【書籍化】逆行の英雄 ~無才の少年は、幼馴染の女勇者を今度こそ守り抜く~ (カゲムチャ(虎馬チキン))
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登場人物まとめ(ネタバレ注意)

【勇者パーティー】

 

・アラン

主人公。『逆行の英雄』にして『無才の英雄』。

前の世界でステラを守れなかった後悔を糧に、かつては復讐のために鍛えた最強殺しの剣を使って、今度こそステラを守るために戦っている。

恋愛面ヘタレ。

 

 

・ステラ

ヒロイン。世界でただ一人、『勇者の加護』を持つ『勇者』。

魔族に大切な人達を奪われるのが嫌で、そのために戦い続ける勇敢で心優しい少女。

恋愛初心者。でも最近はぐいぐい来る。

ゴールインまであと少しだ!

 

 

・リン

『聖女』。治癒魔法や結界魔法など、補助のエキスパート。

恋バナに飢えた脳内ピンク。

尚、本人に恋愛経験はないもよう。

 

 

・ブレイド・バルキリアス

『剣聖』。大剣を豪快に振るうパワータイプの剣士。

今いち活躍の機会に恵まれない可哀想な奴。

 

 

・エルネスタ・ユグドラシル

エルフの元族長にして、最強の聖戦士の一人『大賢者』。

外見は幼い少女だが、中身は当代勇者パーティーの中で断トツの最年長であり、いつも縁の下でパーティーを支えている。

それはそれとして、若者の甘酸っぱい恋は大好物。

 

 

 

【英雄達】

 

・ルベルト・バルキリアス

歴戦の『剣聖』。勇者の力に覚醒したステラを迎えに来た老騎士。

ブレイドとレストの祖父。

強キャラ爺様。

 

 

・レスト・バルキリアス

ルベルトの孫で、ブレイドの弟。12歳。

ステラに恋する少年で、アランのライバル。

『剣の加護』を持っている未来の英雄候補だったが、『剣聖の加護』を持つ家族達とよく比べられてしまい、劣等感を募らせてしまった。

そして、その思いを魔族に利用され……。

 

 

・ドッグ・バイト

皆大好き噛ませ犬卿。

一応『剣の加護』を持つ『剣の英雄』であり、英雄の中でもそこそこ上位の力を持つが、これまでの戦いは全戦全敗。

それでもめげない諦めない。

選ばれし真の噛ませ犬に必要なのは、サンドバッグのごとく強靭な打たれ強さである。

 

 

・エルトライト・ユグドラシル

エルフの現族長にして『賢者』。エルネスタの実の息子。

精神も実力も大英雄の名に恥じない立派な人物だが、まだちょっとだけ母親離れできていないマザコン。

彼がママに甘えてしまうと、絵面的に犯罪にしか見えないのが悩み。

 

 

・イミナ

雷の魔鎚を操るドワーフの『鎚聖』。

本業はもちろん戦士だが、仕事人間の祖父に色々雑用を押しつけられるうちに、器用なパシリになった。

いつかは里を出て、自分に釣り合う大人の男とイチャコラするのが夢。

しかし、どこぞの爺が便利なパシリを解放してくれるかというと……。

 

 

・ドヴェルク・ドワーフロード

ドワーフの族長にして世界最高の職人『武神』。イミナの祖父。

加護は持っていないが、実質英雄のようなもの。

仕事一筋頑固一徹。

アランの装備一式を調整した人物。

 

 

・獣王

本名ヴォルフ・ウルフルス。獣人族の族長であり、最強の聖戦士の一人。

傲慢で横暴な態度が目立つ。

レストを直接殺害した男。

 

 

・バルザック・ボルト

エルフの『雷の英雄』。しかし、残念なことにモブキャラ。

 

 

・斧使いの女

本名バネッサ。『斧の英雄』。

ドッグと同じ街の守護に就いていたが、魔族化したレストに操られてしまった。

 

 

・中年魔法使い

本名ヒューバート。『水の英雄』。

バネッサと共に、魔族化したレストに操られてしまった。

 

 

 

【その他の登場人物】

 

・アランの母

本名エレン。息子の甘酸っぱい恋は見てて楽しかった。

アランが当時自覚していなかったステラへの恋心など、母には当然のごとく、まるっとするっと全てお見通しであった。

 

 

・アランの父

本名アントニオ。ゴリラのような筋肉ムキムキマッチョマン。

アランは彼の遺伝子のおかげで、加護を持たない者の中では最上位の身体能力を得られたのかもしれない。

寡黙で厳格な性格で、好きな女のために命を懸けられる息子を誇りに思っている。

 

 

・ステラの父

本名エト。亡き妻との間の一人娘であるステラを溺愛している。

ステラが勇者として旅立つのに最も反対した人物。

アランとの仲は認めているものの、やっぱり父親としてはちょっと複雑。

最近はステラの帰る場所を守るためにアランのごとく鍛え始め、極限まで運が良ければ噛ませ犬卿に会心の一撃を食らわせられるくらいに強くなっている。

 

 

・剣聖スケルトン

本名シズカ。生前は『剣聖』。エルネスタが最初に所属した勇者パーティーの一人で、彼女の姉貴分だった。

実は負傷した仲間達を守るために、命を捨てて聖剣を振るって当時の魔王に挑んだ凄い人。

死後はスケルトンとなってしまい、なんの因果か彼女の装備はアランに受け継がれた。

禁句は『絶壁』『まな板』『大平原』。

 

 

・フィスト

二百年前の『拳の英雄』。

当時の魔王軍の進撃に対して殿を務めて戦死した。

彼の生き様はマイナーながらも物語として残っている。

その死体は魔族によって二百年もの間利用されていたが、アランによって斬られることで解放された。

 

 

・聖神教教皇。

ほぼモブキャラだが、アラン視点に登場しないだけで、世界的に見れば相当の重要人物。

人類を支えるための一大勢力である『聖神教会』の最高指導者であり、かなり朧気ながら神の神託を受けることができる神器を所有する。

実はステラの覚醒を知ったのは、その神器による効果。

 

 

・シリウス王国国王。

教皇と同じでほぼモブキャラだが、こちらも世界的に見れば超大物。

人類最大の国『シリウス王国』のトップであり、後方支援の聖神教会、武力のシリウス王国といった役割分担で、長年人類を守ってきた。

 

 

・シーベルト・バルキリアス

ルベルトの息子で、ブレイドとレストの父。『剣聖』。

命を捨てて聖剣を振るうことで当代魔王を退け、魔王に聖剣の脅威を刻み込んで戦死した。

 

 

・アスカ・バルキリアス

ブレイドとレストの母。『剣聖』。

夫と共に当代魔王と戦い、戦死した。

 

 

・変態職人達

ドワーフの変態職人達。

機動兵器『アイアンドワーフ』を作り、目的のためなら幼女誘拐までやってみせる真性の変態集団。

 

 

・神様

世界を守っている超常的存在。

魔王討伐の報酬として、アランを過去の世界に送った張本人。

人類に加護という力を与え、聖剣を与え、神樹を与え、他にもいくつかの神器を与え、魔界の神から常時世界を守り続けと、かなり頑張って世界を守ろうとしている。

だから、少しくらいおっちょこちょいでも許されるだろう。

 

 

 

【魔王軍】

 

・魔王

当代魔王軍のトップ。

魔族を力で纏め上げている人類最大の敵。

慎重に、少しずつでも確実に人類を追い詰める作戦を好む。

 

 

・ドラグバーン

魔王軍最高幹部『四天王』の一角、『火』の四天王。

戦いを愛する根っからの武人。

 

 

・ヴァンプニール

『水』の四天王。

策略を愛する根っからの卑怯者。

レストを操って破滅させた仇。

 

 

・アースガルド

『土』の四天王。感情の感じられない人形のような少年。

 

 

・『風』の四天王

詳細不明。

 

 

・カマキリ魔族

アランが最初に戦った魔族。

 

 

・老婆魔族

本名ローバ。死霊術師。

多くの英雄の死体や上位竜の死体までも操る凄腕であり、魔王軍の中でも四天王に次ぐ実力を誇っていた。

何代も前の魔王の配下としてこの世界に来て以来、代々の魔王に仕えながら数百年間しぶとく生き抜いていたが、最後はアランによって斬り伏せられる。

 

 

・フランケ

老婆魔族が造った最高傑作。老婆魔族の弱点である近接戦闘能力の低さを克服した人造魔族。

ブレイドによってあっさりと倒されたが、実はまだ10歳であり、経験を重ねていれば老婆魔族以上の脅威となっていただろう。

 

 

・モグリュール

竜を名乗るモグラ。出落ちで獣王に倒された。

 

 

・先代魔王

一世代前に、約90年に渡って人類を苦しめ続けた大魔王。

彼のせいで、今の時代は人類の歴史でも屈指の戦力枯渇状態となっている。



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最強殺しの剣まとめ(ネタバレ注意)

【最強殺しの剣】

格上殺しに特化したアランの剣技と、その奥義である七つの必殺剣。

徹底的に相手の動きを読み、その力を利用する。

 

 

 

・一の太刀『流刃(りゅうじん)

相手の攻撃を受け流しながらその勢いで回転し、攻撃の威力を斬撃の威力に変換して返すアランの基本技。

 

派生技

 

・『激流加速』

相手の攻撃の威力を反撃ではなく、移動速度に変換する高速移動技。

 

・『流車(りゅうしゃ)

流刃を防がれた時、ガードした相手の体を起点に縦に空中一回転し、相手のガードを飛び越える二撃目の流刃。

 

・『流流(りゅうりゅう)

流車のタイプ別。流刃をガードされた時、腰を落として斬撃の軌道を変えることで、ガードをすり抜ける技。

 

・『双点流流』

ニ刀の型で放つ流流。

流刃で一発、流流で一発、もう片方の手に持った刀で更に一発の三連撃を叩き込む技。

 

・『流刃・無刀』

刀を使わず、籠手や足鎧などで受けて繰り出す流刃。

 

 

 

・二の太刀『歪曲』

相手の攻撃の流れを僅かに変え、逸らして防ぐ。

 

派生技

 

・『歪曲連鎖』

複数同時の攻撃に対し、一つの攻撃を受け流してぶつけることで他の攻撃を無力化する技。

 

・『歪曲千手』

二刀の型で繰り出す連続の歪曲

手数が増えた分、できることは相乗効果で増える。

 

・『歪曲・無刀』

刀を使わずに繰り出す歪曲

 

・『歪曲・(ころも)

剣聖シズカの羽織を使い、細かい攻撃を布で受け流す技。

 

 

 

・三の太刀『斬払い』

相手の広範囲技の綻びを斬って広げ、霧散させる。

 

派生技

 

・『斬払い・(くじき)

攻撃が形になる前に霧散させる。

 

 

 

・四の太刀『黒月(くろづき)

唯一の自発的攻撃技。魔剣『黒天丸』の力によって、闇を纏った斬撃で急所を狙う。

もしくは、闇を纏った斬撃を飛ばして牽制する。

 

派生技

 

・『重ね黒月』

黒月による連続攻撃。

 

・『黒月の舞』

剣聖スケルトンの動きを模倣し、黒い炎を纏うようになった黒天丸を振り回して舞う。

それによって、自分の周囲に黒い炎の斬撃の防壁を作り出し、細かく軽い攻撃を焼き尽くして防ぐ。

 

・『爪月(そうげつ)

ミスリルの籠手で繰り出す貫手。

 

 

 

・五の太刀『禍津返し』

相手の遠距離攻撃を絡めとり、そのまま返す。

 

派生技

 

・『光返し』

敵の攻撃ではなく、ステラの攻撃の軌道を変えるために使った技。

 

 

 

・六の太刀『反天』

敵の攻撃エネルギーに自分が叩き込んだエネルギーをぶつけ、敵の最も脆い部分に浸透させて、二つのエネルギーの板挟みによって破壊する技。

 

派生技

 

・『震天』

敵の攻撃エネルギーは使わず、自分の攻撃の衝撃エネルギーで相手の頭を揺らして気絶させる技。

非殺傷技。

 

 

 

・最後の必殺剣

対魔王用の奥の手。

詳細不明。

 

 

 

・二刀の型

黒天丸と怨霊丸の二刀流スタイル。

片手持ちになるせいで攻撃力が下がる反面、手数が増えることで防御力が上がる。



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第一章
1 プロローグ


 かつて、この世界には『勇者』と呼ばれた少女がいた。

 異なる世界から現れ、世界の半分を支配し、人類を滅亡の窮地に追いやった悪しき存在『魔族』。

 そいつらを蹴散らし、人々を助け、希望の象徴として君臨した少女。

 それが勇者。

 彼女は神に選ばれた特別な存在だった。

 生まれた時から絶大な力を持ち、それを振るうに足る強靭な精神を持ち、成るべくして人類の希望になったと()()()()()()

 

 冗談じゃない。

 

 あいつ(・・・)は普通の女だった。

 探せばどこにでもいるような普通の少女。

 たまたま神様に選ばれ、たまたま生まれた時に特別な力を与えられただけの奴。

 確かに、その力を使って魔族なんて恐ろしい奴らと戦い続けられるだけの精神力は持ってたんだろう。

 だけど、あいつは皆が思うような完璧超人の勇者様なんかじゃ断じてなかった。

 人類の命運をかけた戦いなんかに駆り出されて、人々の期待を一身に背負って戦い続けて、辛くなかった筈がない。

 間抜けにも後になってからあいつの辿ってきた道のりを知った時にそう思った。

 あいつが無邪気に喜ぶ民衆に見えない所で、どれだけ泣いて、どれだけ苦しんで、どれだけ怖がって、それでも歯を食い縛って戦ってきたのか、嫌という程に理解させられた。

 

 勇者は人類の希望。

 故に、弱味を見せる事すら許されない。

 常に勝利を求められ、決して屈しない姿を示し続ける事を求められる。

 仲間が死んでも泣き顔一つ見せられない。

 そうじゃないと、皆が安心できないからだ。

 そんなの、一人の人間の肩には重すぎるだろう……!

 

 それでも、あいつは茨の道を突き進み、戦い続けた。

 魔族の大軍勢『魔王軍』を蹴散らし、その幹部である四体の怪物『四天王』を打ち破り、遂には魔族の王である『魔王』にまで辿り着いた。

 しかし、快進撃はそこまでだった。

 

 勇者は、━━最後の戦いで魔王に敗れ、殺されたのだ。

 

 それまでの戦いで全ての仲間を失い、自分自身も消えない大怪我を負って、それでも魔王だけは死んでも道連れにするとばかりに挑んだ無謀な戦い。

 あいつはそれに負けて死んだ。

 遠く離れた故郷でその報せを聞いた時は愕然としたよ。

 信じられなくて、信じたくなくて、あいつが生きてる証拠を探して故郷を飛び出し、旅に出た。

 

 だけど、旅の途中で見たのは、あいつが死んだ証拠とばかりに、一度は勇者にやられて弱体化した魔王軍が、再び活性化して街や村を襲う様子。

 旅の中で知ったのは、都合のいい事だけしか書かれていない新聞に乗っていた、俺が真実だと思っていた、あいつの快進撃の裏側。

 夥しい数の戦死者。

 勇者の仲間である『聖戦士』ですら、四天王との戦いの度に一人ずつ死んでいたという事実。

 

 目眩がした。

 信じていた世界が、まるごとひっくり返るような感覚。

 

 吐き気がした。

 俺が呑気に故郷で修行ごっこなんかやってた頃、あいつが体験していた想像を絶する苦しみを思って。

 

 後悔した。

 あの時、あいつの運命が変わってしまった日。

 なんで俺は無理にでも付いて行かず、故郷に残ってしまったのかと。

 

 

 俺とあいつは、田舎の同じ村で育った幼馴染だった。

 平和で、だけど退屈な村。

 小さくて人も少なかったから、同い年の子供なんて俺とあいつの二人しかいなくて、俺達はいつも一緒に遊んでた。

 小さい頃、村に立ち寄った吟遊詩人の歌に出てきた英雄に二人して憧れて、いつかは村を出て二人で冒険者にでもなろうぜって約束して、修行ごっこなんてやってた事もある。

 その頃からあいつはバカみたいに強くて、今思えばあれが勇者の力の片鱗だったのかもしれない。

 

 いつも負かされて、俺はむくれて、あいつは勝ち誇って、それが悔しくて修行して挑んでは返り討ち。

 でも、なんだかんだで楽しかった時間。

 そんな日々が続いて、いつか修行ごっこの繰り返しで強くなって、二人で冒険者になるんだろうなと思ってた。

 

 だけど、その日常はある日、突然壊れた。

 

 俺達が10歳の頃、村が魔族に襲われたんだ。

 多分、戦場で魔王軍本隊とはぐれたんだろう野良魔族に。

 今思えば、魔族の中では結構な雑魚だったと思う。

 雑兵ってやつだ。

 それでも、魔族は魔族。

 ウチの村の周りに出る、武装すれば村人でも狩れるような雑魚魔物とは比べ物にならない、戦場で英雄達とドンパチやってる本物の化け物。

 そんなのに村人が勝てる筈もなく、村は成す術もなく壊滅した……かに思われた。

 

 その時、あいつが魔族を倒したんだ。

 情けなく恐怖で動けなくなってた俺とは違い、殺されそうになってる家族や知り合いを助ける為に、勇気を振り絞って魔族に立ち向かった。

 雑魚魔物狩り用の剣を引っ張り出し、子供の体には大きすぎるナマクラを振り回して魔族に挑む。

 無謀な戦い。

 普通の子供なら間違いなく死んでただろう。

 実際、あいつの代わりに俺が戦ってたら、1秒と持たずに死んでた自信がある。

 

 でも、あいつは勝った。

 あの時の事は忘れられない。

 人類の敵である魔族に立ち向かったのが原因か、それとも命の危機に陥って生存本能が爆発したのか。

 あるいは、誰かを守る為に勇気を出して、覚悟を決めたからか。

 あいつは自分の中に眠っていた勇者の力を、あの土壇場で覚醒させ、光を纏った剣で魔族を切り裂いた。

 

 凄かった。

 カッコよかった。

 思わず幼馴染として、修行相手として誇らしくなってしまう程に。

 うっかり、あれなら魔族なんかに負ける訳ないと思って安心してしまう程に。

 嫉妬すら吹き飛ばす、人類の希望という名の鮮やかな光が、俺の目を曇らせた。

 

 今ならわかる。

 あれこそが俺の一生の不覚だ。

 

 

 その数日後、国の偉い人が村を訪れた。

 なんでも、神様からの神託だか何だかで勇者の誕生を感じ取り、それに従って勇者の力に目覚めたあいつを迎えに来たらしい。

 あの時、あいつにかけた言葉を、俺はずっと後悔している。

 

『行ってこい。お前が帰ってくる場所は、俺がしっかり守っといてやる!』

 

 激励の言葉のつもりだった。

 実際、その覚悟はあった。

 また村が何かに襲われた時、強くなって、今度は俺が守ってやるという気概はあったんだ。

 そうやって、あいつの帰って来れる場所を守ろうという気概は。

 でも、そうじゃない。

 そうじゃないだろう。

 あの時、俺がかけるべきだった言葉は……

 

『……わかった。村はあんたに任せる! だから、魔王はこの私に任せなさい!』

 

 そんな俺に返したあいつの言葉。

 よく見れば強がりだと気づけた筈だ。

 なのに、見せつけられた勇者の力と、その時に抱いてしまった安心感のせいで。あの鮮やかな光のせいで、目が曇っていた。

 ちゃんと見てた筈なのに。

 あいつが魔族に立ち向かう時、強がりながらも膝が震えてたのをちゃんと見てた筈なのに。

 その後に見た圧倒的な強さに塗り潰されて、バカな俺の頭からは、あいつの見せた弱い姿が消えていた。

 

 そうして、あいつは勇者として旅立った。

 俺は故郷に残り、約束を果たす為に鍛え続けながら、たまに街に行って、あいつの活躍を新聞で見る日々。

 やれどこの国を救った、魔族の大軍を退けた、四天王を討ち取った。

 修行ごっことしか言えないようなぬるい鍛え方をしながら、そんな記事を見て、呑気に「さすが俺のライバル!」とか思ってたあの頃の自分をぶち殺したい。

 

 そんな日々を送る内に、遂に最後の四天王が討伐され、残るは魔王だけだという記事を見た。

 あいつが魔王を倒して帰ってくる日も近いな、なんて思って、再会するのを楽しみにしてたところに飛び込んできたのが、勇者死亡の記事が書かれた号外だ。

 寝耳に水だった。

 信じられる訳がない。

 

 そうして旅に出て、あいつの道のりを辿って、どれだけ苦しんでたのかを知って絶望した。

 後悔ばかりが心を苛み、救いようのない愚かな自分に怒り狂い、泣き叫び。

 最後に、━━あいつを殺した魔王への、どうしようもない怒りと憎しみが湧いてきた。

 その黒い感情だけが俺を動かした。

 

 

 絶対に仇を討つと誓って、残りの人生を生きた。

 鍛えて、鍛えて、鍛えて、鍛えて。

 故郷でやってた修行ごっことは違う、限界を越えた地獄の修行で鍛え続けて、誰よりも強くなって魔王を倒そうとした。

 でも、無理だった。

 俺には才能がない。

 真に才能のある奴らには十倍の努力をしても追い付けず、まして勇者や聖戦士のような特別な存在には、成長の上限まで行っても足下にすら及ばない。

 

 だから、俺は考え方を変えた。

 強者になるんじゃなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 より一層の地獄で自分を鍛え上げる。

 迷宮に挑み、魔族や魔物に挑み、常に自分より強い相手に挑んで死にかけながら、強者殺しの技術を磨いていく。

 そんな生活を続けて何年経ったのか。

 10年か、20年か。

 もはや数えてないし、覚えていない。

 それだけの月日をただ修行のみに費やしても、魔王に勝てるイメージはまるで湧かなかった。

 だけど、これ以上の時間をかければ体が衰えてしまうと判断した俺は、死んでも魔王を道連れにしてやるつもりで、魔王の本拠地『魔王城』へと襲撃をかけた。

 そして……

 

「おのれ……! ようやく、ようやく勇者を倒したというのに……! 貴様のような、加護も持っていない雑魚を相手に、こんな、所で……」

 

 死闘の果て、呪詛を吐きながら魔王が倒れる。

 俺の持つ破壊の刃で心臓を貫かれた魔王は、完全に息絶えていた。

 

「勝っ、た……」

 

 運が良かった。

 というより、これは九割があいつのおかげだ。

 魔王は弱っていた。

 あいつとの最終決戦で、魔王殺しと言われる聖剣の力で斬りつけられた傷が、未だに治っていなかったのだ。

 両腕は失われ、そこら辺の魔物の腕を無理矢理くっつけて使っていた。

 両の眼も潰れて光もなくし、腹には風穴が空き、ずっと傷口を焼かれ続ける激痛のせいか、魔法の発動すらままならない状態。

 これが、あいつが命と引き換えに与えたダメージ。

 魔王軍自体も、四天王をはじめとした多くの魔族を失ってかなり弱体化してたんだろうし、あいつは本当に勇者だったって事だ。

 

「ぐっ……」

 

 だが、俺も無事じゃない。

 魔王は満身創痍にも関わらず、俺に致死レベルのダメージを与えてみせた。

 片腕は千切れ、片足は折れ曲がり、深い爪で心臓を貫かれ、顔も半分抉られた。

 間違いなく死ぬ重傷だろう。

 あるいは、この場に世界最高の治癒魔法使いでもいれば話は別だったのかもしれないが。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 俺は力を使い果たし、魔王と同じく床に倒れた。

 死闘の余波で破壊され尽くした魔王城の床に。

 多分、あいつもここで死んだんだろう。

 仇は取ったし、あいつと同じ場所で死ねる。

 本望だ。

 本望、なんだけどな……。

 

「……虚しい」

 

 思わずそんな言葉が口から溢れていた。

 復讐を果たしても、あいつは帰って来ない。

 今まで恨みを晴らす為に戦ってきたけど、その恨みを晴らした今、俺にはもう何も残っていない。

 

「お前が生きてたら……俺がお前を守れてたら……ハッピーエンドで終われたのにな……」

 

 そんな、どこまでも悲しい思いを胸に抱きながら、俺は死んだ。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

『よくぞ魔王を倒してくれました』

 

 やたら綺麗な声がする。

 女の声だ。

 

『まさか勇者ですら成し得なかった魔王の討伐を、通常の加護すら持たない無才のあなたが成し遂げてくれるとは思いませんでしたよ』

 

 意識がぼんやりする。

 まるで眠りに落ちる直前のように。

 そんな感覚の中で、俺はやたら綺麗な女性の声を聞いていた。

 

『魔王を倒し、世界を救ってくれたあなたはこの世界の救世主です。お礼になんでも一つ願いを叶えてあげましょう。加護という私からの祝福を受けずに魔王を倒したあなたには、その代わりの祝福として神の奇跡を授かる資格があります。ただし、私の力と制約の及ぶ範囲に限りますがね』

 

 願いを、叶えてくれる……?

 なら、俺はもう一度あいつに会いたい。

 今度こそあいつを守ってやりたい。

 隣で支えてやりたい。

 今度こそは。

 

『わかりました。では、あなたの魂を過去へ送りましょう。そこで好きにやり直し、好きに世界線を分岐させればいい。……あなたの望みが叶う事を祈っています』

 

 女性の言葉は、ぼんやりとした意識にかき消されて、記憶に残らない。

 でも、凄く嬉しい事を言ってくれた気がした。

 次の瞬間、優しい温もりが俺を包み、まるで親に抱かれて眠る子供のような安心感を覚えながら、俺の意識は完全に眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

「おーい。生きてるー?」

 

 目を覚ました時、ツンツンと何かで頭をつつかれる感触と共に、頭上から懐かしい声が聞こえてきた。

 ウザイ、けど、とても愛しい声だ。

 ずっと昔に失ってしまった筈の幼馴染の声。

 無二の親友だと、そう思ってた奴の声。

 

 それがわかった瞬間、俺はガバッと勢いよく体を起こした。

 どうやら俺は草むらの地面に倒れてたらしい。

 そして、俺の顔を上から覗き込んでた奴と、勢いよくおでこをぶつけ合った。

 

「「痛っ!?」」

 

 二人同時に悲鳴を上げる。

 額から感じる、まるで岩にでもぶつかったかのような激痛を堪えながら、俺は石頭すぎる激突相手を見詰めた。

 

 やたら整った顔立ちをした金髪碧眼の少女だった。

 見覚えのあり過ぎる顔。

 昔は毎日顔を付き合わせていた奴の顔。

 たとえ何十年経とうが忘れない、記憶に焼きついて離れない、大切な幼馴染の顔だ。

 

「いったー……! 寝起きにヘッドバット打たないでよ! 寝相悪すぎでしょ!」

 

 ああ、悪態をついてくる姿も昔のままだ。

 本当に……本当にお前なのか?

 

「……ステラ?」

「何よ! いきなり名前なんか呼ん、で……!?」

 

 気づいた時、俺はこいつに抱き着いていた。

 ステラだ。

 間違いなく、こいつはステラだ。

 『勇者』ステラ。

 人々を救う為に、非業の死を遂げてしまった大英雄。

 失ってしまった、俺の大事な幼馴染。

 よかった。

 また会えてよかった!

 

「な、なななな何を!? こ、こういうのはもっと大人になってから……っていうか、いきなりなんなの!?」

 

 喚くステラを、俺は力の限り抱き締め続けた。

 大丈夫、こいつは頑丈だ。

 未来の勇者は伊達じゃない。

 俺が絞め殺さんばかりの力で抱き着いても、痛くも痒くもないだろう。

 

「ねぇ、本気でどうしたの!? 頭打っておかしくなった!?」

「頭を、打った……?」

 

 そういえば、ちょっと頭が痛いような。

 ああ、いや、思い出してきたぞ。

 そうだ。

 今日は吟遊詩人が村に立ち寄って、歌を歌っていったんだ。

 凶悪な魔物をバッタバッタと退治して、見事大迷宮を攻略してみせた、英雄と呼ばれた冒険者の歌を。

 それで二人共テンションが上がって……

 

『決めた! 私はいつか冒険者になるわ!』

『俺もなる! だったら強くなる為に修行だ!』

 

 みたいな会話の後、そこら辺の木の枝でちゃんばらを始めたんだったな。

 で、こいつの予想外の強さにびっくりして頭にいいのを貰って気絶したんだった。

 ……じゃあ、あれは夢だったのか?

 ステラが勇者になって、魔王に殺されて、俺は死ぬ程後悔しながら仇を討つ為に旅をした。

 あれが、夢?

 

「……そうかもしれないな。お前に頭をやられたせいで、やたら怖い夢を見た」

「は? 夢? それで私に抱き着いてるの?」

「ああ」

「……へぇ~! 怖くて私に抱き着いちゃったんだ~! よちよち、アランくんは怖がりでちゅね~!」

 

 クソ、ウザイ……!

 全力で煽ってきやがる。

 でも、離れられない。

 離したら、また失ってしまいそうで。

 

「ちょ、本当に大丈夫? あんたが反論もせずに、こんなガタガタ震えるなんて……。いったいどんな夢見たのよ?」

「お前が勇者になって死ぬ夢。しかも、リアリティー抜群」

「何それ!? 意味不明なんだけど!?」

 

 だよな。

 俺にも意味不明だ。

 だけど、どうしてもあれがただの夢だったとは思えない。

 このままじゃ絶対に正夢になるっていう、嫌な確信が何故かあった。

 

「もしそうなっても、俺が絶対お前を守る。絶対に。絶対にだ」

「ふぇっ!?」

 

 間抜けな声を上げるステラを強く抱き締めながら、俺は夢の中では果たせなかった決意を固めた。

 この先、どんな事があったとしても、このバカを絶対に最後まで守り抜くという決意を。



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2 7歳

 この世界の戦闘に関する能力には、目に見える明確な才能がある。

 それが『加護』。

 千人に一人くらいの確率で生まれてくる特別な人間が、生まれた時に神様から授けられる祝福だと言われている力。

 

 加護の種類は千差万別。

 最も一般的な『剣の加護』や『槍の加護』なんかの武術系の加護。

 『火の加護』や『水の加護』、『癒しの加護』なんかの魔法系の加護。

 他にも色々とあるが、全ての加護に共通している事が一つある。

 それは、加護を持つ者は、持たざる者とは比較にならない強大な力を得るという事。

 

 加護を持つ者と持たざる者の差は、大人と子供以上だ。

 武術系の加護を持つ者は、化け物のように屈強な肉体を持つ。

 魔法系の加護を持つ者は、膨大な魔力を持ち、普通の魔法使いが百人集まっても出せないような超魔法を、鼻唄交じりに繰り出すという。

 しかも、加護の分野に関する技術を習得する速度も尋常じゃない。

 剣の加護を持つ者は、初めて剣を持ってから一週間で、凡人なら達人と呼ばれる領域にまで至ると言われている。

 

 英雄と呼ばれる者達は、その全てが加護を持つ者だ。

 大迷宮を攻略したという剣士も、竜の額を貫いたという槍使いも、万の敵兵を一撃で薙ぎ払ったとされる魔法使いも。

 人外の力を振るう英雄達は、全員が生まれながらに加護を持っている。

 加護を持つ者に持たざる者が勝つ事はできない。

 凡人は英雄に勝てない。

 それが、この世界の常識。

 そんな常識は今……

 

「う~~~! 悔しいー! 負けたぁ!」

「よっしゃあ! 俺の勝ちだ! どうだ、この野郎!」

 

 音を立てて崩れ去っていた。

 俺の前には、あらゆる加護の中で最上位にして、全ての加護の上位互換と称えられる『勇者の加護』を持ってる(と思われる)奴が、悔しそうに地団駄を踏んでいる。

 本日の修行である剣術十本勝負。

 それに六勝四敗で俺が勝ち、こいつは負けたからだ。

 敗北者じゃけぇ!

 

「ゼェ、ゼェ……ハァ、ハァ……」

「くーやーしーいー! 昨日は私の圧勝だったのに!」

 

 俺は疲労困憊で、こいつは息一つ乱してないとかは気にしちゃいけない。

 誰がなんと言おうと、今日の勝者は俺だ。

 ステラは敗北者じゃけぇ!

 

「っていうか、なんなのあの気持ち悪い動き! 全然攻撃が当たらなかったんだけど!?」

「ふっ……必殺『昨日夢で見た最強殺しの剣』だ」

 

 キリッとキメ顔をしながらドヤ顔を決める。

 ぶっちゃけ、十本勝負の最初の一本は、昨日と同じく一方的にボッコボコにされた。

 そこで、昨日頭を打った時に見た夢で、未来の俺が使っていた剣術、弱者のまま強者を倒す最強殺しの剣を、見よう見まねで使ってみたのだ。

 全然思うように体が動かなかったけど、なんとかそれっぽい動きを再現する事には成功し、それ以上に今のステラが未熟すぎたおかげで、なんとか勝ち越す事に成功した。

 

 まあ、仮にこいつが本当に勇者の加護を持ってたとしても、どうも勇者の加護には『覚醒』という他の加護にはない仕掛けがあるらしく、その覚醒を迎えるまでは真の力を出せないみたいだけどな。

 なんでも、成長し、最強の力を振るうのに相応しい人物となった時、初めて勇者の力は覚醒するとかなんとか、そんな事を聞いたような聞かなかったような。

 それでも、覚醒前から他の聖戦士の加護に匹敵するだけの才能はあるらしいので、結局、俺が加護の差をひっくり返して勝った事には違いない。

 やったぜ!

 

「何よそれー!」

 

 叫びながら、悔しそうにむくれるステラ。

 ハッハッハ!

 まるで夢で見た自分を見てるようだ!

 あの夢の中では、俺は一回もステラに勝てなかったからな。

 なんか積年の恨みを晴らしたみたいで、すげぇ気分がいい。

 よし。

 煽っとこう。

 

「やーい、やーい! 敗北者ぁ!」

「取り消しなさいよ、今の言葉ぁ!」

 

 煽り耐性の低いステラが、一瞬でキレて飛び掛かってきた。

 や、やめろぉ!

 今の俺は体力切れ状態なんだ!

 しかも剣術ならともかく、取っ組み合いでこの馬鹿力に勝てる訳ないだろ!

 ぬ、ぬわぁああああああ!?

 

 

 凌辱されてしまった。

 この恨みは忘れない。

 それはそれとして、修行を終えた後は二人して俺の家に向かう。

 ステラの家は父子家庭で、そのお父さんは村を守る兵士としての仕事で巡回してる事が多いから、日中のステラは基本的に俺の家に預けられるのだ。

 まあ、基本的に二人して外で遊び回ってる訳だけど、帰る時は俺の家に来る。

 

 ちなみに、俺の家は農家だ。

 ただし、剛力の加護でも持ってんじゃねぇのかってレベルでムキムキの親父が一人で農作業をこなし、若干体が弱い母が家の事をやるという分業制なので、帰れば大体母が迎えてくれる。

 今みたいに。

 

「「ただいま!」」

「お帰りなさ~い……って、あらあら。二人とも、ものの見事に泥だらけね。今お湯を張るから、お風呂入ってきなさい」

「わかった」

「お風呂!?」

 

 そこで何故かステラが過剰反応。

 俺は気にせず服を脱ぎ始める。

 

「躊躇なく脱ぐな!」

「痛っ!? 何すんだ、この馬鹿力!」

 

 お前のツッコミは注意して受けないと洒落にならないんだぞ!

 それに、何を赤くなってるのか。

 風呂なんてちょっと前まで普通に一緒に入ってたし、第一、俺達はまだ7歳だぞ?

 色気付くには早すぎるだろうに。

 

「ダメなの! とにかく今はダメなの!」

「お待たせ~。お風呂沸いたわよ」

「ありがとうございます! そして、あんたは入って来んな!」

「あ! 待てこら! 一番風呂は渡さん!」

「はい、ストップ」

 

 ダッシュで一番風呂を奪取しようとするステラを追いかければ、何故か母さんに止められてしまった。

 その隙に、ステラは勇者の名に恥じない俊足で風呂場に辿り着き、中からガチャンと鍵をかける。

 チッ! 逃したか!

 

「ウフフ、ステラちゃんも乙女になってきたわね~。十年後が楽しみだわ。孫の顔が見れそう」

「何言ってんだ、母さん……」

 

 あいつと俺はそういう関係にはならないと思うがな。

 世界中から称賛される未来の勇者様が、なんの才能もない俺を選ぶとは思えない。

 

「……ステラちゃん、頑張って。それはそうと、アラン、あなた傷だらけね~」

 

 服を抜いだおかげで露わになった、俺の上半身に付いた傷を見ながら、母さんが言う。

 

「怪我しないようにって、お父さんがオモチャの剣を渡してなかったかしら?」

「あいつはオモチャの剣で人を斬れる天才なんだよ」

 

 昨日、木の枝で打ち合いして頭にタンコブ作ってきた俺の為に、親父が昔使ってたという、柔らかくて安全なオモチャの剣を俺達にくれた訳だけど、あいつの馬鹿力で振り回したら、そう遠くない内に壊れるだろうな。

 すまん、親父……。

 

「そうなのね~。まあ、このくらいの傷ならヤンチャの範囲内かしら。とりあえず治してあげるから、こっちにいらっしゃい」

「わかった」

 

 言われた通り、手招きする母さんの方に歩み寄る。

 すると、母さんは俺に向かって両手を突き出し、その掌の先に魔力を集中させた。

 

「神の御力の一端たる癒しの力よ、傷付きし子羊を救いたまえ。━━『治癒(ヒーリング)』」

 

 温かな魔力に包まれて、俺の傷が綺麗に消えていく。

 治癒魔法。

 怪我や病気を癒す魔法。

 母さんが唯一使える魔法だ。

 昨日もこうやって、俺のタンコブを治してくれた。

 

「はい、終わり。治ったわよ~」

「ありがとう」

 

 しかし便利だ、治癒魔法。

 母さんはちょっと治癒魔法が使えるだけで、治癒術師としては三流もいいところらしいけど、それでも夢の中の俺が買い漁ってた一般的な回復薬と同じくらいの回復効果がある。

 覚えられれば回復薬いらずだろう。

 ……覚えてみるか。

 

「母さん、その魔法、後で教えてくれ」

「あら? 魔法のお勉強は小難しいから嫌なんじゃなかったの?」

「気が変わった」

 

 確かに、魔法の勉強は難しい。

 やれ詠唱だの、詠唱に合わせた魔力の放出だの、放出した魔力を編み込む術式の構築方だの、覚える事が多すぎて頭が痛くなりそうだ。

 そんなもん勉強してる暇があったら、その時間で剣を振り回してた方が強くなれるだろう。

 回復は、市販の回復薬に頼ればいい。

 

 だが、夢の俺はその考え方のせいで苦労した。

 回復薬を大量に買い込んだはいいが、一度に装備できる数は限られてる上に、それも戦闘の余波でいつ瓶が壊れてもおかしくない。

 いざ怪我した時に壊れていれば、痛む体を引き摺って街に引き返さなくてはならず、その移動時間中は修行どころじゃなくなる。

 そもそも、回復薬をそんな一度に買い込むには金もかかるし、品切れになってる事も珍しくない。

 そういう時は、腕がモゲたりして重傷を負った時と同じように、高い金を払って神殿の治癒術師を頼るしかないという。

 

 しかも、俺の修行法は生傷が絶えないどころじゃなく、常時怪我してると言っても過言じゃない危険なもの。

 それを一々治す為には、回復薬なんていくらあっても足りない。

 そんな未来を思えば、今の内に苦労してでも治癒魔法を覚えておくべきなんじゃないかと思う。

 怪我の治る時間が短縮できれば、最終的に修行できる時間も増えるだろう。

 勉強時間分の遅れを取り戻せるかと言われると……俺の頑張りと頭の出来次第としか言えないが。

 

「じゃあ、ステラちゃんがお風呂に入ってる間に、軽く触りだけでも教えてあげるわ。え~と、魔導書はどこにしまったかしら?」

 

 そうして俺は治癒魔法の勉強を開始し、じきに風呂から出てきたステラが「私も交ぜて!」と言って乱入。

 一発で魔法を成功させて、母さんを唖然とさせた。

 さすが、あらゆる加護の上位互換。

 才能の片鱗だけでヤバイとわかる。

 ……なお、俺の魔法の出来はお察しであり、母さんは「一年くらい頑張れば覚えられるわよ、きっと」と励ましてくれた。

 ステラはドヤ顔で煽ってきたので、表に出ろやからの再びの十本勝負となり、今度は意地で七勝三敗に持っていって悔し泣きさせてやった。

 ざまぁ。

 

 ……まあ、ステラが治癒魔法を覚えたし、夢の時より本気で剣術を頑張りそうだから良しとしよう。

 夢の通りになるなら、魔族の襲来とステラの覚醒まで、あと3年。

 それまでに、俺もステラも強くならないとな。



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3 方針

 現在、俺がひとまずの目標としてる事は三つある。

 一つ、ひたすら修行し、俺とステラをできる限り強くする事。

 二つ、治癒魔法を覚える事。

 三つ、できればステラを勇者にしない事。

 この三つだ。

 

 一つ目は順調。

 俺は朝の5時くらいに起き、筋トレやジョギングなどの基本的な体作りを開始した。

 それを終えたら、夢の中の俺が使ってた剣術を再現するべく、素振り用にステラのお父さんから貰った木刀を使って型のようなものを繰り返す。

 8時くらいにはステラも起きてきて修行に加わり、そのまま未来の勇者との打ち合いに突入。

 俺の目指す剣術は、強い奴との戦闘経験が何よりも物を言うから有意義だ。

 ステラの方も、今のところ俺に負け越してるのが相当悔しいらしく、一日ごとに凄まじい速度で成長してるのがわかる。

 それを倒す為に俺の剣も急激な勢いで洗練されていき、ステラを踏み台にして押し上げられるように強くなれる好循環。

 先は長いが、頭の中の完成形にどんどん近づいていってるという実感がある。

 順調だ。

 

 ちなみに、ステラには俺の夢の大雑把な内容を話してある。

 半信半疑って感じだったが、「死ぬのはやだなぁ」とか言って修行に身が入ってるので何よりだ。

 モチベーションの八割は悔しさだと思うが。

 残り二割の内一割が死にたくなさで、最後の一割はよくわからん。

 なんか「アランと……ゴニョゴニョ……するまで死んでたまるか……!」とか小声で言ってたけど、なんなんだろうな。

 俺を八つ裂きにするまでは死ねないとかか?

 

 二つ目の目標は、まあ、ぼちぼちと言ったところだ。

 修行を終えてステラが帰った後、俺の集中力が持続する限り魔法の勉強に励む。

 母さんは根気強く教えてくれるけど、どうやら俺に才能はないらしく、三年かけて治癒術師としては三流の母さんに追い付けたら奇跡とか言われた。

 やる気がなくなりそうになるが、根性で耐える。

 これは必要な事だと自分に言い聞かせて頑張った。

 母さんは「なんで、そんなに頑張るの?」と聞いてきた後、俺が「ステラを守る為に強くなるのに必要そうだから」と正直に話せば、何故かやる気のボルテージが最高潮にまで上がって、指導に凄まじく熱が入るようになった。

 そんな俺達を微笑ましいものを見る目で見守る筋肉ゴリラの親父。

 なんか不本意。

 

 三つ目の目標に関しては、正直、勝率の低すぎる賭けだと思ってる。

 今から3年後、夢の通りならこの村に魔族が襲来し、そいつを倒す為にステラは勇者に覚醒する。

 だが、それは死への片道キップだ。

 少しでもステラを強くし、俺も強くなって隣で守る事で死の運命を回避するつもりだが、そもそもの話、勇者になんてならなければステラは死なないんじゃないかという思いもある。

 

 ステラが勇者にならなければ、この世界は魔族に蹂躙されて滅びるかもしれない。

 それは普通に嫌だが、世界とステラを天秤にかけた時、俺は迷わずステラを選ぶ。

 なら、ステラを勇者として覚醒させず、戦場に連れて行かせないという選択肢もありな筈だ。

 世界の命運に関しては、他の人達でなんとかしてくれ。

 大丈夫、勇者の加護を持ってるのがステラだけとは限らないし、どこかに夢の世界では覚醒しなかった別の勇者がいるかもしれないだろう。

 いなかったとしても、頑張れば夢の中の俺でも魔王を倒せたんだ。

 俺とは比べ物にならない才能を持つ聖戦士が死ぬ気になれば、なんとかなる筈。

 とにかく、俺は好き好んで大事な幼馴染を死地に送り出す気はない!

 

 という事で、できればステラは覚醒させない方針でいきたい。

 その為には、3年後の魔族襲来でステラを戦わせちゃダメだ。

 かと言って、この村に魔族に対抗できるような存在はいないし、街に駆け込んで助けを求めようにも、子供の夢を根拠にした戯れ言なんて誰も聞いてくれないだろう。

 事実、親父や母さんに話しても、苦笑いされるだけだったし。

 

 なら、俺が魔族を仕留めるしかない。

 

 加護も持ってない10歳のガキが、雑兵ですら加護を持つ英雄に匹敵すると言われる魔族に勝つなんて、無謀もいいところだ。

 だが、それでも俺はやる。

 あんな未来を回避する為なら、ステラを守る為なら、命くらいいくらでも懸けてやる。

 幸い、奴が襲来する正確な日時は記憶に焼き付いてるからな。

 本当に夢の通りになるのかはまだわからないが……来るなら来やがれ。

 ぶっ殺してやる。

 

「着いたー!」

「こらこら、はしゃぎ過ぎてはいけないよ」

 

 そして、魔族迎撃の為の第一歩として、俺達は今、最寄りの街の武器屋に来ていた。

 魔族と戦うには、それ相応の武器がいる。

 村にある格安で買ってきた雑魚魔物狩り用のナマクラじゃ、一撃で砕かれて終わりだろう。

 あんな武器で魔族を倒せるのは、覚醒ステラか聖戦士くらいだ。

 俺じゃ、たとえ夢の中の全盛期だったとしても無理。

 

 という事で、今日は魔族を狩れる武器を買いに来た。

 この前誕生日を迎えたので、その誕生日プレゼントを買うという名目で、二人して街に連れて来てもらった訳だ。

 同行してくれたのはステラのお父さん。

 親父と母さんは、農作業の方でちょっとしたトラブルが発生して来られなかった。

 別に構わないけど。

 むしろ、この人選の方が都合がいい。

 

 ステラのお父さんは、若干後退してきた生え際がチャームポイントの優しそうなおじさんで、ステラのおねだり攻撃があれば少しは奮発してくれそうな雰囲気がある。

 俺はそれに便乗すればいい。

 とはいえ、持たされた誕生日プレゼント代とおじさんの支援、更に持ってきたお小遣いがあっても、圧倒的に資金は足りない。

 これで買えるのは格安のナマクラだけだ。

 武器は高いからな。

 つまり、ナマクラ同然の捨て値で売られてる()()()()()が狙い目になる。

 

「お父さん! あの魔剣買って!」

「い、いやぁ……お父さんのお給料じゃ無理かなぁ……」

 

 おじさんを困らせるステラを尻目に店の中を歩き回る。

 こう見えて、武器の目利きにはそこそこ自信があるのだ。

 全部、夢の知識頼りだけどな。

 その夢の中の俺は、復讐を誓ってから無茶な修行を繰り返してたせいで、武器の消耗も早かった。

 とある迷宮で終世の相棒に出会うまでは、武器を使い潰しては取っ替え引っ替えしてた訳だ。

 つまり、それだけ色んな武器に触れる機会があった。

 そこで磨かれた直感に任せて、良い武器を引き当ててやる!

 とはいえ、捨て値で販売されてる業物なんて都合のいい商品、そうそう見つかるもんじゃ……

 

「あった!?」

 

 見つかったわ!

 俺の目に留まったのは、店の片隅にポツンと置かれていた小さな刀。

 普通の刀より随分と短い、小太刀と呼ばれる種類の武器。

 手に持って鞘から抜いてみると、随分と手に馴染む感じがした。

 しかも、刀身から感じるこのビビッとした感覚は、紛れもない名刀の気配。

 今はまだ体に対して大きいが、10歳になる頃にはピッタリになってそうだ。

 そんな小太刀が、お値段なんと金貨一枚!

 おじさん融資すらいらず、誕生日プレゼント代とお小遣いでピッタリ買える値段だ。

 安すぎる。

 

「店員さん。この刀、どうしてこんなに安いんだ?」

「ん? ああ、それは普通の刀と小太刀を使う珍しい流派の二刀流の剣士が使ってた物らしくてね。その剣士が迷宮で死んじゃったとかで、遺品を拾った冒険者パーティーが売りに来たんだ。普通の刀の方はすぐに売れたんだけど、小太刀を使う人ってあんまりいないし、縁起も悪いからこっちだけ売れ残っちゃって、ドンドン値下げしていった感じかな」

「ほー」

 

 そこら辺にいた見習いっぽい若い店員に聞いてみれば、そんな答えが帰ってきた。

 それはまた、確かに縁起が悪い。

 いくら迷宮内で拾った物は拾った奴の物って常識があっても、躊躇なく売り払われた上に、相方だけ売れて自分は捨て値同然で投げ売りされるまで落ちぶれたとか、元の持ち主の怨念だけじゃなく、刀自体の怨念までプラスされてそうだ。

 命を懸けて戦う冒険者や兵士は、意外とそういう事を気にする。

 売れ残ってたのも納得だな。

 俺はそういうの気にしないけど。

 武器は強くて使えさえすれば、他の事は二の次なんだよ。

 夢の中の終世の相棒だって、闇の属性を持つ妖刀だったし。

 

「買います。会計してください」

「えぇ……ホントに買うの? 売る側の僕が言うのもなんだけど、オススメしないよ?」

「問題ないです」

 

 そうして手持ちの金を全額カウンターに差し出し、俺は業物で曰く付きの訳あり小太刀をゲットした。

 刀身に刻まれた銘は『怨霊丸』。

 皮肉にしか聞こえない。

 でも、いい買い物だった。

 

 ちなみに、ステラの方は魔剣以外でピンとくる武器がなかったのか、早々に向かいのレストランに移動して昼飯を食っていた。

 勝手に置いていった上に、お小遣いを使い果たしてしまった俺の前で、堂々と旨そうなもんを食うとはいい度胸だ。

 

「それ一口寄越せ!」

「嫌よ! それに、か、か、間接キスになるじゃない!」

 

 知った事か!

 奪ってでも食う!

 そんな感じで壮絶な奪い合いが発生しそうになったが、ステラに手を引かれて無理矢理連行されていたおじさんが俺の分の飯を奢ってくれたので、ここは休戦にしておこう。

 命拾いしたな。

 そして、ありがとう、おじさん。

 この恩は忘れない。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 予定を終え、街からの帰り道。

 

「ちょっとトイレ行って来る。お前もしといた方がいいんじゃないか?」

「セクハラ!」

「ぐはっ!?」

 

 そんなやり取りの後、抉るようなボディブローで破裂しそうになった膀胱を心配しながら二人から離れ、街道を逸れて森の中に入った。

 そして、用を足した直後に、想定外の奴と遭遇していた。

 

「グルルルル……!」

 

 唸り声を上げながら俺を見据えるのは、巨大な狼の魔物、ロンリーウルフ。

 ウチの村周辺では一番強い魔物だ。

 武装した大人が総出でなんとか追い払えるレベルの魔物。

 夢の中の俺がこいつを一人で討伐できるようになったのは、ステラの訃報を聞く直前くらいだった。

 当然、子供が一人で勝てる相手じゃない。

 偶然トイレに行ったタイミングでこいつと遭遇するなんて、ついてないなんてレベルじゃないだろう。

 

「グルァッ!」

 

 だが、俺にとっては都合がいい。

 新しい相棒の試し切りといこう。

 俺を獲物認定したロンリーウルフが噛みつき攻撃を仕掛けてくる。

 腰を屈めて顎を避け、足の間を潜るように前へ出ながら、怨霊丸をロンリーウルフの首筋に突き立てた。

 自らの突進の勢いによって首を裂かれたロンリーウルフが出血する。

 

「キャウンッ!?」

 

 だが、浅いな。

 硬い毛皮に遮られて、刃の通りが浅かった。

 いくら突進の勢いを利用したとはいえ、子供の力じゃこいつは斬れないって事だ。

 むしろ、少しでもダメージを負わせられた辺り、怨霊丸の切れ味が凄い。

 手を洗う前に掴んでごめんな。

 

「ガルルルル……!」

 

 しかし、一方的にダメージを負わされた事により、ロンリーウルフから侮りが消えた。

 俺を獲物ではなく敵として認識し、間合いを取って隙を伺っている。

 

「ガウッ!」

 

 そして、いいタイミングで全力の爪を振り下ろしてきた。

 速さも強さもさっきの噛みつきとは比べ物にならない本気の一撃。

 加護持ちであっても、油断しまくった未熟者ならやられてしまいかねないだろう。

 ましてや、加護のない7歳児が対処できる攻撃じゃない。

 

 だからこそ、()()()を実戦で試すいい機会だ。

 

「最強殺しの剣」

 

 夢の中の俺が、魔王という最強の仇を討つ為に極めた、弱者のまま強者を殺す為の剣術の中で。

 

「一の太刀━━」

 

 俺を最強殺し足らしめた、()()()()()()

 その最初の奥義を振るう。

 全ての基本にして最終到達点でもある必殺の剣を。

 

 

「『流刃(りゅうじん)』」

 

 

 その奥義がロンリーウルフの首を斬り飛ばし、一撃の下に絶命させる。

 狼の表情なんてわからないけど、胴体と離れて地面に落ちたその首は、何が起こったのかわからないまま斬られた事を証明するかのように、攻撃の意志を宿した獰猛な顔のまま事切れているように見えた。

 

 俺は周囲を警戒したまま刀を鞘に納める。

 試し切りは大成功だ。

 奥義の試し撃ちもできたし、何より子供の体でロンリーウルフを討伐する事ができた。

 俺は確実に成長している。

 このまま成長を重ねていけば、魔族相手でも戦えなくはないだろう。

 それが確認できただけでも大きな収穫だった。

 

 そんな大収穫を運んできてくれたロンリーウルフに感謝と黙祷を捧げながら、爪や牙や毛皮を売り物にする為に死体を引き摺っていったら、ステラは「さすが私のライバルね!」とドヤ顔になり、おじさんはドン引きした。

 ドン引きしながらも、おじさんは「そういう時は真っ先に助けを呼びなさい!」と俺を叱りつけ、ついでにその場でロンリーウルフを解体し始める。

 ロンリーウルフは我が家とステラ家の貴重な収入源となり、狼肉は俺達のおやつとなった。

 色んな意味でご馳走でした。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、たまにトラブルやイベントを経験したりしながら日々を過ごし。

 あっという間に時は流れて、俺達は10歳になった。

 今年は運命の年。

 その運命に抗う為の戦いが、遂に始まろうとしていた。



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4 魔族襲来

 数日前に誕生日を迎え、遂に訪れた10歳の春。

 4の月の10日。

 麗らかな春の陽気を感じる、よく晴れた日。

 奇しくもステラの誕生日でもあるこの日は、俺にとって絶対に忘れられない、悪夢の始まりとなった日だ。

 ……いや、この言い方は正確じゃないか。

 あくまでも、あの悪夢は夢の話。

 あれが正夢になるか、それともただの夢で終わるか。

 それを決定づける運命の日と言った方が正しいだろう。

 

 夢の中の今日。

 この村は突然、魔族に襲われた。

 忘れもしない。

 俺達は誕生日が近いって事で、毎年ステラの誕生日に二人分のお祝いを纏めてやる。

 その誕生日パーティーをお昼に開くって事で、二人とも浮かれてた所にいきなりやって来た悪夢だった。

 

 村の東側からもの凄い音が聞こえてきて、気づいたら村の一部が消し飛んでいた。

 そこから現れる異形の怪物。

 既に何人かが殺されて食われ、ステラのお父さんや親父をはじめとした一応は戦える人達が命懸けで挑んだが、まるで歯が立たず、遊ばれるようにして蹂躙された。

 その戦いでステラのお父さんは亡くなり、親父も片腕を失う事になる。

 そして、おじさんの死に様を見たステラが、怒りと勇気に任せて恐怖を振り払い、勇者の力を覚醒させて魔族を討伐した。

 その間、俺は恐怖に震える事しかできなかった訳だ。

 

 だが、今は違う。

 今の俺は、夢の中の俺より遥かに強い。

 体を鍛えた。

 技を磨いた。

 武器も手に入れた。

 覚醒前とはいえ、あの勇者ステラにも勝ち越している。

 まだまだ未熟で貧弱もいいところな10歳のガキだが、最低限、魔族と戦えるだけの力は手に入れたつもりだ。

 

 その覚悟で、俺はここに立っていた。

 今いるのは、村を囲む塀の外側。

 村の東側の森の中。

 夢で魔族が襲ってきた方角だ。

 すれ違わないように、だけど村を巻き込まないように、村の様子がギリギリわかるくらいの距離。

 俺はそこに仁王立ちして、魔族を待ち構えている。

 

 ここに来る事は誰にも伝えていない。

 親父にも、母さんにも、おじさんにも、そしてステラにもだ。

 ステラ以外は魔族に対して完全に戦力外。

 いても蹂躙されて死ぬだけだ。

 なら、無駄な犠牲を出さない為にも、何も教えない方がいい。

 ステラを戦わせる事は論外だ。

 そもそも、これはステラを勇者にさせない為の戦いなんだから。

 

 誰も味方はいない。

 その代わり、できる限りの準備は整えた。

 着てきた服装は、雑魚魔物狩りに参加させてもらった時の丈夫な布の服。

 鎧はサイズが合う物がないから着けていない。

 けど、鎧の代わりに、鎧なんぞより百倍役に立つ武器を装備している。

 それが腰帯に差した怨霊丸。

 ここ数年で、すっかり体に合うサイズとなった今の愛刀だ。

 更に、兵士の人達の職場からこっそり盗んできた回復薬を数本、去年の誕生日に買ってもらった頑丈なウェストポーチに入れて持ってきた。

 

 とはいえ、こんな準備、魔族相手じゃ焼け石に水だ。

 できれば、あと5年くらい修行して、体も技も成長した時に来てほしかった。

 だが、時間は待ってくれない。

 それでも負けるつもりはない。

 俺の剣の真骨頂は格上殺し。

 準備不足も、実力の差も、全部ひっくり返して勝ってみせる。

 

 目を閉じ、風を感じるように集中して精神を研ぎ澄ましていく。

 そうし始めて大して経たない内に、()()()はやって来た。

 

 

「おぉ? こんな所に人間のガキがいやがる」

 

 

 それは、異形の姿をした怪物だった。

 身長は約2メートル半。

 胴体は細長く、なのに肩幅は広く、猫背。

 そして、両腕は巨大な鎌みたいになってる。

 一言で言えば、カマキリみたいな奴だ。

 どう見ても魔物にしか見えない奴が言葉を話し、明確な知性を感じさせる。

 それが魔族の特徴。

 『魔界』というこことは異なる世界から、約100年に一度攻め込んで来るという異形の生命体の特徴。

 ……夢で見た通りの姿だ。

 本当に来やがった。

 やっぱり、あれはただの夢じゃなかったんだな。

 

「こいつはラッキーだぜ。人間のガキは美味いからなぁ。人間どもの集落に着く前にこんなオヤツと巡り会えるとは。おっと涎が」

 

 カマキリ魔族が舌なめずりし、垂れた涎を鎌みたいな腕で拭っていた。

 魔族の中には人間を好んで捕食する奴もいる。

 そんなおぞましい食欲の対象にされても、恐怖は感じなかった。

 前までの俺なら、確実に腰を抜かしていただろう。

 だが、今は違う。

 夢の中とはいえ、こいつよりもよっぽど強い奴らと戦ってきた記憶が恐怖を打ち消してくれる。

 

 それだけじゃない。

 あの悪夢の中では、復讐の為にしか振るえなかった力。

 それを今、大切な奴を守る為に振るえる。

 こんなに幸せな事はない。

 この溢れる歓喜の前じゃ、恐怖なんざ感じてる暇もないわ。

 

 俺はスラリと流れるような動作で怨霊丸を抜き、カマキリ魔族に向けて駆け出した。 

 

「ハッ! 活きのいい獲物だなぁ!」

 

 カマキリ魔族が鎌を振りかぶり、振り下ろす。

 余裕綽々。

 油断しまくった大振りの動作。

 だが、その速度は今の俺じゃ目で追うのがやっとの超速だ。

 ()()()()()

 そういうのを相手にした時こそ、俺の剣は真価を発揮する。

 

 振り下ろされる鎌の軌道を先読みし、寸分違わずベストな位置へと刀と体を動かす。

 超速の鎌を刀で受け、しかし受け止めようとはせずに、片足を軸にして体を回転。

 鎌の威力を受け流し、その力を体の回転力に変換する。

 そのまま前に踏み込み、足さばきで力の向きを調整し、敵の攻撃力を自分の刀に乗せる事で、斬り裂く力に変換して返す。

 これこそが俺の剣の基本技!

 

「一の太刀━━『流刃』!」

「ぐぁ!?」

 

 俺の刀がカマキリ魔族の足を切り裂いた。

 切断された足が地面に落ちる。

 本来なら、子供どころか筋骨隆々の大人の力ですら傷付ける事は至難の技と言われる魔族の肉体。

 だが、それも自分の力をそのまま返されれば大ダメージを与えられる。

 力でも速さでも圧倒的に劣る俺が、化け物どもと唯一対等に渡り合える戦い方だ。

 それが通じる事が今証明された。

 だったら、勝てる。

 

「その足じゃ、もう村へは行けないだろう」

 

 行けたとしても、確実に移動速度は落ちる。

 少なくとも、俺を振り切って村に向かう事はできない。

 これで後顧の憂いはなくなった。

 正真正銘、一対一の真っ向勝負でケリをつけよう。

 

「お前は俺が殺す。あいつの明るい未来の為に……死ね、魔族」

「こ、このクソガキャァアアアア!」

 

 カマキリ魔族が激昂し、残った足に力を込めて突進してくる。

 こうして、俺と魔族の戦いが。

 運命を変える為の戦いが始まった。



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5 VS魔族

「ウラァ!」

 

 カマキリ魔族が片足の力で突撃しながら、両腕の鎌を交差させるように振るう。

 ハサミみたいに左右から挟み込んで切るつもりだ。

 俺はその動きを先読みし、刀を構えながら左側に向かってジャンプする。

 それによって、奴の右の鎌が左の鎌よりも早く刀に当たり、その衝撃で跳ねる事で鎌の間から脱出。

 そのまま弾かれた時の勢いを流刃で利用し、眼下を通り過ぎるカマキリ魔族の首筋に叩き込んだ。

 

「ぬぐっ!?」

 

 だが、咄嗟に体を捻って避けられ、俺の刀は奴の首の三分の一を切り裂くも、切断には至らなかった。

 首筋から魔族特有の青い血がビュービューと噴き出すが、魔族の生命力なら致命傷にはならないだろう。

 首を切断できてれば今ので終わりだったと思うが、さすがにそう簡単にはいかないみたいだ。

 

「いてぇ!? だが、隙ありだクソガキィ!」

 

 カマキリ魔族が未だに空中にいる俺に向けて鎌を振るう。

 空中ならロクに身動き取れないと思ったんだろう。

 甘い。

 

「『流刃』!」

「がはっ!?」

 

 振るわれる鎌にこっちから刀をぶつけ、それで跳ねる角度を調節。

 鎌の内側へと飛び込み、弾かれた回転に合わせて逆袈裟斬りを食らわせる。

 一の太刀は俺の剣術の基本戦術だ。

 身体能力において圧倒的に劣る俺は、この技をどんな体勢からでも完璧に放てる事が、戦いの土俵に上がる上での最低条件。

 あの夢を見てからの三年間。

 ステラを踏み台にした修行で、これだけは完璧とまでは言えないまでも、ある程度完成と呼べる領域に仕上げたという自負がある。

 浅はかな考えで攻略できると思ったら大間違いだ。

 

 更に俺は懐に飛び込んだ状態を利用し、今の攻撃で裂けた腹に刀をねじ込んで、傷口を広げるようにグリグリと抉る。

 いくら強靭な魔族の肉体とはいえ、内臓なんかの体の内側は子供の力でも充分傷付けられるみたいだ。

 これはラッキー。

 グッチャグチャにしてやんよ!

 

「ぐぎゃああああああああ!?」

 

 カマキリ魔族が、明らかにさっきまでとは次元の違う、苦悶に満ちた叫びを上げた。

 反射的に俺を排除しようとしたのか、密着してるにも関わらず、俺目掛けて鎌が振るわれる。

 バカめ。

 この状態でそんな事したら……

 

「ごぶはっ!?」

 

 刀を引き抜きながら屈んで避ければ、カマキリ魔族の鎌は自分の体に深々と突き刺さった。

 ゼロ距離で密着してる上に、体の小さい俺を目掛けて鎌を振るえば、当然こうなる。

 痛みで咄嗟に体が動いちまったんだろうが、酷い自滅だ。

 このカマキリ魔族、身体能力こそ魔族の端くれらしく圧倒的だが、戦闘技術に関しては加護持ちの英雄達の足下にも及ばないと見た。

 しかも、戦闘スタイルは近接戦闘型。

 相性は良好。

 このまま押し切る!

 

「ハァア!」

「ぐほっ!?」

 

 再び傷口に刀を突き刺す。

 さっきまでの攻撃や自爆と相まって、もう内臓はボロボロの筈だ。

 それでも魔族の生命力なら、まだ死なない。

 もっとだ。

 もっと切り刻む必要がある。

 

「うぉおおおお!」

「がっ!? おぼっ!?」

 

 斬る。

 斬る。

 斬る。

 傷口を開いて抉る。

 それを、こいつが死ぬまで繰り返す。

 返り血にまみれながら、殺意だけを込めて一心不乱に刀を振るう。

 

「ヒィ!?」

 

 そんな俺に恐れをなしたのか、腹から鎌を引き抜いたカマキリ魔族が、残った片足に力を込めて後ろへ下がろうとした。

 その足に斬撃を叩き込み、斬れないまでもバランスを崩して転倒させる。

 そして、仰向けになってさらけ出された腹を、またかっさばく。

 

「いでっ!? いてぇ!? お、ぉおおおおおお!」

 

 情けなく悲鳴を上げながら、それでもカマキリ魔族は今度こそ最善手を選んだ。

 雄叫びを上げながら体をひっくり返し、まだ無傷な背中を盾にして、這って逃げる。

 情けない姿だが、効果的な戦法だった。

 俺の力じゃ、相手の力を利用するか、傷口や急所を狙わないとダメージを与えられないからな。

 

「ごはっ!?」

 

 だが、今までのダメージが洒落になってないのか、カマキリ魔族は俺から少し離れた場所まで逃げたところで、大量に吐血して崩れ落ちた。

 足が止まった。

 これなら問題なく追いつける。

 

「く、来るなぁあああああ!?」

 

 絶叫しながら、カマキリ魔族が鎌を構える。

 よく見れば、その鎌は風を纏っていた。

 遠距離攻撃!

 クソ!

 できれば使わせる前に倒したかった!

 

「『鎌鼬』ッ!」

「くっ!?」

 

 頭上を通り過ぎる風の斬撃を、屈む事でなんとか避ける。

 狙いを外した斬撃はそのまま進行を続け、前方数十メートルに渡って森の木々を切り裂いた。

 忘れもしない。

 夢の中で村を吹き飛ばした攻撃だ。

 当然、当たれば即死。

 かすっただけでも四肢がもげるだろう。

 

「ぬぉぉおおおおおお!」

 

 そんな即死攻撃を、カマキリ魔族は狂ったように乱打してくる。

 目で追うのがやっとの速度で飛翔する斬撃の連打。

 避ける隙間もない範囲攻撃よりはマシだが、それでも滅茶苦茶厄介だ。

 そして最悪な事に、今の俺には遠距離攻撃への対抗手段がない!

 

 夢の中の俺が使ってた七つの必殺剣の中には、遠距離攻撃に対応した技も勿論ある。

 だが、あの夢を見てからのたった三年ぽっちの修行じゃ、いくら完成図が頭の中にあって、最高の修行相手がいたとはいえ、七つの必殺剣全てを習得するのは不可能だった。

 それどころか、基礎の基礎を完璧に近づけるだけで精一杯。

 

 今の俺は、基礎の基礎である一の太刀しか使えない。

 

 これを少しでも磨く事が、僅か三年で魔族に対抗する唯一の手段だった。

 その選択に後悔はない。

 どうせ、一の太刀が使えなければ他の技も使えないんだ。

 基礎を疎かにして応用に手を出しても無駄。

 そんなお粗末な練度じゃ、このカマキリ魔族をここまで追い詰める事すらできなかっただろう。

 今の俺は、他のどんな鍛え方をした俺よりも強いと断言できる。

 

 しかし、それでも足りない。

 足りる訳がない。

 相手は魔族。

 人類の天敵。

 英雄達が命懸けで戦う相手であり、本来なら無才の俺なんか相手にもならない正真正銘の化け物なのだから。

 ここまで傷の一つも負わず、有利に立ち回れてた事こそが、むしろ奇跡。

 自分の有利な戦闘スタイルに引き摺り込み、油断してる隙に足を奪い、冷静になる前にできる限りダメージを叩き込んで、なんとかここまで弱らせた。

 あと、ひと押し。

 なら、そのひと押し分くらいは奇跡に頼らず、気合いと根性と執念で押し込んでやる。

 

 カマキリ魔族の構えや動きから斬撃の軌道を先読みして避け続ける。

 瞬きすらできない。

 一瞬でも気を抜けば死ぬ。

 幸いなのは、向こうは狂乱してて、狙いもつけずにやたらめったら乱打してるって事だ。

 ちゃんと俺を目掛けて飛んでくる斬撃は全体の三分の一もなく、残りは見当外れの方向へ飛んでいく。

 これは助かる。

 正直、しっかりと狙いを定めて使われてたら、今頃木っ端微塵になっていただろう。

 

 だが、安心してもいられない。

 向こうがいつ冷静になって、その精密な斬撃を繰り出してくるかわからないからな。

 その前に痛みか出血多量で動きが鈍ってくれればいいが……あんまり期待はできない。

 何故なら、その前に俺の体力が尽きそうだからだ。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 息が上がってきた。

 子供の体は体力がない。

 まして、これだけの激戦を繰り広げていれば、少ない体力はあっという間に底をつく。

 俺の体力切れが早いか、魔族が崩れるのが早いか。

 五分五分ってところだと思うが、これ以上体力が落ちれば動きの精度が下がってしまう。

 この状況でそれは致命的だ。

 なら、危険でも今の内に勝負をかけた方がいい。

 

 覚悟は決まった。

 

「うぉおおおお!」

 

 俺は避ける事に集中するのをやめ、避けながら前へ出た。

 回避に割けるリソースが少なくなり、今まで以上にスレスレを斬撃がかすめる。

 当たってもいないのに、斬撃にまとわりつく余波だけで皮膚が裂かれる。

 全身が血に染まっていく。

 構わない。

 こいつを殺せるのなら。

 

「来るな化け物ぉおおおお!?」

 

 カマキリ魔族の攻撃が一層苛烈になる。

 斬撃の数は増えたが、その分精度が更に下がって、むしろ避けやすい。

 だが、斬撃の数自体は増えたせいで、運悪くどうしても避けきれない密集した斬撃の壁に当たってしまった。

 

 俺は刀を振るう。

 脳裏に思い描くのは二の太刀。

 流刃のような反撃はできない代わりに、近接、遠距離、どちらの攻撃も完璧に受け流す為の技。

 僅かでもいい。

 それを再現する。

 

「ッ!?」

 

 技は成功した。

 斬撃の壁をズラす事によって僅かに隙間を生じさせ、そこに体を滑り込ませる事で回避に成功する。

 しかし、本来なら使えない技の精度はやはり荒く、完璧な受け流しには程遠い。

 その代償は刀を振るった腕に行き、両腕の骨にヒビが入った。

 右はまだなんとか動くが、左はダメだ。

 これは殆ど折れてやがる。

 動かない。

 だがな……

 

「辿り着いたぞ!」

「ヒィイイ!?」

 

 遂に風の斬撃を潜り抜け、カマキリ魔族の目と鼻の先まで迫った。

 悲鳴を上げながらカマキリ魔族は鎌を斜めに振り下ろし、それを屈む事で避ける。

 動かない左腕が浮いて斬り飛ばされ、ひしゃげながら飛んでいったが、知ったこっちゃない。

 

「おぉ!」

「ごぶっ!?」

 

 カマキリ魔族の裂けた腹に蹴りを叩き込む。

 痛みでカマキリ魔族が硬直した。

 更に爪先を腹の中に引っ掻けて足場にし、顔の前にまで跳躍。

 狙いは……

 

「目ぇええ!」

「ぐぎゃああああああ!?」

 

 刀を逆手に持ち替え、渾身の力を込めて眼球に突き刺す。

 さすがの魔族でも、ここは弱い。

 剥き出しの内臓とも言える眼球に、怨霊丸は容易く深々と突き刺さり、眼球の奥の脳までも破壊する。

 そして……

 

 カマキリ魔族の巨体から力が抜け、轟音を立てながら、うつ伏せに地面に倒れた。

 

「やった……!」

 

 カマキリ魔族は動かない。

 脳を破壊されれば大抵の生物は死ぬ。

 それは魔族でも例外ではない。

 つまり、俺の勝ちだ。

 勝った。

 勝った。

 

「勝ったぞ……!」

 

 拳を天に突き上げようとして、力が入らずに垂れ下がる。

 ああ、最後の攻撃で右腕もイカれたのか。

 それどころか、体に力が入らない。

 俺もカマキリ魔族と同じように、うつ伏せに倒れてしまった。

 

「ゼェ……ハァ……」

 

 息が乱れる。

 全身が重くて痛い。

 戦いの興奮で気づかなかったが、思ったより限界だったらしい。

 自分の限界も見極められはいとは……。

 夢の中の全盛期には程遠いな。

 

「ッ……」

 

 ああ、ヤバイ。

 出血が止まらない。

 意識が朦朧としてくる。

 回復薬……いや、ダメだ。腕が動かない。

 なら。

 

「神の御力の一端たる、癒しの力よ……。傷付きし、子羊を、救い、たまえ……。━━『治癒(ヒーリング)』」

 

 途切れ途切れだが、なんとか詠唱を絞り出し、傷を治す。

 俺の治癒魔法じゃ大した効果はないが、一応出血は止まって右腕も少しは動くようになった。

 その腕で腰のウェストポーチに入れてある回復薬に手を伸ばし、飲み干す。

 これでなんとか命は繋げるだろう。

 完全勝利だ。

 

 

「クソ、ガキィ……!」

 

 

 その時、声が聞こえた。

 確かに殺した筈の奴の声が。

 視線を動かしてみれば、そこには残った片眼に溢れんばかりの憎悪を込めて俺を睨むカマキリ魔族の姿が。

 ……マジかよ。

 脳を破壊してまだ生きてるのか。

 刺さりが浅かったのか、それとも特別生命力の強いタイプの魔族だったのか。

 

 だが、さすがにもうロクに動けないらしく、ビクビクと痙攣しながら鎌を振り上げるのが精一杯みたいだ。

 あと数分もせずに完全に死ぬだろう。

 俺の勝利に変わりはない。

 

 たとえ、最後っ屁で道連れにされようとも。

 

「誇り高き、魔族の末席たる、この俺が……! ガキなんぞに、やられるなど……! 許さねぇ……! 絶対に許さねぇ……! テメェだけは、道連れにしてやるッ!」

 

 カマキリ魔族が鎌を振り下ろす。

 もう俺に避ける力はない。

 あの鎌は、間違いなく俺の命を奪うだろう。

 だけど満足だ。

 ステラを守って死ねるんなら。

 あいつの覚醒は防いだ。

 これで、あいつは戦場に行かなくて済む。

 勇者として死ななくて済む。

 世界は心配だし、悔いはあるが、それでも俺は満足だ。

 

 さあ、殺すなら殺せ。

 

「死ねぇ!」

 

 避けられない死が俺に迫る。

 夢と現実がごっちゃになったような走馬灯が脳裏を駆け抜ける。

 そして、遂に命が尽きようとする、その刹那。

 

 

「私のアランに何やってんのよ! この化け物!」

 

 

 聞き覚えのあり過ぎる声が聞こえてきた。

 鈴の音のような凛とした声。

 大切な幼馴染の声。

 それが、俺とカマキリ魔族の間に割って入ってきた。

 

「やぁあああああ!」

「ぐぁああああああああああ!?」

 

 光が、瞬いた。

 ステラの振り抜いた剣が放った光。

 それがカマキリ魔族を一瞬で覆い尽くし、消し飛ばす。

 そうして、カマキリ魔族は跡形もなく消滅してしまった。

 ハハ……俺が苦労してコツコツ削った奴を一撃かよ。

 やっぱ、強いな。

 だけど、そんな事より。

 

「アラン! このバカ! こんな所で何やってんのよ!?」

「ステラ……お前、なんで……?」

 

 何をノコノコと出て来てんだ、お前は?

 しかも、今のはどう見ても覚醒勇者の力じゃねぇか。

 お前がそれ使っちゃったら、俺が戦った意味が……。

 

「今日は私の誕生日なのにあんたがいないから探したのよ! そしたら村の外から凄い音が聞こえてきて……まさかと思って来てみたら化け物がいるし! あんたは倒れてるし! あれ魔族でしょう!? あんたが夢で見たっていう! なんで私に声掛けなかったのよ!?」

 

 大声で怒鳴りながらステラは俺を抱き起こし、治癒魔法をかけ始めた。

 俺じゃ治しきれなかった傷が治り、腕まで少しずつ生えてくる。

 

「だったら、わかってるだろ……。お前が今使ったのは多分勇者の力だ。それを使えるようになったら勇者として戦場に行かされる。そして死ぬ。なのに、なんで……」

「この大バカァ!」

「痛っ!?」

 

 こいつ!?

 あろう事か重傷者に頭突きかましてきやがった!

 

「それであんたが死んじゃったら意味ないでしょ! アランが死んじゃったら、私は、私は……!」

「ッ!」

 

 その時、俺は絶句した。

 ステラが泣いていたのだ。

 ふてくされて涙目になる事は多々あったが、こんなにガチで泣いてるステラは見た事がない。

 そんなステラが、俺の為に涙を流している。

 その涙を見て、俺はようやく理解した。

 

「ああ……そうか」

 

 俺は本当にバカだな。

 夢の中だけじゃなく、現実でもバカをやらかすところだった。

 俺が死んだら、ステラは悲しむ。

 俺がステラを死なせたくないように、ステラも俺を死なせたくないと思ってくれてるんだ。

 あの夢の結末を避ける事に必死になって、そんな当たり前の事が頭から抜けていた。

 

 多分、こうやって俺が死ねば、ステラは夢の中の俺と同じような後悔を抱えて生きていく事になるだろう。

 それは不幸な人生だ。

 それじゃ、ステラを守った事にはならない。

 俺がするべき事は、ステラの盾になって死ぬ事じゃなかった。

 こいつの隣に立って、支えてやる事だったんだ。

 

 俺は残った右手を伸ばして、ステラの頬に触れた。

 

「悪かった。次は頼る。その時は一緒に戦おう」

「……約束だからね!」

「ああ」

 

 その後、ステラに続いて駆けつけて来たおじさんや親父に担がれ、俺は九死に一生を拾って村に帰還した。

 結局ステラは勇者に覚醒しちゃったから、数日後には国のお偉いさん達が迎えに来るだろう。

 犠牲者をなくす事には成功したが、結局、俺は一番重要な運命を変える事には失敗した。

 だが、それでもいい。

 覚悟は定まった。

 進むべき道は決まった。

 

 さあ来い、運命。

 もう逃げも隠れもしない。

 正々堂々、真っ正面から打ち破ってやる。

 

 

 ちなみに、村に戻ったら母さんに泣かれて、その後、死ぬ程怒られた。

 魔族より怖かった。

 多分、あのまま死んでたら、いつかあの世で会った時に殺されてた事だろう。

 そんな事にならないように、母さんやステラを悲しませないように、運命には生きて完全勝利してやろうと、そう誓った。



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6 勇者の迎え

「あ、あーん」

「やめい。もう自分で食える」

 

 母さんに唆されて、ここ数日の間「あーん」などという羞恥プレイに手を染めていたステラからスプーンと器を奪い取り、ようやく戻ってきた自分の腕で朝飯を掻き込む。

 それを見ていた母さんがつまらなそうな顔になった。

 フッ、残念だったな。

 あんな恥辱の時間はもう終わりだ。

 

 

 魔族の襲来から数日が経ち、その間、俺はベッドの上で絶対安静の生活を強いられていた。

 いくら覚醒勇者の力に目覚めたとはいえ、母さんから教わった下級の治癒魔法しか使えないステラでは、すぐに俺の怪我を治しきる事ができなかったからだ。

 特に無くした左腕と、砕けた右腕の回復に時間がかかった。

 というか、普通は下級の治癒魔法で四肢の欠損は治らない。

 だが、ステラは覚醒した時に手に入れた膨大な魔力で強引に治療を決行。

 徐々に生えていく左腕を見て、母さんが目を剥いていた。

 

 しかし、完治するまでの数日は両腕が使えなかったのも事実。

 そこで母さんは嫌な企みをしてくれやがったのだ。

 それが「あーん」などという羞恥プレイ。

 しかも、それをステラにやらせるという外道の極み。

 そんな辱しめを受けるくらいなら、激痛を無視してでも右腕で食ってやろうとしたが、痛みが顔に出て即行で却下された。

 右腕は包帯でグルグル巻きにされて封印され、俺は大人しくステラの「あーん」を受け入れるしかないという地獄の時間が始まった。

 

 最初は煽るように嫌な笑みを浮かべていたステラだったが、続ける内に恥ずかしさの方が勝ったらしく、最終的には母さんに冷やかされて真っ赤な顔でスプーンを差し出していた。

 それを同じく真っ赤な顔で受け入れるしかない俺。

 地獄だった。

 もはや拷問だった。

 何が辛いって、この状況にちょっと幸せを感じてる自分の情けなさが一番辛い。

 

 だが、そんな拷問の時間も今日で終わりだ。

 念の為って事でまだ寝かされてはいるが、腕は戻った。

 怪我も完治した。

 俺は、いや俺達は自由だ!

 そう思って、共に地獄の時間を乗り越えた同志に目を向ければ、ステラは何故かちょっと残念そうな顔でスプーンを見ていた。

 やめい。

 

 

 そんな恥ずかしくも少し幸せな茶番をしている内に、その時はやって来た。

 

「ス、ステラ! ほ、本当に来たぞ! 今、広場で村長達が対応してる!」

「……そっか。今行くよ、お父さん」

 

 急いで来たのか、突然現れたおじさんが息を切らしながらステラにその事を告げ、それを聞いたステラは立ち上がる。

 おじさんとウチの家族には、多分数日中にこういう事態になるだろうって事を話しておいた。

 根拠が俺の夢だから半信半疑って感じだったが、今回その夢の通りに魔族が現れて俺が瀕死になり、ステラがとんでもない力を見せた事で、少しは信じてくれたのだ。

 だが、やはり本当に俺の言った通りになってしまえば驚きもするだろう。

 

 対して、ステラは全く驚いていない。

 それどころか、覚悟は決まってるとばかりの堂々とした顔をしてやがる。

 まさに勇者の名に相応しい堂々とした顔を。

 

 その顔を見て、俺は内心でため息を吐きながらベッドから立ち上がり、ステラに手を差し出す。

 

「じゃあ、行くか」

「うん」

 

 ステラは差し出した俺の手をしっかりと握り、俺達は二人で歩き出した。

 その後を、おじさんとウチの家族がついて来る。

 ただ、なんの配慮なのか、少し距離を取りながら。

 気のせいじゃなければ、全員が微笑ましいものを見る生暖かい目をしてる気がした。

 

「ステラ、お前本当に行くんだな」

「ええ」

 

 背後から降り注ぐ生暖かい視線から意識を逸らす為に、俺はステラに話しかけた。

 

「まったく、どうかしてるとしか思えないぞ。わざわざ死ぬかもしれない戦いに自分から行くなんて。迎えが来る前に逃げときゃいいものを」

 

 思わず、そんな言葉が口から溢れる。

 そう、こいつは自分の意志で勇者になる事を決めたのだ。

 事前に知ってるんだから逃げる事もできただろうに、それを選ばず、運命と戦う道を選んだ。

 俺も戦う覚悟は決めたが、できれば逃げてほしかったのが本音だ。

 だから、こういう言葉が度々出てしまう。

 そして、それに対するステラの返答も毎回決まってるのだ。

 

「何度も言ったけど、それはダメ。私が戦わないと人類滅びるかもしれないんでしょ? そうしたらお父さんも、おじさんも、おばさんも、村の皆も、そしてあんたも死んじゃうかもしれない。私はそれが嫌」

「他の奴がなんとかしてくれるかもしれないだろ」

「多分無理よ。この力に目覚めた時になんとなくわかったの。今魔王と戦えるのは私しかいないって」

「……ケッ。そうかよ」

 

 ご立派な事だ。

 最終的に戦う事を選ぶのは、夢でも現実でも同じか。

 なんだかんだで、勇者たり得るのはこいつだけって事なのかもしれない。

 

 そんな事を思ってたら、俺と繋いでるステラの手にギュッと力がこもった。

 

「それに、私は死なないわよ。だって、あんたが守ってくれるんでしょ?」

「当たり前だ」

 

 言われるまでもない。

 というか、夢と違ってこいつが怯えてない理由は俺か。

 だったら、尚の事気合い入れないとな。

 

 

 そんな会話をしながら、来客が訪れてるという村の中央の広場に向う。

 そこに辿り着いた時、広場には多くの人がいた。

 大半は物珍しさに集まって来た村の皆だけど、その中心で村長と喋ってる奴らは違う。

 

 立派な鎧を纏い、見るからに業物な武器を装備した連中。

 夢で見たのと同じ、この国の騎士達だ。

 そして、夢の時は気づかなかったが、今ならわかる。

 こいつら、勇者の迎えに寄越されるだけあって、一人一人が相当強い。

 人数は10人足らずだけど、全員からこの前戦った魔族と同じか、それ以上の力を感じる。

 多分、全員が加護を持った英雄クラスの精鋭。

 特に、騎士達を率いてると思わしき、一際立派な鎧を着てる老騎士が別格でヤバイ。

 だが、そんな奴らから見ても勇者は更に別格に感じるのか、ステラを視界に入れた瞬間に、老騎士以外の奴らが息を飲んだ。

 

「参られましたか。お待ちしておりました、勇者様」

 

 その老騎士が、ステラに対して膝をつき、頭を下げる。

 他の騎士達も同じポーズを取ったが、何人かは不服そうだ。

 恐らく、ステラの隣にいる俺に対しても頭を下げる形になるのが気に食わないんだろう。

 加護持ちの中には、妙なエリート意識を持つ奴も多いと聞いた事があるし。

 

「突然の事で驚いていらっしゃると思いますが、聞いて頂きたい。我々の参った目的ですが……」

「知ってますよ。勇者の力に覚醒した私を迎えに来たんですよね?」

「……既にご存知だったとは。お見逸れ致しました」

 

 老騎士が感嘆したように、若干目を見開いた。

 

「で? 具体的に私は何をすればいいんですか?」

「はい。まずは我々と共に王都へ来て頂きます。そこで修行を重ね、心身共に聖剣に認められるまでに成長されましたら、世界に向けて大々的にお披露目。その後、魔王討伐の旅へと出て頂く予定です」

「そうですか」

 

 なんとも勝手な話だと思う。

 拒否権もなく死地に連れ出そうだなんて。

 これを聞いてると、勇者とは救世主であると同時に人柱なんだと強く実感する。

 人類の為に必要な事だと理解はしてるが納得はできない。

 

「わかりました。でも一つ条件があります」

「何なりとお申し付け下さい」

「簡単です。私と一緒にこいつも連れて行って下さい」

 

 ステラに手を引かれて前に出る。

 老騎士は、真剣な表情で俺を見た。

 

「君は?」

「俺はアラン。こいつの幼馴染です」

「き、貴様!? 勇者様に向かってこいつとは無礼な……」

「ドッグ、控えなさい。勇者様の御前です」

「ッ!? し、失礼しました!」

 

 騎士の一人が俺に向けて怒鳴ったが、即座に老騎士が威圧して黙らせた。

 直接向けられた訳でもないのに悪寒を感じる程の、凄まじい威圧感だ。

 やっぱり、こいつは……

 

「……話はわかりましたが、それは些か難しいかと思われます。勇者の仲間として同行できるのは『聖戦士』のみです。通常の加護を持つ者ですら選ばれる資格がない。それは何故かわかりますか? ━━力不足だからです。魔王や高位の魔族は次元の違う強さを持つ。それらと勇者が戦う時、加護を持つ英雄ですら足手まといになるのです。まして、その少年は……」

「アランは強いんだから!」

 

 ステラが即行で反論したが、子供の戯れ言とでも思ってるのか、騎士達の反応は芳しくない。

 まあ、だろうな。

 どうも、加護を持つ者は、同じく加護を持つ者の事がわかるらしい。

 同類故に、加護の放つ特有のオーラみたいなものを感じ取れるとか、そんな感じで。

 むしろ、それこそが加護持ちを特定する唯一の方法。

 さっき騎士達が息を飲んでたのも、多分、ステラから勇者の加護の圧倒的なオーラを感じ取ったからだろう。

 

 加護持ちは、相手が加護を持ってるかどうかを識別できる。

 つまり、こいつらは俺が加護を持ってない事に気づいてる訳だ。

 加護を持つ者に持たざる者が勝つ事はできない。

 それが、この世界の常識。

 だからこそ、ステラがいくら俺の事を強いと言っても、説得力がない。

 

 だったら、見せつけてやるしかない。

 

 俺はステラの手を離し、騎士達の前に出た。

 騎士達は訝しそうに、老騎士は見定めるような鋭い目で、そしてステラは信頼に満ちた目で俺を見る。

 それらの視線を一身に受けながら、俺は口を開く。

 

「俺に勇者の仲間たり得る力があるか。疑うなら直接確かめてみればいい。━━かかってこい。俺の力を証明してやる」

「この……! 調子に乗るなよ! 加護も持たないただのガキがぁ!」

「控えなさい、ドッグ!」

 

 俺の挑発まがいの言葉に反応し、一人の騎士が勢いよく立ち上がった。

 さっき無礼なとか言って噛みついてきた、犬っぽい名前の筋骨隆々の騎士だ。

 どうやら、随分と俺が気に食わないらしい。

 

「止めないでください隊長! 思い上がったガキには教育が必要なんです! フンッ!」

 

 犬っぽい名前の騎士が俺に向けて拳を振るう。

 さすがに最低限の分別はあるのか、拳の勢いはこの前の魔族の鎌に比べて随分と遅い。

 直撃しても死にはしないだろう。

 なら、持ってきた刀を抜くまでもない。

 

 犬っぽい名前の騎士の拳を左手で受け止める。

 当然、そんなもんで加護持ちの怪力を止められる筈がなく、俺の体は拳の勢いを受け流す為に左へ回転。

 流刃の応用によって完全にダメージを抑え、拳の威力を回転力へと変換した。

 その回転の勢いを右足に乗せ、カウンターで犬っぽい名前の騎士の股間を思いっきり蹴り抜いた。

 

「はうっ!?」

 

 一瞬にして、犬っぽい名前の騎士は内股になり、顔面蒼白になりながら男の急所を押さえて崩れ落ちる。

 一応、向こうが手加減してたおかげで潰れてはいない。

 しかし、それを見てた男の騎士達や村の男衆は顔色が悪い。

 男の中で唯一動揺してないのは、老騎士だけだ。

 

「どうだ。これで少しは認めてもらえましたか?」

「……ほう」

 

 老騎士は感心したように頷きながら立ち上がった。

 その眼に、ほんの僅かながらも戦意を滲ませながら。

 ……どうやら、ここからが本番らしい。

 俺は気を引き締め直した。



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7 約束

「……そこで悶絶しているドッグは、あれでも我が国有数の剣士だ。いくら子供相手と油断し、拳で殴りかかったとはいえ、ああも簡単に倒されるような男ではない」

 

 なんとも言えない顔で、地面に踞りながら男の急所を押さえて悲痛な唸り声を上げてる犬っぽい名前の騎士を見ながら、老騎士はそう言った。

 

「そんなドッグを、一撃でこのような情けない姿にさせるとは、正直驚いている。だが、こうなる事は必然だと思える程に先程のカウンターは見事だった。加護もなしにあれだけの技量を身につけた事は驚嘆に値する。しかし……」

 

 そこまで言った瞬間、━━俺の視界から老騎士の姿がかき消えた。

 いや、違う。

 消えたと錯覚する程の超スピードで移動したんだ。

 俺の目じゃ捉えられない程の速度で。

 老騎士の気配は、既に俺の後ろにある。

 一瞬で背後を取られた。

 

「ッ!?」

「それが君の限界だ。残酷な話だが、加護なしで到達し得る強さの上限はあまりに低い」

「がっ!?」

 

 老騎士の手刀が俺を打つ。

 速すぎて殆ど反応できなかった。

 しかも、全然本気を出してるようには見えないのに、本気の魔族より余裕で強い。

 まさしく格が違う。

 

「私は『剣聖』ルベルト・バルキリアス。聖戦士の一人だ。君が勇者様と共に戦いたいと言うのならば、最低でも私と同等以上の強さを得なければならない」

 

 剣聖。

 聖戦士の加護と呼ばれる特別な加護の一つ『剣聖の加護』を持つ最強の剣士。

 やっぱりか。

 この強さ、それくらいの存在だとは思ってた。

 

「アラン!」

「来るな!」

 

 心配して駆け寄ろうとしたステラを大声で遠ざける。

 

「来るなステラ。これは俺の戦いだ……!」

 

 痛む体を無理矢理に動かし、立ち上がる。

 たかだか手刀一発のダメージが洒落にならないくらい重い。

 それも相当に手加減された上でこれだ。

 加護を持たない無才のこの身は、悲しい程に打たれ弱い。

 だが、それでも絶対に倒れちゃいけない時がある。

 根性で立たなきゃならない時がある。

 

「む……まだ立ち上がれるとは。咄嗟に打点を逸らして急所を避けたのか」

「あんた、今言ったよな。ステラと一緒に戦いたいなら、あんたと同等以上の強さがないといけないって」

 

 確認するようにそう言った後、俺は腰の怨霊丸を引き抜いた。

 

「ぬ!」

「だったら、俺があんたより強ければ問題ない訳だ。━━勝負しろ。俺の力を証明してやる」

「ッ!」

 

 ありったけの闘志と共に、挑戦状を叩きつける。

 老騎士は咄嗟に腰の剣へと手を伸ばし、ハッとした顔でそれを離した。

 

「なんという気迫……! 子供の出す威圧感ではないな。何故そこまで必死になる?」

「……何故だと?」

 

 そんなの決まってる。

 

「ステラを、大事な幼馴染を守る為に決まってるだろうが」

「! ……そうか。すまなかったね。とんだ愚問だった」

 

 老騎士は何故かとても優しい目で俺を見て、そのまま真っ赤になってるステラを見てから、腰の剣を引き抜いた。

 

「君の挑戦を受けよう。かかってきなさい」

「「「ルベルト様!?」」」

「手出し無用。口出しも無用。男が好きな女の為に強敵に立ち向かおうと言うのだ。その覚悟に水を差すような真似は許さん」

「す、好きなおんにゃ……!」

 

 なんか湯だったようなステラの声が聞こえたけど無視だ。

 あと、この老騎士も結構な勘違いしてるっぽいが、こっちも無視だ。

 多分、必死に否定したら緊張感が緩んで集中が乱される気がする。

 

「行くぞ」

「来なさい」

 

 刀を下段に構えたまま、走って老騎士との距離を詰める。

 加護持ちなら一歩の踏み込みで詰められる距離でも、俺の足じゃしっかり走らないといけない。

 だが、老騎士はそんな姿を見ても一切油断せず、隙のない中段の構えで俺を迎え撃った。

 

「ハッ!」

 

 突進の勢いのまま、下からの突きで老騎士の眼球を狙う。

 勇者の加護という例外を除けば、武術系の加護の中で最上位の一角である剣聖の加護を持つ老騎士は、当然その加護に相応しい凄まじく頑強な体を持ってる筈だ。

 そんな奴相手に、普通に斬りつけても意味がない。

 恐らく、今の俺の筋力じゃ、直撃しても皮すら裂けないだろう。

 通用するのは急所狙いか、流刃によって相手の力を利用した攻撃だけだと思った方がいい。

 

 俺の突きを、老騎士は僅かに顔を逸らす事によって最低限の動作で避けた。

 それと同時に老騎士は斜め前に一歩踏み込み、剣を横に倒して、カウンターで胴を薙ごうとする。

 だが、その動きは予想通り。

 今の突きは半分フェイントだ。

 体重は乗せてない。

 つまり、突きに振り回されず、体勢を崩さずに動きを変える事ができる。

 

 俺は上体を大きく仰け反らせながらスライディングのように足を滑らせ、大人と子供の身長差を活かして、老騎士の剣の下を潜るようにして回避した。

 その時、引き戻した刀を剣にぶつけ、振るわれた老騎士の剣の威力と、自分の突進を剣に弾かれた反動の力を得る。

 それを、スライディングで老騎士の体を追い越し、後ろを取った瞬間に解放。

 力を横向きの斬撃に変換し、老騎士の足を狙った。

 

「『流刃』!」

 

 足狩りの刃が老騎士を襲う。

 老騎士の剣が俺を殺さないように手加減されたものだったが故に利用できた力も少ないが、それでも鎧の継ぎ目を狙ったこの攻撃なら、多少なりともダメージを与えられる筈。

 そんな俺の予想は……あまりにも甘かった。

 

「ほう。妙な剣術だ」

「くっ!?」

 

 意表を突いたと思った攻撃を、老騎士は一歩外へ踏み出す事であっさりと回避し、ついでとばかりに体を回転させて剣を振るった。

 今度はあえて自分で振るった刀に振り回され、わざと体勢を崩して地面を転がる事で避けたが、今の斬撃、洒落にならないくらい速かった。

 当たり前のように目で追えないし、ギリギリ回避はできたが反撃の余裕がない。

 その回避にしても、軌道を先読みできてなければアウトだった。

 即ち、この先一度でも先読みをミスればアウトだ。

 俺は転がる事で距離を稼ぎ、受け身の要領で素早く立ち上がって刀を構える。

 

「いい動きだ。それに今のを避けるか。強いな。我が孫などより余程」

「ハァ……ハァ……」

 

 たった一度の攻防で息が上がる。

 体力以上に精神力の消耗が尋常じゃない。

 だが、消耗がなんだ。

 

「フゥゥー……」

 

 俺は深く息を吐き出し、より集中を高める。

 深く、深く。

 ひたすらに感覚を研ぎ澄ます。

 この老騎士相手に、自分から攻めても勝ち目がない事はよくわかった。

 なら、狙いは返し技一本。

 来い。

 カウンターで沈めてやる。

 

「……凄まじい集中力。後の先を狙っているのか。よかろう。乗ってやる」

 

 動く。

 そう認識した直後に、老騎士は既に俺の目の前で剣を振りかぶっていた。

 剣速だけじゃなく、移動速度ですら目で追えない。

 だが、それはさっき手刀を受けた時に嫌という程思い知らされた。

 動きは追えなくても、残像くらいは目に映る。

 そして、極限まで集中した今の俺なら、残像からの情報で動きを先読みする事が可能だ。

 ステラとの修行の経験、そして夢で見た数多の強敵達との死闘の経験が、俺に未来予知のごとき先読みの力を与えてくれる。

 経験則という名の先読みの力を。

 

 老騎士が斜めに振り下ろした剣に刀を合わせる。

 いつも通り、俺の刀は簡単に押し負けて後ろ向きの力となり、それを利用して流刃を発動。

 右に回転し、剣を振った直後で無防備の老騎士を狙う。

 

「ふん!」

 

 しかし、老騎士はこれを防いだ。

 即行で剣を引き戻し、持ち手を上に、剣身を下にした構えで俺の刀を受け止める。

 さすがと言うべきか、欠片も体勢が崩れてないし、自分の力を利用された斬撃を受けても小揺るぎもしない。

 さすがは剣聖。

 

 予想通りだ。

 

 剣と刀がぶつかった瞬間、俺は足に僅かな力を込めて跳躍する。

 ほんの少し跳ねるだけでいい。

 そうすれば、刀に乗った膨大な力が、体重の軽い俺の体を持ち上げる。

 力の流れを調節し、刀に剣の上を滑らせ、その場で体を縦に一回転。

 流れるように二撃目の流刃を繰り出す。

 

「一の太刀変型━━『流車』!」

「!?」

 

 どうやら今回ばかりは完璧に意表を突けたらしい。

 老騎士は驚愕の表情を浮かべながら後ろへ下がり、俺の刀を避けようとしたが……避けきれず頬に一筋の傷が刻まれた。

 

「ルベルト様!?」

「そんな!? 剣聖が傷を負うなんて……!?」

 

 観客の騎士達が息を飲む。

 それを尻目に俺は回転したまま地面に降り、残った勢いを移動速度に変換して老騎士との距離を詰める。

 動揺し、体勢が崩れてる今の内に叩く!

 

「!」

 

 だが、俺が追い付く前に、再び老騎士の姿がかき消えた。

 向こうから先に攻めて来た……訳じゃない。

 老騎士は子供相手だと油断せず、冷静に、堅実に、あの超速移動で一度距離を取ったのだ。

 

「……子供を相手に傷を負ったのは初めての経験だ」

 

 頬の傷に触れながら、呟くように老騎士が口を開く。

 

「加護を持たない身でそれだけの強さを得るとは……恐らく、尋常ならざるという言葉では言い表せない程の努力を重ねたのだろう。それだけの努力に耐え切るだけの強靭な意志を持ち、何より勇者様の事を己の身より遥かに大事に思っている。……惜しいな。聖戦士の加護さえ持っていたのなら、君以上に勇者様の仲間として相応しい人物はいなかっただろうに。できる事なら我が後継者と取り替えてほしいくらいだ」

「……どうも」

 

 なんか褒められた? ので一応礼を言っておいた。

 

「最初は諦めさせるつもりだった。だが認識を改めよう。君は強い。故に……」

「ッ!?」

 

 老騎士から感じる雰囲気が変わった。

 真剣ではあるものの、子供相手の手加減を残していた今までとは違う。

 殺気すら感じる本物の威圧を、老騎士は放っていた。

 

「これから君に私の『本気』を教授する。今はまだ無理だろう。だが、いつの日か超えてみせるがいい」

 

 そんな言葉と共に老騎士が動き……

 

 

「━━『刹那斬り』」

 

 

 気づけば、俺は斬られていた。

 残像どころか影すら捉えられない神速の一閃。

 反応する事すら許されず、俺の胸に深い傷が刻まれる。

 

「がはっ!?」

 

 痛い。

 肋骨が裂かれて、肺も大きく抉られてる。

 だが、根性で踏ん張り、倒れる事だけは避けた。

 これは俺の意地だ。

 

「倒れないか。その心意気や見事」

「アランッ!」

 

 そんな俺にステラが駆け寄ってきて治癒魔法をかけ始める。

 今度は来るなと言う事ができない。

 肺をやられて声が出せないのもそうだが、それ以上に俺に戦う力が残ってないってのが大きい。

 

 俺は、負けたんだ。

 

 戦いは終わった。

 もうステラを遠ざける理由がない。

 俺は治癒魔法で治ってきた肺から声を絞り出し、ステラに話しかけた。

 

「すまん、負けた」

「……そうね。確認ですけど、この負け犬は連れていけないんですよね?」

「はい。申し訳ありませんが、規則ですので」

 

 おいステラ、この野郎。

 負け犬呼ばわりか。

 

「勇者の仲間は聖戦士のみ。この規則を覆すには、彼が聖戦士以上の力を示す事が最低条件です。なので……」

「わかってます。もう連れて行けなんて言いませんよ。勝てなかったこの負け犬が悪いんですから」

「負け犬負け犬連呼しやがって……」

「だって負け犬でしょ?」

「…………チッ」

 

 反論できねぇ。

 悔しい。

 

「でも、あんたがいつまでも負け犬な訳ないわよね? この私のライバルが、まさか負けたままで終わるつもりじゃないでしょ?」

「……当たり前だ」

 

 決まってんだろうが。

 このまま諦めるつもりなんて毛頭ないわ。

 

「覚えとけ剣聖。俺はいつかあんたに勝つ」

「ふっ。楽しみにしていよう」

 

 ああ、楽しみにしとけ。

 いつか必ずぶっ倒してやるから。

 

「ステラ」

「何?」

 

 そして、俺はステラに声をかけた。

 ……この後、ステラは王都へ連れて行かれるんだろう。

 夢の時と同じように、たった一人で。

 だが、あの時と違ってステラに恐れてる様子はない。

 こうなっても、まだ俺を信じてくれてる証拠だ。

 

 そんなステラに掛けるべき言葉は決まってる。

 夢の中の俺は、この時に掛けた言葉をずっとずっと後悔し続けた。

 だから、俺は間違えない。

 安心させる為にも、自信を持って、男らしく、堂々と宣言しよう。

 この時、真に伝えるべきだった言葉を。

 

 

「必ずお前を守れるような男になって迎えに行く。だから待ってろ」

 

 

 ステラの目を真っ直ぐに見ながら、そう告げた。

 すると、ステラは一度真っ赤になってから……

 

「ええ! 待っててあげるわ! だから、せいぜい早く迎えに来なさいよね!」

 

 そう言って笑った。

 俺が見てきた中で一番綺麗な、花が咲くような可愛い笑顔で。

 

 

 

 

 

 その後、ステラはおじさんやウチの家族をはじめとした村の皆に挨拶してから旅立って行った。

 本来なら二度と生きて帰る事のない死出の旅だ。

 だが、俺もステラも、そんな未来を受け入れるつもりは毛頭ない。

 

 俺はお前に約束した。

 次は一緒に戦おうってな。

 その約束は必ず果たす。

 そして、俺の誓いも必ず果たす。

 あいつの隣に立って戦い、支え、最後の最後まで守り抜く。

 そんな男に必ずなって迎えに行く。

 

 だから待ってろよ、ステラ。



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8 旅立ち

「じゃあ、行ってくる」

 

 ステラが旅立ったその日の内に、俺もまた荷物を纏めて準備を整え、旅立ちの準備を済ませていた。

 今日この村を出るのはステラだけじゃない。

 俺もこれから修行の旅に出る。

 技術の研鑽に欠かせないのは修行相手という名のライバルだ。

 別名、踏み台とも言う。

 ステラという最高の踏み台(ライバル)と離れてしまった以上、その代わりを探さなくちゃならない。

 そんな強敵がこんな田舎村にいる筈もなく、必然的に俺は旅に出る必要があるという訳だ。

 

 それに、ステラとの修行じゃ命懸けの実戦は経験できなかった。

 いい機会だから、この機にその足りなかった実戦経験を積みに行く。

 命懸けの戦いこそが人を最も成長させるからな。

 実際、夢の中の俺もそれで大きく実力を伸ばした。

 だからとりあえずは、夢の中の俺が歩んだ道のりの中で、特に重要そうな所を辿る予定だ。

 そうして、夢の中の全盛期に追いつく事をひとまずの目標とする。

 早いところ、夢の中で使ってた装備も回収したいしな。

 道のりを辿れば装備の回収もできるだろうし、一石二鳥だ。

 

「行ってらっしゃい。くれぐれも体には気をつけるのよ」

「わかってる」

 

 見送りに来てくれた母さんにそう答える。

 心配しなくても、自分の限界はちゃんと見極められるようになるつもりだ。

 死にそうで死なないギリギリのラインに自分を追い込む事が成長の秘訣だが、それで死んだら元も子もないからな。

 三途の川には行くつもりだが、決して渡り切らないように、そこはしっかりと気をつける。

 

「うーん、なんかわかってなさそうで不安ね~」

「失礼な」

 

 なんか、母さんのお小言攻撃が始まりそうな予感。

 だが、予想に反して、母さんの口撃が来る前に親父が俺の前に出て来た。

 

「アラン」

「なんだ、親父?」

 

 熊みたいな巨体の親父が、腕組みしながら目の前の息子を見下ろしていた。

 普段は巨体に見合わない優しい雰囲気をしてる親父が、滅茶苦茶真剣な顔してるから威圧感が凄い。

 下手したら老騎士に匹敵する威圧感だ。

 これが父親の威厳というやつか。

 

「覚悟を決めたお前に対して、俺が言える事は一つだけだ。……好きな女の為に命を懸けられるお前を、俺は父親として誇りに思う。必ずステラちゃんを、好きな女を守り抜いて帰って来い。いいな?」

「親父……」

 

 親父に認められた。

 それは嬉しいんだが……

 

「別にステラとはそういうんじゃないからな?」

「帰って来る時はステラちゃんをお嫁さんにしてきなさいよね~。あ、孫を連れて来てもいいわよ!」

「母さん!」

 

 まったく、この両親は!

 息子の話を聞きやしない!

 

「アランくん」

「……おじさん」

 

 そして最後に、ステラのお父さんであるおじさんが話しかけてきた。

 凄く申し訳なさそうな顔で。

 

「すまない……。本当なら娘を守るのは父親である私の務めだというのに……」

「おじさん……」

 

 俺はステラから聞いて知ってる。

 この人がどれだけ苦悩して娘を送り出したのかを。

 ステラの迎えが来るまでの数日間、おじさんとステラはじっくりと話し合いをしたらしい。

 おじさんは必死で引き留め、それが無理なら自分も戦うと言ったそうだが、最終的にはあの頑固女に、村にいて自分達の帰って来る場所を守る事を約束させられてしまったそうだ。

 夢の中の俺と同じ役回りとは、なんとも惨い。

 必要な役割でもあるとは思うが、一体どんな説得をしてそうなったのやら。

 それを聞いた時、何故かステラが赤い顔ではぐらかしたのが今でも微妙に気になってる。

 

「あの子は言っていたよ。『アランが助けてくれるから私は大丈夫。だから、お父さんは私達が帰って来る場所を守って』と。とても嬉しそうな顔でね」

 

 ……なるほど。

 ステラの奴、ノリで結構恥ずかしい事言ったな。

 俺相手に冗談めかして言うんならともかく、実の父親相手に真剣な場で言うとは。

 奴が赤くなるのもわからんでもない。

 

「だから私は信じるよ。娘と、娘にあんな顔をさせてくれた君を。……アランくん。ステラをどうかよろしく頼む」

「!」

 

 おじさんは、俺みたいな子供を相手に、深々と頭を下げてお願いをしてきた。

 なら、俺の返事は決まっている。

 ここまでされて、それに応えなきゃ男じゃねぇ。

 

「わかりました。あいつは、俺が責任持って守り抜きます」

 

 俺は胸をドンと叩きながらそう宣言した。

 おじさんの想い、確かに受け取りましたよ。

 あいつの事は任せてください。

 

「ありがとう……。それと、私も孫の顔を見るのを楽しみにしているよ」

「いや、だからそういうんじゃないですから」

「素直になれない思春期というやつだね。大丈夫、おじさんにもそういう時代があったよ」

「だから違うっての!」

 

 確かに、ステラの事は好きか嫌いかで言われたら好きだ。

 そもそも、好きでもない奴の為に命なんて張れない。

 だが、それでも俺とステラがくっつく事はないだろう。

 少なくとも、俺があいつに相応しい男になれるまではな。

 

 それはともかく。

 

「じゃあ、俺はもう行くからな」

「ああ。立派な男になって戻って来い」

「性的な意味でもね~」

「手を出す時はお互いに合意の上で……」

「しつこい!」

 

 そうして、どこまでも余計なお世話な保護者達と別れ、俺は旅に出た。

 あの悪夢のような復讐の旅じゃなく、守るべき奴に追いつく為の旅だ。

 この旅路の果てを、あの悪夢のような結末にはしない。

 今度こそ、必ずハッピーエンドで終わってみせる。

 

 そんな意気込みと共に、俺は今日この時、故郷に別れを告げた。

 帰って来る時は、絶対にステラも引き摺って来ると誓いながら。



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9 剣の小鬼

 バビエル王国の辺境の街ファルゲン。

 そこにある教会に住まう一人の少女『リン』の朝は早い。

 

 世界中にある教会で働く者は、その殆どが教会の孤児院に捨てられたり預けられたりした孤児達だ。

 約100年おきに魔族が現れ、勇者がなんとかそれを打倒しても、魔族が魔界から引き連れて来た大量の魔物達は残って人々を襲ってしまう。

 ようやく魔物の数が目に見えて減るくらい間引く頃には、また100年が経っていておかわりが来る。

 そして、また勇者が生まれ、なんとか魔族を撃退し、またしても魔物は溢れ、以下無限ループ。

 そうやって争いの絶えないこの世界では、親が死亡したりして孤児になる子供が非常に多い。

 教会はそんな子供達を引き取り、育て、様々な技術を教えて、人類を支える人員を生み出しているのだ。

 

 リンもそんな人材の一人である。

 しかも、それなりに特別な人材だ。

 彼女は数ある加護の一つ、『癒しの加護』を持っている。

 癒しの加護は、その名の通り治癒魔法に関する並々ならぬ才能を与える加護。

 この加護を持つ者は、教会が特に力を入れている分野、治癒魔法による病人や怪我人の治療行為において、相当優秀な人材という訳だ。

 

 本来なら特別扱いされて然るべき。

 だがしかし、良くも悪くも、この教会の人々はリンを特別扱いしなかった。

 他の皆と同じように、掃除洗濯買い出しなどの雑事は普通にやらされるし、朝から晩までこき使われる。

 加護のおかげで他の誰よりも優れた治癒魔法が使え、それに見合ったお給料は貰っているのだが、そのせいでリンは引っ張りだこだ。

 

 特に、この街は近くに『迷宮』という名の魔物が寄ってくるスポットがある。

 そこの魔物を駆除する為、何より迷宮の特殊な魔力に当てられて生まれた価値あるアイテムを求めて、何でも屋兼魔物退治のスペシャリストである冒険者達が集まり、迷宮に挑んでは、死ぬか大怪我を負って帰って来るのだ。

 そんな冒険者達の治療に加え、普通に街の人達の治療などもあるので、リンは年がら年中仕事漬け。

 他の誰よりも休暇が少ない。

 まあ、需要に対して決して規模が大きいとは言えないこの街の教会に居る限り仕方ないのかもしれないが。

 しかし、そんな彼女は現在12歳。

 もうちょっとチヤホヤしてくれてもいいのにと思うお年頃である。

 

「リン~。早く買い出しに行って来なさ~い。今日はあなた達の当番でしょ~」

「はーい!」

 

 しかし、悲しいかな。

 すっかり社畜根性が染み付いてしまった彼女は、労働環境の改善を訴える事もできずに、今日も今日とて仕事に向かう。

 とはいえ、リンは教会にとってかなり価値のある存在だ。

 さすがに他の皆に比べれば雑事当番の回数も少ないし、教会の外へ出る時は護衛兼荷物持ちとして、それなり以上に戦闘のできるメンバーが付いて来てくれる。

 まあ、その分、治療行為の方がクソ忙しいので、プラマイだとマイナスだろうが。

 

「お、リンちゃん久しぶりだねぇ! あの時は助かったよ! よっしゃ! サービスしてあげよう!」

「ありがとうございます!」

「リンちゃ~ん! ウチでも買ってってー!」

「はい、喜んで!」

 

 街に出れば、リンは人気者である。

 そりゃ、頑張る幼女は可愛いだろう。

 それが自分達を助けてくれてる存在ともなれば尚更。

 しかも、リンはかなりの美幼女だ。

 ロリコンでなくてもほっこりするし、ロリコンだったらハートをぶち抜かれる。

 心なしか、護衛の皆さんの視線もとても優しい気がする。

 その中に約一名、「ハァ、ハァ……リンたん尊いよ、リンたん……!」とか言いながら瞳孔をガン開きにしている15歳くらいの少女がいたが、他の護衛達に無言でエルボーを叩き込まれていたので何も問題ない。

 

 そんな時、リンはざわざわと街が少しざわめいている事を感じた。

 

「あ!」

 

 その騒ぎの元に目を向ければ、最近この街で()()()()()ちょっと有名になってきた冒険者の姿があった。

 それは異様な雰囲気を放つ、リンと同い年くらいの一人の子供だ。

 適当に切ってるとしか思えない黒髪に、浮浪者よりも酷いボロボロでズタズタの黒い外套。

 その下の服も肌もボロボロであり、肌に至っては酷い傷跡だらけ。

 おまけに、なんか不気味な刀を腰にぶら下げ、ズルズルと袋に入った何かを引き摺っている。

 しかも彼には……片腕が無かった。

 

 驚くべき事に、これが彼の基本スタイルなのだ。

 遺憾ながら彼の知人であるリンにはわかる。

 いつもはこのスタイルで教会に治療を受けに来るのだが、その時も必ずボロボロで四肢のどこかしらを欠損しており、その異様な雰囲気のせいで、街の人々が彼に向ける視線は決していいものとは言えない。

 

「お、リンか。こんな所で奇遇だな」

 

 だが、彼はそんな視線など知らぬ存ぜぬ気に留めぬとばかりに、マイペースにリンに挨拶してきた。

 街の人々がざわめき、リンは思わずため息を吐きたくなる。

 

「アランくん……いつも言ってますけど、もう少しでいいから身嗜み気にしませんか? そうすれば少しは皆さんの印象も変わるでしょうに」

「いつも言ってるが時間の無駄だ。どうせすぐまたボロボロになるんだからな」

「……ハァ」

 

 今度こそため息を吐いてしまった。

 彼の返事はいつも同じだ。

 まさに暖簾に腕押し、馬の耳に念仏。

 話してみれば、ちょっと頭はおかしいが割と普通の少年だとわかっているだけに、リンは彼の現状が歯痒くてならない。

 まあ、それも余計なお世話なのだろうが。

 

「それより、せっかく会ったついでだし、ちょっと治してくれないか? 報酬いつもより出すから」

「ダメです。ちゃんと教会を通して依頼してください」

「チッ。ケチめ」

 

 軽く悪態をついてくる少年に、リンはちょっとだけイラっとする。

 別にリンが治療を断っているのは、教会所属の治癒術師としての職業意識からではない。

 治してしまえば、彼はすぐに迷宮へ引き返してしまうからだ。

 

 そう、彼は普段、迷宮で生活している。

 あの魔物が蔓延る魔境の中で。

 街に出てくるのは食料が尽きた時か、自分じゃ治しきれない大怪我をした時のみであり、その時ついでに迷宮で手に入れたアイテムや魔物の素材の売却なんかをしているらしい。

 今もズルズルと引き摺ってる袋にそれが入っているんだとか。

 そして、用事が済めば即座に迷宮へ引き返し、魔物との死闘に明け暮れ、また食料が切れるか大怪我するまで出て来ないという。

 控えめに言って正気ではない。

 何故そんな事をするのかと聞いた時に、軽くではあるが事情を説明されたので動機は理解できなくもないのだが、端的に言って頭おかしいという評価が覆る事はなかった。

 

 故に、ここでリンが治療を引き受けないのは、むしろ優しさだ。

 せめて治療の順番待ちの間だけでも休んでほしいという優しさなのだ。

 それをケチ呼ばわりされたら、巷で聖女と評判のリンでもムカつきもする。

 

「仕方ない。いつも通り、治療の予約取ってからギルドの方に行くか」

 

 そう言って、アランは教会の方に歩いて行った。

 人々の奇異の視線を一身に浴びながら。

 

「ハァ……」

 

 またしてもリンはため息を溢してしまった。

 大切な人を守る為に強くなる。

 その為に頑張る。

 アランから聞き出したその目的はとても立派なものだ。

 だが、いくらなんでも、あれは形振り構わなすぎだろう。

 命を削り、人間性を捨て、一分一秒の全てを戦いに費やしている。

 そんなんだから、『剣の小鬼』だの『剣鬼』だのといった物騒な異名が付いてしまうのだ。

 

「そこまでしないと守れない人って……お姫様に恋でもしたんですかねぇ」

 

 そんな高嶺の花という意味では当たらずも遠からずな想像をしつつ、リンはアランの事を一旦頭から追い出して買い出しを続けた。

 最後に、「まあ、せめて酷い傷跡が残らないようにはしてあげますか」と、優しい事を考えながら。



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10 近況

 ステラと別れ、故郷を飛び出してから2年が経った。

 この2年の事を語るなら、そこそこ順調といったところだ。

 目的地の一つだったこのファルゲンの街まで無事辿り着けたし、旅の途中も今も積極的に危険地帯に突っ込み、そこに住まう魔物や環境と死闘を繰り広げて実戦経験を積み重ねた。

 七つの必殺剣も三の太刀までを習得。

 2年経って少しは体が成長した事もあり、前とは見違える程に強くなれたと言っていいだろう。

 路銀を稼ぐ為に始めた冒険者としてのランクも、道中の修行と金策が功績扱いになったおかげでそれなりに上がり、そこそこ名が知られるようになってきたからな。

 

 それでも未だ、あの老騎士の足下にも及ばないだろうが。

 そもそも、聖戦士の一人であるあの老騎士相手では、たとえ俺が成長の上限まで行っても勝てる道理はないのだ。

 どれだけ鍛えても奴は格上。

 というか、そこら辺の有象無象以外は全てが格上。

 格下たる俺は、その実力差を単純な強さ以外の要素でひっくり返すしかない。

 その為にまず必要なのは、たゆまぬ努力と気合いと根性。

 最低限、あの刹那斬りとかいう技に反応できるだけの身体能力がないと勝負の土俵にすら上がれないのだから、まだまだ先は長い。

 より一層の努力が必要だ。

 

 夢の通りになるのなら、ステラが勇者として正式に世界に発表され、魔王討伐の旅に出るのは今から3年後。

 あいつが15歳の成人を迎えた時。

 その時までには意地でも老騎士を超えて迎えに行く。

 時間がない。

 もっと頑張らねば。

 

「はい。終わりましたよ」

「ああ、いつも悪いな」

「そう思うんでしたら、無茶も程々にしてください」

「だが断る」

 

 だからこそ、現在の主治医の意見も拒否せざるを得ないのだ。

 俺は今回も無事に復活した左腕の感覚を確かめながら、そんな事を思った。

 この主治医の名前はリン。

 癒しの加護を持ち、この街最高の治癒術師と言われている女だ。

 その評判に偽りはなく、跡形もなくなった四肢を数分で甦らせ、ついでに俺が自前の稚拙な治癒魔法で雑に治したせいで跡が残ってた大量の傷を一瞬で消してしまえる程の凄腕である。

 まあ、そのせいでこいつの治療は順番待ちがえらい事になってて、無理矢理横入りする為に毎回収入の半分近くを教会に持ってかれてるんだが……。

 それを差し引いても、この街でこいつと出会えたのは幸運だったと思う。

 

 俺は左腕の感覚を確かめ終えてから口を開いた。

 

「相変わらずいい腕だな」

「洒落ですか?」

「違うわ」

 

 別に、治癒された腕と腕前を掛けた訳じゃない。

 純粋な称賛だ。

 何せ、治癒したばかりだと言うのに、この左腕は引き千切られる前と全く同じ感覚で動かせるのだから。

 なまじ俺自身も治癒魔法を齧ってるだけに、その難易度がどれだけ凄まじいのかがわかる。

 俺と同い年で、そんな神業を特に気負いもせずに使いこなせるレベルに達しているというのだから、加護を抜きにしてもこいつは天才と呼ばれるに相応しい。

 

「普通に褒めてるんだよ。俺が見てきた他のどんな治癒術師より凄いってな。当然、他の癒しの加護持ちの奴よりもだ」

「はぁ、それはどうも」

 

 気の抜けた返事だ。

 こいつ、あんまりわかってねぇな。

 俺が見てきた治癒術師ってのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 何十年もの間、修行の為に世界中を旅し、立ち寄ったほぼ全ての街で重傷を負って各地の治癒術師の手を煩わせた、言わば治癒術師ソムリエであるこの俺が一番と断言してるんだ。

 それがどれ程のもんなのか理解してない。

 

「まあ、つまりお前はこの街一番どころか、世界でも有数の治癒術師って事だよ」

「……そう言われても実感湧きませんねぇ。他の高名な治癒術師の方には会った事ありませんし。それどころか、私はこの街を出た事がないので、他の加護持ちの方とすら会った事ないので」

「マジか」

「マジです」

 

 加護持ちが人生で一度も他の加護持ちと出会わないなんてあるんだな。

 まあ、こいつの年齢ならあり得なくもないか。

 実際、ステラだって騎士達が迎えに来るまでの十年間、他の加護持ちと出会わなかった訳だし。

 それでも迷宮のある街で治癒術師なんてしてたら、加護持ちの患者の一人や二人くらい運ばれて来そうなもんだが……。

 ああ、そうか。

 今は魔王軍が全盛の時代だ。

 加護持ちの精鋭は軒並み魔王軍との戦いに駆り出されて、割と田舎なこの街には寄りつかないんだな。

 納得したわ。

 

「あ、でも加護持ちの方と会う機会はありますね。なんでも、最近この近くで魔族が目撃されたとかで、それを討伐する為に近々剣聖様がこの街を訪れるらしいので」

「……なんだと?」

 

 あの老騎士がここに来るのか?

 正直、倒せるようになるまでは会いたくないんだが。

 俺のプライド的な問題で。

 

「あの爺さんが来るのか……」

「爺さん? いえ、来るのは若手の方だそうですよ」

「若手?」

「はい」

 

 そうか若手か。

 だったら、なんの問題もないな。

 現在、この近辺の国には二人の剣聖がいる。

 一人は俺をこてんぱんに叩きのめした老騎士。

 歴戦の剣聖ルベルト・バルキリアス。

 そして、もう一人はその孫にして後継者と言われている奴だ。

 

 『剣聖』ブレイド・バルキリアス。

 たまに読んでる新聞によれば、確か現在17歳。

 剣聖の名に相応しい、将来有望な剣の天才らしい。

 あと、俺の記憶が確かなら、ステラの魔王討伐の旅に勇者の仲間として付いて行った剣聖はこいつだった筈だ。

 割と初期の方で戦死してたらしく、新聞に名前が乗った回数が少なかったから自信はないが。

 ちなみに、新聞と言えばちょっと気になってる事があるんだが……。

 俺はリンをチラッと見ながら、頭をよぎった可能性について考えた。

 

「?」

 

 リンは不思議そうな顔をしながら首を傾げている。

 ……まあ、これに関して考えるのは後でもいいか。

 偶然という可能性もあるしな。

 それよりも今は、ステラの仲間になる確率の高い剣聖に会って実力を見てみたいという気持ちの方が強い。

 

「あの、何か?」

「いや、なんでもない。それより剣聖の実力には興味あるな。どうにかして見れないもんか」

「それなら、しばらく街に残ってみたらどうですか? 多分、剣聖様が到着されたら魔族関連の依頼が冒険者に出されると思いますし、運が良ければ魔族討伐に付いて行けるかもですよ」

「ふむ……まあ、考えとく」

 

 魔族関連の依頼か。

 確かに、剣聖と恐らく付いて来るだろう騎士団だけで手が足りなければ冒険者も使うだろう。

 どこに居るかもわからない魔族の捜索とか骨だしな。

 だからリンの言う通り、運が良ければ剣聖と魔族の戦いを見られるかもれない。

 だだ、冒険者に捜索だけやらせて、戦闘は自分達だけでやる可能性もあるというか、そっちの方が可能性高い訳で。

 待ってる間は迷宮に潜れない事も考えると、そこまで美味しい話でもないな。

 まあ、これに関しても後で考えるとしよう。

 

「さて、じゃあ俺はもう行く。今回も助かった。また頼む」

「正直、頼まれない方が平和でいいんですけどね……。お大事にどうぞ。せめて死なないように気をつけてください」

「ああ。そうする」

 

 そうして治療と世間話を終え、俺は教会から去った。

 この後は冒険者ギルドとかで諸々の所用を済ませる予定だ。

 そのままいつも通り迷宮に潜るか、それとも街に残って剣聖を待つかは、用事を済ませてる時にでも考えればいいだろう。



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11 亡者の洞窟

 リンの治療を受けた後、冒険者ギルドで迷宮から持ち帰ったマジックアイテムの鑑定結果を聞いてからいらない物を売り払い、鍛冶屋に手入れに出していた怨霊丸を取りに行った。

 それから倉庫代わりに使う為に長期宿泊してる宿屋に戻って、昨日買い込んでおいた必要物資の確認。

 最後に、今回の迷宮攻略で入手した使()()()アイテムを装備し、その状態での立ち回りをしっかりと体に叩き込む。

 迷宮帰りのルーチンワークだ。

 これを怠れば即行で死ぬし、成長もできない。

 

 それらを済ませる為に数日を費やし、その間だけは宿屋のちゃんとしたベッドで寝て英気を養い、疲れを癒す。

 その後は迷宮にトンボ返りした。

 結局、剣聖を見る為に街に残るという選択はボツだ。

 そんな暇があるなら少しでも修行すべきだというのが最終的な俺の結論である。

 後悔はない。

 それに、今回はかなり有用なアイテムが手に入ったからな。

 これを最大限活かす為にも、早く迷宮に戻りたかったっていうのが本音だ。

 

 そうして意気揚々と戻って来たのは、街の近くにある迷宮『亡者の洞窟』。

 現在の俺の修行場であり、ある意味自宅とも言える場所だ。

 一度入ったら一ヶ月は出て来ないからな。

 もはや住んでると言っても過言じゃないだろ。

 まあ、そんな自宅ともそろそろおさらばかもしれないが。

 

「ふぅ……さて、行くか」

 

 入り口付近で一度深呼吸し、気を引き締めてから突入する。

 慣れ親しんだ場所とはいえ、戦場と同等の危険地帯と言われる迷宮に入るのだから油断は禁物だ。

 一瞬の油断で人は簡単に死ぬのだから。

 

「『灯り(ライト)』」

 

 迷宮に入った直後に一枚のスクロールを開き、簡易詠唱によって魔力を流し込む。

 これは冒険者御用達の光の魔道具だ。

 自由に操れる光の球を出して光源を確保できる。

 地味に値段が高い上に消耗品だから、金のない駆け出しやケチな奴は松明を使うけどな。

 だが、松明なんて持ってたら片手が塞がってしまう。

 剣士の俺にとってそれは致命的だ。

 つまり、これは決してケチれない必要な出費なのだ。

 それはそれとして、これに頼りすぎないように、視界を潰された状態で戦う為の訓練ももちろん積んでるが。

 戦闘中にいきなり効果時間が切れでもしたら洒落にならないからな。

 

「やぁ!」

「ハァ!」

「キャイン!?」

 

 光源を頼りに迷宮内を歩くと、そこかしこから他の冒険者の声や、その冒険者にやられる魔物の声が聞こえてきた。

 この亡者の洞窟はどっちかと言えば実入りが悪くて不人気な方の迷宮だが、それでも迷宮である以上冒険者が湧く。

 何故なら、迷宮には冒険者が群がるだけの理由があるからだ。

 その理由は大きく別けて二つ。

 まず一つ目だが、迷宮という物は何やら特殊な魔力を発してるらしく、野生の魔物を引き寄せる性質があるらしい。

 小耳に挟んだ話だと、迷宮の魔力は魔物達の故郷である魔界に充満してる魔力に近く、居心地が良いから寄ってくるんじゃないかと聞いた事があるが、真偽はわからんし興味もない。

 

 なんにせよ、大事なのは魔物が寄ってくるという事実。

 魔物は人を襲う危険生物故に、倒せばギルドから報酬が出るし、更に魔物の素材は結構高値で取引される。

 俺が怨霊丸を買った帰りに倒したロンリーウルフなんかも、牙、爪、毛皮とかに需要があって、丸々一匹売れば金貨三枚くらいになるのだ。

 これは値下げに値下げを繰り返したとはいえ、怨霊丸が三つ買えてしまう値段。

 ウチの一月の生活費は金貨10枚行かないくらいだったし、決して安いとは言えない金額だ。

 そんな金の塊が迷宮にはホイホイと寄ってくるのだから、冒険者が出動しない訳がない。

 

 そして二つ目の理由は……

 

「ガルゥ!」

 

 おっと、そんな事を考えてる暇はないみたいだな。

 咆哮を上げながら俺に向かってくる魔物が一匹。

 灯火の光に当てられて明らかになった敵の姿は、漆黒の毛皮をした体長1メートル半くらいの狼、ナイトウルフ。

 ロンリーウルフを少し小さくして、完全夜行性にしたような魔物だ。

 単純な戦闘力ならロンリーウルフの方が上だが、こういう暗がりで襲って来られた場合、闇に紛れる漆黒の毛皮とスニーキング能力の高さのせいで、こっちの方が遥かに厄介である。

 

 だが、今さらこの程度の魔物に手こずる俺じゃない。

 

「『流刃』」

「ギャン!?」

 

 俺は迷宮に入った時から既に抜刀していた怨霊丸を振るい、前のロンリーウルフの時と同じように流刃でナイトウルフの攻撃を受け流して首を斬った。

 今の俺の身体能力なら流刃を使わなくても斬れるが、使った方が消耗が少ないし修行にもなる。

 技は使ってなんぼだ。

 ただし、当然使わない方がいい時もある。

 

「バレてるぞ」

「「「キャイン!?」」」

 

 最初の一匹を囮にして忍び寄っていた三匹のナイトウルフに対して刀を一閃。

 流刃を使わず、更にあえて歪んだ軌道を走らせた斬撃によって、三匹の目を一太刀で同時に斬って光を奪う。

 ナイトウルフは群れで狩りをする魔物だ。

 一匹倒して安心すれば、瞬く間に他の奴に狩られて死ぬ。

 それで死ぬ駆け出しが結構いるらしいとギルドで聞いた。

 

「よっ」

「ギャン!?」

「ほっ」

「グギャッ!?」

「そい」

「ガルッ!?」

 

 失明してのたうち回ってた三匹に刀を突き刺してトドメを刺す。

 いつもなら回収が簡単な牙と爪だけズタ袋に入れて持って行くところなんだが、今回は便利なアイテムを手に入れたのでそれを使う。

 俺は腰のウェストポーチを外し、ナイトウルフの脚をその入り口にねじ込んだ。

 すると、明らかに入る筈のないサイズであるナイトウルフの死体が、ウェストポーチの中にスルスルと入っていく。

 これぞ、前回の迷宮攻略で手に入れた便利アイテム『マジックバック』だ。

 

 迷宮では、たまにこういう不思議な効果を持ったアイテム、通称『マジックアイテム』をゲットする事ができる。

 マジックアイテムは人工物である魔道具とは一線を画する性能を持っており、これを手に入れる事こそが冒険者が迷宮に潜る目的の二つ目だ。

 原理としては、迷宮に放置されたアイテムが長い間迷宮の特殊な魔力に当てられる事で誕生するとかなんとか。

 

 ただし、どんな効果のアイテムになってるのかは専門の鑑定士でもなければわからない上に、下手したら炎を吹き出す鞄とか、着ると水浸しになる服とか、そういうゴミアイテムになる事も珍しくない。

 だからこそ、このマジックバックみたいな使えるアイテムはやたらと高値で売れる。

 使えないアイテムでも、研究者的な奴に需要があるらしいので、そこそこの値段で売れる。

 この収入のおかげで、俺はリンの治療待ちの順番に横入りできるくらいの稼ぎを得る事ができた訳だ。

 

 ちなみに、迷宮は深い階層の方が魔力が濃いので、深い場所の方がマジックアイテムが産まれやすく、またその性能も高い物が多い。

 このマジックバックも、最深部一歩手前で力尽きてた冒険者の白骨死体から拝借した物だ。

 尚、その白骨死体はちゃんと供養しておいた。

 あれを供養と言っていいのかはちょっと疑問だが……。

 

 ともかく、このマジックバックを手に入れたおかげで、俺は食料とか回復薬とかを前よりも遥かに多く、しかも効率的に持って来る事ができるようになった為、迷宮生活をとても快適に長く楽しめるようになった訳だ。

 ついでに、こうして魔物の死体という収入源の一つも気軽に回収できる。

 さすがは、俺の旅の目的の一つだったアイテム。

 破格の性能だ。

 この迷宮には別のアイテムを回収しに来たんだが、ここでこれが手に入ったのは嬉しい誤算だった。

 

「さて、じゃあ本来の目的の方も取りに行くとするか」

 

 そう呟いて、俺は迷宮の深層の方に足を踏み入れる。

 ここから先は、この迷宮が不人気な理由その物みたいな場所だ。

 上層なら、外から入って来たばかりのナイトウルフみたいな魔物を狩るだけでそこそこの稼ぎになる。

 だが、深層は違う。

 そこに居るのはやたら強い奴か、倒しても稼ぎにならないタチの悪い魔物ばかり。

 好き好んで行く奴などほぼ存在しない地獄の釜の中。

 それが亡者の洞窟深層だ。

 だからこそ都合がいい。

 

「…………!」

「………………!」

「……………!」

「「「………………!」」」

「早速、お出迎えか」

 

 そんな地獄で俺を出迎えてくれたのは、物言わぬ不気味な魔物の群れ。

 狼、熊、虎、馬、蝙蝠、等々。

 多種多様で雑多な魔物達。

 その共通点は、全体的に暗色の奴が多い事と、その()()()()()()()()()という(・・・)()

 

 動く屍の魔物、ゾンビ。

 生者と違って脳を潰しても首を落としても死ぬ事なく、肉体が動かなくなるまで暴れ続け、やっと倒しても亡骸は塵となって消えるから素材も取れない。

 あまりに旨みがないせいで、別名『動く害悪』とまで言われる魔物。

 それがゾンビ。

 この亡者の洞窟の代名詞であり、定期的に領主とかが赤字覚悟で大掃除の依頼を出してるらしいが、自発的に駆除してくれる奴がほぼいない為、こんなに数が膨れ上がってしまったんだとか。

 おかげでこの迷宮は攻略難易度ばかりが跳ね上がり、それと反比例するかのような実入りの悪さで不人気になってるのだ。

 まあ、俺にとっては都合がいい。

 修行場を独占できる上に、最深部にある目当てのアイテムを横取りされる確率も低いのだから、むしろ願ったり叶ったりだ。

 実入りに関しても、割に合わな過ぎるってだけで、別に稼げないって訳じゃないしな。

 

「さあ、また帰って来たぞ亡者ども。今日も存分に殺し合おうぜ」

「「「………………!」」」

 

 そうして俺は、ゾンビひしめく迷宮の深層へと挑みかかっていった。

 今日もまた、戦いを己の糧とする為に。



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12 ダンジョンアタック

「ハァア!」

「……………!」

 

 パワーのある熊ゾンビの攻撃を流刃で利用し、他のゾンビどもに叩きつける。

 ゾンビは肉が腐ってるせいで生前より大分柔くなってるから、熊ゾンビの攻撃一回分の力で、小型ゾンビなら数体斬ってお釣りがくるくらいの出力を得られるのだ。

 ただし、ゾンビは一定以上のダメージを与えて塵に帰さなければ、首を落としても、心臓を貫いても、いくら出血させても止まる事はない為、カウンターと急所狙いが基本の俺の剣術とは相性が悪い。

 いつもなら苦手を克服する為に心行くまで相手してやるところなんだが……今は他に優先すべき事がある。

 存分に殺し合おうとか言っておいてアレだが、ここは先を急がせてもらおう。

 さっきまでの戦闘で大分ゾンビの数は減った。

 今なら普通に離脱できる。

 

 俺はまたしても熊ゾンビの攻撃に合わせて技を使った。

 

「一の太刀変型━━『激流加速』!」

 

 本来ならカウンターに使う筈の敵の攻撃エネルギーを移動速度に変換し、一時的に超スピードを出してゾンビパラダイスから逃走する。

 どうせ目的地に辿り着くまでに、数えるのも嫌になる程のゾンビと遭遇するんだ。

 殺し合いの機会はいくらでもある。

 というか、さすがにこの数は一々相手にしていられない。

 今までの迷宮攻略で間引いた分を引いても、まだ千体はいるだろうからな。

 

「「「ォオォオオォ……」」」

「っと、ゾンビの次はお前らか」

 

 次に現れたのは、薄らぼんやりとした半透明の魔物、ゴースト。

 実体がない為、物理攻撃が効かない難敵だ。

 俺だけの力だと普通に詰む。

 だが、

 

「ハッ!」

「オォオォオオオォォ……!?」

 

 俺が普通に斬ったゴーストの一体があっさりと消滅していく。

 物理攻撃が効かない相手に攻撃を通せたカラクリ、それは怨霊丸にある。

 この刀もまた、かつて迷宮に放置されてた事のあるアイテムだ。

 マジックアイテムにこそなっていないものの、その刀身は微量ながらマジックアイテムと同質の魔力を纏っている。

 その手のマジックアイテム化した剣の事を『魔剣』と呼ぶんだが、怨霊丸はそこまでは至れなかった魔剣もどきと言ったところだろう。

 そして、ゴーストは物理攻撃に対しては無敵だが、魔法攻撃に対しては滅茶苦茶弱い。

 魔剣もどきの怨霊丸の攻撃であっさり霧散するくらいに。

 本当にいい買い物だった。

 

「ワォオオオオオン!」

「次はお前か」

 

 ゴーストに続いて現れ、雄叫びを上げながら襲いかかってきたのは、体長5メートルを超える黒い巨狼。

 ナイトウルフより遥かに、ロンリーウルフと比べても二回りくらいデカい。

 ナイトウルフの上位種、ダークウルフだ。

 この深層では本当に珍しい生きた魔物。

 そして、この死の階層で生きていられるのは強者の証。

 襲いくる亡者どもを蹴散らし、生存権を獲得した奴だけがこの亡者の洞窟深層において生きる事を許される。

 だからこそ、ここに出てくる普通の魔物はやたら強いのだ。

 

「ガルァ!」

 

 ダークウルフが爪を振るう。

 その一撃は速く、重く、他の狼達とは比べ物にならない。

 当然、俺とも比べ物にならない。

 しかも、ダークウルフの爪は僅かながら闇の魔力を纏っていた。

 闇は破壊の属性。

 かすりでもすれば俺の紙装甲は貫かれ、さながらお豆腐のようにグッチャグチャにされるだろう。

 

 だが、そんなのはいつもの事だ。

 敵は俺より強い。

 攻撃を食らえば死ぬ。

 実にいつも通り過ぎて、なんの感慨も湧かない。

 いつも通り、徹底的に受け流し、返して返してカウンターで殺すだけだ。

 

 俺は一歩踏み込み、真っ直ぐに振り下ろされた爪ではなく、ダークウルフの肉球に刀を合わせる。

 それによって肉球に刃をめり込ませ、同時に足は地面を蹴り、刀を起点に攻撃の重さを利用して逆上がりの如く体を回転。

 着地点は振り抜かれたダークウルフの前足だ。

 それを回転の力で思いっきり斜めに踏み込む。

 激流加速。

 そうして得た加速の力を怨霊丸に込め、カマキリ魔族の時と同じようにダークウルフの目に叩き込んだ。

 

「一の太刀━━『流刃』!」

「グギャッ!?」

 

 この二年で更に磨き抜かれた流刃がナイトウルフの命を奪う。

 カマキリ魔族の時とは違い、今度は確実に。

 己の成長を感じる。

 

「さて、これも持ってくか」

 

 そして、上層で倒したナイトウルフ達のように、ダークウルフの亡骸も収納のマジックアイテムに詰め込んだ。

 貴重な稼ぎだし、何よりここに放置してたらゾンビ化する。

 ゾンビは他の魔物と違い、死体が一部の迷宮の魔力を浴び続ける事で、まるで死体がマジックアイテム化でもするかのようにして生まれるらしいからな。

 だから、ゾンビの出てくる迷宮で死体を残すのはタブーの一つだ。

 こうして持って行くなり、火葬するなり、ゾンビとして行動できないくらいグッチャグチャにするなりして対処しておく事が推奨されている。

 

「長居は無用だな」

 

 そういう訳でダークウルフの亡骸を回収し、亡者どもが寄ってくる前にその場を離れた。

 

 その後は、できるだけ見つからないように気をつけ、余計な戦闘を避けて体力を温存しながら移動を続ける。

 比較的安全な場所で睡眠や食事を済ませ、たまに襲撃されて目を覚ましたり、食べ物の恨みを発生させたりしながら、迷宮の奥へ奥へと進んで行く。

 何度も何度も通った道だ。

 しかも、夢の中では一度攻略までしている迷宮。

 今さら迷いはしない。

 

 そうして歩みを進め続け、迷宮に入ってから約10日が経過した頃。

 俺は遂に、亡者の洞窟最深部へと到達した。



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13 成れの果て

 亡者の洞窟最深部。

 そこは、やや広めの円形状の広場になっている。

 余計な障害物のない、まるで小さな闘技場のような場所。

 その中心に、この迷宮の主とでも呼ぶべき魔物が立っていた。

 

 そいつの事を一言で言うなら、骨だ。

 骨だけの魔物、スケルトン。

 ゾンビが長い時間をかけて風化し、肉や皮が完全に腐り落ちた、言わば使い古されたゾンビの劣化版のような魔物。

 だが、俺の目の前に立つスケルトンは、とてもゾンビの劣化版とは思えない圧倒的な威圧感を放っていた。

 右手にボロボロの拵えをした黒い刀を持ち、隙のない立ち姿でこちらを睥睨している。

 長い黒髪に、女物の黒い着物を着た姿から見て、生前は恐らく凄腕の女剣士だったのだろう。

 

 そしてこいつは、朽ち果て、腐り落ち、骨となった今でさえ圧倒的な力を持っている。

 前回の迷宮攻略の時、俺はこいつに左腕をぶった切られて撤退に追い込まれたのだ。

 その前にも、軽く十回は挑んで返り討ちに合った。

 夢の中まで含めればもっとだ。

 最近の俺は、ひたすら迷宮を攻略してはこいつに挑み、負けて逃げてリンに治療されてはまた挑むというサイクルを続けている。

 しかし、未だに勝てていない。

 それ程にこいつは強いのだ。

 それこそ、そこらの魔族や英雄よりも。

 

 俺の勘だが……恐らく、生前のこいつは『剣聖』だ。

 

 そうでもなければ、骨なのに英雄より強い事に説明がつかない。

 基本的に、ゾンビは生前よりも弱いのだ。

 多少の不死性こそ得るものの、肉が腐って筋力が落ち、防御力も落ち、知性も消えるから成長もできず、ただ生前体に染み付いた感覚だけを頼りに動いているのだから。

 まして腐った肉すら失った骨だけのスケルトンともなれば、更に弱体化を極める。

 それでも尚、こいつは加護を持つ英雄よりも強い。

 だったら、生前が聖戦士クラスだと考えるのが自然だ。

 

 なんで剣聖ともあろう者が、こんな過疎迷宮の奥地で死んでるのやら。

 骨や服に目立った損傷はないが……打撃系の攻撃で内臓でもやられたのか?

 あるいは、迷子になって餓死したのか、毒キノコでも食べたのか。

 いや、大昔の大英雄かもしれない相手に向かって、この考えはさすがに失礼すぎる。

 素直に内臓やられたという事にしておこう。

 

 あと前々から少し気になってたんだが、こいつは骨だけになっても着物が一切着崩れてないのだ。

 女なら大抵の場合着崩れるであろう胸元が着崩れてない。

 という事は、生前から絶壁のようなまな板……

 

「ッ!?」

 

 そんな失礼な事を考えた瞬間、まるで無礼を察知したかのように剣聖スケルトンから間合いを無視した攻撃が飛んで来た。

 闇を纏った飛翔する斬撃だ。

 夢の中の俺は一生かけても自力での習得は無理だったが、武術系の加護を持つ者は当たり前のように近接武器で遠距離攻撃を繰り出せる。

 斬撃を飛ばすのは、奴らにとっては基本技みたいなものらしい。

 この攻撃も仕組み自体はそれと同じだろう。

 ただし、斬撃に付加されてる闇の力だけは、剣聖スケルトンではなく、手に持った黒い刀の力だ。

 

 あれこそ、俺がこの迷宮を訪れた目的その物。

 夢の中の俺が終生の相棒とし、最後には魔王をも討ち取った最強殺しの刃。

 ━━『黒天丸』。

 破壊の属性である闇の力を宿した魔剣。

 彼の聖剣にこそ及ばないだろうが、単純な破壊力なら世界屈指と断言できる大業物。

 非力な俺の攻撃力を補う為になくてはならない装備だ。

 あれを手に入れる事こそが今回の俺の目的。

 その為には、現在の持ち主である剣聖スケルトンを打倒しなければならない。

 

 これは俺が最強殺しへと至り、ステラの隣に並び立つ為に、避けては通れない試練の一つだ。

 剣聖の成れの果てにも勝てないようじゃ、現役の剣聖を倒すなんて夢のまた夢。

 今の俺は弱い。

 まだまだ弱い。

 夢の俺が目指し、旅路の果てに到達してみせた、強者を殺せる弱者にすらなれていない、ただの弱者だ。

 こいつに何度も何度も負け続けているのがその証拠。

 だが、負けた戦いだって得るものがなかった訳じゃない。

 死体であるこいつと違って、俺は戦いの度に成長している。

 何せ、昔のステラを遥かに超える格上剣士との戦いだ。

 得るものは多いに決まっている。

 

 そうして磨き上げた力で、今度こそこいつを倒そう。

 何より、こいつは夢の中の話とはいえ一度は超えている相手だ。

 そんな奴相手に足止めを食らい続けるなんてカッコ悪いじゃないか。

 

 迫りくる闇の斬撃に対抗して、俺は手に持った怨霊丸を振るう。

 二年前、カマキリ魔族と戦った時は、遠距離攻撃への対抗手段なんて持っていなかった。

 今は違う。

 俺は身につけた。

 あの時は不完全だった()()()()()()()()

 

「二の太刀━━」

 

 俺の新たな技が闇の斬撃を迎え撃つ。

 敵の技は強大だ。

 何せ、朽ちたとはいえ剣聖が世界屈指の破壊力を誇る武器によって繰り出した一撃なのだから。

 いくら魔剣もどきの怨霊丸でも、真っ向からぶつかり合えば容易くへし折られるだろう。

 だが、そんな事は関係ない。

 二の太刀、そして三の太刀は、反撃に繋げられない代わりに、絶対の防御を約束する技。

 この二つの技を極めた者に、━━防げぬ攻撃はない。

 

「『歪曲』!」

 

 振るわれた二の太刀『歪曲』が闇の斬撃の軌道を歪ませ、斜め後ろへと受け流して無力化する。

 しかも、怨霊丸への負担すらほぼ皆無に抑えた、完璧に近い受け流し。

 まだまだこの技を極めたとは言えない俺だが、それでも何度も見た攻撃くらいなら完璧に捌ける。

 だが、それで喜んでもいられない。

 今回の敵は、たかだか初撃を完璧に防いだ程度で勝てるような甘い相手じゃないからな。

 

 剣聖スケルトンが突っ込んで来る。

 かなりの速度が出ているにも関わらず、全く体幹のぶれない綺麗なフォーム。

 その綺麗なフォームのまま、まずは小手調べとばかりに突きを放って来た。

 

「『流刃』!」

 

 それを後ろへ回転しながら刀で受け、受け流しつつ突きの威力を回転に乗せて、流刃で剣聖スケルトンの手首を狙う。

 しかし、剣聖スケルトンは突きの軌道を流れるように変え、肘と手首を使って後ろ回転させるようにして引き戻し、あっさりと俺の攻撃を防いだ。

 まだだ。

 俺は黒刀と接触した刀を滑らせながら腰を落とし、残った勢いを第二撃に変えて、剣聖スケルトンの足を狙う。

 

「一の太刀変型━━『流流』!」

 

 かつて、あの老騎士に傷を付けた技『流車』のタイプ別。

 流車と同じく、相手の防御を無理矢理に突破する為の流刃二連撃。

 だが、

 

「!」

 

 剣聖スケルトンはこれも避ける。

 地面を滑るような摺り足で斬撃の軌道上から逃れ、反撃に足下の俺に黒刀を振り下ろした。

 剣速が速い。

 カマキリ魔族や手加減モードの老騎士よりも遥かに。

 それでも、今の俺なら目で追える!

 

「ハァアッ!」

 

 剣聖スケルトンの動きを先読みし、流刃、流流と続けたせいで殆ど残っていない勢いを激流加速の応用で推進力に変え、地面を這うように黒刀が振るわれるであろう場所から強引に一歩前に出て斬撃を躱す。

 かすって背中が裂けたが、直撃に比べたら屁でもない。

 だが、剣聖スケルトンは、そんな俺に容赦なく追撃を放つ。

 振り終わりと振り始めを完璧に連結させた理想的な二連撃によって、逃れた俺を仕留めようとしてくる。

 

 予想通りだ。

 

「『流刃』!」

 

 一撃目を躱した事で、狙いを外した刀に体を追いつかせ、体勢を整える事ができた。

 瞬きすら許されない刹那の時間で整えられる体勢なんて不完全もいいところだが、完璧な隙でさえなければ、俺はどんな体勢からでも流刃を放てる。

 そんな俺の渾身の返し技が炸裂し……剣聖スケルトンの足首に斬撃が叩き込まれた。

 

「よっしゃあ!」

 

 と、歓声を上げたはいいものの、足首を切断できた訳じゃない。

 黒刀と同じように、剣聖スケルトンの全身を包む和服もまた、黒刀と同じだけの時間、同じだけの迷宮の魔力を浴び続けた立派なマジックアイテムだ。

 その効果は、尋常ならざる耐久性。

 俺の渾身の一撃を受けても、僅かに切れ目が入っただけだ。

 だが、それでもいい。

 いくら頑丈とはいえ、あれは鎧ではなく所詮は服。

 斬撃は防げても、衝撃までは防げない。

 今の一撃は、和服の中に隠された足首の骨に大きなヒビを入れたという手応えがあった。

 生前の剣聖の筋肉があればともかく、経年劣化し続けた骨じゃ耐えきれなかったんだろう。

 

 そして、相手は生身の人間ではなく、スケルトンだ。

 生命活動を停止した死体だ。

 死体は決して回復しない。

 あのダメージはずっとそのままだ。

 つまり、俺は永続的に奴の機動力を奪ったという事になる。

 大戦果だ。

 これで断然有利になった。

 このまま一気に畳み掛けて……

 

 そう思った瞬間、剣聖スケルトンが残った足で跳躍して後ろに下がった。

 痛みで怯む事もなく、焦りに支配される事もない、死体らしい冷静な判断だ。

 だが、逃がさん。

 引いた剣聖スケルトンを追いかけて踏み込む。

 足の速さには歴然とした差があるが、さすがに片足が砕ける寸前の奴相手に追いつけないなんて事はないだろう。

 遠距離攻撃は歪曲で全部防ぐ。

 大丈夫、俺が有利だ。

 戦いの趨勢が俺の方に傾いていると強く感じる。

 

「!」

 

 しかし、そんな勝利への予感に影が差した。

 剣聖スケルトンが妙な構えを取る。

 まるで踊りか何かを始める時ような、優美で、戦いには向かないと思える構え。

 俺が見た事のない構え。

 未知。

 それは戦いにおいて何よりも恐ろしい。

 理性が警戒を促し、同時に直感が警鐘を鳴らした。

 あれは、ヤバイと。

 

 直後、その予感が間違っていなかった事を知る。

 

「ッ!?」

 

 剣聖スケルトンから闇の斬撃が放たれた。

 さっきの初撃よりも遥かに速く強く鋭い斬撃が、しかも連続で飛来する。

 まるで黒い嵐。

 カマキリ魔族が使った戦法に似てるが、精度も威力も速度も連射性も比較にならない。

 なんとか歪曲で被弾を避け続けるも、完璧には防ぎきれずに傷が増えていく。

 まだ痛いだけで行動に支障はないレベルだが、その内致命打を貰いそうだ。

 何より、防戦一方で反撃ができない。

 

「くっ!?」

 

 そんな黒い嵐の中心で、剣聖スケルトンは踊っていた。

 いや、踊っているというより、舞っていると言った方が正しいのかもしれない。

 優雅で優美な刀を使った演舞。

 とても戦ってるようには見えないのに、舞いの振り付けとしか思えない動きから繰り出されるのは、洒落にならない斬撃の嵐。

 しかも、舞いというある意味完成された動きだからこそ、そこらの剣術とは比べ物にならない程正確で、途中で途切れる事もない。

 可憐にして苛烈な剣技。

 舞いと剣術の組み合わせ……いや、舞いを剣術に昇華させた技。

 見た事のない技。

 故に、予測も中々に困難。

 その瞬間、俺は確信した。

 この演舞剣術による中、遠距離戦こそが、剣聖スケルトン本来の戦法なのだと。

 

 剣士の頂点に立つ剣聖としてはかなり異質な、まるで魔法使いのような戦い方。

 でも、意外と理にかなってる。

 魔法のような高威力高範囲の攻撃を、発動の度に一々詠唱が必要な本家魔法使いより遥かに早く、かつ連続でぶっ放せるのだから。

 下手したら、最強の魔法使いと呼ばれる聖戦士『賢者』に匹敵するかもしれない。

 かなり厄介だ。

 それなのにこれを今まで使ってこなかったのは、多分これがタイマン用の技じゃないからだろう。

 どっちかと言うと、魔物の群れなんかを相手にする為の技と見た。

 押し寄せる魔王軍相手の戦場にこいつが居れば、さぞかし頼りになりそうだ。

 

 だが、だからこそ、そこに攻略の鍵がある。

 大群相手の技なら、一人であれば抜けられる隙間が必ずある筈。

 あれが舞いだというのなら、動きを目に焼き付け、リズムとパターンを読み、そうして隙を見つければいい。

 勝利への道筋は見えた。

 なら、後は突っ走るだけだ。



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14 登り詰めて

「神の御力の一端たる癒しの力よ、傷付きし子羊を救いたまえ。━━『治癒(ヒーリング)』!」

 

 多少は剣聖スケルトンのリズムを掴めるようになって生まれた余裕を使い、治癒魔法を発動させて傷を治す。

 これで、まだまだ戦える。

 もっとも、傷は治っても体力までは回復しないから長期戦は無理だろうが、それでも猶予時間が伸びたのは大きい。

 

 剣聖スケルトンの舞いが始まってからどれくらい経ったのか。

 恐らく、まだ10分も経ってない。

 だが、超高速斬撃の嵐を発生させる為に、普通の舞いより遥かに速い動きをしてるせいで、舞いの一曲分に当たると思われる動きはとっくに出尽くした。

 曲の終わりと始まりが完全に連結してるせいでわかりづらかったが、なんとか一度見た動きがループしてる事に気づき、パターンを見切っていざ反撃だと思ったんだが……なんと剣聖スケルトンは、こっちが見切った攻撃を捌いて前に出た瞬間、曲その物を変えてきやがったのだ。

 

 優美な舞いから、激しき舞いへ。

 曲が変わればリズムも動きもガラリと変わり、今までの読みは役に立たなくなる。

 また一からやり直しだ。

 そうして、なんとかその曲も見切れば、更に次の曲。

 それも見切れば、また次の曲。

 この繰り返しが発生している。

 いい加減にしてくれ。

 持ち歌何曲あるんだ。

 もう、こいつの本職は剣士じゃなくて芸者だったとしか思えなくなってきた。

 

 こんな、いくつあるかもわからない曲に一々付き合ってたら、こっちの体力が持たない。

 危険は承知だが、どこかのタイミングで仕掛けるしかないだろうな。

 幸い、今までの読みも全くの無駄って訳じゃない。

 奴の舞いは、曲が変わっても一部の動きが類似してたりする事がある。

 俺は踊りになんて詳しくないが、多分剣術と同じで基本となる下敷きの型みたいなものがあるんだろう。

 剣術で言えば、剣の握り方とか、刃の立て方みたいな基本中の基本。

 そういうのを認識する事で、最初は奇っ怪な未知の技に見えた奴の動きの感覚を少しだけ掴めたような気がする。

 

 最低限とは言え、奴の技を読む力は身につけた。

 今ならギリギリ反撃に出られる。

 行くしかないな。

 

「フッ!」

 

 防戦一方の姿勢を解き、歪曲を使いながら強引に前に出る。

 その途端に変わる剣聖スケルトンの曲調。

 もう何度目かもわからない光景。

 だが、今回は構わずに突き進む。

 読み切れない、あるいは捌き切れない攻撃が俺を斬り裂くが、意地で致命傷だけは避ける。

 

 剣聖スケルトンが黒刀を真上に振り上げ、そこから横向きに円を描くように振るう。

 黒い満月のような美しい斬撃。

 その斬撃が螺旋状に渦を巻き、俺に迫って来た。

 歪曲を使い、流れに沿って刀を動かす。

 斬撃が速すぎて完全に刃を合わせるのは不可能。

 故に、僅かな動作、僅かな力だけで軌道を変える。

 刃の向きは敵の斬撃を滑らせるように。

 加える力は敵の斬撃を押し出すように。

 抗う力はねじ伏せられるが、押し出す力なら意外と影響を与えられる。

 流れに沿って闇の斬撃に横から力を加え、攻撃をむしろ加速させる事で狙いの方向へと誘導するのだ。

 

 次に敵が繰り出して来たのは、上に向けて放った三日月のような三つの斬撃。

 どんな曲芸を使ってるのか、三つの斬撃がブーメランのように回転しながら弧を描き、上から俺に向かってきた。

 更に、ブーメラン斬撃が到達するまでの時間で新たに繰り出された、地を這うような横薙ぎの斬撃が一本。

 四つの斬撃による同時攻撃。

 その様は、まるで獣の口の中に飛び込み、上下から迫り来る牙を見ているかのようだ。

 

「ハァッ!」

 

 俺はまず流刃を使い、左斜め前に飛び上がりながら地を這う斬撃に刀を添える。

 それを受け流す事によって速度を得て、加速した刃で一番近い左の斬撃へ歪曲を使った。

 受け流す方向は、残り二つの斬撃が迫っている場所。

 軌道を歪められた左の斬撃が、真ん中と右の斬撃に当たって、三つの斬撃が連鎖的に消滅する。

 これぞ、歪曲の一段階上と言うに相応しい秘技。

 

「二の太刀変型━━『歪曲連鎖』!」

 

 複数同時攻撃に備えた技だ。

 防げぬ攻撃なしと豪語したのは伊達じゃない。

 これでまた剣聖スケルトンへと近づいた。

 

 次の攻撃は……何やら剣聖スケルトンが回転している。

 黒刀から吹き出す闇が一回転ごとに膨れ上がり、やがてそれを解き放つかのように俺に向けて射出した。

 発射の直前にやってた祈祷みたいな謎の動きのせいか、解き放たれた膨大な闇の力は、何故か巨大な黒龍の形を形成している。

 もう曲芸とかそんな領域じゃない。

 完全に魔法の域だ。

 だが、そういう事なら、これを迎撃する技は決まっている。

 

「三の太刀━━」

 

 これは対魔法用、いや対広範囲攻撃用の技。

 歪曲で唯一防げない攻撃に対する備え。

 この手の攻撃には必ずどこかに『綻び』というものがある。

 巨岩に入った亀裂のような脆い部分が。

 その綻びを一瞬で見つけられるようになるのは凄まじく大変だが、見つけられるようにさえなれば、綻びを突いて斬って押し広げる事で、炎でも水でも雷でも、なんでも斬り裂けるようになる。

 特に、魔法みたいな即席で作られた物は脆い上に、魔力の流れの淀みというわかりやすい綻びがあるから効果抜群だ。

 斬り裂き、霧散させる三の太刀。

 その名は……

 

「『斬払い』!」

 

 三つ目の必殺剣が闇の龍の眉間に突き刺さり、突き破る。

 綻びを貫かれた闇の龍は、そこから魔力の流れを狂わされて霧散し、消滅した。

 その残骸を突き抜けて、俺は剣聖スケルトンに肉薄する。

 わざわざ、そこそこの準備時間のかかる大技を使ってくれたおかげで、その分の時間で距離を稼げた。

 もう剣聖スケルトンは目と鼻の先。

 王手だ。

 しかし、ここからが本番でもある。

 

 剣聖スケルトンが舞うのを止め、懐に飛び込んで来た俺を迎撃するべく黒刀を振るう。

 真上からの振り下ろし……と見せかけて空中で黒刀を手放し、両の腕を交差させて、刀身分の間合いを埋める飛翔する手刀を放ってきた。

 

「ッ!?」

 

 その予想外のフェイントを読み切れず、辛うじて飛ぶ手刀を歪曲で逸らす事しかできなかった俺は、受け流し切れなかった手刀の衝撃に押されて後ろへ弾き飛ばされた。

 ダメージは軽微だ。

 両腕はかなり痛いが、カマキリ魔族相手に不完全な歪曲を使って砕けた時に比べればどうって事ない。

 それよりも、せっかく詰めた距離をまた離されてしまうのはマズイ!

 

 俺は着地の瞬間、後ろへ転がるように受け身を取り、そのままバネのように足を使って、吹き飛ばされた勢いを前に進む力に変換し、思いっきり地面を蹴った。

 その時には既に、剣聖スケルトンは手放した黒刀を再度手にしており、体勢の崩れた俺に向かって容赦なく闇の斬撃を放ってくる。

 だが、この程度の崩しでやられる俺じゃないぞ。

 

「『激流加速』!」

 

 斜めに振り下ろされた斬撃を、こっちも体を斜めにして屈む事で躱し、同時に体を後ろに回転させながら斬撃に刀を沿わせる。

 さっき三日月ブーメランと一緒に飛んできた地を這う斬撃を受け流した時と同じ要領で、今度は激流加速を使って前方へと加速。

 再び、剣聖スケルトンの懐へと入る。

 

「ハッ!」

 

 そして、剣聖スケルトンに向けて刀を振るった。

 狙いはさっき一撃入れる事に成功した右の足首。

 あわよくば、ヒビ割れた箇所を完全に砕いて、片足を奪ってやるつもりの攻撃。

 

 当然、こんな何の捻りもない攻撃が通用する相手じゃない。

 剣聖スケルトンは俺の攻撃をあっさりと見切って一歩後ろへ下がる事で回避し、フェイントを入れてから反撃の一閃を振り下ろして来る。

 だが、それもまた俺の予想通り。

 今の攻撃は剣聖スケルトンの攻撃を引き出す為の牽制だ。

 通じないとわかってる攻撃を牽制以外に使うバカはいない。

 

 フェイントを見抜き、剣聖スケルトンの反撃を流刃で受け流し、その勢いを利用して今度はこっちが反撃。

 しかし、それも剣聖スケルトンの剣技の前に容易く防がれる。

 諦めずに、ガードに使われた黒刀とぶつかった刀を支点にして飛び上がり、体を縦に回転させてガードを上から飛び越える技『流車』を使うが、それすらも冷静に見切って躱された。

 

 そう。

 間合いを詰めたからと言って終わりじゃない。

 あの舞いを潜り抜けても、剣聖スケルトンには近接戦闘において無類の強さを誇る『剣聖』の絶技がある。

 これを攻略しない限り、俺に勝機はない。

 これを超えて行かなければ、俺にステラの隣に立つ資格などない。

 

 それは余りにも高い壁。

 普通の加護を持つ者でさえ、俺みたいな無才の凡人では決して勝てないとまで言われているのに、剣聖は更にその上の領域に居る。

 目の前の、生前とは比べ物にならない程衰えた筈の剣聖の成れの果てですら、何度も何度もボコボコにされて、何度も何度も手足ぶった切られて、それでも諦めずに挑み続けた末に、ようやく多少の手傷を与えるのがやっとという、ふざけた強さだ。

 現役の剣聖である老騎士はもっと強いだろうし、勇者として覚醒し、成長を遂げたステラはもっともっと強いだろう。

 その敵として現れる魔王軍の最高幹部『四天王』や、最後の壁として君臨している全盛期の魔王の強さなんて、もう考えたくもない。

 

 だが、それでも、その全てを俺は超えて行かなければならないのだ。

 身の程を弁えるつもりなんてない。

 分際を弁えるつもりなんてない。

 俺は『無才の英雄』として勇者の隣に立つと決めた。

 今度こそステラを守り抜くと決めた。

 なら、この程度の壁を乗り越えられなくてどうする!

 

「おおおおおおお!」

 

 不屈の闘志を込めて刀を振るう。

 狙いは当然、流刃によるカウンター。

 それに繋がる攻撃を引き出す為に、負傷している足首や、和服で守り切れずに露出している手首、首筋なども狙った。

 これらは牽制だが、骨の隙間に刃を通せば攻撃として成立する。

 剣聖スケルトンも無視はできない。

 

 牽制、フェイント、本命を織り混ぜて、俺と剣聖スケルトンは壮絶な剣戟を繰り広げる。

 戦況は、剣聖スケルトンがヒビ割れた片足を庇いながら戦ってるおかげで、ようやく互角。

 戦いを続ける内に、お互い細かい傷が増えてきた。

 ただし、剣聖スケルトンは死者故に痛みも疲労も感じず、逆に生者である俺は出血と体力切れで動きが徐々に鈍くなってきてる。

 今は互角だが、戦いの趨勢は徐々に徐々に剣聖スケルトンの方へと傾いていく。

 いつもの負けパターンだ。

 何か逆転の一手を打ち出さなければ、今日も俺は逃げ帰ってリンにどやされる事になるだろう。

 何か、何かないか……!?

 

「!?」

 

 必死に頭を回転させていた時、その一手は予想外の所から放たれた。

 いや、放たれたというのは語弊がある。

 何故なら、俺が狙って放った訳ではないのだから。

 

 突如、剣聖スケルトンの体勢が崩れた。

 

 最初の一撃でヒビの入った右足首。

 それがこれまでの激闘に耐えられず、遂に砕けたのだ。

 降って湧いた……いや、これまで必死に戦ってきたからこそ訪れた、千載一遇の好機。

 体に染み付いた感覚が、己の晒した隙を突かせまいとしたのだろう。

 剣聖スケルトンの体が反射的に動き、右腕一本で黒刀を振り抜き、薙ぎ払うような鋭い斬撃を放ってきた。

 だが、それは悪手。

 俺を相手に不用意な攻撃は自殺行為だ。

 

「『流刃』!」

 

 その不用意な攻撃を受け流し、その勢いを乗せた流刃によって、黒刀を握る右手首を斬り飛ばした。

 持ち主から離れた黒刀がクルクルと宙を舞う。

 やった。

 そんな思考が俺を支配し、一瞬、ほんの一瞬だけ俺は気が緩んでしまった。

 相手はこの程度で終わる奴じゃないとわかっていたのに。

 

 剣聖スケルトンが残った左手で拳を握る。

 なくした武器になど見向きもせず、こいつは俺への攻撃だけを考えていた。

 そうして、拳が放たれた。

 剣を持たない剣聖の攻撃なんて怖くない……なんて事は勿論ない。

 確かに、剣やそれに類似する武器を持たなければ剣聖の加護の効果を十全に発揮する事はできないだろう。

 だが、武術系の加護を持つという事は、ただそれだけで常人とは比較にならない凄まじい身体能力を得るという事だ。

 そんな身体能力から放たれた拳は、格下どころか同格の相手にすら充分に通用する破壊力を持っている。

 

「ぐっ!?」

 

 気の緩みを突かれた俺は、なんとか攻撃に反応して歪曲を使ったものの、そんな状態で放った歪曲は完璧から程遠く、拳の威力に負けて刀を弾き飛ばされてしまった。

 歪曲だけに限った話じゃないが、俺の必殺剣はどれもこれも滅茶苦茶シビアな正確さを要求される。

 それくらいの絶技でなければ遥か格上になんて通用しない。

 だからこそ、こういう気の緩みは致命傷なのだ。

 弱い。

 力だけじゃなく、精神力まで俺はまだまだ弱い。

 猛省する。

 だけど今は、反省するよりも先にやる事がある!

 

「うぉおおおおお!」

 

 俺は痛む腕や体を叱責して、勝利へと手を伸ばした。

 怨霊丸を弾き飛ばされ、お互いに無手での対峙となれば俺に勝つ術はない。

 だが、勝利への鍵はすぐそこにあるのだ。

 俺がそれを手にするのが早いか、剣聖スケルトンの拳が俺を打ち砕くのが早いか。

 最後の勝負。

 その勝負に俺は……勝った。

 

「あああああああ!」

 

 剣聖スケルトンの拳の軌道を先読みして避け、俺はそれを掴んだ。

 持ち主の手から離れ、クルクルと宙を舞っていた黒刀。

 夢の中の俺が振るった終生の相棒『黒天丸』を。

 それを力の限り握り締め、剣聖スケルトンの拳を潜り抜けて懐に入り、全力でその土手っ腹に向けて突き刺した。

 非力な俺の力を補って余りある闇の破壊力が、剣聖スケルトンの全身を守っていた和服を貫き、骨の体を支える唯一の柱である背骨に突き刺さって破壊する。

 

「…………!」

 

 剣聖スケルトンの体が上下の連結を断たれ、地面に崩れ落ちる。

 体を真っ二つにした。

 普通のスケルトンは、ここまでのダメージを与えれば塵に帰る。

 だが、俺は最後まで油断せず、剣聖スケルトンの胸に向けて黒刀を振り下ろした。

 

 その刹那。

 トドメを刺されようとする剣聖スケルトンの骸骨となった顔に、優しげな女性の顔が被って見えた。

 その女性は、まるで「合格だよ」とでも言いたげな優しい笑みを浮かべたような気がした。

 かつて、夢の中でも一度見た覚えのある感覚。

 それを感じた直後、黒天丸が剣聖スケルトンの体を破壊し……長きに渡って戦い続けた命なき強敵は、遂に塵となって天に帰って行った。

 

「勝った……」

 

 強敵の最期を見届けた俺は、やっと掴んだ勝利の味を噛み締める。

 厳しい戦いだった。

 至らぬ点も多々あった。

 半分は運に助けられて得た勝利。

 しかし、もう半分は紛れもない実力でもぎ取った勝利。

 ようやく俺は、成れの果てとは言え聖戦士を倒せる領域まで登り詰めたのだ。

 その事が、とてつもなく誇らしい。

 

「よっし……!」

 

 万感の思いを込めてガッツポーズを決める。

 まだまだ先は長い。

 最終目標はおろか、最初の難関である老騎士の域まですらまだ遠いだろう。

 だが、俺は今日、そこへと続く階段を一歩確実に登った。

 確実にステラの居る場所へと近づいた。

 嬉しい。

 ただひたすらに嬉しい。

 

 その喜びを噛み締めながら、しかし今日の失敗を教訓として気を引き締めながら、俺は手に入れた戦利品の試し斬りをしつつ迷宮を逆走した。

 今日は何か美味い物でも食おうとか考えながら。

 

 ……まさか、帰り道の途中で更なる戦いに遭遇するとは思いもせずに。



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15 死霊術師

「ん?」

 

 迷宮最深部で剣聖スケルトンを倒し、堂々の凱旋をしようとしていた俺は、再び10日程かけて戻って来た迷宮の上層で違和感を感じた。

 音が、しない。

 来る時は魔物と冒険者の戦う音がそこかしこから聞こえてきたのに、今は痛いくらいの静寂だけが広がっている。

 皆帰ったのか?

 なんて思う程、俺はバカじゃない。

 何かがあったんだ。

 魔物も冒険者も姿を消してしまうような何かが。

 

 俺は即座に、自分の中の警戒レベルを最大まで引き上げた。

 その状態でゆっくりと、細心の注意を払いながら迷宮の出口を目指して進む。

 異変が既に終わってるならいいが、現在も継続中なら俺も巻き込まれる可能性が高い。

 何せ、一応は俺も冒険者だからな。

 消えた奴らと共通点があるなら、同じ目に合う可能性も高い。

 

 そうしてコソコソと進んでる内に、やがて小さな音が聞こえてくるようになった。

 多分、話し声だ。

 距離が遠くて会話の内容はわからない。

 更に慎重に声の元へと向かってみると、しわがれた声と片言っぽい声の二人が話しているという事がわかった。

 二人の人物が居るのは、この角を曲がった先。

 そーっと角から僅かに顔を出し、覗き見る。

 

「婆チャン、コレデ最後」

「ひっひっひ。ご苦労様、フランケ。じゃあ、とっとと終わらせて街へ行くとするかねぇ」

 

 そこには異様な光景があった。

 フランケと呼ばれた全身ツギハギだらけの大男に、齢150は越えてそうな限界突破のしわくちゃ老婆が楽しそうに笑いかけていたのだ。

 どう見ても人ならざる存在。

 即ち魔族。

 街の近くに出たとは聞いてたが、まさかこの迷宮に入って来てたとは。

 だが何よりも問題なのは、魔族による被害が()()()()()()()()()()()()()()()

 

 魔族の二人組の前には……夥しい数の死体の山があった。

 魔物と冒険者、双方の死体が乱雑に積み上げられた山だ。

 この迷宮上層に居た連中の殆どが死体になって、あの山の一部になってんじゃないかって思う程の、膨大な数の死体。

 そこにツギハギ魔族が手に持っていた冒険者の死体を放り投げる。

 しかも、その死体の山に老婆魔族が不気味な骸骨の杖を向けながら、魔法の詠唱と思われる言葉を口にした。

 

「魔界の瘴気、魔を生み出す混沌の魔力よ。這い出て集いて纏わりつけ。屍に集いて亡者を生み出せ。我が手駒を作りたまえ。━━『死者降誕(リビングデッド)』!」

 

 明らかに高度だとわかる禍々しい魔法。

 それを浴びた何十体もの死体が起き上がった。

 生き返った訳ではない。

 目に光はなく、一言として言葉を発する事もなく、迷宮の深層で散々見てきた魔物ゾンビとして、無理矢理叩き起こされたのだ。

 聞いた事がある。

 魔族の中にいるという、死者を冒涜する最悪の魔法を使う魔法使い、『死霊術師』と呼ばれる奴らの逸話を。

 実際に見てみれば、なんともおぞましい光景だった。

 

「ふぅ。さすがに、この数のゾンビを作るのは手間だねぇ。あと何回魔法を使う必要があるのやら。まったく、深層を彷徨いてりゃ自分で作るまでもなく、屈服させて縛り付けるだけで入れ食い状態だったってのに面倒なもんだよ。行き掛けの駄賃に上層の連中を皆殺しにしようなんて考えるんじゃなかったかもねぇ」

「婆チャン、頑張ッテ」

「わかってるさ。今さらやめるのも勿体ないからねぇ」

 

 今の会話を聞き、さっきの魔法と合わせて考え、ああ、なるほどと納得する。

 迷宮に入ってきた魔族の目的が不明だったが、迷宮内のゾンビを手駒にしようとしてたのか。

 今の口振りから察するに、あの老婆魔族はゾンビを作るだけじゃなく、野生のゾンビを従える魔法も使えるんだろう。

 それで迷宮内のゾンビを捕まえ、その戦力で街を襲うつもりか。

 情報がなかったって事は、多分、今までは上層の連中を襲っていなかった。

 今になって襲って皆殺しにしたのは、充分な戦力が揃って隠れる必要がなくなったとでも考えたからかもな。

 

 まさかこんな奴らがいたとは……深層で俺と出くわさなかったのは幸か不幸か。

 ついでに、剣聖スケルトンとぶつからなかったのも幸か不幸か。

 剣聖スケルトンが奴らの手に落ちてたかもしれないと考えれば幸運だが、逆に剣聖スケルトンが奴らを仕留めてくれたかもと考えると不運だな。

 まあ、今さらなんだが。

 

 さて、そんな現場を見つけてしまった俺はどうするべきか。

 街の事を考えるなら、奴らを素通りして街へ駆け込み、情報を伝えるのが一番だろう。

 問題は、俺の足で魔族を振り払えるのかどうかだな。

 明らかに非力そうな老婆魔族ならともかく、子供の足であの明らかに肉弾戦に特化してそうなツギハギ魔族を振り切るのは無理じゃないかと思う。

 隠れて無視して通ろうにも、奴らが陣取ってるのは出口に続く唯一の通路だ。

 避けては通れない。

 

 なら、戦うしかないな。

 別に悲観する事でもない。

 せっかくの降って湧いた強敵(ふみだい)だ。

 挑みかからないなんて余りにも勿体ないじゃないか。

 

 俺は気配を潜めながら、剣聖スケルトン戦での戦利品『黒天丸』を振り上げた。

 

()()()()━━」

 

 そして、最深部からこの上層に戻って来るまでの10日間で習得した四つ目の必殺剣を使う。

 これは唯一の自発的な攻撃技だ。

 非力な俺じゃ黒天丸がなければ使えない、言わば七つの必殺剣の中で唯一の完全に武器頼みの技。

 少々情けないが気にしない。

 凡人は使える物全て使ってなんぼだ。

 だからこそ、俺はこの技にも七つの必殺剣の一つとして誇りを持つ。

 

「『黒月(くろづき)』!」

 

 剣聖スケルトンが使っていたのと同じ、飛翔する闇の斬撃が、不意討ちで老婆魔族に襲いかかる。

 俺は加護持ちの連中と違って、自力で斬撃を飛ばす事はできない。

 筋力なのか魔力なのか知らないが、前提となる基礎能力が全く足りないからだ。

 だが、こうして黒天丸のような魔剣を使えばその限りではない。

 当然、自前の技と併用していた剣聖スケルトンとは比べるべくもない弱い攻撃だ。

 至近距離から直接急所でも狙わない限り致命傷にはならないだろう。

 しかし、強敵相手でもちゃんとした攻撃として通用するくらいの威力は出る。

 

 これが四の太刀『黒月』。

 闇を纏い、闇を飛ばし、通常攻撃が普通に通じる事の素晴らしさを教えてくれる技だ。

 

「婆チャン!」

 

 咄嗟にツギハギ魔族が手を伸ばし、老婆魔族を狙った闇の斬撃を掌で受け止めてみせた。

 その掌に傷が刻まれ、魔族特有の青い血が噴き出す。

 浅いな。

 だが、ちゃんとダメージにはなった。

 

「誰だい!? ……子供?」

 

 老婆魔族が攻撃の飛んできた方を振り向き、俺を発見する。

 一瞬ポカンとしてたが、次の瞬間にはしわくちゃの顔に口が裂けるような不気味な笑みを浮かべた。

 この表情はアレだ。

 相手をなめくさってる嘲りの笑みだ。

 元の顔ですらしわくちゃモンスターなだけに、こうして不気味な笑みが加わると大変気色悪い。

 

「ひっひっひ。どうしたんだい坊や? 死者を弄ぶあたしらを見て英雄ごっこでもしたくなったのかい? かぁわいいねぇ。坊やからは忌々しい神の気配も感じないよ。加護も持ってない普通のお子ちゃまじゃないかい。かぁわいいねぇ。身の程知らずの愚かな餓鬼は。可愛くて可愛くて、イジメたくなっちまうよぉ……!」

「婆チャン、ソレ、悪イ癖」

「お黙り!」

 

 やっぱり、この老婆魔族、弱者を虐げて悦に浸るタイプか。

 魔族にありがちな性格だ。

 油断しまくってるが、それならそれで別にいい。

 修行と考えればマイナスかもしれないが、それ以前にこれは本気の殺し合いだ。

 殺し合いの最中に、わざわざ相手の油断をなくして強化してやるような事をする程、俺は強くも傲慢でもない。

 

「この後は予定があるんだけどねぇ……まあ、いい。その勇気に免じて、お婆ちゃんがちょっと遊んであげようかねぇ。ひっひっひ!」

 

 そうして、魔族二人が戦闘態勢を取り、俺もまた黒天丸を構える。

 死体とはいえ剣聖という人類の守護者と戦った直後に、今度は人類の敵である魔族と連戦する事になるとはな。

 どんな因果か知らないが、これも試練の一つだろう。

 だったら、全力で乗り越えるのみだ。



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16 VS死霊術師

 さて、この魔族二人とどう戦うべきか。

 その作戦は、攻撃を仕掛ける前にあらかた考えておいた。

 まず第一に、この二人を同時に相手取るのは危険だ。

 俺は魔法に詳しくないから老婆魔族の力を計りきれない。

 実力が未知数の魔法使いなんて、被弾=死である俺にとっては、とんだ鬼門だ。

 それだけならまだしも、もう片方のツギハギ魔族からは、わかりやすく強者の気配を感じる。

 

 俺の感覚を信じるなら、このツギハギ魔族はかなり強い。

 さすがに剣聖スケルトンには及ばないと思うが、そこらの雑兵魔族とは比べ物にならないだろう。

 カマキリ魔族十体分くらいの力はありそうだ。

 こいつだけでも結構死力を尽くす必要があるのに、更に老婆魔族の操るゾンビ軍団に取り囲まれ、未知の魔法によるサポートまで加わったらと考えると……無理だな。

 万全の体調ならともかく、剣聖スケルトン戦の疲労を引き摺ってる今だと勝率が低すぎる。

 戦い方を工夫するべきだ。

 真っ正面から挑む事だけが修行じゃない。

 どんな手段を使ってでも勝つ事。

 どんな状況に在っても、勝って生き残る事。

 それこそが実戦で何よりも重要な事であり、実戦を通して習得するべき最重要スキルなのだから。

 

 という訳で、作戦はこうだ。

 最初にある程度奴らを叩いてから徐々に後退し、逃げたと見せかけて、追って来た敵を迷宮の地形を使って分断する。

 それで老婆魔族かツギハギ魔族のどっちかを釣り上げ、上手く別れてくれたら各個撃破だ。

 俺を追わずに無視して街に向かうようなら、後ろからチクチク襲撃してゲリラ戦に持ち込み、最終的には街の戦力とで挟み撃ちにする。

 二人が離れずに俺を追って来るようなら……悔しいが、迷宮の地形を使って撒いてから街に撤退。

 情報を伝え、後は街の判断に任せる。

 リンの話が本当なら、今頃街には剣聖が来てる筈だし、何とかなるだろう。

 

 よし、そうと決まれば作戦開始だ。

 まずは敵を叩いて戦力を削りつつ、下がって戦力をバラけさせる。

 だが、焦るな。

 俺の剣技は攻めるよりも、受けてカウンターを狙う方が圧倒的に向いてるんだ。

 敵はゾンビ軍団という駒を大量に持ってる上に、ツギハギ魔族という大駒まで備えた立派な『軍勢』。

 下手に飛び込めば押し潰されて圧殺されるだけだ。

 ここは受けに回って確実に初撃を決め、体力を温存して退路を確保しておくべきだろう。

 

 作戦は決まった。

 さあ、来い!

 

「フランケ、先に行って街を潰しときな。手駒は自分で召喚するんだよ」

「……エ?」

 

 え?

 分断作戦を考えてたら、俺が何かするまでもなく、勝手に敵が分散しようとしてるんだが。

 あ、そうか。

 俺をなめてるからか。

 

「デ、デモ……」

「ハァ。あんたはもっと自信を持ちな。あたしだってもう長くないんだから、いつまでもそんなオドオドしてちゃいけないよ。自立の予行演習だと思って頑張って来な」

「ワ、ワカッタ……」

 

 そうして、ツギハギ魔族は老婆魔族の言葉を受け入れ、凄まじいダッシュで迷宮を去っていった。

 ラ、ラッキー……?

