蜉蝣の寄る辺 (むにゃ枕)
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前編

 宇宙は広い。西暦の時代の人間は宇宙を人類最後のフロンティアと考えていただろう。スペースコロニーなんてものが建設され、そこに暮らす人間が貧困にあえぐことなんて誰が想像していただろうか。人類は宇宙に出てもその薄汚さは変わらなかった。

 

 それが俺の親父の持論だ。親父はかつては首都で偉い仕事をしていたらしいが、すっかり落ちぶれて、今じゃ酒を飲んでは俺に小難しい愚痴を吐くだけの男になっている。そのつまんねえ講釈と酒が親父の生き甲斐なんだろう。

 

 そんな、アル中親父の愚痴を優しく聞いている聖人君子が誰かって?俺はモーリス・ミュラー。マハルっていうアウトロー共の住む街の住人だ。親父に言わせればマハルは、資本主義の負け犬共の巣窟らしい。ひでえ言い草だが俺にとってはエキサイティングな場所だ。

 

「親父、あんま酒飲むなよ!」

 

 コロニーは地球よりも重力が低い。だから、アパートの階段なんて軽く駆け下りれる。

 

「よう、モーリス。親父さんは酒浸りかい?」

 

「ガラハウおばさん。親父はいつも通りだよ」

 

「そうかい。あんたの母さんによろしくね」

 

 ガラハウおばさんに軽く、手を振って俺は街へ出た。飲んだくれの親父は俺に小遣いなんて、くれやしない。母親?俺と親父の為に必死に働いているよ。だから、小遣いは自分で稼がなきゃならない。少し前まではガラハウおばさんの手伝いをしてちんたら駄賃を稼いでいたが、もう俺はそんなことはしない。

 

 アパート周辺の比較的平和なエリアを抜けて、吐しゃ物と酒と香水の匂いがプンプンする飲み屋街に、俺は立ち入った。普段なら絶対に立ち寄らない危険な場所だが俺にはここに立ち入る用があった。

 

「おい!気を付けろよ!」

 

 狭い道を酔っ払いを避けながら進む。ここらで間違ってはいないはずなんだが……

 

「あらあら。こんなところに坊やがねぇ……お姉さんと遊んで行かない?」

 

 なまめかしい声が俺に向かって発せられた。

 

「急いでいるんで……」

 

 そっけなく誘いを断る。女なんかと遊んでいる暇はないのだ。こんなところ一秒も長くはいたくない。それにあいつを探さなくてはいけない。

 

 背後から俺の、腕が掴まれた。おおよそさっきの女だろう。面倒くさいことになった。多少乱暴でも女が怪我をしなければいいんだ。

 

「悪いが急いでいるんでなッ!!」

 

 俺は軽く女を振り払った。いや振り払おうとした。だが、女は俺を掴んで離さない。どんな顔の奴が俺をを掴んでいるのか気になって、俺は後ろを向いた。

 

「なんだい。本当に気が付いていなかったのかい?アタシだよアタシ」

 

「お、お前シーマか……?」

 

「誰だと思ったんだい?あんたみたいな不細工に声を掛ける奴なんて、私以外にいないだろうさ」

 

 こいつはシーマ・ガラハウ。俺の幼馴染のいけ好かない女だ。こいつが俺に少し危ない小遣い稼ぎを薦めてきて金が欲しかった俺はまんまと、その誘いに乗ってしまったわけだ。

 

「あんたこういう所には慣れてないんだろ。アタシの呼び声に反応しちゃってさあ」

 

「……別に、反応はしていないだろ」

 

「嘘つけ。ちょっと期待していたくせに」

 

 基本的に男は女に口喧嘩では勝てない。そういう風に人間は出来ているのだ。

 

「期待してましたー。あーあー残念だなあー。お前は俺になにしてくれたのかなー」

 

「なっ!馬鹿なこと言うんじゃないよ」

 

 顔を赤らめ、そっぽを向くシーマ。

 

「おいおい。いつものお転婆なシーマちゃんは、どこに行っちゃたのかなー?」

 

 俺の手の甲をぎゅっとつねるシーマ、普通に痛いのでやめて欲しい。俺が痛がっているのを察したのか、手を離すと、つんと顔を背ける。顔は若干赤らんでいた。

 

 シーマの先導でしばらく歩くと、そこにはガラの悪い男が一人立っていた。傍には茶革のボストンバッグを置いている。

 

「来たか。前金だ」

 

 煙草に火を付けながら、男はシーマに金を渡した。

 

「確かに受け取ったよ。で、こいつをベイまで運べばいいんだね」

 

「そうだ……くれぐれも失敗するなよ」

 

 重々しい口調で男はそう言い残して去って行った。随分とシーマのことを買っているようだ。男の姿が見えなくなったことで、俺は口を開いた。

 

「で、この荷物どうするんだ。まさかあの男が言うとおりに正直に運んだりはしないだろう?」

 

「あんたの言うそのまさかさ。この荷物を正直にベイまで運ぶんだよ。なんでって顔してるね。こういう商売は信用が一番なのさ。余計なことは詮索しない。荷物の中身が何だかも気にしない。それが運び屋ってものなのさ」

 

「お前がそういうなら、そうなんだろうな。分かったぜ。で、移動手段はどうするんだ?まさか歩いて行くなんて言わないよな?」

 

 シーマはニヤリと口角を上げると、顎をクイっと動かした。おそらくは後についてこいってことだろう。俺は黙ってシーマの後に続いた。シーマが入っていたビルは倒壊寸前の廃墟で、入るのには躊躇するような場所だった。

 

 あいつが、何食わない顔で入っていったのだ。男の俺が怖気づくわけには行かないだろう。足元に気を付けながら慎重に建物に入る。

 

「いてっ」

 

 頭をぶつけた。

 

「下ばっかり見てるからだ。しっかりしなよ」

 

「おいおい、こんなところに何の用があるんだよ?只の廃墟じゃないか」

 

「いいから」

 

