老いも若いも酸いも甘いも (ヤウズ)
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当然、皆若さを経て老いるもの

「ハチちゃーん。電球替えてくれるかーい?」

 

「…ん、了解」

 

ここは俺の知り合いでも最高齢の佐久間まやさんの家。御年78歳。白くなった髪と笑顔に刻まれた深い皴に魅力を感じるご婦人の家である。

 

彼女と俺の知り合うきっかけとなったのは俺が単行本を買いに行った本屋で、孫娘に贈る本をスマフォを片手に吟味している最中、偶然目の合った俺に助言を求めてきた。年代差があるが故のエピソードだよなぁ。同年代の女子だったら冤罪とかカツアゲを警戒してしまうし、少し年上の人妻だったら緊張のあまり逃げていただろう。別に変な意識とかはないよ?ただ旦那さんに殴られるのが嫌なだけなんだからね?

 

だが歳の差が半世紀もあればもはや警戒も妙な意識もなくなる。俺はもうお年寄りにしか優しく出来ないのかも知れない。…パパ活とかママ活とか興味あったのになぁ…。

 

 

 

そんな縁もあり、それからちょくちょく遭遇することがあったが、

 

大荷物を抱えていたり、

街頭でタチの悪いのセールスマンに捕まっていたりと、

 

会う度に問題を抱えていたりするので俺は自分の連絡先を教えた。

 

この婆さんの家が俺の家からそう遠くないのも理由の一つだが、単純に放っておけなかったのだ。

 

余計なお世話だろうと自分でも思ったが、一時のものとはいえ縁があった人が不幸に遭えば俺自身やるせない思いがあるし、

それに道すがら俺に孫自慢をしてくるこの婆さんの笑顔には、我が家で俺がなかなか得られない家族愛を感じた。自分が愛されてるかどうかなど俺ならわさわざ知りたくもないが、それでもそんな家族への愛情を包み隠さず語れるということに一種の憧憬を覚えたのかも知れない。いや、まぁ一時の気まぐれということにしておこう。

 

 

……ちなみに、お孫さんは現役女子高生でアイドルらしい。是非会いたくないものだ。

 

 

それからこの婆さんは買い物、力仕事などに困った時はよく電話してくるようになった。

 

また、俺も暇な時にここに遊びに来たりする。

 

初めの頃はお互い敬語で会話していたが、今では

「まや婆さん」

「ハチちゃん」

と、呼び合い殆んどタメ口で話している。

 

 

ぶっちゃけ婆さんに呼び出されることより、俺が暇を潰しにここに立ち寄ることが多い。だって畳とか縁側とかの居心地はやばい。俺は布団こそ我が故郷だと思っていたが、春の日の日中の縁側は桃源郷だ。その魅力に捕まったら最後逃げられないのだ。ゴキブリほいほいかよ。

 

 

 

「電球替えたぞ婆さん」

 

「はいはい、ありがとうね。はい、百円だよ」

 

「……毎度あり」

 

俺はまや婆さんの頼みは殆んど有料(百円単位)で引き受ける。

 

勘違いしないで欲しいが、別に俺がこの婆さんから金を巻き上げているわけではない。そうでもしない限りこの婆さんは遠慮して人(俺)に頼ろうとしないのだ。

 

逆に、少しでも俺が見返りを要求することで婆さんは遠慮なく何でも俺を頼むし、俺もなるべくそれ以上の金額の手土産をもってこの家を訪れるようにしている。お互いの居心地と罪悪感をうまく相殺させている俺マジ策士。たぶん政治家になれる。国会議事堂の隅でヤジ飛ばせる。

 

 

 

今日も俺は婆さんからの頼みごとを一通りこなし、縁側で寛いでいると、同じく横で日だまりの暖かさを満喫していた婆さんが眠気を誘う声で俺に話しかけてくる。

 

「ハチちゃんはこんな所でのんびりしてて良いのかい?」

 

「ん?特に予定もないから問題はないが?」

 

俺は婆さんが煎れてくれた温かいお茶を啜りながら聞き返す。

俺の眼は持参してきた小説に釘付けだ。

 

「彼女と何処かに出かけたりしないのかい?」

 

 

「………………」

 

……またか…。

 

「今日は良い天気だし、彼女でも誘って何処かに出かけてきたらどうだい?」

 

「なぜ婆さんは俺に彼女がいると思い込んでいる?」

 

お気づきだろうか。俺はなるべく素を装って話したつもりだったが、やはり感情が込もってしまう。

 

そんなことも気にせずまやさんは聞き返してくる。

 

「ん~~?何だってハチちゃん?」

 

その裏表の無い声に俺の理性は吹き飛んだ。

 

「いないんだよ!!!!休日に遊ぶ彼女も友達も!猫でさえソファで飯食ってる俺を退けて寝始めたわ!!!!」

 

「ふえっふえっふえっふえ!!」

 

マジギレする俺に爆笑するバーさん。今週だけこのやりとりは4回目だ。

 

「もしよかったらうちの孫とハチちゃんが結婚でもしてくれたら安心なんだけどねぇ~」

 

「…………はァ…」

 

これである。

 

老人とは、自分の気に入った者、都合の良い人間をやたらと自分の身内とくくりたがる傾向にある。本人にとってどれだけ優しく好印象だろうと、当事者同士の相性、好み、意思を考えずくっつけたがる。ソースは斉木楠雄の祖父母。ちなみに俺の一番の推しヒロインは相卜命(あいうら みこと)である。まじ、黒ギャルの色気っべーわ。付き合うなら楠子一択なんですけどね。

 

 

「そりゃお孫さんに悪いから考えないであげてくれ。お孫さんにも将来があんだからこんな産業廃棄物(ロクデナシ)押し付けんのは可哀想だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校が早く終ったある日、俺はまや婆さんに呼び出されていた。

 

 

 

 

「ハチちゃん?ちょっとリサイクル出してきてくれるかい?」

 

「了解。ついでに買い出しもしとくぞ?メモあるか?」

 

俺はリサイクルに出す雑誌と新聞の束を自転車の籠に入れる。

 

「ついで回覧板もお願いできるかい?」

 

「まいどあり」

 

 

俺は回覧板と買い出し用の小銭入れを受け取り、

婆さんの家の庭からブロック塀を挟んだ舗道に自転車を出す。

 

 

 

「じゃあ行ってらっしゃい」

 

「うっす」

 

庭の玄関先で手を振る登美絵の婆さんに見送られながら、俺は自転車を漕ぎ出した。

 

あれ?そういや婆さんいつもは玄関先まで来ねーのにな……。

 

普段との違いに若干の違和感を覚えながらも、

俺はペダルを踏んで風を受けた。

 

 

 

 

 

 

 

「たでーまぁ」

 

1時間程で帰った俺は買い物袋片手に婆さん家の玄関をくぐったが、

 

 

 

……あ?誰もいない?

 

いつもならトテトテと迎えてくれる筈の婆さんがいない。

 

些細な異常(イレギュラー)に不安を覚えた俺は靴を脱ぎ捨て、揃えもせずに上がり込む。

 

 

 

俺は袋を手に提げたまま婆さんを探すが、

居間、庭先、台所、トイレ、風呂、いつも婆さんがいる所に見当たらない。

 

となると……あそこか?

 

俺は玄関から最も遠い部屋に向かって足を進めた。

まや婆さんの部屋だ。

俺はあまりここには来ないが、

普段は寝室として使っているらしく、昼間見ると洋服ダンスと大きめの鏡台しか無い。布団は押入れだろう。

 

……ここか。

 

襖が開けっ放しになっている。そして部屋から伸びる陰。

俺は深く考えずに部屋に踏み入れた。

 

「おい、婆さ…………は?」

 

そこに居たのは婆さんではなく、一人の美女だった。窓から入る夕陽の光がバックライトの様に彼女を照らす。

 

艶のある黒髪は首のところで切り揃えられ、張りのある若々しい肌はあまり見かけないセーラータイプの制服に包まれている。

 

歳は俺と同じくらいか少し上。年下に見えないのは全身に纏う落ち着いた雰囲気と、出る所は出て、引っ込む所は引っ込んだモデルの様な容姿のせいだろう。

 

その女性は鏡台に映る自分の姿を見ていたようだったが、俺が入ってきたのが鏡から見え、丁度振り返ったところだった。

 

「………………婆さ……ッ」

俺は口から出かかった言葉を飲み込む。

何故この美少女をあの婆さんと認識したのか………。

自分でも信じられない。

 

とりあえず御互い黙っていてもしょうがないので俺から切り出す。

 

「え~っと、どちら様で?あと婆さ…佐久間まやさんが何処行ったかご存知ありませんか?」

 

彼女は数秒間おいて

 

「…………私…」

 

小さな声で答えた。

 

「……………………ン?」

俺は聴こえていたが、意味が解らず首を傾げた。

 

すると、今度は彼女は自分を指差しながら同じことを言った。

 

「私、…まや」

 

「………………………………ふん!?」

 

この美女があの婆さん!?何だ?どゆこと?ひょっとしてアレ?遺伝子革命!?

 

軽いパニックに陥る俺。しかしそれは、理解出来ないショックではなく、

大方の予想はついているものの、常識がそれを受け入れるのを邪魔する葛藤によるものだ。

 

そう。それは全人類の夢であり、時間という概念から脱け出す禁忌を犯した現象。

 

そう、つまり

「…………若返ったのか?」

 

「うん!」

彼女は、まやお姉さんはあっさり頷いた。

 

手から買い物袋が滑り、畳みの上にドサッと落ちた。

(幸運な事に、上の方に入れていた卵は無傷だった)

 

そして、俺も崩れる様に畳みに座り込んだ。

 

だがようやく合点がいった。一瞬でもあの美女を婆さんと勘違いした理由が。

おそらく俺の第六感は婆さんの面影を僅かに感じとっていたんだろう。

 

だが、それでもまだ説明不足だ。だから、

 

「説明してくれよ……。……婆さん…」

 

「今はお姉さんね☆」

 

語尾のテンションがおかしい。普段なら確実に退いているが、ぶっちゃけ今は超可愛い。

 

彼女の説明によると、

 

俺に電話したが俺が来れなかった日、仕方なく一人で買い物に出た婆さんは、焼きそばの材料が判らなくて困っている白衣の匂いフェチの少女に遭遇。……やばい既に意味がわからない。

 

コートに残った成人前の男の残り香がすごい!フェロモンにドキドキしちゃう~☆とか言ってたらしい。知らない。てかコート?この前俺が借りたやつ?というかこれ以上匂いフェチさんの情報はいらない。

 

 

件の少女に婆さんが焼きそばの材料と作り方をやさしく教えてあげると、少女はそのお礼に若返りの薬をくれた。竜宮城かな?婆さんが助けたの乙姫か亀だったんじゃないの?

 

 

今日、その薬を飲んでみると、何と本当に若返ったらしい。

 

 

 

 

 

「なんでだああああああああああ!?!?」

 

俺は彼女の説明を遮った。

 

「何で貰った!?そして何で飲んだ!?あからさまに怪しいじゃねーか!!普通飲まねーだろ!?バカか!知らない人に物貰っちゃダメって言ったでしょ!!そんなに若さが欲しかったのかよ婆さん!!婆さんはそのままが一番俺の精神に優しいからいいんだよ!!」

 

俺は立ち上がり、彼女を指差して

畳みを右足で思いっきり前に踏みしめて叫ぶ。脚の裏が多少痛むのも気にならない。

 

しかし、そんな俺の叫びは、

 

「だって、ハチちゃんの彼女になってあげたかったんだもん……」

 

と、彼女がモジモジしながら放った声に掻き消された。

…………やばい、意味が解らない。

 

俺は聞いた言葉を頭の中で反復する。

 

彼女?かのじょ?カノジョ?KANOZYO?彼女?

誰の?俺の?おれの?オレノ?ORENO?俺の?え、俺の!?

 

「や、ややや、やだな~まやさ~ん。思春期をからかうなよ~…」

 

「からかってないもん!!」

 

彼女は下から見上げる形で俺に言った。何故か精神年齢まで若返っている気さえする。

 

 

「お、おぉ……」

 

上目遣いの美女に心動かされそうになる俺。

 

ヤバいヤバいヤバい!!

揺れてる!俺今めっちゃ揺れてるよ!!

落ち着けよ!こいつはあのまやさんだぞ!!

あの腰がひん曲がった婆さんだぞ!!

何も口に入って無いのにクチャクチャやってる婆さんだぞ!!

そんなところも可愛いんだけどさ!

いやいやいや!それは婆さんだからだ!

惑わされンな!!己をしっかり保て!!はっちまーん!!

 

「ねぇ、ハチちゃん」

 

「ハッ!?」

 

自分に自己暗示にかけている間に、彼女は俺に擦り寄ってきていた。

突然右手を掴まれる。

 

うわああああああ!!!

ドキドキする!!俺凄いドキドキする!!

馬鹿なの!?俺って馬鹿なの!?

む、胸が、胸が張り裂けそうだよぉ!

 

凄まじくテンパりまくる俺。膝が爆笑しだす。歯の根が合わずカチカチと五月蝿い。

 

「ねぇ、ハチちゃん」

 

 

彼女の声が脳を刺激する。冷静な判断と行動が出来ない。

 

彼女が俺の手を引いた。あの婆さんとは思えない程強い。

あとなんか目が黒い、飲み込まれそうなくらい黒い!光がない!あと怖い!逆らうことも出来ずに俺は畳みに崩れ落ちた。

 

形勢逆転。いつの間にか彼女が俺を見下ろす形になっている。

 

「ねぇ、ハチちゃん」

さっきからそればっかだな!?

 

彼女がその若々しい両手で俺の顔を左右から挟んだ。

近づいてくる婆さん、いや美女の顔。

 

ヤバいヤバいヤバいヤバいいい匂いいいい!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、俺の初めて(ファースト・キッス)(こう言った方が格好いい気がする)が奪われることはなかった。その変化は突然現れた。

 

彼女の吐息が俺の顔にかかる程接近した瞬間。

その顔に急激な変化が始まった。

 

俺にはすぐに解った。

薬が……切れた……!?

 

その若々しく張りのあるもち肌に深い皺が刻み込まれ、水分が奪われてゆく。

 

黒く艶のある髪は脱色し、次第に細く弱々しい白と灰色だけになった。

 

真っ直ぐでスマートな体躯も、寸胴で腰が曲がってゆく。

 

「あああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛」

 

高く透き通る声も、壊れたラジオのようにしゃがれた声へと変化する。

 

端的に言えば、彼女は急激に老化していく。いや、本来の年齢に戻ってゆく。

 

恐っ!?ビジュアルが超恐ェ!!

 

アニメではボンッという音とともに煙が立ち込めて元に戻っているのが主流だが、俺の目の前では凄いスピードで人が老化していく。

 

まるで人生そのものを早送りで見ているようだ。

彼女には悪いが吐き気すらしてくる。

 

 

ものの1分としないうちに彼女は元の婆さんに戻ってしまった。

着ていたセーラー服もパッツパツで今にも内側から弾けそうだ。

 

俺は部屋から締め出され、襖の前でボンヤリとしていた。目を瞑るとさっきの美女が脳裏をよぎる。

 

だがそれは最早ただの幻。この襖を開ければ現実が良く見えるだろう。

 

俺は大きく息を吐いた。一緒に疲労感を体内から排気したかったが無理な話だ。

 

俺はもう一度目を瞑って思い出す。彼女の顔が近づいてきた時の光景を。

 

俺は自分でくだらないと思いつつも、思わず声に出ていた。

 

「惜しかったかもな……」

 

これも偶然か。それとも必然か。俺がその言葉を放つ直前に襖は開いた。

いつもの地味な服に着替えたまや婆さんの手によって。

 

やってもーた……。

 

 

比企谷八幡、黒歴史ーーーー更新。

 

 

 

 

 

 

俺の心が後悔と羞恥心でいっぱいになる。

 

婆さんは驚いたように目を丸くしていたが、やがて俺の顔を見てニンマリと笑った。

 

「ふえっふえっふえっふえ!」

 

「――ッッッ!?!!」

 

赤面する俺。耳の辺りが超熱い。

 

俺は薄気味悪い婆さんの笑い声を聞きながら家から飛び出し自転車を勢い良く漕ぎ出した。

 

「ーーーーーーーーーーーークソッ!!!!」

 

俺の心を象徴するように、夕陽が世界を朱に染めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、両親と妹が旅行で家をあけていた休日の昼下がり。

 

 

 

ピンポーン

 

 

誰もいないリビングにチャイムが響いた。嘘です。かまくらは居たね。わかってるわかってる大丈夫。だからひっかかないで!

 

かまくらだけが存在する家にチャイムが響いた。ーーーーいや俺は!?

