できそこないの竜の騎士(旧) (Hotgoo)
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第一章 魔界編
1 再誕


初投稿です。
大規模な改稿を行いました。(9/16)


 ――ひどく頭痛がする。

 

 そう思いながら目を開くと、そこに広がっているのは一面の闇。何事かと思いつつ、辺りを見渡そうとして、そこで初めて己が仰向けに横たわっていることに気がついた。

 立ち上がり、自分が横たわっていた場所に目を向ける、ここは大理石で造られたバルコニーのようだ。

 全く身に覚えが無い場所に放り込まれ、思わず独白が零れた。

 

 「ここは……?」

 

 「……魔界だ……」

 

 ふと零した独白に、まさか返事を返すものがいようとは。そう思いながら振り返ると、そこにいたのは得体の知れない3人だった。

 影が衣を纏ったような正体不明の者、死神を思わせる鎌を持った、道化師の装束を身に纏う男。

 そして、その二人を左右に従えた、ただならぬ覇気を漂わせる魔族の老人。

 それを見てまず感じたものは警戒。本能というべきものが、警鐘を鳴らしているのがわかる。それが意味する所は、この三人ともが、己の命を脅かすほどの強さを持っているということ。

 

 「正確にはバーン様が魔界に持つ宮廷の3つ目、その展望室だね」

 

 と、先ほどとは違う声色が死神の男から発せられた。

 何のことだか、一体全体わからない。

 

 「どういうことだ」

 

 この場がなんなのか、ということだけではない。自身がこれまで何をしていたか、何処にいたのかさえも分からない。とどのつまり、分からないということしか分からない、ということだ。

 

 「フ……気になるか?己がなぜ蘇ったのか……」

 

 中央に控える老爺の言葉によれば、己は一度死んだらしい。

 だが、それを聞いてもオレは、そうなのか、程度の感想しか浮かび上がってこなかった。他人事の感覚、というのが一番近いだろうか。

 しかしなるほど、言葉の端々から、言霊の一つ一つから滲み出る力強さに、この場にいる誰よりも格の違う存在であることを感じさせられる。この老爺こそが3人の中でも頂点に位置するのだろう。

 

 「お前は誰だ」

 

 無作法にも問うてみれば、老人はそれに眉一つ潜めることもなく、実に堂々とした所作で己の名を告げて見せた。

 この寛大さも、頂点に立つ者の器の一つなのだろうかと、ふとした考えが頭をよぎる。

 

 「余はバーン……大魔王バーンなり」

 

 その考えの通りに、老人――バーンは余こそが大魔王であると名乗る。大魔王が何なのかは知らないが、魔王の上――言ってみれば、全ての魔の頂点である存在と言った所だろうか。

 そう思ってみてみれば確かに、この男よりも大魔王という肩書きが似合う者はいないように思える。

 王としての器、その佇まいから立ち昇る魔力。どれひとつとしてこの男に比肩できる者はいない。

 目覚めてから眼前の三人しか知らない自分がそう思うのも変な話だが、実際そうとしか思えないのだから仕方ない。

 

 「細かい事は省くが……死んでいたそなたを余が蘇らせてやったのだ。そなたの力に敬意を表してな」

 

 力――そうだ。確かに自分の頭の中には、使える呪文、修めた剣技、戦の方法、その全てがそのままそっくり保存されていた。

 だがそれに反して、それらを覚えた経緯、記憶といったものが一切無い。そのことを自覚した瞬間、じくじくと頭を蝕んでいた痛みが勢いを増す。

 

 何故――?都合の悪い記憶を消し、力だけを残した自分を戦う駒として使いたい?それをしたのは誰だ?今考えられるとしたら――やはり目の前の大魔王だろうか。

 

 それら全ての考えを、一切合財破棄する。何もかもがどうでもよかった。

 

 「そうか」

 

 長々と考えを巡らせて搾り出したのは、この淡白な一言のみ。これが今の自分の率直な気持ちだった。

 

 「貴様……!バーン様を前に、あまりにも無礼な……!」

 

 影が動いた。鋼のごとき両指を剣のように伸ばし、こちらの鼻先へと突きつける。強く輝く対の眼光から向けられた、刺し貫くような殺気がひしひしと感じられた。

 それでも尚、微塵も動かないこちらに対し、向けられる――いや、もはや叩きつけられると称しても不足ではないほどに殺気が増した。

 だがそこにバーンが待ったをかけるかのように手を横に伸ばし、影の動きを制止する。

 

 「よせ、ミストバーン。余はかの魔王を斃したこやつの力に敬意を表しているのだ……その力に免じて多少の無礼は許容してやろうではないか」

 

 「は……!出すぎた真似でした……お許しを……!!」

 

 「かまわん。それで……何故そなたを蘇らせたのかというと――そなたを余の配下に加えるためだ」

 

 そんなことだろうとは思っていた。そんな乾ききった感想を余所に、バーンはバルコニーの端まで歩みを進め、口を開く。

 

 「見てみろ、この景色を……ひたすらに不毛の大地が広がり、マグマの河が流れ、天には闇が広がるばかり……なぜこのような惨状が広がっていると思う……?そう、あらゆる生命の源である太陽が魔界には存在しないからだ」

 

 そして、一拍おいてから、バーンは己の大望を告げた。

 

 「太陽は素晴らしい……地上の全てを幾星霜と照らし、未だその輝きは陰りを知らぬ……!余がいかような力を用いても太陽だけは作り出すことはできん。だが……神々は魔族と竜から太陽を奪い、魔界に追いやった……!!」

 

 そのまま、己の拳を握り締める仕草をし、続ける。

 

 「故に余が魔界に太陽をもたらす……!!地上を脆弱な人間もろとも跡形なく消し去ることでな……!そのために力はいくらあっても困らん……特に余の後ろに控える二人や、そなたのような三界でも有数の強者となればな……」

 

 いくら熱意をもって語り掛けられようとも、響かないものは響かない。ここまで一切表情を動かさなかった自分を見たバーンが、少し考えるそぶりをしたあと、こう言った。

 

 「ふむ……そなたは憤りを感じんのか……?そなたを戦うだけ戦わせ、用が済めばいらぬとばかりにそなたを捨てた人間共や天界の者どもに……」

 

 「……覚えていない。オレが今まで何をしてきたのかさえも……やったのはお前じゃないのか?」

 

 「フフ……さてな。だが、そんなことは重要ではない。重要なのは――」

 

 

 ――余の下に付くか否かだ。

 

 

 その言葉が放たれたと同時に空気が変わったのを感じる。

 三人が放っていた強者のプレッシャーと言うべきものが、一斉に自分に向けられており、それはもはや物理的な圧力を伴っているのではないかというほど。

 だが事ここに至って、オレはそれらを含む全てを、他人事のようにしか受け止められなかった。

 故に、その回答は。

 

 「悪いが――」

 

 「――断る、と言った瞬間。どうなるかはわかっておろう?」

 

 死――大魔王の手の内に胎動する赤き不死鳥を見て、否応無くそれを想起させられる。

 だがそれでもなお、回答は変わらない。

 

 「ことわ……ッ!」

 

 頭痛が最高潮へと達する。脳髄を直接突き刺したような凄まじい痛みに、思わず言葉が途切れた。

 それと同時に、脳裏から一つの言葉が浮上してくる。

 

 ――あなたは、生きて。

 

 この言葉を思い出したと同時に、頭痛が消えてゆく。

 目覚めてからの出来事全てに何も感じることも出来なかったというのに、この言葉だけは守らねばならないという衝動が、自らの奥底から湧き上がる。

 そして――

 

 「わかり……ました。今このときより、オレはあなたの忠実なる配下となります」

 

 「ふむ……気が変わってくれたようで何よりだ。では……ミストバーンよ」

 

 「……は」

 

 「この杯を飲み干すがいい。その時に、そなたは真に余の臣下となる」

 

 影の男が、懐の闇から、一杯の杯を取り出し手渡してきた。

 底の見えない暗黒が渦巻く杯を、一息に飲み干した。

 

 「ぐっ……がああ……!!」

 

 体内を暗黒が駆け巡る。先程の頭痛とは趣が違う、全身が張り裂けそうな苦痛。

 暗黒闘気は負の感情を原動力とするという。今頃空っぽの心の中からその感情を探そうと、必死に駆けずり回っているのだろうか。

 やがて五感も暗黒に飲まれていく。何にも触れず、聞こえず、見えず、感じず。痛みだけが迸る中、意識すらも闇に落ちようとしたその時。

 

 ――光……?

 

 視界一杯に光が輝く。

 その光が晴れたとき、オレは現実へと帰還していた。

 

 手を開いたり握ったりして、失われた五感が戻ったことを確かめる。

 改めて己の内を見直してみれば、確かに暗黒闘気が宿っているという感触はある。

 だが、その量はあまりにも少なく、到底あの杯に込められた量とは釣り合わぬほどだ。凡庸と言ってもいい。

 当然といえば当然だろう。自らの心情に変化はないし、何かに負の感情を抱いているわけでもない。

 

 「ふむ……なるほどな」

 

 だが、なにやらバーンは合点がいった様子だった。気にする様子もなく、こちらに話しかけてくる。

 

 「フフ……これでそなたは余の配下となったわけだ……歓迎するぞ」

 

 「ウフフッ……ボクにも後輩ができたってわけだね」

 

 「よろしくね~!!」

 

 死神の肩の上にひょっこりと現れた使い魔――ピロロが言う。どうやらこの場にいたのは3人でなく4人だったらしい。

 

 「そなたにやってもらう仕事は後日伝える……今日の所は下がってよいぞ。キルバーン、適当な部屋をあてがってやれ」

 

 「了解しました……行くよ、新入りクン」

 

 「わかった」

 

 そういって死神に追従し、部屋を後にしようとしたそのとき、バーンが失念していたと言わんばかりに問いかけてきた。

 

 「そういえば名を聞いていなかったな……己の名は覚えているのか?」

 

 記憶を消した何者かも、名前くらいは遠慮してくれたのか、消えないほどに己の名が記憶に染み付いていたのか。

 確かなことは、己の名であれば、確信を持って唱えられるということだ。

 

 「アトリア……オレの名はアトリアです、大魔王バーン様」

 

 「フフ……そうか、では今度こそ下がってよいぞ、アトリアよ」

 

 「御意」

 

 今度こそ終わりらしい。一礼する死神を横目に、自らも同じ所作をして、部屋を出て行った。

 

 

 

  

 

 二人が退出して、しばらくした後。

 大魔王とその影の主従は未だ部屋に留まっていた。どうやらミストバーンは男――アトリアの処遇に思うところがあるようだった。

 

 「よろしいのですか?バーン様……」

 

 「アトリアのことか……それがどうしたというのだ?申してみよ」

 

 ミストバーンは己の抱いている懸念を口にする。

 

 「恐れながらバーン様……奴には心がありません……いくら強くても感情も意志もないただの抜け殻にすぎない……そのような者はいざというときに信を置けないのではないかと」

 

 「ふむ……ミストバーンよ、その懸念は正しい」

 

 「では……」

 

 「ただしそれは、やつに本当に心がないならば……の話だ」

 

 バーンはワインの入ったグラスを口元に傾けながら愉快気に語る。

 

 「奴が暗黒闘気のグラスを飲み干した時……奴から発せられる暗黒闘気を見ただろう」

 

 「は……バーン様が直々に闘気を込めたにも関わらず、微弱にもほどがある闘気量……憎しみを原動力とする暗黒闘気の少なさこそが奴に心がないことの証左かと思いましたが……」

 

 「フフフ……あれは微弱なのではない……溜め込んだ物が滲み出ているにすぎん」

 

 そういってバーンは飲み干して空になったグラスを宙に放り出して、指を鳴らす。大魔王の魔力を受けたグラスは瞬く間に塵と化した。そうした後、バーンは説明を再開する。

 

 「余の暗黒闘気を受け入れて生き残る方法は二つ……適応するか、別種の闘気で打ち勝つこと……もっとも後者のほうはありえぬが、適応できずとも生き残れるほど余の暗黒闘気は生半可なものではない……!!」

 

 「つまり……奴の底には確かに憎悪が宿っている……ということですか……」

 

 「その通り……そして余は心の底で燻っている憎しみに餌を与えた……奴が心を閉ざしているのは失われた記憶の何かが起因しているのだろうが……憎悪の炎が心を閉ざしている氷を溶かすほどに大きくなった時……面白いことになると思わんか……?」

 

 大魔王が嗤う。ただの王ではなく大魔王。魔を統べる者に相応しい邪悪な笑みを、バーンは湛えていた。

 

 「クックック……そういえばミストバーンよ、今日はやけに饒舌だな……?」

 

 「それは……」

 

 「皆まで言わずともよい、奴を好かんのだろう? それゆえに余に進言までしたわけだ」

 

 「は……ご明察の通りです……お許しを……」

 

 「よい。奴には精神の強さが伴っていない……そなたが嫌う手合いのひとつであろう……ましてやそれに真の姿を晒したとあってはな……」

 

 静謐な雰囲気を漂わせる豪著な宮廷の一室。だが、それに見合わぬ亀裂や傷が部屋中に点在し、床が抉れ、中央には強大な何かが激突したと思われる衝突痕。ここで戦闘が行われた、ということは一目瞭然といえる状態であった。――それも凄まじい強者同士のものが。

 

 「それに関しては申し開きのしようもなく……なんなりと処罰をお下しください」

 

 「余が許すと言ったのだ、何も気にすることは無い。それに……愉快ではないか?神々の手駒、三界の調停者……元とは言え竜の騎士が我が配下に加わるとはな……!!」

 

 バーンは展望室の端まで歩み寄り、魔界の空を見上げる。彼の瞳に映っているものは果てしなく広がる闇か、もしくは――闇を切り裂く魔界の夜明けか。それは大魔王のみぞ知る事だった。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 荘厳な空気が支配する白亜の廊下を、死神と並んで歩く。おしゃべりの絶えない道化師が、ずっとこちらに話しかけ続けていた。

 適当に聞き流しつつ、ひとり思案する。

 

 「ボクの仕事は暗殺でね……大魔王サマに仇なす者を始末するのがボクの役目なのさ」

 

 「ああ」

 

 何故大魔王の誘いを断れなかったのだろうか。彼の野望に共感したわけでもないし、ましてや命が惜しかったわけでもない。今でも自身を含む全てをどうでもいいとすら思っている。

 

 「といってもこのなりを見ればすぐにわかっちゃうかな?」

 

 「ああ」

 

 そんな、色を無くした世界とでも表現できるその中で、あの言葉だけが色を――感情を伴っていた。

 全ての物事に意欲を持てない中で、あの言葉だけは守らなければならないと思わせられた。

 

 「……話聞いてる?」

 

 「ああ」

 

 「つれないねぇ……君もミストと同じクチかぁ……」

 

 見る人によれば呪縛にも見えるかもしれないそれは、やはり失われた記憶からのものだろうか。

 だが、記憶を取り戻すたび、この無味乾燥な世界に色が戻っていくというのなら――

 

 「ああ――悪くない」

 

 「……いきなり何言ってるのさ?」

 

 「……すまん、聞いてなかった」

 

 「…………」

 

 しかしまだ、自分の立場は不安定だ。例えるなら今、胸元に揺れているペンダントのように。

 今の立場を選んだ以上、己は魔界において、戦いの中に晒され続けることになるだろう。

 ならばまずは、戦い抜こう。大魔王の信頼を得るために。

 

 そしてあるいは――生きるために。

 

 



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2 出向

 アトリアが与えられた部屋で過ごすこと1週間。ようやくアトリアに課される任務が決まったらしく、魔族の給仕に、玉座の間に来るよう伝えられた。彼が直ぐに行くと返し、絢爛とした廊下を通り抜け、玉座の間へと続く扉を開くと、

 

 「来たか」

 

 そこにいたのは2人。玉座に座すバーンとその傍に控える影――ミストバーン。アトリアは跪き、頭を垂れる。

 

 「ただいま参りました、バーン様」

 

 「うむ……聞いているだろうが、おまえにやってもらう仕事が決まった…………おまえには、冥竜ヴェルザーの元に客将として赴いてもらう」

 

 冥竜王ヴェルザー――最後の純粋な知恵ある竜。そして大魔王バーンと50年ほど前に不戦協定を結んだ、魔界の最有力者のうちの一人である。そのヴェルザーの元へ行けと、バーンはワインの入った杯を口元に傾けつつ言った。

 

 「ヴェルザーの奴には死神を送ってもらった借りがあるからな……返してやらねばなるまい」

 

 バーンは愉快そうに笑みを浮かべながら続ける。

 

 「クックック……もしヴェルザーの奴が殺せそうならば殺しても構わんぞ……といっても、奴は殺しても死なぬがな」

 

 「仰せのままに」

 

 「冥竜王の所在は死神に聞けばよい……準備が出来次第出発しろ――下がってよいぞ」

 

 「御意」

 

 アトリアが一礼し、踵を返す。彼が退室し、完全に扉が閉ざされた後、影が口を開いた。

 

 「……奴の力を見定める、ということですか……」

 

 「その通り……余の領土は些か平和過ぎるのでな……雷竜ボリクス配下の残党殲滅に精を出しているあやつの元であれば戦に困ることはあるまい…………ミストバーンよ、奴にシャドーはつけたな?」

 

 「は……既に奴の影に潜ませております……」

 

 「それでよい……さて、拾い物が吉と出るか凶と出るか……面白い」

 

 バーンはアトリアが出て行った扉の方に目をやり、思いを馳せる。思ったよりも使えるならば生かし、使えないならば……

 

 「奴はミストバーンの衣の下を見ているからな……奴が使えぬとわかったときは……わかっておるな?」

 

 「……」

 

 影は何も答えず、沈黙を保つ。しかし、強く輝いた対の眼光がその答えを雄弁に語っていた。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 「それでボクのとこに聞きにきたってわけかい?」

 

 「そうだ……ヴェルザーの場所を教えろ」

 

 冥竜王の場所を死神に問うアトリア。もっともその無表情と口調のせいで恐喝にしか見えないが。それを受けた死神は肩を竦め、あきれた様子で言う。

 

 「キミねぇ……物を頼むときには相応の態度ってものがあるんじゃないのかい」

 

 「そーだそーだ!!」

 

 死神の物言いに使い魔であるピロロも追従する。このやりとりを繰り広げた二人と一匹――彼らが現在いる部屋の主はそのうちの誰でもない。そう、この部屋には部屋の主であるもう一人の魔族の男がいた。

 

 ――死神に鎌を首に突きつけられた状態で。

 

 「ひっ……」

 

 彼は左腕が無かった。全身に満遍なく裂傷があり、いかにも満身創痍といった具合だ。そしてその顔に浮かんでいるものは――恐怖。この後己に訪れるであろう確実な死へ対するものだ。そんな彼を見やって、死神は言葉を続ける。

 

 「まァいいけどさ……ボクの仕事が終わってからでいいだろ?」

 

 「わかった」

 

 そうして死神は、聞いてもいないのにこの男がどうしてこんな状況に陥ってしまったのかを愉快そうに話していく。

 

 「最初はね……どこかのはぐれ魔族に負けて、逃げ帰ってきたんだっけ?その次は、脱走兵を取り逃がしちゃったんだよねェ……最後はどうだったっけ?ピロロは覚えてる?」

 

 「ボク知ってるよ~!黒魔晶を護送してたのにまんまと奪われちゃったんでしょ~?いーけないんだいけないんだ!」

 

 「よく覚えてるじゃないかピロロ……まあそういうわけでね、度重なる失態に業を煮やしたバーン様がボクにこの男の粛清を命じたってワケさ」

 

 「そうか」

 

 興味なさげなアトリアも露知らず、キルバーンは喜悦に顔を歪ませながら、更に続ける。

 

 「部屋に入ったとたん腕が落ちたときのあの表情……!!そしてボクが姿を現したときの恐怖に歪んだ顔……!!最後の首に鎌が振り下ろされる瞬間の絶望……ボクはそれを見るためだけに死神をやっているのさ……!!」

 

 そして死神は鎌を振りかぶり、

 

 「さぁ!終わりだよ……!!」

 

 振り下ろす。男の絶望に染まった顔と胴が泣き別れになると思われた、その瞬間――男の目に意志の光が宿る。ボロボロの体を突き動かし、なけなしの気力を振り絞る。なんとか鎌を躱し、呪文を詠唱した。――狙いはアトリア。彼を行動不能にし、人質として使うことでこの場を乗り切ろうというわけだ。しかし、ここを出たとしてもこの満身創痍の身でどうするのか、大魔王を敵に回して魔界で生きていけるのか、などという思考は男の中にはない。男はただ、目の前に現れたか細い蜘蛛の糸を掴むことだけを考えていた。

 

 「マヒャド(上級氷系呪文)!!!」

 

 男とアトリアの対角線上にいた死神が「おっと」と言って身をそらす。なかなかの威力をもって打ち出される吹雪がアトリアに向かって吹き付ける。責任ある仕事を持たされている以上、この男もそれなりの実力者だったようだ。……あくまでもそれなり止まりであるが。

 

 「……メラミ(中級火炎呪文)」 

 

 アトリアがかざした手から業火が吹き上がる。すぐにそれは球の形を成し、前方に打ち出される。射出された炎球は、呪文の格が下であるにも関わらず、悠々と吹雪を突き破り、霧散させる。

 何ら翳りを見せない炎を眼前にして、男は絶望に顔を歪ませていた。一度希望を見せ、それを奪う。その落差が、男の絶望をより深いものにしていた。

 それから数瞬もしないうちに、炎球が男を燃やし尽くす。男は断末魔もあげられぬまま、人の形をした炭と成り果てた。

 

 「へぇ……」

 

 「わぁ~!黒コゲだぁ~!」

 

 呪文の威力を見た死神が感嘆したように呟く。それを放った本人は言葉とは裏腹にまったく申し訳無さそうに言い放つ。

 

 「……殺してはまずかったか?」

 

 「構わないさ……面白いモノも見せて貰ったしね……それで、ヴェルザー様の居場所だったかな?」

 

 「ああ」

 

 「そうだねェ……この宮を出て、北東にまっすぐ進めばいいよ……丸一日もすればあのお方の城が見えてくるハズさ」

 

 「わかった」

 

 「相変わらず無愛想だねェ……じゃあね後輩クン、シー・ユー・アゲイン!」

 

 そういってキルバーンは、どうやってかは知らないが、壁に溶け込むようにして消えていった。アトリアもそちらに一瞥もせず、歩き出す。宮殿から出て、飛翔呪文(トベルーラ)を使い北東へと飛んでいった。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 岩山が乱立する山群をくぐりぬけ、毒沼を飛び越え、新たな大陸へと上陸し、しばらく飛び続けた後――ついに冥竜王の居城と思わしき場所に辿り着いた。

マグマの湖に囲まれた、切り立った崖の上にある巨大な孤城。それが冥竜王がこの大陸に持つ2つの城のうちの1つだった。特筆すべきことといえば……大きい、ということ。

 

バーンが魔界にもつ宮殿と比べてもかなりの巨大さを誇っている。これはバーンの魔宮が劣っている、というわけではなく、冥竜王が竜族を配下に多く持つ故のことなのだろう。巨大な体躯を持っている竜族たちが利用するため、一般的なサイズをそのまま巨大化したような城になるというわけだ。

 

 アトリアは陸地と孤城を繋ぐ大橋を睥睨しながら、城へと飛んでいく。目指すは最上階の中央、ドーム状になっている箇所。そこから感じられる巨大な力の気配からして、ここに主が居ると踏んでの事だった。真空(バギ)系呪文で天井をくりぬき、中に入り込む。

 そこにいたのは、大魔王にも勝るとも劣らない覇気を漂わせる漆黒の巨竜――この竜が冥竜王ヴェルザーであるということを、アトリアは半ば確信した。

 だが、こちらがヴェルザーの存在に気づいていたように、冥竜王もまたこちらの存在を感知していたようだ。闖入者に対して、ヴェルザーが落ち着き払った様子で問いかける。

 

 「何者だ?」

 

 「冥竜王ヴェルザーとお見受けする」

 

 「そうだ……オレこそが冥竜王ヴェルザー。それで……オレの首でも取りに来たか?」

 

 殺気を滲ませながら凄むヴェルザー。だが、アトリアはそれを気にも留めず、名乗りを上げる。

 

 「オレの名はアトリア。大魔王バーン様から貴方の助けになれと仰せつかった者です」

 

 アトリアの言を聞き、ヴェルザーが不愉快そうに呟く。

 

 「バーンめ……死神を送ったことへのあてつけか?こんな人形みたいなヤツをよこすとは……」

 

 ヴェルザーはフン、と鼻を鳴らすと、

 

 「まあいい、精々使い潰してやるわ……おい、アトリアよ、お前には我が領内の敵対勢力……主にボリクスめの残党を殲滅してもらう……まずは隠れ処が判明している奴らの所へ赴け、ただし――一人でだ」

 

 「御意」

 

 巨竜は意地悪げに笑う。しかし、捨て駒にしてやろうという魂胆を受けてなお、男は反論を返すわけでもなく、怯えるわけでもない。欠片も動じることはなく、その瞳には虚空を映したままだった。そのまま振り返り、部屋を出て行く。

 

 「チッ……気に食わんな……」

 

 気に食わない。忌々しいボリクスの残党も、人形のような有様のあの男も。精々潰しあえと心の中で呟き、ヴェルザーは思考を打ち切った。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 数日後。

 岩山の連なる山脈に囲まれた盆地にて、男が一人立っていた、男は20代前半の青年といった風貌で、長い黒髪を後ろにまとめ、魔族のような尖った耳が目立つ。純白のローブと軽鎧を合わせたような装備を身に纏い、腰には二刀を携えている。そして、その身からは膨大な魔力が漂っていた。

 

 だが、この場に居るのは男――アトリアだけではなかった。男と相対するは、竜の一団だった。グレイトドラゴンに騎乗したカメレオンの獣人族の男を筆頭に、ドラゴンソルジャーが前線を張り、後方にガメゴンロードやキースドラゴンが控える、総勢400匹ほどの軍勢。

 地上の小国であれば一晩で滅ぼすことすらできるであろうこの軍勢の威容を前にしても、アトリアの表情には一つの翳りもない。それを見て、獣人の男が口を開く。

 

 「正気じゃねえよ……お前」

 

 「…………」

 

 押し黙っているアトリアを前に、獣人の男は信じられないといった様子で続ける。

 

 「この隠れ処を知っているってことはおおかたヴェルザーあたりの使い走りだろうが……この戦力差で勝てるとでも思ってんのか?」

 

 「問答は無用」

 

 沈黙を貫いていたアトリアが口を開く。

 

 「冥竜王の命により貴様らを討滅する。――降伏か死か選べ」

 

 「舐めやがって……!!そんなに死にたいなら殺してやるよ……かかれ!」

 

 この軍勢は獣人の男にとっての誇りだった。力が全てを司る魔界において、雷竜ボリクスに己の力を認められ授けられた竜の精鋭たちの一軍――これこそが自らの力の証明であり、プライドの象徴でもあった。

 しかし、この男――アトリアはそれを見ても眉一つ動かさなかった。それは自らが取るに足らない存在だと思われているようで、ひどく癇に障ったのだ。

 故に――男は自らの力を証明するため、攻撃命令を出した。

 

 「グオオォォォォォ!!」

 

 竜の雄叫びが辺りに響き、灼熱の吐息が放たれる。凡そ100に上るであろうドラゴンの吐息……それらが収束した地点――アトリアが居た場所には炎が途絶えることはなく、1分間にわたって代わる代わるに炎が吹き付けられた。自分であれば間違いなく骨も残らないであろう火炎地獄。男は勝利を確信した。

 

 ――馬鹿め。俺を舐めるような真似をしなければ、もっと楽に死ねたものを。

 

 そう心のなかでひとりごちて、男はアトリアが居たであろう場所を見やる。煙が晴れ、男はそこに焼け跡のみがあり、何もない有様を幻視したが――

 

 「なッ……!!」

 

 未だにアトリアは健在だった。防御光幕呪文(フバーハ)のドームに包まれ、塵一つついていない。それは、アトリアの魔法の力量が男の遥か上を行っている、ということの証左だった。

 

 ――まさか……ヤツのあの態度は虚勢でも気狂いだったのでもなく……俺たちを歯牙にも掛けない力を持っているからなのか……!?

