少年は一人空港のベンチに腰掛けていた。フライトの時間まではまだ少し余裕があり、約3年間過ごした海外での生活の思い出に耽っていた。
「長かった、かな…」
小学校卒業と同時にアメリカに来て、慣れない土地と慣れない言語にもなんとか慣れつつ、楽しい野球生活も送れた。そのまま高校生活も送ると思われた。
しかしそんな中、またしても親の都合で日本に帰国することが決まった。自分だけ残ることも考えられたが、日本での生活そして日本の野球にも興味があった少年は両親と共に帰国することが決まった。2人は仕事の関係で先に日本に戻ったが、少年は少し長くアメリカで生活し、中学校卒業後帰国することにした。
「「「「ショウー!」」」」
「おぉ!お前ら!来てくれたのか!」
近づいてきたのは共に学校生活を送った友達だった。日本から来て言語や生活に不安だった少年に優しく接してくれ、共に野球を楽しんだ仲間だった。
「当たり前だろ、お前は俺のライバルなんだからな」
ガタイのいい少年は捕手としても主将としても4番としてもチームを引っ張った頼れる相棒だ。いずれメジャーにも挑戦すると、自分と似た夢を持っていた。
「キャッチャーだろうが。そこは相棒って言っとけよ」
「相棒でもあるが、ショウとのバトルも楽しいんだよ」
「おー怖い怖い、けど最高にヒリヒリしちゃうね」
2人は共に他のどの競技よりも野球を愛し、よく2人で練習をしていた。その中で真剣勝負を何度もした。
「寂しいなぁ、ショウはこっち残ると思ってたのに」
「それもありだったけど、日本の野球も悪くないから味わってみたかったんだよ。まだ拗ねてんのかソフィ、許してくれよー」
「「「はははっ!!」」」
少年は両手を顔の前で合わせて擦りながら謝る。3人はそんな光景を微笑ましい表情で見守った。
「もう…」
少女は悲しげな表情でもあり、仕方ないなという表情だった。彼の野球に惹かれ、彼の心に惹かれた少女は離れてしまう彼が恋しかったのだろう。
「トーキョーだっけ?ショウが行くとこって」
「ああ、なんでもある日本の首都だからお前らも来たら案内くらいしてやるよ!」
「ハハッ!楽しみにしてるよ」
「だな!アキハバラとかアサクサとかな!」
センターラインを担った2人は少年から日本のアニメを聞き影響され、アニメ好きになった。センス抜群で明るい彼らは日常生活でも野球でも少年を援護し、鼓舞してくれた。
『まもなく〜〜の国際便が〜』
そんな思い出話やらをしている内に少年のフライトのアナウンスが流れ始めた。そろそろ向かわなければならない。
「おっと、そろそろ時間だな」
「だな…」
「なんだお前ら、俺がいなくて寂しいのかー?」
「うるせーよ!全く…」
「さっさと日本の頂上にでも立って、こっち戻ってこいよ!俺はいつかお前からホームラン打つんだからよ!」
「日本でもってなんだよ、俺はこっちでも頂上取ってねえっての!それにどっちかっていうとお前には球を受けて欲しいんだけどな!」
2人はそう言い合いながら握手をする。時に互いを支え合い、時に互いを高めあった。互いにまた会おう、そのような気持ちが強く結ばれる握手から溢れている。
「じゃあね…ショウ…」
「そう凹むなって、ソフィ。たまにこっちくるかもしれないしなんなら日本に来てくれよ。それに向こうの大会の時とかに来てくれれば俺の野球が楽しめるぜ!」
「調子乗んなっての、ショウ!」
「ははっ!」
「…わかった!絶対行くから!」
「ほれ、とっとといっちまえ」
「ああ、またな!また野球しようぜ!」
そういって手を振りながら少年達の元から離れていった。
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少年少女達は彼が乗っているであろう飛行機が空港から空へと飛び立っている姿を見ながら、彼を思う。たった数年間ではあるが、彼の野球好きには驚かさせらてばかりだった。
