ちはや誕生日SS~ここにある、小さな小さな良き記憶~ (白羽凪)
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ちはや誕生日SS~ここにある、小さな小さな良き記憶~
ここは、幸せの世界。
どこかの誰かが求めた良い記憶が、どうやら見つかったみたいだったが、そんなこと俺は知らなかったし、それどころではなかった。
ただ、ちはやのために戦った一秋。
望む状態には程遠いけれど、大切なものは失わなかった。
それだけで、よかった。
そうして...。
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朝の五時ほど、目が覚める。
屋敷で色々と雑用をしている俺に、夏休みなどというものはなかった。
こうして毎日早朝に目が覚める。
けれど今日はむしろ、そっちの方が好都合だった。
ベッドから状態を起こして、壁にかけられたカーテンを見る。
8/23。
忘れない。この日は、ちはやの誕生日だ。
いつかどこかでしれっと咲夜に聞いただけだったが、こうして覚えているというわけだ。
洗面台で顔を洗い、身支度をして厨房へ。
やはり、咲夜はそこにいた。
「おや、与太朗君。今日はえらくしゃんとして立ってますね。よく眠れましたか?」
「特別そうでもないけどな。今日は、特別な日だろ?」
「ふむ...ちはやさんの誕生日の事ですか」
「そういうこと。一応、彼氏という立場な訳だし、ダレてたらシャレにならんでしょ?」
「そうですね。ついでに手際よく朝の準備が出来れば、更にかっこいいのですが」
咲夜は事あるごとに俺を挑発するが、さすがに住み始めて半年以上も経てば、慣れるというものだった。
俺は挑発のような発言の一つ一つを躱し、壁にかけられたエプロンを取り、朝食の準備に取り掛かる。
...けど、どうしても執事服には勝てないんだよな。くそぅ...。
「それで? 俺は何をすればいい?」
「とりあえず、出来ているものから盛り付けていってください。四人分、となれば、さすがの私でも手が焼けるので」
「分かったよ」
いつも通りの仕事にそれ以上の言葉はいらず、俺はせっせと朝食の用意の手伝いをした。
しかし、今日は一つ、咲夜に聞いておかねばいけないことがある。
俺は、作業の途中、手を止めずに咲夜に問った。
「なあ咲夜」
「なんでしょう」
「今日さ、ちはやとデートにいってもいいかな?」
「...ふむ」
咲夜は野菜を切る手を止めないで、しかして俺の言葉を流さずに考えた。
そして数秒の後、口火を切る。
「それは、ちはやさんには伝えましたか?」
「いや、今日とっさに思いつたから、まだだ」
「でしたら、それは私に聞くだけ野暮というものです。それは、ちはやさんの意志次第ですから。...ただし、ちはやさんが拒むのなら、私も拒みますよ?」
「分かってるよ。そこはちゃんとわきまえる」
「ではもし、ちはやさんが拒んだらどうしますか?」
「諦めて家でできることを考えるさ。とにかく、ちはやに何かできないのは嫌なんだ」
「分かりました。...とりあえず、与太朗君がそう考えていることは念頭に入れておきましょう」
「サンキュー」
ここで咲夜に自分の意志を言っておくのと言っておかないのでは相当違いがある。
咲夜はちはやの魔物だ。だからこそ、ちはやを誰よりも思ってる。
いわば保護者のような存在だ。なら、言ってもおかしいことではないだろう。
なんてことを思って、俺は仕事をつづけた。
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朝食の用意が終わるころ、居候娘二人組が寝起きの顔を出してきた。
「おはよー、瑚太朗君」
「天王寺~...朝食は出来てるのかしら~...」