 

 

 

「はいどーも、………どちら様で?」

 

俺が玄関を開けてみれば見覚えのない美少女の姿。見覚えはない、なのにどこか既視感を覚える美少女。

 

 

「おはようございます。今日はお婆ちゃんにお話を聞いてきまして…」

 

 

美しさよりも可愛いらしさが目立つ服装、周囲の視線を遮るような帽子で目元がよく見えないが、その聞く者を安心させる落ち着いてまったりとした口調と丁寧な対応から、歳は俺とおなじくらいか、下だったとしてもそこまで離れてはいないだろう。

 

 

「……はぁ…」

 

俺の言葉とも言えない声を聞いて少女の俯いていた顔が持ち上がり、少女の瞳が俺を捕らえる。暗く、黒く、光すら飲み込んでしまいそうな漆黒の瞳は一切の光を持たず輝いていた。

 

まるで待ち焦がれたものを漸く見つけたような、喜色満面な笑顔がそこに咲いていた。

 

 

 

底なしの暗闇の瞳。

美しく可愛らしい顔立ち。

相手を安心させ優しく飲み込むような口調と声。

 

既視感が、音を発てて札を替えた。

 

札に書かれた文字はーーーー危険信号。

 

 

 

 

俺の危険信号をビンビンと鳴らす少女は俺に訊ねた。

 

 

「ーーーー比企谷八幡様は、ご在宅でしょうか…?」

 

 

「……うちはヒキタニです。比企谷さん家は……二軒隣ですね…」

 

 

 

親父達が帰ったら、独り暮らしを頼んでみようと思う。

 

 




試しに書いてみました。初投稿です。妄想を文字化って難しいですね。多くの作者様方を尊敬します。俺の心に優しくない声からは目を逸らします。あとツールの使い方がわかんねぇ…


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いくつになろうと、男はバカになる時がある

 

 

 

 

「ーーーーーーーー以上から、エナジードリンクの方が優れているのは明白です。一部地方だけに売上と人気の片寄ったマイナーな缶コーヒーなどに劣るわけがありません!」

 

 

「……………………」

 

「……なにか?」

 

「………………いえ別に…」

 

「…は!?」

 

「…データを用いた解りやすいプレゼン、ありがとうございました。エナジードリンクの魅力、とても伝わってきました。」

 

「…………!?」

 

 

 

「だからこそ、あまり他社の飲み物を貶めるような表現は避けていただきたかったのが本音です。こちらの推奨するドリンクにも当然開発者が、生産者が、愛飲者がいるのです」

 

「………………ッ」

 

 

「俺を含めたこの商品を愛する者を敵に回すような発言をされてしまいますと、折角あれほど魅力を教えもらったエナジードリンクについても穿った目を向けてしまいそうになります。…ならばそちらの商品に粗はないのか…と」

 

 

「…………そんなのッ!」

 

 

「別にこちらと致しましては自身が愛飲する飲み物以外に対して粗を探そうとは思いません。エナジードリンクが主に喉の渇きや嗜好品としての目的よりも、その名の通りエネルギーチャージと眠気覚ましとしての人気を博していることも、それ故子供人気の獲得しづらいことも…」

 

 

「…………それは…」

 

 

「鹿の角、豚の心臓といったどんな効能があるのかもわからない原材料を多く使用する商品があることも、一口に『エナジードリンク』と言っても多岐に渡る商品故に味が似通った商品も多く確認されていることも別に粗だとは思いません。…エナジードリンクは元来栄養補給を目的とした飲料なので子供に与え過ぎて食事と栄養のバランスを意識しなくなるのは問題ですし、栄養補給を目的とした故に味に重きを置かないことも納得できます…」

 

 

 

「そ!そうです!あくまでエナジードリンクは目的意識をはっきりさせた経口飲料であって、一切の無駄を捨てた素晴らしい商品です!」

 

 

「…というと、MAXコーヒーには無駄が存在すると?」

 

 

「一部の地方にしか認知されていないうえにあの強烈な甘さは万人受けするとは思えません!」

 

 

「それがいいんじゃないかと言いたいところですがあまり意味はなさそうですね。それはあくまで俺の主観でしかありませんから…」

 

「それは確固としたデータは無いということですね!」

 

「ん…、歴史や時間の長さが必ずしも良さの証明になるとは思いませんが、一つの事実としてお伝えするのであれば、MAXコーヒーはもともと千葉と茨城に限定して発売されていましたが、2009年から全国で販売されています。その際、味が見直されたという不確かな情報はありますが、1975年の発売開始より、その強烈な甘さが愛飲者達に喜ばれてきました。それを無駄と表現されるのはあまりに横暴ではないかと…」

 

 

 

「……ッ、それについては、申し訳… 」

 

 

「謝罪はいりません。というか此方こそ熱くなってしまい申し訳ない。討論の場であることを忘れていました。本題を続けましょう…」

 

 

「えっ、いや…」

 

 

「エナジードリンクは機能性飲料とおっしゃいましたがその商品は多岐に別れますね。それではその種類と効果と内容物についてはどのくらい把握しておられますか…?」

 

「えーっと…」

 

「今回は此方の方でとりあえず30種類ほど見繕いましてデータとしてここに出させていただきました。ちなみにこの中でお飲みなられたことのある物は…?」

 

「こ、この商品とこの商品、ここからここまでは飲んだ覚えがーーーー」

 

「ではそちらを例にあげてーーーーーーー…」

 

「あっ…………」

 

「見てわかりますよね?この2つを比較しますとーーーーーーーーーーーー…」

 

「……ハァ…ハァ…ハァ…」

 

「……聞いてる?まぁいいか。それでーーーー…」

 

「……ハァ…ハァ…ハァ…ヒクッ…ハァ…ハァ…」

 

「大丈夫か?ついてきて下さいね?先ほど申し上げたとおりーーーー…」

 

 

「うふ、うふふふふ……ヒクッ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「チキン竜田バーガーセットを1つ、ドリンクをメロンソーダ。単品でバニラソフトをカップでお1つ。以上でしょうか?」

 

時刻は午後18時ちょっと前。俺はバイトあがりに高校の制服のまま、近くのファーストフード店に入り、独り寂しく財布を開いていた。

 

「はい。あァ…クーポン使えます?」

 

「はい!お一人様ですか!」

 

「……………………そうですね」

 

可愛らしい笑顔で聞いてくるレジのお姉さん。

見りゃァ解るだろ。ほっといてくれよ。

 

「………私でよろしければ、スマイルをサービス致しますが?」

「…手持ち足りないので遠慮しときます」

 

余計な気を回すんじゃねェ…。テイクアウトしちゃうぞ。きっとそのあとお姉さんがお巡りさんを電話でデリバリーして、俺がお持ち帰りされちゃうんだ。そしてお巡りさんと俺の気まずいトークタイムが始まるんだ…なにそれ俺が悪いの?

 

 

無神経な優しさを見せてくれるバイトらしきレジのお姉さんにメンチを切りつつ、お釣りに500円玉が出来るように少し多めに代金を渡す。お客が少ないおかげで待たずに商品を受け取って席につくことが出来た。独り寂しく席につき、両手を合わせる。

 

「いただきまぁ…」

 

「比企谷じゃないか」

 

「……………………あ?」

 

独りで食事を始めたはずなのに名前を呼ばれ、ついでに肩を叩かれる。振り返るとそこには見慣れた二人の顔。

 

 

「何をしてるんだ比企谷?休日に高校の制服で独りハンバーガーって…哀し過ぎて見てみぬ振りが出来なかったぞ?」

 

カジュアルな私服姿の金の短髪の爽やかな雰囲気を垂れ流すいけすかないスポーツマン系なイケメンと、

 

「八幡!お疲れ様!今日はバイトあがり?」

 

戸塚ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!戸塚がいた!ジャージじゃない私服の天使かと思ったら天使だった!戸塚ぁぁぁぁ…(果てるように…)

 

 

「戸塚もお疲れ様だな!。…それと葉山か。お察しの通りバイトあがりだ。真っ直ぐ家帰んのも嫌だから寄っ………ーーーー来ちゃった♪」

 

「保険屋の真似か?」

 

「え?そこは彼女だろ?」

 

 

玄関開けて「保険…契約に来ちゃった♪」とか言われたら無言でドア閉める自信がある。鍵かけてU字ロックかけるまである。…でもあれ紐一本で外から開けられるらしいよね?もうそこまで出来たらそのスキルを活かせる仕事にした方がいいと思うの…。

 

 

「ていうか…」

 

 

 

ホントにあいつといい、こいつらといい、何で俺の周りってこんなに眉目秀麗が揃ってやがんの?実は同じ素材で出来てんの?…レゴブロックなの?

 

いや待てよ…類は友を呼ぶって言うよね?つまり、イケメンと美少女(だった)戸塚と知り合いである俺もイケメンということになる。違うか?違うな。まず友達じゃないから俺はお呼びじゃない。…死のう。

 

 

 

 

「お前らこそ何してんの?」

 

ポテトをつまみながら俺が訪ねると、葉山が目の前の席を引いて座りながら答えた。おい、俺の正面に座んじゃねぇ。そこは戸塚の席だ。お前は俺の座席の下で腹這いになってろ。

 

 

 

「その…俺はただの買い物の帰りだ。これといって用事があったわけではなかったんだけどな、……戸塚と前から約束をしていてね…」

 

俺ハブられてンじゃねェか。まぁ別に文句は無いけど。

 

「…………俺も誘ってよ、戸塚…」

文句出ちゃった!!

 

 

俺が不満と…不満をこぼすと、不満だけだよ?この溢れてんの涙じゃないから。違うから。ちょっと竜田バーガーのマスタードが目に入っただけだから、だからこれは…うん、涙だね(涙)

 

 

 

「何故君が泣いているんだ比企谷…。誘って断ったのは君の方だろう…」

 

 

「え?マジで?」

 

全く身に覚えがない。俺が誰かに誘われて忘れるなんてことがあるのだろうか…?もともと他人に誘われるなんてほとんどない俺が他人の誘いをそんな蔑ろに扱うわけが…あるな、むしろ戸塚以外の誘いは社交辞令と判断して即断る。戸塚の誘いは持ち帰って重々検討させていただきます。

 

 

「そうだよ八幡!朝電話したの覚えてないの?」

 

戸塚は空いたもう1つの椅子に腰掛けながら、プンプンとしかめっつらで俺を糾弾した。ヤバいな。…なにがヤバいって、(クセ)になりそうな俺が一番やばい。

 

 

「というか、君の方こそ何をしているんだ?大学の休日に高校の制服を着て独りでハンバーガー食ってる仕事終わりの悲しい学生かと思ったが…」

 

 

「全部合ってるな。今日は5時間しか働いてない。だから休憩も少しずつしか取れなくて、食事っつー食事はしてなかったんだわ…」

 

 

「相変わらず大変だな…」

 

皮肉にも俺に受け継がれてしまった社畜精神を知っている葉山はそういって女受けしそうな苦笑をみせた。(おとこ)じゃなかったら見惚れちゃうね。

 

 

「…どーも」

 

続けて、戸塚も屈託のない笑顔で俺を労ってくれる。

 

「八幡は頑張り屋さんだもんね!頑張ってね!」

 

あれこれ労われてなくない?労ってくれよ。でも心に、心に染みたよ。なんか焦りを感じるほどにな。早く辞めなきゃ…みたいな。ため息混じりに俺は小さな抵抗を口にする。

 

 

「やっぱり働いたらダメだ」

 

「時には仕事に逃げるのもありだよ比企谷…」

 

「やめろぉ…お前の深い事情なんざ知りたくねぇ…」

 

「女性は怖いよね。そのうち涼しい顔で『豚』とか呼んできそうで俺は不安だよ…」

 

「今真っ先に一人の顔が浮かんだからこの話はここまでにしようぜ…」

 

 

正反対である二人の顔に差す色がシンクロした。やだこれ。なにこれ。アオハルですか、いやビーエルです。BLなのかよ、ぜってぇ認めねぇぞ。

 

 

 

「葉山くん!豚を馬鹿にしちゃダメだよ!豚さんって凄いんだよ?たしか日本人男性の平均体脂肪率はおよそ14~20パーセントで、豚さんが14~18パーセント。女性が17~24パーセントなんだよ!だから豚さんの体脂肪率って、浜崎あ◯み”とほぼ一致なんだよ!彼らは理想ともいえる無駄の無さだよね!」

 

それ見たことか葉山ァ!テメェ俺と豚さんに土下座しろや!!(何故かキレる)

 

 

「じゃー比企谷はアザラシかな」

 

「高脂肪率すぎんだろ!!?」

 

アザラシの体脂肪は50パーセントを優に超えるらしい。力士か俺は……。というか戸塚の豚に対する気遣いと浜崎あ○みに対する気遣いにギャップがありすぎる…。

 

 

「でもでも力士の身体がおっきいのってほとんど筋肉なんだって!50パーセント超えと言えば“柳原か◯こ”くらいじゃないかな…?」

 

 

「戸塚さんもうやめない?固有名詞だして敵つくるのやめない?」

 

 

焦る俺と裏腹に、葉山は落ち着いた口調で答える。

 

「安心しろ比企谷。一文字伏せるだけで無限の可能性が生まれるんだ。ひょっとしたらその一文字に入るのは小さな“つ”かも知れないだろう?」

 

「生まれねぇよそんな雑な可能性ェ…。日本中探しても柳原()はなんて名前つける親はいないだろ。小中学でイジメの的にされるの明白だからな…」

 

 

あいつらどんなことでも虐めのネタにするから。ソースは小中の時の俺。たぶん『その括弧には一体何が入るんですか~?』とか言われるぞ。

 

 

 

「あなたの愛情と優しさで、私の()を埋めて下さい」

 

「…あの人もう結婚したらしいから、多分俺もお前もお呼びじゃねぇな…」

 

勝手に俺のポテトに手を伸ばしてくだらないことを呟く葉山から、俺はポテトを奪い返した。

 

 

 

「…貴方の熱いモノで、私の隙間を…」

 

 

「葉山、これ以上下ネタ続けるなら、この熱いモノ(ポテト)を鼻の穴にブチ込むぞ?」

 

 

「…………………………………………」

 

俺がポテトを構えると葉山は黙った。聞き分けが大変よろしい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん、そういえば…」

 

“愛情”という単語で思い出した。いや別に忘れていたわけではないが…

 

 

「ちょっと君たち相談乗ってもらえる?ボッチからの相談でも受け付けてもらえる?ぜひ俺と違って女慣れしてそうな君たちの意見を聞きたいんだけど」

 

 

「八幡?」

 

「比企谷、俺達が遊び人だと思われるような発言をしないでくれないか?」

 

 

「....................」

 

 

 

 

戸塚は意味がわからないという顔、葉山は心外だと言いたげな顔を見せるがそれも仕方ない。

 

2人はまだ俺が知らないと思っているからだ。

 

 

 

だが、その面もすぐに氷つくだろう。

 

「...............まぁ、お前らはどっちかっつーと遊ばれた側だもんな…」

 

 

 

「「!!!??」」

 

 

 

「なぁ…」

 

 

 

 

 

知ってるんだよ…

 

 

 

 

 

「“男”になった感想を聞いてもいいか?」

 

 

 

 

 

 

お前らが童貞捨てたってことはなァァァ!!!!?

 

 

 

 

二人の顔が驚愕で静止したーーーーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーまぁ、そんな話はどうでも良い」

 

「はははは八幡!?よくないよ!?」

 

 

「比企谷!?いったい誰に聞いたんだ!!いやそれよりもそれ誰かに話したりしてないよな!?」

 

「スゥゥーーーハァァァァァ~」

 

「おいやめろポテトを吸うな!受動喫煙になるだろ!」

 

「葉山君も落ち着いて!ポテトは依存性はあるけど副流煙はないよ!」

 

「実は最近よぉ…」

 

「「(八幡)(比企谷)ーーーーー!!!!!」」

 

 

ここでネタバラシ。以前八幡と戸塚は葉山に誘われ居酒屋で飲み会をしていると個室で飲んでいた筈なのに扉が開き3人の女性が乱入。どうやら空いてる席が無いので相席を希望していたらしい。

 

まぁ仕方ないよね。俺がその直後トイレ行った時には両隣の部屋もカウンターもテーブルもガラガラだったけど、二人は酔ってて気づかなかったみたいだけど明らかに同じ大学で見かけた顔だったけど、どうやら俺には興味ないみたいだったから見逃しちゃっても仕方ないよね!!

うんハチマンなにも悪くない。

 

 

「気づいてたの八幡!?」

 

「なんでその場で言わないんだ君は!!」

 

テーブル下でメール画面に『どっち狙いだ?』って聞いたら『両方☆』って言われたので『ここでの俺の分の支払いもってくれるなら自然とフェードアウトするが?』って聞いたら親指ぐっ!ってしてたから「そう言えば急にプリキュアの録画溜まってきたから…」って言って帰ったけど俺は悪くないプリキュアが悪い。

 

 

 

「あの時払ったのは俺だぞ!?」

 

「八幡やっぱり嘘だったの!?すごく不自然だったよ!?」

 

 

「まぁ、絶対無理強いしない脅さない記録は残さない乱暴はしないって約束してくれたからな…」

 

『乱交は?』

『人数差で女が勝つんならいいんじゃね?(犯罪感なくて…)』

 

「おい待てその回想はなんだ!?」

 

 

この前大学でバッタリ会った時に

 

『ついてたか?』って聞いたら

『立派だった』って赤面してたわ。

 

だいぶお楽しみだったようで。 俺は一つ夢を失った気分だったけどな。

 

『ほんと見蕩(みと)れちゃった…』

『見蕩れる…ほう…』

『ねぇ、君も…』

『俺帰ってハートキャッチプリキュア観るから…』

 

「君も狙われてるじゃないか!」

 

 

 

そんな訳で、俺の天使は汚され、そのせいか若干俺の病気も落ち着いたのであった。

 

 

 

 

流行るといいな……戸塚()れ。

 

 

 

 

「まぁだから、見事脱童貞を果たしたお前らに相談というか愚痴を聞いて欲しいんだわ。別に断ってくれてもいい。無理強いはしないし記録は残ってないし乱暴もしないって約束だから…」

 

 

「『脅さない』が抜けてるよ八幡!」

 

「いったい誰に告げ口する気なんだ君は!!」

 

..........誰だろうな。告げ口する相手には困らないが、俺としてはそいつらに近づくのが恐ろしく躊躇われるのでぜひとも相談には乗ってほしいところだ。

 

 

 

 

 

「この間討論(ディベート)した相手覚えてるか?」

 

 

「有無を言わせず相談する気だな…まぁもういいけど…」

 

「八幡の力になれるなら聞くけど…ディベートってこの間講義の一貫でやったMAXコーヒー対エナジードリンクの討論会?」

 

葉山は渋々と、戸塚はどうやら前向きに聞いてくれるらしい。俺のせいで初めてを失ったのに人のいい奴等だ。戸塚の、初めて…ね。オラなんだかムラムラすっぞ。

 

 

一瞬病気を再発させそうになったが慌ててメロンソーダで喉を潤し思考を切り替える。甘さが足りない…が、なかなかのスパークだ。オラなんだかシュワシュワすっぞ。

 

 

「二人とも覚えてるなら話が早いな…」

 

「忘れようがないだろあんな催し…」

 

「あはは…」

 

「?」

 

二人が呆れたように笑うが俺としては二人が覚えていること事態意外だった。そんなにインパクトが強い催しだったかあれ?