「いっちまったな、あいつ」
「あの野球大好き人間は…」
「ああ、他のスポーツとかそっちのけで野球のことばっかだな」
「あいつらしいけどな!」
相棒と呼ばれた少年は彼のボールを受けた瞬間を思い出す。彼は野球に関してはなんでも驚くことばかりやってきたが、その中でも最も彼が魅力的だと感じるのは彼がマウンドに立っている時だった。少年は思う。一球ごとに進化を重ねているように、ひたすらに野球というスポーツの高みに駆け上がっているように、心揺さぶられるのだ。
そしてまた彼の球を受けたいと思う。そして彼と対峙して、真剣勝負がしたいと。
待っているぞ
少しだけ時が流れた頃、少年は…
「ここか、青道高校は」
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「ここか、青道高校は」
少年は高校を巡っていた。日本に戻って数週間が経ち、ようやく日本に慣れ始めた。アメリカの学校は日本と若干行事の時期がズレている(卒業や入学の時期が日本と違うため、ここでは主人公は6月頃にアメリカで中学生を卒業し、その頃御幸世代が中学3年生を過ごしているということにしておきます)。少年は卒業し、その後アメリカを8月の末頃に離れたため、高校生の夏は終わっていた。秋ごろに入ればほとんどのチームが来年の戦力を中心に練習を行う。見て回るのにちょうどいい時期と言える。無論彼が見ているのは野球部だ。それも強いチームではなく、良いチームを探していた。強いチームに行くのも悪いことではない。むしろ将来的に考えれば普通なことだ。強い高校に行き、優秀な仲間と共に甲子園に行けばそれなりに将来にも生かせるだろう。上手くいけばプロも視野に入れれるだろう。しかし彼の考えは少し違う。いい仲間といい環境で野球に打ち込みたいのであって別にそれは強い高校であればいいという話ではない。見ているのは野球の質と人の質だ。
少年は東京の中でも西側だったため、西東京のチームを見て回った。名門と呼ばれる稲代実業や市大三高など、流石強豪といったところか中々良い雰囲気であった。しかしあまりしっくりくる高校はなかった。悪くないと思う高校もあったにはあったが、なんとなくといった感じだった。そして今に至る。
「へー、流石にここも名門と言われるだけあるね」
青道高校は両親の母校だった。スポーツに力を入れているが特に野球が有名で、最近でこそ全国の舞台には立てていないものの強いことには違いない。両親からそういったことを聞いていた少年はグラウンドでの練習風景を見てそれを理解した。
練習もきっちりしている。打撃に特化しているらしいがその通り鋭い打球が飛んでいる。そんなバッター達と対峙すれば自分のレベルアップにもつながるだろう。後は投手と捕手だが、どうにも場所がわからない。
野手陣の練習を一通り見終わり、投手陣を見たいと思っていたところで、少年は大人っぽい美人でメガネをかけた女性に声をかけられた。
「あら、貴方は見学の子かしら?」
「あ、そうです。」
「どうかしら、うちの野球部は」
「Not bad.良いと思いますよ。名門と呼ぶにふさわしい雰囲気ですし、練習の質も野手の守備も打撃も悪くないと思います。ところで、貴方は?」
「ああ、ごめんなさい。私は青道高校野球部副部長の高島よ」
高島という女性はメガネをクイっと上げながら自己紹介をした。
「ここの方でしたか、ちょうどよかった。投手の方達はどちらに?」
「あら、ブルペンを探してたの。ならこっちこそちょうどよかったわ。今から彼と向かおうとしてたのよ」
高島という女性の少し後ろから自分と同じくらいの少年が近寄ってきた。