うーん、二人はちはやの誕生日ってこと知らないのかな。平常運転すぎるけど。
「ういっす、おはよう。というか会長、起きていきなり食事なんて思想、太りますよ?」
「いいのよ、考えるだけなら腹は太らないわ」
「会長、運動量減ってるから、普通に太りそうなんだけど...」
「セクハラよ。プライバシーよ。ふしだらはNGと習わなかったのかしら」
「おぉう...私のネタが」
しれっとネタを奪われたことに小鳥はショックを受けた。
そんなワイワイとした光景が当たり前となってるのも、これまた結構感慨深い。
去年の秋は、これで敵だの味方だの言ってたわけだ。そう考えると、今は幸せと言えるだろう。
そうして、それぞれ食卓に着く。ちはやを除く各々が朝食に手を出す中、俺は、ちはやがまだ起きてきそうにないことを確認して、小鳥と会長の二人に提案してみることにした。
「なあ、二人とも」
「なあに?」
「何かしら」
「今日さ、出来るだけちはやと二人きりにさせてくれないか?」
「うーん...? あっ、そっか、今日ちーちゃんの誕生日だね」
ちはやと普段から仲の良かった小鳥は、俺の言った言葉の意味をすぐに把握した。
それを追うように、朱音も頷く。
「ああ、お前たち...そうね。デートと言うやつがしたいのかしら?」
「随分グイグイ来るんすね...。...まあ、率直に言えば、そう」
「ちーちゃんには言ったの?」
「まだだな。...だからまあ、誘ってみて、ダメだったら、普通通りしてくれればいい。というのをお願いしたいんだけど...だめか?」
「うん、いいよ。断る理由なんてないし」
「互いに不干渉、ということなら」
各々が各々、反応を示す。しかし、それは然りの意を込めていた。
「サンキュ。...そんじゃ、冷めちゃ悪いし、そろそろ食うか」
そうしてその場は一度お開き。そこからはいつも通りの空間へと戻った。
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俺たちが食事を終えて30分後。
泣き言とともに、ちはやが目を覚ました。
「うぅ~...寝坊しちゃいました~...」
二人はもう部屋に戻った後。咲夜も紅茶を淹れに厨房へと消えていった現状。リビングには俺しかいなかった。
「おはよう、ちはや」
「あっ、おはようございます。瑚太朗」
元気のよいそのおはようが、たちまち俺の心を高揚させる。まあ、いつものことだけど。
「「...」」
その声の後、場が一気に静寂に包まれる。
しかし、二人しかいない今が、デートに誘うには絶好のチャンスだった。
俺は思い切って、ちはやに声を掛ける。
「なあ、ちはや」
「なんです?」
「今日さ...デートに行かねえか?」
「...で、デートですか!?」
「そ。デート。...悪いか?」
「悪いってことはないですけど...いいんです? そんな、急で」
ちはやは羞恥か、あるいは混乱かの感情に支配されたのか、頬を赤らめていた。
そんなちはやを引っ張る役目は、大体俺だ。
だから今日も、そうすることにする。
「ああ、俺はいい。...だから、あとはちはや次第なんだけど...」
「...分かりました。行きましょう」
「いいのか?」
「はい!」
なんだかんだ言ってちはやが嬉しそうなのを見て、心配の必要はないと判断できた。
その一悶着の間に咲夜が現れる。
「おはようございます、ちはやさん」
「おはようございます。ええと咲夜、そのですね...」
「ああ、デートですか。承知してます。どうぞごゆっくり」
「え? ああ、ええと...瑚太朗! ちょっと!」
自分がいの一番の連絡だと思ったちはやさん。残念です。あなたが最後ですよ。
小言を言われる前に、咲夜と入れ替わるように俺は用意のために自室に戻ることにした。
お金...あったかな?