 

 

「本人が自覚なしか…」

「あはは…あの時の八幡は本意気で攻めの姿勢だったね…電車で材木座君が女子高生に悪く言われた時と同じ顔だったよね。僕は格好良いと思ったけど周りには怖がってる女の子もいたかな…」

 

あぁ、あったなそんなことも…

 

「ああ!あの時は怖い顔で睨んでた比企谷が急にイヤホンして歌い出して驚いたな」

 

「そんなに大きな声でもなかったのに車両にいた全員が聞き入ったもんね!」

 

「秋葉原だからな。幅広い年代で好かれるのが1990年代のアニソンの強みだ。放心してた材木座も途中から合わせ出せば声優力のみせどころだ。ルパン三世の時は割りと人殺す勢いで歌ったわ…」

 

 

「挙げ句の果て車両全体がノリ出したら流石に気不味さを感じて女子高生達も降りてったな。俺達も同じ駅だったからあまり達成感もなかったが」

 

 

ボッチ達でも容易く繋げてしまう!それがアニメだよね!まぁ俺の場合語り合うところまでも行けないんだが…。もうラブライブのTシャツでも着てやろうかしら…。上手く行けば俺でも友達(笑)出来るんじゃね?最悪の場合ボコボコにされて脱がされそうだが…

 

 

 

 

「うっうん!」

 

「ん?」

 

葉山が急に咳払いで視線を集めた。というか俺を軽く睨んでいる。何故だろう。いまだにポテトを煙草に見立てて吸ってるのが気に障ったのだろうか。これ指に油すげーんだけど。ぶん殴っていいかな。

 

 

 

「なぁ比企谷。あの時のことで俺に謝ることがあるんじゃないか?」

 

「……なにが?」

「駅に降りた後の事だ」

 

……?なにかあったか?材木座が戸塚の痴漢だと勘違いされて駅員に取り押さえられてて、葉山が止めに入ってたことしか覚えてない。戸塚に痴漢とかちょっと羨ましかったこととか覚えてない。

 

 

「その時のことだ!君はその間何をしていた!!」

 

「あ、あはは…あの娘のことか…」

……?

どうやら戸塚は合点がいったらしい。えマジなに?あの時は確かーーーー

 

 

 

ーーーー

ーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーー

 

『悠久の時を超え、今ここに導かれん我が同胞よ!』

 

『……………………?』

 

『先の儀式は見事!あの逆境の中数多の群衆を纏めあげその魅了によって仇を討ち滅ぼすその手腕に我も強く心乱された!』

 

『……………………………………』

『……こっ、ここでの邂逅も輝く闇で世界を包むに必要な……』

 

『……………………………………』

 

『……あの…』

 

『………………………………』

 

『…………かん、神崎です……』

 

『……………………葉山です』

 

『もし、ご、ご迷惑でなければ、連絡先をっ!』

 

『…………どうぞ』

 

ーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーー

ーーーー

 

なにも無かった筈だが…。

 

「そのことに決まってるだろ比企谷!!!!」

 

「えぇ!?」

 

「どこに驚いているんだ君は!!!!」

 

 

カッ!と食ってかかりそうな勢いで猛る葉山を戸塚が「どうどう」と宥める。いいな、それ。俺もやって欲しい…。可愛いなぁ戸塚。ーーーーだがもう彼奴は童貞じゃない…。

 

 

 

「あの夜あの娘から急に電話が来てこっちは驚いたんだぞ!」

 

「むこうはその倍驚いただろうね…」

 

「だいたいなんでlineじゃなくて電話番号で教えたんだ!」

 

 

 

なぜ?愚問である。

 

 

「その方がバレずらいだろ?トプ画とかタイムラインなんかで別人だとバレたら厄介だろ。電話なら声だけだからワンチャン気付かない可能性もある」

 

「どこまで非道なんだ君は!」

 

葉山はトレーの横にある俺の携帯をひったくり慌ただしく指を滑らし始めた。そんな激昂する葉山を見ながら俺はポテトをつまんだ。

 

 

「はぁ…。あの娘には一応君の番号とlineを教えておいた。今比企谷の携帯にも登録したから問題なく連絡とれる筈だ」

 

「なんてひどいことをするんだお前は…」

 

「葉山君の対応が普通だよ、八幡…」

 

 

 

ため息をつく戸塚がかわいい。だが非童貞だ。

 

「あの娘確か現役アイドルだって言ってたな…」

 

「そうか。…………………………この話はここまでだ…」

 

 

 

 

背筋に冷たい何かが走った。この話はこれ以上進めてはいけない気がした。知ってるか?俺一人暮らし始めたんだぜ?理由は聞くなよ。

 

 

 

家族に「無料エロ動画サイト使ってたらなんか住所特定済みの架空請求メールきたから」って言ったらゴミを見る目をされたが一人暮らしは容認、比企谷家に八幡という名の男児はいないということに相成った。ふっ、家庭からすら居場所を消してしまうとは…己のぼっち力が憎いぜ。…憎いぜ。

 

 

 

俺は石橋は爆破して誰も渡ってこれないようにする男だ。これで暗黒眼(あんこくまなこ)系アイドル女子の夢なんてみないだろう。夢だよね?あれ。結束バンドと手錠が混在する家庭とかどうなってるんだよ俺の深層心理!

 

 

 

 

ちなみに、何故か親父は滝のような汗をかいてたんですがなんか心あたりでもあるんですかね。

 

 

 

 

「お前ら、今後俺の家来るの禁止な」

 

「あ!八幡一人暮らし始めたんだよね!今度お酒持って行ってもいい??」

 

 

「……………………」

 

 

 

いや、揺れてないですよ。ただちょっと血圧高めですね。風邪かな。お薬出しときますねー…。

 

 

「く、来るならお前らの携帯を7つに分解して、世界中にバラ撒くからそれかき集めてから来やがれ」

 

 

「どこのドラゴンボールだ!!」

 

「八幡の神龍(シェンロン)だね!」

 

 

oh…神よ、すみません。戸塚が下ネタを口にしてしまいました。令和最大の悲劇だ。俺のせいか。俺が戸塚の童貞を粗末に扱った天罰ですか…。アーメン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……というか、その話はどうでもいいんだよ。この間ディベートした相手のあのスタドリ派のリーダーの女、覚えてるか?」

 

「そりゃあまあ、彼女はうちの大学でも有名だからな」

 

「うん、うちのサークルの男子にも人気だよ?」

 

 

……そうだったのか、と、俺は少し危機感を覚えた。てかそんな有名なの?俺だけ知らなかったとか俺に情報回ってこなさ過ぎじゃない?一昨日の講義が教授の病欠で無くなったのも知らなかったよ?待てど暮らせど来ないから一人でポッキーゲームやってたわ。あの一本をどれだけ速く食べれるかってやつ…。

 

 

「確か一応うちの大学はもう卒業してるんだよな彼女。年齢とかは聞いてないが数年前に卒業したって俺は聞いたけど…」

 

 

「えっと、たしか普段働いてる事務所で有給休暇が溜まり過ぎて、その解消ついでに後輩の様子見みたいな感じでうちの大学に体験入学した…って聞いたよ!」

 

 

「ほー…そりゃなんとも奇特な考えだな」

 

まず働こうという考えが共感出来ん。雄のライオンは狩りしないし、男は働いたら負けだと思ってるから。

 

 

 

 

さて、本題である。

 

「あれからやたらとあの人に話しかけられるようになってな……」

 

その講義があった日の夕方だった……

 

 

 

ーーーーーーーー

ーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーー

 

 

『……先ほどはありがとうございました』

 

『…………誰?』

 

 

 

 

「八幡…」

 

「なんで君は早速忘れているんだ…」

 

……叩き潰すのに相手の顔を知る必要はないだろう?

 

「本気過ぎるだろ……」

 

 

 

 

 

『とても、有意義な討論でした。もしよろしければこの後家でお話させていただけませんか?少し相談したいことがありまして…』

 

『はぁ……………えっ、どちら様ですか?今日はちょっとアレがアレでアレなもんで…』

 

 

 

「なぜ君は頑なに相手を認識して会話しようとしないんだ…」

 

「ちょっと相手が可哀想に思えてきちゃったよ…」

 

 

目の前に美人がいるとわかった時点で前なんて見ないのが八幡クオリティなのだ。

 

 

 

 

 

『他所の家に行くのに抵抗がおありならこちらから伺いますが…?』

 

『あ、あぁーいや、今日は予定もありますし家は片付いてないし知らない人を家に入れるのが嫌なので…』

 

 

「……八幡らしいね」

 

「最後に本音を暴露するあたりがな」

 

そんな呆れた目で見るな。

 

 

 

 

 

『マックスコーヒーを数本買って伺おうと思っているのですが…安く売っているお店を見つけましたので…』

 

『どこで買います?お家はどちらでしたっけ?荷物あるなら持ちますけど』

 

 

「「(八幡)(比企谷)!!!!!」」

「うおっ!」

 

 

葉山と戸塚がテーブルを叩いた。驚いた勢いで食べていたバーガーのタレが口につく。

 

こ、これ、戸塚がとってくれないかな…(照)

 

 

「八幡、顔汚いよ?」

……すんませんした。

 

 

「落ち着け。流石に俺も怪しいと思ったから、マッ缶は自分で買って店先で飲んでトンズラしようとしたわ…」

 

 

 

『ご馳走さまでした。それじゃこれで…』

 

『あと5本買ってしまいました…』

 

『……………………』

 

『相談乗っていただけますか?』

 

『……マッ缶が切れるまでなら伺いましょう…』

 

 

 

 

結果…仕事先の人間関係やそいつらが起こすトラブル等の愚痴に散々付き合わされたが、俺は映画を飲みながらマッ缶を啜り、時たま相づちを打つだけだったのでさほど不満はなかった。

 

俺がぼーっとしているとやたら横顔を凝視される時があって何か怒らせてしまったかと不安になる場面はあったが…。

 

 

 

 

「そうか、まぁ無事ならいいんだが……」

 

「きっと八幡と友達になりたかったんだね!」

 

そんなわけはないが…

 

 

 

 

嬉しそうに俺のポテトを摘まむ葉山と戸塚。

 

この続きを聞いて、その笑みが続けばいいが………

 

 

 

「それでマッ缶も粗方飲み尽くして」

 

「5本も飲み尽くしたのか…」

 

「……飲み尽くして、彼女の部屋でDVD観てた時に、トイレ行くのに彼女を置いて少し部屋を出たわけなんだが…」

 

 

 

うんうんなるほどと、頷く二人。俺は、俯いてテーブルだけを見ていた。

 

 

「それで部屋に戻ったら、彼女がベッドで大の字で寝てた…」

 

 

「…………………………………………それで?」

 

 

続きを促す戸塚に俺は間を置かず答える。

 

 

「昼間の討論会もあったし多分疲れたんだろうと思って起こさないように漫画読んでたら、5分もしないうちに起き上がってしかもやたら不機嫌だった。怒りと哀しみが入り雑じった般若のような顔で睨んでたな…なに?タオルケットかけたのがそんなに不満だった…?」

 

次は顔にハンカチでもかけてやろうか。

 

 

 

「寝起きだからじゃないのか?」

 

 

え?女子って寝起きはあんな鬼のような形相するの?世の中のカップルはよく同衾出来るよな全員遠視かよ。

 

俺は葉山に対する回答はせず話を続けた。

 

 

「その次の日も誘われた…」

 

 

 

『今日もよろしくお願いします…』

 

『慎んでお断わ…』

 

『マックスコーヒー5本買っておきました』

 

『…………』

 

『帰りにもう5本買うつもりです』

 

『……了解』

 

 

 

「比企谷、さすがに死ぬぞ」

 

「少し自制しようね八幡?」

 

 

……気をつけます。

 

 

 

 

「それでその日も俺はまたトイレ行き、部屋に戻ったら、またベッドで大の字で寝ていた、綺麗な大の字で寝てるわりに服がかなりはだけて少しずつ肌が露出してた…」

 

 

「寝相……悪いだけじゃないかな…?」

 

あ、戸塚の声のトーンが落ちた。

 

 

 

「まぁ…、そう思うよな?俺もそう思って、はだけた服をなるべく凝視しないように直して寝かせておいてやった」

 

あ、俺の声のトーンも落ちてる。重力って偉大だね。

 

 

 

「し、紳士的な対応だな…」

 

葉山から称賛の言葉頂きました。だがその目は俺を見ていない。縦横無尽にブレまくっている。さながら風に揺れる蝋燭の灯火のように…。

 

 

 

 

「……また次の日、トイレから戻ったら…………」

 

「も、戻ったら……?」

 

怯えた目で問いかける戸塚に、ゴクッ。と唾で喉を湿らせ俺は言った。

 

 

 

「りょ、両手に手錠かけて、目元に布を巻いて寝たフリしてた……」

 

 

 

 

「……………………………………………………」

 

「……………………………………………………」

 

返事は、無かった。俺が顔をあげるとそこには、

 

 

ブルブルと痙攣を起こしながら、戦慄いた目で無表情に虚空を見つめる二人の姿があった。

 

「………………………………………………………」

「………………………………………………………」

 

 

怖い。怖い怖い怖いよ。父さんの会社が倒産した顔してるよ。俺が悪いの?

 

 

うまいこと言っている場合ではない。俺は速足でレジまで行くと、二人分のシェイクを買って再び葉山達が枯れているテーブルまで戻る。

 

 

「と、とりあえず食え、お前ら」

 

 

ストロベリーとクッキーオレオのシェイクをコトッと音をたててテーブルの上に置くと、二人はブルブルと痙攣しながら恐る恐るといった感じでシェイクへ手を伸ばした。

 

 

 

「わ、わわわわわわるい、助かったよ、比企谷…」

 

「鳥居見いだしちゃってごめんね?ちょっと……想像したら怖くて…」

 

 

 

ちょっと……の後遺症がかなり見える。取り乱し過ぎて戸塚が鳥居見いだしてるもん。どんだけ引いてんだ。

 

 

 

 

呟く戸塚のシェイクはもう半分ほどにまで減っている。ちなみに俺のソフトクリームはというと……あぁもうこれはダメですね。既にだいぶ溶けてきている。やはりハンバーガーの1セットと一緒に頼んだのが間違いだったか。食い終わってから頼めば良かったな……。半ば後悔しながら食べ掛けのバーガーを包装紙でもう一度包み、俺はソフトクリームのカップへ手を伸ばす。

 

 

 

 

 

 

「そもそも、彼女いったいどうしてしまったんだ…」

 

俺は閉口するしかない。そんなことは俺が聞きたい。

ホント、あの人どうしちゃったんだよ…。

 

「たぶん、ギャップを感じちゃってそれがクセになっちゃったんじゃないかな…」

 

「ぎゃっぷ?」

 

俺は戸塚の言葉に首を傾げて、葉山に目線を向けて見るが、葉山もわからないと首を横に振る。

 

 

 

「覚えてるでしょ?…八幡が彼女に何をしたのか…」

 

「は?比企谷、お前彼女になにをしたんだ!?君は最低だっ!」

 

 

「お前どんな想像してんだよ…」

 

討論会で半泣きになるまで攻め立てたくらいだぞ

 

 

「やってるじゃないか…」

 

「まぁうちの大学のほぼ全員が知ってるけどね…」

 

 

 

 

葉山の言葉に俺はため息をついて、カップの中のソフトクリームを飲み物の様にあおった。

 

 

 

 

 

 

「….........ンで?それがなんかあるのか戸塚?」

 

俺はソフトクリームのカップを空にして戸塚に訊ねる。すると戸塚は何故かため息をついてジッとした眼で俺を見た。

 

 

「ねぇ、八幡。彼女とどこまで進展したの?ここで言ってみて」

 

 

 

「……は?彼女?」

 

驚きのあまりソフトクリームのカップを握り潰した。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーブブブッ。メールである。

 

 

『……どういうことですか?』

 

……誰?怖い。間違いメールだよね?俺このメアド知らないですよ。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーブブブッ。

 

「………………」

 

 

 

『まゆです』

 

 

……知らない人だ(頭抱え)

絶対知らない人だ。だが向こうは俺を知っているのかも知れない。怖い。

 

 

 

 

 

 

「八幡?」

 

「えー、あっ、いや、そのちょっと….........彼女ってのは三人称のこと…だよな?な?」

 

 

畳み掛ける衝撃に俺は冷や汗しながらひたすら狼狽えるのみである。

 

 

 

 

俺は神様にでも嫌われたのだろうか。というか戸塚に嫌われたのだろうか。

 

 

 

 

 

「というか比企谷はどういう女性が好みなんだ?」

 

「………………」

 

関係あるか?と思ったが少しでも気を反らしたかった俺は顎に指を当てて少し考えて答えた

 

「……経産婦(けいざんぷ)だな」

 

 

「「……………………」」

 

 

 

 

 

 

「……考えうる限りで最悪の答えが出たな」

 

「八幡アニメ観なかったの?」

 

二人は俺をみていた。屑を見る目で俺を見ていた。

 

 

 

 

 

 

「観て改めて思ったんだよ。やはり童貞からすればあの母性と色気に勝てるもんはねぇ…」

 

 

 

 

ブブブーーーーメール?

