【偽典】植物系少女と世界の黄昏【田んぼエルフ】 (フルフェイスパンケーキ)
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胚珠:緑の少女と出会った日

ハーメルンでは初投稿です。


マクギリス・バエル氏の素敵な作品に心を揺り動かされ、どのような形で小説に対する感謝の思いを伝えるべきかを考えた結果、こうして筆を執ることに至りました。

基本的に原作の時系列準拠としていますが独自の解釈・設定等も多く含まれてたりするので「思ってたんと違ァう!!」といった意見も多いかと思いますし、素の文章力が悲惨な為ガバとか不備とか誤字脱字、たくさんあると思います。

それでも、田んぼエルフの物語の片隅ではこんな事があったんだなーってイメージを、雰囲気を少しでも感じて頂けたのなら幸いです。


世界は何時だって不定形だ。

同じ形を保ち続けた試しなど今の一度も存在しない。

粘土や水飴を捏ねるように目まぐるしく世界は変わる。変わり続ける。

 

 

世界は何時だって不安定だ。

危なっかしい思想家や過度な利益を求めようと躍起になる奴がゴロゴロ居て、今日もニュースでそんな奴らの犠牲者が映りながらも何故かバランスは保たれている。

 

 

世界は何時だって気紛れだ。

時として昨日まで信じていた常識が、新しい発見で全部無かったことになる。

自分たちの縋っていたものが余りにも無価値だったと思い知るときがある。

 

ただ、それは痛みや悲しみ『だけ』に終わることはない。新しい何かで既存のものに意味が無くなっても、人は順応し、学習し、利用し、成長し続けることでそれを常識の一つとして取り込んできた。

 

 

 

 

 

もし、今までそうやって『何とかしてきた』人間が『どうしようもない』としか思えない何かが、訪れるとしたら?

世界が滅びを享受するしかない存在が、何処かからやってきてしまうとしたら?

 

 

『あり得ない』と決め付けてきた。

『起こるはずがない』と断定してきた。

非常識であるとされてきた全てが、この星に訪れたその時……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――俺は、ゴミ捨て場で少女(運命)と出会った。

 

「…人?」

 

夏も終わろうとしている中での学校帰りだった。

 

来年に受験を控えた俺だが家にいると怠けてしまうし、それを注意してくれる人も居ない。

母は俺を産んだ後に程なくして死んだ。父は小学校の頃に交通事故で死んだ。

只一人残った俺は親しかった近所のお姉さんに預けられ、高校に上がってからはアパートの一室を借りて一人暮らしをするようになって今に至る。

 

自主参加式の夏期講習で夏休みでも学校が閉まるまで勉強して、帰って飯食って寝る…大学受験が終わるまでそんな日々が続くんだと思っていた。

 

 

――――――だが今、俺の目の前で見たこともない姿の少女が電柱に寄りかかるように眠っている。

 

 

あどけない寝顔からでもよく分かる整った顔立ち、ややブロンド寄りだが濃緑色の映える美しいロングヘア、微かに青白く艶やかな薄緑色の肌、白地にフリルが備わった可愛らしいドレスのような衣服、そして頭部右側面に咲く薄紅色の花…髪に結われているのでは無く、()()()()()

 

肌の色や頭の花等、突っ込みたいところは列挙してもキリが無いが、兎にも角にもその姿は大凡週に二回ゴミ袋が積み上げられる家庭用ゴミ回収指定所と絶望的なまでに釣り合っていなかった。

 

とりあえず、起こそうとする。

 

 

「おい…なぁおい、大丈夫か?」

 

「……」

 

声を掛ける、反応なし。

肩を揺さぶる、応答なし。

気絶してるのかとも思ったが、それにしたって表情が穏やかすぎる。この子完全にスヤスヤ熟睡してるな。

 

どうしたもんかと考えていて…ふと、漸く彼女とその周りの様子がやや可笑しいことに気づく。

 

 

「この電柱、それに地面のアスファルト…こんなに雑草とツタまみれだったっけな?」

 

 

この少女を自分が見つけ出せたのは、通学路の途中だったから。

このあたりは人通りが非常に少なく、週二で早朝にゴミを出す近くの住民以外を見たことがない。少しくらい変化があっても、気づけるのはきっと俺くらいだ。

 

そして今朝高校に行く際、無機質なコンクリートとアスファルトの塊だったそれぞれは緑色の植物に彩られている。

それもまるで、この少女を中心にして汚れないよう緑のカーペットを敷いているかのように。

 

…マトモじゃない。

頭で考えるより先にそう感じ取る。

でもこのまま放置する訳にはいかないと、置いていく訳にはいかないと心の中で良心が訴えてくる。

少なくともこの瞬間、ゴミ捨て場で見つけてしまった少女をそのままに出来るほど、俺は無関心では居られなかった。

 

抱えてでもアパートに連れて行こうと、徐に手を伸ばす。

それが、頭頂部の花に触れた。

 

 

「…っ」

 

「あ…」

 

するとどうだろうか、ぴくりと彼女が微かに体を震わせ…閉ざされていた瞼がゆっくりと開かれていく。

弾かれたように伸ばした手を引っ込めた。

 

夕立が過ぎた後の夏空のように鮮やかで、何処までも透き通るような茜色の瞳が俺の姿を見て捉える。

 

綺麗だった。

途方もなく、際限なく。

 

彼女にこの時の俺は、どう映っていたのだろう?

きっと、とんでもないアホ面だった気がする。

 

 

「…」

 

「…」

 

「…えっと」

 

「…■■、■■■」

 

「は?えぇ?キミ今、何て?」

 

しばらく見つめ合って、気恥ずかしくなって俺から話題を切り出そうとした矢先に彼女が何かを…少なくとも俺の知り得ない外来語で何かを話しかけてくる。

 

残念ながら俺は高校では英語しか教わっていないし、仮に英語じゃ無くても世界に溢れるほど存在する言語のどれか一つに該当したとしてピンポイントで特定できるほど賢い人間でもない。

 

あぁ、これは俺の手には負えないなと渋々スマホを取り出す。その様子に、取り出されたスマホに、少女は初めてそれを目の当たりにするかの如く興味津々だった。今のこの時代では随分と当たり前の代物の筈なんだが。

 

一先ず翻訳アプリを起動し、音声入力モードにする。最近の大手企業が提供する翻訳アプリは非常に優秀で、音声で入力した言語を自動で解析して翻訳をしてくれるのだ、過去に道に迷ったりした外国人観光客をこれで案内したこともある。この少女の言葉もイッパツで理解できる筈…

 

 

「よし、もう一回喋ってくれれば何語か分かるな」

 

「■…■■?」

 

error.

 

 

 

……

 

………なんだ、この表示?

 

 

おかしい、こんなの見たことない。

今までどんな言語だろうと原文に最も近い形の翻訳が結果として出ていた。どれくらいか前に適当なうわごとを喋った場合は、総じて『もう一度入力してください』という旨のシステムメッセージが出てきている。

 

高校に入学してから三年間ずっとこのアプリを使用しているが、エラー表記が出たことなど一度も存在しないのだ。

それが今、このタイミングで、出た。

普段のシステムメッセージが全部日本語で表示されるよう設定している中、一単語の英語だけで突きつけられる無機質な内容が不安を更に煽ってくる。

 

常人とは明らかにズレた外見といい、翻訳アプリがエラーを吐く言語といい…これでは、まるで…

 

 

画面から目を離して彼女を見た。

状況を理解できていない、あどけない茜色の視線が心を焦燥にザワつかせる。

 

 

「どうなってんだよ、オイ…」

 

「■?」

 

error.

 

「なんで…何だよこれッ」

 

「■■?■■■・■■?」

 

error.

 

「なんでエラー表記しか返ってこないんだよ…!?」

 

 

何度試みても

幾度その声を聞かせても

 

()()()()()()()同じ結果しか、返ってこない。

 

 

気味が悪かった。訳が分からなかった。この数分の間で現実味を帯びない出来事が余りにも多すぎる。

人は自身の理解が及ばないような出来事を経験したとき、本能的にそこから逃れようとすると何処かで聞いたことがある。一種の防衛本能だそうだ。

…確かに、『あの時』もそうだった。

 

 

だが俺は、その防衛本能すら押しのけてしまう程、この少女に対しての様々な感情が勝っていた。

それは純粋な好奇心であり、何物にも例え難い恐怖心であり…今ここでこの少女を見過ごせば、何か取り返しのつかないことになるかもしれないという、何一つ確証のない予感だった。

 

しかしながら、そんな感情とは裏腹にこの状況を打開する策を持っていない事も又揺るぎない現実だった。

無力だ、無力すぎる。アニメや漫画の中で度々出てきたヒーローのようには、気持ちだけでは何一つ成し遂げることは出来ないのだ。

 

そう軽く打ちひしがれていた俺を見つめていた少女は、何か思うところがあったんだろうかどうかは定かではないが…ツタに覆われた電柱から身を離すようにすっくと立ち上がって、此方に歩み寄ってくる。

 

 

「え、あ…余りにも不器用すぎて怒った?」

 

「…」

 

 

何も言わない。

表情にも大きな変化はない。

ただ、何かをしようとしているのは何となくだが、分かる。

 

何をされるのか、何をするつもりなのか分からなかった。だが、彼女が悩んでいる俺に対して何かをしようという思いの元で動いていると考えると…不思議と逃げたい気持ちは出てこなかった。

後ずさってしまったら、彼女が可哀想だとも思った。

 

 

彼女の腕が伸び、濃緑の肌を伴った華奢な両手が俺の頬に触れた。

 

 

 

――ふわり。

 

 

 

ほんのりと鼻腔を擽る、甘い蜜に似た芳香。

 

これ…この香り、彼女のものだろうか。

だったら、案外本当に蜜なのかもしれないと、俺の襟元あたりまでしか背丈のない彼女を見て微かに想う。

 

此方をずっと見つめていた彼女の目がゆっくりと閉じる、すると両の頬に添えられた手の平が僅かに熱を持ったと同時に…

 

 

「う、うおぉぁあぁ!?」

 

意識と視界が、暗闇の中に放り出された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何が起こったのかを理解する間もなく、真っ黒だった景色が視界の中央を起点に白く塗り潰されて…ゆっくりと世界が色を取り戻していく。

だが視界の先にあったのは、俺の知っている景色などでは無かった。

 

数時間前とっくに沈んでいた太陽は頭上で燦々と輝いており、住宅街の一角だった周囲の風景は草原と木々が支配しており、時折遠くで車が走り抜けていく音を拾うだけだった聴覚は彼方此方からする鳥のさえずりを捉えていた。

 

 

訳の分からないことが起こりすぎてとうとう脳ミソがオーバーフローしたのだろうか。

…それとも

 

 

「幻でも見てるのか、俺?」

 

■■(そう)■■■■■(これは幻)

 

「キミはさっきの……えっ?!」

 

■■■■■(きっとこれが)■■■■■■■■■■■(一番早くて確実な方法だと思ったから)■■■■(貴方にとっても)■■■■■(私にとっても)

 

 

自分の右隣から唐突に聞き覚えのある声がして、振り向くとあの少女がいて…そこまでしてから漸く気づいた。

……今、自分はこの少女がなんと言ったのかが分かったのか?

相変わらずこの少女の言語は何語か分からないままだ、しかし…()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「俺…俺、とうとうイカれちまったのか」

 

『違うわ、これは私の魔法…貴方と意識をつなげて、私の過去を幻影として見せているの。混濁していてあまり記憶が明瞭では無いけれど…大事なところは、残っていたから』

 

「だからっ…だから何の話なんだよ!キミは!?俺の見ている“コレ”はどういうモノなんだ!!」

 

意識せず声を荒らげていた。

きっと、自分でも気付かないほどこの状況を現実のものだと認めたくなかったのだろう。こんなのまるでゲームとかそういう段階だ。

しかし、問い詰める俺の様子を見ても顔色一つ変えずに...いや、寧ろ彼女が自分の手でしてしまっている事を少し悔やんでいるかのような表情が一瞬浮かんだ。

 

―――俺は、知っている。

この表情は、人が誰かに対して辛い出来事を打ち明ける時の顔だ。

 

何年か昔の自分が、そんな表情で毎日過ごしていたからよく分かってしまう。朝起きて鏡の前に立った時は大体いつもこんな顔だった。

 

だから、問い詰める口を噤む。

 

 

例えこの先にどんなことを語られたとしても、頭ごなしに否定してはならない。

これから彼女にとって、恐らくとても辛くて悲しい出来事が語られる...そんな気がしたから。



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萌芽:二人はもう一度歩き出す

プロローグ二本立てなので二度目の初投稿です。


俺が幾分か落ち着いた様子になったと判断したのか、彼女は話を続けた。

 

 

『...貴方には、この森がどう見える?』

 

「どうって...綺麗で、のどかで...平和だと思う」

 

『その感覚は正しいわ、実際この森は...私の故郷だったこの森は、とても平和な場所だった』

 

 

彼女が景色の何処かを指さす

そこには...彼女がいた。

小動物のような生物と戯れ、満面の笑みで草原を走り回る彼女の姿が、そこにいた。

 

 

「キミが...もう一人いる...」

 

『アレは過去の私、何も知らなかった頃の私...そして、一番幸せ“だった”頃の、私』

 

「“だった”、か...何かが、起こったんだな?」

 

『...もうすぐ分かる』

 

 

そう彼女が告げると同時に景色がボヤけて白いモヤに包まれる。

小鳥のさえずりや、太陽の温もりが遠ざかって...代わりにパチパチと何かが弾けるような音と、太陽のものでは無い異常な熱が近づいてくる。

 

……...これは、不味い。

直感でそう感じ、何が起こったと問おうとした所でモヤが薄れるように消えて...

 

 

 

 

 

再び見えてきたあの森は、辺り一面火の海になっていた。

空は夜なのか、昼でも煙で塗りつぶされているのかは定かではない。

ただ、思わず美しいと感じた景色の全てが炎の中にあった。

 

 

『これは幻』

 

 

彼女はそう言った。

過去の出来事であって今現在起きている事では無いという事は理解していた...理解しても、尚。

 

 

「...酷い」

 

『唐突だった、私達の住んでいた森のモンスターが人々の暮らしを脅かすかもしれないという憶測が立っていたのかもしれない...この森で、自ら進んで人を襲うような者は居ないと、何百年も前から言い伝えられて来た筈なのに』

 

「......状況が変わったんだ、きっと」

 

 

何も分からない自分が、何かを知った風な口を利く。

おこがましい事だと分かっていても、今にも泣き出しそうな表情で燃え盛る森の幻影を見つめる彼女に言葉一つすら掛けてやらない訳にはいかなかった。

 

 

 

『私は、生き残り...この森でたった一人の』

 

「皆、居なくなったのか」

 

『友達だったモンスターは、炎魔法で森ごと焼き払われた...“お母さん”とその知り合い達は、私を逃がす為に最後まで時間稼ぎをして...そこから先は分からない』

 

「お母、さん...?」

 

『そう、一緒に住んでいた私の母親』

 

 

彼女が燃え盛る森の何処かを指さす。

視界が再びモヤに包まれて切り替わり、何処かの屋内に移る。

広間の至る所が暗く陰るように欠落した情景が、行き交う人々が総じて黒く塗りつぶされたシルエットになっている様子が、彼女の意識が混濁しているという事を静かに裏付けていた。

だが、それらの中で唯一しっかりと認識出来るモノが地面に描かれた中央の巨大な円陣に座り込んでいた。

 

 

彼女だ。

 

 

「地面にある模様は、何なんだ?」

 

『アレは、次元の壁すら超越する転移魔法の陣。それを使って遠い世界へ...住んでいた世界の干渉を一切受けない程、遠い世界に送ろうとしていたの...でも』

 

 

轟音と共に、広間の奥にあった壁が吹き飛ぶ。

続いて側面の壁が爆発して何人かが巻き込まれたのが見えてしまった。

 

土砂と煙の立ち上る中、崩壊した壁の外からあの火の海が視界に滲み出してくる。

 

 

『転移魔法を準備する最終段階で、私達の隠れていた場所が見つかったの...抵抗する間も与えられなかった、戦える者の大半は襲撃者への時間稼ぎに向かって...』

 

「......」

 

その先は言わなくても分かる、一秒でも多くの時間を齎そうとした者達は軒並み死んだか、再起不能になっている筈だろうと。

思案している間に、生き残ったシルエットの中で魔法陣が輝き始め、幻影の中の彼女が周囲と隔絶されていく。

決死の覚悟で転移魔法を起動させたか...

 

 

『お母さんは、自らに残された魔力の全てを使って私を転移させようとした...転移魔法に使用する魔力は強ければ強いほど、遠くに行けるから』

 

「それで、この世界に?」

 

『...いいえ』

 

 

彼女は首を横に振った。

…望んでいた結果と、違う?

 

何故と問うより先にそれは訪れた。

 

崩壊した壁の奥に佇む襲撃者は4、5人のグループでよく分からない。

揃いも揃って影法師のようなシルエットなのは同じだったが、今先程見た彼女の同胞達とは違って得体の知れない感覚が体を通り越していく。

 

ひとりが、魔法陣から立ち上る光に向かって手を翳す。

その掌から黒紫の球体が放たれ、魔法陣の光に接触すると溶け合うように混じり...光が、闇色に喰われていく。

光が闇へと変わっていくのに呼応して、幻影の中にいた彼女が蹲って苦しみだす。

 

一瞬の出来事だった。

 

 

「何だ...アイツ何したんだ、今!?」

 

『転移魔法に異物を与えた(上書きした)の、私の居た世界の人間が昔から厄介な物に対して行う...異界への投棄魔法を』

 

「投棄?...ゴミみたいに、捨てるって言うのか?」

 

 

彼女が首を、縦に振った。

 

 

幻影の中で、魔法陣の近くで何かをしていた彼女の母親らしい影人が弾かれるように魔法陣の中に居る我が子を救い出そうと手を伸ばし...だが、届かず彼女は光と闇の粒子だけをその場に遺して消え去った。

打ち拉がれる間も無く、母親の頭上...広間の天井が崩壊して押し潰されようと――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ...ぅあぁ!」

 

次から次へと叩きつけられる悲惨な出来事を払い除けるように叫んだ時には、自分の見知った住宅街の光景に戻っていた。

 

 

『今思い出せるもので、貴方に伝えられて、幻影として再現出来るのは...これが限界』

 

 

彼女が、俺の両頬に添えられた手を静かに離す。

今見えたもの全てが現実であると即座に認めろ、と言われても無理だろう。

 

だが、こうも自分の知っている常識が片っ端から壊されては新しく持ち込まれた非常識で埋め合わされると...自信の有無に関わらず、“そうである”と理解してしまえた。

 

だからこそ、あの世界が彼女に対してした仕打ちと...【この世界がどう思われているのか】が気に食わなかった。

 

 

「なぁ...捨てる先の異界って一つしか無いのか?」

 

『分からない、明確に決められた訳じゃないから...けど投棄魔法の出口は一つだけらしいって聞いた事はある』

 

「だったら尚更タチ悪いな...適当に決めた世界にポイポイ投棄してる訳だ」

 

 

まだ明確にこの世界の事を価値が無いとか思ってくれてさえいれば恨みもできた、しかし適当に投棄場所へ指定した異界が偶然この世界になったというなら話は別だ。

 

俺は彼女が眠っていたゴミ捨て場の電柱に目を見やる。

恐らく宿主を失ってしまったからか、緑の草葉は色を失って急速に枯れていく。

まるでそれが、『ゴミ捨て場』とされたこの世界で束の間の栄華を演じる人類の姿のように思えて表現し難い嫌悪感を感じた。

 

 

「...俺らの生きる世界がゴミ捨て場だなんて、認めねぇ」

 

『私も同感、ちゃんと人が生きてて...命が育まれているこの世界を投棄場とは思いたくない』

 

「だよなぁ...」

 

『それに、気になる事も―――』

 

 

彼女の言葉が中途半端に途切れた。

そのまま街頭にも照らされて居ない脇道の方へ目を向け...

 

 

 

 

ズル...

 

 

        ズル...

 

 

 

  グチャ...

 

 

      ジュルリ...

 

 

 

 

『――――――――――――もう、来てたのね』

 

「...っ!!!?」

 

 

粘度を伴う水音と共に現れたのは、黒いゲル状の巨大な塊だった。

路地裏の横幅いっぱいに広がったそれが、己が身を引きずってやってくる。

 

俺の前に立つ彼女とは正反対の、不気味で醜悪な存在。

だが何より...何よりも目を背けたかったのは、黒く淀んだそのゲル状物体に野良猫が取り込まれていた姿だった。

 

 

「助けないと!」

 

『ダメ、あの子はもう間に合わない!!』

 

 

思わず助けに行こうと駆け出す俺の右腕を彼女が掴んで止める。

華奢なその体からはとても想像出来ないような力で否応無しに苦悶の声を上げてしまうが...

 

 

真っ黒な流体の中で猛烈に暴れていた猫の皮膚や毛が削げ落ち、剥き出しになった筋繊維から内蔵がハミ出していく惨状を目の当たりにして、直感が告げる。

 

 

 

 

…あの猫を助けようとしても、同じ事になるだけだと。

 

 

猫は、骨の一本すら残すこと無く溶けて消えた。

その様子を見届けた彼女が、奴と正面から向き合う。

 

 

『...下がって、あの程度なら今の私でもやれる筈だから』

 

「さ、下がれって言ったって...どうするんだよ、キミは」

 

 

人の手には余りそうな、生命体と呼んでいいのかすら定かではない不定形でおぞましい物体を前に、表情ひとつ崩すことなく彼女は右手を翳す。

 

何かをするつもりだ、だが何をするつもりだ?

 

 

 

■■■■(摘み取れ)

 

 

彼女が、俺の頭の中では理解出来ない文字の羅列を口にした瞬間、パシャンッと水が弾けるような音がして奴のド真ん中が綺麗にくり抜かれていた。

 

そのまま、形を失ってどろどろに地面へ広がっていく。

 

 

「...え?」

 

『よし、魔法はまだ覚束なくてもこれくらいの力は使役できてる...問題は』

 

 

状況の把握が全く出来ていない俺を差し置いて、俺の腕を掴む手を離した彼女は翳していた右手をクイと引く。

すると鞭が風を切ってしなるような音を残して、彼女の右手は赤い球体をつまみ取っていた。よく見ると手首にツタのようなものが巻き付いている。こんなものはさっきまで無かった筈だ。

 

 

『やっぱり、魔核...私だけじゃなく色んなものが一斉に送り込まれてるかもしれない』

 

「魔核?...と言うより、色々説明して欲しい事が次から次へと出てきてもう、何が何だか」

 

『そうね、状況は私が予想してるより明らかに悪いみたいだから...ゆっくり話し合える場が欲しいの、私としても』

 

 

()()()()()()()()()()が欲しい。

彼女がふと零した言葉。

 

 

「アテなら、無いことは無い」

 

『本当?』

 

「あ、あぁ......ただちょっと...いや、幾つか許容して欲しい部分があって」

 

 

あくまでも行き場があるかもしれないという提案を持ち掛けただけで彼女がずいっと詰め寄った。

とんでもない食い付きだ、思い切りが良すぎる。

 

 

 

「えーと、まず“狭い”」

『問題ないわ』

「次に“そんなに綺麗じゃない”」

『問題ないわ』

「最後に、“飯はそんなに美味くない”」

『作るわ』

「あぁ...やっぱ、メシマズはダメか...もっと勉強しないと」

 

『?...ご飯を作るって、もしかして貴方の言ってたアテって』

 

 

独り立ちしても一向に上達しない料理の腕前にゲンナリとしている俺へと、今度は彼女が問いかける。

 

 

「...俺ん家だよ、集合住宅(アパート)の一室借りてるだけのな」

 

『あら、良いの?』

 

「良いも悪いも無い、この際は互いに助け合うべきだと思って...至らないにしても俺は居場所を与えられる、だからキミは俺に...俺に、教えて欲しい」

 

 

俺は彼女を真っ直ぐ見据える。

数分前に飲み込まれて消化された野良猫の姿が脳裏を過ぎり、嘔気が登ってきそうになるのを飲み込む事で誤魔化す。

 

だって俺は、俺は――――――

 

 

「...強くなりたい、少しでも、少しずつでも」

 

『...どうして?』

 

「生きたいから」

 

 

キョトンとした彼女の瞳に、頑とした面持ちの俺の姿が映って見えた。

こんな表情が出来たの、何年ぶりだったろうか?

決して譲れないと、手離したくないと思う人間の(かお)

未だにジンジンと痛む彼女に掴まれていた右腕を左手で抱え、人間の無力さを痛感し...それでも、“このまま”で居たくないと目で訴える。

 

母親が死んだ時、無力だった。

父親が死んだ時も、無力だった。

ただ自分という存在だけが、幸運だから生き残った。

 

きっとこれから起ころうとする事もそうだ。

力が無ければ何も成せられない、どんなに想いばかりを積み上げても土台(ちから)が無ければ一瞬で崩れ去ってしまう気がした。

崩されたくない、奪われたくない、故に求めた...圧倒的な力を持つ、不思議な少女に。

 

 

「これから先にも、こんな事が起こるかもしれないんだろ?この世界があっちの世界で投棄場扱いされてるならさ」

 

『...ご名答よ、どうしてそこまで分かったの?』

 

「今まで常識だと思ってた事、全部ぶっ壊されて...キミが現れてから、あの...なんて言うか黒くてドロっとした化け物が出てきたからさ、偶然とは思えなくて......そんな非常識を、常識として当て嵌めて考えた」

 

 

自分でも色々吹っ切れておかしくなったのは分かる。

だがそれを除いても、異常なまでに現状に対して思考は明瞭になっていった。

 

父親が死んだ時を思い出す、最初は肉親が誰も居ない生活に耐えられない日々が続いて心が壊れそうだった。だが数ヶ月も経てば、心の整理はつかなくても生活自体には“慣れる”のだ。

 

だからこそ、彼女の話を冷静に考えて“もしかしたらそうかもしれない”という仮定の中で、最も最悪なケースを

 

 

 

『貴方、案外頭良いのね』

 

「まぁ、普通の勉学は微妙だけど」

 

 

今まで同じような表情ばかりだった彼女の口元が微かに緩む。

多分、俺も吊られて笑っていた。

 

 

『...多分、この世界は半年足らずでその有り様を大きく変えることになるわ...今まで通りの生活も何時か出来なくなる』

 

「構わない、承知の上だ」

 

『貴方の前にあるのは茨の道、全ての戦いを避けられはしない』

 

「構わない、その為の力を手に入れられるなら」

 

『私、こう見えて結構我儘なの...多少の無茶振りも付き合ってくれる?』

 

「構わない、予想はしてたし許容範囲なら何だってする」

 

『貴方の周りには多くの死が付き纏う事になる、親しい人全てを護れる事は恐らく叶わない...それでも良いわね?』

 

 

 

 

「...構わ、ない」

 

 

次々と繰り出される彼女からの問答、その最後にほんの僅かに言い淀んだ俺を見て一瞬目を細めるが、その表情に偽りは無いと解釈した様子で目を閉じてふぅ...と吐息を漏らす。

 

 

『...柄じゃないのよね、師弟関係みたいで』

 

「あぁ、うん...言いたいことは分かる、俺もスポ根の類はそんなに好きじゃないから」

 

『すぽこん?...何それ』

 

「柔軟さを捨てて、気合いと根性と努力だけで何とかしようって言う感じの心意気って言うか、そういうジャンル」

 

『私も余り好きじゃ無いわね、そういうモノ...けれども』

 

 

 

彼女が目を開く。

獲物を捉えた獰猛な獣を想起させるような視線に、意図せず背筋に悪寒が走った。

だが同時に、彼女に“鍛えてくれ”と頼み込んだことは間違いで無かったと確固たる確信を感じる。

 

スポ根は確かに嫌いだが、甘やかされるだけでは成長できないと知っていたから。

 

 

『......ラナ』

「え?」

 

『ラナンキュラス、それが()()()()()である私の名前...でもラナって呼んで、長いから』

 

「ら...ラナ」

 

『よろしい♪』

 

 

唐突に名乗られて、言われるがまま口にして...すると彼女は再び微笑んだ。

その笑顔が余りにも無邪気で、何処か妖艶で、先ほどまでの笑みとは又違う印象を感じる。

 

 

『で、今度は貴方の番よ?これから長い付き合いになるんだから、名乗り合うのが礼儀というものでしょう?』

 

「そ、そうだよな......正也だ、平野(ヒラノ) 正也(マサヤ)。ヒラノが苗字で、マサヤが名前...好きな方で呼んでくれて良い」

 

『じゃあマサヤで』

 

 

互いに名乗り合い、彼女が...ラナがその手を差し伸べる。

 

 

『マサヤ、私を連れて行ってくれる?貴方の家に....“私と貴方”が始まる場所へ』

 

 

「あぁ...これからもよろしく、ラナ」

 

 

その手を、俺が握った。

 

 

 

 

 

――――――――――――

file1-ϝ(ディガンマ)乾留液状溶解性粘液生命体(タール・スライム)】 脅威グレード:D-

――――――――――――

 




書き溜めが尽きるまで定期更新予定。


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第一葉:生き残る為にすべきこと

「ここ、ここが俺の住んでるところ」

 

『へぇ、案外大きいじゃない?』

 

「なんか誤解してるな?...この中の一室だよ」

 

『前言撤回』

 

 

化け物を斥けた後、ラナを連れて俺は住居であるアパートへと帰ってきた。

 

鉄筋コンクリート造の、それなりに大きなアパート。

建物の大きさだけなら申し分ないだろう...建物の大きさだけなら。

 

まぁ、そんなこんなで階段を数階分上がり終えて見慣れた戸口に立つ。

 

 

「で、ここが俺の住んでる部屋な」

 

『...なにこれ、大分狭くない?隣の部屋との間隔が心許ないのだけれど』

 

 

彼女の反応...予想はしてたが、やっぱり辛辣だった。

壁に備わる扉と扉の距離に対して明らかに怪訝な表情をしている。

日本のアパートやマンションでは見慣れた光景なのだが、まぁ“あちら側”にそういう類のモノは存在しなさそうな気がするのも又、事実だった。

 

 

「狭いのは入口だけ、中は普通に居住出来るくらいのスペースはあるから心配すんなっての」

 

『ほんとにぃ〜...?』

 

「懐疑の目を向けるの止めろ」

 

 

未だ疑り深いラナとやり取りしつつ、慣れた手つきで錠に鍵を差し込んで回す。

ガチャリと音がしたのを確認して扉を開いた。

 

 

「さて、さっきも言った通り小汚ぇトコだが遠慮なく上がってくれ...寛ぐ事くらいは出来るしな」

 

「じゃあ遠慮なく、お邪魔するわよ」

 

 

ラナが軽い足取りでひと足お先と玄関から屋内に上がっていく。

あ、靴脱がずに入っちゃった...

 

 

「おいラナ、靴脱ぎ忘れて――」

 

『あら?素足よ、私』

 

「げぇっ」

 

 

言われてみれば、彼女は履物一つ無く薄緑の足をそのまま地につけていた。

素足でアスファルトは痛いと思うが...目立った汚れは全くない。

 

やはり、人間とは根本からして作りが違うんだろうな...とか、そんな事を自然と考えられてる己が我ながら気持ち悪く感じつつも住み慣れた我が家(賃貸物件)へ俺も入る。

 

 

暮らしていく上で不備のない最低限の家具類を除いて殆ど大して何も無い、与えられたスペースに対して空間を持て余しているとすら思える部屋。

一人暮らしならこれで十分だったが...状況は変わった。

 

 

『ふーん...確かに狭かったのは入口だけで、他は想定してたよりはずっとマシね』

 

「な?言った通りだったろ?」

 

 

と、若干見直した様子のラナは他所にして、着替える前に手洗いを済ませた俺は机の上で置きっぱなしだったノートパソコンを開く。

スリープ状態だったのですぐに立ち上がり、ブラウザを開いてニュースサイトに飛べば...

 

 

「えー、何々?【未知の不定形生物、世界中に出現】...ラナ、ちょっとこっち来てくれるか」

 

『どうしたの?』

 

 

パソコンの画面に映ったある画像を拡大してからラナを呼ぶ。

窓の外や安物のソファーを見回していた彼女はトテトテとこっちにやって来た。

 

 

「これさ、ラナなら見覚えあるんじゃないか?」

 

『そんな事言われても...あ』

 

「お?」

 

『スライムじゃない、これ』

 

「だよな...」

 

 

俺はなんだかやるせなくなって座っていた椅子にもたれる。

ぼんやりと見つめるパソコンの画面には、世界中の様々な都市部で透明な水の塊があちこちに這いずり回っている写真があった。

 

試しにブラウザの検索欄で【スライム 出現】と打ち込んで調べてみると...出るわ出るわ、色んなサイトが挙って並べた似たような記事の羅列が。

 

 

「...おかしくなってんのは、俺じゃなくて世界の方で間違いなさそうだな」

 

『心配しないで、もうすぐそれが日常的になると思うし』

 

「心配でしかないが」

 

 

ふぅ、と小さく溜息を漏らした...どうなっちまうんだ?この世界...

 

けど、このまま脱力し続けても意味が無い。

椅子にもたれる身を起こして制服を着替えようと洗面台近くのクローゼットに向かう。

 

 

案外なだらかに世界は変わっていくのかもしれないし、急に転落していくのかもしれない...だが、致命的に世界が壊れるまでは日常を堪能しておきたいと強く(こいねが)う。

と、部屋着を引っ張り出しながらあれこれ考えていた。

 

 

 

何れ、今まで通りの日々を送ることが出来ないと言うなら、尚更...

頭の中で膨らんでいく思考を一旦振り落とすべく制服の上着を脱ぐ。

ついでに顔も洗っておこうと洗面台に赴いて、鏡に自分とラナの姿が映......え?ラナ?

さっきまで向こうに居ましたよねキミ?

 

 

「......」

 

「......」

 

「...なんでこっち見てんの、ラナ?」

 

『急に席を立って別の部屋に行くから、気になって付いて来たの』

 

「今から着替えんだよ!散れ!後で菓子とか出してやるから散れ!!」

 

『あら?私が満足出来るモノを期待していいのかしら?』

 

「ッたりめーだ!」

 

何に対して怒ってんだろうね、俺...諸々含めて恥ずかしいったらありゃしない。

 

 

 

〇△〇

 

 

 

『んむ、んむ......美味しいわね、この...“ヨウカン”とか言うお菓子』

 

「コンビニの奴だけどな」

 

 

満足してくれました、ハイ。ニッコニコです。

机を挟んで対面する形で互いに椅子に腰掛け、ラナは俺の好物である抹茶羊羹をもっきゅもきゅと頬張っている。

めっちゃ美味しそうに食べるねキミ。

 

代わりにここ数週間の楽しみである“夏期講習を終えてから甘い物を嗜む”事が犠牲になった。南無三。

 

 

「...んで、これからどうする?俺はドラ〇エよりもファン〇シースター派なんだが」

 

『何よそれ...まぁ、現状はスライムだけしか現れてないけど、私のような穏健派すらこの世界に送り込まれたとなれば...遅かれ早かれ、より狂暴な奴らが来るでしょうね』

 

「つまり、そんな奴らと戦えるだけの力を備えろって寸法か」

 

『そういう事』

 

 

気軽に言ってくれるな...

第一、簡単にそんなのと戦えるだけの力なんて身につけられる訳ないだろと食ってかかろうとした矢先に、彼女が机の上に何かを置いた。

赤くて丸い、ちょっと大きめのビー玉に似た...

 

 

「それ、確かさっきの...“魔核”だったっけ」

 

『えぇ、スライムは勿論の事、私達の世界におけるモンスターを構成する尤も重要な部位よ...当然、私も例外じゃないしね』

 

「ラナもか、でもコレをどうするんだ?」

 

『食べるのよ』

 

「食べ......は?何で?」

 

 

余りにも自然すぎる流れで危うく聞き流す所だった、これ食うの?本気?

けど、彼女の表情を見れば先程までのにこやかな表情ではなく、真面目な話をする真剣な顔つきになっている事から本気であると仄かに悟る。

証拠に羊羹を食べる手も止まって...あ、全部無くなってたからか。

 

 

『私の世界だと、人間は生まれながらにして魔力を持たないの...その代わり、魔核を経口摂取によって体内に取り込んで血液中に魔力を摂取出来るわ』

 

「あ、じゃあ魔法とか使えるのか?」

 

『それは無理ね、人間には魔法を使う器官が備わっていないもの。あくまでも身体能力の増強に留まっているだけ』

 

「...現実は、厳しいな」

 

 

がくり、と肩を落とす。

有名な元天才外科医魔術師が主人公の映画のようには行かなそうだ...が、パワーアップするのは事実らしい。

 

すると今度は気になるのが

 

 

「食べる事に対する副作用、特に致命的なヤツとかない?」

 

『そうね...魔核に対する適性が低かった場合、ある一定以上を取り込むと正気を失うリスクを背負っているって位かしら』

 

「途端に絶望がチラつくようになってきたなオイ」

 

 

サラりと告げられるえげつない代償。

そもそも一定以上ってどんくらいなんだ、バケツ一杯分とかか?

それは兎も角、適性が低ければそもそも話にならないのが事実ならどうすればいいのやら。

 

 

『け・ど...運良くマサヤには私が居るの、何も心配することは無いわ』

 

「適正低かったらアウトなんだろ、どうするんだ」

 

『あくまでもそれは個人毎の一定数を上回った場合の話よ。初めて摂取する一粒だけなら問題ないし、私ならそれを基準に適性の有無を確実に見極める事が出来る』

 

「だから、食べる必要が?」

 

 

ラナは返事の代わりに表情を緩ませ、机の上に置かれた魔核に目配せする。とりあえず食ってみろと言わんばかりに。

 

正直言って、無茶苦茶な事に法則性を見出して理解は出来ても、それを実践する事は難しいものだ。

 

緊張する。

 

どうしても、適正とやらが低かった場合のことを考えてしまう。

 

それでも...

 

 

 

「やってやる」

 

 

意を決して、机の上に置かれた魔核へ手を伸ばす。

やろうと思えばすぐに手に取れる場所にありながら、その距離はとても長く感じた。

 

親指と人差し指で摘む。

小さいが、しっかりと存在を感じさせる重みが指先から伝わるソレを目の前まで持って来て...

 

 

 

 

口の中に、捻じ込む。

 

思い切って咀嚼すると呆気なく潰れて中身が流れ出した。

 

 

瞬間、血に酷似した鉄の味が口いっぱいに広がって思わず吐き出しそうになる。

苦味でも酸味でもない、ドロリと濃密な金属の味わい。

思考ではなく身体が“取り込んではならない”と全力の拒否反応を示し、それが嘔気となって胃液が食道を駆け昇っていく。

 

 

「っ!?う、ゔぐ...ん゛ぅ゛ぅ゛!!」

 

 

取り返しのつかないラインまで来る前に、半ば無理やり飲み込んだ。

喉がゴクリと大きな音を立て、胃酸に喉元を過ぎた魔核の液が混じりつつ体の奥へと染み渡っていくのを感じながら...

 

 

 

「...まぁッッッッず」

 

 

一言、心の底から出た感想を漏らす。

ラナはと言うと、魔核一個にメンタルをズタボロにされた俺を哀れみと呆れの感情が入り交じった表情で眺めていた。

 

 

『オーバー過ぎよ、そこまで酷いの?』

 

「生憎...この世界の人間は、普通こんな味慣れる程苛烈な人生送ってないモンでね......」

 

 

疲れた...勉強疲れとか体育で疲れるのとはまたワケが違う疲労感が押し寄せて机に突っ伏す。

 

 

『まぁ、何事も一度経験してしまえば後は慣れよ』

 

「どうだかなぁ...それより、適正はどんな感じだ?こんだけ苦しんで“結局ありませんでした”なんてシャレにならねぇから」

 

『それもそうね、ちょっと身体起こしてくれる?』

 

「んー」

 

 

むくり、と鉛に近いくらい重く感じる上半身を起こす。

椅子から降りたラナが俺の側まで来て、手をポンと俺の心臓辺りに当ててきた。

 

そのまま彼女は目を閉じる。

途端に、俺の胸元に添えられた彼女の掌からほんのりとした熱が伝わってきた。

心電図みたいな要領で測っているのだろうか?どうやって?

あぁそうか、これも魔法か。

 

しかし...しかしだな...

 

 

「なんか...近いな」

 

『何か問題でも?』

 

「あ、いや、特には」

 

 

嘘、真っ赤な大嘘。

こんなに近くまで女の子が来て、しかも堂々と相手の身体に触れているこの状況は年頃の男にとって少々堪えるってもんだ。

帰り道で出会った時よりはまだ軽い感じだが...

 

だが、それ以上に何か不思議な感覚がする。何処か落ち着くような安らぐような...セラピーでも受けるとこんな感じになるのかなと思う、暖かで優しい感覚。

 

なんだろう、これは。

 

 

『終わったわよ』

 

「あ」

 

 

数分、いや数秒も経っていないだろうか。

彼女の手が俺の胸元から離れると、途端に優しい感覚も遠ざかっていく。

穏やかな時間はあっという間に消し飛んだ。

 

名残惜しくも複雑な心境を抱えながら、今はやるべき事を...戦うに足るかどうかという結果を聞かなければならない。

 

 

「どう、だった?」

 

『高すぎず、低すぎず...まぁ、一般的な適正よりもやや高い程度って具合ね』

 

「それって...!」

 

『えぇ...“合格”よ♪』

 

「そうか...そう、か......」

 

 

本来なら手を叩いて喜ぶべきなのかもしれない。

でも俺は、適性があったことに対する歓喜より安堵の気持ちが強かった。戦う力を得られると、生き延びる事は出来ると。

 

 

『さて、適性があると分かった以上マサヤのやるべき事は至極単純よ。見つけて、倒して、喰らうだけ』

 

「ん...だろうな、それしかない」

 

 

そうだ、これは通過点に過ぎない。

適性があったとして、力を身につけるには先程言ったように多くの魔核を食べていく必要がありそうだ。

味覚は絶対におかしくなるだろうが。

 

そして...気が抜けて思考に余裕が出来たことで、少しいい事を思いついた。

 

 

「ラナ、スライムってどういう場所に多く居る傾向にあるんだ?」

 

『基本的に所構わず住まう感じ、人が居れば襲おうとするし...でも、住宅街より自然の多い場所とかに良く居ると聞くわ』

 

「そうか...よし」

 

 

俺は脇に退かしておいたノートパソコンをもう一度立ち上げ、このアパートの位置を中心にしてマップを開く。設定は衛星写真にして、半径はバスや電車等を活用した上で行き帰りが気軽に行える限界点を考慮し、5キロほど。

 

 

『何してるの?』

 

「まぁ見てろって...この世界では魔法の代わりに発達してるモノがある」

 

 

操作を終えた俺は、台所の近くに置いてある安物のプリンターがデータを受信して動き始めたのを確認した。

ラナは何が起こっているのか分からない様子ではあるが、その目を輝かせてプリンターから吐き出されていく紙を見つめている。興味津々だ。

 

 

『何これ?あの画面に映ってたのが紙になって出てきてるけど...』

 

「コイツはプリンターって言ってな、写し取った情報や複製したい紙媒体なんかを用意したい時に使うんだ...例えば、こうやって」

 

 

そして完全に印刷が終わり、吐き出されたA2用紙を取り出してラナに見せた。

 

 

「地図とか用意する時に、便利なんだ」

 

『へぇぇ...この世界も中々、粋な技術があるじゃない』

 

「最近はスマホで地図とか見る人が多いけど、俺は打ち合わせの時とかはこうして刷ったやつ用意するって決めてる」

 

 

そう、地図を用意したのには理由がある。

スマホやパソコンを通して見るのと違って直接書き込めるのはやはり有用だ。

 

 

「この真ん中にある印、ここが俺たちの今居る場所で...この周囲に自然が多そうな場所、つまるところスライムが多く存在してそうなスポットを絞り込めないかと思ってな」

 

『成程ね、私もいい考えだと思う...けど、勘がいい奴は魔核を取り込むと力がつくって理解するんじゃない?人口密集地は避けるべきかしら』

 

「そこも含めて考えるんだよ、口に入れて検証しようって物好き居るかどうかは別としてさ...あぁヤベぇ、受験勉強とはまた違う頭使いそうだ」

 

『根詰め過ぎて体調を崩さないでよ?...あ、じゃあ私はマサヤの“ぱそこん”借りていい?ちょっとやりたい事あるし、使い方は貴方の手元で大体理解出来たし』

 

「分かんないことあったらスグ教えてくれ、変なサイトとか飛ぶんじゃねーぞ」

 

 

頭をガシガシ掻き毟る、大変な作業量になるのが目に見えていて...でも、どうすればいいかという方法が分かった事で、行動するべき事がしっかりと把握出来た。

なら、実行に移す準備を整えるだけ。

 

 

探す。誰も気づかない絶好の場所を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、後で窓の近くに茶の木でも生やしとこうかしら」

 

「何勝手に他人の家で茶葉栽培しようとしてんだ」

 



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第二葉:その道程、前途多難につき

まだ暫くほのぼの


「27...28、29っ...!!」

 

 

……苦しい。

 

夕陽に照らされながら、街から外れた自然保護公園を端から端まで駆け巡り、『目標』を片っ端から叩き潰して零れ出た赤い球体を回収していく。

 

分かってはいたが、頭ではなく体を使う事でここまでキツい思いをしたのは何年ぶりだろうか?

