です」

 

「如何にも若い。普通なら一顧だにしないが、何かあるのだろう?」

 

「三葉司令です。杠陽咲の叔母にあたりますが、こと任務に関しては厳格。何より……」

 

W(ダブル)……予知(ブレコグニション)を内包した千里眼(クレヤボヤンス)、か」

 

「その通りです。あくまで異能は千里眼で、効果条件が限定的過ぎて役立たずと本人は言ってますけど……三葉司令は異能を無いものと見ても警備軍トップクラスの優秀な方です。その彼女が最初から天使に拘りを持たれた。見逃していた杠陽咲の件で、僕を呼んでくれたのも三葉司令です」

 

「拘るには十分な理由か」

 

「僕が半年前に追う事を決めたのも、三葉司令が"面白いわね"と一言溢したからですから」

 

 此処で漸く花畑は茶を飲む。美味いなぁと呟き、続きを話し始めた。

 

「残念ながら"天使(エンジェル)"を追っているのは特務の中でも少数派でして……割けるリソースが足りません。今日伺ったのは、お願いしたい事が二点あるからです。一点目は先にお伝えしましたね」

 

「厚かましい奴だ。金以外にも願いだと? 一度貴様の胸を掻っ捌いて心臓を見てみたいな。きっと毛が生えているどころか、覆われているだろうよ」

 

「ははは……照れますね」

 

 褒め言葉じゃ無いはずだが、花畑は嬉しそうだ。メンタリティが常人とは違う。変わり者と言っても良い。

 

「……もう一つは?」

 

「遠藤さんなら簡単なことです。天使の身元を洗って頂きたい。この件で警察を使う訳にもいきませんし、彼女とどうしてもコンタクトを取りたいのです。一流の狙撃手である事にも大変興味はありますが、僕にとっては何よりも銃。レヴリをロングレンジから殺し切る威力ですから」

 

「儂に依頼すると言う事は住民データに存在しないのだな? 聞いた年齢からは如何にも不自然な事だ。金の稼ぎ方も制限され……」

 

まるで何かを思い出す様な、そんな表情だ。

 

「……どうされました?」

 

「いや……気にするな。だが、流石にあの動画だけでは無理だろうな」

 

「似顔絵があります」

 

 タブレットを操作しようとする花畑を制し、秘書であり片腕でもある大恵(おおえ)を呼ぶ。何事も二度手間を嫌う遠藤の行動だった。

 

 そして、まるで待機していたかの様に大恵は間をおかず現れた。

 

「お呼びですか?」

 

「大恵、花畑から似顔絵と動画を受け取れ。他のデータも全てだ。身元調査だが、中々骨が折れる仕事だろう。情報屋も使ってよい。恐らく身分詐称だろうが、相手も只者じゃない筈だ。腕の良い奴を選別しろ」

 

「はい」

 

「因みに、此方がその対象者です。どうです? 綺麗な女の子でしょう?」

 

 画像を出し、クルリとタブレットを向ける。花畑は何故か自慢気だ。遠藤達は向けられた画面を一目見て、互いに視線を合わせた。

 

「ん?」

 

 花畑は怪訝な顔をした。二人の反応が予想と違ったからだ。

 

「花畑。この似顔絵は実物に近いのだな?」

 

「勿論です。杠陽咲からの聞き取りで作成しましたから。本人も太鼓判を押してましたよ」

 

「大恵」

 

「旦那様」

 

 遠藤はニヤリと笑い、大恵は深く頷いた。

 

「あの……そんなに綺麗でしたか?」

 

 女好きの遠藤を知る花畑は思わず聞いてしまう。些か年齢が低過ぎるのではないか、そう思って。

 

 勿論、遠藤達は幼さを残す美貌に喜んだのではない。つい最近面白い取引があり、用意した金を持ち帰った少女が似顔絵となって画面上に居るからだ。その少女はプロの追跡を見事に振り切り、姿を消した。

 

 狙撃手のミステリアスな点は結ばれていき、細いながらも線へと変わっていく。

 

「本当に、面白くなってきたな……」

 

 遠藤に、心からの笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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月夜

 

 

 

 

 

 

 新人の(あかなし)陽咲(ひさ)が今、最も多く行う仕事は街中に溢れてきたレヴリの駆除だ。

 

 大抵は警備軍の監視によって予め警戒されていて、手前で駆除される。しかし当然に全てではなく、毎年何人もの犠牲者が出るのだ。子供なども時には狙われて痛ましいニュースとなっている。陽咲は通報されたレヴリを退治するべく、昼夜を問わずに対応するのが今の主要な仕事と言っていい。同時に訓練の意味も含まれるが、それは公然の秘密になっている。遺族にとっては気持ちの良いものではないだろう。

 

『先に駆除してしまえば良いのでは?』

 

 カエリースタトスの何時もの合成音が声となって(なぎさ)に届いた。

 

 陽咲を警護するべく最近街に到着した。異界汚染地に侵入する場合なら情報は仕入れ易いが、突発的なレヴリの発見は中々に難しい。そのため常に気を張り、対象者から目を離さない様にすると決めている。

 

 渚が最も苦労しているのが情報の収集なのだ。何か良い手段があればと悩むが、アイデアは浮かばない。映画みたく情報屋でもいれば良いと、半分本気で考えたりしている。当たり前だが国家や軍の情報などその辺に転がってはいない。

 

 手に入れた資金を元に異界汚染地、通称PL(ポリューションランド)に程近いマンションを借りた。PLに近い為に借り主は少ない。その為に不動産屋もブローカー染みていて、渚の様な素性の知れない人間にも部屋を提供するのだろう。金さえ有れば文句は無い、そんな連中だった。考えるまでも無く、不法な商売だ。

 

 渚の知る日本では無くなった一つの例だろう。PLや治安の悪化、そして武器の所持など。自衛隊も明確な軍に形を変えているし、レヴリはその最たるものだ。後から分かったが、ある年齢に達したら銃すら所持可能だった。

 

 そして此処も御多分に漏れず治安は悪く、そして汚い。あちこちにゴミが散乱し、開いている店などごく僅かだ。だが渚は一切気にしないし、寧ろ人が少なくて都合の良い場所と思っている。

 

 何より背の高い建物が多いエリアは渚の探していた条件に合っていたのだ。今いる屋上からも街を見渡す事が出来た。

 

「駄目」

 

『なぜ?』

 

「陽咲自身も強くなりたいと願っているから」

 

『よく分かりません』

 

「なら気にしないで」

 

『マスターの目的は彼女の護衛です。危険を取り除くのが最適と判断します。この世界の敵性対象は何故か魔弾を弾く障壁が張られていません。簡単に』

 

「煩い」

 

 カエリーを抱き抱え、壁面に身体を預けた渚が遮った。

 

 渚は説明も面倒とカエリーを黙らせる。人の心を理解出来ない()()()()に何を言っても無駄だと渚は分かっていた。陽咲を守るのは、ただ身体が無事なら良いと言う訳ではない。彼女自身が強くなりたいなら、それを助ける事も重要だと思うのが渚だ。千春ならそうするだろうからと行動を決めている。

 

 何より、永遠に側に居る訳ではないのだから。

 

「帰った」

 

 小柄な女性と食事を終え、陽咲は自宅に到着した様だ。オートロックを解除して姿が消える。ここ最近は訓練が多く、殆ど出動はしていない。行動範囲も限られていて渚には都合が良かった。流石に四六時中監視など出来ないし、死角や行動に制限もあるのだ。だからこそ陽咲自身にも強くなって欲しかった。

 

 自分なぞ不用品になるのが最も良い事なのだと渚は思っているし、それを疑いもしない。

 

『ではマスターも休息を。睡眠量が足りません』

 

「分かってる」

 

 錆び付きギシギシと鳴く非常階段を降りて階下へと向かう。夜景は中々のものだが渚は見向きもしなかった。

 

 渚は部屋には戻らず、そのまま薄暗い路地に降りた。

 

『マスター。此処は違います』

 

「買い物」

 

 外灯も割れていて機能していない。漏れ出る建物からの僅かな光だけが頼りで、足元は全く見えないと言っていい。夜目が効くとかのレベルを超えて、視界は黒く塗り潰されているだろう。

 

 しかし渚は躊躇なく歩いていき、汚い水溜りも見事に避けている。そして立ち止まった。

 

歪め(ディストー)

 

 カエリースタトスはハンドガンへと変形し、緑色した光がほんの少しだけ路地を照らす。

 

「何度も言わせないで。次は撃つ」

 

 真っ暗な狭い路地の向こうに冷たい声を響かせた。暫くは無音だったが動かない渚に痺れを切らしたのか、二人の男が姿を見せる。薄汚れた服装で、髭も剃っていない。近づけば鼻の曲がる匂いがするだろう。

 

「嬢ちゃん、待ってくれよ! もう悪さはしないって!」

 

 一際大きな男が声を上げた。彼らが頭に付けたライトを灯し、漸く路地が明るくなった。

 

「近づくな」

 

 距離は約10m。それ以上なら二人同時に殺せないかもしれない。接近戦では素人同然と自覚する渚にとって当たり前の警告だった。筋力も見た目通りで、近接戦闘の才など無いと分かってもいる。

 

 一昨日の夜、御約束の様にちょっかいを掛けた男達だが、持っていた酒瓶を一瞬で砕かれたのだ。灯りに照らされた姿こそ可愛らしい少女だが、無表情に銃を向けられては震えてしまう。

 

「本当におっかねぇ嬢ちゃんだ。頼むから銃を下ろしてくれよ」

 

 下手に出る彼らは女の子が銃を収めてくれると思って待つが、渚は全く動かない。銃口は変わらず真っ直ぐに前を向き、ブレる様子もなかった。その手慣れた姿勢は危険な匂いを嫌でも感じさせた。

 

「な、なあ」

 

「用が無いなら消えて。5秒だけ待つ」

 

 冷たい、余りに冷めた声音に本気だと男達は知る。

 

「ま、待て!」

 

「5」

 

「違うんだって!」

 

「4」

 

「情報だ! な?」

 

「3」

 

「分かった! 言うよ!言うから!」

 

「次は2からスタートする」

 

「ひっ……」

 

 そして、やはり銃は下さなかった。

 

「お前達はずっと誰かを探していた。見ていたから分かる。探していたのは私?」

 

「そ、そうだ」

 

 何故分かるんだ、何処から見ていたんだと男達は震えた。目の前に居るのは少女の皮を被った何かだと今更に気付いた。

 

「何故?」

 

「これだ。見てくれたら……」

 

「近づくなと言った。此方に向けてくれたらいい」

 

「だが」

 

 距離は約10mで、ほぼ灯りのない路地だ。男達が頭に付けたライトも助けにはならないだろう。A4の用紙に描かれたのは似顔絵だが、見える筈がない。そう思ってのも仕方が無かった。

 

「……それは?」

 

 しかし、渚は一目で其れが自分だと分かる。はっきりと見えるのだ。

 

「仲間内に出回ってる。見付けたら金が貰えるらしい」

 

 渚は答えない。

 

「出所は遠藤家(えんどうけ)だそうだ。隠す必要も無いと聞いてるよ」

 

「遠藤家」

 

「有名だから嬢ちゃんも知っているだろう。日本で一二を争う資産家で、この街に居を構えているからな」

 

 渚は全く知らなかったが、勝手に説明されて質問する必要も無くなった。

 

「連れて行けば大金になると思ってたが止めておくよ。な、情報を出したんだから銃を仕舞ってくれ」

 

 開き直ったのか誘拐に近い本音を暴露する。そもそも何の交渉にもなっていない。

 

「場所は?」

 

「遠藤家か? なあ、銃を……」

 

「2」

 

「分かった‼︎」

 

 流石に住所は分からないようだったが、敷地も広く有名な屋敷の為に説明は簡単だった。直ぐに見つかるだろうと渚は判断し、消える様に促す。

 

「もう二度と姿を見せないで。カウントダウンはしない。それと、腰に隠したナイフの手入れが甘い」

 

 間違い無く見ている、そんな警告を含ませて。

 

「や、約束する!」

 

「消えて」

 

「ひっ」

 

 転びそうになりながら、二人はドタドタと走り去って行く。暫く動かない渚だったが、カエリーを背中に収め、そして何も無かったかの様に歩き出した。まだ買い物をしていない。彼らへの尋問はおまけでしかないのだろう。

 

 そうして、暗い路地を抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

「そろそろ伝わったか?」

 

「どうでしょう。幾つか情報は寄せられましたが、眉唾ばかりです。しかし何故似顔絵を?」

 

「アレは花畑から齎されたものだ。儂達は協力者に過ぎない。態々撮影した画像を出す必要もあるまいよ。何も敵対したい訳ではないしな」

 

「中には強硬手段に出る者も現れます。どうなされるおつもりで?」

 

「その程度なら其れ迄。それに、花畑の情報通りならレヴリすら苦にしない凄腕だ」

 

「悪い癖ですな、旦那様」

 

「そうか?」

 

「本物なら牙を剥きますぞ? 既に見張られているやも。御遊びも程々にして下さい」

 

「くくく、堪らんよ……警戒網は敷いたか?」

 

「勿論でごさいます。御指示通り1キロ以内の高い建物にはカメラを設置済みです。同時に取引も続けますが、よろしいですか?」

 

「うむ、硬軟織り混ぜていこう。相手が一つだと知ったら天使は驚くだろうからな。反応が楽しみだ」

 

「怒りを溜めるのでは?」

 

「感情を露わにする者は御し易い。それが怒りだろうと歓喜だろうと、な」

 

「なるほど」

 

 遠藤は笑みを浮かべ、縁側に出る。

 

 日本有数の庭師に造らせた其処は、池や石灯籠が見事に配置されている。時には鯉が跳ねる水音が届き、此処が街中であると忘れさせるのだ。

 

「夕餉はどうなさいますか?」

 

「今日は軽くで良い。此処に持って来てくれ」

 

「はい。暫しお待ちを」

 

 立ち去る大恵(おおえ)を視界から外すと、遠藤は月を見上げた。

 

 縁側に風が通り、庭木がサワサワと葉擦れの音を奏でる。月と風、水音。風流をこよなく愛する遠藤は動かずに夜に身を任せた。

 

「天使か。早く会ってみたいものだ」

 

 年甲斐もなく興奮しているのを自覚して呟いた。花畑の話によれば、天使は凄腕の狙撃手。ならば遙か彼方から観察していても不思議ではないのだ。この呟きも拾ってくれたら良いと本気で思って、態と遠くに向けて口を開いたりしている。

 

「旦那様」

 

 台付きのお盆に茶と貝汁、漬け物と少なめの麦飯。質素だが、それぞれが最高の品質を持つのは当たり前だ。大恵は盆をそのまま縁側に下ろすと、立ち去らずに佇んだ。

 

「どうした?」

 

「どうやら当たりです」

 

「ほう……」

 

「今連絡がありました。目撃情報に()が含まれています。間違いないかと」

 

「似顔絵だけだったな。流した情報は」

 

「はい」

 

「この家の場所も聞かれたと」

 

「大恵」

 

「取引はそろそろですな」

 

「ならば手紙でも入れておけ。最近身辺を探られていませんかと。情報を売ると書いておけば反応があるだろう。ついでに歩いて帰って来い」

 

「旦那様、尾行されて私に死ねと?」

 

「下らない冗談を言うな。殺されないし死にもしない。此処に案内するつもりでゆっくりと歩けよ。天使は小さな女の子だからな」

 

「そして類稀なる狙撃手です」

 

「なんだ、本気で怖いのか?」

 

「当たり前です」

 

「それは面白い。伝わる様に目一杯恐怖していろ」

 

「そんなご無体な」

 

 大恵は笑いながら時代劇の様に答える。遠藤は変わり者だが、その片腕である大恵も当然に同類だった。

 

「明日は晴れるな」

 

 雲一つない星空を眺め、天使も月を見ているかと遠藤も笑った。

 

 

 

 



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絡む糸

 

 

 

 

 

 

 

 まだ二度目とは言え油断は出来ない。

 

 全く同じロッカーに全く同じスポーツバッグ。中身こそ微妙に違うが以前と態とらしく合わせた。こういったのは馬鹿らしい位が丁度良いと(なぎさ)は思っていた。阿呆だと思われた方がやり易いのだ。

 

 違うのは見張る場所だ。

 

 前より近づいて、しかし見付からないであろう距離。約500m離れた商業施設の中にあるお店でコーヒーを頼んだ。無駄にデカい窓が目の前にあり、真っ直ぐ先にあのロッカーが見えるのだ。他の客に紛れて景色を眺めている風に溶け込んでいる。

 

 手元にはスマホがあり、如何にも感じだろう。服装はやはりオーバーオールだが、中に着込んだシャツの色は変えている。出来るだけ目立たない様にお店の店員の勧めるままに買った服だ。注文は動き易い様にと伝えて、後はお任せした。

 

 最初は何やら色々と勧められて困惑したが、余りに無愛想な渚に諦めたのだろう。最後あたりはほぼ無言だった。

 

 以前のプリペイドスマホは処分済みで、此れは新たに手に入れた。相手には既に伝えている。

 

 カエリースタトスはナイフ形態にして、背中に仕込んである。触れていれば念話は可能だし、そもそも戦う気などない。

 

 ーーなんだ?

 

 大恵と名を送って来た初老の男だが、妙にキョロキョロとしている。以前にいた見張りらしき奴等も周囲には見えない。前回の取引が無事に済んだから油断している? いや、それは無いか……視線はどちらかと言えば遠くや高い場所を……

 

 気付かれた? しかし辿り着ける情報など渡していない。

 

『マスター』

 

 ーー勝手に繋がないでって言った。

 

『挙動が不自然です。狙撃しますか?』

 

 ーーする訳ない。

 

『手紙らしき物を入れました。明らかに此方を意識しています。挑発行動とも取れるでしょう」

 

 ーー煩い。

 

 冷めたコーヒーを喉に通し、暫く様子を見る。確かに今更手紙を入れるなどおかしな話だ。最初から入れてあるべきだし、事実最初はそうだった。だが理由が分からない。只のレヴリの身体の一部を売っているだけで、渚には心当たりがないのだ。

 

『取引を中止しましょう。マスターの正体が露見した僅かな可能性も考慮すべきです』

 

 その時、テーブルに置いてあるスマホがブルルと震えた。間違いなく大恵だろう。操作し、メッセージを確認する。

 

『先日の似顔絵。最近身辺を探られていないか、ですか。詳しくは手紙を見る様に。マスター、やはり此処を離れて狙撃して下さい。罠です』

 

 ーー煩い。

 

『では、どうしますか?』

 

 ーー取りに行く。欲しいものがある。

 

『何を?』

 

 ーー情報。

 

『マスター、十分にご注意を』

 

 ーー慣れてる。カエリーは知ってるでしょう。

 

『勿論です。しかし同時にマスターに弱点は多いのです。()()()()()()()では下から数えた方が早い、そんな弱兵である事を忘れてはいけません』

 

 ーー分かってる。

 

 私は千春とは違う……念話を切り内心で呟くと、渚は伝票を持って立ち上がった。あの男を尾行する必要があるからだ。話をするにしても、先ずは相手をよく知る必要があった。それからでも遅くは無い。

 

「観察、調査は私の唯一の取り柄。逃しはしない」

 

 異能を駆使し、渚は早足で歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

「花畑、もう一度言いなさい」

 

「何度でも。一気に話が流れ始めました。遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)天使(エンジェル)を知っている様です。今は監視を付けてますよ」

 

「根拠は?」

 

「僕の勘……冗談です、怖い顔しないで下さい」

 

 ギロリと睨む三葉(みつば)陽咲(ひさ)と会っていた人間とは別人の様だ。今花畑の前に居るのは間違いなく第三師団の司令、三葉(みつば)花奏(かなで)だった。

 

「下らない話なら帰れ。忙しいんだ」

 

「似顔絵を見せました。身元を確認したくて。基本データには居ない女の子ですからね。蛇の道は蛇、遠藤さんなら時間も掛からないでしょう」

 

「ふん。遠藤氏は国士だが善人ではないぞ。対応は慎重にしろ」

 

「分かっているつもりです。それで根拠ですが」

 

 つらつらと花畑はあの日の事を伝える。脚色の無い話だが、三葉なら当然に理解するだろう。

 

「……お花畑の前で其処まで思わせ振りな態度は確かに不自然だな。あの方なら幾らでも隠しようがある。ならば花畑に、いや警備軍に知っていると報せる意味があるか」

 

「そう思います。監視も気付かれている可能性がありますが、泳がせているのでしょう。あの人は遊びが好きですから」

 

「久々の玩具が手に入って楽しんでいるな。困ったものだ」

 

 あ、お土産です。そう言いながら花畑は包装紙に包まれた小箱を三葉に差し出す。コーヒーに合う色々なフレーバーの角砂糖らしい。おかしな事に、商品名や店の名前が印刷されていない。

 

「何処の店だ?」

 

「さあ? 遠藤邸で目についたので貰って来ました」

 

 暫く無言の時が流れていく。大臣級も時には席を共にする遠藤の家から貰って来たと花畑は言っているのだ。グニグニと眉間を抑え、三葉は思考を放棄する。

 

「情報を貰わなかったのか?」

 

「ご存知の筈。あの方には対価が必要です。司令がマーキングした事や、杠さんの情報を求められるでしょう。寧ろそれくらいの話でないと、まともな交換にもなりません。伝えても構いませんか?」

 

「いや、まだ駄目だな。思わせ振りな態度はその為だ。此方から寄って来るのを待っているんだろう。監視は付けているんだな?」

 

「はい。変わり者ですねぇ、遠藤さんって」

 

 お前が言うなと視線に乗せたが、花畑はしみじみと呟くだけだった。

 

「しかし、何処で知ったんだ?」

 

「それは残念ながらサッパリ。大恵さんと二人でムフフと笑い合ってましたよ。全く……いい歳したオヤジ二人が少女に懸想するなんて、世も末です」

 

 ハァと溜息すらついた花畑に視線を……

 

「お前が言うな!」

 

 流石に視線だけでは足りないと三葉が声を荒げた。

 

 心底意外だと吃驚顔の花畑を殴りたくなったが、ふと気付く。

 

「大恵?」

 

「僕を一緒にしないで……あ、はい。大恵さんもです」

 

「ふむ」

 

 遠藤がする様に三葉も顎を摩る。大人の真似をする子供みたいだ。

 

「どうしました?」

 

「監視は何処に?」

 

「勿論屋敷と遠藤さんにですが」

 

「大恵氏の最近の行動を探れ。直ぐにだ」

 

「監視でなく、ですか?」

 

「屋敷につけてるなら構わん。期間は、そうだな……一カ月程度前からでいい」

 

「分かりました」

 

 疑問など差し込まず、花畑は瞬時に肯定する。三葉の判断は全てより優先させるべきと知っているからだ。だが、三葉から答えが齎された。

 

「恐らく対価を用意しなくても良くなる。其の時は私も同席するからな。急げ」

 

「はい」

 

 

 

 花畑が司令官室から出たあと、土産の包装紙をビリビリと破く三葉の姿があった。最初は丁寧に取り除いていたが、上手く出来なくて諦めたのが分かる。プレゼントを貰った子供そのものだ。

 

 閉めたフリをして眺めていた花畑はニンマリと笑った。

 

 花畑は三葉を尊敬しているし信頼も固い。しかし何よりも偶に見せるギャップと可愛らしさが堪らないのだ。今日も良い物が見れたと楽しそうに歩き去るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「旦那様、監視が増えましたが?」

 

「ん? ああ、恐らく花畑……いや三葉司令だろう」

 

「三葉司令とは。あの方を敵に回したくないのですが」

 

「最初から味方などでは無いぞ。あの女傑ならば驚く事でもないだろう」

 

千里眼(クレヤボヤンス)を行使されたら秘密も何もありませんぞ?」

 

「それは大丈夫だ。アレには条件があるからな。それに、そんなリスクを許容などしないし儂を怒らせる気もないだろう」

 

「旦那様……」

 

 不安そうに顔を歪める大恵に、楽しむ遠藤。

 

「どうした?」

 

「天使に追われ、三葉司令にも目を付けられたら寿命が縮みます」

 

「おお、そうだったな。どうだ? 天使は尾行して来たか?」

 

「それが全く分からないのが恐ろしいのです。間違いなく居る筈でしょうに……」

 

「だろうな。警備軍の連中にも気取られない凄腕だ」

 

「しかし、三葉司令の子飼いには天使が見つかるやも」

 

 その懸念を見た遠藤に、これ以上ない笑顔が浮かんだ。

 

 それを見た大恵はウンザリして、やはり……笑った。

 

 

 

 

 

 



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疑念

 

 

 

 

 

 コインロッカーにあるだろう金は後回しにして、(なぎさ)はゆっくりと歩く大恵(おおえ)を尾行している。尾行と言っても、200m以上の距離を保っているからまず気づかないだろう。曲がり角は注意が必要だが、再度探し出すのも困難ではない。

 

 ロッカーから離れるにつれ、人通りは減っていく。

 

 向かう先は住宅地、いや高級住宅地だ。しかし渚は詳しくないために郊外に向かっていると思っていた。

 

 街中では何人もの男達が渚を目で追ってくる。その視線一つ一つを瞬時に確認するが、全てに敵意は見えなかった。しかし疲れるのは間違いない。

 

 渚は自分を目で追う理由を理解している。化粧もせず、着飾りもしない渚だが、逆に目立ってしまうのだろう。心からどうでもいいし寧ろ呪うべき事実だが、確かに美しい相貌なのだ。そんな女を目で追うのは、ある意味本能なのかもしれない。

 

 それを理解していても全く嬉しくない。僅かだが近づいて来る気配を感じた時は距離を取る。人熱(ひといきれ)は恐怖ですらあった。

 

 人通りが減るのは尾行に悪影響を及ぼすが、渚には助かる事だ。

 

『マスター、アト粒子接続を。周囲に人間が多すぎます。監視の目を増やしましょう。奇襲を受けたら逃げ切れません』

 

 ナンパ目的か、或いは興味半分の男達を奇襲と捉えるカエリーだった。カエリーにとっては渚と敵、その二種類しか無いのだろう。"アト粒子接続"を行えば、カエリーは擬似的視覚能力を渚から受け取り、その思考すらトレースする。監視の目が倍になるのは確かだが、他人に内面を見られて喜ぶ者は少ないだろう。例えカエリーが人でなくても、だ。

 

 ーー気にしないで。

 

 雑踏を抜けるカエリーと渚は念話で言葉を交わす。

 

『せめてハンドガン形態にして下さい。ナイフなどマスターでは意味が』

 

 ーー煩い。

 

『近接戦闘はマスターでは想定出来ません。訓練していない(たみ)にすら勝てないでしょう。出来るなら人間の多い場所を避けて行動を」

 

 ーー人は減ってる。

 

『では、せめてアト粒子接続を』

 

 ーーカエリー、黙って。

 

 大恵は曲がり角を右に折れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大恵が緩やかな坂を登って行く。

 

 最早尾行の意味もないだろう。その坂の先にはたった一軒しか建物はない。渚は距離を取って高いビルを探す。あの辺りは住宅地なのか、数える程しか該当しない。

 

 嫌な感じを覚える渚だったが、もう遅いかもしれない。そう思い、このまま行動する事にする。

 

 念の為3キロは離れた商業ビルを選択。忍び込んで非常階段を利用した。不法侵入そのものだが、一階に守衛所が見えたからだ。そうして屋上に出て見渡せば、全体像が視界に入った。

 

 アレは建物と言っても、まるで時代劇にでも出て来そうな巨大な屋敷だ。敷地も笑える程に広く、母屋以外に何棟も目に映る。おまけに池や林の様な木々すらあった。母屋は平屋だが、武家屋敷の様なモノだろうか……渚は半分呆れて、同時に警戒を強めた。

 

「遠藤……」

 

 木製の表札に彫り込まれた名を読む。面倒臭いがアト粒子接続も行った。個人的感情など戦闘が近づけば無意味な存在でしかない。

 

『……接続確認。あの不審者が証言した者に間違いありません。聞いた特徴も一致します』

 

「分かってる」

 

『もう疑う余地はないでしょう。挑発と恣意的な行動も、此方を揺さ振る手紙も、マスターを誘い込む作戦です。相手は巨大で組織的な敵対勢力と判断し、戦闘行為は中止。至急の撤退を推奨します』

 

 庭師らしき者、雑事を行う男達、女性もチラホラと見える。渚の異能は敷地だけでなく、廊下や窓から見える連中も捉えていた。ぱっと見はお手伝いか家政婦などだが、それだけとは思えない奴等もいる。簡単に言えば荒事に慣れた空気を感じるのだ。監視カメラも大量で、神社かと思える門では入門手続きすらある様だった。

 

「日本で一二を争う資産家か」

 

 あの浮浪者らしき男が言った事だ。

 

 身元を探られてないかと思わせ振りなメールを送り、当の本人が似顔絵を配り渚を探す。完全なダブルスタンダードだが、能力を知らないならバレないと楽観していた可能性もある。そもそも取引を持ち掛けたのは渚の側だし、未だに此処まで拘る理由が分からない。レヴリのゴミ片を売買しているだけの間柄なのだ。

 

 つまり遠藤にとってレヴリはそれだけの価値があり、取引の材料に最適だと判断出来る。しかも、渚自身が実際の取引相手とは知らないはずだ、と。

 

 それが渚を此処に踏み止まらせる理由だが、流石の渚も一人の兵士でしかない。しかも未だ未成年の若き狙撃手だ。百戦錬磨の遠藤や経験豊富な三葉(みつば)などからすれば、未熟な個人でしかなかった。ましてや半分遊んでいる遠藤の思考など理解できるはずが無い。レヴリを求めるのは、高い能力をもつ異能者に間接的に近づく為であり、レヴリを差し置いても渚自身に興味を持つとは思っていない。警備軍士官の花畑(はなばたけ)から天使(エンジェル)としての情報を入手しているとは想像もしていないのだ。

 

 一流のプレイヤーであっても一流のマネージメントが出来る訳ではない一つの例だろう。渚には遠藤が理解出来ず、表層にある事実だけを見ていた。カエリーですら武器としての知能はあっても人の遊び心など範疇外だ。

 

 たった一度の取引で渚の存在を知り、僅かな期間の内に誘い込む為だろう手を打つ相手。厄介だが同時にこの街をある程度掌握している。あの浮浪者もそうだが、下手をしたら公僕にすら伝手がある。ならば求める情報へのアクセスも可能と考えてもおかしくない。

 

 危険だが、渚はただ陽咲(ひさ)を守れたらそれでいい。

 

 もっと強力で大量なレヴリを求めて来るならば、幾らでもPLに潜る。その代わりに警備軍の掌握している情報を入手するのだ。陽咲の行動だけでなく、PLも詳しく知る必要がある。陽咲自身に会うのは構わないが、彼女は国家組織の一員だ。渚にとって近寄りたい相手では無い。情報は他から手に入れるのが望ましいーー

 

『マスター、早く撤退を』

 

 そんな思考の海にいた渚はカエリーの合成音で我に帰った。

 

「いや、監視を続ける」

 

『取引には反対です。代わりとして振る舞えるとは言え、マスターの情報をこれ以上渡す事は悪手と考えます。接近すれば危険度が増すでしょう。貴女は()()()とは違うのです。障壁も張れず、()()も乏しい。戦闘力も継戦能力も比較にもならない程に低い事を自覚してください。あの日のマーザリグ城でもーー」

 

 アト粒子接続をしたままだったカエリーが渚の思考を読み警告してくる。ご丁寧に千春(ちはる)を引き合いに出して。だが人の心の機微を理解しないカエリーのよくある間違いだ。千春との能力差を明確に理解する渚には警告足り得ないのに。ましてや魔工銃(まこうじゅう)如きが軽々しく触れて良い千春(ひと)ではない。

 

「黙れ」

 

 アト粒子接続を切断し、渚はカエリーから手を離す。これで念話は不可能となり、肉声しか聞こえない。警戒行動中は滅多に声を上げないカエリーを知っての判断だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

「旦那様!」

 

 珍しく声を荒げた大恵は、私室で寛ぐ遠藤を少しだけ驚かせた。先程天使との取引から帰って大した時間も経過していない。大恵に似合わないスマートフォンが手に有れば、自ずと答えは出る。

 

「来たか」

 

「此れを」

 

 画面を遠藤に向け、そっと預け渡す。指紋など皮脂が付いてないのは大恵が事前に拭いたからだろう。

 

 やはり予想通りの、天使からのメールだった。

 

「情報に興味あり、か。大恵、カーテンを閉めろ。何処から見られているか分からん」

 

「は、はい!」

 

 遮光性の高いカーテンにより薄闇に包まれる。だが直ぐに灯りはつき、画面の明度も落ち着いた。

 

「ククク。直接は会えない、似顔絵の女を中継に使えと来たか! これは面白い、天使自身は未だ偽餌(デコイ)のつもりだぞ! やはり見た目通りの子供かもしれん。こんな幼稚な誘いに乗るとはな」

 

「旦那様、それでも厄介な兵士である事に変わりはありませんぞ。私が会う事も出来ず、直接の交渉を求めています。自身は身代わりと言っておいて小癪なこと。どうなされますか」

 

「勿論会うに決まっておろう。天使は幾つもミスをしている。本人ではないと公称するなら儂の元へ来る事を拒否出来ないだろうさ。当然花畑の言う超常のライフルも持って来れまいよ。あんな嵩張るもの隠しようもないからな」

 

「なるほど。三葉司令にはお伝えしますか?」

 

 遠藤は馬鹿な事を言うなと笑い、スマートフォンを大恵に返した。

 

「折角のお楽しみに余計な茶々は要らないぞ。警備軍には報せる必要は無い。天使に直ぐ返信しろ。此処に来るよう急げとな」

 

「来ますか?」

 

「ふむ、そうだな」

 

 徐に遠藤は椅子から立ち上がり、私室を出て行く。そのままスタスタと縁側や廊下を歩き回り、態とらしく周囲を見渡したりもした。そして更に、大恵に指示を出す。

 

「当日は家の者を外に出す。それを確認してからでも良いと伝えてみろ。監視をしているなら逆手に取るんだ」

 

「はい」

 

 不慣れな手でスマートフォンを触る。

 

「返信が来ました」

 

「内容は?」

 

「敷地から離れるのが条件と」

 

「敷地、だな?」

 

「はい」

 

「監視しているのは間違いないな。今も此方を見ているんだ。設置したカメラの情報もなしか」

 

「はい、1キロ圏内では無いのかも」

 

 素晴らしい……そう呟く遠藤は笑う。すると大恵が続けた。

 

「此れを」

 

「ん? 警告する。()()は何時も見ている、か。石燈籠に注目?」

 

 蝋燭の灯り揺らめく石燈籠を遠藤達が見た瞬間だった。灯りを漏らす十字に飾られた石材に穴が開き、すぐに奥の蝋燭の明かりが消える。近付かなくても分かった。蝋燭が見事に撃ち抜かれパタリと倒れるのが。

 

「だ、旦那様」

 

「狙撃……天の御使い、だな」

 

「明日の朝に女を行かせる、だそうです」

 

 最後のメールを読み、大恵も遥か彼方へと顔を向けた。

 

 

 

 

 

 

 



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渚の苦悩

 

 

 

 

 

 訓練施設へと陽咲(ひさ)が入るのを見届けると、(なぎさ)は部屋に戻って着替えを始める。如何にも少女然とした服装にする為だ。

 

 渚が住う部屋は酷く殺風景だった。台所に使われた様子は無く、狭いダイニングにテーブルや椅子すら置かれていない。段ボール箱には常食にしているゼリー飲料と栄養補給用の数種類の錠剤。小さな冷蔵庫にはミネラルウォーターだけが冷えている。持ち運び出来るように全てが500mlのタイプだ。

 

 もう一部屋はリビング兼寝室だが、やはり物は少ない。

 

 折り畳み式の簡易ベッド。カーペットも無い床に投げ出されたノートPCと、幾らかの筆記用具。やはり段ボールに突っ込まれている衣服達。大半が簡易包装された状態で、購入時のままだろう。しかも安価な量販店で買ったであろう事がありありと分かる。

 

 一つだけ置かれた姿鏡には布が掛けてあり、その機能を果たしていない。

 

 無地パーカーと、やはり地味な灰色のボトム。顔以外の肌に露出はない。其れ等を淡々と脱ぎ、横のベッドに放り投げて行く。中はシンプルなティーンズ向けの下着。やはり適当に買ったものだ。上下の種類も色も合わせていない。

 

歪め(ディストー)

 

 手にしたカエリースタトスに命じる。シュルシュルと渚の細くて白い首に巻き付くと、更に左腕をクルクルと黒く染めて行く。先端は左手首辺りで止まり、変形は終わった。首から肩、左腕にカエリーがロープのように巻き付いた格好だ。

 

 渚は酷く珍しく表情を歪める。ほんの僅かだが苦悩の色を滲ませた。鏡に掛かった布を除けると一層顔色は曇る。

 

「……ぅ」

 

 直ぐに襲って来た吐き気を無理矢理抑え込み、カエリーの状態を確認する。首元だけ調整すれば、衣服で完全に隠れるだろう。薄い板状だから服の上から触られたとしても分からない。

 

 もはや耐えられないと視線を鏡から外す。

 

 渚にとって世界に存在する何よりも穢れているのが自身の肉体だった。ずっと昔なら女性の裸体を見れば喜びを内心に抱いただろう。だが、自分の()()はもう拷問に等しい肉の塊だ。しかも只の肉体では無く、千春(ちはる)と共に生きた"あの世界"での悪夢の痕跡がそのまま残っている。

 

 置いてある段ボールからオーバーサイズの赤いニット、そして濃紺色したスキニーデニムを取り出す。どちらも店先でマネキンが着ていたモノをサイズだけ指定して購入したものだ。

 

 店員が試着をやら、お客様は細いのでお似合いだとか、綺麗だからモテるでしょうとか煩かった。しかし渚は全てを黙殺し、そのまま買ったので店員は怪訝な顔をしていたものだ。

 

 袖を通し、嫌々ながらも再び鏡を眺める。予想通りにカエリーは全く確認出来ない。オーバーサイズだから僅かなラインすら表に出ていなかった。続いてスキニーデニムを履けば、可愛らしい小さめのお尻や細い腰が際立ったが、渚は既に見ていない。

 

『マスター、やはりやめましょう。危険過ぎます』

 

 渚の苦しむ表情や嘔吐感すら知っているのに、カエリーは全く頓着せずに警告を繰り返していた。戦闘に影響が出ない範囲なら、人の心の波など関係がないのだろう。しかし渚にとっては寧ろありがたかった。

 

 返事もせず、渚はスニーカーに足を入れる。

 

 そして錆が目立つ玄関扉を開いて汚い廊下に出た。鼻につく嫌な臭いはアンモニアだろう。あちこちにゴミが落ち、電灯の半分は切れたり点滅している。外を見れば雨が降り、ザーザーと音を立てていた。

 

 朝なのに薄暗く感じる。

 

 骨が一本折れたビニール傘を握り、渚は歩き出した。

 

 かなりの美しさを持つ渚が歩くには余りに場違いな寂れたマンション。PL(ポリューションランド)が近い為、入居率は半分にも満たない。住う者も訳有りか世捨て人だろう。だが渚は全てを気にもせず階下へ降りて行った。

 

 雨が降ると新しいPLが出現しやすいーー

 

 そんな都市伝説らしき話題がネットに散見される。それを知るからか、渚は暫く雨宿りを続けて煙った空を見上げた。その瞳にはもう感情は宿っていない。もし陽咲が居たら我慢出来ずに声を掛けただろう。

 

 だがそれすらも置き去りにして、雨のシャワーの中へと身を投じて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

 

「身体検査を致しますので」

 

 二人の女性、と言っても片方は渚より僅かに歳上の若さだ。金属探知機らしい虫眼鏡状の機器を身体中に這わせる。警告音が無いのを確かめると、続いてゴム手袋をした手でペタペタと触った。

 

 来訪者の少女が目を固く瞑り、僅かに震えているのを二人は怪訝に思う。遠藤も気を利かせて戦う力などない同性を残したのだが、まるで何かに耐えている様だ。ついさっきまで平気そうだったから不思議だった。まあ少女がたった一人で遠藤に会いに来たのだから恐怖を覚えてもおかしく無いと納得したのだろう。まさか、渚が他人に触れられる事が恐怖だとは気付かなかった。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 それでも余りに辛そうだった為、思わず声を掛ける。しかし客の少女は首を縦に小さく振って済ませた。受付けていた二人は顔を見合わせたが、それ以上は聞かない。首元に黒い物が見えたが、チョーカーらしい質感に疑う事も無かった。

 

「携帯電話やスマートフォン、タブレット、カメラ類は預けるか封印シールを貼らせて貰っています。其れはどうしますか?」

 

 先程横の台に置いたスマホの事だ。女の子が持つ物とは思えないスマホだが、プリペイド式だからだろう。案の定あっさりと預ける。本人の物なら手放すのを少しは躊躇するのが普通だ。

 

「ではご案内致します、此方へ。申し遅れましたが、わたくしは高尾(たかお)と言います。滞在中のお世話を致しますので、何でもお気軽にお声掛けください」

 

 若い方は残る様だ。20台後半位に見える高尾が促し、渚は直ぐ後に続いた。その女性は紅色した和傘を開いて渚を雨から守る。かなり大きな傘で細身の二人には充分だった。

 

 歩く石畳に雨粒が波紋を作り、雨脚が強い事を教えてくれている。高尾はそれと交互に客の様子をチラリと観察しながら、先程から感じる違和感が何かを考えていた。

 

 背は低いが全体のバランスは良い。かなりの美貌につい目を奪われる。メイクを全くしていないのがおかしなところだが、違和感はそれでは無い。先程の震えは消えていて、冷たいと表現出来る無表情に戻った。染めてない黒髪は矢張り黒いゴム紐で乱暴に纏めているようだ。思わず櫛を通したくなったが流石に我慢するしかない。

 

 そうかーー

 

 高尾は漸く違和感の正体に気付いた。

 

 すぐ側を歩く少女は此の屋敷に、見事な庭園に少しも興味を示していないのだ。何度も見て知っている高尾ですら美しさに溜息が出るのに。若い事は理由にならない。ほんの僅かも視線が動かず、今では珍しい鹿威しや苔生す屋根、咲き乱れる花々にすら眼は輝いたりしなかった。

 

 喋らないし、気持ち悪い娘ーー

 

 妙に白く、隈の目立つ相貌も其れに拍車を掛けた。高尾は何故か得体の知れない幽鬼に見えて、思わず目を逸らすしかない。しかし視界から消えたら今度は存在が薄くなって益々気持ち悪く、足音だけが少女の在る事を教えてくれていた。

 

 軒先に入り、畳まずに傘を置く。此処なら風も通らない。

 

 渚の住む部屋より明らかに広い玄関まで高尾は促した。二段上がって右手の廊下へ進めば、見事な庭が目に入るがやはり興味は示さない様だ。暫く歩くと高尾は立ち止まった。本邸と繋がっているが、離れ扱いだろう。

 

「旦那様、お客様をお連れしました」

 

「御苦労。お通ししてくれ」

 

「はい」

 

 先は茶室だ。開け放たれた先に茶の世界で露地(ろじ)と呼ばれる庭園。飛び石があって外から入る様になっているのだろう。露地は此処から独立した小庭に見えた。

 

 遠藤は見事な正座を和装に包んだ身体で表していた。黒紅色の着物と少しだけ明るい色合いの羽織りが似合っている。白髪と顎髭、細身の高い身長は座していても分かった。

 

 一方の客、つまり渚は着物どころかカジュアルな女の子の装いで、明らかに場違いだ。もしミニスカートなどを履いて来たら困ったかもしれない。明らかに招いた側の落ち度だが、遠藤も渚も気にしてはいない。

 

「座ってくれ」

 

 渚は何一つ言わずに座った。

 

 正座だ。

 

「キミは茶を嗜んだ事があるか?」

 

「ありません」

 

 遠藤家に来て初めて発した渚の言葉は敬語だった。これは雰囲気や遠藤に気を使ったのではなく、取引相手の代理人として振る舞っているからだ。

 

「そうか。ならば爺いの戯れに付き合ってくれたまえ。礼儀も何も無い俄仕込みの趣味だから安心していい。見てみろ、茶菓子なんてチョコレートだろう?」

 

 杓子でお湯を取り、シャカシャカと茶筅(ちゃせん)で掻き混ぜる。確かに素人らしき乱暴な仕草だった。実は国宝級に近い茶碗を使っているが、両人共が余り興味がない。遠藤すら詳しく無いのだから、まさに茶番だろう。

 

「儂は遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)と言う。訪れてくれた可愛らしい()使()を何と呼べば良いかな」

 

「どの様にでもどうぞ。私は名乗る事を許されておりませんので」

 

()()()()()かな。此れは困ったな、ならば最初の印象通りに"天使(てんし)"と呼ばせてもらうよ。構わないかな?」

 

 警備軍の付けたコードネームだが、渚は気付かない。遠藤は当然に知った上で遊んでいる。

 

「構いません」

 

「では天使よ、先ずは喉を潤してくれ。粗茶ですがと言いたいが、コイツは馬鹿高い茶らしいからな。よくは知らないがね。結構なお手前でしたなどとキミは言わないだろう?」

 

 チラリと遠藤の目を見た後、渚は前に差し出された茶碗を手に取った。一応両手だが、それ以上は何をして良いか、或いは悪いかが分からない様だ。しかし渚は戸惑わず、茶碗を煽った。

 

「どうかね?」

 

「……味に詳しくありません。きっと()()()()()()()()()

 

「ははは、天使は辛辣の様だ。まあ儂もよく分からんから仕方が無い」

 

 渚はペロリと唇に残った茶を舐め取った。其れは遠藤から見ても淫靡な美しさを感じさせて、不思議と下品な印象を覚えない。

 

「では其方の話を。あの手紙の意味、似顔絵、情報を頂けると思って私は此処に来ています」

 

「ふむ、天使は幾つかね? 若さに反して肝の座り方が尋常じゃない。それともキミの雇い主を、そして儂を信頼しているのか」

 

「私は聞き役、或いは伝書鳩。鳩に年齢や名を尋ねますか?」

 

「目の前に居るのは鳩では無く、美しい女性だ。それとも儂は幻を見ているのかな」

 

「……交渉を打ち切る自由も与えられています。まだ続けるのなら」

 

「分かった分かった。全く、最近の若い娘は洒落が通じないな」

 

 遠藤は、好々爺の装いを剥ぎ取って真剣な表情に変えた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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瞳の色

 

 

 

 

 

 

 

「国家警備軍第三師団。送った似顔絵は其処から入手したものだ。儂からしたら、どうして商談相手の代理人でしかないキミを探すのか分からんが。心当たりは? ふむ、無いか。確かにレヴリの取引は違法扱いだが、厳格な法規制は無い。しかし国家権力に目を付けられては困るだろう? キミもバイト感覚なら辞めた方が良いかもしれん」

 

 (なぎさ)に驚きは無かった。陽咲(ひさ)とは目の前で会ったし、似顔絵作成もあり得るだろう。別に敵対するつもりも無い訳で、一定の距離を保てればよいのだ。

 

 だから、問題は其処では無い。

 

「何故私の似顔絵だと? 一度も会ってません」

 

 当然に渚は分かっているが、遠藤の出方を知る上で丁度いいだろうと投げ掛けた。

 

「勿論最初の取引でキミを追っていたからだ。無断撮影をお詫びするよ。曲がり角から消えた時は皆が驚いていて笑ったな」

 

 あっさりと暴露する遠藤に渚は少しだけ警戒を強める。

 

「街で見知らぬ人から声を掛けられました。その似顔絵、そして捜索依頼者の名は遠藤です。どういうつもりでしょうか?」

 

 此れはやられたとばかりにペチぺチと白髪頭を叩く。遠藤の演出だろうが、中々の演者だ。

 

「恥ずかしい話だが、レヴリが欲しくても一応違法だろう? 念の為にキミの身辺を調べていた訳だ。そんな時に警備軍のちょっとした知り合いから似顔絵を見せられた。詳しくは知らんが、この者を見付けたら知らせろ!と言われて……」

 

「怖くなったと?」

 

「その夜は眠れなくてね。それはそうだろう? 老い先短い老人が国家権力に目を付けられて平気ではおれないんだ。なので何とか天使と接触したくてね。あれやこれやと手を尽くしていたら混乱の極みだ。誠に申し訳ない」

 

 やはりあっさりと頭を下げて、そのままの姿勢だ。渚が声を掛けるまで動かないつもりだろう。

 

「……頭を上げてください」

 

「天使は心が広い。ありがとうよ」

 

「では取引の中止を話すために此方に声を掛けたわけですか? 態々会う必要を感じませんね」

 

 レヴリを材料に更なる情報を入手したかった渚からすれば全く面白くない。ましてや警備軍に慄いている老人には不可能な事だろう。時間を無駄にしたと思い、早々に立ち去ると決めた。

 

「ん? 何故取引を止めるんだ?」

 

 まるで分からないと遠藤は首を傾げる。先程と違って胡散臭い仕草だ。

 

「国家権力が恐ろしいと言ったでしょう」

 

「ああ、それなら大丈夫だ。国家はとても強い力を持つが、段取りと手続きがあるからね。抑えるところを知っていれば何ということもない。最初にレヴリの取引に厳格な法規制はないと話しただろう?」

 

 少しだけ混乱を覚える渚は、冷静さを取り戻すのに数秒の沈黙を要してしまう。

 

「天使よ、どうした?」

 

「……ならば何故」

 

「キミは儂を許してくれたではないか。老人には優しくするものだ」

 

 つまり全部が演技で、渚を相手に言葉遊びをしていたと言っている。先程から警告を繰り返すカエリーの念話が今更に響いて来た。この相手は信用ならない、早く離脱しろ、と。感情は表に出さないが、精神がザワザワと蠢くのを感じる。遠藤は動揺を誘うか、怒りを覚えさせる様に話しているのだ。

 

 隠しても仕方が無いと、渚は深呼吸をした。少し伏せた瞳を再び上げると、遠藤を見る。

 

 ーー此処は戦場なのだろう、と。

 

「ほう……やはり年齢に見合わないな。会った事は正しかった様だ」

 

 遠藤が最も愛するのは、有能で飛び抜けた才能を持つ人間だ。其処には性差も年齢の区別もない。取引やレヴリ、花畑の情報。様々な理由はあっても、最大の動機は天使に会いたい欲求だったのだ。そして其れは正しかったと遠藤は喜んだ。

 

「では取引を。此方が欲するのは情報です。其方は?」

 

 最早レヴリの残骸すらどうでも良いが、遠藤は天使を懐に収めたくなった。それは自身が驚くほどの強い願望だ。目の前に佇む少女は、知識こそ拙いが老練な心を持っている。しかも並ぶものはない一流の狙撃手なのだ。

 

 今は繋ぐ時だな。細い糸を結び、少しずつ太くする。気付いた時には逃げられない様にしてやればいい……そう考えて、遠藤は無難な返しをする。

 

「そうだな。もう少し大きなレヴリが欲しい。出来れば死骸そのものだが……重過ぎて運べないか。カテゴリⅣは近郊にない、ではカテゴリⅢのレヴリは手に入るかな? 雇い主に聞いてくれると助かる」

 

「其れは大丈夫です。既に入った事があるそうなので」

 

「ほう! それは素晴らしい‼︎ 天使を遣わせたのは相当な御仁だな」

 

 遠藤は益々手に入れたくなった。互いに存在しない雇い主を元に話しているが、実際には目の前の少女が本人なのだ。躊躇なくカテゴリⅢに行くと、レヴリを殺すと言う。花畑の話した内容は全てが事実だった。

 

 一体何者なのだ。警備軍すら入念な準備と戦力を整えて挑むのがカテゴリⅢ。そこにたった一人で侵入し生還する自信がある。この若さでどれほどの修羅場を経験してきたのか……そう内心が叫び、今直ぐにでも捕らえて全てを吐かせたい欲求を抑え込むしかない。遠藤は小児性愛者ではないが、それは性欲にも近い感情だった。

 

 同時に一体どんな情報を要求してくるか。命を賭けたPL侵入との天秤なのだ。だが愛国者を自認する遠藤にとって、日本に不利益な情報は渡せない。上手く誘導するか、代替え案を作る必要がある。祖国に牙を向く存在なら、綱渡りの戦いとなるだろう。

 

「それで、情報とは?」

 

 そんな緊張を隠しつつも、遠藤は変わらなかった。

 

「此方の要求は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

大恵(おおえ)さん!」

 

 大食堂に居る大恵はもう暫くしたら供する予定の昼餉を準備していた。相手は少女の為に何時もと違う洋食を中心としたものだ。温かいものは最後にして、食器の配置を吟味している。見た目こそ子供だが、彼女は警備軍が追う一流の戦士だ。遠藤からも手を抜かぬ様厳命があった。

 

 その為に集中していた大恵の耳へ、屋敷に似つかわしくない声が届いたのだ。

 

高尾(たかお)さん、声が大きい。今は来客中です」

 

 その大声の主は渚を案内した高尾と言う女性だった。

 

「す、すいません。でも大変なんです!」

 

 遠藤の屋敷に雇われている以上、高尾も有能な人間だ。時と場合を間違える様な教育はされていない。その慌て振りに大恵も真剣に聞く態勢になった。

 

「どうしました?」

 

「これを……これを見て下さい」

 

 高尾から渡されたのは数枚の写真だった。撮影対象にも意外性は無い。何故なら早朝に指示したのか大恵本人だからだ。

 

 其処には高尾の横を歩く美しい少女の姿がある。赤いニット、細いデニムパンツとスニーカー。真っ直ぐに前を向き、些かの感情も透けて見えない。大恵からすれば今更驚かない、コードネーム天使(エンジェル)と名づけられた狙撃手。遠藤に会うために屋敷を訪れ、つい先程撮影したものだ。

 

「5枚目を見て下さい、早く」

 

 時系列で纏められた数枚の写真の束だ。捲るにつれて屋敷内部へと進んで行く。高尾がチラチラと横を伺っているのは失礼に当たり、叱らなければならない事だ。

 

「これは……」

 

 5枚目を見た大恵は絶句する。慌てて残りをパラパラと確認すると異常は数枚に及ぶ事が分かる。正常な物も多く含まれている以上、カメラの不具合は考えられない。

 

「あの、お客様に失礼になるのは分かってます。でも、あの娘は何かおかしい。周りの景色や環境、横を歩く私も……全てに興味を示しませんでした。視線を外したら、消えた様に感じて怖いのです。あれではまるで……」

 

 その言葉は耳に入るが、大恵は写真から目が離せなかった。

 

「高尾さん、皆に召集を掛けて下さい。責任は私が取ります。それと貴女達は避難を」

 

 絞り出す様に、それでも写真を見ながら話す。

 

「大恵さんは?」

 

「勿論旦那様の元へ行きます。失礼は承知ですが、最早一刻の猶予もありませんから」

 

 懐に写真を捻じ込むと、大恵は早足で廊下に出た。庭の反対側に見える茶室は静かだ。

 

「だからと言って安心など出来ません」

 

 先ずは主人である遠藤を天使から引き離さなくてはーー

 

 大恵は先程見た写真を思い出しながら、駆け足に近くなっていった。

 

 5枚目には変わらぬ高尾と天使の歩く姿。しかしある一点だけが、4枚目までと違ったのだ。他の数枚にも同じ状態が見られた。今は懐の中だが、思い浮かべるだけで寒気が走る。

 

「レヴリはカメラに写らない。ならばアレは……」

 

 彼等が見た渚。美しい相貌を写す筈の其処には黒があった。

 

 口も鼻も、細く流れる顎のラインやポニーテールに纏めた髪さえも在るのに。

 

 少しキツめながらも綺麗だった天使の瞳と周りが……黒色で覆われていたのだ。それは影などでは無い。他の数枚にも同じ現象が写っている。

 

 レヴリの牙を見たあの時と同じ、漆黒の闇が両眼を塗り潰していた。

 

 

 

 

 

 



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対峙する天使

 

 

 

 

「此方の要求は第三師団の動向です。全体は必要ありません。特定の条件に見合う異能者だけでいい」

 

「条件とは?」

 

「性別は女性。年齢は20から25歳。訓練、駆除、PLへの侵入、何処にいつ行くのかを知りたい。出来ますか?」

 

 遠藤は酷く怪訝に思った。考えていた以上に簡単な要件だ。天使が命を賭けて挑む"カテゴリⅢ"の危険とは全くイコールで結べない。

 

 狙撃手としてターゲットを探している?

 

 だが、異能者の情報はある程度オープンで時には宣伝すら行うのだから釣り合わない。遠藤でなくても一定の立場にいる者ならば情報を持っているだろう。しかも花畑に聞いた話が事実なら、暗殺どころか危険を遠去ける行動を取っている。殺す機会など幾らでもあったのは間違いなく、常識外れの能力なら疑うまでもない。

 

 つまり、意味がわからない。

 

「難しいですか?」

 

 悩んでいる様に見えたのだろう。渚はほんの少しだけ細い眉を歪めた。

 

「どうだろうか。少し意外でね」

 

 演技でないなら、本当に貴重な情報だと思っている? 遠藤は頭に擡げた疑問がピタリと嵌る音を聞いた。天使は一流の戦士だ。落ち着いた精神の有り様に過大なイメージを持ってしまっていたとしたら? 如何に強大な戦闘力を保持していても、それがそのまま知識や知能と直結する訳でない。第三師団の三葉が良い例だ。彼女は屈指の才女だが、こと戦闘力は低い。つまり、目の前の天使はある意味で三葉と正反対の存在と考えれば……

 

 情報を手に入れ、伝えるのは容易い。仮に暗殺目的だとしても、その予定とターゲットは自分の手の中。幾らでも妨害出来るし、そもそもの可能性は低いのだ。ならば、更なる天使の秘密を貰うのが正しい。遠藤は瞬時に考えを纏め、渚に返した。

 

「異能者の動向か……中々の難題だな。キミの雇い主は何の為にそれを?」

 

「答える必要がありません」

 

「だが、儂も一人の日本国民だ。異能者は国を守る英雄で、あの者達に深く感謝している。まさか害を及ぼすとは考えたくないが」

 

「……害を及ぼす?」

 

「天使には難しいか? 異能者は確かに英雄だが、同時にやっかみ、嫉妬、的外れな怨みを受ける者達でもある。だからこそ新人は身分を隠され、警備軍の庇護下に置かれているのだよ」

 

「よく分かりません」

 

「例えば、そうだな。家族がレヴリに殺された者がいて、警備軍の到着が遅れた所為だと考える。間違いなく逆恨みだが、その矛先は全ての異能者に向かってしまう事があるんだ。事実、過去には痛ましい事件も起きている。だから、異能者の動向を追う事は何故なのかと不安に思う訳だ」

 

 渚は成る程と納得し、暫く黙考する。其れを眺める遠藤は目の前のチョコレートを指で摘み、ポイと口に放り投げた。行儀が悪いが、同時に渚の隠している緊張感を和らげる効果があった。当然に計算した行動だが渚は気付かない。

 

「美味いぞ? 一つどうだ?」

 

 渚はフッと息を吐いた。それを見た遠藤は天使の緊張が多少なりとも消えたのを感じ内心ほくそ笑む。

 

「いえ。質問の答えですが」

 

「ああ」

 

「目的は害を及ぼす事でなく……」

 

「旦那様!」

 

 その時、秘書の大恵(おおえ)が入室の許可すら取らずに戸を開けて入って来た。遠藤すらも驚きに包まれており、明らかな非常事態と報せている。大恵は何故か渚を警戒しつつ、挨拶すらせずに遠藤の元へと歩み寄った。

 

「旦那様。至急で御座います」

 

「……済まないな。天使よ、暫し時間を頂きたい」

 

「構いません。どうぞ」

 

「詫びは戻ってからさせて貰うよ」

 

 遠藤はそう言うと、大恵と二人で退室して行く。

 

 驚きも怒りも、困惑すら見えなかった天使の表情だけは印象に強く残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大恵、どういうつもりだ」

 

 其処には明確な怒りがあった。もう少しで天使の本音が聞けるところだったのだから当然だろう。怒りの矛先である大恵はしかし、謝罪を後に写真を差し出した。

 

「旦那様。お叱りは如何様にでも。先ずはこれをご覧下さい」

 

 遠藤としても大恵には全幅の信頼を置いている。アレ程の礼を欠いた行動が無意味とは思っていなかった。そして、渡された写真に目を落とす。

 

「……何だこれは?」

 

「カメラの異常ではありません。他の数枚は正常に写っています」

 

 赤いオーバーニット、デニム。そして乱雑に纏めた黒髪。間違いなく先程まで会話遊びをしていた天使が写っている。しかし、眼球どころかその周囲までもが真っ暗な闇に落ちているのだ。ある意味パンダの特徴に似ているが、あんな可愛らしいものではない。明らかな暗黒が其処にあった。

 

「あの娘がレヴリだと?」

 

「そこまでは……しかし警戒しなくてはならないでしょう。あの異常な能力にも説明がつきますから」

 

 遠藤から見たら感情は乏しくとも無い訳ではない。多少揺さぶればどうにでも出来る感触すらあった。人ではないレヴリとは思えないが、同時に手に在る写真はそれを裏切るのだ。ならば成す事は一つだろう。

 

「人を集めたのか?」

 

「はい。私の独断です」

 

「直ぐに止めろ。天使に気取られては全てが終わるぞ」

 

「しかし旦那様……」

 

「私の勘を信じろ。今から話して来る」

 

「き、危険です! 何かあったら……」

 

「大丈夫だ」

 

 言葉に一瞬詰まった大恵だが、何とか二の句を告げる。

 

「ならば同席させて下さい。理由は先程の詫びとしましょう」

 

 否定は許さないと睨み、断ってもついて来るだろう。遠藤は思わず笑みを零し、大恵の忠誠を改めて感じた。

 

「好きにしろ。但し、余計な口出しは無しだ。警戒感も表に出すな。良いな?」

 

「分かりました」

 

 この間僅か五分くらい。席を外す時間としては許容範囲だろうと遠藤は気を引き締める。そして茶室に繋がる襖を開いた。

 

「待たして済まなかった。天使よ」

 

 渚は首肯する。姿勢も変わらず綺麗な正座のままだ。遠藤から見ても目を惹く眺めだった。

 

「お客様、先程は大変失礼致しました。可及の要件とは言え礼儀を失した態度、深くお詫び致します」

 

「いえ、お気になさらず」

 

 ふと見ればチョコレートが一つ消えていて、天使の腹におさまったのが分かる。遠藤は相手に分からない様に笑みを我慢した。

 

 畳に腰を下ろした遠藤は、懐から写真を取り出した。それに気付いた大恵はギョッとして思わず身を乗り出してしまう。それを遠藤は知りながら、あっさりと其れを渚に渡した。

 

「天使の意見が聞きたい。どう思う?」

 

 やはり無断撮影だが、今は互いとも其れには触れなかった。

 

「……分かりません」

 

「レヴリはデジタル化された機器に映らないんだ。キミは知っていたか?」

 

「ある程度は」

 

「以前購入したレヴリの牙をカメラで見てみたよ。どの様に映ると思うかね?」

 

「真っ黒になると? この勝手に撮影された私の目の様に」

 

「その通りだ」

 

「それで?」

 

「この美しき天使だが、全てがそうなる訳ではない。何枚かは儂の目の前に佇むままに写っていた。だから困惑していてね。ならば直接聞けば良いと思ったのだよ。キミはレヴリなのか?」

 

「さあ? 分かりません」

 

 渚が答えたその時の感情を見た遠藤は、鳥肌が立つのを止められなかった。先程までは斜に構えた若き女性だったのだ。隠した心すら朧げに見えたし、可愛らしさすら覚えていた。だが、目の前に居るのは……

 

「……どういう意味だね?」

 

「私が人か化け物か、男なのか女なのか。そして……生きているのか違うのか。分からない」

 

「何を……」

 

歪め(ディストー)

 

 渚は呟くと右腕を遠藤に向ける。目蓋を閉じ、そして開いた時……その美しくも小さな手に真っ黒な銃が握られていた。緑色した線が血管の様にうねり、明滅している。歪で何処か冗談染みたカタチ。だが間違いなく凶悪な殺傷力を持つハンドガン。当然に、現れたのはカエリースタトスだった。

 

「なっ!」

 

 盾になるつもりだった大恵すら現実を理解出来ない。あの様な物体なんて何処にも存在しなかったのに!

 

「敵対するならはっきりと言えばいい。貴方はさっきから周りくどい。それとも、私が非武装だと思って遊んでいるの?」

 

「だ、旦那様……」

 

 遠藤は見た事がある。薬物中毒(ジャンキー)、末期癌の患者、世捨て人、戦場帰還者、傷付き立ち上がる事を諦めた者達だ。しかし、似た瞳を持つが目の前に佇むのは未だ幼き少女。だから混乱してしまう。突き付けられた銃口も助けて現実感すら消えて行く。

 

「最初から分かっていたのでしょう? 私が代理人などでないと」

 

「……ああ」

 

「そう」

 

 氷、雪、拒否感……花畑が言っていた杠陽咲の証言とはコレだったかと遠藤は思い知った。間違いなくあっさりと引き金を引き、無表情のままに人を撃つだろう。それは確信だった。先程まで会話していた可愛らしき天使は、もういない。

 

 だからこそ遠藤は、笑った。

 

 この娘こそ、レヴリを駆逐せしめるピースなのだと。目には目を、歯には歯を。そして化け物には化け物をぶつける、それは道理と決まっているのだ。

 

「くくく……素晴らしい! キミこそが儂の求めていた者か……まさに天からの御遣いだ」

 

 流石の渚もほんの少しだけ眉を歪める。

 

「天使よ、儂の元へ来い。探している情報も、この世界で手に入る全てを買ってやる。なに、自由は約束するぞ? 今迄通り日々を好きに過ごし、時にこの老人の相手をしてくれたらそれでいい。どうだ?」

 

「何を言ってる」

 

「気に入らなくなったら何時でも引き金を引け。儂はキミを気に入った、そう言う事だ」

 

「意味が分からない」

 

「そうか? 先程の続きだよ。天使は警備軍の情報が欲しい。儂はそんな天使を手に入れたい。つまり、取引だよ」

 

「体を売れと? 女を欲しいなら他を……」

 

 渚の言葉を聞いた遠藤はこの日で最も大きな笑い声を上げた。

 

「はっはっは‼︎ これは傑作だ! 儂をロリコンで買春する変態爺いと評するとは! 大恵よ、こんな愉快な事があるか?」

 

「だ、旦那様……余り刺激しては」

 

 渚は未だにカエリーを構えたままだ。

 

「天使よ、座れ。儂に敵対する意思はない。勿論変態の爺いでもない。老い先短い老人の夢はレヴリを日本から消し去る事。その為に使えるモノは使う。笑うなよ? 儂の夢は世界平和だ」

 

 真摯で、真っ直ぐに、遠藤は言葉を紡ぐ。

 

 暫く渚は動かず、そして遠藤を観察していた。異能を駆使して発汗や皮膚の脈動、些細な仕草も見逃さない。そして、再び座る。

 

「天使よ、感謝する。もう一度、最初から話をしよう」

 

 コクリと頷き、渚はカエリーを畳に置いた。

 

 

 

 

 



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結ばれた糸

 

 

 

「天使よ、最初から仕切直しだな。それと詫びを……儂の悪い癖だが、遊びが過ぎたよ。茶化す様な態度を申し訳なく思う。済まなかった」

 

 もう一度頷く(なぎさ)はカエリースタトスから手を離す。

 

「ありがとう。さっきの話の続きだ。先ずは聞かせて欲しい、異能者への攻撃の意思はないのだな?」

 

「ない。ある人を……危険から遠去けたい。其れが目的だから」

 

 遠藤(えんどう)大恵(おおえ)も渚の言葉が真実として聞こえた。そもそも花畑(はなばたけ)から事前に聞いていた情報と合致する上に、漏れ聞いた天使の動向からも十分に察せられるのだ。

 

 遠慮なく顔色を探っても特別な懸念は湧いて来ない。変わらず美しく、確かに雪の精霊を思わせて妙に納得してしまう程だ。先程まで怖気を感じていた氷の様な空気すら今は消えている。

 

「そうか。残る疑問は一つ……この写真について、思う事が有れば教えて欲しい。儂は当然にキミがレヴリだなどと思ってはいない。だが、気にはなる」

 

 再び畳に落ちている渚の写真を見て、遠藤は直ぐに視線を上げた。

 

 渚は少しだけ沈黙し、遠藤と大恵を観察する。異能を使って僅かな違和感も逃しはしない。心から信用などしないが、多少の説明は必要だろうと考えた。

 

「心当たりはある。今初めて知ったから確証はないけど……私の」

 

「天使の異能だな? 詳しい話は必要ない。レヴリではないなら」

 

「……レヴリなんかじゃない」

 

 遮ったのは邪魔をしたのでは無く、異能を他人に明かす事はないと知らせる為だ。遠藤の天使への信頼を形にし、渚も其れを察して簡単に済ませた。

 

「よし! 大恵、よいな?」

 

「はい」

 

「では取引だ。此方の条件は変えるぞ? レヴリの肉片など必要はない。危険なPLに態々潜らず、偶に儂の話し相手をしてくれ。勿論だが下世話な仕事などない。キミが普段感じたり、知った事を教えてくれたらよい」

 

「……それだけ?」

 

「ああ。さっき言った通り、儂はキミを気に入ったのだよ。護りたい対象者の情報も直ぐに提供しよう。欲しいものが他にあるなら、幾らでも言うがいい」

 

 渚がずっと観察しているのを承知で、視線を逸らさずに遠藤は答えていった。今は誤魔化しなどしない方が良いのは誰にでも分かること。天使を懐に収めたい欲求は変わらず強いが、其れは言葉にしないだけだ。

 

「欲しいのは情報だけ。条件に見合う警備軍の動向が分かればいい」

 

「遠慮など必要ないぞ? 儂は爺いだから詳しくないが、可愛らしい衣装や装飾品、甘い物だって用意しよう」

 

「要らない」

 

 端的で素っ気無い回答が茶室に響く。ずっと表情を追っていたから遠藤には事実だと分かった。そして其れは酷く哀しい事だ。まだ幼い少女、普通なら街中で遊び回っていてもおかしくない。レヴリや世界の苦悩など知らぬと若い時を謳歌している年齢なのに、今更に化粧も髪の手入れすらしていない事に気付いたのだ。それでも美しい少女は世界を否定しているのか……

 

「そうか……何か有れば言うのだぞ?」

 

 孫を想う様な不思議な気持ちになり、遠藤の声は優しい空気を纏う。

 

 

 

 だが……返答は返って来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「……信じられん」

 

 第3師団の最高責任者で司令である三葉(みつば)花奏(かなで)の言葉に、今会話していた陽咲(ひさ)花畑(はなばたけ)も驚く。

 

 コードネーム"天使"にどう接触して懐に入るか話し合っていた時だ。

 

 言葉にすると如何にも軍事作戦臭いが、実のところ3人は楽しんでいた。

 

 

 

 買い物に誘うのは?

 

 人気のケーキ屋はどうだろう?

 

 最近オープンした輸入雑貨店はかなり人気らしいよ?

 

 そう言えば、近場の遊園地に新しいアトラクションが出来たらしいね?