 

 

『まゆです。次お会いする時までに産んでおきますね?』

 

 

…………なにを?メリーさんより怖い予告メールきたんだが。

まゆさん……ほぼ知らないな。一体誰だろう。冷や汗が止まらない。

竜田が、竜田が足りない……(頬張る)

 

 

 

「アニメ観てってことは由比ヶ浜さんのお母さん?」

 

「ん?おう」

 

 

是非俺のお母さんになってほしい。あの人が母であれば俺はマザコンにでもなれる。

 

 

 

 

 

 

ブブブーーーー

 

『まゆです。今由比ヶ浜さんのお宅の前にいます』

 

……由比ヶ浜の友達だろうか…そうだよね?てかさっきまで未登録だったのに今登録されてるんだけどなにこれ怖い。あと怖い。俺が竜田バーガー食ってる間に何があったの。

 

 

「あ、ああああと雪ノ下の母ちゃんもなかなか良かったよな?大人の余裕っていうか…(焦)」

 

 

 

動揺のあまり言わなくてもいいことを口走る俺。

 

 

 

『まゆです。今雪ノ下さんのお宅の前にいます』

 

しまったぁぁぁぁ!!!焦って犠牲者を増やしてしまった!

 

 

『まゆです。今、あなたの子供の前にいます』

 

 

産んでじゃねーよ!!!!!!つーか俺の子供だったのかよ…欠片も覚えがねぇよ…

 

 

目まぐるしく変わる状況と重なる理解不能な事態に軽く絶望を覚え俺はテーブルの上に落ちていった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「つまりこういうことだよ」

崩れ落ちたトランプタワーのごとくテーブルの上で潰れている俺を無視して戸塚は語る。

 

 

「八幡はだいたいにして消極的だし、そもそも他人というか女性に対しての興味と認識が薄い。普段の態度もやる気を感じさせないよね?ダウナーって言うのかな…。草食系な印象が強いよね?」

 

「いや、むしろ“無食系”じゃないか。あれだけ囲まれておきながら…」

 

「そうかも!“無職系”だね」

 

 

 

….........俺の人間としての品格がどんどん落とされている。『食わない』『働かない』ってなによ。地蔵か俺は。……ある意味理想の姿なのかも知れないな。

 

俺を無視して戸塚は語り続ける。

 

 

 

 

 

「普段の八幡を見てても攻撃的な印象は一切ないけど、さっき言った討論会の件じゃ八幡は完全に彼女を叩き潰す勢いだったよね?所謂八幡の“隠れたドS”さを味わっちゃったんじゃないかな?それが彼女のツボにハマってまたおかわりが欲しいのかも知れないね?」

 

 

なるほど、なるほどなるほど。しかしまァ…

 

「ギャップ…ねェ…....。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、ところで、えっと、手錠掛けて寝たフリしてた彼女に、….....比企谷は一体どうしたんだ?」

 

恐る恐るといった面持ちで聞いてくる葉山に、俺は出来るだけ真剣に答える。

 

 

「どうしたって……、俺だって手錠まで出されたら彼女がどんな…プ、プレイ?を、求めてンのかはまぁ、想像、つく、しなぁ………」

 

 

「それは….........まぁ、そーだな…」

 

「うん。それで、一体どうしたの?」

 

 

空気が重い。ここだけ空気が重い。なんか挫けそう…。

 

 

 

「き、決まってるだろ、彼女が恥を忍んでプレイをお望みなわけですからね…その、恥をかかせるわけにもいかなくて….........その、や、やりました…、俺はやりましたよ…」

 

 

既に俺は涙目である。

 

 

「ど、どんなプレイしたんだよ…」

 

 

 

怯えた様な、憐れむような目で葉山に聞かれた。

 

 

俺は素直に答えた。

 

 

「…………放置プレイ」

 

「逃げてるじゃないか」「逃げちゃったんだ」

 

 

 

すっごい冷ややかな目で見下された。自分の弱さを思い知らされる。

 

 

 

 

「いやだって無理だよ…八幡のチキンハートをなめんなよ。骨無しチキンより骨無いよ?」

 

 

 

 

ーーーーそこで相談というのが、どうすれば被害少なく彼女の奇行を止める、しいては満足させられるか。ということなのだ。出来れば二度とあの家に行きたくない…。

 

 

「ん!そうだ!」

 

パッと明るい顔で葉山が手を叩く。その快活な動作に期待が募る。

 

 

 

「….........陽乃さんに相談してみたらどうだ!?」

 

 

....こいつ、逃げやがった。とんでもない爆弾だけ残して。

 

 

 

「葉山テメェふざけンなよ。俺は真剣に悩んでるだよ…知人が悩んでいるのを放っておくつもりか…?」

 

 

どうして火種にガソリンぶち撒けるようなことするですか?火柱あげたいんですか?

 

 

「そんな相談される身にもなってみろ。俺は今日ここでお前と巡り合わせた運命を呪うぞ」

 

「ハハハ……」

 

葉山が腕組みをしたまま苦々しく呟く。ちょ、そんな真顔で言わないでくれない?なんかホントに傷つく。俺なの?俺が悪いの??

 

 

 

「「「はァ………」」」

 

3人のため息が重なる。ここのテーブルだけお通夜の空気である。時間的にはおやつの時間だけど…………ごめんなさい、何でもないです。

 

 

俺がくだらないことを考えている間に戸塚は残っていたシェイクを食べ終え、「なら…」と前置きしながら空のカップを自分の前に置き………いやごめん何でもないですごめんなさい。

 

 

とにかく戸塚だ。どうやら一計を案じたらしい。すごいな。俺がここ一週間考え続けていても何も浮かばなかったのに………。やはり観的視点だからこそ思いつくアイデアというのもあるのだろうか。それとも童貞を失ったからこそか…?

 

 

「彼女は八幡の攻撃的な一面を見たくて遠回りな誘いをしているけど、八幡は失敗や嫌われるのが怖くてその誘いに対して一歩踏みきれずにいる。ここまではいい?」

 

 

よくない。別に俺付き合ってもいないし嫌われるのも全くもって構わない。なんでそんな付き合いたての彼氏みたいな心境にされてるんだ俺は。

 

それはともかく、戸塚は要点をまとめつつ状況を整理してみせた。やはり侮れない。しかし、この場合頼りになることこの上ない。さすがに童貞を捨てただけある。

 

 

 

 

 

 

 

「だから“さりげなく見せる”っていうのはどうかな?」

 

 

「ーーーっと、そのこころは?」

 

 

「つまり、見せつけるわけじゃなくて、でも暴走しちゃったりするわけでもなくて、あえてその一面の片鱗?だけを見せて彼女にある程度の満足してもらったりとか!」

 

 

「なるほど!“チラリズム”ってやつだな」

 

 

葉山は俺より早く理解したらしく、得心顔でそう呟く。俺もそれを聞いて頷く。

 

チラリズムとは、文字どおりチラリと見せる(魅せる)ことだ。自然と出てしまう癖や、見えそうで見えない微妙なエロさなど、その応用は広くあるが、共通するのは“見た者にプレミア的なお得感を与える”ことだ。

 

滅多に見られないチャンスを目撃したことによって、たとえどんな些細なことでも見た者には異常な満足感があるのだ。

 

 

「だがあれは意識してやることじゃない。わざとやるってなんか邪道な気がするしそもそも可能なのか?」

 

 

いや、一色あたりならそれすら計算してそうだが…。

 

俺の個人的な感想に戸塚は何故か満足気にうなづく。可愛い。童貞を捨てただけはある。

 

 

 

「確かにね。仕組まれた故意より、偶発的に起こった奇跡。見せパンより生パン。水着より下着の方が嬉しいという八幡の主張にはぼくも強く同感だよ」

 

 

いや、別にそこまで言ってねェだろ。…………戸塚変わりすぎじゃね?童貞捨てると男ってここまで変わるの?……いや、やっと男になったのか?

 

 

……………激しい後悔。

 

 

 

 

 

呆れて溜め息をつく俺に葉山は言う。

 

 

「まぁ、多分中には故意にやってる女達もいるんだろな。色気とか化粧と上目遣いは女の武器だと聞いたことがある」

 

 

 

へェ…そうですか。モテる男は自分からパンツ見せてもらえたりするんですね。俺が見ちゃった時はたとえ事故でも学級裁判でしょうけどね。

 

 

「……誰に聞いたんだ?陽乃さんか?一色か?」

 

 

「………………」

 

「失礼」

 

「……いや…」

 

時をもどそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「話を戻すけど、今回の場合は『見られたくない』という意識をもって見せるのがポイントだね。つまり、自然と出ちゃったんじゃなくて、隠していた一面を見られてしまった!っていうシチュエーションを作ることで満足感があがるかも知れないよ?」

 

 

 

「見られたくない?隠してた?え、どゆこと?」

 

 

具体性の無い説明に俺は首を傾げる。何となくニュアンス的に雰囲気というかあれは伝わってくるんだけど…いやこれ何も解ってないですよね、はい。理解力の無さを痛感してます。頑張れ元国語学年3位!

 

 

「八幡、ちゃんと理解出来てる?」

 

 

と戸塚に俺は顔を覗きこまれ、嘘をつく意味はないので

 

 

「あァ、(解ンねェけど、)…大丈夫だ」

と力強く頷いた。…いや、全然大丈夫じゃねェよ!何ちょっと見栄はってンだ!余計情けないわ!

 

 

「よし、もう一度説明するね」

 

あっさり見破られてんじゃねーか!戸塚が気遣い出来過ぎてて逆にムカつくんだけど!

 

 

「具体的に話してみるね?まずいつもの様に八幡は一度部屋を出るよ?そして部屋に戻ると彼女は寝た振りをして八幡を待っている………ここまでは?」

 

 

「……まぁ大丈夫だ。大体80パーセント以上の確率で寝た振りしてるからなぁ(遠い目)」

 

 

「どんだけ誘われてるんだ君は……」

 

 

 

 

「そして、八幡はここでいつも通りに彼女が寝ていることを確認する。たとえ“フリ”だと気づいても、あくまで“寝ている”と信じこんでいる体で対応してね?」

 

 

「……あぁ。…え?なんで?」

 

 

俺が聞くと戸塚は立てた人差し指を振ってここが重要だと念を押しする。ちくしょう可愛い。だが非童貞だ。

 

 

 

 

「相手が寝ていることを確認するということは、これからする行為は他者には見られたくはないという印象付けをしてくれる筈だよ。つまり、他人には見せらないことってことを強調して、それを見た人に特別感をもってもらうんだよ!」

 

 

「ほー、なるほど…。秘匿性を演出して希少価値を錯覚させるわけか」

 

 

俺は感嘆の息を漏らす。よくもここまで色々な視点から考え、計画を練り、それを解りやすく解説出来るものだ。

 

 

「そして、彼女は自分に対して一切踏み込んでこない八幡に対して僅かながら…いや、大きく不安を感じているのかも知れない」

 

 

 

……付き合ってもいないからね?

 

 

「その不安を取り除く為に…………」

 

 

……取り除かなきゃだめかそれ?

 

 

 

「…ために?」

葉山が首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おもむろにエロ本を読んでみよう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………はい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー頭が真っ白になった。

 

 

 

 

 

戸塚からエロ本という単語が出たことじゃない。真面目に相談に乗ってくれていると思っていた戸塚からネタとしか思えない提案をされたからだ。

 

……あれやっぱり戸塚怒ってる?でも俺逃げただけでそのあと女子3人とどーなったかは俺関係なくない?

 

 

 

 

「……戸塚?」

 

 

 

 

 

パニック。八幡超パニック。

視界が歪んで世界が回り始める。実はこれは夢じゃないのか。戸塚が男で非童貞というところから夢じゃないのか。まさか今みてる夢はこれから起こる正夢なのか、それとも決して現実にはならない逆夢なのか。結局どっちか2分の1なのならもはや気にするのも意味はないのか。そもそも…

 

 

 

「まぁ落ち着けよ比企谷。君の矮小で最低な脳じゃわからないのかも知れないが、この作戦実は良く考えられてんだぞ…?」

 

 

「お前むしろ喧嘩売ってるだろ…」

 

 

混乱が怒りに変わり矛先が葉山にうつる。後は発射するのみ…!という時に、テーブルに肘をつけて指組みしていた戸塚が口を開く。ちなみに、俺がパニクっていた間も微動だにしなかった。

 

 

というか戸塚さん、そのポーズ(碇ゲンドウ)は似合わないわよ。可愛いだけよ。

 

 

 

「彼女は、どれだけ誘惑してもその気を見せない八幡に不安を感じ始めてる。『ひょっとしたら、私には魅力がないんじゃ…』って…」

 

 

「…………………………………………………」

 

 

魅力どうこうの前に、あの状況じゃ手錠しか目に入らないんだが…。

 

 

続いて葉山も言う。

 

 

「かと言って、君も理性を無くして勢い任せで一線を超えてしまって、その結果で彼女を傷つけてしまった…………なんてのは、一番許せない結末だろ?」

 

「そりゃ…………まァな」

 

俺は葉山の問いに落ち着きを取り戻し、静かに腰を下ろした。

 

 

そもそも付き合ってないだけど。なんでこいつらは交際前に性交渉するのも致し方なしな話し方なの?あの時の仕返しか!?

 

 

「つまり、このプランは彼女の不安と比企谷の思いの間を上手くとった解決案なんだ。エロ本をコッソリ、しかも馬鹿真面目に読んでるお前を見て、彼女はこう思う…」

 

 

「「『あぁそうか。私の為に我慢しててくれたのか』って(と)な。」」

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」

 

 

 

二人が同時に口にした言葉に、俺は衝撃を受ける。

 

 

「なるほど…。そうか、俺は傷つくことも傷つけることもなく、彼女は自分に自信を感じることが出来るわけか…。いや、なんか悪いな戸塚。お前、俺と彼女のことそこまで考えてくれてたんだな…。本当に助かった…」

 

 

 

「もう八幡!そこは『悪い』じゃなくて…」

 

 

「……あぁ!そうだな。……ありがとな!戸塚!」

 

俺も心からの笑顔で戸塚へ感謝する。

 

 

 

……葉山?知らんな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…なんか、ホントありがとなお前ら。我ながら奇想天外な相談になっちまったけど、馬鹿にもせず真面目に考えてくれて。ホントに助かったよ…。」

 

ドン引きはされたが、それでも俺は、俺の悩みに耳を傾け、流すことなく考えてくれたことが嬉しかった。

 

 

「もう八幡、困った時はお互い様だよ?それに、僕はいつだって八幡を頼りにしてるし、八幡に僕を頼ってほしいんだよ!」

 

「また、何かあったら言ってくれ比企谷。俺も君には色んなところで世話になった。だが、今君の側に俺がいるのは、君の力になりたいからで、君のことが心配だからだよ比企谷…」

 

 

..................................ヤバい。泣くかも知れない。

休日の夕方のファーストフード店で高校制服着てる大学生が泣かされるかも知れない。良い話なはずなのにイジメられてるようにしか見えないのは気のせいか。

 

 

 

「…………俺、これ片付けてくるわ…」

 

 

思わず涙が出そうになるのを隠すように、俺はテーブルの上の食べ終えたセットのプレートを持って、二人に背を向ける。

 

まったく、こんな非主人公には勿体無いほど良い奴等と知り合えたものだ。出逢いとは、縁とは一生誇りに思っても良いほどの宝だ。大事にしよう。……これからは。

 

 

 

俺にしては珍しく、ひねくれずに心から親友達に感謝をしながら手にしたプレートの上包みや紙カップを所定の場所に捨ててテーブルへ戻ると、

 

 

「あ、あの、これからお暇ですか?良かったら一緒に夕飯でも…」

 

「二人ともスッゴい格好良いですね!彼女とかいるんですか!?」

 

 

 

「いや、恋人はいないですが…」

 

「えっと、今ちょっと友達と…」

 

 

女子大生くらいの美女達に逆ナンされて少し戸惑っているイケメン達がいた。誰だろうかあのイケメン達は。そう、何を隠そう俺を泣かした奴等だった。見てみて!マジでイケメンだから!………そう、あいつらは…イケメンなんだよな…

 

 

 

「お前等…」

 

「あっ、遅いよ八幡!」

「比企谷!待ちくたびれたぞ!」

 

 

やっぱり、あいつ等だった。うん、知ってた。

 

 

戻ってきた俺を見るやいなや、二人はパッと顔を綻ばせる。俺は助け船にでも見えたのだろうか。

 

 

 

「……悪い。俺ちょっと急にプリキュアの録画溜まってきたから帰るわ」

 

 

 

残念助け船ではありませんでした。ノルマントン号事件さながらに見殺しにした。溺死しろ糞イケメン共が…。

 

 

 

「んなッ!?おい、比企谷!どうしたんだ!!」

「ちょっと八幡!?待って八幡!」

 

 

「あの、そいつらに絶対無理強いしない脅さない記録は残さない乱暴はしない。約束して下さいね…?」

 

「「(八幡)(比企谷)あああああああああああ!!!」」

既に年上美女達に腕をホールドされている見知らぬイケメン達を残して俺は店を出る。

 

 

 

空にはすでに闇がかかり、星達が美しく自己主張を始めていた。あの星達のように、闇に飲まれないように俺も懸命に輝き続けたいな……。

 

なんて純粋な言葉は、今の俺にはとても言えないけれど……。

 

 

「………………………………死にてェ…。」

 

 

ポツリと呟いた言葉は誰の耳にも届かず夜の冷えた空気に溶けて消えた。俺は白い息を吐きながら少し歩を早めて夜道を歩く。何故早めたかって?後ろから二人分の足音が、物凄い勢いで近づいてきたからだ。

 

 

「「(比企谷)(八幡)アアアアアアアア!!!!!!!」」

 

「うっせェ!来ンな!イケメンがうつ…いや待って嘘うそウソうそ!だから止め…あああああァッッッッーーーーーー」

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーー後日、戸塚の作戦を実行して彼女に無言で叩かれたのはまた別の話だ。




こういうのが書きたかったんだっけ?続きといえば続きです。これ以上書ける気がしないのでとりあえず完結です


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彼は大変なものを拐っていきました

『あー…こちら市原さんの携帯で間違いないですか?』

 

残業中、ただ1人残されたオフィスに電話越しの低い声が響いた。

本日仕上げるべき仕事を粗方終わらせ、一杯のコーヒーを燃料に残りを一気に終わらせてしまおう。今日も愛する娘の寝顔しか見られないのだろうか…今日はアイドルとしての仕事もお休みだと聞いていたから、少しくらい一緒に過ごしてあげたかったと罪悪感を感じざるを得ない。

ため息をつきながら職場のコーヒーメーカーを動かした時の話だった。

 

 

この時間には珍しく、私の携帯が着信の声をあげた。

 

暗くなった部屋で、デスクライトの小さな光の中で耳にする聞き慣れたはずの無機質な合成音に、なぜか不安を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『事前に連絡出来ず誠に申し訳ありません、市原仁奈さんを誘拐させて頂きました』

 

電話越しにざわめき混じりに聴こえてくる、抑揚のない、いっそ耳に心地のいいほど低い男の声が、身近な存在の名前と、あまり身近にはなかった単語を、最悪と思える形で並べてくる。

 

“誘拐”。一人の女として、一児の親として知らないはずはない。恐怖しないわけがない。

いつもと変わらず漂っているだけの大気が、私のことなど気にもとめず回っているだけの世界が、すべてが私ひとりの敵にまわったような焦燥感と危機感が私を襲った。

 

 

 

 

 

 

だが私の胸中は、その声を、続く言葉を聞けば聞くほど、恐怖からは遠ざかっていった。

 

 

『あ、此方(こちら)からはとくに要求はありません。ですが、市原仁奈さん本人は貴女(あなた)に会いたいと言っています』

 

 

………要求は…ない?