 

足が重い、呼吸が乱れる、さっき水分を取ったばかりなのにもうフラフラする。

 

 

「ラスト一体よ、気合い入れなさい!」

 

 

「...分かってる!」

 

 

でも、止めたいとは...投げ出してしまいたいとは思わなかった。

近くで“俺の知っている言語の”声援をくれるヒトがいる...厳密には人間じゃないけど、オレにとっては紛れもなく“ヒト”である彼女、ラナが。

 

そもそも、自分から頼み込んだ事だ。こんな程度で音を上げていては話にならない。

 

 

 

そして俺は、草むらに逃げ隠れようとしていた『目標』を見つけた。

 

姿を見失う前にソイツへ駆け寄り、既に腕で潰しまくった粘液でベタベタになった腕を振り上げる。

 

 

「さん...っ」

 

 

 

 

――――――この一日で最低でも30体のスライム(目標)を破壊し、魔核を取り込む。

 

それが、俺とラナとで決めた第一歩。

 

 

 

 

「...じゅうッ!!」

 

 

 

振り下ろした拳に僅かな抵抗を感じ、同時にブジュっと瑞々しいモノが潰れるような音がした。

 

 

 

 

////////////////////

 

数時間前

 

////////////////////

 

 

「...マジで日本語、覚えられたんだな」

 

「えぇ、文法の法則性さえ掴めれば後は慣れね」

 

 

まるで元から住んでいたかのように、つい先日まで異世界の言語しか喋れなかったラナが俺と同じ言語(日本語)で会話している。

 

昨日、俺が地図を広げて頭を悩ませている間ラナは何をしていたかと言うと...日本語の勉強、である。

 

分かり易い図などを多用した外国人向けの日本語学習用サイトを使って、基礎中の基礎から始めたのだが...正直、とんでもないくらい覚えがいい。本人はあっけらかんと“慣れ”とか言っているが、その範疇はとっくの昔に逸脱してる。

 

だって...開始十数分でひらがなマスターしてたんだ、彼女。

 

 

「私も人のこと言えないわね...根を詰めるなとマサヤに言っておきながら、結局私が一番没頭してたし」

 

「結局、飯は先に終わった俺が作ったからな...うどん、美味しかったか?」

 

「ま、及第点って所ね?私はまだ箸の使い方までは会得出来なかったけど......それよりも、本当に()()なら大丈夫なのよね?」

 

 

ラナは俺の広げていた地図の一部分、グリグリと何度も丸く囲んだ場所はここから少し離れた自然公園だ。

 

 

 

今、俺たちはアパート最寄りのバス停にいる。

というのも、良さげな場所というのが少々遠めなので公共交通機関を使うのが一番いいという判断になったという一面もあるが...

 

 

「まぁ何とかなるだろ...で、上手くいってんの?“擬態”」

 

「そうね、今のところ変な目線は感じないし」

 

 

そう答えるラナは服装こそ昨日と変わらないものの、その姿は今までとは大きく違っていた。

 

…白磁を連想させるほど透き通った、それでいて俺達人間の内の一人と言われて通用する肌の色。

いつもの髪色とはまた違った艶やかさを思わせる黒髪。

何よりもその髪に混じって頭頂に咲いていた花が見当たらない。

 

 

 

 

――――――人前に出るなら、“人に寄せた姿”の方が良い筈よね。

 

 

 

今朝、外へ出る前に彼女がそう口にすると途端に頭頂から爪先に掛けてみるみる変わっていった姿を、俺はきっと一生忘れる事は無いだろう。

 

ラナから聞いた話によれば...【アルラウネ】という種族は元来人を惑わせて捕縛し、自らの養分にする生態をとっているらしく、人間と瓜二つな姿になれる“擬態”はアルラウネにとって造作もない事らしいそうだ。

 

尤も、彼女は生まれてこの方故郷である森の外へ出た事がないので人間相手に“擬態”するのは今回が初めてらしい。

 

 

……いや、初めてでこれかよ

 

 

 

「すげぇよな、ほんと」

 

「褒めても訓練カリキュラムは減らさないわよ」

 

「へぃへぃ...お、バス来たな」

 

「あれがバス?...成程ね」

 

 

別にそういうつもりじゃなく、純粋な感嘆の意を込めた言葉だったんだがな...と、言おうとした所で目的地へ連れて行ってくれるバスがやってくる。

 

何時もの慣れた様子でいる俺とは裏腹に、身を行く車の中で一際大きな車両に対し何処か納得した様子のラナ。

 

一応説明とかはある程度しておいたので、下車する人が居なくなったのを見計らってから互いに難なく乗り込んだ。

 

 

 

〇✕〇

 

 

 

「...なあ、ラナ」

 

「なぁに?」

 

「ラナってさ...俺から見れば割と天才寄りだと思うんだけど」

 

 

バスに揺られる道中、少々思うところがあった俺は隣に腰掛けるラナに問い掛ける。

 

 

「どうしてそう思うの?」

 

「だってさ、俺の世界(こちら側)ラナの住んでる世界(あちら側)と大きく違う筈なんだろ?凄い勢いで順応してるからさ...俺だったら、絶対そこまで上手く立ち回れない」

 

 

率直に言う。

もしラナと同じように、突然何から何まで今までとは全く違う世界に飛ばされたとしたら?

 

ラナやスライムのような異世界の存在の到来に伴い、この世界の常識が何れ崩れさる運命にあったとしても、生まれ育った世界で生きる限りは...まだ受け入れる事が出来るかもしれないとも思えた故に沸き立つ、疑問。

 

右も左も分からないまま、死んでいた事だって有り得たかもしれない。

運良く最初で生き残ったとして、その先も安泰な一生を送れるかどうかも定かではないのだ。

 

 

「...“ありとあらゆる物事には終わりが有る。喜びにも悲しみにも、それは等しく訪れる...”」

 

 

だが、そんな思考は唐突に彼女が口にした言葉で緩やかに遮られる。

 

 

「え...?」

 

「私のお母さんの言葉。“どんな苦しい事があっても、どんなに辛い事があっても永遠にそれが続くことは無い。受難は必ず終わる日が来るのよ、ラナ”...ってね、そう私に何時も説いてくれた、私はそれを“諦めないで”ってメッセージだと思って受け止めてる」

 

 

目を細めて懐かしむ様に、ラナは母親が語ってくれたという言葉をなぞる。

優しくも力強い、その言葉。

 

ただの文字の羅列であり、本人から直接語られた訳でも無いのに...心の中で僅かに揺らめいた不安を押し退ける、暖かな感触となって染み渡っていくのが分かった。

 

 

 

「...いい、お母さんだな」

 

「えぇ、でもお母さんがくれたのは言葉だけじゃない...私の知識や技術の全ては、お母さんが教えてくれたから。それに、私の住んでいた森の統括者でもあったの...厳密には少し違うけど、ほぼそうだと言って良いくらいには」

 

 

「国王とか程じゃないけど...村長とか、町長とか、そういう具合の?」

 

「そんな所ね...私にとってお母さんは、とても大切で大好きなヒトだった......だから尚更気掛かりになってしまうの、人に危害を加えること無く互いに不干渉を貫いてきた私達が...何故、迫害されなければならなくなったのかを」

 

 

窓から外を見るガラス越しの彼女の顔が、幸せな思い出に浸っていたその表情が、仄かに悲しみと混ざる。

昨日見たあの記憶の通り、彼女の故郷は何者かの手によって喪われた。

 

人間に危害を加えるどころか、進んで人前に姿を現すことすらしない彼女達が、何故そんな目に合わなければならないのだろうか?

 

 

 

 

 

「でもね、マサヤ...私はお母さんが生きてるって、信じてる」

 

「確証とかってあるのか?」

 

「無い...けど、私をそこまで育ててくれたお母さんがその程度で死んだりする筈がないって...娘である私だからそう信じられる」

 

「...そういう、モンなのか」

 

 

...…生まれながらにして、母親が居ない身には分からなかった。

仕事で忙しくも、夜にはしっかり帰ってきて休日は共に居てくれた親父には感謝はしていても...多分、ラナのような気持ちは抱けない気がする。

 

それはきっと、親父も死んでしまったから。

心から信じる拠り所となる前に、幼かった俺の元から肉親は皆消えてしまった。

 

以来、世間から見た俺は可哀想な(普通じゃない)子として、ごく一部の人々を除いて腫れ物のように扱われてきた。

 

 

 

「......羨ましいな」

 

 

無意識に小さく口にする。

言ってからその言葉がどういう言う意味を持つのか気づいて、慌てて口元を抑えた。

 

 

「どうしたの?」

 

「し...しゃっくりが、出そうだったから」

 

「そう」

 

 

ラナは素っ気なく返す...先程の言葉を聞かれた様子はない、どうにか誤魔化せたらしい。

 

危なかった、軽率だった。

 

誇らしげに“家族”を語るラナの姿に羨望を感じなかったと言えば嘘になるが...

それと同時に彼女が失ったものであることにも関わらず、俺はそれを羨んでしまったという事になる。

もう彼女の母は、友は、故郷は、失われてしまったというのに。

その状況で傷口に塩を擦り込むが如き言葉を、『羨ましい』などという言葉を聞かれてしまったら...

 

 

......最低だ

 

 

 

 

 

 

「大丈夫よ」

 

 

 

鼓膜を撫でる優しい声。

後悔に感情を支配される前に、彼女の声がそれを引き止めた。

 

 

『大丈夫』とは何だ?

君は余りにも多くのものを突然奪われて、その上で見知らぬ世界へ投げ込まれてしまっただろう?

幾ら母の教えがあったとして、幾ら生き抜ける力があったとして、全く何も問題がない(大丈夫)な筈ないだろうに。

気負わせてしまったのか、またしても。

 

 

 

「...マサヤが望んだカタチでは無かったとしても、私はマサヤの...今の貴方の傍に居るから」

 

 

「!!」

 

 

違う。

彼女は自分の事を言っているんじゃない。

 

 

俺の事を、案じてくれているのか?俺の心を読んだのか?

 

 

そんな馬鹿な。

 

 

「ラナ、それはどういう――――――」

 

 

 

 

ピンポーン

 

 

 

«まもなく○○自然公園前、○○自然公園前です»

 

 

 

「…あ」

 

「あら、着いたの?」

 

「...みたいだ」

 

 

アナウンスが鳴り響く。

言葉の真意を問う前に目的地に辿り着いてしまった。

 

仕方ない...聞くのは、今日の分が全部終わってからにしよう。

少なくとも、まだ遅くはない筈だ。

 

 

 

 

△▽△

 

 

 

 

「ここが自然公園とかいう場所?」

 

「あぁ、人為的に作られたとは言えども、この辺りでは一番自然に恵まれてるんだ...こんな形で、また来ることになるなんてな」

 

 

バスを降り、自然公園へと足を踏み入れた俺達は周囲の人通りがどれ程のものか軽く見渡してみる。

平日なのもあってか、結構少なめだ。

 

 

「見たところ居なさそうね、『スライム狩り』」

 

「流石にスライムの為だけに態々自然公園まで来るなんてよっぽど酔狂な奴だろな」

 

「全くもって同感よ...で、それとは別にちょっとお願いがあるんだけど」

 

「お?」

 

 

そのままスライムの居そうな場所へ直行するかと思えば、不意にラナが何か言いたげな様子で呼び止めてくる。

 

 

「折角この場所に来たにも関わらず、スライム倒して終わりじゃやってる事『スライム狩り』と変わらないんじゃない?私はそう思うわ」

 

「あ?...うーん、言われてみればそんな気がしなくもないっていうか」

 

 

実際、ここまで来てスライム倒して帰宅...なんてのはちょっとどうかと思う節はある。

何時か来るであろう『その時』への準備に割ける時間は限られているとしても、急ぐ事と焦る事とはまた別だ。

無論、現段階から根を詰めた特訓を組んでも最後まで持ち堪える気がしないのも少なからずあるけど...

 

ともあれ

 

 

「俺で良ければ案内する。見たところ昔と大きく変わってないようだし」

 

「ふふっ...エスコート、お願いね」

 

「んな大層な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「...この花も、私の世界と似たようなものがあった気がする」

 

「これもか?」

 

 

柵から少し身を乗り出して花畑を見渡すラナの横で、俺はその様子を眺めていた。

 

最初、『この世界にも色んな種類の植物があったりするんだ』とラナに説明しようと思っていた。

しかし、花壇に花をつけた植物を見たラナが見せた驚愕の感情は、異世界における未知との遭遇のそれではなく

 

 

――――――私の世界にあった花が、どうしてここに

 

 

存在しない筈の既知に対するものだった。

そう言えば、“ラナンキュラス(ラナの名前)”もこの世界にある花の名前と同じだったっけ。

 

ちょっとした自然公園巡りは、この出来事によって予定が若干狂った...と言っても、俺が案内した先々で見かける植物の類をラナがその目で確かめていくという、なんとも不思議な形になっただけだが。

 

 

「でもさ、ラナ...自然公園に来る前は街路樹とか見てそういう反応しなかったじゃん、それは何でだ?」

 

「うーん...多分、まだ私が未熟である事も大きいと思う」

 

「未熟?知識的な面でか?」

 

「知識も技術も両方よ。未来の為にも学ぶべき事は山ほどあるわ」

 

「未来って...あっ、そうか」

 

 

バスの中で彼女と交した話。彼女の母親が、住んでいた森を統べるような存在であったと語られた事を思い出す。

彼女がその娘であるなら、何れその後を継ぐに相応しい器となる必要があるという事。

 

彼女はその為の努力をしている真っ最中だった...と考えるのが自然か。

 

 

「現に私は花々とかは兎も角、何も無いところから蔦や潅木のようなモノしか形而下させることが出来ないし、お母さんはその気になれば数時間で大陸一つ位植物ですっぽり覆い尽くせるから。私なんてまだまだよ」

 

「いや、ラナのお母さん滅茶苦茶過ぎ...てか“植物の形而下”って何?昨日スライムぶち抜いたアレみたいなヤツか?」

 

「そうね、私の中にある『無垢胚(アマラ・エンブリオン)』を媒介にして指定座標上にあらゆるカタチに分化する可能性を秘めさせた『無垢胚』を複製させ目的に応じて成長させる形態に対応した魔力を一気に流し込んで成長させるの。普通の人間は勿論の事、他のモンスターでも中々出来ない芸当だけど私のようなアルラウネや近似種のドリアード、マンドラゴラのような人型植物系モンスターは呼吸と同じくらい出来て当たり前の技能だけれど基本的に自分の体表面や自分の立っている場所と地続きの尚且つ近い所でしか出来ない個体が殆どか出来ても甚大な魔力の消費でろくに使い物にはならないの、その点私は地道に努力を重ねたのもあって色々と応用や融通が効くように.................聞いてる???」

 

「ごめん なにいってるか わかんない」

 

「...むぅ」

 

「いや悪かったって」

 

 

頬を膨らませてムッとした表情になるラナ。熱中すると早口になるタイプなのね、キミ。

とりあえず、彼女を宥める方法を何か...

 

 

…くぅ

 

 

腹の虫。

ラナから聞こえた。

 

 

「あ」

 

「なんだなんだぁ?今のはなんの音だー?」

 

「...これは、その......ぅ」

 

ちょっとからかってやるとあら不思議。膨れっ面はあっという間に赤面へと変わり、彼女は俯く。

思いっきり聞き取れちゃったもんな、そりゃ恥ずかしいに決まってる...まぁ、俺はあんまり気にしてないけど。

でもって、腕時計で時間を確認してみる。

短針は真上から僅かに右に逸れた所を指していた。

 

 

「んー、もう12時過ぎてたのか...飯にするか」

 

「出るの?公園から」

 

「いや、確かこの自然公園にはちょっとしたカフェテリアが入ってたはずだ。最後に来た時もあそこのサンドイッチ美味かったから、ラナも気に入るんじゃないか?」

 

「そう...早く行きましょ」

 

 

素っ気なく返そうとしても、その目線がキラキラと期待に満ちて輝いていたのは誤魔化しきれないぞ。

 

 

 

 

 

 

 

//////////

現在

//////////

 

 

 

 

「お疲れ様、これ飲んで」

 

 

「ん?...あぁ、サンキュ」

 

 

ベンチに座る俺はラナから差し出された水筒を受け取り、口にする。

中身は紅茶っぽいが...くどさも添加物も一切使用していないラナ特性のオリジナルティーだ。

最初は他人の家で何勝手に栽培始めてんだと思ったものだが、こうまで美味いものをお出しされれば逆にこっちが申し訳なくなってくる。

 

 

「んぐ、ん...ぷはァっ...あー生き返るー...生きてるよ俺、うん」

 

「大袈裟ねぇ...まぁ、初日だしアクシデントもあったしで、マサヤも中々に大変だったでしょうから分からなくもないわ」

 

 

...今日の訓練はもう、散々の一言だった。

 

昼食を済ませ、ラナの案内をしながら自然公園を緩く探索してからスライムが居そうな奥地に行くと...そこは正にスライムの楽園とでも言うべき場所と化していた。

 

厳密に言えば、少しばかり開けた広場になっている場所にスライムがゴロゴロ点在していた訳だが。

そもそも、前来た時あんな広場あったっけな...

 

まぁ、なんだかんだで『ツイてる』と思っていた矢先である。

 

 

 

 

――――――「オラオラオラァ!スライムハンターのお通りだァ!道を開けやがれぇ!!」

 

 

 

 

なんということでしょう。

 

見るからにヤンキーとか、そういう類の酔狂な奴ら(スライム狩り)がなだれ込んできて虱潰しにスライムを叩き潰して魔核を奪い去り始めたではありませんか。

 

なんということをしてくれやがったのでしょう。

ふざけんなバーカ。

 

 

大人数の若者が寄って(たか)って逃げ惑うスライムにゴルフクラブやバットを叩きつけるその様は、ラナですらスライムに対して同情していた程に凄惨な光景で...

しかも若者の内の数人は俺の通ってる高校の制服を着てる連中も居た。

 

多分、学級崩壊が頻発してると噂の下級生だろう。

 

 

 

 

で、結果的にどうなったかと言うとスライムは全滅......はしていなかった、一応。

 

ただ『スライム狩り』が殺り損ねた生き残りが自然公園の各地へ散っていった事で、難易度がとんでもなく跳ね上がったワケで...

 

結局俺達は、血気盛んな若人達によるスライム殺戮パーティから離れて逃げ仰せたスライムを潰していく事にした。

 

 

 

そして何とかノルマを果たした頃には日が暮れそうになってる時間帯になってしまった...という今に至る。

 

 

「いやもう...こんな事になるなら、スライム潰し終わってから公園案内すりゃ良かった」

 

「過ぎたことを悔やんでも仕方が無いわよ...ま、マサヤにエスコートされるのは悪い気分じゃなかったわ」

 

「そう言ってくれると、ホントに気持ちが楽になって来るなぁ...あーお茶美味い」

 

 

相も変わらずラナのフォローは五臓六腑に染み渡る。特にこんな酷い目に遭った後なら尚更の事。

不覚にも目尻が熱くなりそうになるのを水筒を勢いよく煽る事で誤魔化す。

 

 

あぁ、それはそうと潰したスライムから回収した魔核はラナに預けてある。

彼女の腰に下げている丈夫な葉を編んで作った(本人談)特製ハンドメイドポーチは30個の魔核でパンッパンだが、破れることはまず無いだろうし。

 

 

「それにしても、こんな感じだと先が危ぶまれるわね...」

 

「だな、俺も考えが甘かったっぽい」

 

「この様子だと他に目星をつけていた所も同じような状況と考えて良いでしょうし...ちょっとノルマを減らしても、今はまだ問題は無いかしらね」

 

「どうだか...ま、戻ってからまた一緒に考えればいいだろ」

 

 

そうだ、今日はまだ一日目。

また別のプランを練ればいい、それもダメだったらまた別の案を考えればいい。

 

 

......ふと、ラナの方に視線をやる。

オレンジ色の夕陽に照らされて、艶やかな肌が一層綺麗に輝いていた。

 

…やっぱり、まだ慣れない。

 

養子である事から独立して一人で生きてから早三年、過ごす環境が大きく変わったとして、三年もすれば身の回りのものに対する考え方は大きく変わっていく。

 

親父すら失った俺を、義理であっても家族として迎え入れてくれた人達が居ない寂しさも徐々に薄れ、孤独である事に慣れていく。

 

だから自分の隣に、傍に、誰かが居るという感覚がムズ痒い。

決して不快感という訳では無いが、純粋に落ち着かなくて...と言うか昨日出会って今日早速行動に移せてる時点で俺自身もどうかとは思うが。

 

 

ふと、茜色の瞳がこちらを捉えた。

 

 

「...どうしたの?私の顔なんかジロジロ見て」

 

「な...なんでもない」

 

「ほんとーにぃ?」

 

 

目を細めてニマニマと彼女は笑いながら俺を見てくる。

 

疑るような、揶揄うような...そして楽しんでいるかのような、その表情。

 

 

…ドキッと来た。

 

 

顔が首元からカァァッと熱くなっていくのが分かる。

不味い、今俺の顔見られるのは不味い。

 

 

急いでそっぽを向く。

 

 

「だっ、だからその目やめろ!なんか、なんか後ろめたくなるから...!」

 

「あら?別に恥ずかしがる理由なんて無いでしょ?」

 

「は、ははは...恥ずかしがってなんかッ!?」

 

自分でも信じられないくらい心音が煩くなる。

焦って舌が回らない、声がどもる。

なんで、なんで急にテンパってるんだ俺...!?

 

 

兎に角落ち着くんだ、落ち着いて呼吸を整える所から始めろ、言い訳なら後から考えて――

 

 

「...ほら、顔真っ赤じゃない」

 

「ほ、あ...ぁ」

 

 

突然視界に割り込んでくるラナ。

無邪気さの中にほんのりと妖艶さを感じさせる笑みが向けられて、今度こそ逃げ場が無くなった。

恥ずかしさが許容範囲を突き抜けて途方もない脱力感を憶え、ガクリと肩を落とす。

 

「わざとかな、わざとやってんのかな...」

 

「何言ってるのよ、全部マサヤが勝手に恥じらった結果の産物じゃない。あと昼の時のお返しも兼ねてるけどね」

 

「...グウの音も出ません、ハイ」

 

 

 

あぁ、でも...

このなんとも言えない距離感は。

 

 

 

「......悪く、無いのかも」

 

 

家族ではなく同居人。

出会いも、関係を築くことになった発端も(いびつ)そのものだからこそ感じる感覚。

 

互いに軽口を叩き合いながらも尊重し合い、共に思い悩みもする。

 

好きとか、嫌いとか、そういう簡単な言葉では片付けられそうにない感情...

 

 

 

 

 

バスの中で、ラナの言っていた『傍に居る』という言葉の真意を問う必要は、多分もう無くなっていた。

 



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第三葉:泡沫の平穏

あれから三日程経つ。

スライム狩りの魔の手はかなり深い所まで伸びており、朝早くに遠出しては日が沈んだ頃に帰る日が続いていたにも関わらず、疲れはそれほど溜まっていない。

多分日の終わりに回収した“魔核”を摂取しているからだとラナは言う。

摂取すればするほど増強する身体能力に伴ってスタミナも当然上がっていくそうだ。

 

 

そんな、夏休みも終わりを明後日に控えた日の朝食風景。

カレンダーにペンでノルマ達成の印を書き残しているラナを脇目にしながら、俺はスマホでニュースをチェックしてトーストを齧る。

 

 

「ひぃ、ふぅ、みぃ...初日30、二日間は15個ずつで合計60って所ね」

 

「割と結構食ってきたんだな、もうそろそろ“飽和”するんじゃないか?」

 

「まだまだよ、貴方の適正から逆算するとスライムから得られる魔核じゃ軽く見積って150くらい必要なんだから」

 

「はは...笑えねぇ」

 

 

そろそろ血の味で味覚が死にそうなので何とかして欲しいが。

今飲んでるコーヒーの苦味すら甘く感じてしまうレベルで魔核の味はキツいの一言。

特に初日なんか最悪だった、数回に分けたとはいえ30個も取り込んだ魔核のせいで身体のあちこちが訳の分からん痛みに晒されて悶えたのも記憶に新しい。

 

ラナ曰く、『血液中に溶けた魔力に対して肉体が拡張される形で強化される際の痛み、所謂成長痛のようなもの』らしい。こんなにも気持ち悪い成長痛が未だ嘗てあっただろうか?

 

まぁ、回を重ねるに伴って慣れつつあるのもまた事実。

 

 

「出来ればもう少し上位のモンスター...ゴブリンやコボルト辺りが来てくれれば強化が楽にはなるけれど、殆どの人が満足に戦う術を持たないこの世界では人的被害もかなりのものになってしまうから...そっちはどう?スライム以外のモンスターの発見例とか無さそう?」

 

「ん、基本的にスライムの亜種くらいしか出て来てないっぽいな」

 

「となれば...もう少し安定した日が続きそうね」

 

 

安定した日、か。

 

果たしてあと何日それが続くのか、或いは何ヶ月持ち堪えるのかは相変わらず不鮮明なままだ。

何れにせよ現状維持に越したことはないが、その天秤を傾かせるのはあくまでも“あちら側”の世界次第であり、俺達はその前兆すら知る由もない。

だからこそ、いつそれが訪れても良いように備える必要がある訳だ。

 

 

「ま、今は出来ることやってくしか無いか」

 

「そういう事。ご飯食べ終わったら行くわよ」

 

「あー...」

 

 

気怠く返事を返そうとして、不意にスマホの通知音が鳴り響いてメッセージの受信が入る。

 

 

「...ぃ?」

 

 

差出人は......あ、()()()

あれ?今日何日だっけ?

 

うん、8月の......うん?

 

 

「やっべ」

 

「何が?」

 

「ラナ、今日の分明日に回せないか?」

 

「えっ、なんで急に」

 

「...今日、姉さんの誕生日だったんだよ!」

 

なんてこった、完全に忘れてたし!

これは、()()()()は魔核集めなんかよりずっと優先度が高い事だ!!

 

残ったトーストをコーヒーで流し込んでから机を離れ、姉さんのメッセージに対する返信を打ち込みながら玄関先へ

 

■■■■(捕らえろ)

 

 

 

……?

 

 

あれ、足動かない。

視線を落とせば緑の蔦が絡まって、それを目で辿ればカレンダーの前から一歩も動かずにいるラナから翳(かざ)される腕に巻きついていた。

溜息混じりでも、絶対に逃がさないという意志を感じる。

 

「ダメよマサヤ、約束破る気?」

 

「そんな気あるかよ!コイツはラナと出会った事から色々ありすぎて完全に抜け落ちてた俺の落ち度だ...それありきで予定組まなかったのは謝るから、明日30個集めるから容赦してくれ!!」

 

 

確かにラナの言い分もよく分かる。キトンとやらなければ命を落としかねないし、俺のやろうとしている事は二人で決めたことをすっぽかそうとしているのと同義だ。しかしそれでも、それでも今日だけは見逃してほしかった。

 

 

「一度先延ばしにするとズルズルサボり続けちゃうものなの、是が非でもやってもらうわ」

 

「ダイレクトに痛い所突いてくんなぁ!!?」

 

 

身に覚えがありすぎるラナの言葉に思わずグサッときた...が、これだけは譲ろうにも譲れない。

俺がどういう暮らしをしてきたか説明をしっかりする暇が無かったから事情が分からないとはいえ、このままでは姉さんの所に行けなくなっちまう......あぁもう、こうなったらアレしかない。

 

 

「背に腹は替えられないか...『スライム狩り』の狩場にカチ込むしかない!いいな!?」

 

「私はいいけど、そこまでする程の用事なの?」

 

「あぁ、そこまでしなきゃならない用事だ」

 

「...そう、ならさっさと行って終わらせちゃいましょ」

 

「よぉし、そうと決まれば...あ、先に返信しとこう」

 

 

スマホのショートメッセージアプリを開いて返信の文章を送る。

少しすればすぐ応答が来た。

 

 

今日の誕生日パーティ、正也くんも来てくれる(´꒳`*)?

 

既読:1勿論行きます 

既読:1でも用事終わらせてから行くから、ちょっと遅れそうかと

既読:1あ、あと一人ツレ居るけど大丈夫?

 

全然おっけー 待ってるよヾ(*´罒`*)

 

 

 

 

 

「...ほんと、姉さんは優しいや」

 

思わず顔が綻んだ。ショートメッセージアプリの文章越しでも伝わってくるこのユルい雰囲気は何年経っても姉さんの変わらない持ち味だから。

 

蔦が解かれてから程なくして、俺達は家を出た。

この辺りで最もスライム発見の報告が多い場所、そして『スライム狩り』にとって絶好のスポットでもあるエリアへと向かう。

 

ラナの言った通り、さっさと終わらせてしまおう。

 

 

 

 

✕△✕

 

 

「ギリギリ、7時前...だな」

 

息を切らしながら一軒家の前にたどり着いた俺は、腕時計を確認して呼吸を整える。

 

 

「はぁ...それで、私は『数日前にマサヤの住んでるアパートの隣の部屋に引っ越してきた帰国子女な高校一年の後輩』...って設定で行くのね?」

 

後ろから着いて来たラナの声がする。

振り向けばそこに居る彼女は例によって街中を歩く時の“擬態”した姿で、でもちょっとだけ不服な表情で。

 

 

「ん?あぁ、バカ正直に真実全部話したって信じてくれないだろうしそれが一番最適解に近いだろ」

 

「どうだか...と言うか私来る必要あった?」

 

「大アリのアリ、姉さんの飯はうンまァ〜いんだぞ?食ってかなきゃ損だ」

 

 

晩夏の斜陽にジリジリと照らされながら、まだ微かに震える指でインターホンを押す。

 

軽い呼出音がして、少し待つとスピーカーが繋がった。

 

«はーい»

 

「あぁ、姉さん?来たよ」

 

«あっ、正也くん!ちょっと待っててねー»

 

 

インターホンからの声が途切れ、トテトテと家の中から足音が近づいて来る。

 

 

「今のが、マサヤの言ってた『姉さん』?」

 

「あぁ、血は繋がってないけど...おっ、来た」

 

 

会話も程々に、ガチャリと開いた扉からひょっこりとあの人が現れる。

 

 

「正也くん、いらっしゃ〜い♪」

 

 

ふわふわとした笑顔。

ふわふわとした長い髪。

一年どころか何年経っても変わらない、ユルい雰囲気。

 

なのに...なのに、どうして今年はこんなにも懐かしく感じてしまうんだろうか。

沢山の出来事があって、俺の中の常識が崩れ去って、それでも尚姉さんを祝う日が来るのは変わらない。

 

ほんの数秒、その雰囲気を懐かしんで我に返る。

 

 

「ぁ...姉さん、誕生日おめでとう」

 

「えへへ、ありがとー...あれ?その子は?」

 

 

姉さん、早速ラナの存在に気付く。いや俺の真後ろに居るから普通か。

 

「あぁ、メッセージでツレ一人居るって言ってたじゃん?彼女がそうなんだ」

 

「ラナ...です、よろしく」

 

 

おいこら素っ気なく対応するな、なんか機嫌良く無いね?なんで?

 

 

「あ〜!君が正也くんの言ってたツレなんだね!え?同棲中?」

 

「なぁッ!?...なんでそうなるんだよ!ちょっと前に隣の部屋に引っ越してきたんだ、高校の後輩で宿題教えてたりしてるんだよ。ちな帰国子女」

 

「そ...そうよ、そういう関係」

 

 

おい姉さん一発で『本当は一緒に暮らしてる』って見抜いたぞ!?いや昔から隠し事とかよく見抜くタイプの人間だったけどさぁ!その洞察力今は抑えて、お願いだから!!

 

 

「ありゃ、そう?なんとなーくそんな気がしたんだけど...まぁいっか、それで...ラナちゃんだっけ、名前?」

 

「...えぇ」

 

「ラナちゃん、ラナちゃんかぁ...うんうん、覚えたよ〜...私はね、風原(カザハラ)水葵(ミズキ)って言うんだ」

 

 

そう、風原水葵姉さん。

 

親父を失って天涯孤独になった俺を引き取ってくれた、幼馴染にして居候先だった風原家の一人娘。

居候とは言っても、まだ幼かった俺をこの家族は暖かく迎えてくれた。

それこそ、本当の家族であるかのように。

 

つまり、年上の友達から義理の姉同然の存在へランクアップした関係という訳になる。

 

 

「さてさて、立ち話もアレだし入ってよ!御馳走も用意してあるし、時間的にもお腹空いてる頃合いでしょ?」

 

「だな...腹ペコだ」

 

なんてったって、今日一日激しく動きまくりだったからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぅうんまっ!!去年よりまた腕上げてないか姉さん!?」

 

「ちっちゃい頃からコックさんになるのが夢だったもん、これくらい出来てトーゼントーゼンってね」

 

「悔しいけど、私が作るより何倍も美味しいわこれ...」

 

「うおっ、ラナのお墨付きとか凄ェ」

 

 

もぐもぐ。がつがつ。

テーブルの上に並べられた数々の料理に片っ端から手を付けてはその味に感嘆する俺とラナ。

やはり姉さんの手料理は宇宙一ィィ!!え?言い過ぎかって?食えば分かるよ食えば。

 

まぁ冗談はさておき、姉さんの料理が上手いのにも訳がある。

と言っても、幼い頃から夢だった料理人になる為に沢山勉強して調理師免許を取得し、色んな経験も積んできた努力の賜物というシンプルで堅実な理由だ。

...それを差し引いてもこの頬っぺた落ちるくらいの美味さは天性の才能と言うしかないだろうが。

 

と、料理にありつく俺に彼女の父親と母親...つまり俺の義理の両親も同然の二人が、新しく料理を皿に取ろうとする都度に色々とアドバイスを送ってくれる。

 

 

「ほら正也、こっちのローストビーフも美味いぞぉ!」

 

「あなた、肉ばっかりじゃ偏ってしまうわよ?正也くんも育ち盛りなんだからキチンとバランス良く食べるのが大事なの...つまるところはサラダ!このサラダも美味しいから食べなさいって」

 

「ありがとう、義父(とう)さんも義母(かあ)さんも...いやぁ、よく運動して来た甲斐があった」

 

「運動?何かスポーツでもやってるのかい?」

 

「え...あっ、いや、特にはやってないんですけど、トレーニングって感じで...受験勉強でカンヅメ生活ばっかりしてたから筋肉鈍っちゃって、適度にほぐそうかなー、なんて」

 

「あ〜...そうか、正也も今年は受験期だったなぁ」

 

「そ、そうなんですよ〜アハハ...」

 

 

危うく口を滑らしそうになって、曖昧ながらも誤魔化す事に成功する。

流石に『スライム潰し(修行)やってます』なんて言った日には誕生日祝いどころじゃ無くなりかねないからな...世間の若人の間でトレンドになってるとはいえ、あんな過激な事はスポーツですらないと思う。

 

 

 

…そんな俺を見ていた姉さんの表情が一瞬だけ複雑そうなものに見えたのは、きっと気の所為だ。

だって、俺が視線を向けた時には何時ものようなゆるゆるでふわっとした雰囲気でラナの手元を、不慣れながらも頑張って箸で食べようと悪戦苦闘している手元を見ていたから。

 

 

「あれ...ラナちゃん、もしかしてお箸持つの苦手?」

 

「ナイフとフォークとスプーン位しか使った事ないの、箸なんて数日前初めて握ったっきりよ」

 

「あー、帰国子女で日本食とか疎い感じ...そうだ!ちょっといいモノあったと思うからラナちゃんも来てみて!」

 

「え、でも私...」

 

「いいからいいから〜後悔なんてさせないんだから〜♪」

 

 

姉さんが何かを思い立ったかと思えば、ラナを連れてリビングから廊下に出てしまった。

あっという間の出来事。ラナには抵抗する隙すら与えられなかったようにすら見えた。

 

 

「...何考えてんでしょうね?」

 

「うーむ、水葵はよく独りでにいい事を思い付いては勝手に完結してるからなぁ」

 

「まぁまぁ、いいじゃないですか」

 

 

...ご両親もこんなマイペースだし...いいか、大丈夫だろ。

 

 

 

 

////////////////////

 

 

 

リビングルームに続く扉を水葵が閉める。

電気の点っていない薄暗い廊下に、彼女とラナだけの二人だけが向かい合う形で居た。

 

 

「それで、『いいモノ』って何?何処にあるの?」

 

「...その前に、聞きたい事があるんだ」

 

 

先程のような緩やかで優しい声色、だがその声色に探るような、確かめるような寒色が混じっていくのにラナは思わず眉を顰めた。

何か言おうとする前に、水葵の方が先に口を開く。

 

 

「...正也くんは、何を抱えてるの?何を果たそうとしているの?」

 

「それを知って、どうする気?」

 

「答えて、お願い。これ以上...これ以上正也くんは辛い目を逢うべきじゃないの、彼は十分苦しんだ筈だから...これ以上、彼から何かを奪わないで」

 

 

質問に質問を返すなと、そしてこれ以上『巻き込むな』と懇願するかのように水葵はラナに深く問い詰める。

その瞳に映る深い悲しみの感情を何となくではあるが感じ取ったラナは、暫し目を閉じ...開く。

 

 

「全部は言えないわ、彼と親しい関係だとはいえ、私が貴方の事を信用出来た訳じゃない」

 

「それでもいいよ、聞かせて」

 

「...この世界に、今まで存在しなかった生命体が現れたのは知ってる?」

 

「うん、ニュースとか新聞でもよく見るようになった...『スライム』、だっけ?倒すと出てくるもの食べたら強くなれるとかどうとか」

 

「なら、話は早いわ」

 

 

どうやら水葵にも最低限の知識が情報として入ってきているらしいと理解したラナは本題に移る。

ただし、全てを語る訳では無い。

 

 

「もうすぐ...この世界はもっと悲惨な事になる。スライムなんかよりずっと酷いモノが来るわ」

 

「...だから?」

 

「彼は生き残ろうとしている、生き抜こうとしている、これから世界に襲い来る理不尽に対して。だから私は手を貸すの」

 

「分かんない...急にそんな事言われても実感全然湧かないよ......でも」

 

 

水葵はラナの目を見据える。

そこに事実を偽ろうとする意志が無いことを確かめる為に。

 

 

「...ウソじゃ、無いんだね」

 

「私自身も生き残れるかどうかの瀬戸際なの、嘘つく必要あると思う?」

 

「無いよね...でも、それを踏まえた上でお願いがあるんだ」

 

 

(おもむろ)に水葵がラナの手を取って優しく握る。

視線は真っ直ぐラナを見つめたまま。

 

 

「約束して、ラナちゃん。彼を...正也くんを不幸にさせないって、(いたずら)に悲しませたりしないって」

 

「ミズキ...どうして、貴方はそうまでしてマサヤの身を案じられるの?この世界が厄災に見舞われたら、貴方だって無事では済まないのよ?」

 

 

ラナには分からなかった。

血も繋がっていない義理の姉であるだけの関係なのに、何故彼の事をそこまで気に掛けるのかを。

 

だが、彼女にとって理由はそれだけで十分。

 

 

「私はね、正也くんが幸せであってくれさえすれば...それでいいの。ラナちゃんも彼を支えてあげて」

 

「ミズキ、貴方は」

 

「それが私の...『正也のお姉ちゃんである風原水葵』の願いだから、ラナちゃんも約束して欲しい。今の彼に最も近い場所にいる貴方にしか出来ない約束を」

 

 

ラナは紡ぐべき言葉を失う。

狂愛?自己犠牲?陶酔?