 のろのろと歩く俺に、業を煮やしたのだろう。シーマが俺の腕をつかみぐいぐいと引っ張った。

 

「ここさ」

 

 シーマが薄汚れたビニールシートを取っ払うと、そこにはコンクリートで作られた小さな階段が有った。中は暗く、廃墟特有の饐えた匂いが満ちている。俺の腕を取ってシーマが躊躇などせずに、階段を下っていく。

 

 パチンという、音がして地下室は光で照らされた。地上があんな状態でも地下室の電気はまだ生きていたようだ。

 

「おいおい、これって」

 

「そうよ。驚いた?」

 

 そこに有ったのは、古い乗用車だった。エレカではなく、環境に悪い石油燃料を燃やし排気ガスを出す乗用車。ここマハルではこんなものは見たことが無かった。しかもこれ、見た目がかなり古い。いわゆるクラシックとかヴィンテージとか言われるタイプの車だ。

 

「ま、まさかこれで?」

 

「そう。動くようにしてやったしね。早く乗っちゃって」

 

「おう。分かった」

 

 ここまで来たらもう、腹をくくるしかないだろう。どうなっても知らん。半ばやけくそ気味に俺は骨董品の助手席に乗り込んだ。

 

「よっと」

 

「なあ、お前、当然運転したこと有るんだよな?」

 

「……有ると思うの?」

 

「有って欲しいから聞いているんだ」

 

 返事の代わりに車に振動が走った。おいおい、返事がないってことは、こいつ車の運転とかしたことないんじゃねえか。神様に祈りたい気分だ。ブスン、という音を立てただけで車は動こうとしない。これ、壊れてるんじゃないのか?

 

「なあ、おい?うおッ!うわぁぁ!!」

 

 壊れてなんかいなかった。こいつ動くぞ。やべえって。地下ガレージを勢いよく車は飛び出した。

 

「なあ?俺には正面が壁に見えるんだが?」

 

「うるさい!黙ってろ!」

 

 ギリギリのところで車は壁に激突せずに済んだ。ふっと一息ついたところにシーマが猛烈なバッグをいれた。急発進するなよ。

 

「飛ばし過ぎなんだよ!ちっとは緩めろよ!!」

 

「いうこと聞かないんだよぉ!」

 

 狭くはない地下空間だが、この車だと箱庭のように思えてしまう。この空間は金持ちが道楽でつくったんだろう。そしてこの車だけが放置されていたのには理由があった。改造するほどには愛着があったのだろうよ。

 

「前見ろ、前!!!」

 

 正面にはシャッターが。しかもさっきとは違い、ぶつからずに止まるには速度が出過ぎている。自然と死という言葉が脳に浮かんだ。

 

「眩しっ」

 

 薄暗かった地下に差し込んだ光に俺は目を瞑った。衝突までは時間が無い。本当なら目を瞑るなんてことはしたくなかった。

 

「生きてる?ああ、あれシャッターが開いたからか……」

 

 隣で運転しているシーマもほっとしているようだ。シーマがぶるりと震えて、そっと下半身に手をやった。その様子を見て、俺は肩に手を置いた。もっとも首を振られて手をどかされたが。

 

「目的地は?」

 

 ジトっとした目でこちらを見るシーマに、何食わぬ風を装って話しかける。

 

「頭に入ってるよ。心配はいらない。あんたは座ってればいいんだ。すぐに着くさ」

 

 心なしか、声にも冷たさがある。後で何かで機嫌を取るべきだろう。港へと繋がるハイウェイに入る。マハルはとにかく治安が悪い。ガキが高速道路を車で走っていたとしても、基本的には誰もとやかくは言わない。

 

 安心したら、車内が熱いことに気が付いた。俺は窓を開ける。車内に風が入ってきて気持ちがいい。外を見回すと、マハル野郎がハイウェイをぶっ飛ばしていないことに気が付いた。これは異常だ。恐れ知らずのマハル野郎が恐れるのは軍隊ぐらいだ。

 

「なあ、他の奴らゆっくり走ってやがる。軍がいるかもしれないぜ。飛ばすのは止めないか」

 

 俺の提案を受け入れたようで、シーマは車の運転速度を遅くした。これで多少は安心できる。俺は元来、心配性なんだ。

 

「なあ、嫌な予感がするんだが。エレカじゃないと原則としてコロニー内を走り回れないよな?違反者は厳罰だって聞いたぜ」

 

「心配性ね。そもそもアタシらみたいな子供が運転している時点でアウトよ」

 

 まあ、そりゃそうだ。こいつを転がしている時点で法なんてガンガン破っている、慌てても仕方が無いだろう。

 

「おい、連邦の軍車両だ。道を開けようぜ」

 

 そうこうしている時点で運悪く、連邦の軍車両が背後まで迫っていた。シーマは酷いハンドル捌きで車線を変更した。

 

 軍車両は俺たちを無視して通りすぎる。なんてことを想像していたんだが、そう上手くはいかなかった。

 

「ハロー、ガイズ」

 

 運転席の顔面に刺青をしサングラスを掛けた、強面のアフリカ系軍人がグラス越しにもちっとも笑っていないことが分かる目でこちらを見ていた。

 

「ハ、ハロー」

 

 男はにっこりとこちらを見ると、助手席の男に耳打ちをした。その瞬間に俺はシーマの足ごとアクセルを全力で踏んだ。改造車はその驚異的な能力を見せ、ハイウェイを加速に任せ走り去っていく。抜いた車からは歓声が投げかけられた。

 

「いつまでアタシの足を踏んでいるつもり?」

 

「悪い。悪い。こうなったからにはさっさと荷物捨てちまおうぜ」

 

「チッ、仕方ないね。あんたと一緒に不幸まで誘っちまったみたいだ」

 

 カン、カン、という音がして、窓ガラスの横を何か光るものが飛んでいった。なんだこれは?いや、撃たれている?脳が理解を拒んだのは一瞬だった。撃たれているのだ。それも猛烈に。

 

「バッグ捨てるぞ」

 