 

 

『しいて言うなら、それが我々の要求でしょうか…』

 

 

………仁奈が、私に会いたいと言っている。それが、誘拐犯の要求…?

 

 

 

誘拐犯を名乗る男の言葉に、私はすっかり頭がこんがらがってしまった。だってそうだろう。もちろん私は人生において誘拐の現場や誘拐犯というものに遭遇したことはないけれど、テレビや映画ではよくみるファクターだ。だからこそ、偏見ともいえる予測はついていた。

金…いわば身代金だ。命と身柄の無事と返還を保証をする為に大金を要求する卑劣な犯罪。それ以上の最悪があるとすれば、拐ってきた人質自体が犯人の目的であることだ。怨恨、身体に対する加害、歪んだ情欲…姦淫…もはや想像もしたくない。まして仁奈はアイドルとして活動をはじめて認知度もかなり広がった。誘拐の動機としてはどちらの可能性も濃厚だろう。

 

 

 

しかし、当の誘拐犯から出た言葉は誘拐という大前提すら覆す要求。誘拐犯自身に要求はなく、わざわざ拐った女児の願いを共に願う。もはや要求とすら言えない。一周回ってなぜわざわざ拐ったのかと問いただしたくなるほど本末転倒な話だ。

 

 

私は、娘が(かどわ)かされた危機感も忘れても「知りたい」と思ってしまった。まるで映画かドラマでも観ているような、いやもっと現実離れした、それどころか現実感(リアルティー)の欠片もないクイズでも出されたような感覚だ。

 

 

だがしかし、私が頬をつねるまでもなくそれが現実(・・)だと証明させるような声は受話器越しに私に届いている。

 

 

 

『ご返却をお望みであれば、○○駅のそばのサイゼリヤにてお待ちして…あーおい婆さん!仁奈がムール貝食おうとしてる!仁奈にムール貝はまだ早いだろ…』

 

『仁奈はもう貝さんもたべられるでごぜーます!ラッコさんのきもちになるですよ!』

 

ざわめきの中に聴こえる一際大きな声。間違える訳がない、愛する娘の声だ。どうやら誘拐犯と夕飯を共にして上機嫌らしい…いや何故?…しかもムール貝を食べているとは、娘の成長を感じた。

 

 

『うっそ。最近の子はすげーな。お嬢はもう大人のレディですね…』

 

うっそ。まさか誘拐犯と感想がかぶるとか。ほんと子供の成長は早いですね…

 

『仁奈はもうおとなでごぜーます!おさけもおたばこもうぇるかむです』

 

 

恐怖に濡れた泣き声でも、苦痛に満ちた絶叫でも、官能的な喘ぎ声でもない。いつも通りの、何の影響を受けたのかやたらと特徴的になってしまった愛娘の言葉が電話口から溢れる度に、状況も忘れて口が綻んでしまう。………いや別に愛娘の喘ぎ声に興味がない訳ではないけれど、でもそれはダメよ仁奈。あと11年待ちなさい。初めてはお母さんが一緒に付き合ってあげるから。一緒にいい男探そうね?でも煙草は一生吸わなくていいの。どうせこの先吸える場所なんて減っていくんだから。

 

漏れ聴こえてくる声に、恐怖という殻に少しずつ罅が入り、固まっていた緊張と恐怖が()(ほぐ)れていくのを感じた。

 

 

『…え?いやいやいや、注文じゃないです。はい。お酒をお持ちしないで下さい…。子供用のグラスとか要らないですから。…煙草?いやいやいや吸わせてないです灰皿もいらないので…あーいや通報とかちょっとやめて…おい婆さん!なに笑い崩れてんだ!他人事じゃねーんだぞ!』

 

 

私以上に焦る男の声が聞こえる。どうやら仁奈の呟きが店員にまで聞こえたらしい。この場合私は店員を応援するべきなのか誘拐犯を応援するべきなのか迷うところだ。

 

 

 

『おにーさんは誰と電話中でごぜーますか?仁奈はうるせーですか…?』

 

『あー今はお嬢を誘拐中だからな…。仁奈のお母さんとお話中だ…』

 

『ママでごぜーますか!?お話させてくだせー!』

 

 

 

「仁奈?仁奈なの…?」

 

“誘拐”という犯罪の最中に自分に向けられる愛娘の幸せそうな(・・・・・)声に本当に自分の娘なのかと疑ってしまうが、

 

『ママ!』

 

 

“人質”という立場に似つかわしくない、あの太陽のような笑顔を幻視させるほどの明るい声。普段から何もしてやれていないにも関わらず私へ無条件で最上級の愛情を向けてくれる、そんな声。

 

 

娘の無事は証明された。では次はその体温を感じて安心したいと思うのは当然だ。仁奈の声に思わず抱き締めたい衝動に駆られ、勢いづいて居場所を問うてしまった。

 

 

 

「仁奈!大丈夫なの!?今どこにいるの!!」

 

 

『うぇっ!?に、仁奈はいまママに言われたれすとらんでランチでごぜーます…』

 

仁奈は平静さを欠いた私の声に驚き、怒られると思ったのかおずおずと答えた。もちろんそんな声も可愛いらしく、愛おしいと感じてしまう。

 

“私に言われたレストラン”とは、先月たまたま休みだった日に仁奈と一緒に行ったサイゼリヤのことだろう。友人が店長をしているので何かあったらそこへ行くように言っておいたのを覚えていたのだろう。

 

 

 

『仁奈ちゃん…今はお夕飯だからディナーの時間だねぇ…』

 

『らんちじゃねーでごぜーますか?まちがえた仁奈はわるいこでやがりますか…?』

 

 

誘拐犯の片棒…?のお婆さんに間違いを指摘された仁奈の声にまた陰りがかかる。そんな声も可愛い…

 

 

『あー大丈夫だぞ仁奈。俺は昼からずっと入り浸ってるから、ほとんどランチだ』

 

『仁奈は“おじょー”でごぜーますよおにーさん!』

 

『………はいお嬢…』

 

 

仁奈に起こられてしょんぼりとする誘拐犯(おにーさん)

どうやら『お嬢』呼びは仁奈の意思らしい。何故?

 

 

『ハチちゃん?夕方まで学校だったって言ってなかったかい?』

 

『………………………』

 

 

どうやら誘拐犯のお兄さんは『ハチ』と呼ばれているらしい。お婆さんからの質問に無言で答えるハチさん。何と無く切迫感(やってもーた)という感情を私も電話越しの無言の中に感じた。

 

 

『ハチちゃん?まゆちゃんは夕方からお仕事だから今日は会うの断念したんだけど、嘘だったのかい?』

 

『………………………』

 

 

どうしたらいいのだろう。私も警察も関係のないところで誘拐犯が追い詰められていくのが解る。立場を忘れて助けてあげたくなるほどだ。…仁奈!助けてあげて!

 

『おにーさんは明るい時からずっとなにか書いてやがりました!』

 

『………ハチちゃん?』

 

………仁奈。

素直とは時に残酷だと思った。

 

 

『………あー婆さん、酒が足りてないんじゃないの?えっと…ボトル入れる?』

 

ハチさんの声には悲壮感が満ちていた。

あと、いつの間にか私はコーヒーを飲み干していた。やだ私落ち着き過ぎじゃないかしら…。

 

 

 

 

『ママ!仁奈はおにーさんとまやさんといっしょにごはんでごぜーます!ナイフとフォークもおしえてもらったです!はやくママにみせてーです!』

 

 

もう一人の誘拐犯、もといお婆さんは『まや』さんと言うらしい。うちの娘がお世話になっています。

 

 

「仁奈… 」

 

もはや誘拐などという危機感を忘れて私は娘を親戚に預けたような意味不明な安心を感じていた。親戚どころか顔も知らないし、何故そんな状況になったのか検討もつかないが…。あと多分親戚や海外出張中の旦那にこの事を伝えたら私は死ぬほど怒られるだろう。

 

そんな馬鹿なことを考えていた私は、すぐに言葉をうしなった。

 

『おにーさんとまやさんがいるから寂しくねーですけど、ママといっしょにごはん食べてーです。おしごとがんばったママに『ありがとう』と『おつかれさま』が言いてーです…』

 

 

「仁奈…」

 

背中に氷を入れられたように、目を見開き呼吸が止まる。

 

今日は(・・・)おにーさんとまやさんがいるから寂しくない…ならいつもは…。

私はこの時に、娘が誘拐されて初めて娘の本音を聞いてしまった。これは、娘の、仁奈の悲鳴なのだ。私がこれまで考えなかった。考えようとしてこなかった仁奈の心の痛みだ。

 

 

そして、そんな心に痛みを感じていた仁奈が私とご飯を食べたいと言ってくれた。お仕事を頑張っていると許してくれた…。仕事を言い訳に娘から目を逸らしていた自分を。

どんな事情があったのかはわからないが、仁奈が彼らと出会っていなければ、今日この誘拐犯さんが電話をしてくれなければ、私は仁奈の痛みにいつ気づけたのだろう。…いつまで目を逸らしていたのだろう。

 

 

そして気づく。

私は、誘拐によって愛する娘の悲鳴に気づくことが出来た。

仁奈は、彼らによって一時の心の平穏を得て私に本心を話せた。

 

誘拐は、卑劣な犯罪である。だが、彼等が、私の娘を救ってくれたことを私は覆せるのか?私に気づかせくれたことを、私まで救ってくれたことを、私は否定出来るのか?

 

 

 

『お嬢…今日は誘拐されてるわけだからお母さんが迎えにきてくれるまで待ってられるぞ。明日も学校は休みだろ?』

 

『うーー。おにーさんの手はきもちーでごぜーます…』

 

『おっと、今お母さんに全力で誤解を招いた気がするぞ…なんでまや婆さんはさっきから真顔なの?ちょっと周りの視線も恐いんだけど』

 

『それはハチちゃんが昼間っから入り浸ってるからじゃないかい?』

 

『サイゼリニストは孤独だ…』

 

彼等の、私の愛する娘と誘拐犯を名乗る者達のひどく愉しげな声が受話器から聴こえてくる。この会話をずっと聞いていたいとおもった。

 

 

 

 

 

『おにーさん手止まってるでごぜーます…』

 

『………レポートのことか…?』

 

『仁奈ちゃんの頭に乗ってる手のことじゃないかい?』

 

『………お嬢、そろそろ膝からおりて手も離してもらえません?気づいてる?全然食べ終わってないのに店員さん10分置きに皿取りにきてるんだよ?』

 

………どうやら店側には激しく警戒されているらしい。ふふ。

 

 

『仁奈は今ひとじちなのでみのしろ金がよーいできるまでおにーさんからはなれねーです』

 

『あ、ちがいます。その、ガチな誘拐とかじゃないんで…あムール貝もう一皿貰えます?あと…』

 

『ホネついた肉のやつくだせー!』

 

『………らしいです』

 

 

 

そしてそれ以上に、私もそこに加わりたいと思った。

そう思った時…

 

 

 

『………まぁ、そういうわけで、仁奈さんのことはしばらく預かって置きますので…誘拐犯らしからぬ言葉なのは承知ですが、とりあえずご安心を。…でも流石に周りの視線がキツいので、事故を起こさない程度に急いで迎えにきていただけると助かります。えーっと、まあ…具体的には婆さんがワインで潰れる前に…』

 

 

まるで迷う私の手をとり(いざな)うような言葉に…彼の優しい声に救われた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、仕事を大急ぎで終わらせ、車でサイゼリヤに向かうと酔ってハイテンションになっているご年配のご婦人と、私の姿が見えて機嫌が良くなった仁奈に引っ付かれて疲労感を顕にする一人の青年の姿があった。

 

 

そして、青年とご婦人と一緒に食べた中で気に入った料理を私に「たべてくだせー!」と勢いこんで勧めてくる仁奈に驚きながらも、勧められるがままに食べるとそれが余程嬉しかったのか喜びはしゃぐ仁奈を、落ち着かせるように褒めながら頭を撫でる青年と、それによって更にテンションを上げる娘の姿をみて、久しぶりに心の底からの笑いがこぼれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にすみませんでした」

 

酔いの回った佐久間まやさんをタクシーに乗せ、いざ我々も帰路につこうとした時、彼は、比企谷八幡君は私に深く頭を下げた。

 

 

ここに至った経緯、仁奈とはこの店で今日が初対面であり、たまたま話の流れから仁奈が(わたし)に会えないことを寂しく思っていること、頑張っている母にお礼も出来ず、何か言えば迷惑がかかるんじゃないか…すでに迷惑をかけてしまっているんじゃないか…と、呟くように漏らす仁奈の言葉を聞き、狂言に及んだことを説明した。

 

佐久間さんとはもとより待ち合わせではあったが、大学生と幼女、しかも不信感を抱かずにはいられない腐った目の男と、血縁もありそうに見えない女児と二人で長時間ファミレスにいては店員に警戒され、善意や正義感から警察や私に連絡が入ってしまうのではないという懸念から少し予定より早くきてもらい、佐久間さんには自分の妹だと偽って同席を許してもらい家族ではなくてもなるべく長く団欒を感じられるように協力してもらったらしい。「こんな腐った目ですみません」なんて、自虐をまじえて謝られた。

 

 

加えて“誘拐”という物騒な表現を使った理由については、たとえ善意であれ本人が喜んでいようが保護者の許諾なく拘束すること自体が“誘拐”と認められ刑事罰が下ることがあると知っていた為、現状が誘拐となんら矛盾しないと判断し『誘拐犯』を名乗ったらしいが、たとえ佐久間さんが比企谷君の妹が既に高校生であることを知っていても、仁奈が親類ではないと気づいていたとしても、警察に世話になることがあれば責任は自分一人にあると言い張るつもりだったらしい。…それと、年端のいかない娘を一人放置している母親とやらに少し怒りを覚えたと地に額をつけて語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからというもの、仁奈のお仕事が休みの日には連絡先を交換してくれた比企谷八幡君に仁奈の子守りを頼み、私の仕事が終わってから仁奈を受け取り帰ることが増えた。

 

 

 

「あまり同じレストランに子供と未成年の男の子が入り浸るのも体裁が良くないかしら」…と私が呟いたのをきっかけに、彼は自身のバイト先の店長と交渉しバイト中はそこで、休みの日は自分の一人暮らしする部屋に仁奈を招いてくれるようになった。無論彼なりに悩んだようだが…。

 

いくらお世話になっているとは言っても最近はロリコンやらポリゴンだのとたとえ幼児期とはいえど女の子を男性と関わらせるのに抵抗を招く事件も多い。そんな複雑な私の胸中を察した彼は仕事中の私によく仁奈の写メを送ってくれるのだが、その随所に佐久間まやというあの人の良いご婦人の姿が見られるのだから、どこまでも気遣いのできる青年だと反って彼への好感度はうなぎ登りだ。

 

 

まれに佐久間さんとの都合がつかない日でも自宅で夕飯を振る舞ってくれ、宿題などの面倒もみてくれているらしく、その報告を仕事終わりで疲労困憊となった私に、残り物とはいえ温かい食事とともに用意してもらったことも一度や二度ではない。ひょっとしたら彼は私の血の繋がりのない“家族”なんじゃないかと錯覚してしまうほど、私は彼に信頼と、愛情に似たものを持ち初めていた。

仁奈にとっても恐らくそうだろう。どうやら比企谷君はテレビや芸能ニュースに疎いらしく、仁奈がアイドルとして活動していることを知らないらしい。だからこそ、比企谷君は仁奈を一人の女の子として、或いは妹のように扱い、可愛がってくれている。それが余計に嬉しいのだと思う。

 

 

余談だが、どうやら彼のバイト先の人も、そして行きつけのサイゼの店員も佐久間さんまでもが、比企谷君に仁奈がアイドルであることを内緒にしているらしい。

 

 

「そうだね…明らかにファンに見える人が仁奈ちゃんと二人きりでいたら流石に僕達も警戒せざるえないけど、どうみても兄弟だったんだよね。全然似てないけど。それも仁奈ちゃんの方が懐いてるみたいで。そりゃ僕達も見守らざるえないよ。彼が仁奈ちゃんの職業を知らないことであの距離感を作られているのであれば、出来ればこのまま知らせずにいたいよね」

 

というのが、サイゼの店長さんの言葉だ。今では仁奈がお兄ちゃんに甘える姿が店員達の楽しみになっているそうだ。皆に見守られて幸せだね、仁奈。これからも私と比企谷君と家族3人仲良く生きていこうね。…あれ、最近旦那の顔が思い出せない…。歳かしら。

 

 

 

 

 

 

 

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最近、アイラブ千葉Tを着てコンビニに行くと怪訝な顔をされるようになった。というのも、高校という身分を捨て晴れて大学生となった俺には制服というものが存在せず、私服で行動することが増えたからだ。

 

あとはあれだな、最近の時勢によりレジには店員と客の間に必ずビニールシートなんかが常設されていて、声が届かなくてぶっちゃけ何言ってるのかわからん。…故に、客も店員も互いの身振りに視線の動きに注視しないと意志疎通が図れないのだ。ある意味これも進化と言えよう。…もっとも、おかげで身振り手振り首振りでの意志疎通が可能になったおかげで俺の言葉数はかなり減ったが。これは進化なのか…?