 

 

 

 などなど、もはや作戦ではなくデートプランを話し合う如くだ。陽咲こそ二十歳だが、残る二人は良い歳なのに……まあ、当事者である陽咲自身が最も興奮しているのだから、間違ってはいないのだろう。いや、間違っているかも。

 

 名士である遠藤征士郎の持つ会社、彼が経営している遊園地の話題となった時だった。いきなり三葉が呟いたのだ。顔色も変わり、緩んでいた視線も一瞬で厳しくなった。

 

「三葉司令、どうしました?」

 

 花畑も直ぐに気付き、真剣に質問する。陽咲はよく分からず、目には疑問が浮かんでいた。

 

「花畑」

 

「はい」

 

「念のため確認するが、遠藤氏の屋敷には監視をつけている筈だな?」

 

「勿論です。御指示通り、秘書である大恵氏の動向も調査中です」

 

「何人だ?」

 

「警戒されてもアレなので最小限です。24時間体制、3箇所、交代要員を含んで20名。常時は6人で監視しています」

 

 陽咲は益々分からなくて、三葉と花畑を交互に見ている。少し不安そうだ。

 

「報告はないな?」

 

「当然です。何が……」

 

 遠藤の話が出た時、何かを感じた三葉は無意識同然に異能"千里眼(クレヤボヤンス)"を行使した。殆ど偶然で、狙ってもいない。だから、酷く驚いたのだ。

 

「アイツだ。何故……」

 

 視界に彼女の姿が映った。警備軍は未だ名を知らないが、其処に張り詰めた空気を纏う渚の姿が。そしてあの真っ黒な銃を遠藤に向けている。今にも弾丸が飛び出しそうで、三葉は声を荒げた。

 

「居るやつだけでいい! 東側の茶室だろう、突入させろ!」

 

「はっ!」

 

 擡げた疑問を無視して、花畑は懐から携帯を取り出した。

 

「……ああ、至急だ! 三葉司令、目標は……」

 

「決まっている! 天使だ‼︎ 武装して遠藤氏を……」

 

「発砲許可は⁉︎」

 

「許可する! 但し殺さずに……いや、待て」

 

 もう陽咲は泣きそうになっていた。手を上げた三葉を見て、花畑も慌てて止める。

 

「待機! 待機だ!」

 

「……完全武装して待機させておけ。どうやら落ち着いたらしい。全く、人騒がせな」

 

 勝手に遠見した三葉だが、思わず愚痴ってしまう。先程の空気は霧散して、天使は黒い銃すらそばに置いた様だ。敵対する雰囲気も感じない。

 

「三葉司令、説明をお願い出来ますか? (あかなし)さんも混乱しています。勿論自分も」

 

「ああ、だがその前に監視要員を増やせ。暫くしたら天使が屋敷から出てくる筈だ。一体何故、どうやって屋敷に来たんだ……後で話をする必要があるな……」

 

「了解です。暫く席を外しますね、直ぐに戻りますから」

 

「頼む」

 

 言いながら、三葉は姪であり部下でもある陽咲を見る。立ち去った花畑を視界の隅に確認すると、もう一度口を開いた。

 

「本当に偶然よ? マーキング済みで指向性も指定出来たから……距離を殺せた。普通はあんな遠いところは見えないからね」

 

「あの子が見えたんですね?」

 

「そう。吃驚したわ、本当に」

 

 ハァと溜息すらついて、三葉は肩の力を抜く。今も()()()()のだろうが、緊張感は無くなったようだ。

 

「教えて下さい」

 

「分かってる。お花畑が戻ったらね」

 

 直ぐにでも聞きたいが、陽咲は何とか我慢した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「天使が遠藤氏に銃口を向けたの。あの変わった黒色の銃をね」

 

「そんな……」

 

 事実なら警備軍、そして警察も彼女を別の意味で追うこととなる。一般人と違い軍属、更に言うなら異能者に法律上の縛りは多い。個人で圧倒的な戦闘力を持っていたり、三葉の様な者ならばプライバシーすら侵害するのだ。厳しい制約があるのは当然だった。

 

 つまり、逮捕する必要に迫られる。陽咲が望んでいなくとも。

 

「杠さん、考えていることは理解します。しかし、事は簡単ではありませんよ?」

 

「……特別扱いをするんですか?」

 

 望んではいなくとも、真面目な人柄は不正を許せなかった。今もある意味特別扱いだが、それにも限界がある。護るべき人に銃を向けるなら、誰であろうとも犯罪者に堕ちるのだ。それが陽咲の絶望感を誘っていた。

 

「落ち着いて下さい、そう言う意味ではありません。千里眼などで判明した事実は、事実として認める事を単純に許しません。ご存知でしょう?」

 

「……あっ」

 

「見た事実は私にしか分からないからね。気に入らない奴とかを虚偽で罠に嵌めることすら出来る。つまり、この場合なら逆に証明する必要が此方に発生するわ。一番は遠藤氏が訴える事だけど……まあ無いわね。今なんて、可愛い孫を相手にする祖父さんみたいだし」

 

 今も見ながら話しているのだろう、声に呆れが混ざっている。

 

「多分、あの方の悪い癖が出たのでは? 人で遊ぶのが好きな御仁ですから……まあ、だからと言って銃を向けては駄目ですけど」

 

 花畑にも三葉の呆れは伝染したようだ。溜息を隠していない。

 

「じゃあ……」

 

「後で遠藤氏に話を聞くわ。まともに話すとは思えないけれど、流石に天使の事だからね。まあ任せなさい」

 

「しかし、何故あの方のところへ? 接点などある訳が……」

 

「意外と答えは直ぐ傍だったかしら。あの力、そして銃を開発するなら膨大な資金が必要になるし、それを成す人物なんて限られる。如何にも黒幕っぽいじゃない?」

 

「三葉司令……」

 

「冗談よ、無いのは分かってる。遠藤氏はアレだけど同時に国士だから、あんなモノを創り出したら国に提供するでしょう。恐らく、レヴリ絡みね。それしか接点は考えられないわ。花畑、最近の調査であったでしょ?」

 

「なるほど……レヴリの情報に飽き足らず、実物を欲した訳ですね。天使なら奴等のサンプルすら手に入れてしまいますから」

 

「困った連中ね……未知のレヴリだったら大変な事になるわ。病原体が見つかった事はないけど、例外なんて幾らでもあるでしょうに」

 

 仲が悪い筈の二人はピッタリ息を合わせて深い溜息を吐いた。タイミングはバッチリだ。

 

「あの……」

 

「なあに?」

 

「今なら会いに行けますか?」

 

「うーん……ちょっとタイミングじゃないわね。監視していたと教える様なものだし、一応暗黙の了解ってやつだから刺激したくない。あくまでも偶然を装わないとね。今回は情報を遠藤氏から集める事で我慢しましょう。そう言えば、花畑」

 

「はい」

 

「武装は解除して。もうそんな空気じゃないから」

 

「分かりました。今は何をしてるんですか?」

 

「二人仲良く、とは言えないけど……食事を楽しんでるみたいね。天使に愛想は全くないけど」

 

「食事ですか……もうお昼ですからね。何だかお腹が空いてきました」

 

「我慢しなさい。この後出て来るのよ?」

 

「はは、分かってますよ。盗撮……いえ、撮影の段取りを……」

 

 女性二人の不穏な視線に気付かないのか、花畑は気持ち悪い笑みを浮かべている。三葉は小さな拳をギリリと握る。だが、ふと陽咲が口を開いたので、其方に気を取られた。

 

「もう一つ質問が」

 

「ん?」

 

「あの方……遠藤氏って」

 

「うん」

 

「……誰ですか?」

 

 

 三葉と花畑、二人が呆れ顔に戻るのは簡単だった。

 

 

 

 

 

 

 



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第三章
粘体


 

 

 

 

 

 人気の無い街中、異界汚染地に散発的な発砲音が鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

 (あかなし)陽咲(ひさ)が一人生き残った"カテゴリV"に該当する異界汚染地(ポリューションランド)、通称PL(ピーエル)だ。

 

 例外的と考えられた赤いレヴリの発生に関して、調査に訪れた部隊は1小隊。あくまでも調査目的のために、機動性に優れ偵察を主とした兵士達。異能者も同行していないのも、決して珍しくはない。凡ゆる作戦の全てに異能者が共に歩める程に数はないのだ。

 

 そんな彼らが陽咲の証言したショッピングモール跡まで辿り着いた。万が一に備えて、ひび割れた壁際を背にしながら前進して行く。元は駐車場だったらしい白い壁には大量の植物が這っていて、もう半分以上が深い緑に染まっているのが分かる。

 

 濁った水溜りをバシャバシャと進む先頭の隊員がズブリと何かに右足を取られた。汚泥でもあったかと、めり込んだ片足に手を添えた瞬間……

 

「う……うあぁぁ! な、なん……ギャーーー‼︎」

 

 それなりに場数を踏んだ兵士が有り得ない悲鳴を上げた。

 

 必死に足を引き抜こうと足掻くが、寧ろ更にゆっくり埋まって行く。形相は恐怖と激痛に染まり、明らかな異常事態だと知らせてきた。

 

 しかし、周囲の仲間も何が起こったのか分からない。濁った水とは言え、特に変化など無いのだ。しかも深さなど大した事も無く、周りの者達に影響すら感じない。

 

「水野! どうした⁉︎」

「声を抑えろ! レヴリを呼ぶぞ!」

 

「た、助け……あ、脚が、脚がーーー⁉︎」

 

「発砲許可! 水野の足回りだ!」

 

 ベテランの隊長は正体不明の敵と判断。見えなくとも何かいる筈と命令を発した。即座に反応した隊員達はライフルを下方に構え発砲を繰り返した。静かだったモール跡地にパパパパと乾いた音が木霊していく。

 

「水野を引っ張れ! 撃つのは止めなくていい!」

 

 引き金を引きながらも叫ぶ。

 

 ズルリと水面に抜き出した右足を見て、全員が絶句した。鳴り響いていた銃撃すら一瞬だが止まってしまう。

 

「……何だこれは」

 

 水野と呼ばれた隊員の右足、膝から下が迷彩服ごと消失している。切断ではない、その証拠に出血していなかった。残った皮膚はドロドロに溶けて、ダラリと垂れ下がっている。赤く染まるのは血ではなく、火傷だろうか?

 

「溶かされた……? 強い化学薬品に浸した様な……」

 

「何で姿が見えないんだ⁉︎」

「くそ! 何処だ⁉︎」

 

「全員水溜りから出ろ‼︎ 水中に警戒!」

 

 

 

 漸く慌てて脱出するが、既に遅かった。

 

 まるで図ったように、全員の足は止まる。そして……悲鳴と叫び、乱射音。

 

 ギリギリ水溜り前で止まっていた最後尾の者以外、息絶えるまで大した時間は必要無かった。

 

 人のカタチを失っていく地獄絵図を見て、生き残った隊員はただ無心で走り出す。涙と鼻水を垂らしながら、振り向く事など出来はしない。背後からはズルズルと追って来る音が響くのだ。

 

 

 

 

 後に、集団なら"カテゴリⅡ"に該当する事になる英語名「dissolve mucus(溶かす粘液)」、日本名「人喰いスライム(略称スライム)」が初めて発見された瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 陽咲は自身が酷く粘っこい視線になっているのを理解していた。

 

 内心ダメダメと声にしながら、結局視線に変化はない。自動照準の如く、フラフラと目標を追った。

 

「……やっぱり綺麗」

 

 ボソリと呟いたが半分無意識で、ポカンとだらしなく口も開いている。僅か20m程度先に見つけた小柄な女の子をネットリと眺めているのだ。これでは変態の"花畑さん"や"土谷さん"と違わないと焦る。でもやっぱり無理みたい。

 

 陽咲は自身の恋愛対象が()()()()少数派に属するかもと気付いていた。姉であり、大好きな人である"千春お姉ちゃん"が少なからず影響を与えたのだろう。しかしまさか再び逢えた少女こそが自分の()()だとは認めていなかったのだ。妹の様に想っていて勘違いしてるだけと……

 

『……()、陽咲、聞いてるの?』

 

 マイクロイヤホンから声が流れるが、何処か遠くに感じる。

 

「名前教えて貰おう……手を繋いで……」

 

 ボソボソと独り言が溢れて、高性能のマイクが音を拾った。

 

『陽咲‼︎ いい加減にしなさい!』

 

「ひゃっ……は、はい!」

 

 何人かは振り返ったり、訝しげに陽咲を見る。だが、直ぐに興味を失って歩き去って行った。

 

『アンタ、遊びじゃないのよ!』

 

「す、すいません」

 

 見れば対象者はSPA、つまり衣料品製造小売業の全国展開している店に入る様だ。大量に製造し市場価格より安く提供する目の前の店は、陽咲自身も利用した事がある。と言っても部屋使いのタオルやら寝間着代わりのシャツ程度だ。日常に着る服はお気に入りのショップに行くし、専門店巡りが当たり前。

 

 見た目14,5歳のあの子なら、もっと可愛いお店に行けばいいのに……量販店を敵に回す台詞を心に唱えながら、同時に今度大好きなショップに連れて行こうと夢想する。アレもコレも似合うに決まっているのだから。

 

『天使は目の前よ、偶然を装って話しかけなさい。それと他の仲間に視線は送っちゃダメ。直ぐにバレる』

 

 千里眼(クレヤボヤンス)を再び使い、対象者である天使のところまで陽咲を誘導したのだ。三葉(みつば)は無理だろうなと内心不安になりながら、頑張って指示を出す。

 

「い、行きます」

 

 前と同じポニーテールを揺らし、天使は自動ドアの前まで歩く。当たり前に透明のガラス戸はウインと開き、彼女が幻ではないと教えてくれていた。小柄だが、細身の身体は完成間近の女性らしい線を表している。そして店内にスタスタの消えて行った。

 

『しかし地味な服ね。今どき普通のデニムパンツとパーカーなんて……上なんてグレー単色だし。まるで精通前の餓鬼みたい』

 

「せっ……! 司令、変なこと言わないで下さい!」

 

 器用に五月蝿くしないように叫ぶ陽咲だが、当然に三葉には効かない。

 

『だって事実じゃない。陽咲、アンタはアレで良いと思うの?』

 

「そ、それは……」

 

『折角だし、何か着替えさせたら? あんなだから下着もきっと酷い筈よ。陽咲がサイズを測って、見繕うのも有りかもね』

 

 分かり易く赤面し、同時に何処か気持ち悪い目線になった陽咲だが、緊張を解きほぐす為に三葉が吐いた冗談だと気付かない。頭の中はブラを外す天使の姿と、あの美しい相貌で一杯だ。

 

「頑張りま……」

 

『冗談だからね? 犯罪は駄目よ?』

 

「……分かってます」

 

 嘘つけ!と三葉は思ったが指摘は我慢する。もう目標は店の中だ。

 

 天使が店に入ったのを再度確認し、離れた場所から追尾している仲間に合図を送った。それぞれが街に溶け込み、スマホで話すフリや恋人同士を装っている。

 

『よし、作戦開始だ。気取られないよう注意しろ。ドローンはもう帰せ。確認するが命令の無い限り、決して敵対的な行動は取るなよ? それとあの馬鹿みたいな銃は持っていない様だが、不可思議な現象の報告もある。武装していると想定しろ。民間人を避難させる可能性も僅かにあるからな』

 

 遠藤征士郎(えんどうせいしろう)と会った三葉が仕入れた情報だ。無い筈だった黒い銃がいきなり目の前に現れたと……肝心の部分はボカされて腹立たしい会談だったが。

 

「店に入ります」

 

『ああ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう! 何やってるの!

 

 買い物をしている(なぎさ)……陽咲から見た"天使"の行動に、陽咲は腹が立っていた。

 

 視線の先、渚は靴下とTシャツを籠に放り込んでいる。

 

 サイズや色、デザインを確認している様子は無い。無造作にガサリと数枚を引っ張って、バサバサと買い物籠に落とす。靴下はまだしも、シャツまで同様だった。

 

 無地の雑巾を買っているのでは無いのだ。肌に直接触れる物をあそこまで無頓着に選ぶ女の子がいるだろうか。三葉ではないが、成長前の男の子でもあんなに酷く無い筈だ。

 

 棚の裏側に回り込むと、最悪な事に下着まで同じように……

 

 もう陽咲は我慢出来なくなって、ツカツカと歩み寄る。馬鹿らしいが緊張も何処かに飛んで行った。

 

「ちょっと! 駄目でしょ!」

 

 黒髪のポニーテールを揺らし、渚はゆっくりと振り返った。其処には驚きも見えず、初めて会った日と同じ無表情が貼り付いている。それも綺麗だったりするから、陽咲の怒りは治ったりしない。

 

 こんなに綺麗なのに! つまり、そう言う事だ。

 

「なに?」

 

「何って決まってるでしょ⁉︎ その選び方はなんなの⁉︎」

 

「……それが最初の言葉?」

 

 陽咲が付けているマイクから拾った声で、三葉は全部バレていると察した。だが、責めている声音では無い事で指示はやめる。開きかけた口を閉じて耳を澄ました。考えてみたら、変に振り切った陽咲の方が都合が良いと判断したのだ。

 

 当然に其の言葉が意味する事は理解せず、陽咲は買い物籠を見てゲンナリした。かなり粘っこく観察していたから当然だが、どう見ても可愛い女の子が選ぶとは思えない商品ばかりだ。まあ、着こなし次第ではあるかもしれないが……

 

 何より色合いが酷い。黒や藍、灰色だ。全部が暗くて、こっちまで暗澹たる気持ちにさせられた。勝手な事だと分かってはいるが、惚れた女の子だからこそ腹立たしいのだ。

 

「貸しなさい」

 

「何故?」

 

「一度戻します。その後ちゃんと選び直しね。サイズは合ってるの?」

 

「さあ?」

 

「さあって……」

 

 もう我慢ならず、陽咲はコードネーム"天使"の手に触れ様とした。無理矢理に取り上げるつもりで。

 

 だが……渚はスイと手を引き、決して陽咲に触れさせない。

 

「ちょっと……」

 

「余計なお世話。それと触らないで」

 

 余りにあからさまな拒絶に陽咲は一瞬二の句が告げられない。表情が変わらなくて、益々拒絶感が強まる。あの日と同じだ。

 

「……強引過ぎたのは謝る。でも下着くらいちゃんと選ばないと」

 

「それが私を付け回した理由?」

 

「えっ⁉︎ え、えっと……」

 

 今更に陽咲はバレバレだった事に気付いて吃る。マイクロイヤホンの向こうでは三葉の溜息が響いた。

 

「……杠 陽咲。逃げたりしないから待ってて。話があるんでしょう?」

 

「う、うん」

 

「話はしてもいい。但し、付けてあるマイクやイヤホンは外して。其れが条件。周りに居る警備軍の人達は近付かないならそのままで構わない」

 

「それは……」

 

 陽咲一人で判断出来ることではない。不安そうに揺れる瞳を見て、渚は更に言葉を紡いだ。

 

()()()()、聞いているのでしょう? ()()()を害するつもりは無い。嫌ならコレで終わり」

 

 淡々と話す少女に全員が息を飲んだ。

 

『陽咲、許可するわ。二人で話しなさい』

 

「……分かりました」

 

 自分より遥かに若い天使に"この子"呼ばわりされた事も忘れて、陽咲はジッと目の前の綺麗な女の子を見詰めた。

 

 ちょっとだけドキドキしながら。

 

 

 

 

 



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近くて遠い距離

 

 

 結局適当に選んだとしか思えない下着や靴下を買って、(なぎさ)は待たせていた陽咲(ひさ)の側に向かう。ただ二人の間には明らかな距離があって悲しかった。

 

 その距離分に気持ちも遠い気がして、陽咲は泣きたくなる。手を繋いで、服を選んで、出来るなら楽しく散歩だってしたい。そんな未来を思い浮かべていたから尚更だ。一目惚れとは言え、お気に入りの人が自分を拒絶していたら誰でも辛いだろう。

 

 それが今思うことだ。

 

「行こっか」

 

 それでも頑張って声を上げた陽咲は既にマイクやイヤホンを外している。渚もそれを知っていて、周囲に視線を配った。もう異能を使うまでもない。事前に把握済みだった。

 

「全部で9人も。大袈裟だね」

 

「……分かるの?」

 

「まあ」

 

「私が言うのも変だけど、自分の力を簡単に明かすのは良くないと思う。味方と決まった訳じゃないでしょ?」

 

 意外だったのか、渚はほんの少しだけ驚いた様だ。

 

「そうかもしれない。でも、貴女なら構わない」

 

 突然の信頼を表す言葉に、陽咲は簡単に慌てる。矢張り無表情で、氷や雪を想起させる美しさだ。笑顔ならもっと素敵なのにと、つい考えてしまう。手入れはしていないだろう髪も、隈の酷く目立つ白い相貌も、肌は見えなくても分かる細過ぎの手足や腰も、美を損なう要素なのに。

 

 ちゃんと御飯食べてるのかな? そんな心配が頭をよぎった。

 

「あ、ありがとう。えっと……美味しいパンケーキのお店とかどうかな? 直ぐ近くだし、映画とかでもいいけど」

 

 言いながらも渚が持つ荷物を持って上げたいとチラチラ見ている。それではデートだろうと指摘する三葉はいない。当然に渚も怪訝な顔をした。

 

「映画なんて話をするには不向きだと思う」

 

「そそ、そうだよね! ははは……私ったら何言ってるんだろ」

 

「仲間の人達も困るだろうから、近くの公園は?」

 

 もうどちらが歳上か分からなくなり、立場すら逆転していた。渚は不法に銃を保持し、証明こそ困難だが人に銃口を向けた異能者だ。捕まってもおかしくないし、陽咲は特例的逮捕権すら保持する警備軍の軍人なのに。

 

「……公園。いいかも」

 

 渚は益々怪訝な顔色になったが、陽咲は幸せな事に見ていなかった。希望の一つ、二人で散歩が叶いそうと喜んだのだが、当然に想像出来る訳がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 公園と言っても子供達が駆け回る様な場所や遊具は見当たらない。ずっと昔はそんな公園も多くあったが、いつレヴリが現れるか知れない世界に、子供だけで遊ばせる親などいないだろう。

 

 しかしそれでも、PLから遠い街の中心部には幾つかの憩いの場所がある。厳しい世界だからこそ、人々は日常を出来るだけ手放さない。

 

 そこは人工的な池と樹々が彩る空間だった。レヴリの脅威は忘れてないが、昼間なら人影はチラホラと見える。

 

 池の側に配されたベンチに二人は腰を下ろした。木漏れ日が揺れて、風も気持ち良い空間だ。池に沿って走るランニングコースと、少し遠いが自販機が見えた。日本って何処にでも自販機あるなぁと陽咲は呑気に思う。現実逃避に近いか、緊張の余り思考が纏まらないのだろう。

 

「自販機……何か飲む?」

 

「要らない」

 

「そう」

 

 何と此処に辿り着くまで殆ど無言だった。陽咲の頭に次々と言葉が浮かぶが、隣りの綺麗な女の子を見ると唇が震えるだけだ。

 

「天気、いいね」

 

「……うん」

 

 初デートで緊張して何も喋れない、そんな初々しい中学生みたいな会話。手のひらにジットリした汗を感じて横を見れない。キラキラと光を反射する池の漣から視線が外れないのだ。兎に角なにか喋らないと……そう考えたとき思い出した。

 

「あっ……此間、助けてくれて有難う。ちゃんとお礼も出来てなかったから」

 

 漸くしっかりと渚の方を向いた。身体ごとだったからベンチはギシリと鳴る。

 

「気にしないでいい。勝手にやってる事だから」

 

 渚も人工池を見ていて、綺麗な横顔がバッチリと視界を埋める。

 

 顔が小さいな、目が大きく見えて可愛い。鼻筋や顎のライン、細い首が綺麗で、不思議だけど色気?を感じる。三葉叔母さんも言ってたけど、服は正直……着る物がなくて知り合いの男の子から服を借りた、そんな風。寝不足なのか分からないけど、目の下にかなりの隈がある。勿論無い方がいいけど、逆に病弱で薄幸の美少女みたいで儚い雰囲気が……

 

「……何?」

 

 つらつらと言葉が頭に溢れ、ねっとりと渚を見ていた。心なしかズリズリと近寄ってもいる、無意識に。余りに変な空気と陽咲に、流石の渚も耐えられなかった様だ。

 

「……好き」

 

「?」

 

「えっ……あっ! こ、この公園、好きだから! よ、良かったなって」

 

「そっか」

 

「う、うん! キミはよく公園に……」

 

 漸く聞きたい事の一つに陽咲は思い当たった。任務にも合致する、一応。

 

「名前……! ね、名前は⁉︎」

 

 コードネーム"天使"などと呼ぶ訳にいかないし、そもそもの名付けた人は花畑だ。尚更言えない。簡単に答えてくれないのは分かっていても、聞かずにおれない陽咲だった。

 

「渚」

 

 渚は再び視線を外し、正面の池を見ながら口にした。無理かもと思う事にあっさり答えたものだから、陽咲は一瞬何を言われたか分からなくて沈黙してしまう。

 

「……な、ぎさ。名前?」

 

「うん」

 

「なぎさ、渚……凄く似合ってる、ね」

 

 随分と遅れて感動が溢れて来た。名前が知れた途端に距離が縮まった気がして嬉しくなる。

 

「素敵な名前……苗字は?」

 

「……渚とだけ覚えてくれたらいい」

 

 そして次に来るのは拒絶。何回も経験して多少耐性がついたのか、陽咲は殆ど驚かない。けれど堰を切った疑問は次々と溢れて来るのだ。

 

「何処に住んでるの? 一人暮らしかな……でも未成年みたいだし、そう言えば歳はいくつ?」

 

 矢継ぎ早に出る質問。凄く早口だ。

 

「陽咲」

 

「なあに?」

 

「もう一度言う。そんな話をする為に私を付け回したの? 違うでしょう?」

 

 氷の様な鋭い視線に射抜かれ、熱くなっていた胸に冷たい雨が降る。陽咲からすれば、まさしくそんな話がしたいのだ。もっと近く、沢山知って、笑顔が見たい。警備軍の一員としての任務も忘れて……

 

「に、任務だから。渚を知って対応を……」

 

「どうする気? 私を捕まえる?」

 

「違う! 私は寧ろ……」

 

「最初に会ったとき言った事、やっぱり間違いないみたいだ。陽咲、軍を抜けて」

 

 あの日、戦士に不向きだと断じた。渚はそう言葉にしたのだ。

 

 思わずカッとなり、陽咲は愛しくて可愛い人を睨む。護りたいと思う相手に無理だと言われたら悲しいだろう。ましてや目の前の彼女は儚い容姿を持つ少女だ。

 

「渚に言われる事じゃないわ! 私にはレヴリに対抗出来る力があるの! 軍でもいつかNo.1になるって……」

 

「レヴリなら私が殺す。陽咲の分まで」

 

 少女には酷く不似合いで、同時に纏う空気に似合っている。そんな凄惨な言葉を簡単に吐く。だから益々陽咲は腹が立った。

 

「何で、何でそこまで⁉︎ 私は頼んでないわ!」

 

 出来るなら楽しい時間にしたかった。美味しい物をたべて、沢山会話して……なのに目の前の人は陽咲を睨み付けている。

 

「ならそうして。今、はっきりと言いなさい。レヴリを殺せ、と。貴女と違って私は任務に厳格……」

 

「やめて! 聞きたくない……私はそんな事……」

 

「そう」

 

 呟く渚は視線を外し、また遠くを見た。直ぐ近くに居るのに酷く遠い距離を感じて泣きたくなる。だけど、陽咲は以前の弱虫ではない。心を強く持って渚を見た。

 

「渚は勝手にやってる、そう言ったよね?」

 

「……だから?」

 

「私もしたい事をする。何がしたいか分かる?」

 

「前に聞いた。その話だってしないといけない」

 

()()もあるけど、違う」

 

 視線に決意を乗せ、疑問符を浮かべる少女へと合わせる。例え嫌われても、馬鹿だと笑われても、構わない。千春お姉ちゃんならば、そんな事に頓着しないだろう。したい事をして、最後は全員に笑顔を贈る。私はそんな凄い人の妹なんだから……そう陽咲は決めた。

 

「私は……決めたの。護るって」

 

「レヴリを殺せば一般市民の犠牲は減る。貴女より私の方が効率的と思うけど?」

 

「違う、違うから」

 

「何を言ってる?」

 

「私が護るのは好きになった人。初めて恋をしたから」

 

 渚の瞳は冷たくなった。もう僅かに見えた感情も消えて、そして関心すらも。

 

「好きにすればいい」

 

「そうする」

 

 私が渚を護る。好きになって欲しいなんて言わないよ……揺るぎない決意は渚には届かない。でも、気持ちを隠すのは嫌だった。

 

「私が好きな人、分かる?」

 

「さあ」

 

 もう帰ることを考えているのか、反対側の道を眺めている。

 

「私は渚が好き。歳下の大切な女の子を護るのは当たり前でしょ?」

 

 驚いたのだろう、渚は振り向く。ポニーテールが揺れて感情を映した。

 

「……馬鹿な事を」

 

「どうして?」

 

「私達は同性だし、まだ2回しか会ってない。名前だってさっき知ったばかりでしょう。それに、私は軍属でもなく不法に銃を持つ犯罪者で」

 

「関係ないわ」

 

 簡単に否定され、流石の渚も二の句が告げない。

 

「ねえ、渚が私を()()()のは任務なの? 誰に頼まれて……」

 

 間違いなく千春だと確信している陽咲の質問は、いきなり響いた声に遮られてしまう。

 

「陽咲! 終わりだ!」

 

「叔母さん?」

 

 見れば、小さな身体で走り来る三葉と隊員達。ふざけた様子はなく、切迫した空気があった。

 

「出動だ」

 

「は、はい!」

 

 其処には優しい叔母でなく、第三師団司令の三葉がいる。

 

「天使よ、またの機会に話がしたい。連絡をくれ」

 

「天使?」

 

 気持ち悪い呼びかけに今日一番の感情を見せた。渚の顔色には明らかな嫌悪感がある。

 

「お前のコードネームだ。名前が不明だったからな」

 

 遠藤が何度も言っていた理由が分かって、渚は益々不機嫌になった。

 

「渚ちゃんです。天使はやめましょう」

 

「ふむ、良い名前だな」

 

「渚、一緒に来ない?」

 

陽咲は甘えた声を出す。それを聞いた渚は何かを決意して、自分と身長のそう変わらない女性に声を掛けた。

 

「……三葉司令、あと少しだけ時間を。五分でいい」

 

「いいだろう。あのトラック、ああ見えるよな。アレで待ってる」

 

 そう言い残すと三葉達はあっさりと去って行く。それを見守ると二人は向き合った。渚が見上げる先には真剣に見返す陽咲がいる。

 

「最後の質問に答えるよ」

 

「うん」

 

「誰にも頼まれたりしてない。全て私の意思だから」

 

「……じゃあ何で?」

 

「千春の言葉を伝える為に私は此処にいる」

 

「お姉ちゃんの⁉︎ 何処にいるの⁉︎」

 

 拳を握り、一歩近づく。渚は後退りした。

 

「あの日、ごめんなさい。貴女の姉、千春は陽咲が大好きだって……そう伝えて欲しいと言っていた」

 

 初めて会った日と同じ、渚の瞳には滲む涙があった。千春を想うとき、薄い感情に火が灯る。

 

「お姉ちゃんが……逢いたい……ねぇ、教えて」

 

「もう逢えない」

 

 ドキリと心臓が波打つ。

 

 何度も頭に浮かび、何度も何度も否定を繰り返して来た。その答えを渚は呟こうとしている。耳を塞ぎたいのに、陽咲の体は固まったままだった。

 

「千春は、死んだ」

 

「……嘘よ」

 

「私の目の前で。あの綺麗で長い黒髪も、優しい眼差しも、全部血に染まって」

 

「やめて‼︎」

 

 止まらない。何故なら渚に伝える事が残っている。

 

「陽咲、私が好きって言ったよね?」

 

 顔を両手で覆いながらも陽咲は深く首を縦に振った。ウンウンと、何度も。

 

「本当なら死ぬ筈じゃなかった。私とあの時出会わなければ」

 

「ねえ、もう一度考えて」

 

 渚は問う。

 

 

 

 

「私が殺した。それでも好きでいられるの?」

 

 

 

 

 

 

 



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千春⑴ 〜運命の日〜

千春との出会いから別れまで、過去編七話構成です。


 

 

 

 

「ちょっと、アナタ大丈夫?」

 

 壁に寄り掛かり地面にお尻を落として座っていると女性の声が降って来た。立てた両膝に顔を埋めていた(なぎさ)は、その声音が自分に向いていると思わず、暫くそのままだった。

 

「聞いてる? 何処か痛いとか、苦しいとか」

 

 肩に添えられた手でユサユサと揺らされて、漸く自分に話し掛けているのだと理解する。身体を触られて少し気持ち悪くもなった。誰とも会話をしたくなど無かったが、無視すれば厄介な事になるかもしれない……そう考えた渚は仕方なくノロノロと顔を上げた。

 

 瞬間、流した涙の跡を見たのか女性の眉は分かりやすく歪む。瞳には憐憫と怒りが篭り、それを隠す様に優しく微笑んだ。

 

 此処が()()だと忘れてしまうくらいに、長くて美しい黒髪が印象的な女性だ。年齢は二十代前半、身長も高く凛とした美しい人。長い脚、細い腰、鎧や武器も見えない。全体的に白を基調としたパンツスタイルは、渚の真っ黒な衣服とは対照的で不思議と眩しく見える。

 

 高位貴族や軍人の娘が箔付けに慰問でもしているのだろうと思わされる、そんな立ち姿だった。

 

「怪我は……無いみたい。もう、返事してよ」

 

 ホッとした様子を見せながら、懐から固めに焼き締めたビスケットだろう紙袋を取り出す。返事すらしない渚を気にもせず、そして了解すら取らずに横に座った。

 

「お腹空いてるでしょ? 今日は一日中戦ってばかりだし」

 

「……別に」

 

 無愛想な返事にも動揺せず、つらつらと言葉を続けてくる。ビスケットの袋はグイグイと渚の閉じた膝の間に押し込みながら。

 

「後で食べて? こっちの戦線に来るのは初めてだから知り合いが居なくてさ……その武器、アナタ異人(いじん)でしょう? 私もそうだから……私は(あかなし)、杠 千春。チハルって呼んで。名前は?」

 

 足元に放り投げらた武器……大量生産品である魔工銃の一種、ハンドガンの鈍い黒光りを見て声を掛けてきたのだろう。或いは小さな身体を丸めて蹲る少女に同情でもしたのか。だが渚は問われた質問に答える事もせずに、焦点の定まっていなかった瞳を女性……千春に合わせた。

 

「アカナシ……? チハル?」

 

「うん。ああ、別世界の人だと発音しにくいかな……」

 

「まさか……()()()?」

 

 ずっと無表情だった渚に驚愕の色が浮かんだ。この世界に連れ去られて初めて会った同郷の、いや同じ世界の人間だった。

 

「え!? じゃあアナタも!?」

 

 そして千春にも歓喜と驚きが爆ぜる。

 

「……そう。まさか日本人がいるなんて」

 

「凄い!! 私も初めて会った!」

 

 ガバリと渚の小さな体を抱き締めると、ギュッと力を込めた。少しだけ震えているが、其処にどんな感情が流れているのか渚には分からない。

 

「……放して」

 

「あっ……ゴメン。もしかして痛かった?」

 

「別に。触られるの嫌いだから」

 

「そう……分かった」

 

 素直に姿勢を戻した千春だが、特に気分を害した様子も見せず視線を向けた。間違いなく14,5歳程度に見える渚への同情の色があり、世界と帝国に怒りを覚えている。

 

 こんな少女まで無理矢理に召喚して戦わせるなんて……そう想っているのだろう。

 

 この地獄の様な世界と戦場でも人としての尊厳を失っていない。きっと瞳に映る感情の通りに優しい人なんだと渚は思った。同時に自分には残っていない感情だとも。

 

「名前を教えてくれる?」

 

(なぎさ)

 

「渚……素敵ね。苗字は?」

 

「……苗字なんて必要ない」

 

「そっ、か……渚は、いつから?」

 

「さあ……三年くらい」

 

「三年⁉︎」

 

 この帝国……マーザリグに召喚、実質的誘拐をされる異世界人は数多い。凡ゆる世界から拐われて来た人々は直ぐに魔法的な呪詛により自由を奪われ、そして簡単な訓練と適性のある武器を渡されて前線に送られるのだ。物語の様な魔王に挑むのではなく、平和を目的に戦う訳でもない。マーザリグ帝国の版図拡大という野心を満たす……ただそれだけの為に他国を攻撃するのだ。

 

 初戦の死亡率、つまり初陣で戦死する異人は八割を超えるとされ、残り二割の大半が一年も保たない。千春が持つ様な異常とも言える能力がない限り、待つのは絶望を纏う死だけだ。

 

 だから、千春の驚きは当然だった。

 

 召喚された時、稀に異能を身に宿す者がいる。召喚の目的は正しく其れであり、逆に特別な力を持たない人々は使い捨ての肉壁にされてしまう。小さな渚が三年も生きて来れたのは間違いなく何らかの異能があるからだろう。

 

 しかし同時に不思議だとも思った。

 

 魔工銃、恐らくカエリーシリーズと見える渚の銃は率直に言って性能が低い。安価な大量生産品だし、そもそも魔力の弱い者向けの武器なのだ。千春の様に魔法を駆使する者には基本的に歯が立たないし、魔工鎧に穴すら開けられない。隙間を狙うか、遠距離から暗殺染みた狙撃くらいしか効果がないのだ。それでも熟練者は息をする様に魔法障壁を張っているし、油断などしない。発砲音や痕跡から位置を割り出され、即座に反撃の魔法を喰らうだろう。

 

「凄いわね……私は一年に満たないくらいだし」

 

 内心の怒りを抑え付けながらも、渚の小さな身体を抱き締めてあげたくなる。つまり中学生の頃にたった一人拐われて来たと言う事なのだ。意味すら分からず、怯え、望みもしない戦争に駆り出される絶望は如何程だっただろう。日本で生まれたならば人の死すら身近では無かった筈だ。

 

 千春は理解する。

 

 渚の……全てを諦めた光のない瞳も、深く掘り込まれた様な目の下の隈も、苗字すら捨てた絶望も。詳しくは無いがPTSDなどのストレス障害が起きていても何らおかしくはない。寧ろそうでない理由があるだろうか。

 

 ぱっと見は五体満足だが、精神は傷だらけで心の痛みすら忘れてしまったのだ。圧倒的な戦闘力を持つ千春ですら涙しない日はない。学校に行きたい、友達と話がしたい、美味しい物を食べたい、大好きなアーティストの歌声を聞きたい……何より、家族に逢いたい。

 

 陽咲(ひさ)は元気だろうか……喧嘩だって沢山したし、口を聞かなくなった日もあった。生意気な癖に何時も後ろをついて来たし、お姉ちゃんお姉ちゃんと懐かれるのが嫌だった時もあったくらいだ。

 

 でも、あの日から陽咲は千春の全てになった。何にも変えられない宝物になったのだ。千春は必ず日本に帰ると誓っている。挫けそうな気持ちになった時、妹を思い出すのだ。きっと泣いているだろう、姉を探しているだろう……もう一度抱き締めて「ただいま」と言葉にする。それこそが千春が戦う理由なのだから。

 

 渚は千春がマーザリグ帝国に拉致された頃の妹、つまり陽咲の年齢に近い。全てを諦めた様な渚を守りたいと思うのは当然だった。

 

 出来る限り目を配ろう。自分が近くにいれば少しは生存率が上がる筈だ……自らの異能が馬鹿げた力を持つ事を自覚する千春は、人を守れる力でもあるのだと理解して嬉しかった。破壊して、人を殺すしか能がないのだと嫌悪すらしていたのだ。

 

 自分に与えられた権限を利用して渚を側に置く事に決めた千春は頭を捻る。異人の人権など考慮しない帝国も、戦争の役に立つ者には手厚い待遇で迎えるのだ。何とか出来るだろうとアレコレ考えた。

 

「渚、所属は何処?」

 

 大して整えてもないだろう髪を後ろ頭に結んでいる渚が怪訝そうに千春を見た。ストレートポニーテールが揺れるが、若々しい筈の黒艶もなく泥で汚れている。お風呂に入って髪を整えたなら凄く美しい少女なのが分かって千春は今更に驚いた。泣き顔に気を取られていたのか、陽咲には悪いが可愛らしさなら渚に軍配が上がるだろう……千春は妹にする様に頭を撫でようとしたが、渚は嫌そうに頭を逸らす。

 

「触らないで」

 

「あっごめん。嫌だったよね」

 

()()()()

 

「汚いなんて……此処は戦場だから汚れて当たり前でしょう? 私だって」

 

「違う」

 

「渚?」

 

 千春は違和感を覚えて意味を聞こうとしたが、渚の言葉にしなくても分かる拒絶に黙るしかなかった。

 

「所属は第三遊撃隊」

 

「遊撃隊?」

 

 あまり聞かない部隊だ。自身が所属する大隊には存在しない。元々ただの女子大生だった千春には詳しい軍事知識などないのだ。渚は抑揚のない言葉を紡いで説明してくれた。

 

 遊撃隊……攻守を問わず、また標的を選ばず、状況に応じて戦闘目的を変更する部隊のことだ。 武装は機動性を重視し、移動能力を妨げるほどの重武装は施されない向きが強い。そして、異人による遊撃隊ははっきり言えば使い捨ての何でも屋だ。第三は囮り、撹乱、暗殺、そして捨て駒……其れが役割だと渚は言った。

 

 ある意味華やかな大隊とは正反対の汚れ役、それが異人の集まる第三遊撃隊だった。

 

「そんな……」

 

 何処かファンタジックな魔法を放つ千春には想像していない現実だ。戦争に美醜など求めていないし、汚れ役がいるのは何となく理解していた。しかし目の前にいる少女は三年もの間、そんな地獄に身を置いていたのだ。生きているのすら奇跡な世界で、たった一人戦って来た渚に千春は涙が溢れそうになった。

 

「それが何?」

 

「折角会えた日本人だもん、一緒に居たいと思って。それに貴女みたいな子供が戦うなんて間違ってるわ」

 

「子供?」

 

「嫌だった?」

 

 難しい年頃の渚には腹立たしい言葉だったかもしれない。自分にも覚えがあったし、陽咲の拗ねた顔が浮かびもした。

 

「くく……馬鹿みたい」

 

 だが、初めて見た渚の笑顔は残念ながら微笑ではなく嘲笑だった。皮肉めいた笑みは千春に向いているのではなく、彼女自身に。それは全てを諦めた人間の自嘲で、悲哀を湛えた瞳に千春は言葉選びを間違えたと自覚する。

 

「渚……私と一緒に来ない?」

 

 直ぐにでも死んでしまいそうな渚に我慢出来なかった。

 

「無理。私の異能では千春についていけない。身体能力は平凡だし、障壁構築も強化も出来ない。武器はカエリースタトスしか使えないから、前線に出ても蹂躙されるだけ。邪魔な()()を抱えて戦えるとでも?」

 

「そんなの、やってみないと分からないわ……私が」

 

「千春が守る? 貴女は確かに強いのでしょう。でも異能の全てが攻撃向きな千春には難しい」

 

「……私を知ってたの?」

 

「全然? 他人なんてどうでもいいし、考えれば分かる。無意識に張る魔法障壁は強固で、武器らしい武器も持ってない。他の隊から人を引き抜く権力のある異人なんて片手で数える程だし、考えられるのは圧倒的な魔法でしょ。少なくとも肉体強化系でもなく接近戦をするタイプでもない。なら考えられるのは強力な魔法を放つ砲台。だから私を連れ歩いても安全だと思ってる」

 

「その通りよ、全部当たってる」

 

「私の異能は"眼"だから。観察するのが仕事」

 

「眼……カエリーでも戦えるのは其れが理由ね」

 

「そんなところ」

 

「なら私の補佐として」

 

「駄目」

 

「どうして? 私の側ならギリギリ障壁で包めるわ」

 

「そんなに言うならやってみたらいい。第三遊撃隊から連れて行くって。()()許可したら私も逆らわない」

 

「本当ね? 聞いたわよ?」

 

「分かった」

 

 千春は渚の言質を取ったと安心し、立ち上がった。心の中で守ると誓い、いつか呪縛から解き放つと決めたのだ。もう一人綺麗な妹が出来たと思えばよいと千春は笑みを浮かべた。

 

 

 

 だが……あっさりと配属先を変更出来ると思っていた千春に齎された回答は……明らかな否定だった。遊撃隊から渚を移すのは許されない、と。

 

 

 



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千春⑵ 〜狂った世界〜

 

 

 

 

 

 

 立ち去る千春(ちはる)をボンヤリと見ながら(なぎさ)は暫く動かなかった。無理矢理に捻じ込まれたビスケットの袋がカサリと鳴いて思わず下を見る。

 

 彼女には悪意などなく、恐らくは心からの同情で渚を側に置きたかったのだろう。少し突き放す様な態度だが、それは優しい眼差しや温かい声音から十分に察せられた。だからこそ千春の近くに行きたくはない。いや、行く訳にはいかない。

 

 あの醜悪で腐った奴等に千春を晒したくないし、汚れた自分を見られたくもなかった。それは僅かに残った()としての自意識なのだろうか。もはや性差すら曖昧になり、只の女の肉体だけが残っている。

 

「知られたくない……」

 

 それは本心だ。

 

 何処とも知れぬ異世界人ならまだよかったが、同郷の()()()らしき綺麗な女性に穢れた自分を見られる位なら死んだ方がマシだと、渚は本気で思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 渚は約三年前に帝国に召喚された。自室で()()に出す書類を整理していた時だった。中々のレベルの大学に受かり、その生活にも慣れ、バイトに勤しみ、人生二人目の彼女も出来て幸せを当たり前に享受していたのだ。

 

 ふと書類から視線を外した時には地下らしき広間にいた。日の光もなく、黴臭い。薄暗い中で他にも二、三十人いたと記憶している。何人かは地面に伏せたままで、余りに不可解な現実を理解できずに呆然とする。

 

 そして気付く、周囲にいる者達は普通では無いと。二足歩行の人ではあった。しかし良く見れば肌の色が青かったり、鱗らしき皮膚だったり、耳の位置や目の数が違う。それぞれが何かを話しているが、聞いた事もない言語ばかり。中には渚と似通った姿の人もいたが、やはり違和感を覚える。

 

「何なんだ……」

 

 思わず呟いた渚に更なる非現実感が襲った。聴き慣れた筈の声でなく、甲高い。まるで声変わり前の子供だ。焦りを隠しつつ視線を落とすと一目で分かった。

 

「女……女の子……」

 

 肌着らしき一枚布しか纏って無かった為に理解は簡単だった。認めたくない現実だが……胸は膨らみ、触った股間の感触に覚えがある。付き合っていた彼女と同じ構造なのだから当たり前だろう。そして肌の質感すら違う。ザラザラした男の肌と違い、しっとりとした白い肌。若いからかもしれないが、触った事のない滑らかさだった。

 

 20歳を迎えた男にある筈のない身体だ。

 

「夢、か?」

 

 だが匂いも空気もザワザワする周囲も現実を突きつけてくる。何も考える事が出来なくなった時、正面の壁だと思っていた岩が動いた。薄暗い室内に明かりが入り、同時に入ってきた連中の姿が見える。

 

 部分的に金属らしき防具を身につけ、暗い色合いのマントが背中に掛けてある。数は五人、全員が男だ。意外に思ったのは彼らこそが渚に近い姿形だった事だ。ヨーロッパ 辺りの白人に見える。

 

 映画か何かの撮影? 渚が自身の変化も忘れて呑気に考えた時、五人に中央にいた一人がブツブツと呟いた瞬間だった。

 

「あ……」

 

 足腰から力が抜けて、受け身すら取れずに地面に倒れてしまう。眠いわけでは無い。意識は明確にあるし、倒れた時に打った身体のあちこちから痛みが届く。混乱していると頭の中をグチャグチャと掻き回される酷い違和感が渚を襲った。耐えられなくて悲鳴を上げようと口を開こうとしたが全く動かない。

 

 自由になるのは視線くらいだ。

 

 立っているのは先程の五人だけ。残りは例外なく倒れ伏している。

 

 気持ち悪い嫌悪感に耐えるしかなく狂いそうになるが、五分もしないうちにソレは去って行く。しかし未だに身体は動かない。

 

 すると何人かが渚の側に近づいて来たのが見えた。先程の男達だ。

 

「ほう……珍しいな、女じゃないか」

 

「顔も美しいな。若いが身体も……何処かの貴族か何かかもしれん。まあ、この帝国では意味などないが……くくく……」

 

「此れは愉しみが増えたな。おい、異能の反応はあるか?」

 

「……弱いが、あるようだ。頭部……いや、眼だな。聞いた事もない」

 

「ふむ、尚のこと素晴らしい。弱く戦闘力に繋がらない異能ならば万が一の反逆に注意するまでもないな。どうする?」

 

「この程度では前線で一日も保たない。ならば当然に第三遊撃隊だな。我等の側に置くのがいい」

 

 不穏な言葉の応酬に渚は不安が溢れてくる。しかし問い質すことも、逃げ出すことも出来ないのだ。

 

「しかし眼か……初めての異能だが、この数値ではまともな魔法も放てないぞ。障壁すら構成出来ないし、流れ弾一発で死ぬ」

 

「第三ならやりようがある。例の試作品を試そう。カエリーは威力こそつまらんが、汎用性は完璧に近い。視力に影響する異能ならばアレがうってつけだからな」

 

「カエリースタトスか……決まりだな、お前に預けるが分かってるな?」

 

「分かってる。最初は全員で、だろう?」

 

「お愉しみは皆で分かち合うものだ。久しぶりの美しい女だ。じっくりと時間を掛けて躾けてやろう」

 

「遊撃隊に組み込む前でいいな? 仕上がったら連絡する」

 

「ああ」

 

「よし、次は……」

 

 まるで道具のような扱いに、言い様のない絶望が襲って来る。渚は子供ではない。何が起きているのか分からなくても、精神は二十歳の男なのだ。去って行った男達の言葉が理解出来ている異常に気付きもせず、"愉しむ"の持つ意味が分かってしまう。

 

 

 嫌だ……俺は男だ……

 

 例え生まれながらに女だとしても、許されることじゃない……

 

 助けてくれ……

 

 嘘だ……こんなの現実に起きる訳がない……

 

 今もアパートの部屋で眠ってる筈だ……

 

 夢だ、夢に決まってる……

 

 

 何度も心の中で叫ぶが、目の前に広がる床と状況に変化など起きなかった。

 

 

 

 

 

 

 そして翌日……いつ迄も夢は覚めず、想像していた通りの現実が渚を襲う。

 

 戦闘訓練は苛烈を極めた。筋肉の存在すら感じない身体を鍛え抜き、凡ゆる環境下でカエリースタトスを撃ち続ける。日も経たない内に見ず知らずの人を殺し、生き物を撃つ感触を覚えさせられた。痛みや魔法への対処は拷問以外の何ものでもない。休む暇すらなく、戦う相手を強制的に頭に叩き込まれていく。

 

 マーザリグ帝国は典型的な軍事国家だ。侵略を繰り返し、他国を蹂躙し、資源を奪い、人々を殺す。異人は無理矢理その片棒を担がされているのだ。平和な日本で生まれ育った渚には理解すら出来ない存在だった。

 

 そして、ある日から戦場へと連れて行かれた。第三遊撃隊に組み込まれた渚は命令のままに行動するしかない。

 

 カエリースタトスと呼ばれる銃で、遠くから何人も狙撃した。いつの間にか備わっていた異能は視力を強化……いや、激変させたのだ。

 

 一度見たものは記憶に刻む事が出来た。写真を撮る様に切り出して頭の中に残る。暗号解読や地図の模写などに役に立ち、戦闘には余り意味のない異能だが帝国の連中は便利だと喜んでいた。しかしこの異能は後に渚を苦しませる事になる。忘れたい場面を忘れる事が出来ない事がどれ程に不幸なのか、その時は知らなかったのだ。

 

 戦闘面では……天候、昼夜、距離、この世界の重力、その全てを把握して照準を定める事が出来る。カエリースタトスの威力は弱く、本物の奴等には到底敵わない。しかし、部隊長レベルなら何とか倒せたし、撹乱などには効果が高かった。相手は気付かれていないと罠を仕掛けたつもりでも、一息後には死んでいるのだから。

 

 だが、一流の軍人達は魔法障壁を全身に張っていて、カエリーの魔弾など簡単に弾く。それどころか隠れている渚をあっさりと発見し爆撃染みた魔法を放つのだ。何度も死に掛けて、経験を積み、倒せない相手からは逃げるだけ。そうして三年もの間生きてきた。

 

 痛みは慣れたりしない。

 

 何度も死にたいと、殺してくれと願った。だが渚には……召喚された異人には命を断つ自由すらない。あの地下室に居ただけで無理矢理に呪縛を掛けられ、帝国の将官には逆らえないのだ。全身を掻き回されるあの気持ち悪さは誰一人として耐えられる訳がない。奴等が一言呪文を呟くだけで、渚は言われるままに裸になり、土下座し、靴を舐めた。何一つ悪い事をしていないのに、何度も謝罪させられたりもした。

 

 その内にアイデンティティは失われ、感情は抜け落ちていく。

 

 まさしく……奴隷だ。

 

 逆らう気力も、意志も、人の尊厳も露と消えた。

 

 だけど何より辛くて、耐えられないのは……

 

 何度殺しても足らない連中に、この変化した女の体を蹂躙される事。残る男の自意識は邪魔でしかなく、絶望という言葉すら生温い地獄……遊撃隊に組み込まれる前の日にあの五人は渚を弄んだ。そして全ての出来事を記憶から消し去る事が不可能で、その内に眠る事も恐怖になった。鮮明な夢が何度も繰り返すのだ。

 

 あれから三年もの間、奴等は気の向くままに何度も渚を呼び出し、口にするのも憚れる行為を強制する。少しでも逆らえば呪文を唱えられ、そのうちに呪文の仕草だけで腰が抜け、小便を漏らす程になった。

 

「汚い……気持ち悪い……」

 

 渚は人に触られるのが嫌だ。他人が肌に触れたら思い出してしまう。何より、千春の様な眩しい存在を穢してしまう事が耐えられない。

 

 この体に比べたら、戦場によくある油と血と糞尿で濁った泥水の方がずっとずっと綺麗だろう。

 

 千春は間違いなく渚の取り巻く状況を知らない。知っていればあの様な反応は有り得ないし、簡単に声など掛けられないだろう。第三遊撃隊から抜け出せない理由も理解してないのだから当たり前だ。

 

 千春程の異能持ちは優遇される。渚にする様に強制すれば、溢れんばかりの魔力で反撃を喰らう可能性すらあるのだ。呪縛は確かにあるが完璧ではない。三年の経験はそれを知っていても、口外は出来ないのだ。渚はそう強制されている。千春なら呪縛をあっさりと破り帝国に牙を向くだろう。それを知る帝国は突出した異能持ちを持ち上げ、讃える。

 

 恐らく千春は帰れると思っているのだ。あの世界へ、日本へと。役割を全うしたら帰還させると帝国は伝えているだろう。それは確信で、同時に巧い手だと思う。

 

 だが、渚は知っている。情報統制されている自分に奴等は嬉々として話すのだ。

 

 帝国は、マーザリグ帝国は召喚した者を還す気などない。最後まで使い潰し、これから先も何度も何度も召喚を繰り返すだろう。所詮異人は道具でしかない。その辺に転がっているナイフと変わりはしないのだから。

 

「だから……駄目なんだ」

 

 もう二度と会う事はないと、渚は望む。

 

 此処は、この世界は……間違いなく"地獄"だった。

 

 

 

 

 

 



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千春⑶ 〜死の精霊〜

 

 

 

 

 

 何かの映画だったか狙撃手は銃弾を放つ時、つまりトリガーを引き絞る時に息を止めると聞いた事がある……(なぎさ)はいつもの様にボンヤリと思った。

 

 だが、正解など知らなくとも彼女には関係のない事だ。

 

 異能を駆使して標的を見つければ、必中の射線が見える。最初の頃は明後日の方向を示す異能に戸惑ったものだ。実際は風や重力などを予め()()いるから、見事に当たるのだが。

 

 数え切れない程の人々を狙撃して来た渚は、異能を使い熟していた。今も生茂る木々に埋まって身体を俯せにしている。気配を絶ち間もなく通る筈の敵を何人か殺して離脱する……それが命令だ。それに何の意味があるのか渚には分からない。そもそも理解しようとも思わないし、どうでもいい。失敗すれば死ぬか、帰還して耐え難い仕置きを受けるだけ……三年の月日は精神を擦り減らすのに充分な時間だった。

 

 今日こそは自分を殺してくれるだろうか……

 

 鍛え抜かれた異能と長きに渡る狙撃の経験は渚を裏切らない。敵国からは姿を見せない"死の精霊"と呼ばれている事を本人は知らないが、条件さえ整ったら戦えると分かっていた。

 

 もちろん前線に出れば簡単に死ぬだろうし、化け物としか思えない軍人は腐るほどに居る。実際に渚は強い方では無い。見つかれば簡単に死ぬ事が出来るだろう。その辺の兵卒にすら勝てないかもしれない。近接戦闘は目を覆うばかりの実力しかないのだ。

 

 何より魔法の理不尽な力は常識をあっさりと覆す。恐ろしい迄の威力、精度、速度、多種多様な魔法は日々磨かれて生物の息の根を止める力を内包していく。たった一人が放つ魔法は、まるで元の世界の絨毯爆撃すら上回る事がある程だ。

 

 "カエリースタトス"は渚から見れば拳銃、つまりハンドガンだ。まあ実際には形状すら簡単に変化するのだが。名前の意味は"天候の様に絶えず変化する"なのだから。

 

 銃は元の世界なら個人で持てる中で最高に近い強力な武器だった。職業軍人でも無い限り、対処すら出来ずに人は簡単に死ぬ。しかし魔法は違うのだ。

 

 だから早く殺して欲しい……

 

『マスター、カエリースタトスの主要機能も魔法です。貴女は魔力を練り、魔弾を構成して撃ち出す。無意識でも原理は変わりません』

 

 いつの間にかカエリーと思考が繋がっていた。合成音を思わせる女性の声が頭に響く。実際に音は出ていない。空気も震えない。分かりやすく言えばテレパスに近いだろう。カエリースタトスに触れていれば肉声は必要ない。人工精霊……渚にはAIと呼んだ方が理解し易い存在だ。因みにカエリーは発声も可能だ。

 

『黙って』

 

『私に与えられた存在意義はマスターの補助と延命です。自死など許しません』

 

『……煩い』

 

『ならば馬鹿な思考は捨てて下さい。任務に集中をし……』

 

歪め(ディストー)

 

 態と発声し、渚はカエリーを変形させる。見た目は銃身の長いハンドガン、或いは歪な狙撃銃だろうか。肩口に変形した銃床を当て、まさしく狙撃手らしい姿勢を取る。身体の小さな渚にはピッタリだった。渚が知る狙撃銃との一番の違いはスコープがない事だろう。そしてスポッター、つまり観測手も。此処には渚一人しかいない。

 

 渚には両方が必要なく、役割をこなせる。だから何時も一人だ。

 

『マスター』

 

『目標視認。カエリーこそ任務に集中しろ』

 

『アト受動素子接続……標的を確認しました。マスター、お見事です』

 

『この距離なら難しくない。油断しているみたいだし……素人の集団か』

 

 人数は二十人程度。新人ばかりなのか行軍が素人臭い。渚で無くとも見付かるのは時間の問題だった、そう思える程の奴等だった。

 

『魔弾生成開始……透明弾(クレール)

 

 通常の視力なら当然に見えない距離だ。薄暗い森なら尚更で、相手は渚の存在すら気付いていないだろう。

 

 透明弾(クレール)を選択したのは念の為だ。万が一にも射線を見られたら、たちどころに場所が知れる。方角は隠せないが、位置までは特定される訳にはいかない。渚は馬鹿らしく思うが、生きて帰還する様に命令されている以上は仕方がない。それを裏切ってくれる程の強い相手なら嬉しい……

 

『マスター』

 

『煩い、分かってる』

 

 緊張も戸惑いすら無く、渚は初弾を射出した。火薬は使用していないので、僅かな魔力反応音しかしない。空気が抜ける様な「パシュ」という音を置き去りにして、魔弾は標的に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いきなり前を歩く仲間の頭が弾け飛んだら誰もが驚愕するだろう。ついさっき馬鹿話をしたばかりなら尚更だ。二歩だけ歩き頭を失った男はゆっくりと倒れた。

 

「狙撃!」

「馬鹿な……」

「どの方角だ⁉︎」

「不明です!」

「巫山戯るんじゃな……ぶへっ」

 

 声を荒げながらも伏せた筈の部隊長は赤い血が後頭部から吹き出し、言葉は最後まで発する事も出来ない。見れば額に穴が空いていた。

 

「うわぁ!!」

「部隊長が……」

「声を出すな、伏せろっ」

 

 副隊長が大木に隠れて低めの声で指示を出す。今ので大体の方角は分かったが、位置までは不明だった。

 

「パレ! 探知しろ! 近くに潜んでいる筈だ!」

 

 若いながらも魔法の才能に恵まれたパレに副隊長は指差しながら命令する。正確な狙い、無音、消された射線から高度で精密な魔法と推察し、同時に距離はそう離れてないと判断出来る。方角が分かってしまえば如何なる隠蔽魔法も意味は無い。

 

「もうやってます! でも……」

 

「なんだ!」

 

「探知にかかりません! 姿がないんです!」

 

「そんな訳が……」

 

「見えない姿、正確な狙い、此処はマーザリグ帝国領です……ならば」

 

「くそっ、死の精霊か……」

 

「死の精霊……! ふ、副隊長」

 

「任務は偵察だ……この森に死の精霊がいる。その情報を持って離脱するぞ!」

 

「副隊長! それでは……」

 

 尤もらしい理由だが、明らかな任務放棄だった。敵前逃亡に等しい。下手をすれば処刑されてしまう。

 

「パレ……ならば手はあるのか?」

 

「方角は分かっているんです。散開して包囲すれば……噂通りなら奴は一人の筈です!」

 

「馬鹿が……仮に死の精霊を見つけてもどうやって殺るんだ? 音を響かせてマーザリグの奴等を呼び寄せるのか?」

 

「しかし……」

 

「この時間も惜しい。移動されてたら嬲り殺されるぞ!」

 

「この人数なら、あっ」

 

「パレ?」

 

「副隊長……アレを」

 

 伏せたままに首を振れば、信じたくない現実が映る。

 

「有り得ない……いつの間に」

 

 最も離れた位置で身を屈めていた三人が地面に転がっていた。近づいて確認するまでもない。全員が死んでいる。

 

 それに気付いたのはパレ達だけでは無かった。まだ経験の浅い者達は恐怖の余りに立ち上がり、意味不明な叫び声を上げて爆炎の魔法を放ち始めたのだ。

 

「よせ!!」

 

 最早混乱は収まらず、一人、また一人と死んでいく。

 

 そして……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『本当に素人だったのか……』

 

『マスター、残存魔力が規定値を下回りました。撤退を推奨します』

 

『任務は完了。帰る』

 

 全滅などさせていない。そもそも魔力はもう底を尽き、継戦能力すら失っている。もし接近されたら逃げの一手だ。幸い獲物は素人同然で、残った数人はバタバタと消えて行った。

 

 渚は自分が弱い事を知っている。数に任せて包囲されたら簡単に負けるのだ。広域を破壊する様な力も無いし、小さな身体通りの筋力しかない。彼らが犠牲を厭わずに近づいてくれたならアッサリと死ぬ事が出来ただろうに。

 

 またあの地獄に帰らないといけない。マーザリグの連中の気が向けば、また……

 

 こんなコソコソと戦う異能なんて無ければ良かった。千春みたいに前線に行く事が出来たなら……

 

「なぜ千春が頭に浮かぶ……関係ないのに」

 

 あの日から千春は何度となく会いに来た。遊撃隊から引き抜けないと知ったのか、アレ以降は誘っては来ない。其れを埋める気なのか、時間があれば顔を見せるのだ。渚がどんなに冷たい態度をしても、突き放しても全く効果はなく、何時もベラベラと喋り続ける。

 

「でも……」

 

 千春が側にいるとマーザリグの奴等に呼び出されない。悔しそうに去って行くのすら見た。やはり特別な存在なのだろう。

 

 相反する。

 

 穢れた自分を見て欲しくない、側で話し掛けたりしないで、と。でも同時に一緒に居たい……安らぎを感じて、整った横顔をつい見詰めてしまう。

 

 もう気付いている。残る男性の自意識が千春に惹かれていると。

 

 あれ程に汚れ痛めつけられ、感情など消えてなくなったと思っていた。なのに……

 

 だから、もうこれ以上会いに来ないで。戻れなくなる……辛い現実に押し潰されてしまう。

 

 

 

 

 誰か、早く、私を、殺してーーー

 

 

 

「渚! こっち!」

 

 

 

 お願いだからーーー

 

 

 

「ご飯取って来たから! 一緒に食べるよ!」

 

 

 

 心が軋むよーーー

 

 

 

 

 

 



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千春⑷ 〜体温〜

 

 もう夜だ。

 

 最初は簡易な壁だったが、戦争が長引くにつれて城砦へと変わっていった。マーザリグが現在侵略している相手は小国だが、思いの外に抵抗は強く既に二年以上経過している。

 

 (なぎさ)は当初からこの戦場に駆り出されていた。一年足らずで、生半可な狙撃手を上回る戦果を挙げていたのだ。

 

 森と平原だけの土地にしか見えないが、此処を抑えれば勝敗に大きな影響を与える……そう聞かされていた。しかしどうでも良かったから相手の名前も土地の場所も、その意味すら頭に入っていない。

 

 ただ日々が続き、人を殺す。

 

 変わらない日常は変わらない地獄だ。

 

 もう現実なのか悪夢なのか、渚には区別がつかない。

 

 石と木で組まれた宿舎は、黴の匂いがする。石床からは冷たい温度が伝わり、固くて痛い。

 

 蝋燭は一本だけで、着ける気にもならない。そもそも明るくないし、明かりなんていらない。この部屋に帰っている事を他の奴等に知らせる意味など欠片も存在しないのだから。

 

 その何時もの場所に最近よく聞く様になった音があった。それは綺麗で、強くて、優しい、人の声音。

 

 千春の優しい声が響く。

 

 柔らかな双丘に顔を埋め、渚は耐えられずに涙を流している。千春は理由など聞かない。ただ灯りも無く暗闇に沈んで泣いていた姿を見つけると、側に腰を下ろして肩を寄せただけ。以前触らないでと言葉にした事を覚えていたのか、最初触れたりしなかった。

 

 彼女への気持ちは日に日に積み上がり、捨て去っていた筈の心に優しい雨が降る。渇いた大地に沁み渡る様に本来の姿に還って行く……ふと気付けば千春の笑顔が浮かび、世界に彩りが戻った。

 

 

 

 

 

 

 だから……耐えられる訳がない。

 

 千春が前線に行くタイミングを見計らう様に、マーザリグの奴等がやって来た。逆らう事も出来ずに連れ去られ、長い時間連中の玩具にされた。何時もと違い、泣き叫び、逃げようとするのが楽しいのか奴等は笑う。どれだけ否定しても、懇願しても地獄は消えたりしなかった。

 

 痛みも希望も捨て去って、他人事の様に心を殺していたのに……千春は名前の通りに暖かい。

 

 重い足腰を引きずりベッド以外何も無い自室に帰ると、呆然と床に座り込む。水浴びをして身体は清めたが、何の慰めにもならない。以前なら此処まで辛くなかった……現実を見なければ、心を殺す方法を知っていた筈なのに。

 

 両膝を抱えて顔を埋めた。時を待たずに涙が溢れて来る。

 

「どうして……こんなの……」

 

 涙に濡れ、呻き声が聞こえた。いや、これは自分の泣き声か……いっそ気が狂ってくれたなら、誰でもいいからこの地獄から連れ出して……

 

 どうか、お願いだから……殺して……

 

「誰か……」

 

「渚?」

 

 ビクリと肩が揺れたが、泣き顔を見せたく無くてそのままだった。隠しても泣いていたのは分かったのだろう、千春は真っ暗な部屋に入って来た。この部屋に扉など無い。

 

 渚の側に腰を下ろした千春は、暫く無言だった。

 

「お願い、だから……帰って」

 

 今は寄り添わないで欲しかった。

 

「用事を済ませたらね」

 

「何で……どうして構うの? 放っておいて」

 

 顔を上げず、くぐもった渚の声は小さい。千春はそれが聞こえたが、立ち去ったりしなかった。あの日の陽咲(ひさ)と同じ、態度とは裏腹に叫んでいると分かっているから……助けて、助けて、と。

 

「渚」

 

「……」

 

「お願いがあるのだけど」

 

「……」

 

「触っていい? 嫌って聞いたけど渚に触れたいの。最近人肌が恋しくてさ。前にも話したけど私には妹がいてね、また可愛くて……何時も私の後をついて来て、雷が鳴った日なんてベッドに潜り込んで来るし。長い間嫌いだったのよ? ベタベタして、どうでもいい事を話してばっかり。歳も離れてたし」

 

 無反応な渚を置いたまま千春は話しを続けていく。聞いてくれていると確信しているから。

 

「でもね、ちょっと色々あって今は大好き。誰よりも大切で最高の妹なんだ。それに気付いた頃、マーザリグに連れて来られちゃった。必ず戻ると誓っているけど偶に恋しくなる」

 

 渚はやはり答えない。しかし逃げ出す事も千春に文句を言ったりもしなかった。変わらず顔を膝の間に埋め、少しだけ小さな肩が震えている。

 

「だから、私の我儘に付き合ってくれないかな? 妹……陽咲(ひさ)の代わりに人の温かさに触れたい。ね? お姉ちゃんを助けると思って」

 

 勿論渚は分かっていた。千春は自分の我儘だと言い、慰める口実を作っているのだと。彼女は出会った時から変わらず優しい……でも……

 

「……触られるのイヤ」

 

「なら渚が私に触れて? 駄目かな?」

 

「私は……汚い」

 

「人を殺した事を悔やむのは当たり前よ。寧ろそうじゃ無いなら大変だわ。私だって沢山の人を殺めた。だから私達は同じだよ」

 

 渚の拒絶を千春はそう捉えている。

 

 まさか目の前の少女がマーザリグの男達に弄ばれているとは思っていなかったのだ。千春は自分が目を引く容姿だと自覚していたが、渚よりずっと歳上の自分にすら奴等は触手を伸ばしたりしなかった。

 

 実際には……千春ほどの異能持ちは大切で、何よりも脅威だからだ。呪縛は万能ではなく、何かのきっかけで解き放たれたらマーザリグに牙を向くだろう。

 

 だから、渚の良心は苛まれ、傷付き、泣いていたのだと千春は思っていた。文字通りに身体は汚れ、人に触れると記憶が鮮明になって、異能に依り明晰な悪夢を見せられてしまうとは想像すら出来ない。そして千春に知られたく無い、穢したりしたくないと思っているなど……

 

 ノロノロと渚は顔を上げた。涙は何度も流れ、それでも止まらなかったのだろう。真っ赤に染まった瞳と腫れた目蓋が痛々しい。綺麗な顔はクシャクシャに歪んでいた。

 

「またお菓子をあげるから。お願いを聞いて欲しいな」

 

 それを見ていないかの様に千春は両手を広げた。渚に身体を向け、さあどうぞと時を待った。

 

「私は……」

 

 ゆっくりと身体が傾く。何かを恐れる様に最初は戸惑ったが、結局は力が抜けてポスリと頭が千春の胸に収まった。暫くそのままだったが、横向きだった顔を前に向けて渚の表情は見えなくなる。両手を千春の背中に巻き付け、ギュッと力が入ったのが分かった。

 

「震えてる。もしかして私かも」

 

