東哉の火群 (アッド・ウィステリア)
しおりを挟む

1話

 

 

 

 ──やめて、その子怪我してる! 

 

 少女はそう言ってオレに近寄り、袂から取り出したハンカチを頬にあてた。

 

 

 

 

 

 

 時刻は深夜。古い神社を改築した()()()の外から聞こえてきた喧騒が気になり、様子を伺ってみれば長い石段を登って中年の男と幼い少女が現れた。

 

 いくら見た目は神社のように見えるとて参拝客ではないだろう。そもそも本家の私有地である()()には当主(クソジジイ)の許可がなければ一族の者は立ち入れないし、一部の例外を除き立ち入ろうともしない。

 

 ほんの少しの月光に照らされた少女の表情は険しく恐怖と不安に濡れている。男の方はもっと単純で、石段の下から伸び始めた複数のライトの明かりに照らし出された血走り淀んだ(まなこ)と、大振りの刃物が男の狂気をそのまま示していた。

 

 この時のオレは、どうかしていたのだろう。あるいは逆に、壊れかけていたから、そうしたのか。

 ねぐらから出て、男に気付かれぬよう息をひそめて近づいていく。社殿の掃除に用いられる箒を握りしめて。

 

 少女に突き付けていた刃物を誇示するように男は掲げる。少女の顔に恐怖が色濃く浮き上がった瞬間、近づいていたオレの気配に気付いたのか、顔をこちらに向けたことで男もこちらを見る。

 

 横合いから殴りつけることには失敗したが、男がこちらを向いたのは結果的には助かった。所詮、子供の細腕。脛や腕を叩いても大した威力にもならない。

 

 振り向いた男の顔を打つ。細い無数の毛先が目や鼻を叩き、男は顔面を押さえ悶絶する。

 

 悶える男を尻目に刃物を弾き飛ばすと、座り込んでしまった少女の手を取り、早く逃げるぞ! と叱咤する。

 

 一転した状況に頭がついていかなかったのか、呆けていた少女だったがはっとした表情になると立ち上がって走り出そうとした。しかし、足を怪我していたのだろう。すぐによろけるように膝をついてしまう。

 

 多少良い方向に転がったところで、悪意は待ってくれはしない。顔面を片手で押さえたまま、男は転がっていた刃物を拾いあげ、逆手に握ったそれを振り上げながら走って来た。

 

 間に合わない。思わず体が動く。少女の身体を抱き寄せ、男と少女の間に入るように体勢を入れ替える。

 

 次の瞬間、肩に灼熱が生まれた。少なくともオレにはそう感じた。

 

 目測がずれたのか、或いは体勢を変えたことによる偶然か。はたまた、男に残っていた良心による気の迷いか。真偽のほどはもうわからない。

 

 男の兇刃は俺の肩口に貫通しながらも、少女の身を傷付けることはなかった。

 

 男の顛末は語るまでもない。止めを刺そうと刃物を引き抜きはしたものの、急ぎ石段を駆け上がって来た大人たちによって取り押さえられ、一際大きく絶叫した後は姿を見ることもなかった。

 

 哀れな少女を救ったオレは丁重に手当てを受け────なんて、甘っちょろい夢物語はなかった。

 

 抱きしめた少女から引きはがすように、突き飛ばされる。一族の大人たちが口々に喚き立てるのは少女の心配ばかりで。苦痛に呻いてもオレのことなど誰も心配などしない。

 

 そうだ。母にすら見捨てられたオレを()する者などいない。

 

 

『放して、その子怪我してるの!』

 

 

 ──だから、こんな言葉は只の気の迷いが生み出した幻聴だと思った。

 

 一族の者に抱き止められた少女はそう言ってオレに近寄り、袂から取り出したハンカチを頬にあてた。

 

 そんな、思いすら拭うように頬に当てられたハンカチとその向こう側の手は、暖かくて、柔らかくて────怖かった。

 

 また裏切られるのでは、また傷付けられるのでは────また喪うのではと、心底から恐怖した。

 

『──っ、触るな……!』

 

『……え?』

 

 気づけば、そんな言葉を口していた。どうして──? と、疑問を瞳に浮かべる少女から身を隠すように蹲る。

 

 小さな手から溢れたハンカチが視界に入ったのを最後に、少女の姿は大人たちの波にのまれるように消えていく。

 

 十秒、二十秒と蹲り続けて、次に視線を上げれば境内には一人としておらず。残ったのは重症のはずのオレとわずかな血痕と泥で汚れた布切れだけ。

 

『っ、ぐ。ぅう、あ、あぁ──』

 