 俺は後部座席に置いてあったバッグを放り投げる。バッグが遠くなったのを見て、俺は現状の打開策を考え始めた。どうすればこの現状をよく出来るのか?そう思考できたのは一瞬だけだった。

 

――――体がシートからふわりと浮かぶと、目の前が真っ暗になって身体じゅうを痛みが襲った。

 

「ゲフッ!ゴホッ!!」

 

「シーマ!無事か!」

 

「ああ、無事だよ。酷い目に遭ったよ全く!」

 

 車のボンネットはひしゃげ、ハイウェイの壁で車の側面を擦ったのだろう。後方の壁には何メートルにも渡って、線が入っている。こいつは酷い。なんてことだ。俺たちが大したケガもせず無事なのは奇跡か何かだろう。

 

「ずらかるぞ。これは大事故だ。逃げないとまずいことになるぞ!」

 

 俺たちはハイウェイから抜け出して、人目につかないように裏路地に入った。そうして無事に現場からは逃げおおせて、家に帰る途中で警官に捕まってしまった。

 

 しかし老警官は、俺たちが夜間外出をしているということを注意して去って行った。

 

 結局俺たちはハイウェイ爆発事件の犯人として捕まることは無かった。その代わりにテレビで犯人として映し出されたのは、俺たちに鞄を渡してきた男だった。ニュースではダイクンが云々、ザビ家が云々ということが報道されるだけだった。

 

 シーマは危ないことには懲りたらしく、生真面目にそこらの店で働いている姿を見せている。俺も危ないことには二度と関わりたくはないと思った。まあ、そんなわけで、店で働いたりを繰り返している。しかし、金は出ていくばかりで全くたまらない。

 

 あの事件から数年は地道な手段で金を稼いできた。だが、このまま低賃金で扱き使われるのは、たまらなく嫌だった。シーマもその気持ちを持っていたのだろう。ある日、俺にパンフレットを手渡してきた。

 

「軍か……。マハルであくせく日銭を稼ぐよりはマシかもしれないな」

 

「そう。駄目だったら帰ってくればいい話だしね」

 

「士官様になんて俺みたいなのでもなれるのかね?」

 

「なれるさ。あんたは頭がいいからね」

 

 まあ、シーマの言う通り、やるだけやって駄目だったら戻ってくればいいのだ。受けてみる価値は有るだろう。

 

 

 

 

  スペースコロニーはラグランジュポイントと呼ばれる、宇宙の中でも安定した宙域に作られている。建造された順に、1から6の数字が振られそれぞれに愛称が付けられているのだ。ちなみにサイド3の愛称はムンゾである。また、近々サイド7が建造されるかもしれないという噂も流布している。

 

 現在6つあるサイドは当たり前だが、地球連邦に属している。そしてそれぞれのサイドに地球連邦の軍が駐留している。コロニー側にも形ばかりの軍を作る権利が与えられ、それは地球連邦軍の一部として扱われている。

 

 俺たちが士官として潜り込もうと考えているムンゾ自治共和国防衛隊も、そのコロニー側に与えられた名目ばかりの軍だ。試験会場は当然マハルには存在せず、試験を受けるためには首都バンチであるムンゾへ移動しなければならない。

 

 ハイウェイでやらかしてから数年は経った。俺とシーマはマハルのベイから出る連絡船で、首都バンチであるマハルに入学試験のために向かっている。マハルに試験会場は存在せず、唯一の試験会場はムンゾにしかないからだ。

 

 長く艶のある黒髪を無造作にヘッドレストに投げ出し、シーマは寝ているようだ。幼馴染として接してきたから全くそういう感情を持ったことは無かったが、いや、正確には持たないようにしてきたのだが、こうして寝姿を見ていると、コイツに惹かれる男が後を絶たないということも理解できる。

 

「んんっ……」

 

「起きたか。到着には少し早いぞ。ムンゾのベイはすぐそこみたいだがな」

 

 シーマは小さく欠伸をして、首を回し伸びをする。なんというか懐かない黒猫みたいだ。

 

 

 ムンゾのベイはマハルのものより遥かに大きかった。首都バンチである分、物流が盛んであるからだろう。ひっきりなしにベイからガイドビーコンが出され、大小さまざまな船が入港してくる。俺はその様子に少しばかり感心した。

 

「子供みたいにキョロキョロするもんじゃないよ。田舎者みたいで恥ずかしいじゃないか」

 

「はいはい。分かったよ。それにしたって、ここは面白い場所だぜ」

 

「いいから。行くよ」

 

 シーマに引っ張られ、俺は渋々その場を後にした。ムンゾを訪れた目的としては士官学校の入学試験のためだ。仕方が無い。ムンゾ自治共和国防衛隊の士官学校には17歳以上が入学可能だ。

 

 試験に関してだが、ムンゾだけではなく、サイド5ルウムなどの場所でも行われる。ムンゾ自治共和国防衛隊は、ほとんどがサイド3の人間で構成されている軍である。わざわざよそのサイドの軍隊に入るために試験を受ける酔狂な奴は少ないはずだろう。

 

 地下鉄で俺たちは試験会場に向かった。入学試験の場所の途中には案内人まで立っていた。なかなかに受験者に対しての待遇がいい。思っていたものと違った。士官になれば結構な好待遇が味わえるのだろうか。全てはこの試験を通ったらの話だが。

 

 受験票の番号が近かったので、シーマとは同じ受験室に案内された。まずは筆記試験からだ。それなりの勉強はしてきたつもりなので、すらすらと記述することが出来た。

 

 筆記試験が終わると、身体検査を受けに行った。体格や持病などの面では問題が無いはずだ。この試験の結果は筆記試験次第だろう。

 

 試験が全て終わった。それに伴ってどっと疲れがでた。今夜はどのみち、ムンゾの安宿で一泊する予定だったのだ。このまま、都会の風を味わっても良いだろう。シーマ?あいつはあいつでやるだろう。今夜くらいは適当に遊び歩いてもいいだろう。

 

「私をほっといてどこに行こうってんだい?」

 