 態と茶化す様に渚の背中を摩った。思っていた以上に背中は小さくて酷く哀しくなる。その内にすすり泣く声が暗闇に混じり始めた。その声は千春の胸に埋まった少女から溢れ出して、それでも我慢しているのか号泣には変わらない。だから千春は優しく、ずっと背中を摩ってポニーテールで纏めた黒髪に唇と鼻を当てた。

 

「泣いたっていいの……いいのよ」

 

 香った匂いは何故か陽咲に似ている、そう思った。

 

 堪らない愛おしさが溢れ出し、千春の瞳にも滲み出る涙がホロリと溢れていく。この狂った世界と帝国も今は消えて無くなり、互いの体温だけが全てに変わっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 依存なのだろう。いや、共依存なのかもしれない。

 

 あの日から渚は出来るだけ千春の側から離れなくなった。戦場に行き、無事に帰ればキョロキョロと姿を探す。異能を使い、どんなに距離があっても探し出した。早足で駆け寄ると、少しだけ離れた場所に立ち止まる。許しが無い限りはそれ以上近づいたりしない。それが堪らなく可愛くて千春も最近は渚を探してしまうのだ。

 

 渚は千春を姉として、何よりこの世界で唯一人の愛する人になった。男の自意識なんて最早記憶の中にしか存在しないし、性欲を感じる事すらない。それでも……抱き締められたなら幸せだった。

 

 千春にとっても渚はもう一人の、陽咲と同じ大切な妹になった。何にも変え難い、必ず連れ帰ると誓う女の子だ。陽咲にも会わせて、二人一緒に抱き締めて眠る。きっと幸せで、ずっと続いて欲しい時間になるだろう。

 

 千春は確かに年齢に似合わない落ち着きと知性を持っていた。大学生だからと言って大人になったつもりなどないが、陽咲はいつまでも子供だった。

 

 渚は誰にも明かしたりしていないが、同じく大学に通う学生で、少し斜に構えた捻くれ者だったと自覚していた程だ。

 

 しかしそんな二人でも、ある日突然に異世界に連れ去られ、直ぐに狂った戦場に放り込まれたのだ。心は傷付き、声にしなくても助けを求めていた。

 

 そんな二人が惹かれ合い、依存するのは必然だった。

 

 想いは僅かにすれ違っていても、互いを愛していたのは間違いない真実なのだから。

 

 

 

 

 食事は出来るだけ一緒に。

 

 水浴びだけは渚が頑なに拒否した。何故か衣服に隠れた肌は絶対に見せたりしない。

 

 それでも髪を互いに梳かしたり、結ったりもする。

 

 二人が揃う毎日、抱き締め合って眠る。

 

 朝は千春が渚にキスをした。

 

 最初はおでこ、そのうちに頬へ。

 

 渚が恥ずかしがるのが千春は好きで、何度もしてしまう。

 

 最近はほんの少し、一瞬だけ渚が笑う。

 

 千春だけは、千春に抱き締められた時は、嫌な記憶が浮かんで来ないから……

 

 渚の帰れない絶望と千春の帰還への希望はピタリとパズルの様にはまったのだ。二人は離れる事が出来なくなっていく。いや、想像すらしない。

 

 最初の出会いから半年以上経っても、二人の距離に変化などなかった。

 

 

 

 

 

 

 だから……慣れた筈の絶望は、あっさりと、簡単に襲って来る。

 

 此処はどこまでも、狂った世界だった。

 

 

 

 

 

 

 



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千春⑸ 〜希望〜

 

 

 

「生きて、帰りなさい……こんな狂った世界に居てはダメ……渚、大好き、よ……」

 

 

「千春……」

 

 

「お願い……お姉ちゃん、て、呼ん、で……」

 

 

「お姉……」

 

 

 世界は真っ白に染まっていく。

 

 喉は震えるだけで、それ以上声も出なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

(なぎさ)!」

 

「……なに?」

 

 それぞれの戦場から帰った二人はいつもの様に互いを探し出した。渚は異能から直ぐに見つけていたが、キョロキョロと自分を探す千春(ちはる)を眺める。そして目が合うと、全速力で渚の元に走って来たのだ。

 

「こっちへ! 大事な話があるの!」

 

 小さな手を取ると、早足で自室へと向かった。千春の部屋には簡易だが扉もあるし、他人の視線が少ない。歩幅の違いから渚は転びそうになりながら、それでも一生懸命について行った。彼女には珍しく、慌てている様だった。

 

 扉を閉める前に周囲を警戒して室内へ促す。

 

 入室した其処は渚の部屋とは違い、広くて清潔だ。鏡や机、水の入ったガラス瓶らしき物まである。ベッドもダブルサイズに近い。だから、二人眠る時は殆ど此の部屋になっていた。

 

 千春は渚をベッドに腰掛けさせると、床に片膝を付いて視線を合わせる。可愛らしい手を両手で包み、最近ますます美しくなっていく顔を愛おしいと思った。

 

「渚、よく聞くのよ」

 

「……どうしたの?」

 

「帰れるかもしれないわ」

 

「何処へ……?」

 

「勿論日本よ。あの懐かしい世界に帰る」

 

「そんなの、無理だよ」

 

 渚は呪縛から逃れる力が無いため、マーザリグの奴等が帰す気など存在しないと知っている。奴等は嬉々としながら渚を嬲り、同時に心を折る様に話すのだ。千春は其れを知らず、嘘の情報に踊らされているのだろう。もしかしたら知らない方が幸せなのかとも思う。

 

「誤解してる様だけど、この情報の出所はマーザリグなんかじゃないわ」

 

 だが、まるで全てを知っているかの様に話すのだ。

 

「……どういう事?」

 

「ベルタベルン王国を知ってる?」

 

 フルフルと小さな顔を振り、ポニーテールが揺れる。偶に見せてくれる渚の可愛らしい仕草が千春を喜ばせたが、表情を変えずに続きを伝えていった。

 

「かなり遠い国だからマーザリグとは開戦してないわ。表向きは一応の同盟国らしいし。でもマーザリグの野心は誰にも明らかだから、幾つかの対策を練ってる。その内の一つが逆召喚……異人を元の世界に還す方法よ」

 

「逆召喚……」

 

「確証を得るまで渚には話してなかったの。期待させてやっぱり駄目だったなんて可哀想だからね。でも、もう話しても大丈夫」

 

 つまり、確証を得たと言う事だ。

 

「そんな事、有り得ないよ。騙されて……」

 

「ベルタベルン王国の王、彼の名は……まあそれはどうでもいいの。大事なのは隠されていた名ね。彼の名は遠藤、遠藤(えんどう)武信(たけのぶ)。何十年も前に日本から転生したらしいわ。直接は流石に会ってないけど、漸くバレずに手紙の遣り取りが出来た。情報交換はしていたけど、マーザリグにバレる訳にはいかなかったから」

 

「日本人?」

 

「そうよ。手紙には綺麗な日本語が書かれていた。この世界で、マーザリグ以外に日本人なんて居ると思う?」

 

「それは……そうだけど」

 

 渚はまだ信じる事が出来ない様だった。

 

「勿論私も最初は半信半疑だった。そもそも何で彼自身が帰らないのか不思議だったし」

 

「うん」

 

「彼は事故的に転生したらしいけど、今はこの世界に家族が居て、ベルタベルンを守らないといけない。私は王なのだから……此れが疑問に対する彼の言葉よ。何より逆召喚を勧める動機があるでしょ?」

 

「マーザリグの戦力を低下させる事が出来る」

 

「そう。最終的には大々的にコマーシャルするつもりらしいけど、方法が問題なの。最初の逆召喚だけは現地で行う必要がある。つまり、あの地下室に行かないといけない。一度パスが出来れば、後は場所を選ばずに可能になるって。成功させるピースは幾つかあるけど、私なら条件に見合っているから大丈夫よ。此れはベルタベルンの、マーザリグを潰す為の軍事作戦なの」

 

「知られたら、マーザリグは警戒するだろうね。あの場所に近づく事さえ難しくなる」

 

「だから、少人数で、素早く、あの場所に行かないと。仲間は増やさない、呪縛の所為で情報が漏れたらお終いだからね」

 

「知ってたの?」

 

「当たり前でしょ?」

 

「なら、私を連れて行かない方がいい。寧ろ囮りとして騒ぎを起こす……イタッ」

 

「馬鹿な子ね。最初に逆召喚するのは渚と決めてる。貴女を残して先に帰る訳ないでしょう」

 

「だって……」

 

「私が守る。渚はその眼で警戒をお願いね」

 

「でも」

 

「"でも"も"だって"も無い。渚ったらまるで陽咲みたいよ。私がそう決めたから決定なの」

 

「危険過ぎるよ。千春一人ならどうにでも、イタッ」

 

「我儘は駄目よ。渚は私の妹なんだから言う事を聞きなさい。嫌なら私も行かないわ」

 

「無茶苦茶だ……」

 

「あら? 今頃気付いたの?」

 

 そう言って千春は笑う。長い真っ直ぐな髪が揺れて綺麗だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長年を懸けて準備していたのだろう。ベルタベルンの間諜、つまりスパイがマーザリグにも喰い込んでいた。現代日本にいた遠藤武信は情報の重要性を熟知しており、専門の人材を育成していたのだ。彼は正に名君だと分かる一例だった。ましてや魔力全盛の世界では破壊力や殺傷力こそが正義で、帝国には蓄積した驕りがあった。

 

 渚を連れて行くなど簡単では無い筈だったが、いとも容易くマーザリグの本拠地に入る事が出来る。予め渡された命令書は効果を発揮して、幾つかある門を抜けて行くだけ。間違い無く偽造だろうに、誰一人として疑わないのだ。

 

「流石に此処からは実力行使しかないね」

 

 この先はマーザリグの高位貴族や武官が多く出入りしており、何より異人を集める召喚の広間があるのだ。

 

「どうするの?」

 

 警備の量も、武装の質も変わった。

 

 そして、渚の眼には明らかに厄介な魔法を駆使する戦士の姿が多く見える。カエリーなど文字通りの玩具でしかなく、隙をつこうとも効きはしない。障壁を抜くには何度も攻撃して魔力を消費させるか、其れを超える魔法をぶつけるしかないのだ。渚の魔力は彼らに比べれば吹けば飛ぶような塵と同じだ。

 

「渚」

 

「何?」

 

「私を信じてくれる?」

 

「うん」

 

「ありがとう。じゃあ……辛いけど、耐えてね?」

 

「千春の好きに」

 

 全く躊躇なく肯定する。死んでくれるかと聞かれても同じ言葉を返す確信があった。もう渚には千春しか見えていない。

 

 そんなもう一人の妹を見て姉の瞳は悲しい色を纏ったが、それでも今はやるべき事がある。

 

 突然に渚の平衡感覚が失われた。立っている事が出来ない。これはまるで……召喚されたあの日の……

 

 フラリと地面に倒れる筈の身体は千春によって横抱きにされた。朦朧とする中、渚は何とか意識を保つ。だが次の不快感に耐える事など出来ない。身体中に無数の虫が走り回る感触、そして其れは皮膚表面だけではない。血管の一本一本にまで這い回る。

 

「う、お、おぇ……」

 

 脂汗、悪寒、震え、圧倒的な恐怖。そして渚は嘔吐した。吐き気は止まらず、横抱きしている千春の衣服も汚れていく。

 

「渚……ゴメンね。此れだけは事前に伝える訳にはいかなかったの。貴女の呪縛を奴等以外が作用させたら直ぐにバレてしまう。意識すらしては駄目なのよ……だから言えなかった。もう奴等に見つかっただろうけど、呪縛は貴女を縛らない。だって私が貴女を掴んでいるから」

 

 抱き締めて、もしかしたら伝わらないと思いながら、それでも千春は語り掛ける。渚の美しい(かんばせ)は酷く歪み、紫色した唇周りは吐瀉物で汚れている。汗も震えも止まらない。見るだけで辛くなる妹の苦痛だが目を逸らしたりしない。

 

「う……だ、だい、じょう、ぶ。お、ぇ……服、汚れ……ごめ」

 

「服なんて……渚、頑張って。今から奴等と一戦交えるから、揺れるわ。辛いだろうけど眠っては駄目。呪縛がまた貴女を縛ってしまうから……舌を噛まない様に私の胸でも肩でもいいから歯を立てておくのよ。聞こえた⁉︎」

 

 話すのも億劫なのか、コクリと小さく首を振った。

 

「カエリースタトス、聞こえているでしょう。お前の自由も奪ったわ。余計な邪魔をしたら破壊するからね」

 

 返事は無い、いや返事など出来ないだろう。

 

 千春の圧倒的な魔力の前に誰もが平伏すしかないのだ。少しずつ高まっていく魔力の波は物理的干渉を周囲に与え始めた。

 

 漸くマーザリグの連中が気付き、騒ぎが二人に届く。

 

 それはそうだ。

 

 今迄全力を千春は見せた事がない。油断を誘うために絶えずコントロールし、その中でも鍛錬を欠かさなかった。そう、マーザリグに煽てられる道化を演じてきたのだ。全ては今日の為、陽咲に再び会う事がエネルギーだったが、それも一人増えた。

 

 マーザリグなど最初から信用していないし、色々と暗躍してきたのだ。だからこそベルタベルンとの接触もあった。

 

 だが、もう隠す必要もない。邪魔する奴等は蹂躙するだけだ。

 

「さあ、行きましょう」

 

 この世界で最も強大な魔力を持つ、最高峰の魔使いが前に進むのだ。

 

 懐に愛する者を抱きながら。

 

 マーザリグ如きに止められる千春ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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千春⑹ 〜愛する人〜

 

 

 

 

 

 マーザリグ城は炎上していた。

 

 強固な筈の城壁は崩壊し、尖塔も横倒しになっている。この城には数こそ少ないが、世界的な名声を誇る将軍や魔使いが居て、最新式の武具もあった。前線に戦力を集中しているとは言え、想定外だったのだろう。

 

 特に厄介な異能持ちの異人達は、倒れ伏して呻いていた。

 

 全ての元凶、渚を抱く千春はペースを乱す事なく前へ進む。

 

 四方から凡ゆる魔法や魔弾が飛来するが、千春の障壁を突破する事が出来ない。それどころか飛来した方向を即座に探知し、まるで自動的に行われている様に反撃の魔法が飛ぶ。

 

 正確で、速く、圧倒的な魔法は光線だった。

 

 真っ白な線は魔使いの張る障壁、城の防護壁、盾を紙のように貫き直進する。身を隠しても意味は無い。唯一の救いは攻撃を加えなければ反撃の光が襲わないことか。

 

 指揮官の怒号、兵士の悲鳴、城が鳴く轟音、ゴウゴウと唸る炎と風。

 

 誰一人としてその歩みを止める事が出来ない。

 

 あの懐かしい世界へ帰る方法を知った今、千春は全ての魔力を吐き出すつもりだった。何より自分の胸に抱かれる渚の温かさは更なる力を与える。苦しいのだろう……絶えず身動ぎして、唇は真っ青だ。歯を食いしばり、それでも意識を失わないよう耐えている。

 

 もう後の事など気にはしない。残る異人達はベルタベルン王が何とかする手筈だ。

 

 時間を掛ければ前線から一流の奴等、飾りでは無い本物の兵士達が参戦するだろう。流石の千春も連中が集まれば厳しい戦いになる。一人ずつなら負ける気はしないが、当然相手が良い子で待つ訳がない。

 

 急がないとーー

 

「渚、もう少しだから頑張って」

 

 苦しそうに、しかし薄く目蓋を開けて見返す。小さくとも三年の長きに渡り戦って来た戦士だ。流石だと千春は思った。

 

 抵抗しなければ不可避の光線が襲わないと理解出来たのか、魔法の乱発が少しだけ弱まる。視界が広がり、その事で目的地までの距離と方向も明確になった。

 

 散発的に障壁が輝き、ほんの僅かだが魔力が減少していく。この為に開発し予め構成していた魔法はタイムラグ無く反撃を行うので二重に減少するのだ。だが、足を止めるほどではない。

 

「建物に入ったわ。あとは地下に向かうだけよ!」

 

 ちょっとでも精神的負担を和らげようと、経過を言葉にしていく。はぁはぁと息を荒げ、汗は変わらず止まっていない。千春の腕に熱い体温と揮発する汗の冷たさが相互に襲い、渚の苦しみが伝わる。マーザリグの呪縛から守る為と分かっていても酷く心は痛んだ。

 

 最後の曲がり角を過ぎると、先に目的地が見える。岩に見える扉は幸運な事に開け放たれており、あの広間を見通せた。召喚当初は余裕もなくただの岩で囲まれた部屋と思っていたが、複雑な紋様が床に描かれているのが分かる。

 

「渚、見えたよ!」

 

 もう駆け足に近い。渚の手前しっかりとした姉を気取っていた千春も、一人の誘拐されて来た女性だ。帰れると思えば、冷静さを失う事を誰が責められるだろう。愛しい世界、過ごした日本、狂おしいほどの渇望。もう少しで陽咲(ひさ)に会える……千春は全く抵抗の無くなったマーザリグに疑問を抱かず進んで行く。

 

「……? 渚、どうしたの?」

 

 その時、渚が力無い右手で千春の胸を叩いたのだ。そして何とか言葉を紡ぐ。

 

「ち、はる……油断、ダメ、何か」

 

 渚の戦士としての、長年の狙撃手としての経験が何かを察知した。それは千春にすら無い力。渚は何時も一人で、凡ゆる環境を味方にして戦って来たのだ。そして異能により、不自然な空気の流れが見えたから。

 

「何か……?」

 

 しかし、千春の感知には一切掛からない。念のためにより強く感知を行った。やはり全く感じない。渚を見れば、再び苦しい感覚と戦い始めたのが分かった。

 

 気のせい? 渚だって普通の状態じゃないから……

 

 だから、千春は判断を誤ったのだ。

 

 圧倒的な魔力と破壊的な戦闘力。目の前には日本へ帰る扉が。戦闘と戦場の経験は、千春であろうとも渚には敵わないのに……

 

 警戒しつつも一枚板の様な岩の扉をくぐる。

 

「……あっ」

 

 ほんの一瞬、本当に僅かだった。千春の障壁が消えた。防御の上では大した問題にはならない時間。事実飛んできた魔法には反応が間に合い、見事に弾いた。だが、問題は其れではない。

 

「渚!」

 

 間違いなく異人だろう。青白く滑る肌、複眼、穴だけの耳、頭髪はない。そして、渚よりも小さな子供。感知にも掛からない無に等しい魔力。この世界の生きるなら少なからず魔力があるのに、この子には……

 

 何より無邪気な心。殺気も敵愾心も持ってないのだ。

 

 その子の腕に渚が抱き締められていた。千春から奪われた愛しい妹は意識を失っているのが分かる。グタリと腕を垂らし、頭も動かない。つまり、呪縛から守る事が出来なくなった。またマーザリグの言うがままに自由を奪われてしまう。

 

「千春殿、大変な事を仕出かしましたな」

 

 そして隠されていた別の入り口から広間に入って来た男がゆっくりと呟く。両手に革紐を何重にも巻いている。痩せこけた頬に反して身体は異常に大きく、金色した髪は乱雑に流していた。ねめつく目と荒れて傷だらけの顔が嫌悪感を抱かせる。

 

 続いて四人の魔使いと兵士。異人の子供から渚を受け取ると、別の一人に預ける。千春は攻撃が出来なかった。渚には魔法を防ぐ手段がない。

 

「アゾビズ……まだ前線の筈」

 

 千春が所属していた大隊の指揮官でもあり、マーザリグ有数の魔使い。短時間なら千春とでも互角に戦える数少ない本物の戦士だ。魔使いと言っても接近戦すら苦にせず、膨大な魔力を障壁と肉体強化に割いた攻防一体の厄介な相手……ある意味で千春とは対極な男だった。

 

「この娘が城に向かっていると知りまして。最近の行動から千春殿が関わっていると判断した次第です。我等も障壁を抜ける方法を研究してきましたが、どうです、この子は。我々すらも感知出来なかったでしょう」

 

 先程の青色した子供を見ながら、愉快そうに笑うのが分かる。

 

 丁寧な口調だが、アゾビズは残虐で人を甚振るのが好きな異常者と千春は知っている。だから渚が側にいない事が不安で仕方なかった。そもそも渚の呪縛は千春の意思で作動させたのだ。奴等に伝わったとしても時間が合わないーー

 

「何故……渚には」

 

「おや、ご存知ない」

 

 更にニヤリと笑い、後ろに合図を送った。それはとても汚らわしい笑みだ。

 

「う……」

 

 意識を取り戻した渚は誰かに抱き竦められていると知り、恐慌に陥った。誰かが、触れている……

 

「叫ぶな」

 

 しかし、掴んでいる男が一言呟くと渚は声すら上げない。真っ青な顔をそのままに、ガタガタと震え出した。

 

「この娘は我等の()()。勝手に連れ出されては困ります。まあ此奴は従順で愛い(うい)奴でございますから、その身体で素晴らしい情報を持って来てくれます」

 

「……アゾビズ、渚に何を」

 

「御安心下さい、彼女の意思ではありませんよ。彼女の身体は()()()()()で染まっているだけ。中々に骨の折れる行為ですが、楽しくもあるものですよ。毎夜毎夜、貴女がいないとき……三年も掛けたある種の魔法ですな」

 

 醜い、男の肉欲を感じさせる笑み。その意味を、言葉の真意を信じたくない千春は思わず渚を見てしまう。同情、怒り、不信、そして普通なら感じる事すら有り得ない僅かな侮蔑。だが、渚の異能は千春の小さな表情の変化と瞳の色を捉えてしまう。

 

 渚にはっきりと絶望が浮かんだ。そして千春はすぐに後悔する。

 

「違う! 違うの、渚‼︎」

 

 俯き、ポタポタと涙が溢れる渚はもう千春を見ていない。

 

「さて、千春殿。障壁を解いてください。話し合いましょう」

 

「ふざけないで! よくも渚を……」

 

「ほう、此れは困りましたな……ふむ、では渚よ。この三年間の素晴らしい思い出を千春殿に丁寧に教えるのはどうだ。隠しては駄目だぞ? お前の気持ちも、感覚も、記憶している情景も、吐いた言葉も、全てを千春殿に伝えるのだ」

 

 既に異常な段階だった渚の震えが、見るに耐えない程になった。愛する人に、下劣な行為を行なった男達の前で吐露する。そんな事が出来る訳がない……だが強い呪縛は渚の心を塗り潰す。

 

「わ、わた、私は、初陣、の前の晩に……」

 

「分かった! 分かったわ‼︎」

 

 渚の精神が狂うと分かってしまった千春は思わず叫ぶ。

 

「渚、止めろ。くく……そうですな、千春殿には()()()()()()をして貰いましょうか。この日を夢見てきましたが、まさか叶う日が来ようとは。貴女が従順である限りは渚は無事だと保証しますよ。さあ、障壁を」

 

 周囲の男達にも下衆な笑みが浮かんだ。

 

 千春にも絶望が襲う。どれだけ魔力が強くても、心を鍛えられない。いや、鍛えてどうにかなるモノでもないだろう。

 

 だが……誰もが予想出来なかった事が起きる。そのアゾビズの言葉を聞いた渚が何かを決意したのだ。ボヤけた頭の中に言葉が響いた。

 

 薄汚い奴等が千春に触れる? あの言葉にするのすら出来ない酷い行為を?

 

 そんなの、そんな事を許せる訳がない……

 

 渚の、衣服に隠された肌に青白い血管が浮き出る。ドクドクと異常な早さで脈動し、経験した事のない悪寒が襲った。直ぐに意識は消え掛かり、視界は暗く狭まる。何より、皮膚を剥ぎ取りたくなる程の気持ち悪さが全身を襲うのだ。瞳は充血し、今にも破裂するのではと錯覚する。

 

 五秒、いや三秒でいい……

 

 気が狂いそうな、いや半分正気を失った渚は、それでも力を振り絞る。

 

 千春は、私の、全てーー

 

 

 だから、ボソリと呟いた。

 

「……歪め(ディストー)

 

 ナイフ形態からハンドガンへと変形したカエリー。渚は自らの顎へ銃口を向けて笑う。噛み切ったのか口元からは血が滴った。呪縛は変わらず苛んでいるのに、渚は笑ったのだ。アゾビズも慌てて止めるタイミングを失った。

 

「千春、今までありがとう。貴女は帰って」

 

「馬鹿な! どうやって呪縛を! くっ……渚‼︎ 命令だ! カエリーを捨て……」

 

 間に合わない。

 

 簡単に引き金を引くだろう。渚が自らの死などに頓着しない事は十分に分かっていた。だから、千春もあっさりとすべき事を行動に移した。主人から死を遠ざける役目を負ったカエリーで自死出来るかは不明だったが、万が一を許せる訳はない。

 

 叫ぶアゾビズ達の視線が渚に向かった瞬間、千春は真後ろに魔法を放った。其れは爆裂の魔法で、広間の壁に向かう。

 

 爆発……凄まじい轟音と共に、爆風と瓦礫が飛んでくる。そして千春は瞬間に障壁を解除した。障壁があると爆風も瓦礫も無効化されてしまうからだ。飛んで来た其れ等は千春を襲い、同時に身体ごと吹き飛ばした。

 

 腹部、脚、肩に破片は突き刺さり、頭部にも当たったのか出血が始まる。千春は其れ等を無視して、浮き上がった身体を驚いた顔の渚に無理矢理に飛ばした。距離を殺したのだ。

 

 柔らかくて小さな身体を抱き留めると、飛ぶに任せて壁に激突。やはり障壁は張らない。愛する妹を弾いてしまう可能性など認めないからだ。だから当然に千春は自らをクッションにして渚を庇った。此れらは瞬きすら出来ない一瞬の出来事だ。

 

「な、なんだと⁉︎ 千春! 貴様!」

 

 千春殿呼びも忘れ、アゾビズは叫ぶ。残りの奴等もふき飛ばされたのか、それぞれが倒れて呻いていた。

 

 そして直ぐに広間に淡い光が漏れ出した。逆召喚の第一段階だ。同時に空間は障壁に似た半透明の壁に覆われる。この瞬間誰一人として広間から脱出は出来なくなった。飛ばされながらも行使した千春の魔力の結果だ。

 

「おのれ! 貴様ら何をしている! 早く止めろ‼︎」

 

 だが其れは不可能だろう。千春の更なる魔法が放たれたのだから。渚を傷つけた奴等を許す訳がない。

 

「魔法など、躱してくれ……なっなに⁉︎」

 

 其れも不可能だ。

 

 今まで当たり前に撃っていた光線ではなかった。見た目は薄い白い板、だけれど内包する力は憤怒した千春の魔力。その板はゆっくりとマーザリグの連中に迫ってくる。広間は閉ざされ、逃げる場所などない。魔法の板はピッタリと隙間を覆い、少しずつ近づいて来た。触れなくても分かる酷く暴力的で、見た目に反した恐ろしい魔法……

 

「な、な……」

 

 ゆっくりと進む。まるで恐怖を煽るように、渚の苦しみを知れと。

 

 

 

 千春は床に仰向けになった渚を覆う様に両手をついた。長い髪が垂れて、サワサワと渚の頬を撫でる。

 

「渚、もう大丈夫よ。怪我はない?」

 

 そして笑顔を浮かべ……

 

 赤く染まった身体をそのままにしてーー

 

 

 

 

 

 



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千春⑺ 〜帰還〜

過去編ラスト


 

 

 

 

(なぎさ)、もう大丈夫よ。怪我は無い?」

 

 呆然と千春(ちはる)の美しい顔を見上げた。

 

「嘘、だ……」

 

 何本か尖った石が千春の身体を貫いている。

 

「貴女を苦しめた奴等は生かしておけないわ。塵一つ残さないから安心しなさい」

 

 背後からは何やら叫ぶ声が聞こえる。話し合おう、渚は自由にする、二度と近付かない、助けて、と。千春は当然耳など貸さず、渚を見詰めた。

 

「ごめんね、鈍感な姉で。苦しみの全部を知らなくて……」

 

 フルフルと頭を振り、渚の眼に涙が滲む。言葉が出ない。

 

「その仕草、好きよ。でも泣き顔は嫌い」

 

 アゾビズ達の悲鳴が響き渡るが、やはり千春は見向きもしなかった。

 

 

 ポタリ。落ちた血が渚を紅く染めた。

 

 一滴、一滴と頬に落ちて来る。

 

 温かい……

 

 命の温度……

 

 

 

「千春……どうして……」

 

 

「理由? 簡単よ、渚が大好きだから……」

 

 

「血が……千春の血が……」

 

 

「不思議、痛くないわ。ちょっとだけ寒いけど」

 

 

「やめて……」

 

 

「渚。もし陽咲(ひさ)に逢えたら……あの日ごめんなさいと伝えてくれる? 貴女の姉は……千春は陽咲が大好きだって」

 

 

「や、やめてよ……お願い……」

 

 

「渚のお願いは何時も難しいね。叶えてあげたいけど、もう……無理みたい」

 

 

「……嫌だ」

 

 

「生きて、帰りなさい……こんな狂った世界に居てはダメ……渚、大好き、よ……」

 

 

「千春……」

 

 

「お願い……お姉ちゃん、て、呼ん、で……」

 

 

「お姉……」

 

 

 世界は真っ白に染まっていく。

 

 

 喉は震えるだけで、それ以上何も聞こえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと重い目蓋を上げる。

 

 

 

 少し燻んだ色合いのフローリングの床。

 

 2DKの賃貸アパートは家賃の割に広い。ダイニングの向こう側にも部屋があり、子供の頃から愛用している学習机が見えた。その上には紙切れが何枚か。夜なのか、窓の外は暗い。青色の遮光カーテンは力無く垂れている。

 

 うつ伏せに横たわったまま、渚はボンヤリと眺めた。

 

 此処は間違いなく自分の住んでいた部屋だった。三年前、大学に提出する予定のプリントに書き込んでいた時と変わっていない。

 

 身体に力が戻り、少しずつ感覚が戻っていく。すべては夢だったのかと、夢であってくれと思った。しかし、それもわずかな時間で否定される。慣れた感触が右手から伝わり、其れはこの三年間ずっと共にあったから見なくても分かってしまう。

 

 カエリースタトスの冷たい肌が感じられて、同時に自らも変わらず少女のままだと理解した。

 

 つまり、全ては現実に起きた事。

 

「千春……」

 

 やっぱり甲高い女の子の声だ。

 

 さっきまで存在を感じていた愛する人の姿はない。記憶では体が泡の様に分解されていって、視界が白く変化した。千春をあんな世界に残したくなくて、必死に抱き締めようと……なのに、泡となっていく指や手から何も感じられなくなって悲鳴を上げた。どう叫んだのか憶えていなかった。

 

「千春? 千春、どこ?」

 

 誰も答えない。あの優しい声は耳に届かない。

 

 一人、帰って来た。懐かしい世界、懐かしい日本なのに幸せなど欠片も感じない。外からは車の走る音や遠くからは電車の騒音が響くのに。

 

「嘘だ」

 

 上半身を起こし、両膝をフローリングに立たせた。

 

 見たくない、現実を直視なんてしたくない。それでも渚は部屋の全てを見渡した。

 

「いない……誰も」

 

 直ぐ側に居た大好きな千春の姿はなかった。例え万が一に命が尽きたとしても、この世界に帰還したなら少しは救われたのに。あの狂った世界に、マーザリグの地下に残して帰って来てしまったのか……

 

 のそりと立ち上がり、フラフラと前へ歩く。硬い革靴を履いたままだが気にもしない。畳を踏み締め、机の上にある書類を見た。記入は約半分で、間違いなく昔の自分の筆跡だ。日本語で、平仮名と漢字が目に入る。

 

 此処はマーザリグじゃない。

 

 視線を下げた事で服が赤褐色に染まっているのが分かる。千春の血だった。直ぐ横にある低床のベッドに身を投げ、渚は動かなくなった。

 

 何故か涙は溢れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 異能を使い、千春との出会いや日々を見直している。

 

 もう二日もベッドの上に横たわり、アルバムを鑑賞する様に何度も、何度も、何度も。残念な事に映像だけで、声音も匂いも体温も感じない。だけど、千春の顔や姿だけは綺麗なままだ。揺れ踊る長い黒髪が美しい。

 

 他に何も見たくない、感じたくない、在るのは千春だけでいい。

 

 渚は自身が衰弱していくのが分かったが、心からどうでも良かった。息が止まる瞬間まで千春を側に感じたい、ただそれしかない。

 

『マスター、水分を摂って下さい。身体機能の低下が顕著です』

 

 カエリーが幾度も渚を促すが、反応も返事もしない。

 

 その日も陽が暮れて、夜が訪れようとしていた。

 

 ……()()……異能……久しぶりに

 

 渚の意識が浮上していく。

 

 帰って来て初めての事だった。横たわったままに耳を澄ます。いつの間にか点灯していたテレビからの音声のようだ。いや、最初から点いていたのかもしれない。

 

「いやぁ、仰る通りです。レヴリに有効とされながらも念動(サイコキネシス)は滅多に現れませんから。しかし、この発表は朗報ですよ!」

 

「まだ名前だけですが、間違いなく念動の持ち主との事ですね。警備軍からの情報では、過去最高の力を持つかもしれない……此れを信じてよいのでしょうか?」

 

「断定は出来ませんが、可能性は高いと思います」

 

「ほう、それはどうしてでしょう」

 

「正式なお披露目が半年後だからですね。強力な異能ほど使い熟すのに時間が必要で、ましてや念動となると。しかしながら、異例の早さだからです。未熟なまま世間に知らせると良からぬ輩が現れるかもしれません。しかし安定しているならば危険はグッと下がる。発表時期は慎重に選ぶものです」

 

「なるほど。では期待出来ると」

 

「ええ、だから情報を公表したのでしょう。既にかなりの使い手となっているのは間違いありません。名前は何でしたかな?」

 

「第三師団の管轄で、かの有名な三葉司令の元に配属となります。名前は、(あかなし)陽咲(ひさ)、杠さんですね。危険な任務に命を賭けて挑む、まさに英雄の卵……」

 

 その名が渚に届くと、ぼんやりとしていた意識が戻る。

 

「危険な任務……アカナシ、ヒサ……命を賭けて?」

 

 千春が何度も口にした名前、大好きな妹だと。

 

 話す内容の意味は分からないが、苗字と名前が一致するなどあり得るだろうか? 何れも中々耳にしない響きで、渚は偶然と思えなかった。

 

 身体を引き摺るようにテレビの前に座る。全身が酷く重くてふらつくが無視した。両膝を抱えてジッと画面を眺める。

 

 どうやら軍?に志願した兵士の様だ。渚の記憶では日本には軍隊は定義上存在しない筈だった。自衛隊と呼ばれる組織はあったが、この様にテレビで発表されるなど聞いた事がない。レヴリと言う聞き慣れない単語は敵性の存在を示唆している。命を賭けてとは、このレヴリとの戦争を表しているのか……未だ理解が及ばない渚だったが、陽咲と呼ばれる人が近々戦場に赴く事は分かった。

 

「行方不明のお姉さんを探しているそうです。何とも健気な人ですね……頑張って頂きたいものです。では、次のニュースに……」

 

「行方不明、お姉さん……」

 

 もう間違いない。

 

 渚はテレビを消し、閉じていたノートパソコンを開いた。電源を入れて立ち上がるのを待つ。ふと喉が渇いているのを自覚して、ダイニングの冷蔵庫に向かった。記憶では二年も経っているが、その中身に変化はない。ペットボトルのミネラルウォーターを取り出し、蓋を取ろうとした。しかし、中々開かない。体力が落ちているのは勿論だが、何より筋力が大幅に下がったのだ。

 

 昔はごく普通の男子学生だったのを思い出して顔を顰める。

 

 ペットボトルを腿の間に挟んで、頑張ってキャップを捻る。暫くグググと力を込めていると、漸く音がして蓋が開いた。

 

 コクコクと喉を鳴らし、久しぶりの水分を身体に補給する。図らずも愛銃の言う通りになったが、そのカエリーは何も言わなかった。

 

 そして汗と血の匂いをそのままにして、再び畳部屋に戻る。

 

 今から出来る限り調べて、陽咲の居場所を見つけるのだ。顔は分からないが情報は転がっているだろう。

 

 レヴリ、命を賭けて、第三師団、三葉司令、そして名前。テレビで言う位なら探すのも苦労しないと予想出来る。意味不明な言葉達もついでに調べたら何か判明する筈だ。そうつらつらと渚は考えながら、ノートパソコンの前に座った。

 

 もし彼女が何かと戦うならば、必ず守らなければならない。この穢れた身体も、ちっぽけな命も、全てを千春に捧げるのだ。千春の死は、間違いなく自分の存在が原因なのだから。殺したも同然で、もし出会わなければ今頃は……

 

 あの人が愛した妹、陽咲の為なら自分など消えて無くなっても構わない。

 

 悲壮な覚悟を千春は嘆くだろうか?

 

 それでも……

 

 

 

 

 それは……渚と陽咲が出会う、半年前の事だった。

 

 

 

 

 




再び陽咲達の世界へ戻ります。


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新たなる戦場

 

 

 

 

 揺れるトラックの荷台の中で景色をボンヤリ見ていた。

 

 私が殺した……それだけを言って(なぎさ)は立ち去り、振り返りもしなった。グチャグチャの頭の中と震える手足は言う事を聞かず、言葉の真意を問いただす時間すら許さない。

 

 

 何があったの?

 

 殺したってどう言うこと?

 

 

 そんな言葉が頭に浮かんでも、戻って来た三葉(みつば)に肩を叩かれるまで立ちすくむだけ。遠去かる少女の姿は思い出せるのに、全てがボヤけてしまう。

 

陽咲(ひさ)、大丈夫か?」

 

 明らかに憔悴した姪に目を合わせ、三葉は声を掛ける。

 

「……すいません。任務は何でしたか?」

 

「到着まで時間はあるが、それよりもお前だ」

 

 三葉の言葉に混じる気遣いを感じて涙が溢れた。強くなったつもりだった。何があろうとも渚を守ると誓ったのに。

 

「死んだって」

 

「……死んだ?」

 

 心の何処かで覚悟はしていた。誰よりも優しかった姉が長い間自分を放っておく訳がないと。千春お姉ちゃんは帰りたくても帰る事が出来ないのでは無いかと。

 

 幾つもある可能性から、もう駄目なのかもと考えてしまうのだ。だけど、それを認めたくないから我武者羅に走って来た。目を強く瞑って逃げていたのだろうか?

 

 陽咲は流れ出る涙を拭う力すら感じられず、自分より小さな身体の叔母に頭を倒して抱き着く。今は職務中で、作戦行動の前。それでも、分かってはいても耐えられない。今はただ誰かに支えて欲しかった。気付けば自身の唇から呻き声が、止める事の出来ない嗚咽があふれた。

 

「千春お姉ちゃん、お姉ちゃんが……死んだって……もう会えないって……」

 

 その言葉を聞いた三葉だって千春は我が子同然の大好きな娘。陽咲の様に子供ではなく、一人で立ち歩む事が出来る素晴らしい人間だった。それでも、愛する姪だ。

 

「千春が……そう……か……」

 

 滲む視界を自覚し、三葉は顔を上げた。幸い此処には二人以外いない。他の隊員達は先行したし、運転席からは見えない。

 

「叔母さん……どうしよう、どうしたらいい?」

 

 答えなど無い。其れは陽咲にもきっと分かっている。けれども混乱と絶望に染まった心は、有りもしない解答を求めるのだろう。

 

「私だって分からない……天使が、渚がそう言ったのか?」

 

「……うん。あの子が言ったの……」

 

 殺したってーー

 

 それは小さな慟哭だった。信じたくない答えを突き付けられた陽咲の心の叫びだ。

 

「殺した……?」

 

 胸に抱き締めた姪は何度も頭を振り、もう言葉も返せない。陽咲同様に悲しみに暮れる三葉だったが、その意味を素直に受け止める事が出来なかった。それは感傷などでは無く事実として違和感だ。

 

 特有の異能"千里眼(クレヤボヤンス)"を用いて何度も対象者"天使"を観察してきた。陽咲や情報士官の花畑(はなばたけ)にも言っていない感覚や仮説もある。

 

 印象は確かに冷たいのだろう。

 

 だが、それは彼女の持つ一面でしかない。

 

 遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)と持った先日の会談でも其れは肯定されたのだ。

 

 曰く、天使は()()()()()()()……圧倒的な戦闘力に惑わされがちだが、誰かを待つしか出来ない哀しい娘だと言っていた。本人は否定するだろうが、大人が見守って上げなければならないと。

 

 あの男は色々と問題があるが、人を見る目は頭抜けている。そして観察してきた三葉も同じ答えに辿り着いていた。だからこそ強制的に捕まえる事もせず、陽咲に接触させたのだ。そんな子があのタイミングで冷酷な答えを伝える?

 

「陽咲、辛いだろうけど教えて? 渚とどんな話をしたの?」

 

 しゃくり上げる喉を震わせながら、陽咲は何とか声にする。自身の気持ちを伝え、今度は私が護ると言葉にした事を。

 

「千春の最後の言葉……愛している、あの日、貴女の姉……か」

 

 矢張り不自然だ。考えれば分かる。自分を殺そうとする憎い相手に最も大切な妹への遺言を授ける訳が無い。其処には溢れ出る愛が込められているのに。そして、其れを態々伝えに来る? 命を賭けて危険な異界汚染地に潜り、それでも護った陽咲に? 三葉は確信を強めた。

 

「貴女を遠ざけたかったのね……深入りするな、自分に興味など持っては駄目だと」

 

「……どう言うこと?」

 

 顔を上げ、陽咲は真っ赤に染まった瞳を三葉に向けた。

 

「陽咲が自分で言っていたでしょう? あの子は人を拒絶してるって。恐らくだけど……二人は強い絆で結ばれていて、耐えられない現実が襲った。渚は其れが自分の責任だと思ってる。だから罪悪感に囚われた天使は、せめてもの罪滅ぼしをと考えてるのよ。私達の知る千春なら、貴女の姉なら不思議じゃない」

 

 あの感情を映さない瞳、若い娘に不似合いな精神、そして陽咲を護る動機……全ては合致する。孤独を求め続ける天使は罪の意識に縛られているのだろう。この世に舞い落ちた美しき堕天使だ。

 

「お姉ちゃんが渚を……」

 

「千春の話をする時、渚はどうだった?」

 

「……泣いてた、さっきも」

 

「ね?」

 

 ほんの少しだけ陽咲の瞳に力が戻った。絶え間なく襲う悲哀は消えないが、同時に姉を強く誇りに思う。三葉の話に確証などないが、予知(プレコグニション)すら内包すると謳われる"千里眼(クレヤボヤンス)"の叔母がそう言ったのだ。

 

「そう、ね……お姉ちゃんならきっと……」

 

「もしそうなら、そんなあの子を妹の陽咲が再び護る。ううん、それどころか哀しみに暮れる渚を助けてあげないと。そして千春なら褒めてくれる、違う?」

 

 フルフルと頭を振り、泣き腫らした瞳を三葉に合わせる。三葉も千春も好きな可愛い陽咲、小さく振った頭と再び決意を秘めた視線。奇しくも千春が渚に好きと伝えた同じ仕草だった。

 

 思わず陽咲の頭を抱きしめて、三葉は眼から溢れて来る雫を隠す。叔母と姪が再び涙を流すまで時間は必要なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 私室で何枚かの書類を眺めていた老人に、真っ直ぐな背筋を伸ばす執事然とした男が声を掛けた。

 

「旦那様」

 

 秘書であり、片腕として仕える大恵(おおえ)は振動するスマートフォンを指し示す。着信者の名前は当然に"天使"だった。彼女との連絡の為だけに二つ用意したモノだから当たり前だ。因みに、渚に持たせた方には"遠藤のお爺ちゃん"と入れてある。

 

 まあ、もう変更したかもしれないが……ニヤリと歪む唇を自覚しながら遠藤は其れを手に取る。

 

「遠藤のお爺ちゃんだ、電話をくれてありがとうよ」

 

 ほんの少しだけ沈黙が続き、可愛らしい声が遠藤の耳にも届いた。

 

『……情報が欲しい』

 

 あの綺麗な顔が歪んでいるのが容易に頭に浮かび、ニヤつくのを止められない。

 

「情報か……お爺ちゃんは肉より魚が好きだ。塩だけで焼くのが結局は一番だな。歳を取ると肉を胃が受け付けない」

 

『巫山戯ないで』

 

 本来のあの娘なら即座に通信を切るだろうが、欲しているのは情報で提供するのは此方。予想通りに通話は切れたりしない。だから益々遠藤に笑顔が浮かび、大恵は主人の悪癖に表情を歪めた。

 

「最近の孫娘はつれないな。老い先短い儂には優しくするものだぞ?」

 

『ついさっき出動のかかった警備軍の行き先を調べて。三葉司令も一緒だから簡単でしょう』

 

 勝手に決められた孫娘は当然に全く相手にせず、端的に伝える。

 

「そのまま一緒に行かなかったのか? ついさっき別れたばかりだろう?」

 

 今日の行動を当ててみせたが、遠藤に他意は無かった。そもそも近々接触があると事前に教えてあったのだ。其れを知る渚も動揺などせずに答える。

 

『行くわけない。急いで』

 

 彼女ならば何らかの方法で追えそうなものだが……そう考える遠藤だが、天使の異能にも不可能はあるのだろうと一先ず棚上げした。

 

「分かった。10分後に掛け直す」

 

 通話の切れた天使専用のスマホを置くと、有線の受話器を引き寄せる。外見こそ古びた電話器だが、盗聴などを許さない特殊な回線だ。そして短縮ダイヤルを押すと、二秒で相手が出る。

 

「……ああ、そうだ。頼む」

 

 先程天使に行った様な巫山戯た態度は其処にない。要望を伝えれば待つだけだ。

 

 冷めたお茶を口に含み、そして喉に通した時間で天使の求める答えが手に入った。受話器をガチャリと置くと、遠藤は大恵に視線を合わせる。約束の10分まで時間は余裕があるのは分かっていた。

 

「どう思う?」

 

「"カテゴリⅤ"にしては大袈裟に過ぎます。ましてや三葉司令直々のお出ましとは」

 

「ああ、重要性の高い天使との邂逅を中断してまで行うのは不自然だ。何かあったな」

 

 集めた情報は充分と言えない。どうやら混乱しているらしく、目的も曖昧だった。分かっているのは発火能力(パイロキネシス)の異能持ち、つまり土谷(つちや)天馬(てんま)を筆頭に集められている。そして未だ未完成と言っていい念動(サイコキネシス)まで投じるのだ。

 

 大恵の言う通り、カテゴリⅤに対して過剰な戦力なのは間違いない。

 

「考えられる答えは多くありません」

 

「ああ」

 

「一つはレヴリの大量発生。しかし溢れたならば警報が鳴らなければならない」

 

「聞こえないな」

 

「二つ目は異界汚染地、つまりPL(ポリューションランド)の新たな発見。これも可能性は低いですな。前兆もなく、ましてや三葉司令が見逃すとは」

 

「第三師団の司令が最も名を売ったのはPLの発生を予見し、同時に見事当てた事だ」

 

「はい。つまり残るは……」

 

「想像もしたくないが、間違いないだろう」

 

 そして、遠藤は机に置いていたスマートフォンを再び手に持った。時間はきっかり10分。

 

「待たせたな」

 

『いい。分かった?』

 

「場所は確定だ。天使が何度も潜ったカテゴリⅤのPL。此処からそう遠くはない」

 

『そう。それじゃ……』

 

「まだ話は終わってないぞ。迎えを回すから場所を言いなさい」

 

『要らない』

 

 予想通りの声を聞きながら、しかし遠藤に動揺はないのだ。

 

「時間が足りないかもしれん」

 

『……どう言うこと?』

 

「確証は無いが恐らく間違いない。向かった警備軍の戦死率が跳ね上がる可能性が高いぞ? 過去の戦歴からも想定出来るからな」

 

『貴方は何時も回りくどい。早く答えを』

 

「すまんな。つまり……」

 

 新種、新たなレヴリの発生だーー

 

 遠藤の言葉に最初の様な茶化す空気は見えない。

 

 

 渚にも其れは分かった。

 

 

 

 

 

 

 



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第四章
三葉花奏


 

 

 該当の"カテゴリⅤ"の手前、簡易に作られたテントの中で各々が椅子に腰掛けている。テントと言っても(なぎさ)が用意していたような個人用天幕ではなく、大勢の入る事が出来る部屋と思えるサイズだ。

 

 実際に作戦司令所を兼ねており、皆が司令の到着を待っている。

 

 

 土谷(つちや)天馬(てんま)は整えた眉を歪めて警備軍情報官からの報告を見直していた。

 

 いつも軽薄な空気を纏うが、実戦が近づくと隠した本性が現れるのだ。若くして発火能力(パイロキネシス)の異能が発現した彼は、第三師団屈指の戦闘能力と経験を持つ。数多ある仲間達との別れ、時には絶望を覚えるレヴリと相対してきた。

 

 そしてその全てが警報を鳴らすのだ。

 

 今回のレヴリは間違いなく新種で、そして強敵だと。

 

「不定形、見えない……水中」

 

 呼ばれたのは発火能力が適している可能性を三葉(みつば)司令が予め考慮したのだろうが、何よりも遠距離から広範囲への効果的な攻撃が出来る事が理由だ。もっと言えば、高位の念動(サイコキネシス)こそが最も有効と思われる。しかし念動は極端に希少で、第三師団でこれ程の実戦に耐えられる者はいない。いや、全国的に見てもだ。

 

 当然に(あかなし)陽咲(ひさ)はその一人だが、まだ未熟で全く未知の前線に投じる訳にいかない。彼女には将来の警備軍を支える大きな役割が待っている。

 

「だが、水中では炎も減退する。誘い出す必要があるな」

 

 異能による炎は水中すら発現するが、当然に効果は大きく減少するのだ。

 

 紅く染めた髪が瞼に掛かり、無意識に払う。土谷は顔を上げて警備軍の面々と他の異能者を見た。誰もが不安と緊張を隠しておらず、自意識過剰でなく自身に救いを求めている。此処にいる誰よりも歳下だが、レヴリ駆除の実績は誰も上回る事はない。無論戦闘力も。

 

 士気を保つ為に何か言おうとした時、バサリと入り口の幕が開いた。陽の光が入り、人影に陰影を齎す。

 

「待たせたな」

 

 小柄な身体に似合わない独特の圧迫感、やはり小さくとも響く声、天幕の中央に向かう姿に誰もが注目する。国内、それどころか世界的にも名の知られる異能者が現れた事で張り詰めた空気に変わった。

 

三葉(みつば)司令。全員揃っています」

 

「ああ、ご苦労。全員資料に目を通したな?」

 

「「「はっ!」」」

 

 三葉に続いて現れた杠陽咲を見て、土谷は眉を顰めた。まだ新人と言っていい彼女を投入するタイミングとは思えないからだ。下手をすれば希少な念動の異能を失う事になる。新種との戦闘は其れだけ危険なのだ。レヴリとの戦いには何よりも知識と経験が要る。対処も出来ずに部隊が全滅する可能性だって捨て切れない。

 

 彼女を目で追うと皆と同じ様に席に着く。間違いなく参加するつもりだろう。見れば瞳は赤く腫れている。泣いていたのかと土谷は思った。

 

「正体不明のレヴリだ。判明している事実も少ない。生き残りの報告では視認出来ず、銃も効果は薄かった。人体を溶かす厄介な奴等だ。接近戦は避けないといけないが、何より正体を探る必要がある。以上の事から私も同行する」

 

「なっ!」

 

 土谷は思わず声を上げた。彼女に具申出来るような者は自分以外いないだろう。強い責任感から立ち上がり、尊敬する上官に視線を合わせる。見れば杠陽咲は驚いていない。既に聞いていたのだろう。

 

「三葉司令! 最高指揮官自らが前線に来てどうするのですか! 貴女の代わりなど誰もいないんですよ! ましてや……」

 

「土谷。発言は許可していないぞ」

 

「何を……貴女の異能は戦闘向きじゃない! 誰よりも知ってるでしょう!」

 

「ならば貴様達が守れ。我が第三師団に勝てるレヴリなど存在しない」

 

 無茶苦茶な事を言う三葉に絶句するしかない土谷は拳を握った。

 

「……余り言いたくはないが……いいか、新種と思われるレヴリは確かに危険だ。だが今回はそれだけが問題ではない。出し惜しみなど出来る状況ではないと知れ。恐らく、カテゴリⅢを超える」

 

 天幕の中の温度が急激に下がったと全員が錯覚する。つまり目の前の最高指揮官はカテゴリⅡ、いやもしかしたら……

 

 土谷天馬すら勝てる保証はないカテゴリⅡ以上は絶望と同義だ。打倒どころか生存する事すら困難となるPLで、高位の異能者を複数投じなければならない。"カテゴリⅠ"に至っては侵入すら考えられないのだから。

 

予知(プレコグニション)、ですか?」

 

 普段なら笑って否定する三葉は、無言のまま見つめ返した。肯定も否定も意味が無いと自覚しているからだ。

 

「だが勝てる。奴等の正体さえ暴けば、な」

 

 小さな身体は誰よりも大きく見えた。彼女は稀に見るW(ダブル)、複数の異能を持つとされる人だ。土谷は自身が強力な異能持ちと自覚していたが、三葉花奏は更に上を行く。一度でも"千里眼(クレヤボヤンス)"に捕らえられたなら、誰であっても白旗を上げるだろう。

 

「しかし……」

 

「作戦の概要を説明するぞ」

 

 土谷の台詞を遮って三葉は続けた。もう彼女は決めているのだ。淡々と流れる言葉は皆の耳に届く。

 

「野生動物の研究者は対象にGPSタグを取り付けて信号を拾う。行動観察の結果、その生態を明かすのだ。だからGPSタグの代わりに私がマーキングする。PL(ポリューションランド)内である以上撮影も遠隔の視認も不可能。つまり、近距離で目視する必要がある。貴様等の任務は新種の側まで私を連れて行き、無事に帰還させる事だ。質問は?」

 

「資料では視認が出来なかったとありますが……」

 

「ああ、其れは専門家に確認済だ。レヴリと言えど生物の一種で、完全に透明など有り得ないそうだ。兵装科の情報も否定していない。考えてみろ、完全に透明ならば光も透過するんだ。網膜からも透けて盲目になるだろう」

 

「しかし、万が一見えなかったら」

 

「その時はマーキングどころか全滅するだけだ。その前に間違い無く透明だと報せを持ち帰るのが任務になるな」

 

発火能力(パイロキネシス)を集めたのは戦闘よりも万が一を考えて、ですか」

 

 此処で土谷が再び発言した。三葉が何を考えているか理解した様だ。

 

「ああ。何らかの要因で見えない場合、全周囲に火炎を吐け。殺せなくとも何か分かるはずだ。皮膚を、まあ皮膚が有ればだが、コンガリ焼けば見えるだろうさ」

 

 成る程と全員が納得したのを確認し、三葉は頷いた。

 

「土谷、発火能力者の配置は任せる。細部を詰めるから各隊の隊長は残れ」

 

「「「はっ!」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

「三葉司令」

 

 天幕の外でPLを睨み付けていた三葉へ背後から声が掛かる。ゆっくりと振り返ると、赤毛が目に眩しい美男子が立っていた。土谷は真剣な面持ちを隠さず、真っ直ぐに視線を合わせる。

 

「なんだ?」

 

「分かっているでしょう。陽咲ちゃんの事です」

 

「貴様に陽咲をちゃん呼びする許可は与えていない」

 

 最近よくする様になったやり取りを終えて、二人は相対した。迷彩服は土谷を一人の戦士に見せるが、三葉は借り物みたいで微笑ましい。袖と裾を捲っているから益々子供っぽいのだ。

 

「何故連れて来たんですか? 彼女は将来の警備軍の要となる異能者です。仮に投入するとしても初戦では危険過ぎる」

 

「土谷、越権が過ぎるな。貴様に断りなど必要ない」

 

「否定はしません。ですが、貴女と陽咲ちゃんを同時に失えば師団の未来は暗い。悔しいですが、事実です」

 

 ジッと土谷の顔を見上げ、三葉は暫く無言だった。越権は間違いない。しかし土谷の懸念は正しく、同時に心配の色を見れば仕方が無いと溜息を吐いた。

 

「説明の必要があるか? 近いうち、陽咲は貴様すらも超えていくだろう異能者だ。さっきも言ったが出し惜しみする時ではない。情報を持ち帰る事が全てだからな」

 

 戦闘力なら土谷の足元にも及ばない三葉。しかし、その異能、知識、決断力、何より強靭な精神。全てを尊敬している土谷は震えた。いや、だからこそ、か。

 

 今回の新種はそれだけ脅威だと言っているのだ。

 

「そんなに……」

 

「未来は不確定だが予測は出来るものだ。しかし新種、しかもコイツらの情報が乏し過ぎる。勝つ為なら、猫の手だろうが何だろうが使う」

 

 三葉は戦死者を出さない為とは言わなかった。

 

「陽咲ちゃん、泣いてましたよね? まだ恐怖をコントロールする術が足りないのでしょう。出来ないなら異能の力は減じ、更に拍車が掛かる。命令とは言え……」

 

「勘違いするな。泣いていたのは恐怖からじゃない。そして、陽咲はもっと強くなる。志願も確認した」

 

「そうなんですか?」

 

「ああ」

 

「しかし、まだ不安定なのは間違いありませんよ? 念動(サイコキネシス)発火能力(パイロキネシス)と同様に能力差の激しい異能です。せめて……」

 

「土谷、もう言うな。陽咲はどの道最前線には出せない。新種にマーキングした後、即座に離脱する為に必要なんだ。奴等を妨害するのなら十分だろう? 奴等が不可視ならば念動もそうだ。何より、守る為なら陽咲は誰よりも強いさ」

 

 赤いレヴリに対した様に瓦礫をぶつけるだけが念動ではない。未だ念動防壁は張れないが、コンクリートの壁は構成出来る。圧倒的な質量は想像以上に強力なのだ。そして見え難い新種のレヴリにも有効だろう。

 

「守るため……まさか、()使()を」

 

「土谷」

 

 その失言に三葉は怒りの視線を向けた。

 

「す、すいません」

 

「運や不確定な要素に期待して作戦立案する指揮官が何処にいる。くだらない事を言う暇があれば英気を養え。もう行け」

 

 再びPLに体を向け、それ以上に話す事はなかった。

 

「失礼します」

 

 土谷が立ち去る気配を感じながら、三葉は怒りに震えていた。その怒りは失言した若き戦士に向けてではない。自らの不甲斐なさと弱い精神にだ。

 

 指摘されなくとも自覚していた。

 

 恐らくあの娘は現れるだろう。未だ不明な点が多い天使の異能だが、幾らか想定出来る。()()()()レヴリに対し、もしかしたらと期待してしまう。

 

 彼女の、(なぎさ)の異能は……

 

 常識を遥かに超えた視覚能力なのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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PLへ

 

 

 

 

 (なぎさ)の目の前に如何にもな高級車が止まった。艶やかな闇色は手入れが行き届いている事を伺わせる。

 

 無音で歩道側の窓が開き、後部座席に座る細身の老人が顔を出した。つい最近会ったばかりだが、随分と馴れ馴れしい爺様だ。渚は辟易としながらも、しかし重要な情報を得る為だと耐えていた。

 

 陽咲と会ったときの服装はそのままに、一見は武器も所持していない。デニムのパンツに暗い色合いのパーカー、三葉達が指摘した通り美しい少女に合わない。しかも、これからPLに潜る訳だが、誰が見ても信じられないだろう。

 

「乗りなさい。目的地までに説明しよう」

 

 返事もせず、渚は遠藤征士郎(えんどうせいしろう)の隣りにお尻を落ち着かせた。

 

 遠藤はチラリと孫扱いしている渚を見て、大恵(おおえ)に合図を送った。緩やかに走り出した車からはエンジン音すら響かない。当然に外の喧騒は車内に届かず、慣れないのか渚が身動ぎするのが分かる。

 

「その格好でPLに?」

 

「そう」

 

 知らなければ鼻で笑うところだが、遠藤は真剣に返す。

 

(いくさ)を生業とする天使に言う事ではないが……大丈夫なのか?」

 

 此処でチラリと横を見た渚は、珍しく感情の見える顔色をした。具体的に言うなら涼やかな目尻に皺が寄ったのだ。

 

「天使はやめて。遊びが過ぎる」

 

 警備軍が付けたコードネームと知り、益々嫌になった様だ。鋭い視線に射抜かれた遠藤は、もちろん構わずニヤリと笑う。

 

「しかし名も知らぬ相手だ。仕方無い、孫娘(まごむすめ)ちゃんと呼ぼう」

 

「……渚」

 

「ん?」

 

「名前」

 

「ほう。渚か」

 

「もういい。態々合流した理由を」

 

「ああ、そうだな」

 

 再び真剣身を帯びた声色となり、渚は耳を傾けた。

 

 

 

 

 

 

「あの後にもう少しだけ集めたが、どうやら新種で間違いない様だ。かなり確度の高い情報だよ」

 

 其処には隠せない慄きがある。遊びの好きな遠藤にも未知なる恐ろしさがあるのだろう。しかし、それも渚の返答に掻き消されてしまう。

 

「それが?」

 

 だから何だと美しい少女は言う。

 

「それが、とは?」

 

「あんな化け物達、生態なんて知らなくて当たり前」

 

 遠藤の顔色に困惑が混じった。

 

「それは、そうだが……」

 

 新種の脅威と過去に起きた被害は誰もが知っている。警備軍や異能者でなくとも、一般の市民ですら例外ではない。既に情報を仕入れたマスコミはこぞって報道しているのだ。何度も起きた災害と言っていい新種との戦いを紐解き、専門家を嘯く輩が騒いでもいる。

 

 最強と謳われ、アイドルと化していた異能者も散っていった。義務教育の課題にも登場するのがレヴリであり、新種だ。その辺を歩く子供を捕まえても、皆が恐れているのは間違いない。

 

 しかし、左隣に座る天使はまるで何も知らないと瞳は揺れたりしなかった。

 

 遠藤は改めて天使、いや渚の異常性を見た。屋敷で撮影した写真、彼女の瞳はレヴリと同様に黒く塗り潰されていたのだ。

 

「……現在判明しているのは、視認性に乏しく水中から襲って来た事くらいだ。人体を溶かす何らかの攻撃を行う。一匹なのか、複数なのか、或いは両方か全て不明。此れが資料だ」

 

 手渡した紙は僅か2枚で、如何に情報が足りないか理解させられた。軍関係者が目にする文書だけに、難解な言い回しや言葉が並んでいる。美しくも幼い容姿の渚だが、まるで意に介さずに流し読みしたようだ。

 

「私が頼んだ警備軍の動向は? レヴリ何てどうでもいい」

 

 本心なのだろう。驕りも、恐怖もない。

 

「今向かっている。臨時の司令所で準備をしている筈だ。キミの言う対象、女性の異能者が含まれた事も確認した」

 

「そう」

 

(あかなし)陽咲(ひさ)か?」

 

「……質問は要らない」

 

「対象者を確定すれば、より提供しやすい。守護する理由や意味も」

 

 渚は無言で、流れる街の景色を眺めた。

 

 それは明らかな拒絶だった。

 

 

 

 

 

 

 

「旦那様、あの先を曲がり真っ直ぐです」

 

「ああ、分かった」

 

 異界汚染地(ポリューションランド)、通称PLに近付いた事で、人影は疎らになった。酔狂な連中か、世捨人、軍関係者やマスコミくらいだろう。街の風景も一変して、人の気配の消えたビルや店舗が目立つ。道路や歩道も所々が割れたり剥がれたりしている。街路樹だったであろう木々は枯れるか、野生に戻った様に乱雑な姿だ。

 

「カテゴリⅤも返上だろう。Ⅲ、いやⅡになるかもしれん」

 

 脅威度の上昇はそのまま生活に関わってくる。最悪は街を放棄する事になるのだ。人の生存圏はそうして削られていった。PLはまだ遠く、それでも見えない恐怖に人は抗えない。静かに佇む少女を除いて。

 

 あの会話以降は終始無言で、渚は街を眺めていた。それを聞き、遠藤に顔を向ける。

 

「時間がある時でいい。PLについての詳しい情報も欲しい。カテゴリ、分布、色々」

 

「いいだろう、帰るまでに用意しておく。必ず連絡してくれ」

 

 無事に帰って欲しいと願いを込めたが、当の本人は理解してないのか無表情に分かったと返した。遠藤の目には僅かな哀しみが見て取れるが、やはり渚は見てもいない。

 

「此処で降ろして」

 

「はい」

 

 大恵は緩やかにブレーキを踏み、人の姿の消えた路地に車を止めた。死んだ建物達が視線を遮り、渚を隠してくれるだろう。

 

「武運を」

 

 コクリと頷き、渚は路地の奥へと消えて行った。

 

「堕ちて来た天使、か。いつか笑顔を見てみたいものだ」

 

「旦那様、余り深入りは……」

 

「何だ、怖いのか」

 

「あの銃を構えた様子や真っ黒な眼を見れば当たり前です。姿形が少女なだけに、尚更」

 

「あの娘は文字通り子供だよ。見えない涙を流し、聞こえない泣き声で耐えている。そう思わないか?」

 

 悪い冗談だと大恵はミラー越しに遠藤を見たが、其処にはいつもの巫山戯た態度も遊びも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

『深入りはやめて下さい。マスターの名前を教える必要は無かった筈です』

 

 カエリースタトスの聴き慣れた音が渚の頭に響いて来た。いや、実際には車内にいた時から煩かった。早く降りろ、会話をやめろ、逃走しろ、場合によっては撃て、と。

 

 機械的合成音に近いカエリーの声は毎度の如く頭痛を促進させる。恒常的睡眠不足は頭痛を呼ぶが、それを重ねて来るのだ。そして、渚の心の中、機微、羞恥心などを全く理解しないので、天使呼びを嫌った渚の心中など察する事は不可能だ。

 

「煩い」

 

 未だ銃形態になっておらず、背中側のベルトに挿したままなので、独り言を呟いた様に感じる。薄いナイフ状のカエリーは見る者には存在すら分からない。だが、汚い路地を歩く渚以外に人影はなく、本人はそもそも気にもしていなかった。

 

『情報の奪取ならば直接会う必要がありません。そのスマホとやらを使えば良いでしょう。ましてや近接戦闘の距離に近づくなど……』

 

「黙って」

 

 グニャグニャと路地を折れ、殺風景な大通りに出る。かなり先だが、ドームの形をした白い構造物が見えた。半球体が幾つか並び、簡単なタープの通路で繋がっている様だ。アレが遠藤から聞いた臨時の司令所で間違いないだろう。流石に、陽咲の姿は視界に無かった。

 

 軍車両、巨大なトラック、一般的な車も停車している。アンテナが車上に載っているのはマスコミだろうか。渚にとって歓迎したい相手ではない。カメラや人の視線を掻い潜るのは可能だが、面倒である事に変わりはないからだ。

 

 グルリと周囲を見渡し、PLへの経路を決める。遠回りになるが、先程の薄暗くて汚い裏路地が適している……普通の女の子ならば頭の片隅にも浮かばない道を選んだが、渚は当然に普通ではない。

 

『マスター、一体どうしてしまったのですか? マーザリグにいた頃とは似ても似つかない。危険も、僅かな可能性すら許さなかった貴女が』

 

「カエリー。口を閉じて」

 

『私に口はありません』

 

 まるで皮肉だが、カエリーは至極真面目に答えたに過ぎない。馬鹿らしくなった渚の方が口を閉じた。

 

『あの女の妹ですか? 感情に左右されては戦闘に支障が出ます。以前のマスターならばその様な愚を犯さなかった』

 

 立ち止まり、ギリリと歯が鳴った。

 

 危険? 感情? 戦闘だと?