 誰に聞かれることのない嗚咽。痛みを訴えるのは体なのか、心なのか。もはやわからなかった。

 

 

 

 

 ──そして年月は過ぎる。十年の歳月を東哉は耐えた。

 

 あの日負った傷は癒え、背丈は伸びて、残ったハンカチも色あせて。

 

 一族の者、土地、一切すべてを焼き尽くしてやると心の中に怒りと憎悪の暗い焔を滾らせながら。けれど、せめてあの日の礼くらいは、と。

 

 

 

 

<Other`s Side>

 

 とある豪勢な屋敷の廊下を二人の少女が連れ立って歩いていた。

 

「ねえ、麻里ちゃん。本当にいいの?」

 

「当主の許可は得ました。幹部たちの反発は予想されますが、元から想定内ですから大きな問題はないでしょう」

 

 一方は長い髪を後ろで結わえた巫女装束の少女。戦巫女、とでも呼べばいいのか。生来の快活な(さが)が巫女という言葉の薄弱さを消し去り、凛とした女性像を作り上げていた。

 

 もう一方の麻里と呼ばれたは涼やかな印象を与える、青みがかった薄い紫色の和服を身に纏っている。こちらは古式ゆかしい大和撫子のようだが、感情を感じさせない無表情と平坦な声音が合わさり人形のようだった。

 

「それはそうなんだけど――アイツが協力すると思う? 私たちに」

 

「……します。してもらうしか、道はありません」

 

 嫌悪と疑問と不安を織り交ぜた声を上げる巫女服の少女――莉柘(りつ)に対し、麻里はそう返す。

 

 これが分の悪い賭けであることは麻里も分かっている。しくじれば恐らく誰も生き残りはしないだろう。少なくとも一族としての体面は保てないと万里は見ている。

 

 成功したとしても舵取りを誤れば自分はともかく、莉柘や自分を慕って付いて来てくれている者も立場は危うくなる。なにより最悪なのは、彼が――

 

 そこまで考えて、弱気を振り払うように一度深く空気を吐き出す。今は自分にできる限りのことを全力で行うしかない。

 

 玄関先から靴を履き、そのまま裏庭に回る。裏庭を囲う塀はとある地点で途切れており、そこから屋敷の裏山に続く石畳と鳥居、石段がある。

 

 石段の先、夏の日差しを受けて生い茂る草木にまぎれて立つもう一つの鳥居とその奥にある社を見透かすように、麻里は目を細める。

 

 麻里ちゃん? と莉柘に声をかけられる。どうやら足を止めてしまったらしい。

 

「何でもありません。行きましょう、莉柘」

 

 ――さぁ、賽は投げられた。結末は神のみぞ、いや、神にも与り知らぬことだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話


説明、というか導入回。5000字を超えてしまいそうになったので、続きは後日あげようと思います。


 山中を駆ける。藪を避け、乱立する木々を躱し、崩れた急な斜面を跳び越えあるいは跳び下りる。

 

 中学卒業以後、ねぐらである社とそれが建つ山の中だけが東哉が自由に行動できる範囲(世界)となった。世話役の叔母を通じて当主の許可を得れば人里に降りて買い物や遊ぶくらいのことはできるかもしれないが、監視付きかつ理由まで事細かに制限された外出などこちらから願い下げである。

 

 だからといって退屈なものは退屈だ。生活に必要な諸々の電化製品はあれど、テレビやらゲームやら暇つぶしの道具がある訳でもない軟禁生活の中では、寝るか運動するかぐらいしか時間を潰せるものがほぼない。

 

 この世界線でない源流の世界であるならば、内心で巡らせる打算を悟らせぬためにのんべんだらりとしたところを外に出していた東哉だが、こちらの世界ではそうではない。

 

 昼寝をするのが嫌なのではないが眠りに落ちてしまうまでにふと、かつて救った少女のことを思い出すと、どうにも心が沸き立ち眠気が遠ざかってしまうのだ。謝れなかったのがそんなにトラウマなのか、と自身に呆れるも今の今まで直らず、放置するほかなかった。

 

 故に、こちらの東哉は身体を動かすのが習慣となっていった。

 

 山中の散歩に始まり、山林を走り抜け、命綱も無しに全長十メートルを優に超える樹々に登り、樹から樹へと枝のしなりを利用して飛び移るくらいのことは当たり前のようにできるようになった。世捨て人というか、忍者か山伏、もしくは天狗のようである。

 

 というわけで今日も昼食を済ませた後、山林に分け入っていった次第なのだが────

 

「……相っ変わらず五月蠅ぇなぁ」

 