 

 男がその思考に至ると同時、アトリアを包む光波のドームが消えていく。そしてそのアトリアの両手には――膨大な魔力が、アーチを描いて火花を散らしていた。

 

 「……イオナズン(極大爆裂呪文)

 

 放たれた呪文が炸裂する。弾けた爆音と閃光が、開戦の号砲となった。

 

 

 

 

  



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3 討伐

 「散開しろ!」

 

 男からの指示が飛ぶが、時すでに遅し。放射された爆裂光は、竜たちの築く陣形の中央に直撃した。大爆発の後、そこにあったのは、巨大なクレーターと、千千になった竜たちの屍のみだった。

 

 そして、爆煙が晴れた後、アトリアは忽然と消えていた。竜たちの脳裏に、『ブレスを防ぐのと今の極大呪文だけで精一杯だったのではないか』という希望的観測がよぎる。彼らが安堵しかけたそのとき――

 

 ――一番前に立っていたドラゴンソルジャーの首が落ちた。

 それを皮切りに次々と竜たちが両断されていく。その滑らかな断面から、それが極めて鋭い斬撃によって為されたことがわかる。この攻撃がいずこかへ潜んでいるアトリアからのものであることは明らかだった。

 

 困惑と警戒が竜たちの間に広がる。しかし、だからといってどうすることもできない。見えない敵と見えない攻撃、かすかに鳴る風切り音のたびに減っていく味方の数。勘を頼りに吐息や爪を振るうも、闇雲に放ったそれが命中するわけもなく、次第に竜の群れは恐慌状態へと陥っていく――かに思われた。

 

 突如竜たちの動きが変わる。今まで目のみに頼って索敵をしていたのだが、一斉に耳を済ませたり、匂いを嗅いだり……視覚以外の方法で敵を探すようになったのだ。まるで誰かに指示されているかのように――

 ついに一匹のキースドラゴンが敵の位置を捉えた。姿は見えないが確信を持った力強さで、爪をそこに振るう。

 爪と透明な何かが激突し、甲高い金属音が鳴り響く。それを切欠に、そこにいた何者かの透明化が解けていく。

 

 そこにいたのはやはりアトリアだった。腰に提げていた二刀を両手に持ち、十字に構え爪をガードしている。

 

 「ソコダ!」

 

 「コロセ!」

 

 アトリアの姿を発見したドラゴンソルジャーたちが斧を振り上げて駆け寄ってくる。このまま鍔迫り合いを続けると苦しい状況に追い込まれるのは明白。あえて力を抜くことで相手のバランスを崩し、拮抗を打破する。右の剣で爪を打ち払い、返す左で心臓を一突き。くずおれるドラゴンを尻目に、後方に飛ぶ。

 距離をとったアトリアは、何言かを呟くと、虚空に向けて二刀を振るう。すると、また竜の首が飛ぶ。その剣先には、風が渦を巻いていた。

 

そう――アトリアは剣に真空(バギ)系の魔法力を纏わせ、剣圧とともに風の刃を飛ばすことによって、竜の鋼鉄のごとき皮膚をも容易く斬り飛ばす威力を得ていたのだ。

 放たれた幾ばくかの剣閃が周囲の敵を切り裂いたのち、アトリアは遠くの敵の群れに狙いを定め、両手を大きく振り上げ、交差させる。荒れ狂う真空の魔法力が、腕から剣へと伝っていく。極大真空呪文(バギクロス)を受け止めた双剣が、解放されるときを待ちわびるかのようにギチギチと軋む。

 そして、剣に込められた魔法力が最大まで高まった時に、それは振り下ろされた。

 

 「……真空・かまいたち」

 

 すべてを切り裂く極大の剣閃が解き放たれる。真空を纏うことによって速度と威力、そして範囲も拡大されたそれは、竜たちの一群を襲う。あまりの速度と切れ味に、彼らは己が両断されたと気付くこともなく事切れた。

 

 主だった敵は片付けた。残るは散り散りになった雑兵のみ。周囲は山に囲まれていて、逃げ場は皆無。一匹ずつ確実に仕留め、アトリアが最後に残ったガメゴンロードの息の根を止めるまでに、五分とかからなかった。そうしてそこに残ったのは、屍と破壊跡、そして静寂のみとなる……はずだった。

 

 全ての敵の掃討を終え、アトリアが警戒を解くそぶりを見せたとき――それは現れた。

 最初の極大爆裂呪文(イオナズン)で消し飛んだと思われた獣人の男が突如アトリアの背後に姿を現し、斬りかかったのだ。

 

 ――殺った……!!

 

 完全に不意を突いた一撃。その剣はアトリアの首に放たれる――当たれば間違いなく絶命に至らしめるであろう鋭い剣筋。しかしアトリアは、それを事前に察知していたかのように、少し動くだけで躱して見せた。

 絶対の自信を持った奇襲。それを全て読まれていたという事実に、獣人の男は驚愕を隠せないようだった。

 

 「馬鹿なッ……!!魔法使いが、どうやってこの奇襲を察知したと……!」

 

 獣人の男の種族は変色竜(カメレオン)人。同じ獣人であるリザードマンやトドマンが焼け付く息や凍てつく息を使えるように、彼にもまた種族固有の能力を持っていた。

 それは体表の状態を変化させ、透明呪文(レムオル)のような効果を自身にもたらすことができる、というものだ。その能力は魔法によるものではないため、卓越した魔法使いであろうが魔力を察知して看破することはできない。

 故に、一流の戦士である彼が気配を消し奇襲することで、魔法使いは己に何が起きたか知る事すら出来ずに死ぬ。実際、彼はその方法で何人もの強者を屠ってきた。だが、その不可避の一撃が防がれたのはなぜか。

 

 「……オレの戦士としての力量がお前を上回っていたが故に、気配と殺気を感知できた。ただそれだけの事だ」

 

 そういってアトリアは、獣人の男に斬りかかる。男もそれを受け、驚愕から脱し、剣をもってそれを受ける。そうして幾合かの剣戟を交わしたのち、男はアトリアの言葉が嘘ではないと悟る。 

 

 「クソッ!!魔法と剣を両方極めてるだと……!?」

 

 ――そんなの、勇者か魔王しか……

 

 だが、奇襲が防がれた以上、男に残されているのは戦士としての力のみ。距離をとった瞬間、呪文で殺されるであろう事は明白。剣戟でアトリアを打倒する以外、男が生き残る道はない。男は覚悟を決め、アトリアに飛びかかる。

 

 「はぁっ!」

 

 踏み込んだ大地が砕けるほどの力強い踏み込み。疾風の如き疾さで突進し、心臓を狙い、突く。だが、右の剣に打ち払われ、防がれる。

 手首をしならせ放つ、隼の如き2連撃。これも難なく防がれる。

 続けて繰り出したのは、五月雨を思わせる剣閃の豪雨。

 だが、アトリアはこれすらも、額に汗一つ浮かべること無く受けきった。

 今まで身に着けてきた剣技の粋が、ただ無機質に、受け止められていく。もはや壁に切りかかっているような無力感を男は感じていた。

 そして、アトリアが攻勢に移る。二刀のアドバンテージを活かした絶え間ない連撃。機械の様に正確無比なそれに対し、男は致命傷を防ぐので精一杯で、その身に裂傷が次々と刻まれていく。

 

 ――このままじゃマズい……!ジリ貧だ……!

 

 そして気付く。自身もまた卓越した戦士だからこそ分かる。このままだと――あと12合で詰み。

 

 「クソッ!」

 

 焦りを込めて剣を振るうも結果は変わらず。アトリアが淡々と繰り出す攻撃を前に、男はその読み通りに追い詰められていく。

 

 ――あと、5合。

 

 ゆっくりと、だが着実に迫ってくる己の死を実感した男の脳裏に、走馬灯が走る。

 

 

 まず男の頭に浮かんだのは、自分が幼い頃。故郷で暮らしていた時のことだった。ドラゴンから身を隠すことでやり過ごし、その狩りの獲物の死肉を漁りながら母に言われた。

 

 ――私達は弱いのよ。だからこうやって隠れ潜んで、強者のおこぼれにあずかって生きるしかないのよ……

 

 惨めだった。弱さを正当化して強者にへりくだる一族のやつらも、何よりそれに甘んじるしかない、弱かった俺も。だから鍛えた。自分の種族は確かに隠れることに向いた特性を持っているが、関係ない。そんなことより、隠れ怯える惨めな人生を送るほうが嫌だった。幸い俺には剣の才があった。そのおかげで故郷では自分に勝てるものはいないといえる程強くなれた。

 

 自分が強くなってまずしたことは――一族のやつらを皆殺しにすることだった。奴らだけが俺の弱かったころ……惨めだった自分を知っているから。その後、魔界を彷徨っていた俺をあの方が拾ってくれた。

 

 ――貴様、オレの下でその剣を振るう気はないか? 

 

 純粋に嬉しかった。他者に自分の力を正しく評価されたのは初めてだった。幹部としての座と竜の軍団も与えられ――自分もその期待に応えるために戦果を挙げた。紛れもなく俺はあの方に忠誠を捧げていた。だからあの方が冥竜王に敗れたときも、奴の下には付かなかった。

 そうだ。まだ俺にはやるべきことが残っている。ボリクス様の仇を討たなければ。ここで死ぬわけにはいかない。そして何よりも――目の前の奴に舐められたまま死ぬのは我慢ならない!

 

 

 

 ――5。

 

 アトリアが右の剣で男の心臓を目掛け突く。剣で弾いて逸らす。

 

 ――4。

 

 間髪入れず左の剣が首を狙う。かろうじて剣を間に入れるが、そのせいで不安定な体勢に押し込まれる。

 

 ――3。

 

 二刀を振り終えた後の僅かな間隙に打ち込み。しかし体勢が悪いため、力が入らず片手間に受け流される。

 

 ――2。

 

 男が体勢を立て直す間に、アトリアがより深く踏み込む。二刀を交差させ、渾身の二刀同時の振り下ろし。男はどうにか受け切るが、僅かながら腕が痺れる。この刹那の剣戟においては、致命的な隙。

 

 ――1。

 

 アトリアがその隙を逃すはずもなく、剣を振り上げる。昇り竜のごとき2撃を受け、耐え切れなかったのか、遂に男の手から剣が上方に弾き飛ばされる。男の予測通り、この一合が最後の一手となるはずだが――男の目は、未だ生気と決意の色を宿していた。

 

 「来いッ!!」

 

 男は首に全闘気と意識を集中させる。そう、男はこの瞬間に全てを賭けていた。このままでは敗北は避けられない。ならば狙われる急所にヤマを張り、全力をもって耐え、返す刃で敵を討つ。弾かれた剣も意図して手放したもの。アトリアの一太刀を受けると同時に手元に戻る様上に放った。死をも覚悟した諸刃斬り。それが男の最後の策だった。

 

 男の読みは正しい。アトリアの狙いは確かに首に向かっていた。しかし――

 

 「――極大爆裂呪文(イオナズン)

 

 「……はっ?」

 

 この間合いでは呪文は悪手。ましてや極大呪文など、剣を手放さねば使えないはず――そう思って、男はアトリアの手元を見遣る。アトリアの双手に握られた双剣。その柄に嵌められた宝玉に光が灯る。事ここに至って男は理解する――あの双剣は杖としての性質も有する道具である、ということを。だが、それだけではない。

 その爆裂光は放たれることなく、剣へと纏われていく。魔法と剣の融合。これぞまさしく、竜の騎士にのみ許された秘儀――

 

 「魔法……剣……!?馬鹿な……!?」

 

 「爆裂・魔神斬り」

 

 ――――0。

 

 破壊の光を宿した二刀が振るわれる。先ほどのかまいたちが速さの技ならば、これは力の技。

 ましてやそれに極大呪文の破壊力が掛け合わされるとなれば、その威力は絶大。その一太刀は紙を破るよりも容易く、男の全力を掛けた守りを貫く。男が悔しげに呟いた一瞬後に、

 

 「ちくしょう……」

 

 魔法剣の威力が炸裂する。男を中心に爆発が巻き起こり――その威力を一身に受けた男は、首から上を残して、跡形もなく消し飛んだ。

 この戦場に最後に立っていた者はアトリアのみ。定められた結末は覆る事なく――ここに闘いは決着した。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 「予想以上だな……」

 

 第三魔宮、玉座の間にて、玉座に座った老爺――バーンは顎をさすりながら、感心の声を漏らす。その目線の先には、壁にあつらえられた巨大な水晶、そこに映し出されたアトリアがいた。

 どうやら彼の影に潜ませたシャドーを媒介して、戦場の風景を水晶に投影しているらしい。

 

 「死神よ、その方はどう見る?」

 

 バーンが左右に控えていた側近の一人――キルバーンに問いかける。

 

 「いいんじゃァないですか?極大呪文の魔法剣とは中々面白いモノを見せてくれるじゃないですか……それに、戦士としても魔法使いとしても一流以上……ボカァ合格だと思いますよ」

 

 「ミストバーンよ……そなたはどうだ?」

 

 「……我らを除けば大魔王軍の中にも敵う者はいないかと……」

 

 「フフ……そうか」

 

 大魔王は愉快気に笑い、目の前にあるテーブルに置かれていたチェス盤の上に、新しい駒を一つ置く。

 

 「では……アトリアを正式に大魔王軍の幹部として迎え入れる。それでよいな?」

 

 「異議な~し!」

 

 死神の代わりにその肩に乗っている一つ目ピエロが答える。ミストバーンも、

 

 「大魔王様のお言葉とあらば……」

 

 敬愛する己の主の言葉に否を唱えるはずもなく。

 

 「とはいえ、奴もあと何百年かは帰ってくるまい……我らの計画を本格的に進行するとき、奴を呼び戻す。そのときに、改めて迎えてやろうではないか……」

 

 魔界では時間が緩やかに流れる。無論これは比喩であり、長命種が多いこの地においては、皆の時間に対する感覚が希薄であるというだけだが。ともあれ魔界では、一つの物事に数百年を掛けるというのもそこまで珍しい話ではないのだ。

 

 「新たなる強者を迎え、計画も至極順調。目障りな天蓋を取り払い、この地に光が降り注ぐ日も、そう遠くはないやもしれぬな……」

 

 大魔王が顔に喜色を浮かばせ、笑う。今日は酒が進みそうだと心の中で呟き、葡萄酒の入った杯を傾けた。

 

 



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4 凱旋

今回短いのでもう一話投稿します


 ボリクスから奪ったヴェルザーの居城……その最上階の中央。竜王の間と呼ばれるその場所に、冥竜王は佇んでいた。

 アトリアに出立してからまだ一日。相手もそれなりの軍勢を従えているとの報告もある。まだ帰って来ることはないだろうが、かの大魔王より遣わされたのだ。それなりの強者であろうし、少なくとも死ぬことはないだろう……帰ってきたらどう扱き使ってやろうか――とヴェルザーは考えていた。そうやって思案に耽っていた時、先日開けられた天井の穴から、瞬間移動呪文(ルーラ)の光が降り立ってきた。

 

 「ただいま戻りました」

 

 瞬間移動呪文(ルーラ)によって現れたのはアトリア。その姿は返り血に染まり、片手になにやら生首を抱えている。その凄惨なありさまから、彼が闘いより帰って来たことは一目で見て取れた。

 

 ――まさか昨日の今日であの軍勢を殲滅してくるとはな……しかも返り血に塗れて分かりづらいが奴は無傷。ここまでの強者とは……こいつも死神と同じ――隙を見せれば、オレを殺すべく遣わされたといったところか?

 

 「拝命した任務を完了いたしました。証拠としてこちらを」

 

 そういってアトリアは抱えていた首を放りだす。それはまさしく、雷竜配下の将として知られていた獣人の男のもので相違なかった。ヴェルザーはフンと鼻を鳴らし、炎の吐息を吐く。一見、ちろちろとした残り火のようなそれは、目標としていた首に到達するや否や、対象を舐め回し、焼き尽くす業火へと変じた。着火した数瞬後、その首は灰となり、形を保てなくなり崩れて消えた。

 

 「このようなゴミは持ってこなくともよい。……貴様の事は好かんが、貴様の力だけは認めてやろう」

 

 「お褒めの言葉、ありがたく存じます」

 

 言葉とは裏腹に全くありがたくなさそうなアトリア。といっても最初から最後まで無表情なだけではあるが。

 

 「そういう所が好かんといっておるのだ……だが、オレが好む好まざるなどはどうでもよい。魔界では力こそ正義。貴様が力を示したとあらば――歓迎してやろう、大魔王の使者よ」

 

 「……はっ」

 

 「……それでアトリアよ」

 

 「何でしょうか」

 

 ヴェルザーが少し愉快気に問いかける。

 

 「――貴様、竜の騎士か?」

 

 問いかけながらも、ヴェルザーはアトリアが竜の騎士であることを半ば確信していた。魔界にいるはずもない人間の出で立ち、首に提げていた竜の牙……そして竜の軍勢を一晩のうちに葬り去る、異常なまでの強さ。このような条件に合致する存在など、竜の騎士以外にはありえない。

 

 竜の騎士――神々の作り出した三界の調停者。とりわけ地上支配をもくろむ野心ある魔界の王たちへの最大にして最強の障害。それが魔に堕ちて、大魔王の配下として送られてきたこと――それは、神々を心底憎んでいる冥竜王にとって、一層愉快なことだった。

 

 「……竜の騎士とはなんでしょうか」

 

 「…………は?」

 

 唖然とするヴェルザー。

 

 「何分記憶がないもので」

  

 だが、改めてアトリアを睥睨し、何かに気付いたのか、ヴェルザーは納得のいった様子を見せた。

 

 「なるほど、神の傀儡が不死者に成り果てるとはな……これはお笑いだな」

 

 そういってヴェルザーは嗤う。その顔からは、笑みだけでなく、神々への深い憎しみが滲んでいるようにも見えた。

 

 「……竜の騎士とは神々が作った究極の生物の事だ。魔族の魔力と竜の力、そして人の心を併せ持つ……最も、お前に心があるとは到底思えんがな」

 

 皮肉げに、吐き捨てるように言い放つ。

 

 「お前が本当に竜の騎士ならば使えるはずだ……電撃呪文をな」

 

 電撃呪文とは選ばれし勇者にのみ使える呪文――そう人間の間では言い伝わってきた。しかし、実際には違う。神々に造られた粛清者――竜の騎士に与えられた伝説の攻撃呪文、それが電撃呪文。これを除いては使い手は神代より生きてきた雷竜にしてヴェルザーの因縁の宿敵――ボリクスの一族しか居なかった。それらが居ない今、電撃呪文を使えるというのは、竜の騎士であるとの証左に他ならないのだ。

 

 「わかりました。――ギガデイン(上位電撃呪文)

 

 雷鳴が轟く。魔界の空を覆う暗雲が蠢き、雷を呼ぶ。闇を切り裂き降り注いだ一条の稲妻は、天井に開いた穴を増設しながらも、冥竜王へと向かっていく。だが、

 

 「――フンッ!」

 

 雷光の速さにこともなげに反応して見せたヴェルザーは、右腕を振る。凝縮された暗黒闘気が込められたそれを受けた稲妻は、より強い力を受けたことで、あっさりと霧散した。

 

 「おい……何のつもりだ」

 

 呆れ顔で問いかけるヴェルザー。上位雷撃呪文(ギガデイン)を向けられてもなお、なんということもないという風情を保つ有様は、流石魔界を二分する実力者といったところか。

 

 「バーン様より、機会があれば殺すよう承っていますので」

 

 なにも悪びれずに言い放つアトリア。普通なら即死するような呪文を向けられて、呆れるだけで済ます冥竜王も冥竜王だが、ここまで大それたことをして無表情を貫くこの男も相当なものだった。

 

 「そんなところだろうと思ったわ……これで分かっただろう、生半可なちょっかいはやめろ、面倒くさくて敵わん。……オレの首を獲りたいならば命を捨てる覚悟で来い」

 

 魔界の主に相応しい威厳を滲ませ告げるヴェルザー。それを受けても、未だ無表情のままだったアトリアだが、その言葉を受けて僅かに表情を歪ませる。

 

 「フン、人形でも己の命は惜しいか?――とはいえ、己にさえ無関心な様を晒すよりかは上等か……アトリアよ、何故お前は己に自由に振舞わない?お前にはそれだけの力があり、権利があるのだぞ」

 

 ヴェルザーにアトリアがわからないのはそこだった。この世は力こそが正義。アトリアほどの力を持つ者は、魔界においても両指で数えられるかどうか、といったほどのもの。それほどの力を持っていれば、己に忠実に生きられるだろうに。魔界の猛者たちはわかりやすい。各々が己がままに振舞っている。汚らわしい天界のゴミどもも、正義とやらに従って生きている。それに比べ大きな力を持ちながら、人形のようなありさまのアトリア。これがヴェルザーには心底理解できなかった。

 

 「……私は全ての物事に関心がない。ただ死にたくないから、バーン様の配下になった……それだけです」

 

 淡々と述べられた言葉に、不愉快そうな表情を見せるヴェルザー。

 

 「つくづく理解できんな……己が無いということがここまでつまらんとはな」

 

 そして一つ大きな溜息を吐いた後、

 

 「……興が冷めた。次の命が下されるまで待機していろ……下がれ」

 

 「承知しました」

 

 退出していくアトリア、ヴェルザーはそれを見遣ってから、天井に開けられた大穴を見上げ、思案を巡らせる。

 

 ――先ほどの上位電撃呪文(ギガデイン)、ボリクスの奴のものに比肩するほどの威力だった…………惜しいな。だが、化けるやもしれん。

 

 偶然か、あるいは超級の強者同士として通じるものがあるのか、奇しくも冥竜王がアトリアに下した評価は、大魔王と似通ったものだった。

 

 ――奴は大魔王に忠誠を誓っている訳ではない。ならば、オレが奴に心を得させ、心からの忠誠を誓わせてやる。そのためには……やはりまずヤツに先んじて地上を掌中に収めること。

 

 冥竜王と大魔王が交わした協定の内容。それはお互いに自分の戦略を進め、それを先に達成したほうに従う、というもの。ヴェルザーの場合、地上を手に入れることがそれにあたる。

 

――このオレが全てを手に入れる。遍く強者も、魔界も、地上も、天界も。――そして、神の座さえも。

 

 ヴェルザーの目に爛々とした光が宿る。後に人間のようだとも評されるほどの強欲さ。留まる所を知らない飽くなき欲望が冥竜王の中で燃えていた。

 

  

 



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5 後継

 魔界のとある山中。奥まった洞窟の中で、惨状が繰り広げられていた。目に入るあらゆる所に血が飛散し、竜や魔族の屍が折り重なっている死屍累々の有様。死臭が充満しているこの場所で、息をしているのは2人のみ。

 二刀を振り、血糊を払い飛ばしている男――アトリアと、逃げ場をなくし、壁際に追い詰められた怯えた様子の魔族の男。

 

 「……お前で最後だ」

 

 血糊を払い終えたアトリアが、男に向き直る。これから確実に訪れる自らの死を前に、男は諦めたように笑う。

 

 「こんな所でヴェルザーの使い走りをやっているとは……天下の竜の騎士様も落ちたもんだな」

 

 男はアトリアが何者であるかを察知していた。鬼神のごとき戦いぶりに電撃呪文、そして魔法剣。これらの要素から、アトリアの正体を推察することは容易。

 しかし、アトリアは男の挑発に眉を顰めることもなく、与えられた職務を完遂するべく、淡々と男の心臓に剣を突き入れんとし、手を動かす。既にぼろぼろで、回避する余力もない男の胸に、深々と剣が突き刺さり、口から大量の血が溢れ出す。

 

 「がっ……!」

 

 己の胸を貫いた剣を見やる男。その刀身は確実に心臓を貫いており、男の命の灯火が、後数秒もせずに尽きるということは誰の目から見ても明らかだった。それにもかかわらず、男の顔には、笑みが浮かんだままであった。

 

 「俺はここで死ぬが……お前らも近々後を追うことになるさ……あの方の手によってな……!