 

 マーザリグの奴等が無理矢理に命令していただけだ。出来るなら武器など放り出して戦場に駆け出したかった。魔法を全身に受けて、カエリーの言う感情ごと消え去る事が出来たなら幸福に包まれただろう。

 

 千春(ちはる)と出逢わなければ、此処に生きて立っている事も無かった。もう前に進む理由は"杠陽咲"の存在だけ。あの告白にどんな意味があったのか今も分からない。でも、千春が愛し、千春の面影を残す人をレヴリに殺されるなど許せるはずがない……

 

「カエリー、私は黙れと言った」

 

『それならば』

 

「やあ、嬢ちゃん。久しぶりだな」

 

 視線を上げると、以前出会った薄汚い男達がいた。遠藤征士郎の蒔いた似顔絵を元に渚を連れて行こうとした奴等だ。他にも数人、仲間を連れて来たのだろう。それが理由か隠れもせず堂々と立っている。普段の渚ならば接近すら許さない。

 

 だが、カエリーとのくだらない会話が邪魔をしたのだろう。まさに感情に左右されたのだ。

 

「嬢ちゃんの情報を流したのに、金が手に入らなくてな。タダ働きなんて酷いと思わないか? そんな時、可愛らしい女の子が目に入った。オマケにあの真っ黒な銃も持たず、こんな襲って下さいと言わんばかりの場所に居る。幼い顔して誘ってるのか? おじさん達に任せてくれたら、気持ちよくしてやるよ。くくく……」

 

 余裕の現れか、ベラベラと喋る。茶色に染まった歯は何本も抜けていて、見えた爪は真っ黒だ。手入れの甘いナイフまでチラつかせて悦に浸っている。

 

「……馬鹿な奴ら」

 

 ボソリと呟いた声に珍しい感情が篭っていた。

 

「あん? 何だって? 怖くて声まで小さくなっちまったか、ははは!」

 

 相棒の魔工銃が言った通り感情に左右されている。渚は自覚して、それに身を任せた。マーザリグも、この世界も含め最も愛する(ひと)をカエリーは再び言葉にしたのだ。

 

 そう、此れは怒りだ。

 

歪め(ディストー)

 

 気付けば、伸ばした白くて小さな手に真っ黒なハンドガンがあった。まるで血管の様に緑色した線が這い、そして明滅している。

 

 

 

 銃声すら聞こえない。

 

 そして、薄汚い男達の聞くに耐えない悲鳴。

 

 一人歩み去る渚の姿だけが、影を作った。

 

 

 

 

 

 



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接敵

 

 

 

 

 目的地まで距離がある。

 

 そのショッピングモール跡はこのPLのほぼ中心だ。カテゴリⅤとして知られていたが、赤いレヴリの急襲と新種だろう発見によって脅威度は跳ね上がる事になる。問題の多くが最近に集中していることから、何らかの変化が起きていると推測出来た。

 

待ち伏せ(アンブッシュ)、そう考えるべきですね」

 

 以前送った調査部隊が壊滅した際、正体不明のレヴリは計算した様に一斉の攻撃を行った。水溜りに隊が入り、暫くは何も起きなかったらしい。つまり、タイミングを見ていたのは間違いない。

 

「厄介な相手だ。見え難い上に知能まで高いならばな。まだ巨体に任せてくれた方がマシか……あの"赤鬼"のように」

 

 陽咲(ひさ)達が襲われ、(なぎさ)が現れなければ生還者はいなかった。コードネーム"天使"の存在はまだ不明瞭なときで、対処らしい対処も出来ないだろう相手がカテゴリⅢのレヴリだ。

 

 約100m程度の円で散開した200名程度の中隊がゆっくりと進む。大隊以上の戦力で物量にモノを言わせたいが、PLでは逆効果になりやすい。機動性が失われる上に、厄介なレヴリを呼び寄せる餌になり得る。過去の経験から小隊、多くても中隊が適していると考えられていた。そしてその戦力を埋めるのが"異能者"の存在だ。

 

 無論、PL完全奪還の際は例外となる。

 

 発火能力(パイロキネシス)のリーダー、土谷(つちや)天馬(てんま)三葉(みつば)と会話を重ねていた。

 

「分かっているならもっと下がって下さい。せめて陽咲ちゃんのいる辺りまで」

 

「馬鹿か。新種を()()ために来てるのに、離れてどうする」

 

「三葉司令が来るまでは時間を稼ぎますよ。今回も待ち伏せされたらどうするんですか」

 

「だからだ。稼いだ時間分だけ()()()()。秒だって惜しい」

 

 厳しい声色に反して隊の犠牲を最小限にする為だと三葉は言う。指摘したら全力で否定するだろうが。

 

 楕円形に展開した部隊の先端近く、其処に三葉はいた。杠陽咲は約20m後方だ。彼女も心配そうに此方を見ている。

 

「……貴女は変わりませんね」

 

「貴様、最近調子にのってないか? 陽咲の呼び方といい、考えを改める必要があるな」

 

 胡乱な視線を背の高い土谷に突き刺す。

 

「動体探知が使用出来れば良かったですが」

 

「……PL内だ。仕方が無いだろう」

 

「分かってはいます。でも、例えば精神感応(テレパス)などがレヴリに通じたら良かったと。思考を読めれば安全性は格段に上がるでしょう。あっ、因みに調子にはのってないですよ? 何時も通りです」

 

「ふん。お前は奴等の頭の中を読みたいのか? 精神感応を持つ者達は大半が酷く苦労する。人と言う同じ種族の思考でもだ。私は何人かと接触したが、長生きしている者は極々少数だよ。哀しいが其れが現実だ。心とは広く深く、そして灯りと出口のない迷路……ある人が言った言葉だ。つまり、軽々しく精神感応者に触れるな」

 

「……分かりました」

 

「例えそんな奴がいても、我が師団で運用はしない。戦争とは相容れない異能だ。穏やかな空気、人の少ない場所、其れが彼らの居場所なんだ」

 

 何かを思い出したのか、三葉の瞳に悲哀が浮かぶ。土谷は其れに気付いたが、指摘する事も質問をぶつける事も出来なかった。

 

「見えましたね」

 

 蔦や罅割れ、一部は崩壊してもいる。そんなショッピングモール跡を見下ろす形になる此処は元の高級住宅地だ。煌びやかな家々の大半が廃墟と化し、他は荒地か小さな林と変貌している。見渡せば、過去にあった人々の営みが幻となって現れた。レヴリやPLが存在しなければ、武装した警備軍が此処に立つ事も無かっただろう。

 

 目的地まで半日進めば到着するが、三葉はそうしなかった。

 

「よし、夜営の準備を始めろ。監視要員は予定通りに。各隊は報告を、気を抜くなよ」

 

「「はっ」」

 

 危険は承知だが、疲労は考える以上に悪い影響を与える。また俯瞰してモール跡を確認する事で新たなプランが出る場合もあった。

 

 休息中に攻撃されては拙いが、当然に三葉達は素人ではない。PL内での夜営など飽きるほどに行ってきたのだ。全員が慣れた様子で動き出した。

 

「明日、か」

 

 三葉の独り言が夕闇に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 懸念したレヴリの襲撃も無く、朝焼けが眩しく感じられる。爽やかな空気漂う朝だが、此れからより危険な中心部へと接近するのだ。全員に適度な緊張と誇りが垣間見えて、三葉も土谷も胸を撫で下ろした。

 

「よし、行くぞ」

 

 号令が発せられ、中隊はゆっくりと住宅跡地から離れて行った。報告のあった駐車場横、池に近い水溜りも遠く視界にある。あれから日が経っているが干上がっていない。恐らく地下水か元の水道管あたりから漏れ出しているのだろう。

 

 車も、バイクも、電車やバスも走っていない。一部バイクなどはPLでも稼働するが、そもそもの道路が草木に覆われている。整備されないと僅かな年月で使い物にならなくなってしまう。加えてエンジン音はレヴリを誘う可能性が高く、リスクと見合わない。

 

 つまり、行軍は徒歩だ。

 

 斥候にあたる小隊が前を行き、警戒しながら進む。最精鋭と言っていい彼らならば僅かな異常も見逃さない。

 

「二時の方向、警戒」

 

「はっ」

 

「あの店舗跡だ。確認しろ」

 

 二人の隊員は音もなく命令を実行する。恐らくケーキ屋だったのだろう、割れた商品棚やケースから分かった。ずっと昔、家族や子供達の笑顔が溢れていたはずの其処は暗く土埃に塗れている。

 

 ハンドサインを繰り返し、素早く安全を確保していった。

 

「クリア」

 

「クリア」

 

 コクリと頷き中隊へと合流。

 

 酷く単調で疲労が蓄積していく作業だが、それを繰り返しながら近付いて行く。

 

 そして、三葉達の視界に巨大なモール跡地が見えて来た。何度か見たはずの景色なのに、まるで人を呑み込まんとする魔の城に思えてしまう。

 

「展開しろ。発火能力(パイロキネシス)持ちは待機。指示を待て」

 

 各隊長が簡単な命令を発する。三葉は何も言わない。細かな作戦は現場の皆こそが優れていると知っているからだ。

 

「着いたな」

 

 約150m先、濁った水そのままの"水溜り"が横たわっていた。

 

()()だけに気を取られるな。周囲の警戒を厳にしろ」

 

 立体駐車場は半分以上蔦に覆われている。モール跡地が城ならば駐車場は城壁か塔、そんなところか。

 

 作戦通りに散開。

 

 三葉を始め、全員が少しの異常も見逃さないよう集中し、同時に緊張感も高まっていく。そして、想定より随分早く発見へと至った。

 

「あれは」

 

 ある隊員が思わず呟き、即座にハンドサインを背後に送る。其れは間違いなく目標発見の合図だった。20m程度、原形を何とか保つワンボックスカーの背後だ。ドアも剥がれ落ちているため、向こう側を見通す事が出来る。

 

 恐らく子鹿だろう動物の死体が横たわっていて、食事中と思わられた。あくまでも想像だが。

 

「なんだアレ……」

「見えるか?」

「ああ、見える。自信はないが」

「三葉司令に急ぎ報せろ」

「分かった」

 

 視線を外さないままに腰を落として暫く後退し、そして素早く中隊へ合流する。

 

「三葉司令」

 

「どうした?」

 

「見つけました。恐らく、ですが」

 

「恐らく?」

 

「ご覧になれば判ります。此方へ」

 

「よし、良くやった。土谷、貴様も来い」

 

「分かりました」

 

 警備軍の誰よりも小さな体を前に進め、三葉は先導されて行った。土谷はすぐ後ろでどんなレヴリも近寄らせないと視線を配っている。彼の異能ならば前に出る必要もない。効果範囲は陽咲を大きく越えているからだ。

 

 走りはしなかったが、早歩きで待機している隊員の背後に回る。

 

「何処だ?」

 

「あのワンボックスカーの向こう側です。まだ居る。鹿の死骸が見えるでしょう。其処に」

 

 言われた通り、ワンボックスカーはすぐに見つかった。その先に転がる子鹿も。下半身は無く、つぶらだっただろう目に光は宿っていない。だが一見にはそれ以外の異常が見当たらない。

 

 三葉の整えた眉が歪み、思わず非難の声をあげそうになった。

 

「何処に……アレは……成る程な」

 

 だが、それも直ぐに消える。寧ろ見落とさなかった彼に賞賛を送らなければならないだろう。

 

「不可視、か。意識してなければ()()()()()()。厄介なレヴリだ」

 

「お前たち、見事だ。しかし、アレ一匹な筈がないな。皆に伝えろ。もし居るならばリーダー格を見付けたい。何らかの指揮系統を持つのは間違いないんだ」

 

 報告にもあった内容には、隊を誘い込む様子やタイミングの合った攻撃が記されていたのだ。無秩序に襲うような低レベルのレヴリでは断じて無い。

 

「はっ」

 

 走り去る姿をチラリと見送り、三葉は続いて土谷に視線を合わせた。

 

「どうだ? ()()()()?」

 

「何とも言えませんが、恐らく大丈夫でしょう。サイズも想像より小さい上に、動きも鈍そうです。大量に現れては困りますが。試しにひと当てしますか?」

 

「……いや、やめておこう。周りにどれ程いるか分からないままでは危険だ。パッと見はいないようだが……」

 

「確かに。しかし……この距離まで近づいても警戒らしい行動は取りませんね。鈍いのか、知覚する範囲が狭いのか」

 

「ああ。だが、気を抜けば視界から消えるぞ。ましてや水中や泥水の中では全く見えないだろう。そして、銃撃に効果が薄かった事にも納得出来る」

 

「はい」

 

 視線の先、初めてのレヴリ……新種で確定だった。日本どころか世界を見渡しても目撃報告はない。そして今日が明確に確認された初めての日となる。

 

 例えるなら水飴、いや粘性の高い液体の集合か。完全な透明では無いが、向こう側の景色が歪んで見える。まるでプールの底を眺めているようだ。カタチは決まっていない。グニャグニャとうねり、時にフルフルと震える。

 

 そして、だからこそグロテスクだった。

 

 子鹿がゆっくりと溶かされていく。半分ほどレヴリに埋まっていて、少しずつ溶解しているのだ。肉や骨、筋繊維や血液、内臓までもがドロドロと液状に変化する。

 

「食事中、か」

 

「あれは言うなれば……スライム、ですね……」

 

 土谷が呟いた単語、其れは後に警備軍が呼称する事になる新たなレヴリの名前だった。

 

 

 



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群れ蠢くもの

 

 

 

 土谷(つちや)発火能力(パイロキネシス)が届くギリギリまで距離を取った。

 

 暫く探したが他の個体が見つからないのだ。しかし、だからこそ三葉(みつば)は警戒した。勘が働いたのもあるが、そもそもが不自然だからだ。たった一匹、しかも警戒すらしていない。一心に()()を続けている。

 

 土谷曰く、"スライム"が此方に気付いた様子は無い。奇襲を仕掛ければ駆除出来る可能性は高いだろう。

 

「誘い込む罠か? 油断を誘って」

 

 だが……目を皿にしても他の個体はいない。変わらず佇むモール跡地と駐車場だったもの、泥水の水面は風に波打っているだけだ。

 

「あと少し下がりましょう。その上で一度狙撃を。動きがあるかもしれません。駄目なら……最悪は焼き尽くします」

 

「分かっている。だが、何か違和感を感じるんだ」

 

 そう返した三葉だったが、実際に出来る事は少ない。PLで安全だと言い切れる手段などそもそも無いのだから。

 

「司令は陽咲(ひさ)ちゃんのところまで後退を。対象が見えた以上接近する理由は無い筈です」

 

「……やるしかないか」

 

 一瞬だけ土谷を見てコクリと肯定した。そして三葉は音を立てない様に後退して行く。とは言え、僅か20m程度の距離だから、直ぐに陽咲の近くに到着した。先程から心配そうな素振りを隠さなかった姪が、矢張り隠さず安堵の溜息をつく。

 

「叔母さ……三葉司令」

 

「ああ、とりあえず仕掛けてみる。万が一に備えて念動(サイコキネシス)の発動準備を。最悪はそこら中の瓦礫を纏めて壁にするんだ。何としても時間を稼ぐ必要があるからな」

 

「分かりました」

 

 昨日の涙の跡は当然無いが、千春(ちはる)に起きた事実は今も心を苛んでいる筈だ。しかし陽咲は強い意志を激らせ、同時に仲間を守ると決意している。更に強くなった可愛い姪を眩しく見た後、狙撃のタイミングを指示した。

 

「土谷の合図で狙撃しろ。一発だけだ」

 

「はっ。狙いは?」

 

 既に膝を落とし、長い銃身を支えた隊員が問う。三葉はフムと顎に指を当て"スライム"を見た。ウゾウゾと蠢く粘液の塊は変わらず食事中。子鹿はもう残り少ない。

 

「貴様の勘に任せる。殺せなくてもいい」

 

 大した距離では無い。

 

 積み重なった車輌達の上に登って狙撃銃を構えると、土谷の合図を待った。サイレンサーは既に装着済みだ。土谷達も距離を取り終え、射線上からも避けている。そして軽く振り返り頷いた。

 

「やれ」

 

「はっ」

 

 狙撃手からすれば大して離れていない。ましてや相手のどの箇所に命中してもよいのだ。軽く息を吐いて止める。そして優しくトリガーを引き絞った。肩などに反動が来て弾丸は真っ直ぐに進む。

 

 注視していた全員、三葉や陽咲、土谷も息を呑んだ。

 

「予想通り、か」

 

 誰が呟いたか、其れは全員の代弁だったのだろう。

 

 スライムの身体、半透明の体表に穴が空いたと思うと、そのまま抵抗も無く向こう側に抜ける。土埃が上がった事からも間違いないだろう。肝心のレヴリはほんの少しだけブルリと揺れて動き、そして食事を止めた。だがフルフルと震えた後、まるで何も無かったかの様に再び子鹿を溶かし始めたのだ。

 

「全く効いてないな……」

 

「狙撃銃では貫通力が強過ぎなのでしょう。強度は低い様ですから、やりようはあります。それこそ手榴弾一発で」

 

「……奴一匹ならば、な。殺しきれなければ姿を見失うかもしれん。まだ近距離からショットガンで仕留める方がマシだ」

 

「確かに。しかし予想より遥かに簡単です。奴等をどう見付けるかが重要なポイントとなるでしょう」

 

 脚で踏み潰す事すら可能に思える、其れ程の柔らかさだ。カテゴリⅢを超える懸念があったが、全員が安堵の溜息を吐いた。

 

 とりあえず近付いて駆除するかと土谷は三葉がいる背後に振り返った。だが、喜んでいる筈の第三師団司令は変わらず緊張したままだ。そして更に、何人かの隊員に指示を出し始める。どうやら一斉射を行う様だが、結果は明らかだろう。バラバラになるか、風船の様に弾けてしまう筈。

 

 指示を終えると、三葉は再び土谷の居るところまで歩いて来た。

 

「司令?」

 

「万が一仕留め損ねたら、私の指示であの周辺を焼き尽くせ。集中しろ」

 

「はい。しかし、何故? マーキングはどうしますか?」

 

 ほんの数秒、三葉は沈黙する。そして土谷を見ないまま独り言の様に呟いた。

 

「先ず、()()()()()()()()確認したい。マーキングは次だ」

 

「分かりました」

 

 念押しだろうが土谷の緊張は再び高まっていった。司令は変わらず緊張し、警戒を怠らない。つまり、まだ単純な答えが出たわけでは無いと言う事だ。周囲の皆にも伝わり、僅かに弛緩していた空気は張り詰めていく。

 

 其れを確認すると、片腕を上げ振り下ろした。

 

 晴れ渡った空の下、くぐもった銃声が鳴り響く。三秒近い時間、其れは続いた。そして、中隊の皆、全員が理解する事になる。三葉司令の懸念を。

 

「馬鹿な……」

「何だよ、アレ」

「くそっ……」

 

 絶句した者も多い。

 

「なんて事だ……」

 

 スライムに予想通り沢山の穴が空いた。端の方は子鹿ごと弾けて身体が千切れる。最初見えていた形は失われ、そのうち震えも止まった様だった。駆除が済んだと考えた瞬間、一番大きく残ったスライムの断片が蠢き、周辺に飛び散った破片がズリズリと集まり始める。瞬きを何度か行った頃には、一匹のレヴリへと戻ってしまったのだ。幸いと言っていいのか、明らかに体積は減少している。完全に復活は出来ないのだろう。

 

 先程誰かが手榴弾一発でと言葉にしたが、其れすらも完全とは言い難い。其れ程の衝撃だった。

 

「再生、か……」

 

 その呟きは全員の不安を表している。三葉は先程"確実に殺せるか確認したい"そう言ったのだ。

 

 餌を奪われて憤慨したのか、あちこちに手?を伸ばし始めた様だ。索敵か、暴れているのか。

 

「我等が見えてない? 距離の問題か、別の理由でしょうか?」

 

「分からん。少し距離を取るか」

 

 約15m程度離れて、三葉の指示が土谷に届いた。

 

「よし、焼き尽くせ。これだけ煩くしても他の個体が現れないならば構わないだろう」

 

「はっ」

 

 これだけの距離がありながら、土谷はあっさりと異能を行使する。それを眺めていた陽咲は驚いて両手を口に当てた様だ。間をおかず、スライムが蠢く場所ごと炎が立ち上がった。風に揺れるが消えたりはせず、真っ赤な焔は暫く燃焼を続ける。そして其れが消えると、残ったのは焼け焦げた地面だけだった。暫く様子を見たが、再生はしない。つまり、駆除完了だ。

 

「土谷、どうだ?」

 

「……正直に言うと、かなり厄介です。三葉司令の懸念も、カテゴリⅡを超える可能性にも納得しました。先程の()()からですが、焼き尽くすまで数秒を要します。銃弾の効果も薄く、火炎も最適とは言えません。もし大量に現れたら……」

 

「ああ」

 

 最悪だ、その言葉を飲み込んだ土谷。それを理解した三葉は次の命令を発した。

 

「よし、全員奴等の危険性を理解したな? 当初の予定通り、作戦を続行するぞ。倒す事より発見と撤退を主とする。私がマーキングを終えたら即座にPLから出る。モール跡を東側から迂回し周囲を捜索しろ」

 

「「「はっ」」」

 

 

 そして、中隊が纏まりモール跡へと近づいた時だった。

 

 

 先頭を警戒しながら進む隊員の背嚢袋の底が突然破れ、中身がバサバサと落ちたのだ。かなりの音が響き、全員の足が止まる。非難の視線が彼を射抜くが、後方から眺めていた三葉の反応は違った。まるで透明のナイフが底を切り裂いた様に、右から左へとスパリと開いたのを目撃したからだ。

 

 その動揺が消え去る前に、次の異変が隊を襲った。

 

 進行方向に散らばる石やアスファルトの残骸が弾け飛ぶ。其れは等間隔で、小さな爆発が起きたと錯覚する。

 

「狙撃されているぞ! 警戒!」

 

 中隊長が即座に気付き、小さくとも良く通る声を発した。

 

「三葉司令! 退避を!」

 

 だが三葉は伏せる事も、遮蔽物に隠れる事もせずに背後を振り返った。そして動かない。

 

「司令! 何をして……」

 

「渚か? しかし何故?」

 

 そう呟きながら、異変が起きた場所を再び観察する。砕けた石やアスファルトの先には泥に汚れた例の水溜りがあるだけ……

 

「……まさか……全員後退しろ‼︎ 急げ!」

 

 意味不明な命令だったが、訓練された部隊は忠実に行動を開始する。進行方向だったモール跡に警戒しながら、しかし中隊規模では限界があった。

 

「分からんのか‼︎ 罠だ‼︎ あの水溜りを……」

 

 続く三葉の叫び声で、皆が遅まきながら気付いた。

 

「あの中で待ち伏せか?」

 

「違う……」

「あれが……」

「嘘だろ……」

 

「あの水溜り全部が、いや……アレは水溜りなんかじゃない‼︎ 全てが大量のスライムなんだ! 撤退を急げ!」

 

 泥水に見えていた液体がウゾウゾと蠢き、弾ける様に隊員達に飛び掛かった。対処の間に合わなかった何人もがスライムに包まれ、聞こえない悲鳴を上げる。口や鼻も粘液に包まれては発声など不可能だろう。

 

 世界は一瞬で地獄と化し、人体が融解する耐えられない悪臭が漂い始める。先程の子鹿とは比較にならない速度で溶けていくのだ。

 

「撃て撃てえーー‼︎」

「高橋! 今行く、待ってろ‼︎」

「もう助からん! 下がれ‼︎」

「ほ、炎を撒け! 時間を稼ぐんだ‼︎」

 

 鍛え上げた軍人であろうとも、混乱は避けられなかった。余りに突然で、しかも経験したことのない戦闘だからだ。

 

「陽咲! 前方の地面を陥没させろ!」

「でも、みんなが‼︎」

「私の責任だ! やれ!」

 

 一瞬だけ逡巡した陽咲だったが、即座に命令を実行した。ミシミシと鳴き始めた地面に幾筋ものヒビが入り、その後破裂音ごと崩落する。スライムに巻き付かれた仲間達ごと下に落ちていった。

 

「続いて壁を立てろ! 隆起でも瓦礫を集めてもいい‼︎ 土谷! 分かるな! 五分だ、時間を作れ! あの奥の奴だ!」

 

「はっ!」

 

 三葉の視線の先、其処に全く動かない一際大きなスライムが居た。冠を被ってもいないし玉座もない。しかし分かるのだ、アレこそがターゲットだと。間違いなく群れのリーダーだった。

 

「後方! 各隊離脱しろ!」

 

 各個の撤退を許可して、三葉は集中する。マーキングを終えるその時まで、残った部下達ならば耐えてくれると確信していたからだ。

 

 僅か五分、決死の戦いが始まった。

 

 

 

 



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流れる赤

 

 

 

 (なぎさ)は怒りを外に出そうと吐息を繰り返していた。

 

 PLに入る前、以前に会った薄汚い連中にちょっかいを掛けられたからだ。オマケにカエリーが千春(ちはる)の愛しい名前を溢したから、余り起伏の激しい方でない感情が波立った。

 

 一定の距離を取りながら追尾する予定だったが、陽咲(ひさ)達は既に出発した後。足跡などの痕跡を隠してもないから追い掛ける事に問題はない。追跡調査は渚の十八番だが、だからと言って遅れが嬉しい訳がないだろう。

 

 カエリースタトスはナイフ形態に戻し、右手に在る。生い茂る雑草の除去や瓦礫の登坂時などに利用するからだ。周囲からの襲撃の警戒は渚にとって日常で、ましてやレヴリなどは隠蔽すら幼稚だった。ハンドガンにしろとカエリーは煩いが、毎度のごとく無視している。

 

『マスター、休息を』

 

 頭痛、腹部の痛み、そして先程からコントロールに苦労する感情。

 

 渚は自身に何が起きているか理解し、再び怒りを覚えていた。

 

「駄目、追い付けない」

 

『しかし、明らかな不調です。此れは睡眠不足からだけでなく、女性としての……』

 

「煩い」

 

 間違いなく生理だった。

 

『実際には初めての経験では? マーザリグでは最初期から抑えてあったでしょう。戦場で妊娠など避けなければなりませんから』

 

 マーザリグ帝国での残酷な日々、奴等は渚に最悪の行為を繰り返した。呪縛は渚を縛っていたが、その中に避妊の魔法が含まれていたのだ。当然だが渚を気遣ったものでなく、戦士として、道具として必要だったからだ。

 

 千春の悲しい犠牲によって渚は日本に帰って来た。何故か世界は変化していて、レヴリや警備軍がその象徴だろう。しかし、渚にとって其れはどうでもよく、千春の愛した妹が生きて存在していることが全てだった。

 

 だから、解かれた呪縛など考えもしていない。その影響が此処で訪れてしまった。

 

 生理用品など用意していないし、薬も、替えの下着も、そもそもの対処の経験すらないのだ。

 

 股間から気色悪い感触が伝わる。戦場では血や油に濡れるのは日常で、意識から外す事だって出来ていたのに。渚は整った眉を歪ませて、それでも歩き続けた。しかし、明らかに進行速度が落ちている。

 

 仕方無く立ち止まり、カエリーを袖に当てた。ビリビリと裂くと、適当に折り畳んで安物の下着の中に突っ込む。ゴワゴワとした肌触りがやはり気持ち悪いが、これ以上出来る事もない。暗いグレー色のパーカーは手首辺りから片袖が短くなり、渚の青白い素肌が傾いて来た太陽に晒される。明らかに痩せていて、薄っすらと骨のラインが見えた。

 

『効率から考えましょう。休息を入れ体力を戻せば追い付けます。合わせて言えば間もなく夜になり、夜目のきかない彼らの行軍は止まる筈。寧ろこのままでは戦闘にすら悪影響が出ると予想されます』

 

 それでも暫く歩き続けようと足を動かしたが、既に体は重く鈍い。下腹は石でも溜め込んでいるかの様にズシリと沈む。想像以上の不調に渚は唇を歪めた。大怪我だって、数限りない痛みと戦ってきた筈なのに、何故か耐えられそうに無いのだ。そして何よりも、揺れ動く感情に渚は戸惑った。

 

 仕方無く、無人となったコンビニだっただろう建物に入る。冷蔵庫だけは形が無事に残っていて、その隅に身体を下ろした。尻を床につけると股間からの違和感が増し、益々憂鬱になって辟易する。デニムの生地を引っ張り覗き込めば、パーカーの切れ端が僅かに赤く染まっていた。

 

『アト粒子接続を。警戒を代わります』

 

 そんな渚に全く頓着しないカエリーの声が頭に響く。

 

 普段ならば拒否しただろうが、渚は素直に従った。膝を抱え丸くなる。マーザリクでよくしていた姿勢だ。千春が隣に座り、時に抱き締めてくれたのを思い出してしまった。だからだろう、意識しないまま愛しい人の記録が頭に浮かび、まるで目の前に立っていると錯覚してしまう。

 

 その優しい笑顔を見たとき、渚は瞼が落ちていくのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 人の気配が消えた夜の街、それは根源的な恐怖を振り撒く。暗闇、静謐、獣や虫の気配。街灯も漏れ出る筈の明かりも無い。全ては過去の遺物で、瓦礫や塵芥は死を連想させるだろう。

 

 全国的に有名なコンビニチェーンの廃墟の中に、消えた筈の人の気配がある。僅かな声も響くが、悲鳴に似た其れは幼かった。

 

 

「やめ……て!」

 

 

 自分の喉から響いた悲鳴で渚は目を覚ました。鮮明に目の前に広がる、何度見ても慣れない悪夢が襲ったからだ。千春が殺した筈のアゾビズ、奴のイヤらしい笑みがこびりついて離れない。

 

 身体は汗で濡れ、酷い寒気を感じる。体調は変わらず最悪だ。寧ろ悪化したかもしれない。だがこれ以上立ち止まっては陽咲に追い付けなくなる。外は既に闇に落ち、虫達の鳴き声が耳をくすぐった。

 

「……く」

 

 錆び付いたり曲がったりしている棚の残骸を支えにして、渚は立ち上がった。酷く重い身体、ボンヤリした頭、僅かな立ち眩みまで感じる。生理の出血は止まったのか、濡れ具合に大きな変化はない様だ。この不調は、普段の睡眠不足と足りない栄養の所為もあるだろう。

 

『マスター、戦闘に耐えられない可能性があります。魔力の回復も通常時の70%程度と想定。透明弾(クレール)などの特殊な魔弾の構成に制限がかかるでしょう。一度撤退を推奨します』

 

 カエリースタトスが警告してきた。其れは想定済みで、渚は当たり前に切り捨てる。

 

「外の空気を吸えば大丈夫。夜のうちに追いつきたい」

 

『ですが貴女の()()は重い方なのでしょう。ましてや初経で、しかも個人差が大きいと知識にあります』

 

 人工的に造られた筈のカエリーから、何やら生々しい指摘を受けてしまう。渚は何時もの様に苦い表情に変わった。しかし反論するのも辛く、無言のまま外に出る。

 

 半日分は離されただろう。

 

 多くの痕跡からかなりの戦力、つまり人数と分かる。恐らく中隊規模で以前とは比較にならない。例えレヴリが現れても簡単には負けないだろうし、彼らはその為の軍隊だ。無理矢理に言い訳を心に唱えるが、出発前に聞いた遠藤征士郎(えんどうせいしろう)からの情報、其れが不安を煽る。

 

 追い付かなくては……

 

 渚は重い足腰を前へと動かし、追跡を開始した。

 

『再度推奨します。撤退を』

 

「カエリー、私は行軍に集中する。そのまま警戒を続けて」

 

『警戒を続行』

 

 普段ならば息をする様に行なっていたが、渚はカエリーに指示を出した。足を動かす事に意識を持っていかれてしまうからだ。

 

 だが、やはりいつもの速度は出なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「居た」

 

 夜通し歩き、陽の光が最も高い位置に近づいた頃、漸く目的の警備軍の姿を捉えた。先程の音は間違いなく彼処からだろう。距離にして1km、遮蔽物が多く狙撃も難しい。とにかく距離を縮めるか、射線を確保する必要がある……渚は無言のままに脚を動かし前に進む。

 

 幸いにも杠陽咲は無事の様だ。

 

 異能による視覚には、不安そうな表情までが明確に映る。彼女の視線の先の小柄な女性、第三師団の三葉司令が腰を落とし向こう側を睨み付けていた。

 

『戦闘中でしょうか? それにしては動きが少ないですね』

 

「一斉射が終わったみたい。かなりの数」

 

 渚には散らばる薬莢と、空に消え行く硝煙すら見える。アト粒子接続であろうと、カエリーには不可能な芸当だ。

 

『しかし、敵影がありません』

 

 レヴリの死骸も見当たらず、動く気配すら感じられない。その内に警備軍から20m以上離れた場所に火炎が立ち上がった。その炎は暫く燃え続けて渚の興味を引いた。

 

 燃え尽きたあと、地面は焼け焦げている。

 

「……いや、いる」

 

『何処に?』

 

「あの池、泥水の」

 

『マスターがそう言うなら居るのでしょう。どうしますか?』

 

 明らかな待ち伏せだ。蟻地獄や蜘蛛の巣のように、近付く獲物を待っている。渚の力だから()()()()()が、通常ならば不可視だろう。

 

 蠢く塊、形は絶えず変化している。泥水に感じるのは擬態の一種か。もし澄んだ水ならば、多少の違和感を覚えるのは間違いない。

 

「水袋の様なヤツで()()()()()()()()()。アレを撃てば死ぬと思う。でも数が多い」

 

『今のマスターが生成出来る魔弾は、約40。帰還の余力を考えれば、30です。回復量の低下から算出すると更なる減少も』

 

「分かってる」

 

『戦闘を想定するならば、援護に徹して下さい。対象者も兵士なのですから』

 

 何よりも渚の生存を第一に考えるカエリーは、そう言葉にした。それはつまり近づくと危険で、同時に遠距離からは完全な攻撃が出来ない事を示唆している。杠陽咲を守る為に接近はするなと警告したのだ。

 

 そして、渚は其れを当然に無視する。

 

 此処からでは魔弾の数が足りない。()()()()()()()()()()()射角が広過ぎるからだ。

 

歪め(ディストー)

 

 カエリースタトスに命ずる。そして間を置かずに狙撃する体勢に入った。緑色した線が這い、明滅を始める。歩く速度を落とす事もなく、渚は初弾を発射した。二秒後に更に二発。

 

『無駄弾です』

 

「煩い」

 

 やはり気付いていないのだろう。レヴリが待ち伏せをする池に近づいて行ったから渚は躊躇しなかった。()()()()()()が減るのは許せない。

 

 そして三葉が振り返り、まるで見えている様に此方を射抜く。

 

「駄目、間に合わない」

 

 遅れが此処で響いた。あと数時間前に捕捉出来ていれば、あそこまで接近を許さなかったのに……

 

 一気に踊り掛かったレヴリ。

 

 散らばる悲鳴と弾丸。

 

 三葉は必死に指示を出している。

 

 渚は地面を蹴った。

 

 でも……どこまでも身体は重いのだ。

 

 

 

 

 

 



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小さな背中

 

 

 

 

 最初の僅か数分、それだけで十数人がやられた。

 

 一度スライムに取り付かれたら、脱出はほぼ不可能だからだ。渚の警告を即座に察知し、三葉(みつば)の後退命令が無ければ更に犠牲者が出たのは間違いない。

 

 それでも、戦場は混乱の一途を辿っていた。

 

「いいから下がれ!」

「ヤツだけは……」

「おい! 右だ!」

「くそっ! 何で死なないんだ!」

 

 あちらこちらで銃撃がスライムを襲うが、ほんの僅かな時間足止めするだけだった。ウゾウゾと粘体が周囲を囲もうと近づく。

 

「司令! 明らかに包囲殲滅を狙っています! 離脱を!」

 

 恐ろしい事に、奴等は組織的な攻撃を行なってくる。分断、退路の限定、そして包囲だ。

 

「駄目だ!」

 

 マーキングするには幾つかの条件があるが、集中して一定時間視界に捉え続ける必要があった。ターゲット自体は大して動かないのに、四方から襲うスライム達に気を取られてしまい、視線をどうしても外してしまうのだ。

 

 三葉は何とか踏み止まり、此処は退けない場面だと確信している。奴等は想像以上に知能が高く、この瞬間も人間の動きを学習しているのが分かった。一度姿を失うと、次の発見はより困難になるのは明らかなのだ。もし()()が街に侵入したら、一体どれ程の被害が出るか想像も出来ず、侵攻を止める術すら見つからない。

 

 だから……このタイミングは最悪で、しかし逃せない。

 

「叔母さん!」

 

 七時の方向、まるで気配を消す様に接近するヤツがいた。それに気付いた陽咲(ひさ)が思わず叫ぶ。一気に念動(サイコキネシス)の力を高め、大量の石や破片などを射出。正にハリネズミと化したスライムが千切れ飛んだ。

 

「……くっ! 退け(ひけ)!」

 

「馬鹿言わないで!」

 

 完成へ近づく包囲網の外、陽咲は何とか三葉の元へと叫び声をあげる。

 

 最早司令と異能者の一人ではなく、叔母と姪の投げ掛けだったが、其れを指摘する暇もなくなりつつあった。

 

 三葉の近くで土谷(つちや)発火能力(パイロキネシス)を連発し、周囲を牽制しているが、数が違いすぎて間に合っていない。中隊の各隊員達は自身に近づいて来るスライム達を止めるのに精一杯だ。

 

「司令、このままでは撤退すら不可能になります! 此処は退きましょう!」

 

 土谷が叫び再び火炎を吐く。彼の異能は何匹かのスライムを殺していたが、数える余裕もない。じっくり炙る様にダメージを与えるしか手が無いのだ。無論全力の異能ならば更なる攻撃も可能だが、中隊が散開し過ぎて広範囲へ炎を放てなくなっている。時間稼ぎに身を呈する味方を巻き込んでしまうからだ。

 

「くそ! 何かある筈だ! 奴等にも弱点が……」

 

 やはり叫んだ三葉だったが、視界の片隅に愛する姪が走り寄って来るのが見えて酷く狼狽する。陽咲は周りが見えていない。まるで道が拓けたと勘違いしているが、其れはスライム共の罠だ。包囲の内側に誘っている。三葉達がいる此処は間違いなく中心点だからだ。経験の不足が最悪のカタチで現れてしまった。

 

「土谷! 陽咲を遠去けろ! 炎の壁を!」

 

「駄目よ! 三葉叔母さん!」

 

「……陽咲! 背後だ! 避け……」

 

 そして、絶望が襲う。

 

 必死で手を伸ばし駆け寄って来る。だが其れを嘲笑うかの様に、回り込んだスライムがグニョリと身体を伸ばしたのだ。まるでロープや触手の様に陽咲へと殺到していく。

 

 司令官として、私情は挟むつもりは無かった。

 

 それでも、つい最近聞いた千春(ちはる)の死が三葉に見えない恐れとなって襲っていたのだ。そして今、残されたもう一人の命が失われそうになっている。

 

 何も出来ない、其れの何と恐ろしいことか。三葉は自身の異能を呪った。今ここに戦う力が有れば、と。

 

「陽咲……!」

 

 喉も掠れて、か細い。

 

 パチュン!

 

 その瞬間、スライムが爆発した。

 

 いや、内部から風船の様に破裂したのだ。バチャリと地面に広がると汚らしい水溜りと化した。そして、そのまま動かない。

 

「えっ?」

 

 思わず陽咲も背後を見るが、簡単にスライムが死んだ事に現実が追い付かなかった。

 

 続いて三葉の近く、土谷の視線の先、陽咲の周辺だけ次々と水溜りが生産されていくのだ。

 

「たったの一発で……そんな事が……」

 

 三葉の目に映ったのは、スライムの身体に穴が開き、そして破裂する(さま)だけ。当然に誰の仕業か理解しているが、それでも信じる事は容易では無かった。

 

 一体どうやって奴等を?

 

「司令、今です!」

 

 土谷の声に正気を取り戻し、集中する。周囲への警戒も今は必要ない。

 

 其れを見た陽咲は目を凝らして援護だろう方角を確認する。簡単に見つかる訳もないと思っていたが、その小さな人影はあっさりと視界に入った。デニムのパンツと濃いグレーのパーカー。ポニーテールの黒髪も揺れている。到底信じられないが、あの正確な射撃を立ち止まる事なく、ゆっくりと歩みながら行ったようだ。

 

 黒い銃を腰溜めに変えると、今度は小走りで此方に向かって来る。この瞬間、陽咲は困惑した。あの子、つまり渚が接近してくる理由が分からなかったからだ。彼女は狙撃手で、ましてや警備軍と接触する事を避けていた。

 

「渚ちゃん?」

 

「よし、マーキングが終わったぞ! 離脱する!」

 

 群れのリーダーらしき一際大きなスライムは結局動かなかった。司令塔としての振る舞いか、或いは別の要因なのか誰にも分からない。

 

 一気に中隊が後退局面に入る。混乱しながらも組織だった行動をとる警備軍の練度が証明された。

 

 いける……土谷は確信し、巨大な火炎を前方に放つ。今迄耐えてきたが、本気の発火能力(パイロキネシス)だ。一気に戦場は赤く染まり、あのリーダーらしきスライムも視界から消えた。

 

 その時だった。

 

「三葉司令! 左に跳んで!」

 

 その声は幼くとも綺麗だ。

 

 声の主を見る事もなく地面を蹴った。そしてその場所に何匹ものスライムが降って来る。ボタボタ、ベチャベチャと気色の悪い音を立てながら。

 

 ゴロゴロと転がり、直ぐに立ち上がると三葉は顔を上げた。

 

「しまった……!」

 

 向こう側、陽咲と土谷が取り残されている。

 

「戦力の分断だ……! 奴等は脅威度を理解して……」

 

 粘体のレヴリ、そのリーダーは予想を遥かに超えた知能を持っている。最も打撃を与えた二人、つまり念動(サイコキネシス)と最高峰の発火能力(パイロキネシス)だけは逃さないと……

 

 強力な異能者が失われた場合、このレヴリに対する攻撃力は大きく減退するだろう。しかし、残る警備軍の戦力は()()()()だ。

 

「完全にしてやられた……くそが!」

 

 思わず汚い言葉を吐いた三葉だったが、同時に奴等の想定外も()()()にいると、救いを求めるしかない。そして予想通り、救いの御子である天使の美しい声が降って来た。

 

「行って!」

 

 其方は離脱を。陽咲は任せてーーー

 

 不思議と分かる。一言と視線だけで、三葉に伝えたのだ。

 

 もう二十メートルも無い距離まで来ていた。渚と陽咲達の間にいたスライム達は次々と破裂する。

 

 池のあった場所では多くの凄惨な死があり、今も激しい戦闘が行われているのに。小さな堕天使はどこまでも、そして氷の様に冷静だった。

 

 だからなのか、愛する姪は必ず助かると思えたのだ。

 

「……頼む!」

 

 そして反対側へと駆け出して行く。

 

「陽咲、お前も、こっちへ!」

 

 その声を背中で聞きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 

 

「ついて来て」

 

 追い縋るスライムの三匹をたった()()で仕留めた渚が淡々と言う。突き抜けた見えない一発の弾が同時に殺した瞬間、陽咲だけでなく土谷まで絶句したのだ。

 

 二メートルばかり先を歩く渚からは殆ど足音がしない。ほんの一瞬でも姿を見失えば、最初に会った日の様に消えてしまうかも……その僅かな距離が酷く遠く感じて哀しくなる。

 

 流石のレヴリも慄いたのか、追撃は途絶えたようだ。スライムは待ち伏せ(アンブッシュ)を主とする生態なのだろうと陽咲は考えていた。

 

 やはり小さい。

 

 かなりゆっくりとした足運びとは言え、後を追う事に苦労は無かった。歩幅が違いすぎるのだ。

 

 陽咲も決して身長が高い方ではないが、渚は頭ひとつ分か其れ以上に低い。歪な黒い銃を抱えて無ければ、正に子供にしか見えなかった。背中からは何時もと変わらない拒絶感が溢れ、無言のままに時間が過ぎて行く。土谷ですら、まだ渚に話し掛けてもいない。

 

 そして更に時間が過ぎた時ーーー

 

 ふと前を歩く渚が立ち止まった。

 

 もしや敵襲かと二人の若き異能者も警戒する。

 

 しかし暫く動きはなく、突然傍にあったコンクリートの壁に右手をついた。どうやら何かの町工場だったらしい建物だ。窓ガラスは割れ、屋根すらも半分無くなっている。

 

「……どうしたの?」

 

 更には両膝まで地面に下ろして、顔を前に倒した。唯一の武器であろう黒い銃がガチャリと鳴る。手放したからだ。

 

 そして先程のスライムが如く、渚はビチャビチャと液体を地面に吐いた。明らかな身体の不調に陽咲は駆け寄る。

 

「渚ちゃん!」

 

 細い肩、小さな背中に手を添えた。

 

 再び吐く。少しでも楽になればと背中を摩ったとき、渚が身動ぎして辛そうに言った。

 

「陽、咲……触らな、いで」

 

 途切れ途切れの声は悲しいほどに冷たい。土谷は何かに気付いたのか眉を歪ませた。

 

「何を……⁉︎」

 

 だが渚は腕を振り上げ陽咲を払い除けてしまう。昨日の夜も見た悪夢が襲っているなど想像も出来ない。だが其れが最後の抵抗だったのか、グラリと倒れて瞳も閉じてしまった。

 

「体温が……熱が凄く高い……」

 

 好きになってしまった人の否定を無視し、小さな背中に手を回し支える。

 

「陽咲ちゃん、もうじき暗くなる。彼女が誘導出来ないなら移動は危険だと思う。此処で休もう」

 

「は、はい」

 

「少し待ってて。中を調べて来るから」

 

 そう言い残し、土谷は工場跡に入って行った。当然レヴリの巣だったら最悪だし、野生動物も人には危険だ。其れらがいても土谷ならば安心だろうと、陽咲は抱き留めた少女に目を落とす。

 

 もう意識は無いのだろう。ハァハァと苦しそうに呼吸していた。

 

「渚ちゃん……」

 

 その声も届かないのか、渚は答えない。

 

 闇夜はすぐそこだった。

 

 

 

 



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横顔

 

 

 

 

 

「少し上に行こうか」

 

「はい」

 

 抱き抱えた身体から高い体温が伝わってくる。

 

 まだまだ新人の一人とはいえ、(あかなし)陽咲(ひさ)も厳しい訓練を繰り返してきた軍属の人間だ。平均より低い身長や少し垂れ目の瞳で幼く見えても、一般の女性とは違う。念動(サイコキネシス)を併用する事も可能だが、その必要は感じない。

 

 それ程に軽いのが、(なぎさ)だった。

 

 僅かに少女らしい柔らかさはあっても、痩身なのは明らかで……益々酷くなっていた目の隈、高熱、先程の吐瀉物は胃液ばかり。

 

「やっぱりご飯とかちゃんと食べてないのかな……」

 

 独り言だったが、間違いないとも思う。

 

「予報通り朝まで降りそうだね。こちら側に屋根があって良かった」

 

「ですね」

 

 つい先程から雨が降り出したのだ。土砂降りではないが、シトシトと長雨になりそうな雨音が聞こえる。

 

 PL侵入前に幾つかの情報確認があるが、そのうちの一つが天候の予測だ。レヴリとの戦闘への影響にはじまり、兵士の疲労やストレスにも関わってくる。また人の手が入らない街では、崩落や浸水などの危険性まで高まってしまう。

 

 工場跡らしい此処は、半分以上が崩れてしまっていた。雨晒しになった機械類は錆びて茶色く染まり、床も抜けて地面が露出している場所も多い。恐らく金属の加工をしていたのか、旋盤などが残っているようだ。

 

 渚を抱えた陽咲と土谷は階段を登り、事務所らしき部屋に入った。

 

「彼処がいいな」

 

 フェイクレザーの長椅子がある。恐らく応接の為のものだろうが、余り傷んだ様に見えない。土谷は背中に背負っていた背嚢から薄手の雨合羽を取り出した。それを長椅子に敷けば簡易的なベッドの出来上がりだ。

 

「ありがとうございます」

 

 労る様に、壊れ物を扱う様に陽咲は渚を横たえる。

 

 やはり頬は赤く、息遣いも荒い。

 

「タオルを濡らして来るよ。抗生物質は持ってるかい?」

 

「あ、はい」

 

 同じく降ろした背嚢に有ると視線で伝えた。

 

「目を覚ましたら飲ませた方が良いかもね。彼女は何も持ってないようだし」

 

「分かりました」

 

 落ち着いた土谷がいる事で何とか冷静さを保っていた。もし一人だったなら涙が溢れていただろうなと思う。外に向かう彼から視線を外し、再び渚を眺める。

 

「また助けられちゃった。私が渚ちゃんを護るって言ったのにな……」

 

 横向きに寝転んでいるので、腰を下ろした陽咲のすぐ目の前に渚の顔があった。思わず黒髪を撫でると、まともなケアもしていないだろう事が分かってしまう。

 

 大切な人、姉である千春(ちはる)を殺したと渚は言った。しかし、三葉の言葉が絶望の淵へと落ちるのを止めたのだ。何一つ確証など無いのに正しい答えだと理解している。

 

「だって、何時も見守ってくれてる。まるで千春お姉ちゃんみたいに」

 

 今度は自分が助けてみせる。

 

 朝が来たら急いでPLを抜け、病院に連れて行かないと。いや軍病院ならば最新設備が整っているし、渚ちゃんの生活の不安も相談を……眉にかかった前髪を優しく払いながら、陽咲はつらつらと考えていた。

 

「はいコレ」

 

 絞った濃い緑色のハンドタオルを陽咲に渡し、土谷は離れた場所に座った。非常時と言っても、彼ならば目の前の少女に興味を持ちそうなのに……少しだけ意外だなと思いながら渚の頬や口周りを拭ってあげる。

 

 吐いた物が気管に詰まっては駄目だと今は真上に向いていない。濡れタオルを額に置くのは後なのだろう。

 

 少しでも楽にとデニムのベルトを緩めようとした時、土谷が抑えた声で制止した。

 

「陽咲ちゃん、余り触らない方がいいと思うよ」

 

 全く悪気の無い労る気持ちを指摘され、思わずムッとしてしまう。

 

「……どうしてですか?」

 

「そうだな……こっちへ。その娘を起こしたくないし」

 

 二人は其処から離れ、横倒しになった椅子を起こして座った。渚は視界に入っていて、肩の上下で呼吸の有無すら分かる距離だ。

 

「最初に言っておくけど、あくまで推測だからね? さっき天使が倒れた時に触らないでって言ったけど、以前もあったと聞いた。確かなのかな?」

 

「は、はい。間違いないです」

 

「彼女の様な反応は何度か見た事がある。戦場の恐怖、受け止められない人の死、凄惨な現場に出くわした記憶や過去。要因は様々だけど、心的外傷後ストレス障害……所謂PTSDだ。この場合のトリガーは人との接触かな。しかも、正直かなり重症だと思う」

 

「……はい」

 

「心当たりがあるみたいだね」

 

「何となくですけど、拒絶感とか、身体の細さとか……目の下の隈だって酷いですから」

 

「そっか。陽咲ちゃんには辛い事かもしれないけど、心構えは必要だ。つまり、見た目から多分14,5歳だろ? その若さで常識を超えた戦闘能力を持ち、詳細不明な異能、そしてそれに耐え得る精神。おまけに身元も不明。ごく当たり前の人生なんて送って来た訳が無い。内容の言及は避けるけど……多分凄く酷い目に遭って来た筈だ」

 

 俯く陽咲を見た土谷だが、慰めはしなかった。まだ新人の異能者であるが、(あかなし)陽咲(ひさ)は決して愚鈍な人間ではない。恐らく既に察していたのだろう。

 

 異能の発現にはテストが必要で、通常ならば国家の保護の元に行われる。精神の不安定な未成年は特に慎重な対応が求められる上、厳しい法規制も存在するのだ。しかし横たわる少女は規定の年齢に達していない。高度な戦闘訓練を乗り越えて来たのは確実で、違法な手段であるのも間違いないのだ。そして、それを行った連中に人の常識などあろうはずが無いだろう。

 

「それに、あの馬鹿げた黒い銃も」

 

 そして、()()こそ異常の極地だ。天使の直ぐそば、錆びた金属台の上に真っ黒な塊がある。もしここに居るのが花畑(はなばたけ)多九郎(たくろう)だったなら涎を垂らしていたかもしれない。

 

「専門の人に見て貰いたいところだけど、中々難しそうだ。簡単に治る様なものじゃないし、あそこまでの症状は滅多にないからね。だから対応を慎重にしないと益々距離が離れてしまう、そう思ったんだ」

 

「……はい」

 

「同性の方がいいだろうから俺は近付かない様にするよ。何かあれば手伝うけどね。それと帰ったら司令に相談しよう」

 

「ですね……よろしくお願いします」

 

「キツイだろうけど、気持ちをしっかりね。余り暗くすると逆効果かもしれないし。やっぱり綺麗な女の子は笑顔でいて欲しいから、さ」

 

 言いながら、左手首につけた時計を見る。土谷は態とらしい、くだけた空気を醸し出した様だ。彼なりの気遣いだろうと、陽咲も少しだけ肩の力を抜いた。

 

「夜明けまで約6時間だ。見張りを交代しながら休憩しよう。場合によっては背負ってでも進まないと」

 

「渚ちゃんは軽いから大丈夫です。念動もありますし」

 

「念動か……汎用性高いなぁ。さすが希少なだけはあるよ。触らなくて済むから彼女には良いかもね」

 

 土谷はもう一度周囲の確認をしてくると階段を降りて行った。それを見送った陽咲は渚に視線を合わせる。

 

 初めて名前を教えて貰った日、そして今も横顔を眺めている。

 

 整った鼻筋、長い睫毛、真っ白な肌。

 

 記憶の中に鮮やかな世界が浮かんで来た。

 

 公園で話した時も、この夜も幸せな時間ではない。だけど目が離せなくなって、ジッと見詰めてしまう。いつの日か笑顔が咲いたら、咲かす事が出来たなら、千春お姉ちゃんも喜んでくれる……そんな風に思い出しながら……

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 

 今夜みたいな雨じゃなく、あの日は土砂降りだった。

 

 台風みたいな風と鳴り止まない雷。誰かが言ったのだ

……雷鳴と雷光の合間が短い時、落ちる場所は直ぐ近くだと。

 

 其れを聞いてしまった陽咲は怖くて怖くて姉である千春の部屋を訪れた。しないと怒られるノック、そうして返事を待つ。

 

 カチャリと開いた扉の向こう側に嫉妬するほど綺麗な黒髪の女性が立っていた。クセもなく、艶やかな黒を今でも覚えている。キャミソールと細身のロングパンツ、ガウンカーディガンを合わせた暗めのネイビー。ワントーンカラーで大人っぽくて、ルームウェアなのに素敵だなと思う。

 

「なに?」

 

 中学生になっても陽咲はずっと子供で、姉である千春は憧れの(ひと)だった。あの頃は距離を置かれて悲しい思いを抱え、毎日後をついて回ったりもした。それが鬱陶しくて、悪循環を生んでいると気付きもせずに。

 

「お姉ちゃん、ごめんね。怖くて……」

 

 枕を抱えて来れば、答えは最初から分かる。

 

「陽咲。そのすぐ謝るクセ直しなさい」

 

 少し厳しい声が降ってきて、陽咲は枕をギュッとした。

 

「……入って」

 

 それでも結局は迎え入れてくれるのだ。

 

「うん」

 

 随分入る事が減った千春の部屋は整頓されていて、女の子っぽい物は少ない。本棚には何やら難しい題名の本や小説が並んでいる。医学系の書籍や英語関連の参考書など、明確な夢を持つ姉が遠く感じてしまう場所だ。

 

 外がピカリと光り、殆ど同時にゴロゴロと雷鳴が轟いた。ついでバシャーンと酷い落雷音が耳をつん裂き、陽咲はビクリと肩を揺らす。

 

「鳴り止んだら自分の部屋に戻る?」

 

「分かった」

 

「全く……雷嫌いは相変わらずね」

 

 優しい声音。それを聞くとホッとした。二人お揃いの学習机には意味不明な記号の並ぶ本とノートがあって、何となく悔しい。

 

「お姉ちゃんは怖くないの?」

 

 チラリと表情を伺うと、呆れた様に返すのだ。

 

「怖いに決まってるじゃない。陽咲と同じだよ」

 

 誰でも怖い。気にする事も、情けなく思う事だって普通だよと慰めてくれている。

 

「そっか……お姉ちゃんも怖いんだ」

 

 でもあの頃はもっと幼くて、その気遣いを理解しない。だから単純に嬉しかった。

 

「雷が煩くて集中出来ないし、寝よっか」

 

「うん」

 

「ちゃんと歯磨きした?」

 

「したよ」

 

「そう」

 

 言いながら、机の上を片付けて振り返った。長い黒髪がフワリと揺れて目を惹く。それを見た陽咲は千春を真似して髪を伸ばし始めるが、癖毛が邪魔して直ぐに断念したりした。

 

「奥がいいんでしょ?」

 

「いい?」

 

「駄目って言っても諦めないクセに。"でも"とか"だって"とか」

 

 フンワリ笑う。

 

 雷鳴は変わらず、それでも幸せな夜へ……

 

 セミダブルのベッドで二人の姉妹は肩を寄せ合って眠る。

 

 恐怖は消え去り、隣で緩やかな寝息を繰り返す美しい姉を眺めていた。起こさない様にそっと腕に抱きつく。感じるのは優しい体温と仄かな香り。

 

 決して色褪せない幾つもの記憶。

 

 渚と千春の横顔が重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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夢の続き

 

 

 千春との思い出に身を任せていた時、ふと闇夜でさえ消えない漆黒の物体が視界に入った。

 

 ベッド代わりにしていたフェイクレザーのソファ。横たわる渚の側に置いてあるのだ。勝手に触ったりしたら怒られちゃう……そう自制するも目が離せなくなっていく。

 

 三葉に見せられたイラストや最初の出会いでも目にした。しかし、ここまで近く、しかもじっくりと確認するのは初めてだ。

 

「やっぱり変わった銃だな……弾って何処にあるんだろ? それにあの緑色した線が消えてる」

 

 渚の眠りを邪魔しない様に随分と小声だ。しかし目線は外れない。

 

 陽咲の言う通り、弾倉が全く見えないのだ。いや特殊な形状であれば分からないが……どちらにしても、あの凄まじい威力の狙撃はどの様に行われているのか。しかも連射すら可能なのだから理屈が通らない。

 

「まるで()()みたい。本当に氷の国から逃げて来たお姫様だったりして」

 

 無意識で手が伸びる。勿論盗む気などないし、感触を確かめたかったのだ。しかし罪悪感が溢れて緊張してしまう。

 

「……や、めて」

 

 か細い声が聞こえた。

 

「ご、ごめん! 盗る気なんて無い……」

 

 慌てて下を見るが、渚は変わらず眠っていた。身動ぎしながら目尻に皺が寄っている。

 

「吃驚した……寝言かぁ」

 

 結局罪悪感が勝り、元の姿勢に帰る。渚の声が続いて聞こえて来た。

 

「……お願い、や、やめ」

「もうイヤ……だ」

「無理……助け……」

 

 悪夢だ。

 

 見たくも無い夢に魘されている。

 

「もう……」

 

 そして渚は歯を食いしばり、何かを遠ざける様に両手を動かした。

 

 

「……殺して。早く……私を……」

 

 

 陽咲の胸の奥がドキリと鳴った。そして締め付けられる。手を握って大丈夫だよと伝えたい。でも触れたら悪夢への誘い(いざない)を助けてしまうかも……そう考えて動けなかった。

 

 そして、聴き慣れた、何度も焦がれた名を呟く。

 

千春(ちはる)、許し、て……」

 

「ごめ、んなさい」

 

「ごめ……」

 

 閉じた瞳から涙が一雫だけ落ちる。もう耐えられなかった。

 

「渚ちゃん。起きて」

 

 優しく体を揺らした。せめて一度目覚めて、再び眠りにつけばいい。悪夢なんて消え去れと陽咲は強く願う。

 

「誰も責めたりなんてしないよ。きっと千春お姉ちゃんだって」

 

 千春……その名前が届いたのだろう、瞼がゆっくりと開いた。

 

 閉じ込めていた瞳の光と一緒に、涙がポロポロと流れ落ちていく。焦点が合わないのか、渚は動かない。

 

「渚ちゃん」

 

 陽咲の声、直ぐそばにある人の気配、手の中に存在しないカエリースタトス。それを理解した渚は一気に上半身を起こし、ズリズリと離れた。ソファのギリギリまで身体を避けると、慌てた様に自分の衣服を確認する。そして警戒感を増した視線が捉えたとき、それを知った陽咲は酷く哀しくなってしまう。

 

「……大丈夫、何もしてないよ。()()()()()()魘されてたから起こしたの。それと渚ちゃんの銃なら其処に」

 

 内心の悲哀を頑張って隠しながら、黒い銃を指差した。

 

 無言のままにカエリースタトスを抱き寄せる渚。やはり動けなくなった陽咲。軽く周囲を確認すると、ようやく言葉を唇に乗せた。

 

「……お願い。私に触れないで」

 

「分かった」

 

 陽咲の目にも涙が滲む。その拒絶と心の傷が見えた気がしたから……

 

「看病してくれたのは感謝してる」

 

「うん、分かってるよ」

 

 そして、陽咲は三度(みたび)決意した。

 

 自身が恋してしまった儚き少女。いつか絶望の底から助け出してみせると。

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 

「体調はどう? 抗生物質ならあるけど」

 

 陽咲の声を聞きながら、渚は周囲の状況を確認している。場所、逃走経路、レヴリや他の者の気配。かなり暗いが全てを明確に捉える異能には関係ない。

 

 危険性は少ないと判断したのか、漸く陽咲に視線を合わせた。

 

「……大丈夫」

 

「でもまだ熱もあるみたいだし、顔色だって悪いよ」

 

「私が眠ってどれくらい時間が経った?」

 

 不安や気遣いすら無視して問う。会話のチグハグは以前からあったが、今は理由が何となく理解出来る様になってしまった。其れが嬉しい訳ではないと、陽咲は心の中で呟くくらいしか出来ない。

 

「二時間くらいかな。とにかく今は休んで……」

 

「移動しよう。もう一人の男は?」

 

「さっき周りの確認に行ったから直ぐ戻るけど、移動は止めない?」

 

「レヴリの行動が読めない。護り切れるか確証がないから」

 

 それを聞くと、やはり普通の状態ではないと陽咲は確信する。渚が"護る"とはっきり口にしたからだ。行動から明らかな事であっても、自身の心内(こころうち)を明かすなど彼女らしくない。残念ながら事実だ。

 

 何としても休ませようと頭を捻る。

 

「情け無いけど、すごく疲れてて……其れに夜間の行軍訓練を受けてないの。渚ちゃんは大丈夫だと思うけど、私は自信がない。其れに雨だって降ってるんだよ?」

 

 嘘だ。

 

 夜間訓練など国家警備軍ならば当たり前だし、疲労などの負荷を掛けた状態で数々の模擬戦闘すら経験がある。だが、陽咲や三葉が想像する通りならば、返答は決まっているのだ。

 

「そう……分かった。夜明けと同時に此処を出るから」

 

「うん、ごめん」

 

 やっぱり優しいと内心で頷く。

 

「直ぐ謝るのよくないと思う。誰も悪くない」

 

 まるで千春お姉ちゃんみたいと、陽咲の顔に笑みが浮かぶ。それを見た渚は怪訝な表情に変わったりもした。

 

「ふふ、そうだね。ね、体調は大丈夫だって言ったけど何か心当たりはある? ほら、風邪とか持病とかあるじゃない?」

 

 精神的なものとは指摘出来ないが、どうしても心配なのだ。顔色は気を失う前より良いが、元々健康的な空気はない。

 

「色々重なっただけ。大丈夫」

 

「そっか。水は飲めるかな? 水分は摂っておかないと」

 

 差し出した水筒をチラリと見ると、渚は素直に受け取った。たかが水だけど、何かを渡せたと陽咲は嬉しくなる。少しずつ、少しずつでいい。いつか抱き締めて優しく包むのだ。

 

「聞かないの?」

 

「ん?」

 

「さっきの戦闘や、何故付け回すのかとか。千春の事、私が憎いはず」

 

「沢山聞きたいよ。でもそれは、渚ちゃんが話したい時でいい。千春お姉ちゃんがよく言ってたの……相談相手になりたいなら、自分がそれだけの人にならないとって。相談してって願うのは傲慢かもしれないから」

 

 俯く渚の頭を撫でたくなったが、陽咲は必死に我慢する。

 

「それと……」

 

「それと?」

 

「不思議なんだけど、渚ちゃんのこと憎めない。私の中で違うって叫んでるから……だから今は考えないようにしてる。そうだ、一つだけ聞かせて」

 

「……うん」

 

「千春お姉ちゃんが好き? 私はずっと昔から大好き」

 

「私は……」

 

「それだけ聞かせてくれたら、私は大丈夫だよ」

 

「……心から、千春だけが私の全部」

 

「そっか……」

 

 嬉しいはずなのに、少しだけ胸が痛い。

 

 きっとヤキモチだ。渚ちゃんを捉えて離さないお姉ちゃんも、そんなお姉ちゃんを好きになった渚ちゃんにも。私に出来るのだろうか、目の前の少女を救うことが……陽咲は見えない様に拳を握り、そんな風に思ってしまう。

 

「陽咲、あの……」

 

 ドキドキする。氷の様に綺麗で冷静だった渚の雰囲気が変わったからだ。

 

 何やら控えめで、不安そうな、気弱な少女に見える。自分より遥かに強くて経験だって叶わない狙撃手が、まるで救いを求める様に此方を見た。

 

 可愛いーーー

 

 決して口にしないが、内心では大騒ぎだ。

 

 恋した少女が、儚げな空気を纏う。

 

 だから必死に落ち着いた大人として振る舞った。それが正しいと直感が言っている。

 

「大丈夫、心配事があるなら言ってみて」

 

「……せ、せい」

 

「ん?」

 

「えっと……生理、の」

 

「整理?」

 

「何も持ってなくて……」

 

 一瞬クエスチョンマークが頭を舞ったが、直ぐに気付いて小声で返す。心無しか顔も近づけて。

 

「もしかして忘れた? 持って来るの」

 

「……そ、そう。ううん、そうじゃなくて、は、初めて、で」

 

「……そ、そっか」

 

 正直酷く狼狽した。

 

 だが同時に納得もする。痩せ細った身体を見れば栄養は足りず、まともな生活だって送ってきた訳がない。かなり遅いと感じるが、個人差もあるだろう。

 

 どちらにしても、余り細かく聞かない方がよい。誰だって不安だろうし、そういった事を教えて貰ってないかもしれないのだ。

 

「じゃあ下着も?」

 

 もう目を合わさず、下を向いたままコクリと頷く。そんな渚を見て、陽咲は姉の様な心持ちに変わった。

 

「ちょっと待ってて」

 

 そう言うと自身の背嚢の紐を緩め、同時に先輩である土谷の気配も探る。まさかこんな場面に出くわせる訳にいかないし、土谷も困るだろう。

 

「良かった……」

 

 気弱で心配性を自認する陽咲は、幾つかの物資を忍ばせていた。実際には事前の対策により使った事などないが、過去の自分を褒めてあげる。安物だが新品の下着、そして渚が求める物も。

 

 振り返ると未だ俯く渚がいた。もはや母性愛に近い感情が胸に込み上げ、ゆっくりと歩み寄る。

 

「新品の下着と、コレ。使って」

 

「……ありがとう」

 

「あとベビー用のお尻拭きも。肌に優しいからよく使ってるの。色々と便利なんだよ?」

 

 複雑な心境が手にとるように分かる。それ程の感情を表に出す渚は酷く珍しい。

 

「あっちなら見えないし、さっきの男の人が間違って行かないように見張ってるから安心して」

 

 多分社長室とかなのだろう個室を指差して優しく伝えた。まだ何とか原形を留めているし、死角もある。

 

 だが、肝心の渚が未だに動かない。

 

「渚ちゃん?」

 

 俯く顔を上げ、重い口を開いた。

 

「使い方が分からない」

 

「……えっと」

 

 まさか使用方法まで知らないとは、流石の陽咲も面食らってしまう。普通ならば何らかの方法で知る事になるし、家によっては家族などから教わるはずだからだ。

 

 同時に、そんな存在すら身近に無かった少女を知って、陽咲の心は大きく揺れ動いた。

 

「貸してみて。教えて上げる」

 

 努めて冷静に、そして優しく言葉にする。

 

 不思議なことだが、陽咲の渚への恋慕は益々強くなっていった。

 

 

 

 

 



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誓いの枷

 

 

 

 

 

「そろそろ出発しよう」

 

 薄っすらと陽の光が世界を照らし始めたとき、(なぎさ)は二人に声を掛けた。

 

 体調は変わらず酷いが、(あかなし)陽咲(ひさ)が差し出してくれた生理用品や下着のおかげで、昨日よりはマシだと思っている。

 

 土谷(つちや)天馬(てんま)とは朝の挨拶をした程度で殆ど会話していない。距離を取っているのは理解していたし、渚としても有難い事だから言及などしなかった。

 

「渚ちゃん、私達は……」

 

「ついて来てくれたらいい。レヴリは私が見つけて避けるし、今のところ危険はないから」

 

「……そう」

 

「済まない。一つだけ聞かせて欲しい事がある」

 

 土谷の投げ掛けにコクリと頷いて次を促した。渚には質問の内容も想像がつくし、本当は昨夜にも聞きたかったのだろう。

 

「あの新種。俺達はスライムと呼んでいるけど……どうやって殺しているのか教えて欲しい。今後の戦闘に役立てたいんだ」

 

 ほんの少しだけ沈黙すると、渚はポツリポツリと答えを返した。

 

「身体の中に核らしきモノがある。その中央を撃ち抜けば死ぬ」

 

「核?」

 

「そう」

 

 土谷も陽咲も困惑するしかない。間近で何度も視認したし、最初の一匹に至っては向こう側すら透けて見えたのだ。逆に、昨日の戦闘時では泥水の様に澱んでいて、内部など全く確認出来なかった。核など見当たらなかったと断言出来る。ましてや千里眼(クレヤボヤンス)三葉(みつば)花奏(かなで)すらも気付かなかったのだ。

 

「……あれだけ銃撃すれば、偶然に当たりそうな気がするけど」

 

 陽咲の疑問は当然だろう。

 

「さっき言った通り、核の中央を抜く必要がある。掠った程度だと意味がない。それに奴等も自身の弱点を理解して動いているから」

 

 思わず唾を飲み込む土谷だったが、警備軍の誰が聞いても似た反応をするしかないだろう。陽咲に至っては理解を放棄しているように見える。

 

「……どうやって核を、弱点を理解したんだ? あのレヴリは間違いなく新種で、世界を見渡しても初めて発見された存在なんだぞ? キミはスライムを知っていたのか? その黒い銃、何故そこまで簡単にレヴリを殺せる?」

 

 踏み込むつもりなど無かったが、我慢が出来なかった。事前に知っていたならあれ程の戦死者を出す事も無かったし、渚への不信感が迫り上がって来る。

 

「答えても理解出来ない。其れに、言う必要もない」

 

 いつもの拒否感が渚から漏れ伝わる。陽咲に対する様な僅かな優しさもないため、酷く冷たい印象を残した。土谷は渚の心の傷を知っているつもりだったが、それでも耐える事が難しい。その氷を思わせる瞳を睨み付けて、思わず声を荒げてしまった。

 

「何を……! あれだけの人間が死んだんだぞ! キミは平気なのか⁉︎」

 

「土谷さん! 止めて下さい!」

 

 怒りを向ける土谷の前に回り込み、陽咲は頑張って引き留める。彼の想いを理解するが、仲間を殺したのは渚では無いのだから。

 

「……話は終わり。行こう」

 

 クルリと小さな体を翻し、渚は歩き出す。

 

 その背中を見た時、悲しそうだと、泣いているみたいだと、陽咲は思った。

 

 

 

 

 

 

 感情が揺れ動く。

 

 コントロール出来ない。

 

 昨晩の事だ。護ると誓った千春の妹、(あかなし)陽咲(ひさ)と少しだけ語り合った。姉の仇である筈の自分を憎んでいない、それどころか体調ですら気遣う。

 

 第三師団の司令、三葉花奏が陽咲の叔母に当たる人、つまり千春の血縁者だと知った。警備軍がスライムと呼称するレヴリとの戦闘時に、危機を救う形になったのは幸いと言える。あの時は其処まで深く考えていた訳じゃないからだ。

 

 出来るだけの事をしようと思ったし、陽咲の柔らかい笑顔が心の奥底に温かさすら与えた。

 

 同時に相反する感情を覚える。

 

 イラつき、悲嘆、千春を犠牲にする意味などあったのか分からないこの身体。今からでも皮を剥ぎ、焼き尽くす炎に放り投げたくなる。それこそあのスライムに捧げれば、この世界から消し去ってくれるだろう。

 

 PLに潜る前、黒い高級車の中で遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)は言った。「武運を」「無事に帰ったら」と。あの言葉に不安や心配が含まれているのを理解していたのに、結局応えることもしなかった。あの浮浪者どもだって、対処の方法は幾らでもあっただろう。

 

 そして今、歩み行く小さな身体に埋もれる心が波打つのだ。

 

 土谷から指摘された事……人の死に何も感じないのか、と。

 

 感じない。

 

 もうずっと前、マーザリグ帝国の言うがままに戦う日々の中で消え去った感情だ。醜悪な人の欲望と心、極限の世界で喜怒哀楽などに意味があるとでも? 全てが戦闘の邪魔にしかならない。人など一皮剥けば同じ肉の塊……そうやって渚は土谷の言葉を否定する。気付けば必死になって怒りを抑えていた。

 

 分かっている。愛する人を喪った自分の感情、其処には矛盾しかないと。

 

 いま歩むのが千春だったら……陽咲に笑顔が咲き、土谷はただ感嘆しただろう。そして世界は救済される。

 

「……くそっ」

 

 聞こえない様に、渚は唾棄するしかない。

 

『マスター、落ち着いて下さい。冷静な判断が戦場では必要なのですから』

 

 アト粒子接続を行なっていたカエリーが、陽咲達に聞こえない声を渚に届けてきた。

 

 ーー煩い

 

『どうしたのですか? 貴女は冷徹なる戦士。その様に鍛えられ、変化を強いられた異人。マーザリグでは、非力な戦闘力をその精神で補って来たのです。このままでは支障が……』

 

 ーーカエリー、お願いだから黙って

 

 渚は珍しい懇願を返す。カエリーは静かになったが、同時に自身の主人が普段の力を出せないと判断した。システマチックに思考するカエリーでは、渚の嘆きも揺れ動く感情も理解出来ないのに。

 

 一人先導する渚、追従する二人。ずっと無言のまま、ただ脚を動かす。そして午後に差し掛かろうとした時、一気に視界が開けた。

 

 登坂していた先、登り切った事でかなり遠方まで見える。恐らく点在する小山だったのだろう、滅んでしまった街並みが一望出来る場所だ。高い建物が少なくなった事も其れを助けてくれていた。

 

「ここで待ってて」

 

 陽咲を軽く一瞥し、渚は真横に倒れたバスに片手を掛けた。そして軽やかに上に上がると進行方向を観察する。異能を使い、レヴリや他の危険を見逃さないようにと。一筋の傷すらも負わせない為だけに……

 

 心配そうに、どこか哀しげに見守る陽咲に気付いたが、反応は出来なかった。

 

『マスター、後方を』

 

 ーーアレは……

 

『貴女なら見えるでしょう。此方を追跡しているのでは?』

 

 ーー多分。

 

『速度から考えて、逃走は困難かと思われます。手を打ちませんと』

 

 ーーどうやって此方を捕捉してるか、それによる。

 

『視野は狭いと想定出来ます。痕跡を追うだけの知能も、技術も無いでしょう。マスター並みの力が有れば別ですが』

 

 ーーやっぱり、魔力?