 足を止めて、重く低く鳴動する大山を()め付ける。

 

 草那藝山。古くからの自然がそのまま残されたこの辺りで一番の標高を誇る山であり、己が生まれた〈船津〉一族が定めた神域。わかりづらければ、神社で祀られている鏡やら剣が山になったもの、と思えばいい。

 

 遠く聳え立つ()()から耳で拾う音とは異なった、術者特有の感覚が嫌でも受け止める波動のようなものが響いてくる。伝承によれば大きな災害、或いは不幸の前兆とされるそれがこの一月(ひとつき)止むことなく続いている。

 

 警察、消防、救急。それらが鳴らすサイレンにも似た、不安を煽るような────或いは、()かを掻き立てるような最悪なBGM。

 

 もしこの感覚が合っていたとして────一体、()を? 

 

「……あー、止めた止めた。連中が何とかするだろ」

 

 走る気を削がれつつも、それ以上考えるのを面倒くさがった東哉は踵を返して社へと戻るべく足を進める。

 

 元より己の生まれた〈船津〉一族は八百万の神々を信仰の対象とする(中でも水と木、それを司り一族を守護する氏神〈大水那津見神(おほみなつみのかみ)〉を崇める)一族であり、その力を借りて〈怪異〉を調伏するのが役割である。当然、鳴動の原因となるようなものも〈船津〉の管轄となる。

 

 ──手こずってはいるようだが、それに自分が参加するとは思えないし、むしろ手こずるだけ手こずって弱体化してくれればこちらとしては都合がいい。とはいえ長引きすぎれば()()も怪我をするかもしれない──

 

 形を変えながら流れていく雲を見上げつつそんな風に考えていると、何やら社の前に二つの人影を見つける。

 

 叔母ではない。彼女はあくまで当主に任命された世話役でしかなく、最低限の食事や掃除などはしてくれるものの別に親しい間柄ではない。自分が当主の立場だったのなら、自分を偽ることに慣れた人物に話し相手でもさせて懐柔するなり、少しでも警戒を緩めさせるなりするのだが。

 

 まあ考えても詮のないことか、と思考を切り上げ、なんとなく気配と音をできるだけ抑え、二人の背後から近づいていくと片方の巫女装束の少女が勝手に扉を開け放した。

 

「なんだ開いてるじゃない。勝手に上がるわ──「オイ、そこの犯罪者」よォ!?」

 

 ほぼ真後ろまで来た段階で勝手に靴を脱いで他人の住処に入ろうとした阿呆に声をかける。ビックゥ! と音が出そうな勢いで身体を硬直させた巫女装束の少女────従姉妹の莉柘は振り返ると東哉を罵ってきた。

 

「い、いきなり後ろから声をかけるなっ。ていうか、誰が犯罪者よ!」

 

「ハッ、知らないのか? 現行犯は警察でなくとも逮捕できるんだぞ。不法侵入、あと窃盗か?」

 

「こんなとこから何盗むっていうのよ」

 

「…………下着とか? ヤダ、このケダモノ!」

 

「ハッ倒すわよアンタ!!?」

 

 股間の前で手を交差させて大げさにしなを作る東哉に、顔を赤く染めて声を荒げながら近づく莉柘。傍目から見ると興奮して近づいてきたように見えるぞー、とさらに人を小馬鹿にするようなことを口にしようとしたところでもう一人の少女────麻里が間に入り仲裁する。

 

「莉柘、そこまでです」

 

「うぐっ。で、でも麻里ちゃん、こいつが……」

 

「揶揄った東哉も悪いですが、彼の社に勝手に入ろうとしたのは貴方ですよ」

 

 人を指さしてこいつ呼ばわりか莉柘(礼儀知らず)、という東哉のツッコミは無視された。いや、莉柘は聞いているようだったが、感情を伺えさせない瞳で麻里が見つめているので反応させてもらえないらしい。

 

 二人のヒエラルキーを如実に感じさせる一幕はやはり莉柘の方が根負けしたようである。一歩前に出て向き直ると渋々といった感じで口を開く。

 

「わ、悪かったわね……」

 

「気にするな。下着は渡せんが、シャツ位ならくれてやろう。サインもつけてやろうか?」

 

「────~~っ、っ」

 

 ビキビキと額に青筋を浮かべる莉柘をにこやかに眺めたあと、麻里に向き直る。折り目正しい所作で会釈をする麻里の姿は人形めいていながらも、ひどく美しい。

 

「お久しぶりです」

 

「──ん、久しぶりだな」

 

 耳朶を打つ涼やかな声音。こちらも挨拶を返すが、続く言葉は見つからない。とりあえず夏の炎天下の中にいるのもなんだと、社の中に二人を上げると汗を流しに風呂場に進む。

 