 

 

そもそも、ソーシャルディスタンスなんてぼっちにとってはただ習性でしかないし、コロナなんてのも遭遇率の低いポケモンみたいな認識しかないのだ。ちなみに、進化表現の仕方は“ココロナ”→“コロナ”→“ボスコロナ”な?ボスとかつけると凄い強そうだけど伝説のポケモンに“ボス”はつかない。これ豆な?

 

 

 

そんなこんなで店員が俺の素晴らしいTシャツに感動しやすくなったのか、はたまた前々から店員は俺のTシャツに感銘を受けていたが俺がそれに気づかなかったのか、どちらにしてもその店員の鼻で嗤うようなあの表情がウザったくなってきた。あらやだ、全然感動されてない?

 

 

 

 

 

 

という訳で今日は、相変わらずのユニフォームである千葉Tにしまむらで買った適当なジャージの上下で、バイト代抱えて洋服屋に来たわけである。

 

 

笑顔の眩しい店員のお姉さんが現れ、緊張のあまりなんども吃りながら「とりあえず、着回しが楽でシンプルで固すぎなくて、そんで冠婚葬祭もコンビニも行ければベスト」という無理難題をふっかけてみたのだが、流石はプロ。一瞬の膠着のあとすぐに高い声で「それでは~」なんておすすめのコーナーに案内されたのである。…あれ、ひょっとして俺ってカモられてる?

 

 

 

その後、メジャーやらなんやら使って色んなところのサイズを測って「やっぱり目が…」とか「なんとか雰囲気を和らげないと…」とか呟く店員さんを眺めて目を腐らせる男がいた。というか俺だった。

身体のサイズと目は関係ないよね?和らげるってなに?まさか俺のセンサーを!?いつの間に測ったんだ!!まだまだ大きくなりますよ!測り直しを求む!

 

 

 

なんて我ながらふざけた下ネタ混じりの漫談を一人で展開してる間に店員が持ってきた服を受け取り、試着室でジャージを脱ぎ、改めてサイズを見るというか、畳んでおくという言葉に甘えてカーテンの隙間から脱いだジャージを渡して服に袖を通そうとしていると外から妙な会話が聴こえてきた。

 

 

 

 

「いや~ん志希ちゃんイイモノはっけーん!その服からドーパミンどばどば出ちゃうくらいあたし好みのフェロモン感じちゃうね~、研究資料としてお買い上げしちゃうよ!」

 

 

………変わった人もいるらしい。研究資料なんてこの店にあるのか。どんな研究なのだろうか。

 

 

「お、お客様?こちらは売り物ではなく今試着中のお客様の御召し物でしてお売りすることは…」

 

 

………は?え?俺の服?

 

 

「……はい?え?いやいやそんなにいただく訳には…ええ?」

 

 

………あれ?なんか交渉始まってね?多分俺のだよね?

 

 

「やった~!これで志希ちゃんも頑張れちゃうね!クンクン…ふむふむ。わぁ~やっぱり志希ちゃんにはおっきーいなぁ~!手が隠れちゃった!」

 

 

………えっ、なに、なに?どーなってんの?

 

 

 

「ニャハハハ!おっ持ち帰り~!」

 

 

 

おおおおおおおおい!なんでだアアアアアア!!!!

 

 

 

 

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「申し訳ございませんお客様。当店のスタッフのミスで、お客様の御召し物で床にこぼれたカレー粉を拭いてしまいまして、お客様の大切な御召し物を返せなくなってしまいました!」

 

 

「………」

トランクスと千葉Tで試着室から出動する勇気などもちろん俺にはなく、預けられた服を身につけ出た先で笑顔の店員に告げられた言葉がそれだった。

 

 

………笑顔でとんでもない嘘つくなこの人。いい…笑顔です。

 

 

「お客様そちらとてもお似合いです~。お帰りは是非そのままでどうぞ!あっ、それと、それでお詫びと言っては何ですが、こちらで着回しが可能になるよう同じタイプのシャツとスーツを何着か見繕いさせていただきました!今回こちらすべて無料とさせていただきます」

 

 

ほぉ…だいぶ太っ腹である。

 

 

 

「さらに今回は、こちらの銀のネックレスに色付き眼鏡と西洋杖、革靴も無料でつけさせていただきます!」

 

 

「へぇ、オマケまで付くんすか…サービス良いですね…。でもそのオマケお高いんでしょう?」

 

 

「いえいえいえ!お客様あっての当店でございますので!通常ですと、7万と4,800円のところ、本日は無料。それと次回以降御使い頂ける半額クーポン券の方をお渡しさせていただきます!」

 

 

「………ほぅ…俺のジャージいくらで売った?いやいくらで売れたんですか?」

 

 

 

「重ね重ね、当店のスタッフが申し訳ございませんでした!」

 

 

「いやいや、なんであんたはちゃっかり『自分じゃないですよ』アピールしてるんですかね…」

 

 

「毎度ありがとうございましたー!」

 

「えーーーーーーーー…」

 

 

結局、俺は自分(のジャージ)に何が起こったのかわからないまま新たな装いで店を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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最近大学に行くとやたらと視線を浴びるようになった。まるで怯えるような警戒染みた視線や、なんだか解らない熱っぽい視線まで。ひょっとして店員がすすめてくれた服の下に“アイラブ千葉”Tシャツを着ているのが理由なのかも知れない。やはり千葉は東京人からは警戒を、他県の者からは憧れを向けられるのが常なのだろう。流石は千葉。それでこそ千葉だ。

 

ちなみに、流石に校内でサングラスはかえって目立つので、とりあえずYシャツの胸元を第2ボタンまで開けてそこに引っ掻けてる。こうすることで小町がくれた黒い千葉TのVネックと千葉への愛を象徴するハートマークの端がチラ見えするのだ。戸塚に教わったチラリズムをここで活用して俺の千葉への愛と千葉の偉大さを皆に布教してやるでごぜーます。

 

 

 

 

 

ところで、最近戸塚と葉山はかなりお疲れ気味らしい。

 

なんでだろーなーぁー…。

 

とりあえず、いつも戸塚と葉山の手をとって一緒に帰ってるあの女子3人には近づかないようにしよう。「爽やか王子系と小動物系とヤクザ系…」「三人まとめて…」「戸塚君達に呼んでもらおっか」などという話は聞いてない。ごめんな戸塚、俺はバイトと子守りに忙しいんだ。代わりに俺のおすすめの“アキバ系横綱剣豪将軍”を誘ってやってくれ。

 

 

 

 

 

 

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今日は大学は休んだ。買い物である。ちなみに経費がおりた。出所はまだ控えておこう。正直、この金を俺が持ってるのはかなり心苦しいし、俺が代表して買い物をしなければならないのはかなり責任を重く感じている。

 

 

 

だからさっさと済ませて終いたいのだがなかなか決まらず、道づたいにお店のショーウインドーを眺めていたら………

 

 

 

 

「ちょっと貴方…」

 

「え?」

ガシッ…と、突然背後から肩を掴まれた。

振り返って目に入ってきたのは…落ち着いた色のスーツを着た、黒髪ショートボブの妙齢の女性と………

 

 

「見つけましたよ!葛西善二郎!放火及び建造物破壊の容疑で逮捕します!」

 

 

………その手の、警察手帳…。

 

 

 

「ッッッうぇ!?」

 

息が詰まるほど驚きパニックに陥る俺。当然である。これまでの人生「通報されるかも知れない」などと思うことは何度もあったが今回に関しては何の心当たりもない。

 

「俺?俺ですか!?」

 

自分を指差し何度も確認する。これはゾンビですか?いいえ指名手配らしいです。………なんで?

 

ついでに周囲の奥様方もこちらを指差しなんかヒソヒソ言ってる。やべぇこれ満場一致じゃない?多数決で少数派だったことは何度かあったが満場一致で悪者扱いなんて………、………………あれ結構あるな。

やばい、どれだけ振り返っても負けたことしか無いなんて目も当てられない。というか目のせいとしか思えない。親父の写真渡したら許してくれないかな。『私がつくりました』って書いとけば親父のせいになりませんかね?

 

 

 

 

「貴方です!確かにその変装には驚かされましたが、貴方のその凶悪な目は誤魔化せません!署までご同行願います!」

 

「は?いやいやいやちょっ!?いきなりパトカーはちょっ…!?」

 

強引に腕を組まれパトカーに押し込まれた。…もうこの辺の店これねぇな…

 

 

 

 

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「うちの部下が悪いね、比企谷君…」

 

「すみません!すみません!すみません!すみません!」

 

 

等々力(とどろき)という俺を誤認逮捕した若い女刑事が何度も頭を下げる横で、その先輩らしき刑事が俺の学生証を確認して返してくる。

 

笹塚(ささづか)というプラチナシルバーの髪に同色の顎ひげを少し残した妙齢の刑事。整った顔立ちはどうみてもハンサムに違いないのに、目許の深い隈とダウナーどころか無気力とさえ言える気だるげ感がそれを掻き消している。見ようによってはそれも色気といえるのかも知れないが。

 

なんかシンパシーを感じるな。この刑事さん。

 

 

「うちの等々力は思い込みは強いがとにかく真面目な奴でな…俺にはない正義感でよく暴走しちまうことがある…。今回はその勤勉さが転じて君に迷惑をかけてしまった。………完全にこっちの事情で申し訳ないが許してもらえると嬉しい……」

 

「………先輩…」

 

いや、ちがうな。どうやら等々力さんの方は笹塚さんにほの字らしい。つまり笹塚さんも俺の敵だ。畜生(ジーザス)

 

 

「いえ、こんな見た目ですから仕方ないかと…。気にしないで下さい…」

 

 

 

俺が誤認逮捕された店からこの警察署まで結構距離があった為、笹塚さんがパトカーで送ろうかと提案してくれたのだが、「パトカーから目が腐った男が降りてきたらどう思います?」と尋ねてみたところ、等々力さんは申し訳なさそうに目をそらし、笹塚さんは無言で頷いてタクシーを呼んでくれた。タクシー代は署の経費で落ちるらしいので遠慮なく利用させてもらった。

 

 

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トラブルはあったが、それでも良いヒントを得た。

15時には仁奈も帰ってくるし、まや婆さんが手伝ってくれるとはいえ全てを委せきりにするわけにもいかない。

 

 

「早めに済ませるか…」

 

 

 

 

「お手伝いしますか…?八幡さん…」

 

 

「!!!!!!!!!!!」

 

またしても背後から声をかけられた。だが今度は、この耳にハッキリと覚えのある声。甘く、柔らかく、優しく飲み込むような口調と声。

 

 

 

「ッ…」

 

「やっと…やっとお会い出来ましたね…八幡さん…」

 

 

 

いつか見た、底なしの暗闇の瞳。

 

 

 

「ッッッッッッ」

 

 

 

まや婆さんの面影を帯びた、美しくも可愛らしい顔立ち。

 

 

 

「ずぅーっと、お会いしたかったです…」

 

 

 

相手を安心させ優しく飲み込むような口調と声。

 

 

 

「ッッッッッッッッッッッッ」

 

 

 

そして、俺の中の警報を激しく鳴らすこの麗しき少女は……

 

 

 

「まゆのこと、覚えていますか………?」

 

 

「………うっす…」

 

 

 

 

佐久間まゆ。あの佐久間まやさんの実孫。なぜかあの婆さんの「うちの孫とハチちゃんが付き合ってくれたら」なんて妄言をどう受けたのか、俺によくわからない圧力(プレッシャー)を向けてくる現役女子高生アイドルだ。

 

 

もうホントに疑問符が止まらない。何故ここにいるのか。何故この一瞬の行間で手を繋がれているのか。俺に向ける感情(ベクトル)はなんなのか。怒ってる?怒ってるんでそ?なんでこんな奴とみたいな感じだよね?

 

 

 

 

「八幡さんが『子供のいる優しいお母さんのような女の子が好き』だと聞いたので、まゆ、とっても頑張ったんですよ…?」

 

 

上目遣いで凄い微笑んでくれるけど、ドキドキするけど、

 

俺はこの子にそんな話一度もしてない。

 

 

「ほら、八幡さん。まゆと八幡さんは運命で繋がってるんです。だからほら、まゆ達、子供が出来たんですよ?ほら、八幡さんそっくりの猫っ毛なんです…」

 

 

子供ってのはその手にある目付きの悪い黒猫のぬいぐるみのことですかね?猫っ毛ていうか猫だよね。そのしっぽは両親どちら似なんですかね。

 

 

「あ!しっぽはもちろん八幡さん似ですよ?…………ふふ、八幡さんのしっぽはまだまだ大きくなると聞いたので後で計り直させて下さいね?ふふふふ…」

 

 

 

お前にっつーか誰にも言ってない筈なんだけど…こわい。あとこわい。隠し子の発覚ってこんな感じなのか。男の子なのか女の子か全然気にならないところがマジで愛を感じない。こわい。

 

 

「性別…ですか?えー…と…解らないですね。どっちがいいですか?」

 

 

 

頭を鷲掴みして猫を下から覗き込んでいる。…子供の扱いがぞんざい過ぎる。そしてその設定はさして重要じゃないのか…こわい、あとこわい。

 

 

 

「あ、それで八幡さんはこれから仁奈ちゃんのお母さんのプレゼントを買いに行くんですよね?警察手帳を見て写真を入れられる手帳型のiPhoneカバーに決めたんですよね?さすが八幡さん、まゆ好みのセンスです!」

 

 

 

どこまで()られてんの?

 

 

「いつでも、まゆは八幡さんを見ていますよ。たとえ遠く離れてしまっても、いつでも八幡さんは私の中の運命(むね)のなかに生きているんです…うふふふふ」

 

 

俺の故人感がすごい。俺が一言も喋ってないのに通じるあたり俺を殺してこの子が食ったんじゃないかなって思えるレベル。ヘルシングかよ…セラス可愛いよね…

 

 

 

「今、目の前にいるのは私、なんですよ八幡さん?…誰か他の女性のことを考えるのは悲しいです。ふふふふふふふふ…」

 

 

こわい…

「すみません…」

いつの間にか俺の右手と彼女の左手を縛っていたリボンをほどきつつ俺は冷や汗を流しながら謝る。気分はさながら爆弾処理班だ。赤…切っていいかな。

 

「ほどいてしまうんですか…?まゆと八幡さんの…運命の糸…」

 

俺がほどいているのは右手の赤い拘束具ですけどね。運命の糸を解きほどくとかちょっと神っぽくて格好いいなぁ…。「今度は錠と鎖にしますか?」とかやめろ。ガチじゃねーか。強度をあげんな。

 

「………」

 

なんだろうか。俺はほどくために手を寄せて俯いていて、小柄な彼女が俺の顔を覗き込んでいるから…

 

「キス………してるみたいですね…」

 

「………耳元で呟くな…」

 

 

 

なんだかもう逃げられないのかな…なんてもう諦めというか、彼女と繋がる右手に凄まじい閉塞感と束縛感を感じていると、

 

 

 

 

 

「こらそこのヤクザー!誘拐!売春!それか悪徳な勧誘だな!現行犯逮捕だ!」

 

本日二度目の警察手帳と対面した。

あ、この手錠(オプション)は初めてですね…。

 

 

 

「………一般人です…」

 

「嘘つけ!どーみてもヤクザだろう!こら!暴れるな!警察呼ぶぞ!」

 

「呼んでくれよ頼むから…」

 

 

「あ、あの、違います。比企谷さんは…」

 

 

「うぉっ、美人!?大丈夫です!もう手出しさせません!」

 

 

珍しく…という程知り合いでもないが初めて動揺を見せる彼女の顔を見てその若い刑事は驚き、そしてどや顔で自身の胸を叩いて無線を取り出す。

 

 

「またか…またなのか…」

 

 

「先輩こちら石垣(いしがき)です!少女を誘拐して売り飛ばそうとするヤクザを確保!至急連れて帰ります!」

 

 

 

やはり、パトカーの乗り心地は良くなかった。

 

 

ーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーー

 

 

ーーゴンッッッ!!

 

 

 

「…携帯の履歴と、なりより佐久間さん本人の証言で比企谷君と彼女が知り合いである確認がとれた。それと学生証でわかるとおり比企谷君はまだ大学生だ。…ヤクザでもナンパでも売春でもない。わかったか石垣…」

 

 

「…はい………」シュゥゥゥゥ………

 

「度々すまないな比企谷君…」

 

「いえ…」

 

「すみません、重ね重ねすみません…」

 

等々力という女刑事さんは申し訳なさから、あるいは石垣というこのアホっぽい刑事と同じ失敗をしたことが恥ずかしいのか顔を真っ赤にして俯きながらひたすら謝罪を重ねている。

 

 

俺の携帯に(なぜか)入っていた佐久間の電話番号で彼女と俺が知り合いである確認をとり、LINEに送られてきた(教えてない)いつ撮ったのか解らない佐久間が俺と腕を組んでいる自撮り写真と怒涛の「運命」「また必ず」などのメッセージを見せれば流石の石垣刑事も納得した。

 

 

 

 

 

まさか一日に二度も見た目だけでパトカーに乗せられるとはなぁ…。服か、服装かな?でもこれあの店員が見繕った服なんですけど。レビューで低評価つけてやろうか。それとも目ですか。この目ですか。これは社会がつくりました。俺は社会の被害者です。

 

でもこの格好仁奈は喜んでたんだが…『おにーさん!かっけーです!仁奈のわかいしゅーでごぜーます!』とか目をキラキラさせながら言ってたんだけどなぁ…

 

 

 

ちなみに、等々力刑事が俺のスマフォを手に取り佐久間からの一方的なメッセージを見て「強烈というか、すごい…ですね。私もこのくらい…」なんて赤くなっている時に佐久間から「触るな」というメッセージが来て俺のスマフォを落としそうになっていた。

 

 

 

やっぱり同性でも恐いんですね。そりゃそうだ。

 

 

 

 

「そ、その比企谷さん!お願いだから訴えないで!これ!4分の1スケールの島風ちゃんのフィギュアがあとちょっとで完成するから!完成したらあげるかr…」

 

 

ーバキャキャッ!!!!!!