 

「さて、待たせたね坊や! 遊ぼうじゃないか!」

 

 あまりに都合のいい展開に若干困惑していたが、老婆魔族のその言葉と敵意を受けて、即座にその困惑を振り払った。

 老婆魔族は骸骨の杖を俺に向け、それが指令となってるのか、何体かのゾンビが俺に向かって突撃してくる。

 数は四体。

 熊ゾンビ1、狼ゾンビ1、冒険者ゾンビ2。

 冒険者ゾンビは、それぞれ剣士と槍使いだ。

 残りのゾンビは、老婆魔族の近くに居るまま動かない。

 

 護衛を残しつつの攻撃……じゃないな。

 普通の冒険者やって鍛えてる子供なら、頑張ればギリギリ逃げられるかもしれないくらいの数を放って遊んでるだけだ。

 完全になめてやがる。

 いいだろう。

 ツギハギ魔族もいなくなった事だし、作戦変更だ。

 油断してる内にぶった斬ってやる。

 

 俺は逃げず、逆に前に向かって突撃した。

 迫り来るゾンビどもに対して、こっちから距離を詰める。

 そして、まずは一番素早く攻撃を仕掛けてきた狼ゾンビから対処した。

 右前足による爪の攻撃を、狼ゾンビの右側に向けて走りながら黒天丸で受け、受け流しながら左足を軸に体を右回転。

 一回転した時に右足を狼ゾンビへと叩き込み、それを強く蹴りつけて足場にする事で加速する。

 

「『激流加速』!」

 

 それによって狼ゾンビを振り切り、次に接触したのは、間合いの広い槍使いゾンビ。

 そいつが俺に向けて槍を突き出す。

 この槍使いゾンビ、加護こそ持ってなさそうだが、熟練の技巧を感じる中年の男だ。

 突き一つ見ても、長年の努力が伺える。

 それを魔族なんぞに利用されるとは気の毒に。

 待ってろ。

 すぐに解放してやる。

 

「『激流加速』!」

 

 槍使いゾンビの攻撃もまた受け流し、激流加速のエネルギーに変換。

 次に襲いかかって来たのは剣士ゾンビ。

 こっちは年若い少女だ。

 と言っても、俺よりは歳上なんだが。

 この人からは確かな才覚を感じた。

 こんな所で死ななければ、冒険者として大成できてただろうに。

 

「『激流加速』!」

 

 この人の攻撃も激流加速のエネルギーに変え、前へ。

 最後に立ち塞がるのは、一番足が遅くて一番遅れてる熊ゾンビ。

 ただし、勿論ただの熊ではなく熊型魔物のゾンビなので、パワーはこの四体の中ではピカイチ。

 この前も、そのパワーを脱出の為に上手く利用させてもらったし、今回もそうさせてもらう。

 

「『激流加速』!」

 

 四連続の激流加速で四体のゾンビを振り切った。

 技を使う度に推進力を得て速度が上がるので、今の俺は近年稀に見るくらいのスピードで走ってる。

 それこそ、英雄の足下くらいには及ぶかもしれないスピードで。

 その予想外の速度に面食らったのか、老婆魔族が目を見開く。

 もう老婆魔族は目と鼻の先だ。

 距離を詰められた魔法使いは脆いというのが常識なのに、呆れる程反応が遅い。

 相手をなめてかかって、油断しまくるからこうなる。

 報いを受けろ。

 

「『黒月』!」

「ギャアアアア!?」

 

 加速の勢いを存分に乗せた闇纏う斬撃で、さながら老騎士が見せた絶技『刹那斬り』のように、すれ違い様に老婆魔族の体を切り裂いた。

 老婆魔族も咄嗟に杖を持った両腕でガードしようとしたが、黒天丸の破壊力と激流加速四回分の勢いを乗せた斬撃をあんなヨボヨボの腕で受け止められる筈もなく、袈裟懸けの斬撃で杖ごと真っ二つに体を裂かれる。

 人間なら致命傷だが、油断はしない。

 カマキリ魔族は脳の一部を破壊してもギリギリ生きてた。

 魔族や魔物の中には、たまにそういう謎の生命力を持ってる奴らがいる。

 故に、確実にトドメを刺すまで気は抜けない。

 

 俺はまだ残っている加速エネルギーの向きを足捌きで操り、今度は背後からトドメの一撃を繰り出そうとした。

 

「チッ!」

 

 しかし、その一撃を邪魔するように老婆魔族の近くに居たゾンビ軍団が動き出し、俺を集団リンチしようとする。

 即座に斬撃をトドメから迎撃へと切り替え、ゾンビ軍団を迎え撃つ。

 その隙に、老婆魔族は狼ゾンビの一体に咥えられながら、半分以下になった体で出口の方へと逃げて行った。

 やっぱり即死はしてなかったか。

 何故か血も出てなかったし、そんな気はしてた。

 だが、逃げたのなら追いかけて仕留めるだけだ。

 

 俺は再び激流加速を使い、ゾンビ軍団の攻撃を推進力に変えて包囲網から脱出し、老婆魔族を追う。

 深層で似たような事を繰り返してて良かった。

 どんな修行も無駄じゃない。経験が生きてる。

 ゾンビ軍団の連携が取れてなかったのも僥倖だ。

 老婆魔族が弱ってるから細かい指示を出せなかったのか、それとも元々連携なんて取れないのかはわからないが、おかげでより慣れ親しんだ深層の状況に近い布陣になってて、突破が楽だった。

 

 しかし、僅かながらも足止めされたのは事実だ。

 急いで老婆魔族を追いかけ、迷宮の出口へと向かう。

 そして出口に辿り着き、久しぶりに太陽の光を拝んだ瞬間、老婆魔族を咥えて行った筈の狼ゾンビが飛びかかってきた。

 それを流刃の一撃で真っ二つにして塵に帰し、老婆魔族を探して辺りを見回す。

 老婆魔族はすぐに見つかった。

 右肩から左脇腹までを斬られ、もう頭と左腕くらいしか残っていない哀れな姿で、地面に倒れながら何やらブツブツと呟いていた。

 

「ああ、体が崩れる……! 油断した……! 油断しちまった……! 魔剣手に入れて思い上がってるだけの餓鬼かと思ったら、まさかまさかだよ……!」

 

 すわ、魔法の詠唱かと思って身構えたが、ただの嘆きだったらしい。

 老婆魔族の体は、俺が斬った切断面から徐々に塵と化し、崩れ落ちている。

 あれはゾンビの特徴だ。

 なるほど、老婆魔族はさしずめ意識を持ったゾンビだったという訳か。

 そんなのがいるなんて話は聞いた事ないが、多分あの老婆魔族は魔界で生まれたんだろうし、魔界にこっちの常識は通じないんだろう。

 それにしても、死者を冒涜する死霊術師もまた死者だったというのは、どんな皮肉なんだろうか。

 

 まあ、そんな事は関係ない。

 相手が人類に仇なす魔族である以上、それ即ちステラの敵だ。

 ステラの敵を俺が見逃す道理はない。

 どんなに哀れな姿だろうと、躊躇も容赦も油断もせずにトドメを刺す。

 

 俺は黒天丸を握り締め、朽ちる寸前の死体を斬るべく駆け出した。

 

「だけどねぇ、この程度じゃまだ死にゃあしないよ……! このくらいの修羅場は何度も潜って来たんだからねぇ……! 逆転の一手、とっときの切り札を見せてやるさね……!」

 

 老婆魔族のその言葉を聞いた瞬間……ゾワッと背筋に悪寒が走った。

 言葉にビビッた訳じゃない。

 もっと具体的な脅威が目の前に現れたからだ。

 老婆魔族の前に、凄まじい圧力を放つ魔力の渦が発生する。

 その中から不気味に光る巨大な魔法陣が出現し、魔法陣の中央から何かが出て来る。

 

 それは、巨大な魔物だった。

 それは、最強と呼ばれる魔物の一種だった。

 紫色の強靭な鱗を持ち、強靭な四本の足全てを地につけて君臨する、三つ首の頭を持った『竜』。

 全長20メートルを超える翼のない巨竜が、光のない三対の瞳で俺を見下ろしていた。

 

「ひっひっひ! かつての魔王様のペット、魔界の毒沼に君臨してた上位竜、毒竜ヒドラの死体さね! 聖戦士とすらまともに戦える化け物だよ!」

 

 老婆魔族が勝ち誇るように笑う。

 それを見ても俺は行動を変えず、とりあえず術者を攻撃しようとしたが、毒竜のゾンビ、ドラゴンゾンビが頭の一つを盾にして俺の攻撃を防いでしまう。

 硬い!

 さすがは竜の鱗。

 黒天丸の力があっても、今の俺の筋力だけじゃ傷一つ付けられないか……!

 

 そうこうしてる内に、残り二つの頭の内一つが老婆魔族を咥え、最後の頭の上に乗せた。

 そして老婆魔族は魔法を使い、スライム状の黒いヘドロみたいな物で竜の頭に自分の体を固定。

 あれじゃ簡単には手を出せない。

 さすがに、油断を突いた不意討ちだけで倒せる程、魔族は甘くないか。

 

「……チッ」

 

 しかも、後ろから他の気配が迫って来る事まで感じた。

 さっきのゾンビ軍団が迷宮から這い出して来たのだ。

 前門のドラゴンゾンビ、後門のゾンビ軍団。

 逃げ場はなくもないが、逃げたところでどこまでも追って来るだろう。

 相手は疲労という概念のないゾンビどもだ。

 追いかけっこになったら勝ち目はない。

 

 やるしかないな。

 

「ひっひっひ! さっきはよくもやってくれたねぇ! さあ、反撃開始だよ!」

「……かかって来いや」

 

 老婆魔族の言葉を合図に、ドラゴンゾンビをはじめとしたゾンビ軍団が動き出し、襲いかかってきた。

 恐らくはこれが、長く続いた亡者の洞窟での最後の戦い。

 この地での最後の試練、乗り越えさせてもらおうじゃねぇか。



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17 屍竜

 戦いが始まってから最初に大きく動いたのはドラゴンゾンビだった。

 巨大な三つの口を開け、その中に膨大な魔力が収束していく。

 これはアレだ。

 ドラゴンの代名詞……

 

「ブレスか!」

「ご名答!」

 

 そう認識した瞬間、俺はブレスの死角になるだろう場所へ向けて走った。

 狙いはドラゴンゾンビの後ろだ。

 足の間を潜って背後へ抜ける!

 しかし、それを邪魔するようにゾンビ軍団が迫って来た。

 しかも、素早いゾンビが俺の逃げ道を塞ぐような立ち回りをする。

 老婆魔族の采配だろう。

 このままだと味方のゾンビ諸共ブレスで吹き飛ばす事になるが、お構い無しという訳だ。

 

「どけ!」

 

 俺は無理矢理にでも活路を開くべく前に出た。

 道を塞ぐゾンビが壁を作って邪魔をしてくる。

 俺はそれを上から飛び越えるべく、思いっきりジャンプ。

 空中の俺を叩き落とそうとした攻撃を激流加速で推進力に変え、まんまとブレスの死角まで逃げ切る事に成功した。 

 

 俺が走り抜けた直後、ドラゴンゾンビのブレスが放たれる。

 三つの頭から同時に放たれたブレスは、混ざり合い、とんでもない威力となって地表を蹂躙した。

 さっきまで俺の居た地面がベッコリと凹んでクレーターが作り出される。

 なんて威力……。

 これは斬払いで霧散させるのも、歪曲で軌道をねじ曲げるのも無理だな。

 もっと熟練すればできるようになるだろうが、現時点だと頭一つ分のブレスがギリギリ対応限界ってところか。

 二つ以上の頭が同時に放ってきたら無理だ。

 避けるしかない。

 だが、どうやら避けるのも簡単じゃないらしい。

 

「ぐぅ……!?」

 

 足に激痛を感じて、痛みの元に視線を向ける。

 右足のふくらはぎ辺りの服が溶け、その下の肌や肉までぐずぐずに溶けていた。

 これは今のブレスの余波によるダメージだ。

 あれはただのブレスではなく、毒竜らしく毒液を濁流のように発射した攻撃だった。

 完全に避けたにも関わらず、ここまで飛んで来た毒液の飛沫だけで、決して小さくないダメージを受けたのだ。

 幸い、足のダメージは骨にまで達していない為、痛みを無視すれば歩行は可能だが、機動力は確実に低下している。

 回復する時間が欲しい。

 

「開けや開け。小さな小さな魔界の門の切れ端よ。我の手駒を導きたまえ。━━『召喚(コール)』!」

 

 だが、それを許さないとばかりに、老婆魔族が新たな魔法を使った。

 ドラゴンゾンビが現れた時と似た魔法陣がいくつか現れ、そこからブレスで消し飛んだゾンビの代わりのゾンビが現れる。

 召喚魔法。

 人類には扱えない、限定的に空間をも操る魔族の秘技。

 厄介な。

 

 それでも、思ったより召喚されたゾンビの数が少ないのは幸いだ。

 新たに召喚されたゾンビは10体。

 俺の足止めに参加せず、ブレスの巻き添えを食らわなかったゾンビが10体。

 合わせて20体。

 少ないとは言えないが、対処できない数じゃない。

 

「チッ。体を修復しながらじゃこれが限界かね。それにストックがやたらと減ってる。フランケだね。まったく、召喚数は必要に応じてって教えただろうに……」

 

 老婆魔族は嘆くように呟きながら、残った左手で真っ二つになった杖を振るい、ゾンビを操って俺に差し向けてくる。

 ドラゴンゾンビが背後の俺に向けて、横薙ぎに尾を振るおうとする。

 動きは遅いが、大きさと重さが桁違いだ。

 

 

 俺は尾の攻撃が加速し始める前に距離を詰め、黒天丸を思いっきり鱗に突き刺した。

 全体重を乗せた刺突で鱗の隙間を狙ってもかすり傷しか付けられなかったが、それでも刃先を竜の尾に食い込ませる事はできた。

 

 ドラゴンゾンビはそんな俺に頓着せず、命令通りに尾による薙ぎ払いを続行する。

 俺は杭のように食い込んだ黒天丸を握って支えにし、振るわれる尾に張り付く事で正面衝突を避ける事で、ダメージを最小限に抑えた。

 そして、尾が狙いの位置にまで来たら刃先を引き抜き、振るわれた勢いのままに射出されて距離を稼ぐ。

 安全性と乗り心地が最悪の馬車に乗った時のような気持ち悪さに襲われるが、おかげでドラゴンゾンビから大きく距離を取り、ゾンビ軍団すらも飛び越えて、狙いの位置に吹っ飛ばされる事ができた。

 

 激流加速の要領で受け身を取り、無事な左足を使って、この勢いを維持したまま目的地へと駆ける。

 その目的地とは……亡者の洞窟入り口。

 ドラゴンゾンビの巨体で狭い洞窟の中へは入れない。

 回復の時間を稼ぐには絶好の場所だ。

 

「ぬ!? そう来たかい!」

 

 俺の狙いに気づいたらしい老婆魔族が指示を出し、ゾンビ軍団が俺を追ってくる。

 だが、今の最高に加速した俺を捕らえられる程のゾンビはいない。

 それは老婆魔族もわかってるらしく、本命はドラゴンゾンビが口を開く事によって発射された再びのブレスだ。

 さっきみたいな高出力ブレスじゃない。

 あれは地味に発射までに時間がかかるからか、今回選択されたのは小さな毒の水玉を連射してくるタイプのブレスだった。

 俺の逃げ場を奪うように、面を制圧するように大量の毒玉が降り注ぐ。

 だが、これくらいなら防げる!

 

「『歪曲連鎖』!」

 

 俺は直撃しそうだった何発かの毒玉を歪曲で逸らして別の毒玉にぶつける。

 それによって毒玉が弾け、大量の飛沫が雨のように降り注いできたが、問題ない。

 傘代わり、というよりレインコートの代わりは持っている。

 

「ハッ!」

 

 俺は片手をマジックバックに突っ込み、そこからある物を取り出す。

 それはマジックアイテムと化した、ボロボロの黒い和服だ。

 剣聖スケルトンの身を守り続けていた装備。

 その頑丈さと厄介さは身を持って体験している。

 布故に打撃には弱いが、この手の攻撃には滅法強い筈だ。

 

 和服を盾に毒の雨を防ぐ。

 予想通り、和服は毒の雨など物ともせずに耐えてくれた。

 さすが大昔の剣聖の装備。

 マジックアイテムである事を差し引いても素材が良いんだろう。

 経年劣化でボロボロとはいえ、和服としての原型を余裕で保っているのがいい証拠だ。

 

 そして、おかげ様でゴールである。

 俺は亡者の洞窟入り口まで走り抜けた。

 

「チッ!」

 

 老婆魔族のデカイ舌打ちの音を聞きながら、迷宮の中に一時避難する。

 魔族二人が暴れたおかげで、魔物も冒険者もいなくなった迷宮の上層に。

 ゾンビ軍団が追いかけて来ている為、いくつか通路を曲がった先の比較的見つかりづらい場所に潜む。

 

 そうして、ようやく治癒魔法を使う事ができた。

 しかし、俺の下級の治癒魔法だけじゃ治し切れない。

 マジックバックから回復薬を取り出して患部に振り掛ける。

 それで何とか治ったと言えるレベルになった。

 傷は残ってるが、痛みさえ無視すれば行動に支障のないレベルだ。

 たかが飛沫を浴びただけでこれとは、どんだけ強い毒なのやら。

 とりあえず、これ以上の被弾を少しでも避ける為に、和服を解いて羽織のように肩にかけておいた。

 サイズも合わないし、かなり不恰好な事になったが、ないよりは遥かにマシだろう。

 

「ふぅ……」

 

 これで、どうにか最低限の態勢は整った。

 落ち着いたところで対策を考えよう。

 まず、あのドラゴンゾンビを倒すのはかなり厳しい。

 相性がこれでもかという程に最悪だ。

 あの巨体と頑強さが相手だと、最大のダメージソースである流刃を使ってもかすり傷しか付けられない。

 しかも、ドラゴンゾンビの基本的な攻撃方法がブレスという遠距離攻撃である以上、流刃を使うチャンスすらほぼないと見ていいだろう。

 歪曲と斬払いはそのブレスを防ぐのに役立つとはいえ、それも完全とは言えず、おまけに攻撃技じゃないからダメージを与えられない。

 

 こういう敵は五の太刀か六の太刀、もしくは黒月で眼球辺りの急所を一突きにする事で仕留めるのがセオリーなんだが、それも無理だろうな。

 五の太刀と六の太刀は現状使えないし、黒月で眼球を貫いて脳まで破壊できたとしても、相手はゾンビだ。

 それじゃ止まらない。

 体を真っ二つにするくらいのダメージを与えない限り。

 

「……ダメだな、こりゃ」

 

 結論、ドラゴンゾンビ討伐は不可能だ。

 己の無力さが憎い。

 だが、ドラゴンゾンビが倒せないからと言って、この勝負を諦めるつもりは毛頭ない。

 ドラゴンゾンビがダメなら、それを操ってる老婆魔族を直接叩けばいいのだ。

 奴こそがこの戦いにおける最大の急所である事は間違いない。

 術者が死ねばゾンビも滅びる……かどうかはわからないが、少なくとも状況が好転する事は間違いない筈。

 ドラゴンゾンビの巨体をよじ登り、頭の上に合体してる老婆魔族をぶった斬る。

 これも簡単じゃないだろうが、やるしかないな。

 

「!」

 

 そうして覚悟を決めた時、複数の足音が近づいてくるのがわかった。

 ゾンビ軍団が追い付いてきたか。

 当然だが、こいつらも邪魔だ。

 不意討ちで少しでも数を減らすとしよう。

 

 そう判断して死角からゾンビ軍団に襲いかかり、何体かを真っ二つにして塵に帰した瞬間……

 

「見ぃつけたぁ!」

 

 そんな気色の悪い声と共に、凄まじい轟音を立てながら洞窟の天井が崩落した。

 危険を感じて咄嗟に後ろに下がった事で被害を免れた俺が見たのは、天井を貫いてきたドラゴンゾンビの頭の一つ。

 マジか。

 こいつ、一部とはいえ迷宮を破壊して侵入して来やがった!

 

 ドラゴンゾンビの口の中に魔力が集う。

 ブレスが来る!

 しかも、この逃げ場のない狭い通路の中で!

 

「くっ!」

 

 とんだ奇襲に驚愕しつつ、俺は何とか迎撃を試みる。

 戦いは、有無を言わさず第二ラウンドに突入した。



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18 拳の英雄

「『斬払い』!」

 

 頭一つ分のブレスを何とか斬払いで霧散させ、毒の飛沫を肩に羽織った剣聖スケルトンの和服で防ぐ。

 もっと斬払いの精度が高ければ飛沫すら飛ばない程完璧に防げたんだが、できないものは仕方ない。

 これから磨くしかないだろう。

 

 そうしてブレスを迎撃した後、ブレスの飛んで来た軌道上を突っ切って前へ出る。

 そのまま迷宮の天井を突き破ってきたドラゴンゾンビの頭に飛び乗り、首を伝って老婆魔族の所を目指した。

 最初の目的地は、三つの首の付け根である胴体。

 そこから老婆魔族が合体してる首へと乗り移るのだ。

 

「ぬ!?」

 

 俺の狙いに気づいたらしい老婆魔族が杖を振り、ドラゴンゾンビに首を滅茶苦茶に振り回させて、俺を振り落とそうとしてくる。

 この手の長い首だの尻尾がしなる時は、大抵その根元が先に動くものだ。

 目を見開いてその予備動作を全て読み切り、首の動きに対して常に最適の受け身を取る事で前へ進んでいく。

 とんでもない集中力を必要とする作業。

 頭も体も疲労が半端じゃないが、もう少し、もう少しで胴体に……!

 

「させないよ!」

 

 だが、さすがにそう簡単には行かず、老婆魔族が対策を打ってきた。

 俺の進行ルート上、ドラゴンゾンビの首の付け根辺りにいくつもの魔法陣が現れる。

 その中から、さっきのゾンビ軍団が現れた。

 転移!?

 こういう事もできるのか!

 

「やたら魔力を使うからあんまりやりたくないんだけどねぇ……。でも、あんたを倒す為の必要経費だと思う事にするさね。やっちまいな!」

 

 老婆魔族の命令に従い、ゾンビ軍団の内、遠距離攻撃を持つ奴らが俺を叩き落とすべく、魔法や弓矢、投擲を使って攻め立ててくる。

 俺は最悪の足場を気にしながら全ての攻撃を歪曲や斬払いで防ぎ、時にはドラゴンゾンビの体を盾にしながら進み続けた。

 

「!?」

 

 しかし、あと一歩というところで、俺の前に我が父を彷彿とさせるような筋肉ダルマのゾンビが立ち塞がる。

 さっきまでのゾンビ軍団には居なかった奴だ。

 恐らく、今の魔法で新たに召喚したんだろう。

 

 そいつを見た瞬間、本能が全力で警鐘を鳴らし、背筋に悪寒が走った。

 

 一目でわかった。

 こいつは他のゾンビとは格が違うと。

 筋肉ゾンビが構えを取る。

 何かの徒手空拳の武術の構えだ。

 俺がその懐に飛び込むまでの僅かな時間で、筋肉ゾンビは目線、体捌き、予備動作などでいくつものフェイントを入れてから拳を突き出してきた。

 体重の乗った右ストレート。

 俺はそれを何とか見切り、無骨な手甲に包まれた拳を黒天丸で受け流して流刃を決めようとするも、筋肉ゾンビは冷静にもう片方の腕で俺の反撃を防ぎ、そのまま腕を横に薙いだ。

 

 凄まじい力で、俺はドラゴンゾンビの上から弾き飛ばされる。

 

「くっ!?」

「ひっひっひ! そいつはあたしの秘蔵コレクションの一体! 二百年前の拳の英雄『フィスト』だよ! 聖戦士にこそ及ばないが、英雄の中でも上位の力を誇る自慢の逸品さ!」

 

 ドラゴンゾンビから飛んで来る小ブレスの連打やゾンビ軍団の遠距離攻撃を捌きながら受け身を取り、自慢するような老婆魔族の言葉を頭の中で咀嚼した。

 拳の英雄フィスト。

 そんなに有名ではないが、しっかりと歴史に名を残している本物の英雄だ。

 『剛力の加護』を持ち、激戦で傷付いた当時の勇者とその仲間達を逃がす為に、単身で魔王軍の追っ手を食い止めて戦死したという立派な男。否、漢。

 そんな尊敬すべき漢の死体を利用し、あまつさえコレクション扱いする老婆魔族に強い怒りを覚える。

 

 しかし、怒りに燃える心とは裏腹に、頭の方はどこまでも冷たく冷静に現状を分析していた。

 この状況はヤバイ。

 ただでさえ鬼難易度のドラゴンゾンビに、過去の英雄という護衛がついてしまった。

 しかも、フィストは二百年前の人物だというのに、見たところ、その死体は欠片も腐っていない。

 多分、老婆魔族の魔法で腐敗を止めているんだろう。

 だとすると、朽ち果てていた剣聖スケルトンとは違って、フィストは全盛期に近い力を持っている可能性が高い。

 

 下手すれば剣聖スケルトンに匹敵しかねない強敵だ。

 ドラゴンゾンビと英雄フィスト、おまけにゾンビ軍団。

 こいつらを相手に果たして勝てるのか?

 ……いや、そんな事はもはや関係ない。

 ドラゴンゾンビの攻撃範囲の広さに加えて、迷宮にすら隠れられない現状を考えれば、逃げ道なんてとっくのとうになくなってる。

 退路はないのだ。

 やるしかない。

 勝つか、死ぬかだ。

 

「上等だ……!」

 

 俺は気合いを入れ直し、一切の躊躇を捨てて再びドラゴンゾンビに向かって行く。

 フィストの剛力で吹き飛ばされたせいで、距離は遠い。

 向こうの遠距離攻撃だけが一方的に届く距離。

 そのアドバンテージを敵が活かさない訳がなく、ゾンビ軍団の攻撃や、ドラゴンゾンビの小ブレスを躱しながら前へ前へと進む。

 あの極大ブレスが来ないのは幸運だ。

 あれだけはどう足掻いても避けるしか対処法がない。

 そして、この距離だと効果範囲から逃げ切れるかは微妙なライン。

 

 にも関わらず撃って来ないのは、恐らく激流加速を見せてるからだろうな。

 老婆魔族は年季の入った生粋の魔法使いだ。

 剣術への理解が深いとは思えない。

 そして、俺の技は剣術をはじめとした近接戦闘技術に精通した奴以外から見ると、まるで手品か魔法のように見えるらしい。

 激流加速のタネがわからず、いつでも発動できると思われてるなら、チャージに時間の掛かる極大ブレスじゃ逃げ切られると思うのも道理だ。

 あとは、激流加速なしだと基本的に俺はトロイから、普通の遠距離攻撃でもその内当たると思われてるのかもしれない。

 どっちにしてもありがたい。

 その意識の隙を容赦なく突かせてもらおう。

 

 俺は歪曲と斬払いを存分に使い、全ての攻撃を防いで捌いて受け流して、ドラゴンゾンビの足下にまで到達した。

 

「踏み潰しなぁ!」

 

 老婆魔族が叫び、ドラゴンゾンビがその巨大な足の一本を持ち上げる。

 そこから繰り出される、図体の割には素早い踏みつけ攻撃。

 あの質量に速さが合わさったこの攻撃の威力は計り知れない。

 だが、だからこそ都合がいい。

 

「ハッ!」

 

 俺は老婆魔族とドラゴンゾンビの三つの頭に闇の斬撃を放って目眩ましにし、ドラゴンゾンビが俺の動きを見て踏みつけの位置を変えられないように仕組む。

 その上でドラゴンゾンビの動きを読み切り、踏みつけの時、ギリギリ潰されない位置へと走り、飛び上がりながら僅か数センチ隣の空間を押し潰すドラゴンゾンビの足に黒天丸を合わせた。

 大質量の踏みつけを受け流し、空中で高速回転しながら刀をドラゴンゾンビの足の鱗に引っ掛け、それを踏み台にした激流加速で大きく上へと飛翔する。

 最大級の物理攻撃を受け流した事で、激流加速の速度もまた過去最高クラス。

 飛翔距離もやたら長い。

 おかげで、一発でドラゴンゾンビの背中に到達する事ができた。

 このチャンスを逃さず、一気にドラゴンゾンビの背中を駆ける。

 老婆魔族の合体してる頭に向けて一直線で。

 

「ッ!? 迎え撃つんだよ!」

 

 背中に乗った俺に気づいた老婆魔族の命令により、ゾンビ軍団がこっちに向かってきた。

 遠距離タイプが支援し、近接戦タイプが飛び出す。

 フィストは道を塞ぐように、老婆魔族の合体してる首の前から動かない。

 

「ハァ!」

 

 俺は真っ先に突っ込んで来た狼ゾンビを、黒天丸の一撃で縦真っ二つにした。

 本当なら激流加速で振り払いたいんだが、それで体を真っ二つにされた老婆魔族が警戒しない筈がなく、今回のゾンビ軍団は一塊の壁となって俺の行く手を阻んでる。

 しかも、攻撃ではなく俺を捕まえようって動きだ。

 その上で、こっちに向けてドラゴンゾンビの三つの首がブレスの照準を合わせている。

 ここに来ての極大ブレスだ。

 ゾンビ軍団を捨て駒の肉壁にして俺を足止めし、極大ブレスで諸共吹っ飛ばすつもりだろう。

 そんな事すれば足場になってるドラゴンゾンビ自身もタダじゃ済まないだろうに……そこまでしてでも確実に仕留めたいと思う程脅威に思われてるのか。

 光栄な事だ。

 

 だが、もちろん死んでやるつもりなんざない。

 その為に、狼ゾンビを流刃を使わずにぶった斬ったんだ。

 敵の攻撃を受け流すという流刃の行程を踏めばタイムロスになる。

 この数のゾンビ相手に一々使ってれば、より多くの時間を食ってブレスで昇天だ。

 だからこそ、黒月を使っての最速撃破。

 これでゾンビの壁を無理矢理穿つ。

 黒天丸の攻撃力がなければとてもできない所業だ。

 剣聖ゾンビには感謝しかない。

 

「四の太刀変型━━『重ね黒月』!」

 

 連続で放つ闇の斬撃をゾンビ軍団の隙に叩き込み、数体を塵に帰して、文字通り道を切り開いた。

 その直後、ドラゴンゾンビのブレスが放たれる。

 だが、極大ブレスというには弱い。

 中規模ブレスってところだ。

 完全な足止めは不可能と見て、チャージの途中でぶっ放したのか。

 これなら何とか斬払いで……!

 

「ぐぅ!?」

 

 中規模ブレスの綻びに刀を振り下ろし、霧散させる事を試みる。

 しかし、極大ブレスには劣るといっても、さっきの小ブレスや普通の魔法と比べればとんでもない威力である事に変わりはない。

 威力だけなら、剣聖スケルトンの放ったどんな攻撃よりも上だ。

 刀を持つ腕が悲鳴を上げる。

 直感で理解した。

 このままじゃもたないと。

 

「ッ! アァアアアアア!」

 

 俺は目を見開き、俺を消し飛ばそうとするブレスを睨み付けた。

 もっとよく見ろ。

 もっとよく感じ取れ。

 綻びの中でも更に弱い部分を見つけ出せ。

 そこを斬れるように、ミリ単位で正確に刀を操れ。

 技を進化させろ。

 今、ここで。

 

「斬ッ払いィイイ!」

 

 俺の執念が、逆境を打ち破る為にほんの少しだけ技を成長させ、その僅かな上乗せが力関係を逆転させて、ブレスを斬り払った。

 払い切れなかった飛沫が頬を掠め、顔が一部焼けるように痛むが関係ない。

 前進だ。

 魔法使いや弓使いのような後衛ゾンビ軍団に近づいて斬る。

 さすがに、後衛職相手にこの距離なら小細工抜きで普通に勝てる。

 前衛ゾンビ軍団は、今のブレスの余波を食らって全滅した。

 残る壁は、あと一つ。

 

「フィストォッッ! なんとしても止めるんだよぉ!」

 

 そうして最後の砦、拳の英雄フィストが襲い来る。

 あくまでも首の付け根から動かず、まずは牽制とばかりに何もない空中へ正拳突きを放った。

 剣聖スケルトンの斬撃と同じように、フィストの打撃も宙を飛び、俺を殺さんと迫り来る。

 俺はそれを歪曲であらぬ方向へ弾き飛ばした。

 フィストは拳を乱打してきたが、全て避けるか、歪曲と歪曲連鎖で受け流して距離を詰めて行く。

 そして遂に、互いの直接攻撃が届く間合いへと入った。

 

「行くぞ、英雄」

「…………」

 

 フィストは何も答えない。

 死体である彼が答える筈もない。

 それでも俺は宣戦布告を言葉にした。

 ステラと一緒に夢中になった英雄譚、その登場人物になるような人を相手にするなら言ってみたかったのだ。

 

 俺はこの人を超える。

 かつての憧れを超えて、その先へ。

 

「いざ……!」

 

 そうして俺は、強く刀を握り締めた。



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19 研ぎ澄ませ

 接触の直前。

 フィストは構えを取る。

 全身の筋肉を隆起させながら腰を落とし、左半身を前へ、右半身を後ろに。

 右腕は腰だめに構えられ、まるで発射を待つ弓矢のように引き絞られていた。

 

 そして俺が射程に入った瞬間、目にも止まらぬ速度で拳が解き放たれる。

 小細工無用とばかりに、全ての力が込められた必殺の正拳突き。

 来るとわかっていても対処は困難だろう。

 防げるものなら防いでみろと言われているような気がした。

 

 だが、残念だったな。

 その手の攻撃は俺のカモだ。

 

 目にも留まらぬ拳へと正確に刀を合わせ、流刃で受け流して回転。

 その威力を斬撃へと変換してフィストの足を狙う。

 カマキリ魔族や剣聖スケルトン相手にやった、恒例の足刈り。

 機動力を削げれば一気に有利になる。

 

 しかし、さすがにこんな単発の一撃で刈れるような甘い相手じゃない。

 フィストは拳の勢いのままに体を回転させ、それに沿って俺の狙っていた左脚を下げる事で斬撃を避けた。

 俺はそのまま流刃の勢いに任せてもう一回転し、次は脇腹を狙って斬るが、左手に付けられた無骨な手甲で簡単に防がれる。

 

 初撃のぶつかり合いは、互いにダメージを与えられず引き分け。

 上々の結果だ。

 しっかり英雄と張り合えてるし、()()()()()()()()()()()

 覚悟しろよ、英雄。

 今、俺の舞台に引き摺り込んでやる。

 

 俺はフィストの左腕に攻撃を防がれた反動を利用し、激流加速を発動。

 一目散にフィストの後ろへと走り抜けた。

 向かう先はドラゴンゾンビの首の道。

 そう、フィストを無視して老婆魔族を狙う!

 

「ッ!? フィストォォ!」

 

 そうなれば当然、老婆魔族はフィストをこの首の道に呼び出さざるを得なくなる。

 命令に従ったフィストは、背後から大ジャンプで俺を追い越し、老婆魔族の前に立ち塞がろうとした。

 しかし、フィストがジャンプした瞬間に、俺は飛翔する闇の斬撃を老婆魔族に向かって放つ。

 老婆魔族はそれを避ける為にドラゴンゾンビの首を動かし……

 

「しまっ……!?」

 

 直後に己のミスに気づいたらしい。

 今動かしたドラゴンゾンビの首は、俺達にとって足場だ。

 そして、フィストは現在跳躍中。

 フィストにとっては、突然足場が動いて着地点がなくなった事になる。

 いくら英雄でも、さすがに空は飛べない。

 このまま落ちてしまえば、俺が老婆魔族を斬るまでに戻って来る事はできないだろう。

 そうなれば勝ちなんだが……

 

「まあ、そう簡単にいく訳ないか」

 

 ドラゴンゾンビがもう一度首を動かし、フィストの着地点を確保する。

 そこへすかさず、二発目の闇の斬撃を叩き込んだ。

 ここで避ければさっきと同じだ。

 タイミング的に、今度こそフィストは地上へと落下する。

 しかし、避けなければ老婆魔族の耐久力的に致命傷だろう。

 対応を迷ったのか、老婆魔族とドラゴンゾンビの動きが一瞬止まった。

 

 それを解決したのは未だ空中にいるフィストだった。

 フィストが拳を振るい、飛翔する打撃を闇の斬撃にぶつけて叩き落としたのだ。

 さすが、撤退する勇者達を守りきったという伝説を持つ男。

 味方を守るのは得意分野か。

 その力を、自分を殺した魔族の一人の為に使わされるというのは何とも悲しいが。

 

 だが、今の一連の無駄な動きのおかげで確信できた。

 この首の道での戦いは俺が優位だ。

 この不安定な足場は俺も戦いづらいが、向こうはそれ以上に戦いづらい。

 足場の制御権こそ向こうにあるが、今の様子じゃ老婆魔族がそのアドバンテージを上手く使うのは難しいだろう。

 ドラゴンゾンビのブレスも、ここに居る限り十全には使えない。

 下手に撃てば、フィストはおろか老婆魔族すら巻き添えになる可能性があるからだ。

 使うにしても小ブレスが精々。

 中規模ブレスや極大ブレスはほぼ封じたと見ていい筈だ。

 

 そして何よりも重要なのは、フィストが老婆魔族という弱点を守りながら戦わなければならないという事。

 いくら守りを得意とする英雄でも、あんなデカくて剥き出しで、自力での防御も回避もままならないようなお荷物を抱えての戦闘が負担にならない訳がない。

 相手の嫌がる事をやり、自分に有利な局面を作るのは戦いの定石だ。

 卑怯上等。

 俺みたいな弱者が、圧倒的な強者を相手に、絶対的な実力差をひっくり返して、本来からあり得ない筈のジャイアントキリングをやろうとしてるんだ。

 手段なんて選んでられない。

 勝つ為に、少しでも優位を取る為に、打てる手は全て打つに決まってんだろうが。

 

 俺が欲しいのは正々堂々とか、誇りを駆けてとか、そんなお綺麗な勝利じゃない。

 どれだけ汚くても、泥臭くても、ただ勝ちたい。

 勝って、勝って、勝って、その果てにステラとの未来を勝ち取りたい。

 ただ、それだけだ。

 

「おおおお!」

 

 気合いを入れる為、少しでも敵にプレッシャーを与える為、雄叫びを上げながら首の道を駆ける。

 老婆魔族が杖を振り、フィストが再び飛び上がって、ドラゴンゾンビは首を振り回した。

 そして、フィストが空中で両の拳を構え、ドラゴンゾンビの残り二つの頭が俺にブレスの照準を合わせる。

 

 フィストを上空に逃がした上で、こっちの足場を揺らして態勢を崩しつつ、遠距離攻撃で狙い撃ちにする戦法か。

 露骨にアドバンテージを活かしてきたな。

 それなりに有効な戦法ではあるかもしれないが、俺なら対処可能だ。

 

 俺は足場の揺れる方向や速さを先読みし、適切な受け身を取りながら走り続ける。

 首が上へ動けば、地を這うような体勢で重心を取りながら走り。

 首が下へ動けば、喉の方へ移動して逆さ走りをするか、鱗を掴んで耐える。

 遠距離攻撃も歪曲と斬払いで防ぎ、時には首の道の裏に隠れ、ドラゴンゾンビ自身を盾にする事で防いだ。

 

 大事なのは、力の流れをよく見て、感じ取る事だ。

 拳が振るわれる前には必ず肩が先に動く。

 地面を踏み締めれば、その力は腰を伝って全身を動かす。

 そういう力の流れが見えるようになれば、一番初めの予備動作から相手の動きを先読みできるようになる。

 滅茶苦茶に振るわれる竜の首の動きを読む事もだ。

 この感覚を掴むのに、夢の俺は十年以上の時間を必要とした。

 

 そして、この感覚を極める事こそが、俺の剣術の極意。

 最強殺しの七つの必殺剣は、例外である黒月を除いて、全てがこの感覚の上に成り立っている。

 力の流れに逆らわず、そこに相乗りする事で敵の力を利用する『流刃』。

 力の流れに寄り添い、僅かに干渉して軌道を歪める『歪曲』。

 力の流れの淀みである綻びを突き、滅茶苦茶にかき乱して霧散させる『斬払い』。

 残り三つの技も似たような理屈だ。

 

 必殺剣の基盤となるこの感覚を応用すれば、揺れる足場を走り抜ける事くらい容易い。

 だが、当然それだけでは勝てない。

 敵は過去の英雄に、英雄すら屠る竜、そしてそれらを操る上位魔族なのだから。

 

 唐突に、激しく動いていたドラゴンゾンビの首が静止する。

 今までの暴れっぷりが嘘のようにピタリと。

 そして、俺の前にフィストが着地して構えた。

 どうやら、老婆魔族は小細工をやめて真っ向勝負を選んだらしい。

 フィストが老婆魔族を守らなければならないのは変わっていないが、下手にアドバンテージに固執するよりはよっぽど良い手だ。

 

 結局、こうなったか。

 小細工を労しても、フィストを無視して老婆魔族を斬る事はできなかった。

 だが、それでいい。

 元々そこまでは期待してない。

 比較的有利な戦場にフィストを引き摺り込めただけで充分。

 老婆魔族との距離も大分縮んだ。

 取れる優位は取った。

 あとは、雌雄を決するのみだ。

 

「『黒月』!」

 

 まずは走りながらの黒月で牽制。

 避ければ後ろの老婆魔族が被弾する以上、フィストは防ぐしかない。

 しかし、相手は英雄。

 俺の貧弱な筋力で放った攻撃なんて全く効かず、片手で簡単にガードして封殺された。

 

 お返しとばかりにフィストは左腕で軽い拳を放ち、それが飛翔する打撃となって俺に迫る。

 それだけに留まらず、フィストの左腕が高速で動き、拳を連打。

 高速の連続ジャブ。

 それが全て飛翔する打撃となって俺に殺到する。

 

「速いな……!」

 

 俺は歪曲連鎖で全ての打撃を防いでいくが、この距離でこの速度の攻撃を全弾防ぐのは言う程簡単じゃない。

 剛力の加護という、他の武術系の加護と違って、技術ではなく身体能力の強化に特化した加護を持つフィストの力は、単純な肉体の強さでは剣聖スケルトンを超えている。

 そんなフィストが、その優れた筋力の全てを速度と連射性に使って攻撃してくるのだ。

 その様は、まさに拳の弾幕。

 厄介じゃない筈がない。

 あと言うまでもないが、一発でも直撃すれば即死だ。

 威力より速度と小回りを取った軽い攻撃でも、当たれば俺は余裕で死ねる。

 

「ぐっ……!?」

 

 それでも前へ進む事をやめなければ、当然防ぎ切れずに被弾する事になる。

 相性の問題も大きい。

 歪曲に対して最も有効な攻撃は、こっちの対応限界を越える手数での攻撃だ。

 そして、刀よりも拳の方が回転数が速いのは自明の理。

 直撃は意地でも避けてカス当り程度に抑えてはいるが、それでも体の芯に響くような衝撃が俺を襲う。

 そうなれば痛みと衝撃のせいで動きに支障をきたし、隙が生まれ、その隙をカバーする為に体勢は崩れ、被弾数が増えていくという負のループ。

 だが、前に進んでいる以上、フィストとの距離も、老婆魔族との距離も縮んでいる。

 一方的に殴られるだけの時間はもうすぐ終わる。

 

「なっ!?」

 

 そう思った瞬間、フィストが更に後ろへ飛んだ。

 老婆魔族を巻き込みかねない危険を冒してまで、俺との距離を空けたのだ。

 老婆魔族が驚いていない辺り、フィストの独断ではなく老婆魔族の指示だろう。

 その証拠に、こっちを向いたドラゴンゾンビの三つの首が、拳の弾幕に足止めされてる俺に向かって、ブレスを放とうとしている。

 かなり危ない橋を渡る作戦だ。

 手駒に戦わせ、自分は安全な所から高見の見物を決め込むような老婆魔族に、こんな事をやらかす度胸があったとは。

 数々の修羅場を越え、数百年の時を生き続けたという歴戦の魔族を、どうやら俺は侮ってたらしい。

 

 どうする。

 避けるのは難しいが、できなくはない。

 こっちも一旦後ろに下がって拳の弾幕の圧力から逃れ、首の道の側面へ行って他の方向からのブレスやフィストの攻撃を遮断。

 鱗に掴まりつつ、残った俺に届くブレス一つを斬払いで防げばいい。

 

 だが、それだとせっかく詰めた距離をみすみす空ける事になる。

 そうなれば、今までのダメージを引き摺った状態で、また一から拳の弾幕に再チャレンジだ。

 窮地を逃れる事はできるが、不利にしかならない。

 

「だったら……!」

 

 まだ体が動く内に突っ切るしかない。

 ここは引いちゃいけない場面だ。

 逆境を切り開け。乗り越えろ。

 前進だ。

 

「ああああ!」

 

 俺は前へと進む足を速めた。

 そんな事をすれば、拳の弾幕の圧力は凄まじい事になる。

 傷が増え、ダメージが蓄積していく。

 このままだと致命傷を食らうのも時間の問題だろう。

 運良く耐え抜いたとしても、ブレスの攻撃範囲から逃げ切れなければ、どの道お陀仏だ。

 

 だから、今ここで技を進化させる。

 

 人を最も成長させてくれるのは困難であり、逆境であり、強敵だ。

 困難を乗り越える為に試行錯誤し、逆境を切り開く為に力を磨き、強敵を倒す為に強くなる。

 人は強く強く必要に駈られる事によって、死に物狂いで進化を掴み取るのだ。

 さっき中規模ブレスを斬払いで防いだ時もそう。

 俺は絶体絶命の窮地を切り抜ける為に、普段とは比べ物にならない集中力を発揮し、技を進化させた。

 

 今回もそれと同じだ。

 さあ、アラン。

 進化しなければ死ぬぞ。

 拳の弾幕を切り抜け、ブレスの攻撃範囲から逃れて、フィストと老婆魔族の喉元に肉薄するんだ。

 必要な技は『歪曲連鎖』。

 飛翔する打撃を逸らし、それを他の打撃にぶつけて相殺しろ。

 効率を上げろ。

 一度の歪曲で、連鎖的にいくつもの打撃を巻き込め。

 計算しろ、それを感覚で実践しろ、無駄を極限まで省け。

 前へ出ろ。

 

 ━━研ぎ澄ませ。

 

「『歪曲連鎖』ァアアア!」

 

 俺は走った。

 拳の弾幕の中を、それを切り払いながら駆け抜けた。

 後ろでブレスが炸裂し、その飛沫を剣聖スケルトンの和服が防ぐ。

 そうして遂に、俺は再びフィストの眼前に立つ。

 

「フィストォオオオ!」

「『英雄の拳』」

 

 体に染みついた感覚故か、小さくそう呟いてフィストが拳を振るう。

 今までジャブに使っていた左腕を引き、それと入れ替わるように右腕でストレートパンチを繰り出した。

 まるでお手本のような、無駄を極限まで削ぎ落とし、効率を極めた、美しいとさえ感じる一撃。

 持つ加護が剛力の加護であるフィストに、加護による技術の補助はない。

 つまり、これはフィスト自身が磨き上げた力。

 拳の英雄が生涯を懸けて磨き上げた、至高の一撃。

 

 俺はそれを真っ向から迎え撃った。

 力の流れを読み切り、最適なタイミング、最適な体勢で拳に刀を合わせる。

 それを受け流して右回転。

 流刃により、フィストの右腕の外側から体を両断するべく刃を振るう。

 

「ッ!?」

 

 しかし、フィストはそれを完璧に防いだ。

 本当に完璧に、俺にとっては最悪の形で。

 

 フィストの左手が、死角から繰り出された筈の刃を掴んでいた。

 掌で受け、握り締めたのだ。

 そんな使い方をしたせいで、フィストの嵌めていた無骨な手甲が、黒天丸の闇の力に耐え切れずにヒビ割れる。

 その代わりに、フィストは黒天丸をガッチリと掴んで無効化して見せたのだ。

 

 さすがだよ、英雄。

 少し前までの俺なら、確実にこれで終わっていただろう。

 夢の中の俺ですら、武器を失ったら何もできなかったかもれない。

 

「だがな」

 

 今の俺には、二本目の刃がある。

 俺は黒天丸を掴まれたとわかった瞬間、即座に手を離して黒天丸を手放した。

 そして流刃の勢いのまま無手で回転し、その間に腰から一本の刀を抜く。

 今の俺の相棒であり、あの剣聖スケルトンと斬り合ってみせた名刀『怨霊丸』を。

 

 それを流刃の勢いに乗せて、渾身の力で振り抜く。

 

「オオオオオオオオオッ!」

 

 フィストの右腕は拳を放ったばかり。

 左腕は黒天丸を掴む為に使っている。

 つまりこの瞬間、フィストの両腕は塞がっており、ガードは空いている。

 その隙を、俺は見逃さなかった。

 

 無防備なフィストの胴を怨霊丸が薙ぎ、その体を上下真っ二つに斬り裂いた。

 

「フィ、フィストォオオオッ!?」

 

 老婆魔族が絶叫を上げ、数百年前の拳の英雄は塵へと帰っていく。

 俺はそれを目に焼き付け、次の瞬間には老婆魔族に向かって走る。

 彼をこんな風にした奴にトドメを刺す為に。

 

「な、なんなんだい、お前はぁあああ!?」

 

 フィストを下げたせいで目と鼻の先まで近づいていた老婆魔族が、そんな絶叫を上げた。

 俺がなんなのか、か。

 俺はまだ何者でもない。

 まだ何も成し遂げていない。

 それでも、あえて言うのなら……

 

「俺は『剣鬼』アラン」

 

 誰かがいつからか呼び始めた異名。

 気になってリンに聞いてみたら、「修羅みたいに形振り構わず戦いを求めてるからじゃないですか?」という、なんともアレな答えが返ってきた、半分蔑称に近い呼び名。

 『勇者』や『剣聖』みたいな立派な肩書きとは間違っても比べられない、仰々しいだけの俺の称号。

 だが、それでいい。

 いつの日か……いや、そう遠くない未来に、俺はこの異名を轟かせてみせる。

 名前の響きに負けないような立派な男になって。

 そして、『剣鬼』と言えばこう謳われるように。

 

「勇者の友にして、あいつの隣に立って戦う男だ!」

 

 勇者の絶対的な敵である魔族に対して宣言するように俺の決意を叩きつけ、怨霊丸を振るう。

 今度は縦に裂いてやる為の唐竹割りの斬撃。

 それが老婆魔族の頭を叩き割る。

 

「ギャアアアアアアア!?」

 

 しかし、老婆魔族はまだ絶命せずに悲鳴を上げた。

 だから、俺はこいつが完全消滅するまで刀を振るい続ける。

 縦、横、斜め、振り上げ、振り下ろし。

 微塵切りにしてやった。

 すると、いつしか叫び声は消え、バラバラになった老婆魔族の残骸が塵に帰っていく。

 それと同時に、足場になっていたドラゴンゾンビもまた、その巨体を塵へと帰して消滅していった。

 どうやら、術者を倒せばゾンビは消滅する仕組みだったらしい。

 ドラゴンゾンビは昔の魔王のペットだったって話だし、あるいはそういう昔のゾンビで、老婆魔族の魔法によって腐敗を止められてる奴限定の現象かもしれないが、とにかく助かった。

 

 俺は消えていくドラゴンゾンビから飛び降り、受け身を取って着地する。

 そして、フィストに掴まれたまま置き去りにしてた黒天丸が上から落ちてきて地面に突き刺さったので回収。

 これが無ければ俺は勝てなかっただろう。

 怨霊丸といい、武器に感謝だ。

 

 そんな黒天丸の入手もそうだが、今回の戦いで俺は大きく成長できたという自信がある。

 剣聖スケルトン、老婆魔族、ドラゴンゾンビ、フィストと、立て続けに強敵が現れたのは、ある意味かなり運が良い。

 こうして強敵という名の壁を一つずつ乗り越える事で、俺は強くなっていくのだ。

 これからも似たような事を繰り返して、3年後までにステラの隣に立てる領域にまで辿り着く。

 さしあたっては、街の方へ向かったツギハギ魔族を次の標的にしたいんだが……

 

「……疲れた」

 

 さすがに、今はもう疲れ果てた。

 限界だ。

 そりゃ、剣聖スケルトン戦からぶっ続けだからな。

 迷宮の帰り道で休憩は挟んでたとはいえ、それも徘徊するゾンビを警戒しながらの仮眠が精々。

 一度宿屋に戻ってゆっくり休みたい。

 地味に体もボロボロだし、自前の治癒魔法じゃ回復までに大分時間がかかりそうだから、できればリンに治してもらいたい。

 

 とにかく、街に戻ろう。

 その街をツギハギ魔族が襲撃中なんだが、それは剣聖がいればどうにでもなるだろう。

 ああ、そういえば今戻れば剣聖の戦いを見学できるかもしれないのか。

 よし戻ろう。

 すぐ戻ろう。

 

 そうして、俺は自分を大いに成長させてくれた亡者の洞窟に感謝を捧げながら背を向け、満身創痍の体を引き摺りながら街へ向かって歩き始めた。




ストックが尽きてしまったので、連続更新はここまでです。
戦闘描写くそキツイ……。


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20 街での戦い

「凄い……」

 

 ファルゲンの街にて突如起こった魔族との戦闘。

 それを見て、戦士達の回復役として駆り出されていたリンは、思わずといった様子でそう呟いた。

 

 始まりは本当に突然だった。

 迷宮の方から何の前触れもなくゾンビの大群が現れ、あっという間に街の防壁を破壊。

 破壊の限りを尽くさんと街の中へと進撃した。

 現地の兵士達も奮戦したが、いかんせん迎撃準備も何も整っていない所への、下手したら小国くらい落とせるような大軍勢の襲撃だ。

 一瞬足りとも耐えられる筈もなく、あっさりと全滅して、何とか逃げ延びた兵士が情報を伝えるのが精一杯だった。

 

 その情報を受け取った者達が即座に迎撃へと出撃。

 しかし、事は一刻を争う事態だ。

 部隊の編成などやっている暇はなく、作戦を練っている暇も、敵戦力の情報を共有する暇もない。

 とにかく動ける者が駆けつけるしかないという、およそ戦略としては最悪の部類の命令しか出せなかった。

 

 リンもそんな最悪の命令に従って、他の教会戦力と共に戦場へ赴いた。

 心中では「怖い、行きたくない」という気持ちと、「でも街の皆が心配」という感情が激しくせめぎ合っていたが、どっち道行かないという選択肢はない。

 教会は人類の守護を目的とする組織。

 それが守るべき人々を見捨てて逃げ出す事など許されないのだから。

 故に、リンは腹を括った。

 もっとも、敵戦力の情報共有がきちんとされていれば、貴重な癒しの加護持ちのリンをこんな死地へと送り込む事はなかったかもしれないが……それはリンの預かり知らぬ事である。

 

 そうして戦場へと駆けつけながら、リンの心中は不安と焦りに支配されていた。

 リンの所まで伝わってきた情報は、とんでもない数の魔物が街を襲撃し、防壁が破壊されたという事だけだ。

 敵がどれだけの規模なのかはわからないし、街がどれだけ破壊されているのかもわからない。

 だが、とてつもない戦闘音が伝令が来る前から聞こえていた事を考えるに、どう考えても街の対応は後手後手だろう。

 そうなると、こちらの戦力が到着する前に、いったいどれだけの人が殺されてしまったのか見当もつかない。

 この街には、リンと仲の良い知り合いが多い。

 そんな人達が沢山死んでしまったかもしれないと考えると、リンの顔は真っ青に染まった。

 

 そんな悲壮な思いを抱えながら到着した戦場でリンが見たのは……一人の大英雄による華々しい戦いの光景だった。

 

「オォラァアアアアア!」

 

 身長2メートル近くある巨漢の青年が、自身の身の丈以上の大きさを持つ大剣を振り回して、魔物の群れを蹂躙していた。

 青年が一度大剣を振るえば、そこから極大の衝撃波が放たれ、一撃で何十もの魔物が消し飛ぶ。

 それを耐え抜いたいかにも強そうな魔物や、目にも留まらぬ速度で動く人型っぽい魔物の攻撃は正面から受け止め、圧倒的な力でガードの上から両断する。

 そんな青年を避けて街へ進行しようとした魔物は、彼の後ろを守る騎士達や、駆けつけた街の戦力達によって駆除されていた。

 おかげで魔物は街の中へと進軍できず、被害は防壁の破壊までで済んでいる。

 

 それは、まさに王道の英雄譚だった。

 敵の戦力は絶望的と言える程に凄まじい。

 この街の兵士や冒険者だけなら、束になってもあっさりと蹴散らされてしまうだろう。

 そんな魔物達を殆ど一人で相手にし、圧倒的な力を持って逆に蹂躙する。

 これぞ、人類が長きに渡って紡いできた英雄譚の一節。

 人類の希望の一角を担う者の力。

 

 彼の名は、━━『剣聖』ブレイド・バルキリアス。

 

 人類の守り手『聖戦士』の一人にして、剣聖の加護を持つ男。

 神に選ばれた者達の中でも更に特別な、世界に認められし真の大英雄である。

 

「オオオオオオオオオオオオッ!」

 

 雄叫びを上げながらそんな剣聖に立ち向かうは、人類の天敵である魔族の一人。

 ブレイド以上の巨体を誇る、全身ツギハギだらけの怪物だ。

 フランケと呼ばれたその魔族は、魔族の中でもそれなり以上の実力を持っている。

 操るゾンビ達の力を含めれば、魔王軍最高幹部である『四天王』にすら次ぐだろう。

 しかし、それが今や完全にやられ役と化していた。

 

 フランケがその豪腕でブレイドを殴り飛ばそうとする。

 その拳をブレイドは真っ向から迎撃し、大剣の一撃によって粉砕した。

 だが、大剣を振り抜いた隙を突いて、短剣を持った小柄な影が後ろからブレイドの首筋を狙う。

 その影もまた、かつては英雄と呼ばれた『短剣の加護』を持つ男の成れの果てである。

 そんな短剣の攻撃を、ブレイドは咄嗟に大剣から離した左腕で受けた。

 ブレイドの纏った手甲が切り裂かれるも、それで勢いを削がれた刃は、ブレイドの腕に浅い傷を刻むだけに終わる。

 反撃に残った右腕で大剣を振るい、回転して振り返りながら薙ぎ払えば、それだけで短剣の加護を持つゾンビは真っ二つになり、塵へと帰った。

 

 ブレイドはそのまま一回転して正面のフランケに向き直ると、大剣を振り上げて絶死の一撃を放つ。

 それをフランケの横合いから現れた盾を持つ男が防ぐも、あまりの威力に耐えきれず、盾はひしゃげながらそれを持つ左腕と共に破壊された。

 彼もまた、かつて英雄と謳われた『盾の加護』を持つ男の亡骸。

 先程の短剣使いと同じく、とある老婆魔族が数百年をかけて集めたコレクションの中でも屈指の強さを持つゾンビだった。

 それが手も足も出ない。

 フランケからすれば悪夢のような光景だろう。

 

「ナンナンダ、オ前ェエエエエ!?」

 

 奇しくも老婆魔族と同じ絶叫を上げながら、フランケは残った腕を使って自棄っぱちの一撃を繰り出す。

 しかし、やはりそれも小細工無用とばかりの真っ向勝負で吹き飛ばされるだろうという確信がフランケにはあった。

 その確信が現実のものになる寸前、ブレイドが口を開く。

 

「俺は『剣聖』ブレイド! てめぇら魔族をぶった斬る男だ!」

 

 どこかの剣鬼と似たような台詞。

 だが、彼の言葉が決意の言葉であったのに対し、ブレイドの言葉には世界全てに肯定された絶対の自信が込もっていた。

 自分は『剣聖』ブレイド。魔族を倒す者であるという絶対の自負が。

 

「俺の名を魂にまで刻んで死ね! 『破壊剣』!」

「グァアアアアアアア!?」

 

 剣聖の必殺一撃がフランケを切り裂き、剣身に乗った衝撃波がその体を木っ端微塵に消し飛ばす。

 ゾンビを操っていた者が死んだ事により、彼の魔力で維持されていたゾンビ達が塵に帰った。

 迷宮内で従えたゾンビのように、術者に存在を依存していた訳ではないゾンビは残ったが、数は当初の十分の一以下に減っている。

 全てのゾンビを討伐し、この街での戦いに決着がつくまで時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

「あ、あの! お疲れ様です! 今傷を治します!」

「お、サンキュー……って、ええっ!?」

 

 戦闘終了後、リンは短剣使いをはじめとした何体かのゾンビにやられたブレイドの傷を治そうと駆け寄ったのだが、何故かブレイドはリンを見て驚愕していた。

 

「マジかよ……!? なんでお前みたいな奴がこんな田舎の街に……!? おい、お前。名前はなんて言うんだ?」

「へ? り、リンと申します」

「そうか。じゃあ、リン。お前、俺について来い!」

「……………………ふぁ?」

 

 尚、この街での戦いは、とある未来の大英雄の始まりの物語として語り継がれる事になるのだが……それはまた別のお話。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 だが、この戦いに関わった全ての者達は知らない。

 本来であればこの街は壊滅し、勝利こそしたものの、夥しい数の死者が出た忌まわしい戦いとして記憶に残っていた事を。

 剣聖は天災のごとき竜の相手で手一杯になり、他の戦士達は尋常ならざる力を持った過去の英雄が率いるゾンビの群れに蹂躙されてしまったという事を。

 

 そのせいで剣聖は後悔に苛まれ、後に勇者の仲間として魔王討伐の旅に同行するも、余裕を失って無茶な戦いを続けたせいで戦死。

 リンもまた心に消えない傷を負い、若くして命を散らす事になる。

 

 それを防いだ小さな英雄の存在を。

 己を勇者の友と名乗る、剣の小鬼と呼ばれた少年の活躍を知る者は誰もいない。

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21 旅は続く

「……で、剣聖の活躍で街は守られた訳か。めでたしめでたしだな」

「そうなんですよ!」

 

 ボロボロの体で街に戻り、いつものように予約してからリンの治療を受けに来た俺は、そこで延々とリンによる今回の戦いの(というより剣聖の活躍についての)話を聞かされていた。

 リンの顔はアレだ。

 推しの舞台役者とかについて長々と語る、オタクと呼ばれる人種と同類のアレだ。

 どうやら、こいつは剣聖に魅了されてしまったらしい。

 まあ、子供というのは英雄譚に影響を受けて憧れる事が多い。

 俺もステラもそうだったし、ましてやその活躍を目の前で見せられれば、こうなるのも不思議じゃないんだろうな。

 

「しかもしかも! 私、ブレイド様にスカウトされて、一緒にシリウス王国の王都に行く事になったんです! まさかの大出世ですよ!」

「ほー」

 

 シリウス王国とは、俺とステラの故郷にして、人類最大の国家。

 そして、歴代の勇者達が例外なく所属していたとされる国だ。

 当然、当代勇者のステラもそうであり、人類の希望である勇者を任される程に強い、それこそ他の国とは隔絶した圧倒的な国力を誇る国でもある。

 あの老騎士と、リンが虜にされたブレイドもシリウス王国所属だしな。

 勇者に、二人の剣聖。

 更には多くの加護持ちの英雄に、星の数程の優秀な将兵が揃ってる。

 リンが所属する聖神教会もあの国の国教として取り込まれてるし、シリウス王国とは、人類の戦力を一点集中させたような超大国な訳だ。

 

 いくら加護持ちのリンと言えども、そんな国の王都に栄転となれば本当に大出世。

 普通なら驚愕してもいい情報なんだが……俺の感想としては「やっぱりか」って感じだ。

 多分、俺の記憶は間違ってなかったって事だろう。

 

「という訳で、私は準備が整い次第この街を出る事になります」

「奇遇だな。俺もそろそろ次の目的地に行く予定だ。この街での目的は果たしたからな」

「だったら尚更です! もう私に治してもらえる事前提の無茶はしちゃダメですからね!」

「ああ、肝に銘じとく」

 

 即回復、即修行のボーナスタイムは終わりという事だな。

 これからは、またリンと出会う前のペースに戻る訳だ。

 旅の途中の怪我は自力で治せる範囲まで。

 街に着いたら、その街の治癒術師に治せる範囲まで。

 よし、完璧だな。

 

「なんか曲解されてる気がします……。私はなるべく怪我しないようにしてくださいって言ったつもりなんですが……」

「安心しろ。わかってる」

 

 致命傷は意地でも避けるから問題ない。

 

「怪しい……本当に気をつけてくださいよ? それで、次はどこに行くつもりなんですか?」

「ひとまずは『ドワーフの里』だな。今回手に入れたアイテムの調整を頼みたい」

「ああ、マジックアイテムに手を加えられるのは、熟練のドワーフだけって言いますもんね」

「そういう事だ」

 

 ドワーフは手先の器用さや、その手の加工技術で知られる種族。

 その族長である世界最高の職人、通称『武神』に至っては、素材さえあれば伝説の聖剣すらも造り上げると言われる達人だ。

 今回は剣聖スケルトンの和服が思った以上に便利だったから、これを正式な装備にしてもらう事を目的に行く。

 だが、この先手に入れる予定のアイテムの調整も頼む事になるだろう。

 せっかく手に入れたマジックアイテムなのに、サイズが合わなくて使えませんでしたなんて話は、どこにでも転がってる。

 それを何とかしてくれるのがドワーフだ。

 できれば、何回も行く間に、武神とも会ってみたい。

 まあ、できればだが。

 

「さて、もう治ったみたいだし、俺は行くぞ」

「あ、はい。……もう会う事はないかもしれませんが、お元気で」

「それはどうかな。お前とは近い内にまた会う事になると思うぞ」

「へ?」

「じゃあ、またな」

「ちょ!? どういう意味ですか!?」

 

 騒ぐリンを放置して、俺は教会から立ち去った。

 荷物は全てマジックバックの中に入ってるから、その足で乗合馬車の発着場まで行き、目的地方面へ行く馬車へと乗り込む。

 ちょうど冒険者ギルドでこの馬車の護衛依頼があったので、上手い事タダどころか報酬を貰える条件で乗り込めた。

 その代わり、道中で魔物や盗賊の襲撃があったら戦わなければいけないが、それは望むところだ。

 

 次の目的地であるドワーフの里は、とある山の中にある隠れ里。

 さすがにそこまで走る馬車はないから、近場まで行ったら後は歩きだな。

 そして、山という地の利を得た魔物と戦いながらの山登りが待っている。

 悪くない修行になりそうだ。

 

 そうして、俺の旅は続いていく。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 この後も色んな事があった。

 色んな場所を旅した。

 ドワーフの里を皮切りに、暴風が吹き荒れる山脈、奈落のような底無しの迷宮、魔王軍との戦争地帯や、魔族の支配領域にまで足を伸ばした。

 行く先々で戦い、技を鍛え、装備を手に入れて強くなる。

 そんな事を繰り返す内に……リンと別れて3年、故郷を飛び出してから5年が過ぎた。

 

 今年は遂に、ステラが勇者として旅立つ年。

 またやって来たのだ。

 運命の時が。

 

 今度こそ俺は必ず勝つ。

 勝って、ステラとの未来を勝ち取る。

 俺は不退転の覚悟を改めて決め、一人、シリウス王国の王都を目指した。



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22 ステラ(前編)

 ━━ステラ視点

 

 

 

 あいつを、アランを男の子として意識し始めたのはいつからだったっけ。

 

 最初はただの幼馴染だった。

 狭い村で唯一の同い年として生まれて、親同士も近所で仲が良くて、一緒に居るのが当たり前の兄妹みたいな関係。

 だからお互いに遠慮なんて欠片もなくて、言いたい事我慢せずに口に出して、よくギャーギャー言い合って喧嘩してた。

 でも、それが妙に居心地良かったのよね。

 あの頃は当たり前過ぎて深く考える事なんてなかったけど、勇者になってお城に連行されて、勇者という立場に相応しい立ち振舞いとかを求められるようになった今なら、肩肘張らなくていい気楽で自由だったアランの隣が、どれだけ恵まれた居場所だったのか実感してるわ。

 

 その自由で気楽なだけだった兄妹みたいな関係が、いつからか変わってたのよね。

 いや、あいつは全く変わってなかったんだけど、私の意識の方が変わってた。

 アランの側に居るとちょっとソワソワして、ちょっとだけ落ち着かなくて、でも相変わらず居心地は良くて。

 恋……というには淡い感情だけど、男の子として意識してたのは間違いないと思う。

 

 ホント、キッカケは何だったんだか。

 何か劇的なキッカケがあった訳じゃないような気がする。

 ただ、なんというか、あいつはナチュラルに優しかった。

 普段は憎たらしい事この上ないけど、私が落ち込んでたらちゃんと気づいてくれるし、そういう時はちゃんと優しくしてくれるし、私が怪我とかしたら結構本気で慌ててくれたし……。

 多分、そういう事の積み重ねで意識していったんだと思う。

 

 でも、そんな恋未満の淡い感情が、一気に恋へと傾いてしまうような事件があった。

 

 ある日、村に吟遊詩人が立ち寄って、村の広場で英雄と呼ばれたとある冒険者の歌を歌っていった。

 それを聞いて二人ともテンションが上がって、ノリと勢いで修行ごっこをする事になって、そこら辺の木の枝でチャンバラを始めたのよね。

 そうしたら、私は予想外に剣に見立てた木の枝を上手く操れて、気づけばアランの脳天にいいのをぶち込んで気絶させちゃった。

 幸い、無事に起きてくれたから良かったけど……揺すっても起きなかった時は焦ったわ。

 あともうちょっと起きるのが遅かったら、私は半狂乱になってアランの家に駆け込んでたかもしれない。

 

 そんなこんなで無事(?)目を覚ましたアランだったけど、その直後、あいつは私に抱き着いてきた。

 私に、抱き着いてきた。

 大事な事だから二回言ったわ。

 初めてあんな間近で感じたアランの体温、肌の感触、心臓の鼓動。

 こっちの心臓が口から飛び出すかと思った。

 嫌じゃなかったけど、嫌じゃなかったのが逆に凄い恥ずかしくて……。

 でも、私の脳内が一瞬でピンク色に染まるのと裏腹に、アランの体は小刻みに震えてた。

 アランが、怯えていた。

 

 話を聞いてみると、アランは頭を打ったせいで怖い夢を見たらしい。

 落ち着かせようと思って茶化してみても、震えは全く止まらない。

 本気で心配になってもう少し細かく話を聞いてみると、アランが見た夢というのは、私が勇者になって死ぬ夢だったんだとか。

 しかも、リアリティー抜群の。

 当時は意味不明だったけど、今となっては笑えないわよね……。

 けど、それも今は置いといて。

 重要なのは、この時にあいつが言った台詞よ。

 

『もしそうなっても、俺が絶対にお前を守る。絶対に。絶対にだ』

 

 どんな口説き文句!?

 しかもこれ、口説くつもりで言ってる訳でも、洒落や冗談の類いで言ってる訳でもなく、心の底から本気で言ってるってわかるだけに、尚の事タチが悪いのよ!

 意識してた相手からの大胆なスキンシップに加えて、耳元で言われたお前を絶対に守る宣言は、幼い私にとって、ちょっと破壊力が高過ぎた。

 顔が熱くなって、心臓がバクバクして、思わず変な声出しちゃったわ。

 

 多分この時に、私の感情は淡い想いを突き抜けて、恋に落ちてしまったんだと思う。

 

 

 

 

 

 それからの3年間は、私にとって結構幸せだった。

 アランが強くなる為に修行を始めて、私もそれに付き合っておじさんに貰ったオモチャの剣で打ち合うのが日課になって。

 全然勝ち越せないのは凄い悔しかったけど、それはアランの努力の結果で、その努力は私を守る為だってわかってたから、憎たらしさよりも嬉しさが先に来た。

 頑張ってるアランの姿はカッコ良かったし。

 けど、私が負ける度に清々しい顔で煽ってくるのだけは許さないわ。

 まるで積年の恨みを晴らしたとでも言わんばかりの、あのドヤ顔が私の闘志に火をつけた。

 

 私も積極的にアランの修行に付き合い、家でもお父さんに剣を教えてもらって努力を重ねる。

 全ては、あの憎たらしいドヤ顔に一発ぶち込んでやる為に!

 あと、本当にアランが言った通りの未来がやって来た時の為に。

 もし本当に私が勇者になって、魔王に負けて死ぬっていうなら、強くなっておけば殺されずに済むかもしれないし。

 アランが守ってくれるって言ってるけど、それで大人しく守られてるだけっていうのは私のキャラじゃない。

 王子様に守ってもらえるお姫様ポジションにも憧れはあるけど、どっちかと言えば私は英雄譚の方が好きだ。

 アランと恋愛するなら、お姫様のようにただ守られるだけの存在としてじゃなく、戦友みたいに対等な立場で付き合いたい。

 一緒に苦難を乗り越えていく内に、二人の距離は徐々に近づいていって……みたいな。

 うん、いい。

 そういうシチュエーション萌えるわ!

 

 

 そうして修行と妄想を繰り返してる内に3年が過ぎて、あの日がやって来た。

 その日は私の10歳の誕生日で、日付の近いあいつの誕生日と合わせてお祝いするから、いつもなら、あいつと二人でソワソワしながらパーティーの開かれるお昼を待つんだけど……その日に限って、あいつの姿を朝から見なかった。

 

 おかしいと思った。

 思い返してみれば、アランは数日前からちょっと様子が変だったし。

 本人が上手く隠してたから違和感は些細なものだったけど、実際にあいつがいなくなるという異変が起こってみれば、その些細な違和感にとてつもなく嫌な予感を覚えた。

 何かが起きてる。

 そんな根拠のない確信を覚えて、即座に行動に移せた自分を今は誇りに思う。

 

 異変が起きてる。

 そう考えて真っ先に頭に浮かんだのは、あいつが見た夢の話だった。

 アラン曰く、ある日突然この村が魔族に襲われて、そいつから皆を守る為に私は勇者の力に覚醒するらしい。

 でも、考えてみれば、あいつはその正確な日付を教えてくれた事はなかった。

 所詮は夢の話だと思って深く突っ込まなかった私も悪いんだけど、今思えばはぐらかされてたんだと思う。

 なんでそんな事したのかと一瞬思って、すぐに答えは出た。

 

 あいつは、私を守る為に一人で戦う気なんだと。

 

 その結論に至ると同時に、村の外から凄い音が聞こえてきた。

 まるで嵐が来た時みたいな、とてつもない風が吹き荒れる音が。

 それが戦闘音だと気づくまでに数秒かかったけど、気づいた瞬間、私は全速力で音の発生源に向かって走り出した。

 このタイミングで常軌を逸した戦闘音が聞こえてくるなんて、そんなのどう考えてもアラン関連に決まってる。

 

 そうして駆けつけた場所で、私は見た。

 そこは街の東側にある森の中。

 なのに、周囲の木は一本残らず鋭利な刃物で斬られたみたいに切断されてて、その倒れた木々の中心にアランは居た。

 地面に倒れ伏す、見た事もない化け物と一緒に。

 

 その化け物は、とてつもなく禍々しい気配を放っていた。

 一目見ただけで、こいつは敵なんだと本能が全力で訴えてくるような、おぞましい生物。

 そんな奴が血塗れで倒れていた。

 アランがやったんだと思えば「凄い!」って連呼したくなる程嬉しかったけど、そんな場合じゃない。

 化け物が、最後の力を振り絞るように鎌みたいな腕を振り上げ、力を使い果たしたように倒れてるアランに向けて振り下ろそうとしてたんだから。

 

 その光景を見た瞬間、私の中で何かが弾けた。

 

 守らなきゃという強い想いだけが心を支配し、体の奥から謎の力が湧き上がってくる。

 暖かくて、力強い、謎のパワー。

 それがアランの言ってた勇者の力だと気づくまでに少しかかったけど、瞬時にわかった事が一つだけある。

 それは、これが誰かを守る為の力だという事。

 それだけは本能的に理解できた。

 

 私の想いと、この力の目的は合致してる。

 迷う事はなかった。

 

「私のアランに何やってんのよ! この化け物!」

 

 私は心のままに湧き上がってきた力を持ち出してきた剣に込めて、化け物に向かって振り下ろした。

 剣は光を纏い、その光が瞬いて、一瞬にして化け物を消滅させる。

 そうして、私はアランを守る事ができた。

 

 

 

 

 

 その後、全身ズタボロな上に左腕まで無くしてるアランの姿に、内心かなりテンパりながら治癒魔法をかけた。

 一人で先走った事を怒りながら。

 なのに、あのバカは……!

 

「だったら、わかってるだろ……。お前が今使ったのは多分勇者の力だ。それを使えるようになったら勇者として戦場に行かされる。そして死ぬ。なのに、なんで……」

 

 そんな大バカな事を言い出した。

 思わず重傷者だって事も忘れて頭突きしちゃったわよ。

 だって……だって……!

 

「それであんたが死んじゃったら意味ないでしょ! アランが死んじゃったら、私は、私は……!」

 

 好きな人の命と引き換えに助かったって絶望しかないわよ!

 なんで、そんな簡単な事がわからないのよ!

 悲しいやら腹立たしいやらで、涙が溢れてきて止まらない。

 そんな私の様子を見て、アランはようやく察してくれたのか、

 

「悪かった。次は頼る。その時は一緒に戦おう」

「……約束だからね!」

「ああ」

 

 そう言って、私と一緒に戦ってくれるという約束をしてくれた。

 

 

 

 

 

 その数日後に、アランの言った通り、偉い人達が村を訪れた。

 私を勇者として連れて行く為に。

 覚悟は決まってたわ。

 私が戦わないと、魔王は倒せない。

 魔王を倒せないと、また今回みたいな事が起こって、今度こそ私の大切な人達が殺されてしまうかもしれない。

 だから、私は戦うって決めたの。

 死ぬかもしれない。

 でも、隣にアランが居れば怖くないから。

 

 そんな私を迎えに来たのは、剣聖のルベルトさんと、シリウス王国の最精鋭騎士団の人達。

 出会った当初はそんな事知らなかったけど、一目見ただけで、ただ者じゃない事はわかったわ。

 

 だって、その人達は皆、今までに見た事もないような力強いオーラを纏ってたんだもの。

 

 魔族から感じた気配とは全くの真逆。

 力強く、神聖な、私の勇者の力によく似たオーラ。

 これが噂に聞く加護の力だってすぐにわかったわ。

 神様が特別な人間にだけ与えてくれる力。英雄の条件とまで言われる力。それが加護。

 そんな加護を持つ人達を見たのは初めてだった。 

 

 その力強さときたら、噂に聞いてた以上にとんでもなかったわね。

 この人達を筋骨隆々のマッチョと例えるなら、普通の人はヒョロヒョロに痩せた子供よ。

 それくらいの差がある。

 その中でも特に別格のオーラを放ってたルベルトさんに至っては、同じ人間なのかさえ疑わしくなるレベルだったわ。

 ……ちなみに、後から聞いた話だけど、向こうも私を見た時に、私の身に纏う加護の大きさに驚いて絶句したらしい。

 別格のルベルトさんと比べても尚、圧倒的だったって。

 自分じゃよくわからないけど。

 

 けど、そんな事より気になったのは、そういうオーラをアランからは一切感じなかったって事よ。

 アランはよく、自分には加護がないだの才能がないだの言ってたけど、私はそんな訳あるかと思ってた。

 あんたに才能がないなら、そのあんたに負け続けてる私は何なの?

 一応、私だって勇者の力に覚醒する前から、自分がそれなりに強い事は自覚してた。

 少なくとも、長年仕事で村の平和を守ってきた熟練の兵士であるお父さんを、赤子の手を捻るように軽く倒せるくらいには強い。

 お父さんは、私には多分加護があるんだろうと言ってくれたわ。

 だから、私より強いアランに加護がない訳ないと思ってた。

 

 でも、違った。

 本物の加護持ちという比較対象を見て、ようやく気づいた。

 アランには正真正銘加護がなくて、特別な力なんて何も持ってないただの子供の身で、あの魔族に立ち向かってくれてたって事に。

 そこに思い至って、私はむしろアランを尊敬したしキュンとした。

 私の為にそこまでしてくれたんだって。

 

 だけど、騎士団の人達はその事をわかってくれない。

 あろう事か、アランは弱いから連れて行けないとか言い出した。

 アランは強いんだから!

 そう反論してみたら、アランは自分の力を証明する為に、加護を持つ騎士達に立ち向かってくれた。

 

 騎士の一人の急所を蹴り上げて簡単に倒してみせた時は「さすが!」って思ったけど、次に出てきたのは、別格の強さを感じる剣聖ルベルトさん。

 覚醒した勇者の力を使ったとしても、当時の私じゃ勝てる気がしなかった怪物。

 そんな人を相手にアランは臆する事なく立ち向かい、ルベルトさんの頬に傷を付け、剣聖から称賛の言葉を引き出してみせた。

 

 けど、その直後、本気になったルベルトさんの一撃によって、アランは負けた。

 

 だけど、あの戦いは無駄じゃないわ。

 ルベルトさんは言った。

 いつか自分を超えてみせろと。

 そして、こうも言った。

 アランが私の仲間になるには、聖戦士以上の力を示す事が最低条件だって。

 つまり、いつかアランがルベルトさんよりも強くなったら同行を認めてくれるって言質を取ったようなものなのよ。

 王都への馬車の中で本人にも確認したから間違いないわ。

 ルベルトさん曰く、あえて本気も見せたのも、到達しなければならない明確なラインをアランに認識させる為だったらしい。

 

 アランは負けても一切諦めてない。

 目は死んでないどころか、大いに燃えてる。

 だから、ここで慰めるのは違うと思った。

 いつものように、私がたまにアランに勝ち越せた時みたいに、煽って、焚き付けて、負けん気を引き出して。

 そうやって次の勝負に繋げながら別れるのが、私達らしいと思った。

 

 そうして別れる間際に、アランは私が一番言って欲しかった事を、ちゃんと言葉にして伝えてくれた。

 

「必ずお前を守れるような男になって迎えに行く。だから待ってろ」

 

 堂々とした男らしい言葉。

 加護がどうとか関係ない、私が知ってる中で一番強くて、一番カッコ良くて、一番大好きな人が言ってくれた約束の言葉。

 嬉しくて、ドキドキして、心臓が爆発するかと思った。

 

「ええ! 待っててあげるわ! だから、せいぜい早く迎えに来なさいよね!」

 

 気を抜いたら照れて俯いちゃいそうで。

 だけど、アランとは笑顔で別れたかったから、精一杯強がっていつも通りを心掛けた別れの言葉。

 ちゃんと、いつも通り強気に笑えてたらいいなと思う。

 

 こうして、私はアランと別れ、勇者としてシリウス王国の中心へと旅立った。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 それから5年が経って、遂に魔王討伐の旅へと出る日がやって来た。

 あいつは、まだ来ない。



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23 ステラ(後編)

 ━━ステラ視点

 

 

 

「おはようございます、ステラさん」

 

 魔王討伐の旅へと旅立つ日の朝。

 現在、私がお世話になってる聖神教会の本部で私に話しかけてくる子がいた。

 高位神官の証である白の修道服に身を包んだ、私と同い年の少女だ。

 私と一緒に魔王討伐の旅に赴くメンバーの一人でもある。

 

「おはよう、リン」

 

 彼女の名前はリン。

 治癒と防御魔法系最高位の加護『聖者の加護』を持つ少女。

 『聖女』リン。

 か弱そうな見た目してるけど、歴とした聖戦士の一人である。

 

「……いよいよですね」

 

 リンが固い顔をしながらそんな事を言う。

 どうやら緊張してるらしい。

 

「未だに信じられませんよ。私が勇者様の仲間として魔王討伐の旅に出るなんて……。ちょっと前まで片田舎の教会でこき使われてたのに、今じゃ聖女様聖女様って敬われて、人類の守護者の一人として重大な責任を背負う立場に……。人生何が起こるかわかりませんよね。胃が痛いです」

「全くもって同感だわ。できる事なら気楽だった頃に戻りたいわよね」

「ホントですね」

「「ハァ……」」 

 

 そうして、私達は二人揃って深いため息を吐いた。

 リンは元々、片田舎のそんなに大きくない教会で治癒術師として働いてたらしい。

 仕事はキツかったそうだけど、今と比べれば遥かに気楽な生活を送っていたリンは、ある時、街の周辺に現れたという魔族を討伐する為に派遣されて来たブレイドと遭遇。

 私がルベルトさんを見て別格のオーラを纏ってるとわかった時みたいに、ブレイドはリンの纏う加護の大きさから、リンを聖戦士だと判断した。

 今の時代、聖戦士はとてつもなく貴重な戦力であり、片田舎で遊ばせておく余裕なんてない。

 結果、リンは私と同じようにドナドナされて来たって訳よ。

 なんでも、ブレイドと会うまで他の加護持ちと会った事がなかったから、誰にも指摘されず、リンの加護は『癒しの加護』だと本人も周りも誤認してたみたい。

 そんな事ってあるのね。

 

 で、最初は栄転だって喜んでたリンだけど、すぐに自分の役割の重要さを知らされて青い顔になってたわ。

 現在、聖戦士の殆どは自分の担当区域を魔王軍から守る事で手一杯。

 魔王討伐の旅に出せる聖戦士がいなくて困ってた。

 長年歴代勇者達を送り出してきた教会曰く、パーティーのバランス的に考えて、勇者の仲間には『剣聖』『賢者』『聖者』が最低でも一人ずついる事が望ましいんだとか。

 その内、剣聖と賢者は何とか当てがついてたけど、聖者だけはどうにもならなくて、教会上層部はかなり頭を悩ませてたらしい。

 そこに降って湧いたように現れたリンは、まさに教会にとっては天からの助け、棚から埋蔵金レベルの幸運。

 しかも勇者である私と同い年で、教育するならセットでできるという都合の良さ。

 そうすれば連携とかも小さい内から仕込めるし、本当に考えれば考える程、リンは都合の良い女だった。

 そんなリンが勇者の仲間に選ばれるのは、もはや必然。

 避けられない未来というやつよ。

 

 という訳でリンは私の仲間となり、以来同じく田舎からドナドナされて来た同志として愚痴を言い合ってる内に、勇者パーティーの中でも特に仲良くなった。

 まあ、仲良くなった理由はそれだけじゃないけど。

 

「アランくん、来ますかね?」

「……さぁね」

 

 リンが突然話題を変えた。

 それを聞いて、私はちょっと不機嫌になる。

 別に他の女の子の口からあいつの名前が出てきたのが嫌な訳じゃない。

 単純に、来るのが遅いから気に食わないのだ。

 

 ……わかってはいる。

 アランがやろうとしてる事、加護の差を覆して聖戦士以上の力を得るという事が、どれだけの無理難題なのかは。

 ここで勇者として過ごす内に、修行相手として加護持ちの英雄達の強さを知って、実戦訓練として赴いた戦場で加護を持たない人達との実力差を知って。

 その上で客観的に考えるなら、加護を持たない者が聖戦士を超える事は『不可能』だ。

 それどころか、普通の加護持ちを超える事すら不可能だと思う。

 

 だけど、アランならできると私は信じてる。

 盲目的な信頼じゃない。

 実際に、アランは加護持ちと同等の力を持つと言われる魔族を瀕死にまで追い込んだのだ。

 しかも、たった10歳の時に。

 既にアランは不可能を可能にした実績を持ってる。

 だから、更なる不可能である聖戦士超えだって、きっと可能にしてくれるって信じる事ができるのよ。

 

 それでも、そんなアランですら聖戦士の強さに至るには、かなりの時間がかかると思う。

 それこそ何十年という修行の果てに、ようやく光明が見えるかどうかってレベルの話。

 間違ってるのは、たった5年待っただけでふて腐れてる私の方だ。

 わかってはいる。

 わかってはいるけど……せめて顔くらい見せに来てもいいんじゃないの!?

 そりゃ、「必ずお前を守れるような男になって迎えに行く」(キリッ)とか言った手前、強くなる前に来るのは抵抗あるかもしれないけど、好きな人に5年も会えない私の気持ちも考えなさいよ! バカ!

 

「あらら、ステラさんが拗ねちゃいました。アランくんは女泣かせですねぇ」

「そんなんじゃないから!」

 

 プイッと顔を背けてリンのニマニマした視線から逃れる。

 リンはそんな私を見てクスクスと笑っていた。

 緊張は解けたみたいで何よりだけど、そうやってアランの事で定期的にからかって来るのは、如何ともしがたいわ。

 まあ、こういうアランをダシにした気安いトークのおかげでより仲良くなれたんだけどね。

 

 リンはドナドナされる直前に、偶然街に立ち寄ったアランと知り合ってたみたいで、私と別れた後のアランの事を知っていた。

 ふとした拍子にその事を知った時、私が過剰反応して色々聞いたせいで、色々と察せられた感じ。

 それ以降、リンは私を目上の存在の勇者様としてじゃなく、普通の女友達みたいな感じで接してくれるようになった。

 結果オーライと言えば結果オーライなんだけど……素直に認めるのもちょっとシャクだ。

 いつかリンに好きな人とか出来たら、今度は私が思いっきりからかってやろうと思う。

 

「おうおう、女子二人。朝からかしましいじゃねぇか」

「げ、ブレイド……」

「あ、おはようございます、ブレイド様」

 

 廊下の途中で話し込んでたら、リンとは逆に、ちょっと苦手な奴が来たわ……。

 いや、別に悪い奴じゃないし、嫌な奴でもないんだけど……なんて言うか、相性がちょっとだけ悪いのよね。

 それも私が一方的に感じてるだけなんだけど。

 

 こいつは『剣聖』ブレイド・バルキリアス。

 あのルベルトさんの孫にして後継者。

 そして、魔王討伐のメンバーの一人。

 その肩書きに恥じない程の実力者で、自身の身の丈以上の大剣を振り回して戦う姿は圧巻の一言に尽きる。

 

 なんだけど、私は彼がちょっと苦手だ。

 理由は、こう、なんというか……ブレイドってちょっと不真面目なのよね。

 訓練をたまにサボったり、戦いの場でも緊張感が足りなかったり。

 別に怠惰って程じゃないんだけど、一言で言うと、必死さと真剣さが足りない。

 私の知ってる強い剣士(アラン)は勤勉だった。

 剣を振らない日は一日としてなかったし、私との勝負の時も、それ以外でも、剣を振る時のアランはいつも真剣だった。

 いつもいつも並々ならぬ努力をしてて、必死に頑張る姿はとってもカッコ良かった。

 

 ブレイドとアランじゃ、心構えも、努力の量も質も圧倒的にアランが上回ってる。

 なのに、ブレイドの実力は当時のアランより遥かに上だ。

 それが加護の与えるどうしようもない格差だってわかってるけど……なんだかブレイドがズルい存在に見えちゃって、どうしても苦手に思っちゃうのよね。

 まあ、それを言ったら私の方が大概なんだろうけど。

 

「げ、とはなんだよ、げ、とは。相変わらず、お前は俺に冷てぇな、ステラ」

「あはは……ステラさんはブレイド様が苦手ですからね」

「だよなぁ。アレか? 好きの裏返しの照れ隠し的なアレか? ふっ、俺の魅力にも困ったもんだぜ」

「ああ、それは絶対に、間違いなく、100%ないから安心しなさい。あんたは私の理想と正反対のタイプだから」

「おまっ!? そんな虚無を顔に張りつけたような無表情で断言すんなよ! さすがに悲しくなるわ!」

 

 ブレイドがわざとらしく「傷ついたわ~」と言い始め、リンが仕方ないなって感じの顔で宥め始めた。

 私と違って、この二人は仲良いのよね。

 リンがブレイドを立ててる感じで。

 まあ、リンにとって、ブレイドは命の恩人みたいなものだし、当たり前と言えば当たり前なのかも。

 

「ふぁぁぁ……。朝から元気じゃのうお主らは。若さが眩しいわい」

 

 そんな事やってる内に、最後のパーティーメンバーが眠そうな顔で現れた。

 魔法使い風のローブを身に纏い、豪奢な魔法の杖を持った、外見年齢12歳くらいの幼女。

 年寄りくさい事を言ってたけど、この場の誰よりも若々しい人だ。

 だけど、その中身は見た目通りじゃない。

 彼女の耳は、鋭く尖っていた。

 これは人類の中で最も長寿な種族として知られる『エルフ』の特徴。

 外見年齢とは裏腹に、この場の誰よりも歳を重ねているのも彼女だ。

 それこそ、さっきの年寄りくさいセリフが似合う程に。

 

 彼女の名は『大賢者』エルネスタ・ユグドラシル。

 数百年の時を生きるエルフの大魔法使い。

 過去に勇者の仲間として魔王を討伐した実績もあり、同じく『賢者の加護』を持つ者達と比べても頭一つ二つ抜けて強い、最強の聖戦士の一人。

 故に、人は彼女を『大賢者』と呼ぶ。

 

「おはよう、エルネスタさん」

「おはようございます、エルネスタ様」

「エル婆でよいぞ。って、このやり取り何度目じゃろうな?」

 

 エルネスタさんが寝惚け目を擦りながら首を傾げる。

 なんか小動物みたいで可愛い。

 だって、見た目はお人形さんみたいな可愛い女の子だもの。

 とてもお婆さん扱いなんてできないわ。

 私もリンも。

 まあ、ブレイドは別だけど。

 

「エル婆、随分と眠そうだが大丈夫か? 今日はこの後、出立の式典だぜ?」

「眠れる時に寝る。これが長く戦うコツじゃよ。心配せんでも、せっかくの式典でヘマはやらかさんから安心せい。ワシは立ったまま寝るのも得意じゃからな」

「いや、ダメだろそれ!?」

 

 ブレイドが元気よくツッコミを入れたけど、エルネスタさんは意にも介さない。

 さすが、数百年も生きてるだけあって図太いわ。

 私もリン程じゃないけど内心ちょっと緊張してたから、この図太さは頼もしい。

 

 この三人が当代の勇者の仲間達。

 時代が時代だから、勇者パーティーとしては最低限の人数しかいないけど、それでも全員が聖戦士という、とてつもない精鋭部隊。

 普通に考えれば頼もしい仲間達だけど……

 

 アランの夢によれば……私以外の全員が魔王に辿り着く前に戦死する事になる。

 

 アラン曰く、少なくとも村を旅立った時点では、夢の私より今の私の方が強いらしいから、何とかなるかもしれない。

 それでも、アランの夢の精度を知ってる私からすれば、到底安心なんてできない状況。

 早く来てほしいという想いが募る。

 でも、私はただアランの助けを待つだけのお姫様じゃない。

 私は、アランの隣に立つ戦友になりたい。

 だから、あいつの助けがなくたって、あいつが来るまで立派に戦ってみせる。

 私だって、胸を張ってアランと再会したい。

 

「勇者様方、式典の準備が整いました。どうぞ、こちらへ」

「わかりました」

「うし、行くか!」

「そ、そうですね!」

「緊張する事はないぞ」

 

 その覚悟を持って、私は仲間達と一緒に、迎えに来た神官さんについて行った。

 私が勇者として旅立つ為の盛大な式典が、始まる。

 

 

 

 

 

「凄いわね……」

「「「ワァアアアアアアアアア!!!」」」

 

 勇者の出立式。

 その会場である教会のバルコニーに立った私は、眼下を埋め尽くす人の群れと、彼らが放つ大歓声に圧倒されていた。

 この王都に住まう殆どの人がここに来てるんじゃないかとすら思う。

 それだけ、勇者という存在は重要視されて、注目されてるって事ね。

 

 戦力不足のこの時代に、大量の騎士達がここの警護に当たるくらいだし。

 私達の近くには、ここの警護責任者としてルベルトさんの姿まである。

 それだけ大規模な式典。

 エルネスタさんとブレイドは、こういう人の群れに結構慣れてるのか動揺してないけど、リンは冷や汗をかいてた。

 

「それでは勇者様。真なる勇者の証『聖剣』の啓示を」

「はい」

 

 この場の最高権力者の片割れ、純白の法衣を身につけた穏やかそうなお爺さん、聖神教会教皇の言葉に従って、私は腰に差した剣を引き抜き、空に掲げた。

 この剣こそが、人類と勇者を長きに渡って支えてきた最強の武器。

 神様が初代勇者に授けたとされる、勇者にしか扱えない魔王殺しの剣。

 

 それが、私の手の中で光を放った。

 魔を滅し、人を守護する神の光を。

 聖剣は、自身を振るうに足ると判断した勇者にしか引き抜けず、その勇者が使う事によって神の光を放つ。

 有名な逸話。

 多分、この世界で最も有名な逸話の一つ。

 故に、その意味は誰もが理解する。

 

「新たなる勇者の誕生に祝福を!」

「「「おおおおおおおおおおおおおお!!!」」」

 

 勇者の誕生。

 人類の希望の出現に人々は熱狂する。

 勇者(わたし)の双肩にはこれだけの人の……いや、世界中の人達の期待と命がかかっているのだ。

 もし私が魔王に負けたら、どれだけの人が殺されるのか見当もつかない。

 その中には、私の大切な人達も交ざってるかもしれない。

 プレッシャーが半端ないわ……。

 潰されそうな程の重圧を感じる。

 歴代勇者達は、よくこんな重圧の中で魔王を倒せたわね。

 私なんて、既に緊張で心臓がバクバクして、呼吸が乱れてきてるのに。

 

 人々の熱狂は止まらない。

 これで救われる。もう魔王に怯えなくて済むという無邪気な信頼が、痛い程のプレッシャーとなって私を襲う。

 覚悟はしてたけど、実際に体験してみると想像以上にキツイ。

 でも、誰も止めてはくれない。

 この熱狂は人々にとって必要な事だから。

 私の心の安寧と引き換えに、多くの人達が安心と希望を抱く為に必要な事だから。

 仕方のない事だと理解はしてる。

 だけど、まるで不安も恐怖も全部私に押しつけられてるみたいで。

 それが少しだけ悲しかった。

 

「何者だ貴様!?」

「え?」

 

 ━━しかし、そんな熱狂を破壊する者が現れる。

 下から聞こえてきた誰何の声。

 そこそこ大きな声だったけど、大多数の熱狂にかき消されて、周囲には伝播しない。

 それでも、その周囲だけは確実に熱狂が冷めていた。

 だからなのか、その声は不思議と私にまで届いた。

 

 そこにいたのは……警護の騎士達に剣を向けられた不審者だ。

 ボサボサの黒髪を無理矢理後ろで纏めた少年。

 ボロボロの黒い羽織を纏い、これまたボロボロの二つの刀を腰に差した不審者の少年。

 それが、観客の立ち入りが許可されたラインを越えて、騎士達の警戒エリアにまで侵入していた。

 

 神聖な式典に土足で踏み行った不審者。

 そいつのせいで騎士達の警戒心は煽られ、周囲の人達は目の前で突如発生した不安のせいで、熱狂の渦から強制的に解き放たれてしまった。

 

「…………あはは!」

 

 私はそれを見て思わず笑ってしまう。

 マジか、あいつやりやがったって感じだ。

 なんでこんな事したのかっていうのは、なんとなくわかる。

 大方、私の表情が曇ったからとか、その程度の理由だと思う。

 たったそれだけの理由で、あいつは勇者の出立式という、全世界でも最上位に位置する式典に水を差したのだ。

 もう笑うしかない。

 

「止まれ!」

 

 不審者の進撃は止まらない。

 騎士の制止の声を無視して歩き続け、徐々にこっちへ近づいてくる。

 騎士達が全力で邪魔をしたけど、意にも介さない。

 流れるような動きで騎士達の振るう剣を潜り抜け、足を引っ掻けて転ばせたり、腹や顎に一撃入れてダウンさせる。

 やがて、その事態を重く見たのか、騎士の中でも精鋭である加護持ちの人達が不審者に向かって行った。

 

「貴様、ここをどこと心得る!? 畏れ多くも勇者様の出立の場だぞ! どこの馬の骨とも知れぬ、加護も持たぬ雑魚が荒らしていい場所ではなぁい! このシリウス王国精鋭騎士団の一人! ドッグ・バイトが成敗してくれる!」

 

 あ、ドッグさんだ。

 アランに男の急所を蹴り上げられて悶絶してた人。

 それでも、彼は『剣の加護』を持つ歴とした英雄の一人。

 そんな人が、今度はちゃんと自身の相棒である剣を構えて、不審者に斬りかかった。

 

「成敗!」

 

 それに合わせて、不審者が腰の刀を抜く。

 見覚えのある小さな刀。

 それを片手で振るった不審者の剣速は決して速くない。

 ドッグさんの剣の方が遥かに速い。

 けど、不審者の刀とぶつかったドッグさんの剣は手品のようにあらぬ方向へと逸れ、驚愕して一瞬動きが止まったドッグさんに向けて、不審者は容赦なくカウンターの急所蹴りを放った。

 

「はうっ!?」

 

 まるで5年前と同じように、ドッグさんは男の急所を抑えて踞る。

 ここまで来て、ようやく不審者の脅威を正確に認識したのか、加護持ちの人達が束になって不審者に襲いかかった。

 でも、当たらない。

 剣も、槍も、弓も、魔法も、不審者は手に持った小さな刀一本で受け流し、時には避け、騎士達の体を盾に使い、反撃で確実に沈ませていく。

 誰も彼の歩みを止められない。

 その頃になると、派手な魔法の音のせいか、この場を包み込んでいた熱狂すらもかき消えていた。

 

 死屍累々の騎士達の屍(死んでない)を乗り越えて、遂に不審者は私達の居るバルコニーの真下にまで辿り着く。

 困惑と人々のざわめき、騎士達の敵意だけが場を支配する。

 ブレイドは驚愕し、エルネスタさんは興味深そうに不審者を観察し、リンは頭を抱え、私は笑いを堪えるのに必死だった。

 

「何をしておる!? 早くその不届き者を捕らえよ!」

 

 そんな中で声を上げたのは、教皇さんと対を成す、この場の最高権力者のもう片方。

 シリウス王国の国王だ。

 騎士達はその命令に従おうとして……でも、できない。

 何故なら、不審者には彼らが突けるような隙が存在しないからだ。

 

 そして、人類最大の国の国王の言葉を無視して、不審者は刀を真っ直ぐにバルコニーへと向けながら、高らかに名乗りを上げた。

 

「俺は勇者ステラの友! 『剣鬼』アランだ! 勇者との約束に従い、彼女を迎えに来た! 俺からステラを引き離した『剣聖』ルベルト・バルキリアス殿! あなたの出した要求に今こそ応えよう! 俺の勇者パーティーへの加入を賭けて、あなたに決闘を申し込む!」

 

 不審者……いや、私の大好きな人であるアランの言葉は、まるで魔法でも使っているかのように大きく、周囲に響き渡った。

 国王が驚愕した顔で私とルベルトさんを見る。

 ルベルトさんは……笑っていた。

 まるで我が子が遂げた最高の成長を喜ぶように、いつもの老紳士の仮面を脱ぎ捨てて、心の底から笑っていた。

 

「ククク……! 見事だ少年。勇者の出立式に乱入し、その警護に当たっていた加護持ちの英雄達を蹴散らした時点で、君の力は証明された。あとは聖戦士である私を倒せば、誰に憚る事もなく勇者様の仲間となれるだろう。無礼など問題ではない。この時代、聖戦士に匹敵する戦力など、誰であっても喉から手が出る程欲しいのだから」

 

 ルベルトさんは独り言のようにそう呟いた後、晴れ晴れとした表情でバルコニーの縁へとやって来た。

 そして大きく息を吸い込み、アランに負けない大声で言葉を返す。

 

「あいわかった! その決闘、喜んで受けよう! そして君が勝った暁には、この『剣聖』ルベルト・バルキリアスの名に置いて、君を勇者様の仲間として認める! 誰にも文句は言わせん!」

「感謝します!」

「ふむ! では、参るぞ!」

 

 ルベルトさんがバルコニーから飛び降りて、アランの方へと向かう。

 その時、ふと視線をアランの方に向けて、目が合った。

 5年ぶりに見るアランの顔は、幼さが抜けてよりカッコ良くなっていた。

 顔には歴戦を思わせる傷が出来ちゃってる。

 それも痛々しいけどカッコ良い。

 

 アランが私に向けて微笑んだ。

 村でもたまに見せてくれた優しい笑顔。

 同時に、凄く私を安心させてくれる、頼れる男の子の顔。

 

 ドクンと心臓が跳ねた。

 しかも、アランは私が重荷に感じていた人々の熱狂すらも吹き飛ばしてくれたのだ。

 今の人々の注目は私ではなく、突然の急展開と、その中心となったアランとルドルフさんに向いている。

 あの痛い程の注目の中で、それでもアランは不敵に笑う。

 神様に与えられた力なんかじゃなく、自分の努力で掴んだ力を絶対の自信に変えて、私の愛しい人は大胆不敵に笑うのだ。

 

「やっぱり、敵わないなぁ……」

 

 思わず、そんな言葉が口から溢れた。

 アランは凄い。

 本当に凄い。

 私には勇者の加護という与えられた力以外で、アランと対等だと胸を張って言える自信がないわよ。

 でも、いつかは必ず追いついてやるから。

 負け越したままの勝率も、あまりにも強すぎる心の強さにも、いつかは追いついて隣に立つ。

 そして、胸を張ってあんたが好きだと伝えるわ。

 

 だから、こんな所で負けたら許さないんだから。

 勇者の加護のせいで不当に開いた差なんていらない。

 早くその距離を埋めて、私の側に来て。

 それで、今度は私にあんたの背中を追いかけさせてほしい。

 楽しかったあの頃みたいに、夢中であんたの事を追いかけるから。

 だから、だから……

 

「頑張れ! アラン!」

 

 私は大きな声で声援を飛ばした。

 その言葉にアランは……

 

「ああ! 任せとけ!」

 

 どこまでも頼りになる返事をしてくれて。

 そして、アランは小さな刀を鞘に戻し、もう一つの見た事ない黒い刀を引き抜いた。



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24 始まりに立つ為の資格

 ステラの出立式が行われる最中、俺はそれに乱入して盛大に場を引っ掻き回し、挙げ句の果てには、この場で老騎士との決闘をおっ始める事になった。

 後悔はしてない。

 元からそのつもりだった。

 まあ、ステラがちょっと辛そうな顔してるのを見て、反射的に飛び出したのは否定しないが。

 

 正直、俺は民衆というものが好きじゃないからな。

 夢の中でステラに勝手な期待を押しつけて、重責を背負わせるだけ背負わせて潰したくせに、いざステラが魔王に負けると、辛い生活が終わらないのはステラが魔王を倒せなかったせいだと、自分達は何もしないくせにこぞって批難するようなクソどもなんぞ滅びればいいとさえ思ってる。

 まあ、さすがに、そんなのは一部のクズの話だが。

 それでも、ステラに期待を押しつけて何もしなかったってあたりが夢の中の自分と被って、どうしても好きになれない。

 いわゆる、同族嫌悪というやつだ。

 

 それはともかく。

 勇者の出立式ともなれば、その警護には魔王軍や各地の魔物との戦いで動けない戦力を除けば最高の戦力が動員される筈だ。

 あり得ないだろうが、万が一にも勇者が暗殺でもされたら最悪だからな。

 それを真っ正面から蹴散らせば、俺が強いという事のいいアピールになる。

 かつて、老騎士は言った。

 俺がステラの仲間になるには、聖戦士以上の力を示す事が()()()()()()

 つまり、他にもクリアしなければならない問題があった訳だ。

 だが、その問題の大半は『納得させる事』で解決するだろう。

 

 この公衆の面前どころか、全人類が注目しているとさえ言える場で決闘を起こせば、誰もがその結末を見届ける事になる。

 王も、民も、騎士達も、誰もが言い逃れのできない『結果』を目の当たりにする事になる。

 ここで俺が勝ったのなら、誰もが認めるしかなくなるのだ。

 俺が聖戦士よりも強いという事を。

 決闘を見てなかったから認めないとか、そんなイチャモンは許さない。

 ここで白黒ハッキリつける。

 

「お前達は民を遠ざけ、その盾となれ。決して決闘の余波を通してはならんぞ」

「「「ハッ!」」」

 

 俺がそんな事を考えてる間に、老騎士は決闘のフィールド作りをしてくれてた。

 騎士達が民衆を遠ざけ、その前に盾を持ってズラリと並ぶ。

 まるで即席の闘技場のように、俺達が戦える場所が出来た。

 決闘を受けてくれた事といい、この人には本当に感謝だ。

 その恩を返す為にも、全力で期待に応えてこの人を超えて行く事を改めて誓う。

 

「さて、改めて久し振りだなと言っておこうか、少年よ。よくぞそこまで成長し、このステージまで辿り着いたものだ。私は君を心から尊敬する」

「ありがとうございます」

 

 俺は素直な気持ちで彼に礼を言う事ができた。

 俺がここまで来れたのは、ある意味、この老騎士のおかげだ。

 あの時、この人に徹底的な敗北を与えられ、同時に超えなければならない境地を指し示してくれたからこそ、俺はそれを目指してひた走って来れた。

 夢の中の俺という存在と同じく、この人は俺にとって明確な目標であり指標だったのだ。

 俺の礼の言葉を聞いて、老騎士は僅かに驚いたように目を見開いた後、とても優しい顔で笑った。

 しかし、その顔は即座に真剣なものへと変わる。

 戦うべき相手を見据えた剣士の顔に。

 

「だが、私は『剣聖』ルベルト・バルキリアス。剣聖として、人類の守護者の一人として、そして何よりも君を見出だした者として。君が真に勇者様の仲間として相応しいか否か、その力があるか否か、我が身を持って見極める義務がある」

 

 そう言って、老騎士は剣を引き抜いた。

 

「手加減はしない。全力で行かせてもらう。勇者様の隣に立ちたくば……私を倒してから行けッッ!」

 

 前に本気を見せた時よりも更に強い、殺気すら超える凄まじい闘気が老騎士の体から吹き出す。

 これが現役の聖戦士の気迫……!

 夢の中の魔王を除けば、間違いなく俺が出会って来た中で最強の存在だ。

 その絶大な気迫を受けて俺は……笑った。

 

「上等……!」

 

 それでこそ挑む価値がある。

 それでこそ倒す意味がある。

 俺の目的は今も昔もただ一つ、ステラを守り抜く事だ。

 その為には、ステラがいずれ戦う事になる強大な敵、魔王軍最高幹部『四天王』や、全盛期の魔王とだって張り合えるだけの力がいる。

 魔王は世界最強の存在。

 四天王だって、聖戦士と英雄達が束になっても倒せない化け物って話だ。

 老いた剣聖一人倒せないようじゃ、俺にステラの隣に立って、そいつらに挑む資格はない。

 

 いいぜ、剣聖。

 俺はあんたを倒して、その資格を手に入れる。

 大切な奴を守る為のスタートラインに立つ為の資格だ。

 俺だって容赦はしない。

 全身全霊を賭けて、もぎ取ってやる!

 

「頑張れ! アラン!」

 

 その時、ステラからの応援の言葉が聞こえた。

 ……そういえば、さっき久し振りに顔を見た訳だが、随分と綺麗になってやがったな。

 夢の中まで含めて、あいつの成長した姿なんぞ見た事なかったから不思議な気持ちだ。

 夢の中の長い人生を経験したせいか、今まではこう、ステラと言えば子供ってイメージがどこかにあったんだが、それも払拭された感じがする。

 それも含めて不思議な気持ちだ。

 

 なんにせよ、普段は小憎たらしい幼馴染からの、珍しく素直な声援だ。

 普通に嬉しいし、口元が緩む。

 だから俺も、素直に言葉を返した。

 

「ああ! 任せとけ!」

 

 ああ、なんだろうな、この気持ちは。

 緩んだ口元が戻らない。

 闘志とは別の何かで胸が熱くなって力が湧いてくる。

 老騎士を侮る訳じゃないが、どうにも負ける気がしなかった。

 

 俺は騎士達の制圧用に使っていた怨霊丸を鞘に戻し、本気用の黒天丸を引き抜いて構えた。

 

「ふっ。先程よりも更にいい顔になったな。好きな女に背中を押された男の顔だ」

「……そういうんじゃないですから」

「ククク。まあ、今はそういう事にしておこう」

 

 老騎士の気迫の中に混じった、微笑ましいものを見るような生暖かい目が気になったが、今は無視する。

 老騎士もまた、一瞬で気迫を純度100%のものへと戻した。

 

「さて、では始めるとしよう。このコインが地面に落ちたら決闘開始だ。それでよいか?」

「ええ、構いません」

 

 老騎士は懐から取り出したコインを俺に見せてそう言ってから、親指でピンッと弾いた。

 コインがクルクルと宙を舞い、最高到達点で一瞬静止してから落下してくる。

 そして、━━コインは地面に落ちて、決闘開始の合図となる甲高い音を鳴らした。

 

 開戦だ。

 

「まずは最初の試練だ」

 

 小さくそう呟いて、老騎士が見覚えのある動きをする。

 なるほど、いきなりそう来たか。

 

「参る。━━『刹那斬り』!」

 

 その瞬間、俺の視界から老騎士の姿がかき消えた。

 あの技だ。

 忘れもしない。

 5年前、俺はこの技の前に一切の抵抗を許されずに倒された。

 迎撃どころか、反応する事すら許されなかった、神速の一閃。

 それが再び俺に襲いかかり、気づいた時には攻撃を終えた後の老騎士が背後にいる。

 そして老騎士は……

 

 

「なるほど。見事だ」

 

 

 称賛の言葉を口にした。

 今の一瞬の交差において俺にダメージはなく、逆に老騎士は僅かながら傷を負っていたからだ。

 そう。俺は刹那斬りを返したのだ。

 さすがに流刃を当てる余裕まではなかったが、歪曲で刹那斬りの軌道を歪め、同時に老騎士が通過する空間に刃を置いてきた。

 刹那斬り。

 相変わらず恐ろしい技だったし、今回も目で追えた訳じゃない。

 だが、先読みする事はできた。

 修行によって力の流れをより正確に把握できるようになった今の俺なら、動き出しを見ただけで相手が次にどう動くのかがわかる。

 どんなに速い攻撃でも、どのタイミングでどこに打ち込んで来るのかが正確にわかれば、対処は容易い。

 最低限、食らいつけるだけの身体能力さえあればな。

 鍛え続けた俺の体は、その最低限の基準を満たしてくれた。

 

 これなら老騎士とでも充分に戦える。

 もう瞬殺される事はない。

 俺は遂に、圧倒的な力を持つ聖戦士相手に、勝負の土俵に立てる所まで来たのだ。

 

「今度はこっちから行くぞ」

「ああ! 来るがいい!」

 

 足に力を込め、俺は老騎士に向かって突撃した。

 刹那の内に敗れたあの日の敗北を踏み越えて、俺は前に進む。

 

 そうして、ステラの隣に立つ為の、最後の試練が始まった。



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25 『剣聖』を喰らう鬼

 足に力を込める。

 同時に、俺の足に装備された足鎧から暴風が発生。

 踏み込みと暴風を完璧に推進力へと変えて、俺は加護持ちの英雄にすら匹敵する速度で突撃した。

 

「速い……!? マジックアイテムか!」

「ご名答」

 

 この足鎧は、暴風が吹き荒れる山脈型の迷宮で手に入れてきた逸品だ。

 黒天丸の闇と同じように、任意発動で風を巻き起こすマジックアイテム。

 制御するのはかなり難しいが、使いこなせれば強力かつ応用の幅がいくらでもある。

 夢の中の俺が使っていた装備シリーズの一つだ。

 

 だが、それを使っても尚、老騎士の速度には到底及ばない。

 老騎士の反応速度を越える事は叶わない。

 当たり前だ。

 マジックアイテム一つで上回れる程、聖戦士は甘くない。

 老騎士は俺の予想外の速度に面食らったものの、慌てる事なく迎撃の一手を打って来た。

 

「『飛翔剣』!」

 

 老騎士が頭上から剣を真っ直ぐに振り下ろし、加護持ちの代名詞である飛翔する斬撃が俺に向かって放たれる。

 宣言通り手加減してないらしく、その斬撃はかつての剣聖スケルトンが黒天丸の力を借りて放った闇の斬撃よりも、強く、速く、大きく、鋭かった。

 いつも通り、脆い俺の体じゃ直撃=死だ。

 かすっただけでも、かすった部位が消し飛ぶだろうな。

 

 今までの俺なら、遠距離攻撃相手には防ぐか避けるかという選択肢しか取れなかった。

 反撃が一切できない。

 一応、俺にも黒月という遠距離攻撃があるが、距離によって威力の落ちた黒月なんか、聖戦士クラス相手にはあまりにも無力。

 薄皮一枚斬れたら御の字だろう。

 牽制か目眩ましにしか使えない。

 

 だが、今の俺は違う。

 しっかり、遠距離攻撃と()()()()()()を習得してきた。

 

「五の太刀━━」

 

 あらかじめ老騎士の動きを先読みし、飛翔する斬撃が放たれる直前、僅かに右斜め前へと踏み込む。

 その位置から飛翔する斬撃に黒天丸を合わせ、受け流しつつ斬撃自体の勢いで右足を軸に体を回転。

 回転に斬撃を巻き込み、軌道を180度歪めて、()()()()()()()()()()

 この技は言わば、歪曲の技術を合成する事により、遠距離攻撃にも対応できるようになった流刃。

 その名は……

 

「『禍津(まがつ)(がえ)し』!」

「何っ!?」

 

 老騎士の放った必殺の一撃が、そのまま老騎士自身へと返っていく。

 とはいえ、必殺というのは俺にとっての話だ。

 老騎士にとっては充分に迎撃可能。

 直撃しても恐らくは死なないレベル。

 そんな程度の攻撃が決定打になり得る筈もなく、老騎士は的確な対処によって、剣の一振りで己の斬撃を打ち消した。

 飛翔剣は老騎士の剣の中程に叩き斬られ、霧散する。

 

 しかし、当初の老騎士の目的である、遠距離攻撃による俺への牽制を失敗に終わらせたのも事実。

 飛翔する斬撃を放つ為に使った時間と、跳ね返ってきたそれを迎撃する為に費やした時間。

 浪費は数秒にも満たない僅かな時間だが、今の俺ならそれだけあれば十分に老騎士の懐へと飛び込める。

 

 俺は剣を振り抜いた直後の老騎士に向けて、至近距離から黒月による闇を纏った斬撃を放った。

 狙いは両腕。

 今の俺の剣技と黒天丸の破壊力があれば、相手の力を利用しなくとも腕くらい斬り飛ばせる。

 あわよくば、この一撃で剣聖から剣を振るう腕を奪ってやるつもりで刀を振るった。

 

「なんのッ!」

 

 だが、さすがにそう簡単にやられる老騎士ではない。

 老騎士は振り抜かれていた剣を技術と筋力に任せて無理矢理跳ね上げ、黒月による攻撃を強引に防いだ。

 黒天丸の刃と老騎士の剣の中程がぶつかり合い、一瞬つばぜり合いのような拮抗状態となる。

 本来なら力ずくで吹き飛ばしてしまうのが老騎士にとっての正解であり、俺にとっても望む展開なんだが、老騎士は俺の剣術が相手の力を利用するものだと既に知ってる。

 安易に力を込めれば危険だとわかってるのだ。

 

 俺の剣術は正道から外れまくってるからか、同じ剣士相手だと地味に初見殺しな所がある。

 しかし、初見ではない老騎士相手にそのアドバンテージは使えない。

 だが、それでいい。

 元からそんなもんに頼って勝とうなんざ思ってない。

 今日は真っ向から技量でねじ伏せさせてもらう。

 

 俺は、老騎士から仕掛けて来ないのならこっちからという気概を以て、一瞬の拮抗状態をこちらから終わらせた。

 相手の力ではなく自分の打ち込みの力を利用し、体を老騎士に寄せつつぶつかっている刀に力を込め、老騎士の剣を押すようにして反発のエネルギーを得ながら回転。

 剣を削るように刀を横に走らせ、回転しながら老騎士の右側を抜けて後ろを取る。

 

「ハッ!」

「ふんっ!」

 

 そのまま背中を斬りつけてやろうとしたが、老騎士は背中に回した剣で、俺の方を見ないままに攻撃を受け止めた。

 さすがにやる。

 

「ぬんッ!」

 

 その状態から老騎士は、思いっきり足下を踏みつけて移動すると同時に、地面を砕いた。

 老騎士が踏みつけた周辺だけじゃなく、俺の足場まで崩壊して、地面に小さなクレーターが出来上がる。

 教会前を破壊する事も厭わないか……。

 そこまでした目的は、足場を壊して俺の体勢を崩す事。

 ただ闇雲に剣を振るえば、全て返されてカウンターを食らうとわかってるんだろう。

 こんな小細工を弄してくる程剣聖に警戒されるというのは、中々に光栄だな。

 

「ハァ!」

 

 足場を壊され、体勢の崩れた俺に向けて、老騎士は容赦なく飛翔する斬撃を放つ。

 だが、この程度の崩しで俺の技を封じられると思われてるなら心外だ。

 これも禍津返しで跳ね返して……いや。

 

「そういう事か」

「素晴らしい! これも対処するか!」

 

 俺は使う技を咄嗟に禍津返しから歪曲へと切り替え、飛翔する斬撃を()()()()()()受け流した。

 斜め後ろから迫って来た老騎士に向けて。

 飛翔する斬撃を目眩ましに使い、超速で斬撃を追い越して背後から奇襲。

 直前の足場崩しも含めれば三重の策だ。

 どれも剣聖の身体能力がなければできない芸当だな。

 

 再び自分の攻撃に晒された老騎士は、二回目という事であっさりと斬撃を叩き斬り、そのまま俺に向かって突っ込んで来た。

 互いに相手の攻撃を捌いた直後だが、互いにそれで剣が鈍るような二流じゃない。

 至近距離にて読み合いが発生する。

 俺は徹頭徹尾カウンター狙いであり、老騎士は幾重にも重ねたフェイントで俺を欺く算段のようだ。

 老騎士の速度を相手に、見てからの反射では間に合わない。

 攻撃を正確に読む必要がある。

 

 老騎士は下段に剣を構えながら突進している。

 そのまま馬鹿正直に振ってくる事はないだろう。

 証拠に、前へ出している左足に必要以上の力が入っている。

 剣を囮に、左足を軸にした右足での蹴りか。

 それとも、左足で踏み込んで肩から体当たりをかますつもりか。

 いや、剣を握る腕にも力が入った。

 他の選択肢をフェイントに使い、あえてそのまま剣を使ってくる可能性もある。

 

 老騎士の選択はそのどれでもなかった。

 老騎士は左足に込めていた力を使って、一歩後ろへと下がったのだ。

 バックステップ。

 そして即座に、再び前へと出る。

 上手い。

 全ての攻撃動作を囮に使ってあえて後ろへと下がり、俺のタイミングを外した。

 加護によって補正される剣の技量だけじゃ、この動きはできない。

 これは老騎士が歴戦の中で研ぎ澄ましてきた、駆け引きの技術だ。

 素直に称賛するべきだろう。

 

 だが、━━読み勝ったのは俺だ。

 

「ぬっ!?」

 

 老騎士が下段から振り上げてきた剣を、俺は黒天丸によって最適なタイミング、最適の角度で受けた。

 流刃によって剣の勢いを回転力に変換。

 俺にとって右斜め下から振り上げられてきた剣に対し、こっちからも距離を詰める事によって、右回転しながら前に進んで受け流す。

 そのまま、さっきと同じように老騎士の右側を抜け、さっきと同じように背後から背中を斬りつけるように刀を振るう。

 ただし、一つだけさっきと違うのは、この一撃が流刃によって聖戦士の一撃に匹敵する威力と速度を持っているという事だ。

 

「オオオッ!」

 

 しかし、老騎士はこれも防いだ。

 凄まじい反射速度で後ろを振り向き、咄嗟に繰り出した一撃で俺の一撃を相殺する。

 刀と剣が再びぶつかり合った次の瞬間、俺は刀を滑らせ、剣の上に被せるように動かした。

 これは、一の太刀変型『流車』の予備動作。

 ぶつかり合った相手の剣を支点として飛び上がりながら体を縦に回転させ、上から敵のガードを越えて二撃目の流刃を叩き込む技。

 かつて、老騎士の体に唯一傷をつけた技。

 

 その時と同じ感覚を覚えてしまった老騎士は、反射で流車を警戒して刀を弾いた。

 それこそが俺の狙い。

 二撃目の流刃を繰り出せる技は流車だけじゃない。

 俺は飛び上がるどころか、しっかりと大地を踏み締めて老騎士の懐に飛び込み、腰を落としながら弾かれた刀を前へと押し出す。

 ガードを飛び越えるのではなく、ガードをすり抜けるように繰り出す流車のタイプ別。

 かつて剣聖スケルトンに放った、もう一つの流刃。

 

「一の太刀変型━━『流流』!」

「ぐっ!?」

 

 それが遂に老騎士の体に明確な傷を刻む。

 左足の太腿を半ばまで断つ、決して軽傷とは言えないダメージだ。

 機動力は大きく落ち、左足で踏ん張る事すら難しくなっただろう。

 だが、逆に言えばその程度だった。

 老騎士は直前に俺の動きを読み、体を捻ってダメージを最小限に抑えたのだ。

 そして、刀を振り抜いてしまった俺に対し、老騎士の剣は流車のフェイントに引っ掛かったせいで、逆に振るわれていない状態で残っていた。

 災い転じて福となす。

 その千載一遇のチャンスを逃す老騎士ではない。

 

「ハァアア!」

 

 老騎士の剣が振り下ろされる。

 俺の左の肩口から体を両断する軌道。

 恐らく、トドメは刺さずに心臓へ到達する前に剣を止めるつもりだろうが、そうなればこの決闘は俺の負けだ。

 黒天丸は振り抜いてしまって使えない。

 腰の怨霊丸を引き抜く暇もない。

 端から見れば絶体絶命だ。

 

 しかし、これもまた俺の予測通りである。

 

「なっ!?」

 

 俺は黒天丸から左手を離し、腕を守る手甲で老騎士の剣を防いだ。

 この手甲は、強靭にしてこの世で最も軽いと言われる魔法金属『ミスリル』を使って作られている。

 ミスリルは深い迷宮の底でしか手に入らない金属だ。

 俺はそれを奈落のような底無しの迷宮の深部で手に入れ、馴染みのドワーフに依頼して手甲をはじめとしたミスリル製の防具を作ってもらった。

 といっても、手甲と胸鎧だけだがな。

 足鎧は暴風のマジックアイテムだし。

 だが、それだけでも防具としての質は最高の一言だった。

 軽くて行動を阻害しない上に、その強靭さたるや、剣聖スケルトンの羽織と併用すれば、老騎士の攻撃が直撃しても一撃くらいは耐えられたかもしれない。

 

 そんなミスリル製の手甲だからこそ、老騎士の一撃を防げた。

 いや、正確にはこれだけでは防げない。

 ただ盾にしただけでは、剣聖の一撃の前に両断されて終わりだろう。

 だからこそ、しっかりと流刃の応用で受け流す。

 左斜め上から振り下ろされた剣を左手の手甲で受け流し、左回転。

 刀は無理な位置にあってさすがに振るえないが、代わりに叩きつけられるものならある。

 

 俺は体の回転に合わせて右足を浮かせ、風によって更に加速した後ろ回し蹴りを老騎士の側頭部に叩き込んだ。

 

「一の太刀変型━━『流刃・無刀』!」

「かはっ!?」

 

 手応え、いや足応えありだ。

 この決闘が始まって初のクリティカルヒットが入ったと確信した。

 剣聖の力を無駄なく乗せた蹴りは老騎士を吹き飛ばし、脳も揺らしたのか老騎士の体勢が大きく崩れる。

 頭蓋にヒビくらい入っているだろう。

 それでも俺は油断せず、決着をつける為に老騎士へ向かって踏み込んだ。

 それに……

 

「お……ぬぉおおおおおおお!」

「やっぱりな」

 

 あんたがこの程度で倒れてくれる訳ねぇよな。

 わかってた。

 だが、もう老騎士に余裕がない事も事実だ。

 恐らく、次が最後の攻防になるだろう。

 そう確信し、俺は最後の一撃の為に全意識を集中させた。

 

 そして、老騎士もまた最後の力を振り絞って、大技を繰り出す。

 この戦いの最後を飾るに相応しい、剣聖の全身全霊をかけた必殺の一撃を。

 

「『天極剣』ッッ!」

 

 それは、美しい一撃だった。

 技の概要としては、ただ振り上げて、振り下ろすだけというシンプルな技。

 だが、その技には一切の無駄がない。

 無駄に浪費される運動エネルギーはなく、僅か足りとも軌道はブレず、ミリ単位で歪みは一切ない。

 歪曲でもこの一撃を歪める事は不可能だろう。

 

 この技は、まるで剣の極致。

 『剣聖』という最高峰の剣士として生まれ、その才覚を極限まで磨き抜いた末にようやく放てるであろう、至高の一太刀。

 まさに、()より賜った才能を()めた者のみが振るえる最強の()

 才無き俺では、一生を懸けても到達できない高みだろうな。

 

 だからこそ、打ち破る価値がある。

 俺はあえて真正面から、至高の剣技に挑んだ。

 

 思い出せ。

 俺の剣術はなんだ?

 最強の剣技か?

 いや、違う。

 俺の剣術は、最強殺しの剣だ。

 ()()()()()()()()()

 上回る必要はない。

 ただ、勝てばいい。

 

「六の太刀━━」

 

 この技は、ある意味、俺の剣の本質に最も近い技かもしれない。

 対魔王用の最終奥義である最後の技を除けば、七つの必殺技の終わりに位置する技。

 ぶつかり合えば強い方が勝つ。

 そんな天が定めた絶対の理を覆す為の技。

 天に反逆する為の技。

 故に、この技の名は……

 

「『反天』!」

 

 俺の刀と老騎士の剣が真っ向からぶつかり合う。

 そして、━━バキリという音が響き渡り、老騎士の剣に大きな亀裂が入った。

 

「なん、だと……!?」

 

 老騎士が驚愕の声を上げる。

 六の太刀『反天』。

 相手の攻撃エネルギーに、こっちから叩き込んだエネルギーをぶつけて炸裂させ、内部から破壊する技。

 相手の最も脆い所に、最も破壊力の高い衝撃を届かせ、最も強い時の相手の攻撃エネルギーとの板挟みにして壊す技。

 とてつもなく精密で正確な技術が要求される奥義。

 その代わり、天賦の筋力や速度はそこまで必要ない。

 最低限はいるが、それだけだ。

 

 要求されるのは、ただただ技術のみ。

 そして、才能と呼ばれるものの中で、唯一技術にだけは上限がない。

 人間の戦闘に関する才能の内、筋力も、防御力も、速度も、魔力も、鍛え上げるには上限という名の限界がある。

 加護を持つ者達に比べると俺の上限はとてつもなく低く、とてもじゃないが太刀打ちできない。

 だが、技術だけは違う。

 鍛えれば鍛える程上がっていく。

 だからこそ、技術ならば加護持ちにも追いつけるのだ。

 技術によって、実力の差をひっくり返せるのだ。

 

 もちろん、そう簡単な話じゃない。

 加護持ちは技術に関してもとてつもない成長速度を誇り、凡人が十倍の努力をしても追いつけない。

 追いつくには、百倍千倍の常軌を逸した努力がいる。

 自らを常時死の淵に追い込み、数え切れない程の死線を越えて研ぎ澄ますくらいは普通にやらなくてはならない。

 

 そこまでやっても、まだ足りない。

 圧倒的な格上に勝つには、その技術で格上に通じるような技を編み出すしかない。

 そうして、夢の中の俺が苦悩の末に生み出したのが、格上殺しに特化した最強殺しの剣だ。

 徹底的に相手の力を利用して勝つ。

 相手が強ければ強い程、こっちの攻撃も強くなる。

 

 戦いには相性というものがある。

 火魔法の使い手は水魔法の使い手に弱く、接近を許した魔法使いは剣士に弱い。

 それと同じで、俺は()()()()()()()()()()()()()()()()になろうとした。

 俺は弱い。どうしようもない弱者だ。

 だが、全ての強者にとって相性の悪い弱者だ。

 強者を殺せる弱者だ。

 

 それを目指してきた俺の努力が今、少なくとも剣聖という強者に届いた。

 

「あああああああ!」

 

 刀に力を込める。

 ヒビ割れた剣を両断する為に。

 反天は本来なら他の技では突破できない、頑強な鎧だの鱗だのを持つ相手を想定した技だ。

 それを貫通して内部の骨なんかを砕く為に作った。

 柔い部分がほぼない上に、技巧を以て複雑な軌道を走り回る剣を砕けるような技じゃないんだが……今回は何度も何度も老騎士の剣の同じ場所を攻撃して、あらかじめ脆くしておく事で無理矢理成立させてもらった。

 狙ったのは老騎士の剣の中程。

 最初に禍津返しで自分の攻撃を防いだ時から、ずっと標的にしてきた場所だ。

 

 これもまた一つの努力。

 それが遂に実を結び……老騎士の剣を半ばから断ち切った。

 

「なんと……!?」

「おおおおおおお!」

 

 そのまま黒天丸の刃は前進する。

 剣をへし折り、鎧を裂き、遂には、━━老騎士の体に袈裟懸けの傷を刻み込んだ。

 

 

「少年。改めて言おう。━━見事だ」

 

 

 その言葉を最後に、老騎士は膝をついて崩れ落ちる。

 立ち上がる気配も、剣を構える気配もない。

 

「私の、負けだ」

 

 そして、剣聖は敗北を宣言したのだった。

 

「勝った……?」

「「「ルベルト様ァ!」」」

 

 俺が勝利の実感を掴めないでいると、バリケードを築いていた騎士達が慌てて老騎士に近づいてきた。

 

「騒ぐな。傷は浅い。……最後の一撃、どうやらトドメを刺さないように手加減してくれたようだな」

「……ええ。聖戦士を死なせる訳にはいきませんから」

「ふっ。それに対して、私は君に傷一つ付けられなかった訳だ。……完敗だな」

 

 老騎士は悔しそうに、だけど、どこか晴れ晴れとした表情でそう言った。

 そんな老騎士に治癒術師と思われる人達が群がり、数人がかりで治癒魔法をかけていく。

 この分なら、すぐにでも完治するだろう。

 

「さあ、この決闘は君の勝ちだ。私は全身全霊を尽くして戦い、敗れた。正真正銘、文句のつけようもない君の完全勝利だ。━━ならば、君には行くべき所があるだろう。君はその為に頑張ってきたのだから」

「……はい。ルベルトさん、ありがとうございました」

「礼を言われるような事ではないさ。行きなさい、『剣鬼』アラン。無才の身でありながら『剣聖』を打ち破りし者。尊敬すべき若人よ」

 

 とても優しい目で俺を見る老騎士に深く頭を下げ、俺は教会のバルコニーを見上げた。

 ……ようやくだ。

 よくやく胸を張って会いに行ける。

 

 俺は万感の想いを胸に、大切な幼馴染の居る場所に向けて歩みを進めた。



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26 再会

 暴風の足鎧の力を使い、空を駆け上がって教会のバルコニーに到達する。

 手すりの上に着地し、そこから少しだけ下を見下ろせば、本当に久しぶりに間近で見るステラが居た。

 ついでにリンとかの姿も見えるが、今は気にならない。

 

 手すりから一段下に降り、ステラの目の前にやって来る。

 ああ、本当に長かった。

 やっと……やっと、こいつが触れられる距離に……。

 

「久しぶりだな、ステラ」

「……お」

「お?」

「遅いのよバカァ!」

「ぐふっ!?」

 

 こいつ!?

 あろう事か、この感動の再会の場で、俺の胸に頭突きをかましてきやがった!

 衝撃がミスリル製の胸鎧を突き抜けてきたじゃねぇか!

 なんて非常識な!

 

「うぅ……ぐす……!」

 

 と、一瞬思いかけたが、どうやらこいつは頭突きしてきた訳じゃないらしい。

 ステラは、俺の胸で泣いていた。

 こいつは頭突きしてきたんじゃなくて、抱き着いてきたのだ。

 久しぶりにステラの涙を見た俺は動揺し、咄嗟にステラの背中に手を回していた。

 

「寂しかったんだから! 心配してたんだからぁ! そりゃ、いつかは迎えに来てくれるって信じてたけど、でも前みたいに大怪我してないかとか、もしかしたら死んじゃったんじゃないかとか、会えない時間が長くなる程に怖くなったのよ!?」

「ステラ……」

「せめて……せめて定期的に会いに来なさいよ! それが無理なら手紙くらい出しなさいよ! バカァ!」

「……すまん」

 

 俺は泣きじゃくるステラを抱き締めながら、よしよしと頭を撫で続けた。

 悪かったな、長い事一人にさせて。

 いくら強くなる事を最優先にしてたとはいえ、ステラの言う通り手紙くらいは出しておくべきだった。

 俺の方は、魔王討伐の旅に出るまでは王国の戦力に守られてるから大丈夫だろうとステラの無事を確信できたが、ステラの方には俺の無事を知る術なんて無かったのだから。

 

 やがて、不安をぶちまけて落ち着いてきたのか、ステラは小さな涙声でこう言った。

 

「迎えに来てくれて、ありがとう……!」

 

 その言葉にどれだけの感情が籠ってるのか、それを肌で感じ取って、俺はステラを抱き締める力を強めた。

 

「ああ。もう大丈夫だ。もう離れないし、もう一人にしない」

「……約束だからね」

「ああ」

 

 絶対に破れない約束、三つ目だな。

 二つ目は、一緒に戦おうという約束。

 最初の一つは、絶対にステラを最後の最後まで守り抜くという、俺の誓い。

 ようやく、それを果たせるスタートラインに立てた。

 ここからだ。

 ここから、俺達の戦いは始まる。

 嬉しさと達成感で胸が痛い。

 いや、本当に胸が潰れるような痛みが……

 

「……って、痛たたたたた!?」

 

 これは感慨による痛みじゃないぞ!?

 物理的な痛みだ!

 感動的な抱擁だった筈が、ステラの力が強すぎて絞め付け攻撃になっている!

 

「痛いわボケ! 力加減を考えろ!」

「あう!?」

 

 思わず全力でひっぺがして、ツッコミのチョップをステラの頭に叩き込んだ。

 冗談じゃねぇ……!

 せっかくここまで来たのに、感動の抱擁による圧死なんて間抜けな死に方晒せるか!

 

「な、何よー! そこは黙って受け入れてくれるのが男ってもんじゃないの!?」

「やかましい! お前の馬鹿力は注意して受けないと洒落にならないんだよ!」

「久しぶりの再会で馬鹿力とか言うなぁ! このデリカシーゼロ! 体臭キツメ男!」

「誰が体臭キツメだ!? これは装備の臭いだ! この羽織とか長い事迷宮に放置されてた上に、しょっちゅう返り血とか浴びるから、どうしても臭くなるんだよ!」

 

 ギャーギャー。

 そう表現するのが相応しい、まるで子供の喧嘩のような言い合いを俺達は繰り広げた。

 とても、人類の救世主たる勇者と、聖戦士を超えた英雄の会話とは思えない、下らないやり取り。

 子供の頃と全く変わらない、実の兄妹のような遠慮のないやり取り。

 久しぶりのそれは、やけに楽しくて。

 会えなかった時間が一瞬にして埋まっていくようで。

 俺達はここが勇者の出立式の場である事も忘れて、ヒートアップし続けた。

 

「な、仲良いですねー」

「「どこがだ(よ)!?」」

 

 最後に、俺達の共通の知り合いであるリンがポツリとそんな事を口走り、思わず反発してしまった事で、このやり取りは終わりを告げた。

 尚、認めたくはないが、俺達の口元が緩んでいたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 『勇者』ステラと、『剣鬼』アランの()()()

 それは、一人の少年が愛する少女の為に、加護の差という神が定めた絶対の運命を乗り越えて結ばれた奇跡の物語として、長く後世に伝わっていく事となる。

 

 後に、世界で最も有名な恋物語とまで呼ばれるようになるが、二人が再会した時に起こした痴話喧嘩だけは、しょうもなさ過ぎて、後世の作家や脚本家の頭を大いに悩ませる事となったとか。

 しかし、それはまた別のお話━━。




第一章 終


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第二章
27 積もる話


 あの後、俺が乱入した事で、てんやわんやの騒ぎとなった勇者の出立式は、結局普通に終わりを告げ、俺をメンバーに加えた勇者一行は、予定通り魔王討伐の旅へと旅立った。

 もう少し揉めるかと思ったが、老騎士ことルベルトさんの発言力が思ってた以上に強くて押し通してくれた上に、ステラをはじめとした勇者パーティー全員が受け入れてくれた為、特に批判意見も上がらなかったのだ。

 むしろ、勇者パーティーの戦力が増えるなら大歓迎だとばかりに、聖神教会教皇はニコニコしながら、民衆に俺の事を新たな英雄だと刷り込んでいた。

 出立式の途中で俺を不届き者扱いしたシリウス王国国王くらいは反対するかと思いきや、俺とステラの喧嘩を見た後は毒気が抜けたとばかりの顔で「好きにせよ」と言い出す始末。

 斯くして、俺は誰にも文句を言われる事なくステラの仲間となり、式典が終わった後に他のメンバー共々、勇者パーティー用に用意されたやたらデカくて乗り心地の良い馬車に乗せられて、魔王討伐の旅へと出発した訳だ。

 

 そして、現在は王都を離れて、ひとまず人目も魔物の襲撃もなさそうな落ち着ける場所を目指して移動中だ。

 そこで自己紹介をやろうという事になっている。

 ただ、今はリンが気を利かせて他の二人ごと御者台に行ったので、ステラと二人きりだ。

 去り際に何やらリンがステラに耳打ちして動揺させていたのが気になるが、それはともかく、別れていた間の積もる話をするには絶好の機会。

 ……の筈なんだが、何故か今の俺達の間には気まずい沈黙が広がっていた。

 

「…………」

 

 原因はこれだ。

 ステラは馬車の中で何故か俺の隣に座って、肩がくっつきそうな程の至近距離で密着し、無言で顔を赤くしながら羽織の裾を掴んで押し黙っている。

 あまりに真剣な顔で近づいて来たもんだから、思わツッコムタイミングも茶化すタイミングも逸して、今に至るという訳だ。

 突然の奇行が不思議でならない。

 リンに何を吹き込まれた?

 

「…………」

 

 それにしても、なんだこの気持ちは。

 さっきから話しかけよう、声をかけようとしてるのに、何故か胸が詰まって言葉が出ない。

 何故か顔が熱いし、心臓の鼓動が煩い。

 ルベルトさんとの戦いの疲れが今になって出たのか?

 さっきまでは何ともなかったのに?

 ……というか、至近距離で長く見ると改めて感じるが、やっぱりこいつ随分綺麗になったな。

 昔からやたら整った顔してるとは思ってたが、15歳になった事で、幼さを残しながらも子供っぽさが消えて、絶世の美少女って感じになってやがる。

 なんか良い臭いもするし、俺はそんなのとさっきまで抱き合ってた訳で……。

 ぐぅ!?

 動悸が激しく!?

 落ち着け!

 

「……ステラ」

「ひゃい!?」

 

 意を決して話しかけたら、ステラが変な声を上げた。

 なんでお前が動揺する……。

 くっついてきたのはお前だろうが。

 というか、そんなに取り乱すくらいなら離れればいいのに。

 でも、もう少しこのままでいたいような気も……って、あああああ! もう深く考えるな!

 

「あー、えっと……元気だったか?」

 

 長い事黙ってた割に、出てきたのはそんなありきたりなセリフ。

 だが、本心から聞きたかった事だ。

 別れていた間、こいつがちゃんと元気でやれていたのかどうかは、ずっと気になってた。

 

「ま、まあ普通に元気だったわよ。気疲れはしたけど、王国の人達は過剰なくらい私を気にかけてくれたから」

「そうか。……修行で死にかけたりとかしなかったか?」

「実戦訓練で何回かはね。でも正直、ルベルトさんのシゴキの方がキツかったわ」

 

 話してる内に謎の緊張が解けてきたのか、お互いに普通に喋れるようになっていく。

 しかし、未だにステラは羽織の裾を離さない。

 ……とりあえず、今はスルーしとくか。

 

「……ルベルトさん達と修行を重ねて、魔族とかとも戦って、加護の力がどれだけ強いのか知ったわ。それ無しでここまで強くなったアランが、どれだけ壮絶な努力を重ねてきたのかも、なんとなく察した。きっと、私なんかじゃ理解しきれない程の努力を重ねたんでしょ?」

 

 そう言って、ステラはそのほっそりした手で、俺の顔に触れた。

 修行の途中で付いた顔の傷跡に。

 不意討ちで心臓が跳ねた。

 

「ごめんね。私の為にこんな傷つけちゃって」

「……ふん。謝る必要なんてねぇよ。俺がやりたくてやった事だ」

 

 そんな事より、こんな真剣な雰囲気で顔を触られてる事の方が心臓にダメージくるからやめてほしい。

 

「というか、いつになくしおらしいじゃねぇか。お前らしくもない」

「そうね。それでも、これだけは言わせて」

 

 ステラは俺の目を真っ直ぐに見ながら、さっきまでの取り乱しようはなんだったんだと思えるような真剣な顔で告げた。

 

「アラン。私の為に頑張ってくれて、ありがとう。だから私も約束するわ。絶対に、絶対の絶対に、アランが命を懸けてくれるのに相応しい女になるって」

 

 そう宣言するステラの顔は、ああ、これが勇者かと納得してしまう強さと凛々しさに満ちていた。

 こいつは強い。

 俺の顔に触れるこの手も、必死で剣を振ってきた奴特有のマメや傷で歪んでいる。

 人類の中で最も頑健な筈のこいつの体に、治癒魔法でも消えない、自然に治って傷跡として定着してしまった傷があるんだ。

 それは、ステラもまた並々ならぬ努力を重ねてきた証に他ならない。

 そういう奴は強いんだ。

 それでも……

 

「正直、俺はお前が生きて幸せになってくれるなら、勇者の役目なんて放り捨てて逃げてもいいと思ってるんだがな」

 

 別に強くなくたっていい。

 立派な勇者なんかじゃなくていい。

 俺が命を懸ける理由なんて、ステラがステラだからってだけで充分だ。

 

「……だけど、まあ、お前が本気でそう決めたんなら頑張れ。俺は全力で支えてやるし、どうにもならなくなった時は、縛り上げてでも一緒に逃げてやるから」

 

 きっと、色んな人を見捨てて逃げた先に、こいつの幸せはないんだろう。

 幸せのない人生は辛い。

 生きてる価値があるのかすらわからない程に辛い。

 あの悪夢を見た俺だからこそ断言できる。

 

 だったら、俺はステラの幸せごとステラを守ればいい。

 やるだけやってやるよ。

 魔王を倒して、憂いをなくして、二人で村に帰る。

 それが俺の思い描く、最高のハッピーエンドだ。

 逃げるのは、本当にどうしようもなくなってからでいい。

 

「うん!」

 

 俺の言葉を聞いて、ステラは心から嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 ……前のお前なら、そこは勝ち気に笑う所だと思うんだがな。

 今のステラは妙に素直で落ち着かないというか、こそばゆい。

 これはこれで可愛いんだが……って、ああ、クソ、油断するとすぐこれだ。

 調子が狂う。

 とりあえず、照れ隠しにステラの頭をワシャワシャと撫でておいた。

 髪がちょっとボサボサになってステラがキレた。

 うむ、いつものキレっぷりだ。

 落ち着く。

 

 

 その後、わちゃわちゃとじゃれついてる内に馬車が止まり、御者台からリンが帰って来た。

 

「良い感じの場所に着きましたよ。今日はここで野営しようと思います」

「そうか」

「ありがとね、リン」

「いえいえ」

 

 そんな会話を交わしたリンは、探るように俺達の様子を見ていた。

 そして、ステラとアイコンタクトを交わし出す。

 こいつ、やっぱりステラに何か吹き込んでやがったな。

 さっきまでのステラがおかしかったのは、こいつのせいと見た。

 後で覚えてろ。

 

 やがて女子二人のアイコンタクトも終了し、リンは新たな話題を口にした。

 

「さて、では色々と落ち着いたみたいなので、アランくんの歓迎会というか、自己紹介をやりましょう。ついて来てください」

 

 そう言って、リンは馬車を降りて行った。

 言われた通りに俺もステラと一緒に馬車を降りれば、そこには野営用に起こしたのだろう火の周りを囲み、簡素な椅子に座った、リンをはじめとする勇者パーティーの三人が居た。

 時刻は夕方。

 もうすぐ太陽が沈む時間。

 そんな時間になってようやく、俺は勇者パーティーの仲間達に挨拶する事になった。



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28 勇者パーティー

「では、とりあえずお料理でも出しますね」

 

 そう言って、リンは鞄の中から大きな鍋を取り出して火の上にかけた。

 既に中身が入って料理が完成している鍋を。

 なんともシュールな光景だが、これ一つとっても中々凄い光景だ。

 

「マジックバックか。しかも、中の時間まで止められるタイプの」

「そうですよ。庶民からしてみるとビビりますよね。特にお値段」

 

 リンの言う通り、このマジックバック一つで相当の値段になるだろう。

 国宝級とまでは行かないだろうが、これ一つで屋敷くらい建てられそうだ。

 容量によっては城が建つかもしれない。

 そんなもんに鍋を詰めてホイホイ使えるとは、さすが勇者パーティー。

 

「食事はいつもそこから出す感じか?」

「いえ、料理だけで容量を埋める訳にもいかないので、たまにだけですね。いつもは馬車に積んである保存食か、狩りでもして食料を確保する事になると思います」

「なるほど」

「ちなみに、料理は私とステラさんの担当です。ステラさんは意外と嫁力高いんですよ。オススメですよ」

「なんのオススメだよ」

 

 なんかニヤニヤしてるリンに腹を立てつつ、俺も火のそばに座る。

 当然のようにステラが隣に来た。

 その感じ、まだ継続中なのか。

 ああ、他の二人まで生暖かい目に……。

 

「オホン。では、皆さんの共通の知り合いである私が仕切らせて頂きます。ステラさんは、それどころじゃないみたいですからね~」

 

 リンのニヤニヤが止まらない。

 お前、後で本気で覚えとけよ。

 

「という訳で、とりあえずアランくん、自己紹介をお願いします」

「……ああ、わかった」

 

 今のこいつの言う通りにするのはシャクだが、ここでふて腐れる訳にもいかないだろう。

 

「今回仲間に入れさせてもらった、ステラの幼馴染のアランだ。戦闘スタイルは刀による受け流しとカウンター。逆立ちしてもできない事は広範囲攻撃。強敵相手の立ち回りは得意だが、数万の魔物の群れとかが相手だと有効打がない。パーティーを組んだ事はないが、全体の流れを見て合わせるのは得意だ。必ず役に立つから、よろしく頼む」

「堅苦しいな、オイ!?」

 

 俺の自己紹介にそんな反応を返したのは、身長2メートル近い筋骨隆々の巨漢の男。

 どことなく軽薄な雰囲気のある男だ。

 

「もうちょっと気楽に行こうぜー。俺はブレイド・バルキリアス。『剣聖』な。ちなみに、お前が倒したあの爺の孫だ。よろしく!」

「ああ、よろしく頼む」

 

 知ってるとは言わずに頷いておいた。

 そんな事を言い出したら、自己紹介の必要がなくなってしまうからな。

 それにしても、『剣聖』ブレイド・バルキリアスか。

 真面目で厳格な騎士の鑑のようなイメージのルベルトさんとは似ても似つかん。

 前にルベルトさんが俺を見て「ウチの孫と取り替えてほしい」的な事を言ってたのは、この性格の不一致が原因なのか?

 

 俺がルベルトさんとブレイドの確執的なものを推測してる内に、今度はエルフの幼女が名乗りを上げた。

 

「さて、次はワシが名乗らせてもらおうかの。ワシはエルネスタ・ユグドラシル。世間では『大賢者』なんて呼ばれとるよ。戦闘スタイルは、見ての通り魔法戦闘。一通りの魔法は大体使える。攻撃もサポートもお任せじゃ。よろしく頼むぞ」

「ああ、よろしくな……って痛たたたたた!?」

 

 普通に返事をしたら、何故か隣のステラが頬をつねってきた。

 顔の肉が引き裂かれそうな程痛い。

 加減しろ!

 それ以前に何すんだ!?

 

「バカ! 敬語使いなさい、敬語! こう見えて、エルネスタさんは私達の中でぶっちぎりの年長者なのよ! しかも、エルフの元族長様だし!」

「! ……そうでしたか。すみませんでした」

 

 俺は慌てて口調を改めた。

 目上の相手だったのか。

 見た目に騙されて気づかなかった。

 勇者の仲間に関する情報は、夢の中の新聞で知ってたつもりだったが、その細かい知識はうろ覚えだからな。

 とにかく、超歳上でエルフの元族長なんて人相手なら、例え慣れない敬語でも使っておくべきだろう。

 

「ホッホッホ。気にせんでよいぞ。エルフの元族長と言っても、既に引退した老いぼれじゃ。ブレ坊もワシに敬語なんて使わんし、気楽にエル婆と呼んでくれていいんじゃぞ?」

「……わかった。そういう事なら遠慮なく行かせてもらう。これからよろしく頼む、エル婆」

「よろしい! アー坊は良い子じゃのう」

 

 そう言ってホワホワと笑うエル婆。

 見た目的にはとても歳上には見えないが、その雰囲気はどことなく故郷の老人衆のような、若者を温かく見守ってくれる安心感みたいなものを感じた。

 今は無言で俺の頬に治癒魔法をかけるステラを生暖かい目で見てる気がするが。

 というかステラの奴、サラッと無詠唱魔法とか高度な事やりやがったな。

 

「では、最後に私ですね。アランくんとは既に面識がありますが、改めまして。リンです。一応『聖女』やってます。パーティーでの役割は基本的に回復役。防御もそれなりに得意なので、緊急時には頼ってください。この分野だけならエルネスタ様にも負けません。またよろしくお願いしますね」

「ああ、よろしく」

 

 さて、リンの自己紹介も終わったし、最後はステラだな。

 今さら自己紹介なんかいらない仲だが、現在の戦闘スタイルは聞いておきたい。

 

「……なんか、私の扱いだけ軽くないですか? もうちょっと『予想外の再会!』とか、『なんでお前がここに!?』みたいな感じで驚いてくれてもいいんじゃ……」

「別に予想外じゃないからな。言っただろ。近い内にまた会う事になるだろうって」

「……アランくんは私が勇者パーティーに入ると予想してた訳ですか。自分で言うのもなんですが、癒しの加護持ちって事になってた田舎の治癒術師が勇者様の仲間になってるなんて波乱万丈な人生、普通予想できないと思うんですけどね……」

 

 リンがどこか遠くを見始めた。

 逆に、ステラは何か言いたげな目をしながら、俺の耳元に顔を近づけて来る。

 

「あの夢の事、話さなくていいの?」

 

 耳元で囁かれるステラの声に、俺の体がビクッと震えた。

 み、耳が弱点だったのか俺は……!?

 驚愕の事実に震えつつ、俺は小声でステラの言葉を否定する。

 

「いきなり、こんな荒唐無稽な話しても信じてもらえないだろう。とりあえずは様子見だ。必要なら折を見て話す。それに確かめたい事もあるしな」

「……わかった」

 

 若干納得してないっぽいが、ステラは引き下がった。

 妙に頭の芯を震わせる美声が離れて、俺もホッとする。

 なんでこんな事で疲れなきゃいけないんだ。

 

「じゃあ、最後は私ね。今さら自己紹介なんてする仲じゃないから、軽く戦闘スタイルだけ話しておくわ。私の基本スタイルは聖剣での斬り合い。補助として光魔法での中遠距離戦って感じね。そこの所は後で連携の訓練でもやって確認しましょう」

「そうだな。なら久しぶりに勝負もやるか? どれだけ強くなったか見てやるよ」

「いいわね! 今度こそ、あんたから勝ち星を奪い返してやるわ!」

「ふっ。やれるものならやってみろ」

 

 笑顔で火花を散らし合う俺とステラ。

 ああ、懐かしいなこの感覚。

 昔は毎日のように味わってた感覚だ。

 当時を思い出して、思わず笑顔になってしまう。

 

「なんというか……やっぱり仲良いですね、このお二人」

「なんで好きな奴同士で戦おうとするのかはわかんねぇけどな」

「ふむ。俗に言う喧嘩ップルというやつじゃな」

 

 外野が何やらヒソヒソ言っていたが、高揚する俺達の耳には入らなかった。

 

「はいはい。とりあえず、そこまでじゃ! 今はアー坊に色々と旅の説明をせねばならんからのう。おっ始めるのは後にせい」

「む……」

「す、すみません……」

 

 エル婆に仲裁され、俺達は闘志を引っ込めた。

 そうだった。

 ここは二人だけの世界じゃないんだったな。

 反省だ。

 

「さて、では自己紹介も終わった事じゃし、鍋でもつつきながら、魔王討伐への道のりを軽く説明しておこうかのう。その前に、アー坊は今の世界情勢を把握しとるか?」

「まあ、触りくらいは」

 

 と言っても、そう詳しくはないんだが。

 

「ふむ。では詳しく話しておこう。当代魔王の出現より15年。現在の世界の姿をな」

 

 そうして、エル婆は話し出した。

 この世界についての話を。

 あまりにも自然に、リンから司会の座を奪い取りながら。



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29 世界情勢と目的地

「まずは基本のおさらいと行こうかの。アー坊は先代魔王の時代の事は知っておるか?」

「とんでもなく酷い時代だったとは聞いてる」

 

 先代魔王の時代。

 それは、ここ数百年で人類が最も追い詰められたと言われる時代だ。

 と言っても、先代魔王が討ち取られたのは、俺達が生まれるよりも前の話。

 その酷さを実際に目にした事はない。

 だが、人伝に聞いた事は結構ある。

 何せ、俺達の故郷の村なんかは、先代魔王との戦争で身寄りを失った人達が集まって作った開拓村だ。

 親父や母さんはその戦争で両親、つまり俺の爺さん婆さんに当たる人達を亡くしてるし、それはステラのお父さんや他の村人達も同じ。

 たまに昔を懐かしんで当時の話をしてた。

 それに、夢の中の俺が辿った旅路の中にも、そういう場所は山程あったのだ。

 修行最優先だったから大して興味のなかった話とはいえ、そんな場所を多く訪れてれば、ある程度の知識は嫌でも耳に入ってくる。

 

「そうか。では先代魔王が討たれたのは何年前かわかるか?」

「確か……25年前くらいだったか?」

「その通りじゃ。先代勇者が命と引き換えに先代魔王を討ったのは、()()()()()()()()()。そして、当代魔王が魔界の門を潜って現れたのは15年前。つまり、人類は僅か10年しか復興の時間を得られなかったという事になる」

 

 ああ、話の本題が見えてきたな。

 

「何人もの勇者と渡り合い、逃げ仰せ、実に90年に渡って人々を脅かし続けた先代魔王。その戦いの爪跡は未だに癒えておらぬ。民の疲弊は10年の復興によってある程度マシにはなったが、最も問題なのは兵の不足じゃ。特に加護を持つ英雄と聖戦士の不足。これは致命的と言えるじゃろう。人類は今、ここ数百年で最悪の戦力枯渇状態で魔王軍と戦っておるのじゃ」

「……そうだな」

 

 俺はエル婆の説明に神妙に頷いた。

 そのくらいなら知ってる。

 夢の中、復讐の旅に出る前の世間知らずだった頃ならいざ知らず、大分長い事旅をしたんだ。

 基本の知識くらいは抑えてる。

 

「ふむ。このくらいであればアー坊も知っとるようじゃのう。では、そろそろ本題と行こう。当代魔王軍の戦略。それに対する人類の対応。そして、その結果世界が今どうなっておるのか。今からそれを教える。心して聞くがよい」

「……わかった」

 

 俺は姿勢を正してエル婆の言葉を待つ。

 今までの旅人でも知れた話と違い、ここから先は世界を俯瞰して見られる、歴史の中心人物達の視点で語られる話だ。

 そして、勇者パーティーの一員となった俺は、その中心人物の一人となった。

 半端な気持ちで聞ける話ではない。

 

「……当代魔王は魔王の中では珍しい、かなり慎重で狡猾な性格じゃ。魔族という限られた精鋭を無駄に消費する事を嫌い、現地調達できる戦力である魔物を好んで使う。そして、奴は決して正面からの真っ向勝負をせん。魔王城周辺の守りを徹底して固め、人類への攻撃に関しては、少数の魔族とそれに率いられた魔物を各地へと派遣し、英雄のおらぬ街や村などの削れる所を確実に削りつつ、英雄達のおる場所にも睨みを利かせ、多くの英雄達や殆どの聖戦士を、己の担当区域を守る事で精一杯にさせて身動きを取れんようにさせておるのじゃ。おかげで、ワシら勇者パーティーは最低限の人数を集めるだけで精一杯じゃった」

「それはなんとも……魔王らしくない姑息な戦術だな」

 

 だが思い返してみれば、カマキリ魔族も老婆魔族も、魔物こそ率いてなかったが、なんの変哲もないような田舎に出現した。

 なんであんな所に魔族が出たのかと、ずっと不思議に思ってたが、そういう訳だったのか。

 唯一の救いは、俺達の故郷に関しては、ステラに対する最大限の配慮で英雄が守るようになったから、そう易々と手出しはできないようになった事くらいだな。

 多分、リンの故郷もそうなってるだろう。

 

「姑息でも有効な戦術なのじゃよ。先代魔王の残した爪跡を徹底的に突いて抉ってきおる。……本当に忌々しい事この上ないわ」

 

 エル婆は、可愛らしい幼女の顔に似つかわしくない嫌悪に満ちた表情で吐き捨てた。

 どうやら、相当腹に据えかねてるらしい。

 

「そうやって、人類は少しずつ、されど確実に削られていき、真綿で首を絞められるようにして敗北へと向かっておる。この状況を覆す方法は一つ。なんとか絞り出した遊撃戦力であるワシらの手で魔王を討つ事だけじゃ。さすれば、統率者を失った魔族は烏合の衆となり、人類の敵ではなくなるじゃろう」

「……魔王を倒したからって、そう上手くいくのか?」

 

 そこは少し心配なのだ。

 夢の中の俺の目的は魔王への復讐であり、その後の事なんざ知ったこっちゃなかったが、今の俺の目的はステラの幸せを守る事。

 魔王を倒せても、残党の中から新しい統率者が出てきたら、平穏は遠ざかってしまう。

 

 そんな俺の不安に対して、エル婆は自信満々に断言した。

 

「必ず上手くいく。ワシが何年魔族の事を見てきたと思っておる? 魔族は基本的に己の事しか考えていないような種族じゃ。個々が絶大な力を持つが故に、協力するという発想がない。魔王軍とは魔王という旗頭の下に魔族が集結しておるのではなく、魔王がその絶対的な力によって無理矢理支配しているだけに過ぎないのじゃよ。その絶対的支配者さえ倒せれば、魔王『軍』は壊滅する。連携もなしに個々に暴れる残党程度ならどうとでもなるわ」

「……なるほど」

 

 まだ少し不安ではあるが、今はその言葉を信じておくとしよう。

 

「……とはいえ、ワシらが魔王を倒せん事には、その先の展望など絵に描いた餅よ。そして、勇者パーティーとしては最低限の規模しかないワシらだけで魔王を倒すのは、かなり険しい道のりじゃろう。故に、アー坊には感謝しておるのじゃよ。聖戦士クラスが一人でもおるのとおらんのとでは大違いじゃからな」

「そうか。まあ、期待に沿えるように精進する」

「そうしてくれ」

 

 言われずともだ。

 ステラの命と幸せを脅かす最大の邪魔者である魔王は倒す。

 その後はステラを引き摺って村に帰り、隠居するなり、実家を継ぐなり、旅に出るなりして好きに生きる。

 これは決定事項だ。

 

「で、その魔王を倒す為の具体的な道筋なのじゃが。当初の予定では各地を巡って魔王軍を倒し、向こうの戦力を削ぎながら、そやつらに睨まれて身動き取れん英雄や聖戦士を解放して、魔王と戦える戦力を嵩ましする作戦じゃった。しかし、恐らく勇者が動けば魔物を肉壁にして魔族は逃げる。当然逃がすつもりはないが、いつかは逃げられて魔王に情報が伝わり、温存しておる四天王が動き出すじゃろう。それをなんとか撃退しながら旅を続けるしかないという苦肉の策じゃったな。その過程で魔王が釣れれば万々歳と言ったところか」

「ん? なんで魔王が釣れれば万々歳なんだ?」

 

 普通に考えて、四天王と束になって来られたら絶望だと思うんだが。

 

「魔王が出て来てくれれば、聖剣の本来の力が振るえるからのう」

「本来の力?」

「そうじゃ。聖剣は()()()()()()。より正確に言えば、魔王を殺す事のみに特化した剣。故に、魔王とぶつかるその時まで、聖剣は本来の力を封印して力を溜めておるのじゃよ。普通の魔族や四天王が相手では、普通の剣と大差ない力しか振るえぬのじゃ」

「……本当なのか?」

 

 俺はその質問をエル婆ではなく、隣で呑気に鍋をつついているステラにした。

 ステラは急に話しかけられるとは思ってなかったらしく、口の中いっぱいに具材を頬張っていた。

 数秒を咀嚼に費やし、ゴクンと飲み込んでから、ステラは神妙な顔で口を開く。

 その数秒の間のせいで真剣な空気が台無しだ。

 

「ええ、本当よ。今の聖剣は封印から漏れ出した僅かな力を振るうのが精一杯。現時点だと、ちょっと切れ味が良くて、絶対に壊れないだけの普通の剣って感じね」

 

 しかし、ステラ本人は真剣な空気を維持できてるとでも思ってるのか、特に慌てる様子がない。

 ツッコミを入れても誰も幸せになれないので、俺とエル婆は華麗にスルーして話を続ける。

 

「という訳じゃ。魔王が軍勢を率いてステラを殺しに来れば、その軍勢をワシらや現地の戦力でどうにか足止めし、ステラを魔王にぶつける事ができる。勝算こそ高くはないが、道中の戦いを省き、消耗を抑えた状態で決戦に持ち込めるのじゃ。想定される中では、かなり良い方の展開と言えよう」

「……なるほどな」

 

 正直、ステラ一人に魔王を押しつけているようで気に入らない作戦だが、理には適ってる。

 夢の中のステラのように、味方全員を失って、自身も致命傷を負った状態で魔王城に突撃するよりは、余程勝算のある賭けだろう。

 

 だが、これだけは言わせてもらう。

 

「もしそうなった場合、俺は目の前の敵を放ってでもステラに助太刀するからな」

 

 強い意志を込めた目でエル婆に宣言した。

 俺が守るのは人類ではなく、ステラだ。

 例え、俺が放り出した敵が多くの人々を殺したとしても、俺はステラを助ける事を優先する。

 これだけは譲れない。

 

「わかっとる、わかっとる。お主の熱い気持ちはよーくわかっとるよ。そう睨まんでも異論はないわ」

「ならいい」

「ふう、まったく。愛されておるの~、ステラや~」

「からかわないでください!」

 

 エル婆が突然ニヤニヤし出してステラを弄り始める。

 また真剣な空気が台無しだ。

 

「さて、話を戻すぞ。今のはあくまでも当初の予定と一つの可能性の話じゃ。実際には魔王が自分に有利な状況を捨てて突撃して来る事はないじゃろうし、作戦その物も、ここ数年で急激に情勢が変わったせいで見直さざるを得なくなった。まあ、情勢の変化に関しては嬉しい報せなんじゃが」

「嬉しい報せ?」

 

 どこぞの英雄が大戦果でも上げたのか?

 

「うむ。ここ最近の話なんじゃが、方々に拠点を作って居座っておった魔族どもが何者かに討伐されたようでのう。さすがに広範囲を担当する聖戦士達を解放するまでには至らんかったが、一部の英雄達は自由に動けるようになった。単純に魔族が減ってくれただけでも大助かりじゃ。感謝してもしきれん」

「ほう」

 

 そんな奴がいるのか。

 魔族を拠点ごと潰せるとなると、低く見積もってもフィストのような英雄上位クラス。

 下手したら聖戦士並みだ。

 そんな戦力が自由に動いてるなら、仲間に勧誘できるんじゃないか?

 

「正体はわからないのか?」

「それがさっぱりでのう。監視をしていた者達曰く、ある日突然魔族どもがざわつき始め、激しい戦闘音が聞こえてきたと思ったら、数時間後か数日後には魔族どもの拠点が死屍累々の有り様になり果てていたとの事じゃ。そして、それを成した英雄は名乗るどころか姿すら見せずに立ち去る。なんともカッコ良いものじゃ。最近は吟遊詩人のネタになっておるらしいぞ」

「あー、言われてみれば、そんな噂を小耳に挟んだような気がする」

 

 特に、魔族の支配領域に行った時に、近隣の街とかでよく聞いたような。

 

「ちなみに、ワシは他の人類と足並み揃えず好き勝手にやっとる獣人族の連中が怪しいと見ておる。奴らを率いる『獣王』はワシと同じく、最強の聖戦士の一人と言われとる奴じゃからのう。協力してくれればありがたいのじゃが、まあ、敵の敵でいてくれるだけ幸いじゃな」

「ほー。俺もここ数年で魔族は何体か狩ったが、あいにく獣人族とは遭遇しなかったな」

 

 俺がそう言った瞬間、ピタリとエル婆の動きが止まった。

 そして唐突に真顔になり、感情の読めない目で俺を見てくる。

 どうした?

 

「アー坊、それはいつの話じゃ? いつ頃から魔族狩りなんて始めた?」

「5年前からだな。強い修行相手を求めて殺しに行った。未来の敵も減らせるし、一石二鳥だと思って」

「……お」

「お?」

「お主かッ!」

「おっと!?」

 

 エル婆が突然ツッコミのチョップを繰り出してきた。

 見た目の割に強力な一撃だ。

 武術系の加護持ちには到底及ばないとはいえ、魔法系の加護持ちも、過酷な戦いに巻き込まれても死なない程度には身体能力が高い。

 多分、俺とエル婆が腕相撲とかしたら余裕で俺が負けるだろう。

 そんな一撃を食らってなるものかと、無手で歪曲を使って受け流した。

 

「謎の英雄の正体はお主かッ! なるほど、確かにルー坊を圧倒したお主であれば魔族を狩る事もできるじゃろうな! まったく、本人の前で知ったかぶりして恥をかいたわ! 自信満々で間違った推理を言ってしまったではないか!」

 

 エル婆が荒ぶっている。

 羞恥のせいか、その顔は少し赤い。

 こうしてると、幼女が癇癪を起こしたようにしか見えないな。

 

 というか、謎の英雄の正体は俺か。

 修行目的で魔族を狙い、売名より修行時間を優先したから何も語らず、次の強敵や装備を求めてすぐに立ち去る。

 なるほど。

 俺の内心を無視して客観的に見れば、謎の英雄と言えない事もない。

 仲間にできるかとか考えて損したな。

 

「ふー……すまぬ、少々取り乱した。というか、アー坊は既に随分と人類に貢献しておったんじゃな。加護を持たぬ身でそこまでやるとは。なるほど、ルー坊が気に入るのも頷ける。さすがは、シズカの刃を継ぐ者じゃ」

「シズカ?」

 

 知らない名前が出てきたぞ。

 

「その刀と羽織の元の持ち主じゃよ。ワシが最初に勇者パーティーに加入した時の仲間『剣聖』シズカ。戦場で暴れ回るタイプじゃった当時の魔王を相手に、傷付いたワシらを庇ってたった一人で囮役を買って出た、尊敬すべき姉貴分じゃった」

 

 エル婆の目が懐かしそうに細められる。

 過去を思っているのだろう。

 

「その装備、どこで手に入れたんじゃ?」

「とある迷宮の奥底でスケルトンになってた女を倒して貰い受けた。元剣聖だろうとは思ってたが、そんな奴だったんだな」

「そうか……」

 

 エル婆は目を伏せる。

 かつての仲間の冥福を祈っているのかもしれない。

 やがて、エル婆は目を開き、優しい目で俺を見た。

 

「お主のような心の強い男に受け継がれるのであれば、シズカも本望じゃろう。その装備、大事に使ってくれ」

「……ああ」

 

 俺は神妙に頷く。

 剣聖スケルトン、いや『剣聖』シズカか。

 魔王との戦いに殉じた大先輩の使った装備……これからもありがたく使わせて頂こう。

 あと、絶壁とか失礼な事思ってすみませんでした。

 

「それにしても、シズカの奴、スケルトンになっとったんか……。強かったか?」

「バカみたいに強かった。当時の俺じゃ、勝つまでに何回も手足ぶった斬られて、リンの世話になってたな」

「あ、私と会ってた頃に戦ってたんですね」

「そうだ」

 

 と、その時、隣のステラが腕を握ってきて、無言の上目遣いで俺を見上げ始めた。

 その顔には、複雑な感情が見え隠れしている。

 俺の無茶を怒りたくても怒れないような。心配と罪悪感とその他諸々がごっちゃになったような悲しい顔だ。

 ……だから、俺がやりたくてやった事なんだから、お前が気にする必要はないってのに。

 とりあえず、俺は苦笑しながらステラの頭を撫でておいた。

 拒絶されないのが妙にこそばゆい……。

 

「それにしても、あのシズカを相手に何度も手足をもがれて敗れながらも、決して諦めない根性か。あっぱれじゃな。ブレ坊は見習うべきじゃぞ。さすれば、ルー坊に怒られる事も減るじゃろう」

「げ、そこで俺に振るのかよ……」

 

 エル婆が唐突にブレイドの名前を出し、当のブレイドは渋い顔で鍋のおかわりをよそり出した。

 あと地味に気になってるんだが、さっきから会話に出てくるルー坊ってルベルトさんの事か?

 あの老騎士を坊や扱いできるとは、本当にエル婆は年長者なんだな。

 さっきの癇癪を見てると信じられん。

 

「あー……ルベルト様はブレイド様に厳しいですからねぇ」

「そうなんだよなぁ。もう俺の方が強いってのに、未だに餓鬼扱いしてきやがる」

「年寄りにとっては、若造なんていつまで経っても若造のままじゃよ。それに、ルー坊のあれは愛の鞭じゃろう」

「私はブレイドの自業自得だと思うけどね。ルベルトさんより強いって言ってもパワーで押しきってるだけだし。それに、ブレイドって根性なさそうだし」

「誰が根性なしだ、コラァ!?」

 

 ワイワイと騒ぐ勇者一行。

 その光景を見て、こいつらとは仲良くやれそうだという予感がした。

 苦難を前にして笑える奴は強い。

 逆に、余裕を失った奴がどれだけ危ういのかは、身を持って知ってる。

 今のこいつらとなら、きっと絶望の未来を変えられると、俺は確信する。

 

「おっと。大分話が脱線してしもうたな。話を戻そう。情勢の変化を受けて変更した、現時点での魔王討伐までの道のりの話じゃ」

 

 エル婆が話を再開した。

 そして、本日最後となる話題がもたらされる。

 

「アー坊こと謎の英雄の活躍のおかげで、ワシらが倒さねばならん魔族の数は大分少なくなった。それともう一つ、情勢には無視できん変化が生じておるのじゃ」

 

 そこから放たれたエル婆の言葉は、まさに驚愕に値した。

 その瞬間、俺は確かに感じたのだ。

 未来が、運命が、音を立てて変わっていくのを。

 

「魔族が狩られた事に業を煮やしたのか、それとも別の理由かは知らんが、━━これまで温存されておった魔王軍の最精鋭『四天王』の一角が、ここ最近人里付近に出現し、暴れ出しおった」

 

 こんな序盤での四天王の出現。

 俺の夢の知識に、そんな情報はない。

 

「罠かもしれんが、これはチャンスじゃ。四天王の一角をここで討ち取れれば後がかなり楽になる。アー坊のおかげで、本来なら真っ先にやらねばならん筈じゃった魔族狩りも大分進んでおるし……よって、ワシらは急いで現地へと急行し、現地の戦力と協力してその四天王を討つ。そこが魔王討伐の旅の最初の目的地じゃ」

 

 「その場所の名は……」とエル婆が続ける。

 

「━━『エルフの里』。ワシの故郷であり、数多の優秀な魔法使い達と神樹の加護に守られた、人類屈指の要塞都市じゃ」

 

 エルフの里。

 そこが俺達が勇者パーティーとして体験する最初の戦場。

 その場所で、俺達は思い知る事になる。

 敵の強大さを。

 四天王という怪物の途方もない強さを、恐ろしさを。

 存分に味わう事となる。

 

 尚、真面目な話し合いをしている内に鍋は全て食われていた。

 俺は思い知った。

 パーティーでの食事とは、早い者勝ちの弱肉強食の世界であるという事を。



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閑話 女子会

 魔王討伐の旅初日の話し合いが終わり、鍋を食べられなかったアランがふて腐れながら保存食の干し肉を貪った後。

 勇者パーティーは男子組と女子組に別れ、まずは男子組が夜番をする事となった。

 女子組はその間に馬車で眠り、時間が来たら三人の内二人が交代で夜番に向かう。

 残りの一人は、ちゃんと一晩寝て体力を回復させる事に専念する。

 この一人や夜番のペアの順番はローテーションし、全員が平等に休みを取れるようにするつもりだ。

 

 しかし、寝る為に馬車の中へと乗り込んだ女子三人(若干一名婆がいるが)は、寝具に入る事なく、夜更かしする気満々で悪巧みのような会合を始めた。

 

「『遮音結界』」

 

 エル婆こと、エルネスタが無詠唱で簡単な結界魔法を使う。

 中から外への音の通りを遮断する結界だ。

 これで、馬車の中での会話が男子組に漏れる事はない。

 

「さて、では聞かせてもらおうかの」

「アランくんと、どこまで進展しました!?」

「うぅ……」

 

 結界が張られた直後、もう我慢ならんとばかりに、エルネスタとリンがステラに詰め寄った。

 エルネスタは普通にワクワクしているだけだが、リンは興奮状態に陥っている。鼻息が荒い。

 そんなリンに至近距離で鼻息をかけられて、ステラは気圧され気味だ。

 勇者パーティーの中心にして、人類最強の存在である筈の勇者ステラ。

 彼女の立場は、この場において最弱であった。

 

 そして何を隠そう、彼女らは『ステラの恋を応援し隊』のメンバーである。

 事の発端はもちろん、リンがアランの話を出した時にステラが過剰反応し、ステラの恋心が見抜かれた事だ。

 リンとて感性豊かな年頃の乙女であり、勇者にして唯一の身近な女の子であるステラの恋バナなんて、そんないかにも楽しそうな話題に食いつかない訳がない。

 それ以降、リンはいきなり聖女に任命された事への不安や、厳しい訓練の日々で疲弊した心に癒しを求めるかのように、ステラとの恋愛談義を日課にするようになる。

 しかし、所詮は恋愛経験などない小娘二人による話し合いだ。

 恋バナと言っても、妄想を垂れ流すだけであり、ストレス発散にこそなったが、具体的な恋の作戦などは一切出てこなかった。

 

 そこに登場したのが、数百年の時を生きる大人の女、エルネスタである。

 ステラとリンの秘密の会合を割と初期の段階で暴き、「微笑ましいの~」とか思いながら、恋バナに参戦した。

 そして、恋バナにおいて彼女は最強であった。

 何せ、エルネスタは見た目こそ愛くるしい幼女だが、中身は人生経験豊富なんてレベルじゃない、超年長者である。

 かつてはエルフの族長として結婚もしていたし、子供だっている。

 本人曰く、旦那とはラブラブだったらしいので、男を落とすテクニックや、女を磨く方法なども熟知していた。

 その話をした結果、エルネスタの旦那はロリコンに違いないという結論が二人の間で出てしまったのは誤算だったが。

 

 それはともかく。

 体験談を交えながら、ステラに(ついでにリンにも)修行の合間に花嫁修業のように料理やら何やらを教え、テクニックを伝授していったエルネスタ。

 時々、この大変な時代に故郷を離れて自分はいったい何をしているのだろうと思う事もあったが、その苦労は本日遂に実を結んだ。

 

 ステラの想い人であるアランが、劇的なドラマを繰り広げた末に、勇者パーティーに加入したからだ。

 

 こうなると、ステラに施した英才教育(笑)が役に立ってくる。

 エルネスタは思う。

 愛する者がいる奴は強いと。

 アランを見ていれば明らかだが、愛する者の為にという想いは、とてつもないエネルギーになる。

 それこそ、無才の凡人が、世界に愛された聖戦士を超えうる程に。

 

 ステラもまた、ただ義務感で戦うよりも、愛する者と肩を並べて戦った方が、よほど力を発揮できるだろう。

 愛に溺れて堕落されると厄介だが、二人はそんなタイプではないと見ればわかるし、もしもの時は自分が正しい道に導けばいい。

 それに、そういう勇者パーティーとしての打算的な思いとは別に、ずっと面倒を見てきた可愛い女の子に幸せになってほしいという思いだって、もちろんあるのだ。

 

 ステラには是非ともアランを落としてもらいたい。

 その為に、馬車での移動中、リンとエルネスタはブレイドを連れて御者台へと行き、馬車の中でステラとアランを二人きりにした。

 リンは一言「頑張ってくださいね」とだけ耳打ちし、ステラをやる気にさせた。

 さすがに、ブレイドのいる場所で二人の会話を盗み聞きするような真似はできなかった為、二人は馬車の中で何があったのかは知らない。

 だが、馬車から出てきた時の二人の様子を見るに、そう悪い事にはなっていない筈だ。

 ならば、恋愛の師匠として、共に恋バナを楽しんだ友達として、本日の成果を聞く権利はある筈である。

 

 そんな二人の主張に恋愛弱者だったステラが逆らえる筈もなく、今日のアランとのやり取りを洗いざらい吐かされていった。

 

「えっと、二人きりになった後は、アランのすぐ隣に座って、服の裾掴んで、しばらくくっついてました……」

「キャー!」

「ふむ。中々いじらしい感じになったではないか。それはわざとか?」

「いえ、いざアランの隣に座ったら、頭真っ白になっちゃって、何話したらいいかわかんなくなっちゃって……」

 

 ステラが茹でダコのように真っ赤な顔で供述していく。

 その顔は、もう勘弁してくださいと雄弁に語っていたが、この二人が追及を緩める事はなかった。

 

「それでそれで!? その時のアランくんはどんな感じでした!?」

「それは、その……アランもちょっと赤くなってくれてたかな、って……」

「キャー!」

 

 リンの黄色い悲鳴が何度も馬車の中に響き渡る。

 遮音結界がなければ、どうなっていた事か。

 一方、エルネスタはあくまでも恋愛の師匠として、冷静にステラの行動を分析していく。

 

「うむ。良い傾向じゃな。アー坊はどうも、お主の事を女ではなく、幼馴染や妹として見とるような節があったが……赤くなったという事は、女として見始めたという事じゃ。悪くないぞ」

「ホントですか!?」

 

 今度はステラが喜色を浮かべる。

 その顔は、ぱぁあああ! という擬音が聞こえてきそうな程、希望に満ちた晴れやかな笑顔であった。

 これまでエルネスタが見てきた中で、一番可愛い。

 というか、この笑顔さえあれば大抵の男はイチコロなのではないかとさえ思う。

 

「恐らく、離れていた間に見た目からして女として成長したのが効いたな。式典の時に抱き着いたのも良かったかもしれん。この調子で、自分はただの幼馴染ではなく女なのだというアピールを続けるがよい」

「はい!」

「じゃが、あまり急いでもいかんぞ。見たところ、アー坊はまだ戸惑っておる段階じゃ。押せ押せで行ったらヘタレて距離を取られるかもしれん。今の距離感を維持しつつ、メリハリをつけて攻めていけ。ふとした拍子に女としての顔を見せて意識させるのじゃ」

「エルネスタ先生……!」

 

 ステラが尊敬の眼差しでエルネスタを見る。

 ……正直、エルネスタのアドバイスなどなくても、その内自然にくっつきそうな気はする。

 二人の間にある愛情はとんでもなく大きいし、ステラは恋心を自覚していて、アランだって無意識下では自分の想いに気づいているだろう。

 いや、既に完全に自覚していて、思春期特有の変な意地を張っているだけという可能性すらある。

 

 だが、そこまで条件が揃っていても、中々踏み込めなかったり、動き出せなかったりするのが恋愛だ。

 故にこそ、エルネスタのようにアドバイスを与えて手を引いてくれる大人や、リンのような恋バナに付き合って背中を押してくれる友の存在も、決して無用ではないのだろう。

 そう信じて、エルネスタは今日も恋愛初心者の勇者に教えを授ける。

 願わくば、とっととくっついてほしいと思いながら。

 

「で、その後はどうした?」

「はい! 実はですね……」

 

 その後、何故か二人の会話が恋愛方面から、決意宣言のような友情方面に変わっていた事を知り、まだまだ先は長いなと思うエルネスタであった。

 まあ、それもまた、この二人らしいのかもしれないが。

 

 ちなみに、興奮したリンは寝付けずに、翌日にまで疲労を引き摺ったのだが、それは言うまでもない話である。



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30 里を脅かす者

 魔王討伐の旅に出てから数週間。

 俺達は連携の訓練を重ねながら、勇者パーティーに与えられた最上級の二頭の馬を走らせ、最短距離でエルフの里を目指していた。

 シリウス王国の王都からエルフの里までは、普通の馬車であれば二ヶ月はかかる距離だが、この二頭立て馬車を引く馬達の力と、疲れる度に全回復させるリンの治癒魔法があれば、移動時間は大幅に短縮される。

 そして、遂にエルフの里が見えそうな所まで来た今、俺は御者台で馬の扱いをエル婆から教わりながら、エルフの里についての知識のおさらいをしていた。

 

 ちなみに、馬の扱いについては、普段はステラが隣に乗って教えてくれるんだが、今日みたく、たまに別の奴と一緒になる事がある。

 メリハリがどうのと言ってた気がするが、詳しくはわからん。

 

「エルフの里の象徴は、なんと言っても里の中心にそびえ立つ『神樹』じゃ。昔々、遥か昔、それこそ勇者と魔王の戦いが始まるより前から存在すると言われておる巨大な樹でのう。一説では神が植えた樹とまで言われ、不思議な力を持っておる」

 

 エル婆が、もう何度目になるかもわからない説明を続ける。

 この神樹とやらについて語る時のエル婆は、まるで教典を読み聞かせようとしてくる熱心な聖神教の教徒のようだ。

 神樹に対して、畏敬の念を持って話してるように感じる。

 聞くところによると、神樹は全てのエルフの信仰対象なんだそうだ。

 俺は宗教にさして興味はないが、この後に続く神樹の特性を聞けば、なるほど、崇めたくなるのもわからんでもないとは思った。

 

「神樹の持つ不思議な力。それは神樹の力の及ぶ範囲内におる、魔族や魔物などの魔に属する者達の力を大幅に弱体化させるというものじゃ。ワシらが『神樹の加護』と呼んでおるこの力のおかげで、エルフは人類の中で最も数の少ない種族でありながら、今日(こんにち)まで生き永らえておる。無論、エルフが強力な魔法使いを多く抱える列強種族である事も大きな理由の一つじゃがな」

 

 何故かドヤ顔のエル婆。

 果たしてこれは、神樹の力を誇ってのドヤ顔なのか、それともエルフの力を誇ってのドヤ顔なのか。

 正解は両方だ。

 何せ、話に聞くエルフの力もまた、それはもう凄まじい。

 

「エルフは数の少ない種族じゃが、その分一人一人の生まれ持った力が強く、寿命が長い。肉体面はそうでもないが、魔法関係は他の人類と比べても断トツじゃぞ。数百年の時を生き、経験を積み上げたエルフの魔法使いなど、そこら辺の加護持ちにすら劣らぬ力を持っておる」

 

 加護を持つ者に持たざる者が勝つ事はできない。

 エルフはこの常識を、限定的な条件下での話とはいえ覆しているのだ。

 凄まじいとしか言いようがない。

 

「おまけに、魔法系の加護を持つ者も、他の人類に比べれば多く生まれてくるしのう。エルフとしての力と加護の力。この二つをあわせ持った者は、聖戦士の足下くらいには到達できる可能性を秘めておるのじゃ。そんなエルフ達を統べる族長は、ワシと同じく『賢者の加護』を持った聖戦士。その総合戦力は、決して他の人類に引け劣らん」

 

 エル婆がドヤ顔のまま、今度は鼻を高々と伸ばす。

 元族長として、かつてエルフを率いていた者として誇らしいんだろう。

 エルフの里の人口は数万人程度。

 非戦闘員を除いた戦える者の数は一万にも満たないらしいが、確かに他の人類に劣らないだけの力を持っていると言える。

 神樹の力も含めれば、エルフの里が人類屈指の要塞都市と呼ばれるのもわかるというものだ。

 

 だが、そんなエルフの里が今、四天王の一角に襲撃を受けている。

 それ即ち、たかだか四天王の一体くらいで、魔王軍はエルフの全てを相手にできてしまうという事に他ならない。

 そんな化け物と戦いになれば、間違いなく過去最大の激戦になるだろう。

 気を引き締めておかないとな。

 

 そうして闘志を研ぎ澄ましている内に、遠目にエルフの里が目視できる距離までやって来た。

 神樹と思われる、やたらとデカイ樹が見える。

 同時に、里を脅かすとんでもない連中の姿も見えた。

 

「あれは……!」

 

 そこにいたのは、エルフの里へと殺到する竜の群れだ。

 ざっと見ただけでも千はいると思われる、竜の大群。

 その殆どは最下位の竜と呼ばれる、竜の中では比較的小柄な翼竜、ワイバーンだが、中には、俺がかつて倒せなかったあの(・・)ドラゴンゾンビと同格っぽい奴まで何体か交ざってやがる。

 ワイバーンだって、竜の中では最下位というだけであり、魔物全体の中では中の上くらいの力はある大物だ。

 

 そんな連中が、群れを成してエルフの里に襲いかかっていた。

 普通であれば絶望する光景。

 だが、さすがは列強種族エルフと言うべきか。

 竜の大群にも怯まず、里の周囲を結界魔法で囲って侵入を防ぎつつ、結界の中からいくつもの攻撃魔法を放って、確実に竜の数を減らしていた。

 竜どもの動きもどこか鈍い。

 どうやら、神樹の加護とやらも正常に作用してるようだ。

 

「やっておるのう……! ステラ! リン! ブレ坊! 戦いの時間じゃぞ! 準備せい!」

「「「了解!」」」

 

 エル婆が御者台の扉を開けて中のステラ達に声を掛け、その後、竜の群れの方に視線を向けたまま、俺に話しかけた。

 

「アー坊、このまま馬車を最速で走らせてくれ。できるな?」

「無論だ。で、エル婆はどうする気だ?」

「ワシはここから魔法で狙撃して竜どもを蹴散らす。そうすれば、竜どもはワシらに気づいて、いくらかこっちに来るじゃろう。アー坊も戦闘準備は整えておくんじゃぞ」

「了解」

 

 腕が鳴る。

 俺は馬の手綱を操り、旅が始まってから覚えた馬術で馬車の速度を上げた。

 馬達は、さすが勇者パーティーに与えられる馬だけあって、竜の群れを見ても怯む事なく突撃してくれる。

 そんな俺達の様子をチラリと見て満足したのか、エル婆は杖を構えて魔法の発動に集中し始めた。

 

「魔導の理を司る精霊達よ。燃え盛る炎、渦巻く水流、鳴動する大地、吹き荒れる風、凍てつく冷気、鳴り響く雷鳴、破壊の闇、魔を打ち払う光の力よ。賢者の名の元に合わさり、混ざり合い、強大な一つの力となって現出せよ。焼き払い、押し流し、押し潰し、荒れ狂い、凍てつかせ、轟き、壊し、輝け」

 

 エル婆の口から魔法の詠唱が紡がれる。

 俺が辛うじて使える下級の治癒魔法とは次元が違う、長く複雑な詠唱文。

 エル婆は魔法使いの最高峰たる賢者、その頂点に位置すると言われる『大賢者』だ。

 即ち、人類最高の魔法使いである。

 当然、上級の魔法技術である無詠唱魔法が使えない訳がない。

 それでも、あえて詠唱をする理由は一つ。

 その方が威力が高いからだ。

 

 しかも、今エル婆が使おうとしてる魔法は、彼女の持つ魔法の中でも威力だけなら最強と言っていた大技。

 完全詠唱にて放たれる、大賢者の最強魔法。

 どんな、とんでもない結果が出るのか、俺ごときでは計り知る事もできない。

 

 それが今、放たれる。

 

「『全属性の裁き(ジャッジ・ザ・エレメント)』!」

 

 エル婆の杖から放たれたのは、常軌を逸した破壊の極光。

 かつてドラゴンゾンビが放った極大ブレスですら比較にならない、圧倒的な威力と大きさ。

 それが竜の群れを飲み込み、これだけ離れた距離からの攻撃であるにも関わらず、一瞬にして竜の半数を跡形もなく消し飛ばした。

 ドラゴンゾンビと同格っぽい奴まで一体倒してる。

 人類が出していい火力じゃないな……。

 これが大賢者の力か。

 

「「「ギュァアアアアアアアア!!!」」」

 

 しかし予想通り、今の一撃でこっちに標的が移ったらしく、残る竜の大部分が俺達の方に向かって飛んで来る。

 この分だと、エル婆が次の一撃を放つより、接近される方が早いだろう。

 それに、移動の途中で神樹の加護の効果範囲から抜けたのか、竜どもの動きが目に見えて良くなった。

 どうやら、弱体化状態のまま倒させてくれるような、甘い展開にはならないらしい。

 

「さて、やるか」

 

 勇者パーティーとしての最初の戦い。

 相対するは、空を埋め尽くすような竜の群れと、恐らくはそれを率いているだろう四天王。

 正直、初陣でぶつかるような相手じゃないような気もするが、どうせいつかは倒さなければならない相手だ。

 なら、今倒そう。

 修業の成果を存分に見せてやる。

 

 そうして、俺達と魔王軍との戦いの、始まりとなる一戦が幕を開けた。



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31 最強の竜

「神の御力の一端たる守護の力よ、魔の侵略に立ち向かう我らを聖なる力で包み込み、守りたまえ」

 

 馬車の上に陣取ったリンの詠唱が聞こえてくる。

 リンもまた無詠唱魔法が使えるが、今は詠唱している余裕があるから、念の為に完全詠唱で威力を上げる事にしたみたいだ。

 その詠唱が終わり、馬車もちょうどいい感じの場所まで辿り着いたので、このタイミングで俺はリンを声をかけた。

 

「リン! ここで止めるぞ!」

「わかりました!」

 

 手綱を思いっきり引き、馬車を停止させる。

 ここからだと、先頭の竜のブレスの射程に入るまで数秒ってところだろう。

 ベストのタイミングでリンの魔法を発動できる。

 

「『神聖結界』!」

 

 リンの構えた杖を中心に、聖なる光が俺達の周囲に満ちる。

 それは瞬く間にドーム状の半透明の壁となり、俺達と馬車を包み込んだ。

 そこへ向けて、多数のワイバーン達がブレスを放ってくる。

 一つ一つは大した事ないが、合わさる事でドラゴンゾンビの中規模ブレスくらいの威力にはなってる合体攻撃。

 リンの作った結界は、それを真正面から受け止め、ビクともせずに耐えきった。

 

「やるな」

「これで心置きなく暴れられるぜぇ!」

 

 俺の呟きと重なるようにブレイドが声を上げ、巨剣を担いで結界から飛び出していく。

 

「行ってくるわ!」

 

 猪突猛進したブレイドに一拍遅れてステラも出撃し、ブレイドは巨剣を振るって発生した衝撃波で、ステラは光を纏った極大の斬撃で、それぞれ竜の群れを蹂躙していく。

 そこに結界の中からのエル婆の援護射撃が加わり、数百の竜の群れが、成す術もなく命を散らしていった。

 強者である筈の竜達が、更なる圧倒的な力の前に散っていく様は、いっそ哀れな程だ。

 

 なるほど、これが勇者パーティーの戦いか。

 一対一でも訓練でもなく、集団を相手にした戦いを見ると、その規模のデカさに絶句する。

 一挙一動が高範囲殲滅攻撃であり、相手からすればその全てが必殺の一撃だ。

 加護持ちの英雄は一騎当千。

 勇者や聖戦士ともなれば一騎当万(・・・・)

 たった一人でも戦況を左右する大英雄と呼ばれるだけの事はある。

 悔しいが、こればっかりは真似できない。

 集団相手だと、俺は泥試合しかできないからな。

 

 だからと言って、ここでボーッとしているだけというのも気が引ける。

 苦手な戦場でも、微力くらいは役に立つとしよう。

 

「四の太刀━━『黒月』」

 

 俺の放った闇の斬撃が飛んでいく。

 正確に言えば、今回は斬撃ではなく『突き』だ。

 まるで漆黒の矢のような闇の刺突が飛んでいき、一体のワイバーンの眼球を正確に貫いて、その奥の脳まで破壊して絶命させる。

 

「ほう。器用じゃのう。動き回る小さな的を、この距離で正確に穿つか」

「まあ、動きが単純な魔物相手だからな」

 

 喋りながらも手を動かし、他の連中には到底及ばないながらも、ワイバーンを狩っていく。

 この距離じゃ、一番脆い眼球に当てなければ、傷の一つも付けられないだろう。

 全体の動きを見て、ワイバーンの動きを先読みし、針の穴を通すように眼球を貫いていく。

 それで得られる戦果は極僅かだが、やらないよりはいい。

 

「グォオオオオオオオオ!!!」

 

 そうして俺がチマチマと、ステラ達が凄まじいペースで竜を狩っていた時、ひときわ大きな咆哮を上げながら、一体の竜が俺達のいる馬車を目掛けて突撃してきた。

 この群れの中では珍しい、翼を持たない地竜だ。

 しかし、その代わりに、他の竜とは比べ物にならない巨体と強靭な四肢、更には見るからに分厚い鱗を持っている。

 全長は約20メートル。

 かつてのドラゴンゾンビに匹敵する大きさ。

 恐らく、上位竜というやつだろう。

 老婆魔族曰く、聖戦士とすらまともに戦える化け物だ。

 

「ハッ!」

「オラァ!」

「『氷撃(アイススマッシュ)』」

「グォオオオオオオオオ!!?」

 

 ステラとブレイドが飛翔する斬撃を放ち、エル婆がなんとなく地竜に効きそうなイメージのある氷の魔法で攻撃するも、見るからに防御力の高い地竜は、ダメージを受けながらも止まる事はなかった。

 相変わらずステラ達には目もくれず、俺達だけを目指して突き進んでくる。

 そういう命令をされているのか、それとも獣の本能で最もくみしやすい相手を見定めてるのか。

 まあ、なんでもいい。

 

「行ってくる」

 

 俺はそう言って刀を強く握った。

 

「大丈夫か? 見るからに相性悪そうじゃが」

「問題ない。昔はそうだったが、今となっては楽な相手だ」

 

 足に力を込めて跳躍。

 更に足鎧から暴風を起こし、まるで宙を踏みしめるようにして空を舞いながら、地竜に向けて一直線に向かって行く。

 地竜は俺の存在を意にも介さない。

 魔物というやつは『技』の強さを理解しない生物だからだ。

 奴らが本能で嗅ぎとっているのは、生物としての純粋な強さのみ。

 強い魔物であればある程、俺の事を餌か羽虫程度にしか認識しない。

 俺からすれば隙だらけだ。

 

 地竜は俺を目前にして、全く速度を緩めない。

 障害としてすら認識せず、邪魔をするなら撥ね飛ばしてやるくらいの気持ちなのだろう。

 俺はそんな地竜の鼻先を飛び越え、その頭部に向かって刃を振るった。

 

「六の太刀━━『反天』」

 

 七つの必殺剣の中でも屈指の難易度を誇る、六の太刀『反天』。

 だがそれも、ルベルトさんの剣をへし折った時と違って、単純な動きしかしてこない、こっちを舐めきった魔物が相手なら、実に容易く決まる。

 俺が宙を蹴って加速し続けた勢いを刃に乗せて放った一撃は、地竜の突進の勢いと激突し、俺の望む形の衝撃を生み出して、地竜の頭蓋の中を破壊し尽くした。

 言うなれば、頭の打ち所が最悪の最悪に悪かったみたいな状態。

 地竜はそれに耐えられず、俺を敵と認識する暇さえない内に、脳を壊されて絶命した。

 

 地竜の体から力が抜け、凄い勢いで地面を滑る。

 かつて倒せなかった上位竜へのリベンジ完了だ。

 まあ、ドラゴンゾンビ相手だと、脳を破壊しても止まらなかっただろうけどな。

 それでも、昔あれだけ苦しめられた上位竜を一撃で倒せた辺り、己の成長を感じられる。

 

「さすがね! それでこそ私のライバル!」

「おいおい凄ぇな……まさかの一撃かよ……」

 

 割と近くにいるステラとブレイドの称賛の声が聞こえた。

 そんな二人も、手を止めずに他の竜を屠り続けている。

 あと数秒もあれば全滅させられそうだ。

 このまま初陣を勝利で飾れるかと……そう思った瞬間。

 

 ━━突如、前方から放たれた巨大な熱線が、里を覆っていた結界を貫き、そびえ立つ神樹を横一文字に薙いだ。

 

 神樹が倒れる。

 エルフの里の象徴が、魔を弱体化させる筈の奇跡の樹が倒れていく。

 後に残ったのは、溶解した断面を晒す、巨木の成れの果てだけだ。

 

「……は?」

 

 あまりの光景に呆けた声が出た。

 馬車の方を見れば、エル婆が信じられないとばかりに目を見開いている。

 何が起きた?