「おいおい、怖いじゃないか。お前はお前で用事が有るだろう。俺は俺で用事がある。そういうことだ」

 

「……………あっ、そう」

 

 表情に変化はないが、コイツが怒っていることは幼馴染の俺には何となく分かった。どうして怒っているのかは、皆目見当がつかない。

 

「分かったよ。分かった。俺はこの後に用事なんて入っていない。お気に召すままに、お姫様」

 

 恭しい態度をとって、怒ると怖い幼馴染の機嫌を伺う。機嫌を損ねたままだと、後で割を食うのは俺自身だと経験から分かっているからだ。

 

「騎士の真似事。じゃあ、膝をついて掌に口づけでもすればいいわ」

 

 面倒だ。しかしこれは長期的に見れば利益になる行動だろう。俺の灰色の脳細胞がそう答えを出した。通行人の視線がうるさい。俺は恭しく礼をすると、膝まづいてシーマの手の甲にキスをした。

 

「バ、馬鹿!私は冗談で言ったんだよ。何もこんなところで、そんなことをしなくてもいいじゃないか!」

 

 林檎のように頬を赤く染めたシーマを俺は今後一生忘れることは無いだろう。

 

「俺はお前の騎士さ。なんて、格好つけるためにも士官学校に受からないとな」

 

 無言で俺のすねに蹴りが入る。その蹴りのあまりの鋭さに、俺は脛を抑えて悶絶した。

 

「馬鹿……」

 

 どうやら、シーマが俺をわざわざ呼び止めたのは、高級レストランへのエスコートを頼みたかったから、らしい。俺がドレスコードにふさわしい服を持っていないことを伝え、やんわりと断ろうとすると、シーマは俺を服屋へ連れて行った。

 

 何もかもが織り込み済みで行動されているような気がしてきた。こいつ、何が狙いなんだ。あいつの方も普段の服ではなくきちんとしたドレスに着替えていた。

 

「似合っているじゃない。馬子にも衣裳とはこのことね」

 

「おいおい、俺はこういう堅苦しいのが嫌いなんだ」

 

「軍に入ればそういう付き合いも増えるでしょ。そのための前座と思えばいいわ」

 

 軍に入れた訳では無いのに、こいつは中々気が早い。ドレスコードなんてものが有るだけあって、レストランの食べものは美味かった。

 

 シーマは何かを俺に言いたげだったが、俺はあえて無視した。俺にとってこいつはそういう対象じゃないんだ。もっと何か純粋なもののはずなんだ。

 

 

 

 

 俺は士官学校に受かり、シーマは残念ながら落ちてしまった。それが契機となったのだろう。俺とあいつの縁は途絶えがちになってしまった。

 

 寮制の軍で、始めの内は手紙を書いていたがそれも途絶えがちになった。俺は自分の才能が生かせることに軍という仕事に夢中になって、それ以外のことがおざなりになったのだ。故郷であったマハルのことも次第に頭の片隅に追いやられ、自然と消えていった。

 

 俺は士官学校を十位で卒業し、少尉として正式に軍に籍を置いた。俺が所属先として臨んだのは、ムンゾ自治共和国防衛隊の宇宙艦隊だった。

 

 ムンゾ自治共和国防衛隊宇宙艦隊の名目上の職務は、宇宙海賊を排除し通商路を確保することだ。しかしこれは飽くまで名目上のことである。ムンゾに漂う地球連邦への反骨心、独立心はその艦隊に現れている。

 

 艦隊にはチベ級宇宙戦艦が所属している。チベ級は連邦宇宙軍のマゼラン級戦艦に対抗するために作られた艦だ。制限や妨害が入ったようで、その能力はマゼラン級に劣っている。

 

 俺はそんなチベ級の運用テストを行うための人員として派遣された。直属の上司はコンスコン大佐だ。大佐は宇宙戦闘のプロフェッショナルである。俺は、必死に技術を吸収しようと努力した。

 

 そして数年が過ぎた。その間、俺はコネクションを築き、出世することに全力になった。ムンゾ自治共和国防衛隊は巨大化され、ムンゾはどんどんと険悪な空気に包まれていった。

 

 その空気を俺は好ましくは思わなかったが、一介の士官である俺に、現状を打破ずることなんて出来そうになかった。だから、俺はその空気を乱すようなことはしなかったし、なによりそんなことをしたら袋叩きに遭ってしまう。

 

 ムンゾの空気は悪化の一途をたどり、狂気が街中を席巻した。もはや正気なものは成りを潜めるか、墓場に行くか、牢獄の中にしか存在していなかった。

 

 軍は巨大化し派閥が生まれた。その中で、俺はキシリア派閥を選んだ。そもそも俺は軍に入隊してからしばらくは無所属だったのだ。宇宙艦隊に所属となっても、当時は派閥意識は大きくなかった。しかし、先ほども話したように軍の拡大は、派閥を生み出した。

 

 ギレン総帥はそのカリスマで多くの軍人を魅了した。そしてギレン派閥が生まれたわけだ。しかし、ギレン派閥に入らなかった軍人は多くいた。彼らはギレン派閥から攻撃され、自然と、キシリア少将の派閥に加盟するか、ドズル中将の派閥にかといった流れが生まれた。

 

 そこで、俺はキシリア派閥を選んだのだ。出自の良くない俺はギレン派閥にもなじめなかったし、ドズル派閥のよく言えば武人のような真っすぐな気質が、悪く言えば思考停止した気質が合わなかったのだ。

 

 キシリア派閥に所属することになった俺は、所属先の艦隊演習でMSという存在を目にすることになった。演習で標的艦隊の指揮をした俺は、その脅威を目の当たりにした。そして、MSパイロットに志願した。

 

 もとよりジオン軍では、連邦軍より兵数が少ないため、質の高さが求められる。特に指揮官クラスには重責がかかる。士官教育の一環として戦闘機系統の教育が叩きこまれていたこと、従来の戦闘機と異なるMSの操作性のよさが、俺のMSパイロットとしての慣熟に大いに役に立った。