 

 

「ぎゃーーーーーー!!!!!!島風ぇーーーーー!逝ったらいけーん!」

 

 

「本当にすまないな比企谷君…」

 

ちょっと欲しかったとか言えない…。いや、仁奈がうちにくるようになったから置けないけどね。というか、さすがにあそこまで完膚なきまで壊されると流石に同情を覚える。俺もあれされたら泣かずにはいられないだろう…。

 

 

「いえ、別に悪気があったわけじゃなさそうですし…あんまり怒らないであげて下さい…」

 

 

「…………………………………………………………………………………

……………………………………………………………………………

………………………………………………………………………………

…………………………………………………………………………………………

…………………………………………………………………………………………

…………………………………………………………………

………………………………………………………………………………………ああ…」

 

 

「間長いな!」

 

ほとんど否定とも取れるほど間を置いて返事をした笹塚さんに石垣さんはクワッと目を見開いて驚き、笹塚に庇われる(…庇われてる?庇ってるか?)石垣さんが腹立たしいのか等々力さんは冷たい目で見下ろし、

 

 

「石垣さん。あなたのフィギュアが私のデスクにまで侵食してましたので棄てておきました」

 

 

 

事後報告していた。

 

 

 

くおおおおおんのガキがああああああああ!!!!!!!!!!

 

声にならない石垣さんの怒りを聞いたような気がしながら俺がその場を後にしようとすると…

 

 

 

「…比企谷君…」

 

「はい?」

 

 

笹塚さんに声をかけられ、プライベートらしき電話番号が書かれたメモを渡される。

 

 

「………いいんですか?」

 

「………あぁ…。色々迷惑をかけたし、君はその…何かと苦労がありそうだ。なにか必要だと感じたら連絡をくれ。詫び…とは関係なく、力を貸す」

 

 

「………ありがとうございます」

 

相談にのる………とかじゃない愛想の少ないところがとてもこの人らしく、逆に頼りになると感じた。もちろん警察の方の力が必要な機会など無いに越したことはないのだが、それでもとてもありがたかった。

 

 

 

俺は頭下げて、口喧嘩をする石垣さんと等々力さんの声を聞きながらその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

その後、佐久間に言い当てられた通りのプレゼントを2つ購入し、俺のスマフォの中にあった写真をそこら辺で現像してなんとか仁奈に頼まれた『ママへの誕生日兼日頃感謝のプレゼントの調達任務』を終え、自宅へ帰って仁奈とまや婆さんと部屋の飾り付けや料理なんかをしていた。

 

 

 

そして、

 

 

「おにーさん!仁奈のママをゆーかいしてきてくだせー!」

 

「…マジすか。お嬢…」

 

「行ってらっしゃい、ハチちゃん。気をつけていくんだよ?」

 

「了解…」

 

 

うちには黒塗りのベンツもリムジンもないので、冴えない中古の軽自動車で姐さんを迎えに行くことになった。

 

 

 

 

 

 

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今日は、私の誕生日だ。

おそらくそれに合わせただろう仁奈もお休みで、ありがたいことに比企谷君とまやさんも予定がないらしい。

予定がない・のではなく私の為に予定をつくってくれたのだろう。わかるものだ。仁奈は素直で無邪気な、親である身内びいきなしに可愛らしい子だ。だから、仁奈は嘘をつくが得意ではない。

 

 

「ママ!あしたのばんごはんは一緒にたべてーです!まやさんと、おにーさんもじゅんびてつだってくれます!だから…、はやくかえってきて?」

 

 

どうして?…私が笑ってそう聞くと…

 

 

「なんでもねーです!でも、明日じゃなきゃだめなんでごぜーます!あっ!おかいものもおりょーりもおにーさんとまやさんがやってくれるですから、ママは明日はおいわいされるだけですよ!」

 

 

なんて、思わず笑ってしまいそうになるほど可愛らしくて罪のない嘘。きっと、仁奈の前でお兄さんらしく振る舞ってくれるものの、本音と卑屈さを隠そうとしない比企谷君の影響か。人との距離感が絶妙で、安心させてしまう佐久間さんの影響か。嘘は上手くならない代わりに仁奈は以前よりもおねだりとわがままが上手になった。そして、私もそんな仁奈のわがままを叶えるのが楽しくて仕方ないのだから比企谷君と佐久間さん、なにより仁奈には感謝しかない。

 

 

そんな三人が私の為にお祝いを用意していると言うなら仕事にも身が入ってしまい、いつの間にかすっかり退社時間になっていた。

 

 

珍しく仕事もすっかり片付いてしまったので部下達も皆帰らせ、一人部署内の戸締まりをしていたところ、部下が閉めていったドアが開く音がして振り返った。

 

 

 

「お疲れ様です。市原さん…」

 

「青山部長…」

 

最後の最後で嫌な人に会ってしまったと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ですから、市原波奈さんの知人で、今日は迎えを頼まれてきたんですって…」

 

「あーうん、はいはい。ですから、比企谷さんでしたっけ?たとえうちの社員とお知り合いだったとしても、暴力団の方を社内にお入れするわけには行かないんですよ…」

 

 

「あーだから違うんだけど、あーそだ、これ、学生証です。大学の学生証。さすがに学生でヤクザってのは無理でしょ?」

 

 

「あーA大学の学生さんでしたか。えーあーうん、わかりました。」

 

少々お歳を召した警備員さん相手に悪戦苦闘して、なんとか入場の了をとり、そこではたと疑惑にぶつかる。この爺さん、大丈夫か…?

ここまでの経験で、俺の容姿があまり人から歓迎されないのは重々承知している。ここ最近はそれがとくに顕著だ。なんせ、今日一日でパトカーに二度も乗せられ、一度は手首に輪っかまで嵌められたのだ。どんだけ一般人離れしてんだよ俺。

 

 

そんなことがあったのだから、もともと初対面の人間とのトラブルに対して臆病だった俺も輪をかけて警戒する。手錠だけに。…今のはない…(自己嫌悪)

 

このベテラン感が過ぎてむしろちょっと心配になる警備員さんが、今ここで(・・・・)俺の入場を許可してくれたとしても、社内で俺が別の人間に不法侵入の疑いをかけられた時、果たしてきちんと証言をしてくれるだろうか。

 

 

念には念を入れておこう…。

 

 

俺はスマフォ内にいれておいた録音アプリを起動して、意識的に情報を口にし記録を残す。

 

「A大の比企谷です。今日は知人の市原さんと約束がありましてお迎えに来ました。これ、一応市原さんと知人の証明です」

 

「あぁーぁ、あーはい、一緒に写ってるね。…市原さんね。うん、確かにいたねこんな人。うんうん、解りました」

 

「それじゃあ入場許可を証明するような物はありますか?名札とか入館証とか…」

 

「えーっとそれじゃーぁね、これ、今即席で入館証つくるからね、首から下げてって」

 

「ありがとうございます」

 

 

かなり回りくどくはなったが、無事警備員さんから入館証を貰い俺は市原さんが日頃勤めているである会社に足を踏み入れた。

 

ちなみに、作ってもらった入館証には警備員さんの名前らしき『落無(おとなし)あかし」と書いてあった。マジで念を入れてよかったと思った。

 

こんな記憶も証言能力も信用出来ない名前あるんだな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やめてっ!青山部長どうして!?」

 

私は青山部長に押し倒されて、冷たい床と息を荒くする部長に挟まれて動けなくなっていた。…いや、正確には、私の動きを封じるのは、部長の手にある刃渡り10センチ程の刃物。

 

そう長い得物ではない。だが、それでもそれを手にしているが常軌を逸した雰囲気で馬乗りになっていて、尚且つそれが首もとの動脈に当たるところに強く押し付けられているとなれば、命の危機を覚えずにいられない。

 

 

 

「前々から気に食わなかったんだ!同期で俺が苦労して成績あげてるのにいつも涼しい顔で当たり前みたいに俺より評価されて、あんたが産休で休んでる間になんとか成績あげて、ようやく部長まであがったってのにあんたは戻ってからすぐ俺の成績に追いつきやがって!」

 

 

「なっ、そんなの貴方のただの逆恨みじゃないですかーーーッ」

 

首筋に一層強く当てられたナイフの冷たさが、それ以上私の発言を許さなかった。

 

もともとこの男の視線には、よく嫌悪感を感じていた。同期として入社した時にはそれほど嫌な感じはしなかった。だが、本格的に仕事が始まってそれぞれ成績にバラつきが出るようになってから、彼の目には怒りのような色が見え始めた。

 

だがそれも、私が産休に入り戻ってくると、その視線がより不快感を感じるような色を含むようになっていた。まるで獲物を見るような、私を女として、食い物にしようと企むような、私に対する言動にも誑かすような印象を持つようになった。だが…

 

 

「うるせぇ!だが偉そうにしてられるのも今日までだ!今日ここで俺が弱味を握っちまえば、あんたは俺の奴隷だ!あんたも、あんたの旦那や娘の稼いだ金だって俺が好きに使えるようになる!」

 

 

そう、仁奈が成長し、アイドルとして活躍するようになり、またその視線に色が増えた。…いや、濃くなった。怒りと、欲と、妬み、嫉み。そして、今それが、直接的な暴力として私に向けられている。

 

 

「そんな…貴方…最低です…」

 

「黙れぇ!!お前が言えたことかよぉ!?毎日毎日朝から晩までガキほったらかしてこんな所で小銭稼いでやがって!挙げ句の果てにそのガキまでアイドルにして金稼ぎの道具か!?お前が俺に最低なんて言えた女か!?テメーは金稼いで使うだけで、ガキを見知らぬ他人に任せにしてるお前はそんなに出来た親かよ!?俺がなんか違うこと言ってるか!?あぁ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーーーちがうね。お嬢をお守りするのは俺の仕事だ。姐さんはそれを理解して俺にお嬢を預けてくれているだけだ」

 

 

そこに、彼がいた。

 

グレーのYシャツの上に、光沢のある黒革の、ベストタイプのレザースーツ。色の薄いサングラスをかけ、右手の西洋杖を肩にかけた比企谷君が。

 

 

 

「ついでに、女を粗末にするカスを始末するのも、俺等の仕事だ」

 

 

コツ…コツ…とゆっくりと床を鳴らして歩み寄る比企谷君の出で立ちは、私にとってはヒーローと言っては差し替えないはずなのに、少なくとも正義を担う者の雰囲気ではなかった。

 

 

「な、なんだお前は…」

 

 

 

「…お話中どーも(あね)さん、お嬢の指示でお迎えにあがりましたが、お取り込み中ですか?」

 

 

狼狽える青山部長の言葉を無視して私に訊ねる彼の言葉は、その流れるような軽さとは裏腹に、その怒りと理性で固められた無表情によって刃物を持った男に恐怖を抱かせるほどの重みを有していた。

 

 

 

(かしら)に連絡入れて今部下がこっち向かってます…」

 

ゆっくりと、その感情見えない顔が青山部長に向けられる。

 

「ッ」

 

 

「沈めるかバラすかは姐さんに任せるそうです」

 

どうします?と、こちらへ向けられた伺いに私はパニックのあまりに言葉が出ない。

 

 

「わ、私は…」

 

「決められませんか…相変わらず人が()い…」

 

だが彼はそれすら予想していたように静かに頷くとまた革靴を鳴らして青ざめる青山に近づく。

 

「なら本人(お前)に聞こう。青山譲二」

 

「な、んで俺の名前…」

 

 

「…決まってるでしょ。姐さんの周辺人物は全て調べてある。無論、テメェの親族までな…」

 

「ッ」

 

まるで首を絞められるように息を飲み恐怖を顔に顕現させる。

比企谷君の落ち着いた言葉、まるで荒事に慣れたような佇まい。もう青山部長には彼が反社会的勢力の構成員にしか見えないのだろう。

 

 

 

 

 

 

「…さぁ、どうする?コンクリ着てダイビングするのと、解体(バラ)してホルマリン漬けの売り物にされるのーーーー」

 

 

 

 

比企谷君は色つきの眼鏡を外しながら二択を差し出す。

 

 

 

 

ーーーーどっちがいい…?

 

 

 

 

その目は混沌を煮詰めたように冷たく、感情が消えたように腐っていた。

 

 

 

 

 

「ひ、ひゃあああああああああああ!!!!!!」

 

 

青山部長はこれまで感じたことのなかった命の危機を前に、頓狂な声を上げて逃げ出した。

 

 

 

ーーーーーー

ーーーーーーーー

 

 

あれから比企谷君と私は、彼が運転してきた車に乗って帰路についていた。あんなことがあったというのに気分はとても落ち着いている。

 

 

私は青山部長が逃げ去った後、まるで恐怖から解放され感情を取り戻したように涙がボロボロと溢れ、比企谷君の脚にみっともなくすがりついてしまったが、比企谷君はそんな私になんと言葉をかけて良いかわからないように、数十秒ほど狼狽えた後、自分の脚にすがりつく私の頭を優しく撫でながら何処かへ電話をかけ始めた。

 

無闇に優しい言葉をかけないその振る舞いが、私を救ってくれた。

必要以上に私は被害者にならずに、弱くならずに済んだのだ。

 

 

 

 

『………比企谷君か…。何かあったか?』

 

「早々に連絡しちゃってすみません。迎えに行った知人が男に襲われてまして…今は無事です。男はどっか逃げました。同僚みたいなんで身許とかはすぐ解ると思います…」

 

『………そうか…。………比企谷君と、女性………だよな?………怪我は?』

 

「ありません。ただ、知人はナイフを突きつけられてたんで、今ちょっとショックが抜けないみたいで…取り調べとかは今日は俺だけにしてもらえませんか。証拠になるかはわかりませんが、一応音声を録ってあるんでそれをお渡しします」

 

『………了解。それは………送れるかい?それと文面でいいからメッセージで詳細を送ってくれ。被害者のケアは…まかせる。…署に来るのは明日以降でいい』

 

「………いいんすか?守秘義務とか…」

 

『俺と比企谷君がたまたまプライベートで交流があって、俺がたまたま職質かけた相手がその男だったとしても問題は………ないだろ』

 

「最後、ちょっと不安になったんですけど…」

 

『まぁ上司も一応それなりに知った仲だし、多めにみてもらうよ…』

 

「…了解です。じゃーこれから送ります。ご迷惑おかけします」

 

『…お互い様だからな、気にしなくていい』

 

「ありがとうございます。今度都合が良ければ飯でも奢りますよ笹塚さん」

 

『さんきゅ』

 

電話が切れる寸前。「いくぞ、石垣、等々力」なんて声が聴こえた。会話の内容からおそらく相手は警察の関係者らしいが比企谷君の知り合いなのだろうか。

 

 

比企谷君は手帳型のスマートフォンカバーをパタンと閉じ、それをズボンのポケットにしまって私に視線に合わせるようにしゃがみこんで、優しく、それは優しく微笑み手を差し出す。

 

 

「帰りましょうか…」

 

 

サングラスを外した比企谷君の瞳の濁りが、まるで吸い込むように恐怖と不安を奪いさり

 

 

「………うん」

 

 

その笑みに引き寄せられるように、差し出された手をとった。

 

 

 

 

 

「比企谷君?」

 

「はい?」

 

「みっともないところ…見せちゃったわね…。ダメね…私は。あの人の言うことに、一つも言い返せなかった…。泣く前に…傷つけられるくらいなら…って、諦めようとしちゃった…私…お母さんなのに……。仁奈を守らなきゃいけないのに…こわくって…」

 

 

ハンドルを回す比企谷君に私は弱音を晒す。さっきは無闇な優しさを取らない比企谷君に救われたが、落ち着いたせいか少しだけ欲が出てしまった。

 

あの男の言葉を誰かに否定して欲しくなった。女として傷いてしまった心を、優しさで、甘い言葉で、信頼に足る男性(ヒト)に、埋めて欲しくなってしまった。

 

 

 

 

だが、比企谷君の言葉は、その期待を裏切るものだった。

 

 

 

 

 

「俺も、……怖かったです…」

 

 

 

あの場で誰よりも冷静さと強さ、暴漢が恐怖するほどの威圧感を見せつけた彼が、冷や汗を流して声を震わせていた。

 

「比企…谷くん…?」

 

 

「なんとかハッタリはかませましたが、まだちょっと怖いっす…格好つきませんね…」

 

確かに、比企谷がハンドルを握る手には無理な力が入っているのか、僅かに震えていて、

 

 

「今でも、膝が、膝が笑ってます…『さんま御殿』くらい…あれ?あれは『踊る』でしたっけ…」

 

 

「ぷっ、ふふふふふふ…うふふふふ!!!」

 

思わず、笑いがこぼれた。

 

「ふふ、ふふふ………あんなに…かっこよかったのに…?」

 

 

「格好つけてはいましたよ…」

 

そっか…かっこつけてくれたんだ…。私の為に。怖くて、終わっても、思い出すだけで震えてしまうほど怖い状況で、私の為に我慢して震えを押さえて、頑張って強がってくれたんだ…。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー私は手を伸ばした。

 

 

 

 

「ん?ぅんん??」

 