否、どれもこれも見当違い。最も近い表現は『傲慢』だろうがそれでも安い言葉。一言二言で片付けられる感情ではない純粋な想いが水葵の言葉から溢れてくる。

例え血は繋がらなくとも、養子として迎え入れたその日から過ごしてきた時間や出来事は不変の事実。

 

それら全てを含めた、水葵の『姉としての願い』を以てラナは漸く理解した。

 

風原水葵という人間は、平野正也という少年の幸せを心から願っているのだと。

彼が失ってきたもの、それは養子となった経緯から察するに家族であり、どう足掻いても完全に埋まる事の叶わない孔(あな)を正也に穿った。

埋め合わせることが出来ずとも、自分達養親の身では失ったものと同じもので満たし切れないと知っていても、少しでもその孔を小さくしたいと願ったのだ、水葵は。

 

それを、ラナにも託そうとしている...ラナだからこそ託してもいいと言っている。

自分なんてどうなってもいい、とは(うそぶ)かない。

ただ()()()にするだけだと。

 

 

「貴方は...それでいいのね」

 

「うん、私はこれでいい」

 

「そう...分かったわ、約束する」

 

「...ありがと、ラナちゃん」

 

 

水葵は笑う。

心を赦した相手に対する、柔らかな笑み。

 

ラナも笑う。

何処か観念するような、だが何処か頼もしさを感じる微笑み。

 

交わされる視線は腹の中を探り合うものではなく、互いに既に認め合う絆めいたものが生まれつつあった。

 

 

「じゃあラナちゃんに渡すべきアレ取りに行かないとね」

 

「あら、私をここに連れ出す為の詭弁じゃなかったの?」

 

「連れ出す建前なのが4割、本当に渡そうと思ったのが残りの6割って感じかな」

 

「さっきのやり取り、4割分だったのね...」

 

 

 

 

////////////////////

 

 

 

 

「いやー、たらふく食ったなぁ」

 

「ね、同感よ」

 

 

楽しい時間が過ぎるのはあっという間だった。

出された料理はほぼ全て食べ切り、デザートであると同時に本命のケーキまで頂いた頃には夜も8時になろうとしていたが、体感時間では十数分にも満たない感じがする。でも時間が短く感じるのは、それだけ楽しい一時であったという証拠に他ならない。

 

そして今、食事を終えた俺達は玄関先で見送られている最中だ。

 

 

「ケーキも美味しかったわ、私も見習いたいくらいには」

 

「えへへ〜、お褒めに預かり光栄光栄〜」

 

「これなら大学出たら料理人になるって夢も叶えられそうだなぁ...父ちゃん嬉しくて涙出てくらァ」

 

「はいはい、泣くのは正也くん達見送ってからにしなさいな...ラナちゃんも、お誕生日パーティに付き合ってくれてありがとうねぇ」

 

 

照れる姉さん、我が娘の天晴れな姿が涙腺にキたのか眉間を押さえる義父さんとそれにツッコミを入れる義母さん。

一年振りとはいえ、とても懐かしい感触だった。

願わくば、もう一度あの家族団欒の輪に入りたかったが...もう、俺は自分の足で立って歩いて行ける。

 

だから。

 

 

「姉さん、料理人になる夢叶えたら...また飯食いに寄っていいか?」

 

「...うん、いいよ。まずはレストランで経験を積んで、何時か自分の店を開けたらなって思ってるから」

 

「そっか...楽しみに()()()()、絶対叶えてくれるってさ」

 

 

少し辛かった。

世界はきっと待ってはくれない。

夢のある話をするのが、夢を語られることが。

多分それは今だからこそ言えることで、この後も同じような事が言えるとは限らない。

でも俺は、だからこそ俺は()()()()()姉さんの夢が叶うのを心から楽しみにしている。

“あちら側”の世界の干渉も無い、スライムやラナも居ない今まで通りの日々が地続きであったとしたら、きっと俺はそうするだろうから。

 

…例えそれが、余りにも呆気なく弾けて消える泡沫の平穏だったとしても。

 

 

「ラナちゃん、そのお箸の使い心地は私が保証するからちょっとずつ慣れていくといいよ!」

 

「えぇ...有難く頂戴するわ」

 

 

そんな俺の葛藤を余所に、ラナと姉さんが妙に仲が良くなってるのは...気のせいではないな、確実に。

ラナの手には随分昔に外国人観光客の間で話題になった初心者向けの箸が手渡されており、一度開封したパッケージにもう一度入れてあったようでセロハンテープの剥がされた跡がある。

 

 

「それじゃ、またね」

 

「もう暗いから帰り道には気をつけるんだぞー」

 

「分かってますって、受験終わって落ち着いたらまた来ますよ」

 

「事前に連絡くれたら、美味しい料理作ってスタンバっとくよ〜!」

 

 

それぞれ別れの言葉を交わし、手を振って見送ってくれる姉さん達を背に俺達は家路についた。

 

願わくば、これから訪れるであろう数々の悲劇に、この小さな家庭が巻き込まれない事を祈って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁラナ、姉さんと何か話でもしたのか?」

 

「ちょっとね」

 

「その『ちょっと』が知りたいんだけど...」

 

「そうねぇ...言うなれば、乙女と乙女の間で交わされた桃源の誓い的なアレかしら」

 

「全ッ然分からん」

 



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第四葉:外れた(たが)

やや遅れましたがお気に入り、評価等ありがとうございます。
嬉しさの余り海岸に打ち上げられたフグみたいになりました。

まだまだ学が足らず稚拙な部分も多くありますが、見て下さった人達のためにも精進していきたい所存です。


長いようで短いような、でも明らかに今年は最後辺りが短く感じた夏休みが終わる。

ラナと出会う前に夏期休暇課題を全部終わらせておいて正解だったが、もし夏の初めの方に来られてたら別のモンスターに殺されているところだった...単位と言う名の学生特攻持ちモンスターに。

 

 

「で、今日は学校に行くのよね」

 

「あぁ、魔核集めは一旦お休みだな」

 

「そうね...元よりそれを見越してハードなカリキュラムを立てたんでしょう?」

 

「まぁな」

 

 

――――――世界が形を保っている内は、出来る限り今まで通りの暮らしがしたい。

 

ラナと今後について話し合った際、最初に俺が持ちかけた我儘であり、魔核集めを急ぐ理由となった元凶である。

詰まるところ、学生としての本分を果たす為に無理のない範囲で無理をするという訳の分からない事態に陥っていたという訳だ。

上手くいくかどうか怪しかったが、夏休み明け初日から登校をボイコットしてまで魔核集めを行わずに済んだ今の状況が全て。

要は万事問題なし!

 

 

「それにしても、その服着て行かなきゃダメなの?」

 

「仕方ないだろ、そういう決まりなんだ」

 

「...微妙」

 

「おいこら」

 

 

ラナ的には学生服のデザインがお気に召さない様子。

まぁ俺としても妙にインテリ気取った感じなのは否めないけど...しかもあんまり高校の治安宜しくないし。

 

因みに、ラナの服は特に洗濯とか必要ないらしい。なんでもアルラウネは体外に分泌する老廃物等が水(それも結構純度の高いもの)くらいしかないのと、強力な自浄作用で外部から付着した汚れ等も洗浄出来てしまうそうだ。

当たり前だが修繕とかは出来ないので、やっぱり新しい服は追々必要になってくるんだと。

 

 

「...っと、もうこんな時間か」

 

「遅れたら不味いのよね?お喋りは帰ってからのお楽しみって事で...お弁当と水筒は持った?」

 

「バッチリOK、じゃあ行ってくるから留守番は任せた」

 

「お茶でも嗜みながら待ってるわ...気を付けて」

 

 

 

“気を付けて”

 

何気ない一言が、何故か心の片隅で引っ掛かる感覚を覚えながらも俺は家を出る。

夏期講習で通っていたのも考慮すればたかが数日空けただけ、なのに数年越しに登校しに行く気分だった。

 

 

 

□□□

 

 

話しかけてくる相手の居ない教室

決して当てられる事の無い授業

近くに誰も居ない座席で、ラナの作ってくれた弁当の包みを開く昼休み

 

懐かしい疎外感。

 

そうだ、夏を迎えるまで俺はずっとそんな暮らしを続けてきたんだ。

周りの人々から俺は『産まれた時に母親を、事故で父親を失った哀れな少年』という認識がこびり付いている。実際それらは事実であり、決して拭えない過去なのだが...周りの人間の殆どが極度に俺と関わるの忌避する元凶でもある。

交流、質疑応答、情報の共有、それら全てが最低限。決して深く踏み込むことは無い。

 

小学校時代に父親を失ってから暫く休学し、身の回りが周りが落ち着いて復帰して以来から長年続くそんな日々にもやはり慣れてしまう。

それが俺の当たり前、それが俺にとっての常識なのだと自分自身を戒め続けて...

 

 

親の自慢話を小耳に挟んで『どうして俺は』と虚しさを募らせる事もあった。

親が居ない事を赤の他人に可哀想だと思われ続けて『何も分からないくせに』と憎しみを膨らませたこともあった。

 

でも、姉さん達の居てくれたお陰で致命的な事にはならずに済んだ。

授業参観にはお義父さんかお義母さんの何れかが決まって来てくれた。

溜まりに溜まった辛い事や悲しい事で溢れそうになった心中を吐き出せる人がいる、それだけで救いになってくれた。

 

 

 

そして小学生を乗り越え、中学生を乗り越え...俺は一人で生きていく準備をし始めた。

社会に出たら誰にも頼らず一人で歩いていかなければならないと思って、この身を完全に孤独な場に置く。

 

それで高校生活を乗り切れたのだから、こんな俺でも心身共に成長できたと実感する。

 

このまま終わると思った矢先に、彼女(ラナ)が現れて何もかもが変わってしまった。

非日常が日常と混ざり合って、俺の見えるものが、感じるもの全てが新鮮味を帯びていった。

もうどんな空想や幻想が訪れても不思議ではない世界の中で、彼女の作ってくれた弁当の蓋に指をかける。

 

 

「...美味そう」

 

 

蓋を開けると色とりどりのおかずが敷き詰められ、まるで炊きたてと見違えそうな色艶のふっくらとした白ご飯の中心に鮮やかな梅干しが載せられている。

思わず、口から感嘆の言葉が漏れた。

 

 

――――――マクノウチ、っていう弁当のパターンを参考にして作ってみたの。味は保証するわ。

 

 

身支度の最中にラナが弁当を用意してくれた時に言った言葉が頭の中で反芻する。

まるで箱入り娘のような可憐な同居人が作ってくれた、初めての弁当。

そして俺にとっては、姉さんが作ってくれたもの以来の丹精込められた弁当になる。実に、2年と数ヶ月振り。

 

 

ラナと出会って僅かしか経っていないのに、目まぐるしく移り変わる世界の姿にも似た数々のおかずの一つ...煮豆を箸で摘み、口にしてみる。

 

甘い。

美味い。

柔らかい。

 

 

「なんだよ...口に合うどころか最高だ...」

 

別にラナの作ってくれた料理を食するのは初めてじゃない。

元々コンビニ弁当で済ませるつもりだった俺の舌先へ、先日頂いた姉さんの料理にも似た豊潤な味わいが広がっていくに連れて疎外感が暖かい感覚に置き換わる。

 

ダメだなぁ、俺

こんなんじゃ何時まで経っても独り立ち出来ないじゃないか...

ダメだと分かっているのに、甘えてはいけない筈なのに、その全てを払い除けてしまうほど美味くて、美味くて...

 

 

 

熱くなる目頭を抑え込むように、ラナの手作り弁当を深く味わって食べていく。漏れそうになる嗚咽を水筒から流し込むお茶で誤魔化す。

 

帰りに抹茶羊羹買って帰ろう。それで全部は伝えきれなくても、とても美味しかったっていう感謝はできる筈だから。

 

 

■■■

 

 

「そういえば、コレ見たか?」

 

「ん?...あー、それなー......うん、いや!知らないなー!」

 

「知らないのかっ!?ッたく、貴様は世情に疎いにも程が――」

 

 

他愛も無い話があちこちから聞こえてくる帰り道。

 

夏休み明け最初の登校日であったからか、特に宿題も何も無いままその日の授業は全て終わった。

そこだけ切り取れば何の変哲もない日常。少なくとも高校生の大半はそういう一日を過ごしている筈だ。

 

…一方俺はそうもいかない、すっかり同居人の好物になってしまった抹茶羊羹を買う為にコンビニへ寄り道した後だ。因みに6本買ったので大分財布が軽い...そしてこれが一瞬で消え去るのだと思うと少しだけ虚しい。

まぁ、ラナへの感謝の気持ちはこんな形でしか表現出来ないから、少しでも喜んで貰えると信じよう。

 

 

 

「――の土曜日にツイッターに現れた超新星!エルフのような長耳の美少女!純白のまつ毛に縁取られたミステリアスな―――」

 

 

ふと、気になる単語が聞こえてきた。

…エルフ、か。

もし、ラナ以外にも色々“あちら側”から送り込まれていたとすれば、そういった人間に近い存在も紛れ込んでいるのだろうか?いや、そもそもラナは()()()()()を片っ端からこの世界に放り込んでいると言っていたハズ。

もし、それにヒトが該当したとしたら?

 

分からない事を考えても仕方ないが、エルフの超新星がどうたらこうたらという話も気になるので試しにスマホを取り出してツイッターを開けてみる。

 

…受験勉強で存在すら忘れてたから最後に見た時と比べてUIとか全然違う、前の方が使い勝手良かったな、コレ。

 

 

とりあえず検索欄を見

―――るより先にトレンド入りしてた。

 

 

#新人ネットアイドル

#エルフ系ネットアイドル

#エル★フィーネ

#エル★フィーネちゃん

 

しかも複数同時に同一人物を指しているとしか思えないハッシュタグがランキングに陳列してる。

もしかして一世風靡しちゃってるのか?

最近調べ物とかニュース以外でネット使ってないから全然分からん...イマドキの流行りが全く掴めてない。

まぁ例によって新しいVtuberとかだろ、多分。

 

 

とりあえず適当に『#エル★フィーネ』をタップ。多分これが名前だろうし。

短い読み込みが挟まってから結果が表示され――――――

 

 

 

『やぁみんな〜、エル★フィーネちゃんだよ〜♪』

 

「...いや実写かよ?!」

 

 

 

ナマ(三次元)でした。

検索トップに合成とか加工も一切ない、どっかの年季の入った民家で撮ってるとしか思えない自撮り動画が流れ出す。

いやいやいやそれよりも!それよりもだ!!

 

これ()どう見たってモノホンだろ!?ラナと一緒に過ごしてきた俺の目は誤魔化されねぇぞ!!

 

 

「……ふぅ」

 

 

スマホの画面から目を離して瞼を閉じ、一旦落ち着こう。

まず、この事は帰ってラナに報告する必要がある。“こちら側”に知性を持った人間...人間?エルフだから人間でいいよね...まぁそのアイドルやってるエルフがこの世界に存在してしまった訳だ。

果たしてこれはどういう事なのかを知る必要がある。

その上でこれから俺達は改めて考えるべきなのかもしれない。何を考えてどう行動するかを。

 

そうと決まれば、さっさと家に帰って...

 

 

 

 

「......あれ?お...おい、なんか...空が変ではないか?」

 

 

 

エルフィーネの事について話していたのと同一の声質からして、恐らくは先程と同じ男がそう言う。

 

それを皮切りに周囲の雰囲気が変わった。

織り成す雑踏の中で生まれる物音、話し声、靴音、それらが全て不安を訴えるものや焦燥を掻き立てていくものへと広がっていくのが俺でも分かってしまう。

 

 

見たくない、絶対に後悔する何かが起こると脳が拒む。

見なければならない、後悔してでもその先の行動を誤っては命に関わると本能が警笛を鳴らす。

 

 

天を仰ぎ見て、目を開く。

 

 

 

…そこに青空はなかった。

空と地上の間を遮るように被せられたような、目に映り込む景色を切り裂く黒いヴェールのようなものが、オーロラさながらに揺らめいている光景として視界に飛び込む。

 

 

「...なんだ、あれ」

 

 

誰かが呆気に取られて呟く言葉と、俺の心中を埋め尽くす疑問の内容が重なる。

きっと、この場の誰もが同じ考えだろう。

 

だからこそ、『次』が怖い。事は既に起こった。

 

 

「きゃあぁぁぁぁぁぁ―――ッ!!」

 

 

すぐ右から聞こえる女性の絶叫、その声の方角に目を向ける。

 

...緑色の、小人達。

頭髪の類もなく、醜悪な顔付きに埋め込まれたギョロリと蠢く眼が周囲を見渡してから此方を捉えた。

 

 

小人達が、一斉に嗤う。

 

 

「×××!」

「な、なによ!!なんだってん、の――」

 

 

先程叫んでいた女性が更に何か言いかかろうとした瞬間、先頭に居た一体の小人がその体格に見合わぬ速度で肉薄したのが見え―――

 

 

「××××!!」

 

「よ゛、ぉ゛」

 

 

 

女性の首から上が、潰れてなくなった。

 

 

 

 

「...は?」

 

 

頭部が消え去るのと同時に、俺の頬を生暖かい何かが筋を描いて付着する。

 

指でそこをなぞり取って、見る。

…赤い液体と、ぶよぶよした何かの切れ端。

 

 

―――人の、肉?

 

ドシャリと、握力が抜けた俺の手からレジ袋が滑り落ちた。

 

 

「×××!!×?××××××!!!」

 

「ぅ、ぅあああぁぁぁあぁぁぁあ!!!」

 

「助けてくれぇぇぇぇっ!!!助けぇ゛ふ゛」

 

「嫌ッ...いや、イヤイヤイヤイヤ゚ァ゛」

 

「逃げるぞッ!!」

 

「ぁ?...っえ、しかし助けなければ...」

 

「もう、助からねぇ...!!」

 

 

 

それが呼び水となって、後ろに居た小人が怒涛の如く押し寄せては人々を襲う。

 

襲って、その手にある棍で叩き潰して、飛び出した内臓に群がって喰らう。

 

代わり映えの無い帰宅風景は、この瞬間を以て死んだ人間か逃げる人間の二択しか残されない阿鼻叫喚の無差別屠殺場と化した。

 

 

 

俺も逃げなければならないのに足が動かない。思考と体の繋がりが断たれてしまったように。

四肢を駆動させる脳の機能が止まってしまった代わりに、真っ白だった思考自体は急速に取り戻されていく。

 

 

...ここは、地獄なのか?

俺はとっくに死んで、獄中の餓鬼が肉を貪る光景を見せつけられているのか...?

 

或いは、この世界が地獄に変わろうと―――

 

 

 

 

 

「...××?」

 

 

 

目の前で女性の...今はもう骨肉が剥き出しになって人間としての形を失った肉塊に顔を突っ込んで咀嚼していた緑の小人が、ゆっくりと血塗れの顔を上げて此方を見ていた。

 

 

 

その口元が歪む。

 

まるでそれは、新たな糧を見つけた悦びにも見えて...

 

 

 

「××――――ッ!!」

 

 

次に俺の視界が収めていたのは、高く跳躍した小人が雄叫びを上げながら棍を脳天目掛けて振り下ろそうとする光景。

 

 

 

動け、早く動け。

 

でないと、俺も――――――

 




惨劇の幕は切って落とされた


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第五葉:『ごめんね』

なんということだ...(マクギリス・バエル様がTwitterで本作品をおすすめしていることに対する驚愕と感謝)


「動けぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」

 

 

一か八か、声帯からありったけの叫び声を絞り出す。

僅かに神経が再び機能したのか、固まっていた体に自由が戻るのを感じた。

 

 

「ァああぁぁぁぁあ!!!」

 

「×××...!?!」

 

 

棍が頭部に触れる瞬間に、今出せる全力を込めた拳による殴打を小人にブチかました。

確かな感触と共に吹き飛んだ緑色が脇の路面に叩きつけられる。

 

...退けられた?俺が?

相手は丸腰の人間くらい簡単に潰せるような力を持ってるんだぞ...?

 

だが、何故と考える暇は既に無い。

地面に叩き落とされた小人が微かに震えながらも立ち上がり、赤い(あぶく)を口の端から溢れさせながら此方を睨みつけていたからだ。

それも先程までの『餌』を見るような目ではなく、明確な殺意を感じられる『敵対者』の目へと豹変して。

 

 

「××××××―――!!!!」

 

「早―――!?」

 

 

目で追いきれない程のスピードで、大口を開けた小人が目前に迫る。

咄嗟に両手で顔を押さえつけたが勢いが殺しきれない。今度は俺が仰向けに地面に倒れ、後頭部とアスファルトが衝突する。

 

 

「ぁ゛ッ!」

 

「×××!!×××、×××!!!」

 

 

―――殺してやる。

 

既に武器を持たない身であるにも関わらず、そんな怨嗟が聞こえてきそうな程の勢いで小人は押さえ付ける手を払い除けながら喰らいつこうとしてくる。

 

正直、手を食い千切られないようにしながら相手の噛みつきをどうにか逸らそうとするので精一杯だ、このままだと間違いなく押し負ける...何か、弱点は...!

 

 

……()()なら、どうだ!!

 

 

 

「こン...のォオ!!」

 

「×!?×゛×゛×゛ーーーーー!!」

 

 

親指から伝わる、水っぽい柔らかいものが弾ける感覚と共に小人が猛烈に苦しみ出す。

 

潰したのは、眼球。左右から両手で顔を挟み込んで、親指をその眼へと突き立てた。

 

賭けには勝ったがここで逃がす訳にはいかない。眼を潰しても安心できない程コイツは余りにも脅威だ。

 

眼孔に突っ込んだ指はそのまま、確りと挟み込んだ手の力を緩めることなく、外側に()()()()()。殴り飛ばせるだけの力があるならば、と。

 

 

「×゛×゛ー゛!!×゛×゛×゛ー゛!!」

 

「ぁ゛あ゛っ、がァァァァァァァ!!」

 

 

藻掻く小人の緑の体表が裂け、頭頂から顎に渡ってピンク色の肉塊を露出させていく。

ビチャビチャとその割れ目から赤黒い液体が此方の顔へと掛かってくるが、怯んで手を緩めれば逆に此方がまた危険な状況になりかねない。

 

殺す、殺される前に。

生き残るにはそうするしかない。それ以外に方法はない。

 

 

「―――!!――――――!!!」

 

「ぅあ゛...ら゛あ゛ぁぁッ!!!」

 

「――――――.........」

 

 

顔面が縦に大きく裂け、ザクロの中身のような肉を断面から赤裸々に露出させながら小人は急速に力を失っていった。

...倒せた、のか?

 

 

 

「っは...はァッ......くそッ...」

 

 

息を荒らげながらその死体を突き飛ばして立ち上がる。直ぐに次の小人が襲いかかって来るかと思えばそうでも無かった。

悲鳴とあの耳障りな嗤い声は既にかなり遠く離れており、この周囲には人々の死体や転がった臓腑とそれに夢中で貪る小人が数体いるだけで...

 

 

「きゃっ...!」

 

「××?」

 

 

まだ年端もいかない子供の小さな叫び声が後方から響き、数体の小人が食事を中断して其方に向いた。

 

不安と寒気に駆られ、急いで振り向くと小学生くらいの女の子が地面に倒れている。逃げ損ねて(つまず)いてしまったのか。

 

 

「××…×...」

 

「え、あ...ゃ、嫌っ、来ないで...!」

 

 

どうする、助けられるか?

…いや、無理だ。既に3体程女の子に向かって来ている。一体でギリギリ倒せたようなヤツを同時に相手するなんて自殺行為だ。

俺の事は元より眼中に無いのか、小人から見た女の子が遥かに()()()()()に見えているのか、ゴブリンの視線の先は皆同じ。

 

 

 

 

 

――――いや、俺にとってはここから逃れる絶好のチャンスなのでは?

 

考えてもみろ、大多数が完全に意識を女の子に向けられている今はここから安全な所に逃げる好機に他ならない筈だ。

ここで死んでしまったら元も子もない、余りにも...余りにも遺憾で、可哀想だが、あの子を助けてに行っても食われる肉が増えるだけだ。

 

だから、ここは俺だけでも――――

 

 

 

 

「やだっ、やだあああっ!!パパ!ママ!助けてぇぇっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺だけでも。

 

父を呼ぶ声。

 

 

…俺、だけでも。

 

母を呼ぶ声。

 

......そう、思っていたのに。

 

それを無視できる程。

 

 

どうして、俺は。

 

俺は心まで腐っちゃいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

気付けば俺は、すぐ近くの路肩に止めてあった車の開きっ放しなフロントドアをむしり取ろうとしていた。

小人の顔面を引き裂いた時と同じように全身に力を込めれば出来ると思ったが、ドアはデカい板チョコでも割るかのように...アイツの顔面より遥かに脆く車体から離れ―――

 

 

その勢いを維持したまま、俺は脇を通り抜けようとした小人の首元へ振り抜いた。

 

 

「×―――」

 

「××!?」

 

「え...」

 

 

にじり寄っていた二体の小人はその醜悪な面に驚愕の感情を張り付かせて。

襲われようとしていた女の子は目の前の光景が信じられない様子で呆然と。

 

頭蓋ごとぶち抜いた車のドアを眺めていた。

 

確かな手応えと共に、頭部に深々と突き刺さる先端を引き抜けば吹き出す流体で青い塗料のフロントドアが赤く彩られていく。

…異常なまでに軽い、片手で持てる。

 

これで分かった。

何かしら武器となりそうなモノを使えば、死闘を繰り広げて漸く倒せるような相手ではない。

 

 

「...やれる」

 

口の端を突いて出た言葉。

決してそれは自信に満ち溢れたものではなく、希望を見い出せた明るいものでもなく、ほんの僅かな可能性に賭けるような脆弱で震えた声。

衝動的に動いてしまった自分を最後まで突き動かさせるための...自分自身に対する激励。

 

 

......来る。

 

一体が棍を振り上げながら走る。

ギリギリまで引き寄せ、棍が振り下ろされる距離に入った瞬間に...

 

 

「らァッ!!」

 

「×…?!」

 

無防備な腹部をドアの淵で思い切り突き貫く。

断末魔の悲鳴を上げるより早く、もう一体の小人が動き出すより早く、貫いた小人ごとドアを全力でブン投げた。

 

「××ッ!!」

 

「今!」

 

 

鈍い音と共に吹き飛ばされた小人を脇目に、俺は女の子へ駆け寄る。

走る速度も向上していて、まるで自分の足をオリンピック選手の足と交換したような、何処までも鋭いまま駆けて行けそうな速さで女の子の元へ来れた。

 

 

「君、大丈夫か!?何処も怪我してないよな!?」

 

「え、あ...ぅ、うん」

 

 

捲し立てる俺にたじろぎながらも無事である事を伝えてくれた。この子が犠牲になる事態を一応避けられた事に安堵を感じ...

 

 

「ぁッ!お兄ちゃん、後ろっ!!」

 

「な、ぁ゛ッ!?」

 

 

途端にガツンと頭に衝撃が走って視界が歪む。

不味い、油断した。視界は歪むだけに留まらずみるみる内に狭まり始めていく。

なけなしの意識を振り絞って殴打が来た方向に目を向ける。

 

左半身が大きく削げ落ち、残された右手に棍棒を握る小人...恐らく俺がドアを投げつけたヤツがすぐ目の前まで来ていた。

 

…畜生、死んだかどうかチェックしておけばこんな事には。

 

だが後悔は既に遅く、小人の狙いは既に死に体な俺から女の子へと変わっているのを目にして俺は咄嗟にその子を抱き締めるように庇う。

 

 

「お兄ちゃん!!」

 

「させ、るか...ァ゛ッ!」

 

「××!××!!×××××××!!!」

 

 

頭に、背に、幾度となく走る衝撃。

口の中に広がっていく鉄の味。頭からぬらぬらした液体が額から顎へ伝っていく。

 

 

だがダメだ、ここで折れる訳にはいかない。

この子だけでも...この子の命を、待つ人の居るべき所へ届けられるまでは...!

 

 

「死ね゛...るかよ...死んで、たま゛るか゛ぁッ゛!!」

 

「××―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■(絡め)■■■■(摘み取れ)■■■■■(引き寄せよ)

 

 

 

 

突如として吹き荒ぶ突風が通り過ぎ、来るはずだった痛みと衝撃はどれ程待とうと訪れない。

 

 

「...?」

 

 

耐えるために固く瞑っていた瞼をゆっくりと開き、視線を上げてみる。

 

 

「魔核を取り込んである程度は強化したけど薄皮一枚...といった所ね」

 

「あ...ぁ......」

 

 

これは幻覚か?痛みに満ちた死の間際が見せる甘い夢か?

だって、ここには居ない筈だ...ここに、()()が現れることなど無い筈なんだ。

 

 

でも、例えそれが幻であったとして、心の中で救いを求めた俺が見た幻象だとして、その姿は...その佇まいは、間違いなく求めていたモノそのものだった。

 

 

 

......何故なら

 

 

「危うく、私もまた失ってしまう所だったわ」

 

 

共に生きると誓った存在。

ラナが、そこに居たから。

 

 

「ラナ...本当に、本当にラナなのか?」

 

「それ以外に何があると思う?」

 

 

 

少し皮肉っぽい言い回し。

それと対称的な柔らかで優しい笑顔。

微かに鼻腔を擽る甘い芳香。

そして、足元を中心にして周囲に広がっている草花。

 

 

あぁ、本物だ。紛れも無いラナ本人だ。

 

けどその周辺に転がる、蔦でズタズタに引き裂かれたであろう幾つも積み上げられた、灰のように変色して崩れていく小人の死体達は彼女の佇まいとは余りにも不釣り合いで...

 

 

「けど...なんで、どうやって俺の所まで?」

 

「私の作ったお手製の水筒、持って行ってたでしょ?アレは私の身体から直接生やした葉で作った特注品、つまり私の体の一部のようなものよ...後は皆まで言わなくとも分かる筈よね?」

 

「...なんとなく」

 

 

恐らく水筒を構成する葉の魔力か何かを辿ってここまで来たんだろう。一応“擬態”もしておいた上で...

 

等と思っている内に、いつの間にか近くまで来ていたラナが俺の掌に何かを握らせて来る。

 

 

「それよりマサヤ、これを」

 

「これ?...これって言ったって...」

 

 

丸っこい感触から何となく予想はできたが、指を開いて見ればやはり数粒の魔核だった。

だが、今までのより少しばかり大きく色も鮮やかに見える。

 

 

「今は兎に角それ食べて。“ゴブリン”の魔核はスライムのものより数倍の効果があるから、瞬間的な回復能力も見込める筈よ...脳機能が全快して落ち着いたら今の状況を説明するわ」

 

「あ、あぁ...」

 

「おねーさん、誰?」

 

「私?私はねぇ...そこの彼と同棲中の――」

 

 

ラナと俺の腕から抜け出した女の子が話し合っている最中に、魔核を纏めて口に放り込む。

噛み潰すと溢れる濃厚な鉄の味に、自分の血の味が上書きされるのを怪訝に感じながら飲み込むと、歪んで狭まっていた視界が徐々に元へと戻り始めた。

視界の回復と共に混濁した意識も晴れ始め、全身を苛む痛みや手足の感覚が蘇っていく。

 

 

「...ラナ」

 

「それで――どうやらお喋りもここまでみたいね?改めて状況を説明する...と言っても至ってシンプルよ、シチュエーションはスライムが世界中に現れた時と大差ないの...『予想していたより早く訪れた上に数も多い』点を除いてね」

 

「じゃあ、世界中がこんな状態になってるって事なのかよ?」

 

「そういう事、今頃都市部は大パニックでしょうね...特殊条件に置かれない限り無害に近かったスライムと違って、マサヤのような戦える力を持たない人なら易々と狩れるゴブリンを相手取るとなれば」

 

 

はふぅ、と険しい面持ちでやり場の無い感情を吐き出すように溜息をつくラナ。

“向こう側”に住んでいたラナから見てもこの状況は芳しくないどころか非常に不味いという事を痛感してしまう。

世界は何処へ転がろうとしているんだ?

 

 

「今は行きましょ、アパート周辺のゴブリンは掃討しておいたから、そこまで戻れば問題ない筈よ」

 

「そう、だな...ここから離れた方が―――ちょっと待て」

 

 

 

いい、と言おうとした矢先に右太腿から振動が伝わってくる。マナーモードにしてあるスマホの通知だ。

 

無視しようかと思った、大したことは無いと思っていた。

それでも、何か例えようがない胸騒ぎを感じてポケットからスマホを取り出した。

 

…メッセージ、姉さんからの。

 

 

 

……震える指で、押してみる。

 

 

 

 

 

 

『もう会えないかも』

『ごめんね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おい...

 

 

おい

 

 

なんだよ、これ?

 

 

冷静さを徐々に取り戻しつつあった思考が一瞬の内に漂白される。

メッセージの文はあまりにも短い。

だが何だ?この...まるで二度と会えなくなると間接的に訴えかけてくるような、何か凄惨な出来事が裏で起こったという予期を強要させて来るような文面は。

こんな伝言が送られてくるような...送るしかないような状況とは、何だ?

 

 

「マサヤ?...マサヤ、どうしたの?」

 

「......ぁ」

 

 

肩を揺すられる感覚で我に返る。

周りの景色すら見えなくなる程思い詰めていたらしい。

…だが、俺がやらなければならない事は今既に決まった。

 

 

「ラナ、この女の子を頼めるか?」

 

「頼むって...マサヤ、貴方何するつもり?」

 

「...姉さんの身に何かが起こった」

 

「ッ!!」

 

 

目を見開いて息を飲むラナ。たった二日前に初めて出会ったばかりにも関わらず、まるで親しい人が危機に晒されたような反応だった。丁度、先程の俺と同じように。

思う事も多分同じだろう。

 

だからこそ俺は、ラナにあの子を...今はラナの傍で大人しく待っている女の子を任せる。

 

 

「こんな我儘言って悪いと思ってる、二人で行けば確実に助けられる筈だし、一人で行くにしても俺よりずっと強いラナの方が適任だろうけど...それでも俺は、俺にとっては姉さん達は」

 

「...『家族』なんでしょ?」

 

 

俺が紡ごうとした言葉を、まるで予言でも使ったかのようにラナが言い当ててくる。

 

 

「あの人達は、私が来るまで貴方にとって最後の繋がりだった...ミズキから、そんな旨の話を聞いたわ」

 

「全部、お見通しだったか...」

 

「...行きなさい、この子の安全は私が命を賭けてでも保証するわ。今は命を賭けられるだけの敵がいないのが残念だけれど」

 

「いや、それなら安心出来る」

 

 

一先ずラナが請け負ってくれたのを確認して、改めて女の子の方に向き直ってからしゃがんで目を合わせる。

この子にも、少しだけ頼むべきことがあるから。

 

 

「君、お父さんとお母さんの居る場所は分かるかい?」

 

「パパとママの?...うん!お家!」

 

「よし、じゃあこのお姉ちゃんにその場所まで案内してあげて。君の事はお姉ちゃんが守ってくれるから安心して...君のお父さんとお母さんも、必ず」

 

 

最後の一言は、女の子からラナの方に視線を移して言い残す。

ラナは確りと頷いてくれた。

 

 

…もう、この子は大丈夫だ。

 

だから、俺は俺のやらなければならない事をする。

 

 

「この子と親の安全を確保出来たらそっちに向かうわ、ちゃんと持ち堪えなさいよ?...まだあの箸の礼一つ言えてないんだから」

 

「あぁ...期待して待ってる」

 

 

 

俺は立ち上がり、走り出す。

 

向かう先は姉さんの、そしてお義父さんやお義母さんの家...風原家。

 

 

 

 

 

 

...間に合え。

 



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第六葉:無明の団欒

「つぁッ...はぁ...ッ、漸くここまで来れた...」

 

 

走る事十数分、やっとの思いで俺は姉さんの家がある通りまで来る事が出来た。

 

道中の緑小人...ラナ曰く“ゴブリン”は可能な限り無視するか、勘づかれて追いかけられてもそのまま振り切るかの二択を基本として戦闘に入るのはどうしても振り切れない場合のみに留めたつもりではある。

...だと言うのに、『最小限の戦闘』で俺はかなりボロボロにされた。

 

一刻も早く辿り着かなければならない状態での戦いは、基本的に足を止めることなく走り続けている状態で繰り広げられる。素手は勿論の事、何かしらの武器が必要なのは先の戦いで証明済みだ。

リーチの長さを優先した結果、今度は逃げ損ねた車が正面からぶち当たってへし折れた小さめの道路標識を武器として使用。その判断はこうして切り抜けられた事で結果的に正しいものとなる。

 

しかし、問題なのは激しい戦闘で標識は徐々に損傷し、今はもう俺の握り手部分から20センチメートル程度の長さを残したポール部分のみとなっていた事だった。

背負っていた学生鞄も戦闘と逃走の最中で紐が千切れてしまい、何処かに落っこちた事で紛失している。

今度ゴブリンの集団が襲って来ても、乱雑に振り回すだけで複数体巻き込んで吹き飛ばせるような戦い方は出来ない以上苦戦は必至だ。

 

 

「けど......何でだ?」

 

 

生まれる違和感。

姉さんが助けを求めるのではなく『ごめんね』と伝えたのは間違いなく自分がもう助からない状態に置かれたからと...

なのに、この周囲には人っ子は愚かゴブリン一体すら見当たらない。

 

 

「どうなってる?もう移動した後...だとしたら」

 

 

今この辺りに居なくても、家の周辺にゴブリン共が残っていたなら姉さんを襲っているかもしれないし、仮にそうでは無かった場合...姉さんが上手い具合にやり過ごしてくれた事を、祈るしかない。

 

どの道、先急ぐ以外に道は無かった。

 

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

「......何も無いまま、辿り着けちまったぞ...?」

 

結局、一度として会敵すること無く風原家の玄関まで来る事が出来てしまった。もう既に、何もかもが手遅れだったのか?

 

いや、それは多分違う。

仮にゴブリンが来たとすれば無理矢理家の壁に穴でも開けて侵入してくる事は想像に難くない。

しかし...まるで()()()()()()()かのように、この家には目立った外傷一つ見受けられない。

 

 

…...どうなってる?

 

窓から中を伺おうとしても、カーテンに遮られてそれは叶わない。

照明が点いている様子も無いから、この家には誰も居ないと思わせてやり過ごしているのか?もしかしたら家には居ないのかも...

 

 

「...ドア、開きっぱなしだ」

 

 

が、その希望的観測の片方が呆気なく消えた。

ゴブリンが蔓延(はびこ)る外に出るより家に引き篭ってる方が多少マシと思えるこの状況で、姉さん達が出ていくとは考えにくい。

嫌な予感が薄れるどころかどんどん膨らんでくる。

やはり、あのメッセージを俺が目にした時点で姉さん達は...

 

 

それでも、行くしかない。

 

俺は、家の中へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

暗い。

物音一つ聞こえて来ない。

 

だが...玄関口に姉さんや義父さん達の靴がキチンと揃った状態で置いてある事から、この家に居る可能性は依然としてかなり高い。

そして、ゴブリンと死闘を繰り広げた時やここまで走って来た時にも幾度となく嗅覚が捉えたあの臭い、思い出すのも忌々しく感じる()()()()()の臭気が、ここではしなかった。

 

 

もしかしたら...もしかしたら、無事なのか?

あのメッセージを送って来た時は死んでしまうかもしれない状況に居たが、身を潜め続ける事でゴブリン共を捲く事が出来たとでも?

 

安易過ぎる考え。

甘ったれた見通し。

 

だが思い出す、ゴブリン共に知性を伴う行動があったか否かを。

 

 

ゴブリンは人を見つければ襲い、喰らう。

近くに人が居なければ探して、喰らう。

 

 

だが...食事を中断してまで喰らいたいと思えるような女の子(新鮮な肉)が近くに居たにも関わらず、その子がコケるまで気付く事ないまま夢中に死肉を貪り続けていたあの様子を思い返す限り、決して頭がいいような印象を受けることは無かった。

 

…あくまでも憶測の域を出ることは無いし俺でも思い付けないが、敵に知性が足りない事を考えればやり過ごす術も少なからず存在する筈。

姉さん達が偶然取った行動が、それに該当してくれたならば。

 

 

 

一歩、また一歩、何処の誰とも分からない何かに対して祈るような心境でリビングルームに繋がる扉へと慎重に近づいていく。

緊張に早まっていく自分の心音と呼吸音、ギシリと自分の歩みが床を軋ませる音とを除いて他の物音は一切ない。

まるで地獄のような外から世界ごと切り離されたかのように、ここは静寂に満ちていた。

 

 

そして、ドアノブに伸ばした手が届く。

 

 

――――――頼む、無事でいてくれ。

 

 

そう念じながらゆっくりとドアノブを捻り、内に開ける。

 

 

何かが突然襲いかかってくる、という事にはならなかった。

相も変わらず無音のまま、緊張感が広がっていくだけ。

部屋の中は、相変わらず暗い。

 

 

「...姉さん、いるのか?」

 

 

返事はない。

ソファにも、テーブル周りにある席にも、人影ひとつ見当たらなかった。

 

きっとどこかに隠れているに違いない。

そうであってくれ。

 

 

「義父さん、義母さん、無事なのか?...俺だ、正也だ。助けに来たんだ、だからもう―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――ごとり

 

 

 

 

「っ!」

 

 

ある程度の高さから重い何かが床に落ちたような、そんな鈍い音。

多分、出処は台所から。

 

息を殺し、身を屈め、いざと言う時はすぐにでも相手をブチのめせるようへし折れた道路標識のポールを固く握る。

 

 

そして、台所を仕切る収納器具と一体化したカウンターまで辿り着いた。

 

 

物影から顔を出せば確実に見える、音の正体。

 

弾け飛びそうな程高鳴る心音を落ち着かせるために深く息を吸い―――

 

 

「―――――!!!」

 

 

意を決して身を乗り出す。

 

 

「..ぁ....あぁっ!?」

 

 

そこには、地面に倒れ伏す姉さんの姿があった。

 

 

 

「姉さん!姉さんッ!!」

 

 

 

近くに敵が潜んでいようがいまいが関係ない。

走り寄って姉さんの肩を掴み、大きく揺さぶった。

しかし、一向に目を覚ます素振りを見せてくれない。

呼吸音もはっきりと聞き取れず、気絶しているだけなのかどうかすら怪しかった。

…脳裏を過る、『死』の一つ文字。

 

 

「なんだよ、何があったんだよ!姉さん!!...どうなってるんだクソッ!!」

 

 

焦り、恐れ、戸惑い、色んな感情を吐き出すように悪態をつく。

急いで周囲を見渡しても敵は相変わらず姿形も捉えられない。

 

ふと、近くの床に画面が灯ったまま転がるスマホを見つけた。

 

 

「このスマホ、姉さんの...」

 

 

手を伸ばそうとして、その画面がよく使っているアプリのメッセージ入力確認画面だった事に気付く。

 

 

…文章を送ろうとしてか、途中まで書かれた形跡がそこにはあった。

 

 

 

助けに来たらダメ、正也くんの知ってる私はもういn_

 

 

 

 

「...“もういない”?」

 

 

 

 

変換も入力も途切れた文章の先が、自然と俺の中でそう繋がる。

…言っている事が、言おうとしていた事の意味が分からない。

なら今地面に倒れている姉さんは何なんだ?姉さんは姉さん一人しか居ないじゃないか。

 

 

「俺に何を伝えたかったんだ...一体、何を...?」

 

 

ますます混乱していく頭で必死に物事を考えながら、改めて姉さんに視線を移す。

 

 

 

 

…その体が、ぴくりと萎縮する。

 

 

「!!」

 

 

動いた。

見間違いでも、俺の腕で揺り動かした訳でもなく、確実に。

生きてる...姉さんは生きている!

 

 

でも、安心するより先にやるべき事がある。

まずは助け起こすこと、意識が戻った後は可能なら義父さん達の事も聞き出す。

それが全部終わったらラナが来るまで待とう。

 

 

「姉さん、しっかりしてくれ!もう心配ないから、だから...!」

 

 

ゆっくりと立ち上がる姉さんの体を支え、助け起こす。

ただでさえ暗い室内の上に髪の影に隠れているせいで顔は確認できないが、命に別状があるような外傷の形跡はない。

 

ゆっくりと、陰る顔がこっちに向けられる。

俺の事を分かってくれたようだ。

 

 

「良かった、...心配したんだ、本気で。もし姉さんの身に何かあったらどうしようかっ――――――」

 

 

 

だらんと垂れていた姉さんの左腕が、唐突に大きく揺れ動いた。

 

次に、俺の首から軽い衝撃が伝わる。

 

 

「...ぇ?」

 

 

下げた視線に映る、俺が抱えた姉さんの振るった腕。その手が掴むもの。

 

 

…俺に突き刺さる、包丁の柄。

コプッという水音が喉元から鳴る。

 

 

 

「げ、ほ゛...ごぶっ!?がッあ゛...?!」

 

 

刺されたことを自覚してから、痛みを感じる。

焼けるような痛みを振り払うが如く、強引に姉さんごと包丁を引き抜いて突き飛ばした、赤黒い液体が喉から吹き出て辺りを大きく穢す。

 

突き飛ばされた姉さんは再び地面に崩れ落ちるが即座に起き上がった、まるでビデオを逆再生するような...生物が出来るわけが無い動きで。

 

 

「ぁ゛...ね゛ぇ、ざ......な゛んで、っ...!?」

 

「......」

 

 

何故、という問掛けに反応してか、黒い影に隠されていた姉さんの顔が地面に転がるスマホの光に照らされて...