 決まってる、攻撃だ。

 エルフの里への攻撃だ。

 しかも、さっきのエル婆の大魔法すら上回る威力の、とてつもない攻撃。

 こんなものを放てる存在は、俺達が想定していた敵の中で、ただ一人しかいない。

 

 

「ハーッハッハッハッハ!」

 

 

 突然、戦場に笑い声が響き渡った。

 

「遂にへし折ってやったぞ! 実に面倒な事この上ない奇っ怪な樹であったが、その力ももうじき消えるであろう! もう姑息な手は使えんぞ!」

 

 そんな事を叫ぶのは、一体の竜であった。

 真紅の鱗を持った、二足歩行の小さな竜。

 身長は3メートル程度と、とても竜とは思えない程に小さい。

 だが、感じる力は上位竜と比べても尚、圧倒的だ。

 

「さあ! コソコソするのをやめて出てくるがいい! そして本気の俺と戦え! 柄にもなく魔物まで使って邪魔な樹をへし折ったのだ! その労力の分、せいぜい俺を楽しませてみせろ!」

「『聖なる剣(ホーリースラッシュ)』!」

「ぬ!?」

 

 なんとも勝手な事を口走っていた竜に、奴を見つけた瞬間走り出していたステラが斬りかかった。

 聖剣の力ではなく、自己の魔法で光を纏った刃を竜へと振り下ろす。

 しかし、竜は頑強な鱗に覆われた丸太のように太い腕でステラの攻撃を防ぐ。

 人類最強の勇者の攻撃は、竜の腕にかすり傷を付けるだけに終わった。

 

「おお! 貴様は!」

 

 一方の竜は、その声に堪えきれないような喜色を滲ませながら、反撃の拳をステラに向ける。

 技巧も何もない力任せの攻撃。

 ステラはそれに対して、防御ではなく反撃の準備に移り、代わりに速度差のせいで少し出遅れた俺が、攻撃を受ける為に前に出た。

 

「二の太刀━━『歪曲』!」

「おお!?」

「たぁあああ!」

 

 俺が守り、ステラが攻める。

 竜の攻撃を歪曲でねじ曲げ、その隙を突いて竜の脇を通り過ぎながら放ったステラの斬撃が、竜の脇腹に傷を刻んだ。

 浅いが、確実にダメージは通っている。

 倒せない敵じゃない。

 しかし、それでも俺は、今の竜の攻撃に戦慄していた。

 

 なんだ、今の手応えは……!

 攻撃がとてつもなく重かった。

 技巧がなく、攻撃の芯がブレてるから、逸らす事自体は簡単にできる。

 だが、今の一撃から推察したこいつの膂力は、ルベルトさんの十倍以上。

 剣聖の十倍以上のパワーなんて、夢の中の魔王並みだぞ!

 いくら夢の中のステラが、命と引き換えに瀕死の重傷を負わせて大幅に弱体化してたとはいえ、それでも奴は『魔王』だった。

 弱体化を極めようとも、世界最強の存在だった。

 それに匹敵するような奴が当たり前のように出てくるとは……!

 間違いない。

 こいつが……!

 

「ハーッハッハッハッハ!」

 

 竜が再び笑い声を上げる。

 心の底から喜んでいるとわかるような、歓喜の声を。

 

「その身に纏う膨大な加護の力! この俺の体に傷を付ける剣技! そうか貴様が勇者か! 会いたかったぞ!」

 

 そして、その最強の竜は、高々と名乗りを上げる。

 

「俺は魔王軍四天王が一人! 『火』の四天王ドラグバーン! 戦いに生き、戦いを求める生粋の魔族なり! 勇者とその仲間達よ! いざ尋常に勝負だ!」

 

 『火』の四天王ドラグバーン。

 夢の中の勇者一行を破滅へと導いた、四体の怪物の内の一体。

 旅の序盤で早々に出くわした化け物が、歓喜の咆哮を上げながら俺達に襲いかかって来た。



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32 『火』の四天王

「『爆炎の拳(バーンナックル)』!」

 

 ドラグバーンが拳に炎を纏わせて、ステラに殴りかかった。

 ステラはそれを剣を斜めに構えて受け流しながら前へ踏み込み、またしてもすれ違い様の斬撃を脇腹に叩き込む。

 俺を見て覚えたという受け流しと、勇者としての攻撃力を組み合わせた、完成度の高い動きだ。

 寸分違わず同じ場所を斬っているのも、防御力の高い敵を相手にする時の戦略の一つとして正しい。

 

 しかし、それでもドラグバーンに与えたダメージは、かすり傷の域を出なかった。

 

「ハッハッハ! 良い動きだ!」

 

 ステラを称えながらドラグバーンが振り向き、またしても炎を纏った拳を振り上げる。

 だが、ステラが二回ドラグバーンの脇を通り過ぎたという事は、元は同じ位置にいた俺の方へ戻って来たという事だ。

 俺はステラと入れ替わるように前へ出る。

 ドラグバーンは咄嗟に攻撃対象を飛び出してきた俺へと変更し、俺はその拳を黒天丸で受けた。

 そのまま、拳の勢いを受け流しながら体を右回転。

 敵の攻撃力を己の回転力に変え、更にその力を刃に乗せて、鋭い斬撃の力へと変換して斬り返す。

 俺の基本技。

 

「一の太刀━━『流刃』!」

「ぬおぅ!?」

 

 狙いはステラが斬った場所。

 左脇腹の傷。

 狙いは完璧。

 にも関わらず……俺の刃がドラグバーンの体を抉る事はなかった。

 

「ッ!?」

 

 硬すぎる!?

 ステラの攻撃で鱗は砕けてたのに、その下の肉を斬る事すらできなかった。

 まさか流刃が全く効かないとは……!

 攻撃力も防御力も圧倒的。

 これが四天王か。

 なるほど、化け物だ。

 

「むむ!? 加護を持たぬ脆弱な雑兵の身でありながら、またしても俺の攻撃を防いだ上に反撃までしてくるとは!?」

 

 ただし、驚愕したのは俺だけじゃなかったらしく、ドラグバーンもまた、加護も持たない、一見雑魚に見える俺の動きに目を見開いていた。

 

「なんとも奇っ怪な! だが認めよう奇っ怪な剣士よ! 貴様もまた俺の敵足り得る強者であると!」

 

 だが、こいつは俺を見下す事も、油断する事もなかった。

 ステラが追撃に飛翔する光の斬撃を放つ。

 ドラグバーンはそれを腕を交差させて防ぎ、そのまま力を溜めるような動作に入る。

 何かの構えだと認識した直後、一瞬にして膨大な熱がドラグバーンの中に発生した。

 それを前に、俺とステラはアイコンタクトを交わす。

 当然、ドラグバーンはそんな事などお構い無しに、交差していた腕と共に、体内の熱エネルギーを全方位に向けて解き放った。

 

「『爆炎解放(バーンアウト)』!」

 

 ドラグバーンを中心に、大爆発を起こしたような炎が広がっていく。

 それに対しての俺達の対応は、ステラを後ろへ、俺が前へ。

 俺がステラの盾となって攻撃を防ぐ。

 

「三の太刀━━『斬払い』!」

 

 そして、炎の裂け目を押し広げる事で、広範囲攻撃を霧散させる為の技、斬払いを放ち、俺達を焼き尽くそうとしていた炎を裂いてステラを守った。

 

「ありがと!」

「気にするな!」

 

 よし、連携は上手くいっている。

 俺の剣術は、思った以上に連携に向いているのだ。

 一撃でも食らえば死ぬからこそ鍛え上げた、先読みと絶対防御の技術。

 今まではその力を己を守る事のみに使い、カウンターへの繋ぎとしてしか使ってこなかった。

 

 だが、この剣術の真価はそうじゃない。

 俺の剣の真価は、仲間と共にあってこそ発揮される。

 

「ハッハー!」

 

 いつの間にかドラグバーンが上空へ移動していた。

 さっきの炎は目眩まし。

 どうやら、本命はこっちのようだ。

 

「『炎星大爆裂拳(メテオパンチ)』!」

 

 翼をはためかせ、拳を構えたドラグバーンが高速で落ちてくる。

 あの怪力に、自重と翼によって加速した落下速度を加えた一撃。

 その破壊力は、まさに隕石のよう。

 直撃すればステラですら死にかねないだろう。

 だが!

 

「『反天』!」

「ぬぉう!?」

 

 それを俺はあえて真っ向から迎え撃った。

 強い攻撃力は、強い衝撃を生む。

 そうなれば反天の餌食だ。

 発生する衝撃が大きければ、反天の威力も上がるのだから。

 ドラグバーン自身の力と黒天丸の激突によって生まれた極大の衝撃は、強靭な鱗を貫通して体の内部へと浸透し、骨の一番脆い部分を砕いた。

 しかし、手応えでわかる。

 これは骨にヒビを入れただけの、かすり傷だ。

 

「くっ!?」

 

 攻撃の勢いが止まらない。

 反天には衝撃破壊の副次効果として、敵内部に浸透した衝撃が攻撃の勢いとぶつかって相殺してくれる効果がある。

 本来なら、それで攻撃は止まる。

 だが、この化け物の攻撃は止まらず、ほんの一瞬だけ弱めて塞き止める事が精一杯だった。

 

 俺はその一瞬で反天から歪曲へと技を繋げ、ドラグバーンの拳を受け流す。

 威力を弱めたにも関わらず、ドラグバーンの拳は大地に深々と突き刺さり、巨大なクレーターを作り出した。

 地面を吹き飛ばした時の衝撃波と、拳から弾けて拡散した炎が辺り一帯を蹂躙する。

 俺は更に技を繋げて、後ろに下がりながら斬払いを使い、なんとか無事に生還を果たした。

 咄嗟だったせいで歪曲と斬払いは完璧ではなく、さすがに無傷とはいかなかったが。

 

 それでも散らし損ねた衝撃と炎は、大体剣聖シズカの羽織と鎧が防いでくれた。

 ちょっと歪曲の失敗で腕を痛めて、露出してた顔に火傷を負って、羽織と鎧の上から全身を打ち据えられただけだ。

 治癒魔法を使えばすぐに治る。

 

「『治癒(ヒーリング)』!」

 

 とか思ってたら、俺が何かするまでもなく傷が治った。

 今のはステラの無詠唱治癒魔法。

 その道専門で鍛えてるリンに比べれば劣るって事で滅多に使わないが、こういう時には便利だ。

 

「助かる!」

「どういたしまして!」

 

 そんな言葉を交わしながら、ステラと前後の位置をスイッチ。

 今度はステラが前に出る。

 

「魔導の理の一角を司る光の精霊よ。神の御力の一端足る聖光の力よ。光と光掛け合わせ、極光と成りて我が剣に宿れ。━━『聖なる剣(ホーリースラッシュ)』!」

 

 そして、完全詠唱によって本来の力を発揮した光の斬撃を、大技の直後で硬直していたドラグバーンに叩き込んだ。

 それは斬撃ではなく、剣によって打ち出された光の奔流だった。

 光が、ドラグバーンを飲み込んでいく。

 聖なる光が魔を滅していく。

 

「ぬぉおおおおおおおおおお!!!」

 

 ドラグバーンは絶叫を上げながら、またも腕を交差させ、正面から光の奔流に耐えようとした。

 そこら辺の魔族なら、一秒と持たずにこの世から消滅させられるだろう極光に身を焼かれながら、ドラグバーンは耐える。耐える。ひたすらに耐える。

 そして……耐えきった。

 

「……クックック」

 

 ドラグバーンが不敵に笑う。

 しかし、奴は断じて無傷ではない。

 真紅の鱗は光に焼かれて溶解し、あるいは衝撃で砕け、体の内側にまでダメージは通っている筈だ。

 行ける。

 倒せる。

 奴は決して無敵じゃない。

 流刃が効かないからなんだ。

 反天でかすり傷しか付けられないからなんだ。

 それは、()()が負ける理由にはならない。

 

 確かに、俺一人であれば敗色濃厚だっただろう。

 しかし、俺の剣の真価は仲間と共にあってこそ発揮される。

 ステラと再会し、勇者パーティーとしての戦い方を模索する内に気づいた事だ。

 

 一撃でも食らえば死ぬからこそ、鍛え上げた先読みと絶対防御の太刀。

 今まではそれを自分を守る事のみに使い、カウンターへの繋ぎとしてしか使っていなかった。

 だけど、この剣術の最も有効な使い方はそうじゃない。

 先読みは戦場全体の流れを読み、仲間の動きに合わせる為に。

 絶対防御は、仲間の盾となって守る為に。

 自分以外が敵を倒し得る力を持っているのであれば、無理にカウンターを狙う必要もない。

 今までは頼りに頼りきっていた唯一の攻撃手段だったが、これからは、あくまでも手札の一つとして使う事ができる。

 

 元は、夢の中の俺が復讐の鬼と化した孤独の中で、ただただ仇を討つ為だけに編み出した剣技。

 たった独りで魔王を殺した、最強殺しの剣。

 その本質が仲間と共に、守るべきだった幼馴染と一緒にある事で真の力を発揮するものだったというのは、いったい、どんな皮肉なんだろうな。

 それが巡り巡って今の俺に受け継がれ、共に戦おうという約束のもとに振るわれて真価を発揮するというのも因果な話だ。

 

 その因果に、今は感謝しよう。

 おかげで俺は、十全にステラを守る事ができる。

 

「ハーッハッハッハッハ!」

 

 ドラグバーンが笑い声を上げた。

 あれだけの傷を負っても、致命傷にはまだまだ程遠いらしい化け物が笑っている。

 

「よもや、よもや俺の体にここまでの傷を……! 素晴らしい! 素晴らしいぞッ! 久方ぶりの楽しい戦いになりそうだ! それでこそ魔王の命令に背いてまで飛び出して来た甲斐があったッッ!」

 

 狂喜。

 そう言うのが相応しい凶相が、ドラグバーンの顔には浮かんでいた。

 竜顔の表情なんぞ普通ならわからないが、今のこいつは実にわかりやすい。

 

「随分と戦いが好きなんだな」

「何をわかりきった事を!」

 

 ちょっとした時間稼ぎついでに口を開いてみれば、ドラグバーンは律儀に答えを返してきた。

 

「思うがままに戦い! 蹴散らし! 踏み潰す事で目的を果たす! 欲しいものを手に入れる! それが魔族! それこそが魔族よ!」

 

 まるで常識を語るかのように、ドラグバーンは言葉を重ねる。

 

「そして俺は戦いが好きだ! だから戦う! 雑魚を潰してもつまらん! だから強敵を求める! それだけだ! それ以外に理由などいらん!」

 

 なるほど、実に魔族らしい理由だ。

 それ以上語る事はないと言わんばかりに、ドラグバーンは更なる攻撃態勢に入る。

 鋭い牙を生やした口を開き、その中に圧縮された炎の塊が生まれた。

 ブレスか。

 

 だが、ここで時間稼ぎ完了だ。

 

「『破壊剣』!」

「ぬ!?」

 

 ドラグバーンの背後から巨漢の『剣聖』ブレイドが襲いかかり、その巨剣でガードに使われた腕に傷を負わせた。

 ステラの攻撃の時にも盾に使って、特に大きく損傷した腕になら、あいつの攻撃でも通るらしい。

 それでも骨にすら届いてなさそうだが。

 

「硬ッ!?」

「『熱竜砲(ドラゴフレア)』!」

「うお!?」

 

 ドラグバーンは反撃にブレスを吐き出し、業火でブレイドを焼き尽くそうとする。

 しかし、ブレイドの目の前に現れた一枚の結界が、少しの時間ブレスを防ぎ、その隙にブレイドは結界を蹴ってブレスの範囲外にまで逃げた。

 同時に、ドラグバーンの足下が泥沼へと変わる。

 

「むむ!?」

「『落雷(サンダーボルト)』!」

「ぐぉおおお!?」

 

 泥沼に足を取られたドラグバーンに、魔法の雷が降り注ぐ。

 魔法が飛んできた方を見れば、杖を構えたエル婆とリンの姿が。

 やっと来たか。

 

「遅いぞ!」

「すまんのう。残りの竜どもが特攻して来たんじゃ。じゃが、それももう片付いた」

 

 エル婆の言う通り、俺達がドラグバーンを抑えていた僅かな時間で、残りの竜は全滅していた。

 これで奴は一人だ。

 少なくともこの場にはもう、ドラグバーンを助けてくれる奴はいない。

 まあ、あの性格を思えば望むところなんだろうが。

 

「ハーッハッハッハッハ!」

 

 案の定、ドラグバーンはまたしても愉快そうに笑った。

 

「この強さ! 貴様ら聖戦士だな! 勇者と奇っ怪な剣士だけでなく、更に聖戦士が三人も! 実に昂る! 高揚する! 燃え滾るッ!」

 

 ドラグバーンは興奮したまま全身から炎を放ち、足下の泥沼を消し飛ばした。

 ……なんだ、この感覚は?

 さっきより火力が上がってる。

 ドラグバーンから感じる威圧感が、強くなってる?

 

「ッ!?」

 

 そう感じた瞬間、ドラグバーンの体に目に見える変化が起きた。

 傷が治っていく。

 そう早いペースではないが、ブレイドが斬った腕の傷も、エル婆の雷撃に焼かれた肉も、ステラの大技で負った大ダメージも、目に見える速度で回復していく。

 

「ふむ! ようやく、あの奇っ怪な樹の残滓も薄くなってきたか! これで少しは本気が出せそうだ!」

「なん、だと……!?」

 

 嘘だろ……!

 あいつ、あれでも弱体化してたのか!?

 その言葉が真実であると示すように、ドラグバーンが動き出した。

 さっきよりも一段階速い速度で。

 

「では、参る!」

 

 魔王軍四天王の一人、『火』の四天王ドラグバーン。

 その底は、未だに見えない……!



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33 真の怪物

 ドラグバーンが最初に狙ったのは、一番近くにいたブレイドだった。

 攻撃力や防御力に比べれば大した事ないが、それでもそこらの英雄よりは速いスピードでブレイドに突っ込む。

 

「俺かよ!?」

「近かったからなぁ! 『剛竜腕撃(ドラゴボム)』!」

「ブレイド様!? 『聖盾結界』!」

 

 ドラグバーンの選択した攻撃手段は、その豪腕によるラリアット。

 それを防ぐようにリンが結界を展開したが、無詠唱の弱魔法ではあっさりと砕かれる。

 だが、しっかりと威力は削ってくれたらしく、ブレイドは巨剣を盾にしてドラグバーンの攻撃を受けきった。

 

「オォオオオオ!」

「うぐっ!?」

 

 しかし、ドラグバーンは密着状態から更に力を入れ、無理矢理ブレイドを吹き飛ばす。

 地面を削りながらブレイドが飛んでいくが、まあ、剣聖の頑丈さなら問題ないレベルだろう。

 リンが慌てて走り寄って行ったし、尚の事心配してない。

 むしろ、追撃をさせない為に、俺はドラグバーンに突撃した。

 

「『熱竜集束砲(ドラゴロウ)』!」

 

 それに対し、ドラグバーンの対応はブレスによる迎撃。

 さっきブレイドに放った火炎放射ではなく、神樹を焼き切ったのと同じ熱線のブレスだ。

 溜めなしで放ったからか大分威力が低い。

 これは好都合だ。

 

「五の太刀━━『禍津返し』!」

「ぬぐっ!?」

 

 黒天丸を熱線に添え、その勢いに身を任せたまま体を一回転。

 遠距離攻撃を回転に絡め取り、軌道を180度ねじ曲げる事で、そのまま熱線を跳ね返してドラグバーン自身にぶつける。

 さすがに、攻撃力が上がった状態の自分の攻撃なら通るらしく、ジュウウという肉が焼ける音がした。

 それでも表面しか焼けてないが。

 

 ドラグバーンが自分の攻撃を食らってたたら踏んでる内に、全速力で距離を詰めて接近。

 巨体の頭部を狙う為に飛び上がり、闇を纏った黒月による刺突で、大抵の生物の急所である眼球を狙う。

 

「ガァア!」

 

 それは嫌ったのか、ドラグバーンは鋭い牙を剥き出しにした噛みつきで俺を殺そうとした。

 牙もまた炎を纏っている。

 かすっただけでも、血塗れじゃ済まないだろう。

 だが、俺はその動きを読み、刺突による狙いを眼球から牙の一本へと変更。

 自分の攻撃を防がれた反動と、迫ってくる顔にぶつかった勢いを利用して流刃を発動。

 体を横に倒して回転しながらドラグバーンの上を飛び越え、その瞬間、流刃による斬撃で当初の予定通り右眼を切り裂く。

 

「ぐっ!?」

 

 よかった。

 さすがに眼球になら刃が通るか。

 ちょっとした安堵を覚えながら、俺は風を発生させる足鎧で思いっきりドラグバーンの頭を踏みつけ、少しでも体勢を崩させてから、俺の後ろに続いていたステラに攻撃を託す。

 

「ハァアア!」

「ぬう!」

 

 まずは光を纏った剣での首筋への一閃。

 腕を盾にして防がされる。

 だが、さっきの攻撃のダメージが残ってるからか、そこそこ派手に血が飛び散っていた。

 

「『聖十字斬り(ホーリークロス)』!」

「ごぼっ!?」

 

 続いて、腕を上げてしまった事でがら空きになった胴へ、バツの字を描くような二連撃。

 効いたのか、呻いて動きが止まったドラグバーンに、ステラは大技を叩き込む。

 

「『閃光の剣(フラッシュソード)』!」

「ぬぉおおおお!?」

 

 さっき奴に大ダメージを与えた技と似た光の奔流がドラグバーンを飲み込み、凄い勢いで吹き飛ばした。

 さすがに完全詠唱したさっきの技よりは弱いが、それでも技の格としては明らかに上の技だ。

 効いていない訳がない。

 事実、光が収まった後に見えたドラグバーンの姿は、更なるダメージによって、見るも無惨な血塗れ状態となっていた。

 

 だが、

 

「ハッハー! 痛い! 痛いぞォ!」

「ちっ!」

 

 ドラグバーンは倒れる事なく、二本の足でしっかりと大地を踏み締めて立っていた。

 しかも、与えたダメージがみるみる内に回復していく。

 回復速度まで上がってやがる……!

 化け物め。

 

「攻撃を止めるな! ダメージを与え続けるのじゃ! 『全属性の裁き(ジャッジ・ザ・エレメント)』!」

「ぐぬ!?」

 

 エル婆が長い詠唱の末に、竜の群れを一撃で半壊させた最強技を放ち、ドラグバーンに明確なダメージを刻む。

 今回は攻撃範囲を狭めて、その分威力を上げたのか、さっきのステラの攻撃に匹敵するダメージを与えている。

 だが、まだまだ足りない。

 この化け物を倒すには、ダメージが足りない。

 

「オォラァアア! 『大破壊剣』ッ!」

 

 リンの治癒魔法で戦線復帰したブレイドが巨剣を振りかぶり、フルスイングしてドラグバーンに叩きつける。

 血飛沫が舞う。

 しかし、切れ味ではなくパワーに依存した攻撃では、もうドラグバーンは小揺るぎもしなかった。

 

「何っ!?」

「お返しだ! 『爆炎の拳(バーンナックル)』!」

 

 反撃の炎を纏った拳が、巨剣を攻撃に使い、ガードができないブレイドに迫る。

 それを助けに動いたのは、俺とリンの二人だった。

 アイコンタクトで、ステラとエル婆には攻撃役を任せる。

 攻撃を途切れさせる訳にはいかない。

 

「『三重聖盾結界』!」

 

 リンの発動した三枚の結界が、ドラグバーンの攻撃の威力を削り、速度を緩める。

 その隙にブレイドの側へと駆け寄った俺が、迫り来るドラグバーンの拳へと刃を振るった。

 

「『歪曲』!」

 

 選んだのは、最も確実な防御技、歪曲。

 これによってドラグバーンの攻撃を歪め、逸らす。

 結果、ブレイドは助かった。

 しかし、俺の脳裏には更なる戦慄が走る。

 

「ッ!?」

 

 ドラグバーンのパワーが上がってる。

 それ自体はわかってた事だが、上がり幅が半端じゃない。

 最初に受けた時の1.5倍はあるぞ。

 冗談じゃない。

 こんなもん、神樹による弱体化の影響が完全になくなったら、いったいどれだけ強くなるんだ?

 パワーどころか総合力ですら、夢の中の魔王を超えかねないぞ。

 

 これが四天王。

 魔王軍の最精鋭たる、四体の怪物の内の一体。

 他の魔族とは、文字通り桁が違う。

 俺の認識はまだ甘かった。

 こいつらこそが……真の怪物だ。

 

「やぁあああああ!」

 

 そんな怪物に挑む者、勇者ステラが踊りかかった。

 真の力を出せない聖剣に自らの力で光を灯し、ブレイドへの攻撃を空振って隙を晒したドラグバーンに剣を振るう。

 狙いは首。

 切断できれば即死を狙える場所。

 しかし、ドラグバーンは顔だけでステラの方を向き、炎を纏った牙で聖剣を噛んで止めた。

 

「嘘っ!?」

「ぬぅうううううん!」

 

 ドラグバーンが首を振り、聖剣ごとステラを振り回す。

 ここで聖剣を手放し、この化け物の前で一瞬でも丸腰になったら、簡単に殴り殺されてしまうだろう。

 それがわかっているステラは、咄嗟に聖剣にしがみついてしまった。

 そんなステラに、ドラグバーンは拳を振るおうとした。

 

「やめろォ!」

 

 その拳に歪曲を放ってステラを守る。

 だが、この一撃を防いだところで、僅かな時間稼ぎにしかならない。

 追撃がいる。

 

「ラァアアア!」

「ぐっ……!?」

 

 ブレイドがドラグバーンの頭に巨剣を振り下ろす。

 目に見える傷は殆ど付かなかったが、衝撃が脳まで届いたのか、ドラグバーンが僅かによろめく。

 効いてるぞ!

 

「『鉄芯柱(スティールピラー)』!」

「ぬぐっ!?」

 

 続いて、エル婆の魔法によって、地面から鋼鉄の柱が出て来て、ドラグバーンの腹を殴打した。

 治りきっていなかった鱗にヒビを入れ、打撃を腹に響かせ、ドラグバーンを呻かせる。

 

「あああああ!」

「ごぼっ!?」

 

 そこへ俺が全力の黒月を突き刺す。

 非力な俺の力では、普通にやってもかすり傷すら付けられないだろう。

 だが今回は、鱗に入ったヒビの部分を狙い、更に立て続けの連撃で脆くなった肉の隙間に刃を突き立てた。

 そこまでやって、どうにか俺の刃は内臓まで届き、痛みでドラグバーンの顎の力を緩ませる。

 

「いい加減離しなさいよ!」

「おごっ!?」

 

 そして最後に、ステラが全力の拳をドラグバーンの頭に叩き込む事によって、ようやくドラグバーンが口を開いて聖剣を離した。

 しかし、ただでは終わらない。

 ドラグバーンは、俺達が接近し過ぎたこの状況を利用して、最後に一手放ってきた。

 

「『爆炎解放(バーンアウト)』!」

「「「ッ!?」」」

 

 至近距離の俺達近接組三人に向けて、ドラグバーンの体から吹き出した爆炎が襲いかかる。

 俺は、ドラグバーンに刺してしまってすぐには使えない黒天丸に代わって腰の怨霊丸を抜き、片手で黒天丸をドラグバーンの体から引き抜きつつ、もう片方の手で怨霊丸を使って斬払いを放った。

 それで何とか自分への致命傷は回避したが、他の二人を助ける余裕まではなく、散らしきれなかった衝撃波に吹き飛ばされて距離が空く。

 慌てて周囲を見渡せば、ステラも俺と同じように咄嗟の防御が間に合ったのか、軽傷程度で無事でいてくれた。

 ホッと安堵の息を吐く。

 逆に、ブレイドは全身火傷を負って割と重傷っぽかったが、まあ、大丈夫だろ。

 命に別状があるレベルではないのだから、男なら根性で耐えられる。

 それに、

 

「『上位治癒(ハイ・ヒーリング)』!」

 

 リンから俺達全員に、高位の治癒魔法が飛んできた。

 おかげで、俺とステラは全快だ。

 全身火傷のブレイドも、戦闘継続が可能なくらいには回復した。

 その間も、エル婆はドラグバーンに攻撃を打ち込んでいる。

 こっちも攻撃再開だ。

 俺とステラはノータイムで、ブレイドは少しだけ遅れて、再びドラグバーンに突撃した。

 

「ハーッハッハッハッハ! 楽しい! 実に楽しいぞ! これだけ楽しいのは魔王と戦った時以来だ!」

 

 またしても、ドラグバーンが笑う。

 回復速度は更に上がり、もう俺が潰した眼球の再生すら終えている。

 いったい、どれだけの攻撃を叩き込めば倒せるのか検討もつかない。

 だが、やるしかない。

 竜に近い体なら、最悪でも首から上を吹き飛ばすなり、体を真っ二つにするなりすれば死ぬだろう。

 こちとら、体を真っ二つにしても死なない老婆とか殺してきてるんだ。

 この程度で絶望すると思ったら大間違いだ。

 

 しかし、次の瞬間、ドラグバーンは予想外の行動に出た。

 

 

「ふむ! やめた!」

 

 

 軽く。

 実に軽くそう言って、ドラグバーンは大きく跳躍して翼を広げ、上空へと逃れた。

 今まで回避行動すら取ってこなかったドラグバーンが、初めて逃げた。

 

「やめだやめだ! こんなに楽しい戦いなのだ! 弱った状態の不完全燃焼で終えるのは勿体ない! 勇者とその仲間達よ!」

 

 ビシッと、上空から俺達を指差して、ドラグバーンは一方的に告げる。

 

「決着はお預けだ! あの奇っ怪な樹の残滓が完全に消えた時、俺は再び貴様達の前に現れる! その時こそ、どちらかが死に絶えるまで、存分に戦い尽くすとしようぞ!」

「勝手な事を抜かすでないわ!」

 

 エル婆がキレながら魔法を乱打する。

 ドラグバーンは神樹をへし折った下手人だ。

 エル婆からしたら、なんとしてでも殺してやりたいような存在だろう。

 それを差し引いても、あんな化け物、少しでも弱ってる内に倒しておかなければならない。

 そんな事は全員がわかっているからこそ、俺達は全員ができうる限りの遠距離攻撃でドラグバーンを打ち落とそうとした。

 だが、心の中では全員が理解していたと思う。

 

 あの不死身のごとき化け物が本気で逃走したら、現状の戦力で阻止するのは不可能だと。

 

「ハーッハッハッハッハ! では去らばだ! また相まみえようぞ!」

 

 そう言って、ドラグバーンは煙幕代わりに膨大な炎を吐き出して消えた。

 追いかける事は叶わない。

 

 こうして、俺達と四天王の最初の戦いは、突然終わりを告げた。

 近い未来に、特大の不安の種を残して……。



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34 エルフの族長

 ドラグバーンが消えた後、俺達は凄まじい徒労感に支配されながら、半壊したエルフの里へと入国した。

 命を懸けてあれだけの激戦を繰り広げたにも関わらず、俺達が手にしたものは何もないが……とりあえず竜の群れを壊滅させ、エルフの里を守れただけでも良しとしておこう。

 エルフ達は、ドラグバーンとの再戦の時、必ずや大きな戦力になってくれる筈だ。

 そういう損得勘定を抜きにしても、エルフ達はエル婆の身内なのだから、純粋に助かって良かったという気持ちもある。

 

 そんなエルフ達は、俺達の事をかなり歓迎して受け入れてくれた。

 元族長であるエル婆の紹介な上に、俺達は仇敵である魔王軍と戦ってくれる勇者一行であり、エルフの里の窮地を救った救世主でもある。

 むしろ、歓迎しない理由がないのかもしれない。

 

 エルフの里は神樹が折れたせいで大混乱に包まれていたが、意外な事に被害自体はそうでもなかった。

 神樹が折れ、その下敷きになった区画は壊滅状態だが、それ以外の被害はまるで見当たらない。

 エル婆曰く、

 

「里での防御戦は、神樹の加護と数百人がかりの結界魔法で徹底的に守りを固め、その内側から魔法攻撃で敵を殲滅するのが基本じゃからな。敵は基本的に里へ被害を出す前に殲滅される。今回も、竜どもが里に侵入する前にワシらが間に合った以上、人的被害は最小限に抑えられたと思っていいじゃろう」

 

 との事だった。

 つまり、エルフを敵にする場合、魔法の絨毯爆撃を突破し、数百人がかりの結界魔法をぶち破らない限り、兵の一人すら倒せないという事だ。

 ドラグバーンは結界をぶち破っていたが、その攻撃の対象になったのはあくまでも神樹であり、里への被害はほぼなかったらしい。

 エルフが列強種族と言われる理由が、また一つわかった気がする。

 しかも、後で聞いた話だが、神樹の下敷きになった区画にいた住民達も、咄嗟に土魔法で深い穴を掘ってその下に避難した者が多かったらしく、死者は二桁にも届かなかったとか。

 なんでも、エルフは非戦闘員の子供ですら、保護者に指示されて協力すれば、そのくらいの魔法は使えるという。

 エルフ強すぎだろ。

 

「エルネスタ様、勇者パーティーの皆様。お疲れのところ大変申し訳ありませんが、族長様がお呼びです。四天王との再戦に備えた話し合いがしたいと」

「そうか。すぐに行くと伝えてくれ」

「ハッ」

 

 エルフの一人がエル婆へと伝言を伝えて去って行った。

 族長が呼んでる、か。

 エルフの族長。

 確かエル婆の後継者で、『賢者の加護』を持つ聖戦士の一人だったな。

 

「という訳で、ワシは少し族長の所に顔を出してくる。できればお主らも一緒に来てほしいが、どうする? 死闘の後じゃし、疲れとるようならワシ一人で行くが」

「俺は問題ないぜ。体力には自信があるからな」

「私も大丈夫です。さっきの戦闘でもサポートしかしてませんし」

 

 ブレイドとリンの二人は、エル婆の言葉に即答する。

 ステラも、ほんの一拍だけ遅れて、

 

「私も大丈夫。早速行きましょう」

 

 そう答えた。

 ああ、これは……

 

「アー坊はどうじゃ?」

「……俺も問題ない。そういう話はさっさと済ませよう」

 

 とりあえず、今は族長との話を優先するしかない。

 面倒事は先に済ませておいた方がいいだろう。

 

 

 という訳で、俺達はエル婆の案内でエルフの族長の元へとやって来た。

 土魔法か何かで作ったような質素な建物が多いエルフ里の中では、比較的豪華な家だ。

 その家のベッドの中に、彼は居た。

 20代後半程の見た目をしたエルフの美丈夫が、青い顔でベッドから体を起こしていた。

 

「お久しぶりです、先代様。そして、はじめまして勇者一行の皆様。私はエルフの族長、『賢者』エルトライト・ユグドラシルと申します。以後、お見知り置きを」

 

 そう言って、ペコリと頭を下げるエルフの族長、エルトライトさん。

 それだけの動作でも大分キツそうだ。

 蒼白になった顔色が、彼の体調の悪さを物語っている。

 ……そりゃ体調も悪くなるだろう。

 何せ、この人はあのドラグバーンを相手に、俺達が来るまでこの里を守り抜いたのだ。

 いくら神樹の加護があったとはいえ、どれだけの無茶をしなくてはならなかったのかは想像に容易い。

 だが、彼はそんな最悪の状態でも、エルフの族長の名に恥じない威厳を保っている。

 強い男だ。

 素直に尊敬する。

 

「久しいの、エルトライト」

 

 そんな後継者に話しかけるエル婆の目は、誇らしさと優しさに満ちていた。

 

「その症状は魔力枯渇か。治癒魔法でも治らん程に体を酷使し、里の為に戦ってくれたようじゃのう。よくやってくれた」

「……いえ、私に労いの言葉を頂く資格などありません。私は、神樹を守り切れませんでした……! 全てのエルフの心の拠り所を……!」

 

 血を吐くように、エルトライトさんは告げる。

 その言葉には、なんとか威厳を取り繕っていた仮面を壊してしまう程の怒りが、嘆きが、悔しさが滲んでいた。

 それだけ、エルフ達にとって神樹は大切なものだったんだろう。

 大切なものを奪われる気持ちは、痛い程よくわかる。

 エルトライトさんは、強く歯を食い縛っていた。

 彼が感じているだろう、食い縛った歯が砕ける感触も、口の中に滲む血の味も、怒りと悔しさで嫌な熱を持ち、悲しみと後悔で冷たく寒くなっていって、壊れそうになる心の温度も。

 全てが共感できるものだった。

 

 そんなエルトライトさんの頭を、エル婆は優しく胸に抱いた。

 

「お主はよくやった。お主自身が認めなくとも、このワシが認める。ワシが戻るまで、よく里を守ってくれた」

「ッ……」

 

 エル婆の言葉を受けて、エルトライトさんの瞳に涙が浮かんでいく。

 エルトライトさんにとって、エル婆は何か特別な存在だったのかもしれない。

 心の底から辛くて苦しい時でも、彼女の言葉なら心に響くくらいの。

 

「頑張ったのう、エルトライト」

「うっ……うぅ……!」

 

 そして、エルトライトさんは、エル婆の胸で泣き出した。

 彼はエルフの族長として、他者に弱みを見せられなかったのだろう。

 弱音なんて吐けなかったのだろう。

 そうして溜まった苦しみを全て吐き出すように、彼は泣いた。

 

「ごめんなさい……! ごめんなさい……! ママ~~~~!」

「おー、よしよし、相変わらず、お主は泣き虫じゃのう」

 

 ……………………………………は?

 なんか今、衝撃的な単語が聞こえたような。

 

「「「ママ?」」」

「ん? 言ってなかったかの? エルトライトはワシの息子じゃぞ」

 

 思わずハモってしまった俺達の声に、エル婆は当たり前のように答えた。

 ……確かに、息子がいるという話は聞いてたような気がする。

 そうか。

 これは親子のふれあいなのか。

 なら、なんの問題もないな。

 なんの問題もない筈だ。

 これは決して、幼女をママ呼びして赤ちゃんプレイをする大の男という変態の図ではないんだ。

 そう頭ではわかってる。

 わかってるんだが……絵面と発言のコンボが凄まじすぎて、エルトライトさんはマザコンのロリコンというイメージが強烈に刷り込まれ、いつまでも消えてくれなかった。

 俺が心から尊敬した強い男というイメージが、マザコンのロリコンというイメージに埋もれて消えてゆく。

 なんという悲劇。

 

「さて、エルトライトがこの調子では対策会議どころではないのう。ワシはしばらく頑張ってくれた可愛い息子を慰めたいんじゃが、よいか?」

「いいんじゃないか。そういう時間は大切だ」

 

 俺が即座にそう言うと、他の皆も異論はないのか、軽く頷いていた。

 リンとブレイドは、未だにママ呼びの衝撃から帰って来てない感じではあるが。

 

「そうか。助かる。では、この場は一時解散じゃ。お主らは好きに里の中でも回ってくれ。何か用があれば、近くの者に話しかけてくれればよい」

「わかった。ほら、行くぞ」

 

 親子を二人きりにしてやるべく、俺は未だに呆けているリンとブレイドを引き摺って家の外に出た。

 ステラはちょっとお花摘みにと言って、どこかに消えていく。

 それを横目で確認してから、俺は剣聖と聖女の二人組を近場のエルフの人に託す。

 

「さてと」

 

 二人を押し付けてから、俺はゆっくりと足音を立てないようにして歩き出した。

 少しは時間を掛ける事を意識する。

 最初から行くより、少しは一人になる時間もあった方がいいだろうと思いながら。

 

 そうして、あいつの去った方向を探索し、いい感じに時間が経過した頃。

 俺は、予想通りの現場を発見した。

 

「ああ。やっぱり、そうなってたか」

 

 場所は、使われていなさそうな建物の裏。

 緑が多いエルフの里の自然に紛れて、他人から見つかりにくそうな場所。

 

 そこには、膝を抱えて俯いているステラの姿があった。



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35 勇気をくれる一言

「アラン……」

 

 俺に気づいたステラは、顔を上げて、嬉しいような、ばつが悪いような、複雑な顔を浮かべた。

 そんなステラの隣に、俺はどっかりと腰を下ろす。

 

「見ない間に少しはしおらしくなったかと思えば……肝心な時に強がって弱い所を見せたがらない癖は変わってないな」

「あうっ」

 

 ステラの頭を乱暴に撫で回す。

 旅の初日の時みたく、ここでキレるようならまだ少しは余裕があったんだろうが……今回はマジで堪えてるみたいだ。

 それを見て、俺は乱暴な撫で方から、できるだけ優しい撫で方に変えた。

 

「別に強がってなんか……」

「こんな所で一人で膝抱えてるくせに何言ってんだ。……怖かったんだろ?」

「うっ……」

 

 図星だったらしく、ステラは再び膝に顔を埋めた。

 まったく、こいつは。

 強がる事ばっかり上手くなりやがって。

 

 そう。

 ステラはドラグバーンとの戦いを怖がっていた。

 当たり前と言えば当たり前の話だ。

 勇者の力があろうがなかろうが、あんな化け物怖くない訳がない。

 俺やエル婆やブレイドは、それなりに修羅場を潜り抜けているから、覚悟も決まっていただろう。

 リンは微妙なところだが、遠距離からのサポートに徹していたのであれば、まだ精神への負担は軽いと思う。

 

 だけど、ステラは違う。

 話を聞く限り、修行の一環で戦場に連れ出された事はあるみたいだが、自分より圧倒的に強い化け物相手に、生きるか死ぬかの修羅場を繰り広げた経験はあまりない筈だ。

 人類の希望を修行で殺す訳にはいかないのだから当たり前だが。

 

 そんな状態で、ステラはあの化け物相手に真っ向から立ち向かった。

 強敵なんて飽きる程見てきた俺でも背筋が震えた怪物と、正面切って戦ってみせた。

 5年前まで、ただの村娘だった奴がだ。

 どれだけ怖かっただろうか。

 どれだけ勇気を振り絞ったのだろうか。

 それなのに、こいつは皆の前で弱みを見せなかった。

 

 まるで、夢の中で最初に魔族と戦ったあの時のように。

 

 あの時、俺はステラの強がりを見抜けなかった。

 結果、俺は不用意に無責任な応援の言葉を投げ掛け、ステラをたった一人で魔王との戦いに送り出してしまった。

 あれが全ての悲劇の始まりだ。

 俺がステラをちゃんと見ていたなら。

 弱い所を支えられていたのなら。

 あの悲劇は起こらなかったかもしれない。

 その時の俺の力で何ができたとも思えないが、力が足りないのなら今の俺のように死に物狂いで鍛え上げるなりなんなりして、少しはステラの力になれていた筈だ。

 

 夢と同じ過ちは犯さない。

 あんな悲劇は、絶対に起こしたくない。

 だから今、俺はステラにこう告げる。

 

「怖かったならちゃんと言え。辛かったならちゃんと言え。そうしたら、絶対に俺がお前を助けてやる」

「……うん」

 

 ステラは涙声に喜色の混じった小さな声でそう言って頷き、しばらく静かに泣き始めた。

 その間、俺はステラの頭を撫で続ける。

 泣く事は恥じゃない。

 あのエルトライトさんにだって、泣く時間は必要だったんだ。

 勇者という立場が泣く事を許さないのなら、俺が許す。

 俺にとってのお前は、勇者である前に大切な幼馴染だ。

 幼馴染を慰める事の何が悪い?

 何も悪くない。

 悪い筈がない。

 だから、俺の前でだけは強がらずに、思う存分泣けばいい。

 そんな事を思いながら、俺はステラの頭を撫で続けた。

 

 やがて少しは落ち着いてきたのか、ステラはポツポツと心の内を話し始める。

 

「別にね、あの化け物自体が怖かった訳じゃないの」

「ほー。大雨で帰れなくなった時、雷にすらビビって俺の布団に潜り込んで来た挙げ句、オネショして大惨事を引き起こした奴が言うじゃねぇか」

「それ4歳とか5歳の時の話でしょ!? 忘れなさいよ!」

 

 茶化してみれば、いい反応が返ってきた。

 どうやら、大分持ち直してきたみたいだ。

 

「で? ドラグバーンが怖かった訳じゃないって、どういう事だ?」

「……そのままの意味よ。私はあの怪物が怖かった訳じゃない。そりゃ、ちょっとは怖かったけど……それ以上に皆が、アランがあの怪物に殺されちゃうかもしれないって思って、それが堪らなく怖かった」

「……なるほどな」

 

 自分ではなく、仲間が死ぬのが怖い、か。

 俺も自分の死より、ステラが死ぬ事の方が百倍怖いから気持ちはわかる。

 だが、

 

「これは戦争だ。犠牲を出さずに勝つ事はできない。戦いが続く限り必ず誰かは死ぬ。その誰かは赤の他人かもしれないし、よくしてくれた知り合いかもしれない。もしかしたら、昨日まで笑い合っていた仲間かもしれない」

「……うん」

 

 俺はあえて残酷な現実を口にした。

 ここで楽観的な希望論を口にしても意味がないからだ。

 どうやってもこの現実だけは変わらないし、それに耐えられないのなら戦う資格はない。

 それならまだ、俺と一緒に逃げた方がマシなレベルだ。

 

「どう足掻いても辛い戦いになる。それでも、お前は戦う道を選ぶのか?」

「うん。それだけは譲れない。多分、私が逃げたら皆死ぬと思うから」

「そうか」

 

 頑固者め。

 しかし、ステラの言う事もあながち間違ってないから、なんとも言えない。

 まったく、勇者ってのは本当に難儀なもんだよ。

 けど、そんなお前を守ると俺は決めたんだ。

 なら、俺から言える事は一つしかない。

 

「だったら、恐怖に飲まれず前を向け。恐怖を忘れろとは言わないが、乗り越えろ。覚悟があるなら、腹くくって、勇気振り絞って、根性で戦え。……って言っても、いきなりは難しいだろうから、今はこれだけ覚えとけ」

 

 そう言って、俺はドンッと思いきりステラの背中を叩いた。

 ビクッとするステラに向けて、俺は告げる。

 

 

「大丈夫だ。俺がついてる」

 

 

 この一言が、俺の伝えたかった事の全てだ。

 

「どんなに辛い時でも、どんなに強い敵が現れても、俺はいつでもお前の味方だ。俺は必ず、お前を最後まで守り抜く」

 

 途中で死ぬかもしれない?

 知った事か。

 これは俺の決意だ。

 人生の全てを懸けて、何がなんでもやり遂げると誓った事だ。

 運命ねじ曲げてでも、俺はこの誓いを完遂する。

 

「おじさんとも約束したしな。とにかく、どんな事になっても、俺は最後までお前の側に居てやる。どうだ? 少しは励みになったか?」

 

 そう問いかければ、ステラは何故か耳まで真っ赤にして、再び膝に顔を埋めていた。

 よく聞き取れないが、なんか「ズルい……」とか「またこいつは無自覚に……!」とかブツブツと言いながら唸ってる。

 何やってんだ?

 

「ステラ?」

「……ええ、とっても励みになったわ。すっごく勇気出た。ありがとう」

 

 そんな言葉とは裏腹に、何故かステラは真っ赤な顔でキッと俺を睨み始める。

 そして、数秒目を泳がせた後、覚悟を決めたように予想外の行動に出た。

 

 次の瞬間、チュッという小さな音を響かせて、俺の頬に柔らかい何かが当たった。

 

「!?」

 

 こ、こいつ!?

 な、何を!?

 

「な、慰めてくれたお礼よ、お礼! そ、それ以上でもそれ以下でもないんだからぁ!」

 

 まるで言い捨てるようにそれだけ言って、ステラは俺じゃ追いつけないような速度で爆走して行った。

 というか、逃げた。

 ……元気になったようで何よりだが、最後にとんでもない事をしてくれたな。

 

「あのヤロー……」

 

 毒吐くような言葉を吐きながら、俺は自分の頬に触れた。

 振り払おうにも、あの感触が脳裏に焼き付いて消えてくれない。

 いや、それ以前に、何やら得体の知れない幸福感に全身が犯されてる時点で、色々とダメなのかもしれないが。

 

 自分で触った頬はやたらと熱くて、不思議な熱を指先に伝えてくる感覚がした。



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36 対策会議と神樹の扉

 エルトライトさんが取り乱してから二時間後。

 ようやく色々と落ち着いたのか、もう一度族長の家に集合してほしいというエル婆の伝言を、エルフの一人が持ってきた。

 それに従って俺達は再集合。

 となれば当然、ステラとも顔を合わせる訳で……真っ赤になって顔を背けられてしまった。

 俺もつい目を逸らしてしまう。

 くそっ……顔が熱い。

 リンとエル婆の「おやおや、まあまあ」みたいな目が心底鬱陶しい。

 

「コホン。先程は取り乱してしまい、大変失礼しました。こうして改めて集まって頂いた事、心より感謝します」

 

 そんな状態にツッコミを入れる事なく、咳払い一つで流れを変えてくれたエルトライトさんに感謝だ。

 ありがとう。

 あなたこそが真の大人だ。

 そこでニヤニヤしてるエセ年長者とは違って。

 この調子で、マザロリコンというイメージを、できる大人のイメージでもう一度塗り替えてほしい。

 

「さて、まずは現状の戦力と被害状況についてお話しましょう。あの四天王との戦いによる戦死者は8人。神樹の下敷きになった者達を含めればもっと増えるでしょうが、そう極端に増える事はないでしょう。エルフはそこまで弱くない」

「8人……!?」

 

 思わず驚愕の声が出た。

 あの化け物相手に、戦死者一桁だと!?

 信じられん。

 エルフ強すぎだろ。

 

「あれを相手に、よくそこまで被害を抑えたのう。偉いぞ、エルトライト」

「母上、もう慰めは結構です。それに人的被害が少なかったのは敵の戦術のせいですよ。奴は竜の群れを盾に時間をかけて魔力を練り込み、極大のブレスを神樹に向けて放ち、少しずつ神樹を削っては撤退するという戦法を繰り返していました。奴の狙いはあくまでも神樹であり、我らの事は後回しにされていた。それだけの話です」

 

 ああ、そういう感じだったのか。

 いくらドラグバーンとはいえ、神樹の加護による弱体化の影響を諸に受けた状態で突撃はしなかったって事だな。

 それをしたら負けると思った……いや、単純にフルパワーで暴れられないのが不満だっただけだろう。

 俺達との戦いで撤退を決めたのも、そんな感じの理由だったみたいだし。

 少しの間しか接していないが、あの魔族の性格はわかりやすい。

 あれは根っからの戦闘狂だ。

 

「とにかく、神樹こそ折られましたが、我らの戦力は十二分に残っています。加えて勇者様方も駆けつけてくださった。対して、向こうの手駒である竜どもはほぼ壊滅。仮に温存してある戦力があるとしても、そう多くはないでしょう。奴が再び攻めてきた場合、勝算は充分にあると考えます。ですが問題は……」

「敵がドラグバーンだけではなくなった場合じゃな」

 

 む?

 

「ああ、なるほどね」

「そういう事ですか」

「ん? どういう事だ?」

 

 エルフ親子の言葉に、ステラとリンは納得したように頷き、ブレイドは首を傾げた。

 俺も一瞬わからなかったが、すぐにエル婆から聞いた話を思い出し、納得する。

 

「なぁに、簡単な話じゃよ、ブレ坊。迎撃態勢万全の勇者に、手勢のいなくなった四天王を単騎でぶつける。そんな愚策にも程がある作戦を、あの慎重な魔王が許すとは思えないという話よ」

「ああ、そういう事か」

 

 それでブレイドも納得したのか、深々と頷いている。

 ……ドラグバーンの言動に当てられて、一瞬そんな事もわからなくなってた俺が言えた事じゃないかもしれないが、ブレイドは結構脳筋の気があるよな。

 これが悪い方に行かなければいいんだが。

 

「普通に考えれば、奴にとっての最善手は魔王に向けて連絡を飛ばし、勇者を確実に倒せるだけの軍勢……それこそ残りの四天王全員を動員するような大軍勢を動かし、それと共に攻めて来る事じゃろう。しかし、交戦した時に垣間見えた奴の性格から考えると、神樹の加護の残滓が消えた瞬間に、単騎で突っ込んで来るという可能性も大いにあり得る」

 

 まあ、そうだろうな。

 ドラグバーンの性格だけ考えたら、何も考えずに突っ込んで来ると思う。

 だが、もし読みを外して大軍勢が来れば詰みだ。

 難しい二択だな。

 

「じゃがまあ、対策は立ててあるから安心せい」

「はい。四天王襲来という事態に陥った時点で、それに対する策は用意しています。その策は勇者様方の出立前にはシリウス王国と共有済みです。現在、彼の国では『剣聖』ルベルト殿を筆頭に、決戦用の軍勢が編成されている事でしょう。魔王軍が軍勢を動かすのであれば時間がかかる。そうなれば、こちらの軍勢も充分に決戦に間に合う筈です」

 

 そこまで考えられてたのか……。

 エルトライトさんの語った作戦は、一戦闘員でしかない俺が関与できるような話じゃなかった。

 俺と違って、戦略を考える担当の頭の良い人達がいるという事だ。

 人類だってバカじゃない。

 このくらいは備えていて当然という事だろう。

 

「まあ、決戦など起こらぬに越した事はないんじゃがのう……。できる事なら相応の大打撃を受ける決戦ではなく、四天王はこちらの消耗を抑えた上で一人ずつ倒していきたい。ドラグバーン自身が戦場で語っておった通り、奴は魔王の命令を無視して独断専行しておるというパターンが一番助かる。その場合はこっちの軍勢も到着が間に合わんじゃろうが、他の四天王まで出てくるよりは遥かにマシじゃ」

 

 その通りだな。

 とりあえず、ドラグバーンが後先考えずに、自分の欲望を優先してくれるように願っておくか。

 もし願いが叶ったとしても、それはそれで大変な戦いになる事間違いなしなのだから、勘弁してほしいが。

 

「では次に、奴が単独で即座に再戦を挑んできた場合の対策を話しておきましょう」

 

 そうして、エルトライトさんは既に決まっているエルフの作戦を説明し、俺達をその作戦にどう組み込むかについて話し合った。

 これには実際に奴と真っ向から戦った俺達の意見が重要視される。

 どういう状況に持ち込めば勝てそうなのか。

 弱体化が解けたドラグバーンの力が想定以上だったらどうする。

 そういう話し合いを繰り返した。

 

 しかし、その途中で、

 

「し、失礼します!」

 

 突如、血相を変えたエルフの一人が部屋に飛び込んできた。

 

「族長、緊急事態です!」

「……勇者様方との話し合いに割り込む程の事態という訳ですか。いったい何事です?」

 

 エルトライトさんがそう問いかけると、エルフは慌てて状況を説明し始めた。

 割と理解不能な事を。

 

「し、神樹に! 神樹に謎の変化が生じ始めました! 淡く発光し、周囲に居た者達の頭に直接『勇者をお呼びなさい』という謎の声が聞こえてきたとの事です!」

「……なんですって?」

 

 エルトライトさんが呆然とする。

 エル婆もまた目を見開いていた。

 長い事神樹を見守ってきた彼らをして予想外の現象という事だろう。

 だが、さすがはエルフ達の上に立つ族長親子と言うべきか、すぐに動揺を鎮めて行動を開始した。

 

「申し訳ありません。緊急事態につき、話し合いを中断させて頂きます」

「ワシらは神樹の様子を見てくる。ステラ、できればお主も来てくれると助かるのじゃが……」

「わかりました。行きます」

 

 エル婆の言葉にステラは即答し、席を立った。

 俺もまた席を立ち、歩き出したステラの隣に並ぶ。

 お互いにさっきの出来事の照れが若干尾を引いているが、一緒に行かないという選択肢はない。

 それはリンとブレイドも同じのようで、俺達は全員揃って神樹の元へと赴いた。

 

 そこにあったのは、ドラグバーンによって焼き切られてしまった神樹の成れの果て。

 しかし、報告にあった通り、神秘的な光の粒子のようなものを纏っていた。

 とても切られた樹とは思えない力強さを感じる。

 

『よくぞ来てくれました、勇者よ』

 

 突然、頭の中に直接声が響く。

 やたら綺麗な女の声だ。

 ステラ達がビックリしたようにキョロキョロと辺りを見回す。

 だが、俺は全く別の感覚を覚えていた。

 なんだ、この感じは?

 懐かしい、のか?

 俺は、前にもこの声をどこかで……

 

 そんな事を思っている内に、神樹を覆っていた光の粒子が集まり、俺達の前に淡く輝く一つの扉が現れた。

 

『さあ、お入りなさい』

 

 見た事もないような魔法。

 いや、魔法かどうかもわからない力。

 それに驚きつつも、意を決した様子でエル婆とエルトライトさんが扉に向かって行った。

 しかし、

 

「む?」

「これは……」

 

 途中でその足がピタリと止まった。

 どうした?

 

「見えない壁、ですかね?」

「そんな感じじゃな。優しく押し返されるような感覚がして、これ以上前に進めん。恐らく、呼ばれたステラ以外は入れんという事じゃろう」

「は?」

 

 つまり何か?

 こんな得体の知れない場所に、ステラ一人で行かせろと?

 ふざけんな。

 そんな思いで、俺は扉に近づいた。

 エル婆達のように拒絶されるかと思いきや……なんか普通にエル婆達が止められた場所を越えて、扉の前まで来れたぞ。

 

「ん?」

「おや? アー坊は行けるのか。うーむ、選定基準が謎じゃな。加護の有無か?」

 

 その後、リンやブレイド、俺と同じく加護を持っていないエルフも扉に近づいてみたが、結局扉の前まで来れたのは俺とステラの二人だけだった。

 ますます選定基準が謎だ。

 勇者のお供、先着一名とかなのか?

 いや、それならエル婆達が行けている筈。

 不思議だが……まあ、ついて行けるのであれば是非もない。

 

「……行くか」

「……うん」

 

 さっきの事件のせいで、まだちょっとお互いに会話がぎこちないが……まあ、なんとかするしかないな。

 

「くれぐれも気をつけるのじゃぞ」

 

 エル婆達に見送られ、俺達は神樹の扉を潜る。

 扉の中は、まるで植物の中のような空間だった。

 神樹の中、みたいな場所なのだろうか?

 全体的に薄暗いが、神樹を覆っていたのと同じ光の粒子がそこかしこで舞ってるせいで、視界は確保されてる。

 

「不思議な場所ね……。ただの道なのに、なんか加護持ちの人達から感じるのと似たオーラを感じるわ」

「そうなのか?」

 

 つまり、あの声の主は加護に関わりのある人物という事か?

 そんなの、俺の知る限りでは一人しか思いつかないんだが。

 ……それはそれとして、待ち構える未知に思考の大半を持ってかれてるのか、ステラの態度からぎこちなさが取れてきてるのはいい事だ。

 これなら普通に話せるだろう。

 

 やがて、歩いている内に行き止まりにまで辿り着いた。

 そこには、一人の女が立っていた。

 見た目の年齢は俺達より少し上程度。

 ステラよりも整った顔立ちをしている。

 彼女の印象を一言で現すなら『白』だった。

 白い肌、白い髪、白い衣服、瞳の色まで僅かに色づいた白。

 まるで聖神教会が崇め、その高位神官達が身に纏う『白』という概念を具現化したような、純白の少女。

 それが俺が彼女に抱いたイメージだ。

 だが、ステラは違う感覚を覚えたようで……

 

「加護の、塊……!?」

 

 驚愕の表情で、そんな事を口走っていた。

 加護の塊ときたか。

 加護持ちは同じ加護持ちを識別できる。

 ステラ曰く、なんか神々しいオーラを纏って見えるらしい。

 そのオーラの大きさで、相手の持つ加護の強さもわかる。

 普通の加護持ちと聖戦士では、纏うオーラに大きな差があるという話だ。

 

 そして、この純白の少女は、世界最強の加護『勇者の加護』を持つステラをして、加護の塊と言わしめた。

 尋常な存在ではない。

 だが、不思議と危機感や不安は湧いてこなかった。

 

「ようこそ『勇者』ステラ。そして『救世主』アランよ」

 

 純白の少女が口を開く。

 やはり聞き覚えがあるような、やたら綺麗な声で語り出す。

 

「私はこの世界の管理者。人類に加護を与え、魔族と戦う力を授けた、あなた方が神と呼ぶ存在です。どうぞ、よろしくお願いしますね」

 

 そう言って、神を名乗る純白の少女は、俺達にペコリと頭を下げた。



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37 神の語る真実

「神、様……?」

「はい。とはいえ、あなた方がイメージするような全知全能の存在ではありません。ただ、この星とそこに住まう知的生命の守護という役割を担っているだけの存在です。その為の力は持っていますが、それも制約によって大きく制限され、加護や聖剣といった力を人類に授けるのがやっとの無力な存在ですよ」

 

 思わずといった様子のステラの呟きに、自称神様の純白の少女は、聞いてない事まで律儀に教えてくれた。

 ……本当に神様なのか?

 いや、ステラが加護の塊とまで言ったんだ。

 信憑性はあるだろう。

 加護とは神に授けられた力だと聞いた事がある。

 だったら、その大本である神様が加護の塊に見えるのは、ある意味当然の話なのかもしれない。

 

 だとしたら、こいつはステラを勇者にした憎い相手の一人って事に…………いや、やめよう。

 ステラが隣にいる状況で、もしかしたら本当の神かもしれない存在を、最低でも加護の塊みたいな奴を、私怨で敵に回す訳にはいかない。

 元々、ステラが勇者に選ばれたのは運の悪すぎる事。

 それに文句をつけるのは、天に唾吐くも同然の無意味な行為だと思ってたんだ。

 それに、ステラを直接苦しめてるのは、あくまでも魔王。

 神は人類の味方で、無理矢理ステラを戦わせてると言うのなら、連行して行ったルベルトさん達も同罪だ。

 そして、俺はルベルトさんの事は恨んでない。

 よし、怒りは飲み込める。

 だけど、何故ステラを勇者に選んだのかは、後で絶対に問い詰めてやろう。

 

 少女の視線が俺に向く。

 聞きたい事があるなら遠慮せずに話せと言われてるような気がした。

 ……あなたは本当に神様なんですか、なんて聞いても意味はないな。

 結局、俺が納得できなければ、どんな話をされても無駄なのだから。

 だったら、とりあえず気になってる事を聞くのがいいか。

 勇者の加護については……俺が激昂して話が進まなくなる可能性があるから後回しだ。

 そうなると、今真っ先に問い質すべきなのは、

 

「俺の事を『救世主』と呼んだのは何故ですか?」

「言葉通りの意味ですよ。心当たりはある筈です。何せ、あなたは一度魔王を倒し、この世界を救った張本人なのですから」

「ッ!?」

 

 その言葉に、俺は過剰に反応した。

 ステラもだ。

 この少女の言っている事は、それだけ俺達の根幹に関わる。

 彼女の言う心当たりなんて一つしか思いつかない。

 それは、全ての始まりとなった……

 

「あんた、やっぱりあの夢の事を……!?」

「ああ、なるほど。あなたはあの出来事を夢として認識しているのですね。未来から送った魂と過去の魂が融合した結果でしょうか? それに私との会話の記憶も抜けている様子。やはり時に関する魔法は安全性に欠けますね」

 

 自称神様……いや、もう神様でいいか。

 神様はため息を吐くようにそう言うと、再度俺の目を真っ直ぐに見詰めながら告げた。

 

「あなたが夢として認識している出来事は、紛れもなく現実に起こった事ですよ。アラン、あなたはかつて、加護という魔族に立ち向かう為の力もなしに、人類を滅ぼしかけ、世界を支配する寸前まで行った歴代最悪の魔王を倒しました。これは計り知れない程の快挙であり、私は報酬として、制約のギリギリを攻めてでも、あなたの願いを一つだけ叶えようと決意した。そして、魔王と相討ちになって命を落とし、魂だけとなったあなたに語りかけたのです」

 

 覚えていない。

 だが、思い出せないだけで、記憶の片隅に引っ掛かるような感覚があった。

 そして、俺が望む事などわかりきってる。

 

「あなたが私に望んだ願いは『ステラにもう一度会いたい』という事。今度こそ彼女を守りたい。隣で支えてやりたいと心の底から願っていました。愛されていますね、ステラ」

「うぅ……」

 

 滅茶苦茶優しい目で見られて、ステラは羞恥で俯いた。

 さっきまでの俺なら、頬にキス事件を思い出してこっちまで赤くなるところなんだろうが……それ以上に苦い思いに苛まれている今の俺には、そんな余裕はない。

 今までずっと、あの夢は最悪の予知夢か何かなんだと思ってた。

 だが、あの悪夢が夢じゃないのであれば、俺は本当に一度ステラを……

 

「そんなアランの願いを叶える為に、私は時の魔法を使ってアランの魂を過去へと送り込みました。本当はあなた達を生き返らせられればよかったのですが、大分前に消滅してしまったステラの魂を復元するのは、大海に解けた氷の痕跡を辿って成分を抽出し、もう一度固め直す程に困難。できなくはありませんが、ステラの魂の残滓を回収する過程でどんな影響が出るかわかりませんし、制約の範疇を大きく逸脱してしまいます。結果、私にはこの方法しかあなたの望みを叶える手段を思いつかなかったのです。……世界を救ってくれたあなたに、こんな最悪の時代をもう一度送らせるというのは痛恨の極みでしたが」

 

 いや、それは全然構わない。

 どんな形であれ、もう一度ステラに会えて、今度はちゃんと隣で支えられてるというのは事実だ。

 こんなチャンスを与えてくれた事に関しては感謝しかない。

 

「あのー……さっきからちょくちょく話に出てくる『制約』ってなんなんですか?」

 

 ステラが神様に率直な質問をぶつける。

 それは俺も気になっていた。

 

「うーん、説明が難しいのですが……そうですね。例えるのなら、私にとって世界とは粘土細工のような物なのです」

「ね、粘土細工?」

「はい。その気になれば好きに弄れますが、下手をすると取り返しのつかない変化を生じさせてしまうし、最悪うっかり握り潰して壊してしまう可能性すらある。故に、私は世界を歪める可能性のある大きな干渉を自ら封じました。これが私の『制約』という訳です」

「は、はぁ……」

 

 ステラがわかったようなわかってないような間抜けな声を漏らした。

 俺もスケールが違い過ぎて、上手く実感できない。

 

「あれ? でもそうなると、時間を巻き戻すなんて滅茶苦茶な魔法、諸に制約に引っ掛かるんじゃ?」

「ええ、その通りです。時間を巻き戻すなんて、粘土細工全体を捏ねて、少し前と全く同じ形を再現しようとするようなもの。最も危険な行いの一つです。それに時を戻してしまえば、せっかく救われた世界もなかった事になってしまう。だからこそ私は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「時間を巻き戻した訳じゃない……?」

 

 その言葉を聞いて、心臓が嫌な音を立てた。

 

「そう。そして、それを説明する事こそが、私がこうしてあなた達を呼び寄せた最たる理由の一つなのです」

 

 神様の目が真剣さを増す。

 対して俺は、まさか、そんなという思いが襲来し、呼吸が荒くなって、嫌な汗が出てきた。

 俺の見た悪夢は夢じゃなかった。

 時間が巻き戻った訳でもないらしい。

 なら、前の世界はどうなったんだ?

 いや、世界なんてどうでもいい。

 前の世界のステラは、どうなったんだ……?

 

「私がした事は、死して肉体から切り離され、消滅を待つばかりだったアランの魂を摘まんで、過去の世界へと投げ入れただけなのです。結果、そこを起点にして世界線は分岐し、現在この世界には二つの歴史が存在するようになりました。一つはアランが魔王を倒して救われた『正史の世界』。もう一つは、あなた達が今を生きる『改変された過去の世界』」

「んん?」

 

 ステラが首を傾げる。

 俺もよくわからない。

 

「これも説明が難しいのですが……例えるなら、川の流れのようなものですかね。川の流れと同じように、時間という概念の中にも『時の流れ』というものが存在すると考えてください。私は川の先端にあったアランの魂という名の石を拾い上げ、上流へと投げました。すると、その石は川を一部塞き止めて全体の流れを変え、新たに支流を生み出した。その支流こそがあなた達の生きる『改変された過去の世界』であり、既に水が流れた後で変えようのない本流が『正史の世界』という感じです。上手く説明できている自信はないのですけど……」

 

 いや、なんとなく少しは理解できた。

 特に、俺にとって重要な部分については。

 

「既に水が流れた後で変えようのない本流、か」

 

 つまりは、そういう事なのだろう。

 俺は全てをやり直してステラを救えている訳ではなく、前の世界、正史の世界とやらのステラには何の罪滅ぼしもしてやれないまま、のうのうと今を生きているという事だ。

 深い深い悔恨と絶望が胸を焦がす。

 食い縛った奥歯が砕ける音がした。

 

「……ステラ?」

 

 そんな俺の頬に、ステラはそっと手を添えた。

 そこから暖かい魔力が流れ込み、砕けて血を流した俺の奥歯を治癒する。

 

「なんで……」

「わかるわよ。アランが辛い顔してる事くらい」

 

 そのまま、ステラは俺の頭を撫でてくる。

 ……さっきと立場が逆転した気分だ。

 

「アランは、その正史の世界とかいう方の私を助けられなかった事を後悔してるの?」

「……そうだ。俺が無責任に放った一言のせいで、お前は一人で勇者として旅立って死んだ。なのに俺は、お前が死ぬまでお前が苦しんでる事にすら気づかず、追いかけようともしなかった。最低の男だ……」

「えいっ!」

「……何すんだ」

 

 いきなり、ステラは俺の頬を両手で思いっきり挟んで寄せて、変顔を作られた。

 いや、本当に何すんだ。

 

「それ普通だからね! 勇者とか聖戦士と普通の人の違いを考えれば普通だから! アランは何も悪くないわ!」

「でも……」

「でもじゃないの! むしろ、それで責任感じて復讐の旅に出た挙げ句、ホントに魔王倒して、神様にご褒美で過去に戻してもらって、戻った先でもこれだけ私の為に戦ってくれるとか、アランが私の事好き過ぎるだけよ!」

「悪いか」

「うぇ!? そ、そこで素直に肯定するの……!?」

 

 やさぐれた勢いで本心を口にしてみれば、一瞬ステラの動きが止まった。

 しかし、すぐに再起動して話し出す。

 

「と、とにかく! 正史の世界の私だって、絶対にアランの事恨んだりしないわ! だって、正史だろうと過去だろうと、私は私だもの! 私が大切な幼馴染を恨む訳ない!」

「だが……」

「だがじゃないの! ……もしどうしてもアランが罪滅ぼしとかしたいって言うなら、助けられなかった私の分まで今の私を助けて。幸せになれなかった私の分まで今の私を幸せにして。そして、アラン自身も幸せになって。死んじゃった私への罪滅ぼしなら、きっとそれが一番だから。きっと、それが一番喜ぶから」

 

 ステラは大真面目な顔でそんな事を言う。

 助けられなかったステラの分まで、今のステラを助ける。

 幸せになれなかったステラの分まで、今のステラを幸せにする。

 そして、俺自身が幸せになる。

 それで、いいのか?

 それで本当に、死んでしまったステラに報いる事ができるのか?

 

「……本当にそうだと思うか?」

「本人が言うんだから間違いないわよ!」

「……そうか」

 

 俺は涙を流しながら、やっと少し笑えた顔でステラを抱き締めた。

 ステラの体がビクッと震えたが、そのまま受け入れてくれる。

 

「ありがとな、ステラ」

 

 情けない俺を慰めてくれたステラに、俺は精一杯のお礼を言った。

 

「これくらい当たり前よ。アランが私を支えてくれるように、私だってアランを支えてあげたいんだから」

「……そうか。ありがとう。もう大丈夫だ」

「うん」

 

 なんとか精神を落ち着かせてステラから離れ、神様の方に向き直った。

 俺の醜態を見せつけられた形になった神様は不機嫌そうになる事もなく、慈しみの目で俺達を見ている。

 普通に恥ずかしい。

 

「なんというか、本当に愛し合っているのですね、あなた達は。それは素晴らしい事です」

「違いますから! そういうんじゃないですから! ……今はまだ」

「そんなあなた達に、これ以上の苦難を与えたくはないのですが……ここまで来た以上は、伝えない訳にもいきませんね」

 

 ステラの言葉を思いっきり無視しながら、何か最後に小声でボソッと呟いてた言葉に被せるように、神様は話を続けた。

 なんとも不穏な気配のする話を。

 そして、案の定、

 

「今から私の言う事こそが本題です。……結論から言いましょう。今のままでは、この改変された過去の世界は消滅します。近い将来、正史の世界に上書きされる事によって」

 

 神様の放った言葉は、とんでもない爆弾発言だった。



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38 神の語る真実 2

「この世界が、消える……?」

 

 たった今、過去を受け入れて、未来に希望を持ったばかりなんだが。

 

「ええ。それが時を逆行する魔法の仕様です。一つの世界に二つの歴史。この異常な状態は決して長くは続きません。いずれ世界の自浄作用によって二つの歴史は統合され、再び一つの世界となります。どちらかの歴史が、もう一方の歴史を塗り潰すという形で。そして、その時に優先されるのは、()()()()正史の方の歴史です」

 

 俺達は絶句した。

 それが本当なら、俺達がどれだけ頑張ったところで意味はないって事じゃないのか?

 例え俺達が死闘の果てに魔王を倒せたとしても、前の世界に上書きされて、全てが無になってしまうのだから。

 

 だが、そんな俺達の絶望を覆すように、神様は更なる情報を口にする。

 

「しかし、何事にも例外というものはあります。今から私が教えるのは、この改変された歴史が逆に正史を塗り潰し、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。心して聞いてください」

 

 絶望の後に伝えられた希望。

 俺達は息を飲んで神様の言葉に耳を傾ける。

 そして、神様は告げた。

 ある意味、とてつもなくシンプルで、されど達成困難な解決法を。

 

「あなた達がしなければならない事はただ一つ。できうる限り魔族による被害を抑えて魔王を討伐してください。それこそ、正史の世界とは比べ物にならないくらい軽微な被害で魔王に圧勝するのです。そうすれば、世界の生存本能とも言える力が、この歴史の存在価値を押し上げます。そこへ私が制約の範囲内の力で手を加えれば、無理なくこの歴史を新しい正史として世界に刻む事ができるでしょう」

「…………」

 

 それは何とも、言うは易し行うは難しの典型みたいな話だな。

 俺は脳裏に、ついさっき戦った化け物の姿を思い浮かべる。

 四天王の一角、ドラグバーン。

 弱体化した状態で俺達全員と張り合ってみせた、正真正銘の怪物。

 あれと同格の奴が、あと三体。

 おまけに、英雄と同等の力を持つ魔族もわんさか。

 手駒にされた魔物もゴロゴロ。

 そして何より、それら全てを統べる、神をして歴代最悪と言わしめた全盛期の魔王。

 これを相手に圧勝しろと?

 とてつもなくキツイ戦いになりそうだ。

 それこそ、今までの想定を遥かに超えて。

 

「……とても困難な道のりだとは理解しています。何せ、敵は正史の世界で、あなた達全員が命と引き換えにしてようやく倒した怪物達なのですから。ですが、どうかこの困難を切り開いてほしい。数多の英雄達の屍と引き換えに僅かな延命を計るのが精一杯だった本来の歴史を変えてほしい。それが無力な神からのお願いです」

「やります」

 

 神様が最後まで言い切った瞬間、ステラはハッキリとした声で即答した。

 迷いなく、躊躇なく、まるでそれが当たり前の事であるかのように。

 

「やりますよ。例え、それがどんな困難な事でも。だって、それを成し遂げた先にしか私達の幸せは無さそうですから」

 

 堂々とした顔で宣言するステラは、まさに勇者の称号に相応しい貫禄を感じさせた。

 努力を積み重ねて力を磨き、困難にぶち当たっても折れないという経験を経たステラは、確実に勇者として成長しているという事だろう。

 そんなステラを見て、仕方ないなという気持ちを小さなため息に乗せて吐き出し、俺もまた神様に向かって宣言した。

 

「ステラがやるなら俺もやります。こいつを守り抜く事が俺の誓いだ。今さら、どんな困難が襲って来たところで、それは変わらないですから」

「……二人とも、ありがとうございます」

 

 そうして、神様は俺達に頭を下げた。

 仮にも神を名乗る者が、人間風情に。

 そこに、彼女の世界に対する確かな思いやりを見た気がした。

 

「ここまでの事をお願いしておいて、力を貸さない訳にはいきませんね。もう一つの本題を果たしましょう。ステラ、聖剣を出してください」

「え? あ、はい」

 

 言われるがままに、ステラは聖剣を鞘から抜いて差し出す。

 神様は、聖剣の剣身に手をかざした。

 すると、この周囲に溢れていた光の粒子が、次々と聖剣に吸い込まれていき、やがて聖剣自体が淡い光を纏い始める。

 

「へ?」

「聖剣に、この神樹に残っていた残存エネルギーの殆どを纏わせました。その剣もまた制約によって、魔王を相手にした時以外で本来の力を発揮することはできませんが、こうすれば封印状態でも、今注いだエネルギーが尽きるまでは、四天王クラスを相手にするのに不足のないくらいの力は出せるでしょう。……この程度の支援が精一杯ですみません。できる事ならあなた達の加護をもっと強化したり、アランに加護を授けたりもしたかったんですがね」

 

 神様が申し訳なさそうな顔で項垂れる。

 ……加護と言えば、まだ聞いてない事があったな。

 

「そういえば、なんで勇者の加護を授けたのがステラだったんですか? というか、加護を授ける相手の基準ってどうなってるんですか?」

 

 ついでに、俺が長年疑問に思ってた事も聞いておく。

 夢の中……じゃなくて前の世界の話だが、自分に加護があればと嘆いた回数は数え切れない。

 それこそ、最強殺しの剣を思いつくまでは、己の無力さとこの世の理不尽さに堪えきれない怒りすら覚えてた程だ。

 今だって、くれるなら加護でも何でも貰っておきたい。

 ステラを守る為には、力はいくらあっても足りないのだから。

 それが無理だと言うのなら、せめて理由くらいは聞かせてほしい。

 

「加護とは、私が制約に触れない範囲で人類を支援できる数少ない手段であり、その正体は神の力による超強力な強化魔法です。しかし、私からすれば僅かな力とはいえ、神の力を浴びて受け入れるには、受け手側にもそれ相応の資質、強靭な魂と肉体が必要になってきます。力を受け止める器である魂と、受け入れた力に耐えうる肉体がなければ、加護の力に耐えきれず、内側から爆発四散するでしょう」

 

 え、何それ怖い。

 

「その二つをあわせ持って生まれて来るのが、大体千人に一人という訳です。もちろん、より強力な聖戦士の加護を受け入れられる逸材は更に少なく、最上位の勇者の加護ともなれば世界に一人いるかどうか。その一人が運悪くステラだったのですよ。更に運の悪い事に、アランには加護を受け入れられるだけの資質がありませんでした。あったらとっくに与えています。というか、できる事なら全人類に与えています」

 

 あー……そういう感じだったのか。

 つまり、俺には才能がないと。

 逆に、ステラは運悪く才能の塊だった訳だ。

 話を聞いてみれば、こればっかりは本当に運としか言いようがないな……。

 神様に対して心の奥で燻っていた「よくもステラを勇者にしやがったなこの野郎」という思いが、俺達はただただ運が悪かったんだなという、どうしようもない思いに変換されていく。

 神様への怒りが完全に消えた。

 

「まあ、アランが加護を持っていなかった事も、今回に限って言えば、一概に運が悪かったとも言えないのですがね。おかげで、時を逆行する魔法に耐えられたのですから」

「ん? それはどういう……」

「もしも加護を持つ者の魂を過去へ送った場合、未来から送られた魂と過去の魂が融合し、その者が持つ加護の力は単純に二倍になってしまいます。そうなれば肉体の方が耐えきれずに爆発四散です。似たような理由で、既に加護を持っている者にそれ以上の干渉をすれば力の過剰注入でボンッてなりかねませんし、そういう意味では不幸中の幸いでしたね」

 

 わ、笑えねぇ。

 

「……しかし、この程度の支援しかできない事が、本当に口惜しいですよ。存分に力を振るえたのなら、あの忌々しい魔族どもをこの手で駆逐してやれるのに」

 

 神様の声に、堪えきれない程の怒りが籠る。

 燃え上がる憤怒と、ドロドロの怨嗟を孕んだ声。

 下手したら復讐のみに囚われていた頃の俺と同じか、それ以上に魔族を恨んでいそうな程だ。

 ……魔族。

 約百年に一度、魔界から襲来する人類の敵か。

 

「そもそも、魔族ってなんなんですか?」

 

 気づけば、そんな事を問うていた。

 小さい頃からただ敵だと教えられ、実際に故郷を襲撃して来て、一度は大事な幼馴染すら殺した憎い憎い存在。

 加護の仕掛けという、神に聞かなければわからないような謎が解けたせいだろうか。

 俺は唐突に、災害か何かのように思ってたいた奴らの正体を知りたくなった。

 

「奴らは一言で言えば、外来種の害虫です。私が管理する世界の外からやって来ては、私の愛する世界を欲望のままに食い荒そうとする。例えるなら、家を蝕む白蟻のような存在ですよ」

 

 白蟻、か。

 そういえば、ウチの村でも被害が発生した事があったな。

 家を壊し、食料を荒らし、いくつもの家を路頭に迷わせかけた。

 紛う事なき害虫だ。

 

「恐らくは、あなた達が『魔界』と呼ぶ奴らの世界の神が、他世界への侵攻をよしとするロクデナシなんでしょう。神同士が戦う場合、己の管理領域にいる方が絶対有利ですから、代わりに自分の世界の住人を尖兵のように使っているのでしょうね。その尖兵も、神と同じでロクデナシ揃いのようですが」

 

 ……確かに。

 人間を餌としか思ってなかった、カマキリ魔族。

 英雄達の死体を弄んで笑っていた、老婆魔族。

 どっちも、とんでもないクソ野郎だった。

 相対的にドラグバーンがマシに見えてしまう程に。

 まあ、あいつもあいつで、自分の欲望の為に人様の命と平穏を奪おうとするロクデナシには違いないんだが。

 

「無論、私も魔界からの干渉を遮るように妨害してはいるのですが、何せずっと攻められているので、どうしても百年に一度くらいは守りの魔法が綻んでしまって……。その僅かな綻びを貫く形で魔界の門は開き、魔族どもはこの世界にやって来るのです」

 

 それが、魔界の門が百年に一度開く事の真相か。

 ……神様は本当にずっと俺達を守ってくれてたんだな。

 今さらだけど、拝んどいた方がいいだろうか?

 そんな事を思っていたら、神様の顔が更に忌々しそうに歪んだ。

 

「……そうやって繰り返されてきた魔族との戦争の歴史の中でも、今回の魔王は歴代最悪と断言できます。正史の世界では人類の七割を殺戮し、新たな勇者の資質を持つ者が誕生する確率まで極小の領域に貶めた怪物。力の化身のようだった先代魔王も厄介でしたが、単騎で暴れまわるだけだった先代よりも、明確な戦略と悪意をもって配下を動かし、確実に人類を滅ぼそうとする当代魔王の脅威は筆舌に尽くしがたい。それが先代魔王によって弱った所に襲来したのですから、これは人類史上最悪の厄災と言っても過言ではないでしょう。 世界にとって最大の異物にして病巣である魔王が生きている限り、危険を覚悟で時の魔法のような大規模な干渉を行うこともできませんし」

 

 「けれど」と神様は続ける。

 

「あなた達ならば、この未曾有の厄災を打ち払えると信じています。あなた達二人が力を合わせれば、きっと」

 

 神様がそう言った直後、俺達の後ろの方から光が溢れ、扉が開くような音が聞こえた。

 

「私の話はこれで終わりです。さあ、行ってください。あなた達の未来に幸多からん事を」

 

 手を組み、祈るような仕草でそう言った後……神様の姿は、淡い光の粒子となって消えた。

 ……どうやら、これで本当に話は終わりのようだ。

 なんだかんだで、得る物の多い会話だったな。

 夢の真相、世界を変える方法、加護や魔族の正体。

 知識だけじゃなく、聖剣の強化という明確な支援もしてくれた。

 本当に、得る物は多かった。

 

「行くか」

「うん」

 

 そんな神様がいた場所を離れ、俺達は元来た道を引き返す。

 

「大変な事になっちゃったわね」

「そうだな。あんな啖呵切った事、後悔してるか?」

「全然!」

「そうか」

 

 強くなったな。

 なら、これが本当に最後の最終確認だ。

 

「それでも、俺はお前が勇者の責務に耐えられなくなったら逃げてもいいと思ってる。世界が消えるまでの間だけでも平穏に暮らす。そういうのも、別に悪くはないだろう」

「アラン、それは……」

「わかってる。最後に一度言ってみただけだ。そんな生活にお前の幸せは無いんだと、さっきハッキリわかった」

 

 俺は立ち止まり、ステラの目を強く見ながら言う。

 

「改めて言おう。俺は必ず最後までお前を守り抜く。お前の隣で最後の最後まで支え続ける。お前を絶対に幸せにする。だから、━━やってやろうぜ。神様の言う通り、魔王に圧勝してやろう。夢の世界ならぬ、正史の世界とやらで一度は倒した相手だ。俺達ならやれる」

 

 俺はステラに拳を突き出した。

 ステラは前半の言葉で顔を赤くした後、ステラらしい勝ち気な笑みを浮かべながら、俺の拳に拳を合わせる。

 また力加減を微妙にミスったみたいで痛かったが、今だけは強がって耐えた。

 

「ええ! せいぜい足引っ張らないでよね!」

「ふっ、誰に物を言ってるんだ? 未だに俺に勝ち越せない分際で」

「最近はずっと引き分けでしょうが! っていうか、あんたの剣はしぶと過ぎるのよ!」

「褒め言葉として受け取っておこう」

 

 そんな会話をしながら歩みを再開する。

 そして、出口である最初に潜った扉が見えてきた頃。

 

『あ、そういえば、二つ程言い忘れていた事がありました』

 

 唐突に、神様の声が再び聞こえてきた。

 ……せっかく、あんな神秘的な立ち去り方したのに、今ので台無しだぞ。

 しかも言い忘れとか、この神様もしや結構おっちょこちょいなのでは?

 

「なんですか?」

『この神樹はまだ普通に生きているので、治癒魔法でもかけ続けていれば10年くらいで元に戻ると、エルフの皆に伝えてほしいのです』

「わかりました。というか、神樹もしぶといですね」

『まあ、この樹は人類の安全地帯を作ろうとして、広範囲をカバーできそうな色んな物に破魔の力を宿らせようとした時の唯一の成功作ですからね。折られるのも、これが初めてではありませんし』

 

 初めてじゃないのか。

 まあ、とりあえず、エルトライトさん辺りが聞いたら狂喜しそうな朗報だな。

 

「二つ目は?」

『この神樹の特殊空間は、私が意識のみとはいえ世界に顕現する事ができる大変特殊な空間です。なので、ここの時空は少し歪んでおり、外界とはほんの僅かに時の流れが違っています。外界と比べて時の流れが早かったり遅かったりするので、出たら数日経っていたとかあるかもしれません。それには気をつけてください』

「「それを早く言え(言いなさいよ)!」」

 

 最後の最後に、俺達は思わず敬語を忘れてしまった。

 盛大なツッコミを入れながら扉にダッシュする。

 冗談じゃない。

 ドラグバーンがいつ攻めてくるかわからない状況で、数日留守にするとか自殺行為だぞ!?

 

『心配しなくても、神樹の加護の残滓はまだ継続中ですよ。奴は攻めてくるのはもう少し先の筈で……あ』

 

 なんだ、その最後の「あ」は!?

 嫌な予感がする!

 そうして扉までの僅かな距離を全力で走破した俺達は、外に出た瞬間絶句した。

 里に巨大な結界が張られ、その結界の外側から強烈な魔法攻撃が加えられていたのだ。

 魔法と結界がぶつかった轟音が辺りに響き渡る。

 

 戦いは既に始まっていた。

 そして、俺は思った。

 心の底から思った。

 

 あの神様、やっぱりおっちょこちょいじゃねぇかッ!



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39 ドラグバーンという魔族

 時は少し遡り、アランとステラが神との対話をしていた頃。

 勇者達との戦いを後の楽しみとして残し、エルフの里から撤退した魔王軍四天王の一人、『火』の四天王ドラグバーンは今、エルフの里から大分離れた山の中で体を休めていた。

 といっても、体に刻まれたダメージは自慢の回復力で既に完治している。

 休んでいるのは、神樹の加護の残滓が完全に消えるまでやる事がないからだ。

 つまり、暇なのである。

 

 そんな彼の元に、四体の竜が寄って来た。

 いずれも絶大な力を感じさせる竜の頂点、上位竜だ。

 それが、まるで飼い主にすり寄るペットのように、ドラグバーンにじゃれつき始めた。

 

「ハッハッハ! 可愛い奴らめ!」

 

 ドラグバーンは、そんな竜達を撫でくり回して構い倒す。

 竜達も嬉しそうに目を細めた。

 暇潰しにはちょうど良い。

 特に、この世界に来てからの日々は本当に退屈だったので、無聊を慰めてくれる竜達の存在は、ドラグバーンにとってありがたかったのだ。

 

 ちなみに、ここに居る四体の竜達は全員雌である。

 ハーレムであった。

 尚、先の戦いでドラグバーンについて行き、討ち取られた竜達は殆どが雄だ。

 これはドラグバーンが自分のハーレムを作る為に意図して雄達を排除した……訳ではなく、単純に雌達はドラグバーンの帰りを待つ事を選び、雄達はドラグバーンに付き従う事を選んだというだけの話。

 彼は竜達に一切の強制をしていない。

 なんなら命令もしていない。

 ただ、ドラグバーンの力になりたいという竜達の想いを尊重しただけ。

 そもそもの話、別にドラグバーンは意図して竜達を率いていた訳ではないのだ。

 

 

 今回の騒動の始まりは、魔王の采配があまりにも気に食わなくて、魔王城で数年単位のふて寝をしていた時の事。

 ふと起きてみると、城内で魔族達の会話が聞こえた。

 なんでも、ここ数年、魔王が各地に配置した魔族達が相次いで討伐されているらしい。

 討たれた者の中にはローバやフランケなど、ドラグバーンが実力を認めていた強者の名前も含まれていた。

 特にローバなどは何代も前の魔王の臣下であり、その魔王が討たれてからも代々の魔王に仕え、この世界で力を蓄え続けながら、勇者や英雄達を相手に数百年間生き残り続けた古豪。

 フランケは、そんなローバが後継者にするべく造り出した最高傑作だ。

 四天王にこそ遠く及ばないとはいえ、彼らは並みの魔族とは比べ物にならない強者であった。

 

 そんな彼らを倒せる程に強い奴が敵にいる。

 それを知った瞬間、ずっと破裂寸前だったドラグバーンの我慢が限界を迎えた。

 

 魔族とは、戦いに生きる種族である。

 常に分厚い雲が太陽を覆い尽くし、天変地異が吹き荒れ、一切の自然の恵みと呼べるものが存在せず、荒廃を極めた彼らの生まれ故郷『魔界』。

 そこには草木の一本すら生えていない。

 食べられる物がない。

 どこかの誰かの話によると、魔界の神による過剰な干渉のせいで荒れ果ててしまったとされる世界で生き残る為には、戦うしかなかった。

 戦って、勝って、倒した相手を食らうしかなかった。

 

 ドラグバーンは、それこそが正しい魔族のあり方だと思っている。

 生きる為に戦う。

 生きる為に強くなる。

 そんな人生に生き甲斐を見出だそうとするならば、やはり、それは戦いの中にしかない筈だ。

 

 いつしか、ドラグバーンは強敵との戦いに生き甲斐を見出だすようになった。

 己が生きる為に磨いてきた力の全てを存分に振るえる相手との戦いが、楽しくて楽しくて仕方がなくなった。

 燃えるように生き、燃え上がるような戦いを楽しみ、最期は燃え尽きるように死にたい。

 それが、ドラグバーンという魔族のあり方である。

 

 しかし、そんな彼の生き様は、とある一人の魔族によってねじ曲げられた。

 

 そいつは恐ろしい程に強かった。

 全力で挑んでも歯牙にもかけられず、命を捨てた特攻ですら通用しない。

 ドラグバーンは完膚なきまでに叩きのめされ……しかし、殺される事はなかった。

 そいつは言った。

 我の配下になれと。

 我こそが魔族を統べる者『魔王』であると。

 

 敗者は勝者の腹の中に収まり、その糧となるのが魔界の理。

 ならば、腹ではなく配下に収まるというのも一つの理の形かと納得して、ドラグバーンは魔王の軍門に下った。

 

 

 それからの日々は、まあ、それなりに楽しかった。

 魔王の配下として力を振るい、他の魔族や魔物達を力で屈服させ、徐々に勢力を拡大していく。

 その頃には、ドラグバーンの強さは魔王を除けば魔界の中でもトップクラスの域にまで至っており、互角に戦えた相手など、後に同じ四天王となった連中くらいしかいなかったが、弱い連中でも徒党を組んで向かって来れば遊び相手くらいにはなった。

 やがて、魔界の全てとまでは行かずとも、名だたる強者の悉くを配下に加えた魔王軍は、次の目的地として百年に一度開く異世界への門を潜り、この世界へと進軍した。

 

 だが、ここからドラグバーンの退屈の日々が始まる。

 最初に門を潜り抜けた時、近くにあった国を滅ぼした時はまだよかった。

 圧倒的な戦力差に任せた蹂躙とはいえ、今回の敵となった人類の中にも手練れはいて、それなりに戦いを楽しめたからだ。

 しかし、この世界に来てしばらくが経ち、最初の国一帯を完全に滅ぼして支配した頃。

 魔王は何を思ったのか、ドラグバーンをはじめとした四天王全員に戦闘を禁じた。

 そこから先の魔王は、圧倒的な力を持っているくせに、姑息極まりないまどろっこしい作戦を展開し、チマチマと今回の敵である人類を削っていく始末。

 何故だと問い詰めた事もある。

 その時、魔王はただこう言った。

 

『我はこの世界を手に入れたい。どうしても手に入れたいのだ。だからこそ、より確実な方法を選んでいるに過ぎん』

 

 魔王の言う事もわからないではない。

 聞けば、この世界へ攻め入った歴代の魔王達は、全て『勇者』なる存在に討たれているらしい。

 そういう強敵に対して、策を練って挑むのは決して間違っていない。

 だが、それは弱者の考え方だ。

 ドラグバーンのあり方には合わない。

 強敵と真っ向からぶつかり、己の全てを懸けて戦うのがドラグバーンの生き甲斐なのだ。

 それを取り上げられるのは、死に勝る苦痛だった。

 

 しかし、ドラグバーンは魔王に敗れ、その糧となった身。

 文句を言う資格はない。

 幸い、魔王は勇者が現れれば、その勇者にドラグバーンが挑む事を認めてくれた。

 もっとも、その時は四天王全員で挑めという指令なのだが。

 戦いという名の生き甲斐を誰かと分かち合うなど、真っ平ごめんだ。

 それでも、このままずっと出番がないよりはいい。

 他の四天王はドラグバーン程好戦的ではない。

 一番槍を務めれば、自ずと自分が主体で勇者と戦えるだろう。

 それだけを慰めに、ドラグバーンはふて寝した。

 

 だが、5年、10年と待っても、勇者は一向に現れない。

 いったい、いつになったら勇者は現れる?

 いったい、いつになったら戦える?

 そうして不満を高まらせていた折に耳にした、古参の魔族すらも打ち破る強者の存在。

 戦いたいという欲求を覚えた瞬間、それが最後のひと押しだったかのように、闘争本能が狂おしい程に胸を焦がし、遂にドラグバーンの我慢は限界を迎えた。

 

 そして、彼は魔王の命令を無視して、たった一人で魔王城を飛び出した。

 

 今ここに居る四体の上位竜達は、その時ドラグバーンについて来たのだ。

 彼女らは魔王城の防衛戦力の一端だったが、元を正せば、魔界においてドラグバーンが屈服させた魔物達。

 そして、竜は己より圧倒的に強い同族に惹かれる本能がある。

 彼女らはついて行く相手として、魔王よりもドラグバーンを選んだ。

 その後、強敵を求めて、とりあえず他の魔族が一番厄介だと言っていたエルフの里を目指し、道中で偶然竜の群れと遭遇。

 身の程知らずに挑みかかって来た群れのボスをぶっとばしたら群れ全体に懐かれ、彼らは勝手にドラグバーンの後をついて来るようになった。

 こうして、成り行きで竜の大軍勢は結成されたのである。

 

 

 竜の群れを引き連れて訪れたエルフの里で待っていたのは、素晴らしい錬度を誇る魔法使いの集団であった。

 己と互角に戦ってくれるような強者がいるかはわからなかったが、少なくとも歯応えは充分にありそうな敵との遭遇にドラグバーンは歓喜する。

 当初の予定では竜達に手を出させるつもりはなく、自分一人で戦いを満喫しようと思っていたのだが……エルフの里には、死闘を邪魔する鬱陶しい事この上ない物があった。

 

 それが、神樹。

 魔に属する者の力を削ぐ、奇っ怪な大木。

 全力で戦う為に来たというのに、全力を出させてくれないなんて、こんな酷い話はない。

 我慢に我慢を重ね、遂に我慢し切れなくなって飛び出して、ようやく強敵を見つけて喜んでいたところに、まさかの神樹だ。

 ドラグバーンはキレた。

 フラストレーションは限界を突破し、即座に神樹の破壊を決意する。

 形振り構わず竜達の力も借りた。

 戦いに介入させる気はなかったが、障害物の撤去作業となれば話は別だ。

 役目を与えられた竜達は、喜んでドラグバーンの為に働いてくれた。

 その末に最初の四体以外は全滅してしまったが、彼らの犠牲に見合うだけの成果はあった。

 忌々しい神樹は倒れ、そして……

 

「クハハ……!」

 

 ドラグバーンは、新たに現れた強敵達の姿を思い出しながら、獰猛に笑う。

 何せ、夢にまで見た勇者が現れたのだ。

 しかも、他の四天王などという邪魔者がいない時に。

 大きな、それはもう大きな喜びの感情が胸の中で荒れ狂う。

 魔王城を飛び出して来て良かったと、心の底から思った。

 まだ成長途上なのか、それとも何かカラクリでもあるのか、勇者の実力が魔王に届いているようには見えない。

 だが、それでもドラグバーンが本気を出しても苦戦しそうな程の力は感じた。

 場合によっては、最後の切り札を使わなければならない状況まで追い詰められるかもしれない。

 それでいい。

 それがいい。

 互いに全力を尽くしてこそ真の戦いだ。

 神樹の加護の残滓が完全に消滅するまで、恐らく、あと二~三日。

 すぐ近くにまで迫った至高の一時を思って、ドラグバーンはまた笑った。

 

「ああ、やっと、やっと見つけました。随分と探しましたよ」

 

 しかし、そんないい気分に水を差す邪魔者が現れた。

 ドラグバーンは先程までの上機嫌が嘘のような渋い顔になり、その来訪者にゴミを見るような視線を向ける。

 そこに居たのは、一匹の蝙蝠だった。

 同僚の中で最もいけ好かない奴の使い魔だ。

 確か、こいつは使い魔と感覚の共有ができるのだったか。

 

「まったく、この私があなたごときの為に使い走りのような事をさせられるとは。あんな簡単な命令にすら従えない無能。頭の中まで本能に染まった野蛮蜥蜴。あなたのような者が同僚だと思うと悲しくなりますよ。ああ、嫌だ嫌だ。私の品位まで下がってしまう」

 

 イラッ。

 ドラグバーンの額に青筋が浮かぶ。

 嫌いな奴が、せっかくの楽しみを邪魔しかねないタイミングで現れ、ぐちぐちと腹の立つセリフを捲し立てるのだ。

 ドラグバーンでなくともキレるだろう。

 こいつは帰ったら殺すと決意する。

 まあ、どうせいつものように、四天王のリーダーに止められて終わりだろうが。

 それをわかった上で挑発してくるのだからタチが悪い。

 

(姑息でずるがしこいだけの、四天王の恥さらしが……!)

 

 ドラグバーンとて、こいつの事は大嫌いである。

 

「さあ、帰りますよ。帰ったら『風』による折檻が待っている事でしょう。せいぜい楽しみにしていなさい」

「断る!」

「……ハァ。正気ですか? これは魔王への明確な裏切り行為ですよ? これ以上、私に無駄な労力を使わせないでほしいのですが」

「断ると言ったら断る! 俺はもう我慢の限界だ! せめて、ひと暴れしなければ気が済まん!」

「……バカだバカだとは思っていましたが、まさかここまでだったとは。覚悟は出来ているのでしょ……」

「うるさい!」

 

 炎のブレスで、使い魔を跡形も残さず消し飛ばしておいた。

 魔王城との距離的にないとは思うが、こいつに情報を渡そうものなら、最悪、勇者と戦っている間に邪魔が入る可能性がある。

 ならば、長く会話してボロが出る前に消し飛ばしてしまった方がいいだろう。

 消してやりたい程イラついていたのも本当なのだから一石二鳥だ。

 

「……気分を害した。寝るか」

 

 思わぬ来訪者のせいで最悪にまで落ちた機嫌を直すべく、ドラグバーンはふて寝した。

 起きる頃にはこの嫌な気分を忘れ、純粋な気持ちで勇者達との戦いを楽しめるように。

 

 だが、深く物事を考えるのが苦手なドラグバーンは失念していた。

 あの性悪が、この程度で大人しく引き下がる訳がないという事を。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

「まったく、あのバカが……!」

 

 魔王城の一室に、嫌いな同僚に使い魔を消し飛ばされ、苛立ちをあらわにしている人物がいた。

 豪奢な貴族風の装いをした、一見すると20代程の人族の男に見える人物。

 しかし、彼は歴とした魔王軍最精鋭の一角、『水』の四天王である。

 

「しかし、あの戦狂いがあそこまで執着するとは。位置から察するに、狙いはエルフどもか? 共倒れにでもなってくれれば万々歳なのですが、さすがに望み薄ですかね」

 

 そんな事を呟きながら、男は消し飛ばされたのとは別の使い魔を何体かエルフの里に向かわせ、周辺を探らせる。

 

「ふむ。鬱陶しかった神樹が倒れている。独断専行とは言え、一応の成果は出しているという事ですか。忌々しい」

 

 男はドラグバーンの戦果を確認して歯噛みする。

 一応、これで魔王軍が人類に対して更に優勢になったのだが、それを喜ぶ気配は欠片もなかった。

 と、そこで男は思いつく。

 悪魔のような嫌がらせを。

 

「あの蜥蜴の目的はエルフとの戦闘。ならば、少し手助けしてやるとしましょうか」

 

 ニヤァと、男の口角が嫌らしく上がった。

 手助けとはよく言ったものである。

 実際は、ドラグバーンに気持ち良く戦わせない為の嫌がらせだというのに。

 

「使う駒は……あの上位竜どもにしておきましょうか。使い魔で打ち込める量では多少思考を誘導するのが精一杯とはいえ、単純な魔物を操るのなら、それで事足りる」

 

 それに、奴がそれなりに愛着を持っているペットを害せるのだから一石二鳥。

 何、これは命令違反の不忠者にまで慈悲をかけてやった善意の支援だ。

 怒られる筋合いはどこにもない。

 

「さて、あの脳筋蜥蜴に、頭を使う事の素晴らしさを少し教えてあげるとしましょう」

 

 そうして、気配を隠した男の使い魔は、ドラグバーンの周囲で眠る四体の竜達に近づき、その体に何かを注入した。

 すぐに気づいた竜達によって使い魔は叩き潰されてしまったが、既に楔を打ち込んだ以上、意味はない。

 すぐに効果は出ないだろうが、数日中には動き出すだろう。

 男の掌の上で。

 

 かくして、エルフの里における勇者達と四天王の決戦の火蓋は、無粋な来訪者の手によって、互いの望まぬ形で切られる事となる。



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40 エルフの里の決戦、開幕

「あ!? ステラさん! アランくん! やっと帰って来たんですね!」

 

 神樹の扉から飛び出した俺達に声をかけてきたのは、険しい顔で杖を握り締めているリンだった。

 周囲には、同じく杖を構える数人のエルフがいる。

 どうやら、俺達を待つ為に、ここから結界を維持していたみたいだ。

 

「リン! これ今どうなってるの!?」

「敵襲です! 10分くらい前に始まりました! 攻撃は東西南北の四方向からの遠距離魔法攻撃! 威力からして多分、上位竜のブレスです!」

 

 上位竜……!

 四方からブレスを撃ってるって事は、少なくともあと四体は残ってたって事か。

 どんだけいたんだ。

 そうポンポン湧いてきていいような雑魚じゃない筈なんだがな。

 

「既に東と西と南には、エルネスタ様、エルトライト様、ブレイド様の三人が部隊を率いて向かいました! 北は結界の境界部分に迎撃部隊が待機中! もしお二人が戻って来たら、部隊を引き連れて北の竜を討伐してほしいというのがエルネスタ様からの伝言です!」

「わかったわ!」

「行って来る!」

「あ! ちょっと待てください!」

 

 リンが慌てて止めてきたので、俺達はずっこけそうになりながら、何とか停止した。

 なんだ?

 この緊急時に、まだ伝えたい事でもあるのか?

 

「敵の狙いは恐らく私達の分断です! 四方に散った部隊のどれか、もしくは本丸である里の前にドラグバーンが現れる可能性が高いそうです! なので、ドラグバーンと遭遇した部隊は、合図として空に向けて派手な魔法を打ち上げる事になってます! 目の前の敵を迅速に片付け、合図が見えた場所に全員集合! それが今回の作戦です!」

「なるほどね。了解したわ!」

 

 作戦内容を聞き終え、今度こそステラは北に向けて走った。

 俺も足鎧が発生させる暴風に乗って、何とかステラの俊足に食らいつく。

 それでも本気を出せばステラの方がぶっちぎりで速いのだが、この状況で俺を置いていくような真似をする訳もなく、俺達は並走して戦場に向かう。

 そんな中、俺は敵の行動に妙な違和感を感じていた。

 

 分断作戦。

 なるほど確かに、俺達に対して仕掛けるなら有効だ。

 前回はパーティー全員でかかる事で、ようやく弱体化状態のドラグバーンと張り合えていた。

 だから、分断して各個撃破する。

 上位竜をあんな使い方されたら、どうしても聖戦士以上の戦力で迎撃に向かうしかない。

 ずっと撃たれ続けてる訳にもいかないし、結界の維持に戦力を割かれてる状態で、ドラグバーンに襲来されたら目も当てられないからな。

 とても有効な作戦だ。

 だが、果たしてあのドラグバーンがこんな小賢しい事するだろうか?

 あいつなら、むしろ、喜んで俺達全軍を真っ向から相手にしそうなもんだ。

 

 何か、あいつの思惑とも違う事が起きてるんじゃないかという気がしてならない。

 まさか、他の四天王が合流した?

 いや、それにしては早すぎる。

 エルフは斥候部隊も優秀だ。

 そんな凶悪な奴が近くにいたら見逃さない。

 じゃあ、奴に入れ知恵してる奴がいる?

 戦闘狂のドラグバーンなら、そんな意見突っぱねると思うがな。

 

「着いたわよ! 結界の境界部分!」

 

 考え事をしてる内に、第一の目的地に着いてしまった。

 チッ、考えるには時間が足りない。

 そもそも、俺風情があれこれ考えたところで、どうにもならないか。

 こういうのはエル婆にでも任せて、俺は目の前の敵とステラの事だけ考えてりゃいい。

 

「勇者様! お出でになられましたか!」

「あなたがここの隊長さん?」

「ハッ! エルフ軍第四軍軍団長、バルザック・ボルトと申します! 不肖の身ながら『雷の加護』と英雄の称号を賜っております!」

 

 俺達を待っていた防衛部隊の隊長は、人族で言えば中年程の容姿をしたエルフだった。

 エルフは歳の取り方にも個人差があるせいでわかりにくいが、この人からは見た目通り、歳を重ねた歴戦の戦士の風格を感じる。

 なんか凄そうな肩書きから考えても、数百年は生きてる大ベテランと見た。

 エル婆の話だと、数百年を生きた加護持ちの熟練エルフは、聖戦士の領域に片足突っ込む程の強さと誇るという。

 頼もしい。

 

「指揮は任せます! 私そういうの得意じゃないので!」

「了解しました! では、元族長の指示通り、勇者様方には北の上位竜討伐をお願い致します! 我々も微力ながら全力でサポートさせて頂きます! それでは、総員出撃!」

「「「ハッ!」」」

 

 バルザックさんの指揮により、一子乱れぬ錬度のエルフ達が結界を乗り越えて進撃していく。

 俺が暴風の足鎧を使ってるのと同じように、全員が風の魔法を無詠唱で使い、凄まじい機動力で敵の元に急ぐ。

 俺の知ってる魔法使いの動きじゃない。

 エルフ強すぎだろ。

 俺も負けないように、先頭を走るステラについて行った。

 

 進行方向からは何度もブレスが放たれている。

 かつてドラゴンゾンビが放った極大ブレスに匹敵する威力だ。

 属性は風。

 それが十数秒に一度のペースで発射され、里を守る結界に防がれている。

 竜の群れを蹂躙する勇者パーティーの活躍や、ドラグバーンの超絶ブレスを見た後だと色々麻痺してくるが、普通に考えて、とんでもない光景だ。

 そこら辺の街なら、このブレス一発だけで落ちてるだろう。

 それを何発も、しかも四方から食らい続けて小揺るぎもしてないのは、ひとえにエルフの強さとリンの力だな。

 里全体を覆い尽くして尚、あれ程の強度を保つ結界なんて恐れ入る。

 無数のエルフと聖女が協力して作った結界は伊達じゃないって事だ。

 あれなら安心して後ろを任せられる。

 

「見えたわ!」

 

 走り続ける内に、前方に巨大な影が見えてきた。

 深緑の鱗を持った上位竜。

 ブレスの属性からして、種類は恐らく風竜。

 上位竜にしては小柄で、全長は10メートル程だ。

 その代わりに、なんとも身軽そうなシャープな体型をしていた。

 

「キュラララララララララララ!!!」

 

 俺達を認識した瞬間、風竜は咆哮を上げながら空に飛び上がった。

 そして、全速力で後退していく。

 …………は?

 

「逃げた?」

「キュラァアアーーー!!!」

 

 風竜は、逃げながらブレスの照準を俺達に合わせた。

 ステラとエルフ達が迎撃態勢に入る。

 妥当な判断だが、多分それじゃダメだ。

 

「俺が防ぐ! 皆は攻撃と逃亡阻止を!」

 

 そう叫んで、俺は足鎧の暴風に乗り、竜と仲間達の間に陣取った。

 ここで一番ダメなのは、風竜に距離を稼がれて、他の部隊から引き離される事。

 そうなったら最悪、ドラグバーンが現れても合流できなくなる。

 あの風竜、魔物のくせに俺より頭良さそうな動きしやがって。

 

 だが、そう簡単に思い通りにできると思うな。

 

「魔導の理の一角を司る光の精霊よ。神の御力の一端たる聖光の力よ。光と光掛け合わせ、眩い三日月の刃となりて我が剣に宿れ」

「! 魔導の理の一角を司る雷の精霊よ。その(かいな)張り巡らせ、電磁の網で敵を捕らえたまえ」

 

 俺の行動に真っ先にステラが合わせ、それを見てバルザックさん達も魔法の詠唱を始める。

 数人のエルフは、万が一俺が失敗した時の為に、結界魔法の詠唱をしていた。

 正しい判断だ。

 

 そして、風竜のブレスが放たれる。

 充分に溜めた極大ブレスが。

 上位竜の極大ブレス……昔は避けるしかなかったな。

 懐かしい。

 だが、今はもう違う。

 斬るべき綻びがしっかりと見える。

 どうすれば、この荒れ狂う竜の息吹きを防げるのか、ハッキリとわかる。

 それを実行できるだけの能力は手に入れた。

 ならば、後は刃を振るうだけだ。

 

「三の太刀━━『斬払い』!」

 

 風のブレスの中に生じた綻び、複雑に折り重なる風の隙間、断点とも呼べる部分を黒天丸が切り裂き、それを押し広げる事によって、風を真っ二つに裂いた。

 左右に別たれた風が、俺達の横を抜けて行く。

 こっちの被弾はなし。

 ならば、今度はこっちが攻撃する番だ。

 

「『電磁網(エレキネット)』!」

「キュラ!?」

 

 バルザックさんの放った魔法、雷の網が風竜を捕らえ、その動きを一瞬止める。

 他のエルフ達の魔法もまた捕縛系が多く、風竜の動きを大きく制限していく。

 そうして動きが完全に止まった風竜に向けて、満を持して勇者による本命の一撃が放たれた。

 

「『月光の刃(ムーンスラスト)』!」

 

 繰り出されるは、三日月のような形をした光の斬撃。

 ドラグバーンにダメージを与えた光の奔流、あれを三日月状の刃に凝縮した技だ。

 効果範囲こそ狭いが、威力はこっちの方が高い上に、射程距離も充分。

 しかも、神様によって強化された聖剣での一撃。

 それが、風竜に直撃した。

 

「キュラァアア!?」

 

 四天王にすら通じた攻撃よりも更に強い技を食らったんだ。

 いくら上位竜と言えどひと溜まりもなく、風竜は体を上下に真っ二つにされて地上へ落下する。

 

「キュ……ラァ……」

 

 そして、風竜はすぐに生命を維持できずに絶命した。

 ……何故だろうな。

 その最後の鳴き声には、魔物らしからぬ悲痛な想いが籠っていたように感じた。

 風竜の死体から流れ出る、魔界生物特有の青い血がもの悲しく見える。

 俺がそんな事を思ってしまったのは、多分……

 

 予想通りに現れたこいつが、予想と違って悲しげなオーラを纏っていたからだろう。

 

「!?」

 

 突如、空から高速で何かが落ちてきた。

 その何かが着地した衝撃で膨大な土煙が巻き上げられ、それが晴れた時には、風竜の亡骸の側に佇む影が一つ。

 

「騒々しいと思って起きてみれば……まさか、こんな事になっていたとはな」

「「「ッ!?」」」

 

 現れたドラグバーンの姿を見て、全員の警戒レベルが最大にまで上昇した。

 しかし、ドラグバーンはそんな俺達ではなく、事切れた風竜に視線を向ける。

 そして、おもむろに風竜の口から溢れた青い血を拭った。

 

「……やはりか。あの卑怯者め。余計な事をしおって」

 

 ドラグバーンの全身から炎が立ち上る。

 まるで、奴の怒りがそのまま具現化したかのような火炎の渦。

 卑怯者……?

 なんの事だ?

 

 俺達が困惑している間に、ドラグバーンは風竜の亡骸に手をかざし、その炎で風竜を包んだ。

 

「せめて、俺の炎で弔ってやろう。汚されたその身を残さぬように、灰となって安らかに眠れ。……今まで世話になったな」

 

 ドラグバーンの炎が風竜の亡骸を焼き尽くす。

 俺達は、ただそれを黙って見ていた。

 奴が隙を見せなかったからでもあるが、怒れる四天王の前で不用意に動ける者は誰もなかった。

 

「さて」

 

 ドラグバーンが俺達に向き直る。

 その目に、以前は感じなかった怒りと悲しみの感情を滲ませ。

 しかし、その感情を俺達に向ける事はなく。

 火の四天王は、驚く程静かな面持ちで俺達を見た。

 

「どこぞの性悪のせいで気分が悪い。この状況も不本意だ。俺はお前達の全戦力を相手に、堂々と正面から挑んでやろうとしていたというのに。まさかこの程度の戦力しか引き連れていない勇者と遭遇してしまうとは思わなかった」

 

 「だが」と、ドラグバーンは続ける。

 

「望まぬ事だったとはいえ、可愛い同胞がせっかく命と引き換えにしてまで作った状況だ。無下にする訳にもいかん。それに、これは殺し合いである。敵が万全の態勢を整えるまでわざわざ待ってやるというのは違うだろう」

 

 そう言って、━━ドラグバーンは闘志を爆発させた。

 

「始めるとしよう。望んだ形とは少し違うが、再戦の時だ。今度こそ、どちらかが死に絶えるまで存分に戦うとしようぞ」

 

 その気迫に、多くの戦士達が呑まれる。

 間近で四天王の怒りを見てしまったというのも大きい。

 自分に向けられたものではないとはいえ、怪物の放つ殺気に当てられたんだ。

 純粋な闘志をぶつけられるよりも、精神的にはくる(・・)

 それは勇者ですら例外ではなく、僅かにだが、ステラの体は恐怖によって震えた。

 

 俺は、そんなステラの背中をドンッと思いっきり叩いた。

 膝を抱えていたこいつを励ました時と同じように。

 俺の気持ちも、ステラの覚悟も、あの時から何も変わっていないのだ。

 だからこそ、掛ける言葉はあの時と同じでいい。

 それで伝わる。

 

「大丈夫だ。俺がついてる」

 

 その一言で、ステラの震えは完全に止まった。

 恐怖に呑まれず前を向き。

 勇者の名に相応しい凛々しい顔で。

 俺と勝ち星を競う時のような、ステラらしい勝ち気な笑顔で。

 『勇者』ステラは、『火』の四天王ドラグバーンを見据えた。

 

「ほう。雰囲気が変わった。まるで別人。今の貴様の方が余程強そうだ」

 

 ドラグバーンも、そんなステラの変化を感じたのか、

 

「ならば、今一度名乗ろうではないか! 俺は魔王軍四天王の一人! 『火』の四天王ドラグバーン! この俺に立ち向かう勇者よ! 名を名乗るがいい!」

 

 まるで決闘に臨む騎士のように、高らかに名乗りを上げた。

 ステラもまた、それに名乗りを返す。

 

「だったら、覚えておきなさい! 私は『勇者』ステラ! 最高の相棒に支えられた最強の勇者! あんたを倒す者の名よ!」

「ハーハッハッハッハ! その威勢、大いに結構!」

 

 二人の気迫がぶつかり合い、火花を散らす。

 俺はいつでも戦いを始められるように神経を研ぎ澄まし、エルフ達もステラの勇姿を見てようやく恐怖を振り払ったのか、予定通り一人が空に向かって合図の魔法を放った。

 ドラグバーンはそれに一切頓着せず、俺達を見据えて構えを取る。

 

「では、参るぞ!」

 

 炎を纏った拳を振り上げ、ドラグバーンが突撃を開始した。

 こうして、俺達とドラグバーンの二度目の戦いが始まる。

 どちらかが命尽きるまで終わらない、正真正銘の死闘の幕が、今上がった。



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41 怪物の本気

「『爆炎の拳(バーンナックル)』!」

 

 ドラグバーンが初手に選んだのは、前回と同じ炎を纏った拳でのパンチ。

 だが、動きは同じでも、使い手の力が前とは比較にならない。

 まず第一に、速い。

 尋常じゃない攻撃力と防御力を持つ代わりに、比較的鈍重だった筈のドラグバーンが、凄い速度で動いている。

 ルベルトさんの刹那斬りに比べればマシだが、普通にブレイドより速いぞ。

 

「くっ!?」

 

 それに、なんと言ってもこのパワーだ。

 俺もまた前と同じようにステラの前に出て、歪曲でドラグバーンの拳を受け流した。

 パワーが上がっても、技巧の伴わない力任せなのは相変わらずだから、受け流し自体は成立する。

 しかし、刀を合わせた手応えから感じるパワーは、当初の三倍以上。

 それが動きの速くなった拳に乗っているのだから恐ろしい。

 加えて、拳に纏う炎の熱量も上がってる。

 黒天丸ならまだしも、怨霊丸じゃ5秒も接触し続けたら溶けるだろう。

 直撃なんてしようものなら、俺じゃなくても命はないと思った方がいい。

 

「ハッハー! 本気の俺の一撃すら防ぐか! やはり貴様もまた類い稀なる強者よ!」

「『聖なる剣(ホーリースラッシュ)』!」

「ぬぐっ!?」

 

 俺の後ろから飛び出したステラが、無詠唱の光の魔法を纏った聖剣の一撃をドラグバーンに叩き込み、吹き飛ばした。

 神様の言う通りなら、強化された聖剣は四天王相手でも通用する筈だが……

 

「ッ!? 硬ッ……!」

「ハーハッハッハッハ! 貴様、前より強くなっているな! 中々に痛かったぞ!」

 

 ドラグバーンは軽傷。

 防御力も上がってるのか、無詠唱魔法を纏っただけの通常攻撃じゃ、大したダメージは与えられないらしい。

 それでも、

 

「ぬ?」

 

 ドラグバーンが訝しむような声を上げた。

 何故なら、傷が再生しないからだ。

 前回は不死身と錯覚する程にガンガン再生していたダメージが、今回はまるで回復の兆しを見せない。

 真なる聖剣の力には、回復阻害の効果がある。

 正史の世界において、ステラが魔王に敗れてから俺が挑むまでの実に数十年もの間、魔王の傷は癒えなかった。

 今の聖剣は力を完全解放している訳ではないが、ドラグバーンの再生を妨げる程度の力は発揮してるらしい。

 神様による聖剣強化の影響は確実に出てる。

 これなら攻撃を積み重ねるなり、大技を叩き込むなりすれば、充分に勝ち目があるぞ。

 

「おもしろい! これくらいでなければ張り合いがないというものだ!」

 

 傷が治らないとわかってもドラグバーンは一切怯まず、むしろ、より戦意を向上させて次の攻撃に出た。

 ドラグバーンの口の中に魔力が集い、炎の塊が生まれる。

 ブレスだ。

 空いた距離を利用しての遠距離攻撃。

 

「『熱竜(ドラゴ)……」

「「「『落雷(サンダーボルト)』!」」」

「ぬぬ!?」

 

 しかし、いくつもの雷の魔法がドラグバーンに直撃し、感電させて動きを止めた。

 そのせいで集めていた魔力が霧散し、ブレスが不発に終わる。

 バルザックさん達、エルフ部隊の攻撃だ。

 ダメージこそほぼ与えられてないが、いい妨害にはなってる。

 

「サポートはお任せください! 我らの力では大した助力はできませんが、それでもエルフの誇りにかけて全力で奴を食い止めます!」

「「助かります!」」

 

 礼を言いながら、俺とステラは前進。

 ドラグバーンとの距離を詰める。

 

「小癪な!」

「『泥沼(マッドスワンプ)』!」

「ぬぅ!」

 

 踏み込んで拳を振り上げようとしたドラグバーンの足下に、エルフの一人が魔法で泥沼を発生させた。

 それに足を取られ、ドラグバーンの体勢が崩れる。

 そこへすかさずステラが斬りかかった。

 

「なんのこれしき!」

 

 ドラグバーンは崩れた体勢のまま、力任せに拳を繰り出す。

 俺はまたもステラの前に飛び出し、盾となる。

 これが勇者パーティーにおける俺の役割だ。

 そんな俺を見て、ドラグバーンは動きを変えた。

 当然だ。

 ドラグバーンもバカではない。

 このままでは、さっきと同じく受け流されるとわかりきってる攻撃を、そのまま放つような事はしない。

 

 ドラグバーンは俺という盾を吹き飛ばす為に、肘の先から凄まじい勢いで炎を吹き出し、それを推進力にして拳の速度と破壊力を跳ね上げた。

 フェイントを入れようだとか、裏をかこうなんて一切考えてない、清々しいまでの力押し。

 付け焼き刃の小細工を加える事をよしとせず、徹底的に自分の強みを活かそうとするスタイル。

 剛よく柔を断つ。

 そのあり方は、ある意味正しい。

 

「だがな」

 

 俺の剣はそういう奴を殺す為の剣術だ。

 柔よく剛を制し、制した剛で敵を穿つ。

 敵が強ければ強い程、俺の剣もまた強さを増すのだ。

 

「『爆炎加速拳(バーニング・ブースト)』!」

「六の太刀━━」

 

 その自慢の剛力……利用させてもらう!

 

「『反天』!」

「ぬぐっ!?」

 

 前回は骨に僅かなヒビを入れるのが精一杯だった攻撃。

 しかし、反天もまた他の技と同じく、その真髄は敵の力の利用だ。

 反天は、敵と自分の攻撃がぶつかった時の衝撃を、敵の最も脆い部分に浸透させ、止まらない敵の攻撃の威力と挟み撃ちにして破壊する技。

 ドラグバーンの攻撃力が前回よりも上がっている以上、反天の破壊力もまた上がる。

 懸念はドラグバーンの防御力も上がってるって事だったが、さすがに攻撃力の上がり幅には及ばない。

 さっきステラの攻撃を受けた時のダメージからして、大体前回の二倍ってところだろう。

 それならば、充分に反天は通じる。

 

 ボキリと、ドラグバーンの手首が折れる音がした。

 同時に、反発した力によってドラグバーンがよろめく。

 聖剣によって与えたダメージじゃない以上、すぐに回復されるだろうが、隙は作った。

 

「『天使の突き(エンジェル・スピア)』!」

「ぐぬぅ!?」

 

 そこへステラの刺突がドラグバーンの胸に炸裂。

 切っ先に力を集中させた聖剣の一撃は、確実にドラグバーンの鱗を砕き、肉を貫き、骨を折って吹き飛ばした。

 

「ゴホッ!?」

 

 ドラグバーンが血を吐く。

 あの化け物が血を吐いた。

 効いてる。

 確実に効いてるぞ!

 

「畳み掛けろォ!」

「「「ハッ!」」」

 

 バルザックさんの号令が響き、エルフ達が方々に散りながら、俺達の邪魔にならないように角度をつけて攻撃魔法を連射する。

 ここで少しでもダメージを蓄積させる算段か。

 聖剣で付けた傷を抉るような形なら、他の攻撃でも少しは回復されないダメージになるかもしれない。

 当然、俺達もその流れに乗る。

 またしても俺が前に、ステラが後ろに構えた布陣でドラグバーンに突撃した。

 この布陣は俺達の連携の基本型。

 対処できないのなら、対処できていない内に、使い倒して削り切ってやる。

 

「ハーハッハッハッハ! いい! 実にいいぞ! それでこそ倒しがいがあるッ!」

 

 魔法の雨に打たれ、俺達という脅威に攻められて尚、やはりドラグバーンは不敵に笑った。

 その口の中に再び魔力が集い、炎の塊が生み出される。

 ブレスの発射体勢。

 さっきと同じ光景。

 だが、さっきと違って、ドラグバーンはすぐには発射せずに、更に魔力を溜めた。

 当然、魔力が溜まれば溜まる程、ブレスの威力は上がっていく。

 それこそ、神樹を焼き切ったあの一撃のように。

 今までの攻撃で倒せないのなら、もっと火力を上げてやろうという単純な発想。

 どこまでもシンプルな力押し。

 だからこそ、恐ろしい。

 ドラグバーンは、己が一番力を発揮できる方法をよくわかっている。

 

「う、撃たせるな! さっきと同じように不発にさせるのだ! 『落雷(サンダーボルト)』!」

「「「『落雷(サンダーボルト)』!」」」

 

 エルフ達の放った雷魔法が、再びドラグバーンを穿つ。

 しかし、無詠唱魔法ごとき、来るとわかっていれば怖くないと言わんばかりに、ドラグバーンは揺らがなかった。

 なら!

 

「ステラ!」

「わかってるわ! 『月光の刃(ムーンスラスト)』!」

「『黒月』!」

 

 ステラの遠距離攻撃に合わせて、微力ながら俺も追撃を放っておいた。

 月を模した光と闇の斬撃がドラグバーンを襲う。

 光が先。

 闇は光と全く同じ軌道を辿って、少しでも光が付けた傷を抉るように。

 それを、ドラグバーンは両腕を交差する事で防いだ。

 腕は他の部分よりも一層鱗が暑く、筋肉も硬い。

 二つの斬撃は、その逞しい腕に一筋の裂傷を刻むだけに終わった。

 

「遠距離がダメなら!」

「接近戦よ! 『光輝乱舞(スパークル)』!」

 

 ステラが俺を追い越し、ドラグバーンに目にも止まらぬ光の連撃を浴びせ始めた。

 大技ではないとはいえ、一撃一撃が強化された聖剣を使った強力な攻撃。

 その全てを、ドラグバーンは腕を交差したまま黙って耐える。

 耐えながら、ブレスの魔力を溜め続ける。

 ダメージは入っている。

 腕はどんどんボロボロになっていく。

 

 なのに、ドラグバーンは揺らがない。

 

 耐えて、耐えて、耐えて。

 溜めて、溜めて、溜めて。

 そして、遂に……

 

「ステラ! 下がって結界張れ!」

「ッ!? 『聖盾結界』!」

 

 ドラグバーンがブレスを撃とうとする直前のタイミングまで粘ったが、間に合わないと判断した俺はステラを呼び戻した。

 ステラはすぐにバックステップで俺と位置を入れ替え、同時にドラグバーンの前に防御用の結界魔法を張る。

 

「「「『聖盾結界』!」」」

 

 それを補強するように、エルフ達もまた結界魔法を使って、いくつもの結界が折り重なった。

 ステラのは無詠唱だが、エルフ達のは完全詠唱だ。

 ステラが接近戦を開始した辺りから、ステラを巻き込まない為に攻撃をやめ、間に合わなった時の為に結界魔法の詠唱を始めていた。

 やはり、エルフ達は優秀だ。

 その優秀さも、あれを前にどれ程の意味があるのかはわからないが。

 

 ドラグバーンが口を開く。

 俺達の猛攻に耐え続け、溜めに溜めたブレスが遂に放たれる。

 

「『灼熱の咆哮(プロミネンスノヴァ)』!」

 

 それは、まるで太陽が落ちてきたかのようだった。

 そう感じてしまう程の膨大な熱量。

 凄まじい密度の炎の放射。

 ステラ達の結界を容易く貫き、灼熱の業火が俺達に迫って来る。

 

「『斬払い』!」

 

 これを防ぐ手段など斬払いしかない。

 最後の必殺剣が使えればよかったんだが、今の俺にはまだ無理だ。

 まだ技量が足りない。

 そして、ただの斬払いではこの炎は斬れない。

 炎の密度が尋常じゃないのだ。

 魔力がぎゅうぎゅうに圧縮されてて、斬払いで斬るべき綻びが、炎の隙間が酷く見えづらい。

 

 それでも、俺は刃を振るう。

 重厚な地層の境目に刃を入れて押し広げるかのごとき難易度。

 しかも、一度や二度の成功では足りない。

 この炎の放射が終わるまで斬り続けなければならない。

 体力気力が凄まじい勢いで削れていく。

 散らしきれなかった熱で、腕が焼けるように痛い。

 

「神の御力の一端たる守護の力よ! 魔の侵略を跳ね返す聖なる盾を顕現し、我らを守りたまえ! ━━『聖盾結界』!」

 

 そんな俺をサポートするべく、ステラが後ろから結界魔法を使った。

 無詠唱ではなく、すげぇ早口で急いだとはいえ完全詠唱の魔法。

 発動速度を優先した分、魔法のランクとしてはそれ程でもなく、すぐに炎に呑まれて燃え尽きたが、少しでも止めてくれたのはありがたい。

 コンマ数秒でも休めれば、それだけ炎を観察する余裕が生まれるし。

 少しでも炎を塞き止められれば、その分の綻びがどこかに出る。

 新たに生まれた綻びを突けば、なんとか炎を切り裂ける!

 

 そうして、斬って、払って、散らして。

 俺はなんとか灼熱の業火を防ぎ切る事ができた。

 腕が熱い。

 ミスリルの籠手が赤熱している。

 これが無ければ、途中で腕が燃え落ちてたかもしれない。

 

「『上位治癒(ハイ・ヒーリング)』!」

「ハァ……ハァ……助かる」

 

 ステラの治癒によって俺は持ち直したが、被害は甚大だ。

 今の一撃でエルフ達がほぼ全滅した。

 斬払いでできる限り散らしたから何人かは生きてると思うし、実際、加護持ちで常人よりは頑丈なバルザックさんはまだ戦えそうではある。

 だが、他のエルフ達は悪ければ即死、よくても戦闘不能だ。

 戦力がガクッと落ちた。

 対して、向こうは細かいダメージこそ積み重ってるとはいえ、まだまだ余裕の状態。

 

 多少追い詰めたところで、たった一撃でひっくり返された。

 

 これが本気の四天王。

 どうする。

 この状態で削り合いに突入したとして、勝てるか?

 いや、正直かなりキツイぞ。

 なら、ステラの大技で一気に削りたいところだが、大技には詠唱の時間がいる。

 本気のドラグバーンに大ダメージ与えられるレベルの大技となれば、詠唱時間もそれ相応に長い。

 今の戦力でその時間を稼ぐ……無理だな。

 それならまだ、ステラも攻撃参加させて援軍を待った方がいい。

 援軍が到着するまでの時間で、勝率は大きく変動しそうだ。

 

「アラン……大丈夫?」

「大丈夫だ。まだ腕は動く」

 

 それに、切り札もある。

 出来立ての技で安定性に欠けるからできれば使いたくないが、そうも言ってられないだろう。

 正史の世界では到達できなかった領域にある、俺の新たな技。

 見せつけてやるとしよう。

 

「ハッハッハ! まだ動けるだろう! まだ戦えるだろう! ならば、もっと俺を楽しませろ!」

 

 ドラグバーンが追撃に出てくる。

 俺はそれを迎撃する為、新たな刃を抜き放とうとして……

 

「『全属性の裁き(ジャッジ・ザ・エレメント)』!」

「ぬぅ!?」

 

 後方から飛んできた極大の魔法がドラグバーンを呑み込むのを見て、動きを変えた。

 マジか。

 思ってたよりも、かなり早い。

 さすがは人類の守護者達と言うべきか。

 

「神の御力の一端たる癒しの力よ。傷付きし戦士に慈愛の祝福を与えたまえ。━━『上位治癒(ハイ・ヒーリング)』!」

 

 完全詠唱された上位の治癒魔法が辺り一帯に撒き散らされ、治りきっていなかった俺のダメージを全快させ、瀕死のエルフ達をも戦闘可能状態に戻した。

 更に、一人の巨漢戦士が疲弊した俺達の前に立ち、ドラグバーンの警戒に当たる。

 駆けつけてきた頼れる仲間達を見て、ステラが彼らの名前を呼んだ。

 

「エルネスタさん! リン! ブレイド!」

「ステラさん! アランくん!」

「待たせたな! ワシらが来たからには、もう大丈夫じゃ!」

「おう! 速攻で上位竜ぶっ倒してきてやったぜ!」

 

 勇者パーティー、ここに集結。

 合図の魔法を放ってから、僅か数分で駆けつけてきてくれた。

 しかも、それぞれと共に上位竜退治に向かっていた多くのエルフ達を率いて。

 そして、エルフの軍勢が揃ったのであれば、それを率いる者もまた現れる。

 

「お待たせしました。これより当初の作戦を開始します」

 

 そう言って、現れたエルトライトさんは、杖を地面に突き立てた。

 それに習って、他のエルフ達も同じ動作を取る。

 

「魔導の理の一角を司る土の精霊よ。我らが呼び声に応え、大いなる大地より鉄壁の城壁を生み出したまえ」

「「「魔導の理の一角を司る土の精霊よ。我らが呼び声に応え、大いなる大地より鉄壁の城壁を生み出したまえ」」」

 

 エルトライトさんの詠唱にエルフ達が合わせ、無数の詠唱が合わさって、一つの極大魔法を作り出す。

 それは、この世界を脅かす外敵を閉じ込める檻にして、強大なる敵に立ち向かう為の要塞。

 事前の作戦で使用が決定されていた魔法が今、起動する。

 

「『鉄靭要塞(アイアン・キャッスル)』!」

「「「『鉄靭要塞(アイアン・キャッスル)』!」」」

 

 地中からせり出した巨大な金属の城壁が、ドラグバーンと俺達の周囲を囲っていく。

 まるで闘技場のような壁の中心に、敵であるドラグバーンと、俺、ステラ、ブレイドの前衛職を残しながら。

 更に、

 

「神の御力の一端たる守護の力よ。我らの祈りを聞き届け、魔の侵略に立ち向かう我らを、幾重に重ねた聖なる力で包み込み、守りたまえ」

「「「神の御力の一端たる守護の力よ。我らの祈りを聞き届け、魔の侵略に立ち向かう我らを、幾重に重ねた聖なる力で包み込み、守りたまえ」」」

「「「『五重神聖結界』!」」」

 

 今度はリンが中心となってドーム状の結界魔法を使い、城壁の内側から外側への攻撃を封じる。

 その結界によって、完璧とまでは言えないまでも安全を確保した城壁の上に、どんどんとエルフ達が集結していく。

 その数、実に……

 

「不足の事態に備えて里の防衛に千を残し、他の全兵力をここに集結させた。エルフ軍九千、ここに見参!」

「「「見参!」」」

「ほう……!」

 

 集まった、約九千人ものエルフ達を見て、ドラグバーンが歓喜の表情を浮かべる。

 勇者に、聖戦士が四人。加えて列強種族たるエルフの精鋭が九千。+俺。

 これだけの戦力を揃えて、四天王の一人すら討てなければ人類は終わりだろう。

 だが、ここまでやっても確実に倒せる保証がない怖さがドラグバーンにはある。

 今だって、

 

「ハーハッハッハッハ! ハーハッハッハッハ! 最高だ! 最高だぞ貴様達! さあ! 全員命を賭して、かかって来い!」

 

 ドラグバーンは、負けるつもりなど欠片もないと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべていた。

 全ての援軍が到着し、完成した布陣は想定していた中でも最高に近い。

 ここで倒せなければ終わりだ。

 ここで必ず……

 

「お前を倒す……! ドラグバーン!」

 

 そうして、ドラグバーンとの決戦は、第二ラウンドへと突入した。



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42 万夫不当

「ハーハッハッハッハ!」

 

 ドラグバーンが暴れ回る。

 聖剣に斬られ、ブレイドやエルフ達の魔法で傷を抉られ、逆に自分の攻撃は全て俺に防がれているにも関わらず。

 全身を血で染め上げながら、それでも動きに一切の衰えを見せず、ドラグバーンは暴れ続けた。

 

「『爆炎の双拳(ダブル・バーンナックル)』!」

 

 ドラグバーンが、ステラとブレイドを後ろに庇った俺に向けて拳を振るう。

 両の拳を同時に突き出した、双拳による一撃。

 俺の握る刀は一本。

 二つ以上の同時攻撃は捌けない……とでも思ったか。

 

「二の太刀変型━━『歪曲連鎖』!」

「ぬ!?」

 

 俺は歪曲によってドラグバーンの右の拳の軌道を歪め、左腕にぶつけた。

 右腕が左腕を殴り飛ばして止めたような形になり、ドラグバーンの攻撃は失敗に終わる。

 そして、その攻撃失敗の隙を突いて、ステラとブレイドが斬りかかるのが、この戦いの黄金パターンと化したコンボだ。

 

「『聖なる剣(ホーリースラッシュ)』!」

「『破壊剣』!」

「ぐおっ!?」

 

 ステラの攻撃が新たな治らない傷をドラグバーンに刻み、ブレイドの攻撃が体中に付いた傷の一つを抉った上で吹き飛ばす。

 

「「「『落雷(サンダーボルト)』!」」」

「「「『吹雪(ブリザード)』!」」」

「「「『砂嵐(サンドストーム)』!」」」

「「『全属性の裁き(ジャッジ・ザ・エレメント)』!」」

「ぐぉおおおおおお!?」

 

 吹き飛ばされたドラグバーンを待つのは、エルフ達による地獄の魔法攻撃の嵐。

 加護持ちの魔法を中核に、多くの一般エルフ達が同じ魔法を使って、それら全てを合体させる事で、彼らは聖戦士の攻撃に匹敵する威力の魔法を繰り出してみせた。

 当然、その全てが完全詠唱による魔法だ。

 九千人もの魔法使いがいれば、発動に時間のかかる詠唱魔法ですら、交代で絶え間なく使い続ける事ができる。

 そこへ絶望のダメ押しを加える、正真正銘の聖戦士、『賢者の加護』を持つエルフの族長親子による、ダブル最強魔法。

 普通の魔族なら秒で消し炭になる事間違いなしの、凶悪な連続攻撃だ。

 

 そんな、えげつないコンボを、ドラグバーンはもう何度も食らっている。

 確実にダメージは蓄積している筈なのだ。

 ステラが与えたダメージは治らず、その傷を抉るようにして他の攻撃で与えたダメージも明らかに再生が遅い。

 鱗は砕け、骨も砕け、肉は抉られ、牙は折れ、翼はボロボロになり、全身から青い血を垂れ流して。

 それなのに、ドラグバーンは倒れない。

 動きが鈍くなる様子もない。

 どれだけ傷付こうとも、ドラグバーンはただただ戦い続けた。

 

 尋常ならざる生命力。

 常軌を逸した闘争本能。

 まさに、万夫不当。

 まさに、闘いの権化だ。

 これだけ追い詰めているのに、こいつがこのまま倒れてくれるイメージがまるで湧かない。

 むしろ、気を抜いたら一瞬でひっくり返されそうな怖さがある。

 いったい、どれだけのダメージを与えれば倒れてくれるというのか。

 終わりの見えない戦いは、酷く精神を磨耗させる。

 

 それでも、俺は無心で刃を振るい続けた。

 こいつの息の根が止まるその瞬間まで、この刀を離さない。

 それくらいの覚悟はこっちにだってある。

 

「オォオオオオオオ!!!」

 

 ドラグバーンが雄叫びを上げながら、口の中に炎の塊を生み出す。

 再三のブレス。

 これだけ繰り返されれば、それに対するこっちの対応も、ほぼ決まってくる。

 

「「「『泥沼(マッドスワンプ)』!」」」

「「「『空落(フォールダウン)』!」」」

「「「『落雷(サンダーボルト)』!」」」

「「「『鉄鎖(スティールチェーン)』!」」」

 

 ドラグバーンの足下に泥沼を発生させて足を絡めとり、上から叩きつける暴風で頭を押さえつけ、電撃で痺れさせた上に、鉄の鎖でがんじがらめにして動きを封じる。

 そこから口を目掛けて集中砲火し、ブレスを魔法で暴発させる算段だ。

 

 しかし、ドラグバーンはこれを跳ね返した。

 

「ぬぉおおおおおおお!」

 

 足下が泥沼になる前に地面を蹴り、叩きつける暴風にボロボロの翼による羽ばたきで抗って上昇。

 電撃に打たれながらも、足に絡み付いた鉄の鎖を引きちぎり、俺達の上空を取る。

 そこでブレスを解き放った。

 

「『熱竜集束砲(ドラゴロウ)』!」

 

 放たれたのは、炎を凝縮させた熱線のブレス。

 威力が高い代わりに効果範囲のない技。

 もし俺を狙ったのであれば、禍津返しで跳ね返せただろう。

 

 だが、ドラグバーンが狙ったのは俺ではなかった。

 俺でも、ステラでも、ブレイドでもない。

 野生の本能なのか、ドラグバーンは近くの相手を無視して、的確に己を追い詰める最たる原因となっている人物をピンポイントで狙った。

 

「へ!?」

 

 それは、このフィールドを覆っている結界の要であるリン。

 彼女が倒れれれば結界の強度が大幅に下がり、ドラグバーンの超火力を抑え込めずに突破されてしまうだろう。

 そうなれば、今までのような一方的な魔法リンチはできなくなる。

 あの野郎、やっぱり脳筋だけどバカじゃねぇ!

 

「いかん!」

「リン殿!」 

「「『聖盾結界』!」」

「「「『聖盾結界』!」」」

 

 即座にエル婆とエルトライトさんがフォローに入り、攻撃魔法の詠唱を途中でやめて、無詠唱ながら結界魔法を発動した。

 他にも、こういう時の為に待機してたと思われるエルフの一団も結界魔法を張る。

 

 その全てを、ドラグバーンのブレスは粉砕した。

 

 渾身の魔力でも込めたのか、ブレス自体がさっきまでのものとは別物に見える。

 というか、見た目からして若干違う。

 灼熱の赤の中に、所々蒼い炎が混ざってるのだ。

 これがどういう意味を持つのかはわからないが、現実としてブレスの威力は上がっている。

 大して溜めてもいないのに、さっき戦況を一発でひっくり返したブレスと同等くらいの威力はありそうだ。

 何故これを最初から使わなかったんだろうか。

 消耗が激しいのか、それとも何か発動条件でもあるのか。

 無理をして発動しているという可能性もある。

 

 だが、そんなドラグバーン渾身のブレスを以てしても、フィールドを覆っている結界全てを破壊するまでには至らなかった。

 リン達が全力で魔力を注ぎ込んで補強した五重の結界の内三つを破壊したが、そこで完全に威力を殺され、ブレスは消滅。

 とはいえ、もう一発来たらヤバイ。

 俺達は全力でドラグバーンの妨害をするべく、遠距離攻撃の集束砲火を浴びせた。

 

「『月光の刃(ムーンスラスト)』!」

「『黒月』!」

「『飛翔剣』!」

 

 ドラグバーンがブレスを吐いている間に詠唱を済ませたステラの攻撃を中心に、俺達の攻撃が空中のドラグバーンに炸裂する。

 続いて、エルフ達の一斉攻撃も全弾命中。

 空中では魔法の炸裂によって大爆発が起き、その隙にリン達が結界の修復を急ぐ。

 

「ぬぅうううううううん!!!」

 

 しかし、これでもドラグバーンは倒れない。

 爆煙を振り払い、修復中の結界目掛けて、今度は身一つで飛び掛かった。

 ボロボロの翼をはためかせ、背中から猛烈な勢いで炎を噴射して、突進の速度を得る。

 

「させるか!」

 

 ドラグバーンの体捌きや力の入れ方、魔力の流れなどで動きを読んだ俺は、足鎧の暴風を使って空中へ飛び出し、奴の前に立ちはだかる。

 俺達は空中で激突した。

 

「『炎星大爆裂拳(メテオパンチ)』!」

「『反天』!」

 

 加速できるだけ加速したドラグバーンの攻撃。

 だが、まだまだ反天の餌食にできる範囲内。

 己の強すぎる力がドラグバーンに牙を剥き、その右腕に大きなダメージを与えて弾き飛ばした。

 しかし、ドラグバーンはそれも折り込み済みだったかのように、反発の勢いを利用して左拳を繰り出してくる。

 反天は……使えない。

 この距離で、しかも刀を振るった直後だ。

 破壊の呼び水となる衝撃を叩き込めなければ、反天は発動できない。

 だったら!

 

「『歪曲』!」

 

 弾けないなら、逸らして防ぐ。

 技一つ封じたくらいで、俺は揺らがない。

 

「『爆裂連打(バーストブロー)』!」

 

 ドラグバーンの次の手は、両の拳による嵐のような連続パンチ。

 左右の拳を交互に繰り出しているだけのシンプルな攻撃だが、ドラグバーンがやると、炎の嵐に巻き込まれたかのような迫力がある。

 その全ての打撃を、俺は歪曲で防ぎ切った。

 ドラグバーンの速度は俺の数十倍。

 つまり、奴の数十倍効率よく動かなければ、俺の防御は成立しない。

 刀を振っている余裕はない。

 できるのは、位置の調整、刃の角度、力の入れ方、受ける体勢、その程度だ。

 だが、それで充分。

 ドラグバーンの動きを全て読み切れば問題ない。

 

「ふんぬぅうううう!」

 

 そして、最後の最後。

 ドラグバーンが焦れて大振りを繰り出してきた時、俺はその攻撃を逸らさず、真っ直ぐに受け流して回転力へと変えた。

 回転しながらドラグバーンの腕の外側を通り、背後へ。

 そこで受け流したエネルギーを、斬撃に変えて解き放つ。

 

「一の太刀━━『流刃』!」

「ぐあっ!?」

 

 ドラグバーンの力を斬撃の威力に変換した黒天丸が、奴のボロボロの片翼を切り落とした。

 ここは空中。

 バランスを崩し、支えを失い、ドラグバーンの体勢が大きく揺らぐ。

 そこへ、

 

「オォラァアア! 『大破壊剣』!」

「ぬぉ!?」

 

 全力ジャンプでドラグバーンの上を取ったブレイドが、渾身の一撃をドラグバーンの背中に叩き込む。

 それによって、もう片方の翼も切り落とされ、更には強烈な勢いで吹き飛ばされて、ドラグバーンは地上に叩きつけられた。

 それを狙い打つのは、この戦いの主力にして本命の女勇者。

 

「『聖なる剣(ホーリースラッシュ)』!」

 

 俺がドラグバーンと競り合ってる間に詠唱を終え、光輝く極光を纏った剣で、ステラは奴に斬りかかる。

 

「『爆炎の拳(バーンナックル)』!」

 

 対して、ドラグバーンはどこまでも正々堂々、逃げも隠れもしない正面からの迎撃。

 ボロボロの拳に炎を纏わせて、全力でステラの聖剣を迎え撃つ。

 そして……

 

「!?」

 

 その時は訪れた。

 聖剣の一撃に耐えられず、ドラグバーンの拳が縦に切り裂かれる。

 ドラグバーンは即座に無事な方の腕でもう一度拳を繰り出したが、そっちもまた遂に耐久力の限界を迎えたかのように聖剣の餌食となった。

 両の拳を切り裂かれたドラグバーンの胴に、ステラは容赦なくトドメの一撃を放つ。

 

「ハァアアア!」

「ゴバッ!?」

 

 それはドラグバーンの腹を大きく切り裂いた上で吹き飛ばし……遂に、遂にあの化け物に膝をつかせた。

 勝った。

 その感覚に襲われた者も多いだろう。

 すぐそこにまで迫った勝利を掴むべく、エルフ達は最後の一斉砲火でドラグバーンの息の根を確実に止めにいった。

 

「く、くくく……」

 

 しかし、

 

「クハハハハハ……」

 

 この怪物は、まだ、

 

「ハーハッハッハッハッハッハ!」

 

 まだ、笑っていた。

 ドラグバーンの全身から炎が噴き出す。

 最後の力を振り絞っているように見える、爆炎の放出。

 それがエルフ達の一斉砲火を相殺した。

 

「素晴らしい……! 実に、実に素晴らしい! この俺をここまで追い詰めたのは魔王以来だ! 認めよう! 心の底から認めて称賛しよう! 貴様らは、この俺の命を奪うに値する英雄達であると!」

 

 聞きようによっては、敗北を認めたとも取れる言葉。

 だが、俺にはまるでそんな風には聞こえなかった。

 命懸けの修行の中で磨いた感覚が警鐘を鳴らす。

 何かが……何かが始まる。

 俺達の命を脅かしうる何かが。

 

 やがて、ドラグバーンの放出する炎が、徐々に蒼く、蒼く染まっていった。

 

「貴様らが相手であれば、この命、ここで燃やし尽くしても悔いはない! 光栄に思うがいい! 貴様らを、このドラグバーンの生涯最後の相手として認めてやるのだからな!」

「何言ってやがる! この死に損ないが!」

「!? よせ、ブレイド!」

 

 明らかに様相の変わったドラグバーンに向かって、ブレイドが突進して行ってしまった。

 不用意に、しかも単独で行くべきじゃない。

 戻れと言おうとしたが、遅かった。

 

 炎が収まり、その中から別人のように変わったドラグバーンが現れる。

 壊れた拳や折れた牙に蒼い炎を纏い、全身の傷口から流れ出ていた青い血もまた、まるで体という器に収まりきれずに溢れ出てきたかのような蒼炎に変わっている。

 

 その状態で、ドラグバーンは向かって来るブレイドに対して腕を薙いだ。

 腰も入っていない軽い一撃。

 目の前を飛び回る虫を手で払うように、軽く腕を薙いだだけ。

 

 そんな攻撃を受けたブレイドは、━━咄嗟にガードに使った大剣を砕かれ、吹き飛ばされて結界と鉄の城壁をぶち破り、かなり遠くまで吹き飛ばされていった。

 

「…………は?」

「『蒼炎竜(ソウル・ドラグーン)』。命を燃やし、魂を燃やし、それと引き換えに強大な力を得る、俺の最後の切り札だ」

 

 ドラグバーンが呑気にこの状態の説明をする。

 確かに、命と引き換えにしていると言われて納得できる程の超強化だ。

 力も、速さも、さっきまでとは大違い。

 一瞬で主力だったブレイドを吹き飛ばされ、結界をぶち破られ、城壁まで壊された。

 一瞬で、こっちの優位が全て消し飛んだ。

 ああ、本当に、冗談じゃない。

 

「さあ、戦おう。互いの命が燃え尽きるまで。楽しむとしよう。我が最後の戦いを。━━行くぞ」

 

 そうして、最終形態となったドラグバーンが突撃してくる。

 エルフの里の決戦は、有無を言わさず最終ラウンドへと突入した。



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43 蒼炎竜

「ブレイド様!? ブレイド様ァ!」

「落ち着くのじゃ、リン! 今、お主がブレ坊の所に駆けつけたら戦線が瓦解する! ここは回復部隊に任せよ!」

「その通りです! 回復部隊、至急ブレイド殿の保護と治療を!」

「「「ハッ!」」」

 

 悲鳴を上げるリンをエル婆が宥め、エルトライトさんがブレイド救出の指示を出している声が聞こえた。

 これでブレイドは大丈夫だろう。

 一応はガードも間に合っていたし、即死でもしてない限りは助かる筈だ。多分。

 それより今は、こいつから目を離す余裕がない。

 

 蒼い炎を纏ったドラグバーンが突撃してくる。

 狙いはステラだ。

 背中から蒼炎を噴射し、失った翼の代わりの推進力にして、ドラグバーンは超速でステラへと迫る。

 その速度は、ルベルトさんの刹那斬りを彷彿とさせた。

 悪い冗談のようだ。

 あの巨体が、目で追えない程の速度で動くなんて。

 

 しかし、それを迎え撃つのは勇者であるステラだ。

 俺と違って、ちゃんとドラグバーンの動きを目で追っている。

 ステラは超速で繰り出されたドラグバーンの拳を聖剣で受け流し、反撃のカウンターで腹を斬りつけた。

 だが、

 

「嘘でしょ……!?」

 

 ステラが信じられないと言わんばかりの驚愕の声を上げた。

 カウンターを諸に食らったドラグバーンは……まさかの無傷。

 いくら咄嗟で無詠唱魔法すら纏っていない一撃だったとはいえ、強化された聖剣の攻撃を食らって完全に無傷かよ……!

 どうやら、あの蒼炎竜(ソウル・ドラグーン)とかいう状態、身体能力だけじゃなく、防御力まで格段に上がってるみたいだ。

 

「ぬぉおおおおおお!!!」

 

 ドラグバーンが拳を振りかぶる。

 胴に斬撃を止められた状態で静止してるステラ目掛けて、上から叩き潰すように蒼炎を纏った拳を繰り出す。

 マズイ!

 

「ステラッ!」

 

 俺が叫んだ直後、ドラグバーンの拳が大地を揺らした。

 比喩でもなんでもない。

 地面に叩きつけられた拳が、巨大なクレーターを作るだけじゃ飽き足らず、強烈な衝撃波を撒き散らすと共に、巨大な地響きのように大地を揺らしたのだ。

 その衝撃で、エルフ達の足場となっていた城壁が崩壊。

 この程度で死ぬエルフ達じゃないだろうが、これで上から一方的に魔法を放てていた地の利は失われた。

 

 だが、肝心のステラはなんとか今の攻撃を受け流せたらしく、衝撃波で吹き飛ばされ、所々に火傷を負いながらも、軽傷と言える程度のダメージで生還していた。

 一安心……と言いたいところだが、そうもいかない。

 ドラグバーンが追撃の構えを見せている。

 体勢の崩れたステラに、さっきの超速攻撃を何度も叩き込まれるのはマズイ。

 

 俺は全力で駆けてドラグバーンに肉薄し、背後から斬りかかった。

 暴風の足鎧のおかげで、大地が揺れている間も宙を駆けて距離を詰められたのが大きい。

 この攻撃で手傷を負わせる事は期待していない。

 ただ、移動に合わせて攻撃を食らわせ、体勢を崩す!

 

「『炎竜の尾(ドラゴンテイル)』!」

 

 しかし、ドラグバーンはステラへの追撃をやめ、俺を迎撃する事を選んだ。

 振り回した尾による一撃が俺に迫る。

 俺を警戒してくれてるからこその対応なんだろうが、それは嬉しい誤算だ。

 そう来てくれるのが一番助かる。

 

「『流刃』!」

 

 俺は横薙ぎの尾の攻撃を飛び上がって回避し、下を通り過ぎる尾に黒天丸をぶつけて反動を得る事によって流刃を発動させた。

 ドラグバーンの動きは、俺の目では追えない程に速い。

 だが、同じく目で追えないルベルトさんの刹那斬りだって俺は防いでみせた。

 目で追えないのなら、動きを完璧に読めばいい。

 剣の達人だったルベルトさんに比べれば、単純極まりないドラグバーンの動きは至極読みやすい。

 

 ドラグバーンの一撃を回転力に変えて、そのまま突撃の勢いと弾かれた時の衝撃を利用して奴の頭を飛び越え、天地が逆転した体勢でドラグバーンの眼球に向けて刃を振るった。

 向こうから迎撃を選択してくれた以上、ステラへの追撃は気にしなくていい。

 なら、ここは少しでもダメージを与えうる可能性に賭ける。

 

「ッ!?」

 

 だが、そう上手くは行かない。

 俺の攻撃では、眼球すら斬れなかった。

 傷を付ける事こそできたが、それこそ瞬き一つの間に完全回復される。

 強化されたドラグバーン自身の力を利用する流刃を使ったにも関わらずだ。

 防御力の上昇率も予想以上。

 回復力すら、凄まじい強化がされている。

 命を代償にしているだけの事はあるって事か。

 

「『爆炎の拳(バーンナックル)』!」

 

 攻撃を防がれ、空中にいる俺目掛けてドラグバーンの拳が飛ぶ。

 この攻撃の威力も桁違いだ。

 よく見れば、拳自体はさっきのステラの攻撃で壊れたままだというのに。

 

 ドラグバーンのますますの化け物っぷりに慄きながら、動きを読んで攻撃を捌く。

 今の体勢は眼球への攻撃の為に宙に飛び上がり、しかも上下が反転してる状態。

 しかも、刀は振り切った後。

 そんな状態で、今のドラグバーンの超速攻撃を受け切るのはキツイ。

 

 だから、今回は防がない。

 残っていた流刃の勢いに加え、足鎧の発生させる風を蹴って下へ加速。

 眼球の前という文字通り目の前にいた俺に向けて斜め下から振るわれた拳を、真下へ加速する事で回避する。

 そのまま体を回転させ、今度はドラグバーンの腹の前で足鎧の風を蹴り、離脱。

 さっき吹っ飛ばされたステラの前に着地して、改めて刀を構えながら次の動きを警戒した。

 

 そして、俺がドラグバーンから離れたタイミングで、別の方向からの攻撃が奴を襲った。

 

「「「『電撃砲(ライジング・ボルト)』!」」」

「「「『魔氷吹雪(ブリザードストリーム)』!」」」

「「「『水流波(ハイドロブラスター)』!」」」

「「「『土竜巻(ランドストーム)』!」」」

「「「『爆風(ハリケーン)』!」」」

「「「『闇雨(ダークレイン)』!」」」

「「「『聖光撃(ホーリースマイト)』!」」」

 

 雷、氷、水、土、風、闇、光。

 崩れた城壁の上からエルフ達が放った、魔導の基本八属性の中で、どう考えてもドラグバーンに効かなそうな火を除いた全属性の魔法がドラグバーンの全身を撃ち抜く。

 

「「『全属性の裁き(ジャッジ・ザ・エレメント)』!」」

 

 最後には、またしても賢者二人による最高火力の直撃。

 さっきまでなら充分にダメージを与えられていた連続魔法攻撃。

 だが……!

 

「効かぬ! 効かぬわッ!」

 

 今のドラグバーンには、致命打足り得ない。

 魔法の嵐に打たれても、蒼炎竜となったドラグバーンは平然としていた。

 与えたダメージは即座に再生していく。

 それどころか今まで与えたダメージすら、聖剣で付けた傷すらも徐々に回復してるように見える。

 どんだけだよ。

 

「オォオオオオオオ!!!」

 

 ドラグバーンが咆哮を上げ、口の中に炎が生み出される。

 もう何度目になるかもわからないブレス。

 だが、このブレスは今までのブレスとは別物だ。

 その蒼い炎の塊からは、まるで、この世の全てを焼き尽くすかのような膨大な熱量を感じる。

 

「『蒼竜砲(ソウルフレア)』!」

 

 そして、蒼いブレスは放たれた。

 全方位から降り注ぐ全ての魔法を薙ぎ払うように、首を振ってぐるりと回転しながら放射された蒼い炎は、あらゆる属性の魔法を焼き払い、残っていた結界すらも容易く溶かして、エルフ達に襲いかかった。

 城壁の残骸と共に、エルフ達が炎に包まれていく。

 ……全滅か?

 いや、魔法と結界でブレスの威力は削がれていた。

 生き残った奴だってそれなりにいる筈だ。

 それでも、あの大軍勢をこうも容易く……!

 目に見える範囲で無事が確認できるのは、すぐ傍にいるステラと、ブレスを防ぎ切ったらしいリン、エル婆、エルトライトさんの聖戦士三人だけだ。

 他のエルフ達も戦線復帰してほしいところだが……すぐには難しいだろうな。

 

「ステラ、傷は大丈夫か?」

「……ええ、もう完全に治したわ」

「そうか」

 

 ステラが無事なら、まだ勝ち筋はある。

 敵は強大だ。

 あれだけ強いエルフ達を、こうも容易く蹴散らす程に。

 あれが命を引き換えにして得た力だと言うのなら、もしかしたら逃げて自滅するまで待つのが最善手なのかもしれない。

 だが、あの速度相手にいつまでも逃げ回れるとは思えないし、ドラグバーンの命があとどれくらいで燃え尽きてくれるのかもわからない。

 逃げ切り狙いは得策じゃないだろう。

 

 なら、覚悟を決めて前に出るとする。

 

「あれを相手にちまちまと攻撃してても意味がない。お前は大技の詠唱に入れ。あいつに一撃で致命傷与えられる強烈なやつのな。それまでの時間は俺が稼ぐ」

「アラン……」

「大丈夫だ」

 

 俺は一人でドラグバーンの前に歩み出ながら、後ろのステラに向けて、振り返らずに声をかける。

 

「俺を信じろ。俺は勇者を相手に勝ち越した男だぞ」

 

 後ろに庇う大切な幼馴染に向けて、精一杯カッコつけた、精一杯の強がりを。

 だけど、別に虚勢じゃない。

 やり遂げる自信がある。

 やり遂げるという意志がある。

 この程度の実力差、このくらいの修羅場、俺は何度も潜ってきた。

 

「……わかったわ! 任せたからね!」

「おう」

 

 ステラは俺を信じ、魔法の詠唱を始めてくれた。

 そんなステラの前方に、何重もの結界魔法が展開された。

 リン達の魔法だ。

 これなら、余波くらいは気にせずに戦えそうだな。

 ありがたい。

 

 俺は少しだけ微笑み、その笑顔もすぐに消して、鋭くドラグバーンを睨みつけながら奴の前に歩み出た。

 

「ほう! 一人で向かって来るか!」

 

 別に一人で戦うつもりはない。

 ステラに背中を任せたからこそ、リン達のサポートがあるとわかってるからこそ、他のエルフ達だってその内復活してくれると信じてるからこそ、俺はお前に立ち向かえるんだ。

 だが、そんな事を言う必要はない。

 俺がこいつに言うべき事は、たった一つだ。

 

「ドラグバーン。お前をここから先へは一歩も行かせねぇよ」

 

 絶対の意志を込めて、そう宣言する。

 それを聞いてドラグバーンは……笑った。

 侮蔑を含んだ嘲笑などではない。

 徹頭徹尾、最初から最後まで変わらない、戦える事が嬉しくて嬉しくて堪らないという、歓喜の笑みだ。

 

「クハハハ! ハーッハッハッハ! いい覚悟! いい心構え! この蒼炎竜(ソウル・ドラグーン)を前にして欠片も恐怖していない! 最高だ! 生涯の最後に貴様のような男と戦える事を誇りに思うぞ!」

「そりゃどうも」

 

 そんな言葉を返しながら、俺は腰から刀を引き抜いた。

 この世界での俺の最初の相棒『怨霊丸』を。

 右手に黒天丸。

 左手に怨霊丸。

 これは奇しくも、怨霊丸の元の持ち主が使っていたという、この刀の本来の使い方だ。

 

「最強殺しの剣変型・二刀の型」

 

 これが俺の切り札。

 前の世界では到達できなかった、仲間と共にあるからこそ辿り着けた、最強殺しの剣のもう一つの可能性。

 この力で、お前を倒す。

 

「来い」

 

 刃を構え、ただそう告げる。

 ドラグバーンは牙を剥き出しにして更に凶悪な笑みを浮かべ、突撃を開始した。

 最後の攻防が、始まる。



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44 死闘の結末

「オォオオオオオオ!!!」

 

 雄叫びを上げ、ドラグバーンが俺への攻撃を開始する。

 最初の攻撃は、ドラグバーンらしく真正面から突撃しての全力右ストレート。

 俺はそれに対して、左手の怨霊丸を合わせた。

 

「『歪曲』」

 

 怨霊丸の耐久力では、この蒼炎の膨大な熱量と一秒でも接触し続ければ溶け落ちる。

 だが、今のドラグバーンの攻撃速度は、ルベルトさんの刹那斬りにも匹敵する超速。

 接触時間は、まさに刹那の間だ。

 だからこそ、怨霊丸による受けが成立する。

 体格差によって斜め上から振り下ろされていたドラグバーンの拳の軌道は歪み、勢いのまま斜め下へと逸れる事によって不発に終わった。

 

「ハァアアアアアアア!!!」

 

 しかし、一撃で決まる訳がないという事は、これまでの戦闘でドラグバーンも十二分に理解している。

 右の拳を空振ったドラグバーンは、体を捻って下から掬い上げるような左拳を繰り出してきた。

 右ストレートから左アッパーへ繋げるコンビネーション。

 今度はそれを右手の黒天丸で受ける。

 使う技は歪曲ではなく流刃。

 左へ軽く跳び跳ねて拳の軌道から逸れながら攻撃を受け流し、その力を利用して空中で右回転。

 勢いの乗った右足を、後ろ回し蹴りの要領でドラグバーンの土手っ腹に叩き込んだ。

 

「ぬぉ!?」

 

 ドラグバーンにダメージはない。

 当たり前だ。

 黒天丸で眼球を斬りつけても軽傷なのに、蹴ったくらいでダメージを与えられる訳がない。

 だが、俺の狙いはダメージを与える事ではなく、吹き飛ばしてステラから引き離す事だ。

 その為に、斬撃ではなく蹴りを使った。

 誤算だったのは、胴体への軽い接触だけで、足に結構な火傷を負った事か。

 

「ッ!」

 

 さすがはマジックアイテムと言うべきか、足鎧はあの程度の接触なら耐えてくれた。

 しかし、それに守られてる筈の俺の肉体が脆すぎる。

 正直、間合いを保っていても、ドラグバーンが発する熱気だけで、かなりキツイ。

 恐らく、刀の間合いの内側にまで入られて、その状態が5秒も続けば、俺は溶けるか燃え尽きるだろう。

 今の蹴りみたいな事も、極力やらない方がいい。

 

「『治癒(ヒーリング)』!」

「『体力回復(スタミナヒール)』!」

 

 火傷を無視して突撃しようとしていた俺に、エル婆とエルトライトさんから二種類の治癒魔法が飛んできた。

 瞬時に発動できる下級の治癒と、こちらも下級の失った体力を回復させる魔法だ。

 あえて下級の魔法を選んだのは、治癒魔法も他の魔法と同じで対象に命中させる必要があるから、発動速度を取ったんだろう。

 激しく動き回る相手には当てづらく、下手をすれば敵に当ててしまう可能性もある。

 それを考えて即座に下級魔法を選ぶとは、さすが歴然の魔法使い。

 ナイスアシストだ。

 新米聖女にも見習ってほしい。

 なんにせよ、これで大分楽になった。

 

 俺は軽くなった体でドラグバーンに突撃を敢行する。

 

「『爆炎の拳(バーンナックル)』!」

 

 そんな俺に対し、ドラグバーンは何度も見せた単純な攻撃での迎撃を選択。

 カウンター大いに結構と言わんばかりだ。

 反撃を食らっても大したダメージにはならないとわかってるからこそ、徹底的に力でゴリ押すつもりらしい。

 実際、下手な小細工されるより、よっぽど厄介なのは確か。

 やはり、こいつは自分の強みをちゃんと理解してやがる。

 

「『歪曲』!」

 

 それでも、見慣れた攻撃ならば対処できるのも道理。

 怨霊丸による歪曲で、再びドラグバーンの拳を受け流す。

 

「『爆裂連打(バーストブロー)』!」

 

 ドラグバーンが嵐のような連続パンチを繰り出した。

 さっきも使ってきた技を、さっきとは比べ物にならない蒼炎竜状態で繰り出す。

 その様は、もはや嵐のようなという例えが陳腐に感じる程だった。

 これは嵐のような攻撃どころの話ではない。

 今のドラグバーンこそが、蒼い炎の嵐その物なのだ。

 まさに意思持つ天災の如し。

 

 だが、それがどうしたというのか。

 天災に挑む覚悟がなくて、魔王軍となんか戦えるか。

 例えどんなに強い敵が立ち塞がろうと、俺はいつもちっぽけな刀一本握り締めて、その全てを斬り払ってきたんだ。

 そんなこれまでの戦いに比べたら、こんな状況屁でもない。

 昔と違って、今の俺には仲間がいる。

 俺の後ろには、誰よりも頼りになる幼馴染がいる。

 もう、俺は一人で勝たなくていいのだ。

 それがどんなに嬉しくて、どれだけ頼もしい事か。

 一人で戦いを楽しむお前には、きっと死ぬまで理解できないんだろうな。

 

 天災と化したドラグバーンに、俺は二本の刀を構えて立ち向かう。

 刀一本増えただけで、俺の戦い方は大きく変わる。

 この二刀の型は、一人で戦う為の型ではないのだ。

 だって、そうだろう。

 筋力に恵まれた英雄や剣聖ならともかく、無才の俺が刀の片手持ちなんかしたら、その刀に乗せられる力も、それを支える為の力も半減どころじゃなくなる。

 流刃を使おうにも、斬りつける時に力を乗せられないから、ロクなダメージを与えられない。

 黒月の威力はゴミになり、禍津返しを支えきれず、反天を繰り出す最低限の力も出ない。

 十全に扱えるのは、歪曲と斬払いのみ。

 出来立ての型だからこそ、俺の未熟さのせいで弱くなってる部分もあるだろう。

 それを差し引いても、普通に一人で戦う分には、刀一本を両手で扱ってた方がよっぽど強い。

 

 だが、十全に使える二つの技、歪曲と斬払いだけに限るのならば、この型の方が上手く使える。

 特に歪曲に関しては、刀が一本増えるだけで、対応限界が倍どころではなく跳ね上がるのだ。

 片方の手が使えない状況でも、もう片方の手で対応できる。

 二ヶ所で同時に、あるいは交互に連続で歪曲を使える。

 それは、こと防御面において、とてつもないメリットなのだ。

 

 二刀の型は、攻撃の為の型じゃない。

 逆に攻撃や反撃を捨てる事によって、防御のみに特化した型だ。

 攻撃の全てを仲間に任せる事により、究極進化した絶対防御。

 そして、

 

「二の太刀変型━━」

 

 この技こそが、最強殺しの絶対防御の要。

 まだ未完成の二刀の型を、それでも使用した最たる理由。

 

「『歪曲千手』!」

 

 倍の手数を得た歪曲が、ドラグバーンの攻撃全ての軌道を歪めて受け流す。

 二つの歪曲による相乗効果。

 それは足し算ではなく、掛け算の領域の効果をもたらす。

 一切の反撃ができない代わりに、命を捨てたドラグバーンの全力を封殺してしまう程に。

 

「なんだと!?」

 

 これはさすがに予想外だったのか、ドラグバーンは驚愕の声を上げた。

 その様子に、僅かに焦燥が浮かぶ。

 しかし、すぐにそれを振り払って、次の攻撃を繰り出してきた。

 

「ならば、これでどうだ!」

 

 ドラグバーンは拳の連打を続けたまま、口の中に炎を生み出して、ブレスの発射体勢に入った。

 だが、そんな事をすれば集中力が分散し、拳の軌道がより単純になる。

 俺は単純になった攻撃の軌道全てを読み切り、怨霊丸で受け流しながら僅かに距離を詰め、黒天丸をドラグバーンの口の中目掛けて振るった。

 

「三の太刀変型━━『斬払い・(くじき)』!」

 

 出鼻を挫き、発射される前の魔法を霧散させる、斬払いの変型。

 これによって、ブレスの炎は消失した。

 撃ちたいのなら、また最初からだ。

 

 そして、こんな攻防を繰り返している間にも、ステラの詠唱はどんどん進んでいく。

 ステラに対して背中を向けている俺でも眩しくなる程、後方から凄まじい光が溢れている。

 順調に超強力な光魔法の発動準備が進んでいるんだろう。

 このまま時間を稼げば、俺の勝ちだ。

 

「ぬぅ! あれはマズイな……! 不本意だが、致し方あるまい!」

 

 そんなセリフを呟いて、ドラグバーンが動きを変えようとする。

 足に力が入り、重心が後ろへと移動した。

 後方へ跳躍する気か。

 もしや、俺を振り払って、ステラを直接狙う算段か?