  俺は地獄でお前やヴェルザーの野郎が来るのをのんびり待っているとするかな……精々足掻くんだな」

 

 「……」

 

 そう言い残して、男は息絶えた。アトリアも剣を抜き、その場を立ち去る。ここに残ったのは、凄惨なる屍の山のみとなった――

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 アトリアが冥竜王の下に参じてから250年ほど。その間、冥竜王の領地では絶え間ない争いが続いていた。冥竜王ヴェルザーが雷竜ボリクスを討ち取ったことにより、その傘下にあった膨大な勢力のうち、冥竜王の配下に加わらなかった者たちが、冥竜王の領土の各地に散らばり、ゲリラ的な抵抗活動を続けているためである。

 当然、アトリアもその戦いの日々に身を投じることとなる。長い年月の間、幾度もの戦を経て、その力には磨きが掛かり、更に強大なものになっていた。

 だが、その戦いの時代にも終わりが訪れようとしていた。

 

 「ただいま戻りました」

 

 「早いな……首尾はどうだ?」

 

 いつものように、竜王の間にて鎮座している冥竜王は、アトリアの報告を促す。 

 

 「ご命令の通り、全員の息の根を止めました」

 

 「そうか……一応、よくやったと言っておこう」

 

 「光栄の極みです」

 

 相も変わらず一切の無表情を貫くアトリアだが、ヴェルザーも一々それをみて顔を顰めたりはしない。200年の年月の中で、このやりとりは、一種の恒例行事のようなものとなっていた。

 

 「お前は変わらんな……だが、これでオレに反旗を翻したボリクスめの配下は、粗方潰したことになる。

  オレの領土を完全に平定したら……次は地上侵攻のための軍備を整えねばならんな」

 

 ――バーンのやつが大魔宮なるものの建造を開始したとの死神からの情報もある……オレも早急に準備を進めねばな。

 

 長きにわたる二人の宿敵との因縁。そのうちの一人との完全なる決着を予感して、次なる展開に考えを巡らせながら、冥竜王はにやりと口を歪ませる。だが、雷竜との因縁は、未だに冥竜王に絡み付いていた。

 

 「まだお伝えすることがあります」

 

 そういって、アトリアは最後に殺した男――ボリクスの下で幹部を務めていた――の言葉を伝える。

 

 「フン……あの方とやらが誰かは知らんが、オレの邪魔をするならば排除するまでよ……その事については部下に調べさせておく、お前はもう下がれ」

 

 「御意」

 

 だが、調査の結果を待つまでもなく、一週間後、とあるメッセージが冥竜王に届けられた。

 

 

 

 

 

 不遜にも竜王を僭称する愚か者へ告ぐ。

 我は雷竜を継ぐものなり。

 貴様が真に竜王の名を得んとするならばこの我と雌雄を決するがいい。

 期日はこれより一週間。もし貴様が我と対峙する勇気なき臆病者であるならば――

 

 ――黒の核晶を用いて、この大陸を消し飛ばす。

 

 場所は大陸北方の荒野。

 心して来るがいい。

 

 

 

 

 

 「ヴェルザー様!通信用の鏡にこのような文章が……」

 

 給仕から伝えられたメッセージにはそう記されていた。それを受けたヴェルザーは、

 

 「フン、こいつが件の奴か……」

 

 素気なく答えながらも、数秒間押し黙り、熟考する。

 

 ――間違いなく罠。問題はこいつが黒の核晶を持っているというのが真かどうか。

 

 魔界の超爆弾――黒の核晶。無尽蔵に魔力を吸収する性質をもつ黒魔晶という希少な鉱物を原材料として作成される。その威力の凄まじさから、いらぬ混乱を防ぐため、原料である黒魔晶が採れる地は、魔界の主たち――バーンやヴェルザー――に厳重に管理されている。

 故に、何処の者ともしれぬ者たちの手には黒の核晶が渡ることはまずない。はずであったが……

 

 ――まさか……!

 

 ヴェルザーは万年にもわたる長大な記憶の中から、この謎に繋がる情報を掬い出す。

 

 ――大魔王領下から、黒魔晶が奪われたらしいですよ。下手人は未だ不明だとか。一応報告しておかないとと思いましてねェ。

 

 冥竜王の脳裏に、死神の言葉がよぎる。200年ほど前に報告された、黒魔晶が奪われたとの情報。自らの領地とは関係ないだろうと思い、さして気にしていなかったが、もし黒魔晶が手に入る経路があるとすればそこしかない。

 

 ――ブラフではない可能性は十分、か……ならば。

 

 「――五日後だ」

 

 「……?」

 

 未だに飲み込めていない様子の給仕。

 

 「それまでに兵どもに準備をさせておけ。――オレが直々に出る」

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 竜王の間へと続く階段を上るアトリア。普段どおり、二刀を提げ、軽鎧を纏った出で立ち。しかし、現在この城には、普段どおりの一種の静謐な空気ではなく、戦の熱気を帯びた空気に満ちていた。階段を上り終えたアトリアは、竜王の間に続く大扉に手を掛ける。軋むような音を立て、大扉が大きく開いた。

 

 「……来たか」

 

 戦気に満ちているのは冥竜王も例外ではない。普段は内に秘めている力……闘気や魔法力、そして竜としての純粋な力。それらのエネルギーが熱として滲み出し、周囲に発せられている。ただの弱者であれば近づいただけで灼かれるほどの熱量をその身に纏っていた。

 

 ――戦場に出るのは奴との決戦以来か……奴の後継を名乗るからには楽しませてほしいものだ。

 

 「只今参りました」

 

 久方ぶりの闘いと、宿敵との因縁の決着に戦意を滾らせるヴェルザー。だが、この熱に満ちた空間の中にあって尚、アトリアだけは、氷のような無機質さを保っていた。

 

 「――アトリア。お前には軍を一つ任せる。オレが敵の首魁を討ち取る間に雑兵どもを蹴散らしておけ」

 

「御意」

 

 ヴェルザー軍の強み……それは質と量が伴った竜の軍団にある。怪物の中でも最強クラスといわれる竜――魔界において、その7割が冥竜王の下に従っている。

 さらに、その上に冥竜王の血を引く一際精強な竜たちのエリートというべき者らも控え、それらが冥竜王の強烈な統率のもとに動く。互いの頭目を除いて、軍という観点で見れば、冥竜王は大魔王のそれを上回っているといっても過言ではない。

 

 冥竜王の軍隊は1から10に組み分けられている。ヴェルザーの一族などの冥竜王の配下の中でも選りすぐりの精鋭の竜のみで構成された第一軍や、領下の治安維持のために用いられる、第二軍・第三軍。大魔王領との睨み合いや、過去では雷竜との戦争にも用いられた、魔族・竜・モンスターの混成部隊である第四から九軍。悪魔の目玉や魔族を主とした諜報部隊である第十軍。

 総勢十万の軍のうち、今回戦場に出るのは冥竜王が自ら率いる第一軍と、アトリアに任された第四軍。二万の兵をもって、確実に勝利をものにする磐石の構えだった。

 

 「よし……では、行くぞ」

 

 そういってヴェルザーは、大きく息を吸う。そして天を向き、力強く咆哮した。

 

 ――グオォォォォォォォッッ!

 

 まるで大地から響いているような咆哮は、大気を震わせるのみにとどまらず、物理的な破壊力すら伴って、竜王の間の天蓋を貫き、魔界の空にまで至り、直上の暗雲を晴らしてみせた。もっとも、暗雲が晴れようが、そこにあるのは闇のみであったが。

 

 「オレに続け」

 

 冥竜王は巨翼をはためかせ、空へと飛び上がる。アトリアも飛翔呪文(トベルーラ)でもってそれに追随した。魔界の中天に躍り出た二人が目にしたものは――地を埋め尽くさんほどの竜たちの大群。先ほどの咆哮は、冥竜王の天井を破壊するためのものではなく、配下を召集するための号令だったのだ。

 

 その大群の中から、何体かの竜が飛びあがり、冥竜王のもとに馳せ参じる。それらの漆黒の体躯と、感じ取れる他の竜と一線を画す力量。彼らは冥竜王が血を分けた一族の中でもとりわけ優れた者たちだけで構成された、いわばヴェルザーの親衛隊ともいえる存在だった。

 

黒竜たちを引き連れ、冥竜王が羽ばたく。眼下の竜たちも、一糸乱れぬ精密さと、流麗なる速やかさで隊列を整え、それに追従する。その一連の姿はまるで、冥竜王を頭として動く、一個の生命のようなありさまであった。

 その生命が目指すは北の荒野――約束の地。

 

 

 ――冥竜王ヴェルザー、出陣す。

 



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6 開戦

 万を超える竜の軍勢が動き出す光景は圧巻の一言。魔界では物資の乏しさや、治安の悪さから山賊や追いはぎの類、モンスターの群に襲われることが度々ある。だが、この威容を前にそのような行為に出るものがいるはずもなく――いや、それ以前に、魔界で名を知らぬものなど居らぬ冥竜王ヴェルザーに相対する命知らずなど居ないと表現するのが正しいのか。

 ともあれ、行軍中には何のトラブルも起こることはなく、冥竜王率いる軍勢は、目的の地――北の荒野に辿り着いた。だが、

 

 「死臭……?」

 

 何かがおかしい。ドラゴンに騎乗していた魔族が呟く。死臭が漂っているのにも関わらず、周囲にはただ荒野が広がるばかり。そもそも雷竜の残党たちの主力は、アンデット系の怪物ではなく竜族。死臭が漂っていることからして異常極まりないのだ。ヴェルザーが、兵士たちに警戒を促そうとしたところで――

 

 「貴様ら、周囲をっ――」

 

 大地がぴしり、と裂けた音がした。一拍置いたあと、大地の鳴動とともに、冥竜王の軍勢を大きく囲むように、六本の柱が隆起する。それらの柱は、巨大な骨が折り重なって構成されているように見えた。

 その六本の柱を見て、冥竜王の軍の中でも聡い者たちはそれが何を意味しているのかを察する。

 

 ――六芒星魔法陣。

 

 「あの柱を破壊しろ!」

 

 誰が言ったか、その柱が意味することを理解したものからの指令が飛ぶ。だが、彼らの中でも群を抜いた強者たちは、それに先んじて動いていた。

 ヴェルザーが、アトリアが、親衛隊の面々が。弾かれたように飛び出し、一番近くにある柱へと攻撃を放つ。極大呪文と、炎の吐息の威力が柱を隈なく舐め回し、柱を粉々に破壊せしめた――だが、時すでに遅し。

 

 消失した一本の柱の跡から、新たな柱が再生するように隆起する。そして、六つの柱から放たれた真紅の光が繋がり、円となり、六芒星の軌跡を描く。光が軌跡を描くと同時に、紅い血で描かれた六芒星の魔法陣が浮かび上がってくる。おそらくは幻惑呪文や透明呪文などで隠されていたもの。これが相手方の用意してきた罠であることは明らかだった。

 

 六芒星の外周を囲む円状の光が、直上へと立ち昇る。真紅の光の幕が竜たちを閉じ込める様は、まるで檻のようにも見えた――いや、ような、ではない。実際に檻の役割を果たしていた。一匹の竜が敵の術中から逃れんとし、魔法円の外に駆け出そうとするも光の幕がまるで壁のように作用し、弾かれてしまう。しかし彼らを襲う罠はこれだけではない。

 

 大地の裂け目から這い出るは、独りでに動く竜骨のアンデット。大群を為したドラゴンゾンビやスカルゴンが続々と現れ、冥竜王の軍に対峙する。

 

 「まんまと嵌められたな」

 

 冥竜王が不快げに呟く。

 

 「だが、小賢しい罠など正面から打ち破るまで」

 

 己に向かってきたスカルゴンを片手間に叩き潰しながら、冥竜王は号令を下す。

 

 「真の竜王とは何たるかをその身に刻んでやろう――突撃せよ!」

 

 万にも及ぶ竜たちの大群が、主の敵を殲滅せんと、雄叫びをあげる。冥竜王の第一軍と骨の竜たちの大群の合戦が、今まさに始まった。

 まずは小手調べだと言わんばかりに、冥竜王の竜たちが炎の吐息を一斉に放つ。それに呼応するように骨の竜たちも凍える吹雪を吐く。炎と冷気、生者と死者。対立する二つの概念が今衝突し――拮抗する。やがて、2つのエネルギーはスパークし、露と消えた。

 

 前哨戦を終え、2つの軍は示し合わせたかのように前進する。当然のごとくその二つは衝突し、互いを喰らい合う。炎が、冷気が、爪が、牙が。互いのそれが交差し、火花を散らす。見たところ、戦況は互角といったところか。だが、ヴェルザーはその戦況を不快さと怪訝さが入り混じったような表情で睥睨する。

 

 ――おかしい。オレの見立てでは高位のドラゴンたちで構成された此方のほうが質では勝っているはず。

 

 ヴェルザーは雷竜を下した際、その軍勢を自らの傘下に組み込み、自軍として再編した。そのため、冥竜王は、自分に下った元雷竜の部下の数から逆算し、今回の敵の数をおおよそ予測できていた。その数――おおよそ一万。この数字に基づき、二倍の数を用意し、自らが率いる精鋭揃いの第一軍を動かす必勝の布陣を敷いたのだが――

 

 その予測に反し、戦況は互角。戦場の広さの問題から、2万の軍隊を全て前に出すことは出来ないため、数の上ではおおよそ同じ。だが、現在交戦している第一軍と骨竜たちの間には、質の面で大きな差が開いている。これを考えると、冥竜王の眼前には蹂躙劇が繰り広げられられていたはずであるが、それを覆したからくりとは何か。

 

 魔法陣から黒い靄のようなものが立ち昇り、冥竜王の軍勢に纏わりつく。否、軍ではない。上空より戦場を俯瞰していた冥竜王の目には克明に写っていた。黒い靄は竜のみを狙っている。そしてそれは――天空に座する冥竜王とて例外ではない。

 

 「ぬぅっ……」

 

 その瞬間、冥竜王はからくりの正体を悟る。己の力が押さえつけられるような感覚。冥竜王すらも縛る極めて強力な呪法。

 そもそも血の魔法陣の色が赤というのがおかしいのだ。魔族の血の色は蒼であるし、雷竜の残党に怪物はほぼいない。であれば、あの魔法陣に用いられていたのは竜の血で間違いない。そして、その魔法陣の6つの星に立つ柱は竜骨でできたものだろう。そしてあの黒い靄は――贄となった竜たちの怨念。生きている竜たちが羨ましい、妬ましい、怨めしいと――ヴェルザー率いる竜の大群に纏わりつき、その戦力を低下させているのだ。

 

 そう、これは何千もの竜を生贄に捧げ発動する結界呪法――竜のみを狙い、竜のみを逃がさない。竜を殺すためだけの術。死臭がしたのも納得がいく。恐らく、雷竜の後継を名乗る何某かは配下の悉くを殺し尽し、この結界を築いたのだ。そしてこの骨竜たちは、その副産物とでも言うべき存在だろう。

 だが、血は魔法陣に、骨は柱と骨竜になった。では――肉はどこへ行った?

 

 そのような考えを巡らせた冥竜王だが、段々と戦況が劣勢に傾いている様を見て、まずはこれをどうにかせねばと思考を切り替え、第一軍を後ろに下げるべく、命令を下す。

 

 「第一軍は後方へ下がれ!」

 

 「……第四軍、前進しろ。怪物たちで前線を張り、竜どもは後方で吐息(ブレス)による火力支援を行う陣形を取れ」

 

 どうやら横に控えていたアトリアも同じ結論に達したようだ。当然といえば当然か、今は失われたとはいえ脈々と受け継がれてきた戦いの遺伝子をその身に宿していた竜の騎士。記憶はなくとも、闘いの経験値というべきものはその身体に刻まれていた。

 

 下された命令を受けた冥竜王の軍勢は、滑らかな動きで後方に控えていた第四軍と入れ替わる。一個の生命のようとも評されるほどの円滑かつ有機的な連携。たとえ呪法による弱体化を受けていても、その軍としての錬度は健在だった。

立て直されていく前線を見て、ヴェルザーは己が役目を思い返す。それは――

 

 「予定変更だ――行くぞアトリア。敵の頭目を討つ」

 

 「御意」

 

 と、言うや否やに飛び出すヴェルザー。超少数精鋭の迅速な特攻により、敵の頭を討ち取り、軍を瓦解させる目論見だった。敵陣の奥深くまで飛翔したヴェルザーは、更なる上空へ舞い上がり――全速力で降下した。

 高高度より飛来する漆黒の巨竜。常軌を逸した速度で地表に衝突した圧倒的な質量が、そこに存在していた全てを悉く粉砕した。そうして敵陣の真っ只中に降り立った冥竜王と、その後を追うアトリア。当然、全方位から敵が押し寄せてくることとなるが――

 

 「邪魔だッ!」

 

 暗黒闘気を纏った爪牙が骨竜たちを蹴散らし、

 

 「どけ」

 

 磨きぬかれた一対の剣閃が敵を両断する。

 

 そんなものは弩級の強者には関係がない。多勢に無勢?全方位からの襲撃?そんなものではダメだ。数や小細工で、真の強者は殺せない。

 そして、敵中で暴れるこの二人を止めねば敗北は必須。それならば、これを止める為に、弩級の強者が現れることもまた必然だった。

 

 魔界の空が震え、暗雲から剛雷が二人に降り注ぐ。アトリアは横に跳ぶことで、ヴェルザーは腕を振るい打ち払うことで対処するが――ヴェルザーの腕に残る焦げ跡と、アトリアが居た地点の抉れた大地が、その攻撃の威力を証明していた。

 アトリア以外に電撃呪文(ライデイン)が使えると思われ、弱体化しているとはいえ冥竜王にダメージを与えるほどの使い手――そこから考えられるものは、ただ一人。

 

 「そこか!」

 

 魔力の発生源を見抜き、そこに向けて凝縮された暗黒闘気が放たれる。それは雑兵たちを吹き飛ばしながら目標の地点へと進み、大きく爆ぜた。爆発によって大きく舞い上がった土煙の向こうに見えた影は――巨竜のものではなく、人影だった。

 

 「いやぁ……呪法の縛りを受けて尚ここまでの強さとはね。……流石は我が父を葬った男と言うべきかな?」

 

 やがて煙が晴れたとき、そこにいたのは白衣を身に纏った一人の男。その男は、魔族とも竜ともとれぬ奇異な風貌をしていた。魔族の特徴である長く尖った耳に、竜のような二つの短角。あえてこの容姿を形容するならば――鬼のようだ、とでも表現するべきだろうか。

それを裏付けるかのごとく、その瞳が湛えている知性の裏に覆い隠されている尋常ならざる狂気を、ヴェルザーは見抜いていた。

 男は、大げさな仕草で腕を振ってお辞儀をしてみせた。 

 

 「私の名はオラージュ。雷竜を継ぐ者……ああ、覚えておく必要はないよ。……君達は全員ここで死ぬんだから」

 

 「貴様のような混じり物風情が奴の後継だと……?だが、貴様ごときを覚えておく必要がないというのは同感だな」

 

 「言ってくれるじゃないか。さあ――」

 

 そういって男――オラージュは掌を開き、握る仕草をする。その瞬間、周囲の骨竜たちが一斉にヴェルザーに飛びかかる。

 

 「――来なよ」

 

 数多の骨竜が折り重なり、まるで山の様な様相を呈している。その山に向けてオラージュが指を指す。瞬間、空が轟き、再び稲妻が山の中心にいるヴェルザーへと降り注ぐ。だが、今度は一度のみではない。二度三度と幾つもの稲光が、束をなすように次々と襲い来る。

 

 「ん?まさかこれで終わりってわけじゃ――」

 

 骨の山が、赤く輝いた。

 

 「オオオオオオオオオオッ!!」

 

 大地に響くような咆哮と共に放たれたのは、一条の火炎の吐息。折り重なった骨の塊を焼き尽くして尚、一分の陰りすら見せないそれが、半魔半竜の男へと向けられる。男は防御光幕呪文(フバーハ)によってそれを防がんとするが、それは数秒の拮抗のうちに破られた。しかし、その数秒の間隙によって、男はその火炎の猛威から逃れる――だが。

 

 「危ないなぁ……っ!」

 

 その瞬間、後方で沈黙を保っていたアトリアが動き出す。静止した状態から一瞬でトップスピードまで加速する、神速の踏み込み。難を逃れた安堵から来る数刻の緩みを見逃さず、敵の命を刈り取らんとして、双剣を振るう。

 寸での所で上体を逸らして回避するオラージュ。しかし、避け切れなかった一閃がその頬を掠め、一筋の傷を刻む。そのまま後方に跳び、一回転して着地するも、体勢が崩れた所をアトリアが追撃の構えを見せるが、

 

 「やめろ」

 

 ヴェルザーからの命令。今が相手に有効打を与える機会にも関わらず不可解なものではあるが、アトリアとしてはただ命令に従うのみ。追撃をとりやめ、ヴェルザーの元へと戻る。

 

 「ヤツはオレの獲物だ」

 

 「四の五のいってないで二人で来なよ……それぐらいがちょうどいいからさ」

 

 この期に及んで挑発を繰り返すオラージュ。その裏に隠された何かをヴェルザーは薄らと感じ取る。

 

 ――二人で掛かれば時間はかかるやもしれんが確実に勝てる。だがヤツにそれがわからないとも思えん……何か企んでいるな。

 

 そして、己の考えを口にする。答え合わせと言わんばかりに。

 

 「貴様の目論見はオレ達をここに引き留めておくこと……そして貴様はこの結界の術者ではない。最も危険に晒される貴様がもし死ねばすべてが無為に帰すからだ。」

 

 「へぇ……今度は探偵ごっこかい?」

 

 意にも介さず続けるヴェルザー。彼の考えが正しければ、無駄なことにかかずらっている時間はない。

 

 「本当の術者はこの結界内の安全な場所で、時間が経過することによって結実する何かを目論んでいる……違うか?」

 

 「…………」

 

 沈黙を保つオラージュ。だがその沈黙は、先ほどの推測を肯定しているといっても差し支えのないものだった。

 

 「だんまりか?自慢の良く回る舌も今はお休みのようだな……さしずめ術者の隠れ場所は地下……そしてその入口は結界の外にあると見た。そうでなければ意味がないからな」

 

 僅かな糸口から敵の計画を暴きだしていくその様は、かつて三種族の内最も智慧に長けていると云われていた、『知恵ある竜』の名に相応しいものだった。

 

 「そういうことだ……行け、アトリア。この結界は純然たる竜にしか害を齎さない。お前がこの結界の術者を始末するのだ」

 

 「……御意」

  

 命令を受けたアトリアは即座に飛翔呪文を使い、その場を後にしようとする。当然、それをオラージュが看過するはずもなく、魔法で打ち落とそうとするが――迫り来る巨爪を目前にし、回避行動を強いられる。

 

 「行かせると――っ!」

 

 「言った筈だ。貴様は俺の獲物だとな」

 

 完全に敵を引き留める機を逸したオラージュは、覚悟を決め冥竜王と対峙する。真の竜王に相応しい者を決める戦いが、今始まろうとしていた。

 

 「まあいいさ。どちらにせよ君を殺せばこちらの勝ちなんだ」

 

 「抜かせ……竜王に対する数々の無礼の代価、その命で贖え」

 

 「――イオナズン(極大爆裂呪文)!」

 

 「ゴアアアアアッッ!」

 

 極大の爆裂光と、冥府の獄炎が真っ向からぶつかりあう。巻き起こる大爆発を尻目に、アトリアは飛び去っていった。

 

 

 

 



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7 記録

 「ここか」

 