「お前も青道を希望してるのか、俺御幸一也。よろしくな」
「Nice to meet you!あっ、よろしく。竜崎昇一だ。別に希望してるわけじゃないよ。今はいくつか見て回ってどこにしようか考えてるんだ、とりあえずよろしく、御幸」
2人は自己紹介をして握手をした。アメリカでの生活に慣れすぎた竜崎はすっと手を差し出し御幸はそれに応じた。
「竜崎は地方からきてるとかなのか?ここらじゃ見ないけど」
「ついこの間アメリカから帰ってきたばっかだからね。中学の間はアメリカで野球してたよ」
「へー、それは気になるねぇ」
御幸は目を細めながら少年を観察している。
「アメリカ、ね。さあ自己紹介も済んだところで2人とも、ブルペンに行くわよ」
「案内よろしく、礼ちゃん」「お願いします!」
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「ここが一軍のブルペンよ、主力選手が投げているわ」
高島に案内された場所は一軍の投手が投げ込んでいるブルペンで、今も一軍の選手と思われる選手達が数名、投げ込みをしている。
「へー、良い設備だな」
広いブルペンにしっかりしたマウンド、いい設備である。
「ああ、設備だけじゃなくて良い選手もいるけどな」
「知ってるのか、御幸」
「あそこで受けてる人が滝川・クリス・優ってキャッチャーだ。打てる、守れる、強肩、冷静沈着、めちゃくちゃすごい人だよ」
御幸の目線の先には日本人とは少し違った、外国人らしく凛々しい顔立ちのキャッチャーがいた。
(名前にもクリスって入ってるし多分ハーフかな)
「確かにそうっぽいな。良い音鳴らしてくれてるし、投げやすそうだな。御幸の尊敬している人なのか」
「ああ。俺はあの人から技術を盗んで、いつかあの人を超えたいんだ。てか竜崎はピッチャーなのか、投げやすいとか」
「まあね、もしかしたらバッテリーになるかもな」
またしても御幸は目を細め、こちらを品定めするような目をする。
「さっきも言ったけど気になるねぇ、アメリカ仕込みのボール」
「興味を持ってもらえて光栄だね。こっちとしても御幸のキャッチングも気になるな」
2人とも投手と捕手の両方を見てどんなものかと判断しながら互いの実力に興味が湧いた。特に御幸はアメリカで投げたらしい竜崎のボールがどんなものなのかという好奇心があった。竜崎もまた長く日本の捕手に受けてもらっていないので気になっていた。
そんな2人を見ていた高島の頭に電球がピカッと光った。
「2人ともここで投げてみる?」
「礼ちゃん良いの?中学生がこんなところで投げてるのが知られたらまずいっしょ?」
「部外者に見られてなければ良いのよ、それに貴方も気になるっていったでしょ?」
「知ーらねっと」
「2人とも練習着あるから着替えてきて!」
「礼ちゃんありがと」「Thank you!」
2人は高島に言われ、練習着に着替えに行った。そんな高島のもとにクリスは近づき訪ねた。
「高島先生。良いんですか、そんなこと許可しても」
「部外者さえいなければ大丈夫よ!それに私も気になったのよ、アメリカで投げた子の球が。日本の教えとは違ったものを持ってるであろう彼の球がね。クリスくんも気になるでしょ?」
「まあ、否定はしませんが。けど彼が向こうで結果を残していたとは限らないでしょう」
そんなクリスの言葉を聞き流しながら高島は興奮していた。
クリスも一応高島とそれなりの期間いたため、高島の野球好きは知っていた。思わず不安まじりのため息が出てしまった。
「じゃあ最初は肩作りな」
「OK!」