 

 

 

 

顔、なくなっていた。

目が、鼻が、口が、影も形も見当たらない。

 

それらの代替として機能するかの如く、無造作に穿たれたような...黒い何かで満たされた孔が俺に向けられる。

陰っていた顔は、影で隠れていただけではなかったのだと。

 

 

「う、そだ...そんな......」

 

 

喉の痛みは少しずつだが消え始めていた。

流れ出る血もかなり治まりつつある。

 

…しかし、身体的な部分ではない致命的な『何か』を散々に弄ばれて握り潰されたような感覚が全身を駆け巡る。

 

 

「姉さ――――ぐっ!!」

 

 

もう一度呼びかけようとした矢先、姉さんが包丁を構えて突っ込んでくる。

急いでその場から身を逸らして離れるとすぐ後ろにあった乾燥機へ突っ込んで、立て掛けてあった食器類が盛大に割れた。

しかし、姉さんはそれをものともせず俺に向かって包丁を振るう。

 

飛び下がるも避け切れず、頬が切り裂かれた。

 

 

「うッ...!」

 

 

傷口から血が赤い線を描いて滴る。顎に線が届く頃にはまた傷口が塞がっていた。

…ゴブリンの魔核で飽和に近づけたから、傷が勝手に治ってるのか?

 

 

「...」

 

 

ピタリと動きを止め、表情すら無くなった姉さんが見つめてくる。一定の距離内に近付かない限りは攻撃してくる気配は無さそうだが...

喉を突き刺し、頬を裂いた事ですっかり赤く染め上げられていた包丁とそれを握る手を見て、俺の表情が苦悶に歪むのを感じた。

 

 

 

――――姉さん、料理人になる夢叶えたら...また飯食いに寄っていいか?

 

 

――――いいよ。まずはレストランで経験を積んで、何時か自分の店を開けたらなって思ってるから。

 

――――そっか...楽しみに待ってる、絶対叶えてくれるってさ。

 

 

 

 

思い起こす、誕生日パーティーが終わって帰る時のやり取り。

 

嬉しそうに夢を、料理人になって美味しい料理を作りたいと語ってくれた姉さん。

俺が小さい頃、まだ親父が生きてた頃から語ってくれた夢を、俺は心の奥底から応援していた。そして姉さんならきっとそれを叶えられると信じていた。

 

 

......だが、今の姉さんの姿は夢を叶えるために努力していた時の面影など微塵も遺されていない。

美味しい料理を作る筈だったその包丁は、嘗て家族として迎え入れてくれた俺の血で彩られている。

 

 

「姉さん...駄目だろ、そんなの......美味しい料理作るって言ったじゃないか!自分の作った料理で誰かを笑顔にできるのが楽しみだって言ってくれたじゃないか!何が...誰が姉さんをそうさせたんだよ!?」

 

 

叫ぶ。

届かないと分かっていても、吐き出さずにはいられない。

何故こんな事をするのか、何が働きかけてこんな事をさせるのか。

 

 

 

 

「駄目なのはキミの方さ」

 

「な...?!」

 

「客人は客人らしく振る舞わなきゃ、マナーがなってないよ?」

 

 

 

少年のように若々しく、果てなく冷たい声が誰も居なかったはずの食卓から聞こえた。

 

何かが、椅子に座っている。小柄だが外で見かけたゴブリンのような緑の肌を晒した小人ではない、人と似た姿をした上で礼服のような衣類と共に身に纏う雰囲気からして、明らかに人の域から乖離していると言わざるを得ない存在がそこにいる。

 

 

 

…こいつが。

 

 

...お前が。

 

 

「お前が...姉さんをこんな風にしたのか!?」

 

「ん?姉さん?...あぁそうか、キミだったのか...()()お姉ちゃんが前に弟扱いしてた」

 

 

言葉の一つ一つが俺の精神を逆撫でにする。

駄目だ、今ここで怒り狂えば相手の思う壺だ。

冷静に物事を考えなければ...

 

 

…だが、抑えようとしても湧き上がってくる激情がそれを跳ね除けていく。

山ほどある問い詰めたい事よりも憎しみが先走っていく。

 

 

「でもね、もう...」

 

 

背を向けていた何かが、ゆっくり俺の方に向いた。

 

一切の光を通さない大穴の開いた顔。目も無ければ鼻もないし、声を発している筈の口もない。

 

ただ、大きな大きな闇が顔一面広がっていた。

 

 

 

姉さんと、同じように。

 

 

 

「お姉ちゃんは、僕のものだ」

 

 

穴が歪む。

俺の事を、面白可笑しく嘲るように。

 

 

 

 

頭の片隅で、何かが切れる音がした。

 

 

 

 

「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」

 

 

手にしたポールの断面を頭に突き立てるべく、勢いに任せて走り出す。

こいつは、こいつだけは許せない!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

file■-Ϡ(ディシグマ) 【減らず口(ネヴァー・オリフィス)】 脅威グレード:C+

 

――――――――――――――――――――――――

 



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第七葉:もう一つの悲劇

セリフ多め回(当社比)

今回からちょっとずつオリジナル要素が含まれ始めます。
でも基本的に原作準拠です。


「――――がぐッ!!?」

 

 

あと数歩のところで、胸元に激痛が走った。

突如として襲いかかって来た衝撃に為す術なく地面へと転がり、握っていたポールが手元から零れ落ちてしまう。

 

すぐさま体勢を立て直しながら顔を上げると...

 

 

「義父さん!?義母さんまで...」

 

 

変わり果てた形相の、親しき人。

義父さんの手にはゴルフクラブが、義母さんの手には植木鋏がそれぞれ握られている。

顔に開いた大穴といい、完全に姉さんと同じ状態だ。

 

 

「紹介するよ、僕の()()()()だ」

 

「うるせぇ...!」

 

 

口の中に溜まった血を床に吐き捨てて立ち上がる。

心の奥底から滲み出る怒りを、両の足へと込めながら。

 

 

「他人の家にズカズカ入り込んで何様のつもりだ!?人形ごっこも大概にしろ!!」

 

「いーや、もう僕達は家族さ。血の繋がりよりもっと深くて強い、『魂』によって結ばれた最高の家族...薄っぺらなキミとは違ってねぇ」

 

 

奴は...顔無しは、自慢話でもするかのような素振りで包帯に巻かれた手を大袈裟に振るう。

完全に油断していた。魔核による強化が無かったら心臓が潰れてたに違いない。

深く息を吸って痛みを紛らわし、怒りに溺れそうな思考を一旦脳の片隅に押し込めながら奴の事を注意深く見る。

 

 

外見は大体小学校高学年程、黒の短髪が隙間風一つ吹き抜けていないのにたなびいている。

一見すると礼服のように見えた服装は、上着から内に纏うシャツに至るま全てが黒に等しい濃紺であり、袖口から覗く手は包帯に巻かれて肌の露出している部分が見当たらなかった。

 

ゴブリンと比較して、あまりにも人間的すぎる...が、結局『同類』なのだろう。

でなければ、ここまでの非道を働く事はない筈だから。

 

改めて状況を整理する。

奴の両隣には義父さんと義母さん。そして俺の後方には姉さんが待ち構えており、完全に包囲されている状態だ。

落としたポールはもう何処かに転がってしまい、ここから見える範囲にはない。

 

 

…どうする?

どうすれば、奴を叩ける突破口が開く...?

 

 

「えへへ...考えてるねぇ、無駄だって薄々気づいてる筈なのに」

 

 

(こだま)のようにエコーが掛かった奴の嘲笑が飛ぶ。

 

 

「黙れよ化け物が、無駄かどうか...届かないかどうか、やらなきゃ分かんないだろうが!」

 

 

あぁ、考えてるさ。お前の言う通り無駄なんじゃないかって何処かで思いながら...それでも俺はお前の焦る声が聞きたくて、姉さん達を救い出せる方法を見つけたくて...そして何より生き延びる為に必死になって知恵捻り出そうとしてるんだ。それの何が悪い?

 

 

「あーあ、これだからゴミ箱扱いされてるんだよこの世界は...ねぇ、本当に僕に敵うと思ってるの?確かにキミからは多少の魔力を感じるけど...まさか、僕をあの穢らわしい『ゴブリン』共なんかと同列に扱ってないよねぇ?」

 

「ッたりめーだ、承知の上だ、だから俺は死力を尽くしてお前を――」

 

「あーもう違う違う、ぜんっぜん理解してくれてない...僕が言いたかったのはねぇ...」

 

 

大きく、奴の顔の孔が歪んだ。

 

 

「キミに、キミの()家族を傷つける覚悟はあるかって話...僕達はもう既に、魂で結ばれた最高の家族だって...そう言った筈だよぉ?」

 

「...何が、言いたい?」

 

「はァーあ...良いよ、乗り気じゃないけど特別に見せてあげる。僕の言ってた事は...」

 

 

呆れたような様子で奴は深いため息を漏らしながら、徐にテーブルの上に置かれていたナイフを手に取り...

 

 

()()()()()...さッ!!」

 

「!!!」

 

 

自分の左肩に、突き刺した。

肉が裂ける音が響き、墨汁のような体液が溢れ出す。

 

 

その次の瞬間だった。

 

義父さんと義母さんの左肩が裂傷のようにぱっくりと裂け、溢れた血が床へバシャリとブチ撒けられる。

俺の真後ろ...姉さんの立っていた場所からも響く、水の塊が弾ける音。

 

 

「あ...あぁ......」

 

 

…理解した。

 

 

……理解してしまった。

 

 

 

奴の、恐ろしい力の正体が。

 

 

「っぐ...どうだい?これが魂で結ばれた家族。痛みも喜びも全部全部ぜぇぇぇぇんぶ!!皆で共有し合うんだ...綺麗だろ?尊いだろ?...羨ましいだろう?」

 

「狂ってる...狂ってるよ、お前...」

 

 

肩からナイフを引き抜きながら恍惚とした表情...顔の歪み方から判断して恐らくそうだと思える表情を見せる奴を前に、俺は思わず本心から飛び出た言葉を発していた。

どうせ、適当に流すだけなのに。

 

 

「...そうだよ、僕は狂ってるんだ」

 

「何?」

 

 

...肯定した?

自分の異常性を、肯定したのか?

 

 

「僕はねぇ、元々住んでた世界で何もかも奪われたんだ...住む家、平和な暮らし、暖かな家族、何もかもをね」

 

 

奴は唐突に自分の過去を語り出す。

下手に手を出せば俺自身は疎か姉さん達まで危険に晒しかねないこの状態では、聞き入れる他選択肢はない。

 

だが、聞き入れながらも打開の策は考える。

 

 

「僕の家系は代々墓守でね、何十年も何百年も一国の集団墓地を管理してきたんだ...尤も、国と言ってもかなりの小国だったけどね」

 

「...それが、お前の喪失と何の関係がある?」

 

「まぁ待ってよ、それを今から話すんだから...」

 

 

ナイフに付いた黒い血液を食卓から取った手拭いで拭き取り、元の位置に戻してから奴は再び語り始めた。

 

 

「事の始まりは僕が産まれた事だった...墓地で長年溜め込まれた瘴気の影響か、或いは単なる偶然か、僕は産まれた頃から他者に感覚を共有出来る力を持っていたんだ...最初は触れている人だけがその対象。おかげで僕の『本当のママ』は子育て楽だったようだよ?ご飯やオムツ替えのタイミングが即座に分かったらしいしね...」

 

「なら、何故お前は...今のようなお前が在るんだ?」

 

「...際限なく強くなっていったのさ、力が」

 

 

肩の傷跡を拭っていた手拭いを、奴は固く握り締める。

怒り、無念、憎悪...様々な感情が伝わってきた。

 

 

「僕が10歳を迎えてすぐだった...ただ感覚を伝えるだけだった力は強い共鳴反応に進化、痛みも苦しみも赤裸々に晒し合う事になるその力に国も、家族も...僕自身すら恐れ、取り返しがつかない事態に陥る前に命を絶つ他ないというお達しがあり、僕も死ぬ事を受け入れた」

 

「でも...死にそびれたんだろ?」

 

「せーかい♪情報さえあれば割と鋭い方だね?キミの察し具合ってさ...ま、普通の人間なら数秒で死ぬ強力な毒薬を服毒する事で一思いに楽にしてやろうという魂胆だったワケさ、せめてもの情けって寸法だったんだろうけど...それがマズかった」

 

 

奴は、自分の顔に開く大穴の淵を内側から指でなぞる。

 

 

何かを、確かめるように。

 

 

「...キミは、モンスターがどうやって産まれるのか知ってるかい?この世界で生まれ育ったとはいえ魔力を感じるから、多少なりとも知識は備わってると思うんだけど」

 

「動物や植物みたいに自然で産まれるモンだと、俺はそう思ってる」

 

「うーん、70点かなぁ?大まかな認識自体は間違いじゃあない...けど動物に限定した事で20点、時折起こるけど有名なイレギュラーが抜けたから10点マイナスだ」

 

「...知るかよ」

 

 

脳裏で彼の話すイレギュラーという単語に、脳裏でラナの姿を思い浮かべる。

彼女はまだ来てくれそうもない。

 

 

「まぁそうだろうね...緩〜いこの世界に生きてる以上はどう足掻いても理解出来ないコト、あると思うし」

 

 

ピタリと、なぞる指が円の真上で止まる。

これから、それを話し始めるのだろうと言う事が分かった。

 

 

「確かに動物や植物のような特徴を持つモンスターが大部分を占めてはいるよ、でもそれだけじゃあダメだ、不十分だ...いいかい?モンスターはねぇ...ある種の()()()()なんだよ」

 

「自然...現象...?」

 

「そう、自然から生まれ出づる存在ではなく『そのもの』...風が吹くように、海が波打つように、空に星々が輝くように、モンスターも又自然の一環としてその存在を完結させている」

 

「だったら...だったらなんで人を襲ったりするんだよ?!自然の一部なら無闇矢鱈と排斥するのはおかしいだろうが!!」

 

 

奴の言っている事は破錠しているとしか思えなかった。明らかに人に対して害をもたらしているものを、生命に対して必要以上に干渉してくるような存在を自然とは言えない筈だ。

丁度、様々な資源を掘り尽くして環境問題にすら発展させるような...俺を含めたこの世界の人類のように。

だが、奴は相変わらず面白そうにクックッと嘲笑う音を穴から響かせている。

 

 

 

 

「...キミ、なんか忘れてなーい?」

 

「何をだ?何を忘れるって言うんだ!?」

 

「見たところ気候とかは僕のいた世界と大差が無いように見えるからね、似通ってるこの世界にもあるんじゃないの?...地震、火山の噴火、豪雨に豪雪、そして旱魃(かんばつ)...ある程度の予測はできても、決して避ける事の出来ない自然のモノが」

 

「そんなもんあるに決まって――――まさか」

 

「...あは♪」

 

 

 

 

この家に来てから、『有り得ないはずの事象を有り得る現象に置き換えて考える』という自分の得意な事を恨んだことは無い。

きっと、そんなものが無ければ気づくことが無かった恐ろしい事実が奴の口からゴロゴロと飛び出してくる。

もっと俺が馬鹿だったなら、もっと俺が愚かだったなら...

 

 

 

 

 

そして、()も。

 

 

 

 

 

「そう、モンスターはそれら全てと等しく天災...それも『意志を持った天災』だ」

 

 

 

吹き出しそうな笑いを堪えるように、ゴポッと奴の顔孔から黒い液体が漏れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉が、出ない。

モンスターが、地震と同じ?

だったら、ラナは?彼女と彼女を取り巻いていた環境全てはその中におけるイレギュラーとして含まれていたのか?

 

だが、俺には悠長に考える間も与えられない。

 

 

「本当に...本当に惜しいよ、キミが僕のいた世界で産まれて来たら、その才能は遺憾無く発揮できたろうに」

 

「ふざけんな...ふざけんなよ、お前...!」

 

巫山戯(ふざけ)てなんかない、僕はずーっと真実を語ってきた...世界に『産まれ』」

 

 

円の天頂で止まっていた奴の指が、ジュルジュルと気味悪い水音を立てながら右の側面に向かって滑る。

 

 

「人や世界、時として同族すら見境なく『喰らい』」

 

 

右の側面から、顎の頂点へ。

 

 

「やがて更なる力に『喰われ』」

 

 

顎から、左の頬へと。

 

 

「そして再び...世界の何処かで『産まれる』。個体や種族によって多少の違いがあるとはいえ、殆どのモンスターが一つの円環として完成するんだ」

 

 

一周した指が天頂へと戻り、止まった。

 

 

「これがモンスターという自然現象の概要ってところだね、理解出来たかな?」

 

「したくなかった...理解なんかしたくなかったのに、分かっちまう......俺は、こんな俺が恨めしいさ...!」

 

「あぁダメダメ、まだ折れられると困るんだよ...ここから先は『イレギュラー』、つまり僕とかの話だ」

 

 

これ以上聞きたくない。知りたくない。

耳を両手で塞ぎたくなる。

 

だが奴は、我関せずと穴から指を離して座り直す。

ここからが本題だとでも言わんばかりに。

 

 

「レアケースではあるけど、モンスターには極偶に人間に中から生まれる個体もある。母の胎の中で育まれている段階で腕や足が欠損した新生児のように、先天的疾患という形の自然現象(モンスター)として...ね」

 

「そうだと知って、お前は死ななければならなくなったのか?」

 

「いーや、逆だよ...僕は特に特殊な例でね、人間だったら死んでいる筈だったその瞬間まで気づかれる事も気づく事もなかった。自分は特殊な力を持って生まれた...『人間』だったと。『人間』だから、その毒で死んで皆を救う事が出来ると」

 

 

『人間』ならば死ねたはずの服毒。

それでもこうして、俺の前に姿を晒しているということは。

 

 

「効かなかったのか」

 

「そう、人間なら死ぬ毒でもモンスターなら話は別...だが限りなく人間に近かった僕は毒素に体を蝕まれながらも死ぬ事を許されなかった。死の淵から先を超える事を出来ない中途半端な存在であったが故に...コレは、その時出来たものさ」

 

 

奴は、そう言って顔の穴を指さした。

 

 

「死にたいのに死にきれない痛み...本来なら瞬く間に命を落とすはずだったそれが引き金となり、僕はモンスターとして完全に目覚めてしまった。並の人間なら確実に死に追いやれる感覚、状態、その全てを、国をすっぽりと覆える範囲の人間が等しく体験した...その結果、5100人の命はこうだ」

 

 

人差し指で、『1つ』と示す。

 

それが何を意味するのか...誰を指すのか、深く考えなくても分かる。

 

 

「かくして家族どころか国を滅ぼし、モンスターとして完全に目覚めた僕の精神と肉体は時が止まったまま永遠の時を彷徨う咎を受けた訳だ...そうだね、もう軽く70年は過ぎてるよ」

 

「だから...狂った?」

 

「そういうこと、狂わなきゃモンスターなんかやってらんないよ。まぁ狂いすぎたせいで勇者一行に目ェ付けられちゃったから、魔力を枯渇させられた上に超長距離魔法で国土ごとぶちのめされてゴミ箱(この世界)にポイっとね、されちゃったんだけど...でも70年の時間は僕に能力をある程度制御する術を、外敵との戦い方を会得させるのに十分な長さだったよ?だから今では――――」

 

 

奴が自分の右手の甲を此方に向ける。

そこへ黒紫色の靄がかかり始めて...

 

 

「こんな事も出来る」

 

「!...まずッ――」

 

 

咄嗟に両腕を顔の前に突き出す形で防御する。

ほぼその直後に奴が手を払い除けた。

 

俺の取った咄嗟の行動が正しかった事を証明するのに一秒も必要なかった。

刹那、風を切る音と共に腕が猛烈な痛みを伴う衝撃を受け止め、斜め後方へカウンターを大きく凹ませながら吹き飛ばされ叩きつけられる。

 

 

「が、ぁぁッ!!」

 

「今のいい判断だねぇ。魔核を取り込んだとはいえ直に受ければ確実に頭が弾け飛び、回避も間に合わない攻撃に対して防御を選んだ...あぁ、これもキミの察しの良さが成せる技なのかな」

 

「...ごふっ!」

 

 

最早何度目か分からない吐血。

強酸性の液体に腕を突っ込んでしまったと勘違いしそうな痛みが今尚続く手で口元を拭おうとして...空振った。

 

 

「は...ァ?」

 

 

何故?

平時なら腕の先にある手が口に届く筈なのに...何故、手が顔に触れる事が出来ない?

 

…いや、待て。

 

激しい痛みは時間が経つに連れて引くどころか、より一層増している。まるで何かが...何かを失ってしまったように。

 

見たくない。見たら確実に後悔するなんてもんじゃない。

だが...そんな俺の意志とは真逆に、叩きつけられた地点から、椅子に座る顔無しに向かって目を開いた時点で視野内に捉えてしまえる位置に。

 

綺麗な断面を覗かせながら転がる二つの肉塊。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の、腕があった。

 

 

 



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第八葉:魔人生誕(Birth)

分割しようと思ったけど、一万字は下回ったので初投稿です。


 

 

 

 

「っ、ぎぃがああぁアアアアァァァ――――――アアア!!?」

 

 

 

肩から先を失った自分の腕を知覚してから、更に強まる痛み。酸どころか溶けた鉄を血管に流し込まれているような、気が狂いそうな痛みが駆け上り、ゴボゴボと切り口から血を垂れ流す。

あの攻撃を防いだハズだった腕は、もう俺の体から遠く離れてしまった。

 

 

「行っただろ...付け焼刃程度の力しか持たないキミは僕に敵わないって」

 

「ぁ゛あ゛...が、い゛...ィ」

 

 

奴がこちらに向かって伸ばす手、その指先から解けた包帯が赤黒く染まり、先程見たものと同じ黒靄を纏いながら宙にたなびいている。

 

アレで斬られた、間違いなく。

 

 

「驚いた?驚いただろうね、さっきの話で僕が他人と感覚を共有出来る能力しか持ってないと油断しきってただろうし...周囲のゴブリン軒並みぶち殺して魔核を取り込んだとはいえ、今も魔力スッカスカだけどこれくらいなら出来るんだよ、僕」

 

「ぃ゛ッ...ぃぃぃあぁぁ゛ぁ゛ぁ゛...」

 

 

アイツの話に口を挟むどころか、耳を傾けている余裕すらない。

兎に角痛みで頭がおかしくならないよう跳ね飛ばされた欠損部分に向かって意識を保つので精一杯だ。

 

そもそもこんなに大量の血を垂れ流し続ければ失血死も免れない。

何でもいい、何か止血する手段は...

 

 

「...ん?あれ?」

 

「ぁ゛ぁ...ぁ?」

 

 

だが、突然奴が首を傾げながら俺の方...厳密には、腕のもげた肩を凝視し始めた。

 

釣られるように奴と同じ場所へ視線を向けてみれば、切断面から赤く、鋭利で、無機質な物体が突き出していた。

 

骨か?...違う。骨にしてはどうにも歪な形をしているそれはどちらかと言えば結晶のそれに近い。

あろう事か、その結晶に...切断面に意識を向ければ徐々に伸び広がって成長していくではないか。

 

 

「ひょっとして、もう『飽和』してる?...いや、結晶化のスピードが遅いな、それは無い」

 

 

ブツブツと思慮に耽り始めた奴の隙を見て、両の傷口へ意識を向ける。

十数秒と経たずに溢れ出す血の量が目に見えて減り始めた。

これなら...

 

 

 

 

「まぁ、だとしても見逃す訳ないんだけどね...パパ、ママ、お姉ちゃん......殺さない程度にボコボコにしちゃって」

 

「へ、ぁ?」

 

 

 

顔無しの穴の中心部が紫色に明滅し、姉さんだけでなく義父さんと義母さんの顔にも、穿たれた穴の奥で共鳴し合うような光を放ち...

 

 

 

 

ゴルフクラブが、結晶化しつつあった左肩を殴り潰す。

 

 

「う゛あぁ゛ぁっ!!」

 

 

植木バサミが、包丁が、脇腹を突き貫く。

 

 

「や、や゛め、やめ゛ぇ゛あ゛ぃ゛ぃぃああ゛あ゛あぁぁあ゛ぁ゛!!!」

 

「あー、心臓と口は狙わないでね?しっかり痛めつけたら僕が話すし。その時は口が利ける状態で置かなきゃ意味が無いんだ...でもこれで分かったろう?」

 

振り下ろされるゴルフクラブがまた体の何処かを潰し、包丁と植木バサミが内蔵のある場所を丹念に刺しては抜いてを繰り返す。

 

やめろ。

 

やめてくれ。

 

お願いだから、もう...!

 

 

「ね゛ぇざッ!!...とぉ゛、ざッ!...がぁ゛...ざ......」

 

「あははっ!凄いねぇ、今ではただの部外者に成り下がった嘗ての養子を家族一丸となって蹂躙するなんて、壮観以外の何物でもないよぉ!」

 

「ぶ、ぐ...」

 

「聞こえてないだろうけど繋がり合った人には指示を出せたりする位僕も自由に能力を駆使できるようになった。言い方は悪いけど、一番わかりやすい言葉で表すなら...『洗脳』ってところかな?実際はもっと尊くて儚いものなんだけどね」

 

 

ぐちゃぐちゃと、肉や骨を潰されたり引き裂かれていく。

ばらばらに、俺が壊されていく。

痛い。痛い。体も、心も、感じ取るもの何もかもが等しく痛みで満たされていく。

 

だが、その痛みを覆い尽くす程膨れ上がった悲しみが...姉さん達にこんな事をさせてしまった悲しみが、俺の意識を繋がせていた。

 

それ故か、辛うじて鼓膜が机から離れてひたひたと此方に歩み寄るアイツの足音を捉えることが出来ている。

自身の体から直接響き渡る蹂躙の音や、周囲に血や肉が散乱する音よりも、ずっと鮮明に。

 

 

「はい、回復も到底追い付かないだろうしその辺でいいよ...後は僕に任せて」

 

 

奴の声で、姉さん達の手が止まる。そのまま後ろに下がっていく姉さん達の代わりにあの顔無しがやって来て俺の頭を掴み、軽々と持ち上げた。

 

 

「さて、僕は君に提案を持ち掛けたいんだ...ボコボコにしといてアレだとは思うけど、ここに()()()家族におけるキミの存在は特別だと思って止まないのさ」

 

「...?」

 

 

…何を言っているんだ、コイツは?

言い返そうとしても、喉を動かす力すら抜け落ちてしまったようでうまく舌が回らない。

 

 

「この世界に転移させられて、魔力も無い状態で手始めにこの辺りに僕の能力を展開したんだ...結果として、この家に居た人以外は耐えきれなくって死んじゃったんだけどね」

 

「お、ま...ぇ」

 

「この世界の人達は弱すぎるし脆すぎる、蹂躙されて当然だ...でも、この家は違った。少なくともこの辺りの人々が持ち合わせていない強い心を持ち合わせていたんだ...キミによって、ね」

 

「...ぁ?」

 

 

本当に...本当に、何言ってるんだ?

何故、今になってそんな事を?

 

 

「ま、繋がった時に色々と記憶とか僕の方に流れ込むからね...そこで真っ先に見たんだ、キミという存在を」

 

「...っ!」

 

「久しぶりに...『羨ましい』と思ったよ、血も繋がっていないのに並の家族より幸せそうに生きてるんだもの、妬まない筈がない」

 

「ざ...けんな」

 

 

遺された力を全て喉元に込めるつもりで、文字通り声を絞り出す。

 

 

「何が『普通の家族より羨ましそう』だ...何が『妬まない筈がない』だ...お前のソレだって、無理矢理結んだ関係だろうがッ」

 

「あぁ、うん知ってるよ?あとキミが本当の親を失った事もね」

 

「だったら...!」

 

「それと、僕のコレと、なんの違いがあるんだい?血も繋がっていないのに家族として生きてきたキミと、これから魂で結ばれて家族として生きていく僕。同じでしょ、そんなの」

 

 

淡々と、取るに足らない疑問に対して呆れながら答える顔無しに...俺は初めて恐怖を感じた。

所々が黒ずみ、歪む視界に迫る奴の大穴のように、奴自身が空虚な存在である事を理解して。

 

 

「お前...本気で、そう思ってるのか?」

 

「うん、だからキミをこのまま殺してしまうのは僕としても不本意だ...チャンスをあげる。僕と繋がってよ、そうしたらキミ達は本当の意味で家族になれる...()()()()()って、呼んだげるよ?どうかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「...お断りだ」

 

 

生きてはいる。

少なくとも暫くの間、生きてはゆける。

だが、自分の感じたものを筒抜けにされ、行動全てが管理された状態の生を望むか?謹んで受け入れるべきものなのか?

 

…答えは否だ。

 

そんな形で生かされることを、俺は望まない。

 

 

「え?」

 

「もう一回...いや、何回でも言ってやるさ...お断りだってな」

 

「なんで...なんで?どうして??魂で結ばれる事以上に深い繋がりは無いよ??どうしてそれを拒むの???」

 

 

理解が出来ない様子を示すように、うねうねと気持ち悪く顔の穴が歪曲したり伸びたり縮んだりしている。

当然だ、コイツは70年ですっぽり脳みそ無くしちまったようなもんだからな。

家族と奴隷の違いすら、解せなくなっている程には。

だから俺は言う。言ってしまう。

 

 

 

どの道、助かる術はもう残っていない。

 

 

「そんなもんはな、家族でも何でもねぇ...自分の都合のいいように駒を動かすだけの独り善がりだ。そんなもの断じて認めねぇ...認めてたまるかよ...!」

 

「...もういいや」

 

 

キュッと奴の顔が(すぼ)まり、頭を掴む手を離した。

重力に従って落ちていく体が、スクロールアップしていく視界が、妙にゆっくりと感じる。

 

 

...あぁ、やっぱり、こうなるのか。

畜生。何が『生き残るため』だ、結局俺は何一つ...大切な人を救うどころか自分の身を守る事すら出来なかったじゃないか。

 

せめて勝てなくても、ラナが来るまで時間稼げる程強かったらなぁ...

 

 

 

 

 

...姉さん達、助けられたかもしれないのに。

 

 

 

「ラナ...悪ぃ」

 

「バイバイ」

 

 

アイツの手が俺に向かって翳された時点で、目の前の景色が真っ赤に染まった。

何かにぶつかりまくる感覚がするような気がしたが、もう肌の感覚すらよく分からない。

 

 

今までギリギリ保っていた自我が遠のく。

 

 

…これで、終わりか。

 

 

 

 

 

////////////////////

 

 

 

「マサヤぁぁぁぁっ!!!」

 

 

少女をその親と共に無事避難所へ送り届け、全力で風原家へと向かっていたラナがその場に辿り着いて目にしたのは、家の壁を突き破って路上に転がり落ちている最中の正也...()()()()()

 

四肢を失い、全身が血に濡れ、全身の裂けた部位から何かしらの体組織がくまなくまろび出ている状態の肉塊が、辛うじて正也であると分かる形を保っているからこそ彼女は叫ぶ。

 

遅かった、遅すぎたのだ...何もかもが。

 

 

「そんな...こんな事って...」

 

 

ここに来るまで、正確にはこの家の在る住宅街に接近してからラナ自身も違和感を感じてはいた。

狭い範囲ではあるが強大な魔法を使ったと推察できる魔力の残滓、各所に積もる灰から既に倒し尽くされた周囲のモンスター、そして...あちこちに広がるモンスターの亡骸とは違った黒いシミ。

 

明らかにゴブリンとは違う何かが送り込まれてきた上、何か異常な能力を持っている存在が来ている事は間違いないと理解していながらもその正体を掴めないでいた。

 

周囲に侍らせた本で事象を改竄する存在(ミラージュ・カットアッパー)』かとも思ったが直ぐにその考えを打ち消す。

現実の事象そのものに干渉して変化を齎したのなら、こんなモノでは済まないだろうから。

 

つまり、ゴブリンより明らかに強い力を有しているが大して脅威的ではないモンスターが転移させられたと考える事にした。

襲ってくるモンスターを倒しつつ、自分自身がモンスターである事を明かさない為にも“擬態”を維持し続けながら、自分の能力にそれっぽい理由をでっち上げる事で誤魔化して送り届けるまでそれなりの時間を要する事になっても、今まで備えてきた正也なら何とか耐えてくれる筈だと。

 

 

 

そして今、その判断が大きな過ちであったという事を、見るも無惨な姿に成り果てた正也の姿で思い知る。

 

 

 

「...私が、ここに来るべきだったの?」

 

 

今となっては取り返しのつかない事を悔やみ、瓦礫の覗く穴の奥から感じるドロリと爛熟した魔力に顔を顰め、自分の不甲斐無さに苛まれながらも彼の元に降り立ってその身体を優しく抱え起こした。

 

 

「!」

 

 

僅かだが、今すぐ気失せてしまいそうなほど脆弱ではあるが、変わり果ててしまった彼の身体に温もりが、心拍が残っている。

 

 

 

 

 

ラナは一つだけ、自分にしか出来ない方法で正也をこの状況から助け出せる術を持っていた。

 

 

しかし、それは同時に賭けでもある手段。

重大なリスクを背負う選択でもある事も確かであった。

 

 

…それでも

 

 

「少しでも...助かる可能性があるのなら」

 

 

ラナは決意する。

まだ彼を死なせてはならないと、まだ恩赦の言葉一つ伝えられていない人を見殺しにはさせまいと。

 

 

彼女の滑らかな手が脳髄と血肉の剥き出しになった彼の顔を引き寄せ...

 

 

 

 

「...んッ」

 

 

 

その口に、自らの唇を重ねた。

そのまま、唾液のようにアルラウネの『蜜』を送り込む。

 

 

断じて普通の花の蜜では無い。

それて彼女も自らの母親から教わっただけで、実際に行うのはこれが初めてのことだった。

未来永劫そんな相手が現れることなくその生涯を閉じるのだろうと、この世界に来る直前までそう思っていたのだから。

 

 

嘗て彼女の住む世界の人々がこぞって求め、その多くが力に呑まれて命を落としたいう伝承がある劇薬...人形植物系モンスターの身を、文字通り削ることで齎される『無垢胚』としての蜜。

万病を治め、病を打ち消し、四肢を失ってしまうほどの外傷すら忽ちのうちに快方へと向かわせる究極の薬。それを直接正也へ与えていく。

 

傍から見れば、さぞ恋人同士が今際の別れを告げる口付けにも見えるだろうが、これはアルラウネである彼女にしか許されない決死の儀式。平たく言えば人工呼吸に近かった。

 

 

 

正也の身体に染み渡るそれが始めに与えたのは、夥しい量の魔力。

魔核によって得た自動回復能力を上回る速度で欠失した部位から赤い結晶が生え伸び、沈みゆく意識を引き上げる。

優先して内臓を、余ったリソースを手足の修繕に当てられ、潰れた脳と眼球を作り直される事で正也は再びこの世界の景色を見る事が出来た。

 

そして...その眼が命を救ってくれた恩人の姿を視野に収める。

 

 

――――――ラナ?

 

 

言葉を発しようと口を動かそうとして、それが叶わなかった違和感から徐々に今の自分が置かれた状況を正也は理解し...

 

 

――――――どう、なってんだよ

 

 

内心酷く狼狽した。

このまま遠く消えてしまう筈だった意識を、喪失した感覚全てを取り戻してから初めて見た光景が自分に口付けをする同居人の姿だったから。

 

まだ自分は彼女とそこまで深い関係では無いことは兎も角、ゴブリン助けられた時のように本来この場に居るはずの無い存在なのだ。

 

しかし、あの時とは違って一つだけここに来る事が出来る理由があった。

 

あの女の子を親の元に届け、安全を確保し終えたならば...偶然、自分が死の淵へ落ちていく最中に間に合う可能性はゼロに近いが等しくはない。

 

 

 

俗にそれは、『奇跡』と呼ばれる現象である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、『奇跡』は常に無償で与えられるものでは無い。

あらゆる薬には副作用がある。強力であれば在るほど、大抵それも強く激しくなっていく。

 

 

そして何より、ラナの与えるそれが治療薬として機能するのは『ある条件さえ満たせば』、という前置きを要するものであり――――

 

 

 

 

 

 

 

「...ッ!いけない!!」

 

「ぷはッ!?な、何が...」

 

 

徐ろにラナが目を見開きながら弾かれたように唇を離す。

すっかり口も利けるようになった正也が問い詰めようとした時にそれは起こった。

 

 

「...く゛、あぁぁッ!!?」

 

「今まで順調だったのに...最後の最後で拒絶反応が?!」

 

 

大きく身を逸らしながら藻掻き苦しみ始める正也。

ズタズタに引き裂かれた制服のあちこちから露出する、服の惨状と反比例して綺麗に修復された肉体。

その心臓部から()()()()()()()が皮膚を突き破らんとする勢いで浮き出し、虫が穀物を食い破って進むように全身の末端へ広がる。

 

 

「い、ぎぃ゛...!?なんだよ、どうなっ...!?」

 

■■■(止まれ)ッ!!...言うことを聞かない!?完全に私の制御を離れてる!?」

 

 

 

自分の内から生成した『無垢胚(もの)』ならば、今まで自分を媒介として生成した植物のように万が一の事態が起こったとしても、それを止める方法になるとラナは思っていた。

だが、『奇跡の代償』はその程度で止まるほど甘くはない。

 

 

全身に広がりつつあった胚は、心臓に到達した瞬間に血流に混じる魔力濃度から、その機能を『欠損部位修繕(回復)』から『自身の性質に合わせた最適化(掌握)』に移り変わらせた。

 

宿主に合った共存形態を取るのではなく、宿主自体を作り替えた方が自己の生存に繋がるのだと判断。

 

 

故に、腕と脚の修復が手首と足首を残して停止。

代わりに、『無垢胚』の出処であるラナの...アルラウネという種族を反映させたような木の枝が、葉が、蔓が断面から所狭しと溢れ出して全身に絡み付く。

 

 

「う、うわぁぁぁぁッ!!ラナッ、俺の腕が!?腕ぇ゛ッ゛、あ゛ぁ゛ぁぁぁ!!!」

 

■■■(止まれ)っ!■■■(止まれ)■■■(止まれ)――――――ッ!!!」

 

 

内から外へと。

随所の皮膚を突き破り、血の結晶を砕きながら枝葉は伸び、絡まり、塞いでいく。

血液ごと魔力を吸われ、肌の色すら青白い土気色へと様変わりしていく。

植物を操るラナの言葉は虚しく響き渡るのみで、内側から喰われる正也はただ叫ぶ事しか出来ない。

 

 

「ぅ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ!!!」

 

「私のせいで...私の...ッ」

 

 

緑と茶色の色彩が、奇妙にラナだけを避けながら藻掻き苦しむ正也の体だけを破壊していく。

既に体の大半を覆い尽くしてしまったそれが、とうとう最後に遺された顔に伸び始めた。

 

 

「ア、う゛ぇ゛...ラ゛、ナ゛ッ...」

 

 

今にも泣き出しそうな彼女に、彼は圧迫され始めた喉で言葉をひり出す。

 

 

「あ゛り゛...が......俺の゛、事すく...おう、と...」

 

「違う!私は貴方の死なせ方を変えただけ!!救う事なんか出来なかった!!」

 

「ぃ、や...救、われ゛た、さ......その、気持ちだけ゛て゛......ぐ、ごぅ゛ォ゛ォ゛エ゛!!?」

 

 

熟れたトマトを潰すような音と共に正也が吐血する。

飛沫が絶望に顔を強ばらせるラナの頬に跳ねた。

 

 

「マサヤッ!!...嫌、私は嫌よ!こんなの私が殺したようなものじゃない!!こんな別れ方なんて真っ平御免よッ!!」

 

 

クールで、仏頂面で、感情をあまり表に出さなかったラナが遂にその目尻から涙を溢れさせて泣き叫ぶ。

 

 

――――――そんな顔も、出来たんだな...ラナって

 

 

避けられぬ死を目前にすれば、諦めからそう考える余裕が生まれもする。

しかし、それは先程までの一方的な戦闘によるものではなく、心から自分を助けようとしてくれた思いがあと一歩届かなかっただけ事。

 

そう思うと心が幾分か楽になる...が、最後に託さなければならない事が、伝えなければならない願いが彼にはあった。

 

自分の...平野正也という人間の代わりに。

 

 

 

 

ねえさんを、たのむ

 

 

 

潰れた喉から声は出ない。

口の動きで、伝える。

 

ラナは俯きながら頷き、彼をゆっくりと地面に下ろそうとした。

 

 

――――――あぁ、これでもう大丈夫だ。

 

 

そう確信した正也は瞼を閉じ...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――あ゛つ゛ッ!!?

 

 

 

背中から脳に突き抜ける、鋭い熱で意識を無理矢理叩き起された。

瞬間、目に映る世界が静止する。

 

 

遂に脊髄をやられたかと思ったがそれは間違いで、そう感じている時点で繋がる脳が生きており、錯覚であると正也は解釈する。

それに...自分の頭の中にあるものが出たり入ったりするような、向こうから与えられたり此方から差し上げたりするような感覚も。

 

先程まで体を滅茶苦茶にされていたとは、そうしてきたとは思えない程の緩やかなアプローチに正也は困惑さえ憶えていた。

 

 

探りを入れるような脳への直接干渉に、正也は1つの結論を出した。

 

 

…これは、最後の確認なのではないか?

 

 

このまま本当に諦め、脳を植物に明け渡すか。

生きる意志を、生きたいという願いを示すのか。

 

 

――――――非現状的解釈(ご都合主義)だと言うだろうな、他の人からすれば。

 

 

外から見れば、コンマ1ミリ秒に満たないやり取りの中で彼は自嘲する。

流石にこればかりは理論が飛躍してるとかどうとかいうレベルの話ではない。

 

だが、現に今はその場に立ち会っているのだ。

その気になれば一瞬で脳を奪い、その本懐を遂げられる筈の植物がここでその決断を下しあぐねている理由...正也の珍妙且つ的確な考えで至るに、それは一重に決断をさせようとしているのだと。

 

 

 

――――――死を覚悟した俺に、その気にさせるのか?まだ生きてもいいって言うのか?

 

 

 

問い掛けに植物は言葉で答えない。

ただ暖かみすら感じる静寂の中に、(YES)の意を汲み取る。

 

こうなってしまえば取るべき選択は一つだけ。

 

 

――――――俺は...生きる!まだ生きていたい!!

 

 

 

 

ぱちん、と頭の中でシャボン玉のように希釈された何かが弾けて溶けていく。

植物から感じる意志が己の心と同調するように重なる。

自己と植物とが混じり合う事で、彼はその真意を理解した。

 

 

 

――――――そうか、お前も...お前も生き残りたかったんだな!?