 相対する二人の下より飛び去ってから数分。冥竜王の推測通り、アトリアは真紅の光幕を何の抵抗もなく抜けることに成功した。そしてその後、結界の周辺を捜索していた所、呪法によって隠されていた地下への扉を発見。現在に至っていた。

 魔法陣の際にも同じ様な手口が用いられていたため、そうと分かっていれば見つけることは容易だ。

 

 「爆裂斬り」

 

 扉にはかなりの強度を誇る合金が用いられていたが、魔法剣を用いることで容易に破壊できた。扉の先にあったものはひたすらに続く階段。先の見えぬ階段をただただ下り、ようやく平らな地面に足をつけた時。警報のような音が鳴り響いた。

 

 『侵入者ヲ検知。侵入者ヲ検知。コレヨリ迎撃システムヲ起動』

 

 そのような音声とともに、周囲からガチャガチャと機械音が聞こえてくる。そして、対となった機械の赤い眼光が暗闇の中に幾つも、自分を取り囲むように出現する。これが迎撃システムとやらだろうか。なんにせよ、命令の邪魔をするならば蹴散らすまで。

 

 ゆっくりと瞼を閉じる。この暗闇の中ならば視覚に囚われる必要はない。鞘に収められたままの剣に右手を置き、その場に佇み、相手の動作音、空気の流れを感じ取る――視覚以外の感覚を研ぎ澄まし、その時をただ待つのみ。

 複数の音が、空を切りこちらへと向かってくる。その全てが己の間合いに入ったことを認識し、そして――抜刀一閃。

 金属がずれて落ちる音のあと、もうそこには音を発するものはいなくなった。

 

 邪魔をするものは片付けた。オレの目的は速やかにこの施設を踏破し、結界の術者を始末すること。そのためにはまず、この暗闇を払わねば。そう考え、辺りを照らすために呪文を詠唱する。

 

 「レミーラ(光明呪文)

 

 その呪文を唱えた瞬間、己の背後に不可視の光源が現れ、辺りを照らす。範囲はおおよそ半径10メートルといったところか。なんにせよ、普通に行動する分には十分な範囲だ。

 周りを見渡すと、真っ二つに両断された鉄くずがそこらに転がっていた。卵に足だけをつけたような見た目の機械(キラーポッド)人間大の小鳥のような機械(アイアンクック)――おそらくこれらが、自動迎撃システムだったのだろう。もっとも今は、何の役にも立たないガラクタに成り果てているが。

 

 ともあれ、今はそのような些事に時間をとられている場合ではない。速やかに命令を実行しなければ。

 道は階段を下りた地点から左右に分かれていた。特に手がかりになるものが無い以上、迷っている時間は無駄だと断じ、左の道へ行く。

 道なりに進んでゆくと、この施設が何なのか、多少なりともわかってきた。まず、ここが何らかの研究施設であること。そして、自らが通ってきた通路が弧を描いていること。おそらく、それは反対側の通路も同じで、円を描くような形で繋がっているのだろう。

 

 そしてここまでその円の内側に繋がる道がないことから、そこに何かがあるであろうことは推察できる。壁を破壊して内側に入ることも考えたが、何らかの呪法が掛けられているのか、かなりの硬さを誇る上に、その壁の尋常ではない分厚さから、それなりのリソースを割かねば破壊できないと判断。敵戦力が明らかでない現状においてそれは得策ではないといえた。

 

 時折現れる迎撃システムや罠を斬り捨てながら、何の飾り気もない白亜の道を駆け抜けてゆく。それから少ししてから、他のものとは一風変わった扉を見つけた。他の鋼鉄の扉とは違い、青い合金でできた扉に貼り付けられているプレートには『警備レベル5』と記されている。

 ここに来るまでの道中、適当な部屋をこじ開けてみたのだが、中にあったのは何らかの実験器具や蹴散らしてきたガラクタの部品など、何ら役に立たない物のみ。それ以降は同じ様な扉は無視し、ここまで駆け抜けてきたのだが……

 

 ここに来るまで見てきた中での最高の警備レベルは3。おそらくこの部屋は最高権限を持つ者しか入室できないのだろう。といっても自分は壊してこじ開けるだけなので関係ないが。

 ともあれ、この中で敵戦力や敵の目論見などの重要な情報を得られる可能性は十分にあるはず。

 そうと決まれば話は早い。魔法剣で扉を破壊し、中に押し入る。

 

 扉を開けてまず感じ取ったのは、むせ返るほどの血の匂い――死臭。警戒しながらも部屋の中に入るが、周囲に動く物の気配はない。辺りを見回すと、その死臭の原因はすぐに分かった。大部屋の中心に配置されている巨大な手術台から、血溜りが広がっている。

 一番奥にある人が入りそうなサイズをしているカプセルや、雑多に置かれている機械や実験器具を見るに、ここは実験室だったのだろう。それも人や魔族などを使った生体実験が行われていたことが推測できる。

 

 ともかく、一々それらを細かく調べる時間はない。奥のテーブルに無造作に置かれていたノートと、壁に提げられていた鍵束を掴んで、部屋を出る。再び純白の一本道を進みながら、持ち出したノートに目を向ける。どうやらここで行われていた研究についての日誌が記されているようだ――

 

 

 

 

1

 究極の生物とは何か。魔界において少しでも長生きしている者たちならば、こう答えるだろう。神々が創りたもうた最高傑作――竜の騎士であると。

 無論、究極=最強という意味ではない。単純な強さと言う点では、魔界を統べる大魔王や知恵持つ竜など、神代から生きてきたものたちに軍配が上がるだろうと思われる。

 だが、竜の騎士は20年かそこらでそいつらと同じ土俵に上がれるほどに強くなる。これを異常と言わずして何と言う?

 現に、古代からの実力者や知恵ある竜たちが竜の騎士に粛清された、なんていうのは魔界の歴史を紐解けばちらほら出てくる話だ。

 しかし、その竜の騎士にも決定的な欠陥がある。

 人間をベースにしているが故に、短命であるという点だ。

 この欠陥を克服するため、魔族の体をベースに竜の騎士を人為的に産み出せないかと私は考えた。

 そうして真なる究極の生物を創り、己の手駒とすれば、奴を討ち取ることも不可能ではないはずだ。

 早速研究に取り掛かるとしよう。幸い、検体には困らないのだから。

 

 

 

2

 実験体一号は失敗だ。

 もとより竜の騎士を構成する要素の一つである人間の体と心。これらは力に何ら影響しない、むしろ邪魔なのではないかと思っていたが、一概にそういえるものではないらしい。

 人間の要素を抜き、竜と魔族の遺伝子のみを使用した生命体を産み出そうとした結果、その二種族の力が体の中で衝突したのか、目も当てられないドロドロの何かとなってしまった。

 当然生きているはずも無く、こうなってしまってはただの生ゴミにしかならない。

 廃棄処分としておく。

 

 

 

3

 実に不快だ。

 前回の失敗を鑑みて、使用するサンプルや配合の割合を調整した結果、実験体二号は魔族としての形を保ったまま生を受けることに成功した。

 だが、相変わらず二つの力が反発しているせいか、竜の力を持たない、外見に竜の特徴を残すだけの出来損ないが産まれてしまった。

 こいつを見ていると、昔の自分を見ているようで非常に苛々させられる。

 即刻廃棄処分。

 

 

 

10

 奴が死んだ。冥竜王との決戦に敗北したとの情報が入ったそうだ。

 自らの手で引導を渡したかったが……仕方ない。

 その代わりに奴を殺した冥竜王――ヴェルザーを殺すこととする。

 そうすることで私は奴を――ボリクスを超えることができるだろう。

 そのためにも研究を迅速に進めていかなくてはならない。そのうち冥竜王による残党狩りも始まるだろう。

 雷竜の子という立場を利用すれば、戦力を集められるかもしれない。ちょうど検体やサンプルも不足してきたところだ。要検討だな。

 

 

 

23

 地上に侵攻する魔王が現れた。魔界の猛者が地上を求めて侵攻し、そのたびに竜の騎士に粛清される。

 幾度と繰り返されてきた光景だ。だが、今回に限ってはその光景が繰り返されるかはわからない。

 大所帯を引き連れ1000年もの間生き続けていた大物だ。もっとも、そいつが闘った光景を見た奴は未だにいないと言われているが。

 ともあれ、そこまでの大物が地上に出るとなれば竜の騎士が出張ってくるのは必至だろう。

 うまくやれば、実物のサンプルを取れる可能性もある。

 その軍勢に間諜を紛れ込ませておこう。奴は魔界でも極めて珍しい博愛主義だというから簡単だろう。戦いのドサクサにまぎれて竜の騎士の血でも採取できれば最高だ。 

 

 

 

 

36

 研究の方は芳しくない結果が続いているが、進捗は見られる。

 研究を重ねた結果、竜の力と魔族の魔力を持つ個体を創ることには成功した。

 だが、どうやら竜の力は相当な影響力を持つらしい。魔族をベースにしたはずなのに、知性も持たない、竜を人型に押し込めたような歪な怪物が産まれてしまったのだ。蜥蜴人が一番近いだろうか。

 この現象は知恵もつ竜たちが後世に知性を引き継いだ個体を全く残せなかった現象に相似点が見られる。

 力を保ったまま魔族を姿を取った者を創ったり、知性を持たせる試みは全て失敗した。

 一応強力な怪物程度の戦力は期待できるだろう。一応魔法も使える。戦略を考える頭などは無いが。

 研究の過程で産まれた10体程度の個体は、使う時が来るまで牢に閉じ込めておくとしよう。

 

 

 

 

42

 結局、件の魔王も竜の騎士に敗れ去ったようだ。

 だが、その配下に送り込んでいた間諜が、決戦が行われた場所から、血のサンプルを回収できたようだ。

 しかし、その血を解析した所、竜の騎士でもなんでもない、ただの人間の血であることがわかった。

 その役立たずは後で処分するとして、このサンプルもこれはこれで使いでがある。

 要するに、この血はおそらく竜の騎士の仲間、つまり人間の中でも最高峰の強さを持つ者のものだろう。

 今後なんらかの用途で必要になる場面が出てくることは十分にありうる。

 丁重に保存しておこう。

 

 

 

 

48

 予想通り、雷竜の名を使ってボリクスの配下だった者たちに呼びかけた所、それなりの数が集まってきた。竜の姿を持たない私が気に食わない奴もいたようだが、力を見せ付ければすぐに黙った。

 冥竜王の残党狩りも苛烈さを増してきた。集まってきた奴らによると強力な刺客を送ってきているらしく、多くの仲間が殺されていたという。未だそいつと戦い生還した者はおらず、奴らはそいつのことを「処刑人」と呼んでいた。

 この調子では思ったよりも時間は稼げないかもしれない。この拠点を知るものはもはや外部にいないとはいえ、丹念に調査されれば見つかる可能性はある。

 残党狩りの最後のターゲットは自分になるだろう。たが、策はある。

 大量の竜の血を捧げて描く古の結界呪法。これで奴を封じ込め叩き、最後にこの施設を砲身に一切合財を消し飛ばす。部下に手に入れさせた黒魔晶を使えば可能になるだろう。

 なんにせよ決戦に備え研究を急がねばなるまい。

 

 

 

 

67 

 実験体は43号までを数えるようになったが、未だ成功の兆しは見られない。

 魔族と竜の血だけでは限界があると判断し、人間の要素も取り入れた実験体を作成した。

 これが中和剤のように作用したのか、力と魔力を両立した個体を創ることには成功したが、問題点も多い。

 最大の問題は魂が宿っていないことだ。これではいくら強かろうと、ただの動かない肉人形に過ぎない。

 もうひとつは力の割合が魔力に偏っていることだ。単体で全てをこなせるからこその竜の騎士であって、弱点が生まれてしまうのはよろしくない。

 これらに関しては新たに取り入れた人間の血が影響していると予測される。

 元より人間と魔族は子を為せるほど親和性が高く、魔族の力が強く出たのもそのせいだろう。

 魂に関しては、肉体の強さに反して精神が追いついていないためだと思われる。この研究によって完成するのは竜の力と魔族の体と魔力、そして人の心を持った究極の戦士。

 その器の強大さに只人の心では耐え切れないのだろう。

 早速、例のサンプルの出番が訪れたかもしれん。

 だが、あれはごく少量しかなく、使用できるのは一回のみ。ここから実験を重ね、それ以外の課題を解決していくことが先決だ。

 この個体は数体作成し、魔力タンクとして運用する。これで黒の核晶に込める魔力を賄えるだろう。

 

 

 

 

77

 ついに完成した。 

 研究に研究を重ね、実験を繰り返し、ついに我が最高傑作は完成した。

 完璧なる力の調和にして究極の生物。人造竜の騎士――実験体百号が。

 魔族の身のままでありながら、身体能力・魔力・知性が平均のそれを軽く凌駕している。

 精神と身体ともに何の異常も見られず、至って健康だ。

 自分でもこれ以上のものは創れないといえるほどの出来である。

 唯一にして最大の懸念点を挙げるならば、竜の紋章だろう。

 通常の竜の騎士の紋章は成年への成長とともに発現するため、幼体の現在ではその存否を確かめる方法はない。

 訓練と教育を施しつつ、経過観察を行っていくこととしよう。

 

 

 

 

82

 経過は極めて順調だ。

 能力の成長にも陰りは無く、異様とも言える速度を見せている。

 その上、電撃呪文の習得も確認された。最も、サンプルに雷竜の血を引いたドラゴンを使っているのだから、元より使える可能性はあった。

 だが、今までの失敗作どもはそれすらも出来なかったのだ。

 ともかく、研究のほうは最早年月が経つのを待つのみ。

 しかし、各地に散らした雷竜の犬どもも連絡が取れない者が半分を超えた。

 残された時間は思ったよりも少ないようだ。

 

 

 

 

91 

 何故だ?何故竜の紋章が発現しない?

 実験体百号の完成より50年。魔族が成人するには十分すぎる時間だ。

 確かにこの肉体は究極の生物と呼ぶに相応しいものだった。現に僅か50年で配下の幹部に匹敵、あるいは凌駕するほどの強さを身に着けている。電撃呪文も不自由なく使用できる。

 それなのに何故だ?竜の紋章だけは発現しない。

 完成間近のパズルの最後のピースをどこかに隠されたような……そんな歯痒さと憤りを感じる。

 

 

 

 

99

 認めざるを得ない。実験体百号すらも失敗作であるという事を。

 結局、あらゆる手段を用いても竜の紋章の発現は確認できなかった。

 極限状態に発現するという文献を読み、徹底的に追い詰めた。強い感情の発露とともに現れると聞いて、あらゆる苦痛を与えた。戦いの中で覚醒することを期待し、100日間休む間もなく戦わせることもした。

 だが、どのような試みも私の望む結果を齎すことは無かった。

 なぜだ?竜の紋章は神による賜物で、下界の者たちには触れ得ぬ領域にあるとでも?

 それとも、まさか……人間であるからこそ発現するのか?魔族や竜に比べればちっぽけな、火花のような一瞬を生きる人間にのみ許された、一抹の輝きこそが、あの紋章なのか?

 だが、いくら考えてももう遅い。目ぼしい幹部どもは全て始末され、残るは私と竜の雑兵が一万と少しだけ。

 私に『次』を考える時間はもう無い。

 

 

 

 

100

 全てを併せ持つ者を天は許さない。

 三界の均衡を崩すものは竜の騎士に粛清され、その竜の騎士も定命に縛られる。神々は弱き人間に太陽を与え、魔族と竜から地上を奪った。そして神代の竜たちからも、その強さ故に、その血脈から知恵を剥奪しようとしている。

 神々が持ちすぎた者の誕生を許さないというならば。

 遍く産まれる全ての生命は欠けていなければならないと言うのであれば。

 

 欠けている所は、埋めればいい。

 足りないならば、足せばいい。

 

 

 はじめからこうしていればよかった。

 

 

 

 

 記述はここで終わっている。

 

 

 日誌を読み終わり、進んだ距離はちょうど半分といったところか。恐らくここは入口の正反対の場所にあるということになる。

 日誌を懐に仕舞い、目線を元に戻す。そこには、円の内側へと続く重厚な大扉が鎮座していた。

 

 

 



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8 正体

気が向いたら評価感想頼む


 ――その頃、地上では。

 

 「ギガデイン!」

 

 宙を舞うオラージュが腕を振るう。

 その度に荒野に雷鳴が轟き、何条もの雷霆が雨のように降り注ぐ。

 

 「この程度でオレを退けられると思うなよ」

 

 だが、その暴威に晒された漆黒の巨竜――ヴェルザーは、まるでひらりと舞う一枚の羽のように死の豪雨を潜り抜けてみせる。お返しとばかりに炎の吐息をお見舞いするが、それも飛翔呪文(トベルーラ)で宙を舞うオラージュに躱され、虚しく大地を嘗めた。

 

 数多の雷が降り注ぎ、業火が大地を嘗め、爪牙が巨岩を抉る。

 地形が変わるほどの闘いを繰り広げた結果、周囲はもはやどちらの兵もおらず、二人だけの竜王を決める決戦場となっていた。

 いつまでも続くようにも見える二人の決闘。だが、その均衡が崩れ、趨勢が傾く時は確かに近づいていた。

 

 オラージュが再びヴェルザーとの距離を離すために呪文を放つ。

 

 「しつこいなぁ……!イオナズン!」

 

 撃ち出された多大な爆裂エネルギーは、それを迎撃せんとし、爪を構えるヴェルザーの前方で炸裂する。

 この極大爆裂呪文(イオナズン)の狙いは攻撃ではなく、爆発の光と煙で相手の索敵を妨害することにあったのだ。

 間髪入れず巨大な白煙に向かって中級閃熱呪文(べギラマ)を乱れ撃つ。いくつもの光の束が白煙の中心を撃ち抜いた。

 

 ――かに、思われた。

 

 「……っ!?」

 

 白煙の中に撃ち込まれた中級閃熱呪文(べギラマ)がそのままオラージュに跳ね返されてきた。

 と、同時に煙の中から暴風が吹き荒れ、全ての煙を吹き飛ばす。その中にいたヴェルザーは、鏡のような光沢を湛えた、薄紫の幕に包まれていた。

 

 「マホカンタ(呪文返し)だって……!?」

 

 かつてはあらゆる種族の中でも最も慧知に長けたとも言われる知恵ある竜。その古代からの生き残りであるヴェルザーにとって、現存する呪文など容易く使いこなすことができる。

 最も、普段は竜としての力で叩き潰すほうが強いし効率もよいのだが……このような闘いであれば、手札の数が活きてくる。

 

 そのまま翼をはためかせ、凄まじい速度でオラージュに肉薄するヴェルザー。跳ね返された中級閃熱呪文(べギラマ)の対処に手を取られてしまったオラージュは、それをみすみすと許してしまった。

 

 「ようやくご対面だな」

 

 その言葉と同時に振り下ろされる右腕に対し、オラージュは腰に提げていた剣を抜き受けとめるほかに選択肢は残されていなかった。だが、冥竜王の剛力に対し、その細腕ではあまりにも無力。その力の差は、オラージュが吹き飛ばされ、地面に叩き付けられるという結果となって現れた。

 当然、追撃に向かうヴェルザーに対しまたもや剣を盾にするも、それは前回と同じ結果に終わる。

 そのまま攻勢を重ねるヴェルザーと、ダメージを受けつつも耐え凌ぐのが精一杯なオラージュ。闘いの趨勢は冥竜王に傾きつつあった。

 

 「弱い……!この程度の力でヤツの後継を名乗るなどおこがましいわ!」

 

 「ぐうっ……!」

 

 ヴェルザーが縦に一回りし、遠心力を乗せた己の尾を叩きつける。ミシミシと骨が軋む音と共に、あまりの衝撃にオラージュの周囲の地面が陥没し、小さいクレーターが作られた。

 拮抗というのは一度崩れ始めたら脆いものだ。先程までの互角だった戦況と違い、一手を経るごとに目に見えてオラージュが追い込まれていく。

 しかし、明らかに追い詰められているにもかかわらず、オラージュは顔に貼り付けた笑みを崩してはいなかった。だが――

 

 「クク……それにしても合点がいったわ」

 

 「なんだって?」

 

 ヴェルザーは愉快だと言わんばかりに肩を揺らして笑いを堪えていた。

 

 「ボリクスを討ち取る際にオレは討ち漏らした血族が居ないか念入りに確認した」

 

 「……何が言いたいんだい?」

 

 冥竜王の間合いから逃れるため、後方へと下がろうとするオラージュだが、ヴェルザーも即座に追いすがる。ヴェルザーの攻撃を捌きながら、闘いの最中に始まった問答に怪訝そうな態度を見せるオラージュ。

 

 「当然だが、捕えた側近に拷問もしたし、寝返ったヤツからも話を聞いた……集められる情報は粗方集めたのにだ。何故貴様の存在が今の今まで判明しなかったのだ?仮にも雷竜の息子を名乗るお前の存在が」

 「それはっ……」

 

 言葉に詰まるオラージュ。ヴェルザーはそのまま言葉を続けた。

 

 「その非力さ……お前は雷竜の息子として生を受けながらも、竜の姿と力を受け継ぐことが出来なかった」

 

 「…………」

  

 ヴェルザーの言葉にオラージュは押し黙る。その顔からは、いつの間にやら貼り付けた笑みは消えていた。

 

 「故にその存在は秘匿された……竜の姿と力すら持たないお前の存在は、味方にも敵にも知られてはいけない恥晒しに他ならないからだ」

 

 「誰からもその生を祝福されることのない――出来損ない。竜の力も持たぬお前が、雷竜の名を騙るなッ!」

 

 その言葉と同時に放たれた火炎が、オラージュの上半身を焼き払う。

 肉体は非力なオラージュにとって、この攻撃の直撃は決定打になりうる――はずだった。

 

 「黙れ」

 

 業火の中から確かな足取りで現れたのは、焼け焦げながらも未だ健在なオラージュ。焼け落ちた白衣の下に見えるのは、色鮮やかな竜の鱗に覆われた胴体だった。

 

 「俺を……出来損ないと呼ぶな」

 

 オラージュの脳裏に、忌まわしき過去の記憶が蘇る。

 

 

 

 

 

 

 培養液に満たされた巨大なカプセルの中に浮かぶ小さな人型――おおよそ5歳くらいの体形だろうか。それを見つめているのは一匹の巨竜だった。

 

 「……失敗か」

 

 やがて辺りで鳴っていた機械の駆動音が止まり、カプセルの中から液が抜けていく。音を立てて開いた試験管の中に手を突っ込み、己の子を汚いものをつまむように取り出す巨竜――ボリクス。

 つまんだそれを適当なテーブルの上に放り出し、侮蔑の視線を向ける。少なくともそれは、我が子に向けるものとしてはとうてい適切なものとはいえなかった。

 

 「あ……」

 

 意識してのことか、本能で感じ取ったのか。取り出された子供は、言葉にならない言葉を発し、己の親に縋る様に手を伸ばす。

 

 しかしボリクスはもうそれには興味を失ったのか、その方向を向く事すらせず、独りごちる。

 

 「どうも竜と竜との交配ではどうしても知能は引き継げんようだから、魔族の血を混ぜた上でオレの血が強く出ればとも思ったが……やはり駄目だったか」

 

 そう。これはオラージュの原初の記憶。

 

 「さて……こいつをどうするか……例の牢獄で看守ごっこでもさせておくか」

 

 フン、と鼻を鳴らし、ボリクスは苛立ちと失望の入り混じった表情で、己が息子にその言葉を言った。

 

 「オレの手を煩わせよって――この出来損ないが」

 

 

 

 

 

 

 場面は戻り、再び現在へ。

 

 「ようやくその気色悪い笑みをやめたな」

 

 「お前の言うとおり……俺は雷竜の血を引いて産まれながら竜の力を持たなかった」

 

 そう語り始めたオラージュの瞳には、秘められていた狂気が隠されることなく顕わになっていた。

 

 「俺が受け継いだものは……知恵持つ竜の慧知と、魔族の血から齎された魔力だけ……産まれてすぐに俺はここに追いやられた……あいつ(ボリクス)にとって都合の悪い奴を押し込んでおく……黴臭い牢獄にな」 

 

 「ヤツも知恵持つ竜の血脈を残すため、色々と足掻いていたわけか」

 

 「だから俺はあいつを殺すことに決めた……そうすることであいつを超え、自分が出来損ないでないことを証明するために……お前はその代替に過ぎないのさ」

 

 「そいつは結構だが……これから死ぬお前には到底不可能な話だと思わんか?」

 

 そういってヴェルザーは、ボロボロのオラージュの元へ歩みだす。

 

 「いいや」

 

 だが――

 

 「確かに俺は産まれ持った力だけではあいつやお前のような知恵持つ竜には敵わなかった……それは悔しいが認めざるを得ない」

 

 オラージュに近づいたヴェルザーはあるものを目にし、その歩みを止めた。

 

 「生まれ持った力じゃ届かない……足りないと言うのなら。竜の力を生まれ持たぬが故に勝てないと言うのなら……!」

 

 オラージュの胸の竜鱗の下には継ぎはぎの手術痕があった――その異様な様相を目にして、ヴェルザーは歩みを止めたのだ。

 

 「持たぬならば奪えばいい。欠けているなら補えばいい……!足りぬのならば足せばいい……!たとえ継ぎはぎで不恰好と言われようとも、届くのならばそれでいい……!!」

 