そういってブルペンの端の方で2人はキャッチボールを始めた。投げていた青道投手達は気にはなりつつも自分に集中し投げ込んでいた。ブルペンに入る前に柔軟とランニングを軽く行い、2人はキャッチボールをしているが、御幸はその中でいろいろなことを考えていた。アメリカでの成績は聞いていないが、投手をしていたということはそれなりにアメリカ人の監督の意見を得ているはずだ。日本人とはまた少し違ったフォームや意識が見られるのではないか。見た感じかなりに下半身がガッチリしている。これも向こう特有の鍛え方から成ったものなのか。
「じゃあそろそろ座るか」
「あー、うん、まあ良いか」
竜崎は少しうーんと首を動かし、中途半端な反応をしていた。
「どうかしたか?」
「いや、まあ投げてみるかー」
御幸が座って構えると竜崎もマウンドを均し始める。
「じゃあまず真っ直ぐな!」
竜崎はそれを受け、セットポジションに入る。セットポジションから足が上がり投球が始まる。御幸はそのフォームを見て少し驚く。
(アンダースローか)
御幸に向かってボールを投げられ御幸は難なくキャッチした。御幸はあまり芳しくない、というか少しがっかりした。確かにアンダースローというのは希少ではあるが、しかしそれでもボールにそこまで意外性がない。その後何球か受けるがどの球もコントロールも球威も伸びも微妙だった、というか正直使えない。結局驚いたのアンダースローであるという事実、最初だけだった。
(いや、まだ力を出していないんじゃ…)
「竜崎、今投げてるのは全力か?」
「ああ、そうだけど」
「変化球は?」
「ないなー」
あっけらかんとした表情で竜崎は答えた。
多分アメリカでもそこまで優秀な成績を出せなかったのだろう。御幸は、竜崎が青道に入ってもそう簡単に上に上がっては来れないだろうと思いながら、後10球だけ投げて終わると竜崎に伝える。御幸自身も何か得られるだろうと思って投げさせたがそれはなんの実りもなく終わろうとしていた。心のどこかに少しばかりの期待を残しながら。
竜崎はボールを受け取るとマウンドを均す。マウンドを整え、なぜか体を御幸から見て右に向け、そしてまた左に向けた。くるっと一周回ったことになる。御幸はなんか変なことしてるなと思いながら見ていた。
そんな時、偶然、本当に偶然、御幸の脳裏に一つの光景がよぎった。
それは高島と竜崎と3人でブルペンに向かう途中、ボールが3人の方に転がってきて、そのボールを竜崎が取りに来た部員に投げ返した瞬間だった。彼は…
「竜崎、お前アメリカでどのぐらいの成績だったんだ?」
「うん?チームは州の決勝で負けちまったよ。惜しかったねーあれは」
「竜崎は試合に出たのか?」
「俺は一応エース的な位置だったよ、それなりに抑えれたからね」
あははと竜崎は笑いながら言った。周りの人間はそれを聞いて嘘でもついているんじゃないかと心の中で思っていた。高島もクリスも竜崎の今までのボールを見て真実ではないんじゃないかと思っていた。
「お前、もしかしてさ、サウスポーか?」
周りにいた人間は何をいっているんだ、という表情で御幸をみる。馬鹿な話だろう、左投手がなぜわざわざ右で、しかもアンダースローで投げるのだ。何もかも道理にあっていない話だ。
しかし竜崎はそれを受け、少し嬉しそうな顔で答える。
「なんでそう思うんだ、御幸」
「今妙な動きしてたろ。それにさっき俺らのとこに転がってきたボール、お前は左で投げ返してただろ。右投手じゃ中々あり得ない話だ」
御幸は少し怒ったような、複雑な表情で竜崎に言った。確かに、もしも本当に左投手であれば御幸は本気で投げろと言いたくなってしまうだろう。それを感じ取ったのか竜崎は言った。
「何球も投げさせてようやく答えたあたり偶然なんだろうね。けど良い観察眼だ。優秀なキャッチャーになれるかもね、Mr.御幸」
そういいながら竜崎は自分の鞄を漁り始め、もう一つあるグローブを出した。それをはめて、マウンドに立ち、御幸に構えるようにミットを軽く振る。御幸はそれを受け、黙って構える。