 

 

宿主の体を無理矢理作り替え、最も適した状態に落とし込もうとするホメオスタシス(習性)を行う理由。

生まれたばかりの胚が他者の肉体という複雑且つ過酷な環境下で存続しようとする生存本能に他ならない。

体躯を作り替えていくその行程において、胚は決まって二つの選択を行ってきた。

 

宿主を支配する必要が無いと判断し、自らの全てを委ねる『従属』か。

 

 

宿主を作り替え、その命すら奪った上で事で生存に適した形態へと変容させる『拒絶』か。

 

 

 

そして今...正也の体内にある胚は、その双方の何れにも傾く事無く、全く新しい形で発現し始めた。

 

相手に従うもの(従属)でもなく、一方的に拒むもの(拒絶)でもなく、互いに歩み寄り一つとなる...『融合』へ。

 

 

 

 

静止した時が動き出す。

 

 

 

「――ォォオオオオオオオオオッ!!」

 

「え―――きゃッ?!」

 

彼の身体に纏わり付く緑色が大きく輝き、甚大な魔力を集積しながら周囲に放つ余波でラナが彼から大きく跳ね飛ばされそうになるが、数メートル離れた所で辛うじて踏ん張った。

 

ここに普通の人間がいれば、単に広域の衝撃波を放ったようにしか見えないだろう。

家々のガラスが砕け、アスファルトの道路とコンクリートの塀に罅が走る。

 

 

「何?...『無垢胚』は拒絶したんじゃないの...!?」

 

 

彼女の驚愕を他所に、正也の変貌は続く。

ただ乱雑に絡まり覆い尽くそうとしていただけの植物が、まるで一定の法則に沿うような形で()()()()()ていく。

 

蔓と葉は首から下の全身に満遍なく広がりながらも、人体骨格の可動域を基準に、干渉しないよう余った部分や収まりきらない分はそのままたなびかせる形で可能な限り合理的で理想的な纏い方へ。

 

欠落した手と足から止めどなく放出されるがままだった植物が一旦体内へと巻き戻り、正也の脳から読み取った情報を鋳型として樹皮のように硬質化を施した変更を加え、赤い結晶を生成すること無く再生成が成し遂げられた。

 

 

「ま...マサヤ...」

 

 

完全に蚊帳の外だったラナの目の前で、死ぬ運命にあった筈の彼が大きく、深く息を吐きながらゆっくりと起き上がる。

随所に面影を残しながら、大きく様変わりしてしまった彼が。

 

 

 

 

 

 

「おいおいおいィ?これから壊れた壁とか直そうとしてるのに、断末魔がうるさすぎて作業に入れな、い...じゃ.........」

 

 

そして、風原家の壁の穴から気怠そうに出て来た【減らず口】が、その姿を目にしてプルプルとその大穴の外縁を驚愕と恐怖に震わせ始める。

 

 

「な、なな、んな...なんッだよその姿わぁぁっ!!?!??ま、まるで...まるでッ!!」

 

「...ぁ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まるで...モンスター(僕達)じゃないかッ!!!」

 




表現って難しい(脳死)


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第九葉:心の欠片

「まるで...モンスターじゃないかッ!!!」

 

 

顔無しが声と顔の穴を震わせながら叫ぶ。

改めて俺の体を確認してみた。

 

…あぁ、成程。

全身に巻き付く蔦といい、変形して炭化したような黒い手足の先端といい、これはモンスター呼ばわりされても致し方ない佇まいをしているか。

だが不思議と、そんな自分の体に嫌悪感は湧いてこない。

 

まるで長年その姿で生きてきたとでも言うような、今まで通りごく当たり前に感じる四肢の感覚、呼吸で取り入れた空気は肺を介して血流に乗り全身を巡る。

やつは俺を『モンスター(同類)』だと言った。それでも俺は、俺が未だに『今まで通り』であると感じる。

潰れた喉も、体を内側から食い破っていたものも、今はもうない。

 

違う点があるとすれば...五感の全てがより一層密接に、明瞭に、産まれて生きていく中で少しずつ堆積してきた老廃物(いらないもの)全てを、スッキリサッパリ削ぎ落として漂白したような錯覚を憶えるほど、自分の心と体がダイレクトにつながっているようなイメージが染み渡っていた。

 

 

「クソッ!クソッ!!...こんな事なら丹念に切り刻んで!心臓を抉り取って!!脳をぐっちゃぐちゃにかき混ぜてから!!それから息の根が止まったことを確認するんだった!!!」

 

 

頭を掻きむしり、イカスミみたいな黒い粘液を穴から撒き散らして喚く。

奴の見える景色が俺と同じ色彩を有しているものかどうかは定かではないが、少なくとも俺からやや離れたところにいるラナの姿が見えていない様子だ。

怒りで見えるものを正常に認識できていないのか、或いは元から視界が狭かったのか...

 

 

 

 

「でもッ!でもねェ!?!幾らキミがそんな力を隠し持っていた所で所詮は付け焼き刃を更に継ぎ足しただけに過ぎないんだよ!?それに何より僕を攻撃すればキミの大事な、僕にとってもだァいじな人に危害が及ぶのさ!!!」

 

 

ビシッと俺を指さしてから両手を広げ、『さぁ攻撃してみろ』とでも言わんばかりに顔無しが余裕そうな態度をとる。

 

…が、正直言って震えが隠せていないのが()()()には手に取るように分かってしまう。

自分にとって大切なものを壊されたくないから自身を盾とする姿に、哀れとすら思えた。

 

尤も、それ以前にコイツは越えてはいけない一線を越えている。

此処で討たなければ、俺が見逃せば、また多くの犠牲が生まれてしまう。

 

 

取るべき行動は、故に一つだけ。

 

 

 

 

 

 

 

俺は、顔無しへと一直線に走り出す。

 

 

「ははッ!とうとうなりふり構わなくなったかい!?僕を倒せればあの人たちがどうなってもいい...それがキミの答えなんだろう?!!」

 

 

勝ち誇ったような笑み...表情を象るパーツが無いから、声と穴の歪み方でそう判断したが、顔無しは俺が攻撃してくるとタカを括ったからこそそう思えたのだろう。

現に俺は、硬質化し鋭利な刃物のように研ぎ澄まされた指先を揃えて突き貫こうと構えながら駆けていたから、攻撃しようという意思があったこと自体は正しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その狙いが、奴でない事を除けば。

 

 

 

 

 

 

「キミも所詮は、僕と同る――――――!?」

 

 

 

 

突き出される指が頭蓋を刺し貫く事もなく、振り抜かれる手が胴を裂く事もなく、何も仕掛けないまま真横を通り過ぎた俺に、数秒遅れて顔無しが驚愕に息を飲む。

 

だが、もう遅い。

俺の狙いは最初からコレだった。

 

走り抜け、家の壁に開いた大穴からその内へと飛び込み...

 

 

「ラぁァアアアアアァッ!!」

 

 

俺の内腑をズタズタにさせられた時から立っている場所の変わらない義父さんと義母さんの、顔の穴にそれぞれの腕を突っ込んだ。

 

 

...突っ込めた。沼の水面に腕を突き入れるような、意図も容易い感触を伝わらせながら。

手から肘まで、頭を貫通しているべき長さの腕がすぽりと入り切ったその最奥に...硬い何かが指に触れた。

 

 

「見つけたぁッ!!」

 

 

即座に掴んで引きずり出す。

ブチブチとソレにくっついていた何かがちぎれていくが構わない。拾いあげようとした河川の石に絡まる水草みたいなものだ。

 

 

「おォ、りぃやあぁぁ!!」

 

 

両腕が顔の穴からすっぽ抜け、諸手に掴み取ったモノが握られているのを確かめた。

黒く濁った表面に蝋燭の火のような光を揺らめかせる赤い線が幾つも走った、ソフトボール大の多面結晶とでも言うべき物体。

明らかに魔核とは別物でありながら、何かしらの中枢を担っているような...そんな結晶を。

 

 

「ッ!」

 

 

…握り潰す。

変化は直ぐに現れた。

 

ダムが決壊したような勢いで顔の穴から黒色の液体を迸らせ、繰糸の切れた操り人形のように倒れ伏す。

 

陥没した顔の穴を満たした黒い液体が、周囲に飛び散ったそれらと連動するように白い蒸気を放ちながら蒸発していく中、俺もよく知っている人間の...義父さんと義母さんの顔が、寸分違わず元の形へと戻っていくのが見えた。

 

 

だが、脇腹に背後から鈍い痛みが走って最後まで見届ける事を阻む。

振り向けば、包丁を突き立てる姉さんの姿。

顔に穿たれた空洞の奥、一筋の光すら通さない闇の奥でも揺らめく残光を湛えながら。

 

 

「姉さん...!」

 

既に包丁の刺突程度でろくな痛みも感じられない体に感謝しつつ、左手を姉さんの顔に突っ込んだ。

やはり、ここにもある。この手に、この指に尖った感触を感じることが出来る。

 

救い出せる...姉さんも!!

 

 

「今、助けるッ!!」

 

 

掴み、腕を引っこ抜く。

吐き出されて降り注ぐ黒い液体が俺だけに留まらず、天井や床を染め上げながらゆっくりと支えを失って倒れていく姉さんの顔は先程のようによく見知ったものへと戻りつつあった。

 

 

「よし、これで...」

 

「...なんでさ」

 

 

不意に、壁の大穴から声がする。振り向けば案の定奴が居た...が、何やら様子がおかしい。

だらだらと顔の穴から墨汁のような体液を垂れ流し、建材が剥き出しになった壁に寄りかかりながら此方を睨みつけるように凝視する様子は、余裕に満ちた先刻のそれとは大きく乖離している。

 

()()()、そうか。

 

 

「なんで分かったんだ...なんでそんな事ができたんだ!?キミの家族だろう!?」

 

「あぁ、そうだ...家族だからこそ、互いのことをよく知る人間だからこそ出来る真似だ...俺たち人間の頭に、こんなモノ(結晶)は入っちゃいないんだよ」

 

 

そう、一見すれば相手の洗脳は完璧そのものに見える。というより洗脳して影響下に置いている時点でほぼ完璧だ。

『ほぼ』、という部分を見出したのは顔無しが俺の体をズタボロにする命令を下したとき、まるで共鳴するような光が各々の顔の穴から漏れたのが見え、そこでふとこう思った。

 

『顔無しが命令を送信する親機(アクセスポイント)、操られ命令を遂行する姉さんたちを子機(レシーバー)と考えたなら、それを介する何かが存在するのでは』と。

残念ながら思いついた次の瞬間には全身をひん剥かれる痛みでそれどころではなくなってしまったが、今こうして不確定要素が大いに混じった五体満足+α(全快)状態になれたことでその仮説を実証に移せるチャンスを得て、それを実行した。

 

結果は大当たり。

洗脳能力は高くても、それを対象に発現させるまでの行程(奇しくも脅威度がCである理由と同一のそれ)は、明確な対処法が存在できる程度に至ってシンプル極まりなかったのだから。

 

 

顔無しは俺の取った行動を信じられないように、大事にしていたものを取り上げられてしまった子供のように、癇癪を起こす寸前だった。

 

 

「どうして...どうしてみんなは、世界は僕から奪おうとするんだ...僕はただ...ただッ!!!」

 

 

...来る。

研ぎ澄まされた直感がそう告げて、しかしそれでも場に留まる。

 

 

「幸せで在りたかっただけなのにィィィィィ!!!!」

 

 

何かが弾けたような勢いで、俺に向かって飛びかかりながら腕の包帯全てを解いて斬り掛かった。

顔無しからは怒りしか感じられない。激情に振り回される奴をそのまま表したような無規律の軌道を描き、体を引き裂くはずの包帯が捉えるのは表層の重なり合う蔦だけ。

しかも切り裂いた上から勝手に縫合が施されていくかのように自動で修繕されていく。

切り裂き、治り、引き裂き、塞ぎ、突き刺し、突き放され...

 

 

 

「ぜぇ...はぁ...このっ!...この...ッ...」

 

「なぁ、顔無し」

 

「何だよ...これ以上僕をどう虐める気なんだ...!?」

 

 

徐々に息を切らし、腕を振るう速度も力もすっかり衰えた顔無しに、俺は言葉をかける。

...言わなければならないことがあった。人間だろうがモンスターだろうが関係なく、目の前で八つ当たりめいた感情をぶつけてきた、この存在に。

 

 

「お前の話を聞いて、何一つ同情しなかったと言えばそれはウソだ。大切な人を、当たり前だった暮らしを突然失う痛みや辛さ...俺もそれを経験してきた」

 

「だったら、僕を放っておいてくれよ...失ったものを求めて何が悪いんだ、幸せを求めて何が悪いんだ!70年もずっと...ずっとだぞ!?」

 

「幸せになりたいがために、誰かの幸せを犠牲にしてでもかよ?」

 

「そうだ、だって僕にはその権利があるはずだ!苦しんで苦しんで、苦しみ続けて...住んでいた世界から追われまでしたんだぞ!求めることの何が悪いんだ!?」

 

「...ざけんじゃねぇっ!!!」

 

 

我慢ならなかった。

手にしていた結晶を落とし、顔無しの肩を掴んで壁に押し付ける。もう一方の手で腰に突き刺さった姉さんの包丁を引っこ抜いて顔無しに見せつけた。

 

 

「俺の姉さんはな、誰かを傷つけたくてコレを振るってきたんじゃない...コレを使って作り料理で、誰かを笑顔に、幸せにしたくてずっと頑張ってきたんだ!!他者の幸せ否定しといて何が自分の幸せだ!何が家族だ!!」

 

「あ...ぁ...」

 

「お前は世界から奪われたって言ったな?自分のした事をよくよく考えてみろ、お前も...お前自身も、とっくに『奪う側』だって事に...!」

 

 

顔無しはピタリと静止し、伽藍洞が望遠レンズのように僅かな萎縮をした状態で俺に向けられたまま凝固した。

何を考えているのか。何を感じ取っているのか。

 

 

「だったら...」

 

 

震える声で顔無しが沈黙を破る。驚愕や怒気を含んだそれとは違う、悲しみや無念が入り混じった震えを滲ませながら。

 

 

「だったら、僕はどう生きればよかったんだ!!モンスターになった人間は...沢山の人を殺してしまったモンスターは、どう生きればよかったんだッ?!」

 

「!...お前、まさか...」

 

 

その口を兼ねる穴から飛び出した言葉は、思いもしない内容だった。

まるで自分が、ずっとモンスターとして生きてきたことを後悔し続けて...それでもモンスターとして振る舞ってきたと、そうする以外に方法が無かったという心中を吐露してくる。

 

自分のことを狂っているとコイツは言った。自分は正常ではないと()()()()言った。

もし、顔無しの...彼の中で、人間らしい精神が残っていたとしたら?

彼の繋げている魂とやらが...人間の頃から全く変わっていないとしたら?

 

 

70年の時を生きてきたとして、その根底が、彼を彼たらしめるモノが10代の頃から止まったままだとしたら?

 

 

「僕はモンスターとして勇者たちに討たれた...だったらこの世界で、人としての幸せが手に入らないなら、モンスターとして幸せになるしか無いと...そう思い込んでいたのにっ!!キミのせいで...キミのせいでモンスターにすら成りきれなかったじゃないか!!」

 

「.........お前は...」

 

 

きっとコイツはその身はモンスターであっても、心は人間の...子供のまま、生きる他無かった。

自分で自分を狂ったと思いこむことで...そう演じることで、モンスターとして生きていくつもりだったんだ。

 

 

「でもさ...そうだよね、僕はもう既に多くの超えてはならない一線を踏み抜いている。赦されるわけにはいかないし、きっとキミも僕にされたことを赦せない...だから」

 

「...だから?」

 

 

問うと、力なくぶら下がっていた彼の右手が自らの胸部を指差し...

 

 

「ここに、僕の魔核がある...終わらせてくれ、僕という(いのち)を」

 

 

そう、言った。

 

 

確かに、俺も姉さん達もコイツに滅茶苦茶にされた。姉さん達に至っては操られて俺を殺す一歩手前にまで追い込ませた。

許せないのは確かなことだ。

 

だから、死で終わらせたりしない。

 

 

「あぁ、終わらせてやる...でもお前は死なない」

 

「?...あぁ、そういうことか」

 

 

 

そう、モンスターは死なない。

魔核という形になるだけ。

人間が食事を経てその糧を血肉として生きるように、魔核を食らう人間もその中で多くのモンスターを押し込めているようなものだろう。

 

だからお前は死ねない。

 

 

 

「それでも僕は...これ以上、誰かを殺さなくて済む」

 

 

包丁を床に置く。

左肩は押さえつけたまま、徒手に戻った右手の狙いを彼が教えてくれた胸元に合わせ...

 

 

豆腐に指を突っ込むような、柔らかい感触。

差し出された胸を呆気なく貫通して外気に触れる手は、確りと丸いものを掴めていた。

 

 

「...“ユード”」

 

「何?」

 

「それが...僕の人間だった頃の名前」

 

 

下半身から灰になって崩れていく彼が、俺に名を残した。

…その意味は、深く探り入れなくてもなんとなく分かる。

 

 

「あぁ、忘れねぇ...お前の名前も、お前にされた事も...お前がしてしまった過ちも」

 

「...」

 

 

瞼を閉じるように、穿たれた顔孔がスっと横に細く塞がる。

彼を彼たらしめる最後の力が抜け落ちたように、一気に下半身から灰となって崩壊した。

 

 

外から吹き込む風に、きめ細やかな粉粒が散っていくのを俺は見届けた。

 

 

 

 

 

 

気づけば近くまでラナが来ている。

まだ、何処か申し訳なさそうな面持ちで俺に視線を向けて。

 

 

「大丈夫?」

 

「あぁ、終わった...終わらせた」

 

 

掌に残った彼の魔核を口に放り込む。

凝縮した血の味に、涙を彷彿とさせる僅かな塩っぱさが紛れたような味だった。

 

…まだ、やるべき事は残ってる。

 

 

「ラナ、あの女の子とその両親を届けた避難所って何処なんだ?」

 

「えっ?...えぇと、確か“ビョーイン”って所よ、貴方と一緒に行ったあの自然公園近くの、大きな建物」

 

「あそこか、分かった」

 

 

話の内容から大方の場所を特定する。

ラナの言ってくれた病院はこの辺りでも有数の総合病院、学校や市民館等を除けば避難所としても十分機能してくれる。

それに...余裕もあれば、後遺障害が無いかどうか姉さん達を診てくれるだろう。

 

 

「ラナは姉さんを頼む、俺は義父さんと義母さんを...」

 

「いえ、貴方がミズキを運びなさい。ご両親は私に任せるのよ」

 

「いいのか?二人も任せてしまって」

 

俺は無事だった食器棚の引き出しにしまってある保険証を探しながら、負担を多くしてしまうのでは無いかとラナに訪ねる。

 

しかし、返答代わりにスルスルと何かが伸びて巻き付いていく音がして...振り返ると両腰から伸ばした蔦に繋がる、担架のような組み方をした植物の上に固定される形で寝かされていた。

キツく拘束しないよう配慮しながら、ちょっとやそっとで転がり落ちたりするとは到底思えない程がっちりホールドされている。

 

 

「見ての通りよ、貴方が運ぶよりご両親の負担を軽く出来る」

 

「...らしいな」

 

「でも衝撃とか全部逃せるように細かく制御する必要があるから、道中のゴブリン共は貴方に任せるしかないわ、それでいい?」

 

「可能な限り避けるけど、他に選択肢がない場合はそうする」

 

 

あぁ、俺に姉さんを任せるわけだ。

俺が住まわせてもらっていた時から置き場所の変わっていない三人分の保険証を、なんとか機能しているズボンのポケットにしまい込んでから姉さんを背負った。

 

ほんのりと温かい熱に、まだ背負っている命が人間として生きている安心感を覚えながら。

 

 

「でも、良いの?その姿で行けば貴方もモンスターと間違われるかもしれないのに...」

 

「間違われたっていい、姉さん達を無事に届けて診てくれるよう漕ぎ付ければ万々歳だ」

 

「......とりあえず、私は“擬態”しておくわ。けどイザとなった時は...『魔核摂取した突然変異で2人ともこうなった』って言えば誤魔化せるはずよ、でも深入りされる前に逃げる事を心掛けて」

 

「アドバイスありがとな、ラナ...出来れば何事も無く済ませたい所ではあるけど」

 

 

道中のゴブリンが出来る限り少なくあってくれと願いながら、俺たちは日が沈んでから久しい夕闇の中を急ぐのだった。

 

 

 



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第十葉:化け物は涙を流すか

書き溜めは全て使い切ったので初投稿です。


 

 

「生存者の保護状況はどうなっている?」

 

「既に周辺半径一キロ圏内は全て保護済みです、異教徒たちも軒並み殲滅済みであるとの報告も、今し方入ってきました」

 

「現状は安定しているか...しかし一体たりとも異教徒を近づけてはならぬよう改めて通達を、我々は既に人々にとって最後の砦なのだ」

 

 

総合病院にて。

負傷者の受け入れで忙しなく内と外を往来している医療スタッフに混じって、自動小銃で武装した白いフードの集団が正面玄関の守りを固めていた。

皆、総じて胸に同じ形の記章(バッヂ)を付けており、そこには『神の存在証明』という何処か危なげなイメージを彷彿とさせる宗教団体の名が彫られている。

 

大凡一端の新興宗教とは思えない、それこそちょっとした小国の軍隊と肩を並べるような兵装を携え、病院の敷地内に救急車と並んで止めてある装甲兵員輸送車(APC)がより一層異常性を醸し出していたが、彼らは決して人々を利用しよう等という動きを見せていない。

 

ただ、守っていた。入寇せし異教徒(モンスター)から力を持たぬ者たちを。

少なくともこの場に居る白いフードを被る者は皆、それこそが自分たちの信じる神から齎された崇高なる使命であると信じているが故に。

 

 

「今となっては日本全国がこんな状態らしいと聞きます...自衛隊の支援も、到底期待できなさそうですね」

 

「もうこの国だけのローカルな問題ではない、既に世界中で起こっている事態だ。我々は、我が主の名の下に善を、人々を護ることを成す他に...む?D-3からの通信?」

 

 

入り口から正面のゲートを見ていた、総合病院の防衛を任されている隊長格の白フードの男が、記章とは逆の方向に付けていた無線機にコールが入ったのを確認して繋げる。

 

 

「どうしたD-3?まだそちらは交代時間になっていないはずだぞ?」

 

«ほ、報告ッ!!南南東より建造物の屋上を飛び渡りながら高速で移動する物体を発見!総数2!!»

 

 

無線越しに狼狽しきった、悲鳴のような声が紡ぐ報告に眉を顰めながらも通話を続ける。

 

 

「異教徒か?それとも()()()()を取り込んだ人間か?」

 

«不明です!しかし、進路は其方の総合病院と見て間違いないかと...!!»

 

「成程、鬼と出るか蛇と出るか...兎に角門を封鎖し―――」

 

 

“封鎖し、異教徒か否かを此方で判断する”という旨を伝えようとした矢先、突如として正面ゲートの見張りが上空を指差しながら...

 

 

「な、何かこっちに来るぞぉぉっ!!?」

 

「何だと!()()か!?」

 

 

D-3が担当していたエリアは総合病院から800メートル離れていた。

にも関わらず、通信が入って十数秒と満たない短時間で移動している。

 

最早対象が人間であるかどうかという事以前の問題だった。

しかし、対応に動く間もなく病院に最も近いビルから飛び上がった黒い二つの影が敷地の内へと降り立つ。

 

一方は、まだヒトの少女であると思える姿をしている...が、しかし。

 

 

 

「...人、間?」

 

 

 

もう片方、その細部は我々人間と同一種であると判断する事を妨げるものが多すぎた。

 

 

 

血を一滴残らず抜かれたような青白い肌。

巻き付いて胴体を覆い尽くし、四肢と首元にすら迫るツルやツタのような...恐らく何かしらの植物。

破れた衣服の裾口と袖口から仄暗く覗く、鋭い五本指を生やす手と二又の鉤爪のような足。

抜かれた血をそこへ凝結させたかの如き、赤黒く濁った虹彩。

 

 

 

 

……あれは、本当に人間なのか?

ヒトの域から逸脱していると考えても差支えが無い、あの存在を...果たして人間であると見ていいのか?

 

白フードの隊長格を始めとして、一斉にその者へ銃を向ける神の存在証明の構成員が。

病院内に避難する暇一つ与えられなかった負傷者が。

外で受け入れ準備を進めていた医療スタッフが。

この場に在するすべての人が一律に、同じ疑問を抱えていた。

 

悲鳴を上げて逃げ出す者も一人として居ない、肌を突き刺す静寂と緊張に誰も彼もが固唾を飲む。

 

 

「は...発砲許可を!」

 

「ッ!?待て、民間人がいる!」

 

 

耐えきれず、若い構成員が震えながら引き金を絞ろうとしたのを隊長格の男が制する。

あの存在は、今度こそ人間であると見て間違いない女性を背負っていた。

 

まず、相手の素性を聞き出さねばならないと隊長の男は口を開く。

 

 

「...お前は、誰だ?この世界で生きていた人間なのか?」

 

「...俺は人間です...今もまだ、多分」

 

 

蔦で襟のように覆われた彼の口元から、声が聞こえた。

我々と同じ言葉(日本語)で意思疎通をした。

その事実に幾らかの構成員が僅かに警戒を緩める。

 

 

「なら何故ここへ来た?」

 

「...家族をモンスター共に襲われて、助け出せはしましたが気を失ったままなんです」

 

「異教徒共にか...なら、自分はそうでは無いと言えるだけの証拠はあるのか?その姿、悪いが人間とは思えない」

 

「えぇ、言いたいことはよく分かります...俺自身、アイツらを殺して出てきた赤い玉を食って、殺して食ってを繰り返して...気がついたら、こんな姿になってました」

 

 

真実に自然と織り交ぜた嘘に対し、異を唱える者たちは居なかった。

構成員達は彼に銃を向けながらも、互いに顔を見合わせる。

 

アカダマは確かに未知の多い物体。

血の味がする報告例から血液の塊か何かだと勘違いする人が絶えないが、決してその通りであると言い切れないのだ。

比較的情報解析の行き届いている『神の存在証明』でも組織内部で情報が錯綜しており、未だに全容は把握しきれていない。

 

稀なケースとしてこのような哀れな姿と成り果てた事例もあるのかもしれない。

 

 

何より、異教徒は即座に人間を殺そうとするのに対して彼は理知的な、()()()()()会話をしている。

 

無論、敵意も害意も感じない。

 

 

「彼女はまだマシですけど...俺は見ての有様です」

 

「そうか......よし、ではその場にお前の家族を下ろすんだ、下手な真似をすれば身の保証はしない」

 

 

然れど、人外寄りの存在である事も確かではあったのだ。警戒は緩めても解かれることは無い。

アカダマを...魔核を取り込むとは、力を得る相応のリスクを背負うという事でもあるのなら。

 

…尤も、彼の場合はそれ以上に人間にとって劇薬となる代物を取り入れた成れの果てという、どう転んでも救われようのないものである事を知る由もなく。

 

 

 

彼はゆっくりと、背負っていた女性を床に下ろす。

その両脇に、彼の隣に控えていた少女の両腰から伸びる蔦の先に繋がれし緑の担架が床に降りた。

担架に乗せられているのは、彼の背負っていた女性よりも幾らか歳を重ねた一組の男女...両親だろうか。

 

 

「これ、保険証です。身元の確認と......俺が本当の事を言っている証拠の補填も兼ねて」

 

 

そして、彼が懐から取り出した三枚の健康保険証...彼が異教徒ではないと、文明と文化を知る一人の人間としての証拠を示すかのように、床に横たわる三人の胸元へ一枚ずつ置いていく。

 

紙製の保険証は、少しでも力加減を間違えば黒く尖った指先でバラバラにしかねないのだろう。

とても慎重に、ゆっくりと事は進んでいった。

 

 

「置いたな?...そのまま両手を頭の後ろに回してゆっくりと後ろに下がれ。連れ添いのキミもだ」

 

「私も?分かったわ」

 

 

言われるがまま、彼だけでなく人間寄りであるように見える彼女にも下がらせていく。

言葉も通じ、誤解を招くような素振りを一切見せないその存在に対して、構成員たちの間に困惑と安堵の入り混じったなんとも言えない感情が広がっていく。

 

隊長格の男もそう思いつつあった。異教徒に似てしまったのは不幸な出来事に過ぎず、その中身には我々と同じ人間の魂が籠もっているのではと...

 

しかし、それでも人々の安全を確保するという己の責務を全うするために、彼らをこの病院から外へ出すまで銃口を向け続けなければならない。

 

 

『すまない』と、心のなかで謝罪の言葉がポツリと浮かび上がった瞬間―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

乾いた筒音が鳴り響いて、彼の額に円状の銃創が刻まれる。

一言も発する事がないまま、彼は仰向けに(くずお)れた。

 

 

「な...!?」

 

「え...?」

 

 

 

隊長格の男ではない。

寧ろ彼ですら驚愕の表情を顔に貼り付けて銃声のした方向へと顔を向けている。

 

 

誰が撃った?誰がその引き金を引いた?

 

彼の後ろに立っていた少女と、彼と相対する場に居た隊長の視線が重なる先に、その答えはあった。

 

 

ガチガチと歯を打ち付けるほどにその身を震わせ、硝煙を登らせる銃口を彼の額があった場所に向ける者...それは、真っ先に発砲許可を申請した若い構成員だった。

 

 

「は、ひはは...やった、やりましたよ!異教徒を討てましたよ!?」

 

「貴様ッ!!誰が撃てと命じた!?奴を取り押さえろ、一刻も早くッ!!!」

 

「り、了解!!」

 

「はは――うがっ!」

 

恐怖に捻じ曲がった笑い声。

狂気すら混じった笑声は、同胞の手で地面に押さえつけられた事により呻きへと様変わりを果たす。

だが、地に伏しながらも鬼のような形相で若い構成員は(たお)れた彼に向ける視線を外そうともしない。

 

彼のすぐ後ろに居た少女は、この世のものとは思えない醜悪な物体を前にしているかのような目で構成員を見下ろしていた。

 

 

「彼は...彼は人々を傷つけようとしてないでしょ?どうしてそんな...そんな酷いことが出来たの?」

 

「決まりきったことを...奴は異教徒だ!!化け物だ!!我々を騙し、この場にいる人々を皆殺しにしようと言葉巧みに言い包めていたに他ならない!!」

 

「耳を貸すな、この者は錯乱している!君たちは人助けをしてくれたんだろう!?」

 

 

抑えられながらも暴れる構成員を、氷より冷たく感じる目で見下ろす少女に向かって隊長が必死に肩を持とうとする。

このような事態に陥ってしまった事で、幾ら神を信じている者であっても恐怖を克服し打ち勝てる胆が等しく手に入るわけではないのだ。

既に取り返しのつかないことになってしまっても、君までその後悔を背負う必要はないと語りかけるが...

 

 

「どうせ背負ってきた人間も疑似餌代わりなんだろ!それで油断したところを見計らって喰らうつもりだったんだ!!だから撃った!殺した!!私が...私が人々を災いから守る『神の存在証明』の一人で在るが故にぃ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「...もう、いい」

 

 

表情の消えた少女が目を見開き、ゆらりと右手を天に掲げる。

その動きと呼応するかのように、彼女から数歩後ろの地面を突き破って巨大な緑の円筒が轟音を伴って迫り出した。

 

 

「あ...?」

 

 

誰もが、見上げる。

あれは、なんだ?

自分たちは、彼女に何をさせてしまったんだ?

 

そんな疑問を言葉にして発しようとしても、彼女を中心に放たれる悍ましい殺気に圧倒されて出るのは掠れた声だけ。

 

 

「何の罪もない彼を、ただ大切な人を救おうとしただけの()()を殺そうとした貴方に、生きる資格はない」

 

 

凍て尽き果てた声で淡々と告げながら、天に掲げた手を地べたに這いつくばった若い構成員に向ける。

先細りする円筒の先端が地に(もた)げ、開いた。

 

大きな、おおきな花弁。

その中心部に、青い光を放つ粒子が渦巻きながら集まり始める。

 

 

 

「や...やめろ、やめてくれ...私が悪かった!怖かったんだ!!人間そっくりな異教徒だったかもしれないって思ったときにはもう、引いてしまっていたんだ!引き金を!!」

 

「煩い、聞きたくもない...自分の憶測だけで丸腰の、戦意のない人間を殺す気だった貴方には」

 

 

必死に許しを乞う言葉を突き放す彼女に、若い構成員は自分のしてしまった過ちの大きさを、取り返しのつかなさを理解する。

生物的本能で自分の死が眼前まで迫っているのが理解できてしまい、だがもう弁解しようにも取り繕うにも遅すぎて...

 

 

「あ、あぁぁ....っ!!」

 

■■■(薙ぎ払)―――!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その光が、解き放たれることはなかった。

辺りに充満していた殺気が瞬く間に遠ざかっていく。

 

 

ある者は閉じた目をもう一度開き、ある者は背けていた顔を再び正面へ戻す。

 

 

「...消えた?」

 

「彼の姿もないぞ?」

 

「俺たち、どうなったんだ?何を見せられてたんだ?」

 

 

 

少女の姿も地面に斃れた彼の姿も、既に残されていなかった。

 

在るのはただ、緑から茶色に萎れて枯れていく巨大な花と、眠るように横たわる三人の人間たちと、巻き込まれ消し飛ばされるはずだった雑多(じぶんたち)だけ。

 

 

「...彼を撃った者は?」

 

「気を失っています...」

 

「......我々まで助けられてしまったというのか」

 

 

白目を剥いて失神した構成員を一瞥した後、隊長は空を見上げる。

ビルの向こうへと飛び移りながら消えゆく、黒い残影に気付かぬまま。

 

 

 

////////////////////

 

 

「...何故止めたの」

 

「止めなきゃ、あの場の全員が死んでた。姉さんも、ラナが届けてくれたあの子達も」

 

「えぇ...えぇ、そうね、確かに私も身を感情に任せたまま取り返しのつかない事をする所だったわ、それを止めてくれた事は感謝してる...でも私が聞きたいのはそういう部分じゃない」

 

 

アパートまでどうにか戻れた俺は、ラナに問い詰められている真っ最中だった。

彼女が掃除してくれたおかげでゴブリンはこの周辺に一匹たりともいないのは確認済みだ。

ラナが出ていったきり開きっぱなしで放ったらかしだったであろう玄関の鍵を締めたところで扉に(もた)れる。

 

指一本すら脳の制御を受け付けないまま地に伏し続けていた俺がラナを抱えて飛び出せたのは、手を下すギリギリの瞬間。

多分だが、中途半端に筋肉と脳が繋がったままなんだろう。

脳が治った直後に無理をしすぎた反動が来たようで全身が怠い。

 

頭に銃弾を叩き込まれても生きているのはラナの与えてくれた力か、それとも魔核の修復能力が機能してくれたか...何れにせよ、頭に血が上ったラナを抱えてその場を離脱することは成功したし、多分巨大な花に集まっていた魔力が炸裂した様子もないだろうから犠牲者は誰一人としていない筈。

だが、彼女は落ち着いたとは言え納得がいかない様子で玄関口の段差を登った廊下から訴えるような目線を送ってくる。

 

 

「貴方はミズキ達を救おうとしたのに、あんな仕打ちをされて...それでいいの?何も思わないの?」

 

「良いも悪いもない、モンスターに間違われておかしくないって言ったのはそっちだろ、ラナ?......多分、俺がアイツの立場でも撃ってたかもしれない」

 

「マサヤ、貴方は同じ人間に討たれることを是とするの?」

 

「あぁ、だって俺は...()()()()俺は、人間じゃなかったんだ」

 

 

...言っちまった。

ずっと心のなかに押し込めて生きるつもりだったのに、隠すことにすら疲れて口から漏れてしまった。

そして同時に、隠す意味がもう何処にも在りはしないと理解してしまう。

 

額に銃弾を受けても体が動かなかっただけ、意識は途切れず一部始終は全部見えていた。

頭蓋を貫通してくれたおかげで弾が残ったまま修復されなかったのは幸いだが、ある種の断定を下されたような感覚が今尚続いている。

 

頭を撃ち抜かれて生きている人間が何処にいる?

ビルからビルへと飛び移れる人間が何処にいる?

受けた傷が瞬く間に塞がる人間が、この世界の何処にいる?

 

仮に居たとして、それを普通の人間とは呼べないだろう。

 

そもそも、こんな姿になる前から普通ではなかった。

非現実的な出来事を前提とした物事の考え方も。それに対する順応の速さも。

()()()()()()、俺はこうなった。

 

 

「...どういう、こと」

 

「そのままの意味だ、ラナ...俺はアイツの言ったとおり『化け物』だったんだよ」

 

「違う!貴方は人間――」

 

「この姿を見て、本当に心からそう言い切れるのか?」

 

「......それは」

 

 

彼女が言葉に詰まる。

分かっていたんだ、本当は知っていたんだ。ラナも...俺がもう人間ではないということに。

それでも俺を落ち込ませないように、まだ人間だと言ってくれた。

 

けど、それで現実が変わってくれる程世界は甘くない。

だから受け入れる。

そして彼女に伝える...俺が、幾度となく死んでいても可笑しくなかったはずの俺がこんな姿に成り果ててまで生きている理由となっているであろう、その根幹を。

 

 

「俺はずっと、誰かに不幸をバラ撒きながら生きてきた...親父は11の頃、休みの日に自然公園に連れて行ってくれてる最中に俺が『喉が渇いた』とゴネて、一旦寄り道しようと進路を変えたときに居眠り運転のトラックに追突されて死んだ!母さんは俺を産んだことで病状が悪化して死んだ!!」

 

 

徐々に自分の声が荒がっていく。

 

 

「...肉体は確かに人の域を脱してしまった、でも貴方は人間として生きてきたんでしょう!?」

 

「そう信じていたかったさ!俺も!!...姉さんの家に預けられて、でも長く居すぎてまた親父や母さんと同じようなことにならないかどうか不安だったんだ...だから俺は自分からその家を離れた、一人でここに住むことに決めた!今度こそ俺のせいで不幸に巻き込まないためにも!!........でも、あのザマだ」

 

 

自分の両の手を見る。

真っ黒に染まった掌は、まるで新種の疫病を彷彿とさせた。

 

実際、俺の存在は俺は疫病(えやみ)そのものだ。深く関わった人間全てを不幸に突き落としていく。

偶然だと思いたくても思えないのは、あの事故の際にエアバッグが機能しないほど運転席の部分がぺしゃんこに潰れた大事故に関わらず、俺の座っていた後部座席だけがキレイに残ってくれたから。

皆が口を揃えて『奇跡的』に生還したと言われ続けて居る反面、目の前で遺体すら確認できないまま親父が死んだことを告げられた俺は...俺のせいで、親父を死なせてしまったのではないかと、ずっと悔やみながら生きていた。

 

だから、幼馴染の姉さんの家へ養子になったときは一刻も早く自分の力だけで生きていけるようになるつもりだった。

姉さん達と一緒に暮らす時間は、俺の一人で生きようとする覚悟を紛らわせてしまう程楽しかった。こんな日々が続いてくれればどんなに嬉しいことだろうと、一喜一憂を共にできる家族として生きていければどんなに幸せだっただろうと。

 

しかし、それよりもずっと...ずっと俺は一人であろうとした。

孤独に生きていくべきだと思っていた。

 

 

願い叶って独立し、その生活に慣れていくと同時に薄れていった負の記憶が、ラナと出会ってもまだどうにか出来ると思っていた甘い見解は、姉さんから来た短いメッセージで音を立てて崩れ落ちる。

 

たとえ離れても、関わりを持ってしまった以上失う運命に在るのだと、今度こそ俺は教え込まれたのだ。

俺は人間どころかモンスターですら無い。

正真正銘の――――――

 

「...関わりを持った人間全てを不幸にする、『化け物』......笑えるだろ」

 

「マサヤ...」

 

「笑えよ、ラナ」

 

「マサヤ、それは違――」

 

「笑ってくれよっ!!!ラナも俺のこと『化け物』だって言ってくれよ!!じゃないと俺は...俺は、ッ!!!!」

 

 

自分で自分の頭を抱えながら、激情を絶叫に乗せて吐き出す。

 

どうにかなってしまいそうだった。

胸の中に溜め込んでいたことすべてを吐き出し尽くして、代わりに処理しきれないほど様々な感情が(せめ)ぎ合いながら埋め尽くしていく。

 

俺の苦しみをわかって欲しい。

俺の苦しみをわかって欲しくない。

俺のことを放っておいてくれ。

俺のことを見捨てないでくれ。

俺を人間として関わらないでくれ。

俺をモンスターとして扱わないでくれ。

俺を『化け物(ひとでなし)』だと笑ってくれ。

 

俺を。俺を。俺を。俺を―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――急に目の前が、暗くなった。

ぐい、と上半身がなにかに引き寄せられて、顔が柔らかで暖かな、甘い香りと感触に包まれる。

目は開いている。なのに見えるものは真っ暗で右も左も分からない。

 

 

「...?」

 

「...笑わないわ」

 

 

ラナの声が、俺の右耳すぐ近くで聞こえた。

瑠璃で作られた鈴を転がしたような、だが近くに感じることで途方も無い安らぎを齎してくれる声。

 

 

「ラナ、なんで」

 

「大切なヒトを助けようとした貴方を...私は絶対に笑いものになんかしない」

 

 

ゆっくりと、自分の置かれた状況を飲み込み始める。

俺は、多分彼女に...ラナの胸に、抱き留められている。

それはまるで、出処を失った感情まるごと包み込んでくれる慈愛に満ちた抱擁だった。

 

姉さんに頭を撫でてもらったことはある。その度に『子供扱いしないでほしい』と若干反発したことも少なくない。

 

でも、こうして優しく抱き締められたことは...こんなにも優しいものに包まれたことは、産まれて一度も無かったかもしれない。

 

 

 

目頭が熱くなる。

喉が震え始める。

瞼に温かいものが滲んで広がっていく。

 

 

「ラナ...俺...俺っ...生きて良いのか...こんなんになってまで生きても、良いのかな...?」

 

「良いのよ、マサヤ...たとえ世界がそれを認めなくったって、貴方は貴方(正也)として生きていくことを、私は肯定する」

 

「ぁ、あぁ、ァっ...」

 

 

開いた心の古傷に、彼女の優しさが染み渡って痛みが、苦しみが消えていく。

知らない。

こんな感情俺は知らない、初めてだ。

 

 

「辛かったら辛いと言っていいの...苦しかったら苦しいって言っていいの...何の解決にもならなくとも、私の胸ならいつでも貸してあげられるから。だからどうか、自分のことを『化け物』だなんて責めたりしないで」

 

「うぁ、ぁぁああぁぁぁぁぁぁぁ...!」

 

 

俺は遂に堪えきれず、彼女の胸中で泣き崩れてしまった。

幼子のように声を上げながら涙を流し続ける俺に、嫌悪の感情を微塵も見せることなくラナは受け入れている。それが又心に響いてより一層の涙が出ていく。

空っぽになるまで、泣き疲れるまで、きっともう止められない。

 

 

 

―――本当に心を持たない化け物なら、涙を流すことも出来ないのよ。

 

 

抑えも効かずに咽び泣く俺へ、ラナがそう言ってくれたような...そんな気がした。

 




次話から書き上がり次第投稿します。
なるべく早くお出し出来るよう努力はしていきますので、少々お待ちを。


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第十一葉:未知からの招待状

本家の第二部が始まるらしいので急ぎの初投稿です。

スランプ続きだったり、リアルが忙しかったり、モチベが中々維持できなかったりと散々ですが私は元気です(喀血)。


「あ゛〜...新着メールが400超えてる...1000件捌いた後にコレはキツイねぇ?」

 

ここはオフィスビルの上階か、はたまた個人経営の事務所か否か。

何処かにあるような職場の一角を思わせる部屋の大窓に写る薄紫色の夕焼けと、それに照らされる摩天楼の樹林を背景にスピーカーからキャッチー(ちょいと古め)な曲の流れるパソコンと向き合う女性。

白衣を羽織ってメガネを掛けた姿はインテリさながらだが、その表情は最も嫌な事をする際の人間が見せるものだ。

冷房やパソコン内蔵ファンの駆動音に、カチカチとマウスのクリック音が混ざって周囲に無機質な音を響かせる。

 

 

「えー...ナイフ、剣、ハンマー、槍、ナックルダスター、ドス...あーもう全然ダメ、全部別の部署行きだ。っていうか武器製作って本来アッチが全面的に受け持ってた筈なんだが?なんで管轄外だって言ってた私の方に回ってきてるんだ?ん??」

 

 

ざっと目を通し、「やってらんねーわこんなモン」と悪態をつきつつも片っ端から届いたメールを別の宛先に送っていく。

 

夕日の差し込む窓辺で7,80年代の日本でブレイクしたシティポップを懐かしむように流しながらの作業風景はエモーショナリズム的な、現代っ子風に言えば『エモい』と形容できるようなものかもしれない。

しかし、その作業内容自体は極めて単調且つ面倒極まりない様子でパソコンと向き合う女性を必然的に苦しめる咎。エモさもへったくれも皆無である。

 

 

「はァー...とりあえず届いてた分は処理でき――」

 

ピロン♪

 

新着メールが一件あります

「...と思ったらこれだよ」

 

 

ぐいっと背伸びをして席を立とうとした女性は、再びどんよりと気怠さを漂わせながらパソコンモニターに向き合い、メールにカーソルを合わせる

 

 

「コレ見たら一旦休憩しよう、そうしよう...どうせ他所の部署行きなんだろうけ、どっ」

 

ッターン!とストレスを在り在りに滲ませた激しいクリック音が鳴る。

 

するとどうだろうか、あの気怠そうな、一刻も早く終わらせてコーヒーでも飲みに行きたいとでも言わんばかりだった女性の表情がみるみるうちに変わっていく。

 

最初は無言で目をぱちくりと瞬きし...