 そうして彼は、その呪文を唱えた。

 

 

 「この身に取り込んだ幾千の竜の因子、竜の力を見せてやる――ド・ラ・ゴ・ラ・ム(竜変化呪文)!!!」

 

 

 「オオオッ……!?」

 

 一瞬、その場に光が満ちる。それは解放された膨大なエネルギーの発露だった。

 

 

 

 「グオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

 

 

 

 光が収まったあと、そこに有ったのは――怪物だった。

 幾つもの竜のそれを継ぎはぎしたと一目で分かるような、場所によって色も大きさも違う鱗。

 一つ一つが別種のもので構成されている九つの頭。

 左に3本、右に5本生えている不揃いな竜翼。

 複数本が捩れて絡まっている歪な尾。

 6本だったり4本だったりする爪の先からは、毒が滴り、雷が迸り、冷気が漂い、火花が散っている。

 

 とても素直に竜とは呼べないような、悍ましい継ぎはぎの怪物。

 それに名をつけて呼称するならば――合成竜獣(ドラゴンキマイラ)、とでも言うべきだろうか。

 

 「フン……醜悪だが、その貴様の執念だけは認めてやろう」

 

 「抜かせ……!その余裕面を剥ぎ取ってやる……!」

 

 竜王と化物が相対する。次の瞬間、2つの巨体が凄まじい速度で激突した。力と力の衝突が衝撃波を辺りに撒き散らし、周囲の地形が平らになる。

 がっぷり四つに組み合った二人の力は、拮抗しているようだったが、オラージュが即座にそれを崩しにかかる。

 なんと、背中からもう一本腕が生えてきて、冥竜王に爪で斬りかかったのだ。両腕を押さえられているヴェルザーは、それに対応する術はない。そのまま、胸に3本の傷を刻みつけられた。すかさず絡められた腕を振り払い、距離を取る。

 

 「チッ……化物が」

 

 「何とでも言え、お前を殺し俺は竜王の座を奪って見せる……!」

 

 距離を離したヴェルザーに対する追撃の一手は、魔法。だが、ただの魔法ではない。

 6つの頭が同時に、異なる呪文を唱え始める。

 

 「メラゾーマ」「バギクロス」「ライデイン」「ヒャダイン」「べギラマ」「イオラ」

 

 それぞれの頭から唱えられた呪文を実行するには、手の数が到底足りないが――即座に体から生えてきた幾つもの触腕が、腕の役割を果たす。

 放たれた六つの呪文が、完璧なタイミングで放たれる。防ぎきれないように意図して時間差をつけた呪文が、ヴェルザーの元に殺到した。

 まるで熟練の魔法使いを6人同時に相手しているような錯覚を覚えるほどの攻撃。ヴェルザーはそれを迎撃するために動く。

 

 放たれた吐息が冷気を相殺し、爪を振るい閃熱を撃ち落とす。巨竜の羽ばたきが真空を打ち破り、爆発球をその牙で噛み砕いて見せた――だが、それだけ。

 

 火炎と稲妻が冥竜王に直撃し、その体を焦がす。だが、ダメージを受けたのにも関わらず、その顔には暗い笑みが浮かんでいた。

 

 「クッ……フフフ……ハハ……フハハハハハハハハ!!」

 

 「……何がおかしい」

 

 ひとしきり笑い終えた後、嘲るような口調でヴェルザーは言った。

 

 「ふぅ……いやなに、何をしようが出来損ないは出来損ないのままなのだと思ってな……おかしくてたまらんわ」

 

 その言葉を聴いて、九つの頭のうち、真ん中に位置する頭――雷竜に酷似している――の瞳に、一層強い殺意が宿る。

 

 「一度ならず二度までも……貴様、楽に死ねると思うなよ……!!」

 

 「……貴様は竜王になると言っていたな……これがか?この醜悪な怪物が竜王に相応しいとでも?」

 

 「それがどうした、容貌などどうでもいい、竜の力さえ備わっていれば――」

 

 そして。冥竜王はオラージュが目を逸らしていた事実を口にする。

 

 「この結界――竜のみを閉じ込め、力を押さえつけるモノだったか。ではなぜお前はこの結界の縛りを受けないのだろうな?」

 

 「……黙れ」

 

 「所詮お前はどこまでいっても紛い物……真の竜王には程遠い。いくらお前が竜の力を欲し、その身に取り込もうとも……その核にお前という贋物がいる限り竜にはなれない。何度でも言ってやる――お前は出来損ないだとな」

 

 「黙れえええッ!!」

 

 耐えかねてヴェルザーに跳びかかるオラージュ。無数の腕と触腕でその巨体を押さえ込み、そのまま持ち上げて力任せに地面に叩きつける。

 その後、すかさず不揃いな翼をはためかせ空中に飛び上がり、地に寝転がる格好となっている冥竜王を見やる。

 

 「おしゃべりは終わりだ……この一撃でさっさと死ね……!」

 

 「くだらんおしゃべりを始めたのはお前ではないか……それに、簡単には死なせないと言っていたが、あれは虚言か?」

 

 窮地に陥っても尚余裕を崩さないヴェルザーに、オラージュの怒りは遂に振り切れた。

 

 「消えろ……!」

 

 オラージュの九つの口に、膨大な力が収束されていく。やがて溜まり切ったそれは、ヴェルザーという一つの標的に向かって、一斉に放出された。

 

 

 炎が。冷気が。雷が。腐毒が。水流が。酸が。闇が。真空が。光が。

 あらゆるエネルギーが絡まりあい、濁流となって殺到する。

 

 

 「ヌウウッ……グアアアッ……!!」

 

 混沌の濁流とでも言うべきそれは、大地を抉り取り、ヴェルザーの居た地点に大穴を開けて見せた。

 どうやら攻撃の威力が強すぎて、地下の空間まで繋がってしまったようだ。

 しかし、それほどの攻撃を受けて尚、冥竜王は絶命していないということを、オラージュは感じ取っていた。

 

 「クソッ……!しぶといやつめが……!」

 

 オラージュも冥竜王を追い、大穴に飛び込む。戦いは次の局面に移り変わろうとしていた。 

 

 



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9 真贋

なんでも魔法剣にするマンのアトリアくん


 円の内側へと続く大扉。

 部屋から持ち出した鍵束の中で、一番巨大で豪奢なそれを、鍵穴に差し込み、回す。

 大扉がゆっくりと、石が擦れるような音を立てながら開いた。

 

 扉と重なるように展開されていた、真紅の光幕を再び通り抜ける。やはりこの円状の壁に沿うように結界は展開されていた。

 そして、その扉の先に広がっていたものは――監獄だった。

 円の外郭に隙間無く配置されている牢屋に、中心へと伸びてゆく無数の渡り廊下。

 その道の先に聳え立つは、この牢獄の全てを見通す監視塔(パノプティコン)

 

 これを見ておぼろげだったパズルのピースが頭の中で噛み合う。ここは雷竜の敵や、都合の悪い者を押し込んでおく牢獄。

 あの手記の持ち主(オラージュ)はここに捕えられていた捕虜を利用して、人体(?)実験を繰り返していたのだろう。

 そしてこの円筒は砲身。黒の核晶の爆発を圧縮し、指向性を持って炸裂させるための。外壁が異様な硬さを誇るのはそのためか。

 確かにこれを利用して核晶(コア)を爆発させれば、威力は数倍にも及ぶだろう。そうなれば冥竜王とて跡形も残らない。

 

 自分が入ってきた位置は高さにして中くらいほど。下を見下ろしてみれば、地上で見たものと同じ六芒星の魔法陣が、最下層の地面に刻まれていた。

 

 そして。

 

 監視塔に備え付けられていた螺旋階段から、足音がする。

 

 「……はい。……はい。……わかりました」

 

 コツリ、コツリと、怯えの混じった声色とともに、それは近づいてくる。なにやら魔法か何かで何者かと連絡を取っているようだった。

 

 「はい。……ここに来た者を殺せばいいんですね」

 

 それは階段を上り終え、足音を止める。小柄な黒いローブについたフードの中から、何の模様もない白の仮面越しに向けられた視線と、目が合った。

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 お互いに何も言葉を発さない。相手は敵である、それさえ分かるならば問題ない。

 ――人形同士の戦いに、言葉は必要ない。

 

 同じタイミングで、両者が腰に提げていた剣を抜く。その違いは二刀であるか、一刀であるかというだけ。だが、その後の行動も全く同じだとは、流石に予想出来なかった。

 

 「……メラゾーマ」

 

 「メラゾーマ」

 

 両者より出ずる灼熱の火炎は、敵に放たれることはなく、その剣を嘗める様に纏わりつく。

 そして、またもやほぼ同時に前に踏み込んだ二人の灼熱の剣が、通路の中心で激突した。想定外だった敵の行動に、僅かに目を見開く。

 そう。これは――

 

 ――魔法剣。

 

 想定外だったのは相手も同じようで、僅かな動揺が感じ取れる。互いに生じた間隙の時間がそのまま鍔迫り合いの時間となり、その間に二つの魔法剣の衝突が生んだ超高熱が足元の通路を融解し、足場を失った二人は空中に投げ出された。

 

 空中で無数の剣戟が飛び交う。落下しながらも切り結ぶ二人の間には、何者も立ち入れない斬撃の結界が展開されていた。

 しかし、如何な猛者であろうとも、綻びが生じる時はある。僅かな呼吸の間を見つけ、そこに次々と連撃を打ち込む。二刀の手数を活かして、段々と相手を押し込み、このまま地面に衝突させようとした。

 だが、敵も中々の巧者だった。、剣の腕では不利と悟るや、開いた片手で爆裂呪文(イオ)を使い、爆風を至近距離で受けることで、強引に距離を取る。そのまま飛翔呪文(トベルーラ)を使い、近くに伸びていた通路に足を下ろした。当然自分も同様に後を追う。

 

 そのまま追撃をかけようとして、足を止める。後ろでガシャリと、鉄格子が開く音がしたからだ。

 

 「……やれ」

 

 その声と同時に、複数の気配が背後で動く。だが何も問題はない。仕込み(・・・)は既に済んでいる。

 

 

 

 そのまま動かずにいたアトリアに、気配の主が続々と迫り来る。

 それは人型をした竜。既存の種で例えるならば蜥蜴人(リザードマン)に酷似した姿。ただ違うところを挙げるとすれば、その瞳に知性の光が宿っていないことと、どこか自然のものではない歪さを感じさせること。

 そして――蜥蜴でなく竜であること。ただの蜥蜴とは一線を画す力強さとスピードで、その無防備な背を襲わんとして、3匹の竜人が飛びかかる。

 心臓、首、鳩尾。図らずも、人体の急所を的確に狙ったのは獣としての本能か。剛力が込められた拳と研ぎ澄まされた鋭爪、そして獣性の滲み出る(あぎと)はアトリアの体へと狙い通りに命中し――そのまますり抜ける。そこにあったアトリアの虚像(・・)はそのまま揺らぎ、蜃気楼のように消え去った。

 

 いち早く状況を把握した仮面の者が、命令を飛ばす。だが、既にアトリアは行動を終えていた。

 

 「そこから離れ――ッ!」

 

 何も無いように見えた空間が歪み、そこから姿を現したアトリア。完全に虚を突かれた竜人たちは、皮肉にも各々が狙った急所にそのまま剣を突き入れられ、声を上げる間もなくその命を刈り取られた。

 そう、アトリアは爆裂呪文(イオ)の爆風に紛れ、幻惑呪文(マヌーサ)透明呪文(レムオル)を唱え、己の幻影を用意し、透明となって潜んでいたのだ。そうして敵の不意を突き、瞬時に3人を切り伏せて見せた。

 とはいえまだ竜人たちの半分以上は健在で、仮面の者も未だ無傷。だがそんなものは障害にはならないといったふうに、アトリアは握っている一本(・・)の剣を振り、血糊を掃ってみせた。

 

 「……かかれ!」

 

 号令が飛ぶ。アトリアの周囲に未だ蠢く気配と共に、仮面の者も剣を携えて飛び出した。

 身をよじり拳を躱し、剣を受けるアトリア。途切れる気配の無い攻勢に、守勢から転じる手立てを講じるため、思案を巡らせる。

 

 ――さながら獣の狩りか。

 

 攻撃は絶やさず、しかして慎重に。決して必要以上に踏み込まず、代わる代わる攻撃を仕掛け体力を削る。その統率の取れた様はまるで、狼の群の狩りを彷彿とさせる。

 

 ――ならば……一瞬でもいい、隙を作り頭を叩く。

 

 正面より振るわれた爪に対し、自ら進んでいくアトリア。そのままアトリアの肉を裂くように思われたそれは、そのまますり抜けた――ように見えた。

 

 「グァ?」

 

 そう、あれは魔法ではない。ただ、極限まで敵の攻撃を引き付け、触れているように見える程の僅かな間合いで攻撃を躱しているだけ。

 無論、こんなことをする意味はほとんど無い。余裕を持って避けたほうが安全に決まっているし、実際これはアトリアにとっても一種の賭けであった。だが、刹那の見切りとでも言うようなこの絶技は、確かに一瞬の間隙をアトリアにもたらした。

 竜人の間の抜けたような声をよそに、すり抜けるようにして突き出されたその腕に、後方からも襲い掛かろうとしていた別の竜人の剛腕がぶつかり合う。対処すべき一手を省略することにより、アトリアに行動する時間が僅かながらにも与えられた。

 

 「……ッ!?」

 

 アトリアは、空のように見えた左手から、仮面の者に向け、何かを投げるような動作をとる。

 怪訝そうにしていた仮面の者も、直感とも言うべき何かを感じると共に、その少し後に聞こえた風切り音を聞き、咄嗟に左腕を前に出しガードするような体勢を取り――

 

 ――超高速で飛来した何かが左腕に突き刺さり、そのまま吹き飛ばされ中央の監視塔に磔にされた。

 

 「これは……ッ!」

 

 左腕に突き刺された不可視の楔、その輪郭が持ち主の手を離れ明らかになる。

 それは剣――アトリアの持つ双剣の片割れだった。その鍔の中心にある宝玉に込められた魔法の輝きが失せられて行くにつれ、仮面の者は事の次第を理解した。

 

 ――透明呪文(レムオル)の魔法剣……!!

 

 攻撃呪文以外を魔法剣に用いるという理外の発想。この思考の外からの一撃に完全に遅れをとった結果が、無様にも磔にされているという現状だった。

 そして、統率者を欠いた獣の群れの末路はひとつ。

 

 「メダパニ(精神混乱呪文)

 「グ――ガアアァァァァ!!」

 

 群れのリーダーを失ったことで産まれた空白と間隙につけこみ、狂気の光が煌く。

 瞬く間に竜人たちの目が血走り、錯乱の渦に飲み込まれる。

 先程までさながら軍隊のような統率を誇っていた集団が、狂気と血に塗れた蟲毒の如き様相を呈していた。

 やがて一匹一匹と、互いを喰い合い、その数を減らしてゆく。最後に立っていた一人の心臓に剣を突き入れると、そこに立っているものは一人を除いていなくなった――

 

 

 

 

 まだだ。

 

 「ぐっ……ああぁ!」

 

 竜人どもの始末を終え、前に向き直ると、中央に磔にした筈の奴がいた。息も絶え絶えといった様子で、左腕の肌が露出している。青みがかった肌色と血の飛び散ったローブから察するに、自らの右腕を切り落とし、拘束から抜け出したのだろう。その後は魔族の再生能力で元通りというわけだ。

 だが、純血の魔族ではないためか、再生にはそれなりに体力を使うようだ。あとは体力を無くした相手を仕留めて終わり――だと思ったが。

 

 「――マヌーサ(幻惑呪文)

 

 ゆらゆらと、まるで幽鬼のごとくこちらに歩み寄ってきた仮面の者の剣先が、僅かにぶれる。

 そのまま振り下ろされたその剣を受ける直前に――それ(・・)に気付き、咄嗟に半歩後ろに下がる。

 剣先を避けたにも関わらず、頬に一筋の傷が走る。そうだ、これは魔法剣。幻惑呪文(マヌーサ)の魔法剣だ。

 受けた攻撃の手法を即座に割り出し、戦法を模倣するとは。竜の騎士に備わった類稀なる戦闘センス。それが奴にも齎されているということだろう。

 

 「はあああぁっ!」

 

 今こそが好機といわんばかりに、攻勢を強める仮面の者。

 なるほど確かに厄介だ。一流の戦士ならば、空気の動きや相手の気配を読み取り、見えぬ攻撃に対処することは可能だろう。しかし奴のそれは、見えるが故に惑わされる。そこに実体があるのだけは確かな故に、その本当の太刀筋を見切ることが出来ないのだ。

 

 虚実を交えたまやかしの剣閃が、この身に傷を次々と刻んでゆく。凌ぐことに徹していれば致命傷を受けることはないが、こちらとしては先を急ぎたい所。結界呪法を早く解かねばならないし、黒の核晶がいつ炸裂するとも知れない状況だ。時折感じる揺れと、心臓の鼓動にも似た大きな魔力のうねりが、残された時間が少ないことを否が応にも感じさせる。

 こちらの手札にはまだ最後の仕込み(・・・)が残っている。あれが使える位置に誘導し、そこで畳み掛ける。

 

 「……メラミ」

 「ヒャダルコッ!」

 

 牽制に打ち出した中級火炎呪文(メラミ)に、咄嗟に氷系呪文で対応されるが、それはこちらの狙い通り。

 火炎と冷気の衝突で産み出された水蒸気。その中で奴は再び幻影の剣を振るうが、本当の太刀筋は水蒸気の動きによって、はっきりとその目に見えるよう、映し出されていた。

 一瞬のうちに見切った剣筋に、渾身の一振り。込められた力の違いに、奴は後ろに弾き飛ばされる――今だ。

 

 「闘魔……傀儡掌」

 「ハアッ!」

 

 この身に宿す暗黒闘気はごく僅か。当然のごとくその貧弱な傀儡掌は、奴には跳ね除けられる。

 だが、狙いはそこではない。狙いはその遥か奥――中央塔に突き刺さるオレの剣。

 通常であれば到底そこまでは届かない。だが、あの剣には少しではあるが、暗黒闘気を込めてある。

 その僅かな闘気を標に、か細い暗黒の糸が剣へと絡みつく。――そしてそれを、思い切り引き寄せた。

 

 「なっ……ッ!?」

 

 不可視の次は、背後から。二度目の魔弾が奴に襲い来る。完全なる死角を突いたそれは、剣を持った右手を斬り飛ばして見せた。

 引き寄せられた剣を手に掴み、二刀を鞘に収める。そのまま飛翔し、両手に魔力を集中する。

 

 これで終わりだ。

 

 「――ベギラゴン(極大閃熱呪文)!」

 

 焦熱の光条が解放され、眼下にある悉くを焼き尽くす。その被害を被った通路は融解し、同じく直撃を受けた奴も、足場を失い最下層まで落下し、叩きつけられる。見た所、辛うじて再生し生き残ったようだが、精魂尽き果てたという状態だ。もう戦闘の継続は不可能だといえる。

 ならばまずは黒の核晶の捜索・封印が先決だ。自分も最下層へ降り立ち、魔力の波動の大本を辿り、中央塔に繋がる扉の前に立つ。

 鍵束からその扉の鍵穴に合いそうな物を探して、差し込む。どうやら当たりだったようで、ゆっくりとその扉は開いていった。

 

 部屋の中に入ってまず聞こえてきたのは、駆動音。中央の台座に備え付けられた黒の核晶に伸びている幾つもの管が、そこに魔力を運び込むたびに脈動する。その管の根元には、魔族と思わしき人物が納められたカプセルが、壁際に何個か鎮座されていた。

 とりあえず、軽く剣を振るってカプセルを破壊し、管を切り落とす。凍結処理を行うにあたって、魔力供給を断ち、不測の事態を防ぐためだ。

 そうしてから、黒の核晶を封じるべく、力一杯に氷系呪文を放った。

 

 「マヒャド(上級氷系呪文)

 

 両の手からあふれ出す極寒の冷気が、黒の核晶を包みこむ。瞬く間に対象は凍りつき、その魔力の鼓動も鳴りを潜めた。

 あとは結界を止めるのみ。塔から出て、倒れている仮面の者に止めを刺すべく歩み寄る。

 

 「あ……うう……」

 

 満身創痍だがやはり生きている。速やかに仕事を終わらせよう。

 剣を抜き、その首を断ち切るため思い切り振りぬき――

 

 

 

 その手が、止まった。

 

 

 

 焼け落ち、ぼろぼろに崩れた仮面の下に現れた素顔は、流麗な黄金の長髪と、空をそのまま映し出したような碧眼をそなえた少女だった。

 死への恐怖と覚悟、さらにはそれに相反する安堵すら孕んだその貌を前に、オレは剣を下ろした。

 斬れない。あの顔を、あの瞳をオレは知っている。知らないはずなのに、記憶を失っているはずなのに。体が覚えているのだというのだろうか。とにかく明らかなのは、オレはあの少女を殺せないということ。

 いや、それだけではない。護らねばならないと、オレの脳裏の奥深くがざわめいた。

 

 施設を襲う揺れが、轟音と共に響く。黒の核晶の爆発寸前の予兆かと思っていたが、地上での闘いも影響していたらしい。

 倒れ伏す少女を抱き上げ、壁際まで運んでやる。まずは危険な状態を脱するために体力を回復させるべく、携帯していた上薬草を差し出した。

 

 「食え」

 

 「……なんで…………」

 

 「……今は何も言うな」

 

 ゆっくりと薬草を咀嚼する少女を尻目に、地上からの轟音が増し、それに伴った揺れも激しくなる。

 いや……これはもうそんなものではない。地上の岩盤を掘り砕き、何かがここまで突き進んできている。

 そして、衝撃と轟音が最高潮に達したとき――混沌の濁流が天蓋を打ち砕き、冥竜王と共に流れ込んできた。

 

 




次でVSボリクスの息子編終わりです


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10 決着

何でも魔法剣マン再び


 天蓋を突き破り、雪崩れ込んできた混沌の濁流。

 それに押し流されるようにして落ちてきたのは、ぼろぼろになった冥竜王だった。最も、あれほどの攻撃を受けてそれだけで済むというのも大概ではあるが。

 そのまま周囲を見渡した冥竜王は周囲を見渡し、苛立った様子でアトリアに声をかけた。

 

 「グッ……アトリアよ、結界の解除はまだか?」

 

 「……いえ、ですが黒の核晶のほうは既に処理しました」

 

 「そうか……ん?」

 

 アトリアの微かな言い淀みとともに、その後ろで壁にもたれかかる少女を目聡く見つけるヴェルザー。

 だが、その弱弱しい様とは逆に滲み出る強者の力の片鱗を感じ、訝しんだ。

 

 「おい……その女は何だ?」

 

 「…………」

 

 ここでの沈黙は、後ろめたいことがあるといっているのと同義だ。

 

 「まさかその女が結界の術者では――」

 

 しかし、ヴェルザーの詰問は、大穴より降り立った一匹の化物に遮られた。

 

 「ヴェルザァァァァァ!!!!!!」

 

 継ぎはぎの怪物。竜になりきれない獣。その醜悪な姿からは、荒々しい力、深い知性、醜い執念――

 相反する性質を詰め込んだような、不整合性の塊ともいえる様が垣間見える。

 その怪物は、もたれかかる少女を見やり、こう吐き捨てた。

 

 「奴は……敗れたか。どうせ負けるのならば、黒の核晶で全てを吹き飛ばせばよかったものを……つくづく出来損ないだな」

 

 「……その女が結界の術者なのだろう、さっさとどうにかしろ」

 

 「ひっ……」

 

 二つの巨体からの敵意の視線。

 その中でも特に、失敗作に向けるような、侮蔑と失望に塗れた視線――それを向けられた少女は、激しい怯えを露にする。

 身が震え、額には脂汗が浮かぶ。余程の恐怖を刻み付けられていなければ、こんな形相は見せないだろう。

 その視線を遮るように、アトリアが少女の前に立つ。

 

 「……結界を解除しろ。出来るか?」

 

 やってみると言わんばかりに、結界の中心に向けて手をかざす少女。小さく震えるその手に、魔力が収束しかけるが――

 

 「やってみろ。またこの世のあらゆる苦痛を味あわせてやるぞ……!!」

 

 「あ……ああ……!!」

 

 少女の脳裏に心的外傷(トラウマ)が蘇る。手元がおぼつかないほどに震えが増し、歯がカチカチと鳴り始める。彼女の手に集まっていた魔力は儚くも霧散した。

 その様子を見ていた冥竜王が、遂に痺れを切らした。

 

 「もうよい。――その女を殺せ」

 

 だが、何時もならば粛々と主の命令に従うのみの人形は――

 

 

 「――拒否します」

 

 

 初めてその命を拒んで見せた。

 有り得る筈の無い命令拒否。だがそれを受けて冥竜王は、憤怒ではなく喜悦に口元を歪ませた。

 

 「ほう……ではどうする?」

 

 「無論――オレが奴を仕留めます」

 

 何のことも無い様に宣言してみせるアトリア。何も映していなかったはずの空っぽのその瞳には、一筋の光が宿っている。

 それは炎。凍て付いた心を溶かし得る暖かな種火。

 