私が断りもせず比企谷君の頭に手を置き労うように撫でると、比企谷君は戸惑いながら恥ずかしそうにしていた。そんな彼へ、私は仁奈へ向けるような愛情を覚えた。そして、その他に、彼を別の形で求める熱い感情が自分の中に生まれていくのを感じた。

 

 

「そういえば、青山部長の名前はどこで知ったの?」

 

「………普通に部屋の入口の火元責任者のタグに名前があったし、市原さんが“青山”って呼んでたのでそれで……」

 

「そう………ふふ。たったそれだけのことで青山部長も追い詰められるなんて、………よっぽど比企谷君が怖かったのね…ふふふ」

 

「ええぇ~ひどい言われよう……あ、ぁーところで、仁奈ってアイドルになったんですか?お祝いでもします?」

 

「うふふ…ふふふふふふふふ!!!!!」

 

「うんん??」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、私と比企谷君は佐久間さんと仁奈のクラッカーを浴びて比企谷君の部屋に入り、彼等が用意してくれた誕生会を心の底から楽しんだ。それこそ、今日の恐怖を忘れるくらいに。

 

 

「ママ!おたんじょーびプレゼントでごぜーます!おにーさんにかってきてもらったです!」

 

「えーっと、俺のセンスで買ったんで、その、気に入らなかったら俺の見えないところで捨てて下さい…大丈夫です。女性に泣かされるのは馴れてるんで」

 

 

 

仁奈に渡されたのは広い機種に対応出来る手帳型のスマホカバー。見開きに小さな写真を数枚入れられるタイプだ。

 

 

 

 

「ママがくれたクッキーのかんのお金でおにーさんに買ってきてもらったでごぜーます!」

 

 

「ちなみに、それ買うまでに二回捕まりました…。警察手帳って…格好いいっすね…目に焼き付いて離れないんです…」

 

 

「ママと仁奈でおそろいでごぜーます!こんどおにーさんがママとおそろいのけーたいでんわ買ってくれるでごぜーます!いっしょにいきましょー!」

 

 

 

「ふふふ…そうね。いっしょにお揃いの写真入れようね?」

 

私のスマホカバーには、二枚の写真が既に入れられていた。一枚は、まだ仁奈が小学校に入る前にとった私と旦那、そして仁奈が写った、家族3人で撮った最後の家族写真。確か以前比企谷君に見せたことがあったような…。

 

 

そしてもう一枚はつい最近撮ったばかりの4人の写真。

私と佐久間さんと仁奈…そして…

 

 

 

 

 

 

 

 

「送ってくれてありがとねぇ、八ちゃん」

 

「気にすんなよ、婆さん。いつも世話になってるからな。俺も仁奈も、あとまぁ市原さんも?」

 

「ふふふ…八ちゃんにそんな素直に言われるとくすぐったいねぇ…」

 

 

「………うっせ…」

 

俺はまや婆さんを後部座席に乗せ、家まで送るついでに今日市原さんを迎えに行った時あった一部始終を話していた。

 

 

「………それにしても、そんなことがあったんだねぇ。二人とも怪我がなくてよかったよ…」

 

 

「悪いな、婆さん。おかけでちょっと戻るの遅くなって、こんな時間になっちまった…」

 

 

「いいんだよぉ八ちゃん。仁奈ちゃんも楽しそうだったからねぇ。それで警察には連絡したのかい?」

 

 

「あぁ、ちょうど…都合が良いのか悪いのか…警察の人と知り合ったり録音したりしてたから、諸々説明して取り調べとかは落ち着いてからにしてもらった…」

 

 

「あぁ…さっきのはそういうことなのね…。気のきくお巡りさんなんだねぇ」

 

「あぁ、いい人だよ。…多分、知らんけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ママ!今日はたのしかったでごぜーますか!?」

 

「うん!楽しかったわよ仁奈。ママ今までで一番楽しかった。ありがとね?」

 

「えへへ!うれしーです!おにーさんと、まやさん、いっぱい手伝ってくれたでごぜーます!仁奈もいっぱいがんばったです!」

 

「そっか、本当にありがとね、仁奈。比企谷君………八幡君とまやさんにもお礼も言わないとね?あ、一緒に携帯も契約に行って二人にご馳走しようかしら…」

 

「えへへ、楽しーです!いきましょー!」

 

 

「ふふふ…ねぇ仁奈…お兄ちゃん、欲しくない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………八ちゃん、波奈さんに、気をつけなさいねぇ」

 

「んー。そりゃ、まぁ解ってる。あんなことがあったからな…」

 

「そうじゃないけどねぇ…」

 

「んん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…帰りました…」

 

「お帰りなさい。八幡君…」

 

帰ってきた八幡君を、私が出迎えると八幡は意外そうに目を丸くして驚いた。

 

「えっ…と、ただ…いまっす…八幡…君?起きてたんですか市原さん…」

 

 

「波奈…って呼んで下さい。ね?八幡君…」

突然名前で呼ばれたこと、名前で呼ぶように言われたことで八幡君はまた驚いて言葉が淀む。

 

 

「………えっと…。あぁ、おじょ…じゃねーや。仁奈はもう寝ちゃいましたか?パピコ買ってきたんですけど、一緒にどうですか…?」

 

「ふふふ、いただきます…」

 

ソファーに腰を下ろしてパピコを2つ分ける八幡の横に腰を下ろす。とても、とても落ち着いて、まるで身体が溶けるように力が抜けてリラックスしていくのを感じるが、八幡君は私に密着されたせいで少し居心地が悪そうだ。…が、もう少しこの八幡君の体温と、1日分の汗の匂いを堪能させてもらおう。

 

 

 

「えっと…どうぞ…」

 

「ふふ…ありがとね」

 

パピコを渡すついでに、私との間に手を置いて距離を作ろうとした比企谷君の手に私の手を置き、指を絡める。

 

「ひッッッ」

 

肩をビクつかせて真っ赤に染まる八幡君。本当に、本当に愛らしい。

あまりに居心地がよいせいか、少しばかり眠くなってきた。八幡君の肩を借りて、また体重を八幡君へ預ける。私の体温も、匂いも、八幡君へ伝わっているだろうか。

 

 

「八幡君、仁奈のお兄ちゃんになってくれませんか?」

 

「兄…って、えーっと…?」

 

「仁奈が何処から産まれてきたかご存知ですよね?そう、私からです」

 

 

「………?」

真っ赤に染まった顔で、不思議そうに眉を寄せる八幡君。

 

 

「だから、私から産まれたあの子は私の子です。それはつまり、私から生まれれば、私のなかから()たら、それはもう“私の子”ということになりませんか?」

 

「…………………」

赤みを帯びていた八幡君の顔から、少しずつ血の気が引いていくのを、私は気づくことなく言葉を、願いを連ねる。

 

 

「さあ八幡くん、私の中にお入りなさい。私のなかに甘えて下さい…」

 

「…………………」

 

 

 

「貴方を私に余すことなく注ぎ込めば、私が優しく貴方を産んで差し上げます」

 

 

「…………………………」

 

 

「仁奈の、優しいお兄さんになって下さいね?」

 

 

 

「………………」

 

 

 

「うふ、うふふふふ…」

 

 

そうして私は、甘やかな酩酊感と心地のよい睡魔に飲まれ、微笑みを溢しながら意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………………………………………………………

…………………………………………………………………

…………………………………………………………………………

…………………………………………………………………………

…………………………………………………………………………

…………………………………………………………………

………………………………………………………………ッ」

 

 

 

 

ガチャッ…

 

「ん、うーん…?おにーさん?どうしたでごぜーますか?」

 

「イヤ…ナンデモナイ…」

 

「ふるえてるでごぜーます…さみーでごぜーますか?」

 

「………アァ、チョット恐い夢を見てネ……」

 

「………?おにーさん、こえーでごぜーますか?あ!それなら仁奈のおふとんでいっしょにねやがりましょう!」

 

「………ん?あー…いいのか?」

 

「はい!あったかいでごぜーますよ!おにんぎょーさんもいっぱいいやがります!もうこわくねーですよ!」

 

「ありがとな、仁奈…。………じゃー仁奈が俺をマモッテクレ…」

 

「………?なんでごぜーますか?おにーさん?」

 

「………ナンデモナイなんでもない…ははは…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

結局あの後も恐怖からなかなか眠ることも出来ず朝まで一睡も出来なかったので途中でリビングに戻りソファーで眠る市原さんに毛布をかけた。

 

朝ソファーで目を覚ました波奈さんは意味深な笑みを見せて会社に向かった。行き掛けの警察へ行き、パトカーで出社、そのまま被害届を提出して退職願を出すらしい。まぁ事情が事情だし、ほとんど問題なく通るだろう。俺もあとで呼び出されるんだろうなぁ。

 

次の仕事としては休みのとりやすい仕事を探すらしい。「八幡君のバイト先にも頭を下げてみようかしら」なんて嬉しそうに言われた時は思わず冷や汗をかいてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おにーさん、今日はねみーでごぜーますか?」

 

欠伸が止まらない俺の膝の上で、仁奈が気遣わしげに首を傾げた。

 

 

「んあ?あぁ…大丈夫だ…。どこか解らないところあったか?」

 

 

「しゅくだいは終わったでごぜーます!でもさんすうドリルのオマケのクイズがわからないです。おにーさんわかりやがりますか?」

 

 

「んー?ちょっと見せてくれるかお嬢…」

 

目元を擦りながら膝に乗る仁奈の頭越しにドリルを覗き込む。

 

 

「『ドラえもんの四次元ポケットと繋がっているもうひとつのポケットはなんていうかな?』………そのまんまだな…」

 

「わからねーです!おにーさん教えてくだせー!」

 

「いいのか?んー…確か…ぁ、“スペアポケット”って言って、確か四次元ポケットの予備にあたるものがあった筈だ…なぁ」

 

「それがあればドラえもんになれるでごぜーますか?」

 

「んん…んと、どーだった…かな。そもそも四次元ポケット自体、ドラえもん以外使いこなせてない節があるからなぁ…。基本的にはスペアポケットなんて手を突っ込めばドラえもんに快感を生じるだけのリモコンローター代わりにしかならないよなぁ…ふあぁ…」

 

「ドラえもんは何しに来たでごぜーますか?」

 

「えーっと…確か…どら焼き食って…猫と不倫するだけ…って誰かが言ってたような…」

 

 

「………ハチちゃんは眠いみたいだからソッとしといてあげようね?仁奈ちゃん、ドラえもんはのび太君の未来を明るいものに変えにきたのよ。お勉強がんばったねぇ。どら焼きあるけどお婆ちゃんと一緒に食べるかしら」

 

「っ!食べてーです!ドラえもんの気持ちになるですよ!おばあちゃんもドラえもんになるでごぜーますか?」

 

 

「ふふふ、待っててねぇ。今お茶沸かしてくるからねぇ」

 

「はいでごぜーます!」

 

 

 

 

 

 

 

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仁奈は、市原仁奈といいます。

しょうがっこーとアイドルをしています。

 

仁奈は、いつもお家にかえるとさびしい…です。

パパもママも、おしごとがんばってくれてやがります

 

仁奈も、アイドルのお仕ごとでたのしい時間はふえたです。いろんなキグルミ着れるようになったでごぜーます。

でも、お家にかえるといつも1人になります。とってもさびしくて、お家にかえる時間になりそうになると、すこしこえーです。

 

 

 

今日は、おしごとはお休みでした。

仁奈はがっこうがおわったらすぐ家にかえってしゅくだいをして、おなかがぺこぺこになりやがりました。

 

「パンは朝たべちゃったのでねーです。れいぞーこも、空っぽでやがります…」

 

テーブルの上に、ママがかってくれた仁奈のおさいふと、クッキーのかんがありました。ママがいつも「お腹すいたら買って食べるのよ?」と言ってお金をいれてくれるやつです。

 

仁奈は一人でおかいものはこえーので、あんまりお金はへりません。カンヅメのなかもいっぱいでごぜーます。

 

「今日は、おそとにたべに行くです!」

 

ひとりでお出かけは初めてです。きょうはママもお姉ちゃんたちもいやがりません。大丈夫です。きょうはドラゴンのキグルミでお出かけです!ふあんなんてビームでやっつけてやるですよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「陽乃様、お乗りください…」

 

「ありがと都築。今日も比企谷君に会えなかったな~。大学なら会えると思ったのに…このレストランの招待状は雪乃ちゃんと一緒に使おうかな?」

 

「それがよろしいかと思います。陽乃様、お入用の物は以上でしたでしょうか」

 

「うん!付き合ってくれてありがとね。帰ろ?」

 

「かしこまりました。荷物を置いてから雪乃様のマンションでよろしいでしょうか?」

 

「うんよろしくー」

 

 

 

 

ママといっしょにきた、れすとらんにつきました。

れすとらんに行くとちゅうで、きれーなお姉さんと、お姉さんのおせわをするおじいさんがいました。お姉さんは仁奈に手をふってくれやがりました!お顔がキラキラしてて、アイドルのお姉さんたちみたいでした。

おじーさんは、かっこいいまっくろなおようふくと手ぶくろをしてやがりました。巴お姉ちゃんの、「わかいしゅう」っていう人たちにそっくりです。

 

 

巴お姉ちゃんも、パパがお仕ごとで忙しいと言ってやがりました。でもいつもたのしそうで、「さびしくねーですか…?」って聞いたら

 

 

 

『なんじゃぁ?うちの親父も忙しい人で会えん日もなかなかあるが、それでもうちに帰れば若い衆がいてくれるからの。『お嬢、お嬢』っちゅーて気にしてくれとる。事務所(ここ)でもプロデューサーも姉御(あねご)達も色んな人が大切にしてくれとる。だから寂しいことはないんじゃ!』

 

 

 

仁奈も、お仕ごとではみんなやさしくしてくれるです。

 

でも、おうちではさびしいです。

 

しかたないです。ママも、パパも、仁奈の為にがんばってくれてやがります。会えたときは、仁奈をやさしくしてくれます。

 

でも…

 

「もっと、そばにいてくだせー…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お嬢…」

 

「!!」

 

「いや、これはちょっと違うか…」

 

 

「おじょー?」

 

「うん?あー…えっと、大丈夫か?ジュース飲みたいのか?ドリンクバー頼んだ?お嬢…いや、やっぱこれはちょっと違うか…」

 

 

「………!!お兄さんは!仁奈の『わかいしゅー』でごぜーますか!?」

 

「………んん??」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日俺は、やむにやまれぬ事情で大学を休み、真っ昼間からサイゼにきていた。

 

 

正直、仕送りがあるとはいえ私的利用できる金はほとんどバイトから生み出す毎日だからあまり余裕はない。まぁ、そもそも私的利用というのも最近は本を買ってあとは安い中古車を乗れるくらいに維持する程度しかないので貯金はかなり貯まってきている。だからまぁ、余裕が無いといっても俺が自分で決めた月の使用金額の範囲内の話だ。今日明日の生活が脅かされるなんてことはない。ただ合言葉のように「節約しよう」とかほざいてるだけだ。

そんな時でも安心して食べにこられる!サイゼならね!

 

なんて、誰にむけたものかわからないコマーシャルを脳内作成していると、ドリンクバーの前に佇む一人の少女…というか幼女を発見した。

 

 

「………?」

 

 

とても特徴的というか、奇抜な格好をした子だった。緑のしっぽや鱗…のようなイメージの服。………コモドドラゴンだろうか?いや、角っぽい飾りもあるからただのドラゴン…?………ただのドラゴンというのが世界に存在するかは置いておいて、とにかく気になったのはその奇抜な服装ーーーー

 

 

ーーーーではなく、そんな格好をしながら今にも泣き出しそうなその悲しみに満ちた彼女の雰囲気だった。

 

ドリンクバーの前に立っているのだからソフトドリンクが欲しいのだろう。ひょっとして飲みたい種類が無かったか、あるいは届かないのだろうかと声をかけることにした。

 

 

 

 

 

「お嬢…」

「お嬢さん」と、声をかけようとした。というか言いかけた。だがここで俺の自意識というやつが俺にブレーキをかけた。考えてもみて欲しい。

 

昼間のファミレスで、一人の幼女に、腐った目をした男が声をかけるのだ。『お嬢さん』と。………もう控えめにいってヤバイ。何がヤバイって超ヤバイ。もう犯罪の匂いしかしない。通報まったなしである。

 

 

「いや、これはちょっと違うか…」

俺は幼女の肩に触れようとしていた手を止め(まじヤバい)、どう声をかけたものか考える。考え(モノローグ)が声に出ていることを気づかずに、いっそ店員に知らせた方が良いかも知れないと思い至った時、

 

 

 

「おじょー?」

 

彼女が俺見ていた。幼女が、まるでなにかを期待するようなキラキラした目で俺を見ていた。

 

 

「うん?」

俺は首を傾げ、彼女と目線が合うように片膝をつく。

 

 

「あー…えっと、大丈夫か?ジュース飲みたいのか?ドリンクバー頼んだ?お嬢…いや、やっぱこれはちょっと違うか…」

 

とりあえずドリンクバーを代わりに注いであげるとして、そもそもドリンクバーを注文済みなのだろうかと俺が頭を掻きながら彼女にたどたどしく訊ねようとすると…

 

 

 

「………!!お兄さんは!仁奈の『わかいしゅー』でごぜーますか!?」

 

 

 

太陽な笑顔が咲き、その幼女が俺の胸に飛び込んできた。

 

 

 

「………んん??」

 

 

 

俺と、“市原仁奈”嬢の出会いである。

 

ーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーーー

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ーーーーーーーーーーーーーーーー

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ーーーーーーーー

 

 

 

「仁奈ちゃぁん、どら焼きとお茶だよ…ってあら」

 

 

「ふふふ…くっついて寝ちゃって。ホントにお兄ちゃんと妹みたいねぇ」

 

 

 

 




うっそ、このシリーズまだ続くんだ。てかこんな長くなるとは思わなかった。1000文字くらいで終わると思ってたのに。
計画性どこにいったんだよ!計画性どこにあんだよ!売ったのか!メルカリで売ったのか!


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