竜崎は大きく振りかぶり、大きく腰を捻った。それによって御幸は竜崎の背中をみることになった。大きく捻られた全身が大きく前進する。それに合わせて下半身で作られたエネルギーは大臀筋、腰を通り上半身、そして腕に。お手本のように体の前の方でボールはリリースされた。
唸りを上げるようなボールは真ん中に構えられた御幸のミットに大きな音と共に収まった。
周りの人間はその一球に唖然とし、高島・クリスも大きく目を見開いた。
かつて日本人メジャーリーガーのパイオニアが数多のメジャーリーガーを抑え込んだフォーム。その特徴的なフォームから「トルネード」と称された、現代では中々お目にかからない代物。
そしてその男が蘇ったのではとすら感じさせられるフォーシーム
たった一球だった。たった一球で御幸は心を奪われた。彼のフォームにも彼のボールにも、彼自身に。
そして本能的に感じ取った。それは決して根拠あるものではない。
しかし、確かに感じ取った。
こいつだ。こいつこそが俺が心のどこかで望んでいた投手だ。
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けたたましい音と共にミットに収まったボールを見て、彼を見る。
すると彼は笑顔で言ってくる。
「Nice catch!良い音鳴らしてくれるねー御幸!」
周りは竜崎の剛球にざわついている中、御幸は立ち上がって彼に返球しながら問う。
「竜崎、お前どこの高校行くか決めたのか?」
「ん?さっきも言った通り探してる最中だよ。まあ粗方の高校は回ったけどね」
「竜崎。俺と、俺と一緒に青道に行かないか?」
「御幸と?」
御幸はキャッチャーミットを外し、先程ボールを受けた手を眺め、そして竜崎を見る。
「今、たった一球受けただけだ。けど俺はお前に何かを感じちまった。竜崎、お前とならおもしれー景色が見れるんじゃねえかって」
御幸は真剣な顔で彼に問う。周りもそれを静かに聞いていた、投手陣も捕手陣も、高島もクリスも。あの球を投げる投手なら他所のチームに行っても、青道に来てもそれは気になるところだ。他のチームならいずれ脅威になるだろうし、青道にくれば、自分たちのポジションが危うくなるかもしれないが、心強い味方になってくれるだろう。
たった一球だったがそれを感じさせられる、それほどに恐ろしい一球だった。
御幸は今まで本当の投手にあったことがなかった。リトルでもシニアでもチームメイトの投手はそれほどのものではなかったし、唯一それに近かったのは成宮であったが、それでも何か足りない気がしていた。青道の投手陣もそこまでの素質を持った者はいなかった。
しかし今、彼は出会った。たった一球でそれを分からせるほどの素質に。
「どうだ、俺と組まないか?」
そう聞いてくる御幸の目は真剣だった。真っ直ぐ竜崎を見つめる。その目を見る竜崎もまた真剣に御幸を見つめる。彼は1人呟く。
「俺さ、夢があるんだ。世界の頂上にいる奴ら、世界中のいろんな野球と真剣勝負、ガチンコの野球をするって夢がさ」
「周りは笑うだろうな。そんなの無理だって。けど俺はそうは思わない。今メジャーで活躍するイチローも過去に活躍したプロ野球選手たちも皆そんな馬鹿馬鹿しいような夢を持ってたんだ」
「笑いたきゃ笑えばいい。馬鹿とでも変わり者とでも呼べばいい。ただ自分の夢も意思も語れないような臆病者とは呼ばせない。俺は野球が大好きなんだ。俺の野球に終わりはない。俺は変化を求め続ける野球大好き人間で、野球馬鹿だ。」
周りが竜崎から醸し出される異様な雰囲気を感じ何も言えない中、竜崎は少しボールを手で転がしながら御幸に向き直す。
「御幸」
お前はそんな俺の相棒になれるか?ついてこれるか?