 「クク……クハハハ……!いいだろう、やってみろ。オレは手を出さんぞ」

 

 アトリアは勝ち目の薄い闘いに身を投じることはない。そうなる前に、あの言葉(・・・・)がアトリアを縛り付けるからだ。

 

 ――あなたは、生きて。

 

 その言葉が故に大魔王にも頭を垂れ、冥竜王に付き従っている。だが今、偽りの竜王と対峙して尚、アトリアの覚悟は揺るがなかった。

 突如、背後から飛来した火炎弾を少し身を動かしただけで躱すアトリア。振り向くとそこには、憤怒に身を震わせた継ぎ接ぎの怪物――オラージュがいた。

 

 「黙っていればぺちゃくちゃと……!あの出来損ないに情でも沸いたか?そのくだらん情に絆されたせいでお前は死ぬ」

 

 「死ぬのは貴様だ」

 

 「減らず口を……お前はただの前座に過ぎん――さっさと死ね」

 

 先端に竜の(あぎと)を備えた幾つもの触手が、オラージュの背から生まれ、アトリアに向けて飛来する。矢の如き速度で放たれたそれを、剣先で捌くアトリア。しかし――

 

 「馬鹿め」

 

 オラージュの狙いはそこではない。周囲に散った触手の顎から、雷が弾ける。一つ一つが電撃呪文(ライデイン)に匹敵する雷の吐息が、あらゆる角度から放たれた。

 

 「ぐあっ……!」

 

 どこに避けようと射線が通っている緻密なる雷の牢獄。アトリアを貫いた紫電がその身を焼いた。

 だが、アトリアもただでは終わらせない。両手に握る双剣の刀身が、荒れ狂う竜巻を纏う。振りぬいた剣圧と真空が、周囲の触手を全て両断した。

 

 「真空・かまいたち……!」

 

 勢いもそのままに走り出すアトリア。怪物とリソースの削りあいをしても敗北は必然。狙うべくは一撃必殺だといわんばかりに、オラージュの首へと目掛けて一直線。

 

 「ふんッ!」

 

 だが、その歩みは吹き付ける暴風によって止まる。オラージュの8つの竜翼の羽ばたきが生み出した風圧が、アトリアを押し返す。足が止まったその一瞬、襲い掛かるのは呪文の絨毯爆撃だった。

 

 「べギラマ」 「メラゾーマ」 「ライデイン」 「イオラ」 「バギクロス」

 

 怪物の体ならではの呪文の多重詠唱。塵も残すまいという気概が感じられるほどの集中砲火。

 その暴威がアトリアを破壊しつくす前に、超爆発の魔法剣が全てを吹き飛ばした。

 

 「邪魔だ……!爆裂・魔神斬り!」

 

 巻き上がる爆煙の中でアトリアは思案する。地上での闘い、ここまでの道程、少女との闘い。さらにそれに加えて極大魔法剣の二連続。ここに来てアトリアの魔力にも限界が近づいていた。

 

 ――呪文は使えて後3・4回といった所か……ここで決めるしかない。

 

 爆煙を切り裂き飛翔呪文(トベルーラ)で飛び出すアトリアに、数多の触腕が襲いかかる。鋭爪をもって降りかかる刃の雨を躱し、弾き、斬り飛ばす。肉と刃の雪崩を掻き分けたアトリアの眼前に現れたものは、視界を埋め尽くすほどに肉薄した尻尾だった。

 

 「ぐ――がぁっ……!?かはっ……」

 

 骨が砕け、肉が裂ける生生しい音が響く。尻尾を叩きつけられ、オラージュの頭上まで打ち上げられたアトリアに、九つの頭が顔を向けた。

 

 「前座風情が手こずらせおって……!これで終わりだッ!消えうせろォォ!!」

 

 九つの頭の口に、それぞれのエネルギーが収束し始める。紫電が奔り、暴風が吹き荒れ、闇が広がる。火炎が迸り、冷気が漂い、腐毒が沸く。

 放たれ、一つとなったそれは、絵の具を全て混ぜたときのような、濁った黒色の奔流となって押し寄せる。

 

 迫り来る黒の奔流を前にして、アトリアは――

 

 

 

 小さく、笑ってみせた。

 

 

 

 何事かを呟き、剣を交差し構えるアトリアを、混沌の濁流が呑みこんで行く。

 

 「フ……フハハハハ!さあ、次は貴様だ、冥竜お……!?」

 

 ゆっくりと、しかし確実に。混沌の濁流が十字に切り裂かれてゆくさまをオラージュは見た。

 有り得ない、信じられない、そんな馬鹿な――そんな形相が向けられた先には、薄青の光を纏う双剣を手にしたアトリアが、闇を切り裂き飛翔していた。

 

 「なんだ……これはッ……!……まさか!?」

 

 アトリアが剣に纏わせたもの――それは圧縮された防御光幕呪文(フバーハ)

 元来この呪文は竜の吐息(ドラゴンブレス)を防ぐためのもの。呪文を防御する効果は副次的なものに過ぎない。

 それを圧縮し剣に纏う魔法剣ならば、如何な威力であろうが突破できると踏んだのだ。

 相手が絶対の自身を持つ攻撃を正面から破った時に発生する一瞬の隙。そこにアトリアは全てを賭けた。

 

 最初に天蓋を打ち破ったあの一撃を見てから、こうするとアトリアは決めていた。無策に飛び出したのも、吐息(ブレス)が撃ちやすいような場所にわざと吹き飛ばされたのも。

 

 全てが――この一瞬のため。

 

 

 「ギガデイン!」

 

 例え記憶がなかろうと、その戦の技だけは、身体に刻まれている。

 二振りを天に掲げ、大穴より降り注ぐ剛雷を受け入れるアトリア。眩いばかりの光を放つ二刀を、大上段に構えてみせる。

 狙うはその首、九つの頭の中心。雷竜に酷似したそれが、この怪物の司令塔であると確信していた。

 これこそは竜の騎士の最終奥義。三界の均衡を保ち、あらゆる邪悪の命運を絶ってきたその秘剣の名は―― 

 

 

 ――ギガブレイク。

 

 「まだだッ!」

 

 最後の抵抗を試みんとして、オラージュが動く。

 硬質化した触腕を挟み込むが、全てあっさりと両断される。

 首筋の筋骨が盛り上がり、刀身に纏わりつくように阻害するが、剣が纏う紫電の熱量が、それらを全て焼き尽くす。

 今動かせる闘気を総動員し、首を守る。ようやくその勢いが弱まった剣は、首の半ばでその動きを停止した――

 

 ――神代に謳われる真魔剛竜剣ならばまだしも、凡俗な剣ではオレの首は断てん!

 

 「勝った――」

 

 はずだった。

 

 停止したかに見えたその剣はあっさりと首から抜き去られ、その勢いのままにアトリアが一回転する。

 瞬く間に行われたその動作によって、未だ雷光を纏う反対側の剣が遠心力をも加え、先程切り込んだ位置に再び到来する――!

 

  

 「ギガブレイク――――W!」

 

 

 全く同じ箇所への、2重の斬撃。半ばで止まっていた切れ込みは下へ下へと広がっていき、遂には首を落として見せた。

 激しく動いていたオラージュの体が止まる。切り落とされた頭部が地面に落ちるのに少し遅れて、怪物の巨体が大きく音を立ててくずおれた。

 

 「終わった……か……」

 

 闘いが一段落し、昂ぶっていた精神が静まる。抑えられていた痛みが表出し、アトリアが膝を突く。

 ゆっくりと立ち上がり、よろよろとおぼつかない足取りでヴェルザーの元に戻った。

 それと同時に、地面に刻まれた六芒星が薄れ、消えていく。少女のほうに目をやれば、その震えは完全に収まっていた。

 アトリアと少女の視線が交差する。先程の邂逅のときの無機質なそれと違い、互いの瞳には確かな色が宿っている。

 創造主の呪縛から抜け出した少女が、恐る恐る疑問を口にする。

 

 「なんで……わたしを殺さなかったの?」

 

 「さあ……な。強いて言うなら……思い出したからだ」

 

 「それはどういう――」

 

 アトリアがピタリと動きを止める。その後ろで物音がした。大きな何かが蠢くようなそれの後に間をおかず、狂気と苦痛に満ちた咆哮が響き渡る。

 

 「ガアアああぁアアァあ゛あ゛ぁァァ――!!!!」

 

 振り向くと、倒れていた異形の怪物が暴れだす。切り落とされた首の断面から、泡立つ様に肉が盛り上がる。

 その箇所だけではない。怪物の身体の様々な場所から、爪や牙、腕や翼、終いには頭が飛び出す。

 

 「なっ……こいつ、まだ――!」

 

 今のオラージュの状態を例えるなら、頭の取れたぬいぐるみ。

 頭が取れたのをきっかけに緩んだ縫い目から、綿が溢れ出しているような。

 制御を失い、内側に秘めていた竜の因子が暴走している。最早それは無秩序に暴れまわる肉塊とでも表現できそうな醜悪さ。

 

 これが高みに焦がれ、届かぬ領域に手を伸ばした代償か。

 はたまた、多くの命を弄んだ悪辣な男の末路か。

 それは誰にも知れないが、現実としてあるのは、力の限りを尽くして斃した怪物が、再び起き上がった。

 

 ただそれだけのことだ。

 

 「くっ……!」

 

 無造作に振るわれた怪腕を前にして、二人はただ立ち尽くす。最早二人に闘う力は残されておらず、眼前に突如現れた死に、何をすることも出来なかった。

 

 だが。

 

 頭上より振り下ろされた前足に、巨腕は為すすべも無く潰される。見るからに格が違うと分かるほどのあっけなさ。束縛から開放され、戦意を滾らせたその者は、立つ次元そのものが違うと思わせるほどの覇気を纏っていた。

 

 「大儀であったぞ、アトリア――後はオレがやる」

 

 竜を縛る結界は消え、休んだことである程度体力も回復したヴェルザー。彼は王者の風格をもって、暴れ狂う肉塊へと歩みを進めていく。

 

 「ヴぇェルザぁアあア゛ァァ!!」

 

 当然それは看過されるはずもなく、肉塊から突き出した数本の腕が、冥竜王を貫き、切り裂かんと襲い掛かる。

 流石と言うべきか、呆れたものだと言うべきか。このような有様になっても、辛うじて竜王への執念をオラージュの成れの果ては保っていた。

 

 「くだらん」

 

 向かってきた腕を事も無げに掴みとり、束ねるヴェルザー。そしてそれを、力任せに、無造作に引き千切って見せた。

 

 「グぎィャア゛アァアア!!」

 

 呆れるほどの膂力。小賢しい能力を抜きに、全ての竜の中で一番強い。故に竜王。

 その間も、ヴェルザーはペースを崩さずに、ただ歩む。規則正しいその音は、まるで死刑を宣告するカウントダウンのようで。

 心なしか怯えたようにも見える怪物は、胸に生えた五つの頭から、炎の吐息を放つ。

 

 「煩わしい」

 

 ヴェルザーが腕を振る。たったそれだけのことで、放たれた業火は霧散した。

 そして遂に、その歩みは止まる。肉塊の前に立ったヴェルザーは大きく息を吸い――

 

 「竜の吐息(ドラゴンブレス)とはこういうものを言うのだ……!」

 

 そこに秘められた火炎を開放した。

 

 先程のオラージュのそれを業火と評するならば、これ(・・)は煉獄。

 太古から語り継がれるかの大魔王の不死鳥にも比肩するその熱量が遺憾なく発揮され、オラージュの全てを焼き尽くす。

 

 「ア゛ア゛ア゛アッッ!」

 

 魂すらも灼かれていきそうな程の火勢に包まれ、悲痛な叫び声を挙げながら肉塊は炭の塊となった。

 しかし。

 

 「――まだ生きているのか……」

 

 黒焦げの塊が蠢き、表面の炭がぱりぱりと割れていく。そこから現れた新しい竜鱗を見て、ヴェルザーは溜息をついた。

 

 「馬鹿げた不死性だな……よかろう、貴様のその執念に敬意を表し、塵の一つも残らんほどに消してやる……!」

 

 そう言うとヴェルザーは振り返り、忠告の言葉をかけた。

 

 「黒の核晶を持ってここから離れろ。死にたくなければな」

 

 「……御意」

 

 そういうとアトリアは、黒の核晶を回収するために中央塔へと向かおうとするが、やはりその足取りはおぼつかない。

 いつもの仏頂面ではなく、少し穏やかな表情で、隣の少女へ手助けを求めた。

 

 「肩を……貸してくれるか」

 

 「……うん」

 

 二人は互いに支えあい、中央塔へと歩いてゆく。

 少し経ってから、瞬間移動呪文(ルーラ)の光が大穴から出て行くのを見て、ヴェルザーは己の暗黒闘気を高め始める。

 これから放つのは必殺の一撃。方向性は違えども、大魔王の天地魔闘と同じく、くり出すからには相手は確実にこの世を去る。

 

 そしてそれは――今回も例外ではない。

 

 「教えてやろう――これが力というものだ」

 

 翼をはためかせ上へと舞い上がるヴェルザー。大穴を抜け、さらに上へと。程なくして、ヴェルザーは魔界の天蓋へと辿り着く。

 地上と魔界を分ける無慈悲なる壁と、怨念と暗黒闘気が渦巻く暗雲。魔界の空にあるのはそれのみだ。

 

 「オオオオォォ……!!」

 

 ヴェルザーの闘気に呼応し、周囲の暗雲が集ってゆく。その様は引力を発する恒星のようで。

 自身に集ってくる怨念と暗黒闘気を全て取り込み、己が物とする。暗雲を晴らし、黒く輝くその姿はさながら魔界の太陽か。

 

 そして――魔界の落日が始まる。

 

 一直線に降下を始めるヴェルザーのあまりの速度に、表面が赤熱し、炎を纏う。

 

 それは槍。ひたすらに研ぎ澄まし続けた、天にすらも届き貫く、神殺しの槍。

 それは星。赤黒(せっこく)の輝きを放ち、見たものの悉くに滅びを与える死兆星。

 それは災い。万人が逃れることも、抗うこともできぬ厄災。

 

 

 幕引きを告げる赤黒の彗星が、地に堕ちる。

 

 

 「ディザスターエンド!」

 

 眼も口も耳も焼かれた哀れなる肉塊(オラージュ)は、眼前に迫る終わりを感じることはできない。

 見えず、聞こえず、感じず。自我すらも漠然と漂っていた意識は、突如として訪れた終幕を前に、声を発することもなくただ呑まれていった。

 

 そうして全てが終わった後に残ったのは、ひたすらに広がった破壊痕のみ。塵の一つも残さないという宣言の通り、そのクレーターの中心には元から何もなかったかのような虚無のみがあった。

 冥竜王の奥義の余波は凄まじく、黒の核晶の砲身となるべくして造られた外壁全体へと亀裂が伝播してゆく。中央で施設を支えていた中央塔は真中から折れ、無惨な姿を晒していた。

 

 「興が乗りすぎたか。ここはもう長くは持たんな……

 ――さらばだ、オラージュよ。その強き執念だけは、ボリクスの血脈にふさわしいものであったぞ」

 

 竜王の威厳を示し、勝鬨を上げるため。

 ヴェルザーは羽ばたき、大穴から外へと脱出していく。

 程なくして施設の崩壊が始まる。瓦礫の山に突き刺さる半ばから折れた中央塔が、地中に埋もれたオラージュの墓標となっていた。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 「第4軍3番隊隊長よ――100の首級を挙げたその戦果に報いて、貴様を1番隊隊長に昇格とする」

 

 「はっ!ありがたき幸せでございます……!」

 

 戦が終わり、束の間の平穏が訪れる。現在ヴェルザーの城では、幹部級を集め論功行賞の場が開かれている。冥竜王軍きってのつわもの達が、竜王の間に軒並みを揃え、並んでいた。

 

 「では最後に――第4軍団長代行、アトリアよ」

 

 「ここに」

 

 「単身で敵の本拠に乗り込み、黒の核晶の起爆を阻止し、敵の首魁に痛打を与えたその力と働き――賞賛に値する。その褒章として、禁書庫への立ち入り、及びその蔵書の閲覧を許可する――精々その力を磨き、励むがよい」

 

 告げられた褒美に竜王の間がざわめく。魔界において最も価値あるものは金でも地位でもない、力だ。

 ましてやこれまで誰も見ることを許されなかった、雷竜の秘儀が収められた書庫への立ち入り許可。

 その異例の報酬が、アトリアの示した力の大きさを表していた。

 

 「ありがたく」

 

 そういって頭を下げるアトリアの目は、いつもどおりの空虚なもの。しかしその仏頂面は、何かを懸念するように少し眉をひそめていた。

 

 「――以上だ。今回ばかりではなく、その力を持って働きを示したならば、オレは分け隔てなく栄光を与えると約束しよう。――ただし、その逆もな。ゆめゆめそれを忘れぬことだ……下がってよいぞ」

 

 その言葉を受け、統率の取れた動きで次々と竜王の間を出て行く幹部たち。少しの時間が経ち、やがてそこに残ったのは、冥竜王とアトリア、そしてその横に小さく控える少女のみ。その顔に少しの怯えが伺えるのは、自らの処遇が不定なためか。

 先程とはうって変わった静寂のあと、ヴェルザーが口を開いた。

 

 「それで……被害のほうはどうなっている?」

 

 「前線に立たされた第4軍の死者が1600ほどで……最初の混乱でやられた第一軍の損耗が500ほど。合わせておおよそ2100の戦死者が出ました。やられた部隊長以上の者は蘇生液で回復中です」

 

 その報告を聞き、フンと鼻を鳴らすヴェルザー。不服ではあるが仕方ないといった風情。

 

 「まだ地上侵攻を控えているというのに不甲斐ない――まだ何か用か?」

 

 「は……彼女の処遇について伺いたく……」

 

 意を決し話を切り出すアトリア。先程の論功行賞の中では、その隣にいる少女の処遇については一切語られていなかった。

 

 「クク……そうだな、もし殺せといったらどうする……?」

 

 僅かに口元を歪ませながら告げられたその言葉に、アトリアは鋭い視線をヴェルザーに向け、こう言い放った。

 

 「――無論、逆らってでも止めさせて頂きます」

 

 「絶対に勝てないとわかっていてもか?」

 

 「当然」

 

 ヴェルザーが笑う。その圧倒的な覇気を叩きつけられて尚、オラージュに立ち向かった時と同じ光を宿す瞳を見て。

 しかし一瞬で張り詰められた緊張と沈黙は、冥竜王の高笑いで霧散した。

 

 「フ……フハハハハ!何がお前をそこまで突き動かすかわからんが……その面構えのほうが俄然オレの好みだぞ、アトリアよ」

  

 「……試したということですか」

 

 「いかにも。それで、その女についてだが……好きにすればよいではないか」

 

 予想外の言葉をかけられ、かすかに瞠目するアトリア。

 

 「それは……」

 

 「お前が自分の力で勝ち取ったものだろうが。そもそもオレが下賜するまでもなく、全てお前が決めることだ――それが力を持つ者にのみ許される振る舞いよ、己がしたいようにすればよい」

 

「……ありがとうございます――行くぞ」

 

 アトリアが少女の手を引き退室していく。その背中を見つつ、ようやく戦の終わりを実感するヴェルザーは、宿敵との因縁の終わりを感じ、暫し物思いに耽っていた――

 

 

 

 冥竜王の居城の廊下に、コツリコツリと足音のみが響く。

 手を繋ぎ、横並びに二人で歩くアトリアと少女。その二人の間に流れていた沈黙を破ったのは、少女の口からぽつりと呟かれた言葉。

 

 「…………ありがとう……」

 

 「気にするな……やりたいようにやったまでだ」

 

 「私だって、言いたいから言っただけよ」

 

 それを聞き、いつもの無表情が崩れ、ふっと小さく微笑むアトリア。そのあとに、そういえばという様子で、一つ問いを投げかけた。

 

 「ふっ、そうか……ところで、名を聞いていなかったな」

 

 「…………ないの」

 

 「なに?」

 

 「名前さえ付けられなかったの……!あいつ(オラージュ)にまともな扱いをしてもらったことなんて一度もないわ」

 

 過去に受けた仕打ちを思い出してか、少女の顔が曇る。それを払拭するように、アトリアは少女の頭に手を乗せ、優しく撫でた。

 

 「名前……か。もしよければ――オレに決めさせてくれないか」

 

 「…………うん」

 

 少しの逡巡のあと、少女は頷いた。一度は殺されかけたとはいえ、あの地獄から命を賭して救ってくれた男なら――といった様子。

 アトリアも、問いかける形は取ったものの、付ける名は既に頭の中に浮かんでいた。

 しかしそれは、偶々思いついたというものではない。思い出したというべきか、封じられた記憶から浮かび上がってきた形。

 その名は地上の空を彩る星のひとつ――

 

 

 「スピカ――今日からお前の名はスピカだ」

 

 

 




バーンの技名が頭にカラミティつける形なんで、ヴェルザーはディザスターにしました。

あと原作で戦ってないキャラしか今出てないんで、強さの目安がいまいち分かりにくいかなと思ったのでここに書いておきます。

変身前オラージュは本気だしたアルビナスと同程度くらいですかね。高速移動しながら上級呪文ぶっぱしてくるので。

弱体化ヴェルザーは能力的には昇格ヒムと同じくらいですが、最大HPだけは弱体化されてないんで馬鹿みたいにタフです。しかも死んでも生き返るし。

変身オラージュはまあ、最終盤のヒュンケルを万全の状態にしたのと同じくらいです。竜魔人バランなら問題なく勝てるくらい。ドルオーラで消し飛びます。

でも戦いには相性ってものがあるんで一概には言えないです。例えば自分の中では多分ヒュンケルはキルバーンには負けると思ってるんですが(搦め手に弱いので)、キルバーンはオラージュには絶対勝てません。広範囲でのバ火力をかまさないとほぼ際限なく再生するので。でもヒュンケルはグランドクルスを決めれば多分勝てます。

ちなみに全力ヴェルザーは杖あり老バーンと同程度ですかね。普通の竜の騎士より上の領域までくると相性関係なくパワーですべてが決まります。

今回でオラージュ編終わりです。次回から過去編少し挟んで次章行きます。
次のお話は竜の騎士 バラン襲来編です。お楽しみに 


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0-1 旅立

日刊載りました 感謝します。


 

 後にアルキードと呼ばれる国の国境近く、近隣の村からは奇跡の泉と呼ばれる泉の(ほとり)の森の中に、一人の人影があった。

 人らしからぬ、魔族が持つような長く尖った耳を持ったその男は、しかしそれ以外は全くもって人間であった。その肌は血色の良い肌色であるし、身に流れる血は紛れもなく赤いものだ。

 無造作に伸びた長い黒髪を後ろにまとめ、布の服を纏ったその出で立ちには、もう一つ普通とはかけ離れた所があった。

 

 目だ。

 

 何も映らないその空虚な瞳は、それを通して、男の虚無しか広がっていない心を容易に推察することが出来た。

 その瞳が向かう先は、何も気付かず泉の水を啜る、一匹の小鹿。これが男の今晩の獲物だった。

 

 「ヒャド(氷系呪文)

 

 男の足元より氷が走る。静かに進むそれは小鹿の足元に辿り着いた瞬間、弾ける様にその規模を拡大し、小鹿の足を完璧に封殺して見せた。

 事ここに至ってようやく現状を理解した小鹿は、寒さに震えながらも後ろへ振り向く。

 そこで最後に目にしたものは、凍て付くような視線を向けながら、短剣を手に此方へ歩み寄ってくる男の姿だった。

 

 

 血抜きを終えた獲物を肩に担ぎながら、粗末な掘っ立て小屋の扉に手を掛ける男。森の奥にひっそりと建てられたそれの他に家屋はなく、また彼を出迎える人間も小屋の中にはいなかった。

 何故、男はこれほどまでに社会から隔絶された生活を送っているのか――

 

 

 

 その泉の水を一度飲めば傷が癒え、二度飲めば病が治る――そのように言われていた泉の近くにある村には、大昔から言い伝えられてきた伝承が一つあった。

 

 天に白き竜現れるとき、奇跡の泉に打ち捨てられる赤子あり。その者は神の落とし子である――

 過去数百年のうちにおいて、その言い伝えの通りに泉の畔で見つけられた捨て子は数人しかいなかった。

 だがその子らのどれもが比類なき才覚を有し、例外なく齢二十となる日に村を出て、前人未到の偉業を成し遂げたとされている。

 

 そしてこの男もその伝承をなぞり、白い竜(聖母竜)が天を翔けたその翌日に奇跡の泉の畔に産み落とされ、村の人間に拾われた。

 しかし、彼の人里での生活は、お世辞にもいいものであるとは言えなかった。

 

 赤子なのに泣き声一つあげない異質さ。魔族のように尖った耳。言い伝えがあるとはいえ、前回のそれから150年以上の時が経ち、実際にそれを知る者が誰も居ないという現状。

 これら全てが相まって、男に好意的な感情を向ける者はほぼいなかった。神の落とし子ではなく、悪魔の落とし子ではないかと言われるほどに。

 

 物心つく頃までに成長しても、相変わらずの無表情に無感情。名前すらも付けられず、男に対する腫れ物扱いは加速していく。

 決定打となったのは、男が十歳のときに起きた出来事だった。

 