 

『はい。鼻の効く連中ですね』

 

 鼻の効く……その言葉を聞いた渚にもう一つ思い当たる事があった。五感のうち、視界が閉ざされたならば触感や聴覚が発達する。そして嗅覚なども。

 

 ーー血、か。

 

『なるほど、興味深い考察です。昨晩の休息地を嗅ぎ付けたならば捕捉も容易でしょう』

 

 陽咲に教えられながら昨晩処置した。汚れた下着や当て布にしたパーカーの切れ端、其れらは渚にとって忌避する存在だったから、そのまま捨て置いたのだ。工場跡地で其れ等を見つけ追って来る。

 

 ーーどちらでも同じ。奴等は私を追跡してる。

 

 マーザリグ帝国で異能を得た渚とカエリースタトス、そしてレヴリしか宿していないのが[魔力]だ。この日本に存在するのは全く別種の異能で、陽咲達から僅かたりとも感じない。そして、血臭を振り撒いているのはやはり渚だけだろう。

 

 スライム……あの粘体のレヴリが此方を目指していた。

 

『しかし此れは良い機会ですね。奴等が向かう場所が明らかならば、マスターにとって容易な相手。殺す事も簡単です』

 

 ーー弾数が足りない。

 

 スライムどもは五十匹以上いるのだ。一際大きな奴を中心に展開している。まるで警備軍の様に組織だった行軍に見えた。今も殺せるが半分に減ったところでガス欠になる。一撃で複数を同時に倒すならば、近距離まで誘い込む必要があるだろう。

 

『それは一人の場合です。幸い()()()()も兵士がいる。両者とも特異な能力を持ち、ましてや其れが目的の存在なのですから』

 

 つまり、陽咲達を前線に立たせて狙撃すれば良いと言っている。或いは囮にだって出来るだろう。

 

『マーザリグ帝国の者達には敵いませんが、あの程度の相手ならば勝てるでしょう』

 

 勝てる……カエリーの言う勝利とは、あくまでも渚の生存だ。存在そのものが主人の為だけに有るのだから。つまり残り二人の事など使い捨ての駒でしかない。それを何処までも理解する渚に、答えなど決まっているのに……

 

 ーーねえ。

 

『何でしょう?』

 

 ーー私の目的は理解してるはずなのに、何故そんな事を?

 

『意味が理解出来ません。正しい質問を』

 

 ーー陽咲を護るのが私の目的。その対象者を前に出すなんて矛盾してると考えないの?

 

『対象者があの女ならば、マスターは判断を狂わせるでしょう。しかし杠陽咲は千春ではありません。ましてや、死亡する確率は半分程度でしょう。其れは杠陽咲の兵士としての限界です』

 

 ーーそう、分かった。

 

 やはり何も理解していない。人の想いも、渚の覚悟も。

 

 陽咲は千春の現し身(うつしみ)だ。同時に、自らの生命など重要では無い。

 

 そして、今の渚には冷静な判断など出来ないのだ。

 

 波打つ心、コントロールを失った感情、怒りが全てを塗り潰していく。

 

 陽咲に、そして千春に誓った。

 

 必ず護る、と。

 

 その誓いは枷となり、渚を強く縛り付ける。

 

 陽咲から向けられる恋心も、千春から与えられた慈愛も、全てを振り切ってレヴリを睨み付けた。

 

 それは、美しき献身?

 

 それとも、儚き自己犠牲?

 

 違う。

 

 もし千春が居たら、強く叱り付け抱き締めただろう。

 

 陽咲は涙を流して両手で顔を覆う筈だ。

 

 なのに……渚は最悪の答えを導き出したのだ。

 

 

 

 

 

 

 



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偽り

 

 

 

 

 (なきざ)はカエリースタトスを構えて二発の射撃を行った。いつもと同じ、何の緊張も力も入っていない。無表情のままバスの上から降りて来ると、下で待っていた陽咲(ひさ)土谷(つちや)に告げる。

 

「こっちに来て」

 

 二人を促し、先程銃を向けた()()を見るよう指示をした。

 

「集合住宅が見える? 二つは崩れてる」

 

「うん、見えるよ。土谷さんも大丈夫ですよね?」

 

「ああ、あの濃い茶色のだろう?」

 

「そう」

 

 国や自治体が建てたマンション。まるでコピー&ペーストをした様に全く同じ四階建てで、其れ等が連なる様に並んでいた。全部で何棟あるのか、側面には数字が書かれている。多分何号棟だとかを示しているのだろう。

 

 まだずっと昔、異界汚染地(ポリューションランド)に堕ちる前は沢山の家族が暮らして居た。しかし今、人は居ない。雑草の中に埋もれた其処は、まるで映画のセットかハリボテだ。

 

「二人なら約二時間で着く。途中のレヴリはさっき殺した。目印にもなるから真っ直ぐ向かって」

 

「ちょ、ちょっと渚ちゃん! まるで別行動するみたいに……」

 

「まるでじゃない。私は此処から見てるから」

 

「どうして……もう少し頑張ればPLは抜けるし、一人残してなんて私は認めないからね」

 

 確固たる意思を乗せた視線を渚に向け、動かないからと鼻息を荒くする。

 

「理由を教えてくれないか? 此処で別行動なんて非効率に過ぎるだろう。陽咲ちゃんの言う事も分かる」

 

「……陽咲、私を見て」

 

「え……? う、うん」

 

 見て良いと認められた方が恥ずかしいと陽咲は気付いた。でも折角だから渚をじっくり観察する。やっぱり綺麗だなと内心呟きながら。

 

「見た通りの筋力しかない。接近戦なんて無理だし、足手纏いになる。だから、私にしか出来ない事をするだけ。二人は集合住宅に巣食うレヴリ達を倒して欲しい。足の速そうな連中だから、先に殺した方がいいと思う。此処から援護するから」

 

「レヴリが? 姿は見えないが」

 

「私の力、少しは知ってるでしょう」

 

「……ああ」

 

 三葉(みつば)司令が言っていた。天使の異能の一つは常識を遥かに超えた視力だろうと。

 

「じゃあ、後から合流するって事? 街まで一緒だよ?」

 

「うん」

 

「そうか。キミの狙撃の腕は嫌ってほどに理解してるし、戦略的に正しいと思う。信じていいんだね?」

 

()()()()()()()()()()()()()。昨日約束した」

 

「陽咲ちゃん、此処は彼女の言う通りにしよう。俺達みたいに接近戦をさせる訳にいかないからね。それに、これ以上の心強い援護なんてないよ」

 

「……分かりました。ねえ、渚ちゃんが戻るまで私は帰らないよ? ずっと待ってる」

 

「千春みたい」

 

「え? 聞こえないよ?」

 

「何でもない。油断しないでって言っただけ」

 

「うん。あのさ、渚ちゃん。その銃が何だか光ってるみたいだけど」

 

 真っ黒な銃に血管の様な緑色した線が走っている。さっきから明滅を繰り返して、どんどん激しくなっていた。陽咲は何か必死で抗議をしてるように感じて、思わず聞いたのだ。

 

「気にしないでいい。飾りだから」

 

「飾りって……」

 

 益々激しくなった。まるで会話を理解して反論してると錯覚する。

 

「さあ、早く。()()()()()()()

 

「渚ちゃん?」

 

 その問い掛けには答えず、渚は再びバスの上へと戻って行った。

 

「陽咲ちゃん、行こう」

 

「あ、はい」

 

 

 

 そして陽咲は酷く後悔する。

 

 苛立ちと情けなさ、恋した人を理解していなかったと嘆くのだ。もっとしっかり話していれば、彼女の思い違いを問い正す事が出来たなら、と。

 

 それは僅か数時間後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 

 

「見えて来たね」

 

「はい」

 

「油断しないで。打ち合わせ通り、陽咲ちゃんは防御に意識を向けて欲しい。いいね?」

 

「分かりました。何か有れば指示を下さい」

 

 渚が指摘した集合住宅は既に視界にある。一度立ち止まり、最後の確認をしているところだった。

 

 途中に合計三体のレヴリの死体が転がっていた。狼とダチョウ擬きだ。間違い無く二発の射撃だったはずなのに、擬きは二匹重なる様に死んでいたのも驚いては駄目なのだろう。確かに目印となり、迷う事なく目的地付近に到着したのだ。

 

「右側から回り込もう。正面は遮蔽物が殆ど無いし」

 

 草に覆われているが、恐らく元は駐車場か。錆に染まった車が数台並んでいる。しかし、それ以外は何も無い。土谷にとっては広い方が戦いやすいが、防御面では不向きだと判断した。鍛え上げた発火能力(パイロキネシス)ならば広範囲を焼き尽くす事すら可能だ。しかし、陽咲の念動(サイコキネシス)はまだ未熟で、防壁も張れない。

 

「俺の前には出ない様に。火炎に巻き込まれるからね」

 

「了解です」

 

「よし、行くよ」

 

 足音を殺し、二人はゆっくりと進んだ。最初の一棟目の壁に体を寄せて気配を探る。今のところ物音一つしない。大半のレヴリは知能が低く、発見するのも難しくないのだ。勿論スライムなどの厄介な例外もいる。

 

 建物に囲まれた空間をそっと観察しても、やはり生き物の姿は無かった。土谷はハンドサインで移動を報せて、陽咲も頷きタイミングを見て走る。

 

 二棟目、三棟目、そして四棟目に辿り着いてもレヴリは居ない。見付けたのは小鳥とカラスくらいだ。

 

「……いない? それとも移動したのか」

 

 呟きは土谷自身にしか聞こえないが、違和感は拭えなかった。

 

 天使の異能に疑いの余地は無いし、途中倒れていた死骸が証明もしている。その彼女がレヴリの存在を示唆したのだから間違い無く居る筈だ。

 

「土谷さん」

 

「ああ、おかしいな」

 

 追い付いた陽咲が問い掛け、土谷も返した。

 

 腰を落とし、見える範囲を観察する。あるのは風に揺れる雑草とキーキーと唸るブランコの残骸だけ。

 

「もう少しだけ進もう。あの向こう側なら視界が開ける筈だ。何か分かるかもしれない」

 

 首を縦に振り陽咲も肯定を返す。表情も引き締まり、油断も無いと土谷は安心した。新人の異能者だが、日々成長しているのが感じられるのだ。きっと将来、有数の兵士へと到達するだろう。自分さえも超えて。

 

 足を踏み出そうとした時、まだ先だが気配を感じた。しかもかなりの数だ。土谷は再度ハンドサインを送って後方の陽咲へ伝える。当然に彼女も気付いており動いていない。一気に緊張感が高まり、同時に異能へと力を注いだ。いつでも発動が可能だ。

 

 此方に向かって来る。

 

 警戒はしているが、恐らく奴等は気付いていない。奇襲も視野に入れて息を殺した。だが、次いで聞こえて来た声に、土谷も陽咲も思わず腰を上げてしまう。

 

「あの先だ、確認しろ。此処を早く片付けて防衛ラインを敷くんだ」

 

「叔母さん?」

 

 間違いなく三葉の声だ。昨日別れた第三師団司令で陽咲の叔母にあたる女性だった。

 

「三葉司令!」

 

「……む、土谷か! 陽咲は⁉︎」

 

「此処にいます!」

 

 小さな身体から力が抜けたのが分かる。撫で肩が揺れて安堵が全身を駆け抜けたのだろう。

 

「二人とも、よく無事でいてくれた。危うく撃ち殺すところだったぞ、全く」

 

 増援を加えたのか、再び中隊規模へと戻った警備軍の面々もいる。多くの仲間達と再び合流出来た事で、陽咲達も思わず溜息が出た。しかし、そうなると新たな疑問が頭に擡げてくる。

 

「司令、レヴリは? この周辺に潜んでいる筈です」

 

「何だと? 今のところ発見していないが、確かな情報か?」

 

「其れは間違いなく。天使の指示のもとで此処に来たのですから」

 

「渚の? あの子の姿が見えないが」

 

「援護すると。約二時間前に別れました。レヴリを殲滅して再度合流する予定で……」

 

「二時間前か、方角は?」

 

「彼方です」

 

 土谷が僅かに見える丘を指差し、三葉も其方を見る。

 

「詳しく話せ。渚は何を言っていたかを」

 

 陽咲がアタフタと話し、土谷が捕捉して漸く伝わった。眉間に皺を寄せ、三葉は矢継ぎ早に部隊へ指示を出す。

 

「半径五百メートルだ。再度レヴリを探せ。それと目が良くて体の軽い奴を一人上に。追跡が無いかも確認しろ」

 

「はっ」

 

「渚が見間違えるとは思えないが……振り返るな、か。何か引っかかる」

 

 僅かな時間で報告が届く。第三師団の練度は日本有数だ。ある意味で予想通り、レヴリの姿は発見されなかった。鳥の囀りすら耳に入って此処がPLだと忘れてしまいそうだ。

 

「司令はなぜ此処に? 偶然にしては出来過ぎでしょう」

 

「簡単だ。スライムを迎え撃つ為に此処に布陣する。皆の力でマーキングした以上、生かさない手はない。予め奴等の動きが判れば、戦い様はあるからな。それに、PLの外には出せない。あんな連中が街に侵入したら被害は最悪だろう」

 

「スライムですか? つまり、此処に?」

 

「確実とは言えんが、付近を抜ける。丁度良い、もう一度確認しよう」

 

 そう言うと三葉は押し黙った。千里眼(クレヤボヤンス)を使ってスライムを見つけるのだ。その異能に捕まったならば、逃走は不可能と言っていい。

 

「……まさか」

 

 そして三葉の顔色が明らかに悪くなった。その表情を見た陽咲は何故か酷く嫌な予感がしてしまう。昨夜見た渚の涙が頭に浮かび、焦燥感が湧き上がってきた。

 

 三葉が渚がいる筈の方角を睨んだから……

 

「馬鹿な……いつの間に!」

 

 三葉の珍しい叫び声が空間を貫く。予感は確信へと変貌し、認めたくない陽咲が震える唇で問うた。

 

「嘘だよね……?」

 

「何て事だ……何故そこまでして陽咲を」

 

「叔母さん! 答えてよ!」

 

「重なってる。スライムと渚のマーキングの位置が……それに意識も……陽咲! 待ちなさい‼︎ くそ‼︎ 土谷、追うぞ!」

 

 陽咲は一人駆け出した。

 

 爆発的な念動が身体を押し出す。通常の速度を簡単に上回り、愛する姪の姿が小さくなっていった。確かにその様な使い方がある念動だが、まだ陽咲には不可能だった技術だ。愛する人を想う力が新たな才能を開花させたのだろう。

 

 辿ってきた道なき道を、渚が佇んでいた小さな丘へ。陽咲はひたすらに走る。

 

 

 

 

「渚ちゃん……!」

 

 何故なの……?

 

 溢れて来る涙を拭い、怒りを声に乗せた。

 

「何で囮なんて……一緒に街に帰るって、合流するって言ったじゃない!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




第四章終わりです


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第五章
討議


第五章です


 

 

 

 

 

 

 ピッピッと規則正しい電子音がHCU、つまり高度治療室に響いている。

 

 第三師団内に存在する軍病院だ。レヴリとの戦いは数十年を数え、軍指揮下の医療態勢は国内最高峰と言っていい。喜ばしい事ではないが、日々重篤の兵士が送られて来るのだ。医師を始め、看護師や薬剤師、セラピスト、時には臨床工学技士までも配置され、その医療経験は他の追随を許さない。

 

 真っ白な部屋、人工呼吸器、心電図、他にも何に使うか分からない機械が並んでいる。

 

 しかし(あかなし)陽咲(ひさ)の視線はそんな物に向かっていない。ただ一点、ベッドに眠る少女だけを見詰めていた。

 

 透明の強化ガラス越し、すぐ近くなのに手も声も届かない。

 

(なぎさ)ちゃん……」

 

 酸素マスクが渚の美貌を隠している。細い腕には点滴が挿さり、他にも沢山の医療機器に繋がれていた。

 

 右腕と頭部には包帯、病衣(びょうい)に隠された小振りな胸が上下に揺れて、渚が生きていると教えてくれる。そして両手両足が皮ベルトで固定されていて、陽咲の胸は締め付けられた。女の子に行うのは余りに酷い行いだが、どれだけ抗議しても聞き入れて貰えないのだ。危険性は無いと証明されるまで、と。

 

 眠っているのは幸いと言えるのかもしれない。逃げ出さない様に縛り付けられていると知ったら、誰でも恐怖するだろう。

 

 あの日から既に四日。

 

 未だ渚の意識は戻らない。ただ眠っているだけだ。いや、強制的に眠らせている。強い薬があの点滴から注がれているのだろう。

 

「やっぱり此処にいたのね」

 

 振り返ると、背の低い方の陽咲より更に小さな女性が入って来たようだ。声で分かっていたから陽咲も驚いたりしていない。

 

三葉(みつば)叔母さん」

 

「命に別状は無いのよ? 気持ちは分かるけど毎日来てもしょうがないでしょうに」

 

「……うん」

 

「そろそろ時間だけど……やめておく?」

 

「ううん。ちゃんと知りたいの、渚ちゃんのこと」

 

 

 

 

 四日前、あの丘に駆け付けた陽咲は必死で渚を探した。

 

 周囲には気色悪いネットリした粘液の水溜りが大量に見つかる。新たなレヴリを呼ぶ可能性すら無視して、何度も何度も名を叫んだ。

 

 枯れ果てた用水路、見付けたのは其処だ。

 

 梯子も見えたが陽咲は躊躇せずに飛び降りる。意識は無く、コンクリートの壁面に寄り掛かるようにしていたからだ。傍には一際大きいスライムの死骸があった。

 

 念動(サイコキネシス)で渚を包み、壊れ物を扱う様に連れ帰ったのが二日前。そして詳細な検査の結果、渚を知る者に激震が走る事になる。

 

 身元はやはり不明。容姿が判明したのに、どんな情報にも引っ掛からない。あの銃は何故か消えており、見つかったのは黒いナイフだけ。渚が握り締めていた。

 

 そしてこれから、判明した事実を元に渚の扱いを決定する事になる。その為の報告と協議が行われるのだ。

 

「ごめんね……弱いままの私で」

 

 ()()()()()が出てしまったら軍を抜けてでも助ける。そう決めたから……

 

 陽咲の声は渚に届かない。それが酷く哀しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 立ち上がり、一糸乱れる事なく背筋を伸ばし敬礼する。

 

 それは全員の筈だが、たった一人だけはパイプ椅子に座したまま動かない。誰一人指摘しない以上、其れが許されているのだろう。

 

 国家警備軍第三方面統括司令本部のトップ、三葉花奏が入室した。三葉は立ち上がらなかった者、その年配の女性を一瞥して所定の場所へ座る。

 

「ご苦労。楽にしていい」

 

「着席!」

 

 やはり殆ど同時に着席が行われ、椅子がギシリと鳴いた。

 

花畑(はなばたけ)。予定より人数が少ないな」

 

 総勢は三十名。花畑の兵装科は本人以外女性だ。警備軍から土谷達こそ参加しているが男女比率が偏っている。他の各科から参席者も同じ事が言えた。

 

「はっ! 本件の性質、及び対象者の性別と考えられる年齢から限定致しました」

 

「ふん」

 

 先程の年配の女性が鼻で笑う。ヨレヨレの白衣、白髪混じりのベリーショート、痩けた頬。三葉に反して女性としては背が高い。眼光だけはギラギラしていて強い精神力が察せられた。生涯を研究に捧げた女科学者、そんな風体だ。年齢は五十代というところか。

 

「何だ、越野(こしの)

 

 越野(こしの)多恵子(たえこ)。医系技官として入省し僅か一年で退職。キャリア組だったが、腐敗の激しい官僚連中に嫌気がさしたらしい。その足で現場に飛び込み、外科医として世界有数の腕を持つに至った異色の人間だ。残念ながら医療界にも下らない派閥争いがあり、その腕を見込んだ三葉が引き抜いたのだ。

 

 警備軍に参加する際の条件は報酬の大小ではなく、独立性。それが越野を自由にさせている理由だ。しかし、兵士の生命への執着とレヴリに対する憎悪は常軌を逸していて、何人もの人を救って来た。家族をレヴリに殺された者は、誰もが憎しみを抱くものだ。それでも……不器用で人付き合いなど苦手な女だが、三葉は気に入ってもいる。

 

 そんな越野は皮肉気に口を開いた。

 

「気にするな三葉司令。初っ端からの茶番、ご苦労な事だ」

 

 重要な協議において、三葉の許可なく人員を変更するなど有り得ない。情報士官はある種独立しており、花畑の独断という形にしたのだ。事前に示し合わしたのは間違いなく、この場を申請した自分への牽制の意味もあるのだろう……そんな風に思い、越野はもう一度小さく鼻で笑う。

 

「意味が分からんな。まあいい、始めるぞ。花畑」

 

 そして三葉もニヤリと笑って返すのだ。

 

「はっ。ではまず、新種についての調査結果を報告致します」

 

 兵装科特務技術情報士官の花畑が説明する様だ。何処か嬉々としており、三葉はイラっとする。薄く染めたソフトモヒカンと黒縁眼鏡が似合っていて益々腹立たしい。

 

「PLに残されていた残骸を採取。資料の通り、特に珍しい成分や細胞は見つかりませんでした。はっきり言うと、ただのゼリーです。合わせて情報の寄せられた[核]も発見には至っておりません。これがサンプルですね」

 

 コトリと置かれた試験管数本に淀んだ粘液が入っていた。茶、灰、赤、僅かな緑。グチャグチャと混ざっていて、生理的嫌悪感を覚えさせる。

 

「交戦した警備軍によると、銃撃の大半は効果が薄かった。土谷(つちや)さん達の火炎や(あかなし)さんの念動(サイコキネシス)は一定のダメージを与えた様です。また、擬態による待ち伏せを行う知能を持ち、人体すら短時間で融解する攻撃力を持ちます。ただ遠距離からの攻撃手段が無いのが幸いですね。あ、サンプル見ます?」

 

「続けろ」

 

「はい。大半のレヴリには我等や獣と似通った骨格や筋肉を持ちます。弱点……つまり頭部や心臓などを破壊すれば駆除が出来るのはこの為ですが、しかし新種であるスライムには其れが無い。脳も心臓も、それどころか生物としての器官も存在しない。此れはかなり拙いでしょう」

 

 シンと静けさが室内を覆った。新種には必ず悩まされるが、今回は更にタチが悪い。

 

「つまり、何も分からないと?」

 

 越野が、針の様に鋭い声で問う。

 

「はい、その通りです」

 

「貴様、ふざけているのか? あれ程の犠牲者と大量のサンプルを手にしながら、何も答えを用意出来ないのか」

 

「ですね」

 

 ガンと机を叩き、越野は花畑を睨んだ。しかし花畑は変わらず飄々としているのだ。

 

「情報士官が聞いて呆れる。情報を出せないなら存在意義もない。遺族と遺体の前でもその態度ならば褒めてやる。遺体のカケラすら見つからないのが大半だがな!」

 

「越野、もういい。花畑、勿論それだけではないだろう。教えてやれ」

 

「分かりました。先程越野さんが言われた通り、大量のサンプルを入手しました。此れ等は全てスライムの死骸からです。総数は約五十で、殆どが短時間で駆除された。しかも其れを成したのはたった一人の()()です。つまり、手はある」

 

 詳しく知らない者達に僅かな歓喜が混じった。それも当たり前だろう。だが、越野だけは鋭い視線を変えたりしない。

 

「空想世界を描く作品ならばよくある描写ですね。スライムの体内に[核]があり、それを正確に破壊出来れば瞬時に絶命します。更に人体を溶かす力も消える。つまり、あとは方法論だけです。ついでに言えば不可視との情報は否定されました。結論は()()()()()、です」

 

「調査結果による当時の戦闘状況は?」

 

「こちらをご覧下さい」

 

 前方のスクリーンに地図が示された。残念ながら衛星写真ではない。PL内を撮影など不可能だ。

 

 ポインターが説明に合わせて動く。

 

「四角いのはバスで、東側にある線は用水路です。スライム共は北から接近し、バスから約二百メートル先で交戦が始まったと思われます、ここですね。更に半分の百メートル付近で東に蛇行。恐らく誘導しつつ駆除したのでしょう。道なりに死骸が並んでいた……まるでスライムの葬列の様だったと聞いています」

 

 杠陽咲がギュッと拳を握ったのが見えた花畑だが、直ぐに意識から外した。

 

「用水路に誘い込むのは悪手と思われますが……恐らく射線の確保が狙いかと。当然一列に並びますからね。その分逃げ道も限定されるので、ある意味背水の陣でしょうか。何にしても相当な覚悟が必要です」

 

 陽咲は俯く。きっと想像しているのだろう。

 

「三葉司令より教えて頂いたスライムのボス、多分ですが。その一際巨大な粘液の死骸があったのがココ。そして駆除せしめた戦士が倒れていたのが、その傍です。この事から、逃走などせず最後の一匹まで戦う意思を持つのも分かりますね。何も嬉しくないですけど」

 

「ふん、戦士だと」

 

 越野の呟きは花畑に届いたが、聞こえないフリをした。この男の得意技だ。

 

「その弱点、つまり核ですが……これに関しては土谷さんからお願い出来ますか?」

 

「はい」

 

 立ち上がった発火能力(パイロキネシス)の土谷に注目が集まった。若き異能者だが、国内有数の実力を誇る。その彼が話す内容には一定の説得力があるだろう。それを知る花畑の一手だ。

 

「スライムの体内……」

「あくまで中央を……」

「他にも細切れにすれば……」

 

 淡々と続く土谷の声が響いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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黒のナイフ

 

 

 

 

「以上の事より、コードネーム[天使(エンジェル)]から詳細な情報を入手する事が必要かと。また、警備軍下へ組み込む事は効果的と思われます。彼女の様な狙撃手は世界中を見渡しても存在しない。ましてや現在、彼女は私達の()()()にありますから」

 

 全てを話し終えると、花畑(はなばたけ)三葉(みつば)に視線を送った。

 

「ご苦労。此処までで質問はあるか?」

 

「良いですか?」

 

土谷(つちや)か、構わんぞ」

 

 隣に座っていた陽咲(ひさ)は不安そうだ。

 

「ありがとうございます。まず一点、なぜ彼女はレヴリの弱点を知っているのか。そして、その馬鹿げた殺傷力。更には身元も異能の出所も不明と言われました。警備軍として、クリア出来るのですか?」

 

 どちらかと言えば反対的な意見に陽咲は不満を覚えた。異能者である土谷ならば、自分に味方してくれると勝手に思っていたからだ。

 

「それについては私が答えよう」

 

 三葉が返す。つらつらと続けた。

 

「最初の質問は分からんな。だからこそ情報を欲している。身元不明や年齢に関しては法的に間違いなく引っ掛かる。警備軍入隊には身辺の洗い出しが当たり前だ。まあそれに関しては私に任せてくれていい。異能に関してはこれから調べる」

 

 越野は椅子に預けていた背中を起こした。

 

「馬鹿な言葉遊びは沢山だ。何一つ答えになっていない。分からない、不明、調べる、まるで三流の政治家だな、三葉」

 

「お偉い政治家先生に叱られるぞ、越野。我が師団は国民の血税により運営されているのだ。言葉に気を付けろ」

 

「ふん、ならば有意義な回答をしろ」

 

「ああ、耳が痛いよ。御意見はしっかりと吟味させて頂く。さて、残る質問があったな。馬鹿げた殺傷力、だったか」

 

 やはり当然の疑問だろう。

 

「其れについては、そこで哀しそうにしてる花畑に再度ご登場願おう」

 

「……はい」

 

 演技でなく、本当に悲哀を感じる。まあ同情は湧いて来ないが。

 

「非常に、ひじょーに残念な事に、スライムを大量に駆除した武器が見つかりませんでした。目撃者も多く、その威力や精度も素晴らしい黒い銃が……うぅ。あれさえ研究出来れば革命を齎したでしょうに。やっぱりスライムに食べられたのかな……はぁ。唯一残されていたのは此のナイフだけです……はぁ」

 

 ゴトリとテーブルに置かれたケースは金属製。上部カバーは強化ガラスで、中を見通せる。ナイフと言っても小剣に近い長さで、極端に薄い刀身も束も全てが黒い。まるで黒曜石から削り出したかの様だった。

 

 どうでもいいが、花畑の溜息が鬱陶しいと三葉は腹が立っている。

 

「厳重なのは越野さんからのお願いですね。触るのも禁止されてます」

 

 ガクリと態とらしく首を倒す花畑が其処に居た。誰も助け舟は出さない。

 

「なぜ彼女の武器だと断定出来るのですか?」

 

 参加者の一人が思わず聞いた。

 

「発見時に握り締めていました。その点は処置した越野さんが詳しいです」

 

「ふん、簡単な理由だ。右肘まで熱傷があり、掌の溶けた皮膚がナイフと合わさっていた。恐らく、スライムの内部に其れごと突き入れたのだろう。煮立つ化学薬品に手を入れた様なものだな。他には頭部の打撲と裂傷、左足首の骨折、()()()()は多過ぎて数えてない」

 

 余りに凄惨な状態に質問者は勿論、全員が押し黙る。陽咲だけは睨んでいたが、それを理解した越野はあっさりと無視した。

 

「まあそう言う訳です。因みにですが、このナイフはスライムの影響を受けていませんでした。調べてみたいんですけど……」

 

「駄目だ。理由も分かっているだろう」

 

 許可しない越野が立ち上がり、三葉を見る。

 

「……ああ、お前の番だ」

 

「漸くか。では始めさせて貰おう」

 

 ヨレヨレの白衣を靡かせ、全員の資料を配る。そして、端的に結論から言った。

 

「私からの意見は簡単だ。()()()()少女のガワをした奴、お前たちが言う天使。名は(なぎさ)だったか……まあどうでもいい。あの女を」

 

 

 ()()するんだーーーー

 

 

 越野の冷たい声が届いて、陽咲はもう一度拳を強く握った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

「駆除? 今、駆除と言ったのか?」

 

 流石に我慢出来ず、三葉が問い詰める。渚を自由にするなと要求して来るのは予想していた。勿論警備軍に入れるなど許さないだろうし、下手をしたら幽閉も辞さないと警戒もあったくらいだ。その理由も理解している。ついさっき花畑が取り出したナイフの存在だ。

 

 しかし駆除とは……どれ程不審な人物であろうと、人に対して使う言葉ではない。

 

「聞き間違いではないぞ。改めて具申するよ。駆除を求める」

 

 ずっと我慢していた陽咲が椅子を倒し、ガチャリと鳴った。憤怒の表情を隠しもせずに、越野に視線を合わせる。

 

「そんな事、誰が認めるものですか! 貴女は何を言っているか分かっているの⁉︎ まだ幼さを残す女の子を殺すなんて……三葉司令! こんな協議に意味なんて……」

 

(あかなし)陽咲(ひさ)。キミの許可など求めていないよ。勿論決定権は三葉司令にある。だから言っているだろう、意見、具申と。さて、続けて良いかな?」

 

「……陽咲、座れ。越野、それだけの大言を吐いたんだ。巫山戯た理由ならば許さんぞ」

 

「当然だ。先ずはショーケースに並んでるナイフからだな。まあ装備類に関しては専門ではない。適当に聞いてくれ」

 

 そしてスクリーンに一枚の写真が映る。分かっていたが、それでもザワザワと騒がしくなった。

 

「見ての通り、この黒いナイフを撮影したものだ。PLやレヴリは電子機器では撮影出来ない。その全てが闇に沈み、このように真っ暗な影だけ。つまり該当の少女が持っていたコレはレヴリ、或いはその一部で間違いない。花畑、補足はあるか?」

 

「いえ、ありません」

 

「この正体不明のレヴリを持つのが理由の一つだ。何処の世界にレヴリを武器として持ち歩く人間がいるんだ? 入手経路は不明で、しかも銃は見つからない? おかしな話だろう」

 

 此れには陽咲も答えられなかった。しかし、だからと言って渚を殺す理由にはならない。

 

「武器がどうであろうと扱うのは()()()()です。あの子が今まで警備軍に齎した結果を知らないんですか?」

 

 敢えて名前で呼ぶ。あの子は可愛らしい女の子だと。

 

「ふん。キミとヤツが接触したあと、三葉が言ったらしいな。仲間のフリをして懐に入るのは古典的な手法だと。確かに使い古されたやり方だが、効果は証明されている。対象には心優しく、人を疑うことを知らない者を選ぶんだ。ああ、言い方を変えようか。つまり甘い奴だよ、杠陽咲」

 

「……全部想像でしょう。何の証拠もない」

 

「ほお……此れは読み間違えたな。怒り狂って来ると思ったが、謝ろう」

 

「越野、余り虐めるな。悪い癖だ」

 

 三葉の言葉に肩をすくめ続けていく。

 

「確かにレヴリを何匹も殺し、幾人もの兵を救ってくれた。だが、それは信用を勝ち取る手段でもある。実際にキミの心を捕らえ、しかも第三師団中枢の此処に入って来てもいる。意識を取り戻し、本来の目的を実行したらどうする? たったそれだけで師団は混乱の極みだし、ヤツの能力ならば簡単だ」

 

「越野、言わんとしている事は理解出来る。だが弱いな。第三師団を攻撃したいなら土谷や陽咲を殺すのが手っ取り早い。しかしチャンスは幾らでもあった中で実行していないぞ。いや、私だって簡単だな」

 

「これを見ろ」

 

 いきなり遮り、そしてスクリーンの写真を切り替えた。其れを見た三葉は絶句し、土谷は息を呑んだ。残る皆も写真から目が離せない。

 

 そして陽咲はガタガタと震え、絶望を瞳に映した。

 

「ナイフだけがレヴリじゃない。彼女こそがレヴリなんだ」

 

 其処には正面から撮影された渚の顔がある。しかしあの美しい(かんばせ)は……冷たくも綺麗な瞳は漆黒に塗り潰されている。遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)の屋敷でも判明した事実だ。

 

「本当に恐ろしい……酷く怖いヤツだよ。これは八枚目だ。つまり全ての撮影で写る訳じゃないんだ、コイツは。何らかの妨害をしているか、擬装方法があるのか……正体を隠蔽する動機を思い付くなら教えて欲しい」

 

 誰も、誰一人反論出来ない。レヴリを駆除する事が警備軍の存在意義なのだから。

 

「反論は? これでヤツの異能も説明出来る。まさかバレるとは思っては無かったんだろう。恐らく千里眼(クレヤボヤンス)あたりと混同するつもりだったか。因みにだが、首から下は間違いなく人間の女の子だ。考えたくも無いが……少女を捕らえてレヴリを寄生させたんだ。意識的か無意識かは関係ない。実際に儚い容姿は私達の懐に入るには役に立った訳だしな」

 

「う、嘘よ……写真なんて幾らでも加工出来るじゃない! こんなの、こんなの渚ちゃんな訳が」

 

「私が少女を殺す為に偽証していると? 杠陽咲、またもお前が証明したな。レヴリの目的は達せられている、甘ちゃんを篭絡出来た事だ」

 

 余りの怒りに念動を使いそうになった。手元のボールペンがカタカタと揺れ始める。それを認めた三葉が急いで止めた。人に向ける攻撃性の高い異能は厳禁だ。

 

「陽咲!」

 

 ハッとした陽咲がガクリと腰を落とす。そして頭を抱えて蹲ってしまった。

 

「言うまでも無いが……人間の生活圏に入ったレヴリは駆除されなければならない。例外は実験や調査の場合だが、やはり法的にはハードルが高い。つまり、生きたレヴリが街中にいる事を許すのは我が日本国に対する明確な反逆だ。私としても駆除は惜しいが、危険は冒せない。殺した後、身体は情報部に渡すよ。反論があるなら聞こう」

 

 警備軍はかなり厳しい法律によって縛られているのだ。圧倒的な軍事力を持つ以上当然の事で、三葉でさえも有効な反論が用意出来ない。

 

「答えは出たな。失礼するよ、早い方が良い……」

 

 その時だった。

 

 機械染みた、まるで合成した音。何とか女性だろうと判別出来る、明確な知能を感じる、そんな声が全員に届いた。それは短くて、誰にも分かり易い意志の発露だ。

 

『反論を。マスターは間違いなく人間です』

 

 ケースに収められた黒いナイフに緑色した線が走った。まるで血管の様に波打ち、脈動する。遮蔽物があるのに、何故か声が届くのだ。

 

 誰もが言葉を失い、黒色に沈んだナイフを見る。

 

『私はマーザリグ帝国軍製汎用カエリーシリーズ、第四世代試作型()()()カエリースタトス。そこに埋め込まれた人工精霊です。マスター、つまり渚はレヴリなどではありません』

 

 まるで飴細工の様にグニャリと変形し、瞬きした時にはナイフは消えている。

 

 出来損ないの狙撃銃みたいな、それかパーツを継ぎ足したハンドガン……そう陽咲が例えた渚の武器、其れが在った。

 

 

 

 

 

 



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眠り姫

 

 

 

「な、なんだと」

 

 先程まで冷たい空気を放っていた越野(こしの)でさえも動けない。花畑(はなばたけ)はガタリと立ち上がり、バタバタとカエリースタトスに近付いて行く。

 

 三葉(みつば)の額からは一筋の汗が流れた。

 

 絶望感に溺れ(なきざ)を連れて脱走しようと悲壮な覚悟をしていた陽咲(ひさ)に至っては、意味が分からず顔を上げ発声元を探している。

 

「コ、()()が喋りましたよね⁉︎ 信じられない! ほら、あの黒い銃ですよ、三葉司令‼︎ さ、さあ何か話してご覧、怖く無いから!」

 

 間違いなく別の意味で怖いが、カエリーには関係ないのだろう。淡々とした合成音が返って来た。

 

『もう一度言います。マスターは人間です』

 

「お、おぉ……銃が喋ってる……しかもレヴリを殺す威力を持ち、あれだけのレンジから命中させる精度……さ、触っていい? いいよね? カエリーさん」

 

「馬鹿が! 勝手に開けるな花畑! ソイツはレヴリなんだぞ!」

 

 越野の叫びにビクリと揺れて止まる。花畑は酷く残念そうだった。

 

『再び反論を。私もレヴリなどではありません。あのような下等生物と一緒にしないで下さい。マスターの居ないカエリーはただの魔工物質です。攻撃など不可能……』

 

「……お前が渚の持っていた銃なのか? さっきまでナイフだっただろう」

 

 何とか冷静さを取り戻し、三葉が質問をぶつける。

 

『魔工銃は()()()()()、それに準ずる異人の為に開発されました。その開発理由から装備の有無を隠蔽したり、逃走や工作に向くよう設計されています。威力こそ()()ですが、汎用性を高めるのが目的ですので。また、第四世代試作型はマスター専用と言っていい性能で、長距離からの狙撃能力に魔力を強く振っています。合わせて説明すると、カエリースタトスの意味は[天候の様に絶えず変化する]で、ナイフ形態はその一部でしかありません』

 

 渚の武器とは思えないほど饒舌で、三葉は一瞬言葉に詰まる。しかも、気になるワードが多過ぎるのだ。

 

「……魔力? 異人? 威力が低い、ナイフ形態……一体何を言ってる。巫山戯た悪戯なら」

 

『悪戯や冗談を行う様に私は造られていません。存在意義は敵対勢力の殺傷、及びマスターの延命と補助です』

 

 そして、渚以上に無感情な言葉。

 

「……馬鹿げた話だ。確かに高い知性を感じるが、コイツは天使の持つ武器だろう。誰が信用など……付くにしても其れらしい嘘を」

 

 未だ混乱から脱せない越野は、何とか言葉を返した。

 

『嘘? マーザリグ帝国は私をその様に造っていません。先程の説明をもう一度する必要があるなら、そう言って下さい』

 

 二度目に出た言葉、マーザリグ帝国。全員の頭に疑問符が浮かぶ。そんな国は古今東西聞いたことなど無いからだ。

 

「越野さん、判断するにしても話を聞いてからでしょう。新たな証言、新たな視点、何より兵装科としても。三葉司令?」

 

「ああ、花畑の言う通りだ。カエリー、スタトス? 話を聞こう。但し、隠し事は無しだ。偽証や虚言が含まれた場合、キミのマスターに不利だと警告しておく」

 

『三葉司令、了解致しました』

 

 あっさりと請け負われて、思わず三葉は鼻白む。そして何となく、この黒い銃の性質が分かって来た。いわゆる人工知能に近い存在なのだろう。

 

「そう願うよ。全員席に戻れ。越野、お前もだ」

 

 さすがの越野も反論出来ず、元の席へと腰を落とした。

 

「ではカエリースタトス。渚がレヴリでは無い理由を説明してくれ。意味不明な単語もだ」

 

『はい』

 

 やはり全く無感情な言葉で、カエリーは淡々と説明を始めたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 

「召喚、実質的には誘拐か。異能を授かる異なった世界……」

 

『無制限に行うわけではありません。一度の召喚で呼べるのは最大三十名。しかも魔力が溜まるのは不規則な為です。何より、召喚陣も技術もマーザリグ帝国が持っていた物ではありません。偶然それを発見した事で、版図拡大への道を進む事が出来たのです。その前は数ある小国の一つでした』

 

 渚は勿論、千春すらも知らない事実だった。

 

『マスターは召喚されて来た人間。私もマスターの世界を知りませんでしたが、もう一人の異人、()()()との話で理解するに至りました。その時の会話。まさか、日本人?と。非常に珍しい事でしたが、同郷の人間だったのです』

 

 陽咲は立ち上がり、カエリーに詰め寄った。確信があったからだ。もちろん三葉にも。

 

「カエリー! その女性の名前は⁉︎ 聞いたの⁉︎」

 

(あかなし)千春(ちはる)。後にマスターを縛り付ける事になる、姉と自称する女です』

 

 一度たりとも感情を見せないカエリーだが、不思議と怒りを感じる言葉だった。

 

「千春お姉ちゃんが……やっぱり……」

 

 陽咲の瞳に涙が溢れ、ポタポタとリノリウムの床に落ちた。

 

「杠だと?」

 

「……ああ、陽咲の実姉だ。数年前に行方不明になっている。当たり前だが、其処まで知られた事実じゃない。まだ確証に至らないが、カエリーの話には一定の説得力があるな」

 

「……ふん」

 

 前と同じ越野の鼻息だったが、皮肉気な空気は薄まっていた。その通りだからだ。

 

『マーザリグ帝国に限らず、戦力の差はそのまま魔力の所有量と行使の技術です。マスターの魔力量は微々たるもので、下から数えた方が早い弱兵でした。しかし、その異能により三年以上も生存した非常に稀有な兵士です。異人の、初戦の戦死率は八割を超えますので。一年以上の生き残りは殆ど存在しません』

 

「八割……何て事だ……」

 

 正に地獄への召喚と旅路だ。あの常識を遥かに超えた狙撃手である渚さえも、弱兵だとカエリーは言ったのだから。そして彼女が人間だと証言する理由も分かってきた。越野でさえもそうなのだろう。次の質問で其れは証明される。

 

「魔力だな? 電子機器に映らない理由は。レヴリやPLだけでなく魔力を撮影出来ない、そう言う事か」

 

『その通りです。マスターの異能は視覚に偏っています。身体能力は平均以下、魔力に至ってはマーザリグの子供にも勝てません。しかし、だからこそ生き残る事が出来ました』

 

「先程の写真、瞳の周りが黒くなったのも、必ずしも映らないのも説明が通りますね。レヴリを簡単に殺せるのも、スライムの弱点を理解した理由も、全てです」

 

 花畑も冷静さを取り戻したのか、タブレットにメモを残している様だ。視線が絶えずカエリーにむかっているのは仕方ないのだろう。

 

『レヴリは、マーザリグでは当たり前の魔力障壁がなく、此れではマスターからして只の的にしかならない。たとえ威力の貧弱な魔工銃であろうとも、殺す事など雑作もありません』

 

「では三年以上も、ずっと戦場に……? あんな子供に何て惨い(むごい)事を」

 

『ですが、その環境がマスターを冷徹なる兵士へと成長させました。また、戦闘の邪魔になる感情を殺す為、日々マーザリグの将兵に玩具にされたのも効果があったと思われます。その戦果たるや帝国屈指で……』

 

 余りに淡々と話す為、一瞬何を言ったか分からず、三葉も越野も陽咲も、他の女性達も絶句しか出来ない。その玩具と言う言葉を理解した三葉が叫ぶ。

 

「よせ! お前は何を言っているのか分かっているのか⁉︎ 此処には赤の他人、しかも男共もいるんだぞ! 自らの主人の、その様な」

 

 渚の全てを諦めた様な瞳の色、誰にも触れられたく無い拒絶感、その意味が分かって陽咲は自分の両肩を抱き締めた。絶望すら生温い、地獄よりも暗い世界だ。

 

『何故? 貴女は先程言いました。偽証や虚言は許さないと。性別の違いなど戦場では何一つ意味が無く、実際にマスターは全ての感情を捨て去る事が出来たのです。あの女と出会うまでは』

 

「コイツ……!」

 

『加えて言うならば、人には同情心があります。儚い容姿が其れを助けるのでしょう?』

 

 駄目だ、この真っ黒な銃はある意味でレヴリよりタチが悪い。あの様な少女である渚に持たせてはいけない、ある種の洗脳に近い存在だ。何より、首魁であるマーザリグ帝国の手により造られた武器なのだから……そんな風に思い、三葉は歯を食いしばる。見れば陽咲も憎悪を込めた視線を送っていた。

 

「外に出ていろ! お前達もだ!」

 

 司令としての命令は即座に実行され、一気に人数が減る。残ったのは三葉、陽咲、そして越野だ。その越野が座ったままにカエリーに問うた。

 

()()()の身体には解読不能の言語が刻まれていた。下腹、左内もも、胸の下、ナイフ状のキズだ。他は戦闘時のモノだろうが……」

 

『マーザリグ帝国の公用語ですから当然です。しかし、その意味は理解出来るでしょう。刻んだのは先程説明した将兵達ですので。それとも教えた方が良いですか?』

 

「……いや、いい。どうせ碌でもない意味だろう」

 

「……越野。何とかなるか?」

 

「全ては無理だ。だが、文字だけは何とかしてみよう。あれでは衣服を脱ぐたびに思い出してしまう」

 

『マスターは見たモノを正確に記憶する能力があります。本人の意思で記録を消すことは不可能なため、傷が無くなったところで解決には至りません。睡眠時の夢、人との接触で蘇りますから、其れを減らすのが効果的です』

 

 やはり怒りを覚える。余りに無感情な言葉に誰もが抑えられない筈だ。だが何よりも気になる能力だった。

 

「記憶に残る……だから人と触れ合うのが苦手なのか。あの目の下の隈は睡眠障害が理由だな」

 

「酷い、酷すぎるよ……渚ちゃんは何も悪くないのに……」

 

 PLで渚に触れた時……嫌そうに体を捩り、そして吐いたのは体調不良だけが原因では無かったのだ。

 

「陽咲……」

 

「睡眠時か。だから不定期に瞳周りが黒く撮影されたんだ。つまり夢を見てる、悪夢を」

 

「越野、頼む」

 

「ああ、導入剤を切ろう。すぐに戻る」

 

 そう言うと足早に部屋から出て行った。直ぐに目覚める訳ではないが、少しでも早い方が良いだろう。

 

「カエリースタトス。さっき言ったよね。感情を捨て去る事が出来た、あの女に出会うまではって。千春お姉ちゃんと渚ちゃんのことを教えなさい」

 

『二人は出会い、姉妹になりました。元の世界への帰還の方法を掴んだ千春がマスターを連れ出した。結局は失敗し、今へと繋がる。それだけです』

 

 渚本人以外の話になった瞬間、カエリーの言葉数は減る。

 

「姉妹に……じゃあ、お姉ちゃんを殺したって話は」

 

『マスターの罪悪感が生んだ虚像です。正しくはマスターを庇い致命傷を負いました。全く的外れな話ですね』

 

 やはり三葉の想像は正しかったのだ。それが分かって陽咲は救われた気がする。例え命を失ったとしても、最後まで強くて優しい姉だったのだ。

 

「お姉ちゃん……」

 

 ジンワリと瞳が滲むが、それはさっきまでの涙と意味が違う。強く誇りに思う、気高き人だから。

 

「陽咲を護る動機も分かった。千春の代わりに、そして自らの事など気にもしていない」

 

『私が全てを話した意味が分かりましたか?』

 

「ああ、腹立たしい事にな。同情心を煽ったつもりだろう。だが、そんな事など無くとも渚を助けるさ。この陽咲は渚にベタ惚れ……偶に犯罪を犯さないか心配になる」

 

「ちょ、ちょっと、叔母さん!」

 

「ん? 事実でしょ?」

 

『よく分かりません』

 

 戻って来た越野は首を傾げた。真っ赤になった陽咲が不思議だったから。

 

 

 

 

 

 

 

 



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姉妹の絆

 

 

 

 

越野(こしの)、いつ眠りから覚める?」

 

「明日だな。だが、念の為に拘束具は外さない。もう一度話を聞いて判断する。構わんな?」

 

「仕方あるまい。だが、最初に会うのは陽咲(ひさ)だけだ」

 

「ああ。あの子が人間だと認めるが、しかし警備軍で保護するのは難しいぞ? あの若さで身元は不明のまま……待て、何故身元が割れない? 例え年齢を重ねたとしても……」

 

 当然の疑問だったが、すぐにカエリーが答えを齎した。

 

『マスター曰く、元の世界と微妙に変化していると。レヴリなど存在せず、警備軍は自衛隊から名を変えているそうです』

 

「レヴリがいない? 自衛隊は三十年以上も前に無くなった組織だぞ? 警備軍に吸収された」

 

「では時代が違うのか? いや、それでは千春(ちはる)と会うタイミングなどある筈がない」

 

『召喚の副作用でしょう。時の流れも、被召喚者の姿形が変わるのも珍しくはありません』

 

 簡単に言うがとんでもない事実だった。

 

「では、もっと年齢を重ねていた可能性もあるか。そう言えば以前、陽咲の事を年下の様に呼んでいたな」

 

 最初に陽咲が接触した時、(なぎさ)は言ったのだ。この子を害するつもりは無いと。

 

「ふん、だが尚更厳しいな。警備軍では」

 

「越野、随分と優しくなったじゃないか」

 

「茶化すな。つまり身分は不詳のままで、年齢だって見た目から推測するしかない。どう高く見ても高校生だろう。法的にクリア出来ないし、保護するのは軍では無い。当然の事だ」

 

「あの……別に警備軍じゃなくても」

 

「陽咲、よく考えなさい。一般人ならば銃器の不法所持と異能による縛りが厳しくなるの。知ってるでしょう。越野はそれを心配してるのよ?」

 

 急に叔母としての口調に戻り、諭して来る。陽咲も言葉に詰まった。指摘通りだと思ったからだ。

 

『マスターに保護など必要ありません。一度隠れさえすれば貴女達に見つける事は不可能です。マーザリグでは必ず単独による行動でした』

 

 再び孤独の闇に落とす訳にいかない。だからこその話し合いだが、カエリースタトスは何も理解していない様だ。それを聞いた三人に渚を手放す答えは無くなった。渚が許すならば、この黒い銃と引き離したいくらいだ。黒い布をケースに掛けてカエリーを隠した。つまり、黙ってろ、そう言う意味だろう。

 

三葉(みつば)、どうするんだ?」

 

「ん? 遅いわね」

 

「なんだと?」

「叔母さん?」

 

 二人同時に聞いたが、当の三葉は壁に掛かった時計を見て眉間に皺を寄せている。そしてその疑問は直ぐに解けたのだ。

 

「失礼するぞ」

 

 軍の施設に不似合いな和装の男が入室して来た。背は高く、細っそりとした老人。しかし背筋は伸びていて、年齢を感じさせない。後ろにもう一人いて、そちらも年配の男性だ。鞄を脇に抱え、和装の老人に付き従う召使いを思わせた。

 

「遅い」

 

「無茶を言うな、三葉司令。老い先短い老人には優しくするものだぞ?」

 

遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)……何故此処に……」

 

「おお、キミは越野多恵子だな。医系技官を務め上げれば相当な地位に居ただろうに。だが儂は嫌いではないぞ」

 

「良くご存知だな」

 

「爺いは色々と知ってるものだ。そう思うだろう、念動(サイコキネシス)(あかなし)陽咲(ひさ)

 

「は、はい! え、えっと、お会いした事が?」

 

「ん、これは面白いお嬢さんだ、ハッハッハ! そう思わんか、大恵(おおえ)

 

「ユーモアに溢れるお嬢様ですな」

 

 いや、完全に天然なんだけど……そんな溜息を隠さない三葉は呆れている。

 

「はぁ、もういい。例のは?」

 

「ああ、大恵」

 

「はい。これです、三葉司令」

 

 抱えた鞄から一枚の書類を出して渡す。それを受け取るとサッと流し読みをして頷いた。

 

「おめでとうと言うべきかしら? 行方が分かった()()と貴方に」

 

「そうだな。儂の馬鹿息子は随分前に居なくなったが、まさかこんな子宝を残しているとは。世は不思議に溢れているよ」

 

「三葉、お前まさか……貸せ!」

 

 書類を掻っ攫い、その予想通りのモノを見て顳顬をグニグニする。そんな越野は暫く動かない。

 

「陽咲、アンタも見る?」

 

「え、うん。私が見てもいいの?」

 

「勿論よ、大切な人の事だもん」

 

「……遠藤、渚。年齢は十八歳? 思ってたよりお姉さんなんだね。父親は遠藤(えんどう)武信(たけのぶ)……じゃあ、貴方が渚ちゃんのお祖父さんですか⁉︎」

 

 流石の遠藤征士郎も、陽咲の天然ぶりに笑う事も出来ない。馬鹿正直に信じる者が居ようとは、と。

 

「はぁ」

 

 再び叔母である三葉が溜息をついた。

 

「杠、お前は馬鹿なのか? 偽造だよ、コレは」

 

「え?」

 

「身分を偽って警備軍の保護下に置くために、お前の叔母と老人が画策したんだ。何が十八歳だ、全く。三葉、お前最初からそのつもりだったな?」

 

「さあ、何の事かしら?」

 

 すっとぼける三葉、呆然とする陽咲。そして柔らかい笑みを消した遠藤が張りのある声を掛けた。

 

「よいか、はっきりと言っておく。マーザリグでの過去も、戸籍などもどうでもいい。あの娘、渚は儂の何よりも大切な孫娘だ。警備軍に預けるが、下手な扱いは許さん。分かったな、三葉司令」

 

 日本有数の資産家にして、政界にも手を伸ばす遠藤の言葉が響く。兵士でもないのに、其処には一人の戦士が居た。だから三葉も真っ直ぐに見返し、立ち上がった。何より、此処での会話すら筒抜けだった様だ。恐らく花畑辺りの小細工だろう。

 

 全ては出来レースだった訳だ……越野は笑い、三葉を見た。小さな身体なのに、何故か大きく見えるのだ。そして聞こえて来た声は、間違いなく第三師団の司令のものだった。

 

「分かりました。大切なお孫さんを第三師団にてお預かりします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 渚は何度も夢を見ていた。

 

 悪夢が襲い、出せない悲鳴を上げる。暫くするとマーザリグの奴等が消えて、誰よりも愛しい人が笑い掛けた。

 

 長い黒髪、鋭くも慈愛が光る瞳。深い知性を感じる視線が渚を見ている。

 

「……千春」

 

 そして夢が、千春が消えて行った。

 

「行かな、いで……お願い……」

 

 腕を必死に伸ばそうとするが、何かが邪魔して動かなかった。

 

 薄ぼんやりとする意識、遠くから鳥の囀りが聞こえて目を覚まそうとしている自分を自覚する。周囲の気配を探る事は、渚にとって息をする様に行うから直ぐに気付いた。すぐそばに人がいる。

 

 逃げようとしても、両手両足が固定されていて起き上がる事が出来ない。軽いパニックに襲われた渚は、必死に身体を捩った。あちこちに痛みが走ったが、そんな事はどうでも良いと力を込める。だけど、不思議と落ち着く声が届いて渚の心は平静を取り戻したのだ。

 

「渚ちゃん。大丈夫、直ぐに外すからね。あまり暴れたら痛いよ、それにまだ目覚めたばかりだから……でもその前に少しだけ話がしたいの」

 

 ゆっくり瞼を開き、首を横に倒した。そこには予想した通りの人が居る。椅子に腰掛け、ベッドに手を添えている。渚には触れていない。

 

「陽咲……?」

 

 重い身体と唇を動かすと、掠れ気味の声がした。渚は自分の声だと漸く気付く。

 

「うん、私よ。酷いことなんてしないから安心して」

 

「……此処は?」

 

「病院だよ、警備軍の。第三師団内にある軍病院。PLじゃないからね」

 

「そう。陽咲、怪我は? 大丈夫だった?」

 

 一瞬自身の怪我の状態を聞いているのかと思ったが、視線を見ればそうじゃ無いのが分かる。自分の体ではなく、陽咲の様子を観察しているからだ。それを理解して陽咲は悲しくなった。カエリースタトスから聞いた過去が渚を傷付けてしまったのだと。

 

「怒ってるんだよ? 約束したのに、一人で残ったりして……私が喜ぶとでも思った?」

 

「前にも言った。私が勝手にやってる事だって。陽咲がどう思うかは関係ない」

 

 視線を離し、天井を見る渚の横顔に悲哀は募るばかりだ。

 

「悲しいこと言わないで。千春お姉ちゃんだって、そんな渚ちゃんを見て怒ってる。それとも傷付くキミを褒めてくれると思うの?」

 

 返答は無い。何時もの拒絶感だ。でも、全く幸せな事じゃいけれど、カエリースタトスから聞いた過去が更に強くした。渚の全てを受け止めると決意した陽咲に通用などしない。

 

「私の武器は?」

 

「カエリースタトスの事? 預かってるよ」

 

 だから陽咲は仕掛けた。別室で三葉も越野も聞いているが、そんな事は意識の外に追いやる。ビクリと身体を揺らした渚を視界に収めたまま。

 

「……何で、アレの名前を」

 

「全部聞いたの。マーザリグ帝国の事も、渚ちゃんの三年間も、お姉ちゃんの事も」

 

「……そう」

 

 瞼を閉じた渚は、少しだけ震えていた。そこには見た通りの少女が横たわる。陽咲にはそう思えたのだ。レヴリをあっさりと殺す狙撃手など何処にもいない。

 

「渚ちゃん、ごめんね」

 

「謝るのは私の方。本当なら千春が還ってくる筈だった。陽咲には想像も付かないだろうけど、千春は誰よりも強くて……」

 

「分かってる、分かってるよ」

 

「本当に、御免なさい……」

 

 涙が頬を伝わり、腕を縛られた渚は拭う事も出来ない。

 

「千春お姉ちゃんはきっと何度でも渚ちゃんを助ける。だって大切なもう一人の妹なんだもん。だから……私達も姉妹だね。これからは千春お姉ちゃんの代わりに私が護って上げる。それに恋しちゃったから」

 

 吃驚顔も可愛らしくて、陽咲は思わず触れたくなった。それを我慢して渚を見ると、何だか優しい気持ちになるのだ。

 

「私が妹?」

 

「勿論」

 

「逆、だよね?」

 

 別室に待機して話を聞いていた三葉は深く頷いている。

 

「私が決めたからそうなの。渚ちゃんは妹なんだから言う事を聞きなさい」

 

 その台詞を聞いた瞳に次々と涙が溢れる。小さな嗚咽……其れは止まらなくて、どこまでも枕を濡らしていった。

 

「ど、どうしたの⁉︎ 何処か痛い⁉︎ 待ってて、越野先生を……」

 

「違う、違うよ。ただ、驚いたから」

 

「え? 驚いたって、なにが?」

 

「千春が言ったんだ。私を連れ出す時、反対したら……妹なんだから言う事を聞きなさいって……だから、凄く驚いて……千春がいるみたい、で……」

 

 もう我慢は無理で、ハンカチを取り出し渚の肌に触れないように拭う。まるで滝の様に涙が溢れて行くからだ。

 

 もう、拒絶感は消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 監視カメラが送って来る映像を眺めている。少し遠くても光る涙が見えた。あの写真の様に瞳の周りも黒く変化などしていない。儚くてか弱い、そんな一人の少女がいるだけだ。

 

「越野、アレがレヴリか?」

 

「言うな、分かってる。そう責めないでくれ。拘束具を外してくる」

 

 もう一度画面を眺める三葉も、部屋を出て行った越野の目にも、僅かな涙が滲む。

 

 それは、ほんのひと時の、姉妹の絆が齎した幸せの時間だった。

 

 



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一人の女の子

 

 

 

 翌日には一般病棟に移された。勿論個室だが、テレビや窓もあって室内は明るい。昨日までの警戒感が嘘の様だから、逃げ出すことも簡単だろう。

 

 でも、渚の身体は動かなかった。怪我もあるが其れは関係ないと理解している。ベッドの上で上半身を起こし、窓の外のフワフワと舞う葉っぱを眺めていた。何故か目が離せなくてノックの音にも反応出来ない。

 

(なぎさ)ちゃん、入るよ」

 

 入って来たのは(あかなし)陽咲(ひさ)だ。昨日から自称姉となり、甲斐甲斐しく世話を焼いて来る。スプーンでアーンとして来た時は、流石の渚も苛ついたらしい。

 

 一方の自称姉は、外をぼんやりと眺める姿を見て綺麗だなと思った。因みに恋までしてるから、背徳感まで覚えていたりする。三葉曰く、重症だ。

 

 だから、ゆっくりと振り向いた渚とばっちり目が合った。

 

「大丈夫かな?」

 

「うん」

 

 良かった。そう言って笑う陽咲を渚は不思議な気持ちで眺める。

 

「今から話したい事があって、昨日会った越野(こしの)先生……ほら、背の高いショート髪の怖そうな女の人」

 

「分かってる」

 

「それと、先に会いたいって人が来てて。お爺ちゃんなんだけど。あと三葉叔母さんも」

 

遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)?」

 

「うん。えっと、入って貰っていいかな? 勿論私が傍に居るから安心してね」

 

 パジャマ姿で男性と会うなど普通ならば嫌な筈だろう。だから陽咲は質問するし、男性と二人きりになんてしないからと気遣っている。三葉もいるなら的外れなのだが、特に指摘はしなかった。こんな時、マーザリグでの日々を間違い無く知っていると渚は理解する。

 

「大丈夫」

 

 しかし、簡単に頷いた。その老人ならば問題ない。PL(ポリューションランド)、つまり異界汚染地から帰ったら連絡を取ることになっていたからだ。

 

「了解。遠藤さん、どうぞ」

 

 スライド式の扉がスラリと横にずれて、和装の老人が姿を見せた。後ろにはもう一心同体なのかと言いたくなる大恵(おおえ)も控えているようだ。自然に手土産を窓際の台に置いた。

 

()よ、暫くぶりだ。全く、アレ程無茶をするなと言ったのに、全身包帯まみれじゃないか。爺いの助言は聞くものだぞ?」

 

「老い先短い人の?」

 

「ん? まあ、そうだな」

 

 遠藤は内心酷く驚いていた。まさか渚が冗談を返すとは想像していなかったからだ。普通に会話が成り立っているし、視線だって此方をしっかりと捉えていた。直ぐ隣に佇む念動(サイコキネシス)の杠陽咲が何かを変えたのだろうか。まだ未熟な異能者を何となしに眺めて思う。

 

 少し遅れ、第三師団司令にして陽咲の叔母である三葉(みつば)花奏(かなで)が入室して来た。廊下に見えた部下に何か指示をして扉をしっかりと閉める。

 

「どうぞ」

 

「おお、済まないな」

 

 陽咲が用意した椅子に腰掛け、もう一度孫娘に向き直った。そして、徐に一枚の紙を取り出して渚に見せる。渡さないのは右手が包帯で覆われているからだろう。反対側の左腕にも点滴の管が繋がっていた。

 

「遠藤渚?」

 

「うむ、実はそうなんだ。お前は儂の孫娘だったんだよ……今迄黙っていて済まなんだ。さあお祖父さんだよ、渚」

 

「巫山戯ないで」

 

「しかし、戸籍は嘘を付かないぞ。もう一度確認するかな」

 

 何故かニヤニヤしている三葉を渚は見た。慌てて表情を戻すが、それすらも演技だろう。そんな三葉は仕方無く割り込んで話を引き継いだ。

 

「渚の身分が分からなくてね。まあ色々考えた結果よ? それとも連絡が取れる人が……いないわよね」

 

 その失言に、陽咲の抗議の目線が突き刺さった。

 

「とにかく、身分不詳のままだと都合が悪いの。あの銃もあるし、福祉施設に預ける訳にもいかない。貴女は新人の、見習い警備軍の一員ってところかな。別に軍役なんて求めないから安心しなさい。悪いけど反論は認めない。此処で大人しく身体を治すのよ」

 

「そう」

 

「そう言う訳だ。つまり儂の孫娘で」

 

「もう一回見せて」

 

 遠藤の遊びを遮って言う。渚も分かっているのだろう、目の前の爺いがどんな老人なのかを。

 

「ほれ」

 

遠藤(えんどう)武信(たけのぶ)。父親の名前」

 

「まあな、儂の息子だよ。もう随分前に姿を消しているし、お父さんと呼びなさいなどと現れないから安心しなさい」

 

 自分の事を棚に上げるのも爺いの得意技らしい。

 

「知ってる」

 

「何を?」

 

「この人、多分間違いない。会った事はないけど」

 

「……何だと? 武信を知っている?」

 

「千春から聞いた。ベルタベルン王国の王で、逆召喚の技術を教えてくれたって。あの世界で日本人なんてまず居ないから、間違いないと思う」

 

「な……」

 

「だ、旦那様」

 

 ずっと前に消えた息子が別の世界の王? 荒唐無稽な話なのに、遠藤の心へ真っ直ぐに染み込んで来た。小さな頃から凡ゆる事を学ばせて、後継者として育てていた。反抗期は勿論、道を外れた事もあったのに……そんな息子が人を導く王となり、孫娘を此処に帰還させたのだ。

 

 老獪な瞳に涙は似合わない。だから遠藤は皺が刻まれた拳に目を落とし、震える手を摩った。

 

「……他に、他に何か聞いているか?」

 

「家族が居て、国を守らないといけない。私はベルタベルンの王なのだから。帰らない理由に、そう答えたって」

 

「そうか……あの武信が……」

 

「千春なら、もっと詳しく知っていたと思う。私はそれくらいしか」

 

「いいんだ。よく知らせてくれた。ありがとう、渚」

 

 圧倒的な狙撃手で、未知の異能を持つ若い娘を手に入れたかった。その渇望は自身も驚く程だったが、此れは運命だったのだ……遠藤はそんな風に思い、ベッドの上に居る渚を眩しそうに眺めた。深い愛情すら感じる。

 

 黙って聞いていた三葉も陽咲も、不思議な幸せを感じるひと時。運んで来たのは可愛らしい堕天使、渚だ。

 

「さて、怪我人の、しかも女の子の病室にいつ迄も長居する訳にもいくまい。そろそろお暇しよう。渚、元気になったら儂の屋敷に来い。部屋も準備するぞ」

 

「……考えておく」

 

「ああ」

 

 そして、和装の老人は退室して行った。

 

「ふふ、あの遠藤征士郎も渚の前じゃただのお爺ちゃんね。面白いものを見たわ」

 

 茶化す三葉は内線を使い、誰かに終了を伝えた様だ。

 

「渚ちゃん、疲れてない?」

 

「うん」

 

「痛かったり、気分が悪かったら直ぐに言ってね? 結構な重症なんだから」

 

「慣れてる」

 

 叔母と姪は視線を合わせて目配せした。やはり渚を放ってはおけない。こんな怪我に対して慣れているなど、如何に異常なことか彼女は忘れてしまっているのだ。

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

「右腕の熱傷はどうしても跡が残るだろう。恐らく多少動かし辛くもなる。日常生活にはそこまで影響は無いが……続けて良いか?」

 

「大丈夫」

 

「左足首の骨折……ああ、ひびが入っている状態だ。ひびも骨折と言うんだよ。剥離骨折じゃないから手術も不用で、ギブスで治せるぞ。期間は数週間だが、その後リハビリが必要な場合もある。足首は固まるとかなり違和感があるからな。それと……」

 

「何?」

 

「キミの身体を調査する過程で……色々とな。鋭い刃物状のモノで、文字が刻まれているだろう? 手術、レーザー、外用剤などを使って消せたらと考えている。麻酔もするし、時間も必要だ。だが、任せてくれないか」

 

 真摯に伝える。遠回しはしない。

 

「渚。この越野は警備軍の負傷者を多く治療して来たの。その腕は私が保証するわ。キミの、苦しかった三年間を、少しでも薄められたなら……どうかな?」

 

 俯く渚を抱き締めてあげたい。でも、それは叶わない。此れからも寄り添うだけ、陽咲は何一つ出来ない無力感と戦っている。

 

「全部……全部聞いた、の?」

 

「ええ、そうよ」

 

 それ以上何も言わない。いや、言えない。渚の苦悩と絶望を理解するなど不可能なのだから。

 

「陽咲は……」

 

「私? えっと、越野先生ならきっと……」

 

「私が戦えない間、PLに入る?」

 

 言葉に詰まる。陽咲は勿論、残る二人もだ。

 

 ところどころ無理矢理戦争に参加させられた証の古傷がある。普段着ていた衣服では無いから多少肌が見えるからだ。それでも、カエリースタトスを持たず、パジャマ姿の渚は誰が見ても可愛らしい女の子でしかない。俯き、悩み、戸惑いのあった渚ならば当然だろう。そんな娘が言うのだ。

 

 今の自分は陽咲を守護出来ない。その間、危険な場所へ行くのか。いや、行かないでと。

 

「それは……」

 

 陽咲は嘘が苦手だ。行かないとも答えられず口籠った。適当に嘘を吐いて、治療に専念しなさいと言えば良かった……そう後悔しても遅いのだ。渚だって理解してるだろう。思わず助けを求めて三葉を見た。三葉としても渚に癒されて欲しいから口を出した。

 

「渚? 何事も絶対は無いわ。だけど陽咲は新人で、カテゴリⅤ以上のPLには連れて行けない。スライム共がいた彼処は暫定的にカテゴリⅢに変更になったの。しかも今回の戦闘で未熟な判断力が露呈したから、暫くは訓練と講義のやり直しになる。余程の不測な事態、つまり新種などが現れない限り、街に侵入するレヴリの駆除が中心ね。警備軍のベテランが必ず同行するし、まあ危険は少ないでしょう」

 

 渚はジッと三葉の目を見ている。何か心の底まで見透かされている様で居心地が悪い。実際に異能を使い、脈拍や瞳孔の変化、発汗などを見ているから当然だろう。もし今撮影したならば、渚の瞳の周りは闇に沈んでいる。

 

「誤解のない様に言っておくけど……陽咲だけの特別扱いではないの。カテゴリ毎の対応はしっかりと規定されているから……何なら調べてみる?」

 

「……分かった。あんなキズ、私だって消して欲しい」

 

「そうね。越野、進めてくれる?」

 

「ああ」

 

 そう返した越野は退室して行く。直ぐにも動き出すのだろう。

 