 正面突破に拘らずに最善手を打とうとするのは正しい判断だが、俺がそれをさせると思うなよ。

 

 ドラグバーンの足が地面を蹴り、重心が完全に後ろに移動して足が地面を離れた瞬間を狙い撃って、黒天丸で左足首を刈るように振るう。

 同時に怨霊丸による刺突を左胸に放ち、全力で押した。

 

「ぬぉ!?」

 

 ドラグバーンは左足を掬われた上に、後ろへ移動しようとした瞬間に前から押され、思いっきり体勢を崩す。

 尾で支える事によって何とか転倒は避けたようだが、後ろへの跳躍は失敗に終わった。

 

「言った筈だぞ。ここから先へは一歩も進ませないとな」

 

 俺を無視して行けると思うな。

 お前が先に進む方法は、ただ一つなんだよ。

 

「ステラの元へ行きたいのなら、俺を倒してから行け」

 

 声を荒げる事なく、静かに研ぎ澄ました闘志を叩きつけながら、俺はドラグバーンに宣言した。

 それを聞いたドラグバーンは、一瞬目を見開いた後に笑った。

 

「ハーッハッハッハッハ! そうか! そうだったな!」

 

 まるで憑き物が落ちたように、ドラグバーンはことさら快活に笑う。

 

「どうやら俺が間違っていたようだ! 障害を避けて進むなど俺らしくもない! 立ちはだかるものは粉砕して進む! それが俺のやり方だ!」

 

 そして、ドラグバーンは迷いのない目で俺を、俺だけを見据えて構えを取った。

 

「行くぞ、好敵手! お前を粉砕して勇者を潰す!」

「やれるもんならやってみろ」

「オォオオオオオオ!!!」

 

 雄叫びを上げ、ドラグバーンが突進する。

 今度は拳ではなく、肩から突っ込むショルダータックル。

 攻撃と進撃を同時にこなす動き。

 それに対し、俺はドラグバーンが加速しようとした瞬間を狙って飛び上がり、上から押さえつけるように両手の刀で歪曲を繰り出した。

 バランスを崩し、ドラグバーンが地面に沈む。

 しかし、次の瞬間には顔をこちらに向けて、溜めなしのブレスを放ってきた。

 それを怨霊丸による斬払いで霧散させる。

 今度はブレスを目眩ましに使い、炎の後ろから迫る全力パンチ。

 黒天丸による歪曲で受け流す。

 そこから、ドラグバーンの怒涛のラッシュが始まった。

 

「ぬぉおおおおおおおおお!!!」

 

 右ストレート、左フック、右アッパー、左ボディブロー、回転しながら尾での薙ぎ払い、ブレス、炎の牙による噛みつき。

 咆哮を上げながら、ドラグバーンは止まる事なく攻撃を繰り返す。

 俺はその全てを、二本の刀で防ぎきった。

 右ストレートを怨霊丸で逸らして。

 左フックを黒天丸で逸らして。

 右アッパーは、僅かに後ろへ下がりながら拳の下に刀の切っ先をあてがい、軌道が最もブレて上方向への力が強くなったタイミングで、峰を使って跳ね上げる。

 左ボディブローは、後ろに下がった時の勢いで体を左に逸らして、俺にとっての右側、ドラグバーンの拳の外側から最適のタイミングで力を込めて、体の左側へ向けて受け流す。

 回転して尾での薙ぎ払い。先読みしてジャンプする事で回避。

 ブレス。怨霊丸による斬払いで相殺。

 炎の牙による噛みつき。空中にいる隙を狙われたが、黒天丸を鼻先に突きつけて、迫ってくる顔の勢いを流刃で利用し、回転しながら身を屈めて牙を回避。二本の刀をドラグバーンの胴に叩きつけ、その反動を利用して着地。

 

 これが、僅か一呼吸の間に起こった出来事。

 同じような密度の攻防を何回も何十回も重ねて、ようやく数秒という時間を稼ぐ。

 鼻血が出そうになる程集中した。

 目が限界を訴えて血涙が出る程ドラグバーンを『観て』、徹底的に動きを先読みする。

 一度でもミスればアウトだ。

 一秒があまりにも長く感じる極限の死闘の中で、俺の剣が磨かれていく。

 だが同時に、体力気力精神力がとんでもない勢いで削られ、限界という名の死がどんどん近づいてきている事を、他でもない俺自身が自覚していた。

 

 しかし、そんな限界ギリギリのせめぎ合いに……俺は勝った。

 

「アラン! 出来たわ!」

 

 後ろからステラのそんな声が聞こえた。

 耳がその言葉を受け取った瞬間、俺は脊髄反射で敵の攻撃を反撃ではなく移動の為の推進力として使う技、激流加速を使ってドラグバーンの攻撃を受け流し、ステラの射線を通す為に即座に奴から離れる。

 勢いに乗って離れる瞬間、ステラの方に目を向ければ、まるで太陽の放つ光全てを一本の剣に圧縮したかのような、純白の極光を放つ聖剣を構えた女勇者の姿が。

 今の聖剣からは、その力を向けられていない俺でも思わずゾッとするような、それこそ蒼炎竜となったドラグバーンすら圧倒する絶大な力を感じた。

 あれが決まれば勝てる。

 そう確信する程の。

 

 だが、その感覚を誰よりも強く感じているのは、標的にされたドラグバーンだろう。

 奴は、俺が離脱したと見るや、獣の生存本能をフルに発揮し、全力の回避行動を取った。

 しかし、そんなドラグバーンの足が止まる。

 足下から絡み付いてきた、無数の光の鎖に全身をからめとられる事によって。

 

「「「『聖なる鎖(ホーリーチェーン)』!」」」

「な、なんだと!?」

 

 それは、エル婆とエルトライトさんを中核に、多くのエルフ達の放った捕縛の魔法だった。

 見れば、全滅したんじゃないかと心配していたエルフ達が、溶解した城壁の向こうから杖を構えている。

 傷ついてこそいるが、その数はあまり減っていないように見えた。

 彼らの近くには、疲労困憊の様子のリンの姿。

 どうやら、俺がドラグバーンを食い止めている間にリンによって治療され、この瞬間の為に魔法の発動を進めていたようだ。

 時間をかけて編み込まれた聖なる鎖は、ドラグバーンの動きを一瞬確かに止めてみせた。

 その一瞬こそが、致命的なドラグバーンの隙だ。

 

 そんなドラグバーンに向け、満を持して勇者の最強技が放たれる。

 

「『真・月光の刃(ルナムーンスラスト)』!」

 

 溜めに溜め込んだ力の全てを三日月状の刃に圧縮した、一撃必殺の斬撃。

 それが回避を封じられたドラグバーンに迫る。

 ドラグバーンは力任せに聖なる鎖を引きちぎり、体の前で両腕を交差して、ステラ渾身の一撃を耐えようとした。

 

「ぬぅううううぉおおおおお!!!」

 

 だが、三日月の刃は止まらない。

 ドラグバーンの腕を斬り裂きながら、前へ前へと進んでいく。

 その体の全てを切断すべく、断罪の刃は前進を続ける。

 

 それでも、ドラグバーンは破滅に抗った。

 

 ドラグバーンの体が後ろに逸れる。

 受け止めるのは無理と判断し、上に向けて受け流すつもりだ。

 しかし、そう簡単にいく訳がない。

 今放たれているのは、勇者が長い時間をかけて放った、全力全開の一撃だ。

 

 ドラグバーンの両腕がちぎれ飛ぶ。

 だが、奴は牙で三日月の刃を噛んで文字通り食い止め、頑強な鱗と蒼い炎の鎧で無理矢理に耐える。

 耐えて、耐えて、耐えて。

 そうしてドラグバーンは遂に……耐えきってしまった。

 

「ふんぬぅううううう!!!」

 

 三日月の刃が軌道をねじ曲げられ、上空に向かって飛んでいく。

 ドラグバーンは両腕を失い、全ての牙が砕けかけ、体にも大きな大きな裂傷が刻まれているが、まだ致命傷には届かない。

 ステラの、いや俺達全員の渾身の一撃を、この化け物は弾き飛ばしたのだ。

 

「俺の、勝ちだぁあああああ!!!」

 

 ドラグバーンが絶叫に近い雄叫びを上げ、口の中にブレスの炎を生み出す。

 今の攻撃が不発に終われば、もう俺達に決定打足り得る攻撃はない。

 俺も限界が近く、これ以上ドラグバーンを抑えてはいられないだろう。

 エルフ達も疲労困憊。

 ステラも多分、殆どの魔力を使い果たしてる。

 そして、ドラグバーンはあの傷付いた体で、己の命が燃え尽きるまでの間に、俺達を倒しきれると確信しているのだ。

 このまま戦い続ければ、ドラグバーンを討ち取るまでの間に、俺達の敗北と言えるだけの被害が出てしまう。

 

 だがそれは、今の攻撃が不発に終わればの話だ。

 

「いいえ、ドラグバーン。━━私達(・・)の勝ちよ」

「!?」

 

 ステラがそんな言葉を発し、ドラグバーンは驚愕しながら上を見る。

 そこにあるのは、受け流された三日月の刃。

 そして、この状況を見越してドラグバーンの上を取っていた俺の姿だ。

 

「お前なら、ステラの全力攻撃ですらも弾くかもしれないと思ってたよ」

 

 だからこそ、この俺の行動は最後の保険。

 正真正銘、最後の切り札。

 

「五の太刀変型━━『光返し』!」

 

 敵の遠距離攻撃をそのまま相手に返す技、五の太刀『禍津返し』。

 その変型である、味方の攻撃の軌道をねじ曲げて返す必殺剣が炸裂する。

 俺は怨霊丸を手放し、黒天丸だけを両手で握り締めて。

 三日月の刃を絡めとり、黒天丸の斬撃と共に、ドラグバーンの首筋に叩き込んだ。

 

「うぉおおおおおおお!!!」

「ぬぁあああああああ!!!」

 

 俺は黒天丸に全力の力を込め、ドラグバーンは首筋の筋肉に力を込めながら蒼い炎の鎧を纏わせて、最後の攻防を繰り広げる。

 ピシリと、何かがヒビ割れる音がした。

 刃を握る手を通じて俺には伝わってくる。

 これは、黒天丸の悲鳴だ。

 これまでの戦いで酷使し、蒼い炎と何度もぶつけ、最後には勇者の全力技の制御にまで使って、さすがの黒天丸にも限界が訪れてしまった。

 

 すまん黒天丸、耐えてくれ。

 あと一撃だけでいいんだ。

 かつての大英雄『剣聖』シズカを支え続けたお前の力に頼らせてくれ。

 

 そんな俺の意思が通じたかのように、黒天丸はピシリピシリとヒビを広げながらも、折れる事なくドラグバーンの首筋を切り裂いていき……

 

「ハーッハッハッハッハッハッハ!」

 

 唐突に、ドラグバーンが笑い声を上げた。

 それが勝利を確信した声に聞こえて、俺の心臓が跳ね上がる。

 だが、違った。

 ドラグバーンの、この笑みは、

 

 

「見事ッッ!」

 

 

 己を打倒した者達に送る、称賛の声だったのだ。

 

 ドラグバーンの首が切断され、宙を舞う。

 首を失ったドラグバーンの体がゆっくりと倒れる。

 動き出す気配はない。

 今まで感じていた圧倒的な威圧感も消えている。

 死んだ。

 最後の最期まで、牙を剥き出しにした凶悪な笑みを浮かべたまま、ドラグバーンという魔族は命を散らしたのだ。

 

 それを確認して、俺は最後まで耐えてくれたヒビだらけの黒天丸を天に掲げた。

 

「「「う、うぉおおおおおおお!!!」」」

 

 エルフ達が勝利に沸き立ち、喜びに満ちた絶叫を上げる。

 エル婆とエルトライトさんは、ホッと息を吐きながらも、新たな脅威が来ないか警戒し。

 リンは完全に気が抜けた様子で、ペタンと尻餅をつく。

 そして、ステラは、

 

「やったわね!」

「ああ」

 

 俺の傍に駆け寄って来て、おもむろに左手を上げた。

 俺もまた左手を上げ、俺達は力強いハイタッチを交わす。

 また手加減をミスったのか、ミスリルの籠手越しなのに手が痛いが、その手の痛みが、戦いの終わりと勝利の実感を俺に伝えてきた。

 

「勝った……!」

 

 最後に、噛み締めるようにそう呟く。

 こうして、エルフの里で発生した『火』の四天王ドラグバーンとの死闘は、俺達の完全勝利で幕を閉じたのだった。



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45 戦後と新たな旅立ち

 ドラグバーン討伐から数日が経った。

 戦死者達の弔いも終わり、エルフの里は順調に復興への道を歩み出している。

 とはいえ、里の被害は神樹が倒れて一部の区画が下敷きになっただけで、その時の死者もごく僅か。

 魔法を使って折れた神樹の撤去作業も進んでいるし、今はエルトライトさんが中心となって、神樹に治癒魔法をかけ続けつつ、神樹が復活するまでの間、その代わりを担えるような防御網の設営を頑張ってるらしい。

 神樹も少しずつ切断面から新しい緑が生えてきて、微弱とはいえ加護が復活してきてるみたいだから、その内、エルフの里は完全なる復興を遂げられるだろう。

 

 人的被害に関しても、最後のドラグバーンとの戦いでの戦死者は三桁にも満たなかった。

 やはり、エルフ達に壊滅的な被害を与えたかに見えた蒼い炎のブレスの威力を、合体魔法とガッチガチの結界で削れた事が大きかったみたいだ。

 聖女であるリンによる迅速な治癒の甲斐もあり、死者の数は最低限に抑えられた。

 今もリンによる治療行為は続いてるらしいから、重傷者がこれから死者に変わるという事もないだろう。

 ブレイドもなんだかんだで死なずに済んだしな。

 ドラグバーン相手にこの程度の被害で勝てたのは快挙だ。

 今回の戦いは、まさに俺達の完全勝利と言って差し支えない。

 ……だが、それでも死者が出てしまった事実は変わらない。

 戦争なのだから仕方のない事ではある。

 それでも、勇敢に戦った彼らの死を軽んじる事だけは、あってはならない。

 絶対に。

 

「アラン、入るわよー」

 

 そうして里の様子を見ながら感慨にふける俺は今、族長屋敷の客室のベッドの上に居る。

 戦いが終わって少しした頃、気が抜けたせいで過労でぶっ倒れて数日間気絶し、今朝ようやく目が覚めたからだ。

 気絶中に一通りの治癒魔法はかけられたみたいなので体調に問題はないが、念の為に今日一日くらいはベッドの上で大人しくしてろと治癒術師(リン)に言われた。

 そこへ今みたいにステラが飯とかを持って来てくれる訳だが、こうしてるとカマキリ魔族にやられて寝込んでた時を思い出すな。

 赤い顔でスプーンを差し出してくるステラという状況まで、あの時と同じだ。

 

「あ、あーん」

「だから、やめい。自分で食えるわ」

 

 ステラから飯の器を引ったくって自分で食う。

 あの時と同じように、ステラは少し残念そうな顔をした。

 

「なんじゃ、つまらんのう。こんな時くらい素直に甘えればよいものを」

 

 そんな俺達の様子を見ていたらしい新しい来客が、一切の遠慮なく部屋の中に入ってきた。

 エル婆だ。

 どうやら、このロリババアにはデリカシーというものがないらしい。

 

「アー坊、可愛い女子(おなご)のあーんが受け入れられんというのは、男としてどうなんじゃ?」

「……普通に恥ずかしいから嫌だ」

 

 そう言って、プイッと顔を逸らす。

 ……正直、あーん攻撃は昔も羞恥心がヤバかったが、今の成長して女としての色気を纏いつつあるステラにやられると、なおさら破壊力がヤバイのだ。

 思わず顔が赤くなるのを感じる。

 そんな俺を見て何かを察したのか、エル婆の顔がニヤニヤとした腹の立つ顔に変わった。

 イラッ。

 

「さて、それはともかく。今日ばかりは、アー坊をからかうのも程々にしておくかのう。……アー坊よ、まずはエルフを束ねていた者として、この場にいないエルトライトの分まで礼を言おう。お主のおかげでこの里は、エルフ達は守られた。心の底から感謝する。本当にありがとう」

 

 そうして、エル婆は深く深く頭を下げた。

 大賢者が、一介の剣士ごときに。

 そこには、さっきまでの飄々とした雰囲気の幼女はおらず、一人の高潔な為政者だけが居た。

 

「……礼は受け取っておくが、別に頭は下げなくていい。俺はステラを守る為に戦っただけだし、あれはエルフ達を含めた俺達全員の戦果だ。一緒に戦ってくれてありがとうならともかく、一方的に頭を下げられる筋合いはない」

「……ふふ、そうかそうか。アー坊は優しい子じゃのう」

「別にそんなんじゃない」

 

 本心からそう思ってるだけだ。

 

「では、ここからはいつも通り、仲間としての話をするとしよう。アー坊、お主の刀、二本ともボロボロじゃろう?」

「……ああ」

 

 俺は部屋の壁に立て掛けてある、鞘に収まった二本の刀に目をやった。

 黒天丸と怨霊丸。

 ドラグバーン戦でかなりの無茶をさせてしまった黒天丸もそうだが、刀剣の格に見合わない強敵に挑ませてしまった怨霊丸も、もうボロボロだ。

 黒天丸は折れる寸前。怨霊丸は溶解一歩手前。

 どっちの刀も、あと一戦でもしてしまえば砕け散るだろう。

 

「同じように壊されたブレ坊の大剣は予備があるのじゃが、アー坊は急に勇者パーティーへの加入が決まったからのう……。悪いが刀の予備は持ってきておらぬ。特に四天王クラスと打ち合えるだけの業物となると、手に入り次第、装備面で苦労しておる各地の英雄へ支給するのが基本じゃからな。旅の直前に用意するのは、さすがに無理じゃった」

「そうか」

 

 つまり、代わりの刀を手に入れるのは難しいって事だな。

 ただの刀ならその辺に売ってるだろうし、そこそこの名刀でも勇者パーティーを支援している国や教会が融通してくれそうではある。

 しかし、黒天丸クラスの業物は早々手に入らない。

 普通に考えると、とてつもなくマズイ事態だ。

 得物を失った状態で次の四天王と戦えば、間違いなく死ねる。

 だが、まあ、そう悲観したもんでもないだろう。

 幸い、装備面をなんとかしてくれそうな当てはある。

 

「エル婆、次の目的地とかは決まってるのか?」

「む? いや、別に決まっておらんぞ。目下の標的であった四天王の一角を討った以上、ここからは当初の予定通り、各地の魔族を順に狩っていくつもりではあったが……どこか行きたい場所でもあるのか?」

「ああ。俺の刀を直してくれる人が居る場所に心当たりがある」

 

 黒天丸は魔剣だ。

 迷宮の魔力を浴び続ける事によって生まれた、人類の技術では造り出せない奇跡の逸品。

 怨霊丸も魔剣の域にこそ届いていないものの、似たような経緯を持つ魔剣もどきである。

 それに手を加え、あまつさえ打ち直しに等しい修復を施せる存在など一つしかいない。

 ステラは何もわかってなさそうだが、エル婆は俺の言った事だけで全てを察したらしく、「なるほど」と呟いた。

 

「『ドワーフの里』か。確かに、あやつらの力を借りられればアー坊の刀も直せるじゃろうな」

 

 そう。

 魔剣をはじめとしたマジックアイテムに手を加えられるのは、熟練したドワーフの職人だけだ。

 当然、長生きしてるエル婆がそれを知らない筈もない。

 

「しかし、あやつらは相当頑固じゃぞ? いくら勇者パーティーの一員とはいえ、気に入られなければ突っぱねられるかもしれん」

「え!? 私達、魔王を倒して世界を救おうとしてるのに? 私達が魔王を倒せなきゃ、ドワーフ達も滅びちゃうかもしれないですよね?」

 

 ステラがごく当たり前の疑問を口にするが、エル婆は力なく首を横に振った。

 

「それでもじゃよ。あやつらは己の仕事に、美学や誇りでは説明がつかん程の『拘り』を持っておる。例え、世界の滅びが目前に迫ろうとも、あやつらが仕事を妥協する事は決してないじゃろう。そんな信念を持っておるからこそ、魔剣やマジックアイテムの加工などという神業を習得するに至ったのかもしれんがな」

 

 エル婆の言う通りだ。

 ドワーフは本当に頑固で偏屈な人が多い。

 しかも、腕の良い職人になればなる程、その傾向が顕著だ。

 むしろ、そういう人じゃないと職人として大成しないとまで言われていた。

 だが、エル婆の心配は無用だ。

 

「心配しなくても、目的の人とは面識があるから大丈夫だ。俺の装備の大半はその人が調整してくれたものだからな」

「む、そうなのか?」

「ああ。修行時代に縁があった」

 

 少し懐かしいな。

 最初にあそこを訪れ、あの人に会ったのは3年前。

 老婆魔族を討ち取り、リンと別れた後、剣聖シズカの和服を羽織に改造してほしくて訪れたのが始まりだった。

 最初は当たり前のように「帰れ、鼻たれ小僧」と言われ、相手にもしてくれなかったが、根気よく通い続けて、ボロボロになりながら暴風の足鎧やミスリルを持ち込む内に、いつしか認めてくれるようになったのだ。

 それどころか、最終的には、成長期で装備のサイズが合わなくなる度に調整してくれる程気にかけてくれるようになった恩人だ。

 頑固爺だが、いい人である。

 

「謎の英雄の時といい、アー坊の経歴には驚かされるのう……。まあ、『救世主』ともなれば、そのくらいはやってのけるという事かの」

 

 エル婆がさりげなく口にした『救世主』という言葉。

 この事からわかる通り、仲間達やエルトライトさんには神様との会話の内容を話してある。

 というか、俺が過労でぶっ倒れてる間にステラが説明してくれたらしい。

 正直、あんな荒唐無稽な話、よく信じてくれたもんだと思う。

 それだけ、あの時の神樹に生じた尋常ならざる現象のインパクトが強かったって事だろう。

 どんな話が飛び出てきてもおかしくないと思われる程に。

 それが魔王軍との戦いにどんな影響を及ぼすのかは、まだわからないが。

 

「まあ、それはともかく。ドワーフの里と一口に言っても、あやつらは世界各地の山脈やら洞窟やらに住み着いておるじゃろ。アー坊が行った里はどこなんじゃ?」

「天界山脈って所にある里だ。場所はシリウス王国の端の端だな」

「ふむ。ここからは中々に遠い。最短距離で行こうとすれば、一度最前線近くの街に立ち寄って物質の補給をする必要があるじゃろう。時間がかかる。となれば、ちょうどよいか」

 

 そう言って、エル婆は持っていた鞄の中からある物を取り出した。

 あの鞄、よく見ればリンが鍋を取り出してたマジックバッグだ。

 なんで、わざわざそんなもんを持ち出してるんだと不思議に思ったが、鞄の中から出てきた物を見て、そんなどうでもいい思考は一瞬で吹っ飛んだ。

 

「これは……!」

「エルフからの心ばかりの礼と餞別の品と言ったところじゃな」

 

 エル婆が取り出した物。

 それは大小二本の木刀だった。

 ちゃんと鍔の部分まで作り込まれたそれは、木刀だというのに凄まじい力強さを感じる。

 

「折れた神樹より削り出して造った物じゃ。木刀故に切れ味とは無縁じゃが、頑丈さは折り紙付き。ドラグバーンとの最後の攻防のように、守り重視で使うのであれば役に立つじゃろう。刀が直るまでの繋ぎに使ってくれ」

「おいおい……信仰対象を加工しちゃっていいのかよ……」

「ワシらの持つ杖も神樹の小枝から作られとる物じゃし、今更じゃよ。それに、少しでも世界を守る助けになれた方が、神樹も本望じゃろう」

 

 エルフ逞しいな。

 とか思ってたら、エル婆は鞄から更にもう一本の木刀、いや木剣を取り出し、それをステラに手渡した。

 

「ほれ、ステラも持っておくといい」

「いいんですか?」

「ああ。聖剣に宿った神樹の力は温存しておいた方がいいじゃろう。それは四天王以外との戦闘に使ってくれ。……本当は予備の名剣があればよかったんじゃが、なまじ聖剣が破損も紛失もしない最高の剣だったが故に持ってきておらんからのう。しばらくは、それで我慢してくれ」

「いえ、充分です。ありがとうございます」

 

 そうしてステラは木剣を受け取り、聖剣と一緒に腰に差す。

 ふむ。

 これはステラとの勝負の時にも使えそうだな。

 今までみたいに真剣で寸止めするよりは安全だろう。

 あの馬鹿力を相手にするなら、あんまり関係ない気もするが。

 

「それと、もう一つ」

 

 更に、エル婆は鞄から取り出した物を机の上に置く。

 それは、ヒビだらけの一本の牙だった。

 

「これって……」

「ドラグバーンの牙じゃな。他にも、あやつの亡骸を解体して手に入れた素材がある。刀を直す時の素材に使えば、ただ直すだけではなく、より強く打ち直す事ができるじゃろう」

 

 ドラグバーンの亡骸、解体したんか……。

 確かに、あれだけ強い奴の素材を使えば、さぞいい刀が打ち上がるだろう。

 それでも、一応とはいえ言葉の通じた奴の死体を躊躇なく解体するとは……やっぱり、エルフ逞しいな。

 

「さて、これで伝えねばならん話は終わりじゃな。ワシはエルトライトを手伝いに行く。お主らはしばらく二人でイチャイチャしているがよいぞ。ホッホッホッホ!」

「「しねぇ(しません)よ!」」

 

 くそっ。

 あーん攻撃に対する照れのせいで過剰に反応しちまった。

 ステラもまた、あーん攻撃の自爆ダメージが残ってるのか俺と似たような反応をし、それを見たエル婆はニヤニヤしながら去っていった。

 腹立つ。

 

「「…………」」

 

 お互い赤い顔で黙り込む俺達。

 ……最近、ごくたまにこういう雰囲気になる事がある。

 エル婆やリンによって、作為的に作られてるような気がしてならない雰囲気だ。

 ソワソワして落ち着かない。

 なのに、妙に心が満たされるような感覚がする、謎の状態。

 これは、マズイ。

 なんかよくわからないが、溺れてしまいそうな感じがするのだ。

 

「あ、あー……」

 

 話題を探して口を開く。

 ちょっと目を泳がせた末に、さっき貰った木刀が目に入った。

 よし、これだ。

 

「早くこれに慣れたい。特訓に付き合ってくれるか?」

「え、ええ! わかったわ!」

 

 その後、近場の空き地で特訓は大いに盛り上がり、熱が入り過ぎていつの間にか勝負に突入。

 病み上がりに激しい運動をした事により、騒ぎを聞きつけたリンに怒られた。

 代わりに、ステラとのギクシャクした感じはなくなり、勝負しながら楽しく笑えたからよしとしよう。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 それから更に数日後。

 俺達の旅立ちの日がやって来た。

 見送りに、エルトライトさんをはじめとした多くのエルフが来てくれる。

 エルトライトさんは、できれば全員で見送りたかったとか言ってたが、そんな大人数、見送りの場所となった里入り口に入りきらないって事で、泣く泣く厳正な抽選を行ったと言っていた。

 何やってんだ。

 

「勇者様方。我らは此度のご恩を決して忘れません。お声がけ頂ければ、いつ如何なる時でも参上し、あなた方の為に魔法を振るいましょう」

「ありがとうございます」

 

 最後に、そんな約束を交わしながら、エルフの族長エルトライトさんとステラが固い握手をした。

 それを見届けてから、俺達は馬車に乗り込む。

 そして二頭の駿馬を走らせ、エルフの里を後にした。

 

「旅立つ勇士達に、神樹の祝福あれ!」

 

 後ろからエルトライトさんの大きな声が聞こえてきた。

 同時に、エルフの里中から美しい花火の魔法が打ち上がる。

 それは、神樹が光った時の光の粒子にも負けないだけの美しさを以て、俺達を見送ってくれた。

 

 俺は馬車の御者台で感動しながらその光景を見詰め……ふと、隣に座っているリンが浮かない顔をしている事に気づいた。

 

「どうした? せっかくの盛大な見送りだってのに、そんなしかめっ面して」

「……え? 私、そんな顔してました?」

「してた。なんか悩みでもあるのか?」

 

 そう聞くと、リンは少し悩んだような顔をした後、意を決したような様子で話し始める。

 

「その、ここ数日の事なんですけど……ブレイド様の様子が少しおかしいんです」

「ブレイド?」

「はい。時々凄い怖い顔をして、ずっと剣を振ってました。まるで何かにとり憑かれたみたいに」

 

 ……努力してるなら、いい事だと思うが。

 

「自分の未熟さでも痛感したんじゃないか? あいつにはどうも必死さが足りなかったから、いい薬だ」

 

 きっと、死にかけた上に、正史の世界では実際に死んでたって聞かされて、尻に火が付たんだろう。

 その付いた火がドラグバーンの炎である以上、そりゃ必死にもなるだろうさ。

 

「そうならいいんですけど……なんていうか、それだけじゃないような気がして。私の考えすぎならいいんですけどね」

 

 しかし、そう言ってもリンの顔は晴れなかった。

 もしかしたら、それは女の勘というやつなのかもしれない。

 ……だとすれば、バカにもできないな。

 ステラも、その女の勘で俺とカマキリ魔族の戦いに乱入して来た。

 ブレイドの様子がおかしい、か。

 気に留めておく事にしよう。

 

 そうして、僅かな不安の種を残しながら、俺達は次の目的地への道のりを進んだ。

 次の目的地はドワーフの里。

 正確には、そこへ行く為の中継地である最前線近くの街『ジャムール』。

 

 俺達の旅は、まだまだ続く。



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閑話 策謀と渇望

「ふっ、ドラグバーンが死にましたか。あれだけ粋がっていたくせに、大した被害も与えられずに死ぬとは、実に情けないですねぇ」

 

 魔王城の一室で、一人の男が嘲笑を浮かべた。

 使い魔を通して勇者達とドラグバーンの戦いの一部始終を見ていた『水』の四天王は、死した同僚を嘲笑う。

 ドラグバーンの力の限りを尽くした奮闘も、闘争に生きた生涯に満足して逝ったその見事な死に様も、そんなものに意味などないと、彼は同僚の全てを否定して嘲る。

 

「しかし、勇者が現れたという情報を私に遺して死んだ事だけは褒めてあげましょう。脳筋蜥蜴にしては上出来な置き土産です」

 

 目障りだった奴が大した戦果も上げられずに死んだ事といい、彼にとって今回の戦いは朗報の山であった。

 上機嫌に鼻唄を歌いながら彼は思う。

 この情報を基に自分が、この『水』の四天王こそが勇者を殺すという輝かしい未来を。

 勇者の打倒のみを考えるならば、今すぐ魔王や残りの四天王二人と情報を共有し、一大戦力を以て勇者を奇襲するのが得策だろう。

 だが、それでは意味がない。

 何故なら、それでは大した手柄にならないからだ。

 彼には野望がある。

 勇者との戦いで多大な功績を上げ、己こそが四天王の頂点に立ち、魔王軍のナンバー2に上り詰めるという野望が。

 

 彼は、四天王の中では一番の新入りだ。

 それ故に、四天王の中では一番軽んじられている。

 だからこそ、家出したドラグバーンの捜索などという雑務を振られたのだ。

 

 許せなかった。

 魔族の中で最も高貴な血統を持つ自分が軽んじられるなど。

 一番の新入りというのも、裏を返せば最後まで魔王の支配に抗ったという事だ。

 そんな名誉の奮闘を考慮されず、今の立場に甘んじるしかない現状には不満しかない。

 

 必ずや勇者殺しの功績を手に入れ、それを使って残りの四天王を追い抜いてやると彼は誓う。

 百歩譲って、あの何も考えていないバカはどうでもいいとして、現在四天王の頂点に立っている最古参の魔王の忠臣。

 奴だけは何がなんでも追い越し、可能であればその地位から引き摺り落としてやると、『水』の四天王は野望と欲望に満ちた暗い笑みを浮かべた。

 

「幸いな事に勇者の一行には()を打ち込めた。忌々しい神の加護に邪魔されて大した干渉はできないとはいえ、今はそれで充分です」

 

 あの上位竜どものように落とすのなら、時間をかけてじっくりとやればいい。

 そうでなくとも、楔を打ち込んだ以上、それだけで得られる情報もある。

 情報は武器だ。

 頭を使う事こそが魔族最大の武器だ。

 何故なら、それこそがあの荒廃した魔界という世界で、魔物ではなく魔族こそが世界の覇者となれた理由なのだから。

 

「さてと、奴らの位置は……チッ、やはり加護による妨害が酷いですね。今は辛うじて追えますが、常時居場所を把握しておく事はさすがに無理ですか」

 

 まあ、そこまでの高望みはするまい。

 こうして一時的にでも勇者達の居場所を把握し、移動先に目星がつけられるだけでも値千金の情報なのだから。

 

「おや? おやおや、この方向は」

 

 勇者達の次の目標地に大体の目星をつけた『水』の四天王は、そこに待ち受けているだろう展開を予想して、ニヤァと嫌らしく笑う。

 彼が思い描いた展開が訪れるという保証はない。

 むしろ、確率としてはそう高くもないだろう。

 だが、全てが上手くいった場合、もしかするともしかするかもしれない。

 

「もしも、そうなったら……()には褒美の一つでもくれてやりましょうかねぇ」

 

 『水』の四天王は更に口角を吊り上げていく。

 運が己に向いてきている事を感じながら、上機嫌で策を練り始めた。

 勇者を殺す為の策略を。

 そして、その先に待つ輝かしい未来を夢見て。

 野望に囚われる魔族は嗤った。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 時は少し遡り。

 勇者と無才の英雄が仲間達と共に死力を尽くして、蒼い炎の竜と化した四天王と戦っていた頃。

 一人の男が、激痛の中で暗い感情に囚われていた。

 

 彼は判断を誤った。

 敵は死にかけだと油断して不用意に飛び掛かり、結果、敵が隠していた凄まじい力で反撃を受けて、このザマだ。

 咄嗟に盾に使った大剣は砕け、鎧も粉砕され、攻撃を受けた部分の骨もまた粉々に砕け散っている。

 内臓にも、かなりのダメージを負っているだろう。

 即死こそギリギリ避けられたが、放置すれば聖戦士である自分の生命力でも、一時間も持たずに死ぬだろう重傷。

 すぐに治癒術師が駆けつけてくれたとしても、戦線復帰は絶望的だ。

 それ以前に、痛い。

 とてつもなく痛い。

 今までの人生で経験した事のないレベルの激痛が、凄まじい勢いで彼の精神を蝕んでいく。

 

 彼はこれまでの人生で、一度としてこんな窮地に陥った事がない。

 彼の人生は順風満帆だった。

 かつて先代魔王を討伐した勇者パーティーの一員であり、当時は最強の聖戦士の一人とまで呼ばれた偉大な人物を祖父に持ち。

 その血を最も濃く受け継いで、祖父と同じ『剣聖の加護』を持って生まれた。

 周囲からは期待され、その期待に答えるように剣の天才として成長してきた。

 同世代では当然のように敵なし。

 常に大人の英雄達との訓練に交ざり、彼らを踏み台にして、恐ろしい速度で成長してきた自覚がある。

 

 勝てない相手はいなかった。

 まだ未熟だった頃に、訓練で英雄達に負かされた事こそあれど、少し成長すれば簡単にリベンジができた。

 戦場に出れば、どれだけ強い魔物でも、どんなに凶悪な魔族でも容易く打倒し、殆ど無傷で帰って来る。

 しまいには、子供の頃に一番負けた相手である偉大な祖父すらも超えた。

 祖父は老いて衰えていたが、それでも、かつて最強の聖戦士と呼ばれた相手を超えたのだ。

 彼は調子に乗った。

 

 その後、当代の勇者である少女と出会い、共に訓練した時に行った試合で勝ってしまったのも、彼の慢心を助長してしまったのだろう。

 当時の勇者はまだ10歳であり、むしろ、勝てない方が大問題なのだが、それでも『勇者に勝った事がある』という事実は消えず、その優越感が彼の目を曇らせてしまった。

 後に勇者は成長期を迎え、好きな男の子との幸せな未来を勝ち取る為にという、明確な目標と絶大な意欲によって修行を積む事で急速成長し、才能に溺れた愚かな剣聖など歯牙にもかけない程の強さへと至ったのだが。

 彼の中からはどうしても弱かった頃の彼女のイメージが消えず、年下という事もあり、無意識の内に彼女を下に見てしまっていた。

 

 祖父を倒した無才の英雄が目の前に現れても、彼の意識は変わらない。

 自分だって祖父を倒した。

 確かに、加護を持たない身でそれだけの強さを得た事は驚愕に値するが、本気で戦えば自分の方が強いと思っていた。

 エルフの里への道中で、一度でも彼と本気の勝負をしていれば、その慢心も打ち砕かれたかもしれないが……今更語っても詮無き事だ。

 

 結局、彼はその慢心を正せないままに四天王と戦い、ものの見事に無様を晒した。

 激痛のせいもあり、彼は生まれて初めて命の危険を感じ、本物の恐怖を知った。

 恐怖に侵された心は、この痛みを彼に与えた四天王を、撃破不能の怪物として認識し始める。

 勝てない相手はいないと思っていた慢心は恐怖によって塗り潰され、あの怪物に勝つ為のイメージの一切を彼から奪った。

 

 なのに、勇者と無才の英雄は、彼が無意識の内に下に見ていた二人は、そんな化け物相手に一歩も引かず、互角の戦いを繰り広げている。

 自分が絶対に勝てないと思った化け物を相手にだ。

 今まで彼の自信の拠り所となっていたものの悉くが木っ端微塵になっていく。

 彼は今、生まれて初めての挫折を経験したのだ。

 多くの人々が当たり前に経験し、そのまま折れるか、立ち上がって再び挑むかを選ばされる、人生の命題の一つ。

 恐怖を振り払って立ち上がり、再び挑んで乗り越える事でしか前に進めない、厳しい試練。

 しかし、折れるにせよ、挑むにせよ、大きく心が揺らいでしまうのが挫折というものである。

 

 痛みが限界に達し、彼は気を失う。

 目覚めた時には、この大いなる試練と向き合わなくてはならない。

 その筈だった。

 

 だが、人はいつも万全の態勢で己の心と向き合える訳ではない。

 悩む時間がない時もある。

 状況が、選択の余地すら与えてくれない事もある。

 そして……悪意ある何者かが、その心の隙につけ込んでくる事もある。

 

「おやおや。これは面白いですねぇ」

 

 気絶した彼の前に現れたのは、一匹の蝙蝠。

 悪辣なる『水』の四天王の使い魔。

 

「ふむ。誰かが近づいてくる気配がしますね。大方、治癒術師か何かでしょう。であれば時間はない。手早く済ませるとしましょう」

 

 そうして、蝙蝠は彼の首筋に噛みつき、その体の中に何かを注入した。

 つい先刻、愛に生きた竜達を狂わせた物と同じ何かを。

 

「くっくっく、なんとも思わぬ収穫でした。中々に運が向いてきましたねぇ」

 

 そんな嗤い声を残し、蝙蝠は去って行った。

 直後、エルフの回復部隊が彼の元に到着し、彼はなんとか一命を取り留める。

 その後、戦いが終わった後で仲間の聖女による治療も施され、体の方は数日で全快したのだった。

 そう。

 体の方だけは。

 

 

 目が覚めた時には全てが終わっていた。

 あの化け物は勇者と無才の英雄の活躍によって討伐され、彼の心は折れたまま。

 そんな彼は頭の中に、声が響く。

 

『力を求めろ。強さを求めろ』

 

「ああ、そうだ。もっと強くならねぇと」

 

 それを己の心の声と勘違いし、彼はその日から真面目に訓練に励むようになった。

 予備の大剣で素振りをし、それを見たエルフ達から神樹の大剣を贈られ、それを使って次の目的地への道すがら、仲間達との試合稽古を繰り返す。

 案の定、彼は勇者にも無才の英雄にも勝てず、己の未熟さを痛感させられた。

 だが、剣を振るう度に確実に強くなっているのを感じる。

 今まで怠けていた分の成長を取り戻すかのように、彼の技術は日に日に進歩していった。

 元々、彼は才能の塊だ。

 努力さえすれば、その力は確実に増していくのである。

 

 しかし、どれだけ真面目に訓練に励んでも、頭の中の声は消えない。

 

『力を求めろ。強さを求めろ』

 

 それはまるで強迫観念のように、彼に吐き気を催す程の焦燥と、強さへのどうしようもない渇望を抱かせる。

 気を抜けば、強くなる事以外何も考えられなくなりそうな程の渇望。

 その感覚を必死で堪えながら彼は……『剣聖』ブレイド・バルキリアスは、今日も剣を振るう。




第二章 終


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第三章
46 新たなる出会い


 その剣士は、自分の事が嫌いだった。

 誰もが認める剣の名家に生まれ、彼自身にも『剣の加護』という類い稀な才能があった事は間違いない。

 しかし、彼よりももっと才能に恵まれ、真に神に選ばれた本物の天才からすれば、その程度の才能は霞んでしまう。

 

 そんな特別な存在が、彼の近くにはいつも居た。

 彼は、いつもいつも真の天才と比較されて育ってきた。

 心無い者達に、劣っている出来損ないと影口を叩かれながら。

 反論したかったが、事実、彼はどうやっても真の天才には勝てない。

 どれだけガムシャラに努力しても届かない。

 足掻いても、頑張っても、どれだけ必死に手を伸ばしても、足下にすら及ばない。

 悔しかった。

 悲しかった。

 真の天才が妬ましかった。

 そして何よりも、己の無力が憎かった。

 

 そんな彼はある時、一人の女性に恋をする。

 しかし、その人は自分とはとても釣り合わない高嶺の花。

 彼女は誰よりも神に愛されている。

 そんな彼女と釣り合うのは、それこそ彼がずっと嫉妬してきた真の天才くらいだろう。

 

 なのに、彼女は彼よりもずっと劣る無才の幼馴染が好きだと知って。

 しかも、そいつは加護すら持っていない凡人なのに、出立の式典に乱入してきて、迎撃に当たった彼を完膚なきまでに叩きのめした。

 それどころか、そいつは彼が嫉妬の果てに届く事を諦めて、ただ歯を食い縛りながら見上げる事しかできなかった真の天才すらも超えて、彼女の隣に並んでみせたのだ。

 彼がどんなに頑張っても、頑張っても、頑張っても越えられなかった才能の壁を、そいつは彼よりも下の領域から一気に全てぶち抜いて行った。

 

 その時の彼の心境は筆舌に尽くしがたい。

 ただ、一つだけ確実に言える事があるとすれば、彼はそいつに嫉妬したのだ。

 自分にできなかった事を成し遂げたそいつに。

 自分の好きな女性の隣を勝ち取ってみせたそいつに。

 今まで真の天才を相手に抱いていたのと同じ感情を、自分より劣っていた筈の奴に対して抱いた。

 

 自分でももうどうにもならない燃え盛る嫉妬の炎に身を焼かれ、彼の心は醜く歪んでいく。

 心がぐちゃぐちゃになって、苦しくて、悲しくて、なのに誰にも助けを求められなくて。

 

 そんな哀れな剣士の心の隙を……薄汚い蝙蝠が容赦なく狙い撃ったのだ。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 エルフの里にて、魔王軍四天王の一角であった『火』の四天王ドラグバーンを討ち取り、次の目的地に向けて旅立ってから約二ヶ月。

 ドラグバーン襲来という緊急事態のせいで、できうる限り急がなければならなかった王都からエルフの里への旅の時と違い。

 俺の刀の修復という差し迫った問題こそあるものの、一刻の猶予もないような状況からは解放された為、馬達を労りながら通常のペースで進んだ俺達は、ようやく次の目的地である『ドワーフの里』への中継地として利用する予定の街『ジャムール』が見える場所までやって来た。

 

「あそこがジャムールの街か。なんというか、随分とゴツイ街だな」

「そりゃそうよ。だって、ここは最前線に一番近い街の一つだもの」

 

 馬車の御者台で隣に座っているステラとそんな会話を交わす。

 ジャムールの街は、どこの要塞都市だと言いたくなるような、分厚い城壁に囲まれていた。

 それも当たり前と言えば当たり前なのだろう。

 ステラの言う通り、ここは魔王軍本隊と人類の最精鋭達が睨み合う最前線に最も近い街の一つなのだから。

 

 ここを真っ直ぐ進んで行けば、数多の英雄達が集ういくつもの砦がそびえ立ち、その先には魔族に完全支配された領域が広がっている。

 その更に奥にあるのが、俺達の旅の最終目的地にして諸悪の根元『魔王城』だ。

 あまりの巨大さ故に、ここからでも僅かにシルエットが見える。

 忌々しい事この上ないな。

 

 さすがの俺も、正史の世界で魔王をぶっ殺しに行った時以外では、この先に足を踏み入れた事はない。

 俺が修行時代に踏み行った魔族の支配領域は、あくまでもカマキリ魔族や老婆魔族のような、各地に散った魔族どもによって支配されてしまった場所。

 最前線の危険度は、そんな場所とは比べ物にならない筈だ。

 何せ、あそこは約15年前に魔界の門が開いた場所であり、当代魔王軍が最初に降り立った場所なのだから。

 いったい、どれだけの戦力がひしめいているのか想像もできない。

 

 それでも、いつかは越えて行かなければならない場所だ。

 俺は静かに闘志を燃え上がらせながら、遥か遠くに見える魔王城を睨み付けた。

 

 とはいえ、魔王城へ攻め込むのは、まだまだ先の話。

 先を見すぎて足下を疎かにするべきじゃない。

 まずは目の前の目的地に集中し、一歩ずつ確実に進んで行くとしよう。

 そう考えてジャムールの街に視線を戻した時、

 

「ガーハッハッハ! 脆弱な人間どもよ! この次期四天王候補の大魔族! 『土竜(どりゅう)』モグリュール様の前にひれ伏すがいい!」

 

 ……視線の先から、なんか出た。

 街の近くの地面からひょっこりと顔を出したのは、体調10メートルくらいの巨大な竜だ。

 全身が鱗に覆われてるし、牙も爪もあるし、本人の自称するように、ドラグバーンと同じ竜の系列に属する魔族なんだろう。

 だが、あれはどう見ても……

 

土竜(どりゅう)っていうより、土竜(もぐら)よね?」

「そうだな」

 

 ステラの言う通り、この自称竜のシルエットは、完全にモグラだった。

 突き出た鼻に、やけに短い手足。

 鱗は遠目だと茶色の体毛にしか見えず、立派な爪の生えた手はまるで土かきのよう。

 モグラだ。

 どこからどう見てもモグラだ。

 生態系の下位に存在する生き物だ。

 竜を語るモグラ……どうにも間抜けな感じがするな。

 

 しかし、間抜けでも感じる力は本物。

 ドラグバーンに比べればへっぽこで、次期四天王を名乗るなんておこがましいにも程があるが、それでも老婆魔族と一緒に居たツギハギ魔族に近いくらいの力は感じる。

 まあ、奴らが使役してたゾンビの戦力まで計算に入れたら、余裕で奴らの方が強いだろうが。

 なんにせよ、あのモグラ、比較的上位の魔族ではあるのだろう。

 

 こんな奴がポンと出てくるとは、さすが最前線近くの街。

 慌てず騒がず、迅速に街を守る城壁の上から魔法の連打が飛んできてるところを見るに、こういう事態は日常茶飯事なのかもれない。

 

「どうする? 加勢するか?」

 

 別に助力がなくても問題なさそうではあるが。

 

「当然、行くわよ! 楽に倒せそうな敵を放置して被害が出たらバカらしいもの!」

「まあ、確かにな。了解」

 

 俺は手綱を操り、馬車を引く二頭の駿馬に、久しぶりの全力疾走を命じた。

 待ってましたとばかりに、馬達がテンションマックスで加速を開始する。

 ……こいつら、調教を施した奴がよっぽどの凄腕だったのか、走る事が生き甲斐みたいなところがあるんだよな。

 エルフの里に向けて急いでた時、リンの治癒魔法で疲労を誤魔化しながら限界まで走らせ続けるというデスマーチをやらせたんだが、その時ですら、壊れるどころか滅茶苦茶機嫌が良くてビビった記憶がある。

 走る事に快楽を覚えるような調教がされてるんじゃないかと疑ったもんだ。

 さすが、勇者一行の足に選ばれたエリート馬と言うべきなのかもしれない。

 

 そんなエリート馬達の活躍により、すぐにでもモグラ魔族はステラの射程圏内に入る。

 そんなステラは、馬達が走り出したタイミングで馬車の中の仲間達に戦闘準備を呼び掛けてたが、多分、出番はないだろうな。

 街からの攻撃ですらそこそこダメージを受けてる様子のモグラ魔族じゃ、ステラの初撃にすら耐えられるか怪しい。

 

 そう思ってたんだが、決着は予想外の形で訪れた。

 俺達が何かする前に、━━モグラ魔族の頭が爆散するという形で。

 

「へ?」

 

 ステラが、何が起きたかわからないと言わんばかりの間の抜けた声を上げた。

 俺も、この距離じゃさすがに何もわからない。

 だが、馬達のおかげで距離が近づくにつれて、モグラ魔族を仕留めてくれた奴の姿が見えてきた。

 

 そいつは、灰色の髪をボサボサに伸ばした、身長2メートル程の大男だった。

 筋骨隆々といった感じではなく、引き締まった無駄のない筋肉を持つ男だ。

 しかし、その男には、それ以上に目を引く身体的な特徴があった。

 頭部から伸びた狼のような耳。

 腰から生えた同色の尻尾。

 手足は、肘から先と膝から先が獣の体毛に覆われ、爪は鋭く尖っている。

 

 獣人族。

 人類の中で最も好戦的で血の気が多く、他種族と足並み揃えるのを嫌い、魔王軍との戦いですら自分達だけで好き勝手に動いてしまう、扱いにくい味方。

 モグラ魔族を仕留めたのは、そんな獣人族の男だった。

 しかも、上位の魔族を一撃で仕留める獣人族となると、心当たりは一つしかない。

 

「お?」

 

 そんな男と、遠目に目が合った。

 ……正直、あまり関わり合いになりたい人種ではないが、互いを認識した以上、無視して通るのも角が立つか。

 そんな事を思った瞬間、男は凄まじい勢いで大地を蹴った。

 たった一度の跳躍で俺達との距離を埋め、馬車の御者台に着地する。

 その衝撃で、勇者一行の為に用意された、特別製の頑丈な馬車が僅かに破損した。

 後で弁償させよう。

 

「こいつは驚いたな。遠目だから見間違いかと思ったが、この距離でここまでビンビンに感じるなら間違いねぇ。このとてつもなくデケェ加護の気配……小娘、お前勇者だな?」

「あ、はい」

「ほーう」

 

 無遠慮な目で、ジロジロと舐め回すようにステラを観察する獣人族の男。

 ……なんだ、こいつは。

 滅茶苦茶腹立つんだが。

 

「まだまだ乳臭ぇ餓鬼だが、中々にいい女じゃねぇか。よし気に入った! お前を俺様の嫁の一人にしてやる!」

「は?」

 

 いきなり頭が沸いているとしか思えないトチ狂った事を宣った男は、そのまま流れるような動作でステラの胸を揉もうとし……俺は脊髄反射でこいつを抹殺対象と認識した。

 馬車の御者台からジャンプし、男の眼球目掛けて、容赦なく本気の貫手を放つ。

 四の太刀変型━━

 

「『爪月』!」

「おっと!」

 

 俺の攻撃を上半身をのけ反る事でかわした男は、そのまま後ろにバク転して地面に着地した。

 対する俺も地面に降り立ち、男と真っ向から対峙する。

 

「ほほう。加護無しのボンクラのくせして、いい殺気出すじゃねぇか。だが、誰に向かって牙剥いてんのかわかってんのか? ━━ボンクラ風情が、身の程わきまえろ」

 

 男が俺に向けて殺気を叩きつける。

 だが、ドラグバーンの闘志に比べれば、随分と安い殺気だ。

 舐めんなと思いながら、俺もまた男に殺気を叩きつけた。

 

「ふざけんな。痴漢風情が何を偉そうに。お前こそ身の程をわきまえろ獣畜生」

「……は?」

 

 まさかそんな事言われると思わなかったのか、男は少し間ポカンとした後、

 

「ハハハ! アハハハハハ! おもしれぇ! この俺様を痴漢呼ばわりの上に獣畜生呼ばわりか! ボンクラにしては根性ありやがる! 気に入ったぜ! 冥土の土産に特別に名乗ってやる!」

 

 何がおかしいのか大笑いして、迸る殺気をそのままに、高らかと名乗りを上げた。

 

「俺様は獣人族の王にして最強の聖戦士! 『獣王』ヴォルフ・ウルフルス様だ! 俺様の名を魂に刻んで死ねや雑魚!」

「上等だ。ボッコボコにして上下関係を叩き込んでやる。二度と痴漢なんかできないように調教してやるよ」

 

 俺達は互いに殺意を以て木刀を抜き、拳を構えた。

 絡まれた本人のステラが急展開について行けずにオロオロする中、獣王が突撃を開始して殺し合いの幕が……

 

「そこまでじゃ」

 

 ……開こうとした瞬間、俺達の間に雷が落ちてきて、それを見て獣王が突撃をやめた。

 そして、馬車の中から今の魔法を放った人物が出てくる。

 

「おお! エルネスタじゃねぇか! お前も俺様の女になれよ!」

「……相変わらずじゃな、獣王の小僧。そのノリで勇者にまで絡むとは、ある意味尊敬するわ」

「当たり前だろ! 加護はある程度遺伝するんだ! 最強の俺様と強ぇ女の子供なら、強ぇ餓鬼が生まれてくる可能性が高ぇ! つまり、最強の男である俺様が強ぇ女を孕ませまくってハーレム作るのは、世界の真理なんだよ!」

「ハァ……」

 

 エル婆が、呆れて物も言えないとばかりの深いため息を吐いた。

 俺もどうしようもない奴を見る目で獣王を見る。

 確かに、獣王の言う事も効率だけを考えればいいのかもしれない。

 ハーレム作りたいなら勝手にやってろとも思う。

 だが、それにステラを巻き込むな。

 俺の大切な幼馴染を巻き込むな。

 

「お主が言っても聞かぬ奴である事は知っておる。じゃから考えを改めろとは言わぬが、とりあえず、この場はワシの顔を立てて引き下がるがよい。それがお互いの為じゃ」

「ああん? ……ちっ、まあ、お前の好感度を上げる為だと思って今回は見逃してやるか。命拾いしたな雑魚」

 

 話は終わったとばかりに、獣王は俺を完全に無視して、街の方に向かって歩いていった。

 奴が消えた後も、俺の心は静まらない。

 ……イライラする。

 あいつは嫌いだ。

 

「アー坊もステラも悪かったのう。じゃが、ここは堪えてくれ。あれでも奴は世界を守る為の貴重な戦力なのじゃ」

「い、いえ、未遂でしたし、私はそんなに気にしてないんですけど……」

 

 ステラは心配そうな顔で俺を見た。

 ……まあ、今回はステラを痴漢の魔の手から守れただけでよしとしておくか。

 そうやって、俺は強引に溜飲を下げた。

 

「ハァ……別にエル婆が謝る事じゃない。英雄がいい人ばかりじゃない事くらいはわかってる」

「そうか。ありがとう、アー坊」

「礼を言われるような事でもない」

 

 エル婆は不満を飲み込んだ俺を優しい目で見た後、馬車の中に戻った。

 多分、他の二人が出てくるのはエル婆が止めたんだろうな。

 特にリンが出てきたら、また話が拗れそうだし、エル婆の対応は間違っていない。

 あんな見た目してるが、さすが大人だ。

 

「そうそう。一つだけ付け加えておくが、アー坊の行動は何も間違っとらんから安心せい。惚れた女を理不尽に奪おうとする奴には抗って当然じゃからのう」

「茶化すな!」

「ホッホッホ」

 

 最後に、エル婆は窓からひょっこり顔を出しながら余計な一言を付け加え、言い終わったらさっさと引っ込んだ。

 茶化して俺の悪感情をごまかしてやろうってつもりだろうが、余計なお世話だ。

 俺は再び馬車の御者台に戻り、手綱を操って馬車を再発進させた。

 

「アラン、その、助けてくれてありがとう。嬉しかったわ」

「……別に、当然の事をしただけだ」

「そっか。当然……当然かぁ。ふふ」

「何笑ってんだ」

「別に、なんでもないわ!」

 

 ……嬉しそうで何よりだよ。

 ステラの笑顔に免じて、今回だけは野郎を許してやらん事もなくもなくもないと思った。

 だが、一度芽生えた獣王への嫌悪感と不信感。

 結局、これが消える事はなかった。

 最後の最後まで。



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47 剣聖の系譜

 獣王との最悪のエンカウントを終え、俺達はジャムールの街の中に入った。

 モグラ魔族襲来によって閉じられ、その後迅速に開かれた門を通って街の中へ。

 この時、勇者一行である事は明かさず、ステラが取り出した、そういう時の為に持たされたという仮の身分証を使って通った。

 まあ、勇者が街に訪れたとなれば、大騒ぎになりなねないからな。

 大々的に正体を明かして共闘を呼び掛けたかったエルフの里の時と違い、この街には物資の補給の為に寄っただけだ。

 無用の騒ぎは面倒なだけだし、混乱の元だろう。

 この仮の身分証を用意した人の判断は正しい。

 

 だが、さっきモグラ魔族の周辺で獣王と揉めるという目立つ事をしたせいか、わかる奴には勇者が来たと伝わっていたようだ。

 

「勇者様、長旅お疲れ様です。ようこそ、ジャムールの街へ」

「あ、お久しぶりです」

 

 停留所に馬車を止めた時、一人の騎士がやって来て頭を下げながら、周囲には聞こえない程度の声でステラを労った。

 城壁からこっちの姿が見えたから、一応挨拶しに来たってところか?

 勇者の来訪を知ってたのに無視するっていうのも、なんか角が立ちそうだしな。

 

 現れたのは、筋骨隆々の若手の騎士だ。

 年齢は20代半ば辺り。

 腰に剣を差している以上、剣士だろう。

 佇まいから結構な強さを感じる。

 恐らくは、『剣の加護』を持つ英雄ってところか。

 しかし、この人、どこかで見た事があるような……

 

「誰だったか……」

「シリウス王国最精鋭騎士団所属! 『剣の英雄』ドッグ・バイトだ! 貴様に二度に渡って屈辱を味わわされた因縁の男だぞ!? 顔くらい覚えておけ!」

「あ、思い出した」

 

 その煩い声で思い出した。

 そうだ。この人はルベルトさん達が村にステラを迎えに来た時にいた、犬っぽい名前の騎士だ。

 確かその時、色々あった末に俺が急所を蹴り上げて悶絶させた覚えがある。

 あとは、勇者の出立式の時にも会ったか。

 式典に乱入した俺の迎撃に、加護持ちの英雄の中で真っ先に乗り出し、これまた急所を蹴り上げて悶絶させたような気がする。

 だが、あれは男と男の真っ向勝負の結果だから謝る気はない。

 

「まったく! 貴様の無礼さは相変わらずだな! だが、まあ、いい。今の貴様は勇者様のパーティーメンバーだ。位こそ無いに等しいとはいえ、その立場は聖戦士に極めて近い。不本意ながら、俺にとっては目上の存在だ。強くは言わん」

「あはは……アランがごめんなさい」

「勇者様が謝る事ではございません」

 

 そうして、犬っぽい名前の騎士改め、ドッグさんは引き下がった。

 正直、少し意外だ。

 今までの態度からして、もう少し噛みついてくるもんだと思ってた。

 加護のない雑魚だのなんだの言われたような気がするし、てっきり頭の固い加護至上主義者か何かかと思ってたんだが、そうでもないのか。

 

「それで、ドッグさんはどうしてここに?」

「私はこの街の防衛を担当する守護騎士に着任していますので。それと、勇者様がお見えになったという事でもう一人連れて来たのですが……ほら! いつまでの隠れてないで、ご挨拶しろ!」

「……はい」

 

 その時、ドッグさんの後ろからひょっこりと一人の子供が現れた。

 騎士団の鎧を纏った、俺より二つか三つ程年下に見える小柄な少年だ。

 どうやら、大柄なドッグさんの後ろにすっぽりと隠れていたらしい。

 今もおどおどとしながら、ステラの様子を伺っている。

 気が弱いのかもしれない。

 

 だが、そんな見た目と雰囲気に反して、俺の戦闘経験に基づく直感は、第一印象とは真逆の感覚を訴えていた。

 ……強いな。

 ドッグさんに近い力を感じる。

 まず間違いなく加護持ちだろう。

 しかし、同時に少し妙な感じもする。

 直感が微妙に狂ったように、どのくらい強いのかが今一わからないのだ。

 ドッグさん以下な気もするし、フィストみたいな英雄上位クラスのような気もするし、下手したらブレイド以上のような気さえする。

 直感が複数の答えを提示してきて役に立たない。

 そう。

 これはまるで、初めて見るタイプの敵と遭遇した時のような……

 

「あー! レストくん!」

 

 そんな俺の思考は、隣で大声を上げたステラによってかき消された。

 ステラは神速でレストくんと呼んだ少年に向かってダッシュし、その手を両手でガシッと掴んで上下にブンブンと振る。

 

「レストくんもこの街に居たのね! 久しぶり! 元気にしてた?」

「は、はい……」

「そっかそっか!」

 

 …………ステラ、お前いつもとテンション違くないか?

 やけに嬉しそうだし、楽しそうだし、なんか見ててモヤモヤする。

 いや、そういえばこいつ、故郷の村でも年下連中には結構甘かったな。

 あの頃は自分達もガキだったから、そこまで考えが及ばなかったが、ステラは割と子供好きなのかもしれない。

 だからと言って、胸のモヤモヤが消える事はなかったが。

 ステラに詰め寄られて顔を赤らめてるレスト少年の様子もまた、胸のモヤモヤを加速させる。

 

「ステラ、誰だその子?」

 

 少年を構い倒す幼馴染に声をかけて、こっちを向かせた。

 決して、ヤキモチ的な気持ちに駆られた行動ではない。

 

「この子は王都で訓練受けてた時に、よく一緒になってルベルトさんにシゴかれてた子よ。レスト・バルキリアスくん。アランも会った事ある筈だけど」

「こんな気配に覚えはないんだが……ん? バルキリアス?」

 

 聞き覚えのある家名に俺が反応すると同時に、

 

「おお! 誰かと思えば弟じゃねぇか!」

「……兄上」

 

 馬車の中からブレイドが現れ、レスト少年を弟と呼んだ。

 レストの方もまた、何やら複雑そうな顔でブレイドを兄と呼ぶ。

 ああ、やっぱりブレイドの弟か。

 ブレイドのフルネームは、ブレイド・バルキリアス。

 ついでに、ルベルトさんのフルネームも、ルベルト・バルキリアス。

 つまり、この子は剣聖の系譜に連なる者って事になる。

 

 しかし、あの複雑そうな顔を見るに、兄弟関係は上手くいってないのか。

 と思ったが、ブレイドはのしのしと歩いていき、レストの頭を乱暴に撫で回した。

 その顔は、ここ最近のどこか張り詰めたような顔ではなく、豪快な笑みだ。

 少なくとも、ブレイドの方は弟を可愛がっているらしい。

 対する弟は複雑な顔のままだが、思春期、あるいは反抗期というやつなのかもしれない。

 

「あ、ホントだ! レストくんがいます!」

「おー、レス坊ではないか。少し見ない間にまた大きくなった気がするのう。ほれ、飴をやろう」

 

 勇者パーティーの残り二人、リンとエル婆も出てきてレストを構い出す。

 ま、まさかウチのメンバー全員を虜にするとは……!

 弟キャラ強すぎる。

 多分、王都に居た頃に虜にされたんだろうな。

 ステラやリンが王都へ行った頃、レストは更に幼かった筈だし、慣れない土地でちっちゃい子供に癒しを求めても不思議ではない。

 エル婆の場合は、年寄りが幼子を構いたくなる本能的なやつだろう。

 そんな魔性の弟レストだが……俺とだけは仲良くなれないかもしれない。

 

「アランだ。よろしくな」

「……はい。よろしくお願いします」

 

 構い倒されてるレストに近づき、声をかける。

 レストも返事はしたが、お互いに握手の為の手は差し出さない。

 代わりに、敵を見るような視線を互いに交わし合った。

 尚、先に敵意の視線をぶつけてきたのはレストの方だ。

 

 ……確定だな。

 ステラに手を握られた時と、エル婆やリンに構い倒されてた時で、レストの態度は微妙に違った。

 どっちも照れを含んだ複雑そうな顔だったが、ステラ相手の時は照れの割合が大きかった気がする。

 そして何より、ステラに対する視線には、俺みたいな同類相手だと隠しきれない熱があった。

 

 こいつは俺の敵だ。

 綺麗な言葉を使えばライバルだ。

 当然、負けるつもりはない。

 俺達はバチバチと交わす視線で火花を散らした。

 

「え? なんで二人とも、そんな刺々しい感じになってるの?」

「気にするな。ちょっと、こいつをライバル認定しただけだ」

「えぇ……?」

 

 ステラは困惑したような顔になったが、リンとエル婆は察したのか、いつもより輪をかけて酷いニヤニヤとした顔になった。

 小さな声で「修羅場じゃのう」「修羅場ですねぇ」とか聞こえてくる。

 ウザイ。

 微妙な顔しつつも何も言わずに見てるだけのブレイドや、我関せずを貫いてるドッグさんを見習え。

 

「ほう。随分と賑やかな事になっているな」

 

 その時、レストを中心に良くも悪くも賑わっていた俺達に話しかけてくる人物がいた。

 聞き覚えのある、威厳に満ちた老人の声。

 全員がバッと声の方に振り向くと、そこには隣に停まった大型の馬車から降りてきた、一人の老騎士の姿が。

 

「休息に訪れただけのつもりだったが、まさか勇者様達とかち合うとは。私も中々タイミングが良いようだ」

「「「ルベルトさん(様)!」」」

 

 現れたのは、かつて俺が絶対に超えなければならない壁として背中を追いかけた、往年の大英雄。

 『剣聖』ルベルト・バルキリアス、その人だった。

 俺の知るバルキリアス一家が、全員このジャムールの街に集結した瞬間であった。



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48 老騎士再び

 ルベルトさんの出てきた馬車から、次々の騎士達が降りてくる。

 その全員が例外なく疲労のオーラを纏い、だが同時に嬉しそうな顔をしていた。

 

「では、ここで解散とする。各自、次の戦いに備えて英気を養ってこい。いつもの事だが、街の人々に迷惑をかけるなよ」

「「「ハッ!」」」

 

 騎士達は一斉に敬礼した後、思い思いの方向へ散っていった。

 大声で「久しぶりの休暇だ、ヤッホォオオオイ!」とか「娼館が! 娼館が俺を呼んでいるぅううう!」とか 叫んでる奴もいる。

 ルベルトさんがこの一団を率いてたって事は、本気で休みに来ただけみたいだ。

 如何に体力のある聖戦士とはいえ、ルベルトさんはもう引退しててもおかしくない程の高齢。

 たまには前線から離れて羽休めする時間が必要って事だろうな。

 最前線の各砦には最低二人以上の聖戦士が詰めているらしいし、その片方が数日抜けるくらいの余裕はあるんだろう。

 

「さて、お久しぶりですな勇者様。ご活躍の程は聞き及んでおります。旅立って早々に四天王の一角を討伐。お見事です。本当に、ご立派に成長なさいました」

「い、いえ、そんな! 皆やエルフの人達のおかげですよ! それに、あいつにトドメ刺したのはアランですし!」

「ご謙遜を。しかし、そうですか。彼が……」

 

 ルベルトさんは俺に視線を移す。

 そして、ふっと優しげな笑顔を俺に向けた。

 

「久しいな少年。勇者様の仲間として立派にやれているようで何よりだ。君も本当に立派になった」

「……どうも」

 

 なんというか、この人からの素直な称賛の言葉はくすぐったく、それ以上に誇らしい。

 この人は甘えを許さない厳格な人だ。

 幼い頃の俺が多少力を見せた程度ではステラに同行する事を許さず、英雄を倒す程に成長した事を証明して見せても、最後には自ら全力の剣を振るって俺を試す程に。

 だからこそ、その試練を乗り越えて認められた時にかけられる称賛の言葉は、お世辞抜きで混じり気もない本気の言葉だとわかる。

 偉大な歴戦の大英雄に、心から認められて称賛されるんだ。

 嬉しくない奴は早々いないだろう。

 

「その調子で、これからも勇者様を支えてほしい。頼んだぞ」

「言われるまでもありません」

「そうだろうな。勇者様に関してならば、君のその言葉以上に信頼できるものはない」

 

 それだけ聞ければ充分だと言うように、ルベルトさんは俺から視線を外した。

 

「リンくんも久しぶりだな。エルネスタ殿もご健勝なようで何よりです」

「は、はい! お久しぶりです、ルベルト様!」

「お主も変わりないようじゃな、ルー坊。その歳でまだまだ現役か」

「無論です。魔王を倒すまでは現役と決めておりますので。それに歳の事を言うのであれば、エルネスタ殿も大概でしょう」

「ホッホッホ。言いおるわ。未だ10代の体を持つピチピチのワシと、老体を引き摺るお主を同列に考えるのはどうかと思うがのう」

 

 ルベルトさんを前に、リンはガッチガチに緊張し、逆にエル婆はかなり気安く話していた。

 リンは王都での修行時代に相当厳しくシゴかれたらしいので、その頃叩き込まれた上下関係が消えてないんだろう。

 だが、エル婆にとっては、そんなルベルトさんですら年下の若造。

 争いが絶えなかったという先代魔王の時代を共に生き抜いた聖戦士同士だし、もしかしたら俺が思う以上に二人は親しい関係だったのかもしれない。

 お互いに歳だの老体だのと、軽口を叩き合えるくらいには。

 

「まあ、お主がまだまだ戦う気だと言うのであれば、後で少し話しておきたい事がある。時間を作っておけ」

「話しておきたい事ですか?」

「エルフの里で手に入った重要な情報じゃよ。ステラとアー坊も同席せい。お主らから話した方がいいじゃろう」

「! わかりました」

「わかった」

 

 俺達二人を名指しするって事は、例の話をしとけって事だろう。

 確かに、ルベルトさんには話しておいた方がいいような気はする。

 強さもそうだが、それ以上にかなりの影響力を持つ人だ。

 同じ聖戦士でも、どこぞの痴漢と違って、必ず俺達の力になってくれる筈。

 

「じゃが、まあ、今は久しぶりに会えた孫達に構ってやるといい。せっかくの休暇なのじゃろう?」

「ええ、そうさせて頂きます」

 

 エル婆に見送られ、ルベルトさんはブレイドとレストの孫二人に目を向ける。

 二人とも気まずそうに顔を強張らせて俯いた。

 ドラグバーン戦でやらかしたブレイドはともかく、レストも何かあるんだろうか。

 もしくは、単純に厳格な祖父が怖いだけか。

 

「まずはブレイド。その顔を見ればわかる。どうやら、ようやく己の未熟さを理解した……いや、理解させられたようだな」

「…………おう」

 

 蚊の鳴くような声でブレイドが答える。

 その姿に、かつて自信に満ちていた頃の面影はない。

 今のブレイドはデカイ図体に似合わず、保護者に叱られるのを怖がりながら待つ、ただの子供のように見えた。

 そんなブレイドに、ルベルトさんが掛けた言葉は……

 

「自分でわかっているのならいい。ようやく、お前は成長の機会を得たのだ。初心を忘れず、心を強く持ち、挫折を糧として研鑽せよ。そうすれば、お前はまだまだ強くなれる。心も体もな。━━期待しているぞ」

「!」

 

 期待しているの一言で、ブレイドはバッと顔を上げる。

 ルベルトさんの言葉は、叱責ではなく激励だった。

 彼は、かつて弱々しい子供だった頃に、無謀にも剣聖に挑んでぶっ倒された昔の俺を見ていた時とそっくりな、優しい微笑を孫に向けていた。

 これはあれだ。

 まだ未熟だけど、未熟なりに一人の戦士として認めてくれた時に見せてくれる顔だ。

 言葉通り、その将来に期待してくれている時の顔。

 

 今まで、ブレイドはルベルトさんに認められていなかった。

 しかし今、敗北を経験し、慢心を捨てて努力を始めたこいつを、ルベルトさんは多少なりとも認めてくれたって事だろう。

 それが殊更嬉しかったのか、ブレイドはさっきとは違う意味で俯き、ニヤけそうな顔を必死で堪えながら、それでも今度はしっかりとした声で「おう」と答えた。

 ドラグバーン戦以降、不安定だった心が安定を取り戻したように見える。

 それを見て、リンが心からホッとしたような顔をしていた。

 ルベルトさんも満足そうに頷き、続いて視線を弟の方に移す。

 

「レスト」

「……はい」

「反省は済んだか?」

「…………はい。お祖父様」

 

 ブレイドの時とは打って変わって、厳しい言葉と鋭い視線。

 それを受けて、レストは更に俯いた。

 ブレイドの照れ隠しとは当然違う、悲壮感漂う顔をしている。

 小さな体が、より一層小さく見えた。

 

「……え? レストくん、何かやっちゃったんですか?」

 

 ステラが心配そうにレストを見てから、恐る恐るルベルトさんに問い掛ける。

 ルベルトさんは「ハァ」と一つため息を吐いてから、ステラに事情を説明した。

 

「レストは先日、王都から最前線に向かう部隊の積み荷に紛れ込み、魔王軍本隊との戦いに無断で飛び込んだのです。結果、魔族の一体に完膚なきまでに叩きのめされ、一時意識不明で生死の境をさ迷いました」

「「「え!?」」」

 

 ステラ達が驚愕の声を上げながらレストを凝視した。

 あまりレストの事を知らない俺や、年長者の落ち着きを持ってるエル婆は声こそ上げなかったが、それでも目を丸くしてレストの事を見る。

 

「レストくん! なんでそんな無茶したの!?」

「そうですよ! 修行中のアランくんじゃあるまいし!」

「あの頭のおかしいアラン以外がそんな事したら、普通に死ぬぞ!?」

「おい」

 

 何故、唐突に俺をディスり始める?

 いくら俺でも、無策で魔王軍本隊に突貫するような真似はしないぞ。

 修行で魔族やら何やらに挑んだ時だって、最低限生きて帰れるだけのリスク管理はしてたんだ。

 手足落っことしても、命を落とした事はない。

 ついでに、意識を落とした事もない。

 一人旅で帰還する前に意識落としたら、ほぼほぼそのまま死ぬからな。

 

「ごめんなさい……」

 

 ステラ達の言葉に、レストはただただ暗い顔で謝罪だけを口にした。

 訳は話したくないって事か。

 ……もしかしたら、レストは俺と似たような理由で無茶をしたのかもな。

 ステラに追いつきたくて、強くなる為に強敵との戦いを欲した。

 もしくは、ステラの隣に立っても見劣りしないような、功績と名誉を求めたのかもしれない。

 そうだとしたら、そりゃ理由なんか話したくないわな。

 惚れた女に、そんなカッコ悪い事言える訳がない。

 

 まあ、所詮はレストの事をよく知らない俺の想像だ。

 てんで的外れの可能性だって大いにある。

 だが、もし本当にそうなら……少しは共感する。

 

「レスト、お前はまだ子供で修行中の身だ。一人の戦士として戦場に出すには足りないものが多すぎる。戦いたいのなら、認められたいのなら、まずは成長しなさい。わかったか?」

「はい……」

「よろしい」

 

 ルベルトさんは鷹揚に頷く。

 

「お前は折を見て王都に送り返す。その前に私の手で直接稽古をつけてやろう。私が帰還報告を済ませたら練兵場に来なさい。ドッグ、その間の街の守りは任せたぞ」

「ハッ!」

「あ、それなら私達も訓練に参加……」

「いえ、勇者様方は長旅でお疲れでしょう。今日のところは、ゆっくりとお休みください」

 

 ステラの申し出を、ルベルトさんはやんわりと拒否した。

 それでも何か言いたげだったステラの肩に、ブレイドが手を置く。

 

「今はそっとしといてやってくれねぇか。ここは爺に任せてくれ」

 

 そして、小声でステラを制した。

 まあ、レストも好きな女に情けない姿を見られたくはないだろう。

 それを察してフォローした兄心ってところか。

 

「……わかったわ」

 

 家族の問題として扱われれば、ステラも引き下がるしかない。

 そうして、レストはルベルトさんとドッグさんに連れられて去って行った。

 三人の背中が遠ざかっていく。

 

「そういえば、ブレイドは行かなくてよかったのか?」

 

 家族の問題なら、ブレイドが首突っ込む分にはよかったんじゃないかと思い、気になって問い掛けてみた。

 

「あー……あいつは俺の事あんまり好きじゃねぇからなぁ。可愛い弟なんだが、俺があれこれ言うのは逆効果だろ」

 

 そう言うブレイドの顔は、中々に複雑そうに歪んでいた。

 ……ちょっと前まではブレイドもルベルトさんに認められてなかった事といい、剣聖一家の家庭環境は大分難しい事になってるようだ。

 悩ましいな。



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49 繋いだ手

「さて、レス坊の事をあまり気にし過ぎても仕方ない。そっちはルー坊がなんとかするじゃろう」

 

 ようやく辿り着いた宿屋にて、エル婆はそう言った。

 

「それよりも、ワシらはワシらの事を考えねばならん。この街での目的は必要物資の補給とその他諸々が多少ある程度。つまり! それ以外の時間は、移動と戦闘続きのこの過酷な旅の合間に、自然に挟み込めた貴重な休息な時間となろう。という訳で! 各々存分に英気を養うのじゃ!」

 

 そのまま、エル婆が宿屋のベッドにダイブしたのが昨日の事。

 ルベルトさん達と別れ、勇者来訪の騒ぎにしない為に高位の冒険者パーティーを装って泊まった、そこそこの値段の宿屋での出来事だ。

 レストの事で少し重くなってしまった雰囲気を和らげようとしてくれたのだろう。

 その日の夜は隣の部屋で女子三人集まってたみたいだし、レストの事であまり納得してなかった二人のフォローもしてくれたのかもしれない。

 

 

 そして、その翌日。

 久しぶりにふかふかのベッドで寝て疲れを取った俺達は、早速この街での数少ない目的を消化する為に動き出した。

 

「必要物資の買い出しはステラとアー坊に任せたぞ。ワシらは他の用事を済ませてくるからのう」

「他の用事?」

 

 あったか、そんなもん?

 

「ワシは兵舎に行って、ルー坊と例の話をする時間の擦り合わせをしておくつもりじゃ」

「私もエルネスタ様と一緒に兵舎に行って、負傷兵の人達の治療をするつもりです」

「俺は鍛えたい気分だからな。修行ついでに、近場の魔物を狩ってサンドバッグにしてくるわ」

「という訳で、買い出し担当は消去法でお主らになった訳じゃ」

「なるほど」

 

 言われてみれば、結構用事あったんだな。

 とはいえ、どれも一日あれば終わりそうなものばかり。

 この街には一週間くらい滞在する予定だし、今日の内に諸々終わらせておけば、あとはゆっくりできるって事だろう。

 

 もっとも、俺はそんなに休むつもりはない。

 一日休めば、それだけ剣の腕は錆び付いていく。

 ましてや、俺の剣は繊細さが命。

 僅かなミスが死に直結する。

 非力な俺が最強殺しの力を維持したいのならば、僅かな怠慢すら許さず研ぎ澄まし続けなければならない。

 今日も買い出しが終わったら、恒例のステラとの勝負でもやるとしよう。

 

 ところで……

 

「なんで、お前はそんな格好してるんだ?」

「べ、別にいいでしょ!」

 

 俺と同じく買い出し担当となったステラは、何故かそこらの街娘のような小洒落た格好をしていた。

 青と白を基調とした、割と凝った装飾のワンピースだ。

 神樹の木剣も、聖剣すらも装備してない、まるでデートにでも行く時のような戦闘力ゼロの格好。

 それがまた似合ってるから辛い。

 いつもとのギャップが、俺の精神を追い詰める。

 

 俺にこんな精神攻撃を仕掛けた犯人はわかっている。

 目の前でニヤニヤしてるリンとエル婆だ。

 こいつら、謀りやがったな。

 恐らく、昨日女子三人で集まってた時に、ステラに何が吹き込んだんだろう。

 そうなると、あの二人だけじゃなくブレイドにまで予定を入れて、俺達を二人きりで買い出しに行かせるようにしたのも計画の内か。

 だが、レストというライバルが出てきた以上、頭ごなしにこいつらを批判する事もできない。

 おのれ。

 

「では、ワシらはもう行くとしよう! 買い出しを楽しんでくるのじゃぞー!」

「あくまでも買い出しですからねー! デートじゃないんだから、気兼ねなく楽しんできてくださーい!」

「あー、その、頑張れよ?」

 

 好き勝手言いながら、奴らは去って行った。

 残されたのは、俺とステラと、買い出し用にしては多めの金に、持ち運び用のマジックバックだけ。

 …………。

 

「……とりあえず、行くか」

「……うん」

 

 このままボーッとしてる訳にもいかない。

 俺はステラを促して、買い出しに出発しようとした。

 

「? どうした?」

 

 しかし、俺が歩き出してもステラはついて来ない。

 首を傾げる俺に、ステラは躊躇うように真っ赤な顔で俯いてから、意を決したように右手を差し出してきた。

 

「手、繋いでくれない……?」

「ッ!?」

 

 その声音と上目遣いは反則だろ……!?

 ぐぅ!

 精神に多大なダメージが!

 おのれ、あの女子二人組!

 ステラに妙な事吹き込みやがって!

 しかも、タチの悪い事に、男としてこれは断れない……!

 

「……ほら」

 

 結局、俺は僅かな逡巡の末に、差し出されたステラの右手を左手で握った。

 ステラは嬉しそうに微笑んだが、次の瞬間、ちょっと不満げに頬を膨らませる。

 

「籠手取りなさいよ」

「断る」

 

 どうやら、ステラは俺が街中でも装備してるミスリルの籠手が不満のようだ。

 籠手の掌部分は分厚い手袋みたいになってるからな。

 そりゃ、握り心地は悪かろう。

 だが、お前の精神攻撃のせいで今はこれが限界だ。

 それに、

 

「常在戦場の心構えは必要だろう。例え街の中でも、痴漢の聖戦士とかが襲ってくるかもしれないからな」

「ふ~ん」

「……なんだよ」

 

 装備の必要性を訴えてみたが、ステラは何故か俺の顔を覗き込んで、ちょっと満足そうな顔になった。

 まさか、顔に集まった熱を見抜かれたか……!?

 

「まあ、今日のところはその顔を見れただけで満足しとくわ。さあ、行くわよ」

「……ああ」

 

 くそっ、主導権を握られてる気がする。

 というか、こいつ、随分大胆に攻めてくるようになりやがったな。

 そろそろ自分を誤魔化すのも限界に達しそうだぞ、ちくしょう。

 

「つーか、俺みたいにフル装備しろとは言わないが、せめて剣くらい持っといたらどうだ?」

「大丈夫よ。いざとなれば聖剣は空間を渡って飛んでくるみたいだから。その機能で聖剣に出会う前の勇者が窮地に陥った時とか、本当にヤバい時は剣聖の所にも飛んでくるんだって」

「なんだそりゃ? 剣聖も聖剣を使えるのか?」

「エルネスタさん曰く、勇者不在の本当に最悪の時だけみたいだけどね。勇者以外が聖剣使ったら反動で死ぬみたいだし。ちなみに、私が育つ前に魔王が出てきたら、ルベルトさんが聖剣使って命懸けで撃退するつもりだったみたいよ」

「……そうならなくて何よりだな」

 

 そんな雑談を交わしながら、俺達は宿屋の玄関を抜けて街に繰り出した。

 籠手越しでも感じる繋いだ手の感触に、溺れそうな程の幸福感を覚えながら。

 ……ああ、だからダメなんだ。

 こうなるから、この気持ちはまだ伝えられない。

 俺は自分の気持ちに必死に封をし、それでも抑えきれずに溢れ出す感情に振り回されながら、買い出しへと出発した。



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50 デート

 ステラと手を繋ぎながら街を行く。

 ……街の住人達からの生暖かい視線と、若い男どもからの嫉妬の視線が痛いが、無視だ無視。

 一度繋いだ手を振り払う訳にもいかない以上、俺には耐える以外の選択肢はない。

 視線にも、恥ずかしさにも、幸福感にも、男なら黙って耐えるしかないのだ。

 

「……そういえば、こういう買い出しは初めてだな。何買えばいいんだ?」

 

 気を紛らわす為にも、ステラに話題を振る。

 というか、これは聞いておかないといけない話だ。

 俺は一人旅の経験こそあるが、こうしてパーティー単位で旅をした経験はあまりない。

 前の世界で一時期、俺と同じく魔王を恨んでる同志とパーティーを組んだ事があったんだが、誰一人として俺の無茶な修行の旅について来れず、パーティーは一週間も持たずに崩壊した。

 復讐という凄まじいモチベーションがあった連中ですらそうなったんだ。

 普通の奴らとでは尚の事上手くいく筈もなく、俺はそれ以来ずっと一人旅を続けてきた。

 

 そんな経緯もあって、俺はパーティーでの旅に何が必要なのか、今一よくわかっていない。

 しかも、勇者パーティーは豊富な資金に内部の時間を止められる最上級のマジックバック等によって、普通の旅とは比べ物にならない程、入念で完璧な準備ができる。

 俺の一人旅とは前提条件が違いすぎて、何買えばいいのかわからないのが本音だ。

 

「えっと、私も王都で勉強させられただけで、実際に買い出しに出るのは初めてだから、詳しくは説明できないんだけど……やっぱり一番は食料の調達よね」

「だろうな。あのマジックバックもあるし、どこかの飯屋で弁当でも作ってもらって詰めるのか?」

「ううん。食材だけ買って、私とリンで作り置きする予定よ。立ち寄る場所全てにそういうお店がある保証はないし、今から慣れておかないとね」

「ほう」

 

 そういう感じか。

 そういえば、前にリンが料理担当は自分とステラだとか言ってたな。

 

「他にも細々とした物は必要だけど、そういうのは最初に持たされた分がまだまだ残ってるから大丈夫ね。まだ旅に出て三ヶ月弱だし。とりあえず今のところは食料の事だけ気にしてればいいと思うわ」

「なるほどな。了解」

 

 つまり、寄るべき所はそう多くない訳か。

 かなり時間に余裕がありそうだ。

 

「なら、帰りに武器屋に寄ってもいいか? まずないとは思うが、黒天丸と怨霊丸を打ち直すまでの繋ぎに使えそうな業物が置いてないか、一応見ておきたい」

「勿論いいわよ! ……デートの時間が伸びるのは大歓迎だし」

 

 後ろの方の言葉はゴニョゴニョと小声で呟かれてたが、こんな時ばっかり感度の良くなった俺の耳にはバッチリ聞こえてしまった。

 くそ、顔が熱くなる。

 ステラに見られてなきゃいいが。

 

 

 そんな心配をしてる内に、俺達は目的地だった市場に辿り着いた。

 呼び込みの声がそこかしこで飛び交っている。

 最前線に最も近い街だというのに、かなりの活気があって少し驚いた。

 

「あ、八百屋さん。アラン、行くわよ!」

「おう」

 

 とりあえず、一番最初に目に入ったらしい八百屋に向けて、ステラは小走りで近づいていく。

 必然的に、手を繋がれてる俺も連行されるような形でついて行く事になった。

 

「へい、らっしゃい! おお、随分と可愛らしいお客さんだな! カップルかい?」

「そんなところです」

 

 そんなところですじゃないだろ。

 こいつ、今日は本当に大胆に攻めてくるな。

 効果は抜群だ。

 勘弁してくれ。

 

「ハッハッハ! そうかそうか! 微笑ましいねぇ! よっしゃ! 若い子達の未来に幸あれって事で、安くしとくぜ!」

「ホントですか! ありがとうございます!」

 

 サラッと値下げに成功するステラ。

 八百屋のおっさんよ。

 あんた、単純に可愛い女の子の笑顔にやられただけだろ。

 

「それにしても、明るい街ですね」

「まぁな! 見ねぇ顔だし、お嬢ちゃん達他の街から来たんだろ? 最前線の街って事で、もっと切羽詰まってる所だと思われる事が多いんだけどよ。実際はそうでもないんだ。それもこれも、砦とこの街を守ってくださってる英雄様達のおかげだぜ!」

 

 八百屋のおっさんは、心底誇らしそうにそんな事を語る。

 砦やこの街を守る英雄というと、ルベルトさんやドッグさん達か。

 慕われてるんだな。

 

「俺はもうずっとこの街で八百屋やってる。15年前、隣国に魔王が現れたって聞いた時は絶望したもんだ。だけどよ、その時どころか15年もの間砦は突破されなかったし、街も滅びなかった。おかげで街の連中は少しずつ安心していって、今ではこんな感じになった訳だ」

 

 そう言って、八百屋のおっさんは辺りを見回した。

 呼び込みの声が明るく響く市場。

 決して少なくない数の人々が行き交い、そこかしこで談笑の声が聞こえ、笑顔の子供が父親と思われる人に肩車されてはしゃいでいる。

 戦場から遠く離れた街と言われても納得できるような、いい街だ。

 きっと、こういう街が近くにあるからこそ、最前線で戦う戦士達は頑張れるんだろう。

 

「こういうの見てるとよ、俺もできる限り元気に生きて、若ぇ奴ら助けて、この希望を未来に繋ぎたいとか、そういうキザな事考えちまう訳よ。って事で、安く買っていってくれや! 未来ある若者カップル!」

 

 おっさん……あんた、思ったよりいい奴だったんだな。

 若い女の色香に負けて、即行で値引きしたエロ親父じゃないかとか思っててすまん。

 

 結局、値引きはされても良心的な価格をしっかり払わされた上で、俺達はおっさんの店で野菜を購入した。

 

 

 

 

 

 その後、肉屋、魚屋、果物屋などを回り、保存食も含めて食材の買い出しは終了した。

 旅の途中で食料が切れかけると、周囲の魔物やら動物やらを狩り、そこら辺の植物を食って凌ぐ事になる。

 ここでうっかり毒のある食材を引き当ててしまうと悲惨な事になる訳だ。

 何を隠そう、前の世界の俺はそれで一回死にかけた。

 久しぶりのご馳走だと思って食った鳥の魔物が、まさかの毒持ちだなんて誰が思う。

 

 それ以来、俺はできるだけ嵩張らずに長持ちする保存食と、それを大量に入れておけるマジックバックを必須装備認定する事になった。

 今は人生経験豊富で、そういう知識も持ち合わせてるエル婆がいるし、最悪治療のエキスパートであるリンもいるから滅多な事は起こらないと思うが、それでも万が一を警戒するなら、食料は大量に蓄えといた方がいい。

 そうじゃなくても、やはり自分達で解体だの採取だのした食材より、ちゃんと店で売ってる物の方が美味い。

 この食材達がステラの料理でどう化けるのか、楽しみだ。

 

 そんな感じで食料を買い終え、それは全てマジックバックの中に入れたので荷物が嵩張る事もなく、俺達は次の目的地である武器屋へと足を運んだ。

 

「おお、品揃えがいいな」

「そうなの?」

「ああ。さすがは最前線近くの街の武器屋って感じだ」

 

 軽く見回しただけでも店内は広く、その広いスペースを余す事なく、剣、刀、槍、盾、斧、弓、杖、鞭など、メジャー武器からマイナーな武器まで、様々な武器が置かれていた。

 鎧やローブなどの防具類も充実してるし、その多くが高品質だ。

 そこら辺の魔族となら充分に打ち合えそうな武器がゴロゴロしてる。

 恐らく、ここは最前線の砦で戦う兵士や冒険者御用達の店なんだろう。

 ダメ元だったが、これなら少しは期待できるかもしれない。

 

「で、良さそうなのはあった?」

「いや、そう簡単には見つからない筈だ。今回は求める水準が高すぎるからな」

 

 何せ、最低水準が『四天王とでもある程度戦える刀』だ。

 少なくとも魔剣クラスでなければ話にならない。

 それ以下なら、今持ってる神樹の木刀の方が強いからな。

 いくら品質のいい店でも、さすがにそこらに並んでる市販品じゃ、この要求には応えられないだろう。

 だが、いつぞやの怨霊丸の時のように、掘り出し物を見つけられる可能性もある。

 とりあえず、店内を回ってみるか。

 

 そう考え、ステラと一緒に店内を回っていると、

 

「なんか、前にもこんな事があったわね」

 

 ふとステラがそんな事を呟いた。

 懐かしむような顔をしながら。

 

「アランは覚えてる?」

「ああ。7歳の誕生日プレゼントを買いに来た時の事だろ。覚えてる」

 

 ステラと武器屋に行った記憶は、その時しかない。

 ステラのお父さんに連れられて街へ行き、怨霊丸を買った時の思い出だ。

 今考えると、あれは滅茶苦茶な幸運だったな。

 あんな田舎の店で、魔族相手に戦える武器が格安で売ってたなんて奇跡だ。

 むしろ、戦場から遠い田舎だったからこそ、性能より怨霊丸の縁起の悪さを優先するような価値観がまかり通ってたのか。

 そういう意味でも、ひたすら運がよかった。

 

 まあ、それはともかく。

 

「確か、あの時はお前、おじさんに魔剣買ってくれとか無理言って困らせてたよな」

「うっ……そんな事よく覚えてるわね」

「しかも、勝手に俺を置いて向かいのレストランで昼飯食ってやがったし」

「し、仕方ないじゃない! お腹空いてたのよ!」

 

 赤い顔で過去の行いの言い訳をするステラ。

 それから少しの間、俺達は武器を見ながら昔の話題で盛り上がった。

 あの頃も勝負ばっかりやってたなとか、その度に母さんの治癒魔法の世話になってたなとか。

 勝負の後は大抵風呂に叩き込まれたが、毎回のように俺が躊躇なく脱いでた事を、ステラは未だに気にしてるらしい。

 お互いガキだったんだから、別に気にする事ないだろって言ったら怒られた。

 他にも語ろうと思えば、思い出はいくらでも出てくる。

 子供の頃の思い出を語り合うのは幼馴染の特権だ。

 正直、楽しい。

 

「……なんか、凄く懐かしいわ。あれからもう8年。村を出てから5年も経っちゃったのよね」

「そうだな」

 

 ステラは遠くを見るような目でそう語る。

 戻れない過去に思いを馳せながら。

 そんなステラに、俺は声をかけた。

 

「帰りたいなら帰ればいい。魔王を倒して堂々と帰ろう。二人で一緒に」

 

 俺は籠手を外し、素手でステラの頭に手を乗せながらそう言った。

 ステラはキョトンとした後、赤くなった顔で俺を見上げ、

 

「うん!」

 

 花が咲くような笑顔で、大きく頷いた。

 ……やっぱり、お前のその顔は反則だよ。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

「……で、これはどういう事?」

「どうって、何がだ?」

 

 結局、武器屋では目当ての水準の刀には出会えず、少しだけガッカリしながらの帰り道。

 俺はちょっと寄らないかと言って、広い公園にステラを連れて来た。

 何故かステラはそわそわしてたが、そこで俺が手渡したのは、マジックバックに入れて持ってきた、ステラの木剣と装備一式。

 それが意味するところはただ一つ。

 いつもの鍛練という名の勝負の時間である。

 

「なんでそうなるのよ!? せっかくいい雰囲気だったのに!」

「やっぱり、俺達にはこれが似合うだろう。それに魔王を倒すまでは精進あるのみだ」

 

 そう言うと、ステラはガックリと項垂れながらも、割と素直に装備一式を受け取った。

 

「まあ、今日は楽しかったし、今回のところはこれで勘弁してあげるわ。でも、次はこうはいかないんだからね!」

 

 そうして、ステラはトイレに向けて走って行った。

 あそこで着替えるつもりらしい。

 ……それにしても、次はこうはいかないときたか。

 俺は一体いつまで自分を律しきれるんだろうな。

 できれば、我慢が限界に達する前に魔王を倒してしまいたいもんだ。

 

「あれ?」

 

 俺が自分の悶々とした気持ちと戦っていた時、前方からステラのそんな声が聞こえた。

 何かあったのかと思って視線を向けてみれば、そこにはボーッとした顔で歩く、見覚えのある奴の姿が。

 ……まさか、デートの最後の最後で会う事になるとは。

 巡り合わせの妙ってやつだな。

 少し複雑な気分だ。

 

「レストくん!」

「……ステラさん」

 

 そこにいたのは、俺がライバル認定した男にして、魔性の弟キャラ。

 ある意味、デート中に遭遇するのに相応しい人物。

 レスト・バルキリアスだった。



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51 幼き剣士との会話

「……デートですか?」

「えっと、その、そんな感じかなぁ」

 

 装備一式を渡された事でデート時のイケイケテンションが切れてしまったのか、それとも知り合いに面と向かって言うのは恥ずかしいのか、ステラは八百屋のおっさんに向かって言い切った時と違って、大分照れの入った声でそう答えた。

 それでも、声には喜色が滲んでいる。

 レストの顔が苦虫を噛み潰したみたいになった。

 ……ステラ、お前結構、罪な女だな。

 

「ステラ、お前は早く着替えてこい。その間、俺達は男同士でちょっと話してる」

「あ、うん。わかった」

 

 とりあえず送り出すと、ステラは走って着替えに向かった。

 すぐに戻ってくるだろう。

 だが、戻るまでの間は、俺とレストの二人きりだ。

 

「さて、何か言いたい事はあるか?」

「……ステラさんに愛されてますね。羨ましい限りです」

「そうだな。俺は幸せ者だ」

 

 最近のステラのアピールは結構露骨になってきてる。

 子供時代ならまだしも、今あれを受けて恋愛的な意味で好かれてないと思う程、俺は鈍感じゃない。

 

「なのに、付き合ってないんですね」

「……誰から聞いた?」

「兵舎に来たリンさんとエルネスタ様の会話を偶然聞きました」

「あいつら……!」

 

 どこまで引っ掻き回せば気が済むんだ!

 だが、その結果引き起こされたのであろうステラ積極化現象に関しては、嬉しい気持ちが半分以上を占めてるので、心のままに怒鳴りつけて文句を言う訳にもいかない。

 それでステラに自重するように吹き込まれても、それはそれで困るし。

 何より、俺があの二人に直接文句を言いに行ったら、逆に反撃されてからかわれる未来しか見えない。

 ぐぬぬ。

 小癪な。

 

「告白しないんですか?」

「しない。今はまだな」

「なんでですか? ステラさんの事好きなんでしょう?」

「ああ。好きだよ」

 

 初めて、誰かに自分の口からハッキリ「ステラが好きだ」と宣言した。

 母さん達やどこぞの二人組のようなニヤニヤした感じではなく、真剣な気持ちで問い質してきた恋のライバルに対する誠意みたいなものだ。

 

 ああ、認めよう。

 俺はステラの事が好きだ。

 幼馴染に対する友情的な意味の好きではなく、一人の男として、一人の女であるあいつの事が恋愛的な意味で好きだ。

 ちゃんと自覚したのは、成長したあいつと再会してからだったが、潜在意識の部分ではずっと昔から好きだったのだろう。

 そうじゃなきゃ、さすがに無才の身でここまでは頑張れなかったかもしれない。

 

 ホント、キッカケはなんだったんだろうな。

 何か劇的なキッカケがあった訳じゃないような気がする。

 ただ、なんというか、あいつが傍にいると落ち着いた。

 生まれた時から傍にいて、そうしているのが当たり前だったから。

 下らない事で喧嘩してるのが楽しかった。

 なんでもない事で笑い合えるのが幸せだった。

 一度完全に失って、取り返しがつかない所まで行った事があるからこそわかる。

 あの日々が、どれだけ大切でかけがえのないものだったのかが。

 

 俺はあの日々を取り戻したい。

 魔王のいなくなった世界で、戦う必要のなくなった世界で、またステラと一緒に笑い合える日常が欲しい。

 そんな毎日を、ずっと送っていたい。

 今度こそ天寿を全うするその時まで、あいつと二人で。

 

 要するに、俺はステラと一生一緒にいたいのだ。

 ステラを幸せにしたい。

 愚かな俺が助けられなかった、前の世界のあいつの分まで。

 そして、叶うのなら、その幸せを一番近くで共有するのは俺でありたい。

 どう言い訳したって、この気持ちは恋以外の何物でもないだろう。

 だから、この気持ちを否定する事はもうしない。

 

「だが、この気持ちはまだ伝えられない」

「なんで……」

「今でさえ、幸せすぎて溺れそうだからだ。魔王を倒す前に、幸福に浸って堕落する訳にはいかないんだよ」

 

 俺はそれが怖い。

 修行の旅を終えて、ステラの隣に立つ資格を勝ち取り、四天王の一角を倒した。

 それによって、買い出しの途中にデートができるくらいには、情勢にも心にも余裕が出来てしまっている。

 それ自体は喜ばしい事だが、色恋に現を抜かす余裕が出来た事で、そのまま堕落してしまうのが恐ろしい。

 

 俺だって男だ。

 好きな女と、あんな事やそんな事をしたいという欲求は当然あるに決まってる。

 下手したら、行く所まで行ってしまいかねない。

 前の世界まで含めたら、何十年も初恋を拗らせている童貞の渇望を舐めるな。

 最悪、勇者は妊娠して戦線離脱し、それが原因で人類が滅びましたなんて、そんな笑い話にもならない未来が割と冗談抜きに起こり得る。

 

 そうじゃなくても、色恋に現を抜かせば鍛練の時間が減って、腕が錆び付く。

 今回のデートは買い出しという名目があるからまだいいが、付き合い始めたりなんかして、普通に楽しくて幸せなだけのデートを繰り返すようになったら、確実に俺達は弱くなるだろう。

 特に、俺の最強殺しの剣は繊細さが命の剣術。

 常に磨き続け、その感覚を維持し続けなければ、とてもじゃないが残りの四天王や魔王とは戦えない。

 全ての敵を倒しきるまで、俺は全速力で走り続けるしかないのだ。

 

「俺はあいつを幸せにしたい。一生を懸けて、あいつが天寿を全うして死ぬまでずっとな。だから今は我慢の時だ。今は脇目を振らずに走り抜けなきゃならない時代。この想いは、魔王を倒して、戦争を終わらせて、戦いよりも日常の些細な幸せを優先できるような平和な時代を勝ち取ってから伝えるつもりだ」

 

 決意を再確認するように、俺は強い意志を込めてそう語った。

 必ず、そんな未来を掴んでみせると。

 絶対の想いを胸に抱きながら。

 

「…………やっぱり、敵わないなぁ」

 

 そんな俺の言葉を聞いて、レストは消え入るように小さな声で、そう呟いた。

 なんだか泣きそうな顔で。

 思い詰めたような顔で。

 

「ステラさんの隣に立つ資格があるのは、あなたみたいな強い人なんでしょうね。僕なんかじゃ役者不足もいいところだ。……僕はもう行きます。アランさん、どうかステラさんとお幸せに」

 

 そう告げるレストの姿は、嫌に弱々しく見えた。

 俺のように拗らせてるならともかく、普通の失恋だけじゃこうはならないだろうって程に。

 ……そういえば、昨日初めて会った時から、レストはどこか暗い顔をしてたな。

 てっきり、ルベルトさんに怒られてた、独断専行して死にかけたって話が尾を引いてるのかと思ったが、この分だと他にも何か悩み抱えてるのかもしれない。

 

「待て」

 

 そんな事を考えた俺は、立ち去ろうとするレストの背中にある物を投げつけた。

 レストは反射的に振り向いて、俺が投げた物をキャッチする。

 それは、ステラが着替えに邪魔だからか置いていった、あいつの木剣だ。

 

「せっかく会ったんだ。少し付き合っていけ」

 

 そう言って、俺は困惑するレストに向けて木刀を構えた。



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52 剣を交えて

「え……?」

「お前が何をどれだけ思い悩んでるのかは知らないが、体を動かせば少しは気分転換になるだろ」

 

 言うが早いか、俺は走って間合いを詰め、レストに向けて木刀による突きを叩き込んだ。

 暴風の足鎧の力は使わない。

 これは、あくまでも鍛練の一環だからな。

 あと、俺はよく知らない相手と手っ取り早くわかり合う方法なんて、肉体言語以外に思いつかない。

 

「!」

 

 俺が容赦なく顔面に向けて放った突きを、レストは困惑しながらも簡単に首を傾けて避けた。

 いい反応だ。

 やはり、加護持ち相手に何の捻りもない通常攻撃は通じないか。

 

 そのまま、レストは俺の胴を薙ぐように反撃の剣を振るってきた。

 それに対して、俺はレストの動きを先読みする事で、反撃よりも先に、元々大して力を入れていなかった突きを中断。

 滑るように木刀を体の前に移動させ、柄の部分でレストの反撃を防ぐ。

 しかし、体格では年上の俺の方が勝るが、実際の膂力では加護を持つレストの方が遥かに上。

 当然、ガードしただけで受け止められる筈もなく、俺の体は後ろへと吹っ飛ばされそうになる。

 

 だが、力で勝る奴を相手にするのは俺の十八番(おはこ)だ。

 俺は敵の力を利用する技『流刃』の足捌きによって、吹き飛ばされる時の勢いを自分の力に変換。

 左に回転して胴打ちの威力を受け流し、そのままの勢いで回転斬りをレストの首筋に叩き込む。

 

「ッ!」

「やるな」

 

 レストは、振り抜いた木剣を素早く引き戻し、それを斜めに構えて俺の攻撃をしっかりと防いでみせた。

 木刀と木剣が交差する。

 俺はつばぜり合いに持ち込む事なく、攻撃を受け止められた反動を使って後ろに跳んで距離を取った。

 追撃はない。

 その代わりに、レストは木剣を構えたまま口を開く。

 

「……いきなり斬りかかってきて、どういうつもりですか?」

 

 猜疑的な声。

 まあ、当然の反応か。

 しかし、どういうつもりと聞かれても、俺の考えてる事なんて単純極まりないぞ。

 

「別にどうもこうもない。最初に言った通り気分転換になればと思っただけだ。それに、剣を交えれば相手の事が少しはわかる」

 

 俺達は昨日会ったばかりの関係。

 俺はまだ、レストの事を殆ど何も知らない。

 だが、こいつはブレイドやルベルトさんの身内であり、ステラ達からも可愛がられている弟分だ。

 俺にとっても赤の他人って訳じゃない。

 そんな奴があんな苦しそうな顔をしてたら、例え恋敵とはいえ、何かしらしてやりたくなるのが人情だろう。

 だったら、まず何をするにしても、レストの事を知らなくては始まらない。

 その知る為の手段が剣を交える事だ。

 脳筋と言いたければ言うがいい。

 どうせ俺は、人生の殆どを修行に費やしてきた脳筋勢だ。

 そして、そんな脳筋勢として言わせてもらえば、

 

「いい動きだった。俺なんぞより、余程才能に溢れてる」

 

 基本に忠実で綺麗な動き。

 それでいて、予想外の攻撃にもしっかりと対応できる柔軟さも持ち合わせている。

 膂力や剣速は言わずもがな。

 加護持ちの名に恥じない力強さだった。

 総評してレスト・バルキリアスという剣士は、生まれ持った才能を努力によって正しく伸ばしてきた、正道の剣士と言えるだろう。

 未熟な印象も受けるが、それは年と共に実戦経験を積んでいけば、自ずと解消される。

 レストは、正しく未来の英雄だ。

 

「だが、剣技の所々に基本から微妙に外れて力の入りすぎている部分や、勇み足になりすぎている部分があった。未熟さ故に無駄な力が入ってるのかと思ったが、違う」

 

 突きを避けて、反撃の胴打ちを繰り出してきた時。

 それを俺に利用されて、そこから立て直そうとした時。

 レストの剣には、少しでも速く剣を動かそうとした結果の無駄な力が入っていた。

 それは、ほんの僅かな剣の揺らぎ。

 だが、繊細さを何よりの売りとした剣を使う俺にはわかった。

 ついでに、似たような失敗をした事があるからこそ、気づいた事がある。

 

「これは、格上を倒そうとして試行錯誤した跡だな?」

「ッ!?」

 

 図星だったのか、レストは息を飲み、目を見開いて驚愕していた。

 やっぱりか。

 そう思うと同時に、前の世界での失敗の記憶が脳裏に蘇る。

 

 あれは、俺がまだ最強殺しの剣に出会う前。

 ステラの仇を討つと誓って村を飛び出し、本格的な地獄の修行を始めたばかりの頃の事だ。

 当時、俺は鍛えて鍛えて鍛えて、誰よりも強い存在になろうとしていた。

 少しでも強く剣を振り。

 少しでも速く剣を振る。

 その果てに最強の剣士となって仇を討つんだと、本気で思っていた。

 

 だが、それはあまりにも無謀すぎる挑戦。

 俺の体は弱すぎた。

 力も速さも何もかも。

 魔族や英雄達とは、才能どころか生物としての格からして違っていたのだ。

 憎悪に染まった頭では、そんな当たり前の事実を飲み下すのにも結構時間がかかったんだが、それは置いておこう。

 

 とにかく、そんな経験があるからこそ、俺はレストの剣が何を目指して研鑽されたものなのかがわかる。

 レストは、自分よりも強くて速い奴を倒そうと努力したのだ。

 それも剣の馴染み具合からして、昨日今日始めた事じゃない。

 加えて、魔族に挑んだという無謀な行動に、複雑な家庭環境。

 そこまでくれば、レストが何を思って苦しんでいたのか、その一端が見えてくるような気がした。

 

「お前が誰を目指していたのかは聞かない。だが、才能の差を覆した先人としてアドバイスしておこう。必要なのは、どうすれば自分の力で相手に勝てるのか、どうすればその為の力を手にする事ができるのか、その方法を考え、探し続ける事だ。自分に必要なものを学び、喰らい、編み出し、力に変えろ。そうやって諦めずに死ぬ気で努力していれば、必ず強くなれる」

「……本当ですか?」

「当たり前だ。そうやって才能の差を覆してきた前例が目の前にいるんだからな。最終的に、強くなる為に一番必要になってくるのは、たった一つ……」

 

 そこで言葉を区切り、次の一言に伝えるべき強い意志を込めて、口に出した。

 

「『折れるな』」

「!」

「諦めるな。歩みを止めるな。自分が何の為に強くなりたいのかを明確に思い描いて、そこに向かって突き進め。それが強くなるという事だ」

 

 俺から言えるのはこれだけだ。

 このアドバイスがレストの役に立つのかはわからないし、そもそもレストの悩みは全く別の事で、俺の言った事は完全的外れかもしれない。

 それでも、言うべき事は言った。

 それを聞いてどうするかはレスト次第だ。

 

 聞き終えた後、レストは少しだけ憑き物が落ちたような顔をしていた。

 

「少しは役に立ったか?」

「……はい。ありがとうございます」

「そうか」

 

 レストは、ほんの少しだけ微笑んでいた。

 その顔を見て思う。

 こいつは将来、立派な英雄になるだろうと。

 

「まあ、頑張れ。お前なら俺とは別の強くなる道を見つけられそうだ」

「ええ。そしていつか、ステラさんを振り向かせられる立派な男になります」

「それは困るな。なら、俺はあいつが首ったけになるような最高にカッコ良い男になって、お前なんぞが追いつけないようにしてやる」

「あんなに好かれてるくせに告白もできないヘタレが何言ってるんですか」

「ぐっ! 言うじゃねぇか……! その喧嘩買った! かかって来い!」

「望むところです!」

 

 そうして、俺達は再び剣を交えた。

 レストの剣から迷いが消え、まずは俺を倒す為の試行錯誤を始めたらしい。

 やれるもんならやってみろ。

 一朝一夕で抜かれるような、柔な鍛え方はしてないんだよ!

 

「お待たせ~。って、二人とも随分仲良くなったわね」

 

 その後すぐに戻ってきたステラが、そんな事を宣った。

 仲良くなった訳じゃない。

 これは男と男の勝負だ。

 好きな女に相応しいのは俺だという想いをぶつけ合う、熱い戦いなのだ!

 

 しかし、そんな事は知らない罪な女ステラが普通に乱入したせいで、男と男の勝負はいつも通りの修行へと姿を変え。

 結局、俺達は日が沈むまで剣を振り続けた。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

「凄い人だったな……」

 

 二人と別れ、現在寝泊まりしている兵舎への道を歩きながら、レストは今日初めてまともに話したアランの事を思い出す。

 なんというか、もう、ただただひたすらに凄い人だった。

 交えた剣から伝わってきたのは、尋常ならざる努力の跡だ。

 前にあっさりと叩きのめされた時には気づかなかったが、攻略法を探りながらじっくりと相手をすれば、アランの剣の本質が見えてくる。

 彼の剣は弱くて遅い。

 それこそ、身体能力だけで真っ向勝負すれば、百万回やってもレストの全勝だろう。

 

 だが、そんな力の無さを補うように、アランの剣はどこまでも繊細なのだ。

 決して抗えない筈の力の差を技術で埋めている。

 こちらの攻撃は、まるでつるつるに磨いた床の上を滑るかのように受け流され、かと思えばこっちの力を跳ね返すようにして強力な攻撃を繰り出してくる。

 力の入れ方、刀を構える位置、仕掛けるタイミング、その他あらゆる要素を少しでも間違えれば、あの奇跡のような剣術は実現しえない。

 そんな加護持ちどころか聖戦士や勇者ですら霞む完成度の高すぎる剣技は、ただひたすらの努力の上に成り立っていた。

 

 剣を交えていればわかる。

 アランの剣技にあった、おびただしい程の修正と工夫の跡。

 彼の積み上げてきたものの大きさを肌で感じ取り、その大きさに圧倒された。

 加護持ち、聖戦士、勇者、魔族。

 それら初めから高みに居る者達に追いつく為に、遥か下から一歩一歩階段を登ってきた。

 否、そんな生易しいものではない。

 登っていけば確実に強くなれる階段など、アランの前には無かったのだ。

 あれは、無い階段を一段一段自分の手で造り上げ、それを積み上げて奈落の底から天に昇るかのような偉業だ。

 

 そんな常軌を逸した努力の跡を見せつけられれば、嫉妬の感情なんて萎んでいく。

 納得してしまったからだ。

 認めてしまったからだ。

 

 この人が自分より上に居る事は、至極当然の事であると。

 

 真の天才である聖戦士。

 初めから自分では到達できないと思わされた高みに生まれ落ちた者達。

 彼らに対する妬みと同じ感情をアランに向ける事など、もうできない。

 聖戦士が自分の上に居る事は納得できなかった。

 理不尽な生まれついての格差など、納得できる筈がなかった。

 彼らと比べられて育ったレストなら尚の事だ。

 聖戦士の加護さえあれば自分だってと思わずにはいられなかった。

 

 しかし、アランは違う。

 上に居るのに相応しいと納得させるだけのものを積み上げている。

 最低でも、彼が積み上げたのと同じだけの努力を積み重ねなければ、彼を妬む資格すらないだろう。

 

「頑張ろう」

 

 人を妬むだけで何も前に進めなかった日々は、もう終わりにしよう。

 才能の差を努力で覆した先人はアドバイスをくれた。

 

『折れるな』

 

 諦めるな。

 歩みを止めるな。

 自分が何の為に強くなりたいのかを明確に思い描いて、そこに向かって突き進め。

 アランはそう言った。

 

 レストが強さを求めた動機は、嫉妬からだった。

 聖戦士と比べられ、出来損ないと言われるのが悔しい。

 その事実を覆せない事が悲しい。

 真の天才が妬ましい。

 己の無力が憎い。

 

 だから、強くなりたい。

 無力な自分を変えたい。

 自分で自分を誇れるような、強い男になりたい。

 一度は諦めてしまったけれど、そんな理想の自分になる事を、もう一度だけ目指してみよう。

 その方法は教えてもらった。

 どうすれば自分の力で相手に勝てるのか、どうすればその為の力を手にする事ができるのか、その方法を考え、探し続け、自分に必要なものを学び、喰らい、編み出し、力に変える。

 言うは易し、行うは難しだ。

 そう簡単に格差がひっくり返ったら苦労はない。

 だが、それで実際に強くなった奴がいる。

 なら、自分にできない道理はない。

 

「まずは、あの受け流しの技を貰いますよ。あれは格上相手に確実に通用してる技だ」

 

 そうして、未来の英雄レストは前を向いた。

 自分にできる事を試行錯誤し、強くなる為の道を一歩踏み出した。

 その道の果てに、あわよくば、あの尊敬すべき恋愛面ヘタレ野郎から、好きな人を奪ってしまおうとか考えながら。

 今はまだ、剣士としても恋敵としても足下にも及ばない。

 でも、きっといつか追いついてみせる。

 その時はせいぜい、敵に塩を送った事を後悔して「ぐぬぬ」と歯ぎしりするといい。

 だから……

 

『お前には無理だ。お前には何もできない』

「出て、くるな……!」

 

 レストは己の内から強制的に湧き上がってくる黒い感情を、意志の力で押し込めた。

 しかし、押し込めても押し込めても、黒い感情は不快な声と共に心を蝕もうとする。

 

『お前は劣る者だ。奴は特別なのだ。いくら努力しても、お前では奴には届かない』

「黙れ……!」

『お前の努力に価値などない。無駄だ、無駄だ、無駄なのだ。諦めて我が血を受け入れろ。さすれば、お前は……』

「黙れぇ!」

 

 頭を振って、黒い感情を振り払う。

 これは呪いだ。

 勇者の出立式でアランに惨敗した後、自暴自棄になって、自分だって少しは強いんだと、今までの努力は無駄なんかじゃないんだと証明したくて、無策で魔族に挑んでしまった時、その浅慮を天に罰せられたかのように打ち込まれた、青黒い血の呪い。

 それが日々、レストの心を蝕んでいた。

 誰かに相談する事すら禁じられ、一人で抗い続けるしかなかった。

 

 だが今日、自分は変わった。

 もう一度前を向いたのだ。

 呪いなんて振り払ってやる。

 その気概が、精神力が、今のレストには確かにあった。

 

 しかし、それを嘲笑うかのように、薄汚い蝙蝠は次の一手を打ち込む。

 

『……そろそろ落ちるかと思っていましたが、予想外にしぶといですね。やはり神の加護が邪魔だ』

 

 急に声の質が変わった。

 今までの作業的に心を折ろうとしていた感じではなく、明らかに苛立っている感情的な声に。

 

『これ以上時間をかければ、勇者が遠くに行ってしまうかもしれません。結局、こちらの準備も間に合いませんでしたが……致し方ない。少々強引に事を進めるとしましょう』

「あがっ!?」

 

 声がそんな事を言った瞬間、唐突にレストの全身を激痛が襲った。

 同時に、何かに精神を乗っ取られていくような感覚がする。

 いや、何かじゃない。

 これは、覚えのある感情(・・)だった。

 

(苦しい、悲しい、妬ましい、恨めしい、なんで僕は、弱いのは嫌だ、聖戦士の加護さえあれば、お爺様より強く、ステラさんに相応しい男に、あんな兄がなんで僕より強い、ふざけるな、許せない、なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで……)

 

 それは、今まで心の底に封じ込めていた負の感情達だった。

 言わば、泣き叫んでいたもう一人の自分だ。

 そのもう一人の自分が、何か得体の知れないものと混ざり、今の自分を塗り潰して、体の支配権を奪おうとしていた。

 

「何、これ……!?」

『本当なら、自分の意志で落ちてくれた方が、より従順な眷属にできたんですがね。まあ仕方ありません。せいぜい盛大に大暴れしてくれる事を祈っておきましょう』

「あ、あぁああああああああああああ!!?」

 

 レストという一人の少年が、悪意によって歪められていく。

 苦しみを乗り越えようとした意志も。

 前に踏み出そうとした覚悟も。

 泣き叫び続けた心の闇すらも利用され、踏みにじられて。

 未来の英雄は、魔族の駒へと変じていく。

 

『さあ、ショータイムの始まりです。本命前の余興を存分に楽しんでくださいね、勇者』

 

 遠く離れた魔王の城で、魔族が嗤う。

 魔王軍との戦いの最前線に最も近いこの街で、悲劇が巻き起ころうとしていた。



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53 情報共有

「なるほど、そんな事が……」

 

 デートがなし崩し的にレストとの語り合い(肉体言語)になった翌日。

 ルベルトさんの都合がついたという事で、俺達は神様から聞いた話をルベルトさんにも報告していた。

 場所は、この街の街長に貸してもらった屋敷の一室。

 参加メンバーは、ルベルトさんと俺達勇者パーティー全員だ。

 ルベルトさんがいる時点で、人気のある所で話し合うと目立つからな。

 世界の行く末を左右するような話を、不特定多数に聞かれるのは好ましくない。

 

 そうして、ひと通りの概要を伝え終えた後、ルベルトさんは眉間に皺を寄せた難しい顔になった。

 

「この世界は改変された過去の世界であり、正史の世界は魔王を討ち取りこそしたものの、勇者パーティーの全滅をはじめ尋常ならざる被害が出ている。その歴史を覆す為には、正史の世界より遥かに軽微な被害で魔王軍に圧勝しなければならない、か」

 

 まあ、荒唐無稽な話だわな。

 それでも、ルベルトさんは戯れ言と切り捨てず、真面目に検討してくれていた。

 

「正直、神を名乗る何者かによる虚言と切り捨てたいところですが、勇者様をして加護の塊のように見え、なおかつ神樹や聖剣に干渉できる存在ともなれば偽物扱いもできますまい。となれば、その言を信じて動かねば取り返しのつかない事になりかねない。さて、どう動いたものやら……」

「とりあえず、国の上層部と他の聖戦士辺りには通達しておいた方がよいじゃろうな。その上で、できれば短期決戦を狙いたいところじゃが」

「しかし、現時点で魔王城に攻め込むのは愚策でしょうな。まだ四天王が三体も残っている。最初に当代魔王軍が出現したムルジム王国の惨劇以来、今回の例外を除いて戦場に現れなかった四天王。これまでの魔王の慎重さを考えれば、魔王城にて温存しているのは確実かと」

「今攻めれば、敵に地の利がある本拠地で、魔王と三体の四天王、おまけに大量の魔族と魔物を一度に相手取る事になるじゃろうな。さすがに無謀じゃ」

「そうなると、やはり魔王城での最終決戦の前に、最低でもあと1~2体は四天王を討伐しておきたいところですな」

「他の魔族にしても、一体でも多く削っておきたいのう。まあ、それは今更言うまでもない事じゃろうが」

 

 経験豊富なルベルトさんとエル婆の間で、どんどん話が進んでいく。

 やべぇ。

 会話に入るタイミングを逸した。

 というか、そういう戦略的な話で俺が役に立てる気がしない。

 俺が磨いてきたのは、あくまでも直接的な戦闘能力であって、軍勢を動かすような戦略の話は専門外なんだよ。

 エルフの里でドラグバーン戦の作戦会議をした時もそうだが、俺にできるのはギリギリ会話について行く事だけだ。

 それすら割と怪しいのだから、建設的な意見なんて出せると思うな。

 

 とか思ってたら、話し合っていた二人の視線が俺に集中した。

 何故だ。

 

「少年には正史の世界を生き抜いた記憶があるのだろう? 次の四天王の動きなどはわからないか?」

 

 ああ、そういう質問をする為か。

 確かに、そういう形なら受け答えくらいできる。

 できるが……あまり役には立てないだろうな。

 

「エル婆にも話しましたが、俺の記憶は当てにならないですよ。火の四天王がこんなに早く出てくる事すら俺の記憶にはなかった。四天王との戦いが本格的に始まったのは、最低でも勇者パーティーが魔王討伐の旅に出てから一年は経ってからだった筈だ。もう既に正史の世界とはかなりズレてる。今更そんなズレた歴史を話したところで役に立つとは思えませんが」

「いや、それでも知っている限りの事を話してほしい。予測としては当てにならなくとも、魔王の戦略を推し測る指標くらいにはなるかもしれないからな」

「……まあ、そういう事なら」

 

 という訳で、俺はルベルトさんに大まかな前の世界の概要を話し始めた。

 あまり気乗りしない上に、全部エルフの里からこの街に来る間にエル婆にも話した内容の繰り返しだがな。

 しかも、所詮は新聞やステラの訃報を聞いた後に旅をする中で聞き込みによって手に入れた情報。

 精度は推して知るべし。

 大した事は語れない。

 

「勇者パーティーが旅に出てから一年くらいは、どこそこの国を救っただの、魔族の大軍勢を退けただの、そういう快進撃が続きます。そして最初に勇者パーティーが四天王とぶつかったのは、俺の知る限りでは旅が始まってから約一年後。場所は最前線の砦の一つ。そこでなんやかんやあってブレイドが死にます」

「最初に死んだの俺かよ!? っていうか、なんやかんやってなんだ!?」

 

 ん?

 最初に死んだのがブレイドだって話はしてなかったか?

 ああ、いや、エル婆とステラには話したんだ。

 エル婆には事情聴取で、ステラには前の世界の事を話してほしいとせがまれて。

 だが、考えてみれば本人には話してなかったな。

 うっかりしてた。

 

「まあ、それはともかく」

「それはともかく!?」

「その戦いではブレイドだけじゃなく、砦ごと落ちて現地の戦力はほぼ全滅したそうです。駆けつけた援軍まで一緒に。代わりに四天王の一体を討伐する事はできたみたいですが」

「「「…………」」」

 

 そこまで聞いて、全員が黙った。

 ルベルトさんは難しい顔で考え込み、エル婆もまた再確認した情報を反芻している。

 ステラは前に聞いた時と同じく沈痛な顔をし、ブレイドは思ったより洒落にならない話に絶句。

 リンはブレイドを心配そうに見つめていた。

 俺は説明を続ける。

 

「それから最前線において何度も何度も、四天王率いる大軍勢との戦いが勃発したそうです。戦いは長期に渡り、互いに戦力を削り合い、ある時、また四天王一体の討伐と引き換えにリンが死にます」

「次は私ですか……」

 

 そう、お前だ。

 この時点で剣聖と聖女が死んだ事になる。

 なのに、新聞にはそんな事一切載ってなかったってのが腹立たしい。

 一応、かなりの被害が出たとは書いてあったものの、それも二体目の四天王討伐という吉報で塗り潰さんばかりだった。

 民衆の不安を煽らない為だったんだろうが、今でも納得できないという気持ちしか湧かない。

 まあ、当時の俺が戦いの詳細を知ったところで、修行時間すら圧倒的に不足してる状況で何ができたとも思えないんだが。

 それを思えば、この腹立たしさは世間と自分の両方に向けたものなんだろう。

 

 そんな苦い気持ちを飲み下し、俺は説明を続ける。

 

「長期に渡る戦いでいくつもの砦が落とされ、その穴を突いて魔王軍の一部が最前線を突破。それまでの戦いに援軍を送り続けて戦力が枯渇し始めた背後の街を襲撃し、その多くを破壊。それを防ごうと残った二人は強行軍を続けたそうで、結果、疲弊した所を襲撃してきた三体目の四天王とエル婆が相討ちます」

「まあ、老体に鞭打てばそうなるじゃろうな」

 

 既に前の世界での自分の末路を聞いていたエル婆に動揺はない。

 というか、初めて話した時ですら動揺しなかった。

 さすが、歴戦の大ベテラン。

 こういう所に関しては、尊敬しかできない。

 

「そうして、勇者パーティーはステラを残して全滅。そのステラも最後の四天王の討伐と引き換えに重傷を負い、聖女もいないからそれを治す事もできない状況に追い込まれたそうです。そして何を考えたのか、その後は残った戦力と共に魔王城に突撃して玉砕。魔王をかなり弱らせたものの、死んで俺の心に消えない傷を刻んでくれやがった訳ですよ」

「ご、ごめん……」

「ホントにな」

 

 まあ、一番悪いのは無力で無知で何もしなかった俺だが。

 それでも、自分の命を大事にしなかった前の世界のステラには、言ってやりたい事が山のようにある。

 実際に言ったら、お前が言うなと反撃されて喧嘩になりそうだけども。

 というか、実際喧嘩になった。

 復讐の為に命投げ捨てたって話を今のステラにした時に。

 

「で、それから何十年かの間、生き残りの魔王軍が勇者を失った人類を思う存分に蹂躙。人類も抵抗はしてましたけど、神様曰く世界人口の七割が殺されたみたいです。そして、最終的に復讐に取り憑かれた俺が弱りきった魔王と刺し違えて終了。その後の事はわからないですけど、次の魔王に備えられる程の戦力を再編できたかは怪しいところでしょうね」

 

 これで俺の話は終わりだ。

 これが復讐に走る前、ステラの足取りを追ってた頃に、戦いの生存者などから聞き出した情報の全て。

 それ以上の詳細はわからない。

 詳細を知ってる奴は見つけられなかった。

 恐らく、そういう奴らは殆ど戦死してしまったんだろう。

 だから、俺が知れたのは一般の兵士とかから見た、客観的な戦いの記録だけ。

 ステラ達が何を思って戦い、何を思って死んだのかは永遠にわからない。

 そんな悲劇は絶対に繰り返してはならないのだ。

 苦い苦い記憶と共に、その事を改めて心に誓う。

 そんな俺と違って、ルベルトさんはあくまでも冷静に、俺から聞き出した情報を吟味していた。

 

「なるほど。とても参考になった。色々と考えさせられる事は多いが……今一番重要な情報は、やはり四天王は勇者様を狙って動くという事だろうな。それも恐らくは単独ではなく複数。四天王全員で徒党を組んでいた可能性も高い」

「じゃろうな」

「うん?」

 

 なんで、そんな事がわかるんだ?

 というか、それは俺も知らない事なんだが。

 

「勇者パーティー四人と最前線の砦一つ分の戦力があって、四天王一体を相手に遅れを取ったとは思えん。砦はエルフの里にこそ及ばないもののかなりの防衛力を持ち、そこに人類の精鋭約一万、二人以上の聖戦士、十人以上の加護持ちが詰めているのだからな」

 

 ああ、なるほど。

 確かに、こっちの戦力と比較すれば、敵の戦力の予想もできるのか。

 精鋭約一万、聖戦士二人以上、加護持ち十人以上という戦力は、ドラグバーンの攻勢を防ぎ続けてきた、あのエルフの里と同等に近い。

 

 そのエルフ達と協力する事で、俺達は戦死者二桁程度の被害でドラグバーンを討ち取っている。

 神樹の加護を無くした状態で、しかも命と引き換えの奥の手まで使ったドラグバーンをだ。

 もちろん、それは事前に奴の率いる竜の軍勢をほぼ壊滅させ、こっちの戦力全員で袋叩きにできたからこその戦果だが、それを差し引いても、奴が奥の手を使うまでは殆ど完封できていた以上、四天王一体を相手に、勇者パーティーを加えたエルフの里が壊滅させられていた可能性は低い。

 

 ならば当然、それと同等に近い戦力を有する最前線の砦が、勇者パーティーと協力した上に援軍まで呼んでおきながら、四天王一体にほぼ全滅させられて、ブレイドまで戦死する結果になる可能性も低い。

 そうなると、敵は四天王一体ではなく複数だったと考えるのが自然だ。

 思い返せば、エルフの里の戦いの時も、ドラグバーンが取るべき最善手は他の四天王を呼ぶ事だったってエル婆が言ってたような気がする。

 あいつは、それを無視して闘争本能に従ってたがな。

 

「対処法は……やはり砦に合流して頂いて、固まった戦力で迎え撃つしかないか? 正史の世界と同じ手を使うのは危険だが、幸い四天王の一角は既に落ちている。連携を密にし、他の砦からもすぐに援軍を出せるようにしておけぱ、最低限の被害で撃破できるかもしれない」

「妥当な判断じゃな。じゃが、四天王が欠けた事で魔王が戦略を変えてくる可能性もある。安易に決めつけるのは危険じゃぞ?」

「ええ、わかっております。この件については、まず他の者達と情報を共有し、協議の上で結論を出す事になるでしょう。しかし念の為、勇者様方は最前線の砦へいつでも駆けつけられる距離に居て頂きたい」

「うむ。わかった。ステラもそれでよいか?」

「はい。大丈夫です」

 

 ステラが頷いた事によって、俺達の方針は決まった。

 まあ、とりあえず最前線付近に待機しとけという大雑把な方針だが。

 

「あ、でもドワーフの里はどうしましょう? 距離的にはギリギリ大丈夫そうですけど、山脈にあるらしいから伝令兵の人も来づらいですよね。伝達が遅れるのはマズイんじゃ……」

 

 お?

 ステラの奴、意外と考えてやがる。

 次の目的地であるドワーフの里がある天界山脈は、勇者パーティーの馬車で急げばここから一週間くらいで着く距離だ。

 そのくらいなら大丈夫だろうと俺は軽く考えてたが、言われてみれば少しマズイか?

 ……というか、ステラが意外と知的になってるのも、俺的には少しマズイかもしれない。

 勇者教育の結果だろうし、良い事ではあるんだが、相対的に俺がバカに見えてしまう気がする。

 ……魔王を倒して余裕が出来たら、もう少し頭の方も鍛えてみるか。

 

「……確かに、それは少しマズイかもしれませんな」

「じゃが、アー坊の武器を直さん訳にもいかん。アー坊という戦力がおる事が正史の世界との最大の相違点でもあるのじゃからな。職人にできるだけ急いでくれと頼むしかあるまい」

「致し方ありませんか」

 

 という訳で、ドワーフの里での滞在はできるだけ短くするという事で話は纏まった。

 纏まったんだが……大丈夫だろうか?

 あの頑固爺が、時間を気にして仕事に妥協を許すような気がしない。

 いや、だが、あの爺さんは仕事の早さも一流だ。

 きっと大丈夫だろう。

 大丈夫という事にしておく。

 

 こうして、ルベルトさんとの話し合いは終わった。

 詳細は後日、国の上層部や他の聖戦士に伝達が終わった後、今度は砦の中とかで話し合う事になるかもな。

 そんな事を考えながら、俺達は話し合いの場となった街長の屋敷から出る。

 

 そして、そこで地獄を見た。



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54 悲劇の始まり

「「「!」」」

 

 部屋を出た時点で、外から微かに聞こえてくる不穏な音に全員が気づいた。

 さすが聖戦士と言うべきか、それだけで即座に全員の意識が戦闘モードに切り替わる。

 そして、俺達は屋敷の窓から飛び降り、即行で敷地の外を目指した。

 

「なんだこりゃ……!?」

 

 屋敷から出た時、外に広がっていた光景は、一言で言えば混沌だった。

 魔物が出た訳でも、魔族が出た訳でもない。

 なのに、街の中では争いが起きている。

 曇天の空の下、争っているのは、人同士だ。

 いや、これを人同士の争いと言っていいのかは激しく疑問なんだが。

 何せ、二派に別れて戦っている人々の内、片方は目を血走らせ、口からヨダレをダラダラと垂らし、悲鳴のような叫びを上げながら、どう見ても正気を失った様子で他の人々に襲いかかっているのだから。

 

 暴れる人達の攻撃手段は組み付きと噛みつき。

 相手に掴みかかって動きを封じ、噛みついて攻撃するという、原始人以下の知性の欠片もない戦法。

 だが、そうやって噛みつかれた人はどんどん正気を失い、最終的に人を襲う側の存在と化してしまっている。

 そういう事ができる魔族の存在は聞いた事があった。

 直接戦った事はないが、かなり有名で凶悪な種族として、英雄譚などで度々語られる存在。

 この街は今、その魔族による攻撃を受けていると考えるのが妥当か。

 よく見れば、暴れる人達の中には、デートの時に気さくに接してくれた八百屋のおっさんもいた。

 それどころか、俺達が到着する直前に、正気だった人達は全員噛まれて狂気に染まってしまう。

 くそっ!

 老婆魔族並みに人を弄ぶような真似しやがって!

 

「エルネスタ様! リンくん!」

「わかっとる! 『電磁網(エレキネット)』!」

 

 俺が考察している間にルベルトさんの指示が飛び、エル婆が地面に杖を突き立てて無詠唱の魔法を放つ。

 放たれたのは、地面を這うような雷の網。

 寸分の狂いもなく狙った範囲内にだけ電撃を起こし、暴れる人達の動きだけを止めた。

 

「『状態異常回復(アンチドーテ)』!」

 

 続いて、リンが周辺一帯に状態異常回復の魔法を使う。

 癒しの魔力が周囲を包み込み、それを浴びた人々が次々に意識を失って倒れていく。

 

「どうだね?」

「……一応は沈静化できたと思います。完全に治しきれてはいないでしょうけど、もう暴れる事はない筈です」

 

 ルベルトさんの問いにリンが答えた。

 確かに、倒れた人達の寝顔からは、さっきまでの狂気が消えている。

 苦しそうに呻いてはいるが、それもせいぜい嫌な夢でも見てるのかと思える程度の苦しみ方だ。

 一安心と言いたいところだが、これで終わりではない。

 人々の悲鳴は、未だに街のあちこちから聞こえてきている。

 

「……こんな状態になるまで気づかんとは一生の不覚じゃな。密談の為に隔離された部屋に入り『遮音結界』まで張ってしまったのが運の尽きか。暴れておるのが非力な一般人故に、派手な破壊音がしなかったのも原因の一つ。まさか、こんな狙い撃ちのような事をされるとはのう」

「冷静に言ってる場合じゃねぇだろ!? 早くなんとかしねぇと!」

「ブレイドの言う通りよ!」

「脳筋の言う事が一番正しいなんて世も末だな」

「この状況で喧嘩売ってんのか!?」

 

 ちっ、どうやら俺も結構混乱してるらしい。

 うっかり、思った事がそのまま口から出てしまった。

 感情の制御が不完全な証拠だ。

 落ち着け。

 経験上、こういう時こそ落ち着かないと死ぬ。

 心が怒りで燃えても、頭は冷やせ。

 

「兵達は何をやっている!? ……いや、むしろ兵達から先に狙われたという可能性が高いか。兵達が的確に対処できていれば、この短時間でここまで被害が広がるような事はあり得ない筈。情報が欲しいが、そうも言っていられんな」

 

 ルベルトさんが独りごちた直後、前方の通路からまた狂気に染まった集団が現れる。

 いったい、どれだけ被害が拡大してるというのか。

 とりあえず、今は目の前の脅威を退ける事だけに集中するしかない。

 

 そう思って戦闘態勢に入ろうとしたが、俺達が何かをする前に、狂気に染まった人々は鎮圧された。

 かなり強引に、飛翔する打撃で足を粉砕される事によって。

 荒っぽいが、殺さず効率的に無力化させようとするなら有効な手段だ。

 そして、それを成した人物が俺達の前に現れる。

 

「ルベルト様ッ!」

「ドッグか!?」

 

 その人は、この街を守る加護持ちの英雄、ドッグさんだった。

 しかし、その姿は無事とは言い難い。

 なんだかんだで、この人は強い筈だ。

 前に剣を合わせた感触からして、そんじょそこらの魔族に遅れを取るとは思えない。

 なのに、そんなドッグさんが今や、割とボロボロの状態になっていた。

 加護持ちの英雄をこんなにできる奴が攻めてきている。

 しかも、いくら密室に閉じ籠ってたとはいえ、俺達に気づかせない程に静かで迅速に。

 嫌でも事態の深刻さを理解させられる。

 最悪四天王レベルの敵であると判断し、俺はいつものように、感覚を極限まで研ぎ澄ました。

 

「『治癒(ヒーリング)』!」

「ドッグ、何があった!?」

「そ、それが……」

 

 リンが咄嗟に回復魔法をかけ、ルベルトさんが問い詰めたが、ドッグさんの言葉はそこで中断された。

 ドッグさんに向けて、強烈な飛翔する斬撃が飛んできた事によって。

 

「ッ!」

 

 それに一番早く対応できたのは、徹底的に先読みの技術を鍛えてきた俺。

 飛んできた斬撃を、木刀による歪曲で受け流す。

 しかし、俺はその斬撃に木刀を合わせた瞬間、絶句した。

 その斬撃から、覚えのある感覚がしたからだ。

 それはあり得ない事に、つい昨日、心行くまで剣を交えた相手の攻撃と酷似していた。

 あの時は威力が違う。

 伝わってくる感情も違う。

 だが、確かに、この攻撃は……

 

「完璧に受け流された……。何度見ても凄い技ですね」

 

 俺の直感を確信に変えるかのように、今の斬撃を放った下手人が姿を現す。

 建物の上からこちらを睥睨するのは、知っている顔。

 俺にとっては、数日前に知り合った未来の英雄にして、恋敵。

 仲間達にとっては、もっと前から見知った弟分。

 それが、変わり果てた姿で俺達の前に現れた。

 

「レスト、くん……?」

 

 ステラがポツリと、信じられないとばかりの驚愕と絶望の声を漏らす。

 俺も内心は似たようなもんだ。

 その反応も仕方がないと思える程に、レストの雰囲気は一変していた。

 髪は色素が抜けたように真っ白に染まり、瞳は血のような赤に染まっている。

 だが、そんな外見の変化がオマケに思える程に変わっているのが、その気配だ。

 禍々しい、一目見ただけで、こいつは敵なんだと本能が全力で訴えてくるような、おぞましい気配。

 人類の敵である、魔族の気配。

 今のレストからは、そんなあり得ない気配が放たれていた。

 

「どうして……!?」

 

 そんなステラの悲壮な声にもレストは答えず、ただ無言で剣を指揮棒のように振り上げた。

 それに従うように、四方から狂気に染まった人々が現れる。

 その光景は、レストこそがこの襲撃の犯人なのだと、雄弁に物語っていた。



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55 分断

 操られた人々が襲いかかってくる。

 それを指揮する当のレストは、俺達全員を同時に相手にする気など更々ないのか、くるりと反転して建物の上からジャンプし、どこかへ立ち去ろうとした。

 

「逃がすか!」

「待て、ブレイド!」

 

 そんなレストを、ルベルトさんの忠告も聞かずに、ブレイドが単独で追いかけていく。

 兄としてあんな事になった弟を放っておけない気持ちはわかるが、独断専行はマズイ!

 さっきの斬撃を受けただけでわかる。

 今のレストの肉体は、相当強化されている。

 加護の力に魔族の力が加わるなんてバカげた現象が起きてるのか、パワーだけならブレイドより上だ。

 しかも、身内に剣を向けなければならないなんてふざけた状況で、平常心を維持できるとは思えない。

 一人で行かせるのは、あまりにも危険だ!

 

 幸い、この場には広範囲制圧に長けたエル婆と、操られてる人達の回復ができるリンがいる。

 なら、俺がいなくても問題はない。

 瞬時にその判断を下した俺は、急いでブレイドについて行こうとした。

 しかし、そんな俺の視界に、真っ青な顔をして硬直してるステラの姿が映る。

 

「ッ!? ぼさっとすんなバカ!」

「あうっ!?」

 

 そんなステラの頭に全力のチョップを叩き込み、正気に戻す。

 だが、そのせいでブレイドは先に進んでしまった。

 くそっ!

 俺とブレイドの移動速度の違いを考えれば、タイムロスは割と致命的だ。

 しかし、ステラをこのままにしておく訳にもいかない!

 

「絶望するのは後にしろ! 今は目の前の連中をなんとかする! そしてレストをはっ倒して正気に戻す! それだけ考えとけ!」

「ッ! そうよね! 他の人達だって治せるんだから、レストくんだって治せるわよね! ありがと! もう大丈夫!」

 

 よし!

 とりあえず、ステラは正気に戻した。

 こうなってくるとリンの方も心配だったが、そっちはエル婆が杖で尻をぶっ叩いてくれたらしく、なんとか立ち直っていた。

 おまけに、二発目の電撃で既に第二陣を痺れさせて無力化している。

 さすが、歴戦の大ベテラン。

 いつもこうならいいのにな。

 

「……ちっ」

 

 しかし、レストもあっさりとやられるような布陣を考えなしにけしかけてくる程バカじゃないらしく、操った人達をひと纏めにする事なく、いくつかのグループに別けて順番にぶつけてきた。

 戦力の逐次投入は本来なら愚策だが、最初からこの人達で俺達を倒せる訳がない以上、むしろ小分けにして手を煩わされる方が厄介だ。

 現に俺達はこうして足止めされ、先走ったブレイドを料理する時間を稼がれてしまっている。

 しかも……

 

 ドカァアアアン! という轟音が街の東側から聞こえてきた。

 レストの動きに便乗して、他の魔族でも出たのかもしれない。

 それ以外にも、人々の悲鳴はあちこちから聞こえてきている。

 エル婆の広範囲制圧魔法に加え、その魔法に巻き込まれないように待機してるグループを俺達が先んじて倒す事で、この場の制圧はもうすぐにでも終わる。

 だが、他の場所を放置する事はできない。

 人道的な意味でもそうだし、戦略的な意味でもここの住民達を見捨てる事はできないのだ。

 

 ここは最前線の砦に最も近い街の一つ。

 言わば、補給の重要拠点。

 この街が落ちれば最前線への支援が滞り、魔王軍との戦いに結構な悪影響が出るというのは、戦略に明るくない俺ですら少し考えればわかる事だ。

 人類の被害をできる限り抑えなければいけない現状、この街を見捨てるという選択肢はあり得ない。

 

 それでも、完全に助けられる見込みがゼロなら切り捨てる事も視野に入っただろうが、リンがいれば問題なく全員救えてしまうというのもタチが悪い。

 それどころか、恐らくステラの治癒魔法でも救えるだろう。

 『勇者の加護』はあらゆる加護の上位互換。

 鍛えてきた分野の違いで専門職のリンには劣るとはいえ、さすがにリンの無詠唱魔法よりは、ステラが完全詠唱した魔法の方が勝る。

 リンの無詠唱魔法で救えるなら、ステラでも救える。

 それは普通に考えれば喜ばしい事なんだろうが、この状況だとそうも言い切れない。

 何故なら……

 

「くっ! 致し方ないか!」

 

 最後の数人の足を剣の腹で放った飛翔する打撃で砕きながら、ルベルトさんが口を開く。

 作戦を伝える為に。

 

「勇者様、リンくん、エルネスタ様は三手に別れて住民の沈静化を! 少年とドッグはレストとブレイドを追ってくれ! 私は先程の轟音の現場に向かう! 各自、それぞれの目的を達成するか、他からの救援信号があれば迷わず合流せよ!」

 

 ルベルトさんの作戦は、多分最善手だろう。

 だが、同時に危ない橋を渡る作戦だ。

 それがわからない筈もなく、作戦を伝えたルベルトさんの顔は険しい。

 切り捨てる必要がないという事は、救いに行った方がいいという事。

 この街全体を救いたいなら、手分けするしかない。

 つまり、俺達は分断されるという事だ。

 この、半ば敵の手に落ちた敵地と言ってもいい街の中で。

 恐らくは、向こうの思惑通りに。

 

 この状況、エルフの里で四方から上位竜が襲ってきた時に似てるな。

 あの時はステラと一緒に行けたが、今回は別行動か。

 今回もあの時と同じで、空に向けて派手な何かを打ち上げれば、それを救難信号にして合流できるんだろうが……それを差し引いても、正直、滅茶苦茶気が進まない。

 そう思ってステラを見ると、

 

「アラン! 私もすぐに終わらせて駆けつけるから、それまでレストくんをお願いね!」

「あ!? おい!」

 

 一切迷う事もなく、止める間もなく、ステラは猛スピードで街の中に消えてしまった。

 当然、身体能力で圧倒的に劣る俺の足で追い付ける筈もない。

 俺にとっての最優先事項は、いつだってお前を守る事だってのに、あのバカは……!

 それとも、俺がごねるとわかってたから即断したのか?

 だとしたら罪な女に成長しやがって、あの野郎!

 

「何してる! 早く行くぞ!」

「……くそっ! 危なくなったら、すぐに知らせろよ!」

 

 ドッグさんに急かされ、俺は仕方なくステラとは別の方向、レストとブレイドが消えた方向へ向かって駆け出した。

 リン、エル婆、ルベルトさんも、それぞれの担当区域を即行で決めて走り出していた。

 この場に残った人達に関しては、どうやらエル婆が土魔法で作ったゴーレムでどこぞに護送するようだ。

 気休め程度の守りだが、それが突破される前に、敵全員を行動不能にしてしまえば何とかなるだろう。

 勇者や聖戦士の移動速度を考えれば、やってやれない事もない筈だ。

 なら、こっちもできるだけ速やかに、レストをはっ倒すとしよう。

 

 そうして、俺達はそれぞれの戦いへと出撃した。



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56 混乱の中を駆ける

 ドッグさんと共に、建物の上を走りながらレストとブレイドを追いかける。

 もう二人の姿は見えないが、行った場所はわかる。

 何故なら、前方で思いっきり派手な戦闘音が聞こえてきてるからだ。

 

「あの場所……兵舎か!」

 

 ドッグさんがその場所を見ながら叫ぶ。

 どうやら二人が激突してる場所は兵舎らしい。

 だとしたら、兵士を巻き込む形になってるのか?

 いや待て。

 そもそも、ルベルトさんの予想だと、真っ先に狙われたのは兵士なんじゃなかったか?

 

「マズイ! あそこには洗脳された兵達が!」

 

 ああ、やっぱりか。

 ドッグさんの嘆きで嫌な予感が的中した。

 本来なら、一般の兵士が聖戦士と強化された英雄のタイマンに割って入れる道理はない。

 しかし、人質や肉盾としてなら、いくらでも使える。

 ブレイドが不利になる要素が、より一層増えた。

 

「マズイ、本当にマズイぞ! いくらブレイド様とはいえ、今のレストと今のあいつらを同時に相手取ったら……!」

「……どういう意味ですか?」

 

 今の言い方、とてつもなく引っ掛かったぞ。

 それだと、まるでレストだけでなく、兵士達の方も何かしら厄介な状態に変わってるみたいじゃないか。

 それこそ人質でも肉盾でもなく、戦力的な意味で聖戦士であるブレイドの脅威になるみたいな言い方に聞こえた。

 

「それは……ッ!?」

 

 俺の疑問にドッグさんが答えようとした瞬間、それを遮るように俺達に向けて魔法が飛んできた。

 炎の矢のような魔法。

 しかも、それなりに強い魔法だ。

 エル婆には到底及ばないが、カマキリ魔族が使ってた風の斬撃一発分くらいの威力はある。

 俺は反射的に前へ飛び出し、炎の矢を術者に向けて跳ね返した。

 

「五の太刀━━『禍津返し』!」

「オォオオオオオオ!?」

 

 絡め取られ、軌道を180度歪められた炎の矢が、術者の足を貫く形で炸裂する。

 片足を炎で焼き焦がされて獣のような絶叫を上げた術者は、操られた人達と同じく狂気に染まった顔をした兵士だった。

 しかし、他の人達とは明らかに気配の質が違う。

 少しだが、レストと同じく禍々しい魔族の気配を放っている。

 ついでに、強者を嗅ぎ分ける俺の感覚にも反応ありだ。

 

 俺の予想を裏付けるように、操られた兵士が残った片足で跳躍する。

 俺達と魔法を撃ってきた兵士の距離は、約50メートル。

 その距離を、片足による踏み込み一つで埋めてみせた。

 どう見ても一兵卒のレベルを逸脱した身体能力。

 普通に俺の何倍も強い。

 下手すれば、英雄の領域に指先がかかってそうな程だ。

 

「ハッ!」

「ぐがっ!?」

 

 だが、今更その程度の力に負ける俺じゃない。

 突撃して振り下ろしてきた剣の一撃を木刀で受け流し、その威力を利用した流刃で残った片足を砕く。

 これで行動不能に……

 

「ガァアアアアア!」

「何っ!?」

 

 両足を砕いても、兵士は倒れなかった。

 壊れた足で地面を踏み締め、次の一撃を繰り出してくる。

 砕けた足が回復してる!?

 ドラグバーンみたいな再生能力を持たされてるのか!?

 

「六の太刀変型━━『震天』!」

「カッ!?」

 

 驚きながらも、俺は冷静に剣を避け、反天の応用技を兵士の頭に叩き込んだ。

 本来の反天は相手の攻撃と自分の攻撃をぶつけ、発生した衝撃を敵の最も脆い部分に浸透させて破壊する技だが、さすがに、洗脳解除の見込みがある味方にそれを叩き込む訳にはいかない。

 今回の技は、単純に俺の腕力だけで頭蓋骨をぶっ叩き、その衝撃で脳を揺らしただけだ。

 それだけで人は気絶する。

 体がやたら頑丈な魔族や魔物相手だとほぼ通用しないから滅多に使わない技だが、この状況なら大活躍しそうだな。

 それはいいとして。

 

「ドッグさん、これどうなってるんですか?」

「見た通りだ。兵達はレストに何かをされ、こんな状態にされてしまった。多くの兵達がこいつと同じく、最下の魔族に迫る程の力を持たされたんだ。それを前に、俺は撤退してルベルト様の所へ駆ける事しかできなかった……!」

「……何があったのか詳しく教えてください。走りながらになりますけど」

「いいだろう。だが、走りながらではなく戦いながらになりそうだぞ」

「みたいですね」

「「「ガァアアアアア!」」」 

 

 会話の隙も与えぬとばかりに、今倒した兵士と同じ状態の兵士達が次から次へと現れ、襲いかかってくる。

 それをドッグさんと共に迎撃。

 追加で出てきた兵士は全部で十人。

 五人ずつに別れる事もなく、かといって連携してくる事もなく、それぞれが本能に任せて目についた方へ突撃してきてる感じだ。

 

 俺の方へ向かってきたのは六人。

 複数人相手で、殺してはいけないという条件なら、二刀の型を使った方がいいだろう。

 攻撃力に乏しい二刀の型だが、今回の主力である震天に力は必要ない。

 殺す程の威力の攻撃を行うつもりもないのだから、攻撃力に乏しい事は、むしろ利点だ。

 刀が二本になれば手数も増えるし、それにドラグバーン戦の時より二刀の型の完成度も上がっている。

 

 俺は腰から短い方の木刀も引き抜き、迫り来る兵士達を迎え撃った。

 

「ガァアアアアア!」

「フッ!」

 

 真正面から剣を振り下ろしてきた一人目の攻撃を、左手の木刀を使った歪曲でねじ曲げる。

 そのまま木刀を直進させ、突きによる震天で一人目の脳を揺らした。

 連続技だ。

 まずは一人。

 

「ハァ!」

 

 続いて、左右から同時に襲いかかってきた二人目と三人目に対処。

 元がコンビネーションに長けた二人だったのか、理性を失ってるにも関わらず、鏡合わせのように斜め上段からの斬撃を叩き込んでくる二人。

 それに対し、俺は攻撃を先読みして一歩前に出る事で回避し、左右の木刀を同時に二人の側頭部に叩き込んで意識を奪う。

 これで三人。

 

「「「ガァアアアアア!」」」

 

 残った三人は、これまた同時に俺を攻撃しようとしていた。

 正面の兵士が大盾を構えての突撃。

 残りの二人が、その盾持ち兵士の斜め後ろから、長物の槍で俺を刺し貫こうとする。

 ……理性吹っ飛んでる割に、連携として成立してる動きだ。

 盾持ちがこっちの攻撃に対する壁になる事で、それに守られた槍持ち二人は反撃を気にせずに攻撃できる。

 攻防一体の陣形。

 多分、体に染み付いてるんだろうな。

 恐らく、戦闘が少しでも長引いて戦況が複雑化すれば、理性消失によるボロがどんどん出てきて連携はズタズタになるんだろうが。

 さっきの二人目と三人目といい、少なくとも最初の一手は、訓練によって体に染み付いた定石通りの動きができるのかもしれない。

 

 そんな努力の結晶を、魔族に利用されるというのは腹の立つ話だ。

 老婆魔族に操られたフィストを思い出す。

 今回は知り合いのレストまで毒牙にかかってる分、怒りはあの時の比ではない。

 こんな事を仕出かしてくれた野郎は、後でキッチリ落とし前つけてぶっ殺してやる。

 

 俺は右手の木刀で歪曲を使い、右側から迫る槍を受け流しつつ、左手の木刀で左側から迫る槍の一撃を受け止めた。

 槍の切っ先を木刀の鍔と刀身の根元でガッチリと防ぎ、その勢いを利用して右へ回転。

 暴風の足鎧の力も発動させ、風によって加速した蹴りを、歪曲の技法を用いて盾持ちの盾へ向けて繰り出す。

 

「二の太刀変型━━『歪曲・無刀』!」

 

 突進の勢いをねじ曲げるべく放った蹴りによって、盾持ち軌道は横へと逸れ、槍持ちの一人とぶつかって両者の体勢が崩れる。

 あのまま盾持ちを突進させてたら、直線上にいた最初に昏倒させた兵士を踏み潰しかねなかったからな。

 それを避ける為にも、盾持ちは横にどけなければならなかった。

 

 そして、右に回転する体はまだ止まらない。

 今度は回転のままに左手の木刀を、突きを受け流されて隙を晒してるもう一人の槍持ちに叩き込み、震天で気絶させる。

 槍持ちが崩れ落ちる様を確認する暇も惜しみ、俺は激突して体勢を崩してる残りの二人に駆け寄って、左右の木刀で両者の頭を叩く。

 再びの震天。

 最後の二人が、他の兵士と同じように倒れる。

 それで俺の方に向かってきた兵士は全滅させる事ができた。

 この間、僅か数秒足らず。

 我ながら悪くない仕事だったと思う。

 

 見れば、ドッグさんの方に向かっていた四人の兵士も全滅していた。

 全員、四肢を全て両断されて。

 どうやらこいつら、骨折程度の傷なら瞬時に回復できるが、さすがに四肢欠損までは治せないらしい。

 かなり荒っぽいが、まあ、震天みたいな便利な技がなければ、そうせざるを得ないか。

 それでも念の為に、全員の頭に震天を叩き込んで気絶させておいた。

 全部終わったら、リンにでも治してもらってくれ。

 

「……無駄な破壊を一切せず、意識だけを的確に刈るか。相変わらず凄まじい技量だな」

 

 ドッグさんが少し複雑そうな声でそう呟く。

 まあ、最初に会った時、加護も持たないガキが調子に乗るなよ的な事言って殴りかかってきた手前、色々と思うところがあるんだろう。

 だが、今はそんな感傷に浸らせてる場合じゃない。

 

「どうも。でも今はそんな事より先を急ぎましょう。兵舎であった事についての説明もお願いします」

「わかっている」

 

 そうして、ドッグさんは即座に感傷を振り払い、再び走り出しながら説明を開始した。

 

「……始まりは本当に突然だった。今から一時間程前の事。いつもと変わらない姿のレストがふらりと兵舎に現れ、突如豹変して俺達に襲いかかってきたんだ」

 

 一時間前。

 丁度、俺達がルベルトさんに神様の話を伝えようとして、街長の屋敷に入った頃だ。

 恐らく、というかほぼ確実に、レストは俺達を監視してたんだろうな。

 油断した。

 まさか味方に監視されて、僅か一時間程度の密会の隙を突かれて、ここまでの事をされるとは。

 いくら遮音結界を張ってたとはいえ、あれは中の音を外に漏らさない為の結界魔法。

 外からの音もある程度は遮断するが、派手な戦闘音がすればさすがに気づく。

 レストか、あるいはその裏にいる魔族はそこまで考えて、最初に派手な戦闘ができる兵士を不意討ちで無力化したって事か。

 

「不意を突かれ、真っ先に狙われた俺は一撃で結構なダメージを食らってしまった。すぐに異変に気づいて他の加護持ちの守護騎士二人が迎撃に当たったが、あの豹変したレストには歯が立たず、戦闘とも呼べない刹那の内に打ち倒された。その直後に俺もやられそうになったが、他の兵達に助けられてな。ここは自分達が時間を稼ぐから、その隙にルベルト様を呼んできてくれと託されて逃がされたんだ。だが……!」

 

 ドッグさんの顔が苦々しく歪む。

 その様は、自らの無力を悔やむ男のそれ。

 前の世界の俺と同じ顔だ。

 

「レストに倒された兵達が、すぐに苦しみ始めてあの状態になっていった。操られた兵は他の兵に噛みついて、噛みつかれた方も同じ状態になる。特にレストに直接やられた連中は異様な力を持たされた。そんな数と質の暴力によって、兵達は瞬く間に全滅。俺はなんとか兵舎から逃げ出せたが、追ってくる兵達と、その兵達に噛みつかれて操られた住民達に追い立てられ、逃げ回り、お前達と合流するまで一時間もかかってしまったという訳だ……!」

 

 ……なるほど。

 確かに、最下の魔族に匹敵する奴らが負傷したところに集団で襲ってきたら、加護持ちの英雄でもキツイか。

 ましてや、それが操られた味方なら尚更。

 トドメに、加護持ちの力だとちょっと小突いただけで死にかねない民衆という名の肉の盾がいるせいで、派手な戦闘もできない。

 苦戦もやむ無しだな。

 

 だが、今の話で少しは敵の内情がわかった。

 敵はレスト+操られた兵士達。

 最初にレストに倒されたという、加護持ちの守護騎士二人も操られてる可能性あり。

 そして、かなり多くの兵士達が、最下の魔族並みの力を持たされている。

 

 レストに直接やられた奴がそうなってるって事は、感染源に近い程効力が強いって事か?

 だとすると、加護持ちの守護騎士二人は、レストに近い強さを持たされているかもしれない。

 しかも、そいつら全員、できれば殺さない方がいいときた。

 最低でも、レスト含む加護持ち三人は確実に救出しなければならないだろう。

 少しでも被害を減らして魔王軍に勝てと言われてる状態で、一騎当千の英雄を三人も失う訳にはいかない。

 ちっ!

 なんて厄介な!

 

 しかし、嘆いてても始まらない。

 俺は俺にできる事をするしかないのだから。

 

 前方から、再び操られた兵士達が現れる。

 

「また来るぞ!」

「数が多いです、ね!」

 

 言いながら、間合いに入った兵士を震天で打ち倒す。

 今回はさっきよりも数が多い。

 ここは最前線近くの街だ。

 危険地帯が近い分、駐屯してる兵士の数も多いに決まってる。

 普段なら頼もしい味方の筈が、今はそいつら全員敵。

 それを殺さずに切り抜けて行かねばならない。

 普段の死闘とは勝手が違う。

 やりにくい事この上ない。

 それでも……

 

「やってやるよ! ちくしょうがぁああ!」

 

 咆哮を上げながら、一人一人正確に頭を狙って昏倒させていく。

 持ってたのが木刀だったのは不幸中の幸いだったのかもな。

 おかげで、少しは不殺の技が使いやすい。

 

「どけぇえええ!」

 

 そうして、操られた兵士達を一人ずつ確実に無力化しながら、俺達は先に進んだ。

 叩いて、叩いて、叩いて、叩いて、叩きのめして。

 その果てに辿り着いた兵舎で、俺達が目にしたのは……

 

「無様ですね、兄上」

「ぐ、くそ……!」

 

 ボロボロの姿で大剣を構えるブレイドと、そんなブレイドを無傷の状態で見下すレストの姿だった。



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57 行く手を阻む者達

「「ブレイド(様)!」」

「お前ら……」

「ああ、もう来たんですか。さすがに早いですね」

 

 乱入した俺達を見て驚く事もなく、レストはパチンと指を鳴らした。

 ブレイドとの戦闘中とは思えない余裕のある動作。

 それを合図に、この兵舎にいた操られた兵士達が俺達の前に立ち塞がる。

 

「今は兄上と話してるんです。家族水入らずで。邪魔しないでくださいよ」

「ッ!」

 

 何が家族水入らずだ!

 こんなもん、兄弟喧嘩ですらないぞ!

 ブレイドの負っている傷、致命傷とまではいかないが、それなり以上に深い。

 このまま戦闘を続けたら、最悪死ぬかもしれないってくらいには深いダメージ。

 これは正真正銘の殺し合いだ。

 レストは、ブレイドを本気で殺しにいっている。

 

 何やってんだと問い詰めたい。

 いや、魔族に操られてそうなってるんだとは思うが、それにしては他の奴らと違って、自意識っぽいものが残ってるのが解せない。

 ……まあ、それも今はどうでもいいか。

 とりあえず今やるべき事は、この木刀で全員ぶっ叩いて正気に戻してやる事だけだ。

 

「「どけ!」」

「「「ガァアアアアア!」」」

 

 その意気込みと共に、俺はドッグさんと共に操られた兵士達の集団へと突っ込む。

 敵兵は数が多い。

 そりゃそうだ。

 最前線近くの街を守る戦力が、さっき道中で倒してきた程度の数で枯渇する訳がない。

 

 この場に残ってる兵士の数は、約数百人。

 見る限り、その殆どがさっきの奴らと同じく、最下の魔族並みの力を持たされてるようだ。

 普通に考えれば絶望的な戦力。

 加護持ちの英雄であっても、この数の暴力の前には飲み込まれて果てるだろう。

 

 だが、やられるつもりは毛頭ない。

 

「「「ガァアアアアア!」」」

「フッ!」

 

 前から横から後ろから、俺達を押し潰すように殺到する兵士達を、俺は歩方で翻弄する。

 フェイントを混ぜ、位置取りを調整し、敵の攻撃方法やタイミングをある程度誘導。

 そうして放たれた大量の攻撃を二本の木刀で受け流し、手の回らない攻撃は避ける。

 すると……

 

「「「ガッ!?」」」

 

 俺に攻撃は当たらず、逆に攻撃した筈の兵士達の方が苦悶の声を上げた。

 前から振るわれた剣は、受け流されて横の奴の肩にめり込み。

 後ろから突き出された槍は、避けられて前の奴の腹を貫く。

 

 これもまた俺の剣の本質。

 相手の力を利用した戦い方の一つだ。

 攻撃を狙いの位置とタイミングで放たれるように誘導し、攻撃の軌道をねじ曲げ、敵の力を別の敵へと向ける。

 勇者の出立式で、英雄達を相手取った時にも使った戦法。

 複数の敵と同時に戦う事を想定した、最強殺しの剣の型の一つ。

 

 元々、迷宮攻略だの、魔族の支配領域に突貫だのして、大量の敵を一度に相手にしていた俺にとって、多対一は得意分野だ。

 場合によっては、むしろ一対一よりもやり易い。

 一対一なら、利用できる力は目の前の相手のものだけ。

 だが、多対一ならば、自分に向かってくる数多の攻撃全てを利用できる。

 連携が甘ければ、突き崩す隙も見つけやすい。

 つまり、

 

「数の暴力如きで、俺を止められると思うな!」

 

 群がる兵士達の波を抉じ開けて前に出る。

 ドッグさんもまた、俺の空けた穴を広げるような形で立ち回り、一人ずつ確実に兵士達を戦闘不能にしていく。

 そのまま、俺達は一直線にレストの元へと突貫した。

 

「知ってますよ。雑兵じゃあなたは止められないって事くらい」

「ッ!?」

 

 レストがそう言った瞬間、群がる兵士の隙間を縫って、凄まじい速度で水の弾丸が飛来してきた。

 本能が危険を察知し、直前に回避行動を取ったおかげで当たりはしなかったが、今の攻撃は他とは比べ物にならない脅威だ。

 何せ、今のは『剣聖』シズカの成れの果てこと剣聖スケルトンや、加護持ちの英雄の中でも上位の力を持っていた『拳の英雄』フィストの攻撃と同等の速度だった。

 間違っても最下の魔族程度の力で放てる攻撃じゃない。

 なら、この攻撃を放った相手は、自ずと限られてくる。

 

 攻撃の飛んできた方向を見れば、そこには短杖を構えた魔法使い風の中年男の姿が。

 

「うぅ……あぁ……」

 

 その人は、獣のような叫びを上げる他の兵士達とは違い、苦悶に満ちた呻き声を上げていた。

 だが、そんな状態でも、その気配から感じる実力はドッグさん以上。

 間違いなくドッグさんと同じ、この街を守っていた三人の加護持ちの英雄の一人だろう。

 水の魔法を使ってきたって事は、恐らく『水の加護』を持った魔法使い。

 それも短杖装備のところを見るに、無詠唱魔法による早撃ちが得意なタイプと見た。

 

「オォオオオオオオオオ!」

 

 更に、中年魔法使いに続いてもう一人、他とは比べ物にならない戦力が襲来する。

 そいつは引き締まった筋肉を持ち、巨大な両刃の斧を構えた三十代くらいの女だった。

 恐らく『斧の加護』を持った女戦士。

 そんな斧使いの女が大ジャンプして空中から現れ、落下の勢いと共に手に持った斧を、俺目掛けて思いっきり振り下ろす。

 その攻撃自体は歪曲で軽く受け流せたが、そのまま地面に叩きつけられた斧は大地を割り、凄まじい粉塵と衝撃波を周囲に撒き散らした。

 

「ちっ!」

「ぬおっ!?」

 

 周りにいた兵士達ごと、俺やドッグさんも衝撃波で吹き飛ばされ、後退させられる。

 俺は衝撃波に合わせて受け身を取り、ドッグさんは加護持ちとしての頑丈さで耐えたからダメージはない。

 むしろ、今の一撃で群がっていた兵士達の方が大ダメージを受け、向こうの戦力が削れた。

 最下の魔族並みの力と再生能力を持たされていたのが逆に幸いしたのか、見る限りでは死んだ奴が一人もいないっていうのも、こっちにとって都合がいい。

 

 ただし、その程度の優位は、この二人が出てきてしまったという事実の前では霞む。

 連携が取れるだけの知性が残ってるかはわからないが、それでも相手は魔族の力によって強化された加護持ちの英雄二人。

 まだまだ残ってる他の兵士達も、この二人と一緒に攻めて来られたら中々に面倒だ。

 少なくとも、足止めは確実にされる。

 この状況で、そんな隙を晒せば……

 

「これで邪魔は入りません。さあ、続きをしましょう、兄上」

「くっ!?」

 

 くそっ!

 レストがブレイドへの攻撃を再開した。

 聖戦士すら上回る身体能力によって、負傷したブレイドを一方的に追い詰めていく。

 剣聖の意地か兄としての意地か、ブレイドもすぐにやられるような事はなさそうだが、このままではその内確実に負けて殺されるだろう。

 レストの動きが身体能力の向上によって冴え渡ってるのに対し、逆にブレイドの方はやけに動きが鈍い。

 負傷を差し引いても、集中できてない感じだ。

 

 助けに行きたいが、その為には目の前の敵を突破しなければならない。

 さすがに、こいつらを倒しきるまでブレイドを助ける余裕はないだろうな。

 なら即行で終わらせるのみ。

 それまで死ぬなよ、ブレイド!



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58 嫉妬の剣士

「オォオオオオオオオオ!」

「う……あ……」

「「「ガァアアアアア!」」」

 

 斧使いの女、中年魔法使い、大量の兵士達。

 敵の全軍が、一斉に俺達に向かって押し寄せる。

 さっきまでと同じ、数の暴力で圧殺しようという戦略とも言えない戦略。

 だが、そこに魔族の力で強化された英雄が二人も加わっていれば、同じ攻撃でもさっきとは別物だ。

 

 先陣を切るのは当然、最も身体能力に優れた斧使いの女。

 まるで猪のように一直線に突進し、巨大な斧を両腕でフルスイング。

 縦に振り下ろす。

 単調な攻撃だ。

 パワーとスピードこそ凄まじいが、これだけならまだ対処は難しくない。

 

 俺は斜め前に踏み込みながら、振り下ろしを左手の短い方の木刀で受ける。

 いつものように力負けし、斧の勢いによって左手が沈み込む。

 その沈み込む勢いを流刃によって回転力に変え、相手の力を乗せた右の木刀を、斧使いの女の頭に向けて突き出した。

 ドラグバーン戦の経験と道中の修行によって、二刀の型の完成度は上がり、守りや軽い攻撃だけでなく、こうして反撃もできるようになったのだ。

 とはいえ、まだまだ力の伝導率も低く、片手での攻撃では威力に欠けるという欠点を解消できた訳でもない。

 四天王クラスに通じるレベルではないだろう。

 それでも、目の前の斧の英雄くらいになら通用しない事もない筈。

 

「グッ!?」

 

 流刃によって繰り出された突きを頭に食らい、斧使いの女がよろける。

 しかし、倒れはしない。

 やはり、流刃と併用すると震天の精度が落ちるな。

 だからと言って、流刃と併用しなければ、英雄の意識を奪うには至らない。

 何せ、武術系の加護持ちの頑丈さは魔族にも匹敵するのだから。

 

 だが、一度でダメなら、二度でも三度でも打ち込むまで!

 よろめいている斧使いの女に追撃をかける。

 今の一撃で脳が揺れている状態なら、従来の震天でも多少は効果がある筈。

 ぶっ倒れるまで叩き続けてやる。

 

「……チッ」

 

 しかし、そう簡単にはいかない。

 俺の追撃を妨害するように、中年魔法使いがいくつもの水の弾丸を飛ばしてきた。

 器用にもカーブを描き、目の前の斧使いの女や、迫り来る兵士達を避けて飛来する水弾の連打。

 味方を巻き込まないだけの理性が残ってるのか、それとも単純に障害物を避けてるだけか。

 

 どっちにしろ、厄介な攻撃である事に変わりはない。

 水弾の弾速が思ったより速いのだ。

 防ぐだけなら簡単。

 歪曲連鎖で軌道を歪めた水弾を他の水弾にぶつけて相殺すればいい。

 なんなら何発かは禍津返しで跳ね返したり、斧使いの女にぶつけたりしてやったが、それでも大量の水弾の圧力によって前に出られず、数秒の時間を稼がれ、斧使いの女に追撃をかける事ができなかった。

 跳ね返した水弾は他の兵士が壁になって中年魔法使いまで届かず、それを何発か食らわせた斧使いの女も、この程度の軽い攻撃では軽傷止まり。

 そうこうしている内に脳震盪の余韻も消えてしまったらしく、しっかりとした足取りを取り戻して、再び襲いかかってきた。

 今度は追いついてきた他の兵士達と一緒に。

 

「くそっ……!」

 

 斧を筆頭に、数々の武器が俺を目掛けて振るわれる。

 流刃……いや、ここは、

 

「『歪曲千手』!」

 

 同時に俺に向かってきた攻撃は三つ。

 正面からの斧、前方と後ろからの剣だ。

 いくら敵の数が多くとも、すし詰めになって動く訳にはいかない以上、完全同時に繰り出される近接攻撃の数はそう多くない。

 

 とりあえず最大脅威である目の前の斧を左手の木刀で受け流し、後ろの兵士達の足を切り裂く軌道へと誘導。

 同時に、右手の木刀で横から来た剣の軌道を斧使いの女の腕へと誘導。

 更に、後ろから振るわれた剣を、剣聖シズカの羽織とミスリルの胸鎧の肩部分で守られた場所で受け流し、その軌道も斧使いの女の腹へ誘導。

 それによって斧使いの女は左腕と腹に斬撃を食らい、他の兵士達も誘導した斧使いの女の攻撃で足をぶった切られて何人かが脱落した。

 

 しかし、これでも斧使いの女に与えたダメージはまだ軽傷。

 ふざけた事に、食らった攻撃を筋肉の鎧で止めやがったのだ。

 腕にめり込んだ剣は切断に至らず、腹を突いた剣は貫通に至らない。

 それどころか、剣が抜けた途端に再生能力で全快される始末。

 そこに斧使いの女の次の攻撃が振るわれ、同時に倒れた味方を踏み越えて新しい兵士達が群がり、更に中年魔法使いを始めとした後衛職による攻撃まで加わる。

 

 対処はできる。

 このまま戦っても負けはしない。

 だが、こうしている間にも……

 

「ぐ、ぉ……!?」

「アハハハハハハハッ! 無様! 不恰好! みっともない! あれだけ必死になっても追いつけなかった兄上が、今はまるでゴミのようだ!」

「くそ、が……!」

 

 兵士達の壁の向こうでは、ブレイドがレストに切り刻まれ、刻一刻と敗北へのカウントダウンが進行していた。

 狂気に満ちた笑みを浮かべながら剣を振り回すレストと、そんな弟の姿を見て完全に集中を欠いているブレイド。

 勝敗の行方は火を見るよりも明らかだ。

 なんとか、ブレイドが踏ん張ってる間にこっちを終わらせて駆けつけなければならない。

 くそっ!

 せめて、殺していい敵なら、もう少し話は簡単なのに!

 

「ドッグさん! 協力して下さい!」

「む! 了解した!」

 

 この軍勢を俺一人で短時間で全員殺さず無力化するのは中々にキツいと判断し、後ろの方で確実に兵士達を戦闘不能にしていたドッグさんに救援を要請した。

 ドッグさんが目の前の敵を振り払ってこっちに来る。

 だが、僅かな間にも事態はどんどん推移していく。

 

「ずっと、あなたが嫌いだった! ずっと、あなたが目障りだった! 聖戦士の加護を持って生まれたってだけで皆から期待されて! 認められて! 僕はそんなあなたと比較ばっかりされて!」

 

 レストの様子が、狂喜から怒気へと変わる。

 彼は吐き出し続ける。

 心の闇を。

 ブレイドの心を抉る言葉を。

 

「僕の方が努力してた! 才能の差を覆す為に、必死で頑張ってきた! なのに、そんな僕の努力を嘲笑うみたいに、あなたは剣聖の力で僕との差を見せつける! よく稽古サボってたくせに! 必死の努力なんてしてこなかったくせに! 生まれ持った力だけで!」

「おごっ!?」

 

 言葉と共に、剣の一撃を囮にして放たれた、抉るような拳がブレイドの腹にめり込んだ。

 その一撃に耐えられず、ブレイドが膝をつく。

 マズイ!

 そう思ったが、レストはすぐにはブレイドに追撃を掛けず、膝をついたブレイドをニヤニヤとした嫌みな顔で見下しながら嘲笑った。

 

「ずっとずっと、兄上が妬ましくて妬ましくて堪らなかった。でも、そんな気持ちからもやっと解放されます。だって、今はもう僕の方が強いんだから! 身体能力が逆転してしまえばこんなものですよ。兄上の剣には深みがない。なまじ聖戦士としての身体能力と剣のセンスによるゴリ押しで勝ててしまうから、駆け引きも拙く、相手の行動を読むのも苦手。格下相手には無双できても格上相手には通じない。つまり、格上になった今の僕には通じないんですよぉ!」

 

 愉快で愉快で仕方ないとばかりに、レストは大声を上げて嗤う。

 ……ぶっちゃけ、それに関しては俺も少し感じてた事だが、よりにもよって実の弟に、こんな形で指摘されて嘲笑われるなんて、ブレイドのメンタルに大ダメージが入ってそうだ。

 傍目にも絶望のオーラが見える。

 心折れたかもしれない。

 そんなブレイドの顔面を、レストは容赦なく蹴り飛ばして足蹴にした。

 もうやめてやれよ!

 

「ぐふっ!?」

「格付けは終わりました。さあ、決着をつけましょう! あなたの死をもって、僕は弱い自分に別れを告げる!」

「あ、あがぁあああああ!?」

 

 今度こそ仕留めに行ったレストの攻撃を防ぎ切れず、ブレイドの片腕が切断されて宙を舞う。

 それでもブレイドは残った腕で大剣を盾のように使い、必死に生にしがみつくが、もう一刻の猶予もない!

 

「ドッグさん!」

「わかっている! おぉおおおおおおお!」

 

 ブレイドの救援に向かうべく、俺達は目の前の敵へと最後の攻勢を仕掛けた。

 俺達だって、ただボーッとレストの家庭内暴力を見ていた訳じゃない。

 俺が防ぎ、ドッグさんが攻める連携をもって、目の前の障害を確実に薙ぎ払っていたのだ。

 その甲斐あって、兵士達の半数以上を無力化。

 最大の障害である斧使い女の片腕も奪い、制圧まであと少しというところまで漕ぎ着けた。

 大丈夫だ!

 間に合う!

 

「オォオオオオオオオオ!」

 

 斧使いの女が、残った片腕で斧を振り上げる。

 追い詰められて生存本能が強まったのか、ただでさえ薄れてる理性が完全に消失したような大振りの一撃。

 チャンスだ!

 

「『流刃』!」

「ガッ!?」

 

 斧の一撃を完璧に受け流し、その勢いを乗せた流刃を、斧使いの女の腕に叩きつける。

 真剣ならいざ知らず、木刀の攻撃では英雄の体に大きなダメージを与える事はできない。

 しかも、今の相手は魔族の力を持たされた英雄。

 この程度のダメージ、瞬く間に回復されてしまうだろう。

 

 だが、今の一撃は打撃によるダメージを狙ったものではなく、肩関節を強打する事によって脱臼を狙った攻撃だ。

 いくら再生能力が高かろうと、関節を外してしまえば少しは動きが止まって隙が出来る。

 そして、隙さえ作れば、英雄相手でも普通に大ダメージを叩き込める戦力がこっちには居る。

 

「すまん、バネッサ! ハァアア!」

 

 名前を呼んで詫びながら、ドッグさんが動きの止まった斧使いの女に斬りかかる。

 腰を落として前に出ながら、まずは左足に向かって剣を一閃。

 背後を取り、今度は右足と右腕に向かって二連斬。

 それによって斧使いの女の四肢全てを奪い、戦闘不能にする事に成功した。

 そのまま、ドッグさんは斧使いの女を投げ飛ばし、戦闘領域から無理矢理に離脱させる。

 

 これで最大の障害は倒した。

 残る大きな壁は、もう一人の英雄である中年魔法使い。

 こっちは斧使いの女に比べれば楽だ。

 魔法使いは近づかれると弱い。

 魔法系の加護持ちも常人に比べれば優れた身体能力を持つし、魔族の力も与えられてる以上、近接戦でも他の兵士達よりは強いかもしれないが、それでも武術系の加護持ちに比べればどうとでもなる。

 ただ、

 

「さようなら、兄上!」

 

 俺が中年魔法使いを倒して駆けつけるより、レストがブレイドにトドメを刺す方が早そうだ。

 どうする!?

 

「小僧! 跳べぇ!」

「は!?」

 

 そんな事を叫びながら、いきなり隣のドッグさんが俺に斬りかかってきた。

 何を、と一瞬思ったが、すぐにその意図を理解する。

 ドッグさんが横に振り回そうとしている剣は、腹の部分が俺に向いていたのだ。

 俺は反射的に、最適と思われる行動を取っていた。

 振り回される剣の腹を足の裏で受け止め、その状態の俺をドッグさんが力一杯のフルスイングで吹っ飛ばし、レストの方に向けて射出する。

 

「どぉりゃぁあああ!」

「ドッグさん!」

「ここは俺に任せて先に行け!」

 

 まだ半数近い兵士達と中年魔法使いが居る戦場に一人で取り残されるというのに、ドッグさんは二度に渡って急所を蹴り上げられた人とは思えない、中々に漢らしいセリフで俺を送り出してくれた。

 俺の中でドッグさんの株が急上昇する。

 最初は加護の力に傲ってるだけの奴かと思い、再会した時も思ったよりはまともな人だったな程度にしか考えてなかったが、とんでもない。

 あんた、ちゃんと立派な英雄だったよ。

 

 そんなドッグさんの献身は無駄にしない。

 射出された勢いのままに、俺はブレイドにトドメを刺そうとしているレストに飛び掛かった。

 

「レストォオオオ!」

「邪魔しないで下さいッ!」

 

 俺の木刀とレストの剣がぶつかり合う。

 一日ぶりに直接交えた俺達の剣は、酷く悲しい音を響かせた。



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59 お前は誰だ?

 俺の木刀を剣で受け止めたレストは、つばぜり合いをする事なく、即座に背後へ跳躍する事で、俺との距離を取った。

 確かに、それは好手だ。

 相手の動きを読み、その力を利用する剣術を使う俺にとって、密着状態での読み合いになるつばぜり合いは大の得意分野。

 それは昨日剣を交えたレストも知るところ。

 だから、わざわざ俺の得意分野に付き合わず、冷静に距離を取ったのは褒められる判断だろう。

 あれだけブレイド相手に激情を叩きつけていたくせに、そんな冷静な判断ができるというのは少し引っ掛かるが。

 

 しかし、今はそんな事を言ってる場合でもない。

 

「ブレイド、大丈夫か?」

「う、ぐ……」

 

 大丈夫じゃなさそうだ。

 レストにボコボコにされたブレイドは今、両腕を失った痛ましい姿で地面に倒れ伏していた。

 どう見ても戦闘不能。

 割り込むのがあと少しでも遅れてたら死んでいただろう。

 ドッグさんに感謝だな。

 

 とりあえず、視線はレストに向けて警戒したたまま、腰のマジックバックから勇者パーティーへの支給品である最高級の回復薬を取り出し、ブレイドにぶっかけておく。

 四肢欠損を治す事はできないが、他の細かいダメージはこれで何とかなる筈だ。

 それでも失った血や体力が戻る事はない。

 ブレイドはしばらく動けないと思っておいた方がよさそうだ。

 つまり、ブレイドを守りながら、レストや残った兵士達と戦わなければならない。

 一筋縄ではいかないだろう。

 

「あぁ、兄上にトドメを刺せなかった……! あれだけの数と質をこんな簡単に突破された……! あの時と同じだ……! 出立の式典で蹴散らされた時と同じだ……! あなたはいつも格の違いを見せつける! いつもいつも僕の神経を逆撫でする! 妬ましい妬ましい妬ましいッ! 僕は、あなたが嫌いだァアアアアア!」

 

 激昂し、嫉妬に駆られた悲痛な叫びを上げながら、レストが俺に向かって突撃してくる。

 俺はそれを無言で迎え撃った。

 別に言葉はいらないって訳じゃない。

 ただ言葉を交わすよりも先に、今のレストの想いを、剣を交える事によって確かめたかったのだ。

 昨日と同じように。

 

「アアアアッ!」

 

 レストが初手で繰り出してきたのは、突撃の勢いを乗せた突き。

 だが、勢いの割に体重が乗っていない。

 対処される事を見越した牽制の一撃だろう。

 これに流刃を合わせても効果は薄い。

 すぐに切り返されて終わりだ。

 

「『歪曲』!」

 

 故に、ここでの最善手は受け流し。

 左手の木刀によって、欠片も体勢を崩さない完璧な歪曲を繰り出し、レストの攻撃を無力化する。

 同時に、右手の木刀による震天をレストの脳天目掛けて振るった。

 加護持ちでもあり、明らかに魔族の影響が他の兵士達より強いレストには大して効かないだろうが、全く効果がないという事もない筈だ。

 

「ハッ!」

 

 その攻撃を、レストは即座に引き戻した剣で完璧に受け止めた。

 体重が乗っていないのだから、引き戻すのも簡単なのは道理。

 同時に、レストはそこで体を後ろに傾け、地面を強く踏み締め、後ろへ大きく跳躍すると共に、俺の胴を狙った斬撃を繰り出そうとする。

 引き技。

 しかし、その程度で俺の意表を突く事はできない。

 その動きは読めている。

 

 レスト剣が俺の右手の木刀を受け止めた状態から動こうとした時点で左手の木刀を動かし、繰り出した歪曲で出鼻を挫く。

 それによって、レストの斬撃はあらぬ方向へと逸れ、引き技は失敗に終わる。

 だが、後ろに下がるという行動自体は成立し、レストは再び俺との距離を空ける。

 

「ダアアアッ!」

 

 そして、レストは再び俺に突撃してきた。

 それが防がれたらすぐに下がり、また再度突撃。

 徹底した一撃離脱戦法。

 その程度で俺が崩れる事はないが、有効な戦法ではある。

 あのドラグバーンと一対一で張り合った俺を相手に、こうして打ち合いが成立するくらいには。

 そうやって剣を交えている内に、レストの感情が剣を通して伝わってきた。

 

 今のレストは正気を失っている。

 それは間違いない。

 だが、こうして剣を交えて確信した。

 レストは確かに正気を失っているが、他の兵士達と違って完全に意識を奪われて操られている訳ではない。

 少なくとも言葉を話し、嫉妬の感情を叩きつけられるくらいには自我が残っている。

 その感情に直に触れて……俺は途方もない怒りを覚えた。

 

 レストの動きが止まる。

 いくら攻撃しても通じないこの現状を受け入れられなかったのか、頭を抱えて悶え始めた。

 

「勝てない……!? 勝てない勝てない勝てないッ! なんで!? なんでなんでなんで!? 僕は強くなったのに! 兄上なんて目じゃないくらい強くなったのにッ!」

「いいや、違う。お前は強くなんてなっていない」

「ッッ!」

 

 遂に剣ではなく、言葉を交わした俺を、レストは壮絶な目で睨み付けた。

 怒りを表すかのように食い縛った歯が砕け、充血した目からは血涙が流れ出す。

 魔界生物特有の青い血、いや青黒い血がレストの顔を汚していく。

 それを見てより一層腹が立ち、同時に酷く悲しくなる。

 

「魔族に操られ、感情任せに振るう剣になんの価値がある? それは強さとは言わない。ただの害悪だ」

「……死ねッ!」

 

 ただ一言。

 今のレストの心境を端的に表したシンプル極まりないセリフを合図に、ドッグさんに群がっていた兵士達がこっちに向かって来た。

 どうやら一対一で俺に勝つのを諦め、袋叩き戦法に切り替えたらしい。

 普段ならむしろ勝率が上がるんだが、さすがにブレイドを庇いながらだとそうはいかない。

 唯一幸いなのは、一番厄介な中年魔法使いをドッグさんが抑えてくれてる事くらいか。

 

 苦戦はするだろうな。

 だが、負ける気は一切しない。

 こんなもん、詠唱中のステラを後ろに庇いながらドラグバーンと戦った時に比べれば屁でもないんだよ!