「…………こりゃぁ厄介事かねぇ?」

 

 風呂場の戸を閉めた辺りで思わず口をついた言葉は、どことなく厄介事(鉄火場)を期待するような響きのようで、自分自身に呆れるような何とも情けない声音でもあるような気がした。

 

 

 

 

 

 

 とりあえずざっくりと汗をシャワーで洗い流し部屋に戻ると、二人の従姉妹は並んで座っていた。どちらも両家の子女であるからか、正座している姿が堂に入っている。といっても片方は御簾の奥、片方は道場の上座が似合いそうだが。

 

「何よ」

 

「いや別に? ……さて、十年ぶりの再会を祝うのもいいが、端的に聞こう。()()()()?」

 

 揶揄われてご機嫌斜めになった莉柘が視線に気づくものの、勘の良さは野生動物並みだなとか考えながらもすっ惚けて麻里に問いかける。

 

 十年。それだけの期間、東哉はこの社に軟禁され、何かしらの祭祀がない限りは一族の者と顔を合わせたことも、そも膝を突き合わせて話をすることもなかった。

 

「用も無く来てはいけませんか?」

 

「そうは言わん。だが、()()()()()()()()()()()()()だろう?」

 

 そんな中で一族の本家の人間が、若いとはいえ二人も社にやって来た。これを何もなくお話をしに来ましたなど言われても、微塵として信用できる訳がない。

 

 沈黙。眉根を寄せる莉柘はまだしも、麻里はまるで表情に変化がない。すると唐突に麻里が口を開いた。

 

「山を下りる準備をしてください」

 

「……なんだって?」

 

「貴方をこの社から解放します。条件付きで、ですが」

 

「──ふむ」

 

 成程、()()関係か。

 

 顎でしゃくって、自分の背後にあるであろう草那藝山を指す。その意味が伝わったのだろう、麻里は首肯するとこう続けた。

 

「伝承通りであるならば、神域の鳴動は大規模な異変の前兆。実地と資料、両面で調査をしていますが、未だ確証となる情報もなくそもそも手が足りていません。──東哉」

 

 一拍、間が空いた。息継ぎのためだったのかもしれないし、気合を入れるためだったかもしれない。もしくは意味なんてなかったのかも。

 

「これから封印を解いて貴方を解放します。私に、力を貸してください」

 

 

────それでも。

 

 

 

────無表情だというのに、瞳から伺える感情は分からないのに。

 

 

 

────オレを、なんのけれんもなく真正面から見据える眼は、彼女の容貌も相まって────美しいと思えた。

 

 

 

 …………まあ、それはそれとして。力を貸してほしいとかいう癖に、頭も下げない、お願いしますとも口にしないことに対しては腹が立つ。

 

「封印を解く、ねぇ」

 

 胡坐を崩し片足を立てる。浮かべる笑みはきっと攻撃的な物だろう。麻里の隣に並ぶ莉柘の表情は警戒の色を帯び、いつでも飛び出せるように重心が前に寄る。

 

 それを視界の端で捉えながら、東哉は視線をそらさず麻里を見据える。睨みつけるというほどではなくとも、それなりの険を含んだ視線を彼女は正面から受け止めていた。

 

「独断、な訳ないよな。当主の許可は出てる、と?」

 

「勿論です」

 

「ハッ、可笑しな話だ。その当主(ジジイ)(ここ)に押し込めたくせに。しかも十年の間、祀られている荒神に対しての神楽の一つ、祝詞の一つも上げやしねぇ。よくもまあ、そんな状況で力を貸せなんて言えたなぁ、おい」

 

「……では、出たくないと?」

 

 そんな訳あるか。出れるなら出たいに決まってる。単純に信用の問題である。

 

「何も知らないまま出て行く気はねぇってだけだ。『騙されて一族総出でフルボッコにされました』なんてのは洒落にならないだろ?」

 

「そんなことはしません「オレに()()()()()()()()()()()のかも忘れたか?」」

 

 笑みすら消して食い気味に放つオレの言葉に沈黙する麻里。物言いたげであった莉柘もさすがにあの件に関しては何か思うことがあるのか、バツの悪そうな表情だ。

 

「……確かに、私個人の言葉では根拠はありませんね」

 

「……とにかく全部話せ。出るかどうかは、それを聞いてから決める」

 

 切れ長の目を伏せる麻里。なんとも心地悪い空気。自分が悪いわけでもないのに罪悪感のようなものを感じてしまうことに苛立ちつつもそう言って先を促した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。