---
そうして昼間。
俺とちはやは、市内の至ることを回りに回った。
それは特に、何かを買うわけでもなく。何かを見るわけでもなく。
ただ、変わらず緑を茂らす街を、歩きに歩いた。それが、二人で選んだデートプランだった。
とはいえ、時には江坂さんの店に寄ってみたり、コインマスター、小鳥さん太鼓判のヅャスコに行ってみたり、少し形に残してみたりもした。
そうして、日は進む。
俺は、ちはやの目を盗んで
まだ、この間初めてキスをしたような初心な二人だけど。
それでも、こんなひと時の価値は、やはり貴重だと思えた。
街一番の大きな公園のベンチに二人して腰掛け、ようやく休憩に至る。
「ふぃ~...疲れました」
「さすがに...ちょっと...歩きすぎたか...」
森の中を歩くこともしばしあったが、夏の暑さが残る日中、人の通る街はやはり疲れるものだった。
それでも、満足度が勝る以上、不満などなかったが。
その割にぴんぴんしてるちはやがうらやましく思う。
「それで、どうして急にデートなんて言ったんですか?」
「...え?」
ちはやは、本当に分からない、というような仕草で俺の顔を覗き込んだ。
その言葉のおぞましさに、俺の口の端は一気にひきつる。
「ま...まさかだけどさ...ちはや。お前、今日が何の日か忘れてる?」
「今日...ですか? ...あ」
思い出したようだ。
「あーーーー!!? 今日って、私の誕生日じゃないですかぁ!!」
ちはやは、どうやら本気で自分の誕生日だということを忘れていたみたいだった。
はぁ...、入念な準備とか、馬鹿らしくなるわ。
もう一つ目的を抱いていた俺は、完全に出ばなをくじかれた。
引きつった笑みのまま、ちはやに言う。
「お前さぁ...それはよくないよ」
「うぅ...だってぇ...。普通通りの日常が幸せすぎて、そんな特別な日なんてないと思ってたんですもん~...」
何気ない一言だったが、俺はその一言で我に返った。
そうだ。
こいつはずっと、戦いの中で生きてきた。だからこそ、今この日常こそが特別打なのかもしれない。
引きつった笑みは、綺麗に消え去った。
心の底から、もう一つの野望へ踏み出す勇気が湧いてくる。
俺は、ちはやの目をまっすぐ見た。
「...どうしたんです?」
「なあ、ちはや、話がある」
そして、ポケットに隠した、小さな箱を取り出す。
その箱を、ちはやの目の前で開けて見せて一言。
心の底からの本心。
「ちはや、俺と結婚してくれ」
「...はい?」
ちはやは首をひねる。
ちはやは目をつぶる。こめかみに手を抑える。
そしてようやくちはやは、言葉を理解した。それと同時に、頭が爆発したのか、ボンと赤くなった。
「けけけ、結婚ですかぁ~!!!?」
「そ。...もともとな、戦いが終わった日から、次のちはやの誕生日にこう言おうって決めてたんだ」
「...けど、私たち、まだ学生ですよ!?」
「そうだな。...だからま、今は受け取ってさえすれば俺はいいかな。...そうしてまで俺がこういったのはさ、ちゃんと、ちはやと確かな未来を目指して歩きたかったからなんだ」
「うぅ...でも...」
ちはやは、ただ恥ずかしいという様子だった。
それは、分かってる。
分かってるからこそ、伝えなければならない。
「今はさ、こうやって平和な世の中が続いてる。けどさ、それがいつまで続くか分かんないだろ? だからさ、伝えれることは、伝えておきたかったんだ」
「...はぁ。瑚太朗は段取りが下手糞です」
ちはやは呆れたように首を振ったが、その発言はどうも気に食わなかった。
「なっ! おい! お前よりはましだろ!」
「何ですか失礼な! 私だって思ってるところはありますー!!」
「ポンコツの癖によく言ったな!!」
「あー!! 何ですかポンコツって!」
あーあ、結局言い合いでこじれてしまうわけだ。ある意味、俺たちらしい。
...ま、これでいい気もするな。
そんな風に自己完結しようとすると、ちはやは一切の行動を止め、俺の前に一歩踏み出した。
「あのー...ちはやさん?」
「いいですよ、結婚」
「え?」
「今すぐにとは言えませんが...。...けど、私も瑚太朗と一緒に歩きたいので」
それが、ちはやなりの答えだった。
さっき言ったように、ちはやにはちはやの思考がちゃんとあったということだ。
耳の端を赤らめてまで、ちはやはちゃんと、プロポーズの答えを出してくれた。
俺は、それで満足だった。
「ありがとな、ちはや」
「はい」
「それじゃ、帰ろうか」
俺はちはやに手を差し伸べた。その手をちはやは躊躇わずに握る。
そうして二人して、愛の待つ家へと歩みを始めた。
今はまだ小さな一歩かもしれない。
けれど振り返った時、せめてこの道が幸せと呼べる、良い記憶でありますように。
「なあ、ちはや」
「なんです?」
「誕生日、おめでとう」
俺の最愛の人は、心から笑った。
...えぇ?
前回の誕生日SSの内容からは考えられないくらい平凡なSSに白羽さん震えてます。
けど、ちはや√は、きっとこの幸せが心地いいんでしょう。
だから、壊さないことにします。
といったところで今回はこの辺で。
ちはや、誕生日おめ!
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