 

 俺はMS部隊を率いる立場となった。もっとも艦隊の指揮もしなければならない立場だが。軍の急拡大に伴い、ジオンの士官は即席士官が多く、ハードワークに文句を言ってはいられない状況が続いているのだ。これで、戦争を仕掛けようというのだから、笑ってしまう。

 

 UC0079になった。これまでの必死なコネクション作りと、ジオンの根本的な指揮官不足で俺は大佐にまで昇格した。四十代に届かずに大佐だ。随分と、ジオンは戦争を開始する以前から末期状態のようで笑えなかった。

 

 佐官クラスにもなると作戦の全貌がなんとなく理解できた。地球連邦政府に一撃を与えての短期決戦だ。手段としては奇襲による連邦のコロニー駐留軍艦隊の排除。それから有利になったところで、停戦交渉だろう。ジオンには戦争を継続できるような体力は存在していない。

 

 俺のこの予想は後の状況を知っていれば夢物語だろう。だが、当初は軍部の佐官クラスにはこういった楽観論が根付いていたのだ。そんな愚かな楽観がこの先の悲劇を引き起こしたのだろう。

 

 開戦前に俺は艦隊と旗下のMS隊を率いてサイド2に攻撃を掛けることになった。目的は連邦軍コロニー駐留艦隊の排除だ。それにより、味方部隊の秘密作戦を援護するそうだ。その作戦については秘密だったが、俺へ寄せられた期待に胸が躍った。

 

 おそらくこの攻撃が今回の戦争で最初で最後の攻撃になるだろう。その後には停戦と会議が行われるのだろう。そして連邦からジオンに幾らかの譲歩があり、終戦。この戦いはそういう運びなのだ。だからこそこの初戦で、功績を立てなければならない。

 

 功績次第では准将に昇進できるだろう。そうすれば俺の未来が開ける。戦争前の高揚感と、狂気が俺を染めた。だが、俺と共にサイド2方面に進出する艦隊の名簿を開いた時、俺の脳内は混乱に襲われた。そこにはシーマ・ガラハウ中佐という文字が有ったからだ。

 

 シーマは俺が決別した過去そのものだ。風の噂であいつが軍にいるということは知っていた。それでもこうして顔を会わせることは起きないはずだと、思い込んでいた。

 

 口の中が酷く苦い。俺はきっと渋面をしているだろう。こんなひどい顔では部下を驚かせてしまうかもしれない。戦争前の大事な時期だ。指揮官がこの有り様では指揮に関わるだろう。俺は深呼吸をし、普段通りの顔が出来るように意識する。

 

 鏡で自分の顔を確かめる。若干の疲れは見えるが、そこまでおかしいものでは無い。顔の筋肉を解きほぐして、顏の違和感を無くす。気持ちの整理がついたところで、書類をしまい割り当てられた自室から出た。

 

()()()()()モーリス・ミュラー大佐。アサクラ大佐に変わり艦隊を指揮するシーマ・ガラハウ中佐です」

 

「ああ……モーリスだ。よろしく頼む……」

 

 顔がこわばっているのが自分でも分かった。背中が冷や汗で気持ちが悪い。蛇に睨まれた蛙の気分だった。俺はすぐさまその場を後にしようとシーマの横を通り過ぎようとした。

 

薄情な騎士様も居たものだね……

 

 良心が激しく疼いた。若気の至りとはいえここで、シーマを無視することは人間として男として軍人として、最悪の手段だ。

 

「済まなかった……」

 

「何が済まなかったんですか?大佐?」

 

「お互い大人だろう。今までのことは水に流そうじゃないか。お互い部下を持つ身だ。下手にいがみ合うべきではない」

 

 その回答は当然シーマのお気に召すものでは無かったようだ。嗜虐的な目でこちらを眺めている。その瞬間、俺は自分が料理される側だということを明確に意識した。まったく、再会というのは酷く苦い。



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後編

 シーマ・ガラハウ。幼馴染だった女だ。こいつとの縁は自然に消滅したとばかり思っていたのに、どうしてか、また会ってしまった。正直、俺はシーマにどんな顔をして向かい合えばいいのか、全く分からない。

 

「何か注文したら?」

 

「そ、そうだな」

 

 観念した俺はシーマを個室のあるカフェに誘った。基地内にある士官によって主に用いられる場所だ。ここなら佐官が二人で話していてもおかしくはないだろう。俺はコーヒーを頼み、シーマは紅茶を注文した。値段は高いが、味は上質である。そういつもは感じられるのに、今回ばかりは全く味がしなかった。

 

 浮気がばれた夫の気持ちというものを俺は身を持って感じている。

 

「何と言ったらいいか、俺は若かったんだ……」

 

「それで?」

 

「マハルのことやお前に構っていられるほどの余裕が無かったんだ。これも全部、言い訳になるな。許してくれ」

 

「私も、あんたも大人でしょ。許すも何もないからね。そうさね、戦争が終わったら私と一緒にマハルに里帰りしてくれたら許してあげてもいいよ」

 

「ああ、約束するとも。お互い死なないようにしような」

 

 修羅場のような空気を感じたが、俺は許されたらしい。ほっと一息ついてしまう。シーマは俺がそう返すといそいそと店を出て行った。会計はそもそも別になっている。あいつらしいと言えばあいつらしい。

 

「死なないようにか……戦争ってのは嫌なものだな」

 

 作戦前にそんなことを言うのはおかしいことだろう。日常は戦場の狂気の前では儚く消え去るものなのだ。もうどうしようもない。

 

 

 

 軍服を着なおし俺は気合を入れた。指揮官なのだ。緩んだところを部下に見せることは出来ない。今回の目標はサイド2である。ドッグに行き、艦の様子やMSの調子を見に行った。小さな問題は有るようだが、大きな問題はないようだ。

 

 艦隊が出撃する時間となった。キャプテンシートに座った俺の指示で艦がゆっくりと動き出す。これから先は地獄だろう。

 

 作戦行動時間になっため、艦隊の指揮を副官に少佐に任せ、俺自身はMSに乗り込んだ。チベ級にはカタパルトがないため、ゆっくりとした発艦だが、愛機の調子は良いようだ。

 

 連邦艦隊はコロニーの守備の為、俺たちジオンは連邦艦隊の排除の為に戦争をする。味方のMSが青いノズル光を漆黒の宇宙に残し、陣形を作り上げる。背後を振り返るが見事なものだった。高い練度が有る。果たしてこのうちのどれだけが生きて帰ってこれるだろうか?