周りの人間は彼が何を言っているのか分かったが、大口を叩いているようにしか見えなかった。世界の頂上とはメジャーのことだ。そんな簡単な話ではない。日本人でも数え切れるほどしか成績を残せていない。限られたものにしか許されない領域なのだ。
しかし竜崎は真剣に語り、御幸もそれを真剣に受け止める。
御幸は自分の野球選手としてのセンスはそこいらの高校生より秀でていると自負していた。そしていつか高校卒業後か、大学卒業後かプロも視野に入れているであろうと御幸自身も考えていた。
しかし、それでも海の向こうに集結している世界中の化け物の巣窟は考えていなかった。それはプロで通用し、実績を残してからであり、言ってしまえば遠い未来或いは夢物語だという考えがあった。
今、御幸はそんな遠い先のことまで考えさせられている。周りはそんな提案は軽くいなして、宥めるように対応するだろうと考えている。
ここでいなして、こいつの球をただ受けるか。
腹を括って野球をすると、そう誓うか。
そして御幸は思わず笑い出す。
「おもしれーよ竜崎、おもしれー!良いなそれ。最高だよお前!俺も見てやるよ、その馬鹿馬鹿しい夢ってやつを!」
御幸は野球が大好きだ。そしてキャッチャーという特別なポジションで面白いピッチャーのボールを受けるのが楽しくてしょうがない。なら迷うことないだろう。野球が好きなのだから。
2人の出会いは両人の将来を大きく動かす瞬間だった。
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敗北の味
ーーズバッッッッッ!!!!!!
「ストライク!バッターアウト!ゲームセット!」
審判は手を挙げ、試合終了宣言のコールをする。
ゲームスコアは2−1、青道高校は稲城実業高校を下した。
「試合終了ー!青道高校ついに稲城実業を倒し、甲子園出場を決めましたー!!!」
青道高校はここ数年、同地区の市大三高や稲城実業に甲子園出場を阻まれ続けていた。しかし、今年は東清国率いる強力打線に加え、竜崎昇一が活躍したことで予選を勝ち上がり、とうとう稲城実業を倒し全国出場を決めた。
無論、竜崎が1人で投げ抜いたわけではなく、3年生投手2人と2年生の丹波も失点を抑えてきた。しかし、どの場面でも竜崎の影響は及んでおり、やはり竜崎がチームの中心の1人になっていたことには違いなかった。
「2−1で青道の勝利!互いに礼!」
「「「「ありがとうございました〜!!!!!」」」」
「勝てよ!東!負けんじゃねーぞ!」
「ああ、当たり前やんけ!お前らの分も勝ち続けたるわ!」
青道、稲城互いの主将は握手を交わす。
稲城の3年は一部を除いて引退となる。負けた悔しさを心に隠し、青道選手に想いを託す。青道もその想いを背負う。しかし、その中で成宮だけは何も言わず立ち尽くしていた。
彼はわがままな投手だった。それは悪いことではなかった。己の力を信じ、打たれない、打たせないとマウンド上では王様として、試合を1人で投げ抜いた。しかし2点取られた。
打たれてしまったことの悔しさか、3年生の夏を終わらせてしまったことへの罪悪感か、涙が溢れていた。稲城選手たちは成宮を慰めつつ、ベンチに戻ろうとしていた。
成宮は自分を信じていた。しかしその気持ちが強すぎていた。打たれてから顔つきが強張り、なんとか抑えていたものの、どこか、何かに怖がっているかのようだった。
打たれてしまった。しかし竜崎は投げ合っていて楽しいと思った。真剣勝負として、最高の試合をすることができた。だからこそ、もう一度、また強くなって戻ってきて欲しい。初めて、そんな存在と出会えた。
「ショウ?どうした、戻るぞ」
「成宮」
竜崎が声をかけると、キャッチャー原田に連れられていた成宮は足を止めた。原田も振り返り、竜崎を見る。
「お前に足りなかったのは打者の感覚を狂わせる緩急だ。一級品のストレートにキレのあるスライダーとフォーク、それに緩急が加わったらお前はまた一つ上のレベルにいける。そしてもう一つ」
竜崎はどうしても伝えたかった。彼自身もそうなったことがあったからだ。
「野球はチームスポーツだ。1対1のスポーツではない。9人が並ぶ打線を投手と捕手、そしてチーム全員で立ち向かう。お前は今日、今までそれを理解していなかった。だから点をとられて強張った顔してたんだ」