 

 

「...あるもんなんだね、こういう事ってさ」

 

 

ニヤリと、何か面白い事を思いついた子供のように。ゴミ山を漁っていたら金塊を見つけたトレジャーハンターのように、笑った。

 

 

 

「さぁーて!作業取り掛かる前にこの差出人について調べた方がいいかなコイツは?安直に武器を頼んでこない発想はそう易々と思い浮かぶもんじゃないぞ〜ぉ」

 

そう言いながらパソコンの脇あった陳列するスイッチの1つを押す。

 

途端に部屋の外を映し出す景色が暗転し、黒色のみが残された大窓の中心から青い光が広がり始めるのに併せてパソコン前の椅子が女性を座らせたまま窓の方向にくるりと向きを変えた。

そして、床下から今先程使っていたコンピュータと比べ物にならないほど複雑化された操作デバイスが椅子の前へと迫り出す。

 

 

「君は何処で、どんな生活を今日まで送っていたんだい...?」

 

 

ブルースクリーンに、短く文章が綴られる。

 

 

 

 

《SEARCH ARCHIVE》

 

>>>Country→Japan

 

 >>>Area→λ-11-2

 

  >>>Personal name→Masaya Hirano

 

   

 

 

たった一人の人生全てを詰め込んだ情報が、画面内の表示限界まで溢れた。

 

 

 

//////////

 

 

 

「どんな感じに見えてる?」

 

「大まかには普通の人間、と言いたい所なんだけど...やっぱり注意深く見られたらバレそうね」

 

「そうかぁ...やっぱり、何度やってもこの辺りが限界なんだろうな」

 

 

洗面台の前で、鏡に映る俺自身の姿を...現状可能な限り人間に似せた姿を、ラナと共に眺めていた。

 

この二日間家に籠りっきりで何をしていたかと言うと、基本的には自身の姿を可能な限り元の人間だった頃に寄せられないかどうかという試行錯誤を繰り返している。

とてもじゃないがあの姿のまま外に出歩くのは不可能に近いし、かと言ってこのまま籠城し続けてもいずれ食料は尽きてしまう故に、他人から見ても人間であると誤魔化せる方法を思案していた。

 

そこで参考にすることしたのは、ラナの見せてくれた“擬態”だ。

人型の植物モンスターが息をするように行えるそれは、魔法とは別のメカニズムで作用しており、『無垢胚』のちょっとした応用で()()()()()見せるのだとか。

 

 

…が、彼女らにとって造作もない事だとして、俺にとってほぼ融通の効かない技能だという残酷な現実が待っていた。

 

鋭い手も、二又に裂けた足先も人間の頃と同じ形には寄せられはしたが、炭化や壊死を彷彿とさせる真っ黒な色のまま。

全身を覆う蔦は大体内に戻せたが、口元を始めとした蔦で覆われて隠されていた部分の異形が顕になってしまってる。

具体的に言うなら皮膚と植物の枝や蔦が融合しているような、その上所々は外皮を突き破っているのがグロテスク極まりない。

 

結論から言って俺の出来たのは不完全極まりない“擬態”。元の姿に戻そうとしているからその言葉も余り相応しくないだろうが、難航に難航を重ねて漸く今の形まで漕ぎ着けられたって事になる。

『一目見て異形の存在と判断される』か、『近くまで来て人間じゃないと分かる』かの二択でしか無かった。それでも後者の方が遥かにマシではあるだろうが、遠くでも長時間誰かに姿を晒し続けるのは高リスクだし、至近距離なら間違いなくバレるので何かしらの対策は必至と考えてる次第だ。

 

 

「口元と手足はどうにもならないっぽいし、マスクと手袋は必須だな、こいつぁ」

 

「首も結構怪しいわ、襟ですっぽり覆えるタイプの服ってある?悪い事は言わないからそれ着て行くべきよ」

 

「だなー...と言っても復興作業に携わってる人達除いてすっかり少なくなってるな、外出歩いてる人らって」

 

 

…ゴブリン襲撃による死者はこの国だけでも数千人。国外では十数万単位に登ると言われている。

余りにも大量の人名が同時多発的に失われた事から大国の作った新兵器による人口減らしが行われたとか、何時ぞや大流行した新型ウイルスと同時期で開発された生物兵器を用いたテロリズムだとか、真実を知ってる俺からすれば的外れな噂が立っていた。

 

しかし、人々はそんな噂に構い続ける余裕はない。

破壊された発電施設、寸断された他府県と繋がる高速道路、機能が麻痺した商業施設...

 

瀬戸際に立たされながら、誰もが必死に生き延びる事を考えていた。

既に多くの人は食料の配給が滞りなく行われる避難所へと集っており、数少ない物資の運輸はそこへ当てられている。

 

県外の地方都市では完全に止まってしまった所もある中、この街では電気やガス、水道といったライフラインが完全に閉鎖されていない事を幸運に思いながら、普段から食い物に困らないよう保存食を買い溜めておいた過去の自分に感謝しつつ...俺は、この先どうするべきかという答えを未だに見出せずにいる。

 

 

「それで?例の政府が打ち立てた組織とやらからの連絡はマダなの?」

 

「そんな感じだな、相当立て込んでるっぽい...昨日の今日だし、こんな状況じゃ仕方ないか」

 

 

だから俺は、少しでも()()が欲しかった。

『生きたい』と思い続けられるような理由が。

 

 

昨日、復興作業と並行して打ち立てられた【未知生命体対策本部】によってアカダマ...即ち、魔核を取り込んだ民間人からも戦闘員としての勧誘が行われている。

中には俺と同じ高校生も含まれているようで、学徒出兵みたいなノリだなと思いつつもちゃっかり志願している俺も自分自身どうかとは思う。

 

でも、何でもいいから、自分を自分たらしめる何かが欲しかった。

人間として...人間でなくなったとしても、人として振る舞いたかった。

 

俺はやっぱり、怖いんだ。

ラナに支えてもらってはいても、その恐怖を拭いきれる程心は強くはない。

 

 

「でも、民間上がりで簡単に戦士を補充できるのかしら?これじゃ蟷螂の斧もいい所よ」

 

「よくもまぁそんな難しい言葉を...かく言う俺も同意見だ、こんなやり方でホントに大丈夫なのかよ...って志願理由書出してるヤツが言える立場じゃないか、うん」

 

「その志願理由書、具体的に何書いて出したの?」

 

「えーと、年齢・性別・所在地みたいな在り来りなモノから志願した理由とか...あ、いや、確か『所望する武器の種類』って欄もあったな」

 

「なにそれ」

 

 

ジト目のラナが鏡に映る。

いや、俺だってそう言いたいよ?沢山の人が得体の知れない怪生物に殺されまくってるのに、お前らやる気あんのかって...

やっぱり、アレなんだろうか。“国なんかアテにしちゃダメ”っていう思し召しなのか。

自分の頭で考えて、自分の力で切り開いていくしかないのか、この先も。

 

 

「やっぱり、不安?」

 

「...どうにも」

 

「そうよね...マサヤの体にも、世界にも、多くの変化が有り過ぎた。不安を抱えない方が異常よ」

 

「そっか......そうだよな」

 

 

ラナの言う通り不安を抱えても、急いでも出ないモノは出ないんだ。

昨日の今日で即座に通達が来るとも思えないし、情報集めでもしながらゆっくり待とう。

少なくとも、次の襲撃ならまだ―――

 

 

 

居間に置いていたスマホの着信音がその思慮を中断させる。

 

 

「これ、何時もと音が違うわね?なんか長いし」

 

「電話の呼び出し音だからな。噂をすれば、か?」

 

普段からメールやSNSでやり取りしているからか、ラナが来てから電話がかかってくるのは今日が初めてだ。

洗面所から居間に早足で向かい、着信元を確認すれば見慣れない電話番号が割れた画面に表示されていた。

タイミングからして例の機関か?

 

 

「出てみりゃ分かる話だよな」

 

 

そう自分に言い聞かせながら、受話器を象る緑のアイコンをフリックして相手と繋げる。

 

 

「もしもし?」

 

『平野正也くん...で、合ってるかい?』

 

 

電話越しに聞こえてきたのは若い女性の野暮ったい声。

公務員とか、何かしらの機関に設けられた窓口に居る受付の人みたいな喋り方とは全然違って一瞬間違い電話かと疑いかけたが、自分の名前を確認してきた事からそうでは無いとすぐに考える。

 

 

「はい、そうです。政府の方ですか?」

 

『ちょっと公共の電話回線で話せないかなー、それは。この電話は私の独断でね、傍聴されないよう細工はしていても、そっちの受話器から漏れる音とかで万一周囲にバレると少々厄介だ』

 

「え?ならどうして電話なんか...」

 

『直接話がしたいんだ、君と――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――君の()()()も含めてね』

 

「!?」

 

 

俺自身の目が大きく見開かれたのが感じられた。

スマホを耳に当てたまま、隣に立つラナに視線を向ける。

 

深い内容は理解できずとも、俺の顔を伺って只事ではないと彼女も察した素振りを見せた。

...当然だろう、だって俺の事はまだしもラナの存在まで知られているのだから。

 

 

「一体...何者なんですか、貴方は」

 

『なぁに、ここ数日テンテコ舞い状態が続く只のしがない研究者さ』

 

「何処まで、俺の事を知ってるんです?」

 

『“全部”だね、身も蓋もないけど。何を失ったか、何を得たか...産まれてから今日に至るまでの君の情報全てを掌握している』

 

「一応聞きますけど、プライバシーとか...」

 

『無いね、悪いけど君の置かれた状況は非常に宜しくないんだ...推定異常生命体・Ϛ(スティグマ)-01【蘿の虚像(アイヴィ・ダミー)】、政府と協力関係にある一部研究者からはそう呼ばれてるよ。仮称だけど』

 

 

ある意味、電話越しに伝えられる内容は俺自身のしてきた事や姿形を鑑みて当然と思える仕打ちだった。

9割程予想通りの内容で、逆にすんなり受け入れられる程には。

 

 

「そう、ですか」

 

『こーれは驚いた...こういう事聞かされたら普通キレるよ?「何勝手にバケモノ認定してくれてやがんだテメェーッ」って具合でさ?』

 

「俺でもそう思います、思う“だけ”です」

 

 

ほぅ、と電話から感心とも嘲笑とも取れる吐息が聞こえる。

少なくとも感情に任せて物を言う場ではないし、誰かがそう思うならさせておけばいい。

少し前ならこの人の言う通り怒ってたかもしれないけど...今はもう、自分にその資格すら無いような気がした。

 

 

『成程、達観か諦観の何方か...まぁいい、それより今の君に残された2つの道について話そうか。一つは【このまま正式に異常生命体扱いされ理不尽に殺される】道。一番可能性が高い未来であり、君に限らず同居人すら討ち取られかねない...嫌だろ、それは?』

 

「死にたくはありませんよ、俺もまだ」

 

『生きとし生けるものは死を忌避する、当然の反応だ...そしてもう一つ、【私の元に会いに来る】。ここで多くは説明できないが、君にも多くのメリットが齎されるし、少なくとも明日すぐ死ぬような事はない』

 

「それ、裏を返せば今この状況でも何処かの誰かが俺を殺す為に画策してるって事になりますよね?」

 

「否定はしないよ、断定もしないけど」

 

 

YESでもあり、NOでもあるとこの人は遠回しに言う。

信じるべきだろうか?信じられるだろうか、この人を?

 

いや、もう信頼以前の問題か。

既に人の身で無くなった俺を...そして俺と共に居るラナにも、多分安全な場所は何処にもない。

こ遅かれ早かれ誰かにバレてしまうのは明白で、その時がついに来てしまった。ただ、それだけ。

 

 

なら、俺がするべき行動は――――――

 

 

 

 

 

■■■

 

 

 

「...本当にここで合ってるの?」

 

『一階に不動産屋、二階に習字教室のあるビルの裏に回れと言ったんだ、何か問題でも?』

 

「その割には入口らしいモン一つとして見当たりませんが?」

 

 

人目につかぬよう細心の注意を払い、通話越しの道案内に沿ってやって来た俺達を出迎えたのは無造作に積まれた金属ゴミの山...『私の所に行ける入口がある』と聞かされていたのに。

 

これは、まさか...

 

 

「嵌められた?」

 

『人聞き悪い事を言いなさんな...ガラクタの横に電話ボックスがあるだろう?』

 

 

確かに、ある。

機械部品が山盛りになってるその脇に、どーんと鎮座するボロボロの電話ボックスが。

ゴミとして捨てられたのか、元からここに存在していたのか...

 

電話機も中に入ってはいるが、到底使えたものではないだろう。

精々在りし日の原型を保っている程度の状態だ。

 

一体何なんだ?俺とラナの事おちょくってるのか?

 

 

「バカにしてるんですか」

 

『...マトリッ〇ス、見た事ないんかい?』

 

「ありゃ忄實現実(ヴァーチャル)の話でしょ?ここ現実ですよ、正気ですか?」

 

『あー、良かった良かったネタ通じてる...因みに私は本気だ。そのボックスの中に二人とも入って、中にある電話帳の栞挟んであるページを開いて、マーカーペンで丸してある宛先に電話掛けろ。以上だ!我が家で会おう!』

 

「え?あ、ちょっ、ちょ待」

 

 

ぷつりと通話が切れた。

 

 

「あの人、一方的に切りやがったな!?...あぁクソッ!リダイヤルしても繋がらねぇ!!」

 

 

慌ててかけ直しても『おかけになった電話番号は現在使われていないか、電波の届かない所にあります』というアナウンス音声が流れるだけで、一回限りのチケットだったと虚しく告げる。

 

どうすんだこれ...

 

と、路頭に暮れていた俺の肩をトントンと軽く叩くラナが電話ボックスを指さした。

 

 

「とりあえず、言われた通りにしてみたら?」

 

「そーするしかないか...やっぱり」

 

 

何も見なかった事にして帰ることも出来ただろうが、それでも一応ダメ元で。眉唾で。騙されたと思って先程あの人が言ったプロセスをなぞる。

まずは電話ボックスに入るところから。

 

 

 

 

あ、これ一人はまだしも二人は...

 

 

「...いや狭くない?大丈夫かラナ?」

 

「入れなくはないわ、少し狭いけど」

 

 

心配する俺を他所に、空いてるスペースに歩いてきたラナが収まった。

割と何とかなるもんだな...

 

 

「ラナが細身で助かったわ、マジで」

 

「むぅ...出るとこ出てるわよ、私だって」

 

「褒めたのに怒られた?がーんだな」

 

 

軽口を叩き合いながらも、十年以上前の分厚いタウンページをラックから取る。

 

上の方にピラっとビニールの栞が顔を覗かせているページを捲ってみると...

 

 

 

TEL: XXX-XXXXX-XXXX

 

 

丸してあるの、これでした。

 

 

「何故にラーメン屋?」

 

「いや、あの人しか知らんだろ...とりあえず、フツーに公衆電話使う時と同じでいいのか?」

 

「任せるわ、色々試して頂戴」

 

「あぁ、十円玉でいいか」

 

受話器を上げ、使い古した財布から取り出した十円玉を入れてみる。

チャリ、と小さな金属音が電話の奥へと滑り落ちて消え、風化して黄ばんだディスプレイに数字を模した光が灯ってくれる。

 

入れたお金は何処行くんだろう?とか、そういう疑問を胸の奥に押し込んで、磨り減った数字盤と電話帳とを交互に見ながら番号を入力し終わった。

 

 

「普通なら、これで相手に繋がってくれる筈なんだろうけど...あ!」

 

「なに?」

 

「見ろラナ、この表示...」

 

 

 

ACCESS APPROVAL(アクセス承認)

 

WELCOME (HOME)(お帰りなさい/ようこそ)

 

 

 

ディスプレイにそんな文字列が灯り、ガコンと電話ボックス内で響く音と併せて何かが動き始めるのを感じた。

 

 

「この、電話ボックスとか言うの...地面に沈んでる!」

 

「沈む!?地面に!?」

 

彼女から発せられた事実を確かめるべく周りを見れば、四方を囲むアクリル製の窓から見える景色が上へと流れ始めていく。

やや取り乱すラナに併せて焦りそうになるが、注意深く意識を傾けるとこの浮遊感に覚えがあった。ショッピングモールとかで階層を移動する()()に乗っていると経験する感覚と、同じだ。

 

 

 

「...そうかコイツ、エレベーターだってのか!」

 

「分かるの?」

 

「憶測だけど!となれば、行先は...」

 

 

完全に視界がブラックアウトし、足元から現れたかと思えば上へスライドして視界から消えていく窓の外のライトが、ディスプレイの表示が、唯一の明かりとして機能していた。

横に点の並ぶ画面に、白い丸が右へと移動していく。

 

 

【・・・・・・・・・】

 

【・・・・・・・・・】

 

【・・・・・・・・・

 

 

【LABORATORY FLOOR】

 

 

呑気なベルの音が到着を告げる。

ついでに電話機の小銭出口から先程入れた十円玉がポロッと吐き出された。

 

 

「到着って事で、良いのよね?」

 

「多分な...出るぞ」

 

 

電話ボックスの扉を開けて外に踏み出す...ここ室内なんだろうけど。

暑くもなく寒くもない、快適な温度と少し乾いた空気が肌に触れていくのを感じながら周囲を見回すが、オレンジのLED電灯に照らされた何処までも無機質な白い壁と、奥に続く廊下だけが視覚に情報として入ってくる。

 

 

「ここってさ、やっぱり」

 

「あぁそうだ...私の言ってくれた事、信じてくれて感謝するよ」

 

 

急に聞こえた声の出処は廊下の奥。

コツコツと靴音を響かせながら、人影がこちらに近づいていた。

部屋と同じく廊下も少し暗めなので詳しい姿はよく分からないが、何か白衣のようなものを羽織っている事は見える。

 

 

「貴方は...さっきの電話の人ですか?」

 

「その通り。薄暗くて見えにくいのは省電力モード中が故に容赦して欲しいな、如何せん“ライブラリ”の閲覧でコンデンサがパンク寸前だったんだ」

 

「ライブラリ?...ひょっとして、俺やラナの事を知り得たのは―――」

 

「そっちの事情は後で幾らでも聞くわ、今私達が知りたいのは貴方が何処の何者かって話よ」

 

 

この人から出てきた“ライブラリ(叢書)”という単語にもしかしたらと訪ねようとした俺をラナが制する。

順序立てろ、と。

 

 

「そうだった...ここなら電話の時と違って包み隠さず話せますよね?お互いに」

 

「モチのロンさ。そら、間もなく省エネモードが終わって通常モードに入るぞ?3...2...1...」

 

 

身体を奥底から震わす駆動音に聴覚を埋められ、ゼロとまで唱えたかどうかは定かでは無い。

オレンジの弱々しい明かりは清涼で明瞭な白色に変わり、辺りをくまなく照らしだした。

 

そして、俺達の立っている場所と向かい合う形で廊下に立つあの人の姿がハッキリと見える。

緑のセーターの上に白衣を羽織り、後ろ髪を纏めてメガネをかけた...科学者と思わしき佇まいの、女性。

 

 

 

「私は橙鉢(トウバチ) 梨花子(リカコ)...未知生命体対策本部管轄・第七特殊技術研究開発所、通称“第七特研(トッケン)”へようこそ」

 

 

左手の薬指でメガネのブリッジを軽く押し上げながら、その人は淡く深い笑みを浮かべた。

 




書き上がり次第投稿とは何だったのか(三話分のストック)
もうちっとだけ毎日投稿じゃ


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第十二葉:雨

予約投稿の時間を思いっきりガバったので初投稿です


「じゃあ、橙鉢さんは政府の人間ではないと?」

 

「協力関係にあるだけさ、私が技術やデータを提供して政府は資金や食料面で援助する。厳密に言えば政府直属研究機関の関係者と言えるだろうが...ま、面と向かって関わり合うってのは殆どない」

 

 

橙鉢さんに案内された先の休憩スペースみたいな場所にて、飲み物を取ってくるとカウンターに向かったあの人はゴソゴソと棚を開いて手頃な飲料を探しながら俺達と話をしてくれた。

 

いや...場を持たせていると言うのが一番適してるのかもしれない、この場合は。

この研究所、広くはあるが人が全然居ない。

資材を運ぶ見たことの無いロボットとかドローンとか、そういうのは時たま廊下を往来してるけど。

 

 

「ずっと御一人で研究所の切り盛りを?」

 

「オートメーション化は施してあるけど全くの一人って訳じゃあなくってね、手伝いが一人...今は全国に散らばってるゴブリンの残党を叩きに行ってるから居ないけど」

 

「政府の要請ですか、それ」

 

「大方そんな感じだ...コンポタでいいかい?」

 

「あ、ありがとうございま――っ」

 

 

差し出されたそれに手を伸ばそうとして、自分の真っ黒な手と橙鉢さんの綺麗な肌色の指先が対比されるように視界に収まって思わず動きが止まる。

 

 

「気にしないさ、事の一抹は私も知ってるからね」

 

「嬉しいです、そう言ってくれるのは。でも、俺は」

 

 

受け取ってしまっていいものか?人間のフリをしている俺が、人間の誰かの手と触れていいのか?

 

橙鉢さんの差し出してくれるそれと俺の抱えるこれとは別問題だと分かってはいても、こんな時に限って思考が凝り固まって割り切れない。

 

 

考えあぐねる俺の様子を脇に、橙鉢さんは手渡すのではなくテーブルの上へとコーンポタージュの缶を置いた。

先に渡されたラナは既に缶のタブを起こして飲み始めている。

どうやら壁に埋め込まれた水槽で悠々と揺蕩うクラゲに興味津々の御様子、俺とは大違いだ。

 

 

「...すみません」

 

「いいんだ、私が君達を呼んだのもソコに当たる内容だし」

 

 

ドカッと俺の前に座る橙鉢さん。

手にしていたマグカップのコーヒーを一口啜ってから俺の方に向けられたその目は、真剣な感情をはらんでいた。

 

 

「平野君さ、自分が駆逐官の志望書に何書いてたか思い出せる?」

 

「あまり多くは思い出せませんけど、何故駆逐官になろうと思ったのかって所は『死にたくないから』で、与えられるとしたらどんな武器がいいかって所は『鎧』と...」

 

「そこだよ平野君...その欄はどんな()()って記述だったろ?鎧は防具で正反対じゃないか」

 

 

そうだ、防具は武器じゃない。寧ろその対極に位置する存在だ。

分かっていた、分かっていて書いた。

俺の身体を駆使して戦った方が、政府から貰った武器使うよりいい気がして...どうせ突っぱねられるんだろうなと諦観してたのが、今となってはずっと前の事に感じられる。まだ一日ちょっとしか経ってないのに。

 

 

「敢えてそう選んだか、文章読み飛ばしたトンチキくらいしか普通そんな事しないからね、気になって検索掛けてさ...ま、前者だったって訳だ」

 

「情報を得る必要があったんですか?何のために?」

 

「最初は私の個人的な興味からだ。まぁ...その正体が目下捜索中の推定異常生命体である平野君だった時は流石に驚きはしたけど、だからこそ迅速にも動けた」

 

 

つまり、あのままアパートに篭もり続けていたら危なかったという事なんだろうか?

食料が足りなくなって、仕方なしに外に出て万一俺の事を...その、恐らく倒すべき敵(推定異常生命体)として俺を探しているような人に見つかりでもしたらどうなっていたか。

 

 

「...助けてくれたんですか?」

 

「結果論だがね、それにまだ私が聞きたい事は残ってる」

 

「なんでも仰って下さいよ、答えられる範囲でなら基本的にOKですし」

 

「そうかい?なら」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――平野君さ、()()()()()()()()だろ」

 

「あ」

 

 

暫しの沈黙を置いて、橙鉢さんの口からそんな質問が俺へと突き刺さる。

一番触れられたくない所へ、遠慮も容赦もなく。

 

答えられる範囲と、答えられない領域とが重なる最も苦しい質問がやってきた。

 

 

 

「言い方を変えようか。平野君は迷っているだろう?少し前、正確には君が人とモンスターの境界線で立ち往生したその時から」

 

「そんな、ことは」

 

「無い、と言いきれるかい?...無理だろ、今の君じゃあさぁ」

 

 

…自分の心拍が間近に、耳元で聞こえる程激しい。

そんな事は無い、無い筈なんだと口に出そうとしても、短く途切れ途切れの吐息が漏れるだけ。上手く舌が回ってくれなくて言葉すら満足に紡げない。

 

感情がぐちゃぐちゃに掻き回されていく。

記憶が傷口をなぞるようにフラッシュバックする。

視界が、震える。

 

 

「マサヤ、貴方は何も悪くないわ。だって他の人を手に掛けるどころか傷つけてすら無いわよ」

 

「あぁ、そこのラナの言う通り君は悪くない。だがこの問題は第三者視点の善悪で片付けられる問題では無いのさ」

 

 

助け舟を出そうとしたラナをバッサリ切り捨て、逃げ道を無くす。

追い込む気だ、真正面から問い詰めて...俺の真意を探りたいんだろう。

 

でも、それは何処にある?

俺ですら分からなくなったのに、聞き出せるわけが無いだろう。

 

なら何故俺は生きているのか、その理由自体は簡単だ。

それを口にできる余裕も、ラナが俺に救援を送ろうとしてくれたという事実で生まれてくれた。

 

 

「俺は、俺は死にたくないんです。訳も分からないまま殺されたくなんか無いんです...だから生きたいって、そう思っちゃダメなんですか」

 

「ダメとは言わんさ、他に理由が無いならそれも真っ当な主張と言える...が、君は例外なんだよ。その思いは“本当の願い”を曇らせる靄になってしまってる、思いが願いにちゃんと紐付けされてないんだ」

 

「“本当の願い”?...なんですかそれ、教えて下さいよ。俺分かんないですから」

 

「いや、それ私が言ったら意味ないじゃん」

 

 

平行線のまま進展しない会話が続いていく。

“本当の願い”って何だ?願いに本人すら気づけない嘘や欺瞞があると言うのか?

 

多分、そういう事では無いかもしれない。俺が生きたいと思うのは間違いではないらしいし...だとしたら余計にどういう事か訳が分からんで...あぁ畜生!!

 

 

「結局、橙鉢さんは俺に何が言いたいんですか?何させたいんですか!?」

 

「それも君が探し出す事だ、私は単に気付かせる為の口実を作ったに過ぎない...あ、あとそのままの状態では協力もしないし出来ないから」

 

「んな無茶苦茶を...!!」

 

 

耐えきれなくなってラナの方に目を向ける。

しかし、彼女は申し訳なさそうに目を閉じて首を横に振った。どうやらもうヘルプは出来ないらしい。

 

何がだ?何が今の俺を変えることに繋がる?

生きたいと思って...

 

 

 

…生きて、

 

 

 

 

 

……生きて、()()()()()んだ?俺?

 

 

 

 

「気づいたようだね。自分の生きようとする意志に、決定的に欠け落ちたモノがあることを」

 

「でも、こんなの...こんなもの、どうしようも無い」

 

 

見えない。

何が正しいか迷っているどころか、迷うべきモノが見つからない。

生きて何がしたかったんだ?死にたくないから生きて、その生に何を見出そうとしていたんだ?

 

思いつかない...思い浮かんでくれない。

その気になれば一つくらい、一つは見つけられると先延ばしにして逃げていたんだ。

 

人間として生きようとして、その先に何がある...?

 

 

分からない...分からない、なにも。

 

 

「俺は...俺、は」

 

「あっちゃー、思ったより早く思考停止(フリーズ)っちゃったか...」

 

 

橙鉢さんは特に悪びれた様子もなく、自分の腕時計を確認している。

 

 

「...頃合だね、一旦外出て頭冷やして来な」

 

「外行ったら、狙われる筈ですよ」

 

「この時間、13番出口の方面は巡回が途切れる。ろくに出歩いてないなら、今の世界がどうなってしまったかをその目で見て確かめるといい。気持ちが落ち着いたら戻ってきてくれ、話を続けよう」

 

「......分かりました」

 

「出口に向かう通路は廊下の案内板に書いてあるから、目を通しておくようにね」

 

 

“今の俺に話す事は無い”

 

そう、遠回しに言われた気がして俺は席を立った。

結局橙鉢さんのくれたコンポタに口をつけるどころか、開封すらしてない事をすまなく思いながら...逃げるように部屋から出て、そのまま指定された出口に向かう。

 

案外近くにあるそれは、至って普通のエレベーター。

乗り込み、ボタンを押し、閉まる扉を無心に眺める。

 

 

「頭なら冷えてるさ、自分でも気持ち悪いくらい...なのに」

 

 

誰に向けたものでもなく、無意味に吐き出される言葉は密室空間に響いて消えた。

落ち着いてるんだ、でも何も思いつかない。

 

無気力と言えるほど抜け落ちず、芯が通ってると言えるほど自我を保てていないままで、生きたいという動物的本能めいた願い以外に何を抱けばいい?

それ以上に何が大切だと思える?

 

 

「クソッ...クソォッ!!」

 

 

開く扉の先、渦巻く感情全てに悪態をつきながら廃墟と化した商店街に飛び出した。

 

いつの間にか降り始めていた小雨も、気に留める事無く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「...私を、薄情者だと恨むかい?」

 

マサヤが走り去った後、リカコが私の方に振り向きながら自嘲気味に笑う。

半ば無理矢理追い出したのは、先述した通り頭を冷やさせる意味合いも含まれてるとは感じてた。

 

でも、このヒトはどうして罪悪感を感じているの?

何故自分の選択を後悔しているような素振りを見せているの?

 

 

「必要な事だったんでしょう?」

 

「あぁ、他に方法が無かった。彼を立ち直らせるには私の導きでも、君から享受する甘やかしでもない...自分の足で、自分の意志で見つけなければならないんだ」

 

 

そう言ってリカコはやや高い壁面に備え付けられた大きな画面に映り出す、雨中を駆けるマサヤを俯角から見下ろすヴィジョンを見上げていた。

虚像ではなく、キチンと今現在のマサヤの姿を映し出していると...何となくそう思った。

 

 

「街の至る所にカメラを仕掛けて、こういう風に観測を行ってるんだ。主に研究用だが...こうして誰かを追跡する事も出来る。映像は全て“ライブラリ”に回してあるから何時でも見直せるって寸法だ」

 

「だから、私やマサヤの事を調べ上げられたのね」

 

「ご明察だ...尤も、“ライブラリ”には深層ウェブとのパイプもあるから、君と彼が邂逅する前にあった曖昧な所はそこから引っ張ってくるんだ。生まれてから死ぬまで、この国に生きる人全てのパーソナルデータが詰まったソコからね。故に閲覧できる人間はこの星で私を含めた数十人にしか与えられていない」

 

「ふぅん...」

 

 

軽く流す素振りを見せながら、その事実に内心私は戦々恐々としていた。

この世界ではそんなものがある?個人の尊厳なんて、所詮は飾りでしかないの?

 

 

「全く、難儀なものだよ...こんなモノに頼ってまでヤツらと対抗する術を探さなくちゃならなくなった。この国では昔、戦争してた頃に一億人を火の玉にして敵国にぶつけようって言葉がよく出回ったらしいが、これじゃあ大して進歩してないね」

 

「なまじ異世界の力なんか手に入れてしまったから、渡り合える戦力に組み込まざるを得なくなったんでしょ?」

 

「それが政府の選択だからな...あぁ嘆かわしいったらありゃしない!人が考える葦だっていうなら、頼るだけじゃなく自分から何かを産み出してこそだろう!なのに政府は私の主張を黙殺するんだ、耳が痛いからってさ...!」

 

そう吐き捨てて、手にしたマグカップをぐいっと呷る。

 

リカコは悔しがってるんだ、私の居た世界から与えられる魔核という力に頼らざるを得ないマサヤの世界と、自分を含めたそこに棲むヒト達に。

だからどうにかしようと藻掻いて足掻いてる、ヒトの力で何かを成そうとして。

 

 

「...すまない、少し熱くなりすぎた」

 

「何かに対して熱くなれること、決して悪いことでは無い筈よ」

 

「フ...やはり、君はどこでも変わらないようだ。強くあり優しくもあるその性格、お母さんに似たんだろうな」

 

 

リカコの語るそれは、私がマサヤに語った事柄から汲み取った私の母のイメージ?

或いは...私がここに来る前から()()()()()()

 

 

「お母さんの事、知っていて?」

 

「私もワケありでね、時が来れば何れ明かすさ...彼が立ち直ってくれればの話だが」

 

 

中途半端にその答えをボカして、リカコは再びマサヤの映る画面に目を向けた。

結局、私が何とか彼を自棄にさせなかったのは良かったとしても完全に立ち上がらせるには至らなかった。多少厳しくても、それでまた前を見て歩き出せると言うなら――

 

 

 

…マサヤ、お願い。

私が見込んだ貴方は、ここで終わっていいヒトではない筈なのだから。

 



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第十三葉:流離うモノ、背を押す者

どれだけ走り続けていただろうか。

気づけば、海に流れ出る川に架けられた橋にまで来ていた。

 

商店街の近くにあった筈だから、そう遠くまでは来ていない...と思う。

雨に打たれて、少しは思考も落ち着けた気はする。冷静になる事と、冷えきってしまう事とは別だと天気に言い聞かされた気分だ。

 

乱雑に絡み合った色んな感情がふやけて解けることで整理され、クリアーになった思考に異物みたいな具合で居座る先程から連綿と続いた疑問がやけに心へ主張していた。

不甲斐ない自分に対する苛立ちが、段々と呆れへ移ろっていく。

 

“本当の願い”は、まだ見つかりそうもない。

 

 

「何してんだろ、俺」

 

 

無意識に漏れる自嘲。

何も出来ないまま橋の柵に体を預け、雨が山から流し込んだ土砂の混じる淀んだ海を遠く眺める。

 

このままじゃ橙鉢さんに会わす顔がない、かと言って満足のいく答えを出せそうな気配は微塵も感じられず終いだ。

正直もう疲れた。暫く物事を考える脳をシャットアウトして、柵に体重を預けたまま眠ってしまいたい。

 

人間でもモンスターでもない俺だって、濡れたまま寝たら風邪ひくのかな...

 

 

…そうだ、俺と人間の共通してる所ってまだどれくらい残ってるのか考えてみるか。ひょっとしたら法則性とか気づけるかもしれない。

 

 

 

まず、目で見た情報を頭で考えるのは人間と一緒だ。

熱いものは熱いと、冷たいものは冷たいと感じ取る。

そして誰かの考えている事を一方的に読み取れるとか...あの顔無しみたいな力は無い。

 

 

「すみません、少し宜しいですか?」

 

「目に映る世界の色合いも、多分人間の時のままだ。腹は減るし、昨日ラナの作ってくれたオムライスも美味いと感じた...後は、後はなんか...?」

 

「あのー」

 

「時間くれ、あと少しで思いつ、く...?」

 

 

ちょっと待て、適当に受け流していたが今誰と話してるんだ?俺は?

後ろから聞こえたから、偶然橋を渡ろうとしていた人か、多分。

 

 

「じゃあ...また後程に」

 

「いや待って、待ってください」

 

 

大急ぎでポケットの中に突っ込んであったマスクを引っ張り出して着け、ジャンパーのファスナーを首元まで上げて“見られたくない部分”を隠して振り向く。

 

 

そこに居たのは、大人の男性と女性の方だった。

白いフードとかは無いから『神の存在証明』とは違う一般の人だろう...けど、どうしてこんな所に。

 

 

「すみません、以前お会いしました?俺の方では全然覚えが無くて」

 

「いや、会ってないですね...ただ橋の近くを通りかかった時、この子が急に貴方を指さして『お兄ちゃん』と」

 

「この子?」

 

 

それって誰の事なんです?と訪ねようとした矢先、男の人の後ろから、ちらりと小さなシルエットが覗いて、

 

 

 

「君は――」

 

「やっぱり...やっぱりだよパパ!ママ!あの時、私の事守ってくれたお兄ちゃんだ!」

 

 

ぱぁっとキラキラ輝くような満面の笑みをその子は浮かべ、足元から男性と女性の方を...彼女にとっての父と母を見上げる。

 

…もしかして、この子は。

 

 

「本当にそうなんだな、芽実(メグミ)?」

 

「うんっ!」

 

「あぁ...貴方だったんですか、私達の子を助けてくれたという人は」

 

「......ぇ」

 

 

呆気に取られていた。

こんな時に、このタイミングで、俺があの時ゴブリンに殺されそうだった子の御家族に出くわす事になるなんて誰が予想できる?

もしかして橙鉢さんが仕組んだのか?だとしたら相当に性根ひん曲がってるが...

 

いや、まだそんな判断を下すのは早計だろ。

御両親の方は俺の存在自体は知っていても名前とかは分かってなかったみたいだ。

研究所への入口をあんな手の込んだ形にしてる橙鉢さんが仕向けるなら、それくらいの根回しはしてそうな気がするし。

 

 

話を続けよう、今は。

 

 

「とりあえず、名前を。俺は平野 正也です」

 

「平野正也くんかぁ...僕は並樹(ナミキ)(ユヅル)。こっちは妻の麻琴(マコト)

 

「麻琴です、よろしく...それでこちらが娘の―」

 

「芽実、です!」

 

 

讓さんに、麻琴さんに、芽実ちゃん。

一人娘を養う並樹一家の名前をしっかりと覚える。

あの日俺が救った...気がついたら、救うように体が動いていた事で命を繋ぎ止めているこの子と、この家族の事を。

 

 

「正也お兄ちゃん、私ね!どうしてもお兄ちゃんにお礼が言いたかったの...助けてくれてありがとう!」

 

「い、いや...多分言うべき相手に相応しいは俺じゃなくって、もう一人のお姉さんの方じゃないかな?」

 

「あのおねーさん?おねーさんにはもういっぱいいっぱい『ありがとう』ってしたもん!大丈夫だよ!」

 

「そっか...」

 

 

あの時は兎に角助けなきゃって思いで頭が一杯だったし、余裕とかも全然なかったけどこうしてキチンと向き合ってみて分かる...元気一杯だな、この子。

 

 

「正也くん、この子が言っている人ってあの女の子の事ですよね?確か名前はラナちゃんって」

 

「そう、それです。色々あって俺と一緒に協力してるんですけど...その節は、どうも世話になりました」

 

「いやいや!あの子が居てくれたお陰で僕達は無事に病院まで辿り着けたんです」

 

「おねーさん凄かったんだよ?襲ってきた緑のこわいバケモノ、ぜーんぶやっつけちゃった!」

 

 

目をキラキラ輝かせながらラナの無双っぷりを語る芽実ちゃん。相当やりたい放題した筈なのにトラウマにならず、寧ろ嬉しそうで何より。

 

大抵、小学生の女の子ってセー〇ームーンやプリ〇ュア大好きだろうし、こうも喜々して語ってくるのを見るにラナにもそれに近いテイストを感じたのだろうか。

 

 

 

 

 

...そうだよな、並樹さん達にとってラナは窮地に現れたヒーローみたいなモノなんだろうから。

 

それに引き換え俺は何だ?俺一人の力で芽実ちゃんを守りきれていたか?

あの時、ラナが来てくれなければゴブリンに撲殺されていたかもしれない俺が...目先の感情で助けようとして、この子に何をしてやれた?

 

 

心当たりの多すぎる感情で胸がズキズキと痛い。

 

 

「でも、彼女が芽実を私達の所へ届けられたのは一重に正也くんがしっかりと守ってくれたからと聞きまして...その事について私からも礼が言いたかったんです」

 

「いいんです、俺に礼なんて...あの時ラナが来てくれなかったら、俺も死んで芽実ちゃんも救えませんでしたし」

 

「そんな事は...!」

 

「あったんですよ、残念ながら」

 

 

そうだ、あの痛みも苦しみも自分がよく覚えてる。

それ以上の受難が襲いかかってきたとはいえ、この出来事は俺に様々な事を痛感させてくれた。

 

魔核を内に取り込めたとして、満足に戦える訳では無いという事。

スライムでは無いモンスター相手でも、物理的な攻撃は有効であること。

 

…自分の中で、勝手に誰かを助けようと動く“何か”があると言うこと。

 

それら全てを綯い交ぜにして、結局人間の延長線上でしか無かった時の俺では何一つ守れていないという結果だけを背負わされた。

姉さん達を助けられたのも、人ならざる者としての力を振るう事で成し得たから。

 

 

「俺は結局、芽実ちゃんを死からほんの少しだけ遠ざけたのであって排斥出来た訳では無かったんです...だから、俺に謝らせてください」

 

「謝るって、なにを?」

 

「力も無いのに、出来ないと分かっていながらも守ろうとしてしまって...本当に、本当にごめんなさい」

 

 

温かい思いやりから逃げ出すように頭を下げる。

ロクに何もしてやれなかった事が申し訳なくて、それなのに一方的に感謝されるのが辛くて。

 

俺にそんな感謝を受け取る権利はないんだ。

あなた達にそんな感謝を伝える義務はないんだ。

幾らラナが否定してくれても、俺という存在そのものは人でもモンスターでもない事に変わりはない。

 

 

「顔上げてください、正也くんがそんな...」

 

「その必要があるんです!俺は芽実ちゃんを守り通す事が出来なかったんですから」

 

「っ...」

 

「ごめんなさい...俺は、感謝をされるような事なんて何一つとして――」

 

 

その先の言葉を綴ろうとして、不意に地面しか映らなかった視界にひょっこりと少女が割り込んできた。

 

 

「芽実、ちゃん」

 

「お兄ちゃん、どこか痛いの?とっても辛そうな顔だよ?」

 

「体の方は大丈夫なんだ...でも、俺の力で君を救えなかった事を改めて思い知ってからずっと、ココが痛む」

 

 

皮膚越しに心臓を握り締めるが如く、己の胸に手を当て爪を立てる。

 

ここは、心臓はどうなっている。

人間のように2つの房と室を左右に併せ持つ既存のままか。

幾つも潰してきたスライムと同じように、殺し殺されかけたゴブリンのように、俺がこんな事にならなければ倒せなかった顔無しのように、丸いビー玉のような核がポツンと埋め込まれているだけなのか。

 

前者でも後者でもこの際どうでもいい。ただ、痛みや苦しみを感じるようなモノだけが中途半端に残ってしまうようなら。

 

――――最初から、こんな命は...