 その日、村で魔法使いを志す若者は、近くの森の中で呪文の契約を行っていた。

 呪文の名は極大爆裂呪文(イオナズン)。むろんその若者の力量で扱える呪文ではなかったが、若さゆえの背伸びがその呪文を選ばせた。

 

 若者が契約を終え立ち去った暫し後、その場所に偶然訪れた男は、そのままにされていた契約の魔法陣に何を思ったのか近づき、呪文の契約を行ってしまったのだ。

 それだけならまだいい。何か言われる筋合いもないし、そもそもこの事は誰にも知られていなかったのだから。

 

 だが――それだけではなかったのだ。

 

 その夜、寝静まる村人たちの静寂を破ったのは、村に迷い込んだ怪物(モンスター)、ライオンヘッドの咆哮。

 普段は見かけないような強大な怪物。何が原因で村に下りてきたのかは不明だが、明らかなのはこの怪物に対抗できる者がいない、という事実のみだった。

 

 当然、村はパニック状態に陥り、住民達は逃げ惑う。しかし、親しくしているものがいない男は、ぽつりとその場に取り残される形になってしまった。

 一人残され、子供の身でライオンヘッドと対峙することとなった男。誰もが男が無惨に殺される様を幻視せざるを得なかったが――そうはならなかった。

 

 眼前に迫るライオンヘッドの中級閃熱呪文(べギラマ)。それを前にして男が取った行動は逃亡でも諦めでもない。ただ生き残るために、咄嗟に使える呪文を使っただけだった。

 

 「――イオナズン(極大爆裂呪文)

 

 放たれた爆裂は閃熱を飲み込み、ライオンヘッドを後ろの木ごと吹き飛ばす。当然だ、呪文の格が違うのだから。

 しかし、村人たちは、怪物が居なくなっても、恐怖の視線を向けることをやめなかった。

 生命の危機に瀕しても、怪物とはいえ初めて生き物を殺しても目の色一つ変えず、齢10にして何処で覚えたのかも分からない極大呪文を使いこなす――その少年のほうが、村人たちにとっては怪物よりも遥かに恐ろしかった。

 

 ただ、それだけの話だ。

 

 かくして男は村を追放された。それだけ強いなら外でも生きていけるだろう、という大義名分を添えられて。

 あてもなく彷徨い続け、男は村から見て泉の反対側の森の中へと辿り着く。そこにあったのは、寂れて今は使われていない狩猟小屋――男の現在の家である――だった。

 

 最低限の生活設備を整え、そこに暮らし始めた男。幸いだったのは、その小屋に初級魔法の契約方法が記された本が置いてあったこと。

 極大魔法の件でもそうだったが、この男は、欠いて産まれた人の心を補うように、魔――魔力や呪文に対する才覚が抜群に抜きん出ていた。

 

 火炎呪文(メラ)で暖を取り、氷系呪文(ヒャド)で狩りを行い、真空呪文(バギ)で木を切り倒し、薪にする。

 そうして彼は、生きる目的もなく、おおよそ10年の間、ただこの森で生きてきていた――

 

 

 今日も男はいつも通り、何もない生活を送る。

 腹を満たし、備え付けられていた粗雑なベッドに横たわる。

 もう彼が知る由もないが、今日と言う日が終わるとき、彼は齢20を数える。

 窓から見えるはずの月は雲に覆われ、曇天の空模様。それを尻目に目を閉じる男の人生は、この日を境に大きく変わることとなった。

 

 

 眠りの中に漠然と浮遊していた男の意識が、徐々に覚醒する。

 しかし目覚めたそこに広がる風景は、見慣れた小屋の天井ではなく、雲の上のような場所が、際限なく広がっている、不可思議な空間だった。

 流石に事態が掴めずに、数秒固まり思案に耽る男。そうしていると突然、透き通ったような声が男の脳内に直接語りかけてきた。

 

 ――ここはあなたの夢の中です。精霊の力を借り、天界の秘術を用いてあなたの夢に精神体として入り込んだのですよ。

 

 「……誰だ?」

 

 ――私は聖母竜マザードラゴン。神の使いにして……あなたの生みの親です。

 

 「……そうですか」

 

 顔を上げると、そこにいたのは純白の巨竜。男の生みの親を謳うその姿と、男の人間的な風貌からは血縁を感じ取ることは出来ないが、それでも男は目の前の竜が自分の親である、ということを本能で確信していた。

 

 ――いつもならこの役割は精霊の方々にやって貰っていたのですが……これは私の不始末。不完全に産んでしまった我が子に酷な使命を告げるため、せめてもの償いとして来たのです。

 

 「使命とは?」

 

 いまいち事の要領が掴めない男に、聖母竜はいつの間にやら男の額に輝く紋章を指差し、告げる。

 

 ――あなたは世の均衡を保つ使命を帯びて産まれた粛清者……竜の騎士なのです。あなたの額に輝く紋章こそが何よりの印。

 

 それを聞き、男は己の身体の状態を確かめる。全身から吹き上がるような、極めて強力かつ異質な闘気。そして覚えのない呪文を使えるという感覚。確かにこれは世を平定することもできる力といっても差し支えないものだろう。

 そう考えた後、男は逆説的な結論に辿り着く。

 

 「なるほど、つまりこの力をもって粛清しなければならないほどに、世を乱す存在がいると?」

 

 ――その通りです。あなたは人心には疎いですが、とても頭がよいのですね。……地上のどこかに潜んでいる魔王。それをあなたには討ってもらいたいのです。

 

 「わかりました」

 

 即答。その重い使命に反比例するような回答の早さに、逆に困惑する聖母竜。

 

 ――本当に、いいのですか?私はあなたに恨み言をぶつけられても仕方ないような……そんな仕打ちをしているのですよ?

 

 「構いませんよ、だって――」

 

 

 ――人形は造物主の命令に従うものでしょう?

 

 

 臆面もなく言い放たれたその言葉からは、人間的な感情というものが一切合切欠落していた。

 その瞬間、聖母竜は、自らが息子に与えられなかったものを、明確に悟ってしまった。

 そのまま、やりきれないといった様子で、言葉を紡ぐ。

 

 ――わかり……ました。あなたの元に必要な物を送ります……最後に、これだけは言わせてください。

 

 ――あなたの旅路に、幸福があらんことを。

 

 その言葉を皮切りに、男の視界が光に包まれていく。それが最高潮に達したとき、雷鳴の轟きと共に男は現実へと帰還した。

 家の外に出てみれば、少し焼け焦げた地面に突き刺さっている剣――真魔剛竜剣と、その柄に引っ掛けてある竜を模した目飾り(ドラゴンファング)があった。

 不思議と身に馴染むそれらを手に、男は歩み出す。

 

 男の旅出を祝福するように、先程の雷が切り裂いた雲の裂け目から、朝日が顔を覗かせる。

 

 しかし。

 

 その天の計らいに反するように、男の旅は無情にして凄惨な終わりを迎えることになる。

 

 

 




聖母竜が竜の騎士を産み落としていくのは縁の深い土地に多く見られるっていうのは独自設定です。アルキードの泉やテランの神殿近くとかによく落とされます。

だってオーザムとか砂漠地域に産み落とされたら絶対死ぬし……


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0-2 名前

整理するために一回年表書いておきます

500年前 アトリアくん誕生
481年前 魔王が地上へ
480年前 アトリアくん旅立ち
479年前 魔王討伐される アトリアくん魔王軍入り

225年前 オラージュとの決戦
17~15年前 魔界にバラン襲撃 アバンVSハドラー
0年 原作開始
 




 地上は戦火と混乱の中に包まれていた。

 乱立した国々が各々の覇権を賭けて争い、血と悲鳴の絶えぬ毎日。

 

 しかし、皮肉にもその戦火を止めて見せたのは、魔王の存在だった。

 

 ある日突然、地上に存在するすべての国に届けられたメッセージ。

 

 『地上を頂く 魔王より』

 

 鏡を用い、魔界文字で描かれたそれは短く、淡白であろうとも、宣戦布告の証であることは間違いなかった。

 それを受けた各国は、速やかに世界会議(サミット)を会合。行われている全ての国家間の停戦を決定することとなる。

 

 だが、いつまで経っても魔王軍は侵攻を行わず。怪物(モンスター)が凶暴化することもなく。

 その結果、実在するかも分からない魔王によって齎された奇妙な平和は、一年半にも及んでいた。

 しかし――国民感情などを諸々無視して行われた半ば強引な停戦。一年半に渡って何も起きなかった事への慢心。

 再び戦への機運は高まり、国々の間の緊張はまるで限界まで大きくした風船の如く膨れ上がっていた。

 

 

 そして、それはここ、マルノーラ大陸でも例外ではなかった。宗教国家である北オーザムと、そこから離反する形で産まれた南オーザム。両国の関係は当然ではあるが最悪で、停戦した今でも、国境を挟んで両軍が睨み合う始末。

 

 

 そんな北オーザムの森の中、馬車に揺られる少女が一人。彼女は18歳程度に見え、望遠鏡と厚い装丁がされた本を抱えており、星を見に行く途中であることが伺える。

 元より北オーザムは山間部に囲まれた土地。そういった用途に適した場所は多くあった。

 路面が粗くなったのか、馬車を襲う揺れが増す。それに伴って、少女の金色の長髪が大きく揺れた。

 

 そうやってしばらく続く揺れを楽しみながら、少女の精神はまどろみに誘われようとしていた。

 しかし、眠りに落ちかけた彼女の目を覚ますように、前で馬を操っていた御者の悲鳴が響く。

 

 「うわあ――っ!」

 

 がたんという音の後に、馬車がより一層大きく揺れる。その数瞬後、馬の悲鳴が響き、馬車の動きは完全に停止した。

 

 「なんなの……!?」

 

 驚愕と困惑、そして強い警戒を露に、少女は立ち上がる。壁に立てかけておいたメイスを手に、馬車の外へと足を踏み出した。

 外へと出てみれば、そこはしんしんと雪が降り積もる森の中。それ自体はどこもおかしくはないが、問題は馬車を囲む大量の怪物たちにあった。

 

 「はあ……!?」

 

 その他に辺りにあるものといえば、血溜りの中に倒れる御者の死体。しかしよく見ると違和感がある。周囲にいる怪物たちは獣系モンスターやブリザードといった、この地域では普通に出没する種だ。……到底普通じゃない数を除けば。

 だが、御者は凍傷の痕があるわけでもなく、爪や牙による裂傷を刻まれたわけでもない。

 死因は心臓にある刺し傷。それも滑らかなもの――剣やナイフによる。

 

 そして極めつけは死体の傍に落ちていた一本の魔法の筒。これを見て、少女は事態の概要を察した。

 暗殺だ。それもそれなりに手の込んだ。

 要するに、下手人は少女に死んで欲しいのだ。それも、『馬車で移動中に怪物に食い殺された』という、誰にも疑念が向けられない『穏便』な形で。

 冗談じゃないと少女は思った。

 

 「心当たりはあるけどさ……普通そこまでするかってのよ……!」

 

 詳細な説明はここでは控えるが、彼女は政治的に複雑な立場にあった。簡潔に言えば、彼女は北オーザムの上層部の多数の人間から『邪魔』だと思われているわけだ。

 彼女とて自分が面倒くさい立ち位置にあるという自覚はあったが、暗殺を狙われるほどとは流石に思っていなかった。

 そして彼女は辺りを見渡し、退路はない事を悟る。

 

 「やるしかないか……!かかってきなさいよっ!」

 

 そういって少女は鉄のメイスを構え、戦闘態勢を取る。

 だが――彼女は僧侶。一人での闘いははっきり言って向いていない。

 そして、この怪物たちを差し向けたのは恐らく彼女を良く知っているもの。星を見る趣味を知っていて、その道すがらに襲撃してきたのだ。もちろん大まかな力量(レベル)も把握していて、勝てる戦力を送ってきているだろうことは容易に伺える。

 

 

 それでも――やるしかないのだ。生きるために。

 

 

 「こん……のぉ!」

 

 飛び掛ってきたアルミラージをメイスで殴り飛ばす。かなりの力が込められたそれは対象を一撃で昏倒させてみせた。

 だが、高々一体を殴り倒したところで、戦況は変わりはしない。

 この戦いは一対多。もちろん、少女が一動作を行う間に十数もの攻撃が飛んでくる。

 

 「カカカカ~~ッ!」

 

 四方八方からの、ブリザードの凍て付く息。まともに喰らえば氷像が出来上がるであろうそれを、防御光幕呪文(フバーハ)で防ぐ。

 その隙にホワイトランサーが駆けた。すれ違い様の一閃。何とか反応するも、完全回避には至らない。

 掠めた槍が着込んでいた毛皮のコートを裂き、高貴な身分を思わせるドレスがその下から顔を覗かせた。

 

 「お気に入りだったのに……もうっ!――バギマッ(中級真空呪文)!」

 

 悪態を突く少女。その背後に襲い掛かるブリザードの存在に、彼女はとっくに気付いていた。

 巻き起こる旋風がブリザードたちを吹き散らし、霧散させる。 

 息を突く間もなく、イエティの巨体が彼女の視界を覆う。僧侶の力では、厚い脂肪に覆われたその身体に痛打を与えることは難しい。

 

 緩慢な動きで、大降りに腕を振り下ろすイエティの一撃に対し、少女は逆にその懐に入り込むことによって躱してみせる。

 そのまま、メイスを持たず空いている左手を、イエティの心臓に当たる部分に当て、静かに何かを呟いた。

 

 「――――」

 

 その瞬間、イエティの動きが止まった。そのまま後ろに倒れた巨体の質量に、雪煙が舞い上がる。 既にイエティの瞳に、生命の灯火は宿っていなかった。

 だが、ついに彼女の意識に綻びが生じる。

 

 「どーよ……ッ!?」

 

 戦いに気を取られ、足元に目がいっていなかった。異様な冷たさを感じ足元に目をやれば、そこには彼女の右足を掴むひょうがまじんの姿。

 即座にメイスを振るい、その脳天を叩き割るも、その足は既に重度の凍傷に侵されていた。

 思わずふらつく少女。その姿を見て、上空で機を伺っていたキメラたちが飛び出す。

 

 「クエエーーッ!」

 

 「……ええい、邪魔だっつーの!!」

 

 キメラが集るようにして、その長く鋭い嘴で少女を啄ばむ。その様は、まるで餌に群がる鳩のような。

 少女の身体に大小問わず、裂傷が次々と刻まれていく。それに耐えかねて、鉄のメイスを思い切り振り回し、キメラたちを追い払った。

 

 流れ出した血も凍りそうな寒さの中、息を荒げながらも少女は戦う。

 例え敵の数がまだ半分も減っていなくても、足の感覚が既にほぼ無くとも、全身に傷が刻まれていても。

 

 それでもまだ、戦える。

 

 「ベホマ(回復呪文)……!さあ、まだまだ終わらせないわよ……!!」 

 

 自らに向けた淡い光が、少女の全身に走った傷を塞いでいく。

 しかし、回復呪文では傷は塞げても体力は回復しない。これはじきに訪れる終わりを延ばす悪足掻きに過ぎない。

 

 それでも。

 

 訪れる終わりが今ではなくなった、ということだけは確かだった。

 

 

 

 

 

 そうして、30分ほどが経っただろうか。

 

 「はぁ……はぁ……きっついわね……!」

 

 少女は未だ立っていた。辺りの雪を血で濡らし、肩で息をしながらも。

 戦い、傷つき、治す。ただがむしゃらにそれを繰り返す、先の見えぬ持久走。

 敵の数は大分減ったが、それでも死に掛けの僧侶を一人殺すには十分な数がいる。

 

 一度は遠ざけた終わりが、再び迫り来る。

 

 体力が底を尽きた、精神的疲労が限界に達した、血を流しすぎた。

 その理由はいくらでもある。血反吐を吐いてでも、限界を超えてでも立ち続けて来たツケが今、訪れただけ。

 

 少女の意識が、一瞬飛んだ。

 

 「あっ……」

 

 再び気を持ち直したとき、眼前に迫るはホワイトパンサーの牙。

 死力を振り絞って、必死に足掻いて来ても、辿り着く結末は変わらないのが常だ。

 

 だが――終わりが見えても尚足掻き続けるその強さが、幸運を引き寄せるときだってある。

 

 「ライデイン(電撃呪文)

 

 雷鳴が、轟いた。

 

 避け得ないはずの死が一向に訪れず、恐る恐る目を開ける少女。

 そこにあったのは、黒焦げになったホワイトパンサーの死体、そしてその向こうにいる、得体の知れない男だった。

 だが、その得体の知れない男が発した第一声は、到底場違いというか、戦闘の真っ只中で言うことではなかった。

 

 「……南オーザムへの道を聞きたい」

 

 「……え?」

 

 少女がまず感じたのは困惑。それは今聞くことか?と言う感情。

 

 「いや、そんな事言ってる場合じゃ……」

 

 「知らないならいい」

 

 そういって立ち去ろうとする男。この状況でそれを平然と言い放つのは到底まともではないが、それはそれとして少女にとってはこの男の存在は命綱に等しい。

 当然、焦って止めに入る。

 

 「ちょっ……わかったわ、じゃあ取引しましょう。このモンスターたちを倒して私を助けてくれたら、道を教えてあげる。……それでどう?」

 

 少女は男に取引を持ちかける。到底釣り合うものではないようには見えるが、この男から感じる力を見るに、怪物を蹴散らすだけなら容易いことだ、と思ってのこと。

 それに、男の目を見て感じ取ったのだ。あの男は良心や正義に従って動くような者ではない、と。

 そしてその目論見はうまくいった。

 

 「了解した」

 

 男が背に提げていた長剣を抜く。竜を模したその剣は、ただの鉄とは一線を画する神々しい光沢を湛えている。

 そしてその使い手も、剣に見合った馬鹿げた強さを身に着けていた。

 

 「ふん」

 

 突然の闖入者に色めきだつ怪物たちを、力強い一閃が両断する。

 イエティを三体まとめて撫で斬りにしたその切れ味と力を前に、怪物たちは怯えとともに我に帰った。

 男がこの場における最大の脅威であり、早急に排除せねば自らが危うい。そう理解した怪物たちは一斉に男に襲いかかる。

 その考えは間違ってはいない。

 

 ただ、死力を尽くしても訪れる結末は変わらない――その対象が、少女から怪物たちへと変わっていたというだけ。

 男が剣を向けた時点で、その運命は決まっていたのだ。

 

 「……竜闘気(ドラゴニックオーラ)

 

 轟音。そして衝撃。

 何かが爆ぜたような錯覚すら覚えるそれに、男の周囲にいた怪物たちは悉く吹き飛ばされた。

 少女は見る。爆心地である男の額に、竜のような紋章が光り輝いていることを。

 そして悟る。男が人間ではないなにかであることを。

 

 ホワイトランサーが駆ける。速度を乗せ、顔面を狙う渾身の一突き。

 それを瞬き一つせず受け入れる男。その直後、ばきりと何かが折れる音が響いた。

 

 「グワッ……!?」

 

 無防備な顔面に突き入れたはずの槍が、真っ二つに折れるという理不尽。

 そのまま淡々と踏み込んだ男が、剣を振りぬく。

 その刃はバターを切るかのように、ホワイトランサーを両断して見せた。

 

 先の攻防を見た怪物たちの心が恐怖に蝕まれていく。

 もはや彼我の力量差は明らか。ただただ怪物が殺されていくだけの消化試合を、少女は呆然と眺めていた。

 

 

 

 最後の一体を男が切り捨てる。刃についた血糊を掃いながら、剣を鞘に収めるその姿は、戦いが始まる前から見ても、一切動じていない様が伺えた。

 

 「ありがと……助かったわ」

 

 「いい、それより道を教えろ」

 

 「つれないわねぇ、ちょっとくらい話をしていってもいいじゃないの」

 

 少女は男が人間でない――ベースは人間ではあるが――と分かっても、普段の態度を崩さずにいた。

 もともと彼女がそういう人間だった、というのもあるが、同じ人間から暗殺者を差し向けられたせいで、種族の違いで云々、というのが馬鹿らしくなったのだ。

 

 「いい、道を――」

 

 「こっから歩いても一日以上は掛かるわよ、これから夜になるし、吹雪で視界もなくなる。

 やめといたほうがいいんじゃないの?」

 

 「…………」

 

 「うまく寒さを凌げる洞窟があるのよ、そこに行きましょ。道なら明日私が案内してあげるわよ」

 

 「……わかった」

 

 少女の押しの強さに負け、並んで歩き出す二人。いつもは無言を貫く男も、会話が弾むというわけにはいかないが、少女の口数に呼応するように、少しは口が回っていた。

 

 「ついでに焚き木も集めていきましょ。その良く切れる剣なら枝くらいばっさりいけるでしょ」

 

 「ああ。……オレが怖くないのか?」

 

 「なんで?」

 

 本気で意味が分からないとばかりに首をかしげる少女。

 

 「オレが近づくと、大体の奴が怯えたり逃げたりで、ろくに話もできなかった……だからだ」

 

 無理もない。魔族を思わせる尖った耳と、その冷徹な目。更に見るからに強そうな装いとくれば、ただの人間が怯えるのも仕方ないとも言えた。

 

 「ふ~ん……私は別にって感じ。それに命の恩人にそんな失礼なこと言わないわよ。

 それより、何でこんなとこで旅してるのさ。そのかっこ、オーザムの人じゃないでしょ?」

 

 男の装いは、布の服の上に軽鎧を着込んだような装備。

 一年中雪に覆われるオーザムでは、外出するときは毛皮を用いた外套を着込むのが一般的であることから、そうでない男はオーザムに慣れていない、という推測だった。

 

 「……魔王を討つ為だ」

 

 それを聞いて、少女が目を輝かせる。

 

 「魔王!?……へえ、面白そうじゃない!私も連れてってよ!……どうせ故郷に戻ったってしょーがないし」

 

 一応、魔王を倒す旅だというのに、あまりの軽さ。だが、それには理由があった。

 もはや少女は北オーザムに帰るつもりはない。……暗殺者を仕向けたのが誰なのか、大体の見当がついているからだ。 

 

 「足手纏いは要らん」

 

 その言葉に、闘いに巻き込むまいといった気遣いなどは一切ない、直球の物言い。そこに少女が傷つくかもといった配慮は存在せず、ただ思ったことを言っただけだった。

 

 「むっ……言ってくれるじゃない。私は僧侶だからそういう戦いは苦手なだけでね――」

 

 突如、木々の間を掻き分けて、青い竜――スノードラゴンが現れる。恐らく先の戦いに気付き、山から下りてきたといったところか。

 素知らぬ顔で歩く二人を今晩の獲物と見定め、背後から襲いかかる。

 だが――

 

 「――こういうこともできるのよっ!」

 

 二人ともが、その気配を既に察知していた。ちょうど左右にばらけるように、二人が避ける。

 そして、少女が左手をスノードラゴンに当て、こう唱えた。

 

 「マホイミ(過剰回復呪文)!」

 

 「グワアアアッ!?」

 

 手が当てられた箇所から、スノードラゴンの体組織がボロボロと崩れていく。やがてそれは全身へと伝播していき、青い竜は息絶えた。

 過剰回復呪文(マホイミ)。先の戦いでイエティにしたのもこの呪文だ。

 過剰な回復エネルギーを送ることで、対象の生体機能を異常促進させ、破壊する。

 この呪文を扱えるのは、北オーザムで少女一人。それほどまでに、危険かつ高位の呪文なのだ。

 

 「へへ~ん!どうよ!?」

 

 胸を張って、思い切りドヤ顔を決める少女。態度はともかく、僧侶としての実力が一流であることは確かだった。

 

 「……足手纏いと言ったことは訂正する」

 

 「じゃあいいじゃない!私も同行していいでしょ?」

 

 「勝手にしろ」

 

 「やったぁ!」

 

 少女がガッツポーズを取る反面、男は依然無表情を貫く。邪魔にならないならどうでもいい、といった風情。少女はその様子に頬を膨らませ、文句を垂れる。

 

 「新しい仲間が出来たんだからちょっとは喜びなさいよ……旅は道連れ世は情けって言うじゃない」

 

 「楽しさなど求めていない」

 

 「ノリが悪いわねぇ……ま、いいわ。それより、これから長い付き合いになるんだから、名前くらい教えなさいよ。私の名前はルーナ、あなたは?」

 

 少女の名はルーナ――母親が彼女を産んだ晩の満月を見て、その名前をつけられたという。

 本人の気性は月のようなお淑やかなものではなかったが、空の色をした瞳や、満月を思わせる金色の髪など、その美しい容姿は月の名を冠するに相応しいものといえた。

 

 「竜の騎士だ」

 

 「は……?いや、それは役職とか職業の名前じゃないの。あなた自身の名前は?」

 

 「ない」

 

 唖然とするルーナ。 

 

 「いやいやいやいや……普通あるでしょ?親とかから与えられたあなただけの名前が」

 

 「必要ない。……わざわざ道具に名前をつける奴はいないだろう」

 

 臆面も無く自分を道具と言い切るその精神性に驚愕すると共に、少女はその空虚な瞳の向こうには何も広がってないことを悟る。

 心というものが欠落している男を見て、ルーナは何かを決意したようなまなざしを向けた。

 

 「……誰にも名前が貰えなかったって言うのなら、私がつけてあげるわよ」

 

 「何故だ」

 