 

「「「ガァアアアアアアア!」」」

「ハァッ!」

 

 先頭の兵士達が放った魔法を禍津返しで跳ね返し、何人かの兵士達の足に当てて昏倒させる。

 当然、この程度じゃ焼石に水だ。

 倒れた仲間を踏み越えて兵士達は突き進み、新しく前に出た連中が武器を振るう。

 それを避け、受け流して軌道を変え、さっきと同じく同士討ちを狙って数を減らしていく。

 だが、さっきと今の最大の違いは、この集団にレストが加わっているという事。

 

「死ね!」

 

 兵士達の攻撃を目眩ましに、レストが本命の攻撃を仕掛けてきた。

 俺に向けて剣を振るっていた兵士を踏み台にして飛び、頭上から強襲。

 俺はそれを歪曲で受け流し、レストの剣で兵士達の足を斬る。

 しかし、レストはこの期に至っても一撃離脱戦法を貫くつもりらしく、俺が反撃をする前に、兵士達を壁にして距離を取った。

 

「死ね!」

 

 何人かの兵士達の凶刃が、俺の足下のブレイドに向く。

 それと同時に突っ込んでくるレスト。

 俺がブレイドを庇った隙を突くつもりか。

 姑息な。

 

 突撃して振り下ろしてきたレストの剣を、右手の木刀による歪曲で受け流し、左手の木刀による歪曲で、兵士の一人が振るった剣の軌道をレストの背中へ誘導。

 剣の空振りに加え、後ろからの斬撃で体が前に押し出されたところに、暴風の足鎧の力で加速した蹴りを使って足払い。

 それによって、レストの体は突進の勢いのまま、ブレイドを攻撃しようとしていた兵士達に激突した。

 ブレイドへの攻撃は中断され、その内のいくつかはレストに突き刺さる。

 その傷はすぐに再生能力によって治ったが、レストは激突した兵士達と共に地面を舐める事となった。

 

「ぐぅ……! 死ね!」

 

 それでもレストの殺意は衰える事なく、再度俺に向かってくる。

 

「死ね!」

 

 遠距離からの飛翔する斬撃。

 禍津返しで絡め取り、その勢いで体を回転。

 回転するついでに周りの兵士達の足を切り裂き、そのままレストに跳ね返す。

 

「うぐっ!?」

 

 跳ね返された斬撃でレストの腕が千切れ飛ぶ。

 しかし、レストは魔族の力を一際多く与えられてるらしく、即座に腕が再生した。

 再生した腕で剣を握り締め、レストは再び特攻する。

 

「死ね死ね死ね! 死んじゃえぇええええ!」

「いい加減にしろッ!」

「かはっ!?」

 

 暴れるレストに怒りの一撃を叩き込んだのは、俺ではなく駆けつけたドッグさんだった。

 見れば、中年魔法使いは倒れてぐったりしている。

 俺を射出した時点で大分距離を詰められてたのが幸いしたのか、どうやら無事無力化できたらしい。

 その代わり、ドッグさんも相応の傷を負ってはいるが。

 

 しかし、ドッグさんは己の負傷など気にならぬとばかりに、声を張り上げた。

 

「レスト! お前はそれでも加護持ちか!? それでも偉大なバルキリアスの系譜か!? 同じ『剣の加護』の持ち主として、俺は今のお前を軽蔑する!」

 

 そう叫ぶドッグさんを、レストは殺意に満ちた目で睨み付ける。

 だが、自分より遥か格上の力を得たレストを前にしても、ドッグさんは揺らがない。

 

「俺達は神に力を授けられて生まれた! その力は魔族から人類を守る為に与えられた力だ! 力なき者達を守る為の力だ! その力を私怨で振り回し、魔族に与して人類に牙を剥くなど! 恥を知れ!」

 

 ドッグさんの言葉は、加護持ちが教えられるという心構えの話だ。

 加護の力は人類を守る為の力。

 その為に神より与えられた力。

 故に、決して私利私欲の為に使う事なく、誰かを守る為に振るうべし。

 強い力を持つ者ほど、強く言い聞かされる心得。

 

「自分より優れた者に嫉妬する気持ちはわかる! 俺とて同僚に何人も聖戦士がいた! 妬ましいと思った事もある! だが、彼らはその力に伴う責務をしっかりと果たしているのだ! 俺達より遥かに多くの魔族や魔物を狩り、俺達より遥かに多くの人々を救い、人類の希望として、俺達より遥かに重い重圧の中で戦っている! そんな彼らへの嫉妬は、己の責務を放棄して魔族に与していい理由にはならぬと知れ!」

 

 この堂々とした宣言を聞けばわかる。

 ドッグさんは、加護持ちとしての心構えを忠実に守っているのだ。

 獣王のように、加護という才能に溺れる輩もいる中、愚直なまでにその信念を貫いている。

 そう思えば、最初会った時俺に突っ掛かったのも、加護持ちの英雄としての誇りと責任者の裏返しだったのかもしれない。

 俺はまた一つ、ドッグさんを見直した。

 

「同じ『剣の加護』を持つ者として、これ以上の蛮行は見逃せん! 『剣の英雄』ドッグ・バイト、参る!」

「うるさい!」

「はうっ!?」

 

 ああ、ドッグさんがやられた!?

 全力で斬りつけた剣をあっさり弾き飛ばされて生じた隙に、股間を蹴り飛ばされて!

 蹴りの勢いでドッグさんが俺の方に飛んでくる。

 俺は歪曲でドッグさんの吹っ飛ばされる方向を変え、できるだけ衝撃を殺して地面に軟着陸させた。

 地面に降ろされたドッグさんは、股間を抑えてピクピクと痙攣している。

 過去二回くらい見た光景だ。

 

「ただの加護持ちでしかないあなたに何がわかる!? 僕はバルキリアスの系譜だ! 『剣聖』ルベルトの孫で、『剣聖』ブレイドの弟だ! 普通の加護持ちなんかより遥かに聖戦士と比べられるんだよ! そして勝手に失望されて、勝手に蔑まれるんだ! 僕の苦しみもわからない奴が、勝手な事言うな!」

 

 そう言って、レストは吐き捨てた。

 怒りの大きさを物語るように、フーッ、フーッ、と荒い息を吐き出している。

 だが、例え瞬殺されようとも、ドッグさんは立派だったし、その活躍は無駄ではない。

 心理的にも、そして戦局的にもだ。

 

「ドッグさん、ブレイドを頼みます」

 

 蹴りで吹き飛ばされたドッグさんは、俺の側に着地させた。

 つまり、俺が庇っていたブレイドの側に。

 股間を強打して踞ってるとはいえ、もう三回目なんだから気合いで立ち上がれるだろう。

 兵士達もさっきまでの攻防で随分と倒れた。

 負傷したドッグさんでも、自分とブレイドを守りきれる筈だ。

 

 これでようやく、俺が前に出れる。

 

「レスト」

 

 呼び掛ければ、殺意に満ちた目が帰ってくる。

 なのに、すぐには飛び掛かって来ない。

 さっきまで兵士達と共に戦っても勝てなかったんだから、一人で突撃するのに躊躇するのは普通だ。

 ……ただし、それは普通に考える頭が残っていればの話。

 今のレストは正気を失い、剥き出しの感情のままに戦っている。

 なのに、所々でこいつは妙に冷静な動きをした。

 最初につばぜり合わずに後ろに下がった事と言い、兵士達にブレイドを狙わせた事と言い。

 そして今、レストはまるで激情を堪えるかのように動きを止めている。

 感情に振り回されてる筈なのに、おかしな話だ。

 

 だからこそ、俺は確信を持って問い掛ける。

 

「━━お前、誰だ?」

 

 その問いを受けたレストの体の上で、流れ出した青黒い血が蠢いたような気がした。



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60 剣を交えて 2

「…………は?」

「お前がレストの感情を原動力に動いてるのはわかる。だが、それだけにしては、お前の行動は繊密すぎるんだよ」

 

 激情に支配されて正気を失った奴が、俺達が密談する隙を伺って兵舎を襲撃し、兵士達を手駒に変え、街全体を巻き込む事で俺達に手分けさせて分断するなんて、大掛かりで手の込んだ作戦を考えつく訳がない。

 もっと短絡的な行動に出る筈だ。

 そうなっていない理由はただ一つ。

 レストを操っている魔族が、レストの感情に首輪を付けて、手綱を握っているからに他ならない。

 

 交えた剣から伝わってきたのは単純な暴力ではなく、狂おしい程の剥き出しの感情の塊だった。

 妬み、怒り。

 そして、それを遥かに凌駕する、悲しみと苦しみ。

 これは魔族に植え付けられたものなんかでは断じてない。

 レストという一人の人間が抱えていた心の闇だ。

 人間なら多かれ少なかれ、誰しもが心の中に隠し持っている醜い部分だ。

 

 俺にだって当然、そういう部分はある。

 前の世界でステラに負け続けてた時なんか、今のレスト程ではないかもしれないが、内心嫉妬にまみれていた。

 復讐の旅の中、道行く街で、辛い生活が終わらないのは魔王を倒し損ねたステラのせいだと宣ったクズどもをぶち殺したくなった事だってある。

 というか、荒れて(すさ)んで実際にぶん殴ったこともある。

 それどころか、人類を守る為に尽力してるルベルトさんや神様の事すら、心のどこかでは「ステラを危ない目に合わせやがって許さねぇ!」と叫んでいる俺もいるのだ。

 

 それは確かに醜い。

 だが、それでもこれは、この感情達は、間違いなく自分の心の一部なのだ。

 誰かが勝手に踏み荒らしていいものじゃない。

 ましてや無理矢理暴いて、弄んで、利用するなんて、断じて許される事ではない。

 だからこそ、そんな胸糞悪い事を平然とやり、レストの心を辱しめた魔族の事が、心の底から腹立たしかった。

 

「卑劣な魔族が……! レストの体を、レストの技を、レストの心を勝手に使ってんじゃねぇ! それはレストのものだ! 他の誰でもないレストだけのものだ! お前なんぞに使う資格はない!」

 

 木刀を突き付けながら、俺は吼える。

 

「レスト!」

 

 そして、今度は魔族にではなく、未来の英雄だと、俺のライバルだと認めた一人の男に向けて話しかけた。

 

「いつまで魔族にいいように使われてるんだ! お前はそんな程度の奴だったのか!?」

「ぼ、僕は……」

「お前の体は、お前の技は、魔族なんかに使われる為に磨いてきた訳じゃない筈だ! そうだろう!?」

「う、うぅ……!」

 

 レストが頭を抑えて悶え始める。

 それはさっきの、俺に勝てない事で起こした癇癪とは違う。

 抗ってるのだと直感した。

 だが、そんなレストの抵抗は、すぐに激情と魔族の支配に抑えつけられ、瞳には再び俺への殺意が宿る。

 しかし、抵抗の意志が垣間見えただけでも充分だ。

 

「お前が心の闇に絡め取られてどうにもならないなら、ここで暴れて全部吐き出せ。相手になってやる」

 

 そうして、俺は二本の木刀を構えた。

 やる事は昨日と同じだ。

 同じでいいのだ。

 苦しんでる仲間の身内と剣を交え、気分転換に付き合う。

 

 どうせ、さっき戦ってみた感触からして、木刀でレストを戦闘不能にするのは難しい。

 俺がどれだけ強烈なカウンターをぶつけようとも、誰よりも魔族の力を多く入れられてるんだろうレストの再生能力なら、即座に全快してしまうからだ。

 負けはしないが、勝てもしない。

 だったら、レストの心に訴えかけて、自分で支配から脱却してくれる可能性に賭けた方が、まだ勝算がある。

 

「来い、レスト」

「う、うわぁあああああああ!!!」

 

 悲痛な叫びを上げながら、レストが突撃してくる。

 そして、俺に向けて袈裟懸けの一撃を繰り出してきた。

 魔族の力を得ている事で、その動きは昨日とは比べ物にならない程に速い。

 だが、心が揺れているせいか、それとも魔族がレストの技を使いこなせていないのか、技のキレ自体は昨日より僅かに劣る。

 

 袈裟懸けの斬撃を、一歩後ろに下がりながら左手の木刀で受け止め、その勢いで剣の間合いの一歩外側で右へ回転。

 それによって、右手の木刀で流刃を使う。

 狙いはレストの右側頭部。

 しかし、レストはこれを剣から即座に手離した右腕で防ごうとした。

 木刀相手なら有効な手だ。

 真剣なら、防いだ腕ごと叩き切ってる。

 最初はつけていた手甲も、さっきの攻防の時、禍津返しで斬り飛ばした腕と一緒に外れてるしな。

 

 それでも、その程度で俺の攻撃は止まらない。

 レストの動きを読み、右手の木刀の軌道を防がれる前に調節。

 右膝を折る事で、ガードに使われた腕の上を滑るように、その下に潜り込むように、木刀は軌道を変えた。

 一の太刀変型『流流』。

 ガードをすり抜ける二撃目の流刃。

 

 だが、レストはこれにも対処した。

 というか、足を踏ん張って無理矢理耐えた。

 木刀の当たった人体急所である脇腹の骨は砕けたが、その程度ならすぐに再生される。

 そうして、なんとか耐えきった後に、レストは左手に握る剣でカウンターを繰り出そうとして……

 

「がっ!?」

 

 吹き飛ばされて地面に転がった。

 俺の攻撃は終わっていなかったのだ。

 右手の木刀で流流を繰り出すと同時に、左手の木刀による突きで頭を狙っていた。

 回転中である以上、当然これも流刃による一撃だ。

 名付けて、一の太刀変型『双点流流』。

 二刀の型だからこそ放てる、三撃目の流刃。

 踏ん張っていたレストの足も、想定とは違う角度から別の攻撃を受ければ踏ん張りきれない。

 結果はご覧の通り。

 そして、

 

「う、ぐ……!」

 

 今の突きは脳を揺らす技『震天』と併用して放った。

 魔族と加護の力によって強化されてるレスト相手じゃ大した効果はないだろうし、すぐに回復されるだろうが、それでも数秒よろけるくらいには効いている。

 殺すのではなく、満足行くまで相手になってやるのが目的のこの戦いおいては、つくづく丁度いい技だ。

 

「どうした! それで終わりか!」

「あああああああ!!!」

 

 煽れば、レストは再び突っ込んできた。

 身体能力と技術に任せた超高速の連続突きを繰り出してくる。

 そして、今度は剣と一緒に口が動き始めた。

 振るう剣と共に、積もりに積もった心の闇を吐き出していく。

 

「妬ましい! 悔しい! なんで、あなたはそんなに強いんだ!? 加護も持ってないくせに! 僕より才能ないくせに! ステラさんに告白できないヘタレのくせに!」

「ヘタレ言うな! そんなもん努力と経験と年季の差だ! 悔しかったら、もっと死ぬ気で鍛えて来い!」

「ごはっ!?」

 

 連続突きを右手の木刀による歪曲で受け流すと同時に距離を詰め、間合いの内側に入る事で剣を封じ、互いに剣を振れない至近距離から、左手の小太刀サイズの木刀を一閃。

 鳩尾を突き、痛みで息が止まったところに、後ろに下がりながらの引き技。

 右手の木刀を使って側頭部へ震天を叩き込む。

 その衝撃によって、レストはまたも吹き飛んでいった。

 

「ッ、ァアアアアアアア!!!」

 

 だが、レストはすぐに立ち上がった。

 諦める事なく、雄叫びを上げて向かってくる。

 

「僕はずっと自分が嫌いだった! 弱い自分が嫌いだった! そんな自分を変えようとして何が悪い!? 強くなろうとする事の何が悪い!?」

「肉体だけ強くなっても、意志も何も失って、魔族の操り人形にされたら意味ないだろうが! お前はそんな事の為に剣を磨いてきたのか!?」

「ぐぁ!?」

 

 まるでルベルトさんの天極剣を真似るかのように、上段から真っ直ぐ振り下ろされた剣を流刃で受け流し、またしてもレストの頭へ流刃併用の震天を叩き込んだ。

 しかし、何度も食らってる内に慣れたのか、レストは肉体の頑強さに任せて無理矢理震天を耐えきり、俺との斬り合いを続ける。

 

「僕が剣を磨いてきた理由は嫉妬だ! お祖父様や兄上と比べられるのが辛かった! 出来損ないって陰口叩かれるのが嫌だった! だから強くなって見返してやりたかった! ただそれだけなんだよ!」

「なら、今のお前は人を見返せるような存在なのか!? その哀れな姿は人に見せつけられるような代物なのか!? 何より……お前は今の自分を、好きな女の前で誇れるのか!?」

「ッ!?」

 

 その瞬間、レストの動きがぎこちなく淀んだ。

 その隙を容赦なくぶっ叩きながら、俺は叫ぶ。

 

「できないか! できないだろう!? 好きな女にすら誇れない! それどころか迷惑をかける事しかできない! そんな力に何の価値がある!? 捨てちまえ、そんなもん!」

「う、うるさいうるさいうるさいうるさいッ!」

 

 レストの攻撃が苛烈さを増した。

 カウンターで傷付く事すら厭わず、攻め続ける。

 忠言が耳に痛くて逆ギレしたか!

 

「ステラさんに愛されてるあなたに! ステラさんの隣に立てる程強いあなたに! 僕の苦しみはわからない! 嫉妬でおかしくなって、こんな力にでも縋り付きたくなる弱い奴の気持ちなんて……」

「わかるに決まってんだろうが!」

「ッ!」

 

 自分でも苦しい言い分だとわかってたのか、俺の言葉を聞いて、レストは息を詰まらせた。

 

「さっきお前が言った事だろ。俺には加護がない。お前より遥かに才能がない。嫉妬で狂うどころか、何かする事すらできなかった弱者の気持ちなんて、俺が一番よくわかってる。それこそお前なんぞよりずっとな」

 

 忘れた事なんて一度もない。

 弱かった頃の、何もできないただの弱者だった頃の自分の事を。

 勇者の光で本来のステラを見失う程に愚かで、全てが終わるまで何も知ろうとしなかった程に愚鈍で、挙げ句の果てには、絶望のあまり復讐の狂気に飲まれて鬼と化した、どこまでも救えない奴の事を。

 そういう意味では、俺は今のレストの事をどうこう言えた義理はないのかもしれない。

 

 目の前のこいつは、昔の俺に少し似ている。

 

 嫉妬と憎悪の違いこそあれ、どうしようもなく強い負の感情に振り回され、自分の本当の望みも見失って、短絡的な目先の目的に向かって暴れる事しかできない。

 そっくりじゃないか。

 だがな、そっくりだったからこそ、かつて同類だったからこそ……

 

「曲がりなりにも、そこから這い上がってきた俺だからこそ言える。肉体だけ強くなっても、技だけ極めても、そんなものに意味なんてない」

 

 地獄の修行で力を手に入れ、復讐の為だけに生きて、その後に残ったのは虚しさだけだった。

 仇は討てても、本当の望みを叶えられずに終わったんだから当然だ。

 前の世界の俺は、力の使い道を間違えた。

 正確に言えば、力を手に入れた時には全てが遅かった。

 

「力ってのは、困難をぶち破り、自分の本当に叶えたい望みを叶える為に使って初めて『強さ』と呼ばれるんだ。自分が何の為に強くなりたいのかを明確に思い描いて、そこに向かって、折れず、曲がらず、諦めずに突き進む事。それが『強くなる』って事なんだよ」

 

 昨日言ったのと似たような言葉を、もう一度レストに贈る。

 その上で、俺は問い掛けた。

 

「もう一度聞くぞ。お前は何の為に剣を磨いてきた? 魔族の操り人形になってでも、兄貴をボッコボコにして見下す為か? それがお前の本当の望みだったのか?」

「ぼ、僕は……僕は……!」

 

 レストが再び頭を抑えて苦しみ始める。

 その瞳から、ポロポロと涙が溢れてきた。

 

「…………違う。違う違う違う違う違う! 僕は、こんな事の為に力を求めたんじゃない! 僕は自分で自分を誇れるような強い男になりたかったんだ! 胸を張ってステラさんの隣に立てるような強い男に!」

「……最後のセリフだけは俺的にあんまり嬉しくないが、まあ、いい。ちゃんと取り戻せたみたいだな。お前の本当の望みを」

 

 ならもう、後は簡単な話だ。

 俺は左手の木刀を腰に戻し、その手をレストに差し出した。

 

「戻って来い、レスト。魔族の操り糸引き千切って帰って来い」

「で、でも、僕は許されない事を……」

「そうだな。いくら魔族に操られてたとはいえ、お前のやらかした事は結構な大罪だ。けど、今ならギリギリ許してもらえなくもないかもしれないぞ」

 

 一応、その根拠はある。

 

「だってお前、━━まだ誰も殺してないだろ?」

「えっ!?」

 

 俺の言葉に、他ならぬレスト自身が驚愕の顔をしていた。

 その様子じゃ無自覚か。

 

「この場を見てみろよ。頭揺さぶられたり、手足切られたりして昏倒してる奴は大量にいるが、死体になってる奴は一人もいない。英雄や聖戦士との戦いの余波なら、むしろ何人か死んでないとおかしいのにだ」

「そ、そんなの、たまたま……」

「ここだけじゃない。ここに来るまでの道中でもそうだった。それに、お前はドッグさんをわざわざ蹴り飛ばしただろう? あれは蹴るより斬る方がよっぽど楽な場面だったぞ」

 

 もしかすると、ブレイドもそうか?

 いたぶるよりもトドメを刺す事を優先してれば殺せたかもしれないのに、レストは俺達の前で悠長にブレイドを少しずつ刻んでいった。

 その結果、ブレイドの救出は成功している。

 

「多分、お前は無意識で魔族の支配に抗ってたんだ。誰も殺さないようにな。だったら、まだ引き返せる。いや、例え引き返せないんだとしても戻って来い。それが最低限のケジメだ」

「あ、あ……」

 

 レストは涙を流しながら震え、何かを堪えるように頭を抑える。

 その時、

 

「レストくん!」

「ッ!? ステラ、さん……」

 

 担当してた暴れる人達の制圧が終わったのか、この場に駆けつけてくるステラの姿が見えた。

 まだ遠いが、凄いスピードでこっちに近づいてくる。

 

「そら、来たぞ俺達の好きな奴が。惚れた女の前でくらいカッコつけて見せろ」

「!!」

 

 その言葉が最後のひと押しになったのか、レストは握り締めていた剣を取り落とし、震える手を懸命に伸ばして、俺の差し出した手を掴もうとした。

 レストの精神力が、魔族の支配を捩じ伏せようとしている。

 ステラが来た以上、そうなれば、すぐにでも治癒魔法による治療が行えるだろう。

 

 しかし、事態はそれで収束しなかった。

 

「あぐっ!?」

 

 突如、レストがまたも頭を抱えて悶え始める。

 だが、端から見ても今回は、今までよりも明らかに苦しみの度合いが違う。

 誇張抜きで頭が割れるんじゃないかという程、苦しみもがくレスト。

 この時、俺は確かに聞いた。

 レストを苦しめていた、卑劣な魔族の声を。

 

『ハァ、まったく嫌になりますね。役立たず、能無し、半端者。砂粒程度には期待する気持ちもあったというのに、まさか下げに下げた期待の最低ラインすら下回るとは、いったい、どれだけ無能なのやら。これだから使い捨ての混血は嫌いなんですよ。せめて死ぬまで戦って、少しでも勇者達の手を煩わせるくらいはしてください』

「ああああああぁぁぁぁぁあああ!!!」

「!?」

 

 あまりにも傲慢で、聞いてるだけで腹が立ってくる言葉。

 その言葉に塗り潰されるように、レストの目から原動力だった筈の激情すら消え、他の兵士達と同じ、理性を失った獣のような形相へと変わる。

 その状態でレストは、爪による攻撃で俺の顔面を狙って来た。

 

「『反天』!」

「ギッ!?」

 

 咄嗟に放った反天で腕を砕き、その衝撃でレストは後ろへ吹っ飛んで後退。

 しかし、吹っ飛ばされた直後には砕いた腕は元通りになり、獣のような咆哮を上げながら、即座に次の攻撃を繰り出そうとしてきた。

 再生速度がさっきより上がってる!?

 より魔族の力に侵食されてるのか!?

 これじゃ説得はもう通じそうにない。

 

 それでも大丈夫だ。

 ステラが来たんだから、さっきまでとは戦況が大きく変わっている。

 二人がかりなら、レストを殺さずに制圧する事も、戦いながら治療する事だって、そう難しくない。

 それこそ、ステラが参戦するまでの僅かな時間で俺が倒されでもしない限り問題は起こらない筈。

 

 その考えが、この時、俺に距離を詰めての攻撃ではなく、レストの攻撃を防御するという選択を取らせた。

 決して間違った選択ではなかっただろう。

 状況から見ても、俺の戦闘スタイルから見ても、決して悪手ではない手堅い一手だった筈だ。

 

 だが、悪くなかった筈のその判断が、━━悲劇を生んだ。

 

 

「お、魔族じゃねぇか」

 

 

 突然、この戦いの場に似つかわしくない呑気な声が上から聞こえてきた。

 緊張もなく、警戒もなく、なのに微かな戦意を孕んだ声。

 まるで散歩中の魔族が偶然、人間の子供でも見つけた時のような。

 カマキリ魔族が俺を見つけた時のような。

 警戒に値しないが倒しておいた方がいい雑魚敵を前にした捕食者のような声。

 

 聞き覚えのある声だった。

 つい先日に出会って、のっけから最悪の印象を植え付けてきた奴の声だった。

 それがこの距離に来るまで気づけなかった。

 集中力の大半を目の前のレストに向けていたせいか、奴に俺への攻撃意思がなかったせいか、それとも奴の隠密能力が優れてるのか、あるいはその全てか。

 とにかく、俺は近づいてくる奴の存在を見逃してしまった。

 

 現れたのは、引き締まった無駄のない筋肉を持ち、灰色の髪をボサボサに伸ばした、身長二メートル程の大男。

 頭部と腰から生える、狼のような耳と尻尾。

 肘から先と膝から先を覆う獣毛。

 手足の先から鋭く尖った爪という特徴を持った、獣人族。

 

 『獣王』

 

 突如として現れた、俺達の戦いとは縁もゆかりもない部外者。

 建物の上からジャンプでもしたのか、高速で上から降ってきたその男がレストの頭を掴み……

 

「あ……」

 

 着地の衝撃と腕力によって、レストの頭蓋を地面に叩きつけ、砕いた。



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61 送る

 鮮血が舞う。

 魔族に汚されたレストの青黒い血が、獣王とレストを中心にして周囲へと飛び散る。

 一瞬、その光景の意味を考える事を脳が拒否し、思考停止に陥りかけた。

 

「お、前……」

「あん? ああ、てめぇよく見りゃ、この前の雑魚じゃねぇか。雑魚らしく、こんな雑魚魔族に苦戦してやがったのか? ハッ! 口程にもねぇな!」

 

 まだ我に返りきれていない混乱の中で溢れた声に、獣王は的外れ極まりない言葉を返した。

 何を言っているんだこいつは。

 何をしているんだこいつは。

 

 確かに、世間一般の常識から考えれば、獣王の行動は一概に間違ってるとも言い切れない。

 聖戦士として、いやこの世界に生きる一人の人間として、世界の敵である魔族を狩るのは当然の事だ。

 魔族に操られた人を殺すというのも、正しいとまでは言えないが、間違っているとも言い難い。

 もう救う手段がなかったり、殺さなければどうしようもない状況なら、仕方のない事として許容されるだろう。

 

 だが、レストの場合はそうじゃなかった。

 あと少しで救えた。

 殺さなければどうしようもない訳でもなかった。

 レストは必死に魔族の支配に抗っていたし、取り押さえる方法も、救う方法もちゃんとあったのだ。

 そんなこっちの事情を一切合切無視して、一人の若き英雄の命を無為に奪ってドヤ顔を決めているこいつには、殺意しか湧かない。

 

 しかし、殺意で目が曇る前に俺は見た。

 頭を潰された筈のレストの体が、ピクリと動く瞬間を。

 

「ん?」

 

 唐突に、獣王がそんな声を上げる。

 奴が気づいた時には既に、頭を失ったレストの体が、その腕で奴の足首を掴んでいた。

 

「ぬぉおおおおおお!?」

 

 確実に死んでると思って油断したのか、それ程のダメージを与えたのに動いてる事に驚く暇もなく、獣王は不意を突かれて足首を掴んだ腕に投げ飛ばされ、兵舎の方に投げ飛ばされた。

 獣王という砲弾を食らった兵舎が、一瞬で破壊されて瓦礫の山へと変貌する。

 獣王は生き埋めになったが、残念ながら聖戦士があの程度で死ぬ事はないだろう。

 

 そんな事より今は……

 

「レストくん!」

「■■■■■■■■■■■!!!」

 

 ようやくこの場に辿り着いたステラの前で、惚れた女の前で、レストは異形の怪物へと成り果てようとしていた。

 壊れた喉で絶叫し、凄まじい魔力を迸らせながら、徐々に頭を再生させていく。

 だが、人間であれば即死のダメージを回復させる為には更なる魔族の力が必要なのか、再生の過程でレストの爪や牙は獣のように鋭く尖り、背からは蝙蝠のような大翼が生え、その姿は人間からどんどん遠ざかっていく。

 魔族の力に抗っていた理性も、頭という考える為の器官を一時喪失した事で消え失せ、歯止めが効いていない。

 

 もはや、あれはレストではない。

 目の前にいるのは、ただの魔族だ。

 思わずそんな考えが脳裏を過ってしまう程に、今のレストは化け物じみていた。

 

「あ、あ……」

「しっかりしろ、ステラ! 呆けてたらいい的だぞ!」

「だ、だって、あんなに魔族の力が強く……。あ、あれじゃ治せるかわかんない……。私とリンとエルネスタさんの三人がかりでも……」

「それでも戦意を失っていい理由にはならないんだよ! 一度戦場に立ったんだったら、勝つにせよ負けるにせよ逃げるにせよ最後までちゃんとやれ! 泣いていいのも絶望していいのも、最後までやるだけやった奴だけだ!」

「わ、わかってるわよ、それくらい!」

 

 言葉で尻を叩いてやれば、ステラはなんとか弱音を振り払って神樹の木剣を握り締めた。

 とはいえ、偉そうな事言った割に、俺にできる事なんて捕縛の手伝いくらいなんだがな。

 しかし、とにかく取り押さえなけれぱ何も始まらないのも事実。

 やれる事をやるしかない。

 

「お前、魔力どれくらい残ってる?」

「まだまだ余裕よ。戦闘に比べれば、街の人達の沈静化の魔法くらい、大した消耗じゃないわ」

「そうか。なら捕縛と沈静化は任せた。足止めと隙を作るのは俺がやる。……来るぞ!」

「■■■■■■■■■■!!!」

 

 絶叫を上げながら、剣も理性も失い、ただの怪物へと成り果てたレストが襲い来る。

 俺はステラの壁となってレストを迎撃。

 その間に、ステラは魔法の詠唱を開始した。

 

「神の御力の一端たる戒めの力よ。暴虐に狂う彼の者を鎮める楔となりて現出せよ」

 

 その詠唱が終わる瞬間に合わせるように、俺はレストをぶっ叩いて隙を作った。

 さっきと同じ爪による攻撃を流刃で受け流し、まずは右手の木刀で右の肩に一閃。

 ドッグさんと連携して斧使いの女を相手にした時と同じように、外傷を与えるのではなく肩の関節を外す事で、少しでも再生を遅らせる。

 更に、肩にぶつかった木刀を支点として、一の太刀変型『流車』の要領で回転を継続。

 レストの背後を取りつつ、左手の木刀で左肩を殴打して関節を外す。

 それでもまだ止まらず、今度は左手の木刀を支点にして回転。

 最後にレストの側面から、両手の木刀で思いっきりレストの頭をぶっ叩く。

 六の太刀変型『震天』。

 それにより、レストは両肩を外された上に脳を揺らされて、一瞬たたらを踏んだ。

 

「今だ!」

「『聖なる鎖(ホーリーチェーン)』!」

 

 そこにステラの放った魔法が炸裂。

 エルフ達がドラグバーンを縛ったのと同じ聖なる鎖によって、レストの動きを封じ込める。

 

「■■■■■■■■■■!!!」

 

 しかし、レストは拘束を引き千切ろうと盛大に暴れた。

 恐ろしい事に、完全詠唱したステラの魔法の鎖がギシギシ言ってる。

 徐々にヒビも入ってきてるし、長くは持たないだろう。

 両肩の脱臼など、当然のように回復済みである。

 

 なんとか大人しくさせようと、簀巻きになったレストの頭を叩きまくって震天を叩き込み続けたが、やはり流刃と併用できないただの震天では、絵面最悪な割に大して効果がない。

 だが、俺がそんな事をしてる間にも、ステラが次の魔法の詠唱を進めていた。

 

「神の御力の一端たる癒しの力よ。その聖なる力で不浄を洗い流し、清め、拭い去り、病魔に冒されし子羊に救済の手を伸ばしたまえ。━━『上位状態異常回復(ハイ・アンチドーテ)』!」

 

 リンが使っていた状態異常回復の魔法。

 それよりも必要魔力量も発動難易度も高い上位魔法が発動し、癒しの魔力が暴れるレストを包み込んだ。

 

「どうだ!?」

「ダメ! 全然効いてない!」

 

 しかし、効果はなし。

 それどころか、

 

「■■■■■■■■■■■!!!」

 

 レストは絶叫と共に腕に凄まじい力を込め、更に体内から衝撃波を発生させる勢いで魔力を噴出し、その合わせ技によって聖なる鎖を引き千切ってしまった。

 衝撃波によって、周辺一帯が吹き飛ぶ。

 俺達へ降り注ぐ余波は斬払いで防いだが、そこら中に倒れている兵士達までは手が回らない。

 兵士達が衝撃波に吹き飛ばされて宙を舞う。

 

 くそっ!

 さすがに、この状態のレストに対応しながら、兵士達の救出までするのはキツいぞ!

 レストの理性もなくなってる以上、無意識下の抵抗で殺人を避けてくれるって事も期待できないだろう。

 レストを救える可能性に賭けて、兵士達が犠牲になる可能性を容認するか。

 それとも……一人でも多くを救う為に、何よりレストの必死の抵抗を無駄にしない為に、ここでレストを殺してでも止めるか。

 俺達は今、究極の選択を迫られている。

 

 だが、━━俺達がその選択に答えを出す事はなかった。

 

 いや、できなかった。

 それよりも前に、この場における運命は決定づけられてしまったのだから。

 

「………………は?」

 

 その時、俺達の目に飛び込んできた光景は、獣王による蛮行と同じか、それ以上に衝撃的で驚愕に値するものだった。

 突如、レストの胸を、心臓を、手刀が貫通した。

 それを成したのは、獣王ではない。

 俺でも、ステラでも、ドッグさんでも、ブレイドでもない。

 この場でレストと対峙していた誰でもない。

 レストの胸を貫いたのは、他の誰でもない、()()()()()()()()()()

 

「コホッ……」

 

 レストの口から血が溢れる。

 それ以上の勢いで、腕を引き抜かれた胸の穴から、青黒い血が溢れ出す。

 まるで、魔族に汚された血の全てを、体の中から追い出すかのように。

 

「「レスト(くん)ッ!」」

 

 そのあまりの光景を前に、なんとか我に返った俺達は、即座にレストの元へと駆け出した。

 身体能力で勝るステラが一瞬でレストの側に移動し、崩れ落ちそうなその体を抱き止める。

 

「『上位治癒(ハイ・ヒーリング)』! 『上位治癒(ハイ・ヒーリング)』! 『上位治癒(ハイ・ヒーリング)』!」

 

 そして、泣きそうな声で治癒魔法をかけ続けた。

 詠唱する間も惜しいとばかりに、無詠唱の上位治癒魔法を連続で。

 俺も本当に微力ながら、初級の治癒魔法をレストにかける。

 詠唱も省けない我が身の未熟さが憎くて堪らない。

 それでも何度も治癒魔法を使った。

 俺もステラも、何度も何度も。

 

 なのに、レストの体は回復するどころか、徐々に灰のように崩れて消えていく。

 心臓は、恐らくレストを同種へと変じさせたであろう魔族の急所だ。

 人間にとっても当然、即死級の欠損。

 そんな致命傷のせいで、まずは蝙蝠のような大翼が灰になり、伸びた牙が砕け、鋭くなった爪ごと腕が消えていく様は、皮肉な事に、レストの体が人間に戻っていっているように見えなくもなかった。

 

「ステラさん……アランさん……」

「!?」

「お前、意識が!」

 

 ステラの腕の中で弱々しく言葉を発するレストからは、さっきまで完全消失していた理性を感じた。

 しかも、操られていた時の激情に駆られた様子でもなく、死の間際にあるというのに、酷く落ち着いた様子を見せている。

 魔族の血が抜けて、支配から脱却しかけてるのかもしれない。

 

「ごめん、なさい……。僕のせいで、凄い、迷惑を……」

「ホントよバカ! ちゃんと皆にごめんなさいするまで許さないんだから!」

「ステラの言う通りだ。お前には迷惑かけた全員に土下座して詫びる義務がある。それが終わるまで絶対死ぬんじゃねぇ」

 

 怒りに見せかけた「死ぬな」というメッセージに対して、レストは酷く儚い顔で笑った。

 申し訳なさそうな、それでいて自分の運命を受け入れているかのような、儚い笑み。

 それが何を意味しているのかわからない程、俺もステラも鈍くはない。

 

「ごめんなさい……。多分、それは無理です……。皆さんと、特に兄上には……本当にごめんなさいって言ってたって……伝えてもらえると助かります……」

「ダメ! 絶対ダメッ!」

「そうだ! 何勝手に諦めてやがる!」

 

 死にかけた時、最後の最後に生死を分けるのは精神力だ。

 諦めずにしぶとく生にしがみつけば助かる事もあるが、逆に諦めれば人は簡単に死の奈落に飲み込まれる。

 何度も何度も死にかけて、一回本当に死んだ俺が言うんだから間違いない。

 

「気をしっかり持て! 絶対に許さないぞ! ステラの心を盛大に抉って死ぬなんて絶対に許さん! そんな事になったら末代まで祟ってやる!」

「アハハ……。こんな時まで、ステラさん最優先ですか……。それでこそ、アランさんです……」

 

 こんな時に冗談言ってる場合か!?

 

「末代まで祟られるのは、嫌だなぁ……。でも、今回ばかりは本当にダメっぽいんです……。できれば、穏やかに送ってほしいんですけど……」

「何言ってるのよ!? 死なせない! 絶対死なせないんだから!」

 

 ステラがより多くの魔力を使って治癒魔法を使う。

 少しでも助けになるように、俺も拙い治癒魔法に全力を尽くした。

 それでも、レストの体の崩壊は止まらず、どんどん体が灰になっていく。

 

「なんで!? なんで治らないのよ!?」

 

 涙声でステラが叫ぶ。

 そんなステラの涙を、レストはヒビ割れた手で拭った。

 

「ステラさん、泣かないでください……。大丈夫ですよ……。実は今、死ぬっていうのに、そんなに怖くないんです……。そんなに悲しくないんです……。だって、僕は、魔族の操り人形としてじゃなくて……『レスト・バルキリアス』として死ねるから……」

「ッ!?」

 

 穏やかに目を細めて、レストは語った。

 遺言のように、その胸中を。

 

「嫉妬にまみれた人生でした……。お祖父様と比較されて、兄上と比較されて、二人に及ばない自分が嫌いで嫌いで……。でも、昨日、アランさんと剣を交えて……僕なんかより、よっぽど分厚い才能の壁をぶち抜いたアランさんの剣に触れて……僕も頑張ろうって、そう思えたんです……。前を、向けたんです……」

 

 そう語るレストの顔は、本当に穏やかだった。

 まさか、少しでも気分転換になればと思って交えた剣が、レストにそこまでの影響を与えてたとは。

 だが、そのせいで未練がなくなったみたいな感じで言われると、素直に喜ぶ気になんてなれない。

 

「結局、魔族に操られちゃいましけど……でも、利用された僕の心の闇にも……アランさんは徹底的にぶっ叩いて渇を入れてくれた……。おかげで、最後の最後に抗えました……。あなたが、僕のライバルで良かった……」

 

 やめろ!?

 昨日はヘタレだなんだと、散々生意気にディスってきたくせに、そんな澄んだ目で見るな!

 涙出てくるだろうが!

 

「ステラさん……あなたと一緒に居られた日々は、楽しかったです……。兄上に追い付こうとして、ムキになって剣を振ってた僕を、気にかけてくれたのが嬉しかった……。お祖父様のシゴキに……弱音一つ吐かないで……いつも疲れ果てるまで頑張り続けてた姿が……すっごくカッコ良くて……ずっと憧れてました……」

「うっ……! うぅ……!」

 

 涙腺が決壊したのか、遂にステラは俯いて、幼子のように泣き出してしまった。

 そんなステラを、レストは困ったような目で見る。

 涙を拭おうとした手は、直前で灰となって崩れてしまった。

 

 そうして、終焉のカウントダウンが着々と進む中、この場に新たな来訪者が現れる。

 

「これは……!?」

 

 それは、実直な鎧に身を包んだ歴戦の老騎士。

 ルベルトさんだった。

 奇しくも、このタイミングで、この街に居るバルキリアスの一族が全員集結した。

 ブレイドは、多分痛みで気を失ってると思うが。

 

 ルベルトさんは俺達を見て即座に状況を理解したのか、すぐさまレストの元に駆け寄ってきた。

 

「レスト……!」

「お祖父様……。ごめんなさい……。最期まで、バルキリアスの名に泥を塗る、こんなダメな孫で……」

「……馬鹿者が」

 

 ルベルトさんは、今際の際に謝罪を口にする孫に対して、悲しげな顔を向けた。

 

「バルキリアスの名など、どうでもよかったのだ……! お前には、お前達には、加護持ちとしての使命を乗り越えて、魔王の時代を生き抜いて、幸せになってほしかった……! 勇敢に戦って散ったお前達の両親の分まで……!」

「お祖父様……そんな、風に……」

 

 ルベルトさんの想いを聞いたレストは、驚いた顔をして、

 

「そっかぁ……僕、ちゃんと愛されてたんだ……」

 

 心底嬉しそうに笑った。

 こいつ、ルベルトさんに愛されてないとでも思ってやがったのか。

 そんな訳あるか。

 愛してない奴を、気にかけてない奴を、あんな鬼気迫る顔で叱る訳がない。

 わざわざ休日を潰してまで稽古をつけてやる訳がない。

 

「ありがとう、ございます……。僕は、幸せ者です……」

 

 その愛をようやく自覚して、レストは微笑む。

 涙を流しながら、それでも本当に幸せそうに。

 やり残した事が沢山あるだろうに。

 未練ばかりだろうに。

 それでも、この死に際に、レストは確かに救われていたのだと、そう確信できる顔で。

 

「ああ、そうだ……。これだけは、言っておかないと……。ステラさん……」

「……何?」

 

 死に行くレストの言葉を聞き逃すまいと、ステラは涙を無理矢理拭って優しい声を出した。

 そんなステラに、レストは人生最後の言葉を贈る。

 

 

「どうか、アランさんとお幸せに」

 

 

 その言葉を告げると同時に、曇天の空が僅かに裂けて、雲の切れ間から照らした日差しが、優しくレストを包み込んだ。

 光によって天に召されるかのように、レストの体が急速に灰になって消えていく。

 そうして、━━レスト・バルキリアスは、優しい光の中で、愛した女の腕の中で、魔族の操り人形ではなく一人の人間として、その短い生涯を終えた。

 

 レストは結局、最後まで自分の想いをステラに伝えなかった。

 それどころか、最後の言葉を俺達への祝福に使った。

 昨日俺に背を向けた時に放った形だけの言葉ではなく、命全部込めた心からの言葉として。

 自分の想いよりも、想い人の幸せを優先したのだ。

 ああ、まったく……

 

「馬鹿野郎が……!」

 

 そんな事されたら、祟るに祟れねぇだろうが。

 お前に言われずとも、ステラは必ず俺が幸せにする。

 だからって訳じゃないが……せめて安らかに眠れ、我が恋敵(ライバル)

 

 俺の頬を一筋の涙が伝った。

 ステラは号泣し、ルベルトさんは強く拳を握り締めて涙を堪えている。

 

 こうして俺達は、一人の未来の英雄を喪った。



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62 不快なる獣の王

 レストを見送り、俺達が悲しみに暮れる中。

 そいつは瓦礫の山を吹き飛ばし、ほぼ無傷の状態で、その中から這い出してきた。

 

「だぁあああ! ちくしょう! よくもやりやがったな、クソ魔族コラァ! 許さねぇ! ズタズタのバラバラに引き裂いて獣の餌にしてやらぁ! ……って、あ? 魔族どこ行った?」

「もう終わったよ」

 

 今更出てきて、そんな不快ですっとんきょうな事を言い出した獣王に、俺は幽鬼のようにふらりとした歩調で近づいた。

 そして、暴風の足鎧の力も使って加速。

 獣王との距離を詰める。

 明確な殺意を持って、木刀を振るった。

 

「よせ、少年! 気持ちはわかるが抑えろ!」

 

 そんな俺を止めたのは、あろう事かルベルトさんだった。

 ステラはまだ、残されたレストの装備を抱いて泣いている。

 ブレイドは戦闘不能。

 ドッグさんもダメージが深い。

 だが、幸いにして操られていた兵士達も全員戦闘不能になってるし、再び動き出そうとする気配もない。

 恐らく、レストを介した間接的な支配が途切れたんだろう。

 

 だからこそ、今が奴に落とし前をつけさせるべき時だってのに。

 

「どいてください、ルベルトさん。そいつは、あと少しで救えそうだったレストを襲撃して致命傷を負わせた。落とし前はつけないといけない」

「ッ!? ヴォルフ、貴様ッ! そんな事までしていたのか!?」

 

 俺の言葉を聞いて、ルベルトさんが絶大な怒気を獣王に叩きつける。

 しかし、それを受けても獣王は飄々としていた。

 今すぐにぶち殺してやりたい。

 ぶち殺してやりたいが……復讐する権利を有しているのは、レストと付き合いの浅い俺ではなく、実の祖父であるルベルトさんの方だ。

 ここはルベルトさんに任せるのが筋だろう。

 

「操られただけの無辜の民を殺戮するだけでは飽き足らず、我が孫まで……! 加護持ちの英雄候補まで殺しただと!? 貴様も加護持ちなら、加護の有無で人か魔族かの識別くらいできただろうに……それでも聖戦士か!?」

 

 ちょっと待て。

 無辜の民を、殺した?

 そういえば、開戦の時、ルベルトさんが担当した方向で、盛大な破壊音がしていた事を思い出す。

 その対処の為にルベルトさんが向かわざるを得ず、戦力を分断される一因になったやつだ。

 レストの行動と連動して他の魔族でも現れたのかと思ってたが、まさか……

 

「ハッ! 魔族に操られるようなカスどもを殺して何が悪い? 俺様は聖戦士として間違った事したとは思ってないぜぇ!」

 

 殺す。

 獣王の言葉を聞いて、俺はこいつへの殺意を確固たるものとした。

 こいつは、この野郎は、レストの命を奪っただけじゃ飽き足らず、あいつが必死の抵抗で守った人々の命まで奪ったのだ。

 あいつの健闘を踏みにじり、唾を吐きかけるが如き鬼畜の所業。

 最も憎むべきはレストを操った魔族だが、こいつはその次に憎むべき、レストの仇だ。

 

「……先程、街中で邂逅した時、私は言った筈だ。操られた人々の治療は充分に可能。それ故に、できるだけ殺すなと。それが守れないのなら、この場は私達に任せて去れと」

「確かに言われたが、聞く義理がねぇなぁ! あんたも昔は最強の聖戦士の一人だったらしいが、今じゃただの老い衰えた老兵だ! そんな骨董品の言う事を、なんで現役の最強である俺様が聞かなきゃならねぇ?」

「こいつ……!」

 

 殺そうと思って踏み出した俺の肩を、ルベルトさんが掴んで止める。

 その手には、この人の怒りの大きさを物語るかのように、痛い程の力が込められていた。

 加護と長年付き合ってきた歴戦の聖戦士が、僅かとはいえ力加減に失敗する程、今のルベルトは怒っているという事だ。

 

「貴様のやった事は、人類にとって大きくマイナスに働く事だ。加護持ち一人殺しただけでも大問題。その上、貴様の必要のない殺しのせいでこの街が傾くようであれば、それは最前線への補給にも無視できない影響を及ぼす。……それでも、貴様は聖戦士だ。魔王との戦いになくてはならない戦力だ。故に、私は貴様の罪に目を瞑ろう。大義の為に、孫を殺された恨みを飲み込もう」

「なっ!? ルベルトさん!?」

「ハッハッハ! 賢明だなぁ!」

「だが━━」

 

 俺が思わずルベルトさんを驚愕の目で見詰め、獣王が不快な笑い声を上げた次の瞬間、━━俺の視界から、ルベルトさんが消えた。

 そして、気づいた時には……

 

「ごはっ!?」

「最低限のケジメはつけさせてもらう」

 

 ルベルトさんの神速の拳が、獣王の顔面を殴り飛ばしていた。

 不意討ち気味に放たれた、刹那斬りと同等の速さの拳に獣王は反応できず、奴の体は拳の勢いに負けて吹き飛ばされる。

 だが、獣王はあれでも、人類の中で最も身体能力に優れる獣人族の聖戦士。

 その頑丈さも尋常ではなく、倒れるどころか膝すらつかなかった。

 足で地面を削りながら、大きく後ろへ弾かれただけだ。

 

「いってぇ!? 何しやがる、このクソ爺!」

 

 そして案の定、自分の行いを棚に上げて怒鳴り散らしてきた。

 どこまでも不快で醜い。

 吐き気がする。

 

「心の底から腹立たしいが、今日のところはそれで見逃してやると言っているのだ。私が貴様の首を切り落としたくなる前に、とっとと失せろッ!」

「あぁ!? 舐めてんじゃねぇぞ老いぼれ風情が!」

 

 獣王が獲物に飛び掛かる直前の四足獣のように体を丸め、本気の戦闘態勢に入る。

 それに呼応して、退かぬのなら相手になるとばかりに、ルベルトさんも腰の剣に手をかけた。

 当然、そういう流れになるなら俺も遠慮するつもりはない。

 木刀を構えてルベルトさんの味方につく。

 

 一触即発。

 ルベルトさんに獣王を殺す気はないみたいだが、俺と獣王は相手を殺す気満々であり、それにルベルトさんの堪忍袋だって、いつまで持つかわからない。

 次の瞬間には誰かが死んでいてもおかしくない状況。

 それを止めたのは……背筋が凍るような極大の悪寒だった。

 

「いい加減にしてください」

 

 冷たい、絶対零度の殺気が込められた言葉が、静かにこの場を支配する。

 一瞬、その言葉を放ったのが誰だかわからなかった。

 それくらい、いつものあいつとはかけ離れた気配だったから。

 

「戦いは終わりです。今は静かに、レストくんを弔わせてください」

 

 殺気の出所は、ステラだった。

 涙が枯れた泣き腫らした目で俺達を見据え、冷たい殺気を放っている。

 大切な女のそんな姿を見て、俺は冷水をかけられたように、一気に頭が冷えた。

 獣王も、単純な力ならこの場で最も強い『勇者』であるステラの威圧は堪えたのか、さっきまでの威勢が削がれている。

 

「…………ちっ。白けちまったぜ。やめだやめだ。仕方ねぇから、ここは勇者様の顔を立てて退散してやる。命拾いしたなぁ」

 

 そんなチンピラのような捨て台詞を残し、獣王は踵を返して去って行った。

 ……正直、追い掛けて始末したいという気持ちはある。

 いくら聖戦士とはいえ、奴とは決して相容れない。

 ここで逃したら、今度は明確な敵として現れるんじゃないかという予感すらあった。

 

 それでも、今は傷付いたステラに寄り添う事の方が大事だ。

 

「……悪かった。こんな時に騒がしくして」

「ううん。あれはあの痴漢に向けて言った事だから。それに、アランがレストくんの為にあんなに怒ってくれたのは嬉しかったわ」

「……そうか」

 

 それがどれだけの慰めになったかはわからないが、少しでもステラの心を癒せたのならよかったと、そう思う事くらいしか俺にはできない。

 だったらせめて、できる限りの慰めを。

 

 俺は膝をつき、未だにレストの装備を抱き締めるステラを、正面からそっと抱き寄せて背中をさすった。

 ステラは俺の胸に顔を埋めて、また泣き始める。

 俺達が騒がしくしたせいで出しきれなかった悲しみを吐き出していく。

 今度こそちゃんと涙が枯れるまで、俺はステラを抱き締め続けた。

 

 そうして、この街での戦いは終わった。

 未来の英雄を喪い、皆が心に傷を負い、最悪の味方のせいで多くの命まで喪い。

 苦い後味だけを残して、敗北としか言い様のない結果で終結した。



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63 戦後

 あの後、ステラがようやく泣き止んだ頃に、レストの死によって操られた人達が沈黙した事で、なんとか合流を果たしたリンとエル婆にも事の顛末を話した。

 エル婆はただ一言「そうか……」とだけ言って沈痛な顔をし、リンは思わずといった様子で口元を押さえて涙を流した。

 だが、歴戦のエル婆はともかく、リンもまた強気に前を向き、今できる事である負傷者の治療に当たり始める。

 それは泣き止んだステラも同じで、

 

「じゃあ、私は街の人達の治療をして来るわ」

「なら、俺も一緒に……」

「ううん。大丈夫。アランは戦い通しだったんだから、休んでて」

 

 といった感じで、一人で街に駆け出して行ってしまった。

 追い掛けようかと若干迷ったが、

 

「アー坊、今は一人にしてやれ。ステラはレス坊の死に様も、獣王の小僧の蛮行も直接見たのじゃろう? その心中はワシらよりも複雑な思いが渦巻いとる筈じゃ。少しは一人でその思いを整理する時間も必要じゃよ」

 

 そんなエル婆の助言に従い、ここは静観する事にした。

 俺とあいつは対等な幼馴染であり、相棒だ。

 一方的に守る関係ではなく、互いに守り守られる関係。

 なら、俺がいつもベッタリ張り付いて過保護に守るってのは違うだろう。

 それじゃ、カマキリ魔族に一人で挑んだ時と変わらない。

 ステラを尊重するなら、今は一人にしてやるべき時って事だ。

 

 しかし、この状況でただ休んでるだけっていうのは落ち着かないな。

 確かに多少疲れてはいるが、この程度、迷宮に一ヶ月以上籠っていた頃に比べればどうという事はない。

 ステラは街の人達の治療に行き、エル婆もステラ一人では手の回らない場所のフォローに行き、リンは兵士達の治療に取り掛かっている。

 ルベルトさんは、この隙に街を襲撃される事を警戒して見張り台に登った。

 気絶中のブレイドと、マジで限界のドッグさんを除いて、全員が何かしらしている。

 しかも、俺達以外は街全体がダウンしているのだ。

 これで一人だけ堂々とのんびりできる程、俺は大物じゃない。

 

 俺に何かできる事……とりあえず、俺達の中で一番戦闘力の劣るリンの護衛でもしておくか。

 丁度、一番近い所にいるしな。

 

 という訳で、リンの元へ向かって歩く。

 リンは、気絶した加護持ちの二人、斧使いの女と中年魔法使いに治癒魔法を掛けていた。

 

「どんな感じだ?」

「……酷い、としか言い様がありません。加護の力と魔族の力が反発してるみたいで、見た目以上に体の中がボロボロです。これは確実に寿命が削られてしまっていますよ」

 

 やはり、とでも言うべきか。

 確証はなかったが、なんとなくそんな気はしていた。

 何せ、加護とはあれだけ魔族を滅茶苦茶に嫌悪していた神様の力だ。

 そんな力と魔族の力の相性が最悪なのは火を見るよりも明らか。

 それを無理矢理合わせて使えば、必ず大きなリスクが伴うだろうなとは思っていた。

 腹立たしいのは、そのリスクを背負うのが操った魔族ではなく、操られた人達の方だという事だ。

 

「治せるか?」

「魔族の力を除去して体を治すだけ事ならなんとか。でも、既に削られてしまった寿命に関しては……」

「そうか」

 

 この二人ですらそこまで深刻な状態って事は、より深く魔族の力に侵食されていたレストを救うのは、やはり難しかったって事だろうか。

 だから、あいつは自分で自分を……。

 苦々しい思いが湧いてくる。

 くそっ。

 

「大丈夫ですか?」

「……ああ、大丈夫だ。俺はレストとの付き合いが浅かったからな。その分、お前らよりはダメージが少ない筈だ。むしろ、お前の方こそ大丈夫か?」

「ええ、私は大丈夫です。これでも迷宮のある街で治癒術師をしていましたからね。職業柄、仲良くなった人が帰って来ないという事にはそこそこ慣れてます。それに、私はアランくん達と違って、レストくんの死の瞬間を直接目の当たりにした訳ではありませんし」

 

 そう語るリンに、無理に強がっている様子はなかった。

 悲しそうにはしているが、折れそうな弱さは感じない。

 なんだかんだで、こいつも強いな。

 

「……私としては、ブレイド様が一番心配です。今回の件で一番心に傷を負ったのはブレイド様でしょうから」

「……まあ、そうだろうな」

 

 ブレイドは言うまでもなく、レストとの関係が俺達の中で一番深かった。

 実の家族なんだから当然だ。

 しかも、あんな剥き出しの憎悪を実の弟に叩きつけられ、両腕切り飛ばされてボコボコにされ、気絶してる内に全てが終わってた上に、結局弟は救えなかったとなれば……精神攻撃のフルコンボと言っても過言ではない。

 真面目に心が折れても仕方ないと思えるレベル。

 ブレイドが目を覚ました時どうなるのか、どうすればいいのか。

 深刻な問題だ。

 

「聖女様の癒しの力で、心の傷もどうにかできないか?」

「無茶言わないでください。……でも、そうですね。ブレイド様が傷付いているなら、私は全力で助けますよ。だって、あの人は私の恩人で、私にとっての最高の英雄ですから」

 

 強い意志の宿った目で、そう宣言するリン。

 そういえば、リンの故郷である街はブレイドの活躍で救われたんだったな。

 あそこは俺にとっても色々と思い出深い街だし、なんならブレイドの活躍で仕留めたという魔族は俺が取り逃がした奴だから、よく覚えてる。

 その時の感謝もあって、リンはブレイドに対する想いが人一倍強いんだろう。

 

 ブレイドの事はリンに任せとけばなんとかなる。

 ふと、そんな予感がした。

 少なくとも、知り合って数ヶ月の俺や、若干ブレイドに苦手意識を持ってたらしいステラがあれこれ言うよりは良いだろう。

 もちろん、俺もフォローをしない訳じゃないが、基本はリンに任せといた方が上手くいく。

 どうにも、そんな気がするのだ。

 

 

 その後、リンは聖女の力を大いに振るい、魔族の力に冒された英雄二人の治療を完了。

 目を覚ますまで数日はかかるだろうとの事だったが、命に別状はないとの事だ。

 それを聞いて、休息と回復薬だけで完治してみせた逞しいドッグさんは歓喜。

 何度もリンに対して礼を言っていた。

 

 その他、操られていた兵士達の治療も完了。

 こっちは加護による反発がなかった分、英雄二人よりは軽症らしい。

 体力のある職業軍人だし、少し休めば仕事に戻れるそうだ。

 

 そして、ステラとエル婆が担当していた街の人達の治療も完了。

 彼らは与えられていた魔族の力が兵士達よりも更に薄い。

 おかげで、大事に至った人はあまりいなかったようだ。

 死者は、獣王が暴れた一角にいた人達だけ。

 レストは本当に誰も殺していなかった。

 だが、獣王が殺した分だけでも、エルフの里での戦死者以上の人数が死んでる。

 なんとも、やりきれない。

 

 その夜、今度は宿泊場所として提供された街長の屋敷で、俺は改めてステラと向き合った。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

「ミルクでも飲む?」

「ああ、貰う」

 

 ステラは落ち着いた様子で馬車から持って来たんだろうポットにミルクと蜂蜜を入れ、それを自前の火魔法で温める。

 少しして温め終わったミルクを二つのコップに注ぎ、一つを俺に差し出して、自分はもう一つのコップを持って俺の隣に座った。

 それからしばらく、二人とも無言でミルクを啜る。

 だが、無言でも気まずさは感じなかった。

 ステラの様子が大分落ち着いていて、崩れそうな脆さを感じなかったからだろう。

 

「……さっき、街の人達を治療しに行ってた時ね」

 

 やがて、ステラはポツポツと話し始める。

 時間を置いて、自分の中で整理したのであろう考えを。

 

「最初にあの痴漢が暴れたっぽい場所に行ったんだけど、酷かったわ。街並みが完全に破壊されてて、人がいっぱい死んでて、生き残った人も皆怯えてた。きっと、怖くなってこの街を離れる人もいっぱいいると思う」

 

 コップを握るステラの手に力が入る。

 壊れてないからまだ冷静な方なんだろうが、それでもステラの嘆きは伝わってくる。

 

「後悔してるか? 獣王をあのまま行かせた事」

「……わかんない。あの時はただ、レストくんが命と引き換えにしてでも終わらせた戦いを続けたくなかった。あれ以上、この街の人達を巻き込んで戦いたくなかった。レストくんの頑張りを無駄にしたくなかった。けど今は……」

 

 ステラの顔が複雑そうに歪む。

 時間をかけて整理しても、そう簡単には消化できない程、今回の件は重い。

 

「……やっぱり、わかんない。とりあえずぶん殴ってやりたいけど、それはルベルトさんがやってくれた。それでも全然許せない。法で裁こうにも、あの痴漢のやった事はギリギリ法に接触してないから裁けない。だからって人を殺すのはダメだし、やったところで獣人族と揉めて人類同士で仲間割れになるだけ。ホント、どうしたらいいかわかんないわよ……」

 

 ……そこまで考えてなかった。

 あの時、俺の中にあったのは、このクソ野郎ぶっ殺してやるって単純な思考だけだ。

 勇者教育のせいなのか、ステラが俺なんぞよりよっぽど思慮深くなってやがる。

 だが、そのせいでシンプルに考えられなくなって苦悩している。

 ままならないもんだ。

 

「苦いな」

「いや、甘いに決まってるでしょ。蜂蜜入ってるんだから」

「ミルクの話じゃねぇよ」

 

 なんでそうなる。

 

「苦いのは今回の戦いの後味だ。レストを救えなかった。仇も取ってやれなかった。街は壊されて人は沢山死んだ。ミルクなんかじゃ誤魔化せない程苦くて苦くて堪らない。これが『敗北の味』だ。だけどな……」

 

 俺は隣に座るステラの目を真っ直ぐ見詰めながら、告げる。

 

「━━俺達は戦争をやってるんだ。戦争なんだから快勝ばっかりで進める訳がない。負ける時は負ける。守れなかった奴は死ぬ。当たり前だ。当たり前の事なんだよ。戦争が辛くて苦しいのは」

 

 前の世界で戦い続けてた時なんかは、むしろ辛くて苦しくない時の方が珍しかった。

 いつもいつも、止めどなく湧き出てくる後悔の念と復讐心に追い立てられるようにして刃を振るった。

 あの世界で戦っていた俺以外の奴だって似たようなもんだ。

 勇者が倒れ、英雄達もその多くが死に絶え、人類滅亡が現実味を帯びてきた世界での戦争なんて地獄と変わらない。

 旅の途中、立ち寄った街で見てきたのは、数え切れない程の悲劇の山。

 

 あの時程ではないにしろ、戦争が悲劇を生むのは今の時代だって変わらない。

 ほぼ完全勝利だったドラグバーンとの戦いですら、死者は出てるんだ。

 今この瞬間だって、最前線や各地に散らばった魔族や魔物との戦いで死んでる奴はいるだろう。

 死者が出れば、残された者達は悲劇に泣く。

 今回は、その悲劇の一つが俺達に振りかかったに過ぎない。

 

「戦い続けるって事は、この苦しみに立ち向かい続けるって事だ。耐えられないならやめちまえ。心の折れた奴が戦場に立っても、味方の足を引っ張るだけだ」

 

 まあ、とはいえ。

 俺はため息を吐きながら続きを口にした。

 

「ちょっと前までなら、ここで逃げてもいいんだぞって言ってたところなんだがな」

「今回は言わないの?」

「言わねぇよ。だって、お前折れてねぇだろ」

 

 そう。

 今のステラからは悲しみや苦悩は感じても、折れそうな弱さはまるで感じなかったからだ。

 こいつは強い。強くなった。

 だったら、逃げろなんて言えないし言わない。

 神様に啖呵切った時に、こいつの覚悟は認めている。

 

「折れてないならそれでいい。嫌な事は俺相手にでも愚痴って吐き出して前を向け。俺も何かあったらお前相手に愚痴って吐き出す。それからまた前に進んで行けばいいだろ」

「……ええ、そうね。じゃあ、今夜は朝まで付き合ってもらうから。そしたら、明日は私がリンの愚痴でも聞くわ」

「そうしてやれ。あいつはこれからブレイドの事で苦労しそうだからな」

 

 そうして、俺は朝までステラの話を聞き続けた。

 レストとの思い出話、痴漢野郎への恨み言、黒幕の魔族絶対ぶっ殺してやる宣言。

 ステラはたまに堪えきれなくなったように泣いて、途中から酒まで用意したりしながら話し続けた。

 そして、飲んでる内に最終的に俺の方が先に潰れ、気づいたらステラと同じベッドで寝てた。

 とりあえず、ステラは立ち直ったとだけ言っておこう。



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閑話 剣聖の苦悩

 街全体を巻き込んだ戦いから数日後。

 リン達の必死の治療の末、兵士達が動けるようになり、街の復興が進む中。

 エルフの『大賢者』エルネスタ・ユグドラシルは、宿泊場所として提供されている街長の屋敷のとある一室に無断で侵入し、この部屋で寝泊まりしている人物の帰りを待ち伏せしていた。

 目的は、その人物のメンタルケアだ。

 一緒に酒でも飲んで愚痴を聞いてやるつもりでいる。

 

 今回の一件、特に心に大きな傷を負ったのは三人だ。

 

 一人はステラ。

 目の前で、弟のように可愛がっていたレストの死と獣王の蛮行を目撃し、悲しみと仇を取れない事への苦悩で板挟みになっている。

 だが、彼女に関してはアランがなんとかしたらしい。

 完全とは言えないまでも、今はそれなりに立ち直って、リンの愚痴を聞いている。

 相変わらず、あのカップルはとりあえずセットにしておけば上手くいくものだなとエルネスタは感心していた。

 同時に、はよくっつけと呆れてもいた。

 

 そして、もう一人はブレイド。

 こちらはステラよりも重症だろう。

 魔族に操られた弟を止めようと誰より先に駆け出したはいいものの。

 結果として、その弟に完膚なきまでに叩きのめされ、これでもかと心を抉る言葉を浴びせられまくり、弟が死んだ時も無様に地面に倒れている事しかできなかった。

 その精神的ダメージは計り知れない。

 最悪、目を覚ました時には心が折れて戦線離脱という可能性も考えていたのだが、その予想に反して、ブレイドは目覚めた後、一心不乱に剣を振り始めた。

 エルフの里でドラグバーンに敗れた時と同じように。

 

 これが良いとも悪いとも言えない。

 心が折れるよりはマシなのだろうが、焦燥に駆られるようにして剣を振り続けるブレイドには、余裕というものが一切なくなっている。

 下手に言葉をかける事すら躊躇われるような状態だ。

 できる事と言えば、ブレイドの望む通りにアランかステラが剣の修行に付き合ってやる事だけ。

 それも気をつけなければ、ブレイドは自分の体が壊れるまで修行を続けてしまう。

 修行の旅をしていた頃のアランのように、強くなる為に必要な事だと割り切って体を壊している訳ではない。

 あれでは、ただのオーバートレーニングだ。

 恐らく、体を動かしていなければ心が壊れてしまうのだろう。

 

 リンがなんとか宥めようと頑張ってくれてはいるが、ブレイドがあまり聞く耳を持たない事もあって中々上手くは行かず、ステラに弱音を吐いているのが現状だ。

 口惜しいが、これは少し時間をかけてなんとかするしかないとエルネスタは思っている。

 とはいえ、今は魔王軍との戦争中。

 そこまで悠長な事を言っている余裕はない。

 次の戦いまでにどうにもならず、仲間の足を引っ張るようであれば、戦線離脱も選択肢に入れざるを得ない。

 できれば、そうなる前に少しでも落ち着いてほしいものだが……。

 

 なんにせよ、ブレイドに関しては今すぐどうこうできる問題ではない。

 今はできる事からやるしかない。

 だからこそ、エルネスタは今ここに居る。

 特に心に傷を負った三人。

 その最後の一人を気遣ってやる為に。

 

 そして、エルネスタが部屋に侵入してしばらく経った頃、部屋の扉がノックされた。

 

「開いておるよ」

「では失礼、というのもおかしな話ですな。何せ、この部屋を使っているのは私なのですから」

 

 扉を開いて現れたのは、実直な鎧を着込んだ老騎士。

 老いた『剣聖』ルベルト・バルキリアス。

 エルネスタが気にかけている、心に大きな傷を負った最後の一人だ。

 ルベルトは先代魔王の時代を戦い抜いた強い男だが、それでも今回の件は相当に堪えているだろうとエルネスタは予測していた。

 

「どうじゃ、街の様子は? 復興させられそうか?」

 

 まずは直近の話題を振って、場を温めにいく。

 ルベルトは不法侵入に文句を言う事もなく、エルネスタを追い出すつもりもないのか、静かに彼女が座っているテーブルの反対側に座った。

 そこに、持参した酒をグラスに注いで渡してやる。

 ちなみに、自分の分の酒はとっくの昔に用意していた。

 外見年齢12歳程のエルネスタが、齢70を越えるルベルトと共に飲酒する様は犯罪的だが、合法である事がわかり切っている為、互いに何も言わない。

 

「復興自体はそう難しくないでしょう。街並みが大破したのはヴォルフが暴れた一角だけ。それも街全体から見れば軽微な被害。今のままでも街の運営にそこまでの支障は出ないでしょうな。ただ……」

「住民の流出は確実に起こるか」

「その通りです」

 

 今回の一件、心に傷を負ったのは中心人物三人だけではない。

 なんの訓練も受けておらず、恐怖に対する耐性の低い一般人達に、魔族に操られた人々に襲われて自分も操られるという経験は重すぎる。

 死人こそ獣王がやらかした区画でしか出なかったが、怖くなってこの街から移住しようとする者は、間違いなくかなりの人数に上るだろう。

 そして、人がいなくなれば街は衰退する。

 最前線を支える街の一つであるここが衰退すれば、人類全体にとっても、そこそこの痛手となってしまう。

 

「まあ、半壊や壊滅に比べれば遥かにマシじゃがのう。今回の件はそうなっておっても全く不思議ではなかった。これもレス坊が必死に魔族の支配に抗ってくれたおかげじゃ。ついでに、獣王の小僧が街の全てを壊す前に接触できたお主のおかげでもある」

「レストのおかげというのは間違っていないでしょうが、私のおかげというのは間違っていますよ。奴は私の言う事など聞きはしなかった」

 

 ルベルトはぐいっと酒を呷る。

 エルネスタもそれを見て、ちびちびと酒に口をつけた。

 

「そうでもないと思うがのう。あやつはお主に釘を刺されたからこそ、あれ以上の大規模破壊をしなかったのじゃとワシは思っておる。なんだかんだ言って、奴も心の底では恐れておるのじゃよ。先代魔王を討ち取った勇者パーティーの一人、伝説の剣聖ルベルト・バルキリアスをな」

「伝説の剣聖などと……」

 

 ルベルトは空になったグラスに追加の酒を注ぐ。

 そしてまた、ぐいっと飲み干した。

 

「私はそんな大層な存在ではありませんよ。先代魔王は先代勇者様が命と引き換えに討伐した。私はそのサポートに徹していたに過ぎない。いや、先代勇者様は亡くなられたのだから、それすらも満足にできていたとは言い難い。伝説の剣聖と言うのであれば、我が息子達の方がよっぽど相応しいでしょう」

「シー坊とアスカか。確かに、あやつらは立派じゃった。心から尊敬できる程にのう」

 

 ルベルトの息子、『剣聖』シーベルト・バルキリアスと、その妻『剣聖』アスカ・バルキリアス。

 どちらも歴史に残る程の戦果を上げた大英雄だ。

 ただし、悲劇の英雄でもある。

 

「忘れもせんよ。12年前、当代魔王が勇者の不在を感じ取り、四天王の一人と共に自らが先陣を切って急襲して来た時。あれを止めてくれたシー坊とアスカの勇姿は」

 

 目を閉じれば思い出す。

 あの頃、エルネスタは既にエルフの族長の座を息子のエルトライトに譲り、遊撃戦力として最前線の各砦を転々としていた。

 フットワークが軽く、戦力の足りない場所へ直ちに駆けつけられる聖戦士として、それなりに役に立ったと自負している。

 だが、最強の聖戦士の一人と言われるエルネスタをしても、あの時の敵はどうにもならなかった。

 

 当代魔王自らが率い、腹心と思われる四天王の一人までもが参戦した魔族の大軍勢。

 魔界の門が開いて二年が経ち、一向に勇者が現れない事もあって、威力偵察の意味で仕掛けて来たのだろう大戦。

 勇者がいれば、その実力を確認しつつ撤退。

 勇者がいなければ、そのまま突き進んで人類を一気に滅ぼす。

 それができるだけの戦力が集められていた。

 実に、慎重な当代魔王らしい戦略だ。

 下手をすれば、あの時点で人類は終わっていた。

 

 それを命懸けで食い止めたのが、シーベルトとアスカの若き剣聖夫妻だ。

 魔王に唯一対抗できる武器、『聖剣』は勇者にしか扱えないと言われているが、実は一つだけ例外がある。

 勇者不在の際や、本当にどうしようもない時、聖剣は剣聖の前に現れ、その者を一時の仮の主として認めるのだ。

 勇者以外で唯一聖剣を扱える者、故に『剣聖』。

 

 しかし、真の力を発揮した聖剣の強大すぎる力は、勇者以外が使えば身を滅ぼす。

 剣聖が聖剣を振るうという事は、確実に命と引き換えにする覚悟がいるという事だ。

 それでも、彼らは迷わず聖剣を振るった。

 まだ幼い我が子達の為に。

 彼らが生きる未来の為に。

 その命を投げ出したのだ。

 

 そんな二人の必死の抵抗により、魔王の体に傷を付ける事に成功。

 真なる聖剣の力で刻まれた傷は、中々完治しない。

 深手ともなれば、数十年の時をかけても治らない程だ。

 それに脅威を覚えたのか、魔王は撤退した。

 あれ以降、魔王が自ら出陣した事はない。

 恐らく、傷の回復を待ちつつ、聖剣の使い手には四天王をぶつけて、真の力を出させずに倒す戦略に切り替えたのだろう。

 二人の剣聖の尊い犠牲により、人類は守られたのだ。

 

 だが、当然ながら、その二人の家族にとっては堪ったものではない。

 

「あやつらは立派な大英雄じゃった。じゃが、酷い親不幸者でもあったのう」

「全くです。あの時死ぬべきなのは息子達ではなく私の方だった。魔王が攻めて来たのが息子達の居る砦ではなく、私の居る砦であればと何度も思ったものですよ」

 

 基本、最前線の各砦に詰める聖戦士は二人か三人までだ。

 それ以上を動員すれば、他の砦の戦力が手薄になってしまう。

 あの時は遊撃戦力であるエルネスタと、近隣の砦の聖戦士が何人か駆けつけたが、ルベルトはすぐに駆けつけられる距離にはいなかった。

 仕方のない事とはいえ、ルベルトにとっては仕方がないで済まされる事ではないのだろう。

 家族が死んでいるのだから当たり前だ。

 

「……そして、私は息子達が命懸けで守った孫すらも守れなかった。何が伝説の剣聖か。私など、父親としても祖父としても失格の、ただのダメ人間だというのに」

 

 大分酒が回ってきたのか、ルベルトは素直に弱音を吐いた。

 エルネスタは黙って、更に酒を追加してやる。

 辛い時は飲む。

 それがエルネスタの持論だった。

 

「職務に没頭するあまり、家族に気を配ってやれなかった。今も最後に残ったブレイドに何もしてやれない。全くもって情けない限りです」

「今はそういう時代じゃ。お主が職務に励んでくれなければ多くの命が失われておったじゃろう。そう自分を責めるでない」

「ですが……! 息子達が死んで一番辛い時期に、私は家庭を完全に妻に任せ、その挙げ句に心労で死なせてしまっている。あいつには中々子供が出来ない事でも苦労をかけたのに。これでは、とても顔向けができない」

「いや、あやつは普通に寿命じゃろ。享年いくつじゃ?」

「70でした」

「寿命じゃ! むしろ、エルフでもドワーフでもないくせに、70越えてバリバリ現役のお主がおかしいんじゃからな?」

 

 そんな感じで、老人二人の宅飲みはルベルトが完全に潰れるまで続いた。

 そういえば、ステラとアランは朝まで語り合い、気づいたら同じベッドで寝ていたらしい。

 そこまでやっておいて、どうしてくっつかないのか疑問で仕方がないが、ここはそんな二人に習って、潰れたルベルトのベッドに潜り込んで朝チュンという寝起きドッキリを仕掛けてやろうかと思うエルネスタ。

 色々と衝撃的過ぎて悩みなんて吹っ飛ぶだろう。

 自分もそれなり以上に酒を飲み、完全に出来上がっていたエルネスタは、そんな下らない思いつきをさも名案のように思い込み、嬉々として実行に移した。

 

 翌朝。

 二日酔いの頭痛と共に目覚めたルベルトは、自分の隣で全裸で寝ている見た目幼女に「おはよう」と声をかけられた挙げ句、意味深に笑われ、らしくない悲鳴を上げたという。

 その後、しばらくは随分前に亡くなったエルネスタのロリコン旦那が毎晩夢に出てくるという悪夢に魘され、他の事を考える余裕が一切なくなったそうな。



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閑話 策謀と渇望 2

「ハァァァァァ」

 

 魔王城の一室にて、一人の魔族がわざとらしいため息を吐いた。

 魔王軍最高幹部の一角にして、幼き英雄の心の闇につけ込んで今回の事件を引き起こした主犯。

 『水』の四天王は、優雅に椅子に腰掛けて足を組みながら、呆れと落胆を隠そうともせずに独り言を垂れ流す。

 

「せっかく、わざわざ殺さずにおいてやって楔を打ち込み、それを隠す為の労力を惜しまず、最後にはこの私が手ずから手綱を握って最高のお膳立てをしてあげたというのに……。結局、勇者達を削る事はおろか街の一つすら満足に潰し切れずに終わるとは。なんという無能。なんという役立たず。やはり使い捨ての混血などに肉壁以上の役割を期待するなという事でしょうね」

 

 彼が使い捨ての哀れな人形に期待していた最低ラインの戦果は、最前線近くの街一つ潰して、人類の補給線に大打撃を与える事だ。

 予想ではもう少し頑張り、街を複数潰して人類を大混乱に陥れるか、もしくは勇者パーティーの一人でも削ってくれると思っていたのだが。

 なんにせよ、自我を完全に奪って暴れさせるだけの従来の支配では、例え魔族の力を得た加護持ちと言えども、それ程の戦果は成し遂げられない。

 街に侵入する前、保護された時点で、最前線の聖戦士と加護持ち達に囲まれて制圧されるのが落ちだ。

 

 故に、今回は手間をかけて特別な操り人形を用意した。

 あえて心の闇を増幅させる形での不完全な精神支配を使う事で、人としての思考も自我も残し、通常の人間に偽装して街へと侵入できる特別な手駒。

 それでいて、従来の眷属よりも大量の力を注ぎ込み、寿命を著しく削る事と引き換えに、聖戦士にすら勝る力を与えてやった。

 あのまま戦い続けていれば、どうせ数ヶ月と持たずに使い物にならなくなっていただろうが、それでも、それまでの間に街の一つや二つは潰せていた筈だ。

 今回はたまたま勇者達の進行ルートと操り人形を暴れさせる予定の街が被ったので、複数の街を潰すよりも、勇者パーティーを一人でも潰した方が戦果として大きいと判断して戦わせてみたが……結果はご覧のあり様だ。

 

 まさか、死人の一人すらロクに出せないとはさすがに思わなかった。

 今回の戦いで死んだのは、あの獣人族の聖戦士が勝手に殺してくれた分だけで、それ以外は本当に一人の死者も出なかったのだ。

 せっかく最高のタイミングで仕掛け、戦況的にも最高に近い状態で戦いを始められたというのに。

 ふざけた話である。

 それもこれも、混血の操り人形の分際で支配に抗おうとした馬鹿が悪い。

 あれがなければ少なくとも街は壊滅し、分散した勇者パーティーの一人くらいは狩れていた筈だ。

 

「まあ、嘆いても仕方ありません。所詮、彼は役立たずのゴミだった。それだけの話なのですから」

 

 それに、本命の作戦は大失敗でも、予想外のところで得たものはある。

 使い魔で打ち込める量では彼を支配するには少なすぎ、もっともっと時間をかけて少しずつ支配しなければならないと思っていた存在。

 今のところは勇者達へのマーキングに使えれば充分だと思っていた男。

 そんな彼の心が、あの戦いの後、急激にヒビ割れている。

 そう遠くない内につけ込む隙が出来ると確信する程に。

 この調子であれば、来るべき時には間に合うだろう。

 

「なんにせよ、前哨戦は終わりです。こちらの準備も整った。勇者達の次の目的地も特定した。都合のいい事に他の大きな戦力とは離れた場所『天界山脈』。そこが決戦の地となる。そして……」

 

 水の四天王は歪に口角を吊り上げる。

 整った顔立ちが、醜悪な笑みで歪む。

 

「そこから私の栄光が始まるのだ! 勇者をこの手で、この知略で打ち倒し、誰も並ぶ事のできない功績を手に入れる! さすれば、この私こそが四天王の頂点! もうあのような雑種に下に見られる事はない! 我が一族の尊き純血を受け継ぐ私にこそ、四天王筆頭の地位は相応しい! そう証明してみせる!」

 

 笑う。

 嗤う。

 奇しくも彼が操り人形として選んだ少年と同じ感情。

 少年と違って抑えるつもりなど微塵もなく、結果、少年の何倍にも何十倍にも膨れ上がった『嫉妬』の感情と、その矛先となった者を見返してやれる事への歓喜で、水の四天王は狂気に満ちた笑みを浮かべる。

 

 しかし、その狂笑が不意に陰った。

 

「……私だけでも充分だとは思いますが、それでも相手は歴代魔王を討ってきた『勇者』という存在。侮っていい相手ではない。警戒する事は大切です。思慮深さを得る事こそが魔物にない魔族の特権。私はそれをわかっていない愚物どもとは違う。確実を期すのなら、やはりあともう一押しが欲しい」

 

 ブツブツと、まるで言い訳をするかのような言葉を小声で呟いてから、彼は不機嫌極まりないと言わんばかりの顔で、ある事を決断した。

 

「手柄を分けてやるのは心の底から不本意ですが……致し方ありません。奴を使いましょう」

 

 そうして、水の四天王は椅子から立ち上がり、魔王から与えられた豪華な部屋を出て、魔王城内のある場所を目指す。

 その場所に居るであろう、目的の人物の姿を脳裏に思い浮かべながら。

 

「まあ、奴は一言で言えば『何も考えていない馬鹿』です。勇者を殺す知略を張り巡らせた私と、そんな私にただ使われただけの馬鹿。どちらにより大きな功績があるかわからない程、魔王も愚かではないでしょう」

 

 そんな言葉を吐きながら彼が辿り着いたのは、魔王城地下。

 元々はこの城に存在しなかった区画。

 そもそも、同族同士で協力するという概念に乏しく、過酷な環境の魔界で生存競争のみに明け暮れていた魔族に、建築技術などというものはない。

 故に、この魔王城は魔族が造った城ではなく、今代で魔界の門が開いた場所にあった不運な国『ムルジム王国』の王城を奪って使っているだけだ。

 とはいえ、元の王城そのままという訳でもなく、かなりの改造が加えられている。

 建築技術ではなく、魔法によって。

 

 魔王城全体は、魔王の使った闇の魔法によってコーティングされ、漆黒の外見と尋常ならざる堅牢さを備えるようになった。

 その他の変化として最も特徴的なのが、この魔王城地下の存在だ。

 まるで迷宮のように入り組んでおり、魔界から連れて来た千を越える魔族全員が一度に戦闘を行える程に広大な空間。

 魔王の指示によって、暇を持て余したとある魔族が半ば趣味で造り上げた場所。

 その製作者本人は、『土に囲まれた場所に居ると落ち着くから』という理由で、常にこの地下の最奥に引きこもっている。

 水の四天王がやって来た、この場合に。

 

 魔王城地下最奥『大地の間』。

 そこに置かれた大扉を開け、水の四天王はその中に足を踏み入れる。

 

「失礼しますよ」

 

 剥き出しの土壁に囲まれたその部屋は、言ってしまえばゴチャゴチャしていた。

 部屋の至る所に物が転がっている。

 なんの価値があるのかわからないただの石ころに、採掘したばかりのような磨かれていない何かの原石、古びた量産品の武器や鎧。

 そんなガラクタに混じって、ルビーやサファイアなどの宝石、ミスリル、オリハルコンなどの希少鉱石、業物と呼ばれる部類の武具、果ては魔剣の類いまでもが無造作に散乱している。

 割合としてはゴミ9.7、宝0.3といったところだろうか。

 まさに玉石混交。

 宝はともかく、ゴミを好んで集める趣味が相変わらず理解できない。

 

 しかし、これだけわかっていれば問題ない。

 この部屋にある物には、ゴミ、宝を問わず一つの共通点がある。

 その全てが石や金属といった大地に縁のある物であり、部屋の主はそういう物を好んで集める習性があるという事を。

 

「なんの用?」

 

 魔王軍最高幹部である水の四天王に対して、振り返りもせずに背中を向けたまま、敬意の欠片も感じられない声で要件を尋ねる部屋の主。

 その不敬な態度には腹が立つが、魔界で品位を持っているのは自分達の一族だけ。

 それ以外の野蛮な魔族に、品性など求めても無駄だという事はわかっている。

 故に、水の四天王は無礼を咎める事もなく、単刀直入に要件を告げた。

 

「アースガルド、あなた勇者の聖剣に興味はありませんか?」

 

 その言葉に部屋の主、アースガルドと呼ばれた魔族はピクリと反応して、ゆっくりと水の四天王の方に振り向いた。

 それを見て、水の四天王は確信する。

 この魔族の勧誘と、作戦の成功を。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

「ハァ……ハァ……!」

「……そろそろ、やめといたら?」

「まだまだぁ!」

 

 咆哮を上げながら満身創痍の体を動かし、『剣聖』ブレイド・バルキリアスは神樹製の大剣を振り上げて突撃する。

 向かった先に居るのは『勇者』ステラだ。

 盛大に息を切らすブレイドと違って、ステラは僅かに汗をかいている程度で、呼吸が乱れる様子すらない。

 それが二人の実力差を如実に表していた。

 

「るぅぅぅあぁぁぁ!」

 

 雄叫びを上げて大剣を振り回すも、ステラには一撃として当たらない。

 全ての攻撃が受け流されて不発に終わる。

 避ける事も、受け止める事も、反撃する事もなく、ただただ受け流しに徹するステラ。

 その様は、まるであらゆる暴風を悠然と受け流す大樹の如し。

 風に舞う木葉のように捕らえられないアランの剣とは違う。

 幼少期から共にあった受け流しの絶技を手本としつつも、決して模倣で終わる事なく、彼女自身の技術として昇華したステラの剣。

 弱くも強い弱者(アラン)の受けと対を成す、強者の受け。

 ブレイドが手本とすべき守りの剣だ。

 

「……じゃあ、次はこっちから行くわよ」

 

 心底気乗りしなさそうな声と共に、ステラの動きが一転。

 受け流しをやめ、反撃に打って出る。

 そこから始まるは怒涛の攻め。

 強く、速く、鋭い、斬撃の嵐がブレイドを襲う。

 ステラの剣は威力重視のブレイドの大剣と違い、この世界で最も普及している通常サイズの剣。

 大剣よりリーチが短く軽い分取り回しがよく、剣を振るう速度はブレイドの比ではない。

 それでいて、一撃一撃の威力ですらブレイドを超えているのだから恐ろしい。

 

 『勇者の加護』は全ての加護の上位互換だ。

 剣を手にすれば『剣聖』より強く、魔法を使えば『賢者』の上を行く。

 無論、それはしっかりと鍛練を積めばの話だ。

 ステラは鍛練の比率を剣術方面に多く割いているので、魔法全般に置いては『賢者の加護』を持つエルネスタに劣り、治癒や結界の魔法に関しては『聖者の加護』を持つリンにも劣る。

 しかし、それは技術的な問題であって、魔法を扱う為に必要な魔力量など素質的な面では、ステラは二人を優に超えていた。

 

 では、しっかりと努力してきた剣術に関してはどうか?

 言うまでもない。

 この戦いの内容が答えそのものだ。

 鍛え上げられた肉体は、聖戦士の中でも一際凄まじい怪力を誇るブレイドをも超え。

 技術の鬼の背中を追い続けて磨いてきた技に至っては、少し前まで慢心して努力を怠ってきた剣聖など足下にも及ばない。

 

「ぐっ!?」

 

 そんなステラの放つ嵐のような攻撃。

 本気ではないとはいえ、満身創痍の体ではとてもではないが対処できない。

 自分より力が強いからロクに受け止める事もできず、堪らずにブレイドは大剣の腹を使った防御に徹し始めた。

 

「何やってんだ、ブレイド! それじゃ意味ないだろうが!」

 

 傍で見ていたアランが声を上げる。

 彼の言う通りだった。

 この戦いは、ブレイドの守りの技術を向上させる為の修行。

 アランの剣よりもブレイドのスタイルに合うだろうステラの受け流しを身をもって体感し、その後、受け止める事の難しい格上からの攻撃を、体感したばかりの動きを思い出しながら受け流す事を試みる。

 そうやって打ち合う中で、受け流しの技術を高めようというのがこの修行の目的だ。

 なのに、大剣を盾にしたガードに徹しているのでは意味がない。

 

 今までのブレイドの戦闘スタイルは、その恵まれた体格と怪力、剣才に任せたゴリ押しだった。

 敵の攻撃は真っ向から受け止めて防ぎ、大剣による強烈な攻撃をガンガンぶつけていくスタイル。

 しかし、これではドラグバーンや魔族化レスト、それに今戦っているステラのような、自分よりも強くて速くて受け止め切れない攻撃を繰り出してくる相手には通用しない。

 格下相手には滅法強いが、格上相手にはどうにもならない。

 それがブレイドという男だった。

 まさに、レストに言われた通り。

 ルベルトが慢心するなと口を酸っぱくして言っていたのも当然だろう。

 

 それを何とかする為の、この修行だ。

 今までゴリ押しでどうにでもなってしまったが故に疎かにされていた守りの技術。

 取り分け、自分よりも強い力への対処方として最も有効な受け流しの技を鍛える為の修行。

 それなのに、今まで頼りきってしまっていたガードに手を出すようでは意味がない。

 

 一応弁明するが、ブレイドとて疲れ切る前は普通に受け流しを試みていたのだ。

 この修行自体はエルフの里の戦いの後、ドラグバーンに殺されかけた直後から始めており、ブレイドの剣才もあって、最近はそれなりに形になってきていた……筈だった。

 しかし、ここに来て、それが崩れた。

 原因は言うまでもなく、精神的なものだろう。

 

 あの時、レストが死んだ時。

 実はブレイドはギリギリ意識を保っていた。

 気絶寸前で朦朧としていたとはいえ、しっかりと弟の死に様を目に焼き付けてしまったのだ。

 その時の無念が、悲しみが、不甲斐なさが、無力感が、彼の精神を追い詰めて冷静さを奪った。

 剣鬼の忠告も、聖女の献身も、祖父の心配も届かぬ程に。

 

『力を求めろ。強さを求めろ』

(うるせぇ! わかってんだよ!)

 

「おぉおおおおお!」

「あっ……」

「ぐはぁ!?」

 

 頭の中で響く声に急かされるようにして反撃を試みたブレイドは、突然ガードが空いた事で思わずその隙に打ち込んでしまったステラの攻撃が頭に当たり、あえなくノックダウンした。

 疲労と頭を打った衝撃によって意識が薄れていく中……

 

「ブレイド様!?」

 

 自分を慕う聖女の心配そうな声が聞こえた気がした。

 しかし、それを塗り潰すように、

 

『力を求めろ。強さを求めろ』

(わかってる。わかってるから……)

 

 頭の中の声がより一層大きく聞こえ、ボヤけていくブレイドの思考を、強さへの渇望で埋め尽くしてしまう。

 聖女の声は、若き剣聖に届かなかった。

 

『力を求めろ。強さを求めろ。━━そう、例えどんな手段を使ってでも』

(強く……強ク……ツヨク……)

 

 ツヨクナラナケレバ。

 その一念に支配されながら、剣聖の意識は闇に包まれていった。

 自分の体を癒してくれる聖女の力に気づく事なく。

 強く、強く、強く。

 ただその思いのみに囚われていく。

 

 薄汚い蝙蝠の力は、ゆっくりと、ゆっくりと、彼の心を強さへの渇望で塗り潰していった。

 自分が何の為に強くならなければならないのかという一番大切な想いすらも、塗り潰して忘れさせようとする。

 手段と目的を逆転させる為に。

 いつの日か、そう遠くない未来に、彼が目的を忘れ、強さのみを求めて魔族の力に手を伸ばすように仕向ける為に。

 弟を殺した魔族の毒は、ゆっくりと兄の全身に巡っていった。

 

 その因果の結末が訪れる日は、近い。



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64 失ったもの、守れたもの

 戦いが終わってから一週間後。

 英雄二人も無事目を覚まし、兵士達もどうにか通常任務ができるくらいまで回復して自力での街の防衛が可能になった頃。

 あまりモタモタしてもいられない俺達は、次の目的地へと向かう為、兵舎に停めた勇者パーティー用の馬車の前へと集結していた。

 ある荷物を抱えながら。

 

「「せーの!」」

 

 俺とステラの二人がかりでその荷物を運び、馬車の中へと放り投げる。

 馬力的にはステラ一人で問題ないんだが、大きさ的にちょっと持ちづらかったからな。

 こいつ、無駄にデカいから。

 

「あの、お二人とも、もう少し丁寧に扱ってもらえませんか……」

「すまん、これが限界だ。気絶した人間は地味に重い」

「ごめんね、リン。アランは非力だから」

「お前だって、疲れて運び方が雑になってただろうが」

 

 いつもの言い合いをしながら俺達が運んでいたのは、気絶したブレイドである。

 いくら言っても修行をやめなかったから、その修行で容赦なくボコボコにして意識を奪い、ついでに暴れないように簀巻きにして荷物として馬車に放り込んだ。

 

 近頃、こいつの修行という名の半自傷行為は悪化するばかりだ。

 リンが色々と頑張って休ませたり息抜きさせようとしたりしてるんだが、その悉くを無視しやがる。

 ブレイドを慕っていたリンですらどうにもできないんじゃ、付き合いの短い俺や、ブレイドに若干苦手意識を持っていたステラにどうにかできる訳もない。

 レストにやった肉体言語式も、ブレイドが聞く耳を持たないので効果なし。

 頼みの綱の年長者エル婆ですら、「今は少し時間をかけてどうにかするしかないじゃろう」とお手上げ状態。

 

 結果、俺達にできるのは、やり過ぎだと思ったら気絶させて強制的に休ませる事だけだった。

 正直、こんな力の差を見せつけるような真似は、より一層ブレイドの焦燥を煽るだけなんじゃないかと思わないでもないが、こうでもしないと、こいつマジで一睡もせずに剣を振り続けるから仕方ない。

 

「勇者様方」

「ルベルトさん、ドッグさん」

 

 そうして荷物と化したブレイドを運び終わった頃、馬車の近くにルベルトさんとドッグさんが現れた。

 どうやら、見送りに来てくれたようだ。

 

「ルベルトさん、今回はありがとうございました」

「礼を言われるような事など何一つできなかった老いぼれに、そのような労いは不要です」

 

 ステラの言葉にそう返すルベルトさんは、見るからに顔色が悪かった。

 ここ数日ずっとそうだ。

 やはり、ルベルトさんも今回の件で相当の精神的ダメージを負ってしまったのだろう。

 何日か前の朝に、突然生娘のようならしくない悲鳴を上げてたし、きっと悪夢に魘されて飛び起きてしまったに違いない。

 俺も前の世界ではしょっちゅう悪夢で飛び起きてたから、その辛さはよくわかる。

 

 それなのに、ルベルトさんは悲鳴に驚いて何事かと駆けつけた俺達を断固として部屋に入れようとせず、己の弱さを決して俺達に見せようとはしなかった。

 強い人だ。

 その強さで色々我慢し過ぎて壊れてしまわないか少し心配でもあったが、そこはエル婆が一緒に酒を飲んで上手く毒抜きをしたと言っていたから、ある程度は大丈夫だろう。

 さすが年長者。

 俺じゃ気心知れたステラ相手でもなければできない事をさらっとやってのける。

 その割には、最近ルベルトさんがエル婆を避けてる気がするのが不思議だが。

 

「……こんな私が言えた義理ではないのでしょうが、ブレイドを頼みます」

 

 俺がルベルトさんの心情を心配するのを余所に、ルベルトさんはステラに、というより俺達全員に向けて頭を下げ、ブレイドの事を頼み込んだ。

 俺達の視線は自然とリンに向かう。 

 

「任せてください! ブレイド様の事は、全身全霊でお支えします!」

 

 リンは、しっかりとした強い意志を持った目で、ルベルトさんの言葉に頷いた。

 頼りになると、素直にそう思う。

 

「まあ、俺もやれるだけやってみますよ」

「私も頑張ります。なんだかんだで、ブレイドは仲間ですから」

 

 俺とステラも、リンの意気込みには及ばないが、それでも何とか頑張ってみる事を告げる。

 ステラの言う通り、ブレイドは仲間だ。

 それに、同じく力不足で悩んでいたレストを救えなかった分まで、ブレイドの事を助けてやりたいって気持ちもある。

 少なくとも、見捨てる理由は一つもない。

 

「頼りになる若者達がおるというのは幸せな事じゃな、ルー坊」

「……ええ、全くです」

 

 目を瞑り、俺達の言葉を噛み締めるように頷くルベルトさん。

 この期待は裏切れないな。

 

「ま、そういう訳で、ブレ坊の事はこやつらとワシに任せておけ。なんなら、お主と同じように慰めてやってもよいぞ?」

「あれは勘弁してやってください。しばらく呪われるように夢見が悪くなりますので」

「ホッホッホ。冗談じゃ。いくらワシでも、相当信頼してる奴にしかあんな事はせんよ」

 

 そう言って、なんか俺達の知らないネタで笑い合うエル婆とルベルトさん。

 いや、ルベルトさんは大分苦い顔で苦笑してるんだが。

 エル婆が何かやらかしたのかもしれない。

 それでも、ルベルトさんの顔から険が取れてるって事は、そう悪い事でもなかったんだろう。

 

 そうして、ルベルトさんとエル婆が話し込んでいる間に、俺達は見送りに来てくれたもう一人の人物と話をした。

 

「ドッグさんも、今回はお世話になりました」

「ふん。お前に礼を言われる筋合いはない。俺は自らの使命を全うした……いや、しようとしただけだ」

 

 途中でドッグさんがシュンとなった。

 レストを救えなかった事は、この人の心にも傷としてしっかり刻み込まれている。

 それでも、ドッグさんはしっかりと前を向いていた。

 

「それよりも、勇者様方にバネッサとヒューバートの二人から伝言があります」

 

 バネッサとヒューバートとは、あの斧使いの女と中年魔法使いの事だ。

 意識を取り戻した事は聞いたが、俺達との直接の関わりはないから、話をする機会もなかった。

 その二人から伝言?

 なんだろうか?

 

「あいつらは、レストの事を恨んでいないそうです。むしろ、その健闘に心から尊敬の意を示すと」

「「「ッ!」」」

 

 その言葉を聞いて、俺達は息を飲んだ。

 何か、胸にくるものがある。

 

「あいつらは、魔族に操られていた時の事を覚えているそうです。とても抗えないような強大な力に無理矢理体を動かされる感覚と言っていました。それに抗い、人としての道を貫き通したレストを尊敬する。そして、彼の健闘と勇者様方の尽力により助けられた事に感謝を。……との事です」

 

 「無論」と、ドッグさんは言葉を繋げる。

 

「感謝しているのは二人だけではありません。これは私も含めた騎士兵士一同共通の想い。レストに伝えられなかった分、他の者達がここに来れなかった分、私が代表して言わせて頂きます。━━勇者様方、我々を助けてくださり、本当にありがとうございました!」

 

 そう言って、深々と頭を下げるドッグさん。

 その姿を見て、その感謝の言葉を聞いて、なんだか報われたような気がした。

 俺達だけじゃなく、何よりもレストの頑張りが、報われてくれたような気がした。

 

 今回の戦いは俺達の負けだ。

 レストを喪い、多くの人命を喪い、この街からは人が離れて衰退するだろう。

 得るものはなく、苦い後味ばかりが残った敗戦。

 それでも、レストの頑張りは無駄じゃなかった。

 失ったものはあったが、同時に守れたものも確かにあった。

 

 その事を実感して、鼻の奥がツンとする。

 ステラとリンは涙ぐみ、すぐ近くではルベルトさんも同じ顔をしていた。

 そんな俺達を慈愛の目で見るエル婆。

 ブレイドが気絶してるのが悔やまれる。

 あいつこそが今の話を一番聞かなければならない奴だろうに。

 起きたら必ず伝えよう。

 

「さて、いつまでもしんみりしている訳にもいかん。出発するぞ!」

 

 エル婆の鶴の一声により、俺達はしんみりとした空気を振り払い、前に向かって歩みを進めた。

 リンとエル婆が馬車に乗り込み、俺とステラが御者台に座る。

 手綱を操り、勇者パーティーが誇る二頭の駿馬を発進させた。

 

「ルベルトさん、ドッグさん、お元気で!」

「勇者様方も、ご武運を」

「小僧! 貴様もせいぜい勇者様の足を引っ張らないようにしろよ!」

「言われるまでもありませんよ」

 

 二人と最後の挨拶を済ませ、俺達はこのジャムールの街を出発するべく馬車を進める。

 街の中を進み、まずは門に向かって馬車は進む。

 その途中で、結構な荷物を背負った人達が、乗合馬車のある門の方へと向かうのが見えた。

 多分、今回の一件でこの街に居るのが怖くなって、もっと後方の街へ移住しようとしてる人達だろう。

 

 その判断は正しい。

 いくら英雄達に守られてるとはいえ、今回みたいな事がまた起こらないとは限らない。

 それだけ魔王軍は強い。

 

 だが、人が居なくなれば街は衰退する。

 最前線を支えるこの街が衰退すれば、少なからず戦争の行く末に影響を及ぼすだろう。

 逃げるのが正しいというのは、あくまでも個人レベルでの話だ。

 人類全体レベルで見ると、また話が変わってくる。

 

 ただ、そんな話を戦う力も覚悟もない一般人に求めるのはお門違いだ。

 人類全体よりもステラを優先してる俺に彼らを責める資格はないし、責めるつもりもない。

 しかし、わかってはいても歯痒くはなる。

 これが俺達の敗戦の結果だと思えば尚更に。

 

 だが、そんな暗い雰囲気に包まれる街に、突如、場違いに明るい声が響き渡った。

 

「らっしゃい、らっしゃい! 安いよ、安いよ!」

 

 それは、露店の呼び込みの声だった。

 ふと声の方を見れば、そこには見た事のある顔が。

 思わず隣のステラと顔を合わせ、馬車を止めてしまった。

 

「どうした?」

「すまん、ちょっとだけ寄り道してもいいか?」

「む? 別に構わんが」

 

 エル婆の許しを得て、俺とステラは御者台から降りて露店の方に向かう。

 そこでは、一人のおっさんが元気に野菜を売っていた。

 買い出しデートの時に立ち寄った、あの八百屋のおっさんだった。

 

「おっさん!」

「おじさん!」

「お! この前のカップルじゃねぇか! 今日も野菜買ってくかい?」

 

 おっさんは、びっくりするくらい前と変わらなかった。

 あんな事があった後なのに。

 なんなら、この人も操られて正気を無くしてるのをガッツリ目撃した覚えがあるのに。

 前と変わらず元気な声で野菜を売っている。

 

「……いいんですか? おじさんは逃げなくて」

 

 ステラが思わずといった感じで問い掛けた。

 その質問に、おっさんは毅然と笑いながら答える。

 

「おう! 俺はこの街が好きだからな!」

 

 なんて事ないように言うおっさん。

 それから、おっさんは少し真剣な目になって、

 

「それによ、皆が皆この街から出ていく訳じゃねぇんだ。逃げる当ても金もねぇ奴らだって多い。俺みたいな奴まで出て行ったら、残った奴らが困っちまうだろ?」

 

 おっさん、あんたは聖人か。

 

「あと、この街があんまり寂れちまったら、たまに休みに来る砦の人達が気持ちよく休めねぇ。確かに魔族は怖ぇ。でも、英雄様達も兵士の連中も精一杯俺達を守ってくれたんだ。あれだけの戦いがあった割に死んだ奴は少ねぇしな。なら、少しでもこの街の為に働いて、少しでもあの人達を支えて恩返しするのが人の道ってもんだろうよ! ……って、なんでちょっと泣いてんだ嬢ちゃん?」

「いえ、ちょっと感動して……」

「なんだなんだ! 照れるじゃねぇか!」

 

 ステラが思わず涙ぐんでいたが、俺も気持ちはわかる。

 ここにもあったのだ。

 レストが命懸けで守ったものが。

 やっぱり、あいつの頑張りは無駄なんかじゃなかった。

 そう思えば、涙くらい出る。

 

「おっさん、あんた教会の回し者じゃないよな?」

「俺が聖人だって言いてぇのか? よせよせ! 俺みてぇな奴は他にもいるんだ。誉めたって野菜を安くしてやる事くれぇしかできねぇぞ!」

 

 そうして気を良くしたおっさんに、今回は気持ちばかりの応援という事で少し多めに金を払って、結構な量のリンゴを買った。

 それを持って馬車に戻り、リンとエル婆に今の話をしながら皆でリンゴを齧る。

 ついでに、こいつらも仲間って事で馬達にも食わせた。

 ますますブレイドが気絶してるの残念でならない。

 

 リンゴを食べ終え、かなりの元気を充填した後、俺は手綱を操って馬車を再発進させる。

 旅はまだまだ終わらない。

 敗北しようとも、心に消えない傷を負おうとも、戦う意志が折れない限り、俺達は立ち上がって前に進み続ける。

 いつか魔王を倒し、平和な時代を勝ち取るまで。

 

 さあ、行こう。

 倒れた奴の想いも、支えてくれる人達の想いも連れて、未来へ。




第三章 終


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第四章
65 山登り


 ルベルトさん達と別れて街を出てから一週間後。

 俺達は無事に目的地であるドワーフの里がある秘境、天界山脈へと辿り着き、一晩休んで次の日の早朝から山登りを開始した。

 晴れ渡る空。

 澄んだ空気。

 眼下を見下ろせば絶景が広がる山の中腹。

 

「ふんぬぅうううう!」

 

 そんな場所に、うるさい男の声が木霊した。

 その声の主の名は『剣聖』ブレイド・バルキリアス。

 いつもは身の丈以上の巨剣を担いでいるブレイドだが、今日はその大剣を背中に背負い、別の物を担いでこの山を登っている。

 

 ブレイドが今担いでいる物。

 それは俺達勇者パーティーをここまで連れて来てくれた旅の友。

 俺達全員を乗せても余裕のある、大型の馬車であった。

 ブレイドは既に、この馬車を数時間ぶっ続けで背負い続けている。

 

「……あの、そろそろ休憩しませんか?」

「まだだ! 俺はまだ行ける!」

 

 リンが心配しながら言い出した言葉に対して、ブレイドはどう考えても使いどころはここじゃないだろう熱血なセリフで返す。

 ブレイド以外のパーティー全員が微妙な顔をした。

 

 ……早まったかもな。

 修行の一環という事にしてやらせてみた馬車運びだったが、まさかここまでのめり込むとは思わなかった。

 恵まれた体格と筋肉量によって、他の聖戦士と比べても一際強大な怪力を持つブレイド。

 その力をもってすれば、馬車を担いで山を登るくらいは容易い。

 だからこそ、表向きは体作りの為の筋トレとして。

 真の狙いは、修行中毒と化しているブレイドを少し休ませる為に。

 本人にとっては大した負担にならない馬車運びをやらせてたんだが、こんなに疲弊するまで休まないんじゃ大して意味がない。

 しかも、

 

「あ、魔物」

「任せろ! ハァアア!」

 

 山脈に生息する魔物が俺達の前に姿を現し、それをステラが発見したと同時に、ブレイドは器用に馬車を片手持ちに切り替え、もう片方の手で背中の大剣を抜き、一瞬で魔物に接近して切り捨てた。

 さっきから、ずっとこれだ。

 どんな魔物が相手でも毎回ブレイドが相手をし、しかも毎回全力で倒しに行くから、馬車運びと合わせて数時間程度でスタミナが切れかけている。

 

 だったら、ブレイド以外の奴が魔物を倒せばいいと思うだろうが、そうすると今度はブレイドの精神が不安定になるのだ。

 どうやら、奴は修行によって自分の体をイジメる事と、魔物を倒す事によって何とか精神安定を図っているらしい。

 中々に深刻な状態だ。

 どうしたものか。

 

「ハルルルルル……!」

 

 そんな悩みを抱えた俺達の前に、また新しい魔物が現れた。

 体長2メートル程の獅子の魔物だ。

 魔物としては小型な方だが、感じる圧力は強い。

 

 ああ、こいつは油断していい相手じゃないな。

 この天界山脈、何を隠そう山頂の方は迷宮なのだ。

 迷宮に引き寄せられて多くの魔物が集まり、その中には上位竜クラスの、魔族を超える力を持つ魔物もいる。

 さすがにあそこまでの化け物は早々出て来ないが、その1~2ランク下の奴ならゴロゴロしてる。

 目の前のこいつも、そんな魔物の一体。

 やはり、こんな所に里を作るドワーフはおかしい。

 

「よっしゃ! こいつも俺が……」

「待て。さすがに馬車が壊れる。それに相手は一体だけじゃないぞ」

 

 この山に来る事は割とよくあったから、生息する魔物の種類と特徴は大体知ってる。

 この魔物の名前はマーダーライオ。

 単体でも強いが、その上で名前の通り群れるのが厄介だ。

 おまけに連携も上手い。

 一体がわざわざ姿を見せて注意を引き、その隙に他の奴らが横や後ろに回り込んで襲いかかるみたいな賢い戦法まで使ってくる。

 群れの規模によっては英雄ですら手を焼くレベルの魔物だ。

 

 今だって俺達がブレイド以外隙を見せていないから飛び掛かってこないのであって、岩の影からは無数の魔物の気配が虎視眈々とこっちの隙を伺っているのを感じる。

 まあ、余裕のないブレイド以外の全員にバレてる時点で、勇者パーティーにとっては大した脅威じゃないんだがな。

 

 さて、こういう手合はエル婆の魔法で一掃するのが一番簡単で手っ取り早いが……。

 そう思ってチラリとエル婆の方を見るも、エル婆は肩を竦めて首を横に振った。

 ……仕方ないか。

 

「やるなら馬車置いてやれよ」

「おうよ!」

 

 ブレイドが馬車をそっと地面に置き、目の前の一体に向けて突撃していった。

 今は暴れさせて発散させるしかないらしい。

 早いところ根本的な解決を図りたいんだが、正直俺にはどうしたらいいのか本気でわからないから困ってる。

 

 肉体言語でわかり合えたレストの時より深刻だ。

 レストにしたような事をブレイドにしても、こいつは己の無力を嘆いて、焦って、更に追い詰められていくだけ。

 何の意味もないどころか、完全に逆効果にしかならない。

 そして、ブレイドとの付き合いが短く、こいつの事をそこまでよく知らない俺に、肉体言語以外でブレイドを諭す事は不可能。

 

 この時点で、俺にできる事はほぼない。

 だからと言って無視を決め込む程薄情なつもりもないので、こうして色々と考えてはいるが、良案は浮かばず。

 無理なものは無理という言葉がある。

 俺はその言葉を徹底的に否定してきた口だが、やはりそんな言葉があるという事は、無理なものを無理じゃなくするのはそう簡単な事ではないという事だ。

 そうなると、俺以外の誰かに何とかしてもらうしかないんだが……。

 

 そんな事を思いつつ、俺は他のパーティーメンバーに目を向ける。

 一番希望があるのは、やはりルベルトさんに向かって「任せてください!」と啖呵を切ったリンだろう。

 しかし、あいつは現在、ブレイドに献身の悉くを無視され、大分疲れた顔になってきていた。

 今も悲しそうな顔で俯いて、ステラに背中を撫でられている。

 

 不甲斐ないとは言うまい。

 実際、あいつはよくやっていた。

 老人介護もかくやというレベルでブレイドに尽くしていた。

 悪いのは、あれだけ世話になっておいて、全くリンを省みないブレイドの方だ。

 今のあいつにそんな余裕がない事はわかってるが、それを差し引いてもブレイドを責めたくなる。

 無事立ち直れた暁には、ここ最近の事を何十年にも渡ってネチネチ言い続け、一生リンに頭が上がらないようにしてやろう。

 せいぜい、生涯リンの尻に敷かれるがいい。

 

 俺が心の中でそんな呪詛を吐いてる内に、ブレイドは目の前のマーダーライオ一体を討伐していた。

 しかし、勝利の直後の油断した瞬間を狙って、隠れていたマーダーライオ達が一斉にブレイドに襲いかかる。

 奴らの厄介な所の一つだ。

 群れ全体の為なら、一体や二体を捨て駒にするような戦法を平然と使ってくる。

 

 しかし、事前に俺の言葉で隠れてる奴らの存在を知っていたブレイドに隙はない。

 それに、なんだかんだ言ってもブレイドは剣聖。

 マーダーライオ達とは地力が違う。

 疲れきっていようが、メンタルが不安定になっていようが、そう簡単に負けはしない。

 

 そう判断して傍観に徹していたら、突如、ブレイドのものではない遠距離からの攻撃で、マーダーライオ一体の頭が爆ぜた。

 

「は!?」

「突撃じゃオラァ!」

「「「うぉおおおおお!!!」」」

 

 ブレイドが驚きの声を上げると同時に、山の上の方から現れたずんぐりとした体格のおっさん集団が、奇抜な形状をした様々な武器を手にマーダーライオの群れに襲いかかる。

 ああ、今日はそういう日だったか。

 俺は咄嗟に助太刀しようとしたステラの肩に手を置いてそっと止めた。

 あれは邪魔すると後がめんどくさい。

 

「スマッシャー!」

 

 ある者は、金属で出来た巨大な義手みたいな物で殴りかかり、マーダーライオがそれを迎撃すれば、接触した瞬間に義手自体が大爆発を起こした。

 その一撃でマーダーライオは動かなくなったが、義手の方も爆発に耐えられずにぶっ壊れる。

 

赤熱剣(ヒートブレード)!」

 

 またある者は、赤熱する刀身を持った刀でマーダーライオに斬りかかった。

 炎、いや熱の魔剣か。

 しかも、恐らくは普通の魔剣ではなく人工物。

 残念ながら使い手の技量のせいでマーダーライオには避けられたが、魔剣は空振った一撃でその辺にあった大岩を容易く溶断してみせた。

 凄い威力。

 だが、この魔剣も自らの熱に耐えきれず、一度振るっただけで溶けて壊れる。

 

聖光線(ライトレーザー)ァアア!」

 

 次の奴は、やたらゴツい杖(?)を抱えるように持ち、その杖から光線をぶっ放つ。

 さっき、遠距離からマーダーライオを撃ち抜いた攻撃だ。

 あの光線、威力は遥かに劣るが、ステラやエル婆がたまに使う単発の光魔法に似てる。

 という事は、あの杖(?)は光の魔法を内蔵した魔道具か。

 

 魔力を込めれば特定の魔法を放つ魔道具はそこら中で売ってるし、なんなら俺の実家の風呂とかも火と水の魔道具を使って沸かしてたが、マーダーライオクラスの魔物を一撃で倒せる程の魔法を放てる魔道具なんて見た事がない。

 同じ戦果を出した金属の義手といい、大岩を両断した熱の魔剣といい、あの変態職人ども、またとんでもない物を作りやがったな。

 もっとも、この光の魔道具も使えるのは二回までなのか、撃った瞬間にボンッ! ってなって壊れたが。

 

「「「うおらぁあああああ!!!」」」

 

 他の奴らも、何度か使えば壊れるユニークな武器や、魔改造マジックアイテムなどで、次々とマーダーライオの群れを討伐していく。

 完全に獲物を奪われたブレイドは呆然としていた。

 突然の展開にステラとリンも目を丸くしている。

 エル婆はこの変態どもの事をそこそこ知っているのか、苦笑するだけ。

 俺は久しぶりに見た天界山脈の風物詩のような光景に、若干の懐かしさを覚えていた。

 

「お、おい……」

「ちっ! やっぱり、まだ関節部の作り込みが甘ぇか!」

「刀身の強度が足りぬ。もっと熱に強い合金を作らねば……」

「うっしゃあ! 二回撃てたのは進歩だぜ! やっぱ、この方針で間違ってなかったんだ!」

 

 何か言おうとしたブレイドを完全無視して、おっさん集団は揃いも揃って自らの武器を弄るのに夢中になり、自分の世界にトリップする。

 中には武器に頬擦りしたりキスしたりして恍惚の笑みを浮かべる変態もいた。

 この危険地帯で、周囲への警戒とかをまるで考えていない。

 ある意味凄いが、絶対に真似してはいけない、この人達の悪癖だ。

 

「……ねぇ、あれ大丈夫なの?」

「大丈夫じゃないな」

 

 あまりの無警戒っぷりを心配したらしいステラの言葉にそう返す。

 実際、俺達がいなければ、あの人達は冗談抜きで命の危機だった筈だ。

 いつもなら護衛役の人が一緒にいるんだが、今回は何故か姿が見えない。

 それでも、あの人達は武器弄りをやめない。

 やめられない。

 それが魂に染み付いた本能なのだと言わんばかりに。

 

 そんな無防備な餌を狙う狩人は当然現れる。

 

「うぉおお!?」

 

 その攻撃に反応したのはブレイドだった。

 無防備な変態どもに向けて振るわれた魔物の爪を大剣で受け流し、その魔物と対峙する。

 そいつは、マーダーライオの最後の一体だった。

 ただし、他の奴らとはまるで違う。

 傷だらけの体を覆う体毛は、普通のマーダーライオの黄色っぽい色とは違って純白。

 体格も二回りは大きく、感じる威圧感は二回りどころではなく強い。

 

 間違いなく、群れのボス個体。

 それも歴戦の風格を持った強敵。

 恐らく、強さの格としては上位竜に匹敵するだろう。

 ここまでの化け物は早々出てこないと言ったが前言撤回。

 普通に出てきた。

 やっぱり、この山は魔境だ。



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66 アイアンドワーフ

「ねぇ、あれは洒落にならないんじゃない!?」

「洒落にならないな」

 

 ステラの言葉にそう返しつつ、俺達は既にブレイドと変態どもを守れる位置に移動している。

 だが、目の前のマーダーライオに手を出す事はしない。

 俺が視線で止めてるからだ。

 何故かと言えば、ブレイドと変態どもがやる気満々だから。

 

「おお! 壮年(オールド)級じゃねぇか! いい素材が取れそうだ!」

「秘密兵器の実験台にも丁度いいぜ!」

「ヒャッハー! 獅子狩りの時間だぁ!」

「待ちやがれ! あいつは俺の獲物だぁ!」

 

 猛る変態ども。

 そこに自然と交ざるブレイド。

 楽しそうだな、おい。

 さっきまでの危うげな雰囲気はどこへやら。

 今のブレイドに必要なのは、献身的な美少女ではなく、一緒に暴れてくれる変態なおっさんどもだった……?

 

「行くぜ、オラァ!」

 

 先陣切って突っ込むブレイド。

 しかし、疲労のせいで、いつもより動きが鈍い。

 上位竜クラスは、万全の状態の聖戦士ですらそれなりに手こずる強敵。

 今のブレイドだと、勝率は五分五分ってところか。

 危なくなったら助けてやるが、そうしたらまた精神があれな事になるんだろうから、できれば自力で勝ってほしい。

 ステラの隣でハラハラしてるリンの為にも。

 

「野郎に美味しい所を持って行かせるな! 秘密兵器用意!」

「「「おう!」」」

 

 そんなブレイドに負けるものかと、変態どもの何人かが持っていたマジックバックと思われる袋の中から何かを取り出していく。

 なんだあれ?

 巨大な金属の塊?

 棒のように細長いやつから、樽のように太いやつまで色々とあるが、本気で使用用途がわからない。

 

「なんとまあ……」

 

 しかし、エル婆がそれを見て、感心したような呆れたような声を出していたので、恐らく魔法関連の何かなのだろう。

 それも呆れられるくらい奇抜な。

 まあ、あの変態どもの作品なら奇抜な事だけは確かか。

 まともな作品なんて、客からの依頼でもなければ作らないからな。

 

「さあ頼むぜ、エマ!」

「はーい!」

 

 そして、次に変態どもが取り出したのは……幼女だった。

 何の力強さも感じない、もちろん加護持ちでもない、そこら辺に居そうな5~6歳くらいの普通の幼女だった。

 変態どものインパクトに隠れて、今の今まで居た事に気づかなかったくらいには普通の。

 

 あまりの光景に一瞬思考が停止した。

 脳が再起動した時に思った事は一つ。

 あの変態ども、遂に幼女に手を出しやがった!?

 

「え!? 女の子!? なんで!?」

「女の子? って、えぇ!? あんなちっちゃい子がなんでこんな所に!? あれダメですよね!? ダメですよね!?」

「落ち着くのじゃ二人とも。とりあえず落ち着いて奴らを処すぞ」

 

 予想外の事態に、ブレイドにしか目の行っていなかったリンも含めて、女子三人衆が混乱し始めた。

 特にエル婆は殺気すら放っている。

 同じ幼女枠として、幼女を安易に危険に晒す連中が許せないのかもしれない。

 処すとか言ってるが、止める気も湧かない。

 俺だってこれはアウトだと思う。

 存分にやってくれ。

 

 そうして、エル婆が変態どもを処している間に、なんと幼女が魔法の詠唱を始めた。

 

「まどうのことわりのいっかくをつかさどるつちのせいれいよ! つちくれにいのちをやどし、かたちをあたえ、わがてきにたちむかうせんしをうみだせ! ━━『土人形作成(クリエイトゴーレム)』!」

 

 言葉の意味もわからずに丸暗記したかのような拙い詠唱。

 それによって発動される魔法も、当然拙い。

 子供の頃のステラやリンみたいな大天才とは違う、昔の俺の治癒魔法のような年齢相応の魔法。

 しかし、魔法自体が拙くても、それが齎した効果は絶大だった。

 

「は?」

「えぇ!?」

「な、なんですかこれ!?」

 

 俺も含めて、事前に察してたっぽいエル婆と、必死で剣を振ってるブレイド以外の全員が驚いた。

 思わずブレイドに気を配る事も忘れてポカーンとしてしまった。

 幼女の魔法によって、さっき変態どもが取り出したいくつもの金属の塊が、まるで命を宿したかのように動き始める。

 そして、ガキンガキンという音を立てながら全てが一つに合体して、巨大な金属製のゴーレムが出来上がったのだ。

 樽のような胴体に対して、不相応に細い手足がくっついた子供の玩具みたいな不恰好な見た目だったが、見ていると何故かテンションが上がる。

 俺の中の少年の心みたいなものが、理屈抜きであれはカッコ良いと訴えかけてくる。

 

  ちなみに、ゴーレムとは魔法で土とか岩とかを操って作る人形のことだ。

 魔物としてのゴーレムもいるが、あっちは迷宮で生まれるゾンビの親戚みたいなやつなので今は関係ない。

 

「見たか! これが俺達の作り上げた秘密兵器! 『超鉄人』アイアンドワーフだ!」

 

 こんなもんを作り上げた変態の一人が、エル婆の腰の入ったストレートパンチによって顔を腫らしながらも、堂々としたドヤ顔で宣言する。

 アイアンドワーフ。

 安直すぎるダサい名前の筈なのに、やっぱりカッコ良く見えて仕方がない。

 なんだ、この胸の高鳴りは!

 

「行っけー! やっつけちゃえー!」

 

 これを魔法で操作してると思われる幼女の命令に従い、アイアンドワーフが動き出す。

 こいつの全長は約5メートル。

 対峙するマーダーライオよりもデカい。

 ただ、デカい上に金属製で重いのが災いしてるらしく、動きは滅茶苦茶遅い。

 今もマーダーライオに殴りかかったが、あっさりと避けられてしまった。

 おまけに、カウンターの爪で胴体を引き裂かれる。

 

「ふん! そんな攻撃で、俺達のアイアンドワーフを倒せると思うな!」

 

 しかし、変態どもの言う通り、驚いた事に損傷は軽微だった。

 いくら軽めの攻撃だったとはいえ、上位竜クラスの魔物に一撃食らってあの程度のダメージというのは驚異的だ。

 本当にとんでもないもん作りやがったな。

 製作にどれだけの技術と時間と貴重な素材を費やしてるのかわかったもんじゃない。

 そこにロマンがあるような気もするが、エル婆が呆れるのもわかる。

 

「えい! えい! あれ?」

 

 しかし、アイアンドワーフがどれだけ優れていようとも、操ってるのは幼女だ。

 戦いの経験なんてまるでないのだろう。

 デタラメに振り回される拳は一発も当たらず、逆に共に戦っているブレイドの動きを邪魔してしまう始末。

 尚、ブレイドは戦いを邪魔された苛立ちよりも、ようやくアイアンドワーフが視界に入った事による驚愕が勝ってるみたいだから問題ない。

 

「むー!」

「落ち着けエマ! 左腕を使うんだ!」

「あ、そっか! これでどうだー!」

 

 変態の指示により、幼女の操るアイアンドワーフの動きが変わる。

 足を止めて左腕を前に突き出し……なんと左腕が変形して、中心に穴の空いた妙な形の杖の束みたいな不思議な形に変わった。

 その杖の先はマーダーライオに向いている。

 

「特製土魔法ガトリングでい!」

「蓄えられた魔力の限り生成される鉛弾の雨を食らえい!」

「はっしゃー!」

 

 ガトリングと言うらしい杖の束が回転し、そこから土魔法の鉄弾(スティールショット)に似た弾丸が超高速で、しかもかなりの数が連続で吐き出される。

 ああ、なるほど。

 一本の杖が組み込まれた魔法を発動して弾丸を飛ばしてる間に、他の杖は時間差で発動準備を進めて、それを順番に撃つ事であれだけの連射を可能にしてるのか。

 よくもまあ、こんなアイディアを思いつくもんだ。

 これがあれば、大抵の魔物は群れで来てもひき肉にできるだろう。

 

「凄いな」

「いや、でも、なんでわざわざ変形させてまであのゴーレムに装着する必要があるのよ?」

「普通に誰かが手で持てばいいような気はしますよね」

「大方あの鈍重さを補う為の武装なのじゃろうが、それなら飾りにしか見えぬ頭の代わりに頭部にでも付けて、両腕を自由にした方がいいじゃろうな。少なくとも変形は絶対にいらぬ」

「……確かに」

 

 女子三人の冷静な指摘で我に返ってしまった。

 しかも、残念な事に、ガトリングは目の前の魔物に全く通用していない。

 マーダーライオはガトリングの射線を完全に見切って躱している。

 これは純粋に相手が悪いな。

 上位竜クラスは伊達じゃないという事だ。

 

「いや、よくやった!」

 

 しかし、マーダーライオがアイアンドワーフに意識を割いた事で、ブレイドのみを注視していられなくなり、結果、同格の敵を前に隙を晒す事となった。

 ブレイドが嬉々として攻勢に移る。

 ……あいつ、俺達が手を貸すと不機嫌になるくせに、今は純粋に援護射撃に感謝してやがる。

 なんなんだ。

 何が違うんだ。

 巨大兵器だからか?

 巨大兵器だからなのか?

 もうあいつ、この山に置いて行ってやろうか。

 

「『飛翔剣』!」

 

 ブレイドの大剣から放たれる飛翔する斬撃。

 ガトリングと斬撃に挟まれ、回避に手一杯となったマーダーライオに向かって、ブレイドは大きく踏み込んで距離を詰める。

 飛ぶ斬撃を牽制に使って体勢を崩した事で、今のマーダーライオはかなり不安定な姿勢だ。

 

「ガァアア!」

 

 強者の意地か、マーダーライオはその状態からでも無理矢理体を捻って爪を振るい、そこからブレイドの飛ぶ斬撃と同じ飛ぶ爪撃を放って迎撃しようとするも、ブレイドはここ最近学んできた受け流しの剣を上手く使い、突撃の速度を全く落とさずに対処してみせた。

 おい、それいくら教えても上手く使えなくて、散々苦労してきたやつじゃねぇか。

 このタイミングで使えるようになるんかい。

 ……マジでこの山に置いて行った方があいつの為なんじゃないかと思えてきた。

 

「オルァアアア! 『破壊剣』!」

「ガァッ!?」

 

 ブレイドの渾身の一撃がヒットし、マーダーライオの左前足が切断されて宙を舞う。

 だが、マーダーライオは残った右前足を地面に叩きつけて土煙を起こし、それを目眩ましにして距離を取った。

 そうして態勢を立て直し、遠くから殺意に染まった目でこっちを睨み付ける。

 

 ああ、あれは逃げられないと察してる目だな。

 足一本失ったマーダーライオでは、ブレイドとアイアンドワーフのコンビから逃げ切る事はできない。

 万が一ブレイド達をどうにかできたとしても、この場にはブレイド以上の戦力である俺やステラ達が、いつでも参戦できるように万全の状態で控えている。

 

 逃げる事は不可能。

 なら、突撃して無理矢理にでも活路を開くしかない。

 今のマーダーライオは退路を断たれた手負いの獣だ。

 死に物狂いで向かってくる奴が一番怖い。

 それはブレイドもわかってるので、睨み合う両者の間にこれまでとは比較にならない緊迫感が漂った。

 その雰囲気に飲まれて幼女が怖がり、アイアンドワーフが動きを止める。

 

 両者動かず、一瞬の静寂が発生。

 

「ガァアアアアアア!!!」

 

 それを破ったのはマーダーライオ。

 残る三足に力を込め、捨て身の攻撃態勢に入った。

 迎え撃つブレイドも大剣を握る手に力が入り、幼女はぐずり出し、今、最後の攻防が始ま……

 

 

「何やってんすか、この大バカ野郎ども!」

 

 

 ……ろうとした瞬間、遠距離から駆けつけてきた一人の女が、手に持った巨大な戦鎚で、有無を言わさずマーダーライオの頭を叩き潰した。

 部外者によって齎された突然の決着。

 それに納得できなかったのか、変態どもが大ブーイングを飛ばす。

 

「てめぇ、イミナ! これからって所で乱入してんじゃねぇよ!」

「まだアイアンドワーフの活躍見てねぇんだぞ! 剣士の小僧に美味しい所全部持ってかれたまま終わっちまったじゃねぇか!」

「しかも、せっかくの壮年(オールド)級の頭潰しやがって! あれ牙とか全部折れてるだろ! 素材が台無しだ!」

「やかましいっすよバカども! 試し打ちの日すら待てずに先走った考えなしの分際で文句垂れるなっす!」

 

 口喧嘩を始める変態と乱入者。

 呆然とするブレイド。

 そんなブレイドの傷を治す為に駆け寄るリンと、静観する俺達。

 泣き出す幼女。

 放置されたアイアンドワーフ。

 場はますます混沌としてきた。

 

「うわーん! イミナお姉ちゃん、怖かったよー!」

「ああ!? 大丈夫っすか、エマ!? 可哀想に! バカどもの口車に乗せられちゃったんすね! もう大丈夫っすよ!」

 

 乱入者の胸に飛び込んで大泣きする幼女。

 さすがに、それを見たら如何に変態と言えども良心の呵責を覚えたのか、気まずそうな顔して文句を垂れ流していた口を閉ざし、アイアンドワーフの回収と、マーダーライオの解体に向かった。

 こんな状況でも解体に向かう辺り、筋金入りだな。

 知ってたが。

 

 そうして、なんとか場が落ち着いてきた頃に、俺は乱入者の女性に話し掛けた。

 

「イミナさん、お久しぶりです」

「ん? おお、アランじゃないっすか! ちょっと見ない間にまたデカくなったっす!」

「わぷ」

 

 乱入者の女性こと、イミナさんは肩を組んできたと思ったら、そのままヘッドロックに移行し、俺の頭を脇に挟んでワシャワシャと撫で始めた。

 胸が当たるし、暑苦しいからやめてほしい。

 すぐに抜けようとしたが、その前にステラが神速でやって来て、イミナさんの手を解いてくれた。

 ただし、額に青筋が浮かんでいる。

 ああ、面倒な事になりそうな予感。

 

「およよ?」

「アラン、この人知り合い?」

「あ、ああ。この人は『鎚聖』イミナさん。ドワーフの里族長のお孫さんだ」

 

 紹介されたイミナさんは目をパチクリとさせた後、俺とステラを交互に見て、何かを察したかのようにニヤァという嫌な笑みを浮かべた。

 平時のリンやエル婆にそっくりな笑みを。

 ああ、面倒な事になった。



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67 ドワーフの里

「いやー、アラン達がいてくれてホント助かったっす! あのバカども、今回は自信作が出来たからって、恒例の試し撃ちの日を待てずに先走ったみたいなんすよねー。そんな自業自得な連中はともかく、唆されて連れてかれたエマに何かあったら取り返しがつかないっすから」

 

 泣き疲れて眠った幼女を片手で抱き上げながら前を歩くイミナさん。

 その後ろに俺とステラ。

 更に後ろに、幼女が寝てしまった事で解体できなくなったアイアンドワーフを全員がかりで押す変態達が続く。

 ブレイドは戦いが不完全燃焼で終わったせいで動き足りないのか、馬車を片手で持ち上げながら、もう片方の手でアイアンドワーフを押して変態達の手伝いをしていた。

 気が合うのか何なのか、アイアンドワーフと共に戦った感想を求められて絡まれ、お気に召さない返事をして楽しそうに罵り合う声がこっちまで聞こえてくる。

 リンはそんなブレイドの付き添いだ。

 エル婆はフードを深く被って存在感を消している。

 どうも、ドワーフの職人とエルフはそりが合わないみたいだからな。

 ドワーフ側が一方的に嫌ってるだけらしいが。

 

「いえ、たまたま近くに居ただけですから」

 

 イミナさんの言葉に無難に返す。

 だが、こんな無難な会話を選んでるというのに、隣の勇者はさっきからジトッとした目で俺とイミナさんを見続けていた。

 

「アハハ! そんな目しなくても大丈夫っすよ。アタシこう見えて50越えてるし、ガキンチョに興味はないっす。だから安心するといいっすよ、アランの彼女ちゃん!」

「……なら、いいです」

 

 まだ若干納得してなさそうな顔しながらも、ちょっとホッとした様子でイミナさんの言葉を受け入れるステラ。

 おいバカ!?

 そんな態度取ったら……!?

 

「おお! 彼女である事を否定しない! アラン、遂にやったんすね! いやー、初めて会った時はあんなちっちゃかったチビッ子が遂に男に……感慨深いっすわー」

「違うわ! まだ何もしてないからな!?」

 

 思わず敬語が取れる勢いで否定した。

 すると、イミナさんは理解できない生物でも見るような目をしながら「は?」と呟き、次の瞬間には、さっきのステラを遥かに越えるジト目で俺を睨んだ。

 

「まさか、ヘタレて告白できてないんすか? 爺に何度叩き出されても全くめげず、最終的にはあの頑固一徹偏屈爺に「ガキに武器は作らねぇ」とかいう流儀をねじ曲げさせてみせたアランともあろう者が、まさかの恋愛面ヘタレっすか? 昔から彼女ちゃんの事、あんなに大好き大好き言ってたくせに」

「イミナさん、それ詳しくお願いします」

「いいっすよー」

「勝手に記憶を捏造すんな!」

 

 そうして、捏造というか独自解釈された俺の過去エピソードをダシにあっという間に二人は仲良くなり、俺が必死にツッコミで訂正を入れてる内に目的地へと辿り着いた。

 不遜にも大自然の脅威溢れる広大な山脈の中に堂々と居を構え、山肌を削って作られた半天然の防壁に囲まれた、少ない人口の割にデカい面積を持つ隠れ里。

 山肌に直接めり込んだ正門を抜ければ、そこは……

 

「到着っと。ようこそ『ドワーフの里天界山脈集落』へ!」

 

 イミナさんがおどけたようにそう言って、大仰に頭を下げた。

 青空の下、そこら中からカンカンという金槌を振るう音が鳴り響き、家屋の内の半数くらいを占める鍛冶場から煙が上がり、幼女達が鉄製の巨人の群れと戯れる。

 そこそこ久しぶりに来たが、変わってないな。

 相変わらずの職人の里って感じの空気が里中に充満して……いや、ちょっと待て。

 なんか見慣れた風景に、見慣れない異物が混ざってたような気が。

 

「アイアンドワーフが量産されているだと……!?」

 

 しかも、一つ一つデザインが違う。

 ガラクタを組み合わせたような奴、金属ではなく岩のボディを持つ奴、製作途中で放棄されたみたいに中途半端な奴。

 そんなのが占めて十体以上。

 おまけに、ここでも幼女と一緒だ。

 なんなんだ。

 幼女と鉄人はセットにしなきゃいけない決まりでも出来たのか。

 

「ああ、あれはアイアンドワーフの失敗作の山っすね。捨てるのも勿体ないから、再利用して里の防衛戦力兼子供達のオモチャにしてるんすよ」

「防衛戦力とオモチャって兼任できるものなんですね……」

 

 ステラが唖然とした様子で呟いた。

 全面的に同意だ。

 

「あれでも元は真面目な計画として始まったんすよ? 里のまともな防衛戦力がアタシ一人じゃ大変だろうって気を回してくれた女衆が、少しでも助けになればって頭を捻って、客の誰かが報酬代わりに置いていった『土人形作成(クリエイトゴーレム)』の魔導書に目をつけたのが始まりだったっす。ほら、ウチの里って戦士はアタシしかいないけど、強い武器は余ってるから、それをゴーレムに持たせればそこそこ使える戦力になるんじゃないかって」

 

 まあ、理屈はわかるな。

 ドワーフの男は大抵が親の跡を継いで職人になり、女はそれを支えるという文化が根づいてる。

 例外は加護持ちと、伝統を嫌う跳ね返りくらいのもの。

 つまり、ドワーフには戦士になろうとする人材がいないのだ。

 

 そこでゴーレムというのは悪くない選択肢だと思う。

 イミナさんの言う通り、この里には強い武器がゴロゴロ転がってるからな。

 たまにシリウス王国の使者が買いに来る分や、この山を登ってまで強い武器を求める俺みたいな輩に売る分を差し引いても、なくなるより新しく作られる武器の方が多いだろう。

 職人達が客に売りたくないと判断して死蔵してる失敗作まで含めれば、とんでもない数になる筈だ。

 それをゴーレムに使わせて戦力にしようというのは、至極まともな案に思える。

 

「それが何をどう間違ったのか、あんな事になったんすけどね……。この話を聞きつけた一部の奇抜派職人どもが妙な事考え出したんすよ。ゴーレム作るんだったら、発動解除すれば崩れる土人形より、俺達で作ったボディを操った方がいいだろうとか言い出して、そのボディに思いついた機能を片っ端から搭載する悪乗りと暴走を続けた結果がアイアンドワーフっす。奇抜すぎて、今じゃ完全に土人形作成(クリエイトゴーレム)を覚えた女児達のオモチャっすよ。どうしてこうなったんだか」

 

 あえて言うなら、変態どもの目に留まった時点で手遅れだったんだろうな。

 まあ、今の話を聞く限り、当初の目的だった土人形作成(クリエイトゴーレム)の習得自体を邪魔されてる訳でもないみたいだし、もう気にしたら負けの精神で放置するしかないんじゃないか?

 いや、そうすると今回の幼女誘拐みたいな実害が発生するのか。

 うわ、めんどくせぇ。

 

「まあ、変態どもの所業を一々気にしてたら神経が持たないっす。あいつらは後で縛り上げて逆さ吊りの刑にでも処しとくとして、今はアラン達の歓迎を優先するっすよー。ここに来たって事は、爺に用があるんすよね?」

「ええ。ちょっと頼みたい事があって」

「よっしゃ! 口添えは任せるっす! ま、あの爺はアランの事気に入ってるし、アタシの口添えなんかいらないとは思うんすけどね」

 

 そんな頼もしいイミナさんに連れられ、名残惜しそうにするブレイドを変態どもから引き離して、目的の人物に会いに行く。

 ブレイドが本格的におっさん趣味に走りかけてるように見えるが、ひとまずその問題は棚上げしておこう。

 それに自虐に走られるよりは、そっちの道に走ってでも明るくなってくれた方がまだマシだ。

 ブレイドに憧れてたリンには悪いがな。

 

 

 そうして、久しぶりにブレイドがちょっと明るくなったものの、代わりに複雑な心境になった俺達は、イミナさんの案内で一軒の鍛冶場の前へとやって来た。

 見た目は他の鍛冶場と大して変わらない、強いて言えば他より少しデカい事くらいが個性な正統派の鍛冶場。

 だが、中に居る人物の影響なのか、外からでも少しプレッシャーを感じる。

 まるで聖神教会の本部や王城のような、この場所で無礼は許されないような荘厳な雰囲気。

 その感覚が間違いではないと証明するかのように、割とガサツな性格のイミナさんが、わざわざノックをしてから扉を開けた。

 

「爺ー! アランが彼女連れて来たっすよー!」

「だから、まだ彼女じゃねぇ!」

 

 しかし、イミナさんの一言と俺のツッコミにより、緊張感が一気に台無しになる。

 それでも、鍛冶場の奥に座るこの場所の主は、俺達の茶番に一切動じる事なく、手に持った出来立てと思われる刀を眺めたまま口を開いた。

 

「久しぶりじゃねぇか、小僧。ぞろぞろと仲間引き連れてきたって事は、念願叶ったみてぇだな」

「……いえ、まだ半分ですよ。もう半分の念願を叶える為の力を求めて、俺はまたここに来ました」

「ハッ! 違ぇねぇ。どうやら、最初の目的を遂げた程度で緩んじゃいねぇみてぇだな。安心したぜ」

 

 齢と経験を重ねた者にしか出せない、若干ルベルトさんを彷彿とさせる重厚な声で笑う老人。

 その顔には深い皺が刻まれ、頭髪や髭は真っ白に染まり、しかし未だ現役である事を示すように、戦闘とは違う分野の鍛え抜かれた筋肉を持つ老ドワーフ。

 この人こそが今回の目的の人物。

 修行時代に、俺の装備一式を調整してくれた恩人。

 その名は━━

 

「アラン以外は始めてだから紹介しとくっす。この爺はウチの集落の族長で、ドワーフ全体の族長でもある頑固一徹頭ガチガチ職人、『武神』ドヴェルク・ドワーフロードっすよ。頑固すぎて友達いないから、仲良くしてやってほしいっす」

「毎度毎度ふざけた紹介してんじゃねぇよ、バカ孫が」

「あいたっ!?」

 

 世界最高の職人と謳われる『武神』ドヴェルクさんは、いらん事言った孫娘の顔面に向けて、容赦なく金槌を投げつけた。

 ドヴェルクさんは加護持ちではない為、この程度の攻撃じゃ聖戦士であるイミナさんに大したダメージは通らない。

 それをわかっててやってる祖父と孫のじゃれ合いに俺は懐かしい気持ちになったが、仮にも女であるイミナさんの顔面を躊躇なく狙ったドヴェルクさんに、俺以外のパーティーメンバーはドン引きしたのだった。



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68 『武神』

「で、今回は何の用だ? 成長期でまた装備が体に合わなくなったか?」

「いえ、今回はこれです」

 

 俺はマジックバックから大小二本の刀を取り出す。

 ドラグバーンとの戦いで破損した、ボロボロの黒天丸と怨霊丸を。

 それを鞘から引き抜き、刀身の状態を確認したドヴェルクさんは、思いっきり顔をしかめた。

 

「随分と無茶させやがったな。そんな強ぇのと戦ったのか?」

「四天王の一人です。とんでもない強さでした」

「ふん。その調子じゃ他の装備にも負担かけてんだろ。イミナに手入れさせるから置いてけ」

「アタシっすか!?」

「よろしくお願いします」

「アタシがやるのは確定なんすか!?」

「ごちゃごちゃ言ってねぇでとっととやれ。男らしくねぇな」

「誰が男っすか! ハァ、もうわかったっすよ。用を済ませてからちゃっちゃと終わらせるっす」

 

 そうして、俺から受け取った装備を持って出ていくイミナさん。

 あの人、聖戦士で戦闘職なのに、最低限の職人仕事もできる有能なんだよな。

 自力でできる装備の手入れの仕方とかはあの人に教わった。

 ドヴェルクさんだと、やり方が高度すぎて訳わからなかったから。

 まあ、その有能さのせいで昔のリンの如くこき使われてるんだが……。

 申し訳ないと思いつつも黙ってイミナさんを見送り、俺は唯一手入れの必要なしと判断されたマジックバックからある物を取り出してドヴェルクさんに差し出した。

 

「それと、倒した四天王から回収した素材です。武器の強化に使えそうなら使ってください」

「……ほう」

 

 差し出したドラグバーンの牙、爪、骨、鱗などを見て、ドヴェルクさんの目がキラリと光った。

 こう言うと大変失礼だが、あの変態どもと同じ好奇心に満ちた目だ。

 職人というのは、誰も彼も根っこの部分は変わらないんだろう。

 表に出てくる部分によって変態認定されるだけで。

 

「こりゃまた凄ぇもん持ってきたじゃねぇか。先代やその前の時代の勇者が持ち込んできた魔王軍幹部の素材より上だ。悪くねぇ」

 

 そう言ってニヤリと笑うドヴェルクさん。

 そうか。

 ドラグバーンの素材は昔の魔王軍幹部より上なのか。

 素材の質がいいという事は、それだけ元となった奴が強いという事。

 改めて、当代魔王軍のヤバさを再確認する。

 神様が直々に歴代最悪と太鼓判を押すだけの事はあるって事だ。

 厄介な。

 だが、それも今に限ってはありがたい。

 

「いいだろう。その依頼受けてやる。久々に滾る仕事になりそうだ」

「ありがとうございます」

 

 よし。

 これで武器は大丈夫だ。

 あの変態どもと違って、ドヴェルクさんは正統派の職人。

 奇抜な改造を加えられる事もない筈。

 恐らく。多分。

 それに、これだけやる気なら、何も言わなくても早い仕事をしてくれそうだ。

 そう安堵した瞬間、

 

「で、そっちの金髪娘がおめぇの女か」

 

 唐突に話題が変わった。

 どうやら、さっきのイミナさんの発言を流した訳じゃなかったらしい。

 表情こそそんなに変わってないが、目が孫とそっくりな感じで笑ってやがる。

 あんた、そんなキャラじゃなかっただろ!?

 

「だから、まだ違……」

「はい! よろしくお願いします!」

「おい!?」

 

 ステラ!?

 お前いよいよ遠慮がなくなってきたな!?

 

「ほう。中々見所のありそうな小娘じゃねぇか。それにいい目をしてやがる。気に入った。小僧の刀を打ち直したら鎧でも作ってやろう」

「ホントですか!」

 

 おい爺。

 あんた、俺を認めるまでには一年くらいかかったくせに、ステラは一瞬かい。

 いや、良い事ではある。

 良い事ではあるんだが……あのニヤニヤとした目が理由の半分くらいを占めてそうで、なんか納得いかない。

 

「おい爺さん! だったら俺にも武器を作ってくれ!」

「あ? なんだてめぇは?」

 

 俺が何とも言えない気持ちで顔を歪めてる間に、今度はブレイドが前に出た。

 変態どもとのふれあいで多少毒気が抜けたとはいえ、依然としてあまり余裕の感じられない顔でドヴェルクさんに詰め寄る。

 

「俺はもっと強くならなくちゃならねぇんだ! 今のままじゃダメなんだよ! だから、もっと強い武器を俺に……」

「ふざけんな。帰れ腑抜け小僧」

 

 その瞬間、殺気がこの場を支配した。

 戦闘力なんて殆ど持たない筈の老人が放つ尋常ならざる殺気に、ブレイドは完全に呑まれている。

 マズイ。

 この展開は非常にマズイ。

 

「俺は俺が認めた奴にしか武器はやらねぇよ。なんでかわかるか? 武器はそれを使うに値する奴が使って初めて本来の力を発揮するからだ。ガキに業物をくれてやっても使いこなせねぇように、資格のない奴が俺の武器を使っても宝の持ち腐れなんだよ。持ち腐れになる宝をわざわざ作ってくれてやる酔狂な趣味は持ってねぇ」

「お、俺じゃあんたの武器を使いこなせないって言うのかよ!?」

「そう言ってんだよ。充分に立派な大剣(もん)背負ってるくせに、安易に他の武器に頼ろうとする腑抜けた根性が気に食わねぇ。強い武器があれば強くなれるとか勘違いも甚だしいってんだ」

 

 吐き捨てるようにそう言って、ドヴェルクさんは更に殺気を強める。

 

「おめぇ、見たとこ剣聖だろ? これまでの人生、才能にかまけて格下ばっかり相手にしてきたんじゃねぇか?」

「ッ!?」

 

 あああ、やっちまった。

 傷口を言葉のナイフで抉られたブレイドの顔色が真っ青になる。

 それを見守るリンの顔色も真っ青だ。

 

「で、初めて格上と戦って心折られ、やっとこさ真面目に強さを求め始めたってとこか? それで思いついたのが武器に縋る事かよ。舐めてんじゃねぇクソガキ。おめぇはもう未熟以前の問題だ。一から、いやゼロから鍛え直して出直してこい」

「ッ~~~~!!」

「ああ、ブレイド様!?」

 

 ブレイドが逃げた。

 世界最高の職人の名に恥じない切れ味を誇る舌剣によってメンタルをズタズタにされ、ガラスの十代のようにこの場から逃走した。

 リンは慌ててそれを追い掛け、ステラは見てられないとばかりに顔を手で覆い、俺は無言で天を仰ぐ。

 せっかく変態どもとのふれあいのおかげで少しは回復の兆しが見えたと思ったらこれか。

 上げて落とされた。

 あいつはもうダメかもしれない。

 

「ハァ、相変わらずお主は容赦ないのう。ショック療法は相手を選んでやってほしいものじゃ」

「あん? ああ、誰かと思えばエルフの婆か。フードなんか被ってるからわからなかったぜ」

 

 そして、ブレイドが逃げたところで、今度はエル婆がドヴェルクさんに話し掛ける。

 この感じからして知り合いだったのか。

 まあ、何百年も生きてる二人だしな。

 しかも、エルフとドワーフの族長同士。

 長い人生の中で交流があっても不思議じゃない。

 

「お主らドワーフの職人どもはワシらエルフを嫌うからのう。必要な変装じゃよ」

「おめぇらは神樹を適当に加工するだけで強ぇ杖を作りやがるからな。強ぇ武器を作る為に試行錯誤を繰り返してる俺らからすりゃ気に食わなくて当然だ」

「その割には、しょっちゅう神樹の小枝を使ったドワーフ製の武器を見かけるんじゃが?」

「素材に罪はねぇんだよ。相変わらず口の減らねぇ婆だ」

 

 一見仲が悪いように見えるが、お互い特に嫌悪感なんかは感じない二人の会話。

 少なくとも、エル婆は獣王を前にした時とは比べ物にならない程いつも通りだ。

 ただ、ドヴェルクさんの方は若干やりづらそうにしてるように見える。

 

「で、おめぇは何の用だ?」

「別にワシ個人としては用はない。今のワシはアー坊と同じ当代勇者パーティーの一人。仲間の付き添いで来ただけじゃ。ただ、さっきのはさすがにどうかと思ってのう」

「腑抜けに優しくする趣味はねぇ。それが戦士相手なら尚更だ」

「ブレ坊も今は辛い時期なんじゃよ。何せ力及ばず目の前で弟を喪ったばかりじゃからのう」

「だからなんだ? 戦争やってんだから悲劇は付き物だろ。それで奮起もできずに腑抜けるようなら後方に下げちまえばいいんだよ」

「今の時代だとそう簡単にはいかないのじゃよ。あんな状態でも戦わねばならん若者にあんな仕打ちをされれば、小言の一つくらいは言いたくなるというものじゃ」

「そうかよ。だが、俺は間違った事を言ったとは思わねぇ。あの小僧をこれからも戦わせるつもりなら、どうせ遅かれ早かれ根性叩き直してやる必要があっただろうしな」

「わかっとるよ。だから文句ではなく小言なんじゃ」

「ふん。おい小僧!」

 

 そこでエル婆との会話を区切らせ、さっき持っていた刀を手にするドヴェルクさん。

 それを近くにあった鞘に入れ、俺に投げ渡してくる。

 

「これは……」

「今さっき打ち上がった普通の刀(駄作)だ。相棒が直るまでの繋ぎにでも使え。そんで、それ持ってとっとと出てけ。俺はこれから早速実験、じゃなくてお前の相棒達の打ち直しに入る」

 

 今なんか不吉なセリフが聞こえた気がするが、気のせいだという事にしておこう。

 気のせいだという事にしておかなければならない。

 この人が世界最高の職人で、この人に預ける以上の選択肢が存在しない以上、不安に思ってもどうしようもないからだ。

 

「助かります」

 

 突っ込みたい気持ちをぐっと堪えて頭を下げ、俺はステラとエル婆と共にドヴェルクさんの鍛冶場を去った。

 扉が閉まった直後、通常の鍛冶とは明らかに違う謎の破壊音が大音量で聞こえてきたが、気にしたら負けだ。

 信じてるからな、ドヴェルクさん。



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69 嵐の前の

 ドヴェルクさんの所から去り、俺達が向かったのは、言うまでもなく逃げたブレイドのいる所だった。

 とはいえ、どこに逃げたのか手がかりがない。

 目撃証言を求めて、とりあえず人のいる場所を目指す。

 なんか遠目に数体のアイアンドワーフが戦ってる姿と、その周りでやんややんやと騒いでる連中の姿を見つけたので、ダメ元で聞き込みに行ったんだが、なんとそれでいきなりビンゴを引き当てた。

 

「うぉおおおお!!!」

「そりゃー!」

「とりゃー!」

「うりゃー!」

「やっちまえ!」

「そこだぁ!」

「ぶっ潰せー!」

 

 目に飛び込んできたのは、神樹製の大剣を振るって戦うブレイドの姿。

 その相手を勤めるアイアンドワーフ軍団と、それを操作する幼女達。

 更に、女性陣が操る多くの普通のゴーレムが、アイアンドワーフを支援するように戦っている。

 

 それを肴に酒を飲んで騒ぐ飲んだくれども。

 近くには、ボコボコに顔を腫らした上にミノムシのように簀巻きにされ、そこら辺の木から逆さ吊りにされてる見覚えのある変態どもと、彼らの前でお仕置き完了とばかりにパンパンと手を叩くイミナさんの姿もある。

 その近くの木陰でどんよりとした空気を纏いながら、膝を抱えて体育座りしているリン。

 

 カオス。

 そうとしか言い様のない光景が広がっていた。

 ステラは俺と同じく唖然とし、エル婆は頭痛を堪えるように額に手を当てる。

 

「お、爺との話は終わったっすか?」

「イミナさん、これは……」

 

 この場のカオス度を著しく上昇させている変態ミノムシどもの前から平然と声をかけてきたイミナさんに、呆然としたまま答えを求めた。

 すると、イミナさんは何とも言えない微妙な顔で話し始める。

 

「あー、なんかよくわかんないんすけど、意気消沈してたあの子に、このバカどもが『辛い事があったなら体動かそうぜ!』とか言って、アイアンドワーフの試運転に付き合わせたんすよ。

 もちろん、こいつらはエマ誘拐の罪で直ちに処したんすけど、焚き付けられた本人がその気になっちゃって、相手役の子供達もやる気になっちゃって、いつの間にか保護者達と暇人どもも巻き込んで、こんな騒ぎになったんす。

 で、こっちの子はそんな様子を見て突然崩れ落ちちゃったんすけど……もしかしなくても爺が何かやったんすか?」

 

 恐る恐ると言った様子で問い掛けてくるイミナさん。

 その裏で、ステラとエル婆が速やかに動いてリンのフォローに向かう。

 しかし、二人が優しく肩を叩いても、リンは無言のまま死んだ目でブレイドを見続けるだけだった。

 やべぇ。

 よくわからんが、こっちも重症だ。

 

「……いえ、ちょっと心の傷を言葉のナイフでバッサリやられただけですから」

「……爺といい、このバカどもといい、重ね重ね申し訳ないっす。この里の全ドワーフを代表して謝罪するっすよ」

「「「ギャーーー!?」」」

 

 イミナさんが深々と、それはもう深々と頭を下げる。

 誠意とばかりに、変態ミノムシどもの一人を勢いつけて他の連中にぶつけ、密集してるミノムシども全員を連鎖的に激突させ合う事によって、更なる罰を与えた。

 ボコボコにして逆さ吊りにしたのが幼女誘拐の分。

 今のが弱り目のブレイドを焚き付けた分ってところか。

 この人は口調こそ軽いが、こういう筋はしっかり通す、根は真面目な人なのだ。

 

「イミナさん達のせいじゃないですよ。というか、むしろこれは俺達の問題なので」

 

 俺にはそう言う事しかできない。

 実際、彼らに謝罪されるような事はされていない。

 ドヴェルクさんの言葉は致命傷レベルで厳しかったが正論だし、変態どもの誘いにホイホイついて行ったのはブレイド本人の意思だ。

 そんな事より、今気にするべきなのは……

 

「……リン、大丈夫?」

「アハハ。見てください、ステラさん。ブレイド様があんなに元気です。私はなんにもしてあげられてないのに元気です。ブレイド様に必要なのは私じゃなくて超鉄人だったんですね」

「しっかりして!? あれどう見てもいつもの空元気だからね!?」

「私はいらない子だったみたいです」

「勘弁してくれ。お主にまで心を病まれたら本気でパーティー崩壊じゃぞ……」

 

 ステラが真っ青な顔でリンの肩を揺らして正気に戻そうとし、エル婆が本格的に頭を抱えた。

 俺も頭が痛い。

 ここに来て致命的に拗れた感があるな……。

 

 これ、次の魔王軍との戦いまでに何とかなるのか?

 俺の中の冷静な部分が言う。

 無理だ、どうにもならないと。

 少なくとも、俺にはどうにかできる手段が何一つ思い浮かばない。

 ちょっと前の時点ですら、時間をかけて解決するしかないという半ば匙を投げた状態だったんだ。

 それがここまで悪化したら手の打ち様がない。

 

 ……いや、いっそここは逆に考えるべきか?

 事ここまでに至れば、さすがにこれ以上は悪化のしようがない筈。

 だったら今は、効果があるかもわからない思いつきを、リスクを恐れずに片っ端から試すチャンスなのでは?

 

「という訳で、イミナさん。ちょっとあそこに交ざって、ブレイドと戦ってきてくれませんか?」

「脈絡がないにも程があるっす。そもそも、アタシあの子がどういう状態なのかも知らないんすけど……」

「四天王に手も足も出なかった挙げ句、次の戦いでは魔族に操られた実の弟にボコボコにされ、何もできずにその弟を喪って無力感に苛まれ、取り憑かれたように強さを求めてる最中です」

「うわぁ、想像以上に重いっす。そんな要点纏めた説明で済ませちゃいけないくらいにヘビー級の話じゃないっすか」

 

 イミナさんのブレイドを見る目が一気に同情一色に染まる。

 かと思えば、今度は使命感に満ちたような目で、腰のマジックバックから稽古用と思われる特に業物でも魔鎚でもない普通の戦鎚を取り出した。

 

「わかったっすよ。つまり、アタシはあの子の修行に付き合えばいいんすね。確かに、同格の聖戦士との戦いは糧になる筈。ウチの連中がやらかした事の償いも兼ねて行ってくるっす!」

 

 そうして、イミナさんは飛び出した。

 飛び入り参加でアイアンドワーフ達とチームを組み、ブレイドの前に敵として立ち塞がる。

 それを見たステラが、ぎょっとした顔で俺に近づいてきた。

 

「ちょっと、アラン!? なんでイミナさんまで参戦してんのよ!?」

「俺がお願いした。ブレイド更生計画その1『叩けば直るんじゃないか作戦』だ」

「今まさにドヴェルクさんに叩かれまくってああなってるんだけど!?」

「いっそ一回立ち直れないくらいに叩き壊せば何か変わるんじゃないかと思ってな。ドヴェルクさんも壊れた装備を直す時は、下手に元に戻そうとするんじゃなく、一回ぶっ壊して打ち直した方が早いって前に言ってたし」

「人間と装備を一緒にするんじゃないわよ!? わかった、あんた静かにテンパってるでしょ! 変な感じに追い詰められた時の悪い癖よ!」

 

 「正気に戻りなさーい!」とか言って、ステラがさっきリンにしてたように、思いっきり肩を揺さぶってくる。

 や、やめろぉ!

 加護持ちのリンはともかく、俺相手にそんな超高速シェイクしたら、最悪首がもげるわ!

 

「『破壊剣』!」

「『轟鎚』!」

 

 俺が人知れず生死を賭けた戦いをしている中、ブレイドとイミナさんは正面から必殺技をぶつけ合っていた。

 恵まれた体格によって聖戦士の中でも屈指の怪力を持つブレイドと、重量級の武器を扱う分、他の聖戦士より膂力に優れる『鎚聖』であるイミナさん。

 パワータイプ同士の激突は、なんと加護の特性差を覆してブレイドに軍配が上がった。

 

「マジっすか!?」

「でりゃああああああ!!!」

「ほげっ!?」

 

 戦鎚を弾かれて無防備になったイミナさんの土手っ腹に、返す刀の二太刀目が炸裂。

 木剣だから死んではいないが、吹っ飛ばされてイミナさんはダウンする。

 しかし、ブレイドもその攻防で力を使い果たしたらしく、続くアイアンドワーフの拳に対処できずに諸に食らってこっちもダウン。

 聖戦士両者ダウンで、まさかのアイアンドワーフ単独優勝だ。

 幼女達がハイタッチして喜び合い、治癒魔法が使えるっぽい女性陣が二人に駆け寄っていき、膝を抱えていたリンも弾かれるようにブレイドに向かって駆け出した。

 まさかまさかの結果に、酒の勢いで賭けまでしてたらしい酔っ払いどもから悲鳴が上がり、大穴に賭けていたっぽい奴だけが歓声を上げる。

 

「アイアンドワーフが勝っちゃったわ……。それはそれとして、ブレイドってイミナさんより強かったのね。凄い意外なんだけど」

「まあ、あの人の真骨頂は魔鎚使っての対魔物戦だからな。しかし、それを差し引いてもブレイドが勝つとは思わなかった。俺も正直驚いてる」

 

 こっちもまさかの結果に驚いて俺への攻撃が止まった事で、冷静にステラと感想を言い合えた。

 イミナさんは対人戦でも弱くはない。

 修行時代にしょっちゅう相手してもらったからよく知ってる。

 そのイミナさんを、あんな心ガタガタ状態で倒せるのか。

 正直、ぶっ飛ばされて終わりだと思ってたのに。

 

 ブレイドは思ったより強くなっている。

 だからこそ……

 

「惜しいな」

「……そうね」

 

 ステラと共にため息を吐く。

 これで精神面さえ何とかなればと思わずにはいられない。

 そうなれば、真の意味でルベルトさんの後継者に相応しい、当代の大英雄が誕生するだろうに。

 

「まあまあ、そう悲観したものでもないぞ二人共。ほれ、あれを見てみるがよい」

 

 そんな事を言い出したのはエル婆だ。

 言われて視線の先を見てみれば、そこには心配そうな顔をしながらも、テキパキとブレイドを治療するリンの姿がある。

 

「少なくとも、リンにはまだ反射的にブレ坊の為に動けるだけの活力が残っておる。ブレ坊にもまだ戦おうとする気概が残っておる。絶望するにはちと早いのではないか?」

「まあ、そうですけど……」

「……そうだな」

 

 エル婆の言う事も間違ってはいない。

 間違ってはいないんだが……

 

「ま、最悪には至っておらぬというだけで、依然として危機的状況である事には変わりないがの!」

「自分で言うんかい!?」

「アハハ……」

 

 せっかく俺達が曖昧な返事でお茶を濁していた本当の事を、エル婆は躊躇なく口にした。

 俺は思わず突っ込み、ステラは乾いた笑いを溢す。

 だが、本音が出た事で、無理矢理誤魔化すよりは空気がよくなったんじゃないかと思う。

 

 ああもう知らん!

 こうなったら、なるようになれだ!

 考えるのは疲れた。

 だから、下手に考えるのはやめる。

 俺は前みたいに普通に二人に接して、この困難を乗り越えられるか否かは二人の底力に託す。

 もう、それしかない。

 

 願わくば、せめて二人が立ち直る前に、次の魔王軍との戦いが勃発しませんように。

 そう祈る事くらいしか俺にはできない。

 もっとも、祈る先として最有力の神様は、天敵である魔族の動向を祈られても困るだけだろうし、そうなると、どこを宛先にしていいのかもわからない空虚な祈りでしかないんだが。

 全く、神頼みすら碌にできないとは、なんとも厳しい世の中だ。

 まあ、そんなのはいつもの事だがな。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 勇者パーティーがドワーフの里に入って数日後の夜。

 雲一つない満月の晩。

 里の上部にある迷宮、天界山脈山頂付近に、彼らは居た。

 

「ああ、いい夜です。勇者の命日、そして私の躍進の始まりとなる日に相応しい」

 

 そう言って笑うのは、豪奢な貴族風の装いをした男。

 天界山脈の頂に立ち、夜空に浮かぶ満月を見上げている。

 彼が降り注ぐ月光の中に見ているのは、勇者の無惨な死と、己の栄光の未来。

 そんな彼の足下には、まるで王に忠実な家臣のように、不自然な程静かに立ち並ぶ多くの魔物達の姿があった。

 

 マーダーライオ、ダークウルフ、ボルトホース、スノーラビット、ロックドラゴン。

 いずれも、この天界山脈に住まう強者達だ。

 更には、そんな強獣達の後ろに、数百匹は下らないだろう魔物の群れ。

 男の能力によって支配され、統率された彼らは、もはや有象無象の魔物ではなく、立派な魔王軍の『軍勢』であった。

 

「ああ、いい。この山本当に凄くいい。大地の力が満ち溢れてる。もうここに住みたい」

 

 そんな軍勢の中に、場違いな存在が紛れていた。

 岩壁に抱き着いてバカな事を言い出したのは、薄汚れた格好をした子供だ。

 ここに来てからというもの、ずっとこうして岩壁に抱き着きながらダラダラしている。

 

 その様子を見て、栄光の未来に想いを馳せていた男は不快そうに眉をひそめ、子供に向けて号令をかける。

 

「アースガルド、準備は終わりましたよ。これより勇者抹殺計画を開始します」

「やだ、めんどくさい。やりたければ一人でやれば?」

(こいつ……!?)

 

 男の額に青筋が浮かび、思わずこの場で殺してやろうかという思考が脳裏を過る。

 それを何とか飲み込み、男はアースガルドと呼ばれた子供をこの場に連れてくる為に使った餌をもう一度眼前にぶら下げた。

 

「勇者の聖剣が欲しいのでしょう? 殺さなければ手に入りませんよ」

「あー、そうだった。じゃあ、さっさと行こうか」

 

 そうして何とか彼のやる気を取り戻させる事に成功し、全く手間のかかるバカだと内心で毒づいた。

 自分が四天王筆頭になった暁にはどうしてやろうかと思う。

 

 しかし、何はともあれ、当初予定していた布陣はこれで整った。

 勇者の行く先を予測して先回りし、軍勢を引き連れてくるのではなく現地調達する事で隠密に徹し、碌な戦力のいない場所にまんまとやって来た勇者に、不意討ちでこの軍勢をぶつけて仕留める。

 完璧だ。

 事前準備のおかげで大きな戦力差のある状態で戦いを始められる上に、以前仕込んだ隠し球まであるのだから。

 これで負ける訳がない。

 

「さあ、行きますよ勇者。私の栄達の礎となれる事を光栄に思いなさい。━━進軍開始!」

 

 男の号令によって、魔物の群れが一斉に山を下ってドワーフの里へと殺到する。

 アランの祈りも虚しく、ここに魔王軍と勇者パーティーの次なる戦い、一夜の決戦の幕が上がった。



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70 一夜の決戦、開幕

「ほい、終わったっすよ」

「ありがとうございます」

 

 ドワーフの里に来てから何日目かの夜。

 イミナさんに任せていた装備の手入れが終わったらしく、俺とブレイドの男二人が泊まってる空き家に届けに来てくれた。

 まあ、俺も手入れ技術向上の名目でいくらか手伝わされたし、なんかステラも一緒について来て、色々教わりながら簡単な作業をやってもらったから、任せてたって意識は薄いけどな。

 

 尚、現在この家には俺一人で、ブレイドはいない。

 勝手に夜の自主トレに出掛けたからだ。

 ちなみに、パーティーの女子組はイミナさんの家に泊めてもらっている。

 夜な夜な俺のこの里でのエピソードが暴露されてるらしく、心休まらない日々だ。

 目の前のこの人がステラ達に何を吹き込んでるのか、想像する事すら恐ろしい。

 

 そんな恐ろしい思考を頭の隅に追いやり、俺はイミナさんが持ってきてくれた装備一式を着けてみて調子を確かめる。

 

「いい感じです」

「そりゃよかったっす。ま、教えた通りこまめに手入れしてたみたいだし、そんなに弄る必要もなかったっすけどね」

 

 いや、それでも大分動きやすさが違う。

 ミスリルの鎧はともかくとして、羽織と足鎧はマジックアイテムであり、多少学んだだけの俺じゃ大した手入れはできなかった。

 そのせいで蓄積していた綻びが修正された感じだ。

 試しに暴風の足鎧を起動させてみれば、かなりスムーズに風が発生する。

 羽織は、まるで何も着けていないかのように動きやすい。

 やはり、このタイミングでこの里に来れて良かった。

 

「じゃ、アタシはさっさと退散するっすよ。こんな夜中にアランと二人きりとか、ステラちゃんがむくれる予感しかしないっすからねー」

 

 ……ニヤニヤすんな。

 訂正。

 やっぱり、この里には来るべきじゃなかったかもしれん。

 全く、いつもいつも、どいつもこいつも。

 俺達をからかうのがそんなに楽しいか!?

 

「楽しいに決まってるっす! からかいたくなるような初心で甘酸っぱくて焦れったい恋愛してるアラン達が悪いんすよ!」

「ぐっ!?」

 

 どうやら俺の心の叫びは声に出ていたらしく、イミナさんは的確な言葉のボディブローで、俺の精神を抉ってくる。

 最悪な事に、的確すぎて反論の言葉が出てこなかった。

 思わず黙り込んだ俺に、イミナさんは勝機とばかりに「ほれほれ、何とか言ったらどうっすか~?」とニヤニヤした顔で言いながら、肘でガスガスとつついてきた。

 ウザイ!

 

「悔しかったら、さっさと告白する事っすね! さーて、いい感じにアランで遊べたし、次は帰ってステラちゃんで遊……」

『き、緊急事態発生! 緊急事態発生です!』

 

 イミナさんが不穏な事を言いながら立ち去ろうとした瞬間、里中にそんな女性の声が響き渡った。

 拡声の魔道具を使った伝令。

 そんな物が設置されてるのは、この里で数ヶ所だけ。

 魔物の襲撃を警戒する為の見張り台だけだ。

 

『山頂から大量の魔物の群れが襲来! 総数不明! 少なくとも数百体! 多数の上位種の姿も確認できます! 住民は速やかに避難・迎撃マニュアルに従って行動してください!』

 

 焦りを感じるが、それでも冷静さを失ってはいない的確な指示と情報発信。

 さすがは、こんな魔境に居を構えてるだけの事はある。

 だが、感心してる場合じゃない。

 数百体単位の魔物の群れの襲撃なんて、いくらこの魔境でも滅多にない異常事態の筈だ。

 少なくとも、修行時代この里に来てた時には一度もなかった。

 

 幸いな事に、今は俺達勇者パーティーがいるおかげで、数百体の魔物くらいなら軽く退けられる戦力は揃ってるが……どうにも嫌な予感がする。

 いくら何でもタイミングが良するからだ。

 そして、嫌な予感というものは往々にして当たるもの。

 場合によっては、俺達がいても最悪の事態が起こり得るかもしれない。

 そこまで考えた瞬間、俺の頭は瞬時にイミナさんへの「ぐぬぬ!」という気持ちをどこかへ投げ捨て、戦闘モードへと切り替わった。

 

「イミナさん!」

「わかってるっすよ! まずは山頂側の門に行くっす! 誰かがマニュアルを伝えてれば、ステラちゃん達もそっちに向かう筈っすから!」

 

 イミナさんのその言葉に従い、俺は手入れされたばかりの暴風の足鎧をフル稼働させて、駆け出したイミナさんの後を追う。

 ステラ達が情報を受け取って門に向かうだろうという予測に異論はない。

 自分の仕事の事しか頭にない職人達はともかく、そんな一癖も二癖もある男どもをずっと支え続けてる、イミナさんを始めとしたこの里の女性陣の有能さを疑っていないからだ。

 

 現に今も、鍛冶場にしがみつこうとする男どもを引き摺って避難し、避難しながら土人形作成(クリエイトゴーレム)を使って戦力を整え、それを俺達の目的地である門や避難場所などの重要地点に派遣する作業を、この非常時に混乱する事なく凄まじくテキパキと熟している。

 この人達の全力サポートがあったからこそ、ドワーフの職人達は思う存分仕事だけに没頭できたのだ。

 そんな人達が、ステラ達への対応を間違えるとは思えない。

 

 そして、俺の信頼はやはり正しかったらしく、俺達が門に到着した時には既にステラもリンもエル婆も、それどころか行方不明だったブレイドに、大量のゴーレム達と十体のアイアンドワーフまで集結が完了していた。

 有能すぎる。

 

「アラン! イミナさん!」

「遅れてごめんっす!」

「ステラ! 今どうなってる!?」

「どうもこうもないわ! あれ見て!」

 

 言われてステラの指差す山頂側を見れば、遠目に凄まじい数の魔物達が猛スピードで山を駆け降りてくるのが見えた。

 エルフの里を襲撃してた竜の群れを思い出す物量だ。

 伝令の通りだな。

 

「エル婆の魔法で吹き飛ばせないのか?」

「今からやるところじゃよ。……じゃが、それで終わるとは思わん方がよいじゃろうな」

 

 エル婆も俺の勘と同じか、あるいは長年の経験に裏打ちされた確信でも持ってるらしく、楽観視するなと警告を飛ばしてきた。

 

「へっ! 上等だぜ! どんな奴だろうとぶっ飛ばして、あの偏屈な爺さんに俺の事を認めさせてやる!」

「落ち着かんかい、ブレ坊。まあ、何にしても一発撃ち込んでみてからじゃ。ステラも合わせよ。リンは里に結界魔法じゃ」

「了解!」

「……わかりました」

 

 そうして、エル婆は杖を構え、ステラは神樹の木剣に光を纏わせていき、リンもブレイドの様子を気にしながらそれに続く。

 詠唱が開始され、勇者と聖戦士の使う人類最高峰の魔法が形作られて……

 

 

「へー、これが勇者の聖剣か」

 

 

 その瞬間、声が聞こえた。

 これから戦いが始まろうとしている場に似つかわしくない呑気な声。

 いや、それを呑気と言っていいのかは少し疑問だ。

 何故なら、その声からは感情というものをまるで感じなかったのだから。

 

「「「ッ!?」」」

 

 突然現れた気配に慌てて声の方を振り向けば、そこには一人の子供がいた。

 土のような茶色の髪を持ち、浮浪児のようにボロ切れ一枚だけを身に着けた姿の、薄汚れた格好の子供。

 だが、その顔の右半分は仮面のような岩で覆われており、両手両足も同様の岩で出来ている。

 人ならざる異形の姿。

 そして、その身から感じる禍々しい気配。

 魔族だ。

 そんな子供魔族が手に持ってマジマジと見詰めている物。

 それは、紛れもなくステラの腰にあった筈の人類の希望、聖剣だった。

 

「え!?」

「うん。悪くないね。不快な神の力に汚染されてるのが残念だけど、それを差し引いても欲しくなるような見た事ない金属で出来てる。でも部屋に置いておくのは嫌だし、これ専用の鑑賞部屋でも新しく造ろうかな」

 

 聖剣を見ながら、能面のような無表情と平坦な声で訳のわからない事をブツブツと呟く子供魔族。

 一体いつの間にステラから掠め取ったというのか。

 こいつ、この禍々しい気配に反して、酷く存在感が薄い。

 

 こいつを見ても、何も感じないのだ。

 敵意も、悪意も、威圧感も、攻撃意思も、危機感すらも。

 人や獣どころか、そこらの虫よりも薄い存在感。

 まるで魔族の姿と気配を無理矢理模しただけの人形と向き合っているような感覚。

 セリフだけなら聖剣にかなりの興味を示してるように聞こえるが、その実、奴の顔からも声からも気配からも、興味どころか一切の感情と呼べるものを感じない。

 不気味に過ぎる。

 

 そして、そんな奴に聖剣を奪われてしまっている。

 だが、それに関しては問題ない。

 聖剣とは、破損も紛失もしない最高の剣だ。

 敵に奪われようが、遥か遠くの地にあろうが……

 

「戻って来なさい!」

「あれ?」

 

 持ち主である勇者の呼び声があれば戻ってくる。

 聖剣が子供魔族の手の中から光の粒子となって消え、僅かな時間をかけてステラの手元で再構成された。

 それによって子供魔族がようやくこっちを向く。

 

「あー、そうだった。聖剣は勇者から離れないんだった。じゃあ、━━勇者を生きたまま箱詰めにして、聖剣の台座にでも使おうか」

「「「ッ!」」」

 

 子供魔族が見せた初めての感情。

 俺達へ向けられた、ほんの僅かな戦意。

 それを受けて、やっと俺の感覚が明確にこいつを捉えた。

 無機質な人形ではなく、ふざけた事抜かしやがった倒すべき敵として。

 

「『聖なる剣(ホーリースラッシュ)』!」

「『燃ゆる大地(フレイムガイア)』!」

「『飛翔剣』!」

「『雷縋』!」

 

 それは仲間達も同じだったらしく、一見無防備に佇む子供魔族に、先制の遠距離攻撃が降り注ぐ。

 ステラの光の魔法剣が。

 エル婆の広範囲を焼き払う火炎魔法が。

 ブレイドの飛翔する斬撃が。

 イミナさんの持つ魔縋から飛び出した雷の衝撃派が。

 一斉に子供魔族へと向かう。

 

「『神聖結界』!」

 

 同時に、リンの結界魔法が里を覆った。

 無詠唱の不完全な魔法でも、ひとまず完全詠唱の魔法を発動するまでの繋ぎにしようと思ったんだろう。

 結果として、最初から完全詠唱の魔法を使わず、発動の早い無詠唱から入ったリンの慎重さが功を奏した。

 

「あ痛っ」

 

 子供魔族のそんな声が聞こえてくる。

 ()()()()

 バッと振り向けば、そこには俺達の後ろを取ろうとしたのか、結界に弾かれて仰反る無傷の子供魔族の姿があった。

 奇しくも味方の攻撃が壁になったせいで、どんな手段を使ったのかは見えなかったが、こいつはステラ達の攻撃を完璧に避けたのだ。

 

 そこに今度は俺が斬りかかる。

 黒天丸がないから遠距離攻撃には参加できないが、その代わりとして、渡された無銘の刀を子供魔族へ叩き込んだ。

 

「四の太刀━━『黒月』!」

 

 闇を纏っていないから正確には黒月ではないが、それでも両手で握った刀で眼球を狙った致命の一撃。

 まともに当たれば、ただでは済まない。

 

「遅いね」

 

 しかし、やはり魔族である子供魔族の身体能力は俺の比ではなく、突きがその身へ到達する前に俺に向かって手を翳し、そこから迎撃の魔法を放ってきた。

 

「『岩石玉(ガイアストーン)』」

 

 使われたのは土の魔法。

 かなりの速度で射出された岩石の砲弾が俺を襲う。

 ……強いな。

 この魔法、通常状態のドラグバーンの拳一歩手前くらいの威力がある。

 そこらの一般魔族が出せる威力じゃない。

 だが、あの頃より更に成長した今の俺を、この程度の攻撃で倒せると思うな!

 

 魔法の射出速度、威力、形状、タイミングを先読みし、突きの軌道を修正。

 岩石の左下に刃をぶつけ、岩石を斜め上に受け流しつつ、押し負ける勢いを使って体を右回転。

 いつものように、その回転力を斬撃の力に変化し、敵の力を自分の力に加えたカウンターを子供魔族に叩き込む!

 

「一の太刀━━『流刃』!」

「……へぇ」

 

 俺の斬撃が咄嗟にガードに使われた子供魔族の右腕を切り飛ばした。

 まだだ!

 向こうの攻撃が強かったおかげで、まだ回転の勢いが残っている。

 歩法でその向きと流れを調節し、更なる攻撃を加えようとしたが……それが炸裂する前に、子供魔族の姿が目の前から消えた。

 地面の下へ潜る事によって。

 

「そういう感じか……!」

 

 これがこいつの能力。

 恐らく、さっきのステラ達の攻撃も、こうして地面に潜る事で躱したんだろう。

 最初に俺達に気づかれずに接近した技も、多分これだ。

 残りの回転力をふわりと優しく殺し、俺は次に奴が地面から出てきた場所に目を向ける。

 そこは迫りくる魔物の群れに背を向ける位置。

 高位魔族の嗜みとばかりに当たり前のように斬られた腕を再生させ、子供魔族は変わらぬ無表情で俺達を見据えていた。

 

「オラァアアアアアア!!!」

 

 そんな子供魔族に、丁度近くにいたブレイドとゴーレム達、そしてアイアンドワーフの一体が襲いかかる。

 だが、子供魔族が虫を払うように腕を一閃。

 そこから放たれた岩の散弾が、あっさりとアイアンドワーフ達をただの残骸へと変えてしまった。

 ついでに、ブレイドも吹っ飛ばされる。

 

「ブレイド様!?」

「落ち着け! あいつは軽傷だ!」

 

 慌てるリンにそう言って静止する。

 実際、ブレイドは咄嗟に大剣を盾にして岩の散弾を防いだ。

 威力に負けて吹っ飛ばされはしたが傷は浅い。

 ……精神的ダメージは浅くないかもしれんが。

 

 それより、この子供魔族、当たり前のように聖戦士であるブレイドを退けやがった。

 しかも、あんな適当な攻撃で。

 さっきの土魔法といい、どう考えても普通の魔族じゃねぇ。

 

「やっぱり、勇者パーティーって強いんだね。めんどくさいなぁ」

「そう言うあんたも相当強いでしょ。何者よ?」

「僕? ああ、僕は……」

 

 ステラの問い掛けに、意外にも子供魔族は律儀に答えた。

 予想通りの最悪の肩書を。

 

「魔王軍四天王の一人、『土』の四天王アースガルド。覚えなくていいよ。どうせすぐに殺すから」

 

 そうして子供魔族改め、土の四天王アースガルドは、相変わらず感情の殆ど見えない人形のような無機質な瞳にほんの僅かな敵意を滲ませて、俺達を殺す為の次なる行動を開始した。



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71 四天王と仇

 アースガルドが再び地面の下に潜る。

 こうなると本格的に気配が消えて、どこにいるのかわからない。

 俺を狙えば危機感で、他の誰かを攻撃しようとすれば敵意を察知して居場所を把握できるだろうが、それじゃ遅すぎて後手後手だ。

 

「くそっ! どこ行きやがったあの野郎!」

「落ち着けと言うとるじゃろうに、ブレ坊! 今探す! リンはもっと強力な結界を里に張り直してくれ! 地面の下から里に侵入されるのが一番マズいからのう!」

「わ、わかりました!」

「じゃあ、私は魔物の方を何とかするわ!」

「頼んだ!」

 

 有能な仲間達(ブレイドを除く)が、的確な判断の下に迷いなく動く。

 アースガルドも魔物の群れも射程圏外な俺とイミナさんは、若干置いてけぼりだ。あとブレイドも。

 だが、それならそれで自分にできる事をするまで。

 俺はステラの近くに、イミナさんはエル婆とリンの近くに寄って、突然のアースガルドの奇襲に備えた。

 

「魔導の理の一角を司る土の精霊よ。大地を揺らし、掻き混ぜ、地に捕らわれし哀れなる敵を握り潰せ」

「神の御力の一端たる守護の力よ。強大なる敵に立ち向かう我らを、その大いなる慈悲と博愛の掌で包み込み、守りたまえ」

「魔導の理の一角を司る光の精霊よ。神の御力の一端たる聖光の力よ。光と光掛け合わせ、極光となりて魔を払い、夜を染め上げ、世界を照らす眩き輝きとなりて我が剣に宿れ」

 

 三人の詠唱が完了する。

 アースガルドの登場によって邪魔されたさっきと違い、今度こそ人類最高峰の術者達による大魔法が発動した。

 

「『大地鳴動(アースシェイカー)』!」

「『神王結界』!」

「『閃光の剣(フラッシュソード)』!」

 

 エル婆の魔法が山全体を揺らし、リンの結界がそれから里を守り、ステラの光魔法が魔物の群れに突き刺さる。

 最初に目に見える明確な戦果を叩き出したのはステラの魔法。

 夜を塗り潰す程の膨大な光の奔流が放たれ、魔物の群れに直撃した。

 しかし……

 

「嘘ぉ!?」

 

 なんと、ステラの本気の一撃を食らったにも関わらず、魔物どもは八割以上が健在。

 攻撃が放たれる前にチラリと見えたが、どうやら奴らボルトホースの雷撃やスノーラビットの吹雪でできる限りステラの魔法の威力を相殺し、更に頑強な巨体を持つロックドラゴンなどが味方の盾になる事で、被害を最小限に抑えたようだ。

 なんだ、そのやたらと連携が取れてる上に、我が身を顧みない戦略は!?

 普通の魔物の群れじゃこうはならないぞ!?