 

 俺は、MS隊全体に激励の為の通信を行った。部隊の指揮を上げるためということも有ったが、それ以上に俺自身を鼓舞するためだった。

 

 背後の艦隊からビームが、そしてミサイル群が放たれる。多少の損害は気にしなくていいと言ったが、随分と豪勢にコロニーを攻撃するものだ。この分では流れ弾で、民間人にも多くの死傷者が出るだろう。

 

「全機、編隊を組め。墜とされるなよ!」

 

 俺のザクはスラスターを多少いじっている。加速性が良い。近くにいたサラミスに襲いかかる。サラミスは目標を艦隊ではなく、俺たちMS隊に変更したようだがもう遅い。至近距離から柔らかな腹を撃ち抜かれる。

 

 火を噴いて、デブリの一種になったサラミスを背後に、次の獲物を狙う。砲塔を吹き飛ばされた手負いのマゼランが目に入った。あの程度なら俺でもやれる。肉薄し、強襲する。一発かすめたが、問題はない。全弾をぶち込む勢いでマシンガンを連射する。

 

 流石に戦艦だけあって、サラミスより遥かに固い。だが、ザクの敵ではない。マゼランを沈め、戦場の様子を確認する。部下は何機か墜とされたが、それでもサイド2の連邦軍はほぼ排除された。これは圧倒的な戦果だ。

 

 味方の艦隊に帰投する。艦の数を数えると数隻分が無かった。俺の艦隊ではななかったが、友軍艦隊が沈められたのは胸が痛んだ。

 

 俺を含む部隊が連邦軍の部隊を引き付けて、撃滅する。次はシーマが率いる海兵隊の出番だ。MSから降りてブリッジに戻った俺は、シーマにちょっとしたサプライズプレゼントをした。

 

「発行信号を送れ。健闘を祈るとな」

 

「了解」

 

 シーマの乗っているであろう艦から返答が有った。海兵隊の任務はアイランド・イフィッシュの成立だ。頑強な抵抗が予想されるが、シーマならやり遂げるだろう。

 

 

 数時間が経った。コロニーには輸送艦からシートが降ろされ、それが機械によってコロニーの外殻に敷かれていく。理解が出来なかった。

 

「おい、あれは何だ?」

 

「おそらく、コロニーをコーティングしているのだと思われます」

 

「コーティングだと。何の為にだ?意味が無いだろう?」

 

「さあ、小官には分かりかねます」

 

 艦隊を殲滅した後も、俺の艦隊はコロニーの護衛として残っていた。コロニーを護るという発想がどこから来たのかも分からなかったし、耐熱コーティングを施したコロニーをどうするのかも想像できなかった。

 

「耐熱……?耐熱、耐熱。ま、まさか!大佐!コロニーをジャブローへ落とすのではありませんか!?」

 

「そんな馬鹿なことをするはずがない……そんなことをしたら、この戦争の収拾が付かなくなるぞ。やめろ。やめろよ!あの中の人間はどうなった?まさか、そのまま殺すというのか?」

 

「ははっ、大佐、これは冗談ですよね?冗談だと仰ってください!」

 

「そうだと良いんだがな。戦争も何かの冗談だったらよかったんだ」

 

 俺の願いとは裏腹に、コロニーにはブースターが取り付けられ、無慈悲に地球へ向かって降下を開始した。俺の艦隊でも佐官クラスの者は俺を含め、青い顔をしている奴が多かった。だが、それ以外の者は無邪気にコロニーの地球への落下を喜んでいるようだった。

 

 戦争の狂気だろう。相手のことを想像できなくなるのだ。連邦に属するものをもはや人間だとは思えなくなっているのだろう。日常は戦火の前では儚いものなのだ。

 

 コロニーは地球に落下した。当初の目標であったジャブローを逸れ、オーストラリアのシドニーに落着し、地球上に甚大な被害を与えた。ジオン国内はこの報に民衆の誰もが喜んでいるように見えた。無論、全員が全員喜んだということは無いのだろう。

 

 コロニー落としは異常で残忍なことだ。平時であればほとんどの人間がそれを意識しただろう。だが、戦争の熱は人々を狂わせる。顔の見えない他者の命をそれも無辜の市民を自国の軍人が奪ったことを非難する人間はほとんどいない。

 

 

 

 戦争の熱狂の中で、ジオンは地球に降下した。地球降下作戦の始まりだ。補給線が伸びることを危惧する人間はもはや少なくなっていた。確かに危惧する人間はいたかもしれない。しかし、彼らも、戦争という異常な空気に呑まれ正常な思考方法を失っていった。

 

 そんな戦争の中で、俺は補給線を維持するための商船や輸送船の護衛をしていた。地球方面軍はキシリア少将の突撃機動軍がそのほとんどを担っているのだ。補給線の維持にはドズル中将の宇宙攻撃軍も協力しているが、護衛としてほとんどを占めるのは突撃機動軍の艦艇だ。

 

 連邦軍による機雷の敷設や、嫌がらせ攻撃も、戦争当初は散発的なものだった。その当時、ジオンは破竹の進撃をしていて、補給路への攻撃に回す戦力は少なかったのだろう。

 

 ジオンは破竹の進撃の末に攻勢限界に達した。輸送艦や商船を使った補給は頻繁に行われていたが、焼け石に水だった。地球はジオン軍が占領するには広大すぎる土地だったのだ。

 