「さて、私も行こうかな。何かあれば看護師に……」

 

 渚の如く、今度は陽咲がジッと三葉を見ている。

 

「……陽咲が居る時は任せる。いい?」

 

「はい!」

 

 最近妙に増えた溜息を吐いて、三葉は扉の向こうへ消えて行った。

 

 

 

 

 

 

 



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泣き虫

 

 

 

 第三師団司令の執務室の窓からは敷地内が見渡せる。高い位置にあるのもそうだが、訓練場以外にも広く開けた土地があるからだ。それは駐車場であったり、倉庫群であったり、師団の皆にとっての憩いの場所である一種の公園などだ。

 

 樹々や人工の池、緩やかな斜面に敷かれた芝生。少し離れた所には売店やカフェ擬きも。空いた時間、各々が自由に使って良い空間は、正に公園だろう。

 

 池の周りに施設されたランニングコース、その直ぐ横には散歩だって可能な広い道。業者により花々も飾られていて中々に美しい。

 

 クリームたっぷり、角砂糖三個を入れた三葉(みつば)花奏(かなで)御本人特製のコーヒー片手に暫しの休憩をしていた時だ。窓のそばに立ち、何となく公園の方を眺めた。

 

陽咲(ひさ)(なぎさ)か? 随分と仲良くなったものだな」

 

 パジャマの上に大きめのカーディガンを羽織った渚は車椅子に乗って、いや乗せられている。ポニーテールにした黒髪や小柄な身長から間違いない。そして、その車椅子を何故か嬉しそうに押すのが姪である(あかなし)陽咲(ひさ)だ。

 

 陽咲は今日非番だが、案の定と言って良いのか渚に会いに来た様だ。と言うか、一日も欠かしていない。訓練が終わるととんでもないスピードで走り去り、シャワーをやはり凄まじい速度で終えて病院に直行する。多分新たに覚えた念動(サイコキネシス)の移動補助も使っている筈だ。非常に希少な技術なのだが。

 

「彼処までハマるとはな……ちょっと、いやかなりヤバくないか? ストーカー予備軍になりそうで怖い、我が姪ながら」

 

 確かに渚は誰が見ても可愛らしい。あの戦闘力を知らなければ、病弱で儚い容姿に誰もが構いたくなるだろう。態とではないのは間違いないが、偶に庇護欲を刺激する態度も取るのだ。その魔性に捕らえられたのが男達では無く陽咲だとは……ズズズとお子様コーヒーを飲みながら独言(ひとりごちる)しかない。

 

「変なことしないわよね……?」

 

 パジャマからチラチラ覗く肌をなんとも形容しがたい視線で見ているのは気付いている。無理矢理などあり得ないだろうが……ましてや悲惨な過去を知った今なら尚更だ。

 

「でも渚だし……」

 

 我が身を顧みない犠牲心は陽咲だけに向いているのだ。千春を失った罪悪感に囚われ、自ら身体を差し出したり……

 

「いやいやいや、其れは考え過ぎだ。渚は頭も良いし、陽咲だってそんな非常識じゃない。大丈夫だ」

 

 でも、やっぱり不安が拭えなくて、今度注意しようと決めた。そんな情けない決意を胸に第三師団司令は残りのコーヒーを流し込む。そして振り向き、空になったカップを置いた。

 

 まだ仕事が残っている。

 

 

「さあ、話を続けようか。花畑(はなばたけ)

 

「はい。では現在判明しているカエリースタトスの……」

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 風が通り過ぎた事で、周りの樹々がザァーと鳴いた。

 

 パタパタと陽咲から借りたカーディガンが暴れ、渚は思わず左手で押さえる。右手は今も柔らかい包帯で包まれているからだ。おまけにギブスをした脚の所為で、車椅子に乗せられている。正直散歩なんて気が進まなかったが、世話焼きの陽咲が真面目な顔して誘って来たからつい頷いたのだ。

 

「寒く無い?」

 

「大丈夫」

 

 肉付きの悪い渚を気遣い、思わず聞いた。

 

「そっか。此処にいると軍事施設の中だと思えないでしょう? 足が治ったら二人で歩こうね」

 

「……うん」

 

 殆どが陽咲の言葉への返事で終わっている。うん、分かった、大丈夫、要らない、そんな一言だ。無愛想極まりないが、陽咲は全く気にせず喋り続けた。

 

「あっちに見える建物、アレってカフェになっててケーキとかも食べたり出来るんだよ。学食並みに安くて中々美味しいし、越野(こしの)先生に許可貰ってから来ない?」

 

「……うん」

 

「あと服! パジャマも買ってくるけど、目を付けてるのが幾つかあるから任せてね。渚ちゃんは細くて脚も長いから何でも格好良いと思うんだ。あ、お金なら心配ないよ? 異能者はお給料が良いし、渚ちゃんの働きに特別手当だって申請中だから。勿論、私が選ぶ以上は手当なんて使わないし」

 

 ゆっくりと池沿いを進みながら、陽咲の話は止まらない。

 

「お金は……」

 

「ん?」

 

「……何でもない」

 

「そう?」

 

 いつの間にか祖父となっていた遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)との取引で金なら余っている。あのマンションに戻れば、床に転がしている鞄に入っているだろう。だが、不法な取引などを後ろの女性に話したら、碌なことにならないのは渚にも分かった。

 

 ほんの少し視線を動かせば、異能により普通ならば映らない風景が目に入る。視野が広がるわけでは無いのだが、異常極まる能力は見る必要の無いモノを渚に届けて来るのだ。

 

 先程からチラチラと、時にはじっとりと陽咲は見ている。勿論対象は車椅子に乗る渚だ。視角的に真上に近いから、まさか渚が気付いているとは知らないのだろう。

 

 少しだけ開いた胸元に視線を感じたとき、我慢出来なくて渚は話し掛けるしかない。

 

「陽咲」

 

「なあに?」

 

「仕事……任務はどう?」

 

「うーん、訓練ばっかりだよ? しかも座学が増えて頭がパンクしそう。三葉叔母さんも仕事になると人が変わって凄く怖いから気も抜けないし大変。自業自得なのは分かってるんだけどさ。でも渚ちゃんと一緒に居たら癒されるから直ぐに元気になるよ!」

 

 視線が外れたのが分かり、何故かホッとする。同時に三葉の憂慮も良く理解出来た。スライムとの戦いでは幾つも間違いがあったからだ。念動の局面打開力は確かに認めるが判断が甘い。不用意な移動、警戒の薄さ、連携も取れていなかった。

 

 幾ら強力な異能であろうとも、一瞬のミスで死ぬのが戦場だ。実際、渚は自身を上回る兵を何人も狙撃して来た。弱点を見抜けば手は有る。千春の様な埒外の能力は別だが。

 

「やっぱりPLに行かせられない」

 

 思わず呟いて、すぐに唇を閉じた。小さかったから陽咲には聞こえてないが、それは確信だ。

 

「そろそろ手術でしょ? 前の日って御飯は食べちゃダメなんだっけ?」

 

「そう聞いてる」

 

「そっかぁ。仕方無いね」

 

 身体に刻まれた忌まわしきキズ。其れを消す一歩目が陽咲の言う手術だ。詳しく聞いた筈だが頭に入らなかった。いつ自由に動けるのか、ただ其れだけが興味の対象だからだ。異能による記憶は消せないから、マーザリグ帝国での日々は決して無くならない。

 

 そう。この身体は消えない。元にも戻れない。

 

 睡眠は浅く、二時間以上眠る夜など無い。何かを望む陽咲達には悪いが、結局のところ心の底に澱む絶望は消えたりしないだろう。

 

 このまま陽咲が向ける気持ちに向き合わない事が正しいのか、いくら考えても分からないのだ。

 

「渚ちゃん?」

 

「……そろそろ帰ろう」

 

「そうだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 介助したくても出来なくて、陽咲はいつも悔しい。車椅子からゆっくりとベッドに移る渚を眺めているだけだ。触ってしまったら悪夢を見る以上当然だが、だからと言って納得出来る訳は無い。

 

 そのまま横にならずベッドに腰掛けた渚は陽咲に声を掛けた。

 

「陽咲、聞きたい事がある」

 

「いいよー、何でも聞いて」

 

 車椅子を畳み、病室の角に片付けた陽咲が嬉しそうに近寄る。渚から話し掛けてくれるなんて少ない機会だからだろう。

 

「私に恋したって言ったよね」

 

「うぇっ⁉︎ え、えっと、うん。はい」

 

「つまり、好きって事? 友達とか妹じゃなくて」

 

「い、妹としても大切だよ! でも違う気持ちもあって……」

 

 慌てた様子だが、視線だけは離れなくて真剣な色だ。

 

「陽咲は女性だよね。勿論同性との恋愛があるのは知ってる。でも、こんな事初めてだから」

 

「……ゴメンね、混乱させて。私が一方的に向けてるだけで、渚ちゃんに何かして欲しいとか、そう言うのじゃ……」

 

「キスしたい?」

 

「そ、それはね、私も初めてだから」

 

 モゴモゴと口は動くが、上手く声にならない。そして渚が何を伝えたいのか分からないから益々混乱する。

 

「セックスしたいの?」

 

「セッ……! い、いや、そんな」

 

「私の服の下を見てる時があるから、そうなんだろうなって」

 

「ご、ごめん‼︎ 私って馬鹿で、御免なさい!」

 

 渚が責めていると思って顔が青くなった。最近距離が縮まって調子に乗ってしまったと後悔が募る。

 

「鍵を閉めて」

 

「な、何で?」

 

「パジャマが埃っぽいから着替えたくて。閉めたら着替えを出してくれる?」

 

「あ、分かった! 待ってね」

 

 渚の視線から逃げたくて、病室と廊下を隔てる扉の鍵をカチャリと閉めた。次は着替えだと木製で四段の引き出しを引っ張る。

 

 パサリ。

 

 背後から間違いなく聞こえた。

 

 ギシリギシリとベッドの軋み、スルスルと何か衣擦れの音。

 

 陽咲は胸がドキドキして、外に聞こえてるかもと強張った。絶対に気の所為だとゆっくり振り返る。

 

 其処には最後の、肌を隠すブラを取る姿。残ったのは一糸纏わぬ渚。夕焼けが部屋を照らし、細い身体と女の子らしい起伏の印影が陽咲の視線を奪う。ギブスがあるのに立ち上がって顔を上げた。

 

「な、渚ちゃん、何で……」

 

「カエリーから聞いたんだよね? 私の、マーザリグ帝国の日々を」

 

 胸を隠す事も、恥じらいも無い。

 

「や、やめよう? こんなの」

 

「目を逸らさないで。千春にも見せた事はないけど、想像はしてたでしょう。こんな身体だよ、私は」

 

 合計三箇所、見るに耐えないキズがある。胸の下、下腹部、太ももの内側。刃物で刻まれた意味不明な言語。ほかにも沢山……火傷、弾痕らしき跡、何かの破片が突き抜けただろう傷跡も。余りに痛々しい、そして渚の心のキズさえも見えた気がした。

 

「何度玩具(オモチャ)にされたか分からない。どんなに叫んでも駄目だった。この身体で奴等が触れてないところなんて存在しないよ。もう穢れている、陽咲が思う様な女の子じゃない」

 

 震えが止まらなかった陽咲は、冷たい言葉を聞いて強く拳を握りしめた。そして震えも無視して真っ直ぐに見る。渚が何を言いたいのか分かったから。

 

「だから諦めろってこと? またPLの時の様に一人で、私を置いて。そんなの絶対に許さないし、心も千春お姉ちゃんにだって渡さない。()()()()()()

 

 私が守るーーー

 

 渚を連れ出した日、千春が言った。其れが渚の耳に木霊となって反響する。

 

 陽咲は一歩ずつ近づき、ベッドに放り投げていたカーディガンを取って渚の肩に掛ける。傷だらけの白い身体は隠れて見えなくなって、ほんの少し安心出来た。

 

「キスしたいよ。何度も抱き締めて一緒に眠りたい。でも、それよりも寄り添っていたい。渚ちゃんの笑顔が見たいの。だから……私は諦めたりしない。我儘で御免ね?」

 

 スッと渚は左手を上げた。そして指先をゆるゆると陽咲の頬へと。羽織ったカーディガンが少しだけ肌けて、傷の無い鎖骨が見えた。

 

「渚ちゃん、駄目だよ。悪い夢を見ちゃう」

 

 一度戸惑って、それでも止めなかった。頬に感じる渚の指先は冷たい、悲しい温度だ。そのうち掌全体で優しく撫でる。

 

「……見えない」

 

「え?」

 

「見えないよ……マーザリグなんて……だって」

 

 ポロポロと澄んだ雫が零れていく。渚の瞳から。

 

「渚ちゃん……」

 

「不思議。千春と居た時は泣くのが嫌だったのに……陽咲と一緒だと泣き虫になる。ズルい、よ」

 

 目の前で千春が優しく笑う。長い黒髪が綺麗だ。

 

 そして……陽咲と千春が重なった。

 

 

 

 

 



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小さな花

 

 

 

「カエリースタトス。有意義な話し合いになる事を願っている」

 

三葉(みつば)司令。貴女はマスターの生命を握る人間です。私に逆らう意思はありません』

 

「……そうか」

 

 真っ黒な銃は何を勘違いしているのか、(なぎさ)を人質に取っていると思っているようだった。人質どころかお前のマスターが大切な姪を骨抜きにしたと言いたい。警備軍の異能者なのに、万が一の時は誰の味方に付くか明らかに思える。カエリーの首根っこ、まあ首が有ればだが、思い切り掴んで問い正したい三葉だった。

 

「お前にはマスターと敵しかいないのか?」

 

『それ以外に何があると? 例え違え(たがえ)ても、何の支障もありません。危機に備えるのは非常に重要です』

 

 何度か話したが、人に例えるなら精神病質者だろう。所謂サイコパスだ。良心の欠如、他者に冷淡、罪悪感が皆無、口が達者で表面はある種魅力的。恒常的に嘘をつくだけは該当しないが、些細な問題だ。

 

 常識的に考えて、未成年の女の子に近寄らせる存在では無い。つまり、渚に返却するのを躊躇して当然だ。それが益々カエリーの不信感を買っているが、考えを改めようとは思わなかった。

 

「渚はまだ未成年だ。敵だけが全てじゃない。親、兄弟姉妹、友達、恋人、どれもが大切なんだ。お前の知識量ならば其れくらい分からないのか?」

 

 無駄と知りながらも我慢出来ない。

 

『十八歳では? 情報では警備軍に志願出来る年齢です。この世界ならば成人と殆ど変わらないでしょう。更に加えるならば、マスターはマーザリグ帝国第三遊撃隊所属の異人で……』

 

「もういい。この件はお前と話しても無駄だ」

 

『残念です』

 

 全く残念に思ってない癖に、飄々と返すカエリースタトス。三葉はケースごと窓の外に放り投げたい気持ちを頑張って抑えた。

 

「司令、我慢して下さい」

 

「ああ」

 

 情報士官の花畑(はなばたけ)多九郎(たくろう)がその怒りを見事に察知し制した。経験の成せる技……三葉を怒らせる事に関しては警備軍屈指だ。

 

「カエリーさん。早速質問しますね」

 

 緑色の線が明滅した。多分了解の意味だろう。

 

「貴女は試作型との事でしたが、つまり量産されている武器と言う判断で間違い無いですか? その、カエリーシリーズは」

 

『間違いありません』

 

「一般的な武器、マーザリグ帝国では、ですが」

 

『多少語弊があります。確かに珍しい武器ではありませんが、扱う者は少数派です』

 

「何故でしょう?」

 

『魔力の保有量が少ない兵士、其れ自体だからです。そして魔力の弱い者は直ぐに死ぬので、カエリーシリーズは戦場によく転がっています。しかし拾う者は殆ど存在しません。大半の兵にはゴミですから』

 

「ゴミって……我等からしたら、異常極まり無い銃ですよ……では、弱者である貴女達が変形するのは擬態ですね? 非捕食者特有の」

 

『擬態に関しては肯定します』

 

「カエリー、お前もゴミだと思っているのか?」

 

 横から挟まれた三葉の声は暗く沈んでいた。

 

『私の性能はマスターの異能に支えられ、突出した命中力を発揮します。相性と表現すれば良いでしょう。反してマスター以外の者が扱えば、汎用のカエリーと変わりません』

 

「如何にもな答えだな。我々が何を聞きたいか理解していると、そう言いたいのだろう」

 

『其方が本題に入らない事を、こちらの責任にしないで下さい』

 

 つまり、全てを理解していると言う事だ。

 

「ふん、花畑」

 

「はっ。では本題に。カエリーさん、我々は貴女を量産したい。無論貴女自身の存在は難しいと理解しています。ですが、狙撃銃として持つ性能の幾らかは代替出来ませんか?」

 

『答える必要を感じませんが、此処はマーザリグ帝国ではありません。回答します』

 

 感じると言う言葉に三葉は反論したくなった。お前に感情や心情の機微などあるのかと。それも我慢して続きを待った。

 

『不可能です。魔力のカケラも無く、技術も育まれていない。魔弾の生成どころか、カエリーの最初期型の製造も出来ないでしょう。私を分解して調べても未知の物質の残骸が残るだけですから。仮に其れを行うならば自壊します』

 

「残念です。しかし以前の証言で、PLやレヴリにも魔力がある事が分かりました。利用が可能では?」

 

 残念と言う言葉を意趣返しに使ったが、反撃を受けたはずのカエリーは全く気にしない。

 

『面白い発想です。魔力とは何か。マーザリグ帝国すら辿り着けていない根源的な答えを求めて彷徨う事になるでしょう』

 

「魔力を、マーザリグ帝国が?」

 

『逆に質問します。何故世界が在るのか、形造られているのか、答えを持っているのですか? 魔力とは、そういう存在なのです』

 

 まるで哲学の問答に思えて三葉達は黙った。同時にカエリーシリーズの生産は当面不可能と分かった。魔力とやらを研究する事をやめないが時間が必要だろう。期待は特に無かったが、やはり残念ではある。

 

「結局、渚に頼らなければならないのか……レヴリの天敵として。くそっ」

 

 カエリースタトスは答えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 

 

 余り生産性の無かったカエリースタトスとの話し合いを終え、三葉は外の空気を吸おうと一階に降りて来た。何となく甘い缶コーヒーを飲みたくて、自販機の前に立つ。自室にコーヒーメーカーは置いているが、時々安っぽい味が欲しくなるのだ。

 

「ふむ」

 

 やはりミルクティーにしようと硬貨をチャラリと入れた。電子決済は苦手らしい。

 

 子供みたいな小さな手で、プシュリと開ける。そして一口飲み、もう少し甘い方が好みだなと愚痴を内心で吐く。缶飲料に溶け込んでいる、とんでもない糖分の量を知らないのだろう。

 

「ん?」

 

 昨日も見た二人が此方に向かって来ていた。

 

「あっ、叔母さ……三葉司令!」

 

 何とか気付き、陽咲(ひさ)は敬礼した。

 

「ああ、ご苦労」

 

 車椅子にいる渚は特に反応していない。

 

「そろそろ手術じゃなかったか?」

 

「はい! 越野先生がお知らせしてくれるそうです」

 

「そうか。まあ越野ならば最善を尽くすだろう」

 

「あ、渚ちゃんも何か飲む?」

 

 腰を落とし、視線の高さを合わせて聞いた。まるで子供に対する態度だが、愛の成せる技なのか。

 

「じゃあ……コーヒーを、ブラックで」

 

「なに⁉︎ 渚はブラックなのか?」

 

「そうだけど」

 

 カフェオレでも頼むかと勝手に思っていた三葉が唸る。まさか、甘いコーヒーを飲む自分が少数派なのかと不安になったのだ。

 

 ガタンと商品が落ちる音がして、三葉は我に帰った。そもそも何故こんな下らない事を考えていたのか分からない。

 

 いそいそと缶コーヒーを運ぶ陽咲を見て、三葉は違和感を持った。ミルクティーに口を付けながら、何気に観察する。そして気付いた。

 

 ()()()()()

 

「お、おい。陽咲、気を付けろ」

 

 どうぞと渡す時、両手で包む様に渡したのだ。おまけに渚の小さな手を触った。心なしか、撫でている気がする。触れたなら過去の記憶を追体験してしまう、それをカエリーから聞いていたから慌てた。ところが陽咲は少し自慢気に叔母を見返してくる。

 

 渚に拒絶感が無い。

 

「大丈夫、なのか?」

 

 そう言いながら近づくと、渚は手を引いた。触るなと言う意思表示だ。少しだけ傷付いて陽咲を睨んだ。

 

「叔母さん駄目だよ。触っちゃ」

 

 口調まで戻して注意される。

 

「どういう事だ?」

 

「えっとね。恥ずかしいけど三葉叔母さんには教えてあげる。私達昨日から付き合う事になって……」

 

「な⁉︎」

 

 慌てて渚を見たら溜息を付いていた。何か嫌な予感がする。

 

「付き合ってない。何でそうなるの?」

 

「えっ……えっ⁉︎ でも昨日、私達……」

 

「陽咲、黙ってろ。渚、昨日何があったか教えてくれないか?」

 

「別に……」

 

「私は陽咲の叔母だが、小さな頃から共に過ごして来た。千春と一緒にな。色々と心配なんだ」

 

 チラリと上目遣いで三葉を見て口を開く。千春の血縁者という事実が渚を動かしたようだ。

 

「病室の鍵を閉めた」

 

 既に不穏だが、我慢する。

 

「ああ」

 

「裸になって」

 

「……くっ。それで?」

 

「陽咲はキスしたいって。抱き締めて眠りたいらしい。我儘で御免って言った」

 

 陽咲は真っ青になっている。三葉の口内でギリギリと歯を食いしばる音が鳴った。

 

「私は」

 

「……私は?」

 

 聞きたく無い。しかし、陽咲を監督する責任者として聞かなければならないのだ。

 

「沢山泣いた」

 

「な、渚ちゃん! 言い方、言い方が‼︎」

 

「……陽咲ぁ! お前、あれだけ犯罪は駄目だと」

 

「ひぃ⁉︎ ち、違うから! な、渚ちゃん、ちゃんと説明を……」

 

 ギロリと鬼の形相に変わった叔母。青から紫に変化した陽咲の顔色。

 

「何てことを……無理矢理裸にして、泣かせただと? 怪我までしてる娘を手籠(てごめ)にするなど、許されないぞ……」

 

「手籠って古い……叔母さん、落ち着いて! 誤解、誤解なの‼︎」

 

 陽咲の首を絞めて、ぐりぐりする三葉。お前を殺して罪を償わせると悲壮な表情になった。

 

「……ふふっ」

 

 そんな二人の耳に可愛らしい笑い声が聞こえた。最初は信じられなくて、幻聴かと思ったほどだ。しかし車椅子の方を見れば、それは幻などでは無いと知る。

 

 渚が左手を口に当て、淡い笑みを……小さな笑顔の花が咲いていた。

 

「渚ちゃん……」

「渚……」

 

「ふふふ……三葉司令、大丈夫。陽咲は毎日優しいよ」

 

 それは凄く綺麗で、少し儚い。ひっそりと咲く小さな花だった。

 

「渚ちゃんが笑った……」

 

 呆然として、その後満面の笑顔となる陽咲が渚に抱きつく。頬を合わせて喜びを全身で表した。

 

「やっぱり私達は付き合ってて」

 

「付き合ってない、勝手に決めないで。あと、鬱陶しいから離れて」

 

「ええ⁉︎」

 

 

 

 レヴリもPLも消え去ってはいない。

 

 渚の身体も、心だって傷だらけのまま。

 

 それでも……何にも変えられない幸せを、笑顔を見た気がする三葉だった。

 

 

 

 

 

 



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異変

 

 

 

 

 

「おい、B-412だ。413、414、あと559も」

 

「なんだ?」

 

「画質を上げたか?」

 

「いや、そんな報告は聞いてないが……カメラの更新かもな。ちょっと待て」

 

 分厚いファイルを棚から引っ張り出して該当箇所を探す。各設備の不備、更新、その進捗を都度残していて、引き継ぎが行われる。其れを二度確認して答えた。

 

「B410から420までカメラの更新は二か月後だな。559は終わったが、もう半年前だ」

 

「じゃあ何であんなに鮮明なんだ?」

 

「分からんな。何か外的要因が……」

 

「どうする?」

 

「日報には書いておこう。遅番の連中に再度確認させて、変化が無ければ上に報告だな。大気とかの現象だったら笑い話だ」

 

 PL(ポリューションランド)の監視は非常に重要だ。

 

 人が生活する街とは離れているが、時にハグレが侵入して被害を齎す。大半はダチョウ擬き(もどき)や獣型のレヴリだが、一般人や女子供にとっては最悪の相手となるだろう。カテゴリによって多少の違いはあるが、全てのPLは監視されている。

 

 監視所には複数のモニターが配置され、二十四時間チェックされていた。ハグレの発見は数日に一回はあるため、気は全く抜けない。

 

 会話を交わした男達が見ているのは、PLに程近い破壊された街並みを映すカメラだ。真っ直ぐにPLを見ると暗い影しか見えないから、かなり高所から撮影している。異界汚染地から近い場所は撮影の画質が落ち、粗くなったり乱れたりするのだ。

 

 其れが記憶より鮮明に見えていて、違和感を持ったのが会話のきっかけだ。

 

 

 綺麗に映って悪いことなど無いから、実際に報告が上がるのは三日後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 定例の会議、一種の報告会が第三師団内の一室で行われていた。

 

「以上が本PLのハグレの侵入頻度と種類です。ご覧の通り、総数は減少に転じました。二年ぶりの事ですが、続いて欲しいものです」

 

「時系列にすると明らかだな。特にこの半年は顕著だ。何か想定出来ることは?」

 

「はっ。先ずはPL内駆除数の大幅な増加です。警備軍で把握していない死骸も相当数発見されており、自然死を除いても異常値が出ています。別紙のグラフを確認頂ければ分かりますが……ええ、色違いの部分です」

 

 第三師団司令の三葉(みつば)花奏(かなで)もペラリと書類を見た。半年前から少しずつ増えている。勿論驚かない。レヴリを殺して回った天使が活動を開始したのがその頃だからだ。そして、発見された死骸も一部でしかないだろう。

 

「この件に関しましては兵装科の情報部が詳しく調査しておりますので、割愛させて頂き……三葉司令、宜しいでしょうか?」

 

「ああ、構わない。そのまま続けてくれ」

 

「はっ! では次の要因ですが、昨日正式にカテゴリⅡと決まったスライムども、更にはカテゴリⅢの赤鬼、此れ等が雑魚を狩ったのも大きいと考えております。ご存知の通り、奴等は一種の食物連鎖の関係を築いていますから」

 

 此れも知られた事実で、逆にそうでなければPL内のレヴリは増加して行く一方だ。奴等が共喰いするからこそ人はレヴリと拮抗していられる。当然野生動物も餌となっているが、其れも連鎖の中に組み込まれたのは間違いない。

 

「スライムも赤鬼も駆除済みです。減少が鈍化する可能性も考慮する必要があるでしょう」

 

 三葉はコクリと頷き、報告した士官へ労いの視線を送った。そして小柄な身体に似合わないズシリと響く声を届ける。

 

「ふむ、よく分かった。引き続きスライムへの警戒は怠るな。カテゴリⅢとなったが、それすらも暫定と考えろ。反転に転じ再び被害が増加するなら、周辺の街を捨てることも必要となる。だが逆に、減少の波を続ければ奪還の可能性も拡がるだろう。PLに堕ちたエリアは本来我等の土地。いつ迄も薄汚いレヴリに預けておけないからな」

 

「はっ!」

 

「では、最後の報告です。おい」

 

「は、はい! あ! すい、も、申し訳ありません!」

 

 ガタリと椅子が鳴り、足の当たった机が揺れた。

 

 初めての参加で酷く緊張している。それは誰の目にも明らかで、周りの者は自身の過去を思い出して内心悶絶した。皆が通る道とは言え、思い出したく無い過去だ。

 

「PLでは勘弁してくれよ? レヴリが集まってくるからな」

 

 緊張を研ぎ解すため、隣に居た先輩が茶化す。大きな音を冷やかしたのだ。それを知った全員が笑い、場の空気は柔らかくなった。

 

「は、はい! そ、それでは報告致します! モニターをご覧下さい」

 

 話すうちに落ち着いたのか、耳馴染みの良い声に変わる。モニターには静止画が左右に分かれていて、以前以後と説明の文字が記されている様だ。

 

「PLの東側、撮影された監視カメラの画像です。少し分かりにくいと思いますが、画質が向上した様に見えると思います。特にコチラ……この横倒しの自販機などが分かり易いかと」

 

 その自販機は横になり、割れ錆びている。誰もが知る有名な企業のロゴがはっきりと見えた。以前ではボヤけているからだ。

 

「二度確認しましたが、カメラの更新やソフトウェアなども変わっていません。つまり、変化があったのは」

 

「PL……異界汚染地か」

 

「はっ。恐らくレヴリの減少だけでなく、PLそのものも小さくなったと考えられます」

 

「おお……!」

「朗報かもな」

「現地調査を直ぐに行おう」

「素晴らしい」

 

 明るいニュースに殆どが喜びの声を上げた。幾人かは天使、つまり(なぎさ)の働きを知っているため、それが良い影響を与えたのだと感謝を贈る。

 

 PLに近い程に電子機器は悪影響を受ける事は周知の事実。画像が綺麗になったなら、即ち影響下から遠のいたと判断出来るからだ。奪還への希望すら見えて、会議は良い意味で紛糾した。調査部隊の編成、他のPLの再確認、今後の作戦への影響などだ。三葉は黙っていて、あちこちで会話が途切れない。そして奪還に関する具体案が出始めたとき、一人の男が立ち上がった。

 

「お待ち下さい」

 

 突然の声に室内がシンとなった。普段余り師団内に居ない人間のため、多少の忌避感もある。立ち上がった姿勢のまま三葉へと視線を向けた。

 

「発言の許可をお願いします、三葉司令」

 

「ああ、許可しよう」

 

 三葉も同じことを考えていたから渡に船だった。彼は色々な意味で有名な為、殆どの者が眉を顰めたようだ。因みに、当の本人は気にもしていない。

 

「ありがとうございます。第三師団の皆様、兵装科の花畑(はなばたけ)多九郎(たくろう)です。まず、監視所による詳細で迅速な報告に情報官として感謝致します。その上で、PLの縮小が齎す危険を皆様にお伝えさせて下さい。非常に稀な上に未だ証明はされておりません。そもそも事例は一つだけですので。世界にある[カテゴリⅠ]は四箇所。この日本にはありがたい事に存在しませんが……」

 

「花畑、時間も有限だ。端的に頼む」

 

「はっ! 欧州に発現した二番目の[カテゴリⅠ]ですが、Ⅳから変貌する際に、PLが縮小したと言う証言が有ります。未だに結論は出ておらず、残念ながら情報も少ない。しかし、万が一を想定すべきかと。その為、奪還よりも再度の詳細な調査を進言致します」

 

「具体的には?」

 

「カテゴリⅡ相当の部隊を出すべきかと。異能者も第一師団に応援を求めましょう」

 

「カテゴリⅡだと……何を馬鹿な事を。カテゴリⅡ相当の部隊に飽き足らず、第一に応援を求めるなど論外だ。ましてや全ては仮の話。調査した結果、カテゴリⅢどころかⅤでしたとなれば笑い草だろう」

 

 直ぐに何人かの者が反論をする。それを眺めていた三葉も口を開き、何時もの様に両手を組み顎を乗せた。

 

「ふむ、一理ある。花畑、どうだ?」

 

「はて、笑い草の何が悪いのか。我等は日本の平穏の為に存在している組織。安全を確かめに行くだけです。何より万が一を許さないのが三葉司令の、第三師団の団是では?」

 

 直ぐに反論が来る。

 

「詭弁だ。正論が全てを覆すとでも? 理想論ならば他でやれ」

 

 だが、花畑は動じない。

 

「では、兵装科から正式に申請します。第一師団へは僕から連絡を。それなら、例え違っても笑われるのは兵装科で第三師団ではないでしょう」

 

「そ、それはそうだが……」

 

 これで反論は潰えた。そして、三葉は結論へと導いて行く。

 

「赤鬼、そしてスライム。カテゴリⅤには不似合いなレヴリが連続で発生。そして直ぐPLが縮小か……考えてみれば、偶然と楽観視して良いか微妙だな」

 

「は、おっしゃる通りです」

 

 三葉は言いながらも別の事を思い浮かべていた。

 

 それは渚の存在だ。あの娘はマーザリグ帝国とか言う非道な国のある異世界から帰って来た。いや、カエリースタトスの言葉を借りるなら逆召喚か。世界を渡る事象が起きたのは約半年前。そして新たなレヴリの発生はその後に起き始めた。全てが繋がっている可能性を捨てる事は出来ない。

 

「花畑の話を鵜呑みには出来ないが、無視も愚かな話だろう。先ずはPLの縮小を確定させろ。同時に奪還、調査、両方の部隊の編成表を私に。第一と下話はしておく。最悪の場合、境界線を大きく後退させる……いや、緊急避難も視野に入れた案も作れ」

 

「「「はっ‼︎」」」

 

 司令としての命令が出た。一人残らず緊張感を持ち、同時に使命感すら浮かぶ。

 

 こんな時、小さな身体の三葉へ大きな尊敬の念が湧くのだ。その決断力と導く力は自身に無いのだから……花畑はそんな風に思った。

 

「三葉司令、この後宜しいでしょうか? 一点些細なお願いが」

 

「分かった、お前は残れ。では解散!」

 

 

 

 

 

 

 



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変わり行く世界

 

 

 解散を宣言し、参加していた全員が退室する。第三師団司令と兵装科特務技術情報士官を除いて。

 

 三葉(みつば)花畑(はなばたけ)は向かい合ったまま動かず、小さく息を吐いて力が抜けたようだ。

 

「察しはつくが……言ってみろ」

 

「無論天使、(なぎさ)ちゃんの事です。PLを調査するのに彼女ほど最適な人間はいないでしょう。負傷による戦闘が出来なくとも、何より異能です。隊の安全性も担保されますし、負担も大幅に軽減されますから」

 

「ああ、その通りだ」

 

「問題は(あかなし)さんが居ない事ですが、広義に見れば守る事に繋がります。その辺りを説得の材料にすれば……」

 

 特例を除き、通常新人はカテゴリⅤしか潜れない。だからこそ花畑は手を考えるべきだと進言する。該当のPLは最近カテゴリⅢに改定された。

 

「お前にとっては一つ残念な報せが……いや、当然知っているか」

 

「はあ。何でしょう」

 

「そもそもあの子は正式な軍属じゃない。警備軍で管理云々はその場凌ぎの適当な嘘だ。分かってる癖にどうやって軍に従わせるつもりなんだお前は」

 

「其処は杠さんに上手いこと頼んで」

 

「アイツはもっと役に立たん。もう病気だ、陽咲(ひさ)は」

 

 恋の病は陽咲を蝕んでいるのだ。しかし、渚に笑顔を浮かばせる力は侮れないから無下にも出来ない。将来的にとんでもない効果を齎すだろう。魔力の存在が判明しただけでも計り知れない恩恵なのだから。

 

 其れを知る三葉は花畑に冗談染みた答えを返したのだろう。

 

「マジ、ですか……」

 

 ガックリした花畑の背中に哀愁が漂っていた。

 

「渚に煙たがられてもお構い無しだからな……あそこまで嵌るとは、私も見通せなかったよ」

 

 千里眼(クレヤボヤンス)にも見抜けないのが人の心なのだ。無論陽咲が特殊である可能性もある。

 

「しかし司令も当然お考えでしょうが、異界汚染地(いかいおせんち)が所謂魔力の影響下にあるならば……渚ちゃんの異能により全てを明らかに出来る。もしかしたら、新たなる警備軍の強化に繋がる事も……」

 

「ああ、だからだよ。イヤラシイ考えなのは自覚しているが、渚の力は想定を大きく超えていた。流石異世界産の異能と言うべきか……陽咲が寄り添ってあの子の心を開く事が出来たとき、何かが変わるだろう」

 

「ならば尚更……」

 

「言うな、花畑。勿論分かっているさ。だが……カエリースタトスを渚に返す事が正しいのか、そこが問題だろう。それに、身体は未だ癒えていない」

 

「其れは、確かに……」

 

 その通りだと花畑も思ったのか、肩から力が抜ける。あの真っ黒な銃が持つ精神性は決して良いものでは無い。同時に、許可なく預かり続けて良いのか、それすら答えはないのだ。

 

「全てを伝え、渚が応えてくれるなら……私から話そう。だが、もしあの娘に何かあったら、私達は地獄の業火に焼かれても償い切れないな」

 

「そう、ですね」

 

「もう行け。お前はお前の役目を果たせ」

 

「はっ」

 

 花畑を見送ると、三葉も立ち上がり自室へと帰って行った。結局女の子に頼らなければならない自分を情け無く思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 念動(サイコキネシス)を使い、廊下や曲がり角を凄まじい速度で駆け抜けた。シャワー室の扉を遠方から先に開く。やはり念動による結果だ。歩きながら装備類を外して行き、シャワーの前に着いた時には下着姿になっている。脱ぎ捨てたモノはフワフワと宙に浮かび、予め置いてある籠にポテポテと落ちた。

 

 其れを確認すらせず、陽咲はブラとパンツを脱ぎ捨て、一気にシャワーを浴びる。汗に濡れた身体に温いお湯が伝わって疲れも少しだけ流れて行った。

 

「汗臭いなんて思われたら死ねる。手抜きは禁止」

 

 誰も居ないシャワー室で独り言を呟きながらボディーソープを泡立て……目にも留まらぬ凄まじい速度だ。鍛えている以上なかなか引き締まった身体は短時間で泡に包まれた。

 

 実は少し自慢の胸、ちょっと気に入らない大きめのお尻、太ももだってもっと痩せた方がいい。渚ちゃんなんてどこもかしこも細いから、見られたら恥ずかしいな……

 

 そんな事を思い浮かべたから、一度だけ見た渚の裸体が瞼の裏に映った。あれだけ素早く動いていた両手が止まる。

 

「……へ、変なこと考えちゃ駄目」

 

 でも渚は消えてくれない。

 

 夕方で逆光でもあったから鮮明に見た訳では無い。それでも、全く隠したりしなかったから、小さくて細い全てが記憶に残っている。刻まれた意味不明な痛々しい文字、火傷や切り傷も……顔だけ綺麗なのは、その様に命令されていたと後から聞いた。だからこそ、両腕は傷だらけだったけど……いつか、心から笑ってくれるかな……そんな独り言は心内に響く。

 

「ううん、私が救い出すんだ。そう決めたんだから」

 

 言葉にしたら、止まっていた両手は動き出してくれた。オリーブベージュに染めたショートボブを洗い終えると、此処に持って来るのを忘れたバスタオルを念動で運ぶ。いつの間にか効果範囲が広がっていたが、陽咲は気にもしていない。頭に浮かぶのは一人だけ。

 

 適当に肌のお手入れをして、髪を乾かして、薄くてもメイクだけは手抜き出来ない。此れから会う愛しい人は誰が見ても美人さんで、視力は計り知れないのだ。

 

「よし、OK!」

 

 再び念動を発動すると、シャワー室は無人へと戻っていった。

 

 

 

 

 

「渚ちゃん、起きてるー?」

 

 前髪と服装を整えると、陽咲はノックもせずスライド扉を開く。広がった視界には大好きな少女と白い部屋。カーテンが揺れているのは窓が開け放たれているからだろう。サイドテーブルにお茶の紙容器がちょこんと立っていた。

 

 ベッドの上で上半身を起こしていた渚は、読んでいた本から顔を上げて陽咲を見返す。表情に変化は無い。

 

「陽咲」

 

「うん、私」

 

 軍の医師である越野(こしの)多恵子(たえこ)の手により、渚の身体は少しずつだが変化している。マーザリグの屑に刻まれた異界の文字や、戦闘による傷などだ。全てを消し去る事は不可能だし負担も大きい。しかし、越野曰く渚がまだ若い事が幸いし、経過は順調らしい。

 

 だから陽咲は嬉しくて一日も欠かさず病室を訪れている。いや、渚の状態に関わらず日参しているだろう。惚れた弱み、それとも強みか。

 

「昨日も言ったけど、毎日来なくてもいい。陽咲だって訓練とか大変でしょう」

 

 その渚の言葉にニコニコ顔で陽咲は返す。堂々と。

 

「私が来たくて来てるの。早く好きになって欲しいし、渚ちゃんの声を聞いたら疲れなんて飛んでっちゃう」

 

「……そう」

 

 余りに明け透けな好意を向けられた渚は、微妙な反応しか出来ない。それどころか、突き放す筈だった二人きりの時間は、目の前の彼女を奮い立たせてしまったらしい。この病室で全てを曝け出した夕方、溢れた涙の雫は陽咲を強くした。

 

「お風呂はまだ入れないんだよね? 汗とか気持ち悪いだろうし拭いてあげ……」

 

「さっき終わったから大丈夫」

 

「え? な、なんで」

 

 渚の異能に予知(プレコグニション)は無いが、陽咲の台詞は読めていたから既に潰している。

 

「何で陽咲が驚くの? 看護師でも無いのに」

 

 ガクリと顔を伏せた陽咲。

 

「だって、早く近くに行きたいし」

 

「今も隣に居る」

 

「物理的な距離じゃなくて!」

 

「物理的な距離も近過ぎ。少し離れて」

 

「ええ⁉︎」

 

 

 その時、三人目の声が部屋に響いた。

 

「……貴女達、惚気も大概にしなさいよ? 此処は病院なんだから」

 

 惚気と言われて嬉しそうな陽咲。ウンザリ顔の渚。此方を見た二人の女の子を視界に入れながら三葉は病室に入る。

 

 廊下まで響いていたし、ノックも無視されたのだ。勿論渚は気付いていただろう。グイグイくる三葉の姪を叱って欲しい一心だった。

 

「三葉司令、ちゃんと手綱を握っていて」

 

「訓練も手は抜いて無いと報告が来ているわ。プライベートは陽咲の自由だし、任務に影響が無いなら二人の問題ね。但し、他人に迷惑を掛けない様にして」

 

 残念ながら味方では無く、其れを知った渚は口を噤んで溜息を吐いた。

 

「叔母さん、それでどうしたの?」

 

「なに? 邪魔かしら?」

 

「そ、そんな事ないよ!」

 

 折角の二人きりなのに。そんな内心はあっさりと叔母に伝わる。そもそも隠し事は苦手な上に、相手は千里眼(クレヤボヤンス)の三葉だ。そう思い当たった陽咲は強い視線から逃れるべく、大好きな渚を見たりした。

 

「犯罪は駄目よ、陽咲」

 

「……馬鹿な事言わないで」

 

 ついさっき、少女の柔肌を拭きたいと言った事実は存在しないらしい。

 

「まあアンタも居るなら丁度いい。渚、頼みたい事があるの」

 

「なに?」

 

「貴女達が入ったPL、スライム共が現れたところだけど、調査に入りたいと考えてる。同行して貰えないかしら?」

 

 前置きすら無く、突然の話に陽咲は思わず反論する。

 

「ちょっ……渚ちゃんは入院中よ⁉︎ それなのに」

 

「勿論分かってる。情けない限り……でも、その力に縋りたい。嫌な予感がするのよ」

 

「嫌な予感? 叔母さんがそんなこと言うなんて……」

 

 予感なんて言葉は三葉に似合わない。予知の異能すら否定している程だからだ。

 

「説明するわ」

 

 少しだけ俯くと、黙ったままの渚に全てを伝えていった。

 

 カテゴリの変更、新たな調査部隊の編成、スライムなどのレヴリの発生、そしてPLの縮小。何よりも[魔力]の存在。渚の持つ異能に頼りたいと。

 

 最後まで黙って聞いていた渚は、視線をそのままに返す。

 

「三葉司令も行くの?」

 

「ええ。私の異能も少しは役に立つ。異変が有るなら実際に見る必要があるの」

 

「そう……」

 

「渚ちゃん?」

 

 長い睫毛を纏う瞼が閉じた。そしてゆっくりと開く。

 

「協力する」

 

 三葉は千春の叔母。渚にとって護るべき対象なのかもしれない。

 

「……ありがとう」

 

 黙って聞いていた陽咲は、我慢出来なくて声を上げた。

 

「ちょっと、叔母さんも渚ちゃんも分かってるの? まだ怪我だって治ってないし、まともに歩けないのよ? 何かあったら……」

 

「陽咲」

 

「な、なに?」

 

「勿論貴女も同行よ? 渚を負担なく移動させるには念動(サイコキネシス)が一番だから。あの日、連れ帰ったでしょう」

 

 大怪我を負い、意識すら無かった渚を運んだのは陽咲の念動だった。優しく包み込む様に、小さな身体を街まで……次々と新たな力に目覚めて行く陽咲は、今や世界でも稀な念動の使い手になりつつある。

 

「其れはそうだけど……」

 

「渚にはお願いだけど、これは命令よ。貴女は渚を丁寧にPLへ連れて行く。そして」

 

「そして?」

 

「必ず、()()の」

 

 三葉の短い言葉を耳にした時、陽咲は身体中に沸き立つ熱を感じた。それはお腹の底から迫り上がり、喉を通って吐き出される。誓いの声となって。

 

「はい! 必ず!」

 

 

 

 

 

 



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魔力の渦

 

 

 

 (なぎさ)を守るーーー

 

 陽咲(ひさ)自身で決めた事だが、三葉(みつば)が言葉にしたとき、何か不思議な高揚感を覚えた。まるで世界に認められ、自分の存在意義を確信した様な、そんな不思議な感覚だ。そして其れは嫌な事じゃない。

 

「誓う、絶対。どんな時も、嫌だって言っても」

 

 陽咲の無意識な念動(サイコキネシス)が働き、渚は自分の身体が優しく包まれた感触を覚えた。渚の異能であってもその力を見ることは出来ない。それでも、其処に恐怖は感じないのだ。何故か恥ずかしく感じて、言葉が溢れる。

 

「……陽咲、離して」

 

 漸く自身の念動が動いているのに気付き、慌てて解除する。

 

「あっ! ご、ごめん。痛かった?」

 

「大丈夫」

 

 ホッとする陽咲と、複雑な心境を綺麗な顔に映す渚を視界に収めながら、三葉も口を開いた。

 

「何だか暑いわ」

 

 態とらしく、パタパタと手で顔を扇ぐ。ジト目を姪に送りながら。陽咲が居るとシリアスが続かないなと思ったりしている。

 

「え? そうかな? 窓は開いてるけど」

 

 天然な返しを受ければ、これ以上冷やかす気も失せるのだ。

 

「渚、もう一つ話があるの。先に同行の了解を取っていながら卑怯なのは承知よ」

 

「気にしないで」

 

 千春の叔母。血の繋がり。その人柄を知れば、強く感じる。だから渚は彼女の願いを叶えると決めていた。そんな心の中を知らない三葉は、優しい娘ねと笑顔を浮かべる。陽咲と同じ様に、必ず護ると決意しているなど想像もしていなかった。

 

「カエリースタトス。貴女は此処に来て今まで一度もカエリーを返してと言わなかったわ。様子を聞く事も、勝手に触らないでと怒りを露にする事もない。何故なの?」

 

「別に……戦場でないから、一緒に居る理由もない。話したなら分かるだろうけど、融通の効かない面倒な奴。余り真面目に話さない方がいい、カエリーとは」

 

「そう、なの」

 

 三葉は心から安心して、身体の力を抜いた。あの真っ黒な銃が渚の自由を奪っているのではと心配していたからだ。カエリーに良心の呵責は存在せず、出来るなら二度と返却などしたく無かった。しかし同時に、渚が持てば常識外の力を発揮する。

 

 渚とカエリースタトス。

 

 二人は主と従者。そう言う事なのだろう。

 

「どうして?」

 

「ん、カエリーは……あの銃を渚の傍に置きたくないなって。アレの所為で無理矢理戦わせられるなんて、許せないでしょう? PLに誘いながら矛盾だらけで笑うしかないけれど」

 

「……そんな心配は要らない。カエリーにそんな力は無いし、望むなら好きなだけ調べていい。アイツが何て言おうと、私の命令だと伝えて」

 

「ふふ、りょーかい。出発は明後日の朝よ。準備しておいて。カエリーはその時でいい?」

 

 渚はコクリと首を縦に振った。

 

「陽咲、手伝ってあげて」

 

「はい!勿論!」

 

「でも、着替えとかは禁止よ。手を出しそうで不安だし」

 

「ええ⁉︎」

 

 叔母さん、酷いよ……そんな分かり易い顔色を見て、指摘は正しかったと三葉は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

「渚ちゃん、怖くない?」

 

「大丈夫」

 

 渚は警備軍と同じ灰色した迷彩服に包まれていた。決して着こなせてはいない。小さな身体に合う装備は軍内に一つとして無く、袖や裾を折り畳んでいるのがその証拠だ。全体的にブカブカで、細い少女らしい線も隠されていた。

 

 そして、まるで揺り籠に抱かれた様に、ユラユラフラフラと()に浮いている。

 

 まだギブスも取れていないし、手術後の縫合の治癒も未だ途中だ。スライムの体内に突っ込んだ右手は指先まで白い包帯が巻かれていて、カエリースタトスはナイフ形態のまま腰のベルトに挟んである。

 

 念動(サイコキネシス)の力によって、渚は()()されているのだ。最初の頃は姿勢が整わず身動ぎを繰り返していた。結局は両膝を抱える様に丸くなるのが楽と知り、それ以降はずっとそうしている。因みに、陽咲はその可愛らしい体勢に内心悶絶していたりするが。

 

 すぐそばに居る陽咲が行使する異能は、物理的な影響を世界に与える。渚は其れに身を任せてゆっくりと前に進んでいた。高さは陽咲の視線に合うよう、調整されているようだ。

 

「違和感とか有ったら教えてね? まだ余り経験ないから」

 

「分かった」

 

 そんな二人を眺める三葉は、色々と驚きに襲われていた。

 

 念動は非常に希少で強力な異能だ。

 

 世界を見渡しても数は少なく、教師となる者は師団に居ない。いや、陽咲より遥かに弱い力ならば存在する。しかし教えを説く事は不可能だろう。そして今、行使している念動は訓練に良く使われる物体移動。一見単純だが、対象物を破壊せずに運ぶのは困難なのだ。人は生卵を割らずに持ち上げる事が出来るが、念動では簡単ではない。

 

 しかも人体を運びながら前に進む。崩壊した街中、PLへと変貌した此処では尚のこと難しい。整備された道など何処にもないのだから。

 

「もっとゆっくりと思ってたけど、此れは嬉しい誤算ね。秘めていた才能がいよいよ開花して来た……渚の存在が陽咲を強くした訳か」

 

 強く、速く、激しい。そんな風に異能を操るのは比較的容易だ。意志の力は激情に宿り易い。逆に優しく、ゆっくりで、そして穏やかな意志は戦闘と相反する。それをいとも簡単に……我が姪ながらと感嘆していた。

 

「確かに可愛らしい渚だけど、ベタ惚れの域を超えてるのが不安の種。困ったヤツ」

 

 苦笑を浮かべた台詞が僅かに届いたのか、陽咲が振り向き疑問をぶつけて来る。

 

「司令、何か言われました?」

 

「いや、気にするな」

 

「あ、はい」

 

 何か聞こえたんだけどなぁ。そんな風に首を傾げる陽咲から視線を外し、速度を上げて宙に浮く渚の横に並んだ。

 

「渚、どうだ? 何か気付いた事はあるか?」

 

「今のところは別に……一時の方向にレヴリ、距離は約二キロ。横切る様に歩いてる」

 

「おい」

 

「はっ!」

 

 渚が見つけたレヴリと遭遇しないよう中隊が動く。たったそれだけで、カテゴリⅢとなったPLで只の一度も隊はレヴリに出逢わない。其れが如何にとんでも無い事か、当の本人は涼やかな瞳のままだ。陽咲が氷に例えた美貌は決して崩れたりしなかった。

 

「陽咲、反動を抑えて」

 

「OK」

 

歪め(ディストー)

 

 更に呟くと、カエリースタトスが銃形態に変化し、数秒後には二時の方向へ魔弾を発射。本人以外誰にも見えないが、何処かに居るレヴリをまた駆除したのだろう。そして誇る事も無く、三葉へと話を続けた。

 

「敢えて言うなら数が少ない。今のはスライムだけど群れじゃないし。それくらいかな」

 

「……そうか」

 

 普通に聞けばこんな喜ばしい事は無い。PLの縮小は確定し、徘徊するレヴリすら減少したのだ。なのに、三葉の嫌な予感は消えたりしない。何かが有ると心が囁く。

 

「よし、このまま調査を続行する! 中心部へ入るぞ!」

 

「「「はっ!」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

『マスター、撤退を。間違いありません』

 

 ーーー分かってる。

 

『貴女は走る事も出来ないのです。まだ時間は十分に有るでしょうが、早い方が良い』

 

 ーーーでも、何故()()()()()が? 此処は()()()()()()()()じゃないのに。

 

『不明です。何にしても近付くのは危険と判断します。至急の撤退を……』

 

 ーーーそれしか無い、か。

 

 

 

「三葉司令」

 

「ん? なんだ? 中心部は未だ遠いが、今夜は早めに夜営に入って……」

 

「急いで離れよう。此処から」

 

 今まで余り緊張感を感じなかった渚だったが、遥か先を睨む瞳は兵士の色を纏っている。其れを確認した三葉も、隣で渚の横顔をチラチラ見ていた陽咲も其れが分かった。

 

「中隊、止まれ」

 

「はっ」

 

 命令は即座に実行され、行軍も物音すらも止まる。だから、渚と三葉の会話がかなりの隊員達に届くのだろう。

 

「何があった? 渚」

 

 前から視線を動かす事も無く、そのまま渚は返す。

 

「まだ随分先だけど、多分拙いと思う」

 

「随分先……」

 

 そろそろ夕闇に包まれそうな風景に一見の変化は見えない。レヴリとの遭遇も無かった事から何処か長閑な感覚すら覚える景色だ。しかし、渚には別の世界が見えるのか。

 

「魔力渦……かなり大きい」

 

魔力渦(まりょくか)? 何だ其れは?」

 

 その疑問に、渚は漸く視線を合わせた。

 

「魔力の(うず)。こっちの世界だから、全く同じじゃないかもしれないけど……魔力が一点に収束する現象を指す。PLが縮まったのはきっとアレが原因だと思う」

 

「何だと? 魔力の収束……縮小の原因か」

 

「マーザリグ帝国の在る世界なら珍しくも無い。でも、還って来てからは初めて見る。危険性は不明だけど」

 

「ふむ……」

 

 三葉は右手を顎に当ててゆっくりと擦る。よくする仕草だ。

 

「渚、もし此処がマーザリグ帝国の戦場ならば何を想定するんだ? 参考に教えてくれ」

 

「別に特別な事じゃないけど……魔力を集めて放つだけ。広範囲を殲滅したり、強固な城壁を破壊する時に感じる。強大な魔法を放つ前兆、其れが魔力渦」

 

「やはりな。ならば当然に妨害などの方法もあるはずだろう」

 

「勿論ある。でも私には無理。カエリーから聞いたと思うけど魔力が足りない。同じレベルの魔法をぶつけるか、行使者を殺せば消えるけど……あんなのを操る奴は、当たり前に魔力障壁を張ってるからカエリーじゃ突破出来ないよ」

 

「分かった。一つだけ聞かせて欲しい。その行使者は見えるのか?」

 

「ううん、不思議だけど行使者は存在しない。目立つから見逃さないし、何度も経験があるから。発見して報告、撹乱と妨害。マーザリグでの私の主な任務だった」

 

 カエリースタトスから聞いた渚は、絶えず単独行動だったらしい。敵陣深く一人で潜り込む恐怖は如何程だっただろう。いや、もしかした死ぬ事を望んでいたのかもしれない。地獄すら生温いマーザリグ帝国の呪縛からの解放は、死が運ぶのだから……そんな事を三葉は思ったが、それを言及しなかった。

 

「つまり、PLが産み出す現象だな。人為的なものじゃない」

 

「そうだと思う。収束も酷く不安定で遅い」

 

「時間は?」

 

「多分、まだ数日は」

 

「よし、どれくらいの距離を取る必要があるか判断出来るのか?」

 

「うん、出来る」

 

「分かった。皆、聞いたな? 直ぐに後退する! その上で監視班を置くぞ、準備しろ!」

 

 指示を出しながら、三葉は姉妹の元から離れて行った。

 

 

 

 

 そして数日後。

 

 渚の予言通り、カテゴリⅢだったPLは爆散し一度消滅する。しかし朗報では無い。何故ならば、そのあと直ぐに大量のレヴリが発生したからーーー

 

 [out of control]

 

 [stampede]

 

 つまり、

 

 暴走だ。

 

 

 

 

 

 

 




第五章終わりです


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終章
赴く者達


 

 

 

 

 カテゴリⅢに変貌した異界汚染地(ポリューションランド)、通称PLは既に消えた。音も光も無かったが、そう判断出来たのは予測して配置されていた監視班からの報告だ。何より、凡ゆる光学機器や通信網が稼働を始めたからだろう。

 

 第三師団の司令、三葉(みつば)花奏(かなで)の元には鮮明な衛星写真と情報が集まって来ている。レヴリ自体は黒い点にしかカメラに映らないが、大量に発生した奴等は組織だった動きを見せていない。しかし、それも時間の問題なのは明らかだ。奴等の周囲に()は無く、腹を空かせた化け物どもは止まりはしない。

 

 仮初でも、平和だった街はまた一つ消え行くのか。再びPLへと堕ちるのは時間の問題と誰もが確信していた。

 

 それでも……人は足掻く。

 

 それしか出来ない。

 

 国家警備軍は諦めたりしないからだ。

 

 

 

 

 

 

「第一は?」

 

「直ぐに応援部隊を回すと。到着は明日です」

 

「よし、ならば東西を任せよう。とにかく住民の避難が終わるまで防衛ラインを越えさえしなければ良い。誘導は予定通りだな?」

 

「はっ。目視による観測では単純なレヴリが大多数を占めます。獣型、鬼、そしてスライム。どれも最近発生した奴等ばかりなので、対応も可能でしょう。誘導先は第三師団の総力を上げて防衛すれば支えられると判断しております」

 

「ああ。対地ミサイルの初撃が間に合えば良いが……PLの拡大速度は計算出来たか?」

 

「情報部より報告が先程。レヴリの群れがPLの闇に包まれるまで約三時間となっています。奴等が想定より早く動き出せば更に遅れる。ジレンマですな」

 

「ならばダメージの大小は気にしなくて良い。直ぐに出せ」

 

「はっ」

 

 空からの攻撃はPLが拡大する前しか出来ない。たとえ効果が限定的であろうとも、やらないよりは良いのだろう。

 

 三葉の指令は次々と伝達され、第三師団は活発に動き出していた。これも(なぎさ)の異能による迅速な発見があったからこそだ。[魔力渦(まりょくか)]と呼ばれる魔力爆発はしっかりと観測され、同時に近隣の街からの避難も進んでいる。此れは過去に例の無いスピードで、一般市民への被害をゼロにする可能性すらあった。

 

「総数は約七千。其処から増加は見られません。幸いと言って良いか……」

 

 数への慄きが何処かから溢れる。しかし三葉は淡々と返すだけだ。

 

「ああ。エネルギーが尽きたんだろう。つまり魔力の収束と放出に使用された。遠藤(えんどう)(なぎさ)からの情報も裏付けている」

 

天使(エンジェル)ですね。正に救いの神子ですな」

 

「そうだな。だが同時に警告もあった。爆散した魔力は消滅した訳では無い。形を変え残っていて、再利用する技術も存在するそうだ。つまり、第二第三の魔力の渦が発生する未来を想定すべき。皆、分かっているな?」

 

 その厳しい指摘にも、司令部内の全員は驚いていない。既に渚の功績と能力は周知されていて、誰一人として疑っていないからだ。何より三葉が全幅の信頼を置いている相手、其れが天使なのだから。

 

「異能者の配置は?」

「後詰を……」

「救護所の整備を厳に……」

「避難誘導に遅れが……」

「観測班に後退命令を……」

 

 レヴリの大群との決戦はすぐだろう。

 

 誰一人として絶望は浮かべていない。必ず勝つと信じ、いや確信していた。暴走は長いレヴリとの戦いで何度か起きたが、これ程に万端な準備を終えた軍は存在しない。其れが全員の活力と士気を育み、好循環を生んでいるのだ。

 

「やれる」

 

 三葉は各所と連絡を取り始めた部下達を見て、そう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 自室に戻り、すぐにコーヒーを用意した。ミルクはいつも通りだが、何となく角砂糖は二つ。軽く掻き混ぜると、カップを持ち窓へと向かう。もはやルーチンに近い行動だが、その間も頭の回転は止まっていなかった。

 

 この後、追加の指示を出したら着替えて前線に赴く。決戦と言っていい此の戦いで、悠長に後方で待つ気持ちなど三葉には存在しない。戦闘そのものは出来なくとも、異能を駆使して広域への命令を発するのだ。

 

 厳しい戦いになるのは明らかでも、最善の手を尽くす。それが警備軍の、第三師団の役目だ。

 

 予定を次々と脳内に書き込んでいると、司令官室の扉がノックされた。予定には無い。普通ならば事前に知らされているから不測の事態だろう。或いは、軍下の者でないか、だ。

 

「入れ」

 

 だが、予想はしていた。だからこそ時間を少しだけ作り自室に戻ったのだ。

 

 そして、開け放たれた扉の向こう側に小さな人影が見えた。不慣れな車椅子を頑張って操作して来たのだろう。ほんの少しだけ疲れは見えたが、変わらぬ無表情はそのままだった。

 

「三葉司令、いい?」

 

「どうぞ。一人?」

 

「うん」

 

 車椅子に乗る可愛らしい少女はゆっくりと近づいて来た。介助しても良かったが、渚が其れを望まないのは理解している。姪である(あかなし)陽咲(ひさ)以外、触れ合う事は厳禁だ。

 

「少しは慣れた?」

 

「まあまあ。でも経過は順調だって聞いてる」

 

「ああ、越野(こしの)からも少し聞いてる」

 

 主治医である越野(こしの)多恵子(たえこ)から詳細な報告を受けているが、態々話す必要はないと笑顔で済ませた。

 

 改めて三葉は渚を観察する。

 

 黒髪は陽咲が世話しているので艶を取り戻している。ストレートポニーテールは変わらないが、それでも印象は随分と明るくなった。目の下の隈は薄くなっていないのが残念で、睡眠障害だけは簡単に解決出来ないのだろう。それでも、冬や氷の精霊の如く……包帯はまるで降り積もる雪のようで、やはりフワフワの白いパジャマも同じだ。

 

 少しキツめの視線も三葉からした可愛らしいし、細い顎や首のラインだって綺麗だ。

 

「……どうしたの?」

 

 少し長く見続けてしまったのか、渚が怪訝な顔をする。それすらも、美しい。

 

「ふふ、何でもないわ。さて、用事は何かしら」

 

 三葉は想像が付いている。それでも聞いた。

 

「武器を返して欲しくて」

 

「カエリースタトスはいつでも返すわよ? 私が預かってるだけだし。でもその前に少し話をしましょう」

 

「なに?」

 

「あの黒い銃に宿る人工精霊から色々と聞いたの。渚は遊撃隊の、更に遊軍扱いで、所謂前線には行かなかったって。その小さな身体の通りに体力は低くて、長時間に渡る戦闘は苦手。何より大軍同士の戦争になれば、貴女の異能は余り役に立たない。乱戦だと狙撃もままならないだろうし、この前とは状況が違い過ぎるわ」

 

「……だから?」

 

 渚の視線は益々鋭くなったが、三葉は構わず続けた。

 

「分かってる癖に。それでも戦う気?」

 

「戦うとか戦わないとか、関係ない。私は陽咲を護る。その為だけに生きてる」

 

「哀しい事を言わないで欲しいわね。私の知っている千春(ちはる)なら、絶対にそんな渚を許さない。きっと酷く怒って、それでも優しく頭を叩くでしょう。それとも、私が知ってる千春とは違うのかしら?」

 

「……一緒。マーザリグでも何度か叩かれたから」

 

「そっか……千春は、賢くて強かった。そんな姉だから陽咲も憧れたのよ。もし渚に何かあったら、私が千春に怒られちゃう。勘弁して欲しいわね」

 

 渚は俯き、それでも止まらない。それも、三葉の想定通りだった。

 

「あの人は私にとっての全て。もし此処にいたら、直ぐに走り出して陽咲を護るよ。それとも、三葉司令の姪は、私が知ってる千春と違うの?」

 

 そっくりそのままに渚は返した。そこには揺るぎない決意があって、何があっても戦場に向かうだろう。ジッと視線を合わせ、渚は逸らさない。

 

「ハァ……貴女達姉妹はホントに頑固ねぇ……困ったものだわ」

 

 天井を仰ぎ、腰に両手を当てて三葉は笑う。

 

「仕方ない。私の指揮に従うのよ? それと先に越野の所に行きましょう。痛み止めとか要るし」

 

「分かった」

 

「押してあげる。ロックを解除して」

 

「うん」

 

 車輪止めを外し、再び三葉を見る渚はやはり少女に見えた。

 

 

 

 

 

 

 

「越野、居る?」

 

「なんだ、三葉司令」

 

「あら居たの? てっきり野戦病院の設営にでも向かったと思ってたわ」

 

「くだらん嫌味なら明後日にしろ。設営ならば既に済ませてある。私もこれから向かう所だよ。餓鬼みたいな第三師団司令様と一緒にな」

 

「あん?」

 

「そんなとこが餓鬼なんだ、お前は」

 

「けっ」

 

 変わらずヨレヨレの白衣を纏った越野は、車椅子に乗る渚に体を向けた。医療従事者であろうとも、警備軍兵士と変わらぬ厳しい視線だ。レヴリに対するだけが戦いでは無い。人の命と向き合う、此処は戦場なのだろう。

 

「渚、お前には安静にするよう伝えた筈だが?」

 

「見ての通り、してる。詳しくは三葉司令の話を聞いて」

 

「生意気な奴だ、お前は。綺麗な顔なだけに、益々腹が立つ」

 

「それは悪かった」

 

 言葉以外全く悪びれない渚に、ため息しか出ない。

 

「越野、()()()()()()だけど、頼めるかしら?」

 

「ふん、つまり渚は戦場に行くと? 主治医として許可出来んな」

 

「この場合、私の命令が絶対よ。今は一級戦時体制だから」

 

「レヴリを殺す(やる)のに、子供の力に頼るのか?」

 

「まあ私も越野曰く"餓鬼"だから、よく分からないわね」

 

 越野はふんと鼻息荒く離席すると、少し大きめの注射器を持って戻って来た。既に液体が入っていて、先に準備していたのだろう。

 

「三葉司令。確認するが、この()()()()()()()でいいんだな? かなり強いから()()()()()()()()が」

 

「ええ、勿論よ。私が責任を取る」

 

「いいだろう」

 

 

 

 

 



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愛のカタチ

 

 

 

 

 袖を捲り、白い肌が灯りに照らされる。元から細いから少し骨張って見えた。点滴を繰り返していた為に内出血の跡も残っていて痛々しく、マーザリグでの日々を思い起こさせるキズも多いことで悲哀を誘う。

 

 筋肉らしい肉付きも無く、稀代の狙撃手とは誰も信じられないだろう。

 

 アルコール消毒を行い、チラリと越野(こしの)は患者を見る。その手に有る注射器は大きく見えた。

 

(なぎさ)、触るぞ。かなり痛いからな」

 

「早くして」

 

 斜めから細い針をブスリと刺す。

 

「違和感や痺れはあるか?」

 

「ない」

 

 越野は慣れた手つきでフィンガーフランジに指を添え、押し子にゆっくりと力を入れた。バレル内にある透明な液体が渚の体内へと入っていく。処置が終わると、ガーゼを当ててテープで止めた。そして素早く手を離す。渚に触れる時間は短い方が良いからだ。

 

「完全に効くまで……十五分というところだ。三葉司令、準備は?」

 

「バッチリよ。既に待機させてる」

 

「まあ過保護な爺様だ。心配は要らんだろう」

 

 この越野の台詞に渚は腰を上げようとした。何故か唇は思う様に動かず、力を入れた両手も酷く重い。そして、意識すらも同じ様に……

 

「な、なに、を……三葉……」

 

「貴女は頭が良いから理解してるでしょう? 今の注射は痛み止めなんかじゃない。簡単に言うと強い睡眠導入剤ね。暫く眠ってしまうけど……御免なさいね」

 

 狭まっていく視界の中で哀しそうな三葉が見えた。

 

「この戦いに連れて行かない。此れは司令としての判断で、同時に陽咲も賛成したわ。貴女は十分に貢献してくれたし、本来こんな戦争に子供は必要ないの。その力を頼りにして、散々利用した私が言うと説得力はないけれど」

 

 三葉も勿論分かっている。渚が居れば戦いの幅は広がり、もしかしたら戦況に影響すら与えるかもしれない。しかし、()()()を覚えてしまったら大人は、そして警備軍は堕落するのだ。子供であろうと勝つためなら何をしても良いと。軍が一枚板では無い以上、第三師団以外が渚を強奪する可能性すらある。三葉の目の黒い内は良いが、全てに目配りなど出来ない。

 

 天使の情報は第三師団内に留めているが、今回は第一も加わる。何より、心も体も削りながら渚は戦ってきた。きっと、もう休んでいい頃だ。

 

「だ、だめ……や、めて」

 

「大丈夫。渚のお陰で準備は出来たし、必ず勝てる。帰ったら叱ってくれていいわ。頭を優しく叩いて、ね」

 

「カ、カエリ、リー……何処に、答え、なさ、い」

 

 それも予想済みの三葉は首を横に振る。

 

「此処には無いわ。カエリースタトスは遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)に預けたから、後で受け取ってね。中には陽咲からの手紙もあるから読んであげてよ? 流石の私も赤面する内容だけど」

 

「陽、咲……」

 

 そして、渚の意識は闇へと落ちていった。

 

 

 グタリと車椅子に寄り掛かった渚を担架に移すと、先程まで冷たかった越野すら愛おしそうに髪を撫でる。そして大人の罪深さを呪いながら呟いた。

 

「此れで良かったのか……本当に」

 

「皆で決めた事よ。隊の者も、土谷(つちや)や他の異能者も、吃驚することに花畑(はなばたけ)までね。この子がもっと大きくなって、自分の将来をしっかりと考える様になったら……遠藤の爺様なら、悪い様にしないでしょう」

 

「しかし、誰が渚を癒すんだ? 三葉も、杠陽咲まで消えたら、この子は……」

 

「ちょっと、不吉な事を言わないでくれる? 戦力も計算してるし、第三は脆弱な部隊じゃないわ。渚が目を覚ます頃には勝敗も決している筈よ。まあ見てなさい」

 

 子供の様に幼い容姿と、低い身長で背伸びを精一杯して曰う。それが益々子供染みて見えるのを三葉は理解してないのだろうか? これでもかと背中を反って胸を張る第三師団司令に笑いが込み上げる。

 

「分かった分かった。全く……」

 

「撫でるな!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 眠った渚を見送った翌日、編成済みの警備軍へ合流した。誰もが適度な緊張と誇りを胸に時を待っているのだ。人と国を守る、気高い兵士達に気負いはない。

 

 幾つかの隊への訓示を終えて、三葉は異能者の集まりに近寄る。土谷を筆頭に、見事な整列を見せていた。揃って背筋を固め敬礼を行う。軽く返礼すると、そのまま皆へと語り掛けた。

 

「我が第三師団に挑まんとするレヴリが大勢いるらしい。今か今かと首を長く、いや首もないスライムも居るか」

 

 此処でクスリと笑いが起きた。そして直ぐに表情は戻る。

 

「奴等は不幸にも私達の前に現れた。可哀想だが、やる事は決まっているな。警備軍がレヴリを見たら、どうする?」

 

「「「駆除します‼︎」」」

 

「よし! 異能者の馬鹿どもよ、我が第三師団の力を見せてやれ!」

 

「「「おう!」」」

 

 細かい作戦は既に伝わっている。後は戦う迄に士気を高め、それぞれの役目を果たすだけだ。一人一人に目を合わせ、三葉はしっかりと頷いた。

 

「司令の御命令だ! 全員走れ!」

 

「「「はっ!」」」

 

 散り散りに兵は去って行く。残ったのは陽咲だけだった。彼女だけ配置が通達されて無かったからだ。しかし誰もが疑問を持たず、目配せすらして走って行った。

 

 この瞬間だけ、二人は叔母と姪に戻る。

 

「どうだった?」

 

「陽咲の言う通り、一緒に来たかったみたい。カエリーを返してって」

 

「そっか……じゃあ」

 

「眠らせたわ。越野の話だと二日は目が覚めないらしい」

 

「三葉叔母さん、ありがとう」

 

「みんなで決めた事よ。でも、分かってる?」

 

 言葉足りなくとも、二人には関係ない。ずっと長いあいだ過ごして来たのだから。

 

「帰ったら怒ってるだろうなぁ……一緒に謝ろうね?」

 

「アンタの名前をしっかりと出してあげたから、安心しなさい」

 

「ちょっ! 何してるの叔母さん!」

 

「あの恥ずかしい手紙、渚が読むのを想像すると笑える」

 

「は? え? よ、読んだの? うそでしょ」

 

「司令としての権限よ。情報漏洩なんて許せないから、戦時は凡ゆる書類に目を通すの」

 

「最低! いくら何でも酷いよ!」

 

「無事に帰ったら……抱き締めてぇ、キスしてぇ、それからそれから」

 

「や、やめてよ‼︎」

 

 真っ赤になった姪を眺める至福を味わいながら、同時に千春を想った。貴女の妹は随分強くなったわ、と。

 

 遂には両手で顔を覆い、ブツブツと意味不明な何かを喋り出したので、決めていた言葉を伝える。

 

「渚が目を覚ますまでに帰りましょう。手紙じゃなく言葉で伝えなさい。あの子は陽咲に心を許してる、保証するわ。だから、きっと願いは叶う。手紙は火にでも焚べて(くべて)しまいなさいな」

 

 指の隙間から三葉を見ながら、ボソリと聞く。

 

「ホント?」

 

「ええ。キスくらいきっと大丈夫よ」

 

 多分。まあ言わないけれど。

 

「……よし」

 

「犯罪はダメよ」

 

「……分かってる」

 

 嘘つけ。此れも言わない。きっとタイミングじゃないから。

 

「さて、念動(サイコキネシス)の杠陽咲」

 

「は、はい!」

 

「お前は第二陣に組み込む。しかし同時に第一陣への物資の搬入、及び負傷者の搬送は随時行え。そして、レヴリどもの概要が掴めたら出番だ。鍛え上げた力、奴等に見せつけろ」

 

「はい!」

 

「死ぬなよ?」

 

「勿論です!」

 

「行け」

 

「はっ!」

 

 去って行った愛する姪に、聞こえなくとも、もう一度呟いた。

 

「頼む、生きて帰って来てくれ」

 

 離れて待機してくれていた補佐達に振り返ると、三葉は司令の顔に変わる。その時、警備軍直下の近接航空支援攻撃機が頭上を通り過ぎて行った。暫くすると空対地ミサイルが発射され、彼方ながらも爆裂が見える。

 

 PLの拡大速度は急激に増加し、此れが最後の支援となるだろう。現在ですら命中率も大きく下がり、殆ど当てずっぽうに近い。それでも、一匹でも駆除出来たならそれでいい。そもそも近づき過ぎれば墜落するだけだ。誘導型の武装は無用の長物へと成り下がる。

 

「どうだ?」

 

「僥倖です。約二割は削れたかと」

 

「ほう、それは望外の成果だ。よくやったと伝えてくれ」

 

「はっ」

 

 パイロット達も、世界有数の異能者である三葉からの労いを受ければ嬉しいだろう。

 

「誘い込みも順調だな」

 

「いよいよ我等の出番ですな。原始的で、荒々しい戦いこそがレヴリを屠るに相応しい」

 

「ああ。よし、避難状況を再度確認してくれ。一般市民はたったの一人も残す訳にいかん。此処は間も無く戦場になる」

 

「はい。おい、最終確認だ」

 

 伝令が走る。そう、伝令だ。無線も衛星電話も、勿論スマートフォンも、凡ゆる通信機器は断絶する。其れがレヴリどもの生きる世界、PLだ。

 

 PLの存在は戦争のカタチを変えてしまった。分かり易く言えば、古代の戦いと同じだ。剣や盾、弓矢は流石に使わないが……銃、ナイフ、爆薬、異能などが人の武器となる。

 

「確認が終えたら戦車隊を少し下げろ。拡大速度に合わせないと動けなくなるぞ」

 

「しかし、ただでさえ低い命中率が……まだ一斉射だけでもした方が良くは無いですか?」

 

「ダメだ。脚の速い連中が混ざってる。退避が間に合わなくては次が無い。暴走が、魔力渦(まりょくか)が一度とは限らんと言った筈だ」

 

「はっ。確かにそうでした」

 

 国家警備軍が現在採用している90式PL戦車改は、かなり簡易な構造となっている。出来るだけ電子制御を廃してPL用に換装したものだ。しかしそれでも異界、いや魔力に包まれたなら完全に止まってしまう。だが幾つかが判明した事で、次世代には更なる純化が図られるだろう。しかし、今回の戦いには間に合わない。

 

 渚自身は気にもしていないだろうが、ある意味で世界に革命を齎したことになる。魔力を解明し、レヴリの全てを駆逐した時、渚は英雄の一人として名を連ねるかもしれない。

 

「渚の……千春への愛と誓いが世界を救う。いや、救ってみせないと」

 

 三葉の独り言は誰にも聞こえなかったが、それは紛れも無い本心だった。

 

 

 

 



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抗う日

 

 

 

 轟音、地響きと少しの衝撃波。

 

 其れが今か今かと待っている兵士達へと届いた。其れは開戦の合図で、同時にレヴリへ肉薄するとこを意味している。戦車が放つ滑空砲が着弾すると、レヴリは左右に広がり此方へと迫って来た。

 

「通信途絶! PL影響下に入りました!」

 

 予想はされていたが、それでも早い。(なぎさ)とカエリースタトスにより明かされた魔力が周囲を包んだのだろう。

 

「あと一日だ! 住民の避難完了までこのラインを死守する! 我等が退けば無垢の人々が、子供が死ぬぞ!」

 

「足の遅い鬼は牽制だけでいい。先ずはダチョウ擬きと犬どもだ! いいな!」

 

「「「おう!」」」

 

「異能は出来るだけ温存しろ。スライムが見えるまでは突出しないよう確認を。赤鬼は皆で掛かる。陣形を崩すなよ!」

 

 各隊は念を押すように声を掛け合い、同時に士気を最高潮へと高めていく。アドレナリンが恐怖を抑えて本能が前へと、太古より受け継ぐ野生が蘇った。

 

「行けえーーー‼︎」

 

 

 

 

 

 

 

「始まった……」

 

 後方に控える念動(サイコキネシス)(あかなし)陽咲(ひさ)は、前に飛び出したい気持ちをグッと抑えていた。レヴリを駆除したいと言うより、自身の力で仲間達を守れるのではと思うからだ。

 

「結局……念動防壁は無理だけど」

 

 日々進化を続ける陽咲の異能だが、防壁は未だ完成しない。だが、コンクリートや転がっている車両の残骸などを運んで壁を作る事は出来る。地面を陥没させて奴等を穴に落とす事だって……そんな風に思いながら、不思議と恐怖は無い。

 

 渚の涙、一度だけ見た笑顔の花、愛する人。

 

 守るべき者が居る時、誰もが戦うのだろう。

 

「杠」

 

越野(こしの)先生⁉︎ こんな前まで来たら駄目ですよ!」

 

 声を掛けて来たのは医療班のトップ、越野(こしの)多恵子(たえこ)だった。何時もの白衣ではなく、全身を真っ白な衣服に包んでいた。

 

「直ぐに下がるさ。そろそろ負傷者が運ばれて来るだろうが、キミの念動には期待している。出来るだけ迅速に後方へと運ぶんだ」

 

「はい。其れは三葉(みつば)司令からも聞いていますから」

 

「そうだな。だがその前にもう一度確認だ」

 

「……分かってます」

 

「いや、誰もが理解など出来ない。いいか、運ぶ者をお前は決して判断するな。必ず我等の指示に従え。あの黒い銃の様に感情を消して機械になるんだ」

 

 トリアージはそもそも戦争で生まれた概念だが、未だ答えなど無い非常に難しい問題だ。命の取捨選択など、それこそ神しか出来ないだろう。目の前に血を流し助けてくれと叫ぶ人が居たら、冷静でおれる人は少ない。

 

「は、はい」

 

「嘆きや涙、後悔するのも帰ってからだ。お前は優秀な異能者だが、戦争では個人の感情が邪魔になる。何より、杠にとっての本番は此処じゃない。時が来たら……抑えた感情を異能に注ぎ、奴等に叩き付けろ」

 

 数々の死をその瞳に映して来た越野の言葉には、兵士にも無い重みがあった。だから、陽咲は深く頷く。

 

「私が投与した薬に必死で抗い、眠りにつくまで戦場に来ようとしていた。渚は意識を失う前、呟いたよ。"陽咲"と」

 

「……そうですか」

 

「では、また後で」

 

 渚の言葉を態々伝えに来てくれたのだろう。酷く冷たい印象のある越野だが、奥底には誰にも負けない慈愛があるのだと気付かされる。

 

 再び前を向いた陽咲は、自分の役割に徹すると誓う。三葉の命令を忠実に守り、一つの歯車となるのだ。其れが正しいと今なら分かる。哀しみを抱く最高の狙撃手からも教わった。戦士には向いていないと。

 

「出来る事をしよう。ね、渚ちゃん」

 

 呟いた陽咲の視線の先で、最初の負傷者が運び込まれた。脚と腕から出血が見える。恐らく獣型のレヴリに噛み付かれたのだろう。赤い液体が溢れるのが分かった。

 

「よし」

 

 そして、念動へと力を注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 

「第一師団より返答がありました! レヴリは少数。十分に支えられると」

 

「問題ないな。まあ第一なら律儀に防衛ラインから動かないだろう。公務員の鏡だ」

 

 堅物揃いの第一を思い浮かべて三葉は笑う。司令官以下、何処までもルールに準ずる連中と有名で、ある意味第三師団とは対極に位置する者達だ。だが、強固な信念と訓練の積み重ねは時に見事な結果を齎すもの。三葉は僅かたりとも驚かず、表情すら変化はしなかった。

 

「赤鬼が接近! 間も無く第一のラインに届きます!」

 

「スライムは? 報告はまだか?」

 

 焦った声の報告だったが、やはり三葉に動揺は無い。

 

「まだです!」

 

「ふむ」

 

 慣れた手付きで、顎を摩った。考え事をするとき無意識にやっている。

 

「奴等は見た目に反して頭が良かった。あの大群の中には居ない。まあ斥候程度なら紛れているかもしれんが……そうなると」

 

 視線を上げて全体を俯瞰する様に()()。本来の千里眼(クレヤボヤンス)が持つ異能を使った。つまり、遠視だ。

 

「ふん、やはりな」

 

 渚やスライムに使ったマーキングは三葉の持つ力の一つでしかない。予知(プレコグニション)すら内包すると謳われる第三師団司令の小さな身体から、明確な指示が飛んだ。

 

「予定通りだ。東側放水路跡の部隊に伝えろ。間も無く粘液の川が通るとな。ついでだ、土谷(つちや)にも遠慮は要らんと言え」

 

「はっ!」

 

 来るとしたら其処だと確信していた。例え違っても群れの横っ面に突っ込ませる予定で待機させていたが、発火能力(パイロキネシス)の餌食だろう。左右をコンクリートの壁に覆われた放水路跡は、火炎の力を集中出来る。国内最高峰の土谷に焼き尽くされるか、逃げるなら()()のところ。つまり合流する。

 

「杠陽咲にも合わせて伝えるんだ。予定通り、そろそろだとな」

 

「はっ!」

 

 炎から逃れた先には、今や土谷にすら並び立つ念動の使い手が待つのだ。赤鬼も厄介だが、スライム共こそが最も手強い相手。正面から戦う気など三葉には最初から無かった。これで部分的な挟み撃ちが完成する。

 

「第二陣は私の合図で押し返せ。殲滅するぞ」

 

 これで勝てる。

 

 司令の言葉に皆が安堵したが、其れを許さないのも矢張り第三師団のトップだった。

 

「気を抜くな。あれ以降レヴリが増えてないのは予兆かもしれん。スライムも思ったほど数が見えないのも気になる。魔力渦は複数、そう考えて動け」

 

 張り詰めた糸は切れず、皆は再び動け出す。

 

 其れを確認すると、遠視を続けた。僅かな異変も見逃す訳にはいかない。三葉は自身にも発破を掛けた。

 

 すると東側から真っ赤な柱が立つ。それは同時に放水路を炎の川に変え、腹に響く音を響かせながら逆流して行った。

 

「相変わらずふざけた威力だ。遮蔽物の無いところでは土谷の独壇場だな。見ろ、スライムどもが逃げ出したぞ」

 

 普通ならば見え難い奴等だろうが、炎に追われて擬態する余裕がないのが分かる。恐らく統率者が死んで、混乱しているのだ。其れを狙わない土谷では無い。だから、渚でなくとも視界に捉える事が出来た。その逃亡先は間違いなく赤鬼達のところだ。

 

「だが、残念だったな」

 

 地震が起きたと誰もが錯覚する。其れ程の揺れが周囲を襲った。だが誰一人として驚いたりしていない。地面に大きく亀裂が走り、面白い様にスライム達が落ちて行く。続いて手榴弾と弾薬の雨が降り、まるで花火だ。

 

「効果範囲が随分と広がった。精度も申し分ない」

 

 小さな背中と、オリーブベージュに染めたショートボブを見れば誰の力か明らかだろう。陽咲の念動は開いた亀裂を再び戻す。サンドイッチの具材には余りに汚いが。あれでは生き残りが居たとしても、上がって来れない。

 

 土谷との連携も為されていて、まるでベルトコンベアの様に次々とゼリーが流れる。それに弾丸で味付けした後、地面でパックすれば完成だ。まあ誰も買わないだろうが。

 

「よし! 第二陣出せ!」

 

 まるでスタートラインに立つ陸上選手の様に、三葉の合図で全員が走り出した。土谷、陽咲と連続して合流すると、最も大きなレヴリへと向かう。

 

 初めてカテゴリⅢの赤いレヴリと遭遇した時、陽咲の力は全く歯が立たなかった。しかし今はどうだろう、一撃でとは言わないが効果的な攻撃を加えている。

 

 寄せ集めた瓦礫をグルグルと頭上で回している様だ。十分な回転速度に達すると射出。それは凄まじいエネルギーをレヴリに与え、質量も相まって結構なダメージだろう。遠くからでも怯んだのが見えた。

 

「予定を早めるぞ。歩兵は順次後退させろ。第二陣の異能者と入れ替わる様にと。混戦を減らして土谷達を間に入れるんだ」

 

「はっ!」

 

 伝令が走る。更には信号弾も。予定された作戦の為、警備軍は見事に動き始めた。もし頭上から見る事が出来たなら、一つの生命に見えただろう。

 

 其れを理解した陽咲は念動の運用を変更する。今迄は大ダメージを狙うか、出来るならば駆除を優先して来た。しかし今度は小さく、鋭く、正確な行使だ。

 

 追い縋る赤鬼の膝辺りに小型の重量物をぶつけ、時には走り回るレヴリの足元を小さく陥没させる。たったそれだけで、面白い様に奴等は転び倒れた。勿論すぐに起き上がるが、そのタイムラグこそが重要なのだから。

 

「巧い……」

 

 其れを見た土谷は思わず感嘆の声を上げた。小さな力だからか連発も、命中精度も格段に向上している。これこそが念動なのかと唸るしかない。当然良い意味でだ。

 

 暫くすると自分の目の前が広がって見えた。隊員達が後退し、視界が開けたからだ。これなら全力の異能を吐き出せる。

 

「でも、今はまだ負けてられないな!」

 

 近い将来、杠陽咲こそが国内最高峰の異能者へと至るだろう。今ですら有数なのだから。

 

 それでも、今日はその時ではない。

 

 混乱するレヴリ達は発火能力の赤い焔に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 



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終わらぬ戦い

 

 

 

 

 僅か二十四時間。

 

 此れが暴走を開始したレヴリ達を駆除した時間だ。

 

 総数は七千匹を数えたが、十分な準備を終えていた第三師団には敵わなかった。

 

 初撃の空対地ミサイルと戦車による砲弾だけで、約三割を削った。過去に起きた暴走では、有り得ない成果だ。事前に察知さえすれば、如何なレヴリと言えどもひとたまりもない。通常警備軍は体制を整えるだけでも難しい場合が多いが、其れは迫り来るレヴリの群れを見て初めて気付くからだ。

 

 しかし、今回は違った。

 

 予め時間と場所が判明しており、待ち構えるだけだったのだ。

 

 更には異能者の存在が大きい。

 

 多くの異能は矢張り効果的で、高位の連中に至っては劇的な戦果を上げる事になる。まだ集計も終わっていないが、もしかしたら記録に残るかもしれない。発火能力(パイロキネシス)土谷(つちや)天馬(てんま)、そして念動(サイコキネシス)(あかなし)陽咲(ひさ)はその筆頭だ。

 

三葉(みつば)司令。此れは歴史に残る圧勝です。第三師団発足以来初めての事でしょう」

 

「皆のおかげだ」

 

 三葉達司令部の者達は、戦場だったところまで来て周りを見渡していた。

 

 膨大なレヴリの死骸、まだ消えていない炎、あちこちに転がる瓦礫の山は念動の結果だろう。スライムなどの生き残りが居ないか、全員が一列に並びゆっくりと前に進んで行く。討ち漏らしがあったら合図が送られて、異能者が駆け付けた。暫くすると発砲音や異能が放つ轟音が鳴り響く。そしてまた少しずつ前へと進むのだ。

 

「負傷者の収容は?」

 

「既に九割が完了しております。重傷者は既に此処から離れました。念動の威力、汎用性、しかも負傷者の運搬までこなすとは……希少であるのも当然かもしれませんな」

 

 誰もが三葉の姪と知っているとはいえ、其れを理由にお世辞を言った訳ではない。歴然たる事実だからだ。それ程の戦果と軍への貢献だった。間違いなく勲章ものだろう。

 

「ああ、戦略の幅も広がるな。攻防一体の異能は珍しいが、専用の部隊編成も考えるのもありか」

 

 今も次々とアイデアが浮かんで来る。早い方が良い……そう思った三葉は指示を出した。何故か、少しだけ嫌そうだ。

 

「兵装科の花畑(はなばたけ)多九郎(たくろう)を此処へ呼べ。奴の事だ、どうせ近くに来てるから直ぐに見つかる筈だ。私の許可があると知れば飛んで来るだろう」

 

「はっ」

 

 実際目にしながら話した方が早い。悔しいが、奴の頭を利用しない手はないのだ。やっぱりムカつくが。

 

「陽咲の成長は凄まじい。司令としては嬉しい誤算だが、叔母として喜んで良いものか……」

 

 有能は異能者は幾らでも欲しい。使えるならば使うのが当然だが、同時に危険も増すのだ。ジレンマは何時もの事であっても目を逸らすなど出来ない。

 

「三葉司令!」

 

「ん? 早いな、花畑。貴様何処に居たんだ?」

 

 背後から聞き慣れた声が聞こえて三葉は振り返った。兵装科の変人ではあるが、流石に戦場には入らない。幾らなんでも到着が早過ぎて不思議に思い、しかも汗を垂らし走り寄って来たならば尚更だ。その表情は焦りに染まり、掲げた手には一枚の紙切れがある。

 

「ハァハァ……三葉司令、此れを」

 

 膝に手をつき、紙切れを渡して来る。少し汗に湿って気持ち悪いが、三葉は気にせず受け取った。花畑は色々と問題がある男だが、職務には忠実で有能でもある。その彼が真剣に渡して来た報せが無意味である訳が無かった。

 

「……此れは」

 

 三葉の視線が厳しさを増す。

 

 それはカラーコピー用の艶々したA4サイズの紙だった。質感は写真に近い。しかしそんな事が三葉の意識を奪ったのでは当然ない。

 

「どの辺りだ?」

 

「ハァ……高度は約3000メートル。撮影したのは丁度第一師団が展開している東側の監視所です」

 

 息を整えた花畑はそれでも少し苦しそうに答えた。

 

 用紙の半分以上は真っ黒に染められている。PLを撮影したならば珍しい事もなく、問題は青い空の映った三分の一程度の範囲だ。魔力は地表だけでなく、当たり前に空中にも広がっていて、航空機やヘリが飛べない理由でもある。その魔力の広がりの縁、ボヤけた境目付近に()()()()

 

 そもそもかなり拡大した筈で、それ自体がボンヤリしている。パッと見は黒い十字架だろうか。その十字架が幾つも空に浮かんでいた。

 

「どう見る?」

 

「三葉司令と同じです。またしても……」

 

「新種か。スライムに続き」

 

「はい。しかも非常に拙い」

 

「ああ……」

 

 レヴリが現れて約三十年経過するが、凡ゆる全ては()()()()()奴等ばかりだった。此れは日本に限らず世界でも言える。スライムも、赤鬼も、獣型も、全てだ。

 

「飛行型のレヴリ。恐らく間違いありません。此処から肉眼では見えませんが、今も魔力渦の中心辺りの空を舞っているのでしょう。しかし、下に降りて来るのは確定です。上空に餌などないのですから」

 

「ちっ、次から次へと厄介な」

 

「では?」

 

「方角と高さを示せ」

 

「はっ」

 

 三葉の横に立つと、花畑は腕を真っ直ぐに上げて空を指した。身長の違いから花畑は殆ど跪いた状態だ。それを気にもせず、三葉は千里眼(クレヤボヤンス)を行使。視界は一気に拡大され、水色した空が映った。

 

「記録しろ」

 

 鋭い声に花畑はペンを持った。

 

「見た目は蝙蝠。しかし顔や腕は蜥蜴、爪は長く鋭い。皮膜が腕全体から体に張っていて、脚は短く感じるな。眼は縦に割れているから、益々爬虫類らしい。滑空しか不可能に見えるが、見事に飛行して、滞空も問題ない様だ。そうだな……飛ぶタイプの恐竜、そんなところが」

 

 スラスラと速記し、顔を上げた花畑は問う。

 

「プテラノドン、近いでしょうか?」

 

「古代の翼竜か? 全体は似ているが、頭部は鳥類に見えない。牙、鱗も見える。違うな」

 

「まるで空想小説に登場するワイバーンみたいですね、聞く感じ。弱点が有れば良いですが……」

 

「そのワイ何とかは知らんが、対処ならば思い浮かぶ。あの翼と皮膜、そして身体。恐らく飛び立つのは苦手か時間が掛かるだろう。つまり、一度地面に落とせば攻撃は容易くなる。反面上空に止まられては其れもままならん」

 

 成る程……花畑はそう呟く。

 

「……餌を取りに来る瞬間を狙うしかあるまい。幸い陽咲ならば打ち落とす事も可能だろう。鷲や鷹の様に鉤爪で掴みに来るならば、動きも止まる筈だ」

 

「やはり、それしかありませんか……大変な戦いになるでしょう」

 

 餌とはすなわち人だ。念動を守りつつ陽動を繰り返す。新たな戦略を練る時間も、避難先との距離からも打てる手は少なかった。

 

「遠距離から攻撃は?」

 

「勿論可能性はありますが、魔力の影響範囲から近すぎます。命中率も極端に下がり、成果は余り見込めません。PL外へ誘い出す事が出来れば別ですが……」

 

「其れは駄目だ。飛行体ならば他の街に辿り着いてしまう。被害が出るぞ」

 

 PLの外ならば戦闘機も攻撃ヘリも、全ての兵器が息を吹き返すのだ。しかし同時に、人の生活圏にレヴリが侵入することになり、一般市民への被害は避けられない。しかも……

 

「スライムの様に柔らかいとは限らないですね……一般的な銃火器が効かない場合、非常に大変だ」

 

 例えば赤鬼なりが街中に現れた場合、駆除までに相当な時間を要するだろう。それは明白だった。何より警備軍の存在意義に関わる。人や街をレヴリから守る、その為に在るのだから。

 

「避難先までは絶対に行かせない。何としても止めなければ」

 

「はい」

 

「お前は分析を急げ。それと、更なる避難の準備を始めるよう伝達。私の名前を使っていい」

 

「了解です」

 

 立ち去る花畑に決意の色が見えたが、三葉は言及しなかった。奴ならば持てる手を総動員してでも何とかするだろう。

 

 しかし……やはり簡単には終わらない。其れが答えだった。

 

「また消耗戦になる……」

 

 周囲に誰も居ない事を知り、溢した。

 

 全て順調だったのだ。レヴリの行動も予測範囲内で、兵や異能者の配置もハマった。陽咲の力は良い意味で裏切られたが、其れも嬉しいニュースだ。

 

 化け物との戦争である以上、一定の戦死者は止むを得ない。しかし圧勝と言っていい戦果だったし、一般市民の犠牲は無かったのだ。

 

 それなのに……

 

「また新種だと……?」

 

 しかも、空を飛ぶ。

 

「……皮膜を破り、地面に叩き落とすしかない。陽咲の力が要るな。効果範囲から考えて、より危険な場所に身を置く必要があるが……レヴリに殺される前に、私は(なぎさ)に撃たれて死ぬかもしれん」

 

 あの美しい(かんばせ)をつい思い浮かべたとき、三葉ははっきりと分かる怒りの表情へと変わる。足元に落ちていた石ころを掴み、魔力渦の中心へと放った。見た目通りの小さな身体で、人外の力など無いから直ぐ側に転がる。

 

「くそっくそっ、くそが!」

 

 誰にも聞こえない、汚い言葉が吐き出された。複雑な感情をコントロール出来ない、三葉には珍しい行動だ。

 

 そう、考えてしまったのだ。あの小さな狙撃手を、レヴリなどモノともしない救いの天使を。

 

 渚ならば、空を飛ぶデカイ蜥蜴なぞ的にしかならない。それは確信で、同時に自分へと唾棄する。偉そうに戦場から遠去けたのに、今は近くに居ればと願う自分の何と卑しい事か。だが予感がしてしまう。あの娘は全てを振り切って戦場に舞い戻る、と。

 

 きっとカエリースタトスは無感情に言うだろう。マスターにとって、あの様な下等生物など相手になりません、と。

 

「くそが……」

 

 その呟きは、やはり誰にも届かなかった。

 

 

 

 

 

 



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芽吹いた想い

 

 

 薄く開いた瞼の向こう、淡い光が見える。

 

 はっきりしてきた視界には、見知らぬ天井と間接照明が有った。照明は明度を落としているのか大人しい灯だ。違和感を感じる腕には、最近慣れてしまった点滴の針が刺さっている。透明な液体が規則正しくポタリポタリと滴下するのが見えた。

 

「此処は……?」

 

 天井の装飾、高価そうな照明、鼻を擽る香りは花だろうか。(なぎさ)には全く覚えのない場所で、しかし心も身体も反応が鈍かった。

 

 ボンヤリして、フカフカのベッドは雲のよう。身体に柔らかく掛かる白いシーツも、サラサラした感触が気持ち良い。

 

 夢を見ているのか、しかしマーザリグの屑共は居ない。いつもの悪夢とは思えないから、渚は動かないままだった。

 

「お目覚めですか?」

 

 その時、カチャリと開いた扉の向こうから女性が現れた。直ぐに起きて距離を取ろうとした渚だったが、その女性は緩やかな声で制止する。

 

「貴女様に危害など加えません。私の顔に覚えは有りませんか? 以前お会いしました」

 

 整った眉を少しだけ歪めて渚は視線を合わせる。そしてすぐに思い付いた。見たものを忘れさせない異能に、反応があったからだ。

 

高尾(たかお)遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)の屋敷で案内役だった」

 

 三十代に見える高尾は、あの屋敷に初めて訪れた時の案内をした女性だった。雨の降る中、傘をさして石畳を歩いた情景が頭に浮かぶ。

 

「覚えて頂いて光栄です、渚()()()。薬がまだ残っていますが、もう少しで抜けるでしょう。今は横になってお休み下さい」

 

 遠藤家の使用人の一人で、複数の技能を持つ優秀な人間だ。ベッドの傍で点滴の滴下速度を変える手慣れた動きからも其れは窺える。看護師の資格も持つ高尾が言葉を続けた。

 

「此処は遠藤家が経営するホテル、その最上階の一室です。私以外には秘書の大恵(おおえ)さん、そして貴女の祖父である旦那様しかおりません。ですから安心して……」

 

「お嬢様? 何を言ってる」

 

 説明を遮り、渚は聞き捨てならない呼び方に言及する。

 

 年齢通りの可愛らしい疑問、整った眉がクニャリと曲がるのを見て高尾に笑顔が浮かんだ。初めて会った日はただ不気味に思ったが、今はどうだろう。美しい容貌はそのままに、儚く柔らかな空気が在る。大まかな説明は受けているから彼女が何者なのか知っていた。だが、其れがなくとも気持ちに変わりは無かった筈だ。

 

「お嬢様は遠藤家の者で御座いますから……旦那様の孫娘として、此れからはお仕え致します。何かあればお気軽にお申し付けください」

 

 ただ身分詐称の為だった筈が、随分と大袈裟になっている。渚は益々顔を歪めて口を開きかけた。

 

「渚お嬢様。もう決まった事です。何か口にしますか?」

 

 少しだけ考え、首を横に降る。

 

「カエリー……私の持ち物は? 預かってるって聞いた」

 

「私には何とも……旦那様がご存知と」

 

「話がしたい」

 

 右腕と左脚は未だ包帯に包まれている。それも無視して渚がベッドから降りようとすると、高尾が直ぐに止めた。

 

「お呼びしますから。そのまま動かないで下さい。意識が戻ったらお知らせする事になっています」

 

 本当ならば身体をベッドに押し付けただろうが、触れてはならないと厳命されている。

 

「……分かった。お願い」

 

「はい」

 

 大人しくベッドに留まったが、上半身を倒したりはしなかった。遠藤征士郎が来るまで待つつもりだろう。其れを確認した高尾は音を立てず、しかし早足でスイートルームを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カエリースタトスを返して」

 

 入室して来た遠藤に、渚は挨拶も無く迫る。

 

 しかし、全く動じない遠藤は、伴ってきた大恵が用意した椅子に腰掛けた。距離は約二メートル。会話するには少しだけ遠いが、孫娘の状態を考慮した位置だ。

 

「全く、若いのにせっかちだな。其れに、儂が素直に渡すと思っているのか?」

 

 洋風のスイートルームだが、変わらぬ和装の遠藤が返す。皮肉げな笑み、白髪と口髭、細い杖の全てが似合っていた。この男には、他の者には無い独特の空気感がある。

 

「私のモノ。渡すも何も無い」

 

「渚は儂の可愛い孫娘だからな。御転婆なところも良いが、言葉遣いから直していこう」

 

 飄々と答える老人を見て、渚の視線は厳しくなっていった。

 

「巫山戯ないで。早く」

 

「今いる此処は第三師団の戦場から随分と離れているぞ。距離にして……」

 

「約150kmです」

 

 遠藤の視線に大恵も淡々と返した。

 

「……アレから何日たった?」

 

「二日だ。其れに、三葉司令の話ならばそろそろ決着がついているだろう。渚のおかげで準備が整い、必ず勝てると笑っていたよ」

 

 渚の記憶にも哀しそうに笑う三葉がいる。だが、その遠藤の言葉に安心などしなかった。何故なら、この世界に帰還して何度も何度もPLへ潜って来たが、あの様な"魔力渦(まりょくか)"など一度たりとも見た事が無いからだ。マーザリグの世界でも度々起こる現象では無かったが、生み出す結果は想像を絶する破壊だった。アレが意思を持つ魔使いの行使で無いからと言って、其処に希望など感じない。

 

 そして、あの場所には千春の愛する妹、陽咲が居る。不安と焦りは感情の乏しい渚に影響を与え、其れは怒りへと変換されていった。

 

「依頼する」

 

「依頼?」

 

「決まってる。あの時契約した筈。貴方の話し相手になる代わりに、私の欲する情報を持って来るって。あの戦場が今どうなっているか、急いで」

 

「渚、落ち着きなさい。今は」

 

「早く!」

 

 先程まで可愛らしさを映していた瞳は、燃え盛る炎の様にギラギラと灯りを反射している。

 

「……大恵。儂の番号を使っていい。警備軍へ確認を取れ」

 

「はい、旦那様」

 

 遠藤征士郎の秘書、大恵は直ぐに踵を返して退室して行った。

 

「カエリーを返して」

 

「カエリースタトスは言っていたぞ。渚は冷徹な兵士、その不足した力を精神で補っていたと。だが今のキミはどうだ? 屋敷の茶室で見せた冷静さも、凄味も無い。ただ泣き喚く餓鬼だ」

 

「……煩い」

 

 唇を噛む孫娘を見た時、遠藤に去来したのは失望では無かった。表には出さないが、寧ろ希望と喜びだ。氷の精霊に例えられた美貌はそのままに、しかし年齢に合った感情を隠せていない。傷付き、悲しみ、怒りを溜めて此方を睨み付けている。

 

 きっと、変わったのだろう。

 

「変えたのは、杠陽咲か」

 

 ボソリと溢したが、それは無意識の発露だ。同時に確信もする。あの不器用で純粋な娘は、目の前の渚に恋しているらしい。今更人の恋路に興味など無いが、微笑ましく感じる。

 

 見れば、やはり落ち着かないのだろう。小さく体を揺らし、大恵が戻る筈のドアをチラチラと見ていた。思わずニヤリと笑ってしまい、それを目敏く見つけた渚がキッと睨む。

 

「何が可笑しい」

 

「ん? ああ、スマンスマン。そうだ、渚に手紙を預かっているぞ。杠陽咲からだ」

 

「見せて」

 

 殆ど被せる様に返答する孫娘は、奪い取る様に便箋を手に取った。三つ折りになっていて、無事な方の左手を器用に使い開く。瞳が上から下へと流れていき、それに合わせて眉間に皺が寄っていった。怒っていると言うより困惑の色が目立つのは不思議なところか。遠藤は興味が唆られたが、流石に他人からの手紙など見る訳にはいかないだろう。ましてや二人は若い娘達だ。

 

 暫く沈黙が続いて、大恵が戻って来た。

 

「旦那様、お耳を」

 

 唇の動きすら手で隠し、渚には会話の中身が分からない。

 

「……そうか」

 

「内緒話なんて要らない。早く教えて」

 

 丁寧に折り畳んだ手紙は、枕の下に隠された様だ。

 

「初戦は圧勝だった様だ。渚の予測通りにレヴリが現れたが、約二十四時間で駆除を終えた。此れは歴史的な記録と言っていいぞ」

 

「初戦?」

 

「そうだ。まだ戦端は開かれて無い様だが……正体不明のレヴリが観測されたらしい。つまり、スライムに次ぐ新種だろう。今は手を打つべく調査をしている」

 

「新種……以前、戦死率が跳ね上がるって」

 

「ああ。対処方法が用意されて無いし、PL内では兵器も限られてしまう。だが撤退は考えられないな。後方には人の街があり、背広組や国民も許しはしない。まさに、国家警備軍はその為に存在する組織だ。ましてや三葉司令は決して諦めたりしないだろう」

 

 小さな拳がギュッと握り締められたのが遠藤や大恵に見えた。だから、渚が紡ぐ言葉も予想出来たのだ。

 

「カエリースタトスを早く返して……お願いだから」

 

「お願い、か」

 

「何でも言う事を聞く。後から好きにしたらいい」

 

 若い娘が「何でも」などと簡単に口にして、遠藤は思わず注意したくなった。だが、今はその時ではないだろう。

 

「何故に愛する孫娘を危険な場所へ送り出すと思うんだ? この儂が」

 

「貴方は私を使える狙撃手だと思ってる。この国を、日本を愛している人だから興味を持った。レヴリを倒す力を求めているから、態々戸籍なんて用意して……」

 

「半分正解で、半分不正解だ。だから聞かせて欲しい。何故、(あかなし)陽咲(ひさ)を護りたいんだ?」

 

「それは……千春(ちはる)の」

 

「其れが理由か? ならば此処で大人しく寝ていなさい」

 

 ピシリと儚き小さな声を遮る。其処には、厳しく強く、決して退かない意思が見えた。渚は俯き、暫くの間沈黙が支配する。だが、次の言葉に孫娘の成長を見ることになる。遠藤は喜びと同時に悲しみを持った。

 

「陽咲は……」

 

「ああ」

 

「こんな私を好きって、昔の事も関係ないって言ってくれた。最近、悪夢を見る夜が減って、陽咲が触れてもただ温かいだけ……()()()()()()

 

「……そうか」

 

 万感の想いが去来する。僅かな時間しか共に過ごしていないが、渚は変わったのだと確信出来たから。

 

「大恵」

 

「はい」

 

 まるで全てが分かっていたかの様に、キビキビと動き出した。

 

「徒歩や車では時間が足りない。屋上にヘリを待機させてある。着替えは高尾が持って来るから準備しなさい」

 

「最初からそのつもりだったの?」

 

「ん? さあ、どうだろうな?」

 

 いつもの皮肉気な笑みが、老人の顔をグニャリと曲げた。

 

 

 

 

 

 

 



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空と地と

 

 

 

 

「何とか間に合ったか」

 

 三葉(みつば)の呟きが空へ溶ける。

 

 空から飛来する新種、レヴリにどこまで通用するのか分からない。

 

 それでも出来る事を突貫で塹壕を掘った。簡易的なものだが、何の準備も無く迎え撃つ訳にはいかないからだ。塹壕は本来砲弾や手榴弾の破片、飛び散る物から身を守る為に存在する。過去の世界大戦から運用が始まったが、現在は特定のレヴリを相手にする時に使う。

 

 当然だが、ただ掘っただけの穴など塹壕とは呼べない。鉄筋やコンクリート、煉瓦などで補強するのが一般的だ。砲弾なとが齎す振動で崩れては意味がないからだ。しかし、現在ではある意味で遥かに早く、そして強固に設営出来る。

 

 念動(サイコキネシス)は代表格で、発火能力(パイロキネシス)もそうだ。(あかなし)陽咲(ひさ)土谷(つちや)天馬(てんま)などの高位の異能者は例外だが、大半の者はこの様なタイミングで活躍する。更に言えば、訓練の一つとしての代表格でもある。念動で材料の運搬を補助、或いは調整。発火能力は鉄筋などを溶接。職人が行う様な繊細な精度など無いが、戦場での設営に求められない。速度こそが重要だ。

 

「ただ地面の上で待つ訳にはいきませんから。迷彩に効果が有れば良いですが……」

 

 兵士を潜ませ、飛竜の襲来に合わせて……いや、誘い込んででも攻撃する戦略となっている。遥か上空から降りて来るが、千里眼(クレヤボヤンス)三葉(みつば)花奏(かなで)がいる以上、見逃されない。

 

 出来るならもっと体制を整えたい。或いは撤退して、PL外から一斉射を行うのが正しい。しかし現在居る戦場は、つい最近までカテゴリⅤだった事が仇となっていた。安全性が担保されていたため人の住処まで距離が無かったのだ。犠牲を払おうとも、退くことなくこの戦場で駆除する……それが第三師団が出した答えだった。いや、それしか無いと言うのが結論だろう。

 

「矢張り何かあるのか? この短期間で新種が二度も現れるとは……通常ならば甚大な被害が出てもおかしくない」

 

 今やスライムは単体ならば脅威とは言えない。正体さえ掴めば手は浮かんだ。今回の暴走すらも快挙と言っていい勝利を得たのだ。それは天使が齎した救いだったが、皆で力を合わせた結果でもあるだろう。

 

「飛竜、か」

 

 新たなレヴリの名を暫定で決めた。いちいち空飛ぶ蜥蜴などと呼んではいられない。

 

「司令の見た姿から当然でしょう」

 

 側近の一人が聞き留めて返した。

 

「ふん。"カテゴリⅠ"でもあるまいし、竜などと大袈裟だな。飛蜥蜴でも良かっただろうに」

 

「飛蜥蜴は実在する生物ですから……東南アジア地域に生息し、胴の両側と肋骨に支えられた皮膜が……」

 

「ああ、分かった分かった。それより、避難先へ通達は?」

 

「はっ。夜間でもあり、更なる避難は今のところ困難と。次の受け入れ先も整っておらず、対応にも数日が必要です。残念ですが……」

 

「やはり足止めするしかないか。あんな新種に襲われたら、避難先は地獄と化すだろう。つまり、我等国家警備軍は退く事を許されない。分かっているな?」

 

「無論です。一匹でも撃ち落とせば、それだけで多くの命が救われる。それに、避難先には皆の家族がおりますから」

 

「そうだな……その通りだ」

 

 三葉は呟き、再び空を見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スライムに限らず、新種は知能が高いのかもしれない。

 

 飛竜の群れが少しずつ高度を下げ始め、千里眼で無かろうとも何とか肉眼で見える距離まで降りて来た。皆が緊張を高める中、たったの一匹だけが急降下をして来たのだ。滑空に近いソレは、予想を超えた速度だったが、三葉の視界から逃れる事は出来ない。しかし、驚いたのは速さでは無かった。

 

「斥候、か」

 

「司令! 間違いありません!」

 

「引きつけろ。逆手に取るんだ!」

 

 全員が上空を見上げる。飛竜は旋回を始めて地上を観察している様子だった。あと少し、あと少しで良いから下降すれば、銃弾も、何より異能の力が届く……願う様に呟いた時、三葉の目が見開いた。

 

 まるで不可視の腕に掴まれた様に、グイと下に引っ張られて姿勢が崩れる。見えない力、物理的影響、間違いない。アレ程の高度にすら届くのか……全員が無意識に唾を飲んだ。

 

「陽咲……!」

 

 飛竜を睨み付けているだろう姪の何と頼もしいことか、ものの数秒で斥候の飛竜は地を這う事になる。まるで足を掴まれ水中に引き込まれる、そんな風に地面に落ちた。

 

「みんな! 皮膜を撃って!」

 

 更に、陽咲は再び飛び立つ事を許さないと叫び声すら上げていた。もう新人の異能者などではない、一人の戦士が其処にいる。

 

 地面の上で踠き続ける飛竜だったが、這いつくばったまま立ち上がる事は不可能な様だ。

 

「早く! 長い間は無理!」

 

 念動に逆らう飛竜の力は想像を絶するのだろう。額に汗を浮かべ歯を食い縛る表情を見て、三葉も指示を出した。

 

「土谷! やれ!」

 

「はっ!」

 

 整った表情のまま集中する。直ぐに両翼辺りが赤く染まり、一気に輝くと爆発的に燃焼を始めた。空飛ぶ新種のレヴリはギーギーと喚き散らし、痛みに抗っている様だ。

 

「半円状、包囲!」

 

 同士討ちにならない様に位置取りを行うと、全員がライフルを構える。一糸乱れぬ動きに怖れは感じない。

 

「撃て!」

 

 至近距離から無数の銃弾に晒されて、飛竜は更に呻き声を上げた。しかしその声も銃声と火炎の起こす音に打ち消されて遠くには届かない。

 

 幾つもの弾丸が弾かれるのが見えた。しかし全てでは無い。柔らかい腹部や皮膜、そして眼球。赤い液体が飛び散るのが分かり、警備軍の意気は上がった。

 

「よし、近距離ならば効くぞ! 射線の角度を調整しろ! 斜めでは弱い!」

 

 ゆっくりと接近しつつ、発砲を繰り返す。薬莢が地面に落ち、硝煙で周囲が煙った。

 

「撃ち方やめ!」

 

 やはり見事に射撃が止まり、飛竜の姿が浮かび上がる。ピクリとも動かず、縦に割れた瞳孔にも光は無かった。駆除完了だ。

 

「地面に繋ぎつければ倒せるな……陽咲を中心に……」

 

 言いながら上空を見上げた三葉は一瞬言葉が詰まった。

 

「まさか……」

 

 千里眼が飛竜の新たな挙動を捉えたのだ。更に一匹降りて来ていた。そして……

 

 鱗に覆われた胸辺りがグニョリと盛り上がり、そのまま喉を迫り上がって行く。まるで、何かを吐き出すが如き動き。更には、口元がチラチラと赤く輝き始めた。まるで、ライターの様に火花が飛ぶ。

 

 その全てを見た時、三葉は残った塹壕に潜む警備軍へと叫んだ。この駆除の方法は既に破綻していたと知ったから……

 

「全員退避しろぉ‼︎ 其処から離れるんだ‼︎」

 

 戦場に司令の声が響き渡る。混乱の中でも、各隊は迅速に動き出した。

 

「退避!」

「構わず走れ‼︎」

「出ろ出ろぉ!」

 

 あちこちから中小隊長の命令が飛ぶ。だが、間に合わない。

 

「くそっ! 急げぇ!」

 

 その懇願に近い三葉の叫びは、飛竜の尖った口から吐き出された物体によって証明された。願う様な、祈る様な叫びの意味を。

 

 火球。

 

 メラメラと燃えながら、想像よりゆっくりと地面に落ちて来る。真っ赤な炎を纏った球体は、未だ退避行動中の警備軍の中心へと落下した。飛竜が落とした球は粘性の高い液体だったのだろう、飛び散った火は周囲を地獄へと変えてしまう。

 

 一瞬で火の海と化した大地で、皆の悲鳴が響き渡る。燃焼する液体の所為で、消火もままならない。

 

「装備を外せぇ!」

 

 火に巻かれた装備類を見て叫ぶ者。ゴロゴロと転がって消火を試みる若き兵士。火炎の所為で呼吸が不可能となり崩れ落ちる男。塹壕に取り残され間に合わなかった警備軍の皆は、紅い揺めきの中で動いていない。

 

 三葉は必死の形相で指示を出すが、轟々と唸る風と炎に打ち消されて混乱は消えなかった。

 

 飛竜は惨状を見て喜悦でも覚えたのか、耳障りの悪い鳴き声を上げる。そして再び可燃性の液体を吐き出す仕草を見せて、絶望感を誘った。

 

「急いで散開を! 散開するんだ‼︎」

 

「三葉司令! 下がって下さい‼︎」

 

 一人でも助かればと叫ぶ三葉を抑え付け、側近達は小さな身体を引き摺った。

 

「間に合わない……!」

 

 余りの情け無さと無力感に、拳を握る。真下には負傷者を助けようと念動を駆使する三葉の姪が居た。何とか火炎の中から兵士達を引き出そうと……そして、如何な念動と言えど、あのような攻撃を受け止める事は出来ないだろう。防壁を構築出来れば可能性はあったが……

 

「陽咲! 上だ! 退避を……!」

 

 その叫び声が聞こえたのか、視線が上を向く。もう吐き出す寸前だと誰が見ても明らかだった。もう退避が間に合わないと理解したのか、せめて無事な者達を瓦礫で覆う行動に移る。自らを後回しにして……

 

 ああ……あの子はもう立派な一人の戦士なのだ。仲間を助けるため、自身を戦場の只中に置いてでも。例え死ぬ事になろうとも、他の誇り高い警備軍兵士と同じ様に。そんな風に三葉は思い、同時に絶望した。

 

 だから願う。救いの御子へ、傷付いた天使の力を。

 

「渚……」

 

 そして、その声はきっと届いたのだろう。

 

 あと少し、吐き出そうとしていた飛竜の横っ面が殴られた様に傾いた。そしてそのまま意識を戻す事も無く、ユラリと落下を始める。三葉の千里眼は、その全てを視界に捉えていた。

 

 側頭部に穴が空き、向こう側に何かが抜けた。間違いなく脳は破壊され一瞬に絶命しただろう。たった一発、正確な狙撃。見えない姿、見えない弾丸。マーザリグ帝国以外の者からは"死の精霊"と恐れられた狙撃手の一撃だ。

 

 また一匹、また一匹と空から落ちて来る。巨体をダラリとしたまま、次から次へと……

 

 PLの外を眺めても、あの美しい精霊の姿は無かった。それでも、救いは齎されたのだ。

 

 

 

 



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守りたいひと

 

 

 

 ホテルの屋上に、小型のヘリとパイロットが待機していた。サングラスをした見るからにベテランの操縦士はコクリと無言で頷き、遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)と秘書の大恵(おおえ)、そして(なぎさ)を座席へと促す。

 

 屋敷の使用人であり、渚の世話役として働いていた高尾(たかお)はそのまま残る様だ。離れた場所からヘリを見守っている。

 

 つい先程、まだ完治していない渚の左脚を硬くテーピングしたのも高尾だ。強い痛み止めも打ち、合わせて栄養剤も用意した。触れられることに忌避感のある遠藤の孫娘のため、皮膚接触は最低限の短時間で済ませる。彼女の有能な一面が垣間見えたが、本人は誇る事なく静かに佇んでいるだけだ。

 

 その高尾とホテルは少しずつ遠くなり、景色の中へと溶けて行く。

 

「ヘリは時速250km程度だ。目的地付近まで40〜50分というところか。PLには近付けないから、手前で降りて其処からは車だ。まあ車両も接近するにつれ止まってしまうがな」

 

「そう。二人は?」

 

「無論行けるところまで付き合うぞ。なぁ大恵」

 

「はい、旦那様。渚お嬢様お一人だけPLに入るなど出来れば避けて頂きたいですが……足手纏いになりますから」

 

「お嬢様はやめて」

 

「それは困りましたな。ふむ、旦那様?」

 

 いかがいたしましょうと遠藤へ視線を流す大恵だが、何処か楽しそうだ。それは問い掛けられた主人にも言える。いや、嫌味たらしい笑みも隠していない。白い顎髭を摩りながら、ニヤリと顔が歪んだ。

 

「渚、慣れるんだな。いちいち否定していたらキリがないぞ?」

 

 そんな爺様にそれこそ慣れてしまったのか、渚は溜息一つで済ますしかない。

 

「他に情報は入った? 新種のレヴリ」

 

「そうだったな……少しだけ待ちなさい」

 

 まだPLの影響下に無いため、通信は生きている。大恵は素早くスマートフォンを操作し遠藤に渡した。

 

「儂だ。ああ、どうだ?」

 

 相手は警備軍の誰かだろう、其処に渚と話す柔らかさは無い。

 

「……そうか。直ぐに送ってくれ」

 

 間をおかず、着信がありデータが届いた様だ。遠藤はスマホに眼を凝らすが、老眼の為か少しだけ時間を要した。

 

「信じられんな、飛ぶレヴリなぞ」

 

「飛ぶ? 飛翔すると言う意味ですか?」

 

 大恵も聞き間違いかと問い直す。落ち着いたままなのは渚だけだった。

 

「どうやらそうらしい。仮にだが"飛竜"と名付けたと。簡単に言えば空飛ぶデカイ蜥蜴だな。これは大変な事だ……」

 

「大変って?」

 

「ん? ああ、渚は詳しく無かったな。レヴリが現れて数十年経つが、全ては地面を走る奴等ばかりだったのだ。世界を見渡しても、天災に等しい"カテゴリⅠ"ですら、な。当然に装備や訓練も飛翔体を想定していない。異世界とは言え戦士だった渚ならば、その危険性が理解出来るだろう?」

 

 空を制する者が戦場を制すーーーー

 

 人同士の大戦が世界を覆っていた時代、当たり前に認められていた事実だ。それが今、国家警備軍の皆を、そして遠藤達を不安にさせている。

 

 現在警備軍が配備、或いは装備している兵器は対地用のモノばかりだ。無論銃弾は一定の高さに届くだろうし、異能に重力など関係ない。しかし、何よりも経験が不足している。レヴリとの戦闘に何より必要なものは戦闘の積み重ねなのだ。新種との戦闘で戦死率が跳ね上がるのは、正しく経験の差なのだから。

 

「じゃあ、三葉(みつば)司令でも……」

 

「ああ、残念ながら。警備軍を代表する第三師団司令であり異能者だが……彼女でも初めての戦いになる筈だ。無論、かの女傑ならば簡単に負けはしないだろうが……楽観的だが予知(プレコグニション)が働けば或いは」

 

 焦りが生まれる。心から愛する千春(ちはる)に誓ったのだ。貴女の大切な妹を必ず守ると。渚の記憶に刻まれた千春の笑顔、そして最近知った陽咲の優しさと涙。全てが鮮明に浮かんで来た。

 

「急いで」

 

「ああ」

 

「旦那様、()()を」

 

「おお、そうだったな」

 

 艶やかな闇色のアタッシュケース。見るからに頑丈そうで、大きく見える。大恵は二重のロックをカチリカチリと解除し届けた。受け取った遠藤は抱えたままに、ゆっくりと開く。

 

 当然に現れたのは渚の愛銃であり、この世界で唯一無二の武器、カエリースタトスだ。

 

『マスター、お久しぶりです』

 

「カエリー」

 

 真っ黒なハンドガンに緑色した線が縦横に走った。まるで血管の様に脈動して、間違いなく生きていると思わせてくれる。

 

『性能維持に問題はありません。十全に魔弾を生成し射出出来ます。マスター、睡眠量と血色が多少改善されていますね。しかも魔力がほぼ完全に戻りました。やはり助言の通り休息が』

 

「煩い」

 

 何時ものやり取りを終える。漸く、渚の手へとカエリーが戻って来たのだ。小煩い相棒から視線を外すと、やはり嫌味な爺様の笑みが見えてウンザリしたようだ。

 

 眼下には、人々が去ってしまった街並みがある。丁度、遠藤の屋敷が見えて物悲しさを誘った。人の気配は無くとも、PL内の様に死んだ街では無い。レヴリを駆逐出来れば再び活気は取り戻される筈だ。

 

 そうして無言へと帰った渚。

 

 異世界で植え付けられた異能は、その全てを視界に収めているのだろうか……遠藤はその美しい横顔を見詰めて、そんな風に思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 降下ポイントに待っていたのは灰色のJLTVだった。汎用軍用車両ハンヴィーの後継車種である統合軽戦術車両だ。米軍によって開発された物だが、此処にある理由は不明だ。考えては駄目なのだろうし、渚はそもそも詳しく無いため疑問にも思っていない。

 

 大恵が当然の様に運転席に座り、後部座席に遠藤と渚が乗った。有数の資産家である遠藤だが、他に同行者は居ないのが不思議なところか。大切な孫娘に他人を近付けさせたくない爺様の考えだったが、その孫娘は知らない事だろう。

 

「大恵は警備軍上がりだ。この手の車両ならば数え切れない程に操ってきた。安心して良いぞ」

 

 コクリと渚が頷くと、軽い振動と共に動き出した。PLに近くなると、道路の整備は殆ど行われなくなる。軍事的に重要な場所は例外だが、軍関係者以外は基本的に接近出来ないからだ。そのため、段々と揺れが激しくなるが、四駆の車両は凹凸をものともせずに前へと向かって行く。

 

「渚お嬢様。あの先を右折すると後は直進するのみとなります。高い建物も減りますから、視界が確保出来るでしょう。銃塔に上がりますか?」

 

「うん」

 

 本来なら機関銃が装備されている場所だが、銃器は当然に存在していない。

 

 渚が昔に見た映画の一場面の様に、車両の上部へと移動して顔を出した。小さな身体だから、上半身だけが風に吹かれる。ポニーテールにした黒髪がパタパタと靡いて、ほんの少しだけ後ろに引っ張られる感覚を覚えた。

 

 そして減速し、右折。

 

 一気に視界が広がり、遥か彼方の空も見える。その瞬間だった。

 

「……車を止めて!」

 

 渚の瞳は厳しさを増した。鋭く発した声は車内に残る二人に届く。速度は出ていなかったが、急制動に身体がつんのめった。

 

歪め(ディストー)

 

 ハンドガンの形状がシュルシュルと蠢き、不恰好に変形する。色々とパーツを継ぎ足した様な、歪な狙撃銃へと。明滅する緑色の線は一気に光を放ち始めた。

 

「カエリー、アト粒子接続を。()()が見える。早く!」

 

『接続確認……間違いありません、魔力障壁です。レヴリにも障壁を張る能力があったのですね』

 

 淡々と返すカエリースタトスの言葉に感情は無い。同時に畏れも。

 

「あの薄さなら……確認を」

 

『マスターの予測通りでしょう。()()()()。確実を求めるならば魔弾を重ねましょう』

 

 そして渚はカエリースタトスを構え、トリガーを引き絞った。包帯で包まれた渚の右手だが、動きに戸惑いは無い。不思議な事に、パシュと言う魔力反応音は二度聞こえた。トリガーは一度しか引いていない。

 

 更に数秒おいて狙撃を繰り返すと、渚は大恵へ叫ぶ。

 

「走って! 真っ直ぐに!」

 

「はい! 旦那様! 掴まって下さい!」

 

「儂のことはいい! 行け!」

 

 アクセルを全開に踏み込み、三人ごと前へと押し出した。

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 

 一撃で墜とした。三葉がそう判断した攻撃。

 

 しかし実際には違う。薄いとは言え、この世界で初めて確認された魔力の障壁だった。その先にある飛竜の頭蓋を破壊するため、渚とカエリーは魔弾を連射したのだ。

 

 殆どタイムラグ無く到達した二発の齎した結果はレヴリに死を運ぶ。

 

 最初の一撃は障壁に小さな穴を開け、その穴を二撃目が通り抜けた。そう、その魔弾は正確に飛竜の脳を破壊し、一瞬で意識と命を刈り取った。

 

 まさに魔法と言うべき狙撃を果たした天使はしかし、誇ることも無く叫ぶ。

 

 その異能により映る景色には、呆然と飛竜を見詰める千春の叔母である三葉と、未だ仲間を一人でも助けようと念動を駆使する陽咲が居た。他には大勢の負傷者や戦死者も。人の、戦場の死など見飽きていた渚だったが、不思議と感情を揺さぶられる。

 

 そして……

 

『マスター、即座に退避を。あの戦場は()()()()()です』

 

 ーー駄目。警告をしないと

 

『間に合いません。貴女ならば見えている筈です』

 

 ーーカエリー、黙って

 

『私の存在意義はマスターの延命と補助ですので、何度でも伝えます。もはや我々では、対処も解決も不可能。思い出してください。以前の世界ならば振り返らず、ただ走り出したでしょう。もう一度警告します、間に合いません』

 

 カエリースタトスは淡々と言葉を重ねた。それでも、渚に変化など起きない。

 

「急いで! もう少しで魔力の影響下に入る。ううん、PLに!」

 

 真っ直ぐに、渚の異能は()()()を捉えていた。

 

 

 

 

 

 



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カウントダウン

 

 

 

 つい先程まで、大恵(おおえ)の意思のままに走っていた車両は反応を返さなくなった。エンジンは断末魔の様にひと泣きすると、完全に沈黙する。異界汚染地、即ちPL(ポリューションランド)に入ったからだ。(なぎさ)の知識によって、魔力が高度な機器類に影響を与えると判明している。

 

「旦那様、これ以上は……」

 

「ああ、分かっている」

 

 その会話を耳にしながら、渚は無言で銃塔から降りて来る。そのままドアを開けると、少し慎重に地面へと足をつけた。硬くテーピングしたとは言え、左脚は完治しておらず、スライムの体内に突っ込んだ右手は包帯に包まれたまま。それ以外にも、合計三箇所の手術痕は未だ治療の途中だった。薬も完全ではなく、痛みは渚を襲っているだろう。

 

 しかし、その全てを無視して渚は歩き出した。左脚を僅かに引き摺り、カエリースタトスは両手に抱えている。

 

「渚」

 

 祖父を自称する遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)は思わず声を掛けた。チラリと其方を見た渚は僅かに頷く。ゆっくりと離れて行き、数メートル先で立ち止まり振り返った。

 

「じゃあ」

 

「そうだな、遠くから渚の武運を祈る事にしよう。帰ったら話を聞かせてくれ。それが儂らの取引だからな」

 

 軽い冗談だったが、受けた本人は俯き再び顔を上げる。美しい相貌は変わらず無表情だったが、少しだけ整った細い眉が歪んだ様に見えた。

 

「……どうした?」

 

「出来るだけ遠くに。避難の準備を」

 

「なに?」

 

 PLの範囲内とは言え、戦場まではまだ距離がある。新種のレヴリ、飛竜すら簡単に殺す天使の台詞とは思えなかった。そして遠藤達の懸念は直ぐに証明される事になる。天使の表情に僅かな微笑が浮かんだ。そう思えたからだ。

 

「……二人とも、ありがとう。でも、私の事は忘れて」

 

 か細い声……しかし、しっかりと届く。

 

「……何を言ってるんだ?」

 

 戦場に身体を向けると渚は走り出した。左脚を庇いつつ、一言だけその場に残して。

 

「さよなら」と。

 

「な……! 待て!」

「渚お嬢様!」

 

 けれど、年老いた二人の両脚では……渚を追い掛けることは叶わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 老人二人の姿が見えなくなって随分と時間が経過した。左脚は十全に動かない為、進む速度は上がらない。それが渚を焦らせて、何度も異能使って確認していた。

 

 幾度かは膝を付き、カエリースタトスを使ったりもした。狙撃は間に合っているが、実際には綱渡りに等しい。一歩間違えれば、陽咲は火炎に巻かれてしまうだろう。

 

『マスター、時間がありません。撤退を』

 

 だから、渚はカエリーの警告を無視し続けている。

 

「間に合う。司令にも報せないと」

 

 小さな身体は渚とそう変わらない。千春(ちはる)陽咲(ひさ)の叔母であり、第三師団司令でもある三葉(みつば)花奏(かなで)の姿だ。まだ距離はあるが、必死に声を荒げている。特有の異能である千里眼(クレヤボヤンス)を使って指示を繰り返しているのだ。

 

 犠牲者は増え続けているが、それでも渚の狙撃と三葉の声が最小限に抑えていた。

 

 額から汗が流れて喉が渇く。身体は悲鳴を上げて、各所から痛みを届けた。それでも、渚は視線を逸らすこと無く前へ前へと歩み続ける。PLの中心部に向かって、陽咲の元へと。

 

 飛竜の数は遂に半数まで減った。陽咲の念動(サイコキネシス)は何度も空飛ぶレヴリを捕まえて地面に叩き落とし、駆除に至っている様だ。それでもあちこちから赤い炎が立ち上がり、警備軍兵士の悲鳴が響く。

 

「……渚か!」

 

 三葉も渚を視界に捉えたのか、声に希望が混じっていた。飛竜すらものともしない稀代の狙撃手が合流したのだから当然だろう。一度は遠去けたが、今は何よりも救いが必要だ。

 

 ズリズリと左脚を地面に擦りながら、渚は三葉の横へ並んだ。

 

「渚、済まない……それでも私は」

 

 その懺悔は耳に入ったが、渚は無言のままに片膝を下ろす。カエリースタトスを構え、すぐにトリガーを引いた。パシュパシュと言う魔力反応音を置き去りに、魔弾は飛んで行く。誰にも見えない弾丸は陽咲の上空を羽ばたく飛竜を撃ち抜いた。天使の力を知っていても、やはり驚愕してしまう。

 

歪め(ディストー)

 

「渚?」

 

 少しフラつきながら、渚は立ち上がった。

 

「三葉司令」

 

 可愛らしい渚は居ない。一人の戦士が其処に立っている。その鋭く光る瞳を見れば明らかだった。だから、三葉も答えた。

 

「どうした?」

 

「全員に退避命令を。急いで」

 

「退避? しかし我等は市民を守る義務と意思がある。避難先まで飛竜共に襲われてはひとたまりも……」

 

「もうそんな段階じゃない。兵士も市民も、誰一人助からなくていいの?」

 

「何を……いや、根拠は? 説明しろ」

 

魔力渦(まりょくか)がまた起こる。規模も魔力の精度も、収束の速度も比較にならない。飛竜なんて搾りカスみたいなものだから」

 

「なん……だと」

 

「もうすぐこの辺りの魔力が空間から消えて行く。通信機器が生き返るから、一人残らず逃げて」

 

 全てを言い切ったのだろう、渚は再び前へと歩き出す。

 

「魔力が消えるなら兵器が息を吹き返すんだ! 反撃を……!」

 

 すると音がする程に首を振る。

 

「どんな兵器も意味をなさない。ホンモノの魔力の前では、何一つ。時間稼ぎは必要かもしれないけど……でも、千春の大切な人が苦しむのがイヤ」

 

 滲む涙が見える。千里眼なんて要らなかった。渚は溢れそうな雫を拭い、お願いと呟いた。

 

「キミは……キミはどうするんだ?」

 

 分かりきったこと。それでも聞くしかない。

 

「私が守る、千春に誓ったから。他の皆も下がらないと陽咲は最後まで残るでしょう。だから、無理矢理でも連れて帰る。さあ、三葉司令は司令の役目を果たして」

 

 陽咲ならばそうするだろう。念動の在り方は守護に向いている。彼女の精神は一人逃げ去る事を許しはしない。そんな風に思う二人は、不安を強い精神力で捻じ伏せた。

 

「頼む……全隊に退却命令を! レヴリにも構うな! 信号弾を! 第一師団に伝令を出せ!」

 

 数秒後には明るい光を放つ信号弾が空を舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「退却命令?」

 

 眩しい赤色の信号弾を見て、陽咲は思わず呟いた。確かに苦戦しているが、駆除の方法も幾つか構築出来ている。何より、先程から起こる不可解な飛竜への狙撃が誰により齎されているか明らかだ。つまり駆逐への路が開けたのに退くタイミングとは思えなかった。

 

土谷(つちや)さん! どうしますか?」

 

 発火能力(パイロキネシス)の土谷天馬(てんま)に投げかける。彼は飛び抜けた異能者であり、第三師団屈指の兵士だ。今はシンプルに答えを求めた方が良いと判断した。この辺りも成長の証だが、陽咲本人は気付いていない。

 

「三葉司令が判断をした以上、何かあるんだ! 急いで撤退する!」

 

「分かりました! 負傷者を念動で運ぶ……土谷さん、動ける人達を! 私が飛竜に陽動を仕掛けますから!」

 

「それは……いや、了解した! 頼む!」

 

 本来ならば新人の異能者が行う事では無い。しかし今回までの戦闘により、(あかなし)陽咲(ひさ)は大きく成長したのだ。今や国内外でもトップクラスの念動を操り、次々と新たな運用方法すら開発している。飛竜に最も適した行動が取れたのは、他の異能者達ではなく彼女だった。そして何より……

 

「土谷さん、大丈夫です! だって、見たでしょう? ()()に任せてください!」

 

「ああ! 分かってる!」

 

 陽咲を守護する御使いは再び現れたのだから。

 

「よし、時間稼ぎを……」

 

 役目を確認した陽咲は、レヴリを空から落とすより意識を逸らさせる動きに変えた。簡単に言うと、念動で無理矢理捕まえるのではなく、重量物を顔面などにぶつける事だ。距離も伸びる上に、念動の効果範囲を離れても重力に負ける迄は飛んで行く。飛竜が退却する部隊に気を取られる事がないよう、此方に怒りを向けさせなければならない。

 

 危険だ。其れは分かっている。もし一人ならば恐ろしくて足が竦んでいるだろう。

 

「大丈夫、私一人じゃ無い。渚ちゃん、来てるんでしょ? 無茶ばっかり……後でお説教しないと。罰として一晩抱き枕になって貰おう!」

 

 態と声を荒げて自身を鼓舞した。そうでもしないと心が弱って異能の力が減退してしまう。大好きな少女の綺麗な横顔を頭に浮かべ、ニヤリと笑った。

 

「頑張ったら褒めてくれるかも。きっと見てくれてるよね」

 

 陽咲の周囲に散らばった塹壕の破片、瓦礫、主人を失ったライフル。其れらがフワフワと浮かび上がる。

 

「こっちよ‼︎ さあ、来い!」

 

 一気に射出。そして、同時に走り出した。退却する部隊とは反対方向へ、と。そう、魔力の渦に向かって……

 

 陽咲には見えない。感じる事も出来ない。

 

 再び魔力渦が……一度目とは比較にならない力を内包した、膨大な魔力の叫びが其処に在る事が。いや、警備軍の誰一人としてだろう。

 

 だから、陽咲の走り出した姿を見た渚は叫ぶしか無かった。例えその声が届かないとしても。

 

 

 

 

 

「陽咲! ダメ‼︎」

 

 渚は陽咲が溢した声すら()()()。ただ陽動するなら可能かもしれない。カエリーで危険なレヴリを殺して、助け出せるだろう。しかし、陽咲は魔力渦の胎動が理解出来ていない。何が起こるかは不明だが、最初の暴走など比較にならないのは明らかなのだ。規模も収束の精度も、全てが違う。

 

『マスター、可能性は潰えました。対象者を救い出す時間はありません。さあ帰りましょう』

 

 益々距離を離す陽咲を確認したカエリーが淡々と伝えて来る。

 

「……陽咲」

 

 何時ものように、カエリーの言葉を否定しない。事実だと誰よりも知っているのが渚だから。

 

 止める為に脚を撃つ? いや、それでは逃走が不可能になる。痛みで念動の効果も落ちるだろう。渚の筋力では抱えて走る事も出来ない。

 

『マスター?』

 

 痛む左脚を無視して、一歩一歩、前に。

 

 退却する警備軍とすれ違う。誰もが小さな少女である渚を見るが、真っ黒で歪な銃を見て声は掛けない。彼女こそが救いの天使だと知っていて、その瞳に恐怖など無いのが分かるからだ。敬礼を行い立ち去って行く者まで居る。

 

『マスター、何をしているのですか? 帰還は其方ではありません』

 

 そしてカエリーの投げ掛けにも答えない。ただ進む、陽咲の元へ。

 

「私は……」

 

 その視界には、異常な純度に高まりつつある魔力が映った。

 

 

 

 

 



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カテゴリⅠ

 

 

「ハァ、ハァ……」

 

 精神力が尽きなければ異能に変化は無い。その筈なのに陽咲(ひさ)念動(サイコキネシス)は少しずつ威力を失っていた。肉体の疲労は必ず心に影響を与える。それでも耐える事が出来るのは、愛する人が傍に居ると感じるからだ。

 

 ほら今も、火球を吐き出そうと尖った口を開いた飛竜があっさりと死んだ。

 

(なぎさ)ちゃんに情け無いとこ見せたくないもん……もうあんな事言わせない」

 

 初めての出逢い。美しき氷の精霊は言ったのだ、貴女に戦士は不向きだと。

 

「あと少しで退却も終わる筈……あと少しで……」

 

 朦朧とする。それにも陽咲は気付いていない。足元は覚束ず、今にも倒れそうだ。

 

「あれ? 渚ちゃんが見える……不思議」

 

 ポニーテール、カエリースタトス、小柄で細い身体。綺麗に整った眉や鼻筋も、真っ白な肌は雪のよう。絶対キスすると勝手に決めた唇の色まで……

 

「やっぱり可愛いなぁ……あっ」

 

 何かに躓いて、視界はゆっくりと迫る地面に変わって行く。固い地面と痛みを待ったが、襲ったのは柔らかな香りと温かさだった。

 

「陽咲」

 

「……え?」

 

「もう飛竜達は空に退いたよ。残ってた一匹もさっきのが最後」

 

「声まで……ホントに渚ちゃんなの?」

 

 渚の力では抱き止める事が出来なくて、尻餅を付いている。膝枕の体勢でカエリーも手から離れていた。

 

「うん」

 

「皆は? 土谷さんも……」

 

「もう周りには誰もいない。さっきまで頑張ってた人達も先に退却を初めたから」

 

 陽咲は余り周りが見えていなかったが、実際には大勢の志願者により陽動が進んでいた。自分達より遥かに若い女性が必死に抗っているのだ。警備軍の兵士も誇りを胸に戦っていた。その女性が高位の異能者であろうとも関係などないのだろう。

 

「そっか……良かった。ねえ渚ちゃん」

 

「何?」

 

「私、格好良かった?」

 

「立派な戦士だよ。もう私なんかよりずっと強い人になった」

 

「ふふ、お世辞でも嬉しい」

 

 お世辞などでは無かった。渚は本心を話している。間違いなく自分よりずっと強い女性だ。勿論戦闘力の事では無い。誰かの為に戦う意思を宿す、気高き一人の戦士だからだ。

 

「陽咲」

 

「もう少しだけこのまま……渚ちゃんの膝枕なんて貴重だもん。そうだ、キスは帰ってからお願いしようかな……今は汗臭いし、場所もロマンチックじゃないからね」

 

 すると、包帯に包まれた右手を渚が強く握り締めるのが見えた。調子に乗り過ぎたかなと慌てる陽咲に言葉が降って来る。

 

「あ、えっと、渚ちゃん?」

 

「良く聞いて」

 

「は、はい!」

 

「もう直ぐ魔力渦が起こる。距離は約500m。もう逃げる時間は無いかもしれない。でも……ううん、体力が回復したら出来るだけ下がろう。いい?」

 

「え……そう、なんだ」

 

 傍に居て、膝枕なんてしてくれた理由が陽咲に分かった。何故か恐怖は感じない。感じるのは渚の体温と存在だけ。次いで強い後悔が襲った。理由は簡単で、愛する人を巻き込んでしまった事だ。自分が此処に居なければ、渚は間違いなく来なかっただろう。

 

「御免なさい。渚ちゃんのお姉ちゃんなのに、大切な人を巻き込んじゃった」

 

 ゆっくりと体を起こし、真っ直ぐに向き合う。身長が違うから、渚は上目遣いに変わった。陽咲は分かってしまったのだ。実際には逃げる時間も、助かる可能性も殆ど無い事が……渚の美しい瞳の色を見たとき、其処には千春への懺悔が在った。

 

「陽咲と逢えて良かった」

 

「その言葉だけでも最高に嬉しい……」

 

「始まった。ほら、見えるでしょう?」

 

 二人は同じタイミングで魔力渦の中心を眺める。

 

 それは、不思議な光景だ。

 

 何も無い筈の空間にヒビが入った。薄く光りながら、ヒビ割れが進んで行く。割れ目からは白い煙状の気体がフワフワと溢れている様だ。最初は数センチだったのに、瞬く間に数メートル、いや数十メートルに拡がる。

 

「ああ……」

 

 陽咲は思わず吐息を溢した。絶望の色を纏って。

 

 二人の視線は少しずつ上に向かい、まるで高層ビルを見上げる(さま)へと変わった。それは巨大で、たった一匹の生物とは思えない。いや、信じたくない……でも否定も不可能だった。その存在感の前では……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カテゴリⅠ……災厄の、絶望の」

 

 警備軍の誰かが呟いた。

 

 数キロ離れたのに、ソレははっきりと見える。

 

 三葉(みつば)は声を出す事も忘れて、暫しの間呆然と立ち竦む。だが、第三師団の司令は無理矢理冷静な心を呼び覚まし指示を出し始めた。

 

「間違いない……欧州一帯を不可侵の領域に堕としたレヴリと同種の"カテゴリⅠ"だ! 規定通り、対処方法は分かっているな‼︎ 現時間より我が第三師団の管轄エリアを放棄する! 花畑(はなばたけ)!」

 

「はっ!」

 

 兵装科の情報士官である花畑だが、凡ゆる情報網を持つ変わり者でもある。変則的な手段であろうと三葉に戸惑いは無かった。

 

「政府に再度通達。"カテゴリⅠ"の発生と防衛線の構築だ。それと第二師団に私の全ての権限を移譲する。我等は……」

 

「三葉司令……」

 

 そして、花畑も三葉が何を決意したかを理解している。

 

「防衛線の構築まで時間を稼ぐ。想定されるのはどれくらいだ?」

 

「はっ、短く見て三日かと」

 

「分かった」

 

 "カテゴリⅠ"に対し、師団一つなど意味があるのか三葉にも分からない。はっきりしているのは、この戦場が死地と決まった事くらいだ。

 

「あの体色から水か氷、その辺りのヤツでしょう。火炎が少しは効くかもしれません。ヨーロッパ のレヴリは真っ赤な身体で、口から焔を吐いたそうですから」

 

「ああ、そうだな。さっきまで居た飛竜が逃げ出したのもアレの所為だろう」

 

「……はい。個体名"(ドラゴン)"、カテゴリⅠのレヴリ。恐らく水竜か氷竜などと呼ばれる事になるでしょう」

 

 まるで昔見た怪獣映画の一場面だった。数十メートルに及ぶだろう体高、青色の鱗で覆われた体色は美しいが其れが恐怖を煽る。爬虫類に似た瞳と、測るのも馬鹿らしくなるサイズの牙と爪。背中に有る二対の翼は折り畳まれていて尚巨大だった。まだ動き出してはいないが、渚の言う通り、まともな兵器など効果が無いのは明らかだ。

 

「名前など、どうでもいい。花畑、行け」

 

「はっ」

 

 花畑の立ち去る姿を見送り、退避して来た警備軍に向き直る。渚は逃げる様に言ったが、それは叶わないだろう。この地域に"竜"を出来る限り留めなくてはならない。

 

「渚の言う通りならばPLの影響下から脱した筈だ。確認を」

 

「通信も回復! 第一、第二師団とも繋がりました!」

 

「よし。第三師団の全戦力を此処に集中する。出し惜しみは無しだ。目的はカテゴリⅠをあの場所に出来る限り足止めする事だ。稼ぐのは64時間、いいな?」

 

「「「はっ‼︎」」」

 

 逃げ出す者は居なかった。三葉は一人残らず死兵となれ、そう言ったに等しい。しかし、誰一人として決意に揺らぎは感じない。三葉は思わず溢すしか無かった。

 

「皆、済まない……」

 

「何を仰る。貴女は我等の司令。そうだろう!皆!」

 

「その通りです。デカいだけの蜥蜴など三日と言わず、一週間は足止めしましょう!」

 

 倒すとは言わない。カテゴリⅠのレヴリには通常兵器どころか核兵器すら効かない事が知られている。欧州を覆った絶望は、人が立ち入れない広大なエリアを産み出したのだ。

 

「……私は第三師団を誇りに思う。よし! 航空支援を受けつつ、戦車隊を前へ! エリア外に気が向かない様にイラつかせてやれ! 発火能力(パイロキネシス)が唯一の希望だ。奴の弱点の可能性がある。竜は持つ能力を体色に表し易いらしいからな。いいか、土谷」

 

「はっ!」

 

 異能を体現した様な赤髪を揺らし、土谷は三葉に視線を合わせる。

 

「剣となれ。師団は貴様を守りつつ接近を試みる。他の誰が死のうと、前へ向かい奴に炎を叩き付ける事だけを考えるんだ。いいな? 例え私であろうとも、だ」

 

「……わかりました」

 

 陽咲が竜の傍にいる。渚が共に居るが慰めにもならなかった。例えカエリースタトスであろうとも、数十メートルもあるレヴリに対抗出来るとは思えない。戦場に向かった渚ですら、倒すと言わなかったのだから。

 

「全ては"カテゴリⅠ"への変容、その前兆だったのか……」

 

 呟くと同時に、竜が青色の体を起こすのが見えた。暫くは動かなかった様だが、周囲を見渡し確認を行っている。軍車両より巨大な頭を左右に振って顎門が開いて行く。ビッシリと並ぶ長大な牙は真っ白で鋭い。そして、咆哮。

 

 グアァァァァーーー!!!

 

 その声だけで衝撃波が生まれたのか、白い霧状の波紋が周囲へと拡がって行った。直ぐに隊列を整え終えた警備軍は頭を抱えて地面に伏せるしか無い。更には長い尻尾を大きく振り全てを薙ぎ払う。此方を睨み付け、ズラリと並ぶ牙を鳴らしている様だ。

 

 当たり前だが平和的な話し合いなど不可能だろう。凡ゆるレヴリは人類に敵対的な行動を取るのだから。そこに例外は無い。

 

「……怯むな! 動き出す前に接近するぞ‼︎ 発火能力者は我が身を守れ!」

 

 千里眼に、少しずつ後退している陽咲と渚が映った。竜を刺激しない為か、かなりゆっくりとした歩みだ。とても間に合うとは思えなかった。

 

「戦車隊と航空隊が気を逸らす。二面作戦だ! その後、我等は奴の側面に向かう。いいな‼︎」

 

「「「はっ‼︎」」」

 

 

 

 ただ、時間を稼ぐ。

 

 命を賭けて、恐怖も苦痛も内包したままに。

 

 カテゴリⅠ。

 

 誰も辿り着く事が出来ない、圧倒的な存在。

 

「我等一人一人の命が、無辜の人々を救うのだ! 皆、誇りを胸に前へ……」

 

 頭上を戦闘攻撃機が、地上では戦車隊がエンジンを唸らせながら前進を始めた。

 

「行けえぇぇーーー!」

 

 

 

 

 

 

 

 




ラストはもうすぐ。お付き合いお願いします。


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傷だらけの守護者

 

 

 

 

「アイツには私達が見えてない。遮蔽物を利用しながら離れよう」

 

「うん、了解」

 

 守るべき相手が恐慌に陥ってないと分かり、(なぎさ)は安堵した。見上げる程に巨大な生物が近くに居れば、恐怖の余りに動けなくなってもおかしくない。

 

 チラリと後方を窺うと、青色した恐竜らしき生物が周囲を見渡している様だ。先程の咆哮や振り回した尻尾には慄いたが、それ以降動き出す様子は感じられない。何かを待っているのか、それとも習性か……

 

「渚ちゃん、狙撃は難しいの?」

 

 陽咲(ひさ)の疑問へすぐに返す。

 

「見えないだろうけど、分厚い魔力障壁があるから。カエリーじゃ抜く事も不可能だし、物理的な現象も無効化されてしまう。念動(サイコキネシス)で何かをぶつけても駄目」

 

 破壊するにはアレを上回る魔力をぶつけるしかない。つまり、渚には不可能な事だった。

 

「……教本で習ったの思い出した。"カテゴリⅠ"のレヴリには核兵器すら効果が無かったって。熱や衝撃も通らないのは魔力の所為だったんだね」

 

「多分そう」

 

 ひたすらに脚を動かし、少しだけ距離を取った時だった。二人がレヴリから離れるのを待っていたかの様に、戦車隊による滑空砲が竜へと着弾する。爆音と揺れる地面、正確な狙いは一発残らず命中した。

 

「凄い……」

 

 此処まで凄まじい射撃を見た事が無かった陽咲が呟く。あれ程の攻撃ならばもしかしたらと思って暫く眺めた。

 

「今のうちに行こう。今なら少々急いでも見つからない」

 

 だが、渚は確認する事もなく陽咲の手を引っ張る。そしてモクモクと立ち昇った土煙が風に運ばれると、全ては先程の言葉通りだったと諦観が襲った。全く効いていない。いや、其れどころか何かしたのと首を傾げる仕草すら見える。それでも、次々と襲う砲弾に流石の竜も怒りを覚えたのか、鬱陶しそうに青色の巨体を捩った。

 

「拙い……」

 

「え? 何、渚ちゃん」

 

「伏せて、早く」

 

 訳が分からない内に陽咲は頭を抱えて蹲った。その上から渚が覆い被さったのが感じられて、幸せと同時にやるせなさも襲う。お姉ちゃんは私の方なのに、と。だがそんな葛藤も刹那の一瞬で消え去ってしまう。

 

 まるで弾道ミサイルの発射音の如き凄まじい音が大気を震わせたのだ。続いて直下型地震が起きたかの様な揺れが陽咲達を襲う。衝撃波が来る事を考慮して頭を上げたりはしなかった。それは日々の訓練の賜物だったが、それも意識から消え去る。身も凍るほどの冷気が肌を舐めたからだ。

 

「もう起きていい。走ろう」

 

 急いで立ち上がり、視線を地平線に合わせる。

 

「……な、何、一体何が……?」

 

 景色は一変していた。

 

 視界の全てを白が覆う。崩壊した街も、念動で壁にした瓦礫も、全てが崩れて凍っていた。思わず渚を見ると口元から吐息が溢れるのが()()()。まるで真冬の朝のように、ピンと張り詰めてしまった。

 

 竜の吐息(ブレス)と名付けられている"カテゴリⅠ"のレヴリ、竜の一撃だった。陽咲は見ていなかったが、渚は竜の口蓋に魔力の収束を確認していたのだ。青色の鱗に見合う、氷の吐息。その一撃は一直線に遥か彼方まで届いていて、隕石が落下し地面を削ってしまったと錯覚する。

 

 戦車隊の砲撃は完全に沈黙した様だ。その理由を考えたくもない。

 

「未だ気温が下がる。動けなくなる前に逃げよう」

 

「……うん」

 

 余りに低温なのか、形を保っていた建造物すらグズグズと崩れ落ちて行った。絶望的な破壊力、核兵器すら無効化する魔力障壁、膨大な質量を誇る体躯。全てが"災厄"と呼称される"カテゴリⅠ"の存在をまざまざと見せつけてくる。

 

 呆然としながら渚のポニーテールを眺めたが、何をしたら良いのか全く分からない。仲間は、三葉叔母さんは無事だろうか……そんな言葉達すら遠くに感じる。

 

「陽咲、何も考えずに私だけを見ていたらいい。誘導するから」

 

 こんな非常識な現象を目にしても冷静で、渚の変わらぬ声が陽咲の耳をくすぐり現実に戻る事が出来た。

 

 陽咲は今頃になって愛しい人が左脚を引き摺っているのに気付く。銃を抱える右手は包帯に包まれ、泥に汚れていた。そして、澄ました顔色だが偶に眉が歪むのまで見えてしまった。間違いなく痛みが襲っているのに、心配させまいとしているのだろう。

 

 真っ黒な銃、カエリースタトスは言っていた。初戦の戦死率が八割を超える異世界の戦場で、三年もの長きに渡り生き残って来たと。自身の如何な強力な念動であろうとも、精神まで強化は出来ないのだから。目の前に居る少女は、誰よりも過酷な戦場を渡り歩いて来た歴戦の戦士なのだ。

 

「渚ちゃん。私がキミを運ぶから方向を指示してくれる?」

 

 フワリと渚を念動で包み、空中に浮かばせた。痛む脚を動かす必要など無い。いきなり宙に浮いた渚だったが、動揺も見せずに頷く。

 

「もう周辺に他のレヴリは居ない。多分恐ろしくて逃げ出したんだと思う。だから警戒はしなくていい。合図で思い切り走って」

 

「うん」

 

「行って!」

 

 竜が首を回し、反対側を見ている。其れを確認した渚が陽咲に伝えた。念動で浮かんでいるため全く揺れない。相当に丁寧な行使だが、今は誉めている暇もない。

 

 前方は任せて異能で竜の動きを追う。だから、渚は少しずつ近づく三葉達の姿を捉えていなかった。陽咲が彼方に立つ姿を視界に収め、安堵した仕草も。

 

「もう一度来る! 陽咲、隠れて!」

 

「分かった! 彼処に飛び込む……」

 

 数メートル先にある小さな崖を見て、陽咲は返した。だが、つい竜の方に振り返って確認してしまった。その顎と、縦に割れた眼が三葉達に向いている事を……

 

 それは無意識だったのだろう。

 

 渚を包んだままに更なる念動を行使した。周囲に散らばる瓦礫を寄り集めて、タイムラグなく射出。それは攻撃では無く目眩しだ。竜の顔面に向かい飛んで行った瓦礫は、魔力障壁に弾かれて次々と破裂する。大量の土煙が舞ってほんの僅かだけ視界を奪った。幸い竜の吐息(ブレス)は吐き出される事なく、牙の並ぶ口も一度閉じた様だ。

 

「あっ……」

 

 そして、ギョロリと爬虫類染みた眼が下を向く。縦に割れた瞳孔が左右に開き、小さな陽咲と渚を見つめた事も分かった。レヴリの感情など理解出来ないはずなのに、怒りを溜めただろうことも。

 

「陽咲、下ろして」

 

 念動が解かれ渚は地面に脚をつける。そして陽咲に身体を真っ直ぐに向けて言葉を重ねた。

 

「大丈夫、責めたりしないよ。陽咲は立派な戦士で、不思議だけど誇らしい」

 

「あ……ごめん、ごめんね……」

 

「前も言ったでしょ? 直ぐ謝るのはやめた方がいい。大丈夫、最期くらい一緒に居よう」

 

「うん、うん……‼︎」

 

 再び竜の顎が傾き、ヌラヌラと濡れた牙が見えた。続いて渚にしか見えない魔力の収束。小型の台風の様に渦を撒き、純度が高まって行った。足掻いても、走り出しても間に合わない。

 

「陽咲、抱き締めて」

 

「渚ちゃんも」

 

 二人の影は一つになって、互いの体温を強く感じた。何故か死の恐怖は現れず、世界は真っ白に変化して行く。両手は強く互いの身体を引き寄せ、最期の時を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 痛みも、寒さも感じない。

 

「此れは……障壁? 陽咲の念動?」

 

 視界は全てが白く染まっている。しかし、竜の吐息(ブレス)は二人を避ける様に通り過ぎて行くのだ。

 

「え? 私じゃ、私じゃないよ? カエリー?」

 

『違います』

 

 まるで透明なドームが包むように、抱き合う二人を()()()()()。直ぐ側、一瞬で命を刈り取る冷気が走っているのに全く怖くない。音も衝撃も、温度すらも届かないのだ。竜がどれだけ続けようと、壊れたりしない強固な安心感があった。

 

 そして、その答えは直ぐ背後から聞こえた。

 

 凛とした、涼やかな声だ。言葉だけなのに、高い知性と強さを内包している。

 

 

 

 

 

 

「私の大切な()()を殺そうとしたわね。誰であろうと、許さない」

 

 

 

 

 

 抱き合う姉妹はゆっくりと振り返った。

 

 其処には一人の女性が立っている。

 

 長い黒髪は真っ直ぐに伸びて、ユラユラと揺れて。

 

 妹達よりも高い身長は細めだけれど、それも酷く美しい。

 

「……え?」

 

 陽咲の呟きにニコリと笑って応えた。

 

「よく頑張ったわね。もう大丈夫だから安心して」

 

 でも、身体中が()()()()だった。

 

 元は白かっただろう衣服はボロボロで血に染まっている。肩、横腹、脚に幾重も巻かれているのは、包帯代わりの布だろうか。それすらも赤が滲んで、見ている方が痛みを覚えてしまう。

 

「渚も。陽咲を護ってくれたのね。でも……はぁ、また怪我ばっかり。また無茶をしたんでしょ? 後で話を聞かせて貰うから覚悟してなさい」

 

 自分の怪我を横に置いて、当たり前のように話す。全てが信じられない渚は、見慣れた筈の愛しき人をポカンと見上げている。まさか異能が幻を見せているのか、と。

 

「う、嘘……だって、だってマーザリグで……」

 

「ふふ、私はお姉ちゃんよ。妹を護るのは当たり前。前から言っているでしょう?」

 

 だけど、渚の異能により見せられる幻に音は存在しないのだ。

 

千春(ちはる)?」

「お、お姉ちゃん?」

 

「間違いなく貴女達の姉、(あかなし)千春(ちはる)。幽霊なんかじゃない……まあ、傷だらけだけど」

 

 抱き合ったまま渚達は動かない。未だ周囲は白く染まり、現実感が薄かった。

 

「少しだけ待ってて。直ぐに終わるから。それと動いちゃ駄目よ?」

 

 可愛い妹二人から視線を外し、居るだろう竜へ向き直った。ゆっくりと左腕を上げ、手のひらを前に開く。陽咲は何が起きているのか分からない。しかし、渚にははっきりと見えた。果てしないと思われた竜の魔力、それすらも上回る膨大な魔力が。収束のスピードは魔力渦すら比べ物にならず、まるで機械の様に整った純度。あの世界でも最高の魔使い、その前では凡ゆる全てが無意味と化すのだろう。

 

「可哀想だけど、この子達を殺そうとした。諦めなさい」

 

 ボソリと呟いたあと、開いた手のひらをギュッと握り締めた。たった、それだけ。陽咲や渚の瞳にはそれしか映らなかった。

 

 だが、遠くから駆け寄ろうとしていた三葉には見えた。部下達の制止を振り解こうと暴れていたが、その動きも止まる。

 

「な、なんだ?」

 

 見えない、巨大な足に踏み付けられた。そうとしか思えない現象だった。青色の竜は頭から地面に押し潰され、更に小さくなって行く。プレス機に象られる部品の様に、丸く丸く……

 

 レヴリと言えど生物の一種だ。自身の容積より遥かに小さく圧縮されては生きておける訳がない。直ぐに竜の吐息(ブレス)は止まり、全ては幻だったのかと誰もが目を瞬いた。断末魔すら響かなかったのだ。

 

 続いて陽咲達が居るあたりから真っ直ぐな線が幾筋も飛び出した。行方を追えば遥か上空にギャーギャーと集まっていた飛竜達に命中する。まるでレーザーにしか見えないが、大気に邪魔されてあの様な威力など不可能な筈……しかしあっさりと飛竜は貫かれて絶命して行った。寸分違わぬ狙いは渚にも劣らないだろう。

 

 世界は沈黙に包まれた。余りの衝撃で……警備軍も、三葉も、直ぐ側で見守る二人の妹達も。

 

「……ふぅ」

 

 軽く肩で息をして振り返った。黒髪がフワリと踊り視線を奪われる。それに気付かない千春は笑ってしまう。そこには変わらず抱き締め合った妹達がいたからだ。そう、愛してやまない可愛らしい二人だった。

 

「お終い。もう大丈夫よ」

 

「……千春お姉ちゃん……お姉ちゃんだよね?」

 

「そうよ? さっきも言ったじゃない」

 

 陽咲は夢でも見ているのかと、頬は抓らず胸元にいる渚をギュッと抱き締めた。間違いなく柔らかな感触と温かな体温が在って何度も確かめる。もぞりと渚が動く気配も感じて夢では無いと知った。

 

 白かった周りは少しずつ晴れていき、あれ程巨大な竜は何処にも見当たらない。それが現実感を更に失わせるのだ。

 

 もう一度何か言おうと、陽咲が口を開いた時だった。

 

 大好きな女の子が自分の懐から飛び出して行く。温かった体温が消え、周囲のまだ冷たい大気が襲って寂しさを覚えた。

 

 渚は、痛む左脚も無視して数歩走る。そして誰よりも愛しい何にも代えられない人へと飛び込んだ。ポニーテールは揺れ、涙がポロポロと空に舞い落ちて行く。キラキラと光って綺麗だ。

 

「千春!」

 

「渚」

 

「千春? 千春だ……生きて、生きてた‼︎」

 

「心配させちゃった。でも、大丈夫だよ」

 

 身長差から渚の顔は千春の胸に収まったようだ。何度も確かめる様に、消えないでと両手を背中まで回しているのが陽咲にも見えた。千春も、同じように抱き締め返している。

 

 出逢ってから今まで殆ど声など荒げなかった渚だが、我慢出来ないのかワンワンと泣き叫ぶ。そんな子供の様な泣き声を初めて聞いた陽咲は、さっきまであった感触が消えたことを酷く怖く感じた。

 

 憧れで強かった姉までもが涙を流している。その雫を見た時、陽咲は自分が抱えている感情が何かを自覚してしまった。実の妹より先に千春が迎え入れた事ではない。いや、それも僅かにあるが、もっと強い激情と呼べる暗い気持ちだ。

 

 そう、それは嫉妬だった。

 

 何度でもキスしたい大好きな人が、自分以外の女性に抱かれている。しかも、これ以上ない幸せを噛み締めて。あんな気持ちを向けられた事がないから、益々複雑な気持ちを整理出来ないのだ。

 

「陽咲?」

 

 じっと動かず、何やら睨む様に此方を見ている。それが分かって千春は首を傾げた。あの陽咲ならば我先に飛び込んで来そうなものだけど……そんな風に思いながら視線の先を確かめる。

 

「……成る程ね」

 

 態とらしく、胸元に居る渚の髪へキスを落とした。するとプルプルと震え出すもう一人の妹。それを見て更に追撃をかける。

 

「ね、渚」

 

「……何?」

 

 涙に濡れた可愛らしい上目遣いに少しだけ慄きつつ、真面目な顔をして返す。

 

「頬にキスして欲しいな。()()()()()でもしてくれた」

 

 ビクリと揺れる陽咲。確信を深める千春。

 

「うん、何でもする」

 

 あっさりと受けると、渚は踵を上げて背伸びする。やっぱり可愛らしい仕草だ。そのまま唇で千春の頬に触れ、それを数回も繰り返した。

 

 それを目の前で見せつけられた陽咲は、我慢出来なくなって早足で此方に駆け寄る。そして、渚の両肩に手を置いて曰うのだ。

 

「ね、ねえ渚ちゃん。お姉ちゃんも怪我してるみたいだし、そろそろ帰ろ? ほら、三葉叔母さんだって」

 

「……やだ」

 

 グニャリと歪む口と眉。それもしっかりと目撃した千春は我慢出来ずに吹き出すしかない。

 

「ふふっ……!」

 

「な、何よ⁉︎ 千春お姉ちゃん、くっつき過ぎだからね⁉︎ 渚ちゃんから離れてよ!」

 

「私が離れたくても渚がさ。仕方無いの」

 

 ニヤニヤと笑う千春と睨み返す陽咲。我関せずと千春の胸に顔を埋める渚。ほんの数秒だけ時間が経つと、もう一度だけ凛とした声音が響いた。

 

「陽咲も来て。早く貴女に触れたい」

 

 今度は悔し涙ではなかった。何年も彷徨い、探し続けた大好きな姉が、直ぐ目の前にいるのだから……

 

「……うん、うん、お姉ちゃんだ……千春お姉ちゃんが帰って来た……お姉ちゃん‼︎」

 

 三人の姉妹は抱き合い、一つになる。

 

 遠くで立ち止まった三葉は、その一つの影を見て……やはり涙が溢れて行った。それは間違いなく、幸福の雫だ。

 

 きっと、何かが変わったのだろう。

 

 そう思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




タイトル回収回でした。次回、最終話になります。


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流れ行く時のなかで


最終話です。


 

 

 

 

 

「成る程ねぇ」

 

「それから渚が白く消えて行って、無事に還る事を祈ったのは憶えてる。そのあと意識を失ったから」

 

「それで一緒に戻ったってこと?」

 

「実は私もよく分かってなくて。気付いたら近くにでっかいドラゴンが居るし、壊れたビルも見えたから……混乱から抜け出すのに時間が掛かった」

 

「まあ異世界からいきなりドラゴンじゃ、別世界だと思うわね、普通は」

 

「うん、怪我も治ってないから痛くてさ。アレは間違いなく致命傷だったんだけどな。不思議」

 

「……簡単に言わないでくれる? 陽咲(ひさ)なんて何年もアンタを探していたのよ? それに(なぎさ)なんてどれだけ痛々しかったか」

 

「そっか……叔母さんも心配してくれた?」

 

「当たり前でしょう!」

 

「ゴメンゴメン。でも大きな声出さないでよ。渚が起きちゃうから」

 

 千春(ちはる)はさっきから優しく撫でていた黒髪の方を見た。三葉(みつば)も思わず傍に横たわっている少女を見詰める。よく眠っているのだろう、緩やかな寝息に変化は無い。シーツに隠れているが、同じくベッドにいる姉に抱き着いているのは間違いなかった。その千春は上半身を起こしているから腰回りにくっついている筈だ。

 

「……渚ってこんなだった? 凄い違和感があるんだけど」

 

 三葉から見た渚は、氷の様に無感情で異常な能力を持つ狙撃手だ。異能も助けて超一流の兵士だと知っている。しかし目の前で眠るのは、姉が大好きな可愛らしい少女でしかなかった。

 

「マーザリグ帝国以外では"死の精霊"として恐れられてたらしいけど……私達はいつもこんな感じだった。ねえ、叔母さんは知ってるんだよね?」

 

「そうね。渚の三年間はカエリースタトスから聞いた。身体の傷や心も……もしマーザリグの奴等が居たらぶっ殺したいわね、今すぐ」

 

「……でもアイツらは長くないよ。異世界から異能者を集められなくなるし、私と同じで逆召喚される筈だから。それに、渚に酷いことした連中には罰を与えたよ」

 

 眩しい光を見る様に、三葉は思わず目を細めた。慈しむ様に渚の髪を撫で続ける指は綺麗なままだ。

 

 陽咲と違い、昔から利口で強い人間だった。将来は医者になると勉学に努め、奨学金すら手が届くほど。三葉は金の心配など必要ないと伝えていたが、それに甘える様な千春ではなかったのだ。今も変わらぬ美しき女性だが、更に強くなって帰って来た。

 

「貴女を診た医師だけど」

 

越野(こしの)先生?」

 

「そう。あんなだけど優秀な奴だから」

 

「分かってる。それで?」

 

 全てを理解している。千春の瞳はそう言っていた。だから三葉の口は勝手に話し始める。

 

「後で詳細は説明があるでしょうけど、千春の身体のこと。さっき聞いた召喚の間で受けた傷、完全には治らないわ。歩く事もスムーズには難しいって。脇腹も肩も100%には……残念だけど……」

 

「そっか……仕方無いね」

 

 やはり分かっていたのだろう。あっさりと認めた。

 

「千春……」

 

「後悔なんてしてないから安心してよ。あの時はアレしか思い浮かばなかったし、この子は自分の事なんて気にもしない娘だから……でも、今こうして渚がそばに居る。三葉叔母さんにもまた会えたし、陽咲の泣き顔を眺める時間も、ね」

 

 やはり少し痩せただろうか。艶が見事な長い黒髪も、知性の宿る瞳も変わってはいないが、千春も戦場で足掻いた一人の兵士なのだ。愛する姪を、可愛らしい渚を誘拐したマーザリグ帝国に、三葉は変わらぬ憎悪を覚えた。

 

「済まない……情け無い叔母だ、私は」

 

「んー、私からしたら三葉叔母さんも陽咲も変わってるから、そっちの方が吃驚だよ」

 

 暗い空気を感じて、千春は直ぐに話を切り替えた。三葉もそれを知り、顔を上げて答える。

 

「年齢のこと?」

 

「まあ陽咲が二十歳になってるのも驚いた。私と一つしか変わらないなんて」

 

 そうなのだ。千春は異世界で一年しか過ごしていない。しかし元の世界では五年が経過していた。何よりレヴリやPLなど存在していなかったし、国家警備軍など聞いた事もない。

 

「他にもあるの?」

 

 今や(あかなし)の姉妹は歳の離れた関係から双子の如くだ。

 

「陽咲は変わらず可愛いけど、叔母さんね、一番は」

 

「はぁ? 私が?」

 

「うん。だって、私が知ってる三葉叔母さんは、結構有名なアパレル関連の企業で、かなり偉い人だったし」

 

「……」

 

「それが第三師団?だっけ? 軍の偉い人になってる。髪も随分短い。背は変わらなくて小さいままだけど」

 

「アンタね……!」

 

「シッ、渚が寝てる」

 

「くっ」

 

 気にしている身長の事を指摘され、イラっと来た。勿論雰囲気を明るくするための気遣いだと分かっているが、だからと言って許せるものでは無いのだ。千春は理想的な身長とスタイルを誇る。脚など冗談みたいに長くて細い。自由に動けなくなった姪を見て、つい悲しくなった。

 

「あのレヴリ? 化け物は世界中にいるの?」

 

「そうね」

 

「ふーん、じゃあ……」

 

 その時、軍病院の一室、千春が入院した部屋の扉が開いた。ノックも、許可もしていない。

 

「千春お姉ちゃん! まさかと思うけど、渚ちゃんが……あ、あぁーーー‼︎」

 

 シーツから少しだけ頭を出している渚を発見し、病室という事も忘れて大声で叫ぶ。バタバタとベッドに近寄り、ぐぬぬと唇を噛んだ様だ。

 

「お姉ちゃん、まさか変な事してないよね?」

 

「陽咲じゃないし、してないけど?」

 

 する訳ない。つまり、下心満載なのはどちらか明らかだった。シスコンだった陽咲だが、向かう愛情は姉から妹へと移った訳だ。まあ妹に向ける感情とは思えないが。

 

「じゃあ何でベッドで抱き着いてる……」

 

「ちょっと、陽咲」

 

「ひっ……!」

 

 世界で一二を争う恐怖の対象、叔母である三葉の声が背後から届いた。

 

「此処は病院よ。しかもノックもしないで……子供に戻って教育をし直す?」

 

 ブンブンと頭を振り、真っ青な顔色に変化した様だ。何やら昔を思い出しているのかもしれない。

 

「ごごごめんなさい……気を付けます……」

 

「ふん。自称だろうが渚の姉を自負するなら、アンタが大人になりなさいな。キスも当分はお預けね、きっと」

 

「ええ……⁉︎」

 

「ふふっ……二人の関係だけは変わってないわね。少し安心した」

 

 千春の笑顔と声が伝わったのか、静かだった渚がもぞもぞと起き出して来た。ポニーテールも解かれているから、いつも以上に儚い雰囲気を醸し出している。左手で目を擦る仕草も可愛らしい。

 

「……千春?」

 

「おはよ、渚」

 

「おはよ」

 

 短く返すと、渚は再びシーツの中へ帰って行く。三葉や陽咲の存在は意識の外なのか、異能や経験から気付かないのは不自然だろう。

 

「ちょ、ちょっと渚ちゃん! 私が、私がいるんですけど!」

 

「私もね」

 

「渚、もう起きなさい。それに余りくっつかれると暑いよ」

 

「……うん」

 

 短い返事と共に身体を起こすと、ググッと背伸びする。チラリと見えたお腹と下着に、陽咲の視線は釘付けとなった。その様子を呆れた風に見る三葉。益々ヤバい奴になってるなと思う。仕方無く気持ち悪い姪から視線を外し、肌けたパジャマを千春に整えられている渚に問うた。

 

「昨日から此処にいるの?」

 

「朝から」

 

「部屋の前とか廊下にウチの兵士が見張ってたでしょ? 報告がないんだけど」

 

「見つかってないから」

 

「……そう」

 

 一流どころを配置した筈だが、精霊には意味が無かったようだ。

 

「あのさ、お姉ちゃんも怪我してるし、渚ちゃんだって治療の途中なんだよ? 勝手に病室から居なくなったら駄目じゃない。越野先生なんて、また怒ってたからね?」

 

「……分かった」

 

 特に反論もなく、渚は素直に従う。

 

「そ、それに浮気は駄目だよ?」

 

「浮気?」

 

 姉と叔母である自分が居る場所で、この姪は何を言い出すんだと三葉は更に呆れた。

 

「渚ちゃんと私は姉妹以上、恋人以上なんだから。この間、話をしたでしょう? 手紙の返事も未だなんだからね」

 

 恋人未満じゃないのか……呆れがどんどん強化されて三葉は天を仰ぐ。と言うか、返事してないなら妹未満で恋人でも無いだろう。

 

「手紙……帰ったらキスしたいって」

 

「約束!」

 

 間違いなく約束などしていない。遂に三葉は拳を握り、頭をブン殴りたくなって来た。このまま行けば花畑(はなばたけ)以上の変態に育つだろう。千春に至っては楽しそうに観察している始末だ。

 

 お尻をベッドの上で滑らせて、ゆっくりと床に脚を下ろす。そのまま立ち上がり、自称姉兼恋人の前に渚は立った。まさか怒られるのかと陽咲は固まる。

 

「陽咲」

 

「な、なにかな?」

 

「かがんで」

 

「あ、はい」

 

「目を閉じて」

 

「うん」

 

 そして、柔らかな感触が陽咲の頬を撫でた。ほんの少しだけ冷たくて濡れている。

 

「……渚ちゃん。唇は?」

 

「調子に乗らないで」

 

「だって私達付き合ってるよね⁉︎」

 

「付き合ってない」

 

「嘘だ!」

 

「お前等……此処は病院だと言っただろうが……」

 

 地獄から響く様な三葉の声。

 

 震え出す陽咲。

 

 知らん顔の渚。

 

 花が咲く様に笑う千春。

 

 

 

 世界は未だレヴリとPLに脅かされていても……過ぎ去った時間は取り戻す事が出来るだろう。

 

 陽咲の頬を思い切り引っ張りながら、三葉はこの時を噛み締めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 

 

 第三師団は''竜"との戦いで約半数の兵力を失い、三葉は責任を取って司令と軍を辞するつもりだった。

 

 しかし、他でも無い師団の皆が嘆願を提出して結果は翻る事になる。驚くべき事に第一、第二師団からも届いたのだ。

 

 これにより、戦力が減じた第三は形を変える。

 

 一度解体されると、新たな部隊へと再編成された。

 

「PL奪還特務部隊」

 

 PL解放に特化した特殊な部門だ。その力は日本国内に留まらず、世界の凡ゆるPLが対象となっていった。

 

 その象徴は、部隊長である三葉花奏ではない。

 

 代名詞と言える隊員は三名。その三人を支える為に、残る兵力は存在すると言っていいだろう。

 

 

 

 長女の(あかなし)千春(ちはる)

 

 彼女は本部隊の最高戦力にして、同時に世界最強の異能者だ。その殲滅力は"カテゴリⅠ"すら関係なく、()()としか思えない圧倒的な力を誇る。しかし反面、過去の戦いからか身体に障害を抱えて病弱でもあった。つまり、PL深部への侵入や連戦には注意が必要で、無制限に使える兵器とは違う。

 

 

 次女の(あかなし)陽咲(ひさ)

 

 念動(サイコキネシス)は汎用性、威力、継戦能力に長け、ある意味において部隊への貢献度は一番だろう。脚の不自由な長女を車椅子などを使わず運び、全ての戦場に踏み入る事が可能だ。また、解放後のPL跡地を復興する際に念動が大きな力を発揮する。瓦礫などの除去と運搬。その上負傷者までも運び出す事すら行うからだ。

 

 

 三女の遠藤(えんどう)(なぎさ)

 

 苗字の通り、長女や次女と血の繋がりはない。しかし、姉である二人が揃って話すのだ。渚が居ないなら私達は存在すらしていない。姉妹を強く結び付けてくれたのは彼女なのだ、と。真っ黒な銃を操り、特異な異能で世界を深く見詰める事が出来る。名高い三葉部隊長の"千里眼(クレヤボヤンス)"すら上回るとされる強力な視覚能力。PLの謎を解き明かした事でも有名となった。

 

 

 杠姉妹はメディアへの露出もそれなりにある事で、今や世界中の注目の的だ。理知的な姉と小動物の様な妹。彼女等はまさにアイドルと化し、美しい容姿も相まって凄まじい人気となっている。

 

 では、三女はそうでもないかと言うと全く逆だろう。

 

 頑なにメディアへ顔を出さない。パパラッチからも巧みに逃走し、とにかく謎多き少女だ。しかしそれが皆の興味を惹き、加熱して行く。数の力とは凄いもので、何枚かは静止画が出回っているようだ。二人の姉と同等、いやそれ以上の美貌が明かされると、もはや止まらない波へと変わった。

 

 だが、ある日から、それもパタリと止まる。

 

 世界最強の異能者、二人の姉の怒りが爆発したからだ。不埒を働く奴は一人残らず駆逐する。レヴリと同様に。そう宣言したのだ。慌てたのは各国の首脳だった。今やレヴリに対抗する最高戦力、その部隊がボイコットするかも……そうして、三女は不可侵の存在へと変貌したのだ。

 

 因みに、祖父であり日本有数の資産家である遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)の圧力と働き掛けがあったとされているが……噂の域を出ていない。

 

 一つだけはっきりしているのは……

 

 時に喧嘩をしながらも、日々を幸せに暮らしている事だろう。誰が見ても仲睦まじい姉と妹……そんな三姉妹なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 fin




此処までお付き合い頂いた読者の皆様、ありがとうございました。読み終えての感想など頂けたら嬉しいです。あと、もし良ければ評価も……それではまた何処かで。


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後日談
ハッピーバースデー 1


ふと書きたくなって、後日談を投稿します。三話構成。


 

 

 

 

 

「んー、これと、これかな。先ずは試着ね」

 

「……」

 

 南米のとある国にあったカテゴリⅡの異界汚染地(ポリューションランド)を解放し、国家警備軍PL奪還特務部隊は束の間の休息を得ていた。そして、つい二日前に日本へ帰国してから間も置かず、隊長の三葉(みつば)花奏(かなで)が命令を下したのだ。

 

 隊員である遠藤(えんどう)(なぎさ)へ、バースデーパーティーへの参加を。

 

 因みに、誰のと聞いたら二十一歳を迎える自称姉兼恋人?と答えが返って来たらしい。それだけならば未だ良かったが、祖父となった遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)が何故か張り切り、超高級ホテルのレストランを貸し切った。

 

 何より渚にとって憂鬱なのは"ドレスコード"が存在することだろう。

 

 お洒落どころか着る物や下着にも全く拘らない。髪も肌も、化粧なんて以ての外。周りが何度勧めても首を縦に振らなかった。今や日本どころか世界的に有名な"杠姉妹(あかなししまい)"さえ上回る美貌を誇ることもなく、はっきり言えばその辺にいる男の子と変わらない。いや、まだ最近の男子の方がマシだろう。

 

 それを憂う連中により画策されたのが、今回のパーティーだ。

 

 主役である筈の陽咲(ひさ)を差し置き、それで良いのかと渚も思った。しかし、その陽咲本人が最も楽しみにしているのだからどうしようもない。

 

 着飾った超可愛い渚ちゃんをお願い! 

 

 これが主役からのご注文なのだ。

 

 その願いを受け、渚を連れ回しているのは千春(ちはる)だ。杠姉妹の姉であり、世界最強の異能者。同時に依存し、ある意味で誰よりも大きな存在。渚が断り難いだろう相手なことも計算済みで、事実苦い顔をしながらも素直について来た。

 

 渚に介助される車椅子に乗ったまま、気になった服を見繕っていく。表情はとにかく対象的で、千春は凄く楽しそうだ。

 

「ほら早く。まだ行きたい店がたくさんあるんだから」

 

「……別に隊服でも良いはず。ドレスコードにも引っ掛からない」

 

 さっきからあの手この手で反論を繰り返す渚だが、勝ち目が薄いのは自覚している。だが、素直に試着を繰り返す気もない様だ。

 

「もう諦めなさい。今回の主役からのお願いなんだから。それとも渚だけ不参加にする? きっと悲しむだろうな、陽咲は。貴女が誕生日さえ知らずにいたのも、結構寂しかったらしいけど」

 

「分かってる。もちろん参加は、する、けど」

 

「だったら試着。急いで」

 

「……せめて私の」

 

「当然肌の露出は抑えるし、別にヒラヒラしたドレスなんて選ばないよ。ユニセックス中心にするから、ね?」

 

 渚の、マーザリグ帝国での日々は今も日常を蝕んでいた。眠りは変わらず浅く、千春か陽咲が抱き締めないと悪夢に魘されてしまう。特有の異能は場面を記録しており、トラウマすら上回る最悪の記憶だ。しかも、他の誰かが触れたならば、そんな悪夢が甦る。なのに、渚は誰かに助けを求める事もしない。

 

 そう、全てを忘れることなど出来ないのに。せめて薄まれば良いが、それさえも望めないのだ。

 

 だからせめて、杠姉妹は()()()()()を沢山刻むと決めていた。眩しくて、暖かくて、優しい日々を。二人の姉は、悲しい過去を背負った妹を少しでも救いたいだけ。思い切り甘えなさいと言葉にしたところで、儚き少女は首を縦に振らないのだから。

 

 悲しい事に、渚の肌には戦争の傷跡がまだ幾らか残っている。あのマーザリグの屑どもに刻まれた異世界の文字は消されたが、全てを消し去るなど不可能だったのだ。

 

 だから、千春が選ぶ服も露出の少ない比較的地味なモノになる。それでも色合いに拘り、下着くらいは可愛いデザインを選ぶ心算だ。

 

「じゃあ、待ってて」

 

「はいはい。行ってらっしゃい」

 

 困惑の表情を浮かべたまま、渚は試着室の中に消えていった。ポニーテールも解かれ、今や背中まで届く黒髪が揺れたのが可愛らしい。短くしたいらしいが、陽咲が絶対に許さないのだ。因みに千春も賛成だから、味方はいない。

 

「まあショートも似合うだろうけど」

 

 それほどに可愛らしい。自身が人目を惹く容貌だと千春は自覚していた。それでも、渚には敵わないと思っている。成長すれば誰もが振り返る美貌をきっと手にするだろう。まあ本人は望んでいなくとも、幸い陽咲が隣にいる。つまり、余計な虫も寄り付かせない。勿論千春も許しはしないが。

 

「そもそも渚の異能を誤魔化す力なんて誰もない、か」

 

 仮に、不埒で邪な輩が接近しても、渚の目から逃げる事なぞ不可能だ。陽咲や千春が側にいない場合でさえ、あの黒い銃がそれを認める訳もない。きっと無感情に伝えるだろう「マスター、敵が接近しています。殺しますか?」と。

 

 今日はその小煩いカエリースタトスを連れて来ていないから静かなものだ。

 

 すると、試着室のカーテンが開かれた。やっぱり不本意そうな顔色だが、諦めているようにも見える。

 

「着た」

 

「うん。あー、ちょっとこっちに来なさい。腰の位置が違う」

 

 車椅子に近づいた渚に手を添え、あちらこちらを整えた。

 

「はい、少し離れて」

 

 二本ほど後退り、可愛らしい少女が無表情のまま立っている。

 

「うーん、可愛い、かな。でも色がちょっと違うか。それに、ワンサイズ落としても良いかも。渚、これを羽織ってみて。そのあとこっちね」

 

 次々と現れる衣装達に、渚は大きな溜息を溢した。

 

 もう好きにして。

 

 それが、渚の心の叫びだろう。

 

 その日、合計四つの店を回り、稀代の狙撃手はヘトヘトになったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◯ ◯ ◯

 

 

 

 

 ホテルの17階に位置するラウンジを兼ねたレストラン。

 

 そこがパーティ会場だった。

 

 気軽に楽しみたいと言う主賓の要望で、半ブッフェスタイルとなっている様だ。ただ、並ぶ料理やデザート、そしてドリンク類も厳選されたもので間違いない。随所に飾り付けもされているが、下品な感じもなく、落ち着いた雰囲気を残していた。

 

 バーラウンジも格式高い造りだし、テーブルやチェアもアンティーク風。いや、本当に歴史あるものだろう。緩やかな音色はピアノの生演奏で、各所のランプなどを眺めれば幻想的と言っていい。

 

「うそでしょ」

 

 なんと受付まで設置されている。巨大な扉の向こうに見えた会場に、渚は呆然と呟いた。見たこともない豪奢な場所だから、ドレスコードを求めるのを嫌でも理解させられる。これが一個人の誕生日会なのか。それが渚の「うそでしょ」に込められていた。

 

「渚ちゃん? ほら、署名を」

 

 何度か顔合わせをしていた男が馴れ馴れしく話し掛けてきた。ソフトモヒカンは変わらず、今日は珍しくスーツで決めているようだ。

 

「お花畑。何してるの?」

 

「それ三葉隊長の口癖……はぁ、僕の名前は花畑ですよ。何をって参列者の受付を仰せつかりまして?」

 

 情報士官が受付。もう意味が分からなくなった渚は無言でペンを手に取る。"遠藤渚"とサインすると、何やら手土産まで渡された。誕生日会と言うより結婚披露宴に近いが、渚は詳しくないために気付いていない。

 

「いやぁ、しかし可愛いらしい。こんな格好なんて普段しないから新鮮だ。さすが渚ちゃん」

 

「……ほっといて」

 

 花畑(はなばたけ)多九郎(たくろう)は本心から声にしたのだが、当人はグニャリと眉を歪ませる。千春から数えるのも馬鹿らしいほど言われたので、辟易していたのが正しい。何度も可愛い可愛いと言葉にするものだから、渚も慣れるしかないのだ。

 

「無理無理。誰でも構いたくなる可愛らしさですから。ね、大恵(おおえ)さん」

 

「ええ、ええ。花畑さんのおっしゃる通り、渚お嬢様の愛らしい姿、この大恵も寿命が伸びる気がしますな」

 

 渚の一歩分うしろ、影の様に控えていた大恵が返す。今は主人から離れ、大切な遠藤家の孫娘に付き従って来たのだ。このホテルまで送迎したのも大恵だし、手土産もさりげなく渚から回収している。レディースのハンドバッグ以外、荷物など遠藤家御令嬢に持たせる訳にはいかないのだ。見事な執事然とした立ち姿、穏やかでバリトンの効いた声。渚の胡乱な視線も軽く流していた。

 

「もういい。入って良いの?」

 

「それは勿論。主役ですから」

 

「主役は陽咲でしょ」

 

「おっと、そうでした」

 

 タハハと笑った花畑がどうぞと促す。大恵も「参りましょう、お嬢様」と誘導を始めた。

 

 信じられないほどフカフカのカーペットを踏み締め、奥に進んで行く。何人か警備軍の仲間の姿があり、渚はますます恥ずかしくなった。()()()()()()()()()()なんて着た事などないからだ。

 

「何がユニセックスを選ぶ、だ。千春に騙された」

 

「お嬢様、何か?」

 

「何でもない」

 

 淡い花柄のボウタイパフスリーブブラウス。文句をつけたら「白が基調で大人しいのを選んだけど、もっと派手にする?」と返され却下。黒っぽいフレアスカートは膝下まで隠すロングで、肌を晒したくない事情も考慮済み。ローヒールなのも慣れない妹を気遣ったからだ。渚としても、あれやこれやと戦ってみたが姉は手強い。

 

 幾人かの女性隊員、つまり顔見知りが唖然とした表情と視線で渚を追う。誰もが想いを口にするが、さすがに本人には届かない小声だった。

 

「うん可愛い」

「分かってたけど、着飾ると破壊力凄いね」

「我が部隊のお姫様だもの」

「あー、渚ちゃん、ギュッてしたい」

「ちょっと、馴れ馴れしく触れたり"ちゃん"呼びしたら殺されるよ?」

「え⁉︎ だ、誰に?」

「そんなの杠姉妹に決まってるでしょ。あと三葉隊長も何気に溺愛してるし」

「うそぉ」

 

 渚がごく普通の少女ならば皆が集まり囲うようにするだろう。しかし、彼女の特殊性や精神的な負担を考慮し、全員が一定の距離を取っているのだ。いわゆるマスコット的な立ち位置なのだが、御本人にはバレていない。そんな風に隊から愛でられているのが現在の渚だ。

 

 あの異世界では"死の精霊"。こっちでは"お姫様"。そのギャップも彼女の自覚なき可愛らしさが生み出している。

 

 

 

 

 

 



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ハッピーバースデー 2

 

 

 

 

 

 見渡しても(あかなし)陽咲(ひさ)は居ないようだった。まだパーティーも始まっていないし、特に不自然な事ではない。ないが、(なぎさ)はほんの少しだけ違和感を覚えた。この真新しい衣服を纏った渚を見学にも来ない上に、姉である千春(ちはる)の姿もないからだ。

 

 もうかなり長い付き合いとなっている杠姉妹。だから渚もある程度の性格を掴んでいて、特に陽咲が渚を暫く放っておくのは珍しい。

 

「渚お嬢様。あちらが席の様ですな」

 

 付き従っていた大恵(おおえ)から声が掛かり、その方向に目を向ける。綺麗に整えられた眉が歪み、明らかに不審気な色合いが強まった。

 

「あれはどう見ても主役の席」

 

「ですが、名札がございます」

 

 当然にそんな事は分かっている。異常とも言える視覚能力を持つ渚にとって、僅か数メートルの距離など無に等しい。だから、折った紙の名札が立っているのもハッキリと見えるのだ。見事な筆致で"遠藤渚様"と書かれている。

 

 納得出来ないのは、明らかなメインテーブルに置かれているからだろう。そして、ここまで来れば渚もさすがに理解していた。

 

「……大恵も知ってたんでしょ。騙すなんて」

 

「はて、これは人聞きの悪い。しかし、こうでもしないとお嬢様は逃げ出してしまいますから」

 

「でも、陽咲の誕生日なのに、無関係の私が」

 

「ごめん、渚。陽咲の誕生日、ホントは今日じゃないの。あと無関係なんて言ったら陽咲が泣くからね?」

 

 振り返ると、杠姉妹の叔母にして、隊長の三葉(みつば)花奏(かなで)がフワリとした笑顔を浮かべていた。まだ少女然とした渚と同じくらいに小柄で、ショート髪も相まって随分若く見える。実際には四十を超えるのだが、誰も信じられないだろう。

 

「三葉隊長……ううん、それより誕生日じゃないの?」

 

「そう。まだ一カ月は先」

 

「プレゼント、買っちゃダメって煩かったのも?」

 

「だね」

 

「なんでそんな」

 

「その事については貴女のお祖父さんに聞いてくれるかしら?」

 

 手に持っていたスマートフォンを三葉は操作し、そのまま渚に渡す。渋々な感じを隠しもせず、耳に当てた。

 

「……もしもし」

 

『おー、渚か。遠藤のお祖父ちゃんだよ』

 

「ふざけないで」

 

『ははは、我が孫娘は照れ屋さんだからな。しかし言っておこう。儂の様な老い先短い』

 

「優しくしろでしょ。大体さっき会ったばかりだよね」

 

 若い者同士楽しんで来いと、送り出したのがついさっきのことだ。老人はこんなとき割り込んだりせず家で待つと宣っていた。更に言うならお小遣いとはとても言えない額の金を渡し、護身兼執事として大恵まで張り付けたのだ。恐らくだが、今着ている衣服もこの爺様の懐から出ているだろう。

 

『そうだったか? ふむ、言い忘れていたが、そのホテルは儂の経営する会社がオーナーだ。遠慮なんて要らん。それと其処に一室用意したから、ゆっくり休んで明日にでも帰って来なさい。良いな、渚』

 

 間違いなく最上位のロイヤルスイートルームだ。「遠藤家唯一の孫娘が来ている」たったそれだけでこのホテルの支配人は極限まで緊張し、全力を尽くしているのは間違いない。エントランスで従業員共々列になり、深々とお辞儀をしていたのはその為だ。まあそれを見た渚は、可愛らしくビクリと震え吃驚していたが。

 

「それより、今日のコレ、なに。陽咲の誕生日じゃないって」

 

『もう分かっているのではないか? お前の姉達が用意し、儂がほんの少しだけ手伝ったんだよ。隊の皆も渚とたくさん話がしたいと聞いているが、何より感謝の気持ちを伝えたいそうだ。異界汚染地の解放も、姉達の幸せも、渚との絆が導いたのだからな』

 

 違う。そう渚は答えたかった。今日があるのは全てが偶然で、結果的には千春の存在こそ大きい。もちろん陽咲の働きや三葉の力、隊の支援があるからだ。未だ過去から逃げられない自分に、何かを期待しないで、と。

 

 否定の言葉を紡ごうと唇を震わせたとき、耳に当てたスマートフォンから老成し落ち着いた声が聞こえてくる。

 

『今、違うと答えるつもりだっただろう? そんな渚だから、今日の些細な嘘が必要なのだよ。もう一度言うぞ。皆と楽しみ、ゆっくり休んで明日にでも帰って来なさい。良いな?』

 

「もういい。分かったから」

 

『くくく、それでいい。ではな』

 

「じゃあ」

 

 通話の切れたスマートフォンを返す。そして、ニヤニヤ顔を隠さない三葉が受け取った。ウンザリする渚だが、この隊長には何を言っても無駄だ。まだ短い付き合いであっても、非常に有能で同時に中々の性格をしていると理解していた。千春や陽咲の叔母なのだから当たり前かもしれない。

 

「さあ渚、座りなさいな。でないとパーティーが始まらないわ」

 

 もう観念したのだろう。特に反論もせず、お尻を椅子に下ろした。それを確認した三葉は何処かに合図を送り、直ぐにピアノの生演奏が再開する。緩やかな音色が会場を包むと、奥の扉が開き、参列者に飲み物が配られていった。

 

 そして、

 

 メインテーブルから見て側面のカーテンが左右に分かれれば、渚の目に二人組の女性達が映る。まあ特に意外でも何でもない、杠姉妹の二人だ。

 

 片方は車椅子に座り、それでもスラリとした美を誇っていた。変わらぬ長い黒髪は見事に編まれ、より美しさを際立たせる。大人びた女性の空気を纏っているのは錯覚ではないだろう。

 

 その車椅子を押すもう一人は、オリーブベージュに染めたショート髪も助け、何処か幼さを残している。満面の笑顔は大輪の花を想わせて、名前をそのまま体現していた。

 

「はい、陽咲」

 

「え⁉︎ 私? お姉ちゃんじゃないの?」

 

 マイクを渡された陽咲から笑顔が消え、分かり易く動揺している。

 

「え、えー……ほ、本日はお日柄も良く」

 

「固い」

 

「う」

 

「仲間ばかりなんだから、普通にしなさいよ。渚なんて呆れてるし」

 

 ()()()()()()緊張して渚を見ていなかった陽咲は、大好きな少女を視界に入れた。するとピシリと固まり、そのあとジットリと眺め始める。遠慮もなく、寧ろ少しキモい。着飾った渚がちょこんと座っているから仕方ないのだろうか。

 

「もう可愛過ぎて見てられない。そうだ、撮影を」

 

「いや、見過ぎだから。それより早く喋りなさい、陽咲」

 

 我に帰り見渡せば、誰もが生温かい視線を送っている。

 

「あ、えへへ。じゃあ、改めて……今日は何の日か渚ちゃんは知ってるかな?」

 

 知るわけないでしょうと冷たい視線が返って来た。そもそも喋っている陽咲の誕生日だと言われて参加しているのだ。何やら異能で見詰められている気がして陽咲も引き攣った。ちなみに、怒った顔も可愛いと内心悶絶しているのは内緒だ。

 

「お、怒らないでって、ね? 直ぐに分かるから。えー、それでは、みなさん分かってますねー? いい? 三、二、一」

 

「「「ハッピーバースデー、渚ちゃん!!」」」

 

 バックミュージックでは知られた誕生日向けの曲が流れ始めた。ばっちり段取りも出来ていて、準備されているのが分かる。だが、対する主役のお嬢様は困惑の表情に変わった。まあそれも想定内なので、慌てず陽咲はマイクを握り直したようだ。

 

「うーん、やっぱりね。自分のことだと本当に鈍感なんだから。あのさ、渚ちゃん。以前に遠藤さんから見せられた戸籍謄本覚えてる?」

 

 渚は見たものを忘れない。が、強い印象に無かったものは意識しないと浮かんで来ないようだ。

 

 年齢不詳、身分も不明。それでいながらカエリースタトスと呼ばれる凶悪な武器を所持していた渚。見た目から非常に若い事もあり、当時の第三師団司令であった三葉が画策し、遠藤征士郎が実行したのだ。それは彼女の身柄を確保し、同時に守るためだった。

 

 つまり、戸籍の偽造だ。

 

 祖父に遠藤征士郎、父は遠藤久信(ひさのぶ)。久信はあのマーザリグ帝国があった世界で、別の国の国王となっている。渚自身は会ったことも話した事もないが、帰還の技術を千春に伝えたのが彼だ。ある意味で一番の功労者かもしれない。

 

 そして、異能により記憶を見直した渚は溜息をつき、続いて呟いた。

 

「出生日、今日と同じ」

 

「うん、さすが渚ちゃん! つまりぃ、今日は、渚ちゃんの誕生日なのです!」

 

 示し合わせたかのように、皆から祝福の声が掛かった。口々におめでとうと言い、中には"お姫様"と喋ってしまって周りに口を覆われた人もいた。

 

 無表情を貫いているが、僅かに染まる頬を見れば渚の心境は分かり易い。そんなところも可愛いと、陽咲だけでなく隊の全員が笑顔になった。

 

「プレゼントのお披露目は後で行うとして、まず乾杯しよっか。はい、渚ちゃんはアップルジュースね」

 

 果汁100%の濃縮還元でもない搾りたてだ。

 

「乾杯の音頭はお姉ちゃん、お願い」

 

「はいはい。じゃあ準備は……良さそうね。最高の狙撃手にして、異界解放の旗手。そして何より、我が隊全員の妹であり娘。そんな渚の誕生日を祝って、乾杯!」

 

 千春の掛け声に合わせ、皆が杯を掲げた。何気に渚も小さくだが合わせたようだ。

 

 ただ、"妹であり娘"と言うワードでは少し固まっていたが。

 

 お姫様と言う愛称まであるのを知らないのは、やはり幸せなことなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 



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ハッピーバースデー 3

最終話です。


 

 

 

 大勢の隊員達に話しかけられて、(なきざ)は少しだけ疲れを感じた。元々体力がある方でないし、コミュニケーション能力に長けている訳でもない。だが、そんな精神的負担も、疲労でさえも不思議と心地良いのだ。

 

 今も、陽咲(ひさ)千春(ちはる)以外に触れられたなら悪夢が甦ってしまう。それを誰もが知っている為に、不用意に近付いたりはしていない。それでも、何人かとは記念撮影だって行った。お姫様のサービス満点な対応に、皆が喜びを感じていたりする。

 

 そんな人の流れが止まり、渚は改めて席に戻った。目の前には冷えたアップルジュースが再び注がれており、直ぐ隣にはブラックコーヒーも用意されていた。主役の好みをホテル側も把握していて、さり気ない心遣いは凄いと思う。

 

 僅かな時間だけ悩むと、コーヒーを選んだようだ。丁度良い熱さ、芳しく香ばしい香り。一口飲んでみれば、期待通りの味だ。

 

「美味し……」

 

 そして二口目を喉に流し込んだとき、会場内の灯りが力を失う。つまり、明度が落ち、何かが始まることを知らせているのだ。

 

 パッとスポットライトが照らした先には三葉(みつば)と千春の姿。手にはマイクを持っていて、分かり易い司会者の立ち位置だろう。

 

宴も酣(えんもたけなわ)だけど、みんな付き合ってちょうだい。渚、此処に来てくれる?」

 

「三葉叔母さん、宴も何とかって古くない?」

 

 千春のツッコミも華麗に無視して、渚を誘導する。一方の渚だが、既に嫌な予感を感じ取っており、明らかな及び腰だ。彼女は愚鈍でもないし、間抜けでもない。未来予知などの異能は持ってないけれど、陽咲の姿が無いのが確信を強めていた。

 

 そして其の渚の不安に気付かない姉、つまり千春でもない。だから、そんな姉が続ける言葉に耳を傾け、渚は動けなくなった。千春の存在は今も、渚にとって最も大切なのだから。

 

「渚。今日のパーティーは陽咲が頑張って準備したんだよ? 確か二、三ヶ月前からかな。貴女に喜んで貰えるよう、少しでも隊に溶け込めたならって。こんな言い方なんて恩着せがましいのは分かってる。でも、ちょっとだけ話を聞いてあげて」

 

「……うん」

 

「ありがとう。じゃあ始めよっか。陽咲、いいよ」

 

 再び扉が開き、カチコチに固まった陽咲がゆっくりと歩いて来る。誰が見ても緊張の極度にいて、同時に強い決意を固めた瞳だ。

 

 そして、立ったままの渚の前で直立不動になるもう一人の主役。

 

「渚ちゃん……」

 

「陽咲」

 

 真っ赤な顔、震える両手と脚。フラフラと彷徨っていた視線は漸く渚に固定される。そうして片膝をつくと、今日の主役を見上げた。

 

「……あのとき、カテゴリⅢの赤鬼と戦って、私は死を覚悟したの。でも、気付いたらレヴリは倒れてて、初めて渚ちゃんに出会った。それから何度も何度も助けてくれて、ううん、それどころか異界汚染地の謎を解明して、魔力の存在も。だから、貴女は私達にとって、返し切れない恩のある女の子だね」

 

「そんなこと……私なんかより千春が先に還って来てたら」

 

「うん、渚ちゃんの気持ちは分かってるつもり。確かに、もしかしたらそうかもしれない。でも、そうだったら私は渚ちゃんと会う事も無かった訳でしょ? そんなの、考えるだけでも泣いちゃうよ」

 

 陽咲の心からの声に、渚は二の句を告げる事が出来なかった。何より自分も、陽咲と出会わなかった世界など想像したくもない。

 

「そして私は、もう知ってるだろうけど、渚ちゃんに恋をした。誰よりも大好きだし、誰よりも幸せでいて欲しい。愛してるの、キミを」

 

 足先から頭の天辺に向け、不思議な痺れが走る。こんな感覚、渚は今まで味わった事がなかった。そしてとにかく恥ずかしい。全員がこっちに注目していて、一言一句に耳を傾けているのだ。だけど、陽咲を止めることもやはり出来ない。

 

 陽咲は手の中にあった()()念動(サイコキネシス)を発動した。フワフワと浮かんで、クルクルと回っている。それは非常に小さくて、でもキラキラとライトの明かりを反射した。

 

 一方の渚は身体を軽く、優しく抱き締められる感覚に。そう、世界最高峰の念動が包んだのだ。渚の異能であろうともその力は視界に捉えられない。

 

「だから、結婚してください!」

 

 目の前の宙空に浮き、クルクルキラキラしていたのは"指輪"だ。だからある意味で、陽咲のお願いはバッチリ合っている。合っているが、渚は眩暈しかしない。こんな大勢の前で、姉や叔母が見守る場所で何を言ってるんだと思った。

 

「……此処で返事をしろと?」

 

「結婚して! 私は本気だから!」

 

 話が通じない。もう返事を貰えるまで動かない気だ。そもそも念動に包まれた渚も脱出不可能だけれど。渚は諦観に襲われ、なぜか笑いが込み上げてきた。もうなる様になれと思う。

 

「分かった。じゃあしっかり聞いて」

 

「はい!」

 

「いや、無理だから結婚なんて」

 

「何で? 無理な理由は?」

 

 その返答に、陽咲は悲しみを浮かべたりしなかった。寧ろ予想通りだったのだろう。

 

「そんなの……私の過去を知ってるでしょ。今更忘れたりなんて出来ない」

 

「勿論知ってる、キミの異能も。だから、それごと渚ちゃんが欲しい」

 

「……私は見ての通り女だけど。陽咲も女性だよね?」

 

「前にも言った。関係ないよ」

 

「で、でも」

 

「ねえ、私のこと好き、嫌い?」

 

「そんなズルい質問に答えたくない」

 

「千春お姉ちゃんが好きなの? でも、お姉ちゃんだって女性だよ?」

 

 言葉に詰まる。自分でも分からない感情だった。間違いなく千春を愛しているが、それがどんなカタチをしているのか本人でさえ不明瞭なのだ。ずっと昔、自分が男だった記憶と事実は誰にも話していない。それどころか、生涯明かす気も無かった。

 

「私の目をしっかり見て、もう一度、聞かせて。渚ちゃん、私と結婚しよう?」

 

 余りに真摯に、隠す事ない愛情を向けられて、普段冷静な渚でさえ動揺している。心の中と心臓は激しく踊り続けた。こんな大勢に凝視されること自体に慣れないのもあるだろう。視界には千春や三葉もいるのだ。

 

「……無理だよ。私の身体……ううん、()()子供で」

 

「うん」

 

()()()結婚なんて」

 

「うん」

 

「大体こういうのは()()()()()にするもの」

 

「それが答え? 渚ちゃんの本心なんだね?」

 

「……そう。だから、ごめんなさい」

 

 まだ動揺から抜け出せない渚の、だからこそ感情そのままの言葉達。渚もやはり傷付いていたが、それでも紛れもない()()だ。

 

 だから、もしかしたら泣き出すかもしれない陽咲に視線を合わせる。だが、目の前にいる彼女は爛々と瞳を輝かせ、これ以上ない笑みを浮かべていた。まるで陽の光の下に咲く満開の花のようだ。

 

「……?」

 

 どうして嬉しそうなのか、渚は分かっていない。つい先ほど溢した"答え"が何を意味していたのかを、彼女自身が理解していないのだ。

 

 それを知った陽咲は、解答を教えてあげることにする。もう渚が可愛すぎて我慢出来ないのもあった。

 

「渚ちゃんは未だ子供で、直ぐには難しくて、本当は二人きりで話すことだったね。うんうん、確かにその通り、さすが渚ちゃん」

 

「……あ」

 

 バラバラだった断り文句達を並べたとき、渚は全く別の意味になる事に気付く。陽咲の笑顔も、「それで良いのよ、渚」と頷く千春も、ニヤニヤ顔を隠す気もない三葉も、全部が見えた。

 

「あ、あの、さっきのは」

 

 何より、自分の熱くなった頬が否定を許してくれない。

 

「大丈夫、私に任せてね。だって、私達は今日、()()したんだから!」

 

「婚約?」

 

 稀代の狙撃手は茫然と呟いた。そう、頬を真っ赤に染めたままに。すると、千春の乗る車椅子を押しながら三葉が二人に近づいて来た。そして、渚と陽咲の間で止まると、厳かな声で宣言を求め始める。周りの参列者も静かにその瞬間を待ったままだ。

 

(あかなし)陽咲(ひさ)。指輪を」

 

「はい!」

 

 フワフワと、キラキラと、指輪が渚の左薬指へピタリとはめられた。そして渚も突き返したりしない。諦めた訳でもなく、それが自然な事と思えたからだ。輝きを放つ指輪をボンヤリと眺める。

 

「私と、陽咲」

 

「渚ちゃん、受け入れてくれてありがとう。これからは私がずっと護るから」

 

 長い間、渚が陽咲を護ってきた。一人の守護者として。しかし今、その任務はある意味で解かれたのだ。そして、その言葉を宣誓とするために、千春は二人に問い掛ける。

 

「誓う?」

 

「誓います」

 

「渚も良いね?」

 

「うん」

 

「では此処に、陽咲と渚の婚約を宣言し、それを姉の私と」

 

「叔母の私が」

 

「「証明します」」

 

 ワッと歓声が上がり、万雷の拍手も合わさる。陽咲は「みんなありがとう!」と返していった。そのあとギュッと渚を抱き締めると、小さな身体を持ち上げたのだ。細く軽い婚約者を抱き上げるのに、念動なんて要らない。

 

「渚ちゃん!」

 

 んー、と唇を突き出す陽咲。

 

 あと少しで念願のキスが達成されそうな瞬間、渚は間に手を入れた。ブチュと手の平に口づけをした陽咲は慌てて顔を離す。

 

「ちょ、何でダメなの!」

 

「調子に乗らないで」

 

「うぅ、いつもの渚ちゃんに戻っちゃった……」

 

 会場は笑いの渦に包まれて、緩やかなバースデーソングが風の様に流れていく。

 

 そして渚も、小さく笑顔を浮かべる事が出来た。

 

 もしかしたら本当に生まれ変わったのかもしれない。

 

 今日という日に。

 

 そう、誰かが言ったのだ。

 

「ハッピーバースデー」と。

 

 

 

 

 

 

 




ここまで読んでくれた皆様。ありがとうございました。約二年半前に完結した作品ですが、如何だったでしょうか? それではまたどこかで。


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