 

 魔物と一口に言っても、その種類は千差万別だ。

 狼っぽい奴、獅子っぽい奴、馬っぽい奴、ウサギっぽい奴、その他にも色々いる。

 そして、奴らが連携するのは同種同士か、あるいは共存関係にある種族とだけだ。

 それ以外なら基本共食いする。それが魔物。

 魔族が無理矢理屈服させて纏めて運用する事はあるが、そういう時は連携のれの字もない烏合の衆に成り果てる筈。

 故に、今の魔物どもの動きは異常としか言い様がない。

 

 そう思ったが、そのカラクリはすぐに判明した。

 ステラの光魔法の残滓に照らされ、満月が出ているとはいえそれでも暗い夜の中では見えなかった事実が見えてくる。

 傷付いた奴らの体からは……青黒い血が流れ出していた。

 それが蠢いて出血を止め、魔物どもの体を無理矢理修復していく。

 被害が少なかったのは、この再生能力のせいでもあるだろうな。

 だが、そんな事よりも、

 

「!? ねぇ、あれって……!?」

「ああ、わかってる……!」

 

 俺達はこの血の色に見覚えがあった。

 魔族と魔物、魔界から現れた生物の血は、通常青い。

 その青に黒が混ざった特殊な血。

 これは紛れもなく……

 

「レストの仇……!」

 

 そう。

 あの青黒い血は、操られたレストが流していたのと同じ色。

 あいつを苦しめていたのと同じ血だ。

 この血を使った支配で、魔物どもを完全に意のままに操っているんだろう。

 これで異常レベルの連携には合点がいった。

 

 そして、この能力を使う種族は、魔族の中でも相当の希少種として伝えられている。

 エル婆曰く、歴史上でも複数体が同時期に現れた事は殆どないそうだ。

 ならば、かなり高い確率で、あの魔物どもを操ってる奴とレストを操ってた奴は同一人物。

 

 そいつがここに来ているかはわからない。

 レストの時みたく操ってる奴だけをけしかけて、自分は安全な場所から高みの見物を決め込んでいるかもしれない。

 だが、もしもノコノコと現れるようなら……必ず殺してやる。

 

「む!? こ、これは!?」

 

 俺が心の中で殺意を研ぎ澄ましていた時、アースガルドの行方を探していた筈のエル婆が、何かに気づいたように驚愕の声を上げた。

 ああ、そうだ。

 決して忘れてた訳ではないが、今現在の最大の脅威は、レストの仇ではなく四天王のアースガルド。

 優先順位を間違えるな。

 憎しみで判断を間違えるな。

 今の俺は前の世界の俺と違って仲間がいるのだ。

 自分のミスは仲間達の、そしてステラの危機へと直結する。

 前の世界のように、感情任せで突っ走る訳にはいかない。

 俺は気を引き締めた。

 

「どうした、エル婆!?」

大地鳴動(アースシェイカー)がレジストされた。いや、それは想定通りじゃし、元々レジストされた場所から奴の居場所を特定するつもりじゃったが……」

 

 ブレイドの問い掛けに、エル婆は少し焦った様子で手短に情報を説明する。

 経験豊富なエル婆が焦る事態。

 嫌な予感しかしない。

 

「問題はその場所と範囲じゃ。あやつ、ここから上の山全体に魔力を張り巡らせておるぞ!?」

 

 叫ぶようにエル婆がそう口にした瞬間、━━山が揺れた。

 さっきのエル婆の魔法とは比べ物にならないレベルで。

 これはもはや鳴動などという次元ではなく、まるで山自体が身じろぎしたかのような……

 

「……マジかよ」

 

 その時、ふと上を見上げ、俺は自分で思った例えがあながち間違いではなかったと知った。

 比喩でも何でもなく、本当に山が動いていたのだ。

 ただし、地震とか噴火とかの自然現象とはまるで違う動き方で。

 

 見上げる天界山脈の山頂部から、二本の巨大な腕が生えてきた。

 それを皮切りに山はどんどん姿を変える。

 胴体が作られ、頭が作られ、山は山でなくなり、山を丸ごと素材にしたゴーレムとでも言うべき異形の姿へと変わってしまった。

 

「うっそでしょ……」

「お、大きすぎです!?」

「なんとまあ、規格外な……」

「ふ、ふん! ぶった斬り甲斐がありそうだぜ!」

「あれ確実に坑道潰れてるっすよね。あそこ迷宮だから魔法金属の採掘場だったのに。うわぁ、職人どもが喚き散らしそうで今から頭が痛いっす……」

 

 イミナさんだけ若干ズレた感想漏らしてるが、それだけ混乱してるんだろう。

 だが、混乱してる暇などない。

 山ゴーレムが、その巨大な腕をこっちへと向ける。

 その掌の先に、さっきアースガルドが使った魔法と同じように、岩石の塊が生成された。

 山ゴーレムの巨体に合わせた、超ド級サイズの岩の弾丸が。

 

「やばっ……!?」

「任せろ!」

 

 迎撃は俺の仕事だ。

 脚力と手入れによって出力を上げた暴風の足鎧の力を使い、強く地面を蹴って宙を舞う。

 同時に、岩の大砲が放たれた。

 斬払い……いや、反天でいく。

 斬払いでは防ぎ切れずに死ぬと、俺の直感と危機察知本能が全力で叫んでいるからだ。

 前の世界と修行時代に数多の死線を越え、幾多の地獄で鍛え上げてきたこの感覚は信用できる。

 自分で言うのもなんだが、経験則による先読みと並んで未来予知の領域に片足を突っ込んでいると自負している。

 俺の行動は決まった。

 

「六の太刀━━『反天』!」

 

 対象の最も脆い部分に衝撃を浸透させ、相手の攻撃エネルギーと挟んで内部から破壊する必殺剣を大岩に叩き込む。

 それによって大岩は内側から粉砕され、砕けた時の衝撃で推進力の殆どを殺す事に成功した。

 

「うっし! やったっす!」

 

 いや、まだだ。

 イミナさんの歓声に心の中で反論する。

 まだ危機感の警鐘が鳴り止んでいない。

 

 その感覚が正しい事を証明するかのように、砕けた大岩の中から新たな脅威が現れた。

 人の頭程のサイズの、大岩に比べれば小さな弾丸。

 しかし、その部分だけは全く勢いが落ちていない上に、大岩の炸裂に巻き込まれても傷一つ付いていない。

 

 そして、あの弾丸の材質には見覚えがあった。

 かなり希少ではあるが、この里に来ればかなりの頻度で見る事になる特殊な鉱石。

 だが、正体がわかってひと安心とはならない。

 むしろ、正体がわかるからこそ戦慄する。

 あれをそう簡単に砕く事は不可能だからだ。

 

「ニの太刀━━『歪曲』!」

 

 即座に受け流し技である歪曲を使い、鉱石弾の軌道を捻じ曲げて、仲間達からも里からもズレた何もない場所へと落とす。

 結果、落下地点は隕石が落ちたかのような悲惨な有り様となって巨大なクレーターが出来上がった。

 途轍もない威力。

 今リンが使ってる完全詠唱の上位結界なら防げはするだろうが、それでも何十発も叩き込まれたら割られる。

 割られてあれが里に直撃すればどうなるかは言うまでもない。

 

「は? 今何が起きた? 大岩の中に別の岩弾?」

「……オリハルコンっす」

「え?」

「だから、オリハルコンっす! 超高位の武器の素材とかに使う魔法金属! この世で最も強靭な金属とか言われてるあれっすよ! あの魔族、それを弾丸にして撃ち出したんす!」

「「「!?」」」

 

 俺が地面に降りる前に、イミナさんが困惑する仲間達に説明をしてくれていた。

 さすが、鉱石や金属とは切っても切れない関係のドワーフ。

 あの距離からあの弾丸の正体に気づいたか。

 

「えっと、つまりそれって……」

「あの野郎は魔法金属を生成できる。もしくは、合体した天界山脈に眠ってる魔法金属を自在に操れるって事になるな」

「アラン!」

 

 やっと地面に帰還した俺は、ステラの引き攣った声に容赦のない現実を突きつけた。

 目を逸してもいい事なんて一つもない。

 戦力分析は正確にだ。

 

「……アー坊の言う通りじゃろうな。可能性としては後者の方が少しばかり高いか。いくらでも創り出せるのであれば、それこそ魔法金属100%の大弾を撃ってきとるじゃろうし」

「魔力とかの都合で温存してるって可能性は……」

「無論、大いにあり得る。油断は禁物じゃ」

 

 不安そうなリンの言葉に、エル婆もまた容赦なく現実を突きつけた。

 リンが顔を青くする中、今度はステラがイミナさんに質問を投げかける。

 

「イミナさん、魔法金属の採掘ってどこまで進んでるんですか? もし創り出せるんじゃなくて操れるだけなら、採掘状況次第で限界が……」

「全ッ然進んでないっす。天界山脈は高位の魔物溢れる大迷宮っすよ? それにこの山に里作って移住してきてからまだ10年くらいしか経ってないし、掘り尽くすには時間が足りな過ぎるっす」

「あ、そうなんですか……」

 

 僅かな希望すら粉砕されたようだ。

 しかし、本格的にヤバいぞこれは。

 大迷宮を操るなんて規格外な事をしてきた四天王に、不死性と完璧な連携を得た魔物の大軍勢。

 アースガルドが地層並みに分厚い魔法金属の鎧の中に引き籠もりでもすれば、その防御力は蒼炎竜状態のドラグバーンすら超えるだろう。

 ドラグバーンの時と違って、こっちには数の利もない。

 アイアンドワーフを筆頭にしたゴーレム軍団はいるが、それも敵勢の10分の1程度の数。

 見えてる戦力だけでもこれだけヤバい上に、伏兵がいないという保証すらない。

 

 冗談抜きでドラグバーンの時より厳しい戦いになりそうだ。

 おまけに、こうして先手を取られて後手に回ってる以上、対策を練る時間すらない。

 喋ってる間にも山ゴーレムは次の岩弾を作り出し、魔物の群れはどんどんこっちに近づいてくる。

 ……とりあえず、あの岩弾を防がない事には何も始まらないか。

 

 対策を練るのは頭の良いエル婆とかに任せて、俺は自分の役割を全うしようと迎撃態勢に入った時、

 

「とう!」

 

 俺よりも先にイミナさんが飛び上がっていた。

 そのまま魔鎚を大きく振りかぶり、豪快でありながら洗練された重量級の一撃を大岩に叩きつける。

 

「『轟縋』!」

 

 大岩の芯を捉えたその一撃は俺の反天と同じく大岩を粉砕し、更に中の魔法金属までも衝撃でどこか遠くへと弾き飛ばしてしまった。

 それを成したイミナさんが地上へ舞い戻り、堂々とした姿で口を開く。

 

「里の守りはアタシに任せるっす! 他は皆であのデカブツ退治に行くっすよ!」

「え!? で、でも……」

「大丈夫っすよ、ステラちゃん。元々、里を守るのはアタシの仕事っす。それにデカブツに比べれば魔物の群れくらい余裕っすからね!」

 

 強がりだ。

 あの群れの中には、間違いなく聖戦士とまともに戦える上位竜クラスの魔物が複数体いる。

 いくらアイアンドワーフ達がいるとはいえ、イミナさん一人ではかなりキツい。

 しかも、山ゴーレムの攻撃だっていつ飛んでくるかわからないのだ。

 ここに一人残るというのは、死地に立つという事。

 

「イミナさん……」

「あのデカブツ倒す為には、一人でも多くの戦力で袋叩きにするしかないと思うんすよ。という訳で、とっとと行くっす。向こうは任せたっすよ」

 

 それでもイミナさんは行けと言う。

 ……やっぱり、この人も聖戦士。大英雄の一人だな。

 普段はウザイが、尊敬すべき偉大な人だ。

 

 俺は何か言おうとするステラの肩に手を置きながら、イミナさんに激励を送った。

 

「すぐに片付けて戻ってきます。それまで死なないでくださいよ」

「こっちのセリフっす! アランこそ、ステラちゃんの前でカッコ悪い所見せるんじゃないっすよ! 愛想尽かされないように頑張るっす!」

「大きなお世話です!」

 

 ったく、こんな時まで!

 

「行くぞ、ステラ!」

「……うん。イミナさん、死なないでくださいね! 聞きたい話がまだ沢山あるんですから!」

 

 それ俺の捏造ストーリーじゃないだろうな?

 そんな事言ってる場合じゃないんだが、どうしても気になる。

 イミナさんの無言のサムズアップがかなり不吉だ。

 

「致し方ないか……。行きがけの駄賃にできるだけ数は減らしてやるから安心せい!」

「が、頑張ってください!」

「危なくなったらアイアンドワーフを頼れ! そいつらは強い!」

 

 そうして、俺達はイミナさんを一人残して山ゴーレムの元へ、アースガルドを倒す為に進軍した。

 ……しかし、この戦力を分断される感覚、嫌に覚えがあるな。

 レストの時然り、ドラグバーンの時然り。

 

 そう思った瞬間、ふと既視感と共に俺の頭にある光景が蘇ってきた。

 それはドラグバーンとの戦いの時。

 そうだ。

 あの時、確かあいつは……



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72 現る

「とぉおおりゃああああ!!!」

 

 アラン達をアースガルドの元へ送り出したイミナは、遂に正面から激突した魔物の群れを相手に、獅子奮迅の大立ち回りを見せていた。

 天界山脈迷宮部分での素材集め中に見つけ、祖父である世界最高の職人ドヴェルク・ドワーフロードが手ずから魔改造を施した雷の魔鎚『ミョルニル』を鎚聖の剛力と絶技で振り回して、一撃で数多の魔物を葬り去る。

 その姿は、かつてリンの故郷の街でブレイドが見せた無双劇に酷似した、まさに聖戦士の名に恥じぬ大活躍であった。

 

「チッ! 厄介っすね!」

 

 しかし、今回の相手は大英雄にただ屠られるだけの雑兵にあらず。

 一体一体が天界山脈という大迷宮において生存権を獲得した強獣達であり、それが特殊な魔族の力で統率された上に不死性まで付与されているのだ。

 勇者の攻撃にすら耐えた彼らが、そう簡単に倒れてくれる筈もなし。

 

 だが、それだけならばまだイミナが遅れを取るほどの戦力ではない。

 幸いな事に、魔物の数自体は勇者パーティーが行きがけの駄賃に倒してくれたおかげで当初の半分ほどに減っている。

 ゴーレムやアイアンドワーフ達の支援があれば倒しきれない数でもない。 

 問題なのは、そんな強獣達の群れに交ざった、更なる次元違いの猛者達である。

 

「ガルゥッ!」

「うおっと!?」

 

 群れの中から突然現れ、ひときわ強烈な攻撃を繰り出してきたのは、純白の体毛を身に纏った獅子。

 壮年(オールド)級マーダーライオ。

 恐らく、先日倒した奴とは別の群れを率いていた個体だろう。

 前は弱った所に不意討ちをかましたから一撃で倒せたが、まともに戦えば聖戦士であるイミナをして厄介な相手だ。

 

「シッ!」

「危なっ!?」

 

 続いて襲いかかってきたのは、漆黒の体を持つ巨大な老狼。

 壮年(オールド)級ダークウルフ。

 戦闘力でも先のマーダーライオに劣らぬ上に、歳を重ねる事で知恵と技を身に着け、漆黒の体を活かした闇の中からの不意討ちに磨きをかけた強敵だ。

 先程から決して正面からイミナに挑む事なく一撃離脱に徹し、他の強敵達との戦いで隙ができた所を徹底的に狙ってくる。

 一番嫌味な敵だ。

 

「ヒヒーン!」

「きゅう」

「ぬおっ!?」

 

 退いたダークウルフと入れ違いに、今度は雷撃と吹雪の同時攻撃がイミナを襲う。

 咄嗟にミョルニルの一撃で相殺し、攻撃が飛んできた方を見れば、そこには稲妻を全身に纏った巨馬と、やたらと貫禄のある隻眼のウサギの姿が。

 壮年(オールド)級ボルトホースと、壮年(オールド)級スノーラビット。

 雷を操る馬と、吹雪を操るウサギ。

 敵の遠距離攻撃担当だ。

 こいつらの的確な援護射撃のせいで、接近戦を仕掛けてくるマーダーライオやダークウルフに深く踏み込めない。

 

 そして、何より厄介なのが……

 

「ボォオオオオ!!!」

「くぅ!?」

 

 咆哮を上げながら突撃してきた岩のような外殻を持つ一匹の竜が、イミナに向かって全力の踏みつけを繰り出した。

 全長20メートルはある巨体と、その大きさに見合った重量を凄まじいパワーで叩きつけられ、さすがのイミナも力負けして地面に縫い付けられる。

 武器によるガードは間に合っているが、一瞬でも気を緩めれば押し潰されてぺしゃんこにされるだろう。

 

 聖戦士であるイミナをここまで追い詰める強敵の名は、ロックドラゴン上位種。

 上位竜と呼ばれる魔物の一体。

 それがこの場において最も強く、最も厄介な敵であった。

 

「こなくそぉおおお! 舐めてんじゃないっすよぉおおお!」

 

 しかし、イミナもまた人類の中でも屈指の強者。

 たった一人の聖戦士として今までドワーフの里を守り抜いてきた女傑は、その矜持を示すかのように全身に力を込め、同時に雷の魔鎚の力を開放させる。

 そして、密着状態から渾身の力を込めた一撃で、自らを潰そうとするロックドラゴンの巨大な足を振り払った。

 

「『雷鎚』!」

「グギャアアアアアア!!?」

 

 鎚聖の全力によって振るわれた世界最高峰の武器は、強大な竜の甲殻を砕き、傷口を焼き焦がし、更には傷口から浸透した電撃によって体を麻痺させ、動きを止めてみせた。

 硬直したロックドラゴンに追撃を加えるべく、イミナは跳躍してその頭をミョルニルで叩き割ろうとする。

 だが、

 

「「「ガァアアアア!!!」」」

「「「ワォオオオン!!!」」」

「「「ヒヒーン!!!」」

「「「きゅきゅぅ!!!」」」

「だぁああああ! 鬱陶しいっす!」

 

 大量の魔物達による命を捨てた一斉突撃によって、攻撃のタイミングを潰されてしまった。

 その大群はミョルニルの一撃で薙ぎ払ったが、次から次へと雪崩のように押し寄せてくるせいで、ロックドラゴンへ攻撃する隙がない。

 しかも、大群に紛れてダークウルフが暗殺を狙ってくるので、片手間に相手をする訳にもいかない辺りが実に嫌味だ。

 

 そして、魔物達が命と引き換えに稼いだ時間で、ロックドラゴンは全快してしまった。

 

(マジでやってられないっす!)

 

 イミナは内心で叫んだ。

 さっきからこの繰り返しだ。

 いい一撃が入っても、他が邪魔するせいでトドメが刺せず、回復を許してしまう。

 雑兵の数こそ減ってきているが、その雑兵を抑えてくれているゴーレム達も減ってきている以上、戦況に大きな影響はない。

 やはり、主力を倒せなければどうにもならないのだ。

 

 その主力が嫌になるくらい強い。

 種類にもよるが、元々壮年(オールド)級や上位竜クラスの魔物は、人類最高峰の戦力である聖戦士とまともに戦えるほど強いのだ。

 あくまでも、まともに戦えるだけであって、最終的には聖戦士が勝つ事が殆どであり、格としては聖戦士の方が上なのだが、それも一対一の真っ向勝負での話。

 こうして多数で取り囲まれれば、当然話は変わってくる。

 

(アラン達には大見得切っちゃったっすけど、やっぱり一人くらい残ってもらえばよかったっす!)

 

 先程の勇姿を全て無に帰す情けない言葉。

 実際に口には出さなかったのがせめてもの救いか。

 しかし、そんな弱音が出るほど悪い状況なのだから、本当に嫌になる。

 

「ボォオオオオオオオ!!!」

「えぇい! 弱音禁止! どうせやるしかないんすよ! かかって来いやぁあああ!!」

 

 叫んで気合いを入れ直し、大口を開けてブレスを放とうとするロックドラゴンに向き直る。

 避けてもいいが、できれば迎撃したい。

 何せ、避ければブレスが後ろの里に直撃してしまうのだから。

 聖女の上位結界がブレス一発くらいで破れるとは思わないが、いつ四天王からの流れ弾が飛んでくるかわからない以上、結界への負担は軽いに越した事はないのだ。

 覚悟を決めてミョルニルを強く握り、ブレスを真っ向から迎え撃とうとしたイミナだが……

 

「ボギャ!!?」

「へ?」

 

 突如、ロックドラゴンの巨体が揺らいだ。

 犯人は合金の肉体を持った身の丈5メートルの巨大な鉄人、アイアンドワーフだ。

 他のゴーレム達が身を呈して開いた血路を通り、ロックドラゴンには劣るとはいえ、人間とは比べ物にならない質量の乗った拳をロックドラゴンの横っ面に叩き込んだのだ。

 それによってブレスの照準は逸れ、逆に魔物達の一部を消し飛ばした。

 

 あり得ない事だった。

 術者の手を離れて遠隔起動しているゴーレムは、そこまで複雑な事ができない。

 目の前の敵と戦う事はできても、連携して血路を開き、戦況を見極めてイミナをフォローするなどできる訳がない。

 そんなあり得ない事が起きたのなら、考えられる理由は一つ。

 

「「「イミナ!」」」

「皆何やってんすか!?」

 

 聞こえてきた声の方を見れば、そこには結界の内側に集結した里の女衆の姿があった。

 彼女達がアイアンドワーフ達を操り、イミナを助けたのだ。

 

「危ないっす! 戻るっすよ!」

「何言ってるの! 若い娘一人に全部任せて引きこもってる訳にはいかないでしょ!」

「でも!」

「それに普段ならともかく、この結界が守ってくれる今なら、私達だってここで戦えるわ!」

「あ!」

 

 そう。

 普段であれば、ゴーレム以外に戦う術を持たない彼女達がこんな乱戦の舞台に立つなど危険すぎる。

 だが、リンの結界によって安全地帯が確保されている今なら話は別だ。

 この状況なら防御も回避も考えず、結界の中からゴーレムの操作だけに集中できる。

 

「盲点だったっす……。そういう事なら頼っていいっすか!」

「もちのろんよ!」

「いつまでもイミナちゃん一人に負担はかけないわ!」

「それに一回、男どもが私達に苦労かけまくって作った武器を思いっきり使ってみたかったのよね!」

 

 助けを求めれば、帰ってくるのは頼もしい返事。

 彼女達は戦闘経験こそないが、奇人変人だらけのドワーフの男どもをフォローし続けてきた有能さの化身達だ。

 イミナは百万の味方を得た思いだった。

 そして、この例えはあながち間違いでもない。

 

「魔導の理の一角を司る土の精霊よ」

「土塊に命を宿し、形を与え」

「我が敵に立ち向かう戦士を生み出せ」

「「「『土人形作成(クリエイトゴーレム)』!」」」

 

 それぞれの詠唱が完了し、一斉に土人形作成(クリエイトゴーレム)の魔法が発動。

 それによって、これまでの戦闘で破壊されたゴーレムの素材や足下の山肌から新たなゴーレムが誕生し、前任のゴーレム達が使っていた武器を拾い上げて敵に向かっていく。

 術者がすぐ近くにいる場合、ゴーレム達の数は魔力の続く限り無限であり、ある意味では不死身と言ってもいい。

 魔物が持っていた物量と不死性のアドバンテージを、こちらも手に入れたようなものだ。 

 更に、遠隔起動ゆえに単純な動きしかできなかったアイアンドワーフにも操縦者がつき、先程までとは比べものにならないキレのある動きで戦い始めた。

 

 この場にいるアイアンドワーフは、アースガルドに破壊されてしまった一体を除いて残り九体。

 そのうち二体が他のゴーレム達と連携し、ガトリングを乱射して雑兵魔物達を抑え、四体がマーダーライオ、ダークウルフ、ボルトホース、スノーラビットの各壮年(オールド)級を相手に一対一で足止め。

 そして、残りの三体は一斉にロックドラゴンへと襲いかかった。

 ロックドラゴンの巨体に組み付き、至近距離からガトリングをぶちかまし、回転する槍|(ドリル)で岩盤のような甲殻を抉る。

 

「ボォオオオオオオオ!!?」

 

 さすがに、変態とはいえ凄腕職人達の傑作であるアイアンドワーフ三体がかりの攻撃は効いたらしく、ロックドラゴンは痛みで絶叫を上げながら、纏わりつく三体を体をよじって振り払おうとした。

 遠心力で一体が飛ばされ、高速で振るわれた尻尾に一体が吹き飛ばされる。

 だが、両腕にドリルを搭載した個体だけは、突き刺さったドリルを支えにしぶとくしがみついて攻撃を続け、ロックドラゴンにダメージを与え続けていた。

 そうしてアイアンドワーフ達に翻弄されるロックドラゴンはあまりに……

 

「隙だらけっすよぉ!」

 

 歓喜の声を上げながら、ドワーフの里の最高戦力が動き出す。

 アイアンドワーフ達の奮闘により、雑兵魔物も壮年(オールド)級も足止めされ、ロックドラゴンはドリルの個体を引き剥がそうと必死。

 ここまでお膳立てされれば、もう怖いものなどなかった。

 

「『轟雷鎚』!」

「ボォオオオオオオオオオオオ!!!?」

 

 イミナの渾身の一撃が、ロクに回避行動も取れなかったロックドラゴンの頭部に炸裂する。

 しかし、相手は上位竜。

 一撃で倒せる相手ではない。

 今の一撃もクリティカルヒットしたにも関わらず、頭部の甲殻が大きくヒビ割れる程度のダメージしか与えられなかった。

 致命傷には至っていない。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラ!!」

 

 だが、一撃で倒せないのなら、倒せるまで滅多打ちにすればいいだけの事。

 これまでは他の魔物の妨害のせいで追撃ができなかったが、今なら打ち放題だ。

 溜まった鬱憤を晴らすかのように、イミナは雷鎚を振るって振るって振るいまくる。

 

 そうして、遂にロックドラゴンの頭部が粉砕された。

 

「もう一丁!」

 

 それでも、イミナは油断しない。

 なんだかんだで彼女は五十年以上の時を生きる、人族の基準で見れば壮年以上の戦士だ。

 長く生きているという事は、それだけ様々な経験を重ね、知識を蓄えているという事。

 当然、目の前の魔物達の不死性の正体も、アラン達に聞くまでもなく把握していた。

 その倒し方までも。

 

 頭を失ってなお動こうとするロックドラゴンの胸に向かって、イミナの更なる攻撃が炸裂する。

 狙いは心臓。

 青黒い血を扱う魔族によって変異させられた者は、その魔族と同じ特性を持つようになり、オリジナルと同じく心臓が再生能力の源になる。

 つまり、心臓を潰さない限りは、延々と再生しかねないのだ。

 

 それを知っているイミナは油断なく、容赦なく、ロックドラゴンの胸の甲殻を叩き割って、内部の心臓を破壊した。

 

「うっしゃぁ!」

 

 頭が潰れたせいで考える事ができず、単調な動きしかできなくなっていたおかげで楽にトドメが刺せた。

 これで一番厄介な敵は撃破だ。

 しかし、まだまだ油断はできない。

 今の戦闘でアイアンドワーフ三体は結構なダメージを受けてしまったし、壮年(オールド)級を足止めしている方も格上を相手にしている以上、そう長くは持たない筈だからだ。

 アイアンドワーフ達が耐えてくれている内に、早急に敵主力の数を減らす必要がある。

 

「とはいえ、大分勝機が見えてきたっす。やっぱり持つべきものは仲間っすね。よっしゃ! この調子で一気に……ッ!?」

 

 勢いに乗って次の敵へ突撃しようとしたイミナだが、突如感じた背筋が凍えるような危機感に突き動かされて、咄嗟にその場から飛び退いた。

 一瞬前までイミナがいた場所を、青黒い光線のような攻撃が通過していく。

 避けきれなかったイミナの脇腹を抉りながら。

 

「うぐっ!?」

「イミナ!?」

「え!? 今何が!?」

 

 突然のイミナの負傷に混乱する女衆。

 だが、持ち前の有能さで冷静さを保ち、即座にロックドラゴンに挑んでいたアイアンドワーフ三体をイミナの盾になる位置へと移動させる。

 そんな頼もしい仲間達を見て、イミナも負けていられないと、痛みを堪えて攻撃が飛んできた方向を睨みつけた。

 

「避けましたか。勝利の直後、最も油断する瞬間を狙ってみたのですが、さすがは聖戦士。そう簡単にはいかないという事ですね」

 

 そこにいたのは、貴族風の装いをした、冷たい美貌の白髪の男。

 一見すれば人族にも見えるが、よく見れば肌の色は死人のように青白く、犬歯も牙のように鋭く尖っている。

 そして、そんな外見的特徴など些事だと言わんばかりに男の体から放たれる悍ましい気配。

 本能がこいつは敵だと訴えかけてくる感覚。

 間違いなくこいつは人類の敵、魔族だった。

 それも、その特徴が伝説に残るような、━━最悪の。



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73 相対する

「……まあ、想定内っすよ。伏兵くらいいると思ってたっすからね」

「ほう。では、これも想定内ですか?」

 

 パチンと、白髪魔族がキザったらしい仕草で指を鳴らす。

 すると、途端にイミナの全身に激痛が走った。

 

「ぐっ!?」

「さっきの攻撃で既に私の血はあなたの中に侵入したのですよ。さすがに、これだけで強力な神の力に守られた聖戦士をどうにかできるとは思っていませんが、その身に走る激痛だけでも中々のディスアドバンテージでしょう?」

 

 ニヤニヤと、ネズミをいたぶる猫のような悪趣味な目でイミナを見る白髪魔族。

 悔しいが、奴の言う事自体は正しかった。

 全身の血管の内側から針を刺され、内部から肉体をズタズタにされるような激痛。

 これで戦闘不能になるほど軟弱なつもりはないが、この不調を引き摺りながら残りの壮年(オールド)級と、そして明らかに高位の魔族である目の前の白髪魔族を相手にするのであれば、かなり分の悪い勝負になるだろう。

 不意討ちは大成功だ。

 

「この! イミナに何したのよ!?」

 

 突然苦しみ出したイミナを見て、アイアンドワーフの操縦者の一人が、白髪魔族に向かってガトリングを撃たせた。

 感情に任せて突撃する事なく、まずは遠距離攻撃による牽制から入る。

 いい判断だ。

 ただ、惜しむらくは……

 

「ふん。こんな劣化アースガルドのような玩具で、至高の種族たるこの私をどうこうできるとでも思っていたのですか?」

 

 ━━相対する敵が、駆け引きの通じないレベルの格上だった事だろう。

 白髪魔族が腕をひと振り。

 その腕の先から青黒い斬撃が飛び出し、ガトリングを迎撃するだけに留まらず、一撃で三体のアイアンドワーフ全てを破壊してしまった。

 イミナは何とかミョルニルを盾にして防いだが、衝撃で吹き飛ばされる。

 

(うげぇ!? 予想はしてたけど、やっぱバカ強ぇっす!)

 

 元々、魔物達の体に青黒い血が流れていた時点で、伏兵としてこいつが現れる可能性は予想していた。

 魔物だけけしかけて、自分は安全地帯での引きこもりに徹してくれるパターンが一番よかったが、そう都合良くはいかないらしい。

 

 そして、こいつが現れた場合、イミナは勝利を諦めて時間稼ぎに徹し、アラン達が四天王を倒して戻ってきてくれるまで時間を稼ぐつもりだった。

 勝算は低い上に情けない事この上ないが、それでも自分一人で倒せる相手ではないとわかっていたからだ。

 それほどまでに、こいつの一族は脅威であると歴史が証明している。

 

 誤算だったのは、時間稼ぎとか考える前に一発貰ってしまった事だ。

 全く、強いくせに不意討ちとかセコい奴である。

 だが、そのセコい攻撃が、かなりの有効打になってしまった。

 この状態では、とてもアラン達が戻ってくるまで持たないだろう。

 

「まあ、それでもやるしかないんすけどね……!」

 

 体調は最悪。

 敵は強くて、頼れる味方が盾にもなれない。

 それでもイミナが諦める事はない。

 彼女は『鎚聖』。ドワーフの里の守護者。

 自分が倒れれば、共に戦ってくれている同胞達にも、自分達のために戦ってくれているアラン達にも危険が及ぶとわかっている。

 だから、彼女は諦めない。

 そして、彼女には覚悟がある。

 どうにもならなくても、最後の最後まで足掻いて足掻いて足掻きまくり、その果てに勝利を手繰り寄せてみせるという覚悟が。

 

「アタシは『鎚聖』イミナ。ドワーフ1の頑固爺『武神』ドヴェルク・ドワーフロードの孫娘。爺譲りの頑固魂、簡単にへし折れると思ったら大間違いっすよ!」

 

 痛む体を奮い立たせ、かぶくようにミョルニルを構え、不敵な笑みを浮かべて精一杯の虚勢を張った。

 そんなイミナを、白髪魔族はやはりニヤニヤとした嫌味な笑みで睥睨する。

 

「くっくっく。虚勢強がり大いに結構。せいぜい頑張って足掻きなさい。足掻いても足掻いても足掻いても足掻いても、その果てにあるのは絶望だけ。それをきちんと理解できれば、きっとあなたは私の血の支配に屈し、可愛い可愛い我が同胞(てごま)となれるでしょうから」

 

 そう言って、白髪魔族は腕を振り上げる。

 手刀の形に伸ばした掌に青黒い液体を纏わせ、振り下ろすと同時にそれを開放した。

 

「『鮮血の刃(ブラッディブレード)』!」

 

 青黒い液体の刃が超高速でイミナに迫る。

 先程、アイアンドワーフ三体を纏めて粉砕した技だ。

 直撃すれば体が真っ二つ。

 ガードしても吹き飛ばされる。

 ならば、迎撃あるのみ。

 

「『轟雷……」

「イミナさん、ちょっと待った」

「ッ!?」

 

 痛む体で無理矢理大技を出そうとした瞬間、イミナは自分と白髪魔族の間に割り込んでくる存在に気がついた。

 黒い羽織に、刀を持った後ろ姿。

 それが誰かを認識して、イミナは慌てて技の発動を止める。

 そんな事をすれば当然、白髪魔族の攻撃に対処できなくなってしまう。

 だが、問題はないのだ。

 何故なら、戦いに割り込んできたこの人物は、イミナの知る限り最高の、防御と返し技の達人なのだから。

 

「五の太刀━━『禍津返し』!」

「む……」

 

 遠距離攻撃を跳ね返す必殺剣により、白髪魔族の放った攻撃が白髪魔族自身に向かって飛来する。

 しかし、青黒い液体の斬撃は、まるで意思を持っているかのように主に当たる前に霧散した。

 それでも、攻撃が不発に終わった事に変わりはない。

 白髪魔族は少し不快そうな目で不躾な乱入者を睨んだ。

 

「嫌な予感がして戻ってくれば案の定か。相変わらず、こっちの嫌がる事を的確にやってくる奴だ」

「アラン!」

 

 イミナが乱入者の少年の名前を呼ぶ。

 乱入者、アランは敵意というには激しすぎる、殺意に満ちた視線で白髪魔族を睨みつけていた。

 

「ちょ!? なんで戻ってきてるんすか!? デカブツの相手は!?」

「ステラ達に任せてきました。俺達は互いに信頼できる最高の相棒なので」

「え、何? まさか惚気聞かせるために戻ってきたんすか?」

「違うわ!」

 

 何故か繰り広げられてしまった茶番。

 お互いにふざける気など欠片もなかったのに、何故かそうなってしまった。

 しかし、ふざけた雰囲気などものともせずに、白髪魔族はアランに向けて話しかける。

 

「ああ、どこかで見たと思えば、加護も持たない劣等種のくせに私の手駒を潰してくれた少年じゃないですか。奇遇ですね。と言っても、あなたの方は私が誰かわからないでしょうが」

「……いいや。俺もお前を知っている。あいつを操ってた時に声が聞こえたからな。途轍もなく不快極まりないその声が」

「おや、そうだったんですか。少々命令の出力が強すぎましたかね。ですが、知っているのであれば話が早い」

 

 コホンと咳払いし、白髪魔族はおどけたように右足を引き、右手を体に添え、左手を横方向へ水平に差し出して、優雅に頭を下げた。

 まるで人族の貴族の挨拶のように。

 そして、告げた。

 見た目と違い、敬意など欠片も込もっていない声音で。

 

「はじめまして。私は魔王軍四天王の一人、『水』の四天王にして真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)、ヴァンプニールと申します。どうぞよろしく。あなたとは同胞(てごま)として長い付き合いができそうだ」

 

 白髪魔族改め、ヴァンプニールは笑う。

 皮肉を込めて優雅に。

 目の前の人間の行く末を思って残酷に。

 アランの目の前で、レストの仇である吸血鬼はニヤニヤと嗤った。



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74 離れていても

 ステラ達と共に魔物の群れを蹴散らし、アースガルドの元へ進軍していた時、俺は途轍もなく嫌な予感に襲われていた。

 このまま進めば取り返しのつかない事になるような予感。

 その理由は、かつてドラグバーンが俺達との戦いの前に溢した言葉を思い出したからだ。

 

『……やはりか。あの卑怯者め。余計な事をしおって』

 

 それは、ドラグバーンが配下の上位竜の屍の前で言ったセリフ。

 

『どこぞの性悪のせいで気分が悪い。この状況も不本意だ。俺はお前達の全戦力を相手に、堂々と正面から挑んでやろうとしていたというのに。まさかこの程度の戦力しか引き連れていない勇者と遭遇してしまうとは思わなかった』

 

 あの時、俺達はエルフの里の四方から攻撃してきた四体の上位竜に対処するために、戦力を分散せざるを得なかった。

 結果として、俺とステラは味方がエルフの一部隊しかいないタイミングでドラグバーンとぶつかる事になり、序盤でかなりの苦戦を強いられたのだ。

 

 しかし、セリフからもわかる通り、あの状況はドラグバーンにとっても本当に不本意だったのだろう。

 奴は強者との戦いだけが生き甲斐だと自分で宣言するような、根っからの戦闘狂だった。

 戦いの最中も嬉しそうに笑ってたし、あの言葉が嘘だったとは考えづらい。

 

 だったら、上位竜にエルフの里を襲撃させて、俺達を分断する戦略を考えたのは別の奴という事になる。

 それこそがドラグバーンの言っていた『卑怯者』なのだろう。

 あの時は直後のドラグバーンとの戦闘が激しすぎて深く考える余裕がなかったが、今考えてみれば色々と思いつく可能性がある。

 

 まず、そいつの正体はドラグバーン配下の上位竜を勝手に動かせる力を持った存在だ。

 この時点で色々と絞り込める。

 並みの魔族より余程強い上位竜を操る力。

 その上、四天王であるドラグバーンの不興を買う事をまるで恐れない行動。

 まず間違いなく、四天王と同等に近い実力者の仕業だ。

 それも、屈服ではない特殊な方法で魔物を操れる能力持ち。

 あの種族であれば、その条件にも当てはまる。

 

 そして、他者を操る、俺達を分断して叩くという戦術には、エルフの里の戦い以外でも覚えがあった。

 レストの時だ。

 上位竜達と同じように、レストやあの街の兵士達も操られて魔族の手駒にされていた。

 しかも、俺達を分断させるという戦術まで同じ。

 もちろん、偶然かもしれない。

 敵を分断させるなんてよくある基本戦術の一つだ。

 

 それでも、俺の直感が言うのだ。

 二つの戦いの裏から同じ匂いがすると。

 

 色々理屈こねたが、所詮はそれも全部この直感ありきの後づけ理論にすぎない。

 そして、俺の直感は割とよく当たる。

 嫌な予感であれば特に。

 散々死にかけて危ない目に合う経験を積みまくった俺の嫌な予感だ。

 信じる価値は充分にある。

 

 それで、この直感が正しいとして、敵が二つの戦いの裏にいた奴だったとしたら、次はどう動く?

 決まってる。

 奴の基本戦術は、こっちを分断しての各個撃破。

 狙われるとしたら分断された個、━━イミナさんだ。

 

 当然、俺達を無視してイミナさんを狙ったりすれば、残されたアースガルドは一人で俺達勇者パーティー全員を相手にする事になる。

 だが、奴は味方であるはずのドラグバーンの逆鱗に触れかねない事も平気でやった。

 アースガルドを囮に使うくらい普通にやるだろう。

 

 なら、それに対して俺達が打てる最善手はなんだ?

 これもまた決まってる。

 あと足りないのは、俺の覚悟だけだ。

 

 俺は前に進む仲間達の中で一人立ち止まった。

 

「アラン?」

「ステラ。少しの間、アースガルドの相手を任せていいか?」

「「「「!?」」」」

 

 俺のその言葉に、仲間達全員が絶句した。

 まあ、そうなるだろうな。

 今の言葉は、下手すりゃ俺の信念を捻じ曲げかねない言葉だ。

 ステラを守るために戦うという信念を。

 これまで、俺が自発的にステラの傍から離れて戦うなんて言い出した事はなかった。

 離れた先で戦って勝っても、その間にステラがやられて死んでたら何の意味もないからだ。

 だが、それは俺の弱さだったと今ならわかる。

 

「イミナさんの方で何か起こる気がする。この中で救援に駆けつけるとしたら俺だろ」

 

 多分、パーティーの中で一番あのデカブツに対する有効打を持ってないのは俺だ。

 ゴーレムは首を飛ばそうが四肢をもごうが止まらない。

 体が大きく崩れるほどのダメージを与えなければ倒せないのだ。

 しかも、あの巨大な山ゴーレムは、恐らくアースガルドが中なり近場なりから操っている。

 だったら、ちょっとやそっとのダメージは即座に修復されると見ていい。

 

 俺の手持ちの技では仕留められない。

 禍津返しで魔法金属の射出を跳ね返し続ければあるいはとも思うが、そんな明確な負け筋を何度も繰り返してくれるほどアースガルドもバカじゃないだろう。

 加えて、あの超ド級サイズが相手じゃ、ドラグバーンの時みたく近接戦闘で動きを封じるのも不可能。

 盾くらいにはなれるだろうが、逆に言えばそれくらいしかできない。

 単純に相性が悪い。

 かつてのドラゴンゾンビの時と同じだ。

 

 故に、アースガルドとの戦いで一番抜けて困らないのは俺なのだ。

 

「必ず、すぐに戻ってくる。それまで耐えられるか?」

 

 ああ、こりゃ不安と心配が顔に出てるな。

 そう自覚する情けない俺に対してステラは、

 

「ふん! 誰に言ってるのよ」

 

 いつも通りの勝ち気な笑みを浮かべた。

 まるで不安などないと言わんばかりの、どこまでも頼りになる勇者の笑みを。

 

「そんなのこっちのセリフよ。私達の方が先に終わらせて駆けつけてやるわ。私はあんたを信じて任せる。だから、あんたも私を信じて任せなさい!」

「……ふっ、そうか」

 

 微塵の迷いもなくそう宣言するステラを見て、俺も思わず笑っていた。

 どうやら、こいつはとっくに覚悟が決まってたらしい。

 俺を信頼して任せる覚悟が。

 思えばレストの時もこいつは迷わず俺にレストを任せ、自分にできる最善の行動をとっていた。

 信じる事もまた強さ。

 互いに信頼し合ってこそ、真の相棒なのだろう。

 

 それを見て、俺も覚悟が決まった。

 

「そっちは任せる。だから、こっちは任せろ」

「了解!」

 

 俺達は互いに腕を突き出して拳を合わせる。

 拳を通して、ステラと心が繋がったような気がした。

 離れていても心は一つだ。

 

「じゃあ、行ってくる。お前らもステラを頼んだぞ!」

「はい!」

「当たり前だ!」

「いやぁ、成長したのう、アー坊。ステラのためにしか戦わんみたいな事を言うておった子がこんな立派に……」

 

 エル婆の年寄り特有の長い話を無視して走り出し、俺は里の方へと逆走を開始した。

 全ては俺達にとってのハッピーエンドを掴むために。

 そのために最善と思った行動をとる。

 例え離れて戦うとしても、心はいつも隣に。

 

 そうして、俺は今ここにいる。

 この対峙するだけで腸が煮えくり返ってくるクソ野郎の前に。

 

「はじめまして。私は魔王軍四天王の一人、『水』の四天王にして真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)、ヴァンプニールと申します。どうぞよろしく。あなたとは同胞(てごま)として長い付き合いができそうだ」

 

 そう言って嫌味に嗤うクソ魔族、ヴァンプニール。

 その姿を見るだけで、その声を聞くだけでイライラする。

 こいつはレストの仇。

 あいつの全てを踏みにじった男。

 だが、怒りに任せて迂闊に仕掛けていい相手ではない。

 

 何せ、真祖の吸血鬼と言えば、竜にも勝る伝説の魔族だ。

 過去、幾度も人類に壊滅的な被害を齎した生ける厄災。

 一世代前の時代において猛威を振るい、九十年に渡ってこの世界で暴れ回った先代魔王もまた吸血鬼だったと言えば、それがどれほどの脅威かわかるだろう。

 嫌な予感は見事大当たりという訳だ。

 

「イミナさん、まだやれますか?」

「当然! ……と言いたいところっすけど、不意討ち食らっちゃって結構キツイっす。死ぬ気で頑張るけど、そこまで大きな戦力にはなれないっすよ」

「わかりました。なら、イミナさんは魔物の方を先にお願いします」

 

 俺は刀の切っ先をヴァンプニールに向けながら、言う。

 

「そっちが片づくまで、━━こいつは俺が相手をします」

 

 そうして、俺はヴァンプニール目掛けて突撃した。

 暴風の足鎧の力で加速し、一気に間合いを詰める。

 目的はイミナさんが他の魔物を倒すまでの足止め。

 だが当然、隙あらば俺一人でこいつを倒すつもりでいる。

 守勢に入るつもりはない!

 

「いいでしょう。まずは上下関係を叩き込んで絶望を教えてあげます。『鮮血の雨(ブラッディレイン)』!」

 

 ヴァンプニールの袖口から青黒い液体、吸血鬼の血液が溢れ出し、それが空中で細かく分裂して無数の小さな水弾になった。

 それが一斉に俺を目掛けて飛来し、まるで横殴りの雨のような攻撃が俺を襲う。

 

 俺の苦手なタイプの攻撃だ。

 一つ一つの独立した小さな水弾は斬払いで一気に霧散させる事もできず、これだけ小さいと歪曲連鎖で水弾同士をぶつけて相殺する事もできない。

 奴は恐らく、レストを通して俺の戦い方を見ている。

 こんな風に、的確に俺がやられて嫌な事をしてくると見ていいだろう。

 

 だが、そんな浅知恵で簡単にやられる俺じゃないぞ!

 

「二の太刀変型━━『歪曲・(ころも)』!」

 

 俺は突撃しながらクルリと回転し、剣聖シズカの羽織で守られた背中で水弾を受けた。

 剣よりも面積の拾い背中で水弾の雨を受け止め、回転に巻き込んで受け流す。

 こんな簡単な攻略法に対する対策を考えてない訳がないだろうが!

 

「ほう」

「『黒月』!」

 

 そして、眼球を狙った突きで脳の破壊を狙う。

 吸血鬼化したレストが頭部を再生させていた事から考えて、こいつも脳を貫いた程度じゃ殺せないだろう。

 だが、頭部を失ったレストは少しの間動けなくなっていた。

 殺せぬまでも、牽制くらいにはなるはず。

 

 その予想は、あっさりと外れる。

 俺の刀がヴァンプニールの顔を貫いた。

 なのに手応えが一切ない。

 俺が貫いたヴァンプニールの左目は、その部分が青黒い霧となって、完全に攻撃を受け流していた。

 霧化か!

 エル婆情報によると、これを使う吸血鬼は珍しいって話だったんだが、どうやらこいつは使ってくるタイプらしい。

 厄介な……!

 

「残念」

 

 ニヤリと笑って、ヴァンプニールが反撃を開始する。

 刃物のように鋭く尖った爪で俺を串刺しにしようとした。

 しかし、その動きは読めている。

 そして、手応えがないと気づいた時点で、刀の軌道は修正していたのだ。

 ガードは充分に間に合う。

 

 俺は突きの勢いのまま刀を横に構え直し、刀の側面でヴァンプニールの爪を受けた。

 そのまま爪撃の勢いを受け流して右に回転し、相手の攻撃の威力を自分の攻撃力に変換したカウンターを繰り出す。

 

「一の太刀━━『流刃』!」

 

 最も慣れ親しんだ基本の必殺剣がヴァンプニールの右脇腹を切り裂きながら胴体に侵入し、吸血鬼の急所である心臓へと斬撃が進んでいった。

 今度は体が霧にはならない。

 自分が攻撃してる時は霧になれないのか、それとも俺のカウンターが速かったせいで霧になるのが間に合わなかったのか。

 なんにせよ、今度は霧になって攻撃を受け流されることもなく、俺の手には刀で肉体を切り裂いているという確かな感触がある。

 

 そうして、俺の刀はヴァンプニールの心臓があるはずの左胸を斬った。

 脇腹から左胸にかけてを大きく斬り裂かれ、鮮血が舞う。

 しかし……

 

「くくっ、危ない危ない」

 

 ヴァンプニールは平然と生きていた。

 危ないと口では言いながら、その表情は余裕綽々。

 心臓を斬ったはずなのに殺せなかった。

 だが、心臓を破壊されて死なない吸血鬼はいないはず。

 心臓だけ霧にして受け流したのか?

 いや、それはない。それなら手応えでわかる。

 そうじゃなかったってことは、今のは霧化が間に合うタイミングじゃなかったってことだ。

 なのに、こいつは死んでいない。

 どんなカラクリだ!?

 

「さあ、お返しです。『爆血衝波(ショックブラッド)』!」

 

 その瞬間、奴の体を斬ったことで飛び散った大量の血液が爆発する。

 

「チッ!」

 

 刀を振り抜いている以上、斬払いは間に合わない。

 なら!

 

「一の太刀変型━━『激流加速・(まい)』!」

 

 歪曲・衣と同じように血液の爆発を背中で受け、しかし歪曲のように攻撃を歪めるのではなく、後ろに跳んで足を地面から離しながら攻撃を受ける事で、風に舞う木の葉のように攻撃の勢いに乗ってダメージを受け流しつつ、わざと吹き飛ばされて距離を取る。

 これぞ、流刃の応用で敵の攻撃エネルギーをカウンターではなく移動速度に変換する技『激流加速』の更なる派生。

 それによって距離を稼ぎ、俺は仕切り直すように、もう一度真っ直ぐ刀を構えてヴァンプニールを見据えた。

 

「今のも防ぎますか。やはり、あなたと接近戦をするのはスマートじゃないですね」

 

 そう言って肩をすくめるヴァンプニールの体には、さっきの斬撃によるダメージなど微塵も残っていない。

 吸血鬼の力で再生したのだろう。

 服まで直ってるところを見ると、あの服も血を染み込ませるなりして、体の一部のように使ってるのかもしれない。

 なんにせよ、心臓を斬っても殺せなかったカラクリを見抜かない限り、俺には勝ち目どころか勝ち筋すらなさそうだ。

 やはり、腐っても四天王。

 強い。

 

「さて、では第二ラウンドといきますか」

 

 ヴァンプニールの背中が蠢き、そこから蝙蝠のような翼が生える。

 攻略の糸口も見えないまま、戦いは更に俺にとって不利な状況へ移ろおうとしていた。



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75 『水』の四天王

「させるか!」

 

 翼を出し、空へ逃げようとしているヴァンプニールに対して、俺は飛ばれる前に対処するべく、間合いを詰めて再接近した。

 当然、向こうがタダで近寄らせてくれるわけもなく、迎撃の一手が放たれる。

 

「『血霧(ブラッディミスト)』!」

 

 ヴァンプニールの体から青黒い霧が噴き出し、それが奴を守るように周囲に展開した。

 あの霧の中には踏み込めない。

 あれは間違いなく吸血鬼の血液を霧化させたものだ。

 うっかり吸い込めば奴の血が体内に侵入してしまう。

 その程度の侵入量、加護持ちの英雄や聖戦士なら容易くレジストできるだろうが、俺だと微妙だろう。

 脆弱なこの体では、最悪一滴分の血液だけで奴に支配されかねない。

 

 だが、近づけないのなら、近づかないまま攻撃すればいい。

 俺は刀から片手を離して腰のマジックバックに突っ込み、そこからあるものを取り出して投げつけた。

 

「む!?」

 

 予想外とばかりにヴァンプニールが硬直する。

 レストとの戦いを見て、俺には遠距離攻撃がないとでも思っていたのかもしれない。

 確かに、俺の持つ安定した遠距離攻撃手段は、黒天丸頼りの黒月だけだ。

 その黒天丸が修復中な以上、それも使えない。

 

 しかし、俺はこういう小技も持っている。

 素直に刀を振ってる方が強い上に、片手を刀から離さなければならないから滅多に使わないけどな。

 だが、そのおかげでヴァンプニールの虚を突けたようだ。

 突撃をフェイントに使ったことも相まって、奴は応手が間に合っていない。

 

 そうして、霧の壁を突破して奴の目前に投擲物が飛来する。

 俺が投げつけたのは、修行時代に迷宮で拾い、売り払わずに残しておいた使えるマジックアイテム。

 一定以上の速度で投げると爆発する『炸裂球』だ。

 発動条件を満たしたことによって、炸裂球は冒険者ギルドで鑑定してもらった効果の通りに、ヴァンプニールの目の前で大爆発を起こした。

 

 ドォオオオオーーーン!!! という凄まじい轟音が鳴り響き、爆炎がヴァンプニールを包み込む。

 多分、ドラグバーン辺りに使ってもかすり傷しか付けられないだろうが、それでも下手な壮年(オールド)級くらいなら一発で倒し得る攻撃だ。

 売れば俺の治療費100回分くらいになると言われたのに、わざわざ取っておいた隠し球。

 これがどこまで通じるかだが……。

 

 その時、爆煙を中から突き破って、何かが高速で上空へと飛翔していった。

 翼を羽ばたかせて上空に陣取ったその何か。

 それは、変わり果てた姿のヴァンプニールだった。

 

 上半身の服は消し飛び、皮膚は焼け焦げ、顔面も醜く爛れて、骨や筋肉が剥き出しになっている。

 だが、逆に言えばその程度だ。

 ダメージが届いたのは肉体の表面までで、芯には届いていない。

 その程度の傷であれば、吸血鬼の力で即座に再生してしまう。

 考えなしに霧化するようなら爆炎で蒸発させられたかもしれないが、さすがにそこまで上手くいくわけもないか。

 

 そして、俺の見ている前で奴の肉体は()()()()()()順に再生を始め、瞬きほどの間に全快し、服も含めて最初に見た時と寸分違わぬ姿に戻ってしまった。

 

「やってくれましたね。今のは中々痛かったですよ。しかし……」

 

 空の上から見下ろすように、見下すように、ヴァンプニールは嗤う。

 

「あれで仕留められなかった時点であなたの負けです。この上空にあなたの攻撃は届かない。地の利ならぬ空の利を私は得た。この有利な場所から一方的に攻められて、あなたは果たしていつまで抗えますかねぇ!」

 

 そうして、ヴァンプニールは上空から悠々と地上の俺に向かって手を翳し、そこから青黒い閃光を放った。

 

「『鮮血光(ブラドレイ)』!」

 

 上空から角度をつけて俺に襲いくる閃光、というよりこれは血液を高速で射出してるだけの水砲だ。

 だが、閃光と見まごうくらいには速い!

 

「『禍津返し』!」

「無駄無駄無駄ぁ!」

 

 さっきイミナさんに向けられた血の刃と同じように禍津返しで跳ね返してみたが、やはり跳ね返した攻撃は意思を持っているかのようにヴァンプニールの前で霧散してしまう。

 

「この攻撃に使われている血は私の一部なんですよ? 融通の効かない魔法と違って、手足のごとく自由自在に扱えるに決まっているではないですか!」

 

 奴の目の前で霧散した青黒い血液は、不気味に蠢いて形を変え、今度は無数の杭となって俺に降り注いできた。

 

「『歪曲』!」

 

 俺は横に走りながら、進行方向の杭だけを受け流して避ける。

 しかし、避けた杭は向きを変え、更にはヴァンプニールがもう一度手を翳して水砲を放ち、二方向からの攻撃が俺を襲ってきた。

 

「二の太刀変型━━『歪曲連鎖』!」

 

 ヴァンプニールの放った水砲を受け流して軌道を変え、追尾してきた杭にぶつけて相殺。

 それで一度は動きが止まった。

 だが、水と水をぶつけても消滅はしない。

 少しすればまた蠢いて形を変え、どこまでも俺を狙ってくる。

 

「ハハハハハハッ! 踊れ踊れ! 死力を尽くして! 身命を賭して! そして、その果てに絶望するがいい! ()と同じように!」

 

 掠ることすら許されない致命の攻撃を避け続け、捌き続ける中、ヴァンプニールのその言葉が嫌に耳に残った。

 

「確か、名前はレストと言いましたか? 彼は無様なものでしたよ! 心も体も弱くて弱くて、戦場に放った私の手駒を相手に、何もできずボロボロにされるしかなかった役立たず!」

 

 多分、挑発のつもりで言ってるんだろう。

 確かに、それは有効だ。

 俺の剣術は繊細さが命。

 激情で動きが荒くなれば一気に破綻する。

 だからこそ、そうならないための修行は積んできた。

 

「最後には恐怖で泣いて漏らして、惨めに震え上がっていましたよ! あまりにも哀れで情けないから、慈悲の心をもって血を分け与え、混血の同胞(てごま)にしてやったというのに、結局は私の役にも立てずに無価値に死んだ! 人の役にも魔族の役にも立たない真性の出来損ないでしたねぇ!」

 

 だが、動きには現れずとも、怒りを抱かないわけじゃない。

 頭は努めて冷静に勝利への道筋を探っているが、心は怒りで爆発寸前だ。

 脳裏にレストの姿が蘇る。

 目の前のクソ野郎に操られながらも、必死に足掻いて抗って、最期は人間として死んだ我がライバル。

 死の間際に、自分ではなく想い人の幸せを優先した勇敢な英雄。

 接した時間こそ短かったが、あいつは大した奴だったと断言できる。

 そんなあいつを悲劇に叩き落とした張本人が、言うに事欠いてあいつのことを悪しざまに貶すのだ。

 嫌がらせとしては最高だろうよ。

 

「それに間抜けは彼だけじゃない! もう一人の方もすぐさま……」

「もう黙れ」

「ッ!?」

 

 お喋りに夢中で、迂闊にも凝固した血液を一箇所に纏めた大質量の攻撃を仕掛けてきたので、激流加速の推進力で凝固した血液の足場を蹴り、暴風の足鎧の力と合わせて、一気に上空に陣取るヴァンプニールのもとへ大ジャンプする。

 血液を一箇所に纏めたせいで、奴への道筋を邪魔する障害物もない。

 そのまま、激流加速の勢いが残った斬撃をヴァンプニールの胴に叩き込む。

 霧化も間に合わず、刃はヴァンプニールの体に沈んでいった。

 

「ふ、ふん! この程度!」

 

 だが、その斬撃は胴を半ばほどまで切断したところで、腹の中の何か硬いものにぶつかって停止する。

 当然、すぐに()()()()()()再生が始まり、ヴァンプニールは怒りの表情で反撃を繰り出そうと腕を振り上げた。

 

 俺はこれ以上斬れないと判断した時点で刀を奴の胴から引き抜き、僅かに残った勢いで空中で体を捻る。

 傷口から出た血を躱しつつ、踏みつけるようなキックをヴァンプニールの顔面に食らわせた。

 

「ごぶっ!?」

 

 そして、ヴァンプニールの顔面を踏み台にして跳躍し、身動き取りづらい空中で奴の反撃を受けるという状況から離脱。

 更に追撃を潰すべく、

 

「この……ッ!?」

 

 もう一つの炸裂球を投げつけておいた。

 本当は顔の前に投げつけたかったんだが、さすがにこの体勢から使い慣れていない投擲を無理矢理使ったせいで僅かに狙いが逸れ、炸裂球は奴の胴体に向かって飛来する。

 にも関わらず、何故かヴァンプニールはこれまでにないほど焦った顔をしていた。

 

 そして、起爆。

 再びの轟音が響き渡り、爆煙が晴れた頃には俺は地上へ帰還し、奴の腹には風穴が空いていた。

 どうやら、今回の炸裂球は一点集中爆破型だったらしい。

 マジックアイテムが人工物ではなく、迷宮の魔力を浴びて出来上がる自然物である以上、その性能が均一ということはない。

 しかし、それで奴を倒せるというわけでもない。

 またしても腹の風穴は一瞬で()()()()塞がり、ヴァンプニールは無傷の状態へと戻る。

 

「ふざ、けるなぁ……!」

 

 しかし、回復したのは肉体の傷だけで、精神の方にはそこそこダメージが入ったようだ。

 

「至高の真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)たるこの私を! 人間などという下等生物の、しかも加護も持っていない劣等種がここまでコケにしやがって! ふざけるなふざけるなふざけるな! 私は魔界で唯一、太古の時代から血脈と叡智を絶やさず継承してきた至高の一族だぞ!? 魔界で唯一の高貴なる一族なのだぞ!?」

 

 ヴァンプニールは物事が思い通りにいかなかった時の子供のように喚き、牙を砕かんばかりに強く噛み締め、怒りと苛立ちに支配された目で俺を睨んだ。

 この程度で傷がつくとは、なんとも安いプライドだな。

 苦労知らずの坊っちゃんかお前は。

 

「もういい! 対勇者戦に向けて力を温存するつもりだったが、ここまでコケにされて黙っていられるか! 貴様は私の全力をもって葬ってやる! 象に踏まれる蟻のように、災害に呑まれる虫ケラのように、惨めに無力に何もできないまま死ね!」

 

 ヴァンプニールが片腕を空に向ける。

 その掌から大量の血液が空に向かって登っていき、やがて青黒い液体の塊が空を覆い尽くした。

 ま、まさか……!?

 

「終わりだ! 『血死の大雨(デスコール)』!」

 

 空から青黒い雨が降る。

 耐性を持たない者にとっては絶望的で理不尽極まりない、吸血鬼の血の雨が。

 

「ほぎゃー!? な、なんすかこりゃあ!?」

 

 少し遠くでイミナさんの悲鳴が聞こえてくる。

 警告する暇もなかったが大丈夫かと思ってそっちを見れば、イミナさんは仕留めた壮年(オールド)級マーダーライオを上手く傘に使って血の雨を防いでいた。

 悲鳴上げたからには多少は浴びたのかもしれないが、聖戦士であるイミナさんなら少しくらい大丈夫だろう。

 

 そういう俺の方は、血の雨が降ってくる直前にリンの張った結界の中に駆け込むことで難を逃れた。

 だが、仕方なかったとはいえ、これはあまりいい手とは言えない。

 

「アハハハハハハッ! 何もできないか? 何もできないだろう!? 真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)の私と加護も持たぬ劣等種の貴様では、本来勝負にすらならないのだと思い知れ! そのまま無力に結界が砕け、死が訪れる瞬間をただ待っているがいい!」

 

 ヴァンプニールのマークを外したせいで、奴は結界への直接攻撃を始めてしまった。

 結界が壊れれば、俺はもちろんドワーフの里の住民全員が、吸血鬼の血に侵されて全滅だ。

 そうなる前にどうにかしなきゃならないんだが、何も良案が浮かばねぇ!

 

 あの血の雨は最悪だ。

 俺との相性が致命的に悪い。

 ただ大規模なだけの攻撃なら斬払いでどうとでもできた。

 ただ攻撃力が高いだけの攻撃なら、歪曲・衣といくつかの小技でダメージを最小限に抑え、多少の傷は覚悟で突破できた。

 だが、無数の水滴が相手じゃ広範囲攻撃の綻びを突いて霧散させる斬払いは通じないし、掠るだけで致命傷の吸血鬼の血液相手じゃ多少の傷を覚悟で飛び出すこともできない。

 

 最悪。

 まさに最悪だ。

 こいつはもはや天敵の一種と言っていいだろう。

 地力の差こそあれ、相性自体は最高に近かったドラグバーンとは完全に真逆。

 それでも、なんとかしなければならない。

 アースガルドを抑えてくれてるステラ達のためにも、負けることは断じて許されないんだよ!

 考えろ、俺!

 突破法を! 攻略法を!

 

 

「なんだぁ? 随分と苦戦してるみてぇじゃねぇか小僧」

 

 

 その時、俺の背後から声が聞こえた。

 齢と経験を重ねた者にしか出せない重厚な声。

 俺が頼りにした男の声。

 後ろに振り向けば、そこには……

 

「ドヴェルクさん……」

「よう小僧。依頼の品を届けに来てやったぞ。まあ、まだ半分だけだがな」

 

 世界最高の職人『武神』ドヴェルク・ドワーフロードが立っていた。

 その手に一本の黒い刀を持って。



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76 黒い炎で弔いを

「ほれ、抜いてみろ」

 

 ドヴェルクさんが投げ渡してきた黒い刀、黒天丸を鞘から抜いてみると、そこには元の漆黒の刀身を侵食するように所々が赤く染まった新たな刀身があった。

 

「依頼通り、四天王の素材を使って強化してやった。どのくらい強くなったかは自分で振って確かめろ」

「…………」

 

 無言で結界の外に向けて新しい黒天丸をひと振りしてみれば、刀身から噴き出した黒い炎が血の雨を焼き尽くした。

 黒天丸本来の闇と、ドラグバーンの炎が混ざり合ったのか。

 しかも、出力が前とは桁違いに上がっている。

 さすがは武神。

 タイミングも含めて最高の仕事だ。

 これなら、

 

「ありがとうございます、ドヴェルクさん。これなら戦えそうです」

「そうか。なら俺は帰って寝るとする。もう一本の方は起きてからだ」

 

 そう言って、ドヴェルクさんは激励の言葉一つかけることなく、仕事の成果だけ置いて、どこまでもマイペースに去っていった。

 里の危機もなんのそのか。

 肝が太いと言うか、本当に仕事のことしか頭にない人だ。

 

「さて」

 

 その仕事に報いるためにも、負けていられねぇな。

 俺が負けたら里が終わって、ドヴェルクさんは報酬を受け取れないまま死ぬだろう。

 さすがにここまでの仕事してもらって、支払いを踏み倒すわけにはいかない。

 

「行くか」

 

 そうして、俺は戻ってきた相棒を構え、結界の外へと飛び出した。

 青黒い血の雨が一斉に俺に降り注ぐ。

 結界の外にいるゴーレム達(アイアンドワーフを除く)の体が抉られてるところを見るに、この雨は俺の体くらい容易く貫通するだろう。

 そうなれば死ぬか、奴の血液が体内に侵入して操られるかの二択だ。

 

「四の太刀変型━━『黒月の舞』!」

 

 それを防ぐために、俺は結界から出る直前に黒天丸を振るう。

 イメージするはこの刀の元の持ち主である剣聖シズカの舞い。

 あのかつての大英雄を模した動きで、走りながら全方位へと斬撃を放つ。

 止まることなく放ち続け、舞い続ける。

 そうすれば黒天丸から噴き出した黒い炎がドーム状に俺を覆い、その炎が消えるまでの間、血の雨から我が身を守る盾になるのだ。

 闇の力で破壊しつつ、炎の熱で焼却するこの黒い炎の防壁。

 こんな小粒の雨じゃ貫けないことは、さっき結界の内側から試し斬りした時に確認済みだ!

 

「ッ!? その忌々しい炎……あの脳筋蜥蜴の力か! だが、そんな残り滓のような弱々しい火で、吸血鬼の血を燃やし尽くせると思うな!」

 

 ヴァンプニールが俺の方に両手を向ける。

 その掌の先に血液が集まり、奴周辺の血の雨もまたそこへ集束していく。

 膨大な量の血液を使用した大規模な一撃が放たれた。

 

「消え去れ! 『吸血魔光(ヴァンプティロード)』!」

 

 それは、これまで見た中で最大の大技。

 さっき見せた閃光のような水砲を何段階も強化した、竜のブレスを彷彿とさせる極太の血液砲。

 さすがに、これだけの質量を持った血液を黒天丸の黒い炎で蒸発させられるとは思わない。

 生前のドラグバーンならできただろうが、黒天丸に受け継がれているのは、あくまでも奴の力の一部。

 癪だがヴァンプニールの言う通り、僅かな力の残滓に過ぎないのだから。

 

 だがな!

 

「三の太刀━━『斬払い』!」

 

 黒天丸で防げないなら、自前の技で防げばいい。

 今までもやってきた当たり前のことだ。

 極太の閃光に対し、俺は舞いの勢いを維持したまま、すくい上げるような下からの斬撃でこの攻撃の綻びを切り裂く。

 閃光のごとき血液の塊は、綻びから全体の形を崩され、自らの進行エネルギーに耐えられなくなって、俺の斬撃に裂かれる形で弾けた。

 

 しかし、それで終わらないのが竜のブレスとの相違点。

 弾け飛んだ閃光を構成していた血液が蠢き、染み込んだ地面の下で形を変えて、瞬時に巨大な剣山へと変わる。

 二段構え。

 中々に考えられた技だ。

 

 それでも、これは読めていた。

 この技が普通の魔法や竜のブレスと違うことも、血液が奴の思いのままに動くことも百も承知。

 斬り裂いたくらいで気を抜くわけがない。

 

 俺は足下で凝固し剣山へと変わっていく血液を、上に跳躍しつつ頑丈な暴風の足鎧の底で受ける。

 地面の下から固体となって迫り上がってくる勢いを利用して激流加速を発動。

 黒天丸を上に構えて傘にしながら、一気に奴の陣取る上空へと跳んだ。

 

「な、なんだと!?」

 

 よほど今の二段構えの攻撃に自信があったのか、それを逆に利用されてヴァンプニールが動揺の声を上げた。

 その隙を見逃すわけもなく、俺は傘代わりに使っていた黒天丸を上空に向けて一閃。

 飛翔する黒い炎の斬撃、四の太刀『黒月』。

 ドラグバーンの力が加わったことにより、従来とは比べものにならないほどの巨大な斬撃が発生し、それが軌道上の血の雨を蒸発させながらヴァンプニール本人をも飲み込んだ。

 

 直撃だ。

 しかも、この技であれば霧化で受け流すこともできない。

 もしそんなことをすれば、霧と化した部分が全て燃え尽きる。

 これが霧化の弱点だ。

 純粋な物理攻撃に対しては無敵でも、炸裂球やこの黒い炎のような魔法攻撃相手には逆に防御力の低下を招く。

 だからこそ、霧化を使ってくる吸血鬼は少ないんじゃないかとエル婆は言っていた。

 

 しかし、

 

「舐めるなぁ!」

 

 黒い炎に焼かれたはずのヴァンプニールはピンピンしている。

 霧化の弱点を突いたくらいで倒せれば苦労はないってことだ。

 単純な話、霧になって受け流せないなら、霧にならず素の肉体の頑強さで耐えてしまえばいい。

 俺程度の攻撃が相手なら、そんなことは容易だ。

 黒い炎に焼かれたヴァンプニールの体は、表皮が炭化する程度のダメージしか負っていない。

 その傷も、体の中心から(・・・・・・)即座に治っていく。

 

「言ったはずだ! そんな弱々しい火で……ッ!?」

 

 そうして黒い炎を耐え切ったヴァンプニールの目前に、一つの物体が飛来する。

 俺がマジックバックから投擲した球だ。

 三度目の小技。

 性懲りもない同じ技。

 だが、それもタイミングを見極めて使えば充分に有効打になる。

 故に、ヴァンプニールは焦った顔で対処しようとし……

 

「ッッ!?」

 

 失敗した。

 何故か?

 それは今回炸裂したのが爆発ではなく、目を開けていられないほどの()()だったからだ。

 俺が今回投げつけたのは、炸裂球ではなくそれによく似た(というか似たようなものに違う効果が宿っただけの)マジックアイテム、閃光球だったのだ。

 三流の手品師にも劣るセコい技だが、通用するならなんでもいい。

 むしろ、こういう小手先の技術は、適当に戦ってるだけで大抵の奴に勝てる強者だと中々研鑽の機会に恵まれない、弱者だからこその利点の一つとまで思ってる。

 

 そんな弱者の知恵を使って作った千載一遇の好機。

 奴は咄嗟に眩んだ目を両手で押さえてしまい、大技を使った直後にして不意討ちを食らった直後ということもあって、この瞬間だけはほぼ完全な無防備となっている。

 それでも、奴の雰囲気には焦りながらも確かな余裕があった。

 その根拠は、俺がまだ心臓を斬っても奴を殺せなかったカラクリを見抜いていないと思ってるからだろう。

 

 そんな驕りを、俺は黒い炎を纏った一閃で刺し貫く。

 

「『黒月』ッ!」

 

 激流加速によって、ジャンプで上空へ届くほどの速度にまで加速した勢い。

 その全てを乗せた黒天丸による刺突が、焼けた肌を裂き、骨の隙間を縫い、筋肉の鎧を貫いて、ヴァンプニールの胸に突き刺さった。

 刃が貫いたのは右胸。

 本来心臓があるべき部分から、拳一つ分横にズレた場所。

 そこを刺突と黒い炎で完膚なきまでに破壊されたヴァンプニールは、━━これまでにない尋常ならざる様子で苦しみ始めた。

 

「がはっ!? ゴホォッ!?」

 

 ヴァンプニールが大きく咳き込み、口から大量の血液を吐き出す。

 だが、その血が自由自在に操られることはない。

 それどころか、空を覆って血の雨を降らせていた膨大な血液の塊すらもその制御を失って霧散し、地上へ落下を始めようとしていた。

 

 それを見て、俺はヴァンプニールの胸から黒天丸を引き抜き、暴風の足鎧の力で地上へ向けて加速。

 そのままリンの結界の中へと着地し、空から降り注ぐ血液の滝をやり過ごした。

 近くで「ほぎゃ!?」とかいうイミナさんの声が聞こえてきたが、まあ大丈夫だろう。

 

 そうして、全ての血液が落ち切り、空に満月の明かりが戻った時。

 未だに戦い続ける魔物とゴーレムとイミナさんから少し離れた場所に、天から落ち、地面に倒れ伏したヴァンプニールが転がっていた。

 

「バカな……!? 何故……!? 何故、こんな……!?」

 

 うわ言のように小さい声で何やら口にし続けるヴァンプニール。

 俺は油断することなく、慎重に奴の方へと近づいた。

 確実にトドメを刺すために。

 

「貴様……貴様貴様貴様ッ!! 何故だ!? 何故、心臓の位置がわかった!?」

 

 かと思えば、急に大声で俺に問いかけるヴァンプニール。

 しかし、動かそうとした体は動かず、震える腕は体を持ち上げることができずに、べちゃりと自分の血で汚れた地面にまた倒れた。

 その体は吸血鬼化させられたレストの最期のように、徐々に灰となって崩れていっている。

 どう見ても、ヴァンプニールはもう何もできないんじゃないかと思えるほどに弱っていた。

 それはそうだろう。

 こいつは吸血鬼の弱点である心臓を完全に破壊されたのだから。

 

「何故、心臓の位置がわかったのか、か」

 

 答える義理はない。

 だから、その正解は心の中で思い浮かべよう。

 まず初めに、最初に奴の心臓を斬ったのに殺せなかったカラクリ。

 それは、こいつが()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 何度かこいつの体に傷を付けた時、その傷が治り始める場所が毎度変わっていたことでそれに気づいた。

 

 俺に真祖の吸血鬼との戦闘経験はないが、吸血鬼のような再生能力を持った魔物との戦闘経験はある。

 その手の魔物は大抵、体内に吸血鬼でいう心臓のような破壊されたら終わりの核があり、受けたダメージはその核を中心に治ることが殆どだった。

 そこまでヒントがあれば、さすがにわかる。

 

 それでも、体内を移動し続ける心臓を探し出すのは面倒だったが、そのために放ったのが、ヴァンプニールを飲み込んだ黒い炎の斬撃だ。

 表皮を焼く程度のダメージしか与えられなかったが、全身に及んだ火傷が治っていく様子で、心臓の位置は丸わかりだったんだよ。

 炸裂球に見せかけた閃光球から守るために、心臓を体の中心から胸に移動させたのも含めてな。

 

「あり得ない……! あり得ない……! この私が死ぬ? 至高の真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)たるこの私が、加護も持たない劣等種に狩られて死ぬだと? そんなことはあり得ない! あってはならないはずなのだ!!」

 

 まだ自分の敗北を認めず、現実逃避のように喚き続けるヴァンプニール。

 それを見て、

 

「お前、弱いな」

 

 ふと口が滑った。

 無言でトドメを刺すつもりだったのに、つい思ったことが口から溢れてしまった。

 

「なん、だと……!?」

 

 灰になって砕けていく牙を食い縛りながら、怒りの形相で俺を睨みつけるヴァンプニール。

 だが、全然怖くない。

 死の淵にあっても、最後の瞬間まで強者のオーラを撒き散らしていたドラグバーンと比べれば、今のこいつのなんと矮小なことか。

 

 確かに、こいつの力は強大だった。

 相性が最悪だったことを差し引いても、そこらの魔族とは比べものにならないくらいには強かった。

 血液操作に霧化。再生能力に飛行能力。人や魔物の眷属化。更には体内で心臓を移動させるという聞いたことのない技法。

 吸血鬼としての強みを最大限に活かした、紛うことなき強敵だったと言えるだろう。

 

 しかし、結果はこうして俺一人によって討伐寸前にまで追いやられている。

 肝心の吸血鬼としての能力だって、上手く使えてはいたがそれだけだ。

 心臓の位置をあっさり特定されたことといい、顔面を蹴った時に咄嗟に霧化を使えなかったことといい、まるで付け焼き刃のような練度で、お世話にも使いこなせていたとは言えない。

 

 おまけに、調子に乗って隙を作ったり、激高して血気に逸ったりと、脇の甘すぎる精神面。

 最期の時に現実を見られず喚き散らすだけの脆弱な心。

 勇者パーティー全員とエルフの里のほぼ全戦力で袋叩きにしてようやく仕留めたドラグバーンに比べれば、どうしたって見劣りする。

 その弱さをなんとかしようと努力した跡も見えなくはないが、それが付け焼き刃で終わっているのでは意味がない。

 

 生まれついての強さにあぐらをかき、自分よりも強い奴と出会って努力はしたものの、付け焼き刃の使い切れていない力を得た程度で満足して努力をやめ、自分より下の者を見下してふんぞり返ることしかできない傲慢で怠惰な愚か者。

 それがヴァンプニールを見て抱いた俺の印象だ。

 こんな小物がレストの仇かと思うと、いっそ悲しくなる。

 

「貴様、今なんと言った!? 取り消せぇ! 私は至高の真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)だぞ!? 先代魔王の血族だぞ!?」

「ああ、それもだ、ヴァンプニール」

 

 割と最初の方から思ってたんだが。

 

「お前が自分を称賛する時に使う言葉は、やれ至高の種族だの、先代魔王の血族だの、血筋を誇る言葉ばかりだ。()()()()()()()()()は一つもなかった」

「ッ!?」

 

 ヴァンプニールが息を呑んだ。

 図星か、それとも今自覚したのか。

 ……近づいて最後の足掻きで道連れにされても敵わないし、この距離で警戒したまま、少し言葉で揺さぶるか。

 

「お前は弱い。四天王の地位に相応しくないほどに弱い。本当は誰よりもお前自身がそれを自覚してたんじゃないか?」

「ッッッ!!!」

 

 ヴァンプニールの顔が悪鬼のような形相に変わる。

 怒りのままに俺を攻撃しようとして、振り上げた腕は灰となって崩れた。

 奴の全身にヒビが入っていく。

 終わりの時が近い。

 

 だが、

 

「………………ハハッ」

 

 ヴァンプニールは、死にゆく刹那。

 

「アーッハッハッハッハッハッハッハッハッ!!」

 

 壊れたように嗤った。

 ドラグバーンのような、自分を倒した者への称賛の笑みじゃない。

 開き直ったような、全てがどうでもよくなったかのような、破滅的な嗤い声だ。

 

「ああ、認めてやろう! 認めてやるよ劣等種! この戦い、私の負けだ! だが、貴様の勝ちでもない! 貴様らでは私の策略で地の利を得たアースガルドには勝てないのだからな! それに私にはまだ奥の手が残っている! 最後の力でこれを使い奴を暴れさせてやろう! 確かに私は終わりだ! だが、貴様らもまた終わりなのだ! アハハハハハ!! アハハハハハハハハ!!!」

 

 朽ちゆく体で嗤い続けるヴァンプニール。

 それを見て、俺は思った。

 

「最後の最後は他人任せか」

 

 俺の呟きを聞いた瞬間、ヴァンプニールの笑みがピタリと止まった。

 基本的に魔族は群れない。

 魔王という絶対強者によって従えられることはあっても、自発的に同族と組もうとはしない。

 当然、他人任せなんてもってのほかだ。

 それが魔族だというのなら、こいつは魔族としての最後の矜持すらも投げ捨てたことになる。

 

「魔族大嫌いな俺が言うのもなんだが、━━お前は魔族の風上にすら置けないのかもしれないな」

「ッーーーーー!!!」

 

 俺の率直な感想が、こいつにとっては何よりの侮辱の言葉にでも聞こえたらしい。

 ヴァンプニールは、これまでで最も必死な憤怒の形相で残った腕を俺に伸ばし……そのまま何かを口にする前に、全身が灰となって崩れて死んだ。

 ドラグバーンと違って潔さも誇り高さも何もない、実にみっともない最期だった。

 

「仇は取ったぞ、レスト」

 

 夜の天界山脈に、弔いの言葉が溶けてゆく。

 一つの戦いに決着がつき、四天王の一角がまた一つ、落ちた。



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77 差し伸べられた手

「見つけた」

 

 四天王二人と勇者パーティーの決戦の場となっている天界山脈から遠く離れた地にて、一人の魔族がポツリとそう呟いた。

 背中から異形の翼を生やした背の高い金髪の女だ。

 彼女は風を感じることで遠くの地へと意識を向け、顔をしかめた。

 

「ヴァンプニールとアースガルドの他に、多数の加護を持った人間の気配。この加護の強大さからして、勇者とその仲間達と見て間違いないだろう。……覚悟はしていたが、やはり既に戦いが始まっていたか」

 

 女は頭痛を堪えるように額を押さえる。

 この状況が不本意の極みであると、彼女の表情が雄弁に物語っていた。

 

「……しかも、ヴァンプニールの気配が消えた。敗れたのか。最悪だ」

 

 ドラグバーンに続き、無断で魔王城から飛び出した二人の四天王。

 彼女はそれを連れ戻す使命を受けていたのだが、たった今その片割れが死んだことを感知してしまった。

 ヴァンプニールは他三人の四天王に比べれば明確に劣っていたので、勇者パーティー相手の敗北はそう意外なことではないが、あの卑怯者なら絶対に勝てる状況でしか姿を見せないか、最悪でも死ぬ前にアースガルドを囮にしてでも逃げると思っていた。

 しかし、どうやらその予想は外れてしまったらしい。

 

 単純に発見されて逃してもらえなかったのか、それとも戦況判断を誤って調子に乗り、逃げるタイミングを自分で逃したのか。

 奴には自分が負けようのない状況になったと思い込んだ時や、自分を倒せるはずのない圧倒的格下を相手にした時、イキリ散らして油断する悪癖がある。

 実際、魔界で奴を仲間にした時は、逃げ回るヴァンプニールを油断させて釣り上げるために、種族的にはただの一般魔族である彼女が一人で別行動し、各個撃破しようと差し向けられた眷属相手に適当に苦戦を演じ、そこへ調子に乗ってまんまと姿を表した本人をボコボコにすることで服従させた。

 そんなアホなことを、またやらかした可能性は否定できない。

 なんにしても頭が痛い。

 

「ドラグバーンに続いて、手痛い戦力の損失だな」

 

 「こうならないための魔王様のご命令だったというのに」と嘆きながら、女は深く深くため息をつく。

 いくら四天王最弱とはいえ、ヴァンプニールを失ったのは大きい。

 そもそも魔王が奴に期待していたのは戦闘力ではなく、血によって際限なく眷属を増やせる点だ。

 一人一人が強いものの、人類に比べて数の少ない魔王軍にとって、その力はとてつもなく魅力的だった。

 だからこそ、あの程度の実力で四天王に列せられていたのだ。

 

「ハァ。死んだ者のことを考えていても仕方がない。幸い、アースガルドの方はまだ生きている。だが、距離的に間に合うかギリギリのところだな。急がねば」

 

 そう言って、彼女は異形の翼を広げ羽ばたく。

 凄まじい力で大地を蹴り、翼による加速と合わせて、音を置き去りにする速度で飛翔を始めた。

 

「全ては、魔王様のために」

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

「オラァアアアアアアアッ!!!」

 

 気迫の籠もった叫びを上げながら、『剣聖』ブレイド・バルキリアスは天を衝くような山の巨人を相手に大剣を振るう。

 狙いは腰。

 巨人と山の繋ぎ目といえる場所。

 そこに全力全開のフルスイングを叩き込む。

 

 轟音が響き、巨人の腰に巨大な亀裂が入った。

 鍛え上げた彼の怪力が山をも抉ったのだ。

 

 しかし、当然のごとく破壊までは至らない。

 生じた亀裂は何十メートルもの長さを誇れど、山一つを素材として作られた巨人からすればかすり傷だ。

 いや、普通の生物と違って胴の中に生命維持に必要な臓器も何もない岩の塊相手では、傷とすら言えないかもしれない。

 しかも、岩が蠢いて形を変えることで、その傷とも言えない傷はすぐに消えて無くなる。

 圧倒的な徒労感。

 それがブレイドを襲った。

 

「くそっ……ッ!?」

 

 思わず悪態をついた瞬間、ブレイドの周囲一帯が爆発した。

 土魔法の『地爆(アースブレイク)』に似た、岩や地面を勢いよく炸裂させる攻撃だ。

 本来なら火属性の爆発に劣るはずの魔法なのだが、今回の場合は如何せん規模が違いすぎる。

 巨人全体から見ればほんの一部とはいえ、それでも山の一部が丸々爆弾になっているのだ。

 その威力は高価なマジックアイテム『炸裂球』などの比ではなく、ブレイドは咄嗟に大剣を盾にしたものの、何百メートルも吹き飛ばされた上に大怪我を負った。

 そこへ無慈悲にも巨人の拳が降り注ぐ。

 

「『聖盾結界』!」

「『聖なる剣(ホーリースラッシュ)』!」

「『突風(ウィンドブレス)』!」

 

 しかし、仲間達がブレイドを助けた。

 リンの結界がほんの僅かな間だが巨人の拳を受け止め、ステラの放った光の奔流が腕の軌道を逸らし、エルネスタの風魔法がブレイドを攻撃範囲から救い出してリンのもとへと運ぶ。

 その直後、軌道を変えられながらも大地に降り注いだ超質量の拳が山を揺らし、風圧だけで周辺の全てを吹き飛ばした。

 三人のフォローのうちどれか一つでも欠けていれば、ブレイドは拳に叩き潰されるか、風圧による追い討ちを間近で食らって死んでいたかもしれない。

 

「『上位治癒(ハイ・ヒーリング)』!」

 

 更に、リンが追加で使った治癒魔法がブレイドの傷を癒やす。

 またしても彼は助けられたのだ。

 だが、

 

「まだだァ!!」

「ブレイド様!?」

 

 仲間達に感謝の言葉を告げる余裕すらなく、彼は再びガムシャラに巨人へと向かっていく。

 巨人はステラに抉られた腕をいとも簡単に修復しながら、もう片方の腕を振るった。

 ただし、その標的は向かってくるブレイドではない。

 拳の向かう先にいるのは、ブレイド以上のダメージを巨人に与えたステラだ。

 

「『全属性の裁き(ジャッジ・ザ・エレメント)』!」

 

 しかし、エルネスタの魔法がステラに向かっていた拳を弾く。

 無詠唱故に、エルフの里で竜の群れを一掃した時とは比べられないほどの威力しか出ていないが、それでも直撃すれば並みの壮年(オールド)級くらいは容易く貫く一撃。

 それでも巨人の腕すら砕けない。

 大きくヒビを入れて弾き飛ばすのが精一杯だ。

 

 何せ、この巨人の体の殆どは天界山脈という迷宮(・・)でできている。

 迷宮とは世界に満ちる魔力の流れが狂い、それが不自然に一箇所に溜まって淀んでしまうことで発生する特異点だ。

 内部に満ちる特殊な魔力は、長く浴びたアイテムや鉱石を変異させたり、ゾンビやゴーレムなどの変種の魔物を産み出したり、野生の魔物を誘引したりと様々な効果を及ぼすが、その特徴の一つに迷宮自体の強度がとてつもなく頑強であるという点がある。

 

 平均的な英雄や魔族程度では傷一つつけられず、攻撃力に優れた上位竜クラスでようやく攻撃が通るレベル。

 小規模なものですら完全に破壊しようと思えば、賢者などの超火力を持つ聖戦士が数日をかけなければならない。

 これだけでも絶望的な防御力なのだが、今の状況はそれに輪をかけて悲惨だ。

 

「魔導の理の一角を司る光の精霊よ! 神の御力の一端たる聖光の力よ! 光と光掛け合わせ、眩い三日月の刃となりて我が剣に宿れ! ━━『月光の刃(ムーンスラスト)』!」

 

 エルネスタが防いでくれたことで稼げた時間を使い、ステラは完全詠唱の魔法を発動させた。

 眩い光を放つ三日月状の斬撃が、勇者の圧倒的な膂力で振るわれた剣から放たれる。

 莫大な魔力を使って形作られた光の斬撃は、充分に巨人を切断し得る規格外のサイズだ。

 それが巨人の体を袈裟懸けに斬り裂く。

 だが、

 

「ああもう! ちょっと固すぎじゃないの!?」

 

 光の斬撃は確かに巨人の体を大きく抉ったが、胸の奥にある不思議な光沢を持った金属の塊に阻まれ、そこで停止させられた。

 その不思議金属の強度が、迷宮そのものである他の部分と比較しても尚、圧倒的にヤバいのだ。

 恐らく、あれはミスリルやオリハルコンといったいくつもの魔法金属が高密度で圧縮されて混ざり合った超合金。

 素材となった魔法金属一つ一つですら尋常ではない強度だというのに、それらが全て合わさったこの超合金の強度は常軌を逸するなどというレベルではない。

 更に最悪なのは、

 

「アースガルドって、あの謎金属の中にいるんですよね!?」

「間違いない! この巨大ゴーレムを動かす魔法も修復する魔法も、全てあの中から放たれておる!」

 

 そう。

 倒すべき敵であるアースガルドは、あの世界最強金属の中に引きこもっているのだ。

 アースガルドを倒すためには最低限、迷宮の壁と最強金属という悪夢の二重障壁を突破できる超火力がいる。

 それがどれだけの無理難題かというと、最強金属だけでも蒼炎竜状態のドラグバーンより硬いといえばよく理解できるだろう。

 ドラグバーン戦の決定打となった、長い集中と詠唱の末に放ったステラの大技ですら恐らくは通じない。

 

 今のアースガルドは、間違いなくドラグバーンより強かった。

 

「俺を見やがれぇーーー!!」

 

 そんなアースガルドが操る巨人に、愚直な特攻を仕掛ける男が一人。

 ブレイドは、まるで自分など眼中にないとばかりにステラを狙った巨人に激昂しながら突っ込んでいき、もう一度渾身の力を込めた剣を振るう。

 結果は先程と同じだ。

 巨人の体にかすり傷を付けて、それで終わり。

 そして、これもまた先程と同じように、同じで充分だと言わんばかりに、ブレイドの周辺が爆発する。

 

「舐めんな! 来るとわかってりゃどうにでもなるんだよ!」

 

 ブレイドは大剣を強く握って力を込め、振り抜いた状態から強引にもう一度振るった。

 それによって爆発を強引に斬り裂く。

 アランの斬払いから技術を無くし、代わりに腕力と剣速で無理矢理それを補った技とも言えない技だ。

 それでも確かに効果はあった。

 

「どうだ! がっ!?」

 

 しかし、一つの攻撃に対処しただけで気を抜いてしまうほど視野の狭くなっていたブレイドは、爆発の奥から伸びてきた巨大な岩の槍に捉えられ、またしても大きく弾き飛ばされた。

 今回も咄嗟の大剣を盾にしたガードは間に合ったが、体を貫く衝撃までは防げない。

 

『弱い。お前は弱い。どうしようもないほど弱い。救いようがないほど弱い』

(うるせぇ……!)

「ああああああああ!!」

「待って、ブレイド様! まだ回復が……」

 

 リンの声は届かず、頭の中に響く声に焦燥だけを煽られて、ブレイドはまたしても突撃していく。

 当然、そんなヤケクソで揺らぐ甘い相手ではない。

 ブレイドの攻撃など巨人は意にも介さず、突撃の度に跳ね返され、積み上がっていくのは自分のダメージのみ。

 

『無力。愚か。惨め。お前には何もできない。お前は何も成し遂げられない』

「ブレ坊! 考えなしに突っ込んでも無駄じゃ! ここは息を合わせて力を……」

「うるせぇって、言ってんだよッッ!!」

 

 もはや、頭の中に響く声と仲間の声の区別もつかない。

 ブレイドは攻める。攻め続ける。

 無我夢中に、ガムシャラに、何もできない現実から目を逸らすために攻撃を続ける。

 だが、通用しない。効かない。何一つとして効果がない。

 そうして無様に叩きのめされて、ゴミのように吹き飛ばされて。

 

「く、そぉ……!」

 

 遂には、膝をついて、動けなくなった。

 そこに容赦のない巨人の攻撃が降り注ぐ。

 鬱陶しい小蝿を潰すかのような張り手だ。

 ステラは攻撃の直後。

 エルネスタも魔法を使った直後。

 リンは必死で結界魔法を使おうとしているが、彼女一人でこの攻撃をどうにかすることはできないだろう。

 

 絶体絶命。

 さりとて、これは自業自得だ。

 感情に任せて独断専行をした代償。当然の報い。

 今度こそ仲間達のフォローは間に合わない。

 

 その窮地を救ったのは、黒い衣を翻して駆けつけた、ブレイドより圧倒的に才に恵まれなかったはずの剣士だった。

 

「六の太刀変型━━『反天・焔』!」

 

 風を発生させる足鎧の力と、新しい刀から迸る黒い炎を推進力にして限界まで加速し、その進行エネルギーの全てを見定めた一点に叩き込む。

 すると、バキバキという凄まじい音と共に、巨人の手首の上のあたりが砕けて折れ曲がった。

 その衝撃で僅かに腕は弾かれ、それによってブレイドの救出は成功。

 九死に一生を得た。

 

「こっちは普通に強敵みたいだな」

「アランくん!」

「おお、来おったか!」

 

 駆けつけたアランに、仲間達は頼もしい奴を見る目を向ける。

 妥当な反応だろう。

 アランは土壇場で頼られるだけの実績を積み重ねているのだから。

 

 だが、それは最近のブレイドには誰も向けてくれない目だった。

 

「……アラン、そっちはどうなったの?」

 

 ステラが緊張した声でアランに問いかける。

 その答えに、無才の英雄は誰もが望む結果を持ってきた。

 

「嫌な予感が的中して、こっちに魔物を操ってた黒幕が出てきたから倒した。━━レストの仇は取ったぞ」

「! そっか。ありがとう!」

 

 ステラが安堵の表情でアランに感謝を告げる。

 弟の仇が死んだ。

 喜ばしいことだ。

 ブレイドはレストが辿った悲惨な運命を全て見ていた。

 仇への憎しみも他の誰より強かったと断言できる。

 だから、その仇が討たれたのは喜ばしいことのはずなのだ。

 しかし、この時、ブレイドの脳裏に浮かんだのは、

 

(ああ、俺は弟の仇も自分の手で討ってやれなかったのか)

 

 そんな思いであった。

 そうしてブレイドが自己嫌悪に陥っている間にも、事態はどんどん推移していく。

 

「あっちの魔物どもは親玉を潰したら殆ど死んだし、残った奴も連携を無くして烏合の衆になった。もうイミナさん達だけで殲滅できる。あとはこのデカブツだけだ。さっさと仕留めて、今度こそ誰も死なせずに勝つぞ!」

「ええ!」

「ようやった、アー坊! ワシらも負けておれんのう!」

 

 アランの齎した吉報によって味方の士気が上がった。

 

「リン! ブレイドをお願いね!」

 

 ステラのその言葉を合図に、アースガルドとの戦いは次のステージへと移行する。

 あの絶対防御の攻略法を見つけたわけではない。

 それでも戦況は確実によくなっていた。

 アランが来たとはいえ、ブレイドが倒れてリンがその治療に当たっているのだから、人数的にはさっきより減っているにも関わらず。

 

『見ろ。奴らもお前など必要としていないのだ。お前に価値を見出していないのだ』

(……そうかもな。なんで俺はなんにもできねぇんだ)

 

 ブレイドの脳裏に、これまでの旅の記憶が蘇る。

 意気揚々とドラグバーンに挑み、簡単に殺されかけたこと。

 魔族に操られたレストを止めようとして、何もできずにボコボコにされたこと。

 強くなろうとしてアランやステラに教えを乞えば、自分が二人に比べて如何に劣っているのかがよくわかった。

 武神には未熟以前の問題だと唾棄された。

 そして今、またしても自分は敵を前にして何もできず、仲間の足を引っ張っている。

 

「くそっ……」

 

 体が痛くて動かない。

 それ以上に、心が痛くて動けない。

 戦い続けるという自傷行為すらできなくなった今、ブレイドの心にはどうしようもない苦しみと悲しみだけが満ちていた。

 リンが必死にかけてくれている治癒魔法でも治らない自責の念が心を蝕む。

 

『諦めろ。折れて曲がって挫けてしまえ。お前がお前である限り、何一つとして成し遂げられない出来損ないのままなのだから』

(出来損ない……そうだな。その通りだ)

「ハハッ……」

 

 ブレイドの口から全てを諦めたような失笑が漏れる。

 ああ、もうダメだ。

 声の言うことを心の中で完全に認めてしまい、今この瞬間、ブレイドの心は完全に折れてしまった。

 彼は、全てを諦めてしまった。

 

 その時、頭の中に響く声の質が変わる。

 

『ならば、この力に手を伸ばしなさい。そうすれば、あなたは変わる。変わることができる』

 

 今までの作業的に心を折りにくる声とは違う。

 喜色を隠しきれないようなニヤついた声。

 同時に、ブレイドの脳裏にあるイメージが浮かんできた。

 自分の目の前に、ドロドロとした青黒い液体が流れているイメージ。

 本来ならば本能的な忌避感を覚えたのだろうが、気力の全てを失っている今のブレイドには、それに反応する余裕すらない。

 

『さあ、私の血を受け入れなさい。この至高の血を受け入れなさい。さすれば最強の力はあなたのものだ』

(最強……)

 

 ブレイドは思う。

 最強なんてどうでもいいと。

 けれど、もしもこの苦しみから開放されるのであれば。

 この悲しみから開放されるのであれば。

 

(なんだっていい。なんだっていいから……俺を、助けてくれ)

 

 死んだ目で青黒い液体に手を伸ばすブレイド。

 声の主が悍ましいほどの喜色を浮かべ、そうしてブレイドは弟と同じ悲劇の道へと……

 

 

「いい加減にしてくださいッッ!!」

 

 

 ……墜ちる寸前、頬に走った痛みと、悲痛な叫びによって現実に引き戻された。

 何が起きたのかわからなくて、目をしばたたかせながら前を見れば、そこには必死にブレイドの治療をしてくれていたリンがいた。

 彼女の手は振り抜かれていた。

 その手がブレイドの頬を叩いたのだ。

 そして、リンは。

 ブレイドがかつて助けた少女は。

 

 泣いていた。

 

 溢れんばかりの涙を溜めた目で、されど強い意志の宿った瞳で、ブレイドを見ていた。

 アースガルドと死闘を繰り広げるアラン達ではなく、ブレイドだけを見ていた。



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78 彼女のための剣(ブレイド)

「本当にいい加減にしてください、ブレイド様! 無茶なことばっかりして、こんなにボロボロになって! なんなんですか!? 心配してる私を殺したいんですか!?」

「お、おう……」

 

 ビンタの後、胸ぐらを掴まんばかりの勢いで顔を近づけ、大声で怒鳴りつけてくるリン。

 そのあまりの剣幕に、ブレイドの意識が頭の中の声から引き離され、目の前のリンに移る。

 

「ブレイド様が無力さに苦しんでるのは知ってます! 強くなろうとして必死なのも知ってます! それで自分を追い詰めちゃってるのも知ってます! でも、苦しいならちゃんと周りを頼ってください! それが無理なら、せめて私にだけでも頼ってください! そうじゃないとブレイド様が壊れちゃいます! それは嫌です! 嫌なんですよ!」

 

 リンは叫ぶ。

 涙を流しながら叫ぶ。

 弱っているブレイドを慮って、今までは優しい言葉に包んでしか伝えられなかった言葉。

 それを剥き出しの感情に乗せて叩きつける。

 

「お願いします……! もうこれ以上、傷付かないでください……! もうこれ以上、苦しまないでください……! 私の大切な恩人が、私にとっての最高の英雄が、一人で苦しんでるのを見るのは耐えられないんですよ……!」

 

 ついにリンは、ブレイドの胸にすがりついて、幼子のようにわんわんと泣き始めてしまった。

 彼女ももう限界だったのだ。

 辛い思いをして苦しむのは本人だけではない。

 大切な人が死ぬほど苦しんでるのを見て、ボロボロになっていくのを見て、なのに自分では何もしてあげられないなんて辛いに決まっている。

 苦しんでいるブレイドを見て、リンもまた心を痛めていたのだ。

 むしろ、一番辛いのは自分ではないという思いが心の逃げ場を奪ってしまう分、下手をすれば現実逃避のように剣を振り続けていたブレイドより辛かったかもしれない。 

 

 そんなことにすら、ブレイドは気づいていなかった。

 周りを見る余裕がなかったし、見ようともしなかった。

 ずっと、心を苛む苦しみを紛らわすことに必死で。

 

 けれど今、彼の胸で泣き続ける少女を見て、その嘆きを聞いて、その体温を感じて、その涙に打たれて。

 自分の殻に閉じこもっていたブレイドは、無理矢理リンという一人の少女を見ることを強いられた。

 自分にしか向いていなかった意識が、リンによって引き摺り出されて、強引に外の世界へと連れ出される。

 

 そして外の世界には、自分のために泣いてくれる人がいた。

 出来損ないだと、価値のない男だと、自分で自分を諦めてしまったブレイドのために泣いてくれる人がいた。

 彼女はずっと傍にいてくれたというのに、ブレイドは今になってようやくそのことに気づいて……

 

(ああ、何やってんだ俺は。俺が情けないせいで、リンを泣かせちまったじゃねぇか)

 

 そんなことを思った。

 聖女の涙が剣聖の心を打つ。

 自分ではなくリンのことを見てブレイドは考える。

 彼女はこんなブレイドのことを恩人だと、自分にとっての最高の英雄だと言ってくれた。

 では英雄とはなんだ?

 そう考えれば、ブレイドの脳裏には多くの人の姿が浮かぶ。

 

 伝説の剣聖と呼ばれた祖父、ルベルト。

 命を懸けて魔王を退け、未来を守った両親、シーベルトとアスカ。

 僅か15歳で人類の命運を背負って戦う勇者、ステラ。

 そんなステラのためだけに、加護を持たない身でありながら彼女の隣で戦い続ける無才の英雄、アラン。

 数百年の時を生き、数多の魔王と戦い続け、今も勇者パーティーを支えてくれている大賢者、エルネスタ。

 頼れる兄貴分、ドッグ。

 そして……魔族の支配に命懸けで抗い、好きな女のために死の間際でも笑ってみせた弟、レスト。

 突然聖女なんて立場に据えられ、本来なら自分のことで精一杯だろうに、こうしてブレイドをずっと支え続けてくれたリン。

 

 身近なだけでもこれだけいる。

 どいつもこいつも凄い奴らばっかりだ。

 肩書と加護だけしか脳がない、こんな情けない自分とは大違いだ。

 

 だが、それでも、ブレイドもまた英雄なのだ。

 リンが彼のことをそう呼んでくれた。

 こんな自分のために泣いてくれた、こんな自分をずっと支えてくれた、こんな自分を英雄だと言ってくれた、そんなリンにとっての英雄になりたいと……いや、ならねばならぬと心が叫ぶ。

 それが、折れて曲がって挫けて壊れて、一度完全に諦めてしまったブレイドの胸に残った最後の意地だ。

 

 英雄が信じてくれている子のことを泣かせてどうする。

 英雄が自分を想ってくれている子に心配をかけてどうする。

 

(そんなの、カッコ悪いにもほどがあるだろうが……!!)

 

 ブレイドは、絶望に打ちひしがれる心の中で燃ゆる、小さな小さな男の意地という名の希望の火を必死に燃やし、泣き続けるリンの頭を優しく撫でて……そして立ち上がった。

 この子の前でカッコ悪いところは見せられない。見せたくない。

 そんなちっぽけな想いを最後の支えに、━━『剣聖』ブレイド・バルキリアスは立ち上がった。

 

「ブレイド様……?」

「リン、心配かけたな。もう大丈夫だ」

 

 自然と穏やかな笑みを浮かべることができた。

 ここ最近はまるで浮かべられなかった笑みを。

 実際は言うほど大丈夫ではないのだが、そこは強がる。

 こういう時こそリンの言った通り素直に頼るべきなのかもしれないが、今はどうしてもカッコつけたかった。

 それに、そんなことをしなくても、リンのおかげでブレイドはちゃんと救われたのだ。

 彼女は、折れた心に火を灯してくれたのだから。

 

 ブレイドは心を奮い立たせて前を向く。

 見据えるのは山の巨人、それを操る四天王アースガルド。

 さっきまで散々自分をいたぶってくれた相手に対し、決意を込めた一歩を踏み出そうとして……

 

『待て! 待て待て待て待て! 何を勝手に立ち直っている!? 最強の力が欲しくはないのか!?』

 

 ブレイドの頭の中に、再び声が響いた。

 しかし、不思議とさっきよりは心に響かない。

 

『貴様の力では何もできない! アースガルドに無力に踏み潰されて終わるだけだ! 貴様には私の力が必要なのだ! 私にすがりつけ! 私を頼れ! さすれば貴様は至高の……』

(ああ、そういうのはもういいわ)

 

 ブレイドはあっけらかんとそう思った。

 声の主が絶句しているような気配がする。

 

(お前は俺の心の闇かなんかなんだろうが、悪いな。俺はリンが「キャー! カッコ良いー!」って素直に思える英雄でありたいと思っちまったんだわ。だから、そんな黒い感情に呑まれるわけにはいかなくなった)

『……ふ、ふざけるな! こんなことがあって堪るか!!』

 

 声の主がブレイドに手を伸ばすようなイメージが頭に浮かんだ。

 しかし、その手はブレイドに届くことなく、何かに阻まれて弾かれる。

 

『くっ!? 心の隙を突かねば神の加護を突破できない! なんなのだ!? 何故こうも上手くいかない!? おのれおのれおのれおのれ………』

 

 声がどんどん遠くなっていく。

 それと反比例するように、ブレイドの心は不思議なほどに晴れ渡っていった。

 まるで、今まで背負っていた見えない重りが、どんどん消えて無くなっていくかのように。

 

『くそっ!? 消えてゆく! 私が完全に消えてゆく! ふざけるな! まだ何も残せていないではないか!? 最後の望みすらも理不尽に挫きおって! 許さん! 絶対に許さんッッ! 呪いあれ! 貴様らに呪いあれ! 呪い、あれ……! 呪い……………』

 

 もはや聞き取れないほどに小さくなっていた声が完全に消えた。

 それを気に留めることもなく、ブレイドは走り出す。

 そうして、大きく大剣を振りかぶった。

 やることは大して変わらない。

 全力で剣を振るい、全力で敵に叩きつけるだけだ。

 しかし、今のブレイドはさっきまでとは明確に違う。

 

「オラァアアアアア!!!」

 

 今度は仲間達が刻んだ傷に合わせるように、ブレイドは斬撃を繰り出した。

 綻んでいるところを狙ったのだから当然、与えたダメージは今までよりも遥かに大きい。

 だが、その程度の差異で巨人を倒せはしない。

 巨人はまた鬱陶しい虫が寄ってきたとばかりに、今度は粉砕された岩の破片一つ一つを弾丸として、一斉にブレイドに放つ。

 それに対してブレイドは……

 

「リン! 頼む!」

「! 『神聖結界』!」

 

 言われて咄嗟に発動したリンのドーム状の結界がブレイドの周囲を包み込む。

 とはいえ、無詠唱魔法では出力が足りない。

 盾のように魔力を一点に集中させる聖盾結界ではなく、全方位から迫る岩弾を防ぐためにドーム状に広げた神聖結界では尚更。

 

 岩の散弾は結界によって勢いを削がれるも止まることはなく、結界を突き破ってブレイドへと迫った。

 しかし、彼は結界が稼いだ僅かな時間を使って後ろへ跳び、その状態で勢いの削がれた岩弾を大剣の腹でガード。

 防ぎ切れない威力は、後方への跳躍で衝撃を逃しつつ受け流す。

 アランとステラに師事してずっと磨いてきた強者の受け。

 その応用だ。

 

「『水流派(ハイドロブラスター)』!」

「『月光の刃(ムーンスラスト)』!」

 

 そして、ブレイドは大丈夫だと見て放たれた仲間二人の攻撃。

 少しでも山の巨人を脆くするための水の魔法と、それを邪魔しない一点集中の光の刃。

 その二つがブレイドが押し広げた綻びを更に広げる。

 

「おおおおお!! 『大破壊剣』!」

 

 更に、一度引いてからブレイドは再度前へ出た。

 今までの猪突猛進の攻めとは違う、攻め時と引き際を見極めた緩急のある攻め。

 それが巨人の体に連撃を叩き込むことに成功し、迷宮の壁を斬り裂いて、魔法金属を大きく露出させる。

 

 だが、アースガルドの対応は冷静だ。

 欠片の焦りすら見せず、即座に反撃の一手を打ってくる。

 

 巨人の顔の前に巨大な岩塊が作り出され、それが高速で射出された。

 狙いはブレイド。

 ここまでの戦いで、一番狙いやすい相手だとわかっているのだろう。

 攻撃直後で剣を振り切っているブレイドでは、この攻撃を捌くことは難しい。

 

「『反天』!」

 

 しかし、アランによるフォローが間に合った。

 岩塊は、アランが叩き込んだ衝撃と自らの推進力が内部の一番脆い部分で炸裂し、無数の破片となって四散する。

 運が良かった、というわけではないことを全員が理解する。

 フォローが間に合ったのは、アランが急いでどうにかしたからではない。

 アランが余裕を持って助けられる位置にブレイドがいたからだ。

 つまり、━━ブレイドは、周りを見て戦うことができていた。

 リンに言われた通り、周りを頼って戦うことができていたのだ。

 それ即ち、

 

「ようやく復活したか」

「全く! 呆れるくらい遅いんだから!」

「悪い! 迷惑かけた!」

「「ホントにな(ね)!!」」 

 

 アランとステラが息ぴったりの文句をブレイドに叩きつける。

 だが、二人の顔は笑っていた。

 

「ブレイド様……」

「だから言ったろ、リン! 俺はもう大丈夫だってな!」

「……はい!」

 

 かつてのような軽薄でニカッとした笑みをブレイドは浮かべ、それを見たリンも、涙を流しながらも心から嬉しそうに笑った。

 

「……やれやれ。時間はかかったが、これにてようやく当代勇者パーティーの完成と言ったところかのう」

 

 しみじみといった様子でエルネスタは頷く。

 若く経験の足りない身なれど、剣の鬼との研鑽の日々によって、歴代勇者達と遜色ない実力を手にしたステラ。

 無才の身でありながら、勇者の唯一無二の相棒として縦横無尽の活躍を見せ、ステラの力を実力以上に引き出すアラン。

 心の闇に打ち勝ち、それを踏み台にして成長した当代の剣聖ブレイド。

 そんなブレイドに寄り添い、仲間達との架け橋となったリン。

 それにエルネスタ自身を含め、ようやくパーティー全員が一つに纏まった。

 

 この戦力枯渇時代のせいで、人数的には歴代でも相当少ない、一人でも欠ければ終わってしまいそうな脆い勇者パーティーだろう。

 しかし、不思議とエルネスタは今のパーティーに、かつて自分が所属していた勇者パーティーと同じだけの安心感を抱いていた。

 このパーティーは強いと、断言することができた。

 

「さて、それでは当代勇者パーティー真の初陣といくとしよう。全員耳を貸せい! ワシに秘策がある。鍵はブレ坊じゃ!」

「へ? 俺?」

 

 ニヤリと笑うエルネスタによって、作戦の概要が全員に伝えられる。

 ようやく『パーティー』として機能し始めた彼らによる、初めての共同作戦が。



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79 砕け

「『閃光の剣(フラッシュソード)』!」

 

 エル婆から簡単に伝えられた作戦に従い、ステラが無詠唱とはいえ発動に僅かな溜めがいる上位の魔法剣を、アースガルドが操る山ゴーレムの胸部に食らわせる。

 それによって、奴の本体がいると思わしき謎金属の部分を覆おうとしていた岩の壁が消え去った。

 しかし、肝心の謎金属に与えた損傷は僅かな亀裂のみ。

 それもすぐに粘土をこねるようにして修復される。

 本人へのダメージじゃないからか、聖剣の回復阻害効果もまるで意味がない。

 

 そして、奴の次の動きは当然反撃。

 山ゴーレムの顔の部分から無数の小さな礫が発射され、範囲攻撃のように散らばってステラを狙う。

 

「『歪曲・衣』!」

 

 その攻撃には俺が対処した。

 回転しながらステラの前に飛び出し、俺とステラに命中する軌道を飛んでいた礫を、剣聖シズカの羽織を盾に、回転に乗せて受け流す。

 

「もう一発! 『閃光の剣(フラッシュソード)』!」

 

 そうして、俺が迎撃を担当したことで生まれた余裕を使って発動されたステラの魔法剣が、再び山ゴーレムを襲う。

 さっきと同じ結果にしかならなかったが、今はこれでいい。

 俺達は再び攻撃と迎撃の準備に入る。

 

『ねえ、いつまで続けるつもり? もう諦めなよ』

 

 その時、山ゴーレムの中から声が聞こえてきた。

 感情というものがまるで感じられない平坦な声。

 アースガルドの声だ。

 

『君達の攻撃じゃ僕の守りを突破できないってわかったでしょ? 消耗を狙ってるならそれも無駄だよ。大地と繋がってる限り、僕は体力も魔力も大地から吸い上げたエネルギーですぐに回復できるんだ。君達に勝ち目はない』

 

 話しながらも、アースガルドの攻撃は止まらない。

 今度は超ド級サイズの両腕を頭上で合わせ、振り下ろしてくる。

 それに対し、俺は暴風の足鎧と黒天丸から噴き出す炎を推進力に限界まで加速。

 さっきブレイドを助けた時と同じく、新たな技をその巨腕に叩きつけた。

 

「『反天・焔』!」

 

 二つの武器の力によって、より強く叩き込めるようになった衝撃が、振り下ろされる腕の力とぶつかって一番脆い部分へと浸透し、合わさった二つの拳を内部から粉砕した。

 それによってアースガルドの攻撃は不発に終わる。

 その隙にステラは自分用のマジックバッグから魔力回復用の回復薬を取り出して飲み干し、魔力の回復を図った。

 

 ここがアースガルドの欠点だ。

 今の奴は攻撃力も防御力も回復力も蒼炎竜状態のドラグバーンを超える化け物だが、攻撃速度だけは山ゴーレムの巨体による鈍重さのせいでかなり劣る。

 おかげで、こっちには充分に回復と反撃の余裕があるし、多少の溜めがいる上に魔力の消費も激しい大技を気軽に放てるのだ。

 これなら、まだまだ戦える。

 

『理解できないな。どうして皆そんな必死に生きようとするの? そんなに頑張って生きた先に何があるの?』

「あーもー! さっきからうるさい! そんなの楽しいことがいっぱいあるに決まってるでしょ! こんにゃろー!」

 

 注意をこっちに引きつけるためか、あるいはただの天然か。

 多分半々くらいの理由で、ステラがアースガルドの言葉に反論した。

 

「平和な世界でのんびり過ごしたいし、好きな人といっぱいイチャイチャしたい! 友達とバカな話で盛り上がりたいし、皆で美味しいものだって食べたい! こちとら、そういう幸せな日常が欲しいから! そんな日常を一緒に過ごしてくれる人達を守りたいから! あんた達みたいな幸せを壊しにくる連中と戦ってるのよ!! だから諦めないし、諦められるわけないでしょうが!!」

 

 心情をぶちまけながら、ステラは剣を振り続ける。

 その中にさらっと俺の心をかき乱す言葉が紛れてたが、今は気にしたら負けだろう。

 そんな俺の心をかき乱すほどの感情が籠もったステラの言葉に、

 

『やっぱり全然理解できないや。それは僕達魔族とは縁遠い感情だ』

 

 アースガルドは、欠片ほどの理解も示さなかった。

 ただ無機質な声で理解できないと言う。

 

『ん?』

 

 しかし、不意にアースガルドの動きが変わった。

 

『ああ、なるほど。そういうことか。それが君達の希望なんだね』

 

 アースガルド操る山ゴーレムが急に俺達を無視して、俺達の後ろに狙いを定める。

 そこには、リンの結界に守られた中で、ドラグバーン戦の時のステラのように長い詠唱をもって大魔法の発動準備を進めるエル婆の姿。

 そして、エル婆の手によって、その大魔法を()()()()()()()()ブレイドの姿があった。

 俺達で注意を引き、リンの結界で溢れる魔力を遮断してるとはいえ、さすがにバレるか。

 

 そう。

 あれこそがエル婆の告げた作戦の肝。

 エル婆が、人類最強の魔法使い『大賢者』エルネスタ・ユグドラシルが時間をかけて練り上げた最強魔法を、聖戦士屈指の怪力を持つブレイドの剣技に乗せて放つという、作戦というには少し脳筋すぎる戦法だ。

 だが、アースガルドを守るあの謎金属の硬さを思えば、脳筋でもなんでも、とにかくあれを壊せる大火力が必要だって結論に行き着くことは俺でもわかる。

 俺達の役目は、あの最強魔法が完成するまでエル婆とブレイドを守ること。

 作戦はここからが本番ってことだ。

 

 山ゴーレムが大きく両腕を広げ、左右から押し潰すような柏手を放つ。

 全くの逆方向からの二点同時攻撃。

 これはさすがに、俺一人では守り切れない。

 単純に、俺の体は一つしかないからだ。

 歪曲連鎖が使えればいけるんだが、僅かな力で敵の攻撃の軌道を歪めるという歪曲の性質上、この山ゴーレムとは相性が最悪すぎて使えない。

 この巨大すぎる攻撃をちょっと逸したところで、圧倒的な攻撃範囲の広さから逃れられるわけがないのだから。

 

 だが、一人でできないのなら、二人でやればいいだけの話!

 

「そっちは任せる!」

「任されたわ!」

 

 俺が奴の右手、ステラが左手の方へと駆ける。

 そして、それぞれ同時に迎撃の技を放った。

 

「『反天・焔』!」

「『月光の刃(ムーンスラスト)』!」

 

 俺の叩き込んだ衝撃が山ゴーレムの右手首内部で炸裂して手首をもぎ、ステラの光の刃が左手首を切断する。

 しかし、奴はそんなことを気にも止めず、今度は胸部の謎金属を変形させて槍を生成し、射出した。

 余波すらも届かないようにと、かなり離れた位置で柏手を迎撃していた俺とステラは、この攻撃の対処に間に合わない。

 だが、問題はない。

 俺達が間に合わなくとも、ブレイドとエル婆を守る三人目の守護者は、人類最高峰の防御魔法の達人なのだから。

 

「神の御力の一端たる守護の力よ。神の御力の一端たる聖光の力よ。暴虐なる大魔に立ち向かう我らの前に顕現したまえ。その光で我らを照らしたまえ。その光で災いを退けたまえ」

 

 その詠唱は、俺達が奴の気を引いている時から始まっていた。

 一節ごとに丁寧に言葉を紡ぎ、魔力を紡ぎ、その魔法は静かに発動準備が進んでいた。

 

「聖なる光は全てを照らす。勇敢なる戦士達には祝福を。災いたる魔には断絶を。光集まり盾となれ。人々の希望を守る盾となれ」

 

 そして今、奴に気づかれぬように詠唱を終えた大魔法が発動する。

 四天王を倒せるような魔法じゃない。

 この戦いの決定打になるような魔法じゃない。

 ただ、いつものように、大事なところで俺達を支えてくれる『聖女』の魔法。

 それが、アースガルドの放った謎金属の槍の眼前で発動した。

 

 

「『神盾結界』!!」

 

 

 どんな魔剣よりも強く、どんな業物よりも鋭く、どんな鎧よりも硬いだろうアースガルドの槍。

 それを光り輝くリンの結界が真っ向から受け止める。

 恐らく、これは奴の切り札の一つだ。

 あの槍は無から産み出したわけじゃなく、自身を守る防壁を薄くする覚悟で、謎金属の壁から抽出して作り出していた。

 

 なのに、それだけのリスクを払って作った最強の槍は、リンの作った最強の盾を貫けない。

 

 ギャリギャリと音を立てながら槍は進もうとするが、結界は小揺るぎもせず、ヒビの一つすら生じさせることなく、遂には槍の勢いを完全に殺した。

 これがリンの本気。

 普段は人の恋路をニヤニヤしながら眺めてるただのウザい脳内ピンクとしか思ってないが、あいつもまた聖戦士の名に相応しい大英雄なのだ。

 

 しかし、アースガルドの攻撃は止まらない。

 今度は地面を操り、膨大な土石流によってブレイド達を狙う。

 あいつらが立ってる場所は、ギリギリ奴が掌握してる地面の範囲外らしく、足下や周辺一帯から一斉攻撃を食らわないだけマシなはずなんだが、こういうことをされると大差ないように思えてしまう。

 

 リンは発動した神盾結界を維持したまま、迫りくる土石流に備えた。

 あれなら正面からの攻撃は全て防げるだろう。

 だが、正面以外から来る土石流を操られてぐちゃぐちゃにかき回されでもしたらヤバそうだ。

 それでも、エル婆が準備を始めた時から発動してる方の結界で、しばらくは持ち堪えそうではあるが、どっちみち防ぎ切れない分は俺達がフォローする。

 

「『斬払い!』」

「『閃光の剣(フラッシュソード)』!」

 

 俺とステラはリン達の左右に立ち、神盾結界で守られている正面以外の場所をそれぞれの技で守る。

 とはいえ、光の奔流で土石流を消し飛ばしてるステラに比べて、俺にできることは微々たるものだ。

 斬払いは広範囲攻撃の綻びを斬って広げることで全体を霧散させる技。

 確かに対広範囲攻撃を想定した技ではあるんだが、こうも攻撃の規模が大きすぎると大した効果は見込めない。

 何せ、俺が斬って広げられるサイズの綻びなんて、全体から見れば猫の額ほどの面積しかないからな。

 自分一人が土石流から逃れられるだけの隙間は確保できても、とてもじゃないが霧散させるまではいかない。

 だから、俺とアースガルドの相性は悪いんだ。

 

 それでも何度も何度も刀を振るうことで、少しでも荒れ狂う土石流の勢いを断ち切るべく奮闘した。

 それがどれほどの助けになったかはわからないが、結果的にリンの結界は土石流の猛攻を耐え抜き、何発もぶっ放されたステラの魔法が土石流を全て消し飛ばして攻撃を終わらせる。

 

 そして遂に、

 

「待たせたのう! 我らが切り札、これにて完成じゃ!」

 

 ボロボロの結界の中から、エル婆が魔法の完成を告げる。

 見れば、凄まじい魔力を迸らせた大剣をブレイドが必死に抑えつけていた。

 その額には汗が滲み、ただ握っているだけでもブレイド並みの怪力がなければ不可能な所業なのだと理解させられる。

 

 そりゃそうだろう。

 エル婆がブレイドの大剣に纏わせた魔法は、恐らく最強の全属性複合魔法『全属性の裁き(ジャッジ・ザ・エレメント)』だ。

 普通に詠唱して放っただけでも、エルフの里では千を超える竜の群れを半分消し飛ばした、ふざけた威力の極大魔法。

 それを長い詠唱によって超強化した上に、大剣周辺という狭い空間に無理矢理圧縮してるんだ。

 その破壊力を自身の膂力だけで抑え込むとか、例えエル婆が細心の注意を払って反動を最小限に抑えたのだとしても、ブレイド以外だとステラくらいにしかできる気がしない。

 そのステラがアースガルドの足止めに必要不可欠だった以上、この役目を任せられるのはブレイドだけだ。

 

「さあ、あとはそれを魔法金属の壁に直接叩き込んでやるだけじゃ! 行けい、ブレ坊!」

「露払いは俺達に任せろ!」

「だから本命は任せたわよ!」

「頑張ってください! ブレイド様!」

「おっしゃぁあああ!!!」

 

 ブレイドが気合いの入った雄叫びを上げ、そうして作戦は次の段階へ移行する。

 リンが即席の結界で作った足場を伝い、ステラ、ブレイド、俺の順で一列になって、山ゴーレムの胸元まで駆ける。

 ブレイドを中心に、俺とステラで前後を固める陣形だ。

 

 当然、アースガルドがそれを黙って見ているわけがない。

 最初に奴が放ってきたのは、正面からのストレートパンチ。

 ここまで何度も防いできた攻撃だが、一度として気を抜けなかった大技だ。

 四天王クラス(ヴァンプニールを除く)は、通常技ですら普通に必殺の威力があるから恐ろしい。

 

 しかし、これは先頭のステラが何かするまでもなく迎撃された。

 リンがさっき発動し、そのまま維持していた神盾結界をステラの前に持ってきて盾にしたのだ。

 結界はそのまま俺達の前を直進し続け、正面からの攻撃に対する防御の要となる。

 リン大活躍だな。

 

 次のアースガルドの動きは、山ゴーレムの体を流動させ、形を崩すのと引き換えに、胸部の謎金属部分に岩壁を集中させることだった。

 わかりやすい防御力の増強。

 謎金属のヤバさのせいで忘れがちだが、あの岩壁もその全てが迷宮の壁。

 集まった時の防御力は尋常じゃない。

 こっちの切り札が準備に時間のかかる、ほぼ一発使い切りの技である以上、その一発をあれで耐えられれば勝利が大きく遠のいてしまう。

 

「魔導の理の一角を司る光の精霊よ! 神の御力の一端たる聖光の力よ。光と光掛け合わせ、極光と成りて我が剣に宿れ! ━━『聖なる剣(ホーリースラッシュ)』!」

 

 これにはステラが対処する。

 リンの結界に守られていたおかげでできた余裕を使い、走りながら詠唱を済ませていた魔法剣を発動。

 集まろうとする岩壁が一つに纏まる前に、片っ端から消し飛ばしていった。

 

 だが、アースガルドにとって、それはおまけのようなものだったらしい。

 奴は同時進行でいくつもの手を打ってくる。

 地面を操り、下方向から伸ばした大量の岩槍で俺達を狙う。

 リンの作った足場の上にいるとはいえ、切り札を叩き込むために前進してる以上、ここは既に奴の支配領域の中だ。

 当然、足場の下にある地面は全て奴の体の一部と言っていい。

 なら、真下からの攻撃くらい来るに決まってる。

 

「『大氷結(フリージング)』!」

 

 これに対処したのはエル婆。

 広範囲を凍結させる氷魔法により、伸びてくる岩槍の動きを固めて止めた。

 どんどん氷が割れていってるから、そう長いこと止められるわけではなさそうだが、ブレイドが目的地に到達するまでの時間が稼げればいいという判断だろう。

 

 しかし、まだアースガルドの手は残っている。

 向かってくる俺達を、奴は山ゴーレムの巨大な腕で包み込むように動かしてきた。

 この腕で圧殺するつもりではないはずだ。

 ここまでの攻防の間に、かなり距離は詰まっている。

 あれだけ大きな動きでの攻撃が間に合うわけがない。

 そして、それがわからないアースガルドではない。

 奴のこれまでの戦い方を見てればわかる。

 アースガルドはここまで感情というものに全く支配されず、どこぞの吸血鬼と違って、冷静沈着にも程がある立ち回りをしてきた。

 そんな奴が今更ミスをするとは俺には思えなかった。

 

 俺の予想は的中する。

 アースガルドは両腕で圧殺なんて手を選ぶことなく、山ゴーレムの全身を弾にして、とんでもない量の礫を射出してきた。

 顔、胸、胴、地面、そして広げた両腕から放たれる、超広範囲波状攻撃。

 しかも、広げた腕が壁になって後ろのエル婆とリンからのサポートを遮断している上に、腕が俺達の後ろに回っているから、後ろからも大量の礫が飛んでくる。

 やはり、どこまでもアースガルドは理知的だった。

 

 だが、それが勝利の決定打になるわけじゃねぇぞ!

 

「ニの太刀変型━━『歪曲連鎖』!」

 

 俺は前を行くブレイドに背を向け、後ろからの攻撃に対処する。

 前からの攻撃はステラとリンの結界に任せる。

 飛んでくる全ての礫の位置、軌道を読み切り、最初の礫の軌道を歪曲で狙った方向へと捻じ曲げた。

 その礫が他の礫にぶつかり、ぶつかられた礫の軌道も変わってまた別の礫にぶつかり。そうやって連鎖的にいくつもの礫を防ぐ。

 あの超質量の腕相手には使えないが、比較的小型の礫相手なら歪曲連鎖は通用する。

 それでも、この物量を前に全てを防ぎ切ることはできないが、ブレイドやステラに当たる分だけは意地でも全弾打ち落としてやる!

 

 そうして俺達が必死に攻撃を防いでいるうちに、遂にアースガルド本体のいる謎金属部分が、ブレイドの射程距離に入った。

 

「どぉりゃああああ!!」

 

 ブレイドが雄叫びを上げながら、ボロボロになっていた足場を踏み締めて跳躍する。

 それに対し、アースガルドはまた謎金属部分を変形させ、切り札の謎金属の槍を放った。

 空中にいるブレイドにそれを避ける術はなく、また防ぐ術もない。

 うっかり大剣で防いだりすれば、せっかくの魔法が暴発しかねないからだ。

 

 だが、アースガルドの槍の前には、やはりリンの結界が立ち塞がる。

 見れば、遥か後ろで山ゴーレムの腕に視界を塞がれていたはずのリンが、アースガルドの支配領域の大地にまで踏み込んで、ブレイドを視認できる位置へと移動していた。

 危険を承知で、結界を繊細に操作するための視界を確保したのだ。

 

 そんなリンの覚悟を宿した神盾結界は、ここまで何度もアースガルドの攻撃を受け止めて脆くなっているというのに、それでも謎金属の槍をしっかりと防いでから砕けた。

 これでもう、ブレイドの行く手を阻むものは何もない。

 

「行けぇ!」

「やっちゃえ!」

「ぶちかますのじゃ!」

「ブレイド様!」

「おおおおおおおおお!!!」

 

 ブレイドが空中で大きく大剣を振りかぶる。

 エル婆の大魔法を、自らの怪力と剣技で制御して。

 ここまでパーティー全員で繋いできた希望を、アースガルドを守る鉄壁の要塞へと叩き込む。

 

 

「『裁きの魔導剣(ジャッジメント・ブレイド)』!!!」

 

 

 その時。

 ブレイドが謎金属に渾身の一撃を食らわせた瞬間。

 凄まじい衝撃が発生した。

 前の世界において、満身創痍とはいえ世界最強の存在である魔王が死ぬ気で発動させた超魔法にすら匹敵する破壊の力。

 全てを砕く裁きの剣は、勇者ですらかすり傷をつけるのが精一杯だった究極の金属をどんどん破壊していき、遂には……

 

 山ゴーレムの胸部全てを吹き飛ばし、残骸と共にアースガルドの本体を宙に放り出してみせた。

 

「たたみかけろぉ!!」

 

 それを成したブレイドの叫びを合図に、俺達は一斉攻撃を開始する。

 もう奴と俺達とを遮る壁はない。

 俺達勇者パーティーと、『土』の四天王アースガルドの、最後の攻防が幕を開けた。



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80 『土』の四天王

「驚いた。まさか本当に壊されちゃうなんてね」

 

 絶対防御の謎金属を砕かれ、山ゴーレムという鎧まで壊され、地面とも離れた空中に投げ出せれて尚、アースガルドは全く表情を変えず、抑揚のない声でそう言うだけだった。

 口では驚いたと言ってるが、本当かどうかすら疑わしい。

 そう思ってしまうほど、奴からは驚愕どころか焦りの一つすら感じない。

 山ゴーレムを失ってもどうとでもなると思ってるのか……あるいは、本当にこいつには感情というものがないのか。

 

 だが、そんなことはどうでもいい。

 今重要なのは、この状況が俺達にとって最大のチャンスだということだ。

 奴に余裕を保てるだけの奥の手があろうがなかろうが、大地を操る土の四天王が空中にいるなんて願ってもない大チャンスを逃すわけにはいかない。

 

 ━━ここで仕留める。

 

 地面の中を移動することもできるアースガルドだ。

 空中にいるうちに倒し切らなければ、例え追い詰めたとしても逃げられる可能性も高い。

 故に、ここが最終局面。

 ここを最終局面にしなければならない。

 凌がれたら俺達の負けってくらいの気持ちで攻める!

 

「『月光の刃(ムーンスラスト)』!」

「『黒月』!」

 

 俺と似たようなことを考えたのか、ひときわ気合いの入ったステラと共に、アースガルドへの攻撃を開始する。

 光の斬撃と、黒炎の斬撃。

 距離と剣速の差によって、まずは光の斬撃が先行した。

 

「『金属の盾(メタルシールド)』」

 

 それに対して、アースガルドは宙を舞っていた謎金属の残骸を操作して引き寄せ、それを盾の形にして光の斬撃を防ぐ。

 だが、いくら今までステラの攻撃を防ぎ続けてきた謎金属とはいえ、今回奴が咄嗟に引き寄せられたのは僅かな断片のみ。

 分厚い壁を形成していたさっきまでならともかく、その程度の薄い盾で勇者の攻撃に耐えられるわけがない。

 

 謎金属の盾は、ステラの攻撃をたった一回防いだだけで砕け散った。

 そうして守りを失ったアースガルドのもとに、遅れて放たれた黒炎の斬撃が飛来する。

 それをアースガルドは岩のような右腕で防いだ。

 

「…………」

 

 奴の表情に変化はない。

 しかし、俺の攻撃は確かに奴の体にダメージを刻んだ。

 ガードに使った岩のような右腕が僅かに壊れて歪んでいる。

 闇による破壊と炎の熱による変形を食らった証拠だ。

 山ゴーレムの中に引きこもられて以来、初めて与えたダメージ。

 とはいえ、奴は最初の攻防の時に、斬り飛ばされた腕を簡単に再生させている。

 回復阻害の力を持つ聖剣でダメージを与えなければ、大した有効打にはならないだろう。

 

 それでも、こうしてダメージを与えられたという事実は大きい。

 何故なら、これは紛れもなく、俺達の攻撃が奴の命を脅かし始めている証なのだから!

 

「らぁあああああ!! 『飛翔剣』!」

「『水断派(ウォーターカッター)』!」

「『神聖結界』!」

 

 続いて、さっきの攻撃の反動で一歩出遅れていたブレイドが復帰して飛翔する斬撃をアースガルドに放ち、エル婆が遠距離から凝縮させた水の刃で狙撃し、リンがドーム状の結界で周辺空域を包んで簡単には地面に降りられないようにする。

 アースガルドはそれらの全てを一切防がなかった。

 ブレイドの斬撃が右腕を木っ端微塵に砕き、エル婆の水刃が横腹を抉り、リンの結界は何事もなく完成する。

 

 だが、当然なんの考えもなしに、ただで攻撃を受けてくれたわけではない。

 防御を行わなかったということは、その分のリソースを攻撃に回せるということだ。

 

「『金属の槍(メタルランサー)』」

 

 アースガルドは近くを漂う謎金属を引き寄せることなく槍の形に変え、そのまま俺達全員に向けて一本ずつ射出した。

 

「ハッ!」

「うおっ!?」

「ぬ……!」

「ほえぇぇ!?」

 

 射出速度が速い。

 全員それなりに距離があったとはいえ、それは裏を返せば俺が守れないほど遠くにいたということ。

 ステラはともかく、攻撃や魔法の発動直後で隙ができていた他の三人は少し危なかった。

 それでもブレイドは上手く槍を受け流し、エル婆とリンはさっきの無詠唱結界が僅かに時間を稼いだのと、単純に一番距離が離れていたおかげで、普通に避けることに成功。

 リンは槍が地面を吹き飛ばした時の衝撃波で生き埋めになったが、すぐに這い出してきて穴の空いた結界を補修していたから心配いらないだろう。

 そして俺は、

 

「五の太刀━━『禍津返し』!」

「わ」

 

 唯一、ノータイムでアースガルドに反撃することに成功していた。

 空中で体を右に傾けながら迫りくる謎金属の槍の側面を刀で撫で、刀を槍に引っ掛けつつ、槍の軌道を俺の体の後ろで内側へ曲がるように誘導。

 引っ掛けたことで槍に釣られて刀が動き、刀に釣られて体が回り、そして回転中の刹那の間にほんの僅かに刀を動かして、槍の軌道を更に改変。

 最終的に槍の軌道は俺の後ろを通って俺が望む方向へと歪められ、術者であるアースガルド自身へ返って奴の体を抉る。

 

 これまでの戦いでは奴が大規模攻撃ばかり使ってきたせいで禍津返しを使えなかったんだが、災い転じてなんとやらというやつか、おかげでこのタイミングで禍津返しを初見の技として放つことができた。

 完全に虚を突かれたのか、アースガルドはロクな反応ができていない。

 咄嗟に左腕を盾に軌道を逸されたせいで致命傷にはなっていないが、その左腕は肩から先が完全にぶっ壊れた。

 チャンスだ!

 

「やぁあああああ! 『聖なる剣(ホーリースラッシュ)』!」

 

 そのチャンスを逃さず、ステラがきっちりと追撃を食らわせる。

 光の奔流が奴に迫り、それをアースガルドは即座に盾のような形で再生させた両腕で受けた。

 だが、いくら即時発動を優先させた弱めの魔法剣とはいえ、そんな即席の盾じゃ充分に防げはしない。

 

 アースガルドの両腕がボロボロになって崩壊し、体表にも多少のダメージが刻まれる。

 回復阻害効果のある聖剣で直接与えた傷だ。

 そう簡単には再生できないはず。

 まずは両腕貰った!

 

「『土竜巻(ランドストーム)』」

 

 しかし、これでもアースガルドは表情を変えなかった。

 冷静に、冷徹に……否、無機質に次なる一手を放つ。

 その一手は、宙を舞う山ゴーレムの残骸の大部分を自ら粉砕し、それを雑に乱回転させて超大規模な砂嵐を起こす魔法。

 山一つを丸ごと砕いて使った砂嵐だ。

 これはもはや天災という言葉ですら当てはまらないほどに凄まじい。

 だが、今更それで怯む俺達じゃない!

 

「『激流加速・舞』!」

 

 俺は剣聖シズカの羽織を盾に、身を捻って風に舞う木の葉のように砂嵐の波に乗りながら、アースガルドのもとへと迫る。

 砂嵐に視界を塞がれる前に、他の奴らもそれぞれ冷静に対抗策を打っているのが見えた。

 ステラは光の魔法で砂嵐の一部を吹き飛ばし、ブレイドも剣撃で砂嵐を切り裂きながら山ゴーレムの残骸を足場に跳躍し、エル婆はこの視界でも遠距離から精密な魔法狙撃を放ち、リンは砂嵐のせいで破られた結界を即座に張り直す。

 特に、ステラとエル婆の魔法は、砂嵐の中を突き進みながらでもわかるほどに凄まじい。

 凄まじく正確に狙いをつけて撃っている。

 

 多分、ステラは砂嵐を常時を吹っ飛ばずことで視界を確保し、エル婆はそんなステラの魔法が向かう先を目印に狙撃してるんだろう。

 俺が言えた義理じゃないかもしれないが人間業じゃないな。

 だが、二人の魔法が目立つおかげで、俺も目印に困らなくていい。

 

 そうして二人の魔法を目印に砂嵐の中を進んでいると、不意に砂嵐が止んだ。

 不気味なほどに、ピタリと。

 そして、明瞭になった視界の中に()()()()が飛び込んでくる。

 

 それは、謎金属でできた鎧だった。

 

 身長は約2メートル半。

 どことなく女性的な流線型で、手には刀のように歪曲した一本の剣を持っている。

 更に、背中からいくつもの球体関節を持つ、まるで昆虫の足のような異形の腕を六本生やしており、その先端には手の代わりに刃が直接くっついていた。

 恐らく、集められるだけの謎金属を集めて作ったんだろう。

 砂嵐はあれを作るまでの時間稼ぎと目眩ましか。

 

「『金属の騎士(メタルナイト)』」

 

 アースガルドの声がする。

 謎金属の鎧の兜の中から。

 

「僕がこれまで生きてきた中で一番興味を惹かれたものの模造品。僕の最後の切り札。これで君達を殺そう」

 

 謎金属の鎧を纏ったアースガルドが動き出す。

 瞬時に作り出した作った岩塊を足場にして、近くまで来ていたブレイドに猛スピードで突っ込んだ。

 

「やっぱ最初に狙うのは俺か……! 舐めんなッ!!」

 

 対して、ブレイドも足場にしていた岩を踏み締めて飛び出し、アースガルドが振るった剣に全力で大剣を合わせる。

 

「『破壊剣』!」

 

 激突の轟音と衝撃が響き渡る。

 力と速さではアースガルドが上。

 だが、奴には技術がまるで伴っていない。

 剣士を半端に真似ただけの、出来損ないの人形劇だ。

 しかも、アドヴァンテージである力と速さも、ドラグバーンには及ばない。

 結果、ブレイドの大剣はアースガルドの剣を払いながら振るわれ、奴の体にぶち当たる。

 

「くっそ、硬ぇ……!」

 

 ブレイドがそんな声を漏らす。

 完全に打ち合いを制したブレイドの攻撃は、まるで効いていなかった。

 傷一つとして付いていない。

 これだ。

 この鎧、謎金属による圧倒的な防御力だけはドラグバーンを遥かに超えている。

 苦し紛れにかき集めた、あの程度の厚さでも尚。

 

「ぐっ!?」

 

 アースガルドが密着状態から強引に剣を振り、ブレイドを弾き飛ばす。

 そのまま追撃をかけようとしているが、そう思い通りにはさせん。

 奴が動き出す前に、俺とステラが背後から奴を狙う。

 

「『月光の刃(ムーンスラスト)』!」

「『黒月』!」

 

 再びの、光と闇による同時攻撃。

 それに対し、奴は背中から生えた六本の腕を振るい、六つの斬撃を飛ばすことで迎撃した。

 こいつ、剣士でもないくせに当たり前のように斬撃を飛ばしやがった……!

 俺の攻撃は完全にかき消され、ステラの攻撃は威力を削られて謎金属の硬さに阻まれる。

 

「『大氷結(フリージング)』!」

 

 しかし、俺達に迎撃の手を割いてしまったせいで、ほぼ同時に飛来したエル婆の魔法狙撃を奴は防げなかった。

 炸裂したのは、さっき地面から伸びる大量の岩槍を凍りつかせた氷の魔法。

 ダメージを与えることではなく、動きを封じることを目的とした魔法だ。

 氷くらい奴の力なら簡単に砕けるだろうが、一瞬でも動きが止まれば充分。

 

「『地盤結界』!」

 

 その一瞬の隙に、砂嵐を耐え切ってようやく余裕のできたリンが、既に張られているドーム状の結界内部に、板のような新たな結界を無数に作り出す。

 これはさっきブレイドを護衛しながら山ゴーレムの胸部に向かう時にも使った足場用の結界だ。

 そして、誰よりもこの結界の恩恵を強く受けるのは、暴風の足鎧のおかげで多少は空中でも動ける俺や、自分で足場を作れるステラやアースガルドではない。

 

「うぉおおおおおお!!!」

 

 宙を漂う大きめの山ゴーレムの残骸しか足場がなかったブレイドだ。

 ブレイドは弾き飛ばされた状態から空中で身を捻り、後ろに出現した結界を踏み締めて、もう一度アースガルドへと突撃する。

 同時に、俺とステラもリンの結界を活用することで自力で空中移動するための一手間を短縮し、今までよりも一手早く加速。

 三方向からアースガルドを挟み撃ちにした。

 

「『七星剣』」

 

 それをアースガルドは七刀流で迎え撃つ。

 体を回転させて、最も脅威と感じたんだろうステラの攻撃を正面の剣で受け止め、ブレイドの攻撃は右側三本の腕による斬撃で相殺。

 俺のことは左側三本の斬撃で弾き飛ばした。

 

 だが、俺はいつものように弾かれた勢いを利用して回転。

 一の太刀『流刃』のお決まりのパターン。

 今回は更にそれを刀身から噴き出す炎で加速させ、別種の技に変えて兜に守られたアースガルドの頭に叩き込む!

 

「六の太刀変型━━『震天・焔』!」

 

 バキリと、何かが壊れる音がした。

 謎金属の鎧にダメージはない。

 かといって、こっちの武器が壊れたわけでもない。

 破壊音は、鎧の中から聞こえてきた。

 

 震天は元々、相手の脳に衝撃を浸透させることで失神させる非殺傷技だ。

 しかし、それはあくまでも震天が技として弱すぎたからこそ、そんな運用しかできなかっただけ。

 この技をより正確に説明するのなら、相手の力を利用せず自分の力だけで放てる代わりに大幅に劣化した反天というのが正しい。

 そう。本質自体はあの内部破壊の必殺剣と変わらないのだ。

 

 ならば、強敵達との濃厚な戦いと、勇者パーティーという極上の修行相手との修行を経て技量が上がり、流刃との充分な併用が可能となって、更に新しい黒天丸による加速の力まで加わった今、震天が反天に近い破壊力を発揮する技へと進化するのは当然の帰結。

 

 進化した震天は、兜の下にあるアースガルドの頭を直接破壊したのである。

 

「いてて」

 

 それでも奴の声に一切の苦痛も焦りもないが、与えたダメージが決して浅くないことは手応えでわかる。

 聖剣によって刻まれたダメージに上乗せするこの形ならば、そう簡単に再生もできないはず。

 

 だが、これでもアースガルドの動きは鈍らなかった。

 

 頭部がやられても大丈夫なタイプの種族なのか、それとも異様にタフなのか。

 ダメージなどないと言わんばかりに、ともすれば不死身の化け物と錯覚してしまいそうなほどに、アースガルドは一切揺らがず、止まり方を忘れた人形(ゴーレム)のように俺達との戦いを続けた。

 世界最高峰の剣士三人を相手に剣で張り合い、大賢者と聖女による最高のサポートまであるというのに倒し切れない。

 地の利を封じられ、最も苦手であろう空中というフィールドに放り込まれ、そこで人類最強クラスを相手に5対1の絶望的な戦いを続けているというのに倒れない。

 

 まさに怪物。

 

 ああ、認めよう、アースガルド。

 お前はどこぞの吸血鬼と違って、紛れもなく四天王の名に相応しい圧倒的強者だ。

 だけどな!

 

「悪いが、全然負ける気がしねぇ!」

 

 そんな叫びと共に、再び俺の震天がアースガルドを打つ。

 六の太刀は斬れない敵をどうにかするために作った技。

 斬撃は効かなくとも、衝撃が本体に通るくらいに縮んだ今のアースガルドに対してはこの上なく有効だ。

 

 そうして攻撃を終えた俺を、アースガルドは腕を振るって振り払う。

 更なるカウンターを食らわないように、他の腕で本体のいる場所を守りながら。

 俺も無理に攻めず、激流加速の応用で素直に距離を取った。

 

「てぇええええい!!」

「オラァアアアア!!」

 

 だが、俺が離れた瞬間には、ステラとブレイドが前に出て攻撃を加える。

 それをなんとか防いでも今度はエル婆の魔法が、その次はリンの結界や聖なる鎖(ホーリーチェーン)による拘束が。

 そうやって入れ代わり立ち代わり俺達は攻め続けた。

 誰かが止められても他の誰かが攻撃を続け、その隙に止められた奴は態勢を立て直す。

 だから攻撃が止まらない。

 主導権を渡さない。

 これだけの怪物を相手に優位が覆らない。

 勇者『パーティー』としてようやく歯車が噛み合った俺達は、この圧倒的強者を逆に圧倒していた。

 

 そして遂に、━━奴を守る謎金属の鎧に大きなヒビが入る。

 

 今までなら即座に修復していた外部の損傷。

 しかし、今回はそれがない。

 あるいは勇み足による自滅を狙った罠かもしれないが、普通に考えるなら、修復すらできないほどに弱って晒した明確な隙だ。

 当然、その隙を突かないという選択肢はない。

 

「『聖なる剣(ホーリースラッシュ)』!」

「『黒月』!」

「『大飛翔剣』!」

「『衝撃波(ソニックブーム)』!」

 

 俺達攻撃組の一斉攻撃がアースガルドに炸裂する。

 万一の時のフォローのためにリンが身構えているから、例えこれが罠でも立て直しは普通にできるだろう。

 そして、アースガルドは全ての腕を盾にして、この一斉攻撃を全力で防いだ。

 腕がひしゃげ、胴体が砕け、兜が割れ、アースガルドは吹き飛んでいく。

 

 砕けた鎧の隙間から垣間見えたのは……何故、これでまだ動けるのだと戦慄させられるほどボロボロになったアースガルドの体だった。

 頭部は砕けて半分なくなり、他の見える部分にも壊れていない場所がない。

 

 それでも、アースガルドはまだ動いた。

 吹き飛ばされてできた距離を利用し、剣を高く掲げる。

 その剣に全ての謎金属が集まっていった。

 砕けて使えなくなった鎧を捨てて、その分の力を攻撃に使うつもりか!

 

 素材を剣に吸われ、アースガルド本体の子供サイズにまで縮んだ謎金属の腕。

 ステラの攻撃で破損した両腕の代わりに、剣に集束させず唯一残したその二本の腕を振るい、アースガルドの渾身の一撃が放たれた。

 

 

「『土魔の太刀』」

 

 

 奴の攻撃の中で最も恐れていた謎金属の射出に、剣撃と奴の得意技である土魔法まで併用した一撃だ。

 斬撃の形をした巨大な岩の塊、その前面部分を謎金属でコーティングすることで硬度と質量を兼ね備えた攻撃が、俺達を押し潰さんと高速で迫る。

 

 この形にしたのは俺対策だろう。

 これだけのサイズだと歪曲で受け流せないし、反天で脆い岩部分を砕いても、コーティングされた謎金属部分は止まらない。

 事前に発動を読んで激流加速で逃げ切れる位置に移動することはできたが、それだと仲間を守ることができない。

 ステラとブレイドの機動力なら自力で躱せると思うが、嫌味なことにこの攻撃は直進すればエル婆とリンを直撃するコースだ。

 避けることは許されない。

 

「いいだろう。真っ向勝負だ」

 

 避けられないのなら真っ向から迎え撃つのみ。

 これだけのリスクを背負った捨て身の攻撃、間違いなくこれがアースガルドの最強最後の技になる。

 これをどうにかできれば俺達の勝ち、どうにもならなければアースガルドの勝ち。

 わかりやすくていいじゃねぇか。

 

「「『聖盾結界』!」」

 

 まず始めにリンとエル婆の結界魔法が奴の攻撃の前に立ち塞がる。

 無論、即時発動を優先した無詠唱の結界魔法で防げる攻撃じゃないが、勢いは確実に削れた。

 

「『聖なる剣(ホーリースラッシュ)』!」

 

 続いて、ステラの放った光魔法が即座に追撃。

 光の奔流が岩塊を押し返そうとする。

 だが、これもまた無詠唱魔法であり出力不足。

 押し返すまではいかない。

 それでも更に勢いは削れ、岩塊自体にもダメージが入った。

 

「『反天・焔』!」

 

 次は俺の番だ。

 暴風の足鎧と黒天丸の炎で限界まで加速し、内部破壊の必殺剣を岩塊に叩き込む。

 俺の叩き込んだ衝撃が岩塊の進行エネルギーとぶつかり、岩塊の一番脆い箇所へと浸透して砕く。

 しかし、さっき言ったように、これじゃ肝心の謎金属部分を砕けない。

 せいぜい岩の部分を砕いて、その衝撃で多少勢いを削る程度だ。

 

 ()()()()()

 これだけ勢いを削って岩塊自体も脆くすれば、最後の一人の攻撃が充分に通る。

 

「おぉおおおおおお!!!」

 

 そうして、勇者パーティー最後の一人が、迫り来る攻撃の前に躍り出る。

 『剣聖』ブレイド・バルキリアス。

 伝説の剣聖の後継者と呼ばれた男は、四天王の渾身の一撃を迎え撃つべく、見覚えのある構えを取った。

 かつて俺が美しいとまで感じた至高の剣技の構えを。

 

「ふっ」

 

 それを見て、思わず笑ってしまった。

 そうだ。

 お前はもうその技を使える。

 才能は元からあった。

 足りない努力は敗北と苦しみの中で積み上げ、研ぎ澄ました。

 そして、致命的だった心の乱れを乗り越えた今、ようやくその技に見合うだけの心技体があいつに備わったのだ。

 

 行け、ブレイド。

 今のお前は最高の剣士だ。

 

 

「『天極剣』ッッ!!」

 

 

 ブレイドの放った最強剣技。

 かつてルベルトさんが俺との決闘で見せた、剣閃に一切の無駄も乱れもない至高の一閃が、アースガルド最後の一撃を真っ二つに両断する。

 そのまま剣撃は衝撃波となって直進し、アースガルド自身をも打ち据えた。

 既に死に体であり、謎金属の鎧すら攻撃に使ってしまった奴にこれを防ぐ手段はなく、アースガルドは体をバラバラに粉砕されて空から落ちていく。

 

「ああ、僕の負けか」

 

 そんな状態で、アースガルドは口を開いた。

 辛うじて形を残しているのは頭部と胴体の僅かな部分のみ。

 それにもドンドン亀裂が入り、俺達が何もしなくとも数秒後には砕け散るだろう。

 自分の死を悟って……それでも尚、アースガルドの声には欠片の抑揚もない。

 感情が、感じられない。

 

「敗因は生きようとする力の差かな? 僕の生には意義も意味も執着もない。だから負けたのかな? ああ、でも……」

 

 だが、最期の瞬間。

 最後の一言にだけは。

 

「魔王の言ってた新しい世界には、ちょっとだけ興味あったんだけどなぁ」

 

 最後まで理解できなかった不気味な強敵の僅かな、それでも確かな心を垣間見たような気がした。

 その一言を最後に、『土』の四天王アースガルドは跡形もなく砕け散る。

 そうして、この短くも濃密だった一夜の戦いに決着がつき、俺達の勝利でその幕を降ろしたのだった。



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閑話 忠臣は思う

「……アースガルドの気配が消えた。間に合わなかったか」

 

 天界山脈から少し離れた地で、異形の翼を生やした一人の女魔族が顔を歪めた。

 魔王より連れ戻すように言われていた二人の四天王。

 それが両者ともに敗死してしまったのだ。

 頭が痛いでは済まされない。

 

「全く、なんとも運のない。せめて、こんな奴と遭遇しなければ間に合っていたかもしれないというのに」

「ごはっ!?」

 

 女は腹いせのように、自らの前で手足を斬り飛ばされて倒れ伏す男に蹴りを放った。

 こいつは天界山脈に向かおうと全速力で飛行していた彼女に襲撃をかけてきた輩だ。

 音速を超える速度で飛行していた彼女を捕捉できるくらいには強く、しつこく纏わりついてくるせいで先を急ぐこともできない。

 結局、振り払うより倒した方が早いと判断して戦闘になってしまい、苦戦こそまるでしなかったものの、それで多少の時間を無駄にしてしまった。

 その多少の時間でアースガルドが倒されてしまったのだから、やり切れないとしか言いようがない。

 腹いせに蹴りの一発でも入れたくなるというものだ。

 

「アースガルド……」

 

 女は散っていった同胞を想う。

 土の四天王アースガルドは魔族においても珍しい、感情というものが殆ど欠落した少年だった。

 その原因は彼の体質と境遇にある。

 荒廃に荒廃を重ね、他者を殺して食わねば生きられぬほどに食料のない魔界において、アースガルドは食べなくとも大地のエネルギーを吸収していれば生きていられる特異体質だった。

 おまけに、彼は土塊の魔物であるゴーレムやガーゴイルの亜種であるため、痛覚というものすらない。

 痛みがなければ、傷つくことにも、その先に待つ死にすらも恐怖を感じなくなる。

 生きることに必死になることも、死に怯えることすらない。

 

 そして、魔界という世界で生きる者から、生への渇望と死への恐怖を取り除いてしまえば何が残るか?

 答えは『何も残らない』だ。

 魔界は生存競争に明け暮れる世界。

 否、生存競争しかない世界。

 自分がその日をどう生き抜くかしか考えられない、それ以外のことを考える余裕のある者などほぼ存在し得ない、そんなこの世の地獄こそが魔界なのだ。

 

 他者を殺して食らうという営みしかない世界で、その唯一の営みからすら除外され、何もすることがなく、何をしていいのかもわからず、結果何もすることができなかった。

 誰も彼の心を育んでくれなかった。

 唯一できたことと言えば、自分を生かしている大地のエネルギーを発する物体を本能的に求める程度。

 それも大地そのものがあれば必要のない無要の長物でしかなく、であればそれほど強く執着することもできない。

 自分の生に意義も意味も執着も見出せなかったのに、長年大地から吸い上げて蓄えてきたエネルギーのせいで無駄に力だけは有り余っている。

 そんな虚無の怪物こそがアースガルドだった。

 

 なんとも悲しい存在だ。

 いや、アースガルドだけではない。

 戦いにしか生き甲斐を感じられなかったドラグバーンも、吸血鬼という種族に対する誇りから他者を見下すことしかできなかったヴァンプニールも、生きることに必死になり過ぎるあまり歪んだ心しか育めない他の魔族達も、等しく悲しい。

 皆が皆、そんな生き方しか選べないことが悲しい。

 だからこそ、魔王は……

 

「……いや、やめよう。今は感傷に浸っている場合ではない」

 

 今考えるべきは今後のことだ。

 四天王のうち三人が倒されるという危機的状況。

 ここから逆転する術を模索しなくてはならない。

 

「今からでも勇者達に奇襲をかけるべきか? ……いや、勇者達の気配は全員が健在。しかも、そこまで疲弊している様子もない。私が単騎で突っ込んだとして、一人二人は殺せるだろうが、最終的には討ち取られる可能性の方が高いか。……私は魔王様以外で勇者を倒し得る最後の駒だ。不用意に賭けていい命ではない」

 

 結論として、今から勇者達を襲撃する作戦は却下だ。

 せめて、アースガルドとヴァンプニールがもう少し勇者達を消耗させられていればと、苦々しい現実に臍を噛む。

 ドラグバーンの時といい、まさか四天王がこうも戦果を出せずに散っていくとは思いもしなかった。

 決して彼らは弱くなかったはずだ。

 動かし方によっては、四天王だけで勇者を討ち取ることも充分にできたはず。

 なのに、どうしてこうなってしまったのか。

 

「……わかりきったことだな。奴らが魔王様の命に従わなかったから。そして、私が奴らの手綱を握り切れなかったからだ」

 

 自嘲するような笑みを女は浮かべる。

 魔王から下された命令は、勇者が現れた後、四天王全員が一丸となって勇者と戦うこと。

 それまで万が一にも四天王が欠けぬように、また敵に四天王の情報を渡さぬように、戦場に出ることすら禁じた。

 最初の国を迅速に落として拠点を確保するべく暴れたことや、ドラグバーンなどが大声で名乗るせいで完全な情報遮断はできなかったが、それでもその判断は決して間違っていなかったはずだ。

 実際、代々の魔王に仕えていたローバなどから仕入れた情報によると、先代の魔王軍は幹部以上の戦力を惜しみなく戦場に投入した結果、対策を立てられ罠にハメられ、人類に多大な被害こそ齎したものの、数年と保たずに壊滅したという。

 

 逃げて隠れたローバ達以外で生き残ったのは、魔族屈指の生命力を持つ吸血鬼であった先代魔王のみ。

 後の時代は先代魔王が単騎で逃げ回りながら暴れ回り、守りの薄そうな場所を狙って、そこの人間達を吸血鬼の力で使い捨ての手駒に変え、それでどうにか戦力を補充して戦い続けていたというのが実情。

 

 それはもはや戦いではなく悪あがきだ。

 魔王軍としての勝利条件を満たすことはできず、いつか来る負けをひたすらに引き伸ばすためだけの戦い。

 人類にとって最悪の時代とまで言われた先代魔王の時代も、蓋を開けてみればその程度の話でしかない。

 まあ、話を聞く限り、先代魔王はドラグバーンとヴァンプニールを足して二で割ったような性格をしていたらしいので、本人的には自分が生きて戦えて、支配した人間達を見下していられればそれで良かったのかもしれないが。

 ついでに、その奮闘のおかげで当代の魔王軍が助かっているのも事実なので、文句を言うつもりもない。

 だが、安易に四天王を動かして、先代魔王軍の同じ轍を踏むつもりもなかった。

 

 先代魔王は優れた魔族ではあったが、優れた指導者ではなかったのだろう。

 いや、そもそも魔族を纏め上げて組織的に運用するということ自体が無理難題なのだ。

 魔族は誰も彼もが自分勝手。

 地獄の魔界を生き抜くためには、他者を気遣っている余裕などないのだから当然と言えば当然なのだが。

 

 魔王の圧倒的な力を見せつけて無理矢理従わせることはできる。

 だが、それで出来上がるのは少しつつけば崩壊する、結束とも呼べない脆い繋がり。

 その脆い繋がりを維持するために、魔王も彼女も尽力してきた。

 それでもやはりと言うべきか、何かのキッカケで一箇所がほつれれば、あとは連鎖的に繋がりが切れていってこのザマだ。

 

「最初のキッカケはドラグバーンの暴走……いや、その原因になった各地の魔族が相次いで討たれた一件か」

 

 四天王を温存し、最前線の砦にはそこそこ頭の回る魔族に率いさせた上位竜や壮年(オールド)級の魔物をけしかけることでプレッシャーをかけて戦力を集中させ、その裏で守りが薄くなった各地の村や街に魔族を派遣して、人類を削れるところから削っていく作戦。

 数年前から、その任務に就いていた者達が相次いで討伐されたという報告が寄せられていた。

 恐らく、ドラグバーンはふて寝から起きたところでその情報を聞いてしまい、我慢できなくなって飛び出したのだろうというのが彼女の予想だ。

 

 ドラグバーンがあともう少しだけ堪えてくれていればと強く思うが、それを誘発させてしまった魔族達の相次ぐ敗死も大問題である。

 あの作戦の肝は敵が守り切れない場所を徹底的に狙い、こちらの消耗をできる限り抑えたまま、敵にだけ損害を与え続けること。

 防衛の優先順位が低い場所ばかり狙うため大きな戦果は得られないが、逆に言えば強敵のいない場所ばかり狙っているので、加護持ちの英雄に匹敵する魔族がやられる危険は少ない。

 ローリスクローリターンの作戦だった。

 

 あの作戦に求められていたのは強敵を撃破できる実力ではなく、強敵を見たら即座に逃げて無駄死にを避けられる臆病さだ。

 故に、強者を見たら逃げ、弱者を見たら嬉々としていたぶるヴァンプニールみたいな性格の奴らを選んで派遣したのだが、何故か彼らは皆、逃げることなく殺されてしまった。

 この謎の答えは未だにわからない。

 逃げることすら許されない超強敵とぶつかったにしても、人類の罠にハマったにしても、率いている魔物を先にぶつけるなりなんなりすれば、直接戦闘が始まる前にヤバいと判断して何人かは逃げられたはずだ。

 あまりに謎すぎたので、これを成した下手人のことは個人的に『謎の英雄』と呼んでいる。

 

 そうして謎の英雄によって齎されたキッカケでドラグバーンが暴走し、暴走した先で勇者達に討ち取られ。

 更に今度はそれを報告したヴァンプニールがアースガルドを巻き込んで先走り、これまた勇者達に討ち取られ。

 四天王は各個撃破という最悪の展開で壊滅した。

 

 あの辺りから、(いくさ)の流れが完全に向こうに持っていかれている。

 それまでは確実にこちらが有利だったはずだ。

 慎重に慎重を重ね、少しずつだが確実に有利を広げられていたはずだ。

 なのに、その流れを覆すほどのことが起きてしまった。

 謎の英雄はキッカケに過ぎなかったのだろうが、そのキッカケによって広がった波紋はとてつもなく大きく、盤上の流れを完全に変えてしまった。

 

 ━━ならば、もう一度流れを覆すしかない。

 

 ここまで一気に趨勢の決まってしまった状況をひっくり返すのは容易ではないだろう。

 だが、やるしかない。

 全ては敬愛する魔王のために。

 魔王の目指す新しい世界のために。

 

「この命に代えても、魔王様に勝利を」

 

 女は改めて決意を固め、まずは手始めにできることを考える。

 やれることはなんでもしなければならない。

 ヴァンプニールのごとき卑劣な手段でも迷わず使わなければ、とても人類には勝てないのだから。

 

「ぐっ……! うぐぅ……! ふざけやがって……! 最強の俺様をコケにしやがって……! このクソ女が……! 許さねぇ……! 絶対ぶっ殺して犯し尽くしてやる……!!」

 

 その時、何やらブツブツと恨み言を漏らしながら激痛に悶えている男の姿が再度目に入った。

 このセリフだけで、とても人類の守護者である聖戦士の一人とは思えない醜悪な性根が垣間見える。

 人のためでもなく世界のためでもなく、自分のちっぽけなプライドと欲望のためだけに激怒する様は、どことなく魔族に近いものまで感じた。

 

 ならば、上手くすれば利用できるかもしれない。

 使い捨て前提とはいえ、こいつの強さであれば、一時的な四天王の穴埋めくらいはできるだろう。

 

「おい貴様。強さが欲しくはないか?」

「あぁ!?」

 

 そうして、魔王軍に残った最後の忠臣は準備を整えていく。

 来る決戦の時に向けて。



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81 完全勝利のその後で

「では! 四天王との戦い! アタシらの完全勝利を祝して! かんぱーーーい! って、合わせろっす!」

「「「あばっ!?」」」

 

 祝いの席でも今回の戦いで手に入った戦利品を片手にブツブツ言っていた職人達を、イミナさんのツッコミ(衝撃波付き)が襲った。

 もしかしたら俺は今、聖戦士の力を最も無駄に使った瞬間に立ち会ったのかもしれない。

 それはそれとして、あの一夜の戦いから丸一日が経った現在。

 ドワーフの里では族長を含む一部例外を除いた全ての住人が集まり、盛大に酒が振る舞われて、戦勝ムードのドンチャン騒ぎが開催されていた。

 

 まあ、そうなるのも当然と言えば当然だろう。

 何せ、今回の戦いはエルフの里でも最前線近くの街でも成し得なかった、戦死者ゼロでの完全勝利だ。

 しかも、四天王二人を討ち取った上に、職人達が歓喜のあまり「フォーーーーー!!」と絶叫を上げ、謎の踊りを披露するくらいに喜んだ、奴らの遺した大量の素材まで手に入ったのだから。

 

 特にアースガルドの遺した謎金属だ。

 あれは数多の魔法金属を土の四天王の力で混ぜ合わせた神秘の結晶。

 再現はおろか現存するもの以外は二度と手に入らないかもしれない超超超貴重品にして、これまでの魔法金属を圧倒する強靭さを誇る凄まじい代物だ。

 

 職人達は速攻でこの金属に魅了され、宴の席でもこれを持ち寄って加工法をどうするかという話を酒の肴にしている。

 ドヴェルクさんなんて、イミナさんの再三に渡る宴に出ろとの勧告を無視して鍛冶場に引きこもった。

 恐らく他の職人達も、謎金属のあまりの強靭さのせいで加工法がわからず、他の奴らと顔を突き合わせて議論しなきゃならないという状況じゃなければ全員引きこもっていただろう。

 おかげで、ヴァンプニールに操られて討伐された魔物達の素材には誰も目を向けない。

 そっちは後日、真面目な女性陣が解体する予定だそうだ。

 本当にこの里は女性陣で保ってるようなものだな。

 

「へーい! アラン何やってんすかー! もっと飲んで騒いで楽しむっすー!」

「いや、俺は酒は苦手で、むぐっ!?」

 

 騒ぐ他の連中を遠巻きに見てたら、寄ってきたイミナさんに酒瓶を直で口に突っ込まれた。

 舌に苦味が走り、喉を焼けるようにキツい酒が通過し、少しすればすぐに体が熱くなって、若干頭がホワホワする。

 くそっ。

 これだから酒は苦手だ。

 よく安ワインを飲みまくって即酔い潰れてた母さんに似たのか、俺も酒にはあんまり強くない。

 この状態で敵襲が来たらヤバいぞ。

 いざとなれば誰かに状態異常回復(アンチドーテ)の魔法をかけてもらって酔いを吹き飛ばせばいいんだが、それでも自分の戦闘力が明確に低下してるのを感じるのはいい気分じゃない。

 レストが逝った時みたいに、誰かを慰める時くらいにしか飲みたくないってのが本音だ。

 

 で、俺が一発でここまで追い詰められてる中、他の仲間達はというと……

 

「だっしゃーーー! その程度かオラァ!?」

「バ、バカな!? 酒と職人の代名詞とまで言われる俺達ドワーフを相手に三人抜きだと!?」

「やるじゃねぇか、剣聖野郎!」

「おー! なんか楽しそうっすねー! よっしゃ! 次はアタシが相手っす! 修行の時のリベンジしてやるから覚悟するっすよ!」

 

 ブレイドは大酒飲みで有名なドワーフ相手に、まさかの飲み比べをやっていた。

 最近陰気だった分の反動みたいに大いに騒いでやがる。

 何やってんだ、あのバカ。

 そんな潰れるまで終われないような飲み方を、防衛戦力のあまりいないこの里でやるなし。

 だが、イミナさんを誘引してくれたことだけは感謝しよう。

 よくやった。

 

「うっぷ! もう無理でしゅ……オロロロロロロ」

「おっと、付き合わせ過ぎてしもうたか」

 

 一方、エル婆に合わせて飲んでいたらしいリンは、乙女の口から出してはいけないナニカをぶちまけながら意識を飛ばしていた。

 おい!?

 回復の要が真っ先にダウンしてんじゃねぇ!

 どうすんだ!?

 今敵来たら本気でどうすんだ!?

 

「アハハ! ありゃん〜!」

「って、ステラお前もか!?」

 

 回復役が真っ先に倒れるという最悪の状況の中、更に主力までもが既に呂律が回っていないという絶望が俺を襲った。

 お前、俺に比べれば多少は酒に強かったはずだろ!?

 誰だ!?

 誰がお前をこんなにした!?

 

「それ行け、アー坊! 今なら簡単に押し倒せるぞ!」

「あんたかエル婆ぁああああ!!」

 

 何ウインクしながらサムズアップしてんだ!?

 余裕そうじゃねぇか!

 今すぐ全員に状態異常回復(アンチドーテ)かけてこい!

 

「うふふ〜! あらん、しゅきー!」

「うおっ!?」

 

 酔った勢いのままステラが抱き着いてきた!

 馬鹿力のせいで俺の体がミシミシと悲鳴を上げる。

 抱き潰されてないだけ力のコントロールが上手くなってるんだろうが、正直、潰されるかもしれない恐怖以上にこの状態はヤバい!

 お前、その発言、結構取り返しつかないぞ!?

 しかも、今は鎧もなしに抱き着いてきてるせいで、その、む、胸が……!?

 

「ねぇ、あらんはわたしのことしゅき?」

「そ、それは……」

「しゅきっていって! しゅきっていってー!!」

「う、ぐ、ぐぐぐ……!」

 

 ここで勢い任せに肯定したら、なんか色々台無しになる気がして必死に耐える。

 何より、ちょっと遠くからニヤニヤと見てくるエル婆の視線が鬱陶し過ぎて素直になれない。

 

「あらん、わたしのこと、きらい……?」

 

 だが、そんなことをしてたらステラが泣きそうな顔になった。

 ぐっ!?

 その顔はズルいだろ!?

 

「お、俺も、す、好き、だ……!」

「わーい! りょーおもいだー!」

 

 くそっ!!

 言ってしまった!

 言ってしまった!!

 だが、落ち着け俺!

 今のステラは呂律が回ってないほどの酔っぱらいだ!

 ここから更にダメ押しで酒を飲ませれば、今の会話が記憶に残る可能性は著しく低い!

 あとはエル婆の口さえ塞いでしまえば隠蔽できる!

 俺は羞恥に耐えながら、さっきイミナさんに口に突っ込まれた酒瓶を手に取る。

 

「じゃあ、ちゅーして! ちかいのちゅー!」

「バッ……!? お前何言ってんだ!?」

「えー! なんでー! してよー! ちゅーしてー!」

「うぐっ!?」

 

 この期に及んで、今度はちゅーだと!?

 ステラの柔らかそうな唇に自然と目が吸い寄せられる。

 ここでその唇を奪ってしまえばどれだけ幸せだろうと俺の中の悪魔が囁く。

 そして、馬鹿力で俺を締め付けたまま、ステラは自分からドンドン顔を近づけてきて……その口に俺は手にした酒瓶を突っ込んだ。

 

「うぷ!?」

「飲め! 飲んで全部忘れろ!!」

「むー!」

 

 抵抗するステラの動きを読んで的確に処理しながら、ガンガン酒を喉の奥に流し込んでいく。

 そうして少し経てば、ステラは「きゅう」と呻いて意識を飛ばした。

 あ、危なかった……。

 俺だって多少は酒が回って理性の枷が緩んでるんだからな!

 四天王との戦いより焦ったぞ、この野郎!

 

「なんじゃ、つまらんのう」

「てんめぇええ! エル婆ぁあああ!!」

「おっと、思ったよりおこじゃのう! ここは戦略的撤退じゃー!」

 

 俺が感情のままに怒鳴ったら、エル婆は気絶したリンを背負ったまま逃走していった。

 あのクソ婆、ただじゃおかねぇ!

 覚えてろ!

 

「おう! 随分楽しそうじゃねぇか!」

「お前にはこれがそう見えるのか? だったら目か頭を治癒術師に見てもらえ」

「ハッハッハ!」

 

 荒ぶる俺に話しかけてきた挙げ句、勝手に一人で陽気に笑い出したのは、さっきまでドワーフ達と騒いでたはずのブレイドだった。

 飲み比べ勝負はどうした?

 と思ったら、少し遠くにあられもない姿で酔い潰れたイミナさん他、多数のドワーフ達の姿が。

 こ、こいつ、まさかドワーフを飲み比べで倒したのか……!?

 

「いやー、今回はマジで面倒かけて悪かったな。俺がウジウジしてたせいで、お前らずっとそんな良い顔できてなかったもんなぁ」

 

 俺が絶句してるのをよそに、ブレイドが俺とステラの顔を見比べてそう言う。

 ……ちなみに、ステラは気絶しても俺に抱き着いたままであり、その顔は大変幸せそうに緩んでいる。

 もちろん、胸も絶賛当てられたままだ。

 俺の中の悪魔がまた出てきそうでヤバい。

 

「気にするな、とまでは言わないが、気に病むな。身内が殺されて平気でいられる奴なんていないからな」

 

 ステラの胸の感触から意識を逸らすためにも、ブレイドとの会話を優先する。

 そして、会話しつつステラの引き剥がし作業を開始した。

 ……馬鹿力のせいでビクともしねぇ。

 こいつ寝てるくせに、ガッチリロックしてやがる。

 

「というか、お前は俺よりもまずリンに平謝りして礼言っとけよ。お前のことで一番気を揉んでたのは間違いなくあいつだ」

「ああ、わかってる。俺が立ち直れたのもリンのおかげだからな」

「ほう。そういえば、お前がどうやって立ち直ったのかは聞いてなかったな」

「別にそんな大した話じゃねぇぞ? ただ、リンに引っ叩かれて目が覚めたってだけだ」

 

 叩いて直るとか、お前は使い古された魔道具かよ。

 という冗談はさておき、ブレイドをあれだけ心配してたリンがそのブレイドを叩いたのか。

 多分だが、リン以外が同じことをしても無駄だったんじゃないかと思う。

 実際、ドヴェルクさんに言葉の暴力で殴りつけられた時は逃げてやがったしな。

 本気で心配して、本気で心を痛めてくれた奴からの愛の鞭。

 それがブレイドの心を救う唯一の手段だったのかもしれない。

 多分な。

 

「お前、マジでリンに一生もんの恩ができたな。この恩は何がなんでもちゃんと返せよ」

「当たり前だろ! それこそ一生かけて返してやるぜ!」

「ならいい」

 

 じゃあ、改めて。

 

「完全復活おめでとう、ブレイド。頼りにしてるぞ」

「おいおい本当か〜? お前、修行の時とか結構ボロカスに言ってたじゃねぇか」

「適切な指導と言え」

 

 そんな軽口叩けるあたり、本当に本来のこいつが戻ってきたって感じだな。

 

「それに頼りにしてるってのは普通に本心だよ。リンのいた街でお前のことを聞いて、俺が逃した死霊術師の片割れを迷いなく任せられたくらいには最初から頼りにしてたから安心しろ」

「そうかそうか! そんな前から頼りにされてたんじゃ仕方ない、な…………え? 今なんつった?」

「ん?」

 

 ブレイドの様子が変わった。

 何か変なことでも言ったか?

 

「は? え? 聞き間違いか? 今、あの死霊術師との戦いにお前も参加してたみたいに聞こえたんだが……」

「別に聞き間違いじゃないぞ。修行で迷宮行った時に魔族二人と遭遇してな。片方は俺を無視して街に向かったんだが、もう片方とは普通に交戦して仕留めた。それだけの話だ」

「…………マジかよ」

 

 ブレイドが何故か青い顔で天を仰いだ。

 さっきまでは酒の影響で顔が赤らんでたのに、一瞬で反転しやがった。

 なんだ?

 今の話のどこに青くなる要素があったんだ?

 

「あー、その、だな。アラン、その話、リンには内緒にしといてくれねぇか?」

「別に構わないが、なんでだ?」

「なんつうかよ……。あいつはあの一件で俺のこと尊敬してくれてるわけじゃん? その尊敬を裏切りたくないっつうか、失望されたくないっつうか、なんつうか……」

 

 泳ぎまくった目と、しどろもどろな言葉で、そんなことを宣うブレイド。

 大男がそんなことやってると実に情けなく見えるな。

 しかし、それはそれとしてこれは……めっちゃ興味深い。

 

「ほー。なるほど、そうなったか。ほー」

「…………なんだよ」

 

 どことなく苦い顔で俺を見るブレイド。

 逆に、俺の方は酒の勢いもあって、どんどん口角が上がっていくのを感じた。

 

「これは上手くすれば、毎度毎度からかってくるあの女に報復できるかもな」

「違ぇからな!? そういうんじゃねぇからな!?」

 

 いや、どう考えてもそういうことだろう。

 ブレイドの顔色はさっきの青からまたしても一転、火を噴きそうなほどに赤くなっている。

 どう見てもリンを恋愛的な意味で意識してるか、最低でも恋心の火種くらいは今回の一件でできたはずだ。

 そして、リンの方もあれだけ献身的に尽くした以上、全くの脈なしってことはないだろう。

 くっくっく。

 面白くなってきやがった。

 これであの恋愛脳に一方的にオモチャにされる屈辱の日々は終わりだ!

 そう遠くないうちに、こっちが逆にマウント取ってやるぜ!

 

「安心しろ、ブレイド。俺はお前の味方だ」

「だから違ぇっての!!」

 

 そうして、思わぬ収穫を手に入れたりしながら、宴の時間は過ぎていった。

 

 

 ちなみに、その後。

 俺はエル婆の口を塞ぎに行ったんだが、ステラのロックが最後まで外せなかったせいで奴を捕らえてシバくこともできず、最終的に屈辱を飲んで拝み倒して口止めの言質を取るまでに散々オモチャにされた。

 リン相手にはなんとか反撃の手段が手に入りそうでも、こっちには対抗手段がないという現実を突きつけられて、俺は絶望した。




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82 さらば、ドワーフの里

「待たせたな小僧」

「ありがとうございます」

 

 あの宴会から数日後。

 無事ステラの記憶も飛び、ドヴェルクさんが怨霊丸の方の修復も終えたとパシらされたイミナさんから聞いたので、早速鍛冶場にまで取りに来た。

 そこで怨霊丸を受け取り鞘から抜いて確認してみれば、新しい刀身はかつての面影を残しつつ、何やら見覚えのある特殊な金属の光沢を……

 

「…………マジか」

 

 それはどう見ても、今回の戦いで俺達が最も苦しめられた謎金属。

 『ガルド鋼』と名付けられた、土の四天王アースガルドの遺しし最強金属の輝きだった。

 どうやら、この世界最高の職人は怨霊丸を謎金属、じゃなくてガルド鋼を使って修復したらしい。

 改めて思うが、とんでもねぇなこの人。

 他の職人達が加工法を探して四苦八苦してる中、既にその一歩も二歩も先を行ってやがる。

 

「で? 見たとこ旅支度が終わってるみてぇだが、もう行くのか?」

「ええ。元々先を急ぐ旅でもあったので」

 

 鍛冶場に来るのにわざわざ完全装備な上に、馬車まで持ってきたからな。

 そりゃドヴェルクさんも気づくだろう。

 そして、気づいたからこそ少し不満そうな顔になった。

 

「まだおめぇの女に鎧を作ってやるって約束が果たせてねぇんだが?」

「……だから、まだ俺の女じゃないですよ」

 

 いちいち反論するのも疲れてきた今日この頃だぞ。

 この疲弊っぷりからして、そろそろ逃げ切れなくなるのでは……。

 そんな恐ろしくも少しだけ嬉しくなってしまう救えない未来予想はさておき、そういえばそんな約束してたな。

 この人は頭の固い頑固爺だが、その分一度言ったことには筋を通してくれる。

 だからこそ、それが果たせなくなりそうなのが嫌なんだろう。

 

「仕方なかろう。ワシらは魔王軍に命を狙われておるんじゃ。いつ最後の四天王が襲ってくるかわからんし、それに懸念事項もあるしのう」

 

 エル婆がひょっこりと俺達の会話に入ってきた。

 そう思うのなら宴の席で仲間を酔い潰すんじゃねぇよと激しく突っ込みたいが、どうもあれでいて自分は酔わない程度に飲む量を抑え、いつでも全員に状態異常回復(アンチドーテ)をかけられるようにしてたというのだから、素直に文句が言いづらい。

 里の女性陣もいつでもアイアンドワーフを起動できるようにしてたらしいし。

 例の口止め案件で弱みを握られたのもあって、文句が喉元まで来てるのに吐けない、このもどかしさよ。

 

 俺の代わりにツッコミを入れてくれそうな仲間達はといえば、ステラとリンは残りの時間をイミナさんとのお喋りに使い、ブレイドはここに来る途中で幼女達に遊び相手として連行された。

 どうもブレイドの奴は連日アイアンドワーフを修行相手にしてたせいで、それを操って遊んでた幼女達に懐かれたらしい。

 小声で「浮気か?」と言ってみたら「そんなわけあるか!?」と大変いい反応が返ってきて楽しかった。

 なるほど、俺をからかってた連中もこんな気持ちだったのかと思えば、不本意ながら納得しそうになったものだ。

 

「ふん。気に入らねぇが、まあいい。鎧は後で造ってイミナにでも届けさせる。代わりと言っちゃなんだが、今日のところはこれでも持ってけ」

「これ?」

 

 そう言ってドヴェルクさんが投げ渡してきたのは、全長二メートル以上はある巨剣だった。

 あまりに重すぎるせいで、俺の力だと持ち上げるだけで腕が震える。

 間違っても投げていいものじゃない。

 俺だと下手したら潰れて死ぬ。

 

「ほう。見たところ総ガルド鋼製の大剣か。しかも、見るからにブレ坊のための武器ではないか。あれだけこき下ろしておったのに、どういう風の吹き回しじゃ?」

「……別に深い意味はねぇよ。そいつは小僧の刀を直す前に、ガルド鋼の扱いに慣れるために造ったただの試作品。使う当てもねぇから、ちょうど四天王との戦いで武器をボロボロにした野郎に恵んでやろうと思っただけだ」

 

 いや、言い訳にしか聞こえないぞ。

 確かにブレイドはアースガルドとの戦いで散々大剣を盾にしたり、ガルド鋼にぶつけたり、挙げ句の果てにはエル婆の最強魔法の発射台にしたりしてボロボロにしたが、だからってそれで武器をくれるような優しい人じゃないだろ、あんた。

 そもそも試作品をわざわざ大剣にした時点でブレイドにやる気満々じゃねぇか。

 

 大方、戦いの後の吹っ切れて中々悪くない面構えになったブレイドを見て見直したってところだろう。

 なのに、出てきたのは先のセリフだ。

 ツンデレか。

 

「ホッホッホ。まあ、そういうことにしておこう。しかし、試作品でもなんでも、お主が武器をくれてやってもいいと思う程度にはブレ坊のことを認めてくれて嬉しく思うぞ」

「……ふん。あの剣聖の小僧に言っとけ。試作品程度で調子に乗るんじゃねぇってな」

「わかった。しかと伝えておこう」

 

 そうして、ドヴェルクさんは俺達に最高の贈り物を持たせて送り出してくれた。

 俺も打ち直してもらったこの二振りの刀に恥じない戦いをしないとな。

 決意を新たにドヴェルクさんの鍛冶場を後にし、イミナさんと話していたステラとリンと共にブレイドを回収に向かう。

 ついでに、イミナさんもついてきた。

 多分、見送ってくれるんだろう。

 

 道中でも喋りながら別れを惜しむ女子組を引き連れてブレイドのところへ到着し、リンがブレイドに呼びかける。

 

「ブレイド様ー! 出発しますよー!」

「おう! 今行く! ってわけだチビども。じゃあな!」

「うん! またねー!」

「みんなに迷惑かけちゃダメだよー!」

「足手まといにならないように気をつけてねー!」

「ぐはっ!?」

「ブレイド様!?」

 

 純真無垢な幼女達に純真無垢な言葉で心の傷を抉られ、ちょっと肩を落としながら帰還してきたブレイド。

 そこへ慌てて駆け寄って介護を始めたリンだが、この場合は追い打ちだろう。

 ここ最近で刷り込まれた癖が裏目に出てやがる。

 そのせいで、今回は大して気にしてなさそうだったブレイドが、今や若干涙目だ。

 傷口に塗り込まれた優しさ(しお)がよほど痛いと見える。

 優しさとは時に残酷なのだ。

 

「リンちゃんは健気っすねー」

「でも、あれはちょっと行き過ぎなんじゃ……?」

「まあまあ。ギスギスするよりはよほど良いではないか」

 

 女子組が二人を見てそんな感想をこぼす。

 俺としてはエル婆の意見に賛成だ。

 好きな奴にまだ介護しなければいけない存在として見られてるのは哀れだが。

 そんな哀れなブレイドへのフォローもかねて、俺は担いで持ってきたガルド鋼の大剣を奴に差し出した。

 

「ん? なんだこれ?」

「ドヴェルクさんからのプレゼントだ。良かったな、ブレイド」

「お、おお!? マジかよ!?」

 

 その瞬間、ブレイドは幼女達に抉られリンに塩を塗り込まれた傷の痛みなど忘れたように満面の笑みを浮かべた。

 エル婆が窘めるようにドヴェルクさんの言葉を伝えても、「わかってる、わかってる!」と空返事ばかりで、顔はニヤついたままだ。

 まあ、そりゃ嬉しいだろう。

 俺だってドヴェルクさんに認められた時は嬉しかったし、ブレイドの場合は一度完膚なきまでに否定されて言葉の暴力でタコ殴りにされてる分、その喜びはより大きいはずだ。

 それで調子乗ったら元の木阿弥なんだが、まあ、今のブレイドなら大丈夫か。

 

 それでも念のために、あとで修行に付き合わせてボコボコにしておこう。

 今回の戦いで大きく成長したブレイドだが、こいつの戦闘スタイルは俺にとって相性が良い。

 まだまだ普通に勝てるはずだ。

 いや、だがここは念には念を入れて、ステラと二人がかりで上には上がいるってことを念入りに思い知らせておくべきか?