 

 

 

 

 

 

「うんしょっ」

 

 

トン、と心臓を握り潰しそうな勢いで力を込めていた手の上に、芽実ちゃんが自らの掌を重ねてきた。

 

 

「痛いの痛いの、飛んで行けー!」

 

 

パッと、勢いよくその腕を大きく開く。

何時からか、起源が何処にあるかはよく分からないが...これが、他者の痛みを紛らわせる為のおまじないである事くらい、俺もよく知っている。

 

 

「どうかな?ちょっとは楽になったかな?」

 

「なった、と思う...多分」

 

「良かったぁ♪あのね、学校の先生が『誰かが辛い思いや痛い痛いって苦しんでる時は、こうしてあげるといい』んだって!...学校はしばらく無くなっちゃったし、友達もバラバラだけど...いつか、また一緒にお勉強出来るようになるって信じてるから!」

 

 

強い。この子は。

 

世界がこんな状況に陥っても決して悲観的にならず、誰かを労る優しさすら持ってる。

 

 

「...正也くん」

 

「讓さん」

 

「君の身に何があったのか...君が何故そこまで自分自身を咎めようとする理由があるのかは分からない。だけど、君は力が及ばなくても『そうしよう』と思い行動に移してくれた。それだけでも十分感謝に値するんだよ、僕達にとっては」

 

「でも、俺にその資格は...」

 

 

自分でも意識していない内に下げていた頭は上がっていた。

目に映るものの中心に、讓さんと麻琴さんがいる。

 

 

「正也くん自身はそう思っていても、私達にはそうするに足るだけの意味がある行いだったのですよ...守りきれない未来が有り得たとして、そうならなかったから今の私達が居るんですから」

 

「だから、どうか君も...正也くんも、ほんの少しでいいから自分自身を赦してあげてもいいんじゃないか?」

 

 

 

――――――自分を、赦す。

 

沈んで沈んで、凝り固まっていた感情に亀裂のような開闢が走る感覚がした。

 

俺はずっと、このまま色んなものに対して懺悔をしながら生き続けなければないと思い込んでいたんだ。自分自身でも気づかないほど深く、固く...

 

でも、俺がそんな後悔の念を抱くものの一つだった彼女とその家族に、「己を恨まなくていい」と、そう言われた。

軽くなっていく。灰色にくすんだ視界が色づいていく。

 

 

「あっそうだ!パパ、ママ、もうすぐ公園でタキダシっていうのが始まるんじゃないかな?」

 

「おっと、もう炊き出しの時間だったかな」

 

「確かにもうすぐ正午ですね...正也くん、まだ色々話足りないですが私達はそろそろ行かなきゃならないので」

 

「...はい、話はまた、その機会に」

 

「正也お兄ちゃん!またねー!!」

 

 

会釈を交わした後、並木さんたちは橋から街の方へと去っていく。

 

手を繋いで歩きながら、今日の炊き出しは何だろうとか、今日も美味しいご飯だといいねとか、他愛もない話をする三人の姿が遠ざかっていくのを見て...俺は曖昧ながらも、合点がいった。

 

 

あの時、俺が父と母に助けを求めていた芽実ちゃんを守ろうと勝手に体が動いた理由。

 

 

 

 

「俺...そうか、二度と見たくなかったんだ。誰かの家族が犠牲になるのを」

 

 

身勝手で、単純で、矛盾に満ちた行動原理に気付く。

 

家族が居たのはあの子だけじゃないだろう。俺のすぐ近くで頭を吹き飛ばされたあの女の人だって、ゴブリンによって醜悪なオブジェと成り果て転がっていた死体の一つ一つに産んでくれた母親がいて、育ててくれた父親がいて...帰りを待つ人達が居たかもしれない。

 

だが当初は囮にして逃げようとまで考えていた俺の思考を無視して体が動く、自分自身が認知出来なかった心があったとするなら...

 

 

「...ぁ」

 

 

父と母の手を笑顔で引いて歩く、満面の笑みを称えた少女の背にそうならなかった(ありえたかもしれない)幼き俺の姿が重なり、声を上げる間も無く風に晒された煙のように淡く大気に散る。

 

知る事が叶わなかった幸せが、触れる事の出来なくなった肉親の手が、俺の人生から零れ落ちたものがあの子にはある。

 

 

「“本当の願い”...俺が、心からやりたいこと...」

 

 

 

体が、自然と来た道を戻るべく走り出していた。

 

内から溢れそうな熱を冷ましてしまう前に伝えなければならない。橙鉢さんに。

 

 

俺は、やっと見つけられたのだから。

あの日、この体を突き動かした“何か”こそが――――

 

 

 

 

 

空を覆い尽くしていた灰色の雲は、瘡蓋を剥がすように美しい青を覗かせ始めていた。

 

切れ間から差し込む少し傾いた日の光が、街を照らしていく。



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第十四葉:そう在るが故に

《敵増援反応、南方から多数接近中》

 

《推定、30》

 

「冗談じゃねぇぞ、おい...!」

 

 

インカムから聞こえる合成音声が更なる絶望的な状況の前触れを告げる中、俺は廃墟の街に蠢く大量のモンスターとの戦いを継続していた。

 

殴り殺しても、叩き潰しても、刺し貫いても一向に数が減らない今の状況に“おかわり”が来れば瞬く間に押し込まれてしまう。

 

 

「殲滅が間に合わない以上は、一旦離脱して分断させるしかない」

 

 

戦い易かった大通りから離脱してゲリラ戦に切り替えるべく、天井が崩れ落ちたビルの壁を駆け上って...

 

 

 

崩落したビルの壁面から内部に待ち構えていたモンスターが、俺の姿を見て捉えた途端に火球を放った。

 

 

「待ち伏せ、かよ...ッ!?」

 

 

 

 

 

《損傷率、100%到達》

 

《訓練を終了します》

 

 

火球が直撃したと同時に世界が止まり、分解され、床や天井にグリッド線が走るダークブルーの無機質な空間へと様変わりした。

 

擬似的に作り出された街並みから、通常空間に戻されたのだ。

 

 

「くそっ...まだ30ウェーブ前後が限界だ」

 

「まぁまぁ、最初に比べたら随分といい動きが出来るようになってきたよ?すぐ先に行けるさ」

 

「もう一回やらせてください、橙鉢さん!」

 

「それさっきも言ってたじゃないか...ダメだ、一旦休憩にしよう。昼飯時も近いし、無理のし過ぎは体に毒だぞ」

 

 

インカムを通してリバーブの効いた声が俺を軽く窘める。

ふと、近くのグリッドのマス目に表示される時間を確認すれば訓練を開始して3時間は既に経過していた。

 

…休むか、ここは。

 

 

「分かりました、シャットダウンお願いします」

 

「はいよ、ちょっと待ってて」

 

 

《仮想空間からログアウトします》

 

《シャットダウンプロセス進行中...》

 

 

目に映る景色がブラックアウトし、肌に伝わる感触と重力の向きが変わった。

 

 

《シャットダウン完了》

 

《お疲れ様でした》

 

 

黒い画面に文字が表示されたのを確認し、目を覆っていたゴーグルを外す。

暗所で慣れた所に差し込む照明の光が目に痛い。

 

視野が回復すると、橙鉢さんが覗き込んでいるのを把握した。

 

 

「どうだい?もうフルダイブ訓練には慣れたかな?」

 

「そこそこ、ってトコロですかね」

 

「そこそこなら上等だ。ラナを呼んでくる、楽にしててくれ」

 

 

廊下に出る橙鉢さんを脇目に体を起こす。

こういうモノにありがちな痛覚のフィードバックが現実でも残っている様子はない。

 

手を握ったり開いたりしながら、あれから畳み掛けるように訪れてきた出来事を思い起こす。

 

そう、昨日のあの出来事から今日に至るまでの――

 

 

//////////

 

 

「ラナは?」

 

「私の手伝いをさせてる最中でね、今ちょっと手が離せないんだ...結論は出せたかい?」

 

「これが皆にとって正しいとは思いません、間違いだらけで、自分勝手で...それでも、()()()()()は、これこそが正しいと胸を張って言えるものを見つけられました」

 

「勿体ぶるのも良くないからね...聞かせてくれ」

 

 

地下研究所に戻った俺を出迎えた橙鉢さんが、俺から綴られる答えを待つ。

口元はニヤニヤとはしているが、向けられる目は真剣そのものだ。

 

多分、楽しみで仕方ないのだろう...あんなに澱んでいた男が、何を見つけられたのかが。

 

 

「俺は...俺と同じような悲しみを、喪失を経験する人が産まれてしまうのが見たくなかったんです。俺には姉さん達が居てくれたから家族の温もりを完全に失わなくて済んだけど、これまで犠牲になってしまった人やこれから犠牲になる人達全てがそのように恵まれる訳じゃない。あの時勝手に体が動いたのも、きっと...だから」

 

「“だから”...君はどうする?どう在りたい?」

 

 

 

「俺は...少しでも、死ななくていい人が犠牲になるのを減らす力として。この力が及ぶ限り、全力で戦いたい」

 

「守る為に?」

 

「...こんな力を得て、人間という枠から外れてまで生き延びてしまった俺という存在が、生きる上で成すべき事だと思ったから、です」

 

 

視線が交差する。

長い沈黙が流れて、先に口を開いたのは橙鉢さんだった。

 

 

「やけっぱちになって、与えられた力を理由に死に急いでる訳でも、ヒーローごっこして現実逃避がやりたい訳でも無さそうだね...その目、本気(マジ)なのがひしひしと伝わってくるよ」

 

「じゃあ...」

 

「私が全身全霊を賭して君達をサポートする。失望させてくれるなよ?」

 

「...!」

 

 

橙鉢さんはニッコリと笑って、そう言った。

それは力を貸してくれるに値するということ。

否定されるかとも思えたこの俺の本心に対して、橙鉢さんはその有り体を受け入れてくれたのだ。

 

 

「...さて!」

 

「は、はい」

 

 

しかし、その喜びはあまり長く続かず、パンッと両手を勢いよく打ち合わせる橙鉢さんによって気を引き締めることとなった。

 

 

「ここからは忙しくなるぞぉ、まずはラナの手伝いがキリのいい所まで行けるまで細胞や血液のサンプルを君から摂取させて欲しい。出来れば例の形態と今の姿に変わる際にどのような変化が現れるのかも分析させてくれ。彼女の方が終わり次第、引越し準備だ!」

 

「はい.........はい?引越し?」

 

 

細胞とか血液を少し貰うのは理解出来る。ラナでも完全に把握出来ていない俺の体がどうなっているのか、科学的観点で見れば何かしら分かる部分はあるかもしれない。

 

人間と化物、2つの姿へそれぞれ変異させる様を見せる事で、肉体が変異するプロセスを理解する事が出来るかもしれない。

 

 

だが、引越し?

ここに、地下研究所に住めと言うのか?

 

 

「不安か?」

 

「あっ、いや...寝泊まりするスペースはあるのかなと、そう思って」

 

「フ...安心しろ、政府からの客人や視察を招いた際に数泊は出来るよう部屋は設けてある。広さはそこまでだが、寝泊まりに不自由はしないと約束しよう」

 

 

俺の疑問を見透かしたような口振りで、橙鉢さんはそう答えた。

これ以上は、聞くまでもなかっただろう。

 

 

 

「あ、そうだ」

 

「何です?」

 

「平野君が立ち直る様、しっかり見させてもらったよ」

 

 

 

.........

 

 

......

 

 

 

 

 

その日は多くの事をした。

 

血を抜かれ、皮膚や頭髪に口内粘膜などの細胞をも採取され、人間と化物の間を何度も行き来した。

時間が許す限り、俺の様々なものを橙鉢さんに晒してデータを取らせる。

 

 

サンプルの大まかな結果は翌日出るが、変異プロセスの解析はもう少しの時間が欲しいと橙鉢さんは言っていた...気がする。

 

たった一日、いや、数時間で俺たちの住んでいたアパートから必要最低限の荷物を纏めて運ぶ、慌ただしい引越しによって第七特研の一室が新たな住まいとなった。

正直言って、俺の住んでたアパートの部屋より広

かったけど。

 

 

ちなみに、ラナの方は何をしていたかと言うと、アルラウネのノウハウを活かして地下で野菜の栽培とかが出来ないかどうかを模索していたらしい。

橙鉢さん曰く、地下暮しだと保存の効く缶詰とかカップ麺みたいなモノばかりになるらしいし...

 

そもそもモンスターの襲来で物資の搬入ルートが破壊されたこの街に、あまり多くの新鮮な野菜類は残されていなかった。

サプリメントなどでビタミン不足を抑えるのにも限界が来るとして、早急に解決するべき課題の一つとして持ち上がっていたそうだ。

 

 

そんな、なんだかんだで世界のことや人類のことを第一に考えている橙鉢さんの元で暮らすようになったのだが、翌日になると今度は戦闘データの収集に入らせて欲しいと言われ、朝から俺用に調整されたフルダイブによる擬似的に再現された戦場を駆け回る羽目となった。

 

たった一人でノルマンディー上陸作戦みたいな事やらされたり、黒い太陽と連星の月が浮かぶ明らかに地球じゃない惑星で得体の知れないロボットと戦ったり、廃墟と化した街でモンスターの軍勢と消耗戦を強いられたり...

 

 

――――もうすぐ君の細胞や血液の解析結果が出るし、それまでもみくちゃにされてくるといい

 

 

 

 

いつの間にかフルダイブ技術が完成していた事に対して若干浮ついていたし興奮もしていた俺は、その内容のハードさで冷水をぶっかけられると同時に橙鉢さんの言った言葉の意味を深く噛み締める。

 

一歩間違えれば死を免れないモンスターとの戦いは、俺が思い描いていた“フルダイブのゲーム”では無く“模倣された現実の戦場”で戦い抜く術を身につけなければならないと言う事を...

 

 

 

 

 

//////////

 

ドアの開く音が、物思いに耽っている俺を現実に呼び戻す。

顔を上げれば橙鉢さんと、首にタオルを掛けるラナの姿があった。

 

 

「お待たせ、連れて来たよ...昨日君から摂取した諸々のデータと一緒にね」

 

「訓練お疲れ様、マサヤ」

 

「あぁ、ラナもおつかれ。大変だったろ?」

 

「朝から戦い続けてた貴方に比べればずっと楽よ、元より土弄りは好きだし」

 

 

タオルで額を拭いながらそう語るラナは、可憐と言うより頼もしさすら感じる。

何年も農作業を経験してきたベテラン農家のような雰囲気だ。

 

 

「なんて言うか、力強いと言うか、割とワイルドだよな?ラナってさ」

 

「褒め言葉として受け取っていいのよね、ソレ?」

 

「正直ちょっと憧れてる」

 

「...何も出ないわよ、褒めても」

 

「ン゛ッンー...うん、なんだ、君ら疲れてるのわかるんだけどさ、会話が弾むのもわかるけどさ、ちょっとは私の方も気にかけてくれると助かるんだが」

 

「「あ」」

 

 

咳払いをして存在感をアピールする橙鉢さんに、俺はちょっとだけ申し訳なく思った。

反応が重なったから素で忘れてたのは俺だけじゃなくてラナもらしいけど。

 

何時もの暮らしの延長線というわけでは無いのは重々理解していても、やはりここまで大きく変わると慣れるのに時間は必要になってしまう。

 

 

「よーしよし、じゃあコイツをまずは見てくれ。走査型電子顕微鏡(SEM)で観察した平野君の血液だ」

 

 

気を取り直した橙鉢さんが、壁面のホワイトボードに紙をマグネットで留める。

高校の授業で何回か見た事のある写真が、そこにあった。

 

 

「ハイじゃあ平野君に問題でェす、これなーんだ」

 

「えっ」

 

 

いつの間にか橙鉢さんが、手にしていた教鞭で写真のある部分を指していた。

赤くて、丸くて、中央が少し凹んだ...これは、もしかして?

 

 

「赤血球?」

 

「せーかい!チョット簡単だったかな?じゃあ次はおはぎみたいなコイツだ」

 

「白血球、ですかね?」

 

「またまた正解だ!それじゃあ最後にこれ、この細いのいっぱい着いててベタっとしてそうなコイツはー?」

 

「...血小板?」

 

「やるねぇ、全問正解だ。文明が存続してたら受験生だった分、そういう知識は然と入ってるようだし感心感心」

 

 

…橙鉢さん、俺に高校生クイズでもやらせたかったのか?

急にこんな事聞いて、何がしたいんだろうか...

 

 

「さーて、全問正解した平野君にはエキストラ問題を出さなきゃねぇ...これを見て、“何を感じた”?」

 

「な、何って言われましても」

 

 

特別に何かと感じることは特にはなかった。

至って普通な血液の拡大写真でしかない。

その辺の通行人をとっ捕まえて同様の調査を行ったところで、似たような結果が現れるだけに過ぎない...筈だ。

 

 

「普通ですね、何も真新しい感じはしないです」

 

「そう、“普通”なんだよ。血液細胞のバリエーションも、恐らくその機能も一般的な人間と何ら変わりはない。違うところと言えば水の濃度が一般水準より10%程高いくらいだ」

 

「え?...あぁ、そうか!そういう事なんですよね?!」

 

 

橙鉢さんが伝えようとしたもの、それは俺の血液が普通の人間と大差ないという...つまるところ、マクロな観点で人間の部分が残されていたのが発覚したという事実だ。

 

俺にとってそれは希望を抱かせる報せ――の、筈が、当の橙鉢さんはあまり浮かない表情で前髪をクシっと掻き上げる。

 

 

「まぁ、そういう事に間違いは無いが...だからこそ手放しに喜べないのさ、君はもう大分アカダマ、もとい魔核を食ってきたんだろう?」

 

「そうですけど、なにか関係が?」

 

「見れば分かる」

 

 

橙鉢さんがホワイトボードに貼り付けたもう一枚の写真を見て、俺を息を飲んだ。

 

 

「なん、ですか...これ」

 

 

写真を埋め尽くす勢いの、明らかに普通じゃない量の赤血球同士が、橋を渡すようにくっついている。延々と、写真に映らない場所にもそれは伸びて。

人間の体を循環する液体とは到底思えない、歪の極み。

 

――これは、一体、なんだ。

 

 

「...それなりの魔核を取り込んでるDランク駆逐官から採取した血液だ。互いにくっ付いてるモノは赤血球に見えるだろうが、コイツはもう既に血球細胞では無い別の半固体物質に成り果てている」

 

「これが、これが血()だって言うんですか!?」

 

「尤もな意見だ平野君、中途半端に溶けた粘土みたいなコイツが人体を流れるには明らかに無理がある。高尿酸血症や痛風のように、体内で僅かに析出した尿酸結晶でも人間にとって大きな病となるからな。この状態を敢えて呼称するなら...」

 

 

 

「......“飽和”よ。その状態の血液は体外に流れ出て外気に触れると完全に固体となり、使役者たる飽和者の意思でその結晶構造に指向性を持たせる事で傷を塞いだり、武器を形成する」

 

 

静観を決めていたように見えたラナが、口を開く。

それは確か、俺が魔核集めをしていた頃に聞かされた単語だった。

 

 

「魔核によって魔力を得た人間は、その肉体を内側から作り変えるの。魔力を溜め込み、操る魔管を持たぬまま産まれた命にとって魔核は薬であり、糧であり...異物でもある」

 

これ(飽和)も、魔力という異物を取り入れた結果の一つだって、そう言いたいのか、ラナ?」

 

「そう、故に私のいた世界の人々は大昔から魔力を行使する方法を模索し続けていたわ。魔管無しで魔法を発動出来る方法を編み出したり、モンスターから臓器を移植したり、人工的に擬似魔管を作り出して埋め込んだり...どれも大きなリスクを要するものだったり、一長一短のものばかりだった」

 

 

それからラナは、悲しみを表情に浮かべて自分の胸に手を当てる。

それはきっと、俺に施してくれた事も該当すると言いたいんだろう。

 

 

「...大丈夫だ、ラナ」

 

「でも」

 

「俺は、ちゃんと()()()()()。ラナが助けてくれたおかげで」

 

「......ありがとう」

 

 

彼女はやるべき事をやった。俺がこうなったのはラナの所業じゃない、俺は少なくともそう思っている。

 

だから、その感情に沈む度に俺は引っ張り上げて前を向かせてやりたい。俺が彼女にそうされたように、今度は俺が。

 

 

「話、続けて下さいよ。橙鉢さん」

 

「そうさせてもらおう...結論から言って、普通なら血管が裂ける状態だ。液体と結晶の固体が共に現れている、俗に言う液晶の形態が常時保たれながらも既存の血液と同じ流動性を維持しているんだ」

 

橙鉢さんは教鞭で血管内壁と硬化した赤血球が接触しているにも関わらず、傷一つ付いていない部位を指した。

それが幾つもある。

 

 

「私はこの状態が元々此方側の世界で観測されなかった物質、何らかのエキゾチックマターが作用していると判断した」

 

「...魔力ですか?」

 

 

俺のその言葉を耳にした途端、目を細めて口元を少し吊り上げ、橙鉢さんは嬉しそうな笑顔を見せた。

 

 

「ご明察。私からすれば駆逐官なんてみーんな化け物さ...しかし、君の血液は魔核を取り込んだ者とは思えない程クリア過ぎるんだよ。文字通り()()()()()()()としか言い様がないくらいには」

 

「...不思議ですね、滅茶苦茶な事言われてるハズなのに、それが全部腑に落ちていくんです」

 

「少なくとも、駆逐官が血の結晶生やして傷を塞ぐのに対して君は別の力が作用した修復能力を持つって事になるな...じゃあ次、その能力を紐解く鍵を握った表皮細胞の説明に行ってみようか!」

 

「はい!」

 

「あのねぇ...盛り上がるのもいいけど昼ご飯の時間、忘れないでよ?今日は箸を使う和食だって(ことづ)けしてたのも、ね」

 

 

ラナは口を尖らせながらも、橙鉢さんから語られる様々なデータを俺と共に聞いてくれていた。

 

時に説明を補填するように得意げな様子で話を継ぎ足し、時に彼女でも知らない変化に驚きながら。

 

なんだかんだで終わったのは1時過ぎ位だった。

 




書き溜め全滅したゾ


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第十五葉:生傷を灼く

(なんか赤くなってる評価バー)(一瞬ながら日間ランキング入り)(追いつかない感情)

現実味を感じないまま初投稿です。



《シャットダウン完了》

 

《お疲れ様でした》

 

 

 

「40ウェーブ、どうにか達成出来た...」

 

「やるじゃないか!魔法が使えない事が分かった上でも、数日でここまで到達するのはセンスの良さに他ならない」

 

「ラナのくれた力があってこそですよ。その上、橙鉢さんの作ってくれた資料でどう戦えばいいか、どんな動き方が出来るかって部分も分かり始めた所ですし」

 

ログアウトの完了した仮想空間接続端末を外して、寝そべる俺は枕元に置いてあった参考書並の分厚さを誇る冊子を手に取る。確か橙鉢さんが機を見計らって、政府に発表する文献を粗方纏めたヤツだ。

 

開いたままのページには、『魔導植物との一体化による魔力流動経路の生成、及び経路から欠落したエネルギー出力器官の補填案』と大きな文字が写された表紙があった。

 

ここ数日、戦闘訓練を兼ねたデータ収集が続いている。

防具としての機能のみを有する『鎧』を完成させるのは今すぐでも出来るが、橙鉢さんはそこへ様々な要素を盛り込んで更なるデータを集積させると先を見据えていた。

 

専門的なところはよく分からないけど、魔核を取り込んだ人間が魔法を使えないなら『単純なエネルギー』として魔力を取り出す抽出機(エキストラクター)を生み出すメカニズムを科学技術で作れないかと試行錯誤を重ね、そのテストモデルを『鎧』に搭載するつもりらしい。

 

手にした冊子の表紙を捲る。

 

 

――――――

現在(20XX/09/XX時点)における、異常生命体の一種であると推測される【魔導植物】と完全融合している唯一のケースである『平野 正也』は、地球上に存在していた既存生物のどれにも該当しない、生命体として不安定な状態にある。

予備知識なしでは【魔導植物】が人体に寄生しているようにしか見えないだろうが、その実態は極めて相利共生に似せられた別種のものであると考えられる。

Ϡ-【減らず口】との戦闘を通して重度の負傷を負った平野 正也はHL(Harmless)-FILE 01【秘匿を囁く者(アル・ルーン)】による処置を受け(この記述についてはP.114『人的被害を加えない異常生命体の存在と人類存続の為の将来的課題』にて詳しく触れている)、人間を逸脱した現在のような姿へと変貌を遂げた。

 

しかし、【秘匿を囁く者】ですら予期しない【魔導植物】のパターン形成によって身体の再構築のみならず、脊髄(正確には既存の脊髄と【魔導植物】の細胞が入り交じった、癌細胞と正常な細胞が混在している状態と似ている)を中心に脳や神経系に融合、そして体内組織全般にも深く干渉している。

再構築に伴い、アカダマを取り込むことで生ずる魔力の貯蔵先が血管内ではなく【魔導植物】の細胞、便宜上『髄簾細胞(Zoe-cyte)』と呼称するそれらが代替として機能している反面、魔力を何らかの“力”として三次元空間へ出力する機能を有してはいないと判断せざるを得ない。

未だにこの世界で、概念的な存在としか表現出来ずにいる“魔力”の物質的な正体を掴めないまま、異常生命体への対抗策を練らざるを得ない我々だが、一つだけ確固たる事実が存在していることは覆しようも無い現実である。それは

――――――

 

 

「魔力も熱力も重力も、この世に現れる現象全てに“(エネルギー)”という概念が共通している...でしたっけ、橙鉢さん?」

 

 

次のページを捲る前に、そこに書かれている記述を口にする。

何度も言い聞かされた、現存する科学的で解き明かしきれない異郷の摂理を説明する唯一にして絶対と、彼女の打ち立てた理論を。

 

 

「いぐざくとりー、その通り。ちゃんと覚えていてくれて嬉しい限りだ」

 

「教え方が上手いんですよ、俺のところの数学教師とは大違いだ」

 

「なははッ、そこまで言われると小っ恥ずかしいな...まぁこうして君の『鎧』から得た運用データを元にして最初は駆逐官向けの、延いては魔核を取り込んでいない一般的な戦闘員向けのマスプロダクツ(量産型)を目論んでるって寸法だ。魔力に頼らないまま純人類が満足に戦える術を、ね」

 

 

起き上がってベッドに座る俺に向かって、笑顔と共に親指を立ててみせる橙鉢さん。

実際、何処かの学習塾の人気講師もかくやと言わんばかりに分かりやすい説明をしてくれるから頭の中に入る入る...。

魔力とそれを引き出す魔法の相関を井戸で例えたのは、ラナまで思わず感嘆の声を挙げていた程に。

つまるところ、橙鉢さんは魔力という井戸から井戸水を汲み取るように、エネルギー取り出す桶を作ろうとしている。

 

 

「ところで平野君。今日もお見舞いに行くんだろう?」

 

「はい、昼食済ませたらラナも連れて行こうと」

 

 

魔法と科学が融合した全く新しい概念が彼女によって日夜開拓されつつある中でも、俺はどうしてもやりたい事があった。

姉さんと、義父さん義母さんのお見舞いだ。

 

未だ昏睡状態が続き、意識の戻らない姉さん達の元に、実は昨日一度会いに行っている。当然マスクと手袋で明らかに見られたらマズい部分を隠したし、第七特研では“擬態”を解いているラナも地上に出るときは人間を模倣したような姿になることで人々の目を欺いた上で。

例の件であのままの“擬態”パターンは既に病院の多くの人に見られてしまっていることから、ロングヘアを後ろで束ねたポニーテールの髪型にしたり、瞳孔の色とかも微妙に変えたりしてアレンジを加えたそうだ。

 

「そんな調子で大丈夫か?」と思わなかったと言えば正直嘘になる。

しかし、俺達が思っていたより病院は手詰まりの手一杯な状態で、「ヒト型ならばヨシ!!」と来る人の顔を一々チェックしている余裕はこれっぽっちもなさそうだった。

それは当然、そこに在中している『神の存在証明』も同じだったワケで。

 

 

…兎に角、割かし普通に御見舞いに行けた。

最悪、また頭に銃弾撃ち込まれるくらいの覚悟はしていたものの、そう覚悟をするだけに済んでくれた。

しかし、その日は様々な予定が立て込んでいたのもあって滞在時間は僅か数分程度。

(昨日と比較して)時間のある今日にもう一度行こうというワケに至る。

 

 

「ラナの方も結構順調でね、安定さえさせれば恒常的に彼女の力も使わなくて済む供給を行えるようになる。あまりこういう言い回しはしたくないが農業チートという奴だな」

 

「農業チート...創作物として描かれるモノはイマイチ想像できなかったですけど、こうして緊急事態の現実に目の当たりにしてみれば心強い事この上ないですね」

 

「へーぇ?...だーれが心強いインチキ(チート)って?」

 

 

いつの間にか仕事に一段落をつけたラナが扉に背を預ける形で寄りかかっていた。

ちょっと得意気な様子からして、先の会話を耳にした所だろう。

 

 

「ラナ、来てたのか。順調なんだってな?」

 

「まぁね、狭い範囲でしか試してないけど...しかしチート、チートね...私がそこまで言われる事になるとは思いもしなかったわ」

 

 

橙鉢さんの口にしたその単語を噛みしめるように繰り返す。

調子に乗っている...訳では断じて無さそうだ。そういう慢心しやすい性格じゃないだろうから。

 

 

「...周りから世間知らずの箱入り娘と言われてきたのが、嘘みたいね」

 

「ん?なんか言ったか?」

 

「大したことじゃないわ。お母さんに比べたら私なんかまだまだ未熟者なんだし、これを機に少しでもこういう分野への技能が身につくと良いって...そう思っただけ」

 

 

そう言い残して、窓型ディスプレイに映し出される砂浜の映像を眺めるラナの横顔は、ほんの少しだけ哀愁を漂わせていた。

 

 

 

 

何れ、人類は嘗てのように気軽に海へ遊びに行ける事すらできなくなる。

 

…秋の訪れは、近い。

 

 

 

■■■

 

 

 

「脈拍、呼吸、体温、全て正常ですが、依然として意識は回復せず。呼吸補助装置は継続して使用しなければなりません」

 

「もう連れて来られてから一週間になるにも関わらず、一家纏めて原因の特定すらままならない意識不明が続くとは...異常生命体による影響を受けたという説が濃厚になっていくばかりではないか、これでは」

 

「我々医者はありとあらゆる手を尽くしました...後は、待つしか――」

 

 

 

病室の外から聞こえる話し声は、十中八九姉さん達の事を言ってるんだろう。

椅子に座る俺の眼前には人工呼吸器に繋がれ、点滴を打たれた三人が床に就いていた。

 

眠っているようにも、死んでいるようにも見える。俺を引き取って育ててくれた...ラナが来てくれるまで俺の最後の寄辺であり続けてくれた人達が、何時目覚めるとも分からないまま。

 

 

「話すんでしょ?昨日言いそびれた事も含めて」

 

「あぁ...聞こえるとは思えないけど、伝えなきゃな」

 

 

促されるまま、眠り続ける彼女達から一旦目を離し、俺は懐から端末を取り出した。

今まで使ってきて、『ゴブリン事件』で一連の死闘を経た事によりバキバキに液晶の砕けた画面のスマートフォンではなく、黒を基調とした真新しいメタリックカラーの光沢が鋭く輝く端末を。

 

 

「...俺、駆逐官になったよ」

 

 

スマートフォンと姿形こそ似ているがやや厚めで、何より裏側に“未知生命体対策本部支給品”という文字彫りが選ばれた者にしか与えられない備品であることを示している。

先端技術を詰め込んだ代償として見た目以上に重い携帯端末を、両の手で包むように持ちながら俺は話を切り出した。

 

 

「姉さん達助けてから世話になってる博士さんがいてさ、その人がお膳立てしてくれたんだ。詳しいことは分からないけど、公になったら困る部分は伏せたままに登録してくれたらしいんだ」

 

 

病室の外に『神の存在証明』の一員が通りがかったとして、その耳に入っても問題ない言葉を選びながら話を続けていく。

 

 

「博士はさ、『政府だろうが組織だろうが、利用できる物は何でも利用しろ』って後押ししてくれたよ。博士も俺が頑張ろうとする限り全力で手を貸してくれるんだって...幸せな話だよ、本当に」

 

 

携帯端末の電源を入れると、画面には未集計を示す打ち消しの横線がずらりと並ぶ。

総討伐数、総アカダマ(魔核)寄付数、過去に討伐した異常生命体で最も危険度が高い個体等々、列挙すればキリが無い程細分化された累計データの表記は例外なく。

そして極めつけに、駆逐官として与えられるコードネームがまだ存在していない者に対する仮称の『名無し(NO NAME)』。

 

良く言えば、スタートライン。悪く言えば、持たざる者。

完全に白紙の状態として、今も世界で増え続けるFランク駆逐官の一人たる俺がそこに綴られていた。

 

 

「姉さん、怒るよな。断りもなく勝手に危険な道を進もうとしてること...悲しみもするよな、絶対」

 

――だけど

 

 

「姉さんと、この場にいる人達だけに打ち明けるとさ...俺、自分を隠し通せるものが欲しかったんだ。こんな醜い姿になって生きていくなら、自分が何者であるかを永遠に隠し続けた方がいいって思ってた。駆逐官を志望したのは武器のオーダーメイドがあって...まぁ、そういう事だよ」

 

 

心中を打ち明けると共に、隣に座るラナから感じる雰囲気が少しだけ変わった。

あの時の俺が駆逐官を志望した訳の一つとして『武装発注システム』の存在がある。

駆逐官の希望に応じて武器を開発して発注してくれるそのサポートを活用して、醜悪極まる全身を覆い尽くしてしまえる『鎧』を手に入れようとしていた。

 

例え化け物でも、人間扱いなどされなくとも、その姿形を隠蔽してしまうことさえ出来れば後ろから突然撃たれることはないと思っていたから。

 

 

「でも、偶然例の博士の目に留まってから色々あって...もう一度、俺自身を信じてみようと思ったんだ」

 

 

何故あの時、俺の体を食い潰そうとした植物が俺にチャンスを与えてくれたのか。それは今でも、橙鉢さんでも突き止められていない。

本来ならその時点でとっくに死んでいたはずの俺が、今こうして生き長らえている...そこに意味や理由があるかどうかすらも分からない。

ただ、恵まれていた俺の境遇と違って、親しい人を失った悲しみに暮れたまま生きなければならない人を、少しでも減らせられたなら。

 

少しは幸せだったって、生きてて良かったって思えるかもしれない。

 

困ってる人を助けるとか、窮地に颯爽と駆けつける心強いヒーローにはなろうと思っていない。と言うか、多分望まなくても無理だ。なれっこない。

たった一人の兵士では、村どころか街すら守りきれない...そう訓練で嫌という程叩き込まれた。

 

犠牲を覚悟で一人、超常的な力を持ち、敵性勢力とある程度の乱戦に持ち込めて進軍を遅らせる事が出来るとすれば、施設の一つや二つは防衛が可能かもしれない、といったところだが。

 

 

「...全部が全部、俺の手で守れる訳じゃない。我儘だって事も分かってる。だけど、それでも俺は...っ!」

 

 

手にしていた端末のバイブレーションが、一定のリズムを刻む。

灯る画面には、橙鉢さんの名前。

マナーモードにしておいて良かったと思いながら席を立つ。ここで通話するのはあまり良くないと思って。

 

 

「ごめん、例の博士から電話だ。またすぐ戻―――」

 

「待って」

 

 

そのまま、外に出ようと踵を返す俺の手をラナが静かに握って止めた。

 

微かに、だが確かに、何かを伝えようとする意志を表情に滲ませながら。

 

 

「ラナ、どうしたんだ」

 

「ここでいいの、電話繋いで」

 

「けど姉さん達が」

 

「嫌な...私がこの世界に送り込まれた時感じたあの感覚が、()()()()()()

 

「......まさか」

 

 

ラナの口にする言葉を信じ、俺は姉さん達に姉さん達に心の中で謝罪の言葉を呟きながら通話ボタンを押した。

 

 

「橙鉢さん、どうしました?」

 

«...時空連続体の(ひず)みを確認した。()()ぞ»

 

 

 

固唾を飲む音が、静寂の満ちる病室に響く。

ラナの予感は見事に当たった。

 

窓の外から空を見るが、視覚で捉えられる変化はない。

しかし、言われてみればラナの言う通り...俺にとっては得体の知れない、大きな何かが足早に接近しつつあるような感覚が急速に近づきつつあった。

モンスターとの境界線が曖昧になった事による副産物的な知覚か、単なる思い込みか...

 

 

「...規模は?」

 

«過去最大、ゴブリンの時以上だ。数十から百キロメートルに及ぶ裂け目が形成されると予測されるね»

 

「想定される数とタイプ...は、流石に特定出来ませんよね」

 

«詳しくは無理だが、時空連続体の歪曲係数や生成される裂け目のサイズから見積もって数百単位がこの町に溢れる。多少分散はするだろうが病院も危ない»

 

「マサヤ、モンスターの種類が特定出来ない以上今は動けないわ。私なら出現と同時にある程度把握出来るけど...もう少し見通しの良い所とか無いかしら、この建物」

 

 

異世界から転移させられてくる異形の軍勢が、数百規模。

...病院以外を防衛しに行く余裕はどう考えても無い。

 

それにラナの言う事にも理はあった。

例えば、今まで人類はスライムやゴブリンと戦ってきた。ファンタジー小説等では大抵下級の存在であるそれらにすら、世界を震撼させる大混乱を呼び寄せたが...ここで少し気掛かりな事がある。

 

人々は得体の知れない存在であるからスライムに驚愕した。

人々は危害を加えるものとしてゴブリン恐怖した。

 

ならば次は、どんな存在によって、どんな感情を刻まれる事になる?

例えばそれは何だ?

例えば俺にとって、俺におけるそれは―――

 

 

「...ラナ」

 

「なに?」

 

「......空を飛ぶモンスターって、居るか?」

 

 

 

 

 

 

静かに、彼女は頷いた。

 

 

窓の外、曇天に黒い亀裂が棚引く。

人類は傷の癒える間も与えられぬまま、再び蹂躙の時を迎えようとしていた。

 




たくさんの方の評価、お気に入り登録共に感謝の極みです。
文才も無く、元よりそこまで評価はされないだろうと思っていただけに感動も一入に身に染みて...
この嬉しさと語り尽くせない謝意を胸に、より努力していきたいと思います。


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第十六葉:願いと想いの狭間

お腹壊したり、目に傷が入ったりしましたが私は元気で初投稿です。


…夢を見てた。

 

幾つもの場面が浮かんでは消え、幾度となくそのヴィジョンが巡る。

多分、これは大切な思い出。

忘れちゃいけない、忘れるはずがないと直感が告げてくれたもの。

 

 

…夢を見ているという認識が芽生えた。

 

確か、テレビで言ってた気がする。

夢を夢と認識しながら眠ってる事を明晰夢だって。

 

じゃあ、これは何?私は今更何を夢で見ようとしてるの?

それならと意識を集中させてみれば、セピア調の景色がはっきりと明らかになって――

 

 

…小さな男の子が、目の前にいた。

その手を、『私』が引いて歩いていく。

男の子のぐしゃぐしゃになった前髪は、隙間から一切の光を通さない底なし沼のような瞳孔をチラつかせていた。

 

 

――今日からここが、君の住む家だよ。

 

 

やがて、私の見ている『私』が足を止め、男の子を優しく諭すように語りかける。

 

二人の前には見慣れた我が家。少し新しく感じる我が家。

 

…数年前のあの日。

これはきっと、私と正也くんとが共に暮らし始めた最初の日の記憶。

父親を失って日も浅い彼を引き取る事になって、色々手続きを終わらせていた帰り道...だったと思う。

 

 

 

映像が途切れ、目に映る景色が闇色一色に変貌した。

その中心から、スチール写真をバラ撒くようにして多くの場面のハイライトが溢れ出す。

 

 

家に住み始めてから、初めて彼が笑うようになった日。

 

中学受験を目前に控え、苦手科目の社会を教えた日。

 

大学受験に合格した私を、心から祝福してくれた日。

 

 

 

そしてこれは...これは、一番新しい幸せな記憶。

不思議な後輩(ラナちゃん)”を連れて、誕生日パーティに来てくれた正也くんとの記憶。

 

 

楽しかったなぁ。

嬉しかったなぁ。

また、一緒にご飯食べたり出来ないかなぁ。

 

 

 

......うん

 

わかってるよ

 

 

それはきっと、永遠に叶わない願い。

 

 

そう思うと同時に幸せなシーンが全て消えた。

幾百、幾千もの楽しい思い出に隠されたおどろおどろしい、でも確かに私が見た。私がしてしまった記憶が闇の中から顔を覗かせる。

 

 

私が刺した。滅多刺しにした。

グチャグチャに引き裂いた胴体から流れ出す血の温もり、柔らかい臓物の感触、吐血しながら必死に制止の言葉を叫び続ける彼の姿...

 

 

黒いセロハンで覆ったような、暗く曇った視界越しに全てが見えてしまってる。

 

覚えてるよ、あの日の出来事は全部。

急にふわっと、心と体が引き剥がされた感覚がして。気を失うことも許されなくて。

 

自分の中に何かが入ってくる感触がしたと思ったら、もう私は“人形”になってしまっていた。

 

悲しい、あまりにも悲しい過去を背負った男の子を満たすべくして廻される傀儡に。

 

 

操られてる間も、感覚が残ってしまっていたのが運のツキって奴だったのかもね。

だって、全部...全部見えちゃったから。

 

 

私......最低だ。

お姉ちゃん失格だ。

操られてたとしても、家族にやっちゃいけない事位あるよね。それ全部やっちゃったんだ。

 

 

 

 

 

――――今、助けるッ!!

 

 

変わり果てた正也くんの腕が、私の視界を貫いた。

 

闇に光が満ちる。逃げ場のない記憶の映像が消える。

 

…私、どうなったのかな?

死んだのかな?

死んだ人間って、二度と目覚めないからずっと夢を見続けるのかな?