 補給路に対する連邦軍の攻撃はますます陰湿になっていった。それだけでは無く、規模もどんどん大きくなっていった。護衛している商船を失う事態も発生した。連邦軍は巨大だ。商船護衛をする俺の目にはジオンの限界は目に見えるものだった。

 

 この戦争でのジオンの敗色は濃厚になっていった。勝利への方程式はもはや存在せず、ひたすら人間と物資を食いつぶしながら、俺たちは戦争を行ってきた。

 

 段々と、商船の乗組員に若者が増えた。そして、俺の艦隊からはベテランのMSパイロットが引き抜かれ、代わりに新兵が送り込まれてきた。無論そういった奴らは死にやすい。若いMSパイロットが何人も護衛任務で死んで行った。

 

 暗雲はどうにも拭い去れなかった。ジオンの敗北が決定的になったのは、オデッサでの大規模会戦だ。連邦艦隊を排除しながら、味方のHLVを救助した時に俺は敗北を悟った。

 

 ソロモンが陥落し、もはや補給線の維持は不可能になった。地球の同胞へ支援をすることはもうできなくなったのだ。

 

 移り変わりが激しいMSパイロットの顔を、覚える気が無くなったのはいつからだったか。ア・バオア・クー要塞。グラナダと共にジオン本国を護るための盾の一枚だ。このア・バオア・クー宙域に無数の艦が集結していた。俺の艦隊もその群れに紛れる。

 

 グラナダが攻撃されるか、ア・バオア・クーが攻撃されるか。兵士の間では賭けが盛んにおこなわれた。不安を打ち消すために粋がる新兵とは、裏腹に古参兵は静かなものだった。

 

 偵察機から連邦軍艦隊の進路がア・バオア・クー要塞であることが伝えられると、狂気が要塞内に満ちて行った。戦争が始まる直前の空気だ。人間を殺すというイカれた行動から、目をそらすための分かり易い逃げとして、要塞内を興奮した空気が覆う。

 

 戦闘が始まった。俺はMSではなく、艦隊旗艦のキャプテンシートで攻撃の指示をしていた。副官の少佐はとっくに他の艦隊に移動させられてしまったし、俺以外に艦隊の指揮をとれる人間がいなかったからだ。

 

 MSならば、この戦場を少しばかり忘れられ、目の前の狩りに集中できる。MSは俺にとっての逃避先だったのかもしれない。艦艇の数はジオンの方が少ない。しかし、要塞の支援も当てにでき、更には地の利もこちらにある。

 

 勝てる要素は十分にあったはずなのだ。だが、ジオン側はじりじりと連邦に押されていった。熟練指揮官や兵の不足も有っただろう。だが、それ以上に大きかったのは中央管制室からの指示が10分間途絶えたことだった。

 

 たったそれだけの時間でも、連邦軍が隙を突くには十分すぎる時間だったのだ。この小さなほころびが連鎖的に広がっていき、ジオン軍の戦線は崩壊した。

 

 俺も麾下の艦隊をまとめ上げ、退却することを決定した。最期まで踏みとどまって戦う程の蛮勇は俺には残されていなかった。そうするには戦場に疲れすぎていたのだろうし、死を賛美できるほど狂ってはいなかった。麾下の艦も数隻が沈んだ。何人も死んだだろう。

 

 ア・バオア・クーから逃げているわけだが、ジオン本国、アクシズ木星圏と、どこに逃げるにしろ一度は必ず通過する地点が存在している。カラマポイントだ。よっぽど偏屈な奴ではない限り、ジオンの艦はカラマポイントに行くだろう。

 

 本国で勝手に武装解除したり、降伏調印に参加する艦もいるだろうが。だが、基本的にはジオン軍艦隊は一旦カラマポイントに集まるだろう。ようやく戦争が終わるだろうことを考えると、変な安堵感が湧いた。この戦争で俺も随分と年を取った。

 

 シーマが生きていたら、マハルに里帰りをしたいものだ。あいつは果たして生きているだろうか。カラマポイントには多数の艦が集結しており、観艦式か何かのようだった。もっとも、観艦式にしては傷ついた艦も多く、バーゲンセールのようであり、統一感も何も存在していないが。

 

 俺は麾下の艦隊の扱いに手を焼いていた。ほとんどが新入りであり、意見統一なんて出来そうになかったからだ。そういう訳で、各艦の艦長と会議を行った。俺のような角が取れて丸くなった年寄りは、ジオン本国への帰投をするべきだと主張したの。

 

 だが、若い奴はそうではなかった。彼らに言わせれば最後の一人になるまで戦うべきであり、降伏なんかは論外だということだ。会議は平行線をたどり、ほとんどの艦の艦長がアクシズへの撤退を支持した。

 

 そもそも、ア・バオア・クーの時点でジオンの命令系統が混乱しているのだ。おまけに派閥争いでもう目も当てられない状態である。つまり俺に部下を強制的に本国に帰投させる権限がなかったのだ。

 

 俺自身が保守派であり冷遇されていたことも、部下の俺に対しての侮蔑を招いたのだろう。パトロール艦隊や商船護衛をしている奴は侮ってもいい奴だという風潮が軍にはあった。こんなのは言い訳だ。結局は俺自身の無能が艦隊を崩壊させたのだ。

 

 苦々しい思いが表情にも表れているのが自分でも分かった。ため息をつきながら、キャプテンシートに身を委ねていると、一隻のザンジバル級がこちらに接近しているとの報告を受けた。繋がれた回線からは懐かしい声が聞こえた。

 

 

 

 

ザンジバル級との回線が開かれ、聞こえたのはシーマの声だった。スクリーンに映る顔色は悪い。向こうも俺のことをそう思っているだろう。折角の再開だというのに喜ぶ気力さえも残っていない。艦名はリリーマルレーンだと。随分洒落た名前だ。

 

 リリーマルレーンからシャトルが出された。こちらがホストとして持て成さなければならないが、生憎そんな気力は無かった。

 

「久しぶりだな……」

 

「ああ。本当に久しぶりだよ……」

 