 そんなことを考えながらステラの方を見れば、向こうも似たようなことを考えてたのか目が合った。

 そのまま俺達は無言で頷き合う。

 喜べ、ブレイド。

 里から出たらスペシャルメニューだ。

 

「ひっ!? な、なんだ? なんか急に寒気が……」

「大丈夫ですか、ブレイド様? って、あ! ちょっと怪我もしてるじゃないですか!」

「ん? ああ、さっきまでまたアイアンドワーフと遊んでたからな。攻撃がちょっと掠ったんだろ」

「すぐに治します! 『治癒(ヒーリング)』!」

 

 過保護。

 ブレイドの腕についた掠り傷程度の裂傷を急いで治すリンを見て、そんな言葉が頭に浮かんできた。

 これもまた、今まで無茶を見せ続けてきたせいで刷り込まれた癖だな。

 介護対象から恋愛対象になれる日は遠そうだ。

 頑張れ、ブレイド。

 

 そんなことを思いながら、なんとなく視線が格下のアイアンドワーフにやられて流した情けない血の跡の方に向き……

 

「ッ!?」

「あ!?」

 

 とんでもないものが目に入った。

 その瞬間、俺とほぼ同時に気づいたらしいステラが慌てた顔でブレイドの腕を掴む。

 

「な、なんだ? どうした?」

「エルネスタさん! これ!」

 

 困惑するブレイドを無視して奴の腕、というよりそこから流れた血をこの場で一番博識なエル婆に見せるステラ。

 エル婆もまた真剣な眼差しでそれを見る。

 ブレイドの腕から流れ出た、僅かに()()()()()()()()()()()()

 

「……ふむ。間違いない。吸血鬼の血じゃな」

「やっぱり!」

「は、はぁあああああ!?」

 

 ブレイドがわけがわからないとばかりに絶叫した。

 リンも絶句してるし、俺だって驚愕してる。

 そんな俺達を尻目に、エル婆は冷静にこの現象を分析し始めた。

 

「今までは体の奥底にでも潜んでおったのか。恐らく本体が倒されたことで残骸となって表出したんじゃろうが、一体いつの間にブレ坊の中に? もしや、ワシらが懸念していたことはこれが原因……」

「ハ、『上位状態異常回復(ハイ・アンチドーテ)』ーーー!!」

 

 エル婆の考察が終わる前に、リンが状態異常回復の治癒魔法をぶっ放す。

 すると、ブレイドの体から青黒い靄のようなものが滲み出てきて、すぐに体から引き剥がされて霧散した。

 その後もリンが念入りにブレイドの体をペタペタ触って問診してるが、奴の顔が赤くなってること以外に問題が見つかる様子はない。

 

「随分あっさり消えたのう。やはりただの残骸か」

 

 それを見てエル婆がポツリと呟いた。

 これまでの旅路で、リンがブレイドに状態異常回復の魔法をかけたことがないわけがない。

 にも関わらず、あの血が未だに体の中に潜んでたってことは、相当しぶとく根を張って隠れてたはずだ。

 それが無詠唱魔法ごときで吹っ飛ばされたのなら、エル婆の言う通り、あの血は本当に本来の力を無くしたただの残骸だったんだろう。

 大元の吸血鬼であるヴァンプニールが死んだから、連鎖的に機能停止したのかもしれない。

 

「ブレ坊、今までの旅路で何か体に異常を感じたことはないか?」

「そ、そういえば頭の中に変な声がずっと響いてたんだが……」

「「早く言え!!」」

「へぶぅ!?」

 

 俺とステラのダブルツッコミがブレイドの後頭部を引っ叩く。

 そんな重要なことを黙ってやがったのか、こいつは!?

 

「い、いや、てっきり自分の心の闇的なやつの声かと思って……」

「バカーーー!!」

「ぐえっ!?」

 

 今度はリンの全力ビンタがブレイドを襲った。

 更にリンは「バカバカ! ブレイド様のバカーーー!!」と連呼しながら往復ビンタを繰り出している。

 当然の報いだ。

 大人しく処されろ。

 

「しかし、これで謎が解けたかもしれん。レス坊の時といい今回といい、魔王軍はワシらの居場所をわかっておるかのように攻めてきおったが……恐らくはこの血が目印か何かになっておったのじゃろうな」

 

 エル婆のその推論は既に聞いてたが、なるほど、そう言われれば納得できる。

 ということは、ブレイド、貴様が戦犯か!?

 いや、今のところ勝ってるから戦犯は言い過ぎかもしれないが、それでも洒落にならないくらいヤバい状況だったのは間違いない。

 ヴァンプニールがこの情報を上に流して、最後の四天王や魔王と一緒に攻めてきてたらと思うと肝が冷える。

 

 なんでそうしなかったのかと一瞬思ったが、まあ、奴のあの身勝手極まりない性格じゃ、誰かと協力しようなんて思わないか。

 アースガルドに関しては、協力してるというより利用してるような感覚だったのかもしれない。

 そこは奴の無能さに感謝だな。

 

「それにしても、気づかれぬうちに聖戦士の体に隠れ潜む吸血鬼の血とはのう……。聖戦士どころか通常の加護持ちであっても、この程度の血の量であれば普通に弾けるはずなんじゃが。最強の吸血鬼であった先代魔王ですら、どんなに大量の血を使っても、聖戦士以上を操ることはおろか、大きな影響を与えることすらできんかったというのに」

「え? でも、あのヴァンプニールとかいう奴、アタシを絶望させて手駒にするとかなんとか言ってたような気がするんすけど」

「早く言わんかい!!」

「あいたっ!?」

 

 今度はイミナさんが重要な情報をポロッとこぼして、エル婆のツッコミを食らった。

 というか、今の話が本当だとしたら、最悪ブレイドがレストみたいに操られてた可能性もあるってことか?

 なんだ、その悪夢。

 もしかしなくても、奴の言ってた奥の手ってこれのことか!?

 だとしたら不発に終わってざまぁ見ろだが、もし成功してたらと思うと……。

 ブレイドの心を土壇場で立て直したリンはファインプレーなんてもんじゃなかったんだな。

 

「大方、心の隙を突くことで、本来であれば通じぬはずの攻撃を通じさせておったのじゃろう。全く頭が痛い。ワシですら吸血鬼にそんな芸当ができるとは知らんかったぞ。歴代の真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)はそんな小細工せずとも強かったからのう」

 

 つまり、これは弱者だったヴァンプニールなりの努力の結果ってことか。

 嫌な努力もあったもんだ。

 

「あたた……。でも、そいつはもう死んだわけっすし、居場所がバレてる原因も無くなったんすから、もう少しゆっくりしていったらどうっすか?」

「戯け。この情報は一刻も早く持ち帰って各国と共有するべきじゃ。それにワシらを捕捉しておった手段がこれだけとも限らん」

「そうですね。できるだけ早く最前線の砦に合流するって、ルベルトさんとも約束しちゃってますし」

「むう。残念っす」

 

 というわけで、最後の最後に色々と驚愕の事実が発覚したが、予定に変更はなし。

 俺達はすぐに里を出て天界山脈を下り、最前線の砦へ向かう。

 この予定を立てた当初とは随分状況が変わってるんだが、それでも奴らが優先的に狙ってくるだろう勇者(ステラ)を、戦力が纏まってる場所に向かわせるってのは理に適ってるだろう。

 

 そうして、俺達は「またいつでも遊びに来るっすよー!」と言いながら手を振るイミナさんに見送られて、ドワーフの里を出発した。

 次の目的地は最前線の砦の一つ。

 そこへ行くために、まずは天界山脈を下山する。

 

 行きと同じく、ブレイドに馬車を担がせながら。

 

「いや、なんでまた俺!?」

「うるさい。黙って働け」

「今回の罪は重いわよ」

「正当なお仕置きです!」

「ホッホッホ。頑張れ、ブレ坊」

「ぐぬぬ……!」

 

 晴れ空の下、ブレイドの抗議が黙殺される。

 だが、行きと違って俺達の間には、━━傍から見れば笑えそうなほどに明るい空気が漂っていた。



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83 予兆

 ドワーフの里を旅立ってから一週間と少し。

 山脈を下りてからの馬車は、勇者パーティーが誇る二頭の駿馬に凄まじい速度で運ばれ、俺達は遂に人類と魔王軍の戦いの最前線に位置する砦の一つに到着した。

 

「お待ちしておりました、勇者様」

「はい。お久しぶり……でもないですね、ルベルトさん」

 

 そこで俺達を待っていたのは、砦を守る多くの戦士と英雄達。

 そして、歴戦の剣聖ことルベルトさんだった。

 ルベルトさんはステラに挨拶した後、気遣わしげな視線をブレイドに向け、

 

「む?」

 

 ブレイドの様子が前と比べて劇的に明るくなってることに気づいたのか、軽く目を見開いた。

 

「なんだよ爺? 俺の顔になんか付いてるか?」

「ブレイド、お前……まさか、この短期間で立ち直ったのか?」

 

 ルベルトさんが信じがたいと言わんばかりの顔で、確認を求めるように俺達の方を見る。

 ステラは力強く頷き、エル婆は微笑みながら肩をすくめ、リンは涙ぐみながら何度も首肯し、そして俺は……

 

「ルベルトさん、実はこいつ好きな女に励まされて立ち直……」

「わー! わー! わー!」

 

 つい真実を報告したくなった俺の口を、ブレイドが凄い勢いで止めにきた。

 危険を感じたので避けたが、奴の意思は充分に伝わったので大人しく口を閉じる。

 

「お前……!? 爺に何言おうとしてんだ……!?」

「すまん。つい口が滑った」

 

 小声で怒ってくるブレイドに軽く謝る。

 悪い悪い。

 確かに、実の家族に色々言われることの気恥ずかしさは俺も知るところだ。

 今のはさすがにやり過ぎだった。反省した。

 

「そうか……。本当にもう大丈夫なのだな」

 

 しかし、俺達の様子を見て色々と察したのか、ルベルトさんは安堵に満ちた優しい目でブレイドを見る。

 

「ブレイド、よくぞ立ち直った。正直、今回ばかりはもうダメかと思う気持ちもあったが……どうやら私はお前を見くびっていたらしい。許せ」

「ハ、ハンッ! よせや、爺らしくもねぇ! それに俺一人の力で立ち直ったわけでもねぇし……」

 

 言いながら、赤い顔でリンをチラリと横目で見るブレイド。

 乙女か。

 

「ふっ。そうか。良い仲間に恵まれたな」

「おう!」

 

 迷いのない返事と、屈託のない笑顔。

 そんなブレイドの様子を見て、ルベルトさんは肩の荷が下りたような穏やかな顔になる。

 しかし、次の瞬間にはキリリと顔を引き締め、祖父ではなく歴戦の騎士の顔で話し始めた。

 

「さて、ブレイドの無事も確認できたことですし、現在の戦況の説明をいたしましょう。ここではなんですから、応接室へご案内いたします」

「わかりました」

「うむ。ちょうどいいのう。実はこっちでも無視できぬことが色々とあった。そのすり合わせも済ませてしまおう」

「無視できぬこと、ですか?」

「そうじゃ。お主もきっと腰を抜かすぞ」

 

 そうして、俺達はルベルトさんに案内されて砦の中へ。

 地味に前の世界でも立ち入ったことのない場所だ。

 魔王討伐に騎士団の力を借りるべく、ここと同じような砦に交渉に行ったことはあるが、当時は勇者どころか聖戦士の大多数すら魔王にやられてしまった混沌の時代。

 最前線の砦も全てが落ち、後方の砦も押し寄せる魔王軍の猛攻を耐えるので精一杯。

 そんな状況で、どこの馬の骨とも知れない旅の剣士一人に協力する余裕なんてあるはずもなく、普通に門前払いだった。

 それが今や勇者の仲間として堂々と招かれてるんだから、状況の好転っぷりに感慨の一つも覚えるってもんだ。

 

 そんなことを考えてるうちに、レストと出会ったジャムールの街で使った、街長の屋敷の一室に似た部屋に到着した。

 ただ、それなりに豪華な調度品が使われてたあの屋敷と違い、この部屋は最低限体裁だけ整えたような、質実剛健という言葉が似合う趣だ。

 砦の中の一室と考えれば相応しいんだろう。

 

 そして、その部屋の椅子に全員が腰掛け、話し合いが始まった。

 口火を切るのは、俺達の中で一番この手の経験を積んでいるエル婆だ。

 

「まずはこちらのことから話してよいかの? これは真っ先に伝えねばならぬ情報じゃとワシは判断しておる」

「それほどですか……。では、お願いいたします」

「うむ。わかった。まず第一に、ワシらが向かったドワーフ里なんじゃが、そこに四天王二人が襲撃をかけてきおってのう。まあ色々あって、激闘の末に討ち取った」

「…………は?」

 

 ルベルトさんがフリーズした。

 如何に経験豊富な歴戦の騎士とはいえ、この超特大情報を簡単に受け止めることはできなかったらしい。

 しかし、そこはさすがのルベルトさんと言うべきか、少し頭を押さえて考え込んだ後、すぐに冷静になった。

 

「失礼。続けてください」

「よかろう」

 

 エル婆は話を進める。

 襲撃してきた四天王二人の特徴、特に恐らくは俺達の居場所を捉えていた上に、レストを操り、ブレイドをも操ろうとしたと思われるヴァンプニールの能力に関する推察。

 これについては、直接対峙した俺や能力を食らったブレイドも口を出して補足し、リンとステラもレストを通して暴れさせられた人達の治療をした経験から、対処法とそれに必要な能力値などの説明をしていく。

 それにルベルトさんも質問を返し、話が一段落するまで結構な時間がかかってしまった。

 

「━━纏めると、その吸血鬼の能力は心の隙を突くことで、通常の加護持ちはおろか聖戦士すら操れる可能性があった。加えて気づかぬうちに血を体内に注入され、内側からじわじわと心の闇を増幅させてくる上に、居場所まで把握される恐れがある。レストの時の状況を思えば、一見してわからぬほどに血の影響を隠蔽し、本人にそれを口外させないように部分的に操り潜伏戦力にすることも恐らくは可能。……種が割れていなければ恐ろしい能力ですね」

「そうじゃのう。しかし、種が割れてしまえば対処のしようはある」

「ええ。その通りです。勇者様、リンくん、改めて問うが、このタイプの吸血鬼の血に侵された者の治療は可能なのだね?」

「はい。レストくんみたいに、完全に血の支配下に置かれちゃうと無理だと思いますけど……」

「でも、そのレストくんから二次感染させられた人達は治せました! 注入された血の量が少なければ、加護を持ってない一般の治癒術師の方でも治せると思います。それに何よりブレイド様は自力で血の支配に抗ってましたから、完全に血の支配下に置かれる前に、治癒術師が吸血鬼の血を排除すると強く意識して治療すれば治せるはずです!」

「ふむ……」

 

 二人の説明を聞き、ルベルトさんはまた少し考え込む。

 そして、すぐに顔を上げた。

 

「対処法としては、吸血鬼と相対した後は必ず専門治療を施すこと。また少しでも精神に異常を感じた場合や、他者から見て行動に異常があった場合も同様の処置を取るといったところですか」

「その通り。まあ、これらのことは書類に纏めておいたから、後で教会にでも送ればよいじゃろう。あやつらであれば、もっと良い対処法も考えついてくれるはずじゃ」

「そうですな。こちらもレストの一件の報告は済ませています。例え今後同じ能力を持った吸血鬼が現れたとしても、決して同じ手は食いませぬ」

 

 そうして、ヴァンプニールの能力は人類に露見し、対策が練られることとなった。

 これが人類の強さだ。

 どんな強敵が相手でも情報を受け継ぎ、対策を立て、弱点を探り当てて、最後には必ず狩り殺す。

 先代魔王軍の幹部級すらも尽く狩り尽くしたというこの戦法。

 それが幾人もの魔王から世界を守り続けてきた人類の叡智。

 ……とはいえ、魔族の中にはドラグバーンやアースガルドのような、シンプルに強すぎるが故に攻略法が限られる敵も多く、苦戦は必至なんだがな。

 情報があっても戦力が足りなければ意味がない。

 

 だが、今となっては、その戦力バランスは崩壊した。

 

「しかし、四天王が二人も倒れたというのは朗報ですな。これで残る四天王はあと一人」

 

 ルベルトさんの言う通りだ。

 魔王軍と人類の間にあった戦力バランスという名の天秤は、大きく俺達の優勢へと傾くことで崩れた。

 四天王三人の死によって、今、魔王軍は間違いなく追い詰められている。

 ……だからこそだろう。

 次のルベルトさんの話に、驚くよりも先に妙に納得してしまったのは。

 

「これで、ここ数日の奴らの大胆な動きの理由がわかりました。そういうことだったのですね」

「む? なんじゃ? 何かあったのか?」

「ええ」

 

 ルベルトさんはそこで一旦言葉を切り、俺達全員の顔を見回して、全員が話を聞くのに充分な態勢を取れていることを確認してから、再び口を開いた。

 

「ここ数日で、魔王軍は長年に渡って攻めていた最前線の戦場を完全に放棄し、全軍での撤退を開始しました」

「「「「!?」」」」

 

 ルベルトさんのその言葉に、仲間達は驚愕して息を飲む。

 

「四天王が一人しか残っていないというのなら、魔王の狙いは恐らく本拠地である魔王城での籠城。残る戦力を一箇所に集めての耐久戦、あるいは自らに有利な場所での決戦に持ち込むつもりなのでしょう」

 

 そうだ。

 決して忘れてはならない。

 当代の魔王は、前の世界で一度人類を滅亡寸前にまで追い込んだ、歴代最悪の魔王だということを。

 追い詰めたからといって、そのまま大人しく敗北を受け入れてくれるような奴では断じてないということを。

 

 奴は強い。

 単純な戦闘力だけでなく、魔王らしからぬほどの慎重さと狡猾さを持った知略。

 そして、それらを支える根幹が何よりも恐ろしい。

 直接対峙することで感じたあれ(・・)が、何よりも。

 

 多分なんだが、魔王がもう少し気軽に自分で動いたり、四天王を動かしたりするような浅慮な性格をしていれば、前の世界で人類が滅ぼされる寸前まではいかなかったんじゃないかと思う。

 多大な犠牲こそ出ただろうが、その犠牲と引き換えに情報を集め、それ以上の被害を抑えつつハメ殺すことができたんじゃないか。

 ここまで戦ってきて、肌で感じた両軍の力を比較してみれば、そんな感想が頭に浮かぶ。

 実際、歴代の魔王軍はそうだった。

 

 しかし、そうはならなかった。

 先代魔王が残した傷跡のせいもあっただろうが、それを差し引いても当代の魔王が有能だったからだ。

 今までの四天王との戦い。

 魔王が整え続けてきた盤面での奴らとの戦い。

 それを全体的に見れば軽微な被害で乗り越えられたのは、ただの奇跡だ。

 一歩間違えば俺達がやられていた。

 それすらもヴァンプニールの無能さやら、ドラグバーンの独断専行やらに助けられたからこその戦果。

 逆に言えば、奴らはそれだけ勝手に動いたにも関わらず、魔王の整えた盤面のおかげで、俺達にロクな対策も取らせず互角に渡り合った。

 

 自らが動かずして、そこまでの状況を演出してみせた魔王だ。

 それが自分の本拠地での決戦を余儀なくされた今、直接動かざるを得なくなった今、手負いの獣のごとく追い詰められた今、どれだけの脅威となっているか想像もつかない。

 しかも、その力は前の世界でステラが削り、俺が倒した時とは比較にもならない全盛期。

 そんな奴を、今度は命と引き換えにせずに倒さなければならないのだ。

 決して楽な戦いにはならない。

 なるはずもない。

 恐らく、いや間違いなく、それは前の世界まで含めたこれまでの戦いの中で最も激しく、最も険しい、想像を絶する死闘になるだろう。

 

 遂に見えてきた最終決戦の構図。

 その戦いをハッピーエンドで終わらせるために、その先の未来を勝ち取るために、俺は静かに気合いを入れ直した。




第四章 終

次回、最終章突入


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最終章
84 集結


最終章、開幕


 俺達が四天王との戦いを乗り越え、最前線の砦に辿り着いてから一月が経った。

 その間、魔王軍による砦への襲撃は一切ない。

 いや、正確に言えば魔王の指示に反発したっぽいハグレ魔族なら何度か出てるんだが、その程度の戦力で人類を守る大砦が揺らぐはずもなく、俺達勇者パーティーが出るまでもなく処理されている。

 

 こういうのを見ると、個としての魔族は人類にとって脅威ではあっても、人類全体を脅かすほどの厄災ではないんだなと実感する。

 かつてエル婆は言った。

 魔族を力で無理矢理纏めている魔王さえ倒せれば、烏合の衆となった残党程度、敵ではないと。

 あの言葉は嘘偽りのない真実だったわけだ。

 やはり魔族全体ではなく、それを統率している魔王こそが人類最大の敵。

 だからこそ、その魔王を倒した先には平和な時代があると確信できた。

 

 そうして魔王軍が一部を除いて沈黙を保っている間に、砦には号令によって人類の総力が続々と集結しつつある。

 

「ふん! また会ったな小僧!」

「ええ。ご無沙汰してます、ドッグさん」

 

 最初にやって来たのは、ドッグさんを始めとした各地に散っていた騎士達。

 何人もの英雄級と、各砦の指揮官クラスの将軍達。

 中には聖戦士も含まれている。

 これだけでも四天王の一人くらいは相手にできそうな豪華な戦力だ。

 勝てはしないだろうが、足止めして撤退させるくらいなら不可能じゃないだろう。

 もっとも、ドラグバーンが命と引き換えの切り札を使ったり、アースガルドが俺達と戦った時みたいに圧倒的な地の利を得たりしなければの話だが。

 ヴァンプニール?

 あれ相手なら、運が良ければ討伐までいくんじゃないか?

 

「お久しぶりです母上、勇者様方。不肖このエルトライト、約束に従い同胞達と共に参上いたしました」

「うむ! よう来た、エルトライト! ほれほれ、頭を撫でてやろう」

「ありがとうございます。…………ママ」

 

 次に現れたのは、エル婆の頭撫で撫でをポーカーフェイスで受け流そうとするも、若干耐え切れず小声でママとか言ってしまってるマザロリコン。

 じゃなくて、ドラグバーン戦で共闘したエルフの族長『賢者』エルトライトさん率いるエルフ軍。

 多くの英雄に加え、英雄に匹敵する熟練の魔法使い、更には『炎聖』や『水聖』など、各属性の魔法に特化した聖戦士達まで引き連れてきた。

 エルフの里で共闘した時には、そんな人材いなかったんだが……。

 そう思ったが、どうやらエルフの聖戦士達は、故郷の防衛は神樹とエルトライトさんがいれば事足りると判断し、戦力の足りない世界各地へと派遣されてたらしい。

 エルフの底が知れねぇ。

 相変わらず、エルフ強すぎだろ。

 

「オッス! アランにステラちゃん達! 思ったより早い再会だったっすね! アタシが来たからには万人力っすよ!」

「はい! 頼りにしてます、イミナさん!」

 

 続いて、ドワーフからは『鎚聖』のイミナさん他、各里に散らばっていた何人かの英雄達。

 ドワーフ自体が職人気質で戦士が少ない種族故に派遣されてきた人員も少ないが、代わりにガルド鋼で強化されたアイアンドワーフが五体と、通常版のアイアンドワーフが二十体くらいオマケで付いてきた。

 貴重なガルド鋼をアイアンドワーフに使っちまったのか……。

 というか、明らかにアイアンドワーフの数が、俺達の立ち寄った天界山脈の里にあった数より多いぞ。

 この短期間で増産できるわけがないし、ということはつまり、他の里にもアイアンドワーフの文化が広まってるってことに……。

 こっちも相変わらずだな。

 

「あ、それと爺からお土産を預かってるっす。約束の品だそうっすよ」

 

 加えて、ドワーフの族長にして世界最高の職人ドヴェルクさんからの支援物資。

 それは、別れ際にイミナさんにでも持たせると言っていたステラの鎧だった。

 ブレイドの大剣と同じく、総ガルド鋼製。

 しかも大剣の時より明らかに技術が進歩してて、ドヴェルクさんの気合いの入りようがわかる。

 都合のいい解釈かもしれないが、これがドヴェルクさんなりの「絶対に死ぬんじゃねぇぞ」ってメッセージに思えて嬉しかった。

 

「ますます負けられないな」

「ええ!」

 

 俺の言葉に力強く頷きながら、その日ステラは装備を新調した。

 

 さて、これでこの砦には人族、エルフ、ドワーフと、人類の四大種族のうち三種族の精鋭が集結したことになる。

 そして、そこまで来れば残る一種族も当然現れた。

 他と足並み揃えるのが苦手な種族だって聞いてたし、その族長へのイメージが最悪だったから個人的には来ないかと思ってたんだが、さすがにこの局面での協力要請を無視することはしなかったらしい。

 

 獣耳や尻尾を生やし、野性的な格好に身を包んで現れたのは、最後の種族こと獣人族。

 人数は五十人程度と少ないが、驚いたことに全員が加護持ちだ。

 族長だったクソ痴漢野郎こと獣王が「強い女は皆俺様の嫁!」みたいなこと言ってたし、もしかしたら政略結婚的なハーレム制度で英雄の血筋を広げてるのかもしれない。

 

 しかし、本来ならそれを率いてるはずの肝心の痴漢野郎が何故かいない。

 代わりに獣人族の戦士達を率いていたのは、獣王と同じ灰色の髪と、これまた獣王と同じ狼っぽい耳と尻尾を生やした若い男。

 見たところ、今回現れた獣人族の中で唯一の聖戦士だ。

 

 そいつは俺達、というかステラを発見するとズンズンと足音を響かせながら近づいてきた。

 似たような状況で、いきなりステラの胸を揉もうとしてきた痴漢王の姿がフラッシュバックし、反射的に俺は戦闘態勢に入る。

 ステラの方も獣王にレストを殺されてる以上、穏やかに出迎えられるわけもなく、強張った顔でそいつを見た。

 そんな俺達を見てその獣人族の男は……

 

「勇者殿! そして、そのお仲間殿! この度は我が兄が大変なことを仕出かしてしまい! 誠に! 誠に申し訳ありませんでしたッッ!!」

 

 謝罪の言葉を大声で叫びながら、豪快な土下座を決めた。

 叩きつけた頭が砦の一角にヒビを入れるほどの凄まじい土下座だった。

 その轟音で近くの人達は何事かと視線を向け、少し遠くで各々自由に過ごしていたブレイド達も集まってくる。

 一方、目の前でダイナミック土下座を見せつけられた俺達はといえば、いきなりの展開と獣王なら絶対にやらないだろうまさかの行動に思いっきり面食らって混乱していた。

 

「え、えっと……あなたは?」

「失礼! 名乗り遅れました! 私は『狼聖』ガルム・ウルフルス! 族長である『獣王』ヴォルフ・ウルフルスの弟です!」

 

 あのセクハラ王の弟……似てない。

 いや、見た目は確かに似てるんだが、中身の共通点が全くと言っていいほどない。

 片や、初手上から目線で嫁にしてやる宣言からの痴漢に走った兄。

 片や、初手土下座からの平謝りに徹する弟。

 まさに天地の差。

 あれか?

 上が駄目だと下がしっかりするってやつか?

 

「聞き覚えのある騒がしい声じゃと思えば、やはりお主じゃったか、ガル坊。久しぶりじゃのう」

「エルネスタ様! あなた様にも、この度はとんだご迷惑を!!」

「あー、よいよい。ワシに言うても仕方あるまい。謝るのであれば、まずは一番の被害者に謝るのが筋じゃろう」

 

 そう言って、エル婆は近くまで来ていたブレイドの背中を押して前に出した。

 ルベルトさんが大事な準備でいない今、この場で最もガルムと名乗った獣王の弟に向き合うのに相応しいのはブレイドだ。

 そのブレイドは、弟を殺した直接の仇の身内を前にして、怒りと困惑の混ざったかなり複雑な顔をしていた。

 そりゃそうだろう。

 元凶であるヴァンプニールは討ち取ったとはいえ、獣王への恨みだって無視できないほどに大きいはずだ。

 レストと付き合いの浅かった俺ですら殺してやりたいと思ってるくらいなのだから。

 

 だが、目の前にいる相手は獣王の弟であって、獣王本人ではない。

 こいつに怒りをぶつけてもどうにもならないし、そんなことしても決戦を前にして獣人族との仲が拗れるだけだ。

 ブレイドも恐らくはそれをわかってるからこそ、怒りのままに叫び散らすことをしないんだろう。

 

 そんなブレイドの強く握りしめた拳に、リンが心配そうにそっと触れた。

 それでブレイドはハッとした顔になり、一度リンと視線を合わせてから大きく深呼吸。

 無理矢理心を落ち着かせた様子で、改めてガルムに向き合った。

 

「あー……とりあえず、頭上げてくれよ」

「できません! 兄のしたことは筋の通らぬ理由で人の命を奪うという大罪! ならば、私には頭を下げるという最低限の謝罪の形を崩すことすら許されません! 許されるわけがないのですッ!!」

 

 ガルムの頭がますます地面に埋まっていく。

 文字通りの意味で()()に頭をめり込ませる()り方。

 これぞ真の土下座。

 思わずそんなバカな感想が浮かんできたが、すぐに頭を振ってアホな思考を振り払う。

 一方、覚悟を決めて話しかけたものの、いきなり出鼻を挫かれる形になったブレイドは困った顔をしていた。

 

「えぇ……」

「ブレ坊、諦めるがよい。こやつは超がつくほどの真面目人間じゃ。誰がなんと言おうとも、筋の通らぬことは死んでもせんじゃろう」

「めっちゃ誠実でいい奴じゃねぇか!?」

「もうこの人が族長になればいいんじゃ……」

 

 リンが小声で漏らした感想に全面同意だ。

 思わずステラと一緒にうんうんと頷いてしまった。

 

「ぶっちゃけワシもそう思っておるが、獣人族は個人の武勇を何よりも尊ぶから無理じゃろう。……と、話が脱線してしもうたな。ブレ坊、続きを頼む」

「あ、ああ」

 

 ブレイドは気を取り直すように「ゴホン!」と一度咳払いを挟んで話を再開した。

 

「とりあえず、魔王との戦争中にあんたらとまで揉めてる余裕はねぇ。だから、そっちの大将がやらかした一件の始末は、この戦いが終わるまで棚上げしたい。それでいいか?」

「願ってもないことです! 寛大なご配慮に心からの感謝を!」

 

 ブレイドの言葉をガルムは噛みしめるように受け入れ、更に頭をめり込ませた。

 この決断はルベルトさんとも話し合って決められたことだ。

 俺としては未だに納得いかないが、魔王を前に人類同士でいがみ合ってる余裕なんてないというのは、全くもってその通りすぎる正論。

 何より、家族を殺されて、俺なんかよりよっぽど辛いはずのブレイドやルベルトさんが受け入れたのだから、俺に何かを言う権利はない。

 それに、

 

「だけど、勘違いしないでくれ。俺達はあいつを許したわけじゃねぇ。戦いが終わったら落とし前はキッチリつける。それを忘れないでくれ」

 

 ブレイド達は、泣き寝入りするつもりなんて微塵もないのだ。

 棚上げは所詮棚上げ。

 問題を先送りにしただけで、魔王を討った後には当然、この問題にも然るべき決着をつけるつもりでいる。

 それがどんな形になるのかはわからないが、ブレイド達にとって納得のいく形で終わってほしいと心から願う。

 

「無論です! 元々、ここまでのことをしておきながら、慈悲に縋って許しを乞うような厚顔無恥な真似をしようとは思っておりません! 兄には必ずそれ相応の償いをさせると約束いたします!!」

「そっか。ならいい。それと、あいつのことは許してねぇけど、別に獣人族全体を敵視してるわけでもねぇし、あんたのことも嫌いじゃねぇ。だから仲良く……とまではいかねぇだろうが、まあ、なんだ。程々に上手くやろうぜ」

「! はい! 本当に感謝いたします!」

 

 こうして、獣人族側からの予想外の謝罪とブレイドの対応によって、決戦前に彼らとの仲が拗れることもなく、そこそこ協力できそうなくらいの関係を築くことに成功した。

 それにしても、相手が地面に頭をめり込ませるレベルで下手に出てたとはいえ、こうやって色々と問題のある場を収められるようになるとは、ブレイドも成長したもんである。

 やはり、ドワーフの里での覚醒を経て一皮も二皮も剥けたような気がするな。

 この調子なら近いうちに脳筋を脱して、文武兼ね備えたルベルトさんみたいな立派な騎士になれるかもしれない。

 是非とも頑張ってほしい。

 

「しかし、肝心の獣王の小僧がおらんのはどういうわけじゃ?」

「申し訳ない! 兄は行方不明なのです! 我らにすら行き先を告げず、というより行き先すら決めずに放浪することの多い人でして!」

「そして、行く先々で問題を起こすわけじゃな」

「返す言葉もございません!」

「うわぁ……」

「傍迷惑な」

「あんたも苦労してんだな……」

「もうガルムさんが族長になった方が絶対いいですよ」

 

 ステラがなんとも言えない声を出し、俺は同族にすら迷惑をかける奴を不快に思い、ブレイドはガルムに同情の視線を向け、リンは再びド正論を呟いた。

 既に地に落ちていた獣王の評価が俺達の中で更に下がった瞬間である。

 なんというか、どこまでもダメな奴であった。

 

「勇者様方、それから獣人族の皆様」

 

 と、全員がそんな思いを共有していたその時、俺達に話しかけてくる人が現れた。

 その人の格好は、リンと同じ聖神教高位神官の証である白の修道服。

 つまりは聖神教の遣いだ。

 

「大変お待たせいたしました。軍議の準備が整いましてございます。こちらへお越しください」

「わかりました」

 

 ステラが頷き、俺達はようやくかと思いながら神官の案内に従って、砦の中にある軍議の間へと案内された。

 そこにはデカい円卓が用意され、主要な人物達が既に席についている。

 この軍議の準備に奔走していたルベルトさんに加え、加護持ちや側近の軍師を従えた各砦の指揮官クラスの将軍達。

 エルフの代表であるエルトライトさん達。

 ドワーフの代表であるイミナさん達。

 俺達と共に案内された、獣人族の代表であるガルム達。

 

 そして最後に、最大の大物二人。

 

「さて、まずは皆様。よくぞ集まってくださいました」

 

 一人は、純白の法衣を身に纏う、穏やかな笑みを浮かべた老人。

 人類の守り手、聖神教会の最高指導者、聖神教教皇。

 

「人類の命運を賭けたこの場に、全ての種族が集結してくれたことを嬉しく思う。我らが一丸となれば、どんな困難も必ずや乗り越えられるであろう」

 

 もう一人は、豪奢な鎧とマントという戦装束を身に纏い、厳かなオーラを放つ壮年の男。

 人類最大にして最強の国を率いる長、シリウス王国国王。

 この人類の二大巨頭を加え、まさしくこの場には人類の頂点に立つ者達が集結していると言えた。

 顔ぶれの豪華さが、そのままこの会議の重要度の高さを物語っている。

 

「あまり時間もありません。早速で申し訳ありませんが、当代における魔王軍との最終決戦。それに向けた作戦会議を始めたいと思います」

 

 教皇の言葉によって、軍議が始まりを告げる。

 集結した多くの戦士達を巻き込んで、俺達の、いや全世界の命運を左右するであろう軍議が。



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85 軍議

「まずは現状の確認から参りましょう。勇者様方のご活躍により、魔王軍の最高戦力である四体の魔族『四天王』のうち三体の討伐が完了いたしました。対して、人類側の被害は軽微とまでは言えないものの、歴代魔王に齎されてきた大災禍に比べれば充分に軽傷。総合的に見て、ここまでの戦いは理想的……否、理想以上なまでに我らにとって有利に進んでいると言っていいでしょう」

「おお!」

「素晴らしい! さすがは勇者様だ!」

「これならば、当代も我ら人類の勝利は疑いようもありませんな!」

 

 教皇の言葉に、何人もの将軍達が喜びの声を上げる。

 確かに、これだけ聞けば喜びたくなる気持ちもわかる。

 旅に出て一年もしないうちに敵最高戦力の過半数を撃破。

 しかも、勇者パーティーの誰一人として欠けることなく。

 おまけに俺達と共に戦ってくれた戦士達の犠牲も少ない。

 レストの一件では結構な死者が出てしまったが、それも人類全体から見れば軽微な被害と言えてしまう程度。

 最前線での攻防や、各地に散ってる魔族どもによる被害を合わせても、まだ軽微と言えるレベルなんだろう。

 

 教皇の言う通り、理想以上としか言えないほどの大戦果だ。

 正直、できすぎだと自分達でも思う。

 もちろん、一歩間違ってたらこうはならなかった。

 ドラグバーンとの戦いで一手でも応手を間違えていれば。

 アースガルドとの戦いで全員が一丸となれていなければ。

 ヴァンプニールの血にブレイドが呑まれてしまっていれば。

 追い詰められてたのは俺達の方だったかもしれない。

 それくらいギリギリの戦いの果てに今がある。

 

 だが、それでも……まだ勝ち確定じゃない。

 喜んでる将軍達には悪いが、ここまで来てもまだ足りない。

 理想以上の大健闘をしてもなお、現時点での勝率はせいぜい五分五分くらいだろう。

 そう思ってしまう根拠を、残念ながら俺達は持っている。

 そして、俺達の出した報告の手紙に加えて、ルベルトさん経由なりエルトライトさん経由なりで、教皇や国王にはその情報がちゃんと伝わってるはずだ。

 

「では、この先の作戦の大筋を伝える」

 

 だからこそ、教皇に代わってこの先の作戦を語り始めた国王の言葉に、俺達が驚くことはなかった。

 

「これより我らは全戦力をもって撤退した魔王軍を追い、進軍する。奴らの籠もる魔王城の目の前に土魔法で簡易の砦を築き、そこを拠点に一気に魔王城を攻め落とすのだ。短期決戦でケリをつける」

「なっ!?」

「そ、それは……」

「いくらなんでも性急すぎるのでは……?」

 

 国王の言葉に将軍達がざわつき始める。

 「もっと時間をかけて確実に」だの「籠城している相手に、わざわざ真っ向から挑むのは……」だの「さすがに短期決戦は無茶では?」だの、軍略素人の俺でも真っ当だとわかる意見が聞こえてくるあたり、最前線の砦を任されるだけあって全員普通に有能なのだろう。

 

 だが、それじゃダメなんだ。

 俺達には時間をかけられない理由がある。

 

「お静かに。皆さんの懸念はもっともなことでしょう。しかし、我ら人類には無茶を承知の上で決着を急がなければならないわけがあるのです」

「きょ、教皇様……」

「わ、わけとは一体!?」

 

 再び会話の中心に戻った教皇が、混乱する将軍達の顔をゆっくりと見回して落ち着かせる。

 この先の話を聞かせるなら、まさしく神秘の象徴である神を祀る教会のトップである教皇が話した方が受け入れられやすいのだろう。

 

「皆さんもご存知の通り、今の人類にはあまり余裕がありません。先代魔王が長きに渡って暴れ続けた時代の傷が癒えていないからです。加えて、当代魔王は最前線付近の戦力こそ魔王城に集結させましたが、各地へ放った魔族達はそのまま。奴はこの期に及んで……いえ、この状況だからこそと言うべきでしょうか。少しでも多くの戦力を集めるよりも、少しでも多く人類を削ることを優先したのです。もし我らが魔王城の攻略に時間をかけてしまえば、その間に守るべき民がボロボロにされてしまいかねません」

「むう……」

 

 教皇の言葉に将軍達が押し黙った。

 その言葉は正論だ。

 各地に散った魔族ども、つまり老婆魔族やカマキリ魔族、俺が修行の旅の途中で倒した奴らと同じ役割を与えられた連中は、魔王城へ招集されず、今でも俺達の故郷やリンの故郷みたいな各地の集落を襲ってるらしい。

 

 しかも、そいつらの討伐は難航しているとのことだ。

 そいつらが何も考えず、ドラグバーンみたいに死ぬまで戦うタイプの魔族だったら、各地を守護してる英雄や聖戦士達が倒してただろう。

 だが、連中はそういうわかりやすい強者を見たら迷わず逃げに徹し、戦う力のない民衆や、圧倒的格下である一般兵ばかりを標的にしていたぶる最悪の連中とのこと。

 加護持ちの英雄と同等の力を持つ魔族に、そんな逃げ優先の戦い方をされたら仕留め切れないのも無理はない。

 

 俺が戦った奴らは逃げずに普通に向かってきたが、それは多分、俺が加護というわかりやすい力を持たない一般兵に見えたからだろう。

 何故か魔族も加護持ちを識別できるっぽいからな。

 実際、俺を見た魔族は大抵、俺のことを侮った。

 カマキリ魔族然り、老婆魔族然り、ヴァンプニール然り。

 そして、圧倒的格下相手に逃げるというのは奴らのちっぽけなプライドが許さないのか、それとも単純に戦ってるうちに逃げるタイミングを逸したのか、最後には普通に倒させてくれた。

 

 要するに相性の問題だ。

 最強殺しの剣はこういうところでも強者に効く。

 逆に普通に強い英雄達は、逃げ腰の魔族と相性が悪いからこんなことになってるわけだ。

 というか、逃げる魔族への対抗策なんて限られてるだろう。

 俺みたいな例外を除けば、大掛かりな罠にかけるか、逃げることすら許さない大戦力で一気に叩くかくらいしか思いつかないぞ。

 まあ、どっちもそう簡単にできることじゃないからこその、この状況なんだろうが。

 

「この問題を早急に解決する最善の策は、魔王城を迅速に落とし、魔王軍本隊と睨み合っている最前線の戦力を解放して各地へ向かわせること。と、つまりはこういうわけです」

「ううむ……」

「しかし……」

「それは……」

 

 将軍達の反応は悪い。

 まあ、そりゃそうだろうな。

 これで納得するのは軍略の心得がない俺みたいな素人だけだ。

 その俺ですら、事前にルベルトさん達との話し合いで色々知識を吹き込まれた以上、納得しない将軍達の気持ちが少しはわかってる。

 

「失礼! 意見をよろしいでしょうか」

「ええ、どうぞ。ドッグ・バイト殿」

 

 あ、さり気なく軍議に交ざってたドッグさんが手を上げた。

 この場では数いる加護持ちの一人に過ぎないはずなのに、この人は何故か妙に目立つ。

 

「教皇様の仰ることもわかります。しかしながら、性急さを求めすぎて我らが敗れれば、その時点で人類は詰みに近い大打撃を受けることとなる。我らは人類の命運を背負っているのです。決して民を蔑ろにするわけではありませんが、それでも人類のため、世界のため、性急にではなく確実に勝てる作戦を実行するべきだと、私は考えます」

「ええ、あなたの言う通りです。普通はそう考えるでしょう。だからこそ、先ほど語ったことは大多数を納得させるための建前に過ぎません。無論、あの言葉自体が嘘というわけではありませんが、本当の理由は別にあるのですよ」

「へ?」

 

 教皇にノータイムで前提を覆され、ドッグさんは目を丸くした。

 多分、確実な勝利のために民衆への被害はある程度許容するべきだという、正論だけど誰も言いたがらないことを自分が泥を被る覚悟で言ってくれたんだと思うが、残念ながらそういう問題じゃないんだ。

 というか、ドッグさんに事情説明してなかったのか?

 例の話をルベルトさんに伝えた時、ドッグさんも同じ街にいたはずなんだが。

 

 そう思ってルベルトさんを見ると、すっと目を逸らされた。

 まさか忘れてたのか!?

 い、いや、あの時はレストの騒動の後始末とかで結構わちゃわちゃしてたし、その後ルベルトさんは王国に伝えたり教会に伝えたり、砦に戻ってきて色々やったりで忙しかったはず。

 この複雑な話をドッグさんに説明してる暇はなかったのかもしれない。

 そう思えば仕方なかったのかもしれないが、ドッグさんだけ蚊帳の外か……。

 

「決着を急がねばならない本当の理由。それは言うなれば奇跡の対価。勝ち目の殆ど見えなかった当代の戦いに、ここまでの希望を抱かせてくださった大いなる神へと支払わなければならない対価。対価の支払いが滞ることは許されません。そうでなければ奇跡も、希望も、全てがご破算になりかねないのですから」

「それは、どういう……」

 

 教皇が厳かに告げる不穏な言葉に、ドッグさんや将軍達の顔が緊張に染まっていく。

 ついでに雰囲気に飲まれたのか、イミナさんも息を飲んでいた。

 いや、あんたは事情知ってるはずだろ。

 ドワーフの里で、女子組と一緒に寝泊まりまでしてたんだから。

 

「ここから先は、実際に神より正確な神託を授かった勇者様にしていただくのが一番でしょう。勇者様、お願いできますかな?」

「はい。わかりました」

 

 そうして、教皇が整えてくれた場の空気を引き継いで、ステラが話し出す。

 

「皆さん、聞いてください。これは私達が四天王の一角を倒しにエルフの里へ赴いた時、そこにある神の力を強く受けた生体神器『神樹』を通して神様本人に直接告げられた話です」

 

 かつて、エルフの里において神に告げられたこの世界の真実を。

 

「神様曰く、私達は魔王軍との戦いに一度敗れたそうです。勇者(わたし)を含め名だたる英雄達は皆戦死し、その結果人類の七割が魔王によって殺戮され、世界は奴らに支配される寸前まで行きました。……今私達が生きているこの世界は、私達との戦いで弱った魔王を、無才ゆえに決戦に参加できなかった『剣鬼』アランが、仇討ちを目的とした数十年の修行の果てに打ち倒し、世界の病巣である魔王を消滅させてくれたことによって使用可能になった神の奇跡を用いて、破滅の歴史をやり直すことを許された『改変された過去の世界』なのです」

「…………は?」

 

 将軍達がさっきのドッグさんのように目を丸くする。

 荒唐無稽すぎて理解できないと、それはもうハッキリと顔に書いてあるのが見えるようだ。

 そうして処理落ちしてる間に話すべきことを話し切ってしまうつもりなのか、ステラは言葉を続けた。

 

「ですが、世界を本当の意味で改変するには、神の奇跡に縋るだけでは足りません。この世界が真に救われる条件は、かつて魔王に敗れた時とは比べものにならないほどの軽微な被害で魔王に圧勝すること。そうでなくては、この世界は本来の歴史である破滅の未来を覆すことができず、元の歴史に塗り潰されて消滅してしまう。それが神様に告げられたこの世界の真実です」

「この話が真であるということは、我ら聖神教会の名において保証いたしましょう。勇者様から報告を受けてすぐに『神託の神器』による神降ろしの儀式を執り行い、神本人より裏付けを取りました。その情報はシリウス王国とも共有しております」

「然り。シリウス王国国王として私も神降ろしの現場に立ち会った。今の話に間違いはないと言っておく」

「神樹を有するエルフの族長として、私も同様の意見を述べさせていただきます。神樹を通した神との対話に私は立ち会えませんでしたが、対話を終えた勇者様は神によって折れた神樹の残存エネルギーを使った聖剣の強化という祝福を授けられていました。聖剣と神樹という二つの最上位神器に干渉できる存在など、全ての神器の創造主たる神以外には考えられない。これだけでも多少の信憑性の補強にはなるかと思いますが」

 

 ステラの話が真実であると、教皇、国王、エルトライトさんという、この場でも最上位の権力者である三人が保証した。

 ちなみに、今話に出てきた神降ろしの儀式というのは、教会が保有する神託の神器に結構な時間をかけて膨大な魔力を注ぎ込み、ごく短時間だけぼんやりとした神の幻影をこの世界に顕現させる儀式のことらしい。

 この前、エル婆に聞いた。

 なお、呼び出された神の幻影は口がないので喋ることもできず、身振り手振りで簡単な質問に答えることしかできないんだとか。

 ステラの勇者としての覚醒とその居場所を報せたのもこの方法であり、神の幻影がぼんやりとした腕を必死に動かして、地図にある俺達の村を指差したって話だ。

 なんというか、神様も苦労してるなと感じた。

 

「さて、皆さん混乱していますね。無理もありません。私もはじめに報告を受けた時はすぐには話を飲み込めませんでした。だからこそ、伝令による書面のみで伝えても納得していただけないと思い、そちらには必要事項のみを記し、理由についてはこうして大規模な説明の場を設けたのですから」

「だが、これで皆も納得とまではいかずとも、我らが本気であるということは理解したであろう。その上で結論を言おう。━━人類の総力を用いての短期決戦だ。時間が経つほどに人類の被害は大きくなり、世界救済の可能性も下がっていく。短期決戦以外に道はない」

 

 そうして、シリウス王国国王の強い一言により、この軍議の行く末は決した。

 その後、魔王城までの進軍方法や、万が一魔王が城と配下を捨てて逃げようとした場合の対処方などについて話し合われ、できうる限りの議論を重ねた末に、最後の作戦の始動が正式に可決された。

 決戦が始まる。

 全ての決着をつけるのに相応しい、人類と魔族、互いの全てを出し尽くして戦う最終決戦が。



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86 最後の戦いに向けて

「ハァアアアアアア!」

「てぇえええええい!」

 

 軍議を終え、将軍達が各砦に戻り、全ての砦の足並みを揃えて進軍するまでの最後の準備期間。

 恐らくは一週間程度はかかるだろうと言われたこの期間の六日目。

 俺とステラは昔から恒例の剣術勝負をやっていた。

 ただし、その内容は昔とはかなり異なる。

 ステラが剣だけでなく魔法を解禁してるのもそうだが、それ以上に……

 

「そい!」

「どりゃぁ!」

「えい!」

 

 俺達以外の奴らも参加してるってのが一番大きいだろう。

 俺とステラ以外の参加者は、エル婆、ブレイド、リンの勇者パーティー全員。

 そして、勝負の構図は俺以外の四人VS俺一人。

 一騎当万の力を持つ勇者と聖戦士が、四人がかりの高度な連携をもって、ちっぽけな俺を叩き潰そうとしてくる。

 アースガルド戦を経て一つになった勇者パーティーの力は、俺を抜いても普通に四天王より強いだろう。

 むしろ、四天王二人分くらいには匹敵するかもしれない。

 大人気ないとか、弱い者イジメとか、最早そんな次元じゃない。

 

 だが、これは俺が望んだことだ。

 魔王とやり合う前に少しでも強い奴との戦闘経験を積んで、とある技を完成させておきたかった。

 かつての世界で弱体化を極めたとはいえ、その魔王に致命傷を与えた技を。

 七つの必殺剣、その最後の奥義を。

 

 そう。

 今の俺はまだ、━━最後の必殺剣を習得できていないのだ。

 

 というより、俺自身の力がまだ、前の世界の全盛期に届いていない。

 何せ、前の世界の俺が全盛期に至ったのも、最後の必殺剣を習得したのも、魔王との戦いの最中だ。

 最強の敵とのタイマン。

 五体の半分を失うほどの死闘の中で、俺の剣は目の前の憎い仇を殺すべく、更に磨かれ、研ぎ澄まされ、最後は命そのものを燃やし尽くして極北へと至った。

 

 今の俺はまだ、それほどの境地にいない。

 前の世界から引き継いだ記憶、ステラと共に積み重ねてきた鍛錬、修行の旅で繰り返した強敵達との戦い、ルベルトさんとの信念を賭けた決闘、四天王という化け物どもとの殺し合い。

 これだけの道のりを歩んでもまだ足りない。

 あと一歩、全盛期の領域に届かない。

 

 あと一歩、本当にあと一歩なんだ。

 感覚でわかる。

 今の俺は、かつて至った到達点の一歩手前まで来ている。

 ただ、その一歩を隔てる壁が、あまりにも分厚く硬いのだ。

 だからこそ、その壁をぶち破るべく、こんな無茶な勝負をしている。

 

「せい!」

 

 パーティーの中心になって戦うのは、当然最も基礎能力に優れるステラ。

 雑魚狩り及び訓練用の神樹の木剣を剛力と繊細さを両立させた見事な剣技で操り、猛攻を仕掛けてくる。

 ステラはさすがに俺との戦い方なんて心得たもので、カウンターの打ち込みにくい小振りで剣速を重視した動きをしてくるからやりづらい。

 

 それに対し、俺は防御に優れる二刀の型で応戦。

 二本の木刀を使った歪曲千手で受け流し続けるも、やはり中々反撃の手が打てない。

 僅かな隙を突いて流刃や反天を使っても、流刃は派生技含めて即座に引き戻した剣で防がれ、反天は元々向こうが込めてる力が少ないがために、剣を砕くどころか僅かに弾くのが精一杯。

 結構な頻度で放たれる、主に足場を崩す目的の魔法も厄介だ。

 下手な攻撃魔法なら禍津返しで跳ね返してやれるんだが、そんなこと、長い付き合いのステラがわからないはずがない。

 

 恐らく、これがステラの能力で俺と戦う場合のほぼ最適解だ。

 手の内を知り尽くされた結果、俺は防戦一方に追い込まれている。

 無論、俺も負けてはいない。

 簡単に勝てはしないが、ステラもまた俺の受け流しを中々突破できていない以上、簡単に負けることもない。

 手の内を知り尽くしてるのはお互い様だ。

 最近ではこのまま千日手にもつれ込んで引き分けなんてことも多くなった。

 

 しかし、それはあくまでも一対一ならばの話。

 

「オラァアアア!!」

 

 ステラの猛攻の後ろから、ブレイドが雄叫びを上げながら突っ込んでくる。

 狙いは俺がかなり危なかった瞬間。

 ステラに対して対応リソースの殆どを使ってしまった瞬間を狙い澄まして、神樹の大剣を振り下ろしてきた。

 

「くっ!?」

 

 普段なら相性の良さもあって、受け流すなり跳ね返すなり逆襲するなりいくらでも対処できるブレイドの攻撃も、余裕の一切ないところに叩き込まれたら脅威だ。

 しかもこいつは、さっきから俺とステラが打ち合ってる時からチラチラと俺の視界に映って、自分を警戒させることでステラへ割ける集中力を奪っていた。

 こんな隙を晒してしまった要因の一つは間違いなくこいつだ。

 最近のブレイドはこういう戦い方も上手くなってきた。

 

 それでもなんとか木刀……は二本ともステラに使ってしまい、籠手すらも引き戻すのが間に合わなかったので、ミスリルの胸鎧を使ってブレイドの攻撃を受ける。

 そのまま攻撃の勢いを受け流して回転。

 ステラのせいで崩れ切った体勢からでは満足に使えず、力の変換効率もキレも悪いが、不完全ながらもどうにか技として成立させた一撃を放つ。

 回転しながらブレイドの振り抜いた大剣を足場にし、間合いを詰めて繰り出す回し蹴り!

 

「『流刃・無刀』!」

「『聖盾結界』!」

 

 しかし、受け流し切れなかったせいで大分食らってしまったダメージを堪えながら放った攻撃も、こういう時のフォローのために準備万端だったリンの結界魔法によって難なく防がれてしまう。

 そこへ追撃の構えを見せる前衛二人。

 俺は蹴りを叩き込んだ結界を足場にして即座に体勢を整え、迎撃しようとしたが、

 

「『光線(レイ)』!」

「ぐっ!?」

 

 二人の動きを目眩ましに、エル婆から光の魔法が飛んできた。

 威力が低い代わりに使うのが簡単で発動の早い初級の魔法だ。

 直前に察知したものの、このタイミングと回し蹴りのために体を浮かせた不安定な体勢では、受け流すこと自体はできても、それを禍津返しで誰かにぶつけることもできず、その先が続かない。

 仕方なく木刀で受けて衝撃を移動速度に変換。激流加速で距離を取ったが、あまりいい選択とは言えないだろう。

 あのままエル婆の魔法を受け流してその場に留まっていれば、更に崩れた体勢で前衛二人の追撃を受けることになって詰んでいたから仕方ないんだが、距離ができたことでパーティーメンバー全員が俺を狙い撃てる絶好の状況が整ってしまった。

 

 その隙を見逃してくれるわけがない。

 即座にステラ、ブレイド、エル婆の攻撃担当三人が大技の構えを取る。

 そうして、互いの攻撃を邪魔しないように、三人は遠距離攻撃の必殺技を放った。

 

「『聖なる剣(ホーリースラッシュ)』!」

「『大飛翔剣』!」

「『聖光線(ブラスターレイ)』!」

 

 ステラの光の魔法剣、ブレイドの飛翔する巨大斬撃、エル婆の極太光線の三つが俺に迫る。

 歪曲で受け流せる規模じゃない。

 禍津返しで跳ね返せる大きさじゃない。

 だが、斬払いで霧散させることならできなくはない。

 斬払いは広範囲攻撃の綻びを斬って全体を霧散させる技。

 目の前に迫るのは三つの別々の攻撃であり、二本の刀を使った斬払いでどれか二つを霧散させても、残る一つの攻撃を防げずに食らってしまうが、それは斬り方の問題だ。

 斬って霧散させる時に、他の攻撃を巻き込んで弾けるようにして斬れば、この場を凌ぐことはできる。

 

 しかし、それだとジリ貧だ。

 距離を取った時に俺も多少は体勢を立て直せたが、完璧には程遠い。

 そして、これだけの攻撃を霧散させる斬払いは普通に難易度が高い。

 成功しても、せっかく立て直せた体勢をまた崩される様が容易に想像できる。

 

 対して、向こうは全員が余裕のある状態で、この攻撃を防がれたとしても直後に一斉攻撃ができてしまう。

 ただ防ぐだけでは僅かな延命にしかならない。

 ならば、ここで必要になるのはあの技だ。

 

 ━━最後の必殺剣。

 

 それを使えなければ負ける。

 この追い詰められた状況こそが、強く必要に駆られ、本能と経験の中から見つけ出した答えで、自らの力を研ぎ澄ます最大のチャンス。

 俺は左手の刀を捨て、魔王と戦った時のように一本の刀を両手で握りしめる。

 そして、あの時と同じ動きを……

 

「ッ!?」

 

 ……しようとして、次の瞬間、気づく。

 ダメだ。

 この技は成功しない。

 攻撃に対して刃を入れた瞬間にわかってしまった。

 

 咄嗟に使う技を変更し、斬払いで攻撃の霧散を試みる。

 しかし、ただでさえあまり良くない体勢の上に、失敗からの急変更なんて真似をして、技を完璧に使えるはずもない。

 

「あがっ!?」

 

 斬払いは攻撃の大部分を霧散させたものの、完全には散らし切れず、結構洒落にならないダメージを食らって俺は吹っ飛んだ。

 受け身は取ったし、こういう事態にも備えていたリンの結界に守られる感覚もあったが、それでも衝撃を殺し切れずにゴロゴロと転がり、砦の壁に激突する。

 痛い。

 

「アラン!?」

 

 そんな俺を見てステラが真っ先に駆け寄り、治癒魔法をかけ始める。

 ありがたいが、情けない。

 必要なこととはいえ、こういう醜態を好きな女に見られたいと思う男は少ないだろう。

 いや、子供時代からお互いの醜態なんて見慣れてるんだが、それでもだ。

 

「大丈夫!?」

「ああ。両腕はポッキリ逝ってるが問題ない。リンの結界に助けられたな」

「それ大丈夫って言わないからね!? 全くもう!」

 

 ぷりぷりと怒りながらも、治癒魔法の発動は決してやめないステラ。

 しかし、その顔が不意に怒りから憂うような表情に変わった。

 

「ねぇ、最近のこれはいくらなんでもやり過ぎじゃない? 一時期のブレイドより酷いわよ」

「このくらいやらないと足りないからな。いや、これでも全然足りてないんだが」

 

 やっぱり、お互いに殺意のない訓練だと、どうしても心のどこかで必死になり切れていないのかもしれない。

 今までの修行と同じように、本物の命のやり取りこそが最後の壁を突破する鍵なんだろうが、決戦前にそんな強敵を探しに行くわけにもいかない。

 ならば例え殺意が無くとも、俺より明らかに強い仲間達全員を相手にしたこの修行が一番効率がいいはずだ。

 実際、ほんの少しずつだが最後の壁が削れてきてるような感触はある。

 決して無駄にはなっていない。

 

「だからって、こんなやり方じゃ一歩間違えたら仲間の攻撃で死ぬじゃない! そんな死に方されたら泣くわよ! いや、どんな死に方されても泣くけど!」

「うっ……気をつける」

 

 確かに、集中し切れなかったせいで仲間との修行中に死にましたでは洒落にも笑い話にもならない。

 マジで気をつけよう。

 

「本当に、気をつけてよね……。ねぇ、アラン」

「なんだ?」

「知ってる? 実は今の勝負で、私のあんたの勝率って逆転したのよ」

「は?」

 

 なんだそれ、聞き捨てならないんだが。

 いや、言われてみれば確かに、この修行を始めてから凄い勢いで黒星が増えたけれども……。

 

「25444戦、12234勝、12233敗、977引き分け」

「お前……全部数えてやがったのか」

「そりゃそうよ。それくらい悔しかったんだから」

 

 なんという執念……。

 そのうちの百戦くらいはさっきみたいな仲間全員での戦いだからノーカンと言いたいが、その勝負形式を自ら選んだのは俺だ。

 よって言い訳ができない。

 ぐぬぬ……!

 

「というわけで、今日の夜、あんたの部屋に行くから」

「ん? ちょっと待て。話が繋がってなくないか?」

「私の中では繋がってるからいいのよ。とにかく! 今日の夜は部屋で大人しく私を待ってること! いいわね!」

「お、おう」

 

 謎の気迫に押されて思わず頷く。

 そんな俺に満足したようにステラは「よし!」と頷いて、エル婆とリンのところへ駆けていった。

 治療はとっくに終わってる。

 そして、そのままステラは女子二人と共に帰っていった。

 今日はもう結構遅い時間だし、決戦がいつ始まってもいいように翌日に疲労を残しておくわけにはいかない以上、今日の修行はここまでってことだろう。

 怪我と違って、疲労は治癒魔術でも治りづらいからな。

 

 去っていくステラは、何故かまるで今から魔王に挑むかのような気合いの入った顔をしており、エル婆は更なる気合い注入とばかりにそんなステラの背中を叩き、リンは謎に興奮しながら何事か話している。

 残ったブレイドも、なんか俺に向かって無言のサムズアップをしてから帰っていった。

 

 なんだ?

 何かが変だ。

 俺の知らないところで何かの計画が動いているのを感じる。

 さっきのステラの言葉から察するに、もしかしたら今日の夜がその計画の総決算なのかもしれない。

 いったい、何が起こるというのか。

 なんとなく予想できないこともないが……。

 

 その後、一度口にしたことを破るわけにもいかず、俺は落ち着かない気持ちで、現在滞在させてもらってる砦の部屋で素直にステラを待った。

 そして、夜の九時を回った頃に、ようやくステラが俺の部屋に現れる。

 赤い顔で、何故かその手に明らかに度数の高そうな酒を持って。



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87 告白

「は、入るわよ!」

「あ、ああ」

 

 妙に緊張した様子で部屋に入ってくるステラ。

 そのままステラは机の前にある椅子に座り、持っていた酒を早速二つのコップに注ぎ始めた。

 

「とりあえず、飲むわ! あんたも飲みなさい!」

「いや、お前俺が酒に強くないこと知ってるだろうが……。というか、なんでそんなもん持ってきた?」

「エルネスタさんが持たせてくれたのよ。なんかよくわかんないけど、私は多少お酒に酔ってた方が成功率が上がるからって」

 

 なんの成功率だよ!?

 ……とか言えたらよかったんだが、残念なことに今ので大体察してしまった。

 エル婆、酒とくれば、もう一つしか頭に浮かばない。

 ドワーフの里で宴会した時のあれだ。

 確かに、あの時のステラは攻撃力も破壊力も凄まじかったからな……。

 それこそ、酔い潰して記憶を飛ばさなければあのまま終わってた。

 おのれ、エル婆!

 とんでもない破壊兵器を送りつけやがって!

 

「んぐ、んぐ、ぷはぁ!」

 

 ああ、そんなこと考えてるうちに、ステラが早くも最初の一杯を飲み干してしまった。

 一気だぞ、一気。

 これは急速に酔いが回るな。

 厳しい戦いになりそうだ。

 

「ほら! あんたも!」

「……わかった」

 

 飲めば更に不利なるとわかっていても、雰囲気的にこの酒は断れない。

 俺も椅子に座り、せめてもの抵抗としてちびちびと口をつける。

 うわ、濃いな……。

 

「……ねぇ、さっきも言ったけど、ちゃんと覚えてる? 私の勝率があんたを越えたって話」

「受け入れがたい話だが、ちゃんと覚えてるよ。なんだ? 煽りにきたのか?」

「違うわよ! 人の話は最後まで聞きなさい!」

 

 「もう!」と怒りながら、ステラは続きを言葉にする。

 

「私ね、思ったのよ。あんたが出立式に乱入してくれた時。ルベルトさんに勝って私の隣に来てくれた時。ああ、アランは凄いなぁ。敵わないなぁって」

 

 その時のことを思い出してるのか、ステラはどこか遠くを見るようにしながら目を細めて、少しだけ切ない表情でそう言った。

 

「私は勇者の加護っていう与えられた力以外で、あんたと対等だって胸を張って言える自信がなかった」

「いや、そんなことはな……」

「ストップ! 別に慰めなくていいわ。悲観してるわけじゃないもの。というか、今は私に話させなさい」

「……了解」

 

 慰めじゃなくて、だだ事実を言うつもりだったんだがな。

 勇者の加護を抜きにしたって、お前は充分凄い奴だよ。

 誰かを守るために、勝てないかもしれない強敵に立ち向かっていける。

 辛くても怖くても、ちゃんと前を向いて歩いていける。

 俺じゃ、復讐心に飲まれて恐怖が麻痺してる時期に慣れてなきゃ、多分できなかったことだ。

 俺にできないことをしてるお前が、俺に劣ってるわけないだろうに。

 

「で、私は同時にこうも思った。勇者の加護で不当に開いた差なんていらない。負け越したままの勝率も、その凄すぎる心の強さにも、いつか絶対追いついてみせるって。本当の意味であんたの隣に立ってみせるって。そして……」

「お、おい!?」

 

 ステラが突然立ち上がり、俺を椅子ごと吹っ飛ばしてベッドに押し倒した。

 酒のせいか別の原因のせいか、上気した頬と熱を持った瞳が妙に色っぽい。

 心臓が弾け飛びそうなほど大きく脈打った。

 

「その時こそ、私の素直な気持ちをぶつけるって。勝率は追いついたわ。心の強さはまだちょっと自信ないけど、それでも一緒に戦ってきて、あんたの隣にちゃんと立てたっていう自信はある。だから、言うわね」

 

 マズい!

 その先の言葉を聞いてしまったら、俺は、俺は……!

 

「━━好きよ、アラン。子供の頃からあんたのことが好き。再会してからはもっと好きになった。一緒にいて安心する気安さも、大事な時にいつも見せてくれた優しさも、私のことを守るって言ってくれたカッコ良さも、煽ってきた時のぶっ飛ばしたくなるあの憎たらしい顔だって、全部全部、大好き」

「うぐっ!?」

 

 心が籠もってると、本気で言ってるとなんの疑いもなく信じられるその告白は、その愛の言葉は。

 あまりにも破壊力が凄すぎて、幸せすぎて、それを言ってくれたステラが尋常じゃなく可愛すぎて。

 心臓はドキドキを通り越して停止しそうになり、頭は熱を持ったように何も考えられなくなり、返事をしなくてはと考えることすらできなかった。

 

「アラン……」

「ステラ……」

 

 ステラが顔を近づけてくる。

 子供の頃から見慣れた顔が、成長して女としての美しさを伴うようになった顔が、その綺麗な唇が近づいてくる。

 互いの吐息がかかるほどの距離まで近づき、幸福感で何も考えられなくなり、ステラから漂ってくる良い臭いが思考を更に痺れさせ、それに混じってさっき飲んでた酒の臭いが……

 

「ふんっ!!」

「あ痛ッ!?」

「ぐおお……!」

 

 酒臭さのおかげで僅かに正気を取り戻せた俺は、前の世界を夢に見た時(いや、前の世界の俺と混ざった時か?)と同じように、ステラにヘッドバッドを食らわせて逆に奴の石頭のせいで大ダメージを受け、二人揃ってベッドの上で悶絶した。

 だが、この痛みのおかげで完全に正気に戻ったぞ!

 

「何すんのよ!?」

「こっちのセリフだ! 決戦前にとんでもない誘惑してきやがって! 妊娠して戦線離脱したいのか!?」

「に、にん……!?」

 

 ステラがまた一気に顔を真っ赤にした。

 危なかった。

 今のは本気で危なかった。

 陥落寸前どころじゃねぇ。

 完全に陥落してた。

 そこから持ち直せたのは、ひとえに酒の力だ。

 ステラの背中を押したのも酒かもしれないが、酒の恩恵を受けたのはお前だけじゃなかったようだな!

 

「そ、それよりも! 勇気出して告白した女の子に対して、何よその対応は!?」

「うっさい! そもそも冷静に思い返してみれば、なんだ今の言葉は! 俺の勝率を越えたから告白するだと! 最近の勝ち星は他の奴らの力を借りた結果だろうが! こんな大事なことで妥協してんじゃねぇ!」

「うっ!? だ、だって、エルネスタさんに決戦前に悔いを残すなって言われたから……」

「それだよそれ! 一番気に食わないのはそれだ!」

 

 俺もまた酒でヒートアップしたテンションのまま、ステラに向かってビシッと指を指した。

 

「悔いを残すなだと? アホか! いくらでも残しとけ! その方が何がなんでも生き残ってやるって気になる!」

 

 そうだ。

 俺はステラに悔いを残さずに死ぬよりも、悔いを残さないために生きてほしい。

 なんとしてでも生き残ってほしい。

 俺のエゴと言われればその通りなんだろうが、これだけは譲れない想いだ。

 

「言っておくがな! 悔いを残さないようにして、死んでも悔いはないなんて気持ちで挑んだところで、魔王には絶対勝てないぞ! 命と引き換えにしたって勝てはしない! 今のお前は間違いなく前の世界のお前より弱いしな!」

「なぁ!?」

 

 別に今のステラが弱いと言ってるわけじゃない。

 だが、仲間を失い続ける煉獄の中で、それでもなお前に進み続けた前の世界のステラより今のステラが強いとは思わない。

 

「今のお前より強い前の世界のお前が、命と引き換えにしても倒せなかったのが魔王だ! だから悔いを残して、命にしがみついて、俺達と一緒に生きてどうにか勝つことだけを考えろ! 死ぬ覚悟じゃなくて、生きる覚悟を固めろ! 魔王に挑むってのはそういうことだ!」

 

 そこまで一息に言い切って、ぜぇぜぇと息を乱しながら、俺は酒の勢いのせいで、最後にすがるように弱音を口にした。口にしてしまった。

 

「頼むよ、ステラ……! 死んだ時のことなんて考えないでくれ……! 死ぬなら天寿を全うして幸せな人生だったって思いながら布団の上で死んでくれ……! 頼むから……!」

「アラン……」

 

 ああ、くそ。

 俺の頭にも酒が回ってる。

 感情が抑えられない。

 決意と覚悟で押し込めて、心の底の方に沈めてた不安と弱音が湧いてきて止まらない。

 

 そんな俺をステラは優しく抱きしめた。

 さっきみたいな誘惑する感じじゃない。

 泣いてる子供をあやすような、優しい抱擁だ。

 そうされると、酷く落ち着く。

 

「ごめんね。なんか、トラウマ刺激しちゃったみたいで」

「……いい。別にお前のせいじゃねぇ。言ってるうちに自分でトラウマスイッチ押しただけだ」

「ぷっ。何それ」

 

 ステラが笑う。

 可愛くて、綺麗で、どんなに大変な思いをしてでも守りたいと思った顔で。

 

「落ち着いた?」

「ああ」

「そっか。良かった」

 

 しばらくしてから、ステラは俺を抱きしめていた腕を離し、ベッドを椅子のようにして座った。

 珍しく俺の醜態を茶化してこない。

 俺は名残惜しいとか思ってしまった自分の心に喝を入れつつ、その隣に腰掛ける。

 

 そして、ステラは新しい話題を振ってきた。

 

「ねぇ、アラン。魔王ってどんな奴だったの?」

「……言っただろ。俺の記憶にある魔王は弱ってた。情報聞いたって参考には……」

「違うわよ。私が知りたいのは魔王の戦闘スタイルとかじゃなくて、あんたから見た魔王がどんな奴だったのかってこと。あんたがそこまで言うんだもん。さぞ凄い奴だったんでしょ?」

 

 ……魔王がどんな奴だったのか、か。

 そうだな。

 端的に、一言で纏めるなら、

 

「強い奴だった」

 

 そうとしか言い様がない。

 当時は憎しみで目が曇ってたが、それでもなお、まざまざと見せつけられた魔王の強さは深く印象に残ってる。

 

「弱った魔王の戦闘力自体はそこまででもなかったんだ。強いことは強いが、身体能力ならドラグバーンの方が上だろう。もちろん魔法もあったし四天王よりは強かったんだが……そうじゃない。魔王の本当に強いところはそこじゃない」

 

 あの時に感じた魔王の強さ。

 思い出す度に戦慄する魔王の怖さ。

 それは……

 

「気迫だ」

「気迫?」

「そう。あいつは他の魔族とは気迫が違った。絶対に生きてやる。生きて勝ってやるって、言葉にしなくても伝わってきた。他の魔族どもみたいに、生存本能や恐怖に突き動かされた結果じゃない。そんな温いレベルじゃない。もっと別の何かのために、魔王は必死に生きようとしてた」

 

 奴が何を思って戦ってたのかは知らない。

 これから始まる決戦の時に本人に聞けばわかるのかもしれないが、殺しにいって仲良くお喋りなんてする気はない。

 奴の本心は一生わからないだろう。

 

 だが、今思い返してみると……あの気迫には見覚えがあったような気がする。

 魔王以外の誰かからも、あの時の奴と同種の気迫を感じたことがあるような気がする。

 誰だったのかは思い出せない。

 かなり身近な奴だったと思うんだが……。

 

「ふーん。なるほど。魔王ってそういう奴だったのね。それじゃ確かに、悔いのないようになんて考えてたら勝てないかもね」

 

 その誰かを思い出そうとしていた思考は、ステラのそんな言葉を聞いたことで中断された。

 

「勝敗を分けるのは生きることへの執念の差とかになるのかしら? 悔いを残して、命にしがみついて、生きて勝つことだけを考えろか…………よし、決めた!」

 

 ステラは当然大声でそう言ったかと思ったら、とてつもなく自然な動きで隣に座っていた俺の頬に両手を添え、顔を自分の方に固定して唇を奪ってきた。  

 

「!!!???」

 

 酒のせいでテンションが上がったり下がったりして精神が疲弊したところに、完全なる不意討ちによる奇襲攻撃!

 俺は目を見開いて硬直することしかできない。

 ギャー!?

 こいつ舌入れてきやがった!

 く、口の中が、蹂躪されて……!?

 

「ぷはぁ!」

「ハァ……! ハァ……! お前! お前ぇーーー!!」

 

 息の仕方もわからず、息も絶え絶えになった俺は、突如こんな凶行に走ったステラに、怒りと幸せがごちゃまぜになって嵐のように荒れ狂う心のままに叫んだ。

 しかし、ステラは全く悪びれない。

 顔を真っ赤にしながらも、立ち上がって勝ち気な笑顔で俺を見下ろした。

 

「ふふん! あんたは悔いが残ってた方が頑張れるのかもしれないけどねぇ、私はもう一度幸せな思いしたいって思った方が頑張れるのよ! 魔王倒したら今度はあんたからチューしてきて、その時こそ今日の答え聞かせなさいよ! 約束だから!」

 

 勝手に約束を結んで、ステラは言い逃げ上等とばかりに走って部屋から逃げていった。

 一方、俺は未だに心の中で荒れ狂う嵐が収まらず、ベッドから立ち上がれない。

 心臓の音がうるさい。

 死闘の後で体力が切れた時なんかとは比べものにならないくらいに大きな鼓動が聞こえてくる。

 

 唇と口中に感触が残っている。

 誰に教わったのか、いや犯人は一人しか思い浮かばないが、とにかく、ぎこちないながらも形になってた大人のキスの味が忘れられない。

 忘れられるわけがない。

 前の世界を含めれば数十年以上童貞を拗らせた男の、好きな女とのファーストキスだぞ?

 脳裏に焼きついて、今夜は身悶えしまくるハメになるに決まってるだろうが!

 

「あ、あいつ……!」

 

 エルフの里での頰へのキスに続いて、とんでもない爆弾を残していきやがって!

 

「絶対復讐してやる……!」

 

 これは俺も死んでなんていられねぇ。

 絶対に生き残って、あいつが勝手に結んでいった約束通り、盛大な復讐をしてやろうじゃねぇか。

 覚悟してろ、ステラ!

 

 俺は断固たる決意で奴への復讐を誓い、その後、ベッドで身悶えてるうちに夜は過ぎていった。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 そして、その翌日。

 遂に人類側の準備が終わり、全軍が足並みを揃えて最終決戦の地、魔王城へ向けての進軍が開始された。



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88 最終決戦開幕

 兵士、騎士、将軍、冒険者、英雄、聖戦士、王、勇者。

 総勢百万を超える人類の大軍勢が足並みを揃え、魔王に支配された旧ムルジム王国領を進軍すること二週間。

 俺達は遂に魔族達の居城、魔王城の前へと辿り着いた。

 

 到着からすぐに土聖や土の英雄、一般の土魔法使い達が協力して、簡易的ながらも、そこらの街の防壁よりは遥かに頑丈そうな拠点を作る。

 それを邪魔しようとする魔物から土魔法使い達を他の戦力で守り、無事拠点は完成して前哨戦は勝利といったところだろう。

 

 とはいえ、向こうの攻撃は戦力を失う危険の少ない遠距離攻撃がメインだったし、突撃してきたのは明らかに使い捨ての弱い魔物ばかり。

 こっちの体力を少しでも削れればそれでいいと思っての攻勢だろうと軍師達は言っていた。

 その証拠に、魔族は一体も攻撃に参加していない。

 前哨戦勝利とは言ったが、負けること前提で戦ってた奴らに勝っても大した意味はない。

 気を抜けるわけもなかった。

 

 それから、軍師達が知恵を絞ったあらゆる小技を使って、全面衝突の前に少しでも敵の戦力を削ぐ。

 囮作戦で引っかかった魔族を囲んで各個撃破したり、時間をかけて複数人で発動した超遠距離攻撃魔法を魔王城に撃ち込んで揺さぶってみたり、まあ色々だ。

 

 効果は微妙。

 討ち取れた魔族は数体程度で、倒せた魔物も百に満たない。

 挑発されて動く魔族が予想以上に少なかった。

 多分、魔王が首根っこ掴んで抑制してるんだろう。

 

 これ以上は時間を無為に浪費して、体力やら兵站やらが無駄になるだけと判断した人類側総大将であるシリウス王国国王は、布陣から一週間が経った時点で小技による小競り合いの中断を命令。

 翌日に全軍による総攻撃をかけると宣言してから一夜が明け、遂にその時がやってきた。

 

 

 朝。

 国王が即席で作られた壇上の上から、眼下に集った百万の兵士達を睥睨する。

 教皇や各部隊司令官の将軍達、エルフ部隊隊長のエルトライトさん、ドワーフ部隊隊長のイミナさん、獣人部隊隊長のガルム、そして俺達勇者パーティーも立ち位置は壇上の上、国王の数歩後ろだ。

 

「戦士達よ。遂にこの時がやってきた」

 

 国王が厳かな声で話し始める。

 戦士達は、静かにその声に耳を傾けた。

 

「当代魔王軍の襲来から15年。先代魔王の時代から数えれば115年。我ら人類にとって永劫のように長く、地獄の底のような苦しみの日々であった」

 

 国王の言葉は頭に響く。

 声が大きいわけじゃない。

 ただ、妙な迫力と込められた感情の大きさが、心を震わせてくるのだ。

 すなわち、国王はそれだけの苦渋を舐めてきたということだ。

 

「何千の英雄達が散っていったか。何百万の戦士達が死んでいったか。何千万の罪無き人々が奴らに踏みにじられてきたかッ!!」

 

 うちに秘めていた激情を遂に表に出し始めた国王に釣られてか、戦士達の多くが怒りを滲ませた気迫を放ち始める。

 彼らは奴らに仲間を、友を、家族を、恋人を、大切な誰かを奪われてきたんだろう。

 かつての俺のように。

 かつて復讐の鬼と化した俺のように。

 

「だが! そんな苦渋の日々は今日終わる! 我々がこの手で終わらせる! 私の、壇上の英雄達の、そして諸君ら一人一人の手によって、我らから大切なものを奪い続けた怨敵を討ち果たすのだ!! 全軍攻撃開始!! 魔族どもを一匹残らず狩り尽くせ!!」

「「「うぉおおおおおおおお!!!」」」

 

 国王の演説によって士気を最高潮にまで高めた大軍勢が、簡易砦から飛び出して魔王城へ向けて突撃を開始する。

 俺達もそれに続くが、その配置は後ろの方だ。

 

 今回の作戦の肝は、魔族がひしめいていると思われる魔王城内に精鋭である加護持ちの英雄達が消耗をできる限り抑えた状態で突入。

 英雄達に魔族の相手を任せ、聖戦士の一部に最後の四天王を任せ、勇者パーティーと残りの聖戦士全てで魔王の首を取ること。

 

 そのために魔王城前、簡易砦と魔王城の間にある平地での戦いは、殆どを加護のない者達が請け負う。

 英雄達の消耗を少しでも減らすべく、引くことを考えぬ死兵となって奮闘する。

 どのみち、この攻勢で決着をつけられなければ負けだ。

 こっちは短期決戦を狙うために、動員できるだけの戦力を動員してる。

 しかも、その精鋭の全てを敵の懐に飛び込ませようというのだ。

 

 小競り合いで戦力を削れない以上、こうするしかない。

 そして、城内の奥深くにまで突入した精鋭達は、勝って出てくるか、負けて飲み込まれるかの二択だろう。

 負けて飲み込まれ、精鋭をごっそりと失えば次はない。

 故に、次のことを考える必要はない。

 ここで勝って生き残るか、負けて死ぬかだ!

 

「行くぞ、ステラ!」

「ええ! やったるわ!」

 

 戦士達と同じく気迫をみなぎらせる俺達の前、全軍の先頭を走るのはアイアンドワーフの大軍だ。

 どう見ても乗り心地最悪のあれに我慢して乗り込んでくれてる結界魔法使い達と、後ろからから援護射撃をしまくる魔法使い達の攻撃によって、敵から飛んでくる遠距離攻撃をレジストしながら、ひたすらに前進する。

 やがて、アイアンドワーフ達と、魔王城前の平原に布陣する大量の魔物達がぶつかった。

 

「ガトリング起動!」

「薙ぎ払えーーー!!!」

 

 アイアンドワーフを操作してる土魔法使い達の命令によって、体の各所についた鉄の弾丸を連続で飛ばす魔道具、ガトリングが起動。

 魔法使い達の攻撃と合わせて、魔物の群れを殲滅していく。

 だが、そんなアイアンドワーフ達にひときわ巨大な魔物が襲いかかった。

 

「ギィガァアアアアアア!!!」

 

 土の体を持った巨人だ。

 山と一体化したアースガルドよりは遥かに小さいが、それでもアイアンドワーフの三倍は大きい。

 その他にも明らかに魔王城に入り切らない巨体をもった魔物が何体も何体も、合計してアイアンドワーフと似たような数だけ前に出てきた。

 

「ぶん殴れ、アイアンドワーフ!」

「やっちまえ!」

「お前の力はそんなもんじゃねぇはずだ!」

 

 操縦者達からやたらと信頼されてるアイアンドワーフが拳を振り抜き、体格差を覆して土の巨人と真っ向から殴り合う。

 その拳は巨人の体に穴を空け、明らかに効いてはいるが、攻撃した分アイアンドワーフも反撃を受けて装甲がヘコむ。

 結界魔法使い達が頑張ってこれだ。

 あの土の巨人、間違いなく上位竜や壮年(オールド)級クラス!

 

「援護するぞ!」

「「「魔導の理の一角を司る水の精霊よ! 我らが呼び声を束ね、その身の激流の一撃へと変え、敵を撃ち抜け! ━━『水流波(ハイドロブラスター)』!」」」

 

 アイアンドワーフに守られて後方にいた魔法使い達が集まり、数十人がかりで一つの魔法を作って土の巨人に叩き込む。

 それは英雄が無詠唱で放った魔法と同等程度の威力を叩き出し、土の巨人にかなりのダメージを与えた。

 

「かかれぇ!」

「「「おおおおおおおお!!」」」

 

 更に近接戦闘タイプが武器を構えて土の巨人に取り付いた。

 一人一人が与えられる傷は小さくとも、それが何十何百と積み重なれば痛打だ。

 それが土の巨人の体を削り、最後にアイアンドワーフによる渾身のアッパーカットで土の巨人は砕け散った。

 他の巨大魔物に対しても、同様の戦法で既に何体か討ち取っていた。

 

「進めぇ!! 立ち止まってはならんぞ!!」

「「「うぉおおおおおおお!!!」」」

 

 馬上に乗った指揮官から指示が飛び、その指揮官もまた全力で魔物の群れとの戦いを継続する。

 巨大魔物だけでなく、彼らは雑兵魔物どもも大量に倒していた。

 こっちにも多少の被害は出てるが、アイアンドワーフの奮闘によって、かなり被害は抑えられてる。

 英雄達の体力温存も成功している。

 ここまでは順調。できすぎなくらいだ。

 

 そして、遂に戦士達の先頭が魔物の群れをかき分けて、魔王城の城門へと辿り着いた。

 

「今だ!」

「魔導の理の一角を司る炎の精霊よ」

「魔導の理の一角を司る水の精霊よ」

「魔導の理の一角を司る大地の精霊よ」

 

 指揮官の合図によって、後方に控えていた魔法系の聖戦士達が一斉に詠唱を始めた。

 聖戦士の消耗はできる限り抑えるって作戦なんだが、これだけは必要経費だ。

 彼らが全力を出してくれないと、魔王城の門はこじ開けられない。

 

 小競り合いをしてた時、遠距離から時間をかけた大魔法を魔王城に撃ち込んだこともあった。

 だが、魔王城は小揺るぎもしなかった。

 あの城は魔族が作ったものではなく、魔族に攻め滅ぼされたムルジム王国の城をそのまま使ってるらしいんだが、その城の外壁全てをコーティングしてる黒い魔力を突破できなかったのだ。

 

 あれはまず間違いなく魔王の力で強化されている。

 それを打ち破るためには、近距離から特大の一撃をぶつけるしかない。

 多くの味方に守られ、魔法系聖戦士達が詠唱に集中できる今なら、その条件は満たせるのだ。

 

「燃え盛る炎」

「流れる水流」

「鳴動する大地」

「吹き荒れる風」

「凍てつく冷気」

「鳴り響く雷鳴」

「破壊の闇」

「魔を打ち払う聖なる光よ」

「「「我ら聖戦士の名のもとに合わさり、混ざり合い、強大な一つの力となって現出せよ」」」

 

 『炎聖』『水聖』『土聖』『風聖』『氷聖』『雷聖』『闇聖』『光聖』。

 聖戦士達がそれぞれ自分の加護が司る属性の詠唱を唱え、更に声を合わせて全ての魔法を一つに凝縮していく。

 

 この魔法は俺も何度も見てきた大魔法だ。

 俺達の戦いを何度も支えてくれた魔法。

 本来であれば全ての魔法属性に適性を持つ最強の魔法系加護『賢者の加護』を持つ者のみが発動できる最強魔法。

 それを全属性の魔法系聖戦士達を集めることにより、全員分の力を合わせ、本家すら遥かに超える極大魔法へと昇華させていく。

 

「「「焼き払い、押し流し、押し潰し、荒れ狂い、凍てつかせ、轟き、壊し、輝け。━━『真・全属性の裁き(ジャッジ・ザ・エレメント)』!!」

 

 かつて、エル婆が千を越える竜の群れの半分を消し飛ばした一撃。

 それを遥かに超える超極大魔法は、ブレイドの剣撃に乗せてアースガルドの山ゴーレムを粉砕した時以上の尋常ならざる威力を叩き出し、魔王城の正面に巨大な大穴を空けた。

 ……これで大穴止まりなんだから、魔王城の防御力には戦慄する。

 だが、これで道は開けた。

 

「突入ーーー!!!」

 

 その号令に合わせて、これまで体力を温存してきた英雄達が一斉に魔王城内へと雪崩れ込む。

 外に魔族がいなかった以上、城内にうじゃうじゃと配置されてるんだろう。

 ここからが本番だ。

 そうして気を引き締めた刹那……

 

「は?」

 

 魔王城入口の床が発光し、光輝く魔法陣が浮かび始めた。

 罠だ。それはわかる。

 敵地に突入してるんだから、むしろ無い方がおかしい。

 ちゃんと想定してたし、そのために、どんな凶悪な罠でもレジストできるような人達が先行してるのだ。

 

 だが、この罠は想定外だった。

 

「て、転移トラップじゃと!?」

 

 エル婆の驚愕の声が聞こえる。

 転移トラップ!?

 その存在は知ってる。

 魔族は限定的に空間を操ることができる。

 かつて老婆魔族もそれで手駒のゾンビを召喚していた。

 

 ただ、この魔法は人類には扱えなかったものの、とっくの昔に研究されて仕組みが解明されている。

 聞いた話だし詳しい理論とかは知らないが、とにかく空間魔法は燃費も効率も悪いっていうのが割と有名な話だ。

 エル婆にもう少し細かく聞いたが、なんでも短い距離の空間を繋げるだけで莫大な魔力を消費し、その空間を渡るものが多ければ多いほど加速度的に魔力の消費量が上がるそうだ。

 だからこそ、魔族が使ってくるとしても、老婆魔族のように大容量のマジックバッグと繋げるような感覚で使い、そこからものを取り出したりするのがせいぜいだろうと言っていた。

 

 だが、この床に広がる魔法陣なとんでもない大きさだ。

 突入した全員を飲み込めるほどにデカい。

 そして最悪なことに、空間魔法は人類には使えないがために、レジストができない(・・・・・・・・)

 

「なんという効率の悪い罠を!? いかん! 近くの誰かに掴まれ!」

 

 エル婆が叫ぶ。

 しかし、魔法陣が浮かんでから転移発動までの時間は短かかった。

 せいぜい数秒。

 その短い猶予時間も、この罠がなんであるかすぐにはわからずに、攻撃系だと思って身構えてるうちに過ぎた。

 マズい!?

 

「アラン!」

「ステラ!」

 

 俺とステラは互いに手を伸ばすも、無情にも手と手が触れ合う寸前に周りの景色が変わった。

 新たに目に映ったのは、地下道のような薄暗い空間だ。

 

「くそっ!? 『灯りライト』!」

 

 焦燥に駆られながらも、即座にマジックバッグから久しぶりに光源を生み出す魔道具のスクロールを取り出し、簡易詠唱で自由に操れる光の球を生み出す。

 すると、視線の先に奴らはいた。

 うじゃうじゃと、結構な数で。

 

「おお、来た来た。待ちわびたぜ」

「やっと暴れられる! 今まで散々我慢させやがって魔王の野郎!」

「あん? こいつ加護も持ってない雑魚じゃねぇか。チッ、張り合いがねぇな」

 

 目の前にひしめくのは喋る異形、魔族の大軍。

 こいつらがいるってことは、ここは魔王城内のどこかだろう。

 百人を越える突入組全員を転移させたのなら、消費魔力的にそう遠くへは飛ばせないはずだ。

 

 それでも……やられた!

 まさか、あんな大量の魔力を非殺傷系の罠に使ってくるとは思わなかった!

 俺だけじゃなく、頭の良い軍師の人達でもだ。

 効率の悪い魔法を、更に効率の悪い方法で使ってきた。

 あれだけの魔力を攻撃に使えば、こっちに無視できないだけの被害を与えられただろうに、それをしなかった。

 だからこそ意表を突かれた。

 

 おかげで俺はステラと離れ離れだ。

 魔王……本当にやってくれたなッ!

 

「まあ、張り合いのねぇ雑魚だけど」

「とりあえず」

「「「死ねぇーーーーー!!」」 

 

 魔族どもが残虐性を全開にして襲いかかってくる。

 俺はそいつらの攻撃を受け流し、その勢いで回転した。

 一の太刀『流刃』。

 だが、すぐには放たない。 

 何度も何度も攻撃を受け流し、その度に回転力を上げて、上げて、上げて。

 それが極限に達したところで、解き放った。

 

「邪魔だ! どけ! 『流刃・大過』!」

「「「ぐぎゃあああああああ!?」」」

 

 極限の回転に、黒天丸の黒い炎を乗せた一撃。

 準備に手間がかかり過ぎるが、非力な俺が聖戦士にも匹敵する攻撃を放てる技。

 それによって魔族どもを全員纏めて一撃で斬り捨てた。

 

 先を急ぐ。

 目指すは魔王のところだ。

 城に入った瞬間に上から感じた、とてつもなく強く懐かしい気配。

 目的が魔王の首である以上、ステラも他の仲間達も必ずそこを目指す。

 だったら、その道中で合流すればいい。

 待ってろよ、ステラ!



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89 『勇者』と『魔王』

 転移トラップに飲み込まれた直後、ステラはシリウス王国の城にもある謁見の間のような場所にいた。

 広い空間、高い天井、豪華な造りをした建造物。

 そして何より、部屋の奥に設置された階段の上の玉座に座る『王』の存在が、ここが謁見の間なのだとステラに強く意識させる。

 

 その王は、臣下も引き連れず、たった一人でそこにいた。

 

 その王は、人族の若い男ような見た目をしていた。

 外見年齢は17〜18歳ほどの、アランと同じ黒髪黒目の少年。

 だが、見た目以上に、この少年は何かがアランに似ているとステラは感じた。

 

「はじめましてだな、勇者。我が城にようこそ」

 

 そして、その王は……凄まじい威圧感を放つ『魔王』は。

 驚いたことに勇者であるステラとの対話を始めた。

 

「……まさか、いきなり魔王の眼前に飛ばされるとは思わなかったわ。いいの? 部下を使って私を消耗させなくて?」

「そこらの魔族をお前にぶつけたところで、消耗などしてくれぬだろう? この場に参戦させても足手まといだ。

 我の一の臣下であれば可能性はあったが、あいつには城内に侵入してきた他の者達の殲滅を頼んだ。……もっとも、そやつには大反対されたがな」

 

 魔王は困ったような顔で肩をすくめた。

 ステラは仲間が駆けつけてくれるまでの時間稼ぎの意味もあって、剣を構えながらも魔王と言葉を交わすことにしたのだが……魔王が予想外に人間臭い。

 放たれる威圧感さえなければ、人間の街に紛れ込んでも違和感がないくらいだ。

 

「もっと自分の身を大切にしろ。配下の全てを犠牲にしてでも勇者を削り、我はそれから戦うべきだ。

 あいつはそう言ったが、我は受け入れなかった。割に合わな過ぎるし、犠牲になる配下の中にはあいつ自身も含まれていたからな。

 我が一人でお前を倒す。それが最も効率的で、最も犠牲の出ない勝ち方だ」

「……随分と部下想いじゃない。悪辣な手段で私達を苦しめてきた諸悪の根源とは思えないわ」

 

 ステラはどうにもやりにくいと感じた。

 目の前の存在は魔王だ。

 人類を苦しめる、倒さなくてはならない敵だ。

 魔族はレストを殺した。

 前の世界のステラも殺して、アランが復讐に走るキッカケを作った。

 他にも数え切れないほどの人達が魔族に殺されている。

 

 目の前の魔王は、そんな魔族の王なのだ。

 人類にとっての絶対悪なのだ。

 なのに、どうしても……目の前の魔王が悪い奴には見えなかった。

 

「なあ、勇者よ。魔族とはなんだと思う?」

 

 魔王は唐突にそんなことを語り出した。

 いや、唐突にではない。

 魔王にとって、これが先程のステラの言葉に対する答えなのだ。

 

「魔族とは、魔界に生まれた加護持ちだ。

 かつて、魔界の神は世界への過度な干渉により世界を歪ませ、狂わせ、そこに生きる人々は異形の存在へと成り果てて知性を失った。

 長い時をかけて、異形となった人々は同じく異形と化した獣達と交わり子孫を残した。それが魔物だ。

 その中で、神は壊れてしまった世界の代わりを手に入れるべく、素質を持って生まれた魔物に、かつて人であった頃の知恵と力の加護を与えて手駒とした。それが魔族だ。

 つまり、我らは元々お前達と同じ『人』なのだよ」

「…………は?」

 

 ステラは愕然とした。

 知らなかったことを知った驚きより、信じられないという思いの方が強い。

 だって、魔族はどいつもこいつも、人とは思えないような外道畜生ばっかりだったから。

 戦闘狂のドラグバーンと、人形みたいだったアースガルドが一番マシに思えるレベルだ。

 平均レベルは推して知るべし。

 

「言いたいことはわかる。魔族は人には見えないだろう? だが、それは環境のせいが大きい。

 我らの生きる魔界は過酷だ。かつての神の暴挙によって草木は生えず、陽の光は差さず、食料と言えるものが互いの肉体しかない。食い殺し合わなければ魔族は生きていけないのだ」

「それは……」

「哀れな存在だろう? 魔族にとって隣人とは敵であり餌だ。いつ裏切られて文字通りの意味で食いものにされるかわからない。

 そんな状況では他者を信じることなどできず、他者を欺くための悪辣さばかりが磨かれてしまう。

 これなら本能で同族と協力できる魔物の方がまだマシだ。下手に知恵がある分、余計に救われない」

 

 確かに、そう言われると魔族が哀れな存在に思えないこともない。

 だからといって、あの外道畜生どもに同情はできなかったが。

 むき出しの悪意をもって殺しにきた相手に同情してやれるほど、自分は優しくないとステラは思う。

 

「……だが」

 

 しかし、次の瞬間。

 その短い言葉を発した直後。

 魔王の、目が、変わった。

 

「それでも救いたい。哀れで、愚かで、どうしようもない存在である魔族を、それでも我は救いたい。そう思ってしまった。我は魔族の王、『魔王』だからな」

 

 憂いに満ち、悲しみに満ち、それでも力強い信念の光を宿す魔王の目。

 その目を見て、ステラは悟った。

 

(ああ、なるほど。アランの感じた魔王の『強さ』って、このことだったのね)

 

 魔王は今まで戦ってきた魔族達とは違う。

 自らの欲望のために戦っていた魔族達と違って、魔王は自分ではない誰か(・・)のために戦っている。

 知恵を得ても残虐な本能のままに動いた他の魔族達と魔王は違う。

 魔王は、大切なもののためにという信念をもって戦う『人』であった。

 どこまでも強い『人』であった。

 

(アランとおんなじね)

 

「魔族を救いたいんなら、私達との共存は選べなかったの?」

「無理だな。我らの加護には、お前達からこの世界を奪い取れという神の強い命令がすり込まれている。例えそうでなかったとしても、魔族は殺して食らうという本能をそう簡単には捨てられない。殺さずとも生きて行ける世界で、何百年とかけて殺戮本能を薄めていくしかないだろう」

「その何百年の間に、私達は皆殺されちゃうわね」

「そういうことだ」

 

 人類と魔族の共存は不可能。

 この短いやり取りだけでも、充分すぎるほどにそれがわかってしまう。

 勇者と魔王はその変えられない事実を思って深いため息を吐き、━━次の瞬間には、互いに対する戦意を瞳に宿した。

 

「あんた達にどんな事情があったとしても、私達を殺しにくるなら、はいそうですかって、大人しく殺されてあげるわけにはいかないのよ。こっちにだって守りたいものがあるし、愛する人と一緒に掴み取りたい未来があるんだから」

 

 『勇者』ステラは、そう言って聖剣を構える。

 魔王殺しの刃が。世界にとっての最大の異物を排除するためだけに絶大な力を発揮することを許された最強の武器が。

 遂に本来の力を発揮し、膨大な聖なる光のオーラで、持ち主であるステラと聖剣自体を包み込んだ。

 

「知っている。お前達が正しくて、我らが悪であることなどわかっている。だが、例え鬼になろうと悪魔になろうと、叶えたい願いが我らにもあるのだ」

 

 そう言って、『魔王』は己の肉体に、勇者と対を成すような闇のオーラを纏った。

 同時に、膨大な闇のオーラの一部が魔王の右手の先に集まり、揺らめく炎のような黒色の剣と化す。

 

 勇者と魔王。

 光と闇。

 人類と魔族。

 どこまでも対極的で、しかし、心に宿した信念だけはとてもよく似た両者の戦いが、今ここに始まろうとしていた。

 

「仲間は来ないぞ、勇者。そのために最も信頼する部下をそちらへ回したのだ。お前一人であれば、我一人でどうにかなる」

「侮らないでよね。私のことも、私の仲間達のことも。勝つのは私達(・・)よ!」

 

 そうして、人類最強と最強の魔族は、互いの信念をぶつけ合うように激突した。



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90 畜生に墜ちた男

「ああ、くそっ! 数が多すぎるぜ!」

「他の人達は大丈夫でしょうか……」

「気にしてもどうにもならん。とにかく今は魔王のもとを目指して、ステラ達と合流するしかあるまい」

 

 ブレイド、リン、エルネスタの三人は、運良く転移させられた位置が近かったことと、リン以外の二人がそこらの魔族が束になっても敵わない聖戦士の中でも上位の戦闘力を持っていたことで、並みいる魔族達を蹴散らしながら前進することで割とすぐに合流することができた。

 

 そして、三人はそのまま魔王のもとを目指して突き進む。

 既にステラと魔王が戦闘を開始したであろうことは、上階から鳴り響くとてつもない轟音によって察していた。

 だからこそ、急がなければならない。

 真なる聖剣の力を振るう勇者がそう簡単にやられるとは思えないが、たった一人で魔王に勝てる可能性もまた低い。

 魔王に勝つためには、早急に自分達がステラに加勢する必要があると全員がわかっていた。

 

 と、その時、前方で見覚えのある集団が戦っているのが見えた。

 

「お、ガルム達じゃねぇか!」

「獣人族の方達ですね」

「ちょうどいい。回収してゆくぞ。ステラに加勢する聖戦士は一人でも多い方が良いからのう」

 

 彼らの視線の先にいたのは、獣人部隊隊長のガルムと、こちらも運が良いのか、彼と合流することに成功した十名ほどの獣人族の英雄達だった。

 共に魔王のもとを目指すために彼らのもとへ急ぐが、すぐに様子がおかしいことに気づく。

 

「ぐはぁ!?」

「ぎぃ!?」

「あがっ!?」

 

 彼らは戦っていた。

 そして、蹂躪されていた。

 聖戦士であるガルムと十人もの英雄達がだ。

 

 相手はたった一体。

 たった一体の魔族の爪が英雄達の胸を貫き、拳が頭蓋を砕き、蹴りが胴を両断する。

 ブレイド達が参戦できる距離まで近づく前に、ものの数秒で英雄達は皆殺しにされ、魔族は高笑いを上げた。

 

「アハハハハハハハッ!! 弱ぇ! 弱すぎる! かつての俺様の同族が情けねぇなぁ!」

「くっ……!?」

 

 笑いながら、否、嗤いながら、その魔族は最後に残ったガルムを追い詰めていく。

 ガルムは防戦一方だった。

 技量こそ相手と大して変わらないが、身体能力が違い過ぎる。

 拳を防げばガードの上から吹き飛ばされ、逆に殴りかかっても片手であっさりと止められる。

 ガルムの拳を魔族が掴み、力の限り握り潰した。

 

「ぐぁああああ!?」

「ハッ! 脆い! 脆いぜ、ガルムゥ!」

 

 魔族が貫手を構える。

 砕けた拳を掴まれ、逃げられないガルムの心臓に向かって、鋭い爪によって貫通力を増した魔族の貫手が放たれた。

 当たれば間違いなく、ガルムは心臓を貫かれて絶命するだろう。

 その攻撃には一切の躊躇も、容赦も、迷いもなかった。

 あまりにも自然な動きだった。

 あまりにも自然な光景だった。

 それは魔族が天敵である人類を殺すという、あまりにもありふれた、当たり前の出来事にしか見えなかった。

 

「何やってやがんだ、テメェはぁあああああ!!!」

「あ?」

 

 そんな魔族に向かって、激昂しながらブレイドが飛びかかる。

 大上段に大剣を構え、魔族目掛けて真っ直ぐに振り下ろす。

 それに対し、魔族は左手で掴んだガルムを振り回してブレイドにぶつけることで弾き飛ばそうとし……

 

「『電撃(エレクトロ)』!」

「ぎっ!?」

 

 エルネスタの放った雷の魔法によって痺れ、一瞬動きを止めた。

 すぐにその影響を振り払うも、ガルムを振り回すのは間に合わずに手を離して後ろへ飛んだ。

 しかし、避け切れずにブレイドの斬撃が魔族の左腕を両断する。

 

「おーおー、痛ぇじゃねぇか! 今のはいつもとは違う意味で痺れたぜ! やってくれたな、エルネスタ!」

 

 魔族は腕を斬られたことになど頓着せず、それどころか腕を斬り飛ばしたブレイドすらも無視して、雷魔法を放ったエルネスタだけを注視していた。

 その隙に、リンがガルムの傍に寄って治療を始める。

 ……見た目以上にダメージが蓄積していた。

 握り潰された拳はもちろん、片腕は砕け、片脚は腫れ上がり、その他の場所もボロボロで、内臓もいくつか潰れている。

 リンの腕をもってしても、回復まで数分は要するだろう。

 

「お。その女、聖戦士か。随分高度な治癒魔法ってことは、多分聖女だな。俺様の好みじゃねぇが、エルネスタと一緒に後で一応抱いてやるか」

「テメェ!!」

「何をやっておるのじゃ、獣王の小僧」

 

 ブレイドは恩人の少女へ下卑た欲望をぶつける魔族に対する怒りに燃え、逆にエルネスタはどこまでも冷たい殺気の宿った目で魔族を見た。

 

 その魔族は、灰色の髪をボサボサに伸ばした、身長二メートルほどの大男だった。

 引き締まった無駄のない筋肉。

 頭部から伸びる狼のような灰色の耳。

 腰から生える同色の尻尾。

 肘から先と膝から先を覆う獣毛に、鋭く尖った爪。

 そのどれもが、エルネスタ達の知る男の特徴と一致する。

 

 行方不明だったはずの獣人族の族長、『獣王』ヴォルフ・ウルフルスと。

 

 だが、前に会った時と違い、今の獣王の目は血のような赤に染まり、肌は血の気が引いたような青白い色となっていた。

 そして何よりの違いは、全身から迸る悍ましい気配。

 禍々しい、人類の敵である魔族の気配。

 神聖なる加護のオーラと、邪悪なる魔族のオーラ。

 相反するその二つが歪に混ざり合い、今の獣王からは吐き気を催すような滅茶苦茶なオーラが噴き出していた。

 

「何をやっているねぇ。見た通りだぜ? 俺様は更なる力を手に入れて高みに登ったんだよ!」

 

 ブレイドに斬られた獣王の左腕が再生していく。

 治癒魔法が発動した様子はない。

 魔法による治療ではなく、人類ではあり得ない、()()()()()()の生態としての超回復。

 人の道を外れ、人外へと堕ちた証。

 

「『水』の遺産とかいう真祖吸血鬼トゥルーヴァンパイアの血のおかげでなぁ! 吸血鬼本人がおっ死んでるから本来の力はないって話だが、俺様にとっちゃ、むしろ都合がいい! おかげで変に吸血鬼に操られずに、俺様が俺様のまま強くなれたんだからよぉ!」

「……つまり、お主は別に操られておるわけでもなく、自らの意思で魔族となり、自らの意思で魔族に与しておると、そういうことか?」

「そう言ってんだろ? 俺様が操られてるように見えるか? 前までの俺様と違うように見えるか?」

「見えぬな。本当に、憎たらしいほどに、いつも通りのお主じゃよ」

 

 そうして、エルネスタは敵意をもって杖を構えた。

 目の前の相手を同じ人類としてではなく、倒すべき魔族として認識した。

 

「こうなってしまっては致し方なし。元々、今は最終決戦の最中という特大の緊急事態じゃ。仮にお主がただ操られておるだけであったとしても、レス坊の時と違って助けておる余裕などない。じゃから、━━殺すぞ、獣王の小僧」

「アハハハハハハハッ! 最強を超えた俺様を、人類最強の一人でしかねぇお前が、どうやって殺すってんだぁ! 今の俺様ならあのクソ女にも負けねぇ! やれるもんならやってみろよ、エルネスタァ!」

 

 かつては同じ最強の聖戦士と呼ばれた二人が、敵と味方に別れて殺気をぶつけ合う。

 そして、彼らだけの戦いではないと宣言するように。

 目の前の魔族に弟を奪われた男もまた、戦意に満ちた顔で大剣を構えた。

 

「悪いな、ガルム。不謹慎だけどよ。俺、正直ちょっと嬉しいんだわ。弟の仇。片方はアランに譲っちまったが、もう片方をこの手で討てるってことが……!!」

「ごほっ! ……謝られる必要はありません。エルネスタ様も言っていた通り、こうなってしまっては致し方なし。

 ブレイド殿、エルネスタ様、リン殿。兄上を、止めてください!!」

「おうよ!!」

「任せよ!」

「全力を尽くします!」

 

 魔王城最終決戦。

 勇者と魔王の直接対決に次ぐ、戦況を大きく左右する戦いが、ここに始まろうとしていた。

 

「かかって来いよ雑魚どもがぁ! 俺様は魔王軍新最高戦力! 『魔獣王』ヴォルフだ! そこの筋肉ダルマどもをぶっ殺して、ぐっちゃぐちゃにしたお前ら二人を俺様のものにしてやるぜ!」

 

 勇者パーティーの三名VS『魔獣王』ヴォルフ。

 ここに開戦。



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91 最後の四天王

 立ち塞がる魔族どもを斬り捨てながら上を目指す。

 城の一番上のあたりで、凄まじい力がぶつかり合ってるのが、この距離からでも感じられた。

 恐らく、ステラと魔王の戦いがもう始まってしまったということだろう。

 最悪だ。

 最悪の中の最悪だ。

 ステラや仲間達に比べて、あまりにも遅いこの足が憎くて仕方がない……!

 

 焦燥に駆られる心に冷静になれと必死に言い聞かせ、スピードと魔王と戦えるだけの体力の温存を両立しながら走る。

 暴風の足鎧を装備に選んでよかった。

 これがあるのと無いのとでは、移動速度が雲泥の差だ。

 

 そうして先へ先へ、上へ上へと移動を続けていると、突如目の前の通路に亀裂が走った。

 外壁同様に真っ黒な魔力でコーティングされ、とてつもない頑丈さを誇るはずの魔王城の内壁にだ。

 

「ぐはぁああああ!?」

 

 亀裂はすぐに大穴となり、そこから誰かが吹き飛んでくる。

 見覚えのある人だった。

 二十代半ばほどの、筋骨隆々の剣士。

 それは……

 

「ドッグさん!?」

「はうっ!?」

 

 魔王城の壁を突き破ってきたドックさんは、持っている剣は折られ、肩から脇腹にかけて大きく深い切り傷を負っていた。

 しかも、哀れなことに吹っ飛んだ先にあった瓦礫に股間をぶつけ、泡を吹いて気絶してしまった。

 あの勢いじゃ多分潰れてる。

 

 なんてこった!?

 何度目かの正直ってやつか!?

 慌ててマジックバックの中から回復薬を取り出してぶち撒けたが、回復薬で欠損が治ることはない。

 切り傷の出血だけは止まったが、焼け石に水だ。

 

「何が……!」

 

 ドッグさんに回復薬をかけながら、彼が吹っ飛んできた大穴の中を見る。

 そこには多くの戦士達がいた。

 剣士、槍使い、斧使い、棍棒使い、盾使い、弓兵、魔法使い、治癒術師など。

 いずれも加護持ちの英雄。

 人数は二十人を超える。

 中には聖戦士と思われる人が五人はいた。

 

 それだけの戦力が、俺が目を向けた瞬間に全滅した。

 

 一瞬にして多くの戦士達の首が飛んだ。

 辛うじてその一撃を避けたり防いだりした人は、次なる一撃で縦や横に真っ二つになった。

 それを凌いでも次の攻撃が。

 更にそれをどうにかしても次の攻撃が尋常じゃない速度で飛んできて、誰一人として最後まで受け切れなかったのだ。

 

 それを成した敵はたった一人。

 とてつもない力を感じるたった一人の魔族。

 見た目は人に近い。

 外見年齢17〜18歳くらいの、ステラと同じ金髪碧眼の女だ。

 和風の鎧に身を包み、右眼には大きな眼帯、手には刀を装備している。

 そして、その背中には人外の魔族である証のように、管が絡まったような黒く歪な翼があった。

 

「ッ!?」

 

 そいつを見て、ドラグバーンやアースガルドの時を遥かに超える危機感を覚えた。

 それどころか、前の世界で戦った時の魔王をも超える強さを感じた。

 体が反射で動いて、回復薬を持っていた左手が腰の怨霊丸を引き抜く。

 こいつを前にしては、元々構えていた黒天丸一本じゃ瞬殺されると、本能が全力で警鐘を鳴らしていたのだ。

 

 魔族が動く。

 その場の全員を殺戮し、新たな敵である俺に気づいて、手にした刀を一閃。

 速い。

 俺が見てきたどんな攻撃よりも速い!

 ルベルトさんの刹那斬りですら比較にもならない!

 

「ぐっ!?」

 

 神速で振るわれた刀から飛び出してきた斬撃を、歪曲で何とか受け流した。

 軌道を捻じ曲げられた斬撃が砕けた壁を更に壊し、余波でドッグさんがどこかに飛んでいく。

 悪いが気にしてる余裕はない。

 巻き込まれて死ぬか、他の敵に見つかる前に、自力で意識を取り戻してくれることを願うばかりだ。

 

「『風魔の太刀』」

 

 俺を仕留め損ねたと気づいて、魔族が更に刀を振るう。

 秒間に百を軽く超える斬撃の嵐が発生し、その全てが神速で俺に襲いかかる。

 俺は全神経を集中し、斬撃を観察し、目で見切れなかった分は経験による直感で補って。

 

「『歪曲連鎖』!」

 

 全ての斬撃を受け流した。

 二本の刀を最高効率で動かし、受け流した斬撃を他の斬撃にぶつけて相殺。

 僅か一秒にも満たない攻防に多大な体力と集中力を持っていかれ、俺の体からは汗が噴き出し、息が乱れた。

 

 そして魔族は、今ので仕留められなかった俺を少しは厄介な敵だと認識したのか、雑な追撃を選択せず、油断も隙もない構えを取って俺を睨みつけた。

 

「……驚いたな。お前、加護を持っていないのか。まさか加護持ち以外でもこんな奴がいるとは。これだから人類は侮れない」

 

 魔族は大抵、俺が加護を持っていないとわかると油断する。

 俺に自分を滅ぼす手段などないとタカを括って嘲笑う。

 だが、こいつはそんなことはなかった。

 加護が無くとも俺を強敵だと認識して笑ったドラグバーンともまた違う。

 笑顔なんてどこにもない。

 どこまでも真剣に、どこまでも純粋に、ただただ倒すべき強敵として俺のことを見据えている。

 

 俺が魔族を相手にする時に向けるのと同種の視線だ。

 一番厄介なタイプかもしれない。

 

「名乗ろう。私は魔王軍四天王筆頭、『風』の四天王フェザードだ」

 

 こいつが最後の四天王。

 そして、四天王筆頭。

 驚きは無かった。

 こいつは、それくらい強大な存在だろうと思っていた。

 

「お前は強い。だからこそ、お前を魔王様のところへは行かせない。私は魔王様をお守りする最後の砦。あの方が勇者のみに集中できるよう、邪魔する者は全て叩き斬る」

 

 目の前の魔族、フェザードの目に宿る感情は、信念だ。

 悪辣さに満ちた他の魔族とはまるで違う。

 闘争本能に燃えていたドラグバーンとも違う。

 無機質なアースガルドとも違う。

 下衆の極みのようだったヴァンプニールとは比べることすらおこがましい。

 

 フェザードの目に宿るのは信念。

 何がなんでも魔王を守るという、強い信念。

 思わず強く共感を抱いてしまうような信念。

 

 だからだろうか。

 自分でも意識しないうちに、俺の口は開いていた。

 

「俺は勇者パーティーの一人、『剣鬼』アランだ。お前を倒して先に行く」

 

 魔族相手に名乗ったことは殆どない。

 名乗る価値がある奴らとは思えなかった。

 老婆魔族には名乗ったことがあったが、あれは自分に対する宣誓みたいなものだ。

 奴に名乗る価値があったわけじゃない。

 

 だが、こいつには、名乗っておかなければならない気がした。

 信念を言葉にして、俺の信念でお前の信念を踏み越えていくと、しっかり宣言しておかなければいけない気がした。

 

「勇者パーティーの一人だったか。ならば、なおさら魔王様のところへは行かせん。ここで斬る」

「意地でも通らせてもらう。お前が魔王を守りたいように、俺もあいつを守りたいからな」

 

 俺は足に力を込め、暴風の足鎧を起動し。

 フェザードは歪な翼をはためかせて発生させた爆風を推進力にして。

 俺達は距離を詰めて互いの刀を、刃を、信念を直接ぶつけ合った。

 譲れないものがある者同士、一歩も引けない状況で真正面からぶつかり合ったなら。

 相手の信念を砕き、己の信念を貫けるのは、━━どちらか片方のみ。



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92 信念を賭けて

「おおおおおお!!!」

「アアアアアア!!!」

 

 俺とフェザードは斬り結ぶ。

 共に大事な人のために鍛え上げた力で、技で斬り結ぶ。

 そう。

 フェザードの剣技には、殆ど生まれ持った力とその応用のみで戦う他の魔族と違って、血の滲むような研鑽の跡があった。

 

「ハッ!」

 

 フェザードが刀を振り下ろす。

 そこから繰り出されるのは、加護持ち達が当たり前のように使う飛翔する斬撃。

 それに奴自身の風の力を付与した風刃だ。

 

 綺麗な太刀筋だった。

 無駄な力なんて一切入っていない、最善のフォームで振るわれる斬撃。

 

 こいつの身体能力はそこまで高くない。

 そこらの魔族よりはよっぽど高いが、身体能力の化身のようだったドラグバーンには遠く及ばない。

 能力を数値化できるなら、ヴァンプニールより少し上って程度だろう。

 攻撃の威力も、それに比例して低い。

 

 だが、速い!

 速くて鋭い!

 動きの無駄を削って剣速を高め、美しい太刀筋と、磨き上げた風の力で、とてつもなく切れ味の鋭い斬撃を繰り出している。

 

 相手を斬るのに、殺すのに、過剰な力はいらないのだ。

 斬れるだけの鋭さがあるのなら重さはいらない。威力はいらない。

 真っ二つにすれば大抵の相手は死ぬ。

 生命力の強い奴でも、細切れにすれば大体死ぬ。

 ヴァンプニールでも心臓に斬撃が一発でも命中すれば殺せる。

 

 フェザードが振るう刃は、切れ味を極限まで磨くことで不要な力を削ぎ、その分の力を速度に割いた斬撃だ。

 結果、飛んでくるのは神速で放たれる即死攻撃の嵐。

 技によって己の体を効率的に使い、能力値以上の戦闘力をフェザードは得ている。

 

 身体能力ではドラグバーンに及ばない。

 特異性ではヴァンプニールに及ばない。

 攻撃規模ではアースガルドに及ばない。

 だが、実際にあいつらと戦えば、ほぼ確実にフェザードが勝つ。

 

 ドラグバーンは回復を上回る速度でズタズタにされ、ヴァンプニールは全身くまなく斬られて心臓をやられ、アースガルドは山ゴーレムを修復するより速く斬撃で掘り進まれて本体をやられるだろう。

 フェザードには、それだけの()がある。

 能力値の差を覆す、俺とは違う形の強者殺しの剣がある。

 

「ぐっ!?」

 

 そして、フェザードの剣は俺にとっても相性が悪い。

 俺が苦手とするのは、アースガルドみたいな防御力が高すぎる相手と、対応限界を越える速度で攻められること。

 蒼炎竜状態のドラグバーンのゴリ押しに苦戦したのも、もっと遡れば老婆魔族の操る『拳の英雄』フィストの拳の弾幕を前に傷だらけになったのもそうだ。

 

 フェザードの神速の太刀は、確実に俺の対応限界を越えている。

 今の俺なら蒼炎竜状態のドラグバーン相手でも、奴の命が燃え尽きるまで粘れる自信があるのにだ。

 直撃こそ避けてるとはいえ、何度も斬撃が体を掠めてもう傷だらけ。

 刀の軌道を目で追えない。

 影すらも捉えられない。

 何とか防御が成立してるのは、刀を振るう前の体勢からの先読みと、何度も死にかけて磨いた危機察知能力のおかげだ。

 

 だが、本当にどうにかとはいえ、受け流しは成立している。

 なら、前に出る!

 禍津返しを使う余裕すらない神速の攻撃を相手に遠距離戦で勝ち目はない。

 近接戦闘に持ち込んで斬る!

 

「ッ!?」

 

 そう思って一歩を踏み出した瞬間、フェザードが動いた。

 俺が詰めようと思っていた距離を、翼の推進力と鋭い踏み込みによって向こうから詰め、交差する一瞬の間に、飛翔する斬撃よりも速い直接攻撃を仕掛けてきた。

 

「『隙間風』!」

「ぐっ!?」

 

 なんとか攻撃の予兆を察知して防御態勢を整え、フェザードの一撃を受け流したが、相当シビアなタイミングだった。

 コンマ一秒防御が遅ければ、ほんの数十分の一ミリでも受け方を間違えていれば死んでいた。

 

 フェザードには飛翔する神速の斬撃の他にこれがある。

 翼を活かした超速移動と、そこから放たれる神速を超える一閃。

 近づかなければ勝てないのに、近づいた方がより強い。

 

 だが、何度か食らって少し慣れてきたぞ!

 今なら、ギリギリカウンターを放つ余裕がある。

 俺はフェザードの一閃を受けて弾き飛ばされそうになる怨霊丸を強く握り締めて体に引きつけ、その勢いによって回転。

 反対の手に持った黒天丸を振り抜く!

 

「『流刃・黒月』!」

 

 流刃の勢いを得て飛翔する黒い炎の斬撃。

 禍津返しには及ばないまでも、打ち直された黒天丸のおかけで、それなりの威力を叩き出せる遠距離攻撃だ。

 当然、こんな単発の攻撃が通じるはずもなく、フェザードにあっさりと斬り払われるが、俺は黒天丸を振るうと同時に、足捌きで回転力を推進力に変える。

 一の太刀変型━━

 

「『激流加速』!」

 

 二つの技の同時発動。

 それによって、黒炎の迎撃に多少なりとも意識を割かれたフェザードに迫る。

 むろん、すぐに迎撃の風刃が飛んできた。

 それでも前に進む足を止めず、歪曲連鎖で防いで、防いで、防いで。

 防ぎ切れずに傷を増やしながらも、フェザードの懐まで到達した。

 

「『風月』!」

 

 飛翔する斬撃でも、すれ違い様の一閃でもなく、刀身が直接届く間合いにて振るわれる純粋な剣技。

 上段から正中線を通ってまっすぐ振り下ろされる、素振りでよくやる基本の型。

 フェザードのそれは、やはり速い。

 何万回、何十万回、何百万回の素振りの果てに辿り着く洗練されたフォームに加え、近くに寄ってみれば更なる工夫の数々が見えてきた。

 

 刀の通る軌道上の風を操って空気抵抗を無くしている。

 刀身に纏わせた風の魔法を峰の部分から噴射させて更に剣速を上げている。

 そんないくつもの工夫を、とてつもない速度で放たれる斬撃の一つ一つに付与している。

 一太刀に自分のできうる限りの工夫を乗せて限界を超えるさまは強烈なシンパシーを感じさせた。

 

 だが、俺だって負けはしない。

 振り下ろされてからでは対応が間に合わないのは嫌というほどわかってる。

 だからこそ、先を読む。

 俺はいつもそうしてきた。

 

 観ろ。

 体勢を観ろ。力の流れを観ろ。予備動作の全てを見抜け。

 フェザードの動きはドラグバーンとかより複雑だ。

 ただただ全力で打ち込んできていたドラグバーンの攻撃と違い、技巧があって、フェントを挟み、こっちが受けづらいタイミングや場所に攻撃を合わせてくる。

 それでも見抜ける。見破れる。

 そして、観て得た情報を磨き上げた直感と結びつけて、研ぎ澄ました危機察知能力と繋げて、体に叩き込んだ最善の動きを反射よりも速く繰り出せ!

 

「一の太刀━━『流刃』!」

 

 フェザードが刀を振り下ろす前に、されど攻撃の軌道を変えられない絶妙なタイミングで、怨霊丸を最適の位置へと翳す。

 その怨霊丸でフェザードの一撃を受け、さっきと同じように怨霊丸を支点にして体を回転。

 反対の黒天丸でフェザードに斬りかかる。

 

 ドラグバーンと戦った頃は、二刀の型でまともな火力を出すことは難しかった。

 片手で握った刀じゃ、流刃を使っても大した斬撃は繰り出せなかった。

 だが、今は違う。

 一刀流の方が攻撃力が上なのは変わらないが、防御重視の二刀の型でも充分な攻撃力を叩き出せるほどに俺は成長した。

 

「ふっ!」

 

 そんな積み重ねの果てにある俺の剣撃を、フェザードは振り切ったはずの刀を引き戻して、あっさりと防いだ。

 流刃は相手の攻撃の直後、ほぼ同時といえるタイミングでカウンターを叩き込む技だ。

 それに迎撃を間に合わせるのは簡単ではない。

 だが、フェザードの剣速であれば簡単に間に合ってしまう。

 

 それでも、まだだ。

 

 防がれるとわかった瞬間に腰を落とし、勢いを継続させたまま、防御に使われた刀を潜り抜けるように二撃目の流刃をつ。

 一の太刀変型『流流』!

 

「妙な剣技を……!」

 

 お前だって妙な工夫してるだろうが!

 だが、これもまた防がれる。

 まだだ。

 今度は軽く飛び跳ね、ぶつかり合った刀を支点に、空中で縦に一回転。

 ガードを飛び越えて三撃目の流刃。

 一の太刀変型『流車』!

 

「チッ……!」

 

 ほんの僅かに体勢を崩せたが、これも防がれた。

 まだだ!

 腰を落とす、飛び跳ねる、這うように潜る、そこから斬り上げる。

 回転力の続く限り攻撃を繰り出し続ける。

 フェザードの攻撃が速すぎた分、それを回転力に変換した俺の動きもまた速く、回転はより長時間持続する。

 

 少しでも力の入れ方を間違えたら、俺の方が回転のせいで体がバラバラになりそうだ。

 そうじゃなくても、この剣技に慣れ親しんだ今ですら目が回りそうになる。

 それでも攻め続けた。

 防ぐだけじゃなく、当然反撃も繰り出してくるフェザードと斬り合い続けた。

 

「あああああああ!!!」

「ハァアアアアア!!!」

 

 その攻防の結果は……五分。

 互いの攻撃が互いを掠め、削り合って傷が増えていく。

 俺の頬が斬られ、フェザードの眼帯に切り込みが入り、俺の腕から血が噴き出せば、フェザードの足に血が滲んだ。

 

「らぁあああああ!!!」

「ガァアアアアア!!!」

 

 互いに咆哮を上げながら斬り合う、せめぎ合う、殺し合う。

 斬撃が受け流された。

 そうなると直感した瞬間に攻撃の向きを変更して足を薙ぐ。

 攻撃が突き刺さる。

 そうなった瞬間に反撃を食らい、同等の傷を負わされた。

 

 魔王戦に向けて体力を温存なんて考えてる余裕はない。

 それはこいつを倒した後で回復のチャンスがあると信じて、全身全霊をもって攻める。

 回転しながら攻めて、攻めて、攻めて。

 回転力が落ちかけたら、またフェザードの攻撃を受け流して回転力に変えて、攻める、攻める、攻める!

 

 距離を取られたら一方的に俺が不利だ。

 だからこそ、逃さない。

 この距離にいるうちに仕留める。

 フェザードも無理に離れれば、むしろ、その動きが隙になると理解して、真っ向勝負を選択している。

 互いに引かない。

 

 だが、それでも限界はやってくる。

 疲労で俺の動きが僅かに鈍った。

 

「!」

 

 それを見て、フェザードがその隙に斬り込んできた。

 チャンスと見て反射的に繰り出したんだろう、より一層の速度が乗った攻撃。

 狙い通りだ!

 六の太刀━━

 

「『反天』!」

「ッ!?」

 

 相手の攻撃と自分の攻撃がぶつかった衝撃を、相手の一番脆い部分に浸透させて破壊する技。

 だが、フェザードの攻撃は速度こそ凄まじいが威力は低い。

 俺に比べれば怪力なのは間違いないが、反天で武器を壊せるほどの衝撃は発生しない。

 

 それでも、衝撃を食らわせれば武器を弾ける。

 反天の副次効果。

 ドラグバーンの拳や、アースガルドの山ゴーレムの一撃を弾いた時と同じ使い方。

 

 そして、気合いを込めた一撃を弾かれれば、その分大きな隙を晒すことになる。

 隙を晒したのはわざとじゃない。

 疲労していたのは嘘じゃないからだ。

 ただ、自分がそのタイミングで隙を晒すだろうと予測して、反撃の一手を考えていただけ。

 それがフェザードに無視できない隙を作った。

 

「『流刃』!」

「ぐっ!?」

 

 反天に使ったのは怨霊丸。

 そして、まだ回転力は残っていた。

 その残った力を黒天丸に込めて振り下ろす。

 フェザードの体に袈裟懸けの深い傷が刻まれた。

 有効打だ。

 フェザードに他の四天王のような再生能力があったとしても、黒炎に焼かれた傷の回復には時間がかかる。

 

 治る前に決める!

 そう思って、更なる攻勢に出ようとした時。

 

「ッッ!?」

 

 凄まじい悪寒が全身を走り抜けた。

 極大の危機感。

 このままでは死ぬと本能が叫んでいる。

 

 その感覚に身を任せ、今まで培ってきた経験から何が起こるのかを予測し、体は最善の動きを取った。

 距離を空けるのを承知で飛び下がりながら、両手の刀で歪曲連鎖を繰り出して……

 

「ぎっ!?」

 

 ━━俺の右腕が両断されて宙を舞った。

 握りしめた黒天丸ごとクルクルと回転し、俺の背後の床に黒天丸の刃が突き刺さる音がする。

 血は出ない。

 何故なら、傷口が()()()()()()()()()()

 

「今のを腕一本の犠牲だけで凌ぐか。さすがだな」

 

 フェザードの称賛の言葉を聞きつつ、俺は苦い気持ちで残った左手の怨霊丸を構える。

 

「出し惜しみしてたのかよ」

「ああ、そうだ。初見というアドバンテージを最大限に活かすためにな」

 

 そう言うフェザードの背中では、翼の代わりに六本の触手が蠢いていた。

 黒く長い六本の触手。

 その先端には、それぞれ火、水、土、氷、雷、光の六属性の力を纏う魔剣が握られている。

 収納してやがったのだ。

 

 あの極大の危機感を感じた、次の瞬間。

 フェザードの背中にあった翼が、一瞬にして解けてああなった。

 そして、六本の触手がそれぞれ斬撃を放ってきた。

 俺の右腕を斬り飛ばしたのは氷の魔剣だ。

 剣技と同じく神速の早業だった。

 

 くそっ、完全に騙された。

 今まで翼としての自然な動きしかしてなかっただろうが!

 まさか擬態の技術まで極めてるなんてわかるか!

 

 いや、だが六本の触手を開放したフェザードの姿。

 俺はこれと似た姿の奴を見たことがある。

 アースガルドが最後に使った『金属の騎士メタルナイト』の姿だ。

 あの人形みたいだったアースガルドが、最も興味を惹かれたものの模造品と言っていたあれと同じ姿。

 

 多分、こいつこそがアースガルドが模倣したオリジナルだったんだろう。

 しくじった。

 もう少し深く考えてれば予想できたのかもしれない。

 いや、無理だったような気もするが。

 

「初見殺しで仕留め、できずとも動揺につけ込んでもっとダメージを与えるつもりだったんだがな……。腕一本失っても、まだ隙が見えない。本当に大したものだ」

「褒められたところで嬉しくもない。勝てなきゃ無意味だ」

「それには大いに同感だ」

 

 さて、どうする。

 傷口が凍ってるのが良いとも悪いとも言えない。

 出血死の心配はないが、即座に腕をくっつけることもできない。

 最高級の回復薬の効果を稚拙とはいえ治癒魔法で補強すれば、新しく四肢を生やすことはできなくても、千切れた部分を繋ぎ直すことくらいはできるんだが、これだと絶望的だな。

 そもそも、凍ってなくともフェザード相手に治療の時間なんて稼げるわけもない。

 ……左腕一本で戦うしかないか。

 

「片腕だろうと油断はしない。確実に仕留めさせてもらうぞ、『剣鬼』アラン」

「油断してくれた方が嬉しいんだが、まあ無理か」

 

 とはいえ、諦めるつもりも毛頭ない。

 勝ち目がないとも思わない。

 七刀流は初見だが、フェザード自身の速度には大分慣れた。

 片腕でも1%くらいは勝ち目があるだろう。

 ……低いな。

 だが、低い勝利の可能性を引き寄せるしかない。

 こんなところで死んで堪るか……!

 

「行くぞ」

「……来い」

 

 フェザードが七刀流を構え、俺への本気の攻撃が開始される。

 その、直前……

 

「『刹那斬り』!」

「む!?」

 

 俺達の戦いの場に乱入者が現れた。

 攻撃に意識を割いていたフェザードは、その乱入者の攻撃を完全には防ぎ切れず、ガードはしたものの吹っ飛ばされて、さっきドッグさんを吹き飛ばして自分で崩した壁のあたりに激突した。

 

 そうして目の前の脅威を一時的に取り除いて、乱入者は俺を守るようにして最強の四天王の前に立つ。

 

「苦戦しているようだな、少年」

「ルベルトさん!」

 

 その乱入者の正体は、齢を重ねた歴戦の老騎士。

 先代魔王との戦いを経験している古強者の『剣聖』。

 俺がステラの隣に立つための、最初の壁として立ち塞がった人物。

 ルベルトさんだった。

 

「こんな老いぼれだが、前途ある君の盾くらいにはなれるだろう。━━『剣聖』ルベルト・バルキリアス、この戦いに助太刀いたす!」

「……バルキリアス?」

 

 その瞬間、小さな声でそう呟いたフェザードの顔から、右眼を覆っていた眼帯が外れて、音もなく地面に落ちた。



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93 最初の壁と最後の壁

「剣聖……バルキリアス……覚えているぞ。私のこの右眼を奪った者達の名だ」

 

 フェザードの外れた眼帯の下。

 そこには……巨大な傷に覆われた右眼があった。

 傷痕じゃない。

 まるで、たった今付けられたかのような、全く癒えていない傷。

 その現象には心当たりがある。

 

「……聖剣の傷か」

「そうだ。かつて、魔王様と共にお前達の国に攻め入った時、命と引き換えに聖剣を振るった二人の剣聖に付けられた」

 

 そうだ。

 確か、勇者不在の時やどうにもならない時、剣聖は命と引き換えに聖剣を振るえるって話を聞いたことがあった。

 そして、真なる聖剣の力には回復阻害の効果がある。

 前の世界において、何十年も治らぬ傷を魔王に刻みつけた力だ。

 フェザードの口ぶりからするに、その聖剣の力でフェザードから右眼を奪ったのは……

 

「なるほど。お前がシーベルトとアスカの……我が息子夫婦の仇か」

 

 ギリッと、ルベルトさんの剣が強く握りしめられた。

 あったのだ。

 この二人の間には因縁が。

 

「強い奴らだった。私の言えた義理ではないが、敬意を表する」

「……まさか魔族にそんなことを言われるとはな。ならば、そんな強い我が子達の戦いを私は引き継ごう」

 

 ルベルトさんから気迫が迸る。

 命と引き換えにしてでも目の前の敵を討つ。

 そんな想いが伝わってくるほどの凄まじい気迫を。

 

「魔王軍四天王筆頭、『風』の四天王フェザード」

「シリウス王国最精鋭騎士団団長、『剣聖』ルベルト・バルキリアス」

「「参る!!」」

 

 フェザードとルベルトさんがぶつかった。

 

「『七星剣』!」

 

 先手を取ったのは速度で勝るフェザード。

 触手に握られた六本の魔剣と、両手で握った神速の風刃。

 合わせて七つの斬撃が一斉にルベルトさんを襲う。

 

 魔導の基本八属性のうち、闇を除いた全ての属性の攻撃が一度に繰り出されるさまは、まるでエル婆の『全属性の裁き(ジャッジ・ザ・エレメント)』の剣術版。

 威力ならエル婆の方が遥かに上だが、速度ならフェザードの方が遥かに上。

 唯一の救いは、両手の風刃に比べれば触手魔剣の速度が遅いことだが、それでもそこらの聖戦士の一撃より速い。

 

 絶望的だ。

 受け流しに特化した俺の剣でも、二刀の型を使った歪曲連鎖でギリギリだろう。

 ステラなら身体能力と魔法で強引に突破できるかもしれないが、ブレイドやイミナさんなら一瞬でバラ肉にされる。

 そんな絶望的な剣撃の嵐に対して、ルベルトさんは……

 

「『刹那流し』!」

 

 真っ向から突撃して、全て受け流した。

 刹那斬りの速度で防御の剣を振るい、フェザードの斬撃を捌いていく。

 完全に防ぎ切れてるわけじゃない。

 魔剣によるいくつも斬撃がルベルトさんの体を掠め、火傷、凍傷、裂傷などの様々な傷がルベルトさんに刻まれていく。

 だが、歴戦の戦闘経験が成せる技なのか、致命傷だけは決して受けない。

 

 そして、傷を負いながらも不動。

 俺には無い剣聖の身体能力で、避けることなく全ての攻撃を受け流す。

 避けたら俺に当たってしまうからだ。

 くそっ!

 足手まといなのが辛い!

 

「『隙間風』!」

 

 斬撃の嵐だけで即座に突破するのは難しいと見たのか、フェザードは俺の時と同じく、自分から距離を詰めて斬撃を放った。

 六本の触手を一瞬にして束ねて翼に戻し、その羽ばたきによる推進力を得た超高速の一閃。

 どうやら、翼モードと触手モードを瞬時に切り替えられるらしい。

 だから、どんな技術だ!?

 

「何っ!?」

 

 だが、ルベルトさんはこれに対応した。

 フェザードの振るった刀を自分の剣で巻き取り、下段に抑えつける。

 そのまま肩から体当たりをかまして、フェザードを吹き飛ばした。

 更に踏み込んで斬りかかるが、それは吹き飛ばされたことで抑えの外れた刀で受けられ、つばぜり合いになる。

 

「私がどれだけ多くの剣士達を見てきたと思っている? 少年のような奇っ怪な太刀筋ならともかく、ただ速いだけの剣に早々遅れは取らぬわ!」

「……これは強敵だな」

 

 そうして、また二人の斬り合いが始まった。

 老いた体のルベルトさんが、最強の四天王を相手に一対一で張り合っている。

 凄まじいとしか言いようがない。

 

 だが、決して互角の戦いではない。

 ルベルトさんは全ての剣撃を防御と牽制に使って、ギリギリ食らいついているだけだ。

 その証拠に、ルベルトさんがフェザードに与えたダメージは皆無。

 逆に防ぎ切れないフェザードの攻撃が、確実にルベルトさんを削っている。

 

 傷が増えるだけじゃなく、体力気力も凄まじい勢いで削られているはずだ。

 刹那斬りレベルの斬撃の連続使用。

 一瞬でも気を抜けば死ぬ極限状態。

 老体に堪えないはずがない。

 その証拠に、まだ数分程度の攻防であるにも関わらず、ルベルトさんの息が上がり始めた。

 長くは保たない。

 

 だからこそ、俺は自分の治療に専念した。

 二人の戦いが始まった直後に斬られた右腕のところまで走り、マジックバッグから小さな杖の形をした火起こし用の魔道具を取り出して起動。

 凍りついた右腕の切断面の解凍を試みる。

 

 ルベルトさんが必死に稼いでくれている時間を無駄にはしない。

 俺達にまともな勝ち目があるとすれば、俺が治療を終えて二対一でフェザードに立ち向かうことだ。

 右腕が完治するとは思わないが、少しでも動くようになれば片腕で戦うよりも遥かにマシ。

 そこにルベルトさんの助力があればフェザードを打倒できる……かもしれない。

 とにかく、下がりに下がってしまった勝率を少しでも上げるために、早く治療を終えなければ!

 

「くそっ……! まだか!?」

 

 中々溶けてくれない氷に焦燥が募る。

 くっつくなら焼き肉になってもいいって覚悟で魔道具の最高火力を使ってるんだが、それでも所詮は火起こし用の魔道具。

 魔剣の氷を溶かすには時間がかかる。

 

 そして、そんな俺をフェザードが放置してくれるはずもない。

 

「お前のことも忘れてなどいないぞ! 『風魔の太刀』!」

「くっ!?」

 

 疲労してきたルベルトさんを、翼による高速移動で振り切って放ってきたフェザードの攻撃を、左腕の怨霊丸による歪曲でどうにか受け流す。

 右腕を固定してるのは掴んだまま斬り飛ばされた黒天丸。火の魔道具を固定してるのは口だ。

 左腕で怨霊丸を振るうことはできる。

 

 だが、まともに動けない状態で防げるのは数発が限度。

 それ以上は、右腕と黒天丸を捨てて動かなければ対処できない。

 そうしてしまえば勝率が大きく下がってしまう。

 片腕でも戦い続ける覚悟はあるが、最低限の勝率はやはり欲しい。

 

「どこを見ている!」

「チッ!」

 

 追撃をかけようとしたフェザードにルベルトさんが斬りかかって阻止してくれた。

 それ以降、俺に攻撃が飛んでくることは一度もなかった。

 ルベルトさんが気力を振り絞り、血を吐くような奮闘で一撃も俺に通さなかったのだ。

 申し訳ない!

 そして、ありがたい!

 

 そんなルベルトさんの奮闘の甲斐あって、ようやく傷口の氷が溶けた。

 

「神の御力の一端たる癒しの力よ、傷付きし子羊を救いたまえ! ━━『治癒(ヒーリング)』! 神の御力の一端たる癒しの力よ、傷付きし子羊を救いたまえ! ━━『治癒(ヒーリング)』!」

 

 そこへ俺の使える治癒魔法を何重にもかける。

 当然、こんな初級の魔法で大した回復は見込めない。

 だが、初級でも魔法は魔法。

 傷を塞ぐだけの回復薬じゃどうにもならない腕の切断面を僅かに癒着させることはできた。

 

 こうすれば、千切れていたはずの部位にも回復薬の効果が及ぶ。

 マジックバッグから勇者パーティーへの支給品である最高級の回復薬をいくつも取り出し、湯水のごとく右腕にぶっかけた。

 傷がどんどん塞がっていく。

 少し引っ張れば千切れそうだった右腕は、骨が繋がり、神経が繋がり、筋肉が繋がり、どんどん修復されていく。

 全ての回復薬を使い切った頃には、完治には程遠いものの、どうにか戦闘に耐え得るくらいには右腕を治療することができた。

 

 それを確認した直後、俺は暴風の足鎧を起動して戦う二人の間に割って入り、戦線に復帰した。

 

「待たせました!」

「うむ! さあ、ここからが本番だ!」

「くっ……!」

 

 俺の許したフェザードは苦々しい顔になり、そこへルベルトさんと二人で斬り込んでいく。

 ようやく実現した二人がかりでの攻め。

 これでどうにか突破する!

 ……だが、苦々しい表情の割に、二人で攻めても、フェザードは全く崩れなかった。

 

「ハァ!!」

「ぐっ!?」

「ぬぅ!?」

 

 フェザードが攻勢を強める。

 七つの剣から放たれる七種類の斬撃。

 属性どころか、形も、速さも、振るい方も違う。

 それらが違えば、最適の受け流し方も変わってくる。

 まるで、全くタイプの違う七人の達人剣士と同時に戦ってる気分だ。

 しかも、連携は完璧ときた。

 

「くそっ……!」

 

 強い……!

 二人がかりでも押し込まれる。

 右腕が思うように動いてくれないのも辛い。

 それでも、一人の時に比べれば確実に被弾は減っていた。

 

 だったら進める!

 前へ出ろ!

 ここはフェザードの間合いだ。

 結論はさっきと変わらない。

 距離を詰めなければ勝ち目はない!

 

「フッ!」

 

 だが、こっちがそう思った時、奴には必ずと言っていいほど先手を取られる。

 フェザードの触手が翼モードに切り替わった。

 その状態で高速移動し、右へ左へ、上へ下へ。

 動きながら翼モードと触手モードを超速で切り替え続け、あらゆる方向から斬撃の嵐を放ってくる。

 

「ぐ、お……!?」

 

 防ぎ切れない。

 こうも動かれると接近も容易じゃない。

 右腕が万全ならもう少し何とかなったかもしれないが、そこはフェザードの作戦勝ちだ。

 

 突破口が見えない。

 嵐の夜のように光が見えない。

 光が見えないまま、どんどん傷が増えていく。

 

 削られてゆく。

 壊れてゆく。

 砕けてゆく。

 追い詰められてゆく。

 だが、だからこそ、━━俺の動きは洗練されていった。

 

 フェザードの動きを読む。

 右、右、左、上、下、左。

 ここだ!

 

「『流刃・黒月』!」

 

 風刃を受け流し、フェザードの潰れた右眼の死角に俺が入った瞬間に、カウンターの黒い炎の斬撃を放った。

 だが、フェザードはまるで見えているようにヒラリと躱す。

 

「無駄だ! 失った右眼は私の誇り! 死角などでは断じてないと知れ!」

 

 今のを見る限り、本人の言う通りだろう。

 右眼の死角は隙にはならない。

 いや、それどころか、こいつは後ろに目があるかのごとく動く。

 右眼どころか、死角が完全にないのかもしれない。

 

 だが、避けられたとはいえ、斬撃の嵐をかき分けてカウンターを放つことはできた。

 そんな余裕がなかったさっきまでとは確実に違う!

 

「む!?」

 

 フェザードの放った何度目かの直接攻撃。

 それを左腕一本で返した。返せた。

 今まで以上にタイミングの合った歪曲で攻撃を逸し、逸らすために動かした刀がフェザードの体に一筋の傷を付ける。

 かすり傷だ。

 だが、右腕をやられてから初めて、フェザードにダメージを与えられた。

 

「『風魔の太刀』!」

 

 今度はすれ違いざまの攻撃で俺を追い越したフェザードが、背後から神速の風刃を飛ばしてくる。

 

「『歪曲』」

 

 俺は振り向かないまま、万全ではない右腕で握った黒天丸を背中に回して受け流した。

 見なくてもわかった。

 フェザードがどんな攻撃を繰り出してくるのか。どうすればそれを防げるのかが。

 前々から流刃の回転する視界の中でも剣を振るえるように、視覚に頼らない剣の修行はしてきたが、今使ったのはそれ以上の精度の技だった。

 技が、進化している。

 

 人を最も成長させてくれるのは困難であり、逆境であり、強敵だ。

 困難を乗り越えるために試行錯誤し、逆境を切り開くために力を磨き、強敵を倒すために強くなる。

 人は強く強く必要に駆られることによって、死にものぐるいで進化を掴み取るのだ。

 俺はずっと、ずっと昔からそうして強くなってきた。

 

 生存本能が研ぎ澄まされる。

 生きるために体が限界を超える。

 動きの無駄が削られてゆく。

 壊れてゆく。砕けてゆく。

 俺の成長を阻んでいた、分厚く硬い壁が。

 

「『七星剣』!」

「『歪曲連鎖』……ぐっ」

 

 だが、それでもまだフェザードには届かない。

 降り注ぐ七種類の斬撃を望む方向に受け流し、攻撃同時をぶつけて相殺するも、防ぎ切れなかった攻撃が俺の体を傷付ける。

 ここまで直撃こそ一度も食らっていないが、掠っただけでも貧弱な俺の体には結構なダメージだ。

 

 それが積み重なって、もはや限界寸前。

 最初の攻防の傷は右腕の治療と同時に治したが、血を流し過ぎた。

 目が霞む。

 頭がクラクラする。

 これ以上はかすり傷でも命に関わるだろう。

 

 それでも体は動いた。

 視界がボヤケる分、頭が働かない分、感覚が研ぎ澄まされていく。

 しかし、本当に限界はすぐそこだ。

 直感が言っていた。

 散々死にかけて、一度本当に死ぬ経験までして磨き上げた死への嗅覚が反応していた。

 このままでは、俺はフェザードの命に刃を届かせる前に死ぬ。

 

「おおおおおおおおお!!!」

 

 俺一人では決して避けられなかっただろう死の運命。

 そこに強引に活路を切り開いてくれたのは、ルベルトさんだった。

 俺と同じく傷だらけの体を無理矢理動かし、フェザード動きを読み、翼モードが触手モードに切り替わる刹那。

 高速移動で避けられない唯一のタイミングを狙いすまして、多くの斬撃をその身に食らいながら突撃。

 刹那斬りを放った。

 

「ぬぅ……!」

 

 フェザードはそれを刀で受け止める。

 だが、ルベルトさんに力負けしていた。

 あらゆる工夫で速度を上げているが、奴の身体能力自体は高くない。

 当然、膂力でもルベルトさんに劣った。

 

 しかし、力負けするのは想定内だったんだろう。

 フェザードはまるで俺の激流加速のように、防ぎ切れずに吹き飛ばされる勢いを利用して距離を取った。

 そして、距離を取りながら六本の触手を振るう。

 攻撃を受け止めた直後で振るえない両手の刀以外の六つの斬撃が、活路を開くために無理をし過ぎたルベルトさんを襲う。

 

 その前に、俺はなんとか二人の間に、ルベルトさんへの攻撃を防げる位置に体を割り込ませることができた。

 ルベルトさんがフェザードに一撃食らわせて斬撃の嵐を止めてくれたおかげで、移動が間に合ったのだ。

 

 フェザードとの距離は近い。

 さすがに激流加速ほど攻撃を移動速度に変換できてるわけじゃないから、距離を取ったといっても、暴風の足鎧の踏み込み一回で詰められる程度の距離。

 つまり、この攻撃さえ完璧に捌き切れば、ようやくさっき互角の斬り合いを演じられた間合いに入ることができる。

 

 俺は集中した。

 驚くほど目の前の斬撃以外のことが頭に入らない。

 余計な情報が一切入ってこない。

 

 見ている景色から色が消えた。

 音が聞こえない。

 匂いも感じない。

 痛みすらも感じない。

 魔剣が放つ炎の熱も、水飛沫の音も、土の蠢きも、雷鳴も、冷気も、光の眩しさも感じない。

 いや、感じないんじゃない。

 必要な情報としてしか認識できないんだ。

 そして、必要な情報以外の全てが遮断される。

 余計なものを廃した分だけ、残されたところが研ぎ澄まされる。

 フラついていたはずの頭は澄み渡り、時間の流れが酷くゆっくりに感じる。

 

 静かだった。

 少なくとも俺はそう感じた。

 色もなく、音もなく、匂いもなく、痛みもなく。

 あるのは感覚が勝手に捉えている必要な情報だけ。

 体は勝手に経験の中から最適の動きを選択し、余計な情報に煩わされない頭は、ゆっくりに感じる時間の中で勝手に動く体の僅かな間違いを修正した。

 

 静かな世界。

 静か過ぎる世界。

 そして、とてつもなく懐かしい世界。

 

 そうだ。

 俺はこの感覚を知っている。覚えている。

 これは前の世界で到達した、━━かつての全盛期の感覚だ。

 

「五の太刀━━『禍津返し』」

 

 それを認識した瞬間。

 俺は六つの斬撃全てを、禍津返しで跳ね返していた。

 フェザードの六本の触手が、六種類の斬撃によって、斬り裂かれた。



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94 『風』の四天王

「なん、だと……!?」

 

 六本の触手を斬り裂かれたフェザードが驚愕の表情を浮かべた。

 だが、それでも奴は即座に動いた。

 斬られた触手のうち、傷口に大きな影響を残さない水と土の魔剣を握っていた触手を即座に再生させ、千切れた触手と共に宙を舞っていたそれら魔剣を回収。

 同時に手に持った風刃によって火に焼かれた触手、光に焼かれた触手、雷に焼かれた触手、凍りついた触手の四本を切断。

 潰れた傷口を切り離して、残りの四本も再生させた。

 

 だが、そんなことをしてる間に、俺は暴風の足鎧による加速と共に踏み込んで、遂にフェザードの懐に入る。

 

「くっ!?」

 

 フェザードが神速を超えた速度で迎撃の剣を繰り出す。

 再生途中の触手も同時に振るってきた。

 

 見える。

 いや、わかる。

 刀を振り下ろすどころか、振り上げる前から、フェザードがどこにどうやって打ち込んでくるのかがわかる。

 どう動けばそれを退けられるのかも。

 

「一の太刀━━『流刃』」

 

 最適の体勢で刀が振り下ろされる位置に怨霊丸を合わせ、ガードしつつ斬撃の勢いに押されて回転。

 その回転力を完璧な効率で攻撃力に変え、黒天丸に乗せて放つ。

 

 フェザードの右側三本の触手を、黒炎の斬撃で焼き斬った。

 そのうちの一本に握られていた土の魔剣が吹き飛び、火傷によって再生を封じる。

 

「ッ!?」

「ハァ!!」

 

 更に残った回転力を最大効率で使い、回転を持続させたまま連続の流刃を使う。

 流刃、流車、流流、あらゆるバリエーションの流刃を連続で繰り出す。

 

 これ自体は最初の攻防でもやった動きだ。

 だが、あの時とは俺の目に見えている世界が違う。

 技のキレも、動きの効率も、全てが違う。

 流刃によってフェザードの力をほぼ100%自分のものとした俺の動きは勇者(ステラ)にすら匹敵した。

 

 単純な攻撃力や速度でステラ並みだ。

 しかも、別に加護を得たとか、身体能力が跳ね上がったわけではなく、あくまでも慣れ親しんだ技の延長で得た力。

 だからこそ、本来ならこんな動きができるほど強い奴には合わないはずの他の必殺剣も十全に使える。

 

 弱者が強者を殺すための最強殺しの剣に、決して噛み合わないはずの疑似勇者(強者)の力がピタリとハマり、大きく昇華する。

 さっきは互角だったはずの近接戦闘。

 だが、今はフェザードの体にばかり傷が増え、俺の方には一太刀も入らない。

 戦況が、逆転した。

 

「この!」

 

 フェザードの攻撃。

 残った左側三本の触手を獣の爪のように振るい、それよりもほんの僅かに遅らせて刀を振るう。

 一番速い刀による攻撃をあえて遅らせることによって、完全なる四点同時攻撃を繰り出してきた。

 

「二の太刀変型━━」

 

 俺は高速回転で殆ど何も見えない視界の中、感覚に任せてフェザードの動きを読み切り、怨霊丸と黒天丸による歪曲で、触手の一本と刀の軌道を捻じ曲げた。

 触手がもう二本目の触手を打ち据え、刀が三本目の触手、最後の水の魔剣の握られていた触手を斬り飛ばす。

 

「『歪曲連鎖』!」

「ぐっ!?」

 

 これでフェザードは全ての攻撃手段を潰された。

 そこへ未だ継続中の流刃による追撃をかける。

 

「なんだ、これは……!?」

 

 フェザードは、刀を防御に使って受け流しに徹した。

 その隙に焼いたわけではない左側の触手が再生する。

 だが、もう全ての触手に魔剣は握られていない。

 拾う隙も与えない。

 そうなると、フェザードの攻撃力は大きく弱体化する。

 

「何故、こんな突然……!?」

 

 もちろん、魔剣を失った程度で崩れる奴じゃない。

 ただ触手を振るうだけでも、ブレイドより鋭い斬撃を繰り出してくるような奴だ。

 魔剣による特殊斬撃が無くなった分、受け流しの難易度は下がったが、それでも防御力が紙の俺からすると大して変わらない。

 

 しかし、俺は大して変わらなくても、もう一人にとって魔剣の有無は大きい。

 

「おおおおおおお!!!」

「チィッ!」

 

 さっきの攻防で強引に活路を切り開き、その反動で動けなくなっていたルベルトさんが、このタイミングで戦線復帰した。

 触手の焼き斬れている右側からフェザードに襲いかかる。

 

 奴の刀は正面の俺との打ち合いで手一杯。

 右側の触手の傷口を切り離す隙もなかった。

 故に、フェザードは左側の触手を無理矢理右側に伸ばしてルベルトさんに対処しようとしたが、

 そんな無理な動きで、しかも魔剣も持っていない触手に手こずるルベルトさんじゃない。

 

 ルベルトさんは三本の触手の攻撃をかき分けて、フェザード自身を斬りつける。

 防ぎ切れずに、フェザードの右腕が宙を舞った。

 

「くそっ……!?」

 

 この間合いで戦い続けるのは無理だと判断したのか、フェザードは左側の触手を翼モードに切り替え、片翼による羽ばたきと両足に力を込めた跳躍で距離を取ろうとした。

 逃さん!

 俺は腰を落とし、足に力が入った瞬間に黒天丸で両足を薙ぐ。

 それによって、フェザードは右腕に続き両足を失った。

 

「ぐぁ……!」

 

 だが、片翼の羽ばたきだけは間に合った。

 そっちを狙っていた怨霊丸による追撃は、翼の先端を僅かに削るだけに終わる。

 しかし、両足を失ったことでバランスを取ることもできず、片翼だけの羽ばたきによって体勢を大きく崩し、フェザードは不規則にクルクルと回転しながら離れていった。

 いくら距離を取ったところで、あれでは意味がない。

 

「終わりだ」

 

 体勢を立て直される前に、ここで終わらせるために俺とルベルトさんは空いたフェザードとの距離を詰める。

 ルベルトさんは剣聖の踏み込みで、俺は効率を限界まで高めたことでまだ残っている流刃の回転力を激流加速で推進力に変えて。

 最後の瞬間まで油断せずに、最強の四天王を殺しにいく。

 

 そして、これだけ追い詰めても気を緩めなかった俺達の判断は、正しかった。

 

「あああああああああああ!!!」

 

 フェザードが絶叫しながら足掻いた。

 翼をバラして触手モードに切り替え……

 

「なっ!?」

 

 三本の触手を失った右腕と両足に突き刺し、傷口から手足の形をした触手を生やして、黒い義手義足が出来上がる。

 どんな治療法だ!?

 いや、これもまたフェザードの工夫の一つなんだろう。

 

 最初の攻防の時から、あいつの体に付いた傷は回復しなかった。

 傷口を焼く黒天丸だけじゃなく、怨霊丸で付けた傷もだ。

 いくらでも再生するのは触手だけ。

 

 多分、あいつは種族的にはそんなに強い魔族じゃない。 

 素の身体能力もそう高くはなく、他の四天王が当たり前のように持っていた再生能力も持っていない。

 にも関わらず、四天王筆頭に登り詰めた奴だ。

 もう何をやってきても不思議じゃない。

 

 だからこそ、真に驚愕すべきはこの先だった。

 

 フェザードが刀を振るう。

 残った左腕と、強引に生やした触手の義手で刀を握りしめて。

 片翼の羽ばたきのせいで回転してしまった勢いを無駄にせず、回転に乗せて全力で振り抜く。

 その一撃は、━━今までのフェザードの攻撃の中で一番速かった。

 

「ッ!?」

 

 ここにきて更に速くなるだと!?

 だが、落ち着け。

 先読みはちゃんと機能している。

 全盛期の感覚を手に入れた今、この程度の驚愕が動きに影響を与えることもない。

 今の俺なら充分に対処できる。

 使うべき技は、五の太刀。

 

「『禍津返し』!」

 

 迫る横薙ぎの風刃に怨霊丸を振り下ろす。

 狙うのは斬払いの応用で見抜いた技の綻び。

 そこに刃を入れ、ただ霧散させるだけの斬払いと違って、綻びを斬られたことで歪んだ力の流れを操る。

 結果、風刃は大きくたわんだ後、前後がひっくり返ってフェザードに向かって跳ね返っていった。

 

 これが新しい禍津返し。

 いや、禍津返しの真の姿。

 今までのように流刃と歪曲の応用で回転に巻き込んで跳ね返す必要がない。

 従来よりも遥かに速く、遥かに強大な攻撃を返すことができる。

 さっき六つの斬撃を一度に返したのも、この動きの応用だ。

 

「ああああああああああああ!!!」

 

 だが、フェザードはこのカウンターをも跳ね除けた。

 返した斬撃より更に速い斬撃を繰り出して相殺したのだ。

 しかも、次の瞬間にはより速い斬撃が飛んでくる。

 段階的に加速していく斬撃。

 この三太刀目は、もう進化した禍津返しでも間に合わないほど速い。

 

「二の太刀━━『歪曲』!」

 

 返せないのなら受け流す。

 それで対処できた。

 フェザードの斬撃は軌道を歪められ、上に向かって逸れる。

 

「がぁあああああああああああああ!!!」

 

 だが、終わらない。

 止まらない。

 フェザードはガムシャラに刀を振り続け、その剣速はどんどん上がっていく。

 

 遠い。

 大して離れていないはずのフェザードとの距離が遠い。

 もしも、このペースで斬撃が速くなっていくのなら、

 ほんの踏み込み数歩で届くはずの距離で、

 ほんの数秒で詰められるはずの時間で、

 千を超える斬撃が飛んでくるだろう。

 

 どうなってる……!?

 なんで、こんな突然速くなった。

 まだ力を隠してたのか?

 いや、それはない。

 フェザードは今までも全力だった。

 触手モードみたいな隠し球が出てくるならともかく、この斬撃は戦闘開始からずっと使ってる、技とも言えない基本の動きだ。

 そんなところで手を抜かれていれば一瞬で気づいただろう

 

 じゃあ、この急激なパワーアップをどう説明する?

 ……いや、簡単なことか。

 簡単なことなのだ。

 少し考えてみれば、すぐわかるほどに。

 

 ━━フェザードは、今この瞬間に強くなっているのだ。

 

 人を最も成長させるのは逆境だ。

 それは別に俺だけの特権じゃない。

 人だろうが、魔族だろうが、死にものぐるいで手を伸ばせば大きく成長する。

 

 そして、こういう時により伸び代が大きいのは、より努力してきた奴だ。

 雑念の入る余地のない極限状態に追い詰められた時、努力で強くなってきた奴ほど、どうすればより強くなれるのかが感覚でわかる。

 

 フェザードは間違いなく努力の鬼だ。

 そこらの魔族と変わらない程度の能力しか持たない身でありながら、研鑽と工夫によって四天王の頂点に君臨している。

 そんな奴が絶体絶命の窮地に、これ以上ないほどの逆境に追い詰められて、成長しないはずがなかった……!

 

「負けられない……! 私は魔王様をお守りする最後の砦……! 負けるわけには、いかんのだぁーーーーー!!!」

 

 己を鼓舞するように、己に言い聞かせるように、フェザードは喉が裂けんばかりの大声で咆哮し、更に剣速を上げた。

 限界を超えた動きに体の方が耐えられていないのか、一太刀振るう度にフェザードの左腕からは血が噴き出し、右腕の触手義手はブチブチと千切れる。

 

 それでも止まらない。

 七属性の斬撃の嵐よりも激しく、荒々しく、されどルベルトさんの天極剣以上に美しい風刃の乱舞が俺達を襲う。

 

「ぐぅ!?」

「ルベルトさん!?」

 

 それにやられて、ルベルトさんが被弾した。

 ルベルトさんの左腕が宙を舞う。

 無理もない……!

 俺の治療の時間を稼ぐため、活路を開くため、ルベルトさんは随分と無茶をした。

 この攻防が始まる前から、俺より遥かに多くの傷を負っていたのだ。

 俺はルベルトさんがそうしてくれたように、負傷したルベルトさんを守るために盾になれる位置へと動こうとして……

 

「止まるな!!」

「ッ!?」

 

 そんなルベルトさんの一喝によって、体は反射的に前を向いた。

 強制的に前を向かされた。

 今の言葉には、それだけの力があった。

 

「それでいい。老兵は若者の糧となって散る。それでいいのだ」

 

 ゆっくりに感じる時間の中、ルベルトさんが片腕で剣を構えた。

 防御を捨てた、相討ち覚悟の構え。

 だからこそ、ルベルトさんは今のフェザードにも負けない速度で、最後の一撃を繰り出した。

 

「『天極剣』ッッ!!」

 

 フェザードと同等の速度。

 そして、フェザードより遥かに勝る威力で繰り出された、飛翔する天極剣。

 それが風刃とぶつかり、食い破る。

 だが、激突によって威力も速度も削がれ、続く風刃で更に削がれ。

 数十の風刃を打ち消したところで、ルベルトさんの最後の一撃は消滅する。

 

 代償は大きい。

 防御を捨てたことによって、続けて飛んてきた風刃に残った右腕を斬り飛ばされた。

 幸いにも体には当たらなかったが、体力の限界が訪れたのか、ルベルトさんは崩れ落ちる。

 

「行けぇーーーーー!!」

 

 倒れながらルベルトさんが叫ぶ。

 

「はい!!」

 

 その声に背中を押されるようにして、俺は前に進んだ。

 ルベルトさんの奮闘は決して無駄じゃない。

 数十発もの風刃を打ち消してくれた。

 なら当然、消えた攻撃を受け流す分の時間と技を、前に進むために使うことができる。

 

 そうして、俺は三度フェザードの懐へと辿り着いた。

 三度目の正直だ。

 さあ、決着をつけよう、フェザード



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95 ぶつかり合った想いの果てに……

「あああああああああああ!!!」

 

 フェザードが刀を振るう。

 速く。

 ただただ速く。

 

「シィィィ……!」

 

 俺はそれに合わせる。

 ゆっくりに感じる時の中でもなお速いフェザードの斬撃を受ける。

 受けた勢いで流刃を発動。

 疑似勇者の速度……いやフェザードから受けた攻撃がより速くなったことで、それ以上の速度を得て斬りかかる。

 

「ハァアアアア!!!」

 

 フェザードは俺の攻撃の全てと真っ向から打ち合った。

 フェイントは無い。

 攻撃が空振って隙を晒せば、こっちがその隙を突く前に、より速い攻撃を繰り出して強引に隙を埋める。

 

 まるでドラグバーンのようなガン攻め。

 だが、あいつと違って技術がある分、打ち合う難易度が桁違いに高い。

 フェイントこそ無いが、それはフェイントに割く分の力を速度を上げることに費やしてるからだ。

 

 そして、フェイントは無くとも駆け引きはある。

 全盛期の感覚があっても下手したら認識が追いつかなくなりそうな速度で刀をぶつけ合ってるというのに、フェザードの奴、一太刀一太刀ごとに対処法の違う動きを混ぜ込んできやがる……!

 

 これは振り下ろす途中で僅かにブレる。

 そのブレる瞬間に何も考えず刀を合わせれば弾き飛ばされるだろう。

 

 この振り上げは風の魔法によって妙なタイミングで加速する。

 タイミングをほんの僅かでも読み違えれば死だ。

 

 今度は逆に攻撃が遅くなった。

 いくら限界を超えようとも無限に加速し続けられるわけもなく、必ずどこかで真の限界を迎えて緩むことがあるが、フェザードはそれすらも攻撃に緩急を生むために使ってくる。

 速いままの感覚で動けば真っ二つにされる。

 

 どれもこれも、一度でも対処を誤れば即死。

 それを受け流す、避ける、弾く。

 そして、反撃する。

 

「四の太刀━━『黒月』!」

 

 流刃の勢いに乗せて、黒炎の斬撃をフェザードの急所目掛けて振るう。

 狙いは肘や膝、眼球や首筋。

 更に急所狙いを囮に、肩口や腰からバッサリいくことも試みる。

 黒炎の影に隠して、怨霊丸による攻撃を本命とすることもあった。

 

 だが、この程度で崩れてはくれない。

 こっちの攻撃もまた受け流され、避けられ、弾かれる。

 そして、攻撃の隙間に反撃される。

 

「『天津風』ーーーッ!!!」

「『流刃』ーーーッ!!!」

 

 俺とフェザードは斬り結ぶ。

 互いの全てを、全力以上の全てをぶつけ合う。

 削り合って、研ぎ澄まし合って、互いに高みへと登っていく。

 

 確信があった。

 この戦いの果て、どちらかかどちらかを倒し、完全に糧として喰らい尽くした時。

 生き残った片方は怪物と化す。

 前の世界の俺など比べ物にならない、全盛期の魔王や、聖剣を全解放した勇者と正面切って戦える本物の怪物に。

 

 そんな怪物が勇者と魔王の決戦に参加すれば、例え満身創痍の状態でも、戦いの天秤を大きく傾かせることができるだろう。

 俺が勝てばステラが有利に。

 フェザードが勝てば魔王が有利に。

 逆に負けた方は一気に苦しくなる。

 

 だからこそ、より一層負けられない。

 負けられない理由が増えた。

 

「俺が勝つ! 勝ってあいつを助ける!」

 

 改めて決意を言葉にした。

 言葉を心に響かせて、想いの熱量を上げる。

 

「私が勝つ! 勝ってあの方へのご恩をお返しする!」

 

 そして、フェザードもまた想いを言葉にした。

 次の瞬間から、互いの動きが更に鋭くなる。

 想いの強さは同じ。

 技もまた互角。

 ならば必然、俺達の戦いは熾烈を極めた。

 

「ああああああああああ!!!」

「おおおおおおおおおお!!!」

 

 叫びながら斬り合う。

 最後の攻防だ。

 もう互いに限界の限界。

 俺はいつ倒れてもおかしくないほど体力を使い果たし、フェザードはアホのような剣速の代償に、腕だけじゃなく全身がボロボロになっていく。

 致命傷どころか、ちょっと叩いただけで倒れかねない。

 そんな状態で、なおも俺達は互いを削る。

 

 フェザードの斬撃が俺の指を飛ばした。

 これ以上失ったら本気で危ない血が失われてしまう。

 

 俺の黒炎の斬撃がフェザードの触手義手を斬った。

 すぐに足の代わりになっていた触手義足の片方を義手として付け直すが、そうなると今度は片足が無くなって大きく動きに制限がかかる。

 

 かと思えば、フェザードの一撃が俺の左足を薙いだ。

 暴風の足鎧が紙のように斬り裂かれ、壊れる。

 足自体も神経が断たれて動かない。

 

 もはや互いに根性だけで戦っていた。

 想いだけが体を動かしていた。

 そして、そんな状態が長く続くはずもない。

 永劫にも感じたが、実際には数分程度であろう死闘の果てに、━━その時は訪れた。

 想いに体がついていかなくなる瞬間が。

 

「!?」

 

 先に崩れたのは、フェザードだった。

 俺達の間に差があったとすれば、仲間の差だろう。

 フェザードはその身に俺の攻撃だけじゃなく、ルベルトさんの攻撃まで受けている。

 その差によって、フェザードの方が先に崩れた。

 

「ぐぅうううぉおおおおおおおおお!!!」

 

 だが、当然のごとく、ただでは終わってくれない。

 フェザードは自分が終わると見るや、その前に俺を倒そうと、最後の一太刀に全てを込めてきた。

 まるでドラグバーンの蒼炎竜のように、命を燃やして足りない力の代わりとする。

 

「ッ……!?」

 

 フェザードの渾身の一撃は、下段からの斬り上げ。

 それを見て、冷や汗が出た。

 その一撃は今までで一番速いだけじゃない。

 刀身が莫大な風の力を纏っている。

 振り抜けばドラグバーンやアースガルドの全力攻撃すら上回る『破壊力』を叩き出すような圧倒的な力が!

 

 極限の速度と威力の両立。

 まさに命と引き換えにすることでしか放てない一撃。

 これがフェザードの覚悟……!

 

 これを砕かなければならないのだ。

 そうしなければ先に進めないのだ。

 やってやる!

 俺は! お前を! 踏み越えて行くッ!!

 

 このままの威力と速度で放たれたら受け流し切れない。

 ならば、まずはそれを削る。

 三の太刀変型!

 

「『斬払い・挫』!」

 

 まずは一発!

 刀が加速を始める前に、莫大な風の力が集束し切る前に、怨霊丸による変型の斬払いで力を霧散させる!

 だが、フェザードの執念の力は恐ろしく、とんでもない魔力制御によって、霧散しようとする力を一瞬のうちに元に戻してしまった。

 

 次だ!

 六の太刀変型!

 

「『反天・焔』!」

 

 黒い炎の射出と、未だ継続中の流刃によって加速した黒天丸を、動き出したフェザードの刀に叩きつける。

 俺の叩き込んだ衝撃が、フェザードの攻撃による衝撃とぶつかり、刀の最も脆い部分に浸透して破壊する。

 それによって、フェザードの刀が折れた。

 恐らく、黒天丸と同等クラスの大業物だったんだろうが、さすがにフェザードの渾身の一撃を利用した反天には耐えられなかった。

 

 それでも、フェザードの攻撃は止まらない。

 刀が折れて、そこに集まっていた力の半分くらいは霧散したが、残る半分でも俺を消し飛ばすには充分すぎる。

 折れたフェザードの刀が押し出される。

 とんでもない速度と威力を伴って。

 

 ただの流刃で受け流したら、刀身から噴き出す風の力に引き裂かれて死ぬ。

 ならば歪曲……いや、ダメだ。

 威力こそ削いだが、代償に刀二本振り切ってしまったこの体勢からだと、受け流せても大きく体勢を崩す。

 そこにフェザードが根性で返す刀の二太刀目を繰り出せば終わりだろう。

 

 だったら、この一撃を返す!

 使う技は禍津返しだ。

 流刃と歪曲の応用で作り上げた技。

 攻撃の軌道を歪め、そのまま相手に返す技。

 

「五の太刀━━」

 

 斜め下から振るわれる刃の軌道を、刃が纏う爆風の軌道を、二本の刀を使ってまずは歪める。

 加速した瞬間に、フェザードの刀と接触している俺の刀を僅かに前に向かって押し出しながら上に向けた。

 それによって、フェザードの一撃は軌道を安定させる前に干渉を食らい、前に押し出す力によって、斜め下から俺を両断する方向を向いていた刃の角度が変化。

 結果、フェザード渾身の一撃は真上へと逸れた。

 

 だが、あまりにも重く速い一撃に押されて、俺の体は後ろへ大きく倒れようとする。

 しかし、倒れながらも俺は今のフェザードの攻撃を、押し上げられて振り上げたような形になった二本の刀で絡め取っていた。

 真上へと逸れた爆風の軌道を更に変え、翻す。

 フェザードが振るうはずだった返す刀の二太刀目を俺が貰う。

 

 とてつもなく繊細な動きを要求された。

 万分の一ミリでも動かし方を間違えれば、爆風の力を誘導している刀を通して腕が砕けるだろう。

 それどころか、間違えなくても一度斬られて無理矢理くっつけただけの右腕の骨に亀裂が入り、激痛が襲った。

 それで刀がブレるのを根性で抑え、━━爆風の方向を望む方向へ歪め切った。

 

「禍津返しィイイイイ!!!」

 

 俺達の頭上で翻り、斜め上から振り下ろされる形となった爆風の斬撃がフェザードを襲う。

 絡め取り切れなかった力の多くが真上への爆風となって逃げてしまったが、残った力だけでも充分な威力。

 ドラグバーンくらい真っ二つにできる。

 

 フェザードもまた、既に返す刀の二太刀目を放とうとしていた。

 だが、遅い。

 限界を超え、命を振り絞って放った渾身の一撃。

 それを威力はともかく、そのままの速度で返されれば、さすがの四天王筆頭でも対応が間に合わなかった。

 この瞬間、俺は初めて速度でフェザードを凌駕した。

 

 爆風を導いた俺のニ刀が、フェザードの左腕を断ち切りながら左の肩口に入り、右の脇腹へと抜けた。

 

「あ、がっ……!?」

 

 勝った。

 そう思った。

 フェザードに触手以外を再生させる力は無い。

 あったとしても黒炎の斬撃で傷口を焼いた以上、並大抵の再生力では治癒しない。

 万が一命を繋いだとしても、頭部と離れた左半身は動かない。

 そこから伸びていた触手も動かない。

 右側の触手は相変わらず焼き切れたままだ。

 

 もうフェザードに逆転の目は無い。

 無い、はずだった。

 

 だから、これはフェザードの執念が引き寄せた、理屈を超えた何かだったんだろう。

 

「ガァアアアアアアアアァァァアアア!!!」

 

 千切れた体でフェザードが絶叫を上げる。

 そして、右側の焼き切れた三本の触手を動かした。

 先端が焼かれた平面である触手を離れていく左半身に突き刺し、無理矢理固定する。

 左胸から、腹から、右の腰から、ぶっとい触手が体を突き破って生えてくるという痛ましい姿。

 俺が与えた傷が無くても致命傷になりそうなダメージ。

 

 しかし、どういう理屈なのか、分かたれた体が強引にくっついた瞬間、フェザードの左半身が動き始めた。

 

 なんだそりゃ!?

 いくら魔族には変な生態してる奴が多いっていっても、それはさすがにおかしいだろ!?

 フェザードの傷は治っていない。

 表面上はくっついていても、袈裟懸けの斬撃はしっかり傷口を焼いていて、自然治癒を阻害している。

 

 なのに動く。

 神経も何もかも繋がっていないはずなのに、フェザードの左半身は動く。

 触手義足を触手義手に変えて失った左腕の代わりとし、もう焼かれていない触手がその二本だけだから足を動かせなくなるも、目前にいる俺を仕留めるのに足はいらない。

 

 フェザードが折れた刀を両腕の触手義手で振り下ろす。

 避けられない。

 さっきの一撃を返すために、俺は後先考えずに動いて大きく体勢を崩している。

 しかも、この一撃もまた、さっきと同じく命を振り絞ったとんでもない攻撃だ。

 

 ゆっくりに感じる時間の中で、必死に打開策を考える。

 だが、何も思いつかない。

 そもそも体が動かない。

 さっきの攻防で俺もまた限界を迎えてしまったのか、フェザードの攻撃をどうにかするだけの力が入ってくれない。

 

 くそっ!?

 動け! 動けよ俺の体!!

 こんなところで死ねない! 死ねないんだよッッ!!

 

「少年!!」

「!?」

 

 俺を救ってくれたのは、自分自身の執念ではなくルベルトさんだった。

 両腕を失ったルベルトさんが走ってきて、俺を斜め後ろから突き飛ばす。

 俺の体はフェザードの攻撃範囲の外に出て、代わりにルベルトさんが俺のいた位置に残ってしまう。

 

 そんなルベルトさん目掛けて、フェザードの一撃が振るわれた。

 

「ルベルトさんッッ!!」

 

 ルベルトさんがどうなったのか、床を砕いて粉塵を巻き上げる爆風の一撃のせいで見えない。

 避けるか、せめて致命傷になる場所を外してくれてることを祈るしかない。

 聖戦士の頑丈さなら、致命傷さえ避ければ生き残れる可能性もあるはずだ。

 

「ま、まだだ……」

 

 フェザードが掠れた声を出しながら、俺の方に向き直った。

 そして、もう一度刀を振り上げる。

 

「負けられない……。私は、負けない……。あの日のご恩を、お返しするまで……」

 

 うわ言のように呟くフェザード。

 その姿からは、もう生気を感じなかった。

 目の焦点はブレ、体はガクガクと振るえ、構えを取るために今までの速さが嘘のように時間をかけている。

 多分、意識もハッキリしていない。

 もう少しすれば死ぬ。

 フェザードは、そんな死に体の状態だった。

 

「私は、覚えている……。一日たりとも忘れていない……。

 あなたが、私を『人』にしてくれた……。あなたと過ごす日々が、幸せだった……。

 だから、私を幸せにしてくれた、あなたが、幸せになれる世界を、手に入れるまで、私は、頑張って、戦わなきゃ……」

 

 それでも、そんな状態でもフェザードは動いた。

 ゆっくりでも構えを取り、最期の一瞬まで自分ではない誰かのために戦おうとしている。

 きっと、アースガルドが模倣するほど惹かれたのは、こいつのこの心だったんだろう。

 その姿を見て、俺は……

 

「お、おおおおお!!」

 

 俺もまた、力の入らない体を根性で立たせて、フェザードに向き合った。

 この体じゃ逃げられはしない。

 真っ向から、フェザードの最期の一撃を粉砕するしかない。

 何より、想いの強さで負けるわけにはいかない!

 

「来い! フェザードォーーーーー!!!」

 

 もう刀を二本握る力もない。

 怨霊丸を手放し、黒天丸を両手で握って構える。

 

「━━『春風』」

 

 フェザードの最期の一撃が放たれた。

 技の名前に似つかわしくない、全てを破壊する爆風の太刀が俺を襲う。

 さっきと違って、事前に威力を弱めることもできていない一撃だ。

 さっきと同じ方法では受け流せない。

 

 ならば、ここで使うべき技は決まっている。

 全身全霊。

 己の全てで迎え撃つしかない。

 

 俺はとある技の構えを取った。

 この技は、万能感すら覚える全盛期の感覚があってすら、高速戦闘の最中には使えないほどの次元違いの難易度を誇る。

 使えるのは相手が距離を取り、俺ではどう足掻いてもどうにもならないほどの最強の技を放ってきた時だけ。

 あまりにも理不尽すぎる力の差がある相手に対抗するための技。

 魔王を殺すための技。

 

 この技は俺の全てだ。

 加護を持たぬ無才の身で、勇者(ステラ)の仇を討ちたいだの、勇者(ステラ)を守り抜きたいだのと分不相応な願いを懐き、ずっと磨き続けてきた最強殺しの剣。その最果て。

 六つの奥義を極めることによって辿り着いた最終到達点。

 

「最強殺しの剣」

 

 七つ必殺剣。

 最後の奥義。

 

「終の太刀━━」

 

 その瞬間、フェザードの攻撃に宿る力の流れが完全に狂った。

 使い手の制御を離れ、一見すると滅茶苦茶に、だがその本質はどこまでも精密に風は吹き荒れ、そして……

 

「オオオオオオオオオオオオッッッ!!!」

「あ……」

 

 俺の最終奥義がフェザードの攻撃をはね返し、

 

「魔王、様……」

 

 フェザード自身を呑み込んで、跡形も残さずこの世界から消し飛ばした。

 あれほど荒れ狂っていた風が静まり、静寂が満ちる。

 そんな静かな世界の中で……俺は自然と口を開いていた。

 

「……俺は、お前らの存在を許すことはできない。

 お前らはステラの敵だ。生かしておいたら、ステラが危険に晒される」

 

 どれだけ高潔な心を持っていようとも、どれだけ心で認めようとも、絶対に生かしてはおけない。

 俺達の道は決して交わらない。

 交わった時はぶつかる時だ。

 どちらかの道を貫き通すために、どちらかの道を粉砕しなければならない時だ。

 だけど……

 

「……お前らがこの世界に存在することは許せない。

 だから、せめて死後の冥福くらいは祈る」

 

 もしも、あの世があるのなら。

 もしも、生まれ変わりみたいなことがあるのなら。

 せめて、そこでは幸せになってほしい。

 そう思ってしまうような敵だった。

 敵であってほしくない敵だった。

 

 俺に祈られたって嫌なだけだろう。

 俺だったら恨む。

 死んでいたのが俺だったら、自分の死後にステラを脅かされることを絶対に恨む。

 前の世界の俺のように。

 それでも願わずにはいられなかった。

 

「じゃあな、フェザード」

 

 その時、一陣の風が吹いた。

 まるで春風のように暖かい風が。

 その風はフェザードが最後にいた辺りの塵を巻き上げて、どこかへと飛んでいく。

 それがどこへ向かうのかなんて、考えなくてもわかった。



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96 前へ進め

「ルベルトさん……」

 

 フェザードを打ち破った後、俺はあいつの攻撃で吹き飛ばされてしまったルベルトさんを探した。

 ルベルトさんはすぐに見つかった。

 ただし、俺の望まぬ姿となって。

 

「勝ったか、少年……」

 

 弱々しい声で呟くようにそう言ったルベルトさんは……下半身を失っていた。

 恐らく、俺を庇って受けたフェザードの一撃で木っ端微塵にされたんだろう。

 最高級の回復薬でも、リンのような最高位の治癒術師の手でも、このダメージを治せはしない。

 完全なる致命傷だった。

 

「ふっ、そんな顔をするな。言っただろう。老兵は若者の糧となって散る。それでいいのだと」

 

 かなり情けない顔を晒してるだろう俺を見て、ルベルトさんは困ったように笑った。

 死の淵にいるというのに、随分と穏やかな顔で笑った。

 

「息子夫婦の仇も討てた。君という若者の命を未来に繋ぐこともできた。

 満足だ。

 息子達を守れず、先代勇者様を守れず、孫すらも死なせた情けない男の死に様として、これ以上はない」

「ルベルトさん……」

「行きなさい、少年。いや、『剣鬼』アラン」

 

 ルベルトさんが言う。

 弱り切った声で、それでもハッキリと、強い意志を込めて、ルベルトさんは「行け」言う。

 

「勇者様は今この瞬間も戦っている。君には一分一秒の猶予もないはずだ。

 私の屍を礎として先へ進め。魔王の脅威のない世界を、ハッピーエンドを目指して前へ進め。

 そして必ず掴み取れ。

 ここで私が死ぬことを、他にも多くの勇敢な戦士達が死んでいったことを、決して無駄にするな」

「……はい!!」

 

 ルベルトさんの言葉に、俺は全力で答えた。

 無駄になんて絶対にしない。

 この尊敬すべき男の死を、先代魔王の時代から多くの人々を守ってくれた偉大な大英雄の死を、無駄になんてさせてたまるか!

 

 ルベルトさんが守ってくれたこの命で魔王を討つ。

 ステラを守り抜いて、ハッピーエンドを掴み取る。

 それがルベルトさんへの恩返しだ。

 

「ルベルトさん……ありがとうございました!!」

「礼などいらんさ。……ブレイドに、あとは任せたと、伝えてくれ」

「はい!」

 

 最後に心の底からの感謝を告げて、遺言を預かって、俺は前を向いた。

 ボロボロの体を引きずってステラのところを目指す。

 

 くそっ!

 右腕と左足が動かない。

 他の場所もボロボロだ。

 逆に傷付いてない場所を探す方が難しい。

 

 だが、こんな満身創痍の状態でも、かつての全盛期に至った今の力があれば、ステラの助けになれるはず。

 途中で治癒術師を見つけるか、回復薬を分けてもらえればなお良い。

 希望はある。

 だから、這ってでも進め!

 

「ッ……!」

 

 しかし、そんな心が出す命令に、体は付いてきてくれなかった。

 フェザードの残したダメージが思った以上に酷い。

 俺はふらりと倒れそうになり……途中で誰かに支えられた。

 

「大丈夫、ではなさそうだな、小僧」

「ドッグさん……」

 

 そこにいたのは、『剣の英雄』ドッグ・バイトさんだった。

 そういえば、フェザードと遭遇した時にこの人もいた。

 吹き飛ばされて股間を強打して気絶した後、どこかへ飛んでいったんだった。

 

 どうやら無事だったらしい。

 若干内股になってるものの、大きな傷は見当たらない。

 良かった。

 

「恥ずべきことに、たった今気絶から回復した。

 気絶している間にこんなことになっているとは……!」

 

 ドッグさんは悔しそうに歯を食いしばる。

 その視線がルベルトさんの方を向き、今度は泣きそうな顔になった。

 大好きな飼い主を失った犬みたいな反応だ。

 それだけドッグさんもルベルトさんを尊敬していたんだろう。

 

「ドッグ」

「ハッ!」

「彼を、頼む」

「了解!」

 

 二人の最期の会話は、そんなごく短いやり取りだった。

 だが、それだけで充分だった。

 戦いに生きる騎士として、こうなる覚悟も決めていたんだろう。

 ルベルトさんは安心したように力を抜き、ドッグさんは涙と鼻水で酷いことになってる顔で前を向いて、俺を背負って走り出した。

 ルベルトさんの姿が、どんどん遠くなっていく。

 

「振り返るな、小僧!」

「!」

 

 思わずルベルトさんの方を見てしまっていた俺を、ドッグさんが酷い涙声で一喝した。

 

「ルベルト様は己の使命を全うされた! ならば、俺達もやるべきことをやらねばならない!