 「だって……誰にも名前を貰えなかったってことは、誰にも愛されなかった、ってことでしょう?そんなの……あまりにも可哀想じゃない。ほっとけないわよ」

 

 男が誰にも愛されなかったというのなら、私が与えてやろうと。そう言い切るルーナの瞳には、慈愛と呼ばれるものが満ちていた。

 

 「……勝手にしろ」

 

 

 そう言い放つ男の目は、相変わらずの空っぽであったが。ほんの、ほんの僅かに、何かが宿っていたように思えた。

 

 

 その後、歩き続けて45分ほど。二人は山の麓にある、小ぢんまりとした洞窟に足を踏み入れた。

 男が、脇に抱えてきた木の枝の束を下ろす。そのまま、火炎呪文(メラ)を使って火を点けた。

 炎の暖かな灯りが、真っ暗だった洞窟内を照らす。

 

 二人が焚き火を囲み、どっかと腰を下ろす。そういえばと少女が口を開いた。

 

 「そういえば、人間に怖がられるって言ってたわよね……その仏頂面もそうだけど、あんた威圧的なのよ。特にその目、こんなごっつい目飾りつけてるからじゃないの?」

 

 「む……」

 

 「ちょっとそれ貸しなさいよ、私がいい感じに直しといてあげるわ」

 

 「……ああ」

 

 またもや押しの強さに流される男。使うこともないし別にいいかといったところか。

 

 本来、その目飾り――竜の牙(ドラゴンファング)は、竜の騎士の最強戦闘形態(マックスバトルフォーム)である竜魔人に変身するときに使うものだ。

 それを使わないと称したのはなぜか。そう、竜魔人になるには、人の心を一度捨て去らねばならない。しかし――男には捨てるべき人の心が最初から無いのだ。

 故になれない、故に必要ない。そういった理由から男は竜の牙を易々と手渡したのだ。

 

 その後、暫く沈黙が続く。外で完全に日が落ち、夜の帳が辺りを覆ったところで、ルーナがぽつりぽつりと話し始めた。

 

 「私の……暗殺命令を出した人ね、多分父親なのよ……」

 

 「そうか」

 

 「北オーザムで枢機卿をやっててね……あ、枢機卿っていうのは国のナンバー2みたいなものでね」

 

 男はあまり興味がなさげだったが、聞いてくれるだけありがたいと、ルーナは話を続ける。

 

 「愛人の娘である私がよっぽど疎かったんでしょうね……馬鹿らしいわねほんとに」

 

 それだけではない。厳格な宗教国家である北オーザムにて、愛人の存在が露見することは権力闘争から転げ落ちる事に等しい。

 貪欲な権力欲を持つルーナの父にとって、その生き証人である母と娘は弱みそのものだったのだ。

 

 「なまじ私に僧侶としての才能があるからって教皇にも睨まれて……本国では針の筵みたいな生活だったわ」

 

 

 国一番の実力を持つルーナの存在は、父に追われる存在である教皇にとっても目の上のたんこぶだった。

 戦乱の時代である今、彼女が戦場で功を挙げ続ければ、教皇の座を追い落とされる可能性もあったからだ。

 

 「民衆からは聖女だなんだと持て囃されても、本当に欲しかったものは手に入らないもんね……」

 

 「…………」

 

 ルーナは語り続けるも、その相手は既に寝入っていた。重い話を聞きながら、無視して平然と眠れるのも、一種の才能だろうか。

 

 「……って、あんた人の話聞きながら寝てんじゃないわよ……はぁ、馬鹿みたい。……こんなものに縋っても、何も救われなかったのに」

 

 そういって、ルーナは首につけていた十字架のペンダントを外す。真ん中の十字架を外して、外に放り投げた。

 彼女は馬車の中から持ち出してきた星の辞典を開き、読み始める。

 その場には焚き火が爆ぜる音と、本のページをめくる音だけが静かに響く。

 そのままゆっくりと、夜は更けていった――

 

 

 日が昇る。

 洞窟の入口から差し込んだ光が、男の目を覚ました。

 

 「おはよ」

 

 「ああ……出発するぞ」

 

 「その前に……あんたの名前、決まったわよ」

 

 そういった少女の目には、夜通し起きていたのか、隈が出来ていた。

 

 「結構考えたんだけどね……シリウスとか、カペラとか、スピカとか」

 

 明らかに女の名前が混じっているが、この場にツッコミを入れる人間は皆無。

 この少女、実はかなりの天然だった。

 

 「あっ、その前にこれ返すわよ。ペンダントにしてみたら結構かっこいいじゃない」

 

 「……そうか」

 

 竜の牙に、昨日のペンダントの鎖を通したものを男の首にかけながら、ルーナは言う。

 

 「結局、私が一番好きな星の名前にしたのよ――」

 

 それは夜空を彩る三角形で、一際強い輝きを放つ星。

 

 

 「アトリア――あんたの名前は今日からアトリアよ」

 

 

 




約500年前なので原作の国々もそのままではないですけど
最終的に残るのは原作の8国(1つ土地ごと消えるけど)です。

あと大陸の名前に馴染みが無い人多そうなので一応書いときます
マルノーラ大陸 北海道の形してる場所 オーザムがある
ギルドメイン大陸 本州の形 カールとベンガーナとテランとリンガイアとアルキード(故)があります
ホルキア大陸 四国の形 パプニカとバルジ島がある
ラインリバー大陸 九州の形 ロモスがある

次章のバラン編はちょっと書き溜めてから投稿します


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お知らせ

あらすじにもあるようにリメイクを行いました。
こちらの更新をお楽しみしてくださった方々には申し訳ありませんが、そちらの方も色々と手を加えましたのでまたお楽しみいただければ幸いです。

以下に、更新のために改訂版の第二話を投下しておきます。


 

 与えられた私室で過ごし一週間が経ったころ、ようやくお呼びがかかったらしい。

 

 「アトリア様、バーン様がお呼びです」

 

 「すぐに行く」

 

 魔族の給仕の言葉にそう返し、速やかに仕度をして部屋を出る。

 長い廊下を通り抜け、玉座の間へと続く扉を開くと、

 

 「来たか」

 

 「…………」

 

 「ただいま参りました、バーン様」

 

 そこにいたのは二人。大魔王とその影の主従だ。とりあえず、跪き一礼しようとしたところ、大魔王の言葉に遮られた。

 バーンはチェス盤が置かれたテーブルの対面に座り、こちらに手招きをしている。

 

 「そう畏まらなくともよい……元より心からの忠誠など期待しておらぬ。――今のおまえにはな。

 それより、こっちへ来て座れ……一局どうだ?」

 

 「お恥ずかしながら……チェスのルールが分かりません。何分記憶がないもので」

 

 「構わぬ。……ミストバーン、出してやれ」

 

 「……は」

 

 そういって影――ミストバーンは、懐の暗闇から、一枚の羊皮紙をテーブルに置く。その紙には、チェスのルールが詳細に書いてあった。

 それにしても、あの闇の衣には何でも入っているのだろうか。それとも、主の無茶振りに応えるため、いろいろと無理して持ち歩いているのだろうか。

 

 「分かりました……未熟ながら、お相手(つかまつ)りましょう」

 

 まあそれはそれとして、チェスのやり方は大体把握した。ゲーム(遊戯)であると捉えるのではなく、盤上で行われる戦だと見ればいい。

 幸い、どう戦えばよいのかだけは、この頭に叩き込まれている。それに則れば、多少は打てるだろう。

 

 「フフ……では、始めるか。先手は頂こう」

 

 大魔王との対局が始まる。その最初の一手は、己の考えるこの戦いでの定石から、到底かけ離れたものだった。

 

 

 

 

 「では……ここに」

 

 中央で前線を務めるポーン(歩兵)を更に前へ出す。盤上の戦いは既に、佳境へと突入していた。

 

 「ほう……今しがたルールを知った男の打ち筋とは到底思えんな、んん?」

 

 それは自分でも感じていた。駒を打つ度に湧き出てくる可笑しな感覚。チェスをどう打つべきか、体だけが分かっていると言うべきだろうか。

 例によって、その記憶は全く思い出せないが。

 

 

 ――『くっそー!勝てねぇ!アトリア、お前チェス強すぎだろ!』

 

 

 「……お褒めに預かり光栄です」

 

 「そなたの打ち筋には、無駄が無い……実に効率的だ。そして同時に、機械的でもある」

 

 バーンもそれに呼応して、己の駒を前に進める。最後の総力戦だ。 

 

 

 ――『おそらく……普通の人間よりずっと効率的に打っているんじゃろう。その場その場での最適解を機械的に算出しているんじゃろうな』

 

 

 「さて……そなたを何故呼んだのかと言うと、もちろんチェスを打つためだけではない。……そなたにやってもらう仕事が決まった」

 

 駒を前に進めることで、固められていた陣形に隙ができる。その隙間へとビショップ(僧正)を斜めからねじりこんだ。

 

 「そなたには、冥竜王ヴェルザーの元へ客将として赴いてもらうことにした」

 

 だが、攻めて来るのは相手とて同じこと。こちらのポーンを切り伏せて、ナイト(騎士)が自陣へと切り込んでくる。

 

 「奴には死神を送ってもらった借りがあるからな……交換というわけだ」

 

 ここまでナイトに切り込まれるのはあまりよろしくない。すかさず他の駒で仕留めるが、バーンも同じことを考えていたようだ。

 これで、ビショップとナイトを交換したような形になる。

 

 「何故ですか?わざわざ……同じようにしてやる義理があるようには思えませんが」

 

 いまいちわからなかった。戦力をくれたのだから、そのまま儲け物として貰っておけばいいだろう。

 わざわざ返す必要があるとは思えない、非合理的だ。

 

 

 ――『なるほどね……だから―――だけがたまに勝てるわけだ。俺らの中では勝率最下位ダントツなのに』

 

 

 「クックック……まだそなたにはわからんか。アトリアよ――そなたには『遊び』が足りておらん」

 

 

 ――『あいつの打ち方滅茶苦茶だからなぁ。それが逆に判断を乱す要因になるってことか』

 

 ――『ちょっとぉ!?聞こえてるんですけど!???』

 

 

 更に盤面はエスカレートし、どちらのキング()を先に仕留めるかの、ノーガードの殴り合いのような様相を呈していた。

 どちらが一手先に王に辿り着くかの勝負。これまでの読みの深さが物を言う盤面。

  

 「ともかく、これは命令だ――そうそう、奴が殺せそうなら殺しても構わんぞ……といっても、奴は殺しても死なぬがな」

 

 王手(チェック)をかける。無論その刃はキングには届かず頓死するが、その位置を一歩ずらすことに成功した。

 読み通りに行けば、このままチェックメイト(詰み)まで行ける筈。

 

 「わかりました。その任務――謹んで、拝命致します」

 

 いや――待てよ。

 

 「…………!」

 

 「やっと気付いたか」

 

 バーンが最初に打った意図不明の初手。完全に計算の外にあったそれが、自らの詰みへの道の途中に立ち塞がっていた。

 計算が、崩れる。

 

 「それ――チェックメイトだ」

 

 気付けば、自陣は総崩れ。敵の思うがままに蹂躙され、敢え無く詰みとなった。

 

 「全て……計算していたのですか?」

 

 「違うな……余は最初の一手を、何も考えず無作為に打った」

 

 「……は?」

 

 そんなことをして何の意味がある?

 

 「闘い……特に互角以上の者とのそれが、一から十まで計算通りに行くことはない。互いに最善手を打ち続ければ、ただ強いほうが勝つのみだ……だが、現実としてそうはなっていない。何故か分かるか?」

 

 「相手の読みを乱せる者が勝利すると……そういうことですか?」

 

 「そうだな……近いと言えるだろう。そしてその想定外を生み出せるのが――不合理や無作為、偶然と言われるものだ」

 

 話の要領が掴めてきた。

 

 「余は最初の一手を打った後、その手が活きるようにさりげなく盤面の流れを誘導した。このように、それらの不確定要素を上手く操り、利用し、制すること……それが戦の要訣なのだ」

 

 「つまり……その不合理や無作為のことを、『遊び』と呼ぶと?」

 

 遊びというのは楽しむものだ。そういった、感情に端を発するもの――それがオレには欠けているということだろうか。

 

 「いかにも。……そなたにはそれを奴の下で学んでもらう。……そうだな、学ぶと言うのなら形から入るのも一興か……アトリアよ、試しに笑ってみよ」

 

 無理やりにでも顔を歪ませ、笑顔の形を作る。

 

 「ククク……目が笑っておらんぞ。とはいえ無表情よりかはいくらか上等か……表情くらいは取り繕うようにしておけ。……さて、話は終わりだ。準備が出来次第ここを発て。冥竜王の所在は死神に聞けばよい」

 

 「仰せのままに」

 

 大魔王の元に仕えること一週間。たった一週間で命じられたのは、冥竜王の下への出向だった。

 

   

 

 

 アトリアが退室し、完全に扉が閉ざされた後、影が口を開いた。

 

 「……奴の力を見定める、ということですか……」

 

 「その通り……余の領土は些か平和過ぎるのでな……雷竜ボリクス配下の残党殲滅に精を出しているあやつの元であれば戦に困ることはあるまい…………ミストバーンよ、奴にシャドーはつけたな?」

 

 「は……既に奴の影に潜ませております……」

 

 「それでよい……さて、拾い物が吉と出るか凶と出るか……面白いな」

 

 ――余は奴より強欲な者を魔界では知らぬ。恐らく奴はアトリアを欲しがるようになるだろうが……それもまた良し。奴があいつに心を取り戻させようとする試みも、いい刺激になるやもしれん。

 

 バーンはアトリアが出て行った扉の方に目をやり、思いを馳せる。思ったよりも使えるならば生かし、使えないならば……

 

 「奴はおまえの衣の下を見ているからな……奴が使えぬとわかったときは……わかっておるな?」

 

 「……」

 

 影は何も答えず、沈黙を保つ。しかし、強く輝いた対の眼光がその答えを雄弁に語っていた。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 男は物憂げな表情を浮かべ、自室への道を歩んでいた。その不規則な歩調は、そのまま男の心情を表しているようにも思える。

 では、何故男は憂鬱に浸っているのだろうか。

 

 ――危険なブツだとはいえ、護送するだけの簡単な任務のはずだったのに……!まずいまずいまずい、これで三度目の失態だ、バーン様に何と言われるか……!!

 

 そう、彼は任務中に失態を犯してしまったのだ。それも黒魔晶――黒の核晶の原材料である――の護送中に、それを何者かに奪われるという、特級の失態を。

 

 どうしよう……素直に認めるか、言い訳を考えるか……いっそのこと逃げてしまおうか……

 

 そんなことを考えながら、自室のドアを開き、中へと入る。

 すると、脈絡もなくぼとりと何かが地面に落ちた音がした。その音の源に目を向けてみると、そこに落ちていたのは自らの左腕――そう、いつの間にか自分の腕が切断されていたのだ。

 

 「……え?」

 

 一拍遅れて事の次第を把握した男が取った行動は、痛みを堪えられず叫ぶことだった。

 その悲鳴に合わせ、何処からともなく笛の音が鳴り響く。最も、常人には聞くことのできない音だが。

 

 「ぎゃあああああああああ!」

 

 「いい声で鳴くじゃないか。普段のお仕事もその調子で頑張ってくれれば、ボクが動くこともなかったのにね?」

 

 その言葉と共に壁からぬるりと現れたのは、いつもの黒い装束を纏った死神――キルバーンだ。

 

 ――死神……!

 

 それを見て、男は自らの運命を悟る。死神が自らの下へ現れるということは、大魔王に自らが穀潰しであると宣言されたようなもの。事実上の死刑宣告といってもいい。

 

 「くそ……!」

 

 「あれ?健気だねぇ……もしかして、向かってくるつもりかい?」

 

 笛の音が強まる。

 男は未だ諦めてはいなかった。キルバーンを倒し、ここを去るという唯一の生存への活路を勝ち取るため、立ち上がり、向かっていく――が。

 

 「うあああ……!?」

 

 すぐに転けた。無論彼が躓いたとかそういうものではない。生者には聴くことのできない死神の音色が、彼の身体の自由を奪っていた。

 

 「ウフフフッ……!さしずめ、これはキミへと手向ける葬送曲、ってところかな……?」

 

 前後も、左右も分からない。正しく身体を動かすことが出来ないし、そもそも今見ている世界が正常かも分からない。

 もがいてはその度に、不可視の刃に身体を切り裂かれていく。やけくそで放った魔法も、あらぬ方向へと飛んで行き、壁に焦げ痕を作るだけの結果に終わった。

 その様を例えるならば、蜘蛛の巣に囚われた哀れな獲物、といったところか。

 

 「あーあ、ボクは何もしてないのになぁ……キミの絶望する顔にも飽きたし、そろそろ終わらせてあげようかな……ピロロはどう思う?」

 

 そういってキルバーンは、己の背後へ語りかける。そうすると、死神の肩の後ろからひょっこりと、使い魔である一つ目ピエロ――ピロロが出てきた。

 

 「なっさけないヤツだなぁ~!さっさと殺しちゃおうよ!」

 

 「そうだねピロロ……そうしようか……!」

 

 ようやっと死神が動き出し、男の首に鎌を当てる。それを一思いに引こうとしたその時――

 

 「キルバーン、いるか?」

 

 ドアが開く。そこから入ってきた男――アトリアは、歪な笑みをその顔に貼り付けていた。

 死神の笛の音は鳴り止み、不可視の刃は知らぬ間に主の所へ帰還する。もう必要ではないし、味方を巻き込まないためだ。

 

 「あぁ、後輩クンか……ってなんだいその顔、無表情よりそっちのが怖いよ」

 

 「ヘンなの~!」

 

 「表情くらい取り繕えとバーン様に言われた。……それより、冥竜王の居場所を教えてくれ」

 

 記憶が無いからなのか、元からなのかは分からないが、アトリアにはこういった天然じみた所が少しあった。

 

 「そういうことじゃないと思うんだけどなぁ……まぁ、いいよ。ボクの仕事が終わるまで待ってくれるかな」

 

 「構わん」

 

 そういうと、キルバーンは男の首元に鎌を掛け直す。手玉に取った命を弄ぶ様に、愉悦に満ちた表情でこの男がどうしてこんな状況に陥ってしまったのかを愉快そうに話していく。

 

 「最初はね……どこかのはぐれ魔族に負けて、逃げ帰ってきたんだっけ?その次は、脱走兵を取り逃がしちゃったんだよねェ……最後はどうだったっけ?ピロロは覚えてる?」

 

 「ボク知ってるよ~!黒魔晶を護送してたのにまんまと奪われちゃったんでしょ~?いーけないんだいけないんだ!」

 

 「よく覚えてるじゃないかピロロ……まあそういうわけでね、度重なる失態に業を煮やしたバーン様がボクにこの男の粛清を命じたってワケさ」

 

 「……そうか」

 

 興味なさげなアトリアを余所に、キルバーンは仕事を終わらせようと、その手に持った死神のごとき大鎌を振りかぶり、

 

 「キミは最後まで役立たずだったけど……この瞬間だけはボクの役に立てるってワケだね――さぁ!その絶望に染まった顔を見せておくれよ……!!」

 

 振り下ろす。男の絶望に染まった顔と胴が泣き別れになると思われた、その瞬間――男の目に意志の光が宿る。

 ボロボロの体を突き動かし、なけなしの気力を振り絞る。なんとか鎌を躱し、呪文を詠唱した。

 ――狙いはアトリア。彼を行動不能にし、人質として使うことでこの場を乗り切ろうというわけだ。

 しかし、ここを出たとしてもこの満身創痍の身でどうするのか、大魔王を敵に回して魔界で生きていけるのか、などという思考は男の中にはない。男はただ、目の前に現れたか細い蜘蛛の糸を掴むことだけを考えていた。

 

 「マヒャド(上級氷系呪文)!!!」

 

  男とアトリアの対角線上にいた死神が「おっと」と言って身をそらす。なかなかの威力をもって打ち出される吹雪がアトリアに向かって吹き付ける。責任ある仕事を持たされている以上、この男もそれなりの実力者だったようだ。……あくまでもそれなり止まりであるが。

 

 「……メラミ(中級火炎呪文)

 

 アトリアの翳した手から猛火が吹き上がり、球の形を成す。前方に射出されたそれは、呪文の格が下であるにも関わらず、悠々と吹雪を突き破り、霧散させた。

 男は恐怖した。何ら陰りを見せない炎と、揺らめくその炎の向こうに写るアトリアの空虚な笑顔に。

 

 「あっ……」

 

 一度は見えた希望が、眼前で燃え尽きていく。奪われた希望による落差が、男の絶望をより深いものにしていた。

 それから数瞬もしないうちに、炎球が男を燃やし尽くす。男は断末魔もあげられぬまま、絶望を浮かべた顔のまま、人の形をした炭へと成り果てた。

 

 「へぇ……」

 

 「わぁ~!黒コゲだぁ~!」

 

 呪文の威力を見た死神が感嘆したように呟く。それを放った本人は、申し訳なさを取り繕った表情で言い放つ。

 

 「……オレが殺してよかったものなのか?」

 

 「構わないさ……面白いモノも見せて貰ったしね。……それで、ヴェルザー様の居場所だったかな?」

 

 「ああ」

 

 「そうだねェ……この宮を出て、北東にまっすぐ進めばいいよ……丸一日もすればあのお方の城が見えてくるハズさ」

 

 「わかった……感謝する」

 

 「ウフフッ……後輩クン、キミ意外と死神の才能あるんじゃない?それじゃあね――シー・ユー・アゲイン!」

 

 そういってキルバーンは、どうやってかは知らないが、壁に溶け込むようにして消えていった。

 アトリアも、凶行が行われた部屋から出て歩き出す。宮殿から出て、トベルーラ(飛翔呪文)を使い北東へと飛んでいった。

 

   

 

――――――――――

 

 

 

 ――ああ、退屈だ。

 

 今日も今日とて、居城の最奥にてただ座す日々が続く。

 あいつ(・・・)との決着を付けてから五十年余が経つ。バーンとも不戦協定を結び、最近はめっきり戦場には出れていない。

 戦そのものが無いわけではない。あいつの残党がこの大陸全体に散らばり、騒ぎを起こしているが……雑魚どもでは相手にならないだろう。

 行ってただ叩き潰しましたというだけでは、それはもう戦いとは呼べないし、退屈を煽るだけだ。

 

 「む……?」

 

 何かが近づいてくるのを感じる。力の気配……一端の強者のもの。誰だ?

 その気配はちょうどこの部屋――竜王の間の真上へと辿り着いた。

 ごとり、という音がしてそこに目を向けると、円形にくり抜かれた天井の石材がある。

 そこから一拍遅れて、何者かが天蓋に空いた穴から、ふわりと降り立った。

 

 誰からの刺客だろうか。大魔王?天界?それとも――?(いず)れにせよ面白い。

 とはいえ、いきなり襲い掛かったのでは、雰囲気も糞もない。久方ぶりの戦いだ、楽しまなくては――

 

 「何者だ?」

 

 「冥竜王ヴェルザーとお見受けしますが」

 

 「その通り――オレこそが冥竜王ヴェルザー。……オレの首でも取りに来たか?」

 

 むしろそうだと言って欲しい位だ。それほどまでに、今のオレは退屈に蝕まれていた。

 

 「いえ。……私の名はアトリア。大魔王様から、あなたのお力になれと仰せつかった者です」

 

 そう言われて、一気に頭から戦いの熱が引いていく。

 拍子抜けだ。冷えた頭で改めて見返すと、そいつは恭しく一礼してみせた。

 

 ――何だ、こいつは?

 

 その大げさなまでの振る舞いとは反して、こいつからは何も感じられない。

 こいつの行動には熱も、実感も伴っていない。言われるがままに動くだけの、生物の振りをした木偶。

 その象徴である空虚な瞳は、人形の目に嵌められているような硝子玉を彷彿とさせる。

 オレの最も嫌いな手合い――こいつには、『欲』がない。

 

 「フン、そうか……では宣言通り、早速働いてもらうとしよう」

 

 バーンの奴め……こんな奴を送りつけて何のつもりだ?死神を送ったことへのあてつけか?

 

 「貴様には我が領内の敵対勢力……主にボリクスめの残党を殲滅してもらおうか。丁度隠れ処が判明している奴が一人いてな……貴様にはそこに行ってもらう――ただし、一人でだ」

 

 はっきり言って無茶苦茶な命令だ。少なくとも知らぬ者に一人でやらせる類のものではない。

 そいつは竜の大群を引き連れていたという報告も上がっている。一人で行かせるなど、捨て駒にするようなものだ。

 

 「承知しました」

 

 それでもこいつは引き受けた。戸惑いも、怯えもせず。それこそがこいつが人形である証左だった。

 キルバーンの正体がばれて、嫌味で送ってきたのではないかと一瞬思ってしまうほど。

 

 「チッ……さっさと行け」

 

 それとも大魔王がわざわざ送ってくるくらいなのだ、何かあるのだろうか?

 何れにせよ、今回の戦いが試金石となる。帰ってこなければただのゴミ、もし勝って帰ってくれば――その時はその時に考えよう。

 

 退屈は削がれたが、その分の嫌悪が心を満たす。

 気に食わない。人形のような有様の男も、忌々しいボリクスの残党どもも。

 精々、潰し合うといい。

 

 

 



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