 戦争前に見た姿とは全く変わっていた。俺も白髪が増えたし、どっちもどっちだろう。

 

「お互い老けたね。私もあんたもどうしようもなく疲れ切っている。当然と言っちゃあ当然の報いかもしれないね」

 

「俺も部下が言うことを聞かずにアクシズへ行っちまいそうだよ。お前はどうするんだ?」

 

「私らはアクシズが受け入れちゃくれないよ。なにせコロニーに毒ガスをばらまいた殺戮者の艦隊さ……」

 

「例えお前がどうであろうとも、お前はお前だろう。俺の手だってどうしようもなく血で汚れている。守れなかった奴らの怨念で背中が重いさ」

 

 ブリッジで今後を話すのは野暮なことだろう。俺とシーマはブリッジを後にして、俺の私室に向かった。酒を片手に昔のことについて話し合った。戦争なんてなかった昔のことについて。

 

 結局俺とシーマの話し合いは酒を飲むだけで終わってしまった。未来への道は全く見えない。それはシーマも同じだった。シーマはマハルに戻るそうだ。俺にもあいつとマハルへ里帰りをするという約束が有った。一先ずあいつに付き合っても良いだろう。

 

 アクシズへ向かうジオン艦艇を尻目に、俺とシーマの艦隊はマハルへと向かった。故郷に戻れば希望が見いだせると思ったからだ。

 

 だが、マハルの姿はどこにも無かった。マハルはコロニーレーザーへと転用されその姿を消したのだった。

 

 ジオン公国は共和国と名を変えて存続はしていたが、全ての公国時代の軍人をどうにかすることは不可能だった。シーマにはかなりの数の部下がいる。それにコロニー虐殺の主犯だ。連邦に骨抜きにされたジオン共和国軍がシーマ艦隊を受け入れるという話があるわけがなかった。

 

 俺が出世の為に築いたコネクションをたどっても、どうすることも出来なかった。時間だけがずるずると過ぎていった。

 

 シーマも部下を生かすのに必死だった。俺のコネで何人かが、艦隊から足を洗うことは出来た。札付き扱いのシーマ艦隊を、完全に安定した職に就け解散させる程の能力は俺にはなかった。

 

 地球連邦軍との裏取引や、アクシズ、アナハイムエレクトロニクスとの間接的な取引を俺は何度も繰り返した。だが、シーマ艦隊は如何せん大きすぎる部隊だ。食わせるために打つ手が無くなってきた。

 

 そんな折に、デラーズフリートが発足した。ギレン派閥を中心として形成されたそれはキシリア派閥との軋轢は有ったが、頼れる存在だった。

 

 デラーズフリートによるコンペイトウ。つまりは旧ソロモンへの攻撃が始まった。デラーズフリートの一隊としてシーマと俺はこの戦争に参加した。

 

 戦争の勝利はどうでもよかった。俺にはそれ以上の目的が有った。地球にコロニーを落そうとするデラーズフリート。後方からの支援に徹して俺とシーマの艦隊は戦力の維持に努めた。

 

 コロニーが阻止限界点を超えたとの知らせが入った。だが、その知らせは俺にとって始まりに過ぎない。

 

 地球連邦はデラーズフリートの残党を全力で掃討しようとしてくるだろう。ここからシーマをアクシズ艦隊へ届けるのが俺の役目だ。

 

 かつてシーマの騎士になると誓った。だからこそ俺は騎士としての役割を全うしようではないか。シーマが起きていたら意地でも俺を引き留めようとしたに違いない。

 

「お互い年を取ったものだな。愛してるぜ。お姫様」

 

 寝ている彼女の手の甲にキスをする。アクシズへ。届いてくれよ。

 

「リリーマルレーンを守り抜け。俺たちの姫に傷一つ付けるんじゃないぞ!」

 

 リリーマルレーンの格納庫には俺の愛機が鎮座していた。護衛任務では数回程度しか活躍できなかった愛機だ。

 

「モーリス・ミュラー。ゲルググJ出るぞ!!」

 

 カタパルトが作動し、軽い衝撃が身体に掛かる。さあ。暴れる時間だ

 

「俺に続け。一隻でも多く敵を沈めろ。必ず守り通せ!」

 

 スラスターを全力で吹かす。マゼランの対空砲火を掻い潜り、すれ違いざまにブリッジを吹き飛ばす。そしてエンジンだ。

 

 俺を脅威と捉えたらしく、ジム共が寄ってくる。

 

「うっとおしいんだよォォ!!」

 

 ゲルググJとは機体性能が違う。

 

「雑魚が!!」

 

 オープンチャンネルでひたすら連邦を罵倒する。その効果もあって俺にヘイトが向いている。一発貰ったらしい。アラートがうるさい。

 

「うるせぇ!」

 

 警告装置なんてものは役には立たない。ただ集中力を散らすだけだ。

 

「もっと俺を見ろ!もっとだ!やられたい奴からかかってこい!!」

 

 視界の端に敵旗艦らしき船が映った。

 

「悪名高き木馬の同型か!!相手に不足はねえな!!」

 

 対空砲火を無視して、俺は木馬もどきに直進した。

 

「そんなへなちょこ弾が当たるかよ!!」

 

「ぐぅぅ!!なんだ!!」

 

 どうやら一発貰ったらしい。出血で眼がかすむ。

 

「身体が熱い。ああ死ぬのか……俺はここまでだったのか。愛してるぜシーマ」

 

 

 

 

 

 

 ジオン共和国公文書館。そこに残され文書には、モーリス・ミュラーなどという人物は存在していない。だが、デラーズ紛争でのジオン艦隊掃討戦に参加した連邦軍兵士からは、一機のゲルググJが戦場をひっかきまわしたという戦場伝説を聞くことが出来た。

 

 地球連邦側の資料として、ペガサス級グレイファントムの戦闘記録にもそのゲルググJは存在していた。

 

 だが、モーリス・ミュラーのはっきりとした消息はたどれていない。

 

―――カイ・シデン「デラーズ紛争の真実」UC0089より



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