 貴様のやるべきことは少しでも体を休め、少しでも回復した状態で勇者様に助太刀することだ!

 振り返っている暇などありはしない!」

 

 そうして、ドッグさんは腰のバッグに手を突っ込み、そこから何本もの回復薬を取り出して俺の左手に握らせた。

 

「飲め! その後はできるだけ体を動かすな! 後ろを向くために首を捻る体力すら惜しめ!

 それがルベルト様への何よりの手向けだ!」

「……了解」

 

 俺は短くそれだけ言って、回復薬を飲み干した。

 他の言葉は口にせず、その分の体力を呼吸を整えることに使う。

 ドッグさんの言う通り、それこそがルベルトさんの望むことだろうと思えた。

 

「獲物発見〜!」

「そんなお荷物抱えてどこ行くんだー!」

 

 前方に敵。

 魔族が二体だ。

 肥満体の豚みたいな魔族と、上半身が槍を持った人間で、下半身が蛇の魔族。

 どちらもドッグさんと同等程度の力を持ってるだろう。

 

「邪魔だ! どけぇーーー!!」

 

 その二体の魔族に、ドッグさんは果敢に挑みかかった。

 俺を背負った状態で、内股の状態で、自分と同格の敵二体を前に一歩も引かない。

 豚魔族の突進を避け、蛇魔族の槍を捌く。

 背中の俺に振動がくることすらできるだけ避けるように、ドッグさんは細心の注意を払った立ち回りで魔族二体を相手取る。

 

「ドッグさん……」

「静かにしていろ! お前がこれ以上消耗したら、どのみち我らの負けだ!」

「くっ……!」

 

 悔しい気持ちを無理矢理に飲み込む。

 ドッグさんの言ってることは正しい。

 回復薬で多少はマシになったとはいえ、右腕と左足の傷は深く、まだ動かない。

 体力だって殆ど空だ。

 

 気力で動くにしても、あと一戦が限度だ。

 その一戦は魔王との戦いのために取っておかなければならない。

 ここはドッグさんに任せるしかない……!

 

「おおおおおおお!!」

「なっ!? てめっ……ぐぎゃ!?」

 

 ドッグさんが蛇魔族の槍を左手で掴んで受け止め、右手で頭を叩き割って倒した。

 代償に刃を掴んだドッグさんの左手は血塗れになり、体勢も崩して豚魔族の拳を股間に食らってしまう。

 潰れてる場所に更なる追い打ちだと!?

 いったい、どれほどの激痛なのか想像もつかない……!

 

「はうっ!? うぉおおおおおおお!!」

「ぶひっ!?」

 

 だが、ドッグさんは拳を股間に食らいながらも根性で踏ん張り、逆襲の右手一本突きで豚魔族の眼球から脳天を貫いた。

 豚魔族が痙攣しながら崩れ落ちる。

 ドッグさんの勝利だ。

 

「ハァ……ハァ……うぐっ!?」

 

 しかし、勝ったとはいえドッグさんはボロボロ。

 すぐに回復薬を取り出して飲んだが、回復薬で全快するようなダメージじゃない。

 

 それでも、ドッグさんは足を止めなかった。

 ボロボロの体で前へ進んだ。

 魔族と遭遇する度に、俺を庇って傷を負いながら前進する。

 

 口は出せなかった。

 ドッグさんの覚悟に水は差せなかった。

 俺にできるのは、その覚悟に報いることだけ。

 言われた通り安静にして、魔王戦に向けて力を温存することだけだ。

 

「くそっ……!」

 

 だが、運命は俺達の敵だった。

 進む先に大量の魔族が現れる。

 数は二十と少し。

 近くに何人かの戦士達の死体が転がっていた。

 彼らと相対するために、普段は群れない魔族がこれだけの数で纏まってたんだろう。

 

 しかも、最悪なことに、その中の一体は高位魔族だ。

 額から二本の角を生やした、筋骨隆々の黒い体を持った鬼のような見た目の魔族。

 四天王にこそ遠く及ばないが、使役するゾンビまで含めた老婆魔族と同格くらいはありそうだ。

 

 普通の魔族よりも、かなり強い。

 ドッグさんからすれば明確な格上。

 

「小僧、もう走れるくらいには回復したな?」

 

 そんな連中を前にしても、ドッグさんは微塵の動揺すらしなかった。

 

「俺が奴らを一匹残らず引きつける。その間に、お前は走り抜けて先へ行け」

 

 ドッグさんは、己が捨て駒になることを覚悟していた。

 俺の体力を温存するためだけに、命を捨てる覚悟をしていた。

 

「それは……」

「口答えするな。お前の体力は全て勇者様をお助けすることに使え」

 

 静かで、なのに強い言葉で説き伏せられ、何も言えなくなる。

 

「さあ、最後の仕事を全うするとしよう。

 『剣の英雄』ドッグ・バイト! 参る!」

 

 俺を背中から下ろし、圧倒的な戦力差があるからかニヤニヤと笑っていやがる魔族どもに、ドッグさんは人生最後の戦いを挑みにいった。

 その覚悟を無駄にするわけにはいかない。

 俺は残った右足の暴風の足鎧を起動し、ドッグさんが切り開こうとしてる血路を潜り抜けようとして……

 

「『全属性の裁き(ジャッジ・ザ・エレメント)』!」

 

 魔族どもの横から飛んできた大魔法を見て、動きを止めた。

 旅の中で何度も何度も助けられた、七色の魔力の混ざった極大の光が魔族どもを飲み込む。

 それによって、奴らは仲間を盾にした高位の鬼魔族以外が全滅。

 鬼魔族もまた重傷を負った。

 

「き、貴様ぁーーーーーー!!」

 

 鬼魔族が激昂しながら魔法の飛んできた方向を睨む。

 そこにいたのは、慣れ親しんだ幼い見た目の大賢者……ではなかった。

 俺の知る大賢者と同じ銀の髪をした美丈夫。

 エルフの現族長、エルトライト・ユグドラシルさんだった。

 

「とう!」

 

 エルトライトさんに加えて、更にもう一人知った顔が現れる。

 世界最高の職人によって作られた魔鎚『ミョルニル』を担いだ妙齢の女性。

 ドワーフの族長の孫、『鎚聖』イミナさん。

 

「『轟鎚』!」

「ぐはぁあああああ!?」

 

 聖戦士であるイミナさんの一撃によって、唯一生き残っていた鬼魔族もまた叩き潰された。

 覚悟が空回りしたドッグさんが、何とも言えない顔で戻ってくる。

 そんなドッグさんと一緒に、二人もまた俺の方へ駆け寄ってきた。

 

「アランくん、ドッグ殿、無事で良かった」

「これ無事なんすかねぇ!? 二人ともボロボロじゃないっすか!?」

 

 イミナさんはアワアワと慌て、逆に冷静なエルトライトさんは俺達二人に治癒魔法をかけてくれた。

 

「……酷い怪我です。ドッグ殿はともかく、アランくんの治療に関しては、ある程度回復させるだけでも本職ではない私だと時間がかかります」

「アランがこんなにやられるとか、どんな化け物と当たったんすか!?」

 

 イミナさんが叫ぶ。

 どんな化け物、か。

 

「最後の四天王に遅れを取りました。奴は、間違いなく最強の四天王でした」

「最強の四天王……。アラン、よく頑張ったっすね」

 

 イミナさんに頭を撫でられた。

 母さんを思い出すような、子供への優しさに満ちた手つきだ。

 

「よっしゃ! ここから先はアタシが露払いするっす!

 ドッグさんはアランを背負って、エルトライトさんは治療を頼むっすよ!」

「わ、わかった!」

「それが良いでしょうね」

 

 三人はテキパキと動いてくれた。

 ドッグさんが再び俺を背負って走り出し、エルトライトさんが並走しながら俺に治癒魔法をかけ続け、イミナさんが前に出て魔族との戦いを引き受けてくれる。

 ここに来て安定感が一気に増した。

 

「……三人とも、ありがとうございます。滅茶苦茶心強いです」

「なんの! ウチの里を守ってくれた恩返しっすよ!」

「私も同じく。恩人であり、仲間であるあなたを助けるのに理由はいりません」

「勘違いするなよ! 俺はルベルト様の遺志を受け継いだだけだからな!」

 

 三者三様の返事。

 だが、全員が俺を助けてくれる恩人であることは変わらない。

 

 ……フェザード。

 俺とお前に差があったとするなら、やっぱり仲間の差だ。

 俺達の間に、差はそれくらいしかなかった。

 そして、こればっかりはお前の努力じゃどうにもならない差だったんだろう。

 

 魔族にまともな奴は殆どいない。

 仲間を思いやるような奴なんてまずいない。

 俺はお前より恵まれていた。

 ただ、それだけだったんだ。

 

 己の幸運を噛みしめながら、

 同時に強敵のいたであろう境遇に言い知れぬ悲しみを覚えながら、

 俺は三人に支えられて先へ進んだ。

 

 勇者と魔王の戦いの気配はもう近い。

 待ってろよ、ステラ。



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97 『魔獣王』

「らぁああああああ!!」

「うぉおおおおおお!!」

 

 アランがルベルトと共に、最強の四天王フェザードと信念を賭けた戦いをしていた頃。

 こちらでも人類と魔族の最高峰同士による戦いが激化していた。

 ただし、アラン達の戦いと違って、こちらの敵は信念も何も無い、ただ欲望のままに生きる獣であったが。

 

「死ねやぁああ! 『獣爪(ビーストクロー)』!!」

 

 だが、信念は無くとも、この男は強い。

 魔族に堕ちた元聖戦士『魔獣王』ヴォルフは、魔族の血によって強化された膂力を存分に振るい、獣族特有の鋭い爪による攻撃を繰り出す。

 それは加護持ちの剣士達が当たり前のように飛ばす斬撃と同じく飛翔して、敵対者へと襲いかかった。

 

「舐めんな! 『岩流剣』!!」

 

 それを敵対者、ブレイドは真っ向から受け流す。

 巨岩のごとき不動の踏ん張りで耐え、耐え切れない威力を剣捌きによって受け流す。

 ステラに習った強者の受けを、更に自分に合う形へとカスタマイズし、完全に己のものとしたブレイドの剣技。

 

 それによって、ブレイドは力で勝る魔獣王と真っ向から張り合っていた。

 かつてレストに言われた、格上相手に何もできない剣士はもういない。

 勇者と剣鬼にシゴかれ、四天王戦の修羅場を抜けて成長した今のブレイドは、間違いなく聖戦士の中でも有数の強者であった。

 

「うぜぇな! この筋肉ダルマがぁあああ!!」

「畜生よりはマシじゃコラァアアアアアア!!」

 

 罵声を浴びせ合いながらぶつかり合う二人の戦いは拮抗していた。

 単純な力量であれば、元々最強の聖戦士の一人と呼ばれていたところに魔族の力まで追加した魔獣王の方が上だ。

 事実、ブレイドは防戦一方で、魔獣王に一撃も入れられていない。

 だが、魔獣王もまた、防御に全振りしたブレイドの守りを突破できずにいた。

 

 このまま続ければ、攻め手の無いブレイドの方が先に崩れて魔獣王の勝ちだっただろう。

 しかし、それは一対一で戦った場合の話だ。

 ブレイドは一人ではない。

 彼に攻め手が無くとも、仲間達がそれを補ってくれる!

 

「『聖なる鎖(ホーリーチェーン)』!」

「『電撃砲(ライジング・ボルト)』!」

「チッ!」

 

 リンの使った魔族を縛りつけるための鎖の魔法が魔獣王の足に絡みつこうとし、

 思いのほか速いそれを避けるために少し体勢が崩れ、そこにエルネスタの雷魔法が飛来する。

 

 魔獣王は身体能力と敏捷性に優れた獣族の動きでそれすらも躱したが、

 ブレイドへの攻撃が途切れたことによって、彼が攻勢に出ることを許してしまった。

 

「『破壊剣』!!」

 

 鎖を避けさせて体勢を崩し、そこに速度に優れた雷の魔法を撃ち込んで更に体勢を崩し。

 僅かではあるが、無視はできないくらいに魔獣王の動きに隙ができた瞬間を狙って叩き込まれた斬撃。

 ほぼ完璧にタイミングの合った連携攻撃。

 

 アースガルド戦を経てパーティーとして完成した彼らの動きは、主要メンバー二人を欠いてもなお健在だった。

 三人と戦っているというより、三人分の力を融合させた一人の超戦士と戦っているような感覚を魔獣王は覚える。

 

 一対一であれば、魔獣王はこの場の誰にでも勝てただろう。

 それほどまでに聖戦士の力と魔族の力を合わせ持った今の彼は強い。

 だが連携が、魔獣王の切り捨てた仲間の力がその差を埋めた。

 

 ブレイドの体重の乗った一撃によって、それをガードした魔獣王の両腕が切断される。

 目の前の奴らは己よりも弱い。

 しかし、三人がかりであれば、その牙は最強の己に届くと魔獣王は素直に認めた。

 

「だが、無駄ぁ!」

 

 それでも魔獣王は己が負けるとは微塵も思わず獰猛に笑った。

 切断された両腕が即座に再生する。

 魔族の、その中でも特に生命力の強い吸血鬼の血を受け入れた今の魔獣王にとって、この程度のダメージは無いも同然。

 例え牙が届こうが、その牙で付けられた傷がまるで致命傷足り得ないのなら恐れるに足らず。

 

 反撃のため、魔獣王は脚に力を込め。

 加護の力と魔族の力によってはち切れそうなほどに膨張した脚の筋肉の力を存分に引き出して、超強化された脚力によって跳躍。

 

 狙いはエルネスタとリンの後衛二人だ。

 女好きの魔獣王故に殺そうとは考えていないが、遠距離攻撃が鬱陶しいのも事実なので、手足と意識を刈り取って戦闘不能にするつもりである。

 

 だが、後衛への攻撃を簡単に許す前衛はいない。

 防御に徹し、隙あらば攻撃という戦い方をしていたブレイドだ。

 当然、常に後衛二人の盾になれるような位置をキープしており、即座に割って入れる。

 

「おらぁ!」

 

 目の前のブレイドを無視するように横を抜けようとした魔獣王に、ブレイドの迎撃の一撃が振るわれた。

 避ければ後衛二人への攻撃を阻止できる。

 防げば衝撃で足が止まる。

 跳ね除けるために攻撃すれば、攻撃直後の隙を後衛二人が狙い撃つ。

 どう転んでもブレイド達の不利にはならない。

 そのはずだった。

 

 しかし、魔獣王はニヤリと笑って、予想外の行動に出た。

 

「なっ!?」

 

 魔獣王は僅かに体を逸らし、ほぼノーガードでブレイドの斬撃をその身に受けたのだ。

 ブレイドが狙ったのは頭部。

 世界最高の職人が幻の最強金属より作り上げし大剣は容易く魔獣王の頭部を破壊し、そのまま右胸のあたりを大きく斬り裂いて右半身を破壊する。

 

 だが、それでも魔獣王の体は止まらない。

 無抵抗で斬られたが故に、衝撃の殆どをすり抜けるように無効化した魔獣王は、瞬時に肉体を再生させながら後衛の二人に爪を振るった。

 

 リンは予想外の動きにギョッとして対応が間に合わない。

 しかし、もう一人の後衛は別だ。

 数百年の戦闘経験を持つ最強の魔法使いは、冷静に自らの経験の中から最良の応手を選択する。

 

「『光線(レイ)』!」

 

 使ったのは簡単で発動の早い初級の光魔法。

 細い光線が魔獣王に向けて飛ぶ。

 狙いは左胸。

 魔獣王がなった魔族である吸血鬼の弱点、心臓のある場所。

 

 さすがにそれを食らえばマズイと思ったのか、魔獣王は攻撃のために振り上げた左腕を盾にしてエルネスタの魔法を防ぐ。

 ヴァンプニールのように、心臓を移動させられる技術があれば無視しただろう。

 だが、魔獣王はそれをしなかった。

 否、真祖でもなく、しかも成り立ての吸血鬼でしかない魔獣王にはできなかった。

 

 それによって魔獣王の攻撃が一手遅れる。

 しかし、所詮は一手分の遅れだ。

 突撃の勢いが衰えたわけではなく、魔獣王は既に二人を射程距離に捉えている。

 珍しくミスりやがったなと内心で嘲笑いながら、魔獣王は再生途中の右腕を振り上げた。

 

「うぉおおおおお!!」

「あぁ!? ごぶっ!?」

 

 その時、二人の足下で倒れていた男が突如起き上がり、治り切っていない魔獣王の顔面に渾身の拳を叩き込んだ。

 またしても頭部を爆散させながら、魔獣王の体が吹き飛ぶ。

 斬撃ではなく打撃を食らったことで、さっきのように衝撃をすり抜けられなかったのだ。

 

 エルネスタはミスなどしていない。

 一手攻撃を遅らせれば、最低限の治療を終えたこの男が迎撃のために動けるとわかっていたからこそ、あの応手を選んだのだ。

 

 魔獣王が魔王城の壁にめり込む。

 

「『飛翔剣』!」

「『全属性の裁き(ジャッジ・ザ・エレメント)』!」

「『獣爪(ビーストクロー)』!」

 

 ブレイド、エルネスタ、立ち上がった男の三人が、壁にめり込んだ魔獣王に容赦なく遠距離から追撃を加える。

 何度も何度も連続で、すり潰すように。

 同時にリンが治癒魔法を使って男の傷を治していく。

 もっとも、激しく動く相手の治療だったが故に、そこまで劇的な回復はさせられなかったが。

 

 この連撃で仕留められれば理想。

 だが、さすがにそこまで簡単には決まらない。

 遠距離攻撃の嵐を突き破って、ボロボロの体の魔獣王が飛び出してきた。

 

「だぁああああ!! やってくれやがったな、ガルムゥーーー!!」

 

 そして、全力で魔獣王に向けて爪を振るっていた満身創痍の男に向けて憤怒しながら吠えた。

 そんな魔獣王に一切怯むことなく、男は言い返す。

 

「トドメを刺し切れていないにも関わらず、倒したと思って油断した兄上の落ち度であろう!」

 

 魔獣王を兄と呼ぶ男。

 ボロボロの体に鞭を打ち、本来ならば自身でケリをつけなければならない身内の不始末との戦いに、せめて微力でも協力するべく立ち上がった男。

 『狼聖』ガルム・ウルフルスが、肉体を不気味に蠢かせながら再生させるような人外に堕ちた兄を強い視線で見据えていた。

 

「それだけの傷であっても再生するか。しかも、再生前提の戦い方まで……。

 本当に、墜ちるところまで堕ちたのう、獣王の小僧」

 

 腕が千切れ、足が折れ、頭が削げるようなダメージがどんどん消えてなくなっていく魔獣王に対して、

 エルネスタは怒りや嘆きを通り越して、哀れみの目を向けた。

 その目が気に食わなかったのか、魔獣王の顔が不愉快そうに歪む。

 

「堕ちただとぉ? ハッ! 劣った奴の戯言ほど惨めなもんはねぇなぁ!

 心臓を潰されない限り死なねぇ! あのクソ女にすらねぇ最高の力だ!

 これを見て堕ちたとかほざくなんざ、大賢者様も随分と耄碌したもんだぜ!」

 

 魔獣王は思う。

 この力があれば自分は最強。

 あのクソ女、フェザードよりも強いと。

 

 実際、躾と称して首を落とされても死ななかった。

 体を斬り刻まれても、心臓さえ死守すれば死ななかった。

 ならば、しぶとく粘って持久戦になればフェザードだって殺せる。

 それどころか、この力を完全にものにすれば魔王だって超えられる。

 魔獣王は本気でそう思っていた。

 

 そんな魔獣王を見るエルネスタの目は、どんどん哀れみの色を増していく。

 

「哀れじゃのう。もう見ておれんほどに哀れじゃ。

 獣王の小僧、お主は早いところ眠れ。

 己の無様さをこれ以上晒す前に」

「……無様? 無様だと!? てめぇ、ちょっと俺様が気に入った女だからって舐めた口利いてんじゃねぇぞ!!」

 

 激昂しながら、魔獣王が攻勢に出る。

 それに大剣を盾のように構えたブレイドが相対する。

 満身創痍のガルムは冷静に己の状態を顧みて、出しゃばっても足手まといになるだけだと判断し、ブレイドのサポートに徹する。

 

 エルネスタは先程と同じく、前衛に守られたところから魔法での狙撃。

 そして、リンだけは先程と動きを変えた。

 

「神の御力の一端たる守護の力よ。神の御力の一端たる聖光の力よ。

 暴虐なる大魔の脅威に晒される我らを、その大いなる慈悲と博愛の掌で包み込み、守りたまえ。

 聖なる救いの光で我らを照らしたまえ。その光で災いを退けたまえ。

 聖なる光は全てを照らす。

 罪無き者達に安らぎを。災いたる魔には断絶を。

 光集まり壁となれ。人々に安寧を齎す聖域となれ」

 

 長い詠唱を終え、リンが杖を振るう。

 

「『神王結界』!」

 

 その瞬間、リン達四人を半透明の光のドームが覆った。

 エルフ達と協力してなお、本気を出したドラグバーンに容易く破られた結界とはわけが違う。

 旅を通して成長したからこそ使えるようになった、四天王クラスですら容易には壊せない絶対防御の結界魔法。

 アースガルド戦で使った一点集中の『神盾結界』ほどではないが、哀れな獣を相手にするのならこれで充分。

 

「チィ! 聖女の結界魔法か! めんどくせぇなぁ!!」

 

 魔獣王が結界に攻撃を叩きつける。

 爪を、拳を、蹴りを、何度も何度も叩きつける。

 

 それは確かに結界を削った。

 だが、微々たる損傷だ。

 リンが結界の修復を行えば、突破までにかなりの時間がかかるだろう。

 しかし、リンはエルネスタの指示によって、ガルムの治療を優先した。

 

 それを見て魔獣王が思ったことは、ただ一つ。

 舐められているだ。

 

「クソがぁあああ!! ふざけんじゃねぇ!! このクソアマァアアアア!!」

 

 魔獣王の攻撃が一層苛烈になる。

 敵の攻撃は防ぎ、味方の攻撃は通す結界の内側からブレイドとエルネスタの攻撃が飛んできているというのに。

 防御は最低限、心臓だけを守って、あとは再生能力に任せ、残りのリソースを全て攻撃に使う。

 そして……

 

「『王獣撃』ッ!!」

 

 最後に放った渾身の拳が、リンの結界を打ち破った。

 魔族の証である青の血に染まる体で、魔獣王は悪鬼のように笑った。

 これでようやく全員八つ裂きにできる。

 女は生かしてやろうと思っていたが、やめだ。

 自分を苛つかせたのだから、全員生かしておかない。

 皆殺しだ。

 次は詠唱する間も無く殺してやる。

 そう意気込んで一歩足を踏み出し……

 

「あ?」

 

 その足がグシャリと潰れた。

 攻撃を受けたわけでもないのに、骨が砕け、肉が裂ける。

 しかも、再生する気配すらない。

 

「な、何が……ッ!?」

 

 片足が壊れ、咄嗟にもう片方の足に重心を乗せたが、今度はその足まで壊れた。

 両足を失って膝をつけば、破壊が腰まで伝播してきて座っていることすらできない。

 前に倒れる体を支えるために腕を突き出し、その腕まで壊れ、魔獣王は芋虫のように血に倒れ伏した。

 

「どうなってやが……がはっ!? げほっ!?」

 

 そして更には、激しく咳き込んで吐血する。

 咳き込む衝撃だけで体が悲鳴を上げ、肉体のあらゆるところが裂けて血が噴き出す。

 自分の体に何が起きているのか、まるでわからなかった。

 

「反発じゃよ、獣王の小僧」

 

 何もわからぬ魔獣王に答えを示すように、大賢者が語り出した。

 

「反発、だと……?」

「そう。加護の力と魔族の力の反発じゃ。

 この二つの力は決して相入れず、無理に一人の体に押し込めれば、体内で反発して肉体に尋常ならざる負荷がかかる。

 そうじゃな、リン」

「……はい。レストくんに吸血鬼の血を入れられた人達もそうでしたから」

 

 かつて、魔獣王と同じく吸血鬼の血を入れられた加護持ちの治療をしたことのあるリンが、エルネスタの言葉を肯定する。

 今の魔獣王がどんな状態になっているのか、彼の体がどれだけ歪で酷い状態になっているのかが、彼女には手に取るようにわかった。

 

「私が診た人達は、レストくんを通して間接的に吸血鬼の血を入れられ、手足の再生もできない程度の力を与えられただけなのに、寿命が削れてしまうほどに肉体が壊されていました。

 あなたの場合は頭部を即座に再生させられるほどの血を入れられている上に、あの人達よりも加護の力の強い聖戦士。

 反発はより大きく、そんな体であれだけ再生能力を使いまくれば、そうなるのは当然です」

「なん、だと……!?」

 

 リンの言葉に、魔獣王の思考は驚愕に支配される。

 それ以上の言葉は出なかった。

 心理的にも肉体的にも声を出せなかった。

 もはや咳き込む体力すらなく、体は勝手に壊れてゆくばかり。

 

「多分、私達との戦闘が無くても、この戦いが終わる頃にはどの道そうなってたと思います」

「つまり、お主は魔族どもに使い捨ての駒にされたのじゃよ。

 お主が殺したレス坊と同じ末路を辿るとは……因果なものじゃ」

「兄上……」

 

 哀れみの目が魔獣王に突き刺さる。

 レストの仇が死ぬことを素直に喜べないほど、今の彼は哀れに過ぎた。

 

(ふざけんな! 使い捨て? この俺様が使い捨てだと!? あのクソ女騙しやがって!

 許さねぇ! 絶対に許さねぇ! ズタズタのグチャグチャにしてやる!

 動け! 動きやがれ、俺様の体ーーーーー!!)

 

 心の中で魔獣王は罵詈雑言を吐き続ける。

 彼にはもうそれくらいしかできない。

 罵詈雑言を口にすることすらできない。

 まともに息を吸うことすらできず、口からはヒューヒューというか細い呼吸が漏れるのみ。

 

 そんな魔獣王に、一人の男が近づいていった。

 

「ブレイド様……」

 

 リンが心配そうにその男の名を呼ぶ。

 目の前で弟を殺され、それを見せつけられた『剣聖』ブレイド・バルキリアスは、

 放っておけば死ぬだろう魔獣王に、それでも剣を突きつけた。

 

「ガルム、トドメは俺が刺していいか? ケジメをつけてぇ」

「……構いません。もう、それ(・・)は見るに耐えない」

 

 真面目で誠実。

 筋の通っていないことは決してできぬほどの善人であるガルムにすら、もう兄とすら呼ばれない哀れな生き物。

 それに、ブレイドは剣を叩きつけた。

 

「ふ、ざけ、んじゃ、ねぇ……。俺、様は、最、強、だ、ぞ……」

 

 生まれた時から、ずっと自分が一番だった。

 同年代で並ぶ者はなく、十代の頃には並み居る年長者達を押し退けて、最強の獣人族である『獣王』の称号を勝ち取った。

 勝てない相手はいなかった。

 自分はいつも勝利者で、奪う側だった。

 子供の頃に訓練で大人に負けても、ちょっと成長すれば、すぐに力関係は逆転した。

 

 だから、今回だって同じだと思った。

 フェザードには負けたが、ちょっと成長して魔族の力を使いこなせるようになれば、すぐにまた力関係が逆転して、自分は最強に戻れると思っていた。

 なのに、こんな……。

 

 ブレイドの一撃で心臓を破壊され、魔獣王が躯となって、吸血鬼らしく灰となって崩れ去る。

 かつて彼が殺したレスト・バルキリアスと同じ死に方。

 だが、レストと違って誰も悲しんでくれない。

 誰も惜しんでくれない。

 実の弟ですら、やるせないという顔をするだけで、涙の一つすら流してくれない。

 

 最強の聖戦士と呼ばれた男は。

 ブレイドと違って傲慢を正せなかった男は。

 そんな哀れで孤独な最期を迎えた。

 

「ブレイド様……」

「行くぞ。ステラの奴が待ってんだろ」

「……そうですね」

「そうじゃな」

 

 勇者パーティーの三人は、もう魔獣王を振り返ることもなく、ガルムを仲間に加えて最後の戦場へ向けて走り出した。



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98 最後の戦い

「う、うぅ……」

 

 お腹が空いていた。

 戦って、勝って、相手の亡骸を食らわなければ何も食べられないこの地獄で、その子は貧弱な力しか持たずに生まれたからだ。

 

 成長すればそれなり以上に戦えるようになるだろうが、成長性(そんなもの)には何の意味もない。

 今戦えなければ飢えて死ぬのだ。

 いや、飢え死にする前に、他の何かに食われて死ぬ。

 親に守ってもらうこともできない。

 その子の親は、異端の子供を追い立てて群れから追放するタイプだった。

 

「ハァ……ハァ……あうっ」

 

 足下の窪みに躓いて転んだ。

 もう起き上がる力すらない。

 空腹によって、体力が完全に底をついたのだ。

 

 自分はここで死ぬと確信した。

 死にたくないと本能が叫んだ。

 植え付けられた知識のせいで、生まれて数日で既に自我を確立した心は泣き叫んだ。

 

 だが、泣こうが喚こうが助けは来ない。

 ここはそういう場所だ。

 ここはそういう地獄だ。

 ……その、はずだった。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 しかし、そんな地獄の常識を覆して。

 その『人』は、救いの手を差し伸べてくれた。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

「ハァアアアアア!!」

「ッ!?」

 

 魔王が連続で振るう闇の剣をステラは聖剣で受け流そうとし、受け流し切れずに吹き飛ばされる。

 アランの衝撃を移動速度に変換する技『激流加速』の動きを思い出して即座に体勢を立て直すが、

 次の瞬間には、魔王の振るう飛翔する闇の斬撃がステラの目の前にあった。

 

「『地獄剣・斬牙(ざんげ)』!」

「『聖なる剣(ホーリースラッシュ)』! うぐっ!?」

 

 闇の斬撃を光の魔法剣で迎撃するも、力負けして再び吹き飛ぶ。

 だが、元々相殺できるとは思っていない。

 今の一撃も正面からではなく、横からぶつけて闇の斬撃の軌道を逸らすのが狙いだ。

 逸してなお余波だけで吹き飛ばされたが、目的は果たしている。

 しかし……

 

「どうした勇者! 守るばかりか!」

「うぐぐ……!」

 

 魔王の言う通りだった。

 ここまでの戦いで、終始ステラは防戦一方。

 せっかく回復阻害の聖剣があるのに、魔王にかすり傷すら付けられていない。

 

 逆に、ステラの方にはかなりのダメージがある。

 戦いの直前に武神より送られた最強金属の鎧は殆ど砕け、体中の至るところが傷だらけだ。

 負傷が積み重なるごとに治癒魔法で治してはいるが、すぐに新しい傷が刻まれる。

 その治癒魔法すら使うタイミングを間違えれば、魔法の発動に意識を持っていかれた隙を突かれてやられるだろう。

 

「うっ!?」

 

 またしてもステラが吹き飛ばされ、それを見た魔王は今度は速攻を選ばず、体を捻って闇の剣を大きく振りかぶった。

 限界まで引き絞られた弓を思わせる魔王の構え。

 そこから繰り出されるのは、当然構えに見合った大技。

 

「『地獄剣・螺旋』!」

 

 螺旋状に渦を巻く闇の本流がステラに迫る。

 かつてアランが挑んだ強敵、『剣聖』シズカの成れの果てであるスケルトンが使った技と似た一撃ではあるが、魔王のそれは次元が違う。

 

 進行方向上にあるもの全てを破壊する、極大の死の嵐。

 他の魔族を巻き込まぬよう、長年をかけて特別頑丈に闇の魔法でコーティングされたこの部屋以外で放てば、キロメートル単位の地形を変え、たった一撃で万の軍勢を消し飛ばすだろう。

 

 これだけでも、ステラが今まで見てきたどんな魔族の一撃よりも凄い。

 蒼炎竜状態のドラグバーンや、迷宮一つを身に纏ったアースガルドですら比較にもならない。

 これが魔族の頂点。

 最強の魔族、『魔王』の力。

 

 だが、勇者とは、そんな魔王と唯一対等に渡り合える人類の希望だ。

 勇者のみがノーリスクで振るえる聖剣の真なる力もまた、魔王との戦い以外での使用が神の制約に引っかかるほどに常軌を逸している。

 

「『真・月光の刃(ルナ・ムーンスラスト)』!!」

 

 体勢を立て直し、闇の螺旋を迎撃しようと放たれた一撃。

 聖剣の放つ光を一点集中した、三日月状の光の刃。

 無詠唱で咄嗟に放った一撃だというのに、長い詠唱の末に放ち、ドラグバーンの首を斬り飛ばした一撃よりも遥かに強い。

 

 光と闇がぶつかる。

 広域破壊の闇と、一点集中の光。

 それでも、押し勝ったのは闇だった。

 

「ッ!?」

 

 光の刃が闇の螺旋をある程度斬り裂いたが、最終的には押し負けて、ステラは闇に飲み込まれた。

 威力は軽減できているし、体を包んで守っている聖剣の光のおかげで致命傷こそ負っていないが、決して軽傷とは言えないダメージだ。

 最強金属の鎧も、今ので完全に砕けてしまった。

 もっとも、鎧は砕けることと引き換えに更に威力を軽減してくれたのだから、立派に役目を果たしたと言うべきだろう。

 鎧が無ければ、今頃ステラは戦闘不能になっていたかもしれないのだから。

 

「『高位治(ハイ・ヒーリン)……」

「させん!」

「くぅ!?」

 

 治癒魔法で傷を治そうとしたステラに魔王が躍りかかり、ステラは治癒魔法の発動を中断して全力で迎撃せざるを得なくなる。

 魔王の剣撃と魔法を、同じく剣撃と魔法で迎え撃つ。

 

(痛い……!)

 

 剣を交える度に腕が軋む。

 魔法を撃ち合う度に押し負けて体に突き刺さる。

 身体能力でも、魔法火力でも、そして技術でもステラは魔王に劣っていた。

 聖剣の真なる力で大幅に強化されてなお届かない。

 

 本来、聖剣を開放した勇者の力と魔王の力はほぼ互角だ。

 そこに何人もの聖戦士達によるサポートを受けることで、歴代勇者達は一度も世界を明け渡すことなく魔王を退けてきた。

 歴代で最も人類に被害を与え、先代勇者と相打った先代魔王でさえも、勇者との真っ向勝負を避けて逃げ回ったほどだ。

 それほどまでに、魔王にとって勇者とは脅威であるはずなのだ。

 

 なのに、ステラは魔王に勝てるイメージがまるでわかなかった。

 それどころか、前の世界の自分のように、後の戦いに支障が出るほどの傷を付けられる気もしない。

 

(これが、歴代最悪の魔王……!)

 

 ステラは心の中で、魔王のあまりの強さに舌を巻く。

 これが本来の歴史において人類の七割を殺戮し、世界を支配する寸前まで行った大魔王の力。

 

 何が一番違うかといえば、練度の差だろう。

 ステラは幼少期よりアランと共に剣の腕を磨いてきたとはいえ、まだ15歳の小娘。

 勇者として充分な水準に達してはいるが、眠る才能の全てを引き出せているとは言い難い。

 対して、魔王は何十年もの研鑽の果てに、己の力を磨き抜いている。

 

 なるほど、命と引き換えにしたところで絶対に勝てないとまでアランが言うわけだ。

 その通り過ぎて反論の余地もない。

 

 ステラ一人では決して魔王に勝てない。

 弱体化させるほどのダメージを与えることもできない。

 それは嫌というほどわかった。

 わからされた。

 だが、だからこそ……

 

「やぁあああああああ!!」

 

 ステラは気迫を込めて剣を振るった。

 受け流し、逸し、防ぐ、守りの剣を。

 

「臆したか、勇者!」

 

 魔王がそう思うのも無理はない。

 この戦い方では魔王にかすり傷すら付けられない。

 守るばかりで攻めに転じないのでは、ガードの上から削り切られて終わりだ。

 みっともなく生にしがみつき、死ぬまでの時間を少しでも引き伸ばすための延命行為。

 今ステラがやっているのは、そういう戦い方だ。

 

(でも、これでいい!)

 

 ステラは守る。

 剣撃を受け流し、魔法を逸し、大技を防ぎ、ただただ生き残ることだけを考える。

 

 このまま行けば、ステラの戦いは魔王に欠片の痛痒すら与えることなく、無駄死に終わるだろう。

 勇者がなんの戦果も上げられずに死ねば、今度こそ人類は終わりだ。

 勇者としての使命を考えれば、ここで少しでも魔王を削るべきなのだろう。

 そうすれば、ステラの死後にルベルトやブレイドが命と引き換えに聖剣を振るうことで、魔王を討伐できるかもしれない。

 

(だけど、私はアランと約束した! 命にしがみついて、アラン達と一緒に生きて勝つって!)

 

 生きて勝つ。

 そのためには、玉砕覚悟で突っ込むことなんてできない。

 仲間を信じて待つしかない。

 一人では絶対に勝てないのだから、仲間達が魔王城の守りを突破して駆けつけてくれることを信じるしかない。

 

 そんなステラの想いは。

 仲間を信じて耐える戦いを選択した勇気は。

 ━━報われた。

 

「『神盾結界』!」

 

 突如として決戦の間の扉がこじ開けられ、ステラと魔王の間に光り輝く結界魔法の大盾が出現した。

 それは魔王の力をもってしても一撃では砕けず、魔王の攻勢が一旦途切れる。

 

「『裁きの魔導剣(ジャッジメント・ブレイド)』!!」

 

 結界に続いて、飛来した七色の魔力を纏う極大斬撃が魔王を飲み込んだ。

 その隙に灰色の髪をした誰かが獣のような俊敏な動きでステラを回収し、戦いながらでは不充分にしか使えなかった治癒魔法をかけられて、積み重なったダメージが回復していく。

 

 ステラは援護射撃をしてくれた仲間達を見て、顔を綻ばせる。

 

「リン、エルネスタさん、ブレイド! あと、ガルムさん!」

「お待たせしました、ステラさん!」

「ようやった! たった一人でよう耐えたのう!」

「こっからは俺らも参戦させてもらうぜ!」

「……私だけパーティーメンバーでもなく完全に浮いているが、それでも全力を尽くさせていただこう!」

 

 参戦した四人の聖戦士達が、頼れるセリフと共に各々の武器を構えた。

 ガルムは違うが、勇者パーティーの仲間達が来てくれたのは大きい。

 ステラとの高度な連携が取れる彼らなら、そこらの聖戦士が応援に来るより遥かに頼もしい。

 

「『地獄剣━━」

 

 だが、

 

「『斬牙』!」

 

 感動の再会に浸る間もなく、ブレイドとエルネスタの合体奥義を受けても無傷で戻ってきた魔王が、剣を振るって闇の巨大斬撃を放った。

 ステラはすぐに治り切っていない体に鞭を打ち、前に出て迎撃しようとする。

 勇者と魔王の戦いにおける聖戦士の役割とは、勇者のサポートだ。

 さすがに、聖戦士レベルの力で魔王と正面戦闘はできない。

 だからこそ、ステラが一番前に立って戦う必要があるのだが……

 

「最強殺しの剣」

 

 ステラの前に飛び出してきた、この世で最も愛しくて、最も頼りになる背中を見て、前へ出ようとしていた足を止めた。

 

「五の太刀━━『禍津返し』!」

「ぬっ!?」

 

 闇の斬撃が魔王に向けて跳ね返される。

 魔王は強い。

 強すぎるほどに強い。

 だからこそ、強い己自身の力を跳ね返された時の被害は誰よりも大きい。

 

 跳ね返された闇の斬撃を咄嗟には相殺し切れず、魔王が初めて血を流した。

 血を流しながら吹っ飛んでいく。

 この戦いが始まって以来、魔王に入った初めてのダメージ。

 それを成したのは勇者ではなく、聖戦士でもなく、それどころか加護すら持っていない無才の剣士。

 

「アラン!」

「待たせてすまん。もう、大丈夫だ」

 

 その一言で、ステラは酷く心が落ち着くのを感じた。

 とてつもなく安心する声だった。

 吊り橋効果というやつなのか、いつもの倍はその背中が頼もしく見える。

 

「アタシらもいるっすよー!」

「ママ、じゃなくて母上、そして勇者様方。助太刀に参りました」

「分不相応な舞台だな。裏方に回ったとしても、どこまで役に立てるか……」

「イミナさん、エルトライトさん、ドッグさん!」

「おお! よう来た!」 

 

 アランに続いて更なる援軍達が現れた。

 『鎚聖』イミナ、『賢者』エルトライト、『剣の英雄』ドッグ。

 これで、この場には聖戦士が六人に、聖戦士と同等以上の剣鬼が一人。

 ついでに英雄が一人。

 半数の者達とは連携の訓練をしていないとはいえ、それでも人数だけなら歴代の平均的な勇者パーティーに匹敵する戦力だ。

 

 続々と駆けつけてくれた仲間達に、ステラの心に喜びと安堵が広がっていく。

 だが、ステラは安心して弛緩しそうになる心に喝を入れ、ある程度治療の終わった体でアランの隣に進み出た。

 

「大丈夫だったか?」

「へっちゃらよ! そっちこそ結構ボロボロじゃない。完全回復するまで休んでてもいいのよ?」

「ルベルトさんと一緒に最後の四天王に挑んでできた名誉の負傷だ。問題ない」

「いや、何が問題ないのよ」

 

 名誉だろうとなんだろうと負傷は負傷でしょと、ステラは内心でツッコミを入れる。

 

「ブレイド」

 

 と、そこでアランは城の壁に激突して砂埃の向こうに隠れてしまった魔王から視線を逸らさないまま、ブレイドに声をかけた。

 

「ルベルトさんから伝言だ。『あとは任せた』。あの人は、お前にそう言い遺した」

「「「!?」」」

「そ、それって……」

「アラン」

 

 ステラ達が何かを言う前に、ブレイドの声がそれを遮った。

 覚悟が決まっていたかのような、とても静かで、落ち着いた声だった。

 

「一つだけ聞かせてくれ。爺は、カッコ良かったか?」

「ああ、死ぬほどカッコ良かった。最後の四天王を倒せたのはルベルトさんのおかげだ」

「そうか」

 

 ブレイドはそれを聞いて……快活に笑った。

 

「なら、ちゃんと受け継がねぇとな! じゃねぇと、爺が化けて出るぜ!」

 

 空元気ではない。

 ドラグバーンに負けて以来、空元気を続けてきたブレイドを見ていた勇者パーティーの仲間達は、そのことを即座に見抜いた。

 同時に、本当に強くなったものだと思った。

 ブレイドは祖父の死を知っても折れることなく、ちゃんとルベルトの意志を継承してみせた。

 

 そう、ブレイドはアランの話を聞いても動揺しなかった。

 この話によって動揺したのは、別の男だ。

 

「最後の四天王を、倒した?」

 

 ポツリと、小さな声でそう呟いたのは、アランに攻撃を跳ね返されたことを警戒してか、様子見に徹していた魔王だった。

 次の瞬間、魔王から絶大な殺気が放たれる。

 

「「「ッ!?」」」

 

 それを浴びて、ほぼ全員の体に震えが走った。

 精神力の強いアランですら冷や汗をびっしょりとかき、ドッグに至っては泡を吹いて倒れる寸前だ。

 それほどに魔王の今の殺気には、強すぎる感情が乗っていた。

 

「フェザードが、やられた? 信じられん。だが、こうも多くの者達が我の前に辿り着いたということは、本当に……」

 

 魔王の目から涙が溢れ出す。

 誰も、その隙を突いて攻撃などできなかった。

 情に流されたわけではない。

 悲しみに包まれる魔王が、

 内心で激情が嵐のように荒れ狂っているだろう今の魔王が、

 純粋に危険すぎたからだ。

 嵐の海に無策で飛び込むバカはいない。

 それと同じように、今の魔王には迂闊に手を出せない。

 

「あ、ああああああああああああ!!」

 

 魔王が内心の激情を吐き出すように絶叫を上げた。

 だが、すぐにその激情の嵐は形を変える。

 

「フェザード……今まで、ご苦労だった。

 あとは、任せろ。

 お前の想いを、忠義を、献身を、決して無駄にはせぬ」

 

 魔王の目の色が変わる。

 世界の全てを呪うような目から、大切な者の意志を受け継ごうという使命感に満ちた目へと。

 

 その目がステラ達を見据える。

 涙に濡れ、されど強い意志を宿した目が向けられる。

 押し潰されそうなほどのプレッシャーが彼らを襲った。

 

「勇者達よ。仇を、討たせてもらう。最愛の部下の仇を。

 先に仕掛けたのは我らだ。

 こんな想いを抱くことなど許されぬし、それをお前達にぶつけることの愚かしさもわかっている。

 だが、それでも……それでも抑えられそうにない」

 

 魔王が再び闇の剣を構える。

 本気の戦意に、今度は本気の殺意まで乗せて、魔王の剣が振るわれる。

 

「お前達を、殺す。

 その死を、フェザードの死を、いや、これまでに死した全ての命を礎にして、魔族の世界を作り上げる。

 それをフェザードへの手向けとしよう」

 

 そうして、最後の戦いが始まった



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99 最後の戦い 2

「『地獄剣・覇道』!」

 

 魔王が剣を振り下ろし、そこから凄まじい闇の奔流が放たれる。

 闇の斬撃が跳ね返されたのを見て、範囲攻撃に切り替えてきたか。

 それでも終の太刀なら跳ね返せるが……今は使わない。

 

 あの技はとてつもない集中力を必要とし、凄まじく神経を削る。

 傷も体力もある程度はエルトライトさんの魔法で回復させてもらえたとはいえ、未だフェザード戦の疲労が色濃く残ってる体で連発はできない。

 魔王城突入前に仲間達と共に考えた秘策としての使い方をするなら、一発が限度。

 あれを使うのは、ここぞという時だけだ。

 

 ならば、ここで選択する技は……

 

「三の太刀━━『斬払い』!」

 

 魔法の綻びを斬り、そこから霧散させる必殺剣によって、闇の奔流の中心部分を霧散させて縦に引き裂く。

 さすがは全盛期の魔王というべきか、こんな通常攻撃ですらフェザードの最後の一撃に匹敵する威力と速度だったが、

 治療を受けた今の体なら、終の太刀に頼らなくてもどうにかなる。

 

 とはいえ、余裕で対処できているわけでは断じてない。

 終の太刀の発動ほどではないが、一撃を凌ぐだけで大きく消耗させられる。

 俺がこの魔王と一対一で戦ったら、例え体調が万全でも、一方的に削り切られて負けるだろう。

 傷の一つすら付けられるか怪しい。

 こんな化け物とステラが戦ってたんだと思うと背筋が凍る。

 こんな化け物に、前の世界のステラはたった一人で立ち向かったのかと思うと胸が引き裂けそうになる。

 

 だが、もう一人で戦う必要はない。

 俺も、ステラも。

 前の世界では俺達二人とも、一人で戦ってこいつに殺された。

 だから今度は、今度こそは生きて勝つ。

 勝って、()でハッピーエンドだ!

 

「行くわよ!」

「ああ!」

「おう!」

「はい!」

「任せよ!」

 

 ステラの掛け声に合わせて、勇者パーティーが動き出す。

 俺が斬り裂いた闇の魔法の隙間からステラが突撃し、ブレイドがそれに続く。

 俺もまた二振りの相棒を構えて二人に続き、リンとエル婆は後方からの魔法支援に徹する。

 

「外部組の指揮は私が取らせていただきます!

 イミナ殿、ガルム殿は勇者様方に続いてください! 連携の邪魔になるので、隙を見つけたら一撃入れて後退する程度で結構!

 私はママ、じゃなくて母上とリン殿を護衛しつつ、二人と同じく後方支援に徹します!

 ドッグ殿は基本的に私達の傍で待機! 誰かが負傷したら走って回収してきてください!」

「わかったっす!」

「了解した!」

「くっ! その程度しか役に立てない我が身が憎いな!」

 

 エルトライトさんがパーティーメンバー以外の三人を指揮して、連携の訓練をしていない即席チームを的確に動かしてくれた。

 さすがは、ドラグバーン戦で九千人ものエルフを指揮した男。

 頼りになる。

 あの人なら、戦闘力的に魔王に通じないレベルのドッグさんも上手く使ってくれるだろう。

 

「やぁあああああ!!」

 

 ステラが先陣を切って魔王に飛びかかり、全力で聖剣を叩きつける。

 魔王を前にしたことで解放されたんだろう聖剣の真の力を纏ったステラの動きは凄まじい。

 

 だが、やはり力量は魔王の方が上。

 ステラの斬撃を同じく斬撃で迎撃し、ステラが押し負けて吹き飛ばされた。

 そこへ魔王は追撃をかけようとして……

 

「『刹那斬り』!」

「チィ!」

 

 高速で斬りかかったブレイドの攻撃を防ぐために足が止まった。

 今度はブレイドの大剣が魔王の剣とぶつかって、つばぜり合いになる。

 

 当然、力の差は歴然。

 魔王は瞬時にブレイドの剣を弾き、フェザードを彷彿とさせる神速の切り返しで、がら空きとなったブレイドの胴を狙った。

 そこを今度は俺が防ぐ。

 

「二の太刀━━『歪曲』!」

 

 上段から振り下ろされる魔王の剣。

 それが加速し始める前に、ブレイドと魔王の間に体を滑り込ませ、怨霊丸で魔王の剣の側面をほんの僅かに撫でて軌道を歪める。

 結果、魔王の剣はブレイドから逸れて床に叩きつけられた。

 

「くっ……!」

 

 だが、魔王の剣は次元の違う身体能力の分、フェザードよりも遥かに重い。

 攻撃を歪めると同時に、受け流し切れなかった衝撃が俺にきた。

 その衝撃で怨霊丸が弾かれる。

 

「一の太刀━━『流刃』!」

 

 しかし、それすらも利用して、弾かれる勢いを利用して体を回転。

 技を繋げ、最強殺しの剣の基本の技を魔王に叩き込む!

 

「ふん!」

 

 魔王はこの世界では初見のはずの流刃を当たり前のように防いだ。

 まあ、そうだろうな。

 いくらフェザードとの戦いを経て、かつての全盛期以上に研ぎ澄まされた技とはいえ、そう簡単に当たるようなら一人で勝てないなんて断言はしない。

 

 だが、仕事は果たした。

 歪曲によって攻撃を防ぎ、逆に俺の攻撃を魔王に防がせたことで、その隙に狙われていたブレイドが魔王の懐から離脱できた。

 

 ついでに、もう一手欲張らせてもらう。

 俺は流刃で使い切れなかった回転力を足捌きで操り、魔王の膨大な力を俺の移動エネルギーに変換。

 

「一の太刀変型━━『激流加速・無尽』!」

 

 大きすぎる推進力を得ることで、フェザード戦でも使った疑似勇者の速度を得る。

 いや、利用した魔王の力がフェザード以上だったことで、フェザード戦の時よりもなお速い。

 それでも聖剣の真の力を解放してる今のステラには届かないが、強力な武器には違いない。

 

「ちょっと見ない間に何があったのよ! 更に追いつくのが難しくなってるじゃない!」

「うるせぇ! 言ってる場合か! 文句あるならお前も強くなってみせろ!」

「言われなくてもやったるわよ!」

 

 軽口を叩き合いながらも、ステラと連携して魔王を攻める。

 ステラがメインで、俺がサポート。

 ステラは反撃を恐れず攻撃に全力を注ぎ込み、俺が魔王の反撃を全て潰す。

 お互いに能力が大きく向上してるとはいえ、昔から一緒に修行しまくって、動きの癖やら何やらを知り尽くした俺達なら、即座に相手に合わせられる。

 

 二人で一人の連携攻撃。

 そこにブレイドの的確なサポートと、頻度は高くない代わりに確実に有効な場面で攻撃してくれるイミナさんとガルムが加わることで、俺達は全盛期の魔王とまともにやり合っていた。

 

「魔導の理を司る精霊達よ。燃え盛る炎、渦巻く水流、鳴動する大地、吹き荒れる風、凍てつく冷気、鳴り響く雷鳴、破壊の闇、魔を打ち払う光の力よ。賢者の名のもとに合わさり、混ざり合い、強大な一つの力となって現出せよ。焼き払い、押し流し、押し潰し、荒れ狂い、凍てつかせ、轟き、壊し、輝け」

 

 そして、後方から聞こえてきた詠唱を合図に、全員同時に飛び下がる。

 

「『全属性の裁き(ジャッジ・ザ・エレメント)』!」

 

 直後、極大の魔法が魔王を襲った。

 エル婆ではなく、エルトライトさんの最強魔法が魔王に炸裂する。

 だが、魔王は闇の剣を上段に振り上げ……

 

「『地獄剣・斬牙』!」

 

 あっさりと最強魔法を真っ二つに両断してしまった。

 それどころか、魔法を斬り裂いてなお止まらない飛翔する闇の斬撃がエル婆達を襲う。

 

「『神盾結界』!」

 

 しかし、こっちも俺達が戦ってる間に詠唱を終えたリンの結界魔法がそれを防いだ。

 かなり長めの詠唱で補強したのか、魔法とぶつかって威力が減衰した闇の斬撃じゃヒビ程度しか入らない。

 そのヒビもリンが追加で詠唱し、すぐに修復する。

 更に、

 

「━━炎を極めて爆炎となれ。水流を極めて大海となれ。大地を極めて地獄となれ。風を極めて嵐となれ」

 

 エル婆もまた魔法の詠唱をしていた。

 半端な魔法は魔王に通じないと見て、援護の代わりに本来の詠唱に追加する形で更なる詠唱を重ね、魔法の威力を上げていく。

 

「冷気を極めて凍土となれ。雷鳴を極めて雷光となれ。闇を極めて暗黒となれ。光を極めて極光となれ。

 至高の力、集いに集いて敵を討て。━━『極・全属性の裁き(ジャッジ・ザ・エレメント)』!」

 

 そして、合計数分もの時間を詠唱のみに費やした、最強魔法の進化系が放たれる。

 魔王城に突入するための大穴を空けた聖戦士達の合体魔法を個人で上回る威力。

 大賢者の全力全開の一撃が魔王を飲み込んだ。

 それに続くように、俺達はたたみかける。

 

「「ハァアアアア!!」」

 

 魔法を食らった直後の魔王に向けて、俺とステラが正面から突撃。

 魔王はすぐに俺達を迎撃しようとして、

 

「『天極剣』!」

「『轟雷鎚』!」

「『王獣撃』!」

 

 左右と背後から強襲したブレイド、イミナさん、ガルムの三人に気を取られた。

 無視はできないはずだ。

 あの三人の攻撃じゃ大したダメージは入らないだろうが、だからってノーガードで受けたら大きく体勢が崩れる。

 故に、魔王は三人への対処に一手を使うしかない。

 

「『暗黒界』!」

 

 魔王を中心に、円のような形をした闇の魔法が広がる。

 それが三人を吹っ飛ばしたが、ガードは間に合ってたし、すぐにリンの治癒魔法が飛ぶだろうから大丈夫だ。

 ドッグさんが走るまでもない。

 だから向こうのことは気にせず、三人が魔王の手を煩わせて作ってくれた一手の遅れを全力で叩く!

 

「ハッ!」

 

 円のような闇魔法を斬払いで裂き、こじ開けた道の中を俺とステラの二人で走る。

 俺が前で、ステラが後ろ。

 俺が盾で、ステラが剣だ。

 

「『地獄剣━━」

 

 そんな俺達を迎え撃つ魔王。

 一手の遅れのせいで、大技を放つ暇はない。

 だからこそ、魔王は剣を上段に構え、小細工抜きの一閃を放った。

 飛翔する斬撃でもなく、魔法でもなく、剣士としての真っ向勝負を選んだ。

 

「『羅刹』!!」

 

 共に修行でもしたのか、まるでフェザードのように綺麗な魔王の太刀筋。

 フェザードの面影がチラチラと見え隠れする魔王の剣。

 つまり、魔王とフェザード、二人分の想いの宿った剣。

 それは、とてつもなく重い。

 

 だからだろうか。

 ここまでの打ち合いで酷使した腕が、

 フェザードに斬り飛ばされた後、完治はしていない右腕が、

 このタイミングで悲鳴を上げた。

 

「ガァアアアアア!!」

 

 それでも、負けはしない!

 刃に想いを乗せているのはお前らだけじゃない!

 歪曲で、磨き続けた弱者が強者に抗うための必殺剣で、魔王の剣を逸らす。

 さっきブレイドを助けた時と同じく、受け流し切れない衝撃が体にきたが、

 それも何とか激流加速の応用で逃して、衝撃を移動エネルギーに変えて横に飛ぶことで体が壊れるのを避ける。

 

 流刃に繋げる余裕もなく、激流加速で理想の動きをすることもできなかったが、盾の役割は果たした。

 なら、次は……

 

「行けぇ! ステラ!」

「『閃光の剣(フラッシュソード)』!!」

 

 ステラの光を纏う斬撃が魔王に炸裂した。

 魔王は即座に受け流された剣を引き戻して受け止めようとしたが、そんな不完全な体勢では防ぎ切れず……

 

 ━━ステラの聖剣が魔王の剣を両断し、魔王の体に一筋の傷が刻まれた。

 

 さっき俺が魔王の斬撃を跳ね返して与えたダメージとはわけが違う。

 聖剣による回復阻害の傷だ。

 前の世界の魔王が、数十年をかけても治せなかった傷だ。

 しかも、今与えた傷も、それなり以上に深い!

 

 いける。

 届く。

 勝てる。

 俺達全員合わせれば、魔王とも対等以上に戦える!

 そんな希望を抱いた瞬間……

 

「おおおおおおおお!!」

 

 魔王が動いた。

 傷付いた体に頓着することなく、まるでこうなることが狙い通りとばかりに、一切の迷いなく動いた。

 

 魔王が繰り出したのは、拳だ。

 折れた剣を手放し、流れるように全力の殴打をステラの横っ面に叩き込もうとしてやがる。

 このタイミングじゃ、俺の防御は間に合わない!

 

「あぐっ!?」

「ステラッ!?」

 

 ここまで魔王と一対一で戦い続けた疲労もあったんだろう。

 ステラは魔王の拳を避けられずに直撃を食らい、弾丸のような勢いで吹き飛ばされた。

 

 吹っ飛んだステラの軌道上にドッグさんが回り込み、「うごっ!?」と悲鳴を上げながらも受け止めて、すぐにリンのところに連れて行って回復してくれたが……怪我は決して軽くない。

 立ち上がったステラは明らかにふらついている。

 

「この程度……なんともないわ!」

 

 それでも勇者が抜けては魔王と戦えないと理解しているからか、ステラは無理にでも即座に戦線に復帰した。

 しかし、その動きは明らかに精細を欠いている。

 

「くそっ!」

 

 忸怩たる思いだ。

 好きな女にあれだけの怪我を負わせて、あれだけの無茶を強いるなんて、男として情けない。

 

 だが、己を恥じてる暇があるなら、弱ったステラをどう支えるかを考えろ。

 男とか女とか以前に、俺達は相棒だ。

 ステラは俺が一方的に守らなきゃならないお姫様じゃない。

 頼れる強い奴だ。

 そんな奴が弱りながらもまだ立ってるなら、まだ戦えてるなら、信じて全力で支える!

 

「ごほっ……!」

 

 一方、魔王は血を吐きながらも闇の剣を生成し、弱ったステラへと肉薄して追撃をかけようとしていた。

 袈裟懸けの一撃を食らい、決して軽くはない傷を負っているが、より重いダメージを受けたのは回復込みでもステラの方だろう。

 

「こいつ……!」

 

 やられた。

 魔王の狙いは相討ち覚悟のカウンターだったんだ。

 肉を斬らせて骨を断つ。

 その肉が治らないとわかっていながら、魔王は躊躇なくそれを実行した。

 俺達に勝つために。

 

 ああ、くそっ。

 やっぱり、こいつ強い。

 対等以上に戦える?

 そんなもん、ただの幻想だった。

 

 相手は歴代最悪の魔王だぞ。

 全力の全力、渾身の渾身、真の意味で全身全霊を尽くさなければ勝てないに決まってるだろ。

 もっと集中しろ。

 既に澄み渡っている視界を、静かすぎる世界を、全盛期の感覚を、更に研ぎ澄ませ!

 

「ああああああ!!」

 

 俺は吹っ飛ばされた体を激流加速によってより精密に制御し、軌道を修正して、ステラに向かって走る魔王目掛けて突撃した。

 ステラも走って魔王との距離を凄い勢いで縮めてるが、このままなら俺の方が僅かに早く魔王と接触する。

 

「『治癒(ヒーリング)』!」

 

 そして、超高速で動いてるはずの俺達に、後方のリンが治癒魔法をぶつけてくれた。

 それによって俺の右腕は応急措置が成され、ステラのダメージも気休め程度には軽くなる。

 ありがたい!

 

「ラァアアアア!!」

「ウリャアアア!!」

「ぬぉおおおお!!」

 

 更に、他の三人もまた駆けつけてくれた。

 俺とステラと合わせて五方向から、ちょうど魔王を囲むようにして突撃する。

 

「『地獄剣━━」

 

 そんな俺達に対して、

 

「『輪廻』!」

 

 魔王は、片足を軸にクルリと回転しながら、輪のような闇の斬撃を放つことで迎撃。

 俺は闇の輪に怨霊丸を突き刺し、

 

「『斬払い』!」

 

 斬払いでその部分を霧散させて、霧散した部分を突き破りながら魔王に接近した。

 だが、俺より後方にいたステラはともかく、俺とほぼ同時のタイミングで突撃していた他の三人は、闇の輪を迎撃するために攻撃を叩き込み、一部が霧散して脆くなっていたおかげで闇の輪の破壊には成功したものの、衝撃でたたらを踏んで一歩出遅れた。

 

「四の太刀━━『黒月』!」

 

 それでも止まるわけにはいかない。

 激流加速によって未だに維持したままの速度に乗せて黒天丸を突き出す。

 狙いは魔王の胸。

 ステラの袈裟懸けの斬撃が刻まれた場所。

 ドラグバーンの時みたいに、回復不能の傷を更に抉って広げる!

 

「ふっ!」

 

 魔王は俺の刺突を剣の腹であっさりと防ぐ。

 まだだ。

 防がれると同時に腰を落とし、刀を滑らせて刺突から脇腹への斬撃へと動きを変更。

 一の太刀変型『流流』!

 更に!

 

「やぁああああ!!」

 

 このタイミングでステラも追いつき、横から魔王の首を狙って剣を振るった。

 腹と首への同時攻撃。

 これで!

 

「「ッ!?」」

 

 しかし、魔王はヌルリと滑るように横に動いて、俺達の斬撃を回避した。

 そのまま横から剣を振るい、まずは俺を両断しようとしてくる。

 俺はどうにかそれに怨霊丸を合わせた。

 六の太刀━━

 

「『反天』!」

「ぬ……!」

 

 敵の攻撃と自分の攻撃がぶつかった時の衝撃を、敵の最も脆い部分に浸透させて破壊する技。

 それによって魔王の剣がヒビ割れ、浸透した衝撃によって弾かれた。

 

 だが、あの剣は魔王の魔法による産物であり、瞬時に修復されてしまう。

 それでも剣を弾いてできた隙目掛けて、ステラが斬撃を叩き込んだ。

 魔王はそれに対し、剣から左手を放して、その手に闇のオーラを纏い……

 

「え!?」

 

 なんと、掌で聖剣の一撃を止めてしまった。

 もちろん無傷じゃない。

 切断にこそ至っていないが、掌はバッサリと斬れ、この先、剣を握る力に支障が出るだろう。

 

 だが、代わりに魔王は聖剣を掴んで動きを封じた。

 血の滴る左手に頓着せず、残った右手で闇の剣を振るい、ステラを両断しようとする。

 

「おおお!!」

 

 それを見て、俺は体に残った推進力を激流加速の足捌きでステラの方向に向け、ステラに向かって体当たりした。

 ステラは咄嗟に聖剣を手放し、俺の体当たりを受け入れて一緒に吹っ飛ぶ。

 結果、魔王の一撃を避けることに成功した。

 

 代償としてステラは聖剣を手放したことで、一時的にその力を失っている。

 アースガルドに奪われた時と同じく、即座に手元に呼び戻そうとしてるが、このままじゃ魔王の次の攻撃には間に合わない。

 

 一方の俺も、後先考えず、とにかくステラを生かすために体当たりを敢行したせいで体勢が崩れ、とても魔王の攻撃が来るまでの一瞬では立て直せない。

 この状態で迎撃なんてもってのほかだ。

 

「『破壊剣』!!」

 

 だが、俺達が魔王の手を煩わせていた僅かな時間でブレイドが追いつき、魔王に背後から大剣の一撃を叩き込んでくれた。

 ブレイドの攻撃力じゃ魔王にダメージは入らないだろうが、だからといって無視して直撃を食らえば体勢が崩れる。

 そして、体勢が崩れれば、俺達が立て直すまでの時間が稼げる。

 

「フッ!」

 

 魔王もそれをわかっているからか、俺達への追撃を中断して、ブレイドへの対処を優先した。

 後ろを向いたまま闇の剣でブレイドの一撃を受け流し、そのまま流れるようなカウンターを繰り出す。

 完璧なタイミングだ。

 あれは避けられない。

 ブレイド一人だったら、これで確実に死ぬ。

 

「『轟鎚』!」

「『獣爪(ビーストクロー)』!」

 

 しかし、そこにイミナさんとガルムが飛びかかり、魔王は二人の攻撃に対処するために動きを変えた。

 それによってブレイドの命は繋がる。

 

「『地獄剣━━」

 

 だが、その後の魔王の動きはマズい!

 魔王はバックステップで三人から距離を取り、飛び下がりながら剣を上段に構えたのだ。

 あの位置からなら、三人を一度に狙い撃ててしまう!

 

「お前ら! 逃げ……」

「『覇道』!」

 

 俺の言葉は間に合わず、間に合ったとしてもどうしようもなく、魔王の剣から闇の奔流が放たれる。

 吹っ飛ばされて軌道修正中の俺達じゃ、三人の救援は間に合わない。

 このままだと、三人纏めて……!?

 

「『光線(レイ)』!」

 

 しかし、闇の奔流が放たれる直前、剣を握る魔王の手に光の魔法が直撃した。

 ダメージこそ皆無だが、それによって魔王の剣が弾かれて攻撃が横に逸れる。

 

「『衝撃波(ソニックブーム)』!」

 

 更に、三人を魔王の攻撃が逸れた方とは逆の方向に吹き飛ばす衝撃波の魔法が放たれ、攻撃範囲から逃した。

 

「『高位治癒(ハイ・ヒーリング)』!」

 

 追加で俺とステラに治癒魔法が飛んでくる。

 他の仲間達が魔王を引きつけてくれた分、無詠唱でも数瞬の溜めがいる高位の治癒魔法を使う余裕があったのか、

 俺の方は今の攻防で更に酷使した右腕が応急措置とは言えないレベルで回復した。

 ステラの方も、気休めよりはマシな状態になっただろう。

 

 見れば、エル婆、エルトライトさん、リンの三人がこっちに杖を向けている。

 さっきまでエル婆は有効打を放つために詠唱に時間を割いてたが、ステラが弱ってそんな余裕はないと判断してサポートに切り替えたんだろう。

 ありがたいが、これで魔王への有効打が本格的にステラだけになってしまった。

 よりステラに負担をかけてしまう……!

 

「「ハァアアアア!!」」

 

 それでも泣き言なんて言ってる暇はない。

 軌道修正を終え、ステラと共に再び魔王に斬りかかる。

 ブレイド達もすぐに体勢を立て直し、エル婆達の援護も飛んでくる。

 

 攻撃を途切れさせるな。

 攻め続けろ。

 守りに入れば、一瞬で押し込まれる。

 ステラの負担を少しでも軽くするためにも、攻めて、攻めて、攻め続けろ!

 

「『聖なる剣(ホーリースラッシュ)』!」

「『黒月』!」

「『刹那連斬』!」

「『雷光鎚』!」

「『凶獣連打(ビーストラッシュ)』!」

「「『全属性の裁き(ジャッジ・ザ・エレメント)』!」」

 

 そうして、俺達は攻めた。

 攻めて、攻めて、攻め続けた。

 

 それでも魔王は倒れない。

 揺らがない。

 ダメージはある。

 負傷は蓄積している。

 なのに、全く動きが鈍らない。

 傷も痛みもないかのように、魔王は強大な敵として君臨し続ける。

 

 ドラグバーンのように死闘を楽しんでるわけじゃない。

 アースガルドのように何も感じてないわけじゃない。

 魔王は、フェザードと同じように、大切な者のために苦痛に耐え、茨の道を全力で駆けているのだ。

 そういう奴が一番強くて、一番怖い。

 

「ハァ!」

「あばっ!?」

 

 そして、遂に均衡が崩れ始めた。

 魔王の剣の一撃を食らい、イミナさんが吹っ飛ばされる。

 戦鎚でガードはしてたが、衝撃を受け流すことができない体勢で受けてしまったのだ。

 

 そのままイミナさんは魔王城の壁に叩きつけられ、立ち上がれなくなった。

 ドッグさんがすぐに回収したし死んではいなさそうだが、ステラを遥かに越える重傷だ。

 戦線復帰は絶望的だろう。

 

「ぐはっ!?」

 

 そして、一人倒れれば戦力が減り、連鎖的に被害が拡大してしまう。

 次に狙われたのはガルムだった。

 剣を避けるために無理な体勢になり、そこを蹴り飛ばされた。

 ガードに使った両腕は完全に砕け、こっちも命こそ無事だが戦闘不能。

 

「くっ……!?」

「エルトライト!?」

 

 その次に倒されたのはエルトライトさんだ。

 魔法の撃ち合いで押し負けた。

 前衛が減って、魔王にそこそこ強力な魔法を撃つ余裕を与えてしまったせいだ。

 それが未だに維持されていたリンの結界を突き破って、彼に致命傷を与えたのだ。

 咄嗟に自分に治癒魔法を使って命を繋いでいたが、それが限界で意識は絶たれた。

 

「つ、強すぎるっす……!」

 

 倒れたイミナさんが、治らぬ傷を負いながらも暴れ続ける魔王を見て、絶望の表情でそう呟いた。

 ああ、確かにそうだなと納得しかできない。

 

 強い。

 果てしなく強い。

 さすがは魔王。

 さすがは最強最後の敵。

 あまりにも強くて笑っちまいそうになる。

 

 だが、こいつを倒せないと、ハッピーエンドには至れないんだ。

 だから戦う。

 だから足掻く。

 

 勝ち目がないとは思わない。

 向こうだって相当辛いはずだ。

 積み重なったダメージは致命傷の域に達している。

 とてつもない気力で無理矢理動いてるだけだ。

 奴は決して不死身じゃない。

 それは前の世界で奴を殺した俺が証明してる。

 

 なら、チャンスは必ず来る。

 きっと奴はどんなダメージを受けても、完全に死ぬまで動き続けるだろうが、倒せないわけじゃない。

 付け入る隙は必ずある。

 

「はうっ!?」

 

 しかし、チャンスが訪れる前に、ドッグさんまで攻撃の余波を食らってダウンしてしまった。

 これで外部組は全滅。

 死んでないだけ奇跡だが、残る俺達勇者パーティーがやられば、どのみち彼らも全員死ぬ。

 そして……

 

「頃合いか」

 

 魔王がポツリとそう呟いた。

 

「終わりにしよう」

 

 魔王は俺達から距離を取り、口を動かし始めた。

 会話じゃない。

 雄叫びでも咆哮でもない。

 

 それは、━━魔法の詠唱。

 戦う相手が少なくなって、詠唱の余裕ができた魔王は、一気に勝負を決めにきたのだ。

 

 最後の戦い。

 その終わりの引き金となる悪夢の権化が、今、放たれようとしていた。



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100 最後の戦い 3

「常闇の世界に満ちる力。瘴気の坩堝にはびこる力。地獄の底で呻き続ける怨霊達の力よ」

 

 魔王が詠唱を口ずさむ度に、魔王の持つ闇の剣が巨大化していく。

 させじと俺達は飛びかかるが、人数も減り、ステラも満身創痍となってしまった今では止められない。

 

「苦しみ、嘆き、恨み、憎み。苦痛に満ちた絶望の力よ。

 苦しみの声を。嘆きの叫びを。恨みの咆哮を。憎しみの絶叫を。今こそ解き放つがいい」

 

 血を吐くような、負の感情に満ちた詠唱文。

 その言霊に込められたものを注ぎ込まれるかのように、魔王の剣は巨大化すると同時に、その表面にいくつもの泣き叫ぶ顔のようなものが浮き出てきて、絶叫を上げ始めた。

 聞いてるだけで精神を蝕まれそうな悲痛な絶叫。

 それを止める術は……俺達にはない。

 

「ステラ、ブレイド、リン、エル婆! 迎撃するぞ! あれ(・・)をやる!」

「! わかった! 信じるわ!」

「やるっきゃねぇか!」

「ぶっつけ本番ですね……!」

「ぬぅ……! できればこんな賭けはしなくなかったんじゃが、仕方あるまい!」

 

 そうして、俺達は魔王の魔法の発動を阻止することを諦め、迎撃を選択。

 ステラ、リン、エル婆の三人が魔王と同じく魔法の詠唱に入り、

 ブレイドもアースガルド戦の時のように、エル婆の魔法を剣に纏わせるために下がる。

 

 俺は四人が足を止めて魔法に専念し始めたのを見て、詠唱しながら突っ込んできた魔王を迎撃するための盾役だ。

 魔王も詠唱に意識を割かれて多少は攻めが緩くなってるが、それでも一人で抑えるのは至難の業。

 下手すれば魔法を撃ち合う前に叩き潰されて終わる。

 ここからして既に賭けだ。

 

「魔導の理の一角を司る光の精霊よ。神の御力の一端足る聖光の力よ。光と光掛け合わせ、極光と成りて我が剣に宿れ」

「魔導の理を司る精霊達よ。燃え盛る炎、渦巻く水流、鳴動する大地、吹き荒れる風、凍てつく冷気、鳴り響く雷鳴、破壊の闇、魔を打ち払う光の力よ。賢者の名のもとに合わさり、混ざり合い、強大な一つの力となって現出せよ。焼き払い、押し流し、押し潰し、荒れ狂い、凍てつかせ、轟き、壊し、輝け」

「神の御力の一端たる守護の力よ。神の御力の一端たる聖光の力よ。暴虐なる大魔に立ち向かう我らの前に顕現したまえ。その光で我らを照らしたまえ。その光で災いを退けたまえ」

 

 俺が耐えてる間に、ステラ達の詠唱が進む。

 だが、魔王の詠唱もまた進む。

 

「救われずに散った無念。救いを求めることすら忘却せし悲劇。醜く喰らい合うことしかできぬ我が悲しき同胞達よ。

 悲劇のままで終わらせてはならぬ。絶望のままで終わらせてはならぬ。

 魔界に満ちる全ての悲劇、絶望、怨嗟、苦痛、悲哀。

 その全てを我が剣に。その全てを我が力に。

 我は『魔王』。

 魔界の全てを背負う者なり」

 

 そして、━━魔王の詠唱が終わった。

 その瞬間に魔王は俺達から距離を取り、俺達全員を視界に入れて、身の丈を遥かに越える大きさとなった巨剣を、振り下ろした。

 

 

「『地獄剣・浄土』!!!」

 

 

 放たれたのは、闇の奔流。

 今までとは次元が違うほどに暗く、黒く、恐ろしい、深淵の闇。

 それが俺達を飲み込まんと迫ってくる。

 

 ああ、無理だこれは。

 あまりにも強すぎる。

 あまりにも濃すぎる魔力。

 刃を入れる隙間がない。

 終の太刀でも返せはしない。

 

「『神聖なる剣(セイクリッドラッシュ)』!!」

「「『極・裁きの魔導剣(ジャッジメントブレイド)』!!」」

「『神盾結界』!!」

 

 そんな魔王の最強技を、仲間達もまた最高の技で真っ向から迎え撃つ。

 ステラの放った光の奔流が闇とぶつかり合い、エル婆の魔法を纏ったブレイドの斬撃が闇を切り裂き、リンが全力を込めた結界が闇を押し留める。

 

 それでも、やはり魔王の方が強い。

 光は押し込まれ、斬撃は飲み込まれ、結界は砕けていく。

 これまでの戦いでビクともしなかったこの部屋が、余波だけでバキバキと音を立てて壊れていった。

 

「だぁああああああ!!」

「こんのぉおおおお!!」

「うううううううう!!」

「うぉおおおおおお!!」

 

 それでも、四人は魔王の圧倒的な力に全力で抗った。

 ステラも、エル婆も、リンも、魔力を使い果たすような勢いで魔法に込め、ブレイドも肉体の限界を無視して全身から血を噴きながら大剣に力を込める。

 

 そんな仲間達と魔王の決死の攻防を、俺はただ見ていた。

 ただ静かに観ていた。

 静かすぎる世界の中で、力の流れをその奥底まで観察し、闇の奔流に綻びが生まれる瞬間を、ただひたすらに待っていた。

 そして━━

 

「!」

 

 見つけた。

 否、読み切った。

 綻びが生じる瞬間ではなく、綻びが発生するに至る道を読み切った。

 

 ぶつかり合う力の中に、俺は怨霊丸を投擲する。

 いくらアースガルドの最強金属によって強化されたとはいえ、この圧倒的すぎる力の奔流の中に放り込まれた怨霊丸は儚く砕け散った。

 この世界において、一番最初のカマキリ魔族との戦いから俺を支えてくれた相棒の消滅。

 それで得られたのは、嵐の中に小枝を放り込んだかのように細やかな変化のみ。

 

 それで充分だ。

 小枝は力の流れが最も乱れた場所にさざ波を立て、付け入る隙を生み出してくれた。

 

 俺は怨霊丸の投擲と同時に、片方残った暴風の足鎧を起動させ、その綻びのもとへと跳んで黒天丸を突き立てる。

 闇の奔流ではなく、今にも押し切られそうな仲間達の魔法の一部分に。

 

 突き立てた黒天丸で魔法をかき混ぜるように動かし、仲間達の魔法に更なる乱れを生む。

 千分の一、万分の一ミリ単位で俺が望んだままの力の乱れを。

 

 その乱れは伝播し、闇の奔流の形を僅かに変えて、やがてぶつかり合う力の流れ全体を狂わせて形を変えていく。

 さながら、蝶の羽ばたきが風の流れを僅かに変え、そよ風に乱れを生み、その乱れが新たな乱れを生んで連鎖し続けるうちに大きな狂いとなり、遠く離れた地で渦を巻いて竜巻に至るかのように。

 

 小さな干渉が大きな変化を生む。

 その変化の全てを読み切り、操る。

 俺の望む形へと至るように。

 

 これが俺の剣技の極北。

 相手の生み出す大きな力の流れに共に乗る『流刃』。

 力の流れを歪めて逸らす『歪曲』。

 力の流れの綻びを突いて霧散させる『斬払い』。

 力の流れを絡め取ってそのまま返す『禍津返し』。

 ぶつかり合う力の流れを敵の最も脆い部分へと浸透させて壊す『反天』。

 

 例外である急所狙いの牽制技『黒月』以外の全ての技に共通する、力の流れのコントロール。

 その黒月とて、急所を正確に狙うには相手の力の流れを読んで動きを予測する必要がある以上、全くの無関係とは言えない。

 

 それを極めに極めたのが、この技だ。

 加護を持たぬ無才の貧弱な身で、あり得ないほどの力の差がある者達に挑み続け、小さな力で大きな力に触れることを繰り返した果てに到達した奥義。

 全ての基礎にして最終到達点でもある、最後の必殺剣。

 その名は━━

 

 

「終の太刀━━『流神』!!!」

 

 

 力の流れを完全に支配する、最強殺しの剣、究極の奥義。

 それによって、ぶつかり合う魔王と仲間達の魔法の形を変える。

 全ての魔法がぐちゃぐちゃに混ざり、一つの極大斬撃となって俺の刀の延長のように振るわれ、まるで黒天丸から放たれたかのように魔王に向かう。

 魔王、勇者、大賢者、剣聖、聖女。

 間違いなくこの世界最強の戦士達が放った最高の奥義が、全部纏めて魔王に炸裂する。

 

「な、なんだと!? ぐぁあああああああああ!?」

 

 さすがにこれが効かないわけがなく、極大斬撃に飲み込まれた魔王は悲鳴を上げた。

 だが、終の太刀が炸裂すると同時に、ブレイド、リン、エル婆の三人も倒れてしまった。

 リンとエル婆は多分魔力切れ、ブレイドは体に無理をさせ過ぎたんだろう。

 

 残ったステラも息が乱れ、膝は震え、顔色も悪く、身に纏う聖剣のオーラまで弱々しく衰えて、見るからに限界が近い。

 かくいう俺だって、流神で制御し切れなかったほんの僅かな反動、全体の0.000何%って程度の衝撃を食らっただけで全身がガタガタだ。

 ここまでの疲労やダメージと合わせて、正直立ってるだけでも辛い。

 

 だが、━━まだ終わっていない。

 

「ぐっ……がはっ……!」

 

 魔王は、まだ立っていた。

 あれだけの攻撃を巻き込んだ流神を食らってなお、倒れなかった。

 

 無論、体はボロボロだ。

 左腕は無くなり、左脚も壊れ、右腕と右脚も酷く抉れている。

 胴体もぐちゃぐちゃ、片眼も潰れ、顔の左半分には焼け爛れたような傷があった。

 しかも、あれは聖剣の力も巻き込んだ攻撃でできた傷だ。

 当然、治らない。

 

 前の世界で相手をした時に匹敵する重体。

 しかし、逆に言えばその時と同じくらいの力が残っているということだ。

 かつての全盛期、しかも万全の状態の俺と相討った時と同じだけの力が。

 

「魔王、決着をつけるわよ」

 

 ステラが限界ギリギリの体に鞭打って聖剣を構えながら、そう言った。

 俺もまた黒天丸を構えてステラの隣に立つ。

 

「終わらせるぞ、魔王。俺達とお前達の長い戦いを」

 

 前の世界のステラが戦い、前の世界の俺が戦い、今の俺達へと続いた長い長い戦いを、ここで終わらせる。

 魔王も残った右手で闇の剣を強く握りしめ、俺達に応じるように構えた。

 

「いいだろう。かかって来い、勇者とその仲間よ。これが最後の攻防だ」

 

 そうして、俺達と魔王は同時に地を蹴った。

 先手を取ったのは、あれだけボロボロになってなお、最も身体能力に優れる魔王。

 ステラにもう少し余力があれば今の魔王を上回るくらいはできただろうが、死力を振り絞ってやっと動いてるような現状じゃ無理だ。

 むしろ、こんな状態でも聖剣未開放時と同じくらいには動けてる根性を絶賛すべきだろう。

 

 魔王が右腕一本で振るった闇の剣が迫る。

 対処するのはステラの前を走る俺だ。

 どれだけ弱ろうが戦法は変えない。

 俺が守り、ステラが攻める。

 どこまで行っても、それが俺達にとっての最高の戦い方なのだ。

 

「『地獄剣・斬牙』!」

「二の太刀━━『歪曲』!」

 

 袈裟懸けに振り下ろされた、飛翔する闇の斬撃を歪めて逸らす。

 だが、

 

「ぐっ……!」

 

 それで今度こそ限界を迎えた右腕が完全に壊れた。

 回復薬も無く、リンも倒れ、ステラも殆どの魔力を使い果たしたであろう今、もう応急措置すらできない。

 俺自身の治癒魔法?

 そんなもん、フェザード戦の負傷を少しでも癒やすために使い切った。

 

「やぁあああ!!」

 

 俺の右腕と引き換えに攻撃が逸れ、剣を振り切って生じた隙にステラが斬り込む。

 聖剣自身の光を纏ったのみの通常攻撃だ。

 恐らく、これが今のステラの精一杯。

 それでも、今の魔王が食らえば充分にトドメの一撃足りうる!

 

「『闇盾(ダークシールド)』!」

 

 それに対して、魔王は魔法で闇の盾を作り出す。

 闇は本来、破壊の属性だ。

 攻撃力は高いが、防御力はそうでもない。

 

 魔王の持つ剣のように体から常に直接高出力の魔力を注いでる場合や、

 何かしらの特殊な方法と多大な時間、何より膨大な魔力に任せて変質させられているらしい魔王城の壁なんかは例外だが、

 咄嗟に作られた無詠唱魔法の盾に大した耐久力はない。

 ステラどころかブレイドの攻撃でも砕け散るだろう。

 

 だからこそ、魔王は盾を斜めに展開してステラの攻撃を受け流した。

 リンもたまに使う手だ。

 あいつが盾型の結界を作るのは基本的に他人の前だから、咄嗟にそこまで考えると発動が数瞬遅れるってことで滅多に使わないが。

 

「ッ……!」

 

 しかし、魔王のこれは半ば苦し紛れだったのか、受け流したとはいっても完全に軌道を変えることはできず、ステラの剣は魔王の体に更なる傷を付けた。

 それでも脳天から真っ二つにするコースを外れて、既に使いものにならない左腕を根元から斬る軌道に変えられたのだから、こっちからすれば充分に辛い。

 

「『地獄剣・羅刹』!」

 

 下段からの強烈な斬り上げがステラを襲う。

 俺はステラに斜め後ろから体当たりして、あいつの真横、魔王の攻撃の正面に割って入り、左腕一本で握った黒天丸を魔王の剣に合わせる。

 当然力負けして黒天丸は何の抵抗もなく押され、俺はいつものように押される勢いを利用して回転。

 回転力でステラを弾いて逃がす。

 俺はそのまま回転に任せて体勢を変え、流刃で反撃の胴打ちを魔王に叩き込もうとして……

 

「ふんッ!!」

 

 魔王が壊れた左半身を使ったタックルで俺を粉砕しようとする動きを直前で予測して、慌てて激流加速での横っ飛びに切り替えた。

 くそっ!

 こんなギリギリまで気づかないなんて、先読みの精度まで落ちてやがる!

 

 疲労で感覚が鈍る。

 このままじゃ、予測を間違えて致命打を食らうのも時間の問題だ。

 その前に仕留めなければ!

 

「せぇぇぇい!」

「ハッ!」

 

 俺が横に飛んだ直後、戻ってきたステラと魔王の剣がまた激突した。

 足捌きで激流加速の向きを調節し、俺もすぐに参戦。

 ステラの聖剣が魔王を削り、防ぎ切れなかった魔王の攻撃が俺達を削り。

 どんどん自分の動きが精細を欠いていく感覚に焦りながらも、必死に冷静さを保って斬り合いを続けた。

 

 これは我慢比べだ。

 傷を負えばもちろんのこと、ただ戦っているだけでも、体力気力精神力が凄まじい勢いで削られていく消耗戦。

 先にそれに耐え切れなくなり、明確な隙を晒してしまった方が負ける。

 

「『地獄剣・覇道』!」

「三の太刀━━『斬払い』!」

 

 闇の奔流を斬払いで裂く。

 これだけでも割とギリギリだ。

 目の前がチカチカする。

 

「てやぁあああ!!」

 

 俺が裂いた闇の奔流の隙間からステラが突進。

 対して魔王は、無数の闇の球を周囲に浮かべた。

 

「『闇球(ダークボール)』!」

 

 まるでアイアンドワーフのガトリングのように連射される闇の弾丸。

 だが、割と隙間は空いてる。

 避けられなくは…………いや、待て、これは!?

 

「アラン!」

「わかってる! 二の太刀変型━━『歪曲連鎖』!」

 

 歪曲で闇の弾丸の軌道を変え、それを他の闇の弾丸にぶつけ、それを更に他の弾丸にぶつけ。

 ステラと共に全ての闇の弾丸を迎撃した。

 そうしないと、後ろの動けない仲間達に当たるからだ。

 

 勝利だけを考えるなら見捨てるべきなのかもしれない。

 だが、仲間を見捨てた先にステラの幸せはない。

 俺はステラの命だけを守るために戦ってるんじゃない。

 それなら一緒に逃げれば良かった。

 だけど、それじゃダメだったから今戦ってるんだ!

 

 死なせはしない!

 こうなったら全員守ってやる!

 それに、俺だって仲間が死んで平然としてられるほど達観してない。

 仲間を見捨てて心が揺らぐよりは、守るって決めて無茶した方がまだマシだ!

 

「うっ!?」

「しまっ……!?」

 

 しかし、どれだけ意気込んでも、俺達は既に満身創痍。

 全弾完璧に防ぐことなんてできず、何発か通してしまった。

 数発の凶弾が戦闘不能の仲間達に迫る。

 

「うぉおおおおおお!!」

 

 だが、立ち上がった一人の戦士が凶弾の群れを叩き落とした。

 そいつは今にも倒れそうな姿で、されど凄まじい気迫を纏って仁王立ちする。

 

「「ブレイド!?」」

「俺達に構うな! お前らの足手まといになるなんざ誰も望んでねぇんだ!

 こいつらは俺が守る! お前らは魔王を!」

 

 魔王との戦いには付いて来られないほどボロボロの体で、ブレイドは吠えた。

 漢だ。

 とてつもなく頼りになる漢だ。

 今のこいつになら、一片の迷いもなく任せられる。

 

「ステラ!」

「わかってるわ!」

 

 ブレイドに後ろを任せ、俺達は自分達にぶつかる闇の弾丸だけを防ぎ、その分の余力を前に進む力に変えて、再び魔王に接近した。

 そして、また削り合う。

 少しでも効率的に、少しでも相手の消耗が自分達を上回るように立ち回る。

 斬って、突いて、避けて、受け流して。

 戦って、戦って、戦って、戦って。

 そして……

 

「ッ!?」

 

 遂に決壊する。

 最初に崩れたのは、情けないことに俺だった。

 フェザードにやられたもう一つの深手。

 エルトライトさんの治療があったとはいえ、他の場所よりダメージの蓄積していた左足が折れた。

 

 体勢が崩れる。

 致命的なまでに。

 当然、魔王はその隙を見逃さない。

 魔王の右手一本突きが俺に迫る。

 

「うぐっ!?」

「ステラ!?」

 

 そんな俺を正面に飛び出してきたステラが庇って、聖剣の腹で突きを防いでくれた。

 だが、疲れ切った体で踏ん張りまでは効かなかったらしく、ステラは背中に庇った俺共々吹っ飛ばされる。

 二人揃って完全に体勢が崩れた!

 こうなってしまったら、当然……!

 

「これで、終わりだぁああああ!!!」

 

 魔王が闇の剣を天高く掲げる。

 そこに残る力の全てを注ぎ込んだように、闇の剣が膨れ上がる。

 

「『地獄剣・浄土』!!」

 

 それは紛れもなく、さっき終の太刀と勇者パーティーの総力を結集しなければどうにもならなかった、あの攻撃だった。

 ポンポン放ってくるのとは次元の異なる、極大の闇の奔流。

 

 さすがに、さっきに比べれば随分弱い。

 無詠唱の上に、あの体で無理矢理放ったんだから当然だろう。

 それでも、俺達を地獄送りにするには充分すぎる大火力!

 

「「ああああああああああ!!」」

 

 俺達は最後の力を振り絞って破滅に抗う。

 まず、ステラが渾身の力で聖剣を闇の奔流に叩きつけ、食い止める。

 ただ力任せにぶつかり合ってるわけじゃない。

 ステラが今振るったのは、俺の三の太刀『斬払い』だ。

 

 俺が修行の旅で技を鍛え上げたように、絶体絶命の状況に追い詰められ、逆境を切り開くために、死にものぐるいの集中力で技を昇華させたのだろう。

 見事な斬払いだった。

 

 だが、それだけじゃ足りない。

 ステラの斬払いだけじゃ、僅かな時間抵抗するのが精一杯。

 最終的には押し潰されてしまう。

 一人じゃダメなんだ。

 ここで勝つには、俺もまた死力を振り絞り、二人分の力で抗わなければならない!

 

 俺は観た。

 限界まで眼を、感覚を、神経を、精神を、研ぎ澄ましに研ぎ澄まして、魔王の攻撃とステラのぶつかり合いを観た。

 

 ここから逆転できるとすれば、終の太刀しかない。

 もう、俺もステラも限界の限界の限界。

 大きな隙を晒して、向こうに最大のチャンスを与えてしまったのが致命的だ。

 例えこの攻撃を耐えられても、それを最後に間違いなく力尽きる。

 

 だったら、この攻撃を返して魔王を仕留めるしかない!

 後に続く力が残ってないなら、この瞬間に決着をつける!

 

 後先を考えず、残る力の全てを振り絞って、その全てを集中力に変えた。

 疲労によって鈍っていた感覚が研ぎ澄まされ、今一度静かすぎる世界に、ゆっくりに感じる時間の中に、全盛期の感覚の中に入る。

 

 しかし、すぐにその世界が赤黒く染まっていった。

 眼から、耳から、鼻から、酷使し過ぎた感覚器から血が溢れ出すのを感じる。

 多分、それだけじゃない。

 頭のどこかもやられてる。

 

 酷い頭痛と共に、感覚がどんどん狂っていく。

 静かすぎる世界が壊れていく。

 予感がした。

 いや、確信があった。

 これ以上の無茶をすれば、例え全てのダメージを癒やしても、もう二度とこの世界には、この領域には戻ってこれないという確信が。

 

「それでも、構わない……!」

 

 元々、この力は今この瞬間のためにあったのだから!

 魔王を、ステラの幸せを奪う最大の敵を倒すために使い切るのなら本望!!

 

「終の太刀━━『流神』!!!」

 

 そうして、俺は使った。使えた。

 生涯最後の、真の意味での『終の太刀』を。

 

 それによって、闇の奔流が形を変える。

 元より闇属性の魔剣である黒天丸が、究極の闇を纏う。

 これだけの力を操る基点にされて、それでも壊れないのは、同質の力を常に纏ってきた同属性故にだろう。

 俺がこの刀を手に入れたのもまた、この時のためだったのかもしれない。

 

 それを証明するかのように、黒天丸に大きな亀裂が入った。

 恐らく、黒天丸もこの一撃を最後に砕け散る。

 ドラグバーンの時と違って、打ち直すこともできないほど完全に破壊される。

 怨霊丸と同じく、黒天丸も役割を終えようとしているように感じた。

 

「今まで、ありがとう……!」

 

 黒天丸、怨霊丸。

 今まで、俺を支えてくれて!

 

「おおおおおおおおお!!!」

 

 俺は流神で操った力の一部を右脚に伝え、暴風の足鎧による推進力と共に地面を蹴った。

 その暴風の足鎧もまた砕け散り、破裂の衝撃の分、普段よりも強く俺を押し出してくれる。

 まだ感覚が生きてる今なら、それを問題なく予測して力にできる!

 

「やぁあああああああ!!!」

 

 そんな俺の後ろからステラも駆けてきて攻撃を合わせた。

 蝋燭の最後の輝きのような、儚くも強い光を聖剣に纏わせて。

 光と闇。

 二つの斬撃が交差して魔王に迫る。

 あれだけの技を出した直後、しかも片足も潰れている魔王に、結構な範囲攻撃でもあるこれを避けるだけの力はもうない!

 

「我は……!」

 

 そして、魔王は、

 

「負けるわけには、いかぬのだぁあああああああああ!!!」

 

 覚悟を決めたように。

 否、既に決まり切っていた覚悟で心を奮い立たせるように。

 俺達の攻撃を真っ向から迎え撃った。

 

 明らかに無理をして、闇の剣に莫大な魔力を込める魔王。

 闇の剣が歪に、グチャグチャに、剣という形すら保てずに、ただただ肥大化する。

 なりふり構わぬ魔王のあり方を具現化するように。

 それでも、グチャグチャで、剣とも呼べぬ姿に成り果ててなお、闇の剣はどこか美しかった。

 

「「「あああああああああああ!!!」」」

 

 三つの攻撃がぶつかる。

 二つと一つがぶつかる。

 己の意志を貫くために、相手の意志をねじ伏せようと真っ向から激突する。

 

 想いの強さに違いなどない。

 魔王も、俺達も、大切なもののためにと賭ける想いは同じだ。

 だから、勝敗を分けたのは、やはりそれ以外の部分。

 俺達と魔王の、これ以上ないほどシンプルな違い。

 

 それは、━━人数。

 

 魔王は一人で、俺達は二人だった。

 そして、俺の攻撃は魔王の力をそのまま返してるだけだ。

 渾身の力を込めた自分の攻撃と、同じく渾身の力を込めた自分の攻撃がぶつかったなら、結果は互角に決まってる。

 なら、そこにステラの力が上乗せされてる分、俺達が勝る。

 

 1+1=2で、2の力は1の力よりも強い。

 学のない子供にでもわかるような簡単な計算。

 そんな簡単な計算が勝敗を分けた。

 

 光と闇の斬撃が、魔王の闇の剣を断ち切る。

 そして、そのまま……魔王の体を☓字に斬り裂いた。

 

「あ……」

 

 魔王は、口からこぼれ落ちるような音を漏らした後、

 

「フェ、ザード……」

 

 絶命寸前の体で、そう呟いた。



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101 『魔王』

『魔族を従えよ。別の世界を攻めよ。その世界を支配せよ』

 

 魔王の魂には、生まれた瞬間から、そんな思念が刷り込まれていた。

 親が子に施す教育のように、あるいは洗脳のように、自我が確立する以前から送り込まれ続ける思念。

 与えられた加護という名の知恵と力、それによって生まれて数日で自我を確立し、心を得た頃。

 魔王は己の中で強く叫ぶその思念に対して、こう思った。

 

(絶対に嫌だ)

 

 歴代魔王の大半が何の疑問もなく己の行動原理とする、()の意思。

 当代の魔王は、それを嫌なこととしか認識しなかった。

 

 原因はいくつか考えられる。

 まず、彼は人と獣の血を引く魔族の中でも、特に『人』の血が強く表に出ていたこと。

 姿形は完全に人のそれで、吸血鬼のような牙や爪や翼すらない。

 だからこそ、彼は獣の本能よりも、人の感情を優先して動くタイプだった。

 

 次に、自我を確立するまでの数日間で、既に何体もの魔族と相まみえたこと。

 その全てと戦いになった。

 さすがに生後すぐの考える頭もない状態では思念の意味すら理解できず、魔王は従えろと言われた魔族を全て殺した。

 襲ってきたから、防衛本能のまま返り討ちにして食った。

 

 そして、屍の上で自我を確立し、魔族を食いながら思念の意味を理解して、彼はこう思ったのだ。

 

(こんなのを従えて何になる)

 

 彼は覚えていた。

 自我を確立する前の自分を襲った魔族の形相を。

 知性があるはずなのに、醜悪な獣のように食欲と悪意を全開にして襲ってきた、魔族の醜い姿を。

 

 彼はそれに嫌悪感しか覚えなかった。

 あれは人ではない。

 多少賢くなっただけの獣だ。

 神は彼にそんな魔族を率いることを望んでいるが、彼にしてみれは魔族など関わりたくもない。

 突っぱねたくなるのは当然だった。

 

 しかし、思念はそんな彼を許さず、四六時中頭の中で大声で主張してせっついてくる。

 彼は断固とした意志で無視した。

 魔王という重大な役割を遂行するために、他の魔族よりも遥かに()()()()()()()知識によって彼は知っていた。

 神はこうして思想を刷り込むことはできても、魔族を完全に操ることはできないということを。

 

 正確に言えばできなくはないのだが、やってしまえば魔族という生物を更に歪めてしまう。

 過去に神がやらかした過剰な干渉によって歪みに歪みまくった生物である魔物を、加護によって知恵と力を与えることで更に歪めたのが魔族だ。

 そんな魔族をこれ以上歪めたら、魂か肉体が耐え切れずに壊れる。

 そうなったら手駒として機能しないので、神は無理矢理に彼を操ることができないのだ。

 

 ……とはいえ、こんな思念にずっと苛まれ続けていたら、そのうち精神が限界に達して、楽になるために言うことを聞いてしまうだろう。

 それでも、耐え切れなくなる寸前まで、彼は抗うつもりだった。

 子供の反抗期みたいなものである。

 

 

 そんな状態で、彼は魔界中を旅した。

 旅というか、飢えて死ぬのも嫌だったから、食料を求めて移動を繰り返していただけだが。

 

 その途中で何度も魔族に出会った。

 そして、彼の見た魔族は、誰も彼もが醜かった。

 

 加護の大きさによる実力差を感じ取って素直に逃げる輩はまだいい。

 だが、有象無象よりは遥かに強い力をもって生まれてくる魔族は、小さな縄張りの中では敵無しの生活を何年も続け、増長することが多い。

 生まれてから一度も負けるどころか苦戦したこともない奴は、いつしか自分が負ける姿を想像できなくなる。

 自分が負けるはずがないと思い込む。

 己こそが最強だと思い上がり、プライドばかりが高くなる。

 

 そんな輩が絶大な加護の力を身に纏う魔王を、己よりも明らかに強そうな存在を見つけると、

 そんなはずがない、最強は自分のはずだと、安いプライドが現実を直視することを拒み、プライドを傷付けた魔王を殺して己の最強を証明しようと無謀にも襲いかかってくる。

 理性では力関係を理解しているからか、大抵は正面から挑まず、思いつく限りの悪辣な手段を使って。

 

 彼は一層魔族のことが嫌いになった。

 魔族を従えろと言うのなら、せめて自分に従うように魔族に刷り込みをかけておけと神に悪態をついた。

 まあ、魔王の加護に耐えうる強靭な肉体と魂を持って生まれた彼と違って、他の魔族には『別の世界を攻めろ』という刷り込みをするだけで容量いっぱいなのだということは理解していたが。

 

 

 旅は続く。

 その中で更に多くの魔族を見た。

 

 プライドの高い奴ら同士がぶつかり合い、共食いをしていた。

 頭の回る奴が脳筋をたぶらかし、油断したところを後ろから食い殺していた。

 味をしめた頭の回る奴は、魔王にまですり寄ってきて寝込みを襲おうとした。

 たぶらかされた経験があるらしい脳筋は、何を言っても聞く耳を持たずに襲ってきた。

 

 醜かった。

 もう見るに耐えなかった。

 なのに、どこへ行ってもそんな奴らしかいない。

 誰もいない場所で静かに暮らしたかったが、魔界において誰もいない場所とは食料のない場所と同義であり、飢えて苦しむのが嫌なら魔物(食料)のいる場所にいるしかない。

 その魔物の中から魔族が生まれてくる以上、どこに行っても魔族はいる。

 食べなくても生きていけるタイプの魔物が心の底から羨ましかった。

 

 

 旅は続く。

 知性のない魔物か、半端に知性があるせいで魔物よりも悪辣で醜くなっている魔族にしか出会えない旅が。

 どこもかしこも荒廃して似たような景色になっている魔界では景色を楽しむこともできやしない。

 

(虚しい)

 

 数年の旅を経て、魔王の心を埋め尽くしたのは、そんな感情だった。

 たった独り、ただただ醜いものを見続けるだけの人生に価値を見出だせない。

 思念への反発心に突き動かされて旅を続けてきたが、段々と疲れてきた。

 同じ価値の見出だせない人生ならば、煩わしい思念による頭痛から解放される分、思念の言う通りにして生きた方がまだマシなのではないかと思い始めていた。

 

 そんな時だ。

 ある一人の魔族と出会ったのは。

 

「う、うぅ……」

 

 それは、行き倒れた魔族の子供だった。

 子供の魔族が一人でいるのは初めて見た。

 魔族は魔物の子として生を受けるので、まだ弱い子供時代は親の庇護を受けて共にいることが多い。

 獣の血が入っている魔族は成長も早く、成長するとすぐに親より強くなり、しかも自分だけ知性があるものだから親を自分と同じ存在とは見なさなくなって、食うなり従えるなりしてしまうのだが。

 何かしらの事情があって成長前に親と逸れることもあるが、この過酷な魔界でまだ幼く弱い魔族が一人になれば、すぐに死ぬ。

 

 そんな事情もあって、彼は子供の魔族を見るのは初めてだった。

 見た目が子供っぽいだけの成体なら何体か見たが、目の前の魔族は加護の力も弱々しく、まだ加護の力を十全に使えないほど肉体が未熟である証拠だ。

 

 そして、その子供は今にも死にかけていた。

 腹が減っているのだろう。

 ガリガリに痩せていたので、すぐにわかる。

 しかも、そんな子供を餌と見なして、一体の魔物が大口を開けて襲いかかっていた。

 放置すれば数秒後には死ぬ。

 

 その時の彼の行動は、反射的なものだった。

 子供の姿が自分と同じく人型に近くて、親近感でも湧いたのかもしれない。

 同じ人型でも今まで見てきた連中は醜い奴らばっかりだったが、その子供からは奴らのような腐り切った感じがしなかったのも理由の一つか。

 とにかく、彼は襲いかかろうとしていた魔物を倒して、子供を助けた。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 倒れ伏す子供に手を差し出し、その手を取る体力も残っていないようだったから抱き上げ、倒した魔物の肉を千切って食べさせた。

 子供は初め何が起こったかわからない様子で硬直していたが、肉を差し出せば夢中で食べた。

 食べて、食べて、涙を流しながら食べて。

 元々限界だったのだろう体力が尽きて意識を失う寸前、最後に掠れた声でこう言った。

 

「あり、がとう……」

 

 それは、感謝の言葉だった。

 何の含みもない純粋な言葉だった。

 こちらを騙そうとする意図も何もない、彼が生まれて初めて聞く『悪意のない言葉』だった。

 

「ありがとう、か……」

 

 その時、彼は生まれて初めて、心の中に嫌悪感でも虚無感でもない不思議な感情が。

 嫌ではない感情が生まれているのに気づいた。

 

 

 

 

 

 旅は続いた。

 独りではなく、二人の旅が。

 助けた魔族の少女、フェザードが彼の旅路に加わったのだ。

 

 二人での旅は、独りの頃とはまるで違った。

 遭遇する出来事自体が変わったわけではない。

 相変わらず出会う魔族は醜い連中ばっかりだし、景色は代わり映えのしない荒野ばかりだ。

 だが、彼はいつしか虚しいとは思わなくなっていた。

 

 歩幅の違いによって小走りで付いてこなければならないフェザードのために歩調を合わせた。

 魔物や魔族と出会う度に、露払いのように戦おうとするフェザードが危なっかしくて肝を冷やした。

 恩返しのために強くなりたいと言うフェザードが眩しく見えた。

 決して強いとは言えない種であるフェザードを、本人の望み通り強くするために、与えられた知恵の中から方法を探し出して剣術を教えた。

 剣術に必要な武器を取りにいくために、古代の遺跡を目指した。

 

 いつしか旅には目的が生まれ、その目的を果たすためにフェザードと共に歩むのは楽しかった。

 彼女は他の魔族とまるで違った。

 旅の至るところで魔王を支えようとする姿はいじらしく、寂しいのか眠る時にくっついてくる姿は可愛く、恩返しのためにと頑張って強くなろうとする姿は美しかった。

 フェザードと共にいる日々は、独りでいた頃とは比べものにならないほど色づいていて、本当に楽しかったのだ。

 

 思えば、彼の人生を最も虚しく感じさせていたのは、孤独だったのだろう。

 魔王といえども、獣の本能に飲まれることもできず、まともな理性を保ったまま、こんな地獄で独りぼっちでいるのは辛かったのだ。

 寂しかったのだ。

 

 だからこそ、彼は反射的に死にかけていたフェザードを救けたのだろう。

 無垢な子供で、腐り切った感じのしなかった彼女なら、悪意ある策略を巡らせることもなく、ただ普通に自分の傍にいてくれるのではないかと心のどこかで期待して。

 

 フェザードは彼に救われたと言うが、救われたのは魔王も同じだった。

 二人の魔族は互いに助け合って、支え合って『人』になったのだ。

 故に……

 

『魔族を従えよ。別の世界を攻めよ。その世界を支配せよ』

 

 この日々を邪魔する思念が煩わしくて堪らなかった。

 いよいよ抑えるのが限界に達してきた思念は、常時酷い頭痛を彼に与えてくる。

 それで体調を崩し、しばらくはどうにか誤摩化していたのだが。

 最終的に取り繕うこともできないくらい頭痛は酷くなり、心の底から心配して、泣きそうな顔で「本当に原因に心当たりはないんですか……!?」と聞いてくるフェザードに負け、魔王は思念のことを洗いざらい吐かされた。

 最強の魔王も、女の涙には勝てなかった。

 そして、事情を聞いたフェザードは……

 

「やりましょう。それで魔王様が苦しみから解放されるなら、私は……!」

 

 何でもやる。

 フェザードの眼は雄弁にそう語っていた。

 それを見て、魔王は酷く悲しい気持ちになった。

 こんなに自分のことを想ってくれる相手が、自分のせいで神の尻ぬぐいなどという、下らない戦いに足を踏み入れようとしている。

 負ければ死に、勝っても喜ぶのは神だけという不毛極まりない戦いに。

 

 いや、例え自分のこの思念が無くとも、フェザードにも別の世界を攻めろという神の意思は刷り込まれている。

 数十年後、門が開く直前の時期になれば、同様の苦しみがフェザードを襲うだろう。

 魔王ですら耐え切れなかった苦しみだ。

 これに抗えるとすれば、まだ加護が肉体と魂に馴染み切っていない子供くらいのもの。

 フェザードはもう子供ではない。

 つまり、どのみち戦いは避けられない。

 

 魔王は自分達の運命を呪った。

 そして、それと同時に思った。

 どうしても避けられない絶望の戦い。

 その先に待つかもしれない未来に、一つの望みを抱いた。

 

(この子が、フェザードが安心して暮らせる世界が欲しい)

 

 それが、当代魔王が己の意思で人類との戦いを決意した最初の理由だった。

 

 

 

 

 

 旅は目的を変えた。

 フェザードと共に各地の魔族や魔物を叩きのめし、嫌悪感を堪えながら配下にする作業が始まった。

 

 この頃、最も魔王を激怒させ、同時に恐怖させたのは、配下の魔族達がフェザードを積極的に害そうとしたことだ。

 魔王には勝てないから、その分のイラ立ちをフェザードにぶつけてやろうという浅ましい考え。

 当然、そんな連中は残らず処刑し、他の連中への見せしめにしてやったが、配下が増える度に同じことが起きる。

 

 だが、この件を解決したのは魔王ではなく、フェザードだった。

 決して上位魔族などではなく、それどころか弱小の魔物から生まれてきた非才の身でありながら、

 フェザードは絶大な努力で魔王軍ナンバー2の強さを手に入れ、名実共に魔王の右腕の地位を得たのだ。

 

 フェザードは己を襲撃してくる輩を自力で叩きのめし、上下関係を叩き込んだ。

 当時、魔王を除けば魔界最強と謳われていたドラグバーンや、強大な力を代々継承してきた吸血鬼のヴァンプニールすら屈服させた。

 魔王としては、あまり危ないことをしてほしくない気持ちもあったが、

 フェザードの努力と献身を誰よりも知る身として、彼女を信頼し任せた。

 

 そうして配下が増えていき、当代の魔王軍が大きくなっていくと、色んなタイプの魔族と出会うことになる。

 以前の旅ではできるだけ魔族を避けていたため、目に入らなかった魔族にもだ。

 

 その中の何人かの魔族の存在が、魔王の価値観を変えた。

 

 最初のキッカケになったのは、アースガルドだ。

 無生物系の魔物、魔法を使うゴーレムことガーゴイルの亜種として誕生した魔族。

 食べなくても生きていける魔族。

 体が岩でできているため、他の魔族は彼を食らおうともしない。

 つまり、この戦わなければ生きていけない魔界において、アースガルドは戦わなくても生きていける。

 

 そんな彼は虚無だった。

 何もせず、何も感じず、魔王が発見するまでずっと、まるで置物のように山の中腹に座っていた。

 きっと、魔王が見つけなければ、門が開いて思念に突き動かされるようになるまで本当に何もしなかっただろう。

 

 アースガルドはそんな虚無の塊だったが……しかし、他の魔族のように醜くはなかった。

 少なくとも、常に悪辣な策略を巡らせてフェザードを狙うことはない。

 

 そして、もう一つのキッカケは、出会った頃のフェザードと同じような子供の魔族達。

 彼らは全員とは言わないが、魔王の目が届く場所で育った何人かの子供達は、半分以上がフェザードと同じくまともな『人』に育った。

 別にフェザードのように心からの忠誠を誓ってくれているわけではないが、過度に他者を貶めず、傷付けず、協力して物事に取り組むことができる。

 

 それだけで充分だ。

 彼らは多少賢いだけの獣ではない。

 ちゃんとした人だった。

 

 それを見て、魔王は確信を抱く。

 フェザードと二人旅を始めた頃から、薄々そうじゃないかと思っていたことに。

 

(魔族の醜さは、環境が生み出したものだったのか……?)

 

 それはある意味、当然の考え。

 冷静に考えて、こんな地獄のような環境でまともな情緒を育めるはずがない。

 自分にはフェザードがいた。

 だから、人でいられた。

 

 しかし、彼らはどうだ?

 地獄で独り、生きるために他者を食らい続け、同じ魔族ですら餌としか認識できなくなる。

 強い敵を殺して食うために悪辣さばかりが磨かれ、他者の悪辣さを恐れて信頼など築けたものではない。

 

 大半の魔族は、そんな哀しい生き方しか知らない。

 ドラグバーンのように、比較的マシな方向に開き直れる奴もいるが、そんなのは極少数だ。

 そう考えれば、途端に今まで醜いと感じていた魔族達が哀れに思えてきた。

 

 環境さえ変われば、魔族は変われるのだろうか?

 それこそ、神が奪えと催促してくる世界を手に入れられたなら、いつかは全ての魔族がまともな人に戻れるのだろうか?

 

 この時、魔王が戦う理由が一つ増えた。

 

 

 

 

 

 そうして配下を増やし続けること数十年。

 遂に別世界への門が開く。

 魔王は理念を継いでくれた子供達を魔界に残し、フェザードを筆頭とした配下達と共にこの世界へとやって来た。 

 

「おお……」

 

 この世界を初めて見た時、深く感動したのを覚えている。

 降り注ぐ日差し、澄んだ空気、豊かな緑、豊富な水源。

 どれもこれも魔界にはないものばかりだ。

 刷り込まれた知識によって存在は知っていたが、実際に見てみれば、その素晴らしさに涙すら出そうだった。

 

 ここなら、恩恵に満ち溢れたこの世界ならば、本当に魔族は変われるかもしれない。

 森の恵みを、海の恵みを食べていれば、互いの肉体など食い合う必要はない。

 争う理由が無くなれば、いずれは闘争心を薄め、真っ当な暮らしができるかもしれない。

 自分もフェザードと二人で、穏やかに過ごせるかもしれない。

 

 そんな素晴らしい世界を、━━魔王は自らの力で踏み荒らした。

 

 仕方のないことだと言えなくはない。

 魔王に、魔族に刷り込まれた命令は、この世界の奪取だ。

 手に入れるためには、元々の持ち主から奪い取らなくてはならない。

 この素晴らしい世界で平穏に暮らしていた、それこそ魔王の理想とした暮らしを送っていた人類を攻撃し、彼らの幸福を踏みにじりながら、魔王軍はこの地に君臨した。

 

 吐き気がした。

 自分達の所業に心底吐き気がした。

 そうありたいと願った理想を体現している人々がを自らの手で握り潰す。

 自分で自分の大切なものをグチャグチャに壊しているような感覚がした。

 

 本当に、何故こんなことをしなければならないのかわからない。 

 奪うのではなく、頭を下げて頼み込み、少しでいいから恵んでもらえばいいだけの話ではないか。

 見たところ、人類はこの世界の広大な土地の全てを使い切っているわけではない。

 まだ魔族に対する人類の憎悪が生まれる前、一番最初の魔王が侵略ではなく交渉を選択していれば、未開の地に住まうことくらいは許されたかもしれないのに。

 

 なのに、刷り込まれた思念は奪うことを強制してくる。

 ああ、知っている。わかっている。

 土地を恵まれての移住ではダメなのだ。

 それで救われるのは魔族であって、魔界の神ではない。

 魔界の神はこのままなら、遠くない未来に魔界の崩壊と共に消滅する。

 だからこそ、魔界の神は魔族を使って人類を滅ぼし、この世界を己の力で染め上げて、この世界の神の座を奪おうとしているのだから。

 

 結局、どこまで行っても神の都合。

 そんな理屈などわかりたくもない。

 それなのに逆らえない。

 獲物を目の前にした神の思念はより強烈になり、魔王に止まることを許さない。

 

 そうして、魔王は止まれずに戦い続けてきた。

 せめて少しでも犠牲を減らそうと、そして何よりもフェザードの未来だけは何がなんでも掴み取ってやろうと、止まれないなりに硬い信念を抱いて戦い続けてきた。

 

 その結末が、これだ。

 

「あ……」

 

 光と闇の斬撃が魔王の体を斬り裂く。

 間違いない。

 致命傷だ。

 あと数秒もしないうちに、魔王の命は終わる。

 

(負けた)

 

 完膚なきまでに負けた。

 最愛の部下を失い、せめて彼女が応援してくれた魔族の救済だけでもやり遂げようと、悲しみに震える心を奮い立たせて最後の戦いに臨んだが……勝てなかった。

 

(敗因は、何だろうな……)

 

 これでも神の操り人形なりに全力を尽くしたと思うのだが、届かなかった。

 決して実力で劣っていたわけではないはずだ。

 フェザードだけに頑張らせるわけにはいかないと、共に技量の研鑽に努めてきた魔王は、一対一なら聖剣を開放した勇者よりも強い。

 この場の全員を合わせても、まだ魔王が勝る。

 なのに、負けた。

 

(ああ、そうか)

 

 自分の目の前にいる、光と闇の刃を交差させた二人を見て。

 どこか自分とフェザードに似た二人を見て。

 魔王は自らの敗因を悟った。

 

「フェ、ザード……」

 

(我は、お前と共に戦うべきだったのだな……)

 

 目の前の二人は隣に立って戦い、自分は一人で戦った。

 それこそが魔王の敗因。

 

 悪手を打ったとまでは言わない。

 この魔王城での最終決戦、フェザードを勇者以外の戦力の迎撃に当てなければ、もっと多くの聖戦士が魔王との戦いに参戦していただろう。

 フェザードは強い。

 バラけた聖戦士相手であれば、まず負けないと断言できるほどに。

 

 だが、彼女の耐久力は並の魔族以下だ。

 勇者との戦いに参戦させれば、ガード越しの攻撃を食らっただけで致命傷になりかねない。

 しかも、聖剣で刻まれたダメージは魔王が治癒魔法をかけても治せない。

 かつて、二人の剣聖に付けられた傷も治せず、右眼を取り戻してやることができなかった。

 

 わざわざ危険な場所に配置するのではなく、最も活躍できる場所に配置するのは、戦略上何も間違っていない。

 それでも、理屈じゃないのだ。

 どれだけ危険でも、フェザードを信じて自分の隣を任せるべきだった。

 加護を持たない、フェザード以上に危なっかしい相棒を信じた勇者のように。

 

「認めよう、勇者」

 

 叩き込まれた聖剣の力と自らの力によって、体が内側から破壊されていく音を聞きながら、魔王は最期にこう言った。

 

「お前()の、勝ちだ」

 

 魔王の肉体が壊れてゆく。

 魂が肉体から抜けてゆく。

 その、刹那、

 

「!」

 

 魔王の頬を、一陣の風が撫でた。

 春風のように温かい風が。

 フェザードが子供の頃、駆け寄ってくる度によく無意識に起こしていたものと同じ風が。

 

(フェザード)

 

 魔王は想う。

 最後くらいは魔族の王ではなく、一人の男として、最愛の女性のことを想う。

 

(叶うのならば。

 もしも、次の生や、あの世というものがあるのならば。

 戦いの宿命を背負うこともなく、魔王とその部下などという窮屈な肩書に縛られることもなく)

 

 彼は、目を閉じる。

 まぶたの裏に、彼女の姿が鮮明に浮かんだ。

 

(ただ一人の命として、お前の、隣に……)

 

 そうして、魔王は。

 最強の魔族は。

 体内に叩き込まれた絶大な力に耐え切れず、跡形も残らずに砕けて散った。

 最愛の女性と同じく、亡骸を辱められることなく逝った。

 

 こうして、今代の人類と魔族の戦いは終結した。



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102 終結

「終わった……?」

 

 魔王が砕け散るのを見て、ステラはまだ信じられないような少し呆けた様子で、確かめるようにそう呟いた。

 

 魔王が、死んだ。

 最強最後の敵は、己の敗北を認め、どこか納得したような顔で逝った。

 気のせいじゃなければ、その死に顔は前の世界の時に比べれば、いくらか穏やかだったように思う。

 

『ええ。これで終わりです。本当によくやってくれました』

「わ!?」

「ッ!?」

 

 気配もなく、いきなりこの場にいる誰のものでもない声が聞こえてきて驚いた。

 だが、知っている声ではあった。

 

 声の主が俺の予想通りの人物だと裏付けるように、ステラの手に握られていた聖剣が勝手に動いて宙に浮き、眩く光り始める。

 そして、光は徐々に形を成していき、見覚えのある人物の姿を作り出した。

 白い肌、白い髪、白い衣服、瞳の色まで僅かに色づいただけの白。

 白という概念を具現化したような純白の少女。

 それはまさしく……

 

「神様……」

 

 かつて、エルフの里で出会った超常の存在。

 この世界の神を名乗る少女だった。

 

「そういう登場の仕方もできたんですね」

「かなり無理をしていますがね。なので、手早く済ませましょう。

 これより世界を上書きします」

 

 そうして神様は祈るように手を組み、

 

「愛する世界よ、私の声をお聞きなさい。彼らの頑張りをご覧なさい。成した偉業を讃えなさい」

 

 歌うように言葉を紡ぎ始めた。

 それは恐らく、魔法の詠唱。

 エルフの里で語っていた世界救済の手段。

 魔王によって滅亡寸前にまで追い詰められた前の世界を今の世界で上書きするという、人知の及ばぬ神の所業を成すための手段。

 多分、この魔法がその手段なんだろう。

 

「侵略者の王は倒れました。多くの命が失われずに残りました。世界の多くが侵略の魔の手を逃れました。

 それを成してくれた英雄達に祝福を。

 彼らの未来に幸福あれ。世界の未来に光あれ」

 

 神様の掌の中に、一際眩しく輝く光の球が現れた。

 それは神様の頭上へと浮かんでいき、そして……

 

「『救世の光(アマテラス)』」

 

 光が弾けた。

 凄い勢いでドーム状に広がっていく光に包まれて一瞬視界が白く染まり、次の瞬間には世界が変わっていた。

 

 目に見えて大きな変化が起きたわけじゃない。

 視覚的に変わったのは、せいぜい今の魔法の残滓と思われる光の粒子が周囲に舞ってることくらいだ。

 それでも目に見えないどこかが、もっと深い部分にある根本的な何かが確かに変わったのだと感覚が訴えてくる。

 

「これで世界の書き換えは完了です。

 魔王による被害は最低限にまで抑えられ、その状態でこの世界は再び百年の安寧を得ました」

 

 徐々に薄くなっていく体で神様は語る。

 涙の浮かんだ慈愛に満ちた顔で、万感の思いが込められていそうな震える声で語る。

 

「アラン、ステラ、そして、この場にいる全ての英雄達、魔王軍と戦った全ての戦士達に言います。

 本当に、本当にありがとうございました」

 

 そうして、神様は深く深く頭を下げた。

 

「あなた達のおかげで世界は救われたのです。

 私はあなた達のことが誇らしい。

 本当に、心の底から誇らしくてたまりません」

「あ、えっと、その、ありがとうございます……?」

「いや、なんで疑問形なんだよ」

 

 激闘の後で気が抜けたのか、大真面目な様子で頭を下げる神様に対して、ステラは実に間の抜けた返答をした。

 そこは堂々と胸を張っとけ。

 

「あの、神様」

「なんでしょうか」

「……いつまで、こんな戦いが続くんでしょうか?」

 

 だが、続くステラの言葉は真剣だった。

 ……魔王との戦いで何かを感じたんだろうな。

 正直、俺も思うところはある。

 

 前の世界の時は、魔王のことをただただ憎くて強い敵としか認識できないくらい俺の目が憎悪で曇っていたが。

 フェザードと想いをぶつけ合い、そのフェザードが死んだと知った時の魔王の悲しみの咆哮を聞き、何よりステラが死なずに決着した今なら別のことを思う余地がある。

 

 魔王とフェザードは……きっと、そんなに悪い奴ではなかったんだと思う。

 少なくとも、お互いのことを心の底から大切に想い合えるような奴らだった。

 斬らなければならない敵だったが、斬りたくはない奴らだった。

 本当に、敵であってほしくない敵だった。

 

 だからだろう。

 ようやく悲願を果たしたというのに、こんなにスッキリしないのは。

 

 普通の魔王を相手にするだけでも辛すぎるのに、今回みたいなパターンはそこに苦々しさが加わる。

 俺達の世代は決着したが、俺達の子供や孫の世代にはまた次の魔王が襲来するのだ。

 いったい、人類はいつまでこの戦いを続けなければならないのか。

 気になって当然と言える。

 

「確かなことは言えませんが、これまでに魔族に侵略された回数は十回を超えています。

 つまり、向こうは千年以上もの間、同格の神を休みなく攻撃し続けているということです」

 

 「そして」と神様は続ける。

 

「これだけの無理攻めを続ければ、いくら神でも消耗は避けられません。

 恐らく、侵略は多くてもあと一度か二度。

 そこまで耐えれば、あとは無茶な攻めで消耗し切った魔界の神を私が倒すだけです」

「あと、一度か二度……」

 

 つまり、百年後か、二百年後。

 それで、遂に長かった魔族と人類の戦いが本当の意味で終わるのか。

 なら、繋がないとな。

 俺達若い世代に希望を繋いでくれたルベルトさんのように。

 

「その時、人類が勝った時、魔族はどうなりますか?」

「……神が死んだ星は、他の神が自分の星を捨てて管理でもしない限り崩壊します。

 星の崩壊に巻き込まれれば、どんな生物でも生き残ることはできないでしょう」

「そう、ですか……」

 

 ステラの顔が曇った。

 ……甘いとは思うが、わからなくはない。

 魔王は魔族の世界を作ることをフェザードへの手向けにすると言っていた。

 

 きっと、あいつらはそのために戦い続けてきたのだろう。

 それが少しも報われないというのは少し哀しい。

 もちろん、報われてしまったら最悪に困る目標だし、それを潰したことに後悔なんて微塵もないんだが。

 

 戦いとはそういうものだ。

 絶対に相容れない目的の者同士が正面からぶつかったら、どちらかがどちらかの目的を踏み潰していくしかない。

 そんなことは、ステラだってきっと理解している。

 だからこそ、それ以上は何も言わない。

 ただ、理屈の上ではわかっていても、感情はまた別の問題。

 複雑な気持ちにならないわけじゃない。

 それだけの話だ。

 

 だが、そんなステラを見て何を思ったのか、神様は信じられないことを言い出した。

 

「…………もしも、本当にもしもですが。

 魔界の神を倒した時、この世界に余裕があって、魔界に当代魔王の思想を継いだ戦いを望まない魔族がいた場合。

 そいつらだけは助けて…………あげないこともなくもなくもないです」

「「え!?」」

 

 俺とステラは揃って驚愕の声を上げた。

 神様が、前に会った時あれだけ魔族を憎悪してた神様が変なことを言い出した。

 苦虫を億単位で噛み潰したような、心の底から嫌そうな顔をしながら。

 

「魔界の神が死ねば、魔族は加護を失ってちょっと強い魔物程度にまで弱体化するでしょうからね。

 あなた達が望むのなら、極少数の弱った連中がこの世界の未開の地でひっそりと生きることくらいは許します」

「それは……ありがとうございます」

「あくまでも、救世主であるあなた達が望むからこその特例中の特例です。

 そうじゃなければ、誰があんな連中……!」

 

 神様が神聖さとは程遠い、今にも「ケッ!」と吐き捨てそうなチンピラのような顔で慈悲深いことを言ってくれた。

 

「もちろん、こちらに余裕があって、戦いを望まない魔族限定という条件に少しでも当てはまらなければ見殺しにしますからね。

 人類に仲間を殺されて、仇討ちをしたいとか言い出す当代魔王のような奴でも同様です」

「わかってます。それでも充分です」

 

 ステラはもう一度「ありがとうございます」と言って頭を下げた。

 さすがに、これ以上は望めないし望まないか。

 フェザードの仇を討とうとした魔王との戦いはどうあっても避けられなかった。

 前の世界でステラの仇討ちをしようとした俺だって、きっとどうやっても止まらなかったはずだ。

 

 だから、そこで発生する苦々しさは乗り越えなければならない試練なのだろう。

 神様の慈悲で、その後ろにあるものまでは踏み潰さなくて済むというだけでも望外の幸運。

 そう思うしかない。

 

「そろそろ時間ですね」

 

 そう言う神様の体は、もう随分と薄れていた。

 消える寸前って感じだ。

 

「最後に、祝福をさせてください。

 世界が救われたことに対する祝福ではなく、あなた達が無事に添い遂げられる未来が訪れたことに対する祝福です」

「そ、添い遂げ……!?」

「アラン、ステラ。本当におめでとうございます。末永くお幸せに」

 

 それだけ言い残して神様は消えた。

 核となった聖剣が光を失い、浮力も失って床に突き刺さる。

 そして、一瞬の沈黙の後。

 

「ステラ」

「ひゃい!?」

 

 今の神様の発言を意識してるのか、名前を呼んだだけでステラが過剰反応した。

 いつもの俺なら釣られて赤くなってたかもしれないが、今の俺は一味違う。

 何せ、前々から魔王を倒したらって覚悟を決めてたからな。

 草葉の陰のレストにだって、今の俺をヘタレとは呼ばせない。

 

「お前、決戦の前に言ってたよな。

 魔王を倒したら今度は俺からして、答えを聞かせろって。

 だから今、その約束を果たす」

「んっ!?」

 

 俺は動く左手をステラの頬に添えて、━━前回強引にしてきたステラと同じように、その唇を奪った。

 初めての、俺からのキスだ。

 そして、唇が離れたところで言う。

 ずっと言いたかった言葉を言う。

 

「好きだ、ステラ。ずっと傍にいてくれたお前のことが好きだ。

 お前と一緒にいると安心する。お前が一緒にいないと不安で堪らなくなる」

「ちょ、待っ……!?」

「気安く煽り合えるお前が好きだ。

 隣で支え合える頼れるお前が好きだ。

 逃げてもいいって言ったのに、結局勇者の責任から逃げなかった強いお前が好きだ」

「ッ〜〜〜〜〜!!」

「時にはちゃんと弱音を吐いて、弱い部分を見せてくれたお前が好きだ。

 加護が無くても必死で追いかけて、ずっと隣にいたいと思うくらい好きだ」

「も、もう、勘弁してぇ……!」

 

 言葉を重ねるごとに顔が真っ赤になり、頭から湯気を噴き出すステラになおも告げる。

 最後に、一番大事なことを。

 

「この先もずっと隣にいてほしい。

 同じ時を一緒に生きてほしい。

 だから、━━結婚してくれ、ステラ」

「ふ、ふぇぇ……!」

 

 ステラはプシュ~っと限界を越えたような勢いで蒸気を噴き出し、一瞬機能停止に陥りかけた。

 だが、ギリギリで再起動して、答えを言ってくれた。

 

「ふ、不束者だけど、こ、これからよろしくお願いします……!」

「ああ。ああ! よろしく頼む!」

 

 俺はステラを思いっきり抱きしめる。

 誰にはばかることなく、堂々と、こいつは俺のものだと証明するように。

 誇張抜きに死ぬほど幸せだった。

 

 しかし、その幸福感は次のステラの言葉で一瞬吹き飛んだ。

 

「あ、あんたねぇ! 嬉しかったけど、確かに嬉しかったけど! 

 何も皆が見てる前でやることないでしょーーー!!」

「…………皆?」

 

 ふと冷静になった俺は、ギリギリと錆びついた人形のように鈍い動きで首を動かして後ろを見た。

 背中は嫌な汗でびっしょりと濡れ、顔色は真っ青になっていく。

 どうかこの嫌な予感が外れていてくれと願ったが、現実は無情だ。

 

「ヒューヒュー! 見せつけてくれるじゃねぇか!」

「ステラさん、おめでとうございます! 遂に! 遂にやりましたね!」

「いやー、お主らの子供の顔が早く見たいもんじゃのう!」

「定期的に遊びに行くっすよ! 新婚生活のアレコレを根掘り葉掘り聞き出してやるから覚悟するっす!」

「おめでとうございます、勇者様、アランくん。やはり、こういうことはいつの時代でも実にめでたい」

「ふん! せいぜい末永く爆発しろ小僧!」

「付き合いの短い私はおめでとうしか言えないな! だから言おう! おめでとう!」

 

 見れば、ブレイド、リン、エル婆の勇者パーティー全員。

 イミナさん、エルトライトさん、ドッグさん、ガルムの外部組全員が目をガン開きにして俺達を見ていた。

 そして、はやし立てるように祝福の言葉を送ってくる。

 

「お、起きてたのか……!?」

 

 神様が出てきても無反応だったから、てっきり魔王戦の疲労で気絶してそのまま寝てると思ったのに……!

 じゃあ何か?

 俺の一世一代のこっ恥ずかしい告白シーンを、こいつらは全員息を殺して眺めてたってことか?

 

「ッ〜〜〜〜〜!!」

 

 途端に羞恥心が湧いてきた。

 同時に怒りも湧いてきた。

 目がニヤニヤを通り越してニマニマしてる出歯亀野郎どもに対する怒りが!

 

「おいこら! 見せもんじゃねぇぞ!」

 

 俺の新たな人生の門出にケチをつけやがって!

 許さん! 全員しばき倒してやる!

 そう思ったのに痛くて体が動かん!

 おのれ!

 

 そんなお世話にもロマンチックとは言えない雰囲気の中でだが、俺はもう一つの悲願をようやく果たし、ステラと結ばれた。

 最後の最後に後々までイジられる黒歴史ができてしまったのは誠に遺憾だが。

 それでも魔王を倒した後に、仲間達と笑えるようなバカなやり取りができたのは何よりの幸運だったのだろう。

 後からこの時のことを思い出した時、俺は小さく笑いながらそう思った。




次回、最終話。
明日更新。


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103 エピローグ

 魔王が倒れた後、魔族達はそれを敏感に察知し、更に神様の魔法に恐れをなして魔王城から逃げ出した。

 魔族には傲慢な輩が多いが、さすがに魔王が負けるような相手に本気で勝てると思ってる奴はいない。

 まして、追い打ちに神の大魔法(攻撃力はないんだからコケ威しだが)を見せつけられれば、そりゃ逃げる。

 

 しかし、逃げた魔族達は外にいた部隊が数の暴力とアイアンドワーフを柱にして足止めし、そこに魔王城への突入部隊が背後から追撃して挟み撃ちにしたことで多くが討ち取られた。

 その中に魔王やフェザードの賛同者がいたかもしれないと思えば複雑な気分だが、それでも人々を脅かす脅威が減ったのは良いことだ。

 割り切って考えるしかない。

 

 その後、総大将であるシリウス王国国王は、魔王の討伐完了と作戦の成功を宣言。

 それを大々的に国民に発表し、王都で魔王討伐のパレードと、散っていった戦士達の鎮魂の儀式を執り行った。

 俺達は勇者パーティーとして、その両方に神妙な気持ちで出席し……その二つの式典が終わったところで、正式に勇者パーティーは解散した。

 

 ブレイドは元々所属していたシリウス王国最精鋭騎士団に復帰した。

 これからはルベルトさんの後継の次期団長として精進するらしい。

 各地にいる魔王軍の残党を狩り、ドッグさんなどの先輩から色々と教わって脳筋からの脱却を試みるのがブレイドの新しい仕事だ。

 俺としては、黒歴史の意趣返しとして、奴の恋路にも色々と口を出してやろうと画策している。

 

 リンも元から所属していた聖神教会に戻った。

 ただし、あいつの故郷の片田舎に戻ったわけではなく、王都の聖神教会本部に就職した形だ。

 都会の便利な生活に慣れると田舎には戻りたくないとか言っていた。

 基本的に負傷の多い騎士団の治療があいつの新しい仕事らしく、接点が無くならなかったブレイドがホッとしてるのを見るのは実に愉快だった。

 いずれリンの方にも意識させて、もっと面白くしたい。

 なお、この意見はステラとも一致している。

 王都に遊びに行く機会は多そうだ。

 

 エル婆は長年に渡る最強の聖戦士としての役目から引退し、しばらくは自由気ままに旅をするつもりだと聞いた。

 とあるマザコンが泣いたそうだが、いい加減親離れさせるべく、息子に行き先を告げぬまま旅を断行。

 俺達に向けてはちょくちょく手紙を書くし、気が向いた時や、そろそろ子供が生まれそうだと思った時には遊びにいくと言っていたので、普通にまた会えるだろう。

 

 そして、俺達はというと。

 

「ああ、やっと帰れるわ。皆元気かしら?」

「多分、大丈夫だろ。前の世界の話になるが、数年は何事もなかったからな」

 

 そんな話をしながら、ある場所へと歩を進めていた。

 俺達が向かっている場所、それは故郷の田舎村だ。

 ステラは聖剣を国と教会に返還し、勇者としての立場を捨てて俺と共に故郷に戻る道を選んだ。

 まあ、勇者の立場を捨てたといっても、魔王討伐の功績が無くなるわけじゃないから、そこそこの権威は持ったままだけどな。

 それでも表舞台からは完全に退場だろう。

 

 ステラにそれを惜しむ様子は欠片もない。

 むしろ、清々してる感じだ。

 こいつは勇者の資質はあったが柄じゃなかったからな。

 城で修行してた頃の話を聞けば、二言目には「肩が凝る生活だったわ」とか言い出すような奴だ。

 故郷には娘の帰還を待ちわびてる父親だっているのだから、帰らない理由はなかった。

 

「それで、道場はいつから始めるんだっけ?」

「一応、半年後からってことになった。しばらくは、ゆっくり過ごせる」

「そっか」

 

 仲間達が新しい仕事や生活を始めるように、俺達にも新しい暮らしの展望はある。

 それが道場を開いて、俺の最強殺しの剣を加護という才能を得られなかった人達に教えること。

 ステラはその手伝いや家の仕事をしてくれる予定だ。

 「任せなさい!」と胸を叩いて言っていた。

 

 ちなみに、これは聖神教会の教皇から依頼された仕事である。

 教会の仕事は人類を支えることであり、そのために優秀な人材の育成に余念がない。

 そんな教会からすれば、加護が無くても単独で魔族と渡り合える俺の剣術は相当魅力的に見えたようだ。

 

 今まで魔王を倒してステラを助けるという目標を達成するのに必死で、

 その先のことは故郷で親の手伝いでもして暮らすか、もしくはステラに何かやりたいことがあるなら付き合おうくらいにしか考えてなかった俺に、

 教皇はやることが具体的に決まっていないのであればと、この仕事を依頼してきた。

 

 そして、俺はその話を受けた。

 ルベルトさんのように、次の世代に繋げる何かを残したいとは思ってたんだ。

 教皇の話は渡りに船だった。

 

 ただし、しばらくは二人でゆっくり過ごさせてほしいという要求は通させてもらったが。

 その話をした時の教皇の目は忘れられない。

 神様のような慈愛の目と、仲間達のようなニマニマとした目を足して二で割ったような目だった。

 これが聖神教会のトップ、神様に一番近いところにいる人間かと、妙な納得をしてしまった。

 

「でも、大丈夫なの? 感覚、戻ってないんでしょ?」

「安心しろ。お前と打ち合えるくらいには回復した」

 

 心配そうに尋ねてきたステラにそう答える。

 魔王との最後の戦いで無理をしたせいでどこかが壊れ、狂ってしまった俺の感覚。

 予想通りというべきか、治癒魔法で体が全快しても元に戻ることはなかった。

 

 直後は全ての必殺剣が使えなくなるほどだったが、リハビリによって流刃から反天までの六つの必殺剣は再び使えるようにはなっている。

 しかし、使えるというだけだ。

 精度はかなり下がったし、終の太刀に至ってはどうにもならなかった。

 

 技が衰え、黒天丸も怨霊丸も暴風の足鎧も失った今、俺の戦闘力は相当下がってしまったと言わざるを得ない。

 ステラと打ち合えるというのは強がりではないが、もしも命の取り合いレベルの本気でぶつかった場合は勝ち目がないだろう。

 一本取った時点で終了の勝負ならギリギリってところだ。

 

 まあ、逆に言えば勝負ならギリギリ大丈夫なのだから問題ない。

 人に教えるという意味でも、ステラとじゃれ合えるという意味でも。

 

 失った力に未練もない。

 あの力はステラを助けるために、ステラの前に立ち塞がる尋常ならざる強敵を倒すために必要だった力だ。

 それを打倒したのだから、役目はもう終わっている。

 

 神様がヘマをして、次の魔王が俺の生きてるうちに襲来したりしない限り、残った力で充分だ。

 信じてるぞ神様。

 ドラグバーンの時みたいなやらかしはもうしないってな。

 

 ……一応、道場で教えると同時に、自分のことも真剣に鍛え直しておくか。

 秘伝書的なもので残しておくつもりではあるが、終の太刀を実際にやって見せて教えられないっていうのも問題だしな。

 決して神様のことを信じていないわけではない。

 本当だぞ。

 

「だけど、今は」

 

 俺は繋いだ手にギュッと力を込めた。

 ステラと繋いでいる左手に。

 まだこの感覚に慣れていないのか、それだけでステラはビクッとして顔を赤くする。

 今なら素直に、そんなステラを可愛いと思うことができる。

 

 かつてデートした時は、この幸福感に溺れないように必死だった。

 繋いだ手にも籠手を付けていた。

 今はそんな枷は両方ともない。

 籠手もまた魔王城での激しい戦いでボロボロになってしまったし、何より魔王も四天王もいなくなった今、もう俺達が戦う必要はないからだ。

 

 もちろん、不測の事態に備えて鍛えるのはやめないし、道場を開く以上、しばらくは剣を置くこともないだろう。

 それでも、今までのようにずっと張り詰める必要はない。

 全速力で走り続ける必要はない。

 この幸福を噛みしめることくらいは許されるはずだ。

 

「ふっ」

 

 思わず笑みが溢れる。

 ああ、幸せだ。

 俺は今、確かな幸せを感じている。

 

 魔王軍との戦いは辛かった。

 ルベルトさんやレストを始めとした多くの人達が散ってしまった。

 敵だった魔王とフェザードの死だって、決して後味の良いものではない。

 この結末は、完全無欠のハッピーエンドとまでは言えないかもしれない。

 

 戦争なんだから犠牲が出るのは当たり前と言ってしまえばそれまでだ。

 それほどまでに世の中には艱難辛苦がありふれていて、逆に当たり前の日常を守ることは大変で、平凡な幸せを取り戻すのも大変で、━━だからこそ尊いのだろう。

 

 そんな尊いこれからの日々を大事にしたい。

 確かに守れたこの手の温もりを大切にしたい。

 散っていった命の分まで。

 

「幸せになるぞ、ステラ」

「……何突然くっさいセリフ吐いてるのよ。そんなの当たり前じゃない」

「そうだな。当たり前だな」

 

 何よりも尊い当たり前だ。

 俺達はそのことを知っている。

 十歳のあの時、突然当たり前が崩れて、離れ離れになって、滅茶苦茶苦労して再会してからも更に滅茶苦茶苦労して。

 その全てを覚えている。

 だからこそ、きっと当たり前の日常を、平凡な幸せを、何気ない毎日を、何よりも大切にできるはずだ。

 

 

 数日後。

 俺達は故郷に辿り着いた。

 おじさんが真っ先に気づいて涙と鼻水で酷いことになってる顔でステラに駆け寄り、

 親父は手を繋ぐ俺達を見て優しい顔で、母さんは仲間達のごときニマニマした目で帰還を喜んでくれた。

 

 母さんの態度に関しては一言物申したいが、そんなことすれば火に油を注ぐのが目に見えてるからぐっと堪える。

 代わりに、俺達は今最も必要な言葉を口にした。

 

「「ただいま!」」

 

 そうして、俺達の長い旅は終わった。




逆行の英雄 〜完〜


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番外 新妻勇者の不満

ちょっとだけ、エッッな感じの番外編です。
苦手な方はお戻りください。


 ━━ステラ視点

 

 

 

 魔王軍との戦いを終えて故郷に帰ったら、なんか家ができてた。

 私とアランの二人で暮らす用の家なんだって。

 お父さん達は私達が絶対にくっついて帰ってくるって確信してたみたいで、

 アランが修行の旅で手に入れたはいいけど、戦いの役には立たないし、売りさばくのも持ち運ぶのも面倒で、適当に処理しておいてって手紙と一緒に故郷に送りつけてたマジックアイテムの山の一部を換金して、家を建てたらしい。

 

「ステラちゃん! 音漏れとか気にせずに、存分にイチャイチャしてね!」

 

 っていうおばさんの言葉が今でも耳に残ってて、思い出す度に顔が熱くなる。

 これってつまりそういうことよね?

 親のいない家。

 新婚の若い男女が二人っきりで一つ屋根の下。

 しかもご丁寧なことに、ベッドは寝室に大きめなのが一つしか用意されてない。

 

 ここまでくれば、誰だっておばさん達の意図を理解できる。

 そして、私達にそれを拒否する理由なんてない!

 アランも口では「余計なことを……!」とか言ってたけど、顔が私以上に真っ赤っ赤だし、チラッチラと私のこと見てくるし、別に嫌がってるわけじゃなさそう。

 というか、滅茶苦茶期待してるんじゃないこれ?

 

 故郷への帰り道は他の人もいる乗合馬車の旅だったし、街で宿に泊まった時も隣の部屋に聞こえちゃわないか気になって、結局できなかったからね。

 でも、今はそんな心配は微塵もない。

 エルネスタ先生!

 私は今日、大人になります!

 

 そして、遂に迎えた故郷に帰って初めての夜。

 

「あー、その……寝るか」

「そ、そうね!」

 

 お互いにぎこちなく同じベッドに入る。

 告白してくれた時にヘタレを卒業したらしいアランは、ベッドの中で私の体をギュッと抱きしめた。

 

「!」

 

 アランの滅茶苦茶早い心臓の鼓動が聞こえてきて、ただでさえ早鐘を打ってた私の心臓の鼓動も加速していく。

 細マッチョっていうか、無駄のない筋肉に包まれたアランの体は逞しくて。

 身体能力なら私の方が遥かに上のはずだけど、そんなことは関係なくて、こうしてギュッとされてると、ドキドキすると同時に凄い安心する。

 これからアランに食べられちゃうんだってわかってても、安心する。

 

 アランなら絶対優しくしてくれるって確信できた。

 でも、激しく求められたいような気もして……ああ、頭がどんどんピンク色になってくわ。

 上手くできるかな?

 アランは器用だけどこういう経験はないって言ってたし、ここは口での説明だけだけどエルネスタ先生に色々教えてもらった私がフォローして……

 

「あれ?」

 

 そんなことを思ってるうちに、いつの間にかアランの心臓の鼓動がやたらと落ち着いてることに気づいた。

 気になって顔を見てみると……そこには死ぬほど安らかな顔をして寝息を立てるアランの姿が。

 

「こ、こいつ……!」

 

 この状況で寝やがったわ!

 信じられない!

 私はお腹の奥が熱くて切ないままなのに!

 決戦前に告白した時は、「妊娠して戦線離脱したいのか!」とか言ってきたくせに!

 

 どう落とし前つけてやろうかと思ったけど……。

 

「……子供みたいな寝顔ね」

 

 アランの寝顔を見てるうちに、なんかそういう気分でもなくなってきた。

 こんな風に、ちっちゃな子供みたいに安心し切った寝顔のアランを見たのはいつぶりかしら?

 勇者になる前、子供の頃は一緒に寝たこともあるけど、あの前の世界の夢とやらを見てからのアランは、こんなに安らいだ寝顔は見せなかった気がする。

 

 思えば、その頃からこいつはずっと気を張ってたのね。

 当時の私は夢の話に関しては半信半疑だったから、そこまで本格的な危機感は抱けなかった。

 だけど、アランは当時から前の世界の記憶のことを、夢は夢でも最悪の予知夢くらいには考えてて、その通りにさせないように必死だった。

 私と煽り合って笑ってたりはしたけど、その裏でずっと張り詰めてた。

 私なんかより、ずっとずっと頑張ってた。

 一緒に故郷に帰ってこれたことで、アランの張り詰めた糸がようやく緩んだ結果が、この快眠なのかもしれない。

 

 それに気づいちゃえば、もうアランを責める気になんてなれるはずもなく。

 

「お疲れ様、アラン」

 

 私はアランの背中に手を回して、子供をあやすみたいに撫で続けた。

 アランの寝顔はますます緩んでいって、それを見て可愛いなんて思ってるうちに私も眠りに落ちてた。

 

 そうして、私達の初夜はそういう雰囲気になることなく終わった。

 

 不満は無いわ。

 最初はちょっとモヤッとしたけど、最終的にはアランがやっと安心して眠れるようになったんだってわかって嬉しくなったくらい。

 寝顔も可愛かったし。

 

 そう、不満は無かったのよ。

 最初のうちは。

 だけど!

 だけどね!

 

「さすがに一ヶ月も同じ状況が続くっていうのはおかしくないですか!?」

 

 私は今、お酒を片手に愚痴っていた。

 穏やかな寝顔のアランが愛おしく思えるのは今も変わらない。

 でも、さすがに一ヶ月も毎日同じベッドで寝てて、一回もそういう空気にならないっていうのはおかしいわ!

 

「私、色気ないんですかね!?」

「そんなわけないじゃない! アランがヘタレ過ぎるのが悪いのよ!」

 

 愚痴を聞いてくれてたおばさんが憤慨した様子で私の言葉を否定してくれた。

 おばさんも酔ってるからか、実の息子をヘタレ呼ばわりすることに躊躇がない。

 

「信じられないわ! あの子ったら、ステラちゃんみたいな可愛い子を一ヶ月も襲ってなかったなんて!

 そんな子に育てた覚えはありません!」

 

 おばさんは気炎を吐いてお酒を一気飲みした後、アランそっくりの強い信念の宿った目で私を見て言った。

 

「ステラちゃん! 今から街に行ってお買い物するわよ!

 私が旦那を落としてアランが生まれるキッカケになった最強装備を伝授するわ!」

「最強装備!?」

 

 そうして、酔ったテンションのまま私達は街に繰り出した。

 前後不覚になるほど飲んではいないけど、気が大きくなってたのは間違いないわね。

 結果、私はおばさんの勢いに押される形で、素面だったら絶対に躊躇してた最強装備を普通に購入した。

 で、夜になってもお酒が残ってたから、躊躇なく装備してアランを待ち構えた。

 そして……

 

「お、お前っ!? な、なんて格好してんだ!?」

 

 夜の寝室で、過去最高に真っ赤っ赤な顔を必死に手で隠すアランが見られた。

 そんなアランを見てると、なんかゾクゾクしてくる。

 私は完全に平常心を失ってるアランとの間合いを詰めてベッドに押し倒しながら、膂力の差に任せて顔を覆ってる手を掴んでどけた。

 

「ッ!?」

 

 アランは必死に目を閉じようとしたけど、理性を本能が上回っちゃったのか、視線が最強装備で飾り立てられた私の胸に釘付けになってる。

 ああ、良かった。

 おばさんの言う通り、私に色気がないわけじゃなかったみたい。

 

「ねぇ、アラン」

「な、なんだ……!?」

「今のアラン、すっごく可愛いわ」

 

 そして、すっごく美味しそう。

 耳元で囁くようにそう言ったら、アランが限界を越えたみたいに顔から蒸気を噴き出した。

 ますます美味しそう。

 もう我慢できないし、我慢なんてしなくていいわよね?

 

「それじゃあ、いただきます」

「や、やめろぉ!」

 

 思う存分蹂躪してやった。

 とっても美味しかったです。

 満足!



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番外 勇者様は甘やかしたい

 ━━ステラ視点

 

 

 

 魔王軍との戦いが終わってから2年。

 ウチの村に『剣鬼流』の道場ができてから1年半が経った。

 

 最近のアランは忙しそうにしてる。

 門下生への指導がそれだけ大変なのだ。

 だって、アランがやってきた修行を、そのまま門下生に施すわけにもいかない。

 強敵に死ぬ気で挑み続けて、一回でもミスしたら即死亡なんて修行を門下生全員にやらせたら、アランが大量殺人鬼になっちゃうわよ!

 

 というか、アランがやってきた修行の詳細を聞く度に、今でも背筋が震えるわ。

 アランが修行の途中で死んじゃう可能性だって高かった。

 むしろ、確率的には死んでないのがおかしいくらいで、アランが生きてたのは凄まじい執念で、生存と勝利に繋がる細い糸をたぐり寄せ続けてたから。

 

 何かが一つ違えばアランの命は無くて、今の幸せも無かった。

 まあ、それに関しては魔王軍との戦い全部がそうかもしれないけど。

 アランが修羅の道を選ばなければ。私がそれを信じて待たなければ。結局は魔王軍に負けて皆死んでた。

 

 想い人にそんな危なすぎる道を進ませたことには思うところしかないけど、それがどうしても必要なことで、その無茶の先に今があるんだから否定もできないのよね……。

 それにあの選択を否定したら、アランの努力も否定しちゃうことになる。

 それはダメ。絶対にダメ。

 なら、私にできるのは、やり遂げたあいつを目一杯甘やかしてやることくらいかしらね。 

 

 話が逸れちゃった。

 今は門下生達への修行の話よ。

 

 アランの修行をそのまま施すことはできないけど、部分的にはちゃんとまともな修行もあったから、まずアランはそれを門下生達に叩き込んだ。

 それが私との剣術勝負をモデルにした、格上の攻撃を受け流し続ける修行。

 

 アラン曰く、あいつは前の世界も含めて私と戦い続けることによって受け流しの基礎を習得したらしい。

 そして、受け流しを極めれば剣鬼流の真髄、力の流れを感じ取ることに繋がって。

 力の流れを見極められるようになれば、最強殺しの七つの必殺剣習得への道が開ける。

 

 ということで、剣鬼流最初の修行は受け流しの修行に決定。

 まずは加護の無い普通の人の中ではトップクラスの身体能力を持つアランの打ち込みに対処させ、

 慣れてきたら相当手加減した状態の私の攻撃を受けさせる…………予定だった。

 

 だけど、最初の段階で早速問題が発生。

 門下生達はアランの攻撃を受け流すこともできなかったのよ。

 唯一、凄い意欲で剣鬼流に入門したお父さんを除いて。

 

 原因は不幸な行き違い。

 門下生を選定して送ってきた騎士団とのね。

 

 どうも騎士団の人達はアランの剣術を既存の剣術とはまるで違う、完全に別系統の技術だと思ってたみたい。

 だから既存の剣術の動きが染みついてると邪魔になると考えて、まだ基本の技術すら覚えてない新兵を剣鬼流の門下生に選んだ。

 まっさらな方が剣鬼流の色に染めやすいでしょっていう、完全な善意で。

 

 だけど、これは大きな間違い。

 アランの剣術は確かにキテレツだけど、根本は普通の剣術と変わらないのよ。

 歪曲は普通の受け流しの究極発展系だし、そもそも開祖であるアラン自身が、前の世界でこの村を守ってくれてた騎士から教わった普通の剣術を土台に、自分の経験を足して発展させる形で最強殺しの剣を作り上げたって言ってた。

 

 つまり、アランとしては基礎のできてる人を送ってくれる方がありがたかったのだ。

 実際、基礎ができてて、なんか別れてる間にムッキムキになるくらい鍛え上げてたお父さんの成長は目に見えて早い。

 というか、アランだって教える側としては素人なんだから、いきなり育成難易度の高い素人を送られても困る。

 教える側も教わる側も素人とか、それただの地獄絵図よ

 

 せめて一緒に修行したブレイドがもうちょっと深く門下生選びに関わってれば、この不幸な行き違いを避けられたかもしれないけど、

 あいつはあいつで騎士団長になるための勉強で死にかけてるから無理。

 

 一度送られてきた門下生を送り返すっていうのも角が立つから、諦めて基礎の基礎から叩き込むしかなかった。

 事情を知ったドッグさんが送ってくれた教官の人や、即行で流刃を習得して剣鬼流初段に認定したお父さんと相談しつつ、新米剣士な門下生達を教える日々。

 

 どうにか他の門下生達がアランの攻撃を受け流せるようになるまで1年ちょっとかかった。

 でも、これでようやく私の出番ね! ……ってなったところで再び問題発生。

 とある事情で私は動けなくなっちゃって、アランは再び修行プランを練り直す作業に追われてる。

 

 今日も難しい顔でペンを握ってメモに向き合ってた。

 このままだと、また夜遅くまで頑張っちゃいそう。

 最近は料理とかも頑張ってくれてるのに。

 

「アラン、ちょっとこっち来て」

「ん? どうした?」

「いいから」

 

 私はそんなアランを引っ張って寝室に連行し、ベッドに座ってアランも隣に座らせた。

 そして、ポンポンと自分の膝を叩く。

 

「はい。どうぞ」

「どうぞって、お前……」

「わからない? 膝枕よ」

「いや、それくらいわかるわ」

 

 わかると言いつつ、アランの顔は赤い。

 結婚して2年も経つのにまだ恥ずかしがってる。

 そんなところも可愛いんだけどね。

 

「いいから、ほら!」

「うおっ……!?」

 

 そんなアランを強制的に抱き寄せて、膝の上に頭を乗せる。

 抵抗はされなかった。

 よろしい。

 

「あんたは魔王軍との戦いで散々頑張ったんだから、もうちょっとのんびりしたっていいのよ」

 

 そう言いながら、私は膝の上のアランの頭を撫でた。

 昔はよく私の方が撫でられてたけど、最近は私が撫でることも多い。

 これって結構癖になるのよね。

 

「のんびり、か」

 

 アランはそう呟いてから、体を動かして私のお腹の方に顔を向けた。

 

「お腹、大きくなってきたな」

「そうね。あんたも、もうすぐお父さんよ」

 

 これが私が動けなくなった理由。

 今、私のお腹には赤ちゃんがいる。

 アランとの赤ちゃんが。

 

「なら、父親として頑張らないとな」

「だから、あんまり頑張らなくていいっての」

「わかってる。無理しない程度に頑張るさ。無理して倒れでもしたらダメだからな」

 

 そうして、アランは体を起こしてから私をそっと押し倒して、一緒に布団に入った。

 

「今日はもう寝る。言われた通り、少しのんびりしておくわ」

「よろしい。あ、でもエッチなことはダメよ。まだ安定期に入ったばっかりなんだから」

「俺は性獣じゃない。むしろ、性獣はお前の方だろうが」

「へ〜。ムッツリスケベが言うじゃない」

 

 そんな冗談を言い合いながら私達は眠りについた。

 今日は甘やかしたい気分だから、私がアランを胸に抱く。

 抱きしめながら頭を撫でるのは、やっぱり癖になる感覚だった。 

 満足。



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番外 剣聖の恋路

書籍版2巻、明日発売!
発売記念の番外編前編です。


 魔王軍との戦いが終わってから早5年。

 シリウス王国最精鋭騎士団団長に就任した『剣聖』ブレイド・バルキリアスは悩んでいた。

 

 最近、彼はよく夢を見る。

 祖父であり、尊敬すべき前任の騎士団長であるルベルトが枕元に立つ夢だ。

 魔王城での最終決戦にて戦死した歴戦の大英雄は、ブレイドの枕元でこう言うのだ。

 

『ブレイド。お前ももう25だ。いい加減、身を固めるべきではないか?』

 

 枕元に立ってまで行われたのは、まさかの結婚の催促だった。

 こんな夢を見るようになったのは、まず間違いなく現実でも同じことを散々言われているからだろう。

 

 バルキリアス家は代々シリウス王国に仕えてきた騎士の家系である。

 そう大きな家ではないが、何人もの加護持ちや優秀な将兵を輩出してきた名家だ。

 

 そして、加護というものにある程度遺伝する性質がある以上、国に所属する加護持ちには、ちゃんと結婚して子供を設けることが求められる。

 そうでなくとも、バルキリアス家を次代に残したいのであれば、結婚と跡継ぎを誕生させるのはブレイドの義務だ。

 ブレイド自身にも、それを放棄するつもりはない。

 

 という事情もあって、無事最精鋭騎士団の騎士団長に就任し、魔族の残党も目立つ奴は大体狩り終えて余裕の生まれてからというもの。

 ブレイドには縁談の話が殺到していた。

 

 大貴族の娘、絶世の美女と評判の少女、果てはシリウス王国の王女や、聖神教会教皇の孫娘まで。

 よりどりみどりだ。

 ブレイドの立場と、魔王を討伐した勇者パーティーの一人という名声があれば、あらゆる立場の女性からモテる。

 

 更に、バルキリアス家は名家とはいえ大貴族というわけではない。

 領地なども持たず、権力に執着もない騎士故に、普通の貴族のように、どこかの家との関係性の強化を考えて結婚する必要もない。

 次代に加護持ちが生まれる確率を増やすために、同じ加護持ちと結婚しろと言われることもない。

 

 加護の遺伝は、あくまでも『ある程度』だ。

 聖戦士から加護持ちが生まれてくる確率も、加護持ちから加護持ちが生まれてくる確率も、何代か前の先祖に加護持ちを持つ家系から加護持ちが生まれてくる確率も、そう大して変わらない。

 

 そして、シリウス王国の名家と呼ばれる家は、過去に多くの加護持ちを血族に迎え入れているし、そもそも加護持ちが興して血が継承されたという家も多い。

 つまり、別にブレイドの血に頼らなくとも、どこからでも大差ない確率で加護持ちは生まれるのだ。

 シリウス王国は、血筋の土壌を既に作り終えているのである。

 

 もちろん、勇者や聖戦士の直系が一番高い確率で加護持ちを産み落としはするが、血筋の厳選に躍起になるほど希少なわけではない。

 それこそ、最上位の加護持ちである勇者ステラが加護の無いアランに嫁いでも、そこまでうるさく言われないほどに。

 シリウス王国には歴代勇者の血を引く家系も多くあり、種馬的な意味で優秀な人材など、いくらでもいるのだから。

 さすがは人類最強最大の国というべきだろう。

 

 それらの事情が合わさった結果、大変幸運なことに、ブレイドはかなり自由に相手を選べる立場にあった。

 にも関わらず、ブレイドは縁談を全て断り、この国での結婚適齢期を微妙に過ぎてなお、結婚することはなかった。

 何故なら……

 

「で? なんでお前は、5年もダラダラやってるんだ?」

「しょうがねぇだろ! だって、リンの奴、俺のアプローチに全然気づいてくれねぇんだよぉおおお!!」

 

 彼には既に想い人がいて、その想い人に全然振り向いてもらえていないからだ。

 ブレイドはそのことを自宅の屋敷で、王都に遊びにきたかつての仲間であるアランに愚痴っていた。

 

 アランとしては複雑な心境だ。

 恋に発展したらからかってやろうと思って楽しみにしていたのに、5年経っても全く進捗がないのだから。

 自分の方は既に第二子まで生まれているというのに。

 

 しかも、別にブレイドがどこかの誰かのようにアプローチができないヘタレと呼ばれる人種なわけでもない。

 当初こそからかわれるのを嫌ってかリンへの恋心を否定していたブレイドだったが、すぐにどこぞのヘタレの二の舞いになると気づいたのか、割と早期に開き直って肯定した。

 

 その後は結構積極的にリンにアプローチをかけている。

 なのに、リンの方が無反応というのはアランにしても予想外だ。

 

 この無反応というのは決して比喩ではない。

 会った時に軽く探りを入れ、ステラに至ってはガールズトークでもっと深いところまで探っているというのに、

 まるでブレイドのアプローチなど存在しないと言わんばかりに、リンの様子におかしなところが欠片も見当たらないのだ。

 

 まさかとは思うが、ブレイドの好意に気づいていないという可能性まである。

 少なくともブレイドはおろか、誰かを恋愛的な意味で意識していないのは確実だろう。

 鈍感系か!

 

「もしかして、あれか? 旅の途中で散々情けない姿を見せたから、恋愛対象じゃなくて介護対象って認識が未だに根強くこびりついてるのか?」

「嫌だぁあああ!!」

 

 アランが最悪の可能性を告げれば、ブレイドは頭を抱えて絶叫した。

 あり得ると思ってしまったのだ。

 確かに、自分は旅の中でリンに散々心配をかけ、散々情けない姿を見せた。

 

 それでもリンはブレイドのことを、自分にとって最高の英雄だと言ってくれたが、

 あくまでもそれは、ブレイドが過去にリンを助けたからであって、言ってしまえば恩義と思い出補正からの言葉だ。

 

 そして、恩義と恋愛感情は別に『=』で繋がらない。

 逆に、介護対象ともなれば、『=』で恋愛対象にならないという方程式が成立してしまう。

 もしアランの推測が正しかった場合、ブレイドはどうにかしてそのイメージを払拭しない限り、敗北必至である。

 

「何か! 何か策はないか!?」

「そうは言ってもな……」

「なんでもいい! お前がステラを押し倒したい気分の時にやってることでもいい! とにかく、なんでもいいからアイディアのキッカケが欲しいんだ!」

「なっ!? そ、そんなもんをお前に教える義理は……」

「頼む! ワラにもすがる思いなんだよ!」

「うっ……!」

 

 土下座まで繰り出され、アランはたじろいだ。

 好きな女を振り向かせたいという気持ちはアランにもわかる。

 自分達の場合は昔からの仲で、自然と両想いになっていたパターンだが、想い人と一緒になりたいという部分に関しては痛いほど気持ちがわかってしまう。

 

 ブレイドは共に魔王軍との死闘を切り抜けた戦友だ。

 恋路をからかってやりたいとは思うが、失恋して気落ちしてほしいとは思っていない。

 ここまで必死に助けを求められて、知ったことかと見捨てられるほど関係は浅くはないのだ。

 

「……あんまり参考にはならないと思うぞ。夫婦の営みと、好きな女の振り向かせ方は違うだろうしな」

「それでも構わねぇ! 教えてくれることに感謝する!」

「ハァ。なんで俺の方がこんな羞恥責めをされなきゃならないんだ……!」

 

 自分はからかう側だったはずなのに、こんなのはおかしい。

 そう思いながらも、アランは顔から火が出そうな思いを堪えて、日頃から意識しているステラの好感度の上げ方を話していった。

 押し倒し方に関しても、基本は好感度を上げた末にそうなるのだから、やはり好感度上げこそが基礎にして奥義なのだ。

 

 そこから発展する甘い空気の作り方。

 押し倒してもいい雰囲気への持っていき方。

 話が逸れて、逆に押し倒される頻度の方が高いことまで喋らされてしまった。

 それらの話を聞いたブレイドは……

 

「なんというか、ビックリするほど参考にならねぇなぁ」

「張り倒すぞ、貴様……!」

 

 羞恥を堪え、少しばかり酒の力を借りなければ実行困難な嫁の押し倒し方まで教えたというのに、この反応。

 アランはキレそうだった。

 現役時代の愛刀が片方でも残っていたら斬りかかっていたかもしれない。

 

「だってよぉ。お前のそれって、ぶっちゃけ常日頃からイチャイチャしてるってだけじゃねぇか」

「くたばれ!」

「おわっ!?」

 

 遂に、掌底を使って六の太刀変型『震天・無刀』を使い始め、ブレイドの頭部を狙って脳を揺すりにいくほどキレたアランだったが、ブレイドの言葉は別に間違っていない。

 

 アランの語った好感度上げは、殆どが日常生活でのイチャコラ……もとい、幼少期から変わらない自然体での生活に毛が生えた程度のものだ。

 遠慮なく思ったことを話し合い、笑い合い、楽しそうなことを共有し、相手が喜びそうなことを考え、困っていたら気にかける。

 変わったことといえば膝枕などの甘いスキンシップが増えたのと、夜の戦いに向けた駆け引きが追加されたことくらい。

 

 夫婦生活をする上で最も大事なこと。

 お互いを大切に想って尊重するということを昔からしてきた二人にとって、それが一番自然な愛の形なのだ。

 アランが語ったアドバイスは、その全てが昔から変わらぬ絆があること前提の、あるいはその絆を維持するためのアドバイスだった。

 

 現状からの変化を望んでいるブレイドにとっては、ビックリするほど参考にならない。

 無事にリンを落とすことができれば、円満な夫婦生活を送る方法として、大変参考になりそうではあるが。

 

「もう知らん! あとは自分で何とかしろ!」

「ちょっ、待っ……!? ここまで来て見捨てないでくれよ!?」

 

 しかし、正直な感想がブレイドの口から滑り落ちてしまったせいで、アランはそっぽを向いてしまった。

 ブレイドが必死に謝るも効果はない。

 やがて、アランは憤慨した様子で、

 

「ふん! 俺にここまで恥をかかせたんだ。お前も大恥覚悟で公開告白でもすれば、最低限気持ちは伝わるんじゃないか!?」

 

 と、そんなことを言い出した。

 それを聞いたブレイドは…………雷に打たれたような衝撃を受けた。



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番外 聖女様の落とし方

書籍版2巻、本日発売!
発売記念の番外編後編です。
昨日前編を投稿してるので、まだの方はそちらからどうぞ。


「そ、それで、アランくんを思いっきり酔わせて、その後どうなったんですか!?」

「えっと、その……獣になったアランはとっても男らしかったとだけ言っておくわ」

「キャー!」

 

 聖神教会本部、聖女リンに与えられた私室にて。

 かつての勇者パーティーの女子二人が、お茶会という名のガールズトークを繰り広げていた。

 

 今話していたというか、吐かされていた話は、現在ステラの膝の上で寝ているアランとの第二子。

 娘の『フラン』が生まれるに至ったキッカケの話だ。

 さすがに子供に聞かせたい話ではないので、寝ているフランの耳を塞いだ上で小声で話し合ってはいるが。

 

 ちなみに、もう一人の子供である息子の『アスラ』の方は、一緒に王都に来てくれたお爺ちゃん(ステラの父)が、騎士団の見学に連れていってくれている。

 本当はアランと一緒に行く予定だったのだが、そのアランがとてつもなく深刻そうな顔をしたブレイドに相談があると言われて連行されてしまったのだから仕方ない。

 孫にデレッデレのお爺ちゃんに感謝だ。

 

「はー……それにしても、あれですね。

 聞けばちゃんと生々しい話が飛び出してくるし、こんなに可愛い娘さんを膝の上に乗っけてるの見ると、ステラさんもすっかり『女』で『お母さん』なんだなって実感しますよ」

「生々しい話とか言わないでよ!」

 

 赤くなるステラをよそに、リンは慈愛に満ちた顔でフランの頭をそっと撫でた。

 フランの寝顔が心地良さそうに緩む。

 大好きな春の日差しの中で、春風に吹かれてお昼寝してる時と同じ顔だ。

 まあ、大好きなお兄ちゃんであるアスラにくっついて寝ている時は更にもう一段階緩むのだが。

 フランはお兄ちゃん子なのだ。

 

「……リンもちょっと変わったわね」

「そうですか?」

「ええ。なんか、ちょっと大人っぽくなった」

 

 一緒に旅をしていた頃から5年が経って20歳となったリンは、少し遅めの成長期で身長が伸び、見た目からして子供っぽさが鳴りを潜めて大人っぽくなった。

 ガールズトークの時こそ相変わらずだが、こうして穏やかな顔で子供を撫でて、受け入れられている姿を見ると、もうすっかり『聖女』の名前に相応しい優しげなお姉さんに見える。

 アスラあたりの初恋を奪ってしまうかもしれない。

 

 ……いや、アスラもアスラで大分シスコンのけがあるから、初恋は禁断の恋になるかもしれないが。

 物静かな子なのだが、妹に向ける愛情の大きさが、昔の父親が幼馴染(ステラ)に向けていたのとそっくりな感じの子なのだ。

 今日騎士団の見学に行ってるのも、いざという時に妹を守れる力を欲してのことだし。

 3歳にしてそれなのだから、父親の血の濃さがわかろうというものである。

 

 それはともかく。

 

「なのに、なんで男っ気がないのかしらねぇ」

「もう! それを言わないでくださいよ!」

 

 当然ブレイドの事情を把握しているステラが牽制のジャブを放つも、リンはジャブを打たれたことにすら気づいていないかのごとく、自然体で頬を膨らませるだけだった。

 ただ、頬を膨らませているということは、男っ気がないのを気にしてはいるようだ。

 

「私だって、ステラさんとアランくんのイチャイチャを見てたんですから、当てられて恋の一つもしたいと思いましたよ!

 でも何故か! そう何故か!

 聖神教会本部(ここ)に就職した当初は、魔王を討伐した勇者パーティーの一人って肩書もあってモテたのに……いつの間にか、私の周囲から男の人が消えてたんですよ!」

「いや、それは……」

 

 ブレイドの積極的アプローチを周囲が察して、馬に蹴られないように退散しただけだろう。

 それはつまり、ブレイドを押し退けてでもリンを娶りたいと思うような根性のある男がいなかったということでもあるが。

 

「数少ない出会いの場で、ちょっと良いなって思った人がいても何故か避けられるし!

 ステラさんを見てたら、ちょっと良いなくらいで妥協するのもなんか嫌ですし!

 モテない上に理想の高すぎる私を笑いたければ笑ってくださいよ!」

 

 なんか、リンが的外れなことで怒り出した。

 アスラとフランが続けざまに生まれたことで子育てに忙しく、しばらくは手紙でのやり取りしかできていなかったが、どうやら会わない間に変なこじらせ方をしたらしい。

 

 よりにもよってモテないとか言い出すとは思わなかった。

 鏡を見てから言ってほしい。

 美人な若奥様として男性門下生達の視線を一身に集め、鼻の下を伸ばして不埒なことを考えた哀れな犠牲者が師範(アラン)師範代(お父さん)によって生死の境に叩き込まれた上に、女性の門下生達からゴミを見る目を向けられるという事件を多発させているステラと同等クラスの美人さんが映るはずだ。

 

「……うん。とりあえず、そこらへんの事情に関しては突っ込まないわ」

 

 ステラはトンチンカンな発言へのツッコミを控えた。

 こんな的外れな話を続けるより、こじれた原因の方にメスを入れた方がいいと思ったからだ。

 

「でも、出会いがないって言うなら、ブレイドとか狙ってみるのはどうなの?

 リンは昔からブレイドのこと尊敬してたじゃない」

 

 ガールズトークの果てに、遂にステラは核心へと迫る。

 何故か。そう本当に何故か、リンはブレイドのアプローチに気づいていない。

 気づいていないから、モテないなんてトンチンカンなことを言い出したのだ。

 ならば、この質問によってリンのブレイドに対する認識を解き明かしていけば、話の本質が見えてくるはず。

 

 果たして、リンの答えは……

 

「いやいや、私じゃブレイド様には釣り合いませんよ」

「は?」

 

 なんとも予想外のものだった。

 まるで当たり前の常識を語るかのように変なことを言い出したリンを見て、ステラは思う。

 この子はいったい何を言っているのだろうかと。

 

「釣り合わないって、どういうこと?」

「だって、ブレイド様は名家バルキリアス家の跡取りですよ?

 縁談のお話も沢山きてるみたいですし、田舎の孤児院出身の私が釣り合うわけないじゃないですか」

「あー……」

 

 そこまで聞いて、ようやくステラはリンの思考回路をなんとなく理解することができた。

 要するに、リンは自己評価の面において昔の感覚を引きずっているのだろう。

 

 田舎の孤児院出身という身分の低い生まれの自分と、世界最大の国、シリウス王国における名家の跡取りであるブレイド。

 なるほど、確かにそれだけ聞けば身分違いもいいところだ。

 

 加えて、ブレイドが断り続けたという縁談の話も問題なのかもしれない。

 ステラは詳しい事情を知らないが、名家で、あの伝説の剣聖ルベルト・バルキリアスの後継者で、しかも最精鋭騎士団の団長なんて肩書きを持っているブレイドに紹介される相手は、相当高貴な身分の人達なんだろうなと想像はできる。

 同じ名家や大貴族の娘、下手したら王女なんかがいてもおかしくない。

 

 リンがそんな人達と自分を比べたのなら、ブレイドと結婚するという未来がそもそも想像つかなくて、選択肢から除外した結果、ブレイドのアプローチに気づかないということもある…………のかもしれない。

 それにしても鈍感が過ぎるような気はするが、リンの考え方自体はステラにもわからなくはなかった。

 

 ステラだって10歳で故郷から連れてこられ、15歳で魔王討伐の旅に出るまでの5年間、ずっと城で勇者様勇者様と呼ばれて過ごしたが。

 自分がシリウス王国の王族貴族と対等に話せるような高貴な存在になった実感なんて、ついぞ湧かなかったのだから。

 

 王族と結婚することが多かったという歴代勇者のように、魔王討伐後も国の中枢で生きていくなんて想像もつかなかった。

 アランと一緒に故郷に帰りたいという思いがあったことを差し引いてもだ。

 

 リンの場合は、故郷に帰って社畜生活に戻りたくないという、なんともアレな理由でシリウス王国に残ったが。

 『聖女』という地位がしっくりきていない感覚はステラと大差なかったのだろう。

 

(誰か認識を正してあげなさいよ!)

 

 ステラは内心で激しくそう思った。

 そして、こうも思った。

 誰もやらなかったのなら、自分がやってやると。

 

「あのね、リン」

 

 ステラは真剣な顔でリンに言って聞かせた。

 実際はリンも魔王を討伐した勇者パーティーの一人という肩書きがあり、充分すぎるほど実力も伴っているのだから、ブレイドと釣り合わないなんていうのは完全なる勘違いだということを。

 当事者としては実感が湧かないかもしれないが、端から見ていたステラならば指摘できる。

 

 果たして、それを聞いたリンの答えは……

 

「うーん……。でも、ブレイド様が高貴な方々を差し置いてまで私を選んでくれるとも思えませんし」

 

(なんでそうなるのよ!)

 

 鈍感系か!

 ブレイドは散々アプローチしてたでしょうが!

 

 ステラは内心でそう叫んぶと同時に、悟った。

 きっと、他の人達もリンの認識を正そうとしなかったわけではないのだろうと。

 だが、リンのこの圧倒的鈍感力の前に膝を屈したのだろうと。

 人の恋路には興味津々だったくせに、自分の恋路となるとこれとは……。

 

(助けて! エルネスタ先生!)

 

 ステラは内心で恋愛の師匠に助けを求めた。

 もう自分の力では手の施しようがない。

 恋路を応援する者としての禁忌を犯し、ブレイドの恋心をステラが勝手にバラしたとしてもスルーされる気がする。

 天性の鈍感としか思えない。

 これを覆せるとしたら……

 

 そうして、ステラが頭を抱えそうになった瞬間、コンコンと部屋の扉がノックされた。

 

「はーい。なんですか?」

「リン様、ブレイド様がお見えです。至急、エントランスにお越しください」

「え? ブレイド様が?」

 

 「なんでしょう……?」と呟きながら、リンはステラを伺った。

 今は久しぶりの女子会の最中。

 それを中断しなければならないのを気にしているのだろう。

 

「私のことは気にしなくていいわよ」

「いえ、ステラ様もご同行していただけると助かります」

「え?」

 

 そう言ったのはリンではなく、連絡役の女性神官だ。

 修行時代からステラとも交流があり、なんなら『ステラの恋を応援し隊』のメンバーでもあった彼女は、「失礼」と一言断ってからステラの隣にやってきて、耳元で事情を話し始めた。

 それを聞いてステラの目が見開かれる。

 

「リン、行くわよ。ほら早く」

「え? ちょ、ステラさん?」

 

 事情を聞いたステラはフランを優しく抱っこし、リンをせっついて歩かせる。

 鼻息の荒いステラと連絡役の人。

 妙なテンションの二人に首を傾げながら、リンはエントランスに連行された。

 

「来たか」

「ブレイド様……?」

 

 そこで待ち受けていたのは、当然ながらブレイドだった。

 しかし、いつもと雰囲気が違う。

 具体的には随分ピシッとした礼服を着ており、手には花束が握られている。

 ついでに、エントランスには「マジか……」と呟きながら、そんなブレイドを驚愕の眼差しで見つめるアランの姿もあった。

 

 ブレイドが歩き出す。

 興味津々な様子の教会関係者達の視線をものともせず、2メートルを超える巨体で堂々とリンの前に歩み出る。

 そして、ブレイドは、━━リンの前で片膝をつき、花束を差し出した。

 

「へ?」

「リン、今までの俺は間違ってた。好感度を稼いで、満を持してから告白しようと思ってたんだが、それじゃダメだったんだな。

 もっと早く、こうやって真っ向から想いを伝えるべきだった」

「え? え?」

 

 混乱して目を白黒させるリンに。

 自分のこととなると鈍感にもほどがある聖女様にわかってもらえるように。

 

「━━好きだ、リン」

 

 ブレイドはハッキリと自分の想いを言葉にした。

 聞き間違いなんてさせないように、飾った言葉など一切無しで、どこまでも直球ストレートに伝えた。

 ヘタレだヘタレだと言われながらも、最後の最後は小細工抜きの真っ向勝負で決めた、どこぞの無才の英雄のように。

 

「吸血鬼の血に侵されて、自分を見失いかけてた時、お前の言葉が俺を引き戻してくれたんだ。

 散々情けない姿を晒してきた俺を、お前はそれでも英雄だと言ってくれた」

 

 ブレイドは語る。

 自分がリンを好きになった理由を、隠さず語って聞かせる。

 

「旅の中でずっと支えてくれた。

 こんな俺を見捨てないでいてくれた。

 そんなお前の言葉に応えたいと思ったから、俺は奮い立つことができたんだ」

 

 「だから」と、ブレイドは続ける。

 

「これから先の人生で、俺はお前のために剣を振るいたい。

 お前のための(ブレイド)になりたい。

 だから、━━俺と結婚してくれ!!」

 

 男らしくプロポーズの言葉を言い切るブレイド。

 観客達が黄色い声を上げそうになるも、雰囲気を壊してはならぬと必死で自分の口を抑えた。

 アランは「こいつ、ホントにやりやがった……」と小さな声で呟き、ステラは奇跡でも起きたかのような歓喜の表情で二人を見る。

 そして、肝心のリンはといえば……

 

「あ、う……」

 

 真っ赤な顔で硬直していた。

 心臓がバクバクと鳴り響き、ステラの恋バナにキャーキャー言っていた時の数百倍は強烈な感情が胸を締めつける。

 いくら鈍感を極めたような女であろうと、こうも真正面から堂々とプロポーズされれば、勘違いする余地も、鈍感スルースキルを発動する余地もない。

 

 混乱する頭がプロポーズされたという事情をどうにか認識した瞬間、リンの脳裏にブレイドとの思い出が溢れ出した。

 

 初めて出会った時、絶望的な魔族の襲撃から故郷を救ってくれた。

 凄くカッコ良かった。

 

 それから一緒に王都に連行されて、ブレイドの不真面目な面を見せられてモヤモヤしたが、決して嫌いにはならなかった。

 

 エルフの里でドラグバーンにやられ、次は目の前で(レスト)を失い、自分を責めて追い込む姿が痛ましくて、自分が支えなければと思った。

 

 アースガルド戦では無茶を続けるブレイドに感情が爆発して頬を引っ叩いてしまったが、結果的にはそれで喝が入ったのか、完全復活して大活躍してくれた。

 凄く凄くカッコ良かった。

 

 魔王城での最終決戦。

 魔獣王を倒して過去にケジメをつけ、そのまま魔王との戦いへ。

 祖父(ルベルト)が死んだと聞かされても折れず、その遺志を受け継ぐと言って奮起してくれた。

 戦いの終盤、アランとステラが二人で魔王に挑む中、ブレイドはボロボロの体で力尽きた自分達を守ってくれた。

 その背中は滅茶苦茶カッコ良かった。

 

 決戦が終わり、次期騎士団長として働くブレイドと過ごした5年間。

 亡くなった家族に恥じない生き方をしたいと言って、昔からは考えられないほど真面目に職務に励むブレイドは素直に尊敬できた。

 息抜きとして、休日によく一緒に遊びに連れていってくれた時は楽しかった。

 ブレイドと一緒にいるのは、本当に楽しかったのだ。

 

 それらの思い出が一瞬にして脳を駆け巡り、リンは自分が決してブレイドのことが嫌ではないことを再確認する。

 その瞬間、リンの頭はボフンッと音を立ててオーバーヒートした。

 

「か……」

「か?」

「考えさせてくださーーーい!!」

「え!?」

 

 結果、リンの脳は戦闘継続不可能という命令を体に下し、返事を保留にして逃走を図った。

 魔法系とはいえ聖戦士の身体能力をフルに発揮して一目散に逃げるリン。

 残された哀れなブレイドは、花束を差し出したままの体勢でフリーズした。

 

「あちゃー……」

 

 一部始終を見終えて、ステラは呆れたように苦笑を浮かべた。

 ついでに、リンの大声を聞いてフランが起きてしまったので、そっちにも苦笑を浮かべる。

 

「こうなったか……。まあ、ブレイドの勇気には敬意を表するってところだな」

 

 そんな母娘に、花束を受け取ってもらえなかったせいで、ものの見事に晒し者になっている男に憐れみの視線を向けながら、お父さん(アラン)が歩み寄ってきた。

 しかし、娘を視界に入れた瞬間、哀れな男への憐憫の視線を綺麗サッパリ消し去って、優しい顔でフランの頭を撫でようとするも、当の娘にその手をペチッを叩き落とされて、悲しい顔をするお父さん。

 

 フランは何故か、お父さんへの当たりが微妙にキツいのだ。

 嫌われているわけではないと思いたいが、早すぎる反抗期ではないかと、アランは内心、戦々恐々である。

 そんな父娘の様子にやっぱりステラは苦笑しながら、話をかつての仲間達の恋路の方に戻す。

 

「でも、これでリンの方もさすがにブレイドを意識したでしょうし、くっつくのも時間の問題だと思うわよ」

「そうだな。これでようやく積年の恨みを晴らせる……!」

 

 そうして、アランはニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。

 彼は旅の最中、リンに恋路を散々からかわれたことを未だに根に持っているのだ。

 ずっと仕返しのチャンスを待っていたのだから、喜びもひとしおなのだろう。

 

 もっとも、それはステラとて同じだ。

 アランより前、王都での修行時代からリンに散々からかわれ続け、いつかリンに好きな人ができたら、今度はこっちが思いっきりからかってやろうと思っていたのだから。

 ステラもまた、アランとそっくりな邪悪な笑みを浮かべた。

 

「ククク」

「うふふ」

 

 脳内で仕返しプランを考えながら笑い合う似た者夫婦。

 ブレイドは未だにフリーズし、観客達は興奮冷めやらぬ様子で通常業務に戻っていく。

 

「ふぁぁ……」

 

 そんな大人達を尻目に、無垢な子供のフランはマイペースに再び眠りにつき、存分に心穏やかな惰眠を貪ったのだった。

 

 

 

 

 

 ちなみに、逃げ出したリンは、逃げた先で敏感にラブの気配を察知して戻ってきたエルネスタに捕まり、アランとステラが手を下す前に存分にからかわれたという。

 

 しかし、からかわれると同時にアドバイスを授けられ、とりあえず結婚の前に交際期間を設けることを決定。

 1年間の健全なお付き合いの末、無事にめでたくゴールインしましたとさ。



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