 

 

 

もし、そうであるのなら。

 

どうか...正也くんが、私の弟が幸せに生きる夢を、見させて下さい。

 

私が二度と目覚めないのなら。この手で摘み取ってしまった彼の幸せを...

私が殺した彼の幸せを、永遠に見続ける罪を背負わせてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......

 

 

 

 

 

なんだろう。

 

 

とても暖かくて、とても懐かしい感じ。

 

 

この感じ、知ってる。

夢から醒める時の、微睡みと...

 

 

/////////

 

 

窓の外、空を大きな黒い筋が横断する。

ゴブリンが来た時はオーロラのような感じだった転移風景だったが、今回は全然感覚が違う。

 

橙鉢さんが解析に集中すると言って通話を中断した、あの亀裂...

 

全身の毛が逆立つような、血液が冷たく煮立つような感覚を伴って、それが()()()()()()()()と脳が危険信号をけたたましく打ち鳴らした。

 

 

「あのヒビ割れ、ゴブリンの時と転移の感じが違う...!」

 

「より多く、より大きな物に作用させる際は魔法の形質だって変えるのが定石よ。とは言ってもこのサイズ...少々良くないわ、もしかせずとも大物よコレは」

 

 

戦慄を憶える俺の隣で、落ち着き払った様子で冷静な分析を行うラナ。

しかしその目は確実に対象を、一片の見落としすら許さぬと言った具合に見開かれている。

 

恐らく、否、俺以上にラナは理解しているんだろう。

あれは、もう間もなく恐ろしいものを撒き散らし、破壊と暴虐の坩堝をこの世界に齎すのだと...

 

 

なら、俺達が成すべき事は。

 

 

「屋上なら状況も把握出来ると思う。個体の識別はラナと橙鉢さんが頼りだ」

 

「なら早く行きましょう、時間はあまり残されていないみたいだから」

 

 

見通しのいい場所であり、すぐに散開出来そうな所はそれくらいしか思い浮かばなかった。

でも、それで十分だ。

この病院の屋上で、出てくるモノは確実に見える。

 

 

「...よし、屋上には確か階段で――」

 

 

 

 

「ぁ......う...」

 

 

 

 

「...え?」

 

 

 

 

思考が、ピタリと止まる。

聞こえる筈のない、聞かなくなって久しい声が鼓膜を撫でた。

 

 

「マサヤ?どうしたの、マサヤ」

 

 

ラナの声が遠くに聞こえる。すぐ近くに居る筈なのに、何メートルも離れたようなくぐもった反響。

 

 

幻聴だろう、きっとその筈なんだ。

見舞いに行って、世界にまたモンスター共が溢れ出ようとしてるのに...タイミングも都合が良すぎる。

 

けど、それでも。

確かめる以外に、術はなくて。

 

 

 

 

「.........姉さん」

 

 

 

振り向いた先に。

 

 

「ま...さや、くん?」

 

 

枯れて掠れた声で、俺を呼んでいる姉の姿があった。

手を伸ばそうとしても、腕の筋肉が硬直しているのか肩を震わせるだけでしかない。

 

目覚めたばかりで、今にもふつりと途切れてしまいそうな様子に気づけば既に駆け寄ってしまっていた。

 

 

「姉さん...姉さんッ!目が覚めたのか!?」

 

「ま、さやくん...どうしよう、私、正也君に酷い事しちゃった、っ...!」

 

 

目を開けたばかりの姉さんが呼吸器を剥ぎ取り、あろうことか俺の方へ迫らんとベッドから無理矢理這い上がり始めた。

一週間も昏睡状態だったせいで満足に体が言うことを聞かないらしく、上体を起こすだけで痙攣に似た震えを伴わせている。

考えるより先に、体が姉さんを制止させようと駆け寄って支えた。

 

多分、どうするべきか考えても同じ事をしていたに違いない。

 

 

「ダメだ、今はまだ急に動かない方がいい!意識戻ったばっかりなんだろう!?」

 

「けど、私ッ...私、何度も正也くんを傷つけた!」

 

「アレは操られてただけで姉さんの意思じゃない、気負わなくったっていいんだ」

 

「そんなことは無い!!例え正也くんが...そうされた側が大した事じゃないって思っていたとしても、してしまった人間()はっ...!」

 

 

その言葉に、一週間前の記憶が脳裏を駆け巡る。

ズキリと痛む、頭。

 

そうだ...俺もそうだった、誰かにとっては歯牙にもかけない程些細な、寧ろ感謝されるような事をしていたとしても、本人にとって大きく思い罪の意識を植え付けるには十分すぎた。

 

そして姉さんは...姉さんは、恐らく全部見えていたんだ、感じてしまっていたんだ。

俺にあのメッセージを送って、完全に体が自分のモノでは無くなったその後でも。

 

 

…だからこそ

 

 

「姉さん!」

 

「っ!」

 

 

腰に手を添わせていた手を離し、両肩をしっかりと掴む。

俺が力んでいたせいか、声を荒らげたせいか、少しだけ姉さんの体が震えた。

 

 

「頼む姉さん、今だけでいい、今だけでも落ち着いて...俺たちの話を、聞いてくれ」

 

 

額が熱くなっていく。意識が戻ってくれて嬉しいとか、体の調子は大丈夫かとか、色々言いたい事は沢山あって、でも時間も余裕も圧倒的に足りない。伝えきれない。

喉元まで迫り上がる言葉を無理に押し込めながら、姉さんの震える目を真正面から見つめる。

 

俺の気持ちを汲み取ってくれたからか、姉さんはぐっと何かに急かされるような雰囲気を抑えて頷いてくれた。

 

そんな様子を見届けてくれた...と言うより、空気を読んで敢えて口出ししなかったラナが漸く口を挟む。

 

 

「ミズキ...窓の外の景色、見えるわね?」

 

「うん、何だろう...黒いひび割れ?」

 

「分かりやすく言えば時空の裂け目、あの時のような悲劇がまた起ころうとしている」

 

「そんな...また!?」

 

 

そう、まただ。

そしてきっと、これからも続いていく。

世界はもう完全に変わってしまっていた。姉さんの誕生日を祝っていた、あの幸せな一時は二度と戻ってこない。

 

 

「だから、私達が行くの。訪れるであろう幾多の暴虐からこの場所を守る為に」

 

「...えっ、ちょっと待って、私()って?」

 

「あぁ、俺も行く。戦う為の力は身につけた」

 

「駄目だよ、駄目だよそんなの。どうしてそんな事しなくちゃならないの?どうして自分から危険な場所に赴こうとするの!?おかしいと思わないの...?!」

 

 

何時もの優しい雰囲気は何処にも...いや、きっと俺達の身を本気で案じてくれているからこそ強く咎めの言葉を投げかける姉さん。

でも俺は、その優しさをこれから踏みにじるような事をするのには理由と覚悟があると伝えるために、短く息を吸う。

 

 

「...思ってるよ、言われなくったって」

 

「じゃあ尚更!」

 

「それでも、誰かがやらないといけない!誰かが戦わなくちゃならないんだ...彼処から来る連中に見境も分別もない、何もしないままだったら全部奪われる!俺は、そんなもの真っ平御免だ!!姉さんや義父さんと義母さん、大切だと心から思えた存在が奪われるなんてのはッ!!死んでも御免だッ!!」

 

「...正也くん」

 

 

煮立つ感情をそっくりそのまま姉さんに伝える。と言うよりほぼ一方的にぶつけていた。

目覚めたばかりで怒鳴るような事をして悪かったと思ってる。

だがそれでも奪われたくない、失いたくない、全てを守れなくても大切なモノだけは、絶対に!

 

 

「だから、行くの?死ぬかもしれないのに、戦うの?」

 

「...その為に、俺は駆逐官になった。命に代えてでも守るべきモノを、守り通すと決めたから」

 

「私はミズキに恩を返す為に戦うわ...あの箸の使い心地、本当に良かったんだから」

 

「......」

 

 

鉛のように重い沈黙が流れる。

 

空の異常に気づき始めたのか、病室の外から聞こえる徐々に強まる喧騒以外、呼吸ひとつ聞き取れない。

 

 

唐突に、姉さんは肩に置かれた俺の右手を優しく手に取った。

そのまま手袋を外し、下から壊死したかの如く黒く変色した皮膚が露出した。

 

...抵抗はしない、姉さんだから見られても構わない。

 

 

「硬いよ、冷たいよ、人間の手じゃないみたいで」

 

「実際、そうなんだけどな...俺」

 

 

姉さんの指が掌をさする。黒と肌色の色彩の差が、越えてはならない一線を隔てた互いの距離を物語るように...こんなに近くで、触れ合えもしているのに果てしなく遠い存在として俺には感じさせられた。

 

 

「感謝されなくてもいい、快く思わない人から罵倒されたっていい...大切な人と、少しでも多くの未来を救う。それが俺の願いだ」

 

「...変わっちゃったね、正也くん......この手みたいに」

 

「そうならざるを得なかった...訳も分からないまま死にたくないのは昔も同じだけど、今はそれ以上に親しい人の死が怖い。特に、また家族を奪われるような事が起こると言うなら、命を遣い果す事も厭わない」

 

「そっか......あのね、正也くん。私からもお願い、いいかな?」

 

 

膝の上に乗せるような形で握る手を見ていた視線が、俺の顔へと上げられる。

 

…いつか見たような優しい、だけど押し殺した悲しみを隠しきれない笑顔が、こっちに向けられた。

 

 

「私がどうなっても、貴方は生きて...ラナちゃん一緒に、何処までも」

 

「...生きるさ。姉さん達を守り抜いたその上で、俺も生きる。何人たりとも好きにさせない」

 

「嬉しい...やっぱり自慢の弟だよ、正也くんは」

 

 

――どんな姿になってしまったとしても。

 

そう、聞こえた気がした。

あぁ...このまま時間が止まってしまえば、この瞬間だけが流れ続けてくれれば、それでいいのに。

 

だけど...

 

 

「マサヤ」

 

「分かってる...姉さん、行ってくる。もう時間が無いみたいだ」

 

「待ってるよ、私...ここで待ってるからね?」

 

「必ず戻る、絶対戻るって約束する」

 

 

ラナが皆を言い切る前に理解し、姉さんも握る手を緩めて離す。

 

どうせ後で外すからと手袋をはめ直すことなく病室の出口へと向かい、扉に手を掛けて...開く前に、改めて姉さんの方へ振り向いた。

 

 

「姉さん、俺も...俺も、姉さんの弟で居られて、幸せだった」

 

 

姉さんが何かを言おうとするのを見なかった事にして、俺は病室から飛び出す。

どうしても伝えたかった、その一言を遺して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「開かないわ、鍵かかってる」

 

「仕方ないけど、非常時だから...ッ!」

 

 

蹴り破った扉から差し込む外の光。走り出せば天井のない床と、その四方を柵で囲んだ空間に繋がっていた。

…屋上だ。

 

見上げてみると、黒いひび割れは既にかなり細かく広がっていて、その奥に何かが蠢いている様子すら伺える。

 

 

「ラナ、裂け目越しに判別つかないか?」

 

「難しいわね...翼を持っているような物体しか見えないわ」

 

「いや、それさえ分かれば十分だ。橙鉢さんにも連絡を――あ、そうだ」

 

 

出発前に橙鉢さんから言われていた事を思い出し、懐から端末ではなく二つの小型インカムを取り出した。

 

 

「万一、異常生命体との戦闘が避けられないような状況に陥った時は使えって言ってたろ?通話機能しかないけど、散開して戦う事になれば必須だってさ」

 

「...えぇ、そうよね」

 

 

数秒だけ、躊躇いも似た沈黙の後に彼女はインカムを取る。

付け方は事前に橙鉢さんが伝えていたから問題ない筈だが。

 

 

「珍しいな、こういうモノ付けるの嫌か?」

 

「それもあるけれど...いえ、気にしないで。タダの我儘よ」

 

「そっか、でもラナには悪いが気になるな...支障無かったら聞かせてくれるか?」

 

 

俺は自分の耳にインカムを装着させながら電源を入れつつ、そう聞いてみる。

深く考えていたわけじゃない。こんな時になっても少しだけ蟠りに似た何かをラナが抱えているなら、せめてそれを知ってやりたかった。解決できるかどうかは別として、そう思って言った。

 

そう言っただけの筈が、何故かラナは少しだけ視線を泳がせていた。

 

…地雷だっただろうか。

 

 

「嫌なら無理に言わなくても――」

 

「マサヤ...本当に私が守らなくても、貴方は戦える?」

 

 

申し訳なさと、案じてくれているような優しさの入り交じった目が向けられた。

茜色の瞳が、僅かに揺れている。

 

…まだ、ラナも悔やんでいるのかもしれない。

二人で考えていた当初の予定は既に無意味なものとなり、この先何が俺の身にあったとしても『無垢胚』を与えた自分にその責任は大いにあるとして。

 

...どう答えるべきだろうか。

大丈夫だと元気づけるか?

いざと言う時は守ってくれと弱音を吐いてみるか?

いや...いや、駄目だ。それは違う。俺は二つとも心からそう思ってない。

故に、

 

 

「ラナ、確かに俺はラナよりまだ弱いと思う。腕っ節はどうか知らないけど魔法とか植物操ったり出来ないし、フルダイブ訓練で戦う方法を身につけたと言っても数日仕立ての付け焼き刃だ」

 

「分かってるんじゃない、なら――」

 

「...ラナの背中を、預けさせてはくれないか」

 

 

俺を射抜き続ける視線のまま何かを言おうと、何を言えばいいのか分からない様子でいる彼女に、俺は胸中を更に曝す。

俺の思っている事を。俺の想いを。

 

 

「バカみたいだろ?けど俺は、俺は多分()()()()()んだ。ラナの力が及ばない、届かない所を埋められるように戦う。俺の今、出来る精一杯の力を以て」

 

 

そうだ、きっとそれでいい。

誰かを守るという意味合いではなく、誰かが及ばない所を補うという意味を含めた『背中を預ける』ということ。

打たれ強く鋭い異形の肉体と、たった数日の特訓で得た申し訳程度の近接戦闘技術。俺の持ち得るその武器全てを出し尽くして戦う事が、きっと一番正しいと思いたい。

 

 

 

「...心配しすぎみたいね、私も......ここまで他人を、それも人間を気に掛けたことは始めてよ」

 

「ま、俺もまだまだ危なっかしいだろうからな...けど、俺達には力がある。この病院に居る人達の盾になれる...そうだろ?」

 

「無論よ」

 

 

俺がサンダルを脱いでからマスクと片方の手袋を外し、ラナは髪を結わえていたリボンをするりと解く。

割れ目の方向から感じる得体の知れない...多分『殺意』とか、そういう類の感情が一層強くなった。いつこちら側に雪崩込んで来ても不思議じゃない。

 

 

耳にインカムを装着すると同時に、橙鉢さんからのコールが入った。

 

 

「橙鉢さん、解析は?」

 

«たった今終了した、端末のレーダーに進行予測ルートを送るから確認を――いや、時空連続体がもう持たん!来るぞ!»

 

 

橙鉢さんが珍しく声を荒らげるのと同時に、空に入った亀裂がみるみるうちに増え広がって、遂に一つの物体が宙に解き放たれた。

 

その姿はまるで、おとぎ話によく出るドラゴンのようで...

 

 

「...ワイバーン」

 

 

ラナの口から漏れた名は、ドラゴンとは違う翼竜だった。

 

 

「ドラゴンじゃないのか?」

 

「近からず遠からずと言った所ね...これならどうにかなるかも知れない」

 

 

墨汁で満たされたような割れた空の向こう側から、次々に躍り出るワイバーン。

まるでジュラ紀に後退したようなその景色に一瞬圧倒され...しかし、すぐやるべき事への行動を最優先にした。

 

深く息を吸い込んで、スイッチを入れるように身体の機能を変える。

手足は尖り、体は蔦に巻かれ、枝が首の皮膚を突き破り、目に映る景色が一瞬赤く潰れて元に戻った。

 

 

«防衛戦をするって言うなら散開するしかない、()()()()()はすぐこっちまで突っ込んで来るぞ!»

 

「聞いての通りだラナ、行くぞ」

 

「死なないでよ、マサヤ」

 

 

一週間前の記憶が脳裏を過ぎって、じわりと頭が痛む。

姉さんと話していた時と同じ、あの感覚。

取りこぼしてしまう命はきっと多い。

病院(建物)ひとつ守りきるので俺は限界かもしれない。

 

…それでも、あの時とは違う。この力で、どんなに小さく少ない纏まりでも、守れるものなら。

 

 

 

――せめて、この病院に居る人達だけでも。

 

 

「...守る、今度こそは!」

 

 

傍に立っていたラナが、地を蹴る乾いた音と僅かな砂埃を残して消え去ったのを脇目に。

 

俺は、空を舞う翼竜の溜まり場へと向かって飛び出した。

 



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第十七葉:信じる者は掬われた

思えばあの時、我々が何の罪も無い少年に引き金を引いてしまったあの時から命運は決し、全てに見放されていたのかもしれない。

 

 

『地獄』、という言葉がある。

国は違えど、宗教が違えど、生前罪を犯した者が死を迎えた時、須らく落ちる忌むべき地という認識は総じて共通している概念であり、人々はそうならぬ様に善行を積むことを教えとして生きている。

 

私もその一人だった。

地獄以上に恐ろしいものなど存在しないと、叶うならば人々をそのような場所に致らせない抑止力となりたかった。

 

そこで出会ったものこそが『神の存在証明』。

我々の手で人々を守り、救い、崇高な使命を以て地獄から這い出た滅びを齎す異教徒と戦う...

 

私は幸せだった。誰かの為に力を振るえる事が。

私は奢っていた。自分と自分の率いる兵が、人々を護る絶対の盾となる事に。

 

 

 

 

 

 

そして、私は愚かだった。

 

人々の思い描く概念としての『地獄』、それはあくまでも人々の想像が至る範疇までしか表現が及ばず、いわば空想の産物でしなかない。

 

何故ならば、生者は地獄を識ることは叶わないからだ。ただ認知に及ばぬ『死』に、それらしい意義や意味を付け加えただけの妄想に人間は恐れ、忌避しながら生きている。

 

故に、宗教というものは国や言語が違えど人々の拠り所として産まれ、育ち続けていた。

 

私の属する『神の存在証明』も、そうであるように。

 

 

 

 

そう、()()は無知だった。

来るべき日が訪れ、我々『神の存在証明』は人々を護る剣であり、盾となる日時が来たのだと…少なくとも私の任された部隊では、皆そう思っていた。

 

 

 

「エリアC、最終防衛ライン突破されました!戦闘員は隊長格を含めて全滅した模様!!」

 

「エリアB、Dの損害率、共に70%を超過!これ以上の戦闘継続は困難!!」

 

「ッ...司令部からの連絡に、変化はあるかっ!?」

 

「依然として変わらず!此方からの通信は一切無視されています!!本部直属部隊の展開していたエリアE以降も通信途絶!戦況報告も途絶えましたっ!!」

 

「アイツら数十分前までずっと優勢だって言ってたろ!なんで急に音沙汰無くなっちまうんだよ!?」

 

「この区画でマトモな戦闘行動を継続しているのは我々だけなのか?やはり捨て駒だったと?…何の冗談をッ!」

 

「守るべき人も皆アイツらに殺されて…隊長、俺たち一体何のために戦ってきたんですか!!この行いに何の意味があったんです!?!」

 

 

ここは、道路を塞ぐように崩落した高層ビルの瓦礫を遮蔽物とし、人肉の焼けた刺激臭が粉塵と火の粉に混じって鼻腔を侵す死地の真っ只中。

 

異教徒…否、翼を持ち、炎を吐き散らして地を蹂躙する翼竜によって、付近に展開していた部隊は既に多くが壊滅。同時に避難誘導中だった民間人も為す術なく焼き殺され、そこへ別種の異教徒が波状攻撃を仕掛けて抵抗を続けていた部隊が一つ、また一つと斃れていく。

極めつけに、この街に存在していた司令部を兼ねたシェルター付近で爆発が発生してからというもの、このような通信のみが繰り返されるばかりであった。

 

 

 

《現在、作戦司令室は異教徒により苛烈な攻撃に晒されており、一時的に各救援要請に対して全く応えられない状態にある》

 

《本部直属部隊によって最優先保護対象を避難させた後、司令部を襲来した異教徒を殲滅するまで各エリアの戦闘員は撤退せず所定の区画を守備、前線を維持されたし。……繰り返す、現在、作戦司――》

 

 

 

当初は直ぐに敵を討ち払い、指揮系統を取り戻すという甘い目論見を立てていた。アレだけの兵力が落とされるものか、と…

 

しかし、既にこのメッセージが延々と繰り返され始めて数時間が経過している。

私を含め、徐々に戦闘員達は理解しつつあった。

 

 

――――――我々は、棄てられたのだ。

 

 

…我々は既存の軍を凌駕し、神の祝福を授かった最強の戦士たち(ラスト・バタリオン)等では無かった。

体良く宛てがわれた、本丸を生かす為の贄に過ぎなかったのだと…

 

 

その事実を理解し始めた各部隊は劣勢に押し込まれ、戦闘員多くが殉教(犬死)した。

各区画及び戦線崩壊の報も次々に入り、我々も後が無くなりつつある。

守る筈だった力なき者を先に皆殺しにされ、戦う力を持っていた筈の自分達ですら満足に抗うことも叶わず…私にとっての『地獄』は、ここだった。

 

 

しかし、我々の後方には多くの民間人を内包した病院がある。

それは地下にシェルターを備え、最大で数百人に及ぶ収容数を誇る国内最大級の避難所として機能するが、果たしてこの異教徒共にも同じ事が言えるのだろうか?

司令部をシェルターごと吹き飛ばしたこの魑魅魍魎共に…?

 

 

「エリアC方面より、翼竜接近!!」

 

LAM(無反動砲)で撃ち落とせッ!!」

 

「ダメです、既に懐までッ――ガァァ!?!」

 

 

やや距離のある右側面、轟音を伴いながら失った瓦礫の遮蔽物から顔を突き出した翼竜の顎に戦闘員が2,3人纏めて噛み砕かれた。

幾度目にしたか分からない、同胞の死が再び起こる。

 

「こ、の…化物、め……ッ!」

 

 

牙に胴を寸断され、上半身だけを外部に露出させた戦闘員の一人が両眼を見開き、自らの手にあった無反動砲を吐血しながら竜の顔面に構える。

 

その行為が何を意味するのかを理解した瞬間、思考では既に手遅れであると悟りながらも――

 

 

「止せ!撃つなァッ!!」

 

「隊長…後を、頼みます!!」

 

 

私の制止を求める声は、炸裂音に虚しく溶けて消えた。

 

後に残るのは、周囲に飛び散った赤の流体と黒煙のみ。

翼竜の姿すら煙に阻まれて見えない。

 

 

…何故だ。

何故、こうまで命を捨てて戦う者が居るというのに、神は我々に慈悲を与えてはくれない?

我々に、救われるだけの価値は最早存在していないのか?我々は滅せられるべくして蹂躙を受ける咎人なのか?

 

 

それとも…我々が信じ、代行者と称してして務めてきた『神』とは、元より…

 

 

 

「隊長ッ!!」

 

「な――」

 

 

黒煙の奥で影が揺らぐのが見えたと認識した瞬間、顔の右半分が大きく抉れて赤黒い液体を撒き散らす翼竜が私の元へと突っ込んでいた。

 

 

…退避は間に合わない。銃の照準を定める余裕もない。事の一部始終を目の当たりにしていた部下の戦闘員達も皆、長きに渡る戦いの疲弊と目の前で爆散した同胞の凄惨な最期から立ち直る暇すら無かった。

私の番が来た、というべきだろう。

 

だが、私もタダで死ぬつもりは無い。

先立った仲間達への手向けにしては、少々品がないが…

 

 

 

「…私を殺すと言うなら」

 

 

風圧すらも殺人的な勢いを乗せていく刹那、タクティカルベストに括り付けられた手榴弾のピンに指を掛け――

 

 

「共に死んで貰うぞッ!!」

 

 

引き抜く。

軽い金属音と共にレバーが弾けた。

 

これでいい。

これで、私は、『神』と袂を――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…風向きが、変わった。

私のすぐ隣を、正面から迫る風圧を押し退けて“何か”が通り過ぎた。

 

 

「――――――ァァああああああッ!!!」

 

「▲▲!?!!」

 

「は…!?」

 

 

私の体を轢き潰す筈だった巨体が、宙に浮いている。

その翼を使って飛んでいるのでは無い。もっと不自然な形で、人智を逸した何者かが竜を()()()()()ていた。

 

…私は気でも狂ったのか?

こんな、都合のいい光景が…

 

 

いや、それだけではない。

何者かが竜の抉れた肉へめり込ませた手をずるりと引き抜いた所に、ソレはあった。

 

貫かれた穴に代わって、私がピンを引き抜いた筈の手榴弾が、そこに。

 

 

―――炸裂。

本来は私の身体ごと吹き飛ばす爆発が上空で起こり、堅牢な鱗で覆われていない剥き出しの状態だった翼竜の顔面は内側から完全に消し飛ばされた。

 

しかし、私を死から遠ざけて翼竜を討った存在も又、広がる爆風によって瓦礫の山に勢いよく激突する…が、何事も無かったかのように両足でコンクリートの塊の上に立っている。

 

 

「……()、は」

 

「……」

 

 

私には見覚えがあった。

忘れられない光景と共に、私の記憶に深く刻み込まれたあの姿には。

人間と植物。人と、人ならざる存在の境界が入り交じった人型の異形には。

 

…あの日、我々が手を下してしまった彼が、何の因果が巡ってか再び我々の前に姿を見せたのだ。

 

あれだけの所業をしてしまったにも関わらず、又我々を救う存在として。それが意図して行われたのかどうかは別として、結果的に我々はまた彼に...

 

 

「今すぐその場から離れて下さい!()()が来ます!!」

 

 

しかし、そんな感情に陥ろうとしつつあった私…或いは、私以外の戦闘員達がその大きな声によって現実に呼び戻される。

アレとは何か、その問いを投げかけるより早く地面が轟音と共に大きく揺れ始めた。

そして翼竜が突き破った壁の大穴から先の光景が、こちらに向かっていた敵の全てが、()()()

 

 

 

――――――いや、これは。

 

視界全てを覆うほどの。

前方の空間全てを褐色に置換しうるほどの。

 

 

 

「……モンスター」

 

 

異教徒という呼び方は、その巨大な存在の前には矮小極まりない。

 

ただ直感でそう喩えざるを得ない…民家の一つや二つなど丸呑み出来そうなサイズを誇る、鉄錆のような色合いが全身を覆う蠕虫(ワーム)のようなモノ。

地面や路面のアスファルトごと、その場の空間に存在していた翼竜を始めとした全てが飲み込まれてしまっていた。

 

 

「間に合わなかった…俺がヤツを抑えます、その間に後退を!!」

 

 

だと言うのに、彼は躊躇い一つ見せることなく地を蹴って巨体へと跳躍した。

蛇のように鎌首を擡げる蠕虫が、一本につき電柱ほどのサイズはある牙の並ぶ円形状の口吻を向けた時には既に、

 

 

「でぇァァッ!!」

 

「▲▲▲▲▲!?」

 

 

勢いを最大限に生かした蹴りによって、隣接するビルに衝突していた。

そのまま組み付く彼が黒く鋭いその手で表皮を引き剥がさんとするのを、蠕虫が熱湯をぶちまけたミミズのごとく捩って畝って振り落とし、丸呑みにせんと撓り迫る大口の牙を体制を既に整えた彼が掴んで拮抗する。

 

 

巨大な異形と、人間に近い異形が互いに殺し合う光景。

 

 

恐ろしいという感情が、悍ましいという感覚しかその光景から得ることができない。

我々の眼中で繰り広げられるこの戦いは人の手に有り余る代物だった。

 

 

「あんな化け物同士じゃ…こんな奴相手じゃ銃なんて玩具も同然だろう!?ロケットランチャーだって!!」

 

「隊長、逃げましょう!こんな所に居たら命が幾つあっても足りませんよ?!隊長っ!!」

 

 

「…これが、人の域を脱した者の戦い……」

 

 

今すぐ死ぬことは無くなったとしても既に戦意を挫かれ、狼狽える事しか出来なくなった部下達が私の元へと縋るように寄り集まる中、私の口から自然とそんな言葉が漏れていくのを感じる。

 

我々(人類)は、やはり無力だった。

どれだけ同族で殺し合うには不足ない武装に身を包んでも、圧倒的な力と力が鬩ぎ合う戦いを前にしてただ傍観に徹する事しか叶わない脆弱な生物である事を痛烈に叩き込まれていく。

嘗て地球の頂点として繁栄してきた歴史の表舞台から蹴落とされた我々に、為す術など有るはずが無い。

 

 

「総員、撤――――」

 

 

 

《…それで、このまま引き下がるつもりかい?彼に全てを押し付けたままで》

 

 

撤退を告げようとした私に、無線機から響く聞き覚えのない声が待ったをかけた。

 



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第十八葉:『神』が繋ぐ軛を絶ち

田んぼの気持ちになるためにアクション稲作シミュレーションゲームをやってたり、金!暴力!Hotfix!が支配する57年後の街でもっとブイブイ言わせたいなとか思ってたら危うくエタる直前まで行ったので初謝罪です。

文章の書き方忘れた(絶望)


「な、通信!?」

 

「本部からか!?」

 

「いえ、違います!この周波数は『神の存在証明』の用いる通信施設のどれもに該当しません!!」

 

《当たり前だろう。なんたって私が無理矢理通信に割り込ませてもらっているんだから》

 

 

突然の事態に、戦闘員達の間で少しだけ混乱が起こった。

無線の声は恐らく女性。

だが語られる内容から判断して、外部から何かしらの手段を用いた電波ジャックを行った上で繋げていると考えて間違いなさそうだ。

 

しかし、兵も武器もほぼ尽きた私に今更何を言おうとするのか…

 

 

「何が望みだ、何一つ成し遂げられなかった我々に…」

 

《いきなり諦めムードかい?国内最強の軍事力を持つ新興宗教の一部隊が聞いて呆れるね》

 

「何とでも言え、我々は最善を尽くした。その結果がこのザマだ」

 

《でも、生きてるんだろう?少なくともその場で私の声が聞こえている人間はさ》

 

 

生きている。生き残っている。

…だが、それ以上に何がある?何が残った?我々の手の中に。

 

 

「あぁそうだ、生きている...それだけだ」

 

《そうだね、それだけだろうさ…で、だ。アンタ方はあのデカブツ戦ってる彼が生きていない(死んでる)とでも思うかい?》

 

「彼は、私の部下が脳に銃弾を喰らわせても死なずにいた。生物としての域を、生と死の概念を超えているとしか…」

 

《ふーん…まぁそう思うのも無理はないとは思うけど》

 

 

無線を介して溜息が聞こえる。私を含めてこの場の誰もが黙したまま時間が流れる。

崩壊したビルの向こう側、陥没した道路の上で今なお続く死闘の喧騒によって辺りが静寂に包まれる事はなかった。

 

 

《彼という()()は確かに打たれ強くはなったが不死じゃあ無いんだ。空を飛ぶ竜の炎を直に浴びれば消し炭になるし、身体の八割を一度に失えば再生が追いつくより早く大量出血で死ぬ…ああいう敵と戦うにあたって常に付き纏うような要因で彼は命を落とすんだ》

 

「しかし、彼には我々にはない力がある。恐れもを感じる心も、痛みも感じる神経も――」

 

《あるよ、あんな姿になっても》

 

 

蠕虫のムチを彷彿とさせる動きで弾き飛ばされた彼の胴に、崩壊し露出したビルの鉄骨が突き刺さった。

 

口を覆う枝の犇めきから、赤黒い血が隙間を縫ってダラダラと滴り落ちていく。

勝ち誇ったように揺らぎながら近づいていく蠕虫。

彼は鉄骨を右手で掴んだまま動こうとしない。

 

 

人の域を超えたとしても、身を貫かれた痛みを感じて失神したのか?

 

 

「くっ…!」

 

 

我々が奴と戦う事になるとすれば何分…いや、何秒持つ?

十数人の銃火器で身を固めた兵士では恐らく戦術も戦略も関係なく、その巨大の口の中へと収められてしまうと。そう思っていた。

 

彼はどうだ?たった一人で立ち向かい、今こうして縫い止められるまでに何分渡り合ってみせた?

それだけではない。私を翼竜から救ってくれたのも、私に『異教徒』の有り様に対して疑問を持たせる切っ掛けを作らせてくれたのも、全て……

 

 

今でも恐ろしさが消えない。人智を超えた者同士の戦いに体の芯から震えが伝わってくる。

しかし、彼は…彼はまだ、成人すら果たしていない子供(少年)だ。

 

 

まだ生まれて十数年しか経たぬ命が、それを投げ出す覚悟を決めて戦い続けている。

だと言うのに我々は指を咥えて見ているだけで本当に良いのか?それが力を持つ者の正しい有り様だとでも言うのか?

 

……否

 

 

 

「...対装甲火器は、何発残っている?」

 

「たッ、隊長!?何考えてんです!空飛ぶ異教徒相手ですら大打撃を受けたのに、あんなの倒せっこないでしょう!?」

 

「いや、方法ならある筈だ…駆逐官を除いた上で考慮すれば、最も兵力を持つ『神の存在証明』の戦闘員たる我々にコンタクトを取るという事は、そういう事なのだろう」

 

 

そして、彼は我々に対して“下がれ”とか“後退しろ”とは言ったが、逃げろとは言わなかった。

もし、彼もその事を理解した上で述べたとすれば…

 

 

《察しが良くて助かるよ…あのデカブツは内部構造は至ってシンプルだ。一般的にアカダマと呼ばれてる核の部分に捕食した物体を圧縮しながら運搬しエネルギーに変換している。ミミズ見た事あるだろ?それを思い出しながら冷静に観察すれば――》

 

 

言われるがまま、彼に向かって体を伸ばしていく蠕虫へ目を凝らす。

 

幾つもの体節のうち、尾部から三つ目の体節が他のものと比べて二回り膨らんでいた。

 

 

「あの体節か…!」

 

《見つけたようだね。粗方予想は着くだろうが内側にミッチリ詰まった筋肉のせいでNato規格の5ミリFMG弾(フルメタルジャケット)くらいなら余裕で弾く。しかし表皮硬度は精々軽戦車程度だ…言いたいことは分かるな?》

 

 

求められるのは肉を貫くのでは無く吹き飛ばす、言うなれば貫通より爆砕に長けた武器。

心当たりは、あった。

 

 

 

「…改めて聞こう、どの弾頭が何発ある?」

 

 

残された時間は僅か。

役者は既に揃い終えている今、議論を交わすことすら惜しい。

 

急かす私に多くの生き残りが戸惑う中、一人が意を決したようで背負っていたジュラルミンケースを下ろして差し出した。

 

 

「折り畳み式のロケットランチャー、我々の持つ最後の対装甲兵器です…自決用に残すつもりでした」

 

「…これでやれるか?」

 

《オーガの腕を吹っ飛ばすだけの火力はある代物だ、理論上は可能な筈…タイミングは()()()()さ》

 

 

瓦礫の隙間から、磔の彼を見上げる。

依然として項垂れ、全身の力が抜けているように感じられるが右腕だけは鉄骨を()()()()()

 

 

「…よし」

 

 

彼の意図を理解し、私も腹を括った。

 

受け取ったランチャーを組み立てる。

瓦礫の足場を頼りにビルの二階から混沌窮まる外へ駆け下り、ここが街の一角である事を忘れさせる程荒れ果てた大地を踏みしめ、指定部位に当てられる可能性が最も高い距離まで、あと十数メートル。

 

 

が、そんな私の動きなどお見通しと蠕虫が口以外に器官を持たない顔を向けようとして――

 

 

 

 

「待てよ」

 

 

彼の、だらりと垂れ下がっていた左腕が唐突に動いて蠕虫の逸らそうとした口吻を鷲掴み、ぐい、と向き直らせる。

 

そして……

 

 

「お前は、俺だけ見てろ!!」

 

 

掴んだままだった腕に力が入って腹に刺さった鉄骨を引き抜き、人外の腕力にものを言わせて口の内側へ深々と突き立てた。

 

 

「▲▲▲ーーーーーー!!!!!!!!」

 

 

 

ビリビリと鼓膜を揺るがす、言語化できない絶叫を発しながら蠕虫が彼を噛み砕こうとした時は既に、巨体を踏み台として高く飛び上がった後。

蠕虫は勢いを殺しきれぬままビルに突っ込み、コンクリートの瓦礫と砂塵を巻き起こした。

 

 

 

彼の姿が飛び散る灰色の粉塵に掻き消える寸前、私の目線と彼の赤い眼が交差する。

 

多くを語らずとも、その目からは互いの思考が通じ合う。

 

 

今しかない――――――

 

――――――今ならやれる

 

 

 

それぞれの思いが重なると同時に、私は自分の考える中で最も最適な位置へと到達を果たした。

発車姿勢に入り、照準器を通して膨らむ体節に狙いを定め…

 

 

 

「人間を見縊るなよ…怪物!」

 

 

トリガーを引く。

重い衝撃と共に射出された榴弾は狙い通り、体節へと吸い込まれるように飛翔して

 

 

 

轟音と共に、大穴を生じさせた。

 

 

 

「▲、▲▲▲▲――――――」

 

 

蠕虫の頭頂がビルの天井を突き破って咆吼する。

大きく開いた口から発せられる金属音にも似た鳴き声は次第にか細くなって消え、赤褐色の胴体があちこちから灰色の斑点が広がって全身を染め直した。

 

ザラザラと、波に攫われる砂の城を想起させるように巨体が崩れ落ちる。

 

 

……倒したのか?本当に我々の持ちうる兵器で奴を倒せたのか?

 

 

「退かなかったんですね、やっぱり」

 

 

呆然としていた私の元に彼が来た。

あの高さから落ちても平然と歩いており、腹部に空いた穴は既に埋め立てられて巻き付く蔦に覆い隠されている。

 

 

「…君の戦う姿が、私に思い出させてくれた。自分が何故『神の存在証明』に加わったのかを」

 

 

そう…私は、神の軛に繋がれた家畜でも奴隷でもない。

 

緩やかに破滅へと向かい、その場にいる者全てが絶望に暮れていた戦況に光を齎した彼が、私に思い起こしてくれた。

神に縋って戦うのでも、神の力を示すために戦うのでもない。

人類の自由と尊厳を守る為に、私はこの道を選んだと言う事を。

 

 

「信じてましたよ、()()()から…時間が無いので、後は橙鉢さんからの説明を聞いて下さい」

 

「行くのか?せめてあの時の事について弁明を」

 

「…全部終わったら、ゆっくり話し合いましょう。それに俺、もし立場が逆だったなら間違いなく撃ってましたよ」

 

 

彼はそれだけを告げ残し、黒煙渦巻く都心部方面へと瞬く間に駆け抜けていった。

 

 

《全く…言いたいことや聞きたいことが山程あるのは彼だって同じなのにね、状況が故にああするしかないのさ……》

 

 

沈黙を守っていた無線から再び声が響く。

この声の主も、あの日私達が彼にしてしまった仕打ちを知っているのだろうか。

 

 

《まぁ、私となら長話出来るかと言えばそうじゃない訳で…ほら、部下たちも来てるぞ》

 

「隊長ー!ご無事ですかーっ!!」

 

 

声の通り、見知った顔ぶれ達がこちらに向かって走ってきた。

明るいところに出たお陰で分かったが、彼らの身に付けている『神の存在証明』であることを示す白いフードは砂礫や煤で汚れ、一部の者は焦げてすらいた。

 

おそらく、きっと、私もああなのだろう。

 

 

「隊長、本当に倒してしまったのですか!?」

 

「あぁ…我々の、人間の兵器は通じた」

 

「なんてこった!だったら、だったらまだ希望はあるのかもしれない…!」

 

 

各々が、絶望から立ち上がりつつあった。

その表情は、死を今か今かと待ち構えていた時とは比べ物にならぬほど活気に満ちている。

 

存外、ヒトとは単純なものなのだろう。

信仰に縋って奇跡を待たずとも、自らの手で絶望を齎してきたモノさえ倒してしまう事さえ出来れば再び希望は生ずるものなのだから。

 

だが問題もあった。

今の一発が最後の対装甲兵器だったのだ。

 

 

「今の我々には弾薬一つ満足に無い状態だ…如何する?」

 

《いんや、武器ならたんまりと残ってるさ…『神の存在証明』が区画ごと破棄した小規模兵器廠を兼ねる武器庫がエリアA-10の立体駐車場に隠蔽してある。君たちの位置から徒歩で行ける距離だ》

 

 

……本当に、『神の存在証明』に携わっていない人間の把握能力か?これは…

熟練のオペレーターにも引けを取らない的確な指示に、思わず自分の顔が苦笑に歪むのを感じる。

 

 

「流石は、我々の通信回線に割り込めるだけあって情報の揃え具合も用意周到だ…」

 

《私も私なりにツテってのが有るのさ...なんなら音声案内でもしようかい?》

 

「いや、遠慮しておこう。腐っても我々の所属()()()()組織の施設だ…部隊を任された身として、私が責任を持って残存戦力を結集。補給した後病院の防衛線を構築する。座標データだけくれ」

 

 

それは、『神の存在証明』から下された命令に謀反する事を意味していた。

自分の意思を周囲の者達に…そして、何より私自身が『神』との決別を果たす事を己に知らしめる為に、私は頭を覆う白いフードを剥ぎ取る。

 

視界の四方を閉塞していた白色が消え、抑圧から脱したように目に見える景色が広がるのを感じた。

 

 

「現時刻より、『神の存在証明』から下された“所定位置での戦闘継続”の命令を破棄!補給後は避難民が収容されている病院施設の防衛に入る!」

 

「了解!!」

 

「処置が必要な負傷者は先に病院まで後退させろ!二手に別れるんだっ!」

 

「各エリアにて生存している部隊にも通信を!少しでも多くの同胞に呼びかけるんだ!『神の存在証明』としてでは無く、()()()()()()()と!!」

 

「くそぉっ!こんなモンもう要らねぇ!!」

 

 

私の指示に異論を唱える者は居なかった。それぞれが正しいと思った事を成すために動く。盲目的な従順とは全く違う、一人一人の意思を以て。

 

若い部下が私と同じようにフードを脱ぎ、地面に叩きつけるのを発端として皆次々と『神の存在証明』である事を捨てていく。

人間の尊厳と誇りを、取り戻していく。

 

 

《いい部下を持ったね、隊長サン?》

 

 

私自身、そう思う。

例えこの場で戦ってきた事が仕組まれ、中身の伴わぬ虚偽と虚無に満ちたものであったとしても、最後まで私を信じて共に戦う意思を捨てずにいてくれた。

 

感謝という言葉では言い表せないほどの想いが沸き立って目頭が熱くなりそうだが、あぁ、だがそれは後だ。生きてこの地獄を潜り抜ければ幾らでも感傷に浸れる。

 

 

「…病院に向かう者は負傷者を頼む!決して死なせるな!それ以外は私に続け!!我々の戦いはまだ終わっていない!!!」

 

 

ある者は了解と声を上げ、ある者は頷いて死地を共にした部下達が一斉に是の意を示す。

 

私達は、軛から解き放たれ野生に還る獣の如く武器庫を目指して移動を開始した。

 

 

我々はもう、自分自身の意志で歩いて行ける。

 



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