アメリカに行き、確かな力が自分につき始めた頃、味方の守備が下手なことに気分が悪くなった。送球や捕球、ミスは必ず起きるものだ。しかし竜崎はそれによって点が取られ、試合が決まることに苛立った。そうして自分の力で勝とうと思っていた時、かつての相棒が救ってくれた。説教してくれた、チームの前で。そしてそこから「仲間」になれた。
「…」
「ショウ、戻るぞ!」
「『俺が勝つ』なんて言っている内は、お前は怖くない」
自分の力しか信じていないような投手は怖くないと、竜崎は言い切ると、振り向き、ベンチに戻ろうとする。今行ったのはもちろん、事実と本音だ。今後どうなるかは本人次第だ。
ここで落ちるか、復活するか。
「竜崎!」
成宮のその声に竜崎は振り返る。
「次は!俺たちが勝つ!甲子園勝って帰ってこい!」
成宮は目の涙を拭わず、声を張り上げ、竜崎の目を見ながら言った。そしてすぐにまた竜崎に背を向け、原田とともにベンチに帰っていった。
こうして青道高校は甲子園出場を決めた。
そしてまた時は流れーーーーーー
「試合終了ー!青道高校、惜しくも届かずー!」
青道高校は東清国を中心とした全国屈指の強力打線と大型ルーキー竜崎の活躍によって全国の猛者を倒し、準々決勝まで駒を進めたものの、最後の最後惜しくも届かず甲子園をベスト8で去ることとなった。
しかし、東はもちろんのこと2年生の結城や小湊たちもその実力によってチームに貢献し、来年も驚異的存在であることを知らしめた。
さらにその中で最も輝いていたのは竜崎だった。伝説を彷彿とさせるフォームとボール、さらには打率こそ高くないものの投球フォーム同様の独特なバッティングスタイルから特大ホームランを打ち、甲子園の目玉となった。
青道高校選手は試合終了後、涙を流し、拍手を受けながら球場を去った。
「なあ、カズ」
「…」
「負けたな」
「ああ…」
「俺は今まで負けたことがないわけじゃなかった。勝つことが全てと思った時もあったが、負けることにも意味があって、負けという種を蒔いて、いつかそれがなんらかの形で実ればそれでいいと思ってた、今もそう思っているが」
「ああ…」
「けど初めてだな、負けてこんな気持ちになるのは」
「…」
「先輩たちの努力してる姿思い出してさ。もちろん他の高校の選手を軽んじているわけじゃない。けど、それでも先輩たちの努力がここで終わるって、そう思ったらさ」
「…」
「来年、俺は、俺たちはもう一度帰ってくる」
「ああ…」
「負けることにだって意味はある。ただまあ、こんな経験は二度としたくねーや。それに大好きな野球で負けるのは嫌だしな」
「だな…」
竜崎にとって敗北というものは慣れ親しんだものだった。小さい頃は両親との勝負で負けて負けて負け続けて、勝ったのは野球に出会う寸前のたった一度だけ。その後にリトルのチームに入った時も勝った負けたを繰り返していた。アメリカに行き、最初は自分の力不足でよく打たれた、そして負けた。実力をつけ、アメリカでもトップクラスの選手になったときでさえ、味方のエラーや他投手が打たれて負けたこともあった。
負けるたびに、それを糧にしてきた。しかし、そこにはいつだって自分しかなかった。悔しいという感情は強くなかった。自分がどうだった、こうすればよかった。仲間を信じていたが、野球はスポーツとして見られていて勝負とは言い難かった。
しかし高校野球は明確なチームスポーツ。チーム一丸となって勝利を目指す。竜崎は、そのための仲間の努力を見てきた。皆野球に一筋だった。夜になってもバットを振り、ボールを投げ、戦略を練り、血の滲むような努力をしていた。だからこそ、彼らに強い敬意を、尊敬を抱いた。このチームこそ他のどの高校よりも強いと。
高校野球でしか味わえないドラマ、それは互いに高め合った仲間と共に、青春をかけて、想いをかけて戦うからこそ生まれるのだろう。
少年もまた初めて味わう敗北の味を、心に刻む。
そして少年たちはこの敗北を糧に、また走り出す。
急に話が飛ぶのは申し訳ないですが、東世代の選手のことわかりませんし、書きづらかったのでこう言